クソゲー世界に転生してしまったTS魔法少女ちゃんは今日も生き残りたい (守次 奏)
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第一部 クソゲー・リィンカネーション
転生して五秒でクソゲー


 轟音に先立って、眩しすぎる光が爆ぜた。

 一体なんの騒ぎだと目を開けてみれば、そこにあった風景は、夏のクソ暑い中で汗水流して歩いていた渋谷のスクランブル交差点──じゃない。

 仄かな暖色系の明かりに照らされた、喫茶店、としか言いようのない場所が目に映る。

 

「千早先輩、どうしちゃったんですか? ぼーっとして」

 

 千早。誰だそれは。

 目の前でお盆を後ろ手に回したプラチナブランドの女の子が、珍しいものを見たとばかりに口元を緩めながら、問いを投げかける。

 熱でもあるんですか、とその子は続けたけど、だからそれは誰に訊いてるんだ。そして、なにがあったか訊きたいのは俺の方だ。

 

 確かどうせ当たらないだろと思って買った宝くじで、夢の前後賞合わせて七億円が手に入ったことに浮かれて、某メガバンクへと換金手続きをしに行ったはずなんだけどな。

 いくら頭の中を浚っても、今日家から出てからの記憶はそれしかない。

 それに、大金を貰いに行く片道で喫茶店に寄って暇を潰せるほど俺の肝は太くないんだが。

 

「千早先輩、本当大丈夫なんですかー? そんなに調子悪いならまゆ呼んできます?」

「だから、千早って」

 

 クラシカルなメイド服に身を包んでいる目の前の女の子が、唇を尖らせながら問いかけ続けるのを遮って、俺は思ったことを口に出そうと試みた。

 そうして自分の喉から飛び出てきたのは、凛と透き通ったハイトーンな声。

 間違いなく、男の声帯から出力されるようなものじゃなかった。

 

「なんだ……? なにがあった……?」

「それ訊きたいのはこっちですよー」

 

 頭のネジでも外れちゃったんですか、とメイド服の子は冗談なのか本気で心配しているのかわからないような声で言う。

 よく見ればこの子の顔は、どこかで見たような気がした。いや、どこかで見たというかよく見ていたというか。

 混乱していた脳味噌が落ち着きを取り戻していく中で状況を俯瞰すれば、この喫茶店みたいな場所の内装にも覚えがあったし、それに。

 

 自分が着ている服の裾を摘んで持ち上げてみれば、それは目の前の女の子が着ているのとよく似た、というか、全く同じロングスカートだった。

 それと喉から飛び出てきたハイトーンボイスに、さっきから呼ばれ続けている「千早」という名前。

 一つ一つ、記憶と事実の断片を拾い上げて頭の中で継ぎ接ぎにすれば、確証はないけど、嫌な予感が浮かび上がってくる。

 

「なんですか、私の顔に変なものでもついてます?」

「……もしかして君の名前、北見由希奈だったりしない?」

「千早先輩、頭でも打ったんですか? 本当大丈夫ですか? 私が北見由希奈じゃなかったら一体どこの誰だってんですか」

 

 敵が成り変わったわけじゃあるまいし。

 目の前の女の子改め、北見由希奈は唇を尖らせたまま、いよいよ手にしたスマートフォンで119番を呼び出しかねない雰囲気を醸し出していた。

 ああ、よかった。それこそ「敵」が成り変わったことを疑われて、銃を向けられなかっただけマシだ。

 

 とりあえずまずは、誤解を解かねば。

 こほん、と咳払いをして、声を整える。

 

「……すまない、由希奈。此方も少しばかり混乱していた」

「うちにしては珍しくランチタイムが大繁盛でしたからねー、てか千早先輩、人酔いするタイプだったんですか」

「そうだな、そういうことにしておこう」

 

 これで俺が抱いていた嫌な予感は完璧に立証された。

 北見由希奈という女の子。クラシカルなメイド服が制服な喫茶店。そして「千早」という名前。

 そこから導き出される結論は一つだ。

 

 ここは、俺が住んでいた世界じゃない。

 夢でも見てるんじゃなければ、百パーセントそうだと断言できる。

 

「すまない、少し洗面所で顔でも洗ってこよう」

「よくわかんないですけどそうした方がいいですよー、じゃ、私休憩入りますんでー」

 

 短いやり取りを交わして、俺は休憩に入った由希奈を尻目に、従業員用トイレへと早足で向かう。

 そうして手洗い場で鏡を覗き込んでみれば、そこに映っていたのは死んだ目をした、覇気のない二十五歳フリーター男性の顔じゃなかった。

 均整な調和の取れたクールビューティー、大和撫子、言い方は色々あるんだろうが、そんな感じの美少女が、俺のものではない見慣れた顔が、鏡には映り込んでいる。

 

「……西條千早」

 

 ぼそりと呟く。

 間違いない。由希奈とのやり取りを経たのと、たった今鏡を見たことで、確信は確証となった。

 これはいわゆるあれだ、異世界転生というやつだ。そうに違いない。

 

 なんでそんなことが断言できるのかって、理由は一つ。俺はこの顔に、西條千早や北見由希奈という存在に死ぬほど見覚えがあるからだ。

 アクションADVゲーム「魔法少女マギカドラグーン」。

 生前と言っていいのかどうかはまだわからないとしても、この世界に転生する前、俺が腐るほどやり込んでいたゲームの名前だ。

 

 そこに出てくるキャラクターには、確かに「西條千早」と「北見由希奈」という名前があって、容姿も声も、ゲームの中に出てくるキャラと合致している。

 そんなゲームの世界に転生なんて漫画かジュブナイル小説の中での話かと思ってたけど、まさかこうして我が身に起きてしまうとは思わなかった。

 なんだろうな、あまりにも出来事が突然過ぎて、一周回って冷静になれた気がしてくる。

 

 そうして、朧気だった記憶が、鮮明に形を取り戻していく。

 

「……そうか、俺……死んだのか」

 

 あの光が爆ぜた理由は、大分でかい隕石が渋谷のスクランブル交差点に落ちてきたからだ。

 そして哀れにも俺は夢の七億円を手にすることなく塵になったわけだが、その代わりに神様かなんかが気を利かせて、生前死ぬほどやり込んでいたゲームの世界に送ってくれたのかもしれない。

 寝るのも食べるのも忘れるほどに没頭していたゲームの世界、それもメインの登場人物である美少女に転生したとなれば、普通だったら涙と鼻水を垂らして喜ぶシチュエーションだろう。

 

 ──そう、「普通」だったなら。

 

「畜生が、神か女神か知らんが余計なことをしやがって!」

 

 余計なことをしでかしてくれたのが神様か女神様かは知らんが、鏡に向けてそう叫びながら、俺は打ちひしがれる。

 この「魔法少女マギカドラグーン」というゲームは、俺が生まれ変わったこの世界は、はっきり言って生まれた時点で詰みに等しい。

 モブの命も軽ければ、ちょっとしたことでヒロインが死ぬ。最終的には主人公も死ぬ。死屍累々、マルチバッドエンドと揶揄された超絶クソゲー。それこそが「魔法少女マギカドラグーン」なのだ。

 

「しかも西條千早ってチュートリアルで死ぬキャラじゃねーか! 冗談じゃねえ!」

 

 つまり、このままなにもしなければ、俺は二度目の人生で早速二度目の死を迎える運命にあるってことだった。

 二度目の人生RTA、多分これが一番早いと思います、じゃあないんだよ。

 今日が何月何日かはあとで由希奈辺りに訊けばいいとしても、このまま順調にいけば俺は主人公を「敵」から庇って死ぬ運命にある。

 

 冗談じゃない、なんで転生して早々死ぬ運命を押しつけられなきゃならないんだ。

 じゃあ主人公を無視して見殺しにしたらいいじゃないかって? それだと詰むんだよ。

 早い話がゲームオーバー。とにかく主人公という存在は、この世界において滅茶苦茶重要なポジションにいるってことだ。そりゃそうだよな、主人公だもんな。

 

「つまり俺のやるべきことは一つ……!」

 

 主人公を守る、そして自分の命も守る。

 その両方が実行できれば問題ない。覚悟はまだ決まっちゃいなくてもやるしかないんだよ、できなきゃ死ぬんだからな。

 だが、俺はこのマルチバッドエンドなクソゲーを腐るほどやり込んでいて、設定資料集も穴が開くほど読み込んでいる。

 

 なんでそんなことしてたのかって、単純に救いが欲しかったんだよ。

 条件分岐も無駄に複雑だから真のトゥルーエンドもあったりするんだろうかとか思って血眼になってたわけだ。

 まあ、そんなもん欠片もなかったけどな。

 

 それはともかく、この世界に「西條千早」として転生できたことは不幸なのかもしれないが、同時に幸いなことでもあった。

 なぜなら、この西條千早という女は。

 

「設定上は最強の魔法少女だからな……!」

 

 原作では「敵」の不意打ちから主人公を庇って死んでしまった先輩キャラだが、こと汎用性という意味じゃ最強な魔法少女。

 設定資料集に書かれていた通りなら、そしてなんとかバッドじゃないエンディングを探して死ぬほどやり込んでいた経験が活かせるなら、俺は死なずに済むかもしれない。

 でも、とりあえずは。

 

「……この身体に慣れなきゃいけないんだろうな」

 

 僅かにメイド服を押し上げる膨らみに触れてみれば、少し芯が残ったような柔らかい感触が指先に伝わってくるし、スカートの下に履いているものの、言ってしまえばパンツのぴっちり感。

 そして丈が長いのにやたらとスースーするスカートの感触。

 これからはフリーター改め魔法少女として生きていかなきゃならないんだから、自分の身体に慣れるとこから始めないとな。




魔法少女、はじめました


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冷や飯食らいの主人公

 魔法少女の道は険しい。

 鏡の前で洗いざらい感情をぶちまけた俺は、何事もなかったかのようにカウンター裏の休憩室を目指して歩いていた。

 ゲームじゃ立ち入れないというか、ADVパートでしか出てこないような場所だが、こうして生身の肉体を得ればプレイエリア外にも侵入できるのだ。壁抜けとかテクスチャ裏に行くとかはできないけどな。

 

 さて、魔法少女は全員喫茶店というかメイドカフェにいるのかと訊かれれば、その答えはノーだ。

 俺こと西條千早を含めた五人の魔法少女たちは、普通なら一級から三級で区分されるそれの中でも文字通りにスペシャルな「特級魔法少女」として、国からある程度の自由行動や作戦における裁量が与えられている。

 他の魔法少女たちは非常時を除いて、基本的に自衛隊の基地や駐屯地から出ることができないと考えれば破格の待遇だろう。

 

 それもそのはず、特級魔法少女は単独で世界をひっくり返しかねない戦力だ。

 そんなのを制限付きとはいえ野放しにして大丈夫かどうかはわからんが、有事即応の四文字の元に認可されてるって設定なんだから仕方ない。

 その分普通の魔法少女が任されないような任務が回ってきたりもするわけだが、そんなエージェントじみた特級魔法少女たちの秘密基地がメイドカフェに擬態しているのは、制作者の趣味かなんかだろう。

 

 設定資料集にも舞台がメイドカフェな理由とか特に書いてなかったしな。

 薄らぼんやりとそんなことを考えながら、俺は休憩室の扉を開く。

 畳が敷かれた部屋の座卓には賄い飯が並んでいて、昼飯食う前に隕石に当たって死んだせいもあってか、腹の虫が騒ぎ出すのを感じ取る。

 

「皆さん、ご飯できましたよぉ」

 

 座卓に並ぶ賄い飯を作った、特級魔法少女の一人である「南里まゆ」がどことなく眠気を誘うような甘ったるい声で呼びかけてきた。

 確かこのメイドカフェ「間木屋」のキッチン担当はもっぱら彼女って設定だったな。

 座卓に並ぶカルボナーラは五つ。ぴったり特級魔法少女の数と合致している。

 

「ありがとねー、まゆ。超愛してる」

「そんなこと言われても、困りますよぉ……」

 

 由希奈は揶揄うようにふわふわとウェーブがかかったまゆの茶髪を撫でて、食卓に一番乗りする。

 ああ、そうだ。思い出した。

 このシーン、確かチュートリアル前に挟まれるADVパートだったな。要するにヒロインの顔見せだ。

 

「ちょっと由希奈、食い意地張りすぎー! 次はアタシね、まゆ!」

「慌てなくても、パスタは逃げませんよぉ」

「まゆの賄いご飯は美味しいんだから仕方ないじゃない!」

 

 赤髪をかき上げながらエントリーした、どことなく勝気な印象を受ける魔法少女「東雲葉月」がふふん、と鼻を鳴らして食卓につく。

 ああそうだ、この東雲葉月が厄介なんだよな。

 攻略対象としてルートを進んでいけば、苛烈な性格の裏に秘められた部分とかが見えてくるんだが、それまでが大変というかなんというか、いってしまえばなにかと主人公に因縁をつけて絡んでくるトラブルメーカーなのだ。

 

「……つ、次は……そ、その、わ、わたし……」

「あら、無駄飯食らいがなんか言ってるわね」

「……っ……」

 

 そう、葉月に続いて現れたこのふわふわとウェーブがかかった銀髪に赤色の瞳をした小柄な女の子こと「中原こよみ」こそが、葉月に因縁をつけられるように絡まれている「魔法少女マギカドラグーン」の主人公だ。

 気が弱くて泣き虫で、人と接するのも苦手だが、その代わりといっちゃなんだが、絶大な魔力を秘めている、まさしく特級魔法少女の切り札ともいえる存在が彼女なのだが。

 

「秘密兵器様はいいわよね、接客ヘッタクソでも、安全な後方にいるだけでもお仕事になるんだから」

 

 葉月が言った通りに、特級魔法少女が駆り出されるような作戦においてもこよみの役割は基本的に後方待機だ。

 凄まじい力があるのに、なんでこよみを後方待機なんかさせているのかといえば、端的にいってしまうと「力があまりにも強すぎる」からに他ならなかった。

 射爆場をグラウンドゼロに変えたその力を、無数の高層ビルや住宅が立ち並ぶ市街地でぶっ放せば、また俺なんかやっちゃいましたか、どころの騒ぎじゃない。

 

 壊れた建物の復興予算やら、予算に数えられない巻き添えで死ぬであろう人間の命、それらを天秤にかけて尚「彼女の力でしか倒せない」と判断した敵が出てきた時だけ、その力を振るうことを許された秘密兵器。

 それこそが「魔法少女マギカドラグーン」の主人公こと中原こよみの立ち位置なのだ。

 つまりそんな秘密兵器がアクションADVの主人公をやってるということは、お察しの通りである。

 

 この世界はこよみがいなければ、根本的に詰んでいるのだ。

 それにもかかわらず、ゲーム内で彼女に対する風当たりは常に強いんだから制作者は人の心がないか相当なサディストかの二択だろう。

 そしてこよみの唯一の理解者ポジションが原作における「西條千早」の役割なのだが、千早は残念なことにチュートリアルでこよみを庇って死ぬ。主人公を曇らせることに余念がねえなこのゲーム。

 

 ルートが進めば次第に和解も進んでいくんだろうけどそれはそれとして見ていて、気持ちいい光景じゃない。

 確かに可哀想は可愛いかもしれないけど、俺はハッピーエンドがみたいのであってバッドエンドを見たいわけじゃないんだよ。

 だから砂粒ほどの可能性にかけて「魔法少女マギカドラグーン」をやり込んでたわけなんだけどまあトゥルーエンドですら救いがなかったんだからそりゃもうお手紙送ったよな。と、そんな話はさておくとして。

 

「葉月、やめておけ」

「先輩、でも」

 

 声を整えて、俺はあくまでも「西條千早」として葉月の行動を咎める。

 デモもストもねえんだよ、と言いたくなるのを堪えて超然とした笑顔を浮かべると、原作通りに、何度も何度もプレイしたことですっかり覚えてしまった台詞を暗唱する。

 

「人には得手不得手がある。そして役割がある。こよみは自らの役割に殉じている……まだ機が来ないというだけだ」

「……ッ……!」

「葉月、其方が納得のいかないこともわかる。だが、我々は特級魔法少女として集められた存在だ。無用な軋轢は作戦行動に支障をきたす……此方の顔を立てると思って、退いてはくれないか」

 

 当代最強のフォワード、チュートリアルで死ぬまでは常に前衛の要として戦ってきた……という設定の魔法少女が西條千早だ。

 だからまあ、中身が元フリーターの俺であっても説得力はそれなりにあるんだろう。

 わかりました、とぼそりと呟くと、葉月は不満げな顔で、なんならこよみを睨みつけながらカルボナーラをもしゃもしゃと頬張る。

 

「……ぁ、ありがとう、ございます……西條、先輩……」

「気にすることはない。其方が特級魔法少女として正式に国から認定を受けている以上、不相応ということもない」

「……で、でも……わた、し……なにもかも、全部、ダメダメで……」

 

 実際、こよみの接客は接客業として考えれば壊滅的で、注文を取るのも鈍臭ければ料理を運ぶのにも時間がかかる始末だとADVパートには書かれていた。

 一生懸命愛想を振りまきながら接客をやっている葉月にとっては、それもまた気に入らない要因なんだろう。

 まあなんとなくわかる。明らかにやる気ないバイトが新しく入ってきたら俺も不機嫌になったことがないわけじゃあないからな。

 

「其方を目当てにした客もいるらしい。一生懸命さが伝わったのだろう。それより、冷めないうちに食べるのが賢明だと此方は判断するが」

 

 設定資料知識だけど、こよみの辿々しくも一生懸命な接客を目当てにやってくる客もいる……らしい。

 それはそれとして、やる気がないのは論外だとしても、頑張ってできないんだったら話は別だ。

 いくら壊滅的でも、苦手な接客を自分なりに頑張ろうとしている辺り、こよみは偉い。俺が同じ立場なら多分バックれてることだろう。

 

「……は、はい……ありがとう、ございます……いただき、ます……」

 

 ぽろぽろと赤い瞳から涙を零しながら、こよみは、まゆ謹製のカルボナーラを、小鳥が啄むように口元へと運んでいく。

 このやり取りのあとに理解者ポジションの先輩が死ぬんだから本当このゲーム主人公に厳しいよな。

 まゆからカルボナーラを受け取った俺も、ゲームではテキストでしか表示されなかったその味に感動しつつ、そんなことを頭の片隅に浮かべる。

 

 ……このやり取り?

 待てよ、このカルボナーラ事件カッコカリは確かプロローグの導入で、このあと待ち受けているのは、俺の前世の記憶が確かであれば。

 休憩室に、答え合わせをするかのようにけたたましい音が響き渡ったのは、思考回路が結論を導き出すのとほぼ同時だった。

 

「この警報……」

「特種非常事態宣言、出たみたいですよー」

 

 テレビをつけた由希奈が、大真面目な顔で原稿を読み上げているアナウンサーを指差して俺たちにそう伝える。

 特種非常事態宣言。

 それは特級魔法少女が駆り出される公的な宣言であり、今頃霞ヶ関のお偉いさんは出撃許可証に大慌てで判子を押してることだろう。

 

「諸君、聞いての通りだ」

「店長……じゃなかった、隊長、出撃ですかー?」

「出撃だよ、北見。今回のは随分とデカい」

 

 転生当初は薄らぼんやりとしていたせいもあって気付かなかったけど、そういえば特級魔法少女の運用には統括責任者がいるんだった。

 カウンターから戻ってきたのであろうその燕尾服の男こと、健康的に焼けた浅黒い肌に癖毛の美丈夫といった風体の、小野順一大佐はテレビを消してモニターに防衛省から転送されてきた「敵」の様子を代わりに映し出す。

 それは光そのものが悪意を持って現れたら、そんな形になるのであろう、醜悪なデザインをしていた。

 

「臨界獣ピグサージ……『M.A.G.I.A』からの呼称はそう決定された」

 

 そうだ。

 転生して早々戦う羽目になったこの醜悪な光こそが、ゲーム内ではチュートリアルに出てくる相手で、そして。

 俺がこのままルート通りに進めば命を落とすことになるであろう、怨敵だった。




ヒロインちゃん兼主人公ちゃん登場


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チュートリアルでクソみたいな敵を出すな

 臨界獣。

 それは「界震」と呼ばれる現象によって時空間に開けられた「穴」から現れる存在につけられた呼称にして、魔法少女の敵に他ならない。

 臨界といっても物騒なものを体内に埋め込んでるとかそんなことはなく、ただ「異界」から「臨む」という意味で名付けられている存在だ。

 

 アニメの中にしか存在していなかった魔法少女たちが現れたのはこの臨界獣に対してこの地球という惑星が発動させた防衛機構の発露であり、超常の力を持つ魔法少女こそが人類の希望──というのがあくまで表向きの話。

 実際はもっと生々しい事情があるんだが、概ね「臨界獣に対抗できるのは魔法少女だけ」という点においては間違っちゃいない。

 そして特種非常事態宣言というのは、「特級魔法少女が出撃しなければいけないほど厄介な臨界獣の出現」を意味している。

 

 ピグサージと、個体名が名付けられたそれは、捕食するように電線をバリバリと引きちぎって噛み砕きながら、既に配備されていた自衛隊員や魔法少女を黒焦げの肉塊に変えていく。

 わかっちゃいたが、ここはゲームの世界であっても、ゲームそのものじゃない。

 臨界獣が暴れれば死人が出る。死人が出れば、悲しむ誰かがいる。

 

 このチュートリアルで死ぬことが運命づけられている俺こと西條千早もその一人で、画面の前で見ていればそれは他人事のように受け流せたのかもしれない。

 だが、これは現実だ。俺自身が、命をかけて戦わなければいけないのだ。

 怖気付いたか。脳内に零れて落ちた言葉が反響する。

 

 ──まさか。

 笑って俺は、それを否定した。

 生憎転生特典のチートなんてもんはない。あるのはこの「西條千早」が持っている魔法の力と、やり込みにやり込んだ原作知識だけ。

 

 それでも、俺は。

 俺は、このどうしようもない運命を変えたい。

 ここで死ぬのも真っ平ごめんで、ヒロインたちが死んでいくのを見届けるのも同じこと、いわんや主人公も、だ。

 

 もしもこの世界に転生した意味があるとすればそれは、破滅とバッドエンドしか待っていないこのクソゲーをどうにか覆すことなのかもしれない。

 俺にできること。西條千早にできること。

 全部を使い切って、このチュートリアルから始まるクソゲーのフラグをへし折ってやる。

 

「各員出撃! 全力をもって臨界獣ピグサージの侵攻を阻止するんだ!」

『了解!』

 

 小野大佐からの激励に応えて、俺たちは更衣室へと走り出していく。

 着ていたメイド服から支給されている制服に着替えておかなければ、事後処理がめんどくさい……というのも、お役所勤めの宿命みたいなもんだ。

 慣れないスカートの構造に四苦八苦しながらも、俺はどうにかいかにも女子高生といった風情の制服に身を包んで、地下へと再び走り出す。

 

「この発進方法考えたの、誰なんだろうねー?」

「知らないわよそんなの、一々地下から飛び出さなきゃいけないなんてめんどくさいったらありゃしないわ!」

「でも、まゆたちが特級魔法少女だってバレちゃいけないんでしたよねぇ……?」

 

 魔法少女ってのは便利なもんで、変身している間は魔力の作用によって、一般人に対する認識阻害が働いているらしい。

 それなら喫茶店から直接飛び出しても問題なさそうに見えるだろうが、「特級魔法少女が喫茶店から出てきた」事実は認識されるから、厄介なことになる。

 従って、専用の地下カタパルトから発進しなきゃいけないとのことだ。

 

 まあ、そんなことを言ったところで葉月が納得するわけでもないだろうから黙っておくけど。

 

「我々に求められているのは迅速な展開と殲滅だ、その過程に不満があるのならば上申すればいい」

「うっ……わかりましたよ、先輩」

「それでいい、各位、出撃準備は整ったな!?」

 

 俺からの呼びかけに全員が答えるのと同時に、関係機関からの許可が降りたことで、足を乗せたカタパルトがアンロックされる。

 普通の人間だったらGで眼球が飛び出し、内臓が潰れかねないカタパルトの衝撃も、ひとたび魔法少女に変身してしまえば何食わぬ顔でやりすごせる。便利なもんだよな、本当に。

 俺は左胸の下辺り、心臓の位置に手を当てながら、そこに鼓動がないことを確かめつつ、変身のための解号を唱える。

 

「……ドレス・アップ!」

 

 解き放たれた魔力が形作る光の粒子が繭を作り出し、その中で自分という存在が再構築されていく感覚と共に、俺は、西條千早は、「魔法少女」へと変質していく。

 いかにも女子高生といった風情の制服はフリルのあしらわれた青いドレスに、戦いじゃなく、舞踏会に臨むかのように可憐な姿へと生まれ変わる。

 しかし、こんな日曜日の朝にテレビで放映されてそうな格好をした少女たちが鉄火場に放り出されるんだからこの世界は世も末だ。可哀想は可愛いかもしれないけど、物には限度があるんだよ。

 

『中原こよみの魔術兵装装着確認、各員魔法征装の着装よろし、カタパルトスタンバイ、発進どうぞ!』

 

 地下格納庫のオペレーターをやってる女が最終確認を済ませると同時に、発進までのカウントダウンが始まった。

 三、二、一。

 表示信号が青に変わると同時に、俺は腰を落として射出への衝撃に備える。

 

「……西條千早、出撃する!」

 

 そして、お決まりの口上と共に蒼穹へと放り出されていく。

 一瞬舌を噛みそうになったのは秘密だ。死因が舌噛みちぎったことになったら原作よりひどいからな。

 道路の一部が展開して発進口となったカタパルトから、俺含めて五人の特級魔法少女たちが一塊になって、臨界獣ピグサージの元へと一直線に突き進む。

 

 あのキモい光の塊としか表現できない敵がなにを考えているのかはわからないが、ゲームでの敗北条件は敵の中心市街地到達だったから、要するにあれをここで始末できればいいんだが、それには問題が一つだけあった。

 

「派手に暴れてるなー、とりあえず遠距離からぶっ放してみる?」

「……それならアンタも攻撃に参加できるでしょ、由希奈の支援に回りなさい」

「……は、はい……っ……」

 

 由希奈からの提案を渋々といった風情で承諾した葉月が、チェーンガンを背負っているこよみを指して言う。

 白いふわふわとしたドレスにものごっついチェーンガンの組み合わせはあまりにもアンバランスだったが、あれはこよみ本来の武器じゃない。

 本当はもっと魔法少女然とした杖がこよみにとっての「魔法征装」……魔法少女が魔法少女として変身した際に生成される魔力行使のためのデバイスなのだが、過剰火力が過ぎるということで、今は主に三級から二級の魔法少女から徴収した魔力を弾丸に込めたそれを背負っているのだ。

 

「そんじゃぶっ放しますかー、トリガーハッピー!」

「……え、えい……っ……」

 

 由希奈の魔法征装である二丁のサブマシンガンと、こよみが構えている魔術兵装であるチェーンガンから魔力のこもった弾丸が、凄まじい速度で連射される。

 秒速何発かは知らないが、普通ならオーバーキルもいいところな制圧力を誇る魔弾の雨霰は、確かに臨界獣ピグサージを捉えて撃ち抜いていた。そのはずだった。

 しかし、それを嘲笑うかのように魔弾はピグサージの揺らぐ光のようなボディを素通りして、道路や避難が済んだのであろうビルに弾痕を穿つに留まっていた。

 

「どういうこと!? 弾が効かないっていうの!?」

「みたいだねー、だったら……」

「ぶん殴り倒す!」

 

 葉月は弾がピグサージの身体を突き抜けていった光景に驚愕しつつも、すぐさま魔法征装であるソードメイスを構えて、突撃をかける。

 

『Kyokyokyokyo……!』

「な……ッ……!」

 

 しかし、それすら通じることはなく、揺らぐ光が形を成したようなあいつの肉体は、ソードメイスによる打撃すらシャットアウトしている始末だった。

 はいこれだよ、クソゲー名物のチュートリアルからクソみたいな敵が出てくる現象だよ!

 いってしまえばあの臨界獣ピグサージは、「ただ一つの例外を除いて、攻撃の一切を受け付けない」というギミック型のボスなのだ。

 

「なら、まゆのシリンジで……!」

『Kyoooooo!!!』

「危ないぞ、まゆ!」

 

 そしてあいつの身体が帯びている性質は光であり電気だ。

 魔法少女が常に魔力による防壁を纏っているといっても、特種非常事態宣言が出されるような、特級魔法少女が駆り出されるような相手なら、それは特級魔法少女と互角か、それ以上の力を持っているということになる。

 俺からの警告で間一髪、枝のように広がった電流の腕から逃れたまゆは、高空へと退避して事なきを得た。

 

 まゆの魔法はシリンジから様々な性質の魔力を味方や敵に注入するというものだが、針が刺さらないんじゃどうしようもない。

 そして。

 

『Kyokyokyo……Kyooooooo!!!』

「……あ、あ……ああっ……きゃああああっ……!」

 

 原作通りにピグサージの野郎は、今度は収束させた電流の槍を、パニックに陥っていたこよみへと向けて撃ち放っていた。




クソゲー特有のガバガババランス


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設定資料集の類は読んでおくに限る

『Kyokyokyo……Kyooooooo!!!』

「……あ、あ……ああっ……きゃああああっ……!」

 

 原作通り、パニック状態に陥っていたこよみを狙って、ピグサージが収束させた雷の槍を撃ち放った。

 原作だったらここで俺は、「西條千早」は、すんでのところで敵の狙いに気付き、こよみを庇って死んでいる。

 だけどな、それはあくまで不意打ちだったからだ。

 

「……こよみ!」

 

 来るのがわかってりゃ、対処方法なんてもんはいくらでもある。

 雷撃が走るよりも早く、速く、疾く。

 魔力を自己強化に費やした俺は、こよみをすぐさま抱き寄せ、一直線に飛んできた雷槍をギリギリで回避、ビルのガラスに背中を叩きつける結果になったものの、当初の目的は果たしていた。

 

「……さ、西條……先輩……」

「痛ってえ……じゃなかった、こほん。此方に被害は然程ない。其方が無事でなによりだ」

 

 ここで君という秘密兵器を失うことになるのは大きな損失だからな。

 どうして、と開きかけたこよみの唇に表向きの理由を語って聞かせつつ、俺はじんじんと痛む背中を摩る。

 魔力障壁があっても、超高速でビルに背中から叩きつけられればそれなりに痛いもんなんだな、しかし。

 

「先輩、無事ですか!?」

「葉月、此方に問題はない。意識を敵に集中しろ」

「は、はいっ!」

 

 とはいったものの、こいつ相手だと基本的に特級だろうが三級だろうが、魔法少女は焼け石に水というか暖簾に腕押しなんだよな。

 臨界獣ピグサージ。

 明らかにチュートリアルに出てきていい性能じゃないこいつは、前にもいった通りに「ただ一つの例外を除いて基本的に攻撃が通じない」ギミック持ちのボスだ。

 

 そんなやつを原作じゃどうやって倒したのかといえば、雷槍に西條千早がぶち抜かれたことで極限までパニックが加速したこよみが起こした暴風圧で、あいつが纏っている光の衣を剥ぎ取って、そのまま追撃に炸裂魔法で核となる部品を破壊する、という流れだった。

 当然首都圏にクレーターができるし高層ビルも軒並み吹き飛んでいくような、秘密兵器の名に相応しい主人公のチートっぷりが発揮された形だ。

 ただし、事後処理と西條千早を死なせたことによってこよみは大分責められて曇っていくことになるけどな。マルチバッドエンドの第一歩といったところだろう。

 

「こいつ、もしかして魔力による攻撃ぜーんぜん効かない感じです?」

 

 得物を五十口径の二丁拳銃に持ち替えた由希奈が唇の端を引きつらせながら問いかけてくる。

 その間にもトリガーは引き絞られ、魔弾は確かにピグサージの身体を貫通していたが、本当に貫通してるだけで何の効果もなさそうだった。

 まあ、そうだよ。魔力に限らず通常兵装もあいつの身体を素通りしていくけどな。

 

「ふむ……どうやら其方の考察は当たっているようだ、由希奈」

 

 俺もまた、ピグサージが伸ばしてきた放散型の雷槍を日本刀で斬り落とすフリをしながら回避し、あくまでも由希奈の考察が当たっていたという体で話を進めていく。

 変に真実を語ったとしても信じてもらえないだろうし、第一怪しまれる。

 ここにいるのは西條千早であって、もはや西條千早ではないのだ。中身はあくまでこのクソゲーをやり込んでいた俺に過ぎない。

 

「なにそれ……じゃあどうやって倒すのよ、コイツ!?」

 

 魔力による射撃もダメ、打撃もダメ、斬撃もダメでおまけにデバフで削り殺そうにもシリンジは刺さらないと来れば、いかに特級魔法少女であってもお手上げするしかない。

 じゃあどうやってこいつを倒せばいいのかと、葉月が行き着いた疑問は至極真っ当なものだ。

 基本的に特級だろうが三級だろうが魔力も物理も暖簾に腕押し、糠に釘。だが、本当にこよみが全力を解放するしか倒す方法がないような敵をチュートリアルに配置したのなら、開発陣は性格が悪いどころの騒ぎじゃない。人の心がない。

 

 そう、こいつに対する攻撃にはちゃんと「ただ一つの例外」が設定された上で、原作では西條千早が死んだことによってそれが実現できなくなったから、こよみが全力解放せざるを得なかったのだ。

 つまり、俺が生きていれば勝機はある。

 負けイベ寸前のクソゲーだろうがなんだろうが上等だ、こっちは死にたくもなければ死なせたくもないんだよ。

 

「落ち着け、葉月」

「でも、先輩!」

「……アレが本当に無敵であれば、此方も音を上げていただろう。だが、本当にそうなのか?」

 

 絶え間なく放出される電流を回避しながら、俺はあくまでも考察という体で、設定資料集に記されていたピグサージの攻略方法を語るための口火を切る。

 

「……つまり、どういうこと……ですかぁ?」

 

 まゆは、電流を回避しつつ間延びした声でそう問いかけてきた。

 訊いてくれるのは大いに助かる。こっちとしても話しやすくなるからな。

 

「そうだな……あれだけのエネルギーを、ヤツは一体どうやって制御している?」

「それって……まさか」

「肯定だ、由希奈。此方はあの臨界獣にはなんらかの制御機関が存在していると見た」

 

 そう、こいつの正攻法は、体内に存在する電流と光の衣の制御機関を破壊することなのだ。

 とはいえそれが高層ビルと肩を並べられるような巨体のどこに埋まっているかという話になってくるし、どうやって光の衣を引き剥がさずにその制御機関を破壊するかという問題もある。

 だが、制御機関の位置についてはこちとら設定資料集を穴が開くほど読み返して予習済みだ。

 

 あとは、それを破壊するための手段だが。

 左耳に装着している通信機を起動して、俺は作戦本部こと喫茶「間木屋」の地下ブリーフィングルームに陣取っているであろう大佐とホットラインを繋ぐ。

 

「此方西條。本部、聞こえているだろうか」

『聞こえている。君たちの戦いはモニターしていたが……こいつは厄介にも程がある。今上層部が中原こよみの魔法征装を解禁するかどうかの会議中だが、それまでに時間は稼げるか?』

 

 どうやら俺が生存しても、世界の強制力とかそんな感じのなにかでこよみが全力を解放して倒す流れになりかけているらしい。

 流石はマルチバッドエンドのクソゲーだ。

 俺が死ななくたってこよみが後ろ指さされて曇るパターンじゃねえか。

 

「上申する。その必要はない」

『……なんだと?』

「繰り返す、その必要はない。アレは此方だけで対処可能だと踏んでいる」

 

 通話の向こうで大佐がどんな顔をしてるのかはわからんが、まあ渋い顔になってることだろう。

 俺だけで対処可能といっても、防衛省の上層部にその理由の説明だとか手段の申請だとかをやらなきゃいけないのは大佐だから仕方ない。

 名目上俺たち魔法少女を統括する機関である「M.A.G.I.A」は独立した作戦権限を持っている体だがそこはそれ、大人の世界で、中間管理職の悲哀ってやつだな。

 

『……その方法であれば、こちらが想定している副次被害よりも都市部へのダメージは抑えられるのか?』

「肯定する」

『……わかった。そっちの提案を聞こう』

 

 もしもそんな夢みたいな方法があるならな、と続けなかったのは大佐の良心だろう。

 この状況下で奇跡の逆転満塁ホームラン、盤面をひっくり返す方法があるなんて言われても、普通だったら胡散臭くて取り合わないことだろう。

 俺が原作未体験で大佐の立場だったら間違いなくそうしている。

 

 だが、大佐はそんな胡散臭い提案を呑んでくれたんだ。

 だったらあのチュートリアルに出てきていいような存在じゃないクソボスを全力ではっ倒す他にない。

 幸い、雷撃にはパターンがあることを見切ったのか、四人の特級魔法少女たちが防戦一方とはいえ負傷することはなさそうだ。

 

 彼女たちが隙を作ってくれている間に、この作戦を成功させる。

 それが俺に与えられた第一のミッションなのだろう。

 

「此方は試作式遠距離展開ブースターの使用を要請する」

『……なんだと?』

「試作式遠距離展開ブースターの使用を要請する。現物は既に置いてあるのだろう」

 

 特級魔法少女が必要とされるような事態は今のところ東京以外では発生してしていないものの、もしもの時を想定して、特級魔法少女の魔力消費を抑えつつ遠方に飛ばすためのユニットが、地下格納庫には置かれている。

 ただそれはあくまで試作品で、実際に動かしたことは一度もないし、ゲーム終盤に至っても日の目を見ない哀れなメカだ。

 だが、設定資料集の端っこに書かれていたそれが勝利の鍵になる。

 

『どうするつもりだ、西條千早?』

「此方が弾丸となってヤツの制御核を破壊する」

 

 魔力障壁を前方に集中させて、光の衣を突き破り、ブースターの速度を乗せた一撃で制御核を破壊する。

 それが唯一設定されていた正攻法だとか、冗談みたいな話だ。そんなやつをチュートリアルに配置するんじゃねえよ。

 クソゲー特有のガバガバなバランスに内心で文句を百万回ぐらい唱えつつ、俺は大佐からの返事を待った。

 

『……上層部にはこちらからかけ合っておく。今一度訊くぞ、君を信頼していいんだな?』

「肯定する」

『了解した。ドッキングに関しては』

「空中でのぶっつけ本番なのだろう。やってみせるさ」

 

 本来は地上で装着しなきゃならないユニットと空中でドッキングを行うとなれば、その難易度は筆舌に尽くしがたいものになるんだろうが、勝利の道がこれしかないなら、こよみを不幸にしない道がこれしかないなら、やってやる。

 

『……健闘を祈る。ブースター射出! 到着予定時刻を転送した、チャンスは一瞬だぞ!』

「感謝する。必ず……やり遂げるさ」

 

 それがどんな、茨の道であったとしてもな。俺は拳を固めて、腕時計型のデバイスに表示されたブースターとの合流時刻を一瞥した。




昔は説明書にもちょっとした世界観が書いてあって面白かったりした


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俺自身が弾丸になることだ

「ヤツを倒す算段が整った。これより作戦を伝える」

 

 通信を切った俺は、なんとか攻撃を回避している四人に向けてそう呼びかけた。

 果たして上手くいくかはぶっつけ本番、失敗すれば、試作品の一つしかないブースターごと俺の命も失われる上に、成功する保証もどこにもないが、理屈の上では倒せるんだからやるしかない。

 足りない分は勇気で補えってやつだな。その分俺も、全力を尽くす必要があるが。

 

「先輩、それって……」

「今から試作型の遠距離展開ブースターが到着する。その後は此方自身が弾丸となってあの臨界獣の制御核を撃ち抜く」

「……いくら千早先輩でも無茶じゃないですかー、それ。大体、制御機関の位置とか……」

「目算は立てている」

 

 設定資料集に書いてあったからな、とは言えないし、葉月と由希奈が心配するのももっともだ。

 ここで俺に求められるのは、いかにそれっぽく、先に用意されている答えを自分で考えたような言い回し、アドリブで伝えるかどうかだ。

 ここから先は信じてもらえるかどうかだが、それについてはぶっちゃけ賭けだ。西條千早という女がどこまで信頼されているかだろう。

 

「あの臨界獣は、光の揺らぎでわかりづらいが、手足がある」

「確かに手足はありますけどぉ……」

「つまり、人の形をしていると此方は解釈した。人の形であれば、制御核がどこにあるか……エネルギーの循環を司る臓器、そこにあると此方は考えた」

「先輩、それって……」

 

 ごくり、と葉月が生唾を呑み込む。

 

「心臓だ」

 

 俺が言い放った一言を受けて、特級魔法少女たちは自分のそれがある位置に手を当てる。

 幸い、制御核のデカさについても予習済みだ。外す可能性があるなら、俺がしくじったり怖気付いたりした時ぐらいだろう。

 仮説も仮説、どこまで信じてもらえるかは賭けも賭けだが、これに関してはもう西條千早という女のことを、信じるほかにない。

 

「……あ、あの……っ……」

「……なによ、秘密兵器」

 

 一瞬の沈黙を破って、控えめに、消え入りそうな声を上げたのはこよみだった。

 葉月が剣呑な視線を向けたのにもかかわらず、その眦に涙を湛えながらも、毅然と前を向いて深呼吸を繰り返す。

 そして、こよみは。

 

「……わ、わたし、わたしは……西條先輩を、信じ、ます……っ……!」

 

 その言葉が出てきてくれたのは、望外の幸運だったといってもいい。

 はっきりいって俺の考察という名の設定資料集から引用してきた答えの先出しは、筋が通っているかいないかでいえば通ってないだろう。

 それでも、こよみの口から信じる、という言葉が出てきてくれたのは心強かった。それが俺に向けられた信頼じゃなく、西條千早という女に向けられたものだとしても。

 

「ま、こよみちゃんに先越されちゃったけど、先輩が言うんだったら……私も信じますよー?」

「まゆもですよぉ……!」

 

 こよみに呼応するかのように、由希奈とまゆも俺の作戦に賭ける意思を表明する。

 残るは葉月一人だ。

 長距離展開ブースターとの合流時間も迫っている以上、最悪、葉月からの心象が悪くなったとしても、決行するしかない。

 

「……秘密兵器に先越されたのは最悪だけど、アタシも先輩の作戦に賭けます」

「……感謝する。此方がヤツの心臓を撃ち抜くまで、時間を稼いでくれると助かる」

『了解!』

 

 声を合わせて、囮になるかのように四人は臨界獣ピグサージの前面に躍り出た。

 原作じゃチュートリアルで死んでたけど、西條千早という魔法少女は設定通りに相当信頼されていたことがよくわかる。

 だったらそれに応えてやるのが、きっと「西條千早」として二度目の生を受けた俺の使命の一つなんだろう。

 

 彼方の空に星が閃くかのように、太陽の光を反射した鋼の翼が飛んでくる。

 塗装もろくにされてない、地金剥き出しのそれと相対速度を合わせて空中での装着を行うってのが相当な曲芸なのはわかりきったことだ。

 きっと「西條千早」ならそんな曲芸を顔色一つ変えずにできるのかもしれない。

 

 だが、今は俺が「西條千早」だ。

 だったらやるんだ、やるしかないんだ、死ぬかもしれないと、泣き言を言ってる暇なんかない。

 飛来する長距離展開ブースターを睨みつけ、相対速度を合わせて俺は空を飛ぶ。

 

「ドッキングシーケンス、スタート……!」

 

 音声認識で承認されたブースターのベルト部分が展開して、俺の腰に装着された。

 そして、がちゃり、とロックがかかると同時にブースターの加速が第二段階に突入、音速に迫る勢いで、蒼穹に俺は弾丸となって投射される。

 魔力障壁や魔法少女特有の肉体強化があって尚、歯を食い縛らなければいけないレベルの負荷が全身にのしかかってきた。

 

「……ッ……!」

 

 だが、今はただ一点を、あの臨界獣の心臓を穿つことだけを考えるんだ。

 裏返りそうになる瞳に、前世の記憶を灯してその一点を、ピグサージの制御核に狙いをつけて俺は、駆け抜ける一条の彗星となる。

 魔力障壁を前面に、紡錘形に展開、魔法征装を、刀を突き出す。

 

 ──狙いは定まった。なら。

 

「……これで終わりだ……!」

『Pikyooooooooo!!!!!』

 

 甲高い断末魔の声を上げて、形を維持できなくなった臨界獣が崩れ落ちていく。

 俺の捨て身の一撃は、あの光の衣を、雷撃を作り出す制御核は寸分違わずぶち抜いていたのだ。

 その代償として、魔力障壁の保護を受けられなかったブースターは大破状態を通り越したスクラップと化していたものの、街が更地になるよりは幾分かマシだろう。

 

『本部より、臨界獣ピグサージの討伐を確認……任務終了だ、直ちに帰投しろ』

 

 通信機から聞こえてきた大佐の声を聞いているのもどこか夢心地で、転生したことそのものも、この戦いも夢だったんじゃないかと思えてくる。

 ただ、魔力障壁を絞ってエネルギー体に突っ込むという無茶をやった代償としてひりひりと痛む全身が、これは現実なのだと物語っていた。

 それもこれも、全てはこよみが俺を信じてくれたからに他ならない。

 

 ブースターの残骸をパージ。刀を鞘に収めて、腹の底に溜まっていたものをぶちまけるように、深く息を吐き出す。

 とりあえずは死ななかった。

 原作を外れてしまったことで今後、この世界がどうなっていくかはわからない。でも。

 

「……感謝するぞ、こよみ」

「……えっ……わ、わたし……」

「其方が真っ先に信頼してくれたからこそ、此方は作戦に踏み切れた。感謝する」

 

 俺はこよみへと頭を下げる。

 なにもしてない、とでも謙遜されそうなもんだけど、あの状況で、突拍子もない作戦をぶち上げたにもかかわらず、真っ先に俺を信じてくれたのは彼女だ。

 頭の一つも下げなきゃ、筋が通らないだろう。

 

「……わ、わたし……わたし、は……」

「受け止められないのならば今はそれでいい。だが、此方は感謝を伝えたかった。それだけだ」

「……あ、ありがとう……ございます……っ……」

 

 眦に涙を浮かべながら、こよみは柔らかくはにかんだ。きっと誰に遠慮するでも自分を卑下しているのでもない、心からの笑顔。

 それが見られたのなら、無茶をやった甲斐もあったってもんだろう。

 地上に降り立ってドレス・アップを解除した俺は、今日という日を、今こうして生きていることを噛み締めるかのように空を仰ぐ。

 

「一時はどーなるかと思いましたけどー、こよみちゃんの言う通り、先輩を信じて正解でしたねー」

「本当ですよぉ……こよみちゃんのファインプレー、ですねぇ」

「……そ、そんな……わたし、は……」

 

 続々と地上に降り立ってきた魔法少女たちが、こよみを取り囲んで、その勇気ある決断を称えていた。

 その中でも葉月は少しだけ複雑そうな顔をしていたが、どことなく剣呑さが薄れていたようにも見える。

 ふん、と鼻を小さく鳴らして、背を向けるその姿から、和解までの道はまだ遠いことを察しつつも、俺はどこか晴々とした気分で葉月の背中に視線を向けた。

 

 例えこの出来事が葉月の中では俺の、西條千早の顔を立てる意味合いがあったとしても、「自分からこよみを信じた」選択は、きっといい未来に通じてるはずだと、そう信じたい。

 今願うことは、ただそれだけだった。




ヒロインちゃん頑張る


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よく考えたら性別変わってた

 夢にしちゃあよくできてるとは思ってはいた。

 だが、寝て起きても視界に飛び込んでくる天井が、家賃何万円のポロアパートのそれじゃないってことは、いよいよもって俺が「魔法少女マギカドラグーン」の世界に転生したのは確かだってことらしい。

 都心近くのタワーマンション、手に入る前に死んだ七億円があっても住み続けることが難しいようなそこが、魔法少女たちのセーフ・ハウスになっている都合、俺も、西條千早もまた同様にこの高級物件に在住しているということになる。

 

 まだ薄らぼんやりと漂っている眠気を払うかのように大きく身体を伸ばして、LED電灯に灯りを点す。

 枕元の充電器に繋いでいたスマホを見れば、時刻は大体朝の六時前後だった。

 前世だったらなんだこんな時間かと、バイトに間に合うギリギリまで二度寝を決め込んでいたのだろうが、生憎今世のシフトはフルタイムだ。

 

「……めんどくさいな」

 

 欠伸と共にこぼれ落ちてきた溜息代わりの一言は凛と透き通っていた。

 いよいよ本格的に、俺が「俺」じゃなくなったのだと否が応でもわからされる。

 昨日は死亡フラグ回避のために色々とテンションがおかしくなっていたけど、そもそもこの体からして俺のものじゃないんだよな。

 

 風呂に入って髪を乾かして……正直セーフ・ハウスに戻ってくるまでときてからの記憶は朧気だ。

 それでもただ一つわかることがあるとすれば、今の俺はTシャツにパンツ一枚というおよそ女子力をかなぐり捨てた姿で眠っていたということと、そして。

 ブラジャーという物体の構造が思ったよりも厄介な代物だったということだ。

 

「……慣れなきゃいけないんだろうけどなあ」

 

 寝る時もナイトブラとかつけてないとバストの形が崩れるとかなんとかっていうしな。女子は色々と大変だ。

 暇な時には四六時中ネットサーフィンしてたせいで無駄にそんな知識はある。

 ただ、誰かのそれを着け外しした経験なんか、二十五年の人生でおよそ一度もなかったんだよ。ほっといてくれ。

 

「まあ調べりゃ着け方ぐらい出てくるだろ」

 

 転生先がマルチバッドエンドなクソゲーだったのはともかく、現代社会なのは幸いだ。

 何か知りたいことがあれば手元にある板(スマートフォン)で、すぐ検索できるからな。

 とりあえずは歯を磨いて朝飯でも食って出勤、およそ健康的なサラリーマンみたいなスケジュールをなぞればいいんだな、と頭の中にぼんやりと考えを浮かべる。

 

「そう来たかぁ……」

 

 そしてスマホ片手に洗面所に辿り着いた時、俺の前には第二の壁が立ちはだかっていた。

 化粧水だの乳液だのスキンケア関連のあれこれだ。

 鏡に映る「西條千早」の顔は寝起きだってのに清々しいほど綺麗で、睫毛も長ければ、気を緩め切ってるのにもかかわらずどこか緊張感を漂わせる切れ長の碧眼も美しい。

 

 うーん、百点満点の美少女だな。

 問題はこの美貌を維持するために西條千早がどんな苦労をしてきたかってことだけど。

 とりあえずは洗面台の下にある収納スペースを覗いてみれば、化粧水だの生活用品の予備はあっても、コスメの類は見当たらなかった。

 

 そこから察するに、西條千早という女は最低限のスキンケアだけでこの美貌を維持してきたらしい。

 世の中の女性諸君から盛大に恨みを買いそうなもんだが、俺としちゃ不幸中の幸いだ。

 化粧水と乳液の使い方ぐらいは知っている。だからさっさと顔を洗って歯を磨いて、朝飯にありつくとしよう。

 

 歯ブラシを動かしながら百面相を浮かべて見ても様になってる辺り、美少女ってのは凄いな。

 コンビニのバイトやってても、なんなら看板持って立ってるだけでも集客率が上がりそうだ。

 その分、美少女には美少女にしかわからん悩みとかもあるんだろうけどな。

 

 流れ作業のように歯磨きと最低限のスキンケア、そして寝癖のついた髪に櫛を通す一連の作業を終えて、俺は洗面所を後にする。

 そうしてキッチンの冷蔵庫に手をかけて開いてみれば、そこにあったのは飲みかけの牛乳と予備のストックが二本だけだった。

 

「……ああ、こいつそういや食に関心がないんだったな……」

 

 設定資料に書いてあったことを思い出しながら、溜息を一つ。

 西條千早は出されたものは食べるけど、自分では必要最低限のものしか摂取しないタイプだ。

 それを証明するかのように、流し台にはお徳用サイズの完全食コーンフレークが鎮座していた。

 

 完全食。別に存在を否定するわけでもなければ俺も一時期食ってた、というか飲んでたけど、なんというかあれ「無」だよな。

 食事という行為をおよそ時間的なロスとしか考えてない人種にとっちゃ些細な問題でしかないんだろう。

 だが、俺にとっては、食事とはなんなのかを根本的に考えさせられる虚無だった。だから買うのをやめた。それだけだ。

 

「とはいえ、食えるもんがこれしかないならまあ食うか……」

 

 朝飯を抜いたりコンビニに買いに行くという選択肢もあるにはあるんだろうがめんどくさい。

 ダメ人間極まる発想の元、ルーチンワークのように、俺は五十グラム計れるカップに完全食フレークを詰め込んで、適当な深皿に牛乳と一緒にぶちまける。

 うーん、虚無だ。不味くはないが、ただ虚無の味がする。

 

 しかし、こんなもんをよく毎日食い続けられてるな。

 と、そんなことを考えつつ、きっちり測った五十グラムとプラスアルファを胃の中に収め終わった俺は、シンクに深皿とスプーンを浸して、着替えの準備に入る。

 防衛省直轄の特務機関「M.A.G.I.A」から支給された制服があるから着るもののコーディネートには悩まなくて済むものの、着替えるということはあの物体に向かい合わなきゃいけないってことだ。

 

 寝巻き代わりのTシャツを脱ぎ捨てれば、特別大きくもなければ小さくもない、そんな胸元の膨らみが自然と目に入ってくる。

 誰かが見ているわけではないものの、とりあえずは左手で大事なところを隠しながら、クローゼットの中にあるそれを手に取って、スマホのAIに呼びかける。

 

「OK、ブラジャーの着け方」

 

 音声認識で検索結果を画面に出力してくれたスマートフォンくんの有能さに感謝する一方で、なにが悲しくてこんなことをしなきゃならんのだという虚無が再び押し寄せてくる。

 とりあえずは手順通りにやっときゃなんとかなるだろ。プラモデルなら組み立てたことあるしな、説明書読んどけば世の中大抵なんとかなるんだよ。

 とりあえずは画面に表示されている方法通りに胸を持ち上げてカップの中に押し込んで……なんというか柔らかいけど芯が残ってるみたいなハリがあるな──じゃなくて。

 

「背中のホックが閉まらねえ……!」

 

 なんだこれ、世の中の女子は毎朝こんなものと格闘してんのか。

 着けるのにも外すのにもコツがいるとかは聞いたことがあるが、それにしたって随分初見殺しだな。

 こっちは美少女生活一年生どころか生まれ変わりたての赤ちゃんみたいなもんなんだからもう少しこう、手心というか加減というか、そういうのはないのかそういうのは。

 

 魔法は説明なしで使えても、ブラを着ける方法は身体が覚えてませんとかなんの嫌がらせだ。

 そんなこんなで、ぐぬぬ、と唸り声を上げながらホックと格闘すること実に三十分近く。

 ようやく自分の胸をカップに収め切ったことに対する達成感よりも、朝っぱらからなにをやってるんだという、本日三度目の虚無に俺は襲われていた。

 

「……とりあえず出勤するか」

 

 プリーツスカートの方は単純な構造で実に助かったよ。

 指定の制服に身を包み、色々と物騒なものが隠されている学生鞄風のケースを持参して俺は、いつ以来なのかわからない朝の街へと繰り出していく。

 それにしたってスカートってのはスースーして落ち着かない。

 

 でも、これに慣れなきゃいけないんだろうし、嫌でも慣れていくんだろうな。

 自分の頬っぺたをむにむにと捏ね回してみれば、その柔らかさも、指の細さも、生前とは明らかに違ったものとして感覚が伝わってくる。

 もう俺は、俺であって俺じゃない。ゲシュタルト崩壊を起こしそうだけど、それが世界の真実ってやつなんだ。

 

 美少女生活二日目。転生して即座に死亡という事態はなんとか免れたものの、ルートを外れてしまったこの世界がどうなっていくのかもわからなければ、チュートリアルを死なずに乗り切ったからといって今後も死なない保証はどこにもない。

 お先真っ暗もいいところだ。

 それでもまずはこの世界を生きていくための第一歩として俺がやらなきゃならないことは。

 

「本当、さっさとこの身体に慣れることなんだよな」

 

 満員電車に揺られながら、不遜にも尻を触ろうとしてきやがったおっさんの手首を思い切り捻りながら、ぼそりと俺は呟いていた。




TSタグが荒ぶる回


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隠れ家的な店っていえば聞こえはいいけどここは立地がひどい

 手首を思い切り捻られた痛みに悶える痴漢を次の駅で警察に引き渡してタイムロスは大体十五分ぐらい、俺は喫茶「間木屋」の最寄り駅に到着していた。

 しかしこの世界でもろくなこと考えないやつはいるんだな。見てくれは確かに美少女だけど、中身は絶賛ダメ人間な享年二十五歳、元フリーターの俺だぞ。

 まあそんなこと、名前も知らないおっさんが知ってるはずもないんだろうが。

 

 さて、そんなことはどうでもいいから忘れるとして、最寄り駅とはいってもここから喫茶「間木屋」までは大体自転車で二十分ぐらいかかる。

 特級魔法少女たちの秘密基地も兼ねてるからしょうがないとしても、立地はおよそ最悪な部類だ。

 しかも、住宅街からもオフィス街からも絶妙に離れたところにあるんだから余計にひどい。

 

「……機密保持ねえ」

 

 思わず口ずさんでいたその言葉が名目として「間木屋」は建てられているんだが、なにをどうしたら秘密基地をメイド喫茶にしようという発想が出てくるのやら。

 メイド喫茶といってもいわゆるご主人様に美味しくなる魔法をかけるタイプのそれじゃなく、単にクラシカルなメイドが接客を行うというだけのそれだったのは不幸中の幸いなのかもしれなかった。

 もしもそんな真似をしろと言われたら憤死する自信がある。

 

 なにが悲しくて、見てくれこそ美少女でも、野郎が野郎に猫撫で声でご主人様呼ばわりや各種ファンサービスをしなきゃならんのだ。

 そんなことを脳裏に浮かべながら自転車を走らせることきっちり二十分。

 俺は複雑な路地を縫うようにして、「間木屋」に到着していた。

 

「先輩、今日は遅いんですねー」

 

 店に入った俺を出迎えてくれたのは、昨日と同じく、クラシカルなメイド服に身を包んだ由希奈だった。

 そういえば西條千早はゲームの中じゃ、鍵開け担当を除けば真っ先に店に来るんだったか。まあチュートリアルで死ぬから設定しか残ってないんだが。

 ポップアップしてきた前世の記憶を投げ捨てるようにこほん、と咳払いをして、俺は声を整える。

 

「ああ、少しばかり野暮用で手間取ってな」

「野暮用ですか、まあそんな日もありますよねー」

 

 正確にはブラジャーのホックとの格闘戦と痴漢を警察に突き出したことの二つだが、わざわざ説明する必要もあるまい。特に前者。

 由希奈が店の床にモップをかけている中を歩いていくのもなんとなく悪い気はしたものの、そうしなければ勤務できないので仕方なくバックヤードに向かって進む。

 ことバイトに関しちゃ最低限とはいえ真面目にやってたんだ、勤怠を気にするのは前世からの癖みたいなもんだった。

 

 更衣室で制服を脱いで、ロッカーにかけてあるクラシカルなメイド服に身を包めば、メイド喫茶のアルバイトという表向きな身分の完成だ。

 さっさと俺も掃除を手伝うかと更衣室を出ようとした、その時だった。

 

「……あっ……」

「こよみか、おはよう」

「……あっ、え、えっと……西條先輩……おはよう、ございます……」

 

 遅れて到着したこよみとばったり出くわす形になった俺は、とりあえず当たり障りのない挨拶をして、ぺこぺこと何度も頭を下げるその小柄な姿を観察する。

 銀髪に赤い瞳、色素が抜け落ちたようなこよみの容姿は、いわゆるアルビノに近い。

 俺より背が低くても出るところは出て引っ込むところは引っ込んでるそのプロポーションはちんちくりんという言葉からは程遠く、なんとなくこよみ目当ての客がいることも頷けた。

 

「……き、昨日は……っ……」

「どうかしたのか、こよみ?」

 

 とりあえずは挨拶を済ませたからと店内清掃に協力するため、歩き出した俺を呼び止めるように、か細い声が鼓膜を揺らす。

 眦にじわり、と涙の雫を滲ませながらも、こよみはぷるぷると小刻みに震えつつ、ぺこり、と一段深く頭を下げて言葉を紡ぐ。

 

「……昨日は、そ、その……助けて、くれて……ありがとう、ございます……っ……」

「そのことなら気にする必要はない。此方にとっても仲間を喪うというのは耐え難いことだ。助け合えるなら助け合う。それが生き延びるために必要なことだと此方は認識している」

 

 精一杯の勇気を振り絞ったんだろうな。

 迷惑に思われないかとか、こよみは頭の中じゃ色々考えてるんだろうけど、お礼を言われるってのはこっちとしちゃ案外悪くない。

 だから、返した言葉も、「西條千早」を装ってこそいても建前じゃなくて、「俺」の本音百パーセントだった。

 

 五つの力を合わせれば五百万パワーってわけじゃないだろうが、好き勝手に行動して死なれるよりは互いに庇い合い、助け合うのは当然のことだろう。

 猜疑に歪んだ瞳がせせら笑おうとも、嘘を言うなと詰られようとも、それについては撤回するつもりはない。

 こよみは様々な制約があって全力を出せないでいるが、俺たちの切り札にして「魔法少女マギカドラグーン」の主人公だ。物語的にも死なれちゃ困るし、なにより原作で散々曇ってきたこの子を死なせたくもないんだよ。

 

「……ぁ、あ……ありがとう、ございます……っ……わたし……」

「泣くな、こよみ。それでは客に心配されてしまうぞ」

「……ぁ……そう、ですよね……わたし……ごめんなさい……」

「これで良い。では、此方は一足先に店で待っているぞ」

「……はい……!」

 

 目元に浮かんだ涙をハンカチで拭ってやると、控えめながらも、こよみは蕾が綻ぶような笑顔を見せる。

 可哀想な子は確かに可愛いと思うことは俺だってある。

 でも、こうして目の前で「中原こよみ」という女の子と接していると、泣かれるよりは笑ってほしいと思うのもまた、自然の摂理みたいなものだ。

 

 身構えている時はどうのこうのとか、昔読んだジュブナイル小説に書かれていたことを思い返しながら俺は、由希奈がモップがけを終えた店内の机や椅子を布巾で拭いていく。

 これがクソゲー世界で、魔法少女という宿命さえ背負っていなければ悪くないどころか願ったり叶ったりな生活なんだけどな。

 残念なことに俺たちの本業はウェイトレスじゃなくて魔法少女だ。

 

 だからこそ、この店も。

 

「店長ー、今日は全然お客さん来ないですねー」

「そうだな。向こうの店も今日は開いてることだし、適当にその辺で休憩しててもいいぞ?」

「はーい、それじゃソシャゲの周回してますねー」

 

 モップの柄に細い顎を乗せて、由希奈が重役出勤してきた店長こと、小野順一大佐に不満を垂れる。

 開店から二時間以上経っても、客の一人も入ってきやしない。

 そりゃそうだよな。立地最悪で、おまけに向かい側には人気の隠れ家的レストランがあるんだから。

 

 昨日はランチタイムの客入りが激しかったらしいが、それは向かいの店が臨時休業だったからだ……というのは、昨日の帰り道に葉月から聞いたことだった。

 当の葉月は店の外に立って健気にビラ配りをしている。謙虚で真面目だな、本業じゃないってのに。

 キッチン担当のまゆも手持ち無沙汰な様子で、頬杖を突きながら店長が眺めているテレビの画面を、困ったような顔で見つめていた。

 

「このお店、そのうち潰れちゃうんじゃないですかー?」

「潰れたりなんかしないさ、国から予算が降りてるんだからな」

「うわー、最悪の理由ですねー」

 

 由希奈が言った通り、この店が防衛省直轄の秘密基地である以上、売れなかろうが赤字だろうが魔法少女の存在が不要にならない限りは、お国の力で嫌でも潰れない。

 税金の源泉掛け流しみたいなもんだ。

 知らないところで湯水の如く血税が注がれていくのが表向きはメイド喫茶だってんだから、魔法少女の存在があるとはいえ、もしも明るみに出たら暴動もんだぞ。

 

「でも、まゆのお料理を食べにきてくれる人がいないのは少し悲しいかなぁ……」

「ま、そりゃ同意するさ。とはいえ少なくともこんなところに来る物好き……じゃなかった、リピーターはいるんだから悲観することでもないよ」

 

 褒めてるのか貶してるのかどっちなんだ。

 あはは、と苦笑するまゆの傍らで、俺もまた静かに溜息をつく。

 今は閑古鳥が鳴いていても、昼飯時になれば店長が言ってたリピーターも来るんだから、由希奈のようにだらけて気を抜くわけにもいくまい。

 

 幸い立ってるだけなら慣れてるしな。

 入り口近くで美少女がお出迎えの準備をしてるとなれば客もそれなりに嬉しかろう。

 中身は俺だという一点を除けばだが、そんなことがわかるやつなんているまいよ。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 ドアの向こうから、葉月の声が響き渡る。

 由希奈もスマホをポケットにしまって、俺たちは早速やってきたその物好きこと、リピーターの客を出迎える。

 今日は特種非常事態宣言が発令されないことを祈りながら。




国営メイド喫茶


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割とヒマな特級魔法少女たちのひととき

 ランチタイムにやってきた客の人数は五人。書き入れ時だってのに随分と寂しい数字なもんだ。

 しかもここを訪れてる客の中で純粋な一般人はたった一人で、残りの四人は政府や「M.A.G.I.A」の関係者だ。

 表向きは売れないメイドカフェの常連を装った役人が、昼飯を食べるついでに店長と定時連絡をやっている。

 

 それが喫茶「間木屋」の実態というべきものだった。

 ちなみになにも知らない純粋な一般人こと、こよみの辿々しい接客を目当てにやってきてる女性客は哀れなことに政府からの監視対象になっている。

 魔法少女の真実に近づきかねないからしょうがないと言いたいところだけど、迂闊に踏み込んで消されてほしくないのも確かだ。こよみが悲しむだろうからな。

 

「ここ最近、臨界獣の襲撃……それも特級のが多発してるねえ」

「……は、はい……っ、怖い、ですよね……」

「そうだねえ、幸いぼくは後始末された現場とか、テレビの中継しか見たことないけど、あんな化け物をやっつけてくれるなんて、魔法少女様々って風情だよ」

 

 いつも通りにカルボナーラを注文したその新聞記者こと「紫苑寺由梨」はどこか他人事のように、臨界獣の恐怖と魔法少女への感謝をこよみに語っていた。

 

「いつから現れたのかも、どこから現れたのかも定かじゃない。だけど、臨界獣を倒すという使命のもとに戦う謎のヒーロー、もといヒロイン。こんな一大スクープに繋がりそうな話はそうそうないよ」

「……あ、あはは……そう、ですね……」

「ぼかぁ記者として一度はじっくりインタビューとかしてみたいもんだけどね、まあ神出鬼没な彼女たちのことだ。臨界獣ならいざ知らず、ぼくみたいな一般人に捕まるなんてヘマはしないだろう」

 

 知らぬが仏という言葉があってだな、記者として世界の真実に近付きたいという気持ちはわからなくもないが、やりすぎると消されるぞ、由梨さんよ。

 実際、そんなことをこよみにぺらぺらと喋ってるもんだから、残り四人こと政府関係者の視線は随分と冷ややかなものになって彼女に突き刺さっている。

 気の毒ではあるものの、できれば一生その真実には辿り着いてほしくないもんだ。

 

「それで、最近の特種非常事態宣言が増えていることに関するデータは上がってないのか?」

「申し訳ありません、何分我々としても、臨界獣絡みについては未知の現象としか言いようがなく……」

「ま……仕方ないか。ただ、現れた個体の性質とかはそっちでしっかり分析しといてくれよ」

「はっ」

 

 冴えない大学生みたいな変装をした役人と、店長が由梨さんには聞こえないような声でそんな言葉を交わす。

 防衛省直轄であり、魔法少女を運用するために設立された特務機関「M.A.G.I.A」。その成り立ちは魔法少女の出現と同時に遡り、公には存在を秘匿されている秘密組織。

 店長こと小野順一大佐はその設立に立ち会った人間だというのは、設定資料集に書いてあったことだ。

 

 なんで「M.A.G.I.A」の設立に彼が関わっているのかは生憎わからん、というか設定資料集でもぼかされていたが、これってアレか、もしかしてあのクソゲー、続編出すつもりだったりしたのか。

 だとしたら肝が太いというかなんというか、大胆不敵にも程がある。

 まあ俺みたいにやり込んだ人間ほどお気持ちのお手紙を送っていたもんだから、仮に構想があったとしても実現できたかどうかは別の話だが。

 

「こちらナポリタンがお一つ、お待たせしました!」

「ありがとうね、葉月ちゃん!」

 

 役人モードで店長と会話をしていた男はその淡々としていた口調が一転、冴えない大学生そのものな声音で葉月に礼を言う。

 オンオフの切り替えができるって怖いよな。一見へらへら笑ってるようにしか見えないやつだって、裏じゃどんなドス黒い感情を持ってるかわかりゃしないんだぜ。

 まあ、それに関しちゃ俺も似たようなもんか。

 

 ガワは設定上最強にしてクールな魔法少女、中身はこのゲームを死ぬほどやり込んでただけのダメ人間。

 キャラの口調を掴んでロールプレイするのはお手の物でも、「西條千早」とは明確に別人になってしまっている。

 幸い気付かれちゃいないとは思うが、どこかでなにかがきっかけになって正体バレしないとも限らない。なるべく迂闊なことはしないようにしないとな。

 

「聞いてくださいよ鏑木さん、フェスだってのに私、一枚もSSR出なかったんですよー? 詐欺じゃないですかこれー」

「はっはっは、そりゃ災難だね、由希奈ちゃん。まあ俺は配布チケ一枚で出たけど」

「あー、ずるい! ガチャ自慢は死刑ですよ死刑ー!」

 

 さっき店長と話していた役人と同じく、冴えない大学生みたいな格好をしてる鏑木と呼ばれた男は、確か役人の護衛役だったか。

 その気になれば、由希奈に見せびらかしてるスマホをいつでも銃に持ち替えて、人を躊躇いなく撃てるんだから恐ろしい。

 それはそれとして由希奈の言う通りガチャ自慢は死罪だぞ。なにが単発チケで引きましただよ、こちとら推しのために天井何回叩かされたと思ってんだ。

 

「まったく、騒がしいったらありゃしないね。大学生というのはこれだからいけない」

「……そ、そう、ですか……?」

「いいかいこよみちゃん、君もああいう大人になっちゃダメだぞ、ぼくの心からの忠告だ」

「……は、はい……」

「まあこよみちゃんはいい子だから心配はなさげだがね、はぁ、全く嘆かわしいよ。ぼくは天井叩かされたのにね」

 

 あんたも爆死勢だったか。

 悩ましげな顔で溜息をつく由梨さんに一方的なシンパシーを覚えつつ、俺は入り口近くの置き物役を継続する。

 なんの話か全くわからないといった顔をしているこよみは正しい。頼むからソシャゲの沼にはハマるんじゃないぞ、抜け出せなくなるからな。

 

 天井叩くまで擦り抜けや虹を拝めなくて台パンするようなこよみの姿は見たくない。

 これに関しちゃ由梨さんとは完全に同意見だ。

 そろそろ午後休憩の時間が近づいてきたからか、役人たちも由梨さんも注文したパスタ類を頬袋に詰め込むかのようにいそいそと食べ進めていく。

 

「ありがとうございました、またお越しください」

「美味かった。また来るよ、千早ちゃん」

「ありがとうございます」

 

 ちゃらけた笑顔を浮かべた役人に頭を下げて、最後に由梨さんが会計を終えて店を出て行ったのを合図に、俺は扉にかかっている木札を「OPEN」から「CLOSE」に裏返す。

 なにもなければ休憩時間ということになるんだろうが、この前の臨界獣、ピグサージの一件について多分店長こと大佐から共有があることだろう。

 つまり、実質的なミーティング時間だな。開店休業状態で実質昼飯時以外はいつでも休憩時間みたいなもんとはいえ中々ブラックだ。

 

「さて……お客さんは去ったか」

「施錠もした。忘れ物の類も確認していない」

「助かるよ、西條千早。さて……魔法少女諸君、お察しの通りだ。先日現れた臨界獣ピグサージについての共有を行う、地下ブリーフィングルームまで来るように」

『了解!』

 

 呼び出された魔法少女たちは片付けも半ばに敬礼をして、バックヤードから続く地下室へと向かっていく。

 これでも割と特級魔法少女の一日の過ごし方としては平和な方だってんだから物騒な世の中だ。

 特級魔法少女がなぜメイド喫茶の真似事をしているのか、普通なら自衛隊の基地か駐屯地に縛りつけられるのに、なぜある程度独立行動の権限が与えられているのか。

 

 その血生臭い背景を考えれば、倒した臨界獣についての共有なんてのは生温いどころの話じゃない。

 できればずっとこの穏当な日々が続いてほしいと願うばかりだが、そうもいかないのが現実というものだ。

 バイブレーションと共に、マナーモードを貫通してけたたましい警報音が、懐のスマートフォンから鳴り響く。

 

『特種非常事態宣言が発令されました、繰り返します、特種非常事態宣言が発令されました。付近の住民の皆様は、ただちに最寄りのシェルターまで避難してください』

 

 機械音声が告げたのは、束の間の平和を無慈悲にも踏みにじる警報。

 特種非常事態宣言ということは、俺たち特級魔法少女が出撃せざるを得ない規模の「界震」が発生したということになる。

 防衛省経由でそれは大佐の耳にも届いていたのか、通信機を装着した彼は、表情を険しくしてブリーフィングルームへと踏み入っていく。

 

「諸君、予定が変わった。ただちに警報が発令された地帯に向けて出撃せよ」

『了解!』

 

 確かこのイベントはなんだったか。

 原作じゃ既に「西條千早」は死んでいる以上、全く未知のそれが待ち受けている可能性は否定できない。

 それでも、世界の強制力的ななにかが存在するなら、きっとこの出来事も原作から大きく逸脱したりはしないはずだ。

 

 というか、しないでほしい。

 原作知識が早々に使い物にならなくなったんじゃ、こっちが困るんだからな。

 俺はただそれだけを祈りつつ、更衣室でメイド服から制服に着替えて、地下カタパルトへと急ぐのだった。




響くのは平穏を打ち破る鐘


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こっちをチュートリアルにしとけよ的なミッションあるよね

『ヴァイブレーション発生、ヴァイブレーション発生! 現在当該地点より出現した臨界獣の数は三十を超えて増大中!』

『敵の内訳を報告するんだ!』

『了解、現在ショート級の数が二十、トール級の数が五、グランデ級が四、ダイモーン級が一!』

 

 耳元の通信機から、「M.A.G.I.A」本部と大佐のやり取りが耳に飛び込んでくる。

 総数三十を超えて増大中ってだけなら一級魔法少女でも間に合いそうなもんだが、群れの中にダイモーン級……この前のピグサージほどじゃないにしろ、ちょっとしたビルに匹敵する個体が混じってるのが特種非常事態宣言が発令された理由ってところか。

 一級魔法少女でも苦戦する個体が混じっていて、尚も数を増やしてるってんなら、最初から特級魔法少女を呼んだ方が早い。

 

 本部の判断は実に理に適っていた。

 俺が覚えている限りだと、最終的には確か六十、二倍の数になるんだったか。

 この戦闘じゃこよみの全力は使えないから、原作じゃチェーンガンを使っての戦いになってたけど、こっちをチュートリアルに置いてくれって話だよな。

 

 いやまあ、チェーンガンだけでダイモーン級を削り倒すのも一苦労だったけどさ、ショート級の個体なら削り倒せるわけだし、少なくともピグサージよりよっぽどチュートリアルしてる。

 それに、二倍に戦力が膨れ上がったところで有象無象は有象無象だ。

 いきなり物理も魔法も無効です、なんて敵をお出しされるよりは数を倒す方がわかりやすくていい。

 

「現時点で総数三十……どれぐらいになるのかしら」

「さあ? 少なくとも『界震』がそこまで長続きしたって話は聞かないけどねー」

「アンタは緊張感なさすぎんのよ……!」

 

 葉月が戦いの緊張に武者震いをする中で、由希奈はどこまでも楽天的な答えを返す。

 この世界に穴を開けて侵攻してくる臨界獣が現れた際に発生する「界震」という現象は、少なくとも彼女が言う通りそこまで長続きしたことはない。

 あくまでも現時点までは、の話だが。

 

 ここで総数が最終的には二倍に膨れ上がるぞ、とか余計なことを直接吹き込むのはスマートじゃないにしても、なんらかのフォローをしておく必要はあるだろう。

 

「事態は常に最悪を想定しておくべきだと此方は判断する。そうだな……倍まで膨れ上がることは考えておいた方がいい」

 

 そう考えて俺はこほん、と小さく咳払いをすると、緊張を漂わせる葉月と、どこかのほほんとしている由希奈に向けて、いつも通り考察という体をとってそう言った。

 

「倍かー、そりゃちょっと骨が折れそうですねー」

「ふん、上等よ! この前みたいにぶん殴れない相手じゃないってんなら、やってみせますから!」

「それは頼もしい限りだ……まゆ、こよみ。後方支援は頼んだぞ」

 

 大規模な臨界獣の侵攻に緊張を隠せていない二人に俺は言葉を投げかけて、カタパルトに足を乗せる。

 こよみのチェーンガンは小型の、ショート級の掃討に役立つだろうし、まゆのシリンジは使いづらそうに見えて案外応用が効く。それは実戦で披露してくれることだろう。

 そして、葉月と由希奈の近接援護を受けながら、前線で大型のヘイトを稼ぐタンク兼アタッカーをやるのが俺の仕事だ。

 

 つまるところ俺が、西條千早が欠けてなければ、この戦いはヌルゲーとまでは言わなくたって、勝利条件の達成は易しい方に違いはない。

 それをプロローグ、チュートリアルであんなクソみたいな敵を放り込んでくるんだから開発陣の性格の悪さが窺えるってもんだよな。

 そのせいで原作だと戦線の維持がままならず、こよみも遊撃担当に回されてぐだぐだの市街戦が始まるって流れだったんだから、堪ったもんじゃなかった。

 

 前世の思い出話はここまでにしておくとしても、今回の俺の任務は簡単だ。

 とにかく前線を切り開いて大型を、ダイモーン級を沈める。

 おかわりでもう一体出てくるが、それも知ってる。なら実行するだけだ。

 

「了解しました、まゆは支援に回りますよぉ」

「……は、はい……西條、先輩……」

「当てにしているぞ……『ドレス・アップ』! 西條千早、出撃する!」

 

 関係機関の各部署から、特級魔法少女出撃の認可が下りたことでカタパルトのロックが解除、スリーカウントと共に俺は再び大空へと射出される。

 危うく「ドレス・アップ」の解号を唱え忘れてミンチになるとこだった。変身するためのお約束とはいえ、一々決まり文句を言わなきゃいけないってのも中々不便な話だな。

 そんな魔法少女システムに内心で文句を垂れつつも、俺は通信機からホロスクリーンとして投影された「界震」発生地点に向けて身体を加速させる。

 

 長距離展開ブースターがあればもっと早く着くんだろうが、あれは俺が唯一の試作品をジャンクにしてしまった上に、都内で使うには費用対効果が見合ってないと上層部に太鼓判を押された哀れな兵器だ。

 仮にも世界の危機だってのに予算の都合が絡んでくるのはなんとも世知辛いな。

 一級魔法少女やその下にいる二級、三級、そして自衛隊の戦力をほとんど投入しなかったのは、人命を大事にって名目もあるけど、ぶっちゃけてしまえばコストの都合なんだろう。

 

 と、まあそんなことを薄らぼんやりと考えている間にも戦闘空域に到達したようで、通信機が警告を鳴らす。

 見た感じ、宝石を埋め込まれた怪獣といった風情のショート級は陸上型、それよりデカいトール級の中には空を飛ぶ「タイプ・ガーゴイル」の存在も確認されてるけど少数だ。

 そして、問題になるグランデ級とダイモーン級はずっしりとその巨体をアスファルトの地面に食い込ませて、進路上にあるものを破壊しながら進行していた。

 

「さて……これ以上敵に好き勝手をさせるわけにはいかないな。此方はあのデカブツを叩く。由希奈は『タイプ・ガーゴイル』の処理を、葉月は近接援護、まゆとこよみを守ってくれ」

「了解しましたよー、先輩!」

「アタシはまゆと秘密兵器のお守りってわけね……わかりましたよ、やってみせますから!」

 

 頼もしい返事だ。

 個人的な感情はともかくとして、任務に必要のないそれを切り捨てることができるのは葉月の美点だといってもいい。

 侵攻による被害がデカそうなのは言葉通りに体躯がデカいグランデ級とダイモーン級。そいつらをさっさと叩き斬ってしまおう。

 

「皆さん、少しだけ待ってくださいねぇ……『ストレングス・シリンジ』!」

 

 小型の注射器を四つ指先に挟んだまゆは、俺たちに向けてそれを正確無比に投擲した。

 針がぷすりと刺さる微かな痛みが走る。

 それと同時に、薬液の代わりに込められていた魔力が流れ込んできて、肉体が硬化していくような、筋肉が増大していくような感覚が、俺たちを満たしていく。

 

 これがまゆの魔法特質、支援魔法だ。

 いってしまえばバッファーとデバッファーを兼ねた役割が彼女のそれであって、味方を強化することもできれば敵を弱らせることもできる。

 しかも魔法少女が持つ自己強化魔法とは別枠で重複するもんだから、しばらく戦闘では頼りきりになるのが、そして個別ルートにしても通常ルートにしても永久離脱して悲しみに暮れるのが、「魔法少女マギカドラグーン」の通過儀礼だった。

 やっぱりこの開発陣、人の心がないんじゃねえかな。

 

「感謝するぞ、まゆ! さあ……存分に死合おうじゃないか、怪物共……!」

 

 そんな話はともかくとして、今世でもそんなマルチバッドエンドを辿るのは真っ平ごめんだ。

 とにかく運命を覆す。既にチュートリアルを生き延びたことで原作からは大分外れてるのだろう。

 だが、この襲撃イベントが変わらなかったってことはまだ世界の強制力とか、そういう類のものでリカバリーできる範囲ってことだから油断はできない。

 

「……斬り裂け、『雷切』!」

 

 解号を唱えて、俺は手持ちの魔法征装……日本刀の形をしたそれに魔力を注ぎ込む。

 蒼い雷を纏った刀身が煌めくと同時に、進路上に立ち塞がるショート級やらトール級を斬り捨てて、まずはグランデ級へと狙いを定める。

 さて、ここから先は無双ゲーだ。差し当たっては、グランデ級諸君に一方的にクソゲーされる気分を教え込んでやろう。




クソゲーあるある、チュートリアルが易しくない


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パーフェクト・ゲーム

 雷の魔力を纏わせた魔法征装「雷切」を一閃、俺はグランデ級四匹を、纏めて叩き斬った。

 そこら辺の雑居ビルに匹敵する巨体が、断末魔を上げる間もなく塵へと化していくのは設定上最強の魔法少女が持つ特権ってやつだろう。

 これをゲームでは威力の低いチェーンガンで撃退しなきゃならなかったんだから本当に開発陣は鬼か畜生だ。

 

 だがここからは、そんな鬼畜生の思惑をひっくり返す時間の始まりだ。

 もしもチュートリアルで西條千早が死んでなかったら、なんて二次創作は、救いを求めて腐るほど読んできたんだからその通りにこいつらを殲滅してやろう。

 立ちはだかるダイモーン級は、この前のピグサージと大体同じぐらいのデカさだが、魔法と物理が通じるんだったら関係ない。

 

「さて……護衛はそこで塵になったわけだが」

『Bumooooo!!!』

「そうか、寂しいか。ならば貴様もすぐにあの世に送ってやろう」

 

 闘牛レベル999みたいな見た目をしているダイモーン級はその大きく前面に張り出したツノを使って俺を捉えようと突進してくるが、そう簡単に当たってなどやるものか。

 むしろこいつをさっさと斬り捨てないとまた復興予算がどうのこうのとお上でめんどくさい話が始まるんだ、宣言通りにさっさとあの世に送ってやろう。

 大体ピグサージを寄越して一日だぞ、舌の根も乾かない内に攻めてくるんじゃねえよ。

 

 おまけにおかわりもあるってんだからやってられん。

 それでもやらなきゃならないのが魔法少女の使命ってやつなんだろうけどな。

 俺はダイモーン級の突撃をひらりと躱すと、「雷切」を再び鞘に収めて刀身に魔力をチャージする。

 

 高層ビルぐらいある巨体を一刀両断するのは中々骨が折れる話だが、「雷切」は刀と鞘、その両方が超常の力を持つ魔法征装なのだ。

 増幅、強化。

 居合いの構えを取った時間に応じて雷の魔力を引き上げる性質を持つ鞘へと力を流し込み、俺は吼える巨体の脳天に向けて、刀を抜き放つ。

 

「……ちぇえええええすとおおおおお!!!」

 

 裂帛の気合いと共に振り抜かれた刀は雷鎚となってダイモーン級の脳天に直撃し、その巨体を豆腐でも切るような手応えで二枚下ろしに斬り裂いていく。

 チェスト臨界獣。人類の怨敵許すまじ、とばかりに気合を込めた一閃で、ダイモーン級もまた断末魔を上げる間も無く塵と消える。

 その分道路にも随分デカい亀裂が入ってしまったけどこれはあれだ、コラテラルダメージってやつだよ、そうに違いない。

 

「あれが先輩の本気かー……」

「流石は当代最強の魔法少女……アタシも負けてらんない……!」

「相変わらず凄いですねぇ……」

「……西條先輩……すごい……わたし、なんか……」

 

 一刀の下にダイモーン級を斬り捨てたことで、由希奈たち四人は概ね絶句していた。だがまだだ、まだ敵は残っている。

 そうだ、冗談いってる暇じゃなかったな。

 まだ空間に不気味な黒い穴が空いているということは、「界震」は続いてるってことで、おかわりがやってくるってことなんだ。

 

「敵に集中しろ、『界震』が止まらないということは、増援が来るぞ……!」

 

 ぐにゃり、と空間が歪んでいくような感覚と共に、穿たれた漆黒の穴から、雪崩れ込むように無数のショート級とトール級が現れ、それらを率いる、今度はファンタジー世界に出てくるような飛竜型のダイモーン級が飛び出してくる。

 まずいな。

 ショート級とトール級の群れぐらいなら葉月と由希奈の攻撃、そしてこよみの機銃掃射でなんとかなりそうなもんだけど、空を飛べる巨体が現れたとなれば、街への被害も甚大なものになる。

 

「まゆ、此方が敵を引き付ける。支援を頼めるか!?」

「了解しましたよぉ……! 『シックネス・シリンジ』!」

 

 まゆの支援魔法は、味方の強化だけに留まらない。

 その魔力を、敵を弱らせる「毒」としてシリンジから注入することもまた可能なのだ。

 まゆは魔法征装である巨大なシリンジ「ケミカルアルケミー」を現出させると、ダイモーン級へと狙いを定めて飛び立った。

 

『Guooooo!!!』

「……させるものか!」

 

 飛び上がったまゆに向けて咆哮と共に、ダイモーン級が人間一人ぐらいなら、近くを通るだけで蒸発させられそうな火球を吐き出す。

 俺はそれを見越して「雷切」に魔力をチャージすると、今度は火球に向けて斬撃を一閃。

 空に向けて放たれたことで余計な被害を出すこともなく、火球は真っ二つになって消滅した。

 

「首筋……もらいましたよぉ!」

 

 そして、ガラ空きになったダイモーン級の首筋、甲殻と甲殻の隙間へとまゆは「ケミカルアルケミー」の針を突き立てると、敵を弱らせる「毒」の魔力を注入して離脱する。

 

『O、Oooooo……?』

 

 自らに起きた異変を言葉にすることはできなくとも、感じ取ってはいるのだろう。

 高熱のブレスを放ったことでダイモーン級の口元に溢れていた炎は今や消え失せて、羽ばたきからも力がなくなっている。

 刺さりさえすれば大体の臨界獣に効果を発揮するまゆの「毒」は、一部の例外を除いて対ボス格の特効薬みたいなものだ。

 

 それがどのルート通っても最終的には永久離脱するとかお前ら、開発陣本当にお前らというやつらは。

 この救いの欠片もないクソゲーを作ってくれやがった開発陣とそんな世界に転生させてくれた神様だか女神様への恨み辛みとその他を込めて、俺は再び「雷切」を大上段に振りかぶった。

 

「これで……終わりだッ!」

『Guooooo!!! Oooooo!!! Oooooo……』

 

 毒で弱り切って死んだのか脳天から真っ二つにされて死んだのかは定かじゃないにしても、これで街への被害が懸念される存在は打ち止めってわけだ。

 よく見れば「界震」によって空間に開けられていた穴も塞がっているし、残るはショート級とトール級の掃討だけだ。

 そっちにしてもサブマシンガンに得物を持ち替えた由希奈と、チェーンガンを掃射してるこよみがなんとかしてくれてるし、空を飛ぶような個体は率先して葉月が潰してくれている。

 

 なら、俺の仕事は撃ち漏らしを掃除するだけだ。

 魔法征装「雷切」を天に掲げ、俺は自分の、西條千早の魔力特質である「雷」を、由希奈とこよみが撃ち漏らした個体群に狙いを定めて降り注がせる。

 

「『雷帝招来』……!」

 

 物理も魔法も通るんだったら恐れることはなにもない、ってわけじゃないにしたって、こと汎用性という意味で、俺という、西條千早という魔法少女は特級魔法少女の中でも最強だと謳われた通りだ。

 アクションゲーにおいて、物理強化もできて範囲攻撃も撃てるユニットが弱いという方が珍しい。

 終盤に器用貧乏になってしまう恐れこそあっても、できることの幅が広いというのはそのまま強さに直結している。

 

 それを示すかのように、降り注ぐ雷は、由希奈たちが撃ち漏らした臨界獣を全て撃ち抜いて、塵へと還していた。

 ミッションコンプリート、「界震」も収まったなら、これ以上増援が出てくる見込みもない。

 

「相変わらず無茶苦茶やりますねー、先輩」

「確かに、少しばかり街に被害が及んでしまったな……」

 

 由希奈は道路に空いたクレーターを指差して、からかうように微笑んでみせた。

 復興予算がどうのこうのでお小言が飛んでくる可能性はあるにしても、臨界獣の侵攻を許すよりは幾分かマシなはずだ。

 コラテラルダメージだよ、コラテラルダメージ。なんて口に出した日にはお偉方から呼び出されて説教とか処分を喰らいそうだから黙っておくけどな。

 

「……で、でも……西條先輩がいたから……きっと、その……街の、被害は……」

「ありがとう、こよみ。しかし受けるべきお叱りは受けねばならない。此方ももっと上手くやれれば良かったのだがな」

「全く、自分たちの命かかってるってのに四六時中お金の話ばっか。これだから政治家ってのは嫌いなのよ。ですよね、先輩」

「そうだな……しかし彼らも彼らで自らの職務に必死なのだ、そう悪く言うものじゃない、葉月」

 

 口ではそんな綺麗事を言っちゃあいるが、内心じゃ俺も中指突き立ててるから安心してくれ。

 魔法少女がいる限り自分たちは死なないとでも思ってるんだろう。だから死なない前提で話を進める。呑気なもんだよな、全く。

 まあ、お叱りがくるといってもその窓口は店長こと大佐なんだから、現場の俺たちに来るクレームはあの人の口からやんわりと伝えられる程度だ。全くもってありがたい限りだな。

 

「とにかく今は帰ろう。此方は……昼食も食べていなかったのだからな」

「あはは、言われてみればそうですねー」

「うっ、それ聞くとお腹空いてきちゃった……」

「……ぁ、あの……わたし、も……」

「それじゃあ、まゆはもうひと頑張りですねぇ」

 

 冗談めかしたまゆの言葉に、笑顔の花が三つ咲く。俺もまた小さく笑いながら、とりあえずは今日という日もまた生き延びることができた幸運に感謝する。

 誰の腹の虫が鳴いたのかはわからないものの、響き渡った、くう、という音に恥じらうかのようにこよみたちは顔を赤らめた。

 とにもかくにも、腹が減った。だからあとは飯を食って閉店時間までダラダラと過ごして、風呂に入ってさっさと寝よう。

 

 今はただ、それを考えるのが精一杯だった。




西條千早大勝利! 希望の未来へレディ・ゴー!(希望があるとは言ってない)


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友好フラグは前に倒す

「とりあえずはよくやってくれた、六十に相当する群れとダイモーン級二匹……諸君らの働きで都市部への被害は格段に抑えられたとは思いたいがね」

 

 マスコミやらなにやらが群がってくる前にさっさと現場から退散した俺たちは、秘密基地ことメイド喫茶「間木屋」に帰還していた。

 事後処理なんてもんは防衛省やら自衛隊に丸投げだ。

 戦線に投入されたのが特級魔法少女にしろ三級魔法少女にしろ、戦いの後始末に関しちゃ、国家レベルの存在が動かなければ話にならない、というか俺たちにできることがない。

 

 敵を細切れにすることぐらいはできるだろうが、それはそれで処理がめんどくさいし、なにより活動限界を迎えた臨界獣の死体は存在を維持できずに自然消滅していく。

 そこに関していえば、二枚下ろしにしようが微塵切りにしようが大して変わらん。

 問題なのは、やつらや俺たちが暴れたことで生じる街への副次被害の方だ。

 

「……此方としては可能な限り副次被害を抑えたつもりだ。『雷帝招来』を使ったのも必要だと判断してのことだが」

「わかってるさ、だが、まあね……とりあえず、お偉方への言い訳は俺が考えておこう」

「助かる」

 

 それが仕事だからな、と嘯く店長こと大佐の顔には中間管理職の悲哀とでもいうべきものが漂っていて、立身出世ってのもいいことばかりじゃないと身につまされるものがあるな。

 立場が上がれば、敵もまた外だけとは限らなくなる。

 獅子身中の虫ってのはどんな組織にもいるもんだ。バイトだろうが会社員だろうが政治家だろうが軍人だろうが、古今東西を問わずして中間管理職ってのは上からも下からも板挟みになるつらい立場なのだ。

 

 かといって現場が気楽かといわれれば、そんなことは全くないんだが。

 魔法少女の殉職率は、存在が希少なのにもかかわらずそれなりに高い。

 この間ピグサージへの威力偵察を行ってそのまま帰らぬ人となった名前も知らない三級魔法少女をはじめとして、過酷な任務を振られて死んでいくケースもあれば、適正クラスの任務でもなにかしらの理由でやっぱり死者は出る。

 

 だったら全部の任務を俺たち特級魔法少女が請け負えば済む話じゃないかといわれそうなもんだけど、特級魔法少女は国の切り札みたいなもんだし、メタ的にも死ぬ時は死ぬってことに変わりはない。

 だから、国としてはなるべく温存しておきたいってのが正直なところで、頻繁に俺たちが出撃している現状が異常なのだ。

 そこら辺は薄々察していたのか、俯いていたこよみがおずおずと手を挙げながら、大佐に向けて問いかける。

 

「……そ、その……あの……えっと……最近、は……特種非常事態宣言が多い、ような……」

「そうだな……『穴』から現れる連中の数も質も以前より上がっている。ピグサージの件といい、今回といい、例外が続いただけと見るのは危険だろう」

 

 鷹揚に頷きながら、大佐はうむ、ともふむ、ともつかない唸り声を上げる。

 

「つまり、どういうことですかー?」

「現状だとまだ、何を言ってもおれの憶測に過ぎないよ。『M.A.G.I.A』から分析データは回ってくるだろうから、それを踏まえて慎重に動向を見極める必要がある……今はそういう時間だ。諸君らは引き続き警戒しながら戦ってくれればいい」

 

 のらりくらりと由希奈からの質問を躱して、大佐は大袈裟に肩を含めてニヒルな笑いを口元に浮かべてみせた。

 実のところを言ってしまうのであれば、臨界獣の侵攻は無軌道に、無計画に行われているわけじゃない。

 やつらには意図がある。ただ、それを話して信用してもらえるだけの判断材料や証拠となるデータがまだないというだけのことだ。

 

 ──俺も、大佐も。

 

「先輩?」

 

 小さく俯いていた俺の様子に気付いたのか、眉を逆立てていた葉月が心配そうにしながら、俺の瞳を覗き込んでくる。

 さっきまでどことなく苛立っていた様子だったのに、なんというか随分と切り替えが早いな。

 できることならこよみとさっさと和解してもらった方がいいんだが、こればかりは、ルートの終盤に行くまで難しいのだろう。

 

 世界の強制力的なものがそうさせているのか、あるいは俺というイレギュラーが生き残ってしまったことで、歴史の流れが狂い始めているのか。

 そのどっちが正解なのかは生憎わからない。

 ただ、どちらにしても狂うんだったら少しでも二人の和解が早まる方に転がってほしいもんだと願いつつ、俺は葉月からの問いに答える。

 

「……こよみと大佐が言った通りだ。敵の数も質も以前より上がっているのならば、此方も警戒を怠らないようにせねばと思ってな」

「……そうですか、まあ……そうね。そうですね……秘密兵器に先越されたのはイラつくけど、タイプ・ガーゴイルを叩き潰した時の手応えとか、明らかに違ってましたし」

 

 親指の爪をかじりながら、葉月がそう零す。

 東雲葉月という女は俺、というか、西條千早に対しては素直なんだよな。

 むしろ嫉妬を向けるのはポジションが微妙に被ってる近接担当の俺でもおかしくないというのに。まあ、事情が事情だから仕方ないんだろうけどな。

 

「先輩の言う通りだよー? あんまカリカリしすぎてると、胃に穴空いちゃうかもよー?」

「アンタは呑気すぎんのよ」

 

 茶化すように煽り立てた由希奈を睨みつけた葉月は、怒り半分呆れ半分といった風情で肩を落としながらそう返した。

 呑気ってわけでもないんだろうが、まあ由希奈と葉月は喧嘩するほど仲がいいってやつだからな。

 気にしすぎたら胃に穴が空くってのも間違ってないだろうし。

 

「まあまあ……とりあえず、シャワーでも浴びませんかぁ? 戦いで、大分汗かいちゃいましたしぃ……」

 

 こよみがおろおろと二人の間で視線を行き来させているのを見かねたのか、苦笑しながら仲裁に入ったまゆがそんな爆弾を落としていく。

 さいですかぁ、と間延びした口調に引っ張られそうになりながら頷きかけたけど、待てよ、シャワーってことは服を脱ぐ必要があるわけで。

 いや、確かに今世の俺は女かもしれないけど中身は違うというかまだまだ感性に意識が馴染んでないし、でも断ったら不自然だし。

 

「そうね……まゆの言う通りかも。大佐、シャワールーム使っちゃっていいですか?」

「構わんよ」

「ありがとうございまーす。それじゃあ行ってきますかー。先輩も行きましょうよー」

 

 ぐい、と俺の腕に腕を絡めて、由希奈はいたずらっぽい笑みを浮かべる。

 まさか中身がバレたってわけじゃないと信じたいけどそこはそれ、シチュエーション的にどきりとせざるを得ない。

 ええい、ままよ。やましいこともやましい気持ちも法的な問題もなにもないんだから、行くしかないだろう。

 

「……うむ。こよみも来ないか? 汗が冷えると身体にも障る」

 

 腹を括って、俺は由希奈の提案を利用する形でこよみにそう呼びかけた。

 裸の付き合いって考え方はカビが生えた古臭いもんだけど、打ち解けるきっかけは多い方がいい。

 俺たちは少なくとも同じ目的の元に集められた、いわば仲間ってやつだ。それがぎくしゃくしたままじゃ、なにかと不便だろう。

 

「……えっ……? あ、はい……わたしも、よければ……その……」

「うむ、問題ない。そうだろう、由希奈?」

「はーい、私はさんせーでーす」

「まゆも、こよみちゃんとご一緒したいですよぉ」

「……わかったわよ、多数決ならアタシの負けなんでしょ」

 

 シャワーぐらいでヘソ曲げんなよ、唇を尖らせた葉月に言いたくなるけど、まあ折り合い悪い相手と一緒に浴びたいかと訊かれりゃ俺もそこは渋い顔になるだろうから気持ちはわかる。

 それでも、庇い合い、助け合い、心から背中を預けられるような関係性を早めに築いておかなきゃ生き残るのは難しい。

 原作じゃ自分のせいで西條千早を死なせた、という罪悪感に押し潰されそうになりながらこよみは戦っていたけど、少なくとも俺は生きている。

 

 猜疑に歪んだ瞳がせせら笑おうと、嘘を言うなと詰られようと、この地獄を吹き飛ばして生き残ると決めたんだ、誰一人欠けることなく生き残ってほしいと願ったんだ。

 だったら、和解フラグの一つや二つ、前倒しになったって問題ないだろう。

 というか、誰に許可を取る必要もない。せっかく生き残ったんだ、この頼れる先輩というポジションを活かして、積極的に前倒ししていく所存だ。

 

 民意に従う形でバックヤードから、地下の更衣室に向けて俺たちは歩き出す。

 葉月とこよみの和解。差し当たって次の目標はこれになるんだろうか。

 そんなことを頭に浮かべつつ、辿り着いた更衣室で俺は心を無にして服を脱ぐ。

 

 ああ、そうだ。

 替えの下着を無意識に持ってきていたのは、女子力高くなってきたのかもしれないな。




段々と女子力が上がっていく千早


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飄々とした上司ポジションって大体胡散臭いよね

 心頭滅却すれば火もまたどうのこうのと昔の人は言いました。

 そして最初からやましい気持ちはどこにもない、ただ頼れる先輩として和解フラグを少しでも前倒しにするため、俺は特級魔法少女五人組で仲良くシャワーを浴びにきたわけだが。

 なんというか、あれだ。可視化されると気まずいものってあるよな、色々と。

 

「こよみちゃん、身長低いのに出るとこ出てて羨ましいよねー」

「……ぁ、ぇ……そ、そんな……わたしなんて、ちんちくりんで……」

「そんなことないですよぉ、まゆもちょっと妬いちゃいますぅ」

 

 トランジスタグラマーってもう死語か?

 からかうように笑う由希奈と、自分のそれも結構なものをお持ちなのに冗談を飛ばすまゆの二人に挟まれたこよみは、確かに二人よりも身長が低いのにもかかわらず、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。

 俺よりデカい。なにとは言わんが。

 

「……なによ秘密兵器、同情のつもり?」

「……ち、違……そんな……」

「……だったらこっち見ないでよね、ムカつくから」

 

 そんな具合に可視化されると面白くないのが葉月だということを俺は完全に失念していたわけだった。

 いやまあ、あの場面でこよみか葉月をハブってシャワー浴びます、なんて選択肢を選んだらそれこそ余計に気まずいから不可抗力だと信じたい。

 スレンダーという言葉がそのままそっくり当てはまる葉月も、トータルバランス的なスタイルって意味じゃ抜群だと思うんだけどな。いわゆるモデル体型ってやつだ。

 

 それでも、隣の芝はなんとやらなのだろう。

 わかっている。人間、持ってないものを目の前に出されると無性に羨ましくなったりするものだ。

 さして引く理由もないからと自分を誤魔化していた傍らで後輩がピックアップされてたSSRを単発で引き当てた時の如く、つられて回したら全てが虚無に終わった時の如く。

 

 そんな与太話はともかくとして、経緯こそ多少違っても葉月の気持ちはわかっている。

 だからこそ、ここはフォローの一つや二つ飛ばしておくべきなのだろう。

 そう判断した俺は、小さく咳払いをしながら声を整える。

 

「自信を持て、葉月」

「……先輩」

「此方からすれば、其方の細い手足が羨ましく見える。そういうものだ」

 

 俺こと西條千早もスタイルは悪くないんだが、若干筋肉質だからこう、なんというか華奢な、って言葉が似合うような体型じゃない。

 そんな言葉がこの場にいる誰より似つかわしいのは、紛れもなく葉月にしかない特権だ。

 美しいとか可愛いとか、そういうふわふわとした言葉は人の数だけ解釈がある。もちろん最大公約数的なものが存在することも否定しないが、他人とわざわざ比べるようなもんじゃないと、俺はそう思う。

 

「……先輩もそういうこと、気にしたりするんですね。てっきり全然気にしてないって思ってました」

「隣の芝はいつだって青く見えるものだぞ? 此方とてそう思うことはいくらでもある」

「そうですか……そっか。アタシ、自信持っていいんだ」

 

 コンプレックスを解消するのは難しい。

 でも、そのコンプレックスが他人から見ればひどく美しく輝く宝物に見えたりもするんだから、世の中ってのはわかんないし割り切れないもんだよな。

 まあ俺も由希奈もまゆもそれなりにデカくてこよみも更にデカいとくればそりゃ年頃の女子としちゃ複雑だろう。

 

「おー、めっちゃ柔らかー……無限にマシュマロ揉んでるみたいー」

「ひゃ、や、やめ……」

「まゆも葉月も揉んでみなよ、こよみちゃんの乳、めっちゃ柔らかいから! あっこれめっちゃ人をダメにするタイプの温もりー……」

「……ぴゃああああ……」

 

 俺と葉月がそんなやり取りをしている間に不埒な輩もいたらしく、シャワー室に、無限に胸を揉まれていたこよみの鳴き声じみた悲鳴が木霊する。

 なにしてんだお前は。

 由希奈をこよみから引き剥がして、俺はポニーテールに結わえていた髪ゴムを解いて溜息をつく。

 

「由希奈アンタね、本当やめなさいよ」

「でもでも葉月、しょうがないじゃーん?」

「なんもしょうがなくないわよ、ったく……秘密兵器、アンタに初めて同情したわ……」

 

 耳まで真っ赤になって蹲っているこよみに、一足先にシャワーを浴びていた葉月が心から同情の視線を向ける。

 雨降って地固まる、とはまた違うんだろうけど、和解フラグの前倒しとしては結果オーライ……なのか?

