幻のウマ娘Tさん (クソザコナメクジ)
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序章
1R:私、エンジョイします!


 私、駿川たづなの一日は角砂糖のひと摘まみから始まる。

 机の上に置かれた白磁器の小瓶。これは生徒の一人として、トレセン学園に在籍していた時から愛用している物だ。

 蓋を開ける。中には四角い砂糖の塊が詰め込んであった。その内、ひとつを摘まみ取って口に含んでみせる。

 

 少々はしたない気もするけども、紅茶や珈琲に溶かして上品を気取ったところで摂取する量に変わる事はない。それに料理が盛り付け方や食べ方で美味しさが変わるのであれば、この卑しい食べ方に背徳感という甘味を加える事ができるのだ。

 

 砂糖特有の甘ったるい味わい。

 これを口にすることが出来たなら今日も一日、頑張れる気がする。

 ふんす、と両手に握り拳を作る。

 

 先ずは身嗜みを整える。

 その為に顔を洗う、教職に関わっているので薄めのメイクを施す。

 歳も誤魔化せなくなってきた今日この頃、ヒトと比べればウマ娘の老化は遅いけども歳を重ねれば皺も増える。

 何時かメジロ家の当主のようになってしまうのかな。とか思ったり、思わなかったり。

 手に化粧水をたっぷりと注いで、目元の細かいところを鏡でチェックする。

 

「……あれ、若返ってません? というか幼くなってます?」

 

 とりあえず何時もの癖で両手に化粧水を馴染ませた後、恐る恐ると頬に触れてみる。

 

「も、も……もっちりしてます……っ!?」

 

 困惑しながらも、もっちもっちと肌の感触を楽しんだ後、あわわ、と充電器に差しっぱなしのスマホを手に取った。

 型は数世代前に使っていたものになっている。立ち上げる、画面にある日付は過去に遡っていた。この年は確か、ライスシャワーが二度目の春の天皇賞を取った時のものだ。

 駄目だ、頭が混乱している。

 もし仮に本当に過去に遡ってしまったのだとすれば、何故こんなにも中途半端な時代なのか。兎にも角にも情報を集める為にスマホを操作する。

 パスワード画面、駄目だ。今使っているものでは解除できない。

 

「ええと、この時期のパスワードは確か……よし、開けました!」

 

 初期画面、大量の着信履歴が残されているのを確認する。

 それは身慣れない名前だった。でも知っている、見覚えのある電話番号を見た私は確信を以て電話を返す。

 若干、繋がるのが遅い。何度目かの通話音、唾を飲み込んでジッと待った。

 そして相手が電話を取る、音が鳴った。

 

「あ、良かった! 理事ちょ……!」

『たづなー、遅いぞーっ! もう終わってしまった!!』

 

 電話越しであったが、その聞きなれた声の調子に安堵する。

 まだ現状を把握しきれていないが、とりあえず理事長が口にした事の確認が先だ。

 

「理事長? また何かやらかしたのですか?」

『い、いや!? 否定ッ! 今回、私は何もしていないぞ!!』

「……では、終わったとは一体なんの事です?」

 

 レースだ! と理事長が食い気味に答えた。

 

『昨日……というか、今、こちらは深夜なんだがな!?』

「昨日? 深夜? ちょっと待ってください。レースに出走してたのですか? 理事長は今、何処にいらっしゃるのですか?」

『ああ、そうだ! 学園は大丈夫なのか!? 私が居なくてもちゃんと機能しておるのか!?』

「落ち着いてください。私もまだ何が起きているのか分かっていないんです」

 

 弾力のある頬をもっちもっちと触りながら、掛かり気味の理事長をどうどうと窘めた。

 

「理事長は今、知っていることはありませんか?」

『不明ッ! ……わからぬ、何もわからないのだ』

 

 威勢の良い声が鼓膜を貫いた後、それは力ないものへと落ち込んでいった。

 

『気付いた時にはドーヴェルにおったし、レースに出走する事になっていた。幸いにも肉体が若返っておったからレース自体に問題はなかったが……しかし、過去に戻るとしても時期が中途半端だッ! 私が現役だった時期は、もっと昔だったはずだろうッ!? この頃にはもう私は日本でトレセン学園の理事長をやっているではないか!』

 

 どうやら彼女も私と似た状態に陥っているようだ。

 とにかく、この理解し難い現状を共有できる相手が居るというのはありがたい事ではある。

 早く顔を合わせて、この状況への対応を……いや、ちょっと待って。

 

「理事長は今、フランスに居るのですか!?」

『肯定ッ! そう言っておるだろう!? ちなみにレースには勝ったぞ!』

「勝ったんですか!? いや、理事長の戦績を考えると不思議ではありませんが……!」

『うむッ! まだまだ肉体は若いが経験が違うな。相手を1バ身差で抑え込んだ見事な勝利だった!』

 

 たづなにも見せてやりたかった。と快活な笑い声がスマホから発せられる。

 理事長が勝ったという事は……えっと、本来の歴史とは結末が変わってしまったって事ですか?

 タイムパラドックス? これって非常に拙い事なのでは?

 

「歴史、壊れちゃいますねえ……」

『はーっはっはっはっ! 僥倖ッ! 私は日本のウマ娘競技を改革し続けたウマ娘だ。歴史のひとつやふたつ、壊してなんぼ……ああッ!?』

 

 どうやら理事長も何をしでかしたのか気付いたようだ。

 

『た、たづな~! 私、もしかしてとんでもないことをしてしまったのではないか!?』

 

 その理事長の涙声を耳に入れつつも暫し考え込んだ。

 宇宙という壮大な規模で考えれば、理事長の一勝なんて大した事ないのかも知れない。歴史の修正力という言葉もある。メイクデビューの一勝程度、歴史という大河を前にすれば些細な話。しかし、その些細な事がきっかけでこれから先の未来が大きく変わっていく事も考えられた。

 ……いや、それ以前に今のトレセン学園は誰が理事長をやっているのでしょうか?

 

「理事長。すみませんが一度、切らせて貰います」

『な、何故だ!? 私を一人にしないでくれ! 知らぬ土地に一人で寂しいのだ!』

「理事長の故郷ですよね?」

『故郷はカナダだがな! まあ仕事以外で外に出れなかったし、国籍も日本に変えてたし……』

「今のトレセン学園の理事長が誰かなのか調べてみたいと思います」

 

 素直に理由を伝えると「そうか。うむ、そうだな」と理事長は自分に言い聞かせた後で「承知」と短く告げる。

 

『それは私も気になることだ』

「はい。後でかけ直します」

『任せたぞ、たづな』

 

 彼女の支えたくなる小柄な姿を思い浮かべて、はい。と力強く頷いてみせた。

 

 通話を切る。検索サイトを駆使して、トレセン学園のホームページを開いた。

 そこから更に幾つかのページを巡り、理事長の顔写真が貼られているページに辿り着いた。

 栗毛の髪色。しかし、理事長……いや、秋川やよいが持つ特徴的な白い毛並みはない。

 

 名前は、大国さくら。秋川やよいとは別人だ。

 

 私は無言でスマホを操作して、私を待つ彼女に掛け直す。

 もう彼女は理事長ではない。

 秋川やよい、と呼んでも良いものか。

 

「理事長、お待たせしました」

『おお、思っていたよりも早かったな! それでどうだった!? ちゃんと私は理事長をやっていたか!?』

「……別の方がしておられるようでした」

 

 私の言葉を聞いた後、そうか。と妙に落ち着いた声が返って来た。

 

『承知ッ! トレセン学園が回っているのであれば、それで良い!』

「……理事長は、それでも構わないのですか?」

『構わぬ! 生徒を混乱させるような事態になっていない事さえわかれば十分だ!』

 

 そういって彼女は軽快に笑ってみせた。まるで先程まで取り乱していたのが嘘のようだ。

 そんな彼女の声を聞いて、少し寂しくなった。漸く事態が呑み込めてきた気がする。

 彼女と一緒に築き上げてきたトレセン学園が、今はない事が無性に悲しく感じてしまった。

 

『して、たづな。これからどうする?』

 

 急な問いかけに、私は咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。

 

『私は直ぐに日本に戻れそうにない。ヨーロッパを中心に競走ウマ娘として活動するつもりだ』

 

 もう私達が知っている歴史ではないようだからな。と彼女は告げる。

 

『たづなも現役でやり残したことはあるのではないか?』

「別に……そんなことは……」

『私にはある! 凱旋門賞に出走したい! キングジョージにも出走してみたい!』

 

 それから、と彼女は優しい声色で続く言葉を口にする。

 

『フランスを代表するウマ娘として、ジャパンカップに出走する』

 

 それは強い意思を込められた言葉でもあった。

 

「……理事長にできますか?」

『不服! これでもフランスのGⅠウマ娘、不可能という程ではあるまい!』

 

 理事長の戦績は、GⅠウマ娘という括りの中では地味な部類に入る。

 圧倒的な実力を持っていた訳でもない、能力を発揮できなかった訳でもない。

 それでも彼女は自信たっぷりに笑ってみせる。

 その無根拠な自信が私は好きだった。

 

「なら理事長秘書として私が出迎えないといけませんね」

 

 何時でも誰かの為に全力を出せる貴女だから、私は傍に仕えて支えたいと思った。

 実際に、ずっと仕えてきた。

 

『やっぱり私の隣には、たづなでないとな!』

「偶には理事長に立てて貰うのも悪い気がしませんね」

『はッ! その時は世界の走りを教えてやるぞ!』

 

 再開の約束も程々に、幾つかの決め事をしてから通話を切る。

 

 もう大丈夫。迷いはなくなった、遠慮する必要もない。

 既に歴史は壊れており、守るべき歴史は失われている。

 

 どうして今の状況が生まれているのか分からない。

 超現象過ぎて、解明の取っ掛かりすら見つけられない。

 分かっている事は──私達が居なくても、きっと元居た世界のトレセン学園は上手く回る。

 それは理事長が海外出張に行った時、樫本理子が理事長代理を見事に勤め上げられた点から証明されていた。

 私達の存在が必要ないと言っている訳ではない。

 ただ、私は、私達が思う程にトレセン学園は弱くない、という事だ。

 

 だから、あの世界のトレセン学園の心配をする必要はない。

 元の世界に戻りたい、という想いはある。でも、それは今すぐでなくても良い。

 帰る手段が見つかれば、その時に考えれば良い。

 少なくとも、この世界には、あの理事長が居てくれている。

 

 ノーザンテースト。通話履歴に残された彼女の名を、秋川やよい。と打ち直す。

 

 私、駿川たづなは、この世界をエンジョイする事に決めました。

 これでもし何かしらの不都合が起きたとして、誰に責任があるのかと問われれば、こんな風に私達を過去に送り込んだ神が悪いと言い張ってやる。

 一人のウマ娘、トキノミノルとしてトゥインクル・シリーズを荒らす事を決めました。




大国さくら もしかして:テスコボーイ


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2R:選抜レース

 今は理事長ではない秋川やよいとの通話を切った後、先ず最初に私がした事は情報収集だった。

 ウマ娘に関する情報を調べれば、今の世代は分かる。今年はタヤスツヨシが東京優駿を優勝していた事を知り、マヤノトップガンを輩出した年だと知る事が出来た。中央トレセン学園の沿革などを大雑把に調べ上げた後、私は身の回りの事に手を付ける。部屋の間取りは学生寮と同一のものであり、私が現役だった時代の内装を雰囲気だけ模している感じがあった。

 壁には制服が掛けられており、ポケットの中を弄ると財布と学生証、それに通帳と銀行カードが入っている。

 

 通帳に記載された数字は20万円、それなりに貯金があったんですけどね。とホロリと涙が零れそうになる。

 学生証には撮った覚えのない証明写真。やっぱり若い。もっちりした頬に手を触れて、若返った事にムフフと笑みを浮かべる。この世界に来て、良かった事の一つには、間違いなく肌の艶が出た事だ。まだ肌のケアもしていないのに、この艶と張り。若さとは素晴らしいものです。前世ではマルゼンスキーと共に独女同盟を組んだ事もあったけど、なんだかんだでモテていたアイツは何時の間にか結婚して私の事を裏切った。ブーケトスで私の方に放り投げなかった事は今も鮮明に覚えている。

 さておき、学生証に記載されている私の学年は中等部の1年目。今は8月だ。トゥインクル・シリーズのメイクデビュー戦は中等部2年目の8月頃から始まる為、準備期間は丸一年となっている。

 

 座学は……赤点を取らない程度なら問題ない。

 トレセン学園での自分の立ち位置はいまいち分かっていないが、在学生であればトレーニングに不自由する事もないはずだ。私は東京優駿で脚をバキバキに砕いた事で競走能力を喪失した。ウマ娘の全速力は時速60キロメートルを上回る。その衝撃を受け止める二本の脚に掛かる負担は凄まじいものとなり、完治し切れない古傷持ちの脚で全力を出そうとすれば簡単に砕けてしまうのだ。

 故に競走能力喪失、日常生活に不自由する事はないので問題はないのですけど。

 ……私は、私の才能を知っている。私の脚に秘められた可能性を知っている。故に私は速くなる事よりも先に私自身の力に耐えられる丈夫な脚を作る事を目的にする必要がある。

 これを怠ってしまったから無敗三冠の栄光は、幻となって消えてしまった。

 

 だから、今回は徹底的に鍛え上げる。

 あの時よりも知識もあるし、精神的にも成熟している。ちょっと卑怯な気もするけども結局、最後にモノをいうのが己の脚だ。

 伊達に10戦10勝という記録を打ち立てちゃいない。

 他のウマ娘を叩き潰す事を遠慮する奴が勝負の舞台に立つべきではない。

 

 それはそれとして、私は転校生という扱いをうけていたようで、なんというかまあ随分と都合の良い立場となっていた。

 

 12月。

 久々のレース、トントンと脚の爪先で地面を叩いた。今日は晴天の良バ場で絶好のレース日和だ。

 肌にピリピリとした空気を感じ取る。それもそのはずで今日は年4度ある選抜レースの4度目だ。……トゥインクル・シリーズは中等部の2年目8月から開始する。今はまだ1年目の12月、トゥインクル・シリーズに参加するだけならば、来年の8月までに見つければ良い。しかしレースに勝とうとするならば、それでは遅いのだ。才能のあるウマ娘が3月に開催される1度目の選抜レースでスカウトされているのに、12月のこの時期になっても自分を担当するトレーナーを見つけられず、まだチームにも所属できていない切羽詰まったウマ娘が己の人生を賭けて本レースに挑んでいる。

 今年中にトレーナーを見つけられるかどうかが分岐点、選抜レースは回数を重ねるにつれて勝ち上がり率は極端に減少する。

 

 だから皆、必死なのだ。ある意味で普通のレースでは感じる事ができない緊張感があった。

 だが、この空気に飲まれることなかれ。トレセン学園に在籍する生徒の数は2000名程度、その全てを踏み台にして頂点に立とうとするウマ娘が、こんなところで躓いている訳にはいかない。係員の指示に従ってゲートに入る。大きく息を吐いた、全身の力が抜く為に軽く体を揺すってみせる。程よい緊張感は力になる。気負う必要はない、代わりに覚悟する。

 全員の心を折っても良いという覚悟、全員足蹴にしてでも勝ち上がるという決意。誰も彼もが本気で挑んで来てくれるから、それを返り討ちにするのが楽しいのだ。

 

 私がトゥインクル・シリーズを引退したのは、脚の怪我によるものだ。

 骨が折れても走り続けた結果、私は東京優駿をレコードタイムで走り抜けた。

 そして現役を続行することが出来なくなって引退した。

 

 だから入念に脚を解す必要がある訳で──ガシャコン、と音が鳴った。

 

「…………あら?」

 

 視界が開けた、周りのウマ娘が芝を駆け出した。

 ゲートに残されるのは私一人。数秒、茫然と眺めた後に慌ててゲートから飛び出す。

 走る前から5バ身以上の差、大丈夫。まだ大丈夫、まだ挽回できます!

 

 数十年ぶりに走ったレースの一歩目は、ほとんど記憶に残っていない。

 

 

 先頭の景色は、気持ち良いです。

 発走直後は先頭を取らせまいと競って来た子も居たけども、なんだか鬱陶しかったのでギアを上げて突き放した。煩わしいので視界に入って欲しくもないし、後ろに付かれるのも嫌だ。なんなら足音だって立てて欲しくない。

 私は走る事だけに集中したい、私だけの世界で何時までも走っていたいと思っている。

 

 余計なものが何もない景色を見つめながら、ただ走り続けるだけで私は幸せになれる。

 

 あまりレースは好きじゃない、煩わしいものばかりなので。

 走るのは好きだ、走ること以外はしたくない。だから走るだけで仕事になることをしようと思ったらレースだった。

 幸いにも私には走る才能があったようで、その道に進む事に弊害はなかった。

 

 レースは好きじゃなかったので、選抜レースは全てぶっちして走っていたらお叱りを受けたので仕方なしに今日はレースに出る。

 流石にトゥインクル・シリーズに出走できないのは本末転倒だったので、仕方なしに承諾した。

 そして今、先頭の景色は譲りません、とぶっちぎりで駆け抜けている。

 

 もう前だけを見つめていれば良い。

 このトラックコースは、誰も居なければ走るのに最高の環境だと私、サイレンススズカは思います。

 

 

 初っ端から全力に等しい速度でハナを取りに行った頭の可笑しいウマ娘が居た。

 楽に行かせるのも癪だったので少し競り掛けてみたけども、スパートを仕掛ける勢いで前に出たので、これはもう駄目だと思って大人しく先頭を譲る事にした。共に逃げを打って、共倒れしてもバカらしいデス。それでも悠々と一人旅をさせるつもりもなかったので、何時もよりもハイペースを維持したまま2番手に付けている。

 先頭のあの子はもう息を切らしていてもおかしくないのだけど、速度を緩める気配はない。尻尾を左右に振りながら上機嫌に走っている姿を見ていると少し不安になる。本当に落ちてくるのですか? 少なくとも、この選抜レースは1200メートルの短距離で。

 ちょっと距離を詰めていかないと不味い気がする。

 第3コーナーから第4コーナーへ、距離を詰めようと速度を上げたが先頭との距離は縮まらない。

 まさか、あんな逃げを打っておいてラストスパートの準備をしている?

 気付いた時にはもう遅い。逃げて差す、いつぞやのスーパーカーが見せた走りと同じことを彼女はした。

 それでも、ただで負けるやるつもりなんてない。

 ワタシはタイキシャトル。この東洋の島国へドリームを掴むのデス!

 最後の直線。全力で駆け抜ける為に芝を踏み締めた瞬間、背後から強烈な存在感を感じ取った。

 

 

 出遅れ直後。兎に角、前に追いつく事だけを考えていた。

 1200メートルという短距離戦だった事もあり、兎にも角にも全力で走り続けてなんとかコーナーに入る前に最後方まで追いつけた。そこから更にまだコーナリングの甘い他のウマ娘の内の内を駆け抜けて、最短距離で先頭との距離を詰める。先頭を見る、今日の面子は確認できてなかったけど、随分と軽快に飛ばしている。

 このままでは追いつけない。と、コーナー途中からのロングスパートに切り替えた。

 

 レースでは、勝利と呼べるのは1着だけです。

 惜敗も、惨敗も等しく敗北であり、だからこそ博打のような真似をしてでも勝利をもぎ取る必要があった。

 残り150メートルでバ群から抜け出した。

 

 しかし更に前を行く二人のウマ娘。しっかりとしたレース運びを見て、流石にあの出遅れからは勝てないのを察する。

 

 それでも、ただ負けてやるのは癪だったので2番手の子を背後から追い立てた。

 比喩表現として、ケツをしばいた2番手の子は煽られるように速度を上げたので、このままケツをしばき倒せば先頭にも届くかも知れないと思って全力で追い立ててやった。すると残り50メートルのところで影を捉えた。思っていたよりも届くのが早い、そこでふと1番手を走っていた子が勝利を確信したのか手を抜いている可能性に気付いた。

 気に食わなかった。だから2番手を走る子のケツを蹴り上げるつもりで気を放ってやる。

 

 ゴール板を駆け抜ける。最後は二人の横並び、私は1バ身差の3番手だ。

 スタートした時から全力に近い速度で走り続けて、コーナーで速度を上げた後にスパートまで仕掛けた。もう疲れ果ててしまって、トレーナーとかどうでもよくなった。幸いにもスカウトは前二人に集中している事もあり、そそくさとコースを退場する。

 負けてしまった。別に前も練習で負けた経験はある。その時は年上が相手だったけど。

 別に公式じゃないから良いのですが、なんというか……これは、

 

「……物凄く癪に触りますね」

 

 レースで誰よりも疲弊した私は、両手を膝に付けながら私から逃げ切った二人を睨み付けた。

 いや、まあ、私が全面的に悪いのですが。

 それでも、やっぱり、負けるというのは受け入れがたい。

 

 

 最後の直線、背後からヒヤリとしたものを感じ取った。

 その時にはもう前を走る栗毛のウマ娘の事は頭から抜け落ちて、とにかく背後から迫る何かに追い立てられるように全力で逃げ出した。そして今、全力以上を出した結果、芝の上に仰向けになって寝転がっている。

 アレは一体、誰だったのか。

 背後に詰め寄ってきたウマ娘は、声を掛ける間もなく、不機嫌オーラを身に纏ってコースから出て行ってしまった。

 彼女に興味を持つトレーナーも少なからずいたはずなのに、誰も声を掛けられずにいる。

 それほどまでに凶悪な威圧感を放っており、その殺意にも似た敵意は先着した私達二人に向けられている事を察した。

 

「………………」

 

 いや、此処にももう一人居た。

 同学年の間でも有名なサイレンススズカ。彼女は地面に仰向けになったワタシを据わった目で見下し、不愉快オーラを全身から放っている。そのまま彼女は私に背を向けると、先に出ていったウマ娘と同じように周囲のスカウトを取り合わず、無言の圧力で道を開いてコースから立ち去っていくのだ。

 残されたのはワタシ一人、オウ……。とネガティブな声が漏れるのも仕方ないというものデス。

 ちなみに順位はハナ差でワタシが負けている。ゴールした次の一歩でワタシが前に出たのは確かなんだけど……ちょっと理不尽過ぎる。むしろワタシの方が恨み言を吐くべき立場なのではないのか。



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3R:トレーナー不在

 あの凶悪な気配は一体、何だったのか?

