惑星・ディギング~熱砂と氷結の大地へようこそ、蜂が棲まう蜘蛛の船へようこそ~ (ジャミゴンズ)
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一話 《祖人》

 

 

 

「行ってきます―――」

 

 そう言って、父親と共に宇宙の果てに出た。

 

「―――ただいま」

 

 何時かきっと、辿り着く場所で。

 自分の場所で、その言葉を言えるようになる未来を見て。

 この先で会おう、と。

 唯一の肉親である父と交わした約束が、守れる日が来ると信じて。

 

 

 

      第一話: 《祖人》

 

 

 

 シップ・スパイダル。

 ゆらゆらと蜃気楼が立ち上る熱砂の荒野に、そう呼ばれる金属で出来た船が停留していた。

 全長は横に二百二十メートル。 全高は四十四メートルに及ぶ、巨大な陸船輸送機であった。

 砂と岩盤の大地に固定するために突き出している蜘蛛を模した合金の脚が計六本、上空から見れば巨大な蜘蛛が砂の巣を張ってじっとしている様にも見える。

 そんなシップ・スパイダルと呼ばれる鋼鉄の蜘蛛が大地に根を降ろしていた。

 船のデッキ部分、蜘蛛の頭部には太陽光をエネルギーへと変換させる電子パネルが立ち並び"二つの陽光"から照らされて反射する。

 そんな船の中。

 発着場と呼ばれる場所で、植鉢を押し付けられて佇む少年が一人。

 彼の名前は、キサラギ・コウ。

 つい最近、このシップ・スパイダルの艦外作業員として働き始めた新人だ。

 年齢は16歳。 身長はようやく170cmを越えたばかり。 

 少し伸びてきた金色と、白が混じった前髪を押さえつけるようにして、黄色いゴーグルを装着していた。

 顔立ちも相応に幼く、大人とも子供とも言えない若さに溢れている。

 そして今、着ている服はまるで宇宙服の様にずんぐりと、むっくりと白くもこもこした出で立ちだった。

 植蜂を抱えながら身体を伸ばして首を捻り、ストレッチをしながら声をあげる。

 

「う~~んっ、もう、そろそろなのか?」

「ええ、順調にいけば数時間ってとこね。 あ、言っとくけど、ちゃんと管理はしなさいよ。 水を忘れるなんてヘマしないでね」

「そっか、ありがとうアンズ。 俺、この植鉢を大切にするよ。 約束する」

「っ……そ、そう、そうしてくれると。 うん……っそれよりも、メンテナンスは終わったの?」

 

 僅かに赤く染まった頬を、誤魔化すようにアンズは質問を重ねた。

 

「え? あー、それはまだっすね。 これからやるとこ」

「じゃあ、さっさと終わらせて来る事ね! はい、これ工具っ!」

 

 コウの目の前に立つ少女は、アンズと呼ばれている。

 コウよりも一つ歳は幼いが、そんな彼女が彼の上司であり、同僚の艦外作業員の一人である。

 小豆色の髪は綺麗に切り揃えられており、短い髪房を片側に流し、サボテンの花を象った髪留めで止めていた。

 目鼻立ちのスッキリした顔に違わず、快活で人見知りのしない少女だった。

 若干、肌の色が濃いのが活発な性格を表す証左にもなっているだろう。

 こちらもまた、もこもことしたコウとさほど変わらない、ずんぐりした作業服に身を包んでいる。

 このシップ・スパイダルの発着場に行き来する者たちは、色合いや多少の装飾は違うど、みな同じような服装である。

 規則で定められている事で、流石にコウもこの場所に普段着で来ることは無くなった。

 半ば押し付けられるように渡された工具箱を受け取ったコウに、アンズは微笑んで頑張ってね、と満足げに頷いて踵を返していく。

 そこまでは良かった。 お互いにやるべきことをしっかりと確認したし、作業はすぐに実行に移った。

 全ての仕事において報告・連絡・相談というものは欠かせない重要なことである。

 ただ、コウとアンズの二人の間には 『メンテナンス』 という言葉一つでも致命的なすれ違いがあっただけだ。

 お互いの常識と言う根本的な問題だっただけに、どちらが悪いという訳でもないのだが。

 僅か数十分の時間で、そろそろメンテナンスも終わっただろうとアンズが戻ってきた時にそれは露見した。

 