 いや、どっちにしてもひたすら由希奈に乳を揉まれていたこよみが不憫で仕方ないんだが。例え同性同士であろうとセクハラは成立するんだぞ。

 

「その辺りにしておけ。全く……」

「そうですよぉ、人が嫌がることしちゃダメなんですからぁ」

「はいはーい……以後反省する所存でありますー」

 

 俺とまゆの二人に詰られた由希奈は雑に敬礼のポーズを取って、髪を解きながらそう返す。全然反省してないだろお前。

 そして、そろそろ立ち直ったのか、それでも警戒心マックスといった風情で胸を左手で覆いながら、こよみも間仕切りが設けられたシャワーの一つに陣取って蛇口を捻る。

 銀髪に赤い瞳という、どことなく神秘的な美しさを感じさせる見た目をしたこよみがシャワーを浴びてると、なんか妖精の水浴びみたいだな。

 

「……西條、先輩?」

「ああ、すまない。つい其方の可憐さに見入ってしまっていてな。やはり隣の芝は青く見えるものだ」

 

 やましい目で見ていたわけじゃないが、間仕切り越しに注がれていた俺の視線に気づいたこよみは、警戒心も露わにそう言った。

 勘違いされそうだったから、慌ててそれっぽい言い訳を口にしたのはいいとして、言い訳を考えてる時点でそもそもアウトなんだろうか。

 とにかく、やましい気持ちがあったわけじゃない。これだけははっきりと真実を伝えたかった。

 

「……可憐、ですか……?」

「端的に言えば、可愛らしいということだ」

「……可愛い……ですか……? わたし……? えへへ……」

 

 衝立からひょっこりと顔を出したこよみが、頬を緩めて柔らかくはにかむ。

 とりあえずはなんとか乗り切れたようだ。

 これ以上余計なことをすると、またなにか余計な問題になりかねん。俺もまた無心で蛇口を捻って、熱めの温度に設定されたお湯を浴びながら、汗を洗い流していく。

 

「そういえば先輩、なにか思うところとかないんですかー?」

 

 身体を洗いながらお湯の気持ち良さに浸っていると、藪から棒に、隣のシャワーを浴びていた由希奈がそんなことを問いかけてくる。

 

「思うところ?」

「店長……じゃなかった、隊長のあの態度、ぜーったいなんか隠してると思うんですよねー、私」

 

 由希奈はボブカットに切り揃えたプラチナブロンドの髪の毛を洗いながら、そんなことを言ってのけた。

 なるほどな。由希奈らしいというか、大佐のことをよく見ている。

 申し訳ないがあの人が胡散臭いというのは確かなことで、なにかを隠してるってのも本当だ。

 

 臨界獣絡みのこと、魔法少女のこと。

 だが、それについては俺も同罪だ。

 それでも大佐のことを擁護するんだったら、真実を知るにはタイミングと、相応の覚悟がいる、という話になってくることだろう。

 

「……なにかを隠すというのは、そこに相応の理由があると此方は考えている」

「理由、ですか」

「天の時、地の利、人の和……物事というのはなすべき時が必ずある。大佐はその時を待っているのやもしれないな」

「いつかは話してくれるー、ってことですか」

「そうなるな」

 

 今はまだ、その時じゃない。言ってしまえばそういうことだ。

 こんな感じのセリフを言うNPCに、一々勿体ぶってないで洗いざらい知ってることを吐けよとは思っていたが、いざ自分がそういう立場になると、そうとしか言いようがないんだから笑えてくるな。

 真実を知るのが必ずしもいい方向に物事を運ぶとは限らない。答えを最初から知っていることが、必ずしも幸福に繋がるとは限らない。

 

 だからこそ、今はまだ。

 ドミノ倒しの如く、全てが崩れてしまわないように、この死亡フラグ満載のクソゲー世界を綱渡りしていることを思い返しながら俺は、未だ褒められたのが嬉しいのか、頬を緩めているこよみを一瞥した。




荒ぶるR-15タグ回


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公式アカウントの運用は難しい

 鍵開けという作業は面倒どころの話じゃない。

 夜遅くまで残ってからわざわざ朝早く起きて開店前に店まで行って鍵を開けて諸々の確認を済ませて、と、任される作業も多ければ、鍵そのものの管理義務も負わされるんだから、やりたくない業務ナンバーワンだ。

 だから前世じゃシフト制のバイトで、なるべく遅番と早番は避けてたんだが、フリーターの身分でも一応仕事を任されてるってことで大人の事情が絡んでくる都合、完全に避けることはできなかった。

 

 だが、なんの因果かこの世界でも表向きの身分は喫茶店でバイトしてる女の子、として通っている都合上、鍵開けは分担して行うことに決まっていたのだ。

 いっそのこと、俺としてはそこら辺も大佐に丸投げしちまいたいところだった。

 ただ、「M.A.G.I.A」の任務と役人との折衝やらなにやらを一身に背負っている状態で店の鍵開けまで一人で担当してたら胃に穴が開くか、最悪過労死ルート一直線だろう。

 

 それで大佐に過労死されました、なんて話になったら、俺としても困るし、この世界にとっても大いに困る。

 だから、嫌でも多少の面倒は負わなきゃならんのだ。

 大人の事情ってのは実に世知辛いね、早く大人になりたいと思ってた子供の頃の自分はなんと愚かだったことか。

 

 そんな事情で俺は、朝五時起床で身支度を整えて、「間木屋」の鍵を開けていたのだ。

 スキンケアやら、あれほど苦戦していたブラの着け方に関してはもうすっかり慣れてしまった。なんなら、髪型のアレンジとかコスメ類についてもちょっと調べてみたりとかしている。

 女子力が日に日に上がっていくのを感じるが、中身は野郎なんだよなあ。調べ物好きが高じてその内中身も侵食されていったら、流石に洒落にならんな。

 

「ただでさえ『俺』が『俺』だって実感薄くなってきてんのにな……」

 

 この前の臨界獣による襲撃から大体一週間ぐらい、その間は束の間の平和を味わっていたわけだが、この世界における「俺」が、他人からどう認識されているかについては、あくまで「西條千早」ということに変わりはない。

 その間も「間木屋」は営業していた都合上、ずっと外向けには「西條千早」のロールプレイをし続けてきたわけで、役者が役に飲まれるという感覚が心から理解できた。

 このまま自我を「西條千早」に侵食されるってことはないと信じたいが、自分が自分じゃなくなっていくってのは案外怖いものなんだな。

 

 胸の奥でわだかまっている不安を拭い去るように俺は、前世でやっていたのと同じように開店準備を整える作業に没頭する。

 鍵開けよし、店内清掃よし、食材の納品確認よし。

 食材に関してはキッチン担当のまゆが来たらバトンタッチすればいいとして、我ながら中々の仕事っぷりだ。

 

 まあこの喫茶店、どうせ客来ないんだけどな。

 たまに向かいの店が休みだった時とか、ふらりと立ち寄ってみたって感じの客が来る時もあるにはあるが今日も「間木屋」は絶賛開店休業中だ。

 裏の事情はともかくとして、血税の源泉掛け流しで営業しているメイド喫茶が常に赤字の閑古鳥とか、国民が聞いたら暴動もんだよな、本当に。

 

 そんな具合に俺がモップの柄に顎を乗せて暇そうにしていると、裏口の方から控えめに顔を覗かせたこよみがおどおどと頭を下げる姿が目に映った。

 

「……ぁ……さ、西條、先輩……おはよう、ございます……」

「おはよう、こよみ」

 

 こよみが早く来るってのも中々珍しいな。

 この一週間、俺はゲームの中じゃスキップされて飛んでいた時間を過ごしていたわけだが、設定資料集に書いてある通り、鍵開け当番じゃない時のこよみは来店が遅い方だった。

 なんでも、朝が弱いというか日差しに弱いというかそういう事情が絡んでいるらしいから、仲の悪い葉月以外は気にしてないみたいだが、珍しいもんは珍しい。

 

「今日は早いな。其方は鍵開けの当番ではなかったはずだが」

「……ぁ、ぇ、えっと……わたし、その……お手伝いが、したくて……」

「手伝い?」

 

 思わず目を丸くして、俺はおうむ返しにこよみの言葉を復唱した。

 鍵開けは面倒でこそあるが、猫の手も借りたいってほど忙しいわけじゃない。

 それでも自分から手伝いを申し出てきたってことは、こよみにはこよみなりの理由があるってことなんだろうな。

 

「……は、はい……わたし、皆の役に立ててない、から……少しでも、頑張ろう、って……」

 

 なるほどな。

 これは、俺が原作通りに死ななかったことによる弊害みたいなもんだろう。

 原作だとそういうことを気にする間もなく、こよみは最前線に駆り出されて精神を擦り減らしていく運命にある。

 

 その過程で副次被害やらなにやらを出しながらもその戦いぶりが認められて、段々特級魔法少女たちと心の距離を縮めていく、ってのが「魔法少女マギカドラグーン」の筋書きだ。

 まあ、心の距離を縮めていったところで特級魔法少女たちは皆死んでいくんだけどな。トゥルーエンドでもこれなんだから本当に人の心がねえ。

 そんな話はともかく、俺……というか、西條千早がある種チームリーダー的な役割を負っている都合、俺が生きてる限りこよみは肩身が狭いままってことだ。

 

 だから、少しでも俺たちの役に立とうとしているのだろう。

 その辺は俺がなんとかしていかなきゃいけないとこなんだが、そこで腐らずに、自分にできることを探して行動しようとしているのは、なんというか偉いな。

 気弱で泣き虫で人見知りでと三拍子揃っているこよみではあるが、芯の部分でそういう強さを抱えているからこそ、この世界の主人公なんだろう。

 

「ふむ……店内の清掃は一通り終えてしまったが……」

 

 その気持ちには応えてやりたいとはいえ、一連の作業は終わっちまってるんだよなあ。

 食材の管理についてはまゆが一任している以上、それを割り振るわけにもいかないし、かといって他にできることがあるかといえば。

 パーカーのフードを目深に被って項垂れているこよみを一瞥しながら、考える。

 

「……ぁ、わたし、迷惑……ですよね……」

「まさか。ふむ……ああ、そうだ」

 

 そういやできそうなことといえば、あるにはあったな。

 俺はメイド服のポケットから取り出したスマートフォンで、これまた開店休業状態な、「間木屋」公式SNSアカウントを確認する。

 すごいな、全くといっていいほど更新されてねえ。やる気もなければ客が増えても困るから仕方ないといえば仕方ないんだろうけどな。

 

「このアカウントはほとんど動いていないからな、宣材写真を撮るのも悪くあるまい」

「宣材、写真……」

「制服に着替えてくるといい、開店まではまだまだ余裕がある。閑古鳥が鳴いてるこの店にも少しは客が来るようになるかもしれないぞ?」

 

 なんせメイド服を着た美少女のツーショットだ。一定の層に訴えかける力はある。

 勝手に公式アカウントを動かしていいのかは知らんが、あとで大佐に事後承諾を取ればいいだろう。

 俺からの提案に、こよみはもじもじとフードを目深に被り直しつつも、小さく「はい」と返事をすると、バックヤードへとぱたぱたと走っていく。

 

 しばらくモップの柄に顎を乗せてぼんやりしていると、クラシカルなメイド服に着替えたこよみが、ホールに戻ってきた。

 

「……お、お待たせ……しました……」

「問題ない、よく似合っているぞ」

 

 ふわふわとウェーブがかかった銀髪のロングヘアに、あどけなく、大きな赤い瞳という日本人離れした美貌を持つこよみがメイド服を着てるんだ、よく考えなくても可愛い。

 大和撫子、という言葉が似合う「西條千早」とはいい感じに対称性が出ていいかもしれないな。

 早速、善は急げとばかりに俺はスマホのカメラを自撮りモードに切り替えて、こよみの肩を抱き寄せる。

 

「くすぐったくはないか?」

「……は、はい……っ……」

「そう緊張しなくてもいい。さて、撮るぞ」

 

 ぱしゃり、と音を立てて、不器用な笑顔を浮かべた俺たちが画面の中に写し出された。

 営業スマイルとしては大体六十点ぐらいだが、こよみのぎこちないながらもピースサインを形作っている指先とか、そういう営業っぽさを感じないところに惹きつけられる客はいるのかもしれない。

 というか、常連の由梨さんがそんな感じだしな。

 

 と、片手間にそんなことを考えながら撮った写真にそれっぽい文言をつけて公式アカウントへとアップロード。数秒と経たずにアカウントの投稿欄が更新される。

 ぶっちゃけ反応があるかどうかは知らん。

 まあ、こういうのは気長にやってくのが肝要なのだ。あんまり繁盛しても困るといえば困るんだが。

 

 でもまあ、こよみがどことなく満足そうにしてるからいいか。

 繁盛したらしたでお上が人員の追加とかも検討してくれるだろう。多分、きっと。

 公式アカウントを見て、反応がないかとそわそわしているこよみの可愛らしい姿に俺もまた、自然と口元が緩んでいた。




キメ顔で自撮りもできるもできるようになった千早くんちゃんの明日はどっちだ


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面倒な用事というのは立て続けに飛び込んでくる

 そんなこんなで、特級魔法少女全員が揃ったのは、俺とこよみが自撮りを上げて、大体三十分ぐらい経ってからのことだった。

 公式アカウントには主に「可愛い」とか「どこのお店?」とかぽつりと反応があったが、よく考えたらプロフ欄にこの店の住所とか載っけてないんだよな、「間木屋」のアカウント。

 仮にも喫茶店の公式アカウントがそれでいいのかとは思うが、まあ営利のためにやってるわけじゃないからいいんだろう。

 

 俺はともかく、こよみのメイド服姿に惹かれた連中は是非とも頑張ってこの文字通り隠れ家的な店に辿り着いてほしい限りだ。

 まゆが食材のチェックを済ませて、やることが特にない由希奈がいつも通りにソシャゲの周回に勤しんで、葉月が今日配る予定のチラシのチェックをして。

 そんな昨日と変わらない平穏な日々が今日も続くのかと訊かれれば、残念ながらその答えはノーだ。

 

 開店時間のちょっと前に裏口じゃなくて表口から入ってきた店長こと大佐の険しい表情が、なによりもそれを雄弁に物語っていた。

 

「店長ー、重役出勤にしても遅すぎますよー」

「すまない、ちょっとばかり『M.A.G.I.A』の方で予定が立て込んでいてね……そういうわけで今日は臨時休業だ。鍵当番は西條千早だったか、閉めてくれると助かるよ」

「肯定する、そして了解した」

 

 開店前から臨時休業宣言が出るということは、取りも直さず、裏の仕事が動き出すことの証明みたいなものだ。

 表口のドアノブにかかっている木札を「OPEN」から「CLOSE」に裏返した俺は、適当なコピー用紙に「本日臨時休業」の文字を書き込んで、セロテープで小窓に貼り付ける。

 特種非常事態宣言が出たという情報も通知もないということは、臨界獣絡みじゃなくて、魔法少女たちが担う暗部の仕事ということなのだろう……というか、このイベントを知っている以上、必然的にそうなることはわかっていた。

 

「この話が外に漏れるとまずいんでね、全員制服に着替えた上でブリーフィングルームに集合してくれ」

『了解!』

 

 声を揃えて大佐に敬礼をすると、俺たちは更衣室へと駆け出していく。

 魔法少女が担う、未知の脅威たる臨界獣の討伐だけではないもう一つの任務。

 それは、国家の安全に関わるという意味では臨界獣の討伐と変わらないのかもしれないが、後ろ暗さという意味では段違いのものに他ならなかった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「全員揃ったな、早速本題に入ろう。今回の任務についてだが、公安と防衛省の双方がマークしてるテロ組織、『暁の空』絡みの話だ」

 

 プロジェクターの映像をスクリーンに投影しながら、大佐はそう語った。

 過去にやつらが起こした凶行や、魔法少女によってそれが未然に阻止された記録が、スクリーンには映し出されている。

 過激派テロ組織「暁の空」。それは奇しくも魔法少女の出現とほとんど同時期に現れた武装集団であり、「真の日本を取り戻す」だか、そんなスローガンを掲げて活動している傍迷惑な連中だった。

 

「テロ組織絡みなら、二級魔法少女が担当してるんじゃないんですかー?」

 

 由希奈が口を尖らせた通り、魔法少女が担う暗部の仕事には、こういう過激派のテロ組織や、反社会的勢力を叩くことも含まれている。

 というのも単純に、魔法少女が持つ魔力障壁は、銃弾程度なら簡単に弾き返すことができる代物だ。

 特殊部隊を投入するより魔法少女を投入した方が生還率が高く合理的だ、という理由で、魔法少女は対人任務にも駆り出されているのが実情だった。

 

 ただ、それは由希奈が口に出した通り、もっぱら三級から二級魔法少女が担当する案件であって、特級である俺たちに話が回ってくることは滅多にない。

 

 ──裏を返せば、俺たちにその話が回ってきたということは、とびきり厄介な案件を大佐は抱えてやってきた、ということだが。

 

「ああ、そうだったよ」

「そうだった、ですかぁ?」

「その通りだよ、南里まゆ。実際、この案件には三級魔法少女四名、二級魔法少女一名が投入されていた」

 

 まゆの問いかけに、大佐はいつもの飄々とした、どことなく捉え所がない態度が嘘のような調子でそう答える。

 過去形ってことは、つまりそういうことなんだろう。

 殉職したか、もしくは大怪我を負ったか。できることなら後者であってほしいが、一級をすっ飛ばして、特級である俺たちに話が回ってきたということは、前者である可能性の方が非常に高い。

 

「端的に言えば、今回の案件は特務機関『M.A.G.I.A』発足以来前例のない事態だ。昨日のニュースを見ていたか?」

「確か、地下鉄の脱線事故が起きて、レールが大きく歪んだせいで復旧に一ヶ月以上かかるとか……」

 

 大佐からの問いに、葉月が答える。

 ああ、そうだ。表向きはそんな感じの話になってたな。

 それは防衛省と「M.A.G.I.A」、そして公安。三つの公権力が手を取り合ってでっち上げたカバー・ストーリーであって、真実じゃない。

 

「実際はテロだよ、『暁の空』は犯行声明を動画サイトにアップロードしたが、それもアップロードされ次第全部消させてる」

 

 裏でどれだけの金が動いているのかは知らんが、それで外国資本の企業にも圧力をかけられるほど、魔法少女という存在は外交カードとして極めて強力なものでもある。

 極論ではあるが、俺たち特級魔法少女五人が揃えば大陸間弾道弾だって無力化できるし、それより強力なブツもそうだ。

 逆に、大都市や、小さな国であれば丸々一つ更地にすることだって容易いだろう。

 

 だからこそ、魔法少女という存在は国の管理下に置かれているのだ。

 そんな話はともかくとして、無茶苦茶だろうがなんだろうが、とにかく急造品のカバー・ストーリーで隠さなきゃならない事態が起きたってことは、必然的にそれは国を揺るがしかねない問題だということになる。

 さっきの話と照らし合わせれば答えは簡単、「魔法少女がテロ組織を相手に殉職もしくは大怪我を負わされた」というのが、今回の案件の真相だった。

 

「……そ、それって……どう、いう……」

「……先日、地下鉄を狙っての銃乱射予告を受けて対応に当たった三級魔法少女が二名、『暁の空』によって殺害された」

 

 幸い、遺体は回収できたがな。

 大佐は飄々と肩を竦めながらも、その瞳に激しい怒りを滾らせて、俺たちに事の真相を告げる。

 遺体を回収できたってのは本当に不幸中の幸いとしかいいようがなかった。だが、それでも人が死んでいることに変わりはない。

 

 それに、なぜ通常の銃弾程度であれば容易く跳ね返すことが、出力によっては機関銃の掃射にも耐えうるような魔力障壁を持つ魔法少女を、いってしまえば、ただの武装勢力に過ぎないテロ組織が殺害できたのか。

 例え三級魔法少女であったとしても、普通の人間を相手にするにはオーバーキルだ。なのに、どうして。

 四人の間でにわかに動揺が広がる中で、俺はただ、スクリーンに映し出される光景を注視していた。

 

「それを踏まえた上でこの映像を見てくれ、生き残った二級魔法少女が持ち帰ってきた記録だ」

 

 先ほどまでの鮮明なものから一転して、ノイズ混じりのものをプロジェクターが映し出す。

 魔法少女が装着しているデバイスに自動で録画されたものなのだろうが、ノイズがひどいのは戦いの中で破損したのだろう。

 それでも、そこには確かに下手人の姿が映し出されていた。

 

「人間……? それにしては大きい気がー」

「三メートルはあるわね」

 

 由希奈と葉月が声を揃えて小首を傾げる。

 黒いトレンチコートに身を包んだ「それ」は、確かに人の形をしていたが、その身長は葉月の目算通りに三メートル近くあった。

 魔法を撃ち出すよりも早く、魔法征装を使用するよりも早く、その三メートルのヒトガタは、無機質に指先を魔法少女たちに向けて、そこから鉛弾を吐き出す。

 

「……魔力障壁、が……」

「これ、どういうことなんですかぁ……?」

 

 そこから先に記録されていたのは、特級魔法少女四人であっても信じられない光景だった。

 ヒトガタの指先から吐き出された鉛弾は、確かに殉職したと思しき三級魔法少女の魔力障壁を突き破り、心臓を寸分の狂いもなく撃ち抜いていたのだ。

 あり得ない。誰ともなく呟いたその言葉が、動揺を波紋のように広げていく。

 

 だが、俺たちは知っている。

 魔力障壁に対抗できる手段の存在を、そしてそれは、普段から馴染んだものであることを。

 

「……魔術兵装、か?」

「考えたくはないが、恐らくはその通りだよ。西條千早」

 

 俺の言葉を、大佐が静かに肯定した。

 魔術兵装。それは主に三級から二級の魔法少女から供出された魔力を物質に付与することで、擬似的に魔法征装を再現した、「M.A.G.I.A」開発の兵器だ。

 魔力のぶつかり合いとなれば、より強い魔力を持つ者が勝つ。つまり、あのヒトガタは、三級魔法少女を超える力を持っているということになる。

 

「……組織の中に内通者がいると防衛省は考えているが、それは早計だ。いるとすれば諸君らが候補になるからな。だが、諸君らの行動履歴は端末を通して全て『M.A.G.I.A』が把握している。つまり」

「……外部に、魔術兵装を再現できる何者かがいると?」

「わからんよ。防衛省の中か、あるいは『M.A.G.I.A』や公安の中かもしれん。だが、魔法少女を殺害したことで、『暁の空』が勢いづくことは間違いない」

 

 ──そこで諸君らの任務として、当面は特種非常事態宣言が出ない限りは、「暁の空」と、奴等が有するヒトガタの確保を第一優先事項として取り扱う。

 

 大佐はそう宣言すると、今度は削除された「暁の空」による犯行声明のアーカイブを再生した。

 

『真の日本人たる諸君! 我らの悲願はまた一歩成就に近づいた! 腐り切った政府の傀儡である魔法少女、それに対抗する手段を得た我々は、今後とも粛清を続けていく! それこそが真の日本の解放に繋がると信じて! 暁の空に我らが栄光を掲げる時は近い! 奮起せよ! 共鳴せよ! 魔法少女、恐るるに足らず! 我らは真の日本の解放のため、今後とも腐り切った権力の走狗を粛清する!』

 

 粛清、ね。

 言葉は立派に聞こえるかもしれないが、中身はただふわっとしたことをそれっぽく言ってるだけの演説だ。

 そんなやつらに、これ以上好き勝手をさせてたまるものかよ。

 

 俺はぎり、と拳を固めて、骸骨の被り物をしている「暁の空」の首謀──ということになっているやつを睨み付けていた。




そうだね、粛清だね


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スニーキング・ミッション

 テロ組織「暁の空」というよりは、やつらが持っている仮称ヒトガタを探すのが当面の任務になったわけだが、当然のように手がかりらしいものはなにもない。

 今のところ「M.A.G.I.A」と公安、防衛省に警察庁、そして巻き込まれたデジタル庁辺りが血眼になって動画サイトに次なる犯行声明が出るのを監視してるんだろう。

 官僚ってのは世知辛いもんだな。そんな話はどうでもいいとして、複数の組織や省庁が連携しなきゃならないのが、「暁の空」が厄介な理由の一つでもある。

 

「探すっていっても、確か『暁の空』って……」

「肯定する。ヤツらは特定の拠点を持っていなかったはずだ」

 

 葉月が口に出しかけた言葉を、俺は肯定する。

 用意周到というかなんというか、「暁の空」は特定の拠点を持たずに行動しているテロ組織だ。

 そして、構成員が全員なんらかの覆面やフェイスマスクで顔を隠している都合上、例えなにかしらの犯行があったとしても、それが模倣犯なのか、組織のメンバーによるものなのかがわかりづらい。

 

 つまるところ、例え犯人を生け捕りにしても、蜥蜴の尻尾の如く、末端の構成員は警察の取り調べにも上のことは知らぬ存ぜぬで通せるほど簡単に切り捨てられる体制が敷かれているのだ。

 強いていうなら、犯行声明を出しているドクロマスクが、「骸王(がいおう)」と名乗っているやつが一応表向きのリーダーってことにはなってはいる。

 だが、例えあの動画の中に出てきた骸王を暗殺したとしても、次の日には別な「骸王」が元気に犯行声明を出していることだろうよ。

 

 あくまでもあのドクロマスクとボイスチェンジャーを使った人物こそが「骸王」である、といった具合にな。

 組織の象徴性を、人物じゃなくて記号に求めるというやり方も徹底している。

 だからこそ、今までは魔法少女たちに苦渋を舐めさせられつつも、「暁の空」そのものは壊滅することなく活動を続けてこられたのだ。

 

 厄介にも程がある。

 おまけに、「暁の空」を原作の結末を知っている俺が単騎で丸ごと殲滅できるかといえば、その可能性もまた非現実的なのだ。

 あいつらの一番面倒なところは、最初に言った通り「特定の拠点を持っていないこと」に尽きる。

 

 蜘蛛の巣状にネットワークを広げている都合、特定の拠点を襲撃すれば一気に戦力が弱体化する、ということがない。

 存在する拠点を全て叩き潰すとなれば、海外にも飛び回っていかなきゃならないとくる。

 いかに「西條千早」が設定上は最強の魔法少女であったとしても、どれだけ傑出した能力を持っていたとしても、あくまでもそれは一個人が持つものに過ぎないのだ。

 

「だが、奴等は必ず犯行声明を出す。捕まらないという確信があるんだろうな……」

 

 舐められたものだ、と、大佐は怒りも露わに顔をしかめる。

 対応が後手後手に回らざるを得なく、貴重な一級魔法少女も失う可能性があるなら、最高戦力でもって迅速に新兵器を叩くという、「M.A.G.I.A」の判断は間違っちゃいない。

 問題があるとするなら、あのヒトガタは製造プラントの類が存在せず、各地で分散して作り上げたパーツを寄せ集めて作れるほど汎用性に優れたものだってところか。

 

 と、まあここまで「暁の空」がいかに厄介なのかを挙げたわけだが、あいつらは元々、相当アホな組織だった。

 その活動理念がどこまでもふわっとしていて具体的なことがなにひとつとして掲げられていないところからもお察しの通り、ノリと勢いで蜂起したような連中にすぎない。

 それが世界でも指折りのテロ組織になった理由は単純、外からの入れ知恵があったからだ。

 

 設定資料集にもふわっとしか、存在を示す程度にしか書かれていなかった黒幕、「骸王」を操る真の元締めを叩けば一気に組織は弱体化する。

 そいつがどんな存在なのかについて、設定資料集にも攻略本にも書かれてなかったことが問題なのだが、とにかく希望はあるということだ。

 やっぱりこのゲーム、続編出す気満々だったんじゃねえかな。製作陣の面の皮はきっとオリハルコン製に違いない。

 

『小野大佐、先程動画投稿サイトに「暁の空」によるものと思われる犯行予告の投稿が確認されました』

 

 どうしたものかと特級魔法少女たちとその司令官が唸り声を上げていると、大佐がつけている腕時計型のデバイスからフォロスクリーンがポップアップして、役人からの報告が上がってきた。

 

「消させたのか?」

『はい、投稿後一秒足らずで削除されています。アーカイブのバックアップはこちらに転送されていますので、ご覧ください』

 

 ぴぴ、と電子音を鳴らして、大佐の腕時計型デバイスに役人からのデータが転送されてくる。

 そのアーカイブをパソコンに再度転送すると、大佐はプロジェクターを起動して、スクリーンに「骸王」によるものと思われる犯行声明を映し出した。

 

『真の日本人たる諸君! 朗報を伝えよう。粛清の時は訪れた! 腐敗した政治の根本である、社会資本格差に基づく半ば公認された世襲制……その根本を破壊するために、我々は政治家と官僚及び資本家の子息を粛清することを決断した! 我々は私立英知院学園の生徒を無差別に粛清することに決定した! 腐敗した権力の末裔よ、震えて眠るがいい! 我々は腐敗を決して許さない! 刮目せよ! そして、共鳴せよ、真の日本人たる諸君! 我らが暁の空に、栄光の旗を掲げる日は近い!』

 

 民間人、それも子供を虐殺するという人道に反する声明を高らかに謳い上げた骸王の犯行声明に、大佐も含めた俺たち全員が絶句する。

 言ってることだけ聞けば、それっぽく聞こえるところもあるにはあるんだろう。

 だが、なんの罪もない子供をテロに巻き込むと宣言した時点であいつらは畜生にも劣る存在だ。それに間違いはない。

 

「諸君、聞いての通りだ。『暁の空』は今後、私立英知院学園を狙ってくる可能性が非常に高い」

 

 私立英知院学園。そこは骸王が言っていた通り、政治家や官僚、そして資本家の子息子女が集う中高一貫制の学校だ。

 一応、設定資料集曰く資本家の子息子女じゃなくても受験で、五枠しかない特待生枠に滑り込むことができればその莫大な学費が免除されるらしい。

 そんな割とどうでもいいことを載せるぐらいなら「暁の空」を操る黒幕についても書いてほしかったもんだが、元がクソゲーなんだから仕方ない。期待したら負けだってのは嫌というほどわかっている。

 

「わかりましたぁ……それで、まゆたちは、なにをどうすればいいんですかぁ?」

「いい質問だな、南里まゆ。諸君らには二つのチームに分かれてもらって、私立英知院学園の護衛についてもらう」

 

 ああ、このイベントか。

 原作じゃ俺がもうとっくに死んでるから二人二人で収まりがよかったもんだが、こうして生きてる以上、俺はどっちに組み込まれることやら。

 

「……ぁ、ぇ……二つの、チーム……です、か……?」

「そうだ、中原こよみ。まず一つは、留学生として学園内に潜入してもらうチーム、これがそうだな……三人は必要になるか」

 

 本来であれば五人全員を潜入させたいところだったんだがな、と大佐はぼやいたが、各学年に一人ずつ特級魔法少女を配置するとして、それでも一人足りないんだから仕方ない。

 

「もう一つは周辺の警護に当たるチームだ。言葉通りに防衛省や『M.A.G.I.A』、公安と協力する形で英知院学園周辺を警戒してもらうことになる。これが二名だ」

 

 こっちの任務に関しては、もしもヒトガタが市街地に現れた時のことを考えて、バックアップとして二級魔法少女を何名か動員する予定だ。

 大佐は、プロジェクターの電源を落としてそう言った。

 一級魔法少女が出ないってことは、俺たちが任務についている間、臨界獣への警戒は彼女たちが行うってことになるんだろう。

 

「潜入任務については、そうだな……西條千早、北見由希奈、そして中原こよみ。この三名を選抜することにした」

 

 顎を指でなぞりながら、大佐が宣言する。

 魔法征装の都合で対人戦でも小回りが利く俺と由希奈はともかく、魔法征装が事実上封印されているこよみが選抜された理由に関しては、カバー・ストーリーの作りやすさと、「万が一」のケースを考えてのことだろう。

 その万が一ってのは、臨界獣の襲撃と「暁の空」によるテロが重なった場合のことだ。

 

 もしもそうなったら、こよみは臨界獣の対処に当たる。

 例え周辺市街地を更地にしようと、一般市民より政治家や資本家の子息の命を優先したと取られようと、だ。

 当然そうなればこよみが後ろ指をさされることは避けられない。全くもって主人公を曇らせることに余念がないゲームだな。

 

「納得いきません、なんでアタシじゃなくてこいつが……!」

「では東雲葉月、君はあの臨界獣ピグサージに匹敵する存在が現れた場合、単独での対処が可能か?」

「……ッ……!」

「今後もピグサージのような、特殊な敵が出てこないとは限らない。そして臨界獣が出現した混乱に乗じてテロリストに暴れられても困るんでね、理解してくれると助かるよ」

 

 葉月が噛みつきかけたところを正論で捻じ伏せて、大佐は小さく肩を竦めた。

 潜入任務。果たして俺の存在がどこまでシナリオに影響しているのかは知らないが、まだ原作から大きく逸脱してないってことは、世界の強制力とかそういうのが仕事をしてるってことだろう。

 それならちょうどいい。使えるもんは全部使うと決めてるんだ、なんとかしてやろうじゃないか。




定番の学園潜入編始動


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学校にテロリストが来る妄想はきっと誰もが通る道

 私立英知院学園へと潜入するに当たって作られたカバー・ストーリーはこうだ。

 海外にあるという設定で無理やりでっち上げた架空の高校から来た生徒が、短期留学として数日間英知院で勉強する。

 富裕層特有のコネで色々と裏社会のことも知ってそうなやつには即座にバレそうなもんだが、バレたところで俺たちの正体には繋がらないから問題ない、とは大佐の弁だった。

 

 実際、魔法少女の存在は広く知られていても、魔力による認識遮断効果で、変身する過程でも見られてない限りは「魔法少女」と「変身した人間」を同一の存在として認識することは、一般人じゃ基本的にはできないようになっている。

 基本的には、だがな。そして付け加えるなら、魔法少女は、公的には「死んだ人間」として扱われている存在だ。

 相変わらず鼓動がない心臓の位置に手を当てて、そんなことをぼんやりと頭の片隅に浮かべながら、俺は大佐が運転している車に揺られていた。

 

「わかっているとは思うが、なるべく目立つような真似はしてくれるなよ?」

「心得ている」

「……は、はい……っ」

「はーい」

 

 運転席からの呼びかけに俺とこよみ、そして由希奈は三者三様な答えを返して、いよいよ目の前に迫ってきたクソデカい校舎を一瞥する。

 有事の際には魔法少女に変身してテロリストをなるべく殺さないように生け捕りにしろ、というのが上からのオーダーだったが、なんらかの事情で、それこそ認識遮断効果が働かないような状況で、変身ができなかった「もしも」に備える形で、俺たちはサイドアームを持たされていた。

 こよみは無難に使いやすい拳銃を一丁、由希奈は魔法征装と似た五十口径のそれを二丁、そして、俺は。

 

「最後に確認するが、西條千早。サイドアームの選択はそれで良かったんだな?」

「肯定する」

「コンテンダー……随分と癖が強いのを選んだもんだよ、君は」

 

 俺が選んだサイドアームは、多様な弾を装填できる代償として、装填数が一発しかない中折れ式のものだった。

 大佐が言う通り、癖の塊みたいな拳銃で、実用に耐えうるかと訊かれれば、よほどの熟練者か特殊な人間でなければ無理だと首を横に振られるような代物だ。

 前世じゃFPSはそこそこやってたが、「俺」は銃の腕に覚えがあるかと問われれば、そんなことは断じてない。

 

「其方のオーダーを最速で達成できる銃という条件で選んだものだ、問題はない」

「その言葉を信じてるよ、西條千早。まあ、サイドアームを使うような事態にならないことが一番なんだがな」

 

 だが、戦場におけるプロフェッショナルとして生きてきた「西條千早」は別な話になってくる。

 生かさず殺さずという上層部からのオーダーを迅速に達成できる拳銃、そして西條千早の銃撃スキル。

 この二つを組み合わせて、もしもの時でも最速で現場指揮官を無力化できる銃として選んだものが、コンテンダーだったというだけだ。なんせ装填数こそ終わってても、ライフル弾が拳銃で運用できるってのはデカいからな。

 

 生かさず殺さずがオーダーってことで、俺たちのサイドアームに装填されているのは非殺傷性の弾だ。

 それでも、当たれば相当痛い。

 実銃を使ってるんだから当たり前だがな。死ぬよりは幾分かマシだろうが。

 

 ただ、あれこれといってはみたが、基本的にコンテンダーの出番はないはずだろう。

 ゲームの中じゃ全校生徒を巻き込んでの銃撃戦が成立してしまったが、それがいつ起こるのか、どこから侵入してくるのかを俺は知っている。

 それをこよみや由希奈にも伝えておこうか迷ったが、下手に伝えたら伝えたでその情報をどこから手に入れたのかと、内通者であることを疑われかねないからな。

 

 つまり俺一人でテロの脅威と対峙しなきゃならないって話なんだが、こよみと由希奈が必要ないかと訊かれればそんなことは全くもってあり得ない。

 なんせこっちとしちゃ、学校になだれ込んでくるテロリスト共は前哨戦でしかないんだからな。

 本命はもちろん、当然の権利のようにやつらが保有しているヒトガタの方だ。

 

「さて、それじゃあ今日からしばらく諸君らは留学生だ。必ず『暁の空』の蛮行を阻止してくれたまえよ」

『了解!』

 

 まあ、俺にとってはそれだけじゃないんだがな──と、大佐に敬礼を返して、車を降りる。

 しかし、高校生活ってのも随分久しぶりだな。俺が通ってたのはこんな立派な校舎を構えている名門校なんかじゃなく、地方公立の、よくいえば年季が入った、悪くいえばボロい学舎だったが。

 見慣れない人間が三人組で歩いているせいか、ざわざわと英知院の生徒たちの間に、緊張感のようなものが生まれ始める。

 

 中でもこよみの銀髪に赤い瞳、そして透き通るような白い肌は目立っているらしく、好奇の視線の大半は彼女に突き刺さっていた。

 

「いいねーこよみちゃん、一気に注目の的だよー?」

「……ぁ、ぇ……うぅ……」

「あまりからかうものではないぞ、由希奈」

「はーい、千早先輩、わかってますってー」

 

 私も結構可愛い方だと思うんだけどなー、と由希奈は疑問形でぽつりと呟く。

 潜入任務だというのに随分と肩の力が抜けているように見えるが、僅かに滲み出る殺意や緊張感のようなものは隠しようがない。

 それもそうだろう。由希奈は、俺たちとは少しばかり違うモチベーションで動いているのだから。

 

「生き急ぐなよ」

「……なんの話ですー?」

「此方から言えることはそれだけだ。あとは其方の問題だからな」

「……」

 

 押し黙る由希奈にどれだけ俺の言葉が響いているかはわからなければ、知りようもない。

 ただ、覚えていてほしいとだけは思った。

 例え原作におけるこのイベントでの死傷者は民間人──いってしまえば、モブだけだったとしても、だ。

 

 それに、モブだろうがネームドだろうが、この世界における命の価値は軽すぎる。

 だからクソゲーなんだよといわれればそれまでの話だが、少なくとも俺たちも、名前も知らない英知院の生徒たちも生きているんだ。

 クソゲーの世界だろうが神ゲーの世界だろうが、俺は二度も理不尽に死にたくない。そして、できることなら誰一人として死なせたくない。

 

 もしも学校にテロリストがやってきたら、なんてのはな、精々中学生が授業中に暇を持て余してる時に妄想する鉄板ネタ程度でいいんだよ。

 そして何事もなく学生生活を終えて、ふと大人になった時枕に顔を埋めて足をバタバタさせてればいい。

 いつの時代でも、どこの世界でもそんなもんだ。そして、そんなもんで済ませてやるのが、きっと今ここに俺がいる理由なのかもしれないな。

 

「……それで例え、生身の人間に刃や銃口を向けることになっても、か」

「……ぁ、あの……大丈夫、ですか……? 西條、先輩……?」

「ん……すまないな、こよみ。少しばかり考え事をしていた。カバー・ストーリーの確認は大丈夫か?」

 

 ぼそりと呟いた俺の表情は、相当暗いものだったのかもしれない。

 無理やりバイト時代に培った営業スマイルを形作って、こよみへとそう返すことで話を逸らす。

 質問に質問で返すなとか、疑問文に疑問文で解答したら赤点なのは重々承知だ。我ながらズルい手段を取っている。

 

「……だ、大丈夫……です……!」

「それは重畳。由希奈も大丈夫か?」

「はーい、大丈夫ですよー」

 

 カバー・ストーリーじゃ海外から来たって設定だが、俺は英語に限らず外国語が全くといっていいほどわからん。それこそ高校大学とテストも赤点常連だったくらいには。

 もしも外国語で話を振られたら、その言語が西條千早の脳に記憶されてることを祈るばかりだ。

 なに一つとして大丈夫じゃないが、とりあえずは頼れる先輩面を形作って、凛と胸を張る。

 

「それでは、行くとしよう」

 

 テロ組織「暁の空」がやってくるのは大体一週間後、なんの因果か短期留学の最終日という、ある意味ではちょうどいいタイミングだ。

 それまでは二度目のスクールライフでも謳歌しようか。偏差値が国内でもトップクラスな学校の授業についていける気はしないけどな。

 カバー・ストーリー上では、俺が高校三年生、由希奈が二年生、こよみが一年生ということになっている。実際の年齢はともかくとして、確かにそれっぽく見える配置だった。

 

 人見知りなこよみのことが心配といえば心配だが、定時連絡は必ず取る手筈になっているし、彼女だって魔法少女として、「M.A.G.I.A」でその手の教育は受けてきてるはずだ。

 それに、メタいこと言っちまえば、こよみは主人公なんだから原作じゃなんとかなってたんだ、問題はない。

 あるとすれば俺の方なんだろうな、と、溜息に代えて、やたらと豪奢でデカい校舎に一瞥を投げるのだった。




潜入、英知院学園


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学園ものの定番イベントってあるよね

 この手の潜入任務というか、学園に突如として編入された転校生が持ち前の能力を発揮して一目置かれる、って話は山ほどある。

 だが、俺たちに課せられた使命が「あまり目立たないこと」である以上、突然バク転やらハンドスプリングを披露したりだとか、性格の悪い教師から出された難問をすらすらと解答してみせたりとか、そういうのはご法度だ。

 いや、潜入任務なんだから当たり前だが。

 

 むしろ下手に目立って「暁の空」から警戒されて予定が狂う方が面倒くさい。

 ゲームは擦り切れるほどやり込んであるんだ、あいつらの襲撃スケジュールは完璧に抑えてある。

 だがそれを直接じゃなく、なんとか仄めかす形で由希奈とこよみに伝えられることができればいいんだが、これがまた難しいんだよな。

 

 そんなことを考えながら平々凡々とした留学生ですよ、という面を装って俺は、実に七年ぶりになるスクールライフを送っていた。

 西條千早の記憶が優秀だからなんだろうが、授業についていけないということもなく、現状、当てられれば答えが言えるぐらいの模範的生徒としてやっていけている。

 まあそもそも魔法少女の大半は「M.A.G.I.A」で高等教育を受けてきたエージェントみたいなもんで、西條千早もその例外じゃないってことだ。

 

 通ってる生徒の実家が太いって言葉じゃ済まされないぐらい太いもんだから、海外生活について根掘り葉掘り訊かれることもない。

 話を振られて困ったことといえば、海外に留学した経験がある生徒に外国での生活について「私もこうだったけど貴女は?」的なことを言われた時ぐらいだ。

 素直に、海外なんて現世でも前世でも一度も行ったことねえよ知るか、なんて答えられるはずはない。

 

 だが、存外ここで役立ったのが居酒屋でバイトしてた経験だ。

 酔っ払いがくだを巻いた時の戯言に付き合ってやるように、相手が「自分は海外でこうやって過ごしてきた」という、相手に聞いてほしいポイントに同意を示したり褒めたりしてやれば、案外どうにでもなる。

 つまるところ、そいつにとっての主題は俺の海外生活じゃなくて、自分がいかに素晴らしい経験を積んできたかという部分だからな。

 

 授業の合間にそんなやり取りを三回ぐらい繰り返して訪れた昼休み、俺は由希奈とこよみに合流する形で、学園内の中庭を訪れていた。

 噴水のオブジェとかよく整えられた芝生に置かれた綺麗なベンチとか、いかにも金持ち学校って風情の光景だ。

 ゲームでぐらいしかそんな学校見たことなかったが、そもそもここがゲームの世界だったな、そういえば。

 

「由希奈、こよみ、其方はどうだ?」

「ばっちりですよー、先輩。目立たない留学生装ってまーす」

「……わ、わたし、は……あんまり……」

 

 だろうな、と答えるのは憚られるが、こよみは慣れない学園生活と、恐らくはその端麗な容姿についてあれこれ訊かれたことだろう。

 西條千早も、由希奈も当然の権利のように美少女という言葉が似つかわしい顔つきをしているが、俺たちのそれが人間の範疇における「綺麗」なら、こよみの容姿はどこか妖精じみた、人間の範疇に収まらない「綺麗」さを持っている。

 おまけに仕草も小動物的で可愛らしいしな。慣れてないってだけで、特に誰かから目をつけられてるとかもない以上、任務の遂行に支障はない。

 

「見慣れればその手の話も減るだろう。此度の任務では、己の能力をひけらかすことをしないのがとにかく肝要だ」

「本当ならバク転からの宙返り捻りとかアクロバットやって生徒たちを驚かせてみたいもんですけどねー、せっかくの学園潜入任務なんですからー」

「小説の読みすぎだ」

 

 諫めるように言った俺の言葉に、えー、と由希奈は唇を尖らせる。

 また俺なんかやっちゃいましたか、じゃないんだよ。

 最初から規格外のチート能力を披露して「こいつは特別だ」と思わせるってのは実に王道なストーリーだし、異世界転生なんて経験をしたんだから、正直なところ、その気持ちもわからなくはないが。

 

「……わ、わたしは……あんまり目立たない方が、好きなんです、けど……」

「こよみちゃんは謙虚だねー」

 

 手にしていた野菜ジュースを一息に飲み干して、ストローを噛みながら由希奈が口にする。

 なんだかんだで不器用で運動が苦手そうな印象を抱くこよみも、「M.A.G.I.A」での訓練を積んできた魔法少女だ。

 その気になれば、妖精じみた美貌を持つ女の子が空中四回転を披露するというようなこともできる。本人の性格的に絶対人前ではやらないだろうが。

 

「海外生活を送ってきた生徒も珍しくない。カバー・ストーリー通りに対応はできているか?」

「そりゃもうばっちり、こっちがあんま喋んなくてもいい感じにヨイショしてあげれば満足してくれるんだからちょろいもんですよー」

 

 なるほど、由希奈も居酒屋式対処法を心得ていたか。

 なんだかんだで自分語りが大好きな人種は多いからな。

 金持ちとか資本家とかが書いてる自伝や啓発本なんかその至りだろう。それができたら苦労しねえんだよ。

 

「……わ、わたしは……あんまり、そういうことは訊かれなかった、です……」

「こよみちゃん可愛いもんねー、そっちで話題が持ちきりになるのもわかるわかる」

 

 銀髪赤目に気弱で泣き虫なトランジスタグラマー。

 学園のマドンナ、属性欲張りセットなこよみがその椅子に収まるのにそう時間はかかるまい。

 そんな女の子を曇らせて、過酷な運命を課させて愉悦に浸っていた開発陣はやっぱり人の心がないな。

 

 由希奈にむにー、っと、パン生地でも触るかのように頬っぺたを引っ張られたり捏ねられたりしているこよみはあうあうと困ったような悲鳴を上げて、視線で俺に助けを求めてくる。

 

「その辺りにしておけ、由希奈」

「はーい。しっかし敵さん、全然来る気配ないですねー」

 

 こよみの頬っぺたを捏ね回していた手を離して、肩を竦めながら由希奈がそう零す。

 そりゃそうだ、「暁の空」は留学生生活最終日を狙いすましたかのように襲撃をかけてくるんだから、初日じゃなにもイベントが起きないことは確定している。

 ゲームの中でならモノローグでカットされる時間であっても、俺たちはこの世界を生きているわけで、一週間後まで時間をスキップしますなんて真似はできない。

 

 つまりあと六日はこのスニーキング・ミッションが続くということだ。

 退屈だろうがなんだろうが、命がかかっている以上真剣にやっていくしかない。

 それに、原作じゃ「暁の空」に一杯食わされて、全校生徒を巻き込んだ銃撃戦に発展したが、その未来だけは阻止しなきゃならん。

 

「そうだな……ヤツらが、此方……魔法少女が動くと仮定している場合、狙い目になるのは最も意識が緩んだタイミングだ」

 

 考察という体で、二人になんとか未来に起きる出来事を伝えるなら今しかない。

 俺は由希奈の呟きに乗っかる形で、それとなく「暁の空」についての話題に二人を誘導する。

 

「……最も……意識が緩んだ、タイミング……ですか……?」

「肯定する。端的に言ってしまえば、襲撃のタイミングは最終日だと、此方は予測している」

「……なーるほど。結局なーんにも起きなかったなーって思ってるところを後ろからドーン、って感じですか」

 

 察しが早くて助かるよ。

 連中は小賢しいことにその他にも色々と策を仕込んで襲撃計画を立てているが、そっちに関しちゃ一つは俺が単騎で潰せる。

 原作じゃ学園を巻き込んだ銃撃戦に発展してしまった最大の理由は、単に人手が足りなかったからだ。

 

 俺という駒が、特級魔法少女が生きているなら、そして事前に起きることを知っているなら、惨劇を回避することはできるはずだと信じたい。

 

「肯定する。恐らく敵は『ヒトガタ』の力に頼みを置いて、真正面から乗り込んでくる可能性が高い。襲撃時刻までは予測できないが、いつでも正門まで行けるように準備は整えておくといい」

「はーい、それじゃ先輩を信じて最終日までアイツらが来るのを待ちますかねー」

「……此方の言葉はあくまでも予測だ。いつ仕掛けてくるか正確に把握しているわけではない。気を抜くなよ、由希奈、こよみ」

 

 そう、これは全て事が原作通りに進んでくれるなら、の話でしかない。

 俺が生きているというイレギュラー要素が、世界の強制力に対してどれぐらい働いているかは知りようがない以上、襲撃計画が前倒しされる可能性だってあり得る。

 できることは祈ることぐらいだ。チャートの最後にお祈りは必修科目だからな。

 

「……は、はい……っ、わたし、頑張ります……っ!」

「はーい、適度に警戒しつつ留学生やっときますよっ、と」

「うむ、頼りにしているぞ」

 

 大分温度差がある二人の意気込みを聞き届けた、俺は鷹揚に頷く。

 口調は軽く聞こえても、由希奈が魔法少女である限り、その言葉は信頼していいものだ。

 二人が真正面の対応に当たってくれるなら、俺がやるべきことは一つ。

 

 惨劇の回避のために、やつらが、「暁の空」が用意したシナリオをぶち壊す。

 ただ、それだけだった。




慌てず目立たず正確に


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当方に迎撃の用意アリ

 今まで勉強なんてろくにしてこなかったこともあって、授業を改まって聞くのはそこそこ新鮮な気持ちだった。

 ただ、体育の授業で持久走をやらされた時、息が上がってるのを装うのは若干面倒だったな。

 あくまでも俺たちは平々凡々……よりはレベルが高い留学生、でもその程度でしかないという演技をし続けなきゃいけない生活とも、いよいよ今日でおさらばということになる。

 

 あれから一週間、襲撃の当日を迎えた俺たちは、厳戒態勢で英知院学園の警護に当たっていた。

 襲撃のタイミングについては俺の「予測」を大佐にも共有していることで、学園の外には葉月とまゆ、そして動員された二級魔法少女たちが控えている。

 そして学園の内側には俺とこよみ、そして由希奈の三人がいつでも教室を飛び出して変身できる態勢を整えている状態だ。

 

 備えは万全、ここ六日間で「暁の空」による襲撃の前倒しがなかったことから、このイベントは原作通りに進んでいると仮定する。

 そして、俺たちはとうとう運命の時を迎えようとしていた。

 三限の途中、腕時計型のデバイスに「M.A.G.I.A」からの通信が入る。

 

 それを合図に、制服のポケットへと忍ばせていた通信機を左耳につけて、俺は花を摘みに行くと言い訳をして、教室を飛び出していた。

 

『西條千早、聞こえているか?』

「肯定する。此方に襲撃の兆しはまだないが」

『……現在、首都高速近辺の民家に放火と銃乱射事件が発生した。二級魔法少女を回して対応に当たらせているが……』

 

 大佐は忌々しげにそう吐き捨てる。

 だが、それも俺は知っていた。

 あいつらの作戦は三段構えで、まず首都高近辺でテロを起こして、動員された魔法少女の数を削ぐのと、交通路を破壊するのが第一の矢で、そして。

 

「……恐らくは陽動だろう。本命はあくまで英知院学園の方だと此方は推測する」

『騒ぎを大きくして、対応する魔法少女を減らす思惑か……その可能性は高いな。警戒を厳にして臨んでくれ』

「了解した」

 

 簡潔に答えを返して、通信を切る。

 そして、第二の矢として用意されてるのが、真正面からの襲撃だ。

 まゆと葉月という特記戦力に頭数を減らされることを前提に、十数台のトラックが学園の正門目掛けて突撃してくる悪夢のような光景が展開されるだけでも地獄だが、それだけで「暁の空」がぶち上げた計画は終わらない。

 

「ドレス・アップ!」

 

 なにも問題はないはずなのに、未だ少しばかり残っている罪悪感と共に女子トイレに駆け込んだ俺は、急いで魔法少女への変身を果たす。

 ここから先は、俺がいかにやれるかだ。

 もしも原作で西條千早が生きていたのなら、きっと、もっとスマートに敵の計画をぶっ壊していたのかもしれない。

 

 だが、今は俺が西條千早だ。

 西條千早が生きていたのなら、というもしもを体現したのが俺であるなら、その責任を負うのは当然俺自身ということになる。

 だから、やるしかないんだ。スマートじゃなかろうが力押しだろうが、今やるべきことはただ一つ、やつらの計画を滅茶苦茶にしてやる、それだけだ。

 

 光の繭の中で形成された、ゴスロリ調の魔法装衣を身に纏い、魔法少女への変身を果たした俺は、三階の女子トイレから即座に裏門へと飛び出していく。

 やつらが、「暁の空」が用意した三段構えの作戦、その最後に本命として投入してくるそれは、裏門からの強行突入だった。

 正面に戦力を展開させることで意識をそっちに向けさせている間に本命を送り込む。

 

 敵ながら、中々頭使ってやがる。

 厄介にも程がある作戦だ。

 原作では正面に回らざるを得なかったこよみが慌てて後方に戻るも、襲撃はとっくに始まっていた、という展開だったが、そうはさせない。

 

 裏門の方から、サイレンサーで抑えられているとはいえ、発砲音が確かに聞こえた。

 恐らくは警備員が撃たれたのだろう。

 生きていることを祈る他にないが、その可能性が絶望的であることを俺は知っている。

 

 もう少しスマートに動けていれば、あるいは撃たれた警備員も死なさずに済んだのかもしれない。

 こればかりは俺の力不足だ。だが、今は俯いている場合じゃない。

 一つの命が失われたことを悔やみつつも、俺はちょうど食品配達会社のトラックに偽装したテロリスト集団が乗り込んだ裏門前に着地していた。

 

「随分と好き勝手をしてくれたようだな」

「なッ……魔法少女だと!? 馬鹿な、なぜ我々の作戦を──」

「答える義務はない」

 

 コンテンダーの出番はないといったが、すまない、あれは嘘だった。

 現場指揮官と思しき、荷台に乗り込んでいる部下たちに指示を下そうとしていた覆面の運転手を、俺はフロントガラスごとぶち破るライフル弾の一撃でノックアウトする。

 荷台から慌てて飛び出してきた部下の数は、大体十五人前後ってところか。

 

「魔法少女が相手だぞ、どうすればいいんだ!?」

「隊長は……!?」

「いいからお前たち、『ゴーレム』の起動を済ませるんだ!」

 

 隊長を失った混乱の中でも、ある程度頭が回っているやつはいるらしい。

 その隊長だったら死ぬほど痛い思いをした上に遅効性の麻酔で昏倒済みだが、他にも冷静なやつがいて、おまけに「ゴーレム」が起動されるとなれば、それなりに面倒だ。

 ゴーレム。それこそが俺たち「M.A.G.I.A」が「ヒトガタ」と呼称していた自律兵器の正式名称で、裏門側には念のためってことで一機だけ配備されている代物だった。

 

「うおおおお、真の日本の解放のために!」

「死ね、魔法少女!」

「権力の走狗など、ゴーレムさえあれば恐るるに足らず!」

 

 荷台から飛び出てきたテロリスト集団が、アサルトライフルのトリガーに指をかけて俺を狙うものの、鉛弾の全ては魔力障壁に阻まれ、かんかん、と虚しく音を立てて地面に落ちていく。

 ゴーレムさえあれば余裕とは、随分舐められたもんだな。

 あれが通用するのはあくまでも二級魔法少女までだ。一級をすっ飛ばして俺たち特級に仕事が回ってきたのは、お上の逆鱗に触れたのと、首都の防衛体制を維持するためでしかない。

 

「……『雷電鈍鎚』!」

『ぐ、あああああああっ!!!』

 

 銃弾が雨霰のように飛んでくる中を悠然と進んで、俺はテロリストたちが全員射程内に入ったことを確認し、魔法を詠唱する。

 生かさず殺さずが本部からのオーダーだ。

 今放った雷はまともに食らっても精々気絶程度で済むように魔力を調整してある。

 

 まとめて倒した十五人と昏倒している運転手は縄で縛ればいいとして、問題は恐らくもう起動しているゴーレムの方だろう。

 トラックごと爆破してしまおうかと、一瞬そんな考えが脳裏をよぎったが、周辺に被害が及びかねない以上、その選択はなしだ。

 なら、タイマンを張るしかない。

 

 トラックの荷台を突き破って立ち上がったゴーレムに、俺は魔法征装「雷切」の切っ先を突きつける。

 

「宣言しよう、其方は一手で詰む」

『タイショウヲニンシキ、マリョクハンノウヲカクニン……センメツニイコウスル』

「……させるものか! 『紫電瞬閃』!」

 

 ゴーレムが両腕に装填している魔力弾を撃ち放つよりも早く、俺は鞘に収めた「雷切」に魔力をチャージして、それを一息に解き放った。

 白刃が横一文字に振り抜かれ、雷撃と共に斬撃がゴーレムの身体を、特殊合金製のそれを真っ二つに斬り裂いて、上半身と下半身を泣き別れさせる。

 この前はよくも仲間の命を奪ってくれたなこの野郎、と機械に言ったところで無駄なら、スクラップにしてやるだけだ。

 

 とはいえ「M.A.G.I.A」の上層部もこいつに関するデータは喉から手が出るほど欲しがっているだろうから、原型はある程度留めた状態で残しておく。

 お礼参りをするなら正門側にもゴーレムが配備されてるだろうからな。鬱憤晴らしはそっちでやればいい。

 魔力で形成した縄でテロリスト共をふん縛って、壊れたトラックの荷台に放り込むと、俺はその足で正門へと疾駆する。

 

 恐らくはこよみと由希奈、そして外に控えていたまゆと葉月が対処に当たっているのだろう。

 銃撃の音と爆発音、そして生徒たちのものと思しき悲鳴が、正門側からは断続的に聞こえてくる。

 さっさとこよみたちと合流して、そっちも片付けてしまわないとな。




出番があったコンテンダーくん


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今に見ていろ、全滅だ

 裏門のテロリスト共を鎮圧するのに大した時間はかからなかったものの、正門から銃撃の音が聞こえてきたってことは、もう始まってるんだろう。

 通信機を起動、俺は正門近くで戦っているのであろう由希奈に状況確認のための連絡を取る。

 

「此方西條だ。聞こえているか、由希奈」

『聞こえてますよー! てかどこで油売ってるんですか?』

「念のためにと回ってみたら裏門に伏兵がいたのでな、その鎮圧をしていた」

 

 本当のことは言っちゃいないが、事実は確かに言っている。

 嘘をつく時のコツはある程度の真実を混ぜ込むことだとか、どこかの誰かが言ってたが、全くもってその通りだ。

 真相はともかく、物証は残してあるから、これで疑われるようならあとで見てもらえばいい。

 

『裏門って……まあ了解です、とりあえず早くこっち来てくださいよ、先輩!』

「承知した」

 

 百パーセント腑に落ちたって声色じゃなかったが、とりあえずは西條千早の行動だから見逃してもらったってところだろうか。

 言われた通り、俺も急がなきゃな。

 銃撃戦で由希奈たちが負傷する心配は皆無に等しいとしても、正門付近にはゴーレムが十機ほど配備されている。

 

 原作じゃ、裏門からの突入部隊が出現するまでは、こよみと由希奈がテロリストとゴーレム、その両方をハンドガンで相手しなきゃいけないとかいう展開だったが、そうはさせない。

 ゴーレムの装甲は銃弾程度じゃ傷つかないってのに、支給された非殺傷性の弾しか撃つものがない拳銃でそんなの十機と戦えとか、その時点でクソゲーが極まってたのを思い出す。

 だが、本命はその後に待ち受けている生徒たちを巻き込んでの銃撃戦だ。

 

 無惨に死んでいく生徒たちをただ見ていることしかできず、その犯人はどんなに憎かろうと非殺傷性の弾丸で撃つことしかできないこよみ。

 そんな凄惨極まる光景を自分たちの失態で見せつけられることになった彼女の心には、深く暗い影が落ちるってのが、このスニーキング・ミッションにおける筋書きだった。

 やっぱり製作陣には人の心が未実装なんだろう。あの鬼畜生どもめ、とにかくヒロインを曇らすことに余念がねえ。

 

 ただし、今回ばかりはそうはさせない。させてたまるものか。

 胸の中で呟いた俺は一息に跳躍して、魔力を推進剤代わりに空を飛ぶ。

 わざわざ正門まで回り道をするぐらいなら、校舎を飛び越えてしまった方が早い。

 

 幸い、認識阻害が働いている都合、空を飛んでいるところを見られても、それが西條千早と同一人物だとは思われないはずだ。

 多分の話だけどな。もしも勘付いたやつがいれば、政府と公安からの監視対象になることは約束されてるだろうから、いないことを祈る。

 前世の俺みたいに未来を無駄にするんじゃないぞ、学生諸君。

 

 なんていったところで、ここに通ってるやつらは、一流大学を経由して大手コンサルやらゼネコンやら広告会社、果ては役人や政治家への就職は決まってるようなもんだから、釈迦に説法か。

 校舎を飛び越えて校庭を俯瞰してみれば、そこにはスクラップになって炎上しているトラックと、そこから起動したゴーレムを相手に戦っている由希奈とこよみの姿があった。

 葉月とまゆも合流したようで、何十人単位で押しかけてきたテロリスト共は、蹂躙されるかのように次々と昏倒していく。

 

「……これ、俺いるか?」

 

 戦いの趨勢は当然のように魔法少女側が握っている状態だ。

 数は揃えてあったとしても、ゴーレム程度じゃ焼け石に水、銃弾は魔力障壁に阻まれて届かない。

 当たり前といえば当たり前すぎる。原作じゃ不意打ちには成功したかもしれないが、その目論見はご破算になった上で、特級魔法少女を相手取らなきゃいけなくなったのだから。

 

「……まあ、ほっとく理由もないし、お礼参りの一つぐらいしておくべきだよな」

 

 とはいえ、そこで敵に情けをかける理由の方も皆無で、同情の余地もないなら、オーバーキルだろうがなんだろうが徹底的に叩いておくべきだ。

 例え連中が本当にこの国の行く末を、未来を案じて立ち上がったとしても、どれだけ高潔な志とやらを持っていたとしても、暴力に訴えかけた時点で論じるに値しない。

 その上子供を標的にした無差別殺戮なんて手段に踏み切ったんだ、民家への放火や銃乱射の余罪も含めて、あいつらは憂国の士でもなんでもない。ただの外道の集まりだ。

 

「な、なんだ……!? 今頃騒ぎが起きてるんじゃないのかよ!?」

「突入部隊はどうなってる!?」

「ダメです、連絡取れません!」

 

 そんなわけで今のところご自慢のゴーレムは葉月のソードメイスに粉砕され、銃の撃ち合いでは由希奈とこよみに圧倒され、おまけとばかりに相手を昏倒させる魔力を注ぎ込んだまゆの「ナルコシス・シリンジ」で夢の世界にご案内されている連中だが、万が一にも、一人でも逃すまいと、俺もまた戦線に飛び入り参上する。

 雷の魔力を活性化させ、身体を保護する力場と弾き出す斥力の両方に応用、空中から一気に最前線へと降り立つ。

 腰のホルスターからコンテンダーを抜き放って覆面野郎の腹に突きつけるまでおよそ二秒足らずといったところか。

 

「さて、其方が指揮官か」

「ひッ……お、俺はただ……そ、そうだ! 上に言われただけなんだ、ただ金払いのいい仕事があるって、だから──」

「目を開けて寝言を話すとは斬新だな」

「隊長ッ!?」

 

 残念だが、上に言われようが下からせっつかれようが、もうアウトなんだよ。

 遠慮なく、ほぼゼロ距離でコンテンダーの引き金を引いたわけだが、非殺傷性の弾とはいえ至近距離でライフル弾の直撃を、隊長と呼ばれていた覆面野郎は土手っ腹に喰らった形になる。

 一瞬大丈夫かと思ったが、まあ防弾ベスト着てるみたいだし、死にはしないだろう。死ぬほど痛いだろうけどな。

 

「た、隊長ーッ! おのれ魔法少女、腐敗した権力の走狗め! 全員構えろ、あいつから粛清するんだ!」

 

 ふむ、なるほど。

 銃弾を魔力障壁で跳ね返しながら、俺は一つ、察したことを頭の中で捏ねくり回す。

 動機はアホそのものだが、こいつらは素人じゃない。

 

 三段構えの作戦を立ててきたからとか、そういうことじゃない。

 ただ単純に、無軌道なテロリストにしては統制が取れていて、今もこうして指揮系統の引き継ぎがスムーズに行われているのがその証だろう。

 なにより決定的なのは、銃の扱い方だ。構えや狙いに躊躇いがなく、精度も高い。

 

 素人じゃあ、こうはいかない。

 俺も実銃を撃った経験は今世が初めてで、それも西條千早の能力アシストあっての話だが──とにかく、銃ってのは素人が思うよりも狙いが定めづらいものなのだ。

 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるなんていうが、それも、使い方を知っているプロが扱う前提の話だ。素人がいくら撃ったところで、まぐれ当たりが精々だろう。

 

 銃を持っただけで相手を仕留められるんなら、それこそFPSのように、ヘッドショットをズブの素人ができるんなら、軍隊は必死こいて射撃練習なんかしてないし、アサルトライフルも必要ない。

 素人が民間人に向けて無茶苦茶にぶっ放すタイプの銃乱射についてはこの際置いておくとして、重要なのは、こいつらが銃の扱いに慣れてるってことだ。

 ただのアマチュアが武器を持った犯行じゃないってことは、この問題は相当根深い。

 

 こいつら「暁の空」については設定資料集にも断片的で曖昧な記載しかなかったのも厄介だ。

 裏で糸を引いている黒幕の存在は示唆されてこそいたが、結局本編には最後まで登場しなかったしな。

 本編の状況がそれどころじゃなかったってのもあるが、ファンサービスとして出された設定資料集にすらぼかされたような記述しかされてない辺りが、なんかどうも引っかかる。

 

「……『雷電鈍鎚』!」

「ぐ、ぐああああっ! く、クソが……ッ……」

 

 だが、今はこいつらの始末が最優先事項だ。

 至近弾なら、と踏んだのか、射程内に全員が勝手に収まってくれたこともあって、テロリスト共を無力化するのは簡単だった。

 範囲魔法持ちを警戒しなかったのは迂闊だが、警戒したところでどうにかなるもんでもないから、大方破れかぶれにでもなったんだろうよ。

 

 こと対人戦に関して、西條千早は特化してるってわけじゃないが、元々なんでもそつなくこなせるオールラウンダーだ。

 雷に打たれて気絶した連中を横目に、俺は一応「雷切」の柄に手をかけて、残ったテロリストとゴーレムを視界に収める。

 指揮官を失って、引き継いだやつもノックアウトされたことで怖気付いたのだろう。

 

「ちっ……撤退、撤退だ! 逃げ──がっ!?」

「悪いけど、逃すつもりなんかないですからねー」

「……学校の皆を狙うなんて……許し、ません……!」

 

 諦めたテロリストは逃走の構えに入っていたが、全員が全員、由希奈とこよみに非殺傷性弾で撃ち抜かれていた。

 

「これで終わり? 歯応えないわね!」

 

 ゴーレムに関しても、残ってた個体が撃ち放つ魔力弾を全て回避しながら、ソードメイスを叩きつけた葉月に粉砕されている。

 

「ひ、ひぃーっ! 助けてくれ、殺さないでくれ!」

「そんなつもりはありませんよぉ……ただちょっとだけ、夢の世界にお出かけしてもらうだけですからぁ」

 

 そして最後のテロリストにまゆが「ナルコシス・シリンジ」をぶっ刺して昏倒させたことを確認、俺は「雷切」の柄から手を離す。

 まあ、なんだ。

 無血での完全勝利、事後処理は関係機関にぶん投げるとして、とりあえずはミッションコンプリートってところだった。




テロリストという理由だけで十分だ!


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謎めく調査結果

 テロリスト共の処分に関しては司法の裁きに委ねるとして、今回の一件についての調査結果は当然のように回ってくる。

 あれから大体一週間、留学生の身分から解き放たれた俺たちは、今日も元気に開店休業状態な「間木屋」を臨時休業して、ミーティングに勤しんでいた。

 

「まず今回の作戦について、よくやってくれた。我々が『ヒトガタ』と呼んでいた敵の自律兵器……『ゴーレム』についてのデータがほぼ完全な形で得られたのは大きい」

 

 スクリーンに解析したデータを表示しながら大佐は言う。

 俺たちだからなんとかなったとはいえ、あれが短期間で量産化されていたのは相当な脅威だと「M.A.G.I.A」は判断したようで、俺が斬り捨てた残骸を血眼になって分析していたらしい。

 まあ、それも頷ける。

 二級魔法少女がようやく対抗できるような存在が短期間で十機近くも湧いて出てきたんだから、対処に当たれる魔法少女が多くはないことも含めて、あんなもんを短期間に量産されたら厄介じゃ済まない。

 

 ただ、今のところその心配はないのが幸いといえば幸いだ。

 ゴーレムの脅威は生産性もだが、なにより魔力弾を撃てることであって、弾自体の供給がなければ、対魔法少女という意味では脅威足りえない。

 その弾がどうやって供給されてるのかがわからないのは面倒だが、少なくとも原作じゃゴーレム軍団が街を練り歩くなんてイベントはなかった都合、仏作って魂入れずってわけじゃないが実戦配備には結構な時間がかかる──つまり、今回の件にやつらは後先考えず全力投球してきたと見ていいだろう。

 

「見ての通り、ゴーレムは極めて先進的な技術で作られている」

 

 大佐はプロジェクターが映し出す分析結果を指示棒で示しながら、画面を拡大する。

 装甲材の合金や、制御ユニットのAI、ゴーレムの心臓となるバッテリー。

 この三つが特に兵器としては革新的だと大佐が付け加えた通り、合金は軽さと強度を両立し、AIとバッテリーは、性能と稼働時間を両立させながらこのサイズまで小型化していることそのものが驚異的だ。

 

「つまり……どういうこと、ですかぁ?」

「敵は……『暁の空』はただの憂国運動崩れな連中じゃないってことだよ、南里まゆ」

「肯定する。ヤツらがここまで高水準な技術を有している以上、ただの反体制運動家と見做すのは危険だと此方は提言する」

 

 大佐の言葉に乗っかる形で、俺は言った。

 トラック十数台に乗り込んだ訓練された連中と、それに行き渡る武器を準備できて、かつゴーレムまで用意しているとくれば、アホの集まりの一言で切り捨てるのは危険すぎる。

 構成員の規模がわからんのも厄介だ。

 

 英知院学園襲撃を阻止した時には、相当な人数がお縄につくことになったが、懲りることなく「骸王」は動画サイトに今後とも活動を続けていくという趣旨の演説を投稿していた以上、痛手は負ったとしても、構成員はまだまだ残ってると見ていいだろう。

 生憎、設定資料集にも載ってなかったから、俺は「暁の空」が有する戦力の総数がわからん。

 だが、こういう時はなにかしらのデータを持っている人間に訊くのが一番手っ取り早いと相場が決まっている。

 

 続きを促すように、俺は大佐へと視線を向けて片目を瞑った。

 

「その通りだ、西條千早。ひっ捕らえた連中の素性を洗った結果だが、傭兵崩れにマフィア崩れから他国のテロリスト崩れまで、実に様々だったよ」

「……なるほど、つまり」

「あの『骸王』とやらはともかくとして、『暁の空』そのものは何者かに利用されている……いや、乗っ取られている可能性が非常に高い」

 

 大佐が推測した通り、「暁の空」を操る黒幕の存在があるのは知っていたが、まさかここまで反社会的勢力のオールスターズみたいなことになってるとは思いもしなかった。

 それに、さらっと流しそうになったというか流してたが、そもそも「魔法少女が国の管理下にある存在」だということを知っている時点で、少なくとも、「短期留学の最終日」に襲ってきた時点で勘付くべきだったのだ。

 こいつらは、ただのアホが舞い上がってはしゃいでいるだけの存在じゃないと。

 

 いやまあ、神輿に担がれてる「骸王」は十中八九舞い上がってるだけのアホだろうが、神輿は軽けりゃ軽いほどいいっていうしな。

 

「だが、朗報があるとするなら、ゴーレムは確かに魔力弾を撃てるかもしれないが、魔力障壁の展開まではできないということだ」

 

 つまりは、通常の装備で対抗できる。

 大佐が言った通り、魔法少女殺しともいえる兵器たるゴーレムに弱点と呼べるものがあるとするなら、その一点だった。

 先進的な合金を使っちゃいるものの、自衛隊の装備でその装甲を貫けるかどうかの試射実験に関しては「可能」というデータがスクリーンには示されているし、今後「暁の空」や関連組織に対しての警戒は、主に防衛省や公安の管轄へと移っていくことだろう。

 

「つまり、アタシたちは通常任務に復帰するってことでいいんですか?」

「そういうことだよ、東雲葉月。今後とも連中の動きについては関係各所と連携をとって監視していく必要はあるが、諸君らの任務については臨界獣への警戒、対処が主になってくるだろう」

 

 今のところ、その選択は間違っていない。

 だが、今後想定される最悪の事態は、「敵に魔力弾を量産化されること」だ。

 ゴーレムしか運用できなかったそれが、「M.A.G.I.A」が有する魔術兵装のように、一般の構成員でも扱える水準までダウングレードされれば、「暁の空」は魔法少女狩りの組織として本格的に動き出すことになるだろう。

 

 だが、なんのために。なんのために、あいつらは魔法少女を狩るんだ?

 そこがただ引っかかる。

 原作じゃあそれどころじゃなくなってメインシナリオからは段々フェードアウトしていった「暁の空」だが、この世界が続いていく以上、エンディングのあとにスタッフロールが流れて「おわり」で済まない以上、俺たちは常にこの脅威と対峙し続けなければならない。

 

 せっかく万札を数枚叩いて買った設定資料集なんだから、そういう細部まで書いててくれねえもんかな。

 そもそもクソゲーの設定資料集に万札数枚って時点で強気すぎる値段設定なんだからよ。

 やっぱりあいつら、このクソゲーの続編出すつもり満々だったんじゃなかろうな。いよいよもってその疑惑は確信に変わっていく。

 

「先輩、どうしたんですかー? 急に黙り込んじゃって」

「……此方としても『暁の空』の真の目的が見えてこなくてな、不気味に思っていたところだ」

 

 真の日本の解放とかいうふわふわしたスローガンの裏に隠された真意は、黒幕の目的は一体なんなのか。

 今までは原作を知っていたからこそ、先立って動くことができていたが、それが通用しなくなってくれば、なにが破滅フラグに繋がるかわかったもんじゃない。

 冗談じゃない、俺は死にたくもなければ、誰にも死んでほしくもないんだ。

 

「……そーですね、私もそれはちょい怖いなって思ってましたよ」

「……そうか。ならば尚更生き急ぐなよ、由希奈」

「わかってますってばー」

 

 由希奈は俺の言葉に、悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。

 本人がどこまでわかってるのかは知りようもないが、頭の片隅にでも留めてくれているなら幸いだ。

 できることなら、俺は常に開店休業状態な国営メイド喫茶の店員として、だらだらとした日々を送りたい。誰も死ななくて済む、誰も傷つかなくて済む道を歩みたい。

 

 だけどそんなもんはこのクソゲーの世界には存在しちゃいないんだということは、嫌でもわかっている。

 それにここがゲームの世界であったとしても、画面越しに見ていた時と違って、由希奈も、こよみも、大佐も、葉月も、まゆも、そして俺も──世界の一員として、生きているんだ。

 誰にも死んでほしくない、そして死にたくないということを望むなら、その望みを抱くなら、歩む道はきっと茨で覆われている。

 

 だとしても、やるしかないんだ。

 使えるものは全部使う、できることはなんでもやる。

 それがきっと、なんの価値もない人生を歩んできた「俺」が、「西條千早」に転生した理由なんだろうから。

 

「……そ、その……ぁ、あの……西條、先輩……」

「……どうした、こよみ?」

「……その……気に障ったら、ごめんなさい……でも、い、今の……西條先輩……すごく、怖い顔……してて……」

 

 そんなことを考えていた俺の表情は相当険しいものになっていたらしい。

 こよみは、怯えたようにぷるぷると身体を震わせていた。

 うーん、考え込んでいたとはいえ悪いことをしたな。あんまり気を張りすぎるのも考えものだ。

 

「……すまないな。今日の此方は少しばかり考えすぎていたようだ」

「……西條、先輩……」

「……ありがとう、こよみ。一人で考え込んだところで、なにかがわかるわけでもない。此方の悪い癖だな」

 

 助けが必要な時は、其方にも頼らせてもらうさ。

 そう告げて、俺はこよみの銀髪をそっと撫でた。銀糸を織り込んで作ったようなふわふわとした感触が心地よい。

 

「……はい……わ、わたしも……困った時は、西條先輩を、頼りますから……お互い様、ですね……!」

「……ふ、ははは……そうか、そうだな。お互い様だ」

 

 柔らかくはにかんだこよみの笑顔に絆されながら、俺は彼女の口から飛び出してきた、思いもよらない言葉にただ感心していた。

 そうだよな、お互い様だ。

 助け合う。自分で言ってたことなのに、それを忘れてるんだから仕方ないな。

 

「……ありがとう、こよみ」

 

 感謝の言葉は、口にしないと伝わらない。

 だから俺は、きっちりとこよみの赤い瞳を覗き込みながらはっきりと声に出す。

 そんな、大事なことを思い出させてくれたこよみに感謝をしつつ、俺はミーティングの続きに臨むのだった。




例えるなら元は偽マフティーが本物マフティーやってるような組織


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人の心はそこになければないですね

 通常任務に復帰した俺たちは、いつも通り閑古鳥が鳴いている「間木屋」の店員として、今日も来る気配のない客を待ち続けていた。

 鍵開け担当がなにかと不器用なこよみだったから若干心配だったものの、概ね元気にモップ掛けをしているし、それも杞憂で済んだおかげで本格的にやることがない。

 無心でソシャゲをハムスターしてる由希奈を一瞥するが、周回ハムスターできるほど熱中してるんだ、気付くはずもないよな。

 

「アンタね、いくら客が来ないからって業務時間中に堂々とソシャゲやってんじゃないわよ」

 

 そんな現状に業を煮やしたのか、今日はまゆと一緒に冷蔵庫の整理やら食品のチェックをやっていた葉月が唇を尖らせた。

 なんというか、気持ちはわかる。

 俺だって前世じゃそこそこ真面目にバイトしてたってのに、後輩がトイレ休憩の名目で四六時中ソシャゲを触ってたのに、思うところがなかったわけじゃない。

 

「んー、お客さんなんて政府の関係者といつもの人以外滅多に来ないしー? 葉月もやればいいじゃん」

「万が一ってこともあるでしょうが!」

 

 怒鳴りつける葉月も、客入りが絶望的だということはわかりきっているようだった。

 拝啓国民の皆様、俺たちは万が一でしか客が入ってこないようなメイド喫茶を税金で運営しています。

 いや本当にこれバレたら暴動ものだぞ。ただでさえ「暁の空」って厄介な連中がのさばってるってのに、それに感化、共鳴されたら最悪もいいところだ。

 

「それに秘密兵器! アンタいつまでモップ掛けやってんのよ! テーブルの清掃とか、他にもやること山ほどあるでしょ!」

「……ぇ、ぁ……は、はい……ご、ごめん、なさい……」

 

 とばっちりで怒りの矛先がこよみに向いたのは不憫としかいいようがない。

 元からいがみ合っている、というか葉月がこよみに一方的な因縁をつけている都合、こういうこともままあることなんだが、俺が仲裁に入らなくてもなんとかならんものか。

 人間は大なり小なり、「自分にできることは他人もできて当然」と思い込んでいる節があるが、葉月はその傾向が特に強いのと、あとは。

 

「やめておけ、葉月」

「でも、先輩……!」

「前にも言った通り、いらぬ軋轢は作戦に支障をきたす。其方が仕事熱心なのは素晴らしいことだ、だが他人には他人のペースがある」

 

 堂々とサボってる由希奈に関しては自業自得もいいところだとしても、こよみは作業が遅いってだけで他に落ち度はない。

 ムカついてる最中にムカつくことが重なれば、堪忍袋の尾が切れるのもやむなしとはいえ、八つ当たりは流石にみっともないぞ。

 そんな具合で、今日も俺が仲裁に入ってなんとか場を収めたまではいい。

 

 ただ、葉月とこよみの仲に関しては西條千早が生きている、という事実が今のところはマイナスに働いてるんだよな。

 原作だと西條千早が脱落した穴を埋める形で、こよみと葉月が共同戦線を組むことも増えて、その中で絆を深めていくってのが筋書きなんだが、生憎この世界では俺が生きている。

 どうしたもんかね。そこに関してもだが、未来に関しての懸案事項はまだまだ山積みだ。

 

 せめて世界の修正力が二人の関係にも働いてくれればいいもんだが、そう都合よく事が運んじゃあくれないってのはわかっている。

 上手いこと和解フラグをなんとか成立させるには、葉月がこよみを見直すことが鍵になるんだが、どうにかそういうイベントを起こさないものか。

 薄らぼんやりとそんなことを考えている間に、スマートフォンが振動し、マナーモードを貫通した合成音声が、特種非常事態宣言を告げる。

 

『特種非常事態宣言が発令されました、繰り返します、特種非常事態宣言が発令されました。付近の住民の皆様は、ただちに最寄りのシェルターまで避難してください』

 

 泣きっ面に蜂といわんばかりだ。

 俺たちはグラスを乾拭きしていた大佐に視線を向けて、出撃許可を求める。

 

「聞いての通りだ、諸君。ただちに現場へ急行し、臨界獣を鎮圧せよ」

『了解!』

 

 許可が下りると同時に、鍵開け兼店閉め担当だったこよみを除いて、俺たちは更衣室へと走り出す。

 特種非常事態宣言が発令された地点はスマートフォンに表示されている。今回、界震によって「穴」が開いたのは最悪なことに市街地のど真ん中だ。

 一級魔法少女と自衛隊が初動の対処に当たっているようだが、死人が出るのはどうやったって避けられない。

 

 原作を知ってるなら、臨界獣についても先回りして潰せばいいって話かもしれないが、基本的に魔法少女は政府や関連機関の承認がなければ動くことはできないようになっている。

 勝手に単独行動してその場を収めたとしても、その結果数ヶ月単位で懲罰房行き、「凍結処分」が下されればもっと最悪だ。

 一度「凍結処分」が下されれば、政府が「本当に必要だと判断した時」以外は強制的な冷凍睡眠によって常に動けない状態にされてしまう。懲罰房送りなんかこれに比べりゃ可愛いもんだよな。

 

 英知院学園の時、俺が自由に動けていたのは、あの場における作戦の裁量が魔法少女側に与えられていたからに過ぎない。

 だから、基本的に魔法少女による対処は後手後手に回らざるを得ないのだ。世知辛い限りだね。

 店閉めをやっていたこよみも合流し、制服に着替えた俺たちは、一路地下カタパルトに向けて走り出す。

 

『聞こえているか、諸君!?』

「肯定する、なにかあったのか」

 

 藪から棒に、左耳に着けた通信機から、珍しく焦ったような大佐の声が響き渡った。

 もう少しボリューム抑えてくれると助かるんだが、そうも言ってられない状況ってことなんだろう。

 なぜなら、今回戦わなくちゃいけない臨界獣は。

 

『初動対処に当たっていた一級魔法少女が重傷を負ったとの報告が入った、諸君らも警戒を厳にして戦いに臨んでくれ!』

 

 一級魔法少女といえば、俺たち特級には及ばないとしても極めて強力な魔法征装を持っていたり、魔力を行使することができる存在だ。

 それが重傷を負わされたということは、単純に、相手が持つ攻撃手段が一級魔法少女の魔力障壁を打ち破ったということに他ならない。

 ゴーレムの時もそうだが、魔法少女の肉体は魔力によって強化こそされているものの、防御は基本的に魔力障壁に頼り切りだ。

 

 逆にいえば、魔法少女が人知を超えた臨界獣と戦えるのは、魔力障壁があるからということでもある。

 それを突き破れるような敵と戦わなきゃならなくなった場合は、特級だろうが三級だろうが一発でも攻撃をもらえば死ぬ、という覚悟で戦いに臨むしかない。

 クソゲーかな? クソゲーだったわ。

 

「聞いての通りだ、此度の敵は此方の魔力障壁を打ち破れるという前提で戦うべきだと提言する」

「先輩、それって……」

「攻撃を一度でも食らえば此方も命の保証はない、ということだ。今まで以上に敵の動きを見て戦う必要がある」

 

 一応というかなんというか、俺はそのギミックや行動パターンを把握しているからなんとかなる……と見るのは甘い。

 だが、今回の臨界獣がどんな存在で、どういう攻撃をしてくるのかを知っているというアドバンテージはあるのだ。

 つまり、最も危険な前衛担当こそが、俺の役目ということになる。

 

「心配せずともいい。此方が前衛を引き受ける……其方は援護に当たってくれ。必ずヤツは此方が討つ」

 

 頼れる先輩としての笑顔を形作って、俺は四人の魔法少女たちにそう断言した。

 こんなことを言っといてなんだが、正直な話マジで怖い。

 ピグサージと戦った時もそうだが、知っているからといって、わかっているからといって、何度でもコンティニューできるゲームじゃない以上、一度死ねばそれっきりだ。

 

 それでも、やるしかないんだよ。俺は決意と共に、カタパルトへ足を乗せる。

 原作じゃ葉月が前衛担当をやって、こよみと由希奈、そしてまゆの三人で後方支援を固めるという体制を取っていたこの初見殺しもいいところな戦いは、一つの分岐点だ。

 もたついてると前衛担当の葉月が死ぬ。かといって、畳み掛けるために突撃しすぎるとこよみが死ぬ。

 

 主人公たるこよみが死ねばゲームオーバーだが、葉月が死んでも物語はよりハードモードになって続いていく辺り、製作者の悪意が透けて見えるイベントだ。

 やっぱり連中には人の心がないんだろう。

 そんなクソイベに屈してたまるか。初見じゃ辛酸を舐めさせられたが、こちとら救いを求めて死んだ目でこのクソゲーをハムスターしてきたんだぞ。

 

 闘志と開発陣への恨みを燃やして、俺は「ドレス・アップ」の解号を唱える。

 戦いの火蓋は、切られた。

 カタパルトから蒼穹へと射出される最中で、俺は恐怖を振り払うように、きつく拳を固めていた。




ハムスター「誠に遺憾である」


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バリアに対してバリア無効とかやってくるのはやめろ

 前世でそれなりにやり込んでいたソシャゲじゃ、こっちがバフを盛り盛りにして殴るもんだからそれが嫌だったのか、そのバフを全部引き剥がすタイプのボスが連続して出てきた、なんてことがあった。

 当然、ユーザーからは簡悔精神だのオワコンだのといった反発が出てくるわけで、それをなんとか鎮静化しようとお出ししてきたものが「バフを剥がす技を無効化する技」だったことを思い出す。

 小学生の喧嘩じゃねえんだぞ、と、あの時は心底そう思ったもんだが、慣れたのかいつの間にかその手の批判は狙い通りに鎮静化していったな。

 

 そんな事情はともかくとしても、今回俺たちが戦わなくちゃいけない臨界獣は魔力障壁を貫通してくる、いわゆるバリア無効持ちの相手だ。

 魔力で強化されてるとはいえ、基本はか弱い乙女の身体を護るバリアを突き破る攻撃持ってるとか、性格悪いにもほどがある。

 臨界獣グラトネイル。「M.A.G.I.A」によってそう呼称されることになったこの個体が持つバリア無効ギミックの絡繰はこうだ。

 

 特殊な振動波を爪から発生させることで、魔力同士の結合を阻害して、魔力障壁そのものを無効化する。

 そんなもん初見で気付けって方が無理な話だ。行動をよく観察すれば、魔力障壁を無効化する攻撃は爪によるものだけだと攻略本には書いてあったが、焼け石に水だ。

 なにせその爪による攻撃パターンが大部分を占めてるんだ、実質防御は捨てて諦めろってことだからな。

 

 いろんな意味で聖地と呼ばれる秋葉原、その歩行者天国のど真ん中に降り立った臨界獣は、ぎりぎり人型と呼べなくもないが、その両腕が怪獣のように肥大化しているという異形のフォルムをしていた。

 デカさは大体十メートルぐらいか。

 無軌道に光線を口から吐き出したり、初見殺しの爪を振り回しているせいで、ビルは倒れ、車は踏み潰され、人が蒸発してと、休日なのも相まって大惨事だ。

 

 ゲームの中じゃ、ちょっとした描写とテキストが挟まれるだけで、名もなき人々の死はさらっと流される。

 だが、確かにこの世界じゃ名前も知らなかろうが、会って話したこともなかろうが、誰もが生きているんだよ。

 それを示すかのように、ビルが壊れたことで降ってきた瓦礫の下敷きになっている、名前も知らない誰かが、歩行者天国に降り立った俺に呼びかけてくる。

 

「……あ、あ……魔法、少女……」

「……肯定する。此方は魔法少女だ」

「……あいつ、を……倒して……」

 

 それが、話しかけてきた誰かの、名前も知らない女性の末期の言葉だった。

 明らかに一人分じゃない血溜まりから察するに、家族や恋人ないし、大事な人間が瓦礫の下敷きになってしまったのかもしれない。

 伸ばした手が、がくり、と力を失って崩れ落ちる。

 

 ああ、そうだ。

 そうだ、皆この世界で生きてるんだよ、生きてたんだよ。

 地面に落ちた血塗れの手を取れば、体温がそこから失われていく生々しい「死」の感触が伝わってきた。

 

 理不尽に命を奪われる誰かがいる。

 設定上は最強の力を持っている俺がいる。

 そんな力を持っていても、誰一人死なせることのない未来を掴むことができないのが、ただ歯痒くて、悔しくて仕方がない。

 

 この世界を、ゲームの世界だと思って俯瞰していた節はあった。

 死にたくなければ死なせたくないと嘯きながら、この世界に生きている名前も知らない人々のことについては頭から抜け落ちていたところが、確かに俺にはあったのだ。

 認めよう。俺は──弱い。

 

 こうして静かに目を伏せて祈りを捧げている間にも、女性の手はどんどん冷たくなっていく。

 例え祈りが届く場所があるかどうかわからないとしても、願うことが無意味だとしても、そうせずにはいられなかった。それしか、できることなどなかったから。

 そんな俺を嘲笑うかのように、臨界獣グラトネイルは不快な声を上げて、我が物顔で歩行者天国を蹂躙していく。

 

『Gullllll……Booooo……!』

「……貴様か……貴様が……!」

 

 魔法征装「雷切」の柄に手をかけて、俺はグラトネイルを睨みつける。

 こいつは八つ裂きにしても足りないが、怒りで我を忘れてたんじゃ仕方がない。

 冷静になれ。心は激情に燃え盛っていたとしても、頭だけは冷たく、氷のように冴えてなければ、俺もまたあいつの餌食になるだけだ。

 

「裂くは蒼穹……!」

 

 鞘から抜き放った「雷切」の刀身に雷の魔力を宿し、俺はそれを横薙ぎに振り抜くことで、グラトネイルへと斬撃を飛ばす。

 だが、敵も素直に攻撃をくらってくれるほど馬鹿じゃないらしい。

 胴体を狙って放った「飛ぶ斬撃」を、そこに纏わせていた雷を、爪の振動波でかき消して、グラトネイルはその被害を最小限に留めていた。

 

 お前そんなこともできんのかよ。

 無駄に多芸で、臨界獣にしては知恵が働く敵を睨みつけつつ、肥大化しているにもかかわらず、鞭のようにしなやかに、迅速に叩きつけられた爪の一撃を回避する。

 こいつの関節やらなにやらの構造がどうなってるのかは知らんが、少なくとも自分の武器である「爪」の使い方については相当理解が深いらしい。

 

「先輩、援護しますよー!」

「……お、お願い……当たって……っ!」

 

 由希奈の魔法征装である五十口径の拳銃二丁と、こよみが装備している魔術兵装たるチェーンガンの一斉射撃が、無防備なグラトネイルの背中に突き刺さる。

 銃の魔法征装を持っている由希奈と、魔術兵装を持っているこよみの援護は心強い。

 だが、その分遠距離からの攻撃には敏感だってのが、この手のフィジカルで攻めてくる相手におけるお約束みたいなものだ。

 

「由希奈、こよみ! 『爪』が行くぞ! まゆ!」

「はい……! 行きますよぉ、『グラビティシリンジ』!」

 

 背中に攻撃を受けただけで、一瞬で狙いを向ける先を変えた辺り、こいつも遠距離攻撃には敏感だったらしい。

 だが、そう簡単に思い通りになんかさせるものかよ。

 俺は由希奈とこよみには退避を促しつつ、まゆに支援を要請、勢いよく振り抜かれた「爪」が二人に届く前に、まゆが投擲したシリンジが、グラトネイルの両腕に届くことを祈る。

 

『Booooo……!?』

 

 隕石が落ちてきたかのような轟音を立てて、グラトネイルの両腕が、「爪」がコンクリートに沈み込んでいく。

 あいつが「爪」の振動波で魔力の結合を阻害しているなら、あくまで外側からの魔力は分解できたとしても、内側に流し込まれるそれまでは防げないよなあ!

 そこだけ、かかる重力の値が膨れ上がったかのように、グラトネイルは両腕を持ち上げようと足掻くが、ぴくりとも動かない。

 

 グラビティという名前通り、あいつの両腕にかかる重力が増大している──のではなく、単純に即効性の高い、強烈な神経毒を流し込んでいるってのが、「グラビティシリンジ」の絡繰だ。

 その分効果時間も短く、すぐに体内で分解されてしまうのが難点だが、そんなもんが永続的に使えるんだったらチートもいいところだろうよ。

 それはともかく、これで事実上「爪」を封じられた以上、あとは俺と葉月で畳み掛ければいい。

 

「この機を逃すな、行くぞ葉月!」

「わかりました、先輩!」

 

 肩に担いでいたソードメイスを構え直し、真紅のゴスロリドレスが映える葉月は、グラトネイルの頭を狙って跳躍する。

 なら俺は、心臓でも潰しておくか。

 万が一まゆの神経毒が分解されて迎撃を受ける前にも、迅速に。

 

 魔法征装「雷切」の刃に注いだ魔力を鞘に収めることで増幅、俺は魔力を足場にして、縮地の要領で空を駆ける。

 未だに両腕が使えずに悶え苦しむグラトネイルに同情するところがないとはいわないが、それにしてもお前はやりすぎた。

 託された通りに、願いを受け取った通りに白刃を抜き放ち、神速の域に届いた居合でもって幕を引こう。

 

「……『紫電瞬閃』!」

「『炎鎚星砕』ッ!」

 

 脳天には炎の魔力を宿した葉月のソードメイスによる一撃を、胴体には雷の魔力を宿した俺の斬撃を受けて、頭と心臓を同時に潰されたグラトネイルは、断末魔を上げることも許されずに頽れる。

 仇は取った。それでも、あの名前も知らない女性が生き返るわけじゃない。

 だとしても、望まれた通りにそうあったことは、魔法少女としての使命を果たしたことは、せめてもの手向けになるだろうか。

 

「……先輩?」

「……歯痒いものだな。我々の力をもってしても……救えない命があるというのは」

「……そう、ですね」

 

 眼下に広がる惨劇の爪痕を一瞥して、葉月と俺はぽつりと呟く。

 一秒でも早くこいつを始末したことで、救えた命があったかもしれない。それはきっと、確かなことだ。

 その一方で、出撃までにかかった時間で失われた命があった。それだけは、覆しようがない。

 

「でも、それも背負って前に進むしかないじゃないですか」

「葉月?」

「先輩らしくないです。命に向き合うって、そういうことだって、アタシは思います」

 

 それは犠牲を前提にした話なのかもしれない。だが、葉月の言う通り、だからといって失われた命だけに目を向けていれば、きっと人間は壊れてしまう。

 心という器は一つの死を受け入れるのにすら時間がかかるのだから、無数のそれを収めていれば、自然と死者に引っ張られていくことになるって話だ。

 ああ、そうだな。その通りだよ。

 

「……此方らしくない、か。その通りだ。目が覚めた気分だよ、葉月」

 

 ありがとう、とそう告げて、俺は「雷切」を鞘にしまい込む。

 弔鐘を鳴らすかのように、太陽を雲が覆い隠す。

 仇討ちをせめてもの手向けとして、俺たちは、魔法少女は前に進んでいく。ただ、それだけだった。




今は前に進め


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閃きのヒントは意外と近いところにある

「とはいえ、目の前で死なれちゃな……」

 

 臨界獣グラトネイルを討伐した翌日、「間木屋」に向かう道中で俺はそう呟いていた。

 誰も死なせないなんて、到底無理なのはわかる。

 いかに西條千早が設定上最強の力を持っていようが、個人の力には限界がある。こよみが全力を解放すればあるいは、と思うかもしれないが、特に昨日みたいな市街戦だと二次被害が洒落にならん。

 

 更に追い討ちをかけるような現実として、グラトネイルはまだ臨界獣の中でも序の口で、この世界が俺というイレギュラーはあれど、ゲームの展開をなぞってるなら、次々と敵の戦力がインフレしていくことが挙げられる。

 これをゲームでは常に葉月とまゆ、由希奈の永久離脱に怯えながらこよみがお祈りチェーンガンで倒していくか、もしくは街への被害を考慮しない焦土戦術で全力ぶっぱするしかないとか正気の沙汰じゃねえ。

 それに、この世界はゲームの世界だが、テキスト数行で虐殺される名もなき一般市民だろうと、特級魔法少女たちだろうと、平等に生きているんだ。

 

 わかっている、頭ではわかっちゃいるが、心が理解を拒んでいるんだよ。

 つい昨日、握り締めた掌から体温が零れ落ちていく、命が尽きていくあの生々しい手触りは未だに消えてくれない。

 白状してしまえば、臨界獣という脅威をどこか他人事のように見ていたというか、ほとんど自分と身の回りの人間のことしか頭になかったのだ、俺は。

 

 だが、葉月が言っていたように、死人に引っ張られすぎれば心がもたない。

 死を背負って前に進んでいくという、ありきたりな言葉の重さがここまでのものとは思っちゃいなかった。

 今だって俺は、不安に足元を捕われている。死人に手を引かれて、戦いに怖気付いてしまっている。

 

 だけどな、怯えることなら誰だってできるんだよ。

 自分を奮い立たせるように、信号待ちの最中で俺は、何度もその言葉を反芻する。

 誰だって死ぬのは怖い、当たり前だ。俺だって死にたくない。

 

 きっと由希奈たちだって死にたくないと思いながら必死に戦っている。

 今すれ違った名前も顔も知らないようなサラリーマンだって、死にたくはなかろうよ。

 だったら、俺にできることは、なんだ。

 

 もしもこの世界に転生させられた意味があるなら、原作知識を持っているなら、少しでも犠牲者を減らすことが、使命なんじゃないのか。

 それなら、怖気付いている暇なんてない。

 どうにかこうにかして、原作の死亡フラグを全力でへし折っていかなきゃならん。そのためにまずは、やることを考えろ。

 

 駐輪場に自転車を止めて、俺は小さく深呼吸をする。

 今までは世界の強制力とかそういうものから逸脱することを恐れていたが、そもそも俺がこの時点で生きてること自体がイレギュラーなのだ。

 それでも襲撃イベントが原作通りに進んでいることを考えるに、俺という、西條千早という存在の生存それ自体はイレギュラーであれど、世界に大きな影響を与えない範囲に留まっていると考えられる。

 

 ならいっそ、世界に大きな影響を与えちまうような行動をするのはどうだ。

 特に──しばらくあとに待ち構えている超弩級の破滅フラグに対しては、今から動き出さないと、間違いなく原作通りの道をなぞることになるだろう。

 原作じゃあこよみの全力解放によって東京湾とお台場を焦土にしてようやく倒せた敵がやってくることは、恐らく確定済みだ。

 

 これをなんとか、こよみが後ろ指をさされず、味方の犠牲も出さず、一般人の犠牲も最小限に抑える方法があればいいんだが、そう簡単に思いつくものでもない。

 仮に思いついたとしても、そのアイデアをどうやって「M.A.G.I.A」の上層部や、組織を統括してる防衛省まで持っていく?

 直談判するか、大佐を中継器として利用させてもらうか、どっちにしたってハードルは高い。

 

 ハードルは高ければ高いほど下を潜りやすいって皮肉は聞くが、そういう抜け道を瞬時に閃けるような人間なら、前世でフリーターなんかやっちゃいなかったんだよなあ。

 つくづく、個人の力には限界があると痛感させられる。

 そんな具合に朝から消沈して「間木屋」に顔を出した俺を出迎えたのは、この世の終わりみたいに顔を青ざめさせた葉月だった。

 

「先輩、ちょうどよかったです! 助けてください!」

「落ち着け、葉月。此方は状況がわからん」

「逃がしませんよぉ……まゆも見たんですからね? だから葉月ちゃんも見て? まゆも見たんだからぁ……」

 

 ゆらり、と、照明が落とされ切った店内からそれこそ幽鬼のような足取りでやってきたまゆが、呪詛めいた言葉を吐き出しながら葉月の肩をがしっ、と掴む。

 ああこれあれか、ホラー映画鑑賞する流れか。

 英知院学園潜入任務のあとに、店を締め切ってスプラッタ映画の上映会やってた意趣返しに全員で今度はジャパニーズホラーを見ようっていう、グラトネイル戦で全員が生存した場合のちょっとした隠しイベントだ。

 

 待てよ、この流れだと俺も見せられんのか、ホラー映画。

 既にブルーレイを手にスタンバイしている由希奈は悪戯っぽい笑みを浮かべているし、こういうのが苦手そうなこよみはあわあわしながら葉月とまゆの動向を見ちゃいるが、映画そのものは怖がってないように見える。

 冗談じゃない、俺だってホラー映画は苦手なんだよ。

 

 ゾンビや殺人鬼が出てくるタイプのそれならまあコンテンダーぶっ放せばなんとかなるだろって思えるが、幽霊は別だ。

 塩を盛るかお祓いするぐらいしか対策が思い浮かばん相手とどう戦えってんだよ。

 魔法少女の力があろうが怖いもんは怖いんだ、できることなら俺も葉月と一緒に逃げ出したいもんだが、まゆの「圧」を感じさせる視線が俺の影を床に縫い止める。

 

「……店長、今日は店を開けないのか?」

「ん、ああ……どうせ客なんて来ないからな。政府や『M.A.G.I.A』との定時連絡ならおれが引き受けるし、諸君らは存分に映画を堪能してくれ」

 

 昨日の任務も過酷だったろうからな、と、少しは気を利かせたつもりで店長こと大佐はウィンクを飛ばしてくるが、余計なお世話だ。

 このままじゃ俺も苦手なジャパニーズホラーを見せられる羽目になる、なんとか回避できんものか。

 と、相変わらず圧のある笑顔を浮かべているまゆから視線を逸らしてみれば、そこには大佐が有名ロボット作品に出てくる高級玩具をいじくり回している光景があった。

 

「店長、それは」

「ん? ああ、この前セットで再販されたのを買ったんだが……西條千早、君も触ってみるかい?」

「……いや、遠慮しておこう」

「そうかい」

 

 ああ、そうか、この手があったか!

 俺の観賞会参加は確定済みだからなのか、逃げようとしている葉月の肩を掴んで店内に引きずり込んでいくまゆを横目に、俺はその閃きを忘れないよう、脳裏へと刻み付けた。

 この先に待ち構えているイベントには、こよみの全力解放が必須になる展開が存在している。

 

 原作だと東京湾とお台場を焦土にしたそれだ。

 それを最低限の被害に留める方法がどうしても思い浮かばなかったもんだが、考えてみれば単純な話だった。

 広範囲に拡散してしまうこよみの魔力を、収束させて放てばいい。こよみ本人にも制御ができないなら、そのための魔術兵装を開発すればいい。

 

 こよみの魔力、それも全力に耐えうる魔術兵装となれば、どうやって起動するかが課題だが、幸いなことにそれには目処がついている。

 技術的には可能、という言葉が事実上不可能を意味するとしても、できる可能性があるんならやるしかない。

 来たるべきXデーまで時間はそう残されていない。どうにか俺のアイディアを形にして、上層部に売り込むかが課題だが、この案が採用されれば、こよみがちまちまとチェーンガンを使い続ける必要もなくなる。

 

「……感謝する、店長」

「うん? 映画観賞会の話かい?」

「それもあるが、此方もいい閃きを得られた」

「うん……? まあ、おれがなんかの役に立ったなら幸いだが」

 

 役に立ったどころじゃない。

 偶然とはいえ、いじってたその玩具のおかげで、歴史を、悲劇を覆せるかもしれないんだ。

 世の中、なにが閃きに繋がっているかわからないもんだな。

 

「せんぱーい、そろそろ映画始まりますよー?」

「……了解した」

 

 まあ、その前にホラー映画見なきゃいけないんだけどな。

 渋々といった具合に俺は由希奈の誘いに応じて、いつも会議で使ってるプロジェクターが映し出す映画のタイトルを一瞥する。

 ああ、葉月なら角の方で耳を塞いで丸まってたよ。




こよみちゃんは意外とホラーに強い


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アイデアを売り込むにもコネと金がいる

「あー、面白かったー! こーいうのってあり得ないから面白いんですよねー」

「……あり得ないから怖いんじゃないの……ていうか、なんで秘密兵器は平然としてんのよ!」

 

 実に二時間近くに及ぶジャパニーズホラー観賞会だが、反応は三者三様といったところだった。

 完全にあり得ない、娯楽作品だと割り切ってゲラゲラ笑いながら見てた由希奈に、耳を塞いで体育座りで部屋の隅っこに蹲っていた葉月、笑顔で固まっているまゆ、そして葉月に指摘されたように平然とした顔で画面を見つめていたこよみといった具合だ。

 まゆと葉月がホラー苦手ってのは設定資料集にも書いてあったし、このイベントも何度か通過してたからわかりきってたことだが、こよみが平然としてるのは少し意外だな。

 

 俺? 俺は心頭滅却すれば火もまた涼し、みたいな顔で腕組んでたけど内心めちゃくちゃビビってたよ。

 魔法少女西條千早ならこうするだろう、というイメージが頭の中になければ即死だった。

 こういう時に平然と、何事もなかったかのように構えてこそ先輩キャラとしての風格は保たれる……いや、意外と怖がりな一面も出した方が親しみやすかったりするのか? わからんがまあロールプレイを貫けたからよしとしよう。

 

「……ぁ、ぇ……げ、現実の方が、怖い……ので……」

 

 葉月から逆ギレじみた詰問を受けたこよみが返した答えは、なんとも言い難い、世知辛い話だった。

 人間が一番恐れるのは同じ人間だとはよくいったもんだよ。多分そういうことじゃあないんだろうけど。

 真面目に考えるなら、リアクションこそ違えど、こよみの中では由希奈と同じで現実は現実、フィクションはフィクションと割り切れているんだろう。その背景まで考えれば切ない限りだが。

 

「……あっそう……」

「こよみちゃん、意外とホラーは平気なんですねぇ……」

 

 葉月とまゆの怖がっていた組も意外そうな目で見ている辺り、パブリックイメージってあるもんだな。

 

「……ぇ、えっと……はい……」

「こんなの現実であるわけないじゃん? こよみちゃんの言う通り、現実の方がよっぽど怖いよー?」

 

 魔法が存在してる世界で幽霊の話を非科学的だと笑い飛ばすのもなんだかアレな感じだが、まあそういう考え方もあるよな。

 俺も参考にしとこう。なんの参考になるかはわからんが。

 とりあえず手元の腕時計型デバイスで時刻を確認してみたら、ちょうどランチタイムを過ぎた辺りだった。

 

 店は閉め切ってるからいつもの役人四人組の姿も当然のように見えないが、大佐がパソコンに向けてあれこれ喋ってたから、リモートで済ませてるんだろう。

 セキュリティとか色々大丈夫なのか不安になってくるな。

 まあ、迂闊にハッキングなんてかけた日には「M.A.G.I.A」や公安、防衛省に速攻で逆探知されて豚箱行きだろうから多分大丈夫なんだろうが。

 

 それはそれとして、大佐が役人と直接会って会議するという手間が省けたのは、こっちとしちゃ好都合だ。

 早速二時間前の思いつきをなんとか「M.A.G.I.A」の上層部に売り込むべく、俺は感想会議を始めてる輪から抜け出して、大佐の元へと歩き出す。

 アイディアを売る時に必要なもんはなにか。それは身も蓋もないかもしれないが、金とコネないしそのどっちかが必ず必要になってくる。

 

 発明で特許を取りたいとかそういうことじゃなく、単純に一般人が国家直轄の秘密組織、その兵器工廠に踏み込むという無理ゲーに近い所業を実現するための話だ。

 特級魔法少女には現場における作戦権が与えられてたり、ある程度の自由行動が許されてたりはするものの、立場的には役人より下の、いってしまえば下っ端に過ぎない。

 当然、逃亡すれば追っ手として他の魔法少女や公安、自衛隊ないし国家の暗部とかそういう連中に四六時中狙われて、最悪そのまま同族の魔法少女に命を奪われることだってあり得る。

 

 そんな殺伐とした魔法少女事情がまかり通ってるこの世界で、特級とはいえ所詮は組織の下っ端に過ぎない人間が「M.A.G.I.A」の秘密工廠にいきなり「画期的なアイディア」を持ち込んでみろ。

 まず間違いなくアイディアの出所を疑われるし、今まで兵器開発とは無縁だった人間がそんなもんを思いついたとなれば、十中八九監視も厳重になるだろうしで、ろくなことがないのは確定している。

 だから、大佐という人間を、「M.A.G.I.A」の内部事情に極めて精通している人材を巻き込む必要があるわけなんだよな。

 

「大佐、突然で済まないが、少々時間をもらえないだろうか」

「構わんが……なんの用だ、西條千早?」

「ここでは少しばかり都合が悪い、地下のミーティングルームを借りることを所望する」

「……構わんよ、それじゃあ場所を変えるとしようかね」

「助かる」

 

 未だに幽霊の実在と非実在について熱い議論を交わし合っている四人を置き去りにして、俺と大佐は地下のミーティングルームへひっそりと姿を消す運びになった。

 さて、ここからが難関だ。

 思いついたアイディアを上手いこと売り込めれば上等だが、疑いの目を向けられるのは確実だろう。

 

 それでも尚、そのアイデアが、俺という存在が「組織にとって有益」だと判断されればそれでいい。

 なんせ反乱を起こすつもりは全くないんだ、あくまでも「現場の思いつき」を上申する都合、パイプとして「上層部へのコネ」がある人間を利用しようってだけの話だ。

 なに、これからも仲良くしようじゃないか、大佐。人類の未来のためにもな。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて……ここを借りるということは、外に漏れたら相当まずい話だと見ていいな?」

 

 ミーティングルームの上座に座るなり、目つきを鋭くした大佐がそう問いかけてくる。

 

「肯定する。そしてこれは現場からの上申でもある」

「誰の一存だ?」

「此方という個人による、一魔法少女たる西條千早によるものだ」

 

 悲しいことに臨界獣という人類の危機を前にしても、組織内で足の引っ張り合いをしているのは人類という種族の宿命みたいなもんなんだろう。

 現場からの上申にさえ誰かの息がかかってることを疑わなければいけない大佐には心底同情するが、これはあくまで俺の思いつきだ。

 それを信じてもらえるかどうかは別として、正直に、洗いざらい、誰との関係もありませんと明言しておく。変に誤解されても困るからな。

 

「……わかった。それで、上申の内容は」

「中原こよみの魔力運用に関して」

 

 ぴくり、と大佐のこめかみが疼く。

 こよみの魔力運用に関する話は十中八九上層部を巻き込んだ話になるだろうし、最悪話が関連省庁にも行きかねないから無理もない反応だ。

 できれば俺も「M.A.G.I.A」の中で話を完結させたいんだが、こればかりは済まないが大佐の手腕に全てを丸投げすることになる。

 

「中原こよみの魔法征装の使用に関しては関連省庁及び閣僚による採決を得る必要がある、それは君もわかっているだろう?」

「肯定する。だが、此方の提案がもしも許可されれば、より強力な臨界獣が現れた際にも副次被害を抑えつつ、中原こよみの魔力を運用することが可能となる」

「……そんな夢のような話があるものか、西條千早。疲れているんじゃないのか?」

 

 んー、見事なまでの塩対応だな。

 だが、とりあえずその反応は想定済みだ。

 なんなら仮眠をとってもいいぞ、と露骨にこっちをあしらおうとする大佐の気を引くべく、俺はその言葉を口に出す。

 

「……『地球産の魔法征装』を作る。それが此方の考えていることだ」

「……正気か?」

 

 魔法征装は基本的に魔法少女の変身プロセスと密接に関連している代物だ。

 一応「M.A.G.I.A」もその再現を目指してこそいるし、その産物が魔術兵装なのだが、技術的な制約が激しく、肝になる魔力を三級や二級の魔法少女といった、外部から引っ張ってこなきゃいけないのが現状だった。

 その制約をすっ飛ばして、いきなり魔法征装の作成に着手することができるのか? 