 退屈な授業中。ワタシはペン回しを興じつつ昨日の選抜レースの事を思い耽る。

 強い気配を感じたのは最終コーナーを抜けた辺りから、前に追いつくよりも背後から迫る何者かの気配を感じ取ったワタシは、逸る気持ちを抑え切れずに体力を使い果たすまで駆け抜けてしまった。その後は息も絶え絶えとなって、コースから出る彼女の背中を見送る事しかできなかった。

 だけど、伝わるものはある。一目見ただけでもわかる。

 

 彼女の後ろ姿、その佇まいから感じる強者の気配。

 ……顔を見れなかった事が悔やまれる。あれは必ず上がってくる。

 その確信がワタシ、タイキシャトルにはあった。

 

「ハイ、タイキ。柄にもなくネガティブじゃない」

 

 授業も終わって休憩時間になるとアメリカンな鹿毛のウマ娘、シーキングザパールが話しかけてきた。

 私と同じように海外から日本にやってきた彼女は、英語で話せる事もあり、何かと話す機会が多く、今となっては学友であると同時に好敵手でもある。

 そんな彼女を前にしてもワタシは頭を切り替えることはできず、「ンー、フゥー……」と言葉を濁す。

 

「……本当におかしいわよ、どうしたのよ」

 

 シーキングザパールが僅かに眉を顰めた後、相手を気遣うような声色で問い掛けた。

 話して何かが解決する問題ではない。しかし、話して何か変わるかも知れない。と私は昨日走った模擬レースのことを語り聞かせる。

 サイレンススズカの2着になった事よりも、自分を追い立てた3着の方が気になって仕方ない。

 

「それで……ユー、トキノミノルって知っていますか?」

 

 トレセン学園の生徒数は二千名と多いけども、社会という規模で考えれば高々二千名である。あれだけの走りをするウマ娘が今まで話題に上がらないはずもない。サイレンススズカにメジロブライト、メジロドーベル、スピードワールド。キョウエイマーチ。そして目の前にいるシーキングザパール──本格化前のウマ娘も含めれば、もっと居るけども、しかし、あんな凶悪な殺意を持っているウマ娘を自分が見逃すとも思えなかった。

 

「夏休みが終わった後に転校生が入って来たとは聞いたわね」

 

 中央トレセン学園において、転校生は珍しい事ではない。

 夏までに一人、夏休みが終わった後に三人が中央トレセン学園に転校して来ている。地方で良い成績を残した事もあれば、本格化した時に目覚ましい発達を見せて、中央トレセン学園の入学に必要な基準を満たす場合もあった。

 中央トレセン学園は基本的に実力主義なので、能力さえあれば入学する事は難しくなかったりする。

 

「ところでタイキ。その子が気になるのも分かるけど、それよりも先に考えるべき事もあるんじゃない?」

 

 そう言いながら彼女は机の上に置かれたプリントとトントンと指先で叩いた。

 それはトゥインクル・シリーズに出走する条件。何処かのチームに所属もせず、専属の担当トレーナーと契約を結んでいない者はメイクデビュー戦への出走すらも許されない事が書かれている。

 ……まだ私にはトレーナーが居ない。

 あの模擬レースの後、多くのトレーナーから誘いを受ける事になったけど……どうにも気分が乗らなかったので保留させて貰っている。名刺も貰っているけども、相手の事を調べる気力も湧かない。大事なことだと分かっているからこそ簡単に決められない。

 そんな腑抜けた私を見てシーキングザパールは大きく息を吐くのだった。

 

 

 私が現役だった時期に比べると、随分と設備は様変わりしている。

 歴代最強の一頭として数えられていた時に出した私のレコードタイムも、私が最後に確認した時の記録と比べると10秒もの差があったりする。しかし、それも現代の科学的に洗練された設備を見ると当たり前だと言いたくなる。彼の神バ、シンザンなんてシンザン鉄と呼ばれる特注の鉄下駄を履いてトレーニングを積んでいた。まだ精神論が信仰されていた時期の話、今のウッドチップだとか、プールだとか、坂路だとか……それだけならまだ良い。肺活量や筋肉量を分析したり、走り方を分析してのフォームチェック。現役時代、私が個人で独自にやっていた事が今や誰もが当たり前のようにやっている。

 末恐ろしい時代になったものだと苦笑し、それでも現代に追いつく為にトレーニングを積み重ねた。

 

 理事長ことノーザンテーストは、初戦に勝つ事は出来たが二戦目以降に苦しんでいる。

 4戦1勝、2着が1回。3着が2回だ。それはやはり過去と現代のギャップに苦しんでいるのだと考えられる。10月のトーマスブリヨン賞に出走した際、アシュカラニの走りを見て、彼女も過去のやり方では駄目だと思い直したと言っていた。

 余談だが、アシュカラニは後に国際GⅠを2勝する事になるウマ娘である。

 

 私には豊富な経験がある。しかし、それは過去の遺物だと割り切る必要があった。

 あの頃に思考錯誤して得た知識や技術は、今となっては当たり前で間違っていたという情報すらもある程だ。その事は私も知識として分かっていたつもりだ。しかし私の心の奥底に染み付いたものは簡単に拭い取れない。勝ちたければ、頑張るのは当たり前だ。適度な休憩、適切なトレーニング量というのは知識で分かっていても心が受け付けない。走れば走った分だけ速くなる。周りからオーバーワークと言われようとも、そうやって私は強くなってきたという自負がある。ミホノブルボンやライスシャワーで漸く、よくやっていると感じるレベルだ。

 身体を絞る為にレースを練習代わりに使っていた真の天才も居るけども、ああはなれない。

 

 本番で疲れを残さなければ良い、最終的に合わせれば問題ない。

 そういう時代を駆け抜けてきた私にとって、トレーニングを制限されることはストレスでしかなかった。

 そんな私だからトレーナーが必要だという事も十分に分かっているつもりだ。

 

 しかし、精神的に年下の相手に高圧的な態度を取られる事はストレスだった。

 

 それもまた当然といえば、当然の話。

 中央トレセン学園に在籍するウマ娘といえば、まだ中学生や高校生といった精神的にも成熟していない少女である。

 必然的にトレーナーに求める要素の中に、頼れる存在というものが含まれる。

 

 だから自信満々で堂々とした態度を取る姿に惹かれるし、その事を理解している熟練のトレーナーは意図して強気な態度を取る。

 

 ……まあ見た目が中学生の私と対等の立場であって欲しいと願うのは難しいと分かっている。

 トレーナーに対して高圧的な態度を取って萎縮させたい訳でもない。

 

 今日も今日とてトレーニングに励んでいる。

 私は何十年とウマ娘の世界にしがみついて来た私は、定番のトレーニングスケジュールを知っていたから、そこにちょっと手を加えるだけで当たり障りのないものは完成する。後はトレーニングの質を高めれば良い、私は自分の追い込み方を知っている。

 10戦10勝。内レコードタイム7回。

 この記録は常に成長を追い求め続けた私の証。昨日よりも今日の私、今日よりも明日の私を目指して駆け続ける。

 

「あ、あの……」

 

 坂路の3本目を終えて休憩を取った後、4本目に向かおうとした時に坂路コースの外から声を掛けられた。

 

「そろそろ、やめた方が良いんじゃ?」

 

 眼鏡を掛けたヒト耳の可愛らしい女の子がオドオドとした感じで問い掛ける。

 私は彼女を無視して、4本目に入った。追い込んでからが本番だ。この1本が最後の直線、もう一歩の力を生み出す。

 走り終えた後、ゆっくりと坂を降る。坂路コースの脇には、まだ眼鏡を掛けた少女が待ち構えていた。

 

 彼女は、私の事を見つけると心配そうな顔でチラチラと私の足を見つめてくる。

 正直、ちょっと煩わしい。言いたい事があれば言って欲しい気持ちもあるが、実際に脚の心配をされるのも余計なお世話だと思う事は間違いない。あの時代と比べるとトレーニングコースは随分と走りやすくなった。脚の負担が軽減されたのであれば、その分だけトレーニングに費やせるというものだ。

 しかし、それが通用しないのが現代医学。全く煩わしい時代になったものだと思う。

 

「もし文句があるのでしたら、私が納得するメニューとスケジュールを持って来てください」

 

 にっこりと笑いかければ、「ひいっ」と彼女は情けない悲鳴を上げた。

 彼女の胸にはトレーナーバッジが付いている。新人なのか、自分に自信を持っていない様子。この程度で萎縮するような相手であれば、最初から興味がない。メニューとスケジュールだって持って来てくれなくても構わない。

 こんな話をしたのは、ただひとつ。彼女の視線がうざかった。それだけだ。




タイキシャトル「パールさんは英語もできるので話しやすいデス」
シーキングザパール「言語の壁はボディランゲージでどうにかなる」

トキノミノル「走れば走るだけ強くなる」
サイレンススズカ「はい、そうですね! 走りましょう!」


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4R:キミと勝ちたい。

 私如きが名乗るなんて烏滸がましいのです、はい。

 幼い時にトゥインクル・シリーズを走るウマ娘の姿に憧れた私は、大学を卒業すると同時に地方トレーナー免許の資格試験を受ける。

 その際、記念にと思って受けた中央トレーナー免許の資格試験に受かってしまった。

 

 合格するなんて思ってもいなくって、でも、だからといって、折角、受かったのに断ることもできなかった。

 

 勇気を振り絞って、中央トレセン学園の狭き門を潜ったのが去年の話。

 でも、オドオドした私のスカウトを受けてくれるウマ娘なんて、そうそう居るはずもない。

 担当を持てず、中堅トレーナーの助手として働かせて貰うことになった。

 

 とはいってもトレーナーのイロハを教えて貰った事なんて一度もなくて、そのほとんどが雑務に付き合わされるだけだった。

 

 何の為に中央トレセン学園に来たのか分からない毎日、トレーナー寮に帰っても何もやる気が起きない。

 疲れ果てた身ではテレビでレースを見る事も少なくなり、部屋にはコンビニ弁当の空箱が詰まったゴミ袋が増えていった。

 中堅トレーナーの助手として働いた一年間、なんの進歩もなかったように思える。

 

 それから更に十ヶ月以上の月日が流れて、自分がトレーナーであることも忘れてきた頃合いだ。

 彼女と出会った、その走る姿に目を奪われる。……今年、メイクデビューしたウマ娘の中には来年のクラシック路線で中心になるという四名のウマ娘がいる。彼女達は四天王を呼ばれており、その姿を一目見た時は、彼女達のようなウマ娘がGⅠの舞台で活躍して行くのだと思い知らされた。

 でも彼女、トキノミノルの走りを見た時の衝撃は彼女達以上のものがあった。

 

 彼女はGⅠを取る逸材だ、クラシック3冠だって夢じゃない。

 

 ……今はもう12月。素質のあるウマ娘はみんな、スカウトを受けている。

 だから彼女にはトレーナーが居ないなんて夢にも思わなくって、遠くから眺めるだけに留める。

 彼女を担当に持つことができたトレーナーは幸せだ。だって、好きなだけ彼女の走りを間近で見続けていられるのだ。今、坂路コースを駆け上がる姿を見ているだけでも惚れ惚れとする。彼女がレースでラストスパートを仕掛ける時、その光景を間近で見られると想像するだけで達してしまいそうだ。

 ふひっ、と気持ち悪い声が零れる。口の端から垂れた涎を拭い取る。

 

 そんな彼女が3本目を走り出した時、不意に片脚を庇う仕草を見せた。

 膝を痛めた? ……いや、そんなことはない、はず。もし仮に脚を痛めてしまったのであれば、今しているように地面を踏み締めながら坂を登ることはできない。

 ……もしかすると過去に大きな怪我をした経験があるのかも知れない。

 それまで美しかった走りが崩れるのを見て、見ていられず、つい彼女に声を掛けてしまった。

 

 そろそろ、やめた方が良いんじゃ? と。

 

 ひと睨みされた後、無視されてしまった。

 やっぱり私って気持ち悪いのかな。4本目を走る彼女が余計に片脚を庇う姿を見て、心が苦しくなる。彼女自身も無自覚のようであり、崩れた走り方を修正する気配はない。……彼女は、無理をするべきじゃない。こんな走り方を続けていれば、今は良くても、後に大きな怪我に繋がる事にもなり兼ねない。すぐにでもやめさせるべきだ。

 でも私は彼女の担当ではない、既に担当が居るウマ娘に外部から助言する事はマナー違反になる。

 

 だからといって彼女が怪我をすることは見過ごせない。

 ……どうして彼女の近くにはトレーナーの姿がないのだろうか。

 チームに所属しているせいでトレーニングを見て貰えていないのかも知れない。

 そんな事を考えていると汗だくの彼女が、ゆっくりと歩み寄って来た。

 

「もし文句があるのでしたら、私が納得するメニューとスケジュールを持って来てください」

 

 唐突にそんな事を言うと、にっこりと攻撃的な笑みを浮かべた。

 

「ひっ」

 

 思わず、小さな悲鳴が口から漏れる。

 気に障ってしまった? 嫌われてしまったかも知れない。こんな事なら言わなきゃよかった!

 と疑念が自己批判の渦巻く中で、私が持つ灰色の脳細胞はひとつの事実を導き出した。

 

 仮にも自分を担当してくれるトレーナーを持つウマ娘が、冗談でも他の人物にトレーニングのメニューやスケジュールの提出を求めるだろうか?

 

 彼女は片手に持っていたストップウォッチの記録をノートに記入する。

 そして自前の鞄から飲み物とタオルを取り出し、汗を拭いて水分を補給した。

 彼女程のウマ娘に、こんな雑務を彼女一人にやらせるのか。

 

 もしかして、もしかすると! 彼女にはまだ担当するトレーナーが居ない?

 

 全てを理解した時、くひゅっと気持ち悪い含み笑いが零れる。

 彼女を担当に持てたトレーナーは絶対に幸せだ、何故って彼女の走りを誰よりも近くで見続けられる!

 ……本当に? 私なんかが彼女の担当に? そんな恐れ多い!

 

 そんな考えとは裏腹に私の本心は、この好機を逃すな。と訴えてくる。

 私には、やるべき事がある。そんな事は関係ない。時間がなければ、自分の時間を削れば良い。

 食事や睡眠と時間をひねり出す手段は幾らでもあった。

 

 今しかない。嫌いな自分を変える時があるのだとすれば、それは今この瞬間だ。

 

 

 追い返した翌日、眼鏡を掛けた彼女は私の走りをジッと観察している。

 何か思いついたような仕草を見せたかと思えば、胸ポケットに入れた手帳を取り出しては何かを記入する。

 ちょっと鬱陶しい感じはあるけども、自分から言い出した事だったので無視を決め込んだ。

 

 そんな日が三日間も続いた、眼鏡の彼女は目に見えてやつれていった。

 

 四日目の放課後、授業を終えた私は体操着に着替えてトレーニングコースへと足を運んだ。

 今日も自分を追い詰める為に限界を超えて鍛え上げる。その小休止、私がトラックコースから出て水分補給をしていると眼鏡の彼女が覚束ない足取りで近付いて来た。ふひひ、ふへへ、と気持ち悪い笑い声。眼鏡を掛けていても隠し切れない大きな隈、ボサボサとした髪に痩せこけた頬。何処からどう見ても不健康そうな見た目に反して、瞳だけはギラギラと活力に漲っていた。

 何処からどう見てもヤバい奴、ウマ娘でありながらヒト相手に身の危険を感じる。

 彼女は、私の目の前まで歩み寄るとギクシャクとした動きで鞄から分厚い紙束を取り出した。

 

「あ……えっ……その、ちゃんと、か、考えて……来ましゅた……」

 

 噛んだ、ガッチガチに緊張している。ホッチキス止めされた紙束を受け取ると、彼女は更に追加で鞄から新たに分厚い紙束を取り出す。

 

「えっと、その……最初に渡したのが、その、私が知っているウマ娘の基本的なトレーニングを私なりにアレンジしたものでして……でも、たぶん、それだと納得しないと思うから……ナリタブライアンのトレーニングとか、シンボリルドルフのトレーニングとか……文献に残ってるのを参考にしたり……あと、これがミホノブルボンを参考にしたもので……あ、あと! スーパークリークも脚に不安を抱えてて、三冠には間に合わなかったけど、じっくりと鍛えて秋から本格始動するスケジュールも用意したんだけど……どれが良いのかってのは、私、経験がないから分からなくって……でも、私も貴女の走りを凄く観察して、何度もビデオを見直して、タイムも測ったりなんかして……あ、これがそのデータなんだけど……」

 

 そう言っている間にも私の両手に積み重なる紙束の数は増えていった。

 いや、ちょっと待って、持ち切れない。どれだけ出すつもりなのか、こんなに渡されても読めないって。

 それでも彼女は容赦なく紙束を押し付けてくる。

 

「えと、その……私、何も知らなくて……ほんと、その……くひゅっ、ごめんなさい……烏滸がましいんだけど、これ、疲れた時は極端に走り方が悪くなってるから……ふひ、ふひひ……いや、おかしいんじゃなくて……ふへへへへ…………」

 

 全てを渡し終えた後、彼女は気持ち悪い愛想笑いを浮かべて涙目になっていた。

 そして逃げるように距離を取った。ふらついた足取り。あ、転んだ。誤魔化すように愛想笑いをして、改めて逃げ出した。

 ……彼女、本当に大丈夫なのでしょうか?

 名前くらいは聞いてあげても良かったかも知れない。

 

 それにしても──私の両手に積み重ねられた分厚い紙束の山、私は深く溜息を零す。

 読むまでに何時間かかるのか。いや、もう全部は読む気ないのだけど。自分から言った手前、無下に扱う事もできない。

 思いついた事を片っ端から書き連ねているだけならば、さらっと読み流す程度で良い気がする。

 

 とりあえず適当にパラパラと捲ってみた。すると意外や意外、内容は綺麗に整理されている。

 ただ単にクラシック3冠を目指す時、短距離路線を走る時、シニア王道路線。ダート路線と様々なパターンを想定しているから量が膨大になっているだけでひとつひとつの量は常識的な範囲で収まっていた。あとは脚の故障に関しての記載が多いのが量に拍車が掛かっており、脚に不安がある場合でまた新たにスケジュールやメニューを増やしている。

 それでいて内容も充実している。正直、よくもまあこれだけ調べたものだと感心する。

 少なくとも熱量は感じられた。

 

「私が脚に痛みを感じ始めたのはクラシックの時、今は痛みは感じていないのですが……」

 

 脚に不安があると確信を持った書き方に疑念を持っていると、他の紙束よりも極端に薄いホチキス止めの紙束を見つける。

 それにはデカデカとした文字が記載されていた。

 

 

『トキノミノル・グランドスラム大計画!!』

 

 

 ……そこには百人が読めば百人が失笑するような読むに堪えない夢物語が書き記されていた。

 私だって苦笑する。何故かって、この計画書には凱旋門賞やKGⅥ&QES、BCターフまでもが視野に入れられているのだ。せめて香港カップ辺りにしておけば、まだ現実的だった。内容は杜撰で誤字脱字も多い、計画書と呼ぶには余りに未熟な内容である。

 でも、この荒唐無稽な夢物語が今まで私が見た計画書の中で最も魅力的に感じられた。

 駄目だ、笑いが堪え切れない。

 トレーニングをする気分でもなくなった。これはしっかりと目を通す必要がある。私は大量の紙束を両手に近場の木陰に腰を下ろす。

 次に彼女が来た時が楽しみだ。

 

「あ、あの! この前なんですけども……その、なんか、余計なものが混ざっていなかったでしょうか!?」

 

 翌日、眼鏡の彼女は面白いくらいに慌てふためいていた。

 私は含み笑いを零して、余計なものはありませんでしたよ。と朗らかに告げてやって、あの紙束の存在を隠す。

 すると彼女は顔を真っ赤にして、両手で頭を抱えながら項垂れてしまった。

 余計なものはない。嘘は言っちゃいない。

 

「……私は練習量を減らす気はありません。あと幾つか計画書に関して質問があります」

 

 羞恥で悶える彼女に容赦なく言葉を浴びせる。疑問の解消に加えて、幾つかの希望を口にする。

 私が先ず最初に目指しているのが無敗3冠だって事も教えた。

 そうやって意見を交わした後「もう一度、来てください」と伝えた時の彼女の破顔した顔は見物だった。

 ウッキウキで紙束を持ち帰る彼女の背中に、ああ、そうそう。と言葉を添える。

 

「海外も視野に入れています」

 

 脈絡のない言葉。眼鏡の彼女はポカンとした顔を浮かべた後、ボフンと顔を真っ赤にさせた。

 察しも良いようで何よりです。

 あの紙束を返すように詰められたけど、惚け通した。

 

 

 眼鏡の彼女と出会ってから数週間が過ぎる。

 吐く息が白く染まる、雪が降る中でも私は厚着に身を包んで坂路を駆け上がった。

 私以外でコースに出るウマ娘は少ない。

 それもそのはずで今日は年末年始、帰る宛のない私は普段と変わらずトレーニングを積んでいる。

 流石に今日は眼鏡の彼女も来ないはずだ。

 

 そう考えた矢先、モコモコに厚着をした彼女が満面の笑顔で駆け寄って来た。

 手には分厚い紙束を携えており、来年一杯に掛けての計画を嬉々として話しかけてくる。

 彼女はクリスマスの時にも、トレーニングコースまで足を運んでいた。多くのトレーナーとウマ娘が休暇を取る中で、わざわざ私に会いに来るもの好きな彼女に「寂しい人ですね」と嫌味半分、心配半分で言ってやれば、彼女は気恥ずかしそうに身を捩る。事のついでだったので「会う人は居ないのですか?」と問い掛けてやれば、「此処に居ます」と臆面もなく答えるものなので藪蛇を突いたと苦い顔をする羽目となった。

 そんな彼女が手渡してくる計画書は、私の駄目出しもあってか日に日に精度が増している。

 

 少なくとも私一人で考えるよりも、ずっと質の良いものに仕上がっていた。

 私がパラパラと捲る仕草を眼鏡の彼女は恐怖半分、期待半分で見つめてくる。実に鬱陶しい上に読み難い。でも、それも慣れてきた。そういうものだと割り切れば、最初の頃に感じていた程の不快感もない。

 ……というよりも、彼女が側に居ることが当たり前になってきている。

 

 目を伏せる。私は、この時代に来る前までは理事長秘書として、様々なウマ娘とトレーナーの関係を見てきた。

 有名なトレーナーの中には、ウマ娘にレースを教えて貰ったという人物も居る。明らかな新人トレーナーと組んでいた有名なウマ娘は、その事に不満を零さず、彼と一緒でなければ此処まで来れなかった。と言い続けている。もちろん方向性などの違いによって仲違いした者も多い。

 幸せ太りしたマルゼンスキーから言われた事がある。

 貴女は理想が高過ぎるのよ、理想が高いと出会いすら失われるわよ。

 目を開ける。目の前には、なんとも情けない新米のトレーナーが居た。前のトレーナーはクモハタやセントライトを育て上げた超が付く程に一流のトレーナーで頼りがいがあった。彼には多くのものを貰ったし、そのおかげで栄光も掴めた。

 最後は残念だったけど、それでも彼が居たから今の私が居る。

 

「……これは私も腹を括るべきでしょうか」

「ほえっ?」

 

 私の呟きに、眼鏡の彼女はコテンと首を傾げる。その仕草に苦笑した。

 精神的には自分よりも年下の彼女。でも、結婚という人生の相棒を選ぶ時だって十歳以上の年の差が生まれる事がある。

 ……既に彼女は行動している。自分の価値を証明していた。

 だったら私も誠意をもって対応すべきだ。

 

「私には……夢があります」

 

 空を見上げる、雪が降っている事もあって灰色雲が覆い尽くしている。

 

「それは何かを達成したいとか、そういったものではありません」

 

 あの時、見れなかった夢の果てがある。

 東京優駿で途切れた夢の途中、イツセイとミツハタが駆け抜けた道の先を私は見れなかった。

 それが私の現役時代の心残り、まだ見ぬ未知の領域。私が駆け抜けたかった戦場だ。

 

「これから先、長い道のりになることはわかっています。少なくとも五年、それ以上の関係になるかも知れません」

 

 誰かは言った。結婚は人生の墓場だと、それはネガティブな意味で捉えられる事もあるけども……本来は良い意味だったはずだ。

 

「……貴方は私の為に骨を埋める覚悟はありますか?」

「はいっ!!」

 

 差し出した右手、それを食い気味に両手で握り締められた。

 えっ、ちょっと引くんですけど。自分から言っておいて、なんだけど。

 眼鏡の彼女は、ギラ付いた瞳で私を睨み付けている。

 

「良いんですか!? 私で良いんですね!? 後悔しても遅いですよ!?」

「……そう言っています」

「絶対に……絶対に離しません! 私、面倒臭いですよ!?」

 

 もう既に今が面倒臭い。口には出さず、苦笑いで誤魔化した。

 でもまあ、こうも求められるのは悪い気はしない。

 12月の末、私は私だけを見てくれる専属のトレーナーを見つけました。




トキノミノル・グランドスラム大計画。
筆者:W・R
概要:深夜のテンション。


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5R:愛が少し重いです。

整理分、新規はないです。
次話は今日の朝6時くらいに予約投稿しています。


 年末年始。皆が帰省したり、初詣に向かう中で私はトレーナーの女子寮の自室に引き篭もる。

 私には、こんな時に会って出掛ける相手はいない。今日も今日とてチームに所属するウマ娘の映像を観察し、手元のデータと見比べながら走り方の研究をする。……そうして分かるのは、やはりトキノミノルの走りは別格という点だ。ぼんやりと分かったつもりになっていた事が、彼女という到達点を見た事で他のウマ娘に対する目線も変わってしまった。

 走り方に粗が見えるようになった、もうウマ娘が走る姿を見るだけでは満足できない。

 

「……正月太りをして帰ってくるんだろうなあ。春までにちゃんと絞れると良いんだけど」

 

 年末に実施した体重測定、ノートPCに書かれた数字を見つめながら溜息を零す。

 私が所属するチームでは現在、6名のウマ娘が活動している。勝ち上がっているのは半分の3名であり、オープンクラスはエースが一人。とはいえだ、私の助手として受け入れてくれたトレーナーは過去に一度、GⅠレースにも勝利した経験を持っているし、毎年のように重賞レースにウマ娘を送っていたりする。重賞以上のレースに勝つというよりも勝ち上がり率を優先するトレーナーだ。

