空の追憶 (西条)
しおりを挟む

第一章 久遠の旅路、夏の亡霊
第1話 凶つ星のまたたき


お久しぶりです。
よろしくお願いします。


 

 もし、時間が戻せたなら?

 もし、あの頃に戻れたなら?

 もし、未来を変えられたなら?

 ──運命は、いつだってあなたの手の中に。

 

 

 

 

 

 毎年、夏休みの時期になると、わたし達家族は日本に行く。

 イギリスから遠い彼方、父の親戚である幣原秋(本当は少しばかり違うらしい。ちょっとばかり複雑な事情があると聞いている)の実家がある日本へ。そこで墓参りや実家の掃除をするのが、わたしたちの常だ。

 墓参りからの帰り道、父はヒカルとわたしに向けて、幣原秋についての話をしてくれた。途中から歩き疲れたわたしは、父に背負われたまま、父の話に耳を傾ける。

 

「……と、言うわけで。そんなわけで父さんは夜な夜な夢で幣原秋の人生を追体験していたわけだけど、ある日……」

「父さん、ソラがもう寝てる。限界っぽいよ」

 

 そのとき、うつらうつらしていたわたしに気付いたか、目ざとくヒカルが報告した。

 ……む。まだ寝てないもん。ヒカルってば、すぐに余計なことを言うんだから。

 でも確かに眠気が襲ってきていたのは事実だったので、わたしは黙っておくことにした。父の肩に頭を預けて目を瞑る。

 

「おや、寝ちゃったか」

「……長時間の移動に、きっと疲れちゃったのね」

 

 わたしの顔を覗き込んだ母は、優しい手つきでわたしの頭をそっと撫でた。なんだかちょっとくすぐったい。

 

「ヒカルは、大丈夫?」

「平気だよ、全然元気。僕はそこの引きこもり娘とは違うから」

 

 聞こえてるぞ、バカ兄貴。

 しかし起きているとバレるのも癪なので、軽く眉を寄せるだけに留めておく。わたしは断じて引きこもりではない。ただ少々運動が苦手で体力がなくて出不精なだけだ。用がないから外に出ないだけで、今日のように両親に呼ばれたら、ちゃんと大人しく着いて行くし。

 

「引きこもりかはともかくとして、ソラは体力がないのが心配だなぁ……今年からホグワーツに通うんだからね。教室移動だけでへばっちゃわないかな」

 

 父が呟く。……う。それは、確かに。教科書はどれも分厚くて重いし、魔法薬学や薬草学は実習道具も多いらしいしで、想像するだけでぐったりしてきた。杖を手に入れたら、早めに空間魔法を覚えよう。

 

「ねぇ父さん、幣原秋の話の続きを教えてよ。まだまだ全然じゃないか、これじゃ何もわからない」

「まぁま、焦るなよ。ソラも寝ちゃったから、続きはまた今度な」

 

「えぇぇ」とヒカルは不満げだ。折角の機会を奪われたと思っていそう。

 父は朗らかに笑った。

 

「それに、幣原の話は私にとっても大事な話だからね。行きがけの駄賃にと適当に話せるものじゃなかった、今日はそれがよくわかったよ。後できちんとした場を設けるから、ヒカルも父さんに整理する時間をくれないか?」

 

 父のそんな言葉に、ヒカルもしぶしぶ「わかったよ」と不満を引っ込める。

 直後、ヒカルは母の元へと駆けて行っては「ね、ちょっとこの辺ウロウロしてきていい?」と問いかけた。

 

「家までの道はちゃんと覚えてるし、迷子になんてならないからさ。夕飯までには戻ってくるし」

「……大丈夫? 通信の魔法道具はちゃんと持ってるかしら」

「持ってる、そんな心配しなくても平気だって。この辺ド田舎なんだし」

 

 ヒカルは流石、わたしと違ってアクティブだ。どこからそんな元気が湧いてくるんだろう? 血を分けた兄だけど、本気で未知の存在だ。

 

 母の許可を得て、ヒカルは足音も軽やかに駆け出して行った。と、そこで父が肩を震わせる。

 あぁ、と吐息混じりの声を上げ、父は小さな小さな声で呟いた。

 

「あぁ――――幸せだなぁ」

 

 そう、心からの声を発するものだから。

 わたしは身じろぎのふりをして、父の背中に抱き付く腕にそっと力を込めた。

 

 

 

 

 

「結局また今回も、幣原秋については教えてもらえなかったし」

 

 ヒカルはぶつくさ言いながら、庭の落ち葉を竹箒で手際よく集めている。

 

 お墓参りの翌日のことだ。両親は朝早くから「幣原本家に顔を出してくる」と言い、子供二人を残して出かけて行った。残されたわたし達は、頼まれた屋敷の手入れをする。

 

 と言っても、ここに着いた最初に父が一通り掃除はしてくれているから(もちろん魔法で。敷地が竜巻に呑まれたかと思った)、残りはそう大変でもない。取り残した雑草を抜いて、隅に追いやられたホコリを集めて、汚れた部分を拭くくらいだ。面倒臭くはあるけども。

 

 庭木にホースで水を遣りながら、わたしは肩を竦める。日本の夏は日差しが強い。でもこの辺りは山の中で標高が高いから、吹き抜ける風はイギリスのものよりも涼しく感じる。

 

「ヒカルはこだわるよねぇ。お父さんから直接聞くの、そんなに大事?」

「ハ? 当たり前だろ、バカ言うなよ。当事者から聞かなくて何の意味があるんだ。『黒衣の天才』幣原秋と、現『ホグワーツ呪文学教師』アキ・ポッター。この二人の関係性については、散々雑誌やネットに取り沙汰されてるってのに。お前は実父の過去に興味がないのかよ」

「話したくないって言ってるわけじゃないんだから、お父さんもそのうち話してくれるよ。のんびり次の機会を待とう?」

「その折角の機会が昨日だったんだ! なのにお前が途中で寝るから……」

 

 ハイハイ、またお小言が始まった。でも疲れ果ててたんだから仕方なくない? この辺りは山ばかりだから、ただ歩くだけでも起伏が大きくて疲れちゃうんだよ。

 

「体力の無さは致命的だな。ソラ、知ってるか? グリフィンドールとレイブンクローの談話室は塔の上にあるんだぞ。階段と廊下をいくつも渡りついで授業に向かわなきゃいけないんだ。その体力で大丈夫かよ?」

「……む」

 

 そう言われると弱い。めちゃくちゃ弱い。これまで究極のインドアを誇ってきたわたしも、とうとう信条を曲げる必要があるのかもしれない。

 

 ……いや、まだ手はあるはずだ。たとえば、ホグワーツではペットを連れていってもいいんだから、移動手段として……。

 

 ヒカルはわたしの顔を見、何を感じ取ったかひくりと頬を引き攣らせた。

 

「ソラ、ロクでもないこと考えてるな。聞くまでもない、そいつは却下だ。諦めて体力づくりに励め」

「うぅぅ……」

 

 ヒカルはゴミ袋の口を縛ると、額の汗を拭っている。暑そうだ。手を洗いたいと言うようにヒカルが近付いてきたので、その手にホースの先を向けてやる。

 

 ……今、ホースの向き先をヒカルの顔面に変えたら、怒るかな。……怒るだろうな。うずうずと湧き上がる悪戯心を押しとどめる。

 

 母譲りのさらさらとした銀髪は、本心を言うと羨ましい。父譲りの黒髪は、そりゃあ嫌いではないけれど、それでも母や兄を見ていると、あぁいいなぁと思ってしまう。でも母や兄は、わたしの黒髪こそ綺麗で羨ましいと零すので、結局は無い物ねだりなのかなぁ。

 

「ソラ、水遣り終わった?」

「終わった」

「よし」

 

 水を切り、ホースを片付ける。ふぅと大きく息を吐いて、わたしもタオルで顔を拭いた。涼しいとはいえ、日差しの下にいるだけで体力が削られる気分になる。

 

 早く屋内に入って涼もうと、家に足を向けかけたわたしの手を、ヒカルが素早く掴んだ。何だよわたしは早くお家に入って読みかけの本を読みたいんだけどと思ったものの、ヒカルはニヤッと悪戯っぽく笑っている。

 

「ソラ、ちょっと来い」

 

 

 

 

 

 ヒカルがわたしを連れて行ったのは、家の一階にある扉だった。何の変哲もないその扉は、父がここだけいつも特殊な鍵を掛けているせいで、わたし達が立ち入れないようになっている。

 

「でも昨晩、父さんってばここの鍵を掛け忘れたんだ。いいか、内緒だぞ……」

 

 人差し指を口の前で立て、ヒカルはハンカチを取り出しドアノブに巻くと、体重をかけ押し開いた。指紋まで気にするかと思わず呆れつつ、わたしは目の前に広がった光景に息を呑んだ。

 

「うおおぉぉぉ…………!!!!」

 

 天井までを覆い尽くす立派な本棚が、八角形の部屋をぐるりと取り囲んでいる。書斎、図書室、違う、いや違わないけど、ここは神の作りたもうた楽園!!

 

 イギリスのお家だって図書室はあるけれど、ここだってとっても素敵。何より、完全に未知の書物ばかりだというところが最高だ。

 

 ぶわっと溢れる喜びの感情に、本棚の中の本がガタタッと揺れる。ヒカルは慌ててわたしの魔力を押さえ込んだ。

 

「おい、父さんにバレるだろ!」

「ごめんね! でも楽園だぁ!!」

 

 やったー!! こんな楽園を独り占めしているなんて、お父さんったらずるいんだぁ!!

 

 喜びのまま本棚に駆け寄り、背表紙を舐めるように見ながら室内をぐるりと一周する。……うふふ、すごいや、いろんな言語の本がある。日本語、中国語、ラテン語、フランス語、もちろん英語の本だって。この本棚の持ち主は、一体どういう人だったんだろう。父じゃないことは確かだね、父ならこんな風に適当な本の並べ方はしないから。

 

 こんなに沢山の本を持っているんだから、きっと無類の本好きに違いない。ここは幣原家、わたしのお祖父様とお祖母様が住んでいたはずのところだ。なら、わたしの本好きはお祖父様かお祖母様からの遺伝だな。

 

「お祖父様、お祖母様、愛しています!」

 

 祖父母を想い、勢いよく感謝の祈りを捧げる。視界の片隅でヒカルがドン引きした顔をしていた気がするがスルーだ。兄よ、妹の奇行に早く慣れてくれ。本に関してだけは自重ができないのだ。

 

 とりあえず一冊と、わたしは本の背表紙に指をかけた。ウキウキしながら本を開くと、本の間に挟まっていたらしい『何か』が音を立てて落ちた。その『何か』はそのまま床をコロコロ転がっていく。

 

『何か』を拾い上げたヒカルは、首を傾げながらそれをわたしに返した。

 

「ソラ、落としたぞ。……何だよこれ、指輪か?」

「わ、わかんない。なんか、この本に挟まってた」

 

 ヒカルから受け取った指輪を、そっと手のひらに乗せる。

 

 小さな赤い指輪だ。切れ目は見当たらない。このサイズなら小指用かな? ピンキーリング、と確か言うんだっけ。

 

 何故だか、その指輪から目を離せなかった。半ば無意識に、それを右手の小指に嵌める。

 

「誰のだろ? 父さんのかな?」

「でも、本の隙間に挟まってるなんて……ひぃっ!?」

 

 ふと顔を上げた瞬間――いつの間にか現れた『それ』に、思わず度肝を抜かれた。

 音も気配もなく、わたしたちの目の前に現れたそれは、人――のようだった。

 

「………………」

 

 わたしとヒカルは、声も出せずにただその人をじっと見る。

 

 男の人、だ。両親ほど歳上じゃない、まだ学生のよう。さらりとした癖のない黒髪に、指輪と同じく赤い瞳は、眠たげに半分閉じられている。

 すごく、綺麗な人だった。一目見てそう、理解した。

 男の人は、寝起きのようにぼんやりとした目で周囲をゆっくりと見回した後、やがてわたしたちに目を留めた。

 

 虚ろな瞳が、やがてわたしの顔で焦点を結ぶ。瞳に意識の光が灯る様を、息を呑んで見つめていた。

 わたしをじっと見つめたまま、その人はゆっくりと口を開く。

 

「……直?」

 

 

 

 

 

「……なるほど。なんとなく、状況は理解した」

 

 書斎のど真ん中で、その人――リドル、と彼は名乗った――は、ソファに深々と腰掛けては、長い足を組んで顰めっ面で目を瞑っていた。その輪郭は淡く発光していて、つまりは彼が『この世の者』でないことがありありとわかる。

 

「……僕たちは、さっぱり理解出来てないんだけど」

 

 ヒカルが小さな声で呟く。その小さな声が聞こえたかは定かでないが、リドルさんは伏せていた瞳をゆるやかに開けた。肩を寄せ合うわたしたちの姿を、その深紅の瞳に映し出す。

 ……しかしまぁ、本当に綺麗な人だ。

 

 それにしても、初めて出会ったはずなのに、纏う空気に何故かデジャヴを憶えてしまう。

 どこか昔、記憶の彼方にある地平にて、リドルさんと出会ったことがあるような――

 

「ヒカル、と、ソラって言ったね。僕はまぁ……君たちの父親の知り合い、のようなものだ。幣原筋には浅からぬ因縁があってね」

 

 そう言って、リドルさんは爽やかな笑みを浮かべてみせた。これが少女漫画なら、リドルさんの後ろには常に花が舞っているのだろう。思わず気を抜きかけたわたしとは対照的に、ヒカルは眉を寄せて腕を組んだ。

 

「さっき、ソラを見て『直』って呼んだよね。直って、幣原直のこと?」

「おや、知り合いだったのかい?」

「……一方的にだけどな。僕らの祖父に当たる人だ。昨日はその人の墓参りにも行った」

「……墓参り、か。なるほど」

 

 リドルさんの顔から一瞬だけ笑みが消えた、気がした。気のせいだったかもしれない。まばたきをした後もう一度見たリドルさんは、先程までと変わらぬ笑みを浮かべていたから。

 

「直の血縁なのだとしたら納得だ。魔力は血に宿るからね。ソラは魔力の色とかたちが直によく似ているんだ……直の再来かと思った……ソラ、時に聞くけど、未来や過去が視えたり聴こえたり感じたりはしないかい?」

「えぇぇっ!? いきなり何!? しないけど……」

 

 何それ? 未来や過去が? 視えたり聴こえたり感じたり? ないないない。

 リドルさんはちょっとだけ納得行かなそうに「そう」と眉を寄せたものの、そのまま続けた。

 

「……まぁいい。そんな君がこの指輪を手にしたからこそ、僕が再び目を覚ましたのだとも言える。蘇るつもりはなかったけれど、蘇ってしまったものは仕方がない。第二、いや、第三の生でも楽しむことにするよ」

 

 そう言って、リドルさんは僅かに口元を吊り上げる。おずおずと尋ねた。

 

「リドルさんって、封印でもされてたの?」

「ん? まぁ、そうとも言える。閉じ込めたのは僕自身ではあるんだけどね」

「…………??」

 

 自分自身を閉じ込めた? ちょっと言葉の意味がよくわからない。

 わたしがハテナを浮かべたのがわかったのか、リドルさんは一層楽しそうな顔をした。

 

「……リドルさんって、一体……」

 

 何者なの、と問おうとした時、家の外から微かな物音がした。ハッとヒカルと顔を見合わせる。

 

「――――ソラ! 本を戻せ!!」

 

 どうして、なんて聞くまでもない。両親が帰ってきたのだ。わたしは慌てて本を元あった位置に戻す。ヒカルはわたしの手を引っ張って、転がるように書斎を飛び出した。

 最後、書斎の中が今まで通りかを確認して、ヒカルがきっちりと扉を閉める。二人でリビングまで駆け込んで、やっと小さく息を吐いた。

 

「……ソラ! 指輪!」

「あっ」

 

 ヒカルに言われ、わたしは慌てて指輪を外す。リドルさんは、と辺りを見回すも、彼の姿はどこにも見当たらなかった。一体どこに行ってしまったのか、どうも煙のような印象の人だ。

 

「ゆ、指輪、どうしよう」

「僕が預かる。……後で話そう」

 

 書斎の方向に視線を向けたヒカルは、しかし一瞬後、もう戻す時間はないと悟ったのだろう、小さく首を横に振った。

 

「ヒカル、ソラ、戻ったよー」

 

 玄関の扉が開く音と共に、父の声が呑気に響く。わたしから指輪を受け取ったヒカルは、指輪を素早くポケットに突っ込んでは、素知らぬ顔で両親の出迎えに向かった。

 

「おかえりなさい、父さん、母さん」

「お、おかえりなさい」

「うん、ただいま」

 

 父はヒカルとわたしに「はい、お土産」と小包を差し出す。中身はゼリーだ。ひんやりと冷たくておいしそう。わぁいと一通り喜んでおく。

 わたし達を見た母はそっと微笑んだ。

 

「いい子にお留守番しててくれて、ありがとう」

「……うん」

 

 思わず言い淀んだわたしの足を、ヒカルが咎めるように軽く踏む。一度わたしを横目で見たヒカルは、いつも通りの調子で父に絡んでいった。

 

「ねぇ父さん、幣原本家はどうだった? 僕もいつかつれてってよ」

「別に楽しいところじゃないってば。父さん達は遊びに行ってるわけじゃないんだよ? なーんか勘違いしてる気がするなぁ」

 

 父は苦笑しながら廊下を歩き、ふと先程の書斎の扉に目を留めた。父の足が止まったのに、思わずどきりと心臓が跳ねる。

 ……もしかして、バレた?

 

「……どうしたの、父さん?」

 

 尋ねるヒカルの声も、どこか緊張したようにも聞こえる。「いや」と小さく首を振った父は、扉を見つめながらわたしとヒカルに問いかけた。

 

「……確認だけど、二人とも、この部屋には入ってないよね?」

「入ってないけど……何、見られちゃヤバいものでも置いてあんの?」

「ヤバいものじゃないんだけど、この部屋はまだ片付いてないからね。片付いたら二人にも見せてあげるよ、特にソラは喜ぶと思う」

 

 ……はい、滅茶苦茶喜びました。

 でも、片付いてないって言葉は、多分嘘だ。部屋の中はホコリも落ちていなかった。父はわたし達を、あの部屋に入れたくないのだ。少なくとも、今はまだ。

 ……一体どうしてだろう?

 

 父がパキンと指を鳴らした。瞬間、空気がピリッと鋭く変質する。空中から湧き出た青銀の閃光が、鎖となって扉に縛りついた。魔法式が一瞬だけ宙に浮かび、やがて光の粒子となっては掻き消える。

 

「ヒカルもソラも疲れただろう。お茶にしようか、実はいい茶葉をもらったんだよね」

「……日本茶だけどね。でも、ヒカルもソラもきっと気に入ると思うわ。とってもいい香りなの」

 

 母がにこりと微笑んだ。

 父はコートを脱いでは、廊下を歩いていく。わたしとヒカルは目配せした後、両親の後を追って駆け出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 ジュブナイル/晩夏に掲げよ

「その指輪、どうしよう? お父さんとお母さんに聞いてみるべきかな」

「だとしたら、僕らもあの書斎に忍び込んだことを言わなきゃなんないぞ」

「その辺で拾ったことにしない? お庭に落ちてたの、みたいな」

「黙ってんのはともかく、父さんに嘘をつくのは即バレしそうでやだなぁ」

 

 ヒカルが心底憂鬱そうに呟く。わたしだってやだよ。

 わたし達がリドルさんと出会った翌日のこと。ヒカルは「ソラの体力増強に付き合ってくる」と言っては出て行った。行ってらっしゃいとわたしは読書を続行しようとしたものの、そうは行かないとヒカルに半ば引きずられる形で外へと連れ出された。納得いかぬ。

 

 とは言え、ヒカルと話しておかなければならないことは、確かにある。じりじりと暑い日本の夏の日差しに焼かれながら、ヒカルと一緒に町を歩いた。

 

 日本に滞在する期間は、実際のところあまり長くはない。せいぜいが一週間から十日ほど、移動時間も含めてちょうど二週間、といった感じ。

 それでも、短いながらも毎年欠かさず訪れる場所ということで、町並みはもう見慣れたものだ。特に母とヒカルの銀髪は目立つから、町を歩けばよく声を掛けられている。ヒカルもよく聞き齧りの日本語で返せるものだ、わたしの分までコミュ力を吸っていったんじゃなかろうか。

 

 ……わたし? わたしはもちろん喋れないよ? 今だってめちゃめちゃ目深に麦わら帽子を被って道行く人と目を合わせないようにしてるからね?

 

「父さんに言うにせよ言わないにせよ、このままじゃいけないだろ。リドルさんはランプの精じゃないんだぜ。幣原家の書斎にずっと埋もれたままでいさせるのも忍びないしさ」

「うん……わたしも、リドルさんを目覚めさせてしまった責任は感じてるよ……」

 

 しゅんと呟く。その時、背後から怜悧な声が掛けられた。

 

「なんだ、君達、僕の話をしてるのかい?」

「ひっ」

 

 思わず飛び跳ね振り返れば、変わらず謎めいた笑みを浮かべたリドルさんが立っていた。

 さんさんと太陽が照り付けている夏空なのに、その笑顔は汗ひとつなく涼しげだ。いや、リドルさんはこの世の人ではないので、わたし達のように暑さを感じてはいないのだろうけど。

 

「り、リドルさんっ! 一体どうして!?」

「君達が僕のことについて悩んでいるみたいだったから、責任を感じちゃって」

 

 ひくりと頬を引き攣らせたヒカルは、わたしの手を掴むと早足で歩き始めた。その勢いに思わず転びそうになるも、なんとかヒカルにしがみついて踏ん張る。

 背後から、リドルさんの楽しげな声が聞こえた。

 

「おやヒカル、そんなに心配しなくとも、君達以外の人に僕の姿は見えていないから大丈夫だよ。この町にいる魔力持ちは君達一家くらいなものだ」

「だとしても僕とソラの話し声は周りに聞こえてんだろ、気兼ねなく喋れるとこまで行くからちょっと黙ってろ!」

 

「ふむ、それは確かに」とリドルさんは呟いた後、ヒカルに言われた通り口を噤む。

 すれ違う町の人達は、確かに、わたし達の後ろをついてくるリドルさんには気付いてはいないようだ。

 ヒカルは町の人達に「妹さんと仲良しねぇ」と微笑ましく見られているのが堪え難いらしく、奥歯を食い縛っては顔を顰めている。そんな顔をするくらいなら手を離してちょうだいよ、いやダメだ、今手を離されたらそのまま座り込んで立てない自信がある。お兄様、頑張ってわたしを引っ張り続けてね!

 

 ヒカルがわたし達を連れて行ったのは、寂れた神社の境内だった。生い茂った木々が織りなす木陰は、地上のものより何倍も涼やかだ。

 はふぅとベンチとベンチに腰掛け──いや、倒れ込む。どうして神社ってこうも階段が長いのだろう。一週間分の運動をした気分だ。しばらくお外には出たくないね。

 

 ぐったりしたわたしを見かねて、ヒカルはお水を買ってきてくれた。いつの間に。キャップを開ける力も無かったので、ヒカルに頼んで開けてもらった。うう、ヒカルの呆れ果てた目が辛い……でも、乾いた身体に水分が染み渡って生き返った気分だ。

 ヒカルはポケットから取り出した指輪を手のひらに乗せると、わたしとリドルさんを見回した。

 

「さて。目下重要な課題は、リドルさんをどうするか、だ。僕らは来週にはこの幣原家を発つ。それまでに、父さん達に申し出てリドルさんを封じてもらうか、僕らでリドルさんを封じるか、どちらにするかを決めなきゃならない」

「あぁ、その件なんだけど。できれば第三の選択肢を取ってほしいな。つまり、僕を封じず、イギリスまで一緒に連れて行ってくれると嬉しいんだよね」

 

 リドルさんの言葉に、わたしは呆気に取られてしまった。

 ヒカルは渋い顔でリドルさんを見上げる。

 

「その提案、僕らの側にメリットってある? アンタが安全なものだって保証はない。その笑顔の裏で僕らを害そうとしているんじゃないか?」

「なるほど、なるほど。でもヒカル、君もわかってるんじゃない? そもそも君達を害する存在だったら、君達が身に付けている『お守り』が、僕との接触を許さないだろう?」

 

 その言葉に、わたしは思わず「あっ」と声を上げた。無意識に手首のブレスレットを掴む。

 わたし達の父親であり、現ホグワーツ魔法魔術学校呪文学教授、アキ・ポッター。恐らく──というか、わたし達の周囲の大人達が言うのを纏めるに──彼は今のイギリスで、最も優れた魔法使いらしい。他人の何倍、何十倍とも言える潤沢な魔力量と、闇世に針の穴を通すような精密な魔力制御は、他の追随を許さない──らしい。又聞きだけどね。

 そんな父が、我が子のために手ずから作ったお守りは、そりゃもうそんじょそこらの武器など目ではないとのことで。

 攻撃反射、敵影の自動追尾は当然のこと、精神攻撃も含めた絶対的防御。母はこれを指して「まるで歩く要塞ね」などと評していた。アリスおじさんも「過保護すぎかよ」と呆れていたので、きっと凄いものなのだろう。

 

 今目の前にいるリドルさんが、万一父を上回る程の人だったら──その時はもう、わたし達だけでなく、誰もが敵いはしない。ヒカルもわたしと同じ結論に至ったのか、黙って口を引き結んでいる。

 リドルさんは続けた。

 

「それに。今ヒカルはメリットと言ったね。僕が君達に差し出せるメリットも、無くはない──そう。例えば情報、例えば記憶、例えば思い出なんてどうだろう。そうだな……──君達のお父上と、幣原秋の関係性について話してあげる──とか」

 

 咄嗟にヒカルの顔を見る。

 ヒカルは僅かに表情を揺らしたが、瞬時にぐっと動揺を押し込めた。

 

「……そう。どうやらリドルさんは、随分父と親しかったようだ」

「そうだね。曲がりなりにも三年半あまり、彼と契約していたからね」

 

 リドルさんは軽く右手を振った。その指には、今ヒカルの手のひらにある指輪と同じ、赤い指輪が嵌っている。

 

「……契約」

「魔法契約さ。今、ヒカルが持っている指輪は、元は君達のお父上──アキが持っていたものだ。『決して嘘をつかない』という魔法契約の下、彼は僕を傍に置いてくれた。疑うのなら、実際アキに訊いてみるかい?」

「じゃあ、リドルさんはお父さんのお友達だったんだね」

 

 なんとなしに呟いたわたしの言葉に、何故かリドルさんは驚いたように目を瞠った。……あれ? どうしてそんなびっくりした顔をしているの?

 ヒカルは「何、暢気なこと言ってんの」とわたしの額をぺしんと弾いた。痛い。しかし今のでヒカルはいつもの調子を取り戻したようだ。そのままリドルさんに向き直る。

 

「で? 父さんの過去なんて、父さん本人に聞けば本当のことくらいすぐわかる。リドルさんの交渉材料にはならないよ」

「……へぇ。君達は、本当にそう思っているのかい?」

 

 リドルさんの声は、どこか冷ややかだった。

 

「……どうして、そんなこと言うの?」

「むしろ、どうしてそう無邪気に親の言葉を信じられるのかが知りたいね。親子とは『そういうもの』なのか? ……僕が断言してあげよう。アキ・ポッターの秘密はね、そんな生半可なものじゃない。君達が彼の実子だからと言って、彼が秘密を全て詳らかにするとは、僕には到底思えないな」

 

 リドルさんの深紅の瞳に、わたし達の姿が映っている。

 じっと覗き込むように見つめられ、わたし達の目に映るリドルさんまでもが見えてしまうようだった。

 

「僕はアキの罪を知っている。彼の願いと祈りを、この世界の誰よりもよく知っている。彼の兄も、彼の妻も知らぬ彼のことを、僕は知っている。僕は、彼の理解者だった。共犯者で、あったんだ」

 

 ──呑み込まれて、しまいそうで。

 

「……父さんの、罪って、何」

 

 そう尋ねるヒカルの声も、どこか震えていた。

 

「……君達のお父上は、その昔」

 

 リドルさんは囁いた。

 

 

「世界を、滅ぼそうとしたんだ」

 

 

 ──瞬間。

 あれほど喧しかったセミが、ぴたりと一斉に鳴き止んだ。

 

 数秒後、セミは何事もなかったように、再びジリジリと鳴き始める。

 思わず身震いをした。

 

「……すまない。怖がらせる気は……なかったと言うと、嘘になってしまうけれど」

 

 呟いたリドルさんは、息を吐いて首を振った。額に指を当てると目を閉じる。

 

「どうにも……似過ぎているせいなのか……実子というのは、何ともこう、混乱すると言うか……。気を悪くさせたのなら、すまなかった」

「あ……ううん」

 

 ヒカルは焦った顔で首を振る。わたしもぶんぶんと頭を振ると、リドルさんはニコリと微笑んだ。それでも、霊体のようなリドルさんには適さない表現なのかもしれないが、リドルさんの顔色は、どこか良くないように見える。

 

 少しの間口元に手を当て考え込んでいたヒカルは「……よし」と呟き顔を上げた。

 

「ソラ。お前が決めろ」

「……うん?」

「リドルさんを信用できるかどうか、お前の判断に従うことにする。お前の予感は当たるからな」

「えぇっ!? わたしが!?」

 

 ヒカルが決めてよ! お兄ちゃんでしょ!? と、いつも兄貴ヅラされるのはムカつくのに、こういうときだけ都合良く兄妹を引っ張り出してみたりする。

 

「むぅ……」

 

 正直──わたしの目から見ても、リドルさんは怖い人だと思う。ううん、多分、きっと、間違いなく、怖い人だ。

 人を操り利用することができる人。周囲を扇動し自分の望みを叶える先導者タイプ。カリスマ性のある教祖様。

 

 信用に足る人かは、わからない。

 でも────。

 

 旗色が悪いのを悟ったかのように、リドルさんは「ほんの一年程度でいいんだ。君達が来年、またここに戻ってくるまでで」と少し慌てた様子で付け加えた。

 

「ご飯も散歩も要らないよ。自分で言うのも何だけど、僕は結構有能でね。力仕事は無理だけど、頭脳労働なら何でもござれだ。計算翻訳調べ物、(はかりごと)からアドバイスまで。君達が望むのならば、アキと交わしたように魔法契約を結んだっていい。僕を縛るための魔法だからね、君達に損害を与えることは決してないよ。君達の支えになりたいんだ」

 

 ……リドルさん、喋れば喋るほどなんだか胡散臭くなるね。稀有な人だよ。

 はぁと小さくため息をついて、わたしはリドルさんに向き直った。

 

「ねぇ、リドルさん。ひとつ聞かせて?」

「なんだい? ……あ、僕の話を聞く前に契約しておいた方が君達も安心じゃないかな? 僕の話が嘘かもしれないと疑わなくても良くなるし……」

 

 ……リドルさん、見た目は自信家っぽいのに、中身はどうしてだか卑屈だなぁ?

 自分のことを真正面から信じてくれる人はいないと、本気で思っているようだ。

 

「リドルさんはどうして、イギリスに行きたいの?」

 

『蘇ってしまった』と、リドルさんは昨日そう言った。

 わたしが指輪に触ったせいでリドルさんの眠りを覚ますことになったのならば、責任はわたしにあるはずだ。リドルさんの望みが『イギリスに行きたい』なら、叶えてあげたいとも思う。

 

「リドルさんが何者なのか。どうしてイギリスに行きたいのか。リドルさんは『契約』とか『メリット』とか、いちいち取引めいたことを言うけどさ。そうじゃなくって、普通でいいよ、普通で。リドルさんに望みがあるなら、わたし達はその望みを叶えてあげたいと思うよ。ねぇヒカル?」

 

「このお気楽娘は……」とヒカルは顰めっ面をするも「……ま、僕もソラと大体同意見ではある」と頷いた。

 

「もちろん、リドルさんが僕らに害意を持ってないのが大前提ではあるけどさ。それは父さんのお守りのおかげで証明されているんだし、リドルさんの望みが真っ当なものなら、協力するのもやぶさかではない」

 

 リドルさんの目が見開かれる。しばらく困惑した顔でわたしとヒカルを見つめたリドルさんは、やがて掠れるほどの小さな声で「……理解できない」と呟いた。

 

「……何故、損得無しに他人と関わろうとする? 今の僕には君達に与えられるものなど何もない。配る利も、分ける富も、見せる幻想も、何一つとして持っていないんだ。ただの霊体、ううん、霞に過ぎない。確かに少しばかり悪知恵は働くだろうが、この世界で僕がやれることは何もない。ここは僕が<いらない世界>だ。

 ……何故だ? それとも理解していないのか? 君達、僕に搾取されようとしているんだぞ!? そんな無防備に手を差し伸べるなんて、それでも本当にアキの子か!?」

「……リドルさんが本当にわたし達を騙そうとしていたのなら、『搾取』なんて言葉は出てこないよ」

 

 ニコリと微笑む。

 

「ねぇ、教えて? リドルさんが何者なのか。リドルさんがどんな望みを持っているのか、素直なリドルさんの言葉が聞きたいな」

 

 リドルさんの手を取った。

 温度はないが、僅かに握った感触はある。肌の境はあわく発光していて、リドルさんがこの世の住人でないことを如実に理解してしまう。

 やがて俯いたリドルさんは、肩を震わせ微かに苦笑した。

 

「……素直な言葉、なんて、いつ以来かな……」

 

 ──────ソラ、と。

 

 吐き出された言葉は、何故だろう、声が空気に触れる寸前に、変更されたようにも聞こえた。

 

「どうせ調べればすぐにわかってしまうことだ。僕の罪ではないと『彼』は言ったけれど、あれだって僕の一面に変わりはない。──英国魔法界を混乱と恐慌に陥れた大悪党、トム・マールヴォロ・リドル。()()の僕がかつてしでかした事と、その後の僕が辿った顛末について──君達に伝えておかないと、フェアじゃない」




リドル、嘘や誤魔化しを一言も入れてないのにひたすら怪しいのでなんかもうあれは才能。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 Fate

 一通り語り終わったリドルさんは、はぁと小さく息を吐いた。

 

「──以上が、僕というどうしようもない愚かな男の顛末さ。君達の叔父であるハリー・ポッターに倒され滅んだ、英国中を恐怖に陥れた闇の魔法使いヴォルデモート。僕は、そんな彼が学生時代に切り離した魂の一部だった」

()()()?」

 

 言葉尻を耳聡く捉えたヒカルが尋ねる。

 

「だった、としか言いようがない。だって僕の本体もまた、当時二年生だったハリー・ポッターの手により倒されているのだから。今の僕は分霊箱としての存在価値すらない、ただの魂の残滓に過ぎない」

「分霊箱って?」

「魂を分割する秘術で作られた魔法道具さ。それがあれば、喩え生身の身体が倒されたとしても、分霊箱さえ無事であれば命は取り留める」

 

 わたし達の表情から悟ったか、リドルさんは「いや、それはないよ」と首を振った。

 

「ヴォルデモートが生き残っているということはあり得ない。彼はあの日ホグワーツにて、ハリー・ポッターに完全に打ち倒された。言っただろう? 今の僕は分霊箱としての存在価値すらないって。ソラが呼び起こさなければ、僕は幣原家の書斎で、誰にも知られず朽ち果てていた」

 

 リドルさんにそう言われ、わたしは居心地悪く身じろぎをする。

 

「なんで、うちの祖父母の書斎なんかにいたの? リドルさん、日本にルーツって無いよね?」

「そんなもの僕だって知りたいさ。でも、あの家は直が住んでいた場所だ。土地に思い入れはないとしても、そこで生きていた人間に対する執着はある」

 

 直──幣原直。

 また、その名前だ。

 お父さんの父親で、わたし達の祖父。そして、多分、リドルさんの大事だった人。

 

 その名を言の葉に託すとき、リドルさんは透き通るような微笑みを浮かべる。

 その微笑みに気付くたび、何故か心の奥が震える気分にもなる。

 

「時代は変わった。僕はもう終わった人間だ。……アキは良くやってくれた。僕なんかに対して十分すぎるほどのものを与えてくれたから、僕も納得して結末を見届けた。アキの幕引きに文句はない……でも、そう、こうやって、奇跡のように、今の世界に降り立てたから……あの少年が青年になり、親として育てた君達を見て、……欲が出た。アキが選んだ道の後を見てみたい。遠目からで構わない、ほんの僅かな期間で構わないから……アキが望んだ世界を、この目で」

 

 お願いします、とリドルさんはわたし達に頭を下げた。

 わたしとヒカルは顔を見合わせ、軽く頷く。

 

「顔を上げて、リドルさん。……連れて帰っても別に構わないよね、ヒカル?」

「……はぁ。ま、いいんじゃない? ぶっちゃけ胡散臭いは胡散臭いけど、ソラが呼び起こしたのはマジで偶然みたいだし、こっちも責任は感じてるし」

 

 顔を上げたリドルさんは、やっぱり困惑した顔をした。どうして自分から願い出ているのに、こちらが受け入れると言うとそんな顔をするのかなぁ?

 リドルさんが何かを言い出す前にと、わたしは会話の先手を取る。

 

「言っておくけど、また『君達は僕に搾取されている』とか言い出さないでね。リドルさんならもっとスマートにわたし達を騙すでしょ。わたし達に疑念すら抱かせないはずだよ」

「……その不器用さも含め、全部演技かもしれないよ?」

「その時は、わたし達の見る目が無かったってことなんじゃないかな。その時はその時だけど、でもさっきの話を踏まえても、リドルさんは既に分霊箱としても格落ちだし、魔法も使えない。なら他に警戒するべきは、リドルさんの口八丁で騙されちゃうことくらいかな? そうだとしても大したことはないよね」

「世間知らずの子供二人くらい、言いくるめられないとでも? 嘘をつかずとも、人を望み通りに誘導することなんて簡単さ」

「でも、リドルさんはわたし達にそんなことしないでしょ?」

「……っ、だから、なんで、そういうとこ……っ!?」

 

 わたしの言葉にリドルさんはとうとう頭を抱えてしまった。

「わからない」「素直な子供って意味わからない」「なんで疑わないの? 信じられない」「危機感迷子だろ、ありえん」と、壊れたラジオのようにぶつぶつ呟いている。

 ヒカルは大きくため息をついた。

 

「……ま、リドルさんがそう思うのもわかる。コイツはどこまでも温室育ちの脳内お気楽娘だからな。……でも僕も大筋には賛成。警戒はさせてもらうけど、今のリドルさんについて過剰な心配は不要だと思う。それに、僕らのバックにはホグワーツ副校長アキ・ポッターと、そして今世紀の英雄ハリー・ポッターがついているんだ。リドルさん──ヴォルデモートにとっても、最も鬼門の二人なんじゃないかな」

 

 なるほど。ヒカルにそう言われると、確かにそのようにも思えてくるな。

 リドルさんはそれでもしばらくあーだこーだと言い募っていたが、やがて諦めた顔でわたし達を見ると「……わかった。それじゃあ、よろしく」とどこか不本意そうに口を尖らせる。初めはリドルさんからの提案だったのに、どうしてそんな顔で了承するのか、限りなく謎だね。

 

「指輪を貸して。じゃあソラ、君に持っていてもらおうか」

 

 ヒカルから指輪を受け取ったリドルさんは、どこからともなく取り出した紐に指輪を通すとネックレスにした。それをそっとわたしの首に掛ける。

 

「これで大丈夫。外から見えないように仕舞っていてね」

「……お父さん、気付かないかなぁ? これ、何だか妙な気を感じるんだけど……」

「アキは気付かないよ。彼は、自分がとんでもない魔力を持っているせいか、その辺りの勘は鈍くてね。きっと漏れ出た自分の魔力と混ざってしまうのだろう」

 

 ソラはやっぱり直に似ている、その辺りの勘が良いね、とリドルさんはゆったりと微笑んだ。しかしいくら祖父と言えど、面識のない人といくら似ていると言われても反応に困る。曖昧に笑みを浮かべ、服の内側に仕舞い込んだ。

 

 ヒカルはホッとしたように息をつくと立ち上がる。

 

「あぁ、疲れた。僕も喉が渇いたし、ちょっと飲み物買ってくるよ」

「そう言えばさっきも不思議だったのだけど、ヒカルはどこで飲み物を買っているんだい? この辺り人の気配もないし、見たところ商店もないようだけど」

 

 わたしが持っているお茶のペットボトルを見ながら、リドルさんが問いかけた。そんなリドルさんに、ヒカルが目を丸くする。

 

「リドルさん、知らないの? 自動販売機ってやつがあるんだぞ」

「自動販売機? なんだいそれ、面白そうだね」

「……ついてくる?」

「うん」

 

 即答だった。なんだか可愛い。

 二人を見送った後、一人になって、わたしはふと考える。

 

 リドルさんは、父のことを『共犯者』だと呼んでいた。

 理解者で、共犯者だったと。

 ……父の罪って、何だろう。

 いつも笑顔で、家族のことを大事にしていて、多くの人から信頼と畏敬を受けている、アキ・ポッターの罪って、何だろう。

 

 

「そんなの、決まっているじゃない。幣原の異能を持たない彼が、傲慢にも時を操ろうとしたからよ」

 

 

 どこか拙い英語だった。

 気付けばいつの間にか、女の人がわたしの隣に気配もなく座っていた。

 絹糸のように長く真っ直ぐな黒髪を、結えて二つに括っている。黒の着物に赤の帯。左目を覆い隠している真白の眼帯に、思わず目が奪われた。

 

「え……っと……」

 

 飛び退けなかったのは、彼女の気配が希薄だったからだ。

 黒と赤。色彩は鮮明なのに、でも何故か、今にも風景に溶けて消えそうな空気を纏っている。そのせいだろうか、驚くよりもどこか非現実的な心地を持って彼女の存在を受け入れてしまった。

 

「……どちら様、でしょう?」

 

 見たところ、二十代前半といった感じのお姉さんだ。少なくとも両親よりは若そうな風貌。日本人のようだから、わたしの英語が伝わるかはわからないものの、彼女はニコリと笑ってくれたので、なんだか少しホッとした。

 

「私の名前は幣原蘭。幣原の名を継ぐ、最後の娘」

「……幣原……」

 

 父の……いや、わたし達の親族、なのかな……?

 顔立ちが父と似ているかと言われると微妙なところだ。似ていると言われたら似ている気もするが、色合いのせいな気もする。艶のある真っ直ぐな黒髪、というところは共通しているか。

 

「──ソラ・ポッター」

 

 紅を引いた唇が、わたしの名前を形取る。漆黒の隻眼が、強くわたしを射抜いた。

 

「……気を付けて。幣原の血を色濃く受け継いだ娘」

 

 彼女の口から、少したどたどしい英語が零れる。

 

「忘れないで。幣原は、時を司る家系。……あなたの父親、幣原秋には、この力は発現しなかったけれど……それでもあなたは、持っている。運命を捻じ曲げる力を、世界を変えてしまう力を……あなたは手にしている」

 

 頬にそっと手を当てられて尚、不思議と驚きも怖さも感じない。

 ただただ魅入られたように、わたしは彼女の隻眼を見返した。

 

「……大きな力は、意図せず周囲を巻き込んでは、事件を引き起こしてしまう。強大すぎる力を持て余して、時に自分自身さえも傷つけてしまう。……それでも、使い道さえ誤らなければ、その力はあなたを幸せにもするわ」

 

 気をつけて、と彼女は繰り返した。

 

「幣原は時をまつろう家系。時空の理から、半歩踏み外してしまった存在。でも、抗ってはならない。視えるものを視、聴こえるものを聴き、触れられるものを触れなさい。私に言えるのは、それだけ」

 

 気をつけて、ソラ。

 それだけを言い、彼女はすっと立ち上がった。そのまま石畳の先、神社の拝殿がある方へと歩いて行く。

 

 ……今の、何だったんだろう。

 彼女の後ろ姿をぼんやりと見送っていると、ふと頬に冷たいものが押し当てられた。驚いて思わず飛び跳ねる。

 

「ひゃあんっ!?」

 

 ヒカルが缶ジュースを手に『悪戯成功』と言わんばかりのニヤニヤした笑顔を浮かべていた。その後ろでは、リドルさんが軽く肩を竦めている。

 びっくりが収まると、次はふつふつと怒りが湧いてきた。

 

「何するの! ヒカルのバカ!」

「ぼうっとしてるから脅かそうとしただけじゃん、怒んなよ」

「怒るよ! バーカバーカ! ヒカル嫌い!」

「ハイハイ。ジュースやるから機嫌直せって」

 

 ジュースごときで妹の機嫌を取れると思うな、バカ兄貴。もらうけど。

 リドルさんはわたし達のやり取りに苦笑しながらも、興味深そうにペットボトルのキャップをカリカリといじっている。

 

「リドルさん、自動販売機はどうだった?」

「こんな誰も来ない山奥にですら、わざわざ電気を引いて大掛かりな機器を設置している。それも、単に飲み物を冷やすためだけにだぞ? マグルの努力に感服するな」

「冷やすだけじゃなく、冬場はあったかい飲み物も買えるんだよ」

「なんだと!? 凄い、凄いな、それは……」

 

 リドルさんは本気で驚いたらしい。深紅の目がキラキラと輝いている。

 そのままリドルさんは「こんな山奥にわざわざ電気を引いて採算が取れるのか」「飲み物が完全に売り切れたらどうするのか」などを矢継ぎ早に質問しては、ヒカルに盛大に呆れられていた。

 

「あの、そう言えば、ヒカル……」

 

 ヒカルに、先程出会った女の人──幣原蘭について話しておこうと口を開くも、何故か喉奥で言葉を見失った。

 ヒカルとリドルさんは、突然言葉を止めたわたしに訝しむような目を向ける。

 

「ソラ、どうした?」

「……あの、やっぱ、なんでもない。わたしの分はお金払うって言いたかっただけ」

 

「ハァ?」とヒカルは心底怪訝な顔をした。

 わたしとしてもあまり考えずに出した言葉だ、ヒカルから突っ込まれる前に「帰ろ、遅くなっちゃう」と立ち上がっては歩き出す。

 これから上ってきた分の階段を降りなければならないのだ。ずらりと続く階段を見下ろすだけでため息が零れる。

 

 一度だけ後ろを振り返る。人気のない神社の境内をじっと見つめた後、わたしは赤い鳥居をくぐり抜けた。




アキならどこで誰と交渉してようがさして心配にならないのに、ヒカルとソラだと「それって大丈夫?」「騙されてない?もっと警戒して!」とハラハラしてしまう不思議。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 合縁奇縁

「「…………」」

 

 ひぅ、と小さく喉が鳴る。

 威圧感のある漆黒のローブ。脂っぽい黒髪に、奥の瞳は昏く冷たい。

 

「………………」

「あ、わわわ、う……」

 

 蛇に睨まれたカエルの気分だ。冷たい汗が背中を伝う。目を逸らしたいのに、逸らせない。

 金縛りにあったように動けなくなって、ただぷるぷると身を縮こまらせた。

 

「………………、まったく……」

「ひぁあぅ、あっ、ごめんなさいぃっ」

「まったく、貴様という奴は……」

 

 眉間に消えぬ皺をくっきりと刻み込んだ、その人は──

 

「アキ・ポッター! 貴様の娘が私を見て泣き出すのは、いい加減どうにかならんものか!」

 

 セブルス・スネイプ教授は苦り切った表情で、声を張り上げわたしの父の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

「だってそれは、教授がにこりともしないのが悪いよ。教授の無愛想ヅラは、子どもにとっては怖いのさ」

 

 父はケラケラと笑っている。父の腰にしがみついたまま、わたしはそうっとスネイプ教授を見上げた。

 

 日本から英国へと戻ってきて、早三日。わたしたちは父と共に、幼馴染のスコーピウス・マルフォイの家を訪れていた。

 普段は夜にしか家にいない父は、ホグワーツが休みの間はずっと一緒にいてくれる。それでも自宅にいることは稀で、大体誰かのおうちにお呼ばれするのが日常だ。今回もそう。

 

 スコーピウスのお母さん、アストリアおばさんは、ここ数年ずっと病で臥せっている。

 血の呪いというものらしい。ご先祖に掛けられたその呪いは、アストリアおばさんの華奢な身体を、今もずっと蝕み続けている。

 

 スネイプ教授は、父がまだ学生の折、ホグワーツで魔法薬学の先生を勤めていた人だという。

 父と仲が良いようで、こうしてスネイプ教授が教職を退いてからも、わたしたち家族とはずっと交流がある。それこそ、わたしが赤ん坊の頃から見知っている人……

 

 では、あるのだが。

 

「それでも、だ! 毎度毎度のことなんだぞ! いい加減慣れても良い頃だろうに!」

「あっはっは、教授にもまだ、子供にビビられて傷つく心があるとは驚きだなぁ。私の記憶が正しければ、教授ってば、自寮の生徒にはともかくとして、他寮の子が相手だと、それこそ怖がられて当然とばかりにいたぶってたようにも思いますが?」

 

 父の笑いまじりの声に、苦虫を噛み潰したような顔でスネイプ教授は黙り込む。眉を寄せてわたしを見下ろす教授に、ひゃあと声を上げて父の後ろに隠れた。父はわたしの頭をぽんと撫でる。

 

「教授、だからあんまり睨んじゃダメだって」

「睨んだつもりはない、これが私の素の目付きだ」

「うっわ、だから怖がられるんだよ。そう言えばアリスも、ソラにはすっごい怖がられてたっけ。やっぱ目付きが悪いのがいけないんだと思うよ?」

「貴様の息子の方は、私を見てもちっとも怖がる気配がないんだが?」

「そりゃあきっと、教授ってばヒカルに舐められてるんだ。歳上の威厳というものをもっと表に出すべきだね」

「貴様は一体、私にどうしろと言うのだね!」

「──あなたたち二人は、相も変わらず仲がいい」

 

 と、そう笑いながら登場したのは、スコーピウスのお父さんであり、この屋敷の主人でもあるドラコおじさんだ。

 

「アキ、そしてスネイプ先生、来てくれて嬉しいよ。充分なもてなしが出来ず申し訳ない」

 

 そう言って微笑むドラコおじさんに、父も笑顔を見せる。

 

「構わないよ。ドラコ、少し痩せたかい?」

「あぁ、えっと、まぁ……ソラも、来てくれてありがとう。スコーピウスも喜ぶことだろう」

 

 わたしの目線に合わせるよう、ドラコおじさんはそっと片膝をつくと笑った。

 

「は……はい」

 

 頷いて、また父にしがみつく。そんなわたしに、ドラコおじさんは苦笑した。身を起こしては、父とスネイプ教授に向き直る。

 

「アクアとヒカルは、今日は?」

「アクアは緊急の呼び出しでね。ヒカルの方は、ジェームズのところに行っちゃったよ。放置していた宿題を手分けしてやっつけたいらしい」

「あぁ……確か、ヒカルは三年生になるのだっけ」

「手のかかる悪戯坊主たちだよ。スコーピウスは今年入学だろう? ソラと一緒だ」

「君の娘と同級生というのは、なんだか少しホッとするな」

「そいつは光栄だね」

 

 アストリアの元へ案内しよう、と言って、ドラコおじさんは歩き出した。その後ろを連れ立って進む。

 

「血の呪い、だそうだな」

 

 静かな声で、スネイプ教授は呟いた。ドラコおじさんは「ええ」と肯定する。

 

「とても旧く、そして強大な呪いです。グリーングラスの血に掛けられているとなると、事はアストリアだけの問題ではない。彼女の姉、ダフネ・グリーングラスだって呪いが発現する可能性はあるし、私の息子のスコーピウスだって……」

 

 一瞬目を伏せたドラコおじさんは、やがて瞳に強い光を灯した。

 

「だから、なりふり構ってはいられないんです」

「……そうか」

 

 スネイプ教授は言葉少なに頷く。

 やがて、ある一室で、ドラコおじさんは足を止めた。「アストリア、入るよ」と優しい声で尋ねかけ、静かに扉を開け放つ。

 

「父上」

 

 アストリアおばさんの眠るベッドに軽く腰掛けていたスコーピウスは、わたしたちを見て慌てて立ち上がった。

 

「スコーピウス、ここにいたのか」

「その、ごめんなさい。邪魔ならすぐに出ていきます」

「構わないさ。ね、教授?」

 

 父が朗らかに言う。教授は黙って首肯した。

 

 ベッドに横たわるアストリアおばさんは、見るたび痩せ細っていくようだ。浅い呼吸に、毛布で覆われた胸が上下する。

 アストリアおばさんは、そっと目を開けては父たちを見、微かに微笑んだ。

 

「あぁ……アキに、ソラじゃない。それに、スネイプ先生。会えて嬉しいわ……すみません、こんな姿で」

 

 見た目通りのか細い声だった。

 身を起こそうとするアストリアおばさんを、そっとドラコおじさんが押し留める。

 

 普段通りの笑みを浮かべたまま、父はアストリアおばさんの元に歩み寄った。

 

「こんにちは、アストリア。前に会ったときより、ずっと顔色が良くなった。少し安心したよ」

「あら、わかります? ……以前、あなたに先生を紹介して頂いたでしょう? あれから、だいぶ調子がいいの」

「あぁ、ライ先輩。それは良かった、紹介した甲斐がある……彼はグリフィンドール筋だから、君は少し抵抗があるんじゃないかと思っていたんだけど」

「そんなこと……スコーピウスの成長を、できる限り長く見ていたいの。そのためなら、私、なんだってするわ……」

 

 父がアストリアおばさんと話している横では、スネイプ教授がサイドテーブルに置かれている処方箋の中身をチェックしている。

 どうしよう、わたし、邪魔じゃないかな。そう思った瞬間、アストリアおばさんにそっと名前を呼ばれた。

 

「あ、う、はいっ」

 

 そろそろとアストリアおばさんに近づく。と、おばさんは笑顔でわたしの両頬に手を当てた。

 

「来てくれてありがとう、ソラ。ソラも、スコーピウスと同じで、もうじきホグワーツに通うのね……大きくなったわ」

 

 骨と皮ばかりのアストリアおばさんの手は、白く冷たい。その手に、自分の手を添えた。

 

「うん。アストリアおばさんは、ホグワーツって楽しかった?」

 

 わたしの問いかけに、アストリアおばさんはうんと優しい目をする。

 

「……えぇ。とぉーっても、楽しかった……大変な時代だったけれど……いろんなことが、あったけれど……それでも、とっても、楽しかったのよ……」

 

 アストリアおばさんの腕から力が抜けた。支えると、そっとベッドに戻してやる。

 

「アストリア、もう疲れただろう。私たちはもう少し下で話しているから、何かあったら呼んでくれ」

 

 ドラコおじさんが声をかけた。えぇ、とアストリアおばさんは頷く。

 

「来てくださって、ありがとう……まさかスネイプ先生がいらっしゃるなんて、思いもしなかった。また、来てくださいますか?」

「あぁ、必ずや」

 

 スネイプ教授の返事に、アストリアおばさんは嬉しそうに笑った。

 

「スコーピウスをよろしくね、ソラ」

 

 そう囁くアストリアおばさんに、にっこり笑って手を振る。

 わたしたちは、そのまま廊下へ出た。階下へ向かって歩いていく。

 

「どう見る?」

 

 父の低い声に、スネイプ教授は素早く答えた。

「現状、シュレディンガーの治療で一時的に良くなっているというのなら、対処の余地はまだある」

「あの人はマグルの薬学にも手を出していたからね。当たりはそちらが近いかな。他のアプローチとするならば──血の呪い。過去のマレディクタスの例は?」

「かつて、ナギニがそうであったとの噂はあった。が、遺骸はもうないだろう」

「聖マンゴで過去の治験を当たれないかな? 教授の血清、残ってたりしない?」

「あれの毒は、貴様が大半を中和してしまったんだぞ。貴様の方が詳しいのでは?」

「あー、あれは幣原が魔法式を組んだやつだから、真似をするのはちょっとなぁ……」

 

 教授と父は、何やら難しそうな話をしている。

 スコーピウスはそのままアストリアおばさんの元に残るのかなと思っていたけれど、わたし達と一緒についてきた。

 わたしの隣に並ぶと、挨拶もなしに呟く。

 

「『スコーピウスをよろしくね』だって。僕は君に『よろしく』されなきゃいけない立場だったのか、知らなかったな」

「言葉の綾だよ、スコーピウス。わかってるでしょ? お母さんは、君のことが心配なんだ」

「そんなこと、わかってるよ……わかってるんだ。でもさ……」

 

 スコーピウスは、なんだか少し苦しげだった。やがて、悔しそうに口を開く。

 

「こうして……きみの父上だったり、いろんな人が、母のために力を貸してくれている。それなのに、僕は、母のために何もしてやれない。それが……」

 

 悔しいんだ、と、スコーピウスは吐き捨てた。

 

「……何、言ってんのさ」

 

 だからわたしは、スコーピウスの額をぴんと弾いてやった。スコーピウスはおでこに両手を当てては、信じられないといった顔でわたしを見返す。

 

「スコーピウスがここにいるから、アストリアおばさんは生きようとするの。スコーピウスがいるから、一緒に生きていたいと思うの。……そんなの、スコーピウスはもう、知ってるはずだよ」

「…………、はは。違いないや」

 

 痛そうにおでこをさすりながら、それでもスコーピウスは、わたしに笑顔を見せてくれた。

 

 

 

 

 

 マルフォイ家の地下には大広間がある。真ん中に据えられた大きなテーブルは、大人数での会議にだって役立ちそうだ。でも今日は、そのテーブルに既についているのは、たったの三人しかいなかった。

 

 そのうちの一人であるシリウスおじさんは、ドラコおじさんに連れてこられたわたしたちを──正確には、スネイプ教授を──見て目を剥いた。

 

「スネイプ!?」

「ブラック!!」

 

 立ち上がったシリウスおじさんと、スネイプ教授はしばし睨み合う。

 そこで父がため息をついた。軽く眉を寄せながら、ドラコおじさんに問いかける。

 

「なるほど、なるほど、こういう……もしかして、今日私が呼ばれたのは、彼らの仲裁をするためかい?」

「いや、その、勿論、アキの意見も当然、聞きたかったのもあり……ただ、うん、まぁ、一概に否定は、できないかな……」

 

 ドラコおじさんはしどろもどろだ。

 はいはい、と父は肩を竦めた。大股で二人の元へと歩み寄っては、今にも杖を抜かんとしているシリウスおじさんとスネイプ教授に「はーい、ストップ、ストーップ」と割り込む。

 

「アキ!」

「貴方達、懐かしの旧友と久方ぶりの再会に喜ぶのはいいけどね、ちょっとはしゃぎすぎじゃないかな?」

「「喜んでない!!」」

「はい息もぴったり、仲良き事は美しき哉。それでも家主に少しは気を遣おうか。時間は贅沢品だからね」

 

 父の言葉に、シリウスおじさんとスネイプ教授はしぶしぶ矛を収めたようだ。最後に互いを睨み付けあっては目を逸らす。

 

「ユークおじさん!」

 

 シリウスおじさんの正面の椅子に腰掛けていたのは、母の弟でもあるユークレース・ベルフェゴールだ。わっと駆け寄ったわたしを、ユークおじさんはにっこり笑って抱き留める。

 

「お久しぶりです、ソラ。一昨日まで日本にいたんでしたっけ。だったら『おかえりなさい』と言うべきですかね?」

「あ、うん、そうなの。ただいま、ユークおじさん。お土産もあるんだよ」

「それは楽しみです。良い旅行になったことでしょう」

「うん、とっても楽しかった。アレクは元気? あとで、ユークおじさんのとこに行ってもいい?」

「えぇ、今日の夜にでも、姉上やヒカルを連れて来てください。アレクが喜びますよ。あ、アキ・ポッターは来なくていいです、邪魔なので」

 

 ニコニコしながら、ユークおじさんはさらりとそんなことを言う。父は頬を引きつらせていた。

 とそこで、シリウスおじさんが私の方へ身を乗り出しては笑いかける。

 

「ソラ、私にも挨拶してくれよ」

「あっ、ごめんね。シリウスおじさんもピーターおじさんも、なんだか久しぶり」

 

 シリウスおじさんの隣にいるピーターおじさんにも声を掛けると、ピーターおじさんはにこっと笑って手を振った。

 ピーターおじさんは、シリウスおじさんの元で働いている。「私が見張っておかないと」とシリウスおじさんは言っていたっけ。見張っているというけれど、実際は秘書のようにいつも隣に付き従わせている、って感じだ。

 

 パン、とドラコおじさんが、仕切り直すように手を叩いた。今から真面目な話が始まるらしいと、わたしは慌ててスコーピウスの隣に行く。

 

「さて。忙しい中、今日は我が妻、アストリアのために集まってくれてありがとう。早速だが、今回あなた方を呼んだのは、なりふり構ってはいられなくなったからだ。ブラック家当主にベルフェゴール家当主、あなた達の人脈が欲しい」

「本当になりふり構ってないな。ルシウス・マルフォイが聞けば、そんな戯言は笑い飛ばすだろう。溺愛した息子がまさか、あの血を裏切った出来損ないのブラックに縋るなど、と」

「零落した名門、名ばかりのスリザリン派閥ですね。そもそも派閥だなんて、もはや意味など成しません。今ここにいるスリザリン卒業生は、貴方とスネイプ教授のたった二人。過半数なんて、とうの昔に割っていると言うのに」

 

 シリウスおじさんが鼻で笑った。ユークおじさんも笑みを浮かべて肩を竦める。

 ドラコおじさんは、落ち着き払った声で言った。

 

「時代は変わった。寮の垣根は何ら重要ではない。そんなことに、卒業してから思い知らされる。……出身寮は違えど、それでも魔法界に重要なパイプを持っているのは名門旧家のあなた方だ。今は喉から手が出るほど、人脈と情報が欲しい。アストリアを助けるためなら、なんだってする……でも、私の力だけでは足りないんだ。あなた方の力が必要なんだ。頼む、どうか……アストリアを、私の妻を、助けてください」

 

 頭を下げたドラコおじさんに、しんとした空気が部屋を包む。

 沈黙を破ったのは、父だった。指を組むと口を開く。

 

「……さて。何から始めようか。ホグワーツの蔵書は、禁書の棚も含め一通り攫った」

「ブラックの蔵書は古いが、その分ホグワーツよりも曰くのあるものが五万と揃っている。後で確認しておこう」

 

 シリウスおじさんが即座に続いた。

 あまりにも自然に議論が始まる。

 

「新規の論文に関しては、魔法薬学会から取り寄せが可能だ。査読前のものも手に入れられるツテがある。王立図書館は?」

「あそこは『中立不可侵』の領域ですが、アリス・フィスナーに協力を求めるのは容易いでしょう。ベルフェゴールは本の類はあまり取り扱っていませんが、錬金術と心理学は得意分野です」

「魔法省も聖マンゴも『中立不可侵』。思うが、フィスナーの対応領分はどうも広すぎないか? かつてはともかく、今は分家も滅びて直系しか残っちゃいないだろう?」

「だからあそこは激務なんだよ。下手に権限を他所へ譲渡したくはないのだろうね。ただ、ディゴリー家と手を組むことを考えていると言っていた」

「ハッフルパフの名門か。悪くない選択なんじゃないか? 貴族と言うほど肩肘張ってはいないが、魔法大臣輩出家系だし、英国魔法界への忠誠は尽くすだろう」

「兎にも角にも、『中立不可侵』フィスナーと、英国最大手のサリューマン研究所が身内にいるのはやりやすいな。そういやアキ、知ってたか? ライ・シュレディンガー、あそこの局長に就任したらしい」

「聞いた聞いた、あの人なら納得だよ。この会合に彼も呼べば良かったのに」

「呼んだんだが、今日は妹の結婚式ということでオーストラリアだと。申し訳ないと連絡が来ていたよ」

「マジで!?!?」

「国内はわかりました。国外はどうですか?」

「ブラック家がホグワーツの理事であった時代には、他校との交流も多かった。そこから探ってみよう。ヨーロッパ一帯なら、大凡はカバーできる」

「ベルフェゴールも事業は手広くやっています。お望みならばマグルとの接点だって用意できそうです」

「ならばMACUSA──アメリカ合衆国魔法議会あたり、誰か繋がりがあったりはしないか?」

「グリンデルバルドの有事の際に、闇祓い間で多少繋がりがあったとは聞いているよ。だいぶ昔の話ではあるけれど、何人かはまだコンタクトが取れるはずだ」

「よし、ピーター、お前行け」

「えっ私が!?!?」

「オッケー。東洋魔術なら私に任せてくれていい。それじゃあマグルの医学について、何か知見がある者は?」

 

 スコーピウスはぽかんとした顔で、大人たちの議論をただ見つめていた。灰色の瞳が落ち着きなく揺れている。

 

「……ねぇ、ソラ? ひとつ、聞いてもいい?」

 

 スコーピウスの声は、僅かに震えていた。

 

「……母さんは……助かる、かなぁ?」

 

 スコーピウスの問いに答える代わりに、スコーピウスの手に手を重ねる。冷たいその手を、そっと握り込んだ。

 

 アストリアおばさんが助かるかどうかなんて、誰にもわからない。

 未来がどうなるかなんて、誰にもわからない。

 

 ──それでも。

 それでも、さぁ。

 

「きっと、大丈夫だよ」




合縁奇縁……人と人との気心が合うも合わないも、どれも全て不思議な因縁によるものだということ。
生きている者達がわちゃわちゃしている世界です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 ダイアゴン横丁

 ダイアゴン横丁は、今日も今日とて人が多い。お天気だって良いものだから、普段にも増して賑やかだ。

 一方、わたしといえば。

 

「暑い…………」

 

 夏の陽射しにやられては、早々にギブアップして父に背負われている始末。うぅ、情けない。この体力の無さは流石に危機感かも。

 

「お前、そんなんじゃホグワーツでやっていけないぞ」

 

 ヒカルのお小言が耳に痛い。うん、そうだよね、わたしも不安……。

 

「いいな、いいな、ずるいなぁ! リリーもアキにおんぶして欲しい!」

「リリーは本当にいつもいつも元気だよね……」

 

 リリーが、わたしと父の周りをぴょんぴょん飛び跳ねながら訴える。リリーは本当に、わたしの父のことが大好きなようだ。父を見つけたらいつだって「アキ、アキ!」って大はしゃぎで飛びついていく。今日だって、ジニーおばさん譲りの綺麗な赤い髪を、父とお揃いとばかりに一つに括っているし。

 

「せっかくダイアゴン横丁に来たってのに、なんてザマだよ」

「ソラ、大丈夫? お水飲む?」

「うん……ありがとう……」

 

 ジェームズとアルバスが、それぞれ両側からわたしを覗き込んでくる。二人に力なく手を振った。

 

 わたしだって、今日のダイアゴン横丁行きはずっと楽しみにしていたのだ。

 ホグワーツから入学を許可するお手紙が来て、初めて訪れるダイアゴン横丁。ここで魔法の教科書やホグワーツのローブ、魔法薬の材料を買い揃えないといけないし──それに、なんてったって、魔法の杖も!

 

 母とハリーおじさんは、最近特に忙しそうだった。母なんて、日本から帰ってきてからというもの、全然ゆっくりできていないんじゃないかなぁ。どうもついこの間、死喰い人の一斉検挙があったらしく、なんだかちょっとごたついてるみたい。

 

 ちょうど今、クィディッチ世界予選がフランスで開催されている関係で、新聞記者のお仕事をしているジニーおばさんも不在。ごめんねお世話頼むわねとみんなに手を合わせられ、子どもたち全員の面倒を見ることを、父が笑顔で了承したのが昨日の話。

 

 だから今日のお出かけは、ジェームズ、アルバス、リリーのいとこ兄妹と一緒。気心も知れた大好きなみんなと共にウキウキしてお買い物をするのを、楽しみにして……たん、だけど。

 

「教科書は買った、ローブに魔法薬の材料も……となると、あとはソラの杖だけ、なんだけどねぇ」

 

 わたしをベンチに座らせた父は、足元に纏わり付くリリーを抱き上げた。途端、リリーは上機嫌になる。

「アルバスはもう、杖を買ってもらったんだよね?」

 

 父はアルバスに尋ねた。アルバスはこくりと頷いて、懐から杖を取り出し見せてくれる。

 

「この前、ソラたちが日本に行ってる時に、父さんが買ってくれたの」

 

 小さな声ではあったけれど、そこには確かな嬉しさが滲んでいた。

 ……うわぁ、いいなぁ。アルバスはわたしと同い年だから、ちょっと先を越された気分だ。

 

「……じゃあ、父さん、ソラ連れて行ってきなよ」

 

 そう言ったのはヒカルだった。ジェームズたちを見回すと「こいつらは僕が見張っておくからさ」と口にする。やけに殊勝なことを言う、と思わず目を見開いた。

 

「いいのかい、ヒカル?」

「いいも何も、この中で一番しっかりしてるのは僕だろ」

 

「何を! ヒカルだって僕と同い年のくせに、生意気な!」とジェームズがヒカルに突っかかっていく。それを往なしながら「な?」とヒカルは肩を竦めた。

 

「……それに。みんなで行くわけにはいかないでしょ」

 

 ヒカルは、何故かわたしを見ながら父に言う。あー、と父は生温い笑顔を浮かべた後「ありがとねヒカル……とっても助かるなぁ……!」と言ってヒカルの頭を優しく撫でた。

 

「……ヒカル、お父さん、一体何の話をしているの……?」

 

 そんな質問に対し、返ってきたのは「いずれわかるよ」という言葉だった。

 

 ──その言葉の意味を、わたしはすぐに知ることになる。

 

 

 休んでちょっと回復したわたしは、父と並んでダイアゴン横丁を歩いていた。ヒカルにいとこ兄妹を任せてきたから、正真正銘二人っきりだ。

 

「ね、ねぇ、みんなをヒカルに任せて良かったの?」

「なんだ、お兄ちゃんが信用ならない?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

 

 確かに、ヒカルは面倒見がいい。親戚同士で集まる時も、年長側なヒカルは自然とみんなをまとめる側に回っていた。ジェームズと同い年とは思えないわ! と、ジニーおばさんはたびたび口に出してたっけ。

 

「……でも別に、杖買うくらいみんなで行っても良かったんじゃない? 確かに、選んでる間とかはちょっと待たせちゃうかもしれないんだけど……それでも、みんなが目の届く場所にいた方が、お父さんも安心でしょ?」

「まあね。人攫いにでも遭ったら……なんて、考えるだけで胃が痛む気分だよ。それでも多分、現場にいる方が危ないし……だいぶ、皆をびっくりさせちゃうかもしれないし……で、ちょっと仕方ないんだよね……」

「……??」

 

 父の言葉の意味がわからない。わたしが頭上に浮かべる『ハテナ』に、父は苦笑するとわたしの頭をぽんっと撫でた。

 

「まぁ、元はと言えば私のせいさ。ソラとヒカルが私の子だっていう、何よりの証なのかもしれない──さぁ、着いたよ。ここが世界一の杖職人、オリバンダーの店だ」

 

 古めかしい樫の扉を、父はゆっくりと押し開いた。恐る恐る、その後ろに続く。

 

 店の中は薄暗く、そして狭かった。

 いや、狭いんじゃない。杖が入った小箱があまりにも沢山積み上げられていて、それが店を狭く見せているのだ。

 棚はあるけど、もはや入り切れずに溢れ出している。なんだかわたしの本棚を見てる気分だ。

 ……違うの、片付けが苦手なわけじゃないの、でもいつの間にか、本棚がいっぱいになっちゃってて本を入れる隙間がなくなっちゃうの……。

 

「こんにちは。連絡差し上げた、アキ・ポッターですが……」

「──アキ・ポッターさん!」

 

 いきなり、人が目の前に現れた。わたしは小さく悲鳴を上げて、父の腰にしがみつく。

 父は驚く素振りも見せず、普段通りの笑顔を浮かべていた。

 

「あぁ、オリバンダーさん、お元気そうで何よりです。またお会いできて光栄ですよ」

「昔より身体も動かなくなってきましたし、ここ最近はずっと弟子に任せておるのですがね。あなたの子供が杖を求めに来るとなると、やはり私が出るしかないじゃろう……」

 

 優しそうなご老人だった。普段は柔和そうなその顔が、父と話す時はなぜか顰められている。

 と、その目が素早くわたしに向いた。ひぇっと思わず肩を跳ねさせるも、父がわたしの背中を押して、その人──オリバンダーさんに向かい合わせる。

 

「私の長女、ソラ・ポッターです。今日は、この子の杖をお願いしたくって」

「……この子で最後でしょうな?」

「え? あぁ、うん、そうですね、個人的にはもう一人くらいいても良かったかなぁとは思うんですけど──コホン。ハイ、最後の子です。あ、言っておきますが、幣原ほどじゃありませんよ。どうかなぁ、ヒカルとソラを合わせて、私くらいになるのかな……」

「あなたの息子さんも大概でしたよ。あなたや幣原秋さんは、それこそ規格外と呼ぶのです。ホグワーツの戦い後、あなたが二本目の杖を求めに来たことを、今でも悪夢で見ますわい。あれはまさしく災害じゃった」

「今、私が使ってる杖のことを仰っているのなら、これは一応三本目の筈なんですけど……」

「主人に扱われないことほど、杖として哀しむべきことはありません。あれを自分のものとカウントされる杖の方が哀れです」

「おぉう、そうですか……」

 

 オリバンダーさんの言葉は、わたしにはよくわからないけど、とりあえずなんだか謎の凄みがある。

 肩を竦めたオリバンダーさんは、そのまま私に向き直った。

 

「フム、まぁ、いいでしょう──改めて、ソラ・ポッターさん。初めまして、オリバンダーの店へどうぞいらっしゃいました。杖腕はどちらかな?」

「ひ、ぁ、み、右ですっ」

 

 右腕を差し出すと、オリバンダーさんはどこからともなく巻尺を取り出す。わたしの腕のいろんな部分の寸法を測りながら、オリバンダーさんは話し始めた。

 

「オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔力を持ったものを芯に使っております。不死鳥の尾の羽や一角獣のたてがみ、ドラゴンの心臓の琴線等……自分と同じ人間が誰一人としていないように、オリバンダーの杖も一つとして同じものはありません。他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないというわけです。オリバンダーの杖は一生物。家族よりも、恋人よりも、あなたの一番近くに寄り添い続ける代物となります。あなたが杖を選ぶのではなく、杖があなたを選ぶのです。生涯を添い遂げるに相応しい相手かどうか、杖があなたを見極める。おわかりですか?」

 

 ……そう言われると、なんだかドキドキしてきた。

 これからの杖選びがなんだかすごくロマンチックなものに思えてきて、わたしはこっくりと頷く。

 

 オリバンダーさんは静かに微笑んだ後、奥へと引っ込んで行った。しばらくして、いくつかの小箱を抱え戻ってくる。

 

「ソラ・ポッターさん。今から杖選びを始めますが……何が起きても、驚かないでくださいね」

「はい……えっ?」

 

 思わず流れで返事をしてしまったけれど、驚かないでって、一体何?

 オリバンダーさんは父を見た。

 

「アキ・ポッターさん」

「大丈夫、防御魔法は設置済み。何が起きても、この部屋の外に漏れることは決してない」

 

 父はきっぱりと言う。……え、何、今から一体何が始まるの?

 

「大丈夫だよ、ソラ。心配しないで。何があっても、私が君を守るから」

 

 ──いや、いや、お父さん。

 お父さんのそのセリフこそが、わたしにとっては何よりも怖いものなんですけど──!?




空の記憶死の秘宝編にてアキが杖をバキバキに壊したため、諸々落ち着いた後オリバンダーの店に伺ったアキですが、そこでもどったんばったんやらかしたためにオリバンダー老から要注意人物と目されているアキ(と、そのとばっちりを受ける子供達)でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 アビスの使者

「……ふぅ」

 

 僕、ヒカル・ポッターは、アイスクリームパーラーで買ったレモンアイスを舐めながら人心地ついていた。

 

 作戦は上首尾に終わった。

 フレッドおじさんとジョージおじさん、それにロンおじさんが経営しているWWW(ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ)にて、アルバスやリリーが楽しそうに悪戯道具を眺めている中、ちょっとアレな魔法薬の材料を入手するというミッションは、何一つ滞りなく成功した。

 

 そもそも大人が、僕らの父であるアキ・ポッターただ一人であった時点で、この勝ちは既に見えていたとも言える。

 流石に父の目の前で、ちょっと法から半歩くらい浮いてるやつらの受け渡しをするのは気が引けた。というか、間違いなくバレる。他の大人の目は誤魔化せても、父だけは絶対気付く……。

 

 今年ホグワーツに入学する妹、ソラ。ソラの杖を買うために、父はソラを連れて僕らから離れる必要があった。みんなを万が一にも巻き込んでしまわないように、だ。

 

 何の因果か父は、他の魔法使いが束になっても敵わないほどの莫大な魔力をその身に宿している。その血を引く僕らもまた、父ほどではないにせよ、それでも他の子の数倍の魔力を持ってこの世界に生まれてきた。

 

 普通の魔力を持つ子どもでも、杖選びには苦労する。杖から火花が吹き出したり、近くの花瓶が砕けたり。

 これまで何の目的もなくふわふわと漂っていた魔力が、いきなり指向性を持たされたらどうなるか。

 

 ──しかもそれが、他人の数倍の魔力を持つ僕らなら?

 

 ポルターガイストが起こすラップ音なんて生温い。だって実害があるんだもの。

 店を壊さなかっただけ僥倖。本当に何かが『いる』と思ったし「もう杖なんていらない!」なんて叫んだことも憶えてる。杖が決まったときはそりゃあもう、父や母と抱き合って喜んださ……。

 

 ……そんなこんなで、僕らにとっての杖選びは最難関の部類だった。あんな現場、ジェームズはともかくとして(こいつは面白がりそう)、アルバスやリリーを連れて行きたいとは絶対に思わない。

 

 そんな父に対し「みんなを見張っておく」と言えば、父は一も二もなく頷いてくれる。そんな予想は最初から持ってたし、実際その通りになった。

 

「アキ教授に対して、作戦がトントン拍子に決まった気分はどうだよ、我が相棒?」

 

 ソーダフロートのストローを口に咥えたまま、ジェームズはニヤッと笑って僕をつつく。

 行儀悪いぞと嗜めて、夏の空を見上げた。

 

「……悪くはないね」

 

 そもそも、今回の予想はそう難しいものではなかった。だとしても、それでも父を出し抜けたと、なんだか誇らしくもなる。……誰に誇るわけでもないけれど。

 

「アキ? 二人とも、今アキの話してたの?」

 

 僕の父の名前を耳聡く聞きつけ、リリーがベリーサンデー片手に駆け寄ってくる。なんでもないよと言いながら、ジェームズは身を屈めると、アイスでべたべたになった妹の口元を拭ってやった。

 

「ねぇ、アキってばひどいのよ! リリーのこと置いてったもの! きっとあれは『うわき』に違いないわ!」

「はいはい、浮気に違いない違いない」

「もーっ、マジメに聞いてっ!」

「聞いてる聞いてるー」

 

 リリーは不満をジェームズに訴えかけているようだ。レモンアイスの最後のひとかけを口の中に押し込み、ジェームズとリリーから目を逸らす。

 ぐるりと首を回すと、ふとアルバスの姿が目に止まった。空になったアイスの入れ物を両手で持ったまま、ある一点をじっと見つめている。

 

「どうしたの、アルバス」

 

 声をかけると、アルバスはびくりと肩を震わせた。パッと振り返って僕を見ると「あ、ヒカル……」と肩を下ろす。

 

「何見てたの?」

 

 濃い緑の瞳は、ハリーおじさんとお揃いだ。その瞳が向いていた方向を辿ると、そこにはひとりの女性が立っていた。

 

 僅かに青みがかった長く綺麗な銀髪に、抜けるような白い肌。すらりと背が高いから、何処か女優かモデルのようにも見える。

 彼女は、ダイアゴン横丁の案内板を見ながら自分の手帳と睨めっこしているようだ。

 彼女から視線を外すと、アルバスを見る。

 

「あぁいう人が好み?」

「ちっちが、違うから!」

「ジョークだよ……でもお前の初恋、うちの母さんじゃん」

「あ、アクアおばさんは、だって……って、ヒカルには関係ないだろ!」

 

 赤くなったり青くなったり、忙しいやつ。でもアルバスはからかうとすぐに拗ねるので、その辺にしておいてやる。

 ジェームズはいつも、このからかいの加減をミスるんだ。だからいつだって兄弟でケンカしては、ジニーおばさんに大目玉を喰らってる。

 

「だいたいヒカルはズルいよ、人の好きな人はすぐ聞き出すくせに、自分の好きな人は絶対教えてくんないんだから……」

「道にでも迷ってんのかな」

「え? あ、そうみたい……って、ちょっ、ちょっと、ヒカル!」

 

 彼女に歩み寄る僕の後ろを、慌ててヒカルがついてきた。それでも僕より前には出ずに、僕の腰あたりのシャツをぎゅっと握っている。そんなビビリなところはソラとそっくりだ。

 

「こんにちは。お姉さん、もしかして迷子なの?」

 

 背後から声を掛けると、彼女は大きく肩を震わせ振り返った。

 弾みで手に持っていた手帳が落ちる。お金や領収書や手紙も一緒に挟んであったのか、それらも一緒にぶちまけてしまって、辺りは一時騒然となった。

 

「あぁっ、ごめんなさい!」

 

 彼女が叫ぶ。

 僕らは慌てて、彼女のお金や領収書、手紙やらを拾い集めた。その時ふと、書きかけの便箋に書かれた末尾が目に留まる。

 

 

『 愛を込めて ──デルフィーニ・リドル 』

 

 

 ──リドル?

 

 思い出すのは、日本で出会った彼のこと。あの指輪は今もまだ、ソラの首に掛かっているはずだ。

 あれから何度かリドルさんと会話したものの、どこか掴みどころのない男だという印象は拭えない。ソラは、結構懐いているようだったが。人見知りのソラがあんなにすんなりと懐いたのは、結構珍しい。未だにアリスおじさんやスネイプ教授にはビビるくせに。

 

 ……いや、いや、いや。

 

 リドルなんてどこにでもいる苗字だ。首を振って打ち消し、アルバスと共に、拾い集めたものを彼女に手渡した。

 

「ありがとう! ごめんなさいね、とっても助かっちゃった」

 

 彼女は僕らに謝りながら、腰を屈めてにっこりと微笑んだ。

 笑うと、これまでのクールで冷たい印象が崩れて、ぐっと親しみやすくなる。大人っぽく見えたけど、思ったよりは年若そう。ひょっとすると十代後半?