 

 答えはできる。ただし、相当な綱渡りになるだろうけどな。

 不敵に笑ってみせた俺を睨み返す大佐から一歩も退くことなく、こっちの要求を、アイディアを叩きつける。

 ここから先は、どれだけ「西條千早」という人間が信頼に値するかというのを測る勝負だ。しくじったら最悪俺の首に爆発物が付きかねないし、凍結処分も待ってるんだろうが、やるしかないんだよ。

 

 言葉通り人類の未来のために、これから起こる惨劇を回避するためにもな。




いつだって怖いのは現実


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魔法少女の真実とその運用

「……『地球産の魔法征装』を作る。それが此方の考えていることだ」

「……正気か?」

 

 俺からの提案に、大佐は至極真っ当な答えを返してきた。

 当たり前といえば当たり前だ。技術的な制約があって実現できないものを作れ、なんてのは夢物語の無理難題でしかないからな。

 だが、もしもそこに抜け道が存在しているとしたら。

 

「肯定する。地球産の魔法征装を作ることは現状の技術でも可能だと、此方は考えている」

 

 魔法征装を再現するに当たって、大きな壁となっているのは「器」の容量だ。

 なぜ、魔力弾の生産に三級魔法少女ないし二級魔法少女から魔力を徴発しているか、裏を返せば一級魔法少女や特級魔法少女から魔力を徴発していないのか。

 その理由は単純に、今の「M.A.G.I.A」が作れる、「魔力を封じ込めておく器」に、一級や特級の強力なそれを流し込んだとしても器側が耐えきれずに爆発四散するからだ。

 

 そして、こよみの魔力は最強を通り越したチートレベルだ。それに間違いはない。

 もしも本気でやろうとすれば、こよみは一人でこの地球を焦土に変えることも可能だろう。

 それほどの魔力を注ぎ込む器がない状況で、こよみのための魔法征装……魔力を制御するためのデバイスを作るなんてのは無理な話に聞こえても仕方ない。

 

 だが、やれる。やれるのだ。

 俺は確信を持って、訝る大佐の目を毅然と覗き込む。

 ここから先は信用勝負だ。俺という人間が、西條千早の言葉が信頼に値すると見られれば勝ちで、ただの与太話だと捉えられれば負け、実にシンプルでわかりやすいな。

 

 頼むぞ大佐、割と冗談抜きにこの世界の未来はあんたが俺を信頼してくれるかどうかにかかってるんだ。

 内心では緊張しつつも、動揺を悟られないように、いつもの「西條千早」がそうしているように、鉄面皮を形作って決断の時を待つ。

 

「……普段であれば取り合うつもりもなかったがな、君には英知院学園の件についての功績がある。とりあえずは運用構想を聞かせてもらおうか」

 

 よし、と内心ガッツポーズを決めつつも、あくまでも冷静に、動揺も感情の波も悟られないように、淡々と俺は大佐の質問に答える。

 

「……中原こよみ本来の魔法征装による魔力解放は、余剰出力が周囲に漏れ出すことが大きな問題だと此方は認識している」

 

 例えるなら、家の中に忍び込んできた害虫を駆除するためにナパーム弾を持ち出すようなもんだ。

 確かに害虫は確実に潰せるだろうが、その代償として半径数キロメートルが焦土と化して、家があった場所がクレーターに変わってたら本末転倒だろう。

 と、いうのが上層部の見解だし、概ねゲーム中でもこよみの扱いは変わらない。まあルートによってはその魔力を全力で解き放ち続けなきゃいけない、東京がグラウンドゼロになる展開も多々あるんだがな。

 

 いや、そもそもなんでそんな展開が無駄に用意されてんだよ。

 焦土を前に敵を倒した喜びよりも守るべき故郷を犠牲にしたことに心を痛めて泣いているこよみを見るのはプレイヤーとしちゃシンプルにつらいんだぞ。本当に主人公を曇らせることに余念がねえなこのゲームは。

 などと、無駄にバリエーション豊かなグラウンドゼロルートを思い返して、そこに静かな怒りを覚えながら、俺は話を続ける。

 

「ならば、その余剰出力を外部に直接放出するのではなく、着火用のエネルギーに転用、威力はそのままに常識的な範囲で収束射撃と拡散射撃を可能とする魔法征装が開発できれば、今後臨界獣の大群や、特殊個体が現れた際に火力支援の大幅な増強が見込める」

「……なるほど、理屈はわかった」

 

 今のふわっとした説明で全てを察してくれたのは、大佐の優しさなのか俺自身が信頼されてるのか、それとも単純に断るための前振りなのか。

 できることなら前二つであってほしいが。世の中そうそう上手くいくもんでもないのは嫌というほど知っている。

 それでも、だ。それでも、未来を覆すためなんだ、どうか本気で受け取ってくれ、頼む。

 

「だが──どうやって中原こよみの余剰魔力を外に逃す?」

 

 その一言を聞いた瞬間、俺は思わず机に乗り出すところだった。

 神様仏様大佐様だ。その問いが出てきたってことは、ある程度こっちの話を実現の可能性があるものとして考えてくれたってことに他ならない。

 そのボトルネックをどう解決するかの目処はついている。というか、ついてなきゃこんな無茶な話を提案したりするか。

 

 実現可能性もある。

 理屈的にも多分合っている。

 問題はコストの話だ。俺は動揺と緊張を表情には決して出さず、とん、と自分の右胸の下辺りを親指で突いて指し示した。

 

「『魔導炉心(マギカ・マキナ)』」

「……驚いたな。君は……何者だ?」

「此方は此方だ。魔法少女、西條千早だ。この世界を守りたいという意味では、其方と向いている先は同じのはずだが」

 

 魔導炉心。それは魔法少女を魔法少女たらしめる核となる物体であり、俺たち魔法少女にとっては言葉通り、心臓に当たる人工臓器でもある。

 早い話、心臓を摘出して、代わりに魔導炉心を埋め込むことで、それと上手く適合することができた存在が魔法少女だ。

 当然、移植手術を受けても適合できなければ死ぬ。そしてなぜか適合できる可能性を秘めた存在は十代の女子しかいない、というのが魔導炉心なる代物だった。

 

 魔法少女たちが公的には死人として扱われている理由は単純だ。

 臨界獣による襲撃やテロリストの攻撃によって発生した戦災孤児を集めて、魔導炉心に適合する存在を選抜し、「M.A.G.I.A」による教育と戦闘訓練を受けさせる。

 中には例外もあるが、多くの魔法少女が辿っている運命は似たようなものだ。

 

 要するに、魔法少女として生きるか、そのまま死ぬかの二択を突きつけられて、前者を選んだ少女たちが、今は「M.A.G.I.A」の尖兵として、魔法少女と呼ばれている。

 ただ、それだけだ。

 そこに善悪や是非を問うつもりはない。そういう風にできているのがこの世界で、魔導炉心を埋め込まなければ生きられなかった存在が魔法少女なら、選ぶしかなかったとしても、その運命を選んだのは彼女たちだ。

 

 生きたいと願った、死ぬしかない状況で差し伸べられた手がそれしかなかったとしても、死にたくないと願った結果が戦い続ける未来だとしても。

 魔法少女になる、という選択をしたのが少女たちの意志であるなら、魔法少女として生き抜いてやるしかない。

 もちろん、「M.A.G.I.A」も相当なロクデナシだがな。事実上一択しかない問いを孤児に突きつけて組織の尖兵に仕立て上げるなんて、悪辣もいいところだ。

 

 だとしても、魔法少女がいなければこの世界は滅ぼされる。

 だから、この場で組織の善悪を問うことはしない。大事なのは、そんな手段を用いてまで守ろうとしている世界を、どうやって守っていくか。

 つまりは未来の話ってことだよ、大佐殿。あんたと俺は、同じ未来を見てるってのは確かなはずだ。

 

 話が逸れたな。

 要するに、まだ誰とも適合していない魔導炉心を、こよみの余剰魔力の受け皿──バッテリーにする形で魔法征装に着火、収束ないし拡散させた魔力を撃ち出す。

 それが俺の考えた、「地球製の魔法征装」の全てだった。

 

「……君の言い分はわかった、西條千早。だが、仮に魔導炉心をバッテリー代わりにするにも、一度放出された中原こよみの余剰魔力を完全に受け止めるとなれば、そうだな……五つは必要だ。これから生まれくる魔法少女に特級クラスが混じっている可能性と希少な魔導炉心の残数。それらを天秤にかけた上で尚、君の計画は実現する価値があると言えるのかね?」

 

 大佐の視線は依然として厳しいままだ。

 それも頷ける。新しい魔導炉心を製造する効率は極めて悪く、それを五つも使って一つの武器を作るとなれば、正気を疑われることだろう。

 これから特級から一級クラスの魔法少女が生まれてくる可能性と、こよみの魔力を制御して運用できる可能性。そのどちらが有用なのかを本当に判断できるのは、大佐だけなのかもしれない。

 

「肯定する、現存する特級魔法少女の総戦力を底上げすることは、より即効性の高い手段として戦力の増強に繋がると此方は判断する」

 

 だが、俺としては後者を取らざるを得ないんだよ。

 今のところ、俺が生きているという以外は原作通りにこの世界は進んでいることに間違いはない。

 そして、このまま世界情勢が原作通りに進んでいくなら、立ちはだかる一つの壁と呼ぶべき存在が待ち受けていることを、俺は知っている。

 

 そいつを原作でどうやって倒したかはお察しの通りだ。

 こよみの全力を解放することで、お台場と東京湾を焦土にして、ようやく倒せるような規格外の存在。

 そんなもんが待ち受けてるとなれば、手段は選んでいられない。

 

 なんとかこの魔法征装を完成させて、少しでも副次被害を減らしてそいつを討伐することが、直近の使命とでもいうべきものなのだろう。

 俺の言葉をどこまで信じてくれるのか、俺の話に価値はあるのか、俺という存在が、まだ組織として利用するに値するのか。

 その全ては大佐を信じる他にない。頼む、と、祈るように、俺は、どこまでも続くような沈黙の中でその瞳を真っ直ぐに覗き込む。

 

「……わかったよ、今回はおれの負けだ」

「……ならば」

「賭けてみようじゃあないか、君の案に、君の示した可能性にね。それに、上の戦力が拡充されれば下の負担も軽くなる。同じ可能性に賭けるなら、君の案の方が幾分か現実的だ」

 

 思わず舞い上がって、よっしゃあ、と叫ぶところだった。

 ただし、開発局に通るかどうかは別の話だぞ、と、大佐はそう釘を刺してきたものの、そこはそれ、あんたの手腕だとか弁舌を俺は信じてるからな。

 とにかくこれで、地球製の魔法征装──こよみの新たな武器の開発が間に合えば、また一つ悲劇を回避することができる。

 

「感謝するよ、大佐殿」

「今は君が何者かを問うことはすまい、だが……君が西條千早であるなら、俺は西條千早、君を信じよう」

「おかしなことを仰る、此方は西條千早だ。これからも、これまでも、な」

「そうかい」

「肯定する」

 

 これまでも、ってのは嘘かもしれないけどな。ただ、今は俺が西條千早だ。

 そこに嘘偽りはない。

 世界の平和を願う心にも、悲劇を回避したいと思う志にも、な。




明かされる魔法少女真実


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計画が通っても実装までは時間がかかる

 大佐を巻き込むことでとりあえずはこの先待ち受けている特大破滅フラグの一つをなんとかへし折ることができそうだと喜んじゃいたが、よく考えたら、そのXデーに地球産魔法征装の完成が間に合うかどうかは未知数だ。

 それに、現場レベルで計画が通ったとしても、上に持っていく段階で各セクションの軋轢やら大人の事情やらで拗れに拗れる可能性だってある。

 なにせ特級魔法少女絡みの、その中でも秘密兵器扱いなこよみに関する事項なのだ、こればかりは大佐の政治スキルに賭けるしかない。

 

 基本的に「M.A.G.I.A」の兵器開発部門には独自の裁量が与えられているものの、流石にお上の事情が絡んでくると話は別だ。

 とはいえ、地球産魔法征装の開発という一つの目標が達成できるとなれば、開発局も賛成票を投じてくれるのは確実だろう。

 あとはもうお祈りだ。話が拗れず、計画がXデーまでの実装に漕ぎ着けるのを乱数の女神様に祈り続ける。

 

 なんせ、こんなイベントは原作に存在してないんだからな。

 いくら先の話を知ってたって、存在しない計画の成否まではわからない。

 今のところ、俺が生きているということ以外は概ね原作通りこの世界は回っているが、そこに変化という劇物を投入することで、歯車が狂っていく可能性だって大いにあり得ることだ。

 

 だとしても、あの災厄は退けられなきゃならない。

 原作でも全員生還でクリアするのが屈指の難所にして、主人公たるこよみも含めた死にゲーポイントなXデー。

 仮に全員生存でクリアしたとしても、焦土戦術を取らざるを得ずに、どうあがいてもお台場が巨大なクレーターに変わってしまうクソイベだ。

 

 化け物には化け物をぶつけるしかないとはよくいったもんだが、果たして魔法少女中原こよみは救いの主なのか破滅の使者なのかと、民衆の意見も、ものの見事に真っ二つ。

 中にはこよみを危険視して「暁の空」に同調する人間も現れ始めるとかいう救いようのないシナリオだ。

 しかも強制通過とか冗談じゃねえ。本当に主人公を曇らせることにかけては余念がねえなこのクソゲーは。

 

 クソゲーと制作班に対する怒りはともかく、とりあえずは要件を果たしたわけだ。

 今はそれで十分だと、地下から地上に戻ってくれば、さっきまで感想会をやっていた四人が、唐突にじゃんけんをしている姿が目に映る。

 

「あ、せんぱーい、大佐となにしてたんですかー?」

「ちょっとした打ち合わせのようなものだ、気にするようなことでもない」

「そうですか、まあ戻ってきたのはナイスタイミングって感じですけどー」

 

 ナイスタイミングと言われてもな。

 君たちはなにをしようとしてるんだと訊かれれば、そりゃあ見ての通りじゃんけんだと答えが返ってくるんだろうが、果たしてなにを賭けて勝負してたんだったか。

 少しばかり考えを巡らせて、記憶の引き出しを開け放つ。ああ、思い出した。

 

「先輩も参加しませんかー? なんか水族館のタダ券貰ってたの忘れてて、期限今日までなんですよねー」

 

 二枚ですよ二枚、と、由希奈はけらけらと笑いながら、左手に握りしめていたチケットを揺らしてみせる。

 そうだ、確かこのイベントは原作だとこよみと葉月がじゃんけんに勝ってしまって、そこから一悶着って流れの話だった。

 魚にも興味はないし、それだけなら別にいいんだが、原作の流れをなぞることに問題があるとすれば、俺が生きていることで、葉月とこよみの関係性がそこまで進展してないってことか。

 

「ふむ……面白そうだな。その話、乗った」

「さっすが先輩、話がわかるー! そんなわけで恨みっこなし、勝った二人に水族館デート権を進呈しちゃいまーす!」

「わーわーぱちぱちぃ」

「……デートねえ、別にアタシは興味とかないけど、その……先輩と行けるなら……」

「……ぁ、ぇ、えっと……わたしも参加、ですか……? です、よね……」

 

 あんまり関係性が進展してない状態でこよみと葉月を二人きりにするのはあまりよろしくないと判断しての参加決定だったが、これも軽いイレギュラーといえばイレギュラーだ。

 俺という不確定要素が加わることでじゃんけんの行方と水族館デートの結末が変わってしまうことは確かだろうが、もう劇物を投下したあとなんだ、今更デートイベントの一つや二つ変わったところで誤差だよ誤差。

 大差ねえよ、と自分に言い聞かせて、俺は不敵な笑みを浮かべながら空中に拳を掲げる。

 

『最初はグー、じゃんけんぽん!』

 

 じゃんけんには負けやすい手というものがあるらしい。声を揃えて空中に掲げた拳を思い思いの形に変える傍らで、そんなことを思い出す。

 確か最初にチョキを出すのが確率的にだったか指の動きだったかは知らんが、負けやすいという話だった……と、思う。

 だから最初に出すのはパーかグーのどっちかにすると俺は決めているんだが、それはそれで読まれやすいという欠点もある。

 

 常人を上回る動体視力を持つ魔法少女たちのじゃんけんにもその法則が適用されるのかは知らんが、とりあえず俺が出したのはパーだった。

 見たところ、葉月がグーで、まゆがグーで、由希奈がグーで……こよみがパーだな。

 つまるところ、水族館デートとやらの権利は俺とこよみに与えられることになったらしい。

 

「一回で決まりましたねぇ」

「……ふんっ、魚に興味なんかないし、別にいいわよ」

「なに? 葉月、妬いてんのー?」

「妬いてないわよ!」

 

 悔しそうなオーラを全力で放出している葉月には悪いことをした気分になるが、まあじゃんけんなんて運だよ運。

 今回はたまたま俺とこよみが勝ったってだけだ。魚に興味がないのには同意するけどな。

 とはいえこれでこよみにとばっちりが行く可能性があるのは少しまずいかもな。フォローの一つも入れておくとしよう。

 

「葉月」

「……なんですか、先輩?」

「此方との外出を楽しみにしてくれていたのなら申し訳ない。後日で構わなければ、其方の用事に付き合わさせてもらえないだろうか」

 

 あとで飯奢るから代返とノート頼むわ、とかそんな典型的ダメ学生みたいなムーブをしていた大学生時代を思い返しつつ、俺はそう提言する。

 要するにあとで埋め合わせするからこの場は我慢してくれってことなんだが、西條千早の極めて高い顔面偏差値から繰り出されれば説得力は鰻登りだ。

 やってることというか、発想はダメな大学生と同レベルなんだけどな。

 

「本当ですか!? やったぁ! それじゃ今度の日曜日、外出許可申請しときますね!」

「構わない。その時が来たらよろしく頼む」

 

 俺というか西條千早の前じゃ素直でわかりやすい子なんだが、こよみを前にすると、途端に敵視してしまうのはどうにかならんものか。

 原作だと戦火を共に潜り抜けることで絆を育んできたのがあの二人なんだが、そのルートを辿ると首都は壊滅するし、最終的に葉月は死ぬ。こよみも死ぬ。

 本当にどうしようもねえなこのクソゲー。そんなもんをやり込んでた俺も大概正気を疑われてもおかしくない。

 

「水族館デートとのことだが、外出許可は取ってあるのか、由希奈?」

「隊長には朝のうちに言ってるから多分大丈夫思いますよー?」

 

 由希奈は人差し指を頬に当てながら小首を傾げる。

 その大佐は俺の無茶な計画を通すために四苦八苦してる最中だし、事後承諾の形にならないことを祈るばかりだ。

 特級魔法少女はある程度の独立行動権限が認められてこそいるものの、基本的には国の監視下に置かれていなければならない存在なのに間違いはない。

 

 下手をしなくても長距離弾道弾なんぞよりよっぽど強力な存在が無軌道に動き回ってます、となれば最悪政治問題だからな。

 軽率な単独行動で内閣総辞職なんてことになれば、あとでお偉方からどんな突き上げを食らうかわかったもんじゃない。

 まあ、たかが水族館に行くぐらいで目くじら立てられても困るんだが。

 

 そんな話はともかくとして、タダ券二枚の行き先が俺とこよみに決まった以上、デートすることもまた確定事項だった。

 

「……ぇ、ぁ……よ、よろしく、お願いします……」

「此方こそよろしく頼む、こよみ」

 

 どことなく気まずそうに周囲を見ているこよみを宥めるように、俺は柔和な笑みを形作って震える手をそっと握る。

 そんなこんなで、二度目の人生では初めての、一度目からカウントしても片手の指で数えられる程度の経験しかないおデートとやらが始まろうとしていた。

 魚を見に行くだけとはいえ、道中なにすりゃいいんだろうな。




こんなクソゲーをやり込んでた中身くん(仮)は割と狂人


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可愛いの維持費は物凄い

 水族館だとか動物園だとかそういう場所が定番デートスポットの一つだってことは流石に俺でも知っている。

 とはいえ、本気でデートするってわけじゃなく腐りそうなタダ券を消化するのにかこつけて、由希奈が冗談言ってるだけだ。それもまた把握済みだ。

 とはいえ、こよみと二人きりで外出するのいうのもまた事実であって、それに当たって準備が必要なこともまた然りだった。

 

 ようやく兵器開発局辺りとの折衝が終わったのか、少しげっそりした感じで地上に戻ってきた大佐に、今からタダ券使って水族館に行く、という旨を伝えた時には目を丸くしてたのを思い出す。

 本当に事前報告してたのか、由希奈は。

 多分してない可能性の方が高そうなもんだが、事後承諾は特級魔法少女の特権とまではいかなくとも現場の裁量という建前で押し通せる方だ。

 

 書かなきゃいけない書類が何枚か増えたであろう大佐に内心で合掌しつつも、タダ券を腐らせるのももったいないという実に小市民的な理由で、俺は一旦セーフ・ハウスに帰還していた。

 それにしたって水族館デートか、前世じゃ行ったことなかったな。

 それらしいことをしたのは二人で夏祭りを謳歌したことぐらいか。思えば本当にかけがえがなく、しかしきっと、つまらない恋愛だった。

 

 前世のことはどうでもいいと言い切れるほど人生に絶望してたわけじゃあないし、なんなら今世もお先真っ暗な世界だが、生きてる限り及第点だ。

 まあ一回死んでるけどな。ははは。

 なんて、益体もないことを頭に浮かべながら、一旦シャワーで軽く汗を流して、よく拭いた身体に制汗剤やフレグランスの類を吹きかける。

 

「うーん、女子力」

 

 なんともなしに呟いたが、実際ここ最近、前世じゃ男だったことを忘れそうなぐらいには美容とか身だしなみに気を遣うようになったのは確かだった。

 西條千早はなにやってても画になるタイプの美人だとはいえ、美容と健康を疎かにしていると主に肌と腹回りから崩れていくのは前世で実証済みだ。

 せっかく美少女に生まれ変わったんだから、美貌を保っておきたいと願うのは必然じゃないだろうか。いや、必然以外の何物でもない。

 

 そんな邪な動機で、白ご飯が大好物なのにもかかわらず、わざわざ完全食フレークやら雑にサラダチキンを割いてぶち込んだオートミールにスムージーとプレーンヨーグルトを食べる日々は続いている。

 いい加減米が恋しくなってくるな。若い内だから多少食い過ぎたところで問題はないんだろうけど、まああれだ。

 要は趣味と実益ってやつだよ。このクソゲー世界に生まれ変わったんだから、言葉通り生まれ変わったつもりで生前やらなかったようなことに手を出す、実に合理的じゃあないか。

 

 そんな話はともかくとして、水族館デートに行くに当たってネックになってくるのは服装だ。

 なんも考えず「M.A.G.I.A」指定の制服着てきゃいいだろっていわれればその通りなんだけどな、これはいわばスニーキングミッションの一種なんだよ。

 一般人がやたらといる場で「M.A.G.I.A」指定の制服を着てたら、制服自体が目立たない設計になってるとはいえ、なんかこう、異物感があるだろう。

 

 それはともかくとしても、政府指定の特級魔法少女が制服姿で街を歩いていたら公安関係者になんかの事件があったと誤解されかねん。

 今回はなんの用件もなく、ただ魚を見に行くだけだ。

 だから完璧に一般人に擬態する必要があったんですね、なんて構文を頭の中で唱えながら、俺はクローゼットにしまってあった西條千早の私服を何着か姿見の前で当てがってみる、ということを繰り返していた。

 

「あんまりこだわりすぎても、手を抜きすぎてもいけない……女子ってのは難しいんだな」

 

 例え気心の知れた友達同士であっても、女の子同士がジャージだのTシャツ一枚で街に繰り出すって話はあんまり聞いたことがない。

 適度にそれっぽいオシャレをしつつ、かといってステディな関係にあるような人間と二人きりで出かける時ほど気合を入れない、このバランスが重要……なのかもしれない。

 元の西條千早もその辺はわかっていたのか、頓着はなくても、パステル調で可愛らしいというよりは自分の凛とした顔つきを引き立てる、暗めな色合いのコーデがクローゼットの中には揃っていた。

 

「まあ、こんなもんでいいだろう……多分」

 

 服を選ぶというよりはネトゲのアバターを作るような感覚でやってたら時間がいくらあっても足りん。

 直感的に選んだのは、黒いジーパンに白のキャミソール、その上から黒いチュニックを羽織ることでクールな印象を引き立てるコーデだった。

 濡れていた髪もいい感じに乾いてきたから軽くブローして、すっかり慣れた手付きでポニーテールに結わえれば、クール系美少女の完成というわけである。

 

 今度、葉月辺りにメイクを教わるのも悪くはないな。

 可愛いは作れるらしいが、作るためのコストは尋常じゃない。世の中の女性たちを尊敬するばかりだ。

 シルバーのネックレスを首からかけて、ホルスターを兼ねた手提げ鞄の中に必要なものとコンテンダーを詰め込んで準備完了、夏になると決まって放映される名作映画の主題歌を脳裏で再生しながらセーフ・ハウスを後にする。

 

 支度にかかったのは四十秒どころじゃなかったから失格もいいところだろうけどな。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 そんなこんなで待ち合わせ場所に着いたのは予定時刻より十分程早いタイミングでのことだった。

 余裕を持って脳内スケジュールを組んでいたにもかかわらず、結構時間がかかるもんだから、女子の身支度ってのは大変なんだと改めて痛感する。

 それはさておくとして、あとはこよみと合流するだけなのだが。

 

 駅前広場をざっと一望してみても、こよみの姿は見当たらない。

 俺が早く来すぎただけなのかと思っていたが、刹那。

 脳裏に一筋の光が閃くような感覚と共に、か細い声が鼓膜を震わせるのを感じ取る。

 

「……ぁ、ぇ……こ、困り、ます……」

「まあいいじゃん、水族館行くんっしょ? 俺らも行くところだったからさぁ、ご一緒しない?」

 

 声のする方に振り向けば、そこにはいかにもチャラ男です、と全身で主張しているような、恐らくは大学生らしき三人組が、白いワンピースに同じ色のミュールを履いた女子を取り囲んでいる光景があった。

 その声を聞き間違えるはずもない。あれはこよみだ。

 どうやら厄介ごとに巻き込まれていたらしい。もう少し早く到着できていればよかったものを、と悔やむが、後悔先に立たずとはいったもんで、起きてしまったことは変えられない。

 

 ならどうするかって、答えはシンプルだ。

 お話し合いをすればいい。いかにもチャラ男ですって見た目してるけど、案外あいつらだって話がわかるやつらかもしれないぜ。

 まあ十中八九そんなことはないんだろうけどな。俺はとりあえず決裂前提で交渉内容を頭に浮かべながら、囲まれているこよみの元へと駆け寄っていく。

 

「すまないな、其方の子は此方の連れなんだ」

「ん? もしかしてお姉さん、アンタもご一緒したい感じ? だったら俺らと一緒に遊んでかない?」

 

 チャラ男代表と思しき真ん中の男に話しかけちゃみたが、読解力が致命的に欠如していた。

 凄えな、日本語喋ってるのに日本語通じてないんだぜ。一周回って尊敬するレベルだな、しないが。

 それになにをどうやったら今の流れでそうなるんだよ。

 

「すまない、其方にとっては言葉が難解すぎたようだ。此方は退けと言っているのだ」

「……あ?」

「繰り返す、此方はその子から手を退けろと言っている」

 

 急に殺伐とした空気になったが、まあ仕方ない。一触即発って感じで今にも殴りかかってきそうなチャラ男三人衆だが、公衆の面前で女に手を上げるなんてさすがにやってこないだろう。

 ──と、思ってた時期が俺にもありました。

 予測通りに殴りかかってきたチャラ男改めチンピラの拳を躱してボディブローを叩き込む。

 

「が……はっ……!」

「加減はした、死にはしないぞ」

「こ、このアマぁ! ぶっ殺すぞテメェコラァ!」

 

 こよみを人質に取られても面倒だ、とりあえずは連帯責任ということで残り二人もなんとか始末しておきたいと思っていたが、殴りかかってきてくれたのは幸いだった。

 先に手を出したやつが悪い。この世の原則を破ってまでプライドを優先したのは褒めるべきなのか貶すべきなのか迷うところだが、こよみに手を出そうとしてたんだから盛大に唾棄してやろう。

 そんなわけで殴りかかってきたチンピラBの顔面に肘打ちを喰らわせて、そのまま回し蹴りのハイキックでチンピラCの顔面を打ち抜く。

 

「先に殴りかかってきたのは其方だが……続けるか?」

「……な、なんだよこいつ……お巡りさぁん!」

 

 警察を呼ぶのはいいとして罪に問われるのは多分お前らだぞ。まあその前に、その辺にいるであろう公安の連中から肩ポンされるだろうけどな。

 表立って堂々と動けはしないのがネックといえばネックだが、裏の事情が絡んでくれば迅速に対応してくれるのが公安だ。

 魔法少女絡みとくればまあ喧嘩の一つ揉み消すぐらい朝飯前だろう。

 

「すまないな、こよみ。此方がもう少し早く着いていればこうはならなかったものを」

「……ぁ、ぇ……いえ……わたし……また、助けてもらって……」

「其方が泣く必要がどこにある。悪いのは連中だ。それよりも早く水族館に向かおう。一緒にな」

 

 白い日傘に白ワンピース、そしてその淡い色彩を引き立てる銀髪と赤い瞳。さながら今のこよみは物語の中から抜け出てきた妖精だ。

 ハンカチで涙を拭ってやりながら、俺はその容姿の端麗さにただただ圧倒されていた。

 可愛いは作れる、というが作れない可愛さというか、別に可愛さに限らず、圧倒的な力ってあるよな。こよみのそれは間違いなく天賦の才だといってもいい。

 

「……はい……っ!」

 

 そんなこよみの、満開の笑顔が見られたのは案外、怪我の功名ってやつなのかもしれないな。




可愛いは作れる(費用は問わないものとする)


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さかなー

 動物を見たり触れ合ったりすると癒されるというのは科学的に実証されているらしいが、果たしてそれが魚類にも適用されるのかは、全くもってわからない。

 ただ、薄暗い館内で淡く照らし出された水槽の中を、魚やらなにやらが泳ぎ回っている姿を見て、情緒を感じないかと訊かれた時に首を横に振ればそれも嘘になる。

 名前も知らん魚が回遊しているのを茫洋と見つめながら、俺はそんな他愛もないことを考えていた。

 

 前世じゃ生まれ変わったらなんの生き物になりたい、みたいな話をクラスの女子がしていたことを思い出す。

 その時は満場一致で動物園のパンダという結論だったな。パンダもパンダで大変なんだぞ、生きるために仕方なく笹食ってるようなやつらなんだから。

 だが、動物園のパンダとか、水族館にいるイルカとかそういうのが羨ましくなる気持ちはわかる。

 

 人間社会のしがらみから解放されて、ただひたすらに食って寝て、あるいは泳いで過ごす生活。

 退屈に違いないだろうが、正直羨ましい。

 きっと人間、考えることや生きることに疲れてるんだろうな。高度な知性を持ったことが必ずしも幸せに繋がるとは限らないってのも皮肉なもんだ。

 

「……西條、先輩……?」

「……ん、すまない。少しばかり考え事をしていてな」

 

 こよみに先を急がないのかと服の裾を引っ張られて、ようやく意識が現実に戻ってきた。

 まあよくよく考えたら生まれ変わってるんだよな、俺。鳥になりたかろうが蟹になりたかろうが貝になりたかろうが、問答無用でクソゲー世界の冒頭で死ぬキャラに転生だ。

 神様だか女神様だか知らないが、慈悲の欠片もありやしない。善意百パーセントでやったんなら、尚更救いがない。

 

「……ぇ、えっと……西條先輩は、お魚、好き……なんですか……?」

「ふむ……」

 

 よっぽど熱心に水槽を見ていたと思われてしまったらしい。

 別に好きでも嫌いでもないんだが、こよみの問いかけに対して、ばっさりと返すのはなんというかこう情緒とか風情に欠けることぐらいは俺でもわかっている。

 仕方あるまい、疑問文に疑問文で返したらテストは零点だろうが、ここは女子の定番トークを振り返すことにしよう。

 

「ふと、生まれ変わったらなにになりたいか……と考えていてな。こよみは、なにかそういったものはあるのか?」

「……生まれ変わったら、ですか……?」

「肯定する」

 

 生まれ変わったらどうこう、ってのも魔法少女にとってはある種皮肉な問いではあったことに今更気づく。

 ここは気を抜けばすぐ死ぬ世界だし、メタ的な事情を差っ引いても、心臓を摘出するときに一回死んでるようなもんだからな。

 少し話題選びをミスったかもしれない。小首を傾げて考え込むこよみに、なにかフォローできる言葉はないかと考えを巡らせていた時だった。

 

「……くらげ……」

「クラゲ」

「……ぁ、はい……くらげみたいに、ゆらゆらって、水族館の中で……泳いでいたいなって……」

 

 なるほど、だから先を急ごうとしてたのか。クラゲが展示されてるコーナーはもう少し奥の方だからな。

 それにしたってクラゲか、前世で沖縄に行った時、海面に手をついたらブニョって感触を味わって以来、俺の中ではどうにも苦手な生き物にリストアップされている。

 そんな個人的な感傷はともかくとして、なんとなくこよみらしい答えだと、そう思った。誰と争うこともなく、生きるままな箱庭の海を漂う月の欠片。

 

 そんな心優しい女の子を全方位から全力で、念入りに曇らせにかかるクソゲーがあるらしいな。

 是非とも製作者とシナリオライターの顔が見てみたい限りだった。今なら多分一発ぐらい右ストレートをぶち込んでも許されると思うんだ。

 だが、世の中、基本的には先に手を出したやつが悪いからな。精々全ルートやり尽くした上での感想という体で論文並みに分厚いファンメを送りつけることしか俺にはできなかったよ。

 

「クラゲか……」

「……西條先輩は、くらげ……嫌い、ですか……?」

「見ている分には綺麗だと感じることはある。だが触るのは少しばかり苦手だな」

 

 クラゲっていったって範囲が広いからな。

 日本漁業の厄介者として名を馳せてるエチゼンクラゲだとか、毒を持ってるカツオノエボシ、そして世界最悪の殺人クラゲことキロネックス。

 もうキロネックスって名前からして臨界獣みたいなもんだから困る。スズメバチといいヒグマといい、なんであんな殺意高い生き物を生み出したんだこの星は。

 

「……ぁ、ぇ……わ、わたしも、触るのはちょっと、怖いなって……」

 

 クラゲに刺されたトラウマでもあるのか、左の二の腕をさすりながらこよみがはにかむ。

 多分触らん方がいいと思うぞ。

 なんもいないだろと思って海面に手をついたらゼリーの出来損ないみたいな感触を味わうことになるんだ、そしてなにより無色透明だと見えづらいんだよ、クソ設計がすぎる。

 

「で、でも……なんにも囚われることなく、自由に生きられたら、なんでもいいのかも……」

 

 自分の答えに自信がなくなってきたのか、こよみはもじもじと人差し指同士を突き合わせながら、耳まで赤くして俯いてしまう。 

 自由に生きたい。恐らくはこよみだけではなく、魔法少女たちが皆願っていることだ。

 言葉通りに俺たち魔法少女は皆、基地や駐屯地に、国の用意した水槽の中に詰め込まれているのだから。

 

「其方の答えは間違っていない」

「西條、先輩……?」

「自由、すっかり聞かなくなってしまった言葉だ。我々が魔法少女だからこそ、だな」

 

 この薄暗い部屋を照らしている照明というか、灯っているかもわからんそれを頼りに、俺はただライトアップされたクラゲに一瞥を投げる。

 この戦いが終われば自由になれる、とは戦争映画でよく聞く言葉だが、戦いがいつ終わるのかなんてわかりやしなければ、戦いが終わった後の世界に魔法少女の居場所があるかどうかもギリギリだ。

 生憎、臨界獣の襲撃がいつ終わるのかを俺は知らない。ゲームはトゥルーエンドで強制的にこよみが自らを犠牲に捧げ、「穴」そのものを破壊する形で終わっていたが、この世界は、全ての元凶を倒せばスタッフロールが流れて終わるそれじゃないことは、きっと誰よりもわかっていた。

 

「……魔法少女……」

「だから、勝ち取らねばならないな。未来を……我々が自由に生きられる時代を」

 

 クラゲになんて生まれ変わらなくなっていい。

 ただこんな救いようもない世界でも、幸せだと思えることが一つでも多く増えてほしいと願っているし、俺自身、そのために命を張っているところもある。

 死にたくないし死なせたくない。結局のところ、転生して一日でそう思えた感情こそが、俺を突き動かしているのかもしれなかった。

 

「皆で生き残って……そうして潰れそうな喫茶店でウェイトレスをやるんだ、中々悪くない未来だろう」

「……はい……っ……!」

 

 魔法少女がもしも不要になった世の中がきたら、「間木屋」がどうなるのかはわからない。潰れる可能性は大いにある。

 でも俺は、存外あの場所が気に入ってたりするのだ。由希奈がバカやって、葉月がそれに巻き込まれて、まゆとこよみもなんだかんだでその輪の中に入っていって。

 そうだ、生きている。この世界にいるのはゲームのキャラクターなんかじゃない、命を持った人間なのだ。

 

 だからこそ、守りたい。

 だからこそ、死なせたくない。

 この掌で抱え込むには、命の数があまりに多すぎてままならないという現実が立ちはだかったとしても、零れ落ちていく命を少しでも減らせるように、戦っていかなきゃならないんだ。

 

 そのためだけに生きている。きっとそのためだけに、生かされている。

 心臓の代わりに今も血液を循環させている、魔導炉心が埋め込まれた胸の下辺りに触れながら、俺はその事実をただ噛み締めていた。




だから今生きている


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平穏はいつだって破られる

 クラゲをしばらく観察していた俺たちは、そのまま人波に流される形で、ゆっくり出口へと押し出されていた。

 土産物が並べてある棚には定番のクッキーやら、どこに需要があるのかわからん蟹の脚をリアルに再現したボールペンなどが並んでいて、まあ需要どうこうというよりは単に記念だとか財布の紐がつい緩んで買っていく、みたいな感じなのだろうとぼんやり考える。

 蟹の脚シリーズ、ライターもあるんだよな。俺はタバコ吸わんし、そもそも今世じゃ未成年だから吸えんから縁がない品物ではあるんだが。

 

 そんな具合に、蟹脚のボールペンの試供品の芯を出し入れしてみれば、かちゃかちゃと連動してハサミが動いて中々気持ち悪……もといリアルだ。

 持ち手側の質感も無駄に再現されてる辺りこだわりを持って作られてるな。

 試供品をかちゃかちゃいじくり回すだけいじくり回しておいて買いませんってのもなんだか気まずいし、由希奈への土産として買ってくか? あいつならゲラゲラ笑って喜ぶ……かはともかく受け取ってくれる気はする。

 

 とはいっても人数分お土産考えて買ってくってのも割と手間がかかる。

 定番のクッキーやらゴーフルでいいだろう、大佐も含めて人数割で分け合えばいい。

 余ったら常連客こと政府関係者四人と由梨さんに提供すればいいしな、と妥協たっぷりなことを考えながら、俺は適当にクッキーとゴーフルの箱を手に取って、会計へと向かおうとしたその時だった。

 

 こよみが棚の一点に目を向けて、きらきらと目を輝かせている姿が視界に飛び込んでくる。

 控えめな彼女にしては珍しいが、視線の先にあるものを見て、合点がいった。

 ゆるふわな感じのアレンジが施されたクラゲのぬいぐるみ。サイズは結構でかいな、高さだけで四十センチぐらいはありそうだ。

 

 魔法少女は一応国から給料が降りている。

 もっと込み入った話をするなら危険手当とかも出ているし、特級ともなればセーフ・ハウスの家賃に関しても完全に国の補助を受けている、まさに至れり尽くせりといった風情だ。

 だが、魔法少女は公的には死人である以上、遺族がいても死亡手当が下りることはない。死人である都合、行政サービスを利用するのにも国の裏ルートを通らなきゃいけないのが若干面倒なのだが。

 

 そんな話はともかくとして、なにがいいたいのかといえば、魔法少女は儲けられるか儲けられないかでいえば儲けられるお仕事だってことだ。

 こよみの口座にも結構な額が入っていることだろう。俺は通帳見た時、前世との落差で椅子からひっくり返りそうになったよ。

 それでも彼女がぬいぐるみの購入を躊躇してるのは、きっと遠慮でもしてるんだろう。

 

「こよみ、其方は買わないのか?」

「……ぁ、ぇ……えっと、その……わたし、だけ……お土産、買って帰るの……悪い、ですから……」

「ふむ」

 

 案の定だった。

 タダ券については元々恨みっこなしの勝負だったし、別に自分の金なんだから好きに使ったらいいとは思うんだが、それをできない辺りがこよみらしい。

 別に水族館行って土産物持って帰ってきたぐらいで一々誰も目くじらは立てんと思うんだがな。

 

 葉月だって、原作じゃこよみとギスってた主な原因は俺、というか西條千早がこよみを庇って死んだことなんだ。

 生きてる以上、そんなあからさまに因縁つけるような真似もするまい。

 なんて、メタなことを言ったとしても混乱するだけだろう。だったらそうだな、ここはスマートな解決手段に出るか。

 

「ふむ……ならばこのぬいぐるみは此方が購入しよう」

「……ぇ、ぁ……」

「其方へのプレゼントとしてな」

「え……っ……?」

 

 駅前じゃチャラ男に絡まれて散々な目に遭ったんだ、少しぐらい得をしたっていいだろう。

 それになんだかんだでこよみと話しててこっちも癒されたり、自分の中にある想いと向き合えたりして、結構感謝してるんだ。

 だったら身銭を切ることの一つや二つ、安いもんだ。俺はこよみの瞳を真っ直ぐに覗き込みながら提言する。

 

「で、でも……西條先輩、お金……」

「金は天下の回り物だ、此方の給料を此方がどう使おうともそれは自由だろう?」

「……そ、それは……そう、ですね……」

「そのぬいぐるみが気に入ったのだろう、こよみ。謙遜は美徳だが、時には自分に正直になることも必要だと、此方は考えている」

 

 自分の意見を言えないタイプほど、溜め込んでしまうタイプほど後々になって爆発した時が大惨事だとは相場が決まっている。

 それを差っ引いたとしても、こよみももう少し自分を主張できるようになれば、自分は自分だと胸を張ることができるようになれば、葉月との関係性も改善されるんじゃないかってのがこっちの見込みだ。

 未来のために投資する実益と、感謝の気持ちとして贈り物をするという義理立ての両方を兼ねる選択肢なんだ、五千円近く飛んだところで痛手じゃない。

 

「此方からの贈り物……受け取ってもらえるか?」

「……っ、は、はい……っ……! ありがとう、ございます……っ……!」

「それでいい。では会計へ──」

 

 改めて会計へと向かおうとした刹那、ぴしり、と脳裏にヒビが入ったような感覚が一瞬だけ走り抜けていく。

 こよみ。ぬいぐるみ。待てよ、このイベントはどっかで見覚えがある。

 ああそうだ、完全に思い出した。こよみにぬいぐるみを贈るというイベントが「魔法少女マギカドラグーン」には用意されていて、原作じゃあ大分後、そして舞台はゲーセンでの話だったが、今俺が経験してるのはそれの前倒しなんじゃないだろうか?

 

 そしてこのぬいぐるみ贈呈イベント、好感度とその時生存しているのが誰かによって分岐したはずだ。

 と、いうことは、今のところこよみから一番好感度高いのは俺ってことなのか。いや、確かに原作じゃ唯一の理解者ポジションではあったからそれも頷けるんだが。

 とはいえ、好感度がこうして可視化されるってのはなんだかんだで気まずいというかなんというか、こよみが信頼を寄せてるのはきっと「西條千早」であって「俺」ではないという事実が重い。

 

 今の「西條千早」は「俺」だ。

 それはどうやったって変えることはできない以上、なんだかこよみからの信頼を裏切ってるような気がして罪悪感が物凄い。

 それでも、変えられないのなら、戻れないのなら、前に進んでいくしかないんだけどな。

 

 ついでにもう一つ思い出したことがあった。

 ただ単に癒しを求めて魚やらクラゲやらを見に行くほのぼのとしたイベントが「魔法少女マギカドラグーン」というクソゲーに存在するのか?

 その答えは当然の権利のようにノーである。

 

 大佐との折衝で大分精神的に疲れてたから忘れかけてたが、原作における水族館訪問イベントもまた、クソゲー特有の山盛りな詰みゲーポイントとして名高い難所だった。

 葉月とこよみが二人で訪れる、というのが水族館イベントの筋書きだが、それが曲者で、このあとに控えているであろう襲撃に対して、魔法征装が使えず、魔術兵装を装備していないこよみは変身することができない。

 だから、葉月を操作して戦うことになるんだが、問題はNPC化したこよみを守り抜くのが難しい上に、生きていればやってくる味方の増援まで耐え抜くのも難しいという面倒極まる相手が待ち構えていることなのだ。

 

 しかも当然の権利のように市街戦になるから一般市民まで巻き込まれる。

 ゲームじゃ民間人がいくら死んでもクリアには関係ないが、この世界では雑に消費されるモブじゃなく、市民もまた名前と命を持った人間なのだ。

 その犠牲を、コラテラルダメージやら事故やら、そんな言葉で片付けることは許されない。

 

「すまない、こよみ。土産物は其方が預かっていてくれないか?」

「……ぇ、えっと……大丈夫、です……西條、先輩?」

「……助かるよ」

 

 会計をとっとと済ませた俺は、こよみに土産物を持ってもらう形で、水族館から早足気味に撤退する。

 腕時計型のデバイスで時刻を確認、外に出られたのはちょうど襲撃の一分前だった。

 ちょうどいいんだか悪いんだかわからんが、雪崩れ込んでくる人波に巻き込まれなかったのは幸いだ。

 

『特種非常事態宣言発令、繰り返します、特種非常事態宣言発令。市民の皆様におかれましては、ただちに最寄りのシェルターまで避難してください』

「……ドレス・アップ!」

 

 市民たちが警報に気を取られている間に変身を済ませて、俺はその襲撃者を迎え撃つべく、魔法征装「雷切」に手をかける。

 

「こよみ、其方もシェルターへ避難するんだ。この場は此方が引き受ける」

「……で、でも……西條、先輩……」

「……此方は死なんよ。必ず生きて帰る。此方を……信じてくれ」

 

 死亡フラグの塊みたいなことを言ってしまったが、ここはこよみの安全確保がなによりも優先事項だ。

 それに、宣言した通り安易に死んでやるつもりもない。今回の臨界獣がどんなやつで、どんな攻撃をしてくるかは予備知識として散々脳に叩き込まれてるからな。

 コントローラーをぶん投げそうになった前世の記憶と怒りを呼び起こしながら、こよみがシェルターに向けて走り出したのを確認し、襲撃者へと立ち向かうべく空に飛び立つ。

 

『Quiiiiii!!!』

「来やがったなこのクソゲー野郎が!」

 

 音速に迫る勢いで、夜空を裂くかのようにすっ飛んできた臨界獣、個体名「イビルイグル」へと白手袋を叩きつけるがごとく俺はそう叫んでいた。




そんなものだと相場が決まってる


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江戸の仇を長崎で討つみたいなアレ

 臨界獣イビルイグル。

 音速に迫る勢いで空をかっ飛んできたこいつの厄介なところは、その速度と飛行能力だ。

 体内を循環しているエネルギーをブースターと、空気抵抗を軽減するバリア代わりにして突っ込んでくるという、シンプルイズベストを体現したような敵に対抗するなら、こっちも相応に速度を合わせなければ一方的にヒットアンドアウェイで削り殺される。

 

 もしくは突っ込んでくるタイミングを見定めて、そこにカウンターとしての一撃を「置いて」おくのも有効だろう。

 どちらかといえば一撃の重さに特化している葉月を操作して戦うしかなかったゲームでは、カウンター狙いで相手の予備動作から行動を割り出す必要があった。

 しかもその間、NPCと化したこよみが余波で死なないことをひたすら祈りながら、だ。クソゲーかな? クソゲーだったわ。

 

 とはいえ、今はそんな悠長な戦術は取っていられない。

 雷の魔力を自己強化に回して、高空からの飛び込み攻撃を試みてきたイビルイグルの一撃を躱す。

 旋回性能どうなってんだよってぐらい無茶苦茶な急停止からの復帰速度も、急速に方向を変えるのも、理不尽で驚異的だ。

 

 それで勝てるんだったら、いっそのこと最初からカウンター狙いで兜割りでも叩き込めばいいのかもしれない。

 だが、地上の一般市民やこよみがまだ避難を終えていない状況で「待ち」に徹する戦い方をすれば、イビルイグルは厄介なことに遠距離攻撃を多用してくるルーチンが組まれているのだ。

 その嘴としか表現できないような器官から放たれる怪光線は、扇状に広がっていく特性がある都合、それを撃たれるごとに地上の被害は拡大していくと思っていい。

 

 だから、今俺が取るべき戦術は、敵からのヘイトを一身に集めて、葉月たちが来るまでこの場を凌ぎ切るか、あるいはこいつをどうにか始末することに尽きる。

 ただ、幸いなことに、魔導炉心が汲み上げた雷の魔力──この力があれば、音速に迫る相手だろうと、戦えなくはない。

 全身にプラズマを纏ったような炸裂音を響かせて、俺は二度目の襲撃に入ろうとした、イビルイグルの目玉を覗き込む。

 

「速さが取り柄なのは其方だけではないぞ……!」

『Quiiiiiii!?』

 

 背後をとられた敵の顔が驚愕に歪んだ──かどうかはわからんが、明らかに動揺したような鳴き声を発した辺り、驚くに値することだったのだろう。

 この雷魔法、なにが便利だって単体攻撃と範囲攻撃だけじゃなく、雷の速さを利用した自己強化や気絶も狙えるから、とにかく汎用性が高いところだ。

 そんな万能ユニットを序盤どころかチュートリアルで退場させる開発スタッフは本当になに考えてたんだろうな。大方こよみを曇らせることしか考えてなかったんだろうな。

 

 クソゲーとその制作スタッフへの怒りを薪として、背後を取ったイビルイグルへと俺は「雷切」を抜き放ち、斬りかかった。

 音速超えの速度に耐えられるその甲殻は相当堅牢なものではあったが、速度を乗せて振り抜かれた「雷切」の刃を防ぐには至らない。

 ただ、浅くもないし深くもない──斬った手応えとしては、ダメージが通っているかどうかは微妙なところだった。

 

『Qui』

「それはさせん……!」

 

 どういう絡繰かは知らんが、崩れかけた姿勢をホバリングのような動きで無理やり立て直したイビルイグルは、こっちをそれなりの脅威と認めてくれたのか、怪光線で撃ち落とそうと試みる。

 だがその予備動作はゲームで散々見てきたものだ、嫌になるほど、脳が破壊されるほど見せつけられてきたモーションだ。

 故に、先手を打つこともまた容易い。

 

 雷の魔力を足に収束させ、俺は敵の嘴をハイキックで蹴り飛ばした。

 行き場を失ったエネルギーが嘴の中で暴発し、イビルイグルは口腔内で炸裂した痛みに悶える。

 これで当分は街や市民に対して被害を及ぼすような攻撃は出せないと、普通であればそう思うところだろう。

 

『Quiiiiii!!!』

 

 だが、そうさせておいて、意識の隙間を突くようなトラップを用意しているのがこのクソゲーを作った開発陣なのだ。

 痛みに悶えながらも、怒りを燃やしてイビルイグルは咆哮する。

 そして、やつが取ってきた攻撃はといえば、その翼に纏っている羽毛に体内のエネルギーを宿して簡易的な弾丸とした、陰湿極まりない範囲攻撃だった。

 

「させるものか……誰一人として犠牲になど! 『雷帝招来』!」

 

 俺は「雷切」を天に掲げ、羽ばたきと共に射出された羽毛に狙いをつけて焼き払っていく。

 今はこっちも範囲攻撃を持ってるからいいものの、単体攻撃に特化している葉月でこの攻撃に警戒しなきゃならんのは本当にクソゲーだった。

 なにせかなり短い予備動作に合わせて、頭を殴ってスタンさせなきゃいけないからな。この羽毛攻撃を使ってくるかは敵さんの機嫌次第とはいえ、何度コントローラー投げそうになったことか。

 

「さて……どう出る?」

 

 今のところ遠距離攻撃、範囲攻撃は先に潰した。

 そうなれば、速度という強みを活かして肉弾戦を挑んでくるのが定石なんだろうが、正直なところ全く読めない。

 だが、嘴を破壊したことで敵も御立腹だ。民間人よりも俺を殺すのを優先してくることぐらいは予想がつく。

 

『Quiiiiii!!!!!』

「急旋回からの……爪か!」

 

 高空に飛び上がり、ぐるりと弧を描くような軌道をなぞると、イビルイグルは鋭い脚の爪を振り下ろしてきた。

 まともに受ければ、特級魔法少女の魔力障壁があっても助かるかどうかは五分五分ってところな技だが、予備動作がわかっていれば最小限の動きで避けられる。

 後の先を取る形で俺は敵の爪を回避、カウンターとして横薙ぎに刀を振るうことで、逆にイビルイグルの足を両断していた。

 

『Quiaaaaaa!!!』

「市民の避難は概ね完了している……こよみもシェルターに辿り着いたか」

 

 逃げ遅れた人がいたとしても、落ちてきた足に当たってくれるなよ。

 と、そんなことを思いつつ、眼下の景色を一瞥すれば、大体あの場にいた皆は避難できたようで、自衛隊と、バックアップとして控えている魔法少女ぐらいしか目に映らない。

 つまりここからは、なに一つ遠慮する必要はないというわけだ。

 

 原作じゃ散々煮え湯を飲まされてきたが、それも終わりだ。

 足と嘴という主たる攻撃手段を失ったことで、哀れな害鳥と化したイビルイグルを一瞥し、俺は「雷切」を鞘に収める。

 もう、敵に残されている攻撃手段は速度を利用した突進ぐらいしかないだろう。

 

 そして、その予想通りに急上昇したイビルイグルは、馬鹿の一つ覚えみたいに高空からの飛び込み攻撃を仕掛けてきた。

 前世じゃ散々翻弄されてきた恨みもある、今世じゃ人類の敵という大義名分がある。

 だったら、遠慮なくその頭をかち割っても問題ないというわけだな。

 

『Quiiiiii!!!!!』

「……これで終いだ!」

 

 一度収めていた鞘から抜刀、雷の力を増幅させた「雷切」の刃を大上段に振りかぶる。

 そうして俺は敵の突進を喰らうより早く、速く、疾く刀を振り抜いて、イビルイグルをその頭から、二枚下ろしに斬り裂いていた。

 断末魔の声を上げることすら許されずに、平穏を打ち破った凶星は空の藻屑と散っていく。

 

「……任務完了、か」

 

 葉月たちと合流するより早く片付いたのは想定外だった。

 だが、こいつを始末できたのも、全ては行動パターンを頭で覚えていたのと、西條千早が持つ「雷」の魔力特性が思っていた以上に優秀だったのが大きい。

 合流してきた葉月たちを遠目に見ながら、俺は安堵に小さく息をついた。

 

「あれれ、先輩一人で倒しちゃった感じですかー?」

「肯定する」

「さっすがトップエース、特級魔法少女の鑑ですねー、見たとこ街にも被害なさそうですし」

 

 完全勝利じゃないですか、と、冗談めかして由希奈が笑った。

 まあ、最初からギミックを知ってるタイプで、思った以上に相性も良かったとくれば倒せて当たり前なのかもしれないが。

 でも、守り切れた。シェルターからぞろぞろと自衛隊員の誘導に従って出てきた民衆に一瞥を投げて、俺は湧き起こってきた感慨に浸る。

 

「お土産、期待してますからねー」

「そういうこと言うもんじゃないでしょ、ったく……」

「葉月はお堅いなぁ」

「アンタが適当すぎんのよ!」

「まぁまぁ……二人とも、喧嘩しちゃダメですよぉ」

 

 漫才じみた由希奈たちのやり取りも、全ては生きているから、生きていてくれるからできることだ。

 できることなら、ずっと。ずっと、こよみも含めて、彼女たちには笑顔でいてほしいと、そう願う。

 そのためにも、まずは一つの山場を乗り切らなきゃならないんだよな。

 

 遥か東京湾に視線を向けて、俺は来たるべきXデーのことに、思いを馳せるのだった。




前世の恨みを今世で晴らす


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言い出しっぺの法則からは逃れられない

 臨界獣イビルイグルを二枚下ろしにしてから大体三日、俺はいつも通り客が来ない「間木屋」のテーブルを拭いていた。

 敵の襲撃も、今のところは一級クラスで対処できるレベルのものが続いているし、「暁の空」に関しては公安と二級クラスが手を組んで監視を厳にしているらしい。

 まあ、英知院学園襲撃失敗でゴーレムを失ったのが相当響いているのか、今のところは犯行予告もなにも上がらず、息を潜めてるようだけどな。是非ともそのまま解散してほしい限りだ。

 

「せんぱーい、そろそろランチタイムですねー」

「肯定する」

 

 相変わらずといえば客が来ないのをいいことに、テーブル席の一角に陣取ってソシャゲを周回している由希奈が、気怠げにそんなことを呟く。

 どことなく目が死んでるように見えるのは、要求素材の数がやたらと多いコンテンツにでも挑んでるからだろうか。

 ハムスターと揶揄されるソシャゲの周回だが、少なくとも回し車を走るハムスターにとってはそれがストレス発散として機能してるんだから、比べられるのはさぞかし遺憾なことだろうよ。

 

 それに、そろそろランチタイムだってんならハムスタータイムもそろそろ終わりだぞ、由希奈。

 わかってるんだろうか。いや、あれはわかっててギリギリまで粘るタイプの、夏休みの宿題を最終日まで放り投げるタイプの目だ。

 なんでわかるかって、前世の俺がそういう人間だったからだよ。世知辛いな。

 

「そういえばまゆー、店長どこ行ったのー?」

「店長なら用事があるって言って、一時間ぐらい前に外出してますよぉ」

「そうなんだー……なになに、デート? 相引き?」

 

 そこでなんでその選択肢が出てくるんだよ。

 いよいよ虚無が極まったのか、由希奈はスマホをポケットにしまい込んでダル絡みを始めたが、まゆが律儀にも答えた通り、大佐は一時間ぐらい前に外出している。

 店用の燕尾服じゃなくスーツ姿だったから、大方「M.A.G.I.A」か防衛省絡みの案件だろうと予測しているが、果たしてどうなのかはわからない。でも、確実に相引きではないと思う。

 

「こよみちゃん的にはどうよー? 私はおデートに一票入れてるけどー」

「……ぁ、ぇ……えっと……お仕事かな、って……」

「こよみちゃん、よく考えて。いかにも潰れそうで潰れない喫茶店のマスターなんかやってる男がふらりと店を空けてどこかに出かける……なんてシチュエーションだよー? これは美味しい話の種になるって相場が決まってるんだよ!」

 

 今頃会員制のバーとかできっと禁断の職場内恋愛に花を咲かせてるんだよ、などとこよみに力説し始めた由希奈を現実に戻すために、俺は表に出ている葉月を呼んでこようかと真剣に検討し始める。

 大体、デートスポットになるような洒落たバーが真っ昼間から開いてるわけねえだろうが。

 まゆは困ったような笑顔を浮かべながら、粛々とキッチン周りの準備を済ませているし、こよみはただ泣きそうな、助けを求めるような目で俺を見つめていた。

 

「……さ、西條、先輩……」

「おっとおっと、肝心な人に訊き忘れるとか由希奈さん失態だったよ。先輩的にはどう思いますー?」

 

 心からどうでもいいから業務に戻れ。

 などと答えたところで余計にダル絡みされるんだろうから、なんとかならんものか。

 大体仕事だろうがデートだろうが、裏社会に通じている他人の事情に深入りするのは特大の死亡フラグだぞ。

 

「仕事だろう。そろそろランチタイムだ、其方も持ち場に戻れ」

 

 とはいえ咎めなければ咎めないでこのまま暴走するのは既定路線みたいなもんだから、俺は溜息混じりに淡々と答えた。

 

「うーん、皆が意外とノってこない……恋バナってガールズトークの定番だと思うんですけどー?」

「馬鹿なこと言ってる暇があったらテーブルの一つも拭いておきなさいよ」

 

 今日も一枚とて減ることのなかったチラシの束を抱えて、店内に戻ってきた葉月が呆れたような目で由希奈を一瞥する。

 ガールズトークに花を咲かせるなら休憩時間中にしてもらいたいところだ。一応とはいえ、国から給料貰って働いてるんだから。

 もっとも、西條千早の中身こと俺は野郎だけどな。

 

「こんにちはー、あれ、千早ちゃん。店長は不在かい?」

 

 ドアベルがちりん、と音を立てると共に、確か鏑木だかそんな名前だった気がする役人が、今日も冴えない大学生風の格好をして「間木屋」へとやってきた。

 

「肯定する。店長なら一時間ほど前に外出している」

「そっかー、積もる話も色々あったんだけど、まあ帰ってきたらでいいか。まゆちゃん、いつもの頼むよ!」

「はぁい、ナポリタン大盛りがお一つですねぇ」

 

 鏑木さんはカウンター席に陣取るなり、葉月が持ってきたお冷を受け取って、いつも食ってる昼飯を注文する。

 彼のお仲間と思しき他の三人も続々と店内に足を運んできて、あとは由梨さんが来ればいつものメンツが揃うな、と思った矢先のことだった。

 

「すまないね、ちょっとばかり店を留守にしてしまって」

「店長」

 

 店長もとい大佐が、スーツ姿で見知らぬ女性を連れて店に戻ってきたのだ。

 黒縁の眼鏡がよく似合う、いかにも秘密組織のエージェントって感じの風貌をしたその女性が何者かといえば、確か設定資料集の隅っこに載ってたような気がしないでもない。

 

「ほら、やっぱりデートじゃないですかー」

「男女が二人並んでるだけでデートになるわけないでしょうが」

 

 勝ち誇ったように胸を反らせた由希奈に、営業スマイルを浮かべながらも葉月が辛辣なツッコミを入れる。

 有史以来、正論が誰かを癒したことなどないとは誰の言葉だったか忘れたが、逆にいえば正論で殴りつけるのが一番効くという話だ。

 実際それなりに効いたのか、ちぇー、と唇を尖らせつつ、由希奈は大層つまらなそうにお冷の補充へと戻っていった。

 

「残念なことにデートじゃあないよ、そうだな……西條千早、少し時間を貰えるか?」

 

 大佐と、恐らく見知らぬ女性のご用件がある相手は俺か。

 それにしても彼女が誰だったのか思い出すのに結構な時間がかかったもんだが、大佐とセットで、そして俺に用があるとなると、自ずとその答えは絞られてくる。

 女性の正体にして正解は、「M.A.G.I.A」の兵器工廠、その開発局の総責任者だ。

 

「……問題ない。此方はバックヤードに戻る」

「助かるよ。ああ鏑木さん、そんなわけでちょっと今日の話は遅れるよ、すまないね」

「いやいや、わかりましたよ」

 

 例の件ですね、などと迂闊な一言も漏らさず、存在を確認するだけで事情を把握している辺り、鏑木さんも大概プロだな。

 恐らく俺に対しての用件は部署や管轄を跨いで水平展開されているんだろう。

 そして開発責任者が直々にお出向きとくれば、なんの話かなんてのはもう察しがつく。

 

 間違いなく、地球産魔法征装──こよみのために俺が発案したそれにまつわることだろう。

 大佐に丸投げしてれば、というかするしかなかったから俺の出番なんてないもんかとタカを括っていたが、どうやら言い出しっぺの法則からは逃れられないらしい。

 いかにも冷徹なエージェント、という顔立ちをしている兵器開発局の責任者──萌葱麻里香女史は、密かに子供っぽい笑みを口元に浮かべながら、俺に一瞥を投げてきた。

 

 原作でもこんなイベントはなかったから、なにを訊かれるかはわからんが、中々離してくれなさそうな手合いであることは確からしい。

 ダル絡みをしてきた時の由希奈と同じような輝きを、レンズ越しに見る瞳に宿しながら、萌葱女史は大佐のエスコートでバックヤードに消えていく。

 さて、俺もメイド服から着替えて、お仕事をしなきゃならんのだろうな。

 

 一から十までなにかしらを問い詰められるという確信はあったが、兵器開発局の責任者が出向いてきたとなれば、少なくとも話がポシャったとか、そういうことはない……はずだろう。

 そう信じて俺もまた、二人に続く形で、いそいそと店内からバックヤードに退散するのだった。




ハムスター「訴訟も辞さない」


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顧客が本当に必要だったもの

「さて、改めて紹介させてもらおう。こちらは『M.A.G.I.A』兵器開発局最高責任者の萌葱麻里香女史、階級は大佐だ」

 

 メイド服から制服に着替えて、地下のブリーフィングルームに腰を落ち着けた俺に向かって、大佐は答え合わせのように萌葱女史を紹介してきた。

 彼女については、知ってはいるが知らないことの方が多い、というのが正直なところだ。

 なにせ設定資料集の隅っこに顔の三面図とちょっとしたフレーバーテキストぐらいしか添えられていなかったからな。一応好物がアンチョビなのは知ってる。

 

 そんな、表舞台には一切関わりがなかった存在が絡んでくるとなれば、いよいよ俺の行動は正史に対して影響を与え始めてきたらしい。

 こよみにぬいぐるみをプレゼントするイベントもそうだったが、原作にはなかった不確定要素、可能性──それは世界の強制力と真っ向から反発するもので、だからこそイベントの前倒しみたいな歪みが起こるのは重々承知している。

 そして、それがいい方向に転ぶか悪い方向に転ぶかについてもまたわからないが、少なくとも今回の件については悪い方に転んでくれないことを祈るばかりだ。

 

「はろーやーやー、キミが『魔導炉心』を五つもバッテリー兼放熱板兼着火剤にするとかいうとんでもない発案をした子で間違いないかな? 改めて名乗っとこう、私は萌葱麻里香。『M.A.G.I.A』の兵器工廠、その最高責任者だよ」

「此方は西條千早だ。特級魔法少女として認定されている」

「大佐からは聞いてたけど、お堅い感じなんだねえ……麻里香さんとしてはもう少し軽ーい感じに接してくれると気が楽なんだけども」

「努力はする」

 

 クールビューティーな見た目に反して意外と茶目っ気があるというかノリが軽いというか、割と予想外な反応をしてくる人だった。

 軽い感じもなにも突然中身の俺がべらべらとそのままの口調で喋りだしたら大佐に本人かどうかを疑われて詰みだろうよ。

 出資者は無理難題を仰るとはよくいったもんで。

 

「西條千早、君に萌葱女史を引き合わせたのはそうだな……ある種の確認と共有を行っておきたいからであって、なにか政治的な意図や揉め事があるとか、そういう話ではないよ。気楽に構えてくれ」

「了解した、とはいえ此方は元よりこういった性分なのでな。萌葱女史には申し訳ないが、理解をいただけるとありがたい」

「はいはい了解、んー、奇抜どころか、とんでもない発想をするからどんな子が来るのかって思ってたけど、案外普通だったねえ」

 

 麻里香さんも肩の力を抜けるってもんだよ、と嘯いて、萌葱女史は小さく笑ってみせる。

 だが、どこまでが本音でどこまでが演技なのかわからない辺り、案の定というか、この人も食わせ者だ。

 逆にいえば、そういう人間でなければ魔法という未知に挑み続けるのは難しいってことでもあるんだろう。

 

「まず今回千早ちゃんと共有したかったのは、魔法征装のコンセプトデザインというか、運用的にこんな感じのを想定してたのかなーって話になるかな」

 

 萌葱女史は大佐がプロジェクターを通してスクリーンに投影した一つのデザイン案、とでも呼ぶべきスケッチと、開発中と思しきパーツ類の写真を指してそう言った。

 デザインに関してはほぼそのまま、大佐があの日いじくり回してた高級玩具の武器を兵器に落とし込みました、って感じだった。

 収束砲撃用のバレルに、折りたたみ式で拡散砲撃用のバレルを被せ、常識的な範囲でこよみの魔力を収束ないし拡散射撃させる。

 

 そのためにまずは起動に必要なエネルギーはこよみが放出する余剰魔力を、空のバッテリーこと「魔導炉心」を四基内蔵したセルユニットへと送り込む。

 それによってエネルギーを賄い、拡散あるいは収束砲撃時に発生する余剰魔力は、銃身に内蔵した「魔導炉心」に吸収させることで、周辺に被害を及ぼさず、こよみの魔力を効率的に運用できる──というのが、俺の描いていた筋書きだ。

 しかも本体とバッテリーの「魔導炉心」に余剰をチャージしておく設計上、二発目はノーコストで撃つこともできる。

 

「こっちの理解としては、こよみちゃんの莫大な余剰魔力を上手いこと空の『魔導炉心』に逃してあげて、それを着火剤代わりに起動、本体の炉心と合わせて副次被害を最小限に抑えるって認識だけど、それで合ってる?」

「肯定する。其方と認識の相違はない」

「なるほどねぇ、それなら二発目はほぼタダで撃てちゃうけど……問題は二発撃つことに耐えられる砲身の素材選定と冷却技術ってとこかな、まあこれぐらいなら現状でもなんとかなるかも」

 

 ふむふむ、と頷きながら萌葱女史は手元のメモに何事かを走り書きさせる。

 写真を見る限り、射出機構自体は既に試作が作られているらしいが、実戦に耐えられるそれを作るとなると、課題点はまだまだ多いようだ。

 こっちとしては、ただただ来たるべきXデーまでに完成してくれればそれでいいんだが、こんなイベントが原作に存在していない以上、できることといえばお祈りと、萌葱女史を信じることぐらいだろう。

 

 Xデーまでに実戦投入ができなければ、諦める他にないというか、お台場がほとんど丸ごと更地になるんだ、そこは意地でも間に合わせてほしいところだった。

 だが、その日が来ることをなぜ知っているのか、について問い詰められるわけにはいかない以上、こっちの主張はあくまでも「こよみの魔力をいかに実戦で運用できる装備を作ることで、現場における負担を軽減する」の一点張りしかできない。

 いっそのこと大佐を信じて、俺がこの世界に転生してきたことを丸々話してしまおうかと考えたこともある。

 

 だが、異世界転生なんてジュブナイル小説やアニメの中の出来事でしかない以上、正気を疑われて終わり、が関の山だろうよ。

 

「とりあえず、ざっと課題点は洗い出せたかな。だから、ここから先はただ興味本位で訊くんだけど──千早ちゃん、『魔導炉心』を兵器に転用するなんて発想はどこから出てきたの?」

 

 萌葱女史の質問に、沈黙を貫き通していた大佐の目つきもまた険しくなる。

 確かにそこを疑問に思うのは、至極当然なことだろう。

 あれは、「魔導炉心」は言葉通りに魔法少女の心臓であって、魔力を「汲み上げる」ための装置だ。だが、その絡繰は、具体的には「魔力を汲み上げる」こと自体は魔法少女たちに伏せられている。

 

 つまるところ、魔法少女たちにとっての共通認識として、魔力というのは「自分の中から湧き出てくるもの」であって、「どこかしらから汲み上げてくるもの」ではないということだ。

 そのどこかしらがどこであるのかについても伏せられている都合、機密に触れない形で躱すのは難しい。

 さて、どう答えたものか。どう答えたとしてもロクな方に転ばなそうな予感しかしないし、馬鹿正直に大佐が玩具をいじくり回してたところから着想を得ました、なんて答えても信用してもらえないのは火を見るよりも明らかだろう。

 

「……此方が心臓を摘出し、『魔導炉心』をその代替としていることは周知の事実だと思われる」

「それはそうだねぇ、魔法少女は皆、魔力を行使するために、心臓を『魔導炉心』に置き換える必要がある」

「……だが、ふと疑問に思ったのだ。此方の心臓と置き換える前の『魔導炉心』は──最初から魔力を発しているのか、とな」

「……なるほど?」

「最初から等級に相当する魔力が満ちているのならば、試験によって等級を決める必要はないはずだ。つまり、『魔導炉心』は此方に、人間に埋め込まれることでその真価を発揮する。逆に言えば、埋め込む前のそれは、空っぽなのではないかと──それならば、こよみの魔力の受け皿になると思ったのだ」

 

 空っぽであれば、魔力を注ぎ込むことにも耐えられるはずだ。

 言い訳としては苦しいかもしれないが、とにかく魔法少女に移植される前の「魔導炉心」が空っぽである可能性に目をつけた、ということであって、機密に触れたわけではないということを、俺は強調する。

 要するに魔力の受け皿として空っぽの器が機能するかもしれないなら、それはバッテリーとしての運用する余地がある、という話だ。

 

「なるほどねぇ……流石は最強の特級魔法少女、ってところだね。うん、キミの推測は合ってるし、実際その発想が麻里香さんたちには欠けていただけで、使えるか使えないかでいえば使えるってことに間違いはないね」

「……疑いは晴れただろうか?」

「疑い? いやいや、ただ麻里香さんは訊いてみたかっただけだよ。そしてキミから話を聞けてよかったよ、千早ちゃん。いい感じのヒントになったからね」

 

 興味はそれで満たされたのか、開発はなるはやでやっとくからね、と一言残して、萌葱女史は立ち上がる。

 どこまでが本当でどこまでが嘘なのかはわからないが、少なくともまだ俺になんらかの処分を下すより、このまま運用した方が価値がある、と思わせられたのは確かだろう。

 こういう駆け引きは相変わらず胃と心臓に悪い。生憎もう、心臓はないんだけどな。




例えるなら収束波動砲と拡散波動砲の切り替えができる兵器


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きっと何者でもないとしても

 訊いてみて興味が満たされたのか、どことなく上機嫌な萌葱女史に対して、大佐は俺に対してなんらかの疑いをかけているようだった。

 と、いうのも、さっきから無言の圧力を感じるというか、そもそも地球産の魔法征装を作るって提案をした時点で疑われてはいるんだろう。

 英知院学園の時の功績があったから、筋としてこっちの主張は通してもらえたが、その発想がどこから出てきて、なぜ地球産魔法征装を必要としているのか、については苦し紛れというか、「それだけじゃないだろう」と言いたげなのは明らかだった。

 

 極論、現場の負担を軽減するだけならもっと他に方法がある──のかもしれない。

 かもしれない、というのは現状、原作においてこよみがどんな武器を扱って、どんな活躍をしたかは知っているが、逆にいえばそれ以上を知らないからだった。

 それでも、大佐がこっちを強く詰問してこないのは、彼にも彼の事情、というか隠し事があるからに他ならない。

 

 一切合切大佐の隠し事を暴露したところで、こよみたちに信頼してもらえるかどうかは微妙なところだが、「M.A.G.I.A」や政府にとっては大きな痛手になる。

 そして、俺が「どこまでなにを知っているのか」について大佐は全く情報を持っていない。

 つまるところ、俺という爆弾を刺激し続けることで発生する連鎖爆発を恐れているからこそ、あの人は疑いこそしても、直接それを訊いてくることはしないのだろう。

 

 それに、俺という存在は、特級魔法少女はまだ組織にとっても国にとっても有用である以上、多少出所が怪しかろうが有益なアイディアを持ってきたんだから無罪放免、ってところもあるんだろうな。

 貴重な「魔導炉心」を武器に転用するなんて発想に対して許可が下りたのは間違いなくこよみが特級魔法少女、その中でも規格外の秘密兵器だからなんだろうが。

 ただ、許可をもぎ取ってきてくれたのは大佐なわけで、恩の一つも返しておかなければ、このまま疑い続けられれば、心証がよくないのもまた事実だった。

 

「此方になにか尋ねたいことがあるのだろう、大佐?」

 

 萌葱女史には聞こえないよう、小声で俺は耳打ちする。

 この世界に転生してきました、という事実は伏せるとして、どこまでを打ち明けるのが悩みの種だが、最低限信用してもらえる程度には真実を語らなければなるまい。

 そして、可能なら俺と大佐が共犯者として一蓮托生になるのが理想的だ。

 

「……そうだな。前ははぐらかされてしまったが、君は何者だ? おれの知る『西條千早』は……戦い以外にはまるで興味を持っていないような、仲間に対しての信頼は厚いが、逆に言えば自分の任務に必要な存在だから背中を預けているような女性だった」

 

 そこが根本的に変わったわけじゃない。だが、違和感はある。

 俺の食生活事情もきっと腕時計型のデバイスを通じて政府やら組織に筒抜けになってるんだろうが、その辺も疑われてるのかもしれないな。

 しかしな、西條千早ってメタなことをいえばチュートリアルで死ぬことが決まってるから、設定なんてあってないようなもんなんだよ。

 

 呆れるぐらい淡白でフレーバー要素が少ない、そんなキャラクターだったとしても、この世界じゃ「そういう人間」として生きてるわけで。

 正直その辺は失念してたな。だがあの完全食フレークだけ食ってるような虚無を煮詰めた食生活にはとても堪えられん。

 食生活の話はともかくとして、俺という異物が入り込んでいる都合、生じる違和感はいくらロールプレイを徹底したとしても拭い切れないんだろう。

 

 その上「魔導炉心」を地球産魔法征装の核とする技術的ブレイクスルーまで持ってきたとなれば、「戦い以外にはまるで興味を持たなかった西條千早」という人間の行動としては明らかに逸脱して見える。

 こよみのため、じゃなくて自分のため、ならまだ筋は通ったのかもしれないが、別に今のところ「雷切」で事足りてるしな。

 嘘はいけないが正直に話しすぎても現実味に欠ける、八方塞がりな状態だが、どう切り崩していくかね。

 

「そうだな……此方がもしも此方ではなければ、其方はどう出る、大佐殿」

「相応に監視をつけざるを得ないだろうな」

「其方のように、か?」

 

 大佐が息を呑むのが、はっきりとわかった。

 そうだよ、ここまで来れば一蓮托生、同じヤバげな爆弾持ってる人間同士、仲良くしようじゃないか。

 こっちはそっちの秘密を知ってるぜ、というポーズを取っておくのは交渉の場で有利に立つためだ。

 

 抱えてる爆弾を可視化することで、下手に事態を荒立てれば大爆発だと事前に示しておく。

 あんまり好きなやり方じゃあないが、疑いを晴らすのが無理そうならいっそ、共犯者として一緒の鎖に繋がれようってことだよ大佐殿。

 一緒にこのクソゲー世界を渡る泥舟に乗ろうじゃないか、沈まないように補修しながら、そして舵を取りながらな。

 

「……君に対しての疑いが強くなることを承知の上での言葉かい、それは?」

「肯定する。だが、此方も其方を疑うことができる」

「……」

「ならば、建設的な話をしようではないか。其方が『西條千早』を信じられないのなら……『此方』を信じてほしい。此方が何者であろうとも、人類を守る……一人でも多くの人間を生かしたいという心に嘘偽りはない」

 

 例え中身が別人だろうと、思っていることは、願っていることは多分西條千早と変わらない。

 一日でも早くこの戦いに決着をつけたい、一人でも多くの人間を救いたい、死にたくなければ死なせたくもない。

 それだけは本当のことなんだよな。まあその結果疑われて、この場で銃殺されても仕方ないとはいえ、だ。

 

 だからここから先は賭けの話になる。

 秘密を盾にした上で「信じてくれ」と迫る人間を信じられるかどうかでいえばまあ信じられないんだろう。

 だが、俺がどこまで本気でそう思っているのか、についてはそれまでの行動と実績を鑑みて審査してほしいところだった。

 

「……人類のため、か」

「仲間のため、でもある。此方としては──例えそれが不可能だとしても、誰一人として死んでほしくはない」

「それだけでおれに、君を信じろと?」

「肯定する」

 

 例え俺が何者であろうとも、掲げる理想と、貫き通したい想いにそれは関係ないはずだ。

 前世じゃ何者にもなれなかったのが俺という存在だとしても、この世界で「西條千早」という役割を背負っていく覚悟ならできている。

 例え何者だとしても、何者でもなかったとしても、今ここにいる「西條千早」を信じてはくれないだろうか。

 

 願うように、祈るように、俺は大佐の瞳を真っ直ぐに見据えていた。

 

「……正直なところ、『君』という存在についておれは、諸々含めて半信半疑といったところだ」

「……」

「……だが、君が本気で人類を守りたいというなら、それはこれからの行動で示してほしい。英知院学園の時のように、人を救い続ける道を歩むことで、『君』の覚悟を示してほしい。おれと君の思いが同じだというなら、な」

「口先ではなんとでも言える、か……その通りだ。ならば、其方には此方のことを見届けてもらいたい」

 

 ──此方が本当に人類を救いたいと願っているのか、仲間に死んでほしくないと思っているのか、此方が示せるその全てを。

 

 俺は将来的に背中から撃たれることも覚悟した上で、大佐にそう断言する。

 正直、撃たれたくもなければ、そんな理由で死にたくもない。

 だが、命を預けるというのなら、この身一つを信頼してほしいというのなら、相応の覚悟を天秤の皿に乗せる必要がある。そういう話だった。

 

「全く……君という人間は食えないな」

「食べられて死ぬのは此方としても望むところではない」

「はは……まあ、そうか。それじゃあこれからに期待しているよ、『西條千早』」

 

 とりあえずは、滑り込みセーフってところか?

 完全に信用してもらった感じはしないが、幾分か大佐から向けられる懐疑的な雰囲気は和らいだような気がしないでもない。

 しかし、交渉というか、こういう腹の探り合いはひたすらに疲れるな。急に甘いもんが食いたくなってきた。

 

 とりあえず上に戻ったらまゆにパンケーキでも焼いてもらうことにしよう。

 体重とかカロリーに関しては戦いとか筋トレとかで発散できるだろうよ。

 だから実質カロリーゼロだ。なんの問題もない。

 

 前世じゃまるで興味のなかったパンケーキに惹かれつつあるところに、段々俺の意識が女子の身体に引っ張られてるんじゃないかという疑問を抱きながらも、とりあえずはメイド服に着替えて、フロントに戻っていくのだった。




秘密は守らなきゃいけないからしょうがないね


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女子力は多分隠しステータス

 俺たちが地下ブリーフィングルームから萌葱女史が戻ってきたところを由梨さんに見られてなかった──というか、今日は彼女の姿が見えないのは幸いだった。

 役人四人組は「間木屋」の裏の顔についても、萌葱女史についても知ってることだろうからいいとして、もしも由梨さんに目撃されてたら、大佐が一体どんな言い訳をするつもりだったのかは気になる。

 バイトの面接やってましたってのが一番無難か? 萌葱女史の年齢がいくつかはわからんし、タブーに踏み込むつもりもないが、メイド服が似合わないような顔立ちじゃない。

 

「遅いっすよ店長、なにしてたんです?」

「いやー、ちょっとばかり話が弾んでね。ところで鏑木君は?」

「あそこでウノやってますよ」

 

 役人四人組の中で暇を持て余していたのかそれともウノを勝ち上がったのかは知らんが、カウンター席でお冷のグラスを揺らしていた男が指を差す。

 まともな客が来ないのを隠れ蓑に、テーブル席の一角に陣取る形で、由希奈と鏑木さんは一騎討ちをしていた。

 なにしてんだこいつら。戻って早々目眩がするような光景に、俺は小さく溜息をつく。

 

「ここでー……スキップ!」

「待ってよ由希奈ちゃん、それズルいって!」

「ルール上認められてるんだから問題ありませんよー? そして更にスキップ! ずっと私のターン!」

「あーもう、サレンダー、サレンダーするから!」

「ウノにサレンダーなんてルールはないでーす」

 

 周りにいる葉月とこよみも白熱するウノに視線を向けている辺り、二人も参加してたんだろうか。

 しかしスキップ貯め込んで連打はえげつねえな、俺も大学時代に授業中やってたことあるが、相手にやられた時は思わずキレそうになったね。

 しかもそういうやつに限ってワイルドドロー4とかも温存してんだよな。

 

「これでウノでーす、場の色は……青で!」

「そういうことする?」

「そういうことしますー」

「……青の4だよ」

「はーい、上がりでーす! グッドゲームでしたー!」

 

 本当に温存してやがったよ。

 がっくりと肩を落とした鏑木さんは、店長が戻ってきたのに気付いたのか、急に背筋を伸ばしてカウンター席まで戻ってくる。

 

「すみませんね、ちょっと由希奈ちゃんたちに付き合ってたらこのザマで」

「構わないよ、おれたちも今戻ってきたばかりだからね」

「萌葱女史がいたってことは、例の件で?」

「そういうことだな、そっちは?」

「大した報告じゃあないですよ、上の方で例の件が正式に受理されたってだけです」

 

 定時連絡を淡々と済ませている鏑木さんと店長のやり取りから察するに、とりあえず地球産の魔法征装を作る計画は、防衛省からも正式に認可が下りたようだった。

 これで一安心、といきたいところだが、果たして開発と実装がXデーまで間に合うかどうかという懸念材料が残っている以上、気を抜くことはできない。

 その後は「暁の空」についての調査状況や、海外との連携のために外務省まで話が飛び火した、的なことはうっすらと聞き取れたが、正直頭使いすぎて腹減ってるからそれどころじゃなかった。

 

「まゆ、すまない。パンケーキを焼いてはもらえないだろうか?」

「パンケーキ、ですかぁ?」

「肯定する。無性に甘いものが食べたい気分でな」

「わかりましたぁ、でも西條先輩が頼んでくれるなんて、珍しいですねぇ……」

「……此方とて、そういう気分になることはある。今は無性に甘いものが食べたいのだ。期待しているぞ、まゆ」

 

 俺からの提案に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、まゆは目を見開いていた。

 どんだけ食に関心なかったんだよ、元々の西條千早は。いや、冷蔵庫の中身見ればお察しだったが。

 身内のオーダーで作る飯は賄いの範囲に入るんだろうか。

 

 はぁい、と上機嫌で間延びした返事をしたまゆを横目に見て、俺はそんなことを薄らぼんやりと考える。

 萌葱女史はいつの間にか帰ったし、由希奈はウノを片付けてるし、役人は店長もとい大佐と業務連絡中だ。

 端的にいって暇だ。やることがない。

 

 ポケットからポーチを取り出した俺は、爪やすりで自分のそれを削り始めた。

 動画の見様見真似だが、前世じゃまるで縁がなかった光沢を放つ爪を作るのも「可愛い」作りの工程としては重要だと、その動画じゃ息巻いていたから取り入れてみただけだ。

 特に深い意味はない。そう思っていた矢先のことだった。

 

「先輩、爪のお手入れ始めたんですか?」

「葉月か……ん、まあ、な。一応は接客業なのだから、身だしなみにも気を遣った方がいいのではないかと思ってな」

 

 すまん、それっぽいことは言ってみたけど完全に嘘だ。

 暇を持て余したからやってみてるってだけなんだよ。本当にすまない。

 営業スマイルを作って答えたのが響いたのかそれとも単に女子力高めたことがよっぽど嬉しかったのか、葉月は今にも飛び上がらん勢いで俺の手を取ると、早口でまくし立てる。

 

「先輩、普段から美人なんですから、ちゃんと色んなとこお手入れすればもっと可愛くなれるって思ってたんです! だから今度、アタシでよければ、ネイルとかペディキュアとか色々教えます! どうですか!?」

「……う、うむ……その時が来たら、よろしく頼む」

「ありがとうございます! その時はアタシ、全力で頑張りますから!」

 

 なんかマズいスイッチでも押しちまったのか、これは。

 目を輝かせる葉月は明らかにテンションが上がった様子で、鼻歌を口ずさみながらテーブルの掃除に戻っていく。

 ネイルアートにペディキュアねえ、前世の俺なら興味ないねの一言で切り捨てられるようなことだったが、今は正直なところ結構期待してるのがなんというか不思議な気持ちだ。

 

 可愛くなりたいとか格好良くなりたいとかそういう願望持って生きてたわけじゃないからな、前世じゃ。

 完全に諦めてたよ、その手の話は。

 そんな具合に前世から考えればありえないレベルで女子力が向上している己を振り返っていると、ふわりとメープルとシナモンのいい香りが鼻腔をくすぐる。

 

「お待たせしましたぁ、パンケーキですよぉ」

「うむ、感謝する」

 

 ふわふわの生地に、惜しげもなくかけられたメープルシロップとその隣に添えられたクリーム、アクセントのブルーベリーソース。

 どこからどう見ても胃もたれしそうなぐらいのカロリーと糖質の爆弾がそこには鎮座していたが、今は腹の虫がそれを欲してやまない。

 多分都心で食ったら千円じゃ足りなそうな見事な出来栄えのパンケーキがそこにはあった。

 

 これだけの料理スキルをまゆが持ってることにも驚きだし、彼女がこれだけの料理スキルを持ってても「間木屋」に客が来ない辺り、宣伝とかって大切なんだろうな。

 まあここは客が来たら来たで困るっていう複雑な事情を抱えてるから仕方ないんだが。

 そんな事情はさておき、パンケーキをナイフで切り分けて口元に運べば、ふわりとしたスフレの食感と、微かな酸味がアクセントになった甘味の暴力が口いっぱいに飛び込んでくる。

 

 ああ、そうだよ。こういう甘いものが、ひたすらに甘いものが食べたかったんだよ。

 腹が減ってるのもあって無限に食えそうだ。これだけ甘く味付けされてるのにくどさを感じないのもポイントが高い。

 なんのポイントかは知らないが。多分女子力スキルに貢献するやつなんじゃねえかな。

 

「うむ、うむ……美味い……!」

「よかったぁ……気に入ってもらえて、なによりですよぉ」

「とんでもない、此方も感謝している。まさにこういうパンケーキが食べたかったのだ」

「あはは……先輩も、女子力上がってきましたねぇ」

 

 パンケーキに舌鼓を打つ俺は相当緩み切った顔をしていたのか、まゆはどことなく苦笑した様子でそんな冗談を飛ばしてくる。

 前はどんだけ干物だったんだよ。

 出されたものは食べるが、出されなければあの虚無の完全食で全てを済ませていたのが西條千早だと考えると、なんというか本当に戦闘のプロって感じだったんだな。あっちは小遣い二千円だったらしいけど。

 

 しかし女子力ってのも謎の概念だよな。

 転生しても自分や他人のステータスを見るなんて芸当ができない俺の女子力はどうなっていることやら。

 見れたとしても多分隠しステータス、謎の基準で上がったり下がったりするのが、きっと女子力というものなんだろう。




ステータスオープンして女子力という項目があったらそれはそれで複雑だと思う


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君は頑張ってんだよ

 担当したくない業務ナンバーワンこと鍵開けを引き受ける羽目になったのにはもう慣れた。

 ローテーション制だからな、嫌でもお鉢が回ってくるんだ。だからそれ自体には慣れたってだけの話だが、嫌なもんは嫌なのには変わりない。

 ただ、遅くまで残って店の鍵を受け取って、戸締りのために安全確認をやって、家に帰ったらコンビニ飯食って風呂入って寝るぐらいしか余裕がない生活がおよそ健康で文化的かどうかについて、お偉方はもう少しだけ考えてみてほしい。

 

 まあ、今世はその辺幾分か緩いからマシといえばマシなんだけどな。

 オートミールに梅干しと割いたサラダチキンを乗せて、上から適当に作った和風出汁をかけて食べるとかいう、我ながらどこの料理かわからんそれを食って「間木屋」に辿り着けば、開店時間からおよそ五時間近く前なのにドアの前でちょこんと座り込んでいる人影があった。

 真っ白なフリル付きの日傘に隠れてる辺り、あれはこよみだろう。間違いない。

 

「おはよう、こよみ」

「……ぁ、はい、おはよう、ございます……っ……!」

 

 朝早くからなにをやってるのかは知らんが、とりあえずは同僚のよしみということで微笑と共に挨拶をする。

 いつもの調子で、ぴくり、と身体を震わせて立ち上がったこよみは、ぺこりと頭を下げてきた。

 別に悪いことしてるわけじゃないんだから堂々としてればいいと思う……ってのも難しいんだろうな。一体なにをしに開店五時間前から、しかも鍵開け担当の俺より早く店に来たのかは知らんが。

 

 忘れ物でもしたんだろうか。

 でも昨日店内の防火確認ついでに調べたけどそれっぽいもんは見つからなかったんだがな。

 こよみはどことなく緊張した様子で、日傘を持つ手が震えている。まさか本格的に業務が嫌になって辞表を叩きつけにきた……なんてことはないだろうが、なんにせよ、わからんなら直接訊いてみるのが一番だ。

 

「こよみ、今日は随分と早いな。鍵開け担当は此方だったはずだが」

「……ぁ、ぇ……えっと、はい……」

「忘れ物でもしたのか? 確認は昨日済ませておいたが、抜け漏れがあったなら此方の不手際だが……」

「……ぇ、えっと、違うんです……その……」

 

 どうやら忘れ物じゃあないらしい。

 だったら一体どうしてといった風情だが、もしかしてあれか、この前みたいに俺の手伝いでもしたかったんだろうか?

 言葉に詰まっているこよみを宥めるように俺も身を屈めて視線を合わせながら、続く言葉を待つ。

 

「……西條先輩は、すごいな、って……」

「……此方が、か?」

「……だって……色々、変わろうとしてて……ネイルとか、パンケーキとか……でも、わたしは……全然、上手く……いかなくて……せっかく、特級魔法少女に選ばれたのに、皆の役に立てなくて……だから……」

 

 せめて、お店を開ける時ぐらいはちゃんとお手伝いできるように早起きしてきたんです、と、涙混じりにこよみは語った。

 うーん、まずいな。

 原作じゃ自分の力が強すぎること、都市を守るには過剰すぎることや巻き添えの犠牲に悩んでいたこよみだが、俺が生きていることで別方向の悩みが噴出してきたらしい。

 

 変わろうとしているというか、それまでの人物像があまりにも淡白すぎて怖いんだよ、西條千早は。

 まあろくに設定も作り込んでなかったみたいだから仕方ないとしてもだ、なんてことをこよみに語って聞かせたところで、なにがなにやらと困惑されて終わりだろう。

 変わろうとしてる、ってところも概ね間違いじゃあないしな。前世からすればおおよそ考えられないような行動を取ってるわけで。

 

 ぽろぽろと赤い瞳から涙を零し始めたこよみをどう宥めたものかと、俺は考える。

 あくまで個人的な考えではあるが、別に無理してなにか、今とは別なものに変わろうと一念発起する必要はない、と思う。

 もちろん本人が強くそれを望んでいるなら言うだけ野暮ってもんだが、今のこよみの「変わりたい」という願望は、焦りに強く引っ張られてるんじゃないか、というのがこっちの見解だ。

 

「……わたし……魔法少女に、ならなければ……死んじゃってたんです……」

「……そうだな」

 

 ぽつりと語り始めたこよみの過去になにがあったのかについて、俺は全て知っている。

 設定資料集を穴が開くほど読み込んできたんだ、どういう経緯を辿ってこよみが魔法少女になったのか、どういう事情を抱えて魔法少女をやってるのかは承知の上だ。

 魔法少女になる人間は、大体生きるか死ぬかの選択を突きつけられて、それでも生きると、生きたいと答えたやつだ。その結果どうなろうとも、だ。

 

「……それに、前は、ほとんど……お家から一歩も出られなくて……でも、魔法少女になったから……こうして、陽が当たる道を歩けるようになって……西條先輩みたいに優しい人たちから、いっぱいよくしてもらって……だから、わたし……少しでも、恩返しが、したくて……っ……!」

 

 こよみは、いわゆるアルビノだった。

 魔法少女になった理由こそ、ありきたりな悲劇だったのかもしれないが、それでも前に進もうとする辺りは泣き虫で気弱でも、確かに一本筋が通っている。

 魔法少女になったことで陽の当たる道を歩けるようになった、目が見えるようになった、そしてこんな自分にもよくしてくれる人がいるから、恩返しがしたかった。

 

 理由としては真っ当すぎる。

 むしろ趣味と実益を兼ねて女子力上げてるだけの俺と比べれば遥かに立派な動機だろう。

 だったら別に、変わらなくてもいいんじゃないだろうか。というかもう既に、こよみは十分変わろうと頑張ってるじゃないか。

 

「泣くな、こよみ。其方は……既にもう頑張っているだろう?」

「……ぐすっ……わたしが、ですか……?」

「其方がどのような人生を辿ってきたのか、此方は想像することしかできない。だが、事実として其方は受けた分の恩を返そうと努力をしている……それだけでは不足か?」

 

 人間、一念発起してなにか行動を起こしたところで上手くいかないことなんてざらにある。

 これはあくまで個人的な考えだが、むしろ、上手くいかない方の結果に目が向いて、可能性を放り投げてしまう人間の方が多数派なんじゃないだろうか。

 それでも、こよみは、上手くいかなくても自分なりになにかできることを探そうとして頑張っている。きっとそれだけで及第点以上だろう。

 

「……そうだな。中々割り切れないか」

「……」

 

 こくり、とこよみは涙を零しながら小さく頷く。

 

「ならば此方が、一つ保証できることを教えよう」

「……保証……?」

「ああ、そうとも。いつか必ず……こよみ。其方の、其方だけの力が必要になる日が来る。あまり大きな声では言えんがな、そのために『M.A.G.I.A』も、政府も動いている」

 

 なんでそんなこと知ってんだよとか返されたら答えに窮するだろうが、俺はそれでも真実をはっきりとこよみに伝えることにした。

 強すぎる力、あまりにも強すぎることで、無用の長物と化してしまっているこよみの魔力でなければ絶対に、街や市民に被害を出さずに倒すことができない「それ」は今も現れるのを待っている状態だ。

 だから、こよみには自分の足で、誇りを持って立ち上がってもらわなきゃいけない。

 

 今の悩みが、俺が死ななかったことで生まれたものであるのなら、なんとかここで迷いを振り切ってもらいたいところだった。

 

「わたしの、力……」

「それにな、鍵開けに立ち会ってくれるということは、開店作業も手伝ってくれるということだろう? それだけでも此方としては感謝の念が尽きんよ」

 

 いや、マジで。心の底からな。

 それぐらい面倒くさいんだよ、鍵開け担当ってのは。

 こよみが手伝ってくれるっていうならそれこそこっちとしては御の字だ。

 

「……でも、わたし」

「それでも、だ。こよみ、其方は頑張っている。其方の頑張りに助けられている人間がここにいる。そのことだけは、忘れないでほしい」

「……っ……! 西條……先輩……っ……ぐすっ、うええええ、んっ……」

 

 言葉にならない嗚咽と共に、胸に飛び込んできたこよみは、ぽろぽろと涙を零す。

 泣きたければ泣けばいい、つらいと叫びたければ叫べばいい。そのあと笑ってくれるなら、俺の胸でよければいくらでも貸そう。

 カウンセリングやお悩み相談なんて俺の柄じゃないのは百も承知だけどな。

 

 それでも、俺が誰かの役に立てるなら嬉しいって気持ちは案外そっちと変わらないんだぜ、こよみ。




確かに頑張ってるんだよ


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テーブルゲームって性格出るよね

 鍵開け作業と開店準備は、こよみが手伝ってくれたおかげもあって圧倒的に早く終わってくれた。

 食材の納入に関しては相変わらずまゆに任せるしかないとしても、一番面倒な店内清掃を二人でやったおかげで時間はだだ余りだ。

 こういう時こそウノでもやって時間潰すのが一番かと思ったんだが、あれは由希奈の私物だからな。

 

 なんで私物持ち込んで堂々と遊んでんだよって話は置いておくとして、基本は由希奈が持ち帰ってしまうから、朝方暇なときは本当に暇なんだよ。

 それに、二人でウノやったって虚無だからな。テーブルゲームは人数が多い方が色々と楽しい。

 前世で腐るほどハムスターしてたソシャゲをやる気にもならんし、俺も由希奈を見習ってなにか遊び道具でも持ってきた方がいいんだろうかと、そんなことを薄らぼんやりと考えていた時のことだった。

 

「おっはよーございまーす! あれあれ、まゆと葉月がいないってことは……もしかして私が二番目? じゃないね、こよみちゃんがいたわ」

 

 朝っぱらからハイテンションな様子で表口から店に入ってきた由希奈は、俺とこよみが無言で向き合っているテーブルを見るなり、ぽん、と掌に拳を軽く打ち付ける。

 なんだ、ちょうどいいタイミングじゃないか。

 店内清掃も終わって、暇を持て余してたんだから本当に助かった。由希奈のことだからきっと今日もなにかしらの遊び道具を持ってきてるんだろう。

 

「肯定する。此方とこよみの二人で開店作業は終了させている」

「あらら、それじゃー私の出番なさそうな感じですねー、っていうかこよみちゃん、朝早くから起きてすごくない? こっちは二度寝したいところを必死に堪えて店まで来たのにー」

 

 安心してくれ、誰だって二度寝したい。

 できることなら俺だって昼まで寝て適当な時間に起きて適当な飯を食って、という自堕落極まりない生活を送りたいところだ。

 まあ、そんな生活してたら大佐にどやされるだろうし、なによりプロポーションバランスが崩れることは間違いない。よって却下だ。

 

「……わ、わたし……その……頑張り、ました……」

「うん、めっちゃ頑張ってるねー、えらいえらい」

「……わ、わひゃぁぁぁ……」

 

 そう言って、由希奈はわしゃわしゃとこよみの癖っ毛を撫で回す。こよみを猫かなんかと勘違いしてないか、お前?

 とはいえ、か細い悲鳴を上げながらも銀髪を撫で回されてる当の本人は頬を染めてくすぐったそうにしているけど案外ご満悦だ。

 これもまたウィンウィンの関係ってやつなんだろうか。しかしえらいえらいって聞くとなんとなく腹立ってくるのは前世で民度が終わってる対戦ゲーやってたせいかね。

 

 他人を煽る暇があったらリプレイでも見返して自分の動きを改善してほしいもんだ。

 なんて事情は思考のゴミ箱にでもぶち込んでおくとして、由希奈が来たってことは暇を潰せる当てがあるってことでもある。

 どう切り出すか迷って、ふむ、とそれっぽく細い顎に指をやって考え込むような仕草を見せていると。

 

「じゃーん! 今日はジェンガ持ってきたんですよ、先輩! ちょうど三人いるし高さを競うエクストリームスポーツと洒落込みません?」

「此方の記憶ではそのような遊びではなかった気がするのだが」

「なに言ってんですか先輩、ジェンガは高さを追い求めてこそですよー?」

 

 極限まで高く積めるかどうかの方が勝敗よりも重要なんだと由希奈は熱弁していたが、俺にはよくわからん考え方だった。

 とはいえ遊びのスタイルなんてのは千差万別で、他人に迷惑かけない範囲なら自由にやればいい。

 開店休業状態とはいえ、店に持ち込んで堂々と遊んでること自体がまず咎められるべきことだってのはこの際置いておくとして。

 

「それじゃ私着替えてきますんでー、着替え終わったらジェンガやりましょうね、先輩、こよみちゃん! あ、葉月とまゆが来たら途中参加もありってことでー」

 

 葉月はともかくまゆはキッチン担当としての仕事があるから参加できないんじゃねえかな。

 言伝を残すなり、ジェンガを机に置いて由希奈はバックヤードへと駆け出していく。

 ジェンガか、ジェンガなあ。前世の大学時代は最後尾の床に座ってやってたな、崩れたら教授から大目玉を食らうから皆真剣にやってたのも今となってはいい思い出だ。

 

 授業中にそんなことすんなって言われたらぐうの音も出ないけどな。

 良い子は真似しないでね、ってやつだ。

 良い子はそもそもそんなことしないと相場が決まってるのはどっかに置いておくとして。

 

「……西條、先輩……?」

「ああ、すまない。少しばかり考えごとをしていてな」

 

 意味深な感じで呟いたのはいいが、考えてたのは本当にろくでもないことだ。

 しかしジェンガか、原作にこんなイベントがあったかどうかを改めて考えてみれば、何一つ覚えがない。

 これも俺が今日という日まで生き延びたことで発生した小さなイレギュラーってことなんだろう。ただ、悪い方向じゃなくていい方向のそれっぽいのが救いといえば救いだろうか。

 

「おはようございます!」

「おはようございまぁす」

 

 そんなことを薄らぼんやりと考えていると、葉月とまゆの二人も「間木屋」の扉を潜ってやってきた。

 大佐がいないってことは、今頃「M.A.G.I.A」本部か防衛省ないし政府関連の仕事でもしてるんだろう。

 テーブルの上に置いてあるジェンガを見ても特に珍しがることもせず、ツッコミを入れることもせずって辺り、由希奈の仕業ってことはもうわかりきってるんだろう。

 

「ああ、おはよう。葉月、まゆ」

「……お、おはよう、ござい、ます……っ……!」

 

 こっちからの挨拶を受け取るなり、バックヤードに向かった二人と入れ違う形で、エプロンの紐を結びながら由希奈が駆け足で俺たちが占領している客席まで戻ってきた。

 そんなにジェンガしたかったのか。

 まあ俺も暇を持て余してる身だから強く言えないんだがな。

 

「さてさて、お待たせしちゃいましたねー、それじゃあ高さを競うエクストリームスポーツ始めちゃいましょうかー! 崩しちゃった人は……そうだなぁ、とっておきの秘密を暴露するとかどうです?」

 

 ──上手くいけば私の秘密を知れるかもしれませんよー?

 などと由希奈は宣っていたが、元からこの程度の罰ゲームで秘密を喋るような性格じゃないのは知っている。

 大方毒にも薬にもならないことか、軽いものを打ち明けて終わりなのが関の山だろう。

 

「此方はそれで構わないが」

「……ぁ、ぇ……えっと、その……」

「大丈夫大丈夫、負けなければ言わなくて済むんだよー?」

 

 詐欺師みたいな言い草だが大丈夫なのか。

 困惑するこよみを強引に巻き込む形で、由希奈はジェンガを箱から取り出してバランスを整える。

 秘密か、秘密なあ。

 

 俺だってこの程度の罰ゲームで重大な秘密なんか暴露したくない。

 設定資料集からなんかいい感じの裏話を引っ張ってこられればいいんだが、西條千早に関しては本当にスッカスカだから困る。

 そんな俺たちを置き去りにして、由希奈は早速とばかりに一番下のブロックから真ん中のそれを一本引き抜く形で、山の一番上に乗せる。

 

「次は……そうだなぁ、先輩どうですー?」

「望むところだ」

 

 ジェンガ歴ならそこそこあるぜ、しかもエクストリームスポーツと言われたそれなら通算四年だ。

 我ながらひどいダメ人間だな、とセルフダメージを受けつつ、俺は下段から一段上の左側に配置されていたブロックを引き抜く。

 こういうのはな、重心を考えて互い違いにやってくのがコツなんだよ。

 

「……い、行きます……っ……!」

 

 ぷるぷると震えながらこよみの指先が引き抜いたのは、中段辺りのブロックだった。

 おいおい、早速バランス崩しにくるとか攻めに出たな。

 まあ、こよみのことだからとりあえず引き抜けそうなところを引き抜いたんだろうが。

 

 そんな具合に俺と由希奈は下段からひたすらブロックを抜いては積み上げて、こよみは安全策を取りながらも重心を適度に崩して、というプレイスタイルで、ひたすらブロックを高くしていく。

 ジェンガとこの世界は、なんとなく似ている。

 予定通りに進めばきっと大崩れすることはないんだろう。

 

 だが、俺というイレギュラーが可能性という爆弾を投下することで、良くも悪くもどんどん重心が変化していく。

 その変化に、イレギュラーが多発する可能性に俺はついていけるのだろうか。

 茫洋とそんなことを考えながらブロックを引き抜いていたら、ぐらついたところから一気にタワーが崩れてしまった。

 

「……しまった、抜かったな」

「それじゃー先輩の嬉し恥ずかしな秘密、聞かせてもらいましょうかー?」

「……秘密、か」

 

 隠し事なら腐るほどに、掃いて捨てるほどにある。

 だが、こんな場面でさらっと言うようなことじゃない。

 なんか無難な話題とかないもんかな、と思ったその時だった。脳裏に一つの閃きが零れて落ちてくる。

 

「……最近、胸のカップサイズが一つ上がった」

「本当ですか!? じゃあ今度シャワー浴びるとき、是非とも揉んで確かめさせて痛ったぁ!?」

「馬鹿なこと言ってる暇があったらチラシ配りの一つも手伝いなさいよ。先輩も、こほんっ! 一応、秘密兵器も……由希奈には真面目に付き合わなくたっていいですからね」

 

 拳骨を落とされた由希奈がテーブルに突っ伏してなにか反論しようとしているのも押さえつけるように葉月は由希奈を睨みつけるなり、隣の席で今日配るチラシの確認を始めた。

 うーん、俺としては別にどうでもいい情報だったからいいんだが、よく考えたら店開けてないだけで業務中なんだよな。

 てか今、葉月はこよみにもフォロー入れてなかったか?

 

 これはめでたいな。少しだけ葉月とこよみの距離感が縮まっていることに喜びを覚える。

 そして、崩れたジェンガ。本当に些細なミスで、薄らぼんやりとしていただけで崩れてしまった塔に、一瞬だけこの世界の行く末が重なり合う。

 冗談じゃない。そうはさせるものかよ、そうしてたまるものかよ──Xデーまでの残りの日付をカレンダーで確認しながら俺は、静かに拳を固めていた。




ジェンガは高さを求めるゲームではない


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Xデーまで何マイル?

 問題の臨界獣がXデー当日まで現れてくれない以上、先手を打つこともできなければ、そもそも地球産魔法征装の開発状況もわからない今、俺ができることといったらお祈りぐらいだった。

 こうして開発が間に合うことをひたすら祈りながら過ごしている日々は、嵐の前の静けさのように穏やか──ではない。

 俺たち特級魔法少女に限っていえば、ここ最近まで任務が回ってこなかったが、一級魔法少女が出動するレベルの案件が何度かあった程度には敵の侵攻も激化している。

 

 本来であれば一級魔法少女が出撃するって時点で軽い国難レベルなもんなんだが、そこをすっ飛ばして特級の俺たちに何度も任務が回ってきてるって現状は極めて歪で異常だ。

 メタなことをいえば、ゲームだからの一言に尽きるんだろうが、この国どころかこの世界が大分というか八割ぐらい詰んでるってことは忘れちゃいけない。

 それに、臨界獣がなんのために侵攻してきてるのか──その根本的な問題は「魔法少女マギカドラグーン」内で解決を見ていないのだ。

 

 設定資料集には無駄に作り込まれたクリーチャーの三面図やら大きさの比較図が書かれてたりはしたが、臨界獣については「異界から臨む人類の敵」以上に踏み込んだことは書かれていなかった。

 つまるところプレイヤーの視点というこの世界を俯瞰するための力を持っていても、あいつらが何者で、なんのために、どこから来てるのかを知る術はないって話だ。

 ゲームにおける最良の結末は見届けているが、それも「特級魔法少女たちとこよみの命、そして首都圏全域を犠牲にする形で『穴』を破壊する」という、どこがトゥルーエンドなのかと百万回は言いたくなるような代物だった。

 

 問題を解決こそしたが、謎については全く解決されず、プレイヤーの想像に委ねるだけ委ねて設定資料集にも明記しない。

 そういうところだぞ、そういうところがクソゲーとしての地位を盤石にしてるんだぞ「魔法少女マギカドラグーン」。

 百歩譲って本編ではそんな問題に踏み込む余裕すらなかったとしてだ、設定資料集にぐらいは書いておけ。

 

 強気すぎるお値段といい、なんのための設定資料集だと思ってやがるんだ、開発スタッフ。

 などと前世に思いと怒りを馳せたところでなにも解決しないのは火を見るよりも明らかだから、やめにしておこう。

 それに、世界の強制力がどれだけ残っているかもわからない。明らかに俺は強引なやり方で可能性をねじ曲げたからな、それはわかっている。

 

 わかってはいるが、気にするなってのも到底無理な話なわけで、だからこそ、ここまでそわそわして落ち着かないんだよ。

 ランチタイムという名の定時連絡を済ませて帰っていく役人たちを見送りながら、俺は背筋にそんなむず痒さを感じていた。

 

「先輩、なんかそわそわしてませんー?」

「……肯定する。少しばかりな」

「ここ最近、臨界獣やたら出てきてますからねー、まあ私たちに回ってくるほどじゃないですけどー」

 

 よっぽど俺の態度がわかりやすかったのか、由希奈は心配してるんだかしてないんだかよくわからない言葉を投げかけてくる。

 退屈そうにお盆を指先に乗せてくるくると回しているが、由希奈もまたここ最近の異常については気にしているらしい。

 今のところ戦死者なし、副次被害はあれど復旧可能なレベルで持ち堪えてはいるが、東京は常に厳戒態勢だ。

 

 市民の外出にも制限がかけられてるし、必要なら物資を持ってシェルターに避難することも推奨されているぐらいには、臨界獣の出現が短いスパンで繰り返されている。

 特種非常事態宣言こそ出ていないが、市民のストレスは相当なもんだろう。

 こんな状況につけ込んで「暁の空」のアホ共が騒ぎを起こしたり共鳴を呼びかけたりしないかと、上の方も疲弊していることは大佐と鏑木さんのやり取りで察せられた。

 

「ほんっと、いつ終わるのかしらね」

「でもでも、戦いが終わっちゃったら私たち、どうなっちゃうのかなー?」

「知らないわよ」

 

 モップの柄に細い顎を乗せて、葉月が溜息をつく。

 確かに臨界獣との戦いが終わったとしたら、魔法少女はどうなるんだろうな。公的には死人だとはいえ、流石にそのままポイってわけにもいかんだろう。

 いや、このクソゲーを作ったスタッフならその可能性も否定できないのが怖いところだが、そもそも戦いがいつ終わるかについては、原作トゥルーエンドを通らなければわからずじまいだ。

 

 そもそもその原作トゥルーエンドがあまりにも酷すぎるから現実をどうにか変えようと色々頑張ってるんだけどな。

 なんだよ、トゥルーエンドでも全滅って。

 全員の好感度を管理して隠しフラグを立ててアクションパートでもひたすら死なせないように立ち回って、苦行を乗り越えた果てに待ってるのがあの通称自爆エンドだぞ。

 

 確かに、可哀想は可愛いかもしれない。

 だが、俺は全方位に渡って曇らされるこよみの姿を見たかったわけじゃない。

 そもそもプレイヤーの脳を破壊しにかかってるとしか思えないシナリオの数々といい、死亡フラグは山ほど実装されてんのに人の心が未実装な有り様だ。プレイヤーをなんだと思ってんだあいつら。

 

 当のこよみはそんな未来を知る由もなく、わたわたとテーブルを拭くのを頑張っていた。

 何事にも一生懸命で可愛らしいこの子の脳と心を全力で、全方位から破壊しにかかっているスタッフはやっぱり畜生の集まりだ。

 自爆エンドを通らなかったら、この世界がどうなるのかについてはわからない。

 

 ただ間違いなくいえるのは、Xデーはゲームの中でも屈指の難関ミッションで、まずそこを乗り切らなければ話は始まらないってことだけだ。

 そして、都市も市民も魔法少女たちも犠牲にしない道として俺が投入した可能性という名の劇薬。

 うまく作用すればXデーを無事に乗り越えられるはずだが、その代償としてきっと世界は歪んでしまう。

 

 つまるところ、現状、俺の最大の強みである原作知識が全く役に立たないシナリオに突入するかもしれない、ということだけは改めて覚悟しておかなきゃいけない。

 そうなった時、俺はこの世界を生き延びることができるのか。

 そうなった時、また別な死因がこよみたちに襲いかかってくるんじゃないのか。

 

 そう思うと、不安で仕方ない。

 だが、もう後戻りはできないんだ。

 だったら俺が描く最良の結末まで、誰も死なずに、誰も死なせずに迎える未来まで辿り着くしか道は残されていない。

 

「どうせ一級非常事態宣言でお客さんも来ないし、今日はウノやりましょー、ウノ」

「アンタね、給料もらってるんだから、いくらうちが開店休業状態でも真面目に働きなさいよ」

「いつ臨界獣が来るかわかんないのに外出てこんなところに来るお客さんなんているー?」

「あはは……普通ならいませんねぇ」

「……ぇ、えっと……もしかしたら……いる、かも……しれない、ですっ……!」

 

 由希奈がふざけたことを言ったりやったらして、葉月がそれに突っ込んで、まゆが困ったような顔をして、こよみがよくわかってないけど真面目なことを言おうとして。

 こんな他愛もないやり取りがいつまでも続いてほしい。なにに怯えることもなく、脅かされることもなく。

 きっとそのための可能性だ。そのための転生だ。

 

 だったら、祈ることぐらいしかできないってんなら全力で祈るんだよ。

 ビビってる暇なんかない、止まってる暇なんかない。

 気合を入れ直すように、俺は頬をぴしゃりと軽く叩いた。

 

「先輩も店長もウノやりましょうよー」

「やれやれ……それじゃあ店は臨時休業だな」

「了解した、此方が店を閉めてくる」

 

 Xデーまで残り僅か。

 きっと、次の戦いがこの世界の分水嶺になる。

 だから、今は。今だけは、休息として皆と親睦を深め合うのも悪くはないな。

 

 扉にかかっている木札を「OPEN」から「CLOSE」に裏返して、適当な紙に「本日臨時休業中」と書き殴ってセロテープで貼り付ければ、気まぐれで店を開けたり閉めたりするいつもの「間木屋」の完成だ。

 今日は罰ゲームでなにを言わされることやら。由希奈のことだから多分ろくなこと考えてないな。

 そんな具合に苦笑を浮かべ、俺はこの凪の時間を、嵐の前の静けさともいえる束の間の平和を謳歌しに、店内へと戻っていった。




クソゲー特有の俺たちの戦いはこれからだエンド


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現れたる「災厄」

 とうとう訪れた。訪れてしまった。

 壁にかけていたカレンダーに赤ペンで印をつけていたその日が、原作通りに進むならお台場が更地になるXデーが、やってきたのだ。

 朝起きて、身だしなみを整えて、制服に着替えた俺はいつも通り「間木屋」に足を運んでいたが、街には相変わらず厳戒態勢が敷かれていた。

 

 こんな状況でも通勤しなきゃいけないインフラ関連の仕事に従事しているサラリーマンに、各所に配置されている三級から二級の魔法少女と自衛隊員。

 すれ違うのは概ねそんな面子ばかりで、市民の多くは数日分の蓄えと共にシェルターの中に篭っている。

 いつになったらこの非常事態宣言が解除されるのかと暴動が起きかねないレベルだが、安心してほしい。とりあえず、やつが現れてからは確か、しばらく臨界獣の出現は止まっていたはずだ。

 

 原作通りにいくんならの話だけどな。

 本当のルートを全力で外れようとしている今、未来の保証は誰にもできない。

 俺自身もそうだ。ここまでは死なずに来れたかもしれないが、ここから先、未知と遭遇したその時に死なないという保証はどこにもないのだ。

 

「……だとしても、だ」

 

 ゲームの中で更地になったお台場のことを思い返す。

 犠牲にせざるを得なかった市民たちのことを、そしてその引き金を引いてしまったこよみの絶望を、脳裏に浮かべる。

 そうでもしなければ、より多くの命が犠牲になっていた。そうでもしなければ、「平和」は守れなかった。

 

 自分にそう言い聞かせることでしか前に進めないような道を、俺は認めない。

 多数のために少数を切り捨てて進んだ先になにがあるかなんて、そんなのはわかりきったことだ。

 だから、可能性を示した。死傷者をゼロに抑えるのは不可能かもしれないが、できる限り犠牲を出さず、やつを全力で仕留められるための可能性を。

 

 問題はそれの完成が今日までに間に合っているかどうかで、そこに全てがかかっている。

 今日の鍵開け担当だった葉月の手伝いをする形で俺はテーブルを拭いて、店内にモップをかけて、と、来たるべきその瞬間にそわそわしながらも、いつも通りを装って労働に従事していた。

 こよみも朝早くから来て、俺たちの仕事を手伝ってくれている。

 

 平和だな。

 なんとしても守り抜かなきゃいけない平和が、そこにある。

 平和のためとか自由のためとか正義のためだとかいえば大層に聞こえるかもしれないが、要するに死にたくないし死なせたくない、ただそれだけだ。

 

「先輩、これ使ってみます?」

 

 そんなことを考えていると、藪から棒に葉月が問いかけてくる。

 その手に持っているのは口紅……じゃないな、リップグロスだ。

 若い内は過度にメイクしすぎると逆に肌を傷めるっていうしな、なんとも葉月らしい。

 

「……ん、リップグロスか」

「……あ、アタシのですけど……ほら、この前ネイル教えてほしいって言ってたじゃないですか。でも、時間かかるから……これなら先輩にも似合うと思うんです」

「そうか……ならば、塗ってもらってもいいだろうか」

「……っ、はい! 喜んで!」

 

 なんか死亡フラグ全開みたいなやり取りだが、これ確か原作だと俺じゃなくてこよみにリップグロス塗ってやるんだったか。

 襲撃が始まる前から可能性が書き変わって、本来の状態から全力で脱線しつつあることに不安感を覚えながらも俺は、せっかくの好意を無下にするのもなんだからと、葉月にリップグロスを塗ってもらうことにした。

 西條千早の薄い唇を、微かに薄いピンク色のそれが彩っていく。葉月に持たされた手鏡に映る俺の、西條千早の顔は、確かに一段階愛らしさが引き上げられたような気がする。

 

「似合ってますよ、先輩」

「感謝する」

「先輩は美人なんですからもっと磨けば絶対に光ります! だから……アタシでよければこれからも色々教えさせてください!」

 

 清々しいまでの笑顔で、清々しいまでの死亡フラグを葉月が立てる。

 ああうん、このやり取りも知ってるよ、原作じゃこよみ相手に言ってたけど、高確率で帰らぬ人になるんだよな。

 頼むから死亡フラグを乱立させるのはやめてくれと思いながらも、純粋な好意からくるそれを受け取らないわけにもいかず、俺はただ曖昧な笑顔を浮かべるのが精一杯だった。

 

「ああ、此方も自分磨きは不勉強でな。頼りにしているぞ、葉月」

「ありがとうございますっ! えっと……こほん、秘密兵器、アンタも来る?」

「……ぁ、ぇ……い、いいん、ですか……?」

「……アンタにもしてあげなかったら、ハブにしてるみたいじゃない。ほら、ここ座って手鏡持ちなさい」

 

 無駄飯食らい呼ばわりを反省したのか俺の前だから格好をつけてるのかはわからないが、葉月はモップがけをしていたこよみも呼ぶと、客席に座らせて手鏡を持たせる。

 

「アンタの肌はムカつくぐらい白いから……あんまり色が濃いリップだと浮くのよね、これならどうかしら」

「……ぇ、えっと……」

「ん……この色なら似合うと思うわよ。ほら、背筋伸ばしなさい」

 

 ぎこちなく、猫背になったこよみの背筋を葉月が優しく伸ばしてやる。実に微笑ましいやり取りだ。

 決戦を前にしてるってとこから考えるともう完全に死亡フラグにしか思えてこないんだけどな。冗談じゃない、頼むから死んでくれるんじゃないぞ。

 そんな俺の祈りが通じるかどうかは、全て「M.A.G.I.A」の兵器開発工廠の仕事にかかっている。

 

 リップグロスを塗ってもらったこよみは、普段の童顔が少しだけ大人っぽくなったのに感動したのか、鏡の前できらきらと瞳を輝かせていた。

 

「……わ、ぁ……あ、ありがとうございます……っ、東雲、さん……」

「……どういたしまして」

 

 まだまだ二人の距離はぎこちなく、完全に和解したってわけじゃないが、少しずつわだかまりが溶けているのはわかる。

 このまま是非とも絆を深めていってほしいもんだが、それには葉月のコンプレックスを、彼女自身が乗り越える必要があるからまだ遠そうだ。

 まあ、俺にとってはたった今盛大に立てられたこの特大死亡フラグをへし折るのが現状の最優先事項なんだけどな。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

『ヴァイブレーション発生、ヴァイブレーション発生! これは……今までにない規模の界震が、東京湾近郊にて発生しています!』

 

 とうとう来てしまったか。

 俺たちが賄いの昼飯を食べ終わった直後、「M.A.G.I.A」のオペレーターが、過去にないほどデカい規模の「界震」に声を震わせてそう叫ぶ。

 程なくして特種非常事態宣言が発令され、「界震」が発生した東京湾近郊に、国も余裕をなくしているのか、バックアップ要員なのにもかかわらず、自衛隊と一級魔法少女の出撃が首相から即座に発表されていた。

 

「なんだ、これは……!?」

 

 大佐が驚愕に目を見開いたのも無理はない。

 今までにないデカさの「穴」から這い出るようにして現れたそいつは、怪物としか表現しようがない姿をしていた。

 翼脚を合わせれば六つ足で這い出ずる異形、そのおぞましさはなによりもまず、規格外の巨体にある。

 

「ダイモーン級の、何倍……?」

「わかんない、でも明らかにアイツはヤバいよ、まゆ」

 

 まゆと由希奈が顔を合わせて口にした通り、その巨体は最早怪獣映画に出てくる怪獣としか言いようがないクラスで、「穴」を這い出て東京湾の埠頭に降り立ったその瞬間にコンクリートが沈み、ひび割れる。

 先手として航空自衛隊がバンカー・バスターをその巨体に投下したものの、それすら弾き返して、臨界獣は悠然と、その質量そのものを凶器としてお台場を蹂躙していく。

 一級魔法少女たちも魔力を収束させた砲撃を放つことで足止めを試みていたが、本当に足止めが精々といったところだった。

 

「特級魔法少女各位に通達、『M.A.G.I.A』は先ほど現れた臨界獣を個体名『グラムフロガ』と命名、各員は総力を上げて臨界獣グラムフロガの侵攻を阻止せよ!」

『了解!』

 

 返事と共に、俺たちはその災厄──臨界獣グラムフロガを退けるべく、制服に着替えて地下カタパルトへと走り出す。

 いってしまえばこいつを最小限の被害で退けるためには全ては地球産魔法征装、その開発が間に合っていることが大前提だ。

 だが、今の今まで連絡が来ないってことはそれも絶望的なのかもしれない。

 

「……まずいな」

 

 本格的にまずい、現状は詰みの一歩手前ってところだろうか。

 あれ抜きで倒す方法はただ一つ、こよみが全力を解放してお台場を焦土にすることだけだ。だが、それだけはなんとしても避けたい。

 だから、頼むから、ギリギリでもいいから間に合ってくれと、そう祈りながら、俺は「ドレス・アップ」の解号を唱えて、カタパルトに足を乗せるのだった。




到来、Xデー


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例え羽虫の一刺しだとしても

 臨界獣グラムフロガ。

 こいつが厄介なのは、ひとえにデカくて固くて、質量からは考えられないような動作で動き回るところに尽きる。

 ゲームにおいてもこよみの魔法征装が解禁されるまでは、ひたすらその時点で生存してるNPCの特級魔法少女が死なないことをお祈りしながら戦うとかいう、クソゲーポイントが高い半負けイベントみたいなもんだった。

 

 俺が、西條千早が生きてればグラムフロガを物理的に倒せたかと問われれば、それもかなり怪しい。前提としてお台場が半壊するのは確実だろう。

 だが、犠牲を前提にして戦うチョイスは俺の中にはないのだ。

 助けられるんなら一人でも多くの人間を、一つでも多くの命を助けたい。

 

 これが画面越しに見つめているだけの出来事なら知ったこっちゃない、で済ませられただろう。

 例えお台場が更地になろうがその結果どれだけの民間人が、自衛隊員が、魔法少女が死傷することになったとしてもゲームをクリアするだけなら、そんなスコアは換算されないんだからな。

 だが、この世界は現実として存在している。

 

 道を歩く名前も知らない人間にも、そいつの人生がある。知らなくたって、そいつに与えられた名前がある。

 名付けられることがこの世に生まれてきた証だというのなら、事情は知らなくたって、なんなら顔も知らなくたって、その命は生きるために存在していることに違いはない。

 だからこそ、俺は一つでも多くの命を救いたいんだよ。

 

 例え傲岸不遜だと罵られても、理想主義だと嗤われても、目の前で死んでいく人間を「仕方ない」の一言で切り捨てることはできない。できるはずがない。

 もう知ってしまったから、「死」の手触りを。希望を託されるということの重みを。

 臨界獣グラトネイルの暴牙にかかって命を落とした、名前も知らない女性が託してきた希望と、失われていく命の感触を思い返す。

 

 そこから後戻りすることなんて、できやしない。

 戻れないなら、前に進んでいくしかない。だったら、今俺がなすべきことはなんだ。

 万に一つの可能性に賭けて日和ることか? 違う。犠牲を前提にあのデカブツを仕留めることか? 違う。

 

「萌葱女史を信じて、ヤツを全力で食い止めることだ……!」

 

 答えはスマートに導き出されたが、グラムフロガを最低限この場に押し留めるというだけでも無理難題に近い。

 なにせ、グラムフロガの巨体を覆う分厚い甲殻は、最大限までチャージした「雷切」の一撃ですら仕留めきれないレベルだ。

 その上あいつは放っておくと超音波を伴う咆哮で範囲攻撃してくるからな、魔力障壁の構造を破壊するタイプの固有周波じゃないのが唯一の救いだが、代償として周囲が尋常じゃないダメージを被ることになる。

 

「あれだけの巨体……まずは毒で弱らせますよぉ!」

 

 どうしたものかと睨み合いを続けている間に先陣を切ったのは、まゆだった。

 確かにまゆが持つ魔力特性である「毒と薬」が担うデバフ効果は有効に見える。

 だが、この「魔法少女マギカドラグーン」の制作スタッフがド畜生呼ばわりされてるのはそれを見越した上で、グラムフロガのデバフ耐性を最大値まで設定するという所業をかましてくれやがったのだ。

 

 理屈的にはシリンジが刺さり切らない、毒が表面で止まってしまって深部まで染み込まないって話だが、そんなとこだけ妙なリアリティを追求しなくていいんだよ。

 だが、裏を返せば少しの間だけは効果がある、ということだ。

 まゆが相手の動きを鈍くする「グラビティシリンジ」を注入したのを確認、葉月とアイコンタクトを取ってグラムフロガの頭に攻撃を仕掛けにかかる。

 

「行くぞ、葉月! 此方に続け!」

「はい、先輩!」

 

 俺は雷の魔力を可能な限りチャージした「雷切」を大上段に振りかぶり、葉月は彼女の魔力特性である「炎」の力を宿したソードメイスを同じく大上段に振りかぶって、ほぼ同時に、動きが鈍ったグラムフロガへと叩きつけていた。

 

『Oooooo……?』

 

 だが、暖簾に腕押し糠に釘といった風情で、ダメージ自体は通ってるんだろうが、グラムフロガは「今なにかしたのか?」とでも言いたげな唸り声を上げるに留まっている。

 

「化け物め……!」

「コイツ、先輩とアタシの攻撃食らってんのに……!?」

 

 なんでこんな怪物が生み出されたのか、そして「穴」の向こうからやってくるのか、その真相は設定資料集にも詳しくは書かれていないから闇の中だ。

 だが、確実に一つだけいえることがある。

 こいつを作り出したやつはゲームだろうが現実だろうが、性格が悪い。

 

『Ooooooooo……』

 

 まゆが放った「グラビティシリンジ」の効果も薄れたのか、次第にのそのそとした動きが機敏になっていき、俺たちの存在などそこら辺を飛び回ってる羽虫に等しいと言わんばかりに、グラムフロガは質量による蹂躙を再開する。

 ただ歩くだけでコンクリートが沈み、ただ軽く尻尾を振るだけでビルが倒壊していく。

 そこにあるのは、破壊という概念が受肉したかのような一つの災厄だった。

 

「ちっ! こいつ、貫通特化の遠距離射撃も効かないって……!」

 

 大観覧車に乗り出し、押し潰したグラムフロガに自らの魔法征装である二丁拳銃を撃ち放っていた由希奈が舌打ちをする。

 由希奈の魔力特性である「射撃」は確かに対人戦にも対臨界獣戦にも効果を発揮する汎用性の高いものだ。

 だが、そんな彼女が持てる力を注ぎ込んでも貫けないほどに、グラムフロガの甲殻は固く、分厚い。

 

 前世でやってたゲームじゃ巨体と縦に長いフォルムをしたエネミーは基本的に貫通弾のカモだったが、現実として現れればご覧の有様だ。

 バンカー・バスターどころか特級魔法少女の魔力、その規模と出力をもってしても貫くことすらできない甲殻を備えた巨体は、ただただデカくて固いことが正義だと誇示しているようだった。

 だがな、だからといってここではいそうですかと、お台場を更地にしてこいつをなんとか撃退しますというわけにはいかないんだよ。

 

「千早先輩!?」

「……此方が食い止める! ヤツを……これ以上侵攻させてなるものか!」

 

 勝利の鍵が、作戦の切り札が届く気配は未だない。

 それでも、諦めたらそこでおしまいだ。なにもかもが終わってしまう。

 例え無駄な足掻きだとしても、例え無茶な攻撃だとしても、こいつを一秒でも長くこの場に踏みとどまらせるためには、こっちも相応に命を張らなきゃならないんだ。

 

 俺は「雷切」を鞘に収めると、雷の魔力を充填し、そのままグラムフロガの鼻先まで身体を加速させる。

 遠距離攻撃もダメなら零距離でってわけじゃない。重要なのはこいつのヘイトを稼ぐことだ。

 例え羽虫が飛んでるだけだとして、いつまでも離れてくれないんなら鬱陶しいだろ? 一寸の虫にも五分の魂だ、人間の意地を見せつけてやろうじゃないか。

 

「見敵必殺……『雷撃破光』!」

 

 抜き放った「雷切」の刀身をバレルにして撃ち出された一筋の雷撃が、グラムフロガの眉間に直撃する。

 魔力を圧縮するだけ圧縮して急速充填した一撃だ。

 効かないまでも、多少はよろけてくれるかと思ったが、どうやら考えが甘かったようだった。

 

『Oooooo……』

 

 うるさい、散れ。

 そうとばかりに振り上げられた翼脚の一撃が、眼前を掠めて地面に叩きつけられる。

 冗談じゃない。魔力障壁があったとしても、あれじゃ直撃したら確実に、質量に押し潰されて死ぬ。

 

 デバフも遠距離攻撃も近距離攻撃も、一点に魔力を集中させた攻撃すらも雀の涙だ。

 怪物という他にない。

 だがまだだ、まだこっちの手札は尽きちゃいないんだ、例えどんなに絶望的だとしても、諦めてなるもんかよ。

 

「……『雷光転身(メイク・アップ)』!」

 

 外部に放出された魔力をシャットアウトする装甲持ちだってんなら、脳筋式解決法でこっちも対応してやるしかない。

 心臓の代わりに埋め込まれた魔導炉心をフル稼働させて、俺は自分を力の器に見立てる形で、炉心が汲み出す雷の魔力を身に纏った。

 特撮番組でいうところの強化フォームってやつだろうか。ちまちまやってダメだってんならとにかくフィジカルだ、フィジカルを強化して、真っ正面から殴り合う他にない。

 

「……物の怪め、これ以上の好き勝手はさせんぞ……!」

『Ooooooo……?』

 

 グラムフロガは、まだ余裕をかましてすっとぼけた鳴き声を上げているようだった。

 なら、まずはその慢心に一発キツいのを叩き込んでやるとしよう。

 そう決意を固めて俺は、溢れ出す雷を纏った「雷切」を、敵の鼻先に向けて横薙ぎに振り払った。




魔法少女というか変身ヒーローもの定番の強化フォーム


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君が紡ぐ物語

 グラムフロガの鼻先を狙って振り抜いた斬撃は、先ほどまでとは違って確かに、浅くはあるもののその甲殻を斬り裂き、傷痕を刻んでいた。

 これでもまだ浅いって辺りがクソゲー極まってるな、だがダメージが蓄積したってことは、傷跡ができたってことはそこから攻めればなんとかなるってことでもある。

 だが、忘れちゃいけないこととして、俺の役目はあくまでもこいつのヘイトを買うだけ買って釘付けにしておくだけだ。

 

 中途半端に手傷を負わせてあの超音波を伴う咆哮を誘発すれば、本末転倒だからな。

 あくまでもこよみのための地球製魔法征装が間に合う可能性にだけ全てを突っ張った一点賭け。

 分が悪いどころの騒ぎじゃないが、そうでもしなければ最良の結末は引き寄せられない。

 

 だったら多少痛い思いをしようがなんだろうが、俺は俺にできることをやるだけだ。

 グラムフロガは痛みに悶える様子も怒りに狂う様子もない。

 ただ表面を浅く斬り裂かれただけってのもあるんだろうが、こいつ、もしかしたら痛みに対して極端に鈍かったりしないか?