 そんな彼の補佐をするのが私の役目、今は4名のウマ娘の体調管理を任せられている。

 トレーニングのメニューやスケジュールはチームのトレーナーが決めており、基本的に彼の指示に従っているだけだ。

 それでも彼のやり方は、指示を受ける事で学んで来た。

 

 事務仕事の片手間にトキノミノルの映像を流す。

 見惚れる走りに口元が緩む、彼女の担当になれるだなんて夢のようだ。

 デュフフと含み笑いを零す。

 そうして時間を潰しているとピンポンと部屋のチャイムが鳴った。

 

 陰気な私に友達と呼べる相手はいない。でも時折、部屋まで来るウマ娘は居た。

 

「失礼してもよろしいでしょうか〜?」

 

 ひとりでに鍵が開けられた。返事もしていない内に入ってきたのは鹿毛のウマ娘、彼女は私が体調管理をしているウマ娘の一人だ。

 

「……初詣とか行く予定はないんです?」

 

 プライベート空間を侵されて、ジトッと睨み付けてやる。

 しかし彼女は勝手に作った合鍵を人差し指でクルクルと回し、陽気な口笛を吹き鳴らす。

 そんな彼のウマ娘の名は、サージュウェルズ。今年からシニア2年目となる。

 

 彼女は炬燵に引き籠る私の背後から脇下に手を突っ込めば、私のモヤシな体を軽々と持ち上げた。

 そのまま膝に上に置いて、背中越しに抱き締められる。後頭部に顔を埋めて、臭いを嗅ぐのは本当にやめて欲しい。

 振り解こうにも人間がウマ娘の膂力に勝てるはずもなく、なすがままにされるしかなかった。

 

「炬燵よりも私で温めてあげますよ〜?」

「……邪魔なんだけど?」

「年末年始くらいはゆっくりとしましょうよ〜」

 

 話を取り合うつもりはないようだ。

 彼女は、のんびりとした走りをするウマ娘で、エンジンの掛かりが非常に遅い。そのせいもあって実力を発揮する前にレースが終わってしまうのもまた彼女が伸び悩んでいる理由のひとつである。……今はダートの中距離を走る事が多いけど、芝を走らせてでも長距離の方が彼女の気性に合っている気がする。

 事のついでだったので、彼女の情報が入ったファイルを開いた。

 

「……今朝、ちゃんと体重計には乗った?」

「乙女にそんな話をするなんて悪い助手さんですね〜」

 

 そう呟いて、彼女は前に回した手で私のお腹を弄り始めた。

 私はアスリートじゃないんだし、お腹のお肉を掴んで意地悪しないで欲しい。

 

「あ、そうそう伝えたい事があったんですけど〜」

 

 アイルランド育ちのせいか、距離感バグってる。

 この子を止める事は私には出来ないので、もう耐える方向に頭をシフトする。

 トキノミノルの動画を開いて、大きく深呼吸。

 

「……この人、誰ですか?」

 

 声色が、低くなった。お腹の肉を掴む手が、ちょっと痛いです。

 

「新しくチームに入る予定の子、私がスカウトしました」

「スカウト? 助手さんに、そんな度胸ありましたっけ?」

「な、半ば成り行きみたいなとこあるけど……私だって、頑張ってるんやい」

 

 語気を強くすれば、まあまあ、と頭を撫でられる。

 年下に宥められるのは、ちょっと屈辱的。でも抵抗もできないので耐え忍ぶしかない。

 ムスッと頰を膨らませて、無言で動画を流し続ける。

 

「……この子、凄いですね。本当にスカウトできたのです?」

「うん、スカウトできた。私も信じられてないけど……」

「それで……担当に持つつもりですか〜?」

「もちろん」

 

 元気よく答えた時、お腹の肉を千切れるかって程に抓まれた。

 なんでこんなことをするの? と涙目ながらに後ろを見ると不機嫌に耳をキュッと絞っていた。

 なんで〜?

 

「まあ、これほどの素質ウマ娘であれば……簡単に話が進むとも思えませんが〜」

 

 そう言って彼女は先程までよりも力強く抱き締めてきた。

 ウマ娘の学寮にトレーナーが入る事は禁じられているが、ウマ娘がトレーナー寮に入る事は申請を取る事で承諾される。

 とはいえ男子寮に入る時は厳正であり、ウマ娘の独断で認可される事はない。しかし女子寮はウマ娘と同性という事もあってか、認可される基準がガバガバだ。

 

 正直、勝手に合鍵を作るようなウマ娘を女子寮に通さないで欲しい。と私は切に切に願うのです。



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6R:話が違います。

 年末年始も終えた1月4日の朝、私は眼鏡の彼女と共にチームのプレハブ小屋までやって来た。

 チームに登録する為の署名書に名前も記入しており、後は提出するだけの段階。既にチームのトレーナーには話は通っており、彼女が撮影したビデオで確認も終えているとの事だ。

 プレハブ小屋の扉をノックする。扉を開けば、強面の中年男性トレーナーが椅子に腰掛けていた。

 

「私はトキノミノルです。今日は、チームに入らせて貰うつもりで足を運びました」

「ああ、話には聞いている。キミ程のウマ娘は引く手数多だったに違いない。いくつかの質問はさせて貰うけど、歓迎している」

 

 彼は、そう言うと私の隣に立つ眼鏡の彼女に視線を向ける。

 

「君には、兼ねてよりの希望だったウマ娘の担当に付いてもらう事にした」

「ふえっ?」

「サージュウェルズだ。彼女からの希望でね、正式の担当とする。まだ早いと思うが精一杯、頑張りなさい」

「えっ? えっ?」

 

 そう言って、彼は眼鏡の彼女をプレハブ小屋から追い出そうとする。

 その扱いに動揺する彼女を他所に、彼は真剣な顔付きで私の事を見据えた。

 ……ちょっと聞いていた話と違いますね?

 

「あっ、えっとその……担当のウマ娘を持ちたいって言ったのは、そうだけど……私は、そのですね……」

 

 隣で上司に当たる人物に退出を促されて、オドオドとし始めた暫定トレーナーの足を踏み締める。

 

「あいたぁっ!」

 

 悲鳴が上がるのを無視して、チームのトレーナーと向き直る。

 笑みを浮かべて、半ばまで出していた入部届をポケットに戻した。

 

 私がチームに所属したいと思ったのは、眼鏡の彼女が私の担当になる話だったからだ。

 レースで走るウマ娘としては、誰かの下に付くつもりはない。しかし今の自分が未成年である事も重々に承知している。トレーナーはウマ娘の保護者という側面も持っている為、感情的に納得できずとも被保護者の立場になってしまう事も理解はしている。だからといってトレーナーから頭ごなしに指示を出される事は受け入れがたいし、かといって特別扱いを受ける事でチームの秩序を乱すのは不本意でもある。

 それならば、最初から厄介事を避ける為にチームに所属したくはない。

 

 ウマ娘とトレーナーが対等な関係であることは最低条件、能力は二の次だ。

 理想を云えば、私だけの専属になって欲しい。

 

「……まだ早い」

 

 しかしチームトレーナーである彼は、眼鏡の彼女が私の担当になる事は反対のようだ。

 それだけで警戒心を高める。柔和な笑みを張り付かせて、彼が何を語るつもりなのか待った。

 

「そこの彼女、トキノミノルは誰が担当してもGⅠを取れるだけの能力を持っている」

 

 彼は重たい口を開いて、ゆっくりと言葉を選ぶように語り聞かせる。

 

「単なるGⅠの器ではない、GⅠを幾つ取れるかっていう程の逸材だ。有り余る才能にトレーナーから忌避されていた皇帝の事を思い出す」

 

 その事は分かっているのか、と彼は目で問い掛ける。

 唾を飲む音が聞こえた。眼鏡の彼女は男の気迫に気圧されており、声を発する気力すら失っている様子だ。

 私のトレーナーになりたいのであれば、もうちょっと根性を見せて欲しいところである。

 

「お前はまだ、ウマ娘一人の人生を背負う意味を知らない。トレーナーという職業は憧れだけでやって良いものでもない、自分のせいで勝利できるレースの数がひとつ減るかも知れない。その一勝で担当するウマ娘を一生を左右するかも知れない。いや、勝利に拘り過ぎた結果、二度と走れない身体にしてしまう可能性だってあるんだ」

 

 妙に真に迫る表情を見て、部屋の中を見渡した。

 賞状を見つける。最も目立つ位置にあるのは東京優駿、バンブーアトラスの名が刻まれている。

 なるほど、と彼が辛辣な言葉を投げかける意味を察する。

 

「……サージュウェルズは、重賞を取れるだけの素質を持っている」

 

 彼は、眼鏡の彼女から視線を逸らして苦々しく告げる。

 

「今はまだ結果を出せずにいるが、ちょっとしたきっかけひとつで飛躍する。お前とは気心の知れた仲でもあるし、お前がまだ未熟だということも理解している」

 

 それでも、と彼は告げる。

 

「お前と共に歩みたいと言ってくれているんだ」

 

 眼鏡の彼女が僅かに顔を上げた。

 

「だから……先ずは彼女と一緒に結果を出せ。それからでも遅くはないはずだ。他のウマ娘と同様に体調管理を任せても良い──だが、責任は俺が取る。自分で責任を取れるようになり、その時に彼女が良いと言えば担当に戻してやる」

「………………はい」

 

 委縮する彼女は、力なく答える。

 お前もそれでいいな、と彼から視線を送られる。

 いいえ、全然、良くありません。

 

「どうやら聞いていた話とは違うようですね」

 

 ポケットに入れていた入部届をこれ見よがしに取り出して、二人の目の前で破り捨てる。

 絶対条件は、トレーナーとウマ娘が対等な関係である事。能力は二の次。理想を云えば、私だけの専属になってくれる事だ。

 だから彼の提案は、私には飲めるものではない。

 もし仮に、これを強行するのであれば、私は次の選抜レースまでトレーナー不在でも構わないと思っている。

 

「チームに入るのを辞めさせて貰います」

 

 にっこりと微笑んで踵を返す。

 理事長秘書としては、彼の心構えは称賛に値する。まだ自分の人生に責任を持つ事ができない中等部のウマ娘が相手であれば、保護者の側面も持つトレーナーとしては正しい判断をしている事のも理解できた。しかし私は普通じゃないし、今はレースで走るウマ娘でもある。先導して欲しい訳じゃない。正直、鬱陶しいだけだ。私が求めるトレーナーというのは、肩を並べて共に歩いてくれる人物の事だ。

 灰色の雲に覆われた向こう側にある青空の光景を、共に見に行きたいと思える相手が良い。

 

 失礼します。と私が頭を下げて、彼に背を向ける。

 去り際、眼鏡の彼女を一瞥した。今の状況が掴めていないのか、ポカンと口を開けている。

 情けない顔だ、頼り甲斐がない。

 彼女を選んだ事に妥協がなかったとは言い切れない。

 

 だが、それは彼女だから妥協した。

 他の誰かであれば、妥協しようとも思わなかった。

 少なくとも、あの時の私はそうだった。

 

 私は彼女と共に歩きたいと思ったのは事実だ。

 まだ見ぬ未知への旅出の相方に彼女を選んだ事に、一切の嘘はない。

 だから、まだ私は彼女を完全に切り捨てる事ができない。

 

「……私は、私の事を一番に考えてくれる人じゃなければ相方として認められません」

 

 これは切り捨てる為の言葉でもあった。

 彼女を今、切り捨てる事ができなければ、今後ずっと彼女を見捨てる事ができない。

 これが最後のチャンスだと声色に重みを乗せる。

 

「私と共に歩みたければ、今の立場を捨てる覚悟を持ってください」

 

 今、直ぐに決めるのは酷だと思ったので猶予はあげるつもりではいる。

 ここで決断できないようであれば、もう私は彼女と共に歩む事はできないと判断する。

 私の事よりも他を優先するトレーナーを相手にに妥協するつもりはない。

 このプレハブ小屋から出る為に一歩、踏み出そうとする。

 しかし脚を動かすことができなかった。

 

「私は……私は貴方と共に歩むと決めたんでしゅ!」

 

 あ、また噛んだ。彼女は私の手を力強く握り締めながらチームのトレーナーに向き直った。

 

「ごめんなぢゃい! 今までありがとうごじゃいまひたッ!」

 

 そう言って、勢いよく頭を下げた。

 普段の態度とは裏腹に思い切りが良過ぎる。

 想定外に決断が早過ぎる。

 

「……お前では無理だ」

 

 しかしチームトレーナーである彼の言葉は辛辣だ。

 

「皐月賞は取れるかも知れない。だが、そこまでだ。お前では彼女の才能を使い潰す事に成り兼ねない」

 

「だから貴方の下に付けと?」と少し茶化してやれば「違う、俺でなくても良い」と彼は首を横に振る。

 

「それなり以上のトレーナーでも歴史的な記録を生み出せる。お前は、それだけのウマ娘だ。ちょっと良いトレーナーが担当に付けば、海外制覇だって夢ではない。良いか、お前の才能は最早、お前の心持ちだけでどうにかなる領域を超えている。お前を担当に持って、結果を出せなかった奴は二度とトレーナーとして活動する事ができなくなる程だ」

 

 今まで最も真剣な顔付きに理解する。

 彼が気遣っているのは、私ではない。自分の手柄の為でもない。

 この話が始まってから、ずっと彼が心配していたのは────

 

「出て行くなら勝手にしろ。だが、此奴を巻き込むんじゃない」

 

 ──愛弟子の方だった。

 

「私も行きますッ!!」

 

 親の心、子知らず。眼鏡の彼女は、私の腕をギュッと抱き締める。

 

「今後、トレーナーとして活動できなくなるかも知れないんだぞ?」

「良いんです!! それでも構わないんです! だってもう、もう……ッ!!」

 

 彼女は叫ぶように訴える。

 

「こんな出会い、これが最初で最後かも知れないんですよッ!? だったら、これで終わっても構わないッ!!」

 

 ……どうにも私は彼女の事をあまく見ていたようです。

 彼女が良い、彼女だから良い。と妥協なしに心の底から彼女の事を欲した。

 これから先、地獄の果てまで彼女と共に歩みたい。

 まだ見ぬ未知、あの雲の向こう側にある景色。貴女と一緒に見てみたい。

 

「……もう勝手にしろ」

 

 彼も存外に折れるのが早かった。

 

 

 電撃的にチームを辞めてしまった私は今、トレーナー寮の自室で炬燵に囚われている。

 炬燵の上に積み重なるは書類の山。これから先、一人のトレーナーとして独立するからには処理する必要のあるモノばかりだ。……私は現場でウマ娘の調子を見る仕事が多かった。朝一の体重測定から始まり、チームトレーナーから指示を受けたトレーニングを滞りなく進められるように皆を誘導する。事務仕事はチームトレーナーがしてくれる事が多く、日に一度、空いた時間にウマ娘の追い切りの様子を見に来ていた。特にウマ娘と話したりする事はなく、私に一言か二言を告げてからトラックコースを後にする。

 彼は彼で忙しい事が多く、特にレース前になると事前にレース場に赴いたり、同レースの出走ウマ娘の情報を集めていた。

 

 これから先は全て私一人でしなくてはならない。

 チームを持つトレーナーにもならず、最初からウマ娘を担当に持つ新人トレーナーは過半数を超えて存在している。彼らは手探りの状態でトレーナー業務を回しているのだから、チームトレーナーの助手として、一年間も学ばせて貰った私ができないと云えるはずがない。

 バリボリと頭を掻きながら、気になった事を大学ノートに書き留めていった。

 

「どうぞ~」

 

 そんな私に珈琲を淹れてくれるウマ娘が部屋に居る。

 鹿毛のウマ娘、サージュウェルズだ。彼女は部屋に備え付けのキッチンに赴き、おもむろに夕御飯の準備を始めている。

 ……いや、おかしくない? おかしいよね?

 私はチームを辞めた、なので彼女との関係も切れたはずだ。

 だが、彼女は何食わぬ顔で部屋に上がり込んでいる。

 何時もは部屋でのんびりする彼女は、何故か今日はエプロンを纏って具材を煮込んでいた。

 匂いからして、カレーのようだ。

 

「……ねえ? 私、チームを辞めたんです、けど……?」

「はい、知っていますよー」

「此処に来るのは、もうよした方が良くないです、か……?」

「大丈夫ですよー」

 

 そう言うと彼女は、やんわりと微笑みかけてくる。

 

「私もチームを辞めて来ましたのでー」

「ふえっ?」

「もう酷いじゃないですかー。私に相談もなしに決めるなんて────」

 

 ──ニガシマセンヨ?

 

 口角を上げて、細める目は欠片も笑っちゃいなかった。

 ふるふる、私は悪いトレーナーじゃないよ。

 涙目になりりつも同席しているトキノミノルに視線だけで助けを求める。

 

「……私は何を見せられているのでしょうか?」

「可愛がっているだけですよー?」

「カワイガリとか、そんな感じのニュアンスじゃないですかー!」

「ふふ、年下に可愛がられるトレーナーさん、可愛いですねぇ」

「これがトレセン学園の闇……噂には聞いていましたが……」

 

 トキノミノルは大きく溜息を零す。

 

「とりあえず、不祥事だけは起こさないでくださいね?」

「不祥事って何!?」

「可愛い後輩が黙ってさえくれれば不祥事にはなりませんよー?」

「せめて私の居ないところでしてくれませんでしょうか」

 

 こんなこと知りたくなかった、とトキノミノルが遠い目をする。

 ちなみにサージュウェルズは、日本での知名度は低いがアイルランドでは有名なウマ娘一族を実家に持っている。日本よりも欧州の競馬の方が歴史が深い。その分だけ名誉と伝統を大事にしている事もあり、ウマ娘で大成した御家は爵位を受ける事もあった。

 つまりはまあ、サージュウェルズの実家は、それだけ太いという事だ。

 そんな彼女が日本に来た理由の一つは、昨今、日本のウマ娘の競技レベルが急激に上がっている事にある。今後、パートⅠと呼ばれるウマ娘競技強豪国に加入される可能性を見込んで、サージュウェルズが留学という形で送り込まれている。

 

「あれ、もしかして私に厄介払いされてない!?」

「……厄介払いとは酷いですねー?」

「なんで後ろから抱き寄せられているの~? 私、まだ仕事中なのに!」

 

 ぎゅうっと抱き締められる。クソッ、ヒトではウマ娘に勝てない!

 ファインモーションよりはましですよ。とトキノミノルは相変わらず、何処か遠くを眺めている。

 実家さん、もっと教育をしっかりして!

 

「ああいう家って公の場ではしっかりしてますけど、プライベートの場だったりすると意外と緩いんですよね。メジロ家とか、サクラ一門とか……」

 

 未来に覇を唱えんとするウマ娘の瞳が暗く淀んでいる。

 タスケテ! トキノミノルは黙って首を横に振った。



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第1章「魔王降臨へのカウントダウン」
7R:何時の日か、頭上に輝く太陽のように。


 去年の3月の話、私は選抜レースに出走した。

 その時にはシーキングザパールの2着と善戦したが、注目されるのは優勝した彼女ばかりで私にスカウトの話は来なかった。6月に開催された時も3着と善戦したが、やっぱり注目されるのは優勝したウマ娘──かと思えば、2着に入ったマチカネフクキタルにもスカウトの話が来ていた。9月の選抜レースでは2着になったが、やはりスカウトは来ず、3着に入ったウマ娘がスカウトを受けている所を見た。

 私は、中央トレセン学園に入る前から地味な子だとよく言われていた。

 基本的にウマ娘は美人な容姿をしている事が多いので、凡庸な私が周りに埋もれてしまうのも仕方ない。実際、選抜レースを終えた後に「アイツには光るものがない」と言われていた事を思い出す。それは自分でもよく分かっている事だ。シーキングザパールのように佇まいだけで他者を圧倒する風格もなければ、メジロ家のような個性的でもない。走る姿を見るだけで目を奪われるサイレンススズカやタイキシャトルのような華もなかった。

 だから私は地味な努力を積み重ねる。

 何処かの物語にあるような主人公のように輝かなくても良い、私が宝石に成り得ない事は私自身が一番良く知っている。劇的に伸びる脚もない私は、ただ地道に積み重ねる事しかできない。だから積み重ねる。それが結果に繋がるかどうかなんて、そんな事はどうでも良い。それしかやれる事がないから、それを実行する。突き詰める。それだけの話、やれる事をやるというだけの事だ。

 9月の選抜レースを終えた後も、昨日の自分よりも少しだけ強い私を目指して今日を走る。

 

 走って、走って、走り続ける。

 自分で決めた事は貫き通す。雨の日も、風の日も、例え雪が降ろうとも、どれだけ体調が悪くとも何時も同じようにトレーニングを続ける。

 私の名前は、サニーブライアン。走り続ける道の先には、どんな景色が待っているのか。

 その事に想いを馳せるだけで脚が軽くなった。

 

 とある日の話、私がいつものようにトラックコースでトレーニングをした休憩中、寡黙な女性が私の前に立った。

 

 彼女の顔は何度も見た事がある。

 初めて選抜レースの時から何度も顔を見せており、私の方を一瞥しては気恥ずかしそうに目を逸らす。それから先もトラックコースなんかで練習する時に何度か見かける事があり、視線が合う事もあった。だけど、それはきっと偶然で、何故なら彼女は私から顔を背けて、すぐ別のウマ娘を眺めてしまうのだ。

 私には華がない。しかし私には走る事以外で自己表現をする術を知らない。

 走るだけで誰もが見惚れるような走りが出来れば良かったけど、そんな才能が私にはなかった。だから私は結果を追い求める。誰もが認めざる得ないような結果。それは夢のまた夢、日本一のウマ娘になる事だ。

 東京優駿に勝つ事ができれば、それは誰もの記憶に残る走りになる。

 

 誰もが私の存在を認めざる得ない。

 今はまだ雑草に過ぎない。虎視眈々と石を積み重ねる、高く、より高く積む為には土台から、しっかりと組み立てないといけないから、だから私は今日もしっかりと身体を作る走りをする。私には未来を見通す力すらもないけど、だから後の為に丁寧に積み重ねるのだ。

 そんな私に差し伸べられた手、トレーナーは重い口をゆっくりと開いた。

 

「勝とう」

 

 たったの三文字、それが口下手なトレーナーとの出会いだった。

 

 私のトレーナーは寡黙だ、必要最低限の言葉しか喋らない。

 代わりに彼女の意見は、文書として提出される。トレーニングを終えた後、プレハブ小屋で彼女の計画書に目を通す。そこには朝日杯FSを想定したスケジュールが書き記されていた。

 彼女がジッと私を見つめている。私の反応を窺うように、確かめるように、ジッと目を逸らさない。

 

 彼女の分かりにくい本気は短い期間で伝わっている。

 どれだけ私の事を考えてくれていたのかも理解したつもりだ。

 

「目先の勝利に興味はありません。目指すのはクラシック3冠、中でも大切なのは東京優駿(ダービー)です」

 

 だから私も彼女に遠慮せず、本気でぶつかることができる。

 

「私は、日本一のウマ娘になりたい」

 

 彼女は私の瞳を覗き込できた。暫しの沈黙、彼女は小さく頷くと私に手渡した資料をびりびりに破り捨てる。

 

「今のままじゃ無理」

 

 彼女は本当に必要な事しか喋れらない。

 カタカタとノートPCに何かを打ち込んだ後、そのディスプレイを私に見せた。

 キンイロリョテイ、シルクジャスティス、シルクライトニング、メジロブライト、サイレンススズカ、マチカネフクキタル。

 今年、デビューするウマ娘の名前が書き込まれている。

 

「キンイロリョテイ?」

「たぶん一番、ヤバい」

 

 次点、とサイレンススズカとマチカネフクキタルを指で叩いた。

 そしてノートPCをパタンと閉じて、私を見据える。

 何かを問いかける、その瞳には強い意思が込められている事だけは分かった。

 

 数日後、手渡されたスケジュールはガラリと変えられていた。

 全ての照準が東京優駿に定められる。その為に乗り越えなくてはいけない課題が新たに書き加えられている。

 ジュニアのレースは全て、東京レース場。クラシックは皐月賞まで、全て中山レース場。クラシック3冠を勝つ為だけに特化したレースプランだ。

 

「勝つよ」

 

 本気で勝ちを目指す彼女の瞳を見て、裏切れない。と、そう決意を改めた。




没サブタイトル案「太陽の勇者」
没になった理由、モンテプリンス。


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8R:長い旅路の始まり。と、為すべき使命。

 私は新米である、今はまだ私自身について語る言葉はない。

 幼い時に見たトゥインクル・シリーズ。シンボリルドルフが魅せた無敗3冠を達成した瞬間、そのウイニングライブに見惚れた。最初は憧れだけだった、その格好いい姿が好きだった。でも今は違う、現役時代のシンボリルドルフはもっと熱いウマ娘だ。ジャパンカップでカツラギエースに敗北した一ヶ月後、カツラギエースの引退を聞いたシンボリルドルフは急遽、予定になかった有マ記念への出走を強行してリベンジを果たした。翌年は宝塚記念を出走前に怪我をする事故もあり、怪我明けの秋の天皇賞で敗北するも去年は勝てなかったジャパンカップを優勝し、有マ記念で連覇を果たす。国内で活躍する有力なウマ娘を全て倒した後、満を持しての海外挑戦。……結果は残念だったけど、彼女の妥協せず、邁進し、挑戦を続ける姿は今も心の芯に残っている。

 今はまだ何者でもない。しかし、私は何時の日か、この日本という土地から世界に羽ばたくウマ娘の担当トレーナーになりたい。

 その想いだけで十年以上もの歳月を勉学に費やして来た。

 

 中央トレセン学園のトレーナーだけを目指して来た。大学を卒業する年に中央のトレーナー資格試験に申し込み、その狭き門を見事に一発で突破する。大学を卒業した4月、私は胸元にトレーナーバッジを携えて、意気揚々と学園の敷居を跨いだ。

 

 新人研修を終えた6月、待ちに待った選抜レースだ。

 流石の私も、まだ実績のない若造が見て分かる素質持ちの担当になれるとは思っていない。最初は地盤固めになるはずだ。先ずはオープンクラス、次いで重賞。最短でGⅠトレーナーとなって、共に世界を目指せるウマ娘を担当に持つ神算である。

 グッと拳を握り締めてレースを観戦する。優勝したのは、シルクライトニング。2着はキンイロリョテイ、3着にブラックホーク。最下位はマチカネフクキタルだったが、彼女のラストスパートには目に見張るものがあり、このレースで最も強いインパクトを皆に与えていた。シルクライトニングは後のGⅠウマ娘としての才覚を見込まれており、ブラックホークはシーキングザパールの対抗ウマ娘としてトレーナーが殺到する。

 そんな中で、集まりが良くないのはキンイロリョテイだ。

 

「なんでキンイロリョテイの所は、人が少ないんです?」

 

 近場に居た偉そうなトレーナーに問い掛けると「ああ、アイツか」と苦い顔をしてみせる。

 

「前にも担当したトレーナーが居るのだが、とんでもない気性難で言う事を聞かないんだ。それでも凄い素質を持っているウマ娘だからね、前に担当していた彼もあの手、この手を尽くしていたんだが……最終的に彼女が担当を蹴る事態にまで発展してしまったんだよ。それで今や腫れ物扱い、彼女を担当したいと思うトレーナーは、まあ…………」

 

 言葉を濁す彼の話を途中で聞くのを止めて、あのウマ娘に声を掛ける為に観客席を降りる。

 気性難? そんなこと知った事か。今日の一番は、紛れもなくキンイロリョテイ。シルクライトニングやブラックホークに袖を振られたトレーナーがキンイロリョテイに視線を向けるのを見て、足を速める。二人の次点だと思っているような連中に彼女を渡してなるものか!