 

「僕らこそ、驚かせちゃってごめん。どこか行きたい場所があるなら、案内するよ」

 

 ダイアゴン横丁には割としょっちゅう出入りするから、道案内だってお手の物だ。そう告げると、彼女はパァッと表情を明るくさせた。

 

「本当に? ありがとう、助かるわ! あの、銀行に行きたいんだけど……」

「グリンゴッツ魔法銀行のこと? それならすぐだよ」

 

「何なに?」と、リリーを肩車したジェームズがこちらに近寄ってくる。彼女を道案内しようと思っている旨を伝えると、リリーが「リリーも行く行く!」と訴えたので、子どもたちみんなで一緒に行くことになってしまった。

 

「なんか、大人数で悪いね」

 

 騒がしいんじゃないだろうか。そう言うと彼女はクスクスと笑う。

 

「大丈夫よ、楽しいわ。こんな経験してこなかったものだから」

「お姉さん、外国の人?」

 

 と、おずおずとそう尋ねたのはアルバスだ。確かに、と思う。英国に住む魔法使いなら、グリンゴッツは馴染み深い場所だろう。

「えぇ」と彼女は笑顔で肯定した。

 

「私、ダームストラングに通っていたの。就職でこっちに越してきたのよ。あなたたちは、ホグワーツの学生さん?」

「そう。そこのちっこいのはまだだけど。こいつは次の九月に入学するんだ」

 

 ぽんとアルバスの肩を叩いた。わぁ、と彼女は親しげに目を細めてアルバスを見る。

 

「そうなんだ! 楽しい学校生活になるといいわね!」

「あっ……うん、ありがと……」

 

 消え入りそうな声でアルバスは呟いた。見れば、耳まで真っ赤にさせて俯いている。

 ……ふーん。これは。

 

「お姉さん! グリンゴッツに着いたよー!」

 

 とそこで、リリーをおんぶしていたジェームズが叫んだ。ジェームズの声に、彼女の注意がそちらへ向く。

 

「連れてきてくれてありがとう。助かっちゃった」

 

 そう言って、彼女は僕らを見るとにっこり笑った。うん、とアルバスは、彼女の顔をまともに見ぬままこっくりと頷く。

 あーあ、これで終わってしまうのかな。そんなことを考えた瞬間、意を決した顔でアルバスは顔を上げた。

 

「……あのっ! お名前っ、聞いても……いいですか……」

 

 最後はどうも尻窄みになってしまったものの、それでもアルバスの勇気に、思わず目を見開いた。

 彼女も目を丸くしていたが、やがて緩やかに微笑むと、アルバスと目線を合わせるよう屈み込む。

 

「……今は、ナイショ。でもね……すぐ、また会えるよ」

 

 そんな謎めいたことを口にして、彼女はそっと片目を瞑った。

 立ち上がっては、手を振りながら軽やかに駆けていく。その姿がグリンゴッツに消えたのを確認して、僕はアルバスの背中を叩いた。

 

「あ、ひ、ヒカル……」

「やるじゃん」

 

 そう言うと、アルバスは頬を染めた。俯いたまま「そうかな……」と小さな声で呟く。

 

「そうだよ。な、ジェームズ?」

 

 ジェームズに振ると、アルバスの肩が小さく跳ねる。この弟は、どうも兄貴に普段から翻弄されている分、ちょっと兄の顔色を窺う節がある。

 ジェームズも、至って真面目な顔で頷いた。

 

「うん、やるもんだよ。しかしまぁ、綺麗な人だったなぁ。ちょっとシリウスおじさんやアクアおばさんに似てるよね」

「は? 似てないけど?」

「えっ? あ、はい……あちらの切り返しが一枚上手だった分、あぁも綺麗に返されると悔しさすらも起きないね」

「……っ、う、うん!」

 

 アルバスの瞳がぱっと輝く。僕らの会話がちんぷんかんぷんなリリーは、終始首を傾げていた。リリーはまだそのままでいてくれ。

 ジェームズに肩車されていたリリーは、ふと伸び上がると手を振った。

 

「あっ、アキー! ソラー! おかえりなさーい!!」

 

 振り返れば、父とソラがリリーに手を振り返しながら、こちらに歩いてきていた。ソラの腕には杖の袋が掛かっている。どうやら無事、杖選びは終わったらしい。

 

「案外早かったな」

 

 僕の時はもう少し掛かった気がする。

 そう言うと、ソラはふるふると頭を振った。僕の肘あたりにしがみつくと「怖かった……」と小さな声で呟く。

 

「あのね、あのね、一回だけ間違えちゃったの……そしたら、窓ガラスが全部吹き飛んでね……? すっごく怖くって、だから、わたし、もう間違えちゃダメだと思って……」

「あー、お前勘良いもんな」

 

 悪い予感となると尚更だ。予言者の才能があるんじゃないかと僕は密かに思っているのだが、ソラ本人は興味なさそうだ。良くも悪くも、本以外への興味が薄い妹だった。

 父はニコニコ笑っている。

 

「いやー、でも驚いたよ。あのオリバンダーさんが、ソラに対しては『あなたなら、杖を何本壊しても私が何度だって面倒見ます!』って熱烈に言うもんだからさぁ。私なんて『もう二度とそのツラ拝みたくないものですね』って超辛辣な言葉を浴びせられたばかりなのに」

「わたし杖壊したりなんてしないもん! オリバンダーさんもお父さんも、すっごく怖いことばっか言うの!」

「まぁ、父さんは規格外だからね……」

 

『名前を呼んではいけないあの人』が全盛期だった闇の時代、闇祓いとして一躍名を馳せた稀代の英雄──幣原秋。

 彼と父が同一人物だというのなら、その規格外も当然だ。

 

「……………………」

 

 幣原秋に纏わる記述がある本は、数少ないながらも実在する。僕も、それらを手に取ったことがある。

 少し読んで、そのまま閉じた。

 自分の父親についての話を、どこの誰かもわからないような奴が聞き齧って綴ったような代物で、仕入れたくはないと思ったし──どうせ聞くなら、父の口から直接教えて欲しかった。

 

 ──いつまで子ども扱いされるのだろう?

 一人前と認めてもらえるのは、一体いつになるのだろう?

 

 父は辺りを見渡すと「みんないるね?」と頷いた。ふと、ジェームズは父に問いかける。

 

「それにしてもアキ教授、よく僕らの居場所がわかったよね。前もって連絡でも寄越してくれればいいのに」

「問題ないよ。ヒカルの靴には発信器が仕込んであるからね。辿ればすぐさ」

 

 普段通りの笑顔を浮かべながら、父はとんでもないことをのたまった。思わずギョッとして靴裏を確かめた僕に、父は「冗談だよ」と言って笑う。

 ……え、いや、本当に?

 

「ハリーとアクアの仕事が、そろそろ終わる頃合いらしい。二人と合流した後、せっかくだから何か美味しいものでも食べたいよね」

 

 父の言葉に、僕以外の全員が歓声を上げた。「ピザがいい!」「小籠包!」「お肉がいい、お肉!」「リリーね、リリーね、ケーキ食べたい!」と、てんでばらばらな要求をする子供達に、父は苦笑を浮かべては「わかったわかった」と頷いてみせる。

 

 連れ立って帰る道すがら、僕は一度立ち止まった。グリンゴッツを振り返る。

 

『でもね……すぐ、また会えるよ』

 

 彼女のあの声の響きは、予想や期待とはまた違った。何かを確信している声だった。

 それは、一体──

 

「ヒカルー? どうしたんだよ、置いてくぞー?」

 

 少し先で、ジェームズが僕を呼んでいる。グリンゴッツから目を切ると、僕は頷いて駆け出した。




ヒカル視点にて、謎の美女の登場回でした。
謎の美女については後ほど。次回はいよいよホグワーツへ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 キングズ・クロス駅

 九月一日。ホグワーツへ出発する日が、いよいよ、とうとう、来てしまった。

 ……来てしまったぁ。

 

「行きたくないよぉぉ……」

 

 これから七年間も、知らない人と共に寮生活をしていく必要があるなんて。

 考えるだけでお腹が痛い。人見知りの自覚はあるのだ。

 新たな環境、新たな出会い、新たな生活。どれもこれもが、わたしの心を重くする。

 

「ソラ、おい、ソラ! 準備できたか?」

 

 おざなりにノックだけしたヒカルは、そのままズカズカとわたしの部屋に入ってきては、わたしが被っている毛布をべりりと引っぺがした。

 まだ引きこもっていたいわたしは、しばしヒカルと毛布を取り合いバトルするも、やっぱりお兄ちゃんには敵わない。

 

 あえなく毛布は取り上げられてしまい、代わりに枕を抱き締める。そんなわたしを見て、ヒカルは肩を竦めた。

 

「お前、昨日まではホグワーツに行くの楽しみにしてたじゃん。なんで今日はそんな落ち込んでるの」

「だって……」

 

 知らない人は怖いのだ。根っこが社交的なヒカルには、わたしの気持ちなんてわかりっこない。

 

「ヒカルはいいよね、ジェームズと同室だもん。寂しくなんないよ」

「お前だって、もしかするとローズと同室になるかもしれないだろ」

「えぇ、ローズと同室は疲れちゃうよぉ、いっつも細かいこと色々言ってくるんだもん」

 

 細かいことも気が付くのは、ローズの良いところでもあるんだけど。

 ヒカルは苦笑すると、わたしのベッドの端に腰掛けた。

 

「そういやソラ、指輪もホグワーツに持ってくの?」

「え? あぁ……」

 

 ヒカルに言われて、わたしは指輪を通したネックレスを首元から引っ張り出した。

 

「持って行こうとは思ってるの。ここに置き去りは、リドルさんが可哀想かなって」

「ふぅん……」

 

 物言いたげに頷いたヒカルは、あ、と呟いてわたしを見た。

 

「ねぇソラ、今ってリドルさんに会える? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「えぇっ、わ、わたしに言われても……」

 

 おどおどしながら指輪を見る。その時、わたし達の会話が聞こえていたのか、リドルさんが音もなく現れた。

 

「やぁ、呼んだかい?」

「リドルさん!」

 

 リドルさんは人の良さそうな笑みを浮かべてヒカルを見る。うん、とヒカルは頷いた。

 

「大したことじゃないんだけどさ。ちょっと気になることがあって」

「構わないさ。僕にわかることならば、なんでも教えてあげようか」

 

 そう微笑んで、リドルさんはそっと指を組むと傾聴の姿勢に入る。

 

「リドルさん。デルフィーニ・リドルって人、親戚にいたりする?」

 

 唐突なヒカルの問いかけに、わたしはぱちぱちと目を瞬かせた。ん? とリドルさんも、一瞬不思議そうな顔をする。

 そんなリドルさんの表情を見て取ったか、ヒカルは僅かに残念そうな顔をした。

 

「あー、まぁ、知らないか。そうだよね、時代が違うもんね」

「うん、そうだね。今の時代から考えて、僕はおよそ七十年前の存在なのだし……そのデルフィーニという人物は、そんなに昔の人ではないのだろう?」

「今年就職だと言ってたから、二十代前半か、ひょっとすると十代かも。そっか……リドルさんでも知らないよね」

 

 ふむ、とリドルさんは口元を手で覆った。

 

「そのデルフィーニという人……名前からして女性かな、彼女は魔女?」

「え? あぁ、うん、多分。この前、ダイアゴン横丁で出会ったんだ」

 

 んー、と唸ったリドルさんは、軽く首を捻ってヒカルを見る。

 

「……僕のこの名は、実際のところ父親から頂いたものでね。リトル・ハングストンという村に住んでいた、裕福なマグルの男だ。彼に兄弟はいなかったし、彼の他の子供も、子孫を作らず皆死んだ。あの家系から突然魔法使いが生まれるとも考えにくいし、彼女がリドル姓の魔女だとしても、僕の親戚では無いと思うよ」

「……そっかぁ」

 

 ヒカルは静かに肩を落とした。

 

「なんか、微妙に、リドルさんに似てなくも無いような、そんな気がしたんだけど……」

「僕に似ている? へぇ? そいつはちょっと興味があるなぁ」

 

 リドルさんは面白そうに笑う。ヒカルはしばらく眉根を寄せていたものの、気を取り直すかのように「ま、いいか」と呟いた。

 

「いいのかい? 僕はヒカルと、もう少しお喋りしていたいのだけど。彼女と僕の類似点を、ヒカルがどう推察したのかも興味あるし」

「悪いんだけど、そろそろ出発の時間だからな。父さんの前に堂々と姿見せるってんなら話は別だけど」

「あ、うん、オッケー、止めとくよ」

 

 爽やかな笑顔と共に、リドルさんは静かに姿を消した。

 まったく、現金な人である。

 

 

 

 

 

 九と四分の三番線を潜り抜けるのは慣れっこだけど、見送りじゃなくて、自分がホグワーツ特急に乗って行くのは初めてだ。

 尻込みするわたしの手を掴み、ヒカルはホグワーツ特急のコンパートメントへと引きずって行った。

 

「やだよぉ、行きたくないよぉ、お母さん……」

 

 半泣きで窓から身を乗り出すと、母は微笑んでわたしの身体を抱きしめてくれた。

 長い銀髪から、ふわりと良い匂いが香る。落ち着く匂いだ。

 

「わたしも、お父さんみたいに毎日おうちに帰っていい?」

「ダーメ。お手紙出すわ。大丈夫、きっと楽しい学校生活になるからね」

 

 母が、わたしの背中を優しく撫でた。うう、と母の肩に自分の頭を擦り付ける。

 

「ホグワーツには、それこそ山のように本があるのよ。ソラはきっと、気に入ると思うの」

「それは、そうかもしれないけど……じゃあ、楽しくなかったら、帰ってきてもいい?」

「その時は、アキや先生の指示を仰ぎなさいね」

 

 頷く代わりに、腕に力を込めた。そんなわたしの背中をヒカルが撫でる。

 

「心配しないで、母さん。ホグワーツには僕も、父さんだっているんだから。ソラのことは任せておいて」

「ヒカルには頼らないもん」

「どうしてそこで強がる?」

 

 しぶしぶ母から身体を離した。母は微笑みを口元に浮かべたまま、乱れたわたしの髪を手櫛で整えてくれる。

 父は、そんなわたしの様子を見ながら口を開いた。

 

「ソラ。学校は君の敵じゃない。君には味方も大勢いる。たとえひとりぼっちになったと思っても、それだけは忘れないでおいて欲しいな」

「……うん」

 

 頷くと父は笑った。時計を見ては「ごめん、もう行かないと」と呟く。

 教職員のコンパートメントは、生徒たちのものより少し離れたところにあった。きっと打ち合わせとか、そういうのが色々あるのだろう。

 

「ヒカル、ソラ、それじゃあ、また学校でね。学校では私のことを『アキ教授』と呼ぶように」

 

 わたしとヒカルを抱きしめながら、父はそう言って悪戯っぽく笑う。そして母に向き直ると、母の身体をぎゅうっと抱きしめた。

 

「行ってきます、アクア」

「もう、アキはいつも帰ってくるでしょ? まったく、ホグワーツと個人の家の暖炉を繋ぐなんて、普通はできないわよ」

「ふふ……権力は正しく使わなきゃね」

 

 名残惜しそうに、父は母から身を離す。とそこで「アキ、アクア!」と声を掛けられ、父は振り返った。

 

「あっ、ハリー!」

「会えて良かった! あぁ、ヒカルにソラも。君たちは流石、時間通りだ」

「アキだーっ! こんにちはっ!」

「こんにちは、リリー」

 

 リリーを肩車したハリーおじさんは、父を見ては満面の笑みで駆け寄ってきた。その後ろにジニーおばさんとアルバスが続く。ジェームズの姿は見当たらないけど、ひょっとしたらもうホグワーツ特急に乗ってしまったのかもしれない。

 

「姿が見えなくてちょっと心配してたよ。ひょっとしたらもう会えないかと思ってた」

「ちょっと駐車に手間取っちゃって……あ、アルバス、早く乗っちゃって。ロンとハーマイオニーには、さっき会えたんだけど」

「ほんと? 私は見てないなぁ。プラットホームもだいぶ広いしね。彼らも元気そうだった?」

「相変わらずさ。いつも喧嘩しては仲直りの繰り返し」

 

 そのときコンパートメントの扉が開いて、アルバスが姿を見せた。アルバスからトランクを受け取ったヒカルは、背伸びをして網棚へと預ける。

 

「ジェームズは?」

 

 ヒカルがアルバスに尋ねるも、アルバスはふるりと首を振った。

 

「どこ行っちゃったのか。ホグワーツ特急には乗り込んだと思うんだけどね。さっきなんて、テディとビクトワールがキスしてたのを見つけたってわざわざ報告しに来てさ」

「あぁ、そりゃあいつらしい。なら、ローズは? ロンおじさんたちと会ったんなら、それこそ一緒にいたんじゃないの?」

「いたはずなんだけど、父さんがアキおじさんを見つけて走ってったから……」

「あら、私をお探しかしら?」

 

 と、コンパートメントにローズが姿を現した。遅れて窓の外にも、ローズの両親であるロンおじさんと、ローズの弟、ヒューゴの手を握ったハーマイオニーおばさんが駆けつけてくる。

 

「アキ、久しぶりね! アクアも昨日ぶり、来れたようで何よりだわ」

「ハーマイオニーこそ。やっぱりお見送りには来たいもの」

 

 ハーマイオニーおばさんを見て、母はにっこりと微笑んだ。

 ロンおじさんはニヤッと笑う。

 

「アクア、マルフォイには会ったかい? さっき向こうで見かけてね。息子、あいつにそっくりじゃないか、え?」

「スコーピウスって言うのよ。父親よりもずっと良い子だわ。仲良くしてあげて頂戴ね」

「君が言うと説得力があるね。さて、僕ら親側の思想はともかくとして、子ども達にも友達を選ぶ権利というものがある──だがロージィ、試験は全科目スコーピウスに勝てよ。お前は母さんの頭を受け継いでるんだからな」

「もう、さっそく反目させちゃダメじゃない!」

 

 大人たちは笑っている。

 父はコンパートメントへ目を向けると、わたしの隣にいるローズに笑みを向けた。ローズはびくっと肩を跳ねさせる。

 

「久しぶりだね、ローズ。君のお父さんはあんなこと言ってるけど、あんまり気にしちゃいけないよ。試験の順位なんて、実際のところ大した意味はないんだから。努力の指標、くらいのものなんだからね」

「ひゃっ……」

 

 顔を真っ赤にさせたローズは、ぴゅうっとわたしの後ろに隠れてしまう。わたしの服の裾をぎゅっと掴んだまま、ローズは「はい……」とそれはそれは小さな返事をした。

 ローズは昔から、わたしの父と相対するとこうなってしまう。照れてるだけなんだろうけど、ちょっと父が可哀想にもなる。

 

 隠れてしまったローズを伺うように眉を下げていた父は、またも「アキ!」と呼びかけられて振り返った。ぱっと顔を明るくさせる。

 

「リーマスにトンクス! 来てたんだね!」

「テッドがどうしてもって言うからさ」

 

 現れたのは、リーマスおじさんとニンファドーラおばさんだ。ニンファドーラおばさんは片目を瞑って、コンパートメントの窓から顔を出しているわたし達にも手を振ってくる。わたし達もにっこり笑った。

 

「ルーピン先生、トンクス! 二人ともお元気そうですね!」

「ありがとうハーマイオニー、すこぶる元気だよ。あぁ良かった、流石に今年は、あの駄犬は来てないね?」

 

 リーマスおじさんの言葉に、ハリーおじさんがクスクスと笑みを溢す。

 

「流石に、ルーピン先生からあれだけ『にっこり』されたらね、シリウスだって怖気付いちゃうって」

「だってまさか、こんな公共の場所に出てくるなんて思いもしなかったんだもの。『私とジェームズの名を冠した子の出征だぞ!! 私が見送らんで何とする!!』って吠えてたし」

「あいつは全く、今も昔も自分の影響力を理解しちゃいないのさ。いくら汚名が雪がれたと言っても、人前にその顔を晒すとなると、混乱は免れないというのに」

「まぁその点に関しては、私にも原因の一端があるというか……」

 

 父は曖昧に笑ってみせた。それを見て、ハリーおじさんは話題を変える。

 

「そういえば、ルーピン先生。テッドは?」

「テッドはウィーズリーのビル一家と一緒でね、ビクトワールの見送りをしたいんだそうだ。卒業したって言うのに、全く下心が隠せてないんだから」

「あの二人が結婚したら素敵なのに! そうしたらテディは本当にあたし達の家族になれるわ!」

 

 リリーがニコニコしながら言うのが微笑ましい。もう既に家族同然の距離感だから、今更な気もするけれど。

 ……でも、ビクトワールとテッドが結婚したら、それはそれは盛大な結婚式になるのだろう。いつも綺麗なビクトワールの花嫁衣装……想像するだけでうっとりしてしまう。

 

 と、そこで発車のベルが鳴った。

「あぁっ、ヤバい!」と叫んだ父は、荷物を引っ掴むと「ごめんねっ、じゃあまたっ!」とだけ言い残しては、長い髪を靡かせ駆け出して行く。

 はーい、とみんなで父の背中に手を振った。

 

「アキはなんか、いつだって慌ただしいね」

「そういうところも彼らしいじゃない? 変わってなくて安心するわ」

 

 ハリーおじさんとジニーおばさんは、そう言って笑い合っていた。

 ガタン、と音を立て、ホグワーツ特急が動き出す。慌ててわたしたちは窓に駆け寄ると、見送りに来てくれたみんなに対して手を振った。

 

「お母さん! お手紙書いてね、絶対だよ!」

 

 母に手を伸ばすと、母は笑って右の小指を立てる。

 母の小指に、小指を絡めた。




いよいよホグワーツへ出発です。
生きてる人たちがわちゃわちゃしてる。空の記憶時空だけの特権ですね。300話ほどの積み重ねの上に今があります。
次回はホグワーツでの道中、コンパートメントでのお話。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 呪いの子

 ──風景が、どんどん遠ざかる。

 わたしたちを乗せたホグワーツ特急は、みるみるうちに速度を上げては、ホグワーツに向かって進み始めた。

 

「ソラ、いつまでも窓から頭を出してちゃ危ないわよ……って、あなた泣いてるの!?」

 

 わたしの肩を掴んだローズは、いきなりボロボロと泣き出したわたしを見て、ギョッとした顔をした。アルバスもびっくりした顔をしている。

 

「だって、だって……」

 

 寮生活への不安と、家族と離れる心細さで、胸がいっぱいになってしまうのだ。

 ホグワーツに馴染めなかったら? 授業についていけなかったら? 友達がひとりも出来なかったら……?

 

 ヒカルはしばらく眉根を寄せて、涙を零すわたしを見ていたが、やがてため息を吐くと「ソラ」とわたしの名を呼んだ。

 

「お前、甘ったれでビビりだもんな。新しい世界に怖がるのもわかるよ。……でも、父さんも言ってたけど、お前には味方がいっぱいいるんだ。ここにいる奴らも、今日見送りに来てくれた人たちも、みんなお前の味方だよ。……それに、何かあったら、絶対に僕が助けてやるから」

 

 あと父さんも、と、ヒカルは思い出したように付け加えては、わたしの涙を少し乱暴に拭う。

 

「ひとりぼっちにはならないよ。お前には『それ』もついてるんだ」

 

 ぁ、と小さく呟いて、わたしはリドルさんの指輪を服越しに握り締めた。

 ……そっか。わたしには、リドルさんも一緒にいてくれるんだ。

 そう思うと、なんだか少しだけ心が軽くなった。

 

 頷くと、ヒカルは安堵したように微笑んだ。

「じゃ、僕は着くまで寝るから」と言ったヒカルは、そのままアイマスクを装着すると腕を組む。

 ヒカルは乗り物に弱いから、きっとホグワーツに到着するまで寝てやり過ごす魂胆だな。

 

「……ヒカルは、そういうことをさらっと言えちゃうから、カッコいいんだよなぁ……」

 

 アルバスは小声でそんなことを呟いていた。

 ローズが頷く。

 

「手のかかる下の子を持つと、上の子はしっかりするって話かしら……あーあ、私もお兄ちゃんが欲しかったな」

「兄なんて、いてもロクなものじゃないよ」

「まぁ、ジェームズはねぇ……」

 

 苦笑したローズは、ふとわたしを見ては話題を変えた。

 

「そういえば、ソラには聞いたことなかったな。ソラって、入りたい寮とかあったりするの?」

「……入りたい寮?」

 

 思わず目を瞬かせる。そんなわたしの反応を見て「ほら」とアルバスは肩を竦めた。

 

「やっぱり。ソラはそういう反応すると思ったんだ。新しい生活や新しい人間関係にはこんなにビビってんのに、寮についての不安だけは、ただの一度もソラの口から出てきたことがないんだから」

「そ、そんなことない……はず」

 

 どうだろ、よくわかんないけど……。

 

「それなら、二人は入りたい寮なんてあるの?」

 

 そんなわたしの問いかけに、アルバスとローズは顔を見合わせた。そのまま二人で話し始める。

 

「……なんで? どうしてあんな能天気でいられるの? 不安で堪らない私たちの方がおかしいみたいじゃない!」

「わかるよローズ、ソラはちょっとズレてるんだよ」

 

 二人の言い草に、なんだかちょっとムッとする。

 

「でも、寮なんてどうでも良くない? 大事なのはその後、決まった寮にどれだけ馴染めるかであって、たとえどの寮に入ったとしても、寮自体に当たり外れはないでしょう?」

「そう考えられるソラは幸運なんだよ。ある意味マグル生まれみたいだよね。何にも知らないから、素直に身を委ねていられるんだ」

 

 アルバスが皮肉っぽく笑ってみせた。

 それを見て黙っていられるほど、わたしは気が長くはない。

 

「じゃあ、アルバスは寮の善し悪しを知ってるってわけ? 闇の陣営の配下だった人たちはスリザリン出身者が多いから、スリザリンは悪い人たちの巣窟だって思ってんの? それこそ、何も知らない人の言い草じゃない。それじゃあ一体、わたしのお母さんは何だって言うの。スネイプ教授の名前を継いだあなたが、どうしてそんなことを口にするの? ……あっ」

 

 思わずヒートアップしてしまった。そのことに気が付いて、慌てて口をつぐむ。

 

「ごめんなさい……揉めたかったわけじゃないの」

 

 アルバスは物言いたげにわたしを見ては、そのまま俯いてしまった。

 

「……僕は、ただ……スリザリンは勇敢な者が行く寮じゃないって……ジェームズが、僕を脅かすから……」

 

 その時、背後から声がした。

 

「仕方ないよ、ソラ。だって彼は、かの有名なハリー・ポッターの息子なんだ。それも一番似ていると評判の、ね」

 

 スコーピウス・マルフォイは、そう言って諦めたように微笑んだ。

 

「……スコーピウス……」

 

 席を探していたのだろうか、彼の足元にはトランクがある。ローズとアルバスが、ハッとした表情でスコーピウスの顔を見た。

 スコーピウスは、わたしにちらりと目を遣っては口を開く。

 

「闇の魔術へ傾倒した者が、スリザリンから多く輩出された。それは否定できない事実だよ、ソラ。多かれ少なかれ、スリザリンに組み分けされた者は闇の魔術に適性があるし……闇の帝王、ヴォルデモートの手先として動いていた『死喰い人』は、その半数がスリザリン卒業生だ。そう──僕の父親も含めてね」

 

 乾いた声で、スコーピウスは笑った。ローズがぎゅっと顔を顰める。

 

「あなたのママも、じゃないの?」

 

 口元に笑みを浮かべたまま、スコーピウスはローズを見据えた。しかしその目は一切笑っていない。

 

「そうか、君は、あの噂を知ってるんだね。……あんなの、ただの噂で、戯言なのに」

「何の噂?」

 

 好奇心に駆られたアルバスが尋ねる。スコーピウスは、次はアルバスへと向き直った。

 

「僕の両親には子供が出来なかった、そういう『うわさ』だよ。その噂では、父も祖父も、マルフォイ家の血筋を絶やさないようにと、強い後継ぎが欲しくて必死だったのさ」

「や、やめて、スコーピウス」

 

 そんなの、ただの根も歯もない噂だ。父も母もユークおじさんも、わたしの知る大人の誰もが皆、バカげた妄言だって思ってる。

 それなのに、スコーピウスが、あなた自身が、それを自虐するの?

 

「いいんだ。わかっていたよ、ソラ。さっき父上も話していた。ハリー・ポッターとジニー・ウィーズリーの息子、アルバス・セブルス・ポッター。それに、ロン・ウィーズリーとハーマイオニー・グレンジャーの娘、ローズ・グレンジャー-ウィーズリー。彼らと僕は、きっとどう足掻いても友人にはなれないだろうってね。あぁ、きっと、君達は、勇気ある者が集う寮、グリフィンドールに入るのだろうし、僕もきっと間違いなく、スリザリンへ組み分けられることだろう。父親たちと同じように、僕らも憎み合うことになる。それが、定められた僕らの運命ってものだよ、ソラ」

 

 スコーピウスはそう言うと、舞台役者のように大袈裟に両手を広げてみせた。

 

「僕の父と祖父は、強い世継ぎが欲しかった。だから二人は『逆転時計(タイムターナー)』を使ったんだ。僕の母を過去に送って……そして、闇の帝王と出会わせ……そこで生まれた子供というのが、この僕、スコーピウス・マルフォイってやつだと──そういう、噂話さ」

 

 重たい沈黙が、痛いほど場を支配する。

 スコーピウスは静かに笑った。そのまま踵を返し、コンパートメントから出て行こうとする。

 あ、と、思わずスコーピウスに手を伸ばした。

 

 ──違う、違う、違うのに。

 

 過去の罪は、確かに罪なのかもしれない。

 でも、今のわたしたちが、いつまでもそんなことに囚われていてはいけないでしょ。

 スリザリン出身者が、みんな悪い人のように──そんなことを言うのは、間違ってるでしょ。

 

 スリザリンとグリフィンドールは、どう頑張っても手を取り合えないの?

 それが、運命だとでも言うの?

 

 でも、わたしの手は届かなかった。

 スコーピウスの腕を掴んで引き留めたのは、誰あろう、ヒカルの腕だった。

 

「へっ? えっ、あっ、ヒカル……わぁぁあっっ!?」

 

 アイマスクを押し上げ、不機嫌そうな仏頂面を晒したヒカルは、そのままスコーピウスの腕を引っ張ると、自分の腕の中に囲い込む。

 ヒカルの膝に無理矢理座らされたスコーピウスは、何が起きたかわからないとでも言いたげに、目を白黒とさせていた。

 

「うるさい」

 

 ヒカルの低い声に、思わず肩を跳ねさせる。

 

「……マルフォイ家の血を絶やしたくなかったってんなら、母親じゃなくて父親が過去に行くべきだろ。そもそも『逆転時計(タイムターナー)』は、かつての神秘部での戦いで全て破壊されている。手に入れたくても、土台無理な代物なんだ」

 

 眉を寄せたヒカルは、そのまま狭いコンパートメントをぐるりと見回した。アルバスとローズはパッと目を伏せる。

 

「まだ、寮に組み分けられてもいないのに。噂で判断してんなよ、その実情はお前らの目と耳で確かめろ」

 

 先ほどとはまた違った種類の静寂が、コンパートメントを包み込んだ。

 打ち破ったのは、新たな声で。

 

「──へー、イイこと言うじゃん、ヒカル坊?」

 

 コンパートメントの扉を開けた彼女は、わたしたちを笑顔で見渡した。目を見開いたわたしは、思わず立ち上がると彼女に駆け寄っていく。

 

「ナイト!」

 

 レイブンクローのローブを纏ったナイト・フィスナーは、わたしを見ては「ソラー! 今年入学だもんね、おめでとー!」とにっこり笑い、身を屈めてわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

 父の友人、アリスおじさんの娘──正確には遠縁の親戚を養子として引き取ったらしい──ナイト・フィスナーは、密かにわたしの憧れだった。

 金の長い髪に青い瞳は、まるで御伽噺に出てくるお姫様みたい。それでも明るい表情やスッキリとした性格は、そのお姫様みたいな外見を良い意味で裏切ってくる。

 わたしより六つも歳上で、面倒見が良くて優しくて、ほんと、ナイトがお姉ちゃんだったらいいのになぁ。

 

「ナイト、一体どうしたの?」

「どうしたもないよ。あたしは監督生だからね、コンパートメントの見回りも大事な仕事なの。あっ、初めましての子もいるね。あたし、ナイト・フィスナーって言うの。見ての通りレイブンクローの監督生兼首席です。どうどう、レイブンクローに入らない? 歓迎するぜ?」

 

 ナイトがアルバスとローズに握手を求めた。二人はちょっとはにかみながら、それぞれ「アルバス・ポッターです」「ローズ・グレンジャー-ウィーズリーよ」と挨拶を返す。

 

「あぁ、君がロン・ウィーズリーの子供だね? 先日の全英チェス選手権は素晴らしかった……うちの養父が見嵌ってたよ。次の活躍にも期待してる、だってさ」

「あ、あの、私、チェスには詳しくなくって」

 

 ローズはパッと頬を染めた。あぁごめんね、とナイトは両手を振って見せる。

 

「いいんだ、君のお父上はあんまり自分の戦績に興味がない人だからね。ひけらかさないのは、君のお父上の美徳でもある。でもローズ、君のお父上はなかなか凄いプレイヤーなんだぜ? ……ふふ、一年生はちっちゃくて可愛いなぁ。初々しいって言うの? それに比べて坊はさぁ、もう三年生だからって、すっかり可愛げもなくなっちゃって。あ、背丈は一年生に埋もれちゃうくらいちっちゃかったかな〜?」

「坊って言うな。見てろよ、いつか必ずアンタの背も抜かしてやるからな」

 

 ヒカルは半眼でナイトを睨んだ。おーおーとナイトは楽しげに、ヒカルの顔を覗き込む。

 

「可愛い顔で睨んだって怖くないね。拗ねてんのかい? ソラみたいに頭でも撫でてあげようか?」

「やめろって……そういや、さっきプラットホームでアンタの姿を見かけたんだけど、アリスおじさんは見送りには来なかったの?」

 

 ヒカルがナイトに尋ねる。いつの間に。わたしも外は見てたけど、人が多くてナイトの姿を見つけられなかったんだ。

 ナイトは楽しそうにケラケラと笑った。

 

「目敏いねー、アンタ、アリス・フィスナーのこと大好きだもんね。でもうちの養父があたしを見送りに来てくれるなんてそうそうないよ? 夏休みもなかなか帰って来なかったし、おかげさまであたしは超自由な夏休みを過ごせましたが。って、しょっちゅう夕飯に呼んでくれたんだもん、そのくらい知ってるか」

「知ってる……アリスおじさん以上に忙しい人なんて、そういないって」

 

 ヒカルはそう言うと、眉を寄せて立ち上がった。スコーピウスを空いた座席に座らせると、そのままふらふらとコンパートメントから出て行こうとする。

 

「ヒカル、大丈夫?」

「ダメかも。ちょっと風に当たってくる」

「教授からもらった薬は?」

「持ってる」

 

 そう言って、ヒカルはそのまま歩いて行った。

 

「付いてこうかー?」

 

 ナイトの声に、ヒカルは気にしないでと言わんばかりにひらひらと手を振る。

 あらまとナイトは腰に手を当てヒカルの背中を眺めていたが、やがて笑みを浮かべては、わたし達を見渡した。

 

「……さて、一年生ちゃんたち。各々、寮への好き嫌いがあるのは仕方ない。でもさ、案外入ってしまえば、愛着だって湧くものよ。どの寮にも良いところはあって、どの寮にも欠点はある。人間関係とおんなじさ。君達が入ることになる寮が、住めば都となるように祈ってるよ」




ハリポタ本編から19年経った「呪いの子」軸でも寮の差別は全開なのかと思うと気が遠のく気分になりますが、せめて空の追憶では少しでもその空気感を解いて行きたいですね……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 ホグワーツ魔法魔術学校

 陽がすっかり落ち切った頃、ホグワーツ特急がホグワーツへと到着した。ここから先は、新入生と在校生とで別々の移動となる。

 

「ヒカルは、いつだって勝手なんだ」

 

 ヒカルの膝からやっと解放されたスコーピウスは、ぶつぶつと小声で文句を言っていた。

 長い道中のほとんどの時間ぐっすり眠るヒカルの抱き枕にされていたんだもの、その反応は当然とも言える。

 ローズとアルバスは、この人混みで姿を見失ってしまった。外は暗いし、みんな真っ黒の制服を纏っているから、誰が誰かの判別だって覚束なくなる。

 

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」

 

 その時聞き覚えのある声がした。ぁ、と目を見開いては、スコーピウスの腕を掴み声がした方へ寄っていく。

 

「ハグリッド!」

 

 わたしの呼び声に、ハグリッドが目を向けた。キラキラした瞳が、わたしを見てきゅっと細まる。

 

「ソラ! ソラじゃねぇか! ホグワーツへようこそ。元気してたか?」

「うん、元気だよ。あのね、アルバスとローズもいたんだけど、ちょっとはぐれちゃったの」

「後で会えるさ、え? そんでこっちは……おっ、マルフォイんとこの小倅じゃねぇか。お前さん、親父さんにそっくりだなぁ」

 

 にっこりと笑ったハグリッドは、そのまま視線をスコーピウスに移した。スコーピウスの肩がびくっと跳ねる。

 

「あのね、スコーピウス。この人はね、ホグワーツの森と領地の番人のハグリッドって言うんだよ。ホグワーツのことは、ハグリッドがなんでも知ってるの」

「知ってる……ルビウス・ハグリッド……」

 

 俯いたスコーピウスは、小さな声で呟いた。

 

「父は、問題児だったと聞いています」

 

 その言葉に、ハグリッドの眉が寄る。

 スコーピウスは続けた。

 

「あなたの出自を嘲った。あなたを停職に陥れた。他にも沢山の酷いことを、父は、あなたに……だから、僕は謝らないといけないと、思って……」

「確かに、お前さんの父親は問題児で厄介もんだった」

 

 ハグリッドがぴしゃりと言う。スコーピウスは身体を震わせた。

 

「……だが、そいつぁもう水に流したことだ。きちんと謝罪も受けたしな。たとえ血の繋がった親子だからといって、父親の罪を、子供が背負う必要はねぇ……さぁ、行け! 遅れっちまうぞ」

 

 そう言って、ハグリッドはスコーピウスの背中を豪快に叩いた。衝撃に、スコーピウスはつんのめる。

 

 ホグワーツ城までは湖をボートで突っ切るらしい。船首を杖でコンと叩くと、ボートはひとりでにするすると前へ進み始めた。

 

「……みんな、意味がわからない」

 

 スコーピウスは立てた膝に顔を埋めている。湖を覗き込んでいたわたしは、その声に振り返った。

 

「……水に流すなんて、そんなこと、できっこないじゃない……お人好しにも程がある。ドラコ・マルフォイの息子として、僕は……わぁっ!?」

 

 わたしは湖の水を掬うとスコーピウスにえいやっと掛けた。悲鳴を上げたスコーピウスは、尻餅をついて目を白黒とさせている。

 

「わたし、さっきまでホグワーツに行くのすっごく怖かったんだけどさ。自分よりもビビってる人を見ると、なんだか落ち着いてくるものだね」

「ビビって……僕、ビビってなんかないやい」

「ビビってるってば」

「うるさいな……それより、どうして君が、ホグワーツを怖がるのさ。だって君は、あのアキ・ポッターの娘だろ? 今のルビウス・ハグリッドだって、アルバス・ポッターやローズ・グレンジャー-ウィーズリーも……いろんな人が君を知っているのに」

「それは、わたしのお父さんの顔が広いから、なんだよ。わたしの力じゃないもの」

 

 よくわからないと言いたげにスコーピウスはぱちぱちと目を瞬かせた。だからね、とわたしは身を正す。

 

「これまでのお友達、アルバスやローズやナイトも、そしてスコーピウス、あなたとも、わたしが『アキ・ポッターの娘』だから出会えた人たちばかりなんだよ。……でも、これからは違う。わたしはただの『ソラ・ポッター』として、これからやっていかないといけないの」

 

 わたしの父も、母も、二人ともが名の知れた人たちだ。

 ホグワーツの副校長にして呪文学教授である我が父と。純血の旧家、ベルフェゴールの直系であり今も闇祓いとして第一線で働く我が母。

 

 両親が凄い人なのは、娘として誇らしい。

 それでも、だからこそ、けじめは付けなくてはならない。

 両親にいつまでも、おんぶにだっこじゃいられないでしょう?

 

 スコーピウスはしばらく黙っていた。やがて小さな声で呟く。

 

「ソラは、恵まれている。そういう考えができるだけ幸せだ。この世界には、自分を自分として見てもらえずに苦しんでる人が沢山いる。家名や生まれ、血筋や育った環境で、他人を判断する人は大勢いるんだ」

 

 スコーピウスは寂しげだった。その横顔に尋ねかける。

 

「でも、スコーピウスは違うでしょう?」

 

 きょとんとスコーピウスは顔を上げた。わたしはそのまま大きく両手を広げてみせる。

 

「スコーピウスは、わたしのことが好きでしょ? それは、わたしがアキ・ポッターの娘だからとか、アクアマリン・ベルフェゴールの娘だからとか、そんなもの全然関係ないでしょ? わたしもスコーピウスのことが好きだよ。アストリアおばさんが良くなるよう、懸命に努めてる優しいスコーピウスのことが好き。アストリアおばさんのことも大好き。ドラコおじさんも……ちょっと怖いけど、でもいつも優しくて丁寧だから、好きなんだ。……それじゃ、ダメ?」

 

 スコーピウスは、唖然とした顔でただわたしを見つめている。恥ずかしさに耐え切れなくなって両手を下ろした。

 

「あの……せめて、何か反応してほしいなって……」

「あっ……ごめん。ド直球すぎて、何を言えばいいのか……なんだろうな、まぁ、ソラらしいというか、何と言うか……」

 

 呆れたようにスコーピウスは笑う。思わず頬を膨らませた。

 

「何よ……脳内お花畑だって言いたいの? 自覚はちょっとあるよ」

「あるんだ? てっきり天然かと思ってた」

「そりゃ、当然あるよぉ……」

 

 この世界は、勧善懲悪ばかりで成り立ってはいない。

 現実は物語ほど上手くは行かない、なんて人は言うけれど。物語だって、全てが丸く収まるものばかりではないのだ。

 

 事件が起こればどこかに角が立つ。登場人物たちは自分ができる範囲のことしかできない。大局を見ることができるのは読者であるわたし達だけで、物語の登場人物はただ、運命に翻弄され続ける。

 それでも懸命に足掻くのだ。

 

 スコーピウスは肩を竦めた。

 

「まぁ、ソラの頭が花畑ってことはともかくとして」

 

 ……しないでよ。

 

「そんな花畑が増えてけば、もっといい世界になりそうだとは……僕も思う」

 

 そっぽを向いたスコーピウスは、そう言って照れたようにはにかんだ。

 

 

 

 

 

 湖を渡ると、わたし達新入生は広い部屋へと集められた。階段の先には大きな扉があり、おそらく大広間へと繋がっているのだろう。

 

 これから起こることへの不安と緊張で、空気はなんだかはち切れそうだ。アルバスとローズの姿を見つけて、わたしは急いで駆け寄った。もちろんスコーピウスも一緒に。

 アルバスとローズはわたしの姿を見て揃ってホッとした顔をした。

 

「ソラ! 良かったぁ。探してたんだけど見つかんなくって。あなた、ちっちゃいから人に埋もれちゃうのよね」

「心配かけてごめんなさい、ローズ。でも、スコーピウスがいてくれたから。ね?」

 

 スコーピウスを振り返る。未だぎこちないまでも、スコーピウスはおずおずと笑みを浮かべた。アルバスとローズも、先程のように一線を引こうとはせず、スコーピウスを見返している。

 

 アルバスが一歩、スコーピウスに進み出た。

 

「さっきはごめん。その……僕、アルバス・ポッター。えっと……君さえ良ければ、アルバスと……呼んでくれないかな?」

 

 スコーピウスはホッとした顔をした。アルバスが差し出した手をそっと握る。

 

「ありがとう……よろしく、アルバス」

 

 ローズは相変わらず警戒した面持ちだ。そんなローズにスコーピウスが眉を下げた瞬間、背後から声が投げかけられた。

 

「ポッターの家の子だ」

 

 はっと思わず息を呑む。振り返るも、誰の声だったかはわからない。

 ただそのざわめきが、波紋のように部屋中へ広がっていく。

 

「かの英雄、ハリー・ポッターの息子だよ」

「ポッターの子が同級生だ」

「あの人と同じ髪だ。そっくり同じ髪だ」

 

 ひそひそとした囁き声は、好奇心と興味に満ちていた。

 幾つかの声は、スコーピウスにも向いていて。

 

「ほら、彼が『例のあの人』の……」

「悪名高いマルフォイ家の御子息様だ」

「親も親なら、子も子よね」

 

 アルバスとスコーピウスは、そっと視線を交わし合っては目を伏せた。

 何か二人に言おうと口を開いた、瞬間──

 

「……ぁっ」

 

 ローズが小さく悲鳴を上げて、わたしの腕をぎゅっと掴んだ。

 

 ざわめきが、魔法のようにぴたりと止まる。

 よくよく見知った気配に、わたしは慌てて振り返った。

 

「──はじめまして、新入生諸君」

 

 穏やかな声に、ブーツの靴音が合わさる。

 漆黒のローブに、群青の裏地が翻った。背中で揺れる長い黒髪に、思わず目が奪われる。

 

 わたしたち新入生の中を突っ切り、階段の半ばごろで立ち止まった父は──

 

「私はアキ・ポッター。呪文学の教師であり、そしてここ、ホグワーツ魔法魔術学校の副校長だ」

 

 ──アキ・ポッターは、わたし達を振り返った。

 温和な顔に深い微笑を浮かべ、高らかに声を響かせる。

 

「入学おめでとう、諸君。ようこそホグワーツへ。我々は、君達を歓迎しよう!」




前作主人公のカッコいいとこ見てみたい!
アキの口上は空の記憶死の秘宝編『第8話 刈安色の新学期』と被せています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 花一匁

「あっいたいた。なぁヒカル、ジョーダンからタランチュラ貰ったんだけどさ、こいつ寮の部屋で飼ってもいいかな」

 

 大広間のグリフィンドール寮テーブルで、僕、ヒカル・ポッターの隣に座ってきたジェームズ・シリウス・ポッターは、開口一番そう言った。

 

 夏休みが明け、久しぶりに級友と出会えたこともあって、辺りはどこも賑やかだ。加えてこれから行われる組み分けの儀。

 一番の注目株は、やはり『あの』ハリー・ポッターの息子、アルバス・セブルス・ポッターだろう。うちが獲ると半ば確信しているグリフィンドールは、そりゃあもうざわめきが段違いだった。監督生達はアルバスが座る椅子まで用意している始末だ。

 

 弟がこれだけ注目されているというのに、相変わらずジェームズは通常運転だった。思わず半眼でジェームズを睨むと、ジェームズはビビったように身を震わせ、タランチュラが入ったカゴをそっと僕から遠ざける。

 

「や、やっぱ寮だと、飼うのは流石に難しい、かなー……?」

「談話室はまだいいけど、部屋に入れたら絶交するから」

「うん、ごめん……」

 

 ガクガクとジェームズは頷いている。

 はぁ、とため息をついた。

 

「お前、噂の中心にいるのが自分の弟だってのに、よくそんな能天気でいられるな。『スリザリンに入ったら二度と口利かない』とかアルバスに吹き込んだんだろ。可哀想に、あいつ怯えてたぞ」

「ジョークだよ、ジョーク……う、ごめんって、確かにからかい過ぎたよ、僕が悪かった」

 

 両手を上げたジェームズは「でもさ?」と苦笑いで肩を竦める。

 

「アルバスがスリザリンに入るなんてありえないって、ヒカルもそう思うだろ? だって僕の弟だぜ? 僕らの父さんは、かつて組み分け帽子からグリフィンドールの剣を取り出した生粋のグリフィンドール生だし、母さんだって何代遡ってもグリフィンドールばかりなウィーズリー家の出身だ。あいつがグリフィンドール以外に組み分けられるなんて、万に一つも考えられないよ」

「……まぁ、そうかもしれないけど……」

 

 そう言われれば認めるしかない。

 

「それよか、ヒカルはソラのことを心配した方がよくない? あんな人見知りで、これからやっていけるのかね」

 

 アルバスのことはこれでおしまい、とばかりにジェームズは話題をソラに変えた。

 

「やってけるも何も、やってくしかないんだから。いつまでも僕らにべったりじゃどうしようもないだろ」

 

 少し冷たい言い方になったものの、これは本音だ。ただ守ってやることはソラのためにはならない。これまでロクな苦労も知らずのほほんと育ったお気楽娘だ、少しは揉まれてくればいい。

 

「とか言っちゃってー、本当は可愛い妹のことが心配なクセにぃっ、このこのっ」

「は??」

 

 今度は真顔で見返してやった。ぴくんとジェームズは、僕を見ては動きを止める。

 

 母譲りのこの顔は、どうやら微笑みを浮かべていないとすこぶる怖いものらしい。怒ってないのに「怒ってる……?」と恐る恐る尋ねられることもしょっちゅうだ。常日頃ニコニコしていると軽薄っぽく感じられて嫌なんだけど、誤解されて機嫌を窺われるのも気分が悪い。

 

 だから普段は穏やかな微笑みを貼り付けているものの、こういう時は相手が即座に青ざめてくれるから便利だ。僕らの正面に座っていた女子生徒がビクッと肩を震わせたことについては、申し訳ないとは思うけど。

 

 ジェームズはプルプル震えている。肘でぐいと小突けば、ジェームズは「ブハッ」と詰めていた息を吐き出した。

 

「ヒカルの真顔、久しぶりに間近で見るとやっぱクるなぁ……」

「バカなこと言ってんなよ。……おい、来たぞ」

 

 大広間前方の扉が開かれた。新入生の入場を、僕らは拍手で出迎える。

 ついついソラの姿を探したものの、あいつは一年生の中でも埋もれるほどにちびだから、パッと見で見つけるのは至難の技だ。

 

 ……父も母も小柄なんだよな。ユークおじさんも大きい方じゃないし、高望みはしないまでも、せめて平均……いや、男の価値は身長ではない……でもアリスおじさんもシリウスおじさんも上背はあるし……。

 

 そうこうしているうちに組み分けが始まった。副校長である父に名前を読み上げられた生徒が、一人ずつ帽子を被っていく。

 

 帽子が寮の名を呼ぶごとに、呼ばれた寮の生徒は高らかに、そうでない寮の生徒も入学おめでとうの気持ちを込め、暖かに手を叩くのが習わしだ。

 

 ローズとスコーピウスは、それぞれグリフィンドールとスリザリンに組み分けられる。

 順当というべきか、予想通りの結果に頬杖を付きながら眺めていると、父がソラの名を呼んだ。

 

「は、ぅ、ぁいっ」

 

 情けない声が聞こえてくる。

 緊張故か覚束ない足取りのソラは、父に促され椅子に座った。被せられた帽子は、大きすぎてソラの肩までもをすっぽり覆い隠している。

 

「なぁ、ヒカル。お前は、ソラがどの寮に入ると思ってんの?」

 

 ジェームズが尋ねかけてきた。

 

「それ聞いて、何の意味あんの? あとちょっと待ってりゃ結果出るのに」

「単純な興味だよ。ヒカルの思考のクセを知りたい」

 

 そう言ってジェームズはにやりと笑いかける。あっそ、と肩を竦めた。

 

「まず、レイブンクローとスリザリンは無いだろ」

「なんで? 君らの父さんと母さんの出身寮じゃん。ソラは本好きだし、レイブンクローもあり得そうだけど?」

「お前らんとこは家柄もありそうだけど、うちはそういうのないからな。母さんは確かにベルフェゴールでスリザリンの出身だが、あの性格はグリフィンドール寄りだろ。そこんとこ、ちょっとシリウスおじさんと似てる」

 

 シリウスおじさんも、代々スリザリンの家系だったところをただひとりグリフィンドールに放り込まれたと聞く。由緒正しいブラック家の直系長子がグリフィンドールとは、さぞや面白い組分けとなったことだろう。

 

「まぁ、スリザリンは無さそうだとは思うよ。だってソラ、野心のカケラも見当たらないんだもの」

「あいつは和を尊ぶし、何より揉め事を嫌うからな。そしてソラは本は好きでも、未知のものに対する探究心は持っちゃいない。あいつは書痴だが、好むのはもっぱら空想小説(ファンタジー)だし、SF(サイエンスフィクション)も理論的な部分は読み飛ばして感情を掬い楽しむタイプだ。父さんのように理詰めで相手を叩き潰して楽しむ人でもないしな」

「いや、アキ教授も理詰めで相手を叩き潰して楽しむ人じゃないだろう……?」

 

 何故かジェームズが引いていた。さぁどうだろうかと首を傾げる。

 

 忌憚なき意見を息子から言わせてもらうとすれば、父を始め、ユークおじさんやアリスおじさんらレイブンクロー出身者は、裁判の資料集めや根回し等をしているとき、とても生き生きしているように見える。

 どんな相手であろうと手を抜かない、なんて聞こえは良いが、極上の笑みを浮かべながら相手の(メンタル)を撲殺する手段を論ずる父たちは、味方でいれば心強いものの、敵には絶対に回したくない相手だ。

 

 ちなみに、その裁判──シリウス・ブラックの汚名を返上し、ブラック家の名誉を挽回する裁判──は、当然ながら父達が勝利を収め、賠償金をがっぽりと手に入れていた。

 ついでに言えば、そんな賠償金もブラック家にとってみればはした金だったようで、シリウスおじさんはぱぁっと豪勢なパーティーを開いた後、子供達にも箒や貴重な薬草、本などを買い与えてくれた。

 

 ともあれ。

 

「……ま、そんなわけでスリザリンとレイブンクローはないだろ。とすると残っているのはグリフィンドールかハッフルパフだけど、僕の意見としてはグ「ハッフルパフ!!」……」

 

 組み分け帽子に声を被せられた。

 わぁっと隣のテーブルが湧く。ジェームズは半笑いのまま僕を見たあと、壇上を見ては拍手をした。

 

 組み分け帽子を父に返したソラは、慌てた様子でハッフルパフのテーブルへと駆け寄って行く。

 途中で僕と目が合ったソラは、えへへとよくわからない笑みを浮かべていた。とりあえず安心させるように頷いてやると、ソラの顔がぱぁっと明るくなる。ついでに気も緩んだか、長椅子の足に蹴躓いてそのまま転んだ。慌てた声がそこかしこで上がる。

 

 ハッフルパフの監督生がソラを助け起こしたのを見て、僕は上げかけた腰を静かに下ろした。はは、とジェームズは生暖かい目で僕を眺めていたが「ま、ソラはなんとかやっていけるよ、安心しろって」と僕の肩をポンと叩く。

 

「は? 別に心配なんてしてない」

「そっかー、ヒカルが言うなら、そうだよなー」

「…………」

 

 知ったような顔をされるのはムカつくが、ここで怒っても仕方ない。

 

 壇上を見れば、今はアルバスが組み分け帽子を被っていた。少し時間が掛かっているようで、グリフィンドールのテーブルは、今か今かとそわそわしている。

 

「……結構、長いな?」

「帽子とお喋りでもしてんじゃね」

 

 ならいいんだけど、と呟いて目を細めた。その時、帽子がやっと重たい口をこじ開ける。

 

 

「────スリザリン!!」

 

 

 その声に、大広間にいた全員が動きを止めた。

 

 グリフィンドールは帽子が叫んだ寮が期待と違ったことに衝撃を受けていたし、無関心を貫いていたスリザリンは、いきなり名前が出てきて困惑している。

 

 誰もが、呆気に取られていた。

 凍えるような沈黙を一番痛いと感じているのは、恐らく当のアルバスだ。

 

 ──拍手を

 

 回らぬ頭でただ思う。

 

 ──拍手をしろよ、スリザリン生!

 ──英雄の息子を獲得したのはうちなのだと、頼むからそう、誇ってくれ。

 

 でないと、アルバスはどうなる。

 ずっと申し訳なさに身を縮め、苦しい思いで七年間を過ごすことになってしまう。

 

 聞こえた能天気な拍手に、はっと目を向けた。

 凍りつく世界の中、ただひとり、ハッフルパフのテーブルに付いたソラは、明るい顔で無邪気に手を叩いていた。

 

 あの能天気なお気楽娘は、それからやっと周囲の空気に気が付いたのだろう。あれ? という顔をして、そっと辺りを窺おうとする。

 

 その拍手を、隣にいた監督生が引き継いだ。彼が周囲に目を遣ると、ハッフルパフ生はハッと我に返った顔をする。

 一歩遅れて、レイブンクローが続いた。

 

 まばらな拍手の中を、青ざめた顔でアルバスが歩く。勿論、スリザリンのテーブルに向かってだ。

 未だにスリザリン生は、凍りついた顔でアルバスを見つめている。

 

「…………」

 

 組み分け帽子を手に持つ父は、軽く眉を寄せて帽子を眺めては、何やら考え込んでいるようだった。普段のにこやかな笑みは影を潜めている。薬草学担当のロングボトム教授に声を掛けられて、やっと父は顔を上げると、粛々と組分けを再開した。

 スコーピウスが、明るい表情でアルバスに声を掛ける。

 

「アルバス! 僕の隣が空いてるよ──」

 

 そこまで見届けた瞬間、胸倉をぐいっと掴まれた。誰か──なんて、言うまでもない、ジェームズだ。

 

「なんでだ……なんで、アルバスが……!」

 

 眉をぎゅっと寄せたジェームズは、僕をじっと睨み付けていた。その顔は青ざめ、信じられないとばかりに震えている。

『なんで』を今一番言いたいのは、アルバスの方だろう。

 

「落ち着け、ジェームズ」

「この状況で落ち着いていられるか!? 一体どうして、そんな、あいつは僕の弟なんだぞ!」

「ジェームズ」

「だってあり得ないだろ! アルバスがスリザリンなんかに入るなんて、きっと〈あんなやつ〉の名前を受け継いだのが悪かったんだ!」

 

 にわかに始まったジェームズと僕の諍いに、周りの生徒が注目していた。僕らを仲裁するべきかと、何人かが腰を浮かしている。

 

 まずいことになる前にと、僕はジェームズの襟首を逆に掴みそのまま体重をかけてひっくり返した。マウントポジションを奪い返すと、ジェームズが何かを言う前に奴の鼻先に指を突きつける。

 

「お前が創始者の何を知ってる。どうしてグリフィンドールは良くて、スリザリンはダメだと言うんだ。お前が何をもって寮の善し悪しを論じる? スリザリンに組み分けされることの何が悪い。言ってみろ」

 

 ジェームズは苦々しい顔で、僕からふいっと顔を背けた。他の奴なら怯む問いかけも、生まれた頃からの付き合いであるこの従兄弟には通じないらしい。

 

「…………別に。ただ、英雄の息子らしくないなと思ったまでさ」

「……ジェームズ」

 

 ジェームズは僕の手を振り払うと、そのまま突き飛ばして僕を退かした。髪をぐしゃぐしゃにすると、仏頂面で腕を組む。

 

「あんなやつ、僕の弟じゃない」

「は? ……滅多なことを言うなよ」

「静かにしろよ、ヒカル。校長の有難い話が始まるぜ」

 

 ジェームズの言葉に思わず鼻白んだものの、マクゴナガルに新学期早々目を付けられるのは御免だ。

 

 新入生への挨拶とホグワーツの簡単な案内、禁じられた森への立ち入りを禁ずる規則などがマクゴナガルから淡々と説明された後、マクゴナガルは新しい先生の紹介に入る。興味なく聞いていた僕らは、その言葉に目を上げ──ハッと息を呑んだ。

 

「紹介します。彼女は今年度から、闇の魔術に対する防衛術について教えてくださることになりました。また別途、ハッフルパフの寮監としても携わっていただきます。どうか皆さん、失礼のないように」

 

 マクゴナガルがきびきびと言った。続きを引き継ぐよう、彼女は一歩前に出る。

 

 

『でもね……すぐ、また会えるよ』

 

 

 思い出すのは、ダイアゴン横丁で出会った彼女が最後に告げたあの言葉。

 アルバスの淡い恋心を躱す方便だと思っていたが──まさか。

 

 ジェームズも驚いたように目を見開いては、僕を勢いよく振り返った。僕の二の腕を掴んで揺さぶるので、わかってるとの意も込め振り払う。

 

 彼女はわかっていたのだ。こうして、すぐに出会えることを。

 ここには『就職』で来たと、確かにそう、言っていたじゃないか。

 

「はじめまして。今年度より、ここホグワーツで闇の魔術に対する防衛術の教師を仕ります、デルフィーニ・リドルと申します。ここ、ホグワーツで皆さんと会うことができる日を、心から待ち詫びていました。まだまだ未熟者ですが、拝命した任に恥じぬよう、精一杯頑張って行こうと思います」

 

 ダイアゴン横丁で出会った『彼女』──デルフィーニ・リドルは、そう言ってにっこり微笑んだ。

 

 

「皆さん、どうぞよろしくお願いいたしますね」




あの子が欲しい、この子が欲しい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 飛燕の夢

 ホグワーツ魔法魔術学校に入学して、なんとかかれこれ一週間が過ぎた。

 あっという間だったような、それでいてとてつもなく長かったような……不思議な気分だ。目まぐるしい日々に翻弄されながらも、どうにかこうにか生き抜いている。

 

 わたしが入ったハッフルパフ寮はどこかのんびりとした気風で、新入生をおおらかに受け止めてくれる雰囲気があり、人見知りのわたしでも少しずつ馴染むことができた。

 ハッフルパフ寮の上級生達も、わたし含めた新入生のことをとても親身に気遣ってくれた。彼ら彼女らが新入生歓迎用に企画してくれたいくつかの催し物のおかげで、寮内に友達もできてきたし。

 

 授業も本格的に始まった。座学は良いものの、杖を初めて握ったのはついこの前が初めてで慣れないことも多い。でも、それは同級生のみんなも同じだったから、浮かなくて良かったかもしれない。

 ハッフルパフの寮生は、アキ教授について興味津々に聞いてくることはあれど「アキ教授の娘だから」と無闇に期待を込めて来ることはない。プレッシャーに弱いわたしにとってはなんともありがたいことだった。

 

 友達もできたし、授業も楽しいし、それに図書館は神の作りたもうた楽園だし!

 ……で、多少の気にかかることはあるものの、概ね順調に、わたしの新学期は進みつつある。

 

 

 

 

 

 そんなある日のこと。

 飛行術の先生であるフーチ先生のご都合により、第一回目の飛行術の授業は四寮合同で行われることとなった。

 

 中庭には、既にずらりと人数分の箒が用意されている。グリフィンドールの赤いローブを纏ったローズは、わたしを見つけ駆け寄ってきた。

 

「ソラ! 元気してる? ちゃんとご飯食べてるかしら? 私、あなたのことが心配で心配で……ひとりぼっちで寂しがってはいないかしらとか、あなたもグリフィンドールに入っていればとかいろんなこと考えちゃって、あぁもう……」

「むぎゅ、ローズ、わたしは元気だよぅ……にゃ……」

 

 ぎゅうっとローズに抱き締められる。ちょっと苦しい。

 ローズはひとしきりわたしの頭を撫でたりほっぺを引き伸ばしたり持ち上げたりくるくる回したりしていたが、気が済んだところで解放してくれた。ふぁぁと思わずへたり込む。

 

「わたしは大丈夫だよ。心配してくれてありがとね、ローズ」

 

 にへらと笑ってローズを見上げると、ローズも笑みを返してくれた。手を貸してもらって立ち上がる。

 ふとローズの表情が陰った。わたしにしか聞こえないほどの小さな声でローズは呟く。

 

「気にかかるのはアルバスだわ……スリザリンで、うまくやっていけるのかしら……」

 

 その言葉に、わたしもそっとスリザリンの方を見遣った。

 ……そう、気にかかることの一つが、我がいとこのアルバスについてだ。

 

 アルバスは、スリザリンの集団から少し離れたところで佇んでいた。その表情はこれまでに見たことがないほど暗い。

 アルバスの隣にはスコーピウスがいて、アルバスがひとりぼっちじゃないことにはちょっと安心した。

 そっと呟く。

 

「……少し前にアルバスとお話したときは『大丈夫だから気にしないで』って言われちゃったの」

「アルバスと話したの?」

 

 わたしの言葉に、ローズが目を丸くする。そんな反応をされるとは思ってなくて、わたしはちょっと困ってしまった。

 

「う、うん。どうして?」

「だって……」

 

 ローズは躊躇うように視線を落とした。小さな声で囁く。

 

「私も、アルバスとお話しようと思って……この前、魔法薬学の授業が始まる前に話しかけたんだけど『グリフィンドールのローズには関係ないだろ』なんて……そんなこと言われたら、もう何も聞けないでしょ?」

「……ぅ……」

 

 何も言えず、ただ唇を噛み締める。

 元々、アルバスは少し気が弱いというか、周りの雰囲気に流されてしまうところがあったのだけど、ホグワーツに入って余計にそれが顕著になった気がする。

 でも、アルバスがスリザリンに入ってしまったってだけでいとこ同士の絆に亀裂が入るのは、なんだか……少し寂しい。

 

 その時フーチ先生が中庭に姿を現した。笛を吹き授業の始まりを合図するので、わたしは慌ててローズに別れを告げ、自分の寮の集団に駆け戻る。

 

「ほら、ボヤボヤしていないで! みんな、箒のそばに立って。さぁさぁ、急いで!」

 

 フーチ先生が生徒を急かす。わたし達は慌てて、言われた通り地面に並べられた箒のすぐそばに立った。

 みんなが位置についたのを確認して、フーチ先生は次の指示を出す。

 

「箒の上に手を突き出して。そして『上がれ!』と命じなさい」

 

 フーチ先生の言葉に、みんな一斉に「上がれ!」と叫んだ。わたしもおずおずと箒を見下ろし、小さな声で「上がれ……っ」と呟く。

 箒がすぐさま上がって手の中に収まったことよりも、手のひらに硬い木がぶつかってきた痛みの方にびっくりした。思わず手のひらで箒を弾いてしまうも、そのまま地面に倒れ込むかと思った箒は、わたしの腰あたりにぴたりと浮かんだままだった。

 

 フーチ先生は大股で生徒たちの間を歩きながら、一度で箒が手元に来た生徒の寮に得点をあげていく。箒を手に、ローズは誇らしげな顔を浮かべていた。

 

 フーチ先生はローズにも得点をあげた後、わたしの側に控える箒を見て目を丸くした。握っていた方が良かったかと、わたしは慌てて箒の柄を握り締める。わたしの姿を目に入れたフーチ先生は、あぁと納得したように微笑みを浮かべた。

 

「えぇ、えぇ、ミス・ポッター。ハッフルパフに5点差し上げましょう……さぁ、みなさん。もう一度『上がれ』!」

「上がれ!」

 

 二度目、三度目と繰り返すうちに、段々とみんな箒を浮かせられるようになってきた。フーチ先生は満足そうに頷きながら、ふとひとりの生徒に目を向ける。

 

 箒はアルバスの足下に転がったまま、ぴくりとも動く気配を見せなかった。みんなに見られているせいか、アルバスの耳が真っ赤になっている。アルバスのすぐそばでは、スコーピウスがどうしていいかわからないような顔でちらちらとアルバスの様子を窺っていた。

 

 周りから、密やかな忍び笑いが聞こえてくる。

 

「マーリンの髭、なんて恥さらし! 父親とはまるで違うじゃない?」

「アルバス・ポッター、スリザリンのスクイブだ」

「…………」

 

 わたしはそっと目を伏せて、箒の柄を強く握った。

 

 

 

 

 

「驚いたなぁ、ソラが飛行術得意だなんて」

「と、得意じゃないよぅ……」

 

 ハッフルパフ寮への帰り道、同室のニーナ・ディゴリーはそう言ってわたしに笑いかけた。

 

「謙遜しないで、ソラ。私、本当にすごいなぁって思ってるの。一度の『上がれ』で箒を手にできた人なんて、数えるほどしかいなかったでしょう?」

「まぐれだよ……空を飛ぶのは、ニーナの方が上手だったじゃない」

「私は、パパにちょっと教えてもらってたもの。ソラもそうなの?」

「ちょっとだけ、だけど」

 

 わたしもヒカルも、そしてアルバスやジェームズも、箒で一通り遊んでいた。場所はブラック家の敷地だったり、ベルフェゴールのお庭だったり。

 シリウスおじさんは呼んでもないのにこういう時はいつもウキウキしながらやってきて、子供達に教えてくれるのが常だった。

 

 シリウスおじさんに教わると、誰でも箒に乗れるようになる。それほどまでにおじさんの教え方は上手かった。シリウスおじさん自身は、クィディッチの選手とかじゃなかったらしいけど。

 一番手こずったのはもちろん、みんなの中で体力も運動神経もないわたしで、他の子はすいすいと空を飛んでいたものだ。……当然、アルバスも。

 

 出来ない子じゃなかった。ましてやスクイブと呼ばれることも。

 魔法の出来は、精神状態に大きく左右される。

 アルバスの場合は、きっと……。

 

「でも、アキ教授って箒に乗るイメージないなぁ……あ、違うよ? その、乗れないわけじゃないとは思うんだけどね?」

 

 ニーナは慌てて両手を振った。わたしは思わず笑ってしまう。

 

「お父さんも必要があれば箒に乗るけど、普段は魔法を使っちゃうんだ。箒で空を飛ぶのは、お母さんの方が上手だよ」

 

 父は『姿くらまし』の方が性に合うと呟いていたものの、そんな魔法使いは少数派だろう。そもそも『姿くらまし』はとっても高度な技なのに、そんな技を気軽にバンバン使っちゃう方がおかしいのだ。

 

 ……お父さん。

 はたと足を止めたわたしを、ニーナはきょとんとした顔で振り返る。

 

「どうしたの? ソラ」

「……ごめんなさい、ちょっと行きたい場所ができちゃって」

「行きたい場所……あ、図書室? なら、私も行こうかなぁ」

 

 おっとりと笑うニーナに首を振った。わ、わたしも図書室には行きたいけど! 常に入り浸っていたいのだけど!

 

 それでも、行くべき場所がある。

 

「ちょっと、その……お父さんの研究室に、行ってくる」




彼は生きていたら自分の娘に何と名付けるのだろうと、ひたすらそれに頭を悩ませていました。
平和な世界はこのように。

次回更新は10/16(日)20時を予定。
また幣原の誕生日が10/15のため、当日はお祝いとして「空の記憶」に短編を掲載予定です。ちょっと暗い話ですが、お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 この世で一番短い呪い

 ホグワーツ呪文学教授、アキ・ポッターの研究室は、西棟の最上階に位置している。

 屋外から見れば孤立した場所だが、実際歩いてみるとそうでもない。動く階段に移動する廊下、それらを上手に使えば、辿り着くまでそう時間は掛からない。

 研究室の扉をノックすると少し待つ。やがて扉を開けた父は、僕の姿を見て静かに微笑んだ。

 

()()()()()、ヒカル。私に何か御用かな?」

 

 ()()()()()として言葉を投げた父に対し、僕、ヒカル・ポッターは返す。

 

「話があるんだ、()()()

 

 父の笑みが深まった。

 懐中時計を開けた父は、今が夕食前の自由時間であることを確かめると「紅茶を淹れてあげよう」と言い、僕を室内へ招き入れる。

 中は相変わらず綺麗に整頓されていた。物は多いものの、どれも整理されて戸棚に収納されている。机の上も綺麗なものだ。暖炉の火は今は消えている。

 

 来客用のソファへと腰を下ろした。父も正面のソファに座る。父が軽く指を鳴らすと、勝手にポットに茶葉が入りお茶の用意が始まった。

 お茶請けのクッキーが入った皿を、父は笑顔で差し出した。

 

「夕飯の前だからね、あんまり食べ過ぎないように」

「……アリスおじさんの好きなあれ、ないの?」

「えぇ、あいつが好きなのって、あの紅茶クッキーのこと? あれ結構高いんだってば……ちょっとだけだよ?」

「ありがとう父さん、愛してるよ」

「まったく、調子いいんだから」

 

 皿のクッキーが入れ替わる。やったとばかりに手を伸ばした。アリスおじさん御用達というだけあって、ここのクッキーは別格だ。

 ちょうどいい具合で、紅茶が入ったティーカップが運ばれてくる。

 

「さて。お前の話を聞こうか。どうしたんだい?」

 

 クッキーを摘みながら父が尋ねた。

 紅茶で唇を潤し、僕は口を開く。

 

「アルバスはどうして、スリザリンに入れられたんだと思う?」

「アルバスにスリザリンの素質があったからだろうね」

 

 父の答えは明確だった。その返答は予想通りだが、次いで切り込む。

 

「父さん、アルバスの組み分けの後、じっと組み分け帽子を見てたよね。組み分け帽子に誰かが呪いを掛けたって可能性を、父さんだって考えたんだろ?」

「なるほど」

 

 父は目を細めた。ぐっと背筋を伸ばすとソファに座り直す。

 僕は身を乗り出した。

 

「確かめたの?」

「気になったことは確かめずにはいられない性分なものでね」

「どうだった?」

「急かすなよ。でもまぁ、結論から述べるなら──組み分け帽子に呪文が掛けられた形跡は無かった」

「父さんが調べきれなかっただけという可能性は?」

 

 そう尋ねると、父は目を輝かせて心底楽しそうに笑った。

 

「この私に対してそんなことを言ってのけるのは、世界中のどこを探してもお前くらいなものだろうね。……私に加え、ホグワーツ校長、それに闇の魔術に対する防衛術教授にも見てもらった。組み分け帽子は創始者の強大な魔法が掛けられているからね。万が一があっては困るんだ。……この答えで満足?」

「……わかった」

 

 僕はソファの背もたれに身を預ける。

 父の見落としの可能性には言及したものの、父が見つけられなかったと言うのならば呪いが掛けられていた可能性はほぼ無いと考えていいだろう。

 だとしたら、アルバスがスリザリンに組み分けされたのは本当に偶然なのだろうか?

 

「気にかかる顔をしているね」

 

 僕の表情を見て取ったか、父はそう言った。

 

「……ジェームズが言ってたんだ。『あいつがグリフィンドール以外に組み分けられるなんて、万に一つも考えられない』って……ハリーおじさんはかつて、組み分け帽子からグリフィンドールの剣を取り出した生粋のグリフィンドール生だ。ハリーおじさんの両親もグリフィンドール出身だし、ジニーおばさんだって……」

「組み分け帽子はかつて、ハリーをスリザリンに入れるかグリフィンドールに入れるかで、随分と迷ったらしい」

 

 はっと顔を上げた。

 穏やかな笑みを浮かべたまま、父は続ける。

 

「ぼくの……私の組み分けは、ハリーがグリフィンドールに組み分けられた後でね。私もハリーに続いて、グリフィンドールに入れてくださいって頼んだんだ。それでも帽子は私の懇願を聞き入れなかった。口喧嘩で負けたなんて、私の人生の汚点と言っていいくらいだ。なんでレイブンクローに入ったのって、後からハリーに散々言われたものだよ。私だって、望んで入った寮じゃないのにさ」

 

 そう言って父はクスクスと笑った。思わず父をまじまじと見つめる。

 ふと父は真面目な顔をした。

 

「あの帽子は個人の願いを聞いちゃくれるが、叶えてくれるとは限らない。アルバスもそうだったと、そういうことなのだろう」

「……アルバスに、スリザリンの素質があったと?」

「最初からそう言っているよ」

「スネイプ教授の名を継いだことも、スリザリンに組み分けられた理由として考えられる?」

「名前は一番初めに戴く贈り物で、一番短い呪《まじな》いだ。影響がないとは言い切れない」

「…………」

「名前に意味を篭めすぎるのも、ものによっては考えものだよねぇ」

 

 のんびりと父は呟きクッキーを齧る。

 その時、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。父は軽く目を瞠ると、残りのクッキーを口の中に詰め込み立ち上がる。

 

「ふぁ……んっ、はーい。今日は来客が多いなぁ……?」

 

 クッキーを飲み込んだ後、父は普段通りの笑みを浮かべてドアを開けた。おやと父は、そこにいた人物を見て軽く目を瞠る。

 立っていたのはソラだった。長い階段にくたびれたのか肩で息をしている。相変わらずこいつは体力がない。

 

()()()()()、ソラ。どうしたのかな?」

 

 父を見て輝いたソラの顔が、()()()()()の父の態度にビビって陰る。「ぁ……ぁう……」と視線を彷徨わせたソラに、思わず助け舟を出してしまった。

 

「父さんに用があるんだろ、ソラ」

「あっ、ヒカル……!」

 

 僕を見つけたソラの顔が面白いほど晴れやかになっていく。逆に僕は渋い顔でそっぽを向いた。

 ……また妹に手を貸してしまった……。

 

「ヒカルが来てるなんて思ってなかったぁ。ヒカルはどうしたの?」

 

 室内へと迎え入れられたソラは、僕の元へと駆け寄って来ると隣に腰を下ろした。無邪気な顔で問いかけてくるので、僕は肩を竦めてみせる。

 

「課題でわかんないところを訊いてたんだよ。お前こそ何? クラスメイトからいじめられて父さんに泣きつきに来たの?」

「ち、違うよ……!」

 

 はわわとソラが首を振る。

 父は苦笑しながら、ソラにも淹れた紅茶を渡した。

 

「夕飯前だからね、控えめにしておくこと」

「あっ、これ、すっごく美味しいやつだよね? お父さん、ありがとう!」

 

 ソラは嬉しそうな声をあげると、クッキーを一口齧って心底幸せそうな顔をする。

 父はソラの様子をニコニコしながら眺めていたが「ところでソラ、私に何か話したいことでも?」と問いかけた。ソラは慌ててクッキーを飲み込む。

 

「そう、そうだった。あのね、お父さん……」

 

 ソラが切り出したのは僕と同じくアルバスの話ではあったものの、同級生の目線とあって距離が近い。

 先ほどあった飛行術でのことを話し終わったソラは、しばらくしょんぼりと項垂れていた。

 

「わたし……わたしは、アルバスに何をしてあげられるのかなぁ? でも、アルバスがしてほしいことってなんだろう。放っておいてってアルバスは言うの。だったら放っておいてあげるべきなの? でも……」

 

 そこでソラは、迷うように言葉を切ってしまう。

 父は小さくため息をついた。ソラに向き直ると確かめるように尋ねる。

 

「アルバスは、ソラに『助けてくれ』と言ったのかい? 今の現状が辛い、改善したいと告げたのかい?」

「……それは……」

「なら、今のソラの気持ちは同情と呼ばれて然るべきものじゃないのかな。アルバスの気持ちを外から勝手に忖度して、気の毒がってるんじゃない? アルバスにとってみれば、そんなソラの気遣いこそが『憐まれた』と感じてしまうかもしれないよ」

「……うぅ……」

 

 突き放すような父の言い方に、ソラは泣きそうな顔で俯いた。膝の上で拳が小さく震えている。温室育ちのソラにとってはなかなかに酷な問いかけだ。

 

「……でも……でも、わたしは……」

 

 たどたどしく、ソラは呟く。

 

「わたし……でも、アルバスが暗い顔してるのは、イヤなんだもの……大好きな人には、笑っていてほしいんだもの……」

 

 父はそっと息を吐くと、ソラを見て優しく微笑んだ。

 

「なら、それはソラの意志で、願いに違いない」

 

 ソラは大きな目を潤ませ父を見る。うん、と父は頷いてみせた。

 

「自分の願いを叶えることに、遠慮なんて要らないさ。お前はお前のやりたいように、アルバスに手を差し伸べてごらん」

「っ、う、うん!」

 

 ぱぁっとソラは顔を明るくさせた。何故か僕の方を見てえへへと笑うので、思わず怪訝な顔をしてしまう。

 まとわりついてくるソラを追い払いながら父に言った。

 

「父さん。今のソラの話を聞く限り、アルバスはうまく魔法が使えなくなってる。精神的に不安定だと、魔法が使えなくなっちゃうこともあるんでしょ? その辺り、先生の立場からフォローしてやってほしいんだ。あくまでもさりげなくね」

「わかったよ。スリザリン寮監のデイビスにも話を通しておく。彼の方が目が届きやすいだろうからね」

 

 スリザリン寮監のユアン・デイビス教授は魔法薬学教師でもある。微塵たりとも笑顔を見せない人で、何を考えているかよくわからないものの、そこがクールでミステリアスだと不思議と人気がある先生だ。

 あの人が生徒に目をかけるなんてちょっと想像つかないけれど、でもデイビス教授はアキ・ポッターの言うことだけは確実に聞くとの『噂』なので、まぁ信頼しても良さそうだ。

 

 その時、またも部屋のドアがノックされた。父は腰を上げるとドアへと歩いて行く。その隙にソラへと囁いた。

 

「そうだ、ソラ。お前はヘンなことしないだろうけど、一応言っておく」

「ん? なぁに?」

「父さんがドアを開ける前に、この部屋に入ろうとするなよ」

「え?」

 

 きょとんとソラが首を傾げる。釘は刺したぞと、僕はソラから目を逸らして父を見遣った。

 ドアを開けた父は、やがてひとりの人物を室内へと招き入れた。その人物は、僕とソラの姿を視認して驚いたように目を丸くする。

 

「あら、ヒカルにソラじゃない! 偶然ね!」

「こんばんは、リドル教授」

 

 デルフィーでいいのにと、彼女──闇の魔術に対する防衛術教師、デルフィーニ・リドルは、そう言って軽やかに笑った。

 ダイアゴン横丁で出会った彼女、デルフィーニ・リドル。始業式で彼女が教師として紹介されたときは、ジェームズと共に随分驚いたものだった。

 

 教師としての腕は、悪くはないと思う。少なくとも僕はまだ、彼女に対する文句を誰かが口にしているところは見たことがない。生徒と歳が近い分「デルフィーと呼んでね」と親しげで、生徒からは既に一定の人気を築き上げていた。

 彼女が父に何の用事だろう。教師同士の話なら、僕らは席を外した方がいいか。

 

「ソラ、僕らはそろそろ……」

 

 ソファから腰を浮かすとソラを急かす。そこで初めて、ソラの様子に気が付いた。

 ソラは先ほどから一度も顔を上げず、ただただじっと俯いていた。微かに肩が震えている。

 一瞬だけ考えて。

 

「父さん、僕ら帰るから。お茶ありがと、美味しかった」

 

 僕はソラの手を掴み、有無を言わさず部屋のドアまで引きずって行った。ソラは一瞬よたつくも、僕の後ろを大人しくついてくる。

 

「あら? 二人とも、そんな気を遣わないで。ここにいてくれていいのよ?」

「用事はもう済んだから。それに、もうじき夕食の時間だしね」

「あぁ、それもそうだね。また何かあったら来るといい」

「うん。また明日、授業で」

 

 父に手を振りドアを閉めた。そのまましばらく黙って階段を降りる。掴んでいるソラの手は冷たい。

 二、三階分ほど降りて、僕はソラから手を離した。腰に手を当てソラの顔を覗き込む。

 

「どうしたの、お前」

「うぅ……」

 

 ソラは情けなく眉を下げていた。具合が悪いわけではなさそうだ。

 となると。

 

「デルフィーニ・リドル?」

 

 尋ねると、わかりやすくソラの肩が跳ねる。原因はわかったものの、それでもソラがここまで怯える理由はわからない。

 

「なんかあの人に、ヤなこと言われたりした?」

 

 しゅんと項垂れたソラは首を振った。

 

「あの……あのね。違うの……先生は何も悪くなくって……ハッフルパフの寮監で、わたしにもすごく優しくしてくれるの。でも……」

 

 おずおずと僕の袖を摘み、ソラは呟く。

 

「なんだろう……あの人が近くにいるだけで、怖いの……心の中がすぅっと冷たくなって行くの。それが凄く怖くって、どうしようもなくなっちゃうの……」

 

 ソラの言うことは感覚的過ぎてよくわからなかったものの、それでもソラの顔色は嘘をついているようには見えない。

 

「その話は、父さんにはした?」

「い、言えないよ。だって先生だよ? ……わたしも、一方的に嫌うのはよくないと思うし……」

「……でも、挨拶くらいはした方がいい。父さんに気付かれたくないなら尚更な」

 

 うんと頷いたソラは、ちょっとホッとした顔をしていた。大方、僕に怒られるかもとか思っていたのだろう。

 ……怒りはしないものの。

 

「……あれっ? なんで、いつの間に大広間に着いてるの?」

 

 大広間の灯りを見て、ソラは目を丸くしていた。あれ? と歩いてきた階段を振り返っては首を傾げている。

 

「お前、帰り道なんにも見てなかったんだろ。あーあ、役立つ階段のショートカット方法とか、消える廊下の渡り方とか、色々実演してやったのにな」

「えぇっ嘘、ヒカル、もう一回教えてよ!」

「やだね。父さんとこ行くとき、また今日みたく苦労すればいいよ」

「ええー!」

 

 不満を漏らすソラの背中を押すと、ソラは文句を言いながらも「ヒカル、またね!」と笑顔を浮かべて歩いて行った。ソラに向かって軽く片手を上げ、静かに下ろす。

 

 ──ソラの予感は当たる。嫌な予感は尚のこと。

 元々あの苗字は気に掛かっていた。

 ……でもリドルさんは知らないと言っていたし……わざわざ好き好んで『例のあの人』、ヴォルデモートとの縁を示唆する名を名乗るものか?