 

 葉月と仕掛けた連携攻撃だって、甲殻を貫通こそしなかったかもしれない。

 だが、確かに「雷切」の刀身は、葉月のソードメイスこと魔法征装「ブルームフランメ」は、頭に叩きつけられていたし、由希奈が全力で貫通に特化させた弾丸だって直撃自体はしているんだ。

 それでも悶える様子がないってことは、痛覚が相当鈍いか、それともないかの二択ってところだろうか。

 

「どちらにせよ構わん、押し留める……! まゆ、此方にシリンジを頼めるか!?」

「わかりましたぁ、『ストレングスシリンジ』!」

 

 まゆが投擲したシリンジが俺の左腕に突き刺さると同時に、内側から力が湧き起こってくるような感覚に満たされていく。

 やっぱり別枠加算バフは最高だな。バフ盛ってデバフかけて殴れば大概の敵は解決するんだよ。こいつみたいなクソボスもいるけどな。

 義憤と開発への怒りと憎しみを込めて、俺は鬱陶しげに薙ぎ払われた翼脚による一撃を、その翼爪を受け止めていた。

 

「……さて、散々此方を舐め腐ってくれた返礼をせねばなるまいな」

『Oooooo……』

「砕け散れ! 『雷轟天刃』!」

『Ooooooo……!?』

 

 刀身で受け止めている翼爪を、俺は溢れ出る力に任せる形で、雷そのものが刃となったような「雷切」の一撃で折り砕く。

 こいつが生物の括りに入るのかは知らんが、爪そのものには神経は通ってないはずだ。

 だが、驚愕したような鳴き声を上げて、グラムフロガは僅かに後ずさった。

 

 自慢の武器が砕かれたからか?

 それともその巨体を支えるための重要なパーツを失ったからか?

 どっちにしても好都合といえば好都合だ。押し切られて転倒したグラムフロガは起き上がるのにも苦労している。

 

 ここで超音波咆哮を誘発されたら困るところだが、あれを撃つ時の予備動作は確か、爪脚で身体を地面に固定することだったはずだ。

 なら、その心配も無用だということだろうか。いや、慢心はよろしくないな。

 翼爪が折れたとはいっても、完全に立ち上がる機能が失われたわけじゃない。この隙に一発デカいのを叩き込めればいいんだが、果たして。

 

「先輩が奥の手を出したってんなら……見てるだけなんて絶対イヤ! 『劫火転身(メイク・アップ)』!」

「そんじゃあ私もいっちょやりますかねー、『撃鉄転身(メイク・アップ)』!」

 

 葉月と由希奈もまた、触発されたかのように「魔導炉心」の駆動率を限界まで引き上げて、その装いを新たに変えていく。

 傍目から見ても俺が無茶をやってるのは承知の上だろう。

 付き合う必要なんてないのに、どうして。

 

 問いかける声を遮るように、揺らぐ炎を纏った葉月が放った一撃が、その魔力によって無数の銃身を形成した由希奈の一撃が、グラムフロガに炸裂する。

 

「水臭いですよー、先輩。命懸けてるのは先輩だけじゃないんですから」

「今がその時だっていうなら……アタシも一緒です!」

「葉月……由希奈……」

 

 心臓の代替も兼ねている「魔導炉心」を酷使する都合で、転身は身体に著しい負担がかかる。

 だからこそ、もって大体五分が制限時間だ。その制限時間内に留めたとしても、反動が来るのは避けられない。

 それでも、葉月と由希奈は俺が選んだ道に付き合うことを選んでくれたのだ。勝算もない無謀な特攻にさえ見える、この道に。

 

「すまない……ならば今暫し、勝利の鍵が届くまで、此方に付き合ってくれ、葉月、由希奈!」

「先輩と一緒なら……どこまでだって行ってみせます!」

「勝利の鍵ってのがなにかはわかんないですけど、私は最初っからそのつもりですよー!」

 

 覚悟を決めて、俺たちは絶え間ない波状攻撃をグラムフロガへと浴びせかける。

 状況だけ見れば優勢に見えるかもしれないが、これでもまだ、「グラムフロガをこの場に押し留めている」だけだ。

 五分という制限時間が過ぎたらどうなるのかなんて、考えたくもない。

 

『O、O、Oooooooo!!!』

 

 そしてとうとう敵さんも堪忍袋の尾が切れたようだった。

 力強い咆哮と共に崩れた体勢を無理やり立て直すと、確固たる殺意をもってその十字槍にも似た巨大な尻尾を、俺たちへと向けて振り回してくる。

 魔力障壁があろうがなかろうが食らえば即死は必至の技だ、俺もまた神経を研ぎ澄ませてその一撃を回避、カウンターとして振り抜かれた尻尾に雷刃を飛ばす。

 

『Ooooooooo……!』

「尻尾切断……とはいかんか」

 

 転身という切り札を切って尚、こっちの攻撃を受け止めているこいつの耐久性に関してはもうバグかチートでも使ってるんじゃないかと疑いたくなってくる。

 超音波咆哮が来ることを前提に、五分をフルに活用して戦ったとしても殺し切れるかどうかが怪しいレベルだ。

 そんな怪物を討ち倒す銀の弾丸は、まだ届かない。

 

 重役出勤にも程があるぞ、なんて冗談を言っている場合じゃない。残り時間は体感的に半分を切った。

 限界稼働する「魔導炉心」が帯びた熱が、普通の人間であれば動くこともできないような体温となって、汗を滴らせる。

 まずいな。超音波咆哮を誘発する懸念もそうだが、ここで転身の効果が切れれば、俺たちは恐らくこいつに踏み潰されて死ぬ。

 

「ふ、ぅ……残りは二分を切ったか……行けるか、葉月、由希奈!?」

「……ぁ、はぁ……っ……行けます……っ!」

「……はー、っ……なんとかー、やれなくはない、ですねー!」

 

 大分意識が朦朧としてきたな。

 そもそも転身は理論上の限界時間まで使えるようなもんじゃない。

 実用に耐えられるのは大体三分、そこから先の二分はあくまで理論値であって、こんな具合に高熱やら、逃げ場をなくした魔力の暴走やらでこの有様だ。

 

 それでも痩せ我慢をして歯を食いしばっているのは、俺たちがここでグラムフロガを食い止めているのは、全ては。

 朦朧とする意識の中でなんとか「雷切」を構え直した俺は、ふと一つの音が戦場へと近づいていることに気がついた。

 自衛隊のヘリか? だが、爆撃機ですらまともにダメージを与えられなかったのに、今更なにを──

 

『もうちょい近付ける!?』

『無茶言わないでください、臨界獣と特級魔法少女の戦いに割って入るなんて、自殺行為にもほどがありますよ!?』

『自殺行為だろうとなんだろうとね、麻里香さんはこれを届ける責任があんの! 例え死んでもね! だからもうちょい寄せて!』

 

 聞こえてくるのはオペレーターと萌葱女史のやり取り。

 根負けしたのか、ヘリを操縦している自衛隊員はその機体を戦闘領域のギリギリまで寄せて、機体の下部に吊るしていた「それ」を、後方で待機していたこよみに向けて投下した。

 ──そうか、間に合ってくれたか。

 

 転身の残り時間が一分を切って、全身が灼けつくような感覚の中で俺は、安堵に胸を撫で下ろす。

 

『受け取ってこよみちゃん! これは……君の魔法征装だよ!』

「魔法、征装……? で、でも……わたしのは……」

『周りを巻き込まないようにってね、千早ちゃんが頑張ってくれたの! 理論上……君の魔力ならあいつの甲殻をぶち抜ける!』

 

 投下された巨大な砲としか表現できない代物を受け取ったこよみは、困惑しつつも、萌葱女史の言葉に耳を傾けていた。

 残り時間は──まずい、計算も、危うい。

 ダメだ、力が抜けていく。誰だ、転身の限界時間が五分なんて言ったのは、明らかにそれ未満じゃねえか。

 

「……こよみ!」

 

 薄れゆく意識の中で、希望を託してその名前を呼んでいた。

 転身の効果時間は、残り──二十秒。

 冗談抜きに死ぬかもしれん、死にたくはないけどな、でもな。

 

 死んででもやり遂げなきゃいけないことが、あるんだ。

 なんの皮肉だ。神様の悪戯にしちゃタチが悪すぎる。

 前世じゃ、死んだように生きてたってのにな。

 

「此方は……其方を信じる!」

「……西條、先輩……っ……!」

「今度は其方が守ってくれ──我々を、この世界を──!」

 

 これは、君の物語なんだろう?

 転身の効果時間なんて、もうわからない。

 ただ意識が消えそうになる中で、熱病にうなされたような感覚の中で、俺はただ、叫ぶ。

 

「……わたしは……わたしは、中原こよみ……わたしは、皆と同じ、特級魔法少女!」

 

 こよみの叫びに応えるように、拡散放射形態の砲身が折れ曲がると、内部から収束射撃形態のバレルが展開し、放熱用のラジエータープレートも連動して開く。

 そして、規格外の魔力を受け止めるために使われた「魔導炉心」が余剰の全てを受け止めて着火、フライホイールが始動する音が高らかに響き渡る。

 ああ、そうだ。こよみ、君は魔法少女だ。

 

 ──最強を超える、規格外の。

 一筋の閃光が、曇天を切り裂いて轟き渡る。

 本来であればお台場ごと更地にしていたであろう魔力の放散は五つの「魔導炉心」に押さえつけられて、束ねられた光条が、過つことなくグラムフロガを真正面から撃ち貫く。

 

『Ooooooooo!!! Ooooooooo!!!!!』

 

 グラムフロガは苦悶の声を上げて、なす術もなく塵に還る。

 こんな結末、認めてたまるか、ってか?

 そうだな、俺も夢かどうか疑ってるぐらいには意識が怪しい。でもな、これが夢であってたまるもんかよ。

 

 勝ったんだ、勝ったんだよ、こよみ。

 他でもない、君の力で。壊すことしかできないと嘆いていたその強すぎる力は、正しく人類を守り抜いたんだ。

 だから、誇れ。胸を張って、歩け。

 

 暗雲を裂いて差し込んだ天使の梯子が、柔らかな陽射しが祝福のように、俺たちを包み込む。

 薄れゆく意識の中で、ただ、その言葉だけが木霊していた。

 心に、確かな熱を灯して。




君は主人公なんだよ


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道理が引っ込んだとしても無理なものは無理

 その後のことを、なにから話そうか。

 話そうにも、あのあと気絶した俺たちは「M.A.G.I.A」の息がかかった病院に搬送されて、知らない天井を拝む羽目になったってことぐらいだろうか。

 幸い、由希奈も葉月もこよみが放った収束砲撃の射線から外れていたことで何事もなく……ってわけじゃないんだろうが、最悪のシナリオは回避されたってところだった。

 

 それでも全てが無事に収まって、なにもかもが元通りになんてならないことはよくわかっている。

 グラムフロガに踏み潰された観覧車がいつ復旧するのか、踏み荒らされたコンクリートの修理にはどれぐらいかかるのかなんて、政府や省庁からすれば考えたくもないことだろう。

 それでもお台場が丸々焦土にならなかっただけマシなんだぜ、といったところで火に油を注ぐだけだろうし、信じても貰えないんだろうがな。

 

「全く……『魔導炉心』を限界稼働させて五分間フルで戦ったなんて、正気ですか」

 

 気怠げに、カルテを持った女医が溜息をつく。全くひどい言われようだな、事実だからしょうがないけど。

 

「肯定する。あの状況では、ああするしかなかったと此方は考えている」

「もしもあの魔法征装の到着が間に合わなかったらどうするつもりだったんですか? 特級魔法少女の喪失は国にとっても私たち『M.A.G.I.A』にとっても、いえ、世界にとっても大きな痛手です」

 

 だから今度から特攻紛いのことをするのは断じてやめてくださいね、と、女医さんこと、星乃梨々先生は俺の「魔導炉心」に異常がなかったという診断結果と共にキツいお灸を据えてくる。

 これに関しちゃもう完全に否定しようがないというか、間に合わなかったらあの場で死んでただろうし、間に合うことを前提にした博打だったから、先生が仰る通りだ。

 発熱や関節痛、筋肉痛といった副次的な症状は全て「魔導炉心」に過負荷がかかったことで現れたから病名も診断名もないとのことで、入院したのは念のため以上の意味はないらしい。

 

 まゆのシリンジをぶっ刺してもらえば即座に現場復帰できそうなもんだが、それでも魔法に頼らない治療──というか診断が必要だったのは「魔導炉心」の不具合チェックが主だったのだろう。

 葉月のそれにも由希奈のそれにも異常はないということでほっとしたが、思えば俺の身勝手に二人を付き合わせてしまったから、あとで菓子折の一つは持っていくべきだろう。

 それにしても全身が痛え。自業自得とはいえ、インフルエンザにかかった時みたいに節々が痛む。

 

「解熱剤は出してもらったんだがな」

 

 これについては過負荷がかかった「魔導炉心」を休ませる以外に対処法はないから、反動については対症療法と気合で乗り切ってくれってことだろう。

 薬を枕元に置いてあったミネラルウォーターで飲み下し、俺は個室を一望する。

 高そうな部屋だ。

 

 入院一日でいくらかかるんだか考えると寒気がする。

 だが、多分その辺の費用も国庫から引き出されてるんだろう。

 もちろん、俺の給料から差っ引かれてる可能性もあるが──などと、なんの益体もないことを茫洋と考えていた時だった。

 

「入るぞ、西條千早」

 

 扉の向こうからノックと共に大佐の声が聞こえてくる。入っていいか、じゃなくて入るぞ、な辺り面会は確定事項なのか。

 

「構わない」

「それじゃあお言葉に甘えて、失礼するよ」

 

 珍しくスーツ姿じゃなくて「M.A.G.I.A」指定の制服に身を包んだ大佐が、フルーツバスケットを片手に病室へと踏み込んでくる。

 高そうなメロンやら林檎やらがバスケットの中には詰まっていた。

 ただ、正直果物は持て余すからゼリー飲料の詰め合わせでも持ってきてくれた方が嬉しかったんだが、ってのは贅沢か。

 

 ベッドの近くに置いてあった椅子に腰掛けて、キャビネットにフルーツバスケットを置くと、大佐は一呼吸置いてから口火を切る。

 

「まずは今回の一件、よくやってくれたよ」

「此方も感謝する」

「おれがやったことなんて精々役人や政治家への根回しと袖の下ぐらいさ、その台詞は今度萌葱女史に会ったときのために取っておくといい」

 

 大佐は肩を竦めて謙遜するが、正直なところそれが一番ありがたいんだよな。

 いかに俺が特級魔法少女であったとしても、公権力というか既得権益を持ってる政治家や役人とのコネがない以上、現場からの提案を上に持っていって通してくれたことがなによりも助かった。

 もちろん、急ピッチで地球産魔法征装の開発と実装を成功させた「M.A.G.I.A」の兵器工廠とそれを統括する萌葱女史にも感謝しなきゃいけないんだろうが。

 

「さて……西條千早。君に一つ訊きたいことがある」

「少しばかり熱で意識が朦朧としているのでな。お手柔らかに頼みたい」

「よく言うよ、全く……今回の件、君はグラムフロガが現れることまで予見していたのか?」

 

 特効武器とでも呼ぶべきものを提案して開発させたんだから、そこを疑われるのはまあ仕方のないことではある。

 冗談めかした口調だが、大佐は探りを入れようとしてるんだろう。

 俺がどこまで、なにを知っているのか。ゲームとしてこの世界を俯瞰してきたことで持っている前世の知識に対して、だ。

 

 だが、俺の答えは決まっている。

 

「此方はあくまでもこよみの魔力を効率的に、より効果的に運用できないかと思って発案した次第だ。今回の事態と噛み合っていたのは、それこそ奇跡のようなものではないかと推測する」

「奇跡、ねえ……まあ、魔法少女の存在がある今、その言葉は幾分か信じられる」

 

 少なくともあんたが隠してる爆弾について欠片ほどでもいいから情報を寄越さず、こっちの情報だけ渡してくれってのはフェアじゃない。

 それにもう、俺の原作知識は役に立たない可能性だってある。

 西條千早が生きていること。ゲームには存在しなかった方法でグラムフロガを討伐したこと。

 

 ここまでイレギュラーだらけの状態じゃ、原作知識がどこまで役立つかわかったもんじゃない。

 だが、それを悟られたら負けなのだ。

 俺にはまだ利用価値があって、大佐とはある種共犯者的な関係で、同じ鎖で繋がれている。この状況を下手に崩したくはないからな。

 

「まあいい、今はおれの試算を大きく裏切ってくれた君の『奇跡』を信じるとしよう。これからも頼りにしているよ、西條千早」

「感謝する。此方としても大佐からの支援には助けられた」

 

 それじゃあ、おれは行くよ、と言い残して、大佐は病室から去っていく。

 互いに今はまだ話すべきじゃないムーブしてるのってひたすら不毛ではあるんだがな、それでもモノには言うべきタイミングってのがあるんだよ。

 少なくとも大佐のバックボーンについては設定資料集にも曖昧なことしか書いてなかったんだ、そこに特大の厄ネタを抱え込んでると見て間違いはないだろう。

 

「我々はどこから来て、何者で、どこへ行くのか、か」

 

 一人思い出したように呟いた言葉が、病室の壁に見えない染みを作り出す。

 魔法少女と「M.A.G.I.A」の成り立ち。「魔導炉心」の存在。

 設定資料集でも曖昧にぼかされていたそこを個人で追求していったら、多分ろくなことにならないんだろう。だから、今は気楽に構えていればいい。

 

 身構えている時はどうのこうのっていうしな。

 真実が示されるその時に、俺たちの首には死神の鎌がかけられるのか、それとも別ななにかが待っているのか。

 そんなことは原作を全力で外れていった今、知る人間なんていないだろうよ。

 

 大佐が持ってきたリンゴを皮ごと齧りながら、俺はその瑞々しさに舌鼓を打つ。

 いくらしたんだろうな、これ。

 とにもかくにも、無理を通して道理を引っ込めたことで今回の事態は最悪を免れることができたわけだが、道理が引っ込んだからって無理なもんは無理なのに変わりはない。

 

 その代償を支払わされているかのような節々の痛みと高熱にうなされながら、俺はただ、リンゴを齧っていた。




なにはともあれ一件落着


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取り戻した「日常」

 入院期間は大体三日、気絶していた時間を差っ引けば体感的には二日ぐらいで俺たちはあの病室を出ることができた。

 特級魔法少女が運び込まれる病院ってだけあって、セキュリティに関してはうんざりするぐらい慎重だったな。

 大佐ぐらいのポストに収まってれば顔パスでもいけるんだろうが、政府の人間や役人、果ては同じ魔法少女でさえ本人確認を厳重に求められて、とくれば、こよみたちが見舞いに来なかったのも道理だろう。

 

 ああ、一番処理に困ったメロンなら「雷切」で切って食ったよ。

 まさか魔法征装を果物ナイフ代わりに使う日が来るとは思っちゃいなかったし、そもそも「魔導炉心」が完全に休まってない状態で変身するなと星乃先生にはこっぴどく怒られたけどな。

 実際、完全に働きを取り戻してない状態で変身してみてわかったのは、なんか力が入らない脱力感が永続デバフみたいにかかってるってことだった。

 

 ただ、まゆに「ストレングスシリンジ」をぶっ刺してもらえば多分普段と同じぐらいの感覚で動けそうな気はした。

 もっとも、そんな無茶をやらかすような場面がこれから来ないことを祈るばかりだが。

 ちなみにメロンは美味かった。万札何枚分なんだろうな、と考えてしまう貧乏性と、高級メロン並の値段でお出しされた歯抜けの設定資料集に怒りが湧いてきたがな。

 

 病み上がりってことで鍵開け担当は免除されていたものの、とりあえず西條千早はそういう人間だからと、いつも通りに早く起きてオートミールを出汁茶漬けに魔改造した代物を食って、俺は「間木屋」に向かっていた。

 オートミール茶漬けについては不味くはないというか不味いと思って食いたくはないというか、まあ食えるもんなら普通に米食いたいって感じの代物だ。

 代替品が本物と同等以上に安くて美味かったら、今頃市場は代替品で溢れ返ってるから当然のことだろう。

 

 そんな益体もないことを考えて俺は「間木屋」のドアベルを鳴らす。

 店の中には今日の鍵開け担当だったこよみがいて、一生懸命床にモップ掛けをしている最中だった。

 本人的には一生懸命やってるんだろうが、なんかその動作は小動物的で微笑ましい。彼女こそ東京を救った大英雄なんだぜ、と言われても、あんまり信じるやつはいなさそうだ。

 

「……ぁ、ぇ……さ、西條先輩……おはよう、ございます……っ……!」

「おはよう、こよみ。三日も店を留守にすることになってしまってすまなかったな」

 

 俺たちが入院してた間、この店は開いてたんだろうか?

 もっとも、開店してようが閉店してようがまともな客なんて日にもよるが基本一人しか来ないようなこの店は変わらん気もするが、それを言っちゃおしまいだなと一人で苦笑する。

 それに、大佐も間違いなく事後処理だとか「M.A.G.I.A」の内々で済ませたい会議だとかで店を留守にしてたことだろう。

 

「……え、えっと……西條先輩と、東雲さんと、由希奈さんが入院してる間は、お休み、でした……」

「そうか……それもそうだな」

 

 やっぱりか。

 こよみはどことなく気まずい感じでそう答えた。

 普通の店として考えたら店長も不在、フロントも三人欠員してる状態でキッチン一人、ホール一人で店を回せなんて無理だし当然だし、妥当なところだろうな。なんかの間違いでランチタイムに客がなだれ込んで来ないとも限らん。

 

「では三日の休暇を得たというわけだな。案外貴重ではないか」

 

 二十四時間とまではいかなくとも、法定の休日以外はフルタイムで拘束されるのが特級魔法少女のお仕事だ。

 とはいえ、二級以下の魔法少女たちは二十四時間三百六十五日、自衛隊の管轄に置かれてるんだからそれに比べればよっぽどマシだろうな。

 一級ともなれば俺たちと同じで、ある程度の自由は与えられるが、それも国の監視下での話だ。

 

 特級ももちろん常に公安や「M.A.G.I.A」のエージェントに監視はされてるし、魔法少女は基本的に全員、身に付けた腕時計型のデバイスで生活を組織に把握されているのだ。

 世知辛いというか殺伐としてるというか、まあ首に爆発物つけられるよりはマシか。

 そんなことを薄らぼんやりと考えながら、こよみに貴重な三連休の過ごし方を問いかける。

 

「其方はなにをしていたのだ?」

「……え、えっと……わたし、は……アニメを、見てました……」

「ふむ」

 

 そういえばこよみの趣味は確かにアニメ鑑賞と設定資料集には書かれてたな。

 ちなみに本編では、終盤で精神が限界に達しつつある状態でよくあるニチアサの夢と希望に溢れた変身ヒロインものを虚ろな目をしながら見ている、という人の心がないスチルを見ればわかるようになっている。

 ふざけるな馬鹿野郎、どれだけこよみを曇らせたら気が済むんだあの開発スタッフ共は。

 

 初めて「魔法少女マギカドラグーン」をクリアしたときの、エンドロールという名の戦犯リストに全力で中指を突き立てた怒りがふと湧き起こってくるが、あくまでも表面上はすまし顔を維持して、俺はこよみの言葉を待つ。

 

「……好き、なんです……憧れてた、んです……皆を助けられる……皆のために戦える、女の子に……」

「……そうか。では、なれたではないか」

「……わたし、が……?」

「こよみ。其方がいなければ此方はここに戻ってくることもなかっただろう。改めて……其方には助けられた。感謝する」

 

 実際俺が発案した地球産魔法征装を抜きにしても、こよみがいなきゃこの世界は根本的に詰んでるからな。

 その強すぎる力に犠牲を伴うせいで、本編じゃ終始曇っていたこよみだが、今回は誰も死なさず、街を犠牲にすることもなく、確かに彼女自身の力で東京を守り抜いたのだ。

 俺のやったことといえば、精々その手助けぐらいだろう。

 

「そっか……わたし、えへへ……ありがとう、ございます……西條先輩……」

「少しばかり堅苦しいな、千早と呼んでくれて構わないぞ?」

「ぁ、ぇ……えっと、えっと……千早、せんぱいっ!」

 

 微妙に舌噛んだな。そういう仕草も小動物的で可愛らしいというかなんというか。

 でも、もう誰かに守ってもらうばかりのこよみじゃない。

 グラムフロガ級の臨界獣が連続して出現する可能性は考えづらいが、今後も出てくる可能性がないとは言い切れないし、それに今回使わなかった拡散砲撃形態は面制圧に特化している都合、群れが現れた時、役に立ってくれることだろう。

 

「……むぅ……」

「葉月、妬いてるー?」

「妬いてないわ!」

「妬いてんじゃん、って痛ったぁ!」

 

 そんなことを考えているうちに、相変わらずこよみに対して素直にはなれないし、なにかしらのわだかまりは抱えているものの、それでも冷や飯食らい呼ばわりしてた頃よりは明らかに態度が軟化した葉月と、いつも通りに軽いノリで冷やかして尻を蹴飛ばされた由希奈が店にやってくる。

 

「いったた……おはよーございます、千早先輩」

「おはようございます、先輩」

 

 尻をさすりながら、由希奈がいつも通りに気の抜けた挨拶を飛ばす。

 しかし、ついさっき割と本気で同僚の尻を蹴っ飛ばしたのに、すまし顔で挨拶できる葉月も大概図太いな。

 

「もう、喧嘩はダメですよぉ」

 

 せっかく全員揃ったんですからぁ、と間延びした声でこの場を宥めたのは、最後にやってきた食材担当のまゆだった。

 

「喧嘩じゃないってー、これは愛情表現、スキンシップなんだよー、こんな風にげへへ葉月ちゃん今日のパンツ何色って痛ったぁー!?」

「ぶん殴るわよ」

「殴ってから言うかなぁー!?」

 

 スカートの裾に手を伸ばそうとした由希奈の頭に拳骨を落として、葉月は絶対零度の視線を浴びせかける。

 だから同性でも普通にセクハラは成立するんだぞと何度言えば。

 困ったように苦笑するまゆと、おろおろと視線を往復させるこよみに、溜息をつく俺。ああ、そうだ。

 

 三日しか離れてなかったのに、懐かしいぐらい、いつも通りの日常がそこにはあった。

 

「……えへへ」

「なによ……こよみ」

「……わたし……このお店が……皆のことが、大好き、です……」

「……そうね、それはアタシもそう」

 

 きっと、皆、改まって言わないだけで思いは同じはずだ。

 微妙に距離が縮まった葉月とこよみを見て、俺はただ後方保護者面で頷く。

 喫茶「間木屋」、今日も元気に開店休業中。客は、相変わらず来る気配がなかった。




勝ったッ! 第一部完ッ!


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第二部 ゴースト・バレット
こんな噂を知ってるかい


 俺たちが臨界獣グラムフロガを討伐してから大体一ヶ月ぐらいだろうか。

 その後、首都全域に及んでいた厳戒態勢も臨界獣の出現ペースが落ちてきたことで次第に緩和、解除されていった。

 おかげで人々は元の平和と生活を取り戻せました、おしまい──とはそう簡単に行っちゃくれないんだよな。

 

 臨界獣の出現ペースは落ちたってだけで未だに現れ続けている以上、魔法少女の出番は終わらない。

 あいつらがどこから来て、なんのためにこの国を襲っているのかは全くわからんし設定資料集にも書いてなかった。

 だが、少なくともグラムフロガは進行度でいうなら中盤の壁、まだまだ厄ネタは控えているのがこのクソゲーの度し難いところだ。

 

 それに、俺がやったことだとはいえ、原作を大幅に逸脱する形で問題の解決を図った都合、今後世界の強制力がどれだけ働いてくれるのかもわからない。

 考えたくはないが、最悪ゲームのラスボスに当たる存在が前倒しでやってくるなんてことも大いにありうる。

 正史には存在しない地球産の魔法征装。そして正史にはもう存在していないはずの西條千早──俺という人間。

 

 この不確定要素がこの世界にとってどんな劇薬として作用するのかもわからないまま、俺はこの一ヶ月を震えて過ごしていた……わけではない。

 

「此方、カルボナーラでございます」

「ありがとうね、千早ちゃん」

 

 今日もランチタイムだってのに絶賛開店休業状態な「間木屋」のバイトとして、この一ヶ月、俺はいつもと大して変わらない日々を送っていた。

 やっちまったもんはしょうがないんだよ。元に戻せないならそのままハッピーエンドまでどうにかこうにかやっていくしかない。

 相も変わらず、客は鏑木さんを筆頭にした政府関係者四人と、このまるで営業する気がない店にどうやって辿り着いたのかわからん奇特なリピーターこと、新聞記者の由梨さんだけだ。

 

 まあこんなところに辿り着いてしまったせいで公安やら「M.A.G.I.A」やら、公権力の暗部とでもいうべき組織に目をつけられてしまったんだがな、あの人。

 いつか消されやしないかとヒヤヒヤしてくる。

 そんな俺の心配もどこ吹く風とばかりに、お気に入りの店員らしいこよみを相手に、今日はハンバーグプレートを頬張りながら由梨さんは駄弁っていた。

 

「ところで君たちは知ってるかい?」

「……え、えっと……な、なにを……です、か……?」

「ああ、主語が抜けてるのはよろしくなかったね、すまない。最近巷じゃ噂で持ちきりな謎の魔法少女……『ゴースト』についてだよ」

 

 その単語が由梨さんの口から飛び出してきた瞬間、にわかに政府関係者たちの背筋が強張った気がした。

 噂か、噂なあ。

 魔法少女関連の事柄については耳聡いというかここがそもそも特級魔法少女の秘密基地って都合上、そういう話は一早く聞こえてくるものなんだが。

 

「ゴースト、ですか……?」

「そう、ゴースト……人知れず犯罪を未然に阻止している、謎の魔法少女だよ」

 

 その話についてなら俺たちも知っていた。

 小さいことなら痴漢を捕まえて警察に突き出して去っていったとか、大きいことなら「暁の空」構成員を名乗るテロリストが起こそうとしたテロを事前に阻止した旨のメッセージカードと、捕縛した犯人、そして導火線の切られた爆弾という特大の厄ネタを残していったとか、そんな感じの噂だったはずだ。

 だが、この話は、俺からすれば主に二つの観点からあり得ない。

 

 一つは、魔法少女が国の管理下に置かれた存在であるということ。主に「M.A.G.I.A」が休暇や自由行動中にも常に監視の目を光らせている都合上、人知れず犯罪者を裁く、なんて真似はできない。

 任務としてそういうことを任される三級から二級の魔法少女もいるにはいるが、騒ぎを大きくしないためにも、任務の痕跡については徹底的な隠蔽がなされている。

 もう一つは、そんなイベントは原作こと「魔法少女マギカドラグーン」には存在しないということだ。

 

 前世の俺はマギドラを隅々までやり込んで、攻略本も設定資料集も買ったが、「ゴースト」なる魔法少女の存在は、それを匂わせるようなテキストすら存在していなかった。

 だからあり得ない、と断言したいところではあるんだが、問題はこの世界が既に原作を逸脱してしまってるとこなんだよな。

 仮に「ゴースト」が俺の行動によって現れた世界の歪みだとしても、そもそも魔法少女が魔法少女たり得る条件は「魔導炉心」を心臓の代わりに埋め込んでいるかどうかだ。

 

 炉心の管理が徹底している、「M.A.G.I.A」の中でもごく限られた人間しか保管場所を知らない以上、「ゴースト」なる魔法少女は本当に魔法少女なのかどうかも疑わしい。

 しかしだな、火のないところに煙は立たないとはいったもんだが、そんな噂が流れているってことは、そいつの正体が魔法少女であろうがなかろうが、「ゴースト」は確実に存在してるということなんだよな。

 一瞬、魔法少女のコスプレをして犯罪者を勝手に裁く義賊、なんて考えが頭をよぎったが、アメコミじゃねえんだぞ。簡単にそんな異常者がポップしてたまるか。

 

 だが、恐らく事実として「ゴースト」はいる。それがとてつもなく悩ましい。

 正体がどっちにしても勘弁してほしいもんだ。

 今のところ俺たちが動く必要性はないからと、任務は回ってこないし、「ゴースト」についての報道も統制されてるが、人の口には戸が立てられなければ、今の時代はSNSの存在もある。

 

 現に、だからこうして噂になってるんだよな。

 

「なんのためにそんなことをしているのかはわからないが、ぼくとしても興味深いねぇ……なにせ魔法少女は謎に包まれた存在だからね」

「……あ、あはは……」

 

 相変わらず危ない綱渡りを続けている由梨さんは、こよみを相手にそんなことを宣っていた。

 真実に辿り着こうとする意志は立派かも知れないが、消されたら元も子もないぞ。

 それにしたって「ゴースト」ねえ。

 

 どっかの魔法少女が基地や駐屯地から脱走して義賊紛いの行為を働いているって可能性が一番デカそうなもんだがな。

 しかしこの、監視用腕時計型デバイスを外す権限が自衛隊や「M.A.G.I.A」に委ねられている以上、何日も居場所を隠して潜伏し、更には犯罪を未然に防いだ証拠をひけらかすなんて真似は不可能に近い。

 じゃあコスプレ異常者なんじゃないかって可能性だが、ただの一般人が、痴漢はともかくテロリストを捕縛できるかって話になってくる。

 

「『ゴースト』の噂なら私も知ってますよー、この前銀行強盗を一人で始末したとかSNSに書いてましたからねー」

「うむ。その場にはやはりメッセージカードしか残されてなかったらしいがね」

 

 由希奈が話題に乗っかる形で、追加の厄ネタを投入してきた。

 そうなんだよな、当該する銀行には今政府が全力で監視をつけて報道陣を跳ね返しているが、そういう話もあったんだよな。

 しかも銀行強盗が刃物じゃなくて銃を持ってた──フォロワーなのか構成員なのかはわからんが、十中八九「暁の空」絡みの事件を俺たちに先んじて潰す謎の魔法少女カッコカリ。

 

 これらが意味するところは一体なんなんだろうな。なにせ原作に存在してない展開だから、俺も全くわからん。

 仮に「ゴースト」が義賊だったとしても、魔法少女がわざわざ自分の任務に証拠を残すことは考えられんし、かといって民間人がテロリストを鎮圧できるかといわれりゃ無理だ。

 そうなると傭兵崩れが魔法少女のコスプレをして犯罪やテロを未然に防いでる、ってどう考えてもあり得ない結論になっちまうんだよなあ。

 

「なになに、『ゴーストは神』、『ゴーストしか勝たん』……警察より先に動いて犯罪を阻止してるせいか、妙に絶賛されてますねー」

 

 由希奈がポケットからスマホを堂々と取り出して、リアルタイム検索をかける。

 そして政府が全力で「ゴースト」の所業を隠蔽してるとくれば、陰謀論じみた展開を頭の中で構築する人間が出てきてもおかしくはない。

 もしかすれば、公権力に対してのイメージダウンでも狙ってるんだろうか。だが、そんなことをしてなんの得がある?

 

 政府憎しで今のところ動いてるのは「暁の空」だが、その「暁の空」に共鳴したのか本物の構成員なのかは知らんが、とにかく記号を纏ったテロリストを鎮圧してる辺り、繋がりは薄そうだ。

 マッチポンプという可能性もあるにはあるが、わざわざ構成員を捕縛させてまで政府のイメージダウンを狙うのはいくらなんでも回りくどすぎる。

 

「何者なんだろうねえ、『ゴースト』……可能ならぼくも一度はインタビューしてみたいものだよ」

 

 もしゃもしゃとハンバーグを咀嚼しながら由梨さんが呟く。

 とりあえず「ゴースト」とやらが何者かはわからんが、飲み込んでから喋ってくれんかね。

 政府関係者の張り詰めた空気に気付いているのかそうでないのか、堂々と昼飯を食ってるその胆力は尊敬するところだが。




第二部、始動


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「幽霊」を追え

 政府関係者が定時連絡を由梨さんの退店まで待っていたということは、今回は本格的に聞かれたくないことなんだろうな、と、推察しながら、俺は由梨さんが食べ終わったハンバーグプレートを片付けていた。

 

「まゆ、洗い物は手伝う必要があるか?」

「大丈夫ですよぉ、そこに置いててくださいねぇ」

 

 さいですかぁ。

 いかに客が少ないとはいえ一人でキッチンを切り盛りしているまゆには頭が下がる。

 言われた通りに食器を指定の場所に置いて、俺は役人と大佐の会話に耳を傾ける。

 

「本当に『ゴースト』とやらは魔法少女なのか?」

「状況証拠的にはそうだとしか言いようがありませんね、例の銀行で犯行に居合わせた人間からは『銃弾を目の前で弾いていた』という証言も上がってます」

「魔力障壁、か……だが、なぜだ? 少なくとも『M.A.G.I.A』内部と自衛隊内部は洗ったんだろう? なら『魔導炉心』をやつが持っている理由に説明がつかん」

 

 いよいよ厄ネタ確定臭いな、これは。

 強盗と銀行がグルになっている可能性は皆無に等しいだろう。そして、命を救われた状況で嘘の証言をすることも考えられない。

 証言が確かなら、「ゴースト」は、魔力障壁を展開できる本物の魔法少女だ。

 

 だが、どうやって?

 俺だけじゃなく、大佐も、こよみたちもきっとそう思っているはずだろう。

 魔法少女は、言い方こそ悪いかもしれないが人の形をした超兵器みたいなものに違いはない。だからこそ、厳重に監視され、管理されている。

 

 そして魔法少女たちを統括する「M.A.G.I.A」のセキュリティは鉄壁といっても過言じゃない。

 遊び半分で生半可なクラッカーがクラッキングを仕掛けてきたところで、逆探知からのお縄か、最悪は消される未来が待っている。

 最重要機密たる、「魔導炉心」が今何個あって、どこに保管してあるかを知っているのはそれこそ大佐と萌葱女史、それと重要なポストについてる役人たちぐらいだ。

 

「現存するストックに変化はなかったんだな?」

「それは間違いありません。萌葱大佐からも確かに残数はストックに一致すると、そう報告をいただいています」

「ふむ……」

 

 萌葱女史がそう言ってるってことはそうなんだろうな。あの人はまず嘘をつかん。

 だったらどこかの誰かが新しく「魔導炉心」を作り出したのか?

 そんなことはあり得ない。絶対にできないと断言できる。

 

 なぜなら、「魔導炉心」を作るには然るべき専用の設備と、そして最重要機密に指定されている特殊な物質が必要になる都合、その埋蔵地点や設備についても、ごく一部の人間しか存在を知らないし触れることもできないからだ。

 俺がその存在について知ってるのは前世の設定資料集から持ってきた知識のおかげだが、具体的にそれがどこに埋まっていて、どんな風に「魔導炉心」が作られるのかについては残念だが全くわからない。

 なにせ書いてなかったんだからな。二万五千円とかいう強気すぎる値段設定の割に内容が歯抜けなのが本当に許せねえ。

 

 開発陣への怒りはともかく、萌葱女史が嘘をついている可能性は薄い。

 そして「M.A.G.I.A」と自衛隊、双方を洗った上で行動履歴に不審な点が見受けられる魔法少女もいない。

 この二つが事実だとするなら、可能性として考えられるのは、英知院学園の時の件も鑑みてただ一つだ。

 

「ネズミが紛れ込んだ、か?」

「……可能性は高いかと」

「どこかでなにかの記録が改竄されてる可能性は高い、特に『魔導炉心』絡みの件は徹底的に洗い直してくれ」

「はっ!」

 

 この状況で最悪なケース、それは「M.A.G.I.A」内部に敵の内通者が潜んでいることに他ならない。

 役人四人組は店から去っていったが、あの中にも内通者が紛れ込んでいる可能性も否定できない。そうなれば待っているのは誰もが誰もを疑う人狼状態だ。

 だが、仮に「暁の空」との内通者が紛れ込んでいたとして、その「暁の空」が起こそうとした事件を未然に防ぐ魔法少女のために「魔導炉心」を盗み出してわざわざ与えるという行動は不可解にも程がある。

 

 内通者が潜んでいると仮定して、政府のイメージダウンを狙うんなら他にいくらでもスマートなやり方はあるはずだ。

 野良の魔法少女こと「ゴースト」の目的もわからなければ、「暁の空」の目的も不明で内通者の有無と真意も闇の中とくれば、いよいよもってお手上げしかない。

 そうなると、ネズミ狩りは専門家に任せるとして、俺たちに打てる手段となれば。

 

「あー、なんだ。諸君らに通達したいことがある。全員制服に着替えて、地下ブリーフィングルームまで集合してくれ」

『了解!』

 

 当然のようにそれしかないよな。

 つまりはとうとう俺たち、特級魔法少女にお鉢が回ってきたということだ。

 鍵開け担当だった俺はいつものように適当な紙の裏に「本日臨時休業中」と書いて、扉の小窓へとそれを貼りつけ、プレートを「OPEN」から「CLOSE」へと裏返した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「さて、諸君らに集まってもらったのは他でもない。最近巷で話題の『ゴースト』についての件だ」

 

 いつものようにブリーフィングルームへと集まった俺たちを前に、大佐はスクリーンに投影した映像を指示棒で指し示す。

 その「ゴースト」が鎮圧した銀行強盗未遂事件の防犯カメラ映像に加えて、駅のホームにいた警察官に痴漢を引き渡す映像。

 そこに「ゴースト」の姿は確かにくっきりと映し出されていた。

 

「確かに弾丸を弾いてる……魔力障壁に間違いないわね」

「んー、普通に表に出てったっぽいけど目撃証言とかも上がってないんですよねー?」

「その通りだ。東雲葉月、北見由希奈」

 

 黒のゴスロリドレスに薄く紫がかったようなミディアムストレートと同じ色の瞳。

 件の「ゴースト」の容姿は端的にいって美少女の括りに入るし、なによりゴスロリドレスで街中を歩いていれば否が応でも目立つことだろう。

 だが、犯行──といっていいかどうかは微妙なところだが、現場以外での目撃証言が上がっていない。

 

 やつが魔法少女なら、変身中は一般人には認識阻害が働く以上仕方ないとしても、関係各所、特に巡回に当たっているであろう三級魔法少女からの目撃証言がないのは妙だ。

 

「……ヤツの魔法特質がなんらかの悪さをしている可能性があるな」

「その可能性は大いにあるね、西條千早。恐らく、『ゴースト』の魔法特質はステルスか、魔法少女にも影響を及ぼす強力な認識阻害、ジャミングか……それに類するものであるとおれは考えているよ」

 

 神出鬼没、現場以外で姿を見せずに、公安や「M.A.G.I.A」が張り巡らせている監視の目を掻い潜っているとなれば、「ゴースト」が高度なステルス能力やジャミング能力を持っている可能性が高いというのは、俺も大佐と同じ見解だった。

 今のところ「ゴースト」が同じ魔法少女を襲っただとか、そんな報告は一切上がっていない。

 あいつがやっているのは義賊的な行為であって、放置したところで害はないのかもしれないが、それは危険だ。

 

 ほぼ確実に「魔導炉心」を持っている以上、それをいつ悪用されないとも限らないからな。

 魔法少女が強力な存在である以上、その大いなる力には大いなる責任が伴う。

 例えやっていることが義賊的な行為であったとしても、国の監視から、権力という制御から外れて力を振るっている時点で、それはどんな形であろうと暴力になる。

 

「だからこそ、諸君らには特別任務として『ゴースト』の足取りを追ってもらいたい」

 

 大佐は眉間にシワを寄せながら言った。

 まあ、そう来るだろうとは思っていたよ。

 一級魔法少女が国の要石として迂闊に動けない以上、そしてここ最近特種非常事態宣言が出されてない都合、有事即応という名目の元にある程度の自由が与えられている俺たちに任務が回ってくるのは仕方あるまい。

 

「了解しましたぁ、でも、どうやって『ゴースト』さんを追えばいいんでしょう……?」

 

 まゆの疑問はもっともだ。

 今のところ、俺たちが「ゴースト」について持っている情報はあまりに少ない。

 外見的な特徴と、なんらかの犯行現場に現れて、それを鎮圧する。この二つだけで「ゴースト」を追えってのは中々骨が折れる。

 

 それに、今回ばかりは俺の原作知識も通用しそうにない。

 原作にはこんなイベントなんてなかったからな。

 没になったとされるシナリオのプロットも設定資料集には載っていたが、「ゴースト」の存在については一行たりとも触れられていない始末だ。これじゃあお手上げもやむを得ないだろうよ。

 

「それについては諸君らの奮闘に期待する。『M.A.G.I.A』に働きかけて都内の監視も強めるつもりだ、連携をとって『ゴースト』を捕縛してくれ」

 

 出資者は無理難題を仰る。いや出資者じゃなくて司令官だけどな。

 つまり総当たり、脳筋式解決法しかないという大佐の宣言に俺はがくりと肩を落とす。

 これでどうやって探せばいいんだ。面が割れてるのは幸いだとして、「ゴースト」が持ってる能力がジャミングだったら八割詰みだぞ。

 

 初めから暗雲が渦巻く調査任務に由希奈は苦笑し、葉月は頭を抱え、まゆは困ったように小首を傾げ、こよみはおろおろと左右に視線を忙しなく往復させていた。

 俺? 俺なら腕組んで、いかにも頼れる先輩っぽい唸り声上げてたけど、有効そうな方法はなにも考えられなかったよ。




困ったときの脳筋式解決法


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手がかりもなしに捜査とな

 そんなわけで「ゴースト」を追えとか言われたって、手がかりらしきものもないんだからどうしようもないよな。

 大佐もそれはわかってるのか、渋い顔してたし、面と格好が割れてても、一般人に「こんな顔の魔法少女を見なかったか」と訊いたところで、魔力による認識阻害の影響でまず当てにならない。

 おまけに相手は仮定とはいえ、ステルスかジャミングのどちらかを魔法特質として持ってるとかいう始末だ。

 

 やってられんね、というのが正直なところだが、放置しておける問題かといわれれば、答えはノーだから余計に困る。

 その「ゴースト」がなにを考えているかわからないってのも厄介だ。

 思想犯なら犯行現場は絞り込める。なんせ狙いが明確だからな。

 

 だが、やつのやってることはただのヴィジランテであって、対象にしているのも痴漢から銀行強盗、テロの鎮圧まで多種多様だ。

 

「先輩これ、これから犯罪の起こる現場を予知して抑えてくれー、って感じですかねー? 無理ゲーじゃないですー?」

「言うな、由希奈。此方とて『ゴースト』の出現場所を絞り込むのは難しいと思っているところだ」

 

 由希奈が言った通り、とりあえず犯罪が起きそうなところにヤマを張って待ち伏せるのがスマートなやり方なんだろうが、軽犯罪から重犯罪まで「ゴースト」が勝手に取り締まってる以上、その捜索範囲は滅茶苦茶広い。

 ただでさえ「M.A.G.I.A」も警戒態勢を敷いていて尚捕まらないってのに、俺たち五人で極端な話東京全土をカバーしてくれなんてそれこそ無理ゲーだ。

 猫の手も借りたいとはこのことだろう。

 

「でも、今まで『ゴースト』さんが出現したのって、全部東京二十三区内なんですよねぇ……?」

 

 そんな具合に頭を抱えていると、まゆがぽつりとそんなことを呟いた。

 確かに、防犯カメラに映っていた痴漢を警察に引き渡す瞬間が記録されていたのは池袋駅で、銀行強盗を鎮圧したのは、なんの因果か渋谷の銀行だったはずだ。

 前世と今世で記憶が一致するなら、の話ではあるが、魔法が存在しているのと臨界獣が現れること以外は今のところ「魔法少女マギカドラグーン」の世界は現実をベースに作られている。

 

 いや、現実には物騒なテロ組織もいなかったけどな。

 それはさておき、だ。

 

「ふむ……まゆの見解では『ゴースト』は東京二十三区を中心に活動している可能性が高い、ということか」

「そうなりますねぇ……ここからは完全にまゆの推測ですけど、二十三区の中でも首都圏に近いところじゃないかなぁって」

 

 池袋。渋谷。

 そしてSNSで由希奈がリアルタイム検索をかけて出てきたいくつかの犯行現場は、全て山手線の圏内に限定されている。

 魔法少女が山手線に乗ってるってのも凄まじい絵面だが、そんなことより気になるのは。

 

「二十三区、それも首都圏に限定されてるってんならなんで『M.A.G.I.A』はあいつを捕まえられてないのかしら」

 

 葉月がぼやいた通りだった。

 二十三区、首都圏といえば官公庁の縄張りみたいなもんで、「M.A.G.I.A」の本部も千代田区、霞ヶ関のお膝元だ。

 加えて公安も噛んでいるであろうことを考えれば、いよいよもって「ゴースト」を捕縛できない理由がステルスかジャミングのどちらかを持っている、というのが現実味を帯びてきた。

 

「……今出てきた情報を整理するに、『ゴースト』はステルス、あるいはジャミングを持っている可能性が非常に高い。あとはヤツが何級相当の魔法少女か、というところにかかってくるだろうな」

 

 俺たち特級すら欺くことができるそれを持っているなら、事態は暗礁に乗り上げかねない。

 特級相当のステルスかジャミングを魔力の痕跡から逆探知するとなると、こっちも似たような特質の魔法少女を配備するしかないだろう。

 まとめると、逆探知自体は「M.A.G.I.A」も試みてるんだろうが、上手くいってないってところか。

 

「ここまで『M.A.G.I.A』を欺けてるって考えれば、最低でも一級相当……最悪はアタシたちと同じ特級相当って見てもいいんじゃないかって思います」

「此方も同意見だ」

 

 葉月に同意して、俺は胸を下から支えるように腕を組む。

 一級相当の魔法少女となれば国が放っておかないはずなんだが、やってることがヴィジランテときてるんだから余計にわからん。

 名誉がほしいってんなら、手っ取り早く一級魔法少女として国の後ろ盾を得た方が確実だ。

 

 もちろん「魔導炉心」の出所は根掘り葉掘り訊かれるだろうがな。

 だが、俺たち特級はある種の例外的な扱いを受けていて、実際国の英雄、要石として扱われてるのは一級魔法少女たちだ。

 特級に関しては規格外の事態に対応するための秘密兵器、ってところだろうか。

 

 そんな話はともかくとしても、「ゴースト」の目的もわからなければ、手がかりを得るのも絶望的な状況で調査してくれ、なんて依頼が飛んできたらどうするかは自明の理だ。

 そうだね、困ったときの脳筋式解決法、体当たりかつ総当たりでの捜索だね。

 やってりゃいつかは捕まるだろう──というかやるまでやれば捕まえられる、という出るまで引けば百パーセントみたいな暴論だが、それしかないならやるしかない。

 

「ともかく、此方にできることは二十三区内を総当たりで探すことぐらいだ。念のため、交戦した時のことも考えて、二手に分かれておきたい」

 

 五人バラバラに捜索した方が確率は上がるのかもしれない。

 だが、「ゴースト」がどんな魔法征装を持っていて、魔法少女を相手にした時どう出るのかがわからない以上、なるべくならタイマンを張るのは避けたいところだった。

 それに、こよみの地球製魔法征装は対人相手じゃオーバーキルどころじゃないからな。

 

 本部からサイドアームとして魔力弾の装填された拳銃を貸してもらうしかないだろう。

 その辺も鑑みると、近接担当の俺と葉月は固まらない方がいい。

 そして、いざって時に各員がそれぞれのフォローに回れることを考えれば。

 

「チームAは此方と由希奈、チームBは葉月、まゆ、こよみの三人に分かれるのが妥当だと考えるが……皆の意見を聞きたい」

 

 俺が出した案はバランスを考えてのものだ。

 まゆには支援役として、装備が少しばかり頼りないこよみを補ってもらいたい。

 それに、まゆは捕縛に向いた魔法特質を持っているから、いざというときは頼りになることだろう。

 

「アタシは……そうですね、先輩の案が一番いいと思います」

「まゆもそれで構いませんよぉ」

「……わ、わたし、も……特には……」

「まーそうなりますよねー、って感じなので私も異存なしですー」

 

 てっきり葉月は噛み付いてくるかと思ったが、四人全員からすんなりと賛同をもらえたのはありがたい。

 互いを互いで補い合えるのが理想的なチームだ。

 未だにこよみとの確執やわだかまりはあるかもしれないが、それでも葉月なら責任を全うすることを優先してくれるだろう。

 

「此方の提案を受け入れてくれて感謝する。では定時連絡を取り合う形で、二十三区内──取り分け山手線圏内を重点的に捜査してゆくとしよう」

 

 おー、と意気込みも新たに、声を合わせてこよみたち四人が拳を天に掲げる。

 なんとしてもホシを上げようだなんて、刑事ドラマじゃないんだがな。少なくとも俺としては、やつと話す機会があるなら、「魔導炉心」の出所だけは訊いておきたい。

 なんのために「ゴースト」がヴィジランテをやってるのかとかは正直なところどうでもいい。物事は平和裏に解決できるならそれが一番だ。

 

 一筋縄じゃいかないのは確かなんだろうな。

 段々と狂い始めてきたこの世界の歯車、軌道を逸れて、俺の知らない方向へと話が歪んでいく皮肉。

 それも含めて俺が始めたことだとしたら、その解決に責任を負うのもまた俺という一言に尽きる。

 

 そのためにも、必ず「ゴースト」は捕縛してやらないとな。

 決意も新たに、俺たちはメイド服から制服に着替えて、「ゴースト」の捜査に乗り出した。

 可能であれば、やつが話し合いで解決できそうな人種であることを願って。




話せばわかる……かもしれない


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そう簡単に見つかったら苦労はしない

 二手に分かれて「ゴースト」を探しに出た俺たちは、とりあえず首都近辺ということで新宿と東京駅の二ヶ所に分散する形で、捜索に当たっていた。

 ただ、現状「ゴースト」が犯罪の抑止を目的にしていると仮定して、そう簡単に犯罪なんて起こっちゃくれない──むしろ簡単に犯罪が起こったら困る──のがこの国だ。

 過激派テロ組織こと「暁の空」絡みの案件で治安は前世よりも悪化しているが、それにしたって臨界獣の脅威に晒されてるのによく頑張ってる方だと思うよ、警察も民衆も。

 

「ぜーんぜん見当たりませんねー、先輩」

「泣き言を言うな、由希奈。手がかりが皆無に等しい以上、信じられるのはこの目と足だけだ」

「そうなんですよねー……ぐぬぬ、今だけは認識阻害が恨めしい」

 

 俺たちは阻害の影響を受けずに「ゴースト」の面が認識できるものの、一般人の視点からは写真に収めようが動画を撮影しようが「謎の魔法少女」以上のことはなにもわからない。

 紫がかったセミロングに、同じすみれ色の瞳。そして否が応でも目立つゴスロリドレスの人物を見つけてくれ、といわれて、他人の目が当てになるんだったらそれなりに成功率も高いのだろう。

 だが、人間交差点なこの首都圏でなんの目撃証言もなしに特定の人物を見つけてくれ、ってのは実に砂漠の中に落ちたダイヤモンドを探す──とまではいかなくても、結構な難題だ。

 

「『M.A.G.I.A』からはなーんの連絡もないんですよね?」

「今のところはな」

 

 手が空いている三級魔法少女も捜索には動員されているんだろうが、魔法少女の仕事はあくまで臨界獣やテロへの対処であって人探しじゃない。

 そうなれば回せる人数も限られてくるだろうし、発見は望み薄だろう。

 ただ、「魔導炉心」が野放しになっているという現状を「M.A.G.I.A」が大人しく看過しておくとも思えない。

 

 そうなれば、国防を一級魔法少女に一任して、二級以下を総動員した山狩りに踏み出る可能性もなきにしもあらず、といったところだろうか。

 

「この前みたいに銀行強盗でも起きればわかりやすいんですけどねー」

「物騒なことを言うものではない……うん?」

「どうしたんです、千早先輩?」

 

 銀行強盗。さらっと流しちゃいたが、よく考えたらこれも違和感がある。

 やつの、「ゴースト」の手によって捕縛された犯人たちは嘘が本当かは知らんが、「暁の空」の構成員だと名乗っていたらしい。

 もしもそれが本当だとしたら、なぜ「ゴースト」は「M.A.G.I.A」を出し抜けた?

 

 例えそれが嘘だとしてもだ、なぜ警察隊より早く現場に駆けつけて鎮圧するなんて真似ができた?

 たまたま「ゴースト」がその現場に居合わせた可能性はある。

 だが、やつは先回りして犯罪を未然に防ぐヴィジランテ的な行為に明け暮れているような魔法少女だ。

 

 偶発的な事態に変身して対処した、という可能性よりは、最初から銀行強盗が起きることを知っていて、その上で動いていたと考える方が自然だろう。

 なら、やつにはなんらかの情報提供者がいると見て間違いない。

 警察より、「M.A.G.I.A」より早く犯罪の香りを嗅ぎ取って「ゴースト」に提供する存在。そんなもんがいるとも思えないが、誰かとグルになってなきゃ、銀行強盗を未然に阻止するなんて真似はできないはずだ。

 

「この一件、此方が思うよりも相当根深い可能性が出てきたな……」

「……どういうことです?」

「そのままの意味だ、なぜ『ゴースト』は我々や警察を出し抜いて銀行強盗を未然に阻止できた?」

「それは……あっ」

「何者かは、そしてなぜヤツを支援しているのかはわからないが、『ゴースト』にはパトロンがいる。間違いはないはずだ」

 

 パトロンがいる、それはきっと間違いないことだ。

 ただ、由希奈にも言った通り、なんのために「ゴースト」を支援しているのかはまるでわからない。

 もしも「ゴースト」が脱走した魔法少女だと仮定して、金が目当てだとしたら、口座の動きで抑えられる。

 

 つまりその線は薄いということだ。

 ならば名誉は、となってくるが、いくら「ゴースト」に警察と「M.A.G.I.A」を出し抜いて情報を提供しても、名声を浴びるのは犯罪を未然に阻止した「ゴースト」だけだ。

 名誉が欲しいタイプだとしたら、それはあり得ないことだろう。

 

 なら、ただの酔狂で「ゴースト」に手を貸している可能性は、とくるが、伊達や酔狂で警察と「M.A.G.I.A」を出し抜くなんて真似を一般人がするとは思えない。

 特にダークウェブに精通した、熟練のクラッカーですら避けて通るのが「M.A.G.I.A」のメインフレームだ。

 警察庁や公安にクラッキングを仕掛けるのも、命が惜しければ間違いなくやらないことだろうし、なにより警察は基本的に犯罪に対して後手に回らざるを得ない組織である以上、出し抜くなら「M.A.G.I.A」一択になる。

 

 よっぽどの死にたがりかよっぽどの目立ちたがり屋でもなけりゃ、「M.A.G.I.A」をクラックして出し抜くなんて真似はできないしやらない。

 そうなると浮かび上がってくるのが、大佐が言っていた内通者の線だ。

 だが、内通者が仮に「魔導炉心」を横流しし、「ゴースト」を支援しているとしても、その行為に対するリスクとリターンはあまりにも釣り合っていない。

 

 スパイの正体が「暁の空」に絡む人間だったとしても、「暁の空」が起こした犯罪を未然に防ぐなんてマッチポンプをやる意味は極めて薄いはずだ。

 なら、どうして。

 なにが目的で「ゴースト」は動いていて、なにが目的で「ゴースト」のパトロンは彼女を支援している?

 

 あまりにも思考が混乱してきた。

 大体こんなイベント、原作には全くなかったんだから、俺が持っている、ゲームを隅々までやり込んで、攻略本や設定資料集の類を頭に叩き込んだというアドバンテージはまるで役に立たない。

 あの開発スタッフ共は続編で「ゴースト」を出すつもりだったのか? だとしたらなんで本編のラスボスを倒すより前に続編のイベントが差し込まれてるんだ。

 

 まるで意味がわからない。

 確かに原作での悲劇を回避するために使えるものはなんでも使うつもりだったが、その結果がこれだよ。

 それに、続編の構想らしき没プロット集にも載ってなかった敵がいきなり湧いて出てくるとかおかしいだろうが。

 

 構想はどうなってんだ構想は。

 そんな文句の一つも言いたくなってくる。

 だが、そもそもこのクソゲーに続編作ろうとしてた時点で開発スタッフのSAN値は下限値まで到達してるんだし、なにが湧いて出てきたっておかしくはないよな。

 

「とはいっても、これ以上探しても見つかんなそうですよねー」

「……そうだな、一応葉月たちと連絡をとってみるか」

 

 由希奈が肩を竦めて溜息をつく傍ら、左耳に着けていた通信機を起動して、俺は葉月とホットラインを繋ぐ。

 

「葉月、聞こえているか?」

『はい、先輩。そっちはどうでした?』

「残念だが、思わしくない。其方はどうだ?」

『同じですよ、全然見つからないですし、「M.A.G.I.A」からの連絡もないです』

 

 葉月は心底残念そうに言った。

 だろうな、とは思っちゃいたが、そう簡単に見つかるような相手でもない。

 簡単に捕まってるんならそもそも俺たちに召集がかからんからな。上層部は猫の手も借りたいんだろうよ。

 

「これ以上の捜索は日を改めて行うことにしよう、大佐には此方から上申しておく」

『わかりました。ありがとうございます、先輩』

「気にせずともいい。それでは切るぞ」

 

 通信回線を切断して、俺はすっかり夜の帳が降りきった空を見上げる。

 幽霊が現れるのは夜だと相場が決まっちゃいるが、この前の銀行強盗阻止は白昼堂々だったから「ゴースト」には関係なさそうだ。

 とりあえずは葉月に言ったように大佐へ今日の捜索を打ち切る旨を伝えて、そのままセーフ・ハウスに帰還するか。

 

「で、どうでしたー?」

「あちらも思わしくはないようだ」

「ですよねー、まあ見つかってたら連絡してくるでしょうし」

 

 それもそうだ。大佐に専用の連絡アプリでメッセージを送り、俺は由希奈の言葉を静かに首肯する。

 秒で来た返信には了解した旨とお疲れ様、という労いの言葉が添えられていた。

 言い出しっぺの大佐も、そう簡単に見つかるとは思ってないんだろう。

 

 とはいえ、あまり悠長に構えていてもいい問題じゃないのは確かである以上、なるべくならさっさと解決しておきたいんだけどな。

 

「せんぱーい、疲れましたしポテト奢ってくださいよポテトー」

「なぜそうなる……此方としては構わないが」

「やったー、先輩愛してるー、うへへ」

「公衆の面前で此方の乳を揉むな」

 

 抱きつくふりをして乳を揉んできた由希奈を引き剥がしつつ、俺は仕方ないなとばかりに近くの某有名ハンバーガーチェーン店に足を運ぶ。

 店内からは、暴力的なまでにジャンクで美味そうな香りが漂ってくる。美味しいものは大体糖質と脂質でできているとはよくいったものだ。

 そんな罪の味を噛みしめるように、俺と由希奈は注文したフライドポテトを齧っていた。

 

 久々にまともな飯を食った気がしたのが悲しいところだった。やっぱり代替品は代替品でしかないんだよな。




由希奈は平常運転


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夜のポテトは罪の味

 フライドポテトLサイズにコーラをつけて注文する。

 たったそれだけのことなのに罪悪感が湧いてくるのはあれか、最近オートミールを出汁茶漬けに錬成したものしか食ってないからか。

 とはいえ昼間はまゆが作ってくれた賄い飯を食ってるから絶望的な食生活ってわけじゃあないんだが、夜に炭水化物と脂質がマリアージュしたものを食うことにはなぜか僅かな抵抗を感じる。

 

 そんな具合にコーラとLサイズのポテトを二人分注文して、俺と由希奈は某有名ハンバーガーチェーン店で時間を過ごしていた。

 悔しいが久しぶりに食べるフライドポテトはマジで美味かった。

 それも夜にだぞ、カロリーと糖質と脂質の爆弾が炸裂する罪の味に、追い討ちをかけるようにコーラを流し込むこのジャンク感。

 

 最高に生きてるって感じがするな。

 後先とかなんも考えないで飯を食える、それもきっと若いうちの特権なんだろう。

 だったら後輩に飯を奢るという口実もあることだし、この罪の味を今は謳歌するしかない。

 

 知恵の実を食ったのはアダムだったかイヴだったかは忘れたけど目の前に美味そうなもんがあったらそりゃ食うよな。

 誰だってそーする、俺だってそーする。

 しばらくオートミール生活に戻れなくなりそうなことに危機感をうっすらと覚えながらも、俺は運良く揚げたてだったポテトを齧っていた。

 

「あー、今最高に悪いことしてるって感じしますねー、先輩」

「肯定する」

「葉月にちょっと写真撮って送っとこっと、先輩も笑ってくださいよー」

 

 ぱしゃり、とシャッター音を鳴らして、自撮りモードに切り替えたスマホが満面の笑みを浮かべる由希奈と、苦笑する俺を写し出す。

 わざわざ虎の尾を踏むような真似なんかしなくていいってのに、積極的に煽りに行くんだから苦笑いの一つもしたくなる。

 返信来るかなー、と子供が悪戯を企んでいる時のような笑顔を浮かべつつ、由希奈は手元のスマートフォンに視線を落とす。

 

「なにか来たか?」

「えっとですねー、『ぶっ殺すわよ』って来ましたね、おー怖い怖い」

「……自業自得だと思うが」

 

 夜に飯の画像をひけらかすのは重罪だ。

 それがジャンクであればあるほど罪の度合いは加速度的に跳ね上がっていく。

 葉月もきっとあのモデル体型を維持するために色々と苦労してるんだろうな。

 現にこの前、死んだ目でブロッコリー食ってたし。

 

「先輩、ぶっちゃけ『ゴースト』って悪いやつだと思います?」

 

 藪から棒に由希奈がそんなことを言い出したのは、薄らぼんやり頭の中で考えながらポテトを齧っていたその時だった。

 悪いやつ、なあ。

 由希奈はどうも今回の任務にイマイチ乗り気じゃないようだ。それもそうか、今のところ実害出てるわけじゃないしな。

 

「いいか悪いか──好ましいかそうでないかという話なら、大衆には好ましく思われているのだろうな」

 

 なにが良くて、なにが悪いのか。

 その評価軸はざっくりしすぎてて曖昧だが、要するに「ゴースト」は俺たちが血眼になってまで探さなきゃいけない存在なのかって話をしたいんだろう。

 好悪についてなら、俺からはなんとも言えん。会ったこともないからな。

 

 だが、善悪を問うという話になってくると大分話は拗れることだろう。

 店内の会話に聞き耳を立てれば、俺たち以外にも「ゴースト」について話しているやつらはいる。

 その内容は概ね半信半疑、魔法少女という存在が公的には謎が多いこともあるものの、比較的その所業については好意的に受け止められているみたいだった。

 

「んー、そうじゃなくて……先輩、話逸らしてますー?」

「好きか嫌いかという意味で訊いているのなら、会ったことがない以上答えようがない。だが、善悪を問うのなら、『ゴースト』は悪だと此方は考えている」

「どうしてですかー? 別に実害出てるわけでもないですし、犯罪を未然に防いでるだけなら、有益ですし、血眼になって探す意味もあんまりないじゃないですか」

 

 不満げにポテトを咥えながら、由希奈は言う。

 概ねその通りではあるんだろう。やつがやってることはヴィジランテではあるが、私刑を下しているわけじゃなく、法に裁きを委ねているところは割と異質だが、私刑に走らないってのはいいところかもしれない。

 しかしだな、問題は俺たち魔法少女が組織によって運用されている存在だってことなんだよ。

 

「実害はないかもしれない、だが、ヤツにとっての判断基準がいつ変わるとも限らない。それに」

「……それに?」

「言い方はよくないかもしれないが、魔法少女は組織の歯車だ。あまりにも強すぎる力を個人が振り回していては、社会秩序が成り立たない……それが『M.A.G.I.A』の理念だったはずだ。そういう意味では、彼女は秩序に真っ向から歯向かう存在だろう」

 

 魔法少女は三級ですら対人相手にオーバーキルだってのは散々いってきた通りだが、「ゴースト」のように最低でも一級クラスの魔力を持った存在となれば、都市一つ更地にすることも容易いはずだ。

 推定ではあるが、不幸中の幸いというか、彼女の魔法特質はあまり範囲攻撃向けの能力ではない。

 だが、姿を消して辻斬りなんて真似もできるとしたら、それを国の要職に就いている人間に向けるだとか、「M.A.G.I.A」の本部にカチコミだとかされてみろ。

 

 最悪、国家機能は一瞬で麻痺するぞ。

 こっちは幸いなのかそうでないのか、今のところ「ゴースト」は確かにヴィジランテ的な行為だけで満足しているようにも見える。

 だが、その気になれば一級魔法少女たちが臨戦態勢で備えているとはいえ、国家機能にすら影響を及ぼしかねない存在が野放しになっているということそのものが危険なのだ。

 

「秩序ですかー、先輩、ちょっと考え固くないですか? おっぱいはあんなに柔らかいのにー」

「乳は関係なかろうが」

「あっでもでも、こよみちゃんのふわっふわなそれと違ってハリがあるのがいい感じなんですよねー、うへへ、今度枕にして寝ていいですかー?」

「……好きにしてくれ」

 

 珍しく真面目な話をしたかと思えば、なんで乳の話に切り替わるんだ。

 もうなんかめんどくさいというか俺が考えすぎてるような気がして投げやりな答えを返しちまったけど、乳枕権を無駄に贈呈したことになるんだよな、これ。

 まさか最初からそれを狙ってたわけじゃあるまいな、由希奈。

 

「あざーっす! 先輩愛してます! まあでも、真面目な話、『ゴースト』が魔法少女だっていうんなら、私たちの仲間にならないかなーって思うんですよ」

「ふむ……」

 

 出所が謎だとはいえ、「魔導炉心」と適合した、少なくとも一級相当の逸材。

 それが野放しになっているのは危険でこそあるが、逆に考えれば、確かに「ゴースト」をこっちの戦力として引き込めるんならそれは大きな力になる。

 もちろんそれをすんなりと「M.A.G.I.A」の上層部が認めるはずはないだろうが、由希奈の考えがありかなしかでいえば、検討の余地は十分にあるだろう。

 

「それを確かめるためにも、『ゴースト』とは一度接触を図る必要はあるだろうな」

「ですねー、話が通じるなら、それに越したことはないじゃないですか。そりゃ今までみたいに自由に動けなくはなるかもしれないですけど、犯罪だとかテロだとかを未然に防ぐのは私たちもやってることですし」

 

 由希奈の言う通り、いきなりひっ捕まえて秘密裏に銃殺刑、ってのも穏当じゃない。

 話が通じるんならそれに越したことはない、全くもってその通りだよ。

 それにこんなイベント俺は全く知らんわけだからな、さっさと平和に解決してくれるんなら万々歳だ。

 

 そのためにはまず、「ゴースト」を捕まえなきゃならないってのは間違いない。

 大分萎びてきたポテトを齧りながら、俺は氷抜きで注文したコーラでそれを流し込む。

 ああ、このジャンク感。前世でも味わってきたこの背徳感が今はただ罪深く愛おしい。

 

 今頃は葉月たちもフライドポテトとかハンバーガーとか食ってんのかな、と思いを馳せつつ、飽きてきたら貰ったケチャップにポテトを浸して黙々と口に運ぶ。

 まさしく脂質と糖質と塩分がワルツを踊っている罪の味を堪能しながら、俺は由希奈と他愛もない話をして、店を出ていった。

 家帰ったらとりあえず筋トレの消化量増やしておかないとな。




夜ほどジャンクフードが食べたくなる現象


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進捗どうですか

 結局のところ何ひとつ成果らしい成果を出せないまま終わった「ゴースト」探しの初日だが、それは案の定葉月たちも同じだったようだ。

 

「山手線の範囲ってだけでも結構広いのに、なんの手掛かりもない状態で探せー、って言われてもねー」

「それはそうだけど……空振るとなんかムカつくじゃない!」

「葉月ちゃんは職務熱心ですからねぇ」

 

 ご立腹な葉月に、まゆが苦笑する。

 新宿駅と東京駅近辺を探しても「ゴースト」は見つからず、昨日のニュースを血眼になって探しても「ゴースト」が出現して、事件を解決したという話は統制されてるから意味がない。

 そうなると頼りになるのはSNSとかから拾ってくる市民の生の声なのだが、昨日は完全にハズレだったようで、リアルタイム検索を浚っても「ゴースト」についての胡乱な考察しか出てこない始末だった。

 

 謎が多い魔法少女の中でも腐敗した政府に従うことなく悪を裁く市民たちのヒーロー、なんて持ち上げられちゃいるが、その持ち上げられ方は「暁の空」に共鳴してんのと変わらない危うさを持ってるけど大丈夫なのか。

 俺には政治がわからん。少なくとも魔法少女に関することについては徹底的に情報統制するのを腐ってるというなら、まあ腐ってるんだろう。

 だが、それを理由にこの不安定なご時世で国の舵取りをやってる連中に見切りをつけるのはいくらなんでも危ないんじゃないか。その「ゴースト」がいつまでもお前らの味方でいてくれる保証はどこにもないんだぞ。

 

「『M.A.G.I.A』の監視網にも引っかかってないな、おれたちが警戒に出てることがバレてるのかもしれない」

 

 いつもと違って「M.A.G.I.A」指定の制服に身を包んだ大佐が、いつになく真剣な表情で眉根にシワを寄せる。

 喫茶「間木屋」は当面の間臨時休業で、「ゴースト」の捜査に全力を注げ、というのがお上からのオーダーらしい。

 それでもここが特級魔法少女の秘密基地である以上、足を運ばざるを得ないんだがな。

 

「……クラッカーに情報を抜かれている可能性は?」

「メインフレームに侵入されたら逆探知がかかるが……痕跡もなしに『M.A.G.I.A』の中枢に潜れるほどのクラッカーがいるかい、西條千早?」

 

 どうなんだろうな。

 大佐からの質問に、俺は曖昧に肩を竦めて首を横に振ることしかできなかった。

 ダークウェブについてはまったくもって詳しくないが、第一そんなスーパーハッカーがいるとしたら設定資料集にも記載されてるだろう。

 

 歯抜けの設定資料集をどこまで信じていいかは疑問だが、少なくとも本編の裏で「暁の空」と戦っていた一級魔法少女たちがどうだったみたいな裏話とかが書かれてた中で、クラッカーがどうのこうのという記述が見当たらない以上、その線は薄いか。

 となると、相当深いところまで潜り込んだ内通者に情報を抜かれてる可能性の方がまだ現実的だ。

 問題はその間者が誰で、なんの目的があって「ゴースト」を支援しているかってところなんだが、そこまで考えてると話が振り出しに戻ってしまう。

 

「……ぁ、あ、あの……」

「どうした、中原こよみ?」

 

 こよみが声を上げたのは、どうしたもんかねと、顔を見合わせてダメそうな雰囲気を醸し出していた時だった。

 こればかりは原作にもないし、俺の知識も役に立たんからいよいよもってダメかと、諦めかけていた中で、おずおずと遠慮がちにこよみは手を挙げる。

 だが、その姿が今の俺には非常にたくましく見えた。そう、この状況で必要な案出しをこよみが率先してやるという成長。

 

 すっかり主人公らしくなって、と後方母親面で見守りたくなるのを堪えて、俺は真剣な表情を形作る。

 もしかすればこよみの案が逆転ホームランになる可能性は大いにある。さあ、頼むぞ。

 他力本願でもなんでもいい、この閉塞した状況をどうにか打開できるプランをどうにか誰かが挙げなきゃ、事態は前に進まないんだ。

 

「……ぇ、え、えっと……『ゴースト』さんは……犯罪が起きたところに来る、んですよね……?」

「ああ、今のところはそのはずだが」

「……ぁ、ぇ……な、なら……その……わたしたちがお芝居で犯罪をするフリをしたら、捕まりませんか……?」

 

 なるほど。

 こよみの提案に、俺は思わず膝を打っていた。

 一芝居打つ形で内通者に偽の情報を掴ませて、それを「ゴースト」に流せば、おびき寄せられる可能性は大いにある。

 

 幸いなことに、とりあえず被り物をしておけば「暁の空」がやった犯行だということにできるしな。

 連中……というか「骸王」が今のところだんまりなのも気になるが、使えるものはありがたく使わせていただこう。

 ただ、あえてこの案に問題があるとするなら、それは。

 

「とてもいい案だ、中原こよみ。だが……内通者が誰かわからない状況で、関係各所と連携して芝居を打てるか?」

 

 大佐が言った通り、今のところ誰が内通者なのか、その候補も洗い出せてないってところが問題なのだ。

 いくら芝居を打ったところで、それが筒抜けになっていたら意味はない。

 やるんなら公安辺りと連携することになるんだろうが、「M.A.G.I.A」の内部で済ませるにしろ連携を取るにしろ、スパイに情報を掴まされた時点で──ん?

 

「……その案、案外現実的かもしれん」

「どういうことだ、西條千早?」

「なに……『M.A.G.I.A』が信頼できないなら、此方だけでやってしまえばいい」

 

 少なくとも、ここにいる特級魔法少女五人と大佐が敵の内通者である可能性はゼロだと言い切れる。

 設定資料集にそんなこと書いてなかったからな。

 ただ、「スパイじゃないことを証明しろ」ってのは悪魔の証明ってやつで、立証できない。それでも大佐なら俺たちがそうじゃないと信じてくれている──相互に信頼が成り立っていることを前提とした作戦だが、やってみる価値はあるはずだ。

 

「……なるほど。おれたちだけで狂言強盗をでっち上げて、それをあえて内通者にも掴ませておく、か」

「そうだ。そして『ゴースト』がやってきたところを確保すればいい。まさか、大佐も此方を疑っているわけではないだろう?」

「そうだな、うむ……君たちについては確実に信頼している。それなら、ふむ……よし、わかった。その案を採用しよう」

 

 どうやって狂言強盗をでっち上げるか、そしていかに内通者に狂言であることを気取られずに流すかについては大佐に丸投げするとして、この方法なら一度だけとはいえ、確実に「ゴースト」をおびき寄せることはできるはずだ。

 

「感謝する、大佐。こよみ、其方の力がなければ思いつかなかったことだ……本当に、助かったよ」

「……ぁ、えっと……ありがとう、ございますっ、千早先輩……」

「アンタもたまにはいいこと思いつくのね」

「……え、えへへ……」

 

 葉月も目を丸くして素直に感心している辺り、こよみの案は名案だといって差し支えないだろう。

 あとはこのトラップに「ゴースト」が引っかかってくれるかどうかだが、やつは来る、という確信が俺の中には存在していた。

 なにが目的かはわからないが、少なくとも「ゴースト」は目立ちたがってるんじゃないか、というのがこっちの推測だ。

 

 目立つことで、騒ぎを起こすことで注目を自分に浴びせる。

 それが果たしてなんのためなのかはわからないが、そうじゃなければ内通者とタッグを組んでまでヴィジランテ的な行為に明け暮れるなんて真似はしないだろう。

 もしかすれば本心から「ゴースト」が犯罪を憎んでいて、魔法少女の力をその撲滅と抑止に利用しようとしている可能性もあるにはあるが、他になにか目的があると考えた方が自然なはずだ。

 

 問題はその目的がさっぱり見えてこないことなんだがな。

 なに、そんなものは本人を引っ捕らえて直接訊けばいい。

 素直に吐くかどうかは知らんが、こっちも好きで物騒な手段を取りたいわけじゃあない、話し合いで解決できるなら、「魔導炉心」の問題はあるにしても戦力として引き込める可能性があるなら、まずはそれに賭けてみるのも悪くはないはずだろう。

 

「んふふー、こよみちゃんは冴えてるねー」

「わひゃぁ……」

 

 わしゃわしゃと髪の毛を撫で始めた由希奈に捕まったこよみには同情しておくとして、まずは事態が一歩前進したことを喜んでおくところか。

 さて、昨日は煮湯を飲まされた……ってほどじゃないが深夜にポテトを食うことになった乙女の恨みがある。

 徹底的にお話し合いをしようじゃないか、「ゴースト」さんよ。




進捗があるということは物事が進んだということなんですね


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まずは話し合おうじゃないか

 狂言強盗の情報を大佐が上手いこと流してくれたかどうかについては、ここに「ゴースト」が現れるか否かに全てがかかってるだろう。

 よく考えれば、なにも馬鹿正直に被り物をする必要もなかった。偽情報を流して、のこのこやってきたところを捕まえればいいだけだからな。

 そんなわけで急遽買ってきたカボチャのマスクはタンスにしまって、変身した状態で俺は銀行の近くで息を潜めていた。

 

「此方西條から南里へ、来る気配はあるか?」

「受け取りましたぁ、こっちは今のところないですねぇ」

 

 俺の問いかけに、まゆはのんびりとした口調で答える。

 偽の犯行予告をでっち上げてアップロード、そして「M.A.G.I.A」に消させるという手間のかかることをやってるんだ、少なくとも本部や関係機関に内通者がいるなら確実に捕まるはずだ。

 これで来てくれなきゃ本格的に俺たち五人の中に内通者がいることを疑わなきゃいけなくなるんだがな。

 

「こちら東雲、今のところそれらしき人影は見当たりません」

「了解した」

「あー、先輩! こちら北見ですけどー、それっぽいなにかが今そっちに猛スピードで向かってます!」

「でかしたぞ、由希奈」

 

 よし、ビンゴか。

 俺以外の四人をわざと銀行から遠くに配置させることで観測範囲を広げようという試みだったが、上手くいってくれて一安心だ。

 そして、偽情報に引っかかってくれたってことは、俺たち特級魔法少女と大佐はシロで、組織のどこかにネズミがいるのは確定って話でもあるな。

 

 そっちは大佐に任せておくとして、俺が今やるべきことは一つ。

 見事にホイホイと引っかかってくれた「ゴースト」と、じっくり話し合わないといけないよなあ?

 なにも暴力に訴えかけるだけが解決の手段じゃあない、そっちも俺たちに害をなしてないってことは、まだ話し合いの余地は残ってるってことだ。

 

 由希奈からの報告通り、闇夜に溶け込むようにその「揺らぎ」は、銀行の前に降り立つと同時に輪郭を表す。

 今まで「M.A.G.I.A」が記録してきた情報と一致する灰色のゴスロリドレスに薄い紫色の髪と瞳。

 模倣犯でないことはステルスの魔法を使っていたから確定だ。本物の「ゴースト」がそこにいた。

 

「……これは、どういう……?」

「少しばかり其方と話がしたかったのでな」

「っ!」

 

 物陰に身を潜めていた俺が現れるなり、「ゴースト」は動揺したのか、びくりと身を震わせた。

 そこまで露骨に警戒しなくてもいいんじゃねえかな、とは思うが、あちらさんからすれば「M.A.G.I.A」とは相容れないんだから、組織に身を置いてる俺を警戒するのも当然か。

 だが別に取って食おうってわけじゃないんだ。何事も話し合いが重要、そうだろ?

 

 無駄に血を流す必要はどこにもない。ラブアンドピースだよ、ラブアンドピース。

 そんな具合に俺は武器を抜く意思はないとばかりに両手を上げて、困惑している「ゴースト」へとにじり寄っていく。

 それはそれとして疑問なのは、「ゴースト」が俺たち五人が変身状態で待機してたってのに魔力探知を使わなかったことだ。

 

 一級相当ともなれば、魔力消費を抑えていても、変身してればそこら辺に他の魔法少女がいる、ということぐらい少なくともわかりそうなもんだが。

 まあ、それも含めて訊けば済むだけの話だろう。

 さあ、じっくりお話しようじゃないか「ゴースト」さんよ。こんな場所だから茶と菓子は出せないけどな。

 

「繰り返す、此方に攻撃の意思はない。ただ其方との対話を望んでいる。必要とあればこの場で魔法征装を投棄することも辞さない」

「……」

「此方は暴力による解決を望んでいない。対話に応じてくれると助かるのだが」

 

 どうしたって「魔導炉心」の出所は訊かなきゃならないが、基本的に彼女が他の魔法少女を襲撃するといった類のトラブルを起こしていない以上、敵対する理由は今のところないはずだ。

 繰り返し呼びかけてじりじりと距離を詰めているが、なんというか警戒心の高い小動物を相手にしてるみたいだな、これ。

 相変わらず返答はなく、「ゴースト」は沈黙したままだ。そしてこっちは、抜こうと思えばいつでも「雷切」を抜き放てる距離まで踏み込んでいた。

 

「……それはできません」

 

 初めて「ゴースト」が口を開く。

 儚い印象を受ける見た目とよく似合った透き通るようなハイトーンボイスが、俺からの提案を拒絶する。

 なるほど、しない、じゃなくて、できない、か。

 

 なんか裏にありそうな……というか、あると見て間違いないような言い草だ。

 それだけ聞けただけでも十分だが、こっちとしちゃ情報はもっと欲しいんだ。

 なるべくなら事を構えたくはなかったんだが、ここまで来れば強硬手段に出るのもやむなしだろうよ。

 

「……そうか、残念だ。ならば……その『魔導炉心』を回収するために、此方は仕掛けるしかないが」

「……『空間浸透』」

 

 真っ正面からのぶつかり合いは不利だと踏んだのか、再び大気と溶け合うかのように透明化した「ゴースト」はそのまま逃亡の構えに入る。

 魔力を辿って追いかけようにも、その感覚がかなり朧な辺り、奴さんの魔法特質はステルスとジャミングの合わせ技だろうか。

 だが、問題ない。完全に透明化したとしても、地上を走れば巻き起こる砂埃までは消せないし、空を飛べば風が起こる。

 

 あとは、それを見逃さないように追いかければいいだけだ。

 前提条件のハードルが高すぎることについては、このクソゲーに期待するだけ無駄だから考えない方が精神衛生的にいい。

 少なくとも「ゴースト」は今跳躍してビルの壁面を走っている。中々の速さだが、こと脚での勝負ときたら、それはこっちの得意分野でもあるわけで。

 

「悪いが、逃がさない……!」

「……っ……!」

 

 重ね重ね思うことだが、自己強化にも使える雷魔法って本当に便利だよな。

 確かに「ゴースト」は足が速いかもしれないし、引き際も心得ているが、それはそれとして純粋な「速度」においては俺よりも遅い。

 このまま朝まで鬼ごっこをするのも悪くはないが、その前に俺が寝落ちしそうだからさっさと、短期でさくっとケリをつけてしまいたいもんだ。だから。

 

「『雷衝撃鎚』!」

「……っ、『屈折変化』!」

 

 気絶させるために、あえて弱めに調整して放った電撃が、ねじ曲げられたかのように軌道を変えて「ゴースト」がいるであろう場所から逸れていく。

 ステルス能力ってそんな使い方もあんのかよ。自慢じゃないが、反射とか屈折率とか覚えてねえぞ。

 だったら、理系科目は赤点常連だった俺が取れる作戦なんてのはただ一つ。

 

「……なるほど、面白い。ならば、より直接的に其方を捕縛させていただこう」

「……ッ……!」

 

 それは当然の権利のように脳筋式解決法、懐に飛び込んで峰打ちでもすればなんとでもなるって寸法だ。

 夜はまだ始まったばかりなんだ。少なくとも捕縛して話を訊かない限り、どんどんレールを外れてどこかにすっ飛んでいく。

 遠くに控えていたこよみや葉月たちも集まってきてる今、この包囲網を抜ける術がないと気づいて、さっさと降伏してくれれば楽なんだが。




話し合い(物理)


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チェイス・イン・ザ・ナイト

 いってしまえば、「ゴースト」の魔法特質は隠密行動に特化したもので、こと真正面からのぶつかり合いという点においては、あまり寄与しない。

 だが、自在に姿と気配を消すことができるのは厄介だ。

 ステルスだけなら、一度捕捉さえしてしまえば、土埃や足音を頼りに追跡することができる。

 

 ただ、そこにジャミングをぶつけられれば、魔力感知と気配遮断まで上塗りされれば追い続けることはほぼ不可能だといっていい。

 ならどうするか、答えは簡単だ。

 万能なる力を持つ魔法であっても、発動のための解号を唱えてから発動するまでには、小数点以下とはいえ僅かな時間的ラグが生じる。

 

 つまるところ徹底的に張り付いて、相手にジャミングをぶつける隙を与えないほどに攻撃を加え続けていればなんとかなる。

 清々しいほどの脳筋式解決法だが、そのために必要な「絶え間ない攻撃」という前提条件を、俺は、西條千早はクリアしている。

 だったら、それを遂行するだけだ。

 

「雷轟鎧化……!」

「……っ、速い!」

 

 雷の魔力を自己強化に回すことで、速度と手数を圧倒的に増やす。

 速さが売りだった臨界獣イビルイグルにぶっ刺さってくれた魔法だ、少なくともあの害鳥並みに速度を出せなけりゃ、振り切ることも逃げることもできないだろうよ。

 俺は逃げる「ゴースト」に肉薄して、抜き放った「雷切」の峰で殴りかかる。

 

 殺すつもりはない。というか殺したら諸々がパーになって終わりだ。

 こいつには訊きたいことが山ほどあるし、なにより今のところ積極的に敵対する理由もない以上、そんな相手をバッサリ行くのは気分が悪い。

 ついでに今頃は絶賛ネズミ捕り中であろう「M.A.G.I.A」本部から出ている指示も「ゴースト」の生け捕りだ。

 

 そんなわけでちょっと気絶してくれれば助かるんだがな。

 だが、腐っても相手は一級相当かそれ以上の魔力を持った存在だ。

 並の魔法少女であれば魔力障壁を砕いてそのまま気を失っていたであろう、自己強化を乗せた一撃が、ステッキの隙間から僅かに覗く鋼に受け止められる。

 

「ほう、仕込み杖か」

「……まさか、ここまで武器を使わされるとは……!」

「だが、二度目はないぞ!」

「振り切ってみせます!」

 

 仕込み杖で受け止められたのには少しばかり驚いたが、絡繰がわかってしまえばどうということはない。

 明らかに焦りを見せ始めている「ゴースト」は、これ以上姿を消していても無駄に魔力を消費するだけだと勘付いたらしい。

 敵はステルスを解除して、建物の上に跳躍。それを追う形で俺もジャンプ、そして上昇速度に雷のバフを乗せる。

 

「此方はあくまでも対話による平和的解決を望んでいるのだがな、其方が拒まなければ今からでも武装を解除する用意があるぞ?」

「……それは、できません……! 私は……っ!」

「ならば少しばかり大人しくしてもらうぞ、命までは取らないが……少々荒っぽく行かせてもらおう!」

 

 矢継ぎ早に繰り出す剣閃を、「ゴースト」はカウンターに徹することで捌き続けていたが、ただの動体視力と基礎的な魔力強化だけでは、すぐに限界が来るだろう。

 こっちとしては諦めてさっさとお縄についてもらいたいんだがな。

 都心に立ち並ぶ雑居ビルの屋上を蹴って空を舞えば、百万ドルの値打ちがあるかは知らんが、眠ることなく輝く街の灯が眼下に映る。

 

 魔法少女同士で争っているのは、人々にとっても珍しいのだろう。

 もしくはなにか珍しいことに対する野次馬根性か。

 ほとんど目にも止まらぬ速さで動いているにもかかわらず、市民たちは上空で剣を交える俺と「ゴースト」を捉えようと、スマートフォンのカメラを向けている。

 

 魔力による認識阻害効果があるとはいえ、これだけ衆目に晒されるというのも、「ゴースト」としてはやりにくかろう。

 いや、逆に目立ってるからこそいいのか?

 こいつの目的が見えてこない。そういう意味では本当に、幽霊のように不気味なやつだ。

 

「しつこいです……っ!」

「生憎諦めが悪いのが此方の性分でな……このまま捕縛されてくれれば人道に則った扱いはさせてもらうぞ?」

 

 脱走した魔法少女に対して下される罰は極めて厳しく、理由によっては問答無用で「魔導炉心」の回収──つまり実質的な極刑が下されることもある。

 だが、「ゴースト」はどこの基地や駐屯地から脱走してきたという情報もないアンノウンだ。

 前例のないことに対しては慎重になるのが我が国の性質というものであって、そういう意味じゃ、「魔導炉心」の出所を吐くまでは人道に則った扱いがなされるだろう。吐いたあとについては経緯次第としかいいようがないがな。

 

「それはできません、貴女こそ諦めて、私のことは放っておいてください!」

「此方としては刃を交える理由はないが、其方がお上の逆鱗に触れているのでな。組織勤めというのは案外肩身が狭いのだ」

「……『M.A.G.I.A』が私を放っておかないことぐらい知っています……だけど、私は立ち止まれない! ここで捕まるわけにはいかないんです!」

 

 それは、どんな理由でだ。問いかけるより早く、防御する一方だった「ゴースト」は、こっちの斬撃を無理やり受け流した。

 カウンターとして蹴りを放ってくるが、それは残念ながら見えている。

 身体強化魔法による五感の拡張があれば、動きの先読みすらも容易い。

 

 とりあえず得られた情報としては、「ゴースト」は「M.A.G.I.A」の存在を認知してるということか。

 まあ執拗に追いかけ回されたり虎視眈々と狙われ続けていたら自分を狙っている組織があることぐらいには当たりがつけられるだろう。

 だが、「M.A.G.I.A」の存在は表向きには秘匿されている。政府や自衛隊、警察関係者──あるいは裏社会の住人であれば、その名前を知ることは容易いが、一般人がそこに辿り着くためにはかなりの苦労を要する上に、辿り着いても公安のブラックリスト入りするだけだから、いいことなんざなにもない。

 

 それでも「M.A.G.I.A」の存在を明確に認知している辺り、「ゴースト」はカタギじゃあないってことだ。

 その存在を知っていて尚、パトロンをつけて自警団的な行為に明け暮れる理由は全くもって見当たらない。

 どう考えてもメリットとデメリットが釣り合ってないからだ。

 

 三級から特級まで、魔法少女という圧倒的な力を有している秘密組織に一人で対抗しようなんてのは、言っちゃ悪いがほとんど狂人の発想だ。

 それに、厳重に管理されているはずの「魔導炉心」をどこで手に入れたのかだとか、パトロンの存在は誰かだとか、こいつを叩けば埃は無限に出てくるだろう。

 だが、確かに言えることが一つだけある。

 

 こいつからは、「ゴースト」からは、悪意だけは感じられない。

 まるでなにかに追い立てられているような必死さや、使命感のようなものは感じるが、「魔導炉心」を悪用しようという意思だけは感じられないのだ。

 そこに根拠はない。あくまでも俺のフィーリングでしかない以上、なんらかの証拠になるわけではないが、「ゴースト」が動いている理由を掴むきっかけになってくれれば、程度だ。

 

 その程度であったとしても、この引っ掛かりは無視できないような気がする。

 そもそも原作に存在してないイベントなんだから、こいつがなに考えてるのか、なにを求めて行動してるのかについて、俺の原作知識が全く通用しないのが厄介極まりない。

 続編に出すつもりだったのかどうかは知らんが、構想はどうなってんだ構想は。いやそもそも地球産魔法征装作った時点で原作から外れてるんだから自業自得だが。

 

「先輩、遅れました! 今から取り返します!」

「ふふ……まゆたちは痛いことはしませんよぉ、ただ貴女とちょっとお話ししたいだけです」

「……ぁ、て、抵抗しなければ、き、危害は加えません……!」

「そんな具合に詰んでるから、ちょーっとお姉さんたちと事務所裏行こっかー? 大丈夫大丈夫、いかがわしいことなんてしないからさー」

 

 そんな具合にクソゲーへの怒りを煮やしつつ「ゴースト」と剣戟を交わしていると、周辺で待機していた葉月たちが合流してくる。

 これで特級魔法少女五人が勢揃いしたわけだ。由希奈が言った通り、状況は限りなく詰みに近い。

 だが、そこで剣戟の手を緩めてしまったことが、特級五人に「ゴースト」が包囲されているという事実に意識を向けてしまったのがよくなかったのだろう。

 

「……私は、捕まれません! 全部の犯罪を、テロを、潰して回るまで……っ!」

「なにを……ッ!?」

 

 スカートの中からなにかを取り出した「ゴースト」は、躊躇いなくそれを投擲する。

 由希奈は即座にクイックドローでそれを撃ち抜くが、それが一番まずかった。

 制止する声を発する間もなく、途端に眩い閃光が爆ぜて、俺たちの視界を白一色で塗りこめていく。

 

 フラッシュバン。古典的な目眩しだ。

 そして、一瞬でも隙が生まれたということは、「ゴースト」に逃亡のチャンスを与えてしまったということでもある。

 魔力使用の痕跡から逆探知を試みるが、やはりというかなんというかジャミングをかけられていて、視界が晴れる頃には、「ゴースト」の姿は影も形も見当たらず、探すこともできないという始末だった。

 

「……してやられたな」

「閃光弾……あちゃー、あんな古典的なのに引っかかっちゃうなんて……ごめんなさい、先輩、皆」

「あの状況でアタシも銃持ってたら同じことやってたし、閃光弾投げられた時点で詰んでるから仕方ないわよ」

 

 珍しく、しおらしい態度で頭を下げた由希奈に、葉月がフォローを入れる。

 確かにあれは仕方ない。事故だよ事故。

 銃をメインウェポンにしてる由希奈からすれば不審なものを撃ち抜くという動作は最早癖レベルで身についてるだろうし、撃たなくたって葉月の言う通り、どの道時限式の信管で炸裂してただろう。

 

「閃光弾……そんなものまで持ってるんですねぇ」

「……ふ、普通の人じゃ、ない……です、よね……?」

「どこの世界に閃光弾持ち歩いてる一般人がいんのよ……少なくともこれで『ゴースト』がただの野良じゃないし、誰かのサポート受けてるってことは確定でしょ」

「それも武器に精通した人間の、な」

 

 呆れたような葉月の言葉に乗っかる形で、俺もまた肩を竦めつつ言った。

 閃光弾までどこかしらからちょろまかしてるとくれば、「ゴースト」のパトロンは粗悪品の拳銃をばら撒くのが精々なマフィア崩れなんかじゃない。

 もっと危険なテロリストか、あるいは。

 

「内部犯、ってことですかー」

「残念ながらその可能性は非常に高いな」

 

 防衛省、取り分け自衛隊に絡んでる人間が一枚噛んでいる可能性が極めて大きい。

 元々「M.A.G.I.A」と魔法少女を快く思ってない勢力が政府内部にもいるとは設定資料集にも書いてあったが、まさかそのしょうもない対立が表面化してきたわけじゃあるまいな。

 

 ますますもってわからなくなってきた「ゴースト」の目的とその支援者の思惑に俺たちはただ不穏なものだけを感じ取ることしかできなかった。

 任務失敗の旨を大佐に伝えるべく、「間木屋」へと帰還する道中の空気が気まずさといったらない。

 だが、少しでもわかったことがあるのは朗報だったのかもしれない。というか、そうとでも考えなければ、やってられなかった。




魔法少女、夜を駆ける


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振り出しに戻る

 双六とか人生ゲーム……にあったかどうかは覚えてないが、その手のボドゲには結構な確率で振り出しに戻るとかいうマスがある。

 なんのために作ったのか全くもってわからない、純度百パーセントの嫌がらせで構成されているそれだ。

 大方大人数でやってる時に一位を独走してたやつが運悪くそのマスを踏んでスタート地点に戻されたら面白いだろうな、とかそんな魂胆なんだろうが、そういう時に限って最下位のやつが振り出しに戻されるんだよな。

 

 本当に人生は理不尽だ。そういう意味じゃ人生ゲームに相応しいのかもしれないな、振り出しに戻るってギミックは。

 まあ実際の人生、なにをやっても後戻りできないんだから戻れるだけマシだと考えるとこともできなくはないか。

 つまり、なにがいいたいのかというとだな。

 

「うーん……偽情報流しても今回は引っかかってくれませんねー」

「そりゃそうでしょ……スパイがいるかどうかはともかく、そう連続して銀行強盗が起こるような治安ならこの国終わってるわよ」

 

 例によって「ゴースト」捕縛作戦は継続中なのだが、あの日捕獲に失敗したこともあって、絶賛難航中というか、振り出しに戻されたという話だ。

 スパイが大佐経由の情報はフェイクだと吹き込んだ可能性もあるにはあるが、葉月がぼやいた通り、そう連続して銀行強盗やらテロやらが起こってたらこの国の治安は終わっている。

 とはいえだ、「暁の空」が最近大人しくしてるものの、今も活動してる以上、こと治安に油断ならないんだがな。

 

「まゆたちは先回りできませんからねぇ……」

 

 どこで「ゴースト」が犯罪の情報を掴んで、それを警察より早く潰しているのかは全くもってわからない。

 やつを支援しているパトロンが「M.A.G.I.A」に潜り込んでいる内通者だと仮定すればそれもできなくはないんだろうが、テロぐらいの規模にならんと魔法少女は動けないと相場が決まっている。

 そして、まゆが言う通り、事件が起きて報道されてからその現場に急行することしかできない現状、逃亡と隠密に特化している「ゴースト」を捕まえるのは至難の技だ。

 

 今日も臨時休業という旨を知らせた紙が小窓に貼り付けてある「間木屋」だが、いよいよもって潰れてしまわないかと数少ない客には心配されていることだろう。

 しかし、「ゴースト」を捕まえないことには営業再開できないんだよな、これが。

 まゆが運んできてくれたホットケーキを口に運びながら、俺は静かにため息をつく。

 

「フェイクに引っかかってくれないとなると、我々にできることは『M.A.G.I.A』と合同で巡回を行うことぐらいだ、些細な兆候でもいい。やつが……『ゴースト』が潰しそうな犯罪をこちらも先回りして抑えるしかない」

 

 淡々と告げる大佐もまた、頭を抱えていた。

 こういう時に「暁の空」が馬鹿をやらかしてくれれば誘蛾灯になるんだろうが、その分犠牲者が出ると考えるとなにもいえない。

 確かに「ゴースト」の確保は最優先事項かもしれないが、それで死人や怪我人が出るなんて事態はこっちとしても避けたいからな。

 

「店長ー、一つ訊きたいんですけどー」

「どうした、北見由希奈?」

「本当に『ゴースト』って悪い人なんです?」

 

 由希奈が唇を尖らせたのは、単に捕獲作戦が煮詰まっているから、というだけではないだろう。

 個人で対処可能なあらゆる犯罪を潰して回る謎の魔法少女。それが「ゴースト」についてのパブリックイメージであり、俺たちが知っている全てだ。

 この前も剣を交えて思ったことだが、そこになにかの必死さはあれど、「魔導炉心」を悪用しようという意思は感じられなかった。

 

 それに、由希奈にとっても「ゴースト」の活動には共感できるところがあるのだろう。

 俺は不服そうに唇を尖らせる由希奈を一瞥して、設定資料集に記載されていた文言を思い返す。

 普段はちゃらけてこそいるが、テロや犯罪を誰よりも憎んでいる──そこに、きっと偽りはない。

 

「確かに『ゴースト』の活動が今のところ『M.A.G.I.A』を害するものではない、というのが上層部の見解ではある」

「ですよねー? だったら……」

「だが、放ってはおけないんだ。『魔導炉心』……その強力さは君たちが誰よりも知っているだろう、いつ、なにがきっかけで『ゴースト』が犯罪を犯す側に回るとも限らん」

 

 正論で殴られた由希奈は渋い顔をして、そりゃそうですけど、と拗ねたように返して沈黙した。

 政府の管理を外れた「魔導炉心」が存在しているというのは、本来あっちゃならないことだ。

 そこに善悪は関係ない。どれほど「ゴースト」が義憤によって立ち上がった存在だとしても、その行動が「M.A.G.I.A」を直接的に害することはないとしても、出所不明の「魔導炉心」が管理を外れて暴れ回っている時点でアウト、という話だった。

 

 むむむ、と由希奈が明らかに不服そうな唸り声を上げている傍ら、不意にドアベルが鳴る音が聞こえる。

 いつもの定時連絡だ。

 鏑木さんを始めとした政府関係者四人が、今日は冴えない大学生風の格好ではなく、パリッとしたスーツ姿で来店してきた。

 

「思わしくないですか、アレを追うのは」

「まあ、ね……そっちの人員を回してもらうことはできないのか?」

「テロが起きたんならともかく、平時の巡回に自衛隊は動員できんでしょう」

 

 鏑木さんは、大佐からの要請を苦笑と共に一蹴するが、むべなるかなというやつだ。

 いかに「魔導炉心」が野放しになっていることが危険だとしても、災害救助や国防を目的として存在している自衛隊を動かすことはできない。

 国会で特例法を立てるどころか憲法の審議にも関わってくる話だからな、めんどくさいったらありゃしねえ。

 

「そう怒らないでくださいよ。これでも警察庁と公安はフル稼働してるんです、デジタル庁もアレのパトロンを追いかけるのに必死なんですよ」

「だが、捕まらない……か」

「だから幽霊なんて呼ばれてるんでしょう」

 

 どうやら、政治家や官僚も必死らしい。

 そりゃそうだよな、魔法少女の存在はある種公然の秘密であるとはいえ、自分たちの管理を外れたそれが出てくれば引責問題にもなりかねないんだからな。

 公の場でその問題が審議されることはないとしても、「魔導炉心」が原因の事件が起きれば内閣総辞職は待ったなしだ。

 

 もしかしたら「ゴースト」はそれを狙ってたりするのかもしれない──などという考えが頭の片隅をふとよぎったが、そんなことをする必要性は、まるで感じられない。

 治安維持を勝手に目的としてるのが「ゴースト」なら、政権が崩れるのは、その治安を維持するための機構に綻びができるのは、本末転倒もいいところだろう。

 だが、このままやつが活動を続けていれば、そうなる未来は遠くないはずだ。なのに、なぜ。

 

「先輩、どうしちゃったんですかー?」

「ああいや、少し考えごとをしていてな」

「考えごと、ですかー」

 

 いつものように鏑木さんをおちょくってストレスを発散しようとしていたのか、右手にウノのパッケージを握った由希奈が問いかけてくる。

 しかし、「ゴースト」の目的とその行動が最終的に行き着くところが一致していない、というのはなにか引っ掛かりを感じるところがあるな。

 それがテロ組織によるものであれば、銀行強盗だろうがなんだろうが「M.A.G.I.A」は動く。

 

 大人しく管理体制に組み込まれていれば、「ゴースト」が果たしたい目的は達成できるはずなのだ。

 あいつが一級相当かそれ以上の魔力を持っている都合、現場に直接出向けるかどうかは微妙なところだが、まさかそれを嫌ってるんだろうか。

 考えれば考えるほど「ゴースト」のやってることがちぐはぐで、それが余計に頭を混乱させる。

 

「……ヤツはなんのためにあんなことを繰り返している? 治安を維持するためだけなら、『M.A.G.I.A』に属するだけでも目的は果たせるはずだ」

「んー、だったら直接訊けばいいんじゃないですかー?」

 

 ぐるぐると頭の中をループする不可解を整理するため、溜息と共に吐き出した言葉に、由希奈はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう返す。

 

「直接……?」

「まー、そのためにはどっかで会う必要がありますけど……どうです? 私たちで探しに行ってみませんかー?」

「単独行動は罰則の対象だぞ」

「許可なら取りますってー、それにどうせ、探しに行かなきゃいけないのは変わらないわけですしー」

 

 悪戯っぽい笑みを口元に浮かべながら由希奈はその提案を持ちかけてきた。

 なるほど、会って話してくれるかどうかはともかくとして、わからんことがあれば本人に訊けばいいというのはその通りだ。

 この前戦ってみた限りでは、言葉が通じないタイプじゃあなさそうだしな。

 

「……なるほど、ならば了解した」

「ありがとうございまーす! それじゃあ、おデートと行きましょっか、先輩」

 

 デートというには物騒だがな。

 由希奈が大佐に巡回の許可を求めにいったのを横目に見ながら、俺は苦笑しつつ残りのホットケーキを駆け足気味に口元へ運ぶ。

 生憎、すっかり冷め切っていたが。




振り出しに戻されたり一回休みだったりそういうマスは踏みたくない時に限って踏む


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指定されたのと自由意志で身につけるものは大分違う

 大佐に許可を取って、制服で出撃──とはいかないのがこの「ゴースト」捕獲任務の厄介なところだ。

 少なくともやつのパトロンが個人か複数人かはともかく、「M.A.G.I.A」内に潜む裏切り者がいることは確定事項で、民衆に溶け込むための学生服に似た制服を着た連中には注意しろと吹き込まれているだろう。

 だから、私服を着る必要があったんだよな。

 

 いや、なにを今更という話でもあるんだが、俺は私服のコーディネートにそこまで精通しているわけじゃない。

 当たり前だ、前世が野郎で、今世で女子として過ごすことになった時間は実に一年にも満たないわけで。

 しょうがねえだろ赤ちゃんみたいなもんなんだから、と、逆ギレの一つもかましたくなるが、まあなんというかこうなっちまったんだから、致し方ないだろう。

 

 それに、西條千早というキャラクターは設定があってないようなものだ。

 戦闘のプロ、戦い以外にはまるで興味はないが、仲間に対しては面倒見のいい姉貴分。

 これが「西條千早」に添えられた設定の全てだった。

 

 もう最初から死ぬこと決まってたんだなってぐらい、清々しいまでに情報量が少ないな。

 そんな人間が私服をクローゼットが一杯になるまで持っているだろうか、いや、ない。

 結局こよみと水族館に向かった時とほぼ同じような、黒のチュニックに白のヘソ出しシャツにジーンズを合わせるというコーディネートで、俺は街を歩いていた。

 

 当たり前だが、腹の辺りがスースーする。

 由希奈はガーリッシュな黄色のレーストップスにデニムスカートを合わせ、腰にはカーディガンを巻いているというなんだか女子力が高い格好をしていた。

 店じゃメイド服か制服でソシャゲハムスターやってるイメージしかないだけに、少しばかり新鮮だ。

 

「へへーん、どうですか先輩?」

 

 ご丁寧に頭にはスカートと色を合わせたベレー帽を乗っけているのもポイントが高い。

 いつもの笑顔も輝いて見えるから不思議なもんだ。営業中も走ってるソシャゲハムスターなのにな。

 伊達に十何年間女子として生きてきたわけじゃないってことか。

 

「うむ……良い格好だと思う」

「相変わらず先輩はお堅いですねー、そこは可愛いとかキュートだー、とか言ってほしいとこだったんですけど」

「生憎、これが性分なものでな」

 

 それっぽいことを言って苦笑することで誤魔化せるのは、ひとえに西條千早の顔面偏差値あってのことだろう。

 可愛いって、陳腐すぎて逆効果じゃないのか、などと小賢しいことを考えていたのに、それに代わる言葉が出てこない我が語彙力の乏しさよ。

 それに、女子の服を褒める機会なんて二十五年間の人生でほぼないに等しかったんだよ、放っておいてくれ。

 

 なんでも「可愛い」とか「よく似合ってる」で通ってたプラトニックで、故に脆く下らない、呆れるほどに陳腐な恋の日々よ。

 それでも俺にとっては特別だったんだから、あるいはそう思いたいぐらい大切なものだったんだから、その脆さに気付いておくべきだったんだよな。

 離れていても気持ちが通じ合えるなんてのは都合のいい幻想だよ、学生諸君。

 

 などと、こみ上げてくるセンチメンタルに浸っていた時だった。

 

「ふむふむ……先輩いい腹筋してますねー、バキバキに割れてないけどうっすら浮かび上がるシックスパック! パンケーキのカロリーどこに行ってるんです?」

「人の腹を往来でつつくな」

 

 由希奈は物色するように俺の腹を指先でつついていた。

 言った通りに腹筋が割れてるようで割れてない、うっすらと浮かび上がるシックスパックは普段から食事に気を配ったり筋トレしたりして維持してるつもりだが、そもそも元の素材がいいからとしかいいようがない。

 俺がやってるのはその修繕と保守みたいなもんだな。

 

「お腹に行ってないとなるとやっぱ乳かー、私もそれなりに自信あるんだけどなー」

「……腹と乳の談議をするために外出許可を取ったのか?」

 

 腕を組んでむむむ、と小さく唸る由希奈に、呆れたような声で問いかける。

 乳と腹の話がしたいだけなら別に「間木屋」でもできるだろうが。任務はどうしたんだ任務は。

 そもそもそんな話をする必要性がどこにあるんだ、と思いつつも、一応というかなんというか、この外出に俺が乗ったのは、由希奈のメンタルケアも兼ねてのことだ。

 

「失礼な、ちゃんと先輩のお尻のことも考えてますよー」

「そういう問題じゃなかろうが」

 

 平常運転に見えて、内心では複雑なものを抱えているだろう……と、見たのは、多分俺が間違っていたのかもしれない。

 それぐらい由希奈は平常運転だった。

 そもそも鋼のメンタルがなきゃ、開店休業状態とはいえ、営業中の店で堂々とソシャゲの周回なんざやってないよな。

 

「じゃあ厳しい問題の話します?」

「……『ゴースト』の捜索か?」

 

 むぅ、と唇を尖らせた由希奈はそんな話を持ちかけてきた。

 そう、「ゴースト」の捜索のためにわざわざ街まで出てきて、由希奈がそこになにか思うところがあると見たから俺はそもそも話に乗っかったのだ。

 それは由希奈が店の中じゃ言えないような思いでもいい、あるいはなにか画期的なアイデアを思いついたとかでもいい、なにかの捌け口として俺を活用してくれれば、十分ストレスケアにはなるだろう。

 

「重大な問題はですね、先輩がどうしてスカート履かないかってことなんですよ」

「は?」

「素材がいいのにいつもジーンズでもったいないじゃないですか、せっかく脚だってすらっとしてるのにー!」

 

 由希奈は叫ぶ。そこは別に大した問題じゃない気がするんだが。

 俺が制服以外でスカートを履かない理由なんて単純なもので、家にスカートがないから……じゃない。

 単純に丈の短いスカートを履いて生脚を見せることに慣れていないからだ。

 

 一応「M.A.G.I.A」指定の制服のスカートも丈は結構短いが、制服に関してはそんなもんだからで済ませられる。

 なんでかは知らんがな。多分他の魔法少女たちも大なり小なり似たような格好をしているから、羞恥心が薄れてるのもあるかもしれない。

 だが私服となれば話は別だ。それが自分の意思で身につけるものだから、なんとなく抵抗があるというか恥ずかしいというか、とにかくそんな感じなのだ。

 

「だから今日は先輩改造計画として私の買い物に付き合ってもらいますからねー、ちゃんと『ゴースト』も探しますけど!」

「む……うむ……」

 

 びしっ、と人差し指をさりげなく俺の左胸に突き立てる由希奈の勢いに押し切られてしまった俺は、渋々とはいえその提案を承諾してしまった。

 まあこれが由希奈のメンタルケアというか、いい感じのガス抜きになってくれるんならそれに越したことはないんだが。

 それはそれとして、やっぱり私服でスカート履かなきゃいけないんだろうか。いっそタイツでもセットで買うか?