 既に交渉中の他トレーナーの間に割り込んで、開口一番に宣言する。

 

「どけっ! 私はキンイロリョテイの担当(になる予定)のトレーナーだ!」

 

 どよめく周囲の反応に「あ゛あ゛っ?」と威嚇してくるウマ娘。

 

「さあ私と一緒に世界を目指そうっ!!」

 

 満面笑顔で差し出した手は、ものの見事に振り払われた。

 

「誰だよ、てめぇ? 生意気だな?」

「気を悪くしたならすまない! だが、私は君に惚れ込んだ!」

「暑苦しい奴だな、面倒くせぇ……」

 

 振り切って私の横を通り過ぎようとしたので「待って!」と声を掛けた次の瞬間だ。

 

「はいだらぁっ!!」

「────ッ!?!!?」

 

 後ろ回し蹴りで、ケツを蹴り上げられた。

 僅かに身体が浮く程の衝撃は悲鳴を上げる事すらも許さない。

 時間が止まった感覚。数舜後、ケツに激痛が弾けた。

 

「……ァ゛…………ガッ……ぁ゛……ぁ゛っ…………ハッ、ハッ……ハヒューッ……ハヒュー…………!」

 

 堪え切れない激痛に地面をもんどりうつしかなかった。

 涙で霞む視界に映る彼女の背中は遠のくばかり、だがしかし彼女を追いかける者がおらず、他のトレーナーは私の惨状を見てドン引きしている。くつくつ、を笑みが零れる。まだケツが痛くて身動きも取れないが、というか痛みで涙も止まらないけど、それでも笑わずにはいられない。分かっているのか? お前達は今、私が動けぬ最大の好機を不意にしているのだぞ! 私は振られたがまだ諦めるつもりはない! 彼女が正式にトレーナーを決める、その時までアタックを続けるつもりだ!

 フゥーハッハァーッ! どれだけ惨めな姿を晒そうとも、最終的に勝てば良かろうなのだッ!!

 

「お、お前……大丈夫か?」

「……こ、これが出来るトレーナーの策略よ……ふ、ふふふ……お、覚えておけよ……キンイロリョテぇぇぇィ~~…………ぃひゃい……」

「お、おう……放っておいても大丈夫か?」

 

 クソが。アイツ、ウマ娘の癖に本気で蹴りやがった!

 数分後、次のレースの邪魔になるという事で退場を促された私は御都合主義的に落ちていた枝を拾って、それを杖代わりに立ち上がる。生まれたての子鹿のように内股にした足をガクガクと言わせながら必死でコースを立ち去る。

 痛みを誤魔化す意味でも強気で笑みを浮かべてみせた。

 彼女こそが今年一番のウマ娘、彼女の才覚が他の奴に気付かれる前にスカウトしてやるのだ。

 

 

 6月に開催される選抜レースの後、スカウト目的のトレーナー達が従姉妹の周りに集まっている。

 従姉妹の名前は、シルクライトニング。ウマ娘の名家としてはまだ実績の少ないシルク家のウマ娘であり、彼女は一族で初のGⅠ勝利を期待される素質を持っている。実際問題、彼女はやれば出来るタイプのウマ娘だ。幼い時から勉学は勿論、運動や遊戯に関しても常に私の上回る。それは普段から優等生と呼ばれる彼女の素行の賜物であり、不良娘の私が嫉妬するのは間違いであることは自覚していた。

 それでも幼い時から期待され続けた彼女との仲に──亀裂とまでは云わずとも、歪のようなものが生じるのは致し方ない話である。

 

 私は、中央トレセン学園に入ってからはシルク家に帰っていなかったりする。

 従姉妹のシルクライトニングは月に一度の頻度で戻っているらしいのだが、あの家は私にとって居心地の良い場所ではない。かといって、私は親の都合で中央トレセン学園に入った身の上である為、トレーニングも身に入らず、授業などはサボり気味となっていた。こんな癖ウマ娘にトレーナーなんて付くはずもなくて、無為に時間が過ぎる日々を送る。

 歳も変わらない。同じ御家の出身であるにも関わらず、随分と差が付いたものである。

 

「姉貴~、姉貴ってば~」

 

 三女神の彫刻がある広場にて、ベンチで授業をサボっていると聞きなれた声がした。

 視線を上げれば、黒鹿毛の小柄なウマ娘が心配そうな面で私の顔を覗き込んでいる。

 

「姉貴、あんまりサボり過ぎると進学できないッスよ~」

「別に私の事は良いんだよ。モダン、私なんかの事よりも、自分の事を大事にしてろよ」

「私は姉貴の事も大事にしたいッス~、ちゃんと選抜レースに出るッスよ~」

 

 むうっと頬を膨らませる彼女の名はエリモダンディー。

 中央トレセン学園の入学式。彼女が他のウマ娘に絡まれている所に偶然、出くわした私は喧嘩する口実に丁度良いと相手を威嚇してやった事がある。しかし威嚇された相手はビビッて逃げ出すし、この臆病で情けないウマ娘は私に懐いてしまった。

 面倒ごとが増えただけで、良いことなんて何もない。軽い気持ちで助けなければ良かった。

 

「姉貴の末脚は一級品じゃないッスか!」

 

 そんな風に言われても、従姉妹の才能を常に見せつけられてきた私の心には響かない。ベンチの上にゴロンと寝転がり、耳を伏せるように目を閉じる。

 

「選抜レースに出るつもりがないなら私のトレーナーに話を通すッス! 見て貰えば一発ッスよ!」

「五月蠅い、寝る」

「もー! 引っ張ってでも行くッス! 姉貴の脚は宇宙一ッスよ!」

 

 袖を引っ張ってくる彼女を前に梃子でも動かぬと狸寝入りを決め込んだ。

 私の名前はシルクジャスティス、シルク家の落ちこぼれである。期待なんて面倒なものは優等生の従姉妹に任せてしまえば良い。

 既に御家からは見放された身の上、実家の悲願なんてどうでも良かった。

 

 

 私の名前はシルクライトニング。私には出来の悪い従姉妹が居る。

 幼い時からシルク家の期待を背負う立場としての教育を受けて来た身の上であり、一族悲願のGⅠ制覇を達成する為のトレーニングを積んできた。その事を辛いと思った事はない。いやまあ遊ぶ時間が減るのは少し辛かったけど、それはシルク家を背負うウマ娘として当然の責務だと考えていたし、トレーニングも一般的な稽古の範疇に収まっていた。

 申し訳なく思うのは、私が結果を出せば出す程に従姉妹の扱いが悪くなっていく事だ。

 

 ……まあ出来が良いとはいえない性格ではあった。

 どちらかというと私は真面目な方であり、彼女は不真面目だった。彼女が親の言い付けを守らずに逃げ出すた事は数知れず、彼女の悪戯に付き合わされる事で親に怒られた事は何度もある。でもまあそれは私も面白そうだったから付き合っただけだ。しかし叱られるのは何時も従姉妹のジャスティスであり、私は彼女に付き合わされたという事でお咎めなしになる事が多かった。

 普段の素行もあるとは思うけど──あれは彼女なりの優しさだったのだ。

 お祭りに行きたいな。って思いながら家庭教師に出された宿題に取り組んでいた時、彼女に手を引かれて家を抜け出した日を今も覚えている。従姉妹は何時も私の事を、退屈でつまらない。と言っていた。だから彼女は私を楽しませる為に多くの悪戯をしてきたし、それに付き合わせる事もあった。

 幼少期の楽しい記憶といえば、従姉妹と一緒に悪戯をしてる時ばかりが思い浮かぶ。

 

 私は従姉妹と共に過ごす時間が好きだった。

 私は負けず嫌いでもあったから、彼女が持ってくるゲームなんかも負けてからは本気で対策する。勝ち負けはどうでも良かった。従姉妹の事を考えながら勝つ方法を模索している時間が好きだった。そうしてムキになってくる従姉妹を返り討ちにして──ちょっと、やり過ぎたのか。次第に従姉妹は私を遊びに誘わなくなってしまった。

 だから私の方から遊びに誘った時、手加減をした。

 従姉妹は、ぶち切れた。それから私達の関係は冷え切り、疎遠となる。

 

「……私が今もジャスの事を尊敬してると言っても信じてくれないだろうなあ」

 

 選抜レース後、多くのトレーナーからスカウトをされてしまった。

 才能は、ある方だとは思っている。でも周りが期待してる程、私は才能に満ちている訳ではない。

 今日だってマチカネフクキタルの方が良い脚を見せていた。

 

 ……御家の責任を背負って走るのは私だけで良い。

 従姉妹は、そういうのを嫌うだろうから、御家を背負う事が嫌でもない私が背負えば良い。

 こういうと傲慢な気もするけども、

 ジャスは御家に縛られず、自分の好きな事をすればいいと思っている。



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9R:ティアラ路線の女傑達

時系列がバグっていたので書き直しました。
昨日の分を読んだ方、申し訳ありませんでした。


 月日は、あっという間に流れ過ぎる。

 6月にはフサイチコンコルドが同世代の四天王の内3名を抑えて、東京優駿の優勝トロフィーを勝ち取った。僅か3戦でのダービー制覇は、彼女と似た戦績を持つアメリカの伝説的名ウマ娘から名を取って、和製ラムタラと呼び評される。また東京優駿の先週に行われたオークスでは、エアグルーヴが見事に勝利を飾る。

 アスリートとして走る事を重点に置いたクラシック路線と芸能方面に志すウマ娘が走るティアラ路線、その両方で世代なんばーわんを決める一戦が行われる中で私のトレーナーにとっても記念日となった。

 

「ぱんぱかぱ~ん。トレーナーさんの初勝利ですわ~」

 

 此処はトレーナー寮にある彼女の私室。愛しのトレーナーを膝上に乗せて、ウンと伸びをするように両手を広げる遠征帰りのウマ娘の名はサージュウェルズ。彼女は三勝クラスの特別戦で勝利を飾ったのだ。ダート路線から打って変わった芝の長距離戦、パワーはあるけども距離が長い方がズブい彼女には合っている。と、眼鏡のトレーナーが取った戦略が見事に嵌った結果だった。

 それは彼女にとっては9ヶ月ぶりの勝利であり、同時に私のトレーナーのトレーナーとしての初勝利となる。

 

「31勝目の1歩目……夢のプレハブ小屋まで、あと30勝……」

 

 眼鏡の彼女は、愛バに後ろから抱き締められた姿で光悦とした表情を浮かべる。

 条件問わず担当ウマ娘の通算31勝は、トレーナーの能力を測るひとつの指標となっている。それは中央トレセン学園がトレーナーにプレハブ小屋を提供する条件の一つとなっており*1、プレハブ小屋を持つ事で才能あるウマ娘を勧誘できる可能性は格段に上がる。

 故に中央トレセン学園のトレーナーは先ず、通算31勝か重賞勝利を目的に掲げる事が多い。

 

「……まあ31勝するよりも私が重賞勝利する方が早いと思いますけども」

 

 と私は机の上に置かれた人参味のスナックを齧る。

 

「でしたら私が貴女よりも早く重賞勝利してみせますわ~」

 

 のほほんとした声色、細めた目から覗かせる瞳は鋭い光を放つ。

 まあ、それならそれで構わないのですけど、と自分で用意した茶を啜る。

 二人が淹れるよりも自分で淹れた方が美味しい。

 

「それでミノルのデビューは本当に10月で良いの?」

 

 そのトレーナーの問いかけに、構いません。と私は頷き返す。

 今の状態でも勝利する事は難しくない。しかし前の歴史だと私はジュニア2年目の時に脚を痛めてしまっている。我慢できない程の痛みではなかったので、前のトレーナーには特に報告もせずに普段のトレーニングを積み重ねた結果、東京優駿の前に大きく悪化をさせてしまった。レースを回避する事もできた。しかし出れば1番人気になるのが分かっているのに、ファンの期待を裏切ることはできないとして出走を強行する。

 その結果、競走能力喪失。二度と本気で走る事ができない脚になり、そのまま引退することになる。

 前のトレーナーは、ずっとその事を悔やんでいた。

 

「10月の初めにメイクデビュー戦、その下旬に開催される荻ステークスに出走。少し間を置いて12月に朝日杯を取ります」

 

 だから今回、私はレースに出走する回数を出来るだけ抑える事に決めている。

 それまではじっくりと脚を丈夫に鍛え上げる。

 

「……やっぱり脚、心配なの?」

「今はまだ大丈夫ですよ」

 

 そう微笑み返すも彼女の顔色は晴れない。そんな彼女の頭をサージュウェルズが優しく撫でる。

 

「……12月にメイクデビューでも良いんだけど?」

 

 年下相手に良いようにされているのに一向に気にせず、眼鏡の彼女は心配そうに問い掛けてくる。

 脚を労わる事を考えるのであれば、彼女の提案も悪くない。しかし私は直ぐにでも走りたい、ひとつでも多くのレースに出走して勝利したい。脚の調子が許すのであれば、芝ダート、距離問わずに全てのGⅠレースに出走したいくらいの気持ちである。しかし、そんなことをしてしまっては、結果的に怪我で出られるレースが減る事になる為、涙を飲んで出走するレースを制限する。

 朝日杯に出走する意向は変わらない。朝日杯に優勝すれば、最優秀ジュニアウマ娘を表彰される可能性も高い。

 

「ミノルちゃんって結構、見栄とか気にするタイプですよね~」

「そりゃ貰えるものは取っておいて損はないですから」

 

 言いながら、月刊トゥインクルのページをペラペラと捲った。

 来月にメイクデビュー予定のウマ娘が記載されたページに目が留まり、何名かの有名なウマ娘の名を発見する。

 メジロドーベル、シーキングザパール。共に時代を作ったウマ娘である。

 

 

 7月2週、新潟レース場。

 内側から順々でゲート内に入った私は、全員が収まるまでの時間。自分の胸元に手を当て、大きく深呼吸をした。注目を浴びる事を極端に嫌い、ずっと屋敷の奥に引き籠る。それが駄目な事だと分かっていても外に出る勇気を持てず、メジロ家主催のパーティーでも隅の方でやり過ごす日々を送ってきた。

 そんな毎日に危惧を抱いていた。

 過去のトラウマを振り切るのは今日、全ウマ娘がゲートに収まって姿勢を落とす。地面に根づきそうになる脚を、何度か踏み直す。目の前にある鉄扉が開いたその時が新しい私への一歩目だ。今のままだと駄目だと分かっている、悪いと自覚してるなら直さなきゃいけない。

 ガシャン、という音が聞こえた時、世界が拓けた。

 視界一杯に広がる芝、何処までも続きそうな景色を数分で駆け抜ける。

 走る事は嫌いじゃない。今は、それだけで良い。

 良いと思う事は、そのままで良かった。

 

 メイクデビュー戦、芝1000メートル。

 メジロドーベルは2着とは、3バ身の着差を付けて勝利を飾る。

 その後に開催されたウイニングライブでは、ぎこちなさはあったが見事に踊り切った。

 順風満帆の滑り出しである。

 

 しかし彼女の話題は、1週間後の小倉で開催されたメイクデビュー戦に掻っ攫われる。

 芝1200メートル。2着との着差は、驚異の7バ身。クラシックとティアラ混同の中で余裕の勝利であった。

 そのウマ娘の名はシーキングザパール。アメリカ帰りのパワフルガール。

 

「二人のように走りたい……!」

 

 食堂にあるテレビを前に身を乗り出すのは、額の流星が特徴的な鹿毛のウマ娘。

 目をキラキラと輝かせる彼女は幼い時から骨端症という脚部不安に苛まれており、賢明な治療を続ける事で今、なんとか中央トレセン学園への入学まで漕ぎ着けた。本気で走る事は出来ないかも知れない。と親が選んだティアラ路線だったけど、私だってレースで輝きたい。

 キョウエイマーチ、レースもライブも頑張ります!

 

 

 ウイニングライブの始まりは、今は国民的ウマドルとして有名なハイセイコーが始まりとされている。

 今もなお続くウマ娘ブームの火付け役。地方では6戦6勝と無双する活躍を見せた彼女は「地方の怪物」の名を引っ提げて中央に移籍し、皐月賞を含めて重賞4戦を見事に全勝してのけた事でハイセイコーの名は全国に知れ渡った。その人気は正に有頂天、ウマ娘に興味のない人々にまで人気は浸透し、ウマ娘レースはお茶の間の一部としての地位を確立する。

 その後に出走した東京優駿で敗れた事で不敗神話は崩れるも、彼女の人気は衰えることを知らず、誰も彼もが彼女の事を応援する。そうして社会現象にまで発展したウマ娘レース。国民は一体となり、ウマ娘の走る姿に熱狂した。それはハイセイコーだけに留まらない。自分が推しを作り、推したウマ娘のグッズを購入して応援する。今となっては当たり前の光景が、この時に初めて生まれたのだ。

 ブームの火付け役となったハイセイコーは勝ち切れないレースが続いた。東京優駿以後の戦績は12戦3勝であり、GⅠは1勝のみに留まる。

 それでも彼女ことを応援し続ける人が居た。他に推すウマ娘がいる、それでも彼女は特別だった。ファンと言葉だけでは事足りない、しかし言語化するのであれば、ファンという以外に適切な言葉がない。彼女が作った大勢のウマ娘ファンが、彼女の事を愛していた。感謝をしていた。

 引退の決まった有マ記念では、彼女がゴールした後。彼女の名を冠する歌が観客全員で歌われた。

 

 誰の為に走るのか、何を求めて走るのか。

 栄光目指して、直向きに走る彼女の姿に皆が見惚れて、心を奪われた。

 恋に別れがあるように、この日が来るのを恐れていた。

 幾十万の観衆、戦い終わってバ場を去る。

 その背中を見送る事は、辛かろう。悲しかろう。

 この日が来るのを皆が恐れていた。

 涙を飲んで、彼女に告げる言葉は決めている。

 ありがとうハイセイコー、さらばハイセイコー。

 

 誰も彼もがウマ娘レースの魅力を教えてくれた伝道師である彼女に感謝し、万雷の拍手を送る。

 感謝していたのはウマ娘ファンだけではない。ハイセイコー、彼女もまたウマ娘レースを好きになってくれたファンの皆に感謝をしていた。どうにか感謝を伝えたい、想いを言葉に乗せて恩返しがしたい。

 そんな想いから彼女は学生という身分でありながらも、一大プロジェクトを立ち上げた。

 

 ──グランドライブ。

 

 中央トレセン学園に在籍する全てのウマ娘を、そして既に学園を卒業生すらも巻き込んだ特大のプロジェクト。

 後にウイニングライブの前身にもなったグランドライブは、開催前からメディア各位から全国に伝えられる事になり、グランドライブの様相は全国ネットにまで流される事態にまで発展した。最早、中央トレセン学園だけでは収拾が付かない事態に当時の学園理事長とURAは頭を抱える事になるのだが、それは御愛嬌。なんやかんやで後に伝説となるライブは大成功を収める事になり、レースで応援してくれたファンに感謝を返すウイニングライブの実施に一役を買う事になる。*2

 ウマ娘レースは、トゥインクル・シリーズと名を改めて、その文化は現代まで続いている。

 

 ティアラ路線が走る事よりもグランドライブに憧れを持ったウマ娘の受け皿となったのも丁度、同じ時期になる。

 芸能に重きを置いたティアラ路線では、年に一度、開催されるグランドライブへの参加を義務付けられており、走れずとも、歌と踊りで輝ける。というのは、一定層のウマ娘に強い希望を与える事になる。実際、ティアラ路線から芸能デビューを果たしたウマ娘は数多く存在している。*3

 その為、ハイセイコーの引退年にデビューしたテスコガビーを最後にティアラ路線とクラシック路線で実力に差が大きく開く事になる。

 

 ハイセイコーの引退から二十年以上、トウメイを最後にティアラ路線のウマ娘が年度代表ウマ娘に選ばれる事はなくなる。

 この時、ウイニングライブは半ば形骸化してしまっていた。クラシック路線では走る事こそがウマ娘の本業だとしてライブを疎かにするウマ娘が増えており、ティアラ路線のウマ娘もファンに感謝を返すライブを疎かにするクラシック路線のウマ娘を軽蔑する。そしてレースに費やすトレーニング時間の違いからティアラ路線のウマ娘はクラシック路線を直走るウマ娘に勝つ事を諦めるようになっていった。

 そんな状況に、たわけ、と吐き捨てたウマ娘が居た。

 後の女帝、エアグルーヴである。

 

 ウマ娘は走るだけに非ず、歌って踊るだけに非ず。

 片方だけでは半人前。今のウマ娘はレースとライブ、両方熟す事で初めて一人前となる。

 その理念は現代まで続いている。

 走りで有利なのはクラシック路線だ。しかし現代においてティアラ路線は、必ずしもクラシック路線に劣るとは云えなかった。

 ヒシアマゾンで切り拓き、エアグルーヴが種を撒いた。

 