 

 ──偶然、きっと、全て偶然。

 リドルなんて、よくある苗字だ。

 しかし、それでも。

 

「ちょっと、気にはしとくかな……」




呪いの子脚本に書かれていない以上アルバスの内心は不明ですが、直前にスコーピウスと出会い言葉を交わしたことで抱いた「スコーピウスがいるならスリザリンも悪くないかも」という気持ちを、組み分け帽子が汲み取っていたら良いなとは思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 ソラリゼーション・アイズ

「はーい、そこのスリザリンのチビども、しゅーごー」

 

 アルバス・ポッターと、そして僕、スコーピウス・マルフォイの二人は、そう言いながら迫ってきたヒカル・ポッターになす術もなく首根っこを掴まれた。

 

 授業のない土曜は生徒があらゆるところに散っているからか、普段より廊下や大広間が閑散としている。それでも夕方ともなれば、小腹を空かせた生徒で広間の人口が増えてくるものだ。

 僕とアルバスも、そんな生徒のうちの二人だった。

 

 人気のない談話室は課題がとても捗ったものの、普段以上に頭を使ったせいか空腹感が半端じゃない。夕食前ではあるが、それでも大広間には菓子や果物がいつも置かれている。ちょっと煮詰まっているレポートも場所を変えると何か閃くかもしれない。

 アルバスにそう提案すると、アルバスも目を輝かせて頷いてくれた。さすがは育ち盛りだ。

 

 そうして僕らは薄暗い地下から、こうして明るい地上へとやってきたのだが──まさかこうして、ヒカルにとっつかまることになるとは思ってもいなかった。

 

「な、何さ、ヒカル……!」

 

 思わず小声になるのも無理はない。

 だってここはスリザリンのテーブルだ、グリフィンドール生のヒカルは目立ってしまう。そう告げたものの、僕の言葉をヒカルは鼻で笑い飛ばした。

 

「今日の僕は私服だぞ? ネクタイもローブも纏っていないんだ、パッと見でグリフィンドール生だとわかる奴なんていやしないさ」

 

 うぅん、それはどうだろうな?

 さらさらの銀髪に華のある整った顔立ち。遠目からでもわかる人にはわかるんじゃないだろうか。おまけに呪文学教授アキ・ポッターの長男だ、校内でヒカルのことを知らない人の方が少ない。

 

 本人はそんな名声を鼻に掛ける素振りもなく、まぁこの通りサバサバとしている。

 他人に流されないところも含めて、なんだろう、やっぱりちょっと憧れちゃうよなぁ。スリザリン生の中にも密かにヒカルに憧れてる子は少なくないって噂だし。

 

 アルバスはふいっと顔を背けると、聞こえよがしに呟いた。

 

「僕らにチビって言えるほどデカくもないだろ……」

「ん? んー? なんか言ったか我が従兄弟様よ?」

 

 ニコニコしながらヒカルはアルバスの顔を覗き込んだ。まさしく極上と言ってもいいその笑顔に、アルバスと僕は揃って身を震わせる。

 

 ヒカルはそのまま身を起こすと下げていたカバンの中をゴソゴソと探り、やがて二つの包みを取り出した。はい、と僕らそれぞれに包みが手渡される。

 

「今日、ホグズミード休暇だったからな。三年生からはホグズミードに行けるんだよ。で、優しい優しいヒカル様から一年坊どもにお土産だ」

「わ、わ、そんな……っ!」

 

 渡された包みは重みがあり、持っただけでいろんなものが入っていそうだとわかる。

 お土産をもらった嬉しさ以上に申し訳なさが勝った。アルバスはヒカルの従兄弟だけど、僕はヒカルと何の関係もない。アルバスの隣にいただけの僕にまで気を遣ってくれるなんて。

 

「……なーんかお前、ややこしいこと考えてる?」

 

 ふと顔を上げると、ヒカルが目を眇めて僕を見ていた。誤魔化すように首を振り「ありがとう」と呟く。

 

「うん、素直に受け取っとけ。大したもんじゃないけどね。バタービールにハニーデュークスの菓子……WWWの新商品あたりは、スリザリンじゃ嫌がられるかな?」

 

 中のものや値段じゃなくって、ヒカルからもらえたことがそもそも嬉しいのだ。

 

「……ありがとう。大事にする」

「大事にするな。早く食え」

 

 しかしどうやってお返ししよう? 僕が手に入るようなものは、ヒカルも持っているだろうし。悩ましい。

 

「……で。これは、お前の兄貴から」

 

 そう言うとヒカルは、カバンから新たな包みを取り出しアルバスに手渡した。アルバスは驚いたように包みを見つめると「……え?」と目を瞠ってヒカルを見上げる。

 

「素直じゃないんだよ、あいつも。アルバス、お前もだけどな」

「…………」

 

 むぅっとアルバスは頬を膨らませた。二つの包みを腕に抱くと、小さな小さな声で「……ありがと、って、伝えておいて」と呟く。

 

「うん、任せろ」

「……あの、ジェームズ、怒ってない? その……僕がスリザリンに入ったことについて……」

「ジェームズは嫌ってたり怒ってたりする相手にプレゼント用意するような奴じゃないだろ」

 

 ヒカルの言葉に、アルバスはホッとしたようだ。肩に入っていた力が僅かに抜けている。

 僕とアルバスが広げている勉強道具に気付いたヒカルは、興味を惹かれたように課題のレポートを覗き込んだ。

 

「魔法薬学か。……あぁ、ここ違うぞ。ここでレタス食い虫<フロバーワーム>の粘液を入れるのは、対象の魔法薬を濃くするためだ。味を整えるためじゃない……」

 

 ヒカルの指摘を受け、僕らは慌ててレポートを訂正する。

 他にもいくつか指摘された部分を直すと、先程までの煮詰まりが嘘のように、すんなり読めるレポートになった。

 

「ありがとう、ヒカル……助かっちゃった」

 

 はにかみながらお礼を言う。

 あぁと流したヒカルは、少しの間黙り込むと「あのさ……」と口を開いた。

 

「僕で良ければ、勉強見てあげてもいいけど」

 

 ヒカルの言葉に僕らは思わず黙り込む。願っても無い申し出だった。

 ヒカルに勉強を見てもらうことができたなば、二人でうんうん苦しむことも減る。授業について行けるようになれば、周囲から笑われることもなくなるだろう。

 

 ……でも、ヒカルはグリフィンドールだ。いくらヒカルが気にしてなくても、スリザリン生と仲良くすることが気に食わないグリフィンドール生はいる。

 僕らのせいで、ヒカルが悲しい目に遭うのは嫌だった。

 

 黙ったままの僕らを見て、ヒカルは僅かに瞳を揺らす。

 

「……あー、うん。そっか」

 

 切なげに伏せられた眼差しに、思わず声を上げそうになった。

 ごめん、そんな顔をさせるつもりはなかったのだと言いたくなる。

 

 申し出が嬉しかったのは本当だ。

 ただ、僕らに勇気がなかっただけ。

 

 僕らの沈黙を破ったのは、ひとりの女性の声だった。

 

「その勉強会、私も参加していいかしら?」

 

 僕らは揃って振り返る。

 いつの間にか、闇の魔術に対する防衛術教師、デルフィーニ・リドルが、にこやかな笑みを浮かべて僕らの後ろに立っていた。

 

「デルフィー!」

 

 アルバスが目を輝かせる。アルバスは彼女を気に入っていた。

 

「……、教師に僕らが教えられることなんて、そんな」

 

 目を瞠ったヒカルは言う。

 デルフィーは笑みを崩さない。

 

「でも、私はずっと外国で暮らしてきたから、こっちの常識とかわからないことも多いの。だから、教え合いというのはどうかしら? それぞれ得意なこと、苦手なことはあると思うんだけど、三人寄れば文殊の知恵とも言うのでしょう? 幸いにも、私たちは四人もいる。怖いものなしじゃないの! そうは思わない?」

 

 デルフィーはアルバスを覗き込むと、同意を求めるようににっこり笑う。つられたようにアルバスは頷いた。

 教師であるデルフィーがいてくれるなら、グリフィンドールだからとヒカルが悪く言われることもない。そう考えて僕は心が躍ったが、ヒカルの顔からは笑みが消えている。

 

「ただ、勉強を見るだけですよ。リドル教授の得となるようなことは、ほとんどないと思いますが?」

「損か得かを決めるのは私よ、ヒカル。それに、言ったじゃない、デルフィーって呼んでねって。ヒカルったらちっとも聞いてくれないんだから」

「すみません。教師に気軽な口は叩くなと、父に厳しく言われているので」

「あぁ、アキが……そう。それがあなたのお家の教育方針なら、私もとやかく言わないようにするわ」

「えぇ。お気遣い感謝します」

 

 ヒカルが『リドル教授』と呼ぶのなら、僕らも気安く『デルフィー』と呼ぶのを控えた方が良いのかな。

 そんなことをちらりと考えた瞬間、ヒカルは見計ったように「お前らは僕に合わせなくていいからな」と僕らに言った。思わずホッとする。

 

「それにしても、悪いですよ。授業も受け持ってる上に、ハッフルパフの寮監までなさっているでしょう? 父を見てきたから、忙しさは知っているつもりです。おまけにリドル教授は新任だ、そんなにお時間があるんですか?」

「もちろん、暇じゃないわよ。でも忙しいからと言って、自己学習を怠るようなことはあってはならないでしょう?」

 

 デルフィーの言葉にヒカルは黙り込む。

 そこで、今まで静かだったアルバスが意を決した顔で口を開いた。

 

「ヒカル……僕、ヒカルとデルフィーに勉強を教えてもらいたい。もう誰にも、スクイブだなんてバカにされたくないんだ」

 

 アルバスの言葉に根負けしたように、ヒカルは小さくため息をつく。デルフィーは嬉しそうに手を叩いた。

 

「決まりね! それじゃあ早速、来週から始めましょう!」




驚くほどに自己評価が低いスコーピウス。ヒカルは大体兄貴面してますね。ヒカルはデルフィーとの距離感を測っています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 星廻りの導

 ヴィゼンガモッド裁判所にて、英国魔法界の全裁判は執り行われる。

 裁判を待つ被告人が収容される留置所の面会室で、闇祓いの黒衣を纏ったアクアマリン・ポッターは、待ち人が来るのを静かに待っていた。

 

 やがて奥の扉が開かれる。両脇を刑務官に固められたセオドール・ノットは、促されてアクアが座る椅子の正面に腰掛けた。

 二人の間には不可侵の魔法結界が張られており、双方どちらからも手出しが出来ぬようになっている。

 

 刑務官はそのままアクアに一礼すると、速やかに退室した。

 刑務官がいなくなったことを確かめ、セオドールはアクアに微笑みを向ける。

 

「……久しぶりだな、アクアマリン。卒業以来か。……学生の頃よりずっと綺麗になった。自分を押し込めることなく、やりたいことが出来ているからかな? 昔の君は、いつも陰鬱と顔を伏せがちだった」

 

 アクアが想像していたよりずっと柔らかな口調だった。

 その声に、アクアも意図して緊張を解く。

 

「……えぇ。久しぶりね、セオドール。面会の申し出を受けてくれて何よりだわ」

「知りもしないグリフィンドール出身の人間から取り調べを受けるより、気心知れた旧友の方が安心できるというものだろう?」

「あら、あなたが私を友達と思ってくれていたなんて。私達、接点なんてあったかしら?」

 

 スリザリン寮出身者の中でアクアが友人と認めているのは、ドラコ・マルフォイとダフネ・グリーングラスの二人だけだ。七年間同じ教室で学んだ間柄だとしても、アクアにとってそんな学友など『他人』に等しい。

 

「なに、ホグワーツで七年間を過ごしたクラスメイトじゃないか。それに、君は知らないかもしれないが、君とお近づきになりたい男は多かった……どれもドラコに阻まれたがね」

「……そう。それは、知らなかったけれど。でもあなたは、私に興味があるようには見えなかったわ」

 

 アクアの言葉に、セオドールは薄っすらと笑ってみせる。

 

「そんなことはないさ。きゃあきゃあ騒がしい女共より、君の無口さは心地よかった。それに……ほら、接点ならある。覚えているかい? 確か五年の頃だっけ、『ザ・クィブラー』に、私たちの親が死喰い人だと共に書き立てられたこともあっただろう?」

 

 セオドールの声には皮肉げな響きが込められていた。

 

 当時──『ヴォルデモートが蘇った』というハリーの言葉を黙殺し続ける魔法省に対抗するため、ルーナの父が編集長を務める『ザ・クィブラー』にて、ハリーに四校対抗試合のその後──移動(ポート)キーとなっていた優勝カップ、そして墓場での出来事──のことを包み隠さず話してもらったのだ。その時のハリーの告発文には、マルフォイやベルフェゴールに加え、ノットの名も載っていた。

 

 セオドールは続ける。

 

「ハリー・ポッターの告発は見事なものだった。特に瞠目すべきは、彼の記憶の鮮明さだ。闇の帝王が復活した時集まった死喰い人の大半は、ポッターが初めて見た者共だっただろうに……初めて目にした大人の名前をしっかり記憶しておくなんて、並の子供にできることじゃない。あの記事を目にしたとき、誰かが裏で情報を提供したのではと訝しんだものだよ。そう、例えば……死喰い人である両親の思想が受け入れられなかった子供が、親やその他大人たちを良い機会とばかりに売り飛ばしたんじゃないかとね……」

 

 セオドールは含みのある眼差しでアクアを見つめている。

 アクアは口元に笑みを浮かべた。

 

「……再会を喜ぶ挨拶は、もうこの辺りで良いかしら。本題に入りましょう、セオドール」

「勿論だよ、アクアマリン。君の貴重な時間を奪ってしまいすまなかったね」

 

 セオドールは慇懃に謝罪の言葉を口にする。いいえと首を振った。

 

「どうしてあなたが此処に拘留されているか、理由はわかっているわよね」

「非合法な不正品を所持していたからだろう?」

 

 アクアの問いに、セオドールはさらりと答える。そうよと頷いたアクアは、懐から金の鎖に繋がれた時計を取り出すと、セオドールに見えるようにそっと掲げた。

 

「あなたの自宅からは多くの物が押収されたわ。その内、一番貴重だと考えられるものが、これ──逆転時計(タイムターナー)

 

 逆転時計を見ても、セオドールは表情を変えない。

 アクアは続ける。

 

「あなたの自宅からは、作成途中と思われる品も幾つも見つかった。魔力の痕跡も、あなたが製作者で間違いないと示している。あなたは学生時代から、とても頭が良い人だったわね。……あなたがこれを作ったのは何故?」

「学術的な興味だよ。法を踏み越えたことはすまなかった。そんなつもりはなかったんだ」

 

 セオドールはひらひらと片手を振ってみせた。

 アクアは静かに目を細める。

 

「いいえ。少なくともあなたは自覚的だったはず。あなたの自宅からは、既に闇の魔術が掛けられた品が複数見つかっているわ。言い逃れは得策じゃないと思うけれど? ……あなたはいつも慎重だった。粗忽者の死喰い人が、あなたとの契約書を自宅の金庫に入れてさえいなければ、あなたが捕まるのはまだ当分先だったでしょうね」

 

 アクアの言葉に、セオドールは表情を消した。やがて低い声で呟く。

 

「……なるほど。縁故ある者と融通を効かせたが、バカと取引したのが間違いだった」

 

 罪を認めたも同然の言葉だった。

 矜持が高い彼のこと、一度口に出した言葉を翻しはしないだろう。この先の取り調べはずっと楽になる。

 

「……一体どうして、あなたは死喰い人に協力したの?」

 

 アクアの疑問はそこだった。

 既に闇の帝王はいない。彼らの主は、この世の何処にもいないのだ。

 それでも残った死喰い人は細々と活動を続けていたし、アクアら闇祓いがいくら捕らえても、なかなかその数が減る様子は見えなかった。

 

 そして、先日の死喰い人一斉検挙──

 活動が激化していることは明らかだ。

 

 ──一体どうして?

 

 しかしアクアの言葉を聞き、セオドールは目を丸くした。

 

「……『どうして』? なぁアクアマリン、君は私に『どうして』と訊いたのか?」

 

 やがて俯いた彼は、顔を覆うと肩を震わせ笑い出す。

 

「ふっ……はは、はははっ……! いや失敬、でもあまりにも、信じられない物言いだったもので……『どうして』と来た! ベルフェゴールのご令嬢が『どうして』と! こんなことがあるものか? 君のご両親に同情さえもしてしまうと言うものさ。ベルフェゴールの長子に生まれ、ドラコの元婚約者でもあり、スリザリン寮で七年間を過ごした君が──君が! どれだけ手を焼いたことだろう? 君のご両親の心労を、察するだけで余りある!

『どうして』なんて、普通は聞くまでもなく知っているのさ。我々は、闇の帝王の思想に同調したのではない。闇の帝王の方こそが、我々の思想に賛同し、手を貸してくださったのだ」

 

 セオドールは顔を上げる。

 そこにはもう、アクアの知るセオドール・ノットはいなかった。

 

 七年間を共に過ごした。お互い最低限しか話さなかった。学校生活中に交わした言葉よりも、今の数分の間の会話の方が多い程だ。

 それでも少しは知っていた。

 スリザリンの中で誰よりも頭が良かった彼。子供の頃の、何でも見下す性質があったドラコでさえ、セオドールにはある種の敬意を持って接していた。決して目立たず前に出ず、父親が死喰い人として投獄された時であっても、下世話な噂話の全てに沈黙を貫いていた。

 

 少しだけ、期待したこともあったのに。

 

(あぁ、これは、この目は)

 

 深淵をも想起させる、底の見えない昏い瞳。

 ある一線を踏み越えてしまった者だけが持つ、混沌を煮詰めたような色合い。

 父や母、近くにいた大人たち。そして──アキも稀に、瞳に宿す昏い色。

 

(この目を、私は知っている)

 

 この目は、ひとごろしの目だ。

 他人の命を己の意志にて奪った者に、共通するまなざしだ。

 

「……逆転時計を作ったのは、何故?」

 

 膝の上に置いた拳を、もう一度強く握り直す。

 セオドールは目を細めてアクアを見返した。

 

「依頼を受けたからさ」

「ホグワーツの戦いまで時間を戻し、ハリー・ポッターに闇の帝王を倒させないためではないのかと訊いているのよ」

 

 アクアの言葉に、セオドールは顔を歪め笑う。

 

「依頼主が腹の底で何を考えていたのかまでは、私の知ったことじゃない。だが、そうだね……それは随分と、夢のある物語だとも言える」

「あら……意外ね。未だに闇の帝王の僕(デス・イーター)を名乗っているものだから、皆が皆、彼が生き長らえている世界を願っているものだと思っていたのに。……まぁそうよね。『生き残った男の子』が最初に彼を打ち滅ぼしたとき、()()()()は誰も、闇の帝王のために動きはしなかったんだもの」

 

 アクアは、そっと口角を上げた。

 

「……死喰い人が皆それぞれ日常に戻る中、ベルフェゴールだけが血眼で闇の帝王を探し続けたわ。闇の帝王のためを思い、幾人もの魔法使いとマグルを手に掛けてきた。主の座がたとえ空でも、(しもべ)は家を守るものよ。庭木を手入れし、屋敷を掃き清め、主がいつ帰ってきても良いように保ち続ける義務がある。主をお救いできるならば、この命など幾らでも捧げましょう──そうでなくって?」

 

 アクアマリンとしてではなく、狂信的な信徒を親に持つ子どもであった者として。

 ベルフェゴールの娘として言葉を紡いだアクアに対し、セオドールは目を細めて笑ってみせた。

 

「君の意見には、ある程度同意しよう。闇の帝王は、確かに我々死喰い人の主だった。……だが、一部訂正させてもらうとすれば。闇の帝王に心酔していたのは君の両親も含めてほんの一握りであり、死喰い人の大半は、彼の力が恐ろしくて服従していたのだということを、君も知っておくべきだろう──癇癪を起こして死の呪文を部下に乱射するような上司、君ならいつまでも従っていたいと思うかい?」

「…………」

「象徴だけで良いんだよ、アクアマリン。必要なのは有象無象を纏めることのできる旗頭だ。例えば血統。純血主義の名門と言えば、誰もが知っているブラック家か。あそこの当主が死喰い人に賛同してくれれば良かったんだが、かの有名なシリウス・ブラックにそんなことは持ちかけられまい。例えば魔力。闇の帝王に並び立つほどの強力な魔力の持ち主がひょいほい居れば苦労はしないんだがね。そう言えば君の旦那──アキ・ポッターも、短い間ではあったものの、死喰い人と名乗っていたっけ? 惜しいなぁ。ひょっとして、君から頼めばもう一度死喰い人になってくれたりはしないかい?」

「……冗談でしょう」

「あぁ、冗談さ。だからそんな、冷たい眼差しで睨まないでくれるかな?」

 

 もう一度、眉をギュッと寄せた。それでも背に腹は変えられない。何気ない会話の端々から、往々にしてヒントは溢れるものだ。

 

 最近の死喰い人の活発化の理由。

 セオドールは『象徴』という単語を口にした。

 例えば血統。例えば魔力。

 シリウス・ブラックやアキ・ポッターを挙げて見せた、彼の真意とは──

 

「…………ひょっとして、もう『いる』の?」

 

 ハッと顔を上げた。セオドールをじっと見る。

 

「純血主義の象徴。死喰い人を纏めるに足る、そんな旗頭となり得る人物が、既にどこかにいると言うの?」

「……あぁ、そう言えば──」

 

 セオドールはわざとらしく、視線を空に彷徨わせた。

 

「逆転時計に纏わる、妙な噂が流れていたような気がするね。闇の帝王の子が、いるとかいないとか……私の記憶が確かなら、それはとある純血主義の、ある直系の子に立っていた噂だったっけ──」

 

 セオドールの言葉は、わかりやすくスコーピウス・マルフォイのことを示していた。

 ルシウス・マルフォイが、アストリア・グリーングラスをかつての闇の帝王の元へと送り──そうしてスコーピウスが生まれたのだという、あの噂。

 

 それでも、あの噂がデマであることは間違いないのだ。

 スコーピウスは正しくドラコの息子だ。アストリアに不貞はない。アキもユークも、身近な人は誰一人として、そんな噂を間に受けることはなかった。

 

 そもそも闇の帝王の子供など、そんなものは数世代も前からのよくある噂話でしかない。

 それが、今更、そんな、バカバカしい噂話が。

 

「気になるなら、ルシウス・マルフォイに確かめてみればいい」

 

 そう言って、セオドールはニンマリと笑う。

 

「ドラコの婚約者であった──『元』婚約者である君になら、あのルシウス・マルフォイも、本当のことを話すかもしれないよ?」

「────あなた」

「そろそろ、面会の終了時間だ」

 

 セオドールの言葉の直後、背後の扉が開かれた。入ってきた二人の刑務官は、アクアに黙礼した後、セオドールの両脇に立つ。

 セオドールは立ち上がると、薄い微笑みをアクアに向けた。

 

「君と話せて嬉しかったよ、アクアマリン。私が話した言葉が、果たして君の餞別となれば良いのだが。何せ、最初に告げたように、私は君のことを気に入っていたのだから──」

 

 その右手が、自身の鳩尾へと動く。

 

「……っ、失礼」

 

 自ら鳩尾を強く圧迫したセオドールは、身を屈めて数度咳き込んだ。何事もなかったかのように身を起こすと、アクアを見遣り歯を剥いて笑ってみせる。

 その歯の間に挟まる、水晶の欠片。

 

 頭より先に、心が警告を下す。

 私はこの水晶を、どこかで見たことがある──

 

 その水晶が一体何か、気付いた瞬間、青ざめた。

 

「……彼からその水晶を取り上げて!!」

 

 アクアの怒鳴り声に、刑務官が慌ててセオドールを取り押さえる。

 ロクな抵抗もしないまま、セオドールは両手を押さえられ、床に叩きつけられた。

 

 見覚えがある、どころの話ではない。

 あの水晶は、アキ・ポッターが作ったお守りだ。

『誰一人犠牲は出さない』との信念の元、ホグワーツの戦いの直前に、アキは全校生徒に対し、自らの魔力を込めたお守りを手製した。

 

『持ち主を一度だけ災厄から守る』とされるお守りは、ホグワーツの戦い以後、一体幾つこの世に残ったのか。

 ──意図を持った何者かが、その残りを蒐集していたとしたら?

 

(…………アキ)

 

 愛する者の名を、心の中で呟く。

 彼の祈りが篭った品が、真逆の意図で利用されようとしている──

 

 セオドールが水晶を吐き出す様を、アクアは慄きながら見つめていた。




セオドールがどういう人なのか、アクアとどのように言葉を交わすのかを考えるのが楽しかった回です。頭が良い彼がどうして逆転時計を作ったのか等々、妄想が膨らみますね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 晴天を背負う

 授業終了のチャイムに、アキ・ポッターは顔を上げた。パタンと教科書を閉じると、壇上から教室を見渡す。

 

「──はい。じゃあ、今日はここまで。月末なので課題を出すよ。Surgito(目覚めよ)Finite(終われ)の呪文の使い分けと、呪文が分かたれたと考えられる時期、またその理由を、西洋魔法史学的見地も踏まえて考察しなさい。分量は不問」

 

 アキの告げた『課題』に、教室中からうわぁと声が湧き上がった。慣れ親しんだその反応に、アキも思わず笑ってしまう。

 

「君達ねぇ、今年はいもり試験があるんだってこと、忘れてないかい? 折角私の授業を受けてるんだ、クラスの全員がちゃんと受かってもらわないとね」

「いもり試験官でもあるアキ教授が、私達の点数をちょこーっと弄ってさえくれれば、全部丸ーく収まる話なんですけどね?」

 

 ビクトワール・ウィーズリーの聞こえよがしな呟きに、クラスの皆はどっと笑う。やれやれと肩を竦めた。

 

「試験官の目を掻い潜って点数の改竄が出来る者がいれば、その時は私から闇祓いにでも呪い破りでも推薦してあげよう。さて、課題の期限は一週間後だよ。課題忘れはいつものように口述試験とするから、覚悟しておくように」

 

 うっわぁ今週は地獄だぞ、なんて文句を呟きながら、生徒達は各々教室から立ち去って行く。

 生徒を見送っていたアキは、一人の女生徒がまだ教室内に留まっていたことに気が付いた。

 

「おや。どうしたんだい、ナイト?」

 

 レイブンクロー監督生兼首席であるナイト・フィスナーは、おずおずと壇上に歩み寄っては立ち止まる。

 

 アリス・フィスナーの養女である彼女とは家族ぐるみで付き合いのある仲だ。アリスが仕事で忙しい分、アキの自宅で面倒を見ることもしょっちゅうだった。ソラも良く懐いていて、まるで姉妹のようだとアクアも微笑ましそうに零していたっけ。

 

「あの……アキ教授。ちょっと、その、相談が」

 

 どことなく歯切れの悪い彼女に、悩み事の気配を感じ取る。

 

「……時間を取ろうか?」

「あっいえ! そこまでして頂かなくっても!」

 

 ナイトは慌てて両手を振った。

 気さくで遠慮のないように見えてこの子は案外気を遣う。周囲を良く観察して、相手が望む通りに振る舞ってしまう子だった。

 アリスが彼女を孤児院から引き取った頃からそうだった。もう抜けぬ癖なのだろう。

 

 ──そんな彼女が『相談』か。

 

「じゃあ、荷物を部屋まで運ぶのを手伝ってくれるかな?」

 

 そう微笑むと、ナイトは背筋を正して頷いた。

 

 

 

 

 

 荷物と言っても大した量じゃない。特に、今の授業は最高学年向けのものだ。ふくろう試験を終えた六年生からはより専門的な授業に特化するため、教える生徒の数はぐっと減る。

 

 普段は魔法で飛ばしてしまう荷物も、ナイトがいるから今日は手持ちだ。自寮の、それも監督生である彼女の前で横着するのは気が引けた。彼女は融通の効かない生真面目な子でもないし、多少のあれそれは見逃してくれるだろうが、そこはそれ、教師としての面目が勝つ。

 

「養父はやっぱり、あたしを後継にする気らしいんです」

 

 廊下を歩きながら、ナイトはそう呟いた。

 後継ということは、つまるところ『中立不可侵』フィスナーの後を継ぐ、ということだ。アリスは結婚していないし、彼の血を引く子もいない。アリスは兄弟もおらず一人っ子だから、ナイトにお鉢が回るのは妥当だろう。

 元々アリスもそんな意図込みで彼女を引き取ったはずだ。彼女も薄々察してはいたのだろうが、こうして最高学年となった今、卒業後の進路について避けては通れぬ話となったか。

 

「君の養父は、何て?」

「……『お前がやりたくなければ断ってもいい』って」

 

 ナイトは俯く。

 

「……ちょっと、ズルくないですか。あたしにそんな権限、渡されても困っちゃうっていうか。そもそも、あたしが決めていい話じゃないっていうか……。だってあたし、フィスナーの血を引いてないんですよ。養父の母方の親戚ってだけ。あたしは、ただのマグル生まれの小娘なのに」

「…………」

「『中立不可侵』フィスナーは、英国魔法界の要となる存在のはず。どこにも属さず、どこにも阿らず、何があっても屈しない。英国魔法界に秩序と安寧を齎す象徴、それが『中立不可侵』だって──理解は、しています。でも、だからこそ、ちゃんと血筋が伴った、名門の御子息じゃないとダメでしょう……象徴ならば、それこそ理由がないとダメでしょう……あたしなんかに、務まるはず、ないでしょう……」

 

 ナイトの声が小さくなる。

 彼女に見えないよう、アキはそっと頭を掻いた。

 

 ナイトの悩みは難しい。簡単に解いてしまうには、フィスナーは英国魔法界と密接に絡み過ぎている。

 

(だから、あそこは激務なんだよなぁ……)

 

 あらゆる業務を一手に引き受けすぎ、というか。

 全ての責任を担う箇所、というか。

 

(他の名家を駆使してなんとか分担はなされているようだけど、それでも全責任はフィスナー直系の当主が預かることになる)

 

 現当主アリス・フィスナーの首には、ひょっとすると魔法大臣よりも高い値が付きそうだ。

 そんなことを考えて、思わず笑みが零れそうにもなった。ナイトの前だぞと慌てて自重し表情を引き締める。

 

「君の悩みに、短時間で答えてあげることは難しい……ごめんね、ナイト。これはきっと、アリスも含めてきちんと話をするのが賢明だと思う」

「……そう、ですよね……」

 

 ナイトの瞳が静かに陰った。できる限り平静を保とうとしているものの、それでも表情には落胆の色が滲んでいる。

 

「だからね、ナイト。……ここからは君の教師じゃなく、アリス・フィスナーのしんゆ……悪友である、アキ・ポッターからの言葉なんだけど」

 

 アキはナイトを見てにっこりと笑って見せた。ナイトはきょとんと目を瞬かせる。

 

「君の養父、アレで中々張り合いたがりなんだよね。勝負事には興味ありませんよって顔してるし、それはまぁ実際そうなんだけど、こと自分のテリトリーだと話は変わってくる。あいつはチェスが得意だけど、ロン・ウィーズリーはあいつより上だった。学生時代、見るたび二人は試合っていてね。普段は何にも拘りを見せなかったあいつにも、こんなにも執着するものがあるんだなぁって、私は随分ほのぼのしたものなんだぜ?」

 

 良きライバル、と呼ぶべきか。

 二人の世界にどっぷりと浸かったまま、無言で駒を戦わせている彼らを見ていると「──ぼくの方が先に二人と仲良くなったのに」なんて、ちょっとだけ嫉妬心めいたものを感じずにはいられなかったけれど。

 

「そして、ここからは私の想像──妄想にはなるんだけど」

 

 アリスには内緒だよ? と片目を瞑ってナイトを見遣る。

 

「あいつのライバル心は、あいつの父親に対しても、ずっと向き続いているように思う」

 

 アリスの父親──リィフ・フィスナー。

 かつてアリスが敬慕し、同じ心で憎悪した、アリスのたった一人の肉親。

 

「先代当主であるリィフ・フィスナー、彼が成した中でも随一の功績と言えば何か、ナイト、君にはわかるかい?」

「えぇ? えっ……と、なんでしょう? リィフおじさまの功績ですか? マグル生まれ登録法の廃止? 魔法疾患患者の法労基改正? 非常事態に纏わる宣言令と、えぇとえぇと……」

 

 指折り数え始めた彼女に「テストじゃないんだから」と笑って言う。

 

「答えはね。──アリス・フィスナーを『中立不可侵』の当主にしたこと」

「…………、あぁ」

 

 ナイトは流石、察しが良い。

 青い瞳をパチリと瞬かせた彼女は、その目をそっとアキへと向けた。

 

「現当主のアリス・フィスナーは、お母様がマグルの半純血。彼を英国魔法界の中核に据えたことこそ、これまで純血の名門を尊んできた世界へのカウンターとなる。……そういうことですか?」

「乱暴に言ってしまえば、そういうことになるのだろうね」

 

 まぁ実際はそう簡単なものではなく。

 マグルの女性を妻にしたリィフへのバッシングはそれは酷いものであったと聞くし、そんな名門に一人嫁いだ奥方もまた様々な悪意を浴びることとなった。奥方の死後は息子のアリスも荒れに荒れて実家を飛び出したし、恐らく当時のリィフとしては、次期当主を息子が継いでくれることなど、とんだ夢物語だと思っていたに違いない。

 

 リィフとしてはただ、好きな女の子とずっと一緒にいたいと願っただけ。

 

「……それでも、半純血のアリスが『中立不可侵』を継いだことで、結果的に英国魔法界はより健全になり安定した。そのことを一番よくわかってるのはアリス本人だ。リィフ自身にそんな意図はなかったと言えど、アリスは、そして世界は、それを功績と判断する」

 

 全く勝手なものだと思う。

 ひとつの家族をめちゃくちゃにしておきながら、結果次第で世間は掌を返して褒めそやす。

 

(それが世間だと言ってしまえばその通りだけど)

 

 でも、自分よりも百倍は堪忍袋の尾が短いアリスが黙っているのだ。自分が手を出すのも筋違いだろう。

 

「だからね、ナイト。アリスの父親は、半純血のアリスを当主に据えた。だからアリスは──」

「マグル生まれであるあたしを、後継にしようって……? ただ、父親に張り合いたいためだけに……?」

 

 馬鹿みたい、とナイトは吐き捨てた。

 

「そんな、馬鹿みたいな感情で……? 名門フィスナーを、そして英国魔法界を潰してしまいたいんですか、あの人」

「そうだ、あいつは馬鹿だ」

 

 足を止めナイトに向き直る。まさかアキに肯定されるとは思いもしなかっただろうナイトは、目を見開いてアキを見返した。

 その瞳を見据えて口にする。

 

「だから、嫌なら断っていい。ただの養父に、君が恩義を感じる必要はない」

 

 気が乗らない者に、アリスは押しつけることはない。

 それでも彼女はきっと、アキの言葉に少し落ち込んでしまうだろうから。

 

「だからね、ナイト。今の君に必要なものは、お金と、そして時間だよ」

 

 ナイトの目が丸くなる。歩きながらアキは言った。

 

「別に、今すぐ後継を準備する必要はないわけだしね。アリスはまだ三十代だし持病もない。数年待つことなんて、おっさんには大したことじゃない。……でも、おっさんには大したことじゃなくても、君にとっては違うはずだよ。その数年で、自分のためにお金を稼ぎなさい。フィスナーの家のものではなく、君一人が自由にできる金を手元に貯めなさい」

 

 アキはにっこり笑ってみせる。

 

「フィスナーの仕事量は確かにえげつないけど、その分金払いは良い筈だ。そこで数年働く間、学校外で色んな人と出会って、色んなものを見聞きして、やりたいことが見つかれば、貯めた金持って出て行けばいい。……何にせよ、金さえあればどうとでもなる。まぁ気張れよ、若者よ。未来は案外自由だぜ?」

 

 ありがとう、とナイトの手から荷物を受け取った。そこでナイトは初めて、アキの自室に到着していたことに気付いたようだ。慌てたように姿勢を正すと「……ありがとうございますっ!」と笑顔を見せる。

 階段を降りていく後ろ姿を、アキはしばらく見送った。

 

「……ちょっと、喋り過ぎたかな」

 

 お喋り好きの自覚はあるのだ。年寄り臭い説教親父と見做されてみろ、だいぶ悲しくもなってしまう。

 自重自重と呟きながら研究室へ入ると、手に持っていた荷物を手放した。勝手に元の場所へ収納される荷物を気にも止めず、懐中時計を開いて時間を確かめる。

 

「十七時五十分。十分前か」




進路に悩んでしまうナイト。アリスさんは旧時代のあれそれなんざ知るかボケってスタンスですが、ナイトはそこまで振り切れていません。もう少し、アキ視点が続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 硝子片の未来

 来訪は十八時の予定だった。

 杖を振りお茶の準備をする。湯が沸いた頃合いで、暖炉に緑の炎が灯った。次いで「……ぃでっ」とくぐもった声も。

 暖炉の前で折り重なるように倒れる二人を見ながら、アキはもう一度時計を見た。

 

「五十五分。五分前だね、時間通りだ。ハリーがいるから十分は遅れるかなって思ってたんだけど、ハーマイオニーがいるから早めに用意してて正解だったや」

「アキ、ひょっとして、私のことを遅刻魔だと思ってる?」

 

 顔を上げたハリーは恨みがましい目でアキを見上げる。ハーマイオニーも身を起こしながら「いつも遅れるのは本当でしょ。自業自得よ」とクスクス笑った。

 

「ほら、二人ともいらっしゃい」

 

 立ち上がる二人に手を貸すとソファを示す。三人分の紅茶とお茶請けをテーブルに置き、アキも二人の正面に腰掛けた。

 

「さて。アクアから大体の話は聞いてるよ。早速本題に入ろうか」

「話が早くて助かるわ、アキ」

 

 にっこりと笑うハーマイオニーの隣で、ハリーがテーブルの上に何かを置く。

 アキは手を触れずにそれを眺めた。金の鎖に繋がれた時計、それは──

 

「私達が使っていたものとはデザインが違うね」

原物(オリジナル)は、神秘部の戦いで全て破壊されたわ。原物を見たことのないセオドール・ノットが、文献と伝聞から姿を模したもののでしょう」

「ふぅん……」

 

 杖先を逆転時計に触れさせる。

 ふわりと浮いた逆転時計は、そのまま魔法式の渦の中に飲み込まれた。

 

 アキを見ながら、ハリーは口を開く。

 

「この逆転時計を、君に預かっていて欲しいんだ。ホグワーツ以上に安全な場所はないし、君以上の術者はこの英国に二人といない。世界で一番安全な場所だと思う」

「……ハリー、正気かい? この私に、そんな無防備に逆転時計を渡すだなんて。『ぼく』がかつてやったこと、忘れたわけじゃないだろう?」

 

 思わず唇を歪めていた。

 自分には前科がある。かつて時を巻き戻し、世界を書き換えようとした前科が。

 未遂で終わりはしたものの、記した魔法式はどれも須く本物だ。

 

 選ばれなければ本当にやる気だった。

 本気で、幣原秋がその手を血染めにしない世界を創る気だった。

 

(まぁ半分は、選ばれなかったことへの復讐だけど)

 

 こんな自分を頭から信じるなんて、馬鹿げてる。

 ──それでも、自分の兄は根っからの馬鹿野郎のようで。

 アキを真っ直ぐ見つめたハリーは、嘘偽りもない声で「正気だよ。私は君を信じている」と答えた。

 

「君はアクアの夫として、ヒカルとソラの父親として、ホグワーツ教師として、そして何より私の大切な双子の弟として、この先も生きてくれる。何があっても。私は、それを確信してるんだ」

「……はは。相変わらず君は、頭が痛くなるくらい真っ直ぐだね」

「そいつは重畳」

 

 ハリーはしれっとした顔だ。

 アキはため息をついて「いいよ。承諾しよう」と肩を竦める。

 

「期限はいつまで?」

「ひとまず年内、都度更新ってことで」

「うわ、それ永遠に延ばされ続けるやつだ」

「まぁま、よろしくね、アキ。何、君の義弟(おとうと)が進めてる博物館化計画が、早いとこ実現に漕ぎ着けられれば解決する話さ」

「簡単に言ってくれるけどねぇ、かつての神秘部のように部外者立ち入り禁止ならともかくとして、一般人の入場が自由となるとどれだけのセキュリティを求められるかわかってるの? あぁもう、わかったよ……」

 

「流石は我が弟♪」とハリーはニコニコしながら片目を瞑った。その表情がふと真面目なものへと変わる。

 

「──それと、もう一つ話しておかなければならないことがある。アキ、君がかつて作った──」

「水晶の件だろ。聞いてはいるよ……参ったね」

 

 頭を掻いてソファに身を沈めた。

 ハーマイオニーがそっと眉を寄せる。

 

「『持ち主を一度だけ災厄から守る』お守り……その様子じゃ、まだお守りの効果は続いているわけね。アキの側から機能を停止させたりは出来ないの?」

「出来ないね。あれは致命的な呪いをたった一度だけ無効化させるだけの代物だ。かつての私がばら撒いた水晶は、当時の全校生徒である千百四十五人分。ホグワーツの戦いで失なわれたのは、多めに見積もったとしても三割弱。当時の私は『犠牲をゼロにする』ことを掲げていた。誰一人として死なぬよう万全を期した、それが仇になったかな」

「仇だなんて……あなたはただ、皆を守ろうとしたのでしょう?」

 

 アキを見て、ハーマイオニーは取りなすように微笑んだ。

 いいやとゆるりと首を振る。

 

「それでも。現状こうして懸念が出ている以上、これは私の不手際だよ。何にせよ、犠牲が出る前に発覚して良かった……回収はユークに頼んである。渋々ではあったけど了承してくれた」

 

 僕に闇市場を仕切らせるなんて、この借りは五倍にして返してもらいますからね、なんてボヤいていたっけ。それでも頼み事をすると引き受けてくれるのだ、なんだかんだで優しい義弟だと思う。

 良かったとハリーは肩を落とした。

 

闇市場(そちら)に大半が流れているとの見立てなら、魔法省から声明を流しても逆効果になる可能性が高い。対応が早くて助かった」

 

 そろそろお暇しようと二人は腰を上げる。

 頷いてアキも立ち上がった。

 

「……ねぇハリー。一個だけ聞いてもいいかい?」

 

 暖炉に向かうハリーに声をかける。

 ハリーは笑みを浮かべてアキを振り返った。

 

「なんだい?」

「アルバスのことだよ。スリザリンに組み分けられたことについて、君から何か声を掛けたさりした?」

「いや?」

 

 どうして? とハリーの目が問い掛けている。

 うぅんと思わず眉を寄せた。

 

「スリザリンに入ったからって何だと言うんだい? 入った寮でその人の価値は変わらない。いつもそう言っているのは、アキ、他でもない君じゃないか」

「ハリー、そうは言っても子供は気にするものだよ。君は確かに驕らないし、君の子供は自分の父親がどれだけ有名なのかも知らずに育ってきた。だからこそ言ってるんだ。アルバスはホグワーツに入っていきなり他者からの評価を浴びたんだよ。スリザリンにひとり組み分けられたアルバスが今どんな気持ちなのか、君には想像付くかい? お前は父親とは違う、父親ほど勇敢じゃない、そう言われる子の気持ちがわかるかい?」

 

 アキの言葉に、ハリーはそっと眉を寄せた。

 

「アキ、私は勇敢などではないよ。ただ運が良くて、周囲の人に恵まれてただけ。君ならわかるだろ? 私が欲しかったのは、普通で平穏なありふれた生活なんだ。勇敢じゃなくても特別じゃなくても生きられる世界、いいじゃないか? 私は子供に勇敢さを求めないし、グリフィンドールに入って欲しいと願ったことも一度だってない」

「たとえ君がそうであったとしても、噂は広まるものだ。ハリー、アルバスに手紙を書くんだ。君が考えている以上に、君はアルバスのことを知らないし、アルバスも君のことを知らないんだよ」

「噂は所詮噂だ、しばらくすれば収まるだろう。血を分けた息子のことを、私がわからないはずもない。それに、アルバスは私に一番似ているんだ」

 

 そう言って胸を張るハリーに、思わず口ごもってしまう。

 ハリーは親を知らない分、どうも理想を投影しがちだ。親と子ならば、多くの言葉を交わさずとも分かり合えるものだと思っている。

 

 親は子を愛するものだし、当然、子は親を愛するものだと──そう考えている。

 その愛は確かに尊いけれど、何もせずして手に入るような代物ではない。

 

「……似ているからと言って、君とアルバスは違う人格だ。それに、似ているからこそ比較される。世間が思う『ハリー・ポッター』の偶像と、ずっと見比べられ続けてしまうんだよ。ただ、君の子供に生まれたというだけで。今、アルバスが一番必要としているのは」

「──なのかい?」

「……え?」

「アルバスは、暴力を受けているのかい?」

 

 そう言ったハリーに、一瞬面食らう。

 否定の言葉は一拍遅れた。

 

「い、いや……少なくともこちらでは、そのような状況は把握してないが……」

 

 報告が上がってきていないだけの可能性は否定できない。

 監視の目は全てには行き届かない。できる限りを尽くしているものの、穴は必ず何処かに出来、そして加害者はその穴を決して見逃さない。

 

(幣原が、いい例だ)

 

「なら良かった」

 

 ホッとしたような表情でハリーは笑う。その笑みを思わず見咎めた。

 

「ハリー、学校を過信しないでくれ。子供の異変を見逃さないで。最悪の事態になってからじゃ遅いんだよ」

「アキ、君は神経質なんだよ。ただの噂、そうだろう? 私たちだって、当時は散々食らったじゃないか。そんな噂、無視しておけばいずれ勝手に収まるものだ。わざわざ君が、教師が出張るものじゃないと思うけど」

「それが、過信だと言ってるんだよ。ねぇハリー、お願いだって……」

「過信じゃない」

 

 ハリーはきっぱりと言い、アキに向き直る。

 

「学校に過信なんてしたことない。ダドリー軍団に対して、先生は何かをしてくれた? 私の噂に対し、学校は何かをしてくれた? DA (ダンブルドア軍団)を設立したのは何故だった? ……言っておくけど、私は学校を恨んでる訳じゃないんだよ。私はただ、君のそれは領分を超えているんじゃないかと思うだけ」

「…………、でも」

「ごめんなさいアキ、時間が押してるの」

 

 ハーマイオニーがそっと、ハリーに手を伸ばすアキを押し留めた。

 

「またね、アキ。何か進展あったらアクアに託すわ」

「うん……二人とも、忙しい中ありがとう」

「アキも、時間取ってくれてありがとう! ローズがよく手紙でアキ教授のことを話しているのよ! また、忙しくない時に話しましょうね」

 

 二人が炎の中へと消える。

 二人を見送ったアキは、ひとり静かに上げていた手を下ろした。ソファにストンと腰を下ろし、手の甲で目を抑える。

 

「…………領分、ね……」

 

 ならどうすれば守れるのか。

 どこまで行き着けば、大事なものを何一つ取り溢さずにいられるのか。

 

「こんな考え方してると、どう足掻いても幣原の二の舞になりそー……」

 

 助けるとか、助けられないとか。

 守るとか、守れないとか。

 自分の手を限界まで伸ばしたところで、掴めないものは掴めないのに。

 全てを救う手立てなんて──

 

「結局、ぜーんぶ、戯言……」

 

 ──時を戻してしまうより他はない

 

「…………」

 

 その時、誰かが扉をノックした。アキは目を開け立ち上がる。

 扉の前に立っていたのは、闇の魔術に対する防衛術教師、デルフィーニ・リドルだった。

 

「突然すみません。ちょっと、相談があって……寮監のことで、込み入った話になるんですけど」

「構わないよ。立ち話も何だ、中で話そう」

 

 遠慮がちにそう言う彼女に笑みを返す。

 室内へと足を踏み入れた彼女は、空いたカップを見て「来客ですか?」と尋ねた。

 

「ついさっきまでね。もう帰ったから気にしないで。片付いてなくてごめんね」

「いえ、突然来たのは私の方なので。……片付け、手伝いましょうか?」

「結構だよ。君は座っていてくれ」

 

 指を鳴らすと、カップはふわふわと浮いてシンクに向かう。その様子を所在なげに眺めたデルフィーは、先ほどまでハリーとハーマイオニーが座っていたソファに腰を下ろした。

 

「……あ。これ……」

 

 紅茶用の湯が沸くのを待っている間、デルフィーはふと声を上げる。アキは黙って目を向けた。

 

 彼女の視線の先には、逆転時計がぽつんと転がっている。解析が一通り終わったのだ。

 デルフィーは手を触れないまま、逆転時計をまじまじと見つめている。

 

「触れるだけなら害はないよ」

 

 そう声を掛けると、デルフィーは慌てて両手を上げた。素手で触る勇気はないらしい。

 

「これ、もしかして逆転時計(タイムターナー)じゃないですか?」

 

 デルフィーの言葉に思わず目を瞠る。

 ゆっくりと口元に笑みを浮かべた。

 

「よくわかったね」

「……これでも、闇の魔術に対する防衛術の教師ですから。外観くらいは知識として記憶してます」

「優秀で頼もしいな」

 

 淹れた紅茶をデルフィーの前に置く。空いたその手で、素早く逆転時計を攫った。

 

「あ……」

 

 デルフィーは少し残念そうだ。逆転時計をローブのポケットに滑り込ませ、アキは悪戯っぽく笑ってみせる。

 

「先程の来客からの預かり物なんだ。片付けができないところを見せちゃって恥ずかしいな」

「いえ! アキのお部屋はいっつも綺麗に片付いてるから、こういう姿を見ると新鮮でなんだか嬉しいです!」

「物は言いようだね」

 

 微笑みを浮かべたまま、デルフィーの正面に腰を下ろした。

 

「さて。一体、何の相談かな?」

「あっ、はい。あのですね──」

 

 デルフィーの話を聞きながら、アキはそっとローブに手を入れる。

 逆転時計の鎖を指に巻き付け、軽く目を伏せた。




ハリーの育った環境と受けてきた諸々を鑑みても、ハリーは学校や教師が生徒を守ってくれるなんて考えたことがないのだと思っています。不信感を抱いているのでもなく、ただ淡々と「そういうもの」だと思っている。

次回更新は11/20(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 蠢動

 わたし、ソラ・ポッターは、アルバスとスコーピウスから言われた言葉に首を傾げた。

 

「そう、勉強会。先週から始めたんだ。良かったらソラも、どうかなぁって」

 

 ニコニコしながらそう言うのはアルバスだ。

 アルバスは最近ちょっと明るくなった気がする。今までのように笑うようになったというか。まだローズとの間に溝はあるみたいだけど、少なくともわたしに対しては、これまで通りの距離感で接してくれるようになった。

 

「どういうことやってんの?」

「大体は授業の予習復習、それに課題を一緒にやって行く感じかなぁ。僕とスコーピウスに合わせて、基礎的なところから始めてるんだ」

「そんなに難しくないから、途中からでも全然入っていけると思うよ。ま、ソラは元々頭がいいし、全然困ってないかもだけど」

 

 スコーピウスがアルバスの言葉を引き継ぐ。そんなことないようと首を振った。

 

「わたしも、攻撃魔法は苦手だし……魔法史はついつい寝ちゃって、いっつも課題のレポートに苦労しちゃうの」

 

 小説を読む上で、知識というものはいくらあっても困るものではない。ふぅんと素通りしてしまうような描写でも、フックとなる知識が一つでもあるだけで、ガラリと景色が変わって見えたりもする。

 魔法史なんて言うまでもないから、できればちゃんと起きて、きちんと授業を受けたいんだけど……気付いたら夢の世界に漂ってしまうんだよねぇ……。

 

 だから、アルバスとスコーピウスの申し出は願ってもないというか、良い機会だなと思うのだった。

 わたしの言葉に、アルバスとスコーピウスはパァッと顔を明るくさせた。

 

「嬉しいな! きっとヒカルも喜ぶよ!」

「えぇっ、わたし達だけじゃないの!?」

 

 思わずのけ反る。ヒカルがいるのなら話はまた変わってくる。

 ……いや、わたしとしてはヒカルがいようがいまいが構わないんだけどね? ヒカルの方がね……? いつまでも妹にまとわりつかれるのは嫌みたいなんだもの。

 スコーピウスは目を瞬かせた。

 

「そう? ソラとヒカルは仲良いじゃない」

「別に……フツーだよ、フツー」

 

 ヒカルは活発で社交的だから大体人の輪の中にいたし、反対にわたしは一人が好きな人見知りだから、いつも本を抱えて隅っこにポツンと座っていた。わたしとヒカルほど正反対な兄妹もいないと思う。

 まぁ確かに、いっつもわたしの手を引っ張ってくれるのはヒカルだったけど……。

 

「でもヒカルは、よくソラのことを気にしてるよ?」

「それは、わたしが他の人に迷惑かけてないかを確認してるだけだよ……」

 

 口うるさくて目敏いのだ。いつもわたしに向かって「甘ったれ」とか言ってくるし。それにあんまり優しくもしてくれないし。

 スコーピウスは不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「ふぅん……僕はひとりっ子だからよくわからないんだけど、兄妹というのは不思議なものだね」

「それぞれ違うさ。兄弟と言うなら、ジェームズだって……」

 

 そう呟いて、そっとアルバスが目を伏せる。

 ちょっと地雷踏んだかと、わたしは慌てて話題を変えた。

 

「だとしたら勉強会は、ヒカルが先生役って感じなのかな。ヒカルは教えるのも上手だし、いいと思うよ。その分お小言も多いけど……」

「あ、実はね、先生役にはもう一人呼んでいるんだ」

 

 スコーピウスが両手を振る。

 そこでアルバスが、満面の笑顔で身を近づけてきた。

 

「デルフィーだよ! 闇の魔術に対する防衛術教授の、デルフィーニ・リドル! 彼女もこの勉強会に参加したいんだって!」

 

 ──デルフィーニ・リドル。

 その名前を耳にした瞬間、全身の皮膚がぶわりと粟立つ。

 

 アルバスの声が、急に遠ざかっていって。

 まるで、たった一人深淵に突き落とされたような気分になる。

 黒い泥に手足を取られて、どれだけもがいても、もう二度と地上へ浮いて来られないような──

 

「……ソラ? ソラ!?」

 

 肩を揺さぶられて我に返った。気づけばアルバスとスコーピウスが、心配そうな顔でわたしを覗き込んでいる。

 

「どうした? 顔が真っ青だよ」

「ちょっと疲れてるんじゃない? 最近涼しくなってきたしね、ちゃんと毛布被って寝てる?」

「だ……大丈夫、だよ……」

 

 ──言えない。

 デルフィーが怖いなんて……そんなこと、この二人の前では口が裂けても言えっこない。

 

 アルバスの笑顔を曇らせたくない。

 アルバスが信用してる人なのに、そんな人を悪く言うのは良くない。

 

「あ、あはは……ちょっと面白い本があって、最近つい夜更かししちゃうんだ」

「ソラ、寝不足は身体に良くないよ。夜はきちんと寝なさい」

 

 アルバスが大人ぶって説教する。わたしは「ごめんなさい」と苦笑いを浮かべた。

 スコーピウスはそっとわたしの額に手を当て「熱はないようだけど、安静にしてね」と軽く眉を寄せる。

 

「勉強会は、ソラの体調がいいときに参加してくれたらいいからさ。くれぐれも、無理は禁物だよ」

 

 二人の心配そうな表情に、まるでわたしが二人を騙しているようで、ちくりと胸が痛んだ。それでもこればっかりは誤魔化すしかない。

 

「……心配してくれて、ありがとう。ちゃんと休むよ」

 

 そう言うと、アルバスとスコーピウスは安心したように微笑んだ。

 

 

 

 

 

「アキ・ポッターに関する妙な噂ぁ?」

 

 思わず語尾が上がるのを抑えられない。いとこのジェームズ・シリウス・ポッターを睨むと、ジェームズは慌てて両手を振った。

 

「う、うんっ、ちょっと、その、ヒカルは、なんか、知ってる、か、なぁって……」

 

 ──魔法使いの街、ホグズミード。

 ホグワーツに通う三年生以上の生徒は、数週間に一度週末にこの街へ遊びに行けるようになる。薬問屋や文房具店もあるから学業用品を買い足すこともできるし、カフェやパブなんかも多いからちょっとしたデートにも最適。というか、むしろ校内を除けばデートスポットなんてホグズミードしかない。

 

 ……まぁそんなホグズミード休暇を、僕は悪戯専門店でジェームズと共に悪戯グッズを物色するのに費やしているわけだけど。いいんだ、これが一番楽しいんだから。

 

 いや、それはともかくとして。

 

「アキ・ポッターに関する噂話なんて、それこそ掃いて捨てるほどあるだろ。次期魔法大臣に推薦されてるだの、密かに学校中に設置されたカメラの録画映像を夜な夜な眺めるのが趣味だの、ハグリッドの『尻尾爆発スクリュートバージョンX』は呪文学の授業を妨害した生徒が姿を変えられた成れの果てだの。この学校の生徒は噂話が大好きだし、どれもこれも、根も葉もない噂話だ」

 

 父の噂は数多い。有名なハリー・ポッターの弟だということに加え、本人もまたそんな噂の的になりやすそうな性格をしているし。息子としては困ったものだと思うばかりだ。

 しかも父の噂は『父本人』が流したものも幾つかあって、余計に事態をややこしくしていた。

 

「いや、まぁ、うん、そうなんだけど……」

 

 しかしジェームズは歯切れが悪い。

 何か言いにくいことを言いたげだと、はてと首を傾げたところで。

 

「「アキの話か?」」

「ひぃっ!?」

 

 突然両サイドからステレオで声を掛けられ、びっくりして飛び上がった。

 慌てて後ろを振り向こうとしたものの、その前に肩をがっしり掴まれ叶わない。かろうじて首を回すと、その声の主に目を向けた。

 

「フレッド!」

「ジョージまで!」

「ようジャリ共、元気かよ」

「今日もご機嫌麗しゅう♪」

 

 そうだ、ここはWWW〈ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ〉のホグズミード支店。フレッドとジョージの双子はWWWの創設者であり経営者なのだから、支店にだって顔を出すこともあるだろう。

 

 フレッドもジョージも共にロンおじさんより歳上だけど、二人が『おじさん』抜きで呼べと言うので、みんな従っている形だ。

 いつまでも若々しいからおじさんというより兄ちゃんって感じ。僕とジェームズにとっては、楽しいこといっぱい教えてくれる悪ぅい兄貴分。

 

「それよりなんだ、アキの話か?」

「俺たちにも聞かせろよ、可愛い弟の話をさ」

「うちの父さんは、フレッドとジョージの義弟〈おとうと〉じゃないだろ?」

 

 呆れて肩を竦める。

 

「何、義弟〈ハリー〉の弟なんだから、俺たちの弟も同然だろ」

「どれだけ時が過ぎようと、あいつはいつまでも俺たちの可愛い可愛い弟分だからな」

「あっそ……」

 

 弟がゲシュタルト崩壊しそうだ。

 フレッドはニヤリと笑って、ジェームズの首根っこを掴むと揺さぶった。うぎゃあとジェームズがのけ反るのに、双子は揃ってケタケタと笑う。

 

「……で? ジェームズ、どういう噂だ」

 

 ジェームズはアホだがバカじゃない。わざわざ僕に伝えたのはそれなりの理由があるはずだ。

 ジェームズはちょっと情けない顔をして僕を見た。

 

「……おこんなよ?」

「は?」

 

 怒る? 僕が?

 

「それは噂次第だろ」

「……だよなぁ」

 

 苦笑したジェームズは、ちょいちょいと僕らをもっと寄せ集める。店内は混み合っているものの、背の高いフレッドとジョージが壁になってくれた。

 ジェームズは小さな声で囁く。

 

「アキ教授が、その、デルフィーと……いい仲だって……」

「…………、冗談だろ?」

「だ、だよなぁ!?」

 

 何だ、と思わず嘆息してしまう。噂を流した奴の顔を見てみたいものだ。

 うちの父が? あの、母にベタ惚れなのが駄々漏れの父が? わざわざ規則をいくつか曲げてまで、母に会うために毎晩自宅へ帰るあの父が? 浮気?

 フレッドとジョージは、ジェームズの言葉を聞くなり神妙な表情で顔を見合わせた。

 

「アキ殿下が浮気だと……」

「アクア姫というものがありながら……」

「時と言うのは人を変えるものなのさ……」

「……なぁフレッド。可愛い弟がいつの間にか大人になってることに気付いたとき、お前ならどんな気分になる?」

「何言ってんだ、アキは一応、ロナルド坊やのペットのネズミと同い年なんだぜ?」

「やめろ、それ、思い出すと割と萎えるから」

「アキも自称するたび、最近結構落ち込むようになったよな」

「主に前髪の生え際を鏡で見てため息ついちゃうやつだな」

「わっかるー……」

 

 ……なんか別の話題にすり替わってる気がする。

 

「冗談だよな! うん! ヒカルにそう断言されて安心した!」

 

 ジェームズは涙ぐみながら頷いている。

 ジェームズにとってうちの父は叔父に当たるし、そうでなくとも生まれた時からずっと見ている家族がバラバラになるかも? という懸念に思わず不安になってしまったのだろう。

 確かに僕も、ハリーおじさんに浮気の噂が立ったら、それがいくらバカバカしいものだとしてもちょっと確かめずにはいられないかも。

 

「いやぁ、それがさ? ちょっと信憑性の伴う噂だったから、有り得ないだろって思っていても、そうそう笑い飛ばせなくって……元々デルフィーとアキ教授って仲いいというか、アキ教授は面倒見いいから頼られがちだし、よく一緒にいるところ見かけたりするじゃん。噂を聞いた奴らも『ありえない』って顔してたけど、それでも見れば見るほど半信半疑になってしまって……」

「信憑性?」

 

 首を傾げる。あぁと頷いたジェームズは、今度は真面目な顔をした。

 

「二人の写真が出回ってるんだ」

 

 

# 空の追憶R17 蠢動

#空の追憶R

 

「勉強会?」

 

 わたし、ソラ・ポッターは、アルバスとスコーピウスから言われた言葉に首を傾げた。

 

「そう、勉強会。先週から始めたんだ。良かったらソラも、どうかなぁって」

 

 ニコニコしながらそう言うのはアルバスだ。

 アルバスは最近ちょっと明るくなった気がする。今までのように笑うようになったというか。まだローズとの間に溝はあるみたいだけど、少なくともわたしに対しては、これまで通りの距離感で接してくれるようになった。

 

「どういうことやってんの?」

「大体は授業の予習復習、それに課題を一緒にやって行く感じかなぁ。僕とスコーピウスに合わせて、基礎的なところから始めてるんだ」

「そんなに難しくないから、途中からでも全然入っていけると思うよ。ま、ソラは元々頭がいいし、全然困ってないかもだけど」

 

 スコーピウスがアルバスの言葉を引き継ぐ。そんなことないようと首を振った。

 

「わたしも、攻撃魔法は苦手だし……魔法史はついつい寝ちゃって、いっつも課題のレポートに苦労しちゃうの」

 

 小説を読む上で、知識というものはいくらあっても困るものではない。ふぅんと素通りしてしまうような描写でも、フックとなる知識が一つでもあるだけで、ガラリと景色が変わって見えたりもする。

 魔法史なんて言うまでもないから、できればちゃんと起きて、きちんと授業を受けたいんだけど……気付いたら夢の世界に漂ってしまうんだよねぇ……。

 

 だから、アルバスとスコーピウスの申し出は願ってもないというか、良い機会だなと思うのだった。

 わたしの言葉に、アルバスとスコーピウスはパァッと顔を明るくさせた。

 

「嬉しいな! きっとヒカルも喜ぶよ!」

「えぇっ、わたし達だけじゃないの!?」

 

 思わずのけ反る。ヒカルがいるのなら話はまた変わってくる。

 ……いや、わたしとしてはヒカルがいようがいまいが構わないんだけどね? ヒカルの方がね……? いつまでも妹にまとわりつかれるのは嫌みたいなんだもの。

 スコーピウスは目を瞬かせた。

 

「そう? ソラとヒカルは仲良いじゃない」

「別に……フツーだよ、フツー」

 

 ヒカルは活発で社交的だから大体人の輪の中にいたし、反対にわたしは一人が好きな人見知りだから、いつも本を抱えて隅っこにポツンと座っていた。わたしとヒカルほど正反対な兄妹もいないと思う。

 まぁ確かに、いっつもわたしの手を引っ張ってくれるのはヒカルだったけど……。

 

「でもヒカルは、よくソラのことを気にしてるよ?」

「それは、わたしが他の人に迷惑かけてないかを確認してるだけだよ……」

 

 口うるさくて目敏いのだ。いつもわたしに向かって「甘ったれ」とか言ってくるし。それにあんまり優しくもしてくれないし。

 スコーピウスは不思議そうな顔で首を傾げた。

 

「ふぅん……僕はひとりっ子だからよくわからないんだけど、兄妹というのは不思議なものだね」

「それぞれ違うさ。兄弟と言うなら、ジェームズだって……」

 

 そう呟いて、そっとアルバスが目を伏せる。

 ちょっと地雷踏んだかと、わたしは慌てて話題を変えた。

 

「だとしたら勉強会は、ヒカルが先生役って感じなのかな。ヒカルは教えるのも上手だし、いいと思うよ。その分お小言も多いけど……」

「あ、実はね、先生役にはもう一人呼んでいるんだ」

 

 スコーピウスが両手を振る。

 そこでアルバスが、満面の笑顔で身を近づけてきた。

 

「デルフィーだよ! 闇の魔術に対する防衛術教授の、デルフィーニ・リドル! 彼女もこの勉強会に参加したいんだって!」

 

 ──デルフィーニ・リドル。

 その名前を耳にした瞬間、全身の皮膚がぶわりと粟立つ。

 

 アルバスの声が、急に遠ざかっていって。

 まるで、たった一人深淵に突き落とされたような気分になる。

 黒い泥に手足を取られて、どれだけもがいても、もう二度と地上へ浮いて来られないような──

 

「……ソラ? ソラ!?」

 

 肩を揺さぶられて我に返った。気づけばアルバスとスコーピウスが、心配そうな顔でわたしを覗き込んでいる。

 

「どうした? 顔が真っ青だよ」

「ちょっと疲れてるんじゃない? 最近涼しくなってきたしね、ちゃんと毛布被って寝てる?」

「だ……大丈夫、だよ……」

 

 ──言えない。

 デルフィーが怖いなんて……そんなこと、この二人の前では口が裂けても言えっこない。

 

 アルバスの笑顔を曇らせたくない。

 アルバスが信用してる人なのに、そんな人を悪く言うのは良くない。

 

「あ、あはは……ちょっと面白い本があって、最近つい夜更かししちゃうんだ」

「ソラ、寝不足は身体に良くないよ。夜はきちんと寝なさい」

 

 アルバスが大人ぶって説教する。わたしは「ごめんなさい」と苦笑いを浮かべた。

 スコーピウスはそっとわたしの額に手を当て「熱はないようだけど、安静にしてね」と軽く眉を寄せる。

 

「勉強会は、ソラの体調がいいときに参加してくれたらいいからさ。くれぐれも、無理は禁物だよ」

 

 二人の心配そうな表情に、まるでわたしが二人を騙しているようで、ちくりと胸が痛んだ。それでもこればっかりは誤魔化すしかない。

 

「……心配してくれて、ありがとう。ちゃんと休むよ」

 

 そう言うと、アルバスとスコーピウスは安心したように微笑んだ。

 

 

 

 

 

「アキ・ポッターに関する妙な噂ぁ?」

 

 思わず語尾が上がるのを抑えられない。いとこのジェームズ・シリウス・ポッターを睨むと、ジェームズは慌てて両手を振った。

 

「う、うんっ、ちょっと、その、ヒカルは、なんか、知ってる、か、なぁって……」

 

 ──魔法使いの街、ホグズミード。

 ホグワーツに通う三年生以上の生徒は、数週間に一度週末にこの街へ遊びに行けるようになる。薬問屋や文房具店もあるから学業用品を買い足すこともできるし、カフェやパブなんかも多いからちょっとしたデートにも最適。というか、むしろ校内を除けばデートスポットなんてホグズミードしかない。

 

 ……まぁそんなホグズミード休暇を、僕は悪戯専門店でジェームズと共に悪戯グッズを物色するのに費やしているわけだけど。いいんだ、これが一番楽しいんだから。

 

 いや、それはともかくとして。

 

「アキ・ポッターに関する噂話なんて、それこそ掃いて捨てるほどあるだろ。次期魔法大臣に推薦されてるだの、密かに学校中に設置されたカメラの録画映像を夜な夜な眺めるのが趣味だの、ハグリッドの『尻尾爆発スクリュートバージョンX』は呪文学の授業を妨害した生徒が姿を変えられた成れの果てだの。この学校の生徒は噂話が大好きだし、どれもこれも、根も葉もない噂話だ」

 

 父の噂は数多い。有名なハリー・ポッターの弟だということに加え、本人もまたそんな噂の的になりやすそうな性格をしているし。息子としては困ったものだと思うばかりだ。

 しかも父の噂は『父本人』が流したものも幾つかあって、余計に事態をややこしくしていた。

 

「いや、まぁ、うん、そうなんだけど……」

 

 しかしジェームズは歯切れが悪い。

 何か言いにくいことを言いたげだと、はてと首を傾げたところで。

 

「「アキの話か?」」

「ひぃっ!?」

 

 突然両サイドからステレオで声を掛けられ、びっくりして飛び上がった。

 慌てて後ろを振り向こうとしたものの、その前に肩をがっしり掴まれ叶わない。かろうじて首を回すと、その声の主に目を向けた。

 

「フレッド!」

「ジョージまで!」

「ようジャリ共、元気かよ」

「今日もご機嫌麗しゅう♪」

 

 そうだ、ここはWWW〈ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ〉のホグズミード支店。フレッドとジョージの双子はWWWの創設者であり経営者なのだから、支店にだって顔を出すこともあるだろう。

 

 フレッドもジョージも共にロンおじさんより歳上だけど、二人が『おじさん』抜きで呼べと言うので、みんな従っている形だ。

 いつまでも若々しいからおじさんというより兄ちゃんって感じ。僕とジェームズにとっては、楽しいこといっぱい教えてくれる悪ぅい兄貴分。

 

「それよりなんだ、アキの話か?」

「俺たちにも聞かせろよ、可愛い弟の話をさ」

「うちの父さんは、フレッドとジョージの義弟〈おとうと〉じゃないだろ?」

 

 呆れて肩を竦める。

 

「何、義弟〈ハリー〉の弟なんだから、俺たちの弟も同然だろ」

「どれだけ時が過ぎようと、あいつはいつまでも俺たちの可愛い可愛い弟分だからな」

「あっそ……」

 

 弟がゲシュタルト崩壊しそうだ。

 フレッドはニヤリと笑って、ジェームズの首根っこを掴むと揺さぶった。うぎゃあとジェームズがのけ反るのに、双子は揃ってケタケタと笑う。

 

「……で? ジェームズ、どういう噂だ」

 

 ジェームズはアホだがバカじゃない。わざわざ僕に伝えたのはそれなりの理由があるはずだ。

 ジェームズはちょっと情けない顔をして僕を見た。

 

「……おこんなよ?」

「は?」

 

 怒る? 僕が?

 

「それは噂次第だろ」

「……だよなぁ」

 

 苦笑したジェームズは、ちょいちょいと僕らをもっと寄せ集める。店内は混み合っているものの、背の高いフレッドとジョージが壁になってくれた。

 ジェームズは小さな声で囁く。

 

「アキ教授が、その、デルフィーと……いい仲だって……」

「…………、冗談だろ?」

「だ、だよなぁ!?」

 

 何だ、と思わず嘆息してしまう。噂を流した奴の顔を見てみたいものだ。

 うちの父が? あの、母にベタ惚れなのが駄々漏れの父が? わざわざ規則をいくつか曲げてまで、母に会うために毎晩自宅へ帰るあの父が? 浮気?

 フレッドとジョージは、ジェームズの言葉を聞くなり神妙な表情で顔を見合わせた。

 

「アキ殿下が浮気だと……」

「アクア姫というものがありながら……」

「時と言うのは人を変えるものなのさ……」

「……なぁフレッド。可愛い弟がいつの間にか大人になってることに気付いたとき、お前ならどんな気分になる?」

「何言ってんだ、アキは一応、ロナルド坊やのペットのネズミと同い年なんだぜ?」

「やめろ、それ、思い出すと割と萎えるから」

「アキも自称するたび、最近結構落ち込むようになったよな」

「主に前髪の生え際を鏡で見てため息ついちゃうやつだな」

「わっかるー……」

 

 ……なんか別の話題にすり替わってる気がする。

 

「冗談だよな! うん! ヒカルにそう断言されて安心した!」

 

 ジェームズは涙ぐみながら頷いている。

 ジェームズにとってうちの父は叔父に当たるし、そうでなくとも生まれた時からずっと見ている家族がバラバラになるかも? という懸念に思わず不安になってしまったのだろう。

 確かに僕も、ハリーおじさんに浮気の噂が立ったら、それがいくらバカバカしいものだとしてもちょっと確かめずにはいられないかも。

 

「いやぁ、それがさ? ちょっと信憑性の伴う噂だったから、有り得ないだろって思っていても、そうそう笑い飛ばせなくって……元々デルフィーとアキ教授って仲いいというか、アキ教授は面倒見いいから頼られがちだし、よく一緒にいるところ見かけたりするじゃん。噂を聞いた奴らも『ありえない』って顔してたけど、それでも見れば見るほど半信半疑になってしまって……」

「信憑性?」

 

 首を傾げる。あぁと頷いたジェームズは、今度は真面目な顔をした。

 

「二人の写真が出回ってるんだ」




フレジョの双子が店を盛り立てている姿は見ていて眩しいですね。空の追憶時空ではロンも加わって三人で店を切り盛りしています。支社もできてるし忙しそうですね。

次回更新は11/27(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 In dubio pro reo

「……そこで私に直接聞きに来るところが、私の息子らしいというか、何というか……」

 

 父は眉間を押さえている。

 テーブルの上に写真をずらっと並べた僕は、腕を組んでソファに身を預けた。

 

「出回ったと考えられる写真は一通り回収した。双子の呪文で複製されたものまでは定かじゃないけどね。いやぁ、母さん譲りのこの顔にここまで感謝したのは生まれて初めてだよ。にっこり笑って『その写真、僕にくれないかな?』って言えば、みんな血相変えて僕に差し出してくるんだからさ。マジウケる。顔だけで人生安泰ってやつだね。この顔に産んでくれた両親にマジ感謝」

「……ヒカル、もしかしてすっごい怒ってる? 怒ってるね?」

 

 父は頬を引きつらせて僕を見る。

 

 ジェームズから噂を聞いた後、ホグワーツに直帰した僕らが全寮を巡って回収したのが昨日の今日。おかげで週末が完全に潰れることとなった。課題も、読みたい本も、遊びの約束だってあったのに。

 

「怒ってない。ただ迂闊さにキレてる」

「息子にキレられてるぅ……」

「で、浮気してんの?」

「してないよ!? するワケないじゃん! 私は何年、何十年経とうとも、ずっとアクア一筋なんだからね!」

 

 眉尻を下げた父は、その場でパキンと指を鳴らした。瞬間写真に掛けられていた呪文が解け、父とリドル教授のツーショット写真は似ても似つかぬものへと戻る。

 呪文の腕は相変わらず一流だと内心で舌を巻いた。これ、だいぶ複雑な呪文が掛けられていて、僕とジェームズの二人がかりでも解くのに二時間は掛かったのに。

 

「ひとまずは、ありがとう、ヒカル……それにジェームズも、かな。助かったよ」

「そりゃどーも。グリフィンドールに五十点くらいくれてもいいんだけど?」

「その、私としてもそうしたいくらいには感謝の気持ちで溢れてるんだ、本当だよ。ただ今回は私情が入り過ぎてるし、寮杯の点数をあげるのはちょっと難しい」

「じゃあ幸運薬(フェリックス・フェリシス)で手を打ってあげる」

「うっ、それは取引としても法外じゃ……」

 

 無言で僕が懐から新たな写真を取り出したのを見て、父はぐぅっと言葉を止める。

 うううとしばらく呻いた父は、降参とばかりに両手を上げた。

 

「……スネイプ教授に頼んでみるよ……」

「お願いね、父さん」

 

 父に写真を渡す。

 父は目を眇めて「したたかな子に育ったなぁ」と口を尖らせた。思わず鼻で笑ってしまう。

 

「アキ・ポッターの長男だからね。そりゃしたたかにもなるさ」

「関係あるかい? それ」

 

 父は肩を竦めて指を鳴らす。瞬間、積み上げられた写真は炎に包まれた。

 

「今回の噂は悪質だ」

 

 静かに、父は呟いた。

 

「偽装写真も巧妙。悪戯にしても度が過ぎてるし、何より全く面白くない。そして普通に無礼だよ」

「……父さんの言葉には同意する。これは悪戯の風上にも置けない代物だ。……でも、一つ聞いていい?」

「いいよ。何?」

「デルフィーニ・リドルとは何者?」

 

 僕の言葉に、父はただ目を瞬かせる。その瞳からは、父が今何を考えているのか読み取れない。

 

「新任のホグワーツ教師……ってだけじゃ、ヒカルとしては物足りないって訳か」

「ホグワーツ教師は、基本的には現職の推薦が必要だろ。彼女はダームストラングの出身だし、そんな人がどうして、わざわざホグワーツの教師に?」

 

 ふむ、と父は少し考えるような素振りを見せた。

 

「まずは、一つ誤解を解いておこうか。ホグワーツの採用は基本は確かに推薦だけど、場合によっては公募もするし、その時は面接で採るかどうかを決定するんだ。例えば、占い学のシビル・トレローニー教授とかね。彼女も、ダンブルドアが面接して採用したうちのひとりだよ」

「うげっ、あのクソインチキ占い師が!?」

 

 やばい、思わず口が滑った。

 瞬間「コラッ!」と父からお叱りの声が飛んで来たので、僕は慌てて身を正す。

 

「ごめんなさいっ! でもね、あの先生、ジェームズを見るたびにいっつもあなたはもう死ぬすぐ死ぬ死んでしまう運命なのですぅって悲壮感溢れる声で言うもんだから! あなたには死神犬(グリム)が憑いていますわ今度こそ間違いない絶対ですわぁってずっとずっとずーーっと繰り返して言うもんだからさ! 親友が死ぬ死ぬ言われてっとムカつくじゃん!? ジェームズも最初は鼻で笑ってたけど、先生があんまり何度も繰り返すせいで最近ちょっと真面目にビビってて、夜にトイレ行くのも僕を叩き起こす始末だし……ちょっと父さん真面目に聞いて! 笑ってんじゃねぇよ!」

 

 ソファのクッションを叩きながら笑う父を見て思わず憤慨してしまう。

 眦に浮かんだ涙を拭った父は「ごめんごめん」と言いながら身を起こした。

 

「何だ、まだそういうこと言ってんのあの人? あの死ぬ死ぬ詐欺は彼女の趣味だから、気にしない方がいいよ。今年はハリーの息子だったかぁ。私達の代では、あれはハリーだったからね。因果を感じるというか……ミドルネームに『シリウス』って付けたからかな? 名付けの際、パッドフットったら嬉しさのあまり『私がこの子の守護霊となる!』って意味不明なこと吠えてたもんなぁ。これでジェームズの守護霊が大型犬だったら、私は笑って立てなくなる自信がある……『今度こそ間違いない』って、あの人ったら……ふふふっ……! 本当に憑いてるのかもしれないね、後でお茶にでも誘おっと……!」

 

 性懲りもなく父は肩を震わせている。笑われた身としては何だかあまり面白くない。

 眉を寄せて紅茶を啜ると「父さん、話の途中だよ!」と声を上げた。

 

「デルフィーニ・リドルのこと! 教えてくれるんじゃなかったの!」

「あぁ、そうだったそうだった」

 

 むぅぅと父を睨むと、父は慌てたように居住まいを正す。口元はまだちょっとにやけているものの、ひとまずは許容範囲としようじゃないか。

 

「えぇと、デルフィーがホグワーツ教師になった理由だっけ? 簡単な話だ、私が彼女を推薦したんだよ」

「えっ? 父さんが?」

 

 そう、と父は軽く頷く。

 

「だって去年は何せ、二十二年ぶりに三大魔法学校対抗試合(トライウィザード・トーナメント)が開催されたからね。開催校はダームストラングだった。ヒカルは二年生だったから連れて行けなかったけど、噂くらいは聞いたことあるんじゃない?」

「あぁ……」

 

 そう言えば、確かに。あの時は上級生が観戦でごっそりいなくなったから、ホグワーツがやけに広々として見えたものだ。

 二十年前はそれはそれはいろんなことが起きたから、安全対策その他諸々でお偉いさんや先生方は皆ピリピリ張り詰めていたものの、三大対抗試合は成功と言える結果で幕を閉じた。その後ナイトやビクトワールから、散々観戦レポという名の自慢を浴びせられて、個人的には大変悔しい思いをしたものだけど。

 

「……もしかして、その三大対抗試合のダームストラング代表選手って……」

「察しがいいね。その通り、デルフィーニ・リドルだ。ちなみに言えば、その大会で優勝したのも彼女だよ」

「……マジかー」

 

 只者ではないと思っていたが、本当に只者ではなかった。

 当時は観戦に行ける上級生への羨ましさと悔しさのあまり殆ど耳を塞いでいたけれど、こうなると観戦レポもちゃんと聞いておけば良かったと思ってしまうから現金なものだ。

 

 そして同時に、リドル教授がやけに上級生からの人気を集めていることへも納得が行った。当時観戦していた人にとってみれば、彼女はきっとヒーローなのだ。

 

「ダームストラングでも稀代の秀才。人望も才能も兼ね備えていて、性格にも難は無く、コミュニケーション能力もすこぶる高い。そんな彼女がホグワーツの教職を希望したんだ、こちらとしても早急に闇の魔術に対する防衛術の空席を埋める必要があったからね。まぁ、需要と供給の一致ってやつだよ」

「……だから、そこでどうしてホグワーツなわけ?」

「それは知らないよー、どうしても気になるのなら本人に聞きな?」

「ん……」

 

 それもまぁ、もっともではある。

 

 先ほど炎に包まれた写真は既に黒ずんだ灰ばかりを残すのみ。

 考え込みながらも、僕はその灰を指し示した。

 

「……あの写真……相当複雑な呪文が掛けられていたよね。少なくとも低学年では無理な芸当だ。こんなことができるのは恐らく、ふくろう試験後の六、七年生か、あと考えられるとすれば……教師」

 

 眉を寄せ、口元を手で覆う。

 何か、見逃してはいないだろうか。

 

「……父さん、いつも言ってるよね。魔法には必ず、術者の痕跡が残るって。どんなに腕がいい魔法使いでも、自らの痕跡を完全に隠蔽し切ることは不可能だって。……父さんなら、さっきの写真から犯人を特定できるんじゃないの……あぁでも、今ので写真は燃えてしまったから……」

 

 そこで言葉が止まる。

 

「……なんで父さん、さっきの写真、燃やしたの……?」

 

 父ほどの術者なら、残された魔法の痕跡から犯人を暴くことくらい簡単だったはずなのに。

 既に写真は全て灰になってしまった。魔法の痕跡は新たな魔法で完全に上書きされてしまって、ここから見つけ出すのは不可能だろう。

 

「うっかり……じゃ、ないよね。わざとだよね父さん。どうして? どうして犯人を探そうとしないの?」

「ヒカル」

「もしかして父さん、犯人が誰かわかってるんじゃない? だから、暴かれる前に証拠を全部灰にしたの? どうして犯人のことを庇うの? 犯人は父さんへ悪意ある噂を流し、父さんの名誉を貶めようとしたのに! どうしてそんな相手のことを許すの? ねぇ父さん、もしかして、今回噂を流した犯人ってまさか」

「えいっ」

 

 パンッ!

