アズールレーン二次創作 ~ たとえただの奇跡でも ~ (ながやん)
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第1話「島風、解任!?」

 島風は夢を見ていた。

 だが、島風本人はそのことに気付けないでいる。

 彼女は戦っていた。

 疾風迅雷、艦隊随一のスピードで敵陣を切り裂いていた。居並ぶセイレーンの量産艦が、島風の雷撃と斬撃で沈んでゆく。

 

『うさうさうさうさーっ! 今日の島風は、一味違いますよーっ!』

 

 絶好調だった。

 心身共に健康で、集中力も精神力も昂り高まっていた。

 全身の血潮が燃えて、今なら一人でなんでもできる気がした。

 そう、この時も島風は一人だった。

 いつも通り、一人だったのだ。

 

『よーし、橋頭堡を確保っ! 駿河殿っ、援護の砲撃を――駿河殿?』

 

 黒煙とオイルが充満する海域で、島風は振り返る。

 だが、そこには誰もいない。

 何度も何度も繰り返された、どうしても直らない島風の悪癖が原因だ。彼女は速い、速過ぎたのである。そして、そのことに無自覚なまま戦ってしまうことが多々あった。

 

『はわわーっ! み、みっ、味方がいませーん! どこー!?』

 

 そう、これは島風の記憶から浮かび上がる真実。

 いつもそうであるように、今日もまた一人で突出して大暴れし、結果として孤立してしまったのだ。

 島風は、速い……疾い。

 疾く疾く、風のように大洋を奔る。

 そのスピードに追いつける仲間は、数えるほどしかいなかった。

 そして、今日の艦隊編成には存在しなかったのである。

 そのことに気付いた島風を、巨大な影が覆う。

 

『おやぁ? どうしたのかなあ、小兎ちゃん。こんな海域で迷子かなあ?』

 

 振り返るとそこに、殺意の権化が浮いていた。

 巨大な艤装を翼のように広げた、セイレーンの人型上位個体だ。

 たしか、名前はピュリファイアー……『浄化する者』の名を持つ強敵である。島風は母港の資料で詳細を知っていたが、初めて実際に遭遇して動けなくなった。

 各陣営の戦艦や空母を総動員しても、撃退がやっとの強敵。

 この海で一番の絶対強者が目を細めて笑っていた。

 

『本当に毎回毎回、おバカさん。なーんで学習しねえかなあー?』

『クッ! 島風は負けませんよーっ! たとえ一人でも』

『駆逐艦が一人でなに言ってんのって感じぃ? ま、いーけどねー』

 

 咄嗟に島風は、自分にフルスロットルを叩き込んだ。

 波間を滑るように馳せて、トップギアで海面を蹴る。

 その加速は、荒れ始めた波濤に無数の残像を刻んだ。

 だが、ピュリファイアーは余裕の笑みで砲門を開いた。

 

『ちょろちょろ鬱陶しいんだよ、チビ兎!』

 

 苛烈な光が空を裂き、海を断ち割った。

 脚を使って接近を試みた島風は、無数の分身ごと薙ぎ払われた。肉薄の零距離で魚雷を叩き込む、そのためのフェイントも織り交ぜた踏み込みだったのに。それなのに、ピュリファイアーは周囲の大洋ごと全てを砲火で粉砕した。

 痛みが走る。

 熱くて、四肢が張り裂けそう。

 優しく凪いだ普段の海も、落下する島風をハンマーのように叩いて迎える。

 完敗だった。

 たった一撃で力を奪われ、島風は果てた骸の如く浮かび上がる。もう既に、立ち上がることもできない。このまま波に洗われサメの餌、そんな状況で夢は薄れ始めた。

 遠くに仲間たちの声を聴きながら、島風は現実世界に覚醒するのだった。

 

「ひああーっ! 島風は負けませーん! ……ほえ? あれれぇ? ここは」

 

 目が覚め、島風はベッドの上で飛び起きた。

 文字通り、毛布を蹴り上げベッドの上に立ち上がる。そうして身構えれば、見慣れた部屋が広がっていた。そう、母港の学園にある保健室である。

 呆気に取られた島風は、奇妙なファイティングポーズのまま落ちてきた毛布を被る。

 夢だったのだと知り、それが現実を再生したものだと思い知った。

 そうして毛布をどけると、枕元で座っていた女性がこちらに気付く。

 

「やあ、目が覚めたいかい? 島風、無事でよかった。まったく、いつも無茶をして」

 

 読んでいた文庫本を閉じて、凛々しく立ち上がるのは飛龍だ。涼し気な表情に微笑を浮かべて、そっと飛龍が手を伸べてくる。

 頬に触れらてたと思った、その時にはもう額と額が接触していた。

 同じ兎の耳が揺れてふれあい、こそばゆい。

 

「熱は……ないみたいだね。まったく、どうかしてるよ? 島風、どうしていつも」

「ふええ、ごめんなさぁい。島風、いつも勝手に突っ走っちゃって」

「それだけ一生懸命なのはわかるけどね。でも、一人で戦ってるんじゃないってこと、心の片隅にでもいいから覚えててほしいな」

 

 そう言って飛龍は、ポンポンと島風の頭を撫でる。

 島風が所属する第五艦隊は、アズールレーンとレッドアクシズが共闘する指揮官の母港では遊撃部隊だ。決められたローテーションがない代わりに、臨時で手を借りたい艦隊の援護に回る。二航戦の二人を中心に、各陣営から機動力の優れたメンバーが集っていた。

 その中でも、島風は一番の俊足を誇るトップエースだ。

 ただ、撃沈スコアに反して仲間たちの手を焼かせる一面も多々あった。

 

「まあ、そんなに落ち込まないで。ただ、ぼくは今後が心配だよ。後ろから見てて、その……ふふ、姉さまも以前のぼくをこうやって見てたのかな」

「飛龍殿? ど、どうかしました?」

「いや、いいんだ。それより」

 

 飛龍は唇に人差し指を立てて、ウィンク。

 そうして、背後の白いカーテンをさっと開いた。

 その奥には、沢山の仲間たちが聞き耳を立てていたようだ。突然、自分たちを覆うカーテンが開かれたことで、動揺が連鎖して将棋倒しになる。

 ばたばたと倒れながらも、皆が島風の無事を目にして涙を滲ませていた。

 

「わわっ、島風ぇ……よかった、げんきだあ。そだ、おみまいにアメさんあげゆ~」

「島風、そなた! 拙者はともかく、重桜の仲間たちを心配させすぎだ! おっ、怒っておるのだぞ!」

「島風っ! あんたねえ、ほんっとに、バカなんだから! ……ゴホン、毎度これでは私たちも困ります。あ、蒼龍さん。今、このバカが、じゃない、島風が目を覚ましました」

 

 仲間たちの顔を見ると、島風にも自然と安堵が実感できた。

 しかし、ほっとしたのも束の間だった。

 あとから現れた第五艦隊の旗艦、蒼龍がじとりと島風を眇める。才媛才女で通っている重桜の懐刀は、眼鏡の奥から厳しい視線で島風を射抜いていた。

 

「島風、無事ですね? まずはよかった、私も安心しました」

「は、はいぃ……ご迷惑をおかけしましたぁ」

「ええ、大変な迷惑でした。……何度目か知っていますか?」

「それはぁ、ええとぉ」

「第五艦隊に編成されてから、これで七度目です。……いいですか、島風。あなたには優れた脚があって、あらゆる陣営の中でもトップクラスの速力を持っています」

 

 でも、それだけだ。

 今の島風は、ただ脚が速いだけの存在でしかない。自分でも痛感できる程に、己の長所を活かしきれていないとわかっていた。そればかりか、速さが自分を孤立させている。結果として、フォローに回る仲間たちに無用な負担を強いているのだ。

 そのことを蒼龍は、無言で突きつけた上で……ふと、鼻から溜息を逃がすように笑う。

 

「島風、指揮官は上層部の招聘で母港を留守にしてますが……あなたに伝言があります」

「へっ、指揮官殿がですか!?」

「総員、気をつけ! 駆逐艦島風、これより辞令を達する!」

 

 表情を引き締めた蒼龍の言葉に、誰もがその場で身を正した。

 勿論、ベッドの上で島風も気をつけの姿勢に固まる。

 

「これより島風は第五艦隊の所属を解かれ、特別任務の臨時艦隊へ編成される!」

「は、はいっ! 島風はこれより第五艦隊を……ク、クビですかぁ!?」

「ほら、ちゃんとしっかり復唱してください。クビではありません、異動です。……あなたの力を求めて欲する、望んでいる艦隊があります。そこで今一度、自分を見つめ直してくださいね」

 

 そう言って背伸びすると、やっぱり飛龍と同じように蒼龍も頭をポンポン撫でてくれた。

 かくして、所属艦隊を放り出された島風は新たな極秘任務へと挑むことになるのだった。



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第2話「集う仲間たち」

 島風は今、とぼとぼと母港を歩く。

 すれ違う誰もが忙しそうで、そして楽しそうだ。

 だが、島風の気持ちは重く沈んでいた。

 それというのも、指揮官の命令に打ちひしがれているからだ。

 

「なんででありますかぁ、指揮官殿ぉ~……ヨヨヨ」

 

 無論、理由はわかっている。

 ずっと前から知っている。

 身から出た錆、自業自得だった。

 でも、いくらなんでもクビは酷い。

 指揮官直属の六つの艦隊、そして二つの潜水艦隊。このメンバーに選ばれることは、母港のKAN-SENにとって誇りだった。陣営を問わず、誉と勲、そしてときめきだったのだ。

 島風は、足ばかり引っ張ってしまい、指揮官の不興を買ったようである。

 

「それにしても……母港のこっち側には初めて来ますね。確か、ここのドックは」

 

 絶海の孤島にある母港は、この地球で唯一の独立自由自治区だ。

 現在、セイレーン作戦を実施するにあたって、アズールレーンとレッドアクシズは事実上の休戦状態にある。そして、若き天才指揮官の旗の元にあらゆる陣営のKAN-SENが参集している。

 この母港では、ノーサイドの精神が共有されてきた。

 アズールレーンもレッドアクシズも、関係ない。

 民主主義か共産主義かも、過去の話だ。

 ただただ、蒼き航路の自由と平和のために。

 そのためにこそ、勇敢なる乙女たちは集ったのである。

 ただ、そんな有志が集う母港にも普段は使われない施設がある。島風がやってきたのは、臨時編成の艦隊が使う日陰のドックだった。心なしか、ここでは日差しも弱く、ガントリークレーンやコンテナの行き交う音も遠くに聴こえた。

 だが、確かにKAN-SENの艤装へ変形する艦が整然と並んでいた。

 

「えっと、とりあえず旗艦殿に挨拶をしたほうがいいですよね……それにしても、どこに」

「おやおや、こんなところに迷い猫……それとも迷子の兎ちゃんかい?」

 

 周囲をきょろきょろ見渡し歩く島風に、声が降ってきた。

 その方向に振り返って見上げれば、積み上げられたコンテナの上に人影がある。

 ピコピコと揺れる猫耳が、同じ重桜の仲間だとすぐに教えてくれた。周囲を四方くまなく海に囲まれた重桜では、ユニオンやロイヤルとは異なる進化を辿った民が暮らしている。必定、そうした者たちが過去に建造した艦艇から生まれたKAN-SENNも、その特徴を引き継いでいた。

 立ち上がった重桜の麗人は、一足飛びにコンテナから飛び降りる。

 

「よいせ、っと。ふふ、お前さんは確か……島風だねえ?」

「は、はいっ! 今後、こちらの艦隊でお世話になるよう言われてまして、その」

「ふーん、そう……あたいは初霜。初春型の四番艦、初霜よ? 見知りおいて頂戴」

「りょ、了解であります! 初霜殿っ!」

 

 思わず島風は、カチコチになって直立不動で敬礼した。

 そんな後輩を面白がるように、初霜はニヤニヤ笑みを浮かべて近寄ってくる。

 まるで、蛇に睨まれた蛙だ。

 島風のKAN-SENとしての本能がそう警告してくる。

 目の前にいるのは、歴戦の古強者……数多の海戦をくぐり抜けてきた猛者だ。

 そんな初霜が、愉快そうに喉を鳴らした。

 

「なんにせよ、若い子の参加は嬉しいねえ……お前さん、レーダーを預かってるだろう?」

「レーダー……は、はいっ! 指揮官殿に言われて、SGレーダーを」

「今回の任務に必要なのはねえ、そのレーダーなんだよ。お前さんじゃなく、レーダー」

「で、ありますか……?」

「そうそう。で、ありますですよ? ふふふっ」

 

 初霜のことは、同じ重桜の駆逐艦として話でしか知らない。

 ただ、こうして直接会って島風は緊張しっぱなしである。

 それと、ちょっぴり落胆した。ここでもそうなのかと思ったのである。謎の臨時編成艦隊に加わるため、今までいた艦隊から放り出された。そうしてまで来てみれば、自分が持ってる設備……SGレーダーが必要だっただけと言われたのだ。

 正直、むっとした。

 それを口には出さないが、残念ながら顔には出ていたようである。

 

「別にねえ、島風……嫌ならレーダーだけ置いてってもらえればいいさね」

「それは、できませんっ!」

「おや、そうかい?」

「これは、指揮官殿が直々に島風に任せてくれたのです!」

「ま、そうだねえ。大事な設備は、逃げ足の速い艦に持たせるに限るってね?」

 

 思わずカッとなって、島風は腰の太刀を抜いた。

 抜いたつもりだった。

 脚も速いが手も速い、そういう無様を晒しそうになったのだ。

 だが、さすがは百戦錬磨の初春型である。島風は握った剣が鞘から抜けきらないのを知って驚愕する。神速の抜刀を上回る力と技で、初霜は剣の柄を抑えてしまった。

 着崩した着物の裾を両手でつまんで、初霜は無造作に足を突き出した。

 その足が、力一杯に島風が握る刀の柄を軽く押さえていた。

 力を入れたようには見えなかったが、抜刀できない。

 

「むっ、むむむ……!?」

「最新鋭の島風型だかなんだか知らないけどねえ……刀を抜く相手を間違うんじゃないよ」

「……は、はいっ! 確かにそれはそうです。でも」

「でも?」

「島風は、お役に立ちたくてここに来ました! ですから」

 

