五等分の花嫁~盟友と僕は背中合わせ~ (ケンドラ)
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プロローグ

『勉強を教えてください』

 

 大人になった今でも僕の心に強く残っている言葉。一生忘れない自信がある。

 

 理由の1つは、目の前で机に突っ伏して寝ている青年。白いタキシード姿の彼こそ僕にとって恩人であり一番の親友──上杉風太郎(うえすぎふうたろう)だ。

 

 そんな人にかける第一声が「結婚おめでとう」じゃないとは思わなかったよ。

 

「風太郎、起きろ! お~い、起きてくれ!」

「……ん。お前か、橙矢(とうや)

「ごめん、起こしてしまって。だけどもうすぐ式が始まるよ」

 

 しかし、かつての同級生はあわてる様子も無くポツリとつぶやいた。

 

「夢を見ていた。彼女……いや、あいつらと出会った高校2年の夢のような日の夢を」

「……ああ、なるほどね。それは夢に出てきてもおかしくないな」

 

 ホッと安心し、スーツのポケットから七色に輝く『お守り』を手に取る。

 忘れるわけがない。僕たちの日常が変わったあの日のことは。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「くっそ~っ! あれだけ勉強したのに、また負けた!」

「フン、得意科目でやっと80点か。満点にはまだ遠いな、橙矢」

 

 高2の9月、テストで僕は風太郎にまたしても叩きのめされた。

 

 こっちは血の涙が出そうなのに、目の前にいる学年トップは「焼肉定食、焼肉抜きで」と退屈そうにいつもの安い学食を頼んでいる。

 注文する品は全く同じでも頭脳が違う。

 

「くっ、自信あったのに。だけどウジウジしたって結果は変わらないか」

「そう、悩むより復習だ。じゃあ、先に行くぞ。見直しがしたいからな」

 

 にぎやかな昼休みの食堂でも勉強するのが風太郎だ。よく集中できるよな。せめて、ここでは食事を楽しみたい。

 

(でも、風太郎には頼ってばかりだ。卒業までに恩は必ず返す!)

 

 それに僕には勉強しかない。一人前の人間になって必ず……

 

「おっと、待たせちゃ悪いな……あれ?」

 

 知らない女の子といっしょだ。転入生かな? 見たことない制服だし。

 学校で風太郎が僕や先生以外の人と話しているのは初めて見た。

 

「──私のほうが先でした。隣の席が空いているので移ってください」

「いやだね。ここは毎日俺と親友が座っているんだ。あんたが移れ」

「関係ありません、早い者勝ちです。そもそも、あなた1人じゃないですか」

 

 これは止めないとまずい。2人とも周りからジロジロ見られている。

 

「どうしたの、風太郎」

「待ってたぞ、橙矢。そういう訳でここは俺の席だ。残念だったな!」

「ちょっ!? まだ話は──」

 

 うわあ、大人気ない。どう見てもイス取りゲームで勝って喜ぶ子どもだ。

 

「ほら、お前も早く座れ……って、おい! そこは橙矢の……」

「席は空いていました! 午前中に校内を見て回ったせいで足が限界なんです」

「いいですよ、僕は隣の席で。風太郎、その人の言う通りだ。早い者勝ちだよ」

 

 ここは場を落ち着かせるんだ。周りの視線がキツいし、僕たちが女の子と一緒にいるとヒソヒソ声がするし。

 

 さすがに気づいたのか、風太郎は舌打ちしているし、女の子は顔を真っ赤にしながら涙目で下を向いてしまった。

 

「……勝手にすれば?」

 

 ふー、良かった。風太郎がこらえてくれた。ホッとしながら隣の席に座る。女の子のメニューがすごく豪華だ。

 

「いただきまーす」

「いただきます」

「……」

 

 ああ、おいしい! おかずがあるだけでご飯の味が全く違う。

 風太郎は答案用紙と単語帳を取り出して見直しを始めた。いつものことだ。

 

「食事中に勉強なんて、行儀が悪いですよ」

「あんたに注意されたくはない。復習のジャマをしないでくれ」

「よほど追い込まれているんですね。何点だったんですか?」

「おい、勝手に見るな!」

 

 あっ、まずい! その答案を見るのは本当にだめだって!

 低い点数を期待しているとしたら、この勉強男の思うつぼだ。

 

「ええと、上杉風太郎くん。得点は……100点!? わざと見せましたね!」

「あー恥ずかしい! めっちゃ恥ずかしい!」

「風太郎、それが学年トップのやること?」

「はて、何のことだか。橙矢こそ復習しないと80点のままだぞ」

 

 いや、食事中なんだけど。何よりまじめな顔でいるのが苦しい。

 

 風太郎のリアクションだけじゃない。女の子が口元をぷく~っとふくらませたのが気の毒やらおもしろいやらで必死に笑いをこらえていたんだ。

 

「く、悔しいですが勉強は得意ではないのでうらやましいです。あっ、良いこと思いつきました。せっかく相席になったんです。勉強教えてくださいよ」

「ごちそうさまでした」

「ええっ!?」

 

 断るのも食べるのも素早いな。『(はや)きこと風の如く』か。

 あの顔は、自分で勉強しろとか関わりたくねーとか考えてそうだ。とはいえ、相手も恥をしのんでお願いしているのに。

  

「風太郎、勉強で悩んでいるようだし話を聞いてあげても……」

「そ、そうです。お昼ご飯それっぽっちでいいのですか? 私の分を少し分けましょうか?」

「満腹だね。むしろあんたが頼みすぎなんだよ。太るぞ」

 

 ちょ、風太郎さん。それはレッドカード級の言葉なんですが!

 僕が1年前に同じお願いをした時の反応よりもひどいとは。

 

「ふ、ふとっ……あなたみたいな無神経な人は初めてです! もう何もあげません」

「どうでもいい。橙矢、悪いがらいはからメールだ。じゃあな」

「待った、それより今は謝るほうが……って、行っちゃった」

 

 とんでもない爆弾を落としていったな。でも、たいした抗議や引き止めをしなかった僕も同罪か。

 

「ごめんなさい。親友がとんだ失礼を……この通り謝ります」

「えっ!? いえ、あなたは悪くありません。顔を上げてください」

「あ、ありがとう」

 

 しかし、豪華なメニューを見つめる女の子の表情は複雑そうだ。

 せっかくの食事なのに気分が台無しというのは気の毒すぎる。

 

「僕は別に量は気にしないから。たくさん食べたって良いと思う」

「……! ありがとうございます。でも、あなたはそれで足りるのですか?」

「うん、大丈夫。全然問題ない」

 

 ウソです、正直もっと食べたい。お腹は正直だ。だけどお金以上の問題がある。満腹だと眠くなってしまう。

 

「あの、よかったら1つあげましょうか?」

「て、天ぷらを……いや、気持ちだけで十分です。何もお返しできないし」

「いえ、そんなことはありません。お願いがあります!」

 

 あれ、いったいなんだろ? 風太郎に仕返しをしたいので手伝ってくれとか言われたら、さすがに断ろう。

 

「あなたが勉強を教えてください」

 

 何を言われたか分かるのに時間がかかった。

 周りのさわぎ声が聞こえなくなった。

 

 なんだろう、このうれしさは。

 

 以前に僕が風太郎に言ったセリフがそのまま返ってきたからか。

 

 彼女の熱意と度胸に今になって感動したからか。

 

 いや、一番の理由はきっと────初めて人に頼られたからだ。

 

「僕で良ければ。そう言えばまだ名乗っていなかったですね。宝条橙矢(ほうじょうとうや)です。どうぞよろしく」

「ありがとうございます、宝条君。中野五月(なかのいつき)です。こちらこそよろしくお願いしますね」

 

 風太郎みたいにうまくできるかは分からない。

 でも、何事も経験だ。僕なりにやってみよう!

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「何!? お前があの女子に勉強を教えた?」

「うん、図書室でね。課題で分からないって所を少しだけ」

 

 教室に戻り、自分の席で風太郎に何があったか説明した。

 

 正直、思った以上に大変だった。『教わる』と『教える』って全然違う。

 

 中野さんが「単語や文法、公式の知識が無い私が悪い」と恥ずかしそうに言った時は、必死にはげますしかできない有り様。僕の力不足なのに、気を遣わせてしまった。

 これを機会に教え方について考えよう。そうと決まればまず気分転換だ。

 

「それなら橙矢、お前に相談が……ってトランプは後にしろ!」

 

 むー、しょぼんとした気分をまぎらわそうとしたのに。

 風太郎だって好きだろ、と思いながらしぶしぶカードケースを制服のポケットに戻す。

 

「ごめん。それで、いったいどうしたの?」

「実は、明日からのアルバイトで問題が──」

「みんな席に戻れ。授業の前に転入生を紹介するから、急いだ急いだ」

 

 タイミングが悪いことに先生のお出ましだ。後で話す、と風太郎は離れていった。続きが気になるが、転入生という言葉に「まさか」と出入口に視線を向ける。

 

 予想的中。左右の前髪に付けた星のヘアピンや目立つはねっ毛はまちがいない。「女子だ」「普通にかわいい」と周囲がざわつくなか、先生の隣にその子は立つ。

 

「中野五月です。どうぞよろしくお願いします」

 

 クラスメートの反応をまとめると、中野さんはお金持ちのお嬢様が集う名門校に通っていたようだ。ふと目が合ったので、ペコリと軽く頭を下げる。

 

(まさか同じクラスになるなんて。あれ、でもこうなると困るのは──)

 

 ちらっと目線を動かすと、食堂でやらかした親友は頭を抱えていた。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「風太郎……中野さんの機嫌を取るって言ってたけど大丈夫かな」

 

 翌日の昼休み、僕は1人で食事中。いつもの席に親友はいない。

 

 まさか、家庭教師のアルバイトで教える相手が彼女だったとは。いっしょに謝りに行こうとしたが、完璧な作戦があるからと断られた。

 

 風太郎は家族の借金を無くそうと必死だ。父親を支え、妹を守るために。

 

(相場の5倍の給料は逃せないだろうけど……さびしくなるな)

 

 今までのようにいっしょに勉強する時間は無くなるだろう。

 教え方のコツを知りたかったけど、つかの間の挑戦だったか。

 

 あ、やっと戻ってきた。作戦はうまく……あれ?

 

「──五月ちゃん狙いの決め手は何だったんですか~? やっぱりまじめそうだったから?」

「狙っている訳じゃないって言ってるだろ」

 

 知らない女の子といっしょだ。昨日も同じことを思ったような。

 えっと、これはどういうことだ。謝りに行ったはずなのに。

 

「風太郎、ちゃんと中野さんに──」

「おい、橙矢! それ以上しゃべるな!」

 

 あわてて口を閉じたが遅かった。名も知らぬショートカットの女の子がキラリと目を輝かせる。

 

「中野……やっぱり五月ちゃんに用があるんだ! よし、私が呼んできてあげるよ」

「待て、余計なお世話だ。自分のことは自分で何とかする」

「ふ~ん、ガリ勉くんのくせに男らしいこと言うじゃん」

 

 うわ、背中をバシッとやられている。風太郎の骨は無事かな。

 それよりも、この様子だと完璧な作戦とやらは失敗したみたいだ。

 

「あ、でも──困ったらこの一花(いちか)お姉さんに相談するんだぞ。なんかおもしろそうだし」

「お姉さんって……たぶん俺たちと同じ学年だろ。なあ、橙矢」

 

 学年はともかく、風太郎相手に余裕たっぷりとはただ者じゃない。中野さんの知り合いみたいだけど、何かひっかかるな。

 

「ふむ、それじゃあもう1人の五月ちゃん関係の子に話を聞こうか」

「えっ、ちょっ!?」

 

 一花お姉さんと名乗った女の子にいきなり腕をつかまれた。

 食事が終わっているからいいけど、どこに連れて行くつもりなのか。

 

「おい! 橙矢に何を──」

「ごめんね~。ちょっとこの子借りていくから」

 

 さっぱり事情が分からないまま、ぐいぐいと引っ張られていく。

 この人、周囲の視線をまったく気にしてないようなんだけど。

 

「みんな、お待たせ。五月ちゃんの気になるお友達だよー」

「えっ、宝条君!?」

「ちょっと、一花! 何してんのよ!」

「……五月の友達?」

「わぁ、こんにちは! どうぞ座ってください!」

 

 あ、どうして風太郎が謝れなかったのか分かったかも。

 

 中野さんが1人の時を狙っていたのに、4人も女友達がいっしょだった。それで退散しようとしたら、この一花さんにからまれたのか。

 

「あれ、どうしたのかな? お姉さんに見とれてないで座るといいよ」

「良いんですか? そちらの方の席が無くなるんじゃ……」

「私なら大丈夫です! 落とし物を届けに行きますから」

 

 ニコニコしながら席を空けてくれていたのは、ウサギの耳のようなリボンを頭につけた子。「おじゃまします」とイスに座ると、目の前の光景に僕は目を疑った。

 

 どうして宝条君が、とあわてている中野さん。

 

 怪しい笑みを浮かべながら席に座る一花さん。

 

 蝶々(ちょうちょ)のようなリボンを頭に付けて鋭い視線でにらみつけてくる子。

 

 ヘッドホンを首にかけ、無表情でじーっと見てくる子。

 

 そして……僕のそばに立っている落とし物届け役の元気そうな子。

 

(この5人、なんか似ているような──)

 

 これが風太郎と僕の学校生活を変える出会い。そしてとんでもない日々の始まりだったんだ。




初めまして、ケンドラです。
数ある作品の中から、この二次小説をお読みいただきありがとうございます。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。


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第1章 家庭教師と宝物
第001話 ドキドキの出会いと尾行作戦


「はじめまして、宝条橙矢です。よろしく」

「こちらこそ! 私は四葉(よつば)です」

 

 席をゆずってくれた子が、横からのぞきこむように身を乗り出してきた。

 ちょっ、近いって。そんな笑顔は反則だよ。

 

「あはは、はしゃぎすぎだよ。ところで、さっき言ってた落とし物って?」

「それがすごいの、一花。満点のテストだよ!」

 

 食堂にそんな答案を落とす人……たぶん中野さんも気づいている。心当たりの場所を教えると、四葉さんは急いで向かっていった。

 

「ふーん、五月が昨日話してた子ってキミなのね。ちょっと聞くけど、なんで一花といっしょだったの?」

「それが、話を聞きたいって強引に……」

 

 チョウのようなリボンをつけた長い髪の女の子が、腕を組みながら聞いてきた。明らかに怪しんでいる。

 ヘッドホンの子は──表情からは何も分からない。片目が髪で隠れているのが僕と同じだ。

 

「確かに。一花は人付き合いが上手だから納得」

「あれー、二乃(にの)三玖(みく)だって本当は気になっているんじゃないの。あの五月ちゃんに男子の知り合いが2人だよ。まさに三角関──」

「へ、変なこと言わないでください。不純です!」

 

 ニヤニヤする一花さんに対し、中野さんはそっぽを向いてしまった。

 

 三角関? ああ、三角関数のことか。

 数学は苦手だ……というか話って何だろう。

 

「まあまあ、怒らないでよ。五月ちゃんの言ってた子が、どんな人か確かめたくてさ」

「えっ、もしかしてそのために僕をここに?」

 

 バイトの面接よりも緊張するこの場にどうして連れてこられたのか分からなかったけど、そういうことだったのか。

 

「そうだよー。初対面なのに勉強を教えてくれたらしいじゃん。五月ちゃんてば、それはもう嬉しそうに──」

「いっ、一花!」

 

 あわてたように中野さんがこちらを見てきた。もはや髪の色と顔のどちらが真っ赤なのか判断が難しい。

 からかいすぎちゃったかーと笑う一花さんを、二乃と三玖と呼ばれた2人が何がおもしろいのかという目で見ている。

 

「あはは、だったら話題を変えようか。あの優等生くんについても君に聞きたいことがあるんだけど……答えにくいかな?」

 

 昨日のことらしい。僕の口からは言えないと頭を下げる。あの男らしいセリフを聞いた後では、なおさらだ。

 

「じゃあ、トーヤ君。私たちに何か聞きたいことはないかな? お姉さんのわがままに付き合ってくれたお礼に何でも答えるよ」

「本当ですか!?」

 

 何でも答える、と言われたんだ。

 だったら今ここで聞くしかない。

 

「おっ、急にテンション上げてきたね。いいよ、話してごらん」

「じゃあ質問。

 失礼ですが、皆さんはもしかして──」

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「……は? あいつらが5つ子だと!?」

「びっくりしたよ。

 イスから転げ落ちるところだった」

 

 放課後、教室を出ようとする風太郎に急いで話した。何だかそっくり、親せきかなと思って質問した結果がこれだ。

 

「バカな、5つ子とかどんな確率だよ。お前は素直だから、あの年上ぶった女子の冗談を真に受けたんだろ」

 

 あの、風太郎。こいつ何を言ってるんだ、みたいな目で見ないで。

 

「じゃあ、たまたま顔が似ている女子が5人集まったとでも?」

「似ていたか? まあ、五月が友達と食べていたのは驚いたが。悪いが、俺は行くからな。くそ……もう帰り道しかチャンスが無い」

 

 五月を見失うと終わりだ、と風太郎は教室を飛び出していった。

 追いかけようか。いや、ちょっと待った。

 

 食堂で一花さんに言っていたじゃないか。

 

『余計なお世話だ。

 自分のことは自分で何とかする』

 

 自業自得なのは間違いない。五月さんへの謝罪も、高給バイトの話を無かったことにしたくないからだろう。

   

 だけど、風太郎は頭を抱えながらずっと悩んでいた。勉強に全力集中、人付き合いは面倒で嫌だと言っていた男がだ。

 

 このまま教室で「うまくいくように」と祈りながら復習なんて無理だ。かといって風太郎や五月さんがいる所にしゃしゃり出るわけにもいかない。

 

 となると、こっそり動くしかないか。せめて五月さんの家に着くまで、様子を見届けよう。

 

(バレなきゃいいんだ。変装はこうすれば──)

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 これはストーカーじゃない。下校する親友を追っているだけだ。

 身を隠し、離れた場所にいる風太郎を見ながら言い聞かせる。

 

「弱ったな……1人っきりじゃないじゃん。二乃さんや三玖さんといっしょだなんて」

 

 謝るのは難しそうだ。だからって風太郎……顔出しパネルから女子を間近で見るのはまずいよ。人のことは言えないが。

 

「一花さんと四葉さんだったらな──」

「私と四葉だったら、何だって?」

 

 あれ、おかしいなあ。五月さんといっしょだったらと思った人の声が、なんで後ろから聞こえる? ゆっくり振り返ると……

 

「やっほー、トーヤ君。1人で何してるのかな?」

「メガネが似合ってますね、宝条さん!」

 

 やばい、尾行だけじゃなく変装までバレた。伊達メガネでは不十分なのか?

 やらかした。だけど、こうなったらもう正直に言うしかない。

 

「実は……風太郎の後をつけていたんです。メガネは変装のために」

「優等生くんを? 変だね、五月ちゃんたちしかいないけど」

「えっ、上杉さんどこにいるんですか!?」

 

 ああ、そうか。風太郎がしばらく前に隠れたけど、この2人は見ていないのだ。だから僕が五月さんたちを追っていると思ったのか。

 

 一花さんは「やっぱり君も五月ちゃん狙い? このこの~」と突っついてくる。風太郎の居場所を教えるしかないか、と通学カバンに手を伸ばした。

 

「ややっ、上杉さんです! 一花、宝条さんの言う通りだよ」

「どこ? 全然分からなかったよ。

 すごいね、四葉」

「えへへ」

 

 顔だけしか見えないのによく見つけられたなあ、四葉さん。

 だけど、今度は隠れている風太郎がストーカーだと思われてしまう。

 

「う~ん、でも健全な男の子とはいえ女子高生をジロジロ見るのはまずいねえ」

「ごめんなさい。僕はどう言われてもいいから、風太郎は許してあげて。今日から五月さんの家庭教師なんだ」

「ええ~っ!?」

 

 ちょっ、2人とも静かに! 離れているとはいえ、風太郎たちに聞こえたらまずい。

 

「一花、じゃあ今日から来る先生って──」

「あはは、これはおもしろくなってきたかも」

 

 おもしろい? どういうことだろう。同級生が家庭教師ということに驚くのは分かるけど。

 

 というか、つい言ってしまった。風太郎が五月さんを見ていても仕方ない事情を何とか伝えようとしたけど。

 

「トーヤ君、今言ったことは本当だね?」

「もちろん」

 

 一花さんの目を見ながらハッキリ答えた。四葉さんは風太郎たちがいる方をチラチラと見ている。よほど気になるようだ。

 

「君が五月ちゃんたちじゃなく、優等生くんの後を追っていたのも?」

「うん、本当です」

「メガネで変装していたって言ってたことも?」

「それもウソじゃないです」

 

 なぜかは分からないけど、質問するごとに一花さんは顔を近づけてくる。

 堂々としていればいい。だって全部本当──

 

「えいっ」

「え……うわ!?」

 

 一花さんが手を伸ばしてきたと思った次の瞬間、急に目の前が明るくなった。メガネを取られ、前髪を払いのけられたことに少し遅れて気づく。

 

「ふむ、真っすぐできれいな目だね。隠さなくてもいいのに」

「なっ、何ですか急に。それより返してください。

 形見……じゃなかった、大切な宝物の1つなので」

「ごめんね。言葉だけじゃ信じられなくてさ」

 

 確かにそうだ。風太郎が心配だったとはいえ、周りから見れば明らかに僕の行動はあやしい。むしろ話を聞いてくれること自体ありがたい。

 

「僕の方こそごめんなさい。どう見られるか考えるべきでした」

「うん、よろしい。君と優等生くんの友情に免じて許してあげるよ。そうだ、何か気になるし私たちもまぜてくれるかな」

 

 一花さんは、食堂でも見た笑顔でウインクしてきた。

 

 つまり、いっしょに風太郎たちを追いかけようということか。変なことになったけど、ここは断る理由は全くない。

 

「いいね、そうこなくっちゃ。四葉、五月ちゃんたちや優等生くんの様子はどう?」

「それが……三玖が上杉さんに気付いたみたい」

「えっ!?」

 

 考えるより先に手が動いていた。さっきカバンから取り出しかけた宝物の1つをむんずとつかんで両目に当てる。確かに四葉さんの言う通りだ。

 

「あっ、宝条さんずるいです!

 後で私にも貸してください」

「四葉は双眼鏡がなくてもいいでしょ。私が先ね」

 

 順番どころじゃない。何か言っている風太郎に対し、三玖さんが携帯電話で誰かと話している。嫌な予感がした。ま、まさか警察に──

 

「あれ? 三玖……行っちゃった」

「優等生くん、命拾いしたね。でも、そう思わせて二乃や五月ちゃんに知らせちゃったりして」

 

 考えたくもないけど、十分あり得る。でも風太郎は尾行を再開したし、五月さんたちの動きにもおかしな所はない。

 少し心臓のドキドキがおさまってきた。

 

「そういえば……上杉さん、五月に何か謝りたいみたいでした」

「えっ!? どうして四葉さんが、それを?」

 

 一瞬、足が止まった。一花さんは双眼鏡から目を離し、「何それ、教えて」と食いついている。

 

「落とし物を届けた時に上杉さんが頼んできたんです。『俺が謝っていたと五月に伝えてほしい』って。でもそういうのは本人に言わないとって断りました」

 

 頭のリボンを揺らしながら、四葉さんはえっへんと胸を張る。

 

 風太郎、一花さんに言った男らしいセリフは何だったんだい。いや、よく考えろ。時間が無くて追い詰められていたのかも。

 

 学校でたった1人の親友が悩んでいたのに、僕は……

 

「──君。トーヤ君!」

「へっ? な、なんですか?」

「もう、考え事しながら歩いてたら危ないって。

 それより見てごらん、あれが私たちの家だよ」

 

 一花さんが指さす方を見た瞬間、心配事が頭から吹っ飛んだ。

 どれだけ高いんだ、あのマンション。見上げただけで首が痛い。

 

「部屋は最上階で広いですよ。宝条さん、寄っていきますか?」

「いや、さすがに家庭教師の仕事のジャマに……はっ、風太郎は!?」

 

 僕としたことか、一番の目的を忘れていた。

 高層マンションに見とれている場合じゃない。

 

「あー、まずいね。

 二乃と三玖に通せんぼされてる」

 

 双眼鏡でのぞきながら一花さんが答える。まずいという割に口元が笑っているのはなぜなんだ。

 

「あれ、五月さんがいない」

「二乃と三玖が代わりに話を聞いてあげるつもりなんだよ、きっと」

「でも、風太郎が今度も頼むとは思え……あっ!」

 

 風太郎、強行突破したよ。どんなやり取りをしたのかはさっぱりだが、マンションに向かって全速力だ。四葉さんに言われて決心したのかな。

 

 残念だけど僕はここまでだ。このマンションには入れない。

 

「一花さん、四葉さん。色々とありがとうございました。後は風太郎しだいなので、もう帰ります」

「本当に寄って行かないんですか。残念ですね」

 

 家庭教師と教え子のジャマになるだけだ。それにさっきの強行突破を見て確信した。きっと謝れるって。だけど……

 

「トーヤ君、良いの? ここまで来たのに。本当は優等生くんと五月ちゃんが心配なんじゃない?」

 

 うっ、一花さんは鋭いなあ。何でもお見通しなのか。隠せている自信があったのに。

 

「正直、そうです。特に五月さんが許してくれるかどうか。でも風太郎は仕事で来ている。部外者が勝手に入る訳にはいきません」

 

 勉強を教えてと頼んだ相手に冷たく断られ、「太るぞ」とトドメの一撃を食らったんだ。そんな相手の教えを五月さんが受けたいと思う可能性は低い。

 

 それでも五月さんの心を動かすことができるのは、僕の余計な手助けじゃない。良くも悪くも真っすぐな風太郎の言葉と行動だ。

 

「親友として、勉強を教わった者として僕は風太郎を信じます」

「言うねえ。お姉さん、じーんときちゃったよ」

「上杉さん、友達がいないと思っていたけど違っていたんですね」

「あはは。じゃあ、僕はこれで失礼します」

 

 忘れずに双眼鏡を返してもらい、2人に背を向けて歩き出した。

 しばらくして何となく振り返ると……

 

「あれ?」

 

 四葉さんが、さっきの場所にまだ立っていてこっちを見ている。ぶんぶんと手を振ると振り返してくれた。見送ってくれたのかな。

 

 安心したのと同時に疲れがどっと押し寄せてきた。風太郎がうまくいったかどうかは、また学校で聞こう。

 

 この時、僕は気づいていなかった。風太郎が勉強を教える相手、それが五月さんだけではないということを。




 原作でもし一花と四葉が風太郎の後をつけていたら、と考えてオリ主の橙矢を加えたやり取りにしてみました。

 橙矢の宝物ですが、これで3つ登場しました。まだまだ増えます。

 次回、声だけですがついに「あのお方」が登場します。


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第002話 任された補佐役(前編)

『こんばんは、夕食時にすまないね。

 宝条橙矢君で間違いないかな?』

 

 古いアパートの一室で、1人さびしく手作りチャーハンと野菜炒めを口にしようとした時だった。携帯が鳴ったので出てみると、聞き覚えのない男性の声。

 

 いきなり誰だと怪しさセンサーが反応したが、夕食時にすまないと言われたからか不快感が消えた。

 

「はい、そうです。

 失礼ですが、どちら様ですか?」

『……僕は中野。君が通う(あさひ)高校に、最近5つ子の転入生が来たはずだが』

 

 ああ、五月さんたちのことか。ということは、あの姉妹の知り合い──おそらく父親だろう。

 

 念のために聞くと、そうだとあっさり返された。クールだけど何とも威圧感がある声だな、風太郎のお父さんとは雰囲気が正反対だ。

 

 それにしても何の用だろう? もし「娘をストーカーしたそうだね」と言われたら自首するしかない。

 

『結論から言う。娘たちのために(やと)った家庭教師の補佐を君に頼みたい』

「……ええっ!?」

 

 ちょっと待ってくれ、家庭教師って風太郎のことだよな。

 しかも娘たちって……教える相手は五月さんだけじゃないのか?

 

「僕にですか? しかし、補佐なんていなくても家庭教師の人は──」

『君の親友で学年トップの秀才ということは(すで)に知っている。だが娘が言うには、彼の授業を受けずに追い出したそうだ』

 

 そんなバカな。風太郎は勉強となると鬼のように厳しいけど、教え方はうまい。実力を測るためのテストだって昨日からせっせと作っていたのに。

 

 少なくとも、一花さんと四葉さんが追い出したとは思えない。

 となると残りの3人か? 何があったか知りたいけどがまんだ。

 

「……失礼ですが中野さん、上杉君に事実確認はしたのですか?」

『もちろん本人も認めていた。辞めるつもりは全く無いと言い切っていたがね。だが、彼1人では荷が重いと思ったのも事実だ。そこで──」

 

 5つ子の父親がサポート役をつけようと提案したそうだ。すると、どこの誰とも分からないヤツよりも任せたい人がいると風太郎が僕の名前を出してきたらしい。

 

『──ということで仕事内容や報酬(ほうしゅう)の詳細は以上だ。採用となれば、契約書を送るので確認してほしい』

 

 メモを取ったが、何回見てもすごい内容だ。僕が赤点を取ったらクビというのは当然として、給料が相場の5倍という文字の圧倒的な存在感よ。

 

 教える相手が5人だから給料も多い。

 どうして、もっと早く気付かなかったんだろう。

 

 いや、ごちゃごちゃ考えている場合じゃない。

 風太郎がピンチなんだ。全力でサポートできるよう行動するのみ!

 

『どうかね?

 問題無ければ明日から頼みたいのだが』

「分かりました。引き受けます。

 だけど、1つだけ聞いても良いですか?」

 

 風太郎や5つ子の力になって自分を変える……勉強をもっとがんばれる理由ができた。だけど話がうまく進みすぎじゃないか。

 

『構わないが、手短に頼むよ』

「僕について調査しなくても良いのですか? 上杉君の指名だけであっさり決まったのが気になって」

 

 風太郎にはプロの家庭教師に負けない知識や指導力がある。でも、僕にはそれが無い。親友という理由だけで、はい採用なんてことがあるのかな。

 

 中野さんが無言になった。余計なことを聞いてしまったのではと、じわりと汗が出てくる。

 

『……僕は宝条君のことを全く知らない訳じゃない。君のお母さんには、世話になったからね』

「なっ!?」

 

 鉛筆が手からすべり落ちた。

 どうして、僕や母さんを知っているんだ? 