「このっ、馬鹿!」

 

 俯いて端末を弄っていた少年の頭に、乾いた音が走った。

 髪留めに抑えられた小豆色の髪を揺らし、殴打した指示棒を掌の上で転がして、眦を上げて睨む眼には力があり、顔を持ち上げたコウと視線が交わる。

 罵声を浴びる覚えも、叩かれる心当たりも無かったコウは不満を隠さない表情でアンズを睨んだ。

 

「痛いんすけど」

「痛くしてんのよっ!」

「いやでも―――」

「口答えはなしよ! もう一発いこーか!?」

「うわあ! スヤンさんが増えたっ!」

 

 良いか、と怒鳴るような声でアンズはコウの目の前に転がっている箱状の操作パネルに指を突きつけた。 

 動作仕草が擬音を奏でて居そうなほど、すがすがしい程の切れ味の鋭い動作だ。

 文句を言っていたコウが、見事なジェスチャーに釣られるようにして、操作パネルの箱へと視線を向ければ同調するように電子音が鳴り響いた。

 

「これは何!?」

「なに……って? えっと、機体のプログラムの―――」

 

 コウが言い終わる前に、というよりも遮るように小気味いい音が発着場から響いた。

 指示棒は柔らかい素材で出来ているようで、それでいて何かを叩けば素晴らしい音を響かせる。

 機体の外骨格を叩いてぷんすかと怒る少女に、コウは頬を掻いた。

 

「んなこたぁ分かってるのよ。 あのね、確かに機体のメンテナンスは頼んだけれど、誰がバラせって言ったのよ!」

「いやだって、メンテナンスだろ? 普通バラすし」

「バラさないわよっ!」

 

 頭を掻いて解せないとばかりに首を傾けるコウに、アンズは大きく嘆息した。

 彼の隣で鎮座している鋼鉄の塊は、発着場にある人工の光を鈍く照り返して、その四股がもがれている。

 コウが弄っており、アンズがメンテナンスを頼んだ機体は、この星に住む者が使う艦外作業用のパワースーツだ。

 外骨格のみで形成されて、余計な装甲は一切ついていない。

 人で言えば、お尻に当たる部分から巨大な円錐型の大型ジェネレータと電磁式のガスタービン式の物が搭載されている。

 実際に駆動させると人の四股のように伸びた骨格の内側から、空中での機動と姿勢制御を想定されている為に、小さな蜂が飛んでいるようにも思わせた。

 故に、これら外骨格の機体は全て《ホーネット》と人々からは呼称されている。

 ジェネレーターとエンジン部は動力とは別に冷却と温暖を行う事を目的として取り付けられ、此処だけは取り外すことその物が大掛かりな機材が必要になる為、しっかり取り付けられたままなのだが。

 ホーネットという機体は資源の乏しいこの場所に置いて、貴重な物資を費やして作られる高価な物である。

 そんなシップ・スパイダルにおいて大事な物を、許可なく解体する奴は普通は居ない。

 ここに居たが。

 でも、コウの常識においてはこの突飛な行動が、ごくごく当たり前の行動であることもアンズは知っている。

 

「とにかく! 出動前に分解メンテナンスなんてする馬鹿が一体どこに居るっていうの!」

「分かってるって! それで急いで外してたんだってば! 使ったら点検は怠れないだろ? まだ時間には余裕もあるし、もう事故が起きるのは嫌だしさぁ」

 