 

 父が僕の鼻先で手を打ち鳴らしたのに、びっくりして思わず息が止まる。

 一呼吸して冷静さが戻ってきた。

 

「ヒカル、お前は頭が良いよね。その自覚もあるはずだ」

 

 僕の目を見て、父は言う。

 

「自ら動く行動力も、他人を動かす人望もある。お前の言うことならばと信じる人も多いだろう。お前の言葉をまるっと信奉する者も、これから先出てくるかもしれない。──だからこそ、憶測は無闇に口に出すな」

「……ごめんなさい」

 

 うん、と父は頷いた。浮かした腰を再びソファに預ける。

 

「ウソの裏付けとなった写真はもう破棄した。今回の件は、いつも通りの根も葉もないただの噂。それで、いいね?」

「…………」

 

 頷き難くて、ただ唇をギュッと引き結んだ。

 そんな僕を見て父は苦笑する。

 

「In dubio pro reo〈疑わしきは罰せず〉、だよ、ヒカル。それにね、魔力の痕跡として拾えるのは『どの杖が使われたか』であって『誰が魔法を掛けたか』じゃない。冤罪と言うのは往々にして、その辺りの履き違えで起こるものだ。かつての時代、闇祓いは行うべき調査や裁判を省略し、敵と見做した者の命を過ぎたる権限の下で奪った。その中に何割無実の人がいただろう? 今となっては、全てが闇に葬り去られてしまった」

「……それは」

 

 闇祓いの英雄だった彼の──幣原秋の話だろうか。

 普段だったらもう少し突っ込んで聞くものの、叱られたばかりの今だとそれも少しやりづらい。

 口を噤む僕を、父は優しい眼差しで見た。

 

「…………帰る」

「うん」

 

 立ち上がると扉へ向かう。見送りをするため、父も僕の後をついてきた。

 

「……父さんは、こんな憶測は嫌いかもしれないけど……」

 

 扉に手を掛け、僕は父を振り返る。

 

「デルフィーニ・リドルは何かあるよ。じゃなきゃ、ソラがあぁも怯える筈がない。あいつの勘はよく当たるんだ、父さんも知っているでしょ?」

 

 ──ずっと昔からそうだった。

 ソラが本気でゴネて取り止めた旅行で、乗る筈だった飛行機が落ちたり。

 ソラが食べたくないと言った料理店で、異物混入が見つかったり。

 そっちに行くのは嫌だとソラが叫んだ路地で、他殺体が発見されたり。

 

『勘が良い』だけでは済まされないほど、ソラの勘はよく当たる。

 当たりを引く運の良さというより、ハズレを引かない運の良さを、僕の妹は生まれながらに持ち合わせていた。

 

「In dubio pro reo〈疑わしきは罰せず〉、それは確かにそうだけど……でも、ちょっとは気にしてやってよね、『父さん』」




ヒカルの性格はアキの血を感じますね。加えてグリフィンドール生っぽい一直線さと元気さがあります。周囲を惹きつけるカリスマ性と、ちょっと暴走気質なところもグリフィンドール生の持ち味でしょうか。

次回更新は12/4(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 桐一葉

「困ったわねぇ……」

 

 そう言って、デルフィーニ・リドルはそっと形の良い眉を寄せた。わたしは思わず縮こまる。

 

「ごめんなさい……」

「ううん、いいのよ……と、私も言ってあげたいところなんだけどね……」

 

 そこかしこから聞こえる忍び笑い。アキ教授の娘なのに、なんて言葉が漏れ聞こえる。

 補習しましょうと告げられた言葉に、わたしはただ頬を引きつらせながら頷いた。

 

 

 

 

 

 夕食後。

「デルフィーの研究室まで付き添ってあげる」と言ってくれたアルバスとスコーピウスと一緒に、わたしは彼女の研究室がある北の塔を歩いていた。二人は何度か行ったことがあるようで、足取りには迷いがない。

 

「デルフィーの授業で補習受けるの、もしかしてソラが初めてなんじゃない?」

 

 アルバスはそんなことを言っては首を傾げた。

 闇の魔術に対する防衛術はスリザリンとハッフルパフの合同授業だから、わたしの失敗も二人にはばっちり見られていたようだ。うう、とわたしは身を縮める。

 

「攻撃魔法は苦手なんだよ……」

「アキ教授の娘なのにね。あの人、決闘チャンピオンなんじゃないの?」

「それはお父さんじゃなくって、もう一代前の呪文学の先生ね。フリットウィック先生。お父さんたちの代の恩師なんだって」

 

 たまにうちに遊びに来ては、おやつを食べながら他愛もないお喋りをしたり、小さい頃はわたしやヒカルとよく遊んでくれたりした。

 妖精の血が入っているらしくわたしよりも小柄な人だ。何でも知っていると思うほど博識で、誰に対してもとっても優しい。そんな人が若い頃は決闘チャンピオンだったなんて、初めて聞いた時は本当に驚いたものだ。

 スコーピウスは、へぇぇとわたしの言葉に目を瞬かせた。

 

「あの噂ってデマだったんだね。僕、てっきり本当だと思ってた」

「まぁ、信憑性はあるもんね……」

 

 魔法大臣のお墨付き。ハリーおじさんもハーマイオニーおばさんも、何かあれば父の元を訪れる。

 

 ──何かあったら、アキが何とかしてくれるから。

 

 ハリーおじさんもハーマイオニーおばさんもロンおじさんも、シリウスおじさんだってリーマスおじさんだってピーターおじさんだって、誰もがそう口にする。

 

 多分父は、少なくとも今現在において、英国最強の魔法使いなのだ。

 

(物語に出てくる『最強の魔法使い』って、大抵は悪役なんだけど)

 

 まぁそれは仕方ない。味方があんまりにも強すぎると、お話は往々にしてつまらなくなってしまうから。盛り上がりに欠けてしまうんだよね。

 

「アキ教授も決闘チャンピオンになればいいのに。エントリーしたら勝てるでしょ」

「うん、絶対勝てると思う。ソラからも言ってみてよ。ほら父親って、娘からの声援には特に弱いって言うじゃん?」

「はは……お父さん、あんまそう言うのには出たがらないから……」

 

 力をひけらかすのは好きじゃないと言うか、既にもうありとあらゆる方面から頼られているから、忙しすぎてそれどころじゃないと言うか。

 

(……戦って誰かを倒すこと、それ自体を避けていると言うか)

 

「…………」

 

 デルフィーの研究室に近付くたび、段々と心が暗くなっていくのが自分でわかる。

 どうして闇の魔術に対する防衛術で魔法が上手く使えなくなるのか、そんなこと百も承知だった。

 

(わたしは、彼女のことが怖い)

 

 怯えをクラスメイトに隠すことに精一杯で、どうしても他が疎かになってしまう。

 

(それで、結果として彼女とマンツーマンの補習をすることになっちゃうんだから、色々と本末転倒だよなぁ)

 

 そうこうしているうちにデルフィーの研究室へと到着した。アルバスが研究室の扉を叩くと、程なくして扉が開かれデルフィーが顔を出す。

 彼女はわたし達を見渡すと、悪戯っぽく目を細めた。

 

「あら。お姫様をエスコートする騎士《ナイト》かな?」

「ただの付き添いです。道がわかんないって言うから」

「ソラ、帰りはひとりで大丈夫?」

「あ、うん。一緒に来てくれてありがとう!」

 

 二人に手を振る。

 アルバスとスコーピウスはにっこり笑って手を振り返すと、二人並んで来た道を戻って行った。

 

「ともあれ、いらっしゃい、ソラ。……そんなに緊張しないで?」

 

 デルフィーは笑顔でわたしを室内へと招き入れる。

 

「お茶を淹れるわ。その間、楽にしていていいからね」

「あうっ、いえ、そんな……っ」

 

 補習を受けに来たのに、もてなされるのは何だか変な感じだ。

 しかしデルフィーは「気にしないで」と明るく笑みを浮かべた。

 

「アキだってお客さんはもてなすでしょう? それの真似っこよ。教師として先輩だし、尊敬できる人だから、自分でも取り入れられるところは取り入れたいの」

「あ……」

 

 そう言われては何も返せない。わたしはぎこちなくソファに腰掛ける。

 部屋の中は想像していたよりもずっと暖かだった。オレンジがかった明るい灯が部屋の中を柔らかに染めている。クリーム色の壁にはパッチワークのキルトやドライフラワーが飾られていて、窓や机の至る所には色とりどりの花が生けられている。大きな戸棚には、授業で使用するありとあらゆる教材が詰まっていた。

 

「どうぞ。ミルクティー、お好きかしら?」

「あっ、はいっ、ごめんなさいっ」

「もう、どうして謝るの?」

 

 困ったように彼女は笑うと、わたしの正面に腰掛けた。リラックスした様子で手元のカップをそっと傾ける。

 

「本当はね。補習なんてただの建前。ずっとソラとお喋りしてみたかったの」

 

 そう言う彼女の笑顔に邪気はない。それなのにわたしは、冷たい汗が背中を流れるのを感じていた。

 

 ──みんな、デルフィーのことが好きなのに。

 

 アルバスも、スコーピウスも、誰だってみんな──彼女のことを好いているのに。

 

 わたしがおかしいの?

 わたしが一人だけ、おかしいの?

 

「だってあなた、いつも私が話しかけようとすると、ぴゅうっと逃げちゃうんですもの。私、ハッフルパフの寮監でもあるのに。寂しいわ」

「ご……ごめんなさい、その……」

 

 俯いたわたしに、デルフィーは気遣うような微笑みを浮かべた。

 彼女のそういう優しさも、心遣いも、わたしはちゃんと知っている。

 

 知っているのに。

 彼女のことを人として好ましいと思うのに、なぜか心が邪魔をする。

 

「そんなに緊張しないで。お茶も、クッキーも食べていいのよ。……毒なんて入ってやしないわ?」

 

 そう言って彼女は大皿からクッキーを摘むと、わたしに見せるように頬張ってみせる。そこまでされては断る方が難しい。わたしはぎこちない笑みを浮かべてクッキーに手を伸ばした。

 

「ねぇ、ソラ? あなたって、アルバスやスコーピウスと仲がいいの?」

 

 わたしを見つめながらデルフィーは言う。

 仲がいい、って、言っていいのかな。おずおずと頷いた。

 

「……仲がいい、っていうか……アルバスはいとこだし、スコーピウスも、小さい頃から知ってるし……二人とも、わたしが危なっかしいから一緒にいてくれてるだけで……」

「そんなことないわぁ、素敵じゃない。わかってくれる人、そばにいてくれる人って、とっても貴重なのよ。……私にも、そういう人がいたらなぁ」

 

 いろいろ変わっていたかもしれない。

 デルフィーは、そうひとりごちた。

 

「…………」

「そうだ! 私、ソラに聞きたいことがあったの」

 

 デルフィーはパンと手を打つと、笑顔でわたしに身を近付ける。思わずびくりと肩が跳ねた。

 

「な、なんでしょう?」

「勉強会のことよ。アルバスからお話、聞いたでしょう? ソラに断られたって、アルバスがしょんぼりしてたから」

「う……」

 

 それは……悪いことをしてしまった、と思う。

 せっかく誘ってくれたのに。寮が違うアルバスやスコーピウスと、一緒に過ごせる数少ない機会だったのに。

 

「……どうして、勉強会を断ったの?」

「……それは……」

 

 顔の真横に手が置かれた。はっと顔を上げた瞬間、至近距離でデルフィーと目が合う。

 わたしが座るソファー、その背もたれに手をついて、デルフィーはわたしをじっと見下ろしていた。

 

「あなたは断らないと思っていたわ」

 

 ──息が、出来ない。

 

 先ほどまでと全く変わらぬ微笑みを貼りつけたまま、デルフィーは優しく囁く。

 

「────あなたが勉強会を断ったのは、そこに私がいるからかしらね?」

 

 

「だってあなた、私のことが嫌いでしょう?」

 

 

 デルフィーの長い銀髪が、はらりと肩から滑り落ちて、わたしの身体に降りかかる。

 しばらくわたしを見つめていたデルフィーは、やがてゆっくりと目を細めた。

 

「ふぅん……そう」

 

 強ばり固まった頭は、響いたノックの音でふと解けた。

 デルフィーは軽く片眉を上げると身を起こす。扉に向かって歩いて行くデルフィーの後ろ姿を見ながら、早鐘を打つ胸を強く抑えた。

 

 デルフィーは扉を開ける。相対したのが誰なのか、声を聞いただけですぐさま理解した。

 

「……ヒカル?」

 

 思わず立ち上がって駆け寄る。

 扉の前にいたヒカルは、わたしの姿を認めるとホッとしたように息を吐いた。

 

「なんだお前も来てたのか。リドル教授、こいつがご迷惑をお掛けしてはいませんでしたか? もしお時間よろしければ、今日の授業で数点分からないところがあったので、是非ともご教授いただきたいんですが……あぁソラはそのまま補習を受けてていいからな。アキ・ポッターの娘ともあろう奴が習った魔法も十分に使えず補習なんて呆れ果てる、ねぇリドル教授、そうは思いませんか? 妹の不始末は甘やかしてきた兄にも責任の一端があります、どうか不出来な妹がこれ以上ご迷惑を掛けないよう、兄たる自分も微力ながら補習のお手伝いでもさせて頂きたいと思っているのですが、もちろん許してくださいますよね?」

 

 デルフィーを見上げながら、ヒカルは早口でそう捲し立てた。

 デルフィーの横をすり抜けたわたしは、ヒカルの背後に回るとしがみつく。

 

「わ、わたしのことは気にしないでいいから! わたしのことは路傍の石ころだとでも思って! で、デルフィーも、わたし大丈夫だから、ヒカルの質問聞いてあげてください!」

 

 デルフィーの視線から逃れつつ叫んだ。ヒカルはちょっと驚いたように、身を捩ってわたしを見る。

 デルフィーは少しの間黙り込んでいた。やがて聞こえた彼女の声は、普段通りの慈愛溢れる優しさと温かみに満ちていた。

 

「……ごめんなさい、この後用事が入っていたことを思い出しちゃった。だからヒカル、あなたの疑問に詳しく答えてあげるのは、来週の勉強会のときでもいいかしら? その代わりと言っては何だけれど──」

 

 申し訳なさそうに言ったデルフィーは、ヒカルの質問に対して数冊の本を参考書として挙げた後「ちょっと難しいものだけど、ヒカルなら読み通せると思うわ」と明るい声で言う。

 

「ソラも、今日はもう帰っていいわよ」

 

 その声におずおずと顔を上げれば、普段通り優しい顔をしたデルフィーと目が合った。

 

「次の授業では、頑張れるわね?」

 

 ──そりゃ、当然だ。また二人っきりで補習なんてごめんこうむる。

 ガクガクと頷くと、デルフィーは尚更にっこりと笑った。

 

「気をつけて帰ってね!」

 

 

 

 

 

 帰り道。前を行くヒカルに対し、わたしは意を決して声を掛けた。

 

「あの、ひ、ヒカル……もしかして、その……わたしのこと、助けに来てくれたの?」

 

 わたしの声を聞いて、ヒカルの肩がぴくりと震える。

 だって、デルフィーの部屋の扉を叩いた時のヒカルは息を切らしていたんだから。しがみついたその背中は、汗でしっとりと湿っていたんだから。

 

 ヒカルは少し黙った後、仏頂面のままわたしを振り返った。腰に手を当て息を吸い込む。

 

「……ただ様子を見に行っただけだ。……大体お前、一年が習う対人魔法ごときにビビって魔法使えなくなっちゃうなんて、我が妹ながら情けない!」

「うぅぅっ」

 

 優しいなって、ヒカルのことを一瞬だけ思ったのに! あっという間にお小言タイムが始まるなんて!

 

「そもそもあり得ないだろ、父さんレベルのとんでもない魔力持ってんのならまだしも、お前ごときの呪い喰らったところで、そんなの痛くもなんともないね!」

「そんなことないもん! わたしちゃんと出来るんだからね!」

「なら僕と決闘でもする? いいよ、存分に手ぇ抜いて、杖無しでやってあげるから」

「望むところだよ! わたしだって、わたしだってぇ……!」

 

 思わず地団駄を踏むわたしを見て、ヒカルは余裕の表情を浮かべると鼻で笑った。

 

「出来なすぎて補習受けた奴が、なんか言ってるー」

「もう補習受けないもん! 次があったら必ず出来るんだから!」

「おーおーたらればの仮定ばっかりは雄弁だなバカ、寝言は寝て言え」

「バカって言った! バカって言っちゃダメなんだよ、お父さんに言いつけるんだからね!」

「喚くなよ、うるさいな」

「ヒカルのせいだよ!!」

 

 ──結局、ちょっと騒ぎすぎてしまったわたし達は、魔法薬学担当のデイビス教授に『何廊下で騒いでんだ』とお叱りを受け、ついでに荷物運びの罰までも仰せ付かってしまったのだが──どれもこれも、間違いなくヒカルのせいに違いないのだ!




ソラは心で魔法を使うタイプなので、精神状況に左右されるんだと思います。ソラは嘘が下手そうですね。
次回更新は12/11(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 殺人の追憶

「ジェームズ! おい、起きろって! おい!!」

 

 ハロウィンの日。僕、ヒカル・ポッターは、朝っぱらから同寮同室の従兄弟、ジェームズ・シリウス・ポッターを叩き起こすのに苦心していた。

 

 父に似て、僕はすこぶる朝に強い。反対に、ジェームズはすこぶる寝起きが悪かった。

 もうこの芋虫は放置して、自分だけ先に朝食を食べに行こうかな。頭の片隅でそう考えるものの、しかしジェームズは起こさなかったらそれはそれで「何で起こしてくれなかったんだよ!」とその日一日喚くため、なんとかこうして起こそうと試みている次第だ。

 

「起きろ! ロングボトム教授から、グリフィンドールの男子は全員集合って言われてたの忘れたのかよ! おばけカボチャくり抜きに行くんだろ! おい、ジェームズ!!」

 

 それでもジェームズはまだ起きない。寝ぼけた声を上げながら寝返りを打つばかりだ。その耳を思いっきり引っ張った。

 

「……あいっでででででっ!? 千切れるっ! 千切れるってばぁ!!」

「今日はハロウィンだろうが! 『大手を振って悪戯が出来るこの日に、我らが率先して騒がずしてどうする!』って昨日のたまってたのはお前だろ!」

「ごめんごめんごめんごめんってば! 起きるよ、起きりゃいいんでしょ!」

 

 その言葉に、よしと手を離してやる。ジェームズは赤くなった耳をさすりながら、情けない顔で僕から距離を取った。全く。

 やっとこさ服を着替えたジェームズと共に、大広間へ向かう階段を降りる。いつまでも生欠伸をしているジェームズに「早く寝ないから朝起きられないんだぞ」と肩を竦めた。

 

「だってヒカルが先に寝ちゃうから……ハロウィンの悪戯の予定もまだ固まってないのにさ……だから、僕だけでも考えとこうって思って……ふぁぁ、う」

「朝の方が寮生も寝てるし、密談には丁度いいっていっつも言ってるだろ」

「人には向き不向きがあるの! ヒカルにある早起きの才能ってやつが僕には無いの!」

 

 何言ってんだかと肩を竦める。

 その時、大広間の前で何やら人だかりが出来ているのを発見した。何事だろう? とジェームズと顔を見合わせる。

 

 大きなざわめきは、集まっていた生徒たちが僕らを──僕を見た瞬間、ピタリと止んだ。

 さぁっと人垣が分かれ、自然と僕の前に道が出来る。一体なんだと戸惑いながらも、出来た道を踏みしめ──広がる光景に、僕は目を見開いた。

 

 

『アキ・ポッターはひとごろしだ』

 

 

 教科書の見開きほどの紙に、そんな言葉が印刷されている。一枚や二枚じゃない、数百枚はあるだろう。

 大量の紙は、大広間前の壁に、床に、天井に、まさしく〈びっしり〉と貼り付けられていた。

 

「何……っ!?」

 

 その迫力に、思わず息を呑む。

 悪意。

 それは、紛れもない悪意だった。

 

「一体、誰が……」

 

 気圧され、一歩後ずさる。と、そこで僕の肩に誰かが手を置いた。

 

「誰の仕業だろうね」

「ひっ……父さん!?」

 

 思わず目を剥く僕に対し、父は「おはよう、ヒカル」とにっこり笑いかける。

 混乱のあまり一瞬言葉を見失った。かろうじて、眼前の貼り紙を指し示す。

 

「と、父さん、あの……あれ、剥がさないの……?」

「あぁ、そうだったね」

 

 右手を僕の肩に置いたまま、父は左手を前に出す。父が一度指を鳴らすと貼り紙は全て剥がれ落ちた。一陣の旋風が吹いた後、大量の紙はその場から『消失』する。

 辺りをぐるりと見渡し、父は笑顔で口を開いた。

 

「はい、皆、朝食に遅れないようにね」

 

 父の声に導かれ、生徒はそそくさと大広間の中に入っていく。あっという間に、この場に残っているのは僕と父、それにジェームズだけになった。

 

「……何、今の」

 

 ジェームズは眉をぎゅっと寄せている。不愉快だと、顔にはありありと書いてあった。

 父の左腕を掴む。その感触は硬く、義手であることを改めて思い知らされた。

 父をおずおずと見上げ、僕は尋ねる。

 

「……父さん……その……誰かに恨まれた心当たりとか、あったりする?」

 

 父は朗らかに言った。

 

「うーん、ありすぎてよくわかんないなぁ」

「…………」

 

 そうですか。

 

「それより、ヒカル、ジェームズ。君たちも早く行かないと、朝ごはん食いっぱぐれちゃうぜ? 今日はグリフィンドールの男子生徒を連れてカボチャを収穫するんだって、ネビルが大層楽しげだったんだから。腹に何か詰めとかないと、昼まで保たないよ」

 

 そう言って父は僕らを大広間へと促す。背中を押され、ようやく僕らは歩き出した。

 振り返れば、父はまだ大広間前に立ち尽くしたまま、何かを考え込んでいる様子だった。

 

「なんか、気が削がれちゃったな……」

 

 ジェームズが呟く。

 

「悪戯の?」

「あんな、度が過ぎたのを朝っぱらから見せられちゃあね。こんな空気じゃ、夕食中に『ウィーズリーの暴れバンバン花火』を飛ばしたところで白けた空気が流れるだけだ」

「はっは……同感」

 

 それにしてもと考える。

 先日の写真の件といい、最近のホグワーツは悪意が蔓延しているようだ。空気がどことなく重く、澱んでいる。こんな雰囲気では、誰かが怪我をしてもおかしくない。

 

「……嫌な空気だ」

 

 僕は静かに呟いた。

 

 

 

 

 

 ハロウィンの朝に貼り出された、父を誹謗中傷する貼り紙は、噂好きのホグワーツ生の中で一気に広まった。

 やだなぁとわたしは思う。いろんな種類の視線が、アキ・ポッターの子供であるわたしやヒカルにも向いている。

 

 ヒカルは「気にするなよ」と言っていた。

 

「あんなものを真に受けるのは真性の馬鹿だ。わざわざ噂を持ち出す輩は、そのツラに『私は噂話をそっくりそのまま飲み込んでしまう、自分で考えられる脳味噌のない大馬鹿野郎です』って書いてあるようなもんだからな」と。

 

「でも、そう言ったって、無理だよう……」

 

 わたしは教科書に顔を埋めた。

 呪文学の授業中。机と机の間を歩きながら、父は教科書片手に講義をしている。

 

 呪文の練習の時間でもない限り、父の講義で私語をする人は滅多にいない。それでも今日は、そわそわする空気がそこかしこで流れていた。つい耳を塞いで逃げ出してしまいたくなるような、そんなざわめきで満ちている。

 首筋に刺さる好奇の視線に、思わず身を縮こまらせた。そんなわたしの背中を、ローズがそっと撫でてくれる。

 

「ソラ、大丈夫だからね」

「うん……」

 

 恐らく、きっと、父が『本当に』人を殺したなどと考えている人はいないだろう。それでも火のないところに煙は立たない。

 ホグワーツ副校長にして、呪文学教授のアキ・ポッターに対し、こんなに明確な悪意をぶつけたのは誰なのか。

 生徒の好奇心の対象は、主にそこに集中していた。

 

「……ねぇ、ローズ……ローズも、あの紙を貼り出したのが誰なのか、気になってるの?」

 

 授業に集中するのは諦めた。ローズにひそひそ声で尋ねると、同じくひそひそ声が返ってくる。

 

「もちろんよ! あんなこと、許されるべきことじゃないわ。アキ教授は優しいけど、その優しさにつけ込むのはいけないと思う。悪戯にしたって限度があるじゃない」

「……悪戯……」

 

 小さな声で呟く。ローズは目を瞬かせた。

 

「そうよ。タチの悪い悪戯でしょ? 昨日はハロウィンだったしね。それにしたって、あれはやりすぎだと思うけど」

「…………」

 

 悪戯。

 果たして本当にそれだけなのだろうか。

 

 その時、父はぐるりと教室中を見渡した。普段通りの柔らかな笑みを浮かべたまま「はい、皆。今日は座学だからって、気を抜かないように」と声を張る。はぅっ、とローズは肩を震わせ姿勢を正した。慌てて教科書に目を落としている。

 

 と、そこで一人の生徒が手を挙げた。

 

「アキ教授、質問してもいいですか?」

「はい、どうぞ」

 

「ありがとうございます」と言って彼は立ち上がる。締められたネクタイの色は赤色。グリフィンドール生だ。

 彼は声を弾ませ口を開いた。

 

 

「アキ教授は、人を殺したことがあるんですか?」

 

 

 その不穏当な言葉に、教室中が凍りついたのが肌でわかった。

 パンと音を立てて、父は教科書を閉じる。

 一度瞬きをした父は、笑顔を崩さぬまま口を開いた。

 

 

「あぁ、そうだよ」

 

 

 その言葉に、わたしは思わず息を止めた。

 

「……とでも答えれば、君は満足するのかな?」

 

 そう言って父は目を細めた。質問をした彼から視線を外した父は、小さく息を吐いて続ける。

 

「『人を殺したの?』と問われて素直に『はいそうです』と言う奴がいるかい? 私が何と答えたところで、君達は私の言葉を信じやしないだろう。だって、人は信じたいものしか信じないんだから。……どうだい、君達。私が人を<殺していた方が楽しい>か?」

 

 そう言い切って、父は口元にはっきりと冷笑を浮かべてみせた。

 わたしがこれまで見たことのない表情だった。

 

「……じゃあ、もし、万が一、アキ教授が人を殺していたのだとしたら……どうしてアズカバンに投獄されていないのですか?」

 

 質問した彼は、さすが勇敢を冠するグリフィンドール生だ。『勇敢』を『無謀』と履き違えている気もするが。

 教室中は既にしんと静まり返っていて、静寂が逆に痛いと感じるほどだった。

 

「いい質問だね」

 

 父は微笑む。

 

「いい機会だ。話をしよう。そもそもどうして、人は人を殺してはならないのだろうか? 自然界で、同族による殺し合いは日常茶飯事だ。縄張り争い、種の存続、その他あらゆる場面において殺し合いは行われる。では何故、我々の道徳は『同族〈ヒト〉を殺してはならない』と教えるのだろう?」

 

 そう言って、父は教室中をぐるりと見渡した。

 

「それは『法律』があるからだ。法律によって『人を殺してはならない』と定められているからだ。そこに道徳や倫理が上積みされて、まだ歳若い君達の前に差し出される。『人を殺してはならない』と。そのことは当たり前であり、それに疑いを持つことこそ『悪』であると、禁忌〈タブー〉扱いされている」

 

 教室の中、父の歩く靴音だけが響いた。

 

「先ほども話した通り、人が人を殺してはならないのは『法律』に定められているからだ。個々人の思想や信念は異なれど、同一の共同体として社会生活を営む上で『法』は絶対的な支配者だ。

 例えば『許されざる呪文』──服従の呪文、磔の呪文、そして死の呪文。これらを人に対し一度でも行使した場合、アズカバンにて終身刑が課せられる。行為に残虐性が多分に含まれている場合は、最高刑である『吸魂鬼<ディメンター>のキス』が執行される。もちろん、これら三つの呪文を使わずとも、殺人や廃人化は罪に問われ、魔法法律評議会のウィゼンガモット法廷にて裁かれることになる」

 

 だが、と父は続けた。

 

「……だがしかし、法律にも例外が存在する。その尤もたるものが『戦争』だ。

 ──かつての時代。今からおよそ三十五年前、『名前を呼んではいけないあの人』、ヴォルデモートが最盛期であった頃。ヴォルデモートの支配はヨーロッパ中に及び、魔法使い、非魔法使い問わず、何千人、何万人と殺された。

『魔法使いがマグルを支配する』と掲げたヴォルデモートの思想に、賛同する者達もいた。ヴォルデモートの力を恐れ、彼に媚びへつらうことで身の安全を図ろうとする者達もいた。その者たちは彼の配下に加わり、自らを『死喰い人<デス・イーター>』と称した。

 彼の手は、これまで英国魔法界が虐げてきた魔法生物に対しても及んだ。吸魂鬼〈ディメンター〉は魔法省を裏切りヴォルデモートの元に付いた。魔法使いの監獄であるアズカバンは、囚人を監視する機能を保てなくなった。

 圧倒的な戦力差を少しでも改善させるため、魔法省は、ヴォルデモートと最前線で戦う闇祓いに対し『許されざる呪文』の行使を許可した。こうして闇祓いは、法律の後ろ盾の下、どれだけの人間を殺しても罪に問われることがなくなった」

 

 誰もが一言も喋らないまま、ただ父の言葉に耳を傾けていた。

 魔法史のビンズ先生が話すのとは比べ物にならないほどの集中力だった。

 父はまるで〈かつて経験してきたように〉それらを語る。

 生まれていないはずの時代の話を、滔々と。

 

「殺人は罪だ。人の命を奪うことは、紛うことなく大罪だ。当時闇祓いに入局した者は、須く正義を胸に抱えていた。高い戦死率を誇る闇祓いに、自ら踏み入ろうとする者達だ。大切な人を殺されて、それでもなお今生きている人達を守ろうと、自ら杖を取り戦う覚悟を決めた者達だった。

 戦争とは、味方を守るために敵を殺すものだ。戦争での殺人は、決して罪には問われない。司法制度は、兵士を完全に守ってくれている。

 殺さなければ自分が死ぬ。仲間が目の前で、見るも無惨な姿で殺される。極限状態の中、段々と自分の正義が揺らいでくる。──何故、自分は人を守るための杖で、人の命を奪っているのだろうと。それでも立ち止まってはならないと、誰もがただ前だけを向いていた。誰もが何処かしら狂っていたけれど、それでもきっと一番狂っていたのは、闇祓いの中でも誰より多く敵を殺し、英雄とまで呼ばれた男なのだろうね。

 戦争が終わった後、幾人もの闇祓いが心を病んで退職した。自殺した者も多かった。それが戦争だ。勝っても負けても、精神に深い傷を負う。決して癒えない傷を、死ぬまで抱えて生きる羽目になる」

 

 父の声は、いつもと変わらず穏やかだった。

 普段授業で聞く声と同じ声音。それでも何処か凄みがあった。教室中の誰もがその凄みを感じ取っているのか、顔を伏せる者は誰もいない。

 そっとローズを盗み見た。ローズは青ざめた顔で、父をじっと見つめている。

 

「いいかい? 法律に『正義』と認められた殺人は存在する。何人殺そうとも決して罪に問われることなく、むしろ殺せば殺すほど『素晴らしい』と称賛される世界は存在する。

 どうして今、私がこんな話をしているのか、その理由はわかるかな? 君達の誰もが<そう>なる可能性があるからだ。戦争はいつ何時でも起こりうるし、君達が持つその杖は、毒にも薬にもなりうる。人殺しを是と称賛されたその瞬間、これまで信じていた道徳や倫理は、君達の中で崩壊するだろう。

 道徳も倫理も大切だ。それらが存在するからこそ、人は人として生きることが出来る。その上で、少しばかり想像力を巡らせてもいいんじゃないかな。法について。生命について。道徳について。倫理について。少なくともそれらについて自分なりの意見を語ることが出来なければ、先程の質問については『不適切である』と判断せざるを得ないものとなる。

 だからね。君たちが私に問いかけるべきは──『アキ教授、あなたは司法に裁かれるべき罪を犯したのですか?』──となるんじゃないかな。そう問いかけられたならば、私は胸を張って答えるだろう。『いいえ。私は誓って、司法に背く罪を犯したことはありません』とね」

 

 その時、授業終了のチャイムが鳴った。意識の外側にあったその音に、わたしは思わずびくりと肩を震わせる。

 父はゆるりと目を瞬かせると、微笑みを浮かべて手を叩いた。

 

「──はい、今日はここまで。次回こそは、君達が授業に集中してくれることを期待しよう」

 

 父の言葉に、わたし達は慌てて荷物を片付けた。「失礼します」とそそくさと教室から立ち去っていく。

 教室の外に出たわたしは、授業の道具が入ったカバンを抱えて大きく息をついた。隣ではローズも、わたしと同じように胸を押さえている。クラスメイトも似たり寄ったりの反応を見せていた。

 

「あぁ、怖かったなぁ……」

 

 ローズが呟く。

 わたしは何も言わずに、ただただぎゅっと強くカバンを抱きしめた。




持っている倫理や道徳、自分の価値観が根こそぎぐちゃぐちゃになる瞬間というのは生きている限り起こり得るのだと思います。アキのレイブンクローらしい一意見ですね。

次回更新は12/18(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 魔女の胎内

 ハロウィンの日、ホグワーツ呪文学教授のアキ・ポッターに関する中傷の張り紙が為されてからというもの、ヒカルはたびたび勉強会を欠席するようになった。

 不穏だなと、僕、スコーピウス・マルフォイは思う。空気が何処となくひりついている。その原因は、きっと──

 

「一体、誰の仕業だったのかしらね」

 

 デルフィーは一冊の本を捲りながら呟いた。

 黒い本の表紙には『《黒衣の天才》──望まぬ栄光と死』と記されている。著者がリータ・スキータというだけで眉唾ものではあるものの、その本はアキ教授について書かれているということで、最近の生徒の間では密やかに出回っている本だった。

 

 興味はあったが、そんなものを読んでいると知られたらヒカルに軽蔑されてしまう気がする。父にも「リータ・スキータとロックハートの本は読む価値がない」とバッサリ言われてしまったし。

 アルバスも僕と同じ気持ちなのか、うずうずする好奇心をなんとか宥めているような顔をしていた。

 

「わからないけど……アキ教授に恨みを持つ誰か、かな」

 

 デルフィーの言葉に、アルバスは少し躊躇いながらもそう答える。

 デルフィーは軽く目を瞠った。

 

「アキって、そんな恨みを買う人かしら?」

「……わからないけど……」

 

 二度目の言葉を呟いてアルバスは俯く。

 小さくため息をついたデルフィーは「アキって、一体何をした人なの?」と続けた。

 

「学生時代に何らかの賞を受賞したわけでもない。特筆すべきことと言えば、首席であったことと、ハリー・ポッターの〈弟〉であったことくらい。それがどうして現職の魔法大臣からも頼られて、最年少でホグワーツの副校長を務める人になっちゃうわけ?」

 

 デルフィーの問いかけに、アルバスは思わず口籠る。ここは魔法史オタクの自分の出番だ! と僕は思わず口を開いた。

 

「アキ・ポッターは〈ただの〉学生じゃないよ。1998年のホグワーツの戦いは誰もが知るところだろうけど、当時のホグワーツ校長セブルス・スネイプと共に、死喰い人や闇の帝王の手からホグワーツを守ったんだ。その後、ホグワーツで大々的に行われた、闇の帝王とハリー・ポッターの決戦……その際、生徒の犠牲を一切出さなかったことを高く評価されているんだよ」

 

 ふぅん? とデルフィーは首を傾げた。

 

「『生徒の犠牲を一切出さなかった』、それがホグワーツ校長セブルス・スネイプの功績としてではなく、一介の学生であるアキ・ポッターの功績であるとされているのは、どうしてなの?」

「それは『お守り』を全校生徒に渡したのが、アキ・ポッターだったからだよ」

 

 持ち主を一度だけ災厄から護るとするお守り。父と母からも、お守りであるその水晶を見せてもらったことがある。

 

『死の呪い』──アバダ・ケタブラには反対呪文が存在しない。だから、呪文で打ち消すことは不可能だ。

『盾の呪文』を擬似的に模した魔法具として『盾の帽子』がある。WWW〈ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ〉の人気商品だ。悪戯専門店ではあるものの『ホグワーツの戦い』でハリー・ポッターと共に戦ったロン・ウィーズリーの兄が興した店ということで、闇の魔術に対抗する商品も数多い。

 

 ──『盾の帽子』だって、当時は大流行したというのに。

 あの水晶は、本来防ぐことの出来ない『死の呪文』ですら防いでしまえる。使用制限はあるが、そんなものはあの水晶に掛けられた魔法の量を想像すれば当然だろう。

 

 あれは政府主導の魔法研究機関で実験的に製造されるに相応しいものだ。間違ってもたった一人の学生が創り上げる代物ではない。

 多くの手間暇を掛け、莫大な魔力を注いで出来上がるものだし──あまつさえ、それを無償で全校生徒にばら撒くなど、常識ではありえないことなのだ。

 

 ……と、そう言っていたのは父なので、僕のは単にその受け売りに過ぎないのだけど。

 

「そんなことができてしまうアキ教授は、やっぱり凄い人だと思うんだよ。父も母も、アキ教授のことは凄く信頼してるしね」

 

 そんな言葉で締め括る。

 アルバスも、思い出したように続けた。

 

「僕も……父さんと母さんが、アキ教授のことをとっても頼りにしてるから。僕は、アキ教授がやったこととかはよく知らないけど……でも、アキ教授としてではなく、ただの『アキおじさん』として、僕のことをとっても可愛がってくれた……ヒカルも、ソラも、リリーも、ジェームズも、アキおじさんのことが好きで……もちろん、僕も……」

 

 アルバスにとってもアキ教授は親戚だし、身内の一人に違いない。

 きっと僕よりもずっとずっと、様々な時を共に過ごしたのだろう。

 

「アルバスにとって、アキは大事な人なのね」

 

 デルフィーも嬉しそうに笑った。本を閉じると、はにかんだアルバスに一歩近付き優しい手つきで頭を撫でる。アルバスは恥ずかしそうに顔を赤らめたが、されるままだった。

 

「そう……アキはとってもすごい魔法使いなのね。二人ともありがとう。よくわかったわ……」

 

 デルフィーはそっと微笑む。その笑みの艶やかさに、思わず僕も目が惹かれた。

 赤い唇が言葉を紡ぐ。

 

 

「そんなに強力な魔法使いであれば、組分け帽子を『錯乱』させることだって簡単かしらね?」

 

 

「……え?」

 

 アルバスは、驚いたような、なんとも言えない間の抜けた声を発した。

 デルフィーはうふふと笑ってみせる。

 

「あら、あなた達が言ったのよ? アキは凄い魔法使いなんだって。二人の話を聞いてわかったの。アキはきっと、その気になればなんだって出来ちゃう。なんだって……アルバスをスリザリンに入れて、ひとりぼっちにすることだって、きっとアキにとっては簡単なんでしょうね」

 

 甘い声。

 アルバスは慌てて首を振った。

 

「そんな! ……そりゃ、アキおじさんならできるだろうけど……でも、そんなことする理由がないじゃないか!」

「そうね。理由は思い浮かばないわ」

 

 随分あっさりとデルフィーは言葉を取り下げた。アルバスは逆に肩透かしを喰らったような顔をする。

「でも」とデルフィーは続けた。

 

「アキとハリー・ポッターに血の繋がりはない。そうでしょう? つまりアルバス、あなたとアキにも血の繋がりはないってことになるわ。つまりアキにとって、あなたは他人に過ぎないってこと。誰にだって優しいものね、アキは」

 

 リータ・スキータ著の本の表紙を撫でながらデルフィーは言う。

 思わず憤ったアルバスを慌てて宥めた。咎める口調で「デルフィー!」とその名を呼ぶ。

 

「ごめんなさい、怒らせてしまったのなら謝るわ。そんなつもりじゃなかったの。……でも、不思議だとは思わない? アキは、アルバスが望んでスリザリンに入ったわけでもないし、アルバスがひそひそ冷たい声で陰口を言われてることにだって、気付いてるでしょう。優しいアキなら『普通は』、アルバスに心配の言葉を掛けたり、気遣ってくれたりしてくれるんじゃなくって?」

 

 その言葉にアルバスの呼吸が止まった。

 そこを見逃す彼女ではない。

 

「あれ? 図星だった? ごめんなさい、ついつい気になっちゃって。でもあなたとアキって、叔父と甥って雰囲気には全然見えないから。仲良くやれてるのかなーって、ちょっと心配だったのよ」

 

 そう言う彼女の顔は、まるで天使のように美しい微笑みが浮かんでいた。

 

「ねぇアルバス。叔父なのに、どうしてアキはあなたに何も声を掛けてくれないのかしらね?」

 

 

 

 

 

 前を行くシリウスの杖先に浮かぶ灯りが揺れる。やがて鼻歌も聞こえてきた。シリウスが学生の頃に惚れ込んでいたマグルの歌姫の曲。

 驚いた、シリウスのことだからてっきり彼女のグラマラスな胸にしか興味はないと思っていたのに、曲もちゃんと聞いていたとは。どうやら随分とご機嫌なようだ。

 小さく息を吐きリーマスは言う。

 

「機嫌が良いのは結構だけどね。この辺りは暗いんだ、ちゃんと気をつけないと足元を掬われるよ、我が友よ」

「だって洞窟だぜ! しかもほとんど人の手が入っていないと来た! これは冒険心がむくむくと湧き上がるものだろう!」

 

 五十過ぎても相変わらずシリウスは元気だ。気ままな独り身だからだろうかとついつい思いを馳せてしまう。

 昔はそれこそ「アズカバンに長い間投獄されていたから、まだ若者の気分でいるんだな」と生暖かく思っていたけれど、ここまで来ると「結局こいつはどこでどう過ごそうがこうなる」という真理に辿り着いてしまう。

 

「それより、本当にこの道なの? 真っ暗で怖いんだけど……」

 

 ピーターが怯えた声を零した。時折「ひゃあ」とか「うわっ」とかが聞こえてくる。いつものように岩にでも躓いているのだろう。

 

「うーん、アキからもらった手がかりを総合して考えると、ここなんだよなぁ」

 

 シリウスは首を傾げながらもスマートフォンを弄っては、画面に写っている地図を見返している。そのスマートフォンを見ていると、ふつふつと始まりの記憶が浮き上がってきた。

 忘れもしない。シリウスから一本の電話が入ったあの日。

 

「冒険行こうぜ! 一ヶ月くらい!」

 

 流石にマジかと思ったものの、ちょうど仕事はひと段落着いた頃だったし、妻も「なにそれ面白そー! リーマス、行ってきなよ!」なんて煽るので、血迷うには充分だった。

 いそいそと荷物をまとめ、顔だけはシリウスに無理矢理連れられた感を装いつつも、内心は『冒険』なんて心躍る響きにウキウキしながらシリウスと合流したのが先月の半ば。年齢を重ねても、こういうときだけは自分も悪戯仕掛人であったのだと感じる。

 

 何でもブラック家の書庫を調べていると、あるはずの本が何冊もなくなっていることが分かったのだと言う。

 

「初めは物盗りかと思ったんだが、ブラック家の書庫には原則ブラック家の血を引く者しか入れない結界が張ってある。金に困った身内が売ったにせよ、どれも曰く付きのモンだから、まともなところじゃ買い取ってくんねぇ。闇市ならベルフェゴールの縄張りだが、そちらの網には引っかかったことがないらしくてな。つまりは八方塞がりと言うわけで」

 

 そう言うシリウスの顔に悲嘆の色はない。不思議に思って問いかけた。

 

「なら、どうするっていうのさ」

「何、家にはない、闇市にもない。だとしたら話は簡単だ」

 

 シリウスはピッと指を立てると、自信満々に言い放つ。

 

「なくなった本は、ズバリ──『ブラック家の風通し悪い黴臭さと、純血万歳な腐れ思想に嫌気が差した身内が、なんかムカつくから困らせてやろうと借りパクした』で、ファイナルアンサー!」

 

……

………

 

「あれはシリウスにしか出てこないであろう発想だったなぁ……」

 

 思わず目が遠くなる。

 それってお前がやりかねなかったことじゃないの? 自分の身に置き換えてみたの? というか最近はブラック家当主として公にも出るようになってちょっとは落ち着いてきたと思ってたのに『借りパク』とか『なんかムカつくから』とかそんな言葉遣いしちゃっていいの?

 突っ込みたいことは山ほどあるが、ともあれ。

 

 そんなこんなでリーマスは(あとついでにピーターも)、シリウスに引きずられながらブラック家の親戚を片っ端から当たりまくった。現在はブラック姓を持つ人間もシリウス一人きり、随分と寂しいことにはなったものの、かつては英国魔法界を牛耳ったとされるブラック家はさすが親戚の数も多い。

 

 そこからの冒険は割愛する。アキからも電話越しに助言をもらい(と言っても大半はどうでもいい長話だったが。シリウスは意外と世間話が好きだ)、図書(シリウス曰く『借りパクされた』やつら)が隠されていると思しき地図を発見して、ここまで来た次第だ。

 いろんな意味で大冒険だったし、加えて「もう自分は若くない」と思い知ったことも発見だった。筋肉痛は二日遅れで来るし、何もしていなくとも腰は痛い。目は霞むし、徹夜なんてしたら翌日は使い物にならないし、老いというのは全く嫌になるものだ。

 魔法使いは基本的に長寿であるし、可愛い一人息子のテッドも気付けばホグワーツを卒業して働き始めた。自分としてもまだまだ元気なつもりでいたいのだが。

 

「いっそのこと、アキみたいに若返ってみるか? ハリーと同じくらいにさ。いや、もっと若返ってもういっぺん学生やってみたり? それはそれで楽しそうだな」

 

 シリウスは笑う。いやいや、とリーマスは苦笑いを浮かべた。

 

「あいつが退行するための呪文を開発する様子を側で見てたけど、あれ、相当準備が必要だったし、魔法式だってとんでもない量になってた。あいつが残してった魔法式を集めてマクゴナガルに見せたことがあるんだけど、マクゴナガルったら、途中で後ろにふらりと倒れ込んでたよ」

 

 信じられない、ありえない、こんな無茶苦茶な、でも通ってる、確かにこの組み方でしかありえない、信じられない、ありえない──大の字に倒れたままそうブツブツ呟くかつての恩師に、慌てて気付けの紅茶を用意したのも懐かしい。

 

「──それに、あの退行呪文はいくつか法も破ってるらしいし、遊びで使うのは流石に無茶だよ」

 

『内緒だよ、リーマス?』と、悪戯っぽい笑顔で教えてくれた秋のことが忘れられない。

 そのことをマクゴナガルに伝えると「そう、そう、そう、そうなのです──そうなのですよ! そう、だから、だから私がこの法則を見つけられなかったのは、私がきちんと法を遵守した結果であり、英国魔法界に忠誠を誓う研究者としても、至極当然のことであって──! …………くぅ……っ、レイブンクローに百万点!」としきりに頷いていた。全く、天才というのは罪作りなものだ。

 

「さっすがは俺の秋! どこまでもイカした男だなぁ!」

 

 シリウスの笑い声が暗い洞窟に反響する。

「君のじゃないよ」と少々強めにシリウスの背中を叩くと、シリウスはくぐもった声を上げた。

 

「……まぁ、ジェームズもリーマスも、秋もリリーもいない学生生活なんて、何度繰り返したとしてもつまんねぇよな」

 

 あと一応はピーターも、と少し不本意そうではあったものの、シリウスは付け加える。

 

「あの黄金色の学生生活は、もう二度と手には入らないだろ」

 

 懐かしむようなセリフだったが声はさっぱりとしたものだった。

 リーマスも口を開く。

 

「……そうだね。あんな刺激的な学生生活は、一度で充分だ」

 

 ふふっとシリウスは笑った。

 

「まぁそれはそうとして、身体の老化はそろそろ深刻ではあるんだよね。若い頃のような無茶はもう効かないし、いい加減そろそろ労ってあげたい」

 

「……いい癒者を紹介しよう」

 

 その時地図を見比べていたピーターが「ここだ!」と大きな声を上げた。おっ、とリーマスとシリウスも揃ってピーターの手元を覗き込むと、次いで洞窟内をぐるりと見渡す。

 何の変哲もない洞窟の中腹だ。道はまだ先まで続いているが、しかし。

 シリウスを見る。リーマスとピーターを見返したシリウスは、小さく頷いて一歩歩み出た。

 

「『ブラック家にムカつくブラック』、この仮定が真実だとしたら、そいつはここまで来たブラック家の者を『ざまぁ』したい筈だ、殺さない程度にな。ならば先へと進むのに必要なのは──憎きブラック家の血を捧げること」

 

 シリウスは杖を引き抜き短刀に変える。手の中で一度くるりと回すと、刃先を左の腕に押し当てた。滲み出る血を壁面に振りかける。

 

 途端、空間が歪んで扉が現れた。予想が当たったというのに、ふんとシリウスは不満げに鼻を鳴らす。

 

「結局いくらブラック家を憎んだって、こんなやり口選ぶ訳だから、所詮はブラックの端くれなんだろうな。こんな思考をトレースできる俺だって、どうしようもなくブラック家の人間だ」

 

 子供の頃から家を嫌ったシリウスは、こうして大人になり、また平和な世界になった今でも『ブラック家』という檻の中にいる。

 歩きながら尋ねた。

 

「……ブラック家は、これからどうするつもりなの?」

 

 シリウスに子供はいない。本人が望めば、そのままブラック家は亡びるだろう。

 んー、とシリウスは唸った。

 

「どうしよっかなーって考えちゃいんだよ。個人的にはこのまま消えてくれりゃスカッとすんだけど、今となってはそこそこいろんな役割も担っちゃいるしで。俺の名誉回復裁判なんてしなけりゃ、そのまま家名も潰せたかもしんないなぁやっちまったなぁって思ったりもしたんだ。……でもまぁ、うん。もう少しくらいは世の中の役に立ってから滅びてもいいんじゃねぇの、とは思ってるよ」

「……でも問題は、後継をどうするかってことなんだよ」

 

 シリウスの言葉をピーターが引き継ぐ。

「俺の言葉を取んな」とピーターの頭を鷲掴みながらも、シリウスは肩を竦めてみせた。

 

「養子でも取って継がせるかと悩んだが、そしたらフィスナーと被んだろ。それはなんかムカつく」

「なんかムカつくって」

 

 とんでもない言い草だ。この場にリーマスとピーターしかいないからだろう、口調が学生時代のものに戻っている。

 

「じゃあどうすんの。これから頑張って実子作る? 既にいたとしても別に驚きはしないけど。『あなたの子です、責任取って!』って」

「いねーよ!? ちょっと、俺に隠し子いたらせめて驚いて!?」

「あー、いつかやると思ってたなって」

「むしろいない方が不思議なくらい」

「こいつら、好き勝手言いやがって!」

 

 まぁこのくらいは冗談のうちだ。本当に隠し子がいたのだとしたら、シリウスは隠してはおけないだろう。うずうずして自分から言い出すに違いないのだから。

 

「それじゃあ、一体どうするの?」

 

 満を辞して尋ねる。シリウスは大きく頷いて口を開いた。

 

「アイディアはこうだ──ブラック家を法人化する!」

「はいシリウス、扉だよ。腕出して」

「早く用事を済ませて帰ろう。そろそろお腹が空いてきた」

「おーまーえーらーぁ!」

 

 地団駄を踏むシリウスに、なんだよと冷めた目を向けた。ピーターはリーマスを見て首を振る。

 

「まだ何のプランもないんだ。いつも通り、シリウスの夢物語の思いつき」

「このアイディアを詰めてくんだろ! これから!」

「アキに大爆笑されてる段階じゃまだまだだよ。長電話してアキの時間を奪うのはいい加減にやめたげな?」

「シリウス、早く扉開けてってば」

 

 全くこいつらは、とぶつくさ言いながらも、シリウスは扉に手を当てる。

 途端──ゴゴゴゴ、と足元深くから地響きがした。

 ゆっくりと扉が開かれる。

 

「────っ」

 

 広がる光景に、思わず目を瞠った。

 思い出すのはホグワーツの図書室。古今東西の書物が詰まった、神聖さも伴う静謐な空間。

 

「……ねぇシリウス。ブラック家から無くなった本って、一体何冊だったんだい?」

 

 思わず尋ねる。

 シリウスはキョトンとした顔で言った。

 

「言ってなかったか? 三十六万と、二百六冊だよ。こいつら全部持って帰るから、リーマスも手伝ってくれよな」

「…………」

 

 聞いてない!




シリウスはすごい勢いで文明の利器を使いこなしていそうです。あなた本当に純血の魔法使いです?と尋ねたくなるフリック入力を見せつけてほしい。

次回更新は12/25(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 月前は翳り

「おかえりなさい、アキ」

 

 ホグワーツから暖炉を経由し自宅へと戻ってきたアキを、アクアは微笑みと共に出迎えた。

 

 既に深夜と言って憚りのない夜半過ぎ。

 アキは目を瞬かせた後、ホッとしたように表情を緩ませた。彼の周囲に漂っていた、何処か張り詰めていた空気が霧散する。

 

 差し伸べたアクアの手をアキは取る。そのまま身に囲い込むようアクアを抱き寄せたアキは、肺いっぱいに空気を吸い込み、アクアの耳元でそっと囁いた。

 

「……ただいま、アクア」

 

 

 

 

 

「アクア、今日は早かったんだね。なら、私ももっと早く帰ってくれば良かったな」

 

 温かな紅茶を手に、アキはほのぼのと笑いながら膝に置かれた手帳を眺めている。えぇと言葉少なに頷いて、アクアはアキの座る二人掛けソファに腰掛けた。

 カモミールが香る紅茶に、アクアも身体の力をそっと抜く。

 アキはパタンと手帳を閉じた。そのまま、アクアの肩にこてりと頭を預ける。

 無音の時が心地良い。仕事で疲れた心と頭が、じんわりと解きほぐれて行く気分になる。

 

「……アキ、大丈夫?」

 

 そう尋ねるとアキは苦笑した。

 

「さぁ、どうだろ。でもま、ちょっと疲れたよ。ちょうどハロウィンだったしね……思わず血の気が引いてしまった」

「……ヒカルとソラから手紙をもらったわ。マクゴナガル先生からも。あなたを糾弾する張り紙……他に被害は受けてないの?」

「特には。相手の真意が測れない分、こちらも不気味なんだよね。いまいち何やりたいのかよくわかんないし……はぁぁ、ヒカルにもソラにも心配かけちゃったし、親としても教師としても不甲斐ない限りで……」

 

 言いながら、アキは大きくため息をついた。彷徨っていた漆黒の瞳が、ふと壁掛け時計で停止する。

 

「でも、今回は随分あからさまだ……一体、何がしたいのやら……そりゃあ幣原の罪も私が背負う気だけどもさ……。……ねぇアクア、少なくとも『アキ・ポッター』は人を殺してない筈だよね?」

 

 いきなり何を言うのだこいつと思った。伴侶相手だとしても、訊いていいことと悪いことくらいあるだろう。

 

「……えぇと……私が把握している限りにおいては、そうだと思うのだけれど……あなたがユークやアリスと手を組んで密かに何かをしていたとしたら、ちょっと私にはわからないと言うか……」

 

 思わずしどろもどろになる。

 ……しかし、こうして思えば、司法の手が届かない範囲も案外身近にいるものだ。『やってできないことはない』という事実が恐ろしい。

 アキは眉を下げては悲しげに呟いた。

 

「私そんなことしないもん……確かにフィスナーとベルフェゴールの権力があれば人くらいそう労力無しに消せるだろうけど……私、特に先生になってからはとりわけ頑張って清廉潔白に生きてきたのに……最愛の妻にまでそういうことしそうだと思われてるなんて……」

「もうっ、ならそんな問いかけしないで!」

 

 訊かれたから本気で考えてしまったまでだ。

 

「……そう言えばアクア、最近死喰い人の活動が激化してるって言ってたよね?」

「えぇ……そうなの。死喰い人だけじゃないわ。かつての闇の帝王の仲間は人間以外にも大勢いたの、知ってるわよね? トロールがヨーロッパを移動し始めたり、巨人が海を渡り始めたり……」

「あぁ……それに、セオドール・ノットと逆転時計<タイムターナー>の件もある。……収集された水晶……ヴォルデモートの代わりとなる純血主義の象徴……スコーピウスとアルバスの件も関係している? いや……」

 

 壁掛け時計をじっと見つめたまま、アキは口元に手を当て考え込んでいる。

 いつの間にやら、アキが手に持った紅茶はすっかり冷めてしまっていた。淹れ直してもいいが、そろそろ寝た方が良い時間だろう。

 アキの注意を促そうとしたちょうどその時、嫌な感じに家の電話が鳴り響いた。

 

 ジリリリリ ジリリリリ

 

 びくりと思わず身を震わせた。

 夜中の電話というのは、何故かどうしようもなく不安感を掻き立てられる。昼夜を問わない緊急の知らせが──多くの場合、それは悪い知らせが──舞い込むからかもしれない。

 

 腰を浮かしかけたアクアを、アキが「私が出るよ」と押し留めた。

 アキが軽く指を振ると、電話の子機がふわふわとこちらにやってくる。子機を耳に当て、アキは身を起こした。

 

「もしもし? ……ハリー? 何かあったのかい? ……あぁ、なんだ、脅かさないでよね。てっきり緊急事態かと……いや、大丈夫だよ。どうしたの? ……うん……」

 

 喫緊の用事でないことを察し、アキは一旦声の調子を和らげたものの、続いた言葉に眉を寄せた。ソファから立ち上がってはベランダへと出て行ってしまう。

 やがて戻ってきたアキは、普段通りの穏やかな笑みを浮かべてはいたものの、どこか浮かない眼差しをしていた。

 

「ハリーの傷が再び痛み出したようだ。実に十七年ぶりのことだね。……多分明日か明後日にでも、臨時会議あたりが開かれるんじゃないかなぁ。元死喰い人のドラコあたりに同席してもらうことをオススメするよ。まぁ勾留されてるセオドールでも良いかもね。各々の腕に刻まれている『闇の印』の状況は共有しておいた方が良さそうだ。あーあ、私も左腕があればなぁ、話がずっと早かっただろうになぁ」

 

 

 

 

 

 アキの予想通り、翌日に臨時総会が開催された。流石、ハーマイオニーは初動が早い。

 席には魔法大臣キングスリー・シャックルボルトを始めとした錚々たる重鎮もずらりと並んでいた。よくこれだけの短期間で集めたものよと瞠目してしまう。

 これだけの話題訴求性と求心力は、やはり『選ばれし者』ハリー・ポッターの名が未だ健在だからとも言える。いくら平和な時代が訪れようとも、やはり誰しもが皆、かつての闇の時代の記憶が頭の片隅に残っているのだ。

 

 端の方には、むっすりと口を真一文字に引き結んだドラコ・マルフォイが腕を組んで座っていた。アクアはドラコにそっと声を掛けに行く。

 

「……ドラコ、来てくれたの」

「アキに根回しされちゃあな。……ハッ、そうでもなけりゃあわざわざ『元死喰い人』なんてポジションで足を運んでやるものか」

 

 不機嫌たっぷりではあるものの、言葉は案外義理堅い。

 ちらりと周囲に視線を走らせたドラコは「……アイツも来てんのか、珍しいな」と顎でしゃくった。

 

 季節問わずかっちりとした三揃えの礼服をその身に纏う者が多い中、シャツのボタンを三つ外したアリス・フィスナーの姿はよく目立つ。魔法大臣も同席しているのだからせめて首元は締めた方が良いと思うものの、彼は気にする素振りも見せずに隣の付き人と話をしていた。

 

「……《中立不可侵》が動くほどの大事だということかしら」

「さあな。大体、ポッターの奴はいつも大袈裟なんだ。たかが傷が痛んだくらいで騒ぎ立てて、みっともないとは思わないのか」

「ドラコ、私もポッターなのだけれど」

「うるさい。全く、アキもいちいちまともに取り合うなよな……」

 

 それでも、そういうアキの言葉でドラコも魔法省に足を運んだのだ、ただの憎まれ口ではあるのだろう。

 

「アストリアの具合はいかが?」

「今は小康状態といったところか。体調が良い時は少し散歩ができる程になった。もっとも、この先徐々に寒くなってくるからな」

「それでも、良かったわ」

 

 ホッと胸を撫で下ろす。

 アストリアのことを話すドラコの口調は柔らかだ。血の呪いについて判明した頃は、あたり構わずピリピリとしていて笑顔一つも浮かべはしなかった。

 

「それより気にかかるのはスコーピウスの件だ……」

「スコーピウス? ……もしかして、あの全く根も葉もない例の噂?」

 

 思わず声を低める。

 スコーピウスが闇の帝王の子供であるという噂──ドラコは昏い瞳で「そうだ」と頷いた。

 

「……加えてスコーピウスには、最近になってあと一つ気になる問題が浮上してきた」

「え……何かしら?」

 

 最近──と言うと、ホグワーツに入学してからということだろうか。首を傾げて思いを巡らす。

 ホグワーツに入学して早くも二ヶ月が過ぎた今、ドラコが気がけるほどのスコーピウスの問題とは一体何だろう。勉強についていけないとか、友達ができないとか……?

 ドラコは厳格たる口調でアクアに告げた。

 

「どうもふくろう便で聞く限り、あいつはアルバス・セブルス・ポッターと随分仲が良いらしい」

「……えっと……それで?」

「以上だが。……懸念すべき事柄だろう?」

「素敵なことじゃないかしら。アルバスは優しい良い子よ」

 

 アルバスもスコーピウスも、幼い頃から見て来ているのだ。二人とも穏やかで内気なタイプだからどこか波長が合ったのだろう。しかし、ドラコは認められないようだ。

 

「そんなことあるものか! ポッターの息子とうちの子が仲良くなるなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことだろう! スコーピウスはポッターに騙されている!」

「ドラコ、何度も言うけど私もポッターなのよ」

「うるさい、何でお前がポッターなんだ!」

 

 アキ・ポッターと結婚したからに他ならない。

 ハーマイオニーとロンの夫婦のように別姓を選んでも良かったのだが、アクアがベルフェゴールの名を捨てたかったためアキの姓を選んだ次第だ。

 

「ったく……お前の娘と同い年で良かったと思った途端にこの仕打ちなんだから。親の心子知らずとはよく言ったものだ」

「子供にまで因縁を引き継がせなくていいじゃない。子供は子供で親とは違った世界があるでしょう?」

「どうだかな。……スコーピウスからはお前達の上の子、ヒカルの話もよく聞くが、アクアは何か聞いてないのか?」

「ヒカルは、なんだかアキに似て秘密主義のきらいがあるから……学年が上がるにつれてあまり近況も教えてくれなくなっちゃって」

 

 自立と思えば喜ばしいが、手を離れていくのはどこか寂しい限りである。

 ドラコは肩を竦めて「そのうち母親を疎ましく思う年頃かもな?」と苦笑した。

 反抗期など来ないで欲しい、ずっと可愛いままでいてくれていいのにと、アクアは子供時代の自分を棚上げして思うばかりだ。

 

 

 

 

 

 会議は混迷を極めた。

 まるで全てが台本に定められていたかのように、予定調和にドラコとハリーは激論という名目の口論を始め(「それは闇の印を持つ者に対する偏見か、ポッター? またも自らに注目を集めたいとは、その自己顕示欲は学生の頃より現在らしい。否、己の欲故にここまで大袈裟な舞台を用意するようになるとは、これぞ成長と言ったものか。当然、悪い方の意味でだが」とのドラコの発言が最悪のきっかけだった。アクアは心底頭を抱えた)、事態は収集の付かぬ泥沼に陥った。

 議論は進んでは戻り下っては上り、時には回り道寄り道をして、結局最初に舞い戻り、面々に徒労感を抱かせるばかりで「コックが多いとスープが台無しになるとはこのことね」とアクアはひとしきり皆のスケジュールに思いを馳せてしまう。

 議題はいつしか『予言の子』の話へと移行して。

 

「暗雲が漂っている。第二の『例のあの人』が出現するのならば、その予言が為されても良い筈だ」

 

 ――などと、声を上げたのは一体誰だったか。

 

 ハリー・ポッターが生まれた頃と同時期に、闇の帝王が『選ばれし者』により倒されると示唆した例の予言。

 当時、闇の帝王がわざわざ神秘部まで足を運び求めたという事実に、予言の価値を認める者も数多く。気付けば周囲は「再びの予言を託してもらおう」と盛り上がっていた。

 

「アクア、ちょっと」

 

 壇上ではハリーが周囲からの突き上げに困った顔で応答していた。その時肩を叩かれ振り返る。

 会議を妨げぬ程の小声で、アリス・フィスナーは「話に進展あったら後で個別に教えてくれ」と囁く。

 

「この後予定が控えててさ、悪いけど席外す。あとこれ、アキに渡しといてくれねぇ? あぁ、ついでにこの手紙はユークで、こっちはあいつの兄貴に頼む」

 

 アクアが何かを言う暇すら与えずに、アリスはどさどさと荷物を渡しては「んじゃ」と片手を上げて去ってしまった。付き人はアクアにぺこぺこと頭を下げた後、アリスの後ろを慌てた様子で追いかけていく。彼も大変だ。

 

「……あの人、私のことをアキとユークとハリーへの伝書梟だと思ってるんじゃないかしら」

 

 特にハリーなど、同じ会議に同席していたというのに。まぁ声を掛けられるような雰囲気じゃなかったのは確かだけれど。

 肩を竦めながらも荷物を改め、宛名別に仕分け直して取り纏める。荷物の中にはお詫びの気持ちか、アクア宛にと有名店のショコラも同封されていた。なんだかんだでソツのない人よねと思わず嘆息してしまう。気を回したのはアリスではなく付き人の方かもしれないが。

 

 ふくろう便でヒカルとソラに半分ずつ送ってあげようかしらとアクアが頭の片隅で思案している間にも、会議は「ハリー・ポッターが再びの暗雲を払いに予言を受け取りに行く」という方針で決着がついたようだ。ハーマイオニーの締めの言葉を皮切りに、会議に出席していた面々も各々の職場へと戻っていく。

 

 アクアも闇祓い局へと戻ろうとカバンを整理していたその時、笑顔を浮かべた義兄〈あに〉が歩み寄って来た。普段はほとんど似ていないくせに、そういう腹に一物抱えた時の笑顔ばかりはアキとそっくりなのはどうしてだろうか。

 思わず一歩下がったアクアに、ハリーは構うことなく距離を詰めると、有無を言わさぬ口調で告げた。

 

「突然だけど、今から占い学の教授、シビル・トレローニー先生に会いに行くことになったんだ。ハーマイオニーはあの先生の授業を落とした手前、顔を合わせたくないらしい。アクアはもちろん、私と一緒にホグワーツに来てくれるよね?」

 

 同級生であり、そして今となっては義理の兄とは言え、職場でのハリー・ポッターは闇祓い局局長──すなわちアクアの上司である。

 頷く以外の選択肢など、アクアに用意されている筈もなかった。




アキとアクアの夫婦間の会話を書きたかったので、書けて満足です。アキが「少し疲れた」とちゃんと溢せるようになったのは成長ですね。

次回更新は1/8(日)予定。
今年一年ありがとうございました。良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 されど、汝の愛は届かずに

「ちょっと、ハリーっ、待って! 落ち着いて!」

 

 階段を猛然と駆け降りるハリーを、アクアは慌てて追いかけて行く。

 ホグワーツの階段は長く急で、おまけにいきなり動き出したり段差が消えたりするものだから、足を取られないように気を遣う。アクアがそうしてまごついている間にも、ハリーとの距離は徐々に広がっていくばかり。

 一体どうしてこうなったのだと、アクアは数十分前の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

 校長室の暖炉から出てきたハリーとアクアを、ホグワーツ校長ミネルバ・マクゴナガルはどこか引き攣った笑みで出迎えた。

 

「……あの、ごきげんよう、マクゴナガル先生。久しぶりにお会いできて光栄ですわ。ご機嫌いかがでしょうか?」

「えぇ、丁寧にありがとう、アクアマリン。しかし『先生』は不要ですよ。あなたは既に卒業した身なのですから。……本来ならば数日余裕を見て提出されるべき筈の煙突飛行申請が法を守る規範たる魔法法執行部の部長により押し込まれたことにより少々卒倒しそうな心持ちになっている以外は上々です」

「……本当に申し訳ありません……」

 

 深々と頭を下げる。

 マクゴナガルは隣のハリーを見て目を眇めた後「どうかお気になさらずに」と首を振った。マクゴナガルの眼鏡越しの瞳が『暴走する上司を持つと大変ですね』と告げている。

 ハリーはそんな一切を気にする素振りも見せず「いきなりすみません、ミネルバ」と口を開いた。

 

「緊急の用事でして。占い学のシビル・トレローニー先生に会いたいんですが、ご在席ですか?」

「シビルですか? 彼女は今日は通院で一日不在ですよ。この歳になるともう、身体のあちらこちらにガタが出てきましてね……定期的に通院する必要があるんですよ……」

 

「え」とハリーは頬を引き攣らせて動きを止めた。マクゴナガルはハァとため息をつく。

 

「計画性の無さは相変わらずですね。せめてアキに一声掛けていたら、このことは教えてもらえていたでしょうに」

「あー……すみません、そこまで頭が回っておらず……」

「全く……。一体どのような用件だったのか、差し支えなければ伺っても?」

 

 ハリーが諸々の理由を掻い摘んで説明する。マクゴナガルは途中から頭が痛いとばかりに眉を寄せてハリーの話を聞いていた。

 

「『予言』に縋りたくなる心には一端の理解を示しましょう。あなたの経歴も経歴ですからね。しかしながら一応はあなたの恩師として言わせてもらうとするならば、ハリー、あなたは特に、占い学の熱心な生徒ではなかったように思いますが?」

「いやー……なんでしょう、私も今改めて思い至った次第でしてー……」

 

 ハハハとハリーは頭を掻いている。

 既に一日分のため息を吐き切ったと思しきマクゴナガルは、顰めっ面のまま口を開いた。

 

「……いくら無為無策で来たにせよ、収穫無く帰還するのも周囲に示しがつかないでしょう。シビルはいませんが、代わりにフィレンツェの元へ行ってみれば? 予言に拘るのもいいですが、占いはケンタウルスの十八番でもありますよ」

 

 アクア達を追い払う体のいい方便かと思ったが、ハリーはマクゴナガルの提案に乗り気になったようだ。「なるほど、それも良いですね。それでは行ってきます」と一礼しては校長室を出て行く。

 アクアは慌ててハリーの後を追いかけた。

 

「……ハリー、本当にシビル・トレローニーでなくても良いの?」

「トランス状態の彼女ならばともかくとして、普段の彼女からは『死神犬<グリム>がー』『死がー』以外の言葉を聞けた試しがなかったなと思い直したのさ。未だにジェームズに対してもグリムがどうだの言ってるらしいし、そいつを思えばフィレンツェはまだ有益な占いをしてくれるだろ。学生時代も何度か彼の忠告に助けられたことがあるんだ」

 

 占い学を履修していなかったアクアとしては、ただただそうなのかと思うばかりだ。

 ハリーの後に付き従い、懐かしのホグワーツを歩く。景色に懐かしみつつも、ついつい話題に上るのは、やっぱり現在在学中の子供達についてだった。

 今年スリザリンに組み分けられたアルバスのことを、ハリーも随分と心配しているらしい。

 

「スリザリン出身のアクアの前でこんなこと言うのも悪いんだけど、でもやっぱり心配は心配になって来てさ。うちの家族は皆グリフィンドールだから、肩身の狭い思いをしてなきゃいいんだけど。私としてはスリザリンに入ろうがそれも子供達の選択の結果だと思っていたけど、アキにも釘を刺されちゃったし……。君達のところは凄いよね、家族全員バラバラなんて逆に珍しいと思う」

「まぁ……そうかも」

 

 スリザリンばかりの一族で生まれ育ったアクアとしても、何だか不思議な気分である。アキは暢気なもので「ソラがハッフルパフに入ったからこれでコンプリートだなぁ」などと口走っていた。なんて気楽な人だろうと呆れたくもなる。

 

「……でも、スリザリンも悪い場所じゃないのよ? 団結力は強いし、居心地の良さは家族のようって言う人もいるし、何かあった時は親身に助けてくれる人も多いし……それに結局、どの寮であろうと、友達がいればやって行けると思うの」

 

 アクアには馴染めなかったスリザリンの空気も人によっては合うだろう。どの寮だって良い面と悪い面はあるのだ。

 寮に馴染めなかったアクアがそれでもスリザリンでも孤立しなかったのは、やはりドラコ・マルフォイとダフネ・グリーングラスという二人の友人のおかげではあった。彼らがいなければ、きっとアクアは途中で潰れていただろう。

 

「確かに、友達は大事だな。私も学生時代は随分とロンとハーマイオニーに助けられた」

 

 ハリーも懐かしむような表情で頷いている。

 どれだけ自分が望む寮に入れたとしても、そこで孤立したりいじめを受けたりした瞬間に、心地良かったはずの空間は地獄にも変わる。

 何にせよ気の合う友人というのは大事なものだ。アルバスもスコーピウスと仲良くしているようなので、一人でいるよりはずっと良いだろう。

 

「……スコーピウス? それって確か、マルフォイの一人息子だよね。……その子が、アルバスと?」

 

 ふとハリーの声が低くなる。その声に、アクアはやっと失言を悟った。

 何せ二人は学生時代からの犬猿の仲。ハリーの前でドラコに関わる話題を出すのはご法度だ。昔ドラコとよく一緒にいた時も、この二人のいがみ合いは何度も見てきた。基本はドラコから先に手を出すものの、ハリーも上等とばかりに迎え撃っては持ち前の毒舌で何倍にも増やしてドラコに投げ返すため、アクアはいつも身の縮まる思いをしていたものだ。

 

 息子はドラコと違って優しい子なのだと慌てて告げるも、ハリーの顔は晴れない。

 

「……いくらスコーピウスは優しい子だと聞かされてもね。子供は親の影響を少なからず受けるものだろう? 子供にその気はなくとも、父親であるマルフォイから吹き込まれている可能性はあるじゃないか」

「そんなこと……」

「私とマルフォイの間柄においては、絶対にないとは言い切れないと思っているんだ。少なくとも私はね。向こうも私のことが嫌いだろうし、その感情を子供が汲み取ることもあるだろう?」

 

 そう言い切って、ハリーは話を切り上げてしまう。頑なな後ろ姿に思わずため息をついた。

 ハリーとドラコの確執にはアキですら匙を投げていて、どうしようもない時以外は極力対面させようとしない。学生時代からの不仲もここまで来れば因縁だ。

 

 階段を降り、一階にある占い学の教室へと辿り着いた。今は授業時間外のようで人気はない。

 ハリーが教室の扉を押し開ける。そこには教室とは思えない草原が広がっていた。まるで森の中の空き地のようだ。

 

 そこに佇んでいた一頭のケンタウルスは、緩慢な仕草でアクア達に顔を向けた。足を止めたハリーは、どこか戸惑う声音で尋ねる。

 

「……ベイン? どうして君がここに? フィレンツェはどこへ?」

「群れへ。フィレンツェがケンタウルスとしての誇りを忘れてしまう前にと、我々はたびたびフィレンツェを説得しているのだ。……生徒が来るかもしれないと言われ、私が居残ることになったが──ハリー・ポッター、また君か」

「あー──私のことを憶えていてくれてありがとう、ベイン。ともあれ、フィレンツェは禁じられた森にいるんだね? であれば私も森に行くとするよ、フィレンツェに訊きたいことがあるんだ……」

 

 どうやら、ハリーのお目当てとは違うケンタウルスのようだ。

 ハリーは愛想笑いを浮かべながら回れ右で教室を出て行こうとする。そんなハリーの背中に、ベインの声が被さった。

 

「ハリー・ポッター。私は君の息子を見た。星々の動きの中に」

「……私の息子を?」

 

 ハリーは困惑した顔で振り返る。ベインは尊大に頷いた。

 

「君の小さい息子の周りに黒い影がある。危険な黒雲だ」

「……アルバスの周りに? 私の周囲、ではなく?」

「君ではない。我々全部を危険に晒すかもしれない黒雲が、君の息子の周りに漂っている」

「暗雲……、……まさか」

 

 ベインの言葉に、ハリーはハッとしたように立ち尽くした。そのままハリーは身を翻して教室から駆け出して行ってしまう。

 戸惑うも、ひとまず後を追うことにした。ベインに一言謝罪して教室を出る。

 

「ハリー、待って! ちょっと、どうしたの!」

 

 アクアの声にもハリーは耳を貸そうとしない。頑なな背中を怪訝に思いつつ、アクアはハリーの行動の真意に思いを巡らせた。

 

 ──ベインは先ほど、ハリーの息子アルバスについて示唆した。

 彼の周囲に黒雲が漂っていると。私達全てを危険に晒すかもしれない黒雲が、アルバスの周囲に……。

 

 ハリーの足取りは迷いがない。辺りの風景には見覚えがあった。アクアもよく通った場所だ。スリザリン寮へと向かう道のりでもあった。

 

(……! もしかしてハリーは、アルバスの周囲にある黒雲をスコーピウスだと認識したの?)