 

 絶対に狙った獲物は逃さない、とばかりに爛々と目を輝かせる由希奈にロックオンされた俺は、そんなことを頭の片隅に浮かべながら、されるがままに服屋へと連れ込まれていった。

 まあ、たまにはこういうのも悪くはない……のかもしれない。たまにはな。




部屋の掃除中に漫画本見つけると読み出す現象


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その着せ替え人形はなにをする?

 由希奈にされるがまま、服屋に連行された俺がなにをしていたかというと、ひたすらあいつが見繕った服を着せ替え人形の如く試着していたわけだ。

 かなりガーリッシュな服をチョイスされたこともあって、別に恥ずかしくもない……わけじゃないんだが、こう、なんとなく抵抗がある、もやもやした感情を抱きながら、俺は内股になってスカートの裾を下げていた。

 いや、やっぱ恥ずかしいというか大胆すぎるわこれ。

 

 世の中の女子高生諸君は膝丈上までスカートを短くしているが、露出する肌面積とスースーしたこの感じに違和感を覚えないんだろうか。

 そんな具合に強がりながらもミニスカートの丈と悪戦苦闘している俺に由希奈が手を差し伸べてくれたかどうかといえば否だ。

 ご丁寧にも気恥ずかしさに震える俺の写真を撮って、「じゃあ次のコーデ行っちゃいましょうかー!」なんて、満面の笑顔でガーリッシュな服をひたすら持ってくる始末だった。いやまあ、そんなもんだろうと思っちゃいたがな。

 

「うへへ……普段はクールな先輩にこんな弱点があったなんて思いもよりませんでしたねー」

「……そろそろ、此方としては勘弁してくれるとありがたいのだが……」

「なに言ってんですか先輩! 先輩のおみ足はなによりも強力な武器なんですからもっと見せていかないと! この筋肉と脂肪が程よく調和した太ももと、そしてキュッて引き締まったおっきなお尻……うへへ、黄金比ですね」

 

 太ももに頬をすり寄せながら由希奈は言った。

 どこのなにが黄金なのかは全くもってわからんが、誰の尻がデカいんだ、誰の。

 いやまあ確かに葉月やこよみたちと比べて密かに脚太いと思ってたけどさ。改めて尻がデカいと言われると、なんか複雑な気分になるのは身体に引っ張られてるからか?

 

 完全にご満悦でセクハラモードに入った由希奈だが、コーディネートに関しては言葉通りなに一つ邪心がないというか、「西條千早」という素材を引き立てようと全力投球してるのは確かだ。

 てっきりかなり丈の短い、ローライズ気味なホットパンツとか持ってこられるもんかと思ったらそんなことはなかった。

 あくまでも由希奈は俺をコーディネートしつつ、気恥ずかしさで悶え苦しんでるところが見たいだけらしい。欲望に正直なんだかそうじゃないんだかよくわからんな。

 

「……其方は此方をどうしたいのだ?」

「決まってるじゃないですかー、今風なめっちゃガーリッシュなコーデで可愛いとこ見せてきましょうよー、クールな先輩とのギャップは主に私に需要があるんで、うへへ」

「……欲望がダダ漏れになっているが」

 

 欲望というか涎というか、なんかそんな感じのが由希奈の緩み切った顔面からは垂れ流されていた。

 クール系ってわけじゃない……いやそれは「俺」の話であって「西條千早」の話ではないんだが、まあ中身が変わってようと、外面はそんな感じの美少女なんだから仕方ない。

 お硬いイメージを抱かせる、凛とした女が急に可愛い全開な格好をすれば、そこにいわゆるギャップ萌えを見出す心もまあわかる。見出される側としては散々だが。

 

 だが、少しだけだとしてもそれで由希奈が抱えているのであろう複雑な思いが和らぐっていうんなら、人身御供になるのもやぶさかではない。

 実際、「ゴースト」絡みで由希奈は結構なストレスを抱えていると見てもいいだろう。

 それはきっと本人が口に出さない限り解決しないことで、俺が先回りしたところで信頼を失うだけだ。

 

 なんせ当人が誰にも打ち明けてない秘密というか、蓋をしておきたい感情に土足で踏み入るような真似だからな。

 他の転生者とやらがいたとして、訳知り顔でそんなことされたら俺だってキレる。

 俺の身体を使った着せ替え人形遊びにはもう満足したのか、二、三着ほどのコーデを試着させて、由希奈は満足げにふんす、と鼻を鳴らした。

 

「どうですか、これが生まれ変わったスーパーアルティメットガーリッシュ先輩です……!」

 

 由希奈曰くスーパーでアルティメットらしいそのコーデは確かに色合いこそシックに寄せてきている。

 だが、スカートの丈はきっちり膝の上、そしてゆったりとしたチュニックの上から淡い色合いのロングコートを重ねることで、格好良さと可愛さをきっちり引き立てていた。

 スニーカー履いてるせいで微妙に決まってないものの、ロングブーツとかあれば絶妙に映えるな。それはそれとしてやっぱりミニスカートはそわそわして落ち着かんが。

 

「ふむ……なんだか生まれ変わったような心地だな」

 

 一回実際に生まれ変わってるけどな。

 そんな冗談はともかくとして、俺は自然とそう呟いていた。

 ちゃんとファッション関連のサイトとか見て参考にこそしているつもりだが、多分自分一人じゃ絶対に辿り着くことができないであろう発想と、それを裏打ちする熱意が感じられる。

 

 要するに、客観的に見れば「西條千早」と「可愛い」の掛け算として限りなく正解に近いものを由希奈は出してきたということだ。

 葉月がここにいれば、似合うメイクとかも考えてくれたんだろうか。

 どっちにしても、生脚を露出することへの抵抗感というか気恥ずかしさを勘定に入れなければ百点満点、散々着せ替え人形にされた俺ですらそう思うレベルだ。

 

「ですよねー! いやはや、先輩のクール系な顔つきを引き立てながらミニスカを履かせる……中々このミッションは難易度高かったんですよ?」

「……此方としては、ミニスカートにこだわらなくてもよかったのだがな」

「私がこだわりとして譲れないんですー」

 

 そうか。確かにどうしても使いたいパーツがあったらそれを活かすためにアセンをどうするかは考えるよな。

 そういう意味じゃ気持ちはわからんでもない。

 ただこれなあ、ミニスカートなあ。

 

 身を翻して丈の短い裾を押さえていると、ぱしゃり、とシャッター音が響く。

 どうも由希奈は俺のもじもじした仕草を記録しておきたいようだが、店員に肩ポンされないように気をつけろよ。

 いっそタイツでも履けば少しは抵抗感も薄れるんだろうか、と思ったが、由希奈のこだわりが生脚にあるんだから、秒で却下されそうだ。

 

 まあ、たまにはこういうのもいいだろう。

 流れ的に、次はロングブーツを買いに行くんだろうな。

 今履いてるスニーカーは、このコーデとあまりにもアンバランスすぎる。

 

「次は靴、といったところか?」

「わーすごい、先輩、大正解です!」

「さすがにこの格好とスニーカーでは釣り合わないことぐらい此方でもわかる。任せたぞ、由希奈」

「了解でーす、それじゃブーツ買ったらちゃんとこのコーデに着替えてくださいよ?」

「……善処する」

 

 一旦更衣室のカーテンを閉めて、脱いだ服を受け取ると嬉しそうに、弾んだ様子で会計に向かう由希奈の後ろを苦笑と共に俺は歩く。

 ああうん、コーディネートのバランスとかはともかく、やっぱジーンズにスニーカーの方が色々と落ち着くわ。

 例えるなら洋食屋のお高い飯と実家で食べる飯みたいな、そういう味わいの違いがある。

 

「由希奈」

「なんですか、先輩?」

「……少しは、肩の力を抜くことができたか?」

 

 鼻歌混じりにセルフレジへと向かっていた由希奈を呼び止めて、俺は問いかける。

 表にこそ出しちゃいないが、「ゴースト」の一件について由希奈としては相当思うところがあるはずだろう。

 だからこそ、俺が人身御供として着せ替え人形になることでそのストレスが発散できてたらな、と、そう思っただけだ。

 

「あちゃー……バレてました?」

「……一応は、な。詳しくは此方もわからん。だが、其方がなにかを抱え込んでいることぐらいはわかる」

「あはは、まあ……そっかー、先輩には気付かれちゃってたかぁ」

 

 気付かれたというか知ってた、だがな。

 こちとら前世の知識で魔法少女たちの趣味や好物、身長体重にスリーサイズ……はどうでもいいとして、抱えてる事情も知ってるんだ。

 それをストレートに口にしたら怪しまれかねない、というか確実にそうなるだろうから、推測という体で話しているんだが。

 

「んー……そうですね、私も観念しました。でもでも、乙女の秘密を打ち明けるんですから、ちゃんとブーツ買ったらミニスカ履いてくださいよー?」

「……了解した」

 

 どの辺が観念してるんだかよくわからんが、謎のミニスカ推しを渋々受け入れて、交換条件として身の上話を引き出すことはできた。

 由希奈が抱えているものが、誰かに話すことで和らぐような苦しみだとは思っていない。

 それでも、笑顔の仮面を被り続けなくていいように、少しでも力になれたら、ほんの一欠片でもその痛みを分かち合えたらと、そう思うだけだ。あるいはそう、願うだけだった。




多分特定スキルのために専用装備を組むような感覚


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俺たちのグッドエンド

 約束通りに靴屋でお高いロングブーツを買った俺は、さっきのミニスカートを軸にしたコーディネートに身を包んで、生前の因縁深いスクランブル交差点を歩いていた。

 なんというか本当に膝から下がスースーして落ち着かない。

 それに強風でも吹いたら一気に裾が捲れ上がって、パンツが丸見えになってしまうんじゃなかろうか。

 

 冴えない野郎のパンツならともかくとしても西條千早は美少女だ。無闇にスカートの下を大衆に曝け出せばどうなることやら。

 まあ発情したアホが襲いかかってきても大概のチンピラならノックアウトできるから問題ないんだが、下着が衆目に晒される恥ずかしさだけは拭えない。

 そう思うと自然に歩みが遅くなるというか、内股気味になるというか。

 

「うへへ……眼福眼福ですよー、あの千早先輩が恥ずかしがりながら歩いてるとこなんてそうそう見られたもんじゃないです」

 

 こっちもそうそう好き好んで見せたいものじゃないんだけどな。

 すっかりご満悦な由希奈と、これからシリアス一辺倒な話をするんだと思えばその温度差で風邪を引きそうになるが、逆にいえばちゃらけた仮面を被ってなければやっていられないのが由希奈なんだろう。

 多分、きっと……いや、本当に。あのムーブの八割ぐらいは本人の趣味だろうが。

 

「慣れぬものを履いていれば恥ずかしくもなるだろう……」

「でも先輩、制服は普通に着てるじゃないですか」

 

 あれも結構ギリギリ攻めてると思うんですけどね、と由希奈は宙を見上げてそう呟く。

 まあ確かに制服のプリーツスカートも動きやすさを重視して、丈は短めにされているが、そこはそれ、やっぱり指定されて身につけるものと自由意志でそうするものの差はデカいんだよ。

 などと、そんなことを言ったところでわかってはもらえないだろうがな。

 

「……アレは指定されたものだ。それが規則ならそこに自由意志が挟まる余地はないだろう」

「規則だからかー、じゃあ私が偉い人になったら女の子の服装はスカートかホットパンツ限定にしちゃいますかね?」

「憲法違反だ」

 

 気軽に自由意志を制限するな。

 そういう意味じゃ制服ってのも大概矛盾した存在なのかもしれないが、所属を表す記号みたいなもんだから仕方ない、のか?

 なんてことを、お世辞にもいいとはいえない頭で考えたところで混乱するだけだ。この話はやめよう。

 

「おっ、昼間にしては珍しくベンチ空いてますねー、とりあえずここでいいですかー?」

「……此方は構わないが、其方はいいのか?」

「なにがです?」

「往来で話をすることだ」

 

 今から由希奈が話そうとしてることは、間違いなく人に聞かれて嬉しいことじゃないはずだ。

 それにも関わらず、渋谷の駅前で雑に座って話し込むってのは抵抗がないんだろうか。

 本人がそれでいいっていうならそれ以上はなにも言わないが、俺個人としては少し引っ掛かりを覚える。

 

「ああ……まあ別に、聞いてて楽しい話じゃないと思いますけどー、私たちのことなんて大概の人は気にしてないですよー?」

「……ふむ?」

「極端な話、別に私たちがいなくてもこの街は勝手に回ってますしー、他人のつまらない身の上話なんかに興味持ってるのなんて怪しい勧誘の人ぐらいですよ」

 

 身も蓋もないが、言われてみれば確かにその通りなのだろう。

 現にこれだけ喋っていても、俺たちに注目するような好事家はほとんど見当たらない。

 言っちゃなんだが、美少女が二人いるにもかかわらず、だ。

 

「だから誰でもはよくないけどどこでもいいかなって。場所なんて誤差ですよ誤差」

「……其方がそれで構わないのなら、此方としてはなにも言うことはない」

「ですです、だからまあ、そんな感じで聞いてもらえたら嬉しいかなーって」

 

 別に話してて楽しいことでもないですからね、と自嘲するように呟いた由希奈の瞳からは、一瞬だけ光が消えていたように見えた。

 それでも聞いていてつまらないことだとは言わないのだから、誰かに聞いてはほしかったんだろう。

 テロと「ゴースト」、そして北見由希奈という魔法少女の過去。螺旋を描いて絡み合うそれらが行き着く先はどこになるやら。

 

 緊張感を漂わせながらベンチに腰掛けた俺たちは、僅かな気まずさを誤魔化すかのように、憎たらしいほど晴れ渡る青空を仰ぐ。

 自販機で買ってきたお茶で喉を潤しながら往来に目を向ければ、やっぱり俺たちを呼び止めるような奇特なやつがいるわけでもない。

 そして駅前広場に設置されたスピーカーからは、どこぞの市民団体がなにかを切実に訴えているが、やっぱり通行人の足はそうそう止まるものじゃなかった。

 

「……ぶっちゃけ、私『ゴースト』のこと、ちょっと羨ましいって思ってるんですよねー」

「……そうか」

「ですです、まあ単純に、なんというか……許せないじゃないですか、犯罪とかテロとか。二級以下の子たちにそういう仕事は回ってますけど」

 

 由希奈の本音としては、犯罪の抑止やテロの鎮圧といった任務に携わりたい、というところなのだろう。

 以前に英知院学園に潜入する時、大佐に向けて口を尖らせていたのは皮肉だったのかもしれない。そして、「暁の空」が関わっていると知ったときの顔。

 それらを全て紐解いていけば、辿り着くのは今の北見由希奈という人間を作り出した過去だ。

 

「……私はそういうの、すっごく憎いです」

「……ああ」

「真の日本の解放とかそんなこと言ってますけど、メディアは真実を報じないとか言ってますけど、それって、家族を殺されなきゃいけない理由ですか」

 

 段々と感情が怒りに染まり、由希奈はぎり、と歯を食いしばる。

 北見由希奈が魔法少女になった経緯は、少しだけ変わっていた。

 少しだけ、というか、まあ特異なものではないのだが、主たる臨界獣の戦禍による孤児じゃないのは確かなことだ。

 

 家族を殺された、と語ったように、由希奈は、両親の仕事がマスコミ関係だったこともあって、過激派のテロリストに家族を皆殺しにされている。

 年上の兄が盾になってくれたことで、辛うじて致命傷で済んだものの、唯一家族の中で残されたのは由希奈一人で、父親も母親も、庇ってくれたその兄も皆、テロリストに殺されたことで孤児になったところを「M.A.G.I.A」に保護された、というのが由希奈の辿った経緯だった。

 普段はちゃらけてこそいるが、その仮面を剥ぎ取れば、見えてくるものはドス黒い復讐心だ。呪いのように刻まれた憎悪が、テロや犯罪を憎む心に繋がっている。

 

 それが、北見由希奈という魔法少女の、人間の全てだった。

 その復讐心を捨てきれなかったからこそ、本当は家族の仇を討つことをなによりも切望していたからこそ、原作じゃ因縁の相手にトドメをさしたつもりが、殺しきれていなかった相手の悪あがきで撃ち殺される──という筋書きが、由希奈ルートにおけるグッドエンドだ。

 どの辺がグッドなのか、開発陣の胸ぐらを掴んで小一時間くらい問い詰めたいところだが、このクソゲーは全方位に渡って、救いなどというものはどこにも存在していない。期待するだけ無駄だということだろう。

 

「違うな」

 

 だからこそ、俺はきっぱりとその呪いを、由希奈の中でわだかまっている「大義の下に生まれる犠牲」という言葉を否定した。

 真の日本の解放だかなんだか知らんが、やってることは臨界獣に立ち向かうでもなく、弱い人間に暴力を振るうだけの連中が言うことのどこに正しさがある。

 それに、「暁の空」を構成している連中の大半はその大義とやらにも興味がない、裏社会の食い詰め者たちだ。

 

 飯を食いあぐねていることには一億歩ぐらい譲って同情してやらなくもないとしよう。

 だが、その結果取る手段が殺戮と暴力な時点で情状酌量の余地はどこにもない。

 勝手に野垂れ死ね馬鹿野郎共、とでも言ってやりたい気分だ。

 

「じゃあ」

「……だが、そのような連中のために由希奈、其方の命を等価交換しようとするのもまた間違っている」

 

 由希奈は家族の仇が討てればそれでいいと、そう思っているのだろう。

 だからこそ、犯罪やテロを抑止して回る「ゴースト」の生き方に入れ込んでしまっているところがある。

 確かに「魔導炉心」が野放しになっているのは危険かもしれないが、今のところ「ゴースト」に害はない。例えそうだとしても、だ。

 

「前にも此方は言ったはずだ。生き急ぐな、と」

「……じゃあ……先輩は、私の家族は死んでよかったって、そう言いたいんですか」

「否定する。家族の仇を討ちたい気持ちは此方にもよくわかる、だがそのために生き急いで、其方の命を散らすということは、あってはならない……わかりやすく言おう。由希奈、其方に此方は死んでほしくないのだ」

 

 油断していたところを、家族の仇を討ったと喜んでいたところを、呆気なくテロリストに撃ち殺されて死ぬ。

 それが、由希奈にとって最良の結末であってたまるかよ。

 復讐はなにも生まないとでもいいたいのかもしれんが、そんなところで中途半端な倫理観を持ち出してくるなら最初からこのクソゲーをマルチバッドエンドにするんじゃねえ。

 

「……先輩」

「其方が死ぬことで悲しむ人間が、少なくともここに一人いる。仇を討つことそのものは否定しないが……それだけは、どうか覚えていてはくれないか」

 

 きっと、いや、間違いなく、こよみも、葉月も、まゆも。

 皆、由希奈が死ねば涙を流すだろう。悲しみに暮れるだろう。俺だってそうだ。画面の前でもこの世界でもそりゃもう泣く。

 だが、それはそれとして由希奈の仇は、家族を皆殺しにした張本人であるテロリスト、「零」への復讐は果たされなきゃいけない。

 

 確かに復讐はなにも生まないかもしれないが、そうしなきゃ前に進めないやつがいる。

 倫理的にどうかといえば不正解なんだろうが、俺は由希奈の復讐そのものは肯定してやりたいと思っている。そのために命を捧げるということをしなければな。

 要するにだ、全ての元凶を討ち果たした上で無事に由希奈が日常に帰ってくることが、俺にとっての、俺たちにとってのグッドエンドだということだ。実にわかりやすいな。

 

「……そっか、そうですよね。先輩……先輩は、私が死んだら、悲しんでくれるんですよね」

「肯定する。だが、此方は誰一人とて死なせるつもりはない」

「あはは……強いなあ、先輩は。でも、そっかぁ……私が死んで悲しんでくれる人、ちゃんといるんだなぁ……」

 

 空を仰いだ由希奈の頬に、一粒の涙が零れて落ちる。

 強い、か。

 はっきりいってしまえば、そう見えているだけだ。見せかけだけの張り子の虎だ。

 

 ──俺がこの世界で出来ることなんて、前世の知識を活かしたことぐらいで、現に、ゲーム本編に登場しなかった「ゴースト」については完全になにもわからないでいる。

 

 だが、演じ続けなければいけない。

 そして、貫き通さなければいけない。

 この世界における「俺」が、「西條千早」なら。燃えて尽きるその時まで俺は、西條千早であり続けなきゃ、いけないんだ。

 

 それがきっと、最良の答えに辿り着く道だから。戻れない道を歩むなら、辿り着くしか答えはないから。

 今日も明日も明後日も、俺は「西條千早」であり続ける。

 それが、前世じゃ何者にもなれなかった、なにも成すことができなかった俺に与えられた、使命なんだろうからな。




きっと何者にもなれなかった誰かより


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当然の権利のように0歩エンカするのはやめろ

 どうにもしっとりした感じというか、本人も柄じゃないとは、由希奈も思っているんだろう。

 湿っぽい話になってしまったが、あれだけ重たい話を聞かされて、笑っていろというのも無理があれば、話した側に笑えというのもまた然りだ。

 それでも、俺から言えることは、伝えられることは、全部言葉にできた。

 

 そうなればあとは由希奈自身がどうするかだ。俺はその復讐を否定しない。

 だが、復讐を遂げたその瞬間を狙われてぬか喜びのように殺されていくというのが本来、この世界に定められた筋書きだというなら、気をつけるべきはテロリスト「零」の存在だろう。

 幸い、ゲームでは下手人になったそいつの顔はしっかり覚えている。ご丁寧に三面図も設定資料集に記載されてたからな。

 

 その時が来たら、由希奈自身が引き金を引いて、全てに幕を下ろしたならそれでいい。

 だが、世界の強制力が働いて、嫌でも原作ルートに由希奈を引き摺り込もうとしてるなら、その時は。

 その時は、俺が「零」を、生身の人間を撃たなきゃならない。

 

 鞄に偽装したホルスターの中には今もコンテンダーと予備の弾が仕舞い込まれている。

 だがそれは、その時が来たら、俺は人を殺せるのかと、そう問いかけられているのと同じだ。

 今持ち合わせてるのは非殺傷弾だが、原作で「零」と由希奈が鉢合わせるシチュエーションでは皆通常弾で武装していた。

 

 つまりは、そういうことだ。

 誰かを守るために誰かを殺せるか。例えそれが大義名分の下に、正義の名の下に赦されているのだとしても、その十字架を背負って「俺」は生きていけるのか。

 わからない。だが、その時が来たなら、「西條千早」は間違いなくそうするだろう。

 

 それだけは、わかりきったことだった。

 そして、「西條千早」を貫き通すということは、そういうことだ。

 早い話が、俺に選択の余地なんてものは最初から残されていないって話だ、なんとも世知辛いな。

 

「はー……なんだからしくない話しちゃいましたねー、私」

「溜め込みすぎて爆発させるよりは良いだろう。此方はそう考えている」

「……ま、それもそうですよねー、ところで先輩、らしくないこと言っちゃって疲れたんで、ちょっとだけ……甘えていいですか」

 

 しおらしく頬を赤らめ、俯きながら由希奈はそんな言葉を口にする。

 その程度のことでよければいくらでも……といいたいところだが、正直どうすれば安心してくれるとかよくわからないんだよな。

 まあ、俺の胸を貸すぐらいならタダだ。今はこいつの好きにさせてやろう。

 

「肯定する」

「ありがとうございまーす、うへへ、これが最近カップが一つ増えた先輩のお胸……」

「……色々と台無しだが、其方はそれでいいのか」

 

 さっきまでのしおらしさがどこかに吹き飛んだかのように邪な欲望を感じさせるトーンの声と共に、由希奈は俺の胸に顔を埋めてくる。

 まあ、それでいいんだろう。

 変に泣き喚かれるよりは、変に感情をぶちまけるよりは、全部をちゃらけた仮面の下に押し込めて、言葉にならない想いの捌け口として俺の胸を使えばいい。

 

 そういやカップ増えたせいでブラ買い替えなきゃいけないんだよなあ。臨界獣グラムフロガとの戦いと、「ゴースト」絡みのあれこれですっかり忘れてたが。

 そのせいで無理やり胸を押し込んだブラはぎっちぎちだ。

 それもまたよしとばかりに頬を擦り付けてる由希奈の守備範囲の広さには一周回って敬服するね。

 

「はー……先輩のこの柔らかいけどハリのあるおっぱいで私は生きていける……もしかして先輩、私の母になってくれる女性ですか?」

「まさか、此方に誰かの親代わりなどできるわけもなかろう」

「平和とか自由とか正しさとかどうでもいいからこの絶妙な弾力にずっと浸ってたい……」

 

 それはそれでどうなんだ。

 褒められてるんだろうが特級魔法少女としては減点対象な発言だぞ由希奈。そういうとこだぞ由希奈。

 上がりかけてきた評価のメーターがいつもの領域まで下がっていく。このちゃらけた感じがいつものあいつだと思えば、元に戻ったってことでいいんだろうが。

 

 往来で美少女に胸を埋める美少女という絵面が展開されてればそれなりに注目する野次馬も出てくるのが必然らしい。

 なんとなく、真面目な話をしてた時は特に感じなかった視線が四方八方から突き刺さってくるのを感じる。

 別に見世物じゃねえんだぞ、しまいには金取るぞお前ら。

 

 そう言いたくなるのを堪えて由希奈の背中を摩りつつ、顔を上げたその時だった。

 

「あっ……」

「……ふむ?」

「おっ、なんかあった感じです、先輩……って」

 

 ──君、「ゴースト」じゃん。

 由希奈がそう口走った通り、俺と視線が合ったのは間違いなく、「ゴースト」と同じ特徴を揃えた女の子だった。

 淡い紫色の髪と瞳。今は深窓の令嬢のような白ワンピースを着こなしているその子が「ゴースト」だと断定できるのは、魔力による認識遮断が、魔法少女相手には通用しないからだ。

 

「……っ!」

「ちょいちょいちょい、いきなり逃げようとしないでー!」

 

 勘付かれたか、とばかりに踵を返した「ゴースト」へと由希奈は猛ダッシュして、その細い肩に手をかけていた。

 どうする、大佐に連絡を入れてこの場で捕縛してしまうか。

 由希奈に組みつかれたことで完全に逃げ場を失った「ゴースト」を横目に見ながら、俺は思案する。

 

 いや、まあ、な?

 普通に考えればこの場で「ゴースト」をふん縛って「M.A.G.I.A」に突き出してやるのが最適解なんだろうことは俺にもわかっている。

 そして今が千載一遇のチャンスであるということも、だ。普通ならそうして然るべきで、そうしない理由がない。

 

「離してください、私は貴女たちなんて知りませんし、『ゴースト』なんかじゃ……!」

「おやおや、『ゴースト』がなにかは知ってるんだー?」

「そ、それは……ニュースとかで、有名ですから……」

「そんなニュース、流れてなかったけどねー?」

「うっ……」

 

 由希奈に取り押さえられている「ゴースト」は語るに落ちるといった風情で、墓穴を掘ることに全力を出しているが、声にも聞き覚えがあれば、そもそも俺たちから逃げようとしてる時点で自分の正体自白してるようなもんなんだよなあ。

 ここにいるのはあくまで表向きただの清く正しい花の十代、女の子盛りな二人なんだぜ?

 いや、俺は二十五年生きてそのあと死んでるけどな。

 

 そんな冗談はともかく、どっちのエンカウント運が腐っていたのかわからない邂逅は果たされてしまった。

 こっちとしては僥倖だから、腐ってたのはあっちの方か。なんというかまあ、ご愁傷様だな。

 観念したように「ゴースト」は抵抗を止めると、両手を挙げて俺たちを睨みつけてくる。

 

「……殺すなら一思いに殺してください」

 

 物騒なやつだな。

 こっちには取って食おうってわけじゃなければ、煮たり焼いたりする趣味もないんだが。

 あまりにも相手の運が腐っていた突然の邂逅に俺も半ば戸惑っていて、思考の片隅にどうしたものかと、処遇を浮かべるのが精一杯だった。




メガトンエンカ


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だから話し合おうじゃないか

「まあまあ、私たち、別にキミを取って食おうなんてこと考えてないよー? ですよね、先輩?」

 

 由希奈にはなにか思うところがあるのか、そんな具合に同意を求めてきたが、俺としては正直微妙なところなんだよな。

 こいつは、「ゴースト」は原作から外れてポップしてきた存在だ。不確定要素を潰すって意味じゃ、さっさとふん縛って「M.A.G.I.A」に突き出すのが正解なのはわかっている。

 わかっちゃいるんだが、どうにも納得がいかないというか、その手段は正しいけど間違ってるというか。自分でもなにがいいたいのかよくわからなくなってきたが、単純にその選択肢を取ることに抵抗があるのは確かだった。

 

「うむ……此方が望むのは、あくまでも対話による解決だ。暴力に訴えるのはあまり褒められたことではないからな」

「……話すことなんてありません、どうしても離してくれないなら!」

「この往来で変身するか?」

「うっ……」

 

 魔力による認識阻害は、半ばお約束のように、直接変身するところを見られた相手にも作用しない。

 今は俺たちの与太話ぐらいで済んでるが、この渋谷駅近くで「ゴースト」が変身したとなれば大騒ぎは間違いないだろう。

 それでもやるってんなら止めはしないし、暴力での解決を望んでるなら迎え撃つまでのことなんだがな。

 

 ただ、正体を知られたくないのはぶっちゃけこっちも同じなんだよ。

 なんで魔法少女が自衛隊の駐屯地や基地にいて、そして俺たち特級は「間木屋」という秘密基地を持ってるかといえば答えは簡単、変身するための場所が必要だからだ。

 イビルイグルの野郎とやり合った時はやむなく往来での変身を余儀なくされたが、本当ならあれ、結構なお咎めを食らう対象なんだよな。結果オーライってことでなんとか大佐がもみ消してくれたみたいだが。

 

 そんな話はともかくとして、この場で変身して戦うってのはお互いメリットはどこにもないしなんならデメリットしかない、ということだ。

 それは「ゴースト」もわかってくれたのか、由希奈が拘束を解くと、観念したように溜息をついて、こっちを睨みつけてくる。

 だから別に取って食おうなんて考えちゃいないんだがな。

 

 公安と「M.A.G.I.A」に散々追い回されている向こうからすれば、俺たちに敵意が今のところない、というのは信じられんだろうから仕方ないとしても。

 

「……話し合うって、なにを話すんですか」

「まあまあそんな緊張しないでー、うちはアットホームなところだからー、ほら、肩の力抜いて?」

「ふざけないでください……!」

 

 ブラック企業の常套句じゃねえか。

 悪ふざけをするように「ゴースト」をおちょくっている由希奈にそれ以上はやめとけ、の意を込めて肩ポンする。

 なんだか悪いことしてる気分だ。いや、実際悪いことに付き合わせてるんだろうがな。

 

「んー、別にふざけてるつもりはないんだけどなぁ、私はキミの話が聞きたい。キミは私の話聞きたいかどうかはわからないけどねー」

「……だから、私が話すことなんて」

「テロとか犯罪とか、そういうのってやっぱ憎い?」

「……ッ……!」

 

 するすると心の隙間に入り込むかのように、由希奈は軽妙なテンションで「ゴースト」の核心に触れた。

 どう答えても、結果的にイニシアチブはこっちに回ってくるような質問なのが中々いやらしいところを突いている。

 はいと答えればそこをフックに話を広げにかかるだろうし、いいえと答えればじゃあどうしてあんなことしてるのか、という話になってくる。由希奈も中々のワル……もとい、やり手だな。

 

「……憎くなかったら、許せなかったら、あんなことしてないでしょう……!」

「そっかそっかぁ……じゃあ私とおんなじだ」

「は……?」

「んー、この先を話してもいいけど、まずはその前にキミの名前を教えてくれないかなあ? いつまでも『ゴースト』って呼ぶのも堅っ苦しいしー」

 

 ダメ? と上目遣いで「ゴースト」の瞳を覗き込みながら由希奈は問いかける。

 なんだかんだでこいつ、自分が美少女だということをわかってて行動してる節があるよな、ソシャゲハムスターな面とちゃらけた仮面に騙されそうになるが。

 たじろぐ「ゴースト」へと念を押すように由希奈はじりじりと迫って、顔を近づける。

 

「私はキミのことが知りたい、すっごく知りたい。だから教えてくれたら私のことも教えてあげるよー?」

「うっ……わ、私は……」

「だって多分、キミと私ってお仲間だもん」

 

 同じ動機で魔法少女をやっているってことは、シンパシーとかじゃなく、同じような境遇に置かれているということだ。

 そう言わんばかりに由希奈は、子供が悪戯を企むときのような笑みを浮かべて、「ゴースト」へと迫り続ける。

 このまま唇が触れ合うんじゃないかという距離まで顔を近づけて、由希奈はあくまでも必死に「ゴースト」が逸らし続ける目を覗き込んでいた。

 

「……桜」

「桜?」

「結城桜……私の名前です」

「桜! そっかぁ、うん、いい名前! 私は由希奈、北見由希奈だよ!」

 

 そう簡単に敵に個人情報を渡していいのかって話になってくるが、今は目を瞑ろう。

 これで「ゴースト」……もとい、結城桜の情報が引き出せるんなら支払うコストとしては釣り合っている。

 俺はただ後方保護者面で腕組みしてるだけだがな。我ながら一ミリも話し合いに貢献してねえ。

 

「……では、そちらのことを教えてください」

「なにが?」

「私は名乗ったでしょう……!」

「そうだそうだ、ごめんねー! じゃあ私の身の上話でもしよっか」

 

 なんというか、見ている限り結城桜は相当真面目というか四角四面な性格をしてるんだな。

 捉え所がない由希奈に全力で噛み付いている様はさながら小型犬みたいだと言ったら本人に怒られるんだろうから黙っておくとして、彼女が対話不能な存在じゃないとわかったのは朗報だ。

 むしろ、きっちり話し合えば、争わなくても済むんじゃないかとさえ思えてくる。

 

「私はテロや犯罪がすっごく憎いよ。だって私以外の家族はみーんなテロリストに殺されてるから」

「……そう、だったんですか……」

「まあ、ね。でも特級魔法少女になっちゃったもんだからそういうお仕事……今、桜がやってるようなことはできなくてちょーっとモヤモヤしてた感じかなぁ。で、『ゴースト』の噂を聞いた時から、ちょっと話してみたいなー、って思ってたんだ」

 

 一体どんな子がどんな理由でこんなことしてるのかって、ね。

 由希奈はさっきと打って変わって柔和な笑みを浮かべ、そう言い放つ。

 きっと自分ができなかったことに対する羨望だとか、もしも自由に動けたらそうしていただとか、そういう複雑な思いはあるんだろうが、それとこれとは話が別だということなのだろう。

 

 話を切り分けて考えられるのは、由希奈の美点だといっても差し支えない。

 今もドス黒く燃える憎しみを心の内に秘めていながらも、それに呑まれることなく、例え仮面を被っているだけだとしても「北見由希奈」を全うしている。

 そういうやつは、信念があって強かなやつは強いと相場が決まってるもんだ。

 

「……私も、全てのテロや犯罪はなくなればいいと思っています」

「それはどうして?」

「……卑劣だからです。暴力に訴えかける人は、人からなにかを奪うことを躊躇わない。私は……それが許せない」

「だから、魔法少女になったんだ」

「……」

 

 沈黙は肯定と見てもいいだろう。

 だが、結城桜の言っていることはどうにもふわふわしているというか、核心には触れていないような、そんな気がした。

 初対面の人間にいきなり自分の内心、その全てを打ち明けろって方が無理筋なのはわかっている。だが、それがどうも奥歯にものが挟まったかのように引っかかるのだ。

 

「んー……そうだなぁ、私はここでキミにその心臓がどこから来たのかを訊くつもりはないかなー」

「由希奈」

「まあまあ、いいじゃないですか、先輩。訊いたって答えてくれるようなことじゃないですよねー? ならもっと、お互いを知れる話をした方が建設的じゃないですか」

 

 それはその通りだが、果たしてそれで由希奈が思っているような答えが結城桜から得られるかどうかは全くもってわからない。

 そもそも彼女は原作にはいないはずのキャラなのだ。

 つい咎めるように口を挟んでしまったが、未来を知らない俺の力なんて些細なものもいいところだ。冷静に考えれば、ここは由希奈に任せるべきなのだろう。

 

「……情けをかけたつもりですか」

「別にー? じゃあ私が訊いたら、桜は答えてくれる?」

「それは……って、なんでいきなり呼び捨てなんですか!」

「いいじゃんいいじゃん、硬いこと言わなーい、で、桜がなんで魔法少女やってるかは聞いたから、私がなんで魔法少女やってるかを話さないとね」

「……」

「私はね、世界が平和であってほしいんだ。もちろん家族を殺したテロリストを殺してやりたいけどね。でもね、奪われたからわかる。世界は……世界には、こんなことが二度とあっちゃいけないんだって」

 

 ──それは、臨界獣もテロリストも同じ。

 由希奈は悪戯っぽく笑いながら、心の内側に深く、深く刻まれた傷痕を桜へと曝け出す。

 だから魔法少女をやっている。魔法少女であり続ける。それがきっと、北見由希奈という人間が持ち合わせている信念だった。

 

「……私は」

「多分だけどね、私と桜が目指すところはおんなじだって思ってるよ。だから今日はこれでおしまい。これ以上はなーんにも訊かない。キミのことをちょっとでも知れたから私は満足。私のことを知ったキミはどうかなー?」

 

 満足してたらいいんだけどねぇ、と由希奈は苦笑する。

 結城桜は、ただ拳を握って俯いていた。

 それもそうだろう。いきなり本音の信念だとか覚悟だとかをぶつけられて、なにかを即座に返せる人間の方が珍しい。

 

「それじゃあ行きましょっか、先輩」

「……本当にそれでいいのか、由希奈?」

「大丈夫ですってー、本部からお咎めが来たらそりゃあ……まあ仕方ないですけど。私は間違ったことしてないぞー、って気持ちだけには嘘つきたくないですから」

 

 にっ、とヒマワリのような笑顔を浮かべると、由希奈は俺の手を引いて、桜の元から立ち去っていく。

 うなだれていた彼女が、なにを考えていたのかはわからない。

 ただそれが、桜にとっても、由希奈にとっても、少しでもいい未来に繋がればいいと、そう思うことが、今の俺にできる精一杯だった。




君の名前は


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お話し合いの後始末

「ってなわけでー、先輩と私で『ゴースト』に会ってきちゃったんですよねー」

 

 喫茶「間木屋」に戻るなり、由希奈は軽い調子でことの顛末を大佐へと語っていた。

 話を聞いていた大佐の百面相というか主に顔が青ざめていく様には同情する。ただまあ、一つだけ擁護させてもらうなら、あれは事故だったんだよ。

 どうして捕まえなかったのかと訊かれても、警察ですら逮捕状がないと逮捕できないってのに、公衆の面前で変身もしてない俺たちが、現行犯でもないのに結城桜を捕縛しろっていうのも無理筋だろう。

 

 一応「M.A.G.I.A」指定の制服着てればその辺が免除された……というか揉み消してくれたのかもしれんが、思いっきり私服だったしな。

 じゃあ銃も携帯すんなよと言われれば、ぐうの音も出ないんだが。

 ただ、それはそれ、これはこれだ。出会い頭の衝突事故みたいなもんだから、情報持ってきただけでも儲け物だと思いたいところだ。

 

 なんて、アクロバット擁護をかましたところで大佐の胃痛を加速させるだけだから、今のところは黙っておくにしても、由希奈はよくあっけらかんと白状したものだ。

 多分、結城桜と、「ゴースト」とシンパシーを感じている部分もあるから、できることなら穏便な結末を望んでいる、ってのが本音だろうか。

 確かに血を流さずに済むなら俺もそれは一番だと思うが、問題は「ゴースト」こと桜が「魔導炉心」を持ってることなんだよな。

 

 国家機密に触れるブツをどこから持ち出してどこで適合手術を受けたのかという背後関係を徹底的に洗い出す必要がある限り、由希奈の望みと「M.A.G.I.A」の方針は真っ向から対立することになる。

 で、その板挟みになるのが大佐というわけだ。

 中間管理職の悲哀ってやつだな、実に世知辛い。

 

「……大体話は理解した。あの場で君たちが『ゴースト』を……結城桜を取り押さえられなかったのは失態だが……名前の情報が得られたのは大きい」

 

 大佐はこめかみに青筋を浮かべ、目頭を覆いながらそう言った。

 身元が割れれば、捜査の手がかりにはなる。本名にしても偽名にしても、「どういう類の人間か」という情報が手に入るのは中々大きい収穫だろう。

 だが、これにも問題が一つあってだな。

 

「……大佐、其方はこの話を上まで持っていくつもりだろうか?」

「そうなるだろうね……だが、恐らくは君が懸念している通りだよ」

 

 大佐も当たり前にそのリスクは承知していたようだ。

 現状、政府側か「M.A.G.I.A」内部かは知らないが、ネズミが潜んでいる以上、短絡的に情報を共有して結城桜に更なる警戒心を植え付けるのもまた得策とはいえない。

 特に厄介なのが、結城桜のパトロンは政府の内情や「M.A.G.I.A」の内部事情を、どうやってかは知らんがすっぱ抜けるということだ。

 

 迂闊に「ゴースト」の身元が割れたからとその情報を本部と共有して、結城桜に警戒心を植え付けるだけじゃなく、背後に潜む勢力にその情報を逆手に取られる可能性だってある。

 つまるところ、後始末に困る特大の爆弾を俺たちは持ち帰ってきた、ということだった。

 いやまあ、俺と由希奈で内々的に処理してしまう──大佐にも黙っておくという手がなかったわけじゃないが、それだと自分たちが内通者だと疑われかねない。

 

 だから、こうして清く正しく情報共有を行っているわけなのだ。報連相は大事だからな。

 

「此方としては、この情報を上まで持っていくのは得策ではないと考えている」

「本音をいえばおれもそうだよ、西條千早。だが……情報が大きすぎる。ここに留めておけば、内通者の疑いは我々にかかることになる」

 

 いやはや全くもって仰る通り、それもそうなんだよなあ。

 特級魔法少女とその運用ユニットが国にとっての裏切り者となれば一大事どころの騒ぎじゃない。

 真実と食い違っていても、事実はいくらでも作り出せるしな。だが、逆にいえば俺たち視点では、「恐らく内通者はこの情報を持っていない」というアドバンテージを持っているということだ。

 

 結城桜経由で漏れる可能性もなくはない──というかその可能性は大分デカいが、能動的に動けるなら今だと俺は踏んでいる。

 

「だが、本部か政府かはわからなくとも、ネズミが潜んでいるのは確かなのだろう。しかし……大佐。これは此方にとっても好機だ」

「……おれたちだけで、内通者を出し抜けると?」

「肯定する、賭けてみる価値はあると上申する」

 

 印象論にはなっちまうから当てにはできんが、結城桜の人となりは、由希奈との会話の内容から察するに、かなり生真面目な、筋にこだわるものだと俺は踏んでいる。

 自分の身の上を話してくれた由希奈を裏切る、というか利用することはできない──と、そう断言するのは危険だが、その可能性は大きい。

 とはいえこれはあくまで主観でしかない。最終的にどうするかを判断するのは責任者たる大佐自身だ。

 

「……君は爆弾を持ってくるのが実に得意だね、西條千早」

「此方も『ゴースト』と遭遇できたのは想定外だった。正直なところ、非常に困惑している」

 

 人を厄ネタ製造機みたいに言わないでくれ。心証が悪くなるじゃないか。

 いやまあ、俺自身が特大の厄ネタというか説明しても理解されないであろう、転生者だという事実を抱えてるのは確かなんだが。

 それにしてもこれは事故だよ事故、地球産魔法征装の時と違って、狙って持ってきたわけじゃないんだよ。

 

「んー……私としては、正直上に持ってくのはちょっと遠慮したいですねー」

「それはどういう意味だね、北見由希奈?」

「そのまんまの意味ですけどー、なんていうか……あの子、桜は悪い……ことはしてるか。上手く言えないなぁ、んー……」

 

 口火を切ったはいいものの、なにを言えばいいのかに迷って、由希奈は閉口する。

 正直なところ、結城桜に由希奈は入れ込みすぎている節がないとはいえない。

 それでも、こいつが考えていることを言語化すると、フォローを入れるとしたら。

 

「……結城桜は、此方にとって利のある存在となる可能性がある」

「ふむ……?」

「どういうことですか、先輩?」

「なに、単純だ。彼女を籠絡して、戦力として引き込めれば一級から特級相当の魔法少女が一人増える、ということになる。処分するのではなく、言い方こそ悪いが……『再利用』できるかもしれん」

 

 いっそのこと、情に訴えかけて結城桜をこっち側に引き込んでしまう。

 多分由希奈が目指している到達点はここになるという認識で合ってるはずだ。

 俺としても、原作に存在していないイレギュラーである結城桜を手元に置いておけば、単純に戦力の増強にもなるし、単純に安心できる。

 

 いずれにしろ難しい作戦ではあるし、問題も課題も山積みではあるが、全くもって利がない、というわけじゃあない。

 まあ、判断する権利があるのは俺たちじゃなくて大佐の方なのには変わりないんだがな。

 顎に指をやって唸り声を上げている大佐は、リスクとリターンと損得勘定の真っ最中といったところだろう。

 

 さて、どう転ぶことやら。

 俺と由希奈、そして一通り話を聞いていた葉月、まゆ、こよみの三人からの視線を一身に受けながら、大佐は重い口を開いた。

 

「……そうだな、この件はしばらく手元に留めておいた方がいいかもしれない」

「と、いうと?」

「西條千早。君が言った通り結城桜を『再利用』できるかどうかはわからない。だが、内通者に情報を渡すよりは、その可能性を残しつつ、おれたちだけで調査を深めることで、捕縛とその可能性の二つを残す……二兎を追う者はなんとやらとはいうがな、大きなリターンを見込めるのは確かだ」

 

 大佐が下した結論が、どっちに転ぶのかは正直なところ俺にはわからないし、言っておいてなんだが、結城桜をこっち側に引き込めるかどうかも微妙かもしれない。

 だが、由希奈がその可能性に賭けているなら、俺もその博打に乗っかるというだけの話だ。

 その方が穏便に済むなら、無駄な血を流さなくて済むなら、それに越したことはないからな。どっちにしても後始末をするのは大佐なのが世知辛いところではあるがな。

 

「結城桜についてはおれが背後関係を洗い出す、その間もしも可能であれば、北見由希奈、西條千早。君たちが彼女をこちら側に引き込んでくれ」

 

 最悪腹を切る覚悟で、大佐はそう言ったのだろう。

 由希奈と俺は顔を見合わせて、小さく頷く。

 大佐に腹切られちゃ困る以上、この作戦はなんとしてもやり遂げなきゃならない。その鍵は由希奈、お前が握ってるんだ。

 

『了解!』

 

 頼むぞ、と目配せを一つ。俺たちは声を揃えて大佐に返事をした。

 結城桜、彼女を知るためにもどれだけ接触できるかが、さしずめ今後の課題といったところか。

 だが、やってみるだけの価値はある。そう思いたいところだった。




中間管理職はつらいよ


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桜、再び

 犯人は犯行現場に舞い戻るとはいったものだが、果たして「ゴースト」こと結城桜がまた渋谷駅に現れるかどうかについては天に運を任せる他にない。

 大佐が情報を保留する決断を下した翌日、俺と由希奈は再び彼女を探すため、山手線に揺られていた。

 

「あの子、好きなんですかねー、渋谷」

「どうだろうな。会えたら本人に訊けばいい」

「それもそっかー、ま、そうですよねー」

 

 私は実はそんなに好きじゃないですけど、と由希奈は小さく苦笑しながらそう語る。

 俺の方はどうなんだろうな。

 前世じゃ身の程知らずな、そして他人からすれば死ぬほどどうでもいい野望を抱えて上京してきたわけだが、土地に愛着を持つほど東京に馴染んでいたとは思えない。

 

 好きか嫌いかというよりは、生きていくために必死でそんなことを考える余裕すらなかった感じだな。

 まあ、その余裕ができた瞬間に死んだんだが。

 そんな話はともかくとして、今世でも別に俺はこの土地に執着してるわけじゃない。それでも、渋谷に限らずこの土地には、国には、世界には、守りたいと願う人々が暮らしている。

 

 好悪というよりは、責任感や義務感とでもいうべきものだろうか。魔法少女として、西條千早として、俺は果たすべきを果たさなければいけない。

 案外そういうものを結城桜も背負って、ヴィジランテをやってたりするのかもしれないな。

 車内にアナウンスが響いて程なく、俺たちを乗せた山手線の車体が渋谷駅のホームに滑り込む。

 

「さてさて……桜に今日は会えるかなー?」

 

 どことなく浮き足立った様子で、とん、と由希奈は駅に降り立った。

 なんの約束もなければなんの手掛かりもない調査だ。会えるとは限らない。

 なんなら会える確率の方が多分低い。それでも、まるで会えることを確信しているかのように軽やかな足取りで、由希奈は人混みを巧みに避けて回っていた。

 

「そんなに彼女のことが気に入ったのか」

「んー、どうでしょうねー? でも、ちょっと入れ込んじゃってるとこはあるかもですね」

 

 似た者同士ですから、と自虐混じりに苦笑を浮かべる由希奈に、どんな言葉をかければいいのかは生憎わからない。

 テロリストに家族を皆殺しにされた、その痛みは由希奈だけのものだ。

 ここがゲームの、「魔法少女マギカドラグーン」の世界だとしても、俺がその外側でキャラクターとして描かれた彼女たちの過去やら秘密やらを知っていたとしても、それで訳知り顔をして上辺だけの言葉を投げかけちゃいけないんだと、そう思う。

 

 それほどまでに、生きている。

 由希奈だけじゃない。今すれ違った名前も知らない誰かも、結城桜も。

 だからこそ運命を変えたいと願った。変えた結果として、結城桜という、俺が全く知らないイレギュラーが現れた。

 

 世界ってのはままならないもんだな。

 そもそも、どれだけ前世の知識を持ってようが、チートなるものを持ってようが、一個人に世界がどうこうできるもんじゃないってのはその通りなんだが。

 それでも、立ち止まっちゃいけないことぐらいはわかっている。後戻りはもうできない。

 

「結城桜、か……」

 

 その名を噛み締めるように小さく呟く。

 原作には存在しなかった彼女が由希奈とどう絡み合って、その結果どんな風に運命が動いていくのかなんて予想できるはずもない。

 だから、もっと知る必要がある。

 

 そうしなければ、なにもできない。

 だから俺にも、結城桜を探す理由はあるんだよな。

 相変わらず人でごった返している駅前広場に降り立てば、果たしてハチ公の銅像前に、肝心の彼女は佇んでいた。

 

「おー、いたいた。桜ならここにいるって思ってたけど大当たりってとこだねー」

「貴女は……」

「渋谷、好きなの?」

 

 狙いすましたように結城桜がここにいるのは偶然なのかそうでないのかはわからない。

 だが、そうでないとしたら俺たちが彼女の情報を握り潰している以上、内通者は特級魔法少女の中にいるということになる。

 そして設定資料集にそんな記載は欠片もなかったことと照らし合わせれば単なる偶然、もしくは結城桜が、由希奈の問いかけた通りこの場所をよっぽど気に入ってたかだろう。

 

「……なんでいきなり名前で呼んでくるんですか、貴女は」

「いいじゃんいいじゃーん、私と桜の仲だよー?」

「貴女と会ったのはこれで三回目なんですけど……!」

 

 ダル絡みに呆れ果てたのか、抱きついて頬をすり寄せる由希奈を引き離しながら、結城桜は心底嫌そうな声で律儀な答えを返す。

 返事はする辺りなんというか生真面目なんだな、こいつは。

 見てないで止めてくれ、的な視線を感じたから俺も一旦暴走モードに入った由希奈を引き剥がすのに協力する。よし、これで恩は売れたな。

 

「……ありがとうございます、貴女は」

「此方は西條千早だ。由希奈の付き添いで来ている」

「そうですか……先日はどうも」

「此方も世話になった。悪くない太刀筋だったと、そう思う」

 

 うーん、恩は売れたが俺と桜じゃどうも剣呑な空気になるな。

 まあ全力で自分を捕縛しようとしてきて、刃まで交えた相手に心を開けって方が無理筋なんだからそれもそうか。

 懐柔するのは由希奈に任せる他にないだろう。そんなわけで頼むぞ。

 

「まあまあ堅っ苦しい話はその辺にしといてー、ね、桜。好きなの? 渋谷」

 

 人好きのする笑顔を浮かべながら由希奈が問いかける。

 こいつ、本当日頃の行い以外は完璧なんだよな。日頃の行い以外は。

 頼むから信頼を掴み取れてないのに乳を揉んだりしないでくれよ、と内心ハラハラしつつも、俺は後方腕組み保護者面で由希奈と桜のやり取りに立ち会う。

 

「……好きか嫌いかでいえば、好きです」

「そっかー、私はそんな好きじゃないけど、桜は渋谷のどの辺が好き?」

「……好きじゃないなら、訊く必要ないじゃないですか」

「私のことならねー、でもこれ、桜のことでしょ? 私は桜のことが知りたいから訊いてるだけ」

 

 お互いを知り合った方がもっと仲良くなれるでしょ、と、由希奈は笑った。

 実際こっちとしても最終的には結城桜を引き込む腹づもりがある以上、仲良くやってほしいところだ。

 押しに弱いのか、桜はたじろいで俺に助けを求めてくるが、残念なことに西條千早は堅物なんで、後方腕組み先輩面しかできないんだ、すまんな。

 

「……人が」

「ん? なんか言ったー?」

「……人がいっぱいいるところが好きです。大した理由じゃないですけど」

 

 人間観察がしたいだけなら渋谷に限らず新宿やら池袋やら秋葉原やら、選択肢は豊富にあるのがこの東京だ。

 それでも桜が渋谷を選んでいるのは、なにか他にも理由がありそうだった。

 だが、俺は黙って頷くだけだ。あくまでも由希奈に任せると決めたからな。

 

「そっかー、じゃあ新宿とかー、品川とかー、山手線からは離れるけど、虎ノ門とかも好きなの?」

「なんで虎ノ門なんですか……新宿とかはあんまり好きじゃないです、息苦しいので」

「そっかそっかー、んー……桜はどっちかっていうと人がいっぱいいるけどなにかに縛られてないのが好きなんだねー」

「……まあ、はい」

 

 確かに新宿やら品川やらは主にサラリーマンでごった返してるからな。窮屈さを感じるってのはあるだろう。

 その点渋谷は比較的若者やら観光客が多い街だ。あとは単純に、駅からすぐのところにスクランブル交差点があるから、人間観察には持ってこいだ。

 縛られないで、尚且つ人がいて。そんな場所が好きだってのも中々変わってるな。

 

「うんうん、桜の好みがなんとなくわかってきて私は嬉しい」

「……なにが嬉しいんですか。じゃあ、貴女はなにが好きなんですか、由希奈」

「女の子。可愛ければ尚良し」

 

 なんかいい感じだった空気が一気に冷え込んだぞ。

 どうしてくれんだよこれ、俺に助けを求められても困るぞ、結城桜。

 こいつはいつもこうだから仕方ないんだ、悔しいだろうが諦める他にないんだ。

 

「私に声かけたの、ナンパ目的だったんですか」

「ううん? それはこの前話したじゃん、嘘じゃないよ? 確かに桜は可愛いけどさー」

「可愛い……言われたこと、ないですね」

「じゃあ私が言おう! 桜は可愛いよ」

 

 なんかいい感じのイケボ作って耳元で囁いてるけどそれで誤魔化せると……いや案外誤魔化せてたわ。

 慣れていないのか、初心な反応を見せた桜をからかうように、由希奈はにひひ、と悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「……なんっ、ですか、それ……!」

「私の本心」

「……っ……!」

 

 あっけらかんと答える由希奈の胸を、桜が拳でぽこぽこと小さく打ち付ける。

 敵同士であったことを忘れて打ち解けてる辺り、案外上手くいってるのかもしれないな。

 胸を拳で叩かれながらも由希奈は悪戯っぽい笑みを崩さず、桜の頭をそっと撫でる。

 

「そんなわけでー、諸々あるから連絡先の交換とかはできないけど、桜はまたここに来る?」

「……それを訊いてどうするんですか」

「別に? 私はまた桜に会いたい。今度は千早先輩だけじゃなくて私の友達も紹介したいしー、なにより」

「……なにより?」

「見てるだけじゃなくてさ、一緒に輪の中に入ってこうぜー、なんてね」

 

 ──私はキミと、もっと仲良くなりたいから。

 淀みなく紡がれた言葉に、きっと嘘はないのだろう。

 嘘がないからこそ、本心でぶつかり合っているからこそ、桜もまた、由希奈を拒絶していないのかもしれない。

 

 あるいは、本当にその言葉を欲しがっていたのか。

 頬を赤らめる桜が小さく頷いている辺り、俺の予想も案外的を外してはいないのかもしれないな。

 そんなことを思いながら、小さな約束が結ばれる瞬間を、俺は相変わらずの後方腕組み先輩面で静かに頷きながら見守っていた。




普段の行動さえなければまともな由希奈


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実写化って大体賛否両論だよね

 由希奈が約束を交わした翌日、律儀にも桜はいつものハチ公前に佇んでいた。

 知っての通り、待ち合わせスポットとして大人気なこいつは忠犬としていつまでも主人の帰りを待っていた逸話がある犬を偲んで建てられた銅像だ。

 その前で由希奈のことを待っている彼女もまた似た者同士なのかな、などとなんの益体もない考えが頭の片隅に零れて落ちる。

 

「わー、やっぱり来てくれたんだー、桜!」

「……約束、しましたから。それに」

「それにそれにー?」

「……なんでもないです。その……由希奈は、千早さん以外のお友達を連れてきたんですか」

 

 桜は照れ隠しのように視線を逸らしたが、顔が真っ赤になっているせいでバレバレだ。

 それをあえて指摘しない辺り、由希奈も桜の純情さをいじるのはやめにしたのか、それとも単純にその様子を愛でているのか。

 多分後者だろうな。ノータイムで結論が出た。

 

「んーっとね、まあなんていうか……私のバイト先の友達なんだけど、シフト入ってたから今日は連れて来れなかったんだよねー」

「それじゃあ釣り合わないじゃないですか」

「ごめんごめんって、今度は絶対、お店サボらせてでも連れてくるからー」

「それはそれでどうなんですか……」

 

 全くもってぐうの音も出ない正論が俺と由希奈を打ち据える。

 シフトが入ってないという体で話をしているが、ぶっちゃけ桜と遊びに……いや、名目上は籠絡のための作戦として行動しているものの、実質的にはサボりみたいなもんだ。

 キッチン担当のまゆはともかく葉月かこよみのどっちかは連れてきてもよかったかもしれないな。

 

「いいのいいの、あのお店不思議なことになんでか潰れないからねー」

 

 もっとも、十中八九葉月は嫌がるだろうからこよみになるだろうが。

 生真面目な桜の返答を笑ってごまかした由希奈を横目に、俺はいつもの生真面目な後方腕組み先輩面だ。

 しかし、由希奈の勧めもあって履いたミニスカートだが、もうすっかり慣れてしまったな。

 

 全体的に細身なあいつと葉月と違って、ほぼ筋肉とはいえ俺は脚が太いのがだいぶ気になるところだが。

 来る前にそれとなく訊いてみたらそれがいいんですよ、的なことを由希奈が力説してたのと、太ももに顔をすり寄せようとしてたことを思い出す。

 電車の中でやるんじゃない。いや、そもそもどこであろうとやるもんじゃないってのはその通りだが。

 

「そんなわけで人の輪の中に入ってこうぜ作戦ー、ってことで、どこ行きますー、先輩?」

「此方が決めていいものなのか?」

「んー、私は別に桜と仲良くできるんならどこでもいいですしー、桜はどっか行きたいとこある?」

「いえ、別に……千早さんか由希奈が決めていただけるなら、私はそれに従いますが」

 

 んー、俺か。

 別に決めるのが嫌ってわけじゃないが、しかし、俺に決定権委ねていいもんなのかね。

 パッと思いつくのは映画、カラオケ、ゲームセンターの三択だが、中身が野郎なせいで年頃の女子らしさには欠けている気がする。

 

 いっそウィンドウショッピングでもするか?

 最近の日曜日はデパートの化粧品売り場とか巡ったりしてるが、案外楽しいぞ。このコスメが誰に似合いそうだなとか考えるのも乙なもんだ。

 問題はそれを複数人でやってて楽しいかって話なんだがな。創作の中でしか年頃の女子の生態を知らない元フリーター野郎だからそこは想像できない。

 

「ふむ……此方が思い浮かぶのは、映画鑑賞やゲームセンターやカラオケ、ウィンドウショッピング……そのようなものばかりだが」

「えっ、結構思い浮かびますね先輩。てっきり困っちゃって憂い顔になるのを期待してたとこあったんですけど」

「……そのようなことを期待されていたのか」

「あっ、つい本音がー……えっと、てへぺろ☆」

 

 可愛い顔して誤魔化そうったってそうはいかんぞ。というか、邪心百パーセントでこっちに丸投げしてきやがったのかお前は。

 相変わらず色々な意味で油断ならない由希奈に、俺は呆れたような溜息を返すことしかできなかった。

 その間も真顔で俺たちの間に佇んでた辺り、桜にはツッコミの素質はないかもしれないが忠犬の素質がありそうだ。

 

「まあまあ冗談はともかくとしてー」

「八割ぐらい本音だっただろう?」

「うぐっ……そ、それはともかく、せっかく先輩が遊びのプラン考えてくれたんだからそれに全力で乗っかっちゃいましょー! それでいいよね、桜?」

「私は構いませんが……」

「じゃあけってーい! まずは映画館から行きましょっかー!」

 

 言葉とは裏腹に、遠慮しているような桜の手を取って、由希奈は観る映画も決めていないのに駆け出していく。

 こういう人懐っこさというかなんというかは見習うべきところなんだろうが、日頃の行いで評価が相殺されてるから、やっぱり大事なもんなんだよな、日頃の行いって。

 苦笑混じりにその背中を追いかけながら、ぼんやりとそんなことを考える。さて、言い出しっぺの法則もあることだし、俺もなに観るか考えておかなきゃな。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「いやー、百点満点中四十点ぐらいの映画でしたねー」

「そうか? 此方としては、抑えるべきところは抑えていて印象は良かったが」

「全体見たらそうかもしれませんけどー、やっぱキャスティングって大事ですってー! 肝心の主役が大根じゃないですか! 桜もそう思うでしょ?」

 

 俺たちが観た映画は、人気のラブコメ漫画を実写化したものだった。

 無難といえば無難なチョイスだが、まあ由希奈の言った通り総評的にはギリギリ及第点ってとこだ。

 俺の場合は最初から期待値のハードルを地面に埋まるぐらい低くしてたから、思ったより原作の雰囲気を出そうとしてた演出にはかなりの好印象を抱いていたが、まあ主役が大根役者なことには同意しかできん。

 

 無理やり人気の男性アイドルなんか起用するからこうなるんだよ。

 まあ、最初から俺たちみたいな層に向けた映画じゃないよ、ってことなんだろうけどな。現に俺たちの近くにいたそのアイドルのファンみたいな女の子たちには好評だったし。

 いかにも憤懣やる方ないといった風情の由希奈から話を振られても、桜はきょとんと小首を傾げていた。

 

「いえ、私は十分楽しめましたが……」

「えっマジ? 私の知ってる黒鐵副会長はあんなちゃらけた男じゃないよ……」

「原作を知りませんので。それでも十分楽しめたんだから、いい映画じゃないですか」

 

 うーん、エンタメ的な観点だな。

 主役が大根だとしても周りを固める役者はしっかりしてたから作劇が破綻してたわけじゃないってのは確かに大きい。

 そういう意味じゃ、実写化としては成功の部類なんだろう。

 

「ぐぬぬ……今度桜に『月夜の姫は鐵を食みたい』全巻送りつけて布教してやるんだから覚えとけー?」

「そこまでしますか……」

 

 それでも原作ファンとしては絶対に譲れない一線がある辺り、実写化ってのは複雑だな。

 俺はどっちでもいい……というかこの世界に生まれ変わってから漫画読んでないな。こんど俺も貸してもらおうかな。

 などと考えている間に、ちゅごごご、とコーラの残りを一息に吸い込んで、カップと氷を指定の場所に投げ込むと、由希奈は江戸の仇を長崎で討つような顔で、俺と桜に向き直る。

 

「このストレスはゲーセンで発散するしかない! ってことで次ゲーセン行きましょ、先輩、桜ー」

「私は構いませんが……」

「此方も構わない。存分に憂さ晴らしをするといい」

 

 肩を怒らせる由希奈へと言って、俺は苦笑する。

 前世じゃよくゲーセン行ってたなあ。まあ大体気分転換しようとすると味方ガチャでクソみたいな相方引いたあげく戦犯ムーブかましたやつに煽られてあったまってたんだけどな。

 そういう意味じゃ、よっぽど理由がなきゃ対戦ゲームには近付かないのが最善だろう。あれには人を修羅に変える魔力がある。

 

 あとは知らない立場から見てたら単純に面白くないってのもあるな。

 対面にいたカップルの内、彼氏が対戦ゲームでいいとこ見せようと張り切っていても彼女は能面みたいな笑顔を貼り付けて佇んでるなんて温度差が生まれてたのは今でも覚えている。

 翌日別れ話を切り出されてもおかしくないような雰囲気だったな、まあともかく、ゲームってのは見てても面白いタイプとそうじゃないのに区分されるのは確かなことだ。

 

 憂さ晴らしのために先陣を切る由希奈に手を引かれた桜を追って、俺は半歩後ろを歩く。

 今日はロングブーツだが、今度はハイヒールに挑戦してみるのもありだな。

 などと、そんななんの益体もないことを、頭の片隅に浮かべながら。




ハードルは地面に埋めるぐらいがきっとちょうどいい


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奇妙な共同戦線

 果たして由希奈が実写化に対するフラストレーションを発散できたのかどうかは知らないが、この世界にも存在していた、民度が終わっている対戦ゲームではきっちり十連勝を収めていた。

 しかもかなり癖のある、格闘コマンドが存在しない射撃キャラで十連勝だ。俺は見ててなるほど、と思わず唸っていたが、桜は楽しかったんだろうか。

 いつぞやのカップルみたいに微妙な空気になってないことを祈りながら横目にその顔を窺ってみれば、桜もまた、由希奈の超絶テクに興味を示していたようで、どことなく目が輝いているように見えた。

 

「っしゃあ十連勝! ま、由希奈さんにかかればこんなもんですよー?」

「……なにをしているのかはさっぱりわかりませんが、由希奈が凄いことをしていたのはわかります」

「ふふん、まあ私、ちょっと腕に覚えがあるからねー? 先輩も今度対戦しません?」

「此方はその手のことには疎い。一方的にやられるのが精々だろう」

 

 完全に気持ち良くなっている由希奈を持ち上げるように、俺はいかにも初心者です、みたいな顔をしてそう答えた。

 実際に対面して戦うなら、俺は容赦なくメタキャラを出すぞ。メタキャラをメタってこようもんなら対面を破壊するタイプのクソキャラを擦るぞ。

 悲しいことに対戦ゲームというのはいかに相手が嫌がることを率先してやるかというゲームなのだ。これ戦争なのよね。

 

「いやー、スッキリしたー! やっぱりストレス溜まったらゲームで発散するのが健全ですよねー、桜はなんかゲームとかやってるの?」

「私は……パズルゲームとか」

「そっち系かー」

 

 昔はゲーセンでもよく姿を見かけた落ちモノ系パズルゲームも見なくなって久しい……なんてのも一昔前の話だな。

 今じゃe-sportsに認定されて公式大会も展開されてるほどに定着してるらしい。

 まあこれに関しちゃ、俺もどっかで聞き齧っただけなんだが。

 

 実際ビデオゲームコーナーにはなんとなく仰々しい、いかにもゲーミング仕様ですといわんばかりの黒地に蛍光グリーンのラインが光る筐体が軒を連ねている。

 

「じゃあ次は桜の超絶テクを見せてもらおっかー、ちょうどそこにあるし」

 

 その筐体群を指差して、由希奈は桜に微笑みかけた。

 

「別にいいですけど……そこまで大した腕前じゃないですよ」

「いいのいいのー、ゲームは楽しんだ者勝ちなんだから! 楽しく行こうぜー?」

「はあ……わかりました」

 

 桜は渋々といった具合で由希奈からの提案を承諾すると、百円玉を財布の中から取り出して、ゲーミングチェアに腰掛ける。

 そこら辺で買ってきたような椅子に座ってやるさっきの対戦ゲーと違って、待遇もe-sports様々って感じだな。

 集中するために置かれているヘッドフォンを装着して百円玉を投入した桜は、小さく息を吸い込んで呼吸を整えた。

 

「……行きます」

 

 その一言と共に成立したマッチング相手がどんな顔でなにを考えているかはわからないものの、恐らく絶望しているであろうことは容易に想像できた。

 それほどまでに桜の頭の回転は早く、降ってきた物体をどう繋げて消していくか、を恐らく小数点単位の時間で考えた上で実行していく。

 ゲーム性こそ違うが、いかに相手を詰ませていくかという方向性に関しちゃさっき由希奈がやってた対戦ゲーと大して変わらない。

 

「すっご……え、マジで? 先輩、桜がなにやってるかわかります?」

「此方もパズルゲームには疎いが……とにかく思考が早い。恐らく国内でもトップクラスだろう」

 

 大して時間もかけずに対戦相手を詰ませて、桜は淡々と次の相手にも同じことを繰り返す。

 恐らく膨大な経験から、頭の中で、このケースではどう対応して、そこから相手がどう出てくるか、というのが完全にわかっているのだろう。

 途中で泥仕合になることもあったが、それでも途切れることなく由希奈と同じ、ゲームエンドに至る十連勝をコンスタントに収めて、桜は筐体を立った。

 

「……ふぅ、こんなものです」

「驚いたな……其方の腕前は国内でも指折りではないか?」

「まさか。今日は運がよかっただけで、上には上がいますよ」

「桜よりも上がいるとか、考えたくない世界だなー」

 

 全くもって同意する限りだ。

 由希奈が言った通り、桜より早く相手を詰ませられるだけの答えと勝利への道筋を持ち合わせている人間がいるなんて、信じられないし信じたくない。

 それがいわゆるプロと呼ばれる人間の世界なんだろうが、もうそこまで行ったら人外だろう。頭にコンピュータでも積んでるんだろうか。

 

「いやー、でも見てて楽しかったし、桜もいい感じの息抜きになったでしょー?」

「そうですね……このゲームに触れるのも久しぶりのことでしたから」

「ならよかったー、とりあえず最後に定番のUFOキャッチャーでもやってきませんかー、先輩?」

 

 思わず桜のスーパープレイに見入っていたのもあって忘れていたが、時間帯としてはもう夕方だ。

 由希奈の提案通りに、なにかやって締めにするのも悪くはないだろう。

 もしくは延長戦としてウィンドウショッピングやらカラオケでも行くか、と、そんなことを考えていた時のことだった。

 

『特種非常事態宣言が発令されました、繰り返します、特種非常事態宣言が発令されました。今すぐ最寄りのシェルターに避難してください、繰り返します──』

 

 束の間の平穏を引き裂くように、国から特種非常事態宣言のアナウンスが店内のBGMに割り込む形で響き渡る。

 臨界獣、それも特種ってことは俺たちが出なきゃいけない相手が現れたってことになるんだろう。

 問題があるとすれば、今、俺たちは。

 

 俺と由希奈の視線が桜へと集中する。

 桜が魔法少女としてやってきた活動は、主に対人を想定したものだ。

 臨界獣と戦うか、戦えるかどうかについては今のところ、全くもって俺たちは知らないということだ。

 

「……どうするの、桜?」

 

 さっきまでちゃらけていたとは思えないほど重々しい口調で、由希奈が問いかけた。

 等級区分試験を受けていないから正確なことはわからないが、桜の魔力に関しては一級から特級クラスだというのが俺たちの、「M.A.G.I.A」の見解だ。

 ステルスとジャミングに特化している魔法特質の都合上、正面切って、というわけにはいかないかもしれないが、戦うことだけなら理論的には可能だろう。

 

「……私は、理不尽に他人の命や、大事なものを奪っていくのが許せません」

「うん」

「……それは人間でも臨界獣でも同じです、だから……戦います。お二人と違って、私になにができるかはわかりませんが」

 

 桜の決意は固かった。

 それは、淡い紫色の瞳を覗き込めばすぐにわかることだ。

 誰かのなにかを奪っていくのが許せない、という行動原理に関しては、今の段階じゃ、少なくとも本心であるようには見える。

 

 本当に桜が信頼するに足る存在なのかどうかはわからないし、知りようもない。

 共闘すると見せかけて、後ろからばっさり斬られる可能性も、ないと言い切ることは不可能だろう。

 だが、それでも。

 

「よーし、わかった! じゃあ私は、桜を信じる! 先輩はどうですか?」

「無論だ、此方としては桜……其方の持つ信念に全てを賭けさせてもらうつもりだ」

 

 信じない限り、進まない道がある。それが最善の未来に、俺たちにとっても桜にとっても不幸にならない未来に繋がっている可能性があるなら、その道を貫き通すのが、筋というものだろう。

 

「……ありがとうございます、少しでも怪しい素振りを見せたら、後ろから撃ってくれて構いませんので」

「桜はそんなことしないって、信じてるよ」

「……由希奈」

「それじゃー、私たちのおデートに水を差してくれた臨界獣を叩きのめしにいきますか!」

 

 由希奈の意気込みと決意に追従するように俺は静かに頷くと、ゲーセンの客たちが店員の誘導に従い、非常口へと殺到していく隙間を縫って女子トイレに駆け込んだ。

 流石に特種非常事態宣言が出ていることもあって、利用者はいない。

 ここでなら心置きなく変身できるってもんだ。とりあえずは店員が非常時だからといって勝手に扉を開けてくれないことを祈りつつ、俺たちは異口同音に解号を唱える。

 

『ドレス・アップ!』

 

 光の繭に包まれること僅か小数点単位の間、私服からゴスロリ調のドレスに装いを改めた俺たちは、舞踏会に向かうお姫様の如く、窓を開けて戦場へと飛び立っていく。

 鬼が出るか蛇が出るか。

 原作から外れた「可能性」に戦慄しながら、俺は夜の帳が降りた空を、駆け抜けていった。




ライバル(?)との共闘はお約束


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覚えゲーをクソボスの免罪符にするのはやめろ

 突然だが、ゲームの中にはソウルライクと呼ばれるジャンルがある。

 雑に要約してしまえば「何度も死んで挑戦を繰り返すことでボスを倒せるようになる高難度のアクションゲーム」といったところだろうか。

 無双ゲーの感覚で挑むと雑魚にすらプレイヤーが瞬殺されるレベルのやつだが、何度も繰り返しトライアンドエラーすることで、ボスを倒せるようになった快感がたまらない……らしい。

 

 俺はその手のジャンルに手を出したことはなかったから、好き好んで苦行に挑んでいる変た……修験者たちには頭が下がる思いだ。

 ところで、ソウルライクがソウルライクと呼ばれる所以は、「ライク(〜のような)」の元になったゲームがあるからだ。

 ローグライクと呼ばれるダンジョンゲーと同じだな。つまりはなにがいいたいかといえば、だ。

 

「あれが今回出てきた臨界獣……なんていうか、毒蛇レベル999みたいな感じですねー、先輩」

「……うむ、肯定する」

 

 由希奈が言ったように、背中にゴツゴツした岩塊のようなものが生えている巨大な蛇、としかいいようのない見た目をした臨界獣が、車道を這いずり回って車をなぎ倒していく。

 臨界獣ステルナーガ。桜との共闘は原作にない展開だが、こいつは由希奈ルートで現れる臨界獣なのに違いはなかった。

 見た目は毒々しい巨大な蛇だが、こいつの恐るべきところは別にある。

 

「……消えましたね」

 

 ステルナーガは俺たちの存在に気付いたのか、身動ぎしてなにかを飛ばすと、さっきまで車道を這いずり回っていたのが嘘のようにその姿を消した。

 

「テレポート? いやでも、そんな臨界獣、聞いたことないし……」

「……それは考えにくい。恐らくは、桜。ヤツが披露したのは、其方の持つ能力と同じものではないのか?」

 

 知ってはいるが、あくまでも考察という体で俺は桜へとそう問いかける。

 要するに、ステルナーガの能力で厄介なところは、「姿を消せる」ところにあるのだ。

 あれだけの巨体がただ透明になっただけなら位置の予測も簡単だろうと、そう思っていた時期が俺にもあった。

 

 だが、蓋を開けてみれば、ステルナーガ戦は「マギドラ」でも屈指のイライラポイントだったのだ。

 やつが身動ぎしたことで撒き散らされた透明化した鱗とでもいうべきものからは、魔力による探知の妨害や、巨体を動かすことで発生する周辺被害を聞こえづらくする特殊な音波が共鳴している。

 つまるところどういう話かというと、音を頼りにして敵の位置を割り出そうとするのを妨害された挙げ句、あの音波によるジャミングで、長期戦にもつれ込めば、こっちの平衡感覚も奪われていくというクソゲー展開が待ってるということだ。

 

 当然のようにプレイヤーたちからは不評を買って非難轟々だったものの、開発陣はどこ吹く風で、意地でも難易度をナーフするなんてことはしなかった。

 それどころか煽るように公式ブログで「ステルナーガ攻略法」と題して、モーションを何度もトライアンドエラーで覚えましょう! とかいう趣旨の投稿をしたもんだからそれはもう大炎上だ。

 話を戻すと、ソウルライクというのは後に続くフォロワーが雨後の筍のように現れ、玉石混交となっていく宿命を背負っていて、流行りだからとそんな要素を雑にぶち込まれて生まれてきたのが臨界獣ステルナーガ、覚えゲーを免罪符とした簡悔の化身というわけだった。

 

「その可能性は非常に高いです、しかもあれだけの巨体が這いずる音も聞こえない……ステルスだけじゃなくてジャミングも使えるみたいですね」

「なるほどなるほどー、それでなんであいつはそんな、桜みたいなことができるのさー?」

「わかりません」

「ま、そりゃそうか……でも時間的に考えてそう遠くまでは行ってないはず、ここから仕掛けるよ!」

 

 桜の考察はそのままその通りだ。ステルナーガが彼女に近いというよりは、むしろステルナーガに近い能力を持っているのが結城桜という魔法少女、というわけだろう。

 由希奈は両手に魔法征装である大口径の拳銃を出現させると、ステルナーガが移動した先と思しきところに狙いを定めてトリガーを引き絞った。

 だが、手応えはない。弾が鱗に弾かれたような形跡もない。

 

「どこ行ったんですかあいつ……!」

「……あれだけの巨体が這いずり回っているのに、なにかを潰したり壊したりしたような音も聞こえない、か……」

 

 死に覚えゲーを免罪符としたあのクソボスを、俺も何度コントローラーをぶん投げそうになったか覚えてないほどの試行回数で撃破することには成功していた。

 だが、この世界じゃ死に覚えなんて概念は存在しない。死ねばそれっきりだ。

 一発勝負であのクソ蛇と戦わなきゃならんわけだが、姿が見えないからといって範囲攻撃で焼き払ったりすれば街中が大惨事になることは確定している。

 

 いくらなんでもクソゲーが過ぎる。

 幸いなことといえば、ステルナーガは遠距離への攻撃手段をあまり持っていないところだろうか。

 実質ノーモーションで鱗を飛ばしてくる脅威はあるが、やつの狡猾なところは、それだけじゃない。

 

 段々ジリ貧になっていくことで、焦って接近してきたプレイヤーを不可視の利点を活かして絞め殺す。

 そんな二段構えの戦術こそが、ステルナーガの得意としているものだった。

 しかも、放っておけば街に甚大な被害が出る。少なくともやつにとっての本命は都市を破壊することの方で、魔法少女は二の次なのだろう。

 

 そんなことを考えて、手を出しあぐねている内にビルが一棟、這いずり回るステルナーガによって倒壊する。

 中にいる人間が避難を済ませていることを祈るばかりだが、これで少なくとも今あいつがどこにいるかは見えてきた。

 示し合わせたように由希奈も共に頷き合うと、俺は「雷切」を天に掲げて雷を纏わせる。

 

「それじゃあここから撃ち抜きますか! 『総火放出』!」

「来たれ、雷よ……『雷光破撃』!」

 

 由希奈が空中に出現させた無数の銃から弾がばら撒かれ、俺はただ、威力重視の一点に収束させた雷撃でステルナーガの予測位置を狙い撃つ。

 確かに、ビルを破壊したことによってステルナーガは自らの位置を晒したことになるのだろう。だが、その分街に被害が出たのもまた確かだった。

 そんなことを気にしている場合じゃないといわれればそうかもしれないが、最悪人が死んでるかもしれないんだ、他人事じゃ済ませられない。

 

 手応えはあった。だからこそ、さっさとステルナーガを始末してしまうのが周囲への被害を最小限に抑える最善策なのだろう。

 だが、そこで焦って飛び込んでいけば、予測位置を見誤れば、魔力障壁の上から潰されてペシャンコだ。

 改めてこんな、控えめにいってもクソみたいなエネミーを用意してくれやがった開発陣の悪意には一周回って敬服するね。

 

「今がチャンスなんじゃないですか、先輩」

「確かに攻撃に手応えはあった……だが、正確な位置を割り出せなければ、此方がヤツの思う壺だ」

 

 せめてだ、頭と尻尾がどこにあるかぐらいはわかれば仕掛けようもある。

 今の一撃をもらったことで逃げの構えに入ったことだって考えられる都合、とにかくせめて音が聞こえない限りは手の出しようがない。

 そこら辺がなんとかなればいいんだが、こっちの持ってる手札は精々周りを気にしない範囲攻撃で焼き払うことぐらいだ。街を守る魔法少女が、街を焦土に変えてたら本末転倒もいいところだろう。

 

 かといって、このまま手をこまねいていても、街への被害は加速していく。

 リスクを覚悟で突撃するか、それとも犠牲をコラテラルダメージと割り切って範囲で焼き払うか。

 今の状況は、その二択を突きつけられているに等しい。

 

「……位置が割り出せればいいんですか?」

 

 どうしたものかと頭を抱えていた俺たちに、桜がそう問いかけてくる。

 

「可能であればな」

「……なら、試してみます。さっきからずっと、耳鳴りのような音が聞こえ続けていたので。音が聞こえない絡繰はそこにあるかと」

 

 凄まじい洞察力だな、その通りだよ。

 似たような能力を持っているからかそうでないかは知らんが、桜は見事にステルナーガのギミックを看破してみせる。

 そして、小さく息を吸い込むと、恐らくはあの超音波を相殺するための魔力を放出した。

 

『Syullllll……!?』

「どうやら、成功したようですね」

 

 さっきまでは聞こえなかった鳴き声と、瓦礫を踏み砕く音。

 桜の逆探知によって耳鳴りのようなノイズが取り払われ、それが露わになる。

 鳴き声が聞こえてきた位置から察するに頭はあの辺で、設定資料集で読んだ全長から逆算するに尻尾はあの辺か、おおよその見切りはついた。

 

「感謝するぞ、桜……ここで仕掛ける!」

「ありがとね、桜! そして了解ですよー、先輩! 援護は任せてください!」

 

 あの超音波による感覚の撹乱もまたステルスの一部だったのか、だんだんと完全な透明ではなく、輪郭がちらちらと明滅し始めてきたのも追い風だ。

 あとは、やつが桜の逆探知を破るより早く、巻き付かれるよりも早く、核になっている首を切り落とせば話は済む。

 弾丸の雨霰でステルナーガの退路を塞いだ由希奈が作り出す「道」に従うかのように俺は雷の魔力を自己強化に回して飛翔する。

 

「これで終いだ……!」

 

 手品というのはタネが割れてしまえば呆気ないものだ。

 桜の存在に感謝しつつ、俺は前世で何度もコントローラーをぶん投げてきた恨みを晴らすかのように、「雷切」の一振りでステルナーガの首を斬り落とした。

 じゃあなクソ蛇、二度と出てくるんじゃねえぞ。

 

『Syulll、ll……』

 

 心の中で盛大に吐き出した憎しみが届いてくれたのかそうでないのかはともかくとして、首を刎ねられたことで完全に動きを停止したステルナーガは短い断末魔を上げると、コンクリートの地面に倒れ伏し、塵へと還っていく。

 

「これでおしまい、かな? いやー、桜がいてくれて本当に助かったよ! ありがと!」

「そんな……私はたまたま能力が噛み合っていただけで、戦闘には貢献していません」

「何言ってんのさー、桜がいなかったら私ら、ジリ貧で負けてたよ? だからさ、すっごく感謝してる」

 

 どことなく後ろめたそうにしている桜に頬をすり寄せて、由希奈が感謝を口に出す。

 そうだな、全くもってその通りだ。

 俺たち二人だけだったら、もっと街に被害が行ってただろうし、最悪死んでたかもしれないからな。

 

「此方からも感謝をさせてほしい、桜」

「千早さんまで……」

「おかげで街への被害は最小限で済んだと言ってもいい……其方の尽力あってのことだ」

 

 ──守りたいものを、守れたということではないか。

 ならばそれを誇ればいいとばかりに、俺はまだ遠慮しているような桜にそっと微笑みかける。

 きょとんとした表情を浮かべると、桜は左手を握っては開いてを繰り返す。

 

「……守れた、私が……」

「肯定する。これは其方の戦果だ」

「……ありがとうございます。由希奈……千早さん」

「感謝するのはこっちの方だってー、ね、先輩?」

「その通りだ」

「……そうですか。どう、いたしまして」

 

 今もまだ実感が湧かないのか、どことなく喜びとは遠いような表情を浮かべていた桜は小さく会釈をして踵を返す。

 

「……由希奈、次は、その……貴女の友達を連れてきてくれると、嬉しいです」

「はいはーい、バイトサボらせてでも連れてくるからね!」

「それはどうなんですか……でも、いえ、由希奈らしいですね」

 

 ──それでは、これで。

 手短に言い残した桜は、頬を名前と同じ色に染めながら夜空に溶け込んで消えていく。

 結果ありきだが、今回の件はいい感じに由希奈と桜の絆を深めることに作用したんじゃなかろうか。

 

 夜空に消えたその小さな背中を見送りながら、俺はそんなことを考えていた。




クソゲーあるある、ギミックが無駄に凝っているけどストレスでしかない


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なんにしたって事後処理が一番面倒くさいよね

 ステルナーガを斬り伏せて「間木屋」に戻った俺と由希奈が考えていることは恐らく一緒だった。

 世間的には「ゴースト」で名の通っている謎の魔法少女こと桜と共闘して臨界獣を倒したという事実を、どういう形で公表するか、だ。

 魔法少女が臨界獣を倒せばそれは間違いなくニュースになる。だが、マスコミに圧力をかけている政府としては、「ゴースト」の存在を公にはしたくない。

 

 そんな状況で「ゴースト」と共同作戦で臨界獣を倒してきましたとなれば、政府関係者というか主に大佐が頭を抱えることになるだろう。

 ただでさえ「ゴースト」イコール結城桜という情報を無断で握り潰している状況だというのに、悪いことをしたかもしれん。

 だが、結果論とはいえ桜があの場にいなければ詰んでいた可能性もあるのだ。街が更地になるよりは、遥かにマシだと思いたいところだった。

 

「なるほど……君たちが『ゴースト』こと、結城桜と共同作戦であの臨界獣……ああ、そうだ。ステルナーガと命名された個体を倒したということか」

「肯定する。結城桜がいなければ、此方の被害は甚大なものになっていただろう」

「臨界獣がジャミングかなにかをかけていたから詳細はわからないが、ログはデバイスに残っていると見てもいいだろう。そいつを改竄するとなると……結構な手間だな。どっちがスパイかわかったもんじゃない」

 

 肩を竦めて溜息をつく大佐には心から同情する。

 だが、起きてしまったことは変えられないのだから申し訳ないが、「ゴースト」の秘密を知る者同士で一蓮托生と洒落込もうじゃないか。

 それに、「ゴースト」と私的な接触を持っているにもかかわらず、何度も意図的に捕縛の機会を逃している俺たちは「M.A.G.I.A」からすれば半分どころか八割ぐらい裏切り者だ。

 

 ネズミが紛れ込んでいることを免罪符にしてはいるものの、最悪凍結処分が降りかねないのは、覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 一応俺としては、この件に関して、どっちが正しくてどっちが間違っているかを問うつもりはない。

 不毛な水掛け論にしかならないからだ。裏切り者を紛れ込ませてしまった政府や「M.A.G.I.A」にも落ち度はある。そして、意図的に桜の情報を握り潰してる俺たちは言わずもがな、だ。

 

「マスコミへの圧力はかなり強まるだろうが、君たちと『ゴースト』が共闘していた場面を見ていた市民もいることだろう。メディア関連についてはこっちでなんとかなるからいいとして……人の口には戸が立てられんからな。そこだけに警戒しておいてくれ」

「では、今後も結城桜を『再利用』する方針は変わらないと?」

「その通りだよ、西條千早。ここまで来てしまったら、船を降りる方がよっぽどリスクが高い」

 

 乗り掛かった船だ、荒波に揉まれていようがなんだろうがここで操舵をやめてしまえば荒れ狂う海の中に投げ出されるだけだ。

 だったら最後まで桜をこっちに引き込めるかどうか、その可能性にかけて進んでいくしかないということでもある。

 その責任を取らされる立場である大佐の心労に関しては本当に申し訳ないと言わざるを得ない。いや、紛れもない本心だよ。

 

「あとの処理はこっちでやっておく。一応デバイスのログデータだけ渡してくれ」

「了解した」

「はーい、わっかりましたー!」

 

 ひとまずはなんとかなったことで安心したのか、弾む声で由希奈は大佐の言葉に答えを返す。

 似たような動機を持って魔法少女をやっているから、以上に、一人の友人として、由希奈は桜に入れ込んでいるのだろう。

 ジャンルこそ違うが、ゲーマーとしてのシンパシーもあるだろうしな。

 

 かくいう俺だって、桜のパーソナリティが見えてきてからは、「死なせたくない」と強く思うようになっている。

 ただ、原作に存在していない人物である以上、桜の運命がどう転ぶかについては予測できないし、対策の立てようもない。

 だからこそ、仲間として手元に引き込んでおきたいというか、目の届くところにいてほしいと思っているんだが。

 

「由希奈ちゃんは、随分桜ちゃんにお熱ですねぇ……」

「ん? そっかなー……ま、そうだねー。まゆの言う通りだよ」

「アンタがそんなに入れ込むなんて、よっぽどの美人なのね」

「ちょいちょいちょい、人を面食いみたいに言わないでほしいんですけどー」

 

 まるで顔が良ければ誰にでも手をかける節操なしの女みたいじゃないですか、と由希奈は葉月に抗議するが、正直いって全くもって擁護できん。

 節操なしなところに関しては半分以上当たっているだろうからな、それでも耳が痛い、程度で済ませられてる辺りあいつのメンタルも大概鋼だな。

 まあ正確には顔が良ければ尚よしで、女の子であれば基本的にはウェルカムってところだからな、尚更タチが悪りい。

 

「お友達……由希奈、さんは、その人のこと……その、好き、なんですね……」

 

 隅っこの方で話題を傍観していたこよみが、苦笑しているのかドン引きしているのかよくわからない、困ったような笑顔でそう口にする。

 基本的には気弱ないい子ちゃんなこよみもドン引きするって相当だな。

 まあ、由希奈にはこよみの乳を揉んだ前科があるから残念ながら当然といったところだろうが。

 

「好き、かー……うーん、確かにそうなのかも? 私、桜のこと好きなのかなあ……あ、でもでも心配しないで。私はこよみちゃんも、葉月も、まゆも、千早先輩も全員大好きだからうへへ」

「今すぐに死になさい、なんならここで頭かち割ってやってもいいわよ」

「葉月は冷たいなぁ……イライラしてるとおっぱい育たないぞ、って痛ったぁ!?」

 

 ここまで邪心百パーセントな「好き」を貫き通していると、なんか一周回って由希奈のことを尊敬しそうになってくるな。

 当然の如く、葉月が丸めたというよりは握り固められた雑巾を顔面に食らって、由希奈は悶絶する。

 他人の地雷原でタップダンスしてるからそうなるんだよ。ストレスと第二次性徴は確かに関係してるかもしれんが。

 

「痛たた……世界が私に冷たい」

「これでも手加減した方よ、ったく」

「まあまあ、冗談はともかく、今度桜に会ってみればわかるんじゃないかなー? 不器用だけどいい子だよ、あの子。っていうか皆と引き合わせる約束してるしー」

「はぁ!?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないわよ!」

 

 お得意の事後承諾をここでも発揮した由希奈は、小さく舌を出して愛嬌で誤魔化そうとしていたが、まゆとこよみは苦笑するだけで、葉月に至ってはもう完全にキレている始末だ。

 あれだな、今頃流行りのもう遅いってやつだ。色んな意味で。

 とはいえ、だ。一応桜の人となりを見ておくことにメリットがないわけじゃあない。

 

「これから味方になってくれるかもしれない存在が彼女だ。顔と恩を売る……といえば聞こえは悪いかもしれないが、結城桜と会っておくのもいいと此方は考えている」

 

 だから止めなかったんだがな。

 なんとなくわかってる風な表情をして、主に俺は肩を怒らせて説教モードに入りかけていた葉月を宥めるようにそう言った。

 それっぽい理屈もその通りといえばその通りなんだが、なにより、由希奈が一方的に決めたこととはいえ約束を破るのは心象が悪い。

 

「そうですねぇ……お話を聞くより、どんな人か会ってみて確かめる方が確実だって、まゆもそう思います」

「……わ、わたし、も……その……桜さんには……会って、みたいかな、って……仲良く、してくれるかな……」

 

 俺の意見に追従する形で、まゆとこよみが声を上げる。

 こよみの心配は自分がアルビノだからってのもあるんだろう。だが、桜はそういう外見的な特徴で誰かを差別するような人間じゃない。

 ちょっと愛想が足りないところは気になるが、それでもきっと仲良くしてくれるだろうよ。

 

「ふふふ、ありがとね。まゆ、こよみちゃん! これが民意だよー、葉月」

「なにが民意よ、先輩の一声で決まっただけじゃない……まあ、先輩がそう言うんなら、アタシはそれに従いますけど」

 

 照れ隠しのように視線を逸らして、葉月は言った。

 なんというか、俺──というか、西條千早のことを尊敬してくれていることはありがたいんだが、それこそハチ公みたいな忠犬に見えてこなくもない。

 葉月に尻尾があれば、きっとぶんぶんと横に振り回していたことだろう。

 

「流石は先輩ガチ恋勢」

「……ッ、誰がガチ恋勢よ!」

 

 口元を隠しながら煽るように笑った由希奈の胸ぐらを掴んで、耳まで真っ赤になった葉月がそう言い放つが、実質墓穴掘ってるようなもんなんだよなあ。

 とはいえこれで全員の承諾は得られたわけだ。

 明日は行けなかったカラオケでも行ってみるか。ぎゃーぎゃーと口論を繰り返す葉月と由希奈を横目に、俺は後方腕組み先輩面でそんなことを考えていた。




事後承諾で物事を通すのはやめようね!


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親睦は積極的に深めていけ

 クソ蛇ことステルナーガを始末した翌日も、桜は渋谷駅のハチ公像前に佇んでいた。

 由希奈との約束を、律儀に守り続けているってところだろうか。

 ここまで来ると本当に忠犬の類だな、由希奈の顔を見た時は見えない尻尾が左右に激しく振り回されているのかもしれない。

 

 などと、この前とは違った大所帯で桜と合流することになった輪の中で若干失礼なことを浮かべながら、俺はどことなくそわそわしているような彼女に一瞥を投げる。

 

「お待たせー、桜! 約束通り私の友達、全員連れてきたよー?」

「……連れてきてほしいとは言いましたが、お店の方は大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫、今日休業日だからー」

 

 由希奈は相変わらず陽気な笑みを浮かべながら桜の問いに答えていた。まあ嘘は言ってないな。

 ただし、確かに嘘は言ってないが、本当のことも言ってない。

 そもそも「間木屋」が臨時休業上等なやる気のない店だったりとか、特級魔法少女の秘密基地だったりとか、桜に入れ込みながらもそういうことを一切漏らしていないのは、プロとしての矜持ってやつなんだろう。

 

「貴女が桜ちゃん、ですかぁ? 由希奈ちゃんから話は聞いてますよぉ、まゆは南里まゆ……よろしくお願いしますねぇ」

「そう、ですか……よろしくお願いします」

 

 どことなく眠気を誘う、まゆの独特な喋り方に少しだけ引きずられそうになりながらも、桜は差し伸べられた手を取って、小さく会釈をした。

 初対面からぐいぐい行ってた由希奈が割と陽の者を通り越してコミュ力お化けだっただけで、結構緊張するタイプなのかもしれないな。

 などと、胸を支えるように腕を組みながら俺はそんなことを考える。まあ、桜もまゆとならすぐ打ち解けられるだろう。

 

「……アタシは東雲葉月、その、よろしくね」

「……結城桜です。よろしくお願いします」

「ちょっと葉月ー、愛想足りてないよ、もっと笑って笑って!」

「うっさいわ!」

 

 こういう初対面の場だと意外と緊張するのは葉月も同じだった。

 桜が「ゴースト」であることを知っていて、その活動に対して疑問を抱いている都合、単純にそうとも言い切れないところはあるが、葉月は意外とシャイな女の子だったりするのだ。設定資料集にもそう書いてあったからな。

 それでも来てくれたってことは、由希奈の顔を立てるというか、あいつに対する最低限の義理は果たしたいってとこなんだろう。

 

 常日頃から喧嘩してるが、一度打ち解けた仲間に対する情は厚い方だからな、葉月は。

 そんな漫才じみたやり取りでいい感じに気が抜けたのか、桜たちの間に漂っていた緊張のようなものは、霧散したように思える。

 俺は既に顔合わせしてるし、残るはこよみか。

 

 見ての通り、こよみはあまり人付き合いが得意な方ではない。

 だが、人付き合いそのものが嫌いなわけじゃないのが、彼女の美点というか頑張り屋なところだ。それがまた可愛らしいんだよ。

 それはさておき、今日も真っ白で大きな日傘を差しているこよみはおずおずと前に歩み出ると、桜にぺこりと小さく腰を折って頭を下げた。

 

「ぁ、ぇ……えっと……中原、こよみ……です。皆からは……こよみちゃん、って呼ばれることが多い、です……よ、よろしく、お願いしますっ!」

「ご丁寧にどうも……ええと、こよみ、さん」

「さ、さん、なんて……恐れ多い、です……」

「では……こほん。こよみ。よろしくお願いしますね」

 

 わたわたと慌てる様子がどことなく小動物を思わせるが、そんな愛らしい仕草がツボに入ったのか、桜も緊張を解いて、こよみにふっ、と微笑みかける。

 日傘を左手に持ち替えると、白い萌え袖のチュニックから出ている小さな右手でこよみは桜と握手を交わした。

 うーん、結果論とはいえパーフェクトコミュニケーションだ。気は弱いけど人懐っこいんだな、こよみは。

 

「その日傘……失礼ですけど、こよみは」

「……は、はい……お外に出るのは平気なんですけど、その……いつもの癖っていうか……あんまり、陽射しが……得意じゃない、ので……」

「……失礼しました。あまり込み入った事情に踏み込むつもりはなかったのですが」

「……ぁ、ぇ、えっと……大丈夫、です……この日傘も含めて、『わたし』ですから……!」

「こよみちゃんも言うねぇ……それだけ大きく成長したってことかー、そう、心がね。そして身体もうへへ」

 

 腕を組んで頻りに頷きながら由希奈が呟く。

 いいこと言ってるように聞こえるかもしれないが、主に最後の邪悪な笑いのせいでプラスマイナスゼロどころか差し引きマイナスになっている。

 お前はそれでいいのかと小一時間ほど問い詰めたくなるが、多分それでいいんだろう、と秒速で結論が出た。なんせ由希奈だからな。

 

「最後の欲望のせいで台無しもいいところよ」

「でも、由希奈ちゃんらしいですねぇ」

「でっしょー? 私は清く正しく包み隠さず生きるのがモットーだからねー!」

 

 とか言いつつ、本音をちゃらけた言動や笑顔の仮面、その下に押し込めてるのも由希奈の一面だったりするから油断ならん。

 包み隠さずとか言ってるが、秘密は絶対に他人に明かさないタイプだからな。

 まゆもそういう意味じゃあんまりこいつを甘やかさない方がいいぞ。葉月と違って叱るのが苦手なんだろうが。

 

「それじゃー顔合わせも終わったことだし、カラオケでも行っちゃおっかー?」

「カラオケ……歌に自信はありませんが、由希奈が言うなら」

「だいじょぶだいじょぶー、カラオケは上手く歌えるかどうかより、盛り上がれるかどうかだから!」

 

 桜の言葉に、由希奈は人懐っこい笑みを浮かべながらそう返す。

 陽の者にとってのカラオケってのは確かに盛り上がれるかどうかで上手いかどうかは二の次みたいなところはあるな。俺も前世じゃ合コンかなんかでそんな異空間に巻き込まれたことがあるからよくわかる。

 じゃあ普段どんなカラオケやってきたんだよと言われたら、そりゃもう一人で黙々とスコアアタックするか、あるいは身内で延々と、盛り上がりとか関係なく持ち歌歌い続けるみたいな感じだったよ。

 

 陰の民だと言われたら全くもって否定できねえ。スコアアタックも、いってしまえば完全に自己満足みたいなもんだからな。

 そもそも悲しい現実として、合コンに数合わせで呼ばれた要員の歌はあんま聞いてもらえんというか、義務的に順番を消化するだけの儀式みたいなもんだった。

 なんでそんなことがわかるのかって? そうだよ、俺がその数合わせだったからだよ。

 

 などと前世の苦い記憶を思い起こしながら俺は、挨拶はいらんよなとばかりに桜と会釈を交わして、走り出した由希奈の背中を追いかけていた。




仲良くしようじゃないか


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陽の民による陽のための陽によるカラオケ

 東京の駅前にあるようなカラオケ屋は、田舎と比べればびっくりするぐらい料金が高い。

 それもそうだろう、単純に地価が高いのと、その地価に比例して間借りしてるビルの家賃もまた高いものになっている以上、それをペイできるような料金設定じゃなけりゃ商売が成り立たないからな。

 初めて上京してきた時、夜にカラオケでちょっと時間潰すかと思って三時間ぐらい居座っただけで結構な額が飛んでったもんだから、地方との格差に愕然としたのも前世の思い出だ。いいか悪いかは知らんが。

 

 だが、今世でその料金に関する心配はないといっても過言じゃない。

 なにせ、特級魔法少女は国から結構な額の給料が降りている。その気になれば都内の一等地で、値札に「時価」としか書いてない寿司を食うどころか、店を梯子するのだって夢じゃないレベルだ。

 まあ、俺は庶民根性が抜けきってないせいもあって、そんなことをするような勇気が持てないんだがな。

 

 化粧品とか服とかには大分金かけるようにはなってきたが、それでも会計時には結構な喪失感がある辺り、どこまでいってもプロレタリアートはプロレタリアートだ。

 むしろ大金手にしたからって、途端に豪遊するような人種がこの世に存在していることが信じられない。

 国から家賃が全額補助されてるセーフ・ハウスに暮らしてることすら時折罪悪感を覚えるレベルだぞ。まあその代償として二十四時間三百六十五日実質休みなしな労働環境に置かれてるわけだが。

 

 そんな益体もない話はともかくとして、平日の昼間という時間帯や渋谷駅近くという場所の都合もあって、カラオケ屋を見つけるのにはそう時間もかからなかった。

 由希奈に先導される形で桜が手を引かれ、自動ドアに吸い込まれていく。

 そして、桜と打ち解けていたこよみが三番手として日傘を閉じてくるくると畳む。その様子を葉月はどこか剣呑な雰囲気で見つめていた。

 

「葉月、どうかしたのか?」

「あ、先輩……秘密兵器、じゃなくて、こよみって、意外と打ち解けるの早いんだなって、ちょっと思っただけです」

 

 自分はまだ桜とぎくしゃくしているのに、というのが本音だろうか。

 こよみのことをお台場の一件で見直したとはいえ、まだ問題の根っこまでは解決してないらしい。

 ただまあ、本当であれば葉月の考え方は間違っていないというか、主に俺たちの方が異常と言われればそれまでの話だ。実質的に「M.A.G.I.A」にとっての敵である桜と仲良くしてるんだから、本部に漏れたらどうなるかわかったもんじゃない。

 

「ふむ……葉月。其方も間違ってはいないと此方は考えている」

「間違ってない、ですか?」

「桜のことを警戒する気持ちはわかる。そういう意味で其方は一番魔法少女らしい。だから、気に病むこともあるまい。それに」

「それに……?」

「こよみが前を向けたのは、案外其方と打ち解けられたからだったりするのではないか?」

 

 ずっとぎくしゃくしていた関係がすっきり改善した、って訳じゃないだろうが、無駄飯食らい呼ばわりしてた頃と比べれば随分と仲良くなったのは確かなことだ。

 それがこよみにとっては、一つの自信に繋がっているのかもしれない。

 ただそれは、こよみだけが頑張ったからそうなっているわけじゃなく、葉月もまた歩み寄る努力をしたことによる相互作用みたいなものだろう。

 

 だから、そんなに卑下するもんじゃない。

 むしろ、お互いいい方向に変わってるんだからウィンウィンの関係ってやつだ。

 それが伝わったかどうかはともかくとして、そんな生真面目すぎる葉月の姿勢に苦笑しながら、俺は偽らざる本音を口に出していた。

 

「アタシが……」

「其方もまた変わっている。変わろうとしている。今はそれで良いのではないか」

「……そう、ですね。アタシ、なんだか気負いすぎてたのかも。ありがとうございます、先輩」

「なに、此方は大したことはしていない。それに、そろそろ由希奈を待たせるのもなんだろう」

「はい!」

 

 沈んでいた表情が一転、葉月の顔に少し照れたような微笑みの花が咲く。

 気が強いようで結構繊細なところがあるってところは、正反対に見えてこよみと似たもの同士だな。

 ただ、こよみはこよみで気が弱いようで図太いところがあるから、そういう意味では対照的だったりするんだが──などとぼんやり考えながら、俺は由希奈がそろそろ痺れを切らしているだろうから受付まで駆け足で急ぐ。

 

「先輩、葉月、遅いですよー! 時間はフリータイムでいいですよねー?」

「アタシは別に構わないけど、割り勘でしょ?」

「んー、割り勘でもいいけどー、桜との親睦会ってことでここは由希奈さんの全額奢りでもやぶさかじゃないかなー!」

「じゃあフリータイムね。それとサイドメニューは遠慮なく頼んでいいから……桜」

「それだと、由希奈の懐を痛めることになるのでは……ええと、葉月」

「別にいいのよ、アイツが好きでやってることなんだから。全力で乗っかってあげなさい」

 

 今日の主役はアンタなんだから、と桜の肩にぽん、と小さく手を置いて、葉月はいつもの調子を取り戻した勝気な笑みを浮かべる。

 フリータイムでフードメニューも遠慮なく頼むとなると結構な額が飛びそうなもんだが、そこは特級魔法少女、由希奈が普段なにに金かけてるかは知らんが、貯えに関しては心配ご無用といったところだろう。

 むむむ、と、それでもどこか釈然としない唸り声を上げてる辺り、桜も大概生真面目だな。

 

「では、此方も御相伴にあずかるとしよう。それで構わないな、由希奈?」

「もっちろんですよ先輩ー、そんなわけでお腹減ったらじゃんじゃん頼んじゃってね、桜」

「はい……でも、由希奈」

「葉月も言ってたでしょ? 本日の主役は桜なんだから全力で、なんなら物理的にも由希奈さんに甘えてくれていいのだよー」

 

 胸を借りるのは好きだけど私は貸すのも好きなんだぜー、と、冗談めかして由希奈は笑うが、半分ぐらいは冗談じゃない気がした。

 奢る代わりに乳を揉ませろだの太もも触らせてだの言わない辺りは弁えてるんだろうが。

 しかし乳を揉むのも揉まれるのも好きだとか業が深いやつだな。聞いてるこっちもいっそ清々しい気分にさえなってくるぞ。

 

「では……改めてよろしくお願いします、由希奈。皆さん」

「ふふ、まゆも桜ちゃんと仲良くなりたいですからぁ……よろしくお願いしますねぇ」

「よろしく、桜」

「……ぁ、ぇ、えっと……よろしく、ですっ……!」

「うむ、此方こそよろしく頼む」

 

 声を揃えて、俺たちは改めて親睦を深めるべく、挨拶を交わしていた。

 多分だが、桜は育ちがいいんだろうな。少しばかり堅苦しさを感じるところはあるが、こういうやり取りをできるって折り目正しさはその証だろう。

 その間に由希奈が店員にフリータイムで機種は問わない旨を伝えて、受付を完了させる。

 

 指定された部屋はVIPルームだったが、まあ大した痛手にはならんはずだ。

 むしろ、遠慮なくどんちゃん騒ぎができるとばかりに由希奈はフロントにタンバリンやらなにやらのレンタルサービスを申し出ていた。

 うーん、陽の者だな。合コンの時を除けば、タンバリンとか借りたことないわ。

 

 店員からレンタルしたものを受け取って、俺たちは他愛もない言葉を交わしながらエレベーターに揺られていた。

 生憎、前世じゃ数合わせのはみ出し者だったが、今世ではせっかく先輩ポジションに収まってるんだ。

 踊る阿呆に見る阿呆が云々ともいうからな、俺もこの馬鹿騒ぎを全力で楽しむとしようじゃないか。




支払いは任せろー(ブラックカード)


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ガチ恋口上を読み上げるのはやめろ

「いけいけゴーゴーこよみちゃーん!」

 

 サビをいわゆる萌え声で歌っていたこよみにタンバリンを叩きながら由希奈が曲の隙間に厄介コールを送る。

 前世でも今世でもカラオケのラインナップに見たところ大きな違いはなかった。強いて挙げれば、当たり前だが「マギドラ」の主題歌とエンディングテーマ、挿入歌は存在しないことになってたがな。

 それでも前世と変わらず、この世界でも日曜日の朝、主に女児向けとは思えないほどガチな肉弾戦で敵をお家に帰していくアニメはやっていたらしい。

 

 今こよみが歌ってたのはその初代に当たる主題歌だった。

 しかしまあ、一時間も経たないうちにテンションが大分おかしなことになってきてるんだから陽の民、というか由希奈の盛り上げ力は凄まじいな。

 ただ、笑顔で注文したピザを切り分けているまゆはどういうテンションなのかよくわからない。まあでもピザカッター使うの楽しいよな、わかる。

 

「まゆ、其方も楽しんでいるのか?」

「楽しんでますよぉ、こういうところに来るのは初めてですけど、思ってたよりずっと、楽しいんですねぇ」

 

 さいですかぁ。

 試しに問いかけてみたら、なんというかまあそうだよな、さもありなんといった風情の答えが返ってくる。

 鍋奉行的なことに勤しんでるのが楽しいと思うのは本人の気質だから人それぞれってやつだとして、まゆが抱えている背景を考えると結構重いんだよな、今の言葉は。

 

 それなら今だけでも日頃のストレスから解放されて楽しんでほしいもんだ。

 幸い由希奈が全員最低でも一曲は歌うようにとローテーション組んでくれたからな。思いっきり歌って我を忘れるのもたまにはいいもんだぞ。

 いかにも陽の民で場慣れしている由希奈は当たり前だが、思ったよりノってきてクラップを送っている葉月もまあいいだろう。

 

 問題は本日の主役である桜が、まだ緊張が解け切ってないのか、どことなく困った様子でまゆが切り分けてくれたピザを食べているところだろうか。

 そういう柄でもないんだが、フォローでも入れておくかね。

 元々彼女をこっち側に引き込むための作戦……というと堅苦しく聞こえるが、由希奈の願いが「桜と友達になりたい」ということなら、それに協力するのは西條千早としても、俺としてもやぶさかではない。

 

「緊張しているのか?」

「……はい。ゲームセンターには何度か行ったことありますけど、カラオケはそんなに……それもこれだけの大人数での経験はありませんので」

 

 ピザを食べていた手をウェットティッシュで拭きながら、桜はこくりと小さく頷く。

 言っちゃ失礼なんだろうが、そういう気はしていた。桜はどっちかというと委員長気質だからな。

 そういうタイプは誘われづらいというか、誘われても置物になりがちだ。なんでわかるかについては察してくれ……そうだよ、俺が似たようなタイプだったからだよ。

 

「此方もあまりそういった経験はないが……どうせなら普段から溜め込んでいる気持ちを歌に乗せるのも悪くあるまい。ここはそういう場だ」

「……そう、ですね。歌はあまり得意な方ではないですが」

「はいはい、なにお堅い感じになっちゃってるんですか先輩、桜! 次、桜の番だからね!」

 

 こよみが一曲歌い終えたことで、即席のくじで決めたローテーションは桜に回ってきたようだ。

 しかし後奏もカットしないカラオケってのも久しぶりだな。前世じゃ身内で回すときは大体切ってた気がする。

 こよみも技術的に上手いとは言えないが、とにかく歌声が可愛らしい。それもまた一つの武器ってやつだろう。

 

 それに、テンションの上がる歌を歌っていたおかげか、本人もどことなく満足げだ。

 

「……ぇ、えっと、これ、どうぞ……!」

「……どうも」

 

 終わってみると結構恥ずかしいのか、それとも歌に気合を入れすぎたのか、顔を真っ赤に火照らせて、こよみが桜にマイクを手渡す。

 そしてマイクを受け取った本人は、なにを歌えばいいのかとばかりにリモコンの画面から曲名を探そうとして、小首を傾げていた。

 あるある。多人数で行くとなると、前に歌ったやつの雰囲気からバトンタッチされたような気がして結構悩むんだよな。

 

「それじゃあ、これで」

「本日の主役の一曲入りまーす! それじゃ盛り上がっていきましょー!」

「アンタそのテンションでよく疲れないわよね……」

 

 奢りということで遠慮なく注文したチョコレートパフェを突きながら、葉月がタンバリンをマラカスに持ち替えた由希奈へ呆れたような口調で言った。

 だが、こういうのが当たり前にできるから陽の民は陽の民なんだよ。

 やつらは文字通り心の中に燃える太陽のような正のエネルギーを飼ってやがる。いやまあ奢りだからって遠慮なくチョコパフェ頼んでる葉月も葉月だとは思うが。

 

 短めの前奏に合わせて桜が小さく息を吸い込む。

 おお、これは前世でも聞いたことあるな。確か、美少女がガンアクションするアニメの主題歌だったかな。

 それで今世じゃ美少女になってガンアクションもする側に回ってるのは皮肉かなんかだろうか。笑えないジョークだ。

 

 

 しかし、アニソン意外と多いな?