 コウの言葉にうっ、と一瞬言葉に詰まるも、アンズもそんな事は分かってるわとぶっきら棒に言い放つ。

 彼のいう様に、もう二度と事故は御免だ。 手足だけの解体なら、数時間あれば間に合うのも、メンテナンスが容易なのも確かだ。

 ホーネットはその運用特性上、出来るだけ機体は簡単に組み立てられるように設計されている。

 だが、一度使ってすぐに細部の部品―――例えば関節球などの金属やアクチュエーターなど―――まで即交換を行っていては、ただでさえ乏しい備品が枯渇してしまう。

 十分な交換部品や資材があるなら良い。

 むしろそうであるなら推奨されるべき行動だ。

 だが、それが出来ない理由がある。

 アンズは諦念めいた溜息を吐き出して頭を振った。

 やる事なす事、食い違ってしまう。

 いつもアンズの中の常識と、コウの常識はすれ違ってしまった。

 ほんとうに、何度言っても分かってくれないんだから、と心の中で愚痴っても、コウがただの馬鹿でないことを彼女は知っている。

 目の前で首を傾げる男と、互いの常識がすれ違うのも、アンズたちの常識に倣おうと頑張って学ぼうとしてくれているのも分かっている。

 コウの知っている世界と、自分たちが住んでいるこの星では、きっと余りに違っていたから。

 彼は―――《祖人》だから。

 この星に住む人間は、コウのような《祖人》を失わない様に、また貴重な技術を失わない様に発見された場合には手厚く保護する義務が課せられている。

 少なくとも、アンズにはある出来事を通じて、義務以外にも彼と接したい理由が出来ていた。

 少しでも早く、この星の常識に適応して欲しいと願ってしまう。

 渋々と言った様子で機体を組み立て直し始めたコウの後姿を眺め、アンズは今となっては忘れられない、彼が目覚めた時の事を思い出していた。

 機体の脇に置かれている、植鉢をそっと見つめて。

 あれは今から丁度、三カ月ほど前の事だ。

 コウ・キサラギという目の前の青年を発見した……あの時から―――― 

 

 

 

 

 

 土煙がもうもうと立ち上がり、大気そのものが揺らいでいるような暈ける視界の中、岩盤に挟まれた窪地で蜂を模した機体が周囲に水蒸気をまき散らしていた。

 ジェネレーターとエンジン音の轟音が、砂の大地につんざき響き、地面を叩く音と穴を穿つ音が周囲に反響してけたたましい音を奏でる。

 蜂が慌ただしく動く様子は、一機や二機ではない。

 十を越える艦外用パワースーツに身を包み、掘削作業機体のホーネットが黄土色の岩盤を溶かすように削っていた。

 掘削して得た鉱物を始めとした資源が、蜘蛛の腹の中に蜂が入っていって運び入れられては、また外に飛び出していく。

 そんな喧噪の中で、外部設置アンテナを立てていたアンズに、掠れた通信が届いた。

 ヘルメット内部に取り付けられているイヤホンからノイズに混じって耳朶を震わせる。

 

『ハッハー! アンズ! ちょっと来いよ。 面白いもんが出てきたぜ!』

『なに? 問題?』

『問題っちゃ問題だな、いいから来て見ろよ』

 

 アンズは細い眉をしかめた。

 採掘用の作業機、ホーネットの操手の環境は過酷な為、問題事はとにもかくにも避けたい。

 分厚い宇宙服にも見える作業服と、特殊なバイザーが取り付けられ頭部を保護するヘルメット。

 外骨格だけの機体を器用に動かして、同僚が無骨な金属の指で指している場所へと移動する。

 バイザー越しに見えてきた、岩肌の表面から現れてきた物に、思わず息を漏らして呆けてしまう。

 

『スヤン、これって……』

『ああ、CPSTの遺産だ! ここを掘ったのは、当たりってことだぜ!』

 

 アンズの隣に立つスヤンは、ホーネットの機体を精微に動かして見せ、まるで人であるかのようにおどけた様子で肩を竦めた。

 

 