 その時代が今、この時になる。

*1
担当ウマ娘の通算31勝。もしくは、重賞勝利。最後にチーフトレーナーからチームの引継ぎを受けた場合。その3つの内1つを満たす必要がある。

*2
ウマ娘は走るのが本業というハイセイコーの考え方とウマ娘ライブの無視できない経済効果の折衷案がウイニングライブ。

*3
走る事よりもライブがメインになることはハイセイコーの考え方とは相容れず、URAと学園関係者の中でも多くの議論が重ねられた。実際、多くのウマ娘やファンからライブに関する数多くの要望が届けられており、グランドライブの与えた社会的な影響を抑える事はできないと判断。走る事が本業のクラシック路線と芸能に重きを置いたティアラ路線を分ける事で問題を解決する。



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10R:メイクデビュー戦

高評価ありがとうございます。


 10月第1週、東京レース場。メイクデビュー戦、芝1800メートル。

 バ場状態を確かめる意味も含めての準備運動、トラックコースを軽く走りながら電光掲示板を見上げる。

 本日、出走ウマ娘は14名。人気は4番目、それなりに期待されているようだ。

 

 1番人気のウマ娘は──目の前を走る体操着姿のウマ娘の背中を見据える。

 8枠14番トキノミノル。どちらかというと地味で落ち着いた外観、しかし雰囲気がある。初めてのレースであるにも関わらず、浮ついた様子が見受けられない。随分とレース慣れしている印象がある。

 ……トレーナーから聞いていた情報とは違うな。

 彼女は、今年に入ってから話題に上がり始めたウマ娘であり、選抜レースは勿論、模擬レースも含めて出走したのは一度切りだったはずだ。その時はスタートで出遅れており、サイレンススズカとタイキシャトルに次ぐ3着という結果に終わっている。それでも短距離レースで大きく出遅れたにも関わらず、2着のタイキシャトル相手に1バ身差まで迫る末脚は少なからず評価されていた。

 その程度のウマ娘のはずだ。彼女の担当トレーナーは2年目の新人であり、実績も乏しい。

 

 あるのはサージュウェルズというウマ娘で1勝して、宝塚記念に出走したというだけだ。

 出走ウマ娘13名の中で9着、特に良い所もなく終わっている。

 

 今日は東京レース場の雰囲気を感じるだけで良いと言われていたけど、どうしても彼女から目を背ける事ができない。

 背後から彼女の走る姿を見つめる。……なんというか、凄く綺麗な走り方をしていた。意識して観察する、体幹がぶれない。隙が見えない、粗探しをするも私では指摘する点が見当たらない。私のトレーナーなら何か分かる事もあるかも知れないが、少なくとも未熟な私では何も分からない程度には完成度が高かった。

 無意識に彼女の走りを真似てみると、それだけで少し走りが良くなった気がする。

 

 思わず、観客席にいるはずのトレーナーを探した。

 私は出るレースを間違えていないかと、彼女は初戦で当たって良い相手ではない。

 ……いや、逆だ。初戦で当たってくれて助かった。

 

 今日のレースは私が日本一のウマ娘になる為の第一歩目になる。

 今、私の目の前にいるウマ娘は少なく見積もっても、今世代の上澄み。私が目指すべき頂きが、どの程度のものなのか見させて貰うには丁度良いというものだ。

 これから始まる旅路の為に寡黙なトレーナーと共に過酷な調練を積み重ねてきている。

 大丈夫だ、問題ない。

 私は自らの才覚が凡庸であることを自覚している。

 

 どのような結果になったとしても、受け入れて、前に進む心の準備もまた出来ている。

 準備運動を終えて、ゲート前。彼女は足を止めて、ゆっくりと私の方を振り返った。

 

 

 嗚呼、またこの地に脚を踏み入れる事ができるなんて。

 選抜レースの時とは比べ物にならない緊張感、ピリピリと肌に感じる好戦的な戦意が高揚感を煽る。

 自分が今、掛かり気味なのは自覚していた。別に掛かっても良いとすら思っていた。

 

 今日の相手が誰なのかは真面目に確認もしていないけど……まあ今のトレーナーに公式のレースにも出ていないウマ娘の情報を収集出来ているとも思えない。しっかりと私の体調管理をしてくれて、私の調子に合わせたトレーニングメニューを組んでくれるだけでも大助かりで、一人でトレーニングをしてる時よりも効率は勿論、積めるトレーニング量も増やすことができている。

 

 脚の調子も悪くない、しっかりと芝を踏み締めても痛みはない。

 今日はトレーナーからも指示も受けていないので、前に現役だった時と同じ走り方をするつもりだ。

 つまりはプランなし、好きにやる。

 ぶっちゃけた話、現役時代の私はあまりレースが得意ではない。というのも私がまともにレースをしたのは最後の東京優駿くらいなものであり、スタートを切れば、何も考えずとも先頭に立ててしまうので後は力押しで勝利をもぎ取ることができた。コースを軽く走った後にゲート前に集合する。

 大外枠の私はゲートに入るのは最後、トントンと軽く跳ねながら全身の筋肉を解す。

 

「スズカさんが居れば、試金石としては丁度良かったのですが……いえ、今の彼女では力不足でしょうか?」

 

 この時代の逃げウマ娘といえば、誰が居たっけな。

 そんなことを思いつつ、先程から私のすぐ後ろを付いて来るウマ娘を振り返って見た。

 地味な風貌、ゼッケン8。

 その隅には小さな文字で、サニーブライアン。と書かれている。

 

 ──思わず、舌舐めずりしてしまう。

 

 逃げ戦法というのは本来、結果的にそうなってしまうものだ。

 他ウマ娘を圧倒する程のスピードを持ってすれば、気ままに走るだけで先頭に立ってしまう場合もあるし、ウマ込みが苦手だけど最終コーナーで外から躱せるだけの長い脚もなければ、最後の直線で一気に抜き去る末脚もないので先頭に立つしかない場合もある。

 しかしサニーブライアンは違っていた。

 彼女は勝つ為に逃げを打つ。逃げ戦法を手段ではなく、作戦に昇華させた数少ないウマ娘の一人。ハナを切って先頭に立った後で緩やかにペースを落とし、溜め逃げの形を作るのが得意なウマ娘であった。

 逃げ戦法に関しては、一家言持ちのウマ娘である。

 

 彼女がゲートに収まる後ろ姿を見て、今日、私はレースを楽しめるでしょうか? と期待に笑みを零す。

 過去と現代ではレベルが違う。そんな事は分かっている、しかし過去のウマ娘が現代と同じトレーニングを積むことができたとすれば? それでもやはり、過去の平均が現代に手が届くとは思えない。

 しかし、それが伝説的なウマ娘なら話は変わるかも知れない。

 

 躊躇は一切なし、私は過去から未来への挑戦者。

 いざ真剣勝負。いざ、いざ。掛かってなんぼの本番一閃。

 ゲートに収まり、いざ、いざ、いざ!

 早く開け、とゲートが開き切る前に鉄扉を抉じ開けた。

 

 

 ゲートに収まる前、彼女。トキノミノルが私の方を振り返る。

 視線は合わず、私が付けたゼッケンを見た時──殺意に、身震いした。彼女は、まるで獲物を見つけた。とでも言わんばかりの双眸と共に舌舐めずりをする。その姿は肉食獣と見紛うばかりだ。なんだ、あれは。闘争心の塊か、他のウマ娘とは一線を画す存在感に身を竦ませる。脚を止めているとスタッフに背中を押されて、ゲートに入れられた。狭い箱の中で、ゆっくりと深呼吸をすることで心を落ち着かせた。

 大丈夫、やることは決まっている。

 今日は溜め逃げ作戦の確認と東京レース場に慣れる事、ゲートが開いた瞬間に飛び出す訓練は特に積み上げてきた。

 

 ガシャコン──と音が鳴り、周囲の誰よりも早くに拓けた芝に身を放り込んだ。

 抜け出せた。と思った、私の更に先を右から左に横切る影を見た。トキノミノルだ。彼女は序盤から圧倒的なスピードを以て、大外から最内へと切り込んだ。拙い、出遅れた。慌てて追いかけようとするも、もう既に先頭争いから取り残されている。彼女は最内を取ると、軽く息を入れる程度に速度を緩めた後、向かい正面の坂を一気に駆け上がり、直滑降の下りで加速を付けたまま速度を緩めず、第3コーナーの最内へと切り込んでいった。

 この時点でもう既に3バ身の差が付けられている。

 追いかけなくてはならない。最終コーナーで少しでも差を付ける為に懸命に速度を上げる。3バ身の差は1バ身に追いつけた、と思った瞬間、彼女は急に加速を始めた。気付けばもう最後の直線だった。待て、待て! 脚に力を込める、内側の柵から距離が離れる。脚が縺れる、踏ん張れない。上手く力が伝わらない。内から外へと身体を流れるのを自覚した時、ふと背後に視線を向けた。

 3着とは5バ身の差が付いていた。

 

「……カッ…………ヒュッ…………ヒッ! ……ハァッ!」

 

 あからさまなオーバーペース、坂を加速しながら登る彼女の背中に手を伸ばす。

 当然ながら届かない。坂に入ってガクンと落ちる速度、彼女が坂を登り切った時、私はまだ中腹。背後との差が詰まって来た。

 もう前を追いかける段階にない。呼吸が……息を、入れるのを……忘れ、てた…………

 

 坂を登り切って残り200メートル、粘れたのは此処まで。

 他のウマ娘が次々と私の事を追い抜いて行った。ゴール板を切った時には、もう掲示板にも入れない順位にまで落ち込んでいる。

 膝に手を付いた。汗で肌に引っ付いた前髪の先に見たのは、観客席に向けて、元気に両手を振るトキノミノルの姿だった。

 

 ……まだ余力がある。

 その絶望的な差を見せつけられて、酸欠も伴って頭がくらりと来た。

 勝てない。

 膝から手を放した、太腿に手を張って背筋を伸ばす。鼻から大きく息を吸い込んだ。

 今は、まだ勝てない。

 

「あれが日本一、あれが頂き……!」

 

 東京優駿までに残された時間は、もう半年と少しだけ。

 時間が足りない、このままでは間に合わない。

 スケジュールに上方修正を、

 もっと、もっと私は強くならなくてはならない。

 

「勝つ。今は無理でも、半年後には必ず追いついてみせる」

 

 今までの私は温かった。

 まだ勝つ為に削れる何かがあるはずだ。

 もっと勝つ為に捧げられる何かがあるはずだ。

 勝つ為に、勝つ為に、勝つ為に、

 

 

 見た、来た、勝った。

 そんな感じのメイクデビュー戦を終えたウイニングライブ。応援してくれたファンに感謝の気持ちを返す舞台だ。

 これが開催されるようになったのはハイセイコーがグランドライブを開演した後の話であり、つまり、それよりも前に活躍していた私は勿論ウイニングライブなんて経験した覚えがない。それでもまあ理事長秘書のウマ娘として、振り付け程度は覚えている。

 舞台のセンターでマイクを握る。

 確かに踊る事はできる。しかし、しかしだ。私にはウイニングライブの経験がなかった。しかもメイクデビュー戦に勝利したウマ娘のライブは、同日に開催されたレースのウイニングライブを並べたプログラム内で行われる。つまりは、まあGⅠレースを観に来たファンもライブ会場に集まっているという話である。

 ……やばい、頭の中が真っ白でやばい。

 あとGⅠ以外のレースでは、ライブ衣装はURAから無償で貸し出されるのだけど、とても若作りした衣装で精神的にも辛い。

 ヘソ出しが、とても……お辛いです!

 タスケテ、トレーナー=サン。タスケテクダサイ。

 

「アー、アー、ドーモ、ハヤトキノミノルデス。ヨロシクオネガイシマス」

 

 しかし無情にも楽曲は鳴り始める。

 心を無にするのです。何も考えずに事を為せば、どうにかなるものなのです。

 さあ大きく息を吸い込んで……

 

「ひびッ……げほっごっほ! 届け……うぇっげほっ……かがや……君と……げほっ! 何かが喉に絡まって……けほっ……ちょっと待っげっほごほッ!」

 

 それはトゥインクル・シリーズが続く限り、未来永劫に渡ってお茶の間に流される伝説のライブとなった。




■トキノミノル(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:1戦1勝(1-0-0-0)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京:1着:メイクデビュー戦:T1800m


■サニーブライアン(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:1戦0勝(0-0-0-1)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京:6着:メイクデビュー戦:T1800m


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11R:才能の無駄遣い。

※変更点
アイビーステークス→荻ステークス
理由:出走間隔。

誤字報告など、ありがとうございます。


『アッハッハッ! 爆笑ッ! 見たぞ、たづな! メイクデビューのウイニングライブッ!』

 

 美浦寮の自室。スマホ越しに聞こえてくる快活な声に、へにゃりと耳を下げる。

 メイクデビュー戦で8バ身の大差を付けた事もあって注目を受けていたが、同時にあのライブがウマチューブに上げられた事もあり、良くも悪くもウマ娘ファンに顔と名前を憶えられてしまった。まあ長いトゥインクル・シリーズ、そんな事もある。聞き慣れた声の爆笑が何時まで経っても鳴り止まなかったので、少し癪に障った私は海外から得ていた情報を口にした。

 

「ブロンズコレクター……」

 

 ポツリ、と零した一言に『ふおっ!?』という間の抜けた声が聞こえた。

 

「私、知っているんですよ? プール・デッセ・デ・プーラン*1、ジョッケクルブ賞*2、パリ大賞典*3で3着、続くニエル賞でも3着。初戦以来、随分と負けが込んでいるようですね?」

『むぐぅっ!』

「今年の凱旋門賞出走表に貴女の名前を見かけていないのですが?」

『辛辣ッ! たづな、こちらの世界に来てから……その、なんだ。私に対しての当たりが強くなっておらぬか?』

 

 よよよ、と泣き真似をする知己に私は溜息ひとつ零す。

 

「フォレ賞に出走する予定だと聞いていますけど?」

『うむ! 先ずは自分の得意な距離から実績を積む事に決めた! GⅠに勝利すれば、出走枠に悩まされる事もなくなるしな!』

 

 先程までとは打って変わり、はきはきと告げる。

 それから近況を報告し合った。「渇望ッ! 日本食が恋しい!」という悲痛な声を聞く場面もあったが、華麗に無視を決め込んだ。というか貴女の故郷はカナダで、現役時代は欧州だったはずでは?

 そうしていると結構な時間が過ぎてしまった為、別れの挨拶を交わす。

 

『今年は難しいだろうが、来年は日本で会おうぞ!』

「ええ、お待ちしています。ああ、難しそうでしたら再来年を目途に私の方からヨーロッパに行きますよ」

『……たづな、やっぱり現役に戻ってから性格が変わっておらぬか?』

 

 そうかも知れませんね。そんな言葉を残して、ではまた。という言葉と共に通話を切る。

 フォア賞は10月第4週目、フランスのロンシャンにあるレース場で開催される。元理事長が現役時代に唯一取ったGⅠであり、その思い入れもひとしおあるに違いない。日本は最後のクラシック3冠である菊花賞が迫り、秋シニア3冠の前哨戦が開催される真っ只中だ。ついでにいえば、仕上がったジュニアクラスのウマ娘が次々とメイクデビューを始める季節でもある。

 欧州競馬は締めに入る時期、日本は今から来年の夏に掛けて、芝ダート含めて激闘が待ち受けていた。

 

「さあ私も頑張らないといけませんね」

 

 来年、彼女がジャパンカップの招待ウマ娘に選ばれた時、私が出走できないでは格好が付かない。

 とりあえず先ずは次走の荻ステークス、奇しくも親愛する元理事長が出走予定のフォレ賞と同じ週に開催される。

 

 

 時折、何もかもが極端に面倒臭く思えてしまう事がある。

 夏場であれば丁度良い木陰に心地よい芝のある隠れスポットにねんごろりんとしてるとこだが、昨今は寒気も強くなり始めた10月半ば。流石の私も外で寝ては凍えてしまうので、こんな時は使っていないトレーナー室でも使うのが吉だ。緊急用と外で無限に増設され続けているプレハブ小屋とは違って、きちんとトレーナーが雑多な仕事をする為の部屋が並べられたトレーナー棟が建てられている。

 最近はプレハブ小屋の一角を潰して、新たにトレーナーが業務を行う為の建物を建造する計画があるとか、ないとか。まあセイちゃんには関係ない話があったり、なかったりするのです。

 

 老朽化した建物。何度か改修されている形跡はあるけども、古臭さは否めない。

 実際、トレーナーが部屋で長時間、業務を行うには少し不便な造りになっていたりする。例えば、部屋には水を引く場所がなかったりとか、同じ階に給仕室がなかったりとか。おかげで一階の入り口付近には、自動販売機が設置されている。また学園内の食堂は基本的にウマ娘が活用する場所である為、トレーナーが食事の為だけに脚を運ぶには少しばかり勇気が必要であり、かといって学園内に出前を頼む事もできないので、此処を使っているトレーナーは不摂生が祟る事が多いのだと云う。

 他にも階段の上り下りがある為、見た目ほどトレーニング施設との距離が近くなかったりする。

 

 そんな訳でプレハブ小屋よりも若干、人気の薄いトレーナー棟。プレハブ小屋よりも部屋が広いことだけが取り柄である。

 だからこそサボるにはうってつけの場所でもある。空き部屋の鍵を持ち前のピッキング道具でチャチャッと開けた。そのまま部屋の中に身体を滑り込ませて、内側から鍵を閉め直す。部屋には、前のトレーナーが使っていたのかソファーが用意されており、そこで身体を横にする。

 ぐーすかぴーのきゅるきゅるくう~。セイちゃんは怠けるのが大好きなのです。

 ……これでもトゥインクル・シリーズを見て育った身の上だ。ウマ娘として生まれたからにはレースに勝ちたいのはある。でも同時に悟ってもいるのです、世の中は才能が一番だ。努力が才能を凌駕する事はあるのだけど、才能ある者が努力をしてしまった時、凡庸の身に生まれた者は才能ある者に勝つ事はできなくなる。

 そんな世の中、くだらないって思っている。

 先日のメイクデビュー戦。トキノミノルというウマ娘が2着とは8バ身の差を付けて、ぶっちぎりで勝利をした。そのレース展開は本当にくだらないものだった。才能あるウマ娘が初手から逃げて、そのまま力押しでゴールするという才能の壁をまざまざと見せつけるものである。そんなものを見せつけられてしまったのであれば、なんだか努力するのもバカらしくなる。

 そんな感じで消沈中なのです。

 同期でも血統や才能に満ち満ちたウマ娘が多い事もあり、真っ向勝負でやり合っては勝てない事が分かってしまっている。

 ああ、どうしたものか。と、寝心地の良いソファーで目を伏せた。

 

 手持ちのスマートフォン、同期達から心配の声が幾つかあるけども既読無視。

 なんとなしに眠れなくて画面を操作していると、とあるウマッターのツイートが目に入った。

 

『未勝利戦、サニーブライアン勝利。3バ身差、逃げ切り!』

 

 それはなんてことのない呟きだった。

 少なくとも、この時の私にとってはあまり強い意味を持たない情報だ。2週間前にトキノミノルに競り潰されて惨敗したウマ娘、それが間を空けずに次のレースに出走して勝利した。

 それだけの話、それだけの事が頭の片隅に残された理由。特に注視する訳でもなく、タイムラインを下から上に流す。

 次に私が彼女の名前を思い出すのは、半年近くも過ぎた頃になる。

 

 

『トキノミノル、先頭に立ったところで大きな歓声と拍手が湧きました』

 

 10月第4週、京都レース場。荻ステークス、芝1800メートル。

 今日の課題はペース配分。先頭に立てた時は、レース展開を自分で操作する事を指示に出されている。なのでスタート直後に飛び出せば、悠々と先頭に立った後に自分の走りやすい速度を作る。それで後続との差は3バ身を超えて、第2コーナーと合流した頃にはもう誰も私に付いて来ようとするウマ娘は居なかった。

 こうなってはもうレースの展開なんて考えるだけ無駄だ。

 

『トキノミノル、ぐんぐん行きました。思い切って行きました。遠慮会釈なく行きましたが、果たしてゴール板まで脚が持ちますでしょうか?』

 

 後続との差は20メートル程度、もう目測で何バ身という形では表現できない。

 ……トレーナーサンニ、ナニカイワレテイタキガスル。流石に差を付けすぎてしまったかも知れない。このまま最後まで走り切れない事もないとは思うのだけど、レース前にトレーナーから飛ばすだけじゃなくて、レース展開を考えて動けとも言われていた。この時期から無理をしてると今は大丈夫でも、後になって脚を壊す可能性も出て来るかも知れないと。私は出来るウマ娘です。何処ぞの先頭民族とは違うので、ペースを抑える程度の事はお安い御用だ。

 さあて息を入れるつもりでペースを抑えてみましょうか。

 ひと息入れて、まだ来ない。ふた息入れても、気配すらない。影を踏ませるつもりで更に息を入れても来ないまま、第3コーナーに突入してしまった。あれ、もしかして、私ってペース配分ヘタクソ? やばい、もっとスピードを落とさなくてはいけない。

 脚をしっかりと止めた時、内側から並ぼうとするウマ娘の影があった。

 

『トキノミノルに1バ身半になりました。トキノミノルのスピードがなんか止まった! なんか止まった! トキノミノルがなんか止まりました! そしてジュエルトパーズがこれを躱しに行く────』

 

 不味い、ペースを落とし過ぎた!

 もう最終コーナーに入る時、そういえばスパートはどうでしたっけ?

 あ、やばい。完全にハナを取られた。スピードを上げなきゃ!

 

『──しかしトキノミノルがまた離す。また離す! これをグーンと離せば、大横綱相撲ですが、第4コーナーを回ってまた3バ身くらいまで!』

 

 最終コーナーを曲がり切ってから、ああもう勝てば良いんです!

 芝を思い切り蹴り上げての最後の直線。後続を振り切って、悠々と一人旅だ。

 ……あまり差を付けずに勝つようにとも言われていたっけ?