 意地の悪いことはしないでほしいと思うし、そういう態度で接されても任務には向き合うつもりだった。

 けど、ここまで先輩駆逐艦との間に実力差があるとは思わなかったのである。

 世界最速の最新鋭駆逐艦と呼ばれて、どうやら少し自分を過信していたようだ。

 前の艦隊での仲間たちの言葉も思い出され、どうにも恥ずかしくなってくる。

 勢いよく弾む声が猛ダッシュしてきたのは、そんな時だった。

 

「うおーっ、こらー! 初霜ーっ! そういうの、めーっ! なんだからねー!」

 

 立派な尻尾を揺らしながら、同じ初春型の駆逐艦が現れた。

 その姿を振り向いて「げっ、若葉姉さん!?」と初霜が表情を引きつらせる。

 次の瞬間には、島風の目の前で姉が妹を蹴っ飛ばしていた。

 見るも豪快なドロップキックだった。

 よたよたと初霜は倒れて、その姉はすかさず島風に向き直る。

 

「妹がごめんね! 私は若葉、ようこそケ号作戦実行艦隊へ!」

「は、はあ……ケ号作戦?」

「そう、乾坤一擲のケ! 決意のケであり、決死のケ! あ、でもそんなに緊張しないでね」

 

 豪快にブッ飛ばされた初霜は、やれやれと着物の埃を払いながら立ち上がる。

 そんな彼女を、若葉は指差し姉らしく戒めた。

 

「初霜、せっかく来てくれたのに島風ちゃんに悪いでしょ。どうしてもぉ、いつもそうなの」

「……あたいは、別に……」

「もうっ! そゆとこ! そういうとこなんだからね、初霜」

「はぁい……やだやだ、姉さんには敵わないねえ」

 

 そして、パンパンと手を叩く音が響く。

 振り返った初霜と若葉が、姉妹揃って身を正して敬礼していた。

 島風もそれにならって、この艦隊の旗艦との邂逅を果たす。

 背筋をピンと伸ばして敬礼すれば、目の前に侍がいた。そう、サムライ……もののふだ。姿こそ自分と変わらぬうら若き少女だが、凛とした佇まいは、正しく将の気品と威厳があった。

 

「そこまで、だよ? あての艦隊で喧嘩は駄目。みんなも、いい? それにしても……島風、よく来てくれたね。あてが救出艦隊を任された旗艦の阿武隈だよ」

 

 握手を求める少女は、静かにニコリと微笑んだ。

 同じ重桜の仲間として、おずおずと島風も手を出し握る。

 こうして、前代未聞の作戦が人知れず発動しようとしていた。

 ケ号作戦……その実行艦隊を阿武隈は、彼女だけは『救出艦隊』と呼んだ。その意味を島風は、あとから思い知らされることになるのだった。



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第3話「その島の名は、キスカ」

 島風が阿武隈たちに連れられて来たのは、ブリーフィングルームだった。

 そこには既に、作戦会議の準備ができている。そして、正面に大きく映し出された海図を見て、島風はビクリ! と身を震わせた。

 その海域には、見覚えがある。

 まだ行ったこともないのに、知っている。

 冷たい北風と、高く弱い太陽の光……そして、アリューシャン列島の周囲によく見られる、荒れて重く連なる数多の波濤。

 

「あっ、あれは……キスカ島!?」

 

 そう、海図の中心に小さな島が描かれている。

 それがキスカ島だ。

 キスカ島はアリューシャン列島の西側に広がる、ラット諸島に属する島である。

 島風にとっても、特別な場所だった。

 そして、ケ号作戦のために集められたKAN-SENの誰にとってもそうである。

 思わず呆けて立ち尽くしていると、背後から初霜がドン! と背を叩いた。

 

「ほーらっ! さっさと適当に座りな? 邪魔さね」

「はっ、はいぃ! 初霜殿、申し訳ないでありますぅ~」

 

 ブリーフィングルームは、学園の教室にちょっと似ていた。

 整然と机が並び、四十名前後が座ることができる。前方には大きなスクリーンがあって、キスカ島周辺の海図が映し出されていた。

 唯一学園と違うとすれば……ここには、集ったKAN-SENたちの笑顔と歓声はない。

 気だるい午後の授業も、楽しい昼休みのランチタイムもない。

 失敗が許されない作戦を共有し、生存率を1%でも上げるための場所だ。

 とりあえず端っこの机に座ると、すぐに湯呑が差し出された。ふと見上げれば、大きなやかんを持った少女がニコリと微笑む。同じ重桜のKAN-SENで、先程の若葉に負けず劣らずの立派な尻尾を揺らしていた。

 

「お茶をどうぞ、島風さん」

「あっ、ありがとうございますであります!」

「そう緊張しないでください。今日から同じ艦隊の仲間です。私は――」

 

 その時、一番前で阿武隈が振り返った。

 これが教室なら、教壇がある部屋の中心部とも言える場所だ。

 阿武隈は周囲を見渡し、島風の眼前の少女を呼ぶ。

 

「長波、あての代わりに説明を頼むよ。それと、あてにも熱いお茶を一杯」

「は、はいっ! 少々お待ちを」

「ふふ、副官だからと緊張することはないよ。あてもみんなも、頼りにしてるんだから」

「そう言って頂けると……では、作戦の概要を説明させていただきますっ」

 

 あたふたと長波は、脇に下がった阿武隈の湯飲みに茶を注ぐ。そして、中央に躍り出ると胸元からレーザーポインタを取り出した。

 

「えっと、阿武隈さんの副官を拝命した長波ですっ。頑張りますので、宜しくお願いしますね」

 

 すかさず初霜が口笛を吹いて冷やかした。島風には、あまり悪意のあるようには聴こえなかったが、直後すぐに隣の若葉が肘で小突く。

 どうやら初霜は、姉の若葉には頭が上がらないようだった。

 そして、ゴホン! と咳払いをして長波は語り出した。

 

「今回のケ号作戦、その内容は……皆さんの竜骨が覚えているかと思いますが、キスカ島撤退作戦です」

 

 そう、島風も知っていた。

 忘れていても覚えていた。

 それは、この場の誰もが記憶を共有する、竜骨に刻まれた戦史……古き時代にあっては、奇跡の作戦と呼ばれた救出作戦だった。

 長波はポインタを使いながら説明を始める。

 

「現在、アリューシャン列島付近をセイレーンの大艦隊が封鎖しています。そして、その西側……アッツ島とキスカ島に友軍が孤立してしまいました」

 

 これは、いわゆる「再現」ではない。

 違う筈だ。

 だが、驚くほどに状況が旧世紀の大戦に似ている。

 かつて重桜は、枢軸の一国として連合国と戦った。太平洋でユニオンの大艦隊を相手に、互角に立ち回って見せたのである。

 ただ、それは緒戦だけで、徐々に息切れして戦局は疲弊してゆく。

 起死回生のミッドウェー海戦を前に、陽動として北の島々を占領したが、すぐに反撃にあって孤立してしまったのだ。

 長波は皆の沈黙を見渡し、言葉を続けた。

 

「旧大戦と違って、今回はアッツ島を初期に放棄し、全員がキスカ島で合流して立てこもっています。でも、セイレーンの艦隊によって包囲されてて」

 

 島風でもわかったし、話されなくても理解できた。

 指揮官を中心に、アズールレーンとレッドアクシズが共闘する形で結成されたのが今の母港である。必定、各国のしがらみにとらわれない、超法規的な艦隊運用が例外的に認められていた。

 だから、上層部の意図がどうであれ、島風たちは救出に向かうことになるだろう。

 それは、この場に集まった者たちにとっては悲願であり、至上命題だ。

 そう思っていると、背後で面倒くさそうに初霜が手をあげる。

 

「なんだいなんだい、今回はアッツ島の連中も助けられるのかい? 再現どころか、丸儲けじゃないか」

「初霜さん、でも……作戦が成功するかどうかは、まだ」

「再現かどうかは別にして、やることは一つさね。なあ、そうなんだろう? 救出艦隊旗艦、阿武隈殿?」

 

 初霜はわざと島風を真似て見せて、クククと喉を鳴らす。

 その問いに対して、あくまでも阿武隈は平常心に見えた。

 

「その通りだよ、初霜。みんなも、いいね? あてたちには旧大戦の記憶があって、竜骨に記録されている。けど、それが命を救うんじゃない。あてたちが、今を生きてる一人一人の努力が、この島の仲間を救うんだよ」

 

 その言葉に迷いはなかった。

 勿論、島風も同じ気持ちだ。

 そして、島風にとっては再現かどうかは関係ない……ただただ、悔しく終わった旧大戦のリベンジが待っていると感じた。あの時の不甲斐なさを払拭し、今度こそ奇跡に貢献する。皆と奇跡を分かち合って、今度も大勢の人命を救うのだ。

 誰の目にもそういう決意が宿って、説明を進める長波も声を弾ませた。

 

「現段階で、量産型潜水艦による救助を試みましたが、効果が得られませんでした。よって……洋上艦による救出艦隊で、一点突破。一度に全員の脱出を試みます」

 

 長波の言葉尻を、興奮して立ち上がった若葉が拾った。

 彼女が興奮にブンブンと尻尾を振ると、長波もまた同じ尻尾を呼応して揺らす。

 

「わかったよ、長波ちゃん! これはあれだね、あれをまたああやって、あーするんだね!」

「あ、えと、はい……多分、仰りたいことはわかります。キスカ島周辺はこの季節、強力な濃霧が広範囲に広がります。その白い闇に乗じてキスカ島に突入、迅速に人員を収容して離脱……昔のやりかたと一緒です」

 

 かくして、賽は投げられた。

 島風たちは今、試されている……過去において大成功した脱出作戦が、ただの奇跡だったのか? それとも、努力と機転で同じ結果を引き寄せられるのか?

 今はそれはわからない。

 こうして、旧世紀に名高い奇跡の再現が再び求められてはいる。

 島風もそうだが、この場の誰もが奇跡を欲してはいなかった。

 後に奇跡と呼ばれる、その結果論だけしか認めない……目指すは、人命の完全な救助、それだけなのだった。



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第4話「出港、払暁を待たずに」

 黎明、朝もやの母港は静かに眠っている。

 まだまだ日の出までは時間があって、ひんやりと空気も冷たい。潮風などは肌を痺れさせるような寒風だった。

 そんな中で、島風は出港を迎える。

 今、ケ号作戦のための救出艦隊に船出の時が訪れていた。

 だが、周囲の先輩たちに緊張は見られない。

 特に、すぐ隣であくびをする初霜などは気負いがまるでなかった。

 

「ふあーあ、ふぅ……やれやれ、楽隊のお見送りもなしかい?」

「あっ、初霜殿! おはようございますでありますっ!」

「朝からデカい声出すんじゃないよ、まったく……頭に響くじゃないか」

「顔色、悪いでありますよ? なにか身体の不調が」

「ただの二日酔いさね。それより」

 

 ちらりと初霜が視線を横へと滑らせる。その眼差しを追えば、同じ重桜の駆逐艦の姿があった。皆が偽装を艦船状態にして並べる中、その少女は振り返ると駆け寄ってきた。

 

「おっはよー! 第六駆逐隊の響だよっ! 臨時で助っ人に来たんだ、宜しくね」

「自分は島風であります! 宜しくお願いしますぅ!」

 

 初霜がうんざりした顔でこめかみを抑える。

 だが、島風は響が手を差し出すので、固く握手を交わした。また一人、頼れる仲間がこの艦隊に集った……困難が待ち受ける中で、なんと心強いことか。

 静まり返った港はまだ薄暗くとも、KAN-SENたちの心は明るく弾んでいた。初霜もあとから現れた若葉から水のボトルを受け取り、どうにか一心地といった様子だ。

 やがて、キスカ島に突入するメンバーが全員揃う。

 長波を連れて、旗艦の阿武隈が姿を現した。

 

「みんな、揃ってるね? 今回は天候の恵みが全て、運の要素が強い作戦だよ。でも」

 

 そう、でも……島風が意気込んでいると、阿武隈は周囲の全員を見渡し大きく頷いた。

 

「得られた幸運を逃さず、必ず作戦を成功させる。あては、みんなとならできると信じてるよ? 奇跡なんかじゃない、あてたち重桜だからこそ掴める勝利のために!」

 

 誰もが皆、込み上げる思いを拳に握り込んだ。

 そのまま「勝利のために!」と意気込み叫んで、右手を振り上げる。

 既に量産型の輸送艦も配置について、あとは阿武隈の命令を待つだけだ。皆はそれぞれの偽装を配置して、その中央に量産型輸送船を囲んで守る。

 皆は先頭の旗艦阿武隈に乗艦することとなった。

 もやいを解かれて今、朝日を待たずに島風たちは出撃する。

 舳先に立つ阿武隈の声が、凛として響き渡った。

 

「全艦、抜錨! 進路を北へ……目標、キスカ島っ!」

 

 さざなみが母港を洗う。

 錨は巻き上げられ、くろがねの海神が艦首を翻す。

 島風は、ゆっくり遠ざかる母港の景色に目を凝らした。遠くに白く煙る学園も、仲間たちがまだ眠っている寮舎も、ここからではよく見えない。港湾施設もまだまだ人の気配は少なく、そもそも救出艦隊の出撃は限られた者しか知らなかった。

 寂しいが、軍の機密とはそういうものである。

 指揮官が北方連合に出向いているため、余剰戦力にも限りがあるからだ。

 だが、若葉が不意に声をあげた。

 

「み、見てっ! 灯台のところに誰かいる!」

 

 思わず島風も、甲板から身を乗り出して目を凝らす。

 そこに、信じられない光景があった。

 独特の衣装で着飾った、それは鉄血のKAN-SENたち。ニーミを始めとする若き駆逐艦の皆が、それぞれに楽器を持ちより集合していた。

 そして、意外な人物がそっとタクトを振り上げる。

 初霜や長波も、驚きを禁じ得ない様子だった。

 

「あれは……鉄血総旗艦、フリードリヒ・デア・グローセ! こいつは驚いたねえ」

「ビスマルク閣下もいらっしゃいます! こ、これは」

 

 その時、優美に華麗に、そして大胆にフリードリヒ・デア・グローセの腕が風を纏う。普段は砲火で戦慄を歌う女帝が、凍える空気にあたたかな旋律を広げていった。

 即席のオーケストラが、少しぎこちない調べに熱を込めた。

 そして、響き合う音楽は一つに交わり広がってゆく。

 それは、航海の無事を祈る歌……そう、確かに歌姫の声が言葉を刻んでいた。

 

「灯台の上、でありますか? あれは……サラトガ殿? いや、違うであります! レキシントン殿っ!」

 

 母港のアイドル的存在、サラトガは今は指揮官と共に北の海へ向かっている。そして、今この瞬間に詩を紡ぐのはその姉、レキシントンだった。彼女の歌声が、問うてくる。

 

 ――それでも前に進むの?