 CSTP。

 それはコールドスリープを用いた大量移民計画の略称である。

 地球から宇宙へと進出した人類は、そこから居住可能な星の探索と開発。 軌道住居塔の建立など、順調に進んでいたが頭打ちはすぐにやってきた。

 技術的問題も重なって、発見は出来ていても太陽系外への進出は困難を極めたのである。

 すなわち、距離の壁だ。

 簡単にいえばワープやワームホールなどと言った、遥か過去から提唱されていた技術の獲得がまったく出来なかった。

 光の速度を越えてFTL航法などを用いて宇宙船を飛ばす技術などの、超長距離航行手段が産まれなかったのである。

 それでも、かなり長い期間で問題は無かったように装ったが、限界は近づいていた。

 宇宙圏にまで足を伸ばした人類の、人口規模がだ。

 惑星に、あるいは軌道上に、ところ狭しと犇めいた居住区画がそれを証明していた。

 しかし人口過密が進み、非人道的な手段すら提唱され始めた頃に長期間のコールドスリープが可能となる機器が開発される。

 当時の宇宙政府からすれば、まさに渡りの船。 日照りに雨といったところだ。

 瞬く間にこのコールドスリープ技術は人類の救世主であるかの如く喧伝され、超長航行での移民計画が発足。

 老若男女のバランスが考えられた人員、系外惑星での生活、或いは移民船そのものの生活に必要な物資と技術者が高度人口AIによって選別されていった。

 一つの移民船に三億人以上の人間と、数多の動植物が乗せられ、銀河をまたぐ大移動が始まったのである。

 移民船そのものが全長42kmにも及ぶ箱舟であり、その規模の移民船が三十個も建造されて宇宙の果てに飛び出したと言うのだから、どれほど大きく壮大なプロジェクトであったのかが伺い知れるだろう。

 

『まだ今でも見つかるなんて、大発見じゃない、スヤン! 回収しましょう!』

『落ち着けアンズ。 カプセルが熱で岩盤に癒着しちまってるぜ』

『え? まさか死んじゃってるの!?』

『いや、装置そのものは生きてる。 熱そのものをエネルギーに変えてるんだな。 《祖人》の技術力は何時みても、おったまげるな』

『そう……生きてるなら、回収しない訳にはいかないわ。 岩から切り離すには換装する必要がある?』

『ああ、残念だが一旦は引き返すしかねぇ』

『そうね』

 

 移民船のコールドスリープカプセルが見つかったのは、アンズが記憶している限りでも数十年ぶりのはずだ。

 世紀の―――とは言わないが、これはこの星にとって見逃せない大きな大きな発見だと言えた。

 金属の擦れる音を鳴らし、アンズの機体がカプセルの表面を撫でると、盛大に土埃が舞い上がって彼女のバイザーと、隣にいるスヤンのヘルメットを茶色に染める。

 いきなりの行動に巻き添えを食らったスヤンはぼやいた。

 

『おいおい、一言あっても良かったんじゃねぇか?』

『ごめん、すぐに確認したかったの』

『しょうがねぇな』

 

 カプセルには識別番号というか、移民番号が記載されている。

 もしかしたシップに登録されているデータベースを参照すれば、誰が乗っているのか分かるかも知れない。

 だが、残念なことに年月によって劣化してしまったのか。 数字の大半が削れて霞んでおり、七桁目までしか数字を読み込むことができなかった。

 

『アンズ、ぼやっとしてんな。 シップに戻るぞ』

『ええ!』

 

 スヤンの声に、アンズはヘルメットと外骨格の影に隠れて見えないだろうと知っていても、ついつい頷いてしまったのだった。 

 

 

 



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二話 目覚めとガイノイド

 

 

 

 岩石に癒着してしまっていたカプセルの切除作業は1時間前後で無事に終了した。

 シップ・スパイダルの蜘蛛の腹部分。 いわゆる外艦作業機のホーネットの発着場へと慎重にカプセルは移送された。

 運び込んできたアンズとスヤンは、ホーネットをデッキに固定すると、アンズはすぐに機体から飛び降りてヘルメットを投げる様に脱ぎ捨てる。

 対面につけたホーネットから、スヤンも同じように降りてきて藍色の長い前髪を揺らし、皮肉気な笑みを浮かべて上唇を舐めていた。

 泥と砂、砂利の混じった煙が発着場に蔓延している中、アンズとスヤンはじっとカプセルを見つめていた。

 轟音が響き、蜘蛛の腹が閉じる。

 たった一人の人間を、たった一つのカプセルを発見すること。

 それはこの惑星に住む人間にとっては非常に重大なことであり、問題だった。

 嬉しいか嬉しく無いかで言えば、発見はとても嬉しいことだ。

 たった一人の人間が目覚めて、それまでの生活環境が一変することは惑星に住む者たちにとって珍しくない事だったから。

 スヤンはにやついている。

 そんな彼に負けじと、頬が緩むのをアンズは必死に表に出すまいと自制していた。

 きっと、目の前の彼は分かっているだろうけど。

 

「艦橋、聞こえる? カプセルの照会はどう?」

『―――ええ、照会中よ。 でも、分かってる番号が7桁しか判明してないから、期待はしないで』

「うん、了解」

 