 

『もうトキノミノルの勝利は間違いないでしょう! 完全な横綱相撲ですッ!!』

 

 思い出した時にはもうゴール板を横切っていた。

 ま、まあ勝ったので結果オーライです。思いの外、疲れてしまった展開に「やりましたよ、トレーナーさん!」と観客席を見てみると、最前列で私のレースを観ていたトレーナーさんが笑顔を引き攣らせていた。私、なにかやっちゃいましたか? みたいな顔で惚けて、この場をやり過ごした。

 後日、その日のウイニングライブはちゃんと熟したにも関わらず、ネット上では良くも悪くも炎上してしまっていた。

 おかしい。ちゃんとレースをしようとしただけなのに。

 レース後の休息日、私は不貞寝した。

 

 更に翌日、無事にフォレ賞を勝った元理事長に大爆笑された。

*1
仏三冠レースのひとつ。別名、フランス2000ギニー。

*2
仏三冠レースのひとつ。別名、フランスダービー。

*3
新仏三冠レースのひとつ。本来の歴史では、当時の三冠はロワイヤルオーク賞。




※海外レースの日程は、割と雑です。齟齬があると思います。
※荻ステークスは96年に開催されていませんが、本作では日程や重賞などは当時と現在の良いとこ取りをさせて貰います。(具体例、ホープフルステークスがある。大阪杯がGⅠレース等)

■トキノミノル(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:2戦2勝(2-0-0-0)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京:1着:メイクデビュー戦(T1800m)
10/4:京都:1着:荻ステークス(T1800m)

■サニーブライアン(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:2戦1勝(1-0-0-1)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京:6着:メイクデビュー戦(T1800m)
10/3:東京:1着:未勝利戦(T1800m)

■ノーザンテースト(クラシック)
年組:ジュニアC組 髪色:栗毛
戦績:10戦2勝(2-2-6-0)
主な優勝歴:(GⅠ)フォレ賞
▽ジュニアB組
 8/4:ドーヴィル:1着:クレヴェクール賞
 9/4:ロンシャン:3着:ロリ賞
10/2:サンクルー:3着:(GⅢ)エクリプス賞
11/1:サンクルー:2着:(GⅢ)トマスブリオン賞
▽ジュニアC組
 4/3:ロンシャン:2着:(GⅢ)フォンテンブロー賞
 5/2:ロンシャン:3着:(GⅠ)プール・デッセ・デ・プーラン
 6/1:シャンティ:3着:(GⅠ)ジョッケクルブ賞
 6/4:ロンシャン:3着:(GⅠ)パリ大賞典
 9/3:ロンシャン:3着:(GⅡ)ニエル賞
10/4:ロンシャン:1着:(GⅠ)フォレ賞


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12R:加速する情勢。

誤字報告、多数の高評価。ありがとうございます。
日間47位を確認しました。多謝。


 11月にもなれば、ジュニアクラスの勢力図も大まかに固まってくる。

 近頃、低調気味の名門メジロ家からは今年、メジロブライトとメジロドーベルの二名を輩出しており、メジロブライトはメイクデビュー戦を勝利した後、1勝クラスで2着を挟み、重賞のデイリー杯ジュニアSでシーキングザパールの2着と健闘をしている。メジロドーベルもオープン戦であるいちょうSを含めた4戦3勝であり、12月に開催されるティアラ限定GⅠレース。阪神JFへの出走を確定させていた。

 シーキングザパールは先述の重賞、デイリー杯ジュニアSを含めた3戦2勝で阪神JFへの出走を決めている。

 そして忘れてならないのがマイネルマックス。8月から始動した彼女は初戦で躓きはしたが次戦で無事に勝利を掴み取り、3戦目の阪神ジュニアS、4戦目の京成杯ジュニアSと重賞を2連勝している。今、ジュニアクラスで乗りに乗っているウマ娘であり、朝日杯FSへの参戦を表明している。他には札幌ジュニアSに勝利して3戦3勝のセイリューオーや2戦2勝で調子の良いクリスザブレイヴなどが期待されている。

 しかし、今世代で最も高い期待を受けるウマ娘は、トキノミノルだ。

 

 2戦2勝。主な優勝歴は荻S。

 まだ重賞を勝利した事のない彼女ではあるが、荻Sの逃げて差す。彼のスーパーカーを彷彿とさせる勝利に、誰もが彼女が持つ能力を認めていた。2戦の走りっぷりから気性難の疑惑が掛けられている彼女ではあるが、それを考慮に入れてなおも彼女の実力は世代で抜きん出ていると話題になっている。

 そんな彼女が次走に選んだのも、朝日杯FS。世代最強の称号欲しさに名乗りを上げる。

 

 ジュニアクラス世代最強を決める役者が揃ってきた表舞台、裏では来年のクラシック3冠に向けて始動する者達も居た。

 

「ふんぎゃろ~!」

 

 11月第5週、阪神レース場に奇声が上げられた。

 本日はメイクデビュー戦で1200メートルのダートレースが開催されており、丁度、最後の直線に差し掛かった場面である。3番手を走るマチカネフクキタルは持ち前の末脚を活かして、勝利を狙っている。しかし先頭を走るウマ娘に追いつくどころか、差は広がるばかり、気付いた時にはもう手を伸ばしても届かぬ距離となっており、大差を付けられてしまった。

 マチカネフクキタルは失速し、3番手に控えていたウマ娘にすら抜かれる3着となった。

 

「やりました! 私、やりました!!」

 

 綺麗な体操服でピョンと跳ねるのはティアラ志望のキョウエイマーチ。余りに圧倒的な実力にマチカネフクキタルは頭を抱えて「だから今日の運勢は大凶だと言ったじゃないですか~」と誰かに対する恨み節を零していた。他のウマ娘もまた、相手が悪かった、と悔しがるよりも諦観してしまっている。

 時期的には、もう阪神JFに間に合わないが次世代を引っ張るウマ娘の一人として強く印象付けられるレースであった。

 

 

「……羨ましいです」

 

 中央トレセン学園にある食堂にて。

 設置された大型テレビの映像を見ていたウマ娘の一人がガタッと椅子を押し退けて立った。流れるように美しい栗毛色の長髪、彼女は画面内の賞を売民がましく睨み付けて、ポツリと呟いた。

 とても気持ちよさそうでした、と。

 

「ステイ。スズカ、ステイ。待ちなさい」

 

 そのまま何処かへ駆け出そうとする彼女の服の裾を両手で掴むのは、彼女の隣の席に座っていたトレーナーだ。

 彼女はまだ若いながらも実績を持つトレーナーであり、何度か重賞にも勝利した経験を持っている。

 そんな彼女が今、必死に止めようとしているのが担当ウマ娘のサイレンススズカであった。

 

「トレーナーさん。私、走ります」

「待って、本当に待って、今日のトレーニングは終わったんだけど?」

「ええ、なので、ちょっとその辺を走ってきます」

「なので、の意味が私わかんない。ねえ、スズカ。落ち着いて?」

「これくらいは朝飯前です」

「メインディッシュは終わった後なんだけどなあ」

「……明日に向けての準備運動です」

「準備運動はトレーニングの直前にするもんなんだけどなあ」

 

 ヒトは、力でウマ娘に敵わない。

 愛バの服を掴んだまま、ずるずると引き摺られるトレーナーの悲鳴は愛バの耳には届かなかった。

 

 二人の出会いは、トキノミノルが走った選抜レースの少し前の話になる。

 当時、サイレンススズカは悩んでいた。中央トレセン学園のウマ娘がレースでの勝利を目的にしていると知った時、彼女はレースで勝利する為に必要な知識を得る為に図書室に足繁く通っていた時期がある。しかし彼女には分からない、勝つ為に走る意味が理解できていなかった。幼い頃から走る事が大好きで、走るだけで満たされる毎日を送っていた。

 走る事そのものを目的に生きていた彼女は、そこに競走の要素が加わると途端に自分の走りが分からなくなってしまうのだ。

 

 そもそもだ、彼女は中央トレセン学園に夢や希望を抱いて入学した訳ではなかった。

 走るのが好きだから、走ることを活かせる生き方を求めて、中央トレセン学園に入学を決めた。それだけである、それ以上は何も求めていなかった。そんな彼女も中央トレセン学園に入学したからにはトゥインクル・シリーズで出走する必要があり、そこで勝利する事を求められる。そうであるが為に彼女は走る事よりも、レースに勝つ事を目的に走るようになった。そこで彼女はレースに勝つ為に様々な事を考えているウマ娘を知った、レースに勝つ為に厳しい努力を積み重ねるウマ娘を知った。レースで勝つ為に自分を追い込んで、辛い思いをしながら走るウマ娘を知った。

 だから彼女も、そうあるべきだと思うようになった。

 

 サイレンススズカは、周りが思う以上に生真面目で素直な性格をしていた。

 

 走るだけで楽しめて、走っているだけで満たされていた。

 漠然と、それではいけない。という想いがあり、想いは焦燥となる。我慢してウマ混みにも慣れようとした。でも、上手くいかなかった。それが自分の求めていたものとは違う感覚はあった。だけど、みんな辛い思いをして頑張っているのに、楽しい想いをしながら走るのもいけない気がした。理想と現実。その齟齬に胸が苦しくなり、振り切るように毎日走り続ける。

 辛い思いをした分だけ、前に進めると信じていた。

 

 そんな時だ。河川敷を雑念を振り払うように我武者羅に走るサイレンススズカを見つけたトレーナーが居た。

 一目惚れだった。トレーナーは直ぐに情報を集めて、彼女のスカウトに乗り出した。

 そして見つける。トラックコースを走る彼女の姿は酷く窮屈そうで、痛ましく、見ていられなくて話を聞きに行った。

 

「スズカには、スズカの走り方がある! 他のウマ娘にとっての最善が、スズカにとっての最善であるとは限らない! 勝つ為に作戦を考えるのも一つの手段であるのだとすれば、勝ち方を極めるのもまた一つの在り方だ! それでしか走れないというのであれば、それで勝つ方法を模索するのが私達トレーナーの責務だ!! 難しい事を考える事が出来ないというのであれば、私が考える! それがトレーナーの仕事だ!!」

 

 悩みを聞いた後、勢い任せに叫ばれた口説き文句。惚れた女の弱み、下心すら忘れた本音はサイレンススズカの心を貫いた。

 サイレンススズカは、彼女の言葉の意味を半分も分かっていない。分かったのは「自由に走っても良い。走るのは私の仕事、考えるのはトレーナーの仕事」といった程度のものであり、それだけで彼女の頭の中を覆っていた暗雲が一気に晴れてしまったのだ。それは「面倒な事は全て、目の前にいるトレーナーに丸投げすれば良い」と都合よく解釈した瞬間でもある。

 ぽけっとする頭、差し出される右手。トレーナーはサイレンススズカの目を見て、力強く告げる。

 

「私と共に頂点を取ろう」

「喜んで」

 

 サイレンススズカは食い気味に彼女が差し出した手を受け取った。

 彼女にはトレーナーのいう頂点が何なのか分かっていなかった。でも、それでも良かった。サイレンススズカの旅に目的はない、旅を続ける事に目的があった。その道中にある景色を駆け抜けて、まだ見ぬ景色を追い求めている。走る事そのものが彼女の喜びである。見たことある、これまでの景色よりも、より良い場所を目指して、サイレンススズカは駆け続けるだけである。

 目的地を設定してくれることは、自分の走る手間を省いてくれる。

 その程度の認識しかなかった。

 

 こうして彼女は史実よりもバカになった。

 悩めるウマ娘は、走るバカに。バカを極めたバカへと成り果てる。

 そうしてトレーナーは愛バのバカ加減に今日も頭を悩ませるのであった。

 

 

 今の情勢に心を躍らせて奮起する者も居れば、非常な現実を前に心を折る者も居る。

 

 

「私、来年から地方に転向しようと思います」

 

 担当しているウマ娘から話がある、という事で人払いをしたプレハブ小屋で対面すると開口一番に告げられた。

 僕は頭を抱えた後、手元のペットボトルの茶を呷って愛バを見つめ返す。彼女の顔色は青褪めていた。下唇を噛み締めている、陰り曇った瞳は地面に向けられている。冗談ではない事は見て取れた、彼女なりに真剣に悩んだ結果でもあるのだと思う。

 しかしだからといって、簡単に受け入れてやる事はできない。

 

「早まるな。お前には重賞を狙えるだけの素質がある」

 

 彼女は今、先日の敗戦のショックが抜け切れていないだけなのだ。

 そう思っての言葉であったが「そうじゃないんです!」と彼女は頭を振った。

 瞳孔の開き切った瞳、半笑いで水らかの震える手を見つめる。

 

「……もう駄目なんです」

「駄目じゃない。もう一度、積み重ねれば良い」

「積み重ねて、何になるというのですか?」

 

 失礼、と彼女は罰の悪そうな仕草を見せた後、逡巡した後にポツポツと語り出す。

 

「あんな負け方をして……どうして、また同じ場所で走れるのでしょうか? 積み重ねても、上がれば上がるだけ、あの化け物とレースをする可能性が増えるだけ……私はもう、あの化け物と同じ場所では、走れません…………」

 

 彼女の名前はジュエルトパーズ、荻Sでトキノミノルと戦ったウマ娘。この場では、年末まで考えてみて欲しい。と言って引き止めたけど、結局、彼女の意思は変わらず地方のトレセン学園に転校してしまった。僕は担当になった彼女の支えになれなかった事を不甲斐なく思うと同時にトキノミノルと云う化け物に対して畏怖を感じる。

 彼女は一体、何者なんだ。今時、スーパーカーなんて時代錯誤も程々にしてくれ。




サイレンススズカ 賢さG


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13R:世界で一番お姫様。

誤字報告などありがとうございます。


 12月第1週、阪神レース場にて。

 ゴール板の先で僅かに黒鹿毛の小柄なウマ娘が、僅かに息を切らしつつも静かに片手を上げる。

 そのすぐ後で掲示板の頂点に、彼女が胸に付けたゼッケンと同じ番号が点灯した。

 

 大歓声を背に受けた小柄な彼女の姿は、正に小さな巨人。他ウマ娘のすすり泣く声は意にも介さず、さも当然とでも言いたげな澄まし顔でコースを後にする。長い廊下を通った先の控え室──を素通りした先にあるシャワー室ではトレーナーが特性ドリンクを片手に待ち構えていた。

 

「疲れた、脱がせて」

 

 彼女は特性ドリンクを口にした後で、気怠く口にする。

 言われたトレーナーは少し困った風に微笑みながら「はいはい」と愛バの体操服を脱がせた後、椅子に座らせる。

 それから自らもスーツの上着とシャツを脱ぐと温水で彼女の汗を流した。

 

「お客様、痒いところはありませんか?」

 

 そんな軽口に「ない」と素っ気ない態度を取る。

 まだウイニングライブまで時間はあった。濡れた髪をトレーナーにタオルでわしゃわしゃとされながら控え室まで戻った。小柄なウマ娘は備え付けの長椅子を見やった。ん、とトレーナーに顎で指示を出してやれば、はいはい、とトレーナーは長椅子の上にタオルを敷いた。その上に俯せになれば「少し寝る、終わらせといて」と目を閉じる。

 愛バの横暴な態度を前にしてもトレーナーは苦笑するだけで「お疲れ様でした」と全身のマッサージを始めた。

 

 指導はしない。何故なら今日の彼女は御姫様だからだ。

 

 彼女はやるべき事をやり、自分の責務を全うした。

 レースが近付けば近づくほどに彼女は傍若無人になっていったが、トレーニングは真面目に熟している事をトレーナーは知っている。彼女はレースの主役が自分であることを自覚していた。それ故に最高のコンディションとモチベーションをレースの開催日に合わせる事だけに注力しており、それ以外の全てをトレーナーに丸投げする。その事を嬉しいと思う事はあっても、憤りを感じる事はなかった。

 彼女は、少しばかり理解されにくいだけなのだ。

 レース後のケアをトレーナーに丸投げした今、数分と持たず、熟睡してしまっているのが彼女からトレーナーに対する信頼の証。凝り固まった筋肉を解すだけではなく、指圧のひとつ、ひと揉みから彼女の筋肉の状態を掌握する。今、この時こそがトレーナーとしての真剣勝負である。トレーニングとレースでは結果が変わる、当然の話。その情報を読み取り、今後のトレーニングに活かし、レースに勝たせる。それがトレーナーというものだ。

 彼女は自分が最も偉いと思っている。当然だ、レースの主役はウマ娘。彼女を輝かせる為に私達がいる。

 理不尽で、横暴ではない。すぐ脚が出るウマ娘だが、決して猛獣ではない。

 彼女の行動と結論には意味がある。

 

 彼女の名前は、キンイロリョテイ。いずれ、世界を獲るウマ娘だ。

 

 

 夢の中で思い返すのは、何度ケツを蹴っても追いかけてくる小生意気なトレーナーに付き纏われる毎日だ。

 才能があると寄って来たトレーナーは他にも居て、一度は契約を結んだが、私を矯正させようと上から目線で一方的に物を言ってくるのでケツを蹴飛ばしてやった。その日から私は気性難の問題児だというレッテルを貼られる事になり、斜行癖も相まって、トレーナー達は私から距離を置くようになった。

 そんな中でも彼女だけは毎日のように私に付き纏ってくるし、その暑苦しい距離感に何度もケツを蹴り上げてもへこたれなかった。自主トレが終わった後に頼んでもいないのにスポーツドリンクを持って来て、ふわふわのタオルを手渡してくる。これが数日程度なら気にしない。しかし一ヶ月も続けば、少しは気にするし、半年も経てば、怒りは呆れへと成り替わる。勝手に詳細なデートを取られているのも、恐怖を通り越してしまった。出来るトレーナーには変態が多いと聞くが、彼女も似た人種なのかも知れない。

 結局、根負けしたのは私の方であり、話だけは聞いてやる事にした。

 

「私に何を獲らせたいんだ?」

 

 何時もトレーニングに付き纏ってくるトレーナーを食事に誘った日の事だ。

 私は、好物のお茶漬けを啜りながら質問する。トレーナーは自分で走らない代わりに、ウマ娘に夢を乗せる。だからトレーナー業を続ける人間が利己的な理由を抱えている事は知っている。その事に嫌悪感はない、むしろ当然だ。欲のない人間の方が信用できない。具体的なレース名が出れば良し、それはちゃんとした未来像を持ってスカウトしているという事だ。私をスカウトする事によって、どうなりたいのか。これが言えない人間を私は信用する事はできない。

 彼女は、私からの問いかけにキョトンとした後。強い意思を込めた瞳で、自信たっぷりに笑みを浮かべた。

 

「凱旋門賞」

「……は?」

「キングジョージやBCターフ、他にはドバイシーマクラシック、香港ヴァーズも良いんだけどね。やっぱり私は世界最高峰のレースといえば、凱旋門賞だって思ってる」

「本気か?」

「貴方とならできる」

 

 そう頷く彼女の瞳は、テレビで観て来たトップのウマ娘のようにキラキラに輝いていた。

 

 ……私は貴女にとっては世界で一番のお姫様、そういう扱いを心得て欲しい。

 いつもと違う髪型に気が付くのは当然、靴の違いにだって気付くべきだ。私の一言には言い訳なしで三つの言葉で返事をし、返事の言葉は肯定以外に許さない。いや、私の意を理解した上での言葉なら聞いてやらない事もない。分かったら私が気分よくレースに出走できるように心掛ける。気分屋の私がレースで勝ちたいなって思えるように盛り上げる事はトレーナーとしての義務なのだ。

 別にこんなのはわがままじゃない、全ては私がレースに勝つ為に必要な事。その為に無駄を省き、効率を求めるのはおかしな事ではない。

 

 私が雑誌を読んでいる時に苺のショートケーキが食べたいと思ったならば、トレーナーは私の口元にフォークで切り分けたケーキを持ってくるべきなのだ。

 

「どうして君は、あんな我儘を許しているんだ」

 

 とある日の話だ。トレーニングを終えた後、シャワー室で汗を流した私はマッサージを受ける為にトレーナーとの待ち合わせ場所に戻った時の事になる。トレーナーが先輩に強い口調で問い詰められている場面にでくわした。その時、陰口を言われる事を覚悟した私は、柄にもなく廊下の角で聞き耳を立てる。

 

「それはどういう意味で?」

「あのウマ娘は年上を敬う心がない。あんなのを許していては教育にも悪いだろ」

「……確かにまあ、傍から見ればそうなんでしょうね」

 

 でも、と彼女は鼻で笑って告げる。

 

「貴方は彼女の事を何も理解してませんよ」

 

 その語気は、強気で自信に漲っていた。

 

「……君だって苦痛じゃないのか?」

「そんな事ないですよ。むしろ今は最高に充実しています」

 

 そう言って、彼女は先輩を追い払った。

 私の事を我儘だと言った奴がいる。傍若無人だと罵った奴もいる。別に理解されたいとは思わない。真に効率を求めるのであれば、円滑な人間関係の構築は必要不可欠なものだと分かっている。取り繕う為に仮面を用意するなんて、社会で生きる誰もが大なり小なりでやっている。そんな誰もが当たり前にやっている事が、私にとっては酷く面倒に感じられた。人間嫌いな訳じゃない、嫌われたい訳じゃない。でも好かれたいとも思わなければ、誰かに好かれたいと思うに足る理由もなかった。

 レースに掛ける想いは人それぞれ、私の事を指で差して、アイツはダメだと言う奴もいた。

 

 確かに私はレースに対する敬意はないのかも知れない。

 情熱も薄い、勝利への渇望も他のウマ娘と比べたら薄いかも知れない。

 しかし私には勝たなくてはならない理由があった。

 

 誰かは言った。ウマ娘は誰かの夢を背負って走るのだと。

 

 ファンの為に、なんて殊勝な事をいうつもりはない。

 私は、私の事を誰よりも信じてくれる一人のトレーナーの夢を背負って走っている。

 その想いに対する裏切りは、勝ち負けじゃない。

 ベストを尽くさない事だ。

 万全を喫した上での敗北ならば受け入れられる。

 

 レースに勝つ為に本気を出すって事は、ハードトレーニングで自分を追い詰める事だけではない。

 義務感でのトレーニングなんて高が知れている。こういうのは勝利への渇望が自然と自分を追い込む事に繋がっているだけであり、強い意志と勝利への渇望が効率度外視のハードトレーニングを成立させてしまっているだけに過ぎない。それが義務感で長続きするはずもないし、途中で脱落する者の方が多いはずだ。真に強いのは、走るのが楽しくて仕方ないって奴だ。走りを楽しめている奴は、どれだけ負荷を掛けてもケロッとしてやがる。特に脚が速くなる過程を楽しめる奴は、それだけでヤバい。

 私には、その才能がなかった。だから私がレースで勝つ為には、盛り立て上手な相棒が必要だ。

 私だって恩知らずじゃない。尽くされた分の恩は返す。

 

 だから私が今すぐに「こだわりたまごのとろけるプリンが食べたい」と言えば、三つの単語で有無を言わずに買ってくるべきなのだ。

 凱旋門賞を獲るってことは、それぐらいの覚悟が必要なんだ。

 言う側も、言われる側も。

 

 今日走ったレースが夢の世界で回想される。

 序盤は後方待機、スタートで失敗した私は後方をせざる得なかった。此処で前に出ることも考えた。だが彼女と積み重ねてきたトレーニングとデータが焦る必要はない、と後方待機の選択を取らせる。バ群の内に入っても焦る必要はなく、第3コーナーに入る手前の緩やかな下り坂に入って、ヒョイと身体を大きく外へと振った。周りのウマ娘が遠心力で外に振られないように内に切り込もうとする中、ある程度は振られても良いと距離のロスを度外視した。

 最後の直線、横に大きく膨れ上がった外。4、5番手の位置。下り坂で速度を付けた後、残り200メートルで立ち塞がる急坂を一気に駆け上がる。

 

 この時点でもう、それまで先頭を走っていた逃げウマ娘を捉えた。

 あとは1バ身差で相手の頭を抑えるように脚を緩める。大きく差を付ける必要もなければ、タイムにも興味がない。

 必要なのは勝つ事だ。勝利に対する高揚感は、思っていた程じゃない。

 観衆の盛り上がりだって、それ程じゃない。

 

 でも、観客席の最前列に立って応援していたトレーナーが大はしゃぎで喜ぶ姿を見て、笑みを深める。

 おいおい今からそんなんじゃ凱旋門賞とか取った暁にゃ、どうなるよ。

 あの時のトレーナーの姿を思い返す、胸の奥が疼くような、擽られるような感覚があった。

 たぶん、これが私の走る理由なんだろうと思った。

 

 だから目が覚めた時、私はまだ寝惚けた頭で彼女に伝える。

 

「……肉が食べたい」

「はい! ウイニングライブの後に焼き肉の予約入れとくね!」

「勿論、柔らかく焼いてくれるよな?」

「おっす! 焼肉奉行、させて頂きます!」

 

 周りに理解されなくても良い、される必要もない。これが私とトレーナーの関係なのだ。

 

「次のレースは?」

「3週間後を想定してるけど?」

「わかった」

 

 それなら、もう少し我儘なお姫様気分に浸っておく事にする。

 いつもと違う髪型に気が付くのは当然、靴の違いにだって気付くべきだ。私の一言には言い訳なしで三つの言葉で返事をし、返事の言葉は肯定以外に許さない。でも、今はそんな事よりも私の快眠の為に膝枕をするべきだ。

 

「二度寝しようとしない。もう時間がないからウイニングライブ用に手入れするよ」

「………………」

「ほら、睨まないで。私にとって世界一の愛バの晴れ舞台、生半可で送り出してなるものか!」

 

 どうしても世界一の愛バである私の為に尽くしたいというのであれば仕方ない。と私は寝惚けた頭で椅子に座って彼女の好きなように化粧をさせる。こんな感じに自分の事を想ってくれる相手が居るというのは気分の悪いものじゃない。何時も私の為に尽くしてくれる彼女の為を想えばこそ、ちょっとくらいは喜ばせてやっても良いとウイニングライブも真面目に熟してやるのだ。

 

 

 競走馬がもし人の言葉を介して、その想いを正しく受け取ってレースの意味を知れば。

 もしかすると歴史はほんの少し変わったのかも知れない。

 正史にあって正史に非ず、これはウマ娘の可能性の物語でもある。




■キンイロリョテイ(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:黒鹿毛
戦績:1戦1勝(1-0-0-0)
▽ジュニアB組(月/週)
12/1:阪神:1着:メイクデビュー戦(T2000m)


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14R:転換点

 