 

『話は以上だ。娘たちには僕から伝えておこう。上杉君と共に励みたまえ』

「ま、待って──」

 

 切られた。1つだけ質問と言うんじゃなかったな。

 

 聞きたいのは母さんのことだけじゃない。父さんと、それに……

 

(5年前になぜ()()()()までいなくなったのか)

 

 できるなら中野さんに電話を掛け直したい。しかし、いま連絡を取るべき相手は雇い主じゃない。家族と同じくらい大切な人がいる。

 

 手が震えて携帯の操作がうまくいかない。しっかりしないと。いつもなら気軽に電話できる相手なのに、呼び出し音だけでドキドキするなんて。

 

『橙矢か。すまない、お前の言う通り5つ子だった。あいつらの父親から補佐役の話を聞いたか?』

 

 そういえば、学校で風太郎は5つ子だと信じてなかった。しかし「だから言っただろ」とか「中野さんの家で何があった」と口にするのはまずい。

 

「うん、ついさっき。

 大丈夫、ばっちり引き受けたよ」

『本当に助かる。さっそくだが明日の正午、俺の家に来てくれないか』

「分かった。全力でサポートするからね!」

 

 今は少しでも前向きな言葉をかけるんだ。夕飯が冷めようが、そんなことどうだっていい……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「今日から家庭教師の補佐になった、宝条橙矢です。あらためてよろしくお願いします」

 

 翌日の夕方、僕は3回目の自己紹介をしていた。さすがお金持ちの家だけあって、部屋の広さが普通じゃない。まさに住む世界が違うって感じだ。

 

 風太郎が追い出されたと聞いていなければもっと快適だったかもしれない。

 

 なぜ、そんなことになったのか。

 五月さんには謝ったと言ってたのに……

 

「わぁ、良かったですね! 宝条さん」

「宝条君が……補佐役」

 

 四葉さんは目をキラキラと輝かせているが、五月さんはまだ信じられないようだ。家庭教師に続いてサポート役まで同級生ともなれば当然か。

 

「良くないわよ、四葉。補佐とか意味分かんない。家庭教師はいらないってソイツに言ったんだけど」

 

 不満そうに携帯をいじる二乃さんだが、そう言われても困るな。

 こっちは仕事で来ている。それに今の言葉は聞き捨てならない。

 

「まさか、風太郎を追い出したのは……」

「何? 上杉が途中で寝ちゃったから家に送ったのよ。言っておくけど、五月がちゃんとタクシーで──」

「おい、二乃! お前が水に薬を入れたのは分かって……あっ」

 

 しまった、というような表情で風太郎はこっちを見てきた。

 悪いけど全部聞いた。そういうことだったのか。

 

 プツンと僕の中で何かが切れた。

 

「なんてことを……っ!」

「やめろ、橙矢! 座るんだ!」

 

 二乃さんに近づこうとしたが、駆け寄ってきた風太郎に肩をつかまれた。下手すれば大変なことになっていたのに、どうして止めるんだよ。

 

 勉強や家庭教師が嫌いだというなら、それは仕方ない。だけど眠り薬はさすがに理解できない。

 

 風太郎には僕と違って何かあったら悲しむ『家族』がそばにいるんだ。

 

「黙っていたことは悪かった。だが、こうなると思っていたからどうしても言えなかったんだ。大丈夫、俺は何ともない」

「ほ、宝条さん……」

 

 風太郎の手にぐっと力が入るのと同時に、四葉さんの声が小さく聞こえる。さっきの明るい声じゃないと思った瞬間、ハッとした。

 スヤスヤと寝ている一花さん以外、全員の表情が固まっている。

 

「頼む。気持ちは嬉しいが、今はこらえてくれ」

「……分かった」

 

 その場にくずれるように座り込んだ。怒りと悔しさで、ぐっと(くちびる)をかみしめることしかできない。

 

 風太郎は僕の肩を軽くたたき、5つ子と向かい合う位置に戻っていく。そしてカバンから数枚の用紙を取り出した。

 

「二乃、家庭教師が不要なら実力で証明してくれ。昨日できなかったテストでな。合格できたら──」

「いやよ。アンタたち2人、さっさと辞めてほしいんですけど」

 

 五月さんと座る場所を変えながら、二乃さんが強い口調で言う。

 僕から離れたいのは勝手だけど、そんなにテストが嫌いなのか。

 

「話は最後まで聞けよ。言ってみればこれは『卒業試験』だぞ。合格ラインを超えたヤツには、今後近づかないと約束しよう」

 

 逆に合格点より低かったら文句を言わないで教えを受けろと。

 

 風太郎が用紙をバンと勢いよくテーブルに置いたせいか、一花さんが目をこすりながら起きた。とろんとした顔で見てきたけど、気まずくて目を合わせづらい。

 

 僕がここにいる理由を聞かれるかと身構えていたけど、ありがたいことに風太郎に視線を向けてくれた。

 

「めんどくさい。何でアタシたちがこんな──」

「分かりました、テストを受けましょう」

 

 メガネをケースから取り出した五月さんを、二乃さんが「はあ?」と見つめる。みんなびっくり顔だ。無表情の三玖さんでさえ目が動いた。

 確か風太郎の話では、五月さんは昨日自分の部屋から出てこなかったそうだけど。

 

「二乃、合格すれば良いだけの話です。せっかく来てくれた宝条君には申し訳ありませんが……とにかく、これであなたの顔を見なくて済みます」

「フン、そうかよ……おっと、橙矢も受けてくれ」

 

 あれ、僕もか。てっきり不正が無いように見張り役をやると思っていたのに。

 

「用紙が6枚って、そういうことだったんだ」

「間違ってもこいつらより低い点数は取るな。ついでに頭を完全に冷やしてくれ」

 

 確かに問題を解けば、少しは落ち着きそうだ。補佐役としても、みっともない点数を取る訳にはいかない。

 

「テストに合格すれば勉強なし……そういうことなら、やりますか」

「みんな、がんばろー!」

 

 一花さんと四葉さんもやる気だ。残るは2人。

 

「フータロー、合格ラインは何点?」

「そうだな……60点と言いたいが、50点でいいぞ」

 

 三玖さんのおかげで合格点が分かった。

 もっとも、僕が狙う点数は決まっているけどね。

 

「はー、仕方ないわね。別にこんなもの受ける義理なんて無いけど。あんまりアタシたちをあなどらないでよね」

 

 よし、一番受けてくれそうになかった人が折れた。合格すれば家庭教師がいなくなるというのが、かなり効いたのかも。

 

「制限時間は1時間、問題数は25問だ。では、始め!」

 

 いっせいにペンを走らせる音が部屋に響く。

 さて、第1問は……ラッキー! 日本史だ。

 

 しかも戦国武将ものじゃないか。名前も知っているし、これは幸先がいい。漢字は──あ、あれ? どうだったっけ。ちょっと待った、何で出てこないんだ。

 

(やばい、思い出せない。ど、どうしよう)

 

 まさかの事態に頭が真っ白になっていた時だった。

 

「……ふふっ」

「ん?」

 

 明らかに笑った声がしたので顔を上げる。

 

 誰だ、変な声を出したのは。笑顔で解いている一花さんか四葉さんか? 半分眠そうな目の三玖さんか? 苦戦している二乃さんか、硬い表情の五月さんか?

 

 いや、何も僕を見て笑ったとは限らないだろう。問題をスラスラ解けたら笑いたくなることだってある。そうだよ、パニック状態になっている場合じゃない。

 

 こうなったら最終手段だ。こう書けば、少なくとも間違いではない……




長くなったので、『卒業試験』を前編と後編に分けます。

次回、部屋に逃げた5つ子に風太郎と橙矢が原作では描かれなかった『作戦』を決行します。結果をまとめる風太郎、そして橙矢は……?

補佐役VS5つ子の戦いが幕を開けます。ラスボスは手ごわいのでお楽しみに。


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第003話 任された補佐役(後編)

 この中で僕が一番バカだった。

 

 一瞬でもそう思ってしまったのは、風太郎の言い方が(まぎ)らわしかったからだ。悪気は無かったのかもしれないが、心臓に悪いよ。

 

「採点終わったぞ。

 すげえ! お前ら100点だ!」

「えっ!?」

 

 何度見返しても、僕の答案は80点。目標の満点を取れず、しかも点数で5つ子に負けるというダブルパンチに目の前が真っ暗になったのだが──

 

「5人全員合わせてな!」

 

 ん? 5人全員満点じゃなくて、()()()満点?

 

 風太郎は立ったまま動かない。いや、答案を持つ手が震えている。

 5つ子はというと、さっきまでの意気込みはどこに行ったのかと思うくらいどんよりと暗い。

 

「この点数……お前ら、まさか」

「逃げろ!」

「あっ、おい待て!」

 

 ドタドタ、バタンと5つ子の姿が2階に消えてしまい、残ったのは制服姿の男子高校生2人だけ。あっという間に逃げられた。

 

 窓から差し込む夕日に照らされた風太郎の姿がなぜか悲しい。

 

「ウソだろ、四葉は予想できたが……全員不合格かよ。どうしろってんだ」

 

 なんで四葉さんが低い点数だと分かったんだ? 気になるけど、今は頭を抱えている家庭教師を何とか(はげ)まさないと。

 

「大丈夫だって、風太郎には僕の点数を上げた実績がある」

 

 風太郎が無言で答案用紙を渡してきた。8点、12点、20点、28点、32点……確かに合格点には遠い。だけど去年の僕とほとんど差が無いじゃないか。

 

「お前とあの5人じゃ状況が違う。現実を見ろよ」

「それでも全員テストは受けてくれたんだよ。結果のまとめや答案返しは今すぐにでもできるさ」

 

 風太郎は目を丸くした。そんなにおかしなことを言ったかな?

 

「頭冷えすぎだろ。さっきは暴走寸前だったのに」

「うん。風太郎の言葉とテストのおかげかな。

 それに……一花さんと四葉さんに借りがあるし」

 

 何の話だと聞かれたが、ごまかした。昨日のことを秘密にしておきたいのは僕も同じなのだ。

 

「まあいい。頭が痛いが、やるしかないな」

「まとめを手伝うよ。テスト返しは任せて」

「頼む。悪いが、あいつらの部屋はこりごりだ」

 

 風太郎の顔色がさらに悪くなった気がする。部屋にずかずかと入るつもりは無いけど、何があったんだ。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 5人の答案用紙を持って2階に来たまでは良かった。

 

 しかし、誰がどの部屋なのかが分からない。しまった、聞くのを忘れてた。

 

 まあいいや、全員に渡すつもりだし。もし5人に「答案を返してこなかったから、復習しなくても文句は無いよね」とか言われたら嫌だからな。

 

(悩んでいてもしょうがない。ここからにしよう)

 

 目の前のドアを軽くノックした。5つ子のうちの誰にせよ、まだ部屋にいることは間違いない。

 特に注意しないといけないのは二乃さんだな。眠り薬の話は持ち出さないと風太郎と約束したとはいえ、だ。

 

「すみません、宝条です。答案を返しに来ました」

 

 しばらく待ったけど反応が無い。後でまた声をかけようと背を向けた瞬間、ガチャッと音がした。

 

「待ってください、宝条君」

「あっ、五月さん。良かった──はい、どうぞ」

「受け取りたくありませんが……仕方ないですね」

 

 もたつきながらも渡したテストを五月さんは手に取ってくれた。

 しかし、うつむいて目を合わせてくれない。何か言わないと。

 

「その……ありがとう。風太郎のテストを受けると言ってくれて」

「なぜお礼を言うのですか? 教えは()わないと彼に伝えたんですよ」

「そうだとしても、話が進んだのは間違いなく五月さんのおかげだから」

 

 テストを受けるかどうかで二乃さんと日が暮れるまで言い争っていたかもしれない。2日連続で何の成果も無しとか最悪だ。

 

「教わるのが嫌だったら……えーと……復習や分からない所の確認からでも力になります」

「……考えさせてください」

 

 悔しいけど、これが限界だ。どうしてかっこよく堂々と気の利いた言葉を言えないのか。

 

 だけど、これ以上は逆効果になる。五月さんに頷き、隣の部屋に向かおうとした。

 

「宝条君」

「はい」

 

 急に呼び止められた。もしかして、と期待をこめて振り返る。

 

「あなたが勉強を見てくれたことは感謝しています。しかし、私には分かりません。どうしてあんな無神経な人と友達なのか」

 

 グサッと心臓に矢が刺さった気がした。

 

 食堂での『太るぞ事件』があるから、五月さんがそう思うのも無理はない。でも、この胸の痛みは何なんだ。

 だめだ、何も言い返せない。静かに閉まるドアをなすすべもなく見ることしかできないなんて。

 

 ここは深呼吸で気持ちの切り替えだ。何とか気分を落ち着かせて、さっき行きかけた隣のドアをノックする。

 

「宝条です。テストを返しに──」

「さっきは逃げちゃってすみません!」

 

 いきなりドアが開き、元気な声がしたので後ずさりした。いつでも部屋から出られるように待ち構えていたんじゃないか。リボンが顔に当たるかと思ったよ。

 

「い、いえ。どうぞ、四葉さんの答案です」

「おおっ、わざわざありがとうございます」

 

 8点のテストを受け取った人とは思えない明るさだ。風太郎によると5人の中で最も協力的だったそうだから、頼まない手はない。

 

「四葉さん、この通りです。今から風太郎の授業を受けてくれませんか」

「良いですよ! テスト返しも手伝います」

 

 良い人過ぎる。天使ですか。

 これは風太郎でも感動して泣くんじゃないかな。

 

「ほ、本当に? 助かります」

「いえいえ、じゃあ行きましょう。

 次はだれに……あっ、二乃」

「何でアンタが四葉といるのよ!」

 

 協力者ができた喜びも束の間、二乃さんのご登場だ。今から外出という感じだけど、明らかに「こいつは敵だ」という視線を向けている。

 

「テストを返しに来ただけです。四葉さんは手伝うと言って──」

「そこまでして勉強させる気? 本当にしつこいわね。上杉もだけどアンタもモテないでしょ。早く帰れよ」

 

 言ってくれる。陰口は慣れっこだけど、ここまでストレートに来るとは。昨日までの僕だったらびびっていた……だけど今は違う。

 

()()モテないよ。だけど、それが仕事を放り出して帰る理由になるとでも?」

「はあ!? 勝手なことしておいて何を言って──」

「二乃、うるさい。ケンカならよそでやって」

 

 三玖さんが部屋から出てきて、不機嫌そうにジロッと見てくる。元はといえば宝条が悪いと二乃さんが言い返したので雲行きがあやしくなった。

 

 ここは黙って見ている訳にはいかない。

 

「原因を作ったのは謝ります。でも、テストは受け取って。名前が書いてある以上、これは二乃さんと三玖さんの物だから」

 

 こうすれば僕が共通の敵になって、姉妹のケンカにはならない。

 

「ふん、こんなものさっさと捨てるわ。家庭教師なんてお断りよ」

「同感。フータローやトーヤの力なんかいらない」

 

 目の前に出されたテストを奪うように取って、2人とも部屋に入ってしまった。

 復習するとは思えないけど、返せたから良いか。

 

「大丈夫ですか、宝条さん」

「うん。さっきみたいに怒ったりはしないから」

「でも、二乃があそこまではっきり──」

 

 ああ、モテない発言か。あの眼力に比べればなんてことない。

 

「陰でこそこそ言われるよりよっぽど良いですよ。

 それに僕がモテないのは事実だし」

 

 何だかんだで残るテストはあと1枚だ。

 

 1階にいる風太郎に今の言い争いや現状について伝えると、最後に「一花の部屋には注意しろ」と引きつった顔で言ってきた。

 

「四葉さん、風太郎がああ言っているけど」

「あはは……なんというか……あっ、五月!」

 

 振り返ると、ドアが少し開いていて確かに五月さんが部屋から顔を出していた。今度こそ授業を受ける気になってくれたとか?

 

「五月も上杉さんや宝条さんに勉強を見て──あれ?」

 

 あわてたように顔を引っ込めてドアを閉めてしまった。そんなに考えが急に変わるわけが無いか。二乃さんよりは希望があると思っていたんだけど。

 

「き、きっと五月も授業を受けたいんですよ。私には分かります」

「だと良いけど……さっきの言い争いがうるさかったのかも」

「うーん、それなら『騒がしいですよ』って言うはずなんですけどねー」

 

 こればっかりは本人に聞かないと分からない。あーでもない、こーでもないと四葉さんと意見を言い合ううちに最後の目的地である一花さんの部屋の前に来ていた。

 

「何となくだけど、また寝ている気がします」

「私もそう思います。あのさわぎにも気づいていないみたいですし。入ってみますか? 驚くかもしれませんが……」

 

 いや、さすがに本人の許可なく入るのは良くないんじゃないかな。注意しろ、驚くかもと言われたし心の準備が必要だ。

 

「悪いけど、一花さんに確認してきてくれませんか」

「まかせてください! すぐに戻りますから」

 

 ふー、協力者がいてくれて本当に良かった。できれば、四葉さんが一花さんを連れてきて部屋の外でテスト返しという流れが理想なんだけど。

 

「おまたせしました! 一花が『気にしないで入って』と言っていましたよ」

「はっや……って、えっ?」

 

 風のように戻ってきた四葉さんもだけど、伝言にもびっくりだ。まあ、部屋の主がそこまで言うなら大丈夫かな。

 

 まさかとんでもない場所で、生きて帰れないなんてことはないだろう。

 

「じゃあ、お言葉に甘えておじゃましま……す」

 

 ドアを開けた瞬間、これは入る部屋を間違えたと思った。だって今まで見てきた玄関やリビング、階段のきれいさと全然違っていたから。

 

「これはいったい……強盗に入られたんじゃ」

「ええっ、私は何も盗ってないですよ!」

「違うよ、トーヤ君。だけど汚部屋と言わなかったのはポイント高いぞー」

 

 なるべく物をふまないように進むと、目の前のふとんがモゴモゴと動く。ぎくっとしたけど何のことはない、見覚えのあるショートカットの顔が出てきた。

 

「どうも。さっきのテストを返しに来ました」

「あれー、君は部外者じゃなかったっけ? 仕事で来ているフータロー君のジャマをしないって言ってたのに」

「一花、宝条さんは今日から上杉さんを補佐することになったんだよ」

 

 昨日と今日では状況が変わった。このメンバーで風太郎たちを尾行してからまだ1日しか経っていない。

 

「へー、そうなんだ。でもフータロー君ってば勉強って言うばかりだったよ。せっかく五月ちゃんやトーヤ君との話題で盛り上げようとしたのに」

「……じゃあ今日は勉強で盛り上がりませんか?」

 

 答案は受け取ってくれたけど、掛け布団にくるまったまま一花さんは動こうとしない。1時間のテストで力を使い果たしたという感じだ。

 

 眠いのか、それとも良からぬことを考えているのか表情があやしい。

 

「悪いけどパスかな。ごめんね」

「そこを何とか。机の上の片づけなら手伝うので、ここで復習だけでも」

「動いてもいいの? 私、服を着ていないんだよー」

 

 ズザザッと後ずさりした。床に散らばった一花さんの私物に足をとられて転ぶわ、部屋の主に笑われるわで散々だ。

 

 四葉さんが心配そうに声をかけて助け起こしてくれたのが救いだった。

 

「な、何でもっと早く……服を着てくださいよ!」

 

 おかしいな、急に部屋が暑くなった気がする。えっ、なんで裸!? お金持ちって寝るときは開放的になるの!?

 

「いやー、ここまで良い反応をしてくれるとはね。本当に着ていいの? せっかく同級生の美少女の部屋に来たのに」

「わーっ、ストップ! お、おじゃましました!」

 

 何を思ったのか、一花さんが自分から掛け布団をずらそうとしてきたからたまらない。手で目を隠しながら部屋から飛び出した。

 やられた。勉強させるはずが返り討ちにあうなんて。

 

「……大変でしたね、宝条さん」

「四葉さんがいてくれて良かったです」

 

 次に一花さんの部屋に入ることがあるなら、片目だけじゃなく両目を前髪で隠したほうが良さそうだな。

 風太郎が「部屋に行きたくない」と言っていた理由がやっと分かったよ。

 

 とはいえ、全員にテストを返せた。それに──

 

「元気出してください! 

 私が上杉さんと宝条さんの授業を受けますから」

「風太郎もきっと喜びます」

 

 たった1人だけでも風太郎の授業を受けたいと言ってくれる人がいた。

 嬉しそうに「上杉さーん」と言いながら階段を駆け下りる四葉さんを見ていると気持ちが楽になる。

 

「四葉ぁ、さっきはどうして逃げた?

 怒らないから言ってみろ」

「えっ、えっと……助けてください、宝条さん」

 

 あちゃー、風太郎がどす黒いオーラを放っている。戻ってきてくれた嬉しさよりも、部屋に逃げられたショックが大きかったか。

 

 何とか家庭教師を落ち着かせて授業を始めたのは、しばらく後のことだった。




次回、家庭教師コンビが5つ子の説得を本格的に始めます。橙矢の玉砕っぷり、そしてまさかの行動をお楽しみに。


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第004話 次女の説得と天ぷらのお礼

「ほらほら、トーヤ君。早く出してごらん」

「何でこんなもの持ってるのよ!?」

 

 おかしい、どうしてこうなったんだ。

 

 朝から学校の真ん前で、同級生を相手に何をしているのか。こんな形で見せるなんて……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 数分前、風太郎と歩きながら話していた。おとといの卒業試験や四葉さんへの指導を振り返り、今後について考えていたのだ。

 

「5人全員赤点候補……はっきり言って不安だ。

 お前のおかげで負担は減ったがな」

 

 まずいな、顔が普段よりもやつれていて参考書を見る目に力が無い。

 だけど、こんなこともあろうかと持ってきた物がある。

 

「風太郎、実は今日──」

「うおっ、かっけー!」

 

 そばを通り過ぎ校門の前で止まった高級車に、風太郎がほれぼれしたような声をあげた。

 それは良いけど、窓ガラスに顔がくっつきそうなくらい近づいて大丈夫かな。

 

「橙矢も見てみろよ。100万円はするだろうな」

「焼肉定食焼肉抜きの5000食分になるね」

「適当に言ったんだが……そう聞くと、とんでもない物に見えてきたぞ」

 

 車のことは詳しくないけど、もっと高いだろう。いつか免許を取ったら一度でも良いから運転してみたいなあ。

 

「あっ、上杉さんに宝条さん!

 おはようございまーす!」

「おっはー。フータロー君、トーヤ君」

「な、なんですか。ジロジロと不躾(ぶしつけ)な……宝条君、おはようございます」

 

 ピカピカの車のドアが開き、出てきたのはやっぱり中野5姉妹。風太郎はそこまで驚かなくてもと思うくらい後ずさりした。

 

「……ああ、おはよう」

「おはよう、みんな。

 運転手さんもおはようございます」

 

 ていねいに頭を下げてきた男性を見て、運転手の仕事について聞きたくなった。

 しかし、戸惑いが無くなったのか風太郎が5つ子のほうに鼻息荒く向かっていく。

 

「お前ら、おとといはよくも逃げてくれたな」

「四葉さんは戻ってきてくれたよ?」

「甘いぞ、橙矢……って、また逃げやがった!

 よく見ろ、俺たちは手ぶらだから害は無い」

 

 バカな、風太郎が参考書をポイした!?

 夢かと驚きながら、しゃがんで拾い上げた。

 

「だまされねーぞ」

「参考書とか単語帳とか他にも隠し持ってない?」

「怪しい。油断させて勉強を教えてくるかも」

 

 四葉さん以外は「こっちくんな」という感じだ。せっかくの風太郎の無害アピールが効いてない。

 

「おっと、トーヤ君。動いちゃダメだよ。

 その難しそうな本は置いてほしいな」

「くっ……」

 

 風太郎の私物だ、投げ捨てる訳にはいかない。足元にハンカチを敷いてそっと置いた。これで話し合いに応じてくれるかな。

 

「うーん、悪いけどポケットのふくらみが気になりますなー。勉強道具なんじゃない? ほらほら、早く出してごらんよ」

 

 なっ、なんだって。

 

 一花さんは宝物のことを知っているから間違いなく狙っている。勉強道具なら逃げられる、宝物だったらそれはそれで楽しめるということか。

 

 風太郎は五月さんと話し中だし、ここは僕だけで切り抜けるしかない。納得してもらうためとはいえ、こんな所で見せるなんて。

 

 ええい、もうなるようになれ!

 

「へえ、良いもの持ってるじゃん。勉強じゃなくて、七並べやババ抜きでもしようよ」

「わーっ、きれいなビー玉ですね!

 7個なのはラッキーセブンだからでしょうか?」

 

 一花さんと四葉さんはまだいい。

 反応が心配なのは──

 

「なっ、何で双眼鏡なんか持っているのよ!」

「メガネに辞書。やっぱり……」

 

 二乃さんと三玖さんだ。必死に事情を説明し、変なことに使わないと約束するまで納得してくれなかった。

 

「まあまあ、トーヤ君は隠さずに出してくれたんだよ。あとは……そのペンダントだね」

「宝条さん、いつも身に付けてますよね。気になっていたんですよ」

 

 うっ、まずいな。これだけは中身を隠しておきたい。

 

 単語や公式が書かれた小さなメモが入っていると思われているのか。

 どうやって切り抜ければ──

 

「見せるな、大切な秘密だろ。お前ら、その中に勉強に使う物は入ってないぞ。ウソだったら家庭教師を辞めてもいい」

「風太郎……ありがとう」

 

 話が終わったのか。風太郎は「これの礼だ」と足元の参考書を拾い、ハンカチを渡してくれた。

 

 おっと、学校に関係ない物を持ってくるなんてと五月さんに言われそうだしペンダント以外の宝物は隠しておこう。

 

「そっちはどう? 五月さんを説得できた?」

「ごめんなさい、宝条君。実力不足なのは認めますが、自分の問題は自分で解決します」

 

 きびきびとした足取りで五月さんが姉妹のところに戻っていく。余計なお世話、自分でできると二乃さんと三玖さんも考えは変わらないらしい。

 

「テストを返したり持ち物を見せたりしたのに」

「それだ、橙矢! お前ら、そこまで言うならおとといのテストの復習は当然やったよな」

 

 あれ、5人の動きが止まった。しかも無言。

 目配せをすると、風太郎は頷いて口を開いた。

 

「第1問。厳島の戦いで毛利元就が破った武将を答えよ」

 

 うわ、めっちゃ答えたい。

 

 うっかりしゃべるまいと口を手で押さえたが、解答する人は無し……いや、五月さんがゆっくり振り向いた。

 

「……っ!」

「無言……だと!?」

 

 余裕で答えますって感じだったのに。結果が無回答、涙目、ぷく顔となれば風太郎が突っ込むのも分かる。

 他の4人を見たけど誰も目を合わせてくれない。

 

「そうだ、四葉さんなら答えられるよ」

「四葉! 俺たちが教えたから分かるよな。

 姉妹に気を遣わなくていいから、言ってみろ」

 

 四葉さんはあわあわとしているけど、大丈夫だと思う。おとといだって風太郎が教えている時は本当にうれしそうにがんばっていたんだから。

 

「わ、分かりました! 弁慶ですっ!」

「……四葉、また同じ間違いをしているぞ」

 

 ダメだった。

 全身に矢を受けた弁慶になった気分だよ……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 答えられなかったから勉強を教えるとはならず、校舎に入っても5つ子と距離を置かれたままだ。風太郎もさっきからため息ばかり。

 

「橙矢、頼みがある。俺の代わりにあいつらと信頼関係を築いてくれ」

「僕だって嫌われてるよ。

 特に二乃さんとは2回も衝突しちゃったし」

 

 四葉さんは別として、他の4人には風太郎と僕が勉強を強引にさせようとする鬼か悪魔にでも見えているんだろうな。

 何で口うるさく勉強と言われなきゃいけないの、って感じかも。

 

「二乃と三玖はともかく、五月はお前を悪く思ってはいないだろ。俺が初めてあいつの部屋に行った時には……ん?」

 

 どうしたんだ、急に立ち止まって。持っているのは参考書ではなく『5つ子卒業計画』と書かれたノートだ。卒業試験の結果をまとめていたはず。

 

「橙矢、さっきの問題だけどな。三玖がおととい正解しているぞ」

「えっ、見せて……本当だ」

 

 漢字が分からなくてパニックになった問題だからよく覚えている。僕も結果や答えを5冊のノートにまとめているけど、今まで気づかなかった。

 

「変だね、さっきは無言だったよ」

「本人に聞くしかないな。お前が行くか?」

 

 この状況を変えるきっかけになるのかな。もし、そうなら補佐役として力になるチャンス到来だ。だけど……

 

「いや、風太郎が適任だよ。問題を作って出題したのも、三玖さんが正解していることに気付いたのも僕じゃないし」

「そうか……じゃあお前はどうする?」

「説得が一番難しそうな人から当たってみる」

 

 カバンから5冊のノートを取り出し、その中から1冊を見せた。ノートの色が同じなので名前と『ある物』で区別できるようにしている。

 

「何でトランプのカードが付いてるんだ?」

「目印さ。おととい、教えている時にひらめいた」

「変わったヤツだな。あいつが『スペード』かよ」

 

 そんなに意外かな。ピッタリだと思うんだけど。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「風太郎、これあげるよ。らいはちゃんにも負けない自信作だから」

 

 昼休みのチャイムが教室に響くなか、風太郎の机に包みをそっと置いた。おいおい、という感じの顔だけど腹の虫はごまかせていない。

 

「いいのか? お前の食う分が減るぞ」

「大丈夫、自分の弁当もちゃんとある」

「悪いな。だが、らいはには絶対勝てねーよ」

 

 うん、そう言うと思った。妹想いなのは相変わらずだな。

 

 風太郎は「三玖に問題の件を聞いてくる」と包みを持って教室から出ていった。食べて少しでも元気になってくれたらそれでいい。

 

 よし、僕もお腹を満たして説得を……ん?

 

(五月さんが、学食にも行かないで勉強!?)

 

 メガネをかけて厳しい表情で机に向かっているからか、まじめオーラがすごい。声をかけたそうなクラスの男子も次々とあきらめている。

 

 授業の復習かそれとも……いや、別に何でも良いか。ジャマしちゃ悪いと、そーっと自分の席に戻りカバンを開けた。

 

「あれ?」

 

 弁当が影も形もない。もしかして、渡すやつのことばかり考えていて自分の分を忘れたのか?

 

 このドジ! 腹ペコで午後の授業をどう乗り切れって言うんだ!? 食堂はもう満員だろうし、風太郎にも「自分のはある」と言ってしまった。

 

 こ、こうなったら……購買だ。今ならまだ間に合うはず。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「やった、大勝利!」

 

 全速力で向かったかいがあったよ。最後のパンを無事にゲットできた時は冗談抜きで泣きそうになった。早く教室で食べよう。

 

 でも、昼休みが残り少ない。説得は放課後か。今ごろ風太郎は三玖さんと話しているはずだ。僕だって──

 

「あっ」

「げっ、宝条」

 

 やってやると思った瞬間に、廊下で標的にばったりとは。二乃さん用のノートを持っていて良かったよ。しかし、友達と思われる女子といっしょなのは予想外だ。

 

 どうする? もしここで「勉強しろ、僕は家庭教師補佐だ」としゃべったら、絶対にややこしいことになる。

 

 何とか復習ノートだけでも渡すことができれば……そうだ!