 

 答は、既に決まっている。

 この母港の仲間なら、改めて言われるまでもない質問だった。

 それをわかっていて、まるで否と……否定を強請るようにレキシントンは歌う。酷く切なく、それでいて島風たちを讃えて慈しむかのように響き渡る。

 答を一つしか知らぬ者が今、征く……それを迷わぬ者たちが、蒼き航路のために帆をあげる。戦えぬ者、戦いに傷付く者たちのために、KAN-SENならば撃沈もいとわずに挑んでゆくのだ。

 ビスマルクの敬礼が見えて、島風たちも阿武隈の声に身を正す。

 

「全艦、答礼!」

 

 皆で整列して、敬礼を返した・

 ほんの一瞬、互いの視線が交わる中で想いが行き交う。

 ビスマルクの隣では、小さな潜水艦のU-556も敬礼している。緊張気味の彼女は、島風と目が合ってニッカリ笑うと、突き出した拳に親指を立ててサムズアップしてくれた。

 そんな仲間たちの光景が、あっと言う間に遠ざかる。

 こうして、キスカ島救出艦隊は出港した。

 払暁を待たず、奇跡の再現が保証されぬ北の海へと、島風たちは漕ぎ出したのだった。



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第5話「模擬戦」

 北への航海は順調、順風満帆そのものだった。

 だが、島風たちはキスカ島への突入まで遊んでる訳にもいかない。やれることは山積みだったし、新たな仲間たちとの訓練は不可欠だった。

 今、島風たちは艦隊を離れ、模擬戦の真っ最中である。

 波は穏やかで日は高く、島風は自分の性能をフルに発揮していた。

 ――筈だった。

 

「うさうさーっ! うささ!? ど、どうして初霜殿がこの距離に!?」

「ほらほら、ぼやっとしてるんじゃないよ!」

 

 勝負の形式は2on2。島風は響と組んで、初霜と若葉の姉妹に挑戦していた。

 だが、自然と初霜に突け狙われ、追い詰められている。どういう訳か、この救出艦隊に配置されてから初霜にやけに絡まれている気がした。

 しかし、不思議と悪意は感じない。

 それがまた不思議で、島風には不可思議なのだった。

 

「くっ、こうなったら……転舵して応戦ですっ!」

「ふっ、青いねえ。お前さん、本当に重桜最速の島風かい?」

「島風は島風ですっ! 魚雷、模擬戦用……発射です!」

 

 水飛沫を巻き上げながら、急制動から反転する雪風。同時に放たれた魚雷が、四つの雷跡を白く刻んだ。真っ直ぐ放射状に放たれた魚雷が、獲物を求める獰猛な肉食魚となって馳せる。

 しかし、その雷撃範囲に既に初霜はいなかった。

 そして、背後から声が走った。

 

「甘いねえ、甘い! 甘酒みたいにトロトロだよ! 島風!」

 

 いつの間にか、島風の死角に初霜が回り込んでいた。

 その事実に島風は愕然とする。

 重桜で、自分にスピードで勝るKAN-SENは存在しない筈だ。母港でも、互角に勝負できる駆逐艦は数える程度……そう思っていた。

 同時に、今この瞬間の光景が現実だと再認識する。

 瞬時に島風は思考を切り替え、襲い来る初霜に向き直った。

 初霜は魚雷を放つや、着崩した着物を揺らして後退する。同時に、主砲からありったけの砲弾をばらまいた。訓練用の弱装弾だが、直撃すればただではすまない。

 島風は抜き放つ拳銃を歌わせ、放たれた弾丸を追い越す勢いで加速する。

 

「負けませんよっ、初霜殿!」

「飛び込んでくるのかい!? 鉄砲玉みたいな娘だねえ、島風っ!」

 

 初霜が装備している魚雷は、鉄血から供与された磁気魚雷ではない、必定、真っ直ぐ進むだけである、ならば、その合間を縫って走ることが島風には可能な筈だ。

 否、筈……ではない。

 今の島風には可能だ。

 徐々に感覚を広げながら、扇状に広がる雷跡を避け、擦過するような距離ですれ違う。

 その時にはもう、最初に放った弾丸が弾幕となって爆発していた。

 初霜の放った射撃が、次々と炎を咲かせる。

 その下をかいくぐるようにして、島風は抜刀と同時にさらに強く速く踏み込んだ。

 

「ちぃ、ヤな子だねえ! ほっん、とお、にっ!」

「この距離……取りました! 初霜殿、お覚悟です!」

 

 剣気一閃、居合の一撃が振り放たれた。

 だが、初霜は下がりながらも懐へ手を突っ込み、波間に踏ん張って迎え撃つ。

 島風の剣は、初霜が取り出したキセルに弾かれた。

 その反動を利用し、距離を取って下がる初霜。

 必殺の間合いだったが、島風は驚きに目を丸くした。寸止めするつもりだったが、本気で振り抜いていても結果は同じだっただろう、

 そして、同じ驚きをあらわにした表情を、初霜にも見出すのだった。

 

「初霜殿、流石です! 凄い……私の本気の踏み込みを」

「おやおや、お褒め頂き光栄だねえ? でも、島風。なにか忘れちゃいないかい?」

 

 その時だった、遠くから仲間が接近してきた。

 それは、小脇に響を抱えた若葉だった。

 

「やっほー? そっち終わったー? 初霜、島風に意地悪してないよね?」

「やだねえ、姉さん。これは教育的指導ってもんだよ」

「なんにせよ、助かっちゃった。響が孤立してたから、楽勝、楽勝♪」

 

 あうう、と呻く響が島風を見て俯く。

 そして、島風はようやく自分の完全敗北を悟った。

 また、やってしまった。

 パートナーである響を放り出して、夢中で初霜ばかりを追いかけてしまったのである。

 

「ごめーん、島風。追いつけなくてさ、ほんとごめん」

「いっ! いえ! 私こそ申し訳なく! ふええ、またやってしまいましたあ」

 

 ヨヨヨとその場に島風はへたりこんだ。

 そのまま沈んでしまいたい気分で一杯である。

 一方の響も、若葉の手から解放されるや……ぺしゃーんとその場に崩れ落ちた。

 初霜だけが得意げに鼻を鳴らして、姉の若葉とハイタッチしていた。

 そして、耳に痛いリザルトの講釈が始まる。

 先程のキセルで一服し始めた初霜に代わって、若葉が今回の模擬戦を総括して話し始めた。元気と勢いが売りの若葉だが、意外にも理知的に状況を説明してくれる。

 

「はいはーい、まずは島風! 駄目だよっ、相棒を放り出して突出しちゃ」

「面目ないですぅ~、うううう」

「島風、どうして初霜がキミと互角にスピード勝負できるか、わかる?」

「それがサッパリ……」

 

 腰に手を当て、グイと若葉が身を乗り出してきた。

 思わず島風は逆に、のけぞって恐縮してしまう。

 

「島風、キミの脚ならパワーで振り切っていいんだよ? 教本通りにジグザグ回避とか、大きく舵を切るから追いつかれるの」

「ほへ? それは」

 

 見かねた初霜が、ぷはーっと煙を吐き出した。その丸い輪っかに彼女は、そっと突き立てた指を入れる。空中で煙の輪の内側に、初霜が小さな円を描いた。

 

「簡単な話さね、島風。あんたは速度が速いが、動きが大雑把だ。ぐるっと大きく回るその内側を走れば、あたいでも追いつける。走ってる距離が違うからねえ」

「なんと! そうでありましたかあ」

「お前さんは速いんだ、逃げる時は直線で全力疾走、これさね」

「はいですぅ~」

 

 正直、落ち込んだ。

 しかも、今回の敗因はそれだけではない。

 その現実を若葉が突きつけてくる。

 

「それと、響と連携しなきゃ駄目だよー? 響は、島風が飛び出しちゃった時、一生懸命フォローに回ってたんだから」

「う、ううんっ! それは…雷や電の面倒見るので慣れてたし。でも、流石に島風には追いつけなかったなあ」

「島風が突っ走るから、響があとを追わざるを得ない。そうなると動きが読みやすくなるからね? だから私たち初春級でも楽勝だったって訳」

 

 きっと、以前の艦隊で蒼龍や飛龍が言ってたことも同じだろう。つまり、島風はまた同じミスをしてしまったのだ。

 しょぼくれ耳をだらりと下げて、思わず島風は俯いてしまう。

 だが、そんな彼女の頭を意外な人物がポンポンと撫でた。

 

「まったく、これくらいで落ち込むんじゃないよ? 自分の弱さ、至らなさがわかるってのはいいことさね」

「あうう、初霜殿ぉ~」

「情けない声出すんじゃないよ、気持ち悪い! ふふ……弱さを知ったら、強くなんな? いいかい、島風」

「は、はいです! 島風、もっと強く! もっと速くなってみせます!」

「はいはい、よろしくやっておくれ? あたいたちにしょげてる余裕なんてないからねえ」

「初霜殿、そして若葉殿! 響殿も! 御教授、ありがとうございました!」

「ばっ、馬鹿な子だねえ! やめとくれよ、恥ずかしい……言葉じゃなく行動で返してほしいもんさね。期待させてもらうよ、島風」

 

 何故か感極まって、うるうる瞳を潤ませながら響が島風に抱き着いてきた。島風も強く抱き返せば、結束が強まる気がする。気がするだけで充分、二度と同じ過ちは繰り返さない……ここにきてようやく、島風はこの救出艦隊に呼ばれた意味を痛感していた。

 SGレーダーを装備しているからではない。

 指揮官は、仲間との連携、艦隊運用の中での立ち回りや振る舞いを島風に教えたかったのだ。姉妹館もなく、島風級の一番艦にして唯一の艦、島風……そんな彼女に、自分が変われば居場所は無限に広がると伝えたかったのかもしれない。

 そう思っていると、不意に遠くから声が近付いてくる。

 

「みなさーん! 訓練は中止、中止ですー! 至急、艦隊に合流して阿武隈さんの艦に集まってください! 至急ですー!」

 

 息せききって駆けてくるのは、副官の長波だ。

 彼女は四人の前まで来て、膝に手を当て身を屈める。よほど急いできたのか、彼女が息を整え顔を上げるまで、島風たちは数秒待たねばならなかった。

 そして、再び声を発した長波が、一瞬で現状を変えてしまった。

 

「皆さん……先ほど母港の気象台から入電です。キスカ島、晴天! 霧は出ていません!」

 

 島風の脳裏を、竜骨に刻まれた記憶がリフレインする。キスカ縞撤退作戦は、この季節特有の濃霧が必要不可欠だ。そして、過去の大戦においても……一度目の出撃時は、霧が出なかったために失敗することになったのだった。

 そして、再現ならざるセイレーンとの戦に今……この艦隊の旗艦に決断の時が訪れるのだった。



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第6話「母港、帰るべき場所」

 霧は、出なかった。

 どこまでも青く遠い空が、その下にいる友軍の命をさむからしめているようだった。

 この作戦は『再現』ではない。

 だが、数奇なるリフレインに島風は奥歯を噛んだ。

 思い出が、記憶が、歴史が……全てが、奇跡の代価を強請ってくる。

 そして、旗艦の阿武隈が決断を下した。その言葉が帰投後の島風に、何度でも無限に反響して聴こえてくる。

 

『帰るよ、みんな。帰ればまた、来られるからね』

 

 判断は、撤退。

 撤退作戦から撤退するという、なんとも虚しい結果になった。

 そして、母港へ手ぶらで戻った島風たちに対して……アズールレーンとレッドアクシズ、両陣営の上層部から容赦のない責任追及が行われた。

 今、島風はやっと憲兵の事情聴取から解放され、基地内の食堂に来ていた。

 ここでは皆、平和の中で華やいで見える。

 仲間のKAN-SENたちも、思い思いの時間を過ごしていた。

 

「あっ、島風……どう? 聴取、大変だったみたいだけど」

「こってり絞られたねー、その顔じゃ。なんにせよ、お疲れ様だよっ」

「あてたちにできることがあったら、なんでも頼ってね?」

 

 所属を問わず、仲間たちは優しい。だが、その気遣いからついつい逃げてしまう。あまりにも成果に乏しく、それが当然のように空振りで終わった作戦。それが、過去の奇跡をなぞるようで、なんだか島風には納得がいかなかった。

 濃霧の発生に紛れての、電光石火の撤退戦。

 流石に天候までは、KAN-SENたちには制御できないのだ。

 それができるのは、敵対するセイレーンたちくらいである。

 

「はあ、ダメダメでありますなあ……ヨヨヨ。島風、情けないであります」

 

 賑やかな空気を避けるように、島風は食堂の端っこに座った。受け取ったトレイの上には、オムライスが湯気をくゆらしている。ケチャップの匂いが、香ばしく鼻孔をくすぐった。

 だが、食欲はない。

 本来なら、大好物のオムライスを大盛りにして、スープの代わりに麺類を追加するのが普段の島風である。だが、健啖家である彼女の胃袋は今、空腹を忘れてしまっていた。

 母港に戻ってきてから、半ば拘束されるようにして根掘り葉掘り詳細を取り調べられた。

 その間ずっと、救出艦隊の仲間たちとは会うこともゆるされてない。

 

「うう、ダメダメ、ダメです! 腹が減っては戦はできぬ、ヨシ!」

 

 島風は頬をぴしゃぴしゃと叩いて、自分に気合を入れなおす。

 そうして、スプーンを手にしたその時だった。

 不意に、食堂にこれみよがしな声が響く。

 

「まったく! 割り当てられた燃料、使うだけ使ってこの結果とはな!」

「工面する我々の身にもなってほしいものだ」

「『再現』を気取ってるんじゃないのか? 旧大戦をなぞって、縁起を担いでいるつもりかねえ!」

 