 寮にある担当トレーナーの私室。炬燵の上には蜜柑が置いてあり、それを黙々と剥いている。

 まだ少し酸っぱい果実を口に含みつつ、備え付けのテレビを見やった。映像にはウイニングサークルに立つ小柄で眼鏡のトレーナーとゆるっとふわりとした長髪のウマ娘がインタビューを受けている所だ。トレーナーは就任2年目で重賞勝利を果たした期待の新人トレーナーとして紹介されていたが、眼鏡の彼女は急に向けられたマイクと多数のカメラに向かって「シャーッ!」と両手を上げたレッサーパンダのように威嚇する様子が映されていた。

 私を担当するトレーナーだ、彼女の隣に立つのは先輩のサージュウェルズである。

 のんびりとした様子で観客のファンに緩く手を振る姿が映されており、そんな彼女にインタビュアーの女性が「今日の勝因は何だったのでしょうか!?」と威勢よく問い掛けるも「短いよりも~、長い方が走りやすかったですね~」と間延びした話し方で質問から少しずれた返答をしている辺り、本当にズブいウマ娘である。

 ちなみに当の本人は今、私の目の前に居たりする。

 

「レース前に闘魂? ……を注入されたのが良かったですね~。気合入りましたよ~」

 

 今、答えたのは一緒に炬燵に入っている方の先輩だ。

 その言葉はテレビの向こう側で言ってあげてください。それこそがスタッフが欲しがってたコメントです。しかし一日越しの言葉が昨日の彼女達に届くはずもなく、威嚇するトレーナーと掴みどころのないウマ娘のコンビにインタビュアーのお姉さんは困惑してしまっている。

 余談だが、ウイニングライブはちゃんと踊っていた。そこはしっかりとしているようだ。

 

 今、此処にトレーナーは居ない。

 まだトレーナー用の部屋を持たない担当を持つ私達が集まるのは、トレーナー寮にある担当の私室。合鍵はサージュウェルズが非合法に作られた鍵の他に、全てを諦めたような目で合法的なものを私に手渡されている。そして中央トレセン学園とトレーナー寮はウマ娘の脚で走れば数分の距離、ちょっとした休憩をしたり、トレーニングの準備を行う為の拠点としては使い勝手の良い位置関係になっていたりする。

 それでもまあ担当のウマ娘に合鍵を渡すトレーナーは稀だと思うけど……そう思いたい。

 

 部屋に備え付けられた時計の針を見て、トレーニングの時間が近付いて来た事を知る。

 のっそりと炬燵から這い出る。うんと身体を伸ばした後で準備運動を始めた。そんな私の姿を見て、先輩のサージュウェルズものそのそと身体を動かし始めるのだ

 

「先輩って今日、完全休養を言い付けられていませんでしたか?」

 

 問い掛けると「い~の、い~の」と緩く手を振ってみせる。

 

「可愛い後輩のGⅠ挑戦に手を貸さない先輩はいないでしょ~?」

「いや、でも、脚の負担が……」

「一、二回分の併走なら付き合ってあげれます~」

 

 にこにこと笑顔を浮かべる先輩に「知りませんよ」と私も強く口にはしなかった。

 

「私はもうやりたいことはやったから本当に気にしないで良いですよ~」

「やりたいこと?」

「トレーナーさんに初勝利と~、初重賞勝利でプレハブ小屋をプレゼント~」

 

 本当に嬉しそうに語る彼女に「はあ」と気のない返事を零す他になかった。

 ストレッチを終えた彼女は背中から私の両肩を掴むと、そのまま部屋の外へと押し出した。

 まあジャージ姿なので良いのだけど。

 

「私がトレーナーさんにしてあげられるのは此処までなので~、後は任せましたよ」

 

 耳元で囁かれた言葉。後ろを振り返れば、先輩が部屋の鍵を閉める所だった。

 

「きっと貴女は独りでも何処までも高く飛べます。だから、あの大空の遥か先までトレーナーさんを連れて行ってください」

 

 何時もよりもはっきりとした物言い。薄っすらと開かれた目は、私の事を見測ろうとしているようだった。

 

「……どうして、それを私に?」

「だって貴女、トレーナーさんの事を利用しているじゃないですか~」

 

 まあ、それは良いんですけども。と彼女は私から顔を背ける。

 

「どうせ利用するなら最後まで一緒に居てあげてください、絶対ですよ? 逃げることは許しません、それがけじめってもんですよ」

 

 そう言って、彼女は私よりも先にエレベーターがある方へと脚を運んだ。

 私の方から一方的に利用してきたつもりはない。私のトレーナーというだけで、これから先も彼女の株は上がり続ける事になる。それに彼女のウマ娘を管理する能力は、新人としては優秀。まだまだ未熟な面も多いが、それでも将来性込みで優良物件だと思っている。

 これから先、何が起きるか分からないけど、少なくとも現状では私が彼女の事を捨てる理由はない。

 ……彼女から逃げるなんて事態が、起こり得るのだろうか。

 今の私には、想像できない。

 

 

「大丈夫、ミノルなら絶対に勝てる。実力では飛び抜けている」

 

 控え室で、緊張した様子のトレーナーが両手をギュッと握り締めながら励ましの言葉を口にする。

 まるで自分に言い聞かせているようだ。と私は苦笑して「大丈夫ですよ」と少し小柄な彼女の頭を撫でた。

 う~、と恨みがましい視線を向ける彼女を見届けて、私は勝負服に袖を通す。

 

 用意されたのはフジキセキに似た真っ黒のスーツ姿。

 彼女のように大胆に胸元は開けている訳じゃないけども、ネクタイは緑を基調に三本の黒い横線を刻んである。腰には懐中時計を下げており、蓋には植物の果実が彫られている。スーツの上からでは見えないけども、中に着たワイシャツの片には黒で縁取ったオレンジのラインが刻まれていた。頭には黒色のハットを被っており、ウマ耳が隠れるようにしてある。

 トゥインクル・シリーズの興行的には耳を出した方が良いらしいのだけど、やっぱり出しっぱなしは落ち着かなかった。

 

 準備を終えて、控え室を出る時に後ろを振り返って私のトレーナーを笑顔で見返す。

 

「勝ちます。これは絶対です」

 

 その言葉は覚悟でもある。

 

 12月第2週、中山レース場。ジュニアクラスの皆にとって初のGⅠ大舞台、朝日杯FS。

 長い廊下を歩いて、太陽の光が差し込んだ逆光で真っ白な出口に身を投じる。

 コースに出た。瞬間、大地を揺るがす程の大歓声に思わず、身を竦ませる。

 

 私が、前にレースに出走していた時は、此処まで観客が集まったことはなかった。

 第一次ウマ娘ブームの立役者であるハイセイコー。第二次ウマ娘ブームの立役者であるオグリキャップの二人を経て、トゥインクル・シリーズの人気は今なおも上昇し続けている。

 良い世の中になったものだ。鮮明な映像で記録にも残る。

 私が走っていた時のテレビはモノクロで、私の十戦十勝の記録は紙に残るだけだ。

 あの時には、あの時の良さがあった。

 

 でも、今走るウマ娘は幸せ者だ。

 

「勝ちましょう」

 

 軽い足取りで準備運動、芝の具合を確かめてからゲートに戻る。

 中山の青空にファンファーレが鳴り響いた。姿勢を落とす、鉄扉が開くと同時にスタートを切る。

 結果は、言うまでもなく勝利した。

 レース後に開かれた会見で、記者の質問に痺れを切らした私は全国に向けて発信する。

 

「途中でポカをしたのは認めます……でも、仮に私が手を抜いたとして何か問題がありますか? 手抜きで負ければ問題ですが、手抜きで勝てるなら、本気でやっても勝てるという事です」

 

 ウマ娘界隈は大炎上した。



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15R:レース鑑賞会。

誤字報告、高評価。ありがとうございます。
お気に入り200ありがとうございます。

最近知ったこと
netkeiba.comはカレンダーから当時開催されてたレースを調べると条件戦とか滅茶苦茶検索しやすい。
できれば数年前に気付きたかった。


 コツッ、コツッ、コツッ。

 可愛らしい柄の封筒を片手に歩きたるは中央トレセン学園の校舎内、その廊下。封筒の中に入っていた紙の指示に従って歩けば、学園内に数多ある空き部屋のひとつに辿り着いた。ノックを数度、扉の先から聞き慣れた声。シンと問われればロマンと返し、ヤエと問われればドラゴンと答える。最後にワカと問われた後にトウショウと返せば、扉の鍵が開けられた。

「スズカさん、ようこそ来てくれましたー!」と出迎えてくれたのはマチカネフクキタル。中を覗き見れば、もう結構な人数が揃っている。ひー、ふー、みー……マチカネフクキタルを除いた5名のウマ娘が一台のノートパソコンを前に所狭しと詰め寄っていた。

 

「それで、これは何の集まりですか?」

 

 そのように私が問えば、先に集まっていた六名が互いを見つめ合った。

 

「最初はタイキシャトルさんから朝日杯の動画を譲って欲しいという話だったんです」

 

 そう言ったのはマチカネフクキタルだ。タイキシャトルは、二人で動画を見ようとした時にシーキングザパールに絡まれたと言って、シーキングザパールはシルクライトニングが後からやって来た事を告げる。3人が観ようとする動画を知ったシルクライトニングは新馬戦と条件戦の動画を持っている事を告げて、後で集まる事になる。どうせ大勢で集まる事になるのなら、とマチカネフクキタルは私を呼び出し、シーキングザパールはメジロ家の二人に声を掛けた。そして、裏でコソコソやってやがるとキンイロリョテイに後を付けられたのがタイキシャトルのようだ。

 

「それでこの大所帯……」

「ドーベルは来てくれなかったわ」

 

 オウ、とシーキングザパールは残念そうに呟いた。

 

「役者が揃ったのなら、さっさと観せろよな」

 

 横柄な態度を取るのはキンイロリョテイ、彼女はノートパソコンの真正面という一番良い位置を陣取っている。その左隣に座るのは、タイキシャトル。右隣にはシーキングザパール。三人の後ろに立つのはシルクライトニングとメジロブライトの二人であり、そこに私とマチカネフクキタルが両側から挟み込むように詰め込んだ。

 

「それでフクキタル、どうして朝日杯なの?」

「見ればわかりマス」

 

 答えたのはタイキシャトルだ、渋々とノートパソコンの液晶画面に目を向ける。

 丁度、ファンファーレが鳴り響いた所だった。ゲートインからの発走、ハナを切って飛び出したのはタキシードスーツを着たウマ娘。まるで映画俳優のような格好をした彼女を相手に、先頭を取らせまいと内から切り込んできたウマ娘が居た。実況の声を聞くにタキシードウマ娘の名前はトキノミノルと言うようだ。トキノミノルは先頭争いを避けて、速度を落としたが、先頭を譲った相手の直ぐ後ろをビタッと付けるウマ娘が居たせいで速度を落とすに落とし切れなくなった。

 2名のウマ娘の外に付ける形となり、中途半端な位置を走り続ける事になってしまった。

 

「……なんで、このトキノミノル……ってウマ娘は、ブレーキを掛けながら走っているのかしら?」

 

 そんな私の呟きに反応したのはマチカネフクキタル、シーキングザパール、シルクライトニングの3名。タイキシャトルは微動だにせず、「そうだな」とキンイロリョテイは小さく頷いてみせた。

 

「コイツ、踵で地面を掘りながら走ってやがる。ウマ娘の靴は前に走る事だけに特化してるから爪先にしか蹄鉄はないんだ。まあ靴の保護って意味合いもあるけども、あんな走り方をしてたら一発で靴がお釈迦になっちまうな」

 

 ウマ娘の速度だと踵に蹄鉄を付けると逆に危険だ。

 時速60キロメートルを超える速度、その衝撃を受け止めるにはウマ娘の細い脚は余りにも脆過ぎる。踵でブレーキを掛けると膝を痛める可能性がある為、脚を止める時は原則、緩やかに速度を落としていくようにジュニア1年目に指導される。ウマ娘は急に止まれない、それが公道でウマ娘の全力疾走が禁止されている理由でもあった。

 他にもウマ娘とヒトで走り方が異なる点は多い。例えば姿勢を低くして走るのは空気抵抗を減らす意味合いがあり、極端な前傾姿勢は倒れるよりも速く走れば問題ない。というウマ娘の速度で走るからこその理屈がある。

 さておき、これがウマ娘の踵に蹄鉄を付けない理由であり、それは即ち踵でブレーキを掛けることを想定していないという事だ。

 

『トキノミノルが先頭に立って行きました。3コーナーをカーブしていきます』

 

 レースは序盤から中盤を終えて、第3コーナーに入る。

 トキノミノルは先頭に立つ為に速度を上げる。悠々と先頭に躍り出たが、そこで差を付けるのではなくて内側に身を寄せる。速度が上がった状態で、内埒へと切り込む為に踵でブレーキを掛けた。

 瞬間、トキノミノルが僅かに体勢を崩す。

 

『おっとトキノミノル失速! トキノミノル失速!』

 

 そのままバ群の最後方まで後退し、最終コーナー手前で漸く滑った芝を踏み締める。

 

『トキノミノル失速して……しかし盛り返そうとして今後方から2番目の位置になりました!』

 

 彼女の表情に余裕はなかった、真剣な顔付き。再び先頭を目指して突っ走る。

 加速した。というよりもグンとギアが一段階上がった感覚、他ウマ娘とは圧倒的な力の差を見せつける大外一気。直線に入った時には、もう前から3番手の位置に付けている。この加速力は尋常じゃない、最終コーナー手前から全力に近い速度を出しておきながらゴール手前の急坂をほぼ減速なしで駆け上がった。

 

『トキノミノルが先頭! なんとあのロスがありながらトキノミノルが先頭に立とうとしています!』

 

 急坂を登り切った時には先頭と並び立っており、そこから更にもう一伸びを見せつけた。

 結果はレースを観る前から知っている。アタマ差の勝利、ゴール板を横切った後のトキノミノルはもう立っているのも精々の状態だ。

 流石の彼女も、あんなレースをしては性根尽き果てるらしい。

 

「ありえない……」

 

 震える声で口にしたのはシルクライトニングだ。タイキシャトルは押し黙っており、シーキングザパールは唖然とした顔で口を開いている。

 

「ああ、ありえねえな」

 

 と呆れた様子で同意をするのはキンイロリョテイ。しかし彼女は続く言葉を口にする。

 

「だが、奴の底は見えた」

 

 キンイロリョテイは挑戦的な笑みを深めており「これ、貰うぞ」と許可も取らず、ノートパソコンにUSB端末を差し込んだ。

 

「スズカは何かないのですか?」

 

 マチカネフクキタルに問われて、私はレースを観て率直に思った事を口にする。

 

「無理に速度を抑えても意味なんてないって事が分かりました」

 

 呆気に取られた様子を見せたのはシルクライトニング。呆れた様子を見せるのはタイキシャトルとマチカネフクキタル。シーキングザパールは笑いを堪えるように肩を揺らした。何かおかしなことを言ったのだろうか?

 

「お前、アレとハナを張り合うつもりかよ!」

 

 キンイロリョテイが腹を抱えて笑い出した。

 

 

「朝日杯は、観た?」

 

 トレーナーの短い問いかけに「はい」と私は頷き返す。

 

「どう思った」

「底が見えました」

 

 入念な準備運動、目の前には山の上まで続く神社の石段。脚には重り付きの運動靴。踏み出せば、ガシャンと音が鳴る。

 トキノミノルに勝つ為には、スピードが足りない。スタミナが足りない。パワーが足りない。根性が足りない。賢さも足りない。でも朝日杯のレースで初めて、指標となるものが見えた気がする。それは数ヶ月前に切り替えたハードスケジュールでも足りず、まだ更に上を目指す為に危険を承知の超ハードスケジュールへと切り替えた。

 最早、中央トレセン学園にある施設では物足りない。重り付きのシューズで山を登り、脚を休める時は急流の川に逆らって泳いだ。

 

「勝てると思う?」

 

 珍しくもトレーナーの弱気な言葉に、私は笑顔で答える。

 

「今のままでは難しいかと」

「……そうね」

「だから勝てるように肉体を作り替えないといけません」

 

 私には恵まれた才能はない、凡庸のウマ娘の域を超えない。

 故に必要なのは走る為の肉体に特化させる為の肉体改造。走る才能がないのであれば、走る才能がある肉体にしてしまえば良い。

 骨格を変えることは難しいが、それでも関節の可動域や筋肉を作り替えることはできる。

 

「……正直、怪我をする可能性の方が高いと思っている」

 

 でも、と彼女は顔を上げる。

 

「これを乗り越える事が出来たならば、勝負にはなる」

 

 朝日杯以後、私のトレーナーは安易に勝つという言葉を使うことはなくなった。

 ボロボロになった体操着、ボサボサになった髪。何時も以上の食事を詰め込んでも落ちる体重。靴はもう何足目か分からない。

 レースは今年だけでもう5戦もしている。正直、あまり戦績は良くない。

 それでも勝利する為の執念を燃やし続ける。

 

「勝ちます」

 

 そして今日も己の肉体を虐め抜く為に石段を駆け上がる。

 破壊と再生。そして適応。破壊した分だけ再生するというのであれば、肉体を全て破壊して作り替えた方が良い。そして過酷なトレーニングを積み続けていれば、肉体は過酷なトレーニングに適応し始める。肉体が適応したのであれば、より過酷なトレーニングに身を投じる事ができるようになり、更に肉体を虐め抜くことができた。

 それを延々と繰り返す、トキノミノルが成長するよりも早く肉体を適応させる必要があった。

 

 サニーブライアン。5戦1勝、重賞勝利は、まだない。




■トキノミノル(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:3戦3勝(3-0-0-0)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京:1着:メイクデビュー戦(T1800m)
10/4:京都:1着:荻ステークス(T1800m)
12/2:中山:1着:朝日杯FS(T1600m)

■サニーブライアン(クラシック)
年組:ジュニアB組 髪色:鹿毛
戦績:5戦1勝(1-0-0-4)
▽ジュニアB組(月/週)
10/1:東京: 6着:メイクデビュー戦(T1800m)
10/3:東京: 1着:未勝利戦(T1800m)
11/1:東京: 5着:百日草特別(T1800m)
11/3:東京:10着:府中ジュニアS(T1800m)
12/3:中山: 8着:ひいらぎ賞(T1800m)


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16R:年末年始

評価バーが2段階目に入りました、多謝。


 年末、東京都のとある会場を貸し切ったURA賞表彰式。

 出席が許されるのは中央トレセン学園のトレーナーに加えてトゥインクル・シリーズに登録されるウマ娘。URA関係者、学園関係者、マスコミ等。ウマ娘は制服の着用が義務付けられており、他はスーツを身に纏っている。

 壇上では今、URA会長が堅苦しい挨拶をしている所だ。

 

 私が現役の時は、こんな賞はなかった。

 隣に立つ眼鏡の彼女は、人混みの中でキョドッている。あんまりにも頼りがいのない姿を晒しているが、こんな彼女もトレーナー歴2年目という僅かな期間でGⅠ勝利を果たした新進気鋭の一人だ。……まあGⅠ勝利は私の存在があればこそではあるけども、サージュウェルズと共に取ったステイヤーズSは彼女自身の力と言っても良いはずだ。

 表彰式は進行する。表彰されるのはチームとトレーナー、ウマ娘の2つに分けられる。

 先ずは最多勝利チーム賞と最多賞金獲得チーム賞。そして最優秀チーム賞が授与される。そこから更に最優秀新人トレーナー賞、最優秀トレーナー賞と続けられる事になる。新人賞はトレーナー歴5年以下、もしくは本年度の初めで31勝未満のトレーナーを対象にした賞であり、一度、受賞すると受賞資格を失うことになる。

 その後でウマ娘の受賞が始まるのであるが────

 

「────子!」

 

 おっと今、私のトレーナーの名前が呼ばれた気がする。横を見れば「はひっ!?」と剥き出しにした目で身体を強張らせる我がトレーナーの姿があった。周りの様子を窺っていると、どうやら彼女が受賞したのは新人賞のようだ。まあ2年目の新人が重賞ウマ娘を2名も輩出し、内1名はGⅠにも勝利しているとなれば当然も当然。サージュウェルズに背中を押されて、ギクシャクと壇上に向かって行った。

 相変わらずの記者泣かせなインタビューを終えた後、集合写真を撮った後にウマ娘の表彰が始まる。

 ウマ娘はジュニアクラス、クラシッククラス、シニアクラスの3つに分けられており、その中でもクラシック部門とティアラ部門の2つに分類される。そこに短距離ウマ娘と最優秀ダートウマ娘が別にあり、最後に本年度のトゥインクル・シリーズで最も輝かしい成績を残したウマ娘に年度代表ウマ娘の称号が与えられる。

 ジュニアクラス、ティアラ部門はメジロドーベル。そしてクラシック部門は私────

 

「最優秀ジュニアウマ娘、クラシック部門! トキノミノル!」

 

 得票数は300票中の182票。思ったよりも得票率が低いのは私のレースでの心評が悪いせいもあるのだと思う。ちなみに2位は118票でメジロブライト。デイリー杯ジュニアSで2着、ホープフルSで1着の実績があっての事だ。

 周囲からの拍手を受けての壇上。さも当然といった感じでURA会長から賞状を受け取って、そのままマイクが向けられる。

 

「表彰された感想を一言」

「ええ、そうですね。心評や印象ではなく、ちゃんと私の走りを見てくれた事を嬉しく思っています」

 

 瞬間、会場がピリついた。主に記者陣……何故?

 

「……ええっと、来年の目標などがあれば、教えてください」

「とりあえずクラシック3冠を出走する事は既定路線です。夏と秋の動きに関しては、その時になってみないと分かりませんが、ジャパンカップ。有マ記念には出走するかと思います」

 

 次の瞬間、ウマ娘の気配がヒリ付いた。中でも最優秀シニアウマ娘クラシック部門に選出されたサクラローレルの敵意は凄まじいものがあり、会場で前列付近に居たマヤノトップガンは、まるで新しい玩具を見つけたかのように目を輝かせた。また、マヤノトップガンと同じく前列付近に居たマーベラスサンデーが黙り込んで、宇宙の真理を覗いてるような瞳で見つめてくるのはちょっと怖い。

 

「あー、あー、少し失礼する」

 

 今年の年度代表ウマ娘に選出されたエアグルーヴが、近場のマイクを借りて口を開いた。

 

「こうやって私達よりも若い者が意気を口にし、世代を超えて切磋琢磨するのはトゥインクル・シリーズの発展において良い影響を与えるに違いない」

 

 ここで一度、彼女は大きく息を吸って間を取ってから告げる。

 

「先ずはクラシッククラスを勝ち抜いて来い。その時は、私達が胸を貸してやる」

 

 あからさまな挑発。私は今、なんで喧嘩を売られているのか理解できなかった。ただ彼女の上から目線がカチンと来てしまったので売り文句に買い言葉とインタビュアーのマイクを奪い取り、彼女だけではなく会場全体に向けて晴れやかな笑顔を浮かべて見せる。

 

「私の脚質は逃げではありません」

 

 その言葉に首を傾げる者が7割以上。残りの2割程度は動揺し、1割未満が好戦的な目で私を睨みつけた。

 

「逃げるのは性に合いませんし、レースを逃げるつもりで走った事は一度もありません」

 

 偉大なる先輩様、と此処でエアグルーヴと視線を合わせる。

 

「来年度の秋頃、簡単には差し切られないでくださいね」

 

 言いたい事を言ってスッキリした私はマイクをインタビュアーに返す。

 数秒の沈黙、会場は記者陣を中心に大いに盛り上がった。私は今日、初めて会見で場を盛り上げることができて満足です。

 翌日、ウマ娘界隈は三度炎上する。なんでぇ?