 深夜アニメを見るなんてのはアングラな趣味だとばかり思っていたが、どうやら最近はそうでもなくなってるらしい。

 透き通るような美声で、高らかに桜は気持ちを乗せてサビを歌い上げる。

 

「いけいけ桜ー! ゴーゴー桜ー! 私はやっぱり君も好きー!」

「ガチ恋口上してんじゃないわよ」

 

 ふっふー、とノリノリで寸前を通り越して厄介なコールを送り始めた由希奈に対して桜のレスポンスは冷たかった。

 なんですかそれ、と、ばかりにじとっとした視線を向けたまではよかったのかもしれない。

 だが、由希奈は由希奈だぞ。お前が想像しているタイプの人間だぞ。

 

「あーいいよいいよ、そんな感じでもっとじとっと見てー! うへへ」

「……由希奈のことがわからなくなってきました」

「失礼な、私ほど表裏のない女はそういないよー?」

 

 嘘を言うな。

 確かに欲望に正直って意味じゃ合ってるのかもしれんが、それはそれでどうなんだ。

 いやまあ本人が楽しいならそれに越したことはないんだろうな。考えるのはやめよう、ここは元々そういう場だ。

 

 間奏が終わって再び歌に戻った桜に、マラカスを振りながら笑顔も振りまいている由希奈と、マイクの代わりに渡されたタンバリンを困ったように叩いているこよみを一瞥して苦笑する。

 陽の民だって悩みの一つや二つあるんだろうが、そういうのを吹き飛ばすためのカラオケなのだ。

 深く考えちゃいけない。場の流れに身を任せて同化するんだ、パリピの激流に逆らおうとするんじゃない、ただ乗り切っていけ。

 

 俺も桜の歌を聴きながら、まゆが切り分けてくれたピザを一切れいただく。

 うーん、実にジャンクで文明的な味がする。これ何切れか食ってたらしばらくオートミールに拒絶反応出てきそうだ。

 美味しいものは脂質と炭水化物と糖分でできているとはよくいったものだと感心する。帰ったら、負荷高めに筋トレやらんとな。

 

 そんなことを考えている間に、桜がラスサビまで歌い切ったことで順番が一巡した。

 普通なら二回目ってことでそのままローテーションが移行するんだろうが、生憎今回の主催者は由希奈だ。

 またなにかろくでもないことを考えてるんだろうな、という確信じみた予感を胸に、俺は一人爛々と目を光らせている由希奈を見遣っていた。




コール、レスポンス、タンバリンなどは場の雰囲気を守って適切に使いましょう


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闇の王様ゲーム

「そういえば由希奈、採点はしないのですか?」

「おっ、いいこと訊いてくれたね桜ー? ふふふ、全員一巡したし、ここから始めましょー、闇のゲームってやつを……!」

 

 全員の順番が一巡したところで、桜が由希奈へとそう問いかけた。

 なんでデスゲームの主催者みたいなテンションなのかはともかく、子供が悪戯を企むときのような笑みを口元に浮かべながら、由希奈は採点機能の予約を入れる。

 闇のゲームとやらがなんなのかは知らんが、由希奈が考えてる辺りろくでもないことには違いないのだろう。

 

「名づけて点数式王様ゲーム! 一番点数高かった人が王様でー、全員にシャッフルした番号配るんで命令しちゃってくださいねー!」

 

 汚れてない紙ナプキンを細かく千切って、ボールペンで番号を記入した由希奈はそれを外から見えないように丸めると、好きなものを引け、とばかりに胸を張る。

 なるほどな、点数で王様ゲームの王様を決めるのは中々面白い。

 こういう時に恥も外聞も捨てて童謡やらなにやら、簡単なジャンルで高得点を叩き出しに行くか、あくまで自分が歌いたいものを貫くかで性格分かれるんだよな。

 

「ちなみに私は遠慮なく点取りに行くつもりなんでー、うへへ、なに命令しよっかなー」

「アンタ本当欲望に正直よね……」

「由希奈さんは包み隠さない女なんだよ、葉月! そんなわけで一番、北見由希奈! この曲で行きますよー!」

 

 とか考えてたらこの女、本当に恥も外聞もなく童謡で攻めてきやがったぞ。どんだけ王様やりたいんだ。

 いや、なんとなく嫌な予感というか確信はあったんだ、注文されていたはいいものの、他のメニューに皆目を向けてるせいで口をつけられていないポッキーが存在してる時点で。

 それを由希奈が悪用しないだろうか、否、しないはずがない。ポッキーゲームさせる気満々で注文しやがったなこいつ。

 

「わーわーぱちぱちぃ」

 

 王様ゲームの趣旨をわかっていないのか、それとも全てを理解した上でこの闇のゲームに乗っかってきているのか、まゆが拍手と共にタンバリンを叩きながら、童謡を熱唱する由希奈を盛り立てる。

 大方前者なんだろうが、後者だとしたら剛の者が過ぎるぞ、まゆ。

 だが、前者だとしたら守護らねばならない。問題があるとすれば、全員の番号を把握してないことだから、できることといえば俺が王様になって当たり障りのない命令をすることだけだが。

 

「点数は……95点! ふふふ、これを超えられるかなー?」

「どんだけアンタ王様やりたいのよ……次はアタシね」

 

 もうすっかり諦めた様子で、葉月が溜息交じりに由希奈からマイクを受け取る。

 とはいえ負けず嫌いな葉月のことだ、黙って引き下がってやるのも癪だと考えているのだろう。

 童謡という安定を取った由希奈に対抗するかのように、電子音声を使って作られた曲を予約すると、それならではの早口なところも噛まずに歌い切ってみせた。

 

「ふっふー! いいよいいよ葉月ー!」

「……ぁ、ぇ、が、頑張って、ください……っ!」

「当然よ、王様の椅子には興味ないけど……先輩が見てる前で負けるのは癪なんだから!」

 

 間奏中にマラカスを振りながら煽り立てる由希奈と、タンバリンを鳴らしながら控えめにエールを送っていたこよみに向けて宣言すると、葉月はラスサビを高らかに歌い切る。

 ハスキーな、とは違うんだろうが、いい感じにしゃがれた感じの歌声は流石のもので、やろうと思えば大会にも出られそうなもんだった。

 まあ、俺たちは公的には死人だしそもそもそんな番組に出ようとしたってお上からの許可が下りないんだろうけどな。

 

 そんな冗談はともかくとして、葉月が妥協せずに歌い切った曲の点数を、機械がポップなメロディと共に判定する。

 その数値は94。由希奈に僅か1点の僅差で負けた形になるが、それでも歌った楽曲の難易度を考えれば大健闘どころか、実質的には勝利といっても差し支えないだろう。

 だが、闇のゲームとやらは無慈悲だ。あくまでも難易度は問わず、得点の多さが王様の椅子に座る権利を決めるのだから、この時点で葉月は脱落だ。

 

「っ……! あーもう、悔しいわね!」

「ふふふ……確かに葉月のテクは流石だった、でも選曲が悪かったねー!」

「童謡歌ってるアンタに言われたくないわ!」

「ふははは、この闇のゲームは点数の多さこそが正義! 上手いとか下手とかは二の次三の次なんですよー」

「わかっててもムカつくわね本当! 先輩、あとは頼みました……!」

「う、うむ……」

 

 葉月は眦にじわりと涙を滲ませながらそう言った。

 悔しい気持ちはわかる、わかるんだが、そんな真剣な感じで俺にバトンを繋がれてもその、なんだ。困る。

 西條千早は美声の持ち主だから、上手い下手とかじゃなく、聴いてて苦にならない歌にはなるが、それを上手く使えるかどうかはあくまで俺次第だ。そして俺はいいとこ85点ぐらいが限界なんだよなあ。

 

 ここはプライドを捨ててでも葉月の仇を取りに行くか、それとも最初から諦めてなんかいい感じの曲でお茶を濁すか。

 なんか真剣にバトンを託されたせいで地味に重たい二択だが、答えは最初から決まっている。

 

「では由希奈、此方は其方に挑戦状を叩きつけることにしよう」

「おっ、被せてきましたかー、それなら受けて立ちますよー、先輩」

 

 諦めるというチョイスは、最初から俺にはないのだ。

 それに、どうせ全力で馬鹿やってるんだから踊る阿呆に見る阿呆ってやつだ。乗っからない方が損ってもんだろう。

 それに俺が倒れても、まゆとこよみと桜がきっとどうにかしてくれるさ。きっと由希奈の邪な野望を打ち砕いてくれるだろう。

 

 そんな具合に後続へ希望を託し、恥も外聞も捨てて歌い上げた童謡だったが、肝心の点数は93点と微妙な数字だった。

 うーむ、いかに西條千早が美声だとしても俺の歌い方があまりにもフラットだから持て余してる感すごいなこれ。

 そして童謡で負けたって時点で敗北感が半端じゃねえ。

 

「仇討ちならずでしたねー」

「そのようだ、すまないな、葉月」

「そんな……まゆ、こよみ、桜! まだ希望は残ってるんだから! 絶対にコイツの野望を阻止してよね!」

「うへへ、目の前に美少女ある限り私は滅びんさー!」

 

 なんか知らんがスケールが段々壮大になってきたな。

 大魔王の城で無念の戦死を遂げた勇者の父親の如く、欲望の化身となって暫定一位の由希奈を引き摺り下ろすことに葉月は希望を託す。

 いやこのモードに入った由希奈と比較された大魔王に訴訟されかねん例えだが。こんなアホな最終決戦があってたまるか。

 

「頑張りますけど、そんなに期待はしないでくださいねぇ……?」

 

 苦笑しながら、まゆが立ち上がる。

 選択したのはド演歌だ。

 可愛いものとかふわふわしたものが好きそうな見た目してるのに趣味が意外と渋いんだよな、まゆは。

 

 ちゃんとこぶしも効かせて、本格的に歌い上げてはいたものの、萌え声で聴くド演歌ってなんか脳がバグりそうになるな。

 と、大分失礼な感想を抱いているうちに歌の方も完走し切ったようで、機械が弾き出したまゆの歌に対する点数は、94点とこれまた一歩及ばずといった風情だった。

 妖怪いちたりないは今日も元気に暴れ回っているようだが、残るはいよいよこよみと桜だけだ。

 

 このゲームの行く末は二人にかかっている。由希奈が邪な野望を通してしまうのか、それとも二人の内どっちかが阻止してくれるのか。

 どことなく緊張した雰囲気が漂ってくる。

 いや、どっちが勝ってもどの道なにかしら命令は出さなきゃいけないんだけどな。

 

「……ぁ、ぇ……じゃ、じゃあ、わたし……」

「そんなに緊張しなくてもいい、いつも通りに歌うのが一番だ、こよみ」

「……あ、ありがとうございます……千早、先輩……そ、それじゃあ、行きますっ……!」

 

 こよみが予約したのは日曜の朝にやってる変身ヒロインシリーズ第三期のオープニングテーマだった。

 ただ、やっぱりというかなんというか相当プレッシャーがかかってたみたいで、若干調子がブレてるところがあったな。

 サビでもないところで力んだりとか、まあよくある些細なミスだ。しかし機械は残酷なことに人間のメンタルまで考慮してくれない。

 

「あぅ……91点……」

「……緊張させちゃったかしらね、でも90点台叩き出せてるんだから上々よ」

「……ぁ、ぇ……あ、ありがとう、ございます……」

 

 無念な結果に終わったが、それにしては随分と高い点数だ。

 葉月がフォローを入れた通り、別段落ち込むようなことじゃない。

 そしてこのゲーム、最初に高得点叩き出したやつがいると、あとに来れば来るほどプレッシャーも高まっていく仕様だからな。

 

「ふっふっふ……残るは桜、キミだけだねー、大人しくこの私に王様の椅子を譲り渡すのだー!」

「……そう言われると、意地でも渡したくなくなってきました」

 

 ローテーションの都合で大トリを務めることになった桜が、マイクを握り締めながら毅然と由希奈を見据えて言い放つ。

 桜も案外逆境に置かれると燃えるタイプなのか。

 この場合ライバルに当たる由希奈がろくでもないこと考えてそうだってのもあるんだろうけどな。

 

 意気揚々と……なのかどうかはわからんが、とにかく静かに闘志を滾らせて桜が選曲したのは、有名なJ-POPだった。

 童謡で被せるのは俺がやったから、やりづらい空気を出してしまったのは悪手だったかもしれん。

 だが、最後の希望は桜に託された。後戻りできないのならば、俺たちにできることなんてお祈りぐらいだ。

 

 しかし、桜の歌声は聴いててちゃんと聴きやすいというか、抑揚がしっかりしてて平坦じゃない。

 これはもしかしたらもしかするんじゃないか、と思わせるだけのポテンシャルがある。

 頼むぞ桜、由希奈の野望を打ち砕いてくれ。打ち砕いたところで自分がその椅子に収まるだけだってのはさておくとしても。

 

「点数は……95点ですか、同点の場合どうなるんですか?」

「んー、考えてなかったしじゃんけんでもするー?」

「……それが公平ですね」

 

 そこはデスマッチとかじゃないのか。

 まあフリータイムとはいえ時間取られるからな、回転数を優先するんだったら妥当な判断かもしれない。

 奇しくも由希奈と同点に収まった桜が、負けず嫌いの炎を瞳に灯して拳を構える。

 

『最初はグー、じゃんけんぽん!』

 

 声を揃えて出した手は、由希奈がグーで桜がチョキだった。

 初手にチョキを出すと負ける確率が高いとかなんとかそんな話が本当だったかどうかはともかくとして、これでいよいよ由希奈の野望を阻止する相手はいなくなったわけだ。

 悔しそうに項垂れる桜だが、まあ由希奈もそこまでろくなこと考えてないわけじゃないだろう、多分。多分だが。

 

「うへへ……それじゃあ王様が命令しまーす! 王様と……二番の人はポッキーゲームをしまーす!」

 

 前言撤回、ろくでもないことしか考えてなかった。

 二番、二番か。俺の手元にあった紙は何番だったかと確認してみれば、六番だった。

 セーフ、ってわけじゃないんだろうがまあなんというかポッキーゲームする羽目にはならなかったな。

 

「二番……私ですね。ポッキーゲームとは?」

「んっとねー、こうやってポッキーの両端を咥えて食べ進んで、先に折った方の負けってゲームだよー」

 

 どうやら今回の被害担当艦は桜だったらしい。なんというか本日の主役だってのに色々と不憫だな。

 折らずに終わったら当然キスが待ってるわけだが、それを説明しない辺り、そして悪戯っぽい笑顔を浮かべてる辺り由希奈も故意犯だ。

 ご愁傷様、と言わんばかりに葉月は肩を竦め、あらあら、とばかりにまゆが苦笑して、顔を真っ赤にして両手で覆ったこよみが指の隙間から、桜と由希奈がポッキーの両端を口に咥えたのを見届ける。

 

「それじゃ、スタート!」

「んっ……」

「むぐむぐ……」

 

 俺はもうなんか、悟りの境地で腕組んで見守ってることしかできなかったよ。

 サクサクとポッキーを食べ進めていく二人の唇が触れ合うのは、時間の問題だろうか。

 陽の民なら、ここでキッスコールで盛り上がるんだろうな。つーかやってたしな、前世の合コンで。

 

 あわや本当にキスをしてしまうのかと、全員の緊張が高まったその瞬間だった。

 ぺきり、と、無慈悲にポッキーが折れる。

 果たしてそれが幸せな結末だったのかそうでないのかはわからんが、由希奈と桜が唇を触れ合わせることなく、ゲームは終わってしまった。

 

「ちぇー、惜しいとこまで行ってたんだけどなー」

「次は食べ切ってみせます」

「ほうほう……いいよいいよー、そんな感じに盛り上がっていこっか、第二ラウンドー!」

 

 由希奈の宣言をわーわーぱちぱちぃ、とまゆが囃し立てるが、正直今のだけでも大分お腹いっぱいだ。

 こよみに至っては茹で蛸みたいになってるし本当に大丈夫なんだろうか。

 しかし決まった以上は続いていくのが流れというやつなので、俺もまた逆らうことをやめて、その激流に身を任せることを決めた。

 

 ──もう、どうにでもなれ。

 頭に浮かんだのは、ただその一言だった。




※王様ゲームをする時は、節度を守って楽しく遊びましょう


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箸が転んでも笑うお年頃

 どうにでもなれとはいったが、本格的に頭のネジが外れたようなテンションのパーティーになるとは思わなかった。

 ストッパー役の葉月と外付け良心回路なこよみがいなければ、この闇の王様ゲームとやらでなにをやらされていたかわかったもんじゃない。

 その葉月も疲労困憊といった具合でソファーに背を預けて燃え尽きかけてるし、俺も王様の命令で私服の第三ボタンまでを外す羽目になっていた。

 

 これが陽の民によるカラオケの洗礼ってやつなのか。いや、ただ単に由希奈が暴走しているだけだと信じたいもんだが。

 またもや王様の命令で髪の毛をツインテールに括ったこよみに由希奈が全力で抱きついて、胸に顔を埋めているのを引き剥がそうともしない辺り、もう葉月は限界らしい。

 むしろこの混沌を楽しんでる節さえあるまゆと、よくわかってはいないんだろうが、どっちかといえば楽しんでる方に分類されるであろう桜は何者なんだ。

 

 肝が太いってレベルじゃねえぞ。

 天然入ってる気がある桜はともかく、まゆがこういう状況で悪ノリするタイプなのは意外だったな。

 なんて、冷静に分析してる場合じゃないか。

 

「いやー、やっぱ多人数でカラオケ来たときの楽しみといったらこれだよねー! いえーい、桜も楽しんでるー?」

「正直困惑していますが……はい、楽しいです」

「なら重畳重畳ー! ほらほら、先輩も葉月も倒れてないで次のラウンド行きますよー!」

 

 まだ終わってねえのかよ。

 あっはははは、と高らかに笑い声を上げながらマイクに向けて叫んでいる由希奈を一瞥した俺は、溜息をつく気力も尽き果てている。

 一瞬目があった葉月に至ってはもうなんか可哀想になってくるレベルで茫洋と天井を見上げている。そうだよな、このメンツだとツッコミ役がお前しかいないもんな。

 

「此方は少々疲れてきたが、まだ続けるのか……?」

「なに言ってんですか先輩、桜と皆で打ち解ける会なんですから夜までコースですよー?」

「ふむ……ならば趣向を変えてみてはどうだ? 流石に同じゲームを何周もするのは葉月たちも疲れるだろう」

 

 夜までコースとか宣ってくれたのは仕方ないとしても、このまま延々と闇の王様ゲームを続けるのもなんというかマンネリだ。

 それに、エスカレートしすぎて命令が過激になってくのも考えものだしな。

 俺が王様になった時は、小さな秘密を暴露するだとか無難なものをチョイスするようにしてたが、第三ボタン通り越して上着を脱がされたりしたら堪ったもんじゃない。

 

「それもそうですねー、じゃあ一旦休憩ってとこで、好きなもの頼んじゃっていいですよー?」

「助かる……」

 

 次のゲームがなんなのかはともかく、疲労困憊な状態ではテンションを維持できん。

 この状態でもガンガン盛り上がっていけるのが由希奈のような陽の民なんだろうが、転生してもこのノリにはついていけそうもなかった。

 まあ見た目変わっただけで中身まで変わったとか、そんなことはないからな。いや、ないよな?

 

 自分が自分なのか若干あやふやになりながらも、俺は即座に考えることをやめて、フードメニューの隅っこに載っていた焼きおにぎりを注文することにした。

 なんというかパフェやフライドポテトといった花形と比べて肩身が狭そうにしているメニューだが、俺は好きだぞ、焼きおにぎり。

 味噌ベースじゃなくて醤油ベースなのもポイントが高い。手作りじゃなくて業務用の冷凍品なんだろうが、そこは深く考えたら負けだ。

 

 それに、冷凍品でも美味いものは美味いからな。

 手作りこそ全てみたいな先入観を持つのはよろしくないというか、非常に勿体ない。

 それこそ、日進月歩の企業努力で日々改善と改良を繰り返してるのが冷凍食品やらコンビニ飯なんだからな。

 

「千早さんは好きなんですか、焼きおにぎり」

「そうだな……肯定する。カラオケのフードメニューでは一番好んでいるかもしれない」

「……変わってますね、私もですけど」

 

 ふと、そんなことを問いかけてきた桜は小さく笑うと、俺と同じく焼きおにぎりを、フロントとの連絡役を買って出てくれている由希奈に注文する。

 

「其方も好きなのか?」

「ええ、まあ……和食が好きなので」

「なるほど。気持ちは此方もよくわかる」

 

 カラオケ屋のフードメニューって大体洋食寄りというか、よくいえば万人受けするような、悪くいえばジャンキーなものが多いんだよな。

 単純に米が食いたいだけともいうが、チャーハンはなんか違う。あれは米というか、チャーハンというカテゴリの食い物だ。

 だから、米好きとしては焼きおにぎりを頼む必要があるのだ。しかし、桜が同好の士だったとは思わなかったが。

 

「そう緊張せずともいい。我々の目的は其方と親睦を深めること……それだけだ」

「……わかっています、ですが、私は生まれつきこうなので」

 

 なんとなくそんな気はしてたがな。

 生真面目を絵に描いたような桜は、どことなく俺たちと打ち解けることを遠慮しているというか、躊躇っているところがある。

 その壁を壊せさえすれば、こっちの戦力として引き込む作戦も大分現実的なんだが。

 

「はいはいお二人さん、そんなに硬い会話しないのー! もっとフランクに行きましょうよ、フランクにー」

「ですから、私は生まれつきこうだと……」

「だったらー、今生まれ変わればいいじゃん?」

「……無茶言わないでください」

「あっはははは、それもそう!」

 

 箸が転んでも笑うお年頃とはいうが、由希奈を見てるとその言葉も案外間違っちゃいないんだな、と思う。

 そして、呆れたような表情を見せながらも、由希奈と会話している間は口元が微妙に綻んでいる辺り、桜もあいつに対してだけは心を許しているのかもしれない。

 俺たちは、俺は、「ゴースト」こと桜のことをなにも知らないに等しいが、もしも希望があるとしたら、その一点なのだろう。

 

 それならこの乱痴気騒ぎにも意味がある、と思いたいところだった。

 髪の毛をツインテールに結わえたままのこよみ、楚々とした笑みを絶やすことなくこの騒ぎを見守っていたまゆ、そしてソファーと半ば同化していた葉月も注文を決めたところで、由希奈がフロントにそれを伝える。

 しかし、遠慮なく金を落としてくれるって意味じゃ俺たちは上客なんだろうが、この有様を見てるとなんとなく申し訳なくなってくるな。

 

「アンタたち本当に元気よね……」

「葉月が体力ないだけじゃないのー?」

「人に散々ツッコミ入れさせといてそれ言うとかいい度胸ね」

「ジョークジョーク、冗談だってばあ痛っ」

「叩くわよ」

 

 ぺしん、とやる気のない音を立てて由希奈の頭に葉月の平手が打ち下ろされる。

 叩いてから言わないでほしいなー、と頭を摩る由希奈だが、反省の色はそこに一ミリたりとも存在していない。

 いつものやり取りだな、と肩を竦めながら横に目を向ければ、視界に、微かな笑い声を堪えながらも苦笑が隠し切れていない桜の姿が飛び込んでくる。

 

「……楽しいか、桜?」

「ふふっ……ええ、まあ。楽しんでいます」

「ならば重畳……全く、由希奈には困らせられたものだな」

「全くです」

 

 ついに小さく噴き出しながら、桜は俺の問いかけにそう答えた。

 生まれつきどうのこうのと言ってはいるが、桜もまた、なんだかんだで箸が転んでも笑うお年頃なんだろう。

 若いねえ、とぼやくにはまだ早いと信じたいところだった。前世がアラサーってだけだからな、三十路には乗っかってないからな。

 

 いやまあ、この世界じゃもっと若いんだが。とにかく精神的な話だよ、精神的な。

 元気を取り戻してきた葉月と由希奈が、じゃれ合いのように言葉を交わすのを苦笑しつつ見守っている桜を横目に見ながら、俺はぼんやりとそんな、なんの益体もないことを考えていた。

 この部屋に来なきゃいけない店員も不憫だなあ、と、せめてゴミ拾いと食い終わった食器をまとめる作業を、まゆと一緒に手伝いながら。




※カラオケはルールとマナーを守って楽しみましょう


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今日、この日を忘れない

 由希奈の宣言通り、日が暮れるまで続いた親睦会という名の乱痴気騒ぎは終わり、俺たちはすっかり夜の帳が降りた街を歩いていた。

 会計の額が庶民感覚じゃとんでもないことになっていたが、由希奈は涼しい顔で全額支払ってみせた辺り、やっぱり特級魔法少女に支払われてる給料は破格の一言に尽きる。

 第二部とか言い出して打ち上げをするプランもあったらしいが、俺たちが流石に食いすぎたってことで、それは廃案になった。

 

 人間、別腹なんてもんは備えちゃいないから、当然といえば当然だが。

 それに、これ以上どこぞでガールズトークという名の騒ぎを起こすのはファミレスにも迷惑だろうよ。

 そんな具合に歌い、騒ぎ疲れて、くたくたになりながら夜の街をこうして歩いていたのだが、これも中々どうして趣がある。

 

「やー、いっぱい歌ったねー、桜も結構歌上手かったじゃん」

「それほどでは……」

「いいじゃんいいじゃーん、謙遜しないでもさー」

 

 それでもまだ騒ぎ足りないのか、それとも仲が深まってくれたのかはわからんが、由希奈は桜に全力でダル絡みしに行っていた。

 頬っぺたを人差し指で突いてるその仕草はともかく、実際上手かったんだから謙遜する必要はない。

 こと歌唱力って点じゃ童謡とか縛ってガチ勝負した時に一位を総舐めしてた葉月がずば抜けてたが、それでも安定して二位、三位に食い込んでたのが桜なんだから、上手いと言って差し支えはないだろう。

 

「頬っぺたを突かないでください、由希奈……そう言ってもらえるなら、少しは自信が持てますが」

「ふふん、そうそう。下向いて生きるより前向いて生きるのが肝要なのだよー、上じゃなくて前ね、ここ重要」

 

 由希奈にしてはいいことを言うな。

 失礼を承知でいえば、こう思ったのは多分俺に限ったことじゃないだろう。

 下を向いて生きるんじゃなく、上を向いて生きるんでもなく、前を向いて生きる──誰かと比べるんじゃなくて、ありのままの自分を認めた上で歩いていく。

 

 言葉にすれば、一見簡単かもしれない。

 しかしこれが結構難しいんだ、実際。

 泣くな、というんじゃなくて、涙が零れてもいいから前に進み続けろ、って話だからな。

 

 昔の歌じゃ上見て歩けっていわれてたが、落ち込んでる時に上向いてたら、余計に涙が零れてくるだけだ。

 だから、そういう意味じゃ実用的なアドバイスでもあった。

 自分の生き方に胸を張れ、なんて、何歳になっても難しい話なのかもしれないが、せめてここまで歩いてきたことだけは認めてやらないと、正気じゃいられなくなる。

 

「前、ですか」

「そう、前。自分はここまでちゃんと歩いてきたぞー、ってね。桜の望む生き方がなんなのかは私にはわからないけど、ねー」

「望む、生き方……」

 

 信念だとか、譲れないものだとか、面倒なしがらみだらけなのが人生だ。

 そんな世知辛い話はともかくとしても、由希奈の言葉を聞いた桜が微妙に戸惑いを見せているのは、意地悪かもしれないがいい兆候なのかもしれない。

 彼女が「ゴースト」としてやってきたことは正しかったのかもしれない。ただ、「M.A.G.I.A」からすれば許されないことをやっているのもまた確かだった。

 

 だからここで、桜がこっち側に来てくれるならそれに越したことはないし、来てくれるってんなら全力で便宜を図るつもりでもある。

 だが、人間そう簡単にはいかないと相場が決まっているものだ。今までやってきたこととこれからを天秤にかけてその選択をするにはきっとまだ、悩み足りないのだろう。

 だから、少しずつ、少しずつでいいから親睦を深めることで、桜をこっちに引き込もうってのが俺たちの魂胆なのだ。

 

「……難しい話をするんですね、由希奈も」

「ちょいちょいちょい、失礼なー、人が女の子のことしか考えてないみたいな言い方じゃん?」

「違うんですか?」

「言ったな、こいつー」

 

 しまいにゃ乳揉むぞ、と、逆ギレ気味に由希奈は渾身の正論を叩きつけてきた桜に飛びかかる。

 桜のように慎ましやかなサイズだろうが、両手に余るサイズだろうが乳は平等に乳だとして、揉むのを躊躇なく実行に移せるその魂胆は一周回って潔いのかもしれないな。決して見習いたくはないが。

 そんな益体もないことを考えている間に由希奈の襟首を引っ掴んで、葉月が溜息をつく。

 

「本当、そういうとこよねアンタ」

「痛たたた……止めないでよ葉月ー、有史以来正論が人を救ったことはないんだからさー」

「正論どうこうの話以前の問題よ! ったく……うちの由希奈がこんなんでごめんね、桜」

「いえ……むしろそっちの方が由希奈らしいかと」

 

 心の底から呆れたような顔で頭を下げた葉月に対して、桜は苦笑と共にそう返した。

 難しいこと言ってるよりは誰かの乳や尻を狙ってる方があいつらしいっていうのも中々身も蓋もない話だが、そういう話が出てくるのも無理はない。

 日頃の行いってのは大切だ。由希奈はそれを身をもって教えてくれたのかもしれないな。

 

「ぐぬぬ、なんかいい話っぽくなってるけど納得いかないぞー?」

「だったら日頃から真面目に働きなさいよね」

「これでも私、結構真面目にやってたりするんだよー? そうだよね、まゆ。こよみちゃん?」

 

 援護を求めた二人は顔を突き合わせると、表情の違いはあれど一様に困ったような顔をして、由希奈へと言葉を返す。

 

「……ぁ、ぇ……ジェンガ、楽しかったです……よ……?」

「そうだったんですかぁ」

 

 なんとかフォローを入れようと頑張っていたこよみに対して、笑顔で言葉のナイフを突き立てたまゆの容赦のなさよ。

 営業スマイルって多分こういうことをいうんだろうな。女子ってのは恐ろしい。

 昔から、キッチン担当をキレさせるなってのは兵士か船乗りかどっちかは忘れたが、とにかく鉄則だったのも頷ける。

 

「うぅ、世界が私に冷たいよ桜ー……」

「ジェンガって……由希奈、アルバイト中にそんなことしてたんですか……」

「桜まで冷たい! いいじゃんどうせお客さんなんてろくに来ないお店なんだしー!」

「どんなお店なんですか、全く……葉月さんの言う通りです。由希奈はきっとやればできる人なんですから、しっかりすればいいじゃないですか」

 

 椅子からひっくり返るほどの正論だ。ドがつくほどの正論だった。

 実際、由希奈は能力が足りないからサボってるんじゃなくて真面目にやってないだけなんだよな。今回の親睦会の幹事兼盛り上げ役みたいなポジションを自然とこなしてた辺り、接客の素質は確かにある。

 ただ、致命的に普段のやる気が足りてないってだけで。

 

 いやもう本当に仰る通りというか、この短い期間の付き合いでよくそこまで見抜けたもんだと感心しきりだ。

 まあ、擁護するなら由希奈もやる時はちゃんとやってるから問題はないってとこなんだが、それでも相殺しきれない辺り本当に日頃の行いってのは大事の一言に尽きる。

 がくりと肩を落として桜にしがみついている由希奈の姿は不憫極まりなかったが、残念ながら当然といったところだろう。

 

「……でも、いい人たちに恵まれたんですね、由希奈は」

「へ? そりゃそうだけど……」

「人との出会いは、選べるものじゃないですから」

 

 どことなく遠い目を、羨むような目をして、桜はぽつりとそう零した。

 選べるものじゃない、か。

 桜がなにを抱えてそう言ったのかまではわからないが、実際自分から出会いを選べるような場なんて、俺の想像力が貧弱なだけかもしれないが、人生じゃ相当少ない。

 

 自分から周りにいる誰かを選べるのなんて、精々大学生の時ぐらいだろう。

 その貴重な大学時代を自堕落に過ごしてしまうのが人間の業ってやつなのかもしれないが、この際それは置いておくとする。

 桜の人生にどんな出会いがあって、その呪いにも似た言葉が飛び出てきたのかはわからない。

 

 ただ、それを言ってくれ、と、つらいのなら今この場で吐き出してくれ、と言っても届かないことだけは、それだけはわかっていた。

 

「んー、そうだなぁ……選べないなら、いっそ捨てちゃうってのも一つの手だと思うよー?」

「……捨てられない時もあります」

「それもそっか。でもさ、私ならいつでも桜の相談に乗れるし、愚痴の一つや二つぐらいなら聞いてあげられるよー? これも悪い出会いだったりする?」

「……それは……違います」

「だからさ、これからももっと遊ぼうよ。そんで、桜が抱えてる悩みを話したくなったら話してくれればいい。少なくとも私たちはさ、桜を嫌ったりなんかしないよ」

 

 ヒマワリのような笑みを満面に浮かべて、由希奈は桜へとそう言い放つ。

 無責任で無軌道で、無計画で。それでもただ一つ、交わした約束だけは守り切りたいと願う、そんな言葉だ。

 どこにも保証なんてなくても、自分たちを信じてほしいと願う。例えその言葉が、若さの見せる全能感だとしても、それを若さの一言で切り捨ててしまうのは、あまりにも残酷だと、そう思った。

 

「……そう、ですね。では……またいつか」

「いつかじゃわかんないってばー」

「じゃあ、来週の日曜日……とか、どうですか、由希奈」

「オッケー、その日は空けとくから。それじゃあね、桜!」

「ええ、私は……今日をきっと忘れません。ありがとうございます、由希奈」

 

 ──それでは、また。

 来るべきいつかに向けた約束を交わして、桜は俺たちとは反対のホームに向かっていく。

 連絡先すら交換できない間柄だとお互いわかっていても、明日を積み重ねた果ての約束を交わす。それぐらいは望んでいいんじゃないか、望めるんじゃないかと、世界に突き立てた、小さな爪痕。

 

「……また会えますよねー、先輩」

「そうだな……肯定する。きっと、また会えるさ」

 

 どことなくそわそわとした様子で問いかけてきた由希奈の言葉を首肯する。

 反対方向に、互い違いに進む列車に乗り込みながら俺は、俺たちは、ただその銀と緑の車体を見送っていた。

 このままいつも通りの朝を迎えて、いつも通りの日々を重ねて、交わした約束へと辿り着けるように。

 ただ、そんなことを願いながら。




また会う日まで


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動き出す歯車

 今のところ「ゴースト」こと、桜を引っ捕まえられていないってことで絶賛休業中の「間木屋」だったが、営業してなくたって店には埃が積もるし床は汚れる。

 裏の顔である特級魔法少女たちの秘密基地としては休みなしで稼働してる都合上、鍵開け当番も当然のように回ってくるのだ。

 店は開けないのに鍵は開けるし、なんならフルメンバーが揃ってるという状況にはもう慣れた。

 

 それはそれとして鍵開けが面倒くさいことにはなにも変わりないんだけどな。

 そんな具合に欠伸を噛み殺しながら眉間にシワを寄せて歩いていると、店の前には日傘に隠れているこよみがいた──まではいつも通りだった。

 いつもと違うのは、その隣に座り込んでなにやら言葉を交わしている由希奈がいることだ。

 

「驚いた……随分と早いな」

「ああ、先輩。おはようございますー、私が早いんじゃなくて先輩が遅いんじゃないですかー?」

 

 普段は鍵開け担当でもない限り、重役出勤というかほとんど始業時間ギリギリに来るのが北見由希奈という人間だった。

 大体の理由は、始業時間ギリギリまでソシャゲをハムスターしてるんだったか。とにかくそんな感じで、ロクなもんじゃなかったのは覚えている。

 そんなこいつが今鍵開け担当の俺より早く店の前にいるのは一体どういう風の吹き回しなのか。

 

「それはそうかもしれないな……随分と機嫌がいいみたいだが、なにかあったのか?」

「べっつにー? 私はいつだっていつも通りの私ですよー、ね、こよみちゃん?」

「……ぁ、ぇ……えっと……」

 

 さらっと笑顔で圧力をかけるんじゃあないよ。

 案の定、こよみは答えづらそうに視線を俺と由希奈との間で往復させていた。

 まあいつも通りってのは十中八九というか完全に嘘だろう。こいつが日課のソシャゲハムスターを卒業して急に真人間にクラスチェンジするとも思えん。

 

「……そこまで桜のことが気に入ったのか」

 

 現状で思い当たる節があるとするなら、これぐらいか。

 来週の日曜日にはまたガールズトークという名のどんちゃん騒ぎをやろうと約束を交わしたんだ。

 生真面目な桜のことだから、きっとハチ公前でいつものように由希奈のことを待ち続けているのだろう。

 

「べ、べっつにー? その、アレですよアレ、たまには真面目に働かないとって思っただけですー、ほら、表の顔はアルバイトなんですから」

「そう、桜にも言われていたからな」

「うぐっ……」

 

 別に、隠し立てするようなことでもないだろう。

 特級魔法少女にはある程度の自由が与えられているとはいえ、任務の性質上交友関係は極めて狭いというか、同じぐらいの年頃の相手との交流は、俺たち五人の内輪で回っているだけだ。

 たまに一級やら二級以下の魔法少女たちと話す機会がないわけじゃあないが、桜のように新しい「友達」ができるのは稀どころじゃない。

 

 ああ、そうか。要するに、新しい友達ができたから舞い上がってるのか、由希奈は。

 普段の言動と行動で印象の八割ぐらいがそっちに引っ張られてるものの、元は百合アクションADVゲームとかいう謎のジャンルの世界なんだからこいつも美少女には違いない。

 頬を染めて、気まずそうに視線を逸らしている由希奈の姿は、極めて貴重なのかもしれないな。

 

 いっそ写真でも撮っておくか?

 普段から乳を揉まれたり太ももに頬擦りされている意趣返しとしてはちょうどいいかと思ったが、そこはそれ、一応二十五年生きてきた大人として見逃してやるのが筋というやつだろう。

 生憎今世じゃ何歳かわからんが。魔法少女は何歳まで魔法少女と名乗れるのかとか、定義が面倒だから、その辺かなりぼかされてるんだよなあ。

 

「だから、なんでもないですってー……とにかく鍵開けてください、先輩! 役目でしょ!」

「尻尾を切るような調子で言われてもな」

「……ぁ、ぇ……し、尻尾……?」

 

 苦笑を浮かべつつも、俺は赤面が解けていない由希奈に言われるがまま店の鍵を開けた。

 こよみは不憫なことにさっきから迷ったり困惑したりと忙しそうにしているが、多分君が足を踏み入れなくていいジャンルの話だから、ずっとそのままでいてくれれば、こっちとしては大いに助かる。

 できることならいつまでも純粋な彼女でいてほしい……と願うのも、大概気持ち悪いな。この話はここでやめておこう。

 

 朝の静けさだけが広がっている店内に足を踏み入れる。

 俺たちは、メイド服には着替えることなく、「M.A.G.I.A」指定の制服のまま、床掃除と軽いテーブル掃除をやって、時間を潰していた。

 由希奈も途中でサボることなく真面目に掃除に参加してくれてる辺り、桜から据えられたお灸は相当キツかったんだろうな、と思うと、自然に笑みが零れてきた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 掃除が終わって、やることもすっかりなくなった頃には葉月とまゆも店を訪れていて、あとは大佐が来るのを待つだけだった。

 いつも通りのソシャゲハムスターに戻った由希奈にそこはかとなく安心感を覚えつつ、俺は相当怪しいバランスになったジェンガから、抜けそうなものを選んで上に載せる。

 桜にはこのまま平和に、そして順調に絆されてこっちの戦力になってほしいもんだが、果たしてどうなるかは全くもってわからない。

 

「ちょいちょいちょい、人がオート周回してる内に誰ですかこんな違法建築作ったのー」

「うふふ、まゆですよぉ」

「あっはい……」

 

 俺が可能性という名の爆弾を持ち込んだことで、この世界は良くも悪くも原作の筋書きから大きく外れ始めている。

 それこそ今、どこのブロックに触れてもぐらついているジェンガの如く、既知と未知が入り乱れた違法建築状態といってもいい。

 どこか下手なところを突けば、それだけで倒壊しかねない危ういバランス。その基礎を作り上げたのは、間違いなく俺なのだ。

 

「あーっ、もう! 案の定!」

「うふふふ、罰ゲームですねぇ」

 

 世界を変えた。原作の惨劇を回避した。

 だが、その先にあるものがパラダイスだとは、誰も保証していない。

 それを示すかのように、違法建築状態になっていたジェンガが音を立てて崩れていく。

 

 これが、嫌な予兆でなければいいんだがな。

 あるいはそんなことを考えてしまったからなのかもしれない。

 大佐が仏頂面で店の戸を叩いたのは、ちょうど倒壊したジェンガを集め直している最中のことだった。

 

「集まっているな、諸君」

「店長……じゃないや、隊長、なんかあったんですか?」

 

 大佐が「M.A.G.I.A」の本部から持ち帰ってきたであろう報せは、まず間違いなくいいものじゃあないだろう。

 明らかに纏っている雰囲気が普通じゃない。そう確信するに足るだけの威圧感というか、剣呑な感じがあった。

 店の戸を閉めて鍵をかけると、大佐は鞄の中から一枚のコピー用紙を取り出して、険しい目付きを維持したまま、そこに書かれている内容を読み上げる。

 

「……この度『M.A.G.I.A』本部より『ゴースト』に正式な追討令が下された。作戦は明日正午、この作戦には特級魔法少女五名も参加するものとする。拒否権はない」

 

 一瞬、耳を疑ったのは俺だけじゃないはずだ。

 巷を騒がせている「ゴースト」を討つ。それは即ち、桜を殺せということに他ならない。

 だが、いきなりどうして。お偉方が痺れを切らしたのか、それとも上層部を動かすだけのなにかが見つかったのか、その情報もないまま、俺たちにその命令は下されたのだ。

 

「嘘……なんで?」

 

 由希奈のスマートフォンが手から滑り落ちて、床にぶつかる音だけが、重々しく両肩にのしかかる沈黙を彩っていた。




そして時間は動き出す


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「幽霊」を討て

「……大佐、少しばかり説明をしてはもらえないだろうか?」

 

 とうとう俺たちが桜のことを隠蔽しているという事実がバレたのか、それともなにか別口で桜の潜伏拠点に繋がる情報があったのか、それすらわからないまま、ただ「殺せ」と言われるのは納得がいかない。

 任務だからと言われてしまえばそれまでの話かもしれないが、桜を、桜の抱えている一級から特級相当の「魔導炉心」を「再利用」するという計画には大佐も乗り気だったはずだ。

 心変わりした、と切り捨てられてしまえばそれだけで終わりだ。だが、大佐の淡々とした口調からは少しばかりではあるが、不服であることが確かに感じられた。

 

 なら、抱えている想いは俺たちと同じなんじゃないのか。

 そのつもりで俺は、根拠をくれと言い放ったのだ。

 もちろん、「M.A.G.I.A」本部の方針がそれで固まっていることは承知の上だ。その上で大佐が俺たちを庇い切れなくなったというなら、まだ諦めもつく。

 

 ──だが、きっとそうじゃない。

 追討令が出されたってことは桜の居場所を割り出したってことなんだろうが、桜と『ゴースト』がイコールで結ばれているのを知っているのは俺たちだけだ。

 そして、俺たち五人の誰もがそれを口外していないなら、内部から割れたという線は考えづらい。というか無理筋だ。

 

 つまるところ、今回の追討令が出された根拠は外部にあるし、大佐が心変わりしたわけでもない。

 少なくとも俺は、そう確信していた。

 張り詰めた空気が漂う中で、大佐は諦めたように首を小さく横に振ると、厳重に施錠されているジュラルミン製のケースから何枚かの写真を取り出してみせる。

 

「……先日、『暁の空』が拠点としていると思しき廃倉庫に『ゴースト』が出入りしているところをドローンが撮影したものだ」

 

 そこには確かに大佐の言う通り、ゴスロリドレスに身を包んだ桜が廃倉庫に近づく瞬間と、中から出てきた覆面のテロリストに手招きされて廃倉庫に入っていく瞬間、そして出て行く瞬間が鮮明に捉えられていた。

 中でなんの取引をしていたのかはわからないとしても、桜と「暁の空」に繋がりがあると判断するには十分な材料だといえるだろう。

 ──前提がなにもかもおかしいことを除けば、だがな。

 

「そんな……ねえ隊長、こんなの間違いですってー、だって……桜はテロリストや犯罪者を憎んでるんですよ? それなのになんでこんな、テロリストなんかと……フェイクですよ、こんなの……」

 

 明らかに引きつった笑みを浮かべながら、由希奈が大佐へと食ってかかる。

 そうだな、その気持ちはよくわかる。正直今の段階じゃフェイクと言われた方が自然だし、納得できる話だ。

 だが、「魔導炉心」を回収したがっている「M.A.G.I.A」にそんなことをするメリットがどこにもないことも、また事実だった。

 

 第一、俺たちと桜との繋がり、そして桜が「ゴースト」だということは大佐が喋ったんじゃなければ本部には流れ得ない。

 加えて、もしもその情報がバレていたとしたら、こんな回りくどい手段で俺たちに罰を与えるんじゃなく、もっと直接的にやってくるだろう。

 じゃあ目の前にあるこのなにもかもがおかしい画像はなんなんだ、と問われれば、その答えは俺にもわからない。わかるのは、明らかにこの画像がおかしいことぐらいだ。

 

「残念だが、これは『M.A.G.I.A』本部のドローンが正式に撮影した画像だよ、北見由希奈。これがフェイクでないことを証明しろというのは難しいが、この情報が確かなものであるのは、ドローンが記録していた映像が保証している」

「その映像が加工されてる可能性だって──」

「……そんなことをして、『M.A.G.I.A』になんのメリットがある? 認めたくない気持ちはおれも重々承知だがね……ここまで決定的な証拠を握らされてしまった以上、我々にできることは、速やかに『ゴースト』を始末することだけだ」

 

 政府の管理から外れた「魔導炉心」、そしてそれを埋め込んだ魔法少女のパトロンが「暁の空」なら、テロ組織だというのなら、最早そこに弁解の余地は残っていない。

 それは俺も理解している。

 桜を手にかけろと言われて、はいそうですかと納得できるかどうかは置いておくとしても、理屈としては至極当たり前のことだろうよ。

 

 ──だが、それでもだ。

 

「……ふむ、事情は此方も理解した」

「先輩……!」

「だが、大佐。これはなにかの罠ではないのか? 少なくとも此方はそう考えている」

 

 まず、桜が普通に写真に写っていることそれ自体がおかしいんだよ。

 俺は片目を瞑って、首を傾げながら大佐にそう問いかける。

 桜の魔法特質はステルスとジャミングだ。だからこそ、今まで「M.A.G.I.A」もその足取りを掴めなかったというのに、急に、堂々とテロリストの根城にステルスもジャミングもかけずに出入りするなんて真似は、まず間違いなく彼女はしないだろう。

 

 ならなんでそんな画像が正式に、「M.A.G.I.A」のドローンに記録されていたかって話になってくる。

 桜としても姿を晒すメリットがない。そして俺たちから桜イコール「ゴースト」であるという情報が漏れた形跡もない。

 それを踏まえて考えれば、「桜があえて姿を晒すこと」が、それを俺たちに掴ませることこそが、「暁の空」の目的なんじゃないのか。

 

「……その可能性はおれも考えている。今まで足取りを全く掴めなかった結城桜が、急に監視網に引っかかるような真似をするのは、あまりにも不自然だ」

「仮に桜のパトロンが『暁の空』だったと仮定する。ならば奴らの狙いは魔法少女の殲滅……彼女を誘蛾灯にして、此方を引き寄せようとしている可能性は大きいと見た」

「だろうな」

「ならば、彼女は不本意に『暁の空』に協力させられている可能性もまた大きいのではないか?」

 

 桜にとってはなんのメリットもないこと、そしてなぜかはわからんが、「暁の空」はやたらと魔法少女を敵視していること。

 そこを鑑みれば、のこのこと廃倉庫にやってきた俺たちを一網打尽にするために「暁の空」があえて尻尾を掴ませた線は濃厚だ。

 またゴーレムみたいな秘密兵器でも作り上げたのか、それとも懲りずに魔力弾だけで俺たちに対抗しようとしているのかはわからんが、切り札にもなり得る桜をスケープゴートにして待ち構えている辺り、「暁の空」には相当な自信があると見ていいだろう。

 

 ただ、解せないことがあるとすれば、「暁の空」がパトロンをやってるのに、その構成員を裁くような真似を桜がやっているのを、パトロン側が容認していることだ。

 今までの「ゴースト」としての奇行、そして今までの「結城桜」としての性格。

 それを踏まえて考えても、行動との因果関係が滅茶苦茶すぎる。一体「暁の空」はなにを企んでやがるんだ?

 

「……つまり、西條千早。君が言いたいことはなんだ?」

「此方は此度の作戦を……人質救出作戦と定義できるのではないかということだ」

 

 テロ組織がなにを企んでるかは知らんしわからん。だが、犯罪やテロを憎むという桜の言葉が嘘じゃないと俺は信じている。

 だったら、残された線はただ一つだけ。理由はともかく、彼女は不本意に協力させられているということと。

 そして、説得次第ではまだこっちに引き込める可能性が残っているということだ。

 

「……なるほど。確かにおれたちには、ある程度独立した指揮権限が与えられている」

「じゃあ……!」

「特級権限で今回の作戦をおれたちは人質救出作戦と定義する……ただし、結城桜が少しでも『暁の空』に共鳴している素振りを見せれば……確実に撃てるな、北見由希奈?」

 

 それがケジメであり落とし所ということなのだろう。

 もしも全てが狂言で、桜が俺たちを陥れるためだけに動いていたのなら、躊躇いなく引導を渡す役を由希奈が演じろ、ということだ。

 要するに少しでも怪しい素振りを見せれば殺せって話だな。だが。

 

「撃ちます」

「……上にはなんとか明日までに誤魔化しておく。多少の無茶は慣れっこなんでね」

「……ありがとうございます、隊長」

 

 由希奈の瞳に躊躇いはない。

 例えそれが俺たちを除けば初めてできた親友を、必要とあれば手にかけろという命令だとしてもだ。

 それが、その覚悟こそが北見由希奈を特級魔法少女たらしめている理由なのだろう。

 

「……ありがとうございます、先輩」

「此方はあくまでも可能性の話をしただけだ。なにが待っているかはわからない上に、十中八九罠だろう……それでも行くというのなら、此方にその覚悟で、そして生き残ることで示してくれ」

「……はい!」

 

 大佐の胃痛の種を増やしてしまったのは申し訳ない限りだが、できることなら誰も死なずに穏便に済ませるに越したことはないだろう。

 特級権限を行使したとしても、今回の任務は英知院学園の時と違って殺傷任務だ。だから、どうしても人死にが出ることもまた避けられない。

 だからせめて、桜だけは助けたい、というのは、間違いなく俺のエゴだ。

 

 誰か一人だけを選ぶ代わりに、テロリストとはいえ多数の命を天秤の対価として捧げるような真似をしているのもまた承知の上だ。

 それがどれほどエゴに塗れた理由であったとしても、どれほど身勝手な理屈であったとしても。

 由希奈にとって、きっと初めての「友達」を助けてやりたいんだよ、俺は。




僅かでも可能性の光を求めて


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虎穴に入らなければなんとやら

 さて、いよいよ作戦当日になったわけだが、俺たちの指揮系統は本部から独立し、現場でのそれを優先することで話がまとまってくれたらしい。

 慣れているとはいえ、そして上層部に顔が利くとはいえ大佐には相当な無茶をさせてしまった。あとで寿司でも奢ることにしよう。

 これで問題は万事解決、あとは俺たちでテロリスト共を殲滅して桜を「暁の空」から助け出すだけ──ともいかないんだよな、これが。

 

 警官隊と自衛隊、そして魔法少女たちが廃倉庫を包囲し、想定される脱出ルートにも相当数が配備されている辺り、「M.A.G.I.A」本部は相当今回の作戦に熱を入れているようだった。

 国の管理を離れた「魔導炉心」が存在していることと、それを埋め込んだ存在が、桜が、一級から特級に相当する魔力を誇っているのなら、無理もない話ではある。

 だが、これは罠だ。どこからどう見たって罠以外の何物でもない。

 

 本部もそれは承知の上で、虎穴に入らずんば虎子を得ずの精神を発揮して鉄壁の布陣を敷いたんだろう。

 ネズミ一匹逃すものかという緊張感が、突入部隊として控えている魔法少女たちからはひしひしと伝わってきた。

 特に、普段は臨界獣絡みでしか動かさない一級魔法少女たちを惜しみなく投入してきたのが本気の現れといったところだろう。

 

「おーおー、やってますねぇ先輩」

「そのようだ。だが由希奈、忘れてはいないな?」

「わかってますよ、表向きは一級魔法少女たちのバックアップ……現場に突入してからは私たちの裁量でやる、ですよね」

 

 いつものどこかちゃらけたノリも影を潜めて、由希奈の目からは本気であることが伝わってきた。

 例えそれが最悪、友達を手にかけることになったとしても、望みがどれだけ薄くとも最良の結末に全てを賭ける。

 それは由希奈だけじゃなく、俺たち全員の意志であることに間違いはない。

 

 こよみも、葉月も、まゆも、臨戦態勢で、フロントを務める一級魔法少女たちを援護できてかつ、自由に動ける位置についている。

 特級から三級まで魔法少女が勢揃いしてるんだ、どう考えたって「暁の空」に勝ち目はない──と、普通は考えるだろう、普通は。

 上層部も大方そんなことを考えてるんだろう。しかしところがどっこい、この世界は超がつくほどのクソゲーの世界なのだ。

 

 桜という、切り札にもなり得る存在を釣り餌にしてきたということは、それ以上のなにかが、「暁の空」にとって勝算があるからだと考えるのが妥当なとこだろう。

 生憎俺の頭じゃそれがなにかまでは思いつかないが、どっちにしても嫌な予感しかしない。

 原作から外れた世界、そして正史には存在していないはずのイベント。

 

 今回は非殺傷任務じゃない、ってことで実弾が込められているコンテンダーをホルスター越しに撫でながら、俺は小さく息を呑む。

 原作知識が通用しない今、どこまでやれるかは「西條千早」のスペックと俺の判断力にかかっている。

 アドバンテージなんてもんはどこにもない。それでもやるしかないんだよな、これが。

 

「あんたらが私らの援護をしてくれる特級サマか?」

 

 拳を固めて小さく深呼吸をしていると、「M.A.G.I.A」指定の制服を身につけた一級魔法少女が、唐突に話しかけてきた。

 果たしてどちら様だったかな。

 別に他意はないんだが、設定資料集にも一級魔法少女のプロフィールとかは載ってなかったんだよ。精々一級の中でもトップエース、日本にとって表向きの切り札である「白菊椿」って名前のやつは知ってるぐらいだ。

 

 で、その白菊椿と特徴が一致しないってことは、今話しかけてきたのが誰なのかがさっぱりわからんということだった。

 

「肯定する。任務上はそう規定されている」

「ふん……特級サマだからって上から目線ってことかよ。たかがテロリスト風情、私たちだけで片付けてやるからずっと後方で待機してればいいさ」

 

 別に上から目線で言ったつもりは全くもってないんだが、他人の目から見た俺の西條千早ロールプレイにはそういうところが感じられるらしい。その辺は要改善ってとこだな。

 それはそれとして、随分とデカい死亡フラグ立ててったけど大丈夫なのか、あのショートヘアで目つきが悪い魔法少女は。

 一級とくればもう国賓クラスの待遇を受けられるだけあって、プライドもそれ相応に跳ね上がってしまったのだろうか。ないよりはあった方がいいんだろうが、あんまり高くても難儀するぞ、プライドってやつは。

 

「ところで、其方の名前はなんだったか」

「っ、バカにしてんのか!?」

「此方にそのような意図はない、ただ本作戦を円滑に遂行するために尋ねただけだ」

 

 だからって、名前聞いたぐらいでキレないでくれ。

 カルシウム足りてないんじゃないか?

 そんな具合に肩を竦めた俺を威嚇するように、気丈な視線を逸らすことなく、一級魔法少女の一人は口を開く。

 

「……春場純那。テレビとか見てねーのかよ」

「肯定する、だが今記憶した。其方のバックアップは任せてほしい、春場純那」

「……あっそ。それじゃあ精々頼むよ、特級サマ」

 

 必要以上に馴れ合うつもりはないとばかりにやり取りを打ち切って、春場純那は最前線に、一番槍のポジションに戻っていく。

 気性は荒いが、すぐ冷静になれる辺りは伊達に臨界獣との最前線を生き残ってきた魔法少女ってことか。

 作戦開始時刻まで残り数十秒、シャッターが下ろされている廃倉庫は未だに沈黙を保っている。

 

『──突入開始!』

 

 耳元につけていた通信機から、本部の司令長官直々に作戦開始が通達されると同時に、廃倉庫のシャッターに取り付けられていたプラスチック爆弾が轟音を立てて起爆した。

 果たして鬼が出るやら蛇が出るやらといったところだが、やつらはどう打って出る。

 そんなことを考えている間にも、クリアリングを行いながら、本部から支給されたアサルトライフルを構えている春場純那たち、第一陣が果敢に突入していく。

 

「オラァ! 観念しろテロリスト共が!」

「魔法少女の突入を確認、迎撃に移行し──がっ……!?」

 

 第一陣が突入と同時に放った一斉射撃で、最前線に陣取っていたテロリストたちが血飛沫の中に沈む。

 非殺傷任務じゃないだけに、その絵面は見てて気持ちいいもんじゃないが、「暁の空」の下っ端から得られる情報から有益なものはないと本部が判断した以上、仕方ないところもあるんだろう。

 春場純那たちがクリアリングを行った道をなぞるようにバックアップの俺たちもまた、施設内に突入する。

 

「クソッ! 奴ら、物量で押してきたのか……ゴーレム起動急げ! こちらも迎撃するんだよ!」

「はっ、なんのつもりか知らねえが、テメェらごときの魔力弾なんざ、私たち一級には──」

「──撃て!」

 

 バリケードとしてコンテナやらなにやらが積み上げられたことで一種の迷路と化している廃倉庫の影に潜んだテロリストが叫ぶ。

 一級魔法少女に今「暁の空」が保有している魔力弾は通用しない。それは、俺たちが英知院学園で得たデータから導き出された試算だった。

 にもかかわらず、テロリスト共が春場純那を恐れていないように見えるのは、なぜだ。

 

 ──この作戦は、最初から罠だった。

 忘れていた前提が、脳裏で明滅する。

 頭に浮かんだ答えを導き出すより早く、言葉が走るよりも早く、吐き出された鉛弾が春場純那の展開している魔力障壁を突き破って、その右肩を貫く。

 

「ぐあ……ッ……!?」

「──後退しろ!」

 

 雷の魔力で自己強化を施して、春場純那を射線から退避させられたのは、まさしく間一髪だった。

 揉み合い、転がりながらテロリストが展開する弾幕からなんとか逃れて、俺たちは近くのコンテナを盾に体勢を立て直す。

 

「……ッ、テメェ……」

「……生きていたようでなによりだ。なるほど、ヤツらの切り札はそういうことだったか……!」

 

 一級魔法少女の魔力障壁を貫けるように、なんらかの手段でアップデートされた魔力弾。それこそが「暁の空」が調子づいている原動力であり、仕掛けてきた罠の絡繰だった。

 だが、やつらはどうしてこの短期間にそんなものを用意できたんだ。

 魔力は恐らく桜から徴発したのだと仮定して、俺たちが、「M.A.G.I.A」が運用している魔力弾に一級や特級の魔力が込められない理由である「器」の容量問題をクリアしている理由がまるでわからない。

 

 物陰から顔を出したテロリストの顔面に詠唱を省略した「雷電鈍鎚」をぶつけて気絶させながら、俺は考える。

 だが、わかるはずもない。桜の存在もそうだが、こんなイベントは原作のメインストーリーにも外伝にもなかったんだ。

 ただ一つわかるのは、確実にこの世界は俺というイレギュラーの介入によっておかしくなり始めてるということだけだ。

 

「……ならば、自分の始末は自分で付けねばな……」

「……何言ってんだ、テメェ……?」

「……すまない、此方の独り言だ。とにかく、其方は一旦後退するのを推奨する。ここは此方が引き受ける」

「チッ……仕方ねえ、か……椿! 特級サマが前に出るのと、私らの魔力障壁をぶち抜く弾を敵さん持ってやがる! 一旦後退だ!」

 

 割り切りが早いのは実に助かる。ぜひともその調子で長生きしてほしい限りだ。

 上からは「殺せ」と命令されているが、こっちには独立指揮権があるってことでとりあえずテロリスト共を半殺しで済ませつつ、俺たちは負傷した魔法少女たちの撤退を支援する。

 この調子だと、ゴーレムもアップデートされた魔力弾を装填していると見ていいだろう。全く、冗談じゃない。

 

 一級魔法少女たちが一旦退避したのを確認して、俺は「雷切」を鞘から抜き放つ。

 辻斬りの心得はないが、「西條千早」がこと汎用性という意味では最強の魔法少女なら、やってみせればなんとでもなるはずだ。

 対人でもその魔法特質が滅法強い由希奈が空中に浮かべた無数の銃が、後退した魔法少女たちが張っていた弾幕に匹敵する密度での一斉射撃を展開する。

 

「先輩、フォロー行けますよー!」

「心得た、ここは此方と由希奈で突破する。こよみは火力支援、葉月はゴーレムの対処、まゆはバックアップを!」

『了解!』

 

 推定戦力比なんか知ったことじゃないが、とりあえずは目についた敵を片っ端から斬って強行突破していけばなんとかなるはずだ。

 困ったときの脳筋式解決法、パワーこそ雑に全てを解決してくれる。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、しかし、そこで虎の尾を踏んでしまったなら、腹を決めて虎狩りといこうじゃないか。




虎狩りの時間だー!


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キック・バック

 一級魔法少女の魔力障壁をぶち抜く魔力弾を「暁の空」が用意していたことに関しては完全に度肝を抜かれた形になったが、逆に考えれば、そういう事態を多少でも想定していたからこそ俺たちが、特級魔法少女が配備されていたともいえる。

 由希奈の魔法特質である「銃火器」によって無数に生み出されたアサルトライフルやらなにやらから吐き出された銃弾が、テロリスト共が着ている防弾ベストを貫いて血溜まりの中に沈めていく。

 どこぞの艦長もご満悦であろう圧倒的な弾幕だった。仮に撃ち漏らしがあったとしても、今度はまゆのシリンジが二段構えで待っている以上、調子づけるのもここまでだ。

 

「くっ……当たれば仕留められるはずだ! なぜ当たらん!?」

「悪いが、問答をしている時間はない」

「がっ……!?」

 

 苦労して敷き詰めたのであろうバリケードも、由希奈の圧倒的な火力の前には形無しだ。こっちが身を隠せるスペースがなくなるのも困りものではあるが、当たらなければどうということはない。

 対人相手ではオーバーキルもいいところな自己強化で魔力弾を見てから回避して、こっちは峰打ちで首や頭を狙ってのカウンターを叩き込む。当たりさえしなければあとは流れ作業みたいな感覚だ。

 そんな具合で、由希奈が切り開いてくれた道を舗装していくように、一人、また一人とテロリスト共を昏倒させながら、俺は前線を押し上げていく。

 

「果たして、問題はこの先に桜がいるかどうかだが……」

「隙を見せたな、魔法少──」

「此方は問答をする暇も惜しいと言ったはずだ」

 

 そのまま寝てればよかったものを。

 奇襲のつもりか、血溜まりの中で死んだフリをしていたテロリストの頭にこれまた無詠唱での「雷電鈍鎚」を叩き込んでひた走る。

 詠唱なしだと魔法の威力は多少低下するが、対人相手なら、ピンポイントにターゲットを絞り込んでやれば、ちょうどいい具合に気絶させられるのだ。多分出力調整して詠唱するよりこっちの方が早いかもな。

 

 そんなことは置いておくにしても、問題はさっき呟いた通り、ここに桜がいるかどうかだ。

 いや、「暁の空」が桜を釣り餌にしたんだから十中八九いると見て間違いないんだろうが、今はステルスとジャミングを展開しているのか、気配が全く感じられない。

 つまるところ、油断してたら背中からバッサリといかれる可能性があるって話だった。

 

 何事も用心するに越したことはない。

 とにかく奇襲を警戒しながら、由希奈が作った血溜まりの道を突き進む。

 差し当たって問題になってくるのは、桜を除けばゴーレムの数だろうか。

 

 いくら生産性に優れているといっても、この期間でまとまった数は用意できないだろう。いても精々三機から五機ぐらいか。

 いや、見積もりはもっと過剰なぐらいがちょうどいい。なんせ連中は「器」の容量問題をクリアした魔力弾を大量生産してやがるんだ。

 ここに投入された数は面積の問題で少ないだろうが、まだまだ「暁の空」は隠し球を持っていると見ていいだろう。

 

 そして、答え合わせをするように、鈍い音を立ててゴーレムが起動する。

 見たところ五機か。予測はどうやら当たっていたようだ。

 これだけなら葉月だけで十分対処できる範囲だが、こっちの進路上に一機いるのは邪魔だな。

 

「『紫電瞬閃』……!」

 

 ゴーレムがその指先から弾を吐き出すよりも早く、俺は雷の魔力を纏わせた刀身を振るって、一刀の元にその機体を両断する。

 

「なにがどうなって……たかが五人だぞ、五人の魔法少女に、我々が──」

「眠っててくださいねぇ」

 

 テロリストの一人は憎々しげに吐き捨てるが、即座にまゆの放った「ナルコシスシリンジ」で昏倒させられた。

 ここで逃走の準備に入らなかったのを潔しと褒めるべきなのか、往生際が悪いと見るかは迷うところだな。

 まあ、逃げたところで包囲網は組まれているし、魔力弾がアップデートされたって情報も伝わっているだろうから一級魔法少女たちの警戒もガチになってるだろうからどのみち詰んでるんだが。

 

「クソッ……あいつを出せ! 我々の手に負える相手では」

「あいつって誰?」

 

 指揮系統も完全に崩壊した状態で、なんとか残存するテロリストをまとめていたのであろう男の元に由希奈が踏み込む。

 そして、ノータイムで顎に拳銃を突きつけながら、底冷えのするような声で静かに問いかけた。

 普段が普段なだけに俺もそのギャップに少し気圧されそうになったぞ。それぐらい、あいつの抱えてる憎悪は深いってことか。

 

「貴様……っ!?」

「誰、答えて」

「……答えれば、命は保証してもらえるか」

「しない。もういいよ」

 

 躊躇いなく顎に突きつけていた五十口径をぶっ放したことで展開された光景は、できることなら直視したくないようなものだった。

 憎悪と復讐に駆られているだけでなく、友達である桜が人質に取られているのだから、その怒りは計り知れない。

 返り血と浴びたその他諸々を振り落としながら、由希奈がノールックで、隙を突こうとしたテロリストを射殺したその時だった。

 

 一瞬、僅かに空間が揺らぎ、埃が舞ったような気がした。

 気がしたんじゃない、確実に埃は舞っていた。なら、その先にあるものは。

 身体強化の魔法を維持したまま全力で駆け抜けて、俺は由希奈の背後から振り下ろされようとしていた白刃を、すんでのところで受け止めていた。

 

「やはりか……桜」

「……埃だけで私のことを見抜きましたか、千早さん」

「生憎目はいい方なのでな……だが、其方が決着をつけるべきは此方ではないはずだ」

 

 鍔迫り合いを力任せで強引に振り解いて、俺は隙を取られないように後方へと跳躍した桜を追うことなく、「雷切」を鞘に収める。

 そうだ、この戦いに決着をつける役は俺じゃない。

 ──由希奈。

 

 ゆらりと、銃を構えたまま俯いていた由希奈の瞳が、真っ直ぐに桜を見据える。

 必要とあれば、いつでも引き金を引く用意はできているということなのだろう。

 水を差しに来たテロリスト共を「雷電鈍鎚」で気絶させながら、俺はただ、運命にその絆を引き裂かれようとしている友達同士が対峙する様を見守っていた。

 

「ねえ、桜」

「……なんですか、由希奈」

「桜は……こんなことする人たちと同じじゃないよ。だから、今からでもいい。投降して。あとのことは、私たちでなんとかするから」

 

 あの時の言葉は嘘じゃないと、そう信じているからこそ、由希奈はどこか悲痛な声で投降を促す。

 その言葉に、桜も少しばかり惹かれるところはあったのだろう。

 だが、なにかが、抱えているものが、それを許さない。桜は、真一文字に引き結んだ唇を噛み締めて、仕込み杖を持っている手を震わせながら、絞り出したような声で答える。

 

「……なんとかする? できるものならしてみてくださいよ、私は……私は、もう後には退けない。元には戻れない。テロリストの手先として……私は……私がここで貴女たちを討たなければ、皆が!」

「間に合うよ、間に合わせるよ! 桜、言ってたじゃん! テロが、犯罪が憎いって……だったら私と同じだよ! 今ならまだ取り返せる、私も桜の命を──」

「それだけじゃダメなんです!」

 

 感情のままに、ステルスもジャミングも使うことなく、桜は咆哮と共に仕込み杖を振るい続ける。

 それだけじゃ、桜自身だけが救われるんじゃダメだってことは、大方家族を人質にでも取られてるんだろうか。

 そう考えれば、ある程度納得はいく。だが、「暁の空」がどこから「魔導炉心」をちょろまかして、なんのために桜を魔法少女へと仕立て上げて、そして自作自演のようなヴィジランテ的な行為を命じていたのかがさっぱり見えてこない。

 

「私は……私がここで止まれば、皆が、家族が……殺されてしまう……だから……ッ!」

「……ねえ、桜」

「ああああああッ!!!」

「……私を、信じてよ」

 

 どうやら、俺の推測は当たっていたようだ。

 そして、首筋を狙って仕込み杖が振り抜かれようとしたその瞬間、由希奈は迎撃する素振りすら見せずに、持っていた銃を床に落としてみせた。

 

「ゆき、な……?」

「私だけじゃないよ。先輩がいる。こよみちゃんがいる。葉月がいる。まゆがいる……大声じゃ言えないけどね。ちゃんと、私たちを守ってくれる人がいる」

「……」

「……だから、信じてよ。家族が人質に取られてるなら、絶対に取り戻す。桜の命だって守ってみせる。私一人じゃ無理かもしれないけどさ、味方になってくれる皆がいるよ」

 

 ねえ、桜。

 涙を零しながら訴えかけるその言葉が届いてくれたのか、桜が放った剣閃は、由希奈の首筋を薄皮一枚のところで斬り裂くに留まっていた。

 無粋にも横槍を入れようとする連中は、あらかた片付いている。あとは、桜の決断次第だ。

 

「……本当に……本当に、私の家族を……これだけひどいことをしたのに……助けて、くれるんですか……?」

「当たり前じゃん、だってさ、私は……私と同じ思いを、家族を奪われる痛みを、桜に味わってほしくない。先輩たちもきっと皆そう思ってる。だから」

「ゆき、な……由希奈……っ……! 私、は……!」

 

 おいで、と、由希奈が桜を手招いた、刹那。

 くぐもった銃声が、微かに耳朶を震わせる。

 そして、気付いたその時には、血液が、その命が、桜の胸から真っ赤な染みとなって零れ落ちていた。

 

「あ、あ……?」

「困るなあ……当面は特級魔法少女たちの目を引いててくれとは言ったけどさ、それで絆されてちゃあ困るんだよ」

 

 ──まあ、だから処分してくれって話になったんだけどね。

 闇から溶け出るように、まるで狙いすましたかのように現れたスーツ姿の男が、銃口から硝煙を立ち昇らせながら、かつかつと靴音を鳴らして歩み出てくる。

 

「鏑木、さん……?」

 

 由希奈が、どこか呆然と呟く。

 答え合わせをするように、その顔には、よく見知った、どこか困ったような、曖昧な笑みが浮かんでいた。




跳ね返る衝撃


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ゴースト・バレット

「鏑木、か。その名前との付き合いも長いねえ、由希奈ちゃん。君には随分と苦い思いをさせられたよ……色々とね」

 

 鏑木さんは曖昧に笑いながら、拳銃を手にしたまま由希奈へとにじり寄っていく。

 その表情はなに一つとして変わっていない。たった今、人を、桜を撃ったとは思えないほどに淡々としていて、正直なところひどく不気味だった。

 だが、それ以上に俺もまた困惑している。

 

 処分、と鏑木さんが口にした以上、桜は「暁の空」にとって不要だと、もう利用価値がないと判断されたから撃たれた。

 つまりそれは、鏑木さんが「暁の空」側に属しているという証拠であって、俺たちが探していた裏切り者の正体だ、ということでもある。

 だが、そんな設定はなかった。鏑木さんたち役人四人組は別に大した設定も書かれていない端役といったら失礼だが、とにかくここが「マギドラ」の世界なら、まずあり得ないことが、目の前で起こっているのだ。

 

「嘘でしょ……? 鏑木さん、どうして……?」

「殺し損ねた女の子がここまで育つってのも誤算だったねえ。まあ、俺の任務はここまでだから、これ以上関わるつもりも──」

「あの日ってなに……殺し損ねたって、なに……ねえ、答えてよ……なんで、鏑木さん……」

 

 由希奈は即座に魔力で五十口径の拳銃を生成すると、頽れた桜を抱いたまま、震える手でそれを構えた。

 殺し損ねた? 鏑木さんが由希奈とそんな関係があるだなんて記述はないぞ、あくまでも由希奈の因縁の相手は「零」とかいうコードネームのテロリストで、顔だって鏑木さんのそれとは別物なはずだ。

 一体なにが起こっている? この状況はなんなんだ? 俺だけじゃなく、こよみたちも同じような困惑を抱いたまま、張り詰めた空気だけが肌をピリピリと伝ってくる。

 

「ははっ、こいつは滑稽だなあ! 俺を撃つのかい、由希奈ちゃん? そうだよなあ、俺は君にとって家族の仇だからなあ」

「……なにそれ。私が殺したいのは、『零』ってやつだよ」

「じゃあ殺せばいいさ、殺せるもんならね。ああ、全く腹が痛い……ここまで言ってわからないもんかな? 俺が『零』だよ。君はつまり家族の仇とこれまで仲良くやってたわけだ!」

「……ッ、ああああああッ!!!」

 

 俺たちが宥めるよりも早く、沸点に達した怒りに任せて由希奈は拳銃の引き金を引く。

 だが、人間なのか本当に疑わしい反射神経で鏑木さんは──「零」はその一撃を回避すると、由希奈を狙って魔力弾が込められているのであろう得物のトリガーを絞る。

 どういうことだ。どういうことなんだ。

 

 鏑木さんが「零」だとしたら、本当の鏑木さんはもう始末されているのか?

 それとも、最初からこの世界に鏑木さんなんて役人は存在してなくて、「零」が身分やら顔やらを偽装した上で政府中枢まで潜り込んでたということなのか?

 わからない。だが、わかることがあるとすれば、由希奈ルートの最終盤で姿を現した「零」は設定資料集に描かれていた通りの顔をしていた──つまり、鏑木さんではなかったということと。

 

 俺だって認めたくはないが、この世界じゃ、鏑木さんが「零」だということだ。

 それは俺が原作に存在しなかった可能性を持ち込んだからそうなったのか、それとも最初からここは「マギドラ」と似て異なる世界だったのか、いくら考えたって真実はわからない。

 だが、「零」と由希奈が邂逅したとなれば、待ち受けている結末は。

 

「……殺す……! 殺してやる……! 殺してやるッ!!!」

「そう焦らない方がいいさ、お姫様を抱えたままじゃ狙いもブレるだろ? それに俺の仕事は君が抱えてるそれの始末であって、別に君たちと関わることじゃあないんだ、帰らせてくれると助かるんだけどねえ、由希奈ちゃん」

「気安く……名前を呼ぶなぁぁぁッ!!!」

「おいおい、この前一緒にウノを楽しんだ仲じゃないか。冷たいなあ」

 

 由希奈が乱射した拳銃の弾丸を全て回避して、迎撃の弾を放ちながらも鏑木さんは──いや、「零」は確実に逃走経路へと逃げ込もうとしている。

 確かに「零」は殺しの腕に関しては一流なのかもしれない。

 だが、テロリストとしてはともかく、殺し屋としてはお喋りがすぎた。

 

 一丁で当たらないなら二丁で、それでもダメなら数を更に増やせばいい。

 そんな滅茶苦茶な理屈を体現できる魔法少女を相手に逆鱗の上でタップダンスを踊ってみせたのだ。

 虎の尾を踏んだ代償は、宙に浮かんだ無数の銃口から雨霰のように降り注ぐ弾丸だった。防弾処理が施されているであろう服をズタズタに引き裂いて、あっという間に「零」は血溜まりの中に沈んでいく。

 

「……はぁ、はぁ……は、ぁ……ッ……!」

「ま、俺も……結局は尻尾切りに遭った、ってことだね……はは、だが……忘れるなよ、由希奈ちゃん……もう、この、世界は……詰んで、るんだ……勝ち馬に、乗りたきゃ……」

「……なんで……どうして……」

 

 血溜まりの中で呟いた「零」の言葉が指すところが、原作におけるラスボスの存在を示唆しているのか、それともなにか別なものなのかはわからない。というか、考える余裕が今はない。

 刻一刻と失われていくのは「零」の命だけじゃない。由希奈の腕に抱かれている桜もそうだ。

 だが、今ここで救護班を呼べたとしても、魔法特質として「薬」を持っているまゆに治療してもらったとしても、彼女は。

 

「……ゆ、きな……」

「大丈夫だよ、桜。今助けるから。救護班を呼ぶから。ねえ、まゆ。薬を……シリンジを、桜に投与して。お願い、できるでしょ?」

「……無理、ですよぉ」

「どうして……まゆの魔力ならできるでしょ? ねえ、私が怒らせてるなら謝るから、なんでもするから、だから、桜を」

「……桜ちゃんは、『魔導炉心』を撃ち抜かれてます……だから、もう……手遅れ、なんですよぉ……」

 

 できることなら自分だって助けたい、とばかりに拳を震わせて、まゆは絞り出すようにその残酷な事実を告げる。

 俺たちの心臓の代わりになっている「魔導炉心」も、突き詰めていえば機械に分類されるものだ。

 それは肉体の損傷と違って、「薬」でどうにかなる領域の話じゃない。時空制御でもしない限り、壊された「炉心」が体内で元に戻ることはない、だから。

 

「……いい、んです……ゆき、な……わたし、は……あ、なたを……だまし、て……」

「そんなこと言わないでよ……! 別にいいよ……だって桜は悪くない、家族を人質に取られてたんでしょ? 仕方ないよ! だからお願い、死なないで……私は、私は、桜と、もっと……」

 

 零れ落ちていく涙を止められないまま、由希奈は細腕の中で命の灯火が消えかかっている桜へと、取り繕ったような笑顔で呼びかけ続ける。

 ──どうすれば、よかったんだ。

 俺だって、助けられる手段があったならそれを選びたかった。鏑木さんが怪しいと踏めていたなら、せめて息を潜めていたことに気づけていたら、どれだけよかったことだろうか。

 

 だが、それは全てたらればの話でしかない。

 覆水は盆に返らない。起きてしまった出来事を変えることは、俺が──西條千早がどれほど戦いに特化した力を持っていても、できはしないんだ。

 だから、せめて。これが、今辿っている運命が、形は違えど、由希奈ルートにおけるグッドエンドと同じ筋書きなら。

 

「……ゆ、きな……」

「なに、桜……?」

「……ねがう、なら……わた、し……は……あなた、と……とも、だちに……なりたかっ、た……」

「そんな寂しいこと言わないでよ……もう、私たち友達じゃん、来週の日曜にまたカラオケ行くって約束したじゃん、だから……!」

「……あり、がと……う……」

 

 ──ゆき、な。

 最期に、残された命の灯火を燃やし尽くすかのように友達の名を呼んで、桜は静かに事切れた。腕からは力が失われ、瞳から光が消えていく。

 さよならを言えたことは、幸せだったんだろうか。せめて最後に微笑んでいたことは、幸せだったんだろうか。

 

「──ッ、ああああああっ!!! あああああああッ!!!!!」

 

 由希奈の慟哭が響く。

 だが、その陰で静かに機会を窺っていた存在がいることを、俺は知っている。

 もうなにもかもが手遅れだ。なにをしたって桜の命が蘇ることはない。そんなことはわかっている。

 

 わかっていたとしても、だ。

 せめて、もうこれ以上この残酷な世界に命を奪われないように、大切な人を失わないように、俺は。

 コンテンダーをホルスターから抜き放ち、血溜まりの中で銃を由希奈に向けていた「零」へと狙いを定め、俺は引き金を引く。

 

 弔鐘のように、火薬が炸裂する無機質な音が廃倉庫の中に鳴り渡る。

 放った弾丸は過つことなく「零」の頭を正確に撃ち抜いて、原作における最後の悪あがきを阻止することに、由希奈の命を守ることに成功していた。

 だが、それがなんだっていうんだ。

 

 それが、なんだというんだ。

 知っているなら、教えてくれよ。

 果てしない失意の中で、コンテンダーの銃口から立ち上る硝煙が揺らいで消える。

 

 さながらそれは、幽霊のように。




静かに響く、弔鐘の弾丸


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それでもただ、前へと進め

 その後のことを、なにから語ればいいだろうか。

 正直なところ、ショックが強すぎてなにも覚えていないといいたいところだったが、本当に覚えていなかったら、どれだけ幸せだっただろうな。

 作戦自体は、成功したといっていいのだろう。

 

 目的通りに「ゴースト」を討伐したことで、破損しているとはいえ「魔導炉心」を回収できたという口実ができたのもあって、俺たちと桜が個人的な接触を持っていた事実については、探りを入れられることもなかった。

 政府関係者、それもかなり深いレベルのところまでネズミに潜り込まれていたことは失態だと防衛省のトップはお冠だったが、そこから先は机仕事をしている役人たちの管轄で、現場が関わることはできない話だ。

 ただの推測でしかないが、多分、潜り込んでいたのは「零」だけじゃないだろう。これから、組織改革という名の粛清が水面下で行われていくのだろうが、これも俺たちには関係ない。

 

 俺たちにとっての作戦は、失敗だった。

 いや、そんな言葉で片付けられるほど軽いものじゃない。それもあって、今の「間木屋」は葬式状態だ。

 大佐に集められたからそれには応じていたとはいえ、誰もが口を開こうとしなければ、俺もまた後悔と自己嫌悪でなにかを喋ろうという気にもならない。

 

 どうしたもんかね。考えたところで、どうにもならんが。

 鉛のように重たい空気だけが漂っている中、沈黙を破ってドアベルが鳴る。

 照明もつけずに黙り込んでいたのもあって、差し込んでくる日差しがいやに眩しく感じられた。ドアを開けたのは、案の定というかなんというか、大佐だった。

 

「……今回の顛末を報告したくてね。悪いが、明かりをつけても構わないかい」

 

 返事もせずに項垂れている俺たちの姿を見て、どんな表情をすればいいのか大佐もまたわかっていないのか、引きつったような笑みを浮かべて店内の照明を灯していく。

 顛末もなにも、俺たちの作戦は失敗して、桜は死んだ。それだけだ。

 腐っているだけなのは承知の上だが、それでもこの感情に置き場がないことは確かだった。

 

 ドアを施錠すると、大佐は地下のミーティングルームに来るように、と一言だけ言い伝えて、バックヤードへと去っていく。

 正直なところまともに話を聞けるような精神状態じゃあないが、これも任務の一環である以上、腐ってもいられないんだよな。

 俺たちは魔法少女だ。特級魔法少女だ。

 

「……皆、行くぞ」

 

 だから、立ち止まれない。例えなにがあったとしても、立ち止まってはいけないんだ。

 自分にひたすらそう言い聞かせて、俺は沈黙を破り音頭を取る。

 普段であれば由希奈が軽口の一つも叩いて、葉月がそれに突っ込みを入れてるんだろうが、今回の件で一番ダメージを負ってるのはその由希奈なのだ。

 

 だから、葉月もこよみも、そして手遅れだと宣言したまゆも、痛ましい顔で肩を落としたその背中を見ていることしかできなかったのだろう。

 俺だってそうだ。かける言葉が見当たらない。

 それでも前に進むしかないというのは、由希奈もまたわかっているのだろう。幽鬼のような足取りであったとしても、ちゃんとブリーフィングルームへと歩いていることがその証拠だった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「……つらい中、よく集まってくれた。今回の『ゴースト』事変の顛末は諸君らも知っての通り、こちらが『ゴースト』の『魔導炉心』を確保し、内部の裏切り者であった鏑木を……テロリスト『零』を粛清できた。加えて一級魔法少女に犠牲者も出さなかった。そのこともあって、上層部は今回の事変における諸君らの働きを高く評価している」

 

 言ったところでしょうがないんだろうが、全くもって嬉しいという気持ちが湧いてこない。

 大佐の報告だって持ち帰ってきた文書を読み上げさせられてるだけなんだろうから、ここで感情をぶつけたって、子供じみた八つ当たりにしかならないことはわかっている。

 上層部が本当に「結城桜」という人間の命に対して関心をなに一つとして持っていないのもそうだ。俺たちが内々的に桜の情報は握り潰していたから、仕方ないとはいえな。

 

 それでも、怒りを覚えてしまうのは人間の性ってやつなんだろう。

 こればかりはどうしようもない。

 由希奈へと視線を向けてみれば、怒る気力もないのか、ただ沈鬱な表情で俯いたままだった。

 

「……結城桜の家族については我々も保護を試みたが、既に殺されていたよ。最初から彼女はおれたちに対する陽動役として、いつでも切り捨てられるようにしていたのだろうな」

「……承知した、此方の無茶な要請に応えてくれたことを感謝する、大佐」

「……この件に関してはおれも一枚噛んでたからな。話を続けよう。そして結城桜の『魔導炉心』だが……これは先日の地下鉄襲撃事件で戦死した三級魔法少女のものが横流しされていたようだ」

 

 大佐は小さく咳払いをすると、眉間にシワを寄せてそう言った。

 残数の改竄にも関わった人間がいるとなれば、この問題は相当根深いのだろう。

 だが、それ以上に厄ネタなのは、あの事件で戦死した三級魔法少女の破損した「炉心」が横流しされたことそれ自体もだが、「破損した『魔導炉心』を稼働状態まで持っていける術を、「暁の空」は持っているということがまず一つ、そして。

 

「……予想はついていると思うが、もう一個の『魔導炉心』は行方知らずのままだ。恐らくは『暁の空』が持っていると見ていいだろう」

 

 大佐が言った通りだ。桜を切り捨てることができたのは、恐らくそっちが本命だったということなのだろう。

 強化魔力弾の生産に桜が関わっていなかったという証拠はないが、少なくとも桜をあの場で切り捨てて問題がないと判断できる程度の余裕が「暁の空」側にはあって、恐らく今もその炉心は稼働し続けている。

 つまるところ、俺たちは完全にやつらの掌の上で踊らされていたということだ。

 

 桜が自作自演のヴィジランテ的な行為に明け暮れていたのも、俺たちの目をそっちに向けさせるためだろう。

 今回は本当になにもかも、してやられた。

 それに、一級魔法少女の魔力障壁を貫ける手段を安定的に確保できるようになったとなれば、今後、いつやつらが反転攻勢に出てくるかもわからないという始末だ。冗談じゃない。

 

「……今後は我々も通常任務に復帰する。結城桜の件については、おれも……弔意を表するよ。本当に、悼ましい事件だった。そしてすまない、おれがもっと早く、鏑木のことに気づいていれば」

「……それは此方も同じことだと考える」

「……西條千早」

「確かに、立ち直るには時間がかかるかもしれない。だが、起きてしまったことは変えられない以上……我々は前に進んでいく他にない。それが唯一、此方が桜にできる弔いだろう」

 

 綺麗事を言っているのもまた承知の上だ。

 だが、もし俺たちが桜の死に報いることができるとしたら、彼女が憎んでいた敵を倒すことと、生き残って、生き抜いて。

 いつまでも、桜のことを忘れずにいること。きっと、それだけだろう。

 

 だから、今はただ前に進むしかない。

 そして今度こそ、俺は躊躇っちゃいけないんだ。覚悟を胸に刻むしかないんだ。

 鏑木を、「零」を射殺した時の感覚はまだ生々しく指先に残っている。確かにあいつは死んで当然とまでは言わなくたって、相応の報いが必要だったのかもしれない。

 

 それでも、人を殺したということには、命を奪ったということには変わりないんだ。

 殺されたから殺して、殺したから殺されて。臨界獣という脅威に人類が晒されている中で、そんなことを繰り返していても、不毛なのはわかっている。

 だとしても、俺は甘かった。覚悟が致命的に足りていなかった、だから。

 

「……許してくれとは言わない……だがせめて、その死に報いさせてくれ……」

 

 ぽつりと呟いた言葉が、誰の耳にも届いていないことを願いながら、俺は瞳の奥に滲んだ熱が零れ落ちてくる感覚に、ただ身を委ねていた。




咲いて、散る


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天に願いを、地に花を

 大佐に確認を取ったところ、桜の遺体と遺骨については国の方で簡単な弔いが行われて、戦死した魔法少女たちと同じ共同墓地に埋葬されたらしい。

 せめて家族と同じ墓には入れられないものかと思ったが、「魔導炉心」という最高機密に関わってしまった以上、それは難しいとのことだった。

 そして、桜の死から数日が経っても、この世界は止まることなく回り続けている。

 

 別にそれが、悪いことだとは思わない。

 俺たちが知らないだけで、今この瞬間にもどこかで誰かが死んでいる。どこかで誰かが生まれている。

 そう思っていても、わかっていても、どことなくやるせなさを感じてしまうのは、やっぱり人間の性というものなのだろう。

 

「いいんですかー、先輩」

「なにがだ、由希奈?」

「せっかくの休日なのに、私に付き合わせちゃってー」

 

 魔法少女たちの共同墓地には、個別の墓石が設けられていない。

 本当に共同で埋葬されるのと、機密でその場所が伏せられているのもあって、桜に弔いを捧げようにも、許可が下りなかったのだ。

 家族の、結城家の墓がある場所については大佐を通して判明していたから、そこで代わりに……といういい方は不謹慎だな。せめてそれぐらいの弔いはしてやりたかったのだ。

 

 だから、いいも悪いもない。

 そう決めたのは、由希奈が行く、と言い出して付き合う、と決めたのは俺自身の決断であって、そこに後悔はないのだから。

 むしろ、俺が同行することをよく許可してくれたもんだと感謝さえしている。

 

「此方こそ、良かったのか?」

「なにがですー?」

「……一人になりたいのであれば、今からでも」

「なーんだ、そんなことですか」

 

 先輩って心配性ですねー、と、由希奈は困ったように、感情の置き場がないかのように曖昧な笑みを浮かべる。

 いつもみたいにおどけようとして、失敗したような笑顔だった。

 それもそのはずだろう。本当であれば一番桜の死にショックを受けているのは由希奈で、きっと内心ではまだその死を割り切れていないのかもしれない。

 

「私はいつだって女の子と一緒なら満足ですよー、顔がよければ尚いいですね、うへへ」

「……そうか」

「だから、心配しないでくださいよー、先輩。先輩は美少女なんですから」

 

 それとこれとがどう繋がるんだ、と口に出せなかったのは、それが見え見えの強がりだとわかっていたからだ。

 日曜日。本当であれば桜と一緒にまたあのどんちゃん騒ぎをやる予定だった日が、よりにもよってその本人の墓に訪れるための日に変わるだなんて思うまい。

 俺にもっと力があれば、あるいはもっと知恵を働かせられれば、この悲劇もまた阻止できたのだろうか。

 

 それだけ告げると再び俯いてしまった由希奈を横目に、ただ考える。

 たった一人で誰も彼もを救える道なんて、都合のいいものはどこにもない。

 一人の力にはどこまでも限界があって、それが例え魔法少女であっても、その中で、他とは一線を画する特級であったとしても変わりはないのだ。

 

 だが、それを言い訳にしたくはなかった。

 映画の中で苦悩しながらも人々のために戦い続け、人々を救ってきたヒーローに自分がなれるだなんて思い上がりを抱いているわけじゃない。

 それでも、もっと上手くやれたんじゃないかという後悔が、もっと早く「零」の潜伏に気付けたんじゃないかという無念が、俺の中でただ燻り続けている。

 

 由希奈も、同じ気持ちなのだろうか。

 いや、違う。きっと、もっと、堪え難い自己嫌悪に苛まれているのだろう。

 かける言葉の一つも見つけることができない俺自身にも嫌気が差してくるね。

 

 淡々と電車を乗り継いで、目的の墓地まで歩く。

 その間にも俺と由希奈の間に会話らしい会話はなかった。

 時折知らない場所を歩くことで見えてくる景色であったり、そういうものに感慨を覚えることはあったが、これらが全て桜の見てきたものだと考えると、どうにも気持ちが沈んで、なにも言えなかったのだ。

 

 地図アプリで確認した墓地に辿り着く頃には、真昼の太陽が燦々と輝いていた。

 抱えてきた花束も、少し元気を失ったかのようにくたっとしている。雨に降られるよりはずっとマシだが、それにしたって憎々しいぐらいの青空だ。

 小さい頃には雲の向こうには天国があるんだと信じて疑わなかったもんだが、大人になるに連れてそんなものはないんだと、空の向こうにあるものは宇宙でしかないと、そう知ってしまった。

 

 なら、死んだ人間はどこに行けばいいんだろうな。

 俺みたいに、どこかの誰かとして生まれ変わるのか、それとも本当に──天国なんてものが存在して、そこで暮らし続けるのか。

 どっちも、都合のいい妄想だ。それでも、そうあってほしいと願わずにはいられない。

 

 そうでもなければ、桜が報われないだろう。

 俺みたいに、現世になんの未練もなかったのならまだいいかもしれん。

 だが、まだまだやりたいことも、やり残したことも、いっぱいあったはずだ。それなのに。

 

 後悔に沈んだまま歩き続けて見つけた結城家の墓がある場所には、黒い墓石が慎ましく佇んでいた。

 大佐から聞いた話じゃ、まだ家族の遺骨は埋葬されていないらしい。普通と同じように、四十九日を迎えたその時に入れられるようだ。

 そこに桜も一緒にしてやれないのが、ただ悲しくて、そして、悔しくて。

 

「……済まない、桜……」

「……先輩」

「……済まない……」

 

 許してくれ、なんて言える立場じゃない。

 俺が運命を変えたことで桜が犠牲になった、なんて考えも傲慢なのだとはわかっている。

 だから、進み続けるしかないんだ。その死を胸に刻んで、その死を背負って、ただひたすら前に、前に。

 

 止まることなく進み続けることこそが弔いになるのだとわかっていても、流れ落ちてくる涙を止めることはできなかった。

 由希奈は困ったように笑うと、俺の分まで花束を手にして、墓石の前に歩み出る。

 そして、中の水を道中で買ってきたミネラルウォーターに入れ換えて、花束を花立てへとそっと添えた。

 

「ごめんね、桜。湿っぽい感じになっちゃってさー、先輩、真面目な人だから」

「……」

「だから、さ……向こうでも友達作って、元気にやっててよ。私たちはいつそっちに行けるかわかんないけどさー、笑った桜はさ、すっごく可愛いんだから……だから……」

 

 ぱたり、と、一粒の滴がこぼれ落ちて地面を濡らす。

 元気でいてね、と小声で言い切って、由希奈は墓石に背を向ける。

 それがきっと精一杯の強がりで、目一杯の弔いだったのだろう。

 

 肩を震わせて、力を失ったように地面へと頽れて、由希奈は天を仰いで涙を流す。

 

「ああ、あ……うわあああああっ! 桜……ごめんね、さくらぁ……っ……!」

「……由希奈……」

「桜……なんで……なんで、皆……私を置いて……」

「……」

 

 まだ俺たちがいる、と、そう言えばよかったのだろうか。

 わからない。それが正解なのかどうかも、なんの慰めになるのかも。

 ただ一つわかるのは、俺も、こよみも、葉月も、まゆも。この世にいる誰もが、桜の代わりになんてなれないということだけだった。

 

「……先輩……」

「……どうした、由希奈」

「……泣いて、いいですか……? 泣かせて、くれますか……?」

「……構わない。此方にできることであれば、なんでも」

 

 悲壮な笑顔を浮かべて問いかけてきた由希奈の言葉を首肯して、俺はただされるがままに胸へと飛び込んできた由希奈が慟哭するのを見守っていた。

 零れるままに、溢れるままに流れ落ちる涙もそのままに、俺たちはただ失われた、たった一つの命に想いを馳せて、祈りを託す。

 天国なんて、本当はどこにもないのかもしれない。それでも、桜の魂が、喪われた命がそこに行けることを、ちゃんと天使たちがその門を開いて待っていることを、願わずにはいられなかった。




第二部、完


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第三部 デッド・セット
続いていく世界の中で


 桜の死から、およそ二ヶ月が経った。

 気付けば新緑の芽吹きも陰鬱な梅雨も終わって夏に突入しようとしている世界の中で、俺たちがなにをしているのかといえば。

 飛来する銃弾を一刀の下に斬り裂いて跳躍、俺は今頭を狙ってきた狙撃手を、刀のサビにする。

 

 喉を切り裂かれたことで断末魔も上げられないまま、敵が血溜まりの中に沈む。

 撃つのと斬るのとではどっちがマシなのかはわからんが、少なくとも特級魔法少女五人組の中で俺と葉月が前衛を務めている都合、戦線を押し上げるという意味なら、こっちの方が手っ取り早い気がした。

 そう、俺たちがもっぱらなにをやっているのかといえば、いよいよ一級魔法少女に通用する魔力弾の運用ができるようになった「暁の空」の始末だった。

 

 強力な武器を手に入れたことではしゃいでいるのか、それともなにか策があるのかは知らんが、まるで挑発を繰り返すように、連中が起こすテロの頻度が上がってきたからその対処に回っているというわけだ。

 本来魔法少女の本分である臨界獣との戦いは一級に任せて、人類を守るための刃である魔法征装をテロリストとはいえ同じ人間に向けることに躊躇いがないかと訊かれた時に、首を縦に振れば、それは嘘になるのだろう。

 だが、他にやれるやつらがいない。警察の特殊部隊相当の装備では「暁の空」側が持ってる武器に追いつかなければ、自衛隊はその運用を巡って国会が絶賛大紛糾中だ。

 

 だから、基本的には数が多い三級で対処しつつも、魔力障壁がまだ有効な俺たちにもそのお鉢が回ってきたという寸法だった。世の中ままならんね。

 幸いなのは「暁の空」を束ねている表向きの首領──「骸王」がこっちの不意を打つでもなく、懲りもせずに予告を繰り返しているおかげで、対処がしやすいことぐらいだろうか。

 今日もテロの標的になった大型ショッピングモールは臨時休業、半径十キロには人を徹底して入れないという体制の下、俺たちは出撃していた。

 

「これで終わりましたねぇ」

「うむ……」

 

 まゆのシリンジで致死毒を注入されて息絶えたテロリストが泡を吹きながら地面に頽れていくのを横目に、俺は血振るいをした「雷切」を鞘に収める。

 もう下部の構成員からは有益な情報はなにも得られないと見た「M.A.G.I.A」からはとうとう全ての作戦において「誰一人生かして返すな」というお達しが来ている。

 当然といえば当然だ。それに、上からの命令とあれば従わざるを得ないわけで。

 

「一応命令通りにはやりましたけどー、これどうやって誤魔化すんでしょうねー」

「……え、えっと……頑張って……?」

「頑張ってってアンタ……まあ間違ってないけど」

 

 由希奈がぼやいた通り、駅の近くにあるショッピングモールが緊急閉鎖して、その上人払いもされてるとくれば、政府やお上がどんなカバー・ストーリーで誤魔化すのやらといったところだった。

 まあ、実際その辺は偉い人が頑張ってなんとか誤魔化すんだろうな。こよみは賢いなあ。

 不意にそのふわふわした銀髪を撫で回したい衝動に駆られたのを抑え込み、俺は極めて冷静な先輩面を作って呟く。

 

「……それは此方の考えるところではあるまい、だが」

「だが、どうかしたんですか? 先輩」

「うむ……いや、此方の考えすぎだ。忘れてくれ、葉月」

 

 間違いなく「暁の空」には狙いがあるとみてもいい。

 桜の件で一杯食わされたことからもわかるように、連中はまるでなにかから目を逸らさせるかのように行動している節があるのだ。

 それは恐らく「骸王」を裏で操っている何者かの意思なんだろうが、国家転覆を企んでいるにしてはやることが遠回しすぎるし、魔法少女の殲滅を企んでいるにしては迂闊に犠牲を出しすぎている。

 

 魔力弾を現場が過信しているから、という線もなくはないだろう。

 だが、現状でやつらの組織が裏社会の食い詰め者たちが作る寄り合い所帯になっている以上、アホな思想に乗っかって浮かれている思想犯はかなり少ないはずだ。

 葉月に言った通り、これが俺の考えすぎなら、それに越したことはなにもないんだけどな。

 

 だが、そんな慢心に対する代償は、二ヶ月前に最も大きな形で払わされている。

 なら、考えすぎているぐらいでちょうどいい。身構えすぎているぐらいでちょうどいい。

 死神がいつ俺たちの首にその鎌をかけてくるかわからない以上、気を張っておくに越したことはないからな。

 

 もう、桜の時のような悲劇を繰り返したくはない。

 それは口に出さずとも、皆がそう思っていることだろう。

 だから殺し合うってのも、嫌な話だとは思うさ。殺されたから殺して、殺したから殺されて。

 

 その連鎖が続く虚しさはわかっていても、これが戦争ではなく暴力との戦いであるなら、その連鎖を断ち切るまで戦い続けなきゃならないのが、俺たちの使命ってやつなのだろう。

 お上から派遣されてきた「M.A.G.I.A」直属の特殊清掃班が現場入りするのと入れ違う形で、俺たちはショッピングモールを後にする。

 戦いよりも後始末をする方がある意味大変だろう。そういう意味じゃ、特殊清掃班の方々には頭が下がる思いだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「近頃はなにかと物騒だねえ……この前はショッピングモールで爆破予告とボヤ騒ぎがあったんだろう?」

 

 テロリスト共を始末した翌日、通常営業に戻った「間木屋」の唯一まともな常連こと新聞記者の由梨さんが、料理を運んできたこよみにそう問いかける。

 

「は、はい……そう聞いて、ますっ……」

「全くもって嘆かわしいねえ、政府は未だに自衛隊の運用でてんやわんやだ。一時期巷を賑わせた『ゴースト』もどこに行ったことやら」

「……『ゴースト』、です、か……」

「陰謀論だとは思うんだがね、近頃やたらと大規模な事故やら爆破予告やらが多発してるもんだから、裏でなにかあるんじゃあないかと勘繰ってる連中は多いんだよ。ま、ぼくも似たようなものだがね」

 

 SNSじゃ「ゴースト」待望論が一部の人間には熱狂的に支持されてるみたいだしね、と呟いてから、由梨さんはまゆお手製のカルボナーラを頬張る。

 曰く、「ゴースト」は死んだ。曰く「ゴースト」は自分たちの知らないところで今日も悪を裁いているに違いない。

 また曰く、「ゴースト」は政府が作り出した架空の存在だ、なんてエキセントリックな意見もあるな。真実を知らないからといって、好き勝手に言ってくれるものだ。

 

 だが、その真実が人々の目に晒されるには、あまりにも残酷すぎるということを、俺たちは誰よりもよくわかっていた。

 あれから徹底的に「M.A.G.I.A」や防衛省、果ては関係ない省庁まで素性の洗い出しやらなにやらが行われたらしいが、鏑木──「零」以外はシロだったようで、今日は一人減って三人、いつもの役人たちが店に訪れている。

 その事実に、少しだけほっとした自分がいた。それだけ、鏑木という人間に、信じていた誰かに裏切られたことは、俺の中でも尾を引いていたらしい。

 

「うむ、今日もこの店のランチは美味しい……最近臨時休業ばかりで寂しかったんだがね?」

「まあ、色々ありましてー、色々ー」

「ぼくが心配することじゃあないかもしれないが、本当にこの店利益出てるのかい? 常連以外の客が来てるのを見たことがないけども」

「その辺も色々あるんですよー、このお店、店長が趣味でやってるようなもんですからー」

「だからキミはそうして堂々とソシャゲの周回やってるのかい」

「そういうことでーす」

 

 他愛もない会話を繰り広げながら、由希奈はそれとなく由梨さんの勘繰りを跳ね除けてみせた。

 二ヶ月が経っても未だに傷は癒えていないだろうに、健気なものだ。業務時間中に堂々とソシャゲ周回してることを除けばな。

 こうして良くも悪くも、世界は続いていく。目を閉じて眠りに落ちて、朝の目覚めに目蓋を開けば、今日と地続きの明日がやってくる。

 

 その明日に乗り損ねた、進んでいく時間から零れ落ちてしまった誰かがいることを、世界は気にも留めることはなく。




第三部、始動


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買い出しのお誘い

『えー、続いてのニュースです。先日、墨田区に現れた臨界獣ダイモーン級ですが、一級魔法少女及び自衛隊の活躍により、無事討伐されました。本件における──』

 

 カウンターの脇に置かれたテレビから垂れ流されている音声が、右から入って左に抜けていく。

 基本的に、特級魔法少女が出撃するのは特殊個体が確認された時に限定されているが、ダイモーン級も場合によってはその対象となることがある。

 ただ、現状、臨界獣戦は一級が対処する範囲を広げることで、俺たちや三級魔法少女たちがその間になんとか調子づいた「暁の空」を封じ込めようと泡を食っているのを、テレビの向こうの大多数が知ることはない。

 

 だからなんだって話だけどな。

 相変わらず客が来る気配がない、というよりは全力で店が客を避けているような「間木屋」は絶賛開店休業中だ。

 それはそれとして、本来は臨界獣に振るわれるべき特級魔法少女の力が、仕方ないとはいえ、人類同士の争いに使われていることに、思うところがないといえば嘘になるんだが。

 

「次、先輩の番ですよ」

「む……すまないな、葉月」

 

 そしてもっぱら「暁の空」絡みの案件に専念するように命じられた俺たちがなにをしているのかといえば、キッチン担当のまゆを除いた四人でジェンガに興じていた。

 頼まれたら断れないこよみはともかく、基本的には真面目に職務をこなしている葉月もジェンガに参加しているのは、まあ、あれだ。

 由希奈に対して、皆口には出さないが、思うところがあるんだよ。人の死、それも親しい人間のものは、そう簡単に割り切れるもんじゃない。

 

 当の本人が、ジェンガは高さを競うエクストリームスポーツとか言ってにやにやしてるとしてもな。

 俺は適当に重心が偏らない範囲から選んだブロックを抜いて、タワーの上に重ねていく。

 それでも違法建築じみてきたな。崩れる時は近そうだ。

 

「……ぁ、あの……千早、先輩……」

「む……どうした、こよみ?」

 

 抜くところにでも迷ってるのか?

 ふと、こよみが困ったように眉尻を八の字に下げて問いかけてくる。

 だが、あの、とか、その、とか要領を得ないことを口籠って、最終的には「……ぁ、ぇ……な、なんでもないです……」と黙り込んでしまった。

 

 一体、なんなんだろうな。

 まあ、こよみはシャイな性格だから、言いたくても言えないことの一つや二つあってもしょうがないのだろう。

 ぷるぷると息を止めて頬を膨らませながらブロックを慎重に引き抜き出した本人をちらりと一瞥して、俺はふむ、とも、うむ、ともつかない唸り声を上げる。

 

 こよみが俺に対して言いたいこと、か。

 少し考えてみたが、特に心当たりはない。

 原作のシナリオがぐちゃぐちゃになっている都合以前に、そもそも俺がこの時点で生きてることがイレギュラーだからな。なにかあるとすれば、「西條千早」ではなく「俺」に言いたいこと、なのだろう。

 

「……わからんものだな」

「なにがですー?」

「いや、なんでもない……もう此方の手番か」

「そうですよー、先輩。今日こそパンツの色を教えてもらいますからねー、うへへ」

 

 黒だが、それがどうかしたのか。

 欲望まみれの罰ゲームを考えている由希奈へと一瞬、素でそう答えそうになったが、そういえば俺は元々「西條千早」じゃなかったんだよな。

 なんだかんだでこの身体との付き合いも短いようで結構長い。

 

 精神が肉体に引っ張られるなんて眉唾物だと思ってたが、案外そうでもないらしい。いや、どっちかというと由希奈の扱いに慣れたといった方が正しいのかもしれないが。

 

「アンタね、もう少しまともな罰ゲームを考えなさいよ」

「失礼な、乙女の秘密を賭けるのは立派なスリルだぜー、葉月ー?」

「その欲望を隠せって言ってるのよ」

 

 そんなんだから評価が下がるのよ、と溜息混じりに葉月が呟く。実際、黙ってれば美少女なんだよな、黙ってれば。

 ただ、今だんまりされてもそれはそれで気落ちするというか、仲間として冷たすぎるからなんだかんだ言いつつも由希奈の馬鹿騒ぎに乗ってやってるんだろう。

 原作じゃ俺が死んだせいでこよみとギスりまくったことでアンチも多かった葉月だが、こんな具合に根っこは健気なんだよな。

 

 とりあえず、もう違法建築化したタワーはどこを触っても上層がぐらつく始末だった。

 高さを競うってんならもう少し重心を考えて抜いてほしいもんだが、お構いなしにバランスを崩しに来てる辺り、それ以上にパンツの色が知りたいんだろう。

 その情熱には呆れを通り越して、一周回って感心する。本当にお前が美少女でよかったな、由希奈。

 

「心頭滅却すれば火もまた涼し……」

「うへへ、諦めて乙女の秘密を私の前にさらけ出してくださいよせんぱーい」

「……自分が罰ゲームを受けるとは微塵も考えていないようだな」

「そりゃそうですよ、由希奈さんこれでもジェンガマイスターですからねー」

 

 なんだその聞いたことない上に実用性が欠片もなさそうな役職は。

 にやにやしながら全力で俺がブロックを抜く様子を見守っている由希奈に溜息を一つ投げて、俺は大分怪しいところから一本引き抜く。

 大分ぐらついたが、まあ許容範囲だろう。

 

 だが、俺が無事にブロックを抜いてしまったということは、こよみに手番が回ってしまうということでもある。

 しまった、完全に失念していた。

 俺は別に下着の色を由希奈に訊かれたところで構わないが、こよみは違うはずだ。

 

 こよみは青ざめた、この世の終わりのような瞳で、震える違法建築を眺めていた。

 頑張れこよみ、ここを乗り切れば手番は由希奈に渡るんだ、だから諦めるんじゃない。

 視線でエールを送ってみたが、なんかもうダメそうだ。

 

 いや、すまない。本当にすまない、こよみ。

 心の中でそう詫びると同時に、指先が触れたジェンガが崩れ落ちていく。

 時既に遅しとはまさにこのことか。

 

「うへへ……それじゃこよみちゃん今日のパンツ何色って痛ったぁ!」

「……これでチャラになるとは思わないけど、とりあえず殴っといたわよ」

「……ぁ、ぇ……あ、ありがとう、ございます……? ぇ、えっと……その……わたしの……ぱ、ぱんつは……し、白、です……」

 

 律儀に毎度毎度答えなくてもいいんだぞこよみ。

 葉月は、呆れたように肩を竦めて溜息をつく。

 拳骨を落とされてもほっこりとした笑顔を浮かべてる由希奈についてはこの際もうノーコメントだ。

 

「ほうほう白ですか……レースとかフリルがついた可愛らしいデザインと見た!」

「……ぁ、ぇ……!? ぇ、ぁ……」

 

 由希奈の名推理はどうやら当たっていたのか、瞬間湯沸かし器の如く頬を真っ赤に染めてこよみが俯く。

 

「こよみちゃん白好きだよねー、でもそれだけじゃもったいないし、今度一緒に下着買いに行かない? それに、先輩もそのブラそろそろぎっちぎちで限界ですよねー? だから今すぐ行きましょうそうしましょうってあ痛ったぁ!?」

「……アンタ、その内捕まるんじゃないの? 特級魔法少女の恥さらしもいいところだからやめてよね」

 

 下着マイスターとしての能力も持っていたのか、いい加減買い換えるタイミングを逃してぎっちぎちな俺のブラについても見抜いた由希奈が、葉月にお盆で引っ叩かれる。

 まあ違法か合法かでいえばギリギリ合法なんだろうが、なんだろうな。そのうち捕まってもあまり驚かない気もする。

 取調室でカツ丼を食ってる由希奈を想像したら、これが妙にしっくりと来た。

 

「……今日は定時連絡もリモートで済ませるから、店を閉めるかい?」

 

 ガールズトークに興じていた俺たちへと、苦笑と共に大佐がそんな言葉を投げかける。

 

「なら、まゆはちょっとだけお出かけしたいですねぇ」

「ふむ? 食材の買い足しかい?」

「そんなところですよぉ、それと……千早先輩、少しだけまゆに付き合ってくれませんかぁ?」

 

 さっきまでキッチンで俺たちがジェンガに興じていたのを生あたたかい目で見守っていたまゆが、藪から棒にそんなことを言い出す。

 これまた唐突なご指名だな。

 別に予定もなにもなかったから、構わないが。

 

「うむ、此方は構わない」

「それじゃあ、よろしくお願いしますねぇ」

 

 穏やかな、道端に咲く花のような笑顔を浮かべたまゆが、なにを考えているのかはさっぱりわからなかったものの、とりあえずやるべきことは一つできた。

 それに、まゆとはあまりじっくり話したこともないし、いい機会かもしれない。

 ああ、由希奈なら葉月に正座させられてたよ。妥当な罰ゲームってところだろうな。




正座させられる由希奈


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癒し系魔法少女

 果たしてまゆの真意がどこにあるのかはわからないが、買い出しというのがただの口実であることぐらいはわかっていた。

 真夏の太陽が丁寧に炙ってくれたアスファルトからの反射熱と直射日光の両方を浴びながら、俺たちはしばらく無言で歩いていた。

 しかし、この季節になると、こよみみたいに日傘が欲しくなってくるな。給料貰ってんだからそれで買えって言われりゃぐうの音も出ないが、なぜかそういう、欲しいけど微妙に手出しを躊躇うのって、後回しにする癖がつくんだよ。

 

「また考えごとですかぁ、先輩」

「……む? ああ、日傘について少し考えていてな」

「そうですかぁ……先輩もそういうこと、考えるんですねぇ」

 

 いつも浮かべている朗らかな笑顔がどこか意味深に見えてくる言葉だ。

 いやまあ、魔法少女ってのは便利なもんで肉体の恒常性が魔力によって強固に保持されている……らしいから、詳しい理屈は知らんが、日焼けとかには縁がないらしい。

 だがそれはそれとしてクソ暑いものはクソ暑いし、眩しいもんは眩しいんだよ。心臓の鼓動がないのに汗をかくのも皮肉なもんだ。

 

 その恒常性とやらはどの辺まで保たれてるんだか怪しくなってくるな。

 設定資料集に一行だけ書かれていた文章からその行間に詰め込まれている塩梅を読み解くなんて高等な芸当は、生憎できそうにない。

 そんな、なんの益体も無い話はさておくとしても、まゆが言っているのが「俺」じゃなくて「西條千早」の話だとしたらその意味ありげな言葉も腑に落ちる。

 

 いくら言動や行動をロールプレイしていても、今の「西條千早」は、「俺」という異物で上書きされた状態だ。

 それに、チュートリアルで死ぬためだけに用意されたキャラだから元々ろくな設定がない。

 つまり、俺が私情を挟もうが挟むまいが、どこかで綻びができるのは仕方ないのだ。なんせ、中身が根本的に違うんだからな。

 

「此方が……『西條千早』がそう考えるのは意外な話か?」

「どうでしょうねぇ、意外といえば、意外かもしれませんけど……」

「しれないが、どうした?」

「まゆは今の千早先輩の方が、なんだか親しみやすいなぁ、って、思っただけですよぉ」

 

 さいですかぁ。

 親しみやすいと思ってくれてるんなら素直に嬉しいもんだが、まゆの視点からすれば、虚無を煮詰めた戦闘狂だった時代とのギャップで風邪でも引きそうになってるんだろうか。

 それとも俺が疑りすぎてるだけか。

 

 だとしたら、悪いことをしたな。困ったように微笑んでいるまゆを一瞥し、目頭を抑える。

 

「まゆが心配してるのは……そうですねぇ、先輩……最近、無理、してませんかぁ?」

 

 足を止めたまゆの柳眉が八の字に歪む。

 ああ、そっちか。

 てっきり中身が違うことを疑われてるとばかりに思い込んでいたが、そもそも、そう思い込んでしまってる時点で、南里まゆという人間が「そういうことをする人間じゃない」と頭で理解してるのに、心が自然と疑っている時点で、大分限界なんだろうな。

 

 なにを信じて、なにを疑うか。

 桜の死を前に、俺の原作知識はなんの意味もなさなかった。

 だから、せめて皆が命を落とす前に、俺にできることをやるしかないと、俺自身の頭で考えないと、なんて、小癪なことを考えていたのがこの二ヶ月だ。

 

 どんなに大義名分があろうが、どんなに正当な理由があろうが、人を明確に殺めてしまった時点で、もう後には戻れない。

 いや、違う。甘かったんだ。

 非殺傷任務じゃなければ、普段はおどおどしているこよみだって敵の命を奪うことに躊躇は見せない。

 

 躊躇っていたのは、俺一人だ。

 最強の魔法少女が聞いて呆れるな。

 覚悟ができていなかった、足りなかった、だからきっと、俺は。

 

「……先輩が、頼りになる人で、桜ちゃんのことを気にしてるのはまゆにもわかります」

「……まゆ」

「でも、最近の先輩は……なんだか、桜ちゃんのことに引っ張られてるみたいで、生き急いでるみたいで、不安だったんですよぉ、だから……ちょっとだけでもいいんです、まゆに、お話してくれませんか?」

 

 ──皆を癒すのが、まゆの役目ですから。

 相変わらず、どこか遠慮がちな笑顔を浮かべて、一歩引いたところから、まゆは俺のことを俯瞰していた。

 キッチン担当やってる店でもそうだが、やっぱり外側から見てると、見える景色は違ってくるものなんだろうな。

 

 その優しさが嬉しかった。

 だが、そこに甘えてしまえば、また戻れなくなるんじゃないかという不安があることもまた、確かだった。

 それでも、自然と唇が言葉を紡いでいたのは。

 

「……桜の死を止められなかったのは、此方の責任だと……此方は、そう考えている」

「……」

「もっと上手くやれていたのではないかと、もっと手の打ちようがあったのではないかと、常に……考えていたよ」

 

 その弔いってわけじゃない。

 その復讐がしたかったわけじゃない。

 ただ、俺は。俺はきっと、桜の死に見合うだけのなにかを、自分が犯した過ちを拭おうとしていた、報いるだけのなにかがしたかった、ただ、それだけなんだ。

 

「先輩らしい、ですねぇ」

「……そう、だろうか」

「でも……桜ちゃんが亡くなったのは、先輩だけのせいじゃありませんよぉ。まゆも、皆……皆、同じ十字架を背負ってるんです」

 

 先輩は、なんでも一人でやろうとしすぎてます。

 まゆは毅然と俺を見据えて、そう言い放った。

 原作知識があろうがなかろうが、一人の人間にできることなんてたかが知れている。ましてや一人で世界をひっくり返そうなんて、傲慢もいいところだと、そういうことなんだろうか。

 

 ああ、頭から水をぶっかけられたような気分だ。

 こよみの時は、たまたま上手くいってくれた、それだけだった。

 萌葱女史が努力してくれて、大佐が色々と便宜を図ってくれて……数えたらキリがないが、その功績は全部俺のものか?