 将校の軍服を着た男たちの一団が、食堂の一角で食事を始めたようだ。

 島風も何度か見たことがあるが、どうやら主計科の軍人たちのようである。主計科とは、主に物資の管理を任務とする兵站部隊の一部だ。

 必定、今回の島風たちの出撃に使われた燃料も、彼らがやりくりしてくれているものだ。

 だから、怒りと苛立ちはもっともだろう。

 そう思っても、実際に響き渡る言葉は鋭い棘となって島風を貫いた。

 

「で、聞きましたか? 少佐。ケ号作戦実行艦隊から、再出撃の燃料の申請が出てるんですよ」

「あれか、昔のキスカ島撤退作戦は二度目の出撃で成功したんだったな」

「天候に頼るなんて、博打もいいとこですよねえ」

「『再現』じゃないとしても、初めてじゃないんだから……ちゃっちゃとやってくれないとな」

 

 思わず島風は、スプーンを握る手に力が籠る。

 拳の内に食い込む爪の痛みが、音を立てているかのように感じられた。

 現状、セイレーンの大艦隊に完全包囲されたキスカ島の友軍を、一度の出撃で全員救出するための手段は限られている。

 ベストな方法、完璧な作戦は存在しない。

 ベターな手段の中から、最も安全性の高いものを選ぶしかないのだ。

 そのことを島風が噛み締めていると、不意に声が走った。

 

「男がガン首揃えて、うざったい……オレの視界でさえずるんじゃねえよ」

 

 大声ではないのに、酷く通りがよくて澄んだ声だった。

 そして、明確な憤りの吐息に震えている。

 島風が視線を滑らせると、一人の女性が腰に手を当て……男たちのテーブルに詰め寄っていた。長い長い髪をポニーテールに揺って、端正な横顔は燃え上がるような美しさ。そして、一見して粗野な口調の節々に、高貴なる意志が感じられた。

 そのKAN-SENの名は、ジャン・バール。

 ヴィシア聖座から母港へと合流した、頼れる超弩級戦艦である。

 

「な、なんだ貴様……KAN-SENだからといって、いい気になるなよ!」

「いい気になってんのはアンタらだろう。お天道様に頼ってでも、救わなきゃいけない命がある……それだけの話だろうが」

「我々とて、上層部から母港の物資管理を任されている! 無駄な燃料など一滴たりとも」

「無駄じゃねえよ。無駄なものか……霧が出るまで、何度でもやるしかねえんだ」

「それが無駄だというんだ! だいたい、キスカ島は今や重要な拠点じゃ……残された人員も、アッツ島から合流した者たちと合わせて、たかが数百人だ!」

 

 その時、食堂の空気が一変した。

 それは、渦巻く風を拳にまとわせ、ジャン・バールが右腕を振り上げた瞬間だった。

 思わず男たちも椅子を蹴る。

 だが、暴力の嵐が即座に吹き荒れるようなことはなかった。

 まるでジャン・バールに連れ添うような影が、彼女の手首を握って止める。

 

「クソッ、なんだよマサチューセッツ! 止めるな!」

「駄目だよ、ジャン。貴女が人間を殴るのはよくない」

「マサ……でも、私は」

「貴女は駄目、人間に暴力はいけないんだ」

 

 少し抑揚に欠く、酷く怜悧な声だった。

 そして、場が収まりかけたと思ったその時……不意に周囲の雰囲気が凍り付いた。ジャン・バールと比べると、炎と氷のように対照的な戦艦、マサチューセッツ。彼女が、熱して煮立った食堂の空気を絶対零度に突き落とした。

 

「――ガッ、ゲファ!」

 

 男たちの一人、少佐と呼ばれていたリーダー格が吹き飛んだ。

 マサチューセッツが、ジャン・バールを制しつつ……なんと、自分でブン殴ったのだ。表情一つ変えず、どこか眠たそうな目に冷たい炎を燃やしながらのパンチだった。

 

「ジャン、貴女の怒りを拳に乗せていいのは……ぼくだけ」

「おっ、おお、お前ーっ!」

「ジャンが殴る価値なんてないよ、この人たち。――さて」

 

 改めてマサチューセッツは、まるでジャン・バールを背に庇うように立ちはだかる。そして、改めて拳を掌の中でバキボキと歌わせた。

 勿論、男たちも黙ってはいない。

 一食触発の空気は既に、乱闘騒ぎに発展しつつあった。

 これはいけないと島風も席を立つ。

 当事者の一人として、今は味方同士で争っている訳ではないと思ったからだ。だが……重桜最速を誇る島風の介入を、あっさりと引き留める声があった。

 

「まあ待てよ、島風。だっけか? 駆逐艦が出る幕じゃねえさ、マサチューセッツの姐御に任しときな」

 

 そこには、鋭い眼差しの重巡羊羹が立っていた。その手が、一瞬で島風の肩に手を置き制止したのだ。どうやらユニオンの人間らしく、島風には野生的な美貌に見覚えがあった。

 

「ミネアポリス殿……し、しかし」

「お前が出てけば、騒ぎはデカくなる。こういう時は仲間に頼るもんだ」

 

 ミネアポリスの言う通りだった。

 そして、男たちが殺気だって拳を握った、その時だった。

 ずらりと無数のKAN-SENが一人、また一人とマサチューセッツたちの背後に立つ。

 

「卿ら、男として情けないとは思わないのか。まだやるなら、我もまた受けて立とう」

「などとグラーフ・ツェッペリンは言うけどね……どする? まだやるかい?」

「どうしてもというなら、セニョール! 次はこの私、リットリオが相手になろう」

「なにはともあれ、駆逐艦の妹たちを悪し様に言う輩は許せん。ハァハァ……許せん!」

 

 状況は一変した。

 男たちは慌てて、落とした制帽を拾うなり逃げ出す。

 その背を視線で見送って、誰からともなくKAN-SENたちは昼食に戻ってゆく。

 気付けば、背後にいたミネアポリスの姿も見えなくなっていた。

 

「皆さん……うう、ありがとうございますうううう~」

 

 誰にともなく、島風は頭を垂れた。

 やはり、国や陣営が違えど……この母港に集った皆が皆、仲間なのだ。

 そのことを深く心に刻めば、不思議と忘れていた空腹感が思い出される島風だった。



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第7話「今は雌伏の時」

 島風は再び、決意も新たに戻ってきた。

 救出艦隊が集う、臨時編成用の港に。

 そこには、予想もしなかった光景が広がっていた。

 

「班長! 初霜ちゃんと若葉ちゃんの偽装、整備完了であります!」

「いよーし、もうすぐ二人とも戻ってくるからな! 長波ちゃんは!」

「磁気魚雷への換装中です! 三十分、いえ……あと十五分ください!」

「阿武隈ちゃんの偽装は、真ん中の煙突を白く塗り潰しましたがいいんですね?」

「昔はこうやって、ユニオンの軽巡に見えるようにしたんだが……セイレーン相手でもまあ、ゲン担ぎみたいなもんだな!」

 

 港では、多くの人たちが働いていた。

 皆、活気と情熱にあふれている。

 普段から偽装の整備をしてくれてる男たちが、いつも以上に熱心な働きを見せていた。どの艦も、まるで今しがた建造されたかのようにピカピカである。

 そして、どうやらまだ艦隊の仲間たちは戻ってきていないようだ。

 だが、島風を見つけた何人かが駆け寄ってくる。

 

「島風ちゃん、災難だったね! 随分お説教されたんじゃない?」

「SGレーダーの感度、上げておいたよ。汎用パーツが回ってきたからね……色々うるさい連中だけど、主計科の奴らもわかってはいるんだよなあ」

「あとで時間がある時に、偽装の調子を見てくれよ。なに、いい仕上がりさ!」

 

 島風は圧倒された。

 そして、気付けば視界が滲んで歪む。

 涙ぐんでしまったことに気付いて、慌てて手の甲でごしごしと瞼をこすった。

 いつもの笑顔でピンと耳を立て、居並ぶ整備班たちに大きく頭を下げる。

 

「あっ、ありがとうございます! 整備の皆さんに感謝です……島風、今度こそは!」

「なーに、霧が出なくちゃ始まらないからな」

「そうそう、阿武隈ちゃんを見なよ……ずっとあの調子で、気負いも焦りもない」

「若いのに大した子だよ。ちょうど、うちの娘があれくらいの年頃なんだが」

「面目ねえ……こうして、KAN-SENの娘たちに頼らなきゃ海を渡れないなんてな」

 

 男たちが振り返る方へと、島風も首を巡らす。

 一番奥に、艦隊の旗艦である軽巡洋艦の阿武隈が停泊している。

 その舳先に、一人の少女が座っていた。

 どうやら、水面に竿を向けて釣りをしているらしい。そして、遠目にもはっきりと阿武隈だとわかる。重桜の民の特徴である、鬼の角が小さく尖って陽光を反射していた。

 思わず島風は走り出してしまう。

 

「あとでレーダーの調子、見させてもらいますねっ! 私、皆さんの期待に絶対に応えてみせます! みんなもきっと、想いは同じですから!」

 

 腕組み頷く男たちをあとにして、桟橋へと島風は走った。

 やはり、他のメンバーは憲兵隊の聴取が長引いているようだ。

 だが、全力疾走する島風を後ろから追い抜く影があった。

 まさか、自分より脚の速い者がいるなんて……驚く島風を置き去りに、その駆逐艦の少女は阿武隈の甲板へと突き進んだ。そのまま艦首の方へ走るので、慌てて島風も追いかける。

 彼女は、同じく聴取が終わって解放された響だった。

 響はまるで食って掛かるような勢いで阿武隈に迫る。

 

「阿武隈さんっ! ただいま戻りましたっ! あと、酷過ぎます! あんまりです!」

 

 響は、第六駆逐隊の勇士、誰が読んだか不死鳥の異名を持つ娘である。その彼女が、血相を変えて両の拳を振り上げていた。地団太を踏む様は、まるで幼子のようである。

 なにごとかと、あとから会話に参加してまずは敬礼をする島風。

 だが、阿武隈はニコリと微笑み軽く手を振る。

 

「堅苦しい挨拶はいいよ、島風。それに、響。お疲れ様、嫌な目に合わせてしまったね」

「い、いえっ! 島風はなんともありません! 大丈夫です、平気です!」

「でもーっ! 私は悔しい! 霧が出ないのは阿武隈さんのせいじゃないのにー! むぎーっ!」

 

 響は、我がことのように怒って憤る。それでも、その場でじたばたとするだけで当たり散らしたりはしなかった。そして、彼女から意外な事実が語られる。

 思わず島風も、血潮が燃えて煮え滾るような内容だった。

 

「一部の人たちが、阿武隈さんは腰抜けだって! 強行突入すべきだったって!」

「ああ、そうかい。ふふ、それは困ったねえ」

「困ったではすまされないよ! だって、だって……阿武隈さんは臨時とはいえ。私たちの旗艦なんだから!」

「そうだねえ。……ん、引きが。これは釣れたか……っと、餌を取られてしまったかな」

「もうっ! 阿武隈さんっ!」

 

 島風は初めて知った。

 何の成果もなく、救出艦隊は手ぶらで戻った。キスカ島撤退作戦は失敗したのだ。そして、そのことに関して一番の批判は阿武隈に集中していた。旗艦である阿武隈には、各方面から心無い言葉が浴びせられているのだった。

 響が推しててくれくれなければ、島風も気付かなかっただろう。

 キスカ島を目前にしての撤退……その決断を下した阿武隈に、上層部の空気は冷たかった。

 

「まあまあ、響。あまりカッカしちゃ駄目だよ? 島風も、いいね?」

「私、自分のことなら受け止められます! でも……なんで阿武隈さんがこんなに悪く言われなきゃいけないんですか! 霧が出なかったのは、阿武隈さんのせいじゃないのに」

「……ありがとう、響。お前さんはいい子だね。あては大丈夫、だから怒りを収めておくれ」

 

 そっと手を伸べ、阿武隈は響の頭をポンポンと撫でた。

 とても優しい眼差しで、その瞳は安心させるように島風にも向けられる。

 だからつい、島風も声をあげてしまった。

 

「阿武隈さんっ! キスカ島撤退作戦、ケ号作戦は昔は大成功でした! みんなが奇跡だって……今回も成功します! 島風が成功させてみせます! みんなと!」

 

 気付けば島風は、両の拳を握って身を乗り出していた。

 だが、そんな意気軒昂の島風を見ても、阿武隈は静かに微笑むだけだった。

 

「島風も、ありがとう。でもね……犠牲者ゼロの奇跡の作戦なんて、本当は存在しないんだよ?」

「でも、旧大戦の時は! これが『再現』じゃなくても、前回は!」

「……島風、そして響も。よくお聞き……キスカ島撤退作戦、ケ号作戦は誰も死なない奇跡の撤退戦だった。それは、間違いなんだよ?」

 

 初耳だった。

 島風の記憶では、昔のキスカ島撤退作戦は大成功だった。濃霧に乗じて、ユニオン艦隊が完璧に包囲したキスカ島へと突入、接岸。そして、短時間で全ての人員を収容して離脱したのである。

 勿論、その奇跡のカラクリもあとから島風は学んだ。

 当時、キスカ島への上陸作戦を画策していたユニオン艦隊は、補給のために一度包囲を解いて全軍が母港へと戻っていたのである。濃霧の中を危険な航行で進み、損害軽微ながら衝突事故を起すこともあったケ号作戦実行艦隊は……実は、誰も包囲していない無人の海を突っ走っていたのだった。

 それも今は昔の話、現在はセイレーン艦隊の包囲は鼠一匹通さぬ完璧な布陣である。

 そして、阿武隈の口から意外な真実が語られた。

 

「二人とも聞いておくれ。過去のキスカ島撤退作戦……奇跡の作戦と呼ばれたあの撤退戦は、尊い犠牲の上で成り立ったものだ。犠牲はあった、大事で大切な命が失われたんだよ」

「そんな、阿武隈さんっ! 島風が調べた限りでは、そんなことは。私は、ちゃんと過去の歴史を学びました!」

「島風、歴史は時にセンセーショナルな部分だけをフォーカスして残される。でも、現実は……真実は違うんだよ」

 

 阿武隈は釣竿の針に餌を付けなおして、ゆるりと海面に投げ放る。

 そして、釣り糸が浮かべる波紋を静かに見詰めながら言の葉を紡いだ。

 