 

 雪の降り積もる日が増えた年末年始、その忙しい時期を超えた頃になる。トレーニング用のコースで並走に付き合ってくれたサージュウェルズ先輩が息を切らす、私を見下ろしながら困ったように口を開いた。

 

「私、引退できなくなっちゃったね〜」

 

 先輩は去年いっぱいでトゥインクル・シリーズを引退するのかどうかを悩んでいた。

 しかし私の度重なる炎上発言により、トレーニング相手を探すのが難しくなっている。そのせいもあって先輩は私のトレーニング相手を務める為にトレーナーから拝み倒されて現役続行を余儀なくされた。まあ尤も彼女の場合は、トレーナーと一緒に居る為だけに現役を続けたいというやましい想いであったが為の悩みであり、トレーナーの方から慰留を申し込まれたとあっては、それは彼女にとっては現役続行を続ける大義名分が転がり込んできたも同然だった。

 最近は、自分の存在をトレーナーに望まれた一因にもなった私への当たりも柔らかい。

 

「くふっ、くふふっ。今度、温泉旅行にも連れて行ってくれる約束をしてくれました〜。これも可愛い後輩のおかげ、今から楽しみです〜」

 

 ただちょっと薄気味悪くもなった。

 あとそれ私の休養も兼ねているんですよね。どっちかというと私がメインなんですよね。

 ……当日、私は押入れで寝た方が良いでしょうか?

 

 

 1月2週目、羽田空港。国際便。旅客機の客に紛れて降りる小柄な栗毛のウマ娘、頭に猫。扇子を片手にパタパタと仰ぐ御嬢様は日本の大地を踏み締めて大きな声を上げる。

 

「帰郷ッ! 私は帰って来たッ!!」

 

 仏国のウマ娘界隈では、その名を知られたウマ娘。

 戦績は歴代の名ウマ娘と比べるまでもない。しかし小柄で可愛らしい見た目をしている割には仏クラシック3冠を3連続で3着と実力を証明しており、ハッキリとした物言いにドジっ子成分を含んだ愛嬌が仏国のウマ娘ファンの心をわし掴みにする。なにより彼女は負けても後腐れがない。負けた時は目一杯に悔しがっても、その想いを周りに向ける事はしない。自分に勝った相手を称賛し「次は負けぬ!」と握手を交わす。そうして着実にファンを積み上げていった10月4週のフォレ賞。彼女が見事に勝利した時は、当人よりも彼女のファンの方が歓喜した。

 そんな彼女がどうして日本の地に脚を踏み入れるのか。彼女のファンであれば、誰もが知っている。

 

「先ずはラーメン! 次にカレーライス! 早く日本食を腹一杯に食べたいぞッ!」

「相棒、ラーメンは中華料理。カレーライスはインド料理では?」

「愚問ッ! 日本の中華料理と中国の料理は別物であるし、カレーライスはインド料理を参考にしただけの別物だッ!」

 

 彼女が生粋のジャパンフリークである為だ。彼女のトレーナーを務める黒スーツの強面の男性トレーナーは、中指でサングラスを直しながら用心深く周囲を見渡す。

 

「日本に着いてからずっとソワソワしてるが、どうしたのだ?」

「ジャパンにはニンジャがいると聞いている。しかし、何処にも見当たらないのでな」

「ああ、なるほどな」

 

 かつて日本の中央トレセン学園で理事長を務めたウマ娘は見た目相応に悪戯っぽく笑った後、得意顔で相棒の疑問に答える。

 

「ニンジャは見当たらなくて当然だな」

「そうか……やはりニンジャはもう潰えて……」

「ああ、表向きにはいないという事になっておるな」

「…………!!」

「昔に比べると確かに少なくなったがな。私が最後に見たのは……いや、いないと思っていた方が幸せだろうな……」

 

 しみじみと意味深に答える小柄なウマ娘。護衛も兼ねる相棒のトレーナーは警戒心を露わにして、ウッキウキで周囲の影を見渡し始めた。そんな彼を背に、彼女は悠々とタクシー乗り場へと脚を運んだ。

 

「たづなは元気にしておるか? まあニュースを見る限り、元気が有り余っているようだがな」

 

 この栗毛のウマ娘の名は、ノーザンテースト。

 前の世界では、秋川やよいという名で知られたウマ娘だ。




なおこの世界では初渡日。


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17R:栗毛の帰国子女(自称)

感想、誤字報告、高評価。ありがとうございます。
気付いた時には、お気に入りが300超えてました。


 ウマ娘は基本的に見目が良い、その中でも美人と呼ばれるウマ娘は絶世の美女である。

 秋川やよいというウマ娘は、理事長をしていた時から既に合法ロリとして名を馳せていたが*1、中央トレセン学園の理事長を務めた時の彼女は優に三十路を超えている。ちょっとした手入れや化粧もしているが、それでもあの童顔なのだ。

 では、彼女がもし中等部まで若返ってしまえば、どうなるか? それはもう火を見るよりも明らかだ。

 

 秋川やよい。現ノーザンテーストは広場のベンチで一人、腰を下ろしている。

 合法ロリが見た目相応に若くなれば、それはもうただの美少女だ。ちょっとした手入れと化粧で合法ロリと呼ばれる美貌を持つ彼女が、その時の知識を持ったまま肌や髪の手入れを続けているのだから、彼女が実際に若かった時よりも更に若く艶やかな美貌を手に入れている。そんな彼女が広場のベンチで腰を下ろしていた。周囲に人だかりができてしまっている。しかし彼女にとっては見慣れた光景。老若男女、彼女の美貌に見惚れたヒトウマ問わずの人間が一目見て、思わず二度見する美少女である。それはもう思わず、歩く足も緩めてしまうというものだ。

 当の本人は程よく無防備であり、ベンチに座っている間に大きく欠伸をしてるのも愛嬌があって大変よろしかった。

 

「どんすとっぷ、のーどんとすっとぷふぃーりふぃにーっしゅ♪」 

 

 彼女は両脚を前後に振って、勝手気ままに鼻歌を口遊んでいる。

 ナンパなんて出来ようはずもなかった。彼女は都会の鍛え上げられたナンパ男が二の足を踏むレベルの美少女である。そもそもの話だ。彼女の見た目は明らかに中学生低学年である為、そんな彼女に声を掛けられるとすれば、それはもうただの変態ロリコン野郎であった。

 芸能関係者であっても、彼女の美貌に見惚れても声を掛ける者はいない。もし彼女に声を掛けたとすれば、それは二流だ。一流の芸能関係者は、ひと目見ただけで彼女の正体に気付いている。

 

 ノーザンテースト、それは仏国ウマ娘界隈における芸能関係の第一人者の名前である。

 中央トレセン学園の理事長として発揮し続けて来た企画力、運営力。そして行動力は海を越えた先でも変わらない。仏国のクラシック3冠で知り合った同期と連絡を取り合って、年末ライブへと乗り切ったのだ。今年のクラシック世代の足跡を辿るライブ構成、エリシオにスピニングワールド、アシュラカニといったウマ娘が全面的に協力した事により、そのライブは伝説級の代物となってしまったのだ。

 最早、仏国で企画者であるノーザンテーストの名を知らぬ者はいなかった。 

 

“待たせたな”*2

 

 そんな彼女に気負いなく話しかける黒スーツで強面の外国人男性、サングラスを掛けたスキンヘッドの彼が両手に持っているのはアイスクリームだ。ノーザンテーストは満面の笑顔で「パパ!」と声を上げると強面男はヒクリと頬を引き攣らせる。

 

“それは私のだろう? はよう渡せ!”

 

 片手を差し出してくる小柄な見た目のウマ娘に、男は大人しくアイスクリームを手渡すその手でノーザンテーストの頭をわし掴みにした。

 

“相棒、俺はまだ28だ。こんなでかい子を持った覚えはねえな?”

“ぎゃーっ! 日本じゃ老け面じゃ、老け面っ! 裏でモーフィアスって呼ばれとる癖に!”

“俺はエージェントじゃねえっての!”

“スミスではないわ! それならそれで前髪が後退しすぎて、ハゲ上がっとるではないかっ!!”

“ハゲてねえって! 相棒のパーティーが思った以上に多くて、セットが面倒だから剃ってるんだよ!”

 

 二人が何を言っているのか周りの人間には理解できない。

 しかしノーザンテーストの零したパパという言葉に二人は親子関係にあると理解する。親子団欒の微笑ましい一場面にほっこりとして、周りに集まっていた人達は自らの日常へと戻っていくのだ。

 それでも周りからの視線は浴び続けているが、この程度で二人が気にする事はない。

 

“道楽ッ! 相棒、知っておるか!? 寿司には二種類の食べ方があるッ!”

“相棒、寿司は寿司だろう? 食べ方で美味しさなんか変わるのか?”

“愚問ッ! 美味しさの質は明確に変わる! 寿司は回すか、回さないか、だッ!”

 

 広場を出て、商店街。ノーザンテーストはアイスクリームを片手に手首を回す仕草を見せる。

 相棒と呼ばれた男は「ほう?」と一度、首を傾げた後でにんまりと笑みを浮かべた。

 

“相棒、そいつはちょっと俺の事を舐め過ぎだぜ。そのくらいの事は知っている”

 

 それに間違っている。と男は肩を竦めてみせる。

 

“握るか、巻くか、だろう? 握るのは握り寿司、巻くのは軍艦巻きだ。回すんじゃない”

 

 得意顔で答える相棒に、ノーザンテーストはくつくつと肩を揺らしてみせる。

 

“否定ッ! 寿司は……回るのだ!”

 

 扇子を勢いよく開き、真剣な目を向ける相棒の姿に男もまた表情を変える。

 

“……どうやらジョークじゃないみたいだな。寿司は……回るんだな?”

“そうだ、回るのだ。回る寿司を、日本では回転寿司と呼ぶ”

“それは縦か? 横か?”

“こう回る”

 

 ノーザンテーストは右手に皿を持った仕草を見せて、身体全身でスススと空想の皿を横に滑らせる。

 それを見た黒服の男は「ジーザス」と片手で目を覆って天を仰いだ。

 

“相棒、降参だ。俺には相棒が何を言っているのか分からねえ”

“実際に行ってみた方が早いだろう。よし、今日の夕食は回転寿司に決めたぞ!”

“へいへい、男は何時だって女に振り回されるもんだ。御嬢様の気まぐれに付き合わせて貰いますぜ”

“別に相棒が私をエスコートしても構わぬのだぞ?”

“勘弁してくれ、相棒以上のジャパンフリークはフランスにゃいねぇよ。レディにエスコートさせるのは紳士としては赤点だがな”

“だが、トレーナーとしては満点ではないか”

“ほう? それはどういう意味だ?”

“一歩引いて、主役を立てておるだろう?”

 

 その言葉で二人はキョトンとした顔で互いを見合わせて「HAHAHA!」と二人同時に盛大な笑い声を上げる。

 美女と野獣。ならぬ美少女と野獣。そんな二人が仲良く会話をする姿は、何人であっても邪魔できるものではなく、遠巻きに温かい目を向けるに留めるのだ。またノーザンテーストが時折零す日本語の発音の良さに彼女を二度見する者は後を絶たない。

 さておき、二人がソフトクリームを舐めながら商店街を歩いていると、ゲームセンターの看板を見つける。

 

“あれは……”と入り口から中を覗き見た後で「トウカイテイオーではないか」と思わず日本語を口にした。

 

 UFOキャッチャーをしていたウマ娘の一人が「ん?」とノーザンテーストの方を見つめる。

 強面男には彼女が誰か分からない。しかし長年、中央トレセン学園でウマ娘の事を見て来たノーザンテースト、秋川やよいなら一目で分かる。彼女の隣に立っているのは葦毛のウマ娘、メジロマックイーン。彼女はトウカイテイオーがゲームをしてるのを眺めているだけだったようであり、手にはプラスチック容器に入ったカフェオレを持っている。

 トウカイテイオーは二人を見てもウマ娘とトレーナーのコンビという事までしか気付かない。

 

「……の、ノーザンテーストさん!? どうして、こんな所に!?」

 

 しかしメジロマックイーンの方は直ぐにノーザンテーストの正体を見破った。

 

「のーざん……え? あのノーザンダンサー!?」

「違います! 同じノーザンでもテーストの方です!!」

 

 二人が焦る様子を前に「肯定」と書かれた扇子を勢いよく開いてみせる。

 

「うむ! いかにも私がノーザンテーストだッ!」

 

 扇子で自らを仰ぎながら笑い声をあげるウマ娘の相棒に「オウ……」と強面男は片手で目元を覆い隠す。

 第1次、第2次とウマ娘ブームを経た日本におけるウマ娘界隈は今なお人気を右肩上がりにしている。その為、日本では野球ファンがメジャーリーグの有名な選手を知っているのと同じように海外の情報を仕入れていた。少なくとも直近3年で凱旋門賞を勝ったウマ娘の名を諳んじる事ができる程度には鍛え上げられている。

 だが日本における生粋のウマ娘ファンには、ノーザンテーストの名はあまり知られていない。

 

 しかしこれがメジロ家の御令嬢であれば、話は変わってくる。

 ノーザンテーストの本領はプロモーターにあり、その名は実業家にこそ知れ渡る。それがウマ娘界隈の重鎮とも呼べるメジロ家であれば尚更の話、中等部の身の上で仏国クラシック世代の年末ライブを大成功へと導いた彼女の手腕を知らぬはずがない。メジロマックイーンは彼女に畏敬の念を抱いている。メジロマックイーンはメジロ家の悲願を背負って、走り続けてきた経緯を持っている。それで春の天皇賞を2連覇してのけたのだから、彼女も偉業を成し遂げた側のウマ娘だ。しかしウマ娘としてレースで走るのは勿論、舞台では最高のパフォーマンスで歌って踊る。その上で年末ライブを企画するノーザンテーストが相手では、立っている舞台が違うのだ。

 これでまだ相手は中等部だというのだから、たまったものではない。

 世界は広い、天才は居るのだとメジロマックイーンが実感するには十分な実績であった。

 

“相棒、あの二人は誰なんだ? 説明してくれ”

 

 強面男がフランス語で相棒に問い掛ける。彼は日本語のリスニングも出来るが、この場ではフランス語で質問するのが適任だと判断した。ノーザンテーストは彼の意図を的確に読み取り、扇子を片手にドヤ顔で口を開いてみせる。

 

「二人は日本のレジェンドだ。日本のウマ娘ファンでトウカイテイオーとメジロマックイーンと云えば、知らぬ者はおらぬ」

 

 しかし彼女は、あえて日本語で紹介する。

 日本はまだウマ娘レースの分野においては後進国、日本がパートⅠに昇格するのは今より十年以上も先の話だ。東の辺境にある島国のウマ娘を競馬先進国の欧州を主戦場に置いた彼が知らないのは当然であるし、不親切にはならない。むしろ目の前でコソコソと話をしている方が不敬だ。

 対してメジロマックイーンは、相手が自分の名前を知っている事に驚愕した。

 トウカイテイオーはジャパンカップの覇者だ、名前を知られている可能性はある。しかしメジロマックイーンの名は国際的には無名も同然、海外の──それもまだ去年まで中等部の彼女に名が知られているとは思わなかった。

 丁度良い。とノーザンテーストは二人に問い掛ける。

 

「テイオーよ、ひとつ私とゲームで勝負しないか?」

「んー?」とメジロマックイーンがあたふたする姿を流し見た後で「良いけどなにで勝負するの?」と相手の提案に乗っかった。

 

 トウカイテイオーとしては海外の有名なウマ娘が自分の事を知っているのは悪い気がしなかったし、メジロマックイーンが臆する相手ってのにも純粋に興味があった。承諾を得たノーザンテーストは「トウカイテイオーと言えばアレしかなかろう」と手に持った扇子でダンスゲームを差し示す。

 

「テイオーステップ、見せてくれぬか?」

「……ふうん? ただ名前を知ってるだけじゃないみたいだね?」

 

 トウカイテイオーは唖然とした顔をする好敵手に視線を投げる。

 

「ほんと彼女って何者なの?」

「中学生プロモーターと評価するのが正しいのでしょうけど……テイオーには、フランスのGⅠウマ娘と言った方が伝わるでしょうね」

「へえ、興味あるね。今、現役なの?」

「肯定ッ! 現役だ。日本と違って欧州は今、オフシーズンで休暇中だけどな!」

 

 あっはっはっ! と扇子で自らを扇ぎながら高笑いをしてのける。

 

「提案ッ! 私が勝てば、この辺りで美味しいスイーツを教えて欲しい!」

「ボクが勝ったら?」

「その時は私が美味しいスイーツを二人に奢ってやるぞ!」

「え? それって……」

「うん、いいね。乗ったよ」

 

 メジロマックイーンの言葉を遮って、トウカイテイオーが承諾する。そのままトウカイテイオーとノーザンテーストはゲームセンターの中に入って行った。入り口付近に取り残されるのは一人の強面男と一人のウマ娘。メジロドーベルとメジロブライトのぬいぐるみを両手に抱えた芦毛のウマ娘は、隣の男に視線を向ける。

 

「……えっと、貴方が協力者Tでしょうか?」

 

 その唐突で不躾な質問に、強面男は溜息と共に首を横に振る。

 

「アレの正体は私も知らないよ」

「日本語を話せるのですね」

「ネイティブ程ではないがね」

 

 幾つか言葉を交わした後、二人はゲームセンターの奥の方へと足を踏み入れた。

 その頃にはもう二人がプレイする筐体の周りには人集りが出来ており、ちょっと難易度を落とした魅せプレイで観客を盛り上げている。トウカイテイオーがダンスゲームの動画を上げるのは珍しい事ではないし、ゲームセンターの空気として、人混みが出来た時なんかはスマホで動画撮影される事もある。トウカイテイオーもプライベートで一人で居る時は撮影を断っているが、こういったお祭り騒ぎの時はお堅い事を言わないようにしている。むしろ彼女は積極的にファンサービスをするウマ娘だ。

 そういった訳でネット上にはトウカイテイオーのダンスゲームのプレイ動画が結構な頻度で上げられている。

 

 だが今回は、トウカイテイオー自身よりも隣にいる美少女の方が注目を浴びる結果となっている。動画に書き込まれるコメントは栗毛のウマ娘に御執心だ。

 

「日本に来るのは来年になると言ってましたけど〜……」

 

 ネット上で知己がトウカイテイオーと仲良くしてる姿を見て、トキノミノルは頭を抱えるのだった。

*1
ネット上での評価に本人は笑い飛ばしていたが、ちょっと気にしてたりもする。

*2
フランス語



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18R:世界が変わっても変わらない間柄。

高評価、感想、お気に入り。ありがとうございます。
ちょっと文字書きから離れていたので、投稿することでペースを取り戻す。


 ふとSNSの投稿を眺めていると、見覚えのあるウマ娘が歴史的な名ウマ娘と一緒にいる写真に写っていた。

 二人でダンスゲームを楽しんでいる所であり、その横ではメジロ家の最高傑作の名高い御嬢様が2体のメジロ人形を両腕に抱えている。どうしてこうなっているのか分からないし、なんで彼女が日本に居るのかも理解できない。写真の投稿主は三人とは関係ない日本人のアカウントのようだが、投稿への返信の半分以上がフランス語であり、その国際的なバズり方に投稿主も困惑を隠せないようだった。

 とりあえず迎えに行かねばならない。と、私はトレーナーに事情を書き記したメールを送ってから商店街へと駆け出した。

 

「……それで、どうしてスイーツを堪能しているのです?」

 

 秋川やよい。現ノーザンテーストのウマッターアカウントフォロワー数は十万の大台を超えている。仏国内における彼女の発信力は凄まじいものがあり、ちょっと映える写真を乗せるだけでイイネが万を超えてしまうし、年末のライブ衣装を公開した時なんかは数十万のイイネが付けられていた。そんな彼女のフォロー数は驚異の1である。唯一、彼女がフォローしたアカウント名はTの一文字だけが添えられている。呟きはひとつもないが、3桁近いフォローだけは送ってある。イイネだけは付ける典型的な観測用アカウント、まあ言わずもがな私のアカウントだ。そんな彼女のタイムラインには今日も映える写真が貼られており、日本のスイーツを歴史的な名ウマ娘と共に食べている所であった。場所の特定は容易いものだ。

 

「歓迎ッ! ちょっとしたサプライズだ。本当なら直接、会いに行くつもりであったが中央トレセン学園へ勝手に入る訳にも行かぬと途中で気付いてな。迎えに来てもらう事にした!」

 

 元理事長は「メジロ饅頭」と焼印が押された饅頭を頬張っている。同じ席にはトウカイテイオーとメジロマックイーン、それから彼女のトレーナーであるグラサンを掛けた強面スキンヘッド男が三者三様の驚き方で私のことを見つめていた。

 

「お二人は知り合いなのですか?」

 

 そう問い掛けたのはメジロマックイーンだ。まだ甘味を堪能する二人に対して、彼女の前にある皿は綺麗に平らげられている。

 

「うむッ! 旧来の友よ! な、たづな!」

「……公の場で、その名を呼ぶのはやめてください」

 

 ウマ娘には名前を二つ持って産まれる。

 ひとつは三女神から与えられる魂に刻まれた名前、ソウルネーム。もうひとつは親から与えられる人間としての名前だ。

 基本的にウマ娘は、ウマ娘として走るのを辞めた時、親から名付けられた名前を名乗るようになる。

 

 さておき、連絡ひとつも入れずに日本に来やがったクソバカ娘をどうしてくれようか。

 私はスカートのポケットから手帳とペンを取り出して、尋問を開始する。

 

「それで滞在期間は?」

「流石、話が早い! とりあえず二月一杯まで滞在するつもりだ!」

「滞在中の宿泊場所やトレーニング施設は?」

「無策ッ! 何も考えておらん!」

「勢いだけですか、このクソボケバカロリ娘」

 

 おっといけない、つい口が悪くなってしまった。

 

「はっはっはっ! 正真正銘のロリにロリと言っても効かん!」

 

 高笑いを上げる可哀想なウマ娘を前に「こほん」と咳をして仕切り直す。

 

「とりあえず私のトレーナーさんに話を通した後で大国理事長にも報告。短期留学という形にすれば、トレーナーさんの権限でトレーニング設備も使わせて頂けるでしょうか?」

 

 はあ、と大きく溜息を零す。

 現理事長である大国さくらと言葉を交わした事は一度もない。彼女は秋川元理事長と同じように中央トレセン学園の理事長となる為に海外から日本にやってきたウマ娘であるし、悪い噂を聞いた事もない。だからといって目の前にいるクソバカ娘のように楽観的だとは思わない方が良いはずだ。彼女のトレーナーである強面男がフランス語で「まさか無計画で来たのか!?」と叫んでいる辺り、本当に何も考えずに来たようだ。

 それにしても元理事長って、ここまで無鉄砲でしたっけ? 割と考えなしにポケットマネーを使い潰していました。

 

「たづ……いや、トキノミノルよ。何もないわけではないぞ」

 

 そう言うと元理事長はトウカイテイオーとメジロマックイーンの二人に視線を向ける。

 

「此処には皇帝の愛弟子とメジロ家の御令嬢が揃っている。二人に話を通して貰えば良い」

「それは些か……図々しいのでは?」

「まあ会長に話を通すくらいならやってあげても良いけどね~」

 

 トウカイテイオーは最後の饅頭を飲み込んで「それで見返りはある訳?」と舌なめずりをする。

 

「中央トレセン学園の設備を使わせてくれるのであれば、海外のGⅠウマ娘と併走する機会も作れるかも知れんな」

「併走じゃなくて模擬レースにしようよ。マックイーンも興味があるでしょ?」

「ええ、まあ……ありますが……お住まいに困られているのであれば、今から使用人に頼んで一室を用意させます」

 

 うむ、うむ。と元理事長が満足げに頷いてみせる。

 ……これって結局、行き当たりばったりなのでは?

 ジトッと睨んでやる。

 するとクソバカ娘は開いた扇子で顔を自らの顔を覆い隠した。

 

「ところでトキノミノルさん」

 

 メジロ家の御令嬢がおそるおそると問い掛ける。

 

「貴女が幻のウマ娘Tさんでしょうか?」

「……なんです、それ?」

「肯定ッ! 如何にも彼女こそが私の最も親愛するウマ娘である!」

 

 扇子を広げて高笑いを上げる小癪なウマ娘の姿を見て、なんとなしに面倒事になっている気配を察した。

 だから私は無言で彼女の両頬を摘まんで、強めに引っ張ってやるのだ。

 

「いひゃい! いひゃいぞ、たづなっ!」

 

 くっそ、なんだこの肌。若返った私よりもモッチモチじゃないですか、私の方が1歳若いはずなのに!

 

「……随分と仲がよろしいのですね」

「相棒に助言者が居たのは知っていたが、まさか年下とはな」

「ねえ、もう一個。饅頭を頼んでも良いかな?」

 

 兎にも角にも2月一杯まで元理事長は日本に滞在する事に相成った。



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