 

「二乃さん、ちょうど良かった。

 ノートを返しに来ました」

「……は?」

 

 そうだろうね。だけど、トランプのカードを外したとはいえノートには『中野二乃』と名前が書いてある。

 さあ、どうする? ここで受け取らないのは不自然だと思うけど。

 

「ごめんねー、覚えが無いわ。そもそも、アタシそんな筆跡じゃないし」

 

 なっ、まさかのカウンター!? しかもウソっぽい笑顔のおまけ付きだ。というか、何も無かったかのように通り過ぎようとしているんだけど。

 

「ちょっと待っ──」

「次にそれを持って近づいてきたら……分かっているわよね?」

 

 耳もとでボソッと小さな声でつぶやかれた。おとといとは比べものにならないくらいの眼力と、全身が凍りつくかのような声。

 メドゥーサの目を見て石になった気分だ。

 

「ニノ、あの人って知り合い?」

「全然知らなーい。それより放課後だけど──」

 

 甘かった。二乃さんの私物という感じを出せば、渡せる可能性が上がると思ったのに。

 

 だけど、これであきらめはしないぞ。一度や二度の失敗がなんだっていうんだ。

 

(テストで何度も負けたことに比べれば……)

 

 そう言えば、風太郎はうまく三玖さんに聞けたかな。さすがに五月さんの時のような発言はしていないと思うけど。まあ、すぐに分かるだろう。

 

「あれ?」

 

 自分の教室に入ろうとした時、見覚えのあるヘアピンとはねっ毛の人物がフラフラしながら近づいてきた。何があったんだ、さっきと様子が違う。

 

「五月さん?」

「宝条君……もう限界です」

 

 ただごとじゃない。いつもと違う弱々しい感じの声だし、ショックなことでもあったのか。まさか、また風太郎とケンカ? それとも勉強のやり過ぎ?

 

「た、体調が悪いなら保健室に──」

「お腹がすいて力が出ません」

 

 えっ、と間の抜けた声が出た。

 

 五月さんによると、教室で勉強していたのは良かったが昼食を忘れていたのに気づいたらしい。あわてて食堂や購買に行ったが遅かったとか。

 

「食堂は満席で……購買は少し前に売り切れたと言われて……」

 

 終わったというような顔だ。そう言えば学食でたくさん注文していたし、確か帰りに買い食いもしてたっけ。

 

 そんな人が昼食抜きなんてことになったら……

 

「これあげます。学食でくれた天ぷらのお礼です」

「えっ?」

 

 ああ、言ってしまった。せっかくゲットできたカレーパンなのに。僕だって何も食べなかったらただでは済まないのに──でも放っておけない。

 

「ありがとうございます!

 それではお言葉に甘えて……はっ!」

 

 どうしたんだ。何でも良いから食べたいって感じで目をギラつかせていたのに、急に手を止めてしまった。

 もしかして、カレーパン嫌いなのかな。

 

「……ごめんなさい」

「ええっ、どうして」

 

 首を振って、手を引っ込めてしまった。断られた理由が分からない。

 

「あなたの厚意を悪く思っているわけではありません。でも、上杉君の補佐役となると……その……見返りを疑ってしまって」

 

 あー、そういうことか。パンをあげるから風太郎の教えを大人しく受けろと言ってくるのではと怪しんでいるんだ。考えもしなかった。

 

「本当にお礼をしたいだけなんです。それに、今は勉強をしろなんて言いません。五月さん、食事を忘れるくらい机に向かって集中していたんだから」

 

「……そもそもお礼なら、私に勉強を教えてくれたことで十分ですよ」

 

「それは『勉強を教えて』と言ってくれたことに対する当然の行為です。お礼はまだできていませんでした」

 

 だめだ、腹ペコのせいかメチャクチャな考えだ。これじゃ納得してもらえないと思った瞬間、ふふっと笑い声がした。

 

「変わった人ですね、宝条君は。

 疑ってすみません。ありがたくいただきます」

 

 カレーパンが僕の手からそっと離れていく。何かよく分からないけど、受け取ってもらえた。午後の空腹地獄が確定したけど、なぜかいやな気分じゃない。

 

「どういたしまして。じゃあ僕はこれで」

 

 お腹の鳴る音を聞かれないように、急いで教室に入った。風太郎は──席に座って何か読んでいる。二乃さんの説得に失敗したことを早く言わないと。

 

「風太郎、いま大丈夫?」

「うおっ! 何だ、橙矢か」

 

 そんなに驚かなくてもいいじゃん。よく見ると顔が赤いし口元が緩んでいる。もしかして三玖さんとうまく話ができたのかな。

 

「何ニヤついているんですか?

 気持ち悪いですよ」

 

 五月さん、直球だな。こういう所は風太郎と似ている気がする。

 

「ばっ……違う! 真顔すぎるほど真顔だ!

 橙矢も話は後にしてくれ」

「分かった。ところで、それ何だい?」

「べ、別に何でも無い!

 ほら、もうすぐ授業だぞ」

 

 訳が分からない、という感じで五月さんと顔を見合わせた。もっとも僕と違い、五月さんの関心はすぐに風太郎からカレーパンに向かっていったが。

 

 それにしても何を読んでいたんだ? まさか……




主人公は、5つ子のノートをトランプの柄で見分けています。誰がどの柄なのか予想してみてください。

・一花 ???
・二乃 スペード
・三玖 ???
・四葉 ???
・五月 ???

次回、橙矢の目が飛び出るようなことが次々に起こります。五月の食欲、そして風太郎の全力疾走……お楽しみに。


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第005話 対等な関係

「橙矢、昼休みはすまな……って、どうした?」

「何でもなーい。これはうまいココアだよぉ」

 

 やっと午後の授業が終わったよ。自販機で買った飲み物で空腹に耐えたが、頭がボーッとしている。

 

 風太郎はぎょっとしたような顔で、弁当の包みを僕の机に置いた。良かった、食べてくれたんだ。顔色も良くなっている気がするし何よりだ。

 

「悪いが、ちょっと来てくれ。

 お前に話しておきたいことがあるんだ」

 

 あー、そうだった。僕も二乃さんの説得失敗の件を伝えなきゃ。

 それにしても、なんで教室の入り口に……?

 

「実はな、三玖に呼び出された。

 屋上で俺に話があるらしい」

「じゃあ、あの時に読んでた紙って──」

 

 放課後に来てという手紙だったと風太郎が小さな声で答えた。

 教室に戻ったら机の中に入っていたらしい。

 

 へえ、三玖さんって考えが読めないけど度胸あるな。他のクラスの教室に入るのってかなり勇気がいると思うんだ。意外とやる時はやるのかも。

 

「屋上に呼び出し……ずばり『決闘』だね」

「違う。ふざけてないで聞いてくれ」

 

 いけない、確かに悪ふざけが過ぎた。

 風太郎に謝りながらピシャリと両手で顔を叩く。

 

「昼休みの話の続きじゃないの?」

「……」

 

 違うのか。問題に答えなかった理由について、詳しい話を放課後にって思ったんだけど。

 

「そんな簡単な話じゃない。三玖は……好きな人ができたかもしれないんだぞ。恋ってやつだ」

「こっ!?」

 

 あっぶなー。何とかこらえたけど、それでも変な声が出たらしい。五月さんを含めた数人がこっちを見ている。

 

 何食わぬ顔をするのが難しい。まさか、勉強一筋で恋愛なんかクソ食らえという優等生の口から『好きな人』や『恋』という言葉が出てくるとは。

 

 手紙も挑戦状ではなく──そういうことなのか。

 ちょっと待って、それだと話が違ってくる。

 

「……恋は学業からかけ離れた最もおろかな行為って何度も言ってたのに」

「その通りだ! 俺は行かない。

 手紙もどうせイタズラに決まっている」

 

 笑い者になって恥をかくだけだ、と頭を振りながら教室を出ようとしている。

 予想通りの反応だな。高校生の本分は勉強という点では気が合う。

 

 でも本当にイタズラか? もし本気の呼び出しだったら、行かないのは最悪だ。風太郎だってそのことは分かっているはず。

 

 もしかして……迷っているのかな。

 

「風太郎、隠さなくてもいいよ。

 本当は興味あるんじゃない?」

「そんな訳ないだろ。いったい何を根拠に」

「だって、昼休みの時は嫌そうじゃなかったよ」

 

 ニヤついていて気持ち悪い、と五月さんは直球に言っていたけどな。今になって思えば、恋愛より勉強という顔には見えなかった。

 

「バカ言うな、お前に会う前は友情すら不要と思っていた俺だぞ。話は終わりだ。ついて来るなよ」

「えっ……うん、分かった。また明日」

 

 これは行かないと見せかけて屋上に行く気だ。答えを言っているようなものじゃん。

 

 とにかく、三玖さんが「どうして来てくれなかったの、フータロー」と怒る展開になることは無さそうだ。安心した瞬間、ぐぐぅと情けない音がした。

 

「ああ……お腹すいた。もう限界」

「少しよろしいでしょうか、宝条君」

 

 こ、この大人びた話し方の声は……まさか。

 

 振り返ると予想通りの人が腕組みをしながら立っていた。空腹と驚きで足が動かない。

 

「い、五月さん。もしかして、聞こえました?」

「もちろんです。隠しても無駄ですよ」

 

 まずい、小声で話していたのに。怒っているのは、ほっぺたをふくらませているから分かる。風太郎と三玖さんの件を聞かれたんだ……終わった。

 

 言い訳無用という勢いで近づいてきた。ここまでくると、ピンとしたはねっ毛が切れ味鋭い鎌に見えるくらい怖い。

 

「どうして言ってくれなかったのですか」

「な、何のこと?」

「カレーパンのことです!

 宝条君の大事な昼食だったのでしょう!?」

 

 いや、そっちかーい。

 

 とはいえ五月さんにとっては大まじめな話らしく、風船のように顔が赤くふくらんでいる。確かに言わなかったけど、そんな顔をされても。

 

「お、落ち着いて。あの時は僕より五月さんが食べなきゃ危ないと思ったから」

「……今はあなたのほうが限界なのでは?」

 

 うっ、と答えに詰まった。風太郎とのないしょ話は聞かれていなかったが、腹ペコの弱音は違っていたらしい。

 ここまで言ってくるんだ。もう強がっている場合じゃない。

 

「降参です。飲み物で何とかなると思ったけど……無理でした」

 

 やはりそうでしたか、とうつむく姿に胸がズキンと痛む。しまったな、半分こにすれば良かったか。この沈黙はまずい、と思った瞬間に五月さんが顔を上げた。

 

「いえ、私のほうこそパンを受け取った時に気付くべきでしたね。問い詰めて不快な気持ちにさせてしまい、申し訳ありません」

 

 驚いたけど嫌な気分にはなってない、これでお互いに貸し借りゼロと伝えると少し表情が和らいだ気がした。

 

「じゃあ、そろそろ帰ります。また明日」

「待ってください。

 もし迷惑でなければ……その……」

 

 どうしたんだろ。

 急に視線を反らしてモジモジとしている。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「ハフハフ……生き返ります~」

「す、すごい。あんなにあった肉まんが──」

 

 まさか買い食いで目玉が飛び出るほど驚く日が来るとは。

 

 1個や2個どころじゃない。いくら何でも完食は不可能だと思っていたけど、五月さんの食欲をなめていた。

 

 この見事な食べっぷりを見ると、空腹感が無くなるから不思議だ。食べ歩きって楽しいな。

 

「ありがとうございます、宝条君。

 急なお願いにも関わらず快諾してくださって」

「どういたしまして。

 僕もコンビニに用があったから」

 

 それに、買い食いには興味があったんだ。もっとも風太郎は手痛い出費なんか嫌だと考えているから表には出せなかったけど。

 

「そうですか、てっきり彼と帰るのではと思っていたのですが」

「えっと……風太郎は用事があるみたいです。家庭教師の打ち合わせをする予定だったんだけど」

 

 今ごろ、学校の屋上で三玖さんと向かい合っているはずだ。隠し事をするのは心苦しいけど、話したらあの2人に迷惑をかけてしまう。

 

「やはり彼もあなたも諦めてはいないのですね」

 

 聞きたくない言葉が出たのか、肉まんを味わっていた五月さんの笑顔が消えた。

 パンの一件では勉強してと言わなかったが、ずっとそういう訳にはいかない。

 

「もちろん。今日は二乃さんに復習ノートを渡そうとしたけど……失敗しました」

「に、二乃にですか!? 薬の件があるのに、どうしてそんな無謀なことを?」

「風太郎と僕の熱意が届かないから」

 

 確かに、親友が眠り薬を飲まされたことは気に入らない。風太郎の制止や四葉さんの言葉が無ければ、確実に二乃さんに手荒なことをしていた。

 

 しかし、今は信頼関係を築くことが最優先だ。僕が怒っても状況が悪くなる。

 

「宝条君……そこまで必死に教えようとするのはなぜですか?」

 

 真剣そうな目で五月さんが横から見つめてきた。

 恩人や自分のためというのもあるけど──

 

「勉強で5人の力になりたいからです。僕も1年前はひどい点数だったから、放ってはおけなくて」

 

 今はまだ補佐役だし、風太郎のような頭脳も自信を持てる実績も無い。5つ子にとっても力になるどころか、ほとんどジャマ者扱いされている。

 

 だからこそ熱意だけは無くさない。遊びでやっているわけじゃないんだ。

 

「そもそも、僕がやる気になったきっかけは五月さんですよ」

「わ……私!? ど、どういうことでしょう?」

 

 そんなに目を回さなくても。初めて会った時の言葉は忘れていない。

 

「風太郎と僕に『勉強を教えて』と言ってくれたじゃないですか」

「あれは気の迷いで……でも宝条君を悪く思っている訳では……うう……」

 

 今度はしどろもどろになっている。難しく考えているのか今にもオーバーヒートしそうだ。頭から湯気が出てきてもおかしくない。

 

 よし、こうなったら奥の手を使おう。風太郎が聞いたら何て言うかな。

 

「教わることに抵抗があるのは分かります。だったら、卒業試験で僕も五月さんも解けなかった問題をいっしょに勉強しませんか?」

「しかし、宝条君は80点だったはずです。5問しか間違っていませんよ」

 

 その5問こそが大きな意味を持っている。午前中に見直しをして初めて気づいたんだ。

 

「そのうちの1問は……五月さんだけが正解していました」

「えっ?」

 

 卒業試験の答案を取り出すと、半信半疑の様子ではあったが同じように自分のかばんから答案を出してくれた。

 やっぱり持っていてくれた、と安心しながらその問題をトントンと指さした。

 

「この問題は五月さんに教えを受けたいです。残りの4問も、不正解だった僕が上から目線で教えることはできません」

「私が……教える……」

 

 正解の丸印がついた問題を五月さんはじっと眺めている。補佐役としては情けないことに僕の答案はバツ印だが、今は恥をかいたっていい。

 

「そうです。上下関係の勉強が嫌なら、最初は対等でいきましょう。でも、僕だってすぐにうまく教えられるようになってみせます」

 

「……言いましたね?」

 

 あれ、何か雰囲気が変わったぞ。声が力強くなったような。

 

「分かりました。対等な関係からと言うのであれば話を聞きたいです。お互いを高めあうことができるなら──少し考えを改めてみましょう」

「ありがとう! 五月さん」

 

 良かったと胸に手を当てるとペンダントの感触が伝わってきた。

 

 そう、何としても一人前の人間にならなければいけないんだ。家族について知るためにも、そして『あの人』にもう一度会って成長した自分を見せるためにも。

 

「宝条君、どうしたのですか?」

「いえ、何でも。それより善は急げです。近くに図書館があるので行きませんか?」

「構いませんが……あ、あくまで同級生としてですよ。いいですね!?」

 

 うーん、家庭教師として認められるまでの道のりは険しいな。

 ぷいっと顔を背けて最後の肉まんを口に運ぶ五月さんを見て思った。ゴールはまだまだ先だと。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「へえ~、対等な関係かあ。それで、五月ちゃんとはどこまで進展したの?」

「そんなニヤニヤされても……卒業試験の見直しをしただけなんだけど」

 

 どうして、からかい上手の自称お姉さんと夕日が当たる教室のベランダで並んで話しているのか。

 ちなみに風太郎は、リベンジだと叫びながらどこかに行ってしまい不在だ。

 

 五月さんと勉強した翌日、学校で見たのは……日本史関連の本を手当たり次第に読んでいる風太郎の姿だった。図書室でかなりの本を借りたらしい。

 

 三玖さんにフラレて、やけ食いならぬ()()()()でもしているのかと最初は思った。

 

『ふ、風太郎? 三玖さんとの話は?』

『許さねえ。絶対に答えを見つけ出してやる』

 

 休み時間や昼食時もこんな感じだったから、会話どころじゃなかったよ。

 

 あんなに悔しがる姿は見たことが無い。決めつけはできないが、心当たりはある。三玖さんに打ち負かされたのではないか──日本史の問題で。

 

 風太郎にとって勉強は自信と努力の証。だからこそ必死だったんだ。

 

 あの様子ではリベンジするまで他の4人に声をかけるとは思えない。だから、まだノータッチだった一花さんの説得を放課後にしたわけだ。しかし……

 

「えーっ、2人っきりで勉強しただけ!? もったいないなー。フータロー君に差をつける絶好のチャンスだったのに」

 

 この言われようである。完全に話の主導権をにぎられた。

 

 別にどちらが先に五月さんの信頼を得るか勝負しているわけじゃないのになあ。もっと積極的にならないとね、って勉強以外に何をがんばれと。

 

 だいたい、一花さんのクラスに突入して連れ出すだけでも大変だった。輝きが半端ない男子生徒といっしょだったからなおさら勇気が必要だったよ。

 

「よーし、それならやる気を見せますよ。一花さん用の復習ノートです」

「勉強で見せられてもねー……ん? あれってフータロー君じゃない?」

 

 その手には乗らないよ。僕が校庭を見た時を狙って逃げる気だ。もう2回も逃げた前科があるから、だまされるわけにはいかない。

 

 なかなか視線を外さなかったせいか、一花さんがぷく顔になった。

 

「もうっ、本当だって。

 トーヤ君もあれくらい大胆にいかなきゃ」

「大胆っていったい……えっ!?」

 

 一花さんの細く白い指が差すほうを見下ろした瞬間、目を疑った。見覚えのある背の高い男子生徒がゆっくり走っている。その少し先にいるのは──

 

「ふ、風太郎が三玖さんと鬼ごっこ?」

 

 そんなバカな。運動が苦手な優等生が、体力勝負でリベンジするわけがない。まさか再戦を断られて実力行使に出たとでも?

 

 いや、風太郎が僕の考えも及ばない言動をするのは今に始まったことじゃない。五月さんへの発言が良い例だ。

 隣の自称お姉さんみたいに「青春だねえ」とおもしろがっている場合じゃないな。

 

「一花さん、すみません! 様子を見てきます!」

「えっ、待って! このノートは──」

 

 風太郎、早まってはダメだ。

 頼む、間に合ってくれ!




 果たして、五月が食べた肉まんの数は何個だったのか……原作では昼食をしっかり摂った日の帰り道でも「まだ2個目」と言っていましたが。

 そして、橙矢が成長した姿を見せたいと思う『あの人』とは?

 次回は風太郎による三玖の説得ですが、橙矢が赤面する事態になります。どうなるかお楽しみに。


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第006話 自信を持て! 奇跡のテスト結果

 校舎を飛び出して、風太郎と三玖さんを見つけた時はパニックになりかけた。何しろ、芝生(しばふ)に並んで倒れていて息も絶え絶えだったからだ。

 

(ま、まさか──)

 

 目の前がぐらっとしたが、何とかこらえた。

 

 落ち着け、今はこの汗だくの2人を何とかしないと。9月の夕方とはいえ、まだまだ暑い。

 

「と、橙矢……抹茶ソーダと麦茶……頼む」

「分かった。少し待って」

 

 抹茶ソーダって何だ、と聞きたいが自販機に急ぐのが先だ。中身がさびしくなった財布と飲み物を持って、ダッシュで2人の所に向かう。

 

「風太郎、これでいい?」

「すまん。三玖には俺が渡すから両方くれないか」

「いいけど、何かあったら今度は僕が止めるよ」

 

 もっとも、追われた当人が逃げずにベンチに座っているから少し安心。怖がっている感じじゃないし……あれ? いつの間にタイツを脱いだんだ?

 

 何か急に暑くなったような……いやいや、何考えているんだ。注目するところはそこじゃない。

 

 三玖さんに近づく風太郎を見守っていたが、キンキンに冷えた抹茶ソーダの缶をほっぺたに当てて驚かせている。なんだ、僕の早とちりだったのか。

 

「すまん、三玖。だが安心してくれ。

 俺や橙矢の鼻水なんて入ってないぞ」

 

 ちょ、いきなり何を言い出すんだ。抹茶ソーダに鼻水なんてきたな……ん?

 

 抹茶──鼻水──そして、にやりと笑う風太郎。

 なるほど、日本史の本で探していたのはそれか。

 

「全く、苦労したぜ。石田三成が大谷吉継の鼻水の入った茶を飲んだエピソードから取ったんだろ?」

「フ、フータロー!」

 

 得意そうに話す風太郎に、三玖さんがあわてた様子で声をかけた。なぜか、僕のほうに視線を向けてきている。聞かれたくないかのように。

 

「心配するな、橙矢は大丈夫だ。お前を笑ったり否定したりなんか絶対にしない」

「だけど……」

「根拠はある。橙矢、この逸話を知っていたな?」

 

 えっ、何で分かったんだ!? 日本史が得意ということしか言った覚えはないのに。

 

「やっぱりな。鼻水と言った時の顔でバレバレだ。最初は驚いていたが、隠す気ゼロの笑顔だったぞ」

「トーヤ、そうなの?」

 

 目を見開いた三玖さんの食いつきぶりに戸惑いながらも、こくりと頷いた。やっぱり日本史が得意だったのか。

 

「だけど、答えを見つけたのは風太郎です。図書室に行けば分かるから」

「ふーん……ちゃんと調べたんだ」

「まあ、最後は四葉に携帯で確認してもらったが。いやー、いんたーねっとってやつはすごいな」

 

 あれ、そんな方法で調べるなんて意外だな。でも大丈夫か? 頼ったことがマイナスに見られないといいけど。

 

「四葉に私が武将好きなことを話したの?」

「いいや。だが姉妹にも隠すことないだろ。誇るべき特技だと思うが」

 

 同感だ。もし四葉に言ったなら絶対に許さないというような表情になるなんて、よっぽど知られたくないのか。

 

「姉妹だからこそ言えないよ。5人の中で私が最も落ちこぼれだから」

「そんな自信が無いようなこと言うなよ。卒業試験だって三玖が最高得点だったじゃないか」

 

 お前も何か言ってやれ、という目で風太郎が見てきた。えっ、えっと……じゃあえんりょなく。

 

「学年トップが知らない逸話を三玖さんは知っていた。そしてリベンジに燃えさせた。自信を持っていいことだらけです」

 

 思わず言ってしまったのが運の尽き。ハッと気づいた時には風太郎が(こぶし)で頭をグリグリしてきた。やめろー! 事実じゃん!

 

「橙矢、お前だって『陶晴賢(すえはるかた)』を漢字で書けなかったから三玖に負けてるぞ!」

「なっ……そ、そうだよ。ひらがなでごまかしましたけど何か?」

「笑われてたんだが。5つ子の誰かに」

 

 自分でも顔がカーッと熱くなったのが分かった。やんのか補佐役、上等だ家庭教師という感じの雰囲気だったけど三玖さんが静かに口を開いた。

 

「優しいね、フータローもトーヤも。でも何となく分かるんだよ。私なんかにできる事なら、他の4人もできるに決まってる……5つ子だもん」

 

 初めて三玖さんの笑顔を見た。だけど、違う。うまく言えないが無理していることは分かる。

 

 五月さんを説得した時に使った奥の手の出番か。でも余計な口出しはできないと(くちびる)をかんだ瞬間、風太郎のほうから耳打ちしてきた。

 

「橙矢、一時休戦だ。

 お前の卒業試験の答案があったら貸してくれ」

「待ってたよ、その言葉」

 

 渡した答案を、風太郎は素早く手に取ってじっと見ている。数秒後、なるほどなと笑みを浮かべた。

 

「ほめてくれたのは嬉しい。

 だけど、2人とも私に教えるのは諦めて」

「三玖、それはできない」

「僕も同じく」

 

 ギブアップなんてしない。ここであっさり引き下がるなら、風太郎は必死に調べたり追いかけたりしていないはず。

 卒業試験の点数を知った時の弱気な顔じゃない。

 

「俺たちはお前ら5人の家庭教師だ。何と言われようが勉強させる。全員笑顔で卒業してもらうぞ」

 

「勝手だね。でも、この前のテストの点数を見たでしょ。5人合わせて100点だよ。合格点どころかトーヤの半分にも届いてなかった」

 

 これには風太郎も「確かに」と頭をかきながら認めた。

 

 僕は1年前の自分を思い出して落ち着いていられたけど、いつも満点をキープしている優等生にはかなり衝撃だったはずだ。

 今だって5人とも問題児だの、教えるのは無理と思っただのと本音をぶちまけている。

 

「だがな、三玖のおかげで自信がついたぜ。5つ子だからお前にできることが他の4人にできる──なら逆も言える」

 

 いいぞ、感情だけではなく理論で説得するつもりなんだな。

 

「つまり、他の4人にできることは三玖にもできるということだ」

「そ、それは……でもそう考えたことなんて……」

「これを見てくれ。卒業試験の結果だ。何か気づかないか?」

 

 三玖さんに目線を合わせるためにしゃがんだ風太郎の後ろから、テスト結果が書かれたメモ用紙をのぞきこんだ。

 

 バツ印ではなく、正解の丸印を見てみると……

 

「あっ、正解した問題が1問も被ってない」

 

 なるほど、風太郎の口からではなく本人に気付かせるとは。僕だったら、正解した問題が被っていなかったと自分で言ってしまう。

 これが勉強を教える自信と覚悟を持った人の姿ってやつなのか。

 

「そう、確かに今はまだ平均20点の問題児だ」

「……うん」

「だが俺はここに可能性を見た。1人ができることは全員できる。一花も二乃も四葉も五月も──そして、三玖も。全員が100点の潜在能力を持っていると信じているんだ」

 

 すごいな、本当に不思議だよ。うまく言えないけど、つい引き込まれてしまう。

 

「それに三玖、橙矢の半分にも届かない点数だと言ったな。だが完全に負けているわけじゃない」

 

 ここで僕の答案の出番か、と風太郎を見るとニヤッと笑顔を返された。

 くやしい気持ちはあるけど、三玖さんを元気づけられるならいいか。

 

「どういうこと、フータロー?」

「橙矢が間違っていた問題は5問。それをお前ら5人が1問ずつ正解していたぞ」

 

 風太郎は5つ子のテスト結果が書かれた紙に『橙矢』と新しい項目を書き込んだ。さっき受け取った答案を参考に、僕が不正解だった5問にバツ印をつけていく。

 

「ほ、本当……」

「たった1問だけと思うかもしれないが、大きな1問だぞ。お前は橙矢に勝っている所がある。そして点数だって伸ばせるんだ」

 

 分かってもらえたか、と風太郎が期待するような様子で三玖さんを見ていたが──

 

「こじつけだね。夢物語すぎるよ」

 

 ばっさり言われた。そっぽを向いているのでどんな顔をしているのか分からない。無言で抹茶ソーダを口にしている。

 

「本当に……5つ子を過信しすぎ」

 

 小さな声だったけど、確かにそう聞こえた。

 

 別にいいだろ、と少し顔を赤くしながら風太郎は麦茶を飲み始める。鬼ごっこだけではなく話し続けたせいか、のどの渇きも限界だったらしい。

 

 僕は何とか説得が成功するよう祈るしかなかった。三玖さんが飲み終わって立ち上がるまで、どれだけドキドキしていたことか。

 

「フータロー、少し考えさせて」

「そうか、待ってるからな」

「うん……トーヤ、飲み物ありがとう」

「どういたしまして」

 

 ゆっくりと歩く三玖さんの姿が小さくなると、ふーっと息を吐きながら風太郎がベンチに腰を下ろした。お疲れ、と声をかけると「ああ」と一言。

 

「後は三玖がどう考えるかだな」

「5つ子理論はグッときたよ。必死に逸話を調べて、全力で追いかけたんだ。いけるって」

 

 もっとも2人が走っているのを見て、良からぬ想像で早とちりしたヤツがここにいるけどね。

 誤解してしまったと伝えて頭を下げると、おいおいと突っ込まれた。

 

「武将しりとりで勝負していたんだ。逃げた三玖を追っていたら……って、お前見てたのか?」

 

 ベランダで一花さんと見ていたと正直に話すと、風太郎が頭を抱えた。

 からかわれると思っているのだろう。気の毒に、と思った瞬間──

 

「いたいた! トーヤ君、お姉さんを置いていくなんてひどいなー」

「上杉さん、三玖はどこです? 説得はうまくいきましたか?」

 

 バタバタと足音がして、一花さんと四葉さんが駆け寄ってきた。

 

 風太郎は麦茶を飲んで四葉さんの質問攻めをごまかし、僕は意地でも一花さんを見ないようにしていた。だって「暑いー」と胸元を開いた制服姿で手をパタパタさせていたから。

 

(三玖さんの悩みは黙っておこうよ) 

 

 視線だけで伝わるか心配だったけど、風太郎はうなずいてくれた。

 

 もっとも、話そうとしない僕たちに2人は納得がいかなかったらしい。この場を離れようと思ったのか走り出した風太郎を四葉さんが超スピードで追いかけていった。

 

「四葉さん、はっや……じゃあ僕も失礼します」

「逃がさないよ、トーヤ君」

 

 こそこそと逃げようとしたが、むんずと腕をつかまれた。あれ、前にもこんなことがあったような気がする。

 

「いろいろ聞きたいんだよねー。

 ちょっと付き合ってくれるかな」

「いいですよ。でも三玖さんに聞いたほうがいいことは答えられません」

「えーっ、ケチ!」

 

 僕の口から言うのは荷が重いんだよ。

 

 まさか、三玖さんの姉妹にも言えない悩みを聞くことになるとは思っていなかったから。一花さんが妹を心配しているのは分かるけど。

 

「教えてくれないなら、復習ノートとこの『カード』を捨てちゃうぞー」

「なっ、そこまでやるんですか!?」

 

 何というしたたかさなんだ。この小悪魔的な笑み……まさに『ジョーカー』だな!