 通信しながら、カプセルの目の前をゆっくりとうろついた。

 備え付けられていて、まだ生きている電子機器のパットプレートに手を乗せて、アンズは見たことも無い機器に恐る恐る手を伸ばした。

 反対側のスヤンが、興味津々と言った様子でカプセルのガラス部分を覗き込んでいる。

 アンズはCTSPの遺産、コールドスリープカプセルを見るのは初めてだ。

 下手に弄るよりも、カプセルをこれまでに二度も発見したというスヤンに任せた方が良いだろうと、静観することにした。

 このカプセルそのものも、貴重な資源だ。

 もしかしたら中身よりも、カプセル自体が最も大きな成果になるかもしれない。

 シティに持ち帰った時が楽しみである。

 藍色の長くなった前髪を指で弄りながら、スヤンはただでさえ大きくはない目を細くして、カプセルを触っている。

 時に屈み、時に覗くように。 カプセルをぐるり、ぐるりと回るスヤンに段々とアンズは苛々してきた。

 余り気の長い方では無いと自覚している彼女は、やっぱり我慢できずに口が開いた。

 

「ちょっと、スヤン! まだなの?」

「まぁ、待てよ。 確かこの辺にある筈なんだが……おっ」

 

 本当にカプセルを見たことがあるのかコイツ、と疑いの視線が強くなる少女を無視して、スヤンはようやく腕を伸ばした所で動きを止めた。

 

「ほい、ハハッ! あたりだっ!」

 

 言うなり身体が沈んだかと思えば、擬音が尽きそうな勢いでカプセルの扉が開く。

 こびりついた砂が中空を舞って、アンズは咳込んだ。

 それでも片手で口元を覆って、もう一方の手を振りながら視界を確保する。

 中に居る人間が、どうしても見たかった。

 そうして視界に入ってきたのは、短く刈られた金色の髪に、白が混じる前髪とあどけない顔立ち。 

 アンズとそう変わらない年齢のように思えた。

 額には黄色いゴーグルのような物を当てており、肌は今まで凍結されていたからか、白を混ぜたような色合いだった。

 服装はここでは見られない派手で明るい配色だ。

 赤と黄色のストライプの入った上着に、ひざ丈ほどのズボンを履いている。

 そこまで確認したところで、艦橋から通信がスピーカーで流れてくる。

 

『ごめんなさい、やっぱり判らなかったわ』

「そうですか……艦長、来ますか?」

『いえ、どうせすぐには目を覚ましません。 人を送って医務室に移動させるわ。 スヤン、アンズ、解散していいわよ』

「へいへい……さて、こりゃまた若いな。 ハズレか?」

「さぁ……初めてだもん、私に振られても困る」

 

 ただ働きだったなんてことにならない様祈るぜ、などと軽口を零しながらスヤンはアンズの横を通り過ぎて発着場から出て行った。

 きっと休憩を取りに行くのだろう。

 ホーネットでの艦外活動は非常に過酷だ。

 アンズも身体に対する負荷が実感できるし、疲れている。 作業服の下は汗で気持ちが悪く、すぐにでも埃と砂の混じった身体を洗い流したかった。

 けれど、アンズは初めて見たカプセルから目が離せなかった。

 凍眠していた遥か昔の《祖人》が気になって仕方が無かった。

 スヤンは30歳を越えてアンズよりもずっと大人だ。 だからあんなにあっさりと《祖人》など気にせずに休憩を取りにいけたのだろうか。

 もし、この目の前の少年が目覚めなかったら。

 アンズは息を吐いて気持ちを切り替え、首を振った。

 

 

 

「う……?」

 

 白い光が差し込んで、短く呻く。

 何故、こんなに真っ白な世界が広がっているのだろう。

 動かない体を必死に揺すって、白いシーツが敷かれたベットに眠る青年は上手く回らない脳と格闘していた。

 しばらく何が何なのか判らなかったが、覚醒が近づくにつれて脳みそが回転し始めた。

 移民船に乗り込んで、居住可能な惑星を目指していた事。

 搭乗を済ませ、カプセルに入る時間まで、親友と機械人形の性的動作について阿呆みたいな事を語り合って盛り上がった事。

 最後に見たのが、コールドスリープカプセルが起動して、それを覗いていた笑顔で別れた事。

 光景が真っ白な視界に浮かび上がる様に、彼の脳裏に思い出と記憶が蘇っていく。

 