「キスカ島撤退作戦……ケ号作戦の成功に際して、民間人の協力が多大な影響をもたらしたんだよ。旧帝国海軍に言われて、沢山の漁民が船を出して偵察してくれた」

「……そ、そうだったんでありますか? 記録にはそんなことは」

「軍部に強制される形で漁船を出した者たちの何人かは……帰らなかった。ユニオンの艦船に撃沈されたんだね。あてたちは軍艦、KAN-SENだ。闘うために生まれた船なれば、戦没は当然……でも、漁船は違うと思ってね。そのことを思い出すと――」

 

 阿武隈の表情は穏やかで、ともすれば諦観の念を感じる。

 彼女は知っていたのだ。自分が祭り上げられた奇跡の裏側に、軍が隠していた犠牲が存在したことを。そして、二度目の作戦でそれを絶体に再現したくない。いわゆる『再現』ではないのだから、絶体に犠牲を出すまいと心に決めているのだ。

 そして、その想いを共有している仲間たちが気付けば背後に並んでいた。

 

「そういう訳さね、島風。響も。いいんじゃないかい? 言いたい奴には言わせておけばいいんだよ。ただ、あたしたちが信じて従う旗艦は、阿武隈さんだけさね」

「初霜の言う通りだよ! 私でもわかる……ここは、名を捨てて実を取るってやつなんだ」

「ええ、ええ。長波も副官としてベストを尽くします!」

 

 ようやく再び、ケ号作戦実行艦隊……救出艦隊の全員が勢ぞろいした。

 そして、皆の顔を見渡し頷いて、阿武隈も立ち上がる。

 

「すまないね、みんな……肩身の狭い思いをさせてしまってる。でも、あては奇跡をもう一度欲して望む気持ちはないんだよ」

 

 とても優しくて温かくて、そして強い声音だった。

 阿武隈は釣竿を適当に揺らしながら、ゆっくり立ち上がる。

 

「上層部の批判、周囲のあれこれはあてが引き受ける。あてはこう見えても面の皮が厚いからね……みんなは気にせず、次の再出撃に備えてほしい。いいね?」

 

 その場の誰もが、身を正しての敬礼で応えた。

 勿論、島風も全身に心地よい緊張感が満ちてゆくのを感じる。ただ、同時に思うのだ……絶体に阿武隈は間違っていないと。あの状況で強攻突入していれば、救出艦隊は全滅だった。濃霧に身を紛れさせていなければ、圧倒的な戦力差に押し潰されるだけだったのだ。

 今、島風ははっきりと感じていた。

 霧が発生せず撤退を余儀なくされた、なにも成果を持ち帰れなかった仲間たちの全員に……確かに連帯感が強まり、享有する意志と覚悟とが確かなものになってゆく感覚がはっきりと感じられるのだった。



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第8話「めぐる天運」

 それからの日々は、忍耐に次ぐ忍耐だった。

 島風たちは改めて作戦を見直し、何度も確認作業を繰り返した。細かな問題点を洗い出し、あらゆる不測の事態に備える。そうした時間もしかし、やりつくしてしまった。

 今、あてがわれた詰め所で島風たちは無為に時間を費やしているのだった。

 

「……島風、ちょいとお待ちよ」

「はい、待ったですね! 何手戻しましょうか!」

 

 島風は今、初霜と将棋を指していた。

 もう既に、人事を尽くした。

 あとは天命を待つばかりである。

 だから、各々自由にリラックスした時間を過ごしていた。若葉は先程から新聞とにらめっこしているし、長波は静かに文庫本を読んでいる。響は偽装のチェックで軍港に出ているし、阿武隈も司令部に呼び出されて留守にしていた。

 なんでも、今日また追加で補充人員が来るらしい。

 

「二手、あいや、三手戻しとくれ」

「はいっ! では」

「……よく覚えてるもんだねえ。ふふ、頭の回転が速い子は嫌いじゃないけど」

「エヘヘ、そう言われましてもー、ふにゃあ」

 

 ゆったりとした時間は、まるで永遠に続くかに思われる。それくらい、穏やかで平和だった。だが、誰一人として忘れていない……こうしている今も、この瞬間も友軍はセイレーン艦隊に包囲されているのだ。

 誰もが顔には出さないが、焦れている。

 島風にはそれがひしひしと感じられたし、自分もそうだ。

 初霜など、最近は酒と煙草が少し増えたようにも思える。

 

「さて、と。それじゃ、気を取り直して……王手さね!」

「はいっ、飛車でガードです!」

「その飛車を取って、と……さて、どう攻めようかねえ」

「王様を逃がします! ささ、初霜殿……初霜殿?」

 

 島風の将棋は爆速、神速の早指しだった。

 勿論、ちゃんと考えているし、何手も先を読んでいる。だが、初霜がゆっくり駒を動かした瞬間、即座に対応して島風は自分の手を指していた。

 なんだか、初霜が眉根を寄せてフラットな表情になる。

 

「ちょいと、島風? お前さん、もっと考えてお指しよ」

「考えてますよ? あと、初霜殿はあと七手で詰みです」

「な、なんだって? どうして……あれがこうなって、ここで、こうなって……ええい、頭の回転が速過ぎる子はいやだねえ!」

「お褒めに預かりー、ニフフ」

「褒めちゃいないよ、まったく」

 

 こうして、盤面がまた難しい局面になった。

 初霜も今度は用心しているのか、島風の勝ち筋がかすんで消えてゆく。

 だが、そこからが将棋は面白い。

 時間潰しの気まぐれであることも忘れて、島風は再び頭脳をフル回転させた。

 向かいの初霜が立ち上がって敬礼したのは、そんな時だった。

 若葉や長波も同じで、慌てて島風もそれにならう。

 詰め所に、旗艦の阿武隈が戻ってきたのだ。

 

「ああ、そのままで。あてにそんな、堅苦しくするんじゃないよ」

 

 いつも阿武隈は、涼し気な笑顔で余裕に満ちている。常に聡明で冷静沈着、そして鋼のような決断力を持った頼れるリーダーだ。重桜でも赤城や天城、長門といった重鎮の信頼も厚く、偽装の改造を受けた海のサムライである。

 その阿武隈が、皆を見渡し島風に近寄ってきた。

 

「おや、将棋かい?」

「阿武隈姐さん、聞いておくれよ。島風があたしをいじめるんだよう」

「ふふ、なにをそんな……初霜、ここに桂馬を張って四手先、詰むよ」

「ほへ? ……あ、ああ、うん、そうさね! あたしも今、そう思ってたとこだよ!」

 

 逆に島風は、思わず「はわわ!」と声をあげてしまった。

 一瞥しただけで、阿武隈は盤面を塗り替えてしまったのだ。

 だが、彼女は背後を振り返って誰かに入室を促した。

 

「入っておいで、風雲。みんな、新しい仲間を紹介するよ」

 

 おずおずと、新顔の駆逐艦が皆の前にやってきた。

 なんだか、伏せ目がちな暗い瞳の娘である。

 そして、妙にテンションも低く覇気が感じられなかった。

 

「ども、風雲です……やることはやるので、よろしくです」

 

 明らかに、いつもの仲間たちとは空気が違う。

 この場に響がいたら、真っ先に声を上げていたに違いない。

 だが、咎める様子もなく阿武隈は隣に招いて、そっと風雲の肩を抱く。

 

「みんな、風雲の面倒も見てやっておくれ。そうだね……島風」

「は、はいっ! ……わ、私ですか?」

「うん。風雲のことを頼むよ」

「はあ……」

 

 とてとてと風雲が歩み寄ってきて、島風の腕に抱き着いた。

 一瞬で懐かれたようだ。

 それはいいのだが、島風に新しい後輩ができたようである。

 なんだかこそばゆい嬉しさが込み上げる。

 だが、間近で顔を寄せてくる風雲は、そんな島風の期待を木っ端微塵に粉砕する。

 

「島風先輩……風雲はやればできる子なので、よろしくです」

「は、はあ……ええ! はいっ! なんでも島風にお任せですよ! わからないことや困ったことは、なんでも島風に言ってください!」

「とりあえず、その暑苦しい感じの……やめてもらっていいですか」

「……なんと! わ、わかりました。えと、じゃあ」

「作戦の概要は全て事前に理解してます。その、あと……仲良く、して、ください」

 

 なんとも難しい後輩だなと思いつつも、島風のやる気がむくむくと身をもたげてくる。少し不器用な子なのかもしれないが、そんなことは島風には関係なかった。

 また一人、頼もしい仲間が艦隊に加わってくれた。

 そして、初めて島風に守るべき後輩ができた。

 さらには、待ちに待った一報が飛び込んでくる。

 転がるようにやってきたのは、響だった。

 

「阿武隈さん! みんなも! 気象台から入電だよっ! キスカ島周辺に濃霧発生! 霧が出たっ!」

 

 誰もが身構え、場の空気が一変した。

 島風の腕に抱き着く風雲さえも、身を強張らせる気配があった。

 皆がそうするように、島風も首を巡らし阿武隈を見詰める。

 彼女は大きく頷くと、すぐに命令を下した、

 

「全艦、出撃。今度こそみんなを連れ帰るよ」

 

 乾坤一擲……ケ号作戦、再発動。

 すぐに皆が皆、準備に向けて走り出した。

 

「よーしっ、風雲殿っ!私たちも行きますよ!」

「うーい」

「ガクッ! て、テンションが……」

「こう見えても風雲はやる気に満ち溢れてます。……はぁ、部屋でゴロゴロしてたい」

 

 なんだか風雲はぼんやりとしたイメージだが、島風はその目を見て察した。誰もがそうであるように、風雲もまた瞳の奥に強い意志の炎を燃やしているのだった。



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第9話「沈黙の白い闇」

 緊急出港で島風たちは母港を出た。

 こんどこそ、見送りも楽隊の演奏もない。

 そして、もう失敗は許されない。

 緊張感に満ちた航路は、同胞救出のための艦隊を北へといざなった。やがて、徐々に周囲の空気が滲んでぼやける。すぐに島風たちは、濃密な白い闇に包まれた。

 旗艦である阿武隈の声が響き渡る。

 

「みんな、それぞれ自分の偽装へ。量産型輸送艦は味方同士の衝突事故に気を付けて!」

 

 一斉に駆逐艦たちが甲板を走り出す。

 旗艦阿武隈の偽装に集っていた島風たちは、すぐに散って自分たちの偽装へと戻った。普段は艦船の姿をしているが、戦闘時には島風たちへと装備されるいわば分身だ。

 島風はそれとなく、風雲に注意を払って視線でおいかける。

 世話を任されているが、風雲はテンションこそ低いもののやる気は十分なようだった。

 

「風雲殿っ! 島風から離れないでくださいね。このままキスカ島へと突入しますっ!」

「はーい。艦同士の距離を密に……でも、ぶつからないようにっと」

「今回は戦闘が目的ではないので! 量産型輸送艦にも目配せを」

「はいはい、大丈夫ですよっと。……! あ、あれは! 島風先輩!」

 

 突如、前方に巨大な影が現れた。

 ミルクスープのような濃霧の中でゆっくりと近付いてくる……それは巨大な軍艦だった。

 セイレーンの量産艦である。

 そのサイズは、旧大戦の艦艇である島風たちよりも巨大だ。そびえる山の様に、見ればそこかしこに息を潜めて量産艦が配置されている。

 そこからは、戦意も殺気も感じない。

 まるで抜け殻のような巨艦が、整然と大艦隊を展開していた。

 

「これが……セイレーン。す、凄い数です」

「風雲殿、大丈夫ですよ。向こうはこの霧でこっちが見えてません」

「こんな大艦隊を見るのは初めてです……もう、帰りたいです」

「まあまあ、そう言わずに」

 

 まるで、墓地をゆくように静々と救出艦隊は進む。

 阿武隈を先頭に、単縦陣での航行……息を殺すような瞬間の連続で、思わず島風もゴクリと喉がなった。自分を乗せた重桜最速の偽装も、今はゆっくりと慎重に進む。

 見れば、後方の風雲も量産型輸送艦を守りながらしっかりついてくる。

 

「しかし、焦れるでありますなあ……胃が痛くなりそうであります」

 

 自然と呼吸が浅くなり、額に汗が滲む。

 時折頭上を通り過ぎる爆音は、セイレーンのジェット戦闘機だ。

 この濃霧の中でも、セイレーンは艦載機を運用する技術を持っている。現代の地球において、人類の科学力を凌駕する力がセイレーンには与えられているのだ。

 それは誰から? 何故? そして、どうやって?