 

 こうなったら、話してもいい内容を慎重に考えよう。三玖さんの悩みは何としてもしゃべるものか。

 もし話した時には、切腹だ。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「はあ……結局、今日は来なかったか」

 

 翌日、他にだれもいない放課後の教室で風太郎がため息をついていた。

 

 やっぱり三玖さんがいつ来るか気にしていたようだ。しかし、来るどころか教室や食堂で会うことすらできなかったらしい。

 

「大丈夫、まだ断られたと決まった訳じゃないさ」

「別に諦めたわけじゃない。

 ダメだったら次の手を考えるだけだ」

 

 勉強道具をかばんに入れて、風太郎は教室から出て行こうとしている。昨日、追いかけてきた四葉さんに「宿題を見てやる」と言ったらしい。

 

「橙矢」

「どうしたの?」

「……いや、五月の説得はよくやった。任せたぞ」

 

 うん、と答えたけど風太郎の姿が消えたとたん不安になってきた。

 三玖さんが来なかったことで、指導が荒っぽくなりはしないか。

 

(暗く考えるな。風太郎と三玖さんを信じろ)

 

 とにかく、五月さんとの勉強に集中しよう。転入してきたばかりなのに、授業で分からない所は先生にすぐ聞きに行くくらい熱心なのだ。負けてはいられない。

 

「宝条君、お待たせしました。遅くなって申し訳ありません」

「いえ、大丈夫です。じゃあ始めましょうか」

 

 ほっぺたを叩いて気合を入れる。前回は卒業試験で僕が間違えた1問と、2人とも間違えた4問を中心に復習した。

 今日はいよいよ残りの問題の見直しだ。

 

「採点をお願いしてもよろしいですか? 私なりに復習して解き直したので」

「うん、任せてください。どれどれ──」

 

 陶晴賢……文選……排他的経済水域……うん、正解だ。五月さんの心配そうな視線を隣の席から感じながらも赤ペンで丸をつける。

 この調子なら風太郎に「ちゃんと復習した」と堂々と言えるぞ。

 

「前半は言うことありません」

「あ、ありがとうございます! でも途中から時間が足りなくなって……全て答えを書くのにかなりかかってしまいました」

 

 そうだったんだ。あるある、1問でも答えに詰まるとじっと考えこんでしまう。

 

「五月さんのことだから、何か対策を考えているんじゃないですか?」

「ええ、次は時間を決めて解ける問題から答えていこうかと」

「良い答えです。じゃあ見直しだけど、惜しかった問題から──」

 

 突然、ピロリンと音がしたので2人そろってビクッとした。何の音だと一瞬思ったけど、よく考えると携帯のメール着信音じゃん。

 

「宝条君、携帯に出なくても良いのですか?」

「気になるけど今は五月さんが作ってくれた勉強時間です。1分1秒たりとも無駄にはできません」

 

 少しの間ぽかんとしていた五月さんだったが、口元に手を当てて笑い出した。

 

「でも重要な連絡かもしれません。確認したほうが安心ですよ」

「そうですか……じゃあお言葉に甘えて」

 

 席を立って歩きながらメールを確認する。送ってきたのは、やはり風太郎か。

 急に心臓が高鳴ってきた。もしかして──

 

『橙矢、喜べ! 三玖が図書室に来てくれたぞ! お前に伝言だ。武将の知識では負けない、よろしく……だとさ』

 

 読み返すたびに、じわじわと嬉しさがこみあげてきた。やったな、風太郎。そして……ありがとう、三玖さん。

 

「やったーっ!」

「ほ、宝条君!?」

 

 風太郎が説得に成功したことがここまで嬉しいなんて。正直、バンザイやガッツポーズだけじゃ足りないよ。

 

「急にどうしたのですか?

 驚かさないでください」

「あっ……ごめんなさい。つい」

 

 いけない、今は五月さんと勉強中だったんだ。喜びを爆発させるのは後で風太郎と会った時に思う存分やればいい。

 

「失礼。では惜しかった問題からいきましょうか」

「はい、お願いします」

「例えば、世界の四大文明についてだけど他に考えた答えは──」

 

 風太郎が三玖さん自身に考えさせたように、何でもかんでもすぐに答えを言うのはやめよう。教える自信と覚悟を少しでも早く身に付けるんだ。

 

 真剣そうな顔で勉強に取り組む五月さんを見ながら、強く心に決めたのだった。




 前々回に続いて、今回は一花の復習ノートのカード柄が判明しました。次に明らかになるのは果たして誰なのか……

・一花 ジョーカー
・二乃 スペード
・三玖 ???
・四葉 ???
・五月 ???

 次回は、究極の5つの選択肢が姉妹の誰かを襲います。風太郎と橙矢は悩み相談にどのように乗るのか、お楽しみに。


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第007話 陰キャコンビと美少女の悩み

「アンタと上杉……一花と三玖に何したのよ?」

 

 風太郎が三玖さんの信頼を得た日の翌日、僕は再び二乃さんと学校の廊下で向かい合っていた。

 今度こそ復習ノートを渡すと燃えていたが、何かこの前と雰囲気が違う?

 

「勉強するよう説得しただけです」

「……ごめん、先に食堂に行ってて。ちょっと用事ができたから」

 

 いっしょにいた女子生徒たちがいなくなると、笑顔がギロリとにらむ顔に変わった。

 前回のようにびびりはしないぞ。

 

「とぼける気? 一花を教室から連れ去ったってうわさになってるんだけど」

「それは認めます。だけど話を聞いて──」

「まだあるわよ。上杉が三玖を追いかけまわしていたそうじゃない」

 

 ガリ勉陰キャが転入生の美少女をストーカーしていた、とクラスの友達から聞いたらしい。

 

 そう言われても、家庭教師と補佐役としてやるべきことをしないといけないんだ。

 風太郎と僕が動かないと何も変わりはしない。

 

「他の生徒の前で家庭教師の件は言えません。風太郎も三玖さんと向かい合おうと必死に──」

   

「フン、何と言われようとだまされないから。

 全員を説得できるなんて思わないことね」

 

 一花と三玖から「乱暴なことをされた」と聞いたら、タダじゃおかないと言い残して二乃さんは去っていった。

 ひどいうわさだ。といっても、悪い意味で話題になったのは今回が初めてじゃない。

 

「二乃との話は終わったの?」

「うわっ!?」

 

 ノートに目印のトランプを付け直している時に、この不意打ちだ。

 歴史好きと分かった今、背後にいた人物が忍者に見えてくる。

 

「み、三玖さん。ええ、たった今」

「そう……フータローから昨日のことは聞いた?」

 

 ばっちり聞いている。五月さんと勉強している時に届いたメールで伝言を受け取ったし、今朝だって詳しい話を教えてもらったから。

 

「トーヤがフータローを信じる理由が少し分かった気がする……おとといはありがとう」

 

 この笑顔は本物だ。さらに言うと反則級だ。

 

「うん、風太郎だってきっと──」

 

 感謝している、と言おうとした瞬間に数日前にも聞いた音が廊下に鳴り響いた。昼食を抜かして午後の授業でいやというほど耳にしたあの音だ。

 

 もう少し待っていて欲しかったと震える手でお腹をさする。

 

「……っ! ごめん。

 反応が何だか五月みたいだったから」

「わ、笑っていいです。

 ちゃんと朝食はとったのに」

 

 笑ってごまかしたが、心の中ではジタバタしていた。礼を言ってくれた人の前でお腹を鳴らすとは。

 

 三玖さんはクールな顔で「フータローはいっしょじゃないの?」と聞いてきたが、少し震えている。笑いをこらえているのは明らかだ。

 

「先に食堂に行きました。今から向かおうかと」

「私もいっしょに行っていい?」

 

 もちろんと答えると、嬉しそうに両手をにぎってガッツポーズをしていた。

 

 つい数日前までは勉強は嫌い、助けはいらないと言ってたのに……何がきっかけで変わるか分からないな。やっぱりすごいよ、風太郎は。

 

 食堂でいつもの定食を受け取ると、先に注文を終えた三玖さんが駆け寄ってきた。見覚えのある缶ジュースを持っている。

 

「この前のお礼と友好の証。

 きっとトーヤも気に入ると思う」

「ありがとうございます!」

 

 これ、気になっていたんだよ。どんな味なのかわくわくしてきた。

 

 もっとも、ご飯とみそ汁に抹茶ソーダという組み合わせを見て、席にいた風太郎と四葉さんが無表情になったのは数分後のことだった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「上杉さん、宝条さん……私には選べませんっ!」

「ダメだ。さっさと決めてくれ」

 

 うさ耳リボンを揺らしながら、ぶんぶんと首を横に振る四葉さん。

 

 食べ終わった風太郎はため息をつき、三玖さんはサンドイッチをはむはむと口にしながら様子をじっと見ている。

 それにしても困ったな。家庭教師以外で真剣に考えないといけない問題が出てくるとは。

 

「四葉、どうして悩むんだ?

 好きなヤツを選べばいいだろ」

「無理無理! どうして体育が無いんですか?」

 

 そう、来月から始まる後期の選択授業のことだ。2学期の初日に希望シートが配られ、風太郎と僕はもう提出済み。ところが、四葉さんはまだらしい。

 

「スポーツが好きなんですか?」

「よくぞ聞いてくれました!

 体力なら自信がありますよ、宝条さん」

「道理で逃げた俺に一瞬で追いついた訳だ。

 だが体育は必修科目だから諦めろ」

 

 えっへんと得意そうだった四葉さんが、「むー」と口元をふくらませた。

 

 確かに悩むよな。これだという科目があるならともかく、興味が無いものばかりでは選ぶ気持ちにもなれない。

 でも、希望シートの提出期限が迫っている。

 

「美術、音楽、書道、工芸──そして情報。

 四葉さん、この5科目から選ぶしかないかと」

「むむっ……やっぱりそうですよね」

「四葉、自分で考えてくれ。俺たちがどうこう言うことじゃない。三玖は決めたのか?」

 

 急に話しかけられたからか、三玖さんがビクッとして食べかけのサンドイッチをトレイに置く。

 

「わ、私は大丈夫」

「なら安心だな。他の3人はどんな様子だった?」

「一花はすぐに選んだし、二乃も友達と話して決めたって言ってた。五月は難しい顔で考えていたけど、もう記入しているはず」

 

 じゃあ、まだ決まっていないのはお前だけかと風太郎が四葉さんをジロリと見た。

 大丈夫かな、早く決めないと頭のリボンを取っちまうぞという感じだ。

 

「上杉さんと宝条さんはどれにしたんですか?」

「僕は──」

「やめろ、橙矢。四葉にとって必要な科目を選ぶノイズになりかねないぞ」

 

 厳しいけど一理ある。去年だって風太郎と同じ科目にしたいと言ったら、そんな理由で選ぶなと注意されたっけ。

 どの科目にしたのかを教えてもらったことは一度もない。もちろん今回もだ。

 

「じゃあ上杉さんは──」

「悪いが俺も教えられない。じゃあな」

 

 いけない。このまま立ち去ってしまうのは、いくら何でもあんまりだ。

 

 アドバイスが「自分で考えろ」という言葉だけというのも……それに三玖さんもおそらく話があるはず。風太郎の居場所を気にしたり、ちらちらと見ていたりしていたから。

 

 少し待っててと三玖さんと四葉さんに声を掛け、後を追いかけた。

 

「風太郎、お願いがあるんだけど」

「言っておくが、俺が選んだ科目は教えないぞ」

 

 だったら、科目を選んだ動機や決め手になった点だけでも教えてあげてとひそひそ声で話した。

 体験談なら話しやすいだろうし、あの2人も興味を持つはずだ。

 

「待て、アドバイスならお前だってやれるだろ」

「ごめん。これから職員室に用事があるんだ。

 それに2人は風太郎から話を聞きたいはずだよ」

 

 埋め合わせはするから、と手を合わせた。

 

 しぶしぶといった様子の家庭教師の背中を押して席に戻る。

 風太郎が話をすると分かると、三玖さんと四葉さんの顔がパッと明るくなった。思った通り。

 

「じゃあ、用事があるから僕はこれで。

 三玖さん、抹茶ソーダの感想はまた今度」

「うん……約束」

「宝条さん、ありがとうございました!」

 

 風太郎のアドバイスや2人の反応の声がだんだん小さくなる。食堂を出て、廊下の壁にもたれかかるとホッと一息ついた。

 

(これでいい。風太郎の良さをどんどん分かってもらえるなら)

 

 残る一花さん、二乃さん、そして五月さんに授業をどう受けさせようか。ぼんやりと考えながら、抹茶ソーダの缶を開ける。

 

「うっ……な、慣れればおいしいかも」

 

 苦いのか甘いのかよく分からない、つかみどころが無い味だな。おもしろい飲み物を教えてもらったと頷きながら、職員室に急いだ。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「宝条さん、いま時間ありますか?

 相談したいことがあるんです」

 

 放課後に教室を出た瞬間、待ってましたというように四葉さんが駆け寄ってきた。

 一花さんもそうだが、距離感が近い。お嬢様学校に通っていたとは感じさせない人懐っこさだ。

 

「うん、大丈夫。借りを返させてください」

 

 尾行を許してくれたことだけじゃない。風太郎の授業を最初から快く受けたり、ネットで武将の逸話を調べてくれたりと礼を言いたいことばかりだ。

 

「よく分かりませんが、お役に立てていたんですね。えへへ……じゃあ、図書室に行きましょう」

 

 軽やかな足どりで四葉さんは廊下を通っていく。

 

 いったい何の相談だろう。風太郎は他のバイトがあるし、五月さんと勉強をする日でもない。だから都合が悪いわけじゃない。

 

 問題は内容だ。勉強ならともかく、『れ』から始まる相談だったらまずい。

 

「どうしたんですか、宝条さん。

 具合が悪いなら言ってください」

「いや、9月も半ばなのにまだ暑いなーって」

「分かります!

 私も部活動の見学で汗かいちゃいました」

 

 あの足の速さを見れば、運動部は放っておかないだろう。体育では確実に風太郎や僕よりも上の成績だとはっきり分かる。

 筋トレだけじゃなく、早朝のランニングを始めてみようかな。

 

「宝条さん、あの本棚の近くの席でいいですか?」

「ええ、日が当たっていないから助かります」

 

 じゃあ決まりですね、と四葉さんは図書室のドアを開けて一直線に向かっていく。素早いなあと驚きながら後に続いた。

 

 思ったより人がいない。大声さえ出さなければ聞かれることは無いだろう。

 

「よいしょっと……実はですね、相談というのは昼休みに話した選択科目の件なんです」

「と、いいますと?」

 

 良かった、『恋愛相談』だったら汗だくになっていた。だけど、これはこれで疑問が頭の中で花火のように次から次へと弾けている。

 風太郎のアドバイスを受けても、消えていない悩みがあるのかな。

 

「午後の休み時間に相談されちゃったんですよ。どうしても選ぶ科目を1つに絞れない、ってその人は言ってて」

 

 あー、なるほど。今度は四葉さんが頼られたんだ。元気で明るいから悩みを聞いてほしいと思う人がいてもおかしくない。

 

「本気で悩んでいるんですね、相談してきた人は」

「そうなんです。何とか力になってあげたくて。宝条さんなら協力してくれると思ったんですよ」

 

 よし、乗った。

 

 そこまで言われたらやるしかない。四葉さんのためにも、その相談者のためにも。

 

「分かりました。ぜひ協力させてください」

「わあ、ありがとうございます!」

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 どうやら、相談してきた生徒は2つの科目で決めかねているらしい。

 

「なるほど、どちらも良い所があると」

「そうなんです。上杉さんの教えを参考に好きな科目をすすめたのですが……」

 

 好きという理由だけでは決められない、と言われたとか。四葉さんは困ったというような笑みを浮かべる。

 いくつか意見を出し合ったけど、これだという決定打が出てこない。

 

 うーん、と両手で頭を抱えながらイスの背にもたれかかる。天井と後ろにある本棚の一部がチラリと目に入った瞬間、四葉さんのあわてたような声が聞こえた。

 

「じ、じゃあ……宝条さんが科目を選んだ決め手は何だったんですか?」

「えっ──少し待ってください」

 

 もたれかかっていた姿勢を正して、なぜか目が泳いでいる四葉さんと再び向き合う。

 

 選んだ理由や考えなら話してもいいかな。参考になるかはともかく、無言で頭を抱え続けているよりはマシだ。

 それに、風太郎に提案した僕が言わないのはおかしいし。

 

「その科目で学べることが最も勉強に生かせると思ったからです」

「勉強……国語や数学とかにってことですか?」

「うん。卒業までに何としても追いつきたい人がいるから」

 

 美術、音楽、書道、工芸、情報。どれも好きな科目ではない。

 

 だったら、自分だけじゃなく恩人のためにどんな力を身に付けたいのかと考えてみた。そうすると、驚くほどあっさり決まったよ。

 

 話し終えると、四葉さんが目を見開いていた。

 

「感動しました! 尊敬する人のためにそこまで考えたなんて……」

「あ、ありがとう。とはいえ参考になるかどうか」

「いえ、今の話はきっと役に立ちますから」

 

 勢いよく立ってペコリと頭を下げてきたから、嬉しさとおかしさが交じった変な気持ちになった。

 尊敬する人か。こうもはっきり言われるとさすがに照れる。

 

「良かった。じゃあ、あとは相談してきた人に話をするだけですね」

「はい、まだ校内にいるはずです。今すぐ行きましょう!」

 

 えっ、僕も? ついて行っても相手からすれば誰だコイツ状態にしかならないよ。

 それにこんな時間に学校にいるってことは、部活中なんじゃないかな。

 

「気にすることありませんよ、宝条さん!」

「分かったから……引っ張らないでください」

 

 腕をつかまれ、あっという間に図書室から連れ出された。

 しばらく心当たりがあるという場所を探したが、どうも四葉さんの様子がおかしい。

 

「ここ、さっきも確認しましたよ」

「えっ……そうですか? あれー、変ですねー」

 

 入れ違いに教室に戻ったと考えたとしても、もう3回目の確認だ。

 さすがに、相談者はもう帰ったのでは。

 

 そう言うと、急にあわあわとしはじめた。

 

「ごっ、ごめんなさい。そうみたいです」

「大丈夫。明日、声をかければいい。僕の分まで力になってあげて」

 

 四葉さんを頼ってきたんだから、と言うと少し残念そうに見えたけど頷いてくれた。

 僕は相談者について何も知らないし、出しゃばるのは良くない。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「風太郎……逃げたな」

 

 数日後、教室にチャイムが鳴り響くなかで席を見た瞬間に絶句した。選択科目の事前説明がこれからそれぞれの特別教室であるのだが……

 

 どうして、こういう時に限って風のように素早く動けるんだ。

 でも、風太郎は重要なことを忘れている。5分の1の確率で僕と同じ科目になり得ることに。

 

 今から特別教室をしらみつぶしに調べていくなんてことはしない。目指す所はただひとつ、と教室を出て目的の場所へとゆっくり歩いた。

 

「ここか」

 

 部屋の名前が書かれたプレートを確認しながらドアに手をかける。かなり生徒がいるのか、話し声が聞こえるな。さて、風太郎は来ているか。

 

 ガラッとドアを開けると、室内に知っている顔の人は──いなかった。

 

「……5分の1の確率は当たらなかったか」

 

 そりゃそうだ。ハズレの可能性が高いのに何を期待していたのか。別に1人でもどうってことない、と一番後ろの隅っこの席に座った。

 

 目の前には電源が入っていないパソコンがあり、キーボードもマウスもきれいで汚れていない。僕が選んだ科目は『情報』だ。

 

 上杉君といっしょじゃない、ぼっちでかわいそうとヒソヒソ声が聞こえるけど無視だ。

 二乃さんのストレートな物言いのほうがまだ好感が持てるよ。聞くに値しない。

 

 早く授業説明が始まらないかなとキーボードを適当に叩いていると隣に人の気配がした。

 どこに座るか迷っているのだろう、とパソコンを眺めていたのだが……

 

 異変に気付いたきっかけは教室がざわついたこと、聞き覚えのある声で呼ばれたことだった。

 

「……えっ?」

 

 思わず間の抜けた声が出た。

 僕の隣の席に座ったのは──




果たして、橙矢と同じく情報の授業を選んだ人物は? ぜひ予想してみてください。

①一花  「同じだなんてお姉さんびっくりだ」
②二乃  「はあ!? マジありえない!」
③三玖  「トーヤも……ゲーム好き?」
④四葉  「ややっ、いっしょですね!」
⑤五月  「お互いがんばりましょう」
⑥風太郎 「……よ、よう」

正体は次回に判明する……かもしれません。お楽しみに!


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第008話 二乃VS三玖 驚きと涙の料理勝負

 選択授業で橙矢と同じ『情報』にした人物が、今回判明します。


「わお、宝条さん。

 もしかして分からないんですか?」

「お、教えてください」

 

 まさか、ここで困ることになるとは。

 

 落ち着こうと深呼吸をしていた時に、思わぬ救いの手が。色々と気になる点があるけど、黙ってやり方を聞こう。

 なぜなら、今は選択授業の説明日ではなく──

 

「難しいことじゃありませんよー。

 私たちの部屋の番号を入れれば良いんです」

 

 数日経った家庭教師の日だ。

 

 5つ子のマンションにあるオートロックについて四葉さんに教えてもらっている。

 ドアの前にある装置で何の番号を押せばと困っていた時にタイミング良く出てきた。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ! 先日のお礼ができて良かったです」

 

 なんてまぶしい笑顔なんだ。

 

 選択授業の相談をしたころからこんな感じな気がする。何か良いことでもあったのかな。

 

「そうだ、今日は家庭教師の日なんじゃ──」

 

 四葉さんが笑顔のまま固まった。

 えっ、なにこの沈黙?

 

「すみません、用事があるので失礼します!」

「よ、用事?」

「今日は他の4人を教えてあげてください!」

 

 逃げ去るウサギのように飛び出していった。

 

 何がなんだかさっぱりだ。とにかく急いで部屋に向かわないと。

 ちょうどいい時にエレベーターが来てくれた。

 

「あっ、トーヤ君! はろはろー」

「……! 宝条君」

 

 今度は一花さんと五月さんか。風太郎が先に来ているはずなんだけど。

 

「こんにちは。今日は家庭教師の日じゃ……」

「ごめんねー。お姉さんも今からバイトなんだよ」

 

 悪いけど見逃して、と一花さんが手を合わせてお願いしてきた。

 

「ということは、五月さんも?」

「いえ、私は図書館で勉強するんです」

 

 まずい、何か手を打たないと。このままでは3人もいなくなってしまう。

 引き止められそうなのは──

 

「五月さん、考え直してくれませんか」

「そう言われても……」

「この通りです。前のように騒いだりしないから」

「ほ、宝条君。顔を上げてください」

 

 頭を下げることしかできない。周りでざわざわしているのはマンションの住人だろう。

 子どもの声で「あれ、なーに? 告白?」と聞こえたけど、今はいちいち反応していられない。

 

「まあまあ、トーヤ君。

 気持ちは分かるけど、五月ちゃんが困ってるよ」

「──っ! ごめんなさい。つい……」

 

 他に良い手はないかと考えていると、一花さんがニヤリとしながら五月さんに顔を近づけた。何やら耳打ちしている。

 内容もだけど、五月さんが目を見開いて顔を赤くしたのが気になってしかたない。

 

「……図書館に行くのは今度にします」

「えっ、本当ですか!」

 

 くるりと背を向けて、五月さんはエレベーターの方に向かっていく。

 いったい何て言ったんだろう? 聞きたいけどお礼が先だ。

 

「一花さん、この恩は忘れません」

「あはは、大げさだって。ところでお姉さんが何て言ったか気にならない?」

 

 とても気になる。だけど、このあやしげな笑みは危ない。会ってまだ半月くらいだけど、何回からかわれたことか。

 

「またの機会に教えてください。

 お互いバイトをがんばりましょう」

「えーっ、聞きたいって顔だったのに!

 もう、つれないなー」

 

 その手には乗らない。五月さんを待たせるわけにはいかないし。

 おもしろくなさそうな様子の一花さんから離れて、エレベーターへと急いだ。

 

「宝条君。家で勉強はします。

 でも上杉君から教えは受けません」

「……補佐役として僕が勉強を見ます。風太郎が教える所も見ていてくれたらそれで良いです」

 

 まだ顔を赤くして目を合わせてくれなかったが、こくりと頷いてくれた。

 大丈夫だ、今ごろ三玖さんに日本史を分かりやすく教えているはずだから。

 

 ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 なんだ、この修羅場(しゅらば)は。

 

 リビングに入った瞬間に思った正直な感想だ。室内で2人の姉妹が言い争っている。

 風太郎の取り合い……いや、違う。

 

「橙矢、見てないで手伝ってくれ!」

「分かった」

 

 かばんとレジ袋を放り出し、にらみ合う二乃さんと三玖さんの間に割って入った。

 

「2人とも落ち着いてください!

 私がいない間にいったい何が──」

「黙ってて。五月には関係ない」

「というか、何で戻ってきてんのよ。

 図書館に行けばって言ったじゃない」

 

 末っ子撃沈。フラフラとよろめきながら、ソファに座りこんでしまった。

 あわてて「五月さんは悪くない。僕が頼んだ」と二乃さんに言うと、ギロッとにらまれた。

 

「チッ、余計なことを」

「二乃……フータローの邪魔(じゃま)をしないで。

 それにトーヤは悪い人じゃない」

「は? こんな冴えない陰キャコンビをかばうとか訳分かんないんですけど」

 

 ひどい言われようだ。

 

 確かに、事情があるとはいえ僕は前髪で顔を隠しているし地味なのは事実だ。勉強とバイトで忙しく、おしゃれにも無関心だったから。

 

 だけど風太郎はとても家族想いだし、厳しくも優しく勉強で向き合ってくれた。時々()()()()発言はあるけど、欠点も含めて良い人だと思っている。

 

「相変わらず二乃はメンクイ」

「三玖、お前も地味にひどいな」

 

 メンクイって何? 後で調べてみようと思った瞬間、二乃さんに押しのけられた。

 

「外見を気にしないとか、マジあり得ないわ。だいたい、学校で上杉と宝条がなんてうわさされてるか知ってんの!?」

 

 風太郎が三玖さんをストーカーして、僕が一花さんをさらっていったというやつだ。

 

「何度も言わせないで。フータローもトーヤも乱暴なことはしていない」

 

 三玖さんの言葉は嬉しいけど、このままでは勉強どころじゃない。買ってきた『あれ』を使おうと、荷物の所に急いだ。

 

「頼むから聞いてくれ。

 俺たちは授業を受けてほしいだけなんだ」

「フン、信用できないわ」

「二乃、いい加減に──」

 

 風太郎の手を振りほどこうとしている三玖さんに「待って」と呼びかけた。

 僕がやれることはこれしかない。

 

「はい、三玖さん。抹茶ソーダでいいですよね」

「え?」

「みんなに差し入れです。

 二乃さんも好きな物をどうぞ」

 

 レジ袋にある飲み物を見て、「は?」と二乃さんが不機嫌そうな声を出した。空気を読めと言われようが断られようがかまうものか。

 何としても風太郎に三玖さんを教えさせて、その様子を他の2人にも見せるんだ。

 

「い、いらないわよ。

 受け取ると本気で思ってるの?」

「聞かないと分かりません。

 それに復習ノートよりはマシでしょう」

「なっ……」

 

 そもそも僕以外の分を買ったから、二乃さんだけ除け者にするわけが無い。えーっと、風太郎が麦茶で五月さんが選んだのはコーヒーか。

 

「トーヤ、これもらっていい?」

「紅茶のほうが良かったですか?」

「違う、私じゃない。二乃、これで文句ないよね」

「ちょっ、まだ話は終わってないわよ!」

 

 紅茶の缶を押し付けられて抗議する姉には目もくれず、三玖さんはテーブルに置かれた僕の物ではない別のレジ袋に手を入れている。

 

「あげる。えんりょはいらない」

「わっ、抹茶ソーダ! 

 ありがたくいただきます」

 

 味はまだ慣れないけど、飲んだ時の感触が気に入ったんだよね。

 まあ、何はともあれ空気が少しなごんだ。これで勉強を始め──

 

 ぐぐうぅぅ……きゅるきゅる……

 

「五月、トーヤ。またお腹すいたの?」

「私じゃありませんよ!

 決めつけるなんてひどいです」

「今回は違います。三玖さん」

 

 当然のように疑われたのは納得いかない。とはいえ僕も五月さんだと思っていたんだけど。

 

「悪い、俺だ。

 そういえば朝から何も食べてなかったな」

 

 風太郎だったのか。確か朝ごはんは食べない主義って言ってたっけ。

 飲まず食わずで勉強を教える気だったとは。

 

「風太郎、かばんに駄菓子があるけど食べる?」

「助かる。じゃあ少しもらってから勉強を──」

「待ちなさい」

 

 む、二乃さんか。

 頼むからおとなしくしていてよ。

 

「三玖、そこまで言うならお望み通り中身で勝負しようじゃない」

「どういうこと?」

「料理勝負でどちらが家庭的か決めるわよ。

 アタシが勝ったら今日の勉強は無しね」

 

 待って、さらっと勉強できるかできないかの勝負になっている。笑えない。

 でも三玖さんが受けなければいいんだ。

 

「フータロー、すぐ終わるから座ってて。

 トーヤも抹茶ソーダ飲んで待ってて」

「お前が座ってろ!」

「三玖さんが待ってください!」

 

 勝負を止めたいけど、あの火花バチバチの台所に行こうものなら包丁を向けられそう。

 こうなったら作戦変更。料理勝負が終わるまで何もしない訳にはいかない。

 

「風太郎、五月さんと勉強しよう」

「同感だが、どう説得する? 俺の授業を受けたくないから図書館に行こうとしたんだぞ」

 

 それに今のあいつは勉強に集中できる状態じゃない、と首を振る。

 なぜだと思ったけど、すぐに納得した。目を輝かせて身を乗り出しながら台所を見ていたから。

 

 勉強より食欲か。なら僕にも考えがある。

 

「大丈夫、食べ物ならこっちにもある」

「おい……抹茶ソーダで脳みそが溶けたのか?

 金持ちのお嬢様に庶民の味は分からないだろ」

 

 やってみないと分からないよ。

 目には目を、食べ物には食べ物だ。

 

「五月さん、料理ができるまで勉強タイムです!

 今なら駄菓子の詰め合わせが付いてきます」

 

 ピクリと動いた。さあ、どうなるっ!?

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「終わりましたよ、宝条君。

 約束はちゃんと守ってくださいね!」

「さ、採点するから少し待ってくれませんか」

 

 今すぐご褒美(ほうび)が欲しいですと言わんばかりに迫ってくる。

 すごい、風太郎が用意したプリントの問題をやる気満々という感じで終わらせた。

 

「やった……風太郎の問題を解いてくれたよ」

「俺より橙矢、橙矢より食べ物なのか」

 

 ボソッとつぶやいた家庭教師の言葉が的確すぎて、吹き出しそうになった。

 幸い、五月さんは聞こえていないみたい。

 

「待たせたわね、できたわよ」

「……わ、私も」

 

 あっ、料理勝負をすっかり忘れてた。五月さんのやる気に驚いていた風太郎もハッとしたような顔になっている。

 それより、二乃さんは笑顔で三玖さんは沈んでいるようだけど。

 

「もう我慢(がまん)できません。

 私に味見させてください!」

「何言ってんのよ、五月。

 アンタは宝条のお菓子でも食べてなさい」

 

 明らかに狙っている五月さんからかばうように、対戦者の2人が料理をテーブルに置いた。

 どんなメニューを作ったのかな。補佐役としては三玖さんを応援──あれ?