 

 ハッと思いついた懸念に、アクアは思わず息を呑んだ。

 家族が絡んだ時のハリーを止められる自信は全くない。良くも悪くも情が強い人なものだから、これと決めれば猛然と突き進んでしまうのだ。

 更に悪いことに、先ほどはアクアもアルバスとスコーピウスの仲の良さについて口を滑らせてしまった。ドラコとは犬猿の仲であるハリーにとって、息子同士の関係性は疑惑の種であったのだろう。

 

 杖を振り守護霊の呪文を唱える。クジラのかたちをした霞状の守護霊に要件を告げてアキへと飛ばすと、一分も経たず返事が来た。

 

『あれっ、アクアとハリー今ホグワーツにいるの!? 言ってくれたら良かったのに、すぐ行くから少し待ってて!』

 

 フクロウの姿をした守護霊が、アキの声で喋りながらアクアの周囲を飛び回る。

 フクロウが霞となって消える頃、息を切らしたアキが駆けつけてきた。

 ……予想外の早さだ。この広大なホグワーツで、こんなにも早くアクアまで辿り着けるものだろうか?

 

「……まさか魔法でも使ってないでしょうね? 校内で自分だけ『姿くらまし』できるように規則を曲げたりしてない?」

「曲げてないよ! たまたま近くにいただけだってば!」

 

 どうだか。疑わしいものだと思うがしかし、今はそんな与太話をしている場合ではない。

 アキに手早く状況を説明する。アキは途中から渋い顔をしたものの、黙ってアクアの話に耳を傾けていた。

 

「そう……面倒なことになったなぁ……」

「……この道はスリザリン寮へ行く通り道だから、ハリーはきっとスリザリン寮に向かったと思うの」

「だろうね。アクア、こっち」

 

 言うが早いか、アキは手近な肖像画の縁に手を掛ける。そのまま肖像画を引き戸のように開けた先には、人一人が通れるほどの通路があった。アクアは思わず仰天する。七年間この廊下を歩いていたが、全然気付かなかった。

 

「ホグワーツに何年いると思ってるの。歴が違うよ、歴が。それにほら、幣原は『忍びの地図』作成者の一人でもあるからね」

 

 得意げに笑ってアキはアクアに手を差し伸べた。

 

 通路を通り抜け、スリザリン寮に程近い階段の踊り場に出る。ここから先、スリザリン寮へは階段を下って行くだけだ。

 階下を覗き込めば、闇祓いの黒衣を纏ったハリーが数階下を駆け降りて行くのが見えた。

 

「ハリー、待てってば!!」

 

 アキの怒鳴り声に、ハリーは驚いた顔で振り返った。しかし瞬時に険しい表情を浮かべては、そのまま踵を返してしまう。

 アキは訝しむように眉を寄せた。

 

「……あいつ、なんか意地になってるな……? 追いかけ、わっ!?」

 

 アキが向きを変えた瞬間、こちらを見ずに階段を駆け上がってきた人物とぶつかりそうになった。ぐらりと体勢を崩したその人物に対し、アキが咄嗟に手を伸ばして抱き留める。

 

 青みがかった長い銀髪に、すらりと高い上背を持つ若い女性だ。教師だろうか、制服は纏っておらず、代わりに授業道具らしい荷物を抱えていた。

 アキとぶつかりかけた弾みに手から滑り落ちた道具達は、しかし階段を転がることなく、アキの視線一つで空中にて動きを止める。

 

「ごめんね、デルフィー。怪我はない?」

 

 アキの問いかけに、彼女は慌てた様子で「大丈夫ですっ!」と返事をした。照れたようにはにかみながら、アキから身を離すと一段低い位置にて立ち止まる。

 

「アキこそ、そんなに急いでどうしたんですか?」

「ちょいと野暮用でね。デルフィーが気にすることじゃない」

 

 静止した道具達が、アキの手招きに呼び寄せられていく。

 無邪気に慕う眼差しでアキを見上げていた彼女は、ふと視線をアクアに向けた。紫を帯びた瞳が軽く見開かれる。

 

「へぇ……もしかして、アキの奥様ですか?」

 

 好奇の籠った不躾な視線に戸惑うも、アクアへの視線を遮る位置に、アキがやんわりと身体を割り込ませた。「そう、私の奥さん」と隙のない笑みを彼女に向ける。

 

「デルフィー、遮っちゃってごめんね。……行こう、アクア」

 

 そっと背中を押され頷く。踊り場のところで振り返ると、微笑みを消した彼女がじっとアクアを見下ろしていた。

 

(……悋気? にしては、何処か雰囲気が……)

 

 後ろ髪を引かれる思いをしつつも、アキと共にハリーを追いかける。

 しかし二人がハリーに追いつくよりも早く、階下から怒鳴り声が聞こえた。この声はアルバスの声だ。

 

「なんで父さんにスコーピウスのことでぐちゃぐちゃ言われないといけないんだよ!!」

 

 ハッとアキと顔を見合わせ、足を早める。

 ハリーの宥めるような声に、アルバスの怒り心頭な声が被さった。

 

「いきなり学校にまで押しかけて、なんなの一体! スコーピウスは悪い奴じゃないっ、父さんの思い込みで勝手に言わないで!」

 

 スリザリン寮の前で、アルバスがハリーに食ってかかっている。アルバスの隣ではスコーピウスがいて、アルバスを宥めるべきかどうするかと困った顔でオロオロしていた。

 

「違うんだアルバス、父さんはただ……」

「子供の気持ちなんて何も知らないくせに! 父さんは親がいないから、子供の気持ちが分からないんだ! スリザリンなんかに入っちゃって悪かったよね、父さんなんて大っ嫌い!!」

 

 ハリーにそう言い切って、アルバスは「行こ!」とスコーピウスの手を取りスリザリンの談話室へと入っていった。残されたハリーは呆然とした顔だ。力が抜けたように、がっくりとその場に崩れ落ちる。

 

「……まぁ、今のは間違いなくハリーが悪いよね……」

 

 ため息をつきながら、隣でアキが冷酷なジャッジを下した。




アクアとハリーの会話をちゃんと書いたのはもしかして初めてかも?と書きながら思いました。今となってはきょうだいでもあり、同じ志を持つ上司部下の関係でもあり。

次回更新は1/15(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 昼日中の憂鬱

 せかせかばたばたした平日も過ぎて、今日はのんびりとしたお休みの日。

 普段は授業のたびにひっきりなしに鳴る鐘の音も、今日はお休みだから静かなものだ。

 

 外に遊びに行こうと誘う同室の友達に「今日は一人で本を読みたい気分なんだ」と断りを入れたわたしは、黄色のカーテンを引いて自分だけの空間を作った後、本を抱えたまま天蓋付きのベッドに寝転がった。靴も脱いで、楽な格好で本を開く。

 

 少し高い位置にある丸い窓から差し込む陽射しが、床に模様を描いている。

 ハロウィンも過ぎて、季節は冬へと向かいつつある。外の風は肌寒いものの、お部屋の中は程良く暖かい。

 

 ……ハロウィン……かぁ……。

 

 ふとした拍子に思い出すのは、あの日感じた明確な感情。

 一切の濁りなく、また一切の異論なく。

 ただ対象を父にのみ定めたそれは、純に澄み切った、ほんものの──悪意、だった。

 

「…………」

 

 呪いというものは、あの純粋な暗闇から訪れるのだろうと直感した。

 遠くから見ていただけでも、あの悪意に当てられるほどの。

 命さえ奪いかねない、漆黒の深淵────

 

 ……いけない、つい考え込んでしまった。

 頭を振り、ぺらりとページを捲る。

 それでも心にぽたりと落ちた黒い染みは、気付けば意識を占領してしまう。

 

 ホグワーツに漂う空気も、なんだかざわざわとしている。

 心臓を冷たい手で撫でられているような、なんだか首の後ろがちりつくような。

 今にも何かが起きてしまいそうな緊張感が蔓延している。

 不安だった学校生活も、なんとか無事に楽しく過ごせているというのに。

 憧れのホグワーツは、どこか息苦しさを纏っては、わたしの前に君臨していた。

 

「……ソラ。本が読めていないようだけど、大丈夫?」

 

 涼やかな声に、ハッと我に返った。

 学習机に備え付けられた椅子に腰掛けたまま、リドルさんはわたしを窺うように見つめていた。発光した輪郭は、陽の光に当たって柔らかに輝いている。

 

「……えへ。さすがリドルさん、なんだってお見通しだね」

 

 照れ笑いをして本を閉じると身を起こした。いいんだ、さっきから全然読めてなかったから……。

 目が滑る、って言うのかな。目は文字を追っているのに、中身が全く頭に入ってこない。こんなの初めてだ。

 

 スカートの裾を整えるわたしに何を思ったか、リドルさんは慌てて言った。

 

「いや、その、僕もできる限り配慮をしていたんだ。こうして女子寮に姿を現すのも、本当は避けようと思っていたんだよ。誤解しないでほしいんだけど、着替えとか風呂とか、ソラのプライバシーを侵害するようなことは一切していないから。君達のお父上に誓ってやましいことはしていない。記憶を渡したっていいから、どうか信じてはもらえないだろうか」

 

 どこか弁明するかのようなリドルさんの口調に、わたしは思わず笑ってしまう。

 

「そんな、疑ってもないし気にしてもいないよ。他の寮は違うみたいだけど、ハッフルパフの女子寮は男子禁制でもないし……それに、リドルさんはわたしのことを心配して出てきてくれたんでしょう? ありがとね」

「いや、そんなつもりは……、……ただ、ソラが本を読めてないのは珍しいなと……君は、アキや直以上の本好きだから」

「あぁ、お父さんもよく本読むもんね。この前行った幣原家の書斎も、本がいっぱいあって素敵だったなぁ……あの本はやっぱりお祖父さんのものなのかな。だとしたら、本好きはやっぱり血筋だね……」

 

 話しながら、そっと本の表紙を撫でる。

 どこか途方に暮れた顔で、リドルさんは黙ってわたしの顔を見つめていた。

 

「……ねぇリドルさん。折角だし、ちょっと話し相手になってくれる?」

 

 にこりと微笑む。

 リドルさんは目をぱちぱちとさせたが、静かに微笑んで頷いてくれた。良かった、と思わず頬を緩ませる。

 

「あのねぇ、わたし思うんだけど、お父さんってやっぱり変な人だよね?」

「そう、アキって……んんっ!?」

 

 笑顔で頷きかけたリドルさんは、何故か途中で咳込んだ。だよねぇとわたしは頷く。

 やっぱりリドルさんも、父のことを変な人だと思ってるんだね。同じ意見の人がいてくれて嬉しいや。

 

「すごく強い人らしいんだけど、全然強そうには見えないし。アリスおじさんの方がよっぽど強そうだし。そうだ、お父さんってね酷いんだよ。夏休みにわたし達が日本に行った時にね、わたしの荷物をお父さんが勝手にまとめちゃったの。最悪だよね」

 

 今でもありありと思い出せる。父の呼び寄せ呪文でクローゼットから飛び出したわたしの下着が宙を舞ったあの光景……。

 その後、母に怒られた父はしゅんとした顔でわたしに謝りに来たものの、それから三日は父と口を利いてやらなかった。女の子の心はとってもとっても繊細なのだ。

 

「それ、ソラがまた本にかまけて準備を怠っていたせいじゃないのかい?」

「うっ、正論……それはそうです……でもね、でもねぇ?」

 

 それでもねぇ? と言い募るわたしに、リドルさんは「わかった、わかったよ」と苦笑を返した。わかったのなら、よろしい。

 

「ハリーおじさんも、すごい人なんだけど……いっぱい伝記とか出てるし、生ける伝説のような人なんだけどね。わたしにとってはずっと、優しくて頼れるハリーおじさんで、お父さんのお兄さんで、アルバスやジェームズやリリーのお父さんなんだ」

 

『英雄』と称されてはいるものの、それでもわたしにとってのハリーおじさんは親戚のおじさんに他ならない。

 父と同じく『すごい人』と手放しに括れるほど、ただただ遠い人ではないのだ。

 

「……リドルさんも聞いてたかな。さっきの、アルバスの話」

「……父親から許せないことを言われた、もう顔も合わせたくない、とか言ってたかな」

 

うん、と頷く。

 

「ハリーおじさんは、アルバスの周囲に黒雲が漂ってるってケンタウルスから予言されたんだって。ハリーおじさんは、その黒雲がスコーピウスで、アルバスがスコーピウスと関わると良くないことが起こるって思って忠告に来たらしいの。アルバスには、それが許せなかったみたいだね」

 

 ハリーおじさんとしては、アルバスのことが心配な一心だったのだろう。

 ハリーおじさんとドラコおじさんの不仲を、わたしは知っている。どうやら二人は学生時代から仲が悪かったらしく、今も顔を合わせればいがみ合う間柄だということも。

 ……でも同時にわたしは、ドラコおじさんもスコーピウスも、二人とも悪い人じゃないってことも知っているのだ。

 

 リドルさんは少し考え込みながら口を開いた。

 

「なるほどね。友達のことを悪く言われるのは、たとえ親でも嫌な気分になりそうだ」

「うん、わたしもそう思う。いきなり『誰々と関わっちゃダメ』って言われても『何でそんなこと言うの、何も知らないくせに』って反発しちゃうよね。……それに加えて、さ。わたしは、アルバスが怒ったのはもう一つ原因があると思うの」

「ほう?」

「……アルバスはきっと、ハリーおじさんに話を聞いてほしかったんじゃないのかな。ハリーおじさんがアルバスの言葉よりも、他のことを……ドラコおじさんとの因縁とか、世論みたいなのとか、そっちを優先したのが嫌だったんだと、わたしは思う」

 

 怒りに任せたアルバスの言葉を聞いていた時は、ただただ受け止めるだけで精一杯だったけれど。こうして落ち着いて考えてみれば、多分そういうことなのだ。

 ……違うかもしれないけれど。

 本当のことは、アルバスに聞いてみないとわからないのだろう。だから今のはわたしの想像だ。

 

「…………」

「……リドルさん?」

 

 口元に拳を押し当て黙りこくってしまったリドルさんに、不思議に思って声を掛ける。リドルさんは「あぁ」と顔を上げた。手を下ろすと、普段通りの笑みを浮かべてわたしを見返す。

 

「……なんでもないよ。あのハリー・ポッターも大人になってしまったんだなと思っただけ」

「大人に?」

 

 そう、とリドルさんは頷いた。

 

「僕は学生時代のアキと一緒にいた……って、前に言ったよね。当時、アキの目線で見ていた頃のハリー・ポッターであればきっと、まずは対話を選択した気がするんだ。暴走する気質は確かに昔からあったけれどね。それでもアキに……家族に対しても、頭ごなしに押し付ける人ではなかった。親子関係という特殊な状況がそうさせたのかもしれない。何にせよ、大人になってしまったんだなと思ったんだ」

「…………」

「皆、子供だった筈なのにね。大人になると途端に、当時のことを忘れてしまうようだ」

「……うん。それ、なんだかわかるかもしれない」

 

 それは良かった、とリドルさんは微笑んだ。

 

 ──だとしたら、今のリドルさんは。

 今、わたしと一緒にいるリドルさんは、ずっと学生時代の若いまま──子供のままでいるのかもしれない。

 ただ一人、日記の中に取り残されて。

 再びこの世界に蘇ってみれば、数年を一緒に過ごしたという父も、いつの間にか大人になってしまっていた。

 

(お父さんと会いたくないってリドルさんが言うのは、ひょっとしたらその辺りの事情もあるのかもしれないなぁ……)

 

「まぁ何にせよ、ソラがやりたいことは一つだね」

「うん。……今度ハリーおじさんに会ったら、わたしもアルバスと一緒に『スコーピウスはいい子だよ』って言ってやるんだ。ヒカルも巻き込んでやるの。そうしたらハリーおじさんも、ちょっとは考えを改めてくれるかもしれないから」

 

 あ、なんだったら今からでも、ハリーおじさんにお手紙を書こうかな。

 ハリーおじさんは子供の意見だからといって軽んじたりする人じゃない。ソラ・ポッターという一人の人間として、ちゃんと対等に扱ってくれる、そんなハリーおじさんがわたしは好きだ。

 

 ……そうなんだよねぇ……ハリーおじさん、いい人だしすごく真っ当な人なんだけどねぇ……。自分の子供相手じゃ、何故か距離感が掴めてなさそうなんだよね……。

 

 リドルさんも「それはいい考えだね」と言ってくれた。

 立ち上がったリドルさんと交代に、わたしは学習机に備えられた椅子に腰掛け、便箋やペンを取り出した。手紙の文面をちまちまと埋めるわたしの手元を、リドルさんは興味深そうに眺めている。

 

「ソラ、いるー?」

 

 その時外側からカーテンが開かれた。わ、と慌ててリドルさんを振り返る。

 ……他寮の男の先輩を連れ込んでると思われたらまずい……!

 しかしリドルさんは何事もなく姿を消していたので、わたしはホッと胸を撫で下ろした。

 

「ニーナ、開ける時は一声かけてほしいな!」

 

 思わず同室の友人であるニーナ・ディゴリーにそう言うと、ニーナは「ご、ごめんね、うっかりしてた」と驚いたようにきゅっと身を縮める。

 

「でも、本読んでるときのソラ、話しかけても聞こえてない時があるから……むしろ、よく気付いたねって驚いちゃった……」

「うっ……ごめんなさい……」

 

 上目遣いでニーナは言う。

 ……やばい、何も反論できない! わたしが本にのめり込みがちなのは、友人達皆が知っているのだ。

 ニーナはわたしが勉強机に向かっているのを見て「お手紙書いてたの?」と首を傾げた。

 

「うん。ハリーおじさんに、ちょっとね」

「ハリーおじさん? って、あのハリー・ポッター? そっか、ソラにとっては伯父だもんね」

「そうだよ、いっつも可愛がってもらってるの」

「わかるぅ。いいないいな、私、パパもママも一人っ子だからなぁ」

 

「私もパパにお手紙書かなきゃ」とニーナはそのまま背を向けたが、少し経って「思い出した!」と慌てた様子で戻ってきた。

 

「ソラとおしゃべりしてたらすっかり忘れてたよ。あのね、ソラを待ってる人がいるから呼びに来たんだった」

「わたしを? 誰が待ってるの?」

「グリフィンドールのヒカル・ポッターだよ。ソラのお兄さん、なんだよね?」

 

 

 

 

 ヒカルを待たせているとは、何と恐ろしいことやら。

 慌てて談話室を飛び出せば、ハッフルパフの談話室前は人だかりができていた。

 人の中心にいるのはもちろんヒカルだ。他所行きのキラキラ笑顔を貼り付けては、群がる女の子達の相手をしている。

 

 ……何故だかヒカルは人気があるんだよね。カッコいいカッコいいとよく騒がれているし。『王子様』だって言われてるのを聞いたこともある。

 ぷぷっ、あのヒカルが! 箒に乗ったら三十秒で酔ってそれ以上飛べなくなっちゃうヒカルが!!

 

 しかし、学校でのヒカルのイメージをぶち壊してしまうのも忍びない。わたしにとってはデリカシーのない傍若無人な兄貴でも、皆にとっては王子様(笑)なのだ。

 妹として、兄のイメージに一役買ってやらんこともない。

 

「お待たせしましたわ、お兄様」

 

 しゃらんとスカートを摘んでご挨拶。慎ましい淑女を演じてやろう。

 わたしの姿を認めたヒカルは、一瞬でこれまでのキラキラ笑顔を引っ込めた。腕を組んで仁王立ちしては、居丈高にわたしを見下ろす。

 

「遅い! 何やってんだ、僕が早く来いっつってんだから一秒でも早く来るのが妹ってもんだろ」

 

 ……っ、こいつ……勝手に人を呼びつけておいて! まず速攻で文句かよ!

 

「ヒカルのバカッ、バーカ! もう背が伸びなくなっちゃえ! お父さんから背が伸びなくなる呪いを教わってやるんだから!」

「うるさい。お前さ、本読んでるのに罵倒の語彙力無さすぎない? 何のために本読んでんの? あと父さんはそんな恐ろしい企みには絶対に加担しないからな」

 

 む、ムカつくッッ! バカッ、バーカ!! あと本は知識のために読むもんじゃないんだっつーの、バーカ!!

 

 思わず怒りの地団駄を踏みそうになるわたしに、ハッフルパフの先輩が「ヒカルくんたら、ソラちゃんのことがすごく心配みたいで『妹はよくやってますか』なんて聞いてたのよ」などと微笑ましい表情を浮かべ囁いてくる。

 いや、それは違うよ先輩。ヒカルはね、わたしがヒカルの足を引っ張らないか目を光らせているだけなんだから。そんな妹思いの兄じゃない、騙されないで皆。

 

「ともあれ、妹が来たので僕達はこれで。失礼します」

 

 そう皆に断りを入れたヒカルは、わたしには断りを入れることなくわたしの手首を掴んではそのまま引っ張って連れて行く。

 ヒカルったら酷いんだぁっ。母への手紙に書いてやる。覚えてろよ。

 

 空き教室にわたしを連れ込んだヒカルは、ぴったりと扉を閉めた後、おもむろにわたしの前に手を突き出した。

 

「ソラ。リドルさんの指輪をしばらく貸してくれないか?」




ソラのプライバシーを侵害していないと必死に弁明するリドルさんを思うと愉快ですが、まぁ元々ジニーのプライバシーを侵害しまくった前科がありますからね。リドルさんがかつてジニーおばさんのプライバシーを侵害していたなんて、ソラに知られたらさすがに軽蔑されちゃう。

次回更新は1/29(日)予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 葬送と追想

『出来れば、でいいんだけど。身体が空いてる人はハリーの元に集まって、ハリーの話を聞いてあげてほしいんだ。……多分、私じゃダメだろうから』

 

 アキからそんな連絡を受けたシリウスは、どうも不思議な要件だなと首を傾げながらもハリー・ポッター邸へと赴いた。

 ハリーに関することならば、シリウスに『行かない』などという選択肢はない。後見人ということもあり、ハリーのことはいつまでも愛息子のように思っているのだから。

 

 ──しかし、アキが『自分ではダメ』と言うのが、シリウスにはどうも解せない。

 ハリーとアキは傍目から見てもとても仲の良い兄弟だ。ハリーはアキを信頼しきっているし、アキもハリーを心の底から大切に思っている。

 そんなアキが『自分ではダメ』と判断するような事態とは、一体何なのだろう? アキで対処しきれない事態であれば、誰であっても無理ではないだろうか?

 

 胸に一抹の不安が芽生えるも、シリウスにできることはたったひとつだ。

 仕事を倍速で片付けると、ピーターを追い立てポッター邸に向かう。シリウスとピーターを迎えたジニー・ポッターは、どこか浮かない笑顔を浮かべたまま二人を応接間へと案内した。

 

「お二人とも、来てくださってありがとうございます。ハリーは今、二階の自室にいると思います」

「なぁ、一体何があったんだ? アキには軽くしか教えてもらってないんだ。アキでもダメってんなら、私達も力になれるかは分からない」

 

 ジニーに問いかける。

 ジニーは眉を下げながらも「アキでも……うん、そうでしょうね」と苦笑した。

 

「ううん。むしろ、アキだからこそダメなんだと思う。……他の人ならまだいいかもしれないけど……アキだけは、今のあの人に近付けちゃダメなのは本当」

「…………?」

 

 そこで、シリウス達と同じく駆けつけてくれたリーマスとニンファドーラが合流した。彼らと共に、皆でジニーの話を聞く。

 

 ハリーの暴走によりアルバスが本気で声を荒げてハリーを否定したこと。学校まで乗り込むなんて何考えてるの、父さんなんて大っ嫌いと言われたこと。なんてことを言ってしまったのだとハリーが思いっきり落ち込んでいること。

 それだけを聞くと、どこにでもあるような親子喧嘩なだけにも思える。少なくとも呪いが飛び交うような次元の話ではなさそうだと、まさしく呪いが飛び交う親子喧嘩を繰り広げてきたシリウスとしては思わざるを得ない。

 

 アルバスのことも、シリウスはよく知っている。それこそオムツを換えたことだってあるのだ。

 兄のジェームズより大人しく引っ込み思案なものの、アキの娘であるソラ・ポッターの手を引いて行く面倒見の良さを持ち合わせていること。鋭い感受性を持ち合わせていること。はしゃぐ時は心の底から楽しそうな笑顔を見せること。緑の瞳をきゅっと細めて笑うその仕草が、ハリーとそっくりなこと────。

 

「──とにかく、ハリーに会いに行こう」

 

 ここでどれだけ思考を巡らせたって埒が開かない。ハリーが二階にいるというなら本人に訊いてみるべきだ。そもそもシリウスは人から話を聞いて熟考するよりも、自らの目で状況を確認し判断したい性質《たち》だった。

 

 皆と共に二階へ上がる。ノックをしたが返事は無かった。鍵は掛かっていなかったので、ドアノブを捻り押し開ける。

 中は灯りがついておらず真っ暗だった。その中にぼんやりと、人ひとりのシルエットを視認する。ハリーだ。

 一瞬立ち竦んだシリウスに代わり、リーマスが柔らかな口調で言った。

 

「ハリー、灯りをつけていいかな」

 

 シルエットは軽く頭を動かした。視認して、リーマスは灯りを点す。

 闇祓い部局長と魔法法執行部部長を兼務する、世紀の英雄ハリー・ポッター──しかし彼の自室は、そんな英雄らしさの欠片もないほど質素で慎ましやかなものだった。

 カーテンと絨毯だけが、かろうじてグリフィンドールの深い赤色で彩られている。しかし他の家具も調度品も、どこをとってもシンプルで実用性重視なことが見てとれる。

 中でも一際目を引くのは、古く擦り切れて端がほつれた毛布だ。今は使われてはいないようだが、それでも大事そうに畳まれては棚の手に取りやすい位置に収められている。

 

 ベッドの端に腰掛け項垂れていたハリーは、顔を上げると訪問客に向かってうっすらと笑みを浮かべてみせた。

 

「なんだ、皆……アキに言われて来たの? 全く、アイツはいつも余計な気を回す」

「おい……アキも、君のことを心配してのことだろう? その言い方はないんじゃないのか?」

 

 皮肉げな物言いに、思わず窘める言葉が溢れる。ハリーは一瞬バツの悪そうな表情を浮かべたが、すぐさま顔を無表情に切り替えた。

 

「余計な気、は確かだろ。現にアキの号令で、こんなにも錚々たるメンツが集まってしまった」

「……ハリー。確かに私はアキから話をもらってここに来たけれど、アキ以外の誰からであっても君の元に駆けつけただろう。君が悩んでいる、困っていると聞いて『待て』ができる私ではないよ。だって私は、君のことを実の息子のようにも思っているのだから」

 

 宥めるように言葉を紡ぐ。『実の息子のように』の部分で、ハリーは痛みを堪えるように眉を顰めた。

 シリウスと目を合わさぬまま、ハリーは呟く。

 

「…………実の息子のように思っているのなら……じゃあどうして、僕を迎えに来てくれなかったんですか」

「っ……、それは……」

 

 思いもよらぬ言葉だった。

 思わずたじろいだシリウスに、ハリーの追い討ちが容赦なく迫る。

 

「父と母への贖罪だか何だか知りませんが、無実の罪でアズカバンで耐え忍ぶなんてせずに、僕を迎えに来て欲しかった。一分一秒でも早く、僕らを連れ出して、助けて欲しかった。毎日毎日、誰かが助けてくれるのをアキと二人で空想していた。

 ……アルバスは言ったんだ。『父さんは親がいないから、子供の気持ちが分からない』って。……好きで親がいないわけじゃない。好きで『生き残った男の子』になったわけじゃない。僕は好きで英雄になったわけじゃないのに!」

 

 リーマスが慌てて「ハリー」と名を呼ぶ。その声でシリウスも我に返った。ハリーを止めようとするリーマスを咄嗟に制する。

 聞かなければ、と思った。

 息子のようにも思っているのならば──今も、そしてこれからも、ハリーの親代わりでいたいのならば。

 息子の声に耳を塞いではいけない。

 

(ここで、逃げちゃなんねぇだろ)

 

 初めてハリーの本音を聞いた。

 良い子で、どこまでも良い子で、親代わりと言ったところでシリウスが手を貸したことなど一度もない。

 普通の人の何倍もの不幸を背負いながらも、それでも前を向き続けた。

 

 親友の置き土産であり、またシリウスにとってハリーは大切な友の一人だ。

 

「……アルバスの言う通りだ。私は親を知らない。だから子供のことが分からない。親として、子供にどのように振る舞えば良いのか分からない。……アルバスに、そう言われた瞬間……アキのことが、心底羨ましくなってしまった」

「アキを? どうして……」

 

 呟きかけたニンファドーラが、ハッとした顔で口を噤んだ。シリウスはリーマスと視線を交わす。

 ──アキが『自分ではダメ』と言った意味がようやく分かった。

 

「アキも同じなら良かった。アキも僕と同じように、親の顔を知らぬままに育ってくれたなら救われた。……僕だけだ。僕だけ親がいない。僕だけ親元で育った記憶がないから、子供の気持ちが分からない」

 

 自嘲気味に笑い、ハリーはベッドサイドのアルバムを手に取った。随分と古びて手垢のついたそれを、大事そうにそっと捲る。

 隣でリーマスが小さく息を呑んだ。

 

 アルバムの中身は、ハリーの両親──ジェームズとリリーの写真が並べられていた。

 以前、ハリーから聞いたことがある。一年生修了時、ハグリッドから両親のアルバムをもらったこと。今でも事あるごとに見返していること──。

 

「家を出るとき、持ち物をどう仕分けるかについてアキと話をした。僕らは双子だから、共有のものも多くてさ。このアルバムだったり、あと僕らが──本当は僕だけが──ダーズリー家に捨て置かれた時に包まれていた毛布だったり、そういった物達。

 ……アキは『全部ハリーにあげるよ』と言った。『ぼくが持つ資格はないから』と。だって、アキの本当の両親は……」

 

 そこで一旦ハリーは息をついた。

 手で顔を覆ったハリーは、絞り出すように言葉を溢す。

 

「血が繋がっていなくとも、僕らは真の兄弟だ。その思いは今も昔も揺らがない。あの瞬間僕は、アキを羨むまいと思った。……変かな? でも、そう思ったんだ。この先ずっとアキと兄弟でいるために、アキを羨まず、そして憐れまずにいようと思った。アキだけが持っているものがあると同時に、僕だけが持っているものもある。全部受け入れてこその兄弟なのに、僕は……。

 ……アルバスに責められた瞬間、真っ先に『アキならこんなことにはならないんだろうな』と思った。アキなら子供達とも上手くやれる、慕われる父親になっている、どうしてなんだとあの時思った。親がいないのは僕と一緒だ。愛されずに育ったのは僕と一緒のはずなのに。幣原秋として親に愛された記憶があるアキのことが心底羨ましい。アキは親の愛を幣原越しに知っている。僕はそれすら知らないんだ。親の愛を知らない僕は、確かに親失格なのかもしれない。だから、そうと気付かずアルバスに無神経なことを言ってしまったのかもしれない。そのことを思い知って……アキのことが、心底妬ましくなって、アキから逃げるようにホグワーツから帰ってきてしまった……」

 

「ハリー、どうか落ち着いて」ハリーに駆け寄ったニンファドーラは、ハリーの背中をそっと撫でる。

 シリウスは思わずリーマスと顔を見合わせた。リーマスもどこか困惑した顔のままシリウスを見返す。

 そんなことないと告げてあげたい。そんなことはない、君はいつも頑張っていると励ましたい。

 

 しかし今はそんな慰めを、他ならぬハリー自身が必要としていない。

 

 シリウスも子供がいない身だ。それでいて「君は良い父親だ」などと言うのも説得力に欠けるし、自分の失言に落ち込むハリーに声を掛けるにあたって相応しい言葉とも思えない。

 

 ならばリーマスとニンファドーラ、テディの親である二人ならばと視線を向けるも、彼らもまたどう対応すれば良いのか戸惑っている様子だった。

 当たり前だ。ハリーの悩みを解決するのは、愛された幼少期を過ごした記憶を持つ者には不可能と言える。

 自らと共に育った、幣原の記憶を持つだけのアキですら拒絶してしまう、そんな今のハリーに誰が何と声を掛けられるだろう?

 

 シリウスが『何も喋らず、ただ寄り添う』という消極的解決策を図ろうとした────矢先のことだった。

 

 

「本当にいつまでも、悲劇の主人公ぶるのが得意な男よ」

 

 

 嘲るような色を伴った声は低く昏い。

 耳朶を震わす嫌味な音に、シリウスは思わず振り返った。

 裾を引き摺る重たいローブを身に纏い、相変わらずの陰気さを顔の皺に刻みつけたまま、セブルス・スネイプは冷たい目でハリーを見下ろしていた。

 

「スネイプ、先生……」

 

 頭を上げたハリーは、呆然と目を見開いて呟く。

 ふんと鼻を鳴らしたスネイプから、ハリーを庇うように立ち塞がった。

 

「スネイプ、何をしに来た」

「『何をしに』とは可笑しなことよ。シリウス・ブラック、私も貴様と同じだ。アキ・ポッターに呼ばれたからに決まっている」

「アキめ、一体どうしてコイツまでも……」

 

 無限に舌打ちが溢れる。

 学生時代からの因縁は、何十年が経とうとも薄れはしない。どうして幣原秋はこの男と親友だったのか、今でも理解できないほどだ。

 

 アキがこの男を信頼していることは知っている。この男がハリーのことを密やかに守り続けていたことも、それがリリー・エバンズへの盲目的な愛所以だとも聞き知っている。

 その愛を手放しで絶賛する気には到底なれないが(むしろ重過ぎる感情に引いてしまったが)、それでもハリーによって大衆の前で恋心を暴露されたのには少々同情してしまった。

 

 死の淵をアキに救われたのは自分と同じだ。最後、彼が秋ではなくアキを選んだからこそ、『今』がこうして続いている。

 

 ……それはそうと、腹の底から湧き上がる不快な感情にも嘘はつけず。

 諸々含めて、シリウスにとってのスネイプは今でも「できれば顔を合わせたくない嫌な奴」だ。

 

 苦虫を噛み潰すシリウスの顔を愉悦混じりに見返したセブルスは、続いてその目をハリーに向けた。ハリーはぎくりと姿勢を正す。

 

「スネイプ先生……」

「『先生』は不要だポッター。元より望んで得た職ではない。……だがしかし、貴様の泣き言だけを聞いて帰るのも寝覚が悪い。良い機会だ。ここは敢えて、かつての貴様の『恩師』として、貴様の勘違いを正してやるのも吝かではない」

 

 相変わらずの嫌味さは健在だ。ハリーも当時の感情を思い出したのか「『恩師』って……」と眉を顰めている。

 息子のミドルネームに名を付けるほどの恩義は感じていても、やはり嫌悪は先立つようだ。

 

(俺と同じく息子のミドルネームに名を取られている身だが、俺の方がハリーに好かれているのは言うまでもない。何せ、長子と次男という違いもあるしな!)

 

「そもそも貴様は物事を見てきたようにしか捉えないのだ。何事も自分が中心のように考える。思考の外側への想像力が足りん、貴様の弟から『本を読め』など言われたことはないか?」

「……アキから? いえ、そんなことは……」

「ふん、相変わらず兄にはとことん甘い男よ。いいか、貴様は常に極論を語りたがる。今の貴様の泣き言には、貴様に駄々甘なブラックでさえ眉を顰める程の毒が仕込まれていたのだぞ」

 

 優越感に唇を歪めるも、スネイプが淡々と続けた言葉に思わず驚いて片眉を上げた。ハリーは目を瞠ってはシリウスを見返しているが、シリウスだってスネイプの話題振りは予想外だ。

 

 ハァとスネイプは大袈裟に嘆息してみせた。

 

「いいかポッター、貴様が今述べた論理はこうだ。『自分には親がいないから子への愛し方が分からない。親に愛された知識があるアキ・ポッターは子への愛し方を理解している』──フン、何処を取っても破綻した論理展開だ。ならば『親がいたにもかかわらず愛されなかった子供』についてはどうなる? その子供達は親になっても子供を愛せないとでも言うつもりか? ブラック、貴様も言いたいことの一つや二つあるだろう。この視野狭窄の愚か者に何か言ってやれ」

 

 スネイプにお膳立てをされたのは癪だが、しかし話の糸口は見えた。

 気まずげに唇を噛むハリーと目を合わせる。

 

「あー……ハリー。私自身、親に疎まれてばかりの子供時代を過ごしてきた。あまり、話したことはなかったかもしれないが……」

 

 もう随分と思い出すこともなかった実の両親について、記憶の澱を掬っては濾す。

 幼い頃から掛けられ続けた名門貴族としての重圧。それらに反発するようにグリフィンドールに入ったシリウスに、プライドが高かった母は激怒した。

 ヒステリックに喚く母と、シリウスに一切の関心を示さなくなった父。両親が望んだ『名門ブラック家の長男』にはついぞなれなかった。出来の良い弟に全てを押し付けるようにして、ホグワーツ卒業と同時にシリウスは家を飛び出した。

 

 両親の死は獄中で耳にした。

 大した感慨を抱かなかったのは、吸魂鬼がすぐ傍を彷徨《うろつ》いていたせいだけではないのだろう。

 ……思えば、自分も。

 アルバスと同じように、組分けで一人だけ《違う》寮に入れられてから、家族の歯車が狂い始めたのだ。

 

 シリウスがぽつりぽつりと話す内容を、ハリーは噛み締めるように聞いていた。

 もう二十年も前、グリモールド・プレイスの家系図を見ながら多少そんな話はしたかもしれないが、改めて話すと何やら思うこともある。

 

「……君は、優しい人だと思う。少なくとも私は、君のような人が自分の親であったならと強く思う。また同時に、君がジェームズやリリーの元で慈しまれて育たなかったことを悲しく、申し訳なく思う。……君を迎えに行くことができず、本当に……すまなく思っている」

 

 アルバスとの関係は、この先ハリーが向き合うべきものだ。

 しかし、それ以外は──それこそ『親がいない自分は親失格』などという思い違いだけは。

 今ここで、正さなければならない。

 

 顔を上げたハリーは小さな声で呟いた。

 

「……僕も……ごめんなさい。あの頃はおじさんもおばさんも、僕らをどう扱えば良いか分からなかったんだと思う。それに親から愛情を受けて育ったとしても、ダドリーのようになることもあるし。

 それに、父さんと母さんに愛されていたことは、僕が一番実感していたんだった。だってほら、母さんからの愛がなければ、僕は赤ん坊の頃に死んでたわけだしね?」

 

 最後は軽くおちゃらけるように、そう言ってハリーは笑う。その笑顔を見て、シリウスもホッと肩から力を抜いた。

 

「それに……それに、幣原も。アキの中から、ずっと僕らを見守ってくれていたんだね。幣原のことは今でもちょっと複雑だけど……アキを僕の弟にしてくれた。そのことだけは、本当に感謝してるんだ」

「……おう。……まぁアレは親というより『超強いスーパーヒーローが何となく隣で居眠りしていた』って感じの距離感だとは思うが、何にせよ良かったよ」

 

 戦争後、秋がハリーを引き取っていればあるいは……とは思うものの、それも全てはゆめまぼろしだ。今ハリーとアキがいて、彼らの子供達がいる。この世界を尊く、そして愛しく思う。

 あははと笑ったハリーは、改めて面々に向き直った。

 

「シリウスも、スネイプ教授も……皆、来てくれて本当にありがとう。情けない姿を見せてしまって申し訳ない。アルバスとは早めに話し合うことにするよ、もうじきクリスマス休暇で皆が帰ってくる頃合いだしね」

「ま、休みが取れたらだけどね……」

 

 何処となくげっそりとした顔でニンファドーラは呟く。思わず苦笑した。

 夏頃に死喰い人一斉検挙があってからというもの、闇祓い局は連日ゴタゴタバタバタ、休日出勤上等な凶悪シフトのようだった。本当に頭が下がるものだと、人生で一度もまともな定職についたことのないシリウスは思うのみだ。

 

 その時スネイプが黙って踵を返した。その後ろ姿に、ハリーが慌てて「すみません、お茶でも飲んでいって……」と声を掛ける。

 スネイプは足を止めることなく嘯いた。

 

「茶など家で飲む。こんなところで飲む茶が美味いはずがないだろう。……スリザリンに入ったのは私の名を頂いたせいだ、などと言われても困るのでな」

「はは……、わざわざ来てくださりありがとうございました」

 

 ハリーは苦笑してスネイプを見送る。

 シリウスは咄嗟にスネイプの後を追った。階段に差し掛かる手前で「おい!」と黒い背中に呼びかける。

 

「…………今日は助かった。礼を言う」

 

 認めるのは癪だが、今回スネイプが来てくれていなかったら事態はもっと拗れていただろう。それを思えば、いくら気に食わない相手だとしても礼は言っておいた方が良い。

 振り返ったスネイプは、シリウスを見ては片頬を吊り上げた。

 

「貸し一つだ。即急に返せ」

「…………」

 

 なんとか笑みを浮かべてやり過ごす。

 中指を立てたシリウスの右手は、追いかけてきたリーマスに「やめなさい」と叩かれ窘められた。




大人組が生きているこの世界では、ハリーも呪いの子軸ほど思い詰めないだろうなと思うと悲しくもなります。それはそうと、久しぶりにスネイプ教授の嫌味っぽいセリフを書けて楽しかったです。

次回更新は2/5(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 あるじなしとて

 グリフィンドールの自室へと早足で戻った僕は、部屋に誰もいないことを確認して勢いよく深紅のカーテンを引いた。

 自分だけのスペースを区切った後、声や気配が外に漏れぬように二重、三重と魔法を重ねがけする。青銀に輝いた魔法式が定着し空間に解けた後、ソラから借り受けたネックレスをポケットから取り出した。赤い指輪が通されたネックレスを静かに机に置く。

 

「リドルさん」

 

 名を呼ぶと『彼』は即座にその場に姿を現した。

 艶のある漆黒の前髪、その隙間から切れ長で涼やかな目元が覗いている。グリフィンドールのカーテンと同色の瞳を眩しげにぱちぱちと瞬かせたリドルさんは、口元に笑みを浮かべては、どこか面白がるような眼差しで僕を見た。

 

「やっぱり。君は結構お父上に似ているね。ソラに持っていてもらうより、君の方が刺激は多そうだ」

「悪いんだけど、用事が済んだら指輪はソラに返すつもりだ。監視されるのは好きじゃないんだよね」

 

「そうだろうね」とリドルさんは、ネックレスと同じように机の上に置かれたブレスレットを横目で見た。

 黒の紐で編まれたそれは、小さな水晶が中央に付いている以外は特筆して目立つものでもない。ただ一点、『アキ・ポッターが子供のために手ずから作成したお守り』であることを除いたら。

 解析しようとは思わないし、また今の僕の能力《スキルセット》じゃ太刀打ちできないものの、一介のアクセサリー面したコイツがどれだけ凶悪な魔法式が詰まっているかは正しく認識しているつもりだ。

 

 母が『要塞』と称したこれを、ソラは特に深く考えずに言われた通り常日頃身につけているみたいだが、僕としては友人達と戯れている時にコイツが万一発動したら……と思うと、背筋が薄ら寒くなるのを感じるのだ。

 いや父さんのことだからある程度の『遊び』は用意していると思うけれど、それでも常に守られているのは窮屈に感じる。チャイルドロックは鬱陶しい。

 

「父さんは心配性なんだよね。あれでいて万全を期しておきたいタイプなんだ。先回りして手を打っておこうとする」

「ヒカルは違うの?」

「僕は……どうだろう。でも、何でも予測しちゃったらつまらないじゃないか」

 

 人生において驚きは大事だ。想定外や予想外にこそ、心が浮き立ちワクワクする。

 そこに先回りや準備なんてものが入ってきちゃあ、そいつは不要で無粋だろう。

 

「なるほど、なるほど。アキは初めから『ハリー・ポッター(守るべきもの)』のために生きていた。ヒカルにはその縛りがないと、大きくはそこの違いかな……」

 

 リドルさんはどこか納得したように頷いている。

 はぁとため息をついて、僕はベッドに腰掛けた。

 

「父さんと幣原秋の関係について教えてほしい」

「おや、とうとう聞く決心がついたのかい?」

 

 リドルさんは悪戯っぽく笑っている。仕方ないだろうと肩を竦めた。

 

「いい加減限界だ。限界ってのは僕の心じゃなくて、状況の方がね」

 

 先日のハロウィンを思い出して眉を寄せる。

『アキ・ポッターはひとごろしだ』の一文は、幣原秋の秘密を掘り起こそうと決意するのに十分すぎるものだった。

 

 かつての闇祓いの英雄、幣原秋。先の時代に殉じた仮初の光。

 法の番人として、また秩序を維持する司法の一柱として、その身を正義に委ねた人。

 

「そうだね。先の戦時下、幣原秋を人間と見做していた人物の方が少ない。あれは秩序の実現者[#「実現者」に傍点]だ。刑を執行するギロチンに心を認めることがないのと同じように、世間もまた、彼がただの人間であることに気が付かなかった[#「気が付かなかった」に傍点]」

 

 もっとも、そう見せかけたのは未来の僕なんだけど──と、リドルさんは含み笑いを浮かべてみせる。

 ふむと口元を手で覆った。

 

「そう──幣原秋は司法側に立つ人間だ。彼が犯した罪は唯の一つもないと、全ての実況証拠がそう言っている。司法が、幣原秋は清廉潔白であると見做している……ならば一体、父さんを人殺しだと論える人物[#「父さんを人殺しだと論える人物」に傍点]は誰だ?」

「そりゃあ勿論──おっと」

 リドルさんはそこでわざとらしく口を噤んだ。思わずジト目を向けた僕に「いやいや、君を馬鹿にしているわけじゃない」と両の手を振ってみせる。

 

「でもヒカル、僕から間違いを指摘させてもらうとすれば、少しばかり主語が違うんじゃないかな? ハロウィンの日のあの文面は、幣原秋を名指ししていたわけじゃない。あれは──」

「『アキ・ポッター』、僕らの父さんだったね。でもそう捉えると、余計意味が分からないんだ。幣原秋以上に、アキ・ポッターが人を殺したと判じる論拠は何処にもない」

 

 当時の状況については、ある程度ではあるものの聞き知っているつもりだ。

 一般的な話──それこそ一九九七年、当時七年生だった父が『ヴォルデモートと手を組んだ』という旨の声明を出した後の話だったり、その辺りについても、一通り。

 だって僕の伯父は、かの有名な英雄ハリー・ポッターなのだ。父の口から特段話を聞くことがなくても、本当にそこいらで情報は手に入る。

 

 今となっては知る術もないが、父の左腕にはかつて『闇の印』と呼ばれる死喰い人(デス・イーター)の証が刻まれていたと聞く。ならば父がその頃人を殺したことがあるかとダメ元でリドルさんに尋ねてみたものの、リドルさんは「そんな事実は一切ない」ときっぱりと否定した。

 

「本当に? 本当に絶対ないの? 命を奪うでなくても、精神的に殺した相手とかいなかった?」

「肉体的にも精神的にもそんな事実は一切ないよ。なんだか、実の息子からそんな質問をされるアキのことが可哀想でならないんだけど……秋だって、直にそんなことは言いっこなかっただろうに……」

 

 リドルさんはちょっぴり気の毒げな表情を浮かべていたが、そう言われても実際ちょっと疑わしいんだから仕方ないだろう。

 ……でも、これで前提条件は整った。

 

「アキ・ポッターが人殺しである事実はない。であるにもかかわらずあの張り紙は、父のありもしない罪を糾弾していた。となると残る可能性はただ一つ、『父さんを中傷すること自体が目的』というやつだ。……でも、これはこれで腑に落ちないところがある。そもそも父さんに喧嘩を売るメリットってある?」

「あるよ」

 

 打てば響く、そんな速度で返された言葉に、僕は思わず黙り込んだ。

 リドルさんは相変わらず、口元に笑みを浮かべている。

 

「ヒカル、君に良いことを教えてあげよう。幣原秋と同じように、君のお父上も秩序の実現者なんだ。今の英国魔法界で最強の魔法使いは誰かと問われたら、大抵の人間はアキ・ポッターだと答えるだろう? 《中立不可侵》とアキ・ポッターの二大柱が、今の英国魔法界を支えている。今の平和が成り立っているのは、ひとえにアキが秩序側に立っているからこそ。ならば……」

「父を廃せば天秤は闇側に傾く、と。……まぁ、言いたいことは分かる」

 

 大将を討ち取れば流れは変わる。万が一、父が闇側の人間に襲われ敗北したとしたら、今の平和な雰囲気は霧散するだろう。

「勿論そんなことがあっちゃ、闇祓い達も黙っちゃいないと思うがね。君のお父上に何かがあれば、ハリー・ポッターが間違いなくただでは済まさないだろうし」とリドルさんは付け加えた。

 

「今の平和を崩したい、秩序を崩壊させたい奴なんてどこにでもいるものさ。人と人が争うのに大きな理由なんていらない。そもそも自分以外の他人と分かり合えるわけがないのだから。他人と分かり合うなんて、そんなものは単なる集団幻覚に他ならない。誰もが相手を尊重し、譲歩することができるのだと、そんなことを考える方こそが非現実的だと思わない?」

 

 リドルさんの言葉は実に明確だ。彼自身の過去(ある意味では未来だけど)があるから余計に説得力がある。

 

「……誰もが相手を尊重し、譲歩することなんてできない。それは、僕もその通りだと思うよ。だからこそ法規があるんじゃないの? 『それはあなたの権利じゃない』と線を引いて自由を縛る、それが法の存在意義では?」

「少し違うね。法律は人々の行動を制限しているわけじゃない。法律は罪と罰を定義するだけだ。たとえば死の呪文。これを人に行使することはアズカバンで終身刑に科せられる重罪だ。だからといって今、ヒカルの杖から死の呪文が放たれないよう細工がされていることはない。ヒカルがやろうと思えば、君は人を殺めることができる。今、君が死の呪文を使ったことがないのは、君が使わない選択をしているからだ」

 

 思わずぞくりとした。普段意識していない、ローブに入った杖が太腿に当たる感触。意識が強く向く前に抑え込む。

 リドルさんは続けた。

 

「『使ってはいけない魔法』なんてないんだよ、ヒカル。あるのは『能力が足りず使えない魔法』と『自ら使わない選択をしている魔法』でしかない。そして他人は法のラインを踏み越える時、いちいち親切に『今から法に触れる魔法を操りますよ』などと教えちゃくれない。

 だから、君のお父上は君達にお守りを渡したんだ。何かがあったとしても敵は待っちゃくれないからね。アキを害そうと思った他者が真っ先に考えるのは、如何にしてアキを無力化させるか。そんな中、子供なんて格好の獲物だということは分かるよね?」

 

 言いながら、リドルさんは机上のブレスレットに視線を遣る。む、と思わずむくれた。

 

「……分かった、分かったよ。別に、今はたまたま外してただけだから……ちゃんと着けておきますよ……」

 

 ブレスレットを手首に通す。そのまま手首を振ってリドルさんに見せると、リドルさんはどこか安堵したように微笑んだ。

 ……全く、リドルさんも心配性だ。でもま、こうやって言われちゃあね。自分で自分の身を守れるようになるまでは大人しく従っておくとしよう。

 

「リドルさんって教師に向いてるよね」

 

 何の気なしに発した言葉だったが、しかしリドルさんは僕の発言に目を見開いたまま固まってしまった。ん? と僕もぱちぱちと瞬きをしては、リドルさんのフリーズが溶けるのを待つ。

 やがて気を取り直したらしいリドルさんは、困惑した表情のまま形だけの笑みを浮かべてみせた。

 

「……向いてないよ。僕は、教師には向いていない」

「……そう?」

「あぁ、そうさ。僕はアキとは違う」

 

 そうは思えないけどな? むしろ向きすぎるほどに向いている気がするのだが。

 しかしリドルさんの口調は硬い。本人がそう言うのであれば、何も知らない他人があれこれと口を出すのは野暮だろう。

 

「……ヒカルは聡い子だね」

 

 僕にこれ以上追及する気がないのを悟ったか、リドルさんはそう言って僅かに身体の強張りを解いた。代わりに僕は腕を組む。

 

「ねぇリドルさん。僕の気のせいなら悪いんだけどさぁ? リドルさん、僕らに嘘をつかないように、なんかすごくすごーく頑張ってるよね?」

 

 傍目から見ていて、どうしてそこまでと不思議に思うほど。

 彼は過剰なまでに、僕らに対して真摯かつ誠実であろうとしている。

 口にする言葉の一つ一つについても、とてつもなく神経を使っているのが分かるのだ。

 

 眉を下げたリドルさんは、そっと視線を自身の右手に落とした。

 彼の右手小指には、ネックレスに通した指輪と揃いの赤の指輪が今もなお嵌ったままだ。

 

(父さんとの魔法契約の証──って言ってたっけ、確か)

 

 リドルさんと父の元で交わされた『決して嘘をつかない』という契約──しかしその契約は、既に完了されているはずなのだ。

 破棄でもなく不履行でもなく、恐らくは『契約満了』として。

 

 父の小指に嵌っていた指輪はここにある。ならばリドルさんの持つ指輪も、きっと外すことができるのだろう。

 ──であるのに、外さない理由とは。

 

「……彼への誓約《ギアス》だと思ってほしい」

 

 どこか懐かしむような声音だった。

 小指の指輪をそっと撫で、リドルさんは言葉を紡ぐ。

 

「僕はアキを尊重しているし、君達のことも尊重したいと思っている。この指輪はその誓いの証でもある。ヴォルデモート《僕の未来》とは違う、別個の存在である証明として。僕が僕である証拠として、この誓約は守り通すつもりだ」

 

 ……ふぅん。

 案外リドルさんもデレるじゃん。

 

(なんだか妬ける……とまでは思わないけど、父さんとリドルさんの関係って気になるな)

 

 どのような感じだったのだろう。ハリーおじさんやアリスおじさんへの態度とは、また違っていそうな気がする。

 そもそもこのリドルさんも謎が多いんだよな。どうして学生時代の父と行動を共にしていたのだろう?

 

 ……まぁ、それらも追々聞いていけばいいか。幸いにして、時間はまだまだあるのだし。

 

「……あ、そう言えば、リドルさん。さっきの話に戻してもいい?」

「さっきの話?」

「うん。さっきの『アキ・ポッターを人殺しだと論える人物は誰か』って話。リドルさん、何か言いかけてなかった?」

「あれ? ヒカルには分からなかったかい?」

「……分からなくて悪かったな」

 

 からかうような声音で問いかけられ、思わず口を尖らせる。「ごめんごめん」とリドルさんは苦笑しながら軽く詫びると、今度は勿体つけずにその言葉を口にした。

 

「アキ・ポッターを人殺しだと論える人物が一体誰なのか──そんなもの、アキ本人以外にはいないだろ?」




デレリドルさん。リドルさんはかつてダンブルドアに教師の打診を断られていますからね。でもアキエンド「いらない世界」では教師の道を選んでいるので、彼にとって思い入れのある職ではあるのだと思います。

次回更新は2/12(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 ジャスパー・グリーン

 魔法省に到着したのは、約束した時間より十分も遅かった。

 

 ローブを翻し、ドラコ・マルフォイは魔法省のエントランスを駆け抜ける。

 こんな公衆の面前で息を切らして走るなど、マルフォイ家の当主としてあってはならないことだった。父母がいれば渋い顔をしただろう。しかしそれ以上に、今のドラコにとっては待ち合わせ相手の元に一秒でも早く着くことの方が重要だった。

 

 エレベーターに飛び乗ると、行き先階を連打する。目的のラウンジに着いた頃には、息も絶え絶えになっていた。

 

「ま、待ち合わせだ……アリス……アリス・フィスナーを」

 

 受付の魔女にそう告げると、魔女は得心いった顔で「そちらの通路の一番奥でございます」と指し示した。彼女に一礼し、通路を進む。

 

 ラウンジの中は半個室になっており、盗聴防止呪文が張り巡らされていて、他者に聞かれたくない密談をするに適した空間となっている。その分魔法省にある他のラウンジよりも値段は跳ね上がるものの、自分も相手も今更そのようなことを気にするような立場ではない。

 

 一番奥の個室で、アリス・フィスナーは頬杖をついて座っていた。片手に持った小さな機械を弄っている。ドラコの足音に気が付いたアリスは、顔を上げると顰めっ面のまま、ドラコに対して入ってくるようジェスチャーをした。

 

「遅ぇ! 呼び出した側が遅刻してんじゃねぇぞ!」

 

 半透明の扉を押して中に入ると、すぐさま怒声が飛んできた。うげっと思わず身を竦める。

 

「わ、悪かった! 道が混んでて!」

「うるっせぇな、ここの料金全額お前持ちってことで手を打ってやるよ。俺を呼び出すんだったらあと三十分は早く来やがれこの野郎」

「三十分は流石に言い過ぎだろう!」

 

 とは言え、とドラコは思い直す。

 激務でお馴染み《中立不可侵》フィスナー家当主のアリス・フィスナーが、わざわざ時間を作ってくれただけでも結構凄いことなのだ。

 店員を呼び止めオーダーをする。アリスは呆れた口調で呟いた。

 

「そりゃお前、アキを通されちゃ俺だって融通効かせるさ。あんまりあいつを便利に使ってやるなよ、つーか直接連絡しろよ。別に知らない仲じゃないんだから」

「その、それは、ちょっと気を遣ってしまって……」

「逆に迷惑。ヘッタクソな気の回し方してんじゃねぇよ、そういうの滅茶苦茶苦手な癖に」

 

 短い金の髪に碧の瞳、左耳には雪印と群青のピアス。顔立ちは相変わらず人目を惹く。

 所属を示すローブは今は脱いでいて、シャツと緩めたネクタイが窺えた。普通であればただだらしなく見える着崩しも、嫌味なほどに整ったその顔があれば、不思議と決まって見えてしまう。

 

「それは何だ?」

 

 アリスの手に握られた、板のような機械を示した。

 手に収まるほどのサイズの機械に、何やら画面が映っているようだ。ん、とアリスは視線を向ける。

 

「あぁ、これ。マグルの世界のスマートフォンってやつだよ。携帯電話の進化版ってとこ? インターネットに繋がっていて、何処にいても世界中の人と連絡が取れる」

「すまー……? いんたーねっと……」

 

『電話』や『テレビ』くらいはかろうじて理解できるものの、その他はもうさっぱりだ。学生の頃も、マグル学は受講していなかったし。

「まー、純血の魔法使いとなるとそうだよなー」とアリスは呟いた。

 

「でもこの辺も取り入れて行かないと、流石に取り残されっからさ。魔法界と電波は相性悪いのがこれまでの通説だったんだけど、俺のダチにレーン・スミックって奴がいて、そいつが色々研究してて。最近試作品が出来たって送ってきたもんだから、待ってる間弄ってた。お前もちょっと使ってみるか? 中々面白いぜ」

「お前、凄いな……」

 

 生まれてこの方、ずっと魔法使いとして生きてきた。そんな自分が使いこなせるとは思えない。

 そう正直に告げると、アリスはけらけらと笑った。

 

「俺もだよ。操作はほとんどナイトに教わったようなもんだ。いやマジでマグル生まれってすげぇよ、感覚で大体何すりゃどうなるってのが分かるみたいでさ。アキも速攻習得してたし、やっぱガキの頃から触ってんのがいいんだろうな。まぁあいつはすぐさま壊して、レーンに文句言われてたけど」

「マグルの機械か……」

 

 ずっと『マグル蔑視』で育ってきたせいか、頭では分かっていても、マグルの製品に対する嫌悪感が拭い切れないでいる。時代の波に乗り遅れていることは薄々感じているし、それに対する焦りもある。それでも触れることを嫌悪する自分がいるのだ。

 アリスもそれは分かっているのか、ドラコの反応に小さく頷いた。ちょうどそこに料理や飲み物が運ばれてくる。アリスは手に持っていた機械──アリス曰く『スマートフォン』をテーブルに伏せた。

 

 身を正したドラコは、アリスに向かって深々と頭を下げる。

 

「まずは、礼を言わせて欲しい。妻の件について──アストリアのことで、フィスナーとして様々な便宜を図ってくれたこと。感謝してもし切れ……」

「あぁ、いいっていいって」

 

 しかし、アリスはドラコの言葉を遮ってしまう。思わずドラコはムッとした。

 

「いや、折ってくれた労苦には相応の対価を返さねばと……」

 

 今日だって、そのために彼を呼び出したというのに。

 謝礼品に菓子折、この男の好みそうなものが分からなかったため、いっそのこと本人に尋ねようとの魂胆だ。

 

 アリスの趣味について、一度ダメ元でユークに尋ねてみたのだが、ユークはドラコの悩みを「知りませんよ、花でも贈ればいいんじゃないですか?」と鼻で笑うだけだった。当然、花なんて贈れる訳もない。

 

 骨董・古美術の類に興味がないことは承知している。レイブンクロー出身らしく読書家ではあるものの、自分の手が届く範囲よりも彼の手が届く範囲の方が広いため、彼が真新しいと感じるものではないだろう。となるといっそのこと、バカンスでも手配してやろうかと考える始末だ。

 思えばクリスマスでさえ贈り合うことのない間柄だ。幼い頃は、フィスナー家と縁が欲しい父母に唆される形で贈っていたものの、アリスが家を飛び出してからはそれも自然となくなった。アキとのプレゼントのやり取りの方が、回数としてはずっと多い。

 

 と、アリスがじぃっとドラコのことを見据えていることに気がついた。据わった目に、思わず身を震わせる。

 ドラコのそんな反応を見て、アリスはため息をついた。ステーキにナイフを通しながら、アリスは「あんまり、俺が言えた義理じゃねぇけどさ……」と呟く。

 

「お前、友達いないのな」

「……っ、なっ!?」

 

 一瞬ぽかんとした。何を言われたか理解した瞬間、思わず頬が赤く染まる。

 

「そ、そそそ、そんなことあるわけ……っ!」

 

 いや? あれ? どうだろう?

 学生時代に付き従わせていたクラップとゴイルは、友というよりむしろ手下のようなものであったし、アクアはそもそも婚約者(元、が付くものの)だったし、その他学生時代につるんでいた者達も、死喰い人であり資産家であるマルフォイ家に対して下心込みで群がっていた者だった。純粋に友達などと呼べる者など、心当たりをどれだけ探しても、それこそアキ・ポッターくらいしか思い浮かばない。

 

 友。そう、友。

 ハリー・ポッターとロン・ウィーズリー、そしてハーマイオニー・グレンジャー。彼ら三人の絆と信頼を、羨んだことがないかと言われると、それは──

 

「……えぇ……ウソ、嘘だ……」

 

 思わず頭を抱えてしまう。

 生まれてからこのかたずっと、自分には人望があると信じ切って生きてきたのだ。学生時代は、ハリー・ポッターがいるから自分に注目が集まらないのだと思い込んでいた。それが、今やこのザマだ。情けなさに、思わず顔を覆ってしまう。

 

「私、友達いなかったんだなぁ……」

 

 幼い頃は誰とも関わろうとせず、愛想を振り撒くことをしなかった元婚約者のアクア。「自分がいないとこの子はやっていけない」という使命感で、彼女の手を引っ張り連れて行った。

 そんなアクアも、今ではずっと広い世界の下、沢山の人と関わり合いながらも上手くやっている。

 

 母親の死後に家を飛び出し、帰ってきてからもずっと周囲に分厚い壁を張り続けていた幼馴染のアリス。あれほど険悪だった父親ともいつの間にか和解して、今では彼も立派に《中立不可侵》の当主を務めている。

 

 ──変わっていないのは、自分だけか。

 子供の頃から一歩も進めないまま、置いていかれたと嘆くばかりの幼児のよう。

 

 置いていかれたわけじゃない。

 自分が、ついて行かなかっただけ。

 

「変われたさ、お前も」

 

 そんな言葉に顔を上げる。

 摘んだポテトを指揮棒のように振りながら、アリスは皮肉っぽく笑ってみせた。

 

「随分と遅れて来た反抗期じゃねぇの」

「…………ふ。年中反抗期のお前に言われたくはないけどな。……結局お前どうする気なんだ、まさか本当に結婚しない気か?」

「養子も取ったし別に良くね? もう血を継承する時代は終わっていいだろ」

「お前な……」

 

 思わず呆れてしまう。この男、本気でフィスナーを自分で末代にしてしまう気なのだろうか。

 

「……アキは、なんて言ってんだ?」

「『アリスの好きにすればいーんじゃね?』って」

「軽っ」

 

 いや、元々アキはそういう奴か。滞った世界に『革命』という名の新たな風を呼び込む男だった。

 

 一通り食べ終わったアリスは、口元を拭いてペリエを傾ける。こいつガッツリ食いやがったなと、空になった皿が並ぶテーブルを見ながら目を眇めた。この辺りは相変わらずだ。気を遣われないというのは有難いものの。

 空になった皿はやがて、魔法省にて働く屋敷しもべの転移魔法によって姿を消した。

 

「……アキと言えば、だ。あいつの兄、ハリー・ポッターについて、気になることが……」

「あぁ……『傷』のことか」

「そうだ」

 

 思わず拳を握っていた。気付かずそのまま言葉を続ける。

 

「『傷が痛む』だなんて、もう十年以上何もなかったじゃないか。闇の帝王はもういないんだ、それを、ポッターの奴……何で今更、そんなことを蒸し返す……」

 

 ふむ、とアリスは口元を覆った。ドラコは語気を強める。

 

「しかも、魔法省も魔法省だ! ポッターの虚言を真剣に取り合うだなんて……たかがちょっと傷が痛んだくらいで大袈裟だろう? お前らだって、まさか本気で闇の帝王が蘇ったなどと考えているわけではあるまい?」

 

 アリスは軽く眉を寄せた。呆れたようにため息をついて「お前らはホント、なんというか、絶望的に『合わない』よなぁ……」と零す。

 合うわけがない。向こうだってドラコのことを毛嫌いしているのだ。和解も何も、お互いの存在自体が気に食わない。アキですら、ハリーとドラコを向かい合わせるのは避けるほどだったのだから。

 

 アリスは考え込みながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「ハリー・ポッターの傷の件だが……ひとまずは調査と情報収集の段階だ。現状『例のあの人』が復活したとの情報はないし、そのような証拠も掴めてはいない。……ただ気になる点もある。死喰い人がまた随分と血気盛んになってきていると、闇祓い局からは報告が上がっている。何かが……誰かが──影で糸を引いているのではないかと。彼らを裏で牛耳っている存在が、何処かにいるのではないかと、闇祓い側は考えているようだ」

「それが、復活した闇の帝王だと!? 馬鹿げている、そんな──」

「人の話は最後まで聞けよ」

 

 冷ややかな声に、背筋に氷水を流し込まれた気分になった。

 ドラコが口を噤んだのを見て、アリスは続ける。

 

「──無論、そうであれば一大事だ。だが、そのような証拠は未だ見つかってはいない。『例のあの人』は分霊箱にその魂を分割して隠したが、それらは全て破壊済みであることが確認されている。彼の父親であるマグルの遺骨についても、またメローピー・ゴーント……『例のあの人』の母親の墓に関しても、荒らされ暴かれた形跡はない。『例のあの人』に血縁はいない……復活に至る依代は、この世界の何処にも存在しない」

「……なら、闇の帝王に子供がいたとしたら?」

 

 アリスは据わった目でドラコを見た。

 ドラコは口の端を吊り上げる。

 

「私の子、スコーピウスの噂について、耳にしたことがないわけではあるまい?」

「……スコーピウスはお前の子だろう」

「あぁ私の子だ。間違いなく、私とアストリアの息子だ。だが、ポッターが傷が痛むと騒ぎ立てるたびに──闇の帝王の存在を示唆するたびに、私の息子に累が及ぶ! 逃れられない悪評が飛ぶんだ、それが、お前に分かるかよ!?」

 

 テーブルを叩いた。アリスはしかし、眉をぴくりとも動かさない。

 そのままドラコは項垂れる。

 

「頼む……頼む、お前にしか頼めない……私の息子に関する、この悪評を消してくれ……」

 

 頭を下げた。かつての幼馴染に対して(こいねが)う。

 

「金なら幾らでも積む。私に出来ることなら何でもやる。だからどうか、頼むよ……」

 

 なんだってやるつもりだった。

 息子と妻のためだったら、己の頭ひとつなんて軽いものだ。

 ──それでも、こうあっさりと返されるとは思ってもいなかった。

 

「いーよ」

「…………、へ?」

「だから、いーよって言ってんだ」

 

 尊大に腕を組み、アリスは言う。

 

「お前の依頼は《中立不可侵》フィスナー家当主のアリス・フィスナー様が引き受けてやる。えっと、噂を消すんだっけ? そんなこと容易いもんだ」

「え────」

「その代わり」

 

 目にも追えぬ速度で襟元を掴まれた。何一つ抵抗できぬまま、ただ呆然とアリスの顔を仰ぎ見る。

 

「当然、お前が『対価』払ってくれんだよな?」

 

 赤い舌をチロリと覗かせ、アリス・フィスナーはにんまりと笑った。

 

 

 

 

 

「身ぐるみ剥がされた気分だ……」

 

 ぐったりとした気分のまま、ドラコ・マルフォイは呟いた。

 

 アリスが対価として寄越せと提示したのは、マルフォイ家を筆頭としたスリザリン派についてと、かつてスリザリン寮生であった者たちの情報であった。

 マルフォイ家当主でしか知り得ない部分までも良いように吐かされてしまい、いろんな意味で自分はもう、この男に逆らうことは出来ないと感じる。

 

 ……これまでスリザリン派閥が、どのようにして《中立不可侵》フィスナーと関わってきていたのか、ドラコは多少なりとも気になってはいたのだが──今日改めてはっきりした。

 半ば恫喝、半ば恐喝。

 フィスナー家がどうして魔法の技術だけでなく、体術や武術までもを幼い頃から覚え込ませる慣習であったのか、その理由が分かった気がする。

 

「人聞き悪ぃこと言うなよな」

 

 自動書記で書き取った調書を確認しつつ、心外だとばかりにアリスは眉を寄せた。はは、と愛想笑いを返すことしかできない。

 

 ……中立不可侵とは、双方から手を『出されない』というより、双方から手を『出させない』というのが正しく由来であった──それこそ、領域を侵したものは武力を以って排除されても文句は言えないという。

 

「ん、確認終了。対価頂戴致しましたよっと。いやぁ悪いね、ベルフェゴールんとこまで話してくれて助かったわ。アクアは実家について碌な情報持ってねぇし、ユークは『ここから先は追加料金です♡』がしっかりしてたしで、あそこ中々攻略難かったんだ。情報提供サンキューな」

「は、は、は……」

 

 ユークに怒られる未来が思い浮かんで、思わず頬が引き攣った。申し訳ないユーク、と心の中で手を合わせる。

 

「まぁいいや……私で良ければこれからも、幾らでも力になろう。大抵のスリザリン派閥であれば繋げることは出来るから」

「言われるまでもなく当たり前なんだよ。逮捕され(しょっぴかれ)たくなけりゃ《中立不可侵》の言うことに従えってんだ」

 

 憎まれ口すら心地良い。いやこれは果たして憎まれ口なのだろうか?

 

「……あの、フィスナー。最後にもう一つ、頼んでもいいか?」

 

 おずおずとそう尋ねると「いいぞー、何かくれんならな」と言葉が返ってきた。もう何も出ないから勘弁してくれと顔を覆う。

 

「こんなことを言うのは、良くないことだと分かっているが……私には、身内が死んだ経験というものがない。だから……アストリアが、私の妻がもし死んだ時、私は息子に対してどう振る舞えば良いのかを……教えてくれると、助かる」

 

 しばらく何もリアクションがなくて、ドラコはおずおずと顔を上げる。

 アリスは無表情のまま、目を細めてドラコを見据えていた。そういう顔をされることは予想していたものの、う、と思わず怯んでしまう。

 

「……俺が、一番、親父にムカついたのは」

 

 一音一音をはっきり区切り、アリスは言う。

 

「親父が、俺と同じように、母の死に悲しんでくれなかったことだ。俺と同じように、母を侮辱した親戚連中に対して、ブチ切れてくんなかったことだ」

「…………」

「今でも許せない。許してないよ、俺は。一生許してやる気はない」

 

 だからさ、と、そう言ってアリスはぎこちなく笑った。

 

「お前は、そんな父親になんないでくれよ。息子に『許さない』と言われるような父親になんて、なるんじゃねぇよ。ちゃんと、ちゃんと、心から……大切な人の死を、悲しんでやってくれ」

 

 ドラコは、アリスの顔を正面から見て。

「すまなかった。そして……ありがとう」と、そう言っては頭を下げた。

 




「今この瞬間にアリスをねじ込める!」と思って急遽突っ込んだ回でした。まぁなんだ、花でも贈ればいいと思います。

次回更新は2/19(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 LOST CHILD

「え? うん、お父さんのお守りでしょ? いつも付けてるけど、それがどうしたの?」

 

 手首に嵌まったブレスレット状のお守りを、わたしはヒカルにも見えるように袖を捲って示す。

 ヒカルはどこか不機嫌そうにお守りを睨んだ後「ならいい」とふいっと視線を背けた。なんなんだこいつ。

 ……お風呂の時の髪留めにちょうど良いんだよね、とは言えないな。

 

 十二月ともなると、ホグワーツは一面銀世界に包まれる。真っ白な雪に覆われたホグワーツ城は、すごく幻想的でなんだか神々しい。

 

 活発な子達は雪合戦にと元気いっぱいお外に駆けて行ったものの、なにせわたしは自慢ではないが、薬草学の授業で温室へ向かう道ですら雪に埋もれて立ち往生するほどだ(全然自慢じゃないね)。

 雪は部屋の中から眺める分は良いけれど、対峙するとなると分が悪い。というか、わたしが一方的に負けるのが目に見えているからね。

 

 加えて体力がないわたしにとって、体調を崩しがちな冬場は結構な鬼門だ。暖房の魔法が効いている室内はぬくぬくぽかぽかでも、一歩外に出たら寒さが堪える。

 だからわたしは冬場の間は外に出ず、暖かな室内で大好きな読書をするのが日課なのだった。いつもと変わらないって? それはそうだね。

 

 今日も今日とて図書室で本を読んでいたちょうどその時、誰かがすぐ隣の椅子に座る気配がした。気にせず本を読み続けていたら、今度は読んでいた本のページが七色に光り出した。たまらずわたしは顔を上げる。

 

「もっと穏便に呼びかけてよ。声を掛けるとかあるじゃない」

「お前、本読んでる時は生返事しかしないじゃん。図書室で声を張り上げるわけにもいかないし」

 

 隣に座っていたヒカルに文句を言うと、すぐさま小言が返ってきた。

 だからと言って本のページを虹色に輝かせないでほしい。すごく気が散る。

 

 ヒカルが指を鳴らすと輝きは止まった。本に魔法を掛けるなんてとむぅっと膨れるも、同時に目の前でぷかぷか浮かんでいた球の存在に気がついた。

 豆電球ほどのサイズの球は見る見るうちに縮んでは、やがて空気に掻き消えてしまう。ミラーボールのように輝いたこれが、本の白いページをド派手に照らし出したのだ。思わず鼻白む。全く、やんなっちゃうね。

 

 何故かわたしのお守りの在処を確認したヒカルは、続いてポケットからネックレスを取り出し書見台に置いた。

 ネックレスには小さな赤い指輪が通されている。少し前にわたしがヒカルに貸した、リドルさんの指輪だ。

 

「聞きたい話は聞けたの?」

 

 わたしの問いかけに、ヒカルは短く「ま、な」と返した。ふーん、ならいいんだけど。

 

 ネックレスを手に取り首に掛ける。

 ここは図書室だから、リドルさんは呼べないけれど……それでも手のひらで包んだ指輪からは、仄かな温もりを感じられる。

 

 何故だろう。初めてリドルさんと出会った時から、なんだか不思議と惹かれるものを感じてしまう。纏う空気に堪らなく懐かしさを憶えるのだ。

 幼い頃手放さなかった毛布に、久しぶりに頭を突っ込んだ時のような。

 擦り切れるほど読んだ絵本の、ボロボロになった表紙を捲った時のような。

 

 これが感傷と呼べるものなのか、わたしにはまだ分からない。

 頭の片側が甘くほどけるような幻想が、一体何に起因するものなのか、わたしにはまだ分からない。

 

「あ、二人とも、ここにいたんだ」

 

 その時声を掛けられた。

 わたしとヒカルが揃って振り向いたその先には、にっこり笑って手を振るナイト・フィスナーの姿。わたしは思わず立ち上がる。

 

「ナイト!」

 

 快活で明るい印象を与えるキラキラした青い瞳に、ふわふわとした金色の綺麗な髪。うぅんっ、今日もナイトはお姫様みたいでとても可愛いっ。

 駆け寄ってぎゅうっと抱きつけば、ナイトも「ソラ〜! 元気だったかな?」と抱き締め返してくれた。

 

「ソラ、体調崩してない? 寮は寒くないかな? あったかくして寝てる? 本を読み耽って夜更かししてない?」

「大丈夫、ハッフルパフの寮の中はあったかくて居心地いいよ。最近は特に、ちゃんと早く寝るようにもしてるの。だって風邪引きたくないもん」

 

 今まで熱を出した時は、母やジニーおばさんやユークおじさん、シリウスおじさんだったりピーターおじさんだったりが代わる代わる家まで様子を見に来ては、わたしの看病をしてくれた。それに夜にはいつもスネイプ教授が訪れて、わたしの症状を聞き取ってその場で薬を調合してくれるものだから、翌日には熱も引いてすっかり元気なのが常だ。

 ……でも、今年は違う。今年は熱を出してもずっと一人だ。医務室で一人寝ているなんて、想像するだけで寂しくなっちゃう。だから、今年は元気でいないといけないのだ。

 

「偉い〜!」とナイトはわたしの頭を存分に撫でて褒めてくれた。ふふん、わたし、偉いでしょ。

 えへへぇ、ナイトはいつも沢山褒めてくれるから大好きなのだ。ヒカルも見習ってほしいものだね。

 そんなヒカルはわたしとナイトの戯れを見ては呆れ顔だ。

 

「ナイト、こんな奴に構ってていいのかよ。NEWT(いもり)試験の勉強があるんじゃないの?」

「ソラをちょっと構ったくらいで成績は落ちないよー、ヒカルは心配性だなぁ。……まぁ、うん……成績は、ちゃんと取るように頑張るつもりだよ。あたしのせいで、フィスナーの家名に泥は塗れないから……」

 

 後半のナイトの声は、なんだかちょっとだけ元気がないようにも聞こえた。

 大丈夫かなと顔を上げた瞬間、ナイトは「でも〜! ソラの可愛さは癒されるんだよぉ!」とわたしを抱き締めたまま、わたしのほっぺに頬擦りする。わぅ。

 

「あぁもう可愛い! ソラってば、本当に可愛い! ほっぺはぷにぷにすべすべだし、髪の毛ツヤッツヤのさらっさらだし、ちっちゃくて柔らかくて良い匂いがして、もう可愛くて食べちゃいたいくらい! 絶対美味しい! あたしの癒し!」

 

 わたしを可愛がるナイトのテンションは、なんだかいつもよりちょっと高めだ。やっぱり勉強に疲れているのかな。流石はいもり試験、『Nastily Exhausting Wizarding Test(めちゃくちゃ疲れる魔法テスト)』なだけはあるよ。

 

「あ、でもね。今日はソラを可愛がりに来ただけじゃなくて、クリスマス休暇のことでちょっと話があるんだよ」

 

 ナイトはわたしを膝の上に乗せたまま、椅子に腰掛けヒカルに向き直った。

 

「話?」

「うん。多分アキ教授にはうちの養父から話が行ってると思うから、二人にはあたしから話しておくね。……ほら、あたしって、毎年クリスマスはポッター家のお祝いにご一緒させてもらってるじゃない? それが、今年は養父が休暇を取れたみたいで、ちょっと北欧の方に行く用事ができちゃってさ。今年はちょっと一緒にお祝いできなさそう」

「えぇっ!? ナイト、クリスマス一緒にいれないのっ?」

 

 思わずナイトにしがみつく。ナイトは困った顔で「本当にごめんね、お土産は買ってくるからさ……」と笑い、わたしの髪を優しく撫でた。

 

「えぇぇ……ナイトだけ残ろうよぉ……」

 

 アリスおじさんが忙しいのはいつものことじゃん。わざわざナイトを連れてくことなんてないのにさぁ。

 そんなわたしをヒカルは「アリスおじさんも、必要だからナイトを連れて行くんだろ。ワガママ言うな」と強めの口調で叱りつける。……うぅぅ、わかってるよぉ。わかってるけど、でも寂しいじゃん……。

 

「……あれ、でもナイト、今『クリスマスは』って言った? なら、ヒカルのお誕生日は一緒にお祝いできるっ?」

「お前な……」

 

 ヒカルが呆れた声で窘めようとするが、わたしはナイトに聞いているのだ。

 ヒカルの誕生日は十二月二十三日。この日はセーフ? それともギリギリアウト?

 

「えぇっと、確か二十四日──クリスマス・イブの夜に発つって言ってたから大丈夫だと思うんだけど、一応養父に確認してみるね」

「絶対、絶対だよ! わたしからもアリスおじさんにお願いするから!」

「お前、アリスおじさんを前にするといつも怖がるじゃん」

 

 ヒカルが横槍を入れてくるものの……ナイトのためならアリスおじさんにも立ち向かうよ、わたしは!