 全ては謎に包まれている……ただ、はっきりとしていることは一つ。

 セイレーンは人類から海を奪い、その発展と繁栄を妨げる敵なのだ。

 

「島風せんぱーい、ちょい取り舵です。前見てくださーい」

「わかってますよぉ! ひええ、これは肝が冷えますなあ」

 

 一際巨大な艦が目の前に現れた。

 恐らく、量産型艦隊の旗艦だろう。それ自体が島のように大きく、絶壁がそそり立っている。どうやら超弩級の巨大空母のようである。

 そのわきを、静かに救出艦隊はすり抜けた。

 やはり、霧で相手はこちらに気付いていないようだ。

 まるで、眠る龍の巣を征くような緊迫感。

 この場で誰かが失態を犯せば、あっと言う間にセイレーン艦隊は牙を剥いてくるだろう。しかも、その大艦隊のド真ん中に今、島風たちは潜入しているのだ。

 だが、ようやく前方が明るくなってくる。

 

「セイレーン艦隊を抜けたであります!」

 

 そこからは打合せ通りだった。

 全艦、最大船速でキスカ島へ突入。

 徐々に島風たちは増速し、静かに敵の包囲網を突破してゆく。

 振り返れば、恐るべきセイレーンの大艦隊が濃霧の中へと消えていった。

 同時に、前を向けば小さな島が見えてくる。

 ここからは速力が武器だ。

 速やかにキスカ島の全員を保護し、霧に紛れて脱出する。この濃霧がまだ持ってくれているが、いつ晴れるかは誰にもわからない。時間との戦いは既に始まっていた。

 前方で初霜が叫ぶ声が聞こえる。

 

「港が見えたよ! 湾内に突入する! 若葉姉さん、アタシと周囲の警戒を!」

「打合せ通りだねっ! よーし、いい調子!」

「若葉姉さん、声が大きいさね……ふふ、でも上手くいけばこのまま」

 

 島風たちにも、はっきりとキスカ島の港湾施設が見えてきた。

 そして、真っ先に阿武隈が港へ強硬接弦する。

 そこには、絶望に沈む人たちの姿があった。その誰もが、やつれた顔に瞳を輝かせて出迎えてくれる。セイレーン艦隊に気付かれるのではと思うくらいの、大歓声が上がった。

 

「見ろ! あれは……重桜の救出艦隊だ!」

「上層部はまだ、俺たちを見捨てていなかった……!」

「今すぐ全ての人員に集合をかけろ! 脱出するぞ!」

「すぐに資材を運び出せ! かならず指揮官の母港に物資を届けるんだ!」

 

 量産型輸送艦から、次々と内火艇が降ろされる。

 喜び勇んで飛び上がる者たちの中には、自ら海へと飛び込む者たちの姿まであった。

 島風も思わず、胸が熱くなる。

 耐えに耐えて耐え抜いた、その結果が今、目の前に広がっていた。

 隣に並ぶ風雲も、大きく見開いた瞳を輝かせていた。

 

「凄い……本当に、あの大艦隊を突破して、来ちゃった」

「そうでありますよ、風雲殿! これもみんなが頑張った結果なのであります!」

「あ、あれ! 島風先輩、あそこに!」

「んー? おやおや、あれはー? さて、これはまたどうして」

 

 風雲が指さす先、桟橋に集まる人影の中に見知った人物がいた。

 それは、巨大な荷物をうずたかく背負った明石だった。普段は母港の購買部にいる筈だが、妙な場所で見かけたものである。

 明石は、他の者たちと同様に艦から降り立った阿武隈へと駆け寄っていた。

 すぐに島全体が活気に包まれ、誰もが忙しく動き出す。

 遅れて来た長波と響が、島風たちにそっと教えてくれた。

 

「明石さん、確かアッツ島への補給物資運送中に巻き込まれたって聞いてました」

「そういえば、購買部で不知火さんがそんな話してましたね。で、あの大荷物は」

「商品、でしょうか……ちょっとあの量、大丈夫なのかしら」

「明石さんらしいなあ、ははは」

 

 だが、すぐに島風は異変を察した。

 阿武隈がなにかを話している。そして、それを聴いた誰もが顔色を変えていた。

 なにより、明石が目を白黒させているのである。

 慌てて島風は偽装から飛び降りると、桟橋を走り始める。

 せっかく助けに来たのに、なにやら不穏な空気が渦巻き始めているのだ他t。



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第10話「数えてはいけないもの」

 阿武隈の周囲でトラブルの臭いが漂い始めた。

 感謝感激で出迎えてくれた兵士たちが、徐々に表情を曇らせてゆく。

 桟橋を猛ダッシュで駆け寄った島風の耳にも、苛立ちと怒りが飛び込んできた。

 

「そんな! 我々に身一つで乗船しろっていうのか!?」

「研究員にとって、研究成果は命より大事なんだ! 実験用の器材だって!」

「助けにくてくれたことには感謝する……しかし、荷を全て捨てろというのは」

 

 どうやら阿武隈は、自分たちの救出艦隊への乗船に際して条件を出したようだった。それが再度、凛としたよく通る声で述べられる。

 とても静かで穏やかで、しかし確固たる意志に固められた怜悧な言葉だった。

 

「もう一度言うよ、みんな。手荷物は一つのみ、私物や貴重品だけ。武器や弾薬、その他一切合切の資材や物資を放棄してもらうよ。これは旗艦であるあての独断、命令」

 

 にべもない言葉に聞こえたかもしれない。

 だが、島風は見てしまった。

 いつもの涼し気な表情で、阿武隈は眉一つ動かさない、でも、硬く握った拳が震えていた。ぽたりと赤い雫が零れて、食い込む爪の痛みが聴こえてきそうな程だった。

 阿武隈だってわかっているのだ……ここにどれだけのものが備蓄され、蓄積されてきたか。最前線の一つだったアッツ島とキスカ島では、実戦データを基にしたキューブや強化ユニットの研究も盛んである。弾薬や燃料だって、かなりの数が備わっていた。

 そして、誰よりも前に出て抗議の声を上げる少女が、そのことを叫ぶ。

 

「嫌だニャ! 阿武隈、どうかしてるニャ……ここにはキューブだけでも300や400の備蓄があるんだニャ! 燃料だって8,000以上、急いで運び出せば全部持ちだせるにゃ!」

「明石……ごめんよ、こらえておくれ。これだけは譲れないんだ」

「なんでだニャ! 指揮官だって、大量の装備箱とかが無駄になるのは望んでないニャ!」

 

 明石の言うことにも一理あると島風は思った。

 母港では現在、慢性的な資源不足に陥っている。指揮官の理念と旗のもとに、あらゆる勢力から最強戦力が結集しているのだ。セイレーンとの戦は激化の一途を辿り、燃料のやりくりにも困るありさまである。

 そんな中、主計科がなけなしの燃料を都合してくれたのが救出艦隊である。

 だが、阿武隈もがんとして譲らなかった。

 

「明石、この決定に関してはあてが全責任を持つ。みんなも覚えておいておくれ。あてが、独断で捨てさせるんだ。出港は一時間後……それまでに全員を一人残らず収容するよ」

「いっ、一時間!? そんなの無理ニャ!」

「手元の荷物だけ持って、人員だけを乗せるんだ。大丈夫、きっと間に合うよ」

「……うー、納得できないニャ!」

「因みに明石、今背負ってる商品は手荷物として許可するよ。でも、それだけだ。みんなも、いいね! 武器は捨てて、本当に大事なものだけ持っておくれ!」

 

 動揺がざわめきとなって広がった。

 そして、士官と思しき男が一人前に出る。まだ若いが、真っ直ぐな目をした青年だった。よく見れば、その軍服と階級章からレッドアクシズ、重桜の軍人だと知れる。

 

「阿武隈、言いたいことはわかる。実際、過去の大戦ではキスカ島撤退作戦に際して……乗船する兵員は全員武器を捨てろと言われていた。天皇陛下から賜った武器をだ」

「そうだよ。これは『再現』ではないし、奇跡は二度も起こらないんだ。だから」

「それでも、指揮官のために我々が絶えず研鑽を積んだ奮戦の結果、成果物がある」

「……指揮官が望んでるのは、みんなの無事の帰還。それだけだよ」

「しかし!」

 

 島風の竜骨にも、古い記憶が刻み込まれている。

 遥か昔、旧世紀の大戦で重桜は枢軸国として世界と戦った。良かれと思って、誰もが最善を尽くした結果の戦争だった。それが後世の歴史家に悪行だったと言われて、手法や方法論が間違っていたことは島風も十分に理解している。

 同時に、良かれと思って最善を尽くした人たちへの敬意も感じていた。

 当時、兵士が受け取る銃や武器は、全て『天皇陛下より賜った大切な物』だった。驚くべきことに、それを扱う兵士の命よりも貴重とされ『兵士は死んでも代わりがいる、よって武器だけは死んでも持ち帰れ』という価値観が横行していたのである。

 兵士の持つ銃に、天皇家の象徴である菊の御紋が刻まれていたことも影響した。

 そんな時代に、命を救うために一切合切を捨てさせたのが旧大戦のキスカ島撤退作戦だった。

 

「みんな、辛いのはわかるし、それはあても一緒だよ。けど、こらえておくれ……この霧は、いつまで持つかわからない。霧に乗じて脱出できなければ、キスカ島に閉じ込められた人間が増えるだけだよ」

「し、しかし」

「全てを放棄して逃げれば、一時間後には出港できる。それまでなら霧は持つ……少なくとも、以前はそうだった。でも、あては奇跡を再演するためにきたんじゃないんだよ」

 

 阿武隈の言葉は、まるで幼子に語り掛ける母親のように優しい。しかし、やはり彼女が自分の意志を曲げる気配はない。

 そして、その理由が島風には理解できる。

 今は一刻も早く全員を収容し、この島から撤収するべきだ。

 この霧が晴れた時、救出艦隊がセイレーンの索敵範囲外に脱出できていなければ……追撃戦で多くの命が失われる。勿論、島風と仲間たちは量産型輸送艦を守って戦うつもりだ。

 だが、勝機のない戦いよりも、戦いそのものを避ける戦術が今は求められていた。

 そんなことを考えていると、突然ブルブルと明石が震え出した。

 

 

「うう、うぅ……うがーっ! フニャー! キューブ数百個、数万ガロンの燃料! 黄色く塗りな直した装備箱が数千個! 書架には教科書もぎっしり詰まってるニャ!」

「明石……」

「でも、それでも! 命は数えてはいけないものニャアアアアアア!」

 

 不意に明石は、背負っていた荷物を……こともあろうか、海へと投げ捨てた。

 明石は泣いていた。

 彼女はいつも、指揮官と仲間のために物資を集めてくれていたのだ。それは購買部で売られる形になってはいるものの。彼女が必死で努力したからこその値引きもあった。母港の台所事情は大変に厳しかったが、指揮官を慕う明石たち裏方の人員が努力してくれてたからこそ持っているようなものだった。

 泣いて荷物を捨てる明石を見て、周囲の空気が変わり出す。

 

「……全員を一時間で収容、了解だ。阿武隈……ただ、セイレーンにみすみす物資を渡す訳にはいかない。おい! 手の空いた者を集めろ! 廃棄する物資に爆薬をしかける!」

「すぐに作業班を編成します! それと……このまま逃げるのもしゃくなんでね」

「施設にペイントしとけ! でかでかと『伝染病隔離病棟!』ってな!」

「はは、そりゃいい! セイレーンに人の心があるなら、びびっちまいまさあ!」

 

 すぐに男たちは動き出した。

 明石だけが未練がましく海を見詰めていたが、完全に自分の財産が水没したのを見届けると……余った袖で涙をグイと拭って、忙しそうに走り出す。

 そして、皆が散っていったあとに……小さな影が残された。

 よく見れば、小さな女の子がポーチを両手で握っている。

 

「あ、あの……KAN-SENさん。これ、しんだおかあさんがのこしてくれた……これも、すてなきゃダメ? ううん、すてなきゃだよね。みんな、がんばってるもん」

 

 女の子は、両手で大事そうに握ったポーチを海へと向ける。

 だが、島風がすぐに駆け寄りそっと抱き締めた。

 そのポーチごと、中に詰まった思い出を捨てさせたくなかった。そして、その小さなポーチが救出作戦の一時間というタイムリミットに対して、とるにたらないものだと阿武隈は理解してくれた。

 島風が抱き寄せる少女に、身を屈めて阿武隈も微笑む。

 

「あては救出艦隊旗艦、阿武隈だよ。お嬢ちゃん、それは大切なものなんだね……大丈夫だよ、なくさないようにしっかりね」

「い、いいの?」

「物資や武器は捨ててもらうよ……でも、あては気持ちや想いまでは捨てろなんて言えないからね」

 

 少女は顔をくしゃくしゃにして笑った。

 それこそが、真に守るべきものだと島風は実感したのだった。

 そして、キスカ島に残された者たちの最後の戦いが始まる……誰もが身一つの乗船で、整然と行動してくれた。置き土産もそこそこに、何の混乱もなく量産型輸送艦に乗ってゆく。

 きっちり一時間後、阿武隈は汽笛を鳴らして艦隊の先頭に立って出港するのだった。



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第11話「最初で最後の防衛戦」

 まだ霧は濃密に、全てを白く塗り潰してくれている。

 再び阿武隈を先頭に、救出艦隊は復路を走る。島風たちはもう慣れたが、避難する人員……とりわけ民間人や子供たちには恐ろしい光景だっただろう、

 濃霧の中、沈黙しながら並ぶセイレーンの巨艦。

 時折頭上を通り過ぎるのは、ジェットの爆音だ。

 皆が皆、量産型輸送艦で息を殺す気配を島風も感じ取っていた。

 

「大丈夫……大丈夫であります。このままセイレーンの艦隊をやり過ごせば……!」

 

 ゆっくりと前方を、セイレーンの駆逐艦が横切った。

 その距離は、数百メートルという至近である。

 丁度、量産型輸送艦を中心とした単縦陣を横切る形になって、なにもせずに通り過ぎる。その背を見送れば、すぐに霧が全てを覆って隠してしまった。

 その後も何度か、ヒヤリとする場面の中で島風は神経を尖らせた。

 それもやがて、終わりを迎えようとする。

 

「島風せんぱーい、今ので最後の一隻だったんじゃ……つまり」

「風雲殿、セイレーン艦隊を抜けたでありますか!」

「だと思うよ? けど」

「ムムッ! これはまずいでありますなあ!」

 

 ギリギリだった。

 そして、最後までは持たなかった。

 徐々に霧が薄れてゆく中で、背後のセイレーン艦隊が慌ただしくなる。

 まるで精密機械のように、全ての艦が同時に回頭、こちらへ舳先を向けようとしていた。

 もう既に霧は消えて、目視ですぐ側に救出艦隊は発見されてしまったのだ。

 

「セイレーン艦隊、全艦180度回頭! 追撃してきます!」

「量産型輸送艦、もっと速度を上げな! 追いつかれちまうよ!」

「初霜ちゃん、駄目っ! どの艦も限界……これ以上は!」

 

 一瞬の混乱が、同様となって艦隊に広がった。

 島風は自分の艤装から身を乗り出して、背後を見やる。

 まるで黒い装甲の雪崩か津波だ。

 圧倒的なプレッシャーを放つ、漆黒の群れが突入してくる。その数は恐らく、母港の全KAN-SENに匹敵するだろう。獰猛な肉食獣のように、しかし完璧な統制を保ったままで殺意が迫った。

 しかし、島風たちのリーダーは沈着冷静で、その上に決断が早かった。

 

「こちら旗艦の阿武隈だよ。長波、最後尾にいるね?」

「は、はいっ! 現在、背後のセイレーン艦隊との距離、3,000です!」

「よくお聞き、長波。これより旗艦の全権を移譲……今後はお前が指揮を執るんだよ」

「えっ!? それって――」

「全艦、全速前進! 転舵と交戦を禁ず……以後は長波の指揮下に入ること、いいね!」

 

 前方で阿武隈だけが、面舵を切って転舵する。

 その巨体が光に包まれたかと思うと、一人の少女に本来の姿を象っていった。艦船として運用されていた艤装は、KAN-SENが戦うための武器にして鎧……そのあるべき姿を纏って、あっと言う間に阿武隈は後方へと消えた。