 

「じゃーん。旬の野菜と生ハムのダッチベイビー」

「オ……オムライス」

 

 こ、この差はまずい。二乃さんの料理が食材の色合いや香りで食欲をそそってくる。

 三玖さんの料理は──な、何か良い所があるだろ。諦めず作った努力の跡が分かるとか。

 

「やっぱりいい。自分で食べる」

「せっかく作ったんだから食べてもらいなよー」

 

 あのニヤニヤ笑いは勝ちを確信している。うつむいている三玖さんが気の毒でならないけど、黙って見ているしかない。

 

「いただきます」

「あっ」

 

 料理を下げようと手を伸ばしかけた三玖さんを止めるように、風太郎が試食を始めた。

 そわそわと料理を狙う1人を除き、全員の視線が審査員に集まっている。

 

「うん、どっちも普通にうまいな」

「はあ!?」

「……っ」

 

 ひ、引き分け!? 見た目は大差でも味は互角だったのか。

 三玖さん良かったね。表情は見えないけどきっとうれしいはずだ。

 

「そんなわけないじゃない!

 アンタの舌どうなってんのよ!」

「まずいと思わなかっただけなんだが」

 

 ホッとしたのも束の間、二乃さんがガタッと立ち上がり風太郎に詰め寄った。

 今度はこの2人のケンカという展開はやめて。

 

「風太郎、引き分けってことでいいの?」

「ああ、二乃の料理は見た目に違わずうまかった。三玖のオムライスだっていくらでも食えるぞ」

 

 これはウソついてないや。勉強させたいから三玖さんを勝たせようと考えた顔には見えない。

 

「くっ、納得いかないわ。アタシだって……」

 

 二乃さんがブルブルと体を震わせている。さっきの笑顔が完全に消えてるよ。

 爆発に備えていたが、急にこっちを見てきた。

 

「アンタも食べ比べてみなさいよっ!」

「えっ……僕が?」

「他にいないから仕方ないじゃない!」

 

 色々な意味で断るとやばそう。

 

 念のために三玖さんに聞くと、すぐに「構わない、思ったことを正直に言って」と返された。

 よーし、じゃあ2人の料理を──あれ?

 

「んんーっ、どちらもおいしいです……あっ」

 

 オムライスとダッチなんとかが無い。まさかと五月さんのほうを見ると、リスのようにほっぺたをふくらませた口元を手で押さえている。

 

「この『肉まんおばけ』! 

 今すぐ食べるのをやめなさい!」

「に、にくっ!?」

 

 もう少しで吹き出すところだった。二乃さんが料理を取り上げたけど、9割近くが消えたよ。

 

「アンタがお菓子をあげなかったからよ。

 こうなった以上、断るなんて許さないわ」

「わ、分かったから。いただきます」

 

 じゃあ、三玖さんのオムライスから……あれ、こげ味に慣れればおいしい。ライスの味付けも濃さが違うけど、決してまずくも下手とも思えないな。

 

「三玖さん、自信を持っていいです。こげている所もライスの味の濃さが違う所もおいしかった」

「……良かった」

 

 次は二乃さんの見たことも聞いたこともない料理だ。「ドイツ風のパンケーキよっ!」と不機嫌そうではあったけど教えてくれた。

 パンケーキか、なつかしいな。どれどれ──

 

(……っ!)

 

 風太郎が言ってたっけ。見た目に違わずうまかったと。全く同感だよ。

 トマトや緑の野菜の食感、チーズと生地の組み合わせも文句の付け所がない。

 

「橙矢、お前……」

 

 ハッとして周囲を見ると風太郎だけでなく、3人の姉妹がぎょっとしたように目を見開いていた。

 何をびっくりしているのかと思った瞬間、ほっぺたに何かが流れた感じがした。

 

 あれ、どうして止まらないんだろう。よだれじゃなく涙が。

 

「そ、そんなにうまかったのか?」

「野菜もだけど、生地の食感が心地いいんだ。

 僕も自炊はしてるけど、こんなの作れない」

 

 話している間にもポロポロと涙が出る。不思議なことに恥ずかしいとは思わなかった。

 他人の料理を口にして泣いたのは1年前の『あの日』以来だ。

 

「僕の負けです、二乃さん」

「な、何言ってんのよ……アンタ」

「二乃さんの勝ちだと言ってるんです」

 

 服の(そで)でぐいっと涙をぬぐい、ごちそうさまと手を合わせた。

 しーんと静まり返っている。五月さんでさえ空になった皿を見ていない。

 

「風太郎、後は頼んだよ」

 

 テーブルを離れた僕に風太郎が「帰ることないだろ」と止めてきた。

 

「無責任でごめん。だけど食べ比べて二乃さんの勝ちと言った以上、約束は守らないと」

「だからって、お前……」

「少なくとも僕の今日の勉強は無しになったから」

 

 もう時間はあまり無いけど、少しの時間だけでも三玖さんに教えてほしい。そして、五月さんとできれば二乃さんにも見てもらってほしい。

 

 全員に頭を下げて、部屋を飛び出した。エレベーターは……だめだ、5階から降りたところだ。階段で行くほうがいいだろう。

 

 勢いよく階段を駆け下りていく。上るよりは楽だと思っていたが30階から下りるのもきつい。カンカンカンと響く足音がやけに耳に響いた気がする。

 

 やっと1階に到着し、荒い息をつきながらエントランスに出た。

 出る時は教えてもらわなくても大丈夫なはず──

 

(えっ……なんで)

 

 目がおかしくなったのかと思った。

 ここにいるとは思わなかった人物がいたからだ。

 

 あの時といっしょじゃないか。数日前、情報の授業説明で僕がパソコン室にいた時に声を掛けて隣に座ってきた時と。

 もっとも今ははっきりと目を見てくれているのが違うけど。

 

「風太郎の授業はどうしたんですか──五月さん」




 風太郎だけでなく、五月と橙矢も料理対決の審査員にしました。そして、最後に判明した『情報』を選んだ人物の正体。他の姉妹や風太郎が何を選んだのかも、次回から明らかにしていきます。

 次回は5つ子裁判です。これまで前髪で顔を隠していた橙矢が風太郎のためにまさかの行動を起こします。裁判で橙矢の役割が何になるのかもお楽しみに。


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第009話 5つ子裁判は両目で挑め

「上杉君の教えは受けないと言ったはずです」

 

 授業に参加してとお願いした相手の声が、広いエントランスに響く。

 さっきまで30階の部屋にいたのに。

 

「やはり階段で……変な所で彼と同じなんですね」

 

 エレベーターで先回りしていたんだ。複雑そうに見えた五月さんだったが、まじめな顔に戻る。

 

「宝条君、聞きたいことがあります。

 お時間を頂いてもよろしいですか?」

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 戻るのかと思ったら、着いたのは夕焼けに染まる公園だった。

 

 ここなら納得だ。来る途中に「まだお菓子をもらっていません」とぷく顔で言ってきたから。

 かなり気に入ったのか、ベンチに座っても頭のはねっ毛を揺らしながら目を輝かせている。

 

「ところで聞きたいことって何ですか?」

「そ、そうでした。すみません」

 

 ハッとしたように5円チョコから目を離して、五月さんが背筋を伸ばした。

 

「なぜ料理勝負で二乃の勝ちだと言ったのですか」

「決め手は食感だけど……変でした?」

「私は三玖のオムライスを選ぶと思っていました。

 勉強のことがありますし、宝条君は二乃に──」

 

 口ごもったけど、言おうとしていることは分かる。眠り薬の件で怒ったことだろう。

 

「確かに最初はそうでした。何より三玖さんは風太郎と僕をかばってくれたから」

 

 本当に嬉しかった。

 

 説得で大活躍した風太郎はともかく、僕は抹茶ソーダについて話したくらいだったのに。

 

「それなら、なおさら分かりません。

 勉強を教える機会を捨ててまで、どうして……」

「余計な考えが吹き飛ぶくらい感動したんです」

 

 いま思えば、一生懸命に作ったのは二乃さんも同じだったんだ。さっきのダッチなんとかは決して手抜きじゃない。

 眠り薬の件はともかく、完全に悪い人とは思えないと言うと五月さんはうつむいた。

 

「宝条君、私は誤解をしていました」

「ご、誤解?」

「二乃を本気で恨んでいると思っていたのです。

 学校でのうわさも事実なのではないかと」

 

 眠り薬の仕返しで、一花さんと三玖さんに手荒なことをしたのではと疑っていたらしい。

 それだけに三玖さんが風太郎と僕をかばった時は混乱したとか。

 

 待って、その誤解は全力で否定しなきゃ。

 あれ? でも過去形ということは……

 

「今は信じてくれるんですか?」

「か、完全に信用した訳ではありませんよ。

 今の話で自分の思い込みを反省したんです」

 

 とはいえ、周囲に誤解されるやり方で一花と三玖に迫ったのは感心しないと五月さんの声が厳しくなった。

 特に風太郎については「私も壁際に追い詰められました」と顔を赤くしたからびっくり。

 

「勉強させるためだとしても不純です」

「ごめんなさい。今後は注意します」

「……宝条君のそういう所は嫌いじゃありません」

 

 お菓子を眺めて表情を和らげる五月さんに安心しながら、ポケットからお気に入りのドロップ缶を取り出した。

 何色のアメが出るかな──げっ、無色じゃん。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 タワーマンションに戻った時にはすっかり暗くなっていた。

 あれ、風太郎がいない。帰る途中に「五月といるなら入り口で合流だ」と電話があったのに。

 

「様子を見てきます。宝条君はどうしますか?」

「入れ違いになるといけないし、ここにいますよ」

 

 タイミング良く住人が出てきてドアが開いた。五月さんは礼をしてバタバタと入っていく。

 やっぱり姉たちが心配なのかな。

 

「トーヤ君、五月ちゃんと何してたの?」

「わっ!?」

 

 バイト帰りの自称お姉さんが背後に立っていた。おもしろいものを見ちゃったという感じで口元に手を当てている。

 

「なかなかやるじゃん。見直したよ」

「……? 一花さん、何の話です?」

「またまたー。ちゃっかりデートしてたくせに。

 それとも名残惜しくお見送りされちゃった?」

 

 詳しく聞かせてとニヤニヤしながらのぞきこんできた。仕事で疲れたとは思えないテンションだ。

 

「少し長い話になるけど、良いですか?」

「全然気にしないよ! 私も五月ちゃんをどう引き止めたか後で話してあげるから」

 

 二乃さんと三玖さんの言い争いや料理勝負、泣きながらの判定、五月さんと公園で話したことなどを説明した。

 デートやお見送りじゃないことにはがっかりしていたが──

 

「なるほど。二乃や三玖、五月ちゃんがねー」

 

 これはおもしろくなってきた、という感じで耳のピアスと顔を輝かせている。

 

「今度は一花さんの番ですよ」

「ふっふっふ……こう言ったんだよね。『フータロー君もトーヤ君も年ごろの男の子』だって」

 

 何の話だ、と首をかしげた。それが五月さんを引き止めたことにどうつながるのか。

 

「それだけですか?」

「まあ、あせらず聞きなよ。

 もし五月ちゃんが図書館に行ったら──」

 

 二乃さんが授業に反発して抜けるから男子2人で女子1人を教える、と一花さんは考えたらしい。

 

「ええ、確かに」

「でしょ? それで少しからかっちゃったんだ。美少女と密室で勉強してたら2人とも大胆になっちゃうかもねって」

 

 大胆? 確か風太郎が三玖さんを追いかけているのを学校のベランダで見た時に、一花さんがそう言ってたっけ。

 ということは、もしや……

 

「これだけは言わせてください」

「うん、何かな?」

「風太郎も僕も、誓って暴力をふるったりなんかしません!」

 

 しーんとなった。いろいろやらかしたから説得力が無いけど、まさか反応すら返してこないなんて。

 

「ぼ、僕は二乃さんに怒ったことはあるけど」

「あはは、君っておもしろいねー。

 おっと……ごめん。五月ちゃんから電話だ」

 

 邪魔(じゃま)にならないように少し離れた。それにしても遅いなあ。

 風太郎に電話しようとした時、肩を突かれた感じがした。振り返ると一花さんが携帯電話を耳にあてながら立っている。

 

「分かった。今から行くから目を離さないでね」

 

 通話を終えると、素早く後ろに回りこんで背中をぐいぐいと押してきた。エレベーターのほうに向かっている。

 

「おめでとう、トーヤ君。

 君も『5つ子裁判』に加わってもらうよ」

「さ、裁判?」

「フータロー君を最後まで信じられるかなー?」

 

 嫌な予感しかしない。まさか……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「これより『5つ子裁判』を開廷します」

 

 自称裁判長になった一花さんがニコニコしながら宣言した。おもしろがっているけど、リビングの空気が痛い。

 

 ジャージ姿で座ってうつむいている二乃さん、無表情で正座している三玖さん、携帯電話を持って厳しい表情で立っている五月さん。

 

 最も目立っているのは、どうしてこうなったという感じで座る家庭教師。

 

「風太郎……」

静粛(せいしゅく)に。裁判中だよ。

 今の君は『傍聴人』だからね」

 

 くっ、声をかけるのもダメなのか。でも逆らって追い出されるのは嫌すぎる。

 仕方なく「失礼しました、一花裁判長」と返すと、よしよしと頷いてきた。

 

「まずは決定的証拠を提出します」

「どうぞ、証人の五月ちゃん」

「この写真をご覧ください。

 上杉被告で間違いありませんね」

 

 五月さんが携帯の画面を見せている。よく見ようとしたが、すぐに手で隠されてしまった。

 

「ダメです! 傍聴人は動かないでください」

「そ、そんな」

「むしろ見てはいけません。

 ほ、宝条君には……まだ早いものです」

 

 待って、全然意味が分からない。いったい何が写っているんだ。

 

「説明を続けます。

 被告は家庭教師という立場にありながら──」

「ま、待て。冤罪(えんざい)だ」

「理性を失い欲望を爆発させたんですよ!

 ピチピチの女子高生を目の前にして!」

 

 無実だと声をしぼり出した風太郎に、五月さんが「お黙りなさい」と言うように大声を出した。

 とにかく訴えた人の話を聞かないと。

 

「裁判長」

「はい、原告の二乃くん」

 

 様子が変だから予想はしてたけど、やはりか。

 ということは三玖さんが弁護人と見ていいな。

 

「この男は一度マンションから出たと見せかけて、私のお風呂上がりを待っていました」

「ふむふむ、それはけしからんですなー」

「悪質極まりない犯行なのは明らか。我々はこいつの今後の出入り禁止を要求します」

 

 最悪の事態だ。もし本当なら……妹のらいはちゃんが天使から堕天使になるレベルかもしれない。

 しかも出入り禁止とまできた。風太郎が抗議するのは当然だけど分が悪い。

 

「異議あり。フータローは悪人顔だけど無罪」

 

 四葉さんが用事でいない今、確実な味方は弁護人しかいない。

 無罪を主張する根拠はと聞かれると、三玖さんはスッと壁を指さした。

 

「インターホンで通したのは私。

 録音だってある。これは不運な事故」

「アンタ、いい加減にしなさいよ! こいつは『撮りに来た』って言ったんだから。盗撮よ!」

「違う。忘れ物を『取りに来た』だけ」

 

 な、なんか議論が急にヒートアップしてないか? 一花裁判長、おもしろがってないで止めないと。

 

「裁判長、三玖は弁護人にふさわしくありません」

「何か問題でも?」

「被告への個人的感情でかばってまーす」

 

 公園でほんのりと顔を赤くした五月さんとは違い、ボッと一気に点火したように三玖さんが真っ赤になった。

 

「ち、違う」

「三玖、お前なら信じてくれると信じてたぜ」

「それ以上近づかないで」

 

 えっと固まる風太郎だったが、二乃さんと三玖さんが口論を再開。裁判長も証人も被告もそっちのけになっている。

 

「今は私たちが争っている場合じゃ──」

「五月は黙ってて」

「てか、アンタもその写真消しなさいよ」

 

 あれ、何か見覚えがあるよ。

 

 もっとも今回は涙目の五月さんを一花さんがなぐさめている。姉妹としては微笑(ほほえ)ましいけど、証人が裁判長に泣きつくのは自由すぎる。

 

「だけど、この写真……不運な事故でこんな体勢になるかなー」

「そうよ、一花! こいつは私に突然覆いかぶさってきたんだから!」

「やっぱ有罪。切腹」

「三玖さん!?」

 

 唯一の心強い味方がいなくなり、二乃さんが勝ち誇っている。

 こうなったらもうイチかバチかだ。

 

「一花裁判長、お願いがあります。

 証拠の写真を僕にも見せてください」

 

 風太郎と4姉妹が違う反応をしてきた。二乃さんは「はあ!?」と驚き、五月さんは絶対に見せないというように携帯電話を後ろに隠している。

 

「困ったなー、原告の気持ちを考えると難しいよ」

「アンタ正気なの!?」

 

 写真の内容くらい察しろ、とにらんできた。被告の有罪を証明するだけではなく、見られたくない物なのは分かる。

 だけど、僕にとっては風太郎の無実を証明できるかもしれない最大の希望なんだ。

 

「もし写真を見て何もできなかったら、僕も出入り禁止にしていいです」

「と、橙矢!?」

「わーお。そこまで言われると悩んじゃうね」

 

 何の覚悟も無く、お願いをしたわけじゃない。

 黙って見ているだけの役立たずはもう嫌だ。

 

「フン、上杉は有罪よ。そんな前髪だから現実が見えてないんじゃない?」

 

 現実が見えていない、か。言ってくれる……だったら、こうするまでだ。

 バッと前髪を払いのけた。思ったよりまぶしい照明に左目をパチパチさせながら証人に近づく。

 

「お願いします」

「…………」

「どうする、五月ちゃん。

 トーヤ君の覚悟は本物だよ?」

 

 五月さんが立ったまま、全く動かない。一花さんの声や二乃さんの「絶対にダメ!」という叫びすら聞こえていないみたいだ。

 見てはいけない、と言われたけど今なら──

 

「……嫌です。宝条君には見せたくありません」

 

 ガーンとなった。最大の希望が遠のいていく。

 

 いや、まだだ。写真がダメなら逆転できる証拠を探せばいい。

 断られたのは残念だけど、諦めるものか。

 

 ありがたいことに現場の位置は教えてくれた。

 頼む、何でも良いから見つかってくれ!

 

(あれ?)

 

 どうして今まで気づかなかったのか。一花さんの部屋ならともかく、リビングの床に散らばっているものがある。

 

「裁判長、本が写っていませんでした?」

「本? 五月ちゃん、確認してみてよ」

「確かに2人の周りに……まさか」

 

 バタバタと五月さんが駆け寄ってくる。しゃがんで本を手に取ったまま無言でいたが、上を見上げて棚をじっと見始めた。

 

「上杉君が覆いかぶさっていたのは、落ちてきた本から二乃を守るためだと?」

「そ、その通りだ。

 当たったらやばいと思って……信じてくれ」

 

 ごくりと(つば)を飲み込んだ。あとは4姉妹がどう思うかで全てが決まる。

 

「……ごめん。最後まで信じることができなくて」

 

 小さい声が聞こえたと思ったら、三玖さんがゆっくりと風太郎に近づいていった。

 

「私はフータローの有罪を撤回(てっかい)する」

「なっ!?」

 

 部屋中から同時に驚きの声が出た。嬉しいけど急展開すぎて理解が追いつかない。

 

「まあ大胆な所はあるけど、欲望全開とは言えないかもね。恋愛に対する拒絶は相当だったから」

「ちょっと、一花まで!

 適当なこと言わないでよ!」

 

 雰囲気が変わった。二乃さんもそう感じたのかあせっていたけど、三玖さんが「しつこい」と言ったのでキッとにらみつけている。

 

「そうカッカしないで。

 私たち、昔は仲良し5姉妹だったじゃん」

「昔はって……私は……」

「いや、元はと言えば俺の注意が足りなかった。

 事故とはいえ、嫌な思いをさせてすまない」

 

 風太郎の謝罪に反応するかと思ったら、バタバタと二乃さんは走っていった。2階の部屋ではなく玄関のほうに。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「おかげで助かった。ありがとう。

 それと巻き込んで悪かったな」

「いいんだ。有罪にならなくて本当に良かったよ」

 

 エレベーターから出ながら風太郎がフッと笑ってきた。

 妹のらいはちゃんから夕食の献立(こんだて)を知らせるメールが届いたからか、少し機嫌がよくなっている。

 

「だが、写真を見せてと聞いた時はあせったぞ。

 しかも出入り禁止を自分から提案するとはな」

「ごめん。最初から現場を見るべきだった」

 

 あの後、五月さんに謝罪した。姉妹の気持ちを考えていない行動だったと。

 もっとも、三玖さんは「見られても減るものじゃない」と言ってきたが。

 

「いや、お前の覚悟に驚いたんだ。

 前髪払いはさすがに目を疑ったな」

「……こんな形で見せたくなかったよ」

 

 二乃さんの言葉にむきになったとはいえ、やらかしてしまった。

 勉強で恩返しするまで隠すと決めていたのに。

 

「あっ」

 

 外に出たとたん、座り込んでいた二乃さんと目が合った。

 あわてたようにドアに向かって走ったが──無情にも閉まる。

 

「チッ、使えないわね」

「カギも持たずに出てきたのか」

「ほっといて。

 アンタたちの顔なんてもう見たくもない」

 

 ドアの前の装置で部屋番号を押そうと歩きかけたが、風太郎に肩をつかまれた。

 余計なことはやめろ、という感じで首を振る。

 

「橙矢、行くぞ」

「ちょっと待って。雇い主に連絡したいから」

「は!?」

 

 2人とも息ぴったりだなあ。ここまでびっくりされるとは思わなかったよ。

 

「いや、補佐役としての仕事だよ。

 授業で何を勉強させたかメールしないと」

「お前、料理勝負や裁判の件も伝えるのか?」

 

 そんなことはしない。風太郎、お願いだから気づいてほしい。

 このまま放って帰ることが何を意味するのかを。

 

「そんなの後でやれば……あっ」

「どうかした?」

「いや、お前がその気なら俺も勉強する。

 わずかな時間でも有効に活用しないとな」

 

 座りこんだ風太郎に携帯電話でお礼のメッセージを打ってこっそり見せた。

 もっとも二乃さんは「バカじゃない」と不快そうにひざを抱えている。

 

「みんなどうかしているわ。

 アンタたちもパパも……あの子たちも嫌いよ」

「学校で『姉妹に乱暴したら許さない』って強気だった人の言葉とは思えません」

 

 風太郎が単語帳から目を離したな。ブツブツつぶやく声が急に止んだから。

 

「何よ、だから嫌ってないって言うの?」

「そうです」

「アンタみたいな得体の知れない男に言われたくないわ! あの子たちだって分かってない。私たち5人の家に──」

「俺や橙矢が入る余地なんてない」

 

 風太郎が静かに話に入ってきた。きっと僕の知らないところで、いろいろあったんだな。

 

「お前と鉢合わせした時に言ってたよな。

 俺たちが嫌いってだけじゃ説明がつかない」

「もういい、黙って」

「姉妹が嫌い? 逆だろ。

 本当は5人の姉妹が大好きなんじゃないのか」

 

 俺たちは異分子だから気に入らないのでは、と決定的な一言が出た。

 確かに、それなら理解が難しかった眠り薬の件も納得できる。

 

「何それ、ありえない。見当違いもいい所だわ」

「眠り薬だって、姉妹と居場所を守るためだろ」

「だ、だったら何だって言うの。

 私は悪くなんか……うん、そうよ!」

 

 いきなり二乃さんが立ちあがった。まさか、また眠り薬を使うと宣言してくる気じゃ──

 

「やっぱ決めた。私はアンタたちを認めない。

 たとえ、それであの子たちに嫌われようとも」

「うっ……」

 

 風太郎が言葉に詰まる。ここまでガツンと言ってくるとは思っていなかったらしい。

 

「二乃さんの覚悟は分かりました。

 それでも、僕と風太郎は絶対に屈しません」

「フン、上等よ。私を甘く見ないことね」

 

 火花が散るって、まさにこんな感じなんだな。学校で復習ノートを渡そうとした時や、うわさについて反論した時とは違う。

 両目で見える二乃さんは、笑みさえ浮かべている気がする。

 

「二乃、いつまで外に……あ、フータローとトーヤもいたんだ」

「今から帰ります、三玖さん」

「待って、2人に話がある。明日なんだけど──」

 

 明日が何なのか聞く前に「帰るわよ」と二乃さんが妹を引っ張っていった。

 しかも、こっちに向かってべーっと舌を出してきたんだが。

 

「こっちも覚悟を決めるしかないね」

「これだから必要以上に関わるのは嫌なんだ」

 

 ため息をつきながらマンションを離れる風太郎の肩をポンポンと叩いた。

 さすがに、家庭教師がこんな様子だと雇い主に報告することはできないな。

 

「橙矢、今日は俺の家で食べていけ」

「やった! でも急にどうしたの?」

「……言わせるな、察してくれ」

 

 ぷいっと顔を背けて歩いていく家庭教師を、あわてて追いかけた。

 この後、風太郎一家から驚きの提案をされるとは知らずに──




 今回で10話目になりました。原作で言うとやっと2巻目に入ったあたりなので、まだ先は長いです。

 次回から花火大会編です。果たして初給料を渡しに来るのは誰なのか? 橙矢の衝撃的な出迎え方にもお楽しみに。


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第2章 花火大会
第010話 初給料と兄想いの妹


投稿に間が空いてしまい、大変申し訳ありませんでした。



「ふー……ふーっ……」

 

 9月が終わるけど、今は汗びっしょりだ。腕もひざもプルプル震えている。

 がんばれ、あともう少し。

 

「お、終わったー!」

 

 座り込むとミシッと不吉な音がした。確かに住んでいるのは古いアパートだけど、犯人は床に置いたダンベルだと思いたい。

 しかし、重さ3キロでこれか。目標の5キロはまだ遠いな。

 

(それにしても風太郎……何であんな提案を)

 

 5つ子裁判の礼と言われてもなあ。妹のらいはちゃんや父親の勇也さんもノリノリだったけど「別の日にお願い」と答えるしかなかったよ。

 

 左目を隠している前髪にそっと触れる。まだ僕は風太郎に何も──

 

 ピンポーン

 

 あれ、誰だ? 呼びかけてもしーんとしている。風太郎は日曜の昼間でも家で勉強しているだろうし、らいはちゃんや勇也さんなら反応があるはず。

 

 さては、またセールスか勧誘だな。Tシャツ短パンで汗びっしょりだけど、構うことないと玄関のドアに近づいてガチャッと開けた。

 一瞬、ふんわりと風が吹きこんできたが──

 

「えっ?」

「わああーっ!」

「わーお、これはびっくり」

 

 少し遅れて事態に気付き、顔が熱くなるのが分かった。

 とんでもない姿で同級生を出迎えてしまったと。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「お、お茶でもどうぞ」

「ありがとうございます、宝条さん」

「あはは、おもしろかったよ。

 来たのが私と四葉で良かったねー」

 

 大急ぎで部屋の換気と着がえをして、震える手でコップを置いた。

 四葉さんは「急に来てすみません」と頭に手をやり、一花さんは部屋中を見渡している。

 

「先ほどはお見苦しいところを……」

「いえいえ、そんな。

 私たちだって驚かそうとしてましたから」

 

 だから呼びかけにも反応しなかったんだ。何というたくらみ、と言いたいけど僕の出迎え方もまずかったからお互い様か。

 

「意外だね。きれいに片付いているし、花の絵なんておしゃれじゃん」

 

 黙っておこう。テスト返しで一花さんの部屋を見て以来、いつ来客があってもいいように掃除をしていたことは。

 とはいっても基本的に物が無い。だから壁に飾ってある絵が目立つ。

 

「母さんが大切にしていたんです。

 ヒガンバナが大好きってよく言ってました」

 

 一花さんは興味深そうに絵をじっと眺めている。もしかして花が好きなのかな?

 

「一花さん?」

「えっ……ああ、ごめんごめん。

 じゃあさ、トーヤ君の選択科目って美術?」

 

 四葉さんと目が合った。まあ、今はもう「絶対に選んだ科目は教えない」というような状況じゃないし言っても大丈夫だろう。

 

「僕は情報ですよ」

「ふーん、なるほどねー」

 

 このニヤニヤ笑い……何を考えているのかは知らないけど、からかってくる予感しかしない。

 ただでさえ、出迎えでやらかしたから何とかかわさないと。

 

「い、一花さんこそ美術じゃないんですか」

「どうして?」

「卒業試験の答案で、名前の書き方がアートみたいだったから」

 

 この2人は特に印象に残っている。一花さんは『花』の漢字にハートが付いてたし、四葉さんは1人だけひらがな書きだったから。

 

「よく覚えてるねー。

 でも、お姉さんは音楽だよ。美術は二乃」

「同じ科目じゃないんですね」

「見事に5人とも別々になっちゃってさ。

 えーっと、四葉は確か──」

 

 自称お姉さんが隣を見た瞬間、四葉さんがうさ耳リボンをビクッと震わせた。

 

「い、一花! 宝条さんに『あれ』を渡さなきゃ。

 急に来ちゃったし、ずっといるのは悪いよ」

 

 そう言えば用件を聞いていなかったっけ。そもそも、どうやって僕の住所を知ったのか。

 答えは一花さんがバッグから取り出した『あれ』が教えてくれた。

 

「はい、トーヤ君。よくがんばったねー」

「これは……」

「どうぞ受け取ってください。

 お父さんから預かってきたんです」

 

 テーブルに置かれた封筒に一瞬「ん?」となったが、給与という文字でハッとした。

 雇い主の中野さんに住所を聞いて、わざわざ来てくれたのか。

 

「ありがとうございます。

 だからここが分かったんですね」

「そうだよ。本当は五月ちゃんが君とフータロー君に渡す予定だったんだけど──」

 

 5つ子の父親が「宝条君の家には五月君以外、それも2人以上で行きなさい」と電話で伝えてきたらしい。

 二乃さんは即答で断り、三玖さんは家でゆっくりしたいと言っていたとか。

 

「久しぶりに連絡してきたから、驚いちゃった」

「僕が中野さんに報告したからだと思います」

 

 実は5つ子裁判があった日の夜、『娘さんたちに問題発言をして謝罪した』とメールしたことを打ち明けた。

 風太郎に関することは伏せておいたけど。

 

 2人以上で僕の家に行け、と中野さんが娘に言ったのも当たり前だ。

 

「いや、それは関係無いんじゃない? トーヤ君は1人暮らしだってお父さんが言ってたから」

「だけど風太郎のためとはいえ、僕は……」

「宝条さん、話は全部聞きました。気にすることありませんよ」

 

 むしろ前髪を払ってきて五月ちゃんはドキッとしたかも、と一花さんがいたずらっぽい笑顔を向けてきた。

 ないない。風太郎が恋愛最高と叫んで大はしゃぎするくらいあり得ない。

 

 ほんの少し気持ちが楽になり、給料が入った封筒を慎重に開けた。

 

「えっ!?」

 

 お札の枚数が多すぎる。えっと、契約書はどこだっけ?

 

「1日2500円で5人分だとしても……今月は2回……あれ?」

 

 やっぱり多い。いくら契約書を見ても疑問が解決しない。

 再び体中からぶわっと汗が出たような気がした。

 

(おかしい。これってどういうこと?)