「あっ!」

 

 一つ声をあげて、上半身を一気に起こす。

 そうだ、何処にあるかもわからない目的に地到着するまでに、延々と眠り続けていたんだ。

 目が覚めたという事は、居住可能惑星に辿り着いたという事である。

 こんなところで、ぼんやりとしている暇は無い。

 そうは思うのだが、身体が思うように動かなかった。

 意思に反して行動が伴ってくれない。 もどかしさに目を瞬かせながら、口を開く。

 

「っ、あ……ここは、どこなんだ」

 

 甲高い機械音が、まだ定まらない焦点の中で室内に鳴り響いた。

 なんだ、と思うのも束の間。 電子音が鳴りやまぬ内に、聞き慣れないモーター音が傍で流れたかと思うと、ようやく定まりつつある視界に見覚えの無い少女が入ってくる。

 

「目が覚めましたか?」

「あ……ああ、うん。 醒めてきてる。 少し、まだボーっとしてるけど……」

「それは良かったです」

 

 少女の耳と髪の間から突き出た銀色の棒が、フラフラと揺らいでいた。

 最新の良い電子アンテナだな、と思いながら、彼は鈍い頭を必死に働かせた。

 目を何度か擦りながら、少女をぼんやりと見つめて、ああ人ではないのかと納得する。

 どこからどう見ても、人には無いおうとつが耳から飛び出していた。

 深く考えなくても、人型のガイノイドであることが彼には分かった。

 人間とは違う機械的な動きと、宝石を模したような緑色の無機質な瞳。 移民船の中でもさんざん見て来たものだ。

 

「えっとー……なぁ、ここは何処だ?」

「シップの中です」

「船? まさか、まだ移民船は航行中なのか?」

「いいえ、移民船は事故によって不時着しました」

「は?」

「こちらからも、質問をよろしいでしょうか」

「え?」

 

 ここで彼は、初めておかしいことに気付く。

 船というには、この部屋は自分の知っている光景とずいぶんな差があるような気がした。

 部屋の壁が鈍い金属の光を照り返しているのは同じだが、継ぎ目が粗くネジのような旧態依然とした様式を目にすることは稀だ。

 隣接する様に設置されているはずのコールドスリープカプセルは何処だ。

 それに、目の前のガイノイドの少女も変だ。

 質問をしていいか、等とのたまう機械人形はこれまた彼の記憶には無い。

 

「いけませんか?」

「いや、良いけど。 質問ってなに?」

「お名前を窺ってもよろしいでしょうか?」

「名前だって?」

 

 尋ねられて、服の襟元に挟んでいた識別票を失くしてしまったのではと慌てて確認する。

 服を引っ張って、実際に首下を忙しく手を漂わせると、しっかり異物が当たる感触に胸をなでおろす。

 識別票はちゃんとある。

 

「……あのさ、最近のガイノイドは冗談でも言うようになったのかな?」

「冗談ですか? 幾つか登録されております。 参照致しますか?」

「へぇ~、ユニークだな。 あ、いや、じゃなくてさぁ、名前くらいは識別票を確認してくれれば良いだけだろ?」

「それは何でしょうか」

「何でしょうかって、これこれ」

 

 服の中からわざわざ出して、目の前でしっかりと見せる様に掲げる。

 彼の常識では、わざわざ見せなくてもセンサーからスキャンし、名前はもちろん、禁じられていない個人情報の取得は出来るはずなのだが、目の前のガイノイドは人間がそうするかのように。

 識別票すら理解していない様子で、首をかくりと45度ほど曲げて不思議そうに見つめていた。

 ガイノイドの少女から電子音が鳴る。

 

「初めて拝見しました。 スキャン終了。 これより、このプレートを識別票と認識いたします」

「……」

 

 これは重大な障害が、このガイノイドには発生していると思った。

 整備センターまで連れて行って直してやるべきだろうかと一瞬考えたが、今はそれよりも聞きたい事があった。

 

「ま、いいか。 俺はコウだよ」

「コウ様ですね。 登録しました」

「うん。 でさ、さっき惑星に着いたって言ってたけど」

「はい、ここは惑星・ディギングと呼称されております。 今はシップの医務室にいらっしゃいます」

 