 ……怖い人じゃないって分かってるんだけどね。父の前だとよく笑ってるし、実際優しいし。でも目つきのせいか、なんだか睨まれてる気がしてついついビビってしまうのだ。

 

 心を奮い立たせるように「頑張るよ!」と大声を出した瞬間、わたしたちは怖い司書さんの手によって図書館から摘み出されてしまった。……あう。

 

 

 

 

 

 

「クリスマス休暇、やだなぁ……」

 

 大広間のテーブルに頬をくっつけたまま、アルバスは教科書をぱらぱらと捲っている。僕、スコーピウス・マルフォイは星図を書き写しながら、そんなアルバスに視線を向けた。

 

「お父さんと顔を合わせるのが嫌?」

「そりゃあ……まぁね」

 

 アルバスは相変わらず、ふん、とヘソを曲げた顔だ。クリスマス休暇が近付いてきたのもあって憂鬱さもひとしおらしい。

 少し前に、アルバスの父親であるハリー・ポッターがホグワーツに来てからというもの、最近はずっとこんな感じだ。スリザリンに入ったことをただでさえ引け目に感じているのに、おまけにスコーピウス・マルフォイ──つまりは僕だ──と付き合うなと言われたらしい。アルバスはそのことに怒り心頭なようだ。

 

「……何、スコーピウスはムカつかないわけ? あんなことうちの父さんに言われてイヤにならないの?」

「僕が直接言われたわけじゃないしね。それに、うん……そう言いたい親心も、ちょっぴり分かる気がするんだ」

 

 ハリー・ポッターに僕が貶されたと思って怒ってくれるアルバスを見ていると、なんだか面映い気持ちになる。……同時に、君の父と似たようなことを実は僕の父上も言ってるんだよ、と喉元まで言葉が出かかったりもする。

 僕はアルバスのためにそこまで怒ることができるかなと、そう思うと少しやるせない。いつだって愛想笑いを浮かべてやり過ごすのが常なのだから。

 

 僕の気持ちも知らずに、アルバスは「僕にはわからないね」と肩を竦める。そうかもしれないねと、僕は少し淡々と返した。

 

「あーあ。スコーピウスがクリスマス休暇にホグワーツに残るんだったら、僕も残ったんだけどな」

「ごめんね。でも、母上の体調が気になるんだ」

 

 今の治療法が合っているのか、最近の母は小康状態であるらしく、先日は父から庭先でのツーショット写真が送られてきた。そこに写る笑顔の母に、心底ホッとしたことを覚えている。

 未だ無理はさせられないものの、それでもクリスマスには一緒にいたい。そう言うと、アルバスは神妙な顔で「うん、それがいいよ」とコクコクと何度も頷いた。

 

「プレゼントは贈るから。本当は、スコーピウスと一緒にいたいんだけど……」

「アルバスは、ポッター家の方でクリスマスの集まりがあるんでしょ? ヒカルやソラも一緒なんだし、楽しんで来なよ」

「う……ん、そうだね……でも父さんと、あとジェームズに何言われるか……あぁ、でもヒカルがいるからまだマシか……」

 

 アルバスはそれでも浮かない顔だ。僕としては、そうやっていとこ達と集まれるアルバスのことが、割と心底羨ましいんだけどな。

 

「あら? 二人して何、クリスマスの作戦会議?」

 

 その時軽やかな声がした。パッと顔を上げたアルバスは「デルフィー!」と弾む声を上げる。

 荷物を抱えたデルフィーは、僕らの正面に腰を下ろすとニッコリと笑った。

 

「今日の授業が終わったから、ちょっと早めに大広間に来てみたの。何、クリスマスの話?」

「あぁ、そうなんだ。……そうだ、聞いてよデルフィー!」

 

 そう言うが早いか、アルバスはデルフィーに先日の父親についての話をし始めた。ちょっと耳タコな僕は、アルバスの愚痴を軽く聞き流しながら天文学の本をぱらりと捲る。もう少しで自力で宿題ができそうなのだ。

 デルフィーが相槌を打つたびに、アルバスの調子は上がっていく。ちょっと声が大きいんじゃないかと顔を上げたその時、僕はデルフィーの口元が微かに動いたのを見た。

 

 ほんの微かで僅かな動き。吐息のみが溢れた唇。

 ──それでも僕には、読み取れた。

 だって僕は、母の囁き声を一言も聞き漏らすまいと、いつだって耳を澄ませることが日常だったのだから。

 声にならない声を読み取り、母の言葉を掬い上げることを、僕は使命としてきたのだから。

 

 デルフィーは確かにこう言った。

 アルバスの父親に対する愚痴を、微笑みまじりに聞きながら──その薄紫の瞳の奥に、何処か冷めた光を揺蕩わせ。

 

 

 ────『たかが、それだけで?』──と。

 

 

「……デルフィー!」

 

 咄嗟に大きな声を出す。デルフィーとアルバスは驚いた顔で僕を振り返った。

 

「どうしたの? スコーピウス」

 

 デルフィーはニコリと微笑む。いつも通りの笑顔だった。

 

「あ……えっと、その……デルフィーはクリスマス休暇、どうするの?」

「……あぁ、そのこと。先生はクリスマス休暇もホグワーツで生徒を見なくちゃいけないから、休みなんてないわ。お子さんのいる先生は帰られたりするけど、私は新任だしね。立場は一番弱いのよ。残念だけどホグワーツでお留守番。あなたたちは?」

 

 僕らは家に帰る旨を伝えると、デルフィーは「やっぱりそうなんだ……ちょっと寂しいな」としょんぼりした顔をした。その顔を見てアルバスも眉を下げる。

 もしかしたらアルバスは「デルフィーを一人にしたくない」と言って居残りを決めるかもしれない。そう思ってアルバスを窺うも、アルバスは「デルフィーにもクリスマスプレゼントを贈るからね」と頷くだけだった。

 

「まぁ、嬉しい! ありがとう、アルバス、絶対よ?」

「うん、デルフィーに似合いそうなのをたくさん考えとくね」

 

 ……はい。友人のウブな恋に当てられて、僕はもうお腹いっぱいです。

 笑顔のデルフィーを見ていると、さっきの一言が気のせいだったようにも思えてくる。もしくは見間違いだったとか。唇の震えを、僕が単に悪い方へと読み取ってしまったのだとか。

 

 でも、同時に思い出すのは。

 僕やアルバス、ヒカル、それにデルフィーが参加している勉強会に誘った時の、青ざめた顔で俯いたソラのあの表情。

 ……普段暢気なソラの、あんな表情は初めて見た。あの時は、具合が悪いのかもと流したものの──思えば随分とソラらしくない反応だった。

 

 ソラは勉強が嫌いなタイプでもない。少し希望的観測かもしれないが、僕やアルバスが嫌われているとも考えにくい。ヒカルがいたから……であれば、ソラははっきりそう言うだろうし……。

 ……とすると、残るはデルフィーニ・リドルの存在か?

 それに、思い返してみれば、ソラはいつもデルフィーを避けているように見える。

 彼女の存在に怯えているのだろうか? でも、一体どうして?

 

「……あ、でもね……アルバスは『逆転時計(タイムターナー)』を知ってるかしら?」

「逆転時計? 何それ?」

「時を遡る魔法道具なの。それが、実は……」

 

 僕が考え込んでいる間にも、アルバスとデルフィーは楽しげに談笑していた。僕が遮った話の続きが聞こえてくる。

 僕は二人の話に上手く入れないまま、ずっとソラのことを考えていた。




冬場のホグワーツはちょっと、洒落にならないくらい寒そうですね。雪に埋もれるほど降ってるし……。風邪を引かないようにとソラは頑張っています。これでも彼女なりに頑張っているのです。

次回更新は3/5(日)更新予定。
すみません、ホグレガが楽しくて……探索してたら時間が溶ける……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 夜を雪ぐ

 くぁぁ、とユークレース・ベルフェゴールは込み上げる欠伸を噛み殺した。

 時刻は早朝の五時。真冬の今はまだ日も昇っておらず薄暗い。窓枠にうず高く積もる雪が、外の氷点下を下回っているであろう気温を伝えてくる。

 部屋の中は温められているものの、廊下は吐く息すら白く濁る寒さだった。屋敷が広いというのも考えものだと思いながら、ユークは足早に人気のない廊下を進む。

 ユークの普段の起床時間はここまで早くない。それなのに何故こんな時間に起き出し、ちゃんとした身なりに着替えているのかと言うと、義兄であるアキ・ポッターとの会合が五時半から予定されているからであった。

 

「……いくら日中は忙しいからって、こんな早朝からとか有り得ないでしょ……あの人本当はお爺ちゃんなの……? 僕はまだ寝てたいですよ……」

 

 愚痴る声も、起き抜けだからか力無い。はぁぁと頭を振って眉間を抑えた。

 

 ユークレース・ベルフェゴールにとってのアキ・ポッターとは、一応は信頼している義兄(あに)である。

 ……『一応は』と冠を付けてしまうのは、この歳になっても相も変わらず、アキ・ポッターに対しては多少の敵愾心などを抱いてしまうからで。つまりは単に、ユークが素直になれないだけなのだ。

 

 敬慕している最愛の姉を託しても良いと、そう思えるくらいには信頼している。姉が彼を夫として選んだことに否やはない。

 ユーク自身、ホグワーツ入学の頃からアキ・ポッターとは面識がある。学生時代の交流も、回数だけで言うならば案外多いのかもしれない。なにせ、ユークが幼い頃から慕っていたアリス・フィスナーの隣には、大体当たり前のような顔でアキ・ポッターもいたのだから。

 

 今思えば、子供じみた独占欲もあった気がする。自分が大好きな人の隣に居座っていたアキ・ポッターへの嫉妬心というべきか。

 もちろん、彼はその地位にただ安穏と『居座って』いたわけではない。きちんとした絆と友情と親愛を結び、ひとつひとつの信頼を積み上げた末の席であった。

 

 ──そんなことは分かっている。

 分かっているけど、割り切れないのが人の心というものだろう。

 

 好意はあるし情もある。しかしそれらを素直にアキ・ポッターに対して表現できるかと言えば、これまた別の話であって。

 これまで長年向けてきた態度はそうそう改められず、向かい合えばどうもツンケンしてしまうのがユークにとっての悩みの種ではある。

 まぁきっと、アキ・ポッターの側もユークの心情は察してくれているのだろう。アキ・ポッターの厚意に、ついつい甘えてしまっている。

 

 ……とはいえ。

 義弟となったユークのことを、アキ・ポッターは割と容赦なく振り回してくるのも確かで。

 ベルフェゴール家当主であるユークが握る情報網や人脈、歴史や蒐集品に至るまで、何度『仕事』を持ちかけられたか数えるのも嫌になるほどだ。

 特に死喰い人(デス・イーター)であった親世代の負の遺産が、これまたそれなりに大きな負債として残っていたのもあり、当時ユークはホグワーツ卒業間際だったにもかかわらず、アキ・ポッターに「できればユークには逮捕されてほしくないから頑張ってね♡」などと、心底いらぬ応援をされつつ非合法のあれそれを精算したものだ。

 

 その年から呪文学教師として正式に働き出したアキ・ポッターに「いもり直前なの分かってます?」と恨みも交えそう言えば「でも、ユークは就職試験も受けないんだし、これが就職試験の代わりってことで」とにこやかに返された。何故、就職試験と逮捕とが同列に語られなければならないのか。

 しかも舌の根が乾かぬうちに「まぁユークもレイブンクロー生なんだ、いもりで無様な成績を取ったら承知しないけどね」などとほざくのだ。本当にタチの悪い義兄である。

 

 はぁぁと何度目かも分からぬため息をつき、ユークは執務室の扉を開ける。先に屋敷しもべが暖炉の火を起こしてくれていたため、室内は廊下よりずっと暖かい。

 執務机に備えついた椅子に腰を下ろした。濃い目のミルクティーで眠気を覚ましながら書類に目を通していると、暖炉の火がパッと鮮やかな緑色に変わる。

 

「おはよう、ユーク。朝早くからごめんね」

 

 暖炉から姿を現したアキ・ポッターは、普段通りの笑みを浮かべて片手を上げた。はぁ、と息をつきユークは立ち上がる。

 

「おはようございます、アキ。いえ、このくらいは。……相変わらず、あなたも忙しい人ですね」

 

 アキを応接用のソファに案内し、自分も対面のソファに腰掛ける。そこで屋敷しもべが紅茶と軽食を運んできた。家主の礼儀として先に口をつけた後、アキに「どうぞ」と勧める。

 

「ありがとう、ユーク。そう言えば、最近は特に冷え込みが強いけど、家族はみんな変わりはない? 風邪引きそうな寒さだね」

「えぇ、お気遣いありがとうございます。アレクなんて雪が降るたび外を駆け回ろうとするので、止める側が大変ですよ。来年はホグワーツ入学だっていうのに、相変わらずなんですから。……姉上やソラやヒカルの様子はいかがですか? この寒さで体調を崩していないといいのですが。特にソラが……あの子は寒いのが苦手でしょう?」

「ソラは体力がないからね。でもホグワーツに入学したのだからと、割と気がけているように見えるよ。まぁソラは元々本好きのインドアっ子だから、いつだって図書館にいるのが常のようだけど」

「へぇ、でも偉いじゃないですか。クリスマスに帰ってきたらうんと褒めてあげようかな」

「ユークに褒められたら、ソラも嬉しがるだろう」

 

 アキは父親の表情で穏やかに笑っている。

 その笑顔がふと解けた。真面目な顔をしたアキに、察してユークも片手を上げ、屋敷しもべに合図を送る。

 

「さて、ユーク。早速で悪いんだけど、本題に入ろうか」

「えぇ。水晶の件ですよね」

 

 両手いっぱいの大きな袋を持ってきた屋敷しもべは、音を立てぬよう慎重に、ユークとアキの間、ローテーブルの上にその袋をそっと置いた。袋の紐を解くと、ユークは中身がアキに見えるように晒してみせる。

 

「闇市場に流れていたものについては、あなたが見積もった八割ほどは回収できたと思います。本物かどうかは僕の方でも一通り確認はしましたが、あなたの方でも見ていただければ」

 

 ソファから軽く腰を浮かしたアキは、おもむろに袋の中に手を突っ込むと、水晶を数個手に取った。水晶を左の手のひらで軽く弄んだ後、空いた側の手で指を鳴らす。

 ボウッと燃え上がった炎が水晶を包み込んだ。と思った瞬間、キィンッと高い音がして炎が一気に消滅する。次に見た時には、アキの手のひらの水晶は真っ二つに割れていた。

 

 ホグワーツの戦いの際、アキ・ポッターが全校生徒一人一人に手ずから作成したという水晶の守り。当時のホグワーツの戦いから十九年が経過して尚、その水晶は変わらぬ輝きを放っている。

 

「……攻撃を打ち消す魔法式を組み合わせた上で、それらを水晶に載せてるんですか?」

「んー、ヒカルやソラに持たせてるのはそうなんだけど、これはもう少しシンプルだね。致死性の攻撃魔法に的を絞ってるし、効果だって一度きりだ。学生当時の私が持っていたリソースとしちゃこのくらいが限度でしょ」

 

 アキは軽く言うものの──死の呪文ですら防ぐ魔法道具など、この水晶以前は存在すらしなかったのだ。

 この義兄め、闇市場でこれらが一体いくらで取引されていたと思っている。金に糸目は付けなくていいと言われていたものの、それでも内内での調整をしなければならなくなった。

 全く、時代を変える才能の持ち主が身近にいると要らぬ苦労をするものだ。

 

「何はともあれ、本当にありがとう、ユーク。とても助かったよ、何とお礼をすればいいか……」

「別に、あなたのためではありません。姉上の頼みでしたので。……あ、でも。魔法を消し終わった後の水晶は、僕が頂いてもいいですか?」

「え? あぁ、もちろん。そのくらいでいいの?」

「えぇ、足しにはなります」

 

「でも、その、結構掛かったんじゃない……?」とアキはおずおずと尋ねてくる。

 実際の総額をアキに伝えるつもりは毛頭ないものの、この人であればおおよその金額は想像できていることだろう。ユークは頭の片隅で計算機を叩く。

 

「……それでは……そうですね。ヒカルやソラが持っている『お守り』と同じものを作ってくれますか? アレクが来年ホグワーツに入学だから、お祝いにと思って」

 

 意を決して言ってみる。

 アキは一瞬思案するように目を伏せたものの、すぐにユークを見ては「よし、分かったよ」と微笑んだ。ユークはそっと胸を撫で下ろす。

 

 大人になったアキ・ポッターが、実子のために丹精込めて作り上げたお守り──とくれば、それがどれだけの価値あるものなのか、自ずと想像できるというもので。

 そもそも、ずっと誰かを守ることに固執していたこの人が、子供の身を守るために手を抜くはずもないのであった。

 

 対物理、対魔法共に極上の強度を誇るお守りは、まさしく姉が『要塞』と称したのも頷ける。動く要塞としてなんら遜色のない防御力を誇っている筈だ。間違いなく、並の攻撃では子供達に傷ひとつ付けることすらできないだろう。

 

 もちろんそれだけの能力を誇る分、ひとつひとつに並々ならぬ時間と労力とカネが掛けられているはずだ。間違っても量産できる代物ではない。

 だから、アキ・ポッターに大きな貸しを作れた今回こそが、対等に依頼できる唯一の機会であった。損得の勘定は得意な方と自負しているユークでも、取引の成立にホッと身体の緊張を解くくらいには。

 

「アレクのこと、気に掛けてるんだね」

「そりゃ、大事な一人息子ですから。親としては心配ですよ。……それに、最近ホグワーツも不穏だと聞きますし。安全は確保しておきたいじゃないですか」

 

 ユークの含みある発言に、アキは静かに口を閉じた。数秒黙った後「そうだね」と肯定する。

 

 近頃のホグワーツでの不穏な空気を、ユークだって当然把握しているのだ。ハリー・ポッターの傷が傷み始めたということも、死喰い人の活動が激化していることも。

 ──この人が、問題を放置しておくような人でないことくらい知っている。既に何かしら手を打っているのだろうことも。先々のことを考えて動いていることにも気付いている。

 それでも────。

 

「……あなたは、僕が言うまでもなくきっと、理解しているのかもしれませんが。間違いなく、分かっているのでしょうが。それでも僕としては、あなたに言っておかなければならないことがあります」

 

 自分とは真逆の色合いの彼を。

 全てを吸い込む漆黒の瞳を真っ直ぐに見据え、ユークは口を開いた。

 

「この水晶が敵の手にあることで最も危険に晒されているのは、他でもない闇祓いです。闇祓いの捕縛呪文が、この水晶で弾かれたとしたら──そんな想定、闇祓いの誰もしてはいなかったでしょう。第一線に立つ彼らを、あなたは危険に晒し続けている。そこにはあなたの妻も、あなたの兄上もいるはずです。あなたが命より大事だと思う二人が、そこにいるはずです」

「……………………」

「姉上にもしものことがあったら、僕はあなたを殺します」

 

 ユークの言葉を聞き、アキはうっすらと微笑んだ。

 

「……それは、頼もしいね」




記憶・追憶含め、本編では初となるユーク視点でした。学生時代と比べ、アキとは少し仲良くなっているような、いやはやそうでもないような?

次回更新は3/12(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 クリスマス休暇のはじまり

 待ち望んでいたクリスマス休暇が、やっと来た。わたしはほぅっと胸を撫で下ろす。

 九月から数えて四ヶ月。やっと、やっと、母に会えるのだ。母とこんなに長く離れていたのは初めてだった。

 うぅ、寮生活ってわたしのような子にはしんどいよ。まだまだ慣れるまでは時間が掛かりそうだ。

 

 それに……ホグワーツが嫌いなわけではないけれど、それでも……ね。

 不穏な気配がどこかずっと滞留していて、首の裏がひりつく感じが、なんだか少し苦しい。嫌な空気、だと思う。

 

 ……早く、お母さんに会いたいな。お母さんにぎゅっと抱き締めてもらって安心したい。

 母の纏う空気が、わたしは好きだ。静寂で清廉で、まるで朝の図書館のような空気。優しくそっと、隣で見守られているような心地になる。

 

 寮の前でニーナや友人達と別れる。校門の前では、ホグワーツ特急を待つ人で長蛇の列ができていた。

 

「いたいたっ、ソラー!」

 

 と、ローズがいち早くわたしを見つけてくれた。大きく伸び上がって手を振っている。

 ローズの傍にはヒカルと、それにアルバスの兄であるジェームズがいた。聞けばグリフィンドールの寮を出る際にちょうど出会(でくわ)したため、ここまで一緒に来たのだと言う。

 

「アルバスは?」

「知らね。寮の奴らと一緒にいるんじゃね?」

 

 ヒカルの問いに、ジェームズが軽く鼻を鳴らした。

 

「帰ってくるとは言ってたから、この集団の中にはいると思うんだけど」

「そう……」

 

 ヒカルはどこか考え込む素振りをしていたものの、やがて顔を上げては「僕、アルバスを探してくる」とトランクを引いて踵を返した。あ、と思わずその背を追おうとするも、ヒカルの姿はあっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまう。

 そんなヒカルを見ながら、ジェームズが「またか」と肩を竦めた。

 

「また?」

「なんか最近、ヒカルってばやっけに僕の弟とマルフォイ家の息子のこと気にして構ってんの。何考えてるか知らないけどさぁ」

 

 ジェームズは少し不満げな様子だった。ヒカルにあまり構ってもらえず拗ねているのだろう。

 その時、ローズがわたしの両手をぎゅっと掴んだ。キラキラした瞳をこちらに向け、弾む声で問いかける。

 

「今年のクリスマスは、ソラとヒカルのおうちでやるのよね! あぁ、楽しみだわ! アキ教授もクリスマスの日にはいらっしゃるの?」

「うん、来れるよう時間を調整するよって言ってた。相変わらずホグワーツと家との往復みたいだけど、ま、うちの家は直でホグワーツの暖炉と繋がってる特別製だし、楽な方だよね」

 

 本当はホグワーツと個人宅の暖炉を繋ぐなんてセキュリティ上良くないらしいんだけど、父がありとあらゆる力を使った結果、我が家に限っての使用が特別に認められたらしい。

 何のために父がそんなことをしたかって、そりゃあまぁ、母と一緒に過ごせるよう毎晩家に帰るために決まっている。なにせ、父の愛妻家っぷりはそこら中に知れ渡っているほどなのだ。子供としてはなんだか恥ずかしいよ。

 

 父もクリスマスに来るという知らせに、ローズは一層舞い上がった顔をした。

 うーん、何故か分からないんだけど、わたしの従姉妹二人は(つまり、ローズとリリーのことだ)父のことを実の親以上に慕っているのだ。まぁ、愛情表現が素直なリリーはともかくとして、照れ屋なローズの好意は父には一切伝わっていなさそうなんだけどね……。

 ローズのラブが父に向かうとロンおじさんが拗ねるので、ほどはどにしておいてもらいたいところだ。

 

 ホグワーツ特急の中で、ローズが持ち込んだクリスマスのカタログやチラシを吟味していたら、あっという間にキングズ・クロス駅の九と四分の三番線に到着してしまった。

 結局、ヒカルとアルバスがわたし達のいるコンパートメントに姿を見せることはなかった。うーん……心配というか、なんというか。

 アルバスはなんだかジェームズやローズと一線を引いている雰囲気だし、ちょっと嫌な予感というか、何か良くないことが起こりそうでソワソワしてしまう。これからクリスマスの間は、いとこ同士で集まる機会が殊更増えるのだ。ヒカルがいい感じに間に入ってくれればいいんだけど……。

 

 ホームではロンおじさんとジニーおばさんがわたし達を待っていた。ローズの弟であるヒューゴ、そしてジェームズとアルバスの妹であるリリーも一緒だ。

 わたし達は早速、ロンおじさんからちょっと手荒いハグで出迎えられた。

 

「おかえり! みんな、少し見ない間に背が伸びたか?」

「ロンおじさんはちょっと縮んだ? それに、何そのグラサン、変装のつもり?」

「ハハッ、似合うだろ?」

「超目立ってる。知ってる? そういうの『悪目立ち』って言うんだよ」

 

 確かに、ジェームズが言うのももっともかも。ちょっと派手めなシャツに細身のジーンズは、往年のスターみたいな風貌だ。ひょうきんなロンおじさんには一周回って似合ってる感があるんだけど、それにしても凄く目立ってる。

 ジニーおばさんは大きなため息をついて「子供達の言う通りよ……」とジト目で実の兄を見つめている。ロンおじさんは肩を竦めつつサングラスを外すと、子供達を見回しては「ヒカルとアルバスは?」と尋ねた。

 

「ここだよ」

 

 ちょうどその時、ヒカルとアルバスが人混みを縫ってわたし達と合流した。ヒカルはアルバスの手を引いている。

 ジェームズはちらりとアルバスを見たものの、アルバスではなくヒカルに「遅かったじゃん」と声を掛けた。

 

「この人混みだからな、ちょっと探した。でもロンおじさんは背が高いから見つけやすかったよ。でもその服のセンスはちょっとイケてないね」

「ハハ、いい目印になるだろ? ……ヒカルまでそんなことを……そんなに似合ってないかなぁ……」

「に、似合ってると思うよ!」

 

 ある意味、とっても! わ、わたしは好きだよ! 父が絶対にしない格好だから真新しくて新鮮!

 

 ロンおじさんは「ソラは本当に優しいなぁ……」と涙ぐみつつわたしの頭を撫でた後「さ、行こうか。向こうに車を停めてんだ」と子供達を促した。

 

 

 

 

 

 ロンおじさんの運転で魔法省に向かったわたし達は(ロンおじさんの運転は、ローズとジニーおばさんが「きちんとシートベルトをしておきなさいね」と口酸っぱくして言うくらいには荒いものだった。おかげで乗り物に弱いヒカルは早々にグッタリギブアップして、ジェームズの肩を借りている)、魔法省正門口で待っていた母とハーマイオニーおばさんに出迎えられた。

 

「みんな、おかえりなさい!」

 

 両手を広げたハーマイオニーおばさんは、みんなをぎゅうっと抱きしめる。わたしとローズは笑顔で抱きしめ返したものの、男の子組は照れた顔で早々に身を引いていた。

 

「ねぇママ、聞いて! あのね、私ね──」

 

 ローズはハーマイオニーおばさんの袖をぎゅうっと掴んだまま、離れていた期間にどんなことをしたのか、何があったのかを思いつくままに喋っている。ハーマイオニーおばさんもローズの話を笑顔で聞いていた。

 母は子供達に「おかえり」と微笑んだ後、ぐったりしているヒカルに気遣わしげな眼差しを向けつつ、ロンおじさんとジニーおばさんに向き直った。

 

「ロン、ジニー、子供達を迎えに行ってくれてありがとう。すごく助かっちゃった」

「いやいや、このくらい。お互い様だよ」

 

 ロンおじさんとジニーおばさんも笑顔で受け答えをしている。

 その時、誰かがこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。ニンファドーラおばさんだ。闇祓いの制服を纏っているから、どうやらまだ仕事中らしい。

 ニンファドーラおばさんは、子供達をぐるりと見回して軽やかな笑みを浮かべてみせた。

 

「いたいた! おかえりみんな、元気にしてた? ……ジニー、ハリーから伝言だよ。まだ帰れそうにないから、子供達連れて先に帰っててくれってさ。あたしもハリーを手伝ってちょっと居残るつもり」

 

 ニンファドーラおばさんの言葉を聞いて、ジェームズは特に表情を変えることはなかったものの、アルバスは僅かに眉を寄せて俯いた。

 母がニンファドーラおばさんに尋ねかける。

 

「……何か、私が手伝えることってあるかしら?」

「いいよいいよぉ、アクアは帰りなー? 子供達が帰ってきたばっかりなんだし、アキも今日は遅いんでしょ?」

 

 眉尻を下げた母の肩を、ニンファドーラおばさんが宥めるように叩いた。

 

「それにこの冬はアクアとアキのお宅でクリスマスパーティーなんだから、準備だってあるんだし! 仕事の方はあたし達にドーンと任せて頂戴な」

「……ありがとう」

 

 母も、はにかんだ顔で笑みを見せる。ニコッと笑ったニンファドーラおばさんは、ジニーおばさんにも視線を向けると「ハリーも、なるたけ早めに帰るように言っとくからね」と目を細めた。

 

「全く。仕事にかまけるのもいいけれど、家族と向かい合うのも親の大事な使命でしょうに……ハリーもアキも、ロンを見習えっちゅーのよ」

「ハハ、僕はまぁ、闇祓い局が合わなくって早々に辞めちゃったからなぁ、なんだかちょっと肩身が狭いよ」

「なーに言ってんのロン、WWWの今の成功は、アンタとアンタの兄貴二人がいてこそ成立してんでしょーが! 闇祓いより悪戯専門店の店員が下だなんて、あたしは絶対に思わないね! 学生時代からゾンコにはどれほどお世話になったことか」

「そりゃ、トンクスはそうでしょうよ。だって年季の入った悪戯娘ですもの」

「チャーリーからも聞いたわよ、トンクスの武勇伝! いつかリーマスにも教えてあげないとね」

「やめてぇっ! ジニー、それだけは! この歳で過去の黒歴史をほじくり返されるのはしんどいって!」

「……リーマスはそのくらいで幻滅なんてしないと思うけど?」

 

 大人達は楽しそうに笑っている。

 母をじっと見上げていたところ、わたしの視線に気付いた母は、そっと身を屈めてはわたしと視線を合わせた。

 

「……ぁ、あう、その、お、お母さん──」

 

 わたしと同じ灰色の瞳に、わたしの姿が映っている。

 

 ──どうしよう。

 話したいことは山ほどあったはずなのに、ローズのように言葉がスラスラと出てこない。喉の奥で張り付いたまま、何かで堰き止められてしまっているようだ。

 

 その時。

 床に膝をついた母は、そのままわたしの身体をぎゅっと抱きしめた。

 わたしの背に、母の手が回る。よしよしと労るように、母の手がわたしの背中を優しく撫でる。

 ──胸いっぱいに、母の匂いが満ちた。

 

「……おかえりなさい。よく頑張ったね、ソラ」

「……ほんとだよぉ……わたし……わたし、とっても頑張ったんだからぁ……」

 

 母の身体に手を回す。背中の服をぎゅうっと掴んだ。

 初の寮生活で、それも知り合いが誰もいない寮に入ることになって。

 そりゃ、どの寮に入ることになったとしてもいいとは思っていたものの……それでもヒカルやローズ、アルバスやスコーピウスといったよく見知った人達が近くにいないのは心細かった。テッドはハッフルパフ生だったけど、昨年度にもう卒業しちゃったし……。

 

 ……だから、その。

 他の人から見れば、なんてことない三ヶ月だったかもしれないが。

 それでもわたしは、この三ヶ月間、とっても、とっても、人生で一番、頑張ったのだ。

 

「……分かるわ」

 

 母の声は、いつも通りの優しさを伴っていた。

 穏やかで柔らかな声と、暖かな温もりに包まれて、わたしはやっと安心して身体の力を抜いた。

 

 

 

 

 

 およそ、平穏とは得難いもの。

 それでも今の平穏を、この時のわたしはまだ、当たり前のように享受していた。




クリスマス休暇に入りました。ソラの目一杯の頑張りを、『お母さん』の顔でぎゅっと受け止めてあげるアクア。

次回更新は3/19(日)20時予定。
→すみません、間に合いませんでした!3/26(日)に延期いたします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 ヒカルの誕生日-α

 その夜はホグワーツから帰ってきた父と共に、久しぶりに親子四人で食卓を囲むことができた。父は、この数ヶ月間見せていた『ホグワーツの教師』としての顔ではなく『父親』の顔で、わたしの取り留めのない話を楽しそうに聞いていた。

 

「ホグワーツでのお父さん、やっぱりいつもと違ってなんか怖いんだよね」

 

 わたしの言葉に、父は困ったように眉尻を下げた。

 

「ごめんね、ソラ。父さん、公私を分けるのが苦手だから、ホグワーツでは敢えて厳しく振る舞うことにしてるんだ。でも、うーん、怖がらせちゃったかぁ……」

「ソラはビビりすぎ。別に怖くないよ、むしろ父さんは普段から威厳がないんだから、多少なりともそれっぽく振る舞った方がいいね」

「そ、そんなことしなくていいよぉ……」

 

 ヒカルが口を挟んでくるが……どうしてわざわざ怖がらせるような真似をするのだ。

 穏やかに行こうよ、それでいいじゃない。平和が一番だ。

 

 美味しい夕食をお腹いっぱい食べて、心ゆくまでおしゃべりをして、大きな声で笑って……この日は久しぶりに家族水入らずで過ごせた夜だった。

 わたしは満ち足りた気分でベッドに潜り込むと、毛布を被って息をつく。

 

 この上なく幸せな気持ちだったから────

 わたしは、胸の奥に張り付く嫌な予感を、この一晩だけ忘れることができた。

 

 

 

 

 翌朝。リビングに降りていくと、そこには大きな山ができていた。

 一瞬なんのこっちゃときょとんとするも、そう言えば今日は十二月二十三日──そう、何故かすこぶるホグワーツで人気のある我がお兄様、ヒカルの誕生日なのであった。

 

 ちなみにうちに届く宅配便は、ふくろうから直ではなく、外に配置されたポストからリビングに転送される仕組みになっている。

 理由は単純、父もヒカルもわたしも動物にマジで滅茶苦茶嫌われるからだ。動物は魔力に敏感だから、わたし達の近くは居心地が悪いらしい。ふくろうなんて人生で一度だって触れる気がしないね。

 

 そう言っていたら、昔シリウスおじさんが一度『動物もどき(アニメーガス)』で黒い大型犬になって、その背に乗せてくれたことがあった。あの時の感動は忘れられない。

 その後ピーターおじさんもネズミに変身した姿を見せてくれようとしたのだが、シリウスおじさんとリーマスおじさんに『お前はやっちゃダメだろ』と頭をバシバシ叩かれていた。小動物かぁ、見てみたかったんだけどなぁ……ちょっとガッカリだ。

 

 山ほどのプレゼントに囲まれる位置で、ヒカルは床にあぐらをかきながらプレゼントを一つ一つ仕分けていた。なんとも難しい顔をしている。

 

「おはよう、今年も大量だね」

「あ、ソラ、お前の手も貸せ。こうも多いと片付ける前に日が暮れる」

 

 朝の挨拶もすっ飛ばし、ヒカルはわたしを手招きした。全くもう、相変わらず妹遣いが荒いんだってば。

 仕方ないので、わたしもヒカルの隣に腰を下ろした。ホグワーツの学生はまだ学校の外で魔法を使うことができないものだから、包装を解くのも全部手作業なのだ。

 

 ヒカルは「魔法が使えれば楽なのに……」とぼやきながらも、手早く贈り主を確認しては手帳にメモを取っている。贈ってくれた人の誕生日にお礼の品を贈るためだ。

 こういうところ、ヒカルは凄く細かい。よくやるよなぁとわたしなんかは思ってしまう。だってほら、面倒じゃない?

 

「お友達じゃない、大して知らない人からもプレゼントが贈られてきてるんでしょ? そんなの、もうお返しとか良くない? 律儀すぎだって」

「阿呆、大した繋がりがないからこそお返ししとくんだって。借りだけ作んのダルいもん。ソラもよく知らない人からプレゼントをもらったらそうしろよ。いや、開ける前に父さんと母さんにいっぺん見てもらうのが先だな」

「大袈裟だって。それに、わたしはヒカルみたいにモテないもん」

 

 社交的なヒカルとは違い、わたしは交友関係が狭いのだ。人見知りだしね。狭くて深い人間関係、上等じゃないの。

 

「そうは言っても、ソラは変なのに好かれるだろ。気を付けろよ」

「変なのって?」

「たとえば、ソレとか」

 

 ヒカルがわたしの首元を示す。あー、リドルさんのことね。

『変なの』呼ばわりなんてリドルさんが怒るぞと思ったものの……リドルさんが怒る様子って想像できないな。今だってヒカルの言葉に笑っていそうだし。

 

 一通り仕分けを済ませた頃、リビングにある暖炉の炎が緑色に変わった。程なくして、暖炉の中から父が這い出てくる。父は見慣れた群青の裏地のローブを身に纏っていた。ホグワーツへ行っていたのだろうか。父は朝が早いからなぁ。

「おはようヒカル、ソラ」と微笑む父に、ヒカルと揃って「おはよう」と返す。

 

「そうだ。ヒカル、誕生日おめでとう。プレゼントは何がいいかな?」

「背が伸びる薬」

 

 即答だった。

 父は「そんなのがあるなら私だって欲しいんだけど?」と苦笑する。

 

「父さん、発明してよ」

「だから私は、魔法薬学はそこまで得意じゃないんだってば……スネイプ教授に口利いてやるから、二人で研究開発しなよ。ならまずはお勉強ってことで、えぇと、なら、本と魔法薬の材料を……」

 

 言いながら父が杖を振ると、『出現』した本や薬草の種がドサドサと床に積み上がった。

 ヒカルがやれやれと肩を竦める。

 

「結局、勉強がプレゼントですか? アキ教授」

「息子に勉強しろって言うの、なんだか父親っぽいだろ? 私も、たまには父親らしいことしないとね」

「そういうのは見習わなくっていいんだよ」

「わたしは本をプレゼントされると嬉しいよ?」

「お前みたいな書痴と一緒にするな」

 

 むぅ。ヒカルってば酷いんだぁ。

 わたしからのヒカルへのお誕生日プレゼントは、もちろん毎年欠かさず本である。だって、わたしがもらうと嬉しいからね。もらって嬉しいものを贈るのは当然だもの。

 ヒカルだって、わたしが贈った本は結構楽しんで読んでるくせに。素直じゃないんだから。

 

 父もヒカルのプレゼントの仕分けに協力してくれたおかげで、母がリビングに姿を見せる頃にはプレゼントが綺麗に片付いていた。

 

 家族全員で朝食を取った後、わたし達は父と母に促されるまま庭に出た。

 村の外れ、山の中腹に位置するこの家は、この時期は痺れるほどの寒さだ。積もった雪に足を取られそうになったわたしを、母が慌てて抱き止める。

 

 父は懐から杖を抜くと、空に掲げて楽しげに振った。

 途端──がたん、と音がして、家がぐらぐらと振動を始める。壁や屋根、窓や扉がぐにゃぐにゃ伸びたり縮んだりした後、やがてストンと元に戻る。

 

「うん、入っていいよ」

 

 父の声に、わたし達は我が家へ──正確には『新生』我が家へと足を踏み入れた。

 

 家の中は様変わりしていた。

 四人家族が住むのに十分なサイズだったお家から、どこかの貴族が使う邸宅のようなお屋敷へ。天井には厳かに輝くシャンデリア、床には足音を消すふかふかの絨毯、そして壁には幾つもの絵画や風景画が並んでいる。

 小物はどれもクリスマス用に飾り付けられていた。奥に窺えるホールには、高い天井に届くほどの大きなクリスマスツリーが聳えていて、部屋を華やかに彩っている。

 

「向かって右の白い扉が今までのリビングに繋がってる。みんなの部屋もそのままだよ。左の灰色の扉と煙突飛行ネットワークを繋げたから、ここで皆を迎えればいい。煙突飛行粉(フルーパウダー)と原理は同じだからやり方は分かると思うけど、ヒカルとソラは外出の時には大人達を呼ぶように。ま、一人で外に出る用事はないだろうけどね」

 

 父の言葉に頷きを返す。

 昼過ぎになると、ちらほら皆がやってくるようになった。ローズとヒューゴ、ジェームズ、アルバス、リリー達に加え、テッドやアレクの姿もある。皆がてんでばらばらにヒカルの誕生日を祝っては、プレゼントを渡したりで大騒ぎだ。

 またNEWT(いもり)試験の勉強で忙しいだろうに、ナイトも以前約束してくれた通りに来てくれた。今は年少組の相手をしつつ、ホグワーツ卒業後の進路についてテッドと話をしている。

 

 子供達は一通り勢揃いしたものの、大人達は全員とはいかないようだ。アリスおじさんやユークおじさんは忙しくてなかなか来られないし、ハーマイオニーおばさんやニンファドーラおばさんも今日はお仕事だと聞いている。

 

 そんな中、わたしは驚きの人影を発見した。ハリーおじさんだ。

 ハリーおじさんほどのレアキャラはそういない。母やニンファドーラおばさんが勤めている闇祓い局の統括をしている魔法法執行部の部長さんらしいけど、マジでいつもめちゃくちゃ忙しそう。

 本を読む暇もなさそうで、なんだかとっても気の毒だ。そう忙しくなるんだったら、出世なんてしたくないものだね。

 

 珍しくもハリーおじさんの姿を見つけたわたしは、ローズとの話を中断させてハリーおじさんに駆け寄っていく。

 

「ハリーおじさん! 今日はお仕事大丈夫なの?」

「あぁ、ソラ。いつもなかなか来られなくってごめんね。ヒカルの誕生日パーティーに行くのは難しそうだから、休憩も兼ねて寄ってみたんだよ」

 

 うへぇ、相変わらず忙しそう。忙殺って感じ。身を削ってるね。

 ハリーおじさんは身を屈め、床に片膝をついてわたしと目を合わせた。

 

「ソラ、この前はお手紙ありがとう。アルバスとのこと、心配させちゃってごめんね」

 

 そう、先日ハリーおじさんにお手紙を送ったのだった。スコーピウスとアルバスを離れさせるのは間違ってると思うと、わたしなりの言葉で書き記したお手紙。

 

「ハリーおじさんは、アルバスとちゃんと話さないとダメだと思う。それに、スコーピウスはすっごく優しい子なんだよ。ハリーおじさんも一度会ってみるといいんじゃないかな」

 

 親同士の因縁は拭えずとも、それでも子供は、親とは別の人格を持った存在なのだ。頭ごなしに『あの人の子供だから』と言われるのは、なんだか間違っていると思う。

 ……わたしやヒカルも、たまーに『アキ教授の子供だから』とか『アキ教授の子供なのに』とか言われることもあるからね。そう言われて嬉しい時もあるけれど、もやもやっとする時だってあるのだ。

 

「……うん。そうだね。ごめんソラ、ありがとう」

「わたしに謝るくらいなら、アルバスとお話してきて! どうせまだちゃんと口利いてないんでしょ!」

 

 ハリーおじさんの手を引っ張り、有無を言わさずアルバスの元へと連れていく。ヒカルと喋っていたアルバスは、ハリーおじさんの姿を見ては目を丸くしてお喋りを止めた。

 アルバスの目に、一学期にあったような怒りはない。

 

「……え? 父さん……」

「その、やぁ、アルバス……」

 

 二人の挨拶もなんだかぎこちない。

 二人はそのまま、スコーピウスのことを話すでもなく、数分後には忘れてしまうようなそんな当たり障りのない話をしていて──それでもなんだか、二人はこれまでよりも少し打ち解けることができたようにも見えた。

 ……うん、これはもしや、わたしの尽力が役に立ったと自惚れてもいいところかも?

 

 

 

 

「とりあえず、ソラのおかげで第一関門は突破ってところかしらね」

 

 大きな天蓋ベッドに寝転んだまま、ローズはそう言って肩を竦めた。

 

 ヒカルのお誕生日パーティーが終わり、夜。今日からクリスマスの期間、いとこ組は男女に分かれてお泊まり会だ。

 明日も仕事がある大人達は帰って行ったけど、そうじゃない人達は今もホールで飲み会の真っ最中らしい。楽しそうで何よりです。

 

「……え?」

「『え?』じゃないわよ。アルバスとハリーおじさんのこと! 大丈夫かなぁって、シリウスおじさんやリーマスおじさんとか、結構みんなチラチラ様子を見てたんだからね」

 

 そうなのか。全然気付かなかったなぁ。

 リリーはスヤスヤ眠っている。ワンピースの裾が捲り上がってお腹が見えていたので、手を伸ばしてお腹を隠してあげた。ついでに毛布も掛けてやる。

 ローズはふんと鼻を鳴らすと、頬杖をついて独りごちた。

 

「クリスマスまでの間、私達ってばずっと一緒じゃない? でもアルバスとハリーおじさんの件が解決したのなら、ちょっとは気が楽になるわ」

「うーん……」

 

 それはどうかなぁ……。そりゃ、前よりは頑なじゃなくなったとは思うんだけど、アルバスとジェームズはここに来ても、まだ一度もまともに口を利いている様子がないしで、なんだかまだまだ火種は燻っている気がする。

 それに────。

 

(なんだろう……この胸騒ぎは)

 

 ……いつもの『嫌な予感』とは少し違う。

 ぞわぞわとした緊張感が、ずっと背筋を這っている。

 

(なにか、いやなものが来る気がする)

 

 でも、一体何が来るっていうのだろう?

 父と母に守られていて、わたしは何が不安なのだろう?

 何を、恐れているのだろう?

 

「…………」

 

 口を引き結んだまま、わたしは毛布を頭まで被ると目を閉じた。




家を改装するシーン、書いた後に「……ハウルじゃん」と思いました。

次回更新は4/2(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 クリスマス・イブ-α

 翌日、クリスマス・イブ。

 クリスマス・イブの朝は早い。今日一日は明日のクリスマス当日のために、買い出しに行ったり料理を仕込んだりと、様々な準備をしなければならないのだ。

 

 そんなわけで、朝。

 母とジニーおばさんに起こされたわたし達女子組は、クリスマスカードを書き終えるというタスクをこなした後、父のあとにくっついて買い出しに出かけることになった。勿論、リリーとローズの強い希望あってのことだ。モテモテだね、パパ。

 ヒカル達男子組は、残って母達と一緒に料理の準備や部屋のセッティングをするらしい。わたしは知っているんだ、準備を早く終わらせた後、ロンおじさんやシリウスおじさん達と悪戯道具で遊んでいることを……だからいつも家での手伝いを志願することを……。まぁ、わたし達も買い出しの帰りに、三本の箒で父に美味しいものを奢ってもらうのが目当てではあるから、どっちもどっちかもね。わたしはホットココアが飲みたい。

 

 ともあれ。

 部屋の中は暖かいが、外は相変わらず雪がうず高く降り積もっていて、風は凍えるほどに寒い。

 わたし達が身を寄せ合って震えていたところ、気付いた父は防寒魔法を掛けてくれた。いいなぁ魔法、どうしてわたしはまだ未成年なんだろう?

 

 寒さから解放されたわたし達は、まだ除けられていない雪をサクサクと踏み締めながらホグズミード村を歩いていたものの、背後から掛けられた声に振り向いた。

 

「アキ! 君も来ていたのか」

「あぁ、ドラコ。それにスコーピウスも、こんにちは」

 

 ドラコおじさんとスコーピウスだ。

 スコーピウスは父に対して「こんにちは」と礼儀正しく挨拶した後、わたし達に向かって手を振った。わたしも手を振り返したものの、ローズやリリーは険しい顔で、わたしと父の背中に隠れてしまう。どうしたもんかね。

 

「……ねぇローズ、スコーピウスは同級生なんだよ? アルバスの親友で、そしてわたしの友達なんだよ?」

「わ、分かってるわよ! でも、そうは言っても……」

 

 相変わらず、ローズの歯切れは悪い。『寮の壁』ってそんなに分厚いものなのかな。

 ……むぅ、仕方ない。奥の手だ。

 

「……お父さんは、ローズとスコーピウスが仲良くしてくれると、とっても嬉しいと思うなぁ……」

 

 見るがいい、これが必殺技『相手の良心に訴えかける』だ。弱みにつけ込むとも言う。あくまでもさりげなく、自然に呟くのがポイントだね。

 狙い通り、ローズは虚を突かれた顔をした。眉尻を下げてはドラコおじさんと話している父を見上げ、おずおずとスコーピウスに一歩歩み寄る。

 

「あの……こんにちは。入学式の日は、挨拶もせずにごめんなさい」

「あっ……いや、いいんです、ミス・グレンジャー-ウィーズリー」

 

 スコーピウスも緊張した面持ちだ。そんなスコーピウスに、ローズはちょっと微笑んでみせる。

 

「……ローズでいいわ。なんだか、長い付き合いになりそうだし……それに、ソラとアルバスのお友達、なんだし」

「…………っ」

 

 ローズはスコーピウスに手を差し出した。スコーピウスの顔が耳まで真っ赤に染まる。

 パッと口元を押さえたスコーピウスは、感動に打ち震えながら呟いた。

 

「ろ、ローズ……君はまるで、焼きたてのパンのよう……」

「は?」

「その、つまり、いい匂いだねというか……君、僕の好きな匂いで……」

 

 ウワ、スコーピウスの悪癖が出た。緊張すると、何故か急に意味不明なことを口走り始めるのだ。

 ローズも秒でドン引きしたのが分かった。だって笑顔が引き攣っているもの……手を引っ込めなかっただけ僥倖だ。

 スコーピウスはローズの手をぎゅっと握った後、ハッと我に返った顔で一歩下がった。我に返るのが一拍遅いよ。

 リリーは首を傾げている。

 

「ねぇソラ、この人だぁれ?」

「アルバスとわたしのホグワーツの友達だよ」

 

 ローズを『友達枠』に含めるのはやめておいた。だってまだ心の距離が遠いんだもの。もう少し仲良くなってからがいいよ。

 リリーがわたしの背後に隠れたのは、単に見知らぬ人を警戒していたからか。「ふぅん」と呟いた今は一歩進み出ては、スコーピウスとドラコおじさんの二人をじろじろと、ちょっと不躾な様子で眺めている。リリーから視線を向けられて、ドラコおじさんはなんだか凄く居心地が悪そうだ。

 スコーピウスは小さく肩を竦めた後、わたしに尋ねかけた。

 

「クリスマスは親戚みんなで祝うんだ、ってアルバスから聞いたよ。今日はアルバスやヒカルとは別行動?」

「あ、うん。アルバス達はおうちでお母さん達のお手伝いしてるの。お料理とか、お掃除とか」

「へぇ、アルバスって料理できるんだ」

 

 スコーピウスは目を丸くしている。

 ……アルバスの名誉のために、本当のことを言うのはやめておいた。寮じゃ料理なんて無縁だろうし、もしかすると卒業までに上手になるかもしれないし……。

 

「スコーピウスは、何をしにホグズミードまで来たの?」

「今日は、母上に贈る花を買いに来たんだ。母上は花が好きだから」

「アストリアおばさん! 最近は、前よりちょっと良くなったって聞いたよ」

「うん。おかげさまで、今年のクリスマスは家族揃って祝えそうだよ」

 

 スコーピウスはにっこり笑った。その笑顔にわたしもホッと胸を撫で下ろす。

 アストリアおばさんの体調が良いというのは良い知らせだ。わたしは今年のクリスマスの贈り物として、アストリアおばさんには絵本と一緒に手作りのサシェを贈ってみた。喜んでくれるといいな。

 

 その時、少し離れたところから声が掛けられた。その声は柔らかに弾んでいたものの、何故かわたしは背中に雪の塊を流し入れられたような気分になった。

 

「アキ! こんなところで、奇遇ですね!」

 

 ──デルフィーニ・リドルの声。

 何も知らないローズも、ぴょんと跳ねてデルフィーに向かい手を振っている。

 

 こちらに駆け寄ってきたデルフィーは、ドラコおじさんに目を留めると柔らかな笑みで「お久しぶりです、ドラコおじさま」と頭を下げた。

 

「ドラコ、彼女と知り合いだったんだ?」

「あぁ、少しな。どうも、両親が以前目を掛けていたとかで……」

「へぇ、彼女の学生時代とか?」

「そうだ。屋敷で何度か顔を……」

 

 ──父とドラコおじさんの声も、どこか遠い。

 ぎゅっと拳を握ったところで、上からデルフィーの声が降ってきた。

 

「こんにちは、スコーピウス、ローズ、ソラ」

「こんにちは!」

「こんにちは」

 

 ローズのはきはきとした声に、スコーピウスの声が続く。

 わたしは握り締めていた拳を開くと、にっこり笑ってデルフィーを見返した。

 

「こんにちは、デルフィー。あなたもお買い物に来たの? わたし達もだよ」

 

 わたしの返事を受け、デルフィーの薄紫の瞳が僅かに面白がるような光を帯びる。綺麗に引かれた口紅が、ほんの数ミリ吊り上がった。

 

「……えぇ、そうなの。ホグワーツのお使いでね。あと、お世話になった人達へプレゼントを買いに来たの」

「そうなんだ、素敵だね」

「あら、あなたにもプレゼントを贈るつもりよ? だってソラは、私が初めて受け持った生徒の一人なんだもの」

「本当に? 嬉しいな、じゃあわたしも、デルフィーにプレゼントを用意するね」

 

 にこやかに談笑するわたし達を、どこか案じるような目つきでスコーピウスが見つめている。

 ……どうしてそんな顔をするのだろう。不自然なところは無かったと、思うんだけどな。

 

 わたし達のやりとりに、ドラコおじさんは目を瞠るとデルフィーに声を掛けた。

 

「驚いた、君は随分と生徒に親しまれているみたいだな」

「歳が近いから友達感覚で接しがちなんです。アキからは、その、先生がこんな態度をするもんじゃないって怒られちゃうかもしれないんですけど……」

「そんなことないよ。それも君が選んだ一つの戦略だ。……ねぇドラコ、『君は』ってことは、私はあまり親しまれてないってこと?」

「え!? いや違っ、そういう意味で言ったんじゃなくって! アキはそのほらっ、素が素だから……」

「へーえ? ドラコ、それって一体どういう意味なのか、詳しく教えてもらいたいな?」

 

 父がニコニコ笑いながら、ドラコおじさんを追い詰めている。ドラコおじさんはたじたじだ。

 ……お父さん、そういうところだよ……。

 

 

 

 

 

 スコーピウス達と別れた後、無事買い出しを終えて帰宅したわたし達は、その後も大人達のお手伝いに駆り出されることとなった。

 とはいえ大変な部分は魔法を使える大人達がやってくれているし、料理の仕込みは男子組がもう済ませているしで、最後の仕上げを残すのみだ。花を生けた花瓶を飾ったり、焼いたケーキに生クリームを絞ったり果物をトッピングしたりするのはなかなか楽しい。

 

 そうこうしているうちに夕食の時間が来た。人数がべらぼうに多いものだから、今日も夕食はホールだ。そこに、ホグワーツの大広間のような長テーブルを配置している。

 昼にスコーピウスに会ったことをアルバスに話すと、アルバスは驚いた後に「いいなぁ」と羨ましげな目をわたしに向けた。

 

「ついこの前まで、寮で会ってたんでしょ?」

「そうだけど、でもいざ離れてみると会いたくなるってもんじゃん」

 

 言わんとすることはわからなくもないけど、それにしたって仲良しだなぁ。出会ってまだ数ヶ月だとは思えない。

 ……いや、出会ってまだ数ヶ月だからこそ、なのかな? 新婚さんのアツアツさというか。アルバスとスコーピウスは新婚さんではないけれど、まぁ意味合いとしては大体合ってるでしょ。

 

 アルバスの言葉を受け、ローズはこれみよがしに呟いた。

 

「へーぇ、『いざ離れてみると会いたくなる』ねぇ? それにしてはアルバス、私達のこと全然恋しがってる様子はなかったけど?」

「ちょっと、ローズってば……」

 

 煽るのはやめなよと思ったものの、アルバスはケロッとした顔だ。

 

「ソラのことはちょっと心配してたけど、ローズとは離れられてせいせいしたよ。小言を言われなくて済むからね」

「まぁ、なんですって!? もう一回言ってみなさい、アルバス!」

「アハハ! 言葉の通りだよ、ローズ」

 

 アルバスの快活な笑顔は久しぶりに見た気がする。なんだか少しホッとした。ローズとの言い合いも、なんというか『元に戻った』って感じだ。ローズもぷりぷり怒りながらも、どこか安心した表情を浮かべていた。

 

「……ねぇアルバス、わたしのことが心配だったってどういう意味?」

「え? そりゃ……行きのホグワーツ特急で号泣してるんだ、心配にならないはずないじゃん? いざ入学してみたら結構へっちゃらそうだったけど」

 

 うぅっ。でもあの時は、本当に心細かったんだもの。初めての集団生活に不安でいっぱいだったんだもの。

 同室にニーナ・ディゴリーがいなかったら、わたしももっと早くに滅入っていたかもしれない。そう思うと、お友達って大事だよね。アルバスがスコーピウスを大切に思うのもわかるってものよ。

 

 ローズがボソッと呟いた「でもあの人、ちょっとヘンな人ね……」という言葉は聞かなかったことにした。スコーピウス、がんばれ。いっぺん付いた印象を覆すのは大変だと思うけど、それでもやっぱがんばれ。

 

「あとね、アルバス。私達、ホグズミードでびっくりする人に会ったのよ。誰だと思う? デルフィーだったの!」

「え!? いいなぁ!」

 

 アルバスが羨ましそうな声を零す。

 腹の底で覚悟をしていたから、ローズが続けてデルフィーの話をし始めた時も表情には出さなかった。

 アルバスが興味深げに耳を傾けてくれたことに、ローズはなんだか嬉しそうだ。そんな二人に水を差すほどわたしも空気が読めないわけじゃない。

 

 二人の話に積極的には割り込まないものの、それでも話を振られたら喋るくらいの距離感で、わたしは二人の話を聞いていた。唯一わたしがデルフィーのことを苦手にしていると知っているヒカルは、ジェームズと話をしつつもちらりとわたしの顔を見た。心配してくれてるっぽいけど、わたしは大丈夫だよ。

 

「ソラとデルフィーは、クリスマスにプレゼントを贈るのですって。私も、デルフィーにクリスマスプレゼントを贈ったらデルフィーからお返しがもらえるかしら?」

「デルフィーはソラがいるハッフルパフの寮監だしね。だったらローズはネビル教授にプレゼントを贈るべきなんじゃない? グリフィンドールの寮監だよ」

「ならアルバスは、スリザリンの寮監であるデイビス教授にプレゼントを贈らないとね? ……あの先生は何をもらったら喜ぶのかしら……。ソラは、デルフィーに何を贈る予定なの?」

 

 わたし? わたしはいつも通り、本を贈るよ。こういう時は悩まなくてラッキーなのだ。推し作家の本も布教できるしね。

 今回のチョイスは詩集だ。デルフィーが木陰で詩集を手繰っているだけで絵になると思う。わたしはデルフィーに対して底知れない怖さを感じているものの、人間としては嫌いじゃないのだ。

 

 ……そう言えばすっかり忘れていたけど、リドルさんへのプレゼントはどうしよう? 本って贈ることができるのだろうか。そもそも霊体のリドルさんだ、物理的に本を手に取れるとは思えないし……データで受け渡すの? 電子書籍デビューを考えようかな?

 

(明日、隙を見て聞いてみようっと)

 

 ────しかし、そんな隙が見つかることは、ついぞなかったのだった。




このスコーピウスはソラのことも結構気になっている様子ですが、呪いの子でのローズ推しなスコピも可愛くて好きです。どちらにせよ、追憶本編では恋愛成分は皆無となります。

次回更新は4/9(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 長い長い一日のはじまり

 その夜、わたしは怖い夢を見た。……ような、気がする。

 起きた時には夢の内容はほとんど忘れてしまっていて、なんだかモヤッとした感情だけが胸に残っていた。うう、後味が悪い。

 

 ただ──怖い夢と言うには、なんというか──そう……『綺麗』だったのだ。

 綺麗すぎて──この世のものとは思えないほどに、美しくって。

 ダメ、怖いと思うのに、心が引き寄せられてしまって止まらない。

 

 例えるならば、そう──ありえないほどに光り輝く、満天の星空を見てしまった時のような。

 ありえないほどに狂おしく咲き誇る、一面の花々を見てしまった時のような。

 

 ……ありえないなんて、改めて考えると変な感じだ。

 だってわたしは魔法使い。『ありえない』ことを実現させる側の人間なのだ。

 

 ありえないほど光り輝く満天の星空も、ありえないほど狂おしく咲き誇る一面の花々も、()()()()()()()できるだろう。あるいは、今のわたしには能力的に難しいとしても、例えばちょっと父にねだればあっという間に見せてもらえるだろう。

 

 そう考えると、なんだか気が楽になった。怖さが少し払拭される。

 ちょうどその時、寝返りを打ったリリーのおしりに顔面が押し潰されたのを契機に、わたしは起き上がると、まだ夢の中にいるローズとリリーを「おはよう、クリスマスだよ、プレゼントがあるよ〜」と揺すり起こすことにした。

 

 

 

 

 ホールに一歩足を踏み入れたローズとリリーは「「うわぁ〜!」」と大歓声を上げた。

 赤と緑のクリスマスカラーで、ホールは何処もかしこも美しく飾り付けられている。中でも一際目を引くのは、先日からホールの一番目立つところに聳えていたクリスマスツリーだ。クリスマス当日の今日こそ主役とばかりに豪華に飾り付けられ、燦然と光り輝いている。うーん、この派手さ、ロンおじさんのセンスと見た。

 大人組はクリスマス・イブで夜まで飲んだ後、子供組が寝静まってから屋敷中をクリスマス仕様にするのが常なのだ。全く、いくつになっても遊びには手を抜かないこの姿勢、嫌いじゃないよ。

 

「やぁおはよう、子供達! さすが、早起きだなぁ」

 

 ホールの長テーブルの方から、上機嫌な声がした。ロンおじさんだ。顔が赤いから、間違いなくお酒が入っている。夜通し飲んでいたのだろう。

 ローズがぷんすこ怒りながらロンおじさんに駆け寄っていく。

 

「もう、パパったら! 飲みすぎよ、みっともない真似はやめてってば!」

「みっともないとはなんて言い草だい僕のシナモンロール! ……あれ? 気付けば確かに僕一人だね、少し前まではハリーとアキと一緒に飲んでたんだけど……アリスともちょっと話せてね、今はすごいね、『びでおつうわ』だっけ? 久々に見たけど変わんないねアイツは……あぁ、そういや、ハリーもアキも急な仕事が入ったって出て行っちゃったんだよ。ハリーはお茶だけだったけど、アキはなんであれでどれだけ飲んでも顔色一つ変えないのか、いつ見ても不思議だよ……おっとっと」

 

 立ち上がろうとしたロンおじさんだったが、ふらりと体勢を崩してテーブルに手をついた。「あぁもう、言わんこっちゃないんだから!」と、ローズがせかせかと水をコップに汲んでロンおじさんに渡している。娘に介抱されつつも、ロンおじさんは滅茶苦茶嬉しそうだ。すっごいニコニコしてるもの。

 ……しかし、そうか。父はいないのか。

 

 その時、奥からリーマスおじさんとニンファドーラおばさんが現れた。二人はロンおじさんの惨状を見ては苦笑いを浮かべている。

 

「あぁローズ、ソラ、おはよう。この酔っ払いは私達で見るから大丈夫だよ、後は任せて」

「君達はプレゼントを開けておいで? 楽しみで早起きしたんでしょ?」

 

 実際は怖い夢で起きてしまっただけなのだが「プレゼントがあるよ」とローズとリリーを起こしたのはわたしだ。ニンファドーラおばさんの言葉にこくりと頷き、わたしとローズはクリスマスツリーに駆け寄った。

 

 クリスマスツリーの周囲にはいくつもプレゼントの山ができていた。これらも昨日から今日の深夜に掛けて、大人達が子供達それぞれに仕分けてくれたものだ。

 プレゼントの山々の前には、わたしの腰ほどの高さの小さなクリスマスツリーが立っていて、誰宛のプレゼントなのかのプレートが掛かっている。この細かくて豪華な細工が施されたプレートは、もしかしたらシリウスおじさんの仕業かもしれない。自室の扉に掛けても見栄えしそう。

 

 リリーはとっくの昔に酔っ払いの相手をやめていて、一足早く自分宛のプレゼントの前に陣取っては包装を解いている。わたしとローズもそれぞれ自分の山に駆け寄った。

 

 包装を解く……その前に、山の前でしばしニヤける。えへ、わたしへのプレゼント……!

 満足いくまで眺めた後、わたしはようやっとプレゼント開封の儀に取り掛かった。友人、知人、親類縁者、お世話になった人と仕分けながら開封していく。

 

 わたしの本好きはもうあらゆる方面に知れ渡っているものだから、贈り物の大多数が本、もしくは本に関係するものだ。

 ちなみにわたしは、贈られた本が所持しているものと被ったとしても嬉しいタイプだったりする。相手が何をもってその本を選んだのか、あれこれ考えたりするのも楽しいからね。本は何冊あっても良いものだ。

 父も元レイブンクロー生らしく本が好きなもので、我が家の地下書庫には父とわたしが集めた本でいっぱいだ。何故か際限なく増えていくものだから、地下書庫も年々拡張がなされている。……これ、わたし達が魔法使いだから良かったけど、もし魔法が使えなかったら書庫から溢れた本を手放す決断をしないといけなかったのかもしれない。魔法使いで良かった。

 

 そんなわけで、今年も大量の本に囲まれてほくほくである。大漁、大漁。

 加えて、ユークおじさんからは読書用の椅子をプレゼントしてもらった。帆布の背もたれがついていて座り心地が良さそうだ。カードには、今年のクリスマスパーティーに来れず申し訳ないという謝罪と、来年アレクがホグワーツに入学するのでよろしくお願いしますという旨が、ユークおじさんの綺麗な字で書かれていた。

 折角のクリスマス休暇ではあるものの、どうやらアレクは風邪を引いてしまったらしい。来られそうにないとユークおじさんは申し訳なさそうに連絡をくれていた。

 ちょっと残念だけど、アレクの体調が第一だ。あの従兄弟はあんまり体調を崩すイメージがないので心配ではある。

 

「……、あ」

 

 デルフィーからのプレゼントに行き当たり、わたしは思わずどきりとした。

 カードの文面は当たり障りのないものだ。今年もありがとう、慣れない教師生活ではあるものの皆の尽力で助かっていますという感謝の言葉に、来年もよろしくというスタンダードな文章に、詰めていた息をホッと吐く。

 

 プレゼントは薄手の箱状のもので、紫色のリボンが掛かっていた。結構軽くて振るとカタカタ音が鳴る。

 ……これはきっと本だな。薄いペーパーバック系の本と見た。わたしの長年の勘がそう言っている。

 

 デルフィーがわたしに贈ってくる本って、一体どんなものなんだろう? ドキドキしながら、わたしはそっとリボンを解くと箱を開けた。

 

 ──結論から言えば、中身は本ではなかった。

 自由帳……いや、手帳かな? 手のひらサイズのもので、使い込まれたように古びている。しかし中身は罫線が入っているだけの真っ白なものだ。

 

 ……何だろう、これ……。

 新品ってわけじゃないから、自分用に使うのも少し憚られる。一応、最初のページから捲ってみたものの、何かが書き込まれている形跡はなかった。

 ……本当に、何なの……?

 率直に言って、意図が全く分からないものだから不気味だし気持ち悪い。

 もしかして、魔法で何か隠されているのだろうか。そうだとしても不気味なことに変わりはないけれど。

 そもそも、わたしがデルフィーのことを苦手にしていることを、デルフィー本人は勘付いているわけだし……。

 

 少し悩んだ挙句、わたしは周囲を見渡して誰も近くにいないことを確認した後、小声でリドルさんに声を掛けた。

 

「……ね、リドルさん。起きてる?」

「……どうしたんだい?」

 

 ひょっこり、という擬音がぴったりな様子で、リドルさんが姿を現した。

 ……ん!? 姿を現した!?

 

 二十センチくらいの人形サイズとなったリドルさんが、ふむと口元に手を当てたまま興味深げにわたしの手元にある手帳を覗き込んでいる。相変わらず半透明で、輪郭は発光しているものの……えっ、何これ超可愛い。リドルさん、そんなことできたんだ!?

 

「ひゃあぁっ、何なにそれ、可愛いっ、リドルさんがお人形みたい! 超可愛い!」

「ソラ、声を抑えて。見つかると困る」

 

 そうでした。

 慌てて口を両手で押さえる間にも、リドルさんは手帳をしげしげと検分しては、ふとホールの四隅や天井、扉付近に視線を向けたりしている。

 ……こうして見ると本当にお人形みたい。リドルさんは作り物のように綺麗な人だから、尚更そう思ってしまう。ポケットに入れて持ち運べそうだ。

 

 わたしが人知れずときめいている間にも、リドルさんはゆっくりと視線を戻すとわたしを見上げ囁いた。

 

「……この家には高度な結界が張ってあってね。魔法式から見ても君のお父上の手筋だろう。全ての侵入経路は検閲(スキャニング)されていて、度合いにも依るが害意ある魔法道具は侵入できない仕組みだ。悪戯道具を規制しないようにかな、ある程度の『遊び』は設けられているけれど……それでも闇の魔術に値する物はガッツリ排除だね。僕が以前の本体のままだったら、絶対に侵入できなかっただろうことは確実だ」

 

 呟きながら、リドルさんはくすりと笑っている。なんだかちょっとご機嫌そうだ。父の話をしているとき、リドルさんはよくこんな表情を浮かべている。

 

「……じゃあ、この手帳はあんまり警戒しなくても大丈夫そうってこと? お父さんの結界があるんだから……」

「あまり信を置きすぎるのも良くないとは思うけど、でもあのデルフィーニとかいう娘が今のアキの技量を上回れるとは思えないからね。確かに彼女の才能と魔力量には目を瞠るものがあるものの、言ってしまえばそこまでだ。全く、子を守ろうとする親というものは厄介なものだよ」

 

 おぉ……リドルさん、今自分が凄く魅力的な笑顔を浮かべていることに気付いてるのかな? ちょっと胡散臭いキラッキラの笑顔とは違う、裏のない素朴な笑顔だ。

 

 ふとリドルさんは笑みを引っ込め「誰かがこっちに来る気配がするから僕は消えるよ」と囁いた。こくりとわたしは頷いてみせる。

 ……うーん、ちょっと気持ち悪くはあるんだけど、怖いものではなさそうでホッとした。父の結界に守られているのは安心だ。

 

「あぁ、あとそれ、手帳じゃなくて日記だね」

「日記?」

「悪いものじゃないけど魔法は掛かっているから、取り扱いには気をつけて」

「えっ? ちょっと、えっ?」

 

 言いたいことだけを言って、リドルさんはシュッと姿を消してしまった。

 ……なんなんだよ全くもう……。

 




最近ポタグッズも可愛く美麗なイラスト調のものが増えてテンション上がります。手乗りリドルさんもグッズにならないかなぁ(笑)

次回更新は4/16(日)予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 クリスマスプレゼント-α

 どうやらリドルさんは、母の気配をいち早く察知していたようだ。リドルさんが消えて少し経った後、母がこちらにやって来た。

「おはよう」とふんわり微笑む母に、わたしもにっこり笑って「おはよう」と返す。……あ、ちょうどいいや。

 

「お母さん、ね、スマホ貸して? 写真撮りたい」

「……写真? どうして?」

「いいから、いいから」

 

 母からスマートフォンを借り受け、カメラアプリを起動するとプレゼントの山に向けた。プレゼントを綺麗に並べては、画角を調整しシャッターを切る。……よしよし、いい感じだね。

 

 この『スマートフォン』は父の友人であるマグル生まれのレーンおじさんが、マグル界のスマホを元に魔法界でも動くように開発──というか『改造』したらしい。

 スマホに限らずマグル界の電化製品は、今日日(きょうび)ロンドン辺りをちょっと歩けばすぐ広告に行き当たる。でも電化製品と魔法は相性が良くないらしく、英国魔法界は長らく蝋燭とふくろう便で糊口を凌ぐ日々だった。その日々がもうじき終わりを告げるかもしれないと、只今英国魔法界は激動の時代を迎えているのだ。

 

 頭の硬いおじいちゃん達はマグルの物を使うのに否定的だそうだが、そんなものわたしに言わせればナンセンスの極みである。伝統など守ったところで推し作家の書き下ろし小説もトークイベントの通知も飛んでこないのだ。

 日刊預言者新聞を購読したところで、そもそもわたしの推し作家はマグルである人の方が多い。このSNS全盛期時代、この情報断絶は由々しき事態である。

 

 ……この点、両親に理解があって良かったと心底思うよ。

 特に父はわりかし新しいものに強いものだから、レーンおじさんもよく試作機を我が家に流してくれていた。なんでも我が家できちんと動けば実地試験としては申し分ないのだとか。意味がよく分からないけれど……やわな機械じゃ秒で父がぶっ壊すからだろうか。

 

 ちょいちょいぶっ壊しはするものの、父はそれなりに使いこなしているが、母は良くて文鎮だ。英国魔法界の純血家系で育った母は、上手く馴染めないのか結構苦労しているように見える。どうも持て余し気味の母に代わり、わたしやヒカルはよくねだって触らせてもらっている。

 本当は自分の端末が欲しいんだけど……さすがにホグワーツ卒業までは許されないだろうな。そもそも、このスマホも試作機ってことだったし。わたしがホグワーツを卒業する頃には魔法界にもデジタル化の波が広まってると嬉しいんだけど。

 

 撮った画像の確認をしていたわたしを眺めていた母は、ふと「……ちょっと来て、ソラ」とわたしに微笑みかけた。

 

「お母さんからも、クリスマスのプレゼントがあるの。お父さんからのプレゼントは、お父さんが帰ってきた後の夜に受け取るといいわ」

「ほんとっ?」

 

 パッと立ち上がると、足取りも軽くるんるんと母の後をついていく。階段を上った後、やがて母の私室へと行き着いた。

 ……母からのクリスマスプレゼント、なんだろなぁ。楽しみだ。

 

「ねぇ、お母さん。今日は、お父さんはホグワーツの用事?」

「えぇ、急に呼び出されたのですって……でも夕方には絶対戻るって言ってたわ。……ソラ、髪を梳かしてあげるから、ここに座って?」

 

 ドレッサーの椅子を引いた母は、座るようわたしに促した。言われた通り椅子に腰掛ける。

 わたしの背後に立った母は、ブラシを手に取るとわたしの髪を優しく梳かし始めた。

 母はこうしてわたしの髪を触るのが好きだ。自分は長い銀髪をそのまま流しているだけなのにね。久しぶりの戯れに、わたしは両足をパタパタとさせる。

 

「ホグワーツは、どう?」

「んー、ちょっと怖いかも。でも、大体楽しいよ」

「怖い?」

「動く鎧とか、肖像画とかにいきなり声を掛けられるとびっくりしちゃう」

「あぁ……確かに」

 

 頭の側面を複雑に編み込んだ後、母はわたしの髪をくるっと捻り、サイドテールの位置で結んだ。

 髪を留めるのは、大きめの黄色いリボンが付けられたシュシュだ。リボンの周囲を縁取るように、小さな水色の粒が連なった細い鎖があしらわれていて、豪華さと可憐さを演出している。

 

「わ、可愛いね。……でも、なんか……」

 

 何かが気になって、わたしはシュシュにそっと触れた。母は微かに笑うと、わたしの両肩に手を置く。

 

「……ふふ。お母さんからのプレゼント。お父さんには到底及ばないんだけど、それでもお母さんもお守りを作ってみたの。ソラにクリスマスプレゼント」

「えっ、すごい! お母さん、ありがとう!」

 

 声を上げる。母は「どういたしまして」と言いながら、戯れのように後ろからわたしを抱き締めた。

 

「……ハロウィンのこと、お父さんから聞いたわ。怖かったでしょう」

「……うん」

「あの件はちゃんと動いてる。そのうち解決するわ。だから、安心してね」

 

 返事の代わりに、わたしは母の手を強く掴んだ。

 母の声は穏やかだ。

 

「……ホグワーツで、よく頑張ったわね。……怖かったでしょう。大変だったでしょう。……偉かったね」

 

 そんな母の言葉で、心のどこかにずっと残っていた重たい氷が、すうっと溶けていくのが分かった。

 こくりと頷いて母の目を見ると、母は安心した顔で微笑んだ。

 

「……ね、お母さん。ローズやリリー達が帰ったら、一緒に寝てもいい?」

「なぁに? いいわよ。お父さんは?」

「お父さんはいらない、お母さんとがいい」

「まぁ……ふふ。お父さんは拗ねるわね」

 

 だろうね。父は子供に蔑ろにされると、割と大人げなく拗ねるのだ。

 でもいいじゃん、お父さんはお母さんと毎晩会えてるのに、わたしはお母さんと会うのが久しぶりなんだから。ちょっとは独占させて欲しい。

 

 その時、壁をすり抜けるようにして紙飛行機が部屋に舞い込んできた。羽根の部分に『A』の飾り文字が印刷されている。母は笑みを引っ込めると、紙飛行機を手に取り開いた。

 ……この紙飛行機は知っている。魔法省からの招集通知だ。昔から、何度も見たことがある。

 

 同時に、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえてきた。次いで部屋の扉がノックされる。母が扉を開けたところ、そこにはニンファドーラおばさんが立っていた。

 いつもニコニコしているニンファドーラおばさんは、今日ばかりは困った表情を浮かべている。

 

「やぁ、アクア。急にごめんね。でも、君も招集を受けたでしょ? 折角のクリスマスに申し訳ないんだけど、我らが闇祓い局局長、ハリー・ポッター殿からの御命令だし、出られるかな?」

「……えぇ、分かったわ。局長命令なら仕方ないものね。急いで支度するから、……ソラ?」

 

 気付かぬうちに、わたしは母に近付いては、母の手を強く掴んでいた。

 ニンファドーラおばさんは身を屈めてわたしと視線を合わせた後「ごめんね、ソラ。お母さん、ちょっとお仕事で借りてもいい?」と眉を下げる。

 

 ……お仕事なのだ。

 母は闇祓いだ。クリスマスであったところで、急な一報で駆け付けなければならない職種。

 ……お仕事、なのだ。

 

 そんなことは分かっている。物心つく頃から知っている。

 母がいなくても寂しくなんてならないように、周囲の大人達は、わたし達をずっと守ってくれた。目を掛け、声を掛け、寂しさなんて感じないように工夫してくれた。

 だから、寂しくなんてないはずなのに。

 ローズがいる。リリーがいる。アルバスも、ジェームズも、ロンおじさんやジニーおばさんも……シリウスおじさんやリーマスおじさん、ピーターおじさんも。

 みんな、みんないる、はずなのに。

 

 悪寒が止まらない。

 謎の震えが身を包む。

 わたしは今、心の底から()()の何かに怯えている。

 

「………………、嫌だ」

 

 行っちゃ嫌だ。

 行っちゃ嫌だ。

 行けば絶対に、()()()()()()が起きる。

 

「……ソラ、ちょっと……痛いから、離して……?」

 

 母の声に、それでもわたしは手を離さなかった。

 ……だって、離したら。

 お母さんは、行ってしまうでしょ。

 

 母は困り果てた顔で、わたしの前に膝をついた。わたしに言い聞かせるように視線を合わせる。

 

「……ねぇ、ソラ、お仕事なの。分かってくれないかしら……」

 

 ……分かっている。

 こうして母を引き留めるのは、母の仕事の邪魔になる。

 ……分かっているのだ。……けれど。

 

「後で、ちゃんと埋め合わせをするわ。ごめんね、ソラ。折角のクリスマスの日なのに、一緒にいられなくてごめんなさい」

 

 母は何度も、わたしに謝罪の言葉を紡ぐ。

 ……謝ってほしいわけじゃない、のに。

 

 母に行ってほしくない。

 でも、聞き分けのない子だと思われたくない。

 母を困らせたくはないし、母に叱られたくもない。

 

 ────だから、わたしは。

 母の手を、そっと離すことにした。

 

「……困らせてごめんなさい、お母さん。お仕事、いってらっしゃい」

 

 頑張って笑顔を作る。

 静かに瞳を揺らした母は、そのままわたしを強く抱きしめた。

 

「ソラが謝ることはないの。お母さんこそ、ごめんね。……できる限り、早く帰ってくるようにするから」

 

 ──早く帰ってこなくていい。

 ただ、無事に帰ってきてくれさえすればいい。

 

 母と一緒に、ニンファドーラおばさんも「ごめんね」と謝ってくる。いいよと笑って、わたしは二人をお仕事へと送り出した。

 

 ────どうか無事に帰ってきますようにと、ただそれだけを祈りながら。

 

 

 

 

 

 その後、ローズやアルバスら従兄弟達はクィディッチをしに庭へと出て行った。わたしも彼らに誘われたものの、どうもそんな気分にはなれなくてお断りをした。

 一人になりたかったものの、地下書庫に籠ると母の帰宅をいち早く掴めなくなる。だからわたしはホールのクリスマスツリーの傍で、ユークおじさんからもらった帆布の背もたれがついた椅子に座って本を読むことにした。

 一人でいたわたしが心配だったのか、もしくはニンファドーラおばさんから一言話が入っていたのかもしれないが、読書をするわたしのすぐ傍で、リーマスおじさんも同じように本を片手に寄り添ってくれた。

 

 どれだけ本に視線を落としても、目は文字を上滑りする。それでもぞわぞわと這い上がる悪寒から目を背けたくて、わたしは無理矢理本に意識を集中させていた。

 

 ……早く、せめて、お父さんが帰ってきて欲しい。

 父がいれば、まだ安心できるのに。

 

 そう思って煙突飛行ネットワークが繋がっている灰色の扉にたびたび視線を向けるものの、扉が開かれる気配はなかった。

 

 ──待って。待って。待って。

 陽が傾き始めた頃、にわかに家の電話が鳴った。

 動きかけたリーマスおじさんを止め、わたしが出る。

 

 その電話はハリーおじさんからのもので──仕事中の母が敵に襲われたこと、現在意識不明の重態で、聖マンゴ魔法疾患障害病院に運び込まれたことを──隠し切れない焦燥を滲ませた早口で告げた。




お待たせしました。やっと、本編に入ります。

次回更新は4/23(日)20時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 BAD END. -ルートα

『──あぁ、ソラ、落ち着いて聞いてほしい。

 アクアが──君達のお母さんが任務中に襲われて、意識不明の重態だ。先程聖マンゴに運び込まれた。アキに電話したけどホグワーツにいるせいか繋がらない。だから、ソラとヒカルは────』

 

 ……受話器を持つ指先が、冷える。

 ハリーおじさんの緊迫した声が、頭の中を貫いていく。

 わたしは息もできずに、ただ、ハリーおじさんの声を聴いていた。

 

 ──数ヶ月前から感じ続けていた嫌な予感が、今、繋がった。

 

()()()()お母さんを行かせちゃダメだった)

 

 わたしが母を送り出したせいだ。

 わたしが母の手を離したせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 

「……ソラ、どうしたの? 顔色が……誰からの電話なんだい?」

 

 受話器を耳に当てたまま凍りついたわたしを見たリーマスおじさんは、わたしと視線を合わせるように身を屈めては、そっと尋ねてくる。

 わたしは何も考えられないまま、リーマスおじさんをただ見返した。

 

「……ソラ?」

「…………、お、お母さんが……」

 

 それ以上は言葉にならなかった。

 リーマスおじさんは瞬時に表情を変えると、わたしの手から受話器を引ったくるようにして取り上げ耳に当てた。緊迫した声で受話器の先に問いかける。

 

「あぁ、ハリーか? 私だ、リーマスだ。何があった?」

 

 リーマスおじさんがハリーおじさんと話す横で、わたしは一人俯いていた。

 

 頭の中を、当てもない言葉がぐるぐると回る。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしの────。

 

 その時、庭でのクィディッチが終わったのか、皆が家の中に戻ってきた。

 賑やかな騒めきが一瞬室内を満たしたものの、電話を受けるリーマスおじさんの唯ならぬ雰囲気を察したか、皆の先頭に立っていたシリウスおじさんが怪訝な顔をして駆け寄ってくる。

 

「リーマス、どうしたんだ? ……ソラ、君、顔色が酷いぞ。熱でもあるんじゃ……」

 