 

 金額が間違っている。これじゃあ、5つ子全員に順調に勉強を教えたうえで何かしらのボーナスが出た時の給料だよ。

 今月の2回で僕は何をした? 二乃さんに怒って、料理審査で飛び出し、裁判で冷静さを欠き……

 

「トーヤ君、金額はちゃんと合ってるよ」

「そんな……全員に勉強を教えた訳でもないのに」

 

 少しでも僕が勉強を教えたと言えるのは四葉さんと五月さんくらいだ。

 5人分の給料が渡されることを、一花さんは何とも思わないのか?

 

「確かにお姉さんは教わっていないけどさ。だからって給料カットなんて全く思っていないよ」

「なぜ、そう言えるんですか?」

 

 意外そうな顔で2人が見てきた。むしろ何で受け取らないのか、という感じに見える。

 

「ふふふ、考えてみなよ。

 そうだ! 私たちから君への宿題ってことで」

「し、宿題!?」

「宝条さん、返す必要はありません。

 お給料は自由に使っていいですよっ」

 

 おじゃましましたーと手を振りながら、一花さんと四葉さんが部屋から出て行った。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 おもしろい、受けて立とう。

 

 思わぬ宿題に面食らい、しばらく部屋で考えこんでいた。だけど、自信がある答えが出てこなかったので自転車に乗って気分転換をすることに。

 

 宝物が入ったショルダーバッグに制服姿だと、不思議なことにやる気が高まってくる。

 

(考えろ……考えるんだ)

 

 家がお金持ちだから数万円などたいしたことない、という感じではなかった。風太郎に眠り薬を飲ませたおわびというのも、違う気がする。

 

「……ん? 電話?」

 

 自転車を止めて携帯の画面を見ると『上杉風太郎』の名前が出ている。

 五月さんが給料を渡しに行ったんだっけ。もしかして同じことを言われたのかな。

 

「もしもし、風太郎?」

『橙矢、悪いがいま時間あるか? 

 もし大丈夫ならすぐに来てほしいんだ』

 

 家に行けば良いのかと思ったら、指定場所はまさかのゲームセンター。たぶん、家族で外出したといったところだろう。

 

「分かった。ちょうど近くにいるから。

 自転車で急げばすぐに着くよ」

『すまん。じゃあ待ってるからな』

 

 携帯をしまいこんで、ヘルメットの位置を整える。何だか困っている感じの声だったけど……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢ 

 

「こっちだ、橙矢!」

「お待たせ……って、あれ?」

 

 自転車から降りて近づくと、目の前の状況にぽかんとなった。

 

「橙矢さん、こんにちは!」

「やあ、らいはちゃん」

 

 いつも元気だけど、今日の笑顔は特にまぶしい。兄との外出でご機嫌なのか、頭からぴょこんと跳ねた毛を揺らしている。

 まあ、そこまでは良いのだけど……

 

「トーヤ君、さっきぶりー」

「何でアンタまで来るのよっ!」

「……日曜なのに制服。トーヤも変わってる」

「宝条さん、みんなでお祭りに行きませんか?」

「自転車……いえ、何でもありませんよ。宝条君」

 

 だれの言葉から反応していけばいいんだ。

 

 風太郎が制服なのはいつものことだし、私服姿のらいはちゃんと五月さんもまだ分かる。

 気になったのは残る4人の恰好(かっこう)だ。鮮やかな色や模様、そして帯──

 

「おやー? 美少女の浴衣姿に見とれちゃった?」

 

 青や黄色、オレンジの柄が目立つ浴衣を見せつけてくる一花さんを何とかかわした。

 とりあえず状況を聞こうと、呼び出してきた相手に近づく。

 

「これって何事?」

「……らいは、お姉さんたちと話していてくれ」

「うん、分かった!」

 

 5つ子の所に向かっていく妹を笑顔で見ていた風太郎だったが、すぐに普段の鋭い目つきになった。

 

「橙矢、結論から言う。

 らいはを家まで送ってくれないか」

「えっ?」

 

 風太郎によると、5つ子が宿題をしないで祭りに行こうとしていたので家に戻らせようとしていたらしい。

 どうやって5人を納得させたのかが気になるけど、それ以上に分からないことがある。

 

「らいはちゃんもマンションに連れていけば良いんじゃないの?」

「いや……実は家庭教師の仕事がうまくいっているとごまかしていてな」

 

 そうか、そういう事情があったのか。

 

 プライドの面もあるだろうけど、きっと妹に心配をかけたくないんだ。

 かといって1人っきりで家に帰らせたり祭りに行かせたりするのも不安なんだな。

 

「分かった、僕が責任を持って送るよ」

「悪いな。あいつら5人は俺に任せろ」

 

 握りこぶしをコツンとぶつけ合い、風太郎と僕は楽しそうに話す6人に近づく。

 

「お前ら、花火大会まではまだ時間がある。何度も言うが、どうしても見たいなら宿題をきっちり片付けてくれ」

「お兄ちゃん、私もお祭りに行きたい……ダメ?」

「うっ……後で行こうな。今は橙矢に家まで送ってもらうんだ」

 

 風太郎、よく耐えたなあ。さすがに「宿題は後にしてみんなで花火を見に行こう」なんて心変わりはしなかったか。

 ホッと安心してらいはちゃんに近づこうとした、その時──

 

「待ちなさいよ。アンタ、妹を宝条に預ける気?」

「二乃、言っておくが頼んだのは俺だぞ」

「そこまで信頼できるっていうの?」

 

 一花さん、三玖さん、四葉さん、五月さんの視線が風太郎や僕に向かってくる。

 さすがに黙ってはいられず、口を開きかけた時だった。

 

「別に完全に信じている訳じゃない。橙矢もれっきとした男だし、らいはは可愛いからな」

「だったら──」

「だがな、理由も無く暴力をふるったりはしない。無理したり自分の(から)に閉じこもっていたりするのは欠点だが……バカなくらい優しいんだよ」

 

 風太郎、ほめているのか悪く言ってるのかよく分かんないよ。

 でも1年前のことを思うと、言っていることは間違っていない。少なくとも僕の悪い部分は。

 

「らいは、橙矢と帰るのは嫌か?」

「そんなことない。お兄ちゃんと友達でいてくれる橙矢さんなら安心だよ!」

 

 思わず夕焼けに染まる空を見上げた。そうでもしないと顔がぐちゃぐちゃになる気がしたから。

 

「というわけだ、二乃。しかし驚いたぜ。お前がらいはを心配してくれるとはな」

「なっ、違うわよ!」

「……二乃、顔が赤い」

「ゆ、夕方だからそう見えるだけ。変なこと言うんじゃないわよ、三玖!」

 

 視線を戻すと、二乃さんがずんずんと背を向けて歩いていくのが見えた。

 一瞬、宿題なんかお断りと逃げたのかと思ったけど、振り返って「さっさと宿題を終わらせるわよ」と姉妹に呼びかけたから一安心。

 

「橙矢」

「何?」

 

 他の姉妹も帰らせようと背中を押していた風太郎が振り返ってきた。

 

「去年のことで俺に変な気遣いはしなくていい」

「……えっ!?」

「じゃあ、また後でな」

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 どうやら、風太郎があんなことを言うなんてと思ったのは僕だけじゃなかったようだ。

 

「もー、橙矢さんや五月さんたちの前で……」

 

 みんなの前で「らいはは可愛い」と兄が言っちゃったからなあ。

 家に向かうらいはちゃんの歩き方が少しぎこちない。

 

「はっきり言ってたね、風太郎」

「私のことよりも……橙矢さん、お兄ちゃんのこと怒ってない?」

「まさか。全然気にしていないよ。

 僕の良い所も言ってくれたし」

 

 らいはちゃんもありがとうと伝えると、やっと笑顔が戻った。

 しばらくさっきの出来事について歩きながら話していたのだが──

 

「ねえ、橙矢さん。お兄ちゃん、五月さんたちと仲良く勉強できてる?」

「……! どうしたの急に」

「お兄ちゃんがセクハラしたって、五月さんが言ってたから」

 

 風太郎、今すぐここに瞬間移動して説明してよ。

 

 たぶん二乃さんに(おお)いかぶさったことか、五月さんを壁際に追い詰めたことのどっちかだと思う。

 

「誤解なんだよ。嫌な思いをさせたって風太郎は謝ってたし」

「うん、給料をもらった時もそう言ってた」

「それに、あのお姉さんたちともちゃんと勉強できているんだ。例えば──」

 

 四葉さんが最初から授業を素直に受けてくれたこと、三玖さんが風太郎の説得に心を開いて信頼してくれるようになったことを教えた。

 何とか安心してくれると良いんだけど。

 

「そうなんだ。リボンのお姉さんとヘッドホンのお姉さんが……」

「うん、みんな風太郎の頑張りによるものだから」

「じゃあ五月さんは?」

 

 あっ、これは詰んだかも。王手飛車取り以上の絶望レベルだ。

 どうする? 学校での『太るぞ事件』から今日までのことをありのままには言えないよ。

 

 考えろ、玉を詰ませても王を詰ませる訳にはいかない。

 

「い、五月さんも大丈夫。風太郎の出した問題を熱心に解いたり復習したりしてくれているから」

「ほんと!? よかったー」

 

 危なかった、ギリギリで王将は助かったよ。とはいえ罪悪感が半端ない。

 何とか7人全員そろって授業ができるようにしなければ。

 

「あっ、着いた! 橙矢さん、疲れたでしょ? あがっていってよ」

「えっ、いや僕は……」

「水くさいよ。お兄ちゃんやお父さんは良いって言ってたから。それに、いつもみたいにお母さんを拝んでいって」

 

 参ったな、そう言われると弱い。風太郎一家には恩義があるし、断るのも悪いな。

 拝んだらすぐに失礼するから、とらいはちゃんに言うとニコニコしながらはねっ毛を揺らした。

 

 この時僕は気づいていなかった。風太郎とらいはちゃんの計画にはまっていたことに……




 原作で、風太郎が5つ子をマンションに帰らせた時に妹はどこで何をしていたのかと気になったので書いてみました。おそらく、風太郎たちについて行ってはいないと思っているのですが……

 今回で一花と二乃の選択科目が判明しました。久しぶりの投稿なので、科目を整理してみます。

・音楽 一花 
・美術 二乃
・情報 五月、橙矢
・書道 ??? 
・工芸 ???


 三玖、四葉、風太郎の科目がまだ不明なので予想してみてください。特に風太郎は情報以外のどの科目を選んでいるのか?

 次回は上杉兄妹の計画が明らかになります。
 花火大会では宝物の1つが大活躍する……かもしれません。


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第011話 トラブルだらけのお祭り(屋台編)

『優しそうな人だね、風太郎のお母さんって』

『お前……』

 

 去年、風太郎の家で写真立てに初めて手を合わせた時だった。顔を背けながら「嫌とは言ってないだろ」と友達がぶっきらぼうにつぶやいたのは。

 

 あの時は兄の態度を注意するらいはちゃんに、ガハハと笑う父親の勇也さんとなかなかのカオス状態だった。

 

 今日も、いつものように正座して祈ろうとしていたんだけど──

 

「はーい、橙矢さん。動かないでね」

「……ゆ、油断した」

 

 目の前には静かにほほ笑む上杉兄妹の母親ではなく、満面の笑みで右手にハサミを持つらいはちゃんがいた。

 何をされるかは分かっている。もう覚悟を決めるしかない。

 

「安心してよ、お兄ちゃんで慣れてるから。

 そうだ! どうせなら同じようにする?」

「いや、大丈夫!

 逃げないから、前だけでお願い!」

 

 ええーっと不満そうだけど、絶対にゆずるもんか。()()が似合うのは風太郎しかいないよ。

 

「残念。気が変わったらいつでも言ってね。

 せっかく女の子の友達が5人もできたんだから」

「えっと……それってどういう意味?」

「ダメだよ、橙矢さん!

 そこはお兄ちゃんみたいになっちゃダメ!」

 

 げっ、ハサミが迫ってくる。

 逃げるな、目を閉じるな──

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「あっ、いたいた! お兄ちゃんたちだ」

「あーあ……これ気に入ってたのに」

 

 鬼のお面を取るとまわりの屋台や提灯(ちょうちん)が明るく見える。

 らいはちゃんと先に花火大会の会場に来たけど、意外に早かったな。

 

「みんな、宿題お疲れさまー!

 お兄ちゃん、こっちも全部うまくいったよ」

「これで少しはテストも満点に近づくかもな」

 

 言ったなー! ようし、来月の中間テストでびっくりさせてやる。

 

「風太郎、ありが──」

「わーっ! 宝条さん、前髪切ったんですね!」

 

 テンション高いな、四葉さん。

 そういえば、5つ子裁判で前髪を払った時には用事でいなかったっけ。

 

「らいはちゃんが切ってくれたんです」

「へえ、良かったじゃん。 

 これは五月ちゃんの反応が楽しみですなー」

「は? 一花、何言ってんの?

 妹ちゃんの腕が良いだけでしょ」

 

 5つ子裁判の時も五月はドン引きしてたじゃない、と二乃さんがズバッと言ってきた。

 

「二乃、トーヤは料理をほめてくれたのに」

「なっ……!?」

 

 三玖さんの言葉はすごい。嫌そうな顔があわてたような表情になっている。

 というか、五月さんの前でこんな話をしても……あれ、そういえば姿が見えない。

 

「ふん! マイナスからゼロになったって所ね」

「二乃、きびしいよー」

「ああもう、四葉まで!

 屋台に行くんじゃなかったの?」

「そうだった! らいはちゃん、いっしょに行きましょう!」

 

 あっという間に4姉妹とらいはちゃんが人混みの中に消えてしまった。

 風太郎は大きくため息をつきながら、(さく)に寄りかかっている。

 

「風太郎、いろいろありがとう」

「俺は裁判の借りを返しただけだ。

 礼なら、らいはに言ってくれ」

「もちろん、自転車でここに来る間に言ったよ」

 

 返ってきた言葉が「お礼なんていいよ。これからもお兄ちゃんとずーっと友達でいてね」だったからなあ。

 散髪代さえ受け取らなかったし。僕が小6の時にそう言えたか? 

 

「それならいい。予定が狂って最悪だったが、少し気が晴れた」

「勉強をやれるだけ進めたかったんだね」

「ああ。なんで俺は花火大会なんかに……」

 

 思い通りにいかない、と風太郎ががっくりとうなだれた。

 何とか元気づけようと鬼のお面を被っておどけたポーズをとる。

 

「バカ、そんなので笑うのは四葉くらいだ」

「うーん、ひょっとこにすれば良かったかあ。

 でも来年は受験で忙しいし、今日くらい──」

「2人とも、何をしているのですか?」

 

 ん? 誰? どこから声がしたんだ?

 

「あ、あんまり見ないでください」

「誰だ? 橙矢はともかく、お前らが髪型を変えるとややこしいから困るんだが」

「なっ!?」

 

 おそるおそるお面を外すと、食べかけのフランクフルトを手にした人がいた。

 あの星形のヘアピンに、鮮やかな赤の浴衣……ということは。

 

「何ですか、その言い方は! 私は──」

「五月さん、浴衣の着付けが間に合って何より」

「えっ……」

 

 あ、あれ。間違えた?

 

 いや、そんなはずはない。確実な根拠が2つもあるのだから。

 

「あ、合ってます。五月です。

 宝条君、その前髪は……」

「切ってくれたんです、らいはちゃんが。五月さんも夏っぽくまとめて気合入ってるじゃないですか」

「……! ありがとうございます」

 

 なぜか五月さんは後ろ髪をいじりながら下を向いてしまった。

 でも、よかった。髪型を変えた人が他にもいるのはホッとする。

 

「なあ、橙矢。何で五月だと分かったんだ?」

「うん、それは──」 

「お姉さんたちは見てたよー」

 

 花火大会の日程を見ている三玖さんに、一花さんが後ろから抱きついている。

 どうやら屋台でお目当てのものはまだ見つからなかったらしい。

 

「トーヤ君、五月ちゃんだと気づいたでしょ。

 やっぱりフランクフルトを食べてたから?」

「いえ、ヘアピンと浴衣で分かりました」

 

 はねっ毛や食べ物以上に、ヘアピンは決定的だったな。

 もちろん浴衣も決め手になった。他の4人は赤が目立つ色や柄じゃなかったし。

 

「やるじゃん!

 でも、ちょっとほめ方が(かた)いかな」

「むむ……」

 

 もっと力を抜きなよ、と肩をポンポンとたたいて一花さんは風太郎の方に向かっていった。

 髪型をほめないといけない、女子に興味を持とうとアドバイスしている。

 

(前髪以外にも、臆病なところがあったんだな)

 

 5年前に『家族』を失言で傷つけ、そして去年には学校で騒ぎを起こしたことが今も重くのしかかっている。

 後者は上杉一家のおかげで救われたけど……

 

「──ドキドキなんてしてないぞ」

「えー、本当に? 少し無言だったよ」

 

 ハッと顔を上げると、一花さんが何やらからかっている。

 食堂で初めて会った日のことを思い出すな。

 

「あいにくだが俺は知ってる。

 お前がどっちだろうと、どうでもいい」

「もう、ノリ悪いなあ。

 じゃあ、トーヤ君にも聞いちゃおっと」

 

 いやな予感。だけど、やられっぱなしの僕ではないぞ。

 さあ、どんと来い。風太郎みたいに動じず対応してみせる。

 

「ねえ、トーヤ君は興味ない?

 浴衣って本当に下着を着ないのか」

 

 小声とはいえ、何てこと聞いてくるんだ。

 近くに三玖さんと五月さんがいるんだけど。

 

「僕は浴衣を着たことが無くて……別に気にはなりません」

 

 よし、我ながらうまくかわせた! 僕だってやればできるんだ。

 

 ノリが悪いとか、つまらないとか言われようが問題ない。からかわれてあたふたしなければ、それで良し。

 これで僕の勝ち──

 

「えっ、興味無いの? 本当にー?」

「ぶっ!? な、何を!?」

 

 テスト返しの時に一花さんの部屋で経験した『からかい地獄(じごく)』再び。

 何を思ったのか、チラッと浴衣の胸元のあたりをめくってきたんだけど。

 

「あはは! すごい、耳まで真っ赤だよ。

 そっぽ向いてないでさ、確認してみない?」

「そ、その手には乗りません。

 確認は勉強や宿題で十分です」

 

 冗談(じょうだん)だからと笑う一花さんに「また負けた」とがっかり。おまけに自分でもはっきり分かるくらい耳が熱い。

 この余裕さはどこからくるのか。やっぱりお金持ちだし4人も妹がいるからかな。

 

「宿題と言えば……給料の問題は分かった?」

(なぞ)に多い5千円については何とか。

 雇い主の中野さんに伝えたのはきっと──」

 

 待って、と一花さんがストップをかけてきた。

 二乃さん、四葉さん、らいはちゃんが戻ってきて全員そろったからだろう。

 

「その続きは『心当たりがある人』に言いなよ。

 正解しているといいね、トーヤ君」

 

 5人分の金額を渡した理由も考えて、とウインクしながら一花さんは離れていった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「一花、何してんの? はぐれちゃうわよ」

「ごめーん。ちょっと電話」

 

 だいぶ人が多くなってきた。

 

 二乃さんを先頭にゾロゾロと歩いているけど、はぐれたり転んだりしないようにしないと。

 宿題について考えている場合じゃないな。

 

「二乃、さっきからどこに向かってるんだ?」

「別にどこだっていいじゃない。

 というか、何でアンタたちまでついてくるのよ」

 

 むすっと不満そうな二乃さんに、四葉さんが駆け寄っていく。

 

「みんなで見るほうがもっと楽しいよっ! 

 だよね、三玖?」

「……それにフータローたちがいれば、余計な声掛けが無いから助かる」

 

 よく分からないけど、風太郎が役に立っているなら何より。

 

「私は最悪なんですけど。イケメンから声がかからないから」

「二乃、まさかとは思いますが……」

「分かってるわよ、五月。

 今日は5人そろって花火を見るんだから」

 

 邪魔だけはしないで、と二乃さんが強い口調で風太郎と僕に向かって言ってきた。

 

「約束します。宿題を終わらせたんだから。

 そうだよね、風太郎?」

「ああ、俺も妹と来ているだけだしな。

 らいは、あまり離れるな。服でもつかんでろ」

 

 あっ、さすが兄貴。らいはちゃんもうれしそう。

 

「はーい。ねえ、お兄ちゃん!」

「どうした?」

「これ見てよ。四葉さんが取ってくれたの」

 

 金魚すくいの達人が身近にいた。どう見ても10匹以上は袋に入ってるよ。

 みんなと合流する前に僕も挑戦したけど、結果はゼロだった。

 

「どう飼うんだ。四葉、もう少し加減をだな」

「あはは、つい……不思議とプレゼントしたくなっちゃうんです」

「それに、花火まで買ってくれたんだよ!」

 

 一番いらねえだろ、と風太郎があきれた声でツッコミを入れた。

 

「まあまあ、風太郎。花火大会が終わっても楽しめるじゃん」

「全く……四葉お姉さんに礼を言ったか?」

「えへへ、四葉さんありがと! 大好きっ!」

 

 効果はバツグンだ。らいはちゃんにギュッと抱きしめられた四葉さんは──

 

「~~っ! あーん、可愛すぎます! 私の妹にしたいです」

「四葉さん、顔くすぐったいよー!」

「もっとこうさせてくださ……あっ、そうです! 私が上杉さんと結婚すれば合法的に義妹(いもうと)にできるのでは」

 

 言ってることは間違ってないけど、爆弾発言が飛び出した。

 二乃さんと五月さんは目を見開き、三玖さんはスッと目線を下げてる。

 

「自分で何を言ってるか分かってる?

 上杉も四葉に変な気起こさないでよ!」

「ねえよ!……っと、すまん。三玖」

「い、いい。大丈夫」

 

 いろいろ話してたけど、少し動いただけでも人にぶつかるくらいに混んでいる。

 うん、一花さんもいるし全員そろっているな。

 

「屋台が近いけど、ここで花火を?」

「トーヤ、ここじゃない。

 二乃が店の屋上を借り切っているから」

「と、特等席……」

「お前らが金持ちなのはよく分かった。

 そういうことなら、さっさと行こうぜ」

 

 同感。屋台が気になるけど、さすがにこの人混みはきつい。

 バッグを持ってきていなかったら絶対に宝物を落としてた。

 

「待ちなさい。せっかくのお祭りなのよ。

 みんな、アレも買わずに行くわけ?」

 

 アレってなんだ。お面と金魚と花火じゃないことだけは分かる。

 

「あ、何が言いたいか分かるよー」

「そういえば買ってない」

「早く食べたいなー」

「やってる屋台ありましたか?」

 

 何のことやらと風太郎とらいはちゃん、僕は「?」状態。

 せーので同時に言うようだけど、5人全員お気に入りの物が何なのかは興味が──

 

「焼きチョコかき人形リンゴ焼きバナナ(あめ)氷そば」

 

 今、何て言った? 聖徳太子なら聞き取れるかもしれないが。

 何よりびっくりなのは5つ子が「分かった」という顔をしていることだ。

 

「全部買いに行こーっ!」

「橙矢、本当にあいつら5つ子か?」

 

 ま、まあ選択科目だって見事にバラバラだったらしいし。

 留守を風太郎たちに任せて、僕も屋台に行ってみることにした。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「ハフハフ……たい焼きうめえー!」

 

 何を買おうかと悩んだけど、これだとビビッときた。風太郎やらいはちゃんの分も買ったし、すぐに戻ろう。

 あれ、そういえば風太郎は生魚が嫌いだった気が……まあいいか。見た目はともかく味が違うし。

 

(ん? あの目立つうさ耳リボンは……)

 

 なぜか立ったまま動かない後ろ姿が見えた。

 みんなと別れた場所はすぐそこなのに。何かあったのかな?

 

「四葉さん?」

「わあっ!? あっ、宝条さん」

 

 びっくりさせてしまったか。人混みでうるさいから、聞こえるように声を張り上げたのが逆によくなかったのかも。

 それよりも問題なのは──

 

「ご、ごめんなさい。

 チョコバナナが……」

 

 驚いた弾みで落ちてしまった。見るも無残な姿になっている。

 すぐに買ってくると走ろうとしたが、四葉さんが止めてきた。

 

「いえ、いいんです! 大丈夫ですよっ。

 つい多く買っちゃって食べきれなかったんです」

 

 そういう訳には、と落ちた食べ物をティッシュで包む。

 台無しにした以上、何かしないと気が済まない。

 

「本当に大丈夫です。

 別に気にしていませんから」

 

 ちらっと四葉さんが視線をずらした。その先を見ると風太郎とらいはちゃん、それに三玖さんがいる。

 小さくてよく見えないけど、三玖さんが2人に何かを渡しているみたい。

 

「先に戻っていたみたいですね。

 他の3人はまだだから、やっぱり弁償(べんしょう)を──」

「それよりも宝条さん……聞いてもいいですか?」

「え? ええ、どうぞ」

 

 何だろう。気のせいか、さっきと雰囲気がかなり違う。

 

「宝条さんから見て、三玖は──」




 果たして四葉の『聞きたいこと』とは!?

 次回は風太郎が、そして橙矢が花火大会の会場を走り回ります。
 誰が誰を見つけるのか。まさかのトラブルに家庭教師コンビは……


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第012話 トラブルだらけのお祭り(家族編)

「三玖は上杉さんのことをす──」

 

 突然、四葉さんが黙ってしまった。屋台のにぎわいで声がかき消されたわけじゃない。

 

「す、すごい人と思っているように見えませんか」

「……? ええ、まあ」

 

 卒業試験やテスト返し、校舎の前で問題を出した時とでは風太郎を見る目が大違いだ。

 僕でも分かるくらいだから姉妹はもっとびっくりなのかも。

 

「やっぱり! 三玖は上杉さんと気が合うと思っていたんですよ」

 

 ししし、と急に歯を見せながらニッとして笑ってきた。

 いつもの笑顔だけど……何か引っかかる。

 

「ちょっと、四葉!

 なんでそいつといるのよ!」

 

 振り向かなくても、この責めるような声は分かる。予想通り、リンゴ(あめ)を持ってにらんでいる二乃さんがいた。

 ここで合流した、と言っても聞いてくれない。

 

「あんたにも言っておくわ。

 四葉に変な気を起こしたら許さないから」

「二乃、宝条さんは別に何も──」

 

 言い返す間もなく、四葉さんを引っ張って行ってしまった。

 気になることがあったんだけど……

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「機嫌直しなよー」

「納得いきません! 同じ顔なのに」

 

 全員集まったけど、何事かと驚いた。二乃さん以外にもプンプンと怒っている人がいたからだ。

 

「あの店主、一花には『可愛い』っておまけしたのに私には何も無しだなんて!」

「い、五月ちゃんだって可愛いよ。

 ほら、食べて元気出して」

 

 どうやら屋台で不公平なことがあったらしい。

 一花さんがベビーカステラの入った紙ぶくろを差し出したけど……

 

「ごめんなさい……今はそれを見たくありません」

 

 ぷいっと五月さんは顔を背けて先に歩き出してしまった。

 食べ物を無視した、と驚いている場合じゃない。

 

「あちゃー、困ったね」

「一花さん、これを」

 

 こっそりたい焼きをふくろごと渡す。少し驚いたような様子だったけどニヤッとしてきた。

 

「良いの?」

「僕はもう食べたから大丈夫。さあ、早く」

「ふふ、ありがと」

 

 一花さんなら、お姉ちゃんからだよーとか言ってうまく渡せる気がする。

 急いで追いかける姿を見ながらホッと一安心。

 

「そっくりなのって良いことだけじゃないんだ」

「うん、本当にそう」

 

 び、びっくりした……三玖さんか。風太郎といっしょにいる。

 背後にいつの間にかいるから、大げさではなく飛び上がってしまう。

 

「何だ、橙矢。腹の調子でも悪いのか?」

 

 気持ちだけで十分、と上杉兄妹はたい焼きをえんりょしていた。

 四葉さんにもおわびできなくてどうしようと思っていた時に、こうなったという訳だ。

 

「ま、まあね。あれ、らいはちゃんは?」

「四葉と近くの屋台に行ったぞ。

 全く、三玖からも人形焼きをもらったのに……」

 

 ああ、さっき渡していたのはそれか。三玖さんもらいはちゃんの笑顔にやられたのかな。

 

「私はおわびとお礼をしただけ」

 

 ボソッとつぶやきながら、三玖さんが風太郎から顔を背ける。

 気にはなったけど、二乃を見失っちゃうと歩き始めたのであわてて後に続いた。

 

「しかし、俺には分からん。

 そんなにお前ら花火を見たいのか」

「うん、花火はお母さんとの思い出だから」

「思い出?」

「そう。今はいないけど、昔は家族で毎年見てた」

 

 じゃあ5つ子のお母さんは……いや、聞くのはよそう。

 

「場所取りや宿題をがんばったのも……」

「今日は今年最後の花火だから。

 絶対に見逃す訳にはいかない」

「なるほど、だから二乃は邪魔をするなと」

 

 さすがに、そんなひどいことをするほど風太郎は鬼じゃない。

 僕だって同じだ。家族そろって何かを見るのは思うことがあるし。

 

(僕も見れるかな。いつか、7人そろって──)

 

 そう考えていた時、アナウンスが鳴り響いた。

 いよいよ花火の打ち上げが始まるみたいだ。

 

「あいたっ!」

 

 待ってましたとばかりに大勢の人が動いたからたまらない。

 ぎゅうぎゅう詰めになるわ、足を思いきり踏まれるわで散々だ。

 

 あ、あれ? みんなどこ行った?

 

「まずいな……」

 

 バッグとペンダントを揺らしながら、人混みをかきわけて走る。

 ひとまず、二乃さんがいた方を目指そう。みんなもそっちに向かっているかもしれないし。

 

 人混みを抜けたら全員いる──なんてことはなかった。

 せめて1人くらい誰かいてほしかったのに。

 

 落ち着け。こういう時こそ携帯電話だ。

 

「もしもし、風太郎? 今どこに──」

『お前の後ろにいるぞ』

 

 えっ、と振り向くと本当にいた。

 一瞬、1人かと思ったけど誰かを連れている。

 

「げ、よりにもよって……」

「二乃さん、先に行ってたんじゃ」

「上杉が道を間違えたのよ!」

「何言ってんだ。

 お前が歩くのが遅かったからだろ」

 

 あわてて、花火を見る場所はどこなのかと聞くと2人が口論をやめた。

 言い争っている場合じゃないと二乃さんが目の前のビルに向かって駆け出す。

 

「ここの屋上よ。きっとみんな集まってるわ」

「階段か。風太郎、競走する?」

「ふん、お前腹痛だろ。

 30階まで駆け上がった俺をなめるな」

 

 とんでもない言葉を聞いた気がするけど、それならそれで競いがいがある。

 結局、屋上に着いたのは3人同時。花火は──

 

 ヒュウウウ……ドォォン!!

 

 良かった、間に合った。さすが借り切っているだけあって他に人はいない……いない?

 

「やば、どうしよ」

「おい、二乃。あいつら来てないぞ」

「私しか知らないわ。花火を見るお店の場所って」

 

 な、なんだって!?