 すれ違う瞬間、島風は全てを察した。

 阿武隈は一人でしんがりに立ち、セイレーン艦隊と戦うつもりだ。

 その決意と覚悟を、彼女の眼差しが無言で語っていた。

 

「島風もお供しますっ、阿武隈殿!」

「待ってください、島風さん!」

「長波殿、止めないでほしいであります! 私は、もう決して仲間を見捨てない。それが、この艦隊で学んだ全てでありますからして!」

 

 そう、自分のスピードに振り回されて、仲間をないがしろにしていた島風は過去の話だ。今なら、何よりも誰よりもわかる……仲間のために走り、共に戦う、自分に託されたスピードを、皆のために使えると。

 島風は艤装を光に変えて、それを浴びる中で鋼鉄の戦衣を身に纏う。

 周囲からもぞくぞくと、艤装を装備する光が舞い上がった。

 

「旗艦代理、長波です! ええと、風雲さん」

「うーい」

「量産型輸送艦を守って、この海域を離脱してください。そして、島風さん――」

「はいであります!」

「島風さん、以外の、みんなっ! ついてきて! 全艦反転、阿武隈さんを援護しますっ!」

「ガーン! なんででありますかあ~!」

 

 皆、我先にとセイレーン艦隊へ向かってゆく。

 最後に長波は、肩越しに振り返って微笑んだ。

 

「島風さん、今試しましたが……セイレーンのジャミングで無線が通じません。だから……島風さん、援軍を呼びに行ってください。ジャミングの範囲外へ」

「長波殿……」

「島風さんの脚なら、絶体に間に合います……重桜最速の島風さんなら。ではっ!」

 

 長波は行ってしまった。初霜も若葉も、響もだ。

 すぐに火砲の轟音と振動が空気を震わせる。

 あっという間に周囲は戦場へと飲み込まれていった。

 

「長波、みんなも! ここはあてだけで大丈夫、逃げて!」

「お断りさね、阿武隈姐さん」

「一人で死ぬより、みんなで生き残ろうよ!」

「島風が必ず味方を連れてきてくれる……それまでみんなで持ちこたえる! 不死鳥パワー全力全開だよっ!」

「量産型輸送艦が安全海域へ出るまで、この場に留まり遅滞戦闘を展開しますっ。いいですね、阿武隈さんっ!」

 

 島風は迷った。

 皆、誰も彼もが戦いへと挑んでゆく。

 一分一秒の時間を稼ぐために、一つしかない命を賭けて戦う……絶望的な戦いに身を投じてゆく。今すぐ島風もあとを追いたかったが、長波の言葉が胸に突き刺さっていた。

 確かに、救出艦隊では島風だけが群を抜いて船足が速い。

 しかし、仲間全員を残して一人だけ逃げるなど、自分にはできない。

 そうしたくないと思ってた、その時だった。

 

「島風先輩、さっさと行ったらどうですか」

「風雲殿…… でっ、でも」

「風雲は控えに回って、このまま量産型輸送艦を護衛してきますけど……それが多分、今の自分にしかできないことだから。だから、島風先輩。行ってください」

「……わかったであります! 必ず! 必ず味方を連れて帰るであります!」

 

 迷いは断ち切った。

 風雲が断ち切ってくれたのだ。

 今、自分にしかできないこと……それは、持ち前のスピードで海域を離脱し、ジャミングをかいくぐって母港へ救援要請を打電すること。

 すぐに島風は走り出す。

 その背は、仲間たちの声と爆発音、業火と硝煙を聴いていた。

 衝撃音も熱も臭いも、徐々に後方へと遠ざかってゆく

 後ろ髪を引かれる思いはあったが、仲間たちから託された役目を自分がやらねば、皆の頑張りが無駄になる。これは、島風を信じて皆が一つになった、救出艦隊の最初で最後の海戦なのだから。

 

「ウサウサウサウサー、ウサ……うおおおおおっ! 島風、やるでありますよおおおお!」

 

 島風は走った……奔った、疾った。

 限界を超え、熱くなる全身がバラバラになるような痛みの中で走った。

 公試速度を遥かに超え、その先の限界を超えるように走り続けるのだった。



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第12話「大海を知りて蒼天に染まる」

 島風は全速力で走った。

 荒れ始めた海の波濤にも負けず、ひたすらに真っ直ぐ走った。

 燃える血潮で燃料が減る都度、より軽くなって疾走する。今の島風は、祈りと願いを託された希望の一矢だった。

 だが、そんな島風に殺意が迫る。

 不意に大火力の砲声が轟き、島風の周囲に巨大な水柱の檻を生み出す。

 振り向けば、頭上に禍々しい影が浮かんでいた。

 

「ありゃりゃあ? 直撃させたと思ったけどなあー? ってか、まだ生きてんの、子兎ちゃん」

 

 漆黒の艤装を広げた、ピュリファイヤーが下卑た笑みを浮かべていた。

 超弩級戦艦を遥かに凌駕する火力の彼女は、知らぬ間に必中の距離に島風を捉えている。全速力を出すことだけに集中していて、敵の接近を察知できなかったようだ。

 あの時と同じだ。

 また、蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。

 島風の頬を、噴出した汗が冷たく伝う。

 

「ピュリファイヤー……今の私は、貴女に構ってる暇はないでありますから!」

「なーに言ってんだあ? 誰が雑魚に構うかっての。お前はここで死ぬのさ。私の手で!」

 

 苛烈な砲撃が浴びせられた。

 質量弾と共に、光学兵器の衝撃波が海を泡立てる。

 ジグザグに回避行動を取りながらも、島風は腰の剣に手を添え……手放すなり加速する。

 今は抜刀する時間さえ惜しい。

 仲間のためにも、一刻も早くこの海域を抜け出るのが先決だ。

 

「おいおい、ウサギちゃーん! 逃げるだけなの? なーんか興覚め。それとも、手も足も出ない感じ?」

「島風には今、自分よりも大切なものがあります! そのために!」

「とかなんとか言ってー、びびってるんだよねえ?」

「び、びびってなんか! う、うう……うささっさー! 振り切ります!」

 

 限界のその先へと向かって、島風は自分の中でトップギアを叩き込んだ。フルスロットルでさらに加速すれば、全身が軋むように痛み出す。

 そんな彼女をあざ笑うように、無数のビームが浴びせられる。

 その全てを回避しつつ、徐々に至近弾の熱と衝撃が近付いてきた。

 まるで島風を迷路へ閉じ込めるように、ピュリファイヤーの攻撃が悪辣さを増してゆく。

 

「ははは! ウサギらしくピョンピョン跳ねて逃げるねえ! 兎っていういうよりカエルだよ! 井の中の蛙だねえ!」

 

 なぶるような攻撃が続く。

 だが、島風は自分のリソースを全て加速と回避に振り分けた。

 次々と砲撃が擦過し、全身の艤装が破壊されてゆく。着衣も切り裂かれて、無数の裂傷が流血を呼んだ。

 だが、それでも島風は前だけを見て走る。

 吹き出す血さえ、赤い霧となって雲を引いた。

 

「私は……島風は任務を、命令を……仲間のことを勇戦します! それに!」

「それにい? ほーら、ウサギ気取りなカエルさん、お逃げなさーい? そろそろ本気で当てちゃうよん?」

「島風は確かに、井の中の蛙でした……自分の力に驕り慢心した、本当にまさに『大海を知らず』だったのです!」

「は? それ、何の話かなあ? あんま眠いこと言ってると当てるよ?」

 

 刹那、島風の右肩を激痛が襲う。

 ピュリファイヤーから放たれた一筋の光条、深々と身体を穿ち貫いていた。

 今までにない激痛が走って、思わずよろけて立ち止まりそうになる。

 それでも、必死に波間を蹴って前に進む。

 迸る声は絶叫となって、島風の華奢な身に裂帛の意志を漲らせた。

 

「井の中の島風、大海を知らず! されど……されどっ、空の青さを知るのであります!」

「……なにそれ」

「蒼き航路の続く先に、必ず蒼天は広がってる……そんな未來を勝ち取るために! そう信じて戦う仲間のために! 今、島風は馳せるのです!」

「はっ、くそださ……なーに眠いこと言ってんだか。もういい、死んで。あなたみたいなの、心底大嫌い」

 

 瞬間、突如目の前にピュリファイヤーが現れた。最速を自称する島風のスピードを、あっさりと上回って見せたのだ。

 そして、零距離で砲門が死を歌う。

 慌ててフルパワーで後退したが、島風に既に回避する余裕はなかった。

 やられた、死を覚悟した。

 駆逐艦の軽装甲では、圧倒的なピュリファイヤーの包囲殲滅攻撃は防げない。

 それでも、島風は突如として踏み止まる。

 時化た海を踏み締めて、逆に前へと踏み込んだ。

 ここで死すとも、少しでも前へ……救援を呼ぶため、僅かでも前へ。

 決死の覚悟で群なす砲弾に突っ込み、そして柔らかな背中にぽすん! と激突する。

 

「あ、あれ? 痛くないであります。というか、この匂いは……すんすん、これは!」

「ちょっと、島風? 気持ち悪いからやめて頂戴。あと、よく無事だったわね」

「ま、まさか……駿河殿っ!」

 

 信じられない光景が目の前で振り返る。

 肩越しに微笑むのは、重桜の超弩級戦艦……駿河。

 圧倒的な装甲で島風を護ったのは、馴染みの仲間である駿河だった。その姿を見て、ピュリファイヤーが僅かに片眉を震わせる。

 確かな苛立ちが殺気となって放出されていたが、駿河は涼しい顔で太刀を抜いた。

 さらには、母港の仲間たちがぞくぞくと押し寄せてくる。どうやら皆、走りながら救援を呼び続けた島風の声を受け取ってくれたらしい。

 

「駿河、だっけえ? 他の雑魚どももまあ、雁首揃えて……ごくろうさまー」

「ピュリファイヤー、既に先行した潜水艦隊が阿武隈たちに合流しました。貴女の負けです」

「ハッ! 笑わせるなよぉ? 紀伊型戦艦、駿河……本来は存在しない、そして開発計画艦としても歴史を持たない幻想の存在が。虚ろなる空想の竜骨、私がここで砕いてやる!」

 

 ピュリファイヤーの攻撃は、駿河に集中した。

 それでも駿河は、左手でそっと背後の島風を庇ってくれる。

 回避は、しない。

 圧倒的な重装甲は、まさに麗人の姿を象る黒鉄の城だ。

 びくともしない防御力を見せつけて、駿河は叫ぶ。

 

「……あったまきた! ちょっと、島風! あいつ、超むかつくんだけど!」

「すっ、駿河殿。みんなが見てます、地が出てしまってまするぞぉぉぉ!」

「そういうのはいいの! だいたいなに? 島風、いいようにやられっぱなしでさ! あれだけ言われて、それでも頑張って……フン、恰好いいじゃない」

 

 そして、援軍の艦隊の中央で声が走った。

 それは、ユニオンの象徴的存在であるエンタープライズの命令だった。

 

「全艦、全速前進! セイレーンの上位個体は無視していい……もう、かたはついている!」

 

 仲間たちが一斉に、左右を通り過ぎてゆく。真っ直ぐ、阿武隈たち救出艦隊の待つ海域へと進軍を開始した。

 そして、エンタープライズの一言で片づけられたピュリファイヤーは肩を震わせていた。

 憤怒の表情は、血走る瞳に大粒の涙が浮かんでいた。

 

「こんの、クソ雑魚どもがあ! 誰が片付いてる、かたがついてるって!? あぁ!」

「島風、私の手出しはここまで……あんのクソバカ、ブッ飛ばしちゃいな! 逃げるのやめて、戦ってヨシ! やっちゃえっての!」

「駿河殿……はいであります! ウサホラサッサー!」

 

 既に満身創痍だったが、瞬時に島風は抜刀と同時に風になる。

 空気を切り裂く風さえ置き去りに、最後の力を振り絞って走った。あまりの速さに残像が分身となって乱舞し、その全てが魚雷をピュリファイヤーへと発射する。

 無論、本体以外は幻影だ。

 だが、島風は持ち前のスピードで残像を無数に広げながら斬撃を振りかぶる。

 

「ああもう、小うるさいったらないなあ! あなたたちって本当に!」

「ピュリファイヤー殿、お覚悟っ! 海と空との、蒼さを知るアターック! ウッサー!」

 

 ビームと砲弾で弾幕を張りながら、ピュリファイヤーが上空へと逃げる。

 だが、それを既に島風は読んでいた。

 黙って駿河が見守る中、空中へとありったけの魚雷を打ち上げる。勿論、魚雷はミサイルではないので、ピュリファイヤーに届く前に重力にからめとられて落下を始めた。

 その時、島風はありったけの瞬発力で天空へと駆けあがる。

 ばらまかれた空中の魚雷を足場に、連続ジャンプでピュリファイヤーに肉薄した。

 

「げっ! なに考えてんだ、この子兎ちゃん!?」

「なにも考えていません! 感じるままに想うままにですっ!」

 

 必殺の一撃がピュリファイヤーの艤装を切り裂く。更に島風は、抜き放った拳銃の早撃ちでその傷を大きく広げてやった。

 致命打の手ごたえがあって、そこで島風の意識は薄れて途切れる。

 限界を超えた先の、その先の限界を超えて……たまらず逃げ出すピュリファイヤーを見送り、精魂尽き果てた島風は倒れて駿河に抱き留められるのだった。



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第13話「日常への帰還」

 島風が目を覚ますと、そこは病室だった。

 それも大部屋で、ゆっくり周囲を見渡せば見知った顔がみんな揃っていた。

 どうやらここは、母港の総合病院のようだ。

 だが、旗艦である阿武隈の姿だけが見えない。

 

「おろ? 阿武隈殿は……」

「あっ、島風先輩! お、おはよーございます!」

「風雲殿! 無事だったでありますね……イチチ! ひぎぃ……激痛であります」

 

 島風は包帯だらけで、ベッドに寝かされていた。

 隣の島雲も同じだが、島風に比べたらやや軽傷に見える。それでも彼女は、読んでた漫画雑誌を放り出すなり身を乗り出してきた。

 感激に瞳を輝かせていたが、赤面するなり咳払いを一つ。

 そうして、興奮を隠すようにいつものそっけなさに顔を背けた。

 