 そう言いながらわたしの顔を覗き込んだシリウスおじさんだったが、リーマスおじさんが受話器を乱暴に置いた音にぴくりと眉を上げた。

 リーマスおじさんは集まって来た皆を見、押し殺した声で告げる。

 

「すまないが皆、今すぐ自宅に戻った方がいい。私はソラとヒカルを連れて聖マンゴに向かう」

「……何が起こった?」

「任務中の闇祓いが襲撃されたとハリーから連絡が入った。一部が負傷、アクアも意識不明の重態だそうだ」

 

 リーマスおじさんの言葉に、ヒカルが小さく息を呑んだ。

 シリウスおじさんは眉を寄せつつ腰のポケットを探っている。やがてスマートフォンを取り出したシリウスおじさんは、ぱぱぱと何かを打ち込みながら「ハリーのことだから、アキには連絡してんだよな」と問いかけた。

 

「あぁ、そのようだ。もっともホグワーツだと()()()()電波が入らないから、まだ届いていないかもしれないが……」

「なら原始的にふくろうを飛ばすか。おらピーター、来い」

「痛っ、待ってシリウス、どこに行くつもり?」

「阿呆、アキが望んだ時に動けるように準備をしておいてやんなきゃだろ。……他の奴らよりは冷静な俺達がな」

 

「じゃあ、また後で」と言ったシリウスおじさんの声のトーンは、気軽なセリフとは裏腹な、低く淡々としたものだった。

 

「……早く行こう、リーマスおじさん。母さんが心配だ」

 

 いつの間にかわたしの隣に来ていたヒカルが、リーマスおじさんを急かすように言う。

 普段から飄々としていてあまり感情を表に出さないヒカルも、今日ばかりは切羽詰まった表情を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 リーマスおじさんに手を引かれ、わたし達は煙突飛行ネットワークを経由して聖マンゴへと足を踏み入れた。

 癒師(いし)により案内された母の病室の中には、大勢の黒衣の大人達がひしめき合っていた。闇祓いの制服を纏っている。母の同僚に違いない。

 

「ニンファドーラ!」

 

 その時リーマスおじさんが大きな声を上げた。人混みを掻き分けたリーマスおじさんは、ホッとした顔でニンファドーラおばさんを抱きしめる。抱きしめられた側のニンファドーラおばさんは、少々面食らった顔をしていた。

 

「あ、あぁ、ごめんリーマス、心配かけたね……それよりもアクアだよ。ヒカル、ソラ、来てくれてありがとう。ハリー! ヒカルとソラが来たよ!」

 

 ニンファドーラおばさんの声掛けに、ハリーおじさんが駆け寄ってきた。「あぁ……」と瞳を揺らしたハリーおじさんは、膝をついてわたしとヒカルを抱き寄せる。

 

「すまない、二人とも……君達のお母さんを守れなくて、本当にすまない……っ」

 

 ハリーおじさんの声には、心底からの苦渋と後悔が混ざっていた。

 わたしはベッドに視線を向ける。

 

 真っ白の病室、真っ白のベッド、真っ白のシーツ。その上に、母は寝かせられていた。

 真白のシーツに散らばる銀の髪も、瞑られた瞳を縁取る長い銀の睫毛も、抜けるように白い肌も──母を司る全てが、なんだか希薄で。病室と同じ色なものだから、目を離せば溶けて消えてしまいそうだった。

 わたしやヒカルの訪れにも、母は全く反応しない。じっと静かに目を閉じている。胸元のシーツが僅かに上下するそれだけが、母が外界に(あらわ)す唯一の反応だった。

 

「……母さん」

 

 ヒカルの微かな呼びかけにも、母は全く反応しない。

 ハリーおじさんに「近付いていいよ」と背を押され、わたしとヒカルは母のそばまで歩み寄る。けれど母に触れる勇気までは出なくって、わたしはただじっと母を見下ろしていた。

 

 ……だって、触れてしまったら。

 触って、揺さぶって、お母さんって声を掛けて、それでも起きなかったら……。

 

 母を直視するのが辛くなってしまって、わたしは俯いたまま、母の耳に飾られたピアスをじっと見つめていた。

 わたしの髪を括るシュシュを彩る鎖と同じ、藍玉(アクアマリン)を。

 

 ────その時、ざわりと空気が騒いだ。

 よく知った気配に、わたしは息を呑んで顔を上げる。

 

 病室の外、廊下を歩く足音、衣擦れの微かな音でさえも聴こえたと思った。

 何かの『圧』を感じ取ったか、ざわめきが瞬時に止む。

 闇祓いの制服を纏った面々は次々と、病室の入口に近い側から順々に、その人物に対して道を開けた。

 

「……お、父さん……」

 

 ──怒っている。

 ここまで威圧が届くほど、父は静かに怒っている。

 

 人垣が割れたおかげで、父の姿が窺えるようになった。

 表情は普通。いつもの微笑みではないものの、読書時の顔のような無表情を貼り付けている。足取りも普通。身なりも見慣れた、裏地が群青のローブ姿だ。

 それでも父から漏れ出る魔力が、父の感情を教えてくる。杖も携えていないのに、父が一歩歩みを進めただけで、父から一番近い位置にいた闇祓いがよろめくように膝をついた。

 

 病室の入口で足を止めた父は、普段通りの口調で淡々と言い放つ。

 

「闇祓いも随分と暇になったものだね」

 

 その言葉で、場に一気に緊張が走った。

 父は軽く目を細め、震える闇祓い達に告げる。

 

「とっとと仕事に戻りなよ」

 

 その一言で、病室にいた闇祓い達は蜘蛛の子を散らすように退室して行った。

 残ったのはわたしとヒカルと母の他、リーマスおじさんとニンファドーラおばさん、そしてハリーおじさんと、白衣を着た癒師が一人。

 ハリーおじさんは、父の威圧にも慣れた顔で苦笑している。

 

「アキ、彼らはアクアを心配して残ってくれた者達だよ? 彼女は仲間想いだから、その分慕っている人も多くてね」

「闇祓い局局長さんが指示を出さないから、代わりに言ってあげたまでだよ。ここでぼうっと待っていても状況は何も好転しない。ならばやるべきことをやるべきだ」

「はは……まぁ、気持ちは分かるけどさ」

 

 病室に足を踏み入れた父は、ベッドに横たわる母を見ては、痛みを堪えるように眉を寄せた。薄く微笑みを浮かべながら、母の頬をそっと撫でる。

 

「……アクア、ごめん。ぼくのせいだ」

 

 一度だけ、強く目を瞑り。

 母の額に軽く口付けた父は、小さく息を吐いて身を起こした。わたしやヒカルと視線を合わせ、安心させるようににこりと微笑んでみせる。

 

 ……それでも、父の瞳に余裕はない。父がいつも纏っている泰然自若とした雰囲気が、今はどこにも見当たらない。

 そのことが何よりも、わたしを不安にさせた。

 

「ヒカル、ソラ。待たせてごめんね。心細かっただろう?」

「そんなのはいいよ。それよりハリーおじさん……母さんの具合はどうなの?」

 

 ヒカルが痺れを切らした声で尋ねた。

「それは……」とハリーおじさんは、逡巡するかのように父にちらりと視線を向ける。

 ハリーおじさんの言葉を引き継いだのは、ハリーおじさんの隣に立っていた癒師だった。

 

「強い呪いが掛けられている。その呪いを解かない限り、患者が目覚めることはないだろう」

「……さすが、ライ先輩は率直だ」

 

 苦笑した父は、ぐしゃりと自身の前髪を掴んだ。

 ヒカルは真剣な表情で「どうすれば呪いは解けるのか」「母を救う手立てはあるのか」といったことを癒師に向かって矢継ぎ早に問いかけている。ヒカルの質問に対し、癒師は淡々と答えていた。

 

「闇祓い相手に逃げおおせたのだから、相手も相当の手練れだろう。呪いを解析するのにも時間が掛かる。数週間、あるいは数ヶ月……最悪の場合何年も掛かる可能性を考えておいた方がいい」

 

 ギリ、とヒカルは歯噛みする。そんなヒカルを見下ろしていた癒師は、ふと何かに気付いたように目を瞠っては口元を緩めた。

 

「……グリフィンドール生らしい好戦的な考えだ。嫌いじゃないが止めておけ。お前じゃ()()敵わない、ヒカル」

 

 いきなり名前を呼ばれ、ヒカルはびくりと肩を跳ねさせた。今度は癒師を見極めるような眼差しで、そろりと一歩距離を取る。

 癒師は父に目を遣り、静かに言った。

 

「……アキ。捨て鉢になるなよ」

「……えぇ、分かってますよ」

「分かってないから言っている。お前のせいじゃない。彼女を守れなかったのは、お前の力が足りないせいじゃ」

「分かってます。だから、お願いですからちょっと黙ってくださいよ」

 

 父の、身体の横で握られた拳が戦慄いている。それを見て、癒師は渋々といった様子で息を吐いた。

 

 父から漏れ出る魔力が、ピリピリと肌を灼いている。

 ……それが痛くて、苦しくて。

 父が、わたしの知っている父とは別人のようで。冷たくて、怖くて、何だかこの場から逃げてしまいたくなった。

 

 ……わたしって、薄情なのだろうか。

 目を覚まさない母を心配する気持ちよりも、周囲の大人達の挙動に意識が行ってしまう。母に呼び掛けることもできずに、ただじっと身を強張らせている。

 

 その時、誰かが勢いよく病室の扉を開けた。誰もが一斉に、病室の入口に視線を向ける。

 父は静かに、その人物の名を呼んだ。

 

「……ユーク」

 

 ユークレース・ベルフェゴール──母の弟であり、そしてわたし達の叔父であるユークおじさんが、息を切らして立っていた。

 わたし達や母と同じ灰色の瞳が、父を捕捉してギュッと細まる。

 ツカツカと病室に足を踏み入れたユークおじさんは、そのまま父の胸倉を掴んだ。

 

「……どういうことですか、アキ・ポッター。あなたが居ながら、何故、姉上が」

 

 ユークおじさんの声も、父の胸倉を掴む両手も、怒りと動揺で震えている。

 父は軽く目を伏せたまま、ユークおじさんにされるがままでいた。

 

「僕、前に言いましたよね。『姉上にもしものことがあったら、僕はあなたを殺します』と。憶えていますか」

「……憶えているよ」

「だったら、何故──!」

「だから、殺していいよ」

 

 父の口から出た言葉に、ユークおじさんが目を見開いて絶句する。

 父は陰鬱に微笑んだ。

 

「……そうだね。アクアを傷付けたんだから、命をもって償うべきだ。ユークの言う通りだよ」

「違います! そうじゃない、アキ、僕は」

「違う? 何も違わないだろ。君は私を殺す権利がある。……やりたきゃやりなよ。私は抵抗しないから」

 

 離れかけたユークおじさんの手を、父は逃がさないとばかりに絡め取った。

 据わった瞳でユークおじさんを見る父に、ユークおじさんも険しい顔で向き直る。

 

 ……どうしよう。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 父もユークおじさんも、二人とも人が違ってしまったよう。それだけ、母が倒れたことへのショックが大きいのか。

 二人の諍いを止めたいのに、どうすればいいのか分からない。

 ……どうして、こうなっちゃったの。

 

(わたしが、母を行かせたせいだ)

 

 回らない頭で、ただそれだけを強く思う。

 わたしのせいだ。

 今起きている悪いことは、全て、わたしのせいなのだ。

 

 父とユークおじさんを止めようと腰を浮かしかけていたハリーおじさんは、しかし病室の入口を見てはホッとした表情を浮かべてみせた。つられてわたしもそちらを見る。

 

 その声は、この空間の中で唯一『いつも通り』の声だった。

 

「──ユーク、今のこいつに喧嘩を売るな。高く買われるぞ」

 

 病室の入口に、人影が二つ。

 アリス・フィスナー──アリスおじさんと、彼の養女であるナイト・フィスナーが立っていた。

 

「ソラ、ヒカル、大丈夫? ううん、きっと大丈夫じゃないよね。大変だったね」

 

 早口でそう言ったナイトは、わたしとヒカルをぎゅうっと強く抱きしめた。

 ヒカルが息を詰まらせながら言う。

 

「ナイト、それにアリスおじさんも、旅行中だったんじゃ……どうして……」

「そんなの、こちらの方が大事だからに決まってる。養父が即決してね、帰ってきたんだ」

 

 言いながら、ナイトがわたしの背中を優しく撫でた。その動作に、身体に入っていた力がほんの少しだけ抜ける。

 父とユークおじさんの元に歩み寄ったアリスおじさんは、二人の間に割り入るようにしつつ父の手首を掴んだ。

 

「……アリス……」

「ユーク、お前も頭を冷やせ。アキを責めてもどうにもならない。そんくらい、お前は分かってるはずだろ」

 

 強く唇を噛んだユークおじさんは、それでも我に返った顔で一歩下がった。わたしとヒカルに視線を向け、ぎこちない微笑みを浮かべてみせる。

 

「ヒカル、ソラ、取り乱した姿を見せてしまってごめんなさい。今日は帰ります。……アキ、アリス、後で必ず連絡を」

「あぁ」

 

 アリスおじさんが頷く。小さく頭を下げたユークおじさんは、最後に父への鋭い一瞥を残して立ち去って行った。

 父は項垂れたまま、小さな声で呟く。

 

「……言わせておけばよかったんだ」

「あのな、アキ……」

「私の失策が原因なのは間違いないんだから。アクアの守りが手薄になった、ユークにも、あれだけ釘を刺されていたのに……」

 

 前髪を引っ張り、父は虚ろに自嘲した。

 大きく息を吐いたアリスおじさんは、眉を寄せて父に向き直る。

 

義弟(おとうと)を、お前の自傷の道具に使うなよ」

「…………」

「自分が冷静じゃないことくらい気付け。ユークより、今のお前の方が何倍も危なっかしい。それに……親だろうが。子供達に気を遣わせるな」

 

 父の肩が揺れる。

 目元を押さえた父は「……すまない」と頭を振ると、掠れた声で囁いた。

 

「アリス、ごめん。一晩だけ、ヒカルとソラを頼んでいいかな……」

「……おう。落ち着いたら迎えに来い」

 

 父の肩をポンと叩き、アリスおじさんは「ナイト、行くぞ」と声を掛けた。うん、と真剣な顔で頷いたナイトは、わたしとヒカルの手を掴んで立ち上がる。

 

 病室を出る前に、わたしは振り返って父を見た。

 わたしの視線に気付いたか、顔を上げた父はわたしを見ると、儚く微笑んで背を向けた。




アキ「闇祓いも随分と暇になったものだね」
某人「これでよく公安が務まるな」
だいたい一緒だなぁと書きながら思いました。

次回更新は4/30(日)20時予定。
→実家への帰省の関係で数日遅れます、すみません……!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 CONTINUE? →YES

 アリスおじさんのお屋敷へは、両親に連れられて何度も訪れたことがある。とは言え、アリスおじさんも忙しい人だ。父の親友であるアリスおじさんと顔を合わせる機会は、ハリーおじさんやユークおじさんに比べるとどうしても少ない。

 そんな少ない機会のほとんどは、わたしがまだ四、五歳の頃、つまりはナイトがアリスおじさんに引き取られて、まだ間もない頃のことだった。

 

 当時のナイトは、周囲の大人達全てに分厚い壁を張っていて、その壁は特に養父であるアリスおじさんに対して分厚かった。

 それもそのはず。彼女が親に捨てられたのは、既に物心がついた幼稚園(ナーサリー)の頃。魔法の才を示したナイトを、彼女の両親は酷く恐れた。家族から見捨てられた彼女は、そのまま養護施設で育てられた。

 

 その後──ホグワーツの入学許可証を出す立場であった父が次年度の生徒の身辺調査をしたところ、ナイトの事情が判明し。

 ナイトの遠縁であったアリスおじさんが彼女を引き取ったものの、彼女の胸中で培養され続けた大人に対する嫌悪感と不信感は、そっくりそのままアリスおじさんへと向けられた。

 今となっては懐かしい笑い話になっているが、当時はそれなりに大変だったそうだ。全く心を開かないナイトにどうしていいか分からなくなったアリスおじさんが、わたしの両親を頼るのは時間の問題だったのかもしれない。

 

 ……という諸々も、実は後から聞いた話。

 当時のわたしはまだ幼くて、その辺りの道理や事情はいまいちよく分からなかった。

 

 わたしの周囲にはヒカルやジェームズ、テッドといった歳上の男の子が多く、歳上の女の子と言えばビルおじさんちのビクトワールくらいなものだった。だから、わたしにとっては数少ない同性のお姉ちゃんというだけで嬉しくて、いつだってナイトの膝上に乗っては本を読んでとねだっていた(一応断っておくのだが、当時のわたしの『本を読んで』は最大級の親しみが籠められた愛情表現である、念の為)。

 

 わたし達一家と過ごすうちに、ナイトは少しずつ魔法界に、そしてアリスおじさんに馴染んでいった。

 ナイトとアリスおじさんがいがみ合うことも減っていって、その代わりと言っては何だが、今度はわたしがアリスおじさんを怖がるようになってしまった。

 ……いや、だって、怒ったアリスおじさん、滅茶苦茶怖いんだもの……ナイトはよくあのアリスおじさんとケンカできるよね……。

 

 ────なんて。

 久しぶりにフィスナー家に足を踏み入れながら、わたしはそんな過去のことを思い返していた。

 

(……一年ぶり、くらいかなぁ)

 

 聖マンゴから煙突飛行ネットワークでアリスおじさんのお屋敷に訪れたわたし達は、すぐさま使用人の人達に囲まれた。「お疲れでしょう」「こんな遅くまで大変でしたね」と口々に言いながらわたし達のコートやマフラーを手早く預かってくれる。その手際は目を瞠るほどで、わたしはボタンに手を掛ける間もなく、気付けばコートが脱がされていた。いつの間に。

 

「旦那様、もう夜も遅いですし、お嬢様やお坊ちゃんは湯浴みにお連れしようと思うのですが、構いませんね?」

 

 使用人さんがアリスおじさんにニコニコと尋ねる。

 ……夜? と不思議に思って窓の外を見ると、確かに真っ黒に染まっていた。なんだか時間の感覚が曖昧だ。

 

「あぁ、頼む」とアリスおじさんが許可を出したのを皮切りに、わたし達は順番にお風呂に突っ込まれては、それはもう丁寧に磨かれた。

 使用人のおばちゃん達はわたし達家族を見知っている人ばかりだったから、アリスおじさんがいない時はとても気さくだ。「ソラちゃん背が伸びましたねぇ」「もう一年生になったんですって?」と口々に尋ねられ、その問いに順番に答えていると、いつの間にか全身を拭かれ、可愛らしいパジャマを着せられ、頭をドライヤーで乾かされていた。……い、いつの間に。

 

 一人慄いていたところ、わたしはふわふわタオルの上に、ネックレスとシュシュが揃えて置かれていたことに気が付いた。お風呂に入る時に外しておいてもらっていたのだ。

 手を伸ばしてどちらも取り上げる。リドルさんの指輪がついたネックレスは首から下げておき、シュシュは迷ったものの、手首に嵌めておくことにした。

 

 ……父とアリスおじさんは学生時代からの親友だ。だからアリスおじさんのお屋敷の使用人も、わたし達家族のことを、それこそわたしやヒカルが生まれる前から知っている。……勿論、父や母のことも。

 だというのに、これまでの世間話の中で、父や母の話に触れることはなかった。

 ……きっと、気を遣ってくれているのだ。

 

「ソラ、上がった? 居間に行こっか」

「あ、うん」

 

 その時ナイトがわたしを呼びに来た。ナイトに手を引かれて居間へと向かう。

 居間ではアリスおじさんとヒカルが紅茶を飲んでいた。使用人さんはわたしとナイトの前に紅茶を出した後、しずしずと退室していく。

 テーブルの上には簡単な軽食が用意されていた。サンドイッチやスコーン、焼き菓子やマシュマロ、リンゴやブドウなどが大皿に盛られ、取りたい分だけ個人がサーブする形式だ。

 

「食いたい分だけ食えばいい。部屋を用意させてるから、眠くなったら言えよ」

 

 アリスおじさんが皿からサンドイッチを摘みながら言う。わたしとヒカルは頷いた。

 時計を見ればもう深夜の二時。いつの間にか日付が変わっていた。思い返せば昨日お昼ご飯を食べて以来、何も口にしていない。

 ……でも、お腹空いてないんだよね。こんな時間だというのに、眠気も全く感じない。

 

 本当なら今日は、クリスマスのご馳走を食べて、クリスマスの歌を歌って、ケーキを食べて、満ち足りた気持ちで眠っていたはずなのに。

 一体、どこで掛け違ってしまったんだろう?

 

(……わたしは、何を間違えたんだろう)

 

 ヒカルもおざなりにブドウを数粒口に運んだくらいで、後はずっと難しい顔をしている。何かを考え込んでいるようだ。

 ……でもそんな、どれだけ考えたところで、わたし達子供にできるようなことなんてないよ。

 

 わたし達が何もせずとも、父やハリーおじさんは、それこそ今だって動いているだろう。父が母を心の底から愛していることくらい誰だって知っている。母のためになら、父は手段を選ばない。取れる手はなんだって使うはず。

 そして父は、恐らく今の英国魔法界で最強の魔法使いだ。だからこそ、そのことを知っているからこそ──わたしは心の底から思ってしまう。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()よ)

 

 なんとなく手持ち無沙汰になってしまって、無性に本が読みたくなってしまった。そうでなくても、本はわたしの安定剤だ。手に持って表紙を撫でているだけで安心する。

 

「あの……アリスおじさん。本を読みたいから、書庫を開けてほしいんだけど……」

 

 書類に目を通していたアリスおじさんにそっと近寄りお願いする。

 アリスおじさんは「あぁ、分かった」と頷いて立ち上がった。ヒカルとナイトをちらりと見たが、二人はわたし達に一瞬目を向けただけで動き出す素振りは見せない。だからわたしは一人、アリスおじさんの後ろをついて書庫へと向かった。

 

 フィスナー家の書庫には何度か入ったことがある。レイブンクロー寮出身が大半を占めるフィスナー家らしく、古今東西のありとあらゆる本が詰まっていた。

 英国魔法界にある唯一の図書館である王立図書館も、聞けばフィスナー家の管轄らしい。だからわたしは、就職に困った時はアリスおじさんに泣きついて図書館に勤めようと画策している。

 ホグワーツの司書も捨てがたいのだけれど、その頃には父がホグワーツの校長職についている気がするのだ。父親と同じ職場というのは気が引けるというか、なんかヤダ。

 

 魔法の鍵で、アリスおじさんは書庫を開錠する。ありがとうとお礼を言って、わたしは書庫へと足を踏み入れた。

 てっきりアリスおじさんはわたしを書庫に置いて仕事に戻ると思っていたのだが、アリスおじさんも長居をする気らしい。適当な本を見繕っては、肘掛け椅子にゆったり腰を下ろしてしまった。ならばわたしもと、数冊選んでアリスおじさんの斜め横のソファに座る。

 

 アリスおじさんはわたしに軽く目を向け、微笑を零した。

 

「今日は俺にビビんねぇのな、ソラ」

「……アリスおじさん、怖くないもん」

 

 ……これは、本心。

 アリスおじさんよりもずっとずっと、今日の────今日の父の方が、怖かった。

 

 ……でも、怒って然るべきだったのかもしれない。

 父はきっと、母を傷つけた相手だけじゃなく、母を守ることができなかった自分自身に対しても怒っていたのだから。

 

「……わたし、薄情なのかな……」

 

 母が襲撃されて、意識不明の重態なのだ。

 普通はもっと、怒ったり、悲しんだり、するものなんじゃないの?

 

「どうして、そんなことを思うんだ?」

 

 わたしの呟きを、アリスおじさんは静かに追及してくる。

 

「……だってわたし、お母さんがこんな状況なのに、泣いてない」

 

 涙が込み上げる様子もなく、心はずっと乾いたまま。

 泣きもせず、ただぼんやりと過ごしているなんて──そんなの、随分とひどい娘なんじゃないの?

 

「そっか」と呟いたアリスおじさんは、肘掛け椅子に座ったまま伸びをした。

 

「俺も、母親が死んだ時は泣けなかったし、お前と同じで薄情なのかもな」

「……そうなの?」

 

 思わず目を瞠った。

 ……確かに、アリスおじさんのお母さんの話って聞いたことがない気がする。

「あぁ」とアリスおじさんは頷いた。

 

「俺がホグワーツに入学する一年前だから、今のお前より一個下の時かな。身体が弱くて病気がちな人だったし、マグルのあの人にゃフィスナーの空気は合わなかったんだろうしで、覚悟はしてたけど、それでも……」

「……それでも?」

「死んだ時は、人って本当に死ぬんだなって、ちょっとびっくりしたのを憶えてる。悲しい」

「……びっくり……そうなんだ……」

 

 アリスおじさんの語彙が一気に無くなり、なんだか子供のようになった。当時の気持ちを思い出しているのだろうか。『びっくり』って……何か他に言いようがあるでしょうに。

 ……でも、少しホッとした。ホッとするのも、心のどこかで罪悪感が芽生えるんだけど。それでも、アリスおじさんの味気ない話に、思わず慰められる気持ちにもなる。

 

 くるくる回るシーリングファンライトのプロペラを見つめながら、アリスおじさんは口を開く。

 

「なんつーかさ……悲しいとかって、後から来ると思うんだ。だから、まぁ……しばらくはゆっくり休め。これからのことは、お前の父親がいろいろ考えてっから」

「うん……ありがとう」

 

 そう言えば、アリスおじさんと二人きりになるのは初めてかもしれない。アリスおじさんにはヒカルの方が懐いているし、アリスおじさんも父と話をしていることが多いしで、案外機会がないのだった。

 

「……ね、アリスおじさん。聞いてもいい?」

「ん?」

「どうして、ナイトを引き取ったの?」

 

 わたしの問いかけに、アリスおじさんは眉を寄せては「あー……」と唸った。

 

「……ま、率直に言やぁ打算も込みだよ。俺には実子がいないからな。フィスナーを継ぐ誰かがいて欲しかった。そりゃ血が繋がってる子供がいたとしても、素直に継いでくれるなんて楽天的なことは思えやしねぇけどさ。それでもいるかいないかで、周りの見る目は結構変わんだよ」

「ふぅん……」

「──つーのはまぁ、実のところは建前でさ」

「え?」

 

 きょとんと目を瞬かせる。

 アリスおじさんは肘掛け椅子に深く腰掛けては「ナイトには黙っててくれよ。これ、アキにしか話してねぇんだからな」とため息をついた。

 

「知っちまったら見過ごせなくなった、マジでそんだけだ。年端の行かない少女を未婚の男が引き取るっつーのは死ぬほど外聞が悪かったが、ナイトは遠縁とは言え、フィスナーの俺と血が繋がってる魔法使い。《中立不可侵》を潰したい奴等にとっちゃ、随分と使い勝手のいい道具だろう。……そう考えると、もう引き取る以外の選択肢が無くなっちまった。ガキが政治の道具に仕立てられるほど寝覚めの悪いもんはねぇだろ」

 

「幼女趣味だったのか、だから結婚しないのかなんて、周囲からはやけに囃し立てられたけど。ンなワケねぇだろがクソボケ共がよ……」とアリスおじさんは遠い目をして呟いた。……うぅ、それは気の毒だぁ。

 

「だから、もうナイトを引き取った時点で俺の目的は叶ってる。フィスナーのの後継にするかはまた別の話だ……ナイトは気負ってるみてーだがな。俺はマジで、どっちでもいいと思ってるよ。俺の後を継いでも、継がずとも」

 

 そこまで言って、アリスおじさんはこちらを見ては「そう言えば、そのシュシュ、お前の母さんからだろ」とわたしの手首を指差した。わたしが頷くと微笑みを浮かべる。

 

「似合ってた。可愛いよ。さっきまでは髪を編み込んで結んでたよな? あ、風呂に入ったせいか」

「うん。……ね、アリスおじさん。髪の毛結ってほしいの。お母さんがやってくれたみたいに……できる?」

 

 手首から外したシュシュを差し出しお願いする。アリスおじさんは一瞬驚いた顔をした。

 

「俺が? いいのか?」

「うん……一人じゃできないし。可愛くしてね」

「そいつは責任重大だな」

 

 アリスおじさんはくつくつと笑うと、わたしからシュシュを受け取った。

 わたしの髪を括る手つきは、やっぱり丁寧で優しくて。母の編み込みを真似て整えられた出来栄えに、わたしはなんだか安心したのだった。

 

 

 

 

 わたしとアリスおじさんが居間へと戻った時、ヒカルとナイトはいなかった。やがて戻ってきたヒカルとナイトに「どこに行ってたの?」と尋ねたところ、ヒカルは言葉少なに「新聞のバックナンバーを漁ってた」と答えた。

 

「バックナンバー?」

「あぁ。フィスナー家には日刊預言者新聞のバックナンバーが全部綺麗なままで保管されているからな。貴重だから拝んできた」

 

 ヒカルは軽く言うものの、母の襲撃に関連する事件を調べていただろうことは明らかだ。わたしは「ふぅん」と相槌を打つことで、ヒカルとの会話を終わらせた。

 

 日が上って、朝が来て。上った日が沈んだ頃、父が迎えに来てくれた。

 漏れていた魔力の気配は、今は消えていて。少し疲れた顔をしていたものの、纏っている雰囲気は概ね普段通りのものだ。

 

「ありがとう、アリス。助かったよ」

「……今更、礼なんて言ってんなよ」

 

 アリスおじさんの返しに、父は「うん、そうだね」と軽やかに笑ってみせた。

 

「……ごめんね、二人とも。待たせたね」

 

 ──でも、わたし達を抱きしめた父の腕は、力が入って微かに震えていた。

 

 普段通りなんて偽りだ。当たり前だよ、普段通りなんかじゃないんだもの。

 それでも頑張って『普段通り』にしているのだ。

 

 母のいない日常を、これからも送っていくために。

 俯いて、立ち止まっても、それでも日々は続くのだから。

 

(────どうして、続くんだろう?)

 

 頭の片隅に、ふと違和感が灯る。

 なんてことのない、現実との違和(ズレ)。子供じみた駄々の延長線。

「お空はどうして青いのだろう」「夜はどうして眠いのだろう」「死んだら人はどこに行くのだろう」と、そんな子供の問いかけと同じ、くだらない言葉遊び。

 でも──そんなくだらない感覚は何故か、なかなかわたしの心から去ってはくれなかった。

 

 

 

 

 一日ぶりに戻った自宅は、もうとっくにクリスマスの飾りが外されて、すっかり普段通りに戻っていた。ローズやアルバスといったいとこ達の姿も、シリウスおじさん達の姿も見えない。しんと静まり返った家に、わたし達は帰宅した。

 明け方頃までは眠気なんて全然来なかったものの、丸一日起きていたのだ、流石に段々と瞼が重くなってきた。身体もなんだか纏わりつく怠さを感じる。父の「今日は皆疲れているだろうし、早めに寝ようか」という言葉に頷き、わたし達は早々に自室へと戻って眠ることになった。

 

 アリスおじさんも居心地良くしようと努力してくれていたけど、やっぱり自分の部屋に戻るとホッとする。「いつかうっかり圧死しそうだから」と父とヒカルが強く反対したため部屋に本棚はないものの、勉強机やベッドサイドにも本はいくらでも積み上がるものだ。いつも本を読みながら寝落ちするし。

 

「はー……」

 

 お風呂にも入ってさっぱりした。フィスナーのお家の使用人さんに磨いてもらうより、わたしは自分のペースで入浴する方が合っている。

 ……いや、聞けばアリスおじさんも普段一人で入るらしいけど。昨日はわたし達に対する気遣いでサービスだったらしい。どういうサービスよ。いや、気は紛れたけどさ。

 

「……ソラ、大丈夫?」

 

 その時、ふわりとリドルさんが現れた。酷く気遣わしげな顔をしている。というか、これは──もしかしたら、今のわたしにどう接して良いか分からず戸惑っている顔なのかもしれない。

 

「……うん、大丈夫だよ。別に、わたしが怪我したわけじゃないし……」

「それは、そうなのかもしれないけど……」

 

 わたしの返答に、リドルさんは何かを考え込むように腕を組んだ。

 わたしは身を起こすと膝を抱える。なんとなしに手首に嵌まった父のお守りを見つめていた時、わたしは重大なことに気がついた。

 

「……あっ、シュシュがない」

 

 どうやらお風呂の時に外して、そのまま置き忘れてしまったらしい。

 気付いてしまったら取りに行かないと落ち着かない。「ごめんリドルさん、ちょっとお風呂場に忘れ物を取ってくるね」と言うと、リドルさんは穏やかに笑って頷いた。

 

 静かに廊下へと出たわたしは、なんとなく足音を忍ばせお風呂場へと向かった。別に後ろめたいことはないものの、父はきっとわたし達がもう寝たものだと思っているだろうから、見つかるとなんだか気まずい。

 シュシュは記憶通り、外して置いていた場所にあった。ホッとした気持ちで手に取る。

 

 抜き足差し足で部屋へと戻る道すがら、ふと居間から光が零れているのが見えた。父がいるのだろうかと、わたしは何の気無しに部屋の中をそっと覗き込む。

 

 ────次の瞬間、見てしまったことを心の底から後悔した。

 

 部屋のソファに崩折れるように腰を掛け、父は一人項垂れていた。

 机の上には書類や資料が山積みされていて、父は一度それらに手を伸ばしたものの、その手は何も掴むことなく、力無くその場にくたりと垂れた。

 

「……何でこう、ぼくは……」

 

 父の肩が、やがてふるりと震える。

 堪らなくなったように口元を押さえた父は、身を折り曲げると頭を抱えた。

 

「いつも、大事なものばかり、取り落とすんだろう……」

 

 押し殺した嗚咽と共に零れたそれは、見まごうことなく父の涙だった。

 

「……ごめん……ごめん、アクア……っ」

 

 父のそんな姿を目撃して、頭のてっぺんから爪先まで雷に打たれたような衝撃が走った。

 ……父の涙を、わたしは今、生まれて初めて目の当たりにした。

 

(────あぁ、)

 

 父はいつだって、笑っている人だった。

 穏やかに、時に勝気に、いつでも前を見据えている人だった。

 ──そんな父が、泣いている。

 密やかに俯いて、痛みを堪えるように息を殺して、はらはらと涙を零している。

 

(あぁ、わたしは、なんてことを)

 

 ────そんな父を見て、たまらない気持ちになった。

 

(なんてことを、してしまったのだろう)

 

 ──わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 わたしのせいだ。

 

 しばらく鳴りを潜めていた自責の念が、堰を切ったように溢れ出てくる。

 わたしのせいだ。

 わたしが、母を行かせたせいだ。

 行ってらっしゃいと、あの時母に言ったせいだ。

 

 その通り、母は行ってしまった。

 父の手すら届かない場所へ。

 

 ……お母さんがこのまま目を覚まさなかったら、どうしよう。

 お母さんがこのまま……死んでしまったらどうしよう。

 直視してしまったら、もう耐えられない。

 一度抜けた不安の底は、どこまで行っても果てがない。真っ暗闇の水底に、どんどん深く落ちていく。

 

「…………っ」

 

 息を殺して、逃げるようにその場を立ち去った。出来る限り静かに階段を駆け上がり、そうっと扉を閉めてはその場にずるずると座り込む。

 

「ソラ、考えていたんだが、もしかすると──……」

 

 何かを考えながら喋っていたリドルさんは、わたしの顔を見た瞬間にフリーズした。

 零れた涙が止まらない。どれだけ拭っても溢れ出てくる。呼吸が上手くできなくて、でも泣き声を上げると父が心配して様子を見に来てしまうだろうから、わたしは必死に奥歯を噛み締め、リドルさんに抱きついた。リドルさんの胸に顔を埋めて嗚咽を殺す。

 

 神様、神様、かみさま、かみさま、

 ──ダンブルドア様、お願いします。

 

 母を助けてください。

 そのためだったら何でもします。なんだって捧げます。なんだって差し出します。

 

 どうか母を、わたし達家族の元に返してください──────

 

 薄れる視界の中、わたしはただ一心に、それだけを祈っていた。




『呪いの子』舞台を観に行った時、至るところでキャラクターが発する「ダンブルドア様」の台詞が強く印象に残っています。願いと祈りを象徴する人。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

 第36.5話 トム・リドルの困惑

(一体、どうして)

 

 丸く、さらさらとした黒い頭を見下ろしながら、僕──トム・リドルは心底途方に暮れていた。

 

 縁が成ってアキの娘であるソラ・ポッターと共に過ごすようになり、数ヶ月。徐々にこの不可思議な生き物──失礼、『ソラ』の生態も見えてきた。

 

 第一印象は『平和ボケした能天気な少女』。アキほどの尖りや怜悧狡猾さはなく、つけ込むような精神面の凹みもない、至って健やかに育てられた健全な娘。

 面白みで言えば、兄の方が僕に対する猜疑心が強い分、揶揄い甲斐があって結構楽しい。一方こちらの妹と言えば、あまりにも警戒心が無さすぎて全てが開けっぴろげなものだから、僕の方に悪意が無くとも思わず『少しは警戒しろ』と物申してしまいたくなるほどだった。

 

 人の善性しか知らない少女。悪意について知識はあれど実感はなく、人を猜疑と疑心からではなく、親切と好意でもって迎える変わり者。

 時代が時代なら、こんなか弱い存在なんて秒で搾取されていた。一体アキはどんな育て方をしたのだろうと心底呆れ返ったものの、それでも平和な時代の申し子とは、得てしてこういう娘であるのかもしれない。

 

 ……こんな娘であるものだから。

 母親が倒れた時の彼女が、どれだけ傷付くのか測れない。

 

(さっきまで、平気な顔をしていたじゃないか)

 

 確かに疲れた顔はしていた。ぼんやりと虚空を見つめる時もあった。

 それでも涙を見せることなく、受け答えも気丈であったから、僕は『問題ない』と判断したのだ。

 ────それなのに。

 

 彼女の傷の深度が分からない。

 本来どれほど傷付いて然るべきなのか、その度合いが分からない。

 ……そもそも、自分が傷付けられた訳でもないのに。

 母親であろうと他人なのだ。それがどうして、自分ごとのように痛みを感じるのか。

 

 ソラの涙を見た瞬間、呼吸が止まる心地にさえなった。

 体温のないこの身体が、何故だか凍りつくように冷え込んだ。

 

 僕の胸に顔を埋めて、ソラは大粒の涙を零す。嗚咽も震えも、全てこの狭い空間に押し隠すように。

 小さな背中を、撫でてあげた方がいいのかもしれないと思う。いや、きっと、撫でてあげた方がいいはずなのだ。僕がいるよと、耳元で甘く囁いて。そっと抱き寄せてあげるだけで、女は従順になるのだから。

 

 ──そう、思いはするものの。

 僕は結局ソラを抱きしめることもなく、ましてや慰めの言葉すら掛けることもないまま、ただただソラが泣き疲れて眠るまで、じっと降参(ホールド・アップ)の姿勢で身じろぎしなかった。

 ソラの身体がふらりと傾いだ、その瞬間に抱き留める。小さな身体を抱え上げ、そっとベッドに横たえた。

 

(……僕は一体、何をやっているのやら)

 

 少女の、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭うために、蘇ったはずではなかったのだが。

 父親譲り、祖父譲りであるソラの黒髪をそっと撫でる。小さく息を吐いて天井を見上げた。

 

 たとえ、何が起きようとも。

 この時代にはアキがいる。

 曲がりなりにも数年を共に過ごしたアキ・ポッターのことを、僕は割と信用している。

 

 アキの信念と能力を、僕は一番理解している。

 ……だから、ソラが泣く必要は、ないのだ。

 

 指の先でソラの頬に触れる。まだ幼さを示す丸みを帯びた頬を、ゆっくりと撫で下ろす。

 明日、ソラが泣きませんように。

 ただそれだけを、祈りながら。

 

 ソラから視線を外した僕は、いつの間にかあった『それ』に気が付き目を瞠った。

 ……なんだ、それは。

 一体、何が起きている?

 

 

「………………、え?」

 

 

 ──何が起きたか、理解が及んで、尚。

 僕は、そんな心底間抜けな声を発するのが精一杯だった。

 

 

(36.5話────fin.)




間話でした。空の追憶はソラとリドルのペアが話の主軸でもあるので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 ヒカルの誕生日-β

 ──夕暮れと朝焼けを切り取ったような世界の真ん中に、その階段は(そび)えている。

 階段は星々の煌めきを吸い取るような紺青色。頭上に朝焼け、足下に夕暮れを認めつつ、()()()はひたすら階段を下っていく。

 

 周囲に人影は一切ない。誰もいない世界の中を、わたしは一人下り続ける。

 怖いとか、心細いとか、そんな感情はあまりなかった。何処に行こうと考えるまでもなく、足は勝手にわたしを目的地へと運んで行く。

 

 何故か涙が止まらない。拭っても拭っても溢れていく。

 下る階段に終わりはない。果てのない階段に小さくため息をついた、その瞬間────

 

「……っ!?」

 

 何処からともなく現れたその人物は、唐突にわたしの腕を強く掴んだ。ギョッとして振り返る。

 ──ここにはわたし以外、誰もいなかったはずなのに!?

 

「誰っ……!?」

 

 艶のある短い黒髪に、紺青の和装。

 その人物はわたしを見下ろして、ニコリと穏やかに微笑んだ後──虚空に現れた漆黒の扉を開いては、その中にわたしを放り込んだ。

 

 

 

 

 

 ……そこで、ハッと目が覚めた。

 毛布を払って飛び起きる。部屋の中は、カーテンの隙間から差し込む朝の光で薄明かりが差していた。

 

 今の夢は、何────だったのだろう?

 夕暮れと朝焼けを切り取ったような世界。ぞっとするほど美しい、見たことのないほど幻想的な光景。

 ただの夢と片付けてしまうには、質感が強過ぎた。階段を踏み締める感覚も、微風が頬を撫でる感覚も、謎の人物に腕を掴まれた感覚も、全部、全部憶えている。

 

 ……さっきの人、誰だったのだろう?

 見覚えはない。あるはずない。ほぼ、間違いなく初対面だ。

 でも、そう──何処か懐かしいような、心の片隅がくすぐられるような、そんなノスタルジックな気分が残っている。

 うぅんと首を捻りながら、わたしは辺りを見回して────

 

「……どうしたの、リドルさん?」

 

 ベッドの枕元に腰かけたまま、わたしの顔を物凄く奇妙な表情で見つめていたリドルさんに問いかける。

 奇妙な表情って具体的にはどんなのかって、例えるなら……どれだけ考えても腑に落ちない謎々を眺めている時のような顔だ。瞳にも『理解不能』の文字が浮かんでいる気がする。

 

 リドルさんは「いや……」と呟いてはふるりと頭を振った。いやいや、何もないって表情じゃないと思うんだけど?

 いつもにこやかな笑みを浮かべているリドルさんらしからぬ表情だ。そもそもどうして、今日は呼ばずともこうして現れているのだろう……か……。

 

「……あっ」

 

 昨晩のことを思い出して、顔にパッと熱が集まる。

 ……そうだった、昨日のわたしはリドルさんに泣きついたまま寝落ちしたのだった。

 意識しちゃうと恥ずかしさが募ってくる。わたしは「リドルさん、着替えるからあっち向いて」と言って背を向けた。

 

「ん? ……あぁ、すまないね」

 

 返答にもいつもの覇気がない。

 一体どうしたのだろうと思いながら、わたしは手早くパジャマを脱ぐと服を着替えた。肩ほどの髪を櫛で梳かして部屋を出る。

 

「…………」

 

 リビングへと続く階段を下りながら、心が段々と落ち込んで行くのを感じた。

 ……母がいないと思うと、なんだかとっても気が滅入ってくる。

 母はもう、わたしに「おはよう」と笑いかけてくれない。どれだけ想っても、祈っても、母は目を覚まさないのだ。

 もう、髪を結ってもらうこともできない────

 

 リビングの扉を開けると、色とりどりのプレゼントの山が出迎えた。思わずきょとんと目を瞬かせる。

 ……え、何、なに、これ?

 誰かの誕生日? でもヒカルの誕生日はこの前終わったし、わたしの誕生日は六月だし、一番近い母も三月だし……。

 

 何故か見覚えのある景色に驚いていたところ、山ほどのプレゼントに囲まれる位置でヒカルの姿を発見した。床にあぐらをかきながら、難しい顔でプレゼントを一つ一つ仕分けている。

 ヒカルはわたしの姿を認めると、朝の挨拶もすっ飛ばし「あ、ソラ、お前の手も貸せ」と手招きした。

 

「………………、ヒカル……そのプレゼント、誰のなの……?」

 

 わたしの問いかけに、ヒカルは「はぁ?」と眉を寄せた。

 

「何言ってんだ、ソラ? 僕のだよ。例年このくらい届くだろ」

「……どうして……?」

「どうして、って……もしかして、寝惚けてる? 今日は僕の誕生日、十二月二十三日だからだよ。まさかお前、実の兄の誕生日を忘れちゃったのか?」

「…………」

 

 口元を押さえて一歩後ろに下がる。そんなわたしを見て、ヒカルは首を傾げた。ヒカルの瞳に嘘はない。ヒカルは、そんな悪質な冗談を言う子ではない。

 ……今日は十二月二十三日だと、ヒカルは言った。

 十二月二十三日。クリスマスは、明後日だ。

 

(────ゆめ、だった?)

 

 ゾクゾクと震えが這い上がる。

 口元を押さえたまま、よろよろと数歩後ずさった。背に廊下の壁が当たる。

 わたしの様子がおかしいのを見て、ヒカルは一層怪訝な顔をした。「ちょっと、おい……」と腰を浮かす。

 

(────夢だった!)

 

 ……全部、全部、わたしの頭の中だけで起こっている悪夢だったのだ!

 腹の底から感情が込み上げる。

 その場で踵を返したわたしは、階段を駆け上がった。目指すはもちろん、母の私室だ。

 

 母の部屋の扉をノックしかけた手が、途中で止まる。少し悩んで、わたしはノックをしないままそうっと扉を開け、部屋の中に滑り込んだ。

 部屋に母の姿はない。ならば両親の寝室だろうと、母の部屋から続く扉のドアノブに手を掛けた。ゆっくりと押し開く。

 

 部屋着姿のまま、母はベッドの端に腰掛けていた。わたしの姿を認めた母は、少し怒ったような声音で「……ソラ、部屋に入る時はノックをしなさいと教えたでしょう」と言う。わたしは思わず身を竦めた。

 

「ご、ごめんなさい、お母さん。ちょっと……あの……」

 

 言葉の途中で、視界は涙に滲んだ。

 ──母がいる。

 今ここに、わたしの母がいる。

 声を詰まらせポロポロと涙を零すわたしを見て、母は少し驚いたようだった。わたしの元に駆け寄った母は、膝をついてわたしの身体を抱き寄せる。

 

「……怖い夢でも見たのかしら?」

「……うん。そう……すごく怖い、こわい、夢だったよ……」

 

 ──そう。

 怖くて、寂しくて、悲しくて──それでもきっと、あれは夢だったのだ。

 こわい、こわい、ただのゆめだったのだ。

 

 

 

 

 

「今日のソラは、随分と甘えたさんなのね」

 

 そうジニーおばさんに言われ、思わず顔が熱くなる。それでもわたしは、母の腰に回した腕を外さなかった。

 

 父が我が家をクリスマス仕様に変更した後、いとこ達もヒカルの誕生日とクリスマスのために集まってきた。今もヒカルを囲んでは各々「お誕生日おめでとう」とプレゼントを渡している最中だ。

 そんな中、わたしは子供達の集団から外れては、母を含めた女性陣の中にいた。いいのだ、ヒカルにプレゼントを渡す機会はいくらだってあるし……後で部屋にでも置いておけばいいんだし。

 それよりも今は、一秒でも長く母にくっついていたかった。母の温もりを感じるたびに、ついつい安堵のため息をついてしまう。

 

 わたしの頭を撫でながら、母は眉を下げて微笑んだ。

 

「……ホグワーツは寮だもの。慣れないうちは寂しいわよね」

「まぁねぇ……まったく、ソラの可愛げをうちの子にも分けてあげたいくらいだわ」

「男の子はこんな感じなんじゃない? ヒカルもケロッとしてたわよ」

「ジェームズなんて、一年生の冬に帰ってきて早々『実家つまんない』なんて言って箒でホグワーツに帰ろうとしたのよ? 信じらんない。ヒカルが引き留めてくれてなかったら、あの子本当にやりかねなかったわ」

「あぁ……懐かしいなぁ……」

 

 母とジニーおばさんは顔を見合わせ笑い合っている。

 出入口の扉に目を向けたジニーおばさんは「あっ」と呟き、腰掛けていた椅子から身を浮かせた。

 

「ハリーが来たみたい。ちょっと行ってくるね」

「えぇ……」

 

 母がヒラヒラと手を振る。ジニーおばさんはそのまま、ハリーおじさんの元に駆け寄って行ってしまった。

 ……ハリーおじさんか……。そう言えば『夢』で、ヒカルの誕生日の日にハリーおじさんに「アルバスとちゃんとお話するように」なんて言ったような記憶があるな……。でもちょっと、今は母の元を離れたくはない。アルバスのことを話すタイミングは、きっとまだ来るはずだ。

 

 その時、父がわたし達の方に歩み寄ってきた。思わず身を硬くして母にしがみつく。

 ……まだ『夢』で見た父の姿が、脳裏に残像のように残っているのだ。

 母にぴっとりとくっ付いて離れないわたしを見て、父は苦笑を零した。

 

「ソラ、さっきナイトも来ていたよ? 挨拶しに行かなくていいのかい?」

「いいの。お母さんといる」

 

 父と母は顔を見合わせ「……ソラがナイトに興味を示さないなんて」「重症だね……」と呟いている。確かに、これまでナイトを見かけると駆け寄って飛びついていたものなぁ。……でも、今は母と一緒にいたいのだ。

 

 母はわたしを抱き上げると、自分の膝の上に腰掛けさせた。わたしの髪を指で優しく梳きつつ問いかける。

 

「……寂しかったのかしら。今日は、お母さんとお父さんと一緒に寝る?」

「それはいい……」

「いいんだ……」

 

 隣で聞いていた父がショックを受けていた。何故だ。

 例年、ヒカルの誕生日である今日からクリスマスの日まではいとこ達と一緒に過ごしている。その不文律までは崩したくない。

 そう──だってあれは、ただの『夢』だったわけだし……。もう、思い悩む必要はない……はずだ。そのはずなのだ。

 

 しゅんと肩を落としていた父は、そうだと顔を上げて母を見た。懐を探り、小さなケースを取り出しては「アクア、これ」と母に差し出す。

 

「頼まれてたやつ、出来上がったから」

「あら……ありがとう、早いのね」

 

 母はにこりと笑って、父からそのケースを受け取った。

 小さなアクセサリーケースのようだ。じっと見ていたわたしの視線に気付いたか、母はケースを開けては中身をこちらに見せてくれる。

 それは──。

 

「あれ……ピアス?」

 

 母がいつも付けている、アクアマリンのピアスだ。きょとんと母を見返すと、母は髪をかき上げて何も嵌っていない耳たぶを見せてくれた。

 

「……お父さんにお願いしてたの。ちょっと改造してほしいって」

「改造?」

「ええ……このピアス、あなた達のお守りと同じ機能がついていたでしょう? だから……ちょっと、ね?」

「ハイハイ。全く、このお姫様は無茶を仰るんだものなぁ」

 

 父は眉間を押さえてため息をついている。母はピアスを身につけながら「愛しているわ、私の騎士様?」と微笑んだ。

 

「私としては、アクアにあまり無茶はしてほしくないんだけどな」

「無茶なんて、そんなことしてるつもりはないのよ」

 

 父と母はいつも通りに笑い合っている。

 ……そうか。そりゃそうだ。父が母に、わたしやヒカルが持っているものと同様のお守りを渡していないはずがない。

 対物理、対魔法、共に絶対の防御を誇る父の要塞。あのアキ・ポッターが精力込めて作り上げた傑作。

 

(……じゃあどうして、あの時──『夢』の母は呪いを受けたの?)

 

「……どうしたの、ソラ? 何か悩みでも?」

 

 父が微笑みを浮かべて尋ねてくる。思わずドキリと心臓が跳ねたものの、ギュッと拳を握って押し隠した。

 笑みを浮かべて、わたしは言う。

 

「何も、悩みなんてないよ」

 

 ……そう、何も────()はまだ。




ソラの『夢』は、空の記憶アズカバンの囚人編の第2話『彼の命の顛末、その一つ』で幣原直が見ていた『夢』と同じ場所です。裏設定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 クリスマス・イブ-β

 その夜はいつも通り、ローズやリリーと一緒に眠りに就いた。

 翌日、母とジニーおばさんに起こされた後、わたし達女子組がホールへと降りた時には、男子組は既に起き出して朝食をとっていた。何故か皆が皆、仏頂面で黙りこくっている。

 

「ねぇ、どうしたの? 何かあった?」

 

 そっとヒカルに尋ねた。

 ヒカルはクロワッサンを千切りながら「夜、ちょっと部屋でな……」と言い、アルバスとジェームズが座っている方向に視線を向ける。

 

「言い合いつーか、ケンカっつーか、まぁ……大したことないよ、いつものこと」

「ふぅん……」

 

 アルバスとジェームズは席を一つ飛ばしで座っていた。お互い顔は合わせないまま、もくもくと料理を口に運んでいる。

 アルバスとジェームズの間に何も知らないリリーが腰掛けたため、ぴりぴりした空気は少し緩んだ……ような気がする。

 

「なぁソラ。今日は、僕ら男子組が買い出しに行こうか?」

「え?」

 

 いきなりヒカルがそんなことを言ったので、思わずびっくりしてしまった。ヒカルは普通の口調で「ソラは、母さんと一緒にいたいようだし」と言う。

 ……正直、母から離れたくないのはその通りだ。夢は夢と分かっていても、それでもなんだかピリピリと気が立ってしまう。

 ……でも……。

 

「……大丈夫、だよ。リリーもローズも、うちのお父さんと一緒に行きたいって言うだろうし……」

「二人は僕らが連れて行くから大丈夫だ、って言ったらどうする?」

 

 畳みかけるようにそう言われ、言葉に詰まった。

 ……うぅ、もしかしてヒカル、わたしに気を遣ってくれてる……?

 

「……じゃあ……わたし、お母さんと一緒にいる」

「おう。買い出しは僕らで行くから、任せろ」

 

 ……なんだかんだで、ヒカルは優しい。わたしのことよく見てるし、さりげなく気を遣ってくれる。

 照れくさいけど……でも勇気を出して、そんなヒカルに「ありがとう」と言おうとした瞬間、ヒカルは肩を竦めて皮肉げに笑った。

 

「それにしても怖い夢を見てビビって母さんに泣きつくなんて、お前もまだまだガキだな」

 

 …………む。

 むぅぅぅっ! ヒカルのバカっ!

 せっかく上がりかけたヒカルへの好感度が、再び地に落ちた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 クリスマスカードを書き終えた後、父と一緒に買い出しに行く男子組を見送った。

 リリーとローズもてっきり父について行くものと思っていたのだが、二人とも「ソラが行かないなら残る」と言ったので、わたし達女子組は揃って母達と共に、料理の準備や部屋のセッティングを行うことになった。

 

「ローズは料理の手際がいいな」

「いつも、ママの代わりにご飯作ったりしてるから……」

 

 シリウスおじさんに褒められて、ローズは照れ照れと頬を緩めている。

 それを見たリリーは自分も良いところを見せようと、両手いっぱいに食器を運ぼうとしてはつんのめり、ガラガラガッシャンと辺りは一時騒然となった。

 全く騒がしいことだ。わたしはホワイトソースを練り練りしつつ、割れた食器を母達が修復するのを横目で見る。

 

 今のところは何もない、至って平和なものだ。やっぱりあの夢は、ただの夢だったのだろう。少しナーバスになっていたから、怖い夢を見たのだ。そうに違いない。

 ……でも、母は闇祓いだ。悪い人達と戦う危険な職業。他の人より危ない目に遭う確率は高い。

 

 この悪夢が、いつか現実のものになるかもしれない。そう思うだけで身体が冷たくなる。

 もう母に危ない目に遭ってほしくないんだけど……そのためには、一体どうすれば良いのだろう?

 

「……ソラ、ソラ? ぼうっとしてると焦げちゃうわよ」

「あぁっ」

 

 母に肩をトントンと叩かれ我に返る。

 その後、慌ただしく料理やケーキを作っているうちに、胸の中の不安は気付けば吹っ飛んでいた。

 

 

 

 

 

 クリスマスの準備が一通り終わった頃合いで、来訪を告げるベルが鳴った。煙突飛行粉で誰かが来たのだ。確認に向かう母の後ろに、わたしもくっついていく。

 来訪客はドラコおじさんだった。スコーピウスも一緒にいる。

 

「メリークリスマス。一日早いけど、クリスマスの挨拶をしておきたくて」

「あら……それならアキもいる時の方が良かったかもね。アキ、今は出かけていて……」

「大丈夫、アキとはさっきホグズミードで会ったんだ。男の子達を連れていて賑やかだったよ」

 

 スコーピウスはわたしを見、ニコリと笑って近寄ってきた。

 

「メリークリスマス、ソラ。元気にしてた? 実はさっき、アキ教授に連れられたヒカルやアルバス達と会ってさ。折角だからアクアおばさんの顔も見たいって、父上が」

「メリークリスマス。わたしも、スコーピウスと会えて嬉しいよ」

 

 微笑みながら頭の片隅で考える。

 ……『夢』でも、ホグズミードでドラコおじさんとスコーピウスと出会った。父達が家を出た時刻も、夢で視た時刻と大体同じくらい。

 ドラコおじさんとスコーピウスが父達と出会ったということは、現実が『夢』通りに起きている、ということ……。

 

(……って、そんなバカな……)

 

 夢は夢だ。いくら精巧だとしても、夢と現実は交わらない。

 夢が現実になることなど──決して、ないのだから……。

 

「なんだ、誰かと思えばマルフォイ家の御当主でいらっしゃる」

 

 背後から聞こえた声に振り返れば、シリウスおじさんがこちらに歩み寄ってくるのが見えた。皮肉げな微笑みを貼り付けたまま「メリークリスマス。奥方の調子は如何かな?」とシニカルに片眉を上げる。

 小さく息を呑んだドラコおじさんは、しかしすぐさま微笑を浮かべては、胸に右手を当て「ブラック家当主様、お目に掛かれて光栄です」と深々とお辞儀をした。

 

「お陰様で、妻も小康状態を保っております。それも全ては、貴重なる蔵書を惜しみなく提供してくださったブラック家当主様のご好意あってこそ。本日この良き日に貴方様とお目見えできましたこと、心より幸甚でございます」

「お……おう……」

 

 そこまで丁寧に返されるとは思いもしていなかったのか、シリウスおじさんも呆気に取られた顔をした。威圧するように組んでいた腕を解いては、所在なげに頬をぽりぽりと掻く。

 

「すまない、今のは私が大人げなかったな。この家の女主人はアクアだ。同じ客人同士、そう畏まらずとも構わんさ」

「……シリウスおじさま、そう済まなく思う必要はないわ。だってこれ、ドラコのパフォーマンスですもの……ドラコも、無闇に人をからかうのは止めなさい」

 

 母にじろりと睨まれたドラコおじさんは、殊更にっこり笑ってみせた。シリウスおじさんは舌打ちをするも、表情は緩んでいる。

 

「……なんだ、マルフォイ家の小倅風情が粋がりやがって。緊張して損したぜ」

「でも、ブラック家のご好意を有り難く思っているのは本心ですよ? そもそもマルフォイ家としても、長年続いた純血家系であるブラック家は崇敬の対象。跪いて靴にキスだって辞さないと思っていますので」

「やめろ、マジで」

 

 シリウスおじさんは心底嫌そうな顔をした。

 そこで、スコーピウスはそっとわたしに近付くと、小さな声で耳打ちする。

 

「ねぇソラ。アルバスなんだけど、なんかお兄さんとケンカでもしたのかな」

「え?」

「いや、何となく、ちょっとそう思っただけで……さっきも、いつもヒカルが間に入っていたものだから。その辺りも気になって、帰り際にポッター邸に寄って欲しいと父上にお願いしたんだ。少しソラと話がしたくってさ」

 

 ……そう言えば今朝のヒカルも、男子部屋でちょっとトラブルがあった、なんてことを言っていたっけ……。

 

「……うーん、ジェームズとアルバスがケンカするのは、いつものことではあるんだけど……」

 

 でも、いつもはあっという間に終わる兄弟ゲンカも、今はアルバスの側に積もった不満が嵩じてややこしく拗れてしまっている気がする。ヒカルが間に入ってなお収まらないのはなかなかだ。

 ふぅん? とスコーピウスは首を傾げた。

 

「僕には兄弟も、同世代の親戚もいないからよく分からないんだけど、そういうものなのかな。でも、デルフィーも心配していたし……少し、胸騒ぎがして」

「待って、デルフィーが? デルフィーもいたの?」

 

 慌てて尋ねる。スコーピウスはきょとんとした顔のまま頷いた。

 

「うん。ホグズミードで会ったんだ。ホグワーツのお使いとプレゼントを買いに、って言ってたよ。アルバスもちょっと現金なものでさ……僕と喋ってる時はまだ不機嫌そうだったのに、デルフィーが来た途端に機嫌を直しちゃってさ……」

 

 そうだ。『夢』でもこのクリスマス・イブの日、デルフィーと会ったのだった。

 ……これも偶然? それとも……。

 

 少し考え込んだその時、スコーピウスがわたしをじっと見つめていることに気が付いた。

 

「……どうしたの?」

「いや……あのさ。違っていたら悪いんだけど、ソラ、デルフィーのことが苦手なの?」

 

 真面目な顔でそう問われ、思わず返答に窮する。わたしの表情を読んだか、スコーピウスは「あ、言いにくいことを聞いちゃってごめんね!」と慌てて両手を振った。

 

「その、もしソラがデルフィーのことを苦手にしているのなら、勉強会とか誘ったりして悪かったなぁ……って思ってただけなんだ。断るのも気まずかっただろうし」

「ううん……わたしも、気を遣わせちゃってごめんなさい」

 

 にこりと笑みを返すと、スコーピウスはホッとしたように胸を撫で下ろした。眉を下げて「でも、デルフィーはソラの寮の寮監だから、苦手でも付き合わなきゃいけないのが大変だよね」と呟く。

 

「デルフィーも言ってたんだ。『ソラともっと仲良くなりたいのに』って……そう落ち込むデルフィーに、ヒカルは『ソラは人見知りするから、距離を詰めすぎない方がいいと思いますよ。長期戦覚悟でゆっくり好感度を上げていこましょう』ってアドバイスしてたよ」

「はは……ヒカルらしいことで……」

 

 いくらアドバイスが的確でも、それを言ったのがヒカルと思うと素直に聞けないのは何故なんだろうなぁ。

 記憶を探るように虚空を見つめながら、スコーピウスは続ける。

 

「そうそう。だからデルフィーも、まずはソラに自分のことを知ってもらいたいって……その第一歩として、クリスマスプレゼントを工夫したんだって言ってたよ」

「……え?」

 

 ……クリスマスプレゼント、だって?




いつかアクアに「シリウスおじさま」と呼ばせたい、そんな夢がようやく叶いました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 クリスマスプレゼント-β

 翌日、クリスマスの日。

 ローズとリリーと共にホールへと降りたわたしは、酔っ払ったロンおじさんの相手もそこそこに、一人プレゼントの元へと向かった。目的は、もちろん──デルフィーからのプレゼントだ。

 

 夢は夢だと分かっている。現実ではないと知っている。

 ──であるにもかかわらずわたしは、デルフィーからのクリスマスプレゼントの中身が日記帳であることを、心のどこかで確信していた。

 

「……あった……」

 

 包み紙にも、プレゼントボックスにも見覚えがあった。薄手の箱状で、紫色のリボンが掛かっているもの。箱を開け、わたしは日記帳を手に取った。

 

 手のひらサイズの古びた手帳だ。パラパラとめくってみるも、やはり中には何も書かれてはいないようだった。

 

 ……これのどこが日記帳なのだろう? それに、どうしてデルフィーは、この手帳をわたしに贈るような真似をしたのだろう?

 悩んだ末に、わたしはリドルさんに声を掛けることにした。

 

「……ねぇ、リドルさん? この、手帳が日記帳だったって話を、前に……」

 

 言葉がそこでふつりと止まる。

 ……いや、いやいや。

 リドルさんに聞いたってしょうがないって。だってあれは……母が襲撃されたのは『夢』なんでしょ?

 

(……本当に?)

 

 夢にしては辻褄が合いすぎていないか?

 夢ってもっとこう、脈絡のない、合理の伴わないものじゃないのか?

 

(本当は、夢じゃないのでは?)

 

 一昨日の朝──ヒカルの誕生日のあの日、リドルさんがわたしに向けた視線を思い出す。

 あの、当惑するような視線は。

 リドルさんは、何かに気付いたのではないか?

 

「……リドルさん、ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……もしかしてリドルさんって……あれ、リドルさん? もしもーし?」

 

 ……おかしいな、いつもレスポンスが早いリドルさんから返事が来ない。

 あれ? と思いながら指輪を取り出そうとしたその時、不意に背後からリリーの声がした。

 

「ソラ、何してんのー?」

「ひぇっ!?」

 

 飛び退くようにして振り返る。

 わたしの手元を覗き込んでいたリリーは、きょとんとした顔で首を傾げた。リリーの隣にはローズもいる。一体いつの間に。

 ……なるほど。二人が近くにいたから、リドルさんから返事が来なかったのね。音も立てずに忍び寄って来ないでほしい、心臓に悪い……。

 

「な、何かな二人とも、えへへ……」

 

 何となく、無意味に愛想笑いを浮かべてみる。

 顔を見合わせたリリーとローズは、わたしに一歩にじり寄った。

 

「だってソラ、変なんだもの!」

「リリーの言う通りだわ。クリスマス休暇に入ってからというもの、どこか様子がおかしいわよ。一体どうしたの?」

「どう……って……」

 

 思わず歯切れが悪くなる。

 ……そりゃ、そうか。流石に二人にも気付かれちゃうよね。ここ数日ずっと母にべったりだったんだから。

 

 でも「夢見が悪かったの」なんてポロッと零したら最後、「どんな夢だったの?」とずうっと追及されることは目に見えている。

 困り果てたわたしは、仕方なく「ほら、これ、何だと思う?」と、デルフィーからのクリスマスプレゼントを二人に見せることで誤魔化した。期待通り、二人の興味は日記帳に向かったようだ。

 

「何、これ? 手帳?」

「日記帳なんだって。デルフィーからクリスマスプレゼントとして贈られてきたの。あぁ、デルフィーっていうのは、ホグワーツで闇の魔術に対する防衛術を教えている先生のことでね……」

 

 後半はリリーにそう言いながら、わたしはパラパラと日記帳を捲る。

 ……うん、本当にまっさら。何も書かれていないのに、何故か開きグセや書き跡のようなものが付いているものだから、まるでデルフィーの使いさしのようで、少し気味が悪いのだ。

 デルフィーは一体何を考えて、わたしにこの日記帳を贈ったのだろう?

 ローズはうーんと首を捻った。

 

「間違えて贈っちゃったんじゃないの? 私物みたいだし、返してあげたら?」

「うーん……わたしも、そうは思うんだけど……」

 

 でもスコーピウス曰く、デルフィーは『わたしにデルフィー自身のことを知ってもらいたい』と言ったらしいし。そんなことを言っておきながら、こんなうっかりミスをする……というのは、なんだろう、デルフィーらしくない気がする。

 

「それじゃあ、一体何な訳?」

「そんなの、わたしが一番知りたいよう……」

 

「それもそうか」とローズは腕を組む。

 その時、わたし達が何やら喋っていることに気が付いたか、母とジニーおばさんがわたし達の元へとやってきた。母の顔を見、わたしは思わず身を強張らせる。

 ここまで、大方『夢』で見た通りのことが起きている。であれば、母への襲撃も、きっと……。

 母とジニーおばさんを見たローズは「そうだっ」と手を合わせた。

 

「ねぇソラ、アクアおばさんとジニーおばさんに見てもらいましょうよ。アクアおばさんは闇祓いだし、ジニーおばさんも学生時代にダンブルドア軍団や不死鳥の騎士団で戦っていたんだもの。もしかしたら、何か分かるかもよ?」

「そんな、不死鳥の騎士団の頃はあたしもまだ学生だったから、言うほど戦ってはないんだって……でも、どうしたの、ソラ? 何か困りごと?」

「そ……そのぉ……」

 

 困った末に、わたしはおずおずと母とジニーおばさんに日記帳を差し出した。母とジニーおばさんはしげしげと覗き込む。

 日記帳を手に取った母は、軽く眉を顰めたまま杖を振った。

 

「……Revelio(現れよ)

 

 一瞬、魔法の光に包まれた日記帳は、やがて背表紙に光る金の署名だけを残し静まった。

 金の署名はただ、一言。

 

「『オーグリー』……?」

 

 あれ? これってデルフィーのもの……だよね? 彼女のあだ名か、何かなのだろうか?

「オーグリーって……聞き覚えはあるんだけど、何だっけ?」とジニーおばさんは首を傾げている。ジニーおばさんに日記帳を渡し、母は眉を寄せたまま口を開いた。

 

「……オーグリー……雨が近付く時に鳴く、不吉な鳥よ……オーグリーの鳴き声は死の予兆と言われて忌み嫌われてきたわ。……ソラ、それ、どなたから贈られてきたの?」

「あっ、えっと、デルフィー……じゃなくって……闇の魔術に対する防衛術の先生から……」

 

「……デルフィーニ・リドルね」と母は物思いに耽るように俯く。「う、うん」と慌てて頷いた。

 ……お母さん、デルフィーのこと、知ってたのかな?

 

「そんな鳥の名前を日記帳に書くなんて、どういう気持ちの現れなのかしら? なんだか気味が悪くない?」

 

 ローズも難しい顔をしている。

 その時、ハッと息を呑んだジニーおばさんは小さな声で呟いた。

 

「…………死の飛翔(vol de mort)……」

「えっ?」

 

 皆が一斉にジニーおばさんを見る。

 ジニーおばさんは驚いたように口を押さえた。思わず言葉がポロリと零れてしまったような振る舞いだった。

 

「……ご、ごめんなさい。でも……ね、ねぇ、ソラ。あなたはどうして、この日記帳を手帳だと思ったの?」

 

 どうしてって……そりゃ、リドルさんがそう言ったからなんだけど……でも、今そんなことは言えそうにない。

「何となく……」と呟くも、ジニーおばさんは真剣な顔だ。ガシリと腕を掴まれる。

 

「答えて、ソラ。本当に、何も心当たりはないの?」

「う、うん……だって、この日記帳自体、クリスマスプレゼントに入ってて……わたしも、さっき手に取ったばかりなんだよ」

 

 嘘ではない。全部本当のことだ。

 ジニーおばさんは、それでも納得行かないような、何かを憂うような眼差しでわたしを見下ろしている。

 ジニーおばさんが怖い顔をしているものだから、リリーも怯えるようにわたしの袖をぎゅっと掴んでいる。

 そこで、母が割り入った。

 

「……ジニー。あなたが憂慮しているものが何かは、分かるつもり。でも此処は、あなたの義弟(おとうと)でもあるアキ・ポッターの魔術でもって護られているわ。この家に入る全てのモノは、アキの魔術で全て解析されているの。その日記帳もそう。闇の魔術に関わる魔法道具が入り込める隙なんて、ないはずよ」

「アクア……」

「……もちろん、アキも人間だから、ミスだってすると思う。でも『アキの魔法で解析済み』ってだけで、少しは信用できないかしら」

 

 母とジニーおばさんが何を話しているのか、よく分からない部分も多い。それでもジニーおばさんは、母の言葉で肩の力を抜いた。

 

「……ソラ、ごめんなさい。あなたがもらったプレゼント、お母さんが少しの間預かっていても良いかしら?」

「う、うん、大丈夫」

 

 母に日記帳を手渡す。日記帳を仕舞った母は、にこりと笑って「……さぁ、皆も。自分のクリスマスプレゼントを開けに戻りましょ?」と促し空気を変えた。

「はぁい」とローズとリリーは去って行く。ジニーおばさんに手を振ると、母は小首を傾げて「……ちょっと来て、ソラ」とわたしに微笑みかけた。

 

「お母さんからも、クリスマスのプレゼントがあるの」

 

 

 

 

 階段を上り、母の私室へと行き着く道すがらも、その後母に髪を結ってもらう間も、わたしはずっと気が気じゃなかった。

 ……あの夢がもし、万が一、正夢だったとしたら……。

 

 そわそわと気もぞぞろでいたその時、壁をすり抜けるようにして紙飛行機が部屋に舞い込んできた。闇祓いの招集状だ。思わずドキリと心臓が跳ねる。

 

 同時に、誰かが部屋の扉をノックした。母が扉を開けたところ、そこにはニンファドーラおばさんが立っていた。

 

「やぁ、アクア。急にごめんね。でも、君も招集を受けたでしょ? 折角のクリスマスに申し訳ないんだけど、我らが闇祓い局局長、ハリー・ポッター殿からの御命令だし、出られるかな?」

「……えぇ、分かったわ。局長命令なら仕方ないものね。急いで支度するから、……ソラ?」

 

 母の袖を掴む。

 ダメだ。絶対に、ダメだ。

 

「行かないで、お母さん……」

 

 何度だって後悔した。

 こことは違う、夢の世界で。

 心の底から後悔したのだ。

 もう、母を行かせはしない。

 この手は絶対に、離さない。

 

 母は困った顔をして、わたしと視線を合わせた。

 

「……ねぇ、ソラ、お仕事なの。分かってくれないかしら……」

 

 ……嫌だ。

 

「後で、ちゃんと埋め合わせをするわ。ごめんね、ソラ。折角のクリスマスの日なのに、一緒にいられなくてごめんなさい」

 

 だって、聞き分けの良い子供でいたのに、母は襲撃されたのだ。

 なら、わたしは聞き分けの良い子供でいたくはない。

 いい子にだってなりはしない。

 

  ────だから、わたしは。

  母の手を、強く掴んだ。

 

「嫌だ……お母さんが行っちゃうなんてやだ! 嫌、絶対に、絶対に行っちゃダメ!!」

 

 母の腕にしがみついて泣き叫ぶ。

 恥も外聞もかなぐり捨てた。幼子のようだと思われても構うものか。

 案の定、母は心底困った顔をした。わたしを宥めようとするその手を振り払う。

 

「……ソラ! お願いよ、お仕事なの。お母さんの言うことを聞いてちょうだい!」

 

 珍しい母の大声に、思わずびくりと身が竦んだ。驚き故かも分からない涙がぽろぽろと零れる。そんなわたしを見て母は、より一層困った顔をした。

 言葉が喉元で詰まったまま出てこない。胸の中でぐるぐると回る感情を、どう抑えつけていいのか分からない。

 

 その時、わたしと母のやり取りを傍で見ていたニンファドーラおばさんが「まぁまぁ、どうどう」と割り入ってきた。

 

「まぁま、二人とも落ち着いて。……アクア、ソラがここまで言うのは結構なことだと、あたしは思うな。それに、これは個人的な意見だけど……泣いてる子供を置き去って行かなきゃいけない仕事なんてものはないと思うよ」

「……先輩……」

「だいじょーぶ、ハリーにはあたしがうまーく取りなしておくからさ。今日はソラと一緒にいてあげな? ……こういう時間って、そう長くないよ」

 

 そう言ってニンファドーラおばさんはニカッと笑う。母はしばらく悩んでいたようだったが、やがて「……本当にありがとうございます、先輩」と、ニンファドーラおばさんに対して深々と頭を下げた。

 

「良いってことよ。今回の件は貸しにしておくから、休み明けは頼りにしてるよ?」

「……はい、もちろん」

 

 ひらひらと手を振り、ニンファドーラおばさんは

 去って行く。

  ……え、と、いうことは?

  わたしは慌てて母に問いかけた。

 

「えっ、あの、お母さん、一緒にいてくれるの?」

「……えぇ。今日はソラといるわ。だからもう、早く泣き止みなさい」

 

 そう言って、母はわたしの涙を拭ってくれる。ぎゅうっと母に抱きついて、わたしは安堵のため息をついた。

 

 

 

 

 

 夕方、母とリーマスおじさんの携帯電話が鳴った。電話を掛けてきたのはハリーおじさんだった。

 ハリーおじさんは、仕事中のニンファドーラおばさんが敵に襲われたこと、現在意識不明の重態で、聖マンゴ魔法疾患障害病院に運び込まれたことを、押し殺した早口で告げた。




ジニーにとってもリドルの日記はある種のトラウマになっているのだと思います。それはそうと、当時のリドルの所業を知ったら流石のソラもリドルを軽蔑すると思うので、バレなくて良かったですね、リドルさん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 NOMAL END. -ルートβ

(……わたしのせいだ)

 

 頭の中でぐるぐると言葉が回る。大人達がザワザワと慌ただしく動き出す中、わたしはその場から動けずにいた。

 

(わたしのせいだ)

 

 ……どうして、母を守ってさえいれば安心だなんて思ったの?

 わたしは、わたしだけは、知っていたのに。

 あの日闇祓いが襲撃されるということを、わたしだけは、知っていたのに。

 

「……私が行く。他に来る者は?」

 

 テッドにふくろう便を飛ばすと、()()よりも蒼白な顔色のリーマスおじさんは険しい表情で周囲を見渡す。母は素早く立ち上がった。

 

「……行きます。状況を把握したいわ。……ソラも、おいで。今日はソラといるって約束したものね」

 

 そう言って、母はわたしに微かに笑いかける。わたしは曖昧に笑みを返した。

 ……こういう時まで母は義理堅い。その約束のせいで、ニンファドーラおばさんは襲撃されたのに。

 

「……家のことはお願いね、ヒカル」

「任せて、母さん。ソラをよろしく」

 

 流石、ヒカルはこんな時も冷静だ。

 いつもだったら「ヒカルに『よろしく』なんて言われる筋合いはない」ってムッと来ちゃうものだけど……今日ばかりは、そんな向かっ腹を立てる元気も湧いて来ない。

 

 闇祓いの制服に着替えた母が、わたしの手を引く。家を出る間際、シリウスおじさんが声を掛けた。

 

「リーマス。自棄(やけ)になるなよ」

「……君ほどじゃないさ、パッドフット」

 

 リーマスおじさんは微かに口元を吊り上げ、シリウスおじさんに背を向けた。

 

 

 

 

 

 わたしと母、それにリーマスおじさんの三人で、煙突飛行ネットワークを経由し聖マンゴへと向かう。

 聖マンゴのエントランスで、わたし達はテッドと会うことができた。テッドの隣には、テッドに寄り添うようにビクトワールの姿も見える。二人とも一様に混乱と怯えの表情を浮かべていて、リーマスおじさんはそんな二人の肩を抱き、ニンファドーラおばさんの病室へと急いだ。

 

 癒師(いし)に案内された病室の中は、大勢の黒衣の大人達でひしめき合っていた。母の姿に気付き、入口側に立っていた一人が近付いてくる。

 

「……詳しい話を聞きたいのだけれど」

「あぁ、君も来たんだね。ポッター局長が奥に居られる、彼から直接話を聞くといい」

 

 同僚の言葉に、母はこくりと頷いた。

 

 病室に足を踏み入れた瞬間、明らかに空気が変わった。

 彼方と此方を区切るラインを、ほんの一歩踏み越えただけなのに。

 風景も、音も、匂いも、何もかもが違っている。

 

 真白のシーツに沈むように、ニンファドーラおばさんは固く、静かに目を瞑っていた。そんなニンファドーラおばさんの姿を見下ろす位置で、リーマスおじさん達は顔を強張らせたまま、癒師の話に耳を傾けていた。

 ハリーおじさんはわたしと母の姿に気付くと、気遣わしげな様子で近付いてくる。

 

「アクア、ソラ。君達も来ていたんだね、すまない」

「……えぇ。ニンファドーラ先輩の容態と、他の被害状況を聞いておきたくて……やっぱり、死喰い人(デス・イーター)の仕業なのね?」

「あぁ。捕らえた数人から、腕に闇の印が刻まれているのを確認できた。加えて例の水晶も。……やはり水晶が闇側に回っていたのは間違いないようだ……おかげで闇祓い側も犠牲を出してしまった」

「……そう」

 

 母とハリーおじさんの声も、どこか遠い。

 

 ……どうしてわたし、ここに居るんだろう。

 ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。

 だってここは、この場所は、純粋にニンファドーラおばさんを心配する人が集まっているのだ。

 そんな中に、わたしなんかが居ていい筈がない。

 

(ニンファドーラおばさんを助けなかった、わたしが……)

 

 その時、ハリーおじさんの隣に立っていた癒師と目が合った。驚きと戸惑いが入り混じったようなその眼差しに、そんなことありえないのに、それでも思わず心の中を見透かされたような気持ちになる。

 

「……わ、わたしっ、お手洗いに行ってくる」

 

 居た堪れなくなってしまって、わたしは咄嗟に母にそう言い残し、慌てて病室を飛び出した。

 

 

 

 

 

 どの道をどう歩いたのかは憶えていない。ただ、ただ、人の少ない方向へ。聖マンゴの至るところに設置されたクリスマスの飾りから逃げるように。ひたすら足を動かしていたら、気付けば煙突飛行ネットワークを経由して、自宅へと戻ってきてしまっていた。

 

 帰り着いた自宅はどの部屋も薄暗く、人も皆全て出払っているようだった。クリスマスの飾りも綺麗に外されていて、ホールの中はがらんとしている。

 テーブルの上には手紙が置かれていた。見るとヒカルの字で、母に向けて『夕飯までジニーおばさんちにいるから、帰ってきたら連絡して』と書き残してあった。

 

 ヒカルがいないのであれば、ちょうどいい。

 ──今のわたしにできることは、これしかないのだから。

 

 数日ぶりに自室へと戻る。数回、深く呼吸をした後、わたしはそっと口を開いた。

 

「……リドルさん。話がしたいの」

 

 ──締め切った部屋の中、ふわりと柔らかな風が吹く。

 魔力の風を纏いながら、リドルさんは音もなく姿を現した。

 

「やぁ。どうしたんだい、ソラ?」

 

 リドルさんはにこりと微笑んでわたしを見る。その深紅の瞳を見返して、わたしはゆっくりと口を開いた。

 

「ねぇ、リドルさん。もしかして、『前』の記憶があるんじゃない?」

 

 ──考えていたのだ。

 もしかしたら、わたしが夢だと思い込んでいたあの出来事は、夢ではなく本当の出来事だったのでは?