 

 ──まさか、そんなわけがないだろう。

 確かに俺の持ち込んだ「可能性」はこの世界を変えてしまったのかもしれない。

 だが、それは。それは、賭けてくれるだけの誰かがいなければ、ただの可能性で終わっていたものでしかないのだ。

 

「……ふ、ははは……!」

「先輩……?」

「いや……全く、まゆの言う通りだ。此方が……此方一人がどうこうすれば、世界をどうにかできるなどと……全くもってひどい思い上がりだ」

 

 世界ってのは、そこまで単純なもんじゃない。改めて思い知らされたよ。

 どことなく肩の荷が降りた気分だ。そういう意味じゃ、まゆには感謝しなきゃいけないんだろうな。

 だが、それはそれとして、だ。

 

「……だが、立ち止まるつもりはない」

「……そう、ですかぁ」

「うむ……もうこれ以上、仲間を……友を失いたくはないからな。だから、まゆ。此方一人だけでは無理なこともある。其方にも頼らせてもらう時が来るだろう、その時は……」

「はい、まゆも協力させてもらいますよぉ」

 

 皆を癒して、守るのが、まゆの仕事ですから。

 柔和な笑みを浮かべながら、しかして覚悟を感じさせるはっきりとした口調でまゆはそう断言する。

 特級魔法少女の癒し系、発売前のキャッチコピーにそう書かれているだけのことはある包容力だ。おかげで心に空いた穴が埋まっていくような気分だよ。

 

 だが、それで終わらないのが「マギドラ」なんだよな。

 肩の荷は降りて、少しだけクリアになった視界で見つめる世界の空気を肺に取り入れながら、俺は静かに息を吐く。

 地雷が埋まっていないところを探した方が早いぐらい、死亡フラグが立ってない場面を数えた方が早いぐらい、クソゲー極まってるのがこの世界なのだ。

 

 だから、ってわけじゃないが。

 せめて今日もらった恩を返せるだけのことは、その笑顔と命だけはなんとしても守り抜かなきゃならないんだ。

 きっとそのために、この世界で生きている。そして、生かされている。

 

「そういえば、買い出しに行くって言ってたんでしたねぇ……牛乳でも買って帰りましょうかぁ」

「うむ、そうだな」

「帰ったらホットケーキ、焼きますかぁ?」

「……よろしく頼む」

 

 くぅ、と気が抜けるような音がした。主に、俺の腹部から。

 そういや、まだ賄い食ってなかったんだよな。

 ホットケーキの単語を聞いた瞬間、腹の虫が騒ぎ出したことに赤面しながら、俺はまゆと共に、とりあえずは口実作りのために、最寄りのスーパーへと足を運ぶのだった。




一人だけでも、誰かだけでも無理だ


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腹が減ってるときに急用をぶち込むのはやめろ

 近場のスーパーといっても店から徒歩でそこそこ時間がかかるぐらい。

 近いといえば近いが、真夏に歩かされるにはそこそこ堪える距離を歩いた俺たちは、自動ドアに吸い込まれるかのように店内へ足を踏み入れていた。

 炎天下の外とは真逆に、キンキンに冷えた空調が俺たちを包み込むように迎えてくれる。文明の利器は偉大だ、つくづくそう実感させられるな。

 

「ふぅ……」

「先輩、顔が緩んでますよぉ」

「む……すまない、外が暑かったものでつい、な」

 

 ついつい、いつもの仏頂面が崩れていたらしい。仕方ないと言い訳するのは情けないからやめておくにしても、やっぱり夏は苦手だ。

 冬と夏、どっちが好きかってのは他愛もない話の定番だが、俺は断然冬だな。

 着込めばある程度はなんとかなる寒さに対して、暑さはいかんせんどうしようもない。まさか下着姿で街を歩くわけにもいかないだろう。

 

 実験したくはないが、パンツ一丁で歩いてたってさほど涼しさは感じないはずだ。

 窓開けて扇風機だけでそんな酷暑を乗り切ろうとすることのなんと無謀なことか。

 なにも考えずにクーラーガンガン焚いて、毛布にくるまって部屋の隅で寒さを感じてるぐらいがちょうどいいんだよ、夏なんて季節はな。

 

「ふふっ……なんだか、最近の先輩はとっても丸くなりましたねぇ」

「……太ったか?」

 

 まゆが、口元を右手で覆い隠しながら柔らかくはにかむ。

 運動不足ってわけじゃないはずだが、カロリー高いもん食ってたからか?

 いや、まさか。それとなく脇腹を摘んでみたが摘める面積は少ない。それに腹筋もうっすらとではあるが割れたままだ。

 

「そっちじゃないですよぉ」

「そ、そうか……ならば重畳」

「そんな風に、なんて言えばいいんでしょうねぇ……とっても親しみやすくなったと思うんです。失礼かもしれないですけど、昔の先輩は、頼れる人でした。でも、戦い以外のことを考えてなくて……ちょっとだけ、怖かったんですよぉ」

 

 ああ、そっちの話か。

 この世界における「西條千早」がどんな過去を辿ってきたのかは知らんが、設定資料集に書かれていたことと僅かな描写から推測するに、まゆが言った通りの人間だったんだろう。

 こよみをピグサージの一撃から庇ったのも、情というよりは自分の命よりもこよみの方が戦略的に価値が高いと判断したからなんだろうな、きっと。

 

 俺という異物がインストールされたことで、虚無を煮詰めたような食生活が変わって、そこから仲間たちとの交流を経て俺もまた変わっていって。

 そこに違和感を抱かないのはまゆが優しいからなのか、意図的に見逃してくれているからかは判断がつかない。

 だが、今の西條千早が、俺の演じるその役割が親しみやすくなったと感じてもらえているなら、それは多分幸いなことなのだろう。

 

「……此方も、そればかりではいられないと思って、な」

「戦い、ですかぁ」

「肯定する。今でも戦う覚悟はできているつもりだ。だが……そうだな、この命は拾ったようなものだ。ならば、少しは……それらしく生きてみるのも悪くないと、そう考えただけだ」

 

 本当であれば、俺がインストールされていようがいまいが、西條千早がピグサージ戦で死んでいた、という意味じゃ嘘はない。

 命は出撃する時とっくにかけてきた、と言える「西條千早」からすれば今の「俺」はさぞかし弱く見えるのだろう。

 それでも、なんだろうな。誰かによって生きているし、生かされているのが人間なら、一人で常に肩肘張って生きるより持ちつ持たれつでやっていく方がいいと、俺は思う。

 

「……もう、特攻みたいな作戦なんて立てないでくださいよぉ」

「まゆ」

「ピグサージを倒すには、そうするしかなかったのかもしれません。でも、先輩はもっと自分のことを大切にしてほしいと思ってましたから……今の先輩は、まゆ的にはぁ、とってもグッド、です」

「……そうか、感謝する」

 

 話したそれが全てってわけじゃない。俺は「俺」であることを伏せて「西條千早」をやっているのだ。

 そういう意味じゃアンフェアなのはわかっている。

 そこにせっかく女子として生きることになったんだからという趣味と実益というか、純度百パーセントの私情が大いに絡んでいることもまた然りだ。

 

 騙しているみたいで気が引けるが、嘘は言ってない。

 典型的な詐欺師の手法だな、と内心で自嘲しつつも、それを表に出すことはなく俺は、牛乳が並んでいる棚からパックを一つ取ってまゆに手渡した。

 どの道、今は俺が「西條千早」なんだからそれでいい、と開き直っていくしかないんだろうな。例えそうすることで、正史とズレていったとしても。

 

「……正しい歴史、か」

 

 まゆがレジに並んで会計をしている間、その近くに並べられたベンチに腰掛けて俺は一人呟く。

 正史では死んでいるはずの俺がいて、正史にはいなかった桜という存在がいた。だが、概ねこの世界は「マギドラ」における各ヒロインたちのルートをなぞっている。

 少なくとも「零」が鏑木になっていた時点で、極端なイレギュラーが発生しているのは確かなのだろう。

 

 うーん、わからん。

 要するに、俺一人だけであれこれ考えていたってどうにもならないし、どうにもできないのが、世界ってものなのかもしれない。

 世界は、人の手にはあまりにも大きすぎる。それでも俺にできることがあるとすれば、俺がなすべきことがあるとすれば、それは。

 

 薄らぼんやりとそんなことを考えているうちに、まゆは会計を終えたようだ。

 にっこりと微笑んで、レジ袋に入れられた牛乳を掲げるその顔はまさしく癒し系の二つ名にふさわしい。

 そして、考えている間に脳がカロリーを消費したのか、くぅ、と小さく腹の虫が不平を喚き立てる。

 

 さっさと帰って、まゆのホットケーキが食いたいな、と、赤面しながらそんなことを頭に浮かべた瞬間だった。

 

『特種非常事態宣言が発令されました。繰り返します、特種非常事態宣言が発令されました。速やかに最寄りのシェルターへと避難してください。繰り返します──』

 

 店内放送から、よりにもよってこのタイミングで特種非常事態宣言が発令される。

 俺たちは今特殊任務中という名目でテロリスト狩りに駆り出されているが、一級魔法少女でも手に余る臨界獣の特殊個体──要するに特種非常事態宣言が出されるようなやつに関しては、いつも通り特級が対処するように命令が下っていた。

 つまり、出番が来たということだ。よりにもよって、腹の虫の居所が非常に悪い時に。

 

「……まゆ!」

「わかりましたぁ!」

 

 牛乳を詰めた袋を一旦レジ前の袋詰めコーナーに置いて、俺たちは逃げ惑う人々の中をかき分けながら、その流れを全力で逆走する。

 歴史が本来の流れとズレてしまっている今、なにが出てくるのかは予想できないが、特殊個体の臨界獣なんてどれもこれも厄介なんだから誤差だよ誤差。

 あとは俺たちの攻撃が通じるような相手であることを祈るだけだ。お祈りゲーはクソゲーの基本にして完成形だからな。

 

 そういうところだぞ、よっぽどめんどくさいから通称「こよみちゃん砲」で都市ごと爆破するか、クソめんどくさい戦いを強いられるかの二択。

 そういうところがクソゲーの評判を盤石にしてるんだぞ、わかってんのか、「魔法少女マギカドラグーン」。改めてここがクソゲーの世界なんだと思い知らされる。

 いや、人の心をどこかに置き忘れてきたあのスタッフ共だからわかってやってるんだろうな。余計にタチが悪い。

 

 心の中で、こよみを曇らせることこそが「マギドラ」を作った最大のモチベーションです、などとインタビューでほざいていた統括プロデューサーへと盛大に中指を立てながら、俺はまゆと共に女子トイレへと駆け込む。

 店員たちは避難誘導にかかりきりだったが、俺たちが逆走してることを注意されなかったのは幸いだ。

 なにが現れたかは知らんが、俺も今は虫の居所が悪いんだ。このまま三枚おろしにしてやるよ。

 

『ドレス・アップ!』

 

 異口同音に「魔導炉心」からの解号を唱えて、俺とまゆは光の繭へと包まれて、メイド服からゴスロリドレスにその装いを改める。

 さあ、出撃だ。

 小さく頷いた俺たちは女子トイレから飛び出して、反対側の自動ドアへと駆け出していった。よりにもよって「間木屋」の近くという、人の家の庭を荒らし回ったことを後悔させてやろうじゃないか。




風呂に入ってるときに宅急便が来るような現象


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分裂能力持ちは大体クソエネミー

 鬼が出るか蛇が出るか、といった風情でスーパーを飛び出した俺たちだったが、幸いなのかそうでないのか、今回の臨界獣についてはすぐ見当がついた。

 真夏のぬるい風に乗って漂ってくる強烈な腐臭。

 肉と臓物が言葉通りに腐敗した、できるもんなら嗅覚を遮断したくなるようレベルで激烈なそれだ。

 

「……ひどい臭いだ」

「そうですねぇ……」

 

 ただ、「界震」の発生地点はスーパーから大分遠くにあることだけが救いだろうか。

 なんでわかるかって、単純に生ゴミレベル999みたいな臭いが漂ってきたのは大分遠くからで、そして、敵が近くにいたらもっと強烈な拒否反応が出てただろうからだ。

 いや、どの道戦わなきゃならないんだから、この強烈な腐臭の中に突っ込んでいかなきゃならないんだが。

 

 ドブの中で発酵させた生ゴミみたいな臭いをなるべく嗅ぎたくはなかったが、嗅覚を頼りに俺たちは現場へと急行する。

 そして見つかったのは、大体二十メートルぐらいの、レトロゲームに出てくるドラゴンのゾンビとしか形容できない臨界獣だった。

 肉が腐り、臓物がこぼれ落ちて尚歩き続けるそれは生きているのか死んでいるのかも定かじゃない。

 

 いや、こいつの生死はさほど重要じゃないな。

 重要なのは、間違いなくこの敵がこの世に存在してはいけないレベルで冒涜的ななにかだということだ。

 耳に装着する通信機をつけてなかったせいで大佐からの連絡は取れないものの、前世からの知識でこのドラゴンゾンビ型臨界獣の名前と能力は覚えていた。

 

『Vooooooo……』

「ひっ……!?」

 

 低い唸り声を上げ、一歩踏み出すごとにぐちゃり、と不快な音を立てて地面にこぼれ落ちた肉片から、目玉と牙が生え揃ったクリーチャーとしか言いようがない存在が生み出される。

 まゆが一瞬目を覆ったのも納得できるレベルのグロさだ。

 それもそうだろう、「マギドラ」が元々十八禁だったのは半分ぐらいはこいつのせいだとプレイヤーたちに言わしめたレベルでグロく、不快度が高いクソボス──「臨界獣コラプトブロス」こそが、今現れている敵の正体だった。

 

 見た目がグロいだけなら、ゾンビをショットガンやらなにやらでひたすら処していくゲームで慣れっこだが、こいつがクソボスといわれている所以はそこじゃない。

 周辺住民が避難を終えていることを確認して、俺は「雷切」を天へと掲げた。

 そして、魔力が作り出す雷雲を呼び寄せ、堪え難い腐臭を放つ敵を討たんと、その名を、魔法を唱える。

 

「『雷帝招来』……!」

 

 一瞬、視界がホワイトアウトするような光が爆ぜ、少し遅れて轟音が響き渡った。

 呼び寄せられた雷はコラプトブロスからこぼれ落ちた肉片から生成されたクリーチャーを焼き払い、炭化させる。

 当然のようにアスファルトが穴だらけになってしまったが、こうでもしないと、やつらは再生するのだ。

 

 つまるところ、臨界獣コラプトブロスがクソボス呼ばわりされている所以は「攻撃されればされるほど、剥がれ落ちた肉片からクリーチャーが生成され、敵の数が増えていく」という、その一点に尽きた。

 しかも見た目がグロいしキモい。

 通常ルートには影も形も見せないものの、まゆルートにおいては、こいつがまず関門として立ちはだかるのだ。

 

「すごい……あれだけの敵が一瞬……はっ、先輩、本体はどうするんですかぁ……!?」

「……市街地の壊滅を考慮に入れていいのであれば、此方で対処できないことはない」

 

 肉片から生み出されたクリーチャーを倒した手段からお察しの通り、こいつの、コラプトブロスのシンプルな攻略法は「敵に増殖の余地を与えず、一撃で焼き払う」ことだ。

 原作だとこよみちゃん砲の切りどころとか言われてたな。それもまた頷ける。

 なんせ、こよみの主兵装たるチェーンガンとこいつじゃ相性が悪すぎるんだよ。幸い「炎」の魔法特質を持つ葉月が生き残ってれば、肉片の処理はなんとかなるんだがな。

 

 だが、こいつにはバグなのか仕様なのかよくわからんが、他の臨界獣にはない特殊な挙動が存在していた。

 

『Vooooooo……! Ooooooooo……!』

「しもべが焼き払われて怒り心頭といったところか……随分と忠義に篤いのだな」

 

 コラプトブロスは、怒りも露わにヘイトを俺に向けてくる。

 しもべっつーかただの自己増殖みたいなもんだろあれ。その程度で怒るんじゃねえよ、カルシウム足りてないんじゃねーか?

 などと軽口を心の中で叩いてはいたが、怒ってるのは俺の方もなんだよなあ。

 

 このクソボスを俺が始末するとするなら、雷の魔力を全力で解放してその巨体を蒸発させるのが前提条件になる。

 そうなれば市街地は壊滅だ。仮に市民が全員シェルターに入っていたとしても、その後の生活が立ち行かなくなるのは、想像するに難くない。

 だからこそ歯痒いのだが、幸いなのは隣にまゆがいてくれたことだ。

 

 話を戻そう。コラプトブロスに設定されている特殊な挙動とは、本来なら魔法少女に使う回復魔法として設定されている、まゆの「ヒーリングシリンジ」がダメージ手段として通る、というものだった。

 昔のロールプレイングゲームでいうところの、ゾンビ系に回復アイテムをぶん投げるとダメージソースになるってやつだな。

 開発スタッフが意図していたのかそうでないのか、その挙動はコラプトブロスにも適用されていて、わざと攻撃を食らって体力を赤ゲージまで減らした状態でまゆの「ヒーリングシリンジ」を誘発して回避、それをコラプトブロスにぶつけることが「こよみちゃん砲」に頼らない最速の攻略法として紹介されていた。

 

 問題はそれをまゆにどう伝えるかなんだよな。

 コラプトブロスが振り上げた腕から繰り出される緩慢な一撃を回避して、生み出されたクリーチャーを雷で焼き払いながら、俺は考える。

 ヒーリングシリンジはあいつに効くからぶっ刺してくれ、なんていきなり言ったところで根拠がないし、効いたら効いたでなんで知ってるのかを問い詰められるのは明白だ。

 

 それとも、また「西條千早」の信頼に賭けてゴリ押すか?

 いや、そんな危なっかしい真似はしないと誓ったばかりだろう。

 だったらどうやってこの生ゴミの塊みたいな敵を、被害なく、効率的に倒せる。

 

 現実的な手段としては、こういう相手に特効が入っている「炎」の魔法特質を持つ葉月の到着を待ち、焼き払ってもらうといったところか。

 だが、それは炎か雷かの違いでしかなく、街に被害が及ぶのは避けられない。

 なら、どうするか。攻撃をいなし、クリーチャーを焼き払いながら、俺は考える。

 

「……こんな時になんだが、まゆ」

「どうしましたかぁ、先輩?」

「其方はロールプレイングゲームを嗜んでいるか?」

 

 わからんなら、訊いてみる。それが考えた末に導き出した結論だった。

 報告連絡相談は物事の基本だからな。

 これでまゆがロープレを知っていたなら儲け物だ、「ヒーリングシリンジ」の誘発に対する説得材料として機能してくれるはずだろう。

 

「少し、だけなら……ですけどぉ」

「ならば重畳……此方はヤツをいわゆる『ゾンビ系』と見ている」

 

 腐った肉の塊が歩いてるんだからな、どこからどう見てもそれはゾンビだろう、多分。

 

「えぇ、と……つまり……?」

「なに……ヤツがそのまま『ゾンビ系』なら、回復魔法が敵に対する攻撃手段として機能するのではないかと、そう思ったのでな」

「……なるほど、ですねぇ」

 

 まゆの方も幸いなことに合点がいってくれたらしい。

 不敵に笑った俺の企みを察して、乗っかるようにまた、まゆも小さく微笑む。

 これで説得材料は完成した。この世界でも「ヒーリングシリンジ」がやつに対する攻撃手段として機能するかは未知数だが、賭けてみるだけの価値はあるだろう。

 

「……失敗した時は、此方が全ての責任を負って、ヤツを葬ろう。だが……この作戦が効果を発揮したのならば、街への被害は格段に抑えられる。賭けてくれるか、まゆ?」

「ふふっ……そうですねぇ。まゆは先輩のこと、信じてますよぉ」

「……感謝する。此方は肉片の方を対応する、其方は本体にシリンジを打ち込んでくれ」

「わかりましたぁ、それじゃあ、行きますよぉ……!」

 

 コラプトブロスは死んでるんだか生きてるんだか微妙なラインの臨界獣だが、ゾンビのお約束に漏れなくその攻撃は緩慢で、どちらかといえば肉片による分裂能力が本体だといってもいい。

 原作じゃ体力赤ゲージで本体にひたすらチェーンガンをぶち込みながら肉片にも対処して、とクソみたいな戦いを強いられてきたが、今はそのどっちも強引に踏み倒せるだけの手札がある。

 まゆが腰のリボンをはためかせ、コラプトブロスへと肉薄する中で、俺は片っ端から、やつが飛び散らせ、あるいは滴らせた肉片を「雷帝招来」で焼き払っていた。

 

「行きますよぉ……『プライマリィ・ヒーリングシリンジ』!」

 

 まゆのシリンジが打ち込まれると同時に、腐臭を撒き散らしながら緩慢に歩いていたその巨体が、痙攣するかのようにびくり、と跳ねて、苦悶の叫び声を上げる。

 

『Vo、Vooooooo!!! Vooooooo!!!!!』

 

 どうやらビンゴだったようだ。

 腐肉が灼ける最悪な臭いを撒き散らしながら、コラプトブロスは悶え苦しみ、零れ落ちた肉片ごと灰へと還っていく。

 原作じゃバグか仕様かわからん挙動だったが、こうして実物にも効いているところを見ると体力赤ゲージで戦うのが正攻法だったようだ。そんなんだからクソゲーの烙印を押されてるんだぞ、「マギドラ」は。

 

 スタッフたちへの怨嗟を溜息に代えて俺は、コラプトブロスが、陽に当たった吸血鬼のように、悶え苦しみながら塵へと還っていく様を一瞥する。

 所構わず腐臭を撒き散らしやがって、おかげで食欲が大分失せたじゃねえか。

 それはともかく、まゆのおかげで街は守られたといってもいい。

 

「……感謝する、まゆ」

「どうして、ですかぁ?」

「……其方がいなければ、街への被害は甚大なものとなっていただろう。それは……魔法少女として、看過できることではない」

 

 ただ単に、敵を倒せばいいってもんじゃない。

 街には人の営みがある。人がいて、人が住むことができて街は初めて機能する。

 それは国や世界と、括りが大きくなっていっても同じことに違いないだろう。

 

 だからこそ、臨界獣という脅威への対処と、街の防衛は魔法少女たちに課せられた使命なのだ。

 

「まゆは……この国のために、皆が生きる世界のために、魔法少女になったつもりです」

「……ああ」

「だから、このぐらい大したことじゃありませんよぉ、作戦を考えてくれたのは、先輩なんですからぁ」

 

 さいですかぁ。

 なんてな。正面から褒められるのは、どことなく恥ずかしい。

 ロープレと前世の知識を活かしただけで、別に大したことはしていない。だからこう、むず痒いというかなんというか。

 

「……そう、か」

「そうですよぉ」

「……ありがとう、まゆ」

 

 小さく礼を告げて俺は、コラプトブロスが最後の塵の一欠片になるまでを、ただ見つめていた。今日は誰かを守ることができたという感触を、この手に握り締めながら。




分裂能力持ちは大体クソエネミー


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ガールズトークとホットケーキ

 コラプトブロスを始末して、とりあえずスーパーに戻ったまではいいんだが、問題はレジ前のカウンターに置いてきた牛乳が傷んでないかどうかだった。

 結構な時間常温放置してたとはいえ、流石に冷房ガンガン焚いてる店内だから大丈夫だとは思うのだが、怪しい時点で売り物には使えないだろう。

 いかに「間木屋」が客の来ない店であったとしても、飲食店の看板を出してる以上は衛生管理を徹底しなきゃならんからな。

 

「うーん……売り物にはできませんねぇ……」

「ならば此方が責任を持って処理しよう、新しいのを買ってくるといい」

「はぁい、了解ですよぉ」

 

 まゆが新しい牛乳を買ってくるまでの間、俺は古い方が詰まった袋を片手に、ベンチへと腰掛けて考えを巡らせていた。

 コラプトブロスは、その性質上、まゆルートにしか出現しない臨界獣だ。

 原作から外れたこの世界であっても、その大枠をなぞってはいる以上、今の筋書きはそういうことになるんだろうか。

 

 今俺の歩んでいる世界が、そのシナリオが原作におけるまゆルートを踏襲していると仮定しても、油断は禁物だ。

 原作知識を過信しすぎていたからこそ、桜の件については取り返しのつかないことになってしまった。

 俺一人でどうこうできる話じゃなかったとまゆは言ってくれたが、それは責任がないという意味じゃない。

 

 例え誰も泣かせないように、誰も死なせないようにと望むのが、いかに無謀なことであったとしても。

 もう金輪際、あんな悲劇を繰り返すのはごめんだ。

 ぐっ、と握り締めた拳が震える。牛乳を袋に詰めて戻ってきたまゆの笑顔を一瞥して、俺もまた調子を合わせるように口元を緩めながらも、決意は強く固めていた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「まずは臨界獣コラプトブロスの討伐、ご苦労だった。そして災難だったな、西條千早。南里まゆ」

 

 拠点こと「間木屋」に帰還した俺たちを出迎えてくれたのは、大佐からの労いだった。

 災難だったといえば災難だったが、まゆがいてくれたおかげで大惨事は避けられたんだから、別に大したことでもない。

 設定上臨界獣の名前は防衛省がつけているらしいが、遭遇して間もなく片付けられた個体の名前が大佐にも認知されてるってことは、よっぽど早く命名されたんだろうな。どうでもいいことではあるが。

 

「此方は、大したことはしていない。此度の戦いの功労者はまゆだ」

「謙虚なことは美徳だが、謙遜しすぎるのも考えものだぞ、西條千早」

「そうですよぉ、先輩が肉片の処理をしてくれなければ、きっと大変なことになってましたからぁ……」

 

 それもそうか。

 肉片クリーチャーを焼き払わなければ、街に対する被害もだが、絵面がもっとヤバいことになってただろうし、どうも最近の俺は自虐的になりすぎてるのかもしれない。

 しかしあれも大概悪趣味だ。所構わず撒き散らされた肉片から目玉と牙が生えて、スライムのような挙動で不快な音を立てながらそこら辺を這いずり回るという、そういうのが苦手なプレイヤーからすれば、まず間違いなくこよみちゃん砲で抹殺一択であろう敵だからな。

 

「肉片ってー……どんなグロい敵と戦ってきたんです、先輩ー?」

「端的に言えば、腐臭を纏い、肉が腐り落ち、臓物がはみ出ている……そうだな、いわゆるドラゴンゾンビだ」

「うへぇ……それは中々ヤバいですねー」

 

 ソシャゲをオートモードに切り替えて問いかけてきた由希奈は、途端に渋い表情を浮かべる。

 由希奈の「銃火器」という魔法特質はコラプトブロスと相性が最悪だっただろうから、そういう意味でも戦わなくて正解だったはずだ。

 この「銃火器」という特質の範囲は割と広く、やろうと思えば火炎放射器だとかミサイルだとかを生成することもできるが、やはり街への被害を考えれば、回復魔法で葬るのが最適解だといっていいだろう。

 

「あれの話をしてると、食欲がなくなっちゃいますよぉ、先輩」

「うむ……肯定する。それもそうだな」

 

 苦笑を浮かべながら発したまゆの言葉は、至極ごもっともだった。

 できることなら記憶から完全消去してしまいたいレベルの敵だったからな。

 もっとも、前世じゃ死ぬほど対面させられたせいで忘れようにも忘れられそうにないのが悲しいところなんだが。

 

「今のうちにホットケーキ焼いちゃいますねぇ、今日の賄いは皆それでいいですかぁ?」

 

 キッチンへと戻っていったまゆからの問いかけに、全員が肯定の答えを返す。

 その様子を俯瞰してみれば、控えめに小さく頷いたこよみに葉月はもう、突っかかることをしなかったことが窺える。

 成長したな、葉月。原作じゃ個別ルートに突入しないと終始ギスってたから嬉しいやらなにやらで感無量だ。

 

「……先輩、アタシの顔になにかついてますか?」

 

 見られていたことに気付いたのか、人差し指で頬っぺたを突きながら、葉月が問いかけてくる。

 そこまでガン見してるつもりはなかったんだが、女子相手にはわかってしまうものなんだろうか。

 うーん、わからん。別にやましいことをしてたわけじゃないから堂々と答えれば済む話なんだが。

 

「いや……其方も成長したのだな、と、そう思っていたところだ」

「成長……ですか?」

「こよみに突っかからなくなっただろう、以前とは大違いだ」

 

 ホットケーキミックスとバニラエッセンスの香りがほんのりとキッチンから漂ってくる中で、俺は小さく苦笑する。

 茶化すつもりはないんだが、無駄飯喰らいだのなんだのと言ってた時代とは本当に別人のようだ。

 もっともそのこよみは、由希奈が周回してるソシャゲの画面を横から食い入るように見ているせいか、気づいていない様子だったが。

 

「それは……その、こよみも、特級魔法少女の、仲間……ですから」

 

 とはいえ、本人の中で完全に割り切れていないところはまだ残っているのだろう。

 顔を真っ赤にしながら、どことなく歯切れの悪い言葉で返してきたことからもそれが窺える。

 今は俺という緩衝材があるから遠慮しているだけで、コンプレックスの深さという意味では葉月も大概だ。

 

 だが、例え完全じゃなくたって、前に進もうとする意志を抱いてくれた。

 今はそれだけできっと、十分なのだろう。

 俺もそれ以上問い詰めることはせず、そうだな、と曖昧な肯定の言葉を返して、本当は客のために用意されてるはずの席につく。

 

 当然のように玄関口にぶら下がってるプレートは「CLOSE」のままだ。

 一般人視点じゃ本当に営業する気があるのか疑わしくなってくるレベルで臨時休業してる「間木屋」だが、そもそも一般人が近寄らないからあまり関係ないか。

 しかし俺もまた、客席を堂々と占領する駄メイドになってきたもんだ。「間木屋」が特殊な環境だとはいえ、前世でバイトやってた頃の俺が見たら憤死しそうな光景だった。

 

「ちょうど周回終わりましたしー、ウノでもやりませんかウノ」

「この前みたいにぱ……こほんっ! 下着の色とか賭けるの禁止よ」

「やだなー葉月、私まだなにも言ってないよー? もしかして葉月ってムッツ……いやなんでもないですはい」

 

 きっとこの場に手頃な物体があったら頭を殴っていたであろう、葉月の射殺すような視線を一身に受けた由希奈は、ひゅーひゅーと下手くそな口笛を吹きながら肩を竦める。

 葉月がムッツリというか割と耳年増なのは当たってるが、なんだろうな。

 もしこの場にハリセンとかがあって由希奈が引っ叩かれていても同情できるか微妙な感じなのは日頃の行いってやつだろう。

 

「ぁ、ぇ……る、ルールは……普通で、いいんですか……?」

 

 前回のジェンガでそんな日頃の行いの被害者となったこよみが、紅い瞳を潤ませながらほっとしたように由希奈へと問いかける。

 

「うーん……どうしよっかなあ、うへへ……パンツの色はこの前聞いたし、今日はお風呂でどこから洗うか」

「はっ倒すわよ」

「うん、普通にプレイだよー、こよみちゃん」

 

 それでも懲りてない辺りは筋金入りだな。

 よかった、とばかりにほっと息をつくこよみには心の底から同情する。

 それにしても、和やかかどうかはわからんが、平和な光景だ。

 

 例えそれがひとときのものであったとしても、未だ絶えず、臨界獣とテロという脅威に晒されているという事実に変わりはないとしても。

 今日勝ち取ったこの穏やかな時間に、どことなく感謝を捧げたいような気分だった。

 そして。

 

 ──ここに、この時間に桜がいないことが、どうしようもなく、無性に悲しかった。




割り切っても悲しいものは悲しい


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偉い人は会議がお好き

 ウノに限らず、テーブルゲームってのはとにかく性格が出るもんだと相場が決まっている。

 ドロー2を即座にぶつけるか、カウンターのために取っておくか。

 そしてドロー4を罪悪感なく切れるかどうか、ワイルドの色をどうするかだとか、リバースとスキップをどんな風に使うのかだとか、まあとにかくこの手のゲームにおける戦術は人による。

 

 この手の駆け引きに強いやつもいれば弱いやつもいるし、駆け引きが強かろうと運に蹂躙されることもあれば、逆に運が良くてもドツボに嵌って最下位に落とされることもザラだ。

 だからこの手のゲームは面白いんだが、残念なことに俺は、別段強くはないんだよな。

 運良く一抜けしたことで、こよみがどことなくほっこりしながらホットケーキを食べているのを横目に見ながら、残された由希奈と二人で最下位争いを繰り広げる。

 

「ふふふ……こよみちゃんが一抜けした今、私と賭けをしませんかー、先輩?」

「ふむ?」

「……先輩がお風呂に入ったらどこから洗うか……! 私はそれが知りたいっ……!」

 

 心の底から呆れるような動機で賭けを持ちかけてくる由希奈はなんというか、ブレないやつだと一周回って感心する。

 大体どこから洗おうと人の自由だろうが、そんなもん知ってどうする──とは思うのだが、そんなしょうもないことに情熱を燃やせるのが由希奈だった。

 桜の件が尾を引いていないはずはない。少なからずちゃらけてないとやってられないってところはあるんだろう、そこには同情する。

 

 だがそれはそれとして、懲りていないようにしか見えないのは日頃の行いなんだよな。

 本当に黙っていれば、自重してれば完全な美少女なんだが、立てばおサボり座ればソシャゲ、喋る姿は駄目メイドだからなあ。

 そんなことを考えながら、俺は最下位になることを見越して貯め込んでいたスキップを連打していく。

 

「スキップ」

「はー!?」

「スキップ」

「ちょいちょいちょい、先輩!」

「スキップ」

「ずるくないですかー!?」

「スキップ、すまんがこれでウノだ。そして此方の上がりだ」

 

 いつぞやこいつがやっていた戦法をそのままそっくりぶつけてやれば、面白いぐらいにハマってくれた。

 どっちかというと今回由希奈は葉月の妨害に勤しんでたからな、スキップもリバースもドローカードも使い切ってるであろうことは予測済みだ。

 そして最下位が見事に確定したことで、机に突っ伏してエクトプラズムを吐き出している由希奈の負けっぷりは、見てて気持ちよくなってくるぐらい様になっていた。

 

「こ、こんな……こんなはずじゃなかったのにー……私はただ、先輩がお風呂でどこから洗うのかを知りたかっただけなのにー……」

「邪念持ってやってるからよ、天罰ね」

 

 一足先にまゆが作ったホットケーキを口に運んでいた葉月が、容赦のない追撃を浴びせかける。

 これに懲りたら少しは真っ当に生きてくれればいいんだが、由希奈だしな。

 多分三日も経たないうち、元の調子に戻ってることだろうよ。死んだ目でエクトプラズムを吐き出している由希奈に突き刺さる視線は当然のように冷ややかだ。

 

「さて。賭けと言ったな、由希奈」

「うっ……な、なんのことですかー、先輩? 冗談キツいですよー、あはは」

「往生際が悪いぞ。潔く白状してもらおうか。其方が……入浴する時、どこから洗うかをな」

「うわー! やだー! めっちゃ恥ずかしいー!」

 

 じたばたと顔を真っ赤にしながら由希奈は悶えていたが、その恥ずかしいことを人にやらせようとしてたんだから自業自得だ。

 自分が負けないと思っていたのが運の尽きだったな。勝負の世界に絶対という言葉は存在しないんだよ。

 別に由希奈がどこから洗ってようが興味はないが、それでも持ちかけてきた取引っていうのはな、遂行されなきゃいけないと相場が決まってるんだ。

 

 ふとキッチンの方に視線を向ければ、まゆもにこにこと朗らかな笑みを浮かべていたが、由希奈を見詰めるその目には、影がさしているように見えたのは気のせいだろうか。

 なんというか、まゆからは時折なんとなく「圧」を感じるんだよな。

 炊事担当を怒らせちゃいけないとは軍隊の慣例らしいが、特級魔法少女においてもどうやらその通りらしい。

 

「う、うぅ……どうしても言わなきゃ駄目ですかー……?」

「其方が言い出したことだろう。潔く腹を括れ」

「うっ……正論は人を傷つけるだけですよ、先輩……」

「だからこれは其方が始めた賭け事だろう。責任を取らずしてなんとする」

 

 そこまで知りたいことでもないがな、たまには痛い目を見ないと反省しないからな。

 いや、こいつの場合反省こそしても、三日も経ったら元に戻ってそうではあるが。

 それはそれとしても、持ちかけた賭けを負けたから反故にするってのは素直に格好悪い。勝負を持ちかけるなら潔く最初から腹を括っとけ。

 

「……わ、腋……」

「む? 何か言ったか? 此方には聞こえんな」

「……左の腋から洗ってますよー! もう、先輩の意地悪ー! ドSー!」

 

 顔を真っ赤にして、自棄を起こしたかのように叫ぶ由希奈の恥じらいはそりゃもう貴重なものだった。

 だからなんだと言われれば、反応に困るが。

 なんというかあれだ、やっぱり美少女なんだよなあ、こいつも。ソシャゲハムスター兼駄メイドやってる印象が強すぎるだけで。

 

「今の顔、写真に撮っとけばよかったわ」

「もー! 葉月までやめてよー!」

「ふふっ……由希奈ちゃんにもちゃんと可愛いところ、あるんですねぇ」

「うう……まゆまで私に冷たいよー、癒しは君だけだこよみちゃん……」

 

 俺たちのくだらないことこの上ないやり取りを尻目にホットケーキを食べていたこよみを巻き込もうと、由希奈が手を伸ばす。

 

「……ぁ、ぇ……え、えっと……負けたら、罰ゲームするんですよ、ね……? なら、ちゃんとやらないと、ダメです……よ?」

「正論!」

 

 癒しどころか追撃のボディブローがクリティカルヒットしたかのように、由希奈はその場から崩れ落ちる。

 律儀にちゃんと罰ゲームやってたこよみの言葉だ、重みが違う。

 お疲れ様でしたぁ、というまゆからの労いと共に運ばれてきたホットケーキを口に運びながら、俺は頽れた由希奈を見下ろす。

 

 うん、腹減ってたのもあって実に飯が美味いな。

 メープルシロップとバターが溶け合ってるところが特に美味い。そのまま床と一体化して溶けそうになってる由希奈を見下ろしてると尚美味い。

 これがいわゆる愉悦ってやつなんだろうか。

 

 そんななんの益体もない考えを頭の片隅に浮かべながら、ホットケーキを食べ続けていた時のことだった。

 

『──ですが、南里防衛大臣はどうお考えでしょうか?』

『この時世だからこそ、このタイミングだからこそ、開催される意義があると認識しております。テロの脅威に屈することがあってはならない、臨界獣という脅威にもまた我々が晒されている今だからこそ、人類が一致団結し、防衛の方針を固めることへの意義は大きなものであると──』

 

 大佐がつけっぱなしにしていたテレビから、なにやら不穏な言葉が聞こえてきたような気がした。

 いや、気がしたと、気のせいだと、そう思いたいだけだ。

 テレビの方に視線を向ければ、画面には、記者たちを前にした防衛省の最高責任者たる壮年の男性が、防衛大臣が、直接その質問に答えている様子が映し出されている。

 

 ──ああ、このイベントか。

 コラプトブロスが出現した時からなんとなくそういう予感はしていたが、どうやらそれは的中したらしい。

 コーヒーを飲んでいた大佐もいつの間にか画面へと険しい視線を向けている。それもそうだろう、この壮年の男が、防衛大臣が画策しているのは。

 

『世界防衛サミットが対臨界獣の最前線である我が国で開催されることにこそ、意義があります。圧力に屈する形で中止することは考えておりません』

 

 世界防衛サミット。

 読んで字の如く、各国の防衛大臣クラスが集まって臨界獣に対する防衛手段について話し合う、いってしまえばデカい会合だ。

 なにもこの政情も治安も不安定な時期にやらなくてもとは思うが、やらなければやらないで、防衛大臣の沽券に関わるとかそういう話なのだろう。

 

 全くもって、偉い人ってのは会議だとか会合だとか、そういうのが好きなもんだな。

 今から駆り出されることが確定したことを悟ったのであろう大佐は頭を抱えてがくりと項垂れる。

 明言こそされていないが、俺たちもまた、会場の防衛に動員されるであろうことは想像するに難くない。

 

 そしてこの防衛サミットは、原作ではまゆルートにおける最難関イベントとして名高いものだ。

 つまるところ、また死人が出かねないということでもある。

 最悪の予感に背筋を震わせながら、俺は込み上げてきた溜息と絶望を押さえ込むように、ホットケーキを飲み込むのだった。




高まる緊張感


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議論の結果は大体最初から決まってる

 翌日、大佐からもたらされた報告は、案の定とでもいうべきものだった。

 

「あー、なんだ、諸君。今度開催される世界防衛サミットにおける要人の護衛だが、通常投入する二級魔法少女に加えて、特記戦力として特級魔法少女に依頼したいという旨が政府から届いている」

 

 魔法少女の投入については前提としながらも慎重に議論していくとか言ってたのはなんだったのかってぐらい、恐ろしく早いスピード決定だ。誰も見逃さんと思うがな。

 この世界が大分原作というレールから外れているとはいえ、それでも「マギドラ」を下敷きにしていることには変わりない。

 そして、世界防衛サミットはまゆルートにおけるクライマックスにして最大の難所だ。

 

 つまり、ゲームでも現実でも、特級魔法少女である俺たちの投入は最初から織り込み済みのイベントってことでもある。

 原作との違いがあるとするなら、まずは俺が生きていること。

 そして次に、「暁の空」の戦力が大幅に強化されているということだ。

 

「諸君らは知っての通りかもしれないが、本作戦に一級魔法少女は動員できない。要人の警護を特級魔法少女に、会場周辺の警護を現地の二級魔法少女とこちらが投入する三級魔法少女に任せる……というのが差し当たっての計画、その概要だ」

 

 無言での頷きを肯定と受け取ったのか、大佐は言葉を続ける。

 一級と二級を温存するのは臨界獣対策と、「暁の空」側が単純に一級魔法少女の魔力障壁をぶち抜ける手段を手に入れたせいだろう。

 対人戦なら、魔力障壁の強度以外に、魔法少女の等級はさしたる意味を持たない。

 

 プロボクサーだとか空手の達人だとか、そんなトップクラスのアスリートと三級魔法少女を戦わせても、勝つのは魔法少女側だ。

 つまるところ、魔力障壁というアドバンテージが消失したに等しい今、三級だろうが一級だろうがテロリストの相手をするなら大して変わらん、ということになる。

 そして、もしも魔法少女が殉職したときの影響度を考えて、言い方こそ悪いが──さしずめ、三級魔法少女と、現地の二級魔法少女たちは、もしものことがあったなら捨て石にされるってところだろう。

 

 その是非についてどうこう言うつもりはないし、生憎的確な反論を言えるだけの頭も持ち合わせちゃいない。

 だが、この作戦に一つだけ疑問を挟む余地があるとするなら、それは「暁の空」が仕掛けてくるかどうかに尽きる。

 魔力弾は相当な数が行き渡っているはずだろう。そして世界各国の防衛大臣クラスの要人が集まるとなれば、そこが絶好のテロの標的となりうるのは、安易に想像がつく。

 

 だが、「暁の空」は異常なのだ。

 原作じゃあ、それどころじゃないってことで一級魔法少女たちを中心にしたチームが対応に当たっていたせいで、設定資料集にちょろっと書かれていたことぐらいしか俺は知らない。

 だが、少なくともこの数ヶ月戦ってきて感じたのは、あいつらのやり方は恐ろしく回りくどく、効率が悪いってことだった。

 

 特に、情に絆されていたとはいえ、桜を切り捨てたことは解せない。

 それに、俺たちと接触するよりも早く桜に能力をフル活用させていれば、首脳陣の暗殺だってお手の物だろう。

 だが、やつらはそれをしなかった。国家転覆を御旗に掲げているのにもかかわらず、だ。

 

 それに、鏑木が裏切り者であった以上、「間木屋」の情報もやつらに伝わっていると見ていいだろう。

 本当ならとっとと移転なりなんなりをすべきなんだろうが、今のところそういう話が聞こえてこないのは、単純に金の問題なのかそれともなにか動けない事情でもあるのか、どっちにしたってわからない。

 ただ、それでも「暁の空」がそのアドバンテージを活用する気配を見せないってのもひたすら不気味だ。やつらは一体なにを考えているんだ?

 

「護衛任務につくのはいいですけど……そのサミットが行われる会場って、どこなんですか?」

 

 俺が険しい顔で唸り声を上げている間に、葉月がごもっともなことを大佐に問いかける。

 そういやそうだな。

 俺は原作知識のおかげで知ってたが、どこで開かれるかについては今まで全く説明がなかった。

 

「ああ、すまない。伝え忘れていたな……会場は沖縄県那覇市だ、施設については後ほど資料がまとまり次第、速やかに送るように政府の方へ催促しておくが……」

「沖縄かー……」

「不服か、北見由希奈?」

「ああいえ、別に護衛任務自体はいいんですけどー、海とか行ってみたいなーって」

 

 修学旅行じゃねえんだぞ、と言いたくはなるが、気持ちはわかる。

 東京じゃなくて沖縄でサミットを開くのも接待の一環なんだろうが、お偉いさんだけがいい感じにおもてなしされてるのを指を咥えて見てろってのも中々にしんどいだろうしな。

 しかも、四六時中気を張ってなきゃいけないんだから護衛任務ってのは難しい。万が一にでも国賓が暗殺されたら、国家の信用に関わるどころの騒ぎじゃないだろう。

 

「その件についてだが……諸君らには、ここ最近の慰安も兼ねて、一足先に現地入りしてもらう方向で調整している」

 

 由希奈のぼやきを意外にも拾い上げて、大佐は言葉を続けた。

 ほう? これは原作には存在してなかった話だな。

 桜の一件をそれだけ大佐も重く受け止めているということだろうか。なんにせよ、事実上休暇を兼ねた任務ってのはありがたい。

 

 ここのところ、ずっと気を張ってたからな。

 休める時に休んでおくのが望ましいとはわかっていても魔法少女は二十四時間三百六十五日、いつだって休息はあってないようなもんだ。

 沖縄入りした途端に「界震」が発生して台無し、という可能性もあるといえばあるが、今回はまゆルートをなぞっている都合、可能性は低い……と見積もるのは危険だろう。警戒はしておくに越したことはない。

 

 だが、それでも実質的な休暇が与えられたという事実は俺たちにとって非常に大きい。

 

「マジですか隊長ー、やったー! 海だー!」

「修学旅行じゃないんだから、ったく……海、かぁ」

「……ぁ、ぇ……えっと……くらげ、いるのかな……」

「いると思いますけど、触らない方がいいですよぉ」

 

 喜び方は人それぞれだが、釘を刺すように正論を呟いた葉月もその後に海、と零していたように、概ね全員が嬉しがっていたと見てもいいだろう。

 かくいう俺も、なんだかんだで楽しみにはしているからな。

 こよみが期待している通りクラゲも海の中には生息してるだろうからもっぱらオーシャンビューを眺めるに留まりそうだが、それでも大分癒されそうなもんだ。

 

 慰安と護衛を兼ねて沖縄へ。

 実に悪くないミッションだ。

 もちろん、そこで気を抜いて誰かが犠牲になる、なんてことのないように身構えている必要はあるだろう。だが、な。

 

「近いうち、直々に政府から呼び出しがかかるだろう。その時はおれの方から連絡する。そんなわけでまあ、なんだ。楽しんでくれたまえよ」

「一つだけ質問をしてもいいだろうか、大佐?」

「なんだね、西條千早?」

「首都における臨界獣への防衛体制はどうなる? 此方抜きでも成り立つものなのか?」

 

 休暇をもらえることは嬉しいのに違いはない。

 だが、臨界獣はこっちの事情を欠片も考慮しちゃくれないのだ。

 特級魔法少女五人全員が要人の護衛に回るとなれば、一級と二級でその穴を埋める形になるのが妥当な線だろうが、もしも特種非常事態宣言が出るようなことがあれば、犠牲が出るのは避けられないだろう。

 

「おれもその辺りは慎重に判断した方がいいと提言はしたんだがね、防衛省の方でサミットをやるって方針は梃子でも動かんようだから……まあ、君の想像する通りだ、西條千早」

「一級と二級で此方の抜けた穴を埋める、か……」

「そういうことだ。他にも秘策はあるようだがね、おれの管轄じゃないからこればかりは機密の一言で聞けなかったよ」

 

 誰も彼もを一人じゃ救えないってのは承知の上だが、それはそれとして犠牲を前提にしてまで会議なんてもんを現地集合でやりたがるもんかね。

 偉い人の考えってのは理解できん。

 だったらいっそ、俺一人だけ東京に残るって手も考えてみたが、沖縄に行かなきゃ行かないで、今度は特級の皆が危険なんだよな。

 

 どの道取捨選択だ。こうなれば慰安任務を受けようが受けまいが、特種非常事態宣言が出されないように祈るしかない。

 

「任務の正式な概要については後日通達する、それまで各位、気を抜くことなく任務に当たってくれ」

『了解!』

 

 威勢よく返事と敬礼をする。

 臨界獣の特殊個体が出ないようにとお祈りに、原作より強化された「暁の空」の動向にと、とにかく気を払わなきゃならん材料は山盛りだが、それでも、なんとかやっていくしかないんだ。

 拳を固めて、俺はそう、唇を固く引き結んだ。




お上の方針は大体現場に無理やりねじ込まれる


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偉い人は形式にこだわりがち

 政府というのは腰を上げるまでがひたすら重いのに、一度決まった物事に関してはとにかく行動が早いのは、どこの国でも、どこの世界でも同じなんだろうか。

 あるいは連絡待ちをしていた俺たちを退屈させまいと、変な気でも回してくれたのかどうかは知らんが、大佐からの通達があった翌日にはもう、特級魔法少女全員で防衛省まで来るように、という連絡が回ってきた。

 サミットを開催したいのが政府の意向なのか、防衛大臣が個人的にこだわっているだけなのかは判断しかねるが、それにしたっていやに気合が入っている。

 

 こういう時は大概ろくなことにならないイメージだが、それはそれで大分偏見が入っているような気はした。

 別に体制批判をする気はないんだが、物事を決めるのに、何重にも手続きが必要なお役所がこれだけ迅速に動くってことは相当だ。

 この国の威信だとか沽券だとかにも正直なところ興味はない。ただ、現場に駆り出される側としちゃ随分と早いな、と苦笑するばかりだった。

 

「そういうわけだ。おれたちで本日正午に防衛省を訪問することに決まったが、なにか質問のある者はいるか?」

 

 大佐が朝からパリッとしたスーツ……ではなく、「M.A.G.I.A」指定の制服に身を包んでいるのは、あくまでも今回の訪問は普段と違って「M.A.G.I.A」としての立場からだということを示しているのだろう。

 確かに「M.A.G.I.A」は事実上、防衛省の下部組織ではあるが、対臨界獣においては独立した権限を持ってはいるし、名目上はどこの省庁にも属さない、政府直轄の秘密組織扱いになっている。

 だから自衛隊と階級の呼称が違ったりするんだが、そこはどうだっていいか。

 

「はいはーい、普段の制服じゃダメですか、隊長ー?」

 

 由希奈が真っ先に手を挙げて、大佐にそう問いかける。

 これが地味にめんどくさいところでな、普段俺たちに支給されている制服は女子高生を装えるように学生服っぽいデザインをしてるんだが、それとは別に、もう一着支給されてるものがあるのだ。

 セーフ・ハウスにあるクローゼットの中を確認してみたら、設定上しか存在しないそれが実在していて感動したもんだが、そんな話はともかく、要は儀仗服だ。こっちはいかにも海軍風な、ひらひらした肩章とかがついてるやつだな。

 

「残念だが儀仗服指定だよ、なんせ防衛大臣と直接対面しなきゃならんからな」

「うぇー……了解です、これだから政治絡みのお仕事はめんどくさいんだよー……」

「仕方ないじゃない、アタシたちは特級なんだから」

 

 由希奈のぼやきにツッコミを入れながらも溜息をついているのは葉月も同じだった。

 普段が普段、制服かメイド服しか着てないせいで忘れそうになるし、政府としても組織としても、特級魔法少女の存在は切り札として伏せておきたいのが意向だから、こんな時ばかり都合よく、と文句が出るのも仕方ない。

 だが、こと公的な場における権力については、普段英雄扱いされてる一級よりも上なんだからしょうがないんだよな。

 

 専用の秘密基地があるのと、ある程度の自由が保障されてるのもその証であり、恩恵といってもいいだろうから、あんまり表立って文句は言えん。

 確かに、普段、滅多に使わないから着替えるのが面倒くさいってのは大いに同意するが。

 まあ、なんだ。お偉いさんと顔合わせするんだから相応の格好してこいよってことだろう。社会の歯車はつらいね。

 

「そういうことならば致し方あるまい、由希奈、葉月。ところで大佐、此方の儀仗服はセーフ・ハウスに保管されているのだが……」

「ああ、それについても心配ない。各自で一旦各々のセーフ・ハウスに戻ってもらって、着替え終わり次第連絡をくれ。そうしたら、おれが迎えに行く形になるからな」

「承知した。では此方も着替えに戻るとしよう」

 

 大佐が言った通り、店の外にいわゆる黒塗りの国産高級車が停めてあるのはそういうことだろう。

 制服からメイド服に着替えてまた制服に着替えてそこから儀仗服に、と考えると、途端にめんどくさくなってきたが、これも任務だから仕方ない。

 普段政府と密接に関わっている一級魔法少女たちは、こういう気苦労も味わってるんだろうか。お偉いさんのご機嫌を窺うのは実に面倒だから、そういう意味じゃ、表の英雄として扱われてる彼女たちにも同情する。

 

「ぁ、ぇ……儀仗服……上手く……入るかな……?」

「確かにサイズの問題もあるねー、儀仗服なんてここ最近着てないから私もちょい不安だなー、葉月はいいよね、その辺楽そうで」

「殴るわよ」

「ちょいちょいちょい、今回はそういう意味じゃないって!」

「今回はってなによ、今回はって」

 

 こよみの呟きに反応した由希奈がいらん煽りを入れたことで始まったいつもの漫才の輪を、一歩引いたところからまゆが見守っている。

 それだけならいつもの光景かもしれないが、まゆの横顔には、なんといったらいいんだろうな。どことなく憂いだとか、疲れだとか、そういうものが滲んでいるようにも見えた。

 設定資料集の知識を持っている都合、だろうな、とは思う反面、迂闊に口に出すことは憚られる話だから、俺もただ一歩引いたところからさらに一歩引いて、見守っているしかない。

 

「緊張しているのか、まゆ?」

 

 だが、フォローの一つぐらいは入れたってバチは当たらんだろう。

 そんな具合に知らないふりをして、俺は、まゆの肩にぽん、と右手を軽く置いてそう問いかける。

 実際は諸々知った上で言ってるんだから中々意地が悪いとは自分でもわかっているが、かといって一人で溜め込ませすぎるのもよろしくない。

 

「緊張……そうですねぇ、ちょっとだけ」

「そうか……なにか思うところがあるのなら、此方にいつでも申し付けてくれ。できる範囲で、相談には乗るつもりだ」

「ふふっ……ありがとうございます。でも、先輩も、一人でなんでも抱え込もうとしないでくださいねぇ。その時は、まゆも相談に乗りますからぁ」

 

 こいつは一本取られたな。

 穏やかな笑顔の裏で、まゆがこっちの意図を察しているかどうかはわからないが、的確なカウンターを決めてくる辺りは流石といったところだろうか。

 全くもって油断ならんな。気負いすぎるな、という配慮が俺へのブーメランになってたのは確かだが。

 

 とにかく制服にしても儀仗服にしても、とっとと着替えてこの面会を終わらせてしまおう。

 ゲームならスキップボタンで飛ばせるようなイベントだとしても、この世界にそんな便利なものは存在していない。

 スキップボタンもリセットボタンもセーブ機能もない、ぶっつけ本番で全てが試される世界。つまるところ、今俺が生きているのは紛れもなく、どうしようもなく「現実」であるのだと思い知らされる。

 

 それでも生きていかなきゃならないんだ、だったらもう誰も泣かないように、誰も悲しまなくて済むように、誰も死なない最善の道を目指していくしかないだろうよ。

 例えこの先、俺の持っている原作知識が全く通用しなくなるような展開が待ち受けているのだとしても。

 その果てになにがあるのかもわからなくとも、原作知識が通用しない程度で一々動揺していたら、なにも始まらん。

 

 高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に。

 誰かの言葉を思い出す。要するに行き当たりばったりではあるが、ある意味じゃその通りだ。物事ってのは、どんなに準備をしてたって基本なるようにしかならないからな。

 それに、原作知識に頼り切りになるのではなく、使える時には使えるぐらいの感覚でいればいい。コラプトブロス戦みたいに、役立つ時は必ずある。

 

 それが誰かを救うものであることを信じて、とりあえずはお偉いさんとの面会を無事に終えられるように俺は、制服に着替えてセーフ・ハウスへと引き返していった。




古いフォーマットがそのまま使いまわされていたりするアレ


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関係の拗れた親と会うのはとにかく気まずい

 お偉いさんと会って、それっぽい話をしてあとは帰るだけでも給料は発生する。

 なんならほぼ開店休業状態で、最近は臨時休業してない日の方が珍しい「間木屋」で暇な一日を過ごしていてもそこに給金は出るんだよな、国庫というか主に国民の血税から。

 だからまあめんどくさがってないで、会って話して直々に任務を受領して帰るぐらいのことぐらいはやっておかないと、なんとなく国民の皆様に申し訳ないような気になるのは俺が小市民だからだろうか。

 

 実際は特種非常事態宣言が出たら、放っておけば一夜でこの国を焦土に変えられそうな臨界獣という脅威を相手に、真っ先に矢面へと立つ役割こそが、俺たちに任せられている最大の仕事だ。

 そう何度も何度も特種非常事態宣言が連発されるような事態になれば、それこそこの国の終わりだから、「間木屋」で暇を持て余しているぐらいがちょうどいいといえば、それまでなんだけどな。

 つまるところどういう話かというと、別にお偉いさん──今回は防衛大臣と会うだけなんだから別段そこまで嫌がる理由もないってことだ。少なくとも俺にはな。

 

 飾緒を纏い、肩章のついた白服と対照的な黒いロングスカート。

 一級魔法少女たちの赤い制服から色を抜いたようなデザインをしている儀仗服に身を包んだ俺たちは、大佐の運転する高級車に揺られて、防衛省へと向かっている真っ最中だった。

 とはいえ、由希奈や葉月が不満なのもわかる。

 

 作戦の概要と指令書だけ渡してくれればいいものを、校長先生のお話レベル99みたいな長話に付き合わされると思うと、そこそこげんなりしてくるのは俺も同じだ。

 こよみはその辺いい子だから、きっと長話も真剣に聞いてるんだろうがな。

 なにはともあれ、政治家にしろ校長先生にしろ、人ってのは偉い立場につくと長話をしたくなる生き物なんだろうか。人生にスキップボタンが存在しないことがつくづく悔やまれる。

 

「あー、もう、この服スカートの丈長すぎて落ち着かない……なんとかミニスカにならないですかねー、先輩?」

「其方の気持ちは理解できる。だが、ミニスカートの儀仗服というのも、それはそれでどうかと思うがな……」

 

 公的な場にニーハイとミニスカート姿で立ってくれってのもなんかアレだろう。絵面的に想像しづらい。

 それに、風でめくれでもしたら大惨事だ。

 アンダースコートなりなんなりは履くんだろうがそれはそれ、時には海風吹き荒ぶ埠頭に立つこともあると考えれば、膝丈より下まで丈を伸ばしてるのは自然だろう。

 

「あーあ、私が政治に関わる偉い人だったら女の子のスカートは皆膝丈上までって法律作るのにー」

「憲法違反で弾劾されるわよ」

「葉月はお堅いなあ、権力を手にしたら私が憲法を作ればいいじゃーん! はっ、いや待てよ、それじゃあロングスカートが似合うお清楚な女の子の良さを殺してしまうことになる……ぐぬぬ、スカートの丈がまさか人類にとってここまで厳しい問題だとは……」

 

 心の底からどうでもいいことを真剣な目つきで考えている辺り、由希奈はすっかり平常運転……とはいかないんだろうな。

 多かれ少なかれ皆、桜のことを引きずっている。その中でも、特別親しかった由希奈のことだから、ちゃらけた仮面を被ってないとやってられないのだろう。

 そう思えば多少奇行も容認できる……と思いたいところだが、こいつの場合半分ぐらいは素でやってそうなのがな。日頃の行いは大事だ、本当に。

 

 それはともかく由希奈が権力を握ることがあってはならないということだけはわかった。汚職だの腐敗だのとは無縁なんだろうが、欲望に正直すぎる。

 銀髪の白と儀仗服の白で白が被ったみたいになってるこよみも、眉を八の字に歪めて引きつった笑みを浮かべていた。由希奈への好感度ゲージみたいなもんが見えてたら、一気に急落する様が拝めたことだろう。

 そんな具合に漫才じみたやりとりをしている中で、まゆだけが微笑みを顔に貼り付けながら、一言も喋っていないのは普段一歩引いたポジションにいるからでも、由希奈にドン引きしているからでもない。

 

「もうすぐ到着だ。わかっているとは思うが、南里防衛大臣の前で粗相がないようにな」

『了解!』

 

 大佐の言葉に敬礼を返しつつ、横目で再びまゆを一瞥すれば、その表情はどうにも浮かないというか、憂鬱そうなものに映った。

 それも無理はない。ただ、事情を知っていても、なんで知ってるかを説明できないからどうしようもないってのは歯痒いものだ。

 そんな具合に俺たちは、それぞれ思うところはあれど、「女の子のスカートはどれぐらいのラインが理想的か」とかいう由希奈発の他愛もない話に付き合いながら、防衛省に辿り着くまでの時間を潰していた。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「──という次第だ。特級魔法少女諸君らの健闘を祈っている」

 

 防衛大臣と会って、今回の任務の重要性であるだとか、政治家の都合で決まったサミットの意義と必要性であるだとか、そんな話を聞かされること大体数十分ぐらいか。

 俺たちは数十分が数時間にも感じられる退屈を経て、ようやく指令書を受け取る形で、今回のサミット護衛任務を受領していた。

 組織の枠を飛び越して政治家から直々に命令が下るってのはどうなんだと思いつつも、「M.A.G.I.A」が公的には秘密組織であるのと、実質的には防衛省の下部組織であることから、その辺の問題は内々的に処理されているんだろう。

 

 達筆で「防衛大臣 南里武憲」と茶色地に白文字の名前が記された漆塗りの三角札と地球儀やらなにやらが置かれているデスクを一瞥し、俺は溜息を噛み殺して、長広舌をぶちまけていた、恰幅のいい大臣閣下に敬礼をする。

 その最中、密かにまゆの方を一瞥してみれば、やはり引き締まった表情を浮かべてはいるものの、小さな背中からはぴりぴりとした緊張感が漂っていた。

 防衛大臣とまゆ、二人の共通点は「南里」という名字だが、それは偶然でもなんでもない。

 

「繰り返すが、今回の任務は我が国の防衛にとって非常に大きな意義を持っている。諸君らが出撃するような事態にならないことが望ましいが、敵対勢力の攻撃は十分に予想される。テロリストに我々は屈してはならない。必ずやこの国の威信を、対臨界獣において最前線に立ち続ける世界におけるリーダーシップを示すのだ」

「……あのぉ、お父様……いえ、南里防衛大臣」

「話の途中で割り込むとは感心しないな、南里まゆ」

「……申し訳ございません」

「重ね重ねだが、諸君らの健闘に我々は大きな期待を寄せている。是が非でも我が国の威信にかけて、任務を完遂してくれたまえ」

 

 話は以上だ、とばかりにそう告げると会談は終了したとばかりに防衛大臣は着席する。

 南里まゆ。そして南里武憲。

 さっきまゆが口にした「お父様」という言葉は嘘でもなんでもない。

 

 まゆは、正真正銘、この国の防衛大臣閣下の一人娘なのだ。

 だが、魔法少女は戸籍上は死人扱いになっている。

 つまるところそれがどういう話かというと、設定資料集曰く防衛大臣南里武憲は、まゆを魔法少女として「M.A.G.I.A」に売る形でその地位を手に入れた、ということだった。

 

 権力のために、一人娘が最悪死にかねない心臓摘出を伴った適合手術を受けさせるってだけでも相当だが、その結果が特級か、最低でも一級でなければどうなっていたかわからないって記述を当てにするなら、この防衛大臣は親としちゃ相当なロクデナシだ。

 権力者としての、政治家としての評価は俺がその世界を知らないから断言はしかねる。

 だが、相当な強硬派であることは確かで、手段を選ばず防衛大臣に成り上がった男なのもまた確かだろう。

 

 公的には死んでいる、親子の縁も切れたはずのまゆが特級魔法少女として活躍しているから、その戦功だけは「娘」のものとして扱って成り上がる。

 やってることだけ見れば、感情的に評価するんなら極悪人もいいところだ。

 だが、臨界獣という脅威の前には、断固とした姿勢で臨むリーダーが必要とされていたことも確かで、その椅子に上手く収まって長いこと地位を維持している程度の功績は挙げていることもまた、確かだった。

 

 真顔で防衛大臣の執務室を後にした俺たちの間に渦を巻いていた感情は、決して明るいものなどではない。

 防衛省から出た帰りの車内は、概ね防衛大臣に対する怨嗟に満ち溢れていた。

 

「あーもう、好き勝手言うだけ言って……! ほんっとムカつくなー、あのおっさん……!」

「……こればっかりはアタシも由希奈と同意見ね。まゆ、大丈夫?」

「大丈夫ですよぉ、話に割り込んじゃったまゆが悪いんですから……」

 

 あまりにもいたたまれない空気の中でも、まゆは必死にその場を収めようといつもの笑顔を貼り付けたまま、葉月と由希奈を諫めるようにそう言った。

 そこがまゆの強いところなんだろうが、同時にまた危ういところでもある。

 自分が政治の道具として利用されていることわかっていて、その立場を受け入れている。並みの人間なら、とても堪えられることじゃあない。

 

「……まゆ、さんは……悪く……ない、です……!」

「こよみちゃん……」

「……ぁ、ぇ……そ、その……あの人は、だめです……だめ、です……かぞく、には……やさしく、しない、と……だめ、です……っ……」

 

 まゆが慣れ切って、擦り切れきって零せなくなった涙を肩代わりするかのように、ぽろぽろとこよみが深紅の瞳から涙を流す。

 両親から愛されて育ったこよみにとって、自分の娘に愛情の欠片も見せず、政治の道具としてしか扱わないあの防衛大臣は相当許し難い存在だったのだろう。

 俺もその辺は同意しきりだ。許されるんなら一発ぐらいはぶん殴りたかったからな。

 

「……泣かないでください、こよみちゃん。まゆは……大丈夫ですよぉ。せっかく似合ってる儀仗服が汚れちゃいます」

「……ぐすっ……」

「ふふっ、まゆのために……怒ってくれて、ありがとうございます。でも、まゆは平気ですから、大丈夫ですからぁ」

 

 ──魔法少女になるって決めたその瞬間から、ずっと。

 その言葉が重くのしかかる。どんなにクソ親であったとしても、それでも、まゆにとってはたった一人の父親で、たった一人の家族なんだろう。

 だから、魔法少女として父親を、国を支える道を選んだ。それが、南里まゆという魔法少女の、全てだった。




これが私の戦う理由


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隣の芝は真っ青

 まゆの父親こと、防衛大臣閣下との関係性をどうにかしてやりたいと思っていたのは、俺だけじゃなかった。

 だから昨日、帰りの車内で由希奈と葉月が、そしてこよみまでもが、公的な場であったとはいえ一人娘に対してあんまりにも冷たすぎるんじゃないかと憤慨していたわけで。

 だが、それを変えようとしたってどうにもならないこともまた、自明の理ってやつなんだろう。

 

 それでも、割り切れないもんは割り切れないし、なんというかモヤモヤするんだよ。

 しばらく休業する旨が貼り出された「間木屋」のドアは開いていた。

 鍵開け担当の葉月が到着していたのだろう。俺も結構早起きしてきたというのに、なんいうか律儀だな。

 

 鍵開け担当は店に着くのが一番早くなくちゃならないのは確かにその通りだが、その辺が割と緩い「間木屋」でもそれをきちんと守っているのは素直に感心する。

 定刻通りとはいえギリギリまでソシャゲやらなにやらに勤しんでいる由希奈にも見習って欲しいもんだ。

 まあ、流石のあいつも鍵開け担当の時は早起きしてくるんだが。そんな他愛もないことを頭の片隅に浮かべながら、俺は店内に足を踏み入れた。

 

「おはようございます、先輩!」

「……ぁ……お、おはよう……ございます、千早先輩……」

 

 俺を出迎えてくれた葉月とこよみは客席に座って、なにかに勤しんでいたようだった。

 机の上に置いてあるヘアブラシを見るに、髪の毛でも整えてやってたんだろうか。

 キッチンではまゆが食材を整理してたりチェックリストの項目を黙々と埋めてたりして、いないのは由希奈ぐらいだ。うーん、どうも寝過ぎたらしいな。

 

「済まないな、遅くなってしまった」

「アタシたちが早く来すぎただけです、なんだか眠れなくて……」

 

 くぁ、と可愛らしい欠伸を噛み殺しながら葉月がそう口にする。

 なんだかんだで、昨日の一件が尾を引いているのは俺だけじゃなかったようだ。

 まゆとしてはあまりそのことに触れてほしくないであろうから深く訊くことはしないから、そうか、と相槌を打って、俺は別な話を尋ねることにした。

 

「其方は……こよみの髪を梳かしていたのか?」

「まあ……はい。でも、かなり癖っ毛で」

「……ぁ、ぇ……ご、ごめんなさい……」

「別に謝んなくていいわよ。アンタの場合、無理に真っ直ぐにしようとするより、その髪質生かした方が多分似合うと思うわ」

 

 どうしてもっていうなら縮毛矯正するしかないけど、と肩を竦めて葉月は語る。

 葉月が匙を投げる程度にこよみの癖っ毛は強いものだったそうだが、別にそれはおかしなことじゃない。

 むしろ葉月の言った通り、長く伸ばしてるのも相まって、いい感じにふわふわもこもことしたウェーブがかかっていて可愛らしいしな。

 

「しかし、なぜまた髪を?」

「……ぇ、えっと……東雲、さんみたいな……真っ直ぐで、綺麗な髪って……いいなあ、って……」

 

 もじもじと俯きながら、こよみは俺の問いにそう答えた。なるほどな。

 まあなんというか、気持ちはわかる。

 俺……というか西條千早の髪質も癖のないものだから下手なことを言えば火に油なのは承知の上だが、それでもあえていうなら、隣の芝は青いってやつだ。

 

「そうだな。それも確かだが……其方にも其方にしかない良さがある。だからあまり落胆するものではないぞ、こよみ」

「……ぁ、ありがとう、ございます……でも……」

「先輩の言う通り。その髪型、似合ってんだからへこむようなことじゃないわよ」

 

 ホワイトブリムを頭に乗せて、クラシカルなメイド服に身を包んでいるこよみの愛らしさというか、いわゆる「守ってあげたい」感は、その童顔と低い身長も相まって唯一無二だ。

 癖っ毛だってさっきも言ったが気にするようなレベルじゃないし、人によってはわざわざこよみぐらいのウェーブをかけたりするもんだ。

 それよりも、葉月とこよみが積極的に交流を持っていて、ベクトルが負ではなく正の方向に向いていることの方が俺としては驚きであり、同時に感心しきりだった。

 

「……本当に、二人は仲良くなったのだな」

「……それは、その……こよみが困ってたから……」

「……ぁ、ぇ……えっと……」

 

 とはいえ、まだ正面からそれを認められる段階じゃないってところか。こよみとしては一世一代のお願いだったんだろうな。

 だとしても、関係性が前に進んでいるのは確かだ。このまま二人にはわだかまりを解消して是非とも仲良くしてほしいもんだ。

 そのいじらしいというか、二人とも俯いて頬を染めるどこかじれったい距離感はなんというか、見ていてこうほっこりするな。

 

 キッチンの方に視線を向けてみれば、まゆもそんなほくほくとした笑顔で、葉月とこよみを見守っているのが窺える。

 うん、気持ちは同じか。わかるぞ。

 俺もこのまま二人を後方腕組み保護者面で見守っていたいところだったが、そろそろメイド服に着替えなきゃならんのでな。休業中なのに着替える必要性があるかはわからんが。

 

「うむ……仲良きことは美しきかな、だな」

 

 その場を締めるようにそんなことを言いながら頷いて、渋々といった具合にバックヤードに向かって歩き出す。

 からかわないでください、と葉月の少しだけ困ったような声を背に、俺は自然と口元を緩めていた。

 その間も由希奈が店に来る気配はなかった。時間にはまだ余裕があるとはいえ、なんというか剛毅なやつだ。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「沖縄行くんだったらやっぱ海ですよねー、そう思いません、先輩?」

 

 定刻通りに到着してメイド服に着替えた由希奈が、テーブルに突っ伏して、オート周回してるソシャゲを眺めながらそんなことを問いかけてきた。

 大佐は恐らく任務の日程調整かなんかで防衛省とすり合わせでもしているのか、まだ姿を見せていない。

 店の掃除も終わって暇を持て余しているような状況ではあったが、これまた唐突だな。

 

「そうだろうか? 観光地は豊富だと記憶しているが」

「いーや、海ですってー! 誰がなんと言っても沖縄といえば海! エメラルドグリーンの透き通った景色が見える波打ち際に美少女の水着……うへへ」

 

 やけに食いついてくると思ったらそういうことか。今日も相変わらず欲望を包み隠すということをしないやつだ。

 表も裏もない、といえば多少は美徳に聞こえるんだろうが、由希奈の場合は内に抱えている孤独を埋め合わせるためにわざとおどけているところがあるから、なんというか微妙にツッコミづらいんだよ。

 冗談と本音の割合は半分半分といったところだろうか。水着どうこうの話は置いておくとしても、まあ沖縄といえば海だよなってのは大体の人間がそう思っているところだろう。

 

「まゆもそう思うよねー?」

「うふふ、どうでしょう」

「つれないなぁ……」

「慰安も兼ねていますけど、任務は任務ですからぁ」

 

 さいですかぁ。

 いや、全くもって仰る通りですとしか言えんのだがな。それでも一応貴重な休暇をもらえるのは確かなんだから、まゆももう少し肩の力を抜けばいいと思うんだが。

 とはいえ、浮かれていられる状況でもないのもまた事実だ。「暁の空」といい、臨界獣といい、不穏な材料はそこかしこに転がっている。

 

 原作というレールをこの世界が全力で外れてる今、果たして今回の沖縄慰安任務兼世界防衛サミットの護衛任務がどう転ぶかはわからない。

 だが、コラプトブロスが現れたことと、世界防衛サミットのことを考えれば、今度は概ね、まゆルートを下敷きにしていると考えてもいいだろう。

 だから、俺一人東京に残る、という選択肢を選べなかったんだよな。

 

 原作にはなかった「西條千早」の力が使えるのは、俺がどう上手く立ち回るか次第とはいえ、明確なアドバンテージだ。

 そんな具合に、朗らかな笑みを浮かべながらも微妙に塩な対応をしているまゆを横目に見て、俺は唇を引き結ぶ。

 なにが起きても、今度こそ俺は迷わない。躊躇わない。決意を密かに、胸の中で固めながら。




競うな、持ち味を活かせ


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笑顔が絶えない職場です

 海に行くに当たって必要になるものはなんだろうか、と考えれば、水着に行き着くのはある種の必然だった。

 いや、別に海では必ず水着着てなきゃいけないって決まりはどこにもないんだがな。

 波打ち際を白ワンピースに身を包んだ美少女がサンダル姿で歩いている、みたいな構図もまた定番だ。

 

 つまりはどういう話かというと、今度の慰安任務に備えて水着を買いに行く必要がある、ということだった。

 由希奈の欲望百パーセント……ではないんだろうが、桜の一件もあって気落ちしてるであろうところを、なんとか誤魔化していることは「間木屋」の全員が全員知っている。

 だから、少しぐらいはあいつのわがままに付き合ってもいいんじゃないか、ということで、慰安任務の行き先に海水浴場が追加されることに決まったのだ。

 

 そこまでは別になんということもなく、ありふれた話でしかない。

 だが、俺はセーフ・ハウスに帰還してからふとクローゼットの中を探しまわっても、水着のみの字も見当たらない、という大分困った事態に直面していた。

 いや、考えてみりゃ確かにそりゃそうだろうよ。

 

 戦い以外に興味を持たず、虚無を煮詰めたような私生活を送っていた「西條千早」が殊勝に水着なんか買っているだろうか? 

 いや、ない。

 そんなわけで水着がない、という話を持ちかけてみれば、そこに由希奈が食いつくのもまた自然な話だったのだ。

 

「もう先輩、そういうことは早く言ってくださいよー、私が手取り足取り水着の選び方教えちゃいますからうへへ」

「アンタ、もう少し欲望を隠しなさいよ……でも、確かに買っても水着なんて着る機会なかったですからね。アタシも持ってないです、先輩」

 

 ランチタイムが終わって客と役人も帰った時間帯、いつものごとく掃除を終えた客席に陣取って駄弁っていた俺たちだったが、こんなことをしてても、叱責が飛んできたり懲戒を食らったりしない辺り、本当に血税を源泉掛け流しで垂れ流してる感が凄まじい。

 そんな話はさておくとしても、ファッションだとかに人一倍気を遣ってそうな葉月まで水着を持っていない、というのは意外だった。

 ただ、俺たち特級魔法少女の性質を考えれば、さもありなんといったところか。

 

 まとまった休暇なんて基本的に取れんしな。

 設定資料集曰く、休日と年末年始ぐらいはこの店も閉めてるみたいだが、その時に臨界獣が現れれば直接「M.A.G.I.A」本部から呼び出しがかかるし、コラプトブロスの時みたいに、現場近くに現れれば対応せざるを得ない。

 二十四時間、三百六十五日実質休みなしといわれれば相当ブラックだが、職場の雰囲気は見ての通りだし、基本、特級に仕事が回ってくる事態そのものが異例だということを踏まえればトントンだろう。

 

 これで給与も人並み以上を通り越してハイクラスどころの騒ぎじゃないってんだから、バイト時代の俺が見たら憤死しそうだな。

 都心のタワマンに一人暮らししてる十代とか、完全に漫画かラノベの世界だ。

 まあ、そもそもこの世界が原作から大きく逸脱してしまったとはいえ、「魔法少女マギカドラグーン」ってゲームの世界なんだが。

 

「そうか……其方が水着を持っていないというのは少しばかり驚いたな」

「着ないものを買ってもお金の無駄遣いですし……」

「自撮りでもSNSに上げればいいんじゃない? 葉月スタイルいいし、結構バズるかもよー?」

「うっさいわ、そういうのは自分でやりなさいよ」

 

 由希奈がファッション関連で頼れる存在なのは確かだが、なんとなく水着を選ばせるのに抵抗を感じるのは普段の行いだろう。

 そんなわけで相談を持ちかけるなら葉月に、のつもりだったんだが、当てが外れてしまった。

 由希奈は自撮りがどうこう言ってたが、なにが悲しくて部屋の中で水着着てる自分の写真を撮らなきゃいけないんだ。葉月が言う通り、そういうのは本人がやればいい。

 

「私にそんな需要あるかって話ですよー、ね、先輩?」

「あると思うが」

「あるでしょうね」

「なんでぇ!? 私別に先輩やこよみちゃんほどおっぱい大っきくないですし、葉月みたいに脚細いわけじゃないのにー! ってかちょ、ちょっとだけ……脚、太いの気にしてるんですよー、もう!」

 

 思わぬ反撃に、由希奈は赤面して、訊いてもいないことまで捲し立てる。うん、全力で、見事なまでに墓穴を掘っているな。

 それはともかく、自分の見てくれが美少女であることぐらいは自覚してほしいもんだ。

 需要がなかったらルートが作られてないぞ。問題はそのエンディングがどれも傍から見ればバッドエンドとかいう致命的な不具合という名の仕様を抱えてるとこなんだが。

 

「ふむ……そうなると、まゆとこよみも水着の類は持っていないのか?」

 

 キッチンで紅茶を淹れていたまゆと、その隣でなにか手伝えることはないかとそわそわしていたのであろう、ちょっと挙動不審なこよみへと俺は問いを投げかける。

 

「まゆも持ってませんねぇ……」

「……ぁ、ぇ……わ、わたし、は……その……お外、出れなかったです、から……」

 

 返ってきたのは、予想通りの答えだった。

 それもそうか。まゆは持ってそうなもんだったが、こよみは魔法少女になるまでは陽射しの下を満足に歩くこともできなかったのだ。

 それなのに訊いてしまったのは酷だったな。まゆもまゆで箱入り娘だったから、海水浴場になんてあの防衛大臣殿が近づけることを許さなかったのだろう。

 

「済まないな、こよみ……答えづらいことを訊いてしまった」

「……ぁ、ぇ……い、いえっ、その……わたし、今は、元気いっぱいですっ! から……気にしないでくれると、その……」

「承知した。ではどの道、我々は水着を買いにいかなければならないのだな」

 

 由希奈が持ってるかどうかは知らんが、少なくとも五人中四人が必須アイテムを未所持となれば調達しに行くのは急務だ。

 と、なると。

 視線を向けた先にいた由希奈は、取り乱していたのを誤魔化すようにわざとらしく大きな咳払いをする。

 

「こほんっ! ふふふ……それじゃあ私が手取り足取り、じっくり皆に似合う水着を選んじゃいますからねー?」

「言っとくけど際どいのは着ないわよ」

「わかってないなー、葉月は……ただ際どいだけじゃあダメなんだよ、水着というのは、静かに着る人の美を際立てる豊かなものでなくちゃいけないんだ……」

 

 独特な哲学だな。

 てっきり由希奈のことだから紐みたいなのをチョイスするかと思ってたんだが、これは俺の心が汚れていただけか。

 まあ、そんな信念の元に水着をチョイスしようというなら、あいつはこれ以上なく頼れる存在だろう。ダメだったら葉月に訊けばいいしな。

 

「なにはともあれ、任務まで日がない。作戦は一刻を争うということになる」

「先輩もいいこと言いますねー、そんなわけで店長ー、まゆが淹れてくれた紅茶飲んだら水着買いに行くんで、店閉めちゃって構わないですかー?」

「ああ、構わんよ。どうせ客も来ない。ゆっくりと、心ゆくまで水着を選んでくるといい」

 

 せっかくの慰安任務なんだからな、と付け加えると、大佐は全国のサービス業に全力で喧嘩を売るような臨時休業の依頼を承諾した。

 この場に由梨さんがいなくて本当によかったと、心の底からそう思う。言い出しっぺは実質俺なんだがな。

 そんな具合に話がまとまったところに、まゆとこよみがそれぞれ三つ、二つと分けたティーカップを持ってやってくる。

 

「お待たせしましたぁ、ロイヤルミルクティーですよぉ」

 

 さいですかぁ。

 なんとなく反射でそう答えたくなるのを堪えて、「感謝する」とクールさを取り繕った表情と声で答えながら、ついでにお盆に載せられていた角砂糖の瓶から五つほど摘んでティーカップの中に投入、かき混ぜる。

 うむ、美味い。紅茶飲んでるってよりはなんか甘ったるい液体飲んでる感じだからガチ勢には怒られそうなもんだが。

 

「先輩は甘党なんですねぇ……」

「肯定する。此方はブラックコーヒーも苦手だ」

「うふふ、なんだか可愛いですねぇ」

 

 どの辺が可愛いのかはわからんが、ブラックコーヒーなんて胃が荒れるし苦いしで飲んでもいいことがない。

 基準が自販機で売ってるペットボトルのそれだからかは知らんが、な。

 まゆが目を細めた笑顔で見つめてくるのを不思議に思いながらも、俺はロイヤルミルクティーを一息に飲み干した。

 

 さて、これからが忙しくなりそうだ。




由希奈式多段階墓穴掘削法


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なんというか救われてなきゃあいけないんだ

 ないものは買いに行くしかないだろうということで、とりあえずは山手線で行けるのにちょっと私鉄を加えた範囲の中から適当な店を見繕って探せばいい、という結論のもと、俺たちは水着を探しに出かけていた。

 キッチン担当のまゆまで出払っていることもあって、店の方は大佐が気を回してくれた通り、本格的に休業状態だ。

 もしもなんかの手違いで客が来たら大佐一人でキッチンとホールの対応できんのかな、なんて、他愛もないことを考えながら俺は、乗り気を通り越して絶好調な由希奈の後ろについていく形で、駅から近いところにあるらしい、水着が売ってる店を目指して歩く。

 

 しかし新宿もなんだかんだで人が多いな。

 時間的にサラリーマンの割合は比較的少ないが、学生やら観光客やら路上ライブやら、その他諸々で賑わっている。

 俺たちと同じ方向に向けて歩いてるやつらの中には、もしかしたら同じ目的を持ってるやつもいるのかもしれない。

 

 臨界獣という未曾有の脅威に晒されているにしては民衆は落ち着いているというか、多少呑気なところも感じるが、これも普段から治安と平和を維持するために頑張っている誰かの働きが報われている証拠だろう。

 俺たちも多少なりそこに噛んでるって意味では、なんだかむず痒い気持ちになるが、こういう時は変に謙遜するより胸を張ってた方がいいとは誰かの弁だ。

 魔法少女が平和を守るために戦う。そんなアニメか漫画の中で出てくるような理想とはかけ離れているのが俺たちの仕事だが、それでも、働きに見合うだけの対価は案外得られてるもんなんだな。

 

「先輩、どうしたんですか?」

「む……すまない、葉月。少しばかり感慨に浸ってしまっていてな」

「感慨、ですか」

「……此方が戦ったことで守れているものがある。その事実が少しばかり、そうだな……嬉しくてな」

 

 ここ最近担当してたのは殺伐とした任務ばっかりだったから、余計にそう思う。

 原作じゃこよみちゃん砲に巻き込まれて消えていった命の数は計り知れないが、それはあくまで、画面の中での話でしかない。

 だが、今俺が立っているのは紛れもない現実だ。なら、そこに生きる命を算盤勘定するようなことは、あっちゃいけないんだよ。

 

 ただ、生きていてくれることが嬉しい。

 図らずもそれは、死別を経験したからこそわかることなのかもしれなかった。

 そう思うと、悲しくなってくるけどな。

 

「……そうですね、だからアタシたちは戦ってる。先輩の言う通りです」

「肯定する。この力は……そのための力であると、そう信じたいものだな」

 

 傷つけて壊すことじゃなく、守るための力。

 幾度となく吐き出されてきた綺麗事の一つに括ってしまえば、それまでのこと。

 だが。

 

「もう、なーに辛気臭い話してるんですか先輩、葉月ー! そういうのなしで行こうって話で、店長がわざわざ沖縄旅行の予定組んでくれたんですからー」

 

 どことなく桜のことを思い出して、辛気臭くなっていた俺たちを、由希奈がそのヒマワリみたいな笑顔で笑い飛ばす。

 一番辛いのは自分だろうに、やり場のない思いを抱いてるのは他でもない由希奈自身だろうに、大丈夫だとばかりに笑っている。

 だったらそうだな、俺もしんみりするのはここらでやめにしておこう。

 

「うむ……そうだな、しばらくは戦いを忘れるのも、また任務の一環ということか」

「そーゆーことです、ってなわけで着いちゃいましたよ、夢の国もとい水着売ってるお店ー」

 

 今度は唇の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべた由希奈が指したのは、ショーウィンドウに佇むマネキン人形が今年のトレンドらしき水着に身を包んで佇んでいる、いかにもな感じの店だった。

 水着売ってる店です、って主張がこれほどわかりやすい例もないだろう。

 そう考えるとショーウィンドウってのは大事なんだな。何売ってるかが一目でわかるって意味でも、どんな傾向のものがトレンドなのかって意味でもそうだ。

 

 うーん、勉強になる。

 前世じゃファッションだのなんだのにはまるで関心なかったからな。精々マネキンが着てるコーデを丸パクリしてたぐらいだ。

 別にそれが悪いことだとはある程度関心が出てきた今も思わないが、意外と身近なところに発見があると嬉しくなるのは俺にまだ子供っぽいところが残されているからだろうか。

 

 そんなこんなで店の中に足を踏み入れた俺たちが見たものは水着、水着、水着の三拍子だった。

 一応マリンスポーツ関連のグッズも売っているみたいだが、明らかに水着の方がその関連商品より力が入っている。

 露出が抑えめなワンピースタイプのものからわかりやすいビキニタイプまで多種多様、少し攻めたデザインのそれも飾ってある辺りはご愛嬌ってとこか。

 

「さてさて、葉月は自分で選べそうだけど、先輩とまゆとこよみちゃんは自信ありますー?」

「此方は皆目見当もつかん」

「うふふ、右に同じですよぉ」

「……ぁ、ぇ……わ、わたし、も……」

 

 だろうな。ほとんど異口同音に否定の返事が出てきたことに驚きはなかった。

 由希奈からの呼びかけに対して俺ができることなんて、お手上げだとばかりに肩を竦めることぐらいだ。

 それに、まゆもこよみも今まで水着に縁のない生活を送ってきたんだろうからさもありなんといったところだろうよ。

 

「よろしい! では由希奈さんがじっくり手取り足取り選んで差し上げますよー、うへへ」

「そう言ってアンタ、際どいのを先輩に着せるつもりじゃないでしょうね」

 

 胸を張ってふにゃっとした感じの笑顔になった由希奈を牽制するように、葉月が睨みをきかせる。

 いや、なんとなくその可能性も否定できないというか高確率でそうなりそうな気もしてたがな、こうもっとなんというか、仲間に対する信頼をだな。

 日頃の行いというのは大事だと思い知らされる。しかし、由希奈は動揺する素振りも見せずに、葉月へ毅然とした態度で答えを返していた。

 

「葉月はわかってないなー」

「……むぅっ……どういう意味よ?」

「水着選びっていうのはね、お店でも言ったけどこう静かで豊かで……なんというか、救われてなきゃあいけないんだよ。確かにね? 露出面積も大事な要素だよー? それは認める。でも、波打ち際に立った時、女の子が最も輝くその瞬間、その一瞬を引き出すためにはそれだけじゃダメなんだよ、それをわかるんだよ、葉月」

 

 急に真顔になって謎の哲学を語り始めたぞ、こいつ。

 ぶっちゃけ、由希奈の言ってることはよくわからん。

 だが、邪な心だけじゃなく本気で、俺たちを波打ち際のマーメイドに仕立て上げようとしていることは伝わってきた。そのためにはただエグい水着を着るだけじゃ足りないと、そう言いたいんだろう、多分。

 

「そういうことで今回の私は過去一真面目にやってますんでー、信頼してくれていいんですよ? トラストミーですよ先輩」

「う、うむ……頼りにさせてもらう」

「そんなわけで、そうだなぁ……こよみちゃん!」

 

 突然キメ顔で指名されて、こよみはびくりと細い肩を震わせる。

 

「ひゃ……ひゃい……っ!」

「こよみちゃんはね、もうすぐにわかった。波打ち際のこよみちゃんを引き立てる水着があるとするなら、これしかないっ……!」

 

 早速とばかりにそう言って由希奈が指し示したのは、所々にフリルがあしらわれた純白のビキニタイプだった。

 普段着ているワンピースや差している日傘と印象が似ていることもあって、確かにこれを着ているこよみを想像すれば、いかにも神秘的な渚の美少女が脳裏に浮かび上がってくる。

 うん、いいんじゃないか。真っ当なチョイスだと思う。二の腕辺りを覆う袖っぽいのもあるし、脚の露出が気になるなら、パレオを巻けばいい感じになるだろう。

 

「そんなわけでちょっと試着室まで行ってみよっかこよみちゃん、サイズ合うやつあるかなー?」

「……ぁ、ぇ、あ、あの、その……わたし、こんな大胆なの、ちゃんと、似合って……」

「それを確かめるための試着だよー? 気に入ったら買えばいいしー、気に入らなかったら別なの探せばいい! 私がよくてもこよみちゃんが嫌なら意味ないしねー」

 

 やれやれとばかりに肩を竦める由希奈だったが、今日はなんというか恐ろしく真っ当だな。情熱やリビドーの類が正しい方向に向いてれば、これ以上なく頼りになる存在なのかもしれない。

 

「……ぇ、えっと……その……よろしくお願いします……」

 

 なにを申し込んだのかは知らないが、ぺこりと腰を折って頭を下げたこよみが、由希奈に連れられて試着室へと向かっていく。

 

「先輩」

「うむ、わかっている」

 

 信頼してないわけじゃないんだが、それはそれとして一応客観的な目もあった方がいいだろうとばかりに、俺とまゆは視線を合わせて、由希奈の後ろを歩いていた。




実用性よりこだわり派の由希奈


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波打ち際の予習は完璧?

 一応心配していたことは起きるでもなく、試着室から、恥じらいつつそのカーテンを開けたこよみが顔を覗かせる。

 

「……ど、どう……でしょう……?」

 

 うん、なんだ。由希奈の見立て通り完璧にジャストフィットしているというか、非の打ち所がない。

 フリルがあしらわれた純白の水着はこよみの銀髪と相まって儚くも幻想的な美しさを引き立てていて、潤んだ赤く大きな瞳とのコントラストを演出している。

 今のこよみの姿はまさに波打ち際の、真夏のルビーといったところだろうか。

 

「うむ……此方としては非の打ち所がないな。まゆ、其方はどうだ?」

「うふふ、まゆも完璧だと思いますよぉ。由希奈ちゃんのセンスもちゃんと役立つんですねぇ」

 

 さいですかぁ。いや、さらっと由希奈に対して毒を吐いていたように聞こえたのは俺の心が汚れてるからに違いない。

 多分、きっと。

 涼しい顔で微笑んでいるまゆに微妙な圧を感じながらも、そうかとばかりにいつものキリッとした表情を形作って頷いてみせる。

 

「ふふん、これで今の私がガチガチのガチで本気だってことはわかってくれましたよねー?」

「肯定する。塩梅を見極めているのだな」

「そう、そうなんですよー、先輩。少しでも匙加減が狂ったら美少女が台無しってやつです」

 

 あられもない姿が見たいわけではない、あくまでもただ神々しく波打ち際で輝くような美少女の姿が見たいんだ、と、これまた哲学じみたことを言いながら、由希奈は静かに首を縦に振っていた。

 その哲学については本人の思想信条だからツッコまないでおくとして、これだけこよみに似合った水着を一発で見つけ出したその嗅覚は頼りにしてもいいということだろう。

 別になに着て行こうと本人の自由だとはいえ、俺が右も左もわからん中、自力で選んだものよりは、詳しいやつが見つけ出したコーデの方にセンスについては軍配が上がるのは容易に想像がつく。

 

 つまるところ、寄らば大樹の陰というか、長いものに巻かれろというか、そういう類の話だった。

 

「こよみちゃんはどう? 気に入ってくれた?」

「……ぇ、えっと……はい、っ……! 皆が、似合ってるって……言ってくれる、なら……わたし、これを着ます……っ……! それに……白くて……可愛い、から……」

「ふふん……そう言っていただけると由希奈さん冥利に尽きるねぇ、とりあえず試着してたやつ脱いでカゴに入れといて。さてさて、次は……先輩は路線が二つあるから迷うとして……まゆ、君に決めた!」

 

 某ポケットにモンスターを指名するような調子で、由希奈はまゆに白羽の矢を立てる。

 俺に路線が二つあるってのは気になるが、その辺は最後に手番が回ってきたときにでも訊けばいいだろう。

 にこにこと笑顔を絶やさないまゆは頬に手を添えて小首を傾げていたが、困っているとかではない……はずだ。

 

「うふふ、よろしくお願いしますねぇ、由希奈ちゃん」

「うむ、こと水着選びなら私に任せなさーい! そんなわけで……まゆに似合うと思ってたのはこれかなー!」

 

 そう言って由希奈がチョイスしたのは、淡いピンク色のビキニタイプだったが、下の方にスカートが添えられている、こよみのそれよりも若干露出が抑えられたものだった。

 そこにどういう意図があるのかは由希奈本人が語ってくれるだろう。

 だからそれは一旦置いておくとして、第一印象的には確かにフィットしてそうだった。着てみないことにはわからないが、まゆとピンク色の組み合わせは楚々とした魅力を引き立てているように思える。

 

「ありがとうございます、それじゃ、ちょっと試着してみますねぇ」

「サイズはぱっと見で選んだからキツかったり緩かったりしたら言ってねー」

「はぁい、わかりましたぁ」

 

 こよみが着替えを終えて出てきたのと入れ替わる形で、まゆが試着室へと足を踏み入れる。

 ぱっと見でもこよみが特にキツいとか緩いとか言ってなかった辺り、由希奈の見る目は確かってことだろう。

 ギャラリーに加わる形でまゆの着替えを待つことになったこよみはおどおどしながらも、どことなくこの即席ファッションショーを楽しんでいるようにも見える。

 

「楽しいか、こよみ?」

「……ぁ、ぇ……えっと……その、ちょっと……」

「そうか……ファッションショーの審査員というのは案外こういう気持ちなのかもしれないな」

 

 いや、ド素人もいいところな俺とその道のプロを一緒くたにするなと言われればそれまでなんだがこう、なんというか雰囲気だよ雰囲気。

 こういうのはフィーリングというかその場のノリと勢いがなにより大事なんだ。多分な。

 こくりとこよみが小さく頷くと同時に、手早く着替えを終えたまゆが、試着室のカーテンを開けてその姿を覗かせる。

 

「ふふっ、どうでしょう?」

「これは……見事に似合っているな」

「……ぁ、その、えっと……すごく、かわいい、です……っ……!」

 

 こよみの場合、脚を出していることで健康的な魅力を引き出していた。

 だが、まゆの場合はそれをあえて抑えることで今度はゆったりとした、彼女らしい雰囲気を引き立てることに成功していると、素人考えではあるがそう感じる。

 そういう意味じゃ、自分で選んでる都合、ここにはいない葉月もどっちかというと脚を見せていった方が、その脚線美が際立つから似合うのだろう。水着ってのは奥が深いな。

 

「私から言えることはない……その水着をまゆが気に入ってくれたかどうかが全てだよ」

 

 さながら免許皆伝を取った弟子を見守るような眼差しで小さく頷いて、由希奈はそう口にした。

 気に入らなかったらリテイクには何度だって付き合うという気概も持ち合わせている顔だ、面構えが違う。

 自称水着マイスターは伊達じゃない。そんな由希奈の見立てに、姿見を振り返って自分の姿を確認したまゆもご満悦だったようだ。

 

「ふふ……っ、海に行くのは初めてですけどぉ、由希奈ちゃんが選んでくれた水着があれば、楽しくなりそうですねぇ。大事にしますよぉ」

「そっかそっか! ありがとね、まゆ。選んだ側としては気に入ってくれることより嬉しいことはないよー」

 

 屈託のない笑みを浮かべている辺り、お世辞ではないのだろう。

 普段はちょっとだけ大人びて、皆を一歩引いたところから見ているようなまゆが、等身大の少女よろしく朗らかな笑顔を見せてくれたのは、何気に貴重な一瞬かもしれなかった。

 さて、そうなると残されたのは二パターンあるらしい俺か。

 

 試着室でまゆが着替えている間に、由希奈は売り場にダッシュすると、ああでもないこうでもないとばかりに唸り声を上げながら小首を傾げる。

 こよみとまゆの時はほとんどノータイムで決まっていたのに、俺の時になるとそこまで悩むってことは、西條千早という素材を引き立てるのは相当難しいってことなんだろうか。

 なにかアドバイスを入れたとしても、素人の意見なんてもんは横槍にしかならないだろう。頑張れ水着マイスター、俺にできることなんて後方腕組み先輩面で見守ることぐらいだ。

 

「よし……足し算じゃなくて引き算、これで行こう! お待たせしました先輩、決まりましたよー!」

「そうか、ありがとう。すまないな、此方のために」

「いやいや、これは私が趣味と実益兼ねてやってることですしー、っと、そんなわけで先輩を引き立てるのはシンプルイズベスト! 大和撫子な感じを重視してみました」

 

 そう言って由希奈が手渡してきたのは、シンプルな青色のビキニだった。

 だが、紐の留め具に金色がアクセントとしてあしらわれていてシンプルながらも主張がしっかりと前に出ているものだ。

 ビキニを着てる大和撫子ってのもなんか脳がバグりそうになるが、確かに飾りすぎずにあえてシンプルさで勝負していくその姿勢は大事なんだろう、多分。

 

 まゆが出てきた更衣室に入って、とりあえず制服を脱いで下着姿に。

 その下着も適当に脱いで服の上に放ってから、由希奈に渡された水着を纏っていく。

 そうそう時間もかからずに出来上がった水着姿を姿見で確認してみれば、なるほど確かに悪くない。想像よりも遥かに、西條千早という素材を有効活用している。

 

「此方は着替え終わったが……どうだろうか?」

 

 最終確認も兼ねて更衣室から顔を出してみれば、こよみとまゆが顔を見合わせて、小さく頷いている姿が目に映った。

 

「とっても似合ってますよぉ、先輩」

「ぁ、わ、わたしも……そう、思います……っ!」

「そうか……ならば重畳。由希奈、其方としてはどうだろうか?」

 

 こよみはお世辞を言えるような性格じゃないし、まゆにもそうする理由が特にないのなら、二人からの評価は忌憚のないものということで間違いないはずだ。

 なら、それはこの青い水着が似合ってるということだろう。その評価に俺は少しだけ安堵して、胸を撫で下ろす。

 確認を求めるように由希奈の方へと視線を向ければ、悔いはないとばかりに無言で親指を立てて、真っ白になっていた。

 

 なにもこんなところで燃え尽きんでもいいだろうに。

 まだ肝心の海にも行ってないのにな。

 そんな具合に苦笑を浮かべながら、更衣室のカーテンを閉めて俺は、水着を脱いで元の「M.A.G.I.A」指定の制服を着込んでいく。

 

 なにはともあれ、必須アイテムは手に入れた。

 なら、次は目的地に辿り着くだけだな。

 サブクエストをクリアしたような謎の達成感を覚えつつ、由希奈が自分用の新しい水着をカゴに放り込んだのを確認してから、俺たちは、会計へと向かうのだった。




ねんがんの みずぎを てにいれたぞ!▼


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何事も事前準備が一番大事

 戦というのは戦う前になにをしたかで全てが決まっているとは誰の言葉だったか。

 要するに何事も段取り八分、事前準備が肝要ってことだな。料理をレシピ通りに作るのと同じことだ。

 そういう意味じゃ旅行の日程とかスケジュールを事前に組んでおくのも似たようなものではある。それはそれとして行き当たりばったりの弾丸旅行も楽しいもんだが。

 

「さて、荷造りはこんなものか」

 

 そんな益体もないことを考えながら俺がなにをしていたのかといえば、期日が迫った慰安任務に向けての荷造りだった。

 大佐が気を回してくれたおかげで、世界防衛サミットから二週間前に俺たちが沖縄入りして、開催日の一週間前に段取り確認その他諸々を済ませる、という形に落ち着いたらしい。

 つまるところ、実質一週間の休暇が与えられた、ということだ。

 

 俺たちがいない間に東京の防衛戦力が落ちるんじゃないかという問題については前も懸念があったが、政府と「M.A.G.I.A」がこの任務を許可したということは、なにか根拠があるんだろう。

 無論、それがなにかについて探りを入れるつもりはないがな。

 いかに俺が特級魔法少女とはいえ、機密を扱うような領域ってのは息をするように腹芸ができなきゃ基本的に生き残れない世界だ。

 

 前にこよみの魔法征装を作った時も善意と信頼に賭けるギリギリの綱渡りだったのに、それが役人みたいに常時腹芸してるような領域に足を突っ込んでみろ、多分三日も経たずによくて凍結処分だろうよ。

 知らぬが仏、見て見ぬフリをするのが最善の選択とは言いたくないようなご時世だが、そこは仕方あるまい。

 例え腹芸ができたとしても、後ろ盾がないからな。餅は餅屋ともいうのなら、大佐を信じて、その顔に免じて呑み込んでおこう。

 

 沖縄行きの慰安任務でも、なにかあった時のために着用するのは基本「M.A.G.I.A」指定の制服だ。

 現地の魔法少女たちと協力関係を築くのにも使えるから、と前置きされてるが、あくまでもそれが建前なのは、周知の事実だった。

 ホテルに行ってから私服に着替えたところで誰も咎めやしないし、そもそも現地の魔法少女と連携するような事態が防衛サミット開催前からあってたまるかって話だからな。

 

 仮にそんな事態があっても俺たちは変身すればいいだけだし、変身後のゴスロリドレス姿で魔法少女だってことがお仲間には伝わるだろう。

 右よし左よし、今日も虚無なオートミール茶漬けの片付けよし。

 荷造りを終えたキャリーバッグを引いて、最後にセーフ・ハウスに施錠してから、俺は集合場所である「間木屋」へと歩き出した。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「任務の概要は昨日説明した通りだ。諸君らにサミットの護衛として働いてもらうのと、その打ち合わせ、なにかあった時のための予行演習も含めて、期日の一週間前から現地の魔法少女及び政府関係者と合流する。尚、諸君らが期日から逆算して二週間前に沖縄入りしてからの行動については」

「特に関与しないんでしたよねー」

「その通りだ、北見由希奈。とりあえず空港までは送り届けるから、現地到着後は、諸君らの裁量で行動してくれて構わない」

 

 大佐はわざとらしい笑みを口元に浮かべながら、言った。

 一応なにかあった時のためのランデブー・ポイントやら現地で臨界獣絡みのトラブルがあった時の対処についても、荷物にしまい込んであるマニュアルに記載されている。

 建前上は任務だから一通り目を通してあるが、書いてある中身は、大体「なにかあったら高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ」の一言に尽きた。

 

 慰安任務だからって随分とざっくばらんなもんだと思ったが、ガチガチに固められたマニュアルは沖縄に着いてから一週間後に届くことだろうよ。

 早い話が、任務のことは建前だから忘れて、思いきり楽しんでこいと、そういう配慮なのだろう。

 海以外にも、各々が行きたいところリストをまとめた、旅のしおり的なものも作ってある。楽しむ準備は万全だ。

 

「おれから伝えることは以上だ、本件に関して質問がある者はこの場で訊いてくれて構わない」

 

 大佐からの呼びかけに、手を挙げる魔法少女は、俺含めて一人もいなかった。

 まあそれもそうだろう。本格的な打ち合わせなら昨日で終わっているし、単純に早く沖縄行きたいオーラが全員の背中から漂っているからな。

 葉月も表面上は平静を装いつつも、どことなくそわそわしているのが可愛らしい。

 

「此方からの質問はないようだ」

「了解した、それでは諸君らが任務を全うできることを祈っているよ」

『了解!』

 

 敬礼をして、俺たちは大佐が用意していた黒塗りの車に乗り込んでいく。

 政府関係者用のハイグレードなそれはどうして黒塗りなんだろうなと、どうでもいい考えを頭に浮かべてしまう辺り、俺も浮かれているのかもしれない。

 それはさておき、向かう先は羽田空港だ。成田空港と間違いやすいことに定評がある。

 

「なんだかんだで空港に行くの、初めてなんですよねー」

 

 持ってきたウノのカードをシャッフルしながら、由希奈がそう呟く。

 魔法少女になる以前は両親がマスコミ関係の仕事だったのもあって鍵っ子だったとは設定資料集に記載されている通りだ。

 魔法少女になる前に西條千早がどんな生活を送っていたかについては空白だったから迂闊なことは答えられんが、概ね魔法少女なら似たようなもんだろう。

 

「そうね……アタシも海外とか行ったことないし。まゆはどうなの?」

「そうですねぇ……昔は、よく行ってた気がします」

「そう……こよみは……なんでもないわ」

 

 由希奈が配っているカードを受け取りながら、葉月はこよみを一瞥して、少し気まずそうに目を逸らした。

 それもそうだろう。こよみは魔法少女になるまで家からほとんど一歩も出られないような生活を送っていたのだから。

 とにかく日差しや強すぎる明かりを避けなきゃ生きていけなかったのがこよみなのだが、ここで煽りを入れるでもなく純粋に気遣っている辺り、葉月も随分と丸くなったもんだ。

 

 原作でのギスギスオフラインっぷりを見てきた身としちゃ、とにかく感慨深い。

 

「……ぁ、ぇ……だ、大丈夫、です……東雲、さん……わたし、その……今が、とっても……楽しい、ですから……」

「……そう、ならいいんだけど」

 

 それでもまだ微妙に打ち解けきれていないというかギクシャクしてるのは、単純に性格の問題だろう。

 気が強すぎる葉月と気が弱すぎるこよみでは合わせ鏡というか、正反対すぎて仲良くしようにもお互い牽制し合って前に踏み出せないといったところか。

 俺が挟まってもそれはなんの解決にもならんだろうし、そこはなんとか乗り越えてくれると二人を信じたいものだ。

 

「それじゃー手札配り終わったし、ぼちぼち始めていきましょー!」

 

 カードオープン、とかいう大仰な掛け声と共に、由希奈が山札の一番上を捲る。

 手札はまあまあ悪くなかった。

 ドロー2を最初から持ってるのは結構デカい。この手のテーブルゲームが強いわけじゃないから、宝の持ち腐れとか言われりゃぐうの音も出ないんだが。

 

「くすっ、うふふ……」

「どうした、まゆ?」

 

 黄色の6が場に出ているのを確認してから、各々が同色のカードやら異色の数字やらを重ねていく最中、まゆがくすくすと可愛らしい笑い声を上げる。

 

「いえ、なんだか修学旅行みたいだなぁって、そう思っただけですよぉ」

 

 さいですかぁ。いつも通りに心の中で呟く。

 いや、まあ言われてみれば確かにそんな感じだな。引率がいて、後ろでキャーキャー騒いでる女子の集団。

 箸が転んでも笑うお年頃とはいうが、それにしたってもう少しボリューム下げてくれねえかなとか前世じゃ思ってたが、今じゃそんな、騒ぐ側に回ってるんだから人生はわからんね。

 

「それには、少しばかり長いかもしれないがな」

「そうですねぇ……でも、中学校と高校……普通の女の子が経験する修学旅行をいっぺんに味わってるみたいだ、って言えば、ちょっとだけお得な気もしますよぉ」

「ものは言いよう、か。確かに其方の言う通りだ」

 

 まゆも、なんだかんだで年頃の女の子だ。沖縄旅行にはしゃいでいるのだろう。

 それとは別に、エグい札の切り方で着々と手札の枚数減らしつつあるのが怖いところでもあったが。

 まゆ渾身のドロー4を食らって悶絶している由希奈を横目に、俺はそんなことを頭の片隅に浮かべていた。さて、このドロー2はいつ切ったもんかね。




事前準備はとても大事


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空の旅はエコノミー

 無事に成田空港と間違えることもなく羽田空港に辿り着いた俺たちは、大佐から航空券を人数分受け取って、運行情報を確認していた。

 

「沖縄行き沖縄行き……あったわね、大分時間にも余裕あるわ」

 

 葉月が見つけて指し示したそれに視線を向けてみれば、確かにチケットに書かれていた時刻と行き先が一致したそれが、掲示板に浮かんでいる。

 

「そういえば先輩、私たち普通のエコノミークラスなんですねー」

 

 政府専用機とか乗れるのかと思ってましたけどー、と、由希奈が肩を竦めて苦笑した。

 まあなんだ、気持ちはわかる。とてもよくわかる。

 空港までが政府関係者用の黒塗りのハイクラス、高級車だったのに、空港からは一般市民とご一緒にエコノミークラスというのは不満があるわけじゃあないが、ある種落差を感じるところがないでもない。

 

「気持ちはわかるが、これはある種の極秘任務のようなものだ。政府関係者用の便が動いているとなれば、敵からも市民からもいらぬ勘繰りを受けても仕方あるまい」

 

 元々特級魔法少女が他の連中より一週間早く現地入りするのはイレギュラーみたいなもんだし、予定よりも早く現地に行かなきゃならない理由は実質休暇みたいなもんだ。

 任務扱いされてこそいるが、そんな有名無実なものにわざわざ政府専用機を動かすのは大仰すぎるし、なにより税金の無駄だろうよ。

 まあ、欲をいうなら、確かにファーストクラスとか乗ってみたさはあったけどな。だが、乗れないものは乗れないんだから駄々をこねたって仕方あるまい。

 

 税金の無駄がどうこうというならそもそも「間木屋」の赤字が国庫から負担されてることをなんとかしろといわれりゃぐうの音も出ないんだがな。

 とはいえ、特級魔法少女たちの秘密基地としてはちゃんと運用されてるんだから、費用対効果はそれなりにあると思いたいものだ。その基地機能に関しては、見直しが必要そうではあるけどな。

 それはそれとして、そうでなければ本格的に俺たちが無駄飯食らい扱いだから、流石にそんな評価はごめん被る。

 

「まーそれもそうですよねー、はぁ……せめてファーストクラスの席くらい用意してくれてもよかったのになー」

「アンタねえ……贅沢すぎるでしょ、そんなの」

 

 休暇なんだし仕方ないし、それに帰りは多分乗れるでしょうよ、と露骨にテンションが下がっている由希奈の尻を蹴飛ばすように、葉月は言った。

 そういえばそうだな、行きはともかく帰りは政府専用機で戻ってこられる可能性は大いにあるんだ。

 護衛に動員された魔法少女たちだけ、行きと同じエコノミーで帰ってくれなんて非効率が過ぎる。わざわざ航空便を二つに分けるよりは、一つに集約した方が遥かに効率的だし、なにかあった時も魔法少女が同乗している方が遥かに安全だろう。

 

「時間はありますけど、荷物検査とかがありますから……あんまりのんびりしてる余裕はないですよぉ」

 

 スマホで時間を確認したまゆが笑顔で忠告を送ってくる。

 まあなんだ、それもそうだな。

 夢のファーストクラスを通り越した政府専用機に乗るのは帰りまでに預けておくとして、まず俺たちが全うすべきは目の前の任務だろう。

 

「うむ……そうだな。一旦受付窓口近くに集まるとしよう」

『了解!』

 

 これで乗り遅れでもしたら大惨事だからな。チケット代が無駄になってしまう。

 威勢よく答えると同時にキャリーバックを引きずりながら、俺たちは所定の時間に荷物検査諸々がすぐ受けられるような場所で一塊になる。

 しかし沖縄か。前世の修学旅行はどこに行ったかパッと思い出せんぐらいにどうでもいいこととして処理されているようだが、しばらく記憶の引き出しを乱雑に開け放っていたら、確かに行ったことがあったと思い出す。

 

 詳しくは思い出せないが、クラゲに触ってしまったのもその時だったはずだな、確か。なんともなしに海面へと手をついたら、ゼリーの出来損ないみたいな感触が伝わってきたのは軽いトラウマだ。

 そんなこんなで海には行くとしても、なるべく水の中には入りたくないな、などと益体もないことを考えていた時だった。

 こよみが、きょろきょろと助けを求めるように忙しなく視線を往復させている。なにかあったんだろうか。

 

「……ぁ、ぇ……えっと……」

「どうかしたのか、こよみ?」

「その……え、エコノミーとファーストクラスって、なにが違うのかな、って……」

 

 気になって声をかけてみれば、その口から飛び出てきたのは飛行機に乗ったことがない、こよみらしい疑問だった。

 エコノミーとファーストクラスの違い、か。

 概念的には多分説明できるんだが、正直なところ具体的になにが違うのかについては全くもって説明できる自信がない。なんせ乗ったことないからな、ファーストクラスには。

 

「そりゃあ……新幹線のグランクラスと普通席みたいなもんでしょ」

「新幹線……? ぐらん……くらす……?」

 

 葉月の説明は実に的を射ていたが、そもそもこよみは魔法少女になるまではろくに外に出たこともないのだ。

 知識として新幹線の存在ぐらいは知っていても、グリーン車だのグランクラスだの、そんな席が存在してることについて全く知らないのは致し方あるまい。

 そんなことも知らないのか、とは言うに言えず、脳が黒煙を噴き出すような勢いでなにか上手い例えがないかと葉月は模索して、頭を抱えていた。

 

「そうですねぇ……三百円ぐらいするアイスと百円ぐらいで買えるアイスみたいなものだと思いますよぉ、こよみちゃん」

「……ぁ、えっと……」

「百円のアイスも美味しく食べられますけど、三百円のはちょっと贅沢な味……そんな感じだってまゆは思ってます。エコノミーに乗るのは初めてですけど……」

 

 まゆは控えめな笑顔を浮かべながら、しれっと俺たち庶民からすればとんでもないことを言ってのける。

 いや、確かにまゆの出自を考えればエコノミークラスなんて乗ってられんってレベルのお嬢様だから仕方ないんだが、こうなんというか、小市民には手心をだな。

 忘れかけてるけど、エコノミー乗るのにすら躊躇するレベルで金がかかるもんなんだよ、本来は。畜生、貧困が憎い。

 

「アイス……なるほど……あ、ありがとうございます……まゆ……さん……その、し、東雲さん、も……」

「どういたしましてぇ」

「……別に、大したことじゃないわよ」

 

 ぺこりと丁寧に腰を折って、こよみはまゆと葉月の二人にお礼をする。

 未だに葉月とこよみの間にはちょっとだけ歩み寄れない片鱗が見られるものの、今回に関しては葉月が照れてる、というか恥ずかしがってるだけだろう。

 気持ちはわかる、よくわかる。例え話が通じなかったときの気まずさといったらないからな。

 

「そろそろ出発時刻っぽいですよー、先輩!」

「む、そうか……受付に向かうとするか。感謝する、由希奈」

「いえいえー、レッツサマーバケーションと洒落込みましょう、沖縄の海……皆の水着姿……うへへ」

 

 欲望が相変わらずだだ漏れになっている由希奈に苦笑を投げかけつつ、その背中を追いかけて俺たちは歩き出す。

 ここに桜がいてくれたら、と、きっと誰よりもその無念を感じているのは、他でもない由希奈自身だろう。

 ならば、生きることこそが。生き抜いて、生き抜くことこそが。

 

 それが、なによりの弔いになるのだろう。

 だから今は、全力でこの休暇を楽しむことが、俺たちに課せられたミッションに違いはあるまい。

 その任務を全うすべく、心の中で小さく祈り、誓いを立てて、俺たちは南海行きの航空便に乗り込んでいくのだった。




多分スーパーカッ○とハーゲンダッ○みたいなニュアンス


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貴女たち疲れてるのよ

 そこそこ快適な空の旅をすること大体三時間ぐらい、俺たちは無事、那覇空港に到着していた。

 前に見た映画かなんかじゃファーストクラスを通り越して政府関係者専用便がハイジャックされてたことを思い出すが、流石にそんなことはあるまい──とはいえないのが世知辛いところだ。

 とはいえ、防衛省主導で行われた調査の甲斐もあって、「暁の空」側に作戦が漏れる心配はなくなったと信じたい。今回の平穏も偶然じゃなく必然だったと、な。

 

「先輩、どうして難しい顔してるんですか?」

「む? ああ……ハイジャックに遭わなかったのは僥倖だと思っていてな」

 

 キャリーケースを引きずりながら、仏頂面でそんなことを考えていると、葉月が俺の顔を覗き込むようにしてそんなことを問いかけてきた。

 考えすぎだといわれればそうなのかもしれないが、なにかがあってからじゃあ遅いんだ、身構えておくに越したことはない。

 今回は杞憂で終わってくれたかもしれないが、次がどうなるのかわからない──なんて心配を重ねすぎても、またキリがないんだが。

 

