VOICEROID短編集 (ウェイ)
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琴葉葵の恋心
主な登場人物:琴葉葵、琴葉茜
人を好きになる。そのことはとても美しいことであるとある人は言った。
人を好きになる。そのことはとても幸福なことであるとある人は言った。
人を好きになる。そのことはとても残酷なことであると、私は思う。
いくら手を伸ばせども、いくら焦がれようとも、その身を焦がすのみで、手が届くことはない。
欲しいものはすぐ隣にいて、手を伸ばせば触れられる。されども届くことはない。一番近くにいるのに、一番最初に出会ったのに、一番遠い。
炬燵に入りながら、「蜜柑取ってくれや、葵」なんて間の抜けた声で彼女は私に語り掛ける。
琴葉茜。私の双子の姉である彼女に、私は恋している。
やれLGBTだとか多様性だとか言っている世界。でも、それは世界の意思だ。人の意思ではない。
人は異物を排除する。どれだけ「多様性を認めていますよ」「障害者、同性愛者、皆平等です」と謳っていようが、いざ出会ったときに普通に接することの出来る人がどれだけいるだろうか。
幼い頃から刷り込まれてきた「普通」は、誰にとっての普通なのだろうか。角を削って円にしようとして、円にならない人は異常なのだろうか。
「自分で取りなよ、身体起こせばいいんだし」
「えー、めんどいー。葵のケチンボ」
お姉ちゃんは小さな抗議かのように炬燵の中で私の足を蹴ってくる。その行為に、少しだけ胸の鼓動が早くなる。私が異常なのだと伝えてくる。
「なあ葵」
「なぁにお姉ちゃん」
「テレビのリモコンどこやったっけ」
「……お姉ちゃんの脇の下にあるのは何?」
「おお、こんなとこに置いとったか。アッハッハ、ウチ、葵いなきゃ生きてられへんなぁ」
「はぁ……」
本当に、胸が痛くなるからやめてほしい。
私たち姉妹はよく聞かれることがある。
「なんでお姉ちゃんは関西弁なのに私は標準語なの?」
という質問だ。
これも、私の歪な恋心が関係している。尤も、それは幼い頃の話だから自覚などしていなかったのだが。
それは小学1年生か2年生か、そのくらいのときの話。あの頃は関西に住んでいたから、当然関西弁を使っていた。もちろん標準語なんて話せるわけもない。
ただ、ある時たまたま目に止まったテレビ番組で──確かニュース番組──綺麗なお姉さんが話す標準語をなんとなく真似してみた。
すると、お姉ちゃんは驚いたような顔をしたあとににっこり笑って、「葵はえらい綺麗な言葉使うなぁ。ウチには出来んわ、すごいで葵」なんて言ってくれたのだ。
単純な私は褒められたことが嬉しくて、もっと褒められたくてそれからずっと標準語ばかり使っていた。それが癖になって今でも標準語を使っているのだ。
幼い私の、可愛くて小さな欲求。
両親は「いつまでやっとるん」なんて呆れていたけど、お姉ちゃんだけはいっつも笑っていてくれた。それなのに、今となっては──
「葵、なんで葵は普通に話せんのにウチは関西弁なんやろなぁ。なんでか覚えてる?」
「さあ、小さいころからこうだからあんまり覚えてないや。ま、しょうもない理由でしょ」
「しょうもないて、ウチは葵の丁寧な言葉遣い好きやけどな」
「はいはい、ありがと」
まったく、私たち姉妹は本当に変わらない。
リハビリのために書いてたので短め
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