「まったく、何日寝てるんですか……みんながどれだけ心配したか」

「因みに風雲殿、今日は」

「あれから三日経ってます」

「みっ、三日でありますか!? で、では、作戦は」

「キスカ島撤退作戦は目的を完遂、全員無傷で救出完了です」

 

 思わずガバッ! と身を起こして、再び激痛に襲われる。イチチと身を屈めれば、妙な脂汗が全身に滲んだ。

 だが、泣けてくるほどじゃないし、深手はないとすぐに知れた。

 それに、風雲の言葉はなによりも嬉しかった。

 島風たちはやってのけたのだ……旧大戦の奇跡を、再現に頼らず実現したのである。

 そうこうしていると、周囲のベッドからも声があがる。

 

「おや、島風じゃないかい。やっと起きたねえ……この、寝坊助」

「おおー、島風! 頑張ったねえ、そんなにボロボロになるまで」

「これで島風も、私と同じ不死鳥パワー習得だね!」

「なんにせよ、よかったです。あとで阿武隈さんにも報告しないと」

 

 初霜と若葉の姉妹、そして響、長波も無事だ。

 その中から、よいしょと初霜が立ち上がる。彼女は枕元に立てかけた松葉杖を使って、ゆっくりと島風のベッドまでやってきた。

 皆、負傷している。

 それでも、目覚めた島風に笑顔を見せてくれた。

 普段はつれない態度でのらりくらりとした初霜も、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

 

「なんだいなんだい、島風……お前さん、随分と派手に大立ち回りしたらしいじゃないか」

「はあ、どうも、そうらしいであります」

「あのピュリファイヤー相手に、大したもんだよ、けどね」

 

 ポフ、と頭をチョップされた。

 そのまま、ポフポフと連続で撫でるように叩かれた。

 

「ちょ、ちょっと、初霜殿!?」

「あんまし無茶するんじゃないよ、ったく……死んじまったらどうするんだい。駿河がフォローしてくれなかったら」

「す、駿河殿がフォローして、くれなかったら?」

「……言わすんじゃないよ、縁起でもない! まったく、しょうがない子だねえ」

 

 話す間ずっと、竹を割るようにポスポス初霜は島風を叩いた。

 でも、最後には髪がぐしゃぐしゃになりそうなくらい頭を撫でてくれたのだった。

 そして、周囲の仲間たちもベッドを抜け出し近寄ってくる。

 

「でもさ、島風ってば凄いよ!」

「ま、あの大艦隊と戦った私たちも凄いんだけどねー!」

「でも、長波は今でも思い出すと震えあがってしまいます……旧大戦の昔と違って、あんなにも大軍が島を包囲してて」

 

 思わず島風は「およ?」と首を傾げる。

 確か、旧大戦のキスカ島撤退作戦も、ユニオンの大艦隊が包囲する中から友軍を救った筈だ。しかも、無傷無血で。故に、あの作戦は全世界から奇跡の作戦と称賛された。

 だが、島風はこの時初めて知った。

 奇跡が奇跡と呼ばれる所以、奇妙な偶然が折り重なった運命を。

 長波が順を追って丁寧に説明してくれた。

 

「旧大戦、重桜の救出艦隊が霧に紛れてキスカ島に突入した時……当該海域にユニオン艦隊はいませんでした」

「……は?」

「総攻撃と上陸作戦を前に、一度包囲を解いて補給に戻っていたんです」

「つ、つまり」

「霧がなくても、そこに敵はいなかったので……普通に行って帰ってこられた可能性はありますね。しかし、このことは戦後になってわかった話ですが」

 

 つまり、奇跡の舞台裏には仕掛けがあったのだ。

 ただ、同時に歴史は教えてくれている。旧大戦のあの日、あの時、あの瞬間……あのタイミングで突入しなければ、キスカ島は全滅していた。万端の準備を整えたユニオン艦隊によって、大軍で殲滅されていただろう。

 だからこそ、当時キスカ島に上陸したユニオン軍は混乱し、動揺した。

 本来迎え撃ってくる筈の重桜軍が、猫の子一匹いなかったのだから。

 

「でも、島風さん……今回は違いました。長波たちは確かに、セイレーン艦隊に実際に包囲されたキスカ島から、友軍を全員救い出したのです」

「ま、最後の最後で霧が晴れちゃって、ドンパチやらかすことになったけどね」

「でもさ、阿武隈さんだけ残して逃げられないよね。だから、長波もみんなも、いい判断だったと思う」

 

 その阿武隈だが、司令部に報告があって一足先に退院したという。

 重傷ではあるものの、命に別状はないと知って島風も安堵の溜息が出た。

 だが、次の瞬間には笑顔が引きつる。

 にんまり笑った初霜が、寝間着のポケットからがまくちを取り出したのだ。

 

「そうそう、島風……あたしゃ脚をやられてねえ」

「は、はあ」

「ちょいと酒を切らしてるんだよ。買ってきておくれ」

「入院中であります! そ、そんな、お酒は駄目ですよぉ」

「隠れて飲むから大丈夫さね」

 

 間髪入れずに、風雲からは漫画雑誌の今週号を頼まれた。若葉からはかりんとうとキャラメルを、響からはコーラをと追加が入る。みなさんもぉ! と言いつつ、長波からはやんわりとメーカーとサイズを指定された上で面倒臭く缶珈琲を頼まれた。

 こうして島風は、再び仲間のために重桜最速の足を発揮することになったのだった。

 

「人使いが、駆逐艦使いが荒いでありますれば……では、いってまいります! うっさー!」

 

 ベッドを飛び起きれば、体は動く。全身に痛みはあるが、それは裂傷と火傷の数であって、肉や骨を深くえぐった痛手ではないと知れた。対して、仲間たちは骨折や大きな傷でも笑っている。

 だから、島風も笑顔で病室を飛び出したのだった。

 病院の売店ではお酒がないので、不知火が切り盛りする母港の購買部まで走る。

 血が止まって傷が塞がっても、痛みが生還を全身で誇らせてくれた。

 回診中の医者の脇をすり抜け、白衣と看護婦のスカートを舞い上がらせる。笑顔で挨拶してくれる車椅子の老人に、挨拶を残して駆け抜ける。御婦人と談笑中の軍人さんの横を静かに迂回して、そのまま島風は階段を駆け下りた。

 

「うさうさうさうさーっ! ……とと? とととと、あれは……阿武隈殿?」

 

 緊急停止で急ブレーキ、島風は不意に立ち止まった。

 階段の踊り場、朝の日差しが作る陽だまりに一人の少女が立っていた。右腕を三角巾で吊って、頭に包帯を巻いた阿武隈だった。そんな彼女の向かいに、軍服姿が片膝を突いて屈んでいる。

 顔は見えないが、この母港で唯一の階級章がちらりと見えた。

 手にした指輪を差し出しているのは、指揮官だった。

 驚きに固まる阿武隈の涙を、年相応のその表情を島風は初めて見た。

 冷静沈着、時に冷徹なまでに冴え冴えとした決断力の軽巡洋艦……長良級六番艦は、島風たちと全く変わらない普通のKAN-SENで、それ以前に当たり前の乙女だった。

 そして、北連との作戦を終えて、指揮官は帰ってきていたのだ。

 

「阿武隈殿……うん! よかったであります! やはり指揮官殿にはかないませんなあ」

 

 別の階段を使って降りるべく、島風は踵を返して小走りに駆け出す。

 その足取りは、怪我人とは思えぬ程に軽やかにスキップで弾むのだった。



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最終話「蒼き航路のその先へ」

 仲間たちは皆、一人、また一人と退院していった。

 勿論、島風も最後には全快した。怪我は一番軽傷だったのだが、本来あり得ないスピードを出した影響が心配され、精密検査を受けさせられたのだった。

 救出艦隊の仲間とは、今も連絡を取り合っている。

 同じ重桜の仲間である以上に、強い絆で結ばれているから。

 そして、司令官が率いる母港のKAN-SENたちは、新たな戦局へと挑み始めていた。

 

「あー、島風せんぱーい。ソナーに感あり、セイレーンの潜水艦ですねー」

「了解であります、風雲殿はそのまま直進で! 島風、回り込みまーすっ!」

 

 今も島風は、風雲と共に任務にあたっていた。

 あれ以来妙に懐かれて、今ではコンビを組んでの仕事が増えている。風雲はぼんやりしててマイペースだが、決して見せてはくれないやる気を確かに持っている娘だった。

 最近は指揮官の命令で、潜水艦狩りの毎日である。

 セイレーンは今、かなり多くの艦隊を割いて母港を探している。

 その尖兵を片付けるのが島風たちの使命だ。

 

「島風先輩、魚雷注水音! 四つでっす!」

「了解! 爆雷投下用意であります!」

「こっちもヘッジホッグ、いきまーすよー」

 

 ほどなくして、敵の潜水艦から魚雷が発射された。

 雷跡は、四。その全てが、前方に回り込む島風へと向けられている。セイレーンが実戦配備している魚雷は、ホーミング性能の高い未知の技術が使われていた。

 だが、島風は群がる鉄の鮫を引き連れ加速する。

 そのまま風雲と前後から挟み撃ちにするように、交差しすれ違うポイントに爆雷を投下。

 そして、スピードで強引に魚雷を振り切り離脱する。

 一拍の間を置いて、巨大な水柱が大洋にそそり立った。

 

「やったであります!」

「まーだですよー、島風先輩。30秒くださいって。音がクリアになったら、ソナーで撃沈確認しますから」

「手応えはあったんですが、ここで逃がすと面倒ですからなあ」

「そゆことです」

 

 いくらセイレーンの潜水艦といえども、今の爆雷攻撃から逃げられるとは思えない。

 既に手慣れたもので、今月に入って既にこれで五隻目だ。

 そんな中、静かに海中が落ち着くのを待ちながら、風雲がぽつりと零した。

 

「先輩、来週……結婚式、なに着てきます?」

 

 そう、来週は結婚式に招待されている。

 また一人、指揮官に嫁ぐKAN-SENがいるのだ。その人は島風にとっても、勿論風雲にとっても大切な仲間である。

 不思議と母港では、指揮官と結婚するKAN-SENが後を絶たない。島風はまだよく知らないが、指揮官はそれだけの器を持った立派な人だということだ。だから、求婚を断ったKAN-SENの話は聞かないし、今後もずっとそうだろう。

 

「うー、和装か洋装かで迷ってるでありまして」

「そこからですか、先輩……あ、艦体破壊音確認。敵潜水艦、撃沈です」

「よーしっ! ではでは」

「はいはい、いつものやつですねー」

「同じ海の勇士に、黙祷であります!」

 

 いつもそうするように、島風は胸に手をあて祈りを捧げる。やれやれといった様子だが、風雲もそれに習った。二人はいつも、セイレーンの潜水艦を撃沈した時はこうしている。例え量産型の潜水艦だったとしても、同じ海で戦った者には間違いないから。

 やがて、青い海に汚れたオイルや浮遊物が上がってきた。

 それもやがて、波間に洗われて見えなくなってゆく。

 今日も、蒼き航路は戦いの中でも澄んで広がっていた。

 

「よしっ! 黙祷終わりっ! 風雲殿、次に行きましょう!」

「うーい。……っと、母港からエマージェンシー。セイレーンの偵察艦隊見ゆ、急行せよ」

「ラジャーであります! ではでは、ウサッと片付けにいきましょー!」

「母港からの迎撃艦隊、出てます。先行されたし、だそーでーす」

 

 島風はぐっと身を屈めて、そのまま波濤を蹴り上げ走り出す。

 だが、風雲を置いてはいかない。あくまで、二人で加速可能な領域へと踏み込むにとどめる。もう、一人で血気にはやって先走る島風はどこにもいなかった。

 同時に、そんな島風を信じるこその仲間もいてくれる。

 すぐに風雲は横に並んで、母港との通信を確認して頷く。

 

「先輩、先輩、島風ぱいせん」

「はいっ! 風雲殿、島風ぱいせんはちゃんと隣にいますですよ!」

「さらに増援、セイレーンの二個艦隊が接近中だそーです。なので、先行してください」

「と、いいますと」

「風雲のことはいいんで、マッハで急行してください。母港に接近する前に会敵、迎撃艦隊到着まで足止めしてくださいって感じですね」

 

 ポン、と風雲が背を叩いた。

 隣を振り向けば、全面的な信頼が頷いてくれる。

 

「ではでは……島風、いっきまーす! ウサウサウサウサーッ!」

 

 即座にトップギアを叩き込むや、島風は疾風になる。

 文字通り、島々を渡る海風の如く疾駆する。

 あの時の戦いが、島風に限界の先を見せてくれた。そして今、そのさらに先を目指して日々限界を更新している。過去の自分はもう、遠く遠くへと置いてきたのが今の島風だ。

 あっと言う間に海域を移動して、指示があった方向へとターンする。

 その時にはもう、母港からの迎撃艦隊、その先遣隊が背後に合流してきた。

 

「重桜の島風さん、ですよね! ぼくはユニオンのモーリーです!」

「はじめまして、ごきげんよう。私はアイリスのル・ファンタクス級、ル・トリオンファンですの。お噂はかねがね」

 

 自然と島風は、合流した二人と艦隊を組んで整然と歩調を合わせる。

 速力に秀でた駆逐艦は、どんな時も艦隊の切り込み役、悪い言葉を使えば特攻隊長だ。そして、島風も二人のことを知っていた。それぞれの陣営が誇る、快速自慢の高速艦である。

 ならば、信じて託せると感じた。

 無責任な甘えではなく、相手を知って信頼できると感じたのだ。

 そういう気持ちを持てるのも、島風が成長した証かもしれない。

 

「重桜所属、駆逐艦島風であります! ではでは……お二人とも、いいでありますか!」

「勿論です! 誰が一番槍になっても、恨みっこなし、ですよね。ぼくも、実はお二人と御一緒するのが以前から楽しみで」

「私もですわ。では、疾く疾く馳せましょう……指揮官を信じて、皆のために!」

 

 三人の乙女が、同時に加速した。

 その速度は、舞い上がる波飛沫に雲を引く。

 もう、島風は一人じゃない……一人になることなんて、ない。周囲に合わせて連携を取ることも、仲間のために最大船速を振り絞ることも完全に理解していた。

 だから、今日も島風は母港と指揮官のために、そしてなにより仲間のために走る。

 その先に続く蒼き航路が、必ずや眩しい未来に繋がっていると信じているから。



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