「それはそうですけど……せっかくの休暇なんですから、先輩も、その……肩の力、抜いてみたらどうですか?」

「む? ああ……」

「由希奈じゃないですけど、旅行に行ける機会なんて滅多にないんですから。楽しんだ方が得かなって、アタシはそう思います……って、ごめんなさい、偉そうにして」

 

 確かに、言われてみればその通りだ。

 葉月は頻りに頭を下げていたが、むしろ下げるべきは俺の方なのだろう。

 気を張りすぎていても緩めすぎていてもろくなことにならないのはわかっている。だが、元々この休暇は大佐が俺たちのメンタルケアを兼ねてもぎ取ってくれたものだろう。

 

 なら、少しは戦いのことを忘れてゆっくりする選択も、悪くはないのかもしれない。

 原作のまゆルートじゃ世界防衛サミットに一直線だったが、今俺たちが休暇をもらっているのもある種、歴史や世界のズレだといえる。

 それが悪い方だけじゃなく、いい方に働くこともある。切羽詰まっていると忘れてしまいがち、というよりかは悲観的になりがちなんだが、事実は事実として正しく受け止めなきゃならないからな。

 

「いや……其方の言う通りだ。休暇だというのに気を張っていては、本末転倒というものだな」

「先輩……」

「なに、此方は大丈夫だ。本当にいらない心配をしていただけだからな……それよりも先を急ぐとしよう」

 

 自分の疑り深さに苦笑しつつ、俺は葉月にそう返した。

 初日にどこを回るかだとかなにを食べるかだとか、そういう話も旅のしおりにまとめてある。

 心配するならまずはそっちのスケジュールからだろう。

 

 作戦は一刻を争う、というわけじゃないが、早速出口の近くで俺たちに手を振っている由希奈とまゆ、そしてこよみの三人に視線を向ける。

 全く、このまま遅刻すれば怒られかねないな。

 早足で由希奈たちに合流しつつ、まずは一路、大佐が手配してくれたホテルに俺たちは足を運ぶのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「あー、なんかこのまま寝てたい……」

 

 結論から述べるのであれば、俺はほとんどベッドと一体化するように身を投げ出して、睡魔と壮絶な格闘戦を繰り広げていた。

 行きの飛行機こそエコノミークラスだったが、なにがあるかわからんということで手配されたホテルは、三つ星がつけられそうなぐらいにはハイグレードなものだ。

 しかし、ウェルカムドリンクとか人生で初めて受け取った気がするな。

 

 そんな話はどうでもいいとしても、整えられたベッドに身を投げ出せば、いい感じに空調が効いているのもあって、堪えていた眠気が急速に噴き出してくる。

 ここ最近……というかこの世界に生まれ変わってからずっと、無意識に溜め込んでいた疲れが枷から解き放たれたかのように押し寄せてくるんだからどうしようもない。

 とりあえず、このまま横になっていたら本格的に寝てしまいそうだったから、無理やり体を起こして、俺はとりあえずキャリーケースの中に詰め込んでいたものの整理から始める。

 

 私服よし、コスメよし、水着よし、その他生活と任務に必要な物品よし。

 チェックリストにも抜け漏れはない。

 なにはともあれ、出かけるのであれば「M.A.G.I.A」指定の制服から着替える必要があるだろう。

 

 制服着てちゃダメなんて決まりはどこにもないんだが、どうせ皆私服に着替える前提で荷造りをしてきたんだし、着替えなかったらなんとなく損をした気分になる。

 重い腰を上げて、俺はいつものジーンズルックに着替えていく。

 スカートも嫌いじゃないんだが、やっぱりこっちの方が色々動きやすくて落ち着くんだよな。

 

 着替えを終えて、充電器に繋いでいた連絡用の専用メッセージアプリを覗いてみれば、概ね俺と似たようなことが書かれていた。

 

『なんか今日めっちゃ眠いから観光なしで寝ちゃいません?』

『アタシも大分疲れてるし、それも悪くないわね』

『わたしはだいじょうぶです』

『まゆはどっちでも構いませんよ♪』

 

 大丈夫って打ってるこよみのメッセージが全部ひらがなになっている辺り、あんまり大丈夫ではなさそうだった。というか、十中八九大丈夫じゃない。

 今日の予定だと那覇市を適当に観光しながら沖縄そばでも食べようとか、そういう話になってたんだったか。

 まあ、一週間あるんだし沖縄そばなら別に今食べなくても沖縄にいるんだからどっかで食べられるだろう。

 

「此方もそろそろ眠気が限界に近い、と……」

 

 メッセージアプリにそう打ち込んで再び、俺はベッドへと背中を投げ出すように倒れ込む。

 なんというか、多分今日の観光は十中八九中止になるだろうな、という確信があった。

 三つ星ホテルの空調とベッドの快適さもあって、汗ばむような熱気の中に再び身を投じるのが億劫だというのもあれば、皆一様に疲れてるから、というのもある。

 

『それじゃ今日は観光中止ですねー、それじゃあ私ちょっと横になりますね』

『中止って……まあアタシも眠いけど』

『だいじょうぶでhdttdcdm』

『こよみちゃんは明らかに大丈夫じゃなさそうですねぇ……』

 

 もうこよみは多分というか十中八九寝てるだろう。

 崩壊したメッセージを見るに、そういう確信があった。

 まあなんだ、夜飯は豪華なものにありつけるんだし、旅行の楽しみは、なにも観光に限ったことじゃない。

 

 ゆっくりと宿泊地で羽を休めるのもまた、旅行の楽しみ方の一つだろう。

 誰がなんといおうと、きっとそうに違いないはずだ。

 半ば自分に言い聞かせるかのように俺は頭の中でそんなことを繰り返しながら、重たくなってきた目蓋を必死に持ち上げて、メッセージアプリに文字を打ち込んでいく。

 

『それでは今日の観光は中止、夕食時に起床するという方向でいいだろうか』

『さんせーでーす』

『先輩がそう言うんなら……』

『ごめんなさいおやすみなさwmkeaumg』

『ちょっとだけ残念ですけど、まゆも眠くなってきちゃいましたぁ』

 

 どうやら全員、考えていることは同じらしい。

 もう既に半分以上寝ているであろうこよみの姿を思い浮かべて苦笑しつつ、方向性は決まったとばかりにメッセージアプリを終了させて、俺もまたベッドに身を横たえる。

 そこから眠りに落ちるまで、五分とかからなかったのは、最早いうまでもあるまい。

 

 それにしても、贅沢なんだかそうじゃないんだかよくわからん時間の使い方をした一日目だった。

 わざわざ沖縄に来てまで惰眠を貪ると考えればもったいないが、三つ星ホテルのサービスを堪能したといえばいかにも休暇っぽく聞こえる。

 そう考えると、世の中何事も捉え方次第なんだな。

 

 ああ、夜飯は普通に美味かったよ。

 流石は三つ星ホテルってところだった。

 もっとも、根が小市民なのもあって、そこらの大衆料理店と比べてかなり繊細なのであろう味の違いはわからなかったけどな。




もうクタクタで


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昨日の仇を今日に討つ

「昨日は睡眠で一日無駄にしちゃったんで今日は色んなとこ回りましょー、先輩!」

 

 朝食のバイキング……ああ、洒落たいい方だとビュッフェっていうんだったか。

 なんでもいいが、とにかくそんな形式の朝飯を終えた俺たちは最低限必要な荷物を手提げ鞄に入れて、ロビーに集合していた。

 由希奈がやけに張り切ってるのは、言ってる通り昨日一日をほとんど寝て過ごしたからだろう。

 

 羽を休めるのもまた旅行の目的といえば目的だが、飯食って風呂入って寝てるだけじゃ普段とあんまり変わらんからな。三つ星ホテルが誇るベッドの寝心地は格別だったが。

 作った旅のしおりが早速機能不全になったことをは悲しいが、人生は取捨選択だ。

 頭を切り替えて、今日を楽しめるプランを練り直せばいい。要するに高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応しろってことだな。

 

「……くぁ……あ……」

「こよみちゃんはまだ眠そうですねぇ」

「……ぇ、ぁ……ごめんなさい……」

「まだ八時ですし、これまでずっと働き詰めだったんですから、仕方ないですよぉ」

 

 可愛らしい欠伸を漏らしたこよみの頭を優しく撫でながら、まゆがその胸に抱きしめる。

 下手したらその安心感だけで寝落ちしそうぐらいに癒しのオーラが伝わってくる。気持ちはわかるが耐えろ、耐えるんだこよみ。

 丸く大きな赤い瞳は既に半目になっていて雲行きが怪しいところだったが、二日目も寝て過ごしたくないとは本人も思っているのか、必死に睡魔と戦っている様子だった。

 

「あー、もう! ちょっと待ってなさい、こよみ!」

「は……ひゃい……っ……!?」

 

 そんな格闘戦をまどろっこしいとばかりに外側から蹴り飛ばすような勢いで、葉月はまゆにもたれかかっていたこよみへと言い放つと、肩を怒らせながらロビーの端の方に歩いていった。

 ああ、まあそうか。そういうことなら仕方ないな。

 ぶっきらぼうだが、確かに差し伸べられようとしている素朴な優しさに自然と口元が綻ぶ。

 

「これ。効くかどうかわかんないけど」

「……ぁ、ぇ……あ、ありがとう、ございます……東雲さん……」

「……どうってことないわよ。しゃっきりしなさいよね」

 

 葉月が持ってきたのは、朝専用とかラベルに書かれていた缶コーヒーだった。

 プルタブを開けて、こよみに渡した分の他にもう一本、自分用に確保していたそれを葉月は一息に煽る。

 どうでもいいが、こういう名前の商品って、無性に夜に飲んでみたくなるんだよなあ。午後だったら午前にとか。

 

「ねえ葉月ー、私の分はー?」

「自分で買いなさい」

「ひどい! うーん……ホテルの自販機ってなんで無駄に値段高いんですかねー、先輩?」

 

 知らん。

 その一言で切って捨てるのは簡単だったが、考えてみれば謎だ。外じゃ百三十円で買えるような缶コーヒーがホテルの中じゃ二百円近くかかる。

 順当に考えればロケーション料というかサービス料というか、ホテルに泊まるような客なら多少値段を吊り上げても買ってくれるだろうと見込んでるとか、あるいは設置した時の契約で、自販機の会社が場所代払わされてるとか、そんなところか。いや、知らんが。

 

「すまない、此方にもわからん」

「ですよねー? ショバ代ってやつなのかなー」

「言い方が物騒なのよアンタは……」

 

 あんまり余計にお金使いたくないんだよねー、と呟きながら自販機コーナーに向かっていった由希奈の背中を見送ると、俺は平気そうなまゆに視線を向ける。

 

「其方は眠くないのか?」

「はい、まゆは大丈夫ですよぉ」

「そうか……」

 

 昨日たっぷり寝ちゃいましたから、と、少し頬を赤らめながらまゆはそう付け加える。

 俺もそこまで眠くはないから、個人差ってやつなんだろうか。

 そもそも切った張ったがここ最近続いていたから、それで毎日快眠できる方が異常といえば異常なのか。こよみも、その緊張感から解き放たれたところは大いにあるんだろう。

 

「けふっ……やー、お待たせ皆の衆。それでー、今日行くのってまずは水族館でよかったんですよねー?」

 

 由希奈は朝専用缶コーヒーのプルタブを開けて豪快に中身を飲み干してから、そう問いかけてくる。

 ビュッフェ会場で朝食も兼ねて軽い打ち合わせみたいなこともしていたから、方針としてはそれで合ってるはずだ。

 直前になって心変わりしたとか、やっぱり別に行きたいところがあるとかならそれもそれで構わんし考慮するつもりだが、今のところ異論が出てくる様子はない。

 

「異論はないようだな」

「はいはい了解ーっと、それじゃ楽しんできましょー!」

『おー!』

 

 異口同音に、由希奈が取った音頭に俺たちは応える。

 思わず乗ってしまったが、よく考えなくてもノリとテンションが完全に修学旅行に来た女子集団のそれだ。

 周りの客がドン引きしてたら申し訳ない限りだが、今のところそういう様子はない。金払いのいい客はやっぱり心も広いんだろうか。

 

 なんというか、我ながらどうでもいい話だな。考えたところでなんの益体もありゃしやい。

 それなら今日を全力で楽しむ方向に舵を切っていくしかないだろう。

 水族館は前にこよみと一緒に行ったことはあるが、都内のこじんまりとしたそれと、有名なそれでは規模も展示内容も違うはずだ。

 

 そう考えると少しわくわくしてきたな。

 前世じゃ風情だとかそんなもんに縁のない生活を送ってきたのもあって、束の間ではあるにしてもこういう平和な瞬間を噛みしめられるのはいいことだとしみじみ思う。

 この休暇が任務として与えられたなら、俺たちの使命は全力で羽を伸ばすことだ。とりあえずはその水族館に、足を運ぼうじゃないか。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「うひゃー、水槽でっか……あ、あそこにいるのってエイですかねー、先輩?」

 

 きらきらと目を輝かせて、由希奈が巨大な水槽の中を泳ぎ回る魚たちを一望しながら問いかけてくる。

 エイとマンタはなにが違うんだったかと、一瞬頭の片隅にそんなことが閃くが、そんなことはどうでもいい。多分エイで合ってるだろう。

 確かに来るだけの価値はある圧巻の展示内容ではあったが、誤算だったのは那覇市から高速バスで三時間かかるような場所にあったことだろうか。

 

 これに関しちゃ、下調べをしてなかった俺たちに非があるからなんともいえんのだが。

 ただ、行き帰りの時間を考えれば、今日一日は水族館見学で終わるだろう。

 高速バスに間に合わなくてもタクシー呼べばいいしな。相応に金はかかるが、こっちも相応に給料も貰っちゃいるからトントンだ。

 

「ジンベエザメ……なんていうか、大きいわね」

 

 葉月が呟いた通り、ジンベエザメの巨体はこの水槽の中でも圧巻という他になかった。

 確か人を食べたりはしないらしいが、こんなのと海で遭遇したらまず死を覚悟するだろう。サメが空飛んだり竜巻になったりして襲いかかってくるB級パニック映画の題材に選ばれるのも納得だ。

 まあ、そもそもそっちの大元はホホジロザメだから別種なんだがな。

 

「……た、食べられちゃいそう、です……」

「ジンベエザメは温厚なお魚なんですよぉ、こよみちゃん」

「……そ、そうだったんです、か……なら、よかった……の、かな……?」

 

 ちょうど俺が今考えていたのと似たようなやり取りを繰り広げているまゆとこよみを一瞥しつつ、水槽を一望すれば、サメだけじゃなく回遊魚が群れをなしていたりと、中々に生命の神秘を感じさせる光景が目に映る。

 前に都内の水族館を訪れた時もそうだったが、こういう光景は癒されるな。

 そしてなんとなくスマホで調べてみたら由希奈が指していた平べったいやつはエイじゃなくてナンヨウマンタとかいうらしかった。うん、やっぱり間違わないためにも下調べは大事だな。

 

 九時半に訪れてればナンヨウマンタの餌やりが見られたらしいが、まあそれだと朝飯抜くかコンビニ飯だったから仕方あるまい。

 三つ星ホテルの朝飯を食うのも休暇の一環だ。

 そんな具合にしばらくは水槽が織りなす小さな生態系に想いを馳せながら、俺たちは思い思いに言葉を交わしていた。




高いのはわかっていてもちょっと買いたくなるホテルの自販機


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皆で食べるから美味いんだ

 とりあえず、水族館を一周した俺たちはぼちぼち腹も減ってきたということで、館内のレストランに足を運んでいた。

 

「休暇っていいもんですねー、先輩」

「肯定する」

 

 表向き「間木屋」が喫茶店として機能している……かはわからんが、そういう名目で店を構えている都合、最低でも週休二日は保証されている。

 だが、臨界獣という脅威と常に対面し続けているのが魔法少女なのだから、休暇にちょっと羽を伸ばしてプチ旅行、なんてことはやりたくてもできないのだ。

 いや、「やろうと思えばやれるがそんな気分にはとてもなれない」の方が正確か。

 

 どっちでも結論は同じだから動機はさておくとしても、いつ臨界獣の特異個体が現れるかわからない都合、日曜だろうと惰眠を貪っているような時間も、遠くまで遊びに行くような余裕もない。

 思えば、桜の時も任務の一環として親睦を深めようとしてたな。

 特異個体が連続して現れることは極めて珍しいにしても、二十四時間常在戦場。それこそが魔法少女の現実だった。

 

「んー、隊長……じゃなかった、店長のお墨付きでもらう休暇の味は本当においしい!」

「そうね、アタシもあんまり遠出とかはしたことないし」

「……ぁ、ぇ……えっと、わたしも、お休みの日はアニメばっかり見てました……」

「こよみちゃんはアニメが好きなんですねぇ……まゆもそういうの、見た方がいいんでしょうか」

 

 レストランの受付に名前を書き込んで、案内されるまでの時間を駄弁りながら過ごす。

 普段客の来ない「間木屋」でやってることと同じではあるが、外でやってるというだけでなんとなく新鮮な気分になる辺り、俺も大概チョロいのかもしれない。

 ああ、一応とはいえ受付に書いた名前は偽名だ。俺たちの顔と名前が一致する人間は極めて少なくとも、こういうのは臆病なぐらい秘密にしておいた方がちょうどいいんだよな。

 

「先輩、受付になんて名前書いたんですー?」

「無難に田中だが」

 

 由希奈が悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう問いかけてくるが、生憎受付名で大喜利するような度胸は持ち合わせてない。

 それと、全国の田中さんに謝罪しなきゃならない気がしたので、心の中で謝っておく。

 無難な名字とか思ってすみません。でも書いたときは他に候補が思いつかなかったんだ、可能なら許してほしい。

 

「ちぇー、そこは五名でお待ちのフリ」

「そのネタは大分古いぞ、由希奈?」

「いいじゃないですかー、特戦隊みたいで」

 

 その特戦隊が出てくる国民的漫画は俺も読んだことがある。

 思いっきり悪役なんだがそれでいいのかお前は、と思う傍ら、こいつに体を入れ替える能力だけは渡しちゃいけないと、そういう確信が脳裏を走り抜けていく。

 そもそもよく考えたら俺が「西條千早」の肉体に入り込んだ異物だから、ある意味お似合いではあるのか。皮肉なもんだな。

 

「フリ……?」

「まゆはそういう漫画とか読まないのー?」

「ごめんなさい……まゆはゲームが好きですけど、漫画とかアニメとかはあんまりなんですよぉ」

 

 さいですかぁ。

 困ったような笑顔を浮かべて、由希奈から振られた話題に対処するまゆと、その傍らでなにを布教したものかと真剣に頭を悩ませているこよみを一瞥して、俺もまた苦笑する。

 まゆにあの父親がゲームを買い与えていたとは思えない──というか設定資料集には明確に「そうではない」と書かれていたが、それでもゲームが好きな理由はあるんだろうか。

 

「ふむ……其方はどのようにしてゲームを嗜んでいたのだ、まゆ?」

「そうですねぇ、お母さんがいた頃は誕生日プレゼントとかで買ってもらったり、お小遣いで買ったり……そんな感じですよぉ」

 

 結構いたたまれない話題が出てきたことに、迂闊だったと後悔しながらも、俺は初めて出てきたまゆの情報に驚いていた。

 それは、まゆに母親がいるかどうか、いたとして存命か否かについては設定資料集に書かれていなかったからだ。

 あの防衛大臣については「なんらかの出来事を経て考えを固くした」的なことが書いてあったから、十中八九母親絡みのことなんだろうと想像がつく。

 

「……すまない、まゆ」

「過ぎたことですから、気にしなくても大丈夫ですよぉ、先輩」

 

 いたたまれない。

 見えない地雷を踏んだような気分だった。

 まゆ本人は本当に気にしてなさそうな笑顔を浮かべているが、その内心はきっと鉄の檻に覆われているのだろう。

 

 自分ではない誰かのため。

 あるいは、国のため。

 それはここに生きる人々のために生きるということであり、そして。

 

「五名でお待ちの田中様ー!」

 

 店員が大声で俺たちの名前を呼んだことで、沈み込んでいく思考が中断された。

 

「呼ばれましたよ、先輩」

「そうだな、葉月……さて、行くとしよう」

 

 葉月に続く形で俺は、店内に足を踏み入れる。

 それは考え続けたところで詮なきこと、といわれてしまえばそれまでなのだろう。

 だが、もしも今俺が歩んでいるシナリオがまゆルートを下敷きにしたものだと想定すれば、まゆに待ち受けているものは非業の死だ。

 

 誰かのために、国のために生きるというのは、まゆにとって、誰かのために躊躇いなく自分を犠牲にできるということでもあった。

 だからこそ原作シナリオのグッドエンドでは国を守るために、そこに生きる人々を守るために自らの命を燃やし尽くして、死んだ。

 そんなシナリオを、仲間をまた喪うという筋書きを、誰が許容できるものか。例え力不足だとしても、俺は。

 

「うーん、ビュッフェとビュッフェでビュッフェが被っちゃいましたねー」

 

 俺が一人俯いてきつく拳を固める傍らで、トレイを取った由希奈が少しだけ残念そうにそう呟いた。

 いわれてみれば、確かにレストランの佇まいはビュッフェ形式のもので、俺たちが朝飯を食べたホテルのそれと瓜二つだ。

 まあ、そんな日もあるだろう。多分。

 

「せっかくだから、朝食べなかったものを食べてみればいいのではないか?」

「それもそうですね、葉月はなに食べんのー?」

「別になんでもいいじゃない……」

「旅先でもブロッコリーばっかり食べてたらせっかくの旅行が台無しだぜー?」

「人をなんだと思ってんのよ、アンタは……旅行中ぐらいはちゃんと食べるわよ」

 

 反りが合ってるんだか合わないんだかよくわからん葉月と由希奈が軽口を叩き合いながら先にすたすたと歩いていく。

 そうは言ったものの、それはそれとして俺も被らないチョイスとなると選ぶのが結構難しいというか、正直なんも考えてなかったんだよな。

 これを朝も食ったかどうかと唸り声を上げつつ、定番メニューを皿に取り分けていく。

 

「ぁ、ぇ……千早、先輩……」

「む……? どうした、こよみ?」

 

 ふと、背後を振り返れば、そこには遠慮がちながらも、柔らかくはにかんでいるこよみの姿があった。

 

「……その……ビュッフェって、いっぱい食べ物があって、おいしそうで……楽しい……ですね……」

「肯定する」

 

 こよみの皿には多種多様な料理が一口分ぐらい盛り付けてあって、よく食べるんだか食が細いんだかよくわからない状態になっている。

 多分食が細いというよりは、少しずつ色々食べる方が性に合ってるんだろうな。

 私服のワンピースを大きく突き上げるその胸を一瞥して、俺は納得したように小さく頷く。

 

 ビュッフェやバイキングってのは俺の中じゃいわゆる「質より量」ってイメージなんだが、三つ星ホテルや有名観光地のレストランのそれともなれば、質にもこだわってるんだろう。

 そう考えれば美味いのは最初から保証されているようなもんだが、なにより。

 やっぱり外で、観光地で飯を食っているという事実がなによりのスパイスなのには、間違いはないだろう。

 

「せんぱーい、一足先に席取ってましたからねー!」

「大声出すんじゃないわよ、メッセージアプリとかあるでしょ」

「……ぁ、ぇ、えっと……デザート、取ったら……行きます……っ……!」

「うふふ……皆仲良しですねぇ、まゆ的にもグッドグッド、ですよぉ」

 

 それを裏付けるように、和気藹々とした仲間たちの声を噛みしめるように深く頷くと、俺もまた食べる分を取り分けて、席へと向かうのだった。




絆が深まるんだ


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ウェミダー

 二日目の水族館見学もなんとか無事に終わってくれて、俺たちは休暇もとい慰安任務の三日目を迎えていた。

 昨日が遠出だったから今日は近場で回れるところにしよう、というのは葉月の提案であり、それ自体は全員が同意するところでもあったのだが。

 しかし、那覇市近郊なら観光スポットにも土産屋にも困るところはあるまいと、話がまとまりかけてきたところで異を唱えたのは、案の定というかなんというか、由希奈だった。

 

『調べてみたら那覇空港から車で十五分ぐらいのところに海水浴場があるんですよねー、海ですよ海、せっかく沖縄に来たんだから行かない手がありますか、いや、ない!』

 

 わざわざ反語表現まで持ち出して熱弁した由希奈の勢いに押された、というよりは市内散策ということ以外具体的なプランを立ててなかったのもあって、俺たちの行き先はなし崩し的に海水浴場に決まってしまったのである。

 いやまあ、水着を買った以上、どの道行くことは確定してるんだから、それが早いか遅いかぐらいの違いだといわれればそれまでだ。

 だが、プライベートビーチではない、ということは衆目に己の身体を晒す、ということでもある。

 

 ここ最近のハイカロリーな生活を振り返って、俺は摘める面積が少ない腹を摘まみながらも、中途半端な恥じらいに引きずられていた。

 

「うーん……」

 

 水着自体に問題はない。

 由希奈が煩悩を多少含みつつも、純粋に俺に合わせて選んだくれたものだ、似合っているかどうかについても心配ないだろう。

 だが、こう、なんだ。いざとなるとビキニ姿で砂浜を歩くというのには妙な抵抗を覚えるというかなんというか。

 

 これが自意識過剰というやつなんだろうか。確かに「西條千早」は客観的に見ても美人だが、「俺」に需要があるとは限らない。

 いや、待ってほしい。そんな需要の話はともかくとしても、俺がこの下着姿と肌面積がほとんど変わらんような格好で砂浜を歩くのか。

 そう考えるとどういうわけか、途端に恥ずかしくなる。

 

「……なるようにしかならんか」

 

 別にナンパされたところで、肘打ちの一発も鳩尾にぶち込んでおけば、肉体言語による対話は成立するだろう。

 観念しろ、腹を括るんだ西條千早。

 ぴしゃりと自分の両頬を叩いて、気を引き締める。

 

 時刻はまだ、朝食には早いところだった。

 それなら、あらかじめ日焼け止めを塗っておくのがいいんだろうか、などと考えて調べてみたら、どうやら二、三時間おきに塗り直さなきゃいけないらしい。

 こんがりと焼けるだけならともかく、シャワーも浴びられないぐらい痛む焼け方をしたら洒落にならんからな。これに関しては海水浴場まで待つしかあるまい。

 

 とりあえずは腹を括ってパジャマを脱いで、俺は姿見に映る下着姿の自分と、両手に持っていた水着の上下を交互に見比べる。

 なるようにしかならんとは言ったものの、それはそれとして恥ずかしさが込み上げてくるのは誤魔化せない。

 この季節になると海水浴場でインタビュー受けてる水着女子諸姉におかれては、どんなメンタルトレーニングを積んできたのか。ただただ敬服するばかりだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 事前にタクシー代は経費で落ちないかどうか確認していたが、少なくとも慰安任務中、経費で落ちるのは行き帰りの航空券と宿泊費ぐらいだと、大佐からは聞いている。

 そんな話はともかくとして、五人は流石にセダン車に乗り込めないということで、三人と二人にグループを分けて二台のタクシーに分乗、俺たちは海水浴場を目指していた。

 那覇空港から車で十五分というだけあって、水族館の時とは違って車中で寝ているような余裕もない。

 

 それでもこよみはうつらうつらと船を漕いでいる辺り、やっぱり日頃の疲れが溜まっているのだろう。

 真ん中にいるこよみを挟んでまゆと俺がそれぞれ左と右の後部座席に乗る形に落ち着いた班分けだったが、由希奈が変なゲームを提案してこないってだけでなんとなく安心感がある。

 いや別に、ゲーム自体は嫌いじゃないんだけどな。それに賭ける代償がろくでもないというか欲望まみれだからであって。

 

「こよみちゃん、疲れてるみたいですねぇ」

「肯定する。昨日は遠出をしたからな」

 

 娘を見守る両親のような目で、まゆと俺は真ん中の席で必死に眠気を堪えようとしては眠りの淵に落ちかけているこよみを見つめていた。

 本人曰く寝言のような調子で「ねてないです」と時折呟いているが、本格的に寝るのも時間の問題といったところだろう。

 まあ、どの道もうすぐ海水浴場には着くんだ、その時起こしてやればいい。

 

「むにゅ……おとうさん……おかあさん……わたし……」

「……家族の夢を見てるんですねぇ」

「……肯定する、そのようだな」

 

 家族、か。

 まゆからすれば複雑極まる話なんだろう。

 俺の方は……どうなんだろうな。少なくとも今世で「西條千早」として生きてる時間は短かいし、「千早」の両親がどんな人物だったのかなんて、設定資料集にも書かれちゃいないから全くわからん。

 

 前世じゃ親との仲もいいとはいえなかった。特に父親とはとことん反りが合わなかったな。

 デカくなった子供みたいに自分勝手で、自分の望むこと以外を認めたくないような……そのくせ自分の世間体は気にしている、まあ、小さい男だったよ。

 その分母親には恩を感じちゃいたが、隕石で物理的に蒸発しちまったからな。恩を返そうにも手遅れだ。

 

「先輩は……いえ、なんでもないです。忘れてください」

「此方の家族のことか」

「……いえ、だから忘れてくれると……」

「……あまり覚えてはいない。だが、子は親の操り人形ではない」

「……」

「いらないお節介なのは承知の上だ。だが、これだけは言っておきたくてな」

「……ご忠告、ありがとうございますねぇ」

 

 まゆは、困ったように笑う。

 それもそうだろう。なにも知らない人間から踏み込んだことを言われたらキレるか困るかの二択だろうからな。

 それでも、言っておきたかった。なんの役に立つかはわからなくとも、この世界で生きてきた苦しみは肩代わりできなくとも。

 

 画面越しに見るんじゃなく、この世界で生きているからこそだ。

 あとはそれをまゆがどう受け止めるかは、本人次第だ。

 だとしても、いつかはその呪縛めいた運命を断ち切ってくれると、俺は信じているからな、まゆ。

 

 タクシーが駐車場に停まる。

 湿っぽい話はここに置いておくとして、いよいよ由希奈にとっては念願の海だ。

 完全に眠りの淵に落ちてしまったこよみの肩を揺すりながら起こして、精算を済ませる形で俺たちは夏の日差しが照らす、駐車場へと降り立った。

 

「……むにゅ……おはよう、ございます……千早先輩……」

「おはよう、こよみ。そろそろ海水浴場だ」

「……ふぁい……」

 

 小さく欠伸をしたこよみは日傘を差して、まだ眠そうな足取りで歩き出す。

 吹き抜ける生暖かい風には潮の香りが混ざっていて、これが海か、と、昔、というか前世の記憶を微かに思い起こさせる。

 海か。潮騒に乗って聞こえてくる観光客たちのはしゃぎ声に、なんとなくだがこっちも気分が高鳴ってくるのは、どこかで浮かれているからだろうか。

 

「……わからんものだな」

「先輩?」

「……少しばかり水着姿が恥ずかしいと思っていたのだが、今では海が待ち遠しく思えるから……全くもって不思議なものだと、そう思ってな」

「そうですねぇ」

 

 明らかにはしゃいでいる由希奈と、それにツッコミを入れながらもどことなくそわそわしている葉月に視線を向けて、俺とまゆは頷き合った。

 多分だが、考えていることは同じなのだろう。

 俺たちもまた、高鳴る鼓動に誘われるように歩調を早めて歩き出す。海はもう、近くに迫っていた。




うみみ……(サニーゴ)


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灼熱ビーチサイド・ハニー

「ひゃはー! 海ですよ海ー! ドブみたいに濁ってる東京湾と違って透き通った海! そして輝く美少女の水着姿! 海よ、私は帰ってきたー!」

 

 よくわからんテンションで由希奈が叫ぶ。帰ってきたんじゃなくやってきたの間違いだろ。

 それはさておき、着替えを済ませた俺たちは、諸々の準備も終わらせた上で、ビーチサイドに繰り出していた。

 はしゃいでいる由希奈には申し訳ないがここ、調べて見た限りでは天然のビーチじゃないんだよな。

 

 自然でこういう景色を見たかったら離島に行くしかないんだが、流石に時間がかかりすぎる。

 俺からすればまあ、天然か人工かの違いなんて誤差だよ誤差、ぶっちゃけ調べてみても違いなんてよくわからん。

 本物志向な方々には大変申し訳ない限りだが、アクセスの良さとそれっぽさを両取りできるんなら、俺は別に人工だろうと天然だろうと、どっちでも構わなかった。

 

 借りたビーチパラソルとデッキチェアを空いてる場所に並べつつ、波打ち際に向けて一目散にダッシュしていった由希奈の背中を見れば、この慰安任務の意義が一発で理解できるというものだ。

 

「ちょっと由希奈! はしゃいでないで手伝いなさいよ!」

「ごめんごめん、ついテンション上がっちゃってさー」

 

 葉月に窘められる形で戻ってきた由希奈もまたパラソルとデッキチェアの設営を手伝ってくれたが、その手元は明らかにそわそわしていて、待ちきれないというオーラが全力で放出されていた。

 まあ、なんだ。

 気持ちはわかる。東京で身近な海となればお台場辺りが定番になってくるが、東京湾の水質は由希奈の言った通り濁り切っていて、お世辞にも綺麗だとは言い難い。

 

 その点、このビーチの透き通るエメラルドグリーンよ。

 同じ惑星に住んでいるのかどうかが疑わしくなってくるレベルで綺麗なんだからテンションの一つや二つ、上がるなという方が無理だろう。

 最後のデッキチェアとパラソルを設置して、額に浮かんだ汗を拭う。人数分借りるとなるといいお値段だったが、特級魔法少女の給料を考えればそれでもまだ黒字だ、それに。

 

「観光地に来たのならば、金払いはいいに越したことはないからな……」

「どうかしたんですか、先輩?」

「いや、なんでもない。此方は少し疲れたのでな、ここで寝そべっている……其方は楽しんでくるといい」

 

 当たり前だが、真夏の海に降り注ぐ日差しは過酷だ。

 こよみが日傘を持ってきたように、水着を買うついでに鍔が広い帽子もセットで買ってきたのだが、それすら貫通しそうな直射日光には耐えられん。

 あと単純にクラゲが怖い。クラゲ避けのネットは張ってあるらしいが、前世のトラウマを思うとやっぱり海は入るもんじゃなくて見るもんだな、と防衛機制が働いてしまう。

 

「えー、もったいないですよー、先輩! せっかく海に来たんだからこう、波打ち際でその魅惑のプロポーションを惜しげもなく晒していきま痛ったぁ!」

「だから欲望をもう少し隠しなさいよアンタは、観光地よ、ここは!」

 

 なんというか、言いたいことはわかる。

 水着は持ってて嬉しいコレクションじゃない。自分を引き立てるために、海というロケーションで輝くために買ってきたものだから、寝そべってそのまま寝落ちなんてもったいない。

 由希奈が鉄拳を落とされたのは日頃の行いだとしても、その理屈は一理ある。なら仕方ない、腹を括るしかないか。

 

「む……それもそうだな、だが各位、熱中症には十分気をつけることだ」

「痛たたた……了解でーす、それじゃ行こっかこよみちゃん、まゆ!」

「……は、はい……っ!」

「荷物はロッカーに預けてありますから……多分大丈夫ですよねぇ」

 

 浮き輪を装備して準備万端といった風情のこよみと、日焼け止めやら飲み物やら、ないとは思うが誰かに盗られても大して影響のないものだけがデッキチェアに置いてあることを確認したまゆも、先導する由希奈の後ろをついていく。

 そういえばこよみはカナヅチだったか。

 別に問題があるわけじゃないが、身長が低いのと童顔なのが合わさって、やけに浮き輪がよく似合っている。

 

「……ぁ、ぇ……く、くらげ……いるのかな……?」

「残念だが、ネットが張ってある。すり抜けた個体もいるかもしれんが、望みは薄いだろう」

「……そ、そうですよね……刺されちゃったら、大変ですから……」

 

 心なしか残念そうにしているこよみだったが、クラゲ成分は水族館で補充してきたのもあってか、切り替えは早かった。

 見る分には愛嬌があるといえなくもないが、触る分には割と気持ち悪いし、こよみが言った通り刺されたら命に関わる個体もいるしな。

 そうして波打ち際に集まった俺たちは、なにをするでもなく、寄せては返すエメラルドグリーンの細波に足を浸してみたりだとか、あるいはそのオーシャンビューを、至近距離で堪能していた。

 

「……お、落ち着きます……えへへ……」

「いいねいいねこよみちゃーん! その表情グッドだよー! あーもう、カメラ持ってくればよかったー!」

「しまうところがないでしょうが」

 

 浅瀬をぷかぷかと漂ってほっこりとした笑顔を浮かべているこよみの姿に由希奈はすっかりご満悦な様子だ。

 葉月が言った通りではあるのだが、確かに写真の一枚でも撮っておきたいような光景ではある。

 スマホを持ち出してくればよかったのかもしれないが、あれは一般人に見られたらまずい政府関係者用の連絡アプリだとかが入ってるから泣く泣くロッカーにぶち込まざるを得なかったんだよ。

 

「うふふ……まゆも少しだけはしゃいでみたくなっちゃいましたけど、パレオを巻いたまま海に入るのはよくないかもですよねぇ」

「そのような決まりはないと思うが……」

「せっかく由希奈ちゃんが選んでくれた水着ですからぁ」

 

 さいですかぁ。それにしてもなんかまゆと話してると、無性にこう返したくなるんだよな。

 波打ち際を漂うこよみと、呆れた顔をしながらもそのスタイルの良さを惜しげもなく周囲に披露している葉月。

 そして概ねいつも通りな由希奈を横目に見て、俺とまゆは小さく笑い合う。

 

「しかし、葉月。其方が羨ましく見えるな」

「えっ……? どういうことですか、先輩?」

「なに……以前も述べたが手足の細さがな。隣の芝は青く見えるというが、此方もそれは同じことだ」

「……そう、ですか。正直自信なかったんですけど」

 

 確かに、葉月は出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいるメリハリのついたプロポーションというよりかは、凹凸が少なく、くびれのはっきりしたモデル体型だが、それがかえって様になっているのは間違いない。

 少しだけ頬を赤らめて、潮風にその赤毛をなびかせる様子は、由希奈じゃないがカメラに収めたくなるようなものだった。

 吊り目気味な顔立ちもあって、本職がモデルと言われたら知らないやつは十中八九信じるぐらい、葉月の水着姿は様になっている。

 

「自信を持つといい……といわれてもなかなか難しいだろうがな。だがとてもよく似合っているぞ、葉月」

「……っ、ありがとうございます!」

「おやおや葉月ー、先輩に褒められて満更でもないって顔してるなー?」

「うっさいわ、茶化すな!」

 

 茹で蛸みたいに顔を真っ赤にした葉月を、由希奈がからかうように笑って、海に入っていく。

 それにキレた葉月もまた、水飛沫を上げて海へと飛び込む。

 ライフセーバーの人に怒られそうなもんだったが、見逃してくれたのか運が良かったのかは知らないが、アナウンスが入ることはなかった。

 

「日差しが堪えるな……此方も海に入るとするか」

「そうですねぇ」

 

 あとで髪の毛洗うのが大変そうだとは思いながらも、海岸に残された俺とまゆもまた遊泳エリアの海に足を踏み入れる。

 ひんやりとした海水の温度が心地いい。

 生物は海から生まれて陸に上がってきたというが、この包み込んでくれるような感じは確かに命が還る場所としては相応しい……なんて、俺も大分頭が茹ってるな。

 

「はぁ……気持ちいい、です……」

「海で寝ては危険だぞ、こよみ」

「……は、はいっ……! 危なく寝ちゃうところでした……」

 

 寝落ちしかけていたこよみに声をかけて、意識を現実に引き戻す。

 ライフセーバーの人が待機しているとはいえ、もし流されでもしたら大惨事だ。

 しかし、浮き輪をつけて流れのままに身を任せるというのもそれはそれで確かに気持ちよさそうだ。俺も寝てしまいかねないがな。

 

「わはー! それーっ!」

「ちょっと、水かけるのやめなさいよ! 子供じゃないんだから!」

「とか言いつつしっかり反撃してきてんじゃーん、楽しもうぜ、葉月ー?」

「うっさいわ!」

「うふふ……皆、本当に仲がいいですねぇ」

 

 全くだ。

 いつもと変わらずにプロレスじみたやり取りをしている葉月と由希奈を横目に見て、俺は苦笑する。

 途中で狙いが逸れた水を思い切り被ることになったのは、ご愛嬌というやつだろう。




冬に水着回を書く話があるらしい


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お手回り品には気をつけよう

「夏といえば海、海といえばビーチバレーって感じですよねー先輩」

 

 レモンシロップがかかったかき氷を口元に運びながら、由希奈が語る。

 よくわからんが、そんなもんなんだろうか。前世じゃインドア系もインドア系だったから、思えば家族以外と海水浴なんて来たことないんだよな。

 遊泳が一段落ついたということで、軽食を提供しているレストランに集まった俺たちは、午後の過ごし方について話し合うという名目の下、とりあえずは軽く食べられそうなものを摘んでいた。

 

「ふむ……此方はあまりわからんな。そうなのか、葉月?」

「それは……人によると思いますけど」

 

 そりゃそうか。

 葉月の真っ当すぎる答えに、俺はふむ、と小さく唸り声を上げながら頷く。

 サーフィンとかシュノーケリングとかバナナボートを漕いだりとか、マリンスポーツは色々ある。だが、事前準備の手軽さという意味では確かにビーチバレーに軍配が上がるかもしれない。

 

「単純に身体動かすのって気持ちいいじゃないですかー」

「ずっと泳いでばかりでも飽きちゃいますからねぇ」

 

 メロン味のかき氷をちまちまと突きながら、まゆが由希奈の言葉に同意を示す。

 しかし、欲望を包み隠さない由希奈にしては随分と真っ当な理由だな、とか思ってしまった辺り、大分俺の思考も毒されているらしい。

 それはさておくとして、ビーチパラソルの下で適当に潮騒を聞きながら寝転がっているのもまた乙なもんだとは思うが、寝落ちしてしまったら確かに少しばかりもったいない気はする。

 

「特になんか食べたあとって眠くなりやすいじゃないですか、だからここらで体動かしとくのも悪くないんじゃないですかー?」

「……アンタにしては真っ当な動機ね、

逆に驚いてるわ」

「葉月は私をなんだと思ってんのさ」

 

 由希奈はイチゴ味のかき氷を崩しながら呟いた葉月の悪態に明らかな不満を表明していたが、それも多分日頃の行いってやつだと思うぞ。

 それにしてもビーチバレー、ビーチバレーか。

 ブルーハワイシロップのなんともいえないケミカルな味わいを舌先に感じながら、俺は考える。

 

 五人という編成なら競技者が二人ずつ、審判が一人って構成になるのが妥当だろう。

 誰も審判役をやりたがらなければ俺が引き受ければいい。

 しゃくしゃくと練乳がかかったかき氷を無心で頬張っていたこよみが、いわゆるアイスクリーム頭痛でこめかみを抑えているのをあたたかい目で見守りながら、当面の予定を組み立てる。何事も段取り八分だからな。

 

「そんなわけで午後はビーチバレーにしようと思うんですけどー、異議ある人はいますかー?」

 

 異議があるってほどでもないが、他にやりたいことも見当たらない。

 そんな感じの空気もあって、由希奈が発した鶴の一声で午後の予定が無事かどうかは知らんが組み立てられる。

 行動力の化身みたいなもんだから、こういう時は頼りになるんだよな、由希奈は。

 

「別にアタシはそれで構わないけど、チーム分けとかどうするの?」

「公平にジャンケンでもする?」

「それはいいけど、五人だから一人余っちゃうじゃない」

 

 葉月の懸念はもっともだ。

 だが、それは最初から想定済みなんだよ。

 見てるだけで満足ってわけじゃないにしろ、皆が楽しく遊べるなら俺が蚊帳の外になるのもやぶさかじゃない。

 

「ならば此方が審判役を引き受けよう」

「いいんですか、先輩?」

「なに、構わんさ。疲れてきたら交代すればいい」

 

 もっとも、「魔導炉心」が組み込まれている魔法少女がビーチバレー如きでヘトヘトになるとは思えんが。

 設定資料集曰く「魔導炉心」は肉体におけるある程度の恒常性を保ってくれるらしいから、日焼けとも縁がない……かどうかは正直なところよくわからん。

 ふわっとした記述しか書いてないなら疑ってかかるのが吉というものだろう。要するに、日焼けと熱中症にはご注意って話だ。

 

「それじゃあ、先輩の厚意に甘えちゃいましょうねぇ」

「ありがとうございます、先輩。早くかき氷食べなきゃって、ったぁ……!」

「あはは、あんまりがっつくからそうなるんだよ葉月ー?」

「うっさいわ! ってかこよみ、さっきから喋ってないと思ったらアンタ……」

「……ぁ、ぇ……食べすぎ、ました……」

 

 かき氷を消化するペースを早めた葉月もまた、アイスクリーム頭痛の犠牲者となって、テーブルに突っ伏す。

 さっきからかき氷を黙々と食べていたこよみと二人で仲良く蹲ってる様は、中々見ていて微笑ましい。

 とはいえ、さっさと消化しないとそれはそれで溶けた氷に染みたシロップが手についてべたべたになったりするんだから、難儀なもんだよな。

 

「そういえば先輩、ブルーハワイ食べてるんですよねー?」

「肯定する」

「それじゃアレやってもらっていいですか、アレ」

 

 それか。皆やりたがるというか好きだよな。

 由希奈に促されるままに、俺は小さく咳払いをすると、恐らくはブルーハワイのシロップで青く染まったであろう舌を出してみせる。

 なんか恥ずかしいんだよなこれ。前世の文化祭かなんかの時に男同士でやってた時はまるで抵抗感もなかったはずなんだが。

 

「あはは、めっちゃ青くなってますねー!」

「んむ……」

 

 そろそろ唾液が垂れてきそうなので舌を引っ込めながら、俺は由希奈の言葉に曖昧な相槌を打つ。

 

「先輩の貴重なお口開けシーンも拝めて元気いっぱいってもんですよー、グッドグッド」

「なんもよくないわよ、先輩になにさせてんのよ、アンタは」

「今回は別に邪な動機じゃないしー? かき氷食べたら舌の色確認するのなんて皆普通でしょー?」

 

 なんなら私の舌でも見てみます?

 と、由希奈は葉月にそう切り返したが、いざ見せてくれと言われたら抵抗するんだろうな、きっと。

 そして、本人の言う通り今回は邪な動機じゃないんだろう。アホみたいに口開けてるのは恥ずかしいが、別に舌の色を確認する程度なら問題あるまい、と思うのだが。

 

「……ぁ、ぇ、えっと……千早、先輩……お顔、赤いです……」

「む……そうか、こよみ」

 

 だが、なんとなくこう、羞恥心をくすぐられるんだよな。

 こよみに指摘されて頬の辺りを両手で触ってみれば、確かにそこは熱を帯びていて、無意識に赤面していたことを自覚させられる。

 なんだろうな、日に日に自分の中でなにかが崩れていくような感じがするんだが、それがなんなのかがわからない──というか、うまく言語化できないのがもどかしい。

 

「皆食べ終わったみたいですし、行きましょうかぁ」

「さんせー! それじゃボール持ってマリンスポーツの方行きましょー!」

「……ぇ、ぁ……そ、その……皆さん、待って……! お、お財布……っ……! しまわない、と……!」

 

 珍しくまゆが音頭を取る形で、俺たちは適当に会計を済ませてマリンスポーツエリアに移動する……前に、こよみが呼び止めるのに応じて足を止める。

 貴重品はちゃんと保管しとかなきゃいけない。こよみに言われるまで、俺も浮かれて忘れていた始末だ。

 しかしなんとも様にならないな、これは。そう苦笑しながら、俺たちはロッカールームへと引き返していくのだった。




だから、ロッカールームに引き返す必要があったんですね


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真夏のエクストリーム・バレー

 今度こそお手回り品、貴重品の管理よしということで、午前中は行かなかったマリンスポーツエリアに俺たちは足を踏み入れる。

 事前に申し込んでおけば、バナナボートを漕いだりとかできたらしいが、なんとなく億劫だったからパスだパス。

 その点ビーチバレーをするだけなら予約もいらず、最初からビーチバレー用のネットが張ってあるのは嬉しい限りだ。

 

 遊泳エリアと分離されてるのは、単純に事故防止のためだろう。

 本気で遊ぶにしろそうでないにしろ、スポーツで体を動かす都合、ボールを取りに行こうとしたら通りかかった観光客に激突したとか、そんなこともないとはいえないからな。

 至れり尽せりといった風情でなんともテンションが上がってくるが、そもそも俺はゲームに参加しないんだった。

 

「補欠ポジションか……」

 

 自分から言い出したこととはいえ体育の授業でペアを作れずにあぶれてしまった生徒の気持ちがなんとなく理解できる。

 わかるぜ、蚊帳の外ってのはつらいよな。

 だがこれは俺が始めたことなのだから、今更撤回させてくれというのも格好悪い。

 

「どうしたんですかぁ、先輩?」

「いや、なんでもない。独り言だ。それよりチーム分けだが……」

「んー、ここは平等にジャンケンかなんかで決めた方いいですけどー、私、葉月と戦ってみたいんですよねー」

 

 人差し指を頬に当てながら、由希奈は不敵な笑みを浮かべて、ライバルを指名する。

 

「アタシは別に構わないけど、なんでよ」

「日頃の恨みに決まってるでしょうがー! 人の頭をばしばし叩いて、脳みそすっからかんになったらどうしてくれるっていうんだ葉月ー!」

「元からでしょ?」

「よしわかった表に出よう」

 

 落ち着け、ここが表だ。

 ナチュラルに正論で煽り返した葉月に向けて、今にも変身し、虚空から銃を取り出しかねない勢いで静かに、しかし深くブチギレた由希奈の肩にぽん、と手を置いて静かに宥める。

 模擬戦という建前なら喧嘩に許可は下りるだろうが、公衆の面前で変身するのはご法度だ。だから、ここは穏便にビーチバレーで解決しようじゃあないか。

 

「それじゃあ、まゆとこよみちゃんはぁ」

「そうね……ジャンケンで勝った方がアタシと組んで、負けた方が由希奈と組むってのはどうかしら」

「私が負けた方ってのはなんかモヤっとするけどー、まあそれが建設的か……」

 

 さっきから引き続き、煽られてるように聞こえるのも無理はないかもしれないが、関係ないことに因果を無理やり見出して怒りを燃やしてもなにもいいことはないぞ、由希奈。

 

「決まったか」

『はい』

 

 そんなことを考えながら投げかけた俺の問いに、葉月と由希奈は異口同音に肯定の返事をする。

 アーレア・ヤクタ・エスト。賽は投げられた、ってか。

 別に前口上とか賭けるものとかがあるわけじゃないが、余興にしてはどことなくぴりぴりとした二人の雰囲気は、まさに決闘開始を待つ剣闘士たちといったところだろう。

 

『最初はグー、じゃんけんぽん』

 

 それにしたって、バチバチと火花を散らしている葉月と由希奈に対してまゆとこよみの対照的なことよ。

 

「……ぁ、ぇ……か、勝っちゃい、ました……」

「わーわーぱちぱちぃ、おめでとうございます、こよみちゃん」

「……あ、ありがとう、ございます……っ、まゆ、さん……」

 

 なんだろうな、α波でも放出されてそうな癒しオーラをひしひしと感じる。

 ジャンケンに勝ってどことなく生き生きとしているこよみの姿は小動物を見ているようで微笑ましい。

 勝敗など関係ないとばかりににこやかな笑みを浮かべて由希奈と合流したまゆも、いい感じに気が抜ける笑顔をしていた。

 

「……あー、こほんっ。それでは両チーム、配置についてくれ」

 

 由希奈から投げられたバレーボールを受け取ると、ネットを挟んで二つのチームがそれぞれに闘志を燃やして向き合う。

 ……というよりは、葉月と由希奈がやる気になってるだけで、まゆとこよみは巻き込まれてるというか、コート内にいるのにどこか蚊帳の外みたいな感じだった。

 だがそこに油断と慢心の罠は潜んでいる。

 

「それでは、ジャンプボールの後にサービス権を決定する……始めぃっ!」

 

 声の調子を整えてからバレーボールを持ってコートの真ん中に立ち、俺はボールを天高く放り投げる。

 重力に沿って落ちてくるそれを自陣のコートに転がせれば最初のサーブ権を獲得できる、実にシンプルなルールで懐かしさが湧いてくるな。

 そんな感傷はともかくとして、先に飛んだのは、身長が低い由希奈だった。

 

「ふははは! 背の高い方が有利だとは思わないことだよ、葉月ー!」

「ちっ、出遅れた……!」

 

 僅かな遅れを突く形で、そのままサーブ権が由希奈のチームに転がり込む。

 傍から見てると休み時間の小学生みたいで微笑ましいんだが、ことこの戦いはガチだ。

 今も溢れ出る闘志をボールに込めて、ふわりと放り投げたそれを由希奈は全力で打ち据えようとしていた。

 

「先手必勝! くたばれ葉月ー!」

「普通に暴言で退場じゃないの、それ」

「ふははは! この砂浜はバーリ・トゥード……番外戦術もなんでもありさー! そんなわけで大人しく点数になれー!」

 

 ビーチバレーってのは、何点先取したら勝ちなんだったか。

 手元にスマホがないから調べようにも調べられん。

 まあその辺はフィーリングでいいだろう、などと考えている間にも、由希奈が手首の捻りを加えて放ったサーブが強烈な弧を描いて、レシーブしようとした葉月の脇をすり抜ける。

 

「しまっ……!」

「特に使い道はないけど密かに磨いていた必殺ショット! 動体視力には自信があるみたいだけど、その隙を突かせてもらったよ!」

 

 なるほど、弾速を早めることで初動のレシーブを誘い、そこにカーブを合わせて不発にさせる。

 よく考えられた一撃だ。

 だが由希奈、お前も忘れていることがある。これはな、チームプレイなんだぜ?

 

「……あ、えと、その……えいっ……!」

 

 間一髪、後ろからよく見ていたこよみが、ボールが地面に落ちる前に滑り込みで拾って打ち上げる。

 

「なっ、こよみちゃん!?」

「……い、今ですっ……東雲、さん……!」

「……ありがと、こよみ。さて……人に舐めた真似してくれたんだから、お礼は倍返しじゃないとね!」

 

 こよみのトスで打ち上げられた球を、全力で跳躍した葉月が、容赦の欠片もないスパイクで打ち下ろした。

 一般人がまともに受けたら怪我どころか腕の骨が折れかねないレベルの弾速でバレーボールがすっ飛んでいく。

 いいスパイク……と褒めていいのかはよくわからんが、幸い俺たちは魔法少女だ。

 

 変身していなくとも、「魔導炉心」と訓練によって超常の域にまで高められた身体能力があれば、あの弾丸と化したスパイクを受け止めることも不可能ではない。

 回転に対して勢いを殺すような向きに腕を構えると、由希奈は見事にその一撃をレシーブしてみせる。

 なんというか、俺が魔法少女だから動きを見られているけど、一般人からしたらドン引きレベルの光景が目の前では繰り広げられていた。

 

「まゆ!」

「それじゃあ……よいしょっ、とぉ!」

 

 葉月の一撃に比べれば威力は低いかもしれないが、的確に相手の後衛を大きく揺さぶる、そんな一手を打つ辺りは流石まゆといったところだろうか。

 すぐさま得点には直結せずとも、体力というリソースを削ることで自分たちが後々アドバンテージを得るための戦略。

 中々いやらしいところを突いてくるじゃあないか。

 

「こよみ!」

「は、はい……っ……!?」

「キツくなったらスイッチ! 多分まゆはアンタの消耗を狙ってるから気をつけるのよ!」

 

 こよみが大きく動かされながらも拾い上げた球を再びスパイクで打ち出しながら、葉月が叫ぶ。

 原作じゃいがみ合ってた二人がこうして手を携え合っている光景を見ると、こう、なんというか、胸の中に込み上げてくるものがあるな。

 葉月は前衛である由希奈にスパイクをぶち込み続けることで直接的な攻撃の手を封じて、まゆはそれを拾い上げて揺さぶることでこよみという装填手を疲れさせる。

 

 やってることは中々泥臭いんだが、飛び交う弾速があまりにもエグいせいで、周囲を歩いている観光客はビーチバレーのコートを全力で避けている始末だった。

 有り体にいってドン引きってやつだろう。

 動画とか写真とか撮られないだけマシなんだろうがな。

 

「くたばれこの色ボケがぁぁぁっ!」

「ふふーん、そっちこそ観念して負けを認めるんだよ、このまな板、洗濯板、ビート板ー!」

「……殺す!」

 

 どんどん過激さを増していき、しまいには空中戦にまで発展しかねない、ハイレベルな球の応酬と、小学生レベルの罵詈雑言が飛び交う様を、俺はただ、胸を支えるように腕組みしながら眺めることしかできなかった。

 まあ、なんだ。

 戦いというのは得てして醜いものだ。例え遊びであっても、スポーツマンシップに則ってからスポーツをすべきだったな。




節度を守って楽しく遊びましょう


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祭りのあとはいつも寂しい

 エクストリームビーチバレーの決着は、ボールがとうとう葉月の腕力に耐えられなくなって破裂したことでノーゲームという形に収まった。

 何点で終わるとか決めてなかったし、仮に続いててもあのままリレーの応酬は止まらなかっただろうから妥当なところだろう。

 気合を入れすぎた反動か、砂浜に三角座りをして水平線を眺めていた由希奈と葉月が言葉を交わす。

 

「……なんかごめん、葉月」

「……別にいいわよ、アタシこそ熱くなりすぎたわ」

 

 戦いはいつも虚しい。

 終わったところで勝利者などどこにもいなくて、疲れ果てて海を眺めるのが精一杯。

 三角座りで真っ白に燃え尽きている二人はその縮図のようで、仮に建前だとしてもスポーツマンシップというものは大事だったんだなと再び痛感する。

 

「二人とも、仲直りできたみたいでよかったですねぇ」

「うむ……うむ?」

 

 それを見てあらあらとばかりに、困った子供を宥めるような母親のような目で微笑んでいるまゆはどことなくほっこりしていた。

 ほっこりする要素が一体どこにあったのかはわからんが、仲直りできたのは確かによかったから、ツッコむにツッコめん。

 これには俺も懲りたし、次からなんかやるときはちゃんと盤外戦術禁止の旨をルールに追加しておこう。

 

「……ぇ、えっと、でも……わたし、いい汗、かけたかな、って……」

「あははー、それはそうかもね。こよみちゃんは前向きだなぁ」

「……まあそうね、いい運動にはなったわ」

 

 水平線を眺めていた二人をフォローすべく、必死に考えていたのであろう意見を表明するこよみの姿が微笑ましい。

 由希奈にその銀髪を撫でられながら、葉月にまだわだかまりを残しつつも不器用な笑みを投げかけられているこよみは、どっちかというとチアリーダーの方が天職かもしれんな。

 魔法少女は皆人並み以上の体力やらなにやらかにやらを兼ね備えているから、その辺の適性もばっちりだろう。

 

「先輩、変なこと考えてませんかぁ?」

「……否定する」

「なら、いいんですけどぉ」

 

 ポンポンを二つ持ったチアガール姿のこよみが大きく脚を振り上げるラインダンスをやってる姿を一瞬想像しかけたとは、口が裂けても言えなかった。

 ぽやーっとしているようで、時折本質を見透かしたかのような言葉を投げかけてくるまゆの本心は中々読めない。

 それはさておき、実際、葉月と由希奈の仲が悪化しなかったのは幸いだ。

 

 仲良きことは美しきことかな、とか、雨降って地固まるとはよくいったもんだから、この話はここでおしまいにしよう。

 遠く海原で舵を取っているバナナボートに一瞥を投げて、俺もまたゆっくりと立ち上がる。

 平和的に海を楽しみたいなら方法はまだ残っちゃいるが、葉月と由希奈はそろそろ気力も尽き果てている頃だろう。

 

「さて……帰ろうか、皆」

「帰っちゃうんですかー? 私はまだまだ元気ですけどってうぉああ、足がもつれる」

「さっきのアレでかなり消耗したでしょアンタは……アタシもちょっと疲れてきましたし、先輩の意見に賛成です」

 

 今のところ反対票が一つ、賛成票が一つのイーブンか。

 

「まゆもちょっと疲れちゃいましたねぇ……こよみちゃんはどうですかぁ?」

「……ぁ、ぇ……えっと、わ、わたし、も……」

 

 今後の予定はまゆとこよみがどっちに票を入れるか次第だったが、二人がエクストリームビーチバレーに参加していたこともあって、ノータイムで賛成票が集まってくれた。

 審判役やってただけの俺はともかくとして、あれに付き合ってたら相当消耗することだろうから、さもありなんといったところだ。

 そんなわけで、帰還ということに方針は決定した。唯一反対票を投じていた由希奈も多数決の前には折れてくれたのか、あっさりと更衣室に向けて歩き出す。

 

「うーん、私的にはちょっと残念だけど民意なら仕方ないなー」

「あれだけ動いてまだ遊ぼうとするアンタのその根性はどこから来るのよ」

「んー、いやほら、海に来たのに私たち全然声かけられてないじゃん?」

「は?」

「美少女が五人、何事も起きないはずはなく……! って感じでナンパ撃退するのとかやってみたかったんだけどなー」

 

 お付き合いは当然お断りだからー、と付け加えて、由希奈が少しだけ残念そうに肩を竦める。

 いや、その、なんだ。

 あの殺意がこもってる上に弾速が尋常じゃないエクストリームビーチバレーやってる女に声かけようとするのは相当勇敢なやつか、命知らずの二択だと思うぞ。

 

 それに心なしか、俺たちに向けられている視線は大分冷たいというか、有り体にいってドン引きそのものだ。

 遊泳エリアでは、お客様間のトラブルを避けるためかライフセーバーが常に監視の目を光らせてるし、マリンスポーツエリアも基本は変わらない。

 海といえばナンパ、ってのも中々ベタな発想だが、現実はそう上手くいかないようにできているのだ。ここ以外の海水浴場の事情は知らんがな。

 

「そもそも由希奈、其方は見知らぬ男に誘われて、嬉しいものなのか?」

「いや全く全然。私女の子以外に興味ないんでー」

 

 なんとなく問いかけてみたら、ノータイムで早口言葉が返ってきた。

 まあそうだよな、そういうやつだよな、由希奈、お前ってやつは。

 どこまでもブレないその姿勢は一周回って見習った方がいいんじゃないかと錯覚するぐらいに芯が通っている。ただ単に日頃の行いが悪すぎるだけで。

 

「でも、格好よくナンパをあしらうのって一回やってみたいじゃないですかー」

「……あまりいいものではないぞ」

 

 こよみに絡んできたチャラ男三人組を撃退した時の記憶を思い返しながら、宥めるように俺は言った。

 あの時は仕方なかったとはいえ、血の気の多い連中とやり取りをするなら暴力沙汰になりかねないし、市民と無用な軋轢を生むのは魔法少女としちゃ好ましくない。

 自分じゃ格好よかったとも思えないしな。まあ、そんなのは基本的に漫画の中の出来事で、それに憧れる由希奈もまだまだ夢見る少女ってところか。

 

「ふふっ……」

「ちょっとー、どうして笑ってるんですかせんぱーい!」

「なんでもない、気にしないでくれ」

「いや、どう考えてもなんでもなくないですよねー? ぐぬぬ、気になる……」

 

 そんな乙女の部分を突かれてまたリアクション芸もとい自分で墓穴を掘る姿を見るのも忍びないだろう。

 前に桜と行った映画館でのことを思い出す。由希奈は漫画とかかなり読む方だから、影響されたって仕方あるまい。

 任務の過酷さから忘れがちだが、魔法少女は思春期の少女たちで構成されている。つまり誰しも相応に子供っぽさは持ち合わせていて当然なのだ。

 

「ったく、そういうとこよね本当」

「でも、由希奈ちゃんらしくていいじゃないですかぁ、葉月ちゃん」

「……それもそっか。こよみは……なんで震えてんのよ」

 

 前にナンパされたことを思い出したのか、猫背になって忙しなくきょろきょろと視線を往復させているこよみに葉月が尋ねる。

 

「……ぇ、えっと……そうなったら……怖い、なって……」

「心配しなくていいわよ。そんなアホがいたら即座にライフセーバーがすっ飛んでくるし、来なくたってアタシがぶっ飛ばすから」

「……東雲、さん……」

 

 呆れ気味に言ったことが、事実上「こよみのナイト役を買って出る」という宣言に他ならないと気づいたのか、余裕ぶっていた葉月の頬は、真っ赤に染まっていた。

 

「……わ、忘れなさい! いや、ちゃんとその時が来たらそうするけど!」

「……は、はい……っ……!?」

 

 自分でも何言ってんのかわかんなくなってそうだな、これ。

 普段は大人ぶってこそいるが、呆れたり赤面したりで忙しい葉月もなんだかんだでまだまだ子供ってことだろう。

 そう考えると、自然に口元が綻んでくる。

 

「やーやー葉月さん、こよみちゃんのナイト役になる宣言、ちゃーんと聞いてたからね!」

「忘れなさいって言ってるでしょうが!」

「ふふっ……皆仲良しで、グッドグッド、ですねぇ」

 

 さいですなぁ。

 普段は切った張ったの殺伐とした戦場にいるか、もしくは業務時間中に駄弁っているかの二択だから色々アレだが、まゆの言う通り、こうして旅先で仲を深められたのはいいことだ。

 ぎゃーぎゃー騒ぎながら追いかけっこをする。年頃の女子なんだから、それぐらいがきっとちょうどいいんだ。

 

 改めて俺は水平線と海原を一瞥して、小さく笑う。

 賑やかではあるが、旅の終わりというのは、祭りのあとというのはいつだってなんとなく寂しさだとか、物悲しさを感じるものだ。

 だからこそ、また来ようと、そう思えるのかもしれない。まあ、俺たちは色々な事情で難しいんだけどな、これが。




戦いはいつだって虚しい


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名物の味は人による

 銘菓とか名物が美味いのかどうかは議論が分かれるところだが、身も蓋もないことをいってしまえば、そんなのは個人差でしかない。

 地元名物として紹介されてるものを地元の人間があんまり食ったことないとかよくあることだし、逆もまた然りだ。

 そんなこんなで迎えた慰安任務最終日、俺たちは遠出も大概満喫したということで、那覇市内を散策していた。

 

「私、沖縄に来たら一回本格的な沖縄そば食べてみたかったんですよねー」

「本格的っていっても、地域ごとに色んな特色があるみたいですからぁ、ざっくりとした感じだと難しそうですねぇ」

「うーん……そんなもんなのかなー? 宮城県だったら牛タン、みたいなもんだと思ってたけどー」

 

 まゆが言った通り、軽く調べるだけでも、本島と離島で大分異なる特徴のそれがあるとすぐにわかる。

 郷土料理に関して、大きく好みが分かれるのは確かだ。地元独特の味に慣れ親しんでいるかどうかだとか、そもそも旅行者にとって未知の味が自分の味覚と合うかどうかだとかについては本当に個人差のレベルだからなんとも言えん。

 宮城県人はそんなに牛タン食わないみたいな話は前にどこかで聞いたことがあったが、それも統計取ったわけじゃないから眉唾物として考えておくのが吉だろうよ。

 

「最終日だし、どうせなら最後に美味しいご飯食べて締め括りたいわよね」

「同意する。しかし、どこが美味い店なのやら」

「観光客の人たちがいっぱい来ますからねぇ」

 

 観光客向けに開かれている店が多く見られる中で、どこに行けば美味い飯にありつけるのかを調べるのは、中々骨が折れる。

 味覚が個人差だってのもあれば、単純にレビューサイトの評価をどこまで信用していいのかという問題もそうだ。

 一応さっきからぽちぽちとスマホで色々調べちゃいるが、平均点換算ならどこも似たり寄ったりで、それが余計に頭を悩ませていた。

 

「……こ、ここのお店を、た……食べておけば、正解って……あんまり、ない……ですよね……」

「肯定する。なにが美味なのかを決めるのは此方の舌であって、他人の意見ではないからな」

「……わ、わたしの……舌……」

 

 珍しく自分から話題を振ってきたこよみが、小さく頭を抱えて考え込む。

 よくテレビとかで紹介されてる飲食店だから美味い、ってのは、完全に保証されてるわけじゃない。

 まあ、テレビで紹介されてたから美味いに違いない、と思い込んで飯を食えるのであれば、極端なハズレにはならないんだろうがな。

 

 人間は思い込みの生き物だ。

 どこのクレープ屋もタピオカドリンクも似たような味なのに、メディアによって尾鰭が付けられただけで途端に別格なものとして感じるのはまさしく、情報を食ってるってやつなんだろう。

 俺たち全員が情報という名のスパイスをたっぷり乗っけて飯を食える体質なら、こういう場面でも苦労しないんだろうが。

 

 なんて、そんな捻くれたことを考えているから入る店にすら悩んでるんだ。

 それなら素直に情報を鵜呑みにしてそれを食ってる方が人間としちゃ健全なのかもな。

 ああでもないこうでもないと議論を交わしながら歩いている内に、俺たちはそれなりに人が並んでいる店に並ぶことにした。

 

 人が並ぶぐらいの人気店ならハズレはないだろう、という妥協の結果だ。

 要するに俺たちもまた、情報を食うような選択肢を選んだわけだが、ランチタイムが終わってコンビニ飯で済ませるよりは遥かにマシだろう。

 掌にボールジョイントを仕込んでいなきゃ、この世の中じゃ生きていけない。長いものには積極的に巻かれていくんだよ。

 

「行列を見ると安心しますねぇ」

「……うむ、できることなら自分の味覚で判断したかったのはそうだが、慣れぬ土地ではな」

「何度も来てるんならまだしも初めてですからねー、無難な選択で私は問題ないと思いますよー、先輩」

 

 情報に屈したという妙な敗北感こそ残っちゃいるが、まゆと由希奈が言った通りだ。

 なにも知らない土地で通ぶって敗北するよりは期待値が高そうなところに並んだ方が、ハズレを引く確率は少ない。

 それに初めて食べるものだからな。良し悪しを判断しようにも基準が定まってなきゃ判断できんし、その基準が大外れだったら悲しすぎる。

 

「なんていうか、結構並ぶんですね、先輩」

「そりゃあ夏の沖縄だからねー、どこもかしこも観光客だらけでしょ」

「うむ、そうだな……しかしこれだけ客が並んでいると、期待も膨らむというものだ」

 

 食ったことないから余計にな。

 最近じゃカップ麺でも出てるが、カップ麺と本物はどう頑張っても別物になってしまうのはラーメンで実証済みだ。

 どことなくそわそわした様子を見せる葉月の言葉に答えつつ、俺たちはゆっくりと掃けていく列に従って、前に進んでいく。

 

 店内に入れたのは、大体十五分ぐらい経ってのことだった。

 こよみが日傘を畳んで腕にかけるのを待ってから、案内された席に座る。

 そろそろ腹の虫が不平不満を喚き立てている頃合いなのもあって、店内に漂う独特な香りが的確に食欲をくすぐってくる。さっさと注文しておこう。

 

「此方の沖縄そばを五人分」

「五つですね、かしこまりました!」

 

 俺からのオーダーを受けた店員がキッチンに引っ込んで、注文を伝える。

 とりあえずはこれで一段落か。

 空きっ腹を誤魔化すために用意されたお冷やに口をつけつつ、俺は小さく息をつく。

 

「任務……じゃなかった、旅行の楽しみになるような味だといいですねー、はぁ……」

「なに辛気臭い溜息ついてんのよ」

「いや、だってさぁ葉月……今日で旅行終わりだよ? 夏休みの最終日みたいな気分になるのも仕方ないじゃん?」

 

 充実した時間を過ごしてきたのは確かだが、由希奈の言う通り、今日が泣いても笑っても最終日だと思うと、どことなくブルーな気分になってくるのもまた事実だ。

 夏休みなあ。俺は割と計画的に宿題をやるタイプだったが、一夜漬けで全部終わらせるタイプのやつが毎年の如く泣きを見ていたのも懐かしい。

 もっとも、それは前世の話であって、今世における「西條千早」が夏休みのあるような学校に通っていたのかどうかについては、設定資料集にも書いてなかったから、生憎わからないんだがな。

 

 薄らぼんやりとそんなことを考えながら、由希奈と葉月が、そして巻き込まれたまゆとこよみもまた夏休みについてガールズトークを繰り広げているのを横目に見て、俺は小さく苦笑する。

 魔法少女にならなければ、あるいはそんな風に、なんの変哲もない夏休みを満喫できていたのかもしれない。

 そこに良し悪しを問うつもりはない。事実として俺たちは魔法少女になった、なってしまったからだ。

 

 当然、いいことばかりじゃない。

 悪いことの方が数えればきっと多いだろう。

 それでも、外に出ることもできなかったこよみが、陽の当たる道を歩けている。そして、きっと普通に生きていれば出会うこともなかったであろう皆が、出会っている。

 

 それが例え薄氷の上にあるようなものだとしても、明日にも命を落としかねないような仕事であるとしても。

 俺にとっては、皆が生きていてくれるだけで十分だ。

 だからこそ、もう二度と悲劇を、桜の時と同じような過ちは、繰り返さない。絶対に、この慈悲の欠片もないような世界を、皆で生き残ってみせる。

 

「お待たせしました、沖縄そば、五つでございます!」

 

 そんな決意を密かに抱き、テーブルの下できつく拳を固めている間に、注文の品は届いたようだ。

 店員が一人分ずつ丼を並べていく中で漂ってくる不思議な香りに、空になった胃袋が刺激される。

 ラーメンとも蕎麦ともうどんともまた違う独特な匂いだ。一体どんな味がするのやら。

 

「それじゃあ泣いても笑っても旅行最終日、最後の思い出にいただきましょー!」

 

 音頭を取った由希奈に合わせる形で俺たちは割り箸を割って、なんというかうどんとラーメンの中間みたいな感じの麺を啜った。

 うむ、あれだな。スープに癖はないが、この麺の食感は知ってる麺類のどれとも似てないから、人によっては好みが分かれそうだ。

 俺は好きだ。正式名称はわからんが、トッピングとして乗ってるチャーシューみたいなのもいい感じに柔らかくて味が染みている。

 

「美味しいわね、これ」

「ラーメンともまた違うんですねぇ」

「……ぁ、ぇ……えっと……うどん……?」

「うどんとも違う感じですよねー」

「うむ……不思議な味わいだな」

 

 結論だが、初めて食った名物としては、結構上位に食い込んできそうな当たりだった。

 最後の昼食としちゃ十分にいい思い出になっただろう。

 明日からは通常任務に復帰しなきゃならんという事実を頭の片隅に置きながらも、今は最終日を全力で楽しむためにガールズトークに花を咲かせて、名物を味わうことに集中する。

 

 また来れるかどうかはわからない。

 多分、来れる確率の方が低いだろう。

 それでもまた来たその時は、もう一度これを食べようという気分にさせられるような、どことなく優しい味わいを、噛み締めながら。




それでも大切な思い出の味


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休み明けの仕事ほどキツいものはない

 日曜日の夜になんとなく憂鬱になったりだとか、祝日明けの翌日にやる気が出なかったりだとか、そんな現象を誰もが一度は経験したことがあると、俺は信じて疑っていない。

 つまるところどういう話かというと、とうとう終わってしまったのだ、慰安任務が。

 長いようで短かった一週間、沖縄そば食った帰りに土産物屋で大佐へのお土産を選んだりとかで盛り上がってたが、無情にも十二時の鐘は鳴ってしまったのだ。

 

 楽しみは泡のようだと誰かが歌っていたように、楽しかった一週間は俺たちが見ていた泡沫の夢だったといわれても、今ならなんとなく受け入れられそうだ。

 魔法少女は年中無休、その本懐は臨界獣やテロリストといった脅威から国を、世界を守るためにあるということは頭で理解していても、そう簡単に納得できるんなら人間やってないよな。

 とにかく憂鬱なのを堪えて、アラームにセットした通りの時間に起床して、歯磨きや洗顔と、軽いメイクを済ませておく。

 

「やっぱり軽くでも化粧すると、割と違って見えるもんだな」

 

 眠気覚ましがてらに、鏡で自分の顔をまじまじと覗き込みながら呟く。

 西條千早が美少女なのは疑う余地もないが、ちょっとした化粧を施すだけでも印象が変わってくるのは我ながら面白いところだった。

 お偉いさんの前にすっぴんで立つ訳にもいかんだろう、ということで葉月に習っていたメイク技術が生きたわけだが、このまま沼に嵌っていくと一応中身が元々は野郎だってことを忘れそうでいよいよ怖い。

 

 とはいえ、最近感性とか興味とかが肉体に引っ張られてるからもう手遅れなのかもしれんがな。

 ぴしゃりと頬を叩いて気合を入れる。

 そして最後の朝食にありつくため、俺は行儀こそ悪いが、部屋着のままでレストランへと足を運ぶのだった。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「予定では確か、九時に大佐と合流するんだったかしら」

「ん、それで合ってるよ葉月。しっかし三つ星ホテルを梯子とか私たちも贅沢な身分になったもんですねー、先輩」

「あまり茶化すものではない、今日からは護衛任務なのだからな」

 

 葉月の呟きに、どことなく皮肉の混じった言葉を返して肩を竦めた由希奈へと忠告こそしたが、考えていることは多かれ少なかれ皆同じだろう。

 わざわざホテルを変えずにここで会議でもなんでもやってくれれば移動の手間も省けるんだが、そうもいかない事情が政府側にもあるのかもしれない。

 詳細については俺たちがこれから連れて行かれるホテルの会議室で話すらしいからなんともいえんが、既に交通規制が敷かれ始めているとかにわかに聞いたもんだから、本格的に防衛大臣殿はサミットをやりたいらしいなと嘆息する。

 

「このご時世にわざわざサミットなんて、一歩間違えたら外交問題ですよー?」

「そうならないために、我々がいるのだろう」

「そ、そうです……っ、皆を守るために……皆のための、魔法少女、です、から……っ」

 

 珍しく、俺の言葉に乗っかる形でこよみが気怠げに肩を落としていた由希奈の背を蹴り飛ばすような正論を投げかけた。

 こよみの言葉は、確かに正しい。

 だからといって、自分を切り売りするような真似ばかりしていたら本格的に心を病みかねないし、最悪それが原因で命を落としかねない仕事でもあるがな。

 

「こよみちゃんは真面目だなぁ……皆のため、か。うん、私はあんまりその言葉に納得してないけど……桜がやりたかったこと、やり残したことだし、頑張らないとね」

「……桜、さん……」

「泣かないでってば、こよみちゃん。私は……もう大丈夫だよー? テロ屋だかなんだか知らないけど、いつもみたいにお店で駄弁るためにも、さっさと始末しないとね」

 

 桜のことを思い出して涙ぐんだこよみの頭を優しく撫でた由希奈が、満面の笑顔を形作ってそう語った。

 無理をしているのは明らかだ。桜の仇を討つという復讐心が、その言葉からは滲み出ている。

 だが、それは俺も、きっと俺たち全員が多かれ少なかれ同じ気持ちであることは確かだろう。

 

 大義のためとか喚き散らして訳のわからないテロばかり起こしている連中の目的が、今のところ不透明なのもあって不気味なのも確かなことだ。

 だが、俺たちにできるのは叩ける内に叩いて、少しでも戦力を削ぐことぐらいしかない。

 そこら辺を調べるのは「M.A.G.I.A」本部の仕事だから仕方ないだろう。この前の騒動でガタガタになっていた体制も、少しは落ち着いてきた頃合いだろうし、上層部と情報部には頑張ってほしい限りだった。

 

「待たせて済まないな、諸君」

 

 そんな風情で任務について語り合っている内に、迎えの大佐がやってきた。

 これで俺たちは、晴れて通常任務に復帰ということだ。

 一週間を過ごしたホテルに名残惜しさを感じつつも、きっちりと儀仗服に着替えた時に、思い出は心の引き出しにしまっておくと決めた以上、ここからはお仕事モードに切り替えていく。

 

「定刻通りだ、此方としては問題ないと思うが」

「なにがあるかわからんから、最悪でも五分前にはついておかなきゃならんのだがね。厄介なものさ、打ち合わせってのは」

 

 恐らくは「M.A.G.I.A」沖縄支部との折衝を担っていたのだろう。

 大佐は爽やかに笑ってこそいるが、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。

 五分前、十分前には目的地に着いてなきゃならんとは社会人の心得だが、大佐には大佐の事情ってもんがあるんだから、そこを責めたって仕方あるまい。

 

「えっと……これからそのサミットが行われるホテルに行くんですよね?」

「その通りだ、東雲葉月。そこで『M.A.G.I.A』沖縄支部管轄の二級、三級魔法少女と顔合わせをして、全体のスケジュール確認だな」

 

 大佐はさらっと手に持っていた資料に目を通しながら、葉月の問いにそう答える。

 本編でも、まゆルート以外では東京の外に出ることがないから、「M.A.G.I.A」の支部は全国に散らばっているというのをこの目で見られるのは、どことなく新鮮な気分だった。

 ただ、慰安任務はまゆルートにも共通ルートにも存在していなかったから、この世界が原作から外れてしまったことによる歪みの一つなのだろう。

 

 こういう、いい方向に歪んでくれるんならそれも歓迎するんだがな。

 桜のような形で犠牲を出すのは、二度とごめんだ。もう、あんなことを繰り返したくはない。

 そのために守らなきゃならないのがまゆを、自分の娘を売って防衛大臣の座についた男だということに不満がないといえば嘘になるが、例え誰であってもなにであっても、魔法少女はこよみが言った通りに、「守るため」にある存在だ。

 

「だから、無辜の市民は守らねばならない、か……」

「その通りだ、西條千早。さて……そろそろ出発だが、忘れ物等はないな、諸君?」

 

 一応部屋を出る時に全部確認はしてきたが、大佐の問いかけに応じる形で、俺たちは手荷物やらなにやらを確かめる。

 キャリーケースよし、手荷物よし、通信機をはじめとした諸々のお仕事道具よし。

 簡易チェックではあるが、忘れ物はない。

 

「肯定する。此方の荷物に不足は確認されなかった」

「……ぁ、ぇ……わ、わたしも、です……っ!」

「先輩とこよみちゃんに同じくー」

「アタシもなかったです」

「まゆもですねぇ」

 

 声を揃えて、忘れ物がなかったことを確認すると、大佐はご苦労様とばかりに小さく目配せをして、踵を返す。

 あんまりここで話し込んでいても目立ちかねないからな。続きは目的地でってことだろう。

 先導する大佐に付き従う形で俺たちもまた、一週間を共にした三つ星ホテルを後にする。

 

 さらば休暇よ。特にどっかに旅立つわけでもないがな。

 入り口近くの駐車場に停めてあった黒塗りの政府関係者用と思しき車は、セダンからミニバンにランクアップしていた。

 俺たち全員が二週間分の荷物を抱えているから、当然といえば当然だろう。

 

 そんな益体もないことを薄らぼんやりと考えながら、俺はミニバンに乗り込むのだった。




国民的アニメ現象


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サミット防衛計画

 車に揺られること数十分。お偉いさんたちが会議をやるホテルに到着した俺たちは、挨拶回りを済ませた上で、会議室も兼ねた大ホールに集まっていた。

 現地から引っ張られてきたと思しき、儀仗服姿の魔法少女たちやら警官隊やら、結構な人数が大ホールに集う。

 それだけ政府、というか防衛省としても本気だってことなんだろうが、面子ってのはそこまで重要なもんなのかね。

 

 そういう世界に生きたことがないからさっぱりだが、この防衛サミットの護衛に参加するのは、俺にとってもデメリットばかりじゃない。

 珍しく隣に腰掛けたまゆを横目に見ながら、考える。

 原作のまゆルートにおける、ざっくりとした筋書きはこうだ。

 

 世界防衛サミット開催中に出現した臨界獣の特異個体──まゆ以外では対処が不可能なそいつと相討ちになって、国を守るために、父親の期待に応えるためにその命を投げ打つ。

 十中八九バッドエンドに聞こえるだろうが、これはグッドエンドだ。

 何十周も、何百周も、下手したら何千周も「マギドラ」をプレイして人力検証した俺がいうんだから間違いない、といいたいとこだが、まあ攻略本やらwikiやらを見ればそこに書いてあることでもある。

 

 それは一旦脇に置いておくとして、この救いの欠片もないような話を考えやがったのはどこの誰だとスタッフの胸ぐらを掴みたくなる気持ちも最大限譲歩して置いておくとして、だ。

 問題を整理するなら、厄介なのは、その「まゆしか対処できない臨界獣」の出現が予想されることに違いないだろう。

 このまま無策でいれば、俺たちは間違いなくまゆを見殺しにしてしまうことになる。

 

 だから、その辺に関しては、俺の方である程度対策を考えていたのだが、これもピグサージと戦った時と同じようにぶっつけ本番、特攻紛いの危険な賭けになることは間違いない。

 失敗すれば俺も命を落として、まゆも死ぬ。だが、成功すればまゆの命を救うことができる。

 恐ろしくハイリスクハイリターンな賭けだが、ここで勝負に乗らなければ仲間をまた死なせることになるのなら、俺の命を賭け金にすることに躊躇いはあるまいよ。

 

「先輩、まゆの顔になにかついてますかぁ?」

「いや……なんでもない。そうだな、強いて言うなら」

「?」

「……気負いすぎるなよ」

「……そう、ですねぇ。ありがとうございます」

 

 まかり間違っても、自分を犠牲にするなんてことはしてほしくないが、ある程度結末を知っていることを知られれば、怪しまれるどころでは済まないだろう。

 だから、今はこうして無難な形で釘を刺しておくのが精一杯だ。

 まゆからすれば俺の方こそ無茶なことはするな、と言いたいところなんだろうが、このグッドエンドという名のバッドエンドを覆すには道理を引っ込めて無理を通さなきゃいけない都合、できないんだよなぁ、それは。

 

 清々しいまでのダブルスタンダードだが、仕方あるまい。

 そして、残る懸念材料があるとすれば、それは。

 既に始まっていたミーティングのスライドに視線を戻して、俺は今回の作戦における全権限を託されている「M.A.G.I.A」沖縄支部局長の肩書きを持つ男の言葉に耳を傾ける。

 

「世界防衛サミットに関して、『暁の空』が襲撃をかけてくるのは十分に予想されていたことだが、先日、組織による犯行声明がアップロードされたとのことだ。そこで我々は大規模な交通規制と検問を敷き、魔法少女たちを配置することで、強行突破されたとしても即時、これを殲滅する算段だ」

 

 ──尚、本作戦においては、特別に「M.A.G.I.A」本部より派遣された、特級魔法少女たちが参加することになる。

 

 沖縄支部局長の言葉を受けて、俺たちに会場中の視線が集中する。見世物じゃないんだが、切り札として期待されている以上仕方あるまい。

 仮に検問を突破したテロリストがそのまま現地の魔法少女を振り切って、強行突破を図ったとしても、特級魔法少女が最後の壁として立ちはだかる。

 作戦としては妥当なんだろうが、「暁の空」が強化魔力弾を手にしている今、俺たちは間違いなく矢面に立つことになるだろう。

 

 現地から動員された二級魔法少女と三級魔法少女を信じていないわけじゃないが、魔力障壁が通じない今、対テロ戦力として万全とは言い難い。

 スライドに投影されている会場付近の地図を見れば、侵入経路として想定されているのは概ね三箇所、それに加えて強行突入に備えて検問を複数箇所に設置しているといったところだった。

 やつらが、「暁の空」がどういう作戦を取ってくるかはわからない。だが、英知院学園の時を考えれば、真正面から突撃してくる可能性は大いにあり得る。

 

「そして、バックアップとして本会場の護衛にも魔法少女を投入することになるが、特級魔法少女からは二名、最後の砦として選出させていただく……小野大佐、それで構わないですな?」

「小官として、異存はありません。ですが、特級魔法少女及びその運用ユニットにおいては独立指揮権が与えられている。有事とあれば」

「わかっていますよ、その時は特級魔法少女の全指揮権をそちらに移譲いたします」

 

 大佐と局長の間で静かに合意が交わされる。

 この作戦に特級魔法少女がいるのは、テロリストの強化魔力弾を無効化できる唯一の存在だというのもあれば、いざというとき──具体的には臨界獣が現れた際に、対処できるようにという意味合いが強い。

 そして、その臨界獣が現れることが確約されている以上、検問に回るのは避けたいところだったが、こればかりは運だ。できることなら、会場の警備に配置されることを祈るしかない。

 

「では、我々としての提案ですが……西條千早と南里まゆを本会場の警護に残して、東雲葉月、中原こよみ、北見由希奈の三名を検問所に回す……それで構いませんか、局長?」

「それが本部の、運用ユニットの意見であれば、反対する理由も権限も私にはありませんよ、大佐」

「こちらの無茶なお願いを聞き入れていただいて、感謝します」

 

 階級的には支部局長の方が上のはずではあるのだが、本部の特級魔法少女を統括する存在である大佐の方が立場は上らしい。

 同じ「M.A.G.I.A」所属の人間でも、本部にいるのは同じ階級だとしても二階級上として扱うだとか、そんな理由があるわけじゃあないが、立場だとか階級だとか、そういう話はどうにも複雑で面倒だ。

 それはさておき、俺とまゆが本部の、会場の護衛に回されたのは幸いだった。

 

 臨界獣が現れたとき、すぐ動けるからな。

 会場の護衛が手薄になる懸念はあるが、それも葉月とこよみ、そして由希奈の三人がいれば、「暁の空」を討ち漏らす心配はないだろう。

 特に、広範囲を制圧できる由希奈であれば、担当箇所以外のバックアップに回ることもできる。

 

「なんだか面倒な話になってきましたけどー、要するに私たちはいつも通りにぶっ放してぶっ倒せばいいって話ですよねー?」

「肯定する。由希奈、本作戦においては其方が勝利の鍵になるといっても過言ではない」

 

 臨界獣が出てくるのは確約されているからな。

 そうなれば俺とまゆは必然的に本部から離れなきゃならん都合、テロリストの制圧に関しては、魔法特質の相性がいい由希奈に頑張ってもらうしかない。

 特級クラスの魔力から生成される弾丸は、例え最高レベルの防弾装備であっても防ぐことはできない魔弾だ。

 

 いかに「暁の空」が最新装備をどこかからちょろまかしてこようと、由希奈の前には、ただ平伏すことしかできないだろう。

 

「褒めたってなにも出ませんよー、先輩」

「それだけ、此方は其方に期待しているということだ」

「……ま、連中には恨みもありますからね。やるからには全力でやらせてもらいますよー?」

 

 笑顔の仮面に憎悪を押し込めて、由希奈は小声でそう囁く。

 その復讐心を利用しているようで心が痛むが、これ以上、仲間を失うよりはよっぽどいいはずだと、俺は自分にそう言い聞かせて目を逸らす。

 あとは、俺がしくじらないかどうかだ。

 

 立てた作戦が完璧に機能してくれる保証はどこにもない。ぶっつけ本番、ただ生前やり込んだ知識と経験から「こうじゃないか」と仮定に仮定を重ねた推論でしかない。

 だが、そこに可能性があるのなら。

 そこにもう誰も悲しまないで済む結末に辿り着くためのか細い糸が伸びているのだとしたら。

 

 全力で縋り付くほかに、選択肢なんてものは存在しないんだよ。

 拳をきつく握り締める。

 そして、支部局長殿が語る作戦を耳に入れつつも、その最悪の敵、まゆが持つ魔法特質である「毒と薬」でしか立ち向かえない怨敵のことを、俺はただ考えていた。




一ヶ月も失踪してて申し訳ありませんでした。今後も不定期になるかもしれませんが投稿は続けていくつもりなので何卒よろしくお願いします。


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ミッション・スタート

 例によって動画サイトにアップロードされ、秒で削除された「暁の空」の首謀者──ということに表向きはなっているドクロマスクこと「骸王」の犯行予告によって、サミットが狙われるのは確定事項となった。

 沖縄まで銃火器やらゴーレムをどうやって密輸しているのかは気になるところだが、そもそも原作より強化されてる連中の足取りは、専門家でもない俺が追えるはずもない。

 原作知識というアドバンテージは持っちゃいるが、それを活かしてなにか大立ち回りをしようにも、この世界における魔法少女という立ち位置はあまりに危うい。

 

 基本的に、魔法少女は国家が所有する兵器だと考えた方がわかりやすいだろう。

 人の形をしているし、実際にこうして生きているが、公的には死人扱いの訳ありを集めて「魔導炉心」に適合できた存在。

 表向きは独立した秘密組織である「M.A.G.I.A」も政府とズブズブだ。魔法少女運用のために設立された機関とはいえ、その手綱を握っていなければどうなるかわからないって意味じゃ、妥当な措置ではあるがな。

 

 そんな話はともかくとして、いよいよ迎えたサミット当日、検問には沖縄支部の三級魔法少女が配置されている。

 だが、恐らく「暁の空」は、それを強行突破してくるだろう。

 三級魔法少女がどれだけ踏ん張れるかにもよるが、間違いなく死傷者は出ると見た方がいい。

 

 三級なら死んでも構わないのかという話じゃあない、「暁の空」が保有している、一級の魔力障壁すら貫通する強化魔力弾という武器に対して、魔法少女が保有するアドバンテージはないに等しいのだ。

 強いていうなら、「魔導炉心」によって強化された肉体で、十代の少女が訓練された大人と渡り合えることぐらいか。

 なら、最初から検問所に強化魔力弾を防げる葉月、こよみ、由希奈の三人を配置しておけば話が早いんじゃないかとは思うものの、万が一、特級魔法少女を失うリスクを考えれば──と、いったところだろうか。

 

 人命軽視も甚だしいと嘆きたくもなるが、特級魔法少女が基本的には臨界獣という脅威に対しての切り札である以上、その運用に政府側が慎重になるのもまた理解できる。

 というか、基本的に特級魔法少女がいなけりゃ根本的に詰んでるんだよ、この世界。

 だから政府の判断は正しいといえば正しいからなんともいえん。

 

 原作じゃ東京が焦土になって日本が滅びに瀕する羽目になっていたが、そのドミノ倒しは「西條千早」の死から始まったことだ。

 それを回避できたことに意義はあると思いたいが、因縁のピグサージ戦を乗り越えたからといって、明日また生き残れる保証はどこにもない。

 特に、今回「来る」ことが確定している臨界獣の特異個体相手に俺が立てた作戦は、死と隣り合わせなのだから。

 

「……それでも、だ」

「先輩?」

「……もう、犠牲者など一人も……一人も出させたくはない……!」

 

 俺が無意識に呟いていた言葉に反応して、本部待機組として隣り合っていたまゆが小首を傾げる。

 テロリスト共も厄介だが、今回のサミットでなにより阻止しなきゃならんのは、原作通りにまゆが臨界獣と相討ちになって死ぬという筋書きの方だ。

 だが、その臨界獣はまゆでなければまともに戦うことができず、しかしそのまゆは攻撃手段に乏しい、いわゆる補助系の魔法少女。そうなれば見えてくる結論は一つだろう。

 

 そう、自爆だ。

 マギドラ名物と化している自爆とは、「魔導炉心」を無理やりオーバーロードさせることで体内の魔力を一気に放出するという荒技にして、魔法少女が持たされた最後の手段を指している。

 まゆの「毒と薬」という魔法特質だけでは千日手となり、渡り合えない相手を、無理やり自爆で道連れにすることのどこがグッドエンドなんだと、開発スタッフの胸ぐらを掴んで百万回は問い詰めたいが、今はそんなことをしてる場合じゃないから忘れてやるとしよう。

 

「……まゆ、此度の戦い、嫌な予感がする」

「予感……ですかぁ?」

「肯定する。もしもなにかあった時は此方が尽力する、だから……その時は此方を頼ってくれ、まゆ」

「ふふっ……言われなくても、頼りにしてますよぉ、先輩」

 

 穏やかな笑みを浮かべているまゆにどこまで響いているのかはわからないが、釘だけは刺しておく。

 要するに死ぬなよ、と言っている相手に対して、自分が死ぬかもしれない作戦を企てている身で説教をする。

 どの面下げてそんなこと言ってんだ、と、客観的に見たら呆れる構図だが、今だけでも面の皮をオリハルコン製にしとかなきゃ、とてもじゃないがこの先生き残れないからな。

 

『本部に入電! 現在、ポイント・アルファにて検問を強行突破した「暁の空」を追跡中! ポイント・アルファIIでの迎撃に移行します!』

『こちらポイント・ベータ! 多数の魔力反応を検知……これは……デコトラ……!? 検問所にて銃撃戦発生中! 現在こちらが奇襲による劣勢を強いられています!』

『ポイント・ガンマより本部へ、こちらは異常ありません。引き続き警戒を最大レベルで実施、必要ならば他ポイントへの派兵も可能です!』

 

 三つあったポイントの内、敵が重点的に狙うことにしたのは、真正面のポイント・アルファだと見てもいいだろう。

 ベータとガンマに向かった連中は、戦力差が上回っている敵に対する目眩し兼捨て石ってところか。

 正面から乗り込んでくるとはテロリストにしちゃ正々堂々としてるが、それを見越した上で今回の配置は決められている。

 

「頼んだぞ……由希奈」

 

 そして、ポイント・アルファII、本会議場への最終防衛ラインにはこと集団戦かつ対人戦なら無敵ともいえる魔法特質「銃火器」を持った由希奈が控えているのだ。

 正体が掴めない割には現場の作戦が脳筋式というか、正面突撃を繰り返すものな「暁の空」の意図は測りかねる。

 だが、律儀に真正面から来るというなら真正面からねじ伏せる、ただそれだけの話だった。

 

『頼まれましたよー、先輩』

「聞かれていたか」

『通信機オンにしてなきゃいけないから当然ですよー、あはは』

「参ったな」

『……前も言いましたけど、連中には恨みしかないですからねー、容赦なんてしませんよ』

 

 冷たく、硬い声音で由希奈が呟く。

 その復讐心を芽生えさせ、育てる結果を作ってしまった責任の一端は、間違いなく桜の死を予測することができなかった俺にあるといってもいいだろう。

 それについてはいくら詫びたって足りないことだ。だから、すまないと思いながらも俺はただ、由希奈の中で研ぎ澄まされた殺意を利用するように、信じることしかできなかった。

 

 そして、戦況を聞く限り、ポイント・ベータも中々ヤバそうな気配が漂っている。

 だが、最終防衛ラインのポイント・ベータIIに控えているのは由希奈ほど対多数に長けているわけではないが、ゴーレムのような大型が混じっていても、それを跳ね返せるだけの力を持った葉月だ。

 加えて、由希奈ほどではないにしても葉月の持つ魔法特質である「炎」もまた、多数の敵に向けることができる力に他ならない。

 

 つまるところ、テロリスト共に最終防衛ラインを抜かれる心配は今のところない、ということだ。

 もちろん油断や慢心は危険だから、身構えておくに越したことはない。

 現状、ポイント・ガンマの状況は穏やかだが、追加の伏兵が現れる可能性だって否定できないからな。

 

 司令部もそれをわかっているからこそ、現有戦力での対処、ガンマに配置されている魔法少女たちは待機という命令が下ったのだろう。

 今のところ本命である臨界獣が来る気配はない以上、俺たち本部待機組は由希奈たちを信じることしかできない。

 だが、信じるに値するだけの力を彼女たちは持っている。そして、なんでも一人でやろうとしたって、そう簡単にできるもんじゃないのなら、仲間を信じることもまた必要な選択だ。

 

 来るなら来やがれ、臨界獣。

 今度こそ、今度こそ俺は守ってみせる。守り抜いて、この地獄を生き延びてみせる。

 共に背中を預けあえる仲間たちのためにも、一足先に自由になった、桜のためにも。




あけましておめでとうございます、諸々立て込んでるのは変わりませんが、今年は遅筆をなんとか直していきたいです


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永続DoTとかいうクソデバフをばら撒くのはやめろ

 知っての通り、「魔法少女マギカドラグーン」というゲームは悪意を煮込んで煮込んで煮詰めまくってできたような代物だ。

 各ポイントの戦況を通信機からリアルタイムで受け取りつつ、サミット会場正面の警備に当たっている俺は、「その時」がくるのを待ち続ける。

 なんで今回出てくるであろう臨界獣を、ピグサージやグラムフロガの時と同じぐらいかそれ以上に警戒しているかを端的にいうのならそれは、「特級魔法少女であること」が弱点になるからだ。

 

 なにをいっているのかわからないだろう。

 だが、俺も実際やつと始めて対面した時はなにが起こってるのかわからないまま、まゆが自爆する強制イベントに突入して、画面の前で呆然としていたのをはっきりと覚えている。

 そして、勿体ぶるようなことでもないからその絡繰を明かしてしまおう。

 

 今回現れるはずの特異個体──デカいクラゲに蝶の羽を生やしたような臨界獣「ヒドロネクス」は、魔力を持っている人間を、魔法少女だけを蝕む毒を持っている存在なのだ。

 原理は不明だからさておくとして、これがゲーム的にどういう意味を持っているのかだが、ずばりそれは「回復不可の永続スリップダメージ」を魔法少女に負わせるというものだった。

 その毒に対抗できるのは唯一まゆが持っている「薬」だけで、行使できる魔力の量が多ければ多いほどターンダメージも上がっていくというクソ仕様ゆえに、「こよみちゃん砲」で吹き飛ばすこともできない。

 

 なんでこうもクソを下水で煮詰めたような敵を考えつくかね。製作陣の頭には脳漿の代わりに汚水でも詰まってたんだろうか。

 つまり、まゆルートのグッドエンドもまた「突入した時点で詰み、ヒロインが死亡確定」というマギドラお得意の仕様が待ち受けているのだ。

 一応ヒドロネクスと戦うこと自体はできるし、なんなら内部的にはヒットポイントも設定されているから、理屈の上じゃ倒せなくはない。

 

 だが、それ以上に劇毒でもらうダメージがデカすぎて、まゆに回復を誘発させても、それを上回るスピードでこっちのHPが削れていって、一定値を下回ったところでイベントシーン突入という結末が待っているだけだ。

 つまり、どれだけ頑張っても、どれだけあがいてもプレイヤーは、こよみは、ただまゆが死んでいく様を特等席で見せつけられるということに他ならない。

 クソゲーかな? クソゲーだったわ。

 

 ちなみに葉月と由希奈を生存させてヒドロネクスにぶつけても結末は同じだ。

 それどころか、毒の回復処理が追いつかなくなって結果的に死ぬのが早まるというふざけているとしか思えない仕様なんだからスタッフは一回ぐらい神田川に沈んでくればいいと思う。

 ならばそんなクソの下水煮込みをどうやって処理するか、その答えは単純明快だ。

 

『あー、あー、聞こえてますか、先輩?』

「どうした、由希奈?」

『こちらポイント・アルファII。突入してきた敵の八割を殲滅しました。多分増援とかもくると思うんで引き続き残党の殲滅をやりながら警戒しまーす』

 

 ヒドロネクスを、まゆルートの結末を作ってくれやがった開発スタッフへの呪詛で埋め尽くされそうになっていた思考回路へと別な処理を割り込ませるように、由希奈の声が耳朶を震わせる。

 早いな。流石という他にない。

 原作じゃサミットに仕掛けてくるだけの力を持っていなかった「暁の空」だが、それを手にしたところで、殲滅能力に特化した特級魔法少女を前にすれば、歯牙にもかけられないといったところか。

 

『こちらポイント・ベータII! 検問所を突破したテロリストとの交戦に入りました! 検問所の三級魔法少女は負傷したものの、救護班に搬送されているようです!』

 

 そして、間髪入れずに葉月から緊迫した様子での報告が飛び込んでくる。

 対処に当たった三級魔法少女が生きてたのは幸いだったが、ポイント・ベータも陥落したか。

 だが、葉月であれば「暁の空」を相手取っても問題ないだろう。

 

「そのまま戦線を維持してくれ、葉月」

『了解しました! 会議場には……先輩がいるところには虫一匹だって通さないつもりですから!』

 

 頼もしい限りだ。

 その意気込み通り、会議場には敵が攻め込んでくる様子はなく、現状、俺とまゆの仕事はもっぱら立って通信を聞いていることだけだった。

 敵の侵攻が絶対防衛ラインに到達しているという時点で油断はできないが、それでもテロリストを相手に遅れをとる由希奈と葉月じゃない。

 

 これは希望的観測でもなんでもない、れっきとした事実だ。

 あとはポイント・ガンマの警戒だが、それについてはグラムフロガ戦で使った地球産魔法星装の使用を解禁されたこよみがポイント・ガンマIIを絶対防衛ラインにしている以上、テロリスト側に勝ち目はあるまい。

 そして、俺が敵の立場なら手薄なところに精鋭の伏兵を忍ばせておくものだが、果たして。

 

『こ、こちらポイント・ガンマ! 司令部、応答してください!』

『こちら司令部、なにがあった?』

『現在私たちは敵による奇襲を受けています! ゴーレムも三機、稼働を確認しています!』

 

 至急援護を、と、ポイント・ガンマを警備していた魔法少女は通信機越しにもわかるぐらい焦って呼びかけてきたが、生憎こっちには割ける戦力が残っていない。

 会議場となっているホテルの北側を俺とまゆが固めて、残りは、二級魔法少女たちが戦争でもやるのかってぐらい、厳重な警戒をしている以上、本部から出せる戦力はないに等しい。

 

 一人二人ぐらいなら派遣できそうなもんだが、それで、もし戦線が崩れ、絶対防衛線が破られたときに会議場が悲惨なことになる。

 いやまあ、この戦いのあとにヒドロネクスが待ってる時点で、十分悲惨なんだけどな。

 頑張れとしかいえない、事実上見殺しにしていることを歯がみしつつも俺は、警戒を厳にしてヒドロネクスの襲来を待ち続ける。

 

 こういったらなんだが、ぶっちゃけてしまえば現状、怖いのは人間よりも臨界獣の存在だ。

 遠くの方から爆発音が聞こえてきたということは、ゴーレム辺りが葉月のソードメイスに粉砕されたんだろうか。

 強化魔力弾は確かに脅威かもしれない。だが、何事にも例外というものは存在する。

 

 それがテロリスト共にとっては特級魔法少女だったという、ただそれだけの話だ。

 しかし、それぐらいは敵も予想できたはずだし、なんなら狙おうと思えばそもそもホテル入りする際に暗殺の一つや二つできそうなもんだが、なぜこんな、魔法少女と戦うという特攻紛いの暴挙に打って出たのやら。

 以前ドクロマスクが、「骸王」がぶち上げた演説を鑑みるに、連中に魔法少女へと恨みを抱いている存在がいるのは間違いなさそうだが、まさか「魔法少女を殺す」ためだけにこんな回りくどいことをしているのか?

 

 だとしたら理解できない。

 政府の転覆や世界を混乱に陥れたいだけならもっと効率的でスマートなやり方は色々あるのに、なぜこうも連中は魔法少女と正面からぶつかり合うことを繰り返しているのか。

 わからない。だが今は、それよりも優先して考えなくちゃいけないことが他にある。

 

 ──それは。

 

『ヴァイブレーション発生、繰り返します、ヴァイブレーション発生! 「界震」によって現れた臨界獣の特徴は既存個体のどれとも一致しません!』

 

 混乱してきた頭をクールダウンするように腕を組んで目を伏せた瞬間に、通信機からその知らせは飛び込んできた。

 ああ。とうとう現れたのか、やつが。

 臨界獣、ヒドロネクス。怨敵とでも呼ぶべき、あの忌むべき存在が。

 

『ドローンを飛ばせ! 特種非常事態宣言を発令!』

『了解しました! ドローン飛ばします!』

『特種非常事態宣言が発令されました。繰り返します、特種非常事態宣言が発令されました。市民の皆様は最寄りのシェルターに避難を──』

 

 テロリストの襲撃に、臨界獣の侵攻が重なるという悪夢のような事態に、司令部はてんやわんやの大騒ぎだ。

 だが、無理もあるまい。司令部が飛ばした観測用ドローンが、猛スピードで空を駆けるのを横目に見ながら、俺はきつく拳を固める。

 ここからが、本当の地獄だとばかりに。




永続DoTを許すな


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無理を通して道理を引っ込めろ

『本部より通達! 現在出現した臨界獣を個体名「ヒドロネクス」と命名、予備兵力として待機している二級魔法少女を出撃、初動対応に当たれとのことです!』

『まさか、テロリストと臨界獣の挟み討ちとは……本部の命令を決行する! 現在待機している二級魔法少女は「界震」発生地点へ急行、臨界獣の侵攻をなんとしても阻止せよ!』

 

 沖縄支部の局長も少なからず混乱しているのだろうが、初動対応に遅れなかった辺りは流石といったところだろうか。

 二級魔法少女と特殊部隊による威力偵察と周辺住民の避難誘導から、特級魔法少女へとバトンを繋ぐ。

 それがつつがなくできる個体であったのなら、局長の判断は間違ってない。問題は今現れたのが、ヒドロネクスということだ。

 

 ホテルの内部に待機していた二級魔法少女が大慌てで「界震」が発生した座標へとすっ飛んでいくのを見送りながら、俺は一段と混沌としてきた戦況と、作戦司令部の様子を窺っていた。

 米軍と自衛隊からも戦闘機が派遣されたらしいが、正直なところ焼け石に水だろう。

 グラムフロガの時もそうだったが、バンカー・バスターやミサイル程度で止まるのであれば、臨界獣は人類の脅威になんてなっていない。

 

 現用の装備がほとんど意味をなさないからこそ魔法少女がいて、その中でも特異個体に対抗するために俺たち特級がいる。

 あくまでもその図式が変わることはない。

 国防の要にして、他国からすれば頭痛の種でもあるような存在が魔法少女、いってしまえばこの国が有している人間兵器なのだ。

 

 そして、ヒドロネクスはその魔法少女の天敵とでもいうべき存在なのに間違いはない。

 二級魔法少女たちが現場に到着すると同時に、苦痛に喘ぐ呻き声が通信機越しに聞こえてくる。

 二級ですらここまで苦しめるのだ、俺たち特級が相対すれば、ほぼ間違いなく数分以内にまゆ以外は死に絶えることだろう。

 

『こちらブラボー1より司令部へ! 臨界獣ヒドロネクスの初動対応に当たった魔法少女が原因は不明ですが苦しみ始めました!』

『なんだと……?』

『加えて、ヒドロネクスの周囲にはなにか粉状のものが……恐らくは鱗粉と思しきものが漂っています!』

 

 羽の生えた馬鹿みたいにデカいクラゲとしか形容できないヒドロネクスの羽からは、自衛隊機が報告してくれた通り鱗粉が発生する。

 それこそが魔法少女を蝕む劇毒の正体にして、原理こそわからないが特級すら殺し得る、ヒドロネクスの最悪の武器だった。

 だったらアウトレンジ砲撃で叩けばいいだろう、という話になってくるかもしれないが、アウトレンジからのこよみちゃん砲を試みれば、やつはその羽を一段と強く羽ばたかせて風に乗せ、確実に鱗粉を吸わせてくるのだ。

 

 それだけじゃない。息を止めたとしても、皮膚のどこかに接触した時点でそこから魔力を侵食する毒が入り込んでくるんだから、遠距離砲撃すら意味をなくしているとは、製作陣の悪意が透けて見えるね。

 じゃあ皮膚に触れなきゃいいんだろうってことでこよみが持っている地球産魔法征装でアウトレンジ砲撃を試みたとしても、それも恐らくは失敗に終わるだろう。

 正確にいうならあの鱗粉は、「魔力と吸着することで劇毒になる」という仕様なのだから、最悪地球産魔法征装がお釈迦になりかねん。というか壊れる確率の方が圧倒的に高い。

 

 つまるところ、その毒を中和し続けられるまゆの存在が必要不可欠で、そのまゆでは火力に乏しいからこそ自爆する道を選ばざるを得なかったというわけだ。

 本当にクソを下水で煮込んだような敵で反吐が出るが、それ以上の問題はこいつに対して俺がどこまで本部を説得できるかだ。

 勝算はあったとしても、そもそも戦えなければ意味がない。

 

 そして、「M.A.G.I.A」の上層部は多かれ少なかれ特級魔法少女を戦力として重宝している以上、俺まで失う可能性がある作戦をそう簡単に呑んではくれないだろう。

 だが、それでも。

 それでも、やるしかないんだ。

 

「……此方は司令部、特級魔法少女、西條千早だ! ブラボー1、其方の体調に異変や異常はないか!?」

『こちらブラボー1、異常はありません!』

「そうか……協力に感謝する。改めて司令部!」

『こちらは司令部だ、なにかあったのかね、西條君?』

 

 通信機越しに喚き立てると、剣呑な雰囲気を漂わせている局長の不機嫌そうな問いが聞こえてくる。

 機嫌が悪いのはわかる。よくわかる。

 なんせ臨界獣の特異個体とテロリストとの挟み討ちだからな。だがここは少しクールに行こうじゃないか。

 

「先ほどのブラボー1との通信内容は記録しているな? 初動対応に当たった魔法少女が原因不明の苦しみに苛まれて、戦闘機のパイロットに影響はない……以上のことから、此方はヒドロネクスが魔力に反応する劇毒を持っていると推察した!」

『ならば、中原こよみのアウトレンジ砲撃で……』

「……あの毒が、魔力に吸着する性質を持っていると考えれば、『魔導炉心』を複数装備しているこよみの魔法征装では危険だと、此方からは意見具申する!」

 

 地球産魔法征装が爆発するだけならともかく、最悪魔法征装から逆流した魔力がこよみの「魔導炉心」に流れ込んでオーバーロードしかねない。

 そうなれば、地球は中原こよみという最後の切り札をこんなところで失うことになるだけじゃない。

 こよみの体内から暴走した魔力が放出されれば、少なくともここら辺一帯は間違いなく更地になる。

 

 無論、会議に勤しんでいるお偉いさんと他国の要人たちもだ。

 そんなニュアンスの内容をできるだけマイルドに、オブラートに包む形で俺は司令部へと報告する。

 それでもこよみの一撃に頼るしかないというなら、命令違反を犯してでも現場にすっ飛んでいく覚悟だったが、局長は俺の言動になにか危険な香りを嗅ぎ取ったのか、ふむ、ともうむ、ともつかない唸り声を上げていた。

 

『西條君、そちらの考察が正しいのであれば中原こよみの一撃に賭けるのは危険だと判断した……ならば、毒を中和できる南里君を派遣しよう、早速出撃準備に当たってくれ』

「……了解しましたぁ」

 

 まゆも薄々はあいつと、ヒドロネクスと戦ったところで、千日手になるだけだということは勘付いているんだろう。

 だが、それでも。それでも出撃することを選ぶ辺り、まゆの中にある、いわば命よりも大事な「国を守る」という志は、例え梃子でも動くことはないのだ。

 この世界ではともかく、前世じゃ比較的仲のいい家族に囲まれて育った、俺がまゆにしてやれることなんてないのかもしれない。

 だが、少しだけなら、少しだけだとしても、その苦しみを背負ってやることぐらいはできるはずだ。そう思いたい。

 

 だからこそ、小さく息を吸い込んで、俺は。

 

「もう一つ意見具申させていただきたい。此方をまゆと同行させてほしい」

『無茶を言わないでくれ、それだと会場の護衛が手薄になる!』

「……承知している、だが」

『西條君、特級魔法少女だからこそ君の提案を承諾したが、我々が譲歩できるのはここまでだ。あくまでも君の任務は会議場の護衛であることを忘れないでいただきたい!』

 

 ぐうの音も出ないほどの正論だ。

 もし各ポイントの最終防衛ラインを突破されたその時、会議場がガラ空きになっているのは護衛してる立場としてはまずいことこの上ないだろう。

 局長も由希奈たちのことを疑っているわけではない。それはわかっているが、しかし。

 

『……西條千早、君には考えがあるのか?』

『大佐!』

 

 通信に割り込む形で、今までは一言も喋っていなかった大佐が口を開く。

 

「肯定する」

 

 あるにはある。

 だがそれは危険すぎる、局長が想定しているリスクよりも遥かに危険な代物であることは間違いない。

 ピグサージの時と、グラムフロガの時と同じかそれ以上に、俺も死ぬ確率が高いものだ。だが。

 

「……賭けにはなる。しかし成功すれば、市街地に被害を出すことなく、あの臨界獣を確実に葬ることができる」

『ふむ……君が見込んでいる生還率は、どれほどのものだ? 西條千早』

「……百パーセントだ。此方もまゆも、確実に生きて帰ってくる」

 

 実際の確率が何パーセントかどうかなんて、知ったことじゃない。

 例え一パーセントを下回って、小数点以下だったとしても、それは俺が気合とか勇気とかで補って百パーセントにしてやるだけだ。

 もう誰も失いたくない。失わせたくない、だから。

 

『……了解した。では、現場権限で、現在をもってこちらに特級魔法少女の指揮権を委譲する』

『大佐!』

『非常時は特級魔法少女の指揮権限をこちらに移譲する……元よりそういう手筈だったと記憶していますが、局長』

『それは……』

『行ってきたまえよ、西條千早。おれは……君の勘に何度も助けられてきた。ならば、今度もそれを信じる、それだけだ』

 

 このあと、「M.A.G.I.A」本部から大佐がどれほど突き上げを食らうのかはわからない。

 それでもきっと、覚悟の上で大佐は俺のことを信じてくれたのだろう。

 ありがたい限りだ。なら、それを無下にするわけにはいかない。

 

『そうですよー、先輩! 最終防衛ラインは絶対に抜かせませんから!』

『先を越されたのはムカつくけど……由希奈の言う通りです、先輩!』

『……い、行ってください……千早先輩……!』

 

 由希奈たちも、背中を押すようにそう言ってくれた。

 なら、尚更負けられない。

 例え今から挑むのが、この命を賭け金にした大勝負だとしても。

 

「……感謝する。西條千早、出撃する!」

 

 必ず勝って、生還してみせる。

 そんな誓いと共に俺はコンクリートの地面を蹴って、空を舞うように出撃していく。

 怨敵の待つ戦場へと、待ち受けている悲劇を覆すために。




足りない確率は勇気で補え


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