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 ぼーっとしていたのは夜空に次々と輝く花火を見ていたから、だけじゃない。

 

「そもそも花火は戦国武将とも関わりがあってな。例えば徳川家康や伊達政宗は……」

 

 何を思ったのか、さっきから学年トップの優等生が花火にまつわる解説をしている。

 三玖さんだったら目を輝かせたかもだけど──

 

「全然つまんない!

 あんた達と花火を見るなんて何の罰ゲームよ!」

「お前が悪いんだろ!

 場所くらい姉妹に教えておけよ」

 

 これはもう、らいはちゃんと4姉妹を探しにいくしかない。

 1時間以内で間に合うか、なんて考えは無しだ。

 

「ちょっと黙ってて……もしもし、四葉?

 花火始まっているけど、今どこ?」

 

 良いタイミングで二乃さんの携帯に電話がかかってきた。

 もし5人全員いっしょなら話は一気に解決する。

 

「妹ちゃんと時計台? 他には……そう。

 分かった、迎えに行くからそこにいて」

 

 ダメか。でも、5人中2人の場所が分かっただけでもありがたい。

 

「あんたたち、何ボサッとしてんの。

 時間が無いんだから電話くらいしなさいよ」

「仕方ねえな……あ、無理だ」

「何でよ」

「親父とらいはと橙矢の番号しか無い」

 

 少しの沈黙の後、「何よそれ、使えない!」と二乃さんが心底あきれたようにわめいてきた。

 僕の携帯も似たり寄ったりだけど、望みはある。

 

「宝条、あんたはどうなのよ?」

「番号は分からないけど、これで何とか」

 

 携帯の画面を2人に見せた。

 あ、あれ? 何で無言?

 

「お前、その連絡先でどうしろと」

「上杉の家族に……『施設長』!?

 怪しさしかしないんですけど」

 

 げっ、間違えた。今の無し、ノーカウントで。

 

「ごめん、違った! 忘れて!

 見せたいのはこっちです」

「……『中野父』!?」

 

 見事に風太郎と二乃さんの声がハモった。

 

 僕らの雇い主で5つ子の父親でもある中野さんに電話番号を教えてもらう。

 いやあ、補佐役の依頼があった時に登録しておいて良かった。

 

「バカなの? パパに連絡先を聞くつもり?」

「ご名答。バカでも何でも試してみます」

「ま、待ちなさい!」

 

 構うもんかとスッと通話ボタンに触れて、携帯を耳に当てた。

 しばらく呼び出し音が鳴っていたけど、全く応答無し。

 

「ダメでした」

「だから言ったじゃない! 何考えてんのよ」

「悪いが俺も同感だ。

 だいたい、番号なら二乃に聞いた方が早い」

 

 ヒューッと風が吹き抜けていった気がした。本当だ、言われてみれば……何をやっているんだか。

 

「というわけだ、二乃。

 連絡先を教えてくれたら電話するぞ」

「お断りよ!」

 

 だったら電話しろなんて言うなよ、と頭を振りながら風太郎は手すりに近づいた。

 きっと上から探すつもりなんだ。まだ居場所が分からない他の3人を。

 

「おい、あそこにいるの一花じゃないか?」

「え!?……間違いないわ。

 だけど、なんで電話に出ないのよ」

「携帯で誰かと話してる」

 

 バッグから双眼鏡を取り出して目に当てると、はっきりと姿が見えた。

 風太郎に渡して確認してもらおうとしたけど……

 

「ちょっと、そんな物で一花を見ないで!」

 

 いや、緊急事態なんだから今は許して。

 

「しょうがねえな、俺が一花を連れてくる」

「あんたが?」

「お前の相手をしても話が進まない。

 橙矢、手分けして探すぞ」

「……ふん、何よ」

 

 風太郎が屋上からいなくなった。まあ、電話番号が分かる望みも無いし双眼鏡も使えないんだ。

 となると、ここにいる意味は無い。

 

「僕も、みんなを探してきます」

「どうだか。口では何とでも言えるわよ。

 上杉もすぐに諦めるか逃げるに決まってる」

 

 そう言ってくるのか。だったら、僕に今できることはただひとつ。

 今だけ許して──()()()

 

「じゃあ、これを預けます」

「は!? 何のつもり?」

 

 双眼鏡を差し出すと、とてつもなく嫌そうな顔をされた。

 気が利くわね、ありがとうなんて期待はしてなかったけどさ。

 

「風太郎が口先だけ、って言われるのは嫌なんだ。

 それに、今は二乃さんが使う方が役立つでしょ」

「い、いらな……」

 

 汚れものを見るような目で後ずさりしたけど、下にいる大勢の人を眺めて無言になった。

 

「そ、その辺に置いときなさいよ」

「了解」

「言っとくけど、あんたが変なことに使わないようにしたいだけなんだから!」

 

 近くのテーブルに双眼鏡をそっと置いて屋上の階段を駆け下りる。

 見てろ、風太郎と僕で全員探し出してみせる。

 

 とりあえず、行方不明の姉妹を探しながら四葉さんたちがいる時計台に向かおう。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「四葉さん! らいはちゃん!」

 

 結局、他の姉妹は誰も見つけられず時計台に着いちゃったよ。

 もしかして風太郎が全員発見したのかな。

 

「ややっ、宝条さん」

「お兄ちゃんは……って、すごい汗! 大丈夫?」

 

 半袖とはいえ、制服で人混みの熱気の中を走ったからか。

 汗びっしょりで(のど)がカラカラたけど、どうってことない。

 

「僕は平気。それより急ごう!

 二乃さんから花火を見る場所を聞いたから」

「おおっ、助かります」

 

 みんなで花火を見れる、とうれしそうな2人に一瞬和みかけた。

 だけど、のんびりはしていられない。風太郎に『2人を連れていく』とメールをしておいてと。

 

「案内するので、ついてきてください。

 らいはちゃんは制服の袖でもつかんで──」

 

 ギュッ

 

 風太郎を見習って、はぐれないようにしなければと思った時だった。

 

「えっ……あの、らいはちゃん?」

「あははっ、手をつないだほうがいいよ。

 四葉さんも、はいっ!」

「~~っ! やっぱりかわいすぎます!」

 

 もしかして服の袖がのびることを気にしたのかな。別に平気なのに。

 でも、はぐれたら最悪か。らいはちゃんと手をつないで四葉さんも大喜びだし。

 

「らいはちゃん、歩きにくかったら言ってよ」

「大丈夫! こうしてると楽しいから」

 

 あれ、なんでだろ。両手がふさがってるのにニコニコ顔だ。

 

「えへへ、実はお兄ちゃんや五月さんともこうしたんだよねー」

「えっ、五月とですか?」

 

 ゲームセンターでプリクラを撮った、とらいはちゃんが歩きながらはしゃいだ。

 何だっけ、それ。撮った、ということは写真みたいなものかな。

 

 そうか、3人で行ってたんだ。これで風太郎に対する五月さんの見方が変われば嬉しい。

 

「それは良かったね。楽しかった?」

「うん、こんなふうに手をつないだの!

 まるで『家族』みたいな気分だったよ」

「家族!?」

 

 四葉さんと声が同時に出た。思わずらいはちゃんとつないでいる右手を見てしまう。

 たぶん左手をまじまじと見つめている四葉さんもとまどっているに違い──

 

「聞きましたか、宝条さん。

 家族ですよ、家族!」

 

 急に目を輝かせたと思ったら、ギュッとらいはちゃんにくっついた。

 さっきも見た光景だ。なるほど、そういう事か。

 

「そういえば、妹にしたいって言ってたっけ」

「二乃と五月には怒られちゃいましたけど」

「じゃあ橙矢さんは──」

 

 わくわくしたような顔でらいはちゃんが見上げてきた。

 いや、そんなふうに見られても答えようが……

 

「姉、妹とくれば宝条さんは真ん中ですね!」

「えっ、真ん中!?」

 

 きょうだい路線でいくなら一番上と言われると思っていたよ。

 長男にはあこがれがあったんだけどな。

 

「はいっ、私は5月生まれで結構早いですよー。

 宝条さんは何月生まれですか?」

「……7月です」

 

 じゃあ決まりですね、と四葉さんがえっへんとドヤ顔をしてきた。

 むう、風太郎みたいに4月と言えればな……しかたないか。

 

「じゃあ真ん中としてきっちり案内するから」

「うん! よろしくね、橙矢さん」

「ししし、四葉お姉さんと呼んでも良いですよ」 

 

 後が怖いからやめよう。一花さんにからかいのネタを提供するだけだし。

 二乃さんにバレたら抹殺されてもおかしくない。

 

「橙矢さん、照れることないよ!」

「べ、別にそういうわけじゃ……」

「四葉さんは授業を特に熱心に受けてくれる良い人、ってほめてたよね?」

 

 歩きながら「これは参ったな」と頭をかくしかなかった。

 言ったけど、本人がいる前だとさすがに……

 

「宝条さん……!」

 

 よ、四葉さんの目の輝きが半端じゃない。ここまでくると宝石レベルだ。

 花火を見る建物にも近づいたし、そろそろ──

 

「四葉さん、何か聞こえるけど携帯鳴ってる?」

「えっ……あ、二乃からですね。

 らいはちゃん、ありがとうございます」

 

 おっ、ちょうど良かった。もう目の前まで来てるから心配ないって伝えられるよ。

 

「宝条さん、二乃が電話を代わってほしいと」

「僕に?」

 

 らいはちゃんとつないでいた手を放して、携帯電話を受け取る。

 あれ、四葉さんに用があるんじゃないのか。

 

「もしも──」

『あんた、いつまで四葉とくっついてんのよ!

 さっさと一花や三玖、五月を探しなさい!』

 

 思わずひっくり返りそうになった。耳と頭がクラクラしながらも、何て大声なんだと目の前の建物を見上げる。

 

「こ、声の音量下げて。

 その3人と連絡は?」

『ぎりぎり話せたのは五月だけよ。場所は──』

 

 どうやら、五月さんは僕がみんなとはぐれたあたりの所にいるらしい。

 

『ぼやぼやしてないで急いで! 五月はすぐ迷うから早く向かわないと手遅れになるわ!』

「分かりました」

 

 後は二乃さんが案内してくれる、と携帯を四葉さんに返した。

 さて、もうひとっ走りといこうか。

 

「橙矢さん、五月さんたちを見つけてあげてね」

「うん! 何かあったら電話して」

 

 花火大会が終わるまで40分を切ってる。だけど不安になっている場合じゃない。

 3人を見つける、これだけに全力集中するんだ!




 また投稿に時間がかかってしまい、大変申し訳ありません。
 
 次回で花火大会編を書ききることができれば、と考えています。
 姉妹を全員見つけられるのか、そして橙矢の決死の突撃をお楽しみに!


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第013話 トラブルだらけのお祭り(信頼編)

「一花さん! 三玖さん! 五月さん!」

 

 だめだ、全然見つからない。

 

 もっと声を出さないと、屋台のにぎわいや花火の音にかき消されてしまう。

 

「トーヤ?」

「……え?」

 

 振り向くと1人見つけた。だけど、誰?

 待て、落ち着こう。5……4……2……

 

「三玖さん?」

「そう。髪型変えたのによく分かったね」

 

 いや、難しかった。6人目の姉妹かと思ったよ。

 

「ああ、良かった。

 そうだ! 一花さんと五月さんを見てない?」

「五月はいたよ。

 さっきフータローが探しに行った」

 

 だけど、それっきり戻ってこないらしい。

 いくら何でも遅いと顔をしかめてくる。

 

「風太郎が三玖さんを見捨てるはずないよ」

「べ、べつに私は……ただ足が痛むだけ」

 

 確かに片足に布が巻かれている。踏まれた所を風太郎が手当てしてくれたらしい。

 頼りになるレスキュー隊ってやつか。

 

「トーヤ、私は大丈夫。

 一花と五月を探して」

「でも……」

「お願い。五月は方向音痴なところがある。

 一花は、ひげのおじさんといっしょらしいし」

 

 ひ、ひげのおじさん!? 屋上から見た時はいなかったけど。

 だけど迷ってはいられない。

 

 せめて何かできることは……あっ。

 

「三玖さん、花火大会の案内を持ってる?」

「えっ? うん」

「少し貸してくれませんか」

 

 屋台の位置が分かる会場の全体図は──あった!

 

 書く物は無いかと制服のポケットを探すと、ちびた鉛筆を発見。

 よし、花火を見るビルのあたりに印を付けてと。

 

「花火を見る建物はここだから。

 一花さんか五月さんに会ったら教えてあげて」

 

 無理はしないで、と案内を返して走ろうとした時だった。

 

「待って、トーヤ」

「おっとと……な、何?」

「案内が無くて平気なの?

 携帯で撮っていったほうがいい」

 

 ありがたい、と会場の地図をしっかり撮る。

 

「助かります。じゃあまた後で」

「気を付けて」

 

 携帯を確認しながら人混みをかき分けて進む。しばらくすると見覚えのある場所に着いた。

 間違いない、みんなとはぐれた所だ。

 

「二乃さんの情報通りなら……」

 

 少なくとも五月さんは近くにいるはず。なのに姿が見えない。

 あせるな。このまま時間切れになってたまるか。

 

 待てよ、屋台で誰か2人を見た人がいるかも。

 とはいえ手あたり次第に聞く時間は無い。

 

 よく思い出せ。5姉妹は何を買っていた?

 

 四葉さんはチョコバナナ、二乃さんはリンゴ飴、三玖さんは人形焼き。

 まだ見つかっていない残る2人は?

 

『あの店主、一花だけ可愛いって──』

『五月ちゃん。これ食べて元気出して』

 

 分かった、あの店だ!

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「可愛いっておまけ? ああ、ショートカットの嬢ちゃんだろ。さっき見たぞ」

「ほ、本当に!?」

 

 ベビーカステラそっちのけで店主に詰め寄った。

 

「背が高くてやせた少年を引っ張ってたな。

 うらやましい。おじさんももっと若ければ──」

「何だって、アンタ?」

 

 ドスのきいた声がして、僕や店主のおじさんより強そうな女の人が現れた。

 げっ、とまずそうに店主が縮こまるってことは夫婦かな?

 

 いや、それよりも確認しないと。

 

「店主さん、その少年って制服姿でした?」

「お、おう。あんちゃんと同じだったぞ」

 

 良かった、間違いなく風太郎だ。ひげのおじさんを追い払ったのか。

 だけど五月さんを探しに行ったはずなのに。

 

「あの、実はもう1人探してるんです。おまけした子といっしょにいた女の子なんだけど」

「うーん、悪いが覚えが……」

 

 そんな、ここがダメなら手あたり次第に探すしかない。

 

「ちょっとお待ち」

「……?」

「その子って、赤い浴衣で髪が跳ねてない?」

「ええ、星形の飾りも付けてます」

 

 こめかみの辺りを指さす。すると店主の奥さんが大きく頷いた。

 ぽかんとしている店主に詰め寄っていく。

 

「本当に覚えて無いのかい!?

 おまけした時に表情が暗くなってた子だよ!」

「そ、そう言われてもな……」

 

 売るのに忙しくて注意できなかった自分も悪いが、どうして2人ともおまけしなかったのかと容赦ない。

 あまりの迫力に店主もたじたじだ。

 

「もしかして見かけたんですか?」

「ついさっき、あっちの方に行ったよ。 

 1人で何だか慌ててたね」

「ありがとうございます!」

「坊やの友達かい? 早く見つけておやり」

 

 こっちは心配いらない、と笑った奥さんに頭を下げてダッシュする。

 人混みをよけて、しばらく進むと──見えた。

 

「五月さん!」

 

 声がかすれたけど、何とか聞こえたのか立ち止まってくれた。

 ゆっくり振り返ってきたけど──

 

「えっ」

 

 赤い。目元も鼻も真っ赤だ。

 さっき怒っていた時とは、似ているようで違う。

 

「……どうぞ」

「ぐす……すみません」

 

 バッグから出したハンカチを渡して、そのまま待つことにした。

 さすがに泣き顔は予想外。

 

「ありがとうございます。

 私としたことが……取り乱してしまって」

「合流できて良かった。もう平気?」

「ええ、お陰様で」

 

 ホッと息をつき、花火を見るビルに急ごうとすると「場所が分からない」と目を伏せてしまった。

 二乃さんから聞いたと伝えると、驚いたのか質問攻めで迫ってくる。

 

「ど、どうやって二乃から聞いたのです!? 

 そもそも、なぜ私たちのために──」

「後で話すから。

 急がないと花火が終わってしまう」

 

 聞きたそうだったけど、何とか頷いてくれた。

 よし、と歩きかけた瞬間「待った」がかかる。

 

「あの、宝条君」

「はい」

「さっき上杉君とはぐれたんです。

 また迷うのは嫌で……その……」

 

 何だろう、もじもじしてるけど。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 さっきから五月さんが静かだ。

 

 歩きながらチラッと横を見ると、うつむきながら僕のバッグのベルトを片手でつかんでいる。

 

「あの……歩くの速い?」

「えっ!? だ、大丈夫です。

 一花が行方不明なのが気がかりで」

 

 風太郎がいっしょにいる、と言うと五月さんは首をかしげた。

 

「どうして、そう断言できるのです?

 上杉君は気づいたらいなくなっていたのに」

「それは──」

 

 屋台での聞きこみで得た情報について話すことにした。

 ただし、ベビーカステラの店で聞いたという点は伏せる。

 

「間違いないよ。

 やせた制服姿の少年といっしょって聞いたから」

「彼がそこまで協力的になるとは思えません」

 

 決して置いて行かれた私怨(しえん)ではない、とキッとした目で五月さんが見てきた。

 バッグをつかむ手の力が強くなったような。

 

「花火を見る場所で風太郎が二乃さんに言ってた。

 俺が一花を探してくる、って」

「う、上杉君が!?」

 

 風太郎が黙っていなくなったことにはガツンと言っていい。

 だけど本気で探している、と力強く伝える。

 

「あなたは変わっています。

 勉強で彼に恩があるのは分かりますが」

 

 参ったな、ばれてるよ。もっとも風太郎とはいつか肩を並べてみせるけど。

 勉強で追いついてこそ恩返し──あれ?

 

「宝条君!」

「な、何?」

「あれって上杉君では……」

 

 指さすほうに目をこらして見ると確かにいた。

 一花さんといっしょ……いや、様子がおかしい。

 

「急ごう!」

「えっ」

 

 知らない男性と言い争っている。

 

 五月さんの手を引っ張りながら人混みを押しのけていく。

 もう少しという所で風太郎の声が聞こえた。

 

「俺はこいつの……こいつらの『パートナー』だ。

 返してもらいたい」

 

 よくぞ言った、と感激したいところだけど男性には意味不明だったらしい。

 一花ちゃんから離れろと手を伸ばしてきた。

 

 ガシッ

 

「な、なんだ君は!? 

 邪魔しないでくれ!」

「風太郎、今のうちに!」

「すまん、助かる!」

 

 口ひげが目立つ男性の手を何とか止めることができた。

 風太郎は一花さん──ではなく髪型を変えた三玖さんをガードしている。

 

 ケガは無さそうで、一安心したのもつかの間。

 

「宝条君……急に……走らないで……ください」

「あ……ごめん、五月さん!」

 

 あわてて手を離したけど息も絶え絶えだ。

 気のせいか、風太郎たちの視線が痛い。

 

「なっ、一花ちゃんが2人!?」

 

 僕のもう片方の手を振りほどいた男性が、三玖さんと五月さんを交互に見ている。

 この人が『ひげのおじさん』か。

 

「違う、よく見てくれ。

 こいつらは一花じゃない」

「な、何を訳の分からないことを。

 どちらかは一花ちゃんのはずだ」

 

 全然聞いてくれないんだけど。

 そもそも、この人は誰?

 

「とにかく、返したまえ。

 うちの大切な『若手女優』を!」

「え?」

 

 おじさん以外の全員の声が重なった。風太郎は動かないし、三玖さんと五月さんは顔を見合わせている。

 女優って……あの女優?

 

「おい、一花! どういうことだ。

 撮影ってカメラマンの助手じゃないのかよ」

 

 風太郎の視線の先にいたのは、本物の一花さん。

 質問を見事に無視して、ひげのおじさんのほうにゆっくりと歩いていく。

 

「ごめんなさい、社長」

「一花ちゃん? これはいったい……」

 

 一花さんの説明のおかげで、何とか話が進んだ。

 でも、社長となると僕も大変な勘違いをしていたというわけで。

 

「その……すみませんでした。

 怪しい人と間違えてしまって」

「いやなに、私こそ悪かったね。

 人違いしたうえに話も聞かないとは」

 

 お互いに頭を下げる僕と社長さんに、風太郎は「何でお前が謝るんだよ」と突っこんできた。

 

「さあ、一花ちゃん。急ごう。

 オーディションに遅れちゃうよ」

「ちょっと待て!」

 

 風太郎もあせったらしい。そりゃそうだ、オーディションなんて聞いてない。

 

「止めないでくれ。人違いの件なら、後日あらためておわびするから」

「その件はいい。姉妹で花火を見る約束が先だ」

 

 芸能プロダクション社長だろうと関係ない、と風太郎が近づく。

 にらみ合う2人もだけど、一花さんを見る三玖さんと五月さんも心配だ。

 

「一花、お前も何か言えよ。

 何のために浴衣を着て宿題を終わらせたんだ」

「一花さん、本当にオーディションに?」

「……フータロー君、トーヤ君。

 二乃と四葉にもよろしくね」

 

 なんで笑って行けるんだ。このまま何もせずに行かせるのは、後味が悪いにもほどがある。

 

「フータロー、トーヤ。一花をお願い」

「三玖さん……」

 

 そうは言っても、と風太郎が時計台を見上げる。あと10分で花火が終わってしまう。

 

「一花ちゃん、駐車場に行こう。

 そうすれば間に合うからね」

 

 少し離れた所から聞き逃せない言葉が耳に入ってきた。

 一花さんが車に乗ってしまったらアウトだ。

 

「風太郎、何とか話す時間だけでも」

「分かってる! だが、どうしろと」

「任せて。僕が頼んでみる」

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「お願いします、この通りです」

「ダメだ。また逃げられてはかなわない」

 

 追いついて社長さんに必死に頼みこんだけど、このありさまだ。

 この分からず屋、と風太郎が動きそうだったので何とか押しとどめる。

 

 こうなったら最終手段だと両ひざを地面につく。

 

「橙矢、何を──」

「待って!」

 

 全身の動きが止まるくらい一花さんが声を張り上げた。

 土下座しかけた僕から社長さんに視線を向ける。

 

「社長、誓って私はもう逃げないから。

 フータロー君とトーヤ君に何を言われても」

「一花、お前!」

 

 風太郎が何か言いかけたけど、一花さんに見られて急に黙ってしまった。

 社長さんは少し考え込んで、ため息をつく。

 

「しかたない。私が車を取りに行くから。

 一花ちゃんは、あそこの乗り場で待ってて」

「ありがとう、社長」

「ただし!」

 

 急に風太郎と僕に目を向けてきた。品定めするかのように見てくる。

 正直、あまり良い気分じゃない。

 

「君、ちょっとついてきてくれないか」

「えっ……分かりました」

 

 大丈夫か、という表情の風太郎と一花さんに「心配ない」と手を振って後に続いた。

 車に乗るまでは無言だったけど……

 

「君たちは、一花ちゃんの何なんだ?」

 

 駐車場から車を出したとたん、いきなり質問してきた。

 風太郎みたいに『パートナー』と言えたらかっこいいのに。

 

「家庭教師です。僕は補佐役だけど」

「だ、だが一花ちゃんと年はそう変わらないだろ」

「ええ。僕は宝条といいます。

 一花さんと同じ旭高校の2年生です」

 

 疑っているのか沈黙が少し続いた。助手席に座ったから、チラチラと見てくる視線が痛い。

 カーナビの地図を見て、やり過ごそうっと。

 

「まあいい。今はそういうことにしよう。

 正直1秒でも早く会場に着きたいのでね」

 

 ほんのわずかな時間だけでも、と頼んだが社長さんは首を横に振ってきた。

 

「残念だが、彼女の未来がかかっている。

 映画の役を決める重要なものなんだ」

 

 花火を見てオーディションにも間に合う方法は無いのか。必死に考えても名案が浮かばない。

 そうこうしているうちに乗り場が見えてきた。

 

「よし、一花ちゃんも逃げては……なっ!?」

「あっ」

 

 間の抜けた声が出た。風太郎が、一花さんの顔のあたりを両手でがっちりとはさんでいる。

 社長さんにとっては笑い事ではない。

 

「う、うちの有望な若手女優の顔に!

 しかもオーディション前に何てことを!」

「社長さん、落ち着いてください!

 暴力じゃなくて応援だと思うんです」

「もし、演技に響いたら……」

 

 風太郎と僕を一生恨むと社長さんが怖い顔をしながら車を停めた。

 覚悟はできている、とドアを開けて出たとたんクラクションが鳴り響く。

 

「一花ちゃん、早く乗って!」

「……! じゃあね、フータロー君」

 

 一花さんの様子に変なところはない、とすれ違う時に感じた。

 はっきり言って勘だけど。

 

「トーヤ君、その──」

「大丈夫」

 

 両腕を上げて、前後に左右に上下にぶんぶんと動かす。自分でもよく分からない。いつから僕は応援団になったんだ。

 めちゃくちゃであっと言う間だったけど──

 

「ぷっ、あははは」

「緊張が和らいだなら何より」

 

 だんだん顔が熱くなってくるのが分かった。だけど笑われたって別にいい、とも感じる。

 

「ありがとね。

 君のエール、確かに受け取ったよ」

「どういたしまして。

 二乃さんと四葉さんにはうまく言っておくから」

 

 うん、と頷いて一花さんは車に乗り込んで行ってしまった。

 やけに静かだと思ったら、花火が打ち上がっていない。終わったか。

 

「橙矢、何やってるんだ。急ぐぞ」

「そうだね。三玖さんと五月さんの所に──」

「バカ、一花を追うんだよ」

 

 えっ、と驚く僕などお構いなしで風太郎が走り出した。

 あわてて後ろから腕をむんずとつかむ。

 

「何だよ、このまま戻る訳にはいかねえだろ」

「オーディション会場の場所、知ってるの?」

「あっ……」

 

 この様子だと知らないみたい。

 だけど、心配ご無用だ。

 

「大丈夫。場所なら知ってるから。

 地図書くから少し待ってて」

「どうしてお前が知ってるんだ?」

「社長さんの車でカーナビを見たのさ」

 

 鉛筆はあるけど紙が無いな。生徒手帳のメモ欄を使うか。

 破るのも嫌だし手帳ごと渡そう。

 

「任せたよ。手帳は無くさないでね」

「ああ……って、お前は行かないのか?」

「そうしたいのは、やまやまだけど。

 僕は戻るよ。みんなに説明して怒られてくる」

 

 特に二乃さんと四葉さんは何も知らずに花火を見るビルにいるんだ。

 事情を説明するのは早いほうがいい。

 

「分かった。俺と一花が戻るまで頼むぞ」

「うん、待ってるよ」

 

 手帳を受け取ると風太郎は車が去った方にダッシュしていった。僕も戻ろう、と歩きかけた時に足が止まる。

 

「あ、手帳に入れたまま……まあいいか」

 

 二乃さんに電話帳を見せた時といい、うっかりが多すぎる。

 だからテストでも満点が遠いんだよなあ。

 

 頭を振りながら再び歩き出した。この後、まさかの出迎えと提案がされるとは知らずに……




 思ったより長くなったので、花火大会編の完結は次回になります。

 果たして「まさかの出迎えと提案」とは……?

 気づけば初投稿から1年が過ぎていました。投稿ペースが遅くて特別企画も無くて申し訳ありません。
 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


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第014話 意外な反応と選んだ花火

お久しぶりです。投稿が遅くなって大変申し訳ありません。
今回で花火大会編は完結となります。


「どうしてトーヤを怒らないといけないの?」

「……えっ?」

 

 聞き間違えたんだ。周りは花火大会が終わって興奮したような人たちでにぎわっているし。

 一花さんがいないことに怒って当然なのに。

 

「五月、悪いけど手を貸して」

「足は大丈夫ですか?

 無理してはいけませんよ」

 

 座って話を聞いていた三玖さんがゆっくりと立ち上がると、じっとこっちを見てきた。

 こんな状況じゃなかったら、ひょっとこのお面に口元が緩んだだろう。

  

「話を聞いて安心した。

 花火のことだけど心配はいらない」

「だけど、大会はもう──」

 

 完全に終わってしまった、と夜空を見上げた時だった。

 バタバタと足音がして元気な声が周囲に響く。

 

「宝条さん、一花が女優って本当ですか!?」

 

 あれ、何で四葉さんが? らいはちゃんと手をつないでいるけど。

 もしかして三玖さんたちに呼ばれて花火を見るビルからここに来たのか。

 

「う、うん。間違いないよ。

 オーディションの会場には風太郎が──」

「ちょっと、どうしてくれんのよ!」

 

 周りの花火客がこっちを見るくらいの大声で、5姉妹の最後の1人が足音を荒げて近づいてくる。

 当然の反応だ。色々言われるだろうが、風太郎たちに向く怒りを少しでも減らさないと。

 

「言い訳はしない。

 一花さんを連れ戻せなくて本当にご──」

「そっちじゃない!

 あんたのせいで、このザマなんですけど!」

 

 二乃さんが急に自分の顔を指さしたから、一瞬訳が分からなかった。

 だけどよく見ると目の周りにメガネのような線が……あっ。

 

「も、もしかして」

「返すわよっ! 

 まったく、あんたって意味分かんない!」

 

 双眼鏡を押し付けると、腕組みして横を向いてしまった。

 治療費を出す、と言おうとしたまさにその時。

 

「落ち着いてください、二乃」

「同感。トーヤだけのせいじゃない」

「二乃だって屋上で必死に探して……むぐっ!?」

 

 最後に四葉さんが言い終わる前に、素早く手で口をふさがれてしまった。

 

「二乃さん、お願い。

 お兄ちゃんと橙矢さんを怒らないで」

「うっ」

 

 らいはちゃんの言葉に、二乃さんが急に大人しくなって手を離す。

 無言の状態が続いたが、息が整って復活した四葉さんが口を開いた。

 

「大丈夫ですよ、宝条さん。

 私に良い考えがありますから!」

 

 い、いったい何だ?

 らいはちゃんと顔を見合わせて笑ってるけど。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 歩いているうちに花火大会のにぎわいが小さくなっていく。何が何だかさっぱりだけど、今は2人について行くしかない。

 それよりも気になるのが……

 

「五月、そいつと何話してんのよ!?」

「一花のことを聞いているだけです。

 決して他意はありません」

 

 この状況だ。何となく気まずくて1人で少し遅れて歩いていたが、いつの間にか五月さんがすぐ近くにいた。

 確かに最初は姉のことで質問してきたけど。

 

「何も、あなたが謝ることは無いと思いますよ。

 もちろん一花や上杉君を責める気も皆無です」

 

 思っていた反応と違う、とぽかんとする僕に笑顔を向けている。

 分からない。二乃さんでさえ双眼鏡の件しか責めてこなかった。

 

「でも花火はお母さんとの思い出だって」

「……! どうしてそれを?」

「三玖さんが風太郎に教えてた」

 

 そんなことまで話していたなんてと五月さんがつぶやいた。

 少しの間無言で歩いていたけど、ポツリとした声が沈黙を破る。

 

「そういえば言ってましたよね」

「何を?」

「私たちを探すのに協力した理由を後で話すと」

「あっ」

 

 まずい、母親との思い出という言葉に心を動かされたと簡単には言えない。

 親友の個人情報にかかわるし他の理由を……

 

 プルルルル!