 意味が解らなかった。

 惑星に辿り着いたのに船に乗ったままと言うのが理解できない。

 まさか、地上に降りたのは良い物の環境的に人類が適応できない場所だったのだろうか。

 目の前の故障しているかもしれないガイノイドでは埒が明かないと思ったのか、コウは身体の自由が戻ってきたことをベットの上で確認をすると立ち上がった。

 ガイノイドの子が出てきた扉を確認し、そちらへ歩き出すと、彼女も静々と―――機械音をあげて―――後ろをついてくる。

 

「一緒に来るの?」

「はい、目を離さないように言付けされております」

「いいけどね、別に……」

 

 思わずそう言って、腕を組んで唸ってしまう。

 今、この場で壊れていると言ってあげた方が親切なのでは無いか。 

 そう悩んでいたコウが口を開くか決めかねている内に、背後から再び電子音。

 振り向けば、底の分厚い眼鏡をかけて、肩口まである緑色の髪を左右に揺らし、ゆったりとした白衣に似たツナギを着ている小柄な少年が立っていた。

 どう見ても10歳を過ぎたくらいの子供だったが、間違いなく人間だ。

 

「ああ、良かった。 話が通じそうな人が来たよ」

「メル、ありがとう。 連絡もバッチリだったよ。 うんうん、動きがだいぶ洗練されてきた、良い子だね」

「ご命令を遂行したまでです」

「へぇ、このガイノイド、メルっていうんだ」

「正式にはMM型試作一号機だけど、愛称はメル。 僕がつけた」

 

 コウは現れた少年の、意外なほど低い声に驚きながらまたも怪訝な顔をしてしまった。

 MM型などという型式のアンドロイドも記憶にない。

 目の前の―――恐らく管理者―――少年はずいぶんとこの機械人形に愛着を抱いているようだった。

 移民船で別れた友人を思い出して、苦笑してしまう。

 

「で、彼の名前は?」

「コウ様です」

「ああ、俺はコウっていうんだ。 君は?」

「クウル」

「ああ、クウル。 よろしくな!」

 

 握手を一つ交わし、一応管理者らしき者なので、コウはMM型なんちゃら……いや、メルが故障しているのではないかと善意で伝えてあげた。

 メルの胸元に手の甲を一つ、二つ当てて音を鳴らしながら。

 金属を叩く甲高い音が部屋に響いて、クウルの肩が跳ね上がってコウへと顔を向けた。

 眼鏡越しだから分からないが、酷く睨まれたような気がした。

 

「君! なんてことをするんだ! 精密機械を叩くなんてっ!」

「うわっ!?」

「壊れたらどうする!? 大丈夫かい、メル。 異音はしないか?」

「はい、この位の衝撃でしたら問題ありませんよ」

「……えぇ?」

 

 こんなので金属の塊がどうこうなる訳が無いだろうに。

 一体なんで起こられたのか分からなかったコウは、呆気に取られて呆然と立ち尽くす。

 最早、コウの存在などこの場には最初からなかったとばかりに、ガイノイドの服を引っぺがして露出した胸部の辺りを、クウルは調べていた。

 コウは露わになったメルの胸部に吸い寄せられるように、視線が向かう。

 いや、劣情を催しているわけではない。

 確かに、コウはまだ十六歳と多感期である年頃だし、下ネタで友人と年相応に盛り上がる事もするが、驚いたのは彼女の胸だ。

 大きいとか小さいとかではなく、継ぎ接ぎだらけの前時代的な身体に驚いたのである。

 自分の知識とかけ離れたガイノイドの姿に、やにわに別の考えが及ぶ。

 MM型と呼ばれたこの子は、壊れている訳ではなく最初から不完全な存在だったのでは、と。

 コウの無遠慮な視線を受けて、メルは何だろうかと言いたげに首を傾げている。

 騒然とした場に、検査の終わったクウルがゆっくりと振り返って忠告してきた。

 

「君、もう二度と叩かないで。 やっと組み上げたんだから」

「……あのさ、俺、何が何だか分からないんだけど」

「ん、そうだね。 僕が説明に来たんだけど、君が余計な事をするからだよ」

「分かったよ、良く分からないけど、俺が悪いなら謝るって!」

 

 降参、と言ったように両手を上げて、溜息を吐いてしまう。

 何でもいいから、コウは早く今の状況の説明が欲しかった。

 

 