 

 一体どうして、時が戻っているのかは分からない。

 それでも既視感(デジャヴュ)なんかじゃ片付けられないほど、ここ数日間知っている出来事ばかりだった。

 

「あの日、ヒカルの誕生日の朝……リドルさん、どこか不可解なものを見る表情を浮かべていたよね。あの時、何か気付いたんじゃないの? この十二月二十三日は、本当は()()()()()()()()()()()なんだって」

 

 ヒカルや母が違和感を覚えている様子はなかった。父やローズ、リリーもまた、当たり前のようにこの数日を過ごしていた。

 そう──わたしとリドルさん以外は皆、この日常を日常として受け止めていた。

 

「あぁ」とリドルさんは笑みを引っ込め頷いた。

 

「……恐らくは、ソラが考えている通りだ。僕も君と同じく、一度目の世界の記憶がある。ソラが体感した世界は夢じゃない。君が今日、あそこでお母上を止めていなければ、病室で臥せっていたのは君のお母上であっただろう。──よくやったね、ソラ」

「……でも、わたしは……」

 

 母の代わりに、ニンファドーラおばさんが怪我をすることなんて望んじゃいなかった。

 母だけが無事でいればそれでいい──なんて、そんなことは思いもしていなかったのに。

 これじゃ、襲われる相手がスライドしただけだ。

 

「……わたしが……わたしのせいで、ニンファドーラおばさんが怪我することになったんだよ……」

 

 リーマスおじさんの蒼白な顔を、テッドの不安で堪らない表情を、思い出す。

 わたしの選択で、二人から大事な人を奪ってしまった。そのことが何よりも申し訳なくて、考えるだけで涙が溢れ落ちそうになる。

 

リドルさんは、わたしを励ますように笑みを浮かべてみせた。

 

「でも、君が未来を変えたおかげで、君のお母上は助かったんだろう? 良かったじゃないか。ニンファドーラという彼女は、君とは何も関係のない女性なのだし。どう考えても、君のお母上の命とは……」

「なっ……そんなわけないでしょ、なんてこと言うのリドルさん!?」

 

 思わず強く怒鳴ってしまった。驚いたように目を瞬かせるリドルさんに、ハッと我に返る。

 

「ご、ごめんなさい……でも、ニンファドーラおばさんはわたしが小さい頃からお世話になっている人で、わたしはニンファドーラおばさんのことが好きだから……お母さんの代わりに怪我していいとか、そんなこと思えないよ」

 

 ぶんぶんと頭を振り、空気を変えるように「さぁっ、話を戻そうか」と手を叩いた。

 

「時間が戻ったのは確定として、なら一体どうすれば時間を戻せるのか、そもそも何度も戻せるのか。さっきも言った通り、わたしにとってニンファドーラおばさんも大切な人なんだ。だから、守れるのなら守りたいの」

 

 巻き戻れるのなら、もう一回だけでもチャンスが欲しい。

 そうしたら、もっとちゃんと立ち振る舞える。

 

「ふむ」とリドルさんは腕を組んだ。

 

「恐らくソラが持っているのは、時間を遡る能力だろう……時戻りの異能、とでも呼べばいいかな。そんな異能力者が過去にもいたかは寡聞にして知らないものの、逆転時計(タイムターナー)の例もある。魔法は大抵『なんでもあり』でもあることだし、ソラがそんな異能を持っていても特段驚かないかな」

「いや……驚くでしょ、普通……」

「あの親、あの祖父母にしてこの子だなと思う。むしろ異能持ちで納得したくらいだ」

「納得しちゃうんだ……」

 

 むぅ。でもわたしよりもリドルさんの方が(何故か)わたしの親族については詳しいので、もはや何も言うまい。

 ……それによく考えてみたら、わたしの父って英国最強の魔法使いだったわ。その子供であるわたしが持つ魔力も、他人とは桁がひとつは異なる。

 何より、魔法に常識は通じない。そう、たとえ自分に時間旅行者(タイムトラベラー)の異能があると判明したところで……。

 

(いや、何も納得なんてできないけど! 「はいそうですか」って、すぐには受け入れられないけど!)

 

 わたしはタイムマシンを発明した物理学者も知らなければ、猫を飼ったこともなければ、タイムリープの間際に心臓発作で死んだ覚えもないのだ。……死んだことに気付いていないだけかもしれないけれど、それだったら救いようがなさすぎる。

 

 ……でも、タイムリープものの小説だと往々にして「因果律は不変である」みたいな結論だったりするんだよね……。つまるところ、どんなに努力しても過去は変えられない、みたいな。些細な物事や出来事に手は加えられても、未来に関わる大事は決して変わることはない──という話だ。

 ……いや、しかし、わたしが変えたいのは今日の出来事なのだし、怪我をする相手も母からニンファドーラおばさんに変わったしで、不変というわけでもないんじゃない? と自分をなんとか納得させてみる。うん、大丈夫だよ……多分、うん。

 

 それが、わたしの力で変えられる未来であるのならば。

 わたしは、違う未来を選びたい。

 誰も涙することがない未来が欲しい。

 ──この罪悪感は、そうでもしないと薄れない。

 

「確かに、どうしてソラがそんな能力に目覚めたのかはわからないけれど」と、リドルさんは前置いた。

 

「ただ、時戻りについていくつか仮説は立てられる。たとえば、何が必要なのかとかね。その辺りは、前回のソラを見ていたから何となく分かるよ」

「え?」

「『死にたいほどの後悔』だ。あの時君は、僕に縋り付きながら一心に何かを祈っているようだった。君と共に過ごしてまだ数ヶ月ではあるものの、あれほど強く何かを想うことは、人間はそうそうないだろう。だから思うのさ。君はあの時、生まれて初めて心の底から後悔したのではないかな?」

 

 ────死にたいほどの後悔。

 リドルさんのその言葉は、わたしの心にすとんと落ちてきた。

 

 母を助けてくださいと、あの時わたしは祈ったのだ。

 神様に。ダンブルドア様に。

 そのためだったら何でもします。なんだって捧げます。なんだって差し出します、と。

 

(この願いを、神様が聞き入れてくださったのだとしたら──)

 

 もう一回祈る価値はあるのかもしれない。

 

 

 

 

 その後の話。

 もう一度聖マンゴに戻ったわたしは、わたしを探して病院中を駆け回っていた母に見つかりこっぴどく叱られた。その後はアルバス達の家に行き、ヒカルやアルバス達と夕飯を共にした。

  父とハリーおじさんは一瞬顔を出したものの、即座に「魔法省に行ってくる」と慌ただしく姿を消した。普段は騒がしいジェームズも、今日ばかりは神妙としていたため、いつになく静かな夕飯だった。

 

 自室に戻り、わたしは窓を開ける。

 外は再び雪が降り出したようだ。沈みかけた月が朧に世界を照らしている。雪が音もなく降り積もる中、窓辺にクリスマスローズが咲いていた。白い花弁は雪と同化し、淡い光を放ちながら優雅に舞い踊っている。

 

「……よし」

 

 何も分からないけれど、それでも試さないという選択肢はない。

 わたしは窓を閉めるとベッドの中に潜り込んだ。

 

 ……死にたいほどの後悔、か。

 

「そんな感情、有り余ってるよ」

 

 そう呟いて、わたしは目を閉じた。

 




追憶の日記リドルさん、基本的にソラに対しては滅茶滅茶優しいしソラを思いやろうとしているのだけれど、決定的に人の心がないので時折「違う、そうじゃない」が飛び出しがちなとこが好きです。アキと一緒にいて尚矯正し切れなかった部分がはみ出てる。

次回更新は6/18(日)20時予定。
→19(月)更新になりますすみません……!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第41話 ヒカルの誕生日-γ

 ──その夜、わたしは夢を見た。

 夕暮れと朝焼けを切り取ったような世界に聳える、紺青の階段の夢。頭上に朝焼け、足下に夕暮れを認めつつ、()()()はひたすら階段を下っていく。

 

(あぁ、そう、この夢だ)

 

 そう、前回──母が襲われた事件の後に見た夢と、同じもの。

 この世の光景ではないことは明白だ。地球上で『絶景』と呼ばれている場所をどれだけ回ったとしても、この景色には敵うまい。

 そんな、ありえないほど美しく幻想的な景色の中を、わたしは一段一段下っていく。

 

 手すりはない。両サイドを見下ろせば、そのままぐるぐると降り続ける階段が見えた。まるで、支柱のない螺旋階段のようだ。

 ……落ちたら一体どうなるんだろう。

 思わずそんなことを考えてしまった。自分の想像に身震いをして、わたしはひたすら足を動かし続ける。

 

 歩いて、歩いて、歩き疲れた頃合いで、一つの黒い扉が見えた。前回辿り着いた扉だと直感する。

 ……どうか、どうか、次こそは。

 思いを込めて、わたしは扉のドアノブに手を伸ばした。

 

 

 そしてわたしは再び目覚める。

 三度目の、十二月二十三日に。

 

 

 

 

 

 ──やぁ。なんだか酷く久しぶりな気がするな。

 僕の名前はヒカル・ポッター。アキ・ポッターとアクアマリン・ベルフェゴールを両親に持つ長子であり、かの有名な『生き残った男の子』、ハリー・ポッターの甥である。

 

 ……さて。

 突然だけど、なんだか妹の様子がおかしい。

 

 話しかければ返事はする。誰か他人がいる場では、にこにこしながら人の話に耳を傾けている。一見すると、いつも通りのソラではある。

 ……しかし、ふとした瞬間に、ソラは酷く真面目で切羽詰まった表情を浮かべているのだ。

 

 どこか焦っているような切迫した表情。何かを恐れるような眼差しで、ソラはじぃっと母を見ている。母が視線に気付いて振り返ると、ソラは慌てて愛想笑いを浮かべてみせる。なんというか、すごくすごく、挙動不審だ。

 何か言いたいことがあるのかと問いただしても、ソラはむぎゅっと口をつぐんだまま、頑固に「何もないよ」と言い張るのだ。一体何なんだ。

 挙げ句の果てには「ヒカルうるさい、皆が来るまでお部屋で本を読んでる」と言い切って、一人で自室に籠ってしまう始末だ。

 

「何がうるさいだ、心配してやってるのに……」

 

 思わず不貞腐れてそう呟く。僕の呟きを聞いていた父は苦笑を零した。

 

「まぁま、ソラだって悩みの一つや二つはあるだろう。そっとしてあげたら?」

「……でも、何だか顔色が悪い気もしたわ。上手く寝付けなかったのかしら」

 

 母がそっと首を傾げる。

 両親はそのまま「夢見が悪かった時の魔法薬でも渡してみる?」といった議題で話し込み始めた。僕は小さくため息をつく。

 ……夢見が悪かった、で、あのお気楽娘があんなに真剣な顔しないだろ。

 

 

 

 

 

 昼過ぎ、いとこ達が我が家を訪れた。

 ジェームズやアルバス、ローズやヒューゴ、リリー達に加え、テッドやアレクの姿もある。皆、僕の誕生日を祝いに来てくれたのだ。ありがたいことである。

 

 今日からクリスマス当日まで、いとこ達含めた親戚連中、それにシリウスおじさんら父の友人一行は我が家に滞在することになっている。この時期は大抵こうやって、誰かの家に集まって過ごすのが常だ。

 基本は持ち回りでそれぞれの家にお世話になるものの、安全面で我が家に勝る場所は他にない。そのため我が家はちょくちょくこうして皆の溜まり場になっている。ま、必要に応じて父がこうして家を拡張してくれるから、狭くはないのだけれど。

 

 アレクは来てくれはしたものの、どうやら風邪を引きかけているらしくケホケホと咳き込んでいたので、大事をとって早々にベルフェゴール邸へと戻ることとなった。もちろん、泊まりも無しだ。

 本人はユークおじさん譲りの整った顔を歪めて「ぼくは大丈夫なのに」と訴えていたが、僕もユークおじさんと同意見だ。病人はとっとと帰って休んだ方がいい。

 アレクは風邪などを滅多に引かない分、休み方をよく知らないのだ。来年ホグワーツに入学するというのに、こんなんで大丈夫なのかと少し心配になる。そう言うとアレクは胸を張って「ホグワーツにはヒカルがいますから」とドヤ顔をした。

 ……オイオイ、まさかコイツ、グリフィンドールにまで来るつもりじゃないだろうな? ベルフェゴール姓がグリフィンドールに入るだなんて、そんなことを知っちゃドラコおじさんが卒倒しそうだ。めちゃくちゃ面白そうなので、アレクには是非是非頑張ってグリフィンドールの門戸を叩いてもらいたいものである。

 

 アレクがユークおじさんに連れられて渋々と退出して行った後、ナイトが片手を上げて近付いてきた。

 

「やぁ、ヒカル。お誕生日おめでとう、今年もあなたの誕生日を祝えたことを誇りに思うよ」

 

 ……驚いた、NEWT(いもり)の勉強で来ないかと思っていたのだが。あぁ、でも先日の図書館で、今日は来られそうなどと言っていたのだっけ。そう、ソラに強請(ねだ)られる形で……。

 

「悪い、ソラの奴のワガママで、わざわざ来てもらうことになっちゃって」

煙突飛行粉(フルーパウダー)があれば一瞬だし、ヒカルが気にすることはないよー。それよりヒカル、いくつになったんだっけ?」

「十四」

 

「あれ、まだ十四歳なんだ!」なんて、ナイトは大袈裟に驚いてみせる。……そーだよ、まだ十四で悪いかよ……チェッ。

 

「違う違う、いつもヒカルは落ち着いてるから、大人びて見えるだけでさぁ?」

「ハイハイ、サンキュー。誕生日だからって無理に持ち上げてくれなくっていいってば」

 

 なんつーか、歳の差くらいはどうにかして埋まらないものかなぁ……ハァ。

「別に無理ってわけじゃ……」とナイトはぶつくさ言うが……この小柄な体格のせいで、いつも歳より幼く見られがちなのだ。悔しいったらない。かろうじてまだアルバスより背は高いものの、アルバスが成長期に入ったら終わりな気がする。歳下の従兄弟に身長を抜かれるのは、結構堪える……。

 ふと見たナイトがどこか不安そうな顔をしていたので「どうした?」と尋ねたところ、ナイトは意を決した顔で口を開いた。

 

「……ねぇ、ヒカル。あたし、ソラに嫌われるようなことしたのかも……」

「は? ナイトが? ありえないでしょ」

 

 親戚に男子が多いせいか、まるで姉のようなナイトに対し、ソラは驚くほどに懐いている。ソラがナイトを嫌うはずもない。

「いやぁね、でも……」とナイトは口ごもりながら、先ほどソラに声を掛けようとした時の出来事を教えてくれた。何でもナイトと目が合ったソラは、慌てて逃げるように去って行ってしまったのだという。

 

「ナイトの勘違いじゃないの?」

「そんなわけないよ。だってこれまでのソラは、あたしを見たら絶対駆け寄ってニコニコして、小動物みたいにぴょんぴょんしてるのが常なのに……ソラがあたしを見たら逃げるなんて……えぇぇマジでつらくなってきた、泣きそう……」

 

 ナイトが嘘みたいに落ち込んでいた。普段滅茶苦茶慕われている分、避けられてみると想像以上にダメージが大きいらしい。

 

「ふぅん……」

 

 ……どうも、僕の勘が言うとおり、朝からソラの様子がおかしいのは事実のようだ。

 ホールの中をぐるりと見回し、ソラの姿を探す。するとハリーおじさんに何やら話しかけているのが見えた。その顔は、久しぶりに伯父に会えて嬉しいといった顔ではなく、何やら悩みを抱えている顔だ。

 

 ナイトに「ちょっと見てくる」と言い残し立ち上がる。ハリーおじさんとソラが話している近くにまで来ると、二人の話し声が聞こえてきた。

 

「……最近闇祓いを狙う存在に心当たりはないかって? ソラ、どうしてそんなことを聞きたがるんだい?」

「そ、れは……」

 

 ソラが言い淀む。

 ……闇祓いを狙う存在? どうしてソラが、そんなことを知りたがる?

 一体何の話だろうと耳を澄ませたその瞬間、唐突に背後から声が掛けられた。

 

「何してんの?」

「ひっ!? ……あ、アルバス……」

 

 慌てて振り返る。アルバスはきょとんと目を瞬かせていたが、少し離れた先にハリーおじさんとソラが話しているのを見ては、どこか不機嫌そうに眉を寄せた。

 

「……父さんったら。クリスマス休暇に帰ってきた息子に掛ける言葉はないクセに、ソラに構う時間はあるのかよ」

「まぁ、ハリーおじさんも忙しい人だから……」

「でも、アキ教授だって忙しい人じゃないか。でもちゃんと、ヒカルやソラに目を掛けてる。父さんとアキ教授は兄弟だっていうのに、この差は一体何なのさ?」

 

 アルバスはぷりぷり怒っている。

 ……うぅむ、何と声を掛けてあげるべきなのか。何を言っても、今のアルバスには着火剤になってしまう気がする。困ったぞ。

 

「あー……きっと、ハリーおじさんもこんなバタバタしている場所で話すより、じっくり落ち着いた場所で話をしたいんじゃないか? アルバスも、ハリーおじさんに積もる話もあるだろう?」

「ないよ。父さんに話したいことなんて、一個も」

 

 アルバスは頑なだ。……これはムキになってるな。

 どうしたものかと考えあぐねていたところ、ハリーおじさんの元に魔法省から連絡が入ってしまったようだ。ソラに手を上げ、ハリーおじさんはホールから退出していく。ハリーおじさんの後ろ姿を見ながら、ソラとアルバスが同時に肩を落とした。

 ……さて、こいつは困ったね……。




久しぶりのヒカル視点でした。しばらくヒカル視点が続きます。ソラ視点だと暗くなっちゃうので……ヒカル視点でないと出てこない情報にもご注目ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第42話 長夜の仲裁-γ

 その夜。

 夕飯を食べ風呂に入った後、僕らは男子組と女子組にそれぞれ分かれ部屋に戻った。今年はテディが不在(ガールフレンドであるビクトワールと一緒に過ごすらしい)、アレクが風邪でいないから、今回の男子組は僕、ジェームズ、アルバス、ヒューゴの四人となる。

 子供達が部屋に引っ込んでからは、大人達は恒例の宴会をするらしい。ホールがある階下から聴こえる楽しそうな笑い声に後ろ髪を引かれながらも、僕は男子組の皆を部屋へと追い立てた。

 

 夕飯の間も、ソラの様子は相変わらず不審だった。一応ローズにそれとなく「ソラの様子が気になるから見ておいてほしい」と頼めば、ローズは自信満々に「任せておいて!」と請け負ってくれた。

 流石はローズ、ハーマイオニーおばさんの性格を色濃く受け継いでいる分、こういう時は物凄く頼りになる。一応、同じグリフィンドールの後輩でもあるからな。

 

 ……それに加えて、アルバスのことも気にかかる。

 ソラとはまた違った感じで、夕飯時のアルバスも挙動不審だったのだ。とは言えアルバスについては心当たりが無くもない。十中八九、ハリーおじさんとのことだろう。

 ハリーおじさんも忙しい人だからなぁ……。今日も昼間に少し顔を出して以降、戻ってきた気配はない。ジェームズは既に慣れっこで、特段気にする素振りはないものの、やっぱりアルバスが気にしているようなのだ。従兄弟としても、この親子には早いとこ関係修復してほしいところだ。

 

 ──さて。

 たくさん遊んでクタクタになり、更にお腹いっぱい夕飯を食べたからだろう、ヒューゴなどは既に目がトロンとしている。そんなヒューゴを顧みることなくジェームズは「ヒカル、勝負しようぜ」と目を爛々と輝かせてチェス盤を取り出すものだから、僕はもう頭が痛くなってしまう。

 ……ハァ。きっと今頃の女子部屋は、ソラとローズとリリーの三人で寝ながら楽しくお喋りでもしているのだろうな。男子部屋の喧騒をお裾分けしてやりたい気分だ。

 

「ヒューゴ、眠いのなら無理せず寝ろ。ジェームズ、僕ももう眠いから、フルで一戦は無理だ」

「寝たくない……だって、ジェームズ達楽しいことやるもん……」

「楽しいことしないから。ジェームズ、チェスじゃなくてゴブストーンならいいぞ。ヒューゴ、お前ゴブストーン嫌いだろ。だから安心して寝ろ、な?」

「えぇー! ゴブストーンかよー!」

「嫌なら寝ろ。……アルバス、お前も起きてるなら加わるか?」

 

 ヒューゴの背を撫でつつアルバスを振り返る。アルバスは相変わらずの不機嫌そうな仏頂面で「うるさいな、いいってば」と首を横に振った。

 あぁそう、と僕は軽く頷く。興味のない人を無理に誘うこともない。アルバスは「……ふん」と口をへの字にしてそっぽを向いた。

 しかし、それを見たジェームズは険しい顔だ。「おいアルバス」と目を吊り上げ腰を浮かす。

 

「ヒカルが折角誘ってやってんのに、なんだその態度は」

「ジェームズ、僕はいいから。本人が嫌だってんだから放っといてやれよ」

「いいやヒカル、分かってない。アルバスをあんま甘やかすな。おいアルバス、いつまでそんな構ってちゃんな仏頂面下げてんだ? お前がそうやってムスッとしてるから、つられてみんなも気を遣うんだ。言いたいことがあるのなら、はっきり言ったらどうなんだ?」

 

 ジェームズの言葉は、いつも率直で容赦がない。アルバスはキッと眉を吊り上げ立ち上がった。

 

「かっ……黙って聞いてりゃ勝手なことばっか言いやがって! だって、だって全部、父さんが悪いんだ!」

「ハ? 父さんの何が悪いんだ、言ってみろ」

「だって……っ、だって父さん、スコーピウスと離れろって言いに来たんだ! 自分がスコーピウスの父親と仲が悪いからってさ、バッカみたい!」

 

 へぇ、と僕は少し驚いてしまう。ハリーおじさんと何かがあったなとは思っていたが、そんなことが起きていたのか。

 ジェームズは軽く片眉を上げたものの、ほとんど表情を変えずに「だから?」と突き返した。てっきり今ので言い負かせたと思っていたであろうアルバスは「……え?」と驚いた顔をする。

 ジェームズは淡々と口を開いた。

 

「お前が父さんに怒っている理由は分かった。だがお前がそうやって不機嫌を周りに撒き散らすのは道理が合わないだろ。アルバス、ヒカルがお前に何か酷いことしたのか? お前に対し、何かムカつくことでもしたのかよ?」

「それは……違うけど……」

「だよな。じゃあなんで、お前の機嫌の良し悪しを僕ら周囲が察してやんないといけないんだ。どうしてヒカルに八つ当たりをする。父さんに対する怒りを周囲に転嫁しようとするな」

 

 低い声でジェームズは言う。アルバスはうぐっと顔を歪めた。その緑の目に、みるみる涙が溜まっていく。

 ……ジェームズの言葉は正論だ。

 でも、だからこそ、アルバスの逃げ場がなくなってしまう。

 

(ジェームズも、()()()()()()あえてアルバスの逃げ場を潰して追い込もうとしてるし)

 

 これが天然か計算かはイマイチ掴めないものの、こういう面があるものだから、この男(ジェームズ)は怖いのだ。

 ジェームズは続ける。

 

「それに、アルバス。父さんにとってドラコ・マルフォイがどういった人物なのか、お前も知らない話じゃないだろう? 父さんにとってドラコ・マルフォイと言う男は、いつだって自分の悪評をばら撒く嫌味な天敵だったんだ。そんな男の息子が、自分の息子と親しく付き合ってるんだ。そんなの、物言いたくなるのが親心ってやつじゃないの?」

「…………っ」

「スコーピウスがお前に近付いたのだって、父親からの指示かもしれない。父さんを陥れるための、何らかの策があるのかもしれない。そうやって父さんが警戒するのは至極もっともだと僕は思う」

 

 アルバスはくしゃりと顔を歪めた。ジェームズを睨みつけながら声を震わせる。

 

「何も……何も、スコーピウスのこと知らないくせに……! 父さんもジェームズも、僕らのこと何も知らないくせに、勝手なことばっかり言って!」

「当たり前だろ、お前は自分達のことを何も話してないじゃないか。何も話してないのに、よく分かってもらえると思えるもんだ。自分だけが全ての不幸を背負い込んでるみたいな態度を止めろって言ってんだよ」

「……だから……いつも、ジェームズはそう……っ」

 

 アルバスが奥歯を噛み締める。アルバスの瞳の奥に怒りが揺らめいたのを見て、ジェームズは軽く身構えた。

 ……ここでアルバスとジェームズが取っ組み合いの喧嘩を始めたら、絶対面倒臭いことになる!

 そう直感し、僕は咄嗟に二人の間に割り入った。

 

「やめろ、アルバ……っ」

 

 ヒット、直撃。

 振りかぶったアルバスの平手は、止めようとした僕の手を外れ、僕の左頬にクリーンヒットした。悲しいかなクソザコ運動神経。拳じゃなくて平手だったのがまだマシか。衝撃に思わず膝をつく。

 

「えっ、あっ、ヒカル!? ごめっ……」

 

 僕を叩いたと理解したアルバスは、怒りから一変驚きの表情を浮かべた(こっちは想定通り)。

 立ち竦んだアルバスに代わり、ジェームズは僕に駆け寄ると、その顔を瞬時に怒りに染め上げた(こっちは想定外)。

 

「ヒカル大丈夫か!? おいっ、アルバスいい加減にしろよ!!」

 

 怒鳴り声を上げるジェームズを「ヒューゴが起きるから!」と慌てて黙らせる。青ざめていたアルバスは、ジェームズの怒声にヒッと息を呑むと、そのまま部屋から走り去ってしまった。

 

「待てって、アルバス!」

 

 叫ぶも、時すでに遅い。

「あんな奴ほっとけよ!」と噛みつくジェームズに「放っておけるわけないだろ!」と怒鳴り返し、僕は急いで廊下に出ると、アルバスを探しに駆け出した。

 

「クソ、あいつ、どこ行った……!?」

 

 完全にアルバスの姿を見失い、僕は廊下の真ん中で立ち尽くした。

 今の我が家はクリスマス仕様の特別版。普段の十倍は広い屋敷の中、人一人を探し出すのは骨が折れる。

 一番いいのは、ホールでまだ宴会をしている大人達を使っての人海戦術なのだが……アルバスとジェームズのいざこざを無闇に広めるのは気が進まない。事を荒立てたくないのだ。

 でもこのままアルバスが見つからないとなると、その手段を取らざるを得なくなるし……アルバスに変なところに入り込まれると厄介だし……。

 

 ううむと悩みつつ、うろうろとアルバスを探しながら、ひとまず階下に降りてみた。ホールからはまだ楽しそうな大人達の賑やかな声が聞こえてきている。

 困ったなと腕を組んだその時、ホールの大扉脇から父の声が聞こえてきた。

 

「……あぁ、うん、そう。ありがとうアリス、助かるよ……」

 

 スマートフォンを耳に当てているから、電話中のようだ。電話の相手はアリスおじさんだろうか。父の口調は気さくで気兼ねがない。

 その時、父が周囲に視線を向けた。弾みで父とばっちり目が合ってしまい、ウワと思わず声が零れる。

 僕を見て目を瞠った父は、軽く眉を寄せ手招きした。肩を竦め、大人しく近付いていく。

 

「ごめん、ヒカルが来たからまた……え? あぁ……ヒカル、代わろう。アリスがヒカルにハッピーバースデーを言いたいそうだ」

「えっ、アリスおじさんが?」

 

 お、それは嬉しいサプライズだ。父からスマートフォンを受け取り、嬉々として耳に当てる。

 アリスおじさんは直接挨拶ができなかったこと、また日付が変わるギリギリの時間になってしまい申し訳ないという謝罪に加え、僕の今後一年の平穏と幸福を祈る言葉と、ついでに『子供は早く寝ろ、背が伸びなくなるぞ。まぁお前の親父は早く寝てても大して伸びはしなかったが』などというお小言を寄越してくれた。

 うう、耳が痛い。小柄な両親を持つ以上、高身長は望めそうにないのだ。なんでだろうなぁ……。

 

 ともあれ、僕もアリスおじさんにお礼の言葉を述べて、父にスマートフォンを返した。父は電話口に一言二言告げた後、通話を切ってスマートフォンを懐に仕舞う。

 

「アリスおじさんと何を話してたの?」

「うん、ちょっと諸連絡をね」

「諸連絡?」

「ナイトから聞いてない? このクリスマス休暇で北欧に行くとかなんとか。あれ、私がアリスにお願いしたことなんだよね。あいつも忙しいのに快諾してくれて、本当にいつも助けられっぱなしだよ」

「あぁ……」

 

 そう言えば、そんな話だったか。

 せっかくのクリスマス休暇にどうしたのだろうと思ってはいたが、アリスおじさんが父の頼みを断るわけもないからな。仕方ないと言うべきなのだろう。

 

 頭の片隅でそんなことを考えていると、ふと父は身を屈めては、僕の顔を覗き込んだ。

 

「ところで、その頬はどうした? 腫れてるけど」

「え? あっ……」

 

 アリスおじさんとの電話で気を取られてすっかり忘れていた。思い出すと再びズキズキと痛んでくる。

 ……流石に誤魔化し切れないか。アルバスの件もあるし、ここは思い切って情報を開示しよう。

 

「……ジェームズとアルバスがケンカしちゃって。ま、名誉の負傷ってやつ?」

「名誉の負傷ならしょうがないかぁ。治そうか?」

「お願い」

 

「任された」と父は柔らかに微笑み、僕の頬に手を翳した。軽く指を鳴らすと、痛みと熱はすぅっと引いていく。

 

「ありがとう。……そういや、このくらいじゃお守りは発動しないんだね」

 

 手首に嵌まった父のお守りを示す。

 アルバスの平手を『攻撃』と見做されるのではと、少し心配していたのだ。結果としては杞憂だったようだけど、制作者が父という時点で警戒してしまう。だから、普段から付けるのは嫌なんだ……今だってリドルさんに釘を刺されてなかったら付けてなかっただろう。

「なんだ、そのことか」と父は苦笑した。

 

「流石に、そのくらいの喧嘩で発動するようなヤワな仕組みにはしてないよ。取っ組み合いの喧嘩くらいは想定範囲だ」

「本当に? 良かった……」

 

 ホッと胸を撫で下ろした。従兄弟や友人達の凄惨な姿は、万が一にも見たいものではない。

「まぁ、魔法攻撃だとそうはいかないかもだけど。平手で済んで良かったね」という不穏な父の呟きは無視することにした。

 ……父が僕らにお守りを持たせたもう一つの理由、分かった気がする。こうして『喧嘩した相手が危ないかもしれない』と思わせることで、僕らが好奇心で危ないことに首を突っ込まぬよう抑止力としているのだ。何ともいやらしい人だと思う。

 

「……あ。あと、アルバスが部屋を飛び出しちゃったんだ。父さん、探せたりする?」

「居場所かい? 少し待ってて……」

 

 父が杖を振ると、霧のようなふくろうが四羽飛び出した。父の守護霊だ。そのままふくろうは四方に飛び去っていってしまう。

 ……守護霊の同時召喚、それも四体も? 父はサラッとやるけど、本当は大事(おおごと)のはずなんだよな。相変わらず怖い人だ。

 

「……ありがとう、父さん」

「どういたしまして。守護霊達が戻るまで待ってる?」

「待ってる。僕が迎えに行ってあげた方がいいだろうから」

「そう。なら少し待っていようか。それとも、宴会にちょっとだけ顔を出してく?」

 

 父は笑みを浮かべて、楽しそうな声が漏れ聞こえるホールを指差した。

 ……そのお誘いはとても心惹かれるのだけれど、如何せん眠たい。日付が変わる間際になると、抗えないくらい眠くなるのだ。

 

「いや、いいよ。長くなりそうだし……そうだ、一個父さんに聞きたいことがあるんだけど……聞いていい?」

「私に答えられることであれば、どうぞ」

「闇祓いを狙う存在について、心当たりはある?」

 

 父は目を瞠って僕を見下ろした。その口元からは笑みが消えている。

 腹の底まで見透かす視線。でも、たじろいではいられない。

 しばらくじっと僕の目を見つめていた父は「……ふむ」と呟き口元を押さえた。

 

「興味本位……ではなさそうだね」

「うん。日刊預言者新聞での記事は一通り把握してる。その上で、闇祓い上層部や父さんくらいしか持ってない情報を知りたいんだ」

 

 どうもここ半年ほど、闇祓いの周囲がきな臭い。逆転時計(タイムターナー)を密造したとして捕縛されたセオドール・ノットといい、たびたび報じられる闇祓いの襲撃事件といい、なんだろう、不穏な雰囲気を感じる。

 

(……いや……不穏なのは、闇祓いだけじゃなくって……)

 

 ホグワーツも、不穏さで言えば負けてはいない。

 父に関する捏造写真が出回ったり、父を中傷する張り紙が撒かれたり。大事になっていないだけで、本年度は何かしら、息苦しい事件ばかりが続いている。

 

(そして、その中心にいるのは、いつも──)

 

 僕の視線を知ってか知らずか、父は虚空を眺めて目を細めた。

 

「……そうだね……今、元死喰い人の動きが活発なんだ。以前ヴォルデモートが率いていた頃の残党が、新たに寄り集まって動き出している。ヒカルの問いに答えるとするなら、闇祓いを狙う存在とはつまり『かつての死喰い人の残党』ということになるのだろうね」

「死喰い人の残党が? ……でも……」

 

 一瞬納得しかけたものの、よく考えると何だかおかしな話ではないか?

 上手くは言えないが、だって──そもそも死喰い人(デス・イーター)は、ヴォルデモートあっての組織のはずではないか?

 ヴォルデモート亡き今、何を以てして同じ旗に寄り集まろうとするのだろう?

 

 考え込む僕を眺めつつ、父は口を開いた。

 

「……『オーグリー』」

「え?」

「あぁ、ヒカルは魔法生物飼育学は取ってなかったっけ。なら、知らなくても無理ないかなぁ」

 

 父の物言いに、思わずプライドが刺激されてムッとしてしまう。

 ……授業で習っていないから知らないかも、だって? 嫌な言い草だ。ソラや父ほどではないにせよ、僕だって本から知識を得るのだが。

 

「……そのくらい知ってるよ。オーグリー、天気予報鳥だろ。その独特な鳴き声から、かつては不吉の象徴と忌み嫌われていたものの、今じゃ雨が近付くのを教えてくれる鳥として飼ってる家庭も多いっていう」

「お、なんだ、知ってたの。流石、勉強熱心だね」

 

 ……父に褒められるために勉強しているわけではないのだけれど。

 一瞬口を尖らせそうになるものの、父が続けた言葉に、ぼくは思わずぽかんと口を開けた。

 

「今の死喰い人は、そのオーグリーを軍旗としている。死喰い人を率いている(なにがし)は、周囲から()()()()()()と呼ばれており、身体の何処かにオーグリーを模った刺青(タトゥー)を入れているらしい。ここまでが、今分かっている状況だ。……何、その顔は?」

 

 僕の顔を見て父が苦笑する。僕は慌てて口を閉じた。

 ……正直、そこまできちんと教えてくれるとは思っていなかった。ある程度の部分で流されるとばかり……。

 

「今のはかなり中核の話だから、決して他人に話してはいけないよ」と釘を刺す父に、神妙に頷いた。そりゃ頷くさ、だってこの情報、恐らく機密事項なんだもの。

 

「……その……聞いておいて何なんだけど、よく教えてくれたね?」

「ま、ヒカルはね。好奇心で無闇に首を突っ込まれる方が厄介だから、知的好奇心はある程度満たしておきたいんだよね」

「……なら幣原秋のことを、とっとと教えてくれてもいいじゃない……」

 

 どれだけ我慢して調べないようにしてるか、父は思いもよらないだろう。

 その時ちょうど、父の守護霊がアルバスの居場所を見つけたと戻ってきて、話は一時中断となった。

 

 

 

 

 

 階段下の物置に、アルバスはいた。膝を抱えて俯いていたアルバスは、僕の姿を認めては涙を零して抱きついてきた。

 嗚咽混じりで謝罪の言葉を連ねるアルバスを宥めて、二人で部屋に戻ると、ジェームズは既にベッドの中で毛布を被り背を向けていた。どこかホッとした顔のアルバスがシーツを被るのを見届けた後、僕も布団に倒れ込み、夢も見ぬまま泥のように眠りに就いた。




アルバスとジェームズのボタンの掛け違え感。アルバスがハリーから逃げるのを、ジェームズはきっと許さないのでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第43話 クリスマス・イブ-γ

 翌朝。僕は、朝日と共に目覚めたヒューゴに襲撃されて目を覚ますこととなった。

 昨夜ぐっすり眠った分、今日のヒューゴはばっちり元気でご機嫌だ。僕は眠い……ヒューゴが僕を起こしたのは、僕がいつもこのくらいの時間に起きてくることを知っての上ではあるのだろうけど、昨日いろいろあって夜更かしした分、睡眠時間が足りない……。

 

「ヒカル、ホラ見て! 雪ヤバい! 雪合戦しよ!」

「うん……朝ごはん食べてからな……」

 

 窓辺から見える一面の雪景色にテンションMAXなヒューゴをあしらいつつ、二人で爆発スナップなどしてジェームズとアルバスが起き出す時間まで待った後、朝食のために男子組全員で階下のホールに向かう。

 先にヒューゴと二人で朝食をとりに向かってもよかったものの、部屋に残されたジェームズとアルバスが万一ケンカを始めたらと思うと……面倒が勝った。何にせよ、朝っぱらから誰かと誰かがいがみ合う姿は好んで見たいものではない。胃がもたれる。

 

 起きたジェームズとアルバスは、二人仏頂面で黙りこくっていた。朝食の最中も口をきく様子がないものだから、女子組と共に降りてきたソラはギョッとした顔をした。

 

「ねぇ、どうしたの? 何かあった?」

「夜、ちょっと部屋でな……」

 

 そろそろと尋ねてくるソラに肩を竦める。ソラはジェームズとアルバスを見て「あぁ……」と小さく声を漏らした。

 ジェームズとアルバスの間に漂う空気は最悪だったものの、何も知らないリリーが二人の間に座って朝食を取り始めたことで、張り詰めていた空気は少しだけ緩んだ。

 

 一足早くに朝食を終えたヒューゴは、待ちきれないとばかりに駆け寄ってきた。

 

「ねぇヒカル、早く行こう! 雪が溶けちゃう!」

「そう簡単には溶けないから。ヒューゴ、ちょっと待って……」

 

 紅茶を流し込みながらもごもごと答える。

 僕らのやり取りが耳に入ったか、ソラの隣にいたローズが「どうしたの?」と身を乗り出し尋ねてきた。ヒューゴが雪合戦を楽しみにしていることを告げると、ローズは目を輝かせて手を打ち鳴らす。

 

「それじゃあ朝ごはんを食べた後、皆で雪合戦でもやりましょうよ!」

 

 

 

 

 

 雪合戦といっても、単に雪玉を相手に投げつけるだけの遊びではない。

 何せここは魔法界だ。未成年魔法使いは学校の外で魔法を使うことが許されていないとは言え、魔法道具や悪戯道具はその限りではない。爆発スナップを雪玉の中に仕込んだり、ゴブストーン入り雪玉で相手の嗅覚を攻撃したりと、戦術は様々だ。おまけにロンおじさんやシリウスおじさんがたびたび参戦したり野次を飛ばしたりしてくるものだから、思わず戦いにも熱が入る。

 

 一通り遊んで、ふぅと僕はベンチにもたれた。

 ジェームズとアルバス、ヒューゴとリリーはまだキャッキャと雪玉を投げ合い遊んでいる。身体を動かすことで、ジェームズとアルバスの間に漂っていた空気もほぐれてきたようだ。先程よりも笑顔が気安いものに変わってきた。

 

「ソラは寒そうにしてたから、部屋の中まで送ってきたわよ。このまま外にいたら風邪引きそうだったし」

「あぁ、ありがとう、ローズ」

 

 再び庭へと戻ってきたローズは、そう言いながら僕の隣に腰を下ろす。

 

「ヒカルの言う通りね。ソラ、何か変だわ。何か悩み事でもあるのかしら?」

「あのお気楽娘が悩み、ねぇ……」

 

 あんなに普段のほほんとしている妹が、一体何を悩んでいるというのだろう。謎だ。

 ローズはぱちぱちと目を瞬かせた。

 

「恋でもしたんじゃない? あ、兄としては複雑だったり?」

「別に……というか、そういう恋バナこそ女子会で話題になるやつだろ。何も聞いてないのかよ」

「そう言われると、無かったわ」

 

 そうですか。

 まだ遊んでいる面々を眺めつつ、ローズは「アルバスとジェームズの様子も気になるし……」と小さくため息をついた。

 

「昨夜は、結構派手にぶつかった感じ?」

「まぁ、まぁ……分かりやすいくらいには荒れてた?」

「二人がというよりは、ヒューゴがね。……あの子、周りの空気が良くないと感じ取ると、目に見えて甘えたり構ってほしそうに纏わりついたりしてくるのよ」

「なるほど、そういうことか……」

 

 ……しかし、困ったな。

 昼からは買い出しと家の準備と、子供側も二手に分かれるのが常なのだ。いつもは男子組が家の準備、女子組が買い出しに行くものの、今はなんとなく、ソラからもアルバスからも目を離したくはない。

 かと言って僕一人で、ジェームズとアルバスが言い合うのを止めるのも限界だし……うーん。

 

 僕の呟きをあらあらと聞いていたローズは、突如ニコッと微笑み身を寄せた。

 

「ねぇヒカル、私がジェームズとヒューゴを引き受けましょうか」

「え?」

「今年は特別、よ。ソラやジェームズと交渉してあげるわ。さっきやんわりとソラに聞いたら、ソラは買い出しに行きたいって言ったの。私がジェームズとリリーとヒューゴと一緒に家仕事をするから、ヒカルはソラとアルバスを連れて、アキ教授と買い出しに行ったらどうかしら」

「……そりゃありがたいけど、何が狙いだ?」

 

 なんだか、やけにローズの愛想がいい。少し警戒しつつ尋ねると、ローズはにんまりと笑った。

 

「ソラの好きな人より、今はヒカルの好きな人が気になるわ」

「は?」

「誤魔化しなさんな。ねぇ、一体誰なの? ヒカルの好きな人の情報と引き換えなら、今日の苦労を引き受けてあげる。アキ教授と一緒にお出かけできる権利を放棄してるんだから、そのくらいの見返りはないとね」

「はっ? えっ、ちょっと、え?」

 

 どうしていきなりそんな話に? というか、えっ? 一体どこからそんな話が出てきた?

 混乱する僕に構わず、ローズはぐいぐいと僕に身を乗り出してくる。ちょっと、やめなさい。おい、異性の膝の上に跨ろうとするな、はしたない。

 

「待て、ローズ、やめろ……離れろって! 人が気付く!」

「ヒカルが教えてくれるってんなら、引いてあげるわ」

「く……分かった、分かったから! だから引いてくれ!」

 

 にっこりと微笑み、ローズはやっと僕の上から引いてくれた。……あぁ、もう、心臓に悪い……。

 

「……ローズ、他の奴にもこんな距離感を許しちゃダメだぞ。すげぇ心配になる」

「あら、いとこ同士なんだからいいじゃない」

「いや、僕とローズはいとこ同士じゃないだろ……」

 

 ローズはロンおじさんとハーマイオニーおばさんの子だ。ジェームズやアルバス達とはともかく、僕やソラとはどこをどう辿っても血は繋がっていない。

 そう言うと、ローズは「そうだったっけ。ま、対して変わりないでしょ」としゃあしゃあと言ってのけた。全く……。

 

「それよりも、ヒカルの好きな人よ。ほらほら、あなたはまさか一度発した言葉を違えはしないわよね?」

「……まぁ……、ハァ……」

 

 一体どうしてこうなった。

 眉間に寄る皺を押さえつけながら、目をキラキラと輝かせているローズに小さな声で耳打ちする。僕の言葉を聞いたローズは、大きく目を見開いては口元を押さえた。

 

「えっ、えっえっ!! そうなの、ヒカル、そうなの!? 嘘じゃないわよね! こんなしょうもない嘘をつく人じゃないものね!」

「声が大きい……ローズ、いいか、絶対に人に言うなよ。絶対に。じゃないと呪うからな」

 

 きゃあきゃあと一人ではしゃいでいるローズに釘をココンと刺す。ローズはこくこくと頷いたが、口元はずっとにやけていた。頭が痛い……。

 

「ね、ね、ね、他に誰が知ってるの? ジェームズは?」

「ジェームズは知ってる、つーか、その、何か気付かれて……他の奴は多分、知らないと思うんだけど」

「ほぉぉ〜、さすがジェームズ……いやー、ヒカル、そうなんだなぁ……そういうことなんだぁ……」

「…………」

 

 いつまでもからかう視線を向けてくるローズの額を、一発べしんと叩いて立ち上がる。「いったぁ!?」とローズは大袈裟に悲鳴を上げて額を押さえた。

 

「やかましい。僕はちゃんと教えたんだからな。交渉の話、忘れんなよ」

 

 じろりと睨む。ローズは額を押さえたまま「任せといて!」ともう片方の親指を立てた。

 

 

 

 

 

 ローズが任せといてと言うだけあって、アルバス達には既に水面下で話が回っていたようだ。昼過ぎには揃ってソラとアルバスと共に、ホグズミードへと出発することになった。

 ソラは戸惑った顔で「いつもと違う……」と呟いていた。そりゃそうだ。

 

「ローズも何か企んでるようだったし、ねぇヒカル、何かあった?」

「いや別に。たまにはいつもの組み合わせを変えてみたいと思っただけ」

 

 やたらと尋ねてくるソラにきっぱりと言う。

 ……嘘は言っていないからな。

 

 ソラは「そう……」と言っては何か考え込んでいたものの、積もった雪に足を取られてすっ転んだ。「ひゃあっ」と情けない声を上げて雪に突っ込んだソラを見て、アルバスが慌てて助け起こす。

 何やってんだとため息をついたその時、少し離れた場所から弾んだ声が聞こえてきた。

 

「アルバス? アルバスじゃないか! こんなところで会えるなんて……、……ソラ、どうしたの? 大丈夫?」

 

 通りの向こうから駆け寄ってきたスコーピウスは、アルバスに引っ張り起こされているソラを見て戸惑ったような苦笑いを浮かべた。やっとこさ立ち上がったソラに歩み寄っては、鼻先についた雪を払ってやっている。

 

「待ちなさいスコーピウス、どうし……た……」

 

 スコーピウスを追いかけて、後からすぐにドラコおじさんが走り寄ってきた。ドラコおじさんは、アルバスと親しげに話しているスコーピウスに目を剥いた後、僕らと一緒にいる父を見つけては狼狽した顔をした。

 やがて我に返ったドラコおじさんは、バツが悪そうに頬を掻きつつ父に笑いかける。

 

「……やぁ、アキ。会えて嬉しいよ……いや何、その、本当にスコーピウスとアルバスは仲が良いのだなと驚いてしまって……」

「やぁドラコ。ふふ、見られてよかったね。今日は買い出しに?」

「あぁ。アストリアへ贈る花を買いに、な。彼女は花が好きだから。お前はアクアに花を贈らないのか?」

「花かい? それは贈ったことないなぁ。だってアクア、あまり花に興味なさげだから」

「確かに、あいつは花を愛でる趣味は持っていないが、以前スミレだけは好きだと言っていたぞ」

「……は? なんでドラコがそんなこと知ってんの?」

「お、幼馴染だからだ! 他意はないから本気(マジ)顔でにじり寄ってくるな!」

 

 ……父とドラコおじさんも、なんつーか、いつも通りって感じだなぁ……。

 

 ソラとアルバス、スコーピウスは、三人で和気藹々と笑い合っている。ほのぼのとした空気を感じ、僕はそっと息を吐いた。

 ……気にしすぎ、だったのだろうか。

 いつもと様子が違うソラを深読みしすぎた。こんなんじゃシスコンの(そし)りは免れまい。相も変わらず『仲良し兄妹ね♡』のような目を向けられ続けるのは不本意なのだ。

 

(……、でも──)

 

 その時、ソラの肩がびくりと大きく跳ねた。そのままソラが勢いよくこちらを振り返ったので、僕は思わずびっくりしてしまう。

 ……いや、僕じゃない。怯えすら滲むその瞳は、僕を透かした、その背後を────

 

 

「──あら、アキ。こんなところで、奇遇ですね」

 

 

 艶のある、それでいて気品ある声。人の心をするりと掴む、万人に好かれそうな聞き取りやすいその声に──

 しかし、僕の妹は、冷たい雪玉を背筋に流し込まれたかのように身震いをした。

 

「デルフィー!」

 

 アルバスが、熱の籠った弾んだ声を上げる。スコーピウスはソラを見て、どこか気遣わしげな顔をした。

 その人物──デルフィーニ・リドルに対し、父は朗らかに挨拶をした。

 

「デルフィー、こんにちは。買い出しかな? 学校の様子はどう?」

「特に変わりなく、順調ですよ。悪戯っ子達がいない分、普段よりずっと楽ちんです」

「そう。それは良かった」

 

 言いながら、父がどこか面白がるような視線を僕に向けてくる。違うでしょ父さん、その目はジェームズに向けるべきだよ。僕はどこをとっても品行方正な優等生なんだから。

 にっこり笑ったデルフィーは、ドラコおじさんを見て軽く頭を下げた。

 

「それに、ドラコおじさまもお久しぶりです。お元気そうで何よりですわ」

「あぁ、私も君の活躍は聞いてるよ。大変な中よく頑張ってるそうじゃないか」

「ドラコ、彼女と知り合いだったんだ?」

「あぁ、少しな。どうも、両親が以前目を掛けていたとかで」

「へぇ……」

 

 何故かは分からないものの、父の声音がほんの僅かに変わったのが分かった。顔を向けず、耳に意識を集中させる。

 

「なら、彼女の学生時代とかも会ったことがあるんだ? 知らなかったなぁ」

「そうだ。屋敷で何度か顔を合わせたことがある」

「そういや昔、ドラコはダームストラングに転校したいって言ってたっけ。あちらに縁者がいたりするのかな?」

「そんな昔のことをよく憶えているものだな……あれは、その、当時の気の迷いというか、私もまだガキだったんだ。蒸し返すんじゃない。でもそうだな、あちらには……」

 

 その時、デルフィーが子供達を見下ろした。目線を近付けるように腰を屈め「こんにちは、アルバス、スコーピウス、ヒカル、ソラ」と微笑みを浮かべるのに、思わず注意もそちらに向かう。

 ハキハキと挨拶を返した皆に合わせ、ソラは握っていた拳を開くと微笑んだ。

 

「こんにちは、デルフィー。こんなところで会えるなんて、なんか嬉しいな」

 

 その声は実に自然で、僕は軽く目を瞠った。同じく一瞬驚いた顔をしたデルフィーは、すぐさま艶やかな笑みをソラへと返す。

 

「あら、ソラにそう言ってもらえるなんて、私も嬉しいわ。実は今日、クリスマスプレゼントを用意しに来たの」

 

「えっ、ソラにだけ?」と零したアルバスに「アルバスにも、みんなにも、ちゃんと用意してるわよ」とデルフィーは優しく微笑んだ。

 

「君、まさか受け持った生徒全員にこうしてプレゼントをしているのか?」

「えぇ、ドラコおじさま。だって、私が初めて受け持った生徒達ですもの。何かしたいんです」

「はぁ……よくやるな。頭が下がるよ」

 

 ドラコおじさんは苦笑する。

 そこで、ソラは笑みを浮かべたまま、デルフィーに一歩近付いた。

 

「ねぇ、デルフィー。あの()()()は、一体何だったの?」

 

 日記帳? と、僕はきょとんと目を瞬かせた。

 ソラは一体、何の話をしているのだろう。

 デルフィーも一瞬、面食らったように息を呑んだ。

 

「……言ったでしょう? あなたとは、仲良くなりたいの」

 

 美しく引かれた口紅が、彼女の口元で弧を描く。

 目を細めてソラを見たデルフィーは、なんとも妖しげに微笑んだ。

 

「私からのメッセージ、どうか受け取ってもらえると嬉しいわ」




「好きな人」で盛り上がるヒカルとローズ、あまりにも微笑ましい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第44話 クリスマスプレゼント-γ

44 クリスマスプレゼント-γ

 

 ──これまで二度、クリスマス含む数日を迎えてみて、わたしは思ったことがある。

 

(……お父さんはどうして、クリスマスの日に家にいないのだろう)

 

 ──だってそうじゃない?

 父がいたら、状況は諸々変わったと思うのだ。

 だって父は『英国魔法界で最強の魔法使い』だ。襲撃の原因や犯人など、分からなかったことがもっと早く分かるのではないだろうか? それどころか、闇祓いの襲撃自体も────

 

(流石にそれは無理かもだけど……でも、お父さんさえ、いてくれれば)

 

 どこか祈るような、そんな救いを求める気分で、わたしは寝静まった部屋をそっと抜け出る。

 外はまだ薄暗く、夜明けはまだ先だ。それでも眠気は襲ってこなかった。

 

 少しの間廊下を歩き、やがて灰色の扉の前に辿り着いた。この扉は煙突飛行ネットワークに繋がっていて、ホグワーツを始めとしたあらゆる場所にあっという間に行くことができる。

 十中八九、父はこの扉を使ってホグワーツに向かうはずだ。であればこの場所で見張っていれば、きっと父を捕まえられる。

 

「はぁ……」

 

 わたしは壁にもたれかかると、膝を抱えて座り込んだ。

 上着か毛布を持ってくればよかったなぁとふと思うものの、今から取りに戻るのは面倒が勝つ。部屋に戻ったタイミングで、もしもローズかリリーが目を覚ましでもしたら……言い訳を考えるのには骨が折れそうだ。

 

 ──そのまま、待って。待って。待って。

 空の山ぎわが僅かに明るくなり始めた頃、うとうとしかけていたわたしの耳に声が届いた。

 

「ソラ?」

「……ん……」

 

 うっすらと目を開ける。わたしの顔を心配そうに覗き込んでいた父は、目を開けたわたしにホッと肩の力を抜いた。

 

「どうしたの、こんなところで。寒かったでしょ?」

 

 言いながら父が指を鳴らすと、どこからともなく毛布が降ってきた。毛布を広げた父は、そのままわたしの身体を優しく包み込む。

 

「……あ、ありがとう、お父さん……」

「どういたしまして。……ごめんね、父さんもう行かないと。ソラも早く部屋に戻るんだよ、風邪引いちゃうからね」

「あっ……待って!」

 

 踵を返そうとする父の袖を、わたしは慌てて掴んだ。「ん?」と、父は緩く首を傾げてわたしを見返す。

 

「う、えっと、その……お父さん、こんな朝早くに、どこ行くの?」

 

 ……時戻りのことも、『夢』のことも、今はうまく伝えられる自信がない。

 迷った挙句、わたしはそんな質問を絞り出した。

 

「学校だよ。ちょっと緊急の用があるって呼ばれちゃってね、行かないと」

「……緊急の用って、何……?」

 

 父の袖を強く掴み直す。父は少し困った顔をして「ソラが気にするようなことじゃないよ」と言った。

 

「だって、だって、気になるんだもん……ね、ねぇ、今日はクリスマスなんだよ? 家族で過ごすことより、大事なことってあるのかな……?」

 

 ……無理を言っていることは承知している。

 でも、それでも、わたしは引けない。

 

 父は膝を折り、わたしと視線を合わせた。

 

 ──あぁ、ダメだ。

 この目は、駄々っ子を宥める目だ。

 

「寂しい思いをさせてしまってごめんね、ソラ。なるべく早く帰ってくるようにするし、この埋め合わせは必ず……」

 

 ──違う。

 違う、違う、違うのだ。

 

「……もし、もしも、お母さんが今日危ない目に遭うかもしれないって知ったら、それでもお父さんは行っちゃうの?」

 

 わたしは駄々を捏ねているのではないと分かってほしい。

 どうかわたしの言うことが、重要で、耳を貸す価値のあるものだと分かってほしい。

 父は割と、人の話に耳を傾けてくれる人だと信頼はしているものの────

 それでも、どうか、子供の戯言だと聞き流さないで。

 

 ……母のことを出せば、父は家に留まってくれるのではないかと期待した。

 父が母のことを心の底から愛しているのは公然の事実だ。愛する人が危険な目に遭うかもしれない、そんな未来を示唆すれば、あるいは──と、思ったのだ。

 

 父は表情から笑みを消した。

 

「……アクアが危ない目に?」

 

 少し考え込む素振りを見せた父に、わたしは言い募る。

 

「ねぇ、どうかお願い、お父さん……今日は良くないことが起こる気がするの。だからどうか、ここにいて……行かないで……」

「ソラ、いいかい」

 

 父の右袖を掴むわたしの手を、父は左の手で掴んだ。その手の感触は硬く、否が応でも義手であることを思い起こさせ、わたしはギクリと背筋を伸ばす。

 わたしの目を真っ直ぐに見据え、父は言った。

 

「私はホグワーツ魔法魔術学校の副校長、アキ・ポッターだ。ホグワーツの安全と秩序を守る義務がある。ホグワーツが脅かされている今、アクアへのまだ知らぬ脅威に(かかずら)っている暇はない」

「……え? そんな、」

「アクアは、君のお母さんは闇祓いだ。危ない目に遭うかもしれない? 当たり前だよ、そういう職業だ。その職業を選んだのはアクア自身だし、アクアだって百も承知だよ。それでも闇祓いという誇り高い職を選んだ。私は、そんな彼女を心の底から尊敬している」

「……じゃあお父さんは、お母さんよりもホグワーツの安全を選ぶの? お母さんが怪我をして病院に運ばれても、それでもお父さんは、ホグワーツの安全を優先するの?」

 

 混乱しつつもそう尋ねたわたしに、父は。

 

「そうだよ」

 

 と、はっきりと答えた。

 思わず目を見開くわたしに、父は淡々と告げる。

 

「自分で身を守る術を知っているアクアと、まだ未熟な未成年魔法使いが多く滞在しているホグワーツの安全。どちらを優先すべきかなんて、火を見るほどに明らかだ。愛故に優先順位を履き違えるなんて、そんなことはあってはならないから」

「…………っ、じゃあ、じゃあお父さんは! お母さんがお仕事で怪我しても、仕方ないって、当たり前だって、そう言うの?」

「そうは言ってない、ただ……ソラ、私は神様じゃない。私の力には限界があるし、何だって守れはしない。そしてアクアはもう私に守られているだけの無力な少女じゃないんだ。だから──」

「もういいよ、お父さんなんて、ホグワーツにでもどこにでも行ってしまえばいいじゃない!」

 

 脳天まで煮えたぎるほどの怒りを、生まれて初めて父に覚えた。

 視界が霞む。頭の芯がじんと痛む気がして、そんな痛みさえも怒りに変換される。

 

 ……わたしが、一体、どんな思いで時を戻してきたか。

 どんな思いで三度目の『今日』を迎えているのか、父は全く知りもしないで。

 

「……ソラ、やっぱり少し体調が悪いんじゃない? 寝不足だと良くないことを考えすぎてしまう。悪いことは言わないから、部屋でゆっくり休みなさ……っ」

 

 父の言葉を最後まで聞かないまま、わたしは毛布を剥ぎ取り父へと投げつけた。父は驚いた顔をしてわたしを見る。

 ……どうしてそんな顔するの。

 お母さんを見捨てるって、最初に酷いこと言ったのはお父さんでしょ。

 

(お父さんなんて、知るものか)

 

 お母さんよりもホグワーツの生徒達が大事だと言うお父さんなんて、知ったことじゃない。

 

(嫌い、嫌い、嫌い、お父さんなんて大っ嫌い!)

 

 目の端にじんわりと涙が滲む。この涙は悲しみじゃない。燃えたぎる怒りの発露に他ならない。

 唇を噛み締め涙を堪えたその時、どこからともなく銀色の霞が舞い降りた。父とわたしを隔てるように降り立ったその霞は、やがて猫の守護霊(パトローナス)となり、術者の声を響かせる。

 

『──アキ・ポッター、何をしているのです。あなたの力が必要な事態です、休暇中申し訳ないのですが、なるべく早く帰城するようにお願い申し上げます──』

 

 ……このピリッとした神経質な声は知っている。ミネルバ・マクゴナガル校長先生の声だ。

 父は軽く肩を竦めては杖を振り「Aye are(アイ・アイ)、校長先生」と守護霊を生み出し言葉を載せる。

 

「ソラ、本当にごめんね。でも……」

「か、勝手に行けばいいじゃない。お父さんなんて、もう知らない」

 

 父からふいっと顔を背ける。父は少ししょげた顔をしていたものの「……あとで話そう、いいね」と言い、ドアノブに手を掛けた。

 

「……お父さん、ひとつ聞かせて。お母さんより大事なホグワーツの危機って、一体何なの?」

 

 背を向けたまま問いかける。父は数秒黙った後、やがて静かに口を開いた。

 

「秘密の部屋が、どうやら再び開かれたらしい」

 

 

 

 

 

 父が扉の向こうに姿を消した後、わたしは足取りも重く、肩を落としてトボトボと部屋へと戻った。ローズとリリーはまだぐっすりと眠っていて、わたしは二人を起こさぬようにそうっとベッドに潜り込む。

 でも、毛布に包まっても眠気は全然やってこなくて。意識はどこかずっと鋭敏なまま、夜が明けるのを必死に待った。

 

(秘密の部屋が開かれた、のだとすれば、それは──)

 

 ……それは、確かに大変なことだと思う。

 父の前では決して言えなかったけれど──それでも、それでもほんの少しだけ──母よりも優先すべきことかもしれないと、あの時、わたしは確かに思ってしまった。

 

(い、いやいや。それでもわたしは、お母さんを助けるんだ)

 

 母も、ニンファドーラおばさんも。

 父が助けてくれないのなら、わたしだけの力でやり切るだけだ。

 内心で、静かにそう決意する。

 

 ──結局一睡もできないまま、わたしはローズとリリーが起きるのを待ってホールに降りて行った。

 ホールには個々人に向けたプレゼントの山が作ってあって、三度目ともなった今にしてみれば、既に見慣れた光景である。わたしはプレゼントの包装を解きつつ、母の訪れをじっと待った。

 

「お母さんからも、クリスマスのプレゼントがあるの。お父さんからのプレゼントは、お父さんが帰ってきた後の夜に受け取るといいわ」 

 

 やがてホールに降りてきた母は、そう言ってにっこりと笑った。

 

 母に促されて私室に入る時も、髪を梳かれ結われている最中もずっと気もそぞろだったわたしは、母に随分と心配されてしまった。「夢見が悪かったの」と全力で誤魔化すも、それでも母の表情は晴れない。

 

「……ねぇソラ。何か、あったの? よかったら、お母さんにお話してみて?」

「ほ、本当に何でもないの。ただ良くない夢を見て……どんな夢だったのかは、言いたくない……」

 

 ……夢。

 本当に、これがただの悪夢だったら良かったのに。

 

 その時、母の招集を告げる闇祓いの紙飛行機が室内に飛び込んできた。思わずビクリと身を震わせる。怪訝な顔で母が紙飛行機を手に取ったその時、部屋の外で誰かが階段を上ってくる足音がした。

 やがて、扉の向こうからニンファドーラおばさんが顔を出す。

 

「やぁ、アクア。急にごめんね。でも、君も招集を受けたでしょ? 折角のクリスマスに申し訳ないんだけど、我らが闇祓い局局長、ハリー・ポッター殿からの御命令だし、出られるかな?」

 

 いつも通りの気安い笑みに、気さくな口調。誰もが大好きなニンファドーラおばさん。

 ……絶対に、悲しい目になんて遭わせやしない。

 

「二人とも、行っちゃダメ……!」

 

 話す二人の間に割り込み、その手を強く掴んだ。二人は驚いた顔でわたしを見下ろす。

 

「いきなりどうしたの、ソラ? 行っちゃダメって言われても……こっちもお仕事だからね」

「お仕事でも何でも、絶対に行っちゃダメなの! 行くと、酷いことになる……!」

 

 思い出す。

 リーマスおじさんの蒼白な顔を。テッドの信じられないと言いたげの表情を。ヒカルの思いつめた横顔を。

 そして、こんな時でも一番色濃く脳裏に焼き付いているのは、やっぱりどうして、あの日の父の涙なのだった。

 もう、わたしはもう絶対に、二度と──二人が傷つく姿は見たくないのだ。

 

 わたしの言葉に、母とニンファドーラおばさんは顔を見合わせた。母は身を屈め、わたしと視線を合わせる。

 

「……ソラ、どういう意味?」

「……そのまんまの意味だよ。今日だけは行っちゃダメなの、どうしてもダメなの……どうかお願い……二人とも、ここにいて……」

 

 ただただ、心底希う。

 この手は、決して離してはならない。

 

「もう少し詳しく教えて、ソラ。それは今日、私達の誰がが危険な目に遭うと言っているの?」

 

 わたしを見据える母の目は、真剣だった。

 ──母なら、もしかしたら。

 

 「……そう、そうなの。今日、闇祓いが襲撃されるの。そこで、そこで──、だからお願い、行っちゃダメ!」

 

 ……母は、わたしの目をまっすぐ見たまま、こくりと頷き。

 

「……ありがとう、ソラ。そして────ごめんなさい」

 

 と言って、静かに立ち上がった。

 

 「………………、え?」

 

 見上げたニンファドーラおばさんも、母と同じ表情を浮かべていて。

 わたしは混乱した感情のまま、二人の顔を交互に見た。

 

「いいの? アクア」

「……えぇ」

「な……っ、どうして!? 行かないでって言ってるのに!」

 

 ──どうして、何が、前回と違うのだ。

 わたしの言葉の何が、母の琴線に触れなかったのだ。

 

 「……ソラ、よく聞いて」

 

 母はわたしの肩に手を当て、真剣な声で言う。

 

「……あなたが何を知っているのか分からないけれど。それでもね。『闇祓いが襲撃される』と聞いて、お母さんは……私は、行かないわけにはいかないの。……そこがどれだけ危険でも。危険を承知で行かなければならない。そこで傷つくかもしれない誰かを、守りに行かないといけないの。

 ……私は、お父さん(アキ)みたいに強くないわ。だから、ソラが心配する気持ちも分かる。それでも、ねぇ、それでもよ? 私は守られる人じゃなくて、誰かを守れる人でありたい。それが、今の私の矜持」

 

 母は小さな声でもう一度「……ごめんなさい、ソラ」と言い、わたしの肩から手を離した。

 

「……子供に親の思想を押し付けるのなんて、ずっと嫌だと思っていたのに。結局、私も同じなのね」

 

 そんな微かな一言を残し、母は俯いて部屋を出て行ってしまった。

 小さく息を吐いたニンファドーラおばさんは、わたしの顔を覗き込むと安心させるような笑みを浮かべてみせる。

 

「ソラはただ、お母さんを心配していただけなんだよね。大丈夫、その気持ちはお母さんにもちゃんと伝わってるよ。……あー、その、安心して? 確かに闇祓いは危険な職業だけど……それでも、ソラのお母さんは、あたしがちゃんと守るからさ」

 

 ……伝わらない、届かない。

 そんな気休めの言葉なんて、わたしは聞きたくなどないのだ。

 

 

 

 

 

 その後、夕方過ぎに、まるで予定調和のように家の電話が鳴った。

 恐る恐る取ったわたしは、受話器から聞こえてきた母の声に無事を知ってホッと胸を撫で下ろす。しかし続けられた言葉に、わたしはその場に凍りついた。

 

「……ジニーに代わってもらえるかしら? ハリーが襲撃者に襲われて……今も、意識が戻らないの」

 

 その一報の後、辺りはしばらく騒然となった。アルバスは愕然とした顔をしていたし、ジェームズも眉を顰めていた。リリーは周囲の剣呑な雰囲気に当てられて泣き出してしまい、ジニーおばさんに抱かれている。シリウスおじさんとリーマスおじさんがなんとか場を収めてくれたものの、二人の表情も強張っていた。

 

「ソラは、来るかい?」

 

 ハリーおじさんのお見舞いに行くかとリーマスおじさんに問われ、わたしは思わず首を横に振っていた。リーマスおじさんは強くは言わずに「お留守番を頼むね」とわたしの頭を軽く撫でた。

 

 皆が出払った後、わたしは自室で一人、膝を抱えて座り込んだ。

 

(……今度は、ハリーおじさんが)

 

 闇祓いを狙った襲撃事件。確かに、ハリーおじさんだって闇祓いだ。

 ……というか……さぁ。

 

「もう、どうすればいいんだろう……」

 

 ……母への襲撃を止めるという最初の目的は、一応果たされた……のかもしれないけれど。

 母に加え、ニンファドーラおばさんにハリーおじさんと、もうキリがない。

 

(でも……ここで諦めるってことは、ハリーおじさんを見捨てるってことになっちゃう?)

 

 そのことを直視すると、息が詰まる心地になる。

 ハリーおじさんだって大切だ。ハリーおじさんの襲撃を聞いた時の皆の顔を思うと、罪悪感が溢れ出す。

 ……本来ならば、そこで襲撃されるのはハリーおじさんではなかったのだ。

 そう思うと……。

 

 その時、廊下を歩く誰かの足音が聞こえてきた。その足音はわたしの部屋の前で止ま、……ったと思ったらそのままノックもせずに部屋の扉を蹴り開けたので、わたしは膝を抱えた体勢のまま、半ば呆然とその侵入者を出迎えることになった。

 というか、ヒカルだった。

 

 わたしがノックの重要性について思考を巡らせている間にも、ずんずんと部屋に押し入ってきたヒカルは、腕を組んだまま傲岸不遜に言い放った。

 

「おいソラ。お前が隠してること、今すぐここで全部吐け」

 

 ……はい? 




原初のプロットではアルバスとハリーをぶつからせるつもりだったのに、変えた結果ソラとアキがぶつかることに……どうして……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第45話 時戻りの標

 ──わたしもつい先日、ノックについては母に叱られた身なわけで。わたしだってたびたび忘れる分、人に文句は言えないのかもしれないけど。

 けどさ、けどさぁ?

 ノックを()()()しないのは、やっぱり咎められていいことだと思うんだよねぇ?

 

「おいソラ。お前が隠してること、今すぐここで全部吐け」

 

 部屋の扉を蹴り開けた(無礼!)我が兄、ヒカル・ポッターは、とんでもなく腹立たしげな不機嫌ヅラのまま、呆然と座り込むわたしに遠慮なく詰め寄ってきた。

 

「えっ? いや、何、えっ?」

「オラ早く言えとっとと言え、いつまで黙ってる気だ?」

「何をっ!?」

 

 なになになに、なんなのこの人? 何の話をしてらっしゃる? 今のわたしは誰かさんのせいで、ノックの重要性を考えることで忙しいんだけど?

 

 わたしが混乱している最中、ヒカルはチィッと舌打ちをしては(似合わない)、わたしと目線を合わせるように屈み込んだ。

 

「何を隠してる。この数日ずっと妙な振る舞いをしてるだろ。ローズも、ソラのことを心配してた。いい加減に話せよ」

「…………」

 

 話せと言われて、素直に話す人なんています?

 ──それに。

 

(……どうせ、言っても信じてくれないでしょう?)

 

 張本人であるわたしですら、自分の身に何が起きているのか分からないのだ。両親ですら上手く引き止められなかったわたしが、ヒカルにちゃんと説明できる自信がない。

 

 黙り込んだわたしに、ヒカルは大きなため息をついた。

 

「……ま、別にソラから聞く必要はないんだけど」

「え?」

「ねぇリドルさん。ソラとずっと一緒にいたんだよね? ソラに代わって、何が起きたか話してもらえる?」

「えぇっ、ここでリドルさんに聞くのはずるくない!?」

 

 わたしは思わず憮然としてしまう。

 ヒカルの呼びかけに応え粛々とその場に現れたリドルさんは、普段通りの綺麗な笑みで「やぁ、ヒカル。久しぶりだね」と微笑んだ。ちなみに、何故か今回もお人形のサイズだ。最近のリドルさんの中ではこのサイズが流行っているのだろうか。可愛いからいいんだけどね。

 

「リドルさん、なんでそんなサイズに?」

「気にしないで。それよりも、ここ数日ソラに起こった出来事について、だったか。ソラ、僕から話しても良いかな」

「……うぅぅ……もしわたしが『言わないで』って言ったら、リドルさんは黙っててくれる?」

「もちろんさ、ソラ」

 

 ……リドルさんの満面の笑みって胡散臭いから、なんだか逆に安心するんだよね……。

 なんて、冗談はさておき。

 ここまで来れば仕方ないと、わたしはこくりと頷いてみせた。わたしの肯定を確認し、リドルさんは口を開く。

 

「実は……」

 

 リドルさんは流石、説明が上手い。同じ経験をしたはずのわたしですら「なるほど確かに」と思うほど巧みに、必要なだけの情報を掻い摘んでヒカルに伝えてくれる。

 ヒカルもまさか、わたしがこんな経験をしてきたとまでは思ってもみなかったに違いない。これまでの三回分の時戻りの話を聞き切ったヒカルは「そんなことある……?」と頭を抱えてしまった。

 分かるよ、その気持ち。わたしも「そんなことある……?」の連続だったからね。でもあるんだからしょうがないじゃない。話せと言ったのはヒカルの方だ(話したのはわたしじゃないけどね)。

 

「闇祓いを狙った襲撃事件……まずは母さん、次にニンファドーラおばさん、そしてハリーおじさんまでも……お前、そんな秘密をずっと抱えてたわけ? はー……」

「……信じてくれるの?」

 

 恐る恐る尋ねた。リドルさんの〈説得〉技能が高かったのだとしても、ヒカルの物分かりが良過ぎる。

「そりゃ、」と言いかけたヒカルは、少し躊躇って「一旦は『そういうこと』だと呑み込まなけりゃ話が始まらないだろ」とため息をついた。

 

「お前の話が信じるに値するかはその後の話だ。それで……ソラは、これからどうするんだ?」

「どうするって?」

「また、時を戻すのか。それともこのまま明日を迎えるのか。どちらにせよ、決められるのはソラだけだ」

 

 ……それは、そうだ。

 でも、どうしよう……決めきれない。

 

 ハリーおじさんを助けたい。ううん、助けないといけない。わたしのせいで襲撃を受けたハリーおじさんを、わたしは見捨てることはできない。

 ……でも、もう打つ手がないのも確かなのだ。

 

 どうにかするためには、闇祓いの襲撃事件を止めなければならない。そうでもしないと、ハリーおじさんを助けたところで続く他の闇祓いが犠牲にならないとも限らない。

 母からニンファドーラおばさん、そしてハリーおじさんと、犠牲の螺旋が巡ったように。

 

 ──と、その時。

 

「時戻り、やろう、ソラ」

 

 そう発言したのは、他でもないリドルさんだった。

 

「やるべきだと、僕は思う。でないとこれまでのソラの奮闘が無になってしまう。僕はソラの隣で、ソラの頑張りをずっと見てきた。だからこそ思うんだ。君は幸せになるべき人間だと。このまま君が不幸なままでいていいなんて、僕は決して思えない」

「……だってさ。ソラは、どう思う?」

 

 ……わたしは。

 わたし、は────。

 

「わたし……もう、頑張れないと思って……わたしの言葉は、お父さんにもお母さんにも、うまく届かなくって……もう、つらくて、しんどくて……」

 

 ……でも。

 

「でも……その、一人じゃないなら……ヒカルが、いてくれるなら……わたし、もう一回くらいなら、頑張ってみようと思う……」

 

 それだけを言うのに、尋常じゃないくらいドキドキした。

 恐る恐るヒカルをチラッと見る。ヒカルは仏頂面のまま「そ。なら決まりだな」と腰を上げた。

 

「というか、時戻りってどうすんの? リドルさんも同行できてたし、ソラ以外の他人も行けるようなもの?」

「あ、うん……多分……」

 

 ……わたし、時戻りのタイミングはいつも眠っているからよく分からないんだけど……。

 しかしリドルさんが「あぁ、行ける」ときっぱり言うので、ヒカルは納得したようだった。……なんだか今日のわたし、リドルさんに助けられてばっかだなぁ……。

 

「ソラが眠りに落ちて少し経つと、黒い扉が現れる。そこで────……」

 

 と、リドルさんは言葉を切った。

 リドルさんの視線の先を辿ると、わたしの部屋の自室に漆黒の扉が現れていることに気付く。いつの間に……。

 その様子を見たリドルさんは肩を竦めた。

 

「……どうやら『睡眠』は必須の条件ではなかったらしい。ま、ご覧の通りだ。ここまで来れば論ずるより、やってみる方が簡単だろう。さぁ、ソラ」

 

 ……うぅ、促されると断れない。

 立ち上がったわたしは、人形サイズのリドルさんを抱きかかえつつ、恐る恐る扉に近付いた。

 漆黒の扉の表面は、まるでインク壺の中身のように波打つ艶があり、わたしの姿かたちを反射している。金色に輝くドアノブにおずおずと手を伸ばし、えいやと勢いをつけて押し開いた。

 

「……夢じゃ、なかったんだ……」

 

 ──眼前に開くは、夢の続き。

 地平線を(さかい)として、頭上に朝焼け、足下に夕焼けを戴く、常世の果て。

 

 扉の先は、夜の(とばり)が下りた紺青色の階段に通じている。思わずふらりと歩き出そうとしたわたしの手を、ヒカルは慌てて掴んで引き留めた。

 

「待て、ソラ。僕も行く」

 

 そう言うと、ヒカルはわたしの手を掴んだまま、慎重に階段へと足を乗せた。そのままゆっくりと体重を掛け、大丈夫なのを確認しながら両足を置く。

 その場で数歩足踏みをしたヒカルは、少し安心したようにわたしから手を離した。

 

 リドルさんを抱っこしたまま、わたしは階段を降りていく。ヒカルは、そんなわたしの数段後ろからついてきた。

 

「一体何なんだ、ここ……ソラは、この場所を知ってるのか?」

「うん。夢で、だけど……」

 

 とはいえ、わたしもこの空間が何なのかはさっぱり分かっていないので『知っている』かは微妙なところだ。

 

「ふぅん……夢で、ね。確かに夢のようなところだとは思うよ。綺麗だけど現実味がなくて、なんだか気味が悪い。……このまま、ずっと下っていくの?」

「う、うん。そう。大抵、いつもずっと下っていって……下り疲れた頃に、扉が……」

 

 あれ? と、言いながらわたしは首を傾げた。

 ……なんだか、何かを忘れている気がする。

 

 果てのない階段の最後に扉を見つけたのは、確か二度目と三度目の時戻りの時だったはず。

 えぇと……一番最初の時戻りでは、確か……。

 

(……確か、わたしは、あの時()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ────)

 

 その時。

 とん、と誰かが、横から強く、わたしの身体を突き飛ばした。

 

 この階段に手すりはない。突き飛ばされて後ろにたたらを踏んだ時、わたしの足元は既に奈落が広がっていた。

 

「……っ、ソラ!!」

 

 ヒカルが慌ててわたしの手を掴む。しかし、引き上げるまでは敵わない。

 ヒカルの身体も宙に浮いて、わたし達はそのまま落ちていく。

 

(……この空間でも、重力ってあるんだ……そりゃそうだ、普通に歩いていたもんね)

 

 そんな場違いなことを考えつつ、わたしは首を回すと、わたしを突き飛ばした人物を見上げた。

 

 艶のある短い黒髪に、紺青の和装。

 わたしと目が合ったその男性は、ニコリと温和に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ────深く、深く。どこまでも深く。

 落ち続ける最中、いつしか意識を失っていたわたしは、ヒカルに強く身体を揺さぶられて我に返った。

 

「おい、ソラ、起きろ!」

 

 耳元でヒカルが鋭く叫ぶ。慌てて目を開いた瞬間、

 

 

 ()()() ────と

 全身の毛が 逆立った。

 

 

 それは、腹の底から湧き上がる畏れ。

 理屈じゃない、論理じゃない。生き物としての本能が先に弾き出す。

 まさしく、痛いほどに。

 心の奥深いところが降伏する。頭蓋にぶち込まれる感覚に目眩がする。

 

 ぶわりと一際大きな風が吹いた。ヒカルがわたしを庇うように強く抱きしめた直後、わたし達は揃って魔力の渦に飲み込まれる。

 窒息しそうな濃い魔力の中、わたしとヒカルの手首に嵌まるお守りが、耐え切れずに弾け飛ぶのが見えた。

 ……嘘でしょ!? 父の渾身の作が、こんなにあっさりと!?

 

「……あれ? 君達、何か妙なの付けてるね?」

 

 その声は、何故か酷く聴き覚えがあった。

 やがて、魔力の渦が鎮まってゆく。立ち昇った煙幕が薄まった先に、人の影がぼんやりと見えた。

 

 母やニンファドーラおばさん、ハリーおじさんと同様の、足首まで隠す黒のインバネスコート。父ほどの体格に背丈。艶のある長い黒髪は一つに括られていて、魔力の奔流が収まった今も尚、()が纏う魔力の風に煽られ宙を舞っている。

 

「父……さん……?」

 

 わたしを強く抱きしめたまま、ヒカルは呆然と呟いた。

 ……いいや、違う。父ではない。

 この人は──父とよく似た、この人は────

 

「『父さん』? ぼくに、子供なんていたかなぁ?」

 

 穏やかで柔らかな声音。

 歳の頃は分かりにくいものの、恐らく父と同年代ほど。

 頑健とは言い難い、何処か線の細い体躯。

 それでも、彼の周囲に渦巻く強大な魔力が、何よりも彼が何者であるかを証明している。

 

「ぼくは英国魔法省魔法法執行部闇祓い局第一班班長、幣原秋」

 

 わたしの父によく似た彼は。

 別の名前を淡々と名乗り、軽く首を傾げてみせた。

 

「さて。君達、一体何者なんだい?」

 

 

 ──第一章『久遠の旅路、夏の亡霊 』fin.




幣原秋、満を持しての登場で、第一章完。
同人誌作業を行いたいため、1〜2ヶ月ほど間を空けて第二章を開始したいと思います。少々お待ちを!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。