 

 び、びっくりした。風太郎から電話かな? ちらっと質問者を見ると「私に構わず、どうぞ」と言ってくれたので礼を言って通話ボタンを押す。

 

「もしもし」

『中野だ。さっきの連絡は何事だい?』

 

 げっ、と息が止まった。

 

 そう言えば、屋上にいた時に姉妹の連絡先を聞こうとして電話したんだった。

 やばい! ここで「娘さんたちの電話番号を知りたくて」なんて伝えたら話がややこしくなる。

 

 ピンチと思った瞬間、五月さんが視界に入った。

 

「き、給料……ありがとうございました!」

『それを言うためだけに、わざわざ電話を?』

「そうです」

 

 電話の向こうで雇い主が静かになった。無理があったかな? 完全にでたらめな理由という訳じゃないんだけど。

 

『当然のことをしたまでだ。

 悪いが、今後は緊急以外で連絡はしないでくれ』

「はっ、はい」

『物分かりが良くて結構。

 では仕事が忙しいので失礼する』

 

 電話を切ると、五月さんが「まさか」とつぶやくのが聞こえた。

 暗くて表情はよく見えないけどびっくりしているのは何となく分かる。

 

「これが協力した理由です。

 僕は5人分の給料とそれに……」

「それに?」

「追加分のお金ももらったから。

 中野さんに伝えたのは、五月さんだったんだ」

 

 何も言ってこないけど確信はある。家庭教師の日以外で勉強を教えたのは、図書館や学校で五月さんといた時だけだ。他に心当たりはない。

 

「……気付いていたのですね」

「だけど伝えた理由までは、分からなくて」

 

 遊び気分で五月さんと勉強した訳じゃない。でも、追加分の給料を受け取るに値するかとなると答えはノーだ。

 テストの点が上がったとか目に見える結果が出たならともかく。

 

「宝条君も思っているのですね?

 家庭教師の仕事で私たちに何もしていないと」

「思うも何も、そうとしか。

 中野さんが様子を見ていたら給料ゼロかと」

 

 あの感情の無さそうな声で「何をやっているのかね」と言われてもおかしくない。

 

「同じことを上杉君からも言われました。

 でも、この半月だけでも色々あったでしょう?」

「僕は……怒ったりマンションを飛び出したり……」

「そうですね。

 連れ去りや写真の件も忘れてはいません」

「うっ」

 

 あれ、色々やらかしてる。5つ子裁判待ったなしじゃないか。

 

「とはいえ、あなたは──」

 

 五月さんが突然黙ってしまった。何だか急に落ち着きが無くなった感じに見えるけど。

 

「僕が何か?」

「な、何でもありません! 秘密ですっ!」

 

 えっと驚くひまもなく、みんなの所にバタバタと行ってしまった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「四葉さん、バケツここに置いとくから」

「ありがとうございます!

 こっちも準備はばっちりです」

 

 公園に着いた時には何をするのかと思ったけど、こういうことだったのか。

 らいはちゃんにプレゼントされていた花火セットの存在を忘れてた。

 

「どうします?

 一花と上杉君がまだですが」

「五月、それなら大丈夫だよっ。

 私とらいはちゃんが電話したから」

 

 ほっ、風太郎たちにも話が伝わっていたんだ。

 四葉さんいわく、もうすぐここに来るらしい。

 

(オーディション、うまくいったかな)

 

 変だな、まるで自分の合格発表を気にしているみたいじゃないか。

 ぼんやりと考えていると声が割り込んできた。

 

「宝条、聞いてんの!?」

「……え?」

「何よ、ボーッとして。

 眠たいなら妹ちゃんの見張りついでに寝たら?」

 

 むしろ寝てくれたほうが姉妹でたくさん花火ができる、と思っていそうな笑みを浮かべている。

 らいはちゃんはというと、近くのベンチで横になっているのが見えた。

 

「何年ぶりかの花火だから、やりたい」

「あんた、何を言って──」

「好きなだけやっちゃってください、宝条さん!」

「感謝します」

「四葉……ああもう!

 調子に乗ってたくさんやらないでよね」

 

 心の中でガッツポーズをしながら花火を一本手に取る。

 こうして点火してみると、まるで魔法の杖を持った気分だ。

 

「あっ、一花に上杉さん!」

 

 良かった、これで全員集合だ。ちょうど手持ちの花火が消えたので、急ぎ足で駆け寄る。

 見た感じは、そこまで暗い表情じゃない。

 

「2人とも、お疲れ」

「ああ。これサンキューな」

 

 そういえば、生徒手帳に地図を書いて渡してた。

 なぜか風太郎がじっと見てくる気がするけど。

 

「こっちも大丈夫。できる限り説明はしたから」

「そうか。一花、良かったな」

「ありがと、トーヤ君」

 

 いいってこと、と返したけど妹たちが気になるのか心配そうだ。

 

「一花、待ってたよ! 早く早く!」

「四葉」

 

 ぐいぐいと一花さんが引っ張られていく。それを見た風太郎が「俺たちも行くか」と小声で言ってきたので後に続いた。

 ゆっくり歩いて花火の場所に戻ると──

 

「みんな……本当にごめん。

 私の勝手でこんなことになっちゃって」

「まったくよ」

 

 まさかの反応に驚く僕を、風太郎が「おい!?」とあせったような顔で見てきた。

 このままお叱りが続くなら黙ってはいない。

 

「あんたにも事情があったんだろうけど。

 何も言わないなんてあんまりじゃない」

「二乃……」

「せっかく貸し切りで場所を確保したのに。

 はっきり言わせてもらうけど──」

 

 さすがにまずい空気と考えたのか、二乃さん以外の全員が一花さんに寄り添うように近づく。

 

「今回の原因の一端はあんたにあるわ。

 だけど私にだって非はあんのよ」

「え?」

「上杉に言われたのはむかつくけど。

 花火を見る場所を伝えなかった私も悪い」

 

 びっくりしたように黙る姉に対して二乃さんはぷいっと視線を反らした。

 ピリピリした空気じゃなくなったからか、他の姉妹も声をかける。

 

「一花、私もその……迷子になったので。今回ばかりは自分の方向音痴に嫌気が差しました」

「私も失敗ばかり。足を痛めて迷惑かけちゃった」

「よく分からないけど私も悪いよ。そもそも屋台につられて最初にはぐれちゃったし」

 

 どうやら心配することは無さそう、と風太郎に目配せした。

 もっともそう安心できた時間はほんの少しだけだったけど。

 

「さて、次は……」

「な、何だよ。二乃」

 

 嫌な予感。賭けてもいいけど、良くやったとは言わない気がする。

 

「まずは上杉!

 三玖と五月を置いて行ったそうじゃない」

「そ、それは……悪い」

「宝条、あんたは四葉と長く居すぎよっ!」

「ごめん、二乃さん」

 

 容赦ない言葉に風太郎もたじたじだ。

 八つ当たりかと思ったけど痛い所を突いてくる。

 

「ふん、言いたいことはまだあるわよ」

「今度は何だよ」

 

 身構える風太郎と僕に二乃さんが近づいてきた。

 まさか、一発かましてくる気なんじゃ──

 

「……お」

「ん?」

「お! つ! か! れ!」

 

 何を言われたか分かるのに少し時間がかかった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「良かった。うまくいったんだ」

「あの社長が一花をほめていたからな」

 

 少し離れた所から5人のにぎやかな声と花火の音が聞こえる。

 風太郎と僕は互いに何があったかを話し中だ。

 

「それにしても、お前……」

「ん?」

「俺が口先だけじゃないと信じたのはいい。

 だが、二乃に宝物を渡したのは無茶だろ」

 

 そんなに双眼鏡を預けたのが意外なのか。

 

「強気に言われて、つい」

「もし俺があいつらを探さなかったらどうする気だったんだ」

「全然考えなかったよ、そんなこと」

「理由は?」

「給料、宿題をがんばった5人、母親との思い出」

 

 もっと説明しろ、と迫ってくるかと思ったけど意外にも風太郎は無言で頭をかいただけだった。

 

「……らいはを置いて帰れなかったんだ」

「今、僕が言った理由は?」

「さあな」

 

 ごまかすようにあくびをしてきた。まあ無理に聞くつもりはないけど。

 僕の考えが間違っていることを論理的に言わないということは、そういうことだ。

 

「それより聞いたか? 橙矢」

「ごめん、何を?」

「あいつら、5人で幸福も不幸も分かち合うとよ」

 

 聞き逃したけど、五月さんが姉妹に言っていたらしい。

 失敗を5人で乗り超えて喜怒哀楽を共有すると。

 

「名言じゃん」

「花火がしょぼいが、そうだな」

 

 一言多いって、と注意しながら花火を眺める。不思議な事に風太郎は「勉強したいから帰る」とも言わずに黙って長いこと座り続けていた。

 話すなら、今だと深呼吸をする。

 

「あのさ、風太郎。家庭教師と補佐役として最初の月が終わったけど」

「…………」

「来月は中間テストもあるし気合入れるよ。

 まだまだ風太郎に遠く及ばないけど」

「…………」

「髪も切ってもらったし。

 臆病な僕だけど、これからも──」

 

 バッと風太郎のほうを見る。だけど……

 

(ねっ、寝てるし。大切な話だったのに)

 

 しかもバッチリ目を開けて鼻ちょうちん。こんな寝顔初めて見たよ。

 顔の前で手をひらひらしても全く反応しない。

 

「うーえすーぎさーん!

 ほーじょーさーん!」

「……!?」

 

 ビクッとしたけど、近づいてきたのはうさ耳リボン──四葉さんだった。

 慌てて「しっ!」と口の前で人差し指を立てる。

 

「上杉さん、寝ちゃったんですか?」

「うん、今日1日色々あったから。

 そっちは花火が終わったの?」

「あっ、それなんですけど。

 ちょっと来てくれませんか」

 

 別々のベンチで寝ている2人が気になったけど、四葉さんがらいはちゃんを抱きかかえて風太郎に寄りかからせた。

 ニコッとしたので「ありがと」とつぶやく。

 

「いえいえ。じゃあ急ぎましょう」

 

 何事かと四葉さんの後に続く。しばらく歩くと、輪になってしゃがんだ姉妹が地面を見ていた。

 

「トーヤ、フータローは?」

「寝ちゃった。さっきまで起きてたんだけど」

「そう……」

「あんたも寝ていれば良かったのに。

 まあいいわ。これで人数的にはOKね」

 

 地面には6本の花火。

 今ここにいるのも6人。つまり……

 

「言っとくけど、宝条。

 選ぶ順番はあんたが最後よ」

「それはもちろん。

 先に選ばせろ、なんて言わないから」

「ふん、分かってるじゃない」

 

 さあ、残り物になるのはどれかなときょろきょろしていると「待った」がかかった。

 

「はいはい、はーい!

 じゃあ、全員『せーの』で選ぼうよ!」

「は? 宝条も含めるの?」

「異議なし。一花と五月は?」

「いいよー」

「私も構いません」

 

 もし選んだ花火が私と被ったら、と二乃さんがカッと目を見開いてきた。

 こっわ。だけど自由に選ばせてもらうよ。こういうのは深く考えないほうが良いな。

 

「みんな、決まったー?

 じゃあいくよ。せーの」

 

 バッと6本のうちの1本に指を乗せた。

 どうだ、僕と同じ花火を選んだ人は……あっ。

 

「ややっ! 宝条さんもこれですか」

 

 うーん、残念。四葉さんと被ってしまったか。

 ここは引こう、とすぐに手を放す。

 

「どうぞどうぞ。私は別の花火にしますから」

 

 一瞬、じゃあお言葉に甘えてと受け取りかけた。

 だけど違う。この花火を手にするべきなのは──

 

「いや、僕はいいです。

 四葉さんのおかげで花火ができたから」

「えっ、でも……」

「いいから。チョコバナナを台無しにしたし」

 

 スッと花火を差し出すと手に取ってくれた。

 さて、余った花火はっと。ああ、あったあった。

 

「トーヤ? どこ行くの?」

「ちょっと席を外します」

 

 姉妹で花火を楽しんで、と手を振りながら風太郎たちの所に向かう。

 相も変わらず目を開けて寝ている兄と、すやすやと寝息をたてている妹がいた。

 

 きょうだいっていいな、と思いながら風太郎の手に花火をにぎらせる。

 

「……仕事仲間として、今後ともよろしく」

 

 さっき言いかけたセリフを口にすると不思議とすっきり。

 花火が終わったら兄妹を家に送る手を考えなきゃ、と5つ子のほうに戻っていった。




 次回からは「中間試験編」となります。

 花火大会の翌日、朝に橙矢がばったり会った人物は? そして学校で急にモテモテになった5姉妹に家庭教師コンビはどう動くのか?
 さらに第10話で橙矢がやらかしたことが、まさかの展開! 5つ子のメールアドレスを入手できなければ大変なことに……

 今年1年、作品を読んでくださった方、感想やメッセージ送信をしてくださった方、評価をしてくださった方、本当にありがとうございました。
 来年も、どうぞよろしくお願いいたします。


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第3章 中間試験
第015話 手ごわくてモテモテの5姉妹(前編)


「ふわああ……ねむ」

 

 10月になったからか少しひんやりとした朝だ。昨夜の熱気がウソみたいだよ。

 

 それにしても、冬用の制服ではなくジャージ姿で家を飛び出すはめになるなんて。

 色々あったとはいえ、自転車を花火大会の会場に置き忘れるとか。

 

(二度寝してたら危なかったな)

 

 登校する時間までかなりあるし、すぐ家に帰るのももったいない。

 そう考えてブラブラしているうちに、川沿いの土手に来ていた。

 

「体操でもするか」

 

 こうでもしないとあくびが止まらない。

 昨夜は帰ってすぐに寝たのに──

 

「やっ! 早起きとは感心だねー」

「おはよ……えっ!?」

 

 危うく土手を転がり落ちそうになったのは急に声をかけられたからじゃない。

 リボンがあったら「四葉さん、部活の朝練?」と聞いただろうけど。

 

「おっはー。ジョギング中の一花お姉さんだよ。

 むふふ、目はばっちり覚めたかな?」

「……ありがと。おかげでこの通り。

 目覚まし時計や体操より効いたよ」

「おっ? おおお!?」

 

 僕と同じく学校のジャージ姿の一花さんが目を見開いてまじまじと顔をのぞきこんでくる。

 もしかして覚めてなんかいないと否定してくると思っていたのかな。

 

 バシッ!

 

「あいたっ!」

「いいねえ、その言葉遣いを待ってたよ」

 

 ジンジンと痛む背中ではなく、思わず口元に手を当てた。

 しまった。つい花火大会の時の口調で……

 

「おっと、言い直す必要は無いからね。

 前の話し方も悪くないけど、今の方が断然いい」

「…………」

「難しく考えなくても普通にできるって。

 五月ちゃんに『対等』って言ったキミなら」

 

 説得力あるなあ。女優の圧倒的なオーラと言われればそれまでだけど。

 自分でもびっくりだ。上杉兄妹以外には敬語で話すのが当たり前だったのに。

 

「よし、せっかく会ったんだしさ。

 いっしょに散歩しない?」

「もちろん。色々話したいことがありま──」

「むむ?」

「──あ、あるから」

「うんうん、その調子!」

 

 たまには早起きするのも良いね、と笑いながら一花さんはメガネを取り出してスッとかけた。

 どうやら変装用の道具を持っているのは僕だけじゃないみたい。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「いやー、やっぱり見られてたんだねえ。

 フータロー君に顔パッチンされてたとこ」

 

 昨夜に何があったのかを互いに話し終えると、一花さんが両手でほっぺたに手を当てながらおもしろそうに言ってきた。

 社長さんに車の中で「大丈夫だったか」と何度も聞かれたらしい。

 

「なになにー? もしかして気になる?」

「まさか。暴力じゃなくて激励だと思っただけ」

「あはは! 社長にもそう言ってくれたらしいね」

 

 お姉さんもそう思う、と頷いてくれたので心の中でホッと息を吐く。

 これで心配事が1つ消えたな。ああ、良かった。

 

「ふふふ」

「ん? 何か?」

「いや……キミの『激励』を思い出すと……笑いが」

「!?」

 

 応援団みたいな手振りのことか、と慌てる僕の心を読んだかのように目の前で再現してきた。

 ぎこちなさも含めて正確な動きを。すごい記憶力って感心してる場合じゃない。

 

「何も今ここでしなくても」

「わっ、真っ赤っか! ごめんね。

 だけどおかげで昨日は緊張が和らいだんだよ」

 

 なら良いんだけど、と頭に手をやった。

 あの時は万策尽きてエールを送るしかなかったんだよな。

 

「仕事でも花火大会でも役立たず、って思ってた。

 そう言われると気持ちが楽になりま……なるよ」

「ふーん、役立たずねえ。

 てことは宿題の答えも分からなかった?」

 

 だとしたら残念だなー、と僕がどう出るか試すような笑顔に火が点いた。

 ようし、玉砕覚悟でやってやろうじゃないか。

 

「5人分の給料を渡してくれた理由は……」

「うんうん」

「ずばり、この1カ月で良い変化があった。

 僕の言葉遣いが変わったみたいに」

 

 一花さんが立ち止まった。見当違いな答えを口にしてしまったのかと自転車を押す手に力が入る。

 せ、正解なのかな。それとも──

 

「お見事っ!」

 

 さっきとは違う満面の笑みで拍手をしてきた。合っていたんだと安心したとたん、その場にガクリとひざをつきそうになるのを何とかこらえる。

 

「やるね! さすがトーヤ君」

「僕だけじゃ解けなかったよ」

 

 五月さんが昨夜言ってくれたことが大きいし、今思うと一花さんもヒントをにおわせていた。

 そもそも、花火大会に行かずに家で考えていたら絶対に答えは出せていないと打ち明ける。

 

「だからって、へこみはしないから。

 今月は先月以上にがんばるよ」

「よし、合格!」

 

 へっ? なんだ?

 

 一瞬、オーディションに受かったことを言ってるのかと思ったけど1日で結果が出るわけない。

 じゃあ一体なんのことを言っているのか。

 

「学校でも勉強会やるんだよね。

 仕事の日以外なら空いてるから」

「え……え?」

「いやあ、お姉さんびっくりしちゃったよ。

 ここまで真剣に宿題を考えてくれるとはね」

 

 実は一花さんに試されていたらしい。

 

 僕が「家庭教師に宿題なんて生意気」とか「すぐに答えを教えろ」とか言ってこないか確かめようとしてたとか。

 急なネタ晴らしにぽかんとするしかなかった。

 

「追加分の給料も五月ちゃんだと見抜いたし。

 何より正直に話してくれたのはえらい」

「あ、ありがと」

 

 頭にかぶったヘルメットをポンポンとたたいてくる一花さんを見ながら思った。

 風太郎と僕はとんでもなく手ごわい人たちと会ったんじゃないかと。

 

「よーし、がんばったキミに努力賞だ」

「僕は給料で十分……」

「まあそう言わないで。はいこれ」

 

 スッと差し出されたのは全く予想すらしていない物だった。

 

「ありがたいけど、携帯電話なら持ってるよ」

「もー、違う違う。メアド交換だよっ」

 

 連絡先か。不思議だな、以前の自分だったら警戒して身構えていたのに。

 

「僕からもお願い」

「そうこなくっちゃ! 

 うん、ちゃんと登録されて……あれっ?」

 

 僕の携帯画面をのぞきこんでいた一花さんが驚いたような声を出した。

 別におかしなところは無いはず。

 

「五月ちゃんの連絡先が無いよ」

「まだ交換してない」

「ええーっ!?」

 

 あまりの絶叫に携帯電話を手から落としそうになった。

 何の冗談だ、と言いそうな表情で自称お姉さんが携帯電話と僕を交互に見てくる。

 

「待って、ウソでしょ?

 なら昨日どうやって五月ちゃんを見つけたの?」

 

 本人には言わないでという約束で話すことにした。二乃さんや三玖さん、例の店主さんたちが教えてくれたおかげだと。

 納得はしてくれたけど、これはよろしくないとつぶやいてきた。

 

「トーヤ君、今日って勉強会ある?」

「うん、放課後に。

 風太郎にも確認してみるといいよ」

「ありがと、そうするね。

 今日もいっしょに登校するんでしょ」

「えーっと……」

 

 病院に行くから学校に行くのは午後からになる、と答えるとまたびっくりされた。

 うつる病気じゃないし重症でもないと説明する。

 

「お大事にね」

「うん。一花さんも女優の仕事がんばって」

「おっ、うれしいねー。じゃあ放課後に」

 

 分かれ道で「またねー」と手を振りながら一花さんは離れていった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

「宝条君、今お時間よろしいですか?」

 

 午後の授業が終わって教室で「う~ん」と体を伸ばしていた時だった。

 解けない問題でもあったのか、五月さんが話しかけてきたのは。

 

「うん、大丈夫」

「ありがとうございます。実は……」

 

 後の言葉は聞こえなかった。教室のドアがガラッと開いて──

 

「なあ、お前も来いよ。

 一花も三玖も四葉もいるんだぞ」

「いつまでついてくんのよ。

 用事があるって言ってるでしょ」

 

 風太郎と二乃さんが入ってきたと思うとピタッと会話が止まった。

 前者は「おっ、橙矢も五月を説得か」と顔が輝いたけど後者は違う。

 

「五月、何してんの。早く行くわよ」

「そ、そうですね」

「待て、お前ら。用事って何だ?」

「あんたたちには関係ないわよっ!」

 

 問答無用という感じで妹を引っ張りながら二乃さんが出て行った。

 僕としては、五月さんが言いかけたことのほうが気になる。

 

「風太郎、追いかけようか」

「いや……時間が惜しい。

 最優先なのは勉強会だ」

 

 図書室に急ぐぞ、と勢いよく教室を飛び出した風太郎の後に続く。

 勉強会に参加する3人の復習ノートを歩きながらかばんから探していると──

 

「あいつ、何やってんだ?」

 

 急に立ち止まった風太郎の肩越しに見ると、少し離れた所に四葉さんがいた。

 知らない男子生徒と何か話している。

 

「お話って何ですか?」

「中野さん、もし良ければ俺と……」

 

 立ち聞きはまずい、と何となく感じてその場を離れようとした。

 ところがもう1人の家庭教師は違う考えだったらしい。

 

「橙矢、悪いが先に図書室に行け。

 何なら一花と三玖を先に教えてろ」

「う、うん」

 

 勉強会行きを邪魔するヤツは許さん、という様子で風太郎が突進していった。

 急に冷静じゃなくなったみたいだけど……気のせいかな。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 1人で図書室に向かっていたけど、ふと足が止まった。

 

『たとえ勉強を教えるためだとしてもです。

 周りに誤解される迫り方は感心しません』

 

 料理勝負でマンションを飛び出した後、公園で五月さんに言われたことだ。

 今後は注意すると約束したのも覚えている。

 

(引き返そうか)

 

 いや、ここで戻るのは親友を疑い逆らうことと同じだ。

 勉強会がある、と男子生徒に説明してきっと四葉さんを連れてくる。

 

 もう迷わない、と復習ノートを持って勢いよく角を曲がろうとした──

 

「え!?」

「……っ!?」

 

 目の前に何か現れたと思った瞬間、ドンとぶつかってしまった。

 何とか尻もちだけで済んだけど「まずい」と慌てて相手を見る。

 

「……トーヤ」

「み、三玖さん?」

 

 息が上がっていて様子がおかしい。風太郎と戦国武将しりとりをしていた時と同じだ。

 とはいえ謝るのが先だ、と謝罪の言葉をかける。

 

「ハァ、ハァ……私は大丈夫。

 それより助けて……追われてる」

「!?」

 

 訳が分からないけど、この必死そうな表情はただ事じゃない。

 耳をすませると足音や声が近づいてくる。

 

 でも隠れそうな空き教室もスペースもないぞ。逃げようにも三玖さんは足を痛めているし。

 こ、こうなったらやるしかない。

 

「これを被って顔を隠して!」

「わ、分かった」

 

 制服の上着を脱ぎだした時にはギョッとした様子だったけど、受け取ってくれた。

 風太郎ほど高くないけど、僕の背丈でも壁にはなるはず。

 

「あ、あれ? 中野さんは……」

「何やってんだよ。怖がってたぞ」

「お前こそ、しつこくお願いしてただろ」

 

 復習ノートを見るフリをしている僕に目もくれず、数人の男子生徒が現れて口論を始めた。

 早く行ってくれ、と念を送る。何しろ後ろに三玖さんが隠れているから。

 

「仕方ないな、今日はあきらめよう」

「俺は昇降口で待つぜ」

「マジかよ」

 

 よし、狙い通り。誰も「後ろにいる人は?」と聞くことなく通り過ぎていく。

 周りの安全を確認して、制服を被って縮こまっている三玖さんに声をかけた。

 

「もう大丈夫」

「……助かった」

 

 いったい何事だろう、と返された制服を着直す。四葉さんも声をかけられていたし。

 まさか他の3人も……?

 

「気づかれると思ってた。

 よくバレなかったね」

「話しかけられないって分かってたから」

「えっ」

 

 ハッと気づいたけど遅かった。あわてて「図書室に避難しよう」とごまかす。

 頷いてくれたけど、目的地につくまで無言でじーっと見てきた。

 

「え、えーと。もう皆いるんじゃないかな」

 

 ガラッと戸を開けたけど、誰も来ていなかった。風太郎も一花さんも四葉さんも。

 先に勉強を始めようと声をかけて、近くの机に向かい合って座る。

 

(三玖さんと勉強するのは初めてだな)

 

 どの教科にしようかと復習ノートを見ていると、驚いたことに早速話しかけてきた。

 

「トーヤ」

「何?」

 

 宿題か、それとも授業で分からないことかと目線を向ける。

 どんな質問かと待っていると、スッと復習ノートを指さしてきた。

 

「そのトランプのカードは?」

「ああ、これ? 目印」

 

 ノートの色が同じだから、と5冊全てを目の前に並べた。

 別に深い意味は無いし隠すことでもないだろう。

 

「私は……クラブ」

 

 一花さんのジョーカー、二乃さんのスペードと順番に眺めていた三玖さんがポツリとつぶやく。

 まさか葉っぱが苦手なのかと思っていると──

 

「ダイヤじゃないんだ」

 

 なぜか、ぷく顔でこっちを見てきた。ダイヤに思い入れがあるって感じだけど。

 よく考えろ。ダイヤ──ひし形──はっ!

 

「武田信玄っ!」

 

 思わず立ち上がった。周囲から「うるさい」という冷たい視線を向けられたけど。

 例外は目の前にいる戦国武将好きの人だった。

 

「当たり。武田菱」

「確かにぴったりだ」

 

 とはいえ、絵柄を決めたのは三玖さんが武将好きだと分かる前だった。

 クラブには『知識』の意味があるし、『三』つ葉だったからと伝える。

 

「そういう理由なら納得」

 

 おもしろそうにほほ笑んできたので、良かったと一安心。

 いやあ、心の広い人で本当に──

 

「えっ?」

 

 ゴシゴシと目をこする。何だ? 三玖さんが一瞬『あの人』に見えた気が。

 疲れてるのかな。ここ数日いろいろあったし。

 

「大丈夫?」

「平気。じゃあさっそく始め──」

 

 そう言いかけた時、ドアが開いてお待ちかねの人たちが入ってきた。

 1人は笑顔、1人は紙の束持ち、そして最後の1人はイライラしている。

 

「フータロー君ってば、ヤキモチ?

 お姉さんは女の子と組んだから安心して」

「上杉さん、すぐ終わりますから!」

「まったく、お前らは……」

 

 何事だと驚く僕に風太郎が近づくと、ドサッと正方形の紙の束を目の前の机に置いた。

 四葉さんが持っていたけど、これはまさか。

 

「わっ、折り紙。なつかしいなあ。

 もしかして勉強の教材?」

「そうだったら良かったんだがな。

 橙矢、千羽鶴折るの手伝ってくれ」

「いいよ」

 

 復習ノートをかばんに入れて、場所を確保する。

 それにしても風太郎が折り紙に目覚めたとはおっどろき。

 

「言っとくが遊びたい訳じゃないぞ」

「上杉さん、宝条さん、助かります!

 友達の友達が入院したので贈りたいんです」

「他人だろ、それ。

 さっさと終わらせて勉強するからな」

「もー、フータロー君ってば。

 メアド交換の件も忘れちゃだめだよ」

 

 なぜか三玖さん、そして僕に謎の笑顔を向けてくる一花さん。

 朝も思ったけど、やけに連絡先に関心を持っているような。

 

「そうですよ、上杉さん。

 私も交換は大賛成ですから」

「四葉、頼むから手を動かせ」

 

 まずいな、風太郎のイライラが伝わってくる。折るスピードを上げて機嫌を直してもらうしかない。

 まあ3人で折ればギリギリ何とかなるはず。

 

「おう、中野。ここにいたか」

「何ですか、先生」

「すまん。君たちも中野だったな。

 四葉、このノートを皆の机に頼む」

「はーい」

 

 ピタッと手が止まって、おそるおそる家庭教師に目を向ける。

 思った通り、怒りのオーラを放っていた。

 

「ふん、そもそもだな。

 連絡先なんて俺じゃなく橙矢と──」

 

 プルルル!

 

 風太郎が会話を中断し、携帯電話に視線を向けた。らいはちゃんからのメールってとこかな。

 ならいいかと折り紙を再開した……が。

 

「みんなのメアド知りたいなー」

 

 ビリッと折り紙が破れた。聞き間違いかと思ったけど、中野姉妹の声ではない。

 何があったと風太郎を見ても、携帯電話をいじる一花さんに変な笑顔を向けている。

 

 洗脳でもされたのか、と混乱していると──

 

 プルルル!

 

 今度は僕の携帯電話に着信あり。頭を落ち着かせようと画面を見たけど、メールの内容に背中が凍り付いた。

 送信者はすぐ近くにいる一花さん。そして問題なのは題名。

 

〈昨日の筋トレ写真だよー♡〉

 

 まさか、と画面を操作する指が急に震え出した。

 四葉さんが折り鶴ではしゃいでいるけど、それどころじゃない。

 

〈他の4人のメアドをゲットしてね。

 ただし敬語と頭下げはダメだぞ〉

 

 本文の下に付けられた写真の人物は間違いない。

 ダンベルを片手に、汗で透け透けのTシャツ・短パン姿の……僕だった。




 お久しぶりです。今回で5人中3人のトランプの絵柄が判明。残る2人の絵柄は……?

 果たして風太郎と橙矢の家庭教師コンビは、無事に連絡先をゲットして自称お姉さんの企みを阻止できるのか。
 そして姉妹が急に人気になった理由とは……後編に続きます!


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