 

 



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三話 惑星ディギングへようこそ

 

 

 

 コウはクウルと共に医務室を出ると、その瞬間に飛び込んできた景色に分かった事が一つあった。

 船は船でも、移民船ではなかったこと。

 備え付けられた円形の窓から飛び込んでくる黄色の大地が、それを証明してくれた。

 乗り物ではあるようだが、コウが乗ってきた宇宙船ではなく、大地を走る船であったのだ。

 何にせよ、こうしてコールドスリープカプセルから出れて、大地を望めたという事は移民プロジェクトの成功をしたという事実を教えてくれる。

 地球に一度だけしか降りた事の無いコウは、目の前に広がる大地に目を奪われて、すぐに立ち止まってしまった。

 荒野なのか。

 もうもうと風に煽られて砂煙をあげる自然の光景に圧倒されてしまった。

 やたらと外が明るいのは、眩しいくらいに恒星が照っているからだろう。

 船の中に居るというのに、寝起きのコウには目を細めなくては周囲が見えないくらいに眩かった。

 自然とコウの足が窓際へと向かって行く。

 

「すっげぇ……ほんとに惑星に着いたんだ……」

「君! だめ!」

 

 もう少し眺めたい。

 そんな感嘆、感動に冷や水をかけられたようにクウルから鋭い声が飛んで、腕を掴まれてしまう。

 

「な、なんだよ、地上だぞ? ちょっと見るくらい、いいじゃんか」

「怪我したいなら止めない。 でも、近づくとヤケドするよ」

「や、ヤケド?」

 

 不可解な忠告に、窓枠を注視してみれば確かに、燻ったような音と共に煙があがっている。

 

「……艦橋に案内する前に、少し話しておいた方が良さそうだね」

 

 眼鏡を直して振り返ったクウルと、窓際を焦がす熱を交互に見送って、コウは後ろ髪惹かれながらも言われた通りに彼の後を追って行った。

 二人の歩調に合わせて背後から着いてくるメルと、コウとクウルの足音だけが響く。

 

「この惑星は―――」

 

 ―――惑星・ディギングは、二つの恒星と一つの巨大な自然衛星が巡る、灼熱と酷寒の大地だ。

 四日間、昼夜を問わずに強烈な日射が、二対の恒星から降り注いで大地を焼く。

 灼熱の四日間が過ぎれば、今度は酷寒の闇夜が世界を覆うのだ。

 巨大な自然衛星、いわばこの惑星の月に当たる物が、ディギングと二つの恒星の間に割り込んですっぽりと覆い隠してしまう。

 灼熱の大地は400℃を越える熱射。

 月が覆ってしまえば急速に冷え込んで酷寒の大地はマイナス200℃を計測する。

 当然、そのような激烈な環境下では大地に根を下ろす植物は育まれず、渇きと氷の大地が広がっているだけであった。

 地表面積はおおよそ地球の四倍程度と推測されているが、人類が居住可能な範囲は非常に狭い。

 地球の縮尺で日本列島ほどの範囲と同等くらいである。

 コウはそこまではじっと聴いていたが、ようやく口を挟んだ。

 

「なんでわざわざ、こんな星を選んだのかなぁ」

「誰も好き好んで、こんな惑星に降りた訳じゃない。 移民船の事故が原因だと、資料には書いてあるんだ」

「事故って……マジかよ……」

「マジってなに?」

「え? ああ、本当って意味だけど……っていうか、知らないのか?」

 

 普段から常用してる言葉に首を傾げられて、コウは腰を当ててため息を吐いた。

 

「知らない。 失った物は、とても多いから」

「なんか……わっかんないなぁ。 どうして住む場所もそんなに狭いんだ? 移民船に乗り込んでたのは3億人を越えてたんだ。 さすがに……どう思う?」

 

 クウルはコウの言葉に何も返さなかった。

 応えてくれることを期待していたコウだったが、足音だけが響く沈黙に不安な顔になる。

 もしかして、じこはそんなに酷かったのだろうか。

 不時着するくらいには大変な事故だとは分かったけど、それで移民の全員の命が失われたわけでは無いだろうし、大規模な災禍ならコウだって死んでいても可笑しくないはずだ。

 なおも言い募ろうとコウが息を吸い込んだ時に、クウルが言った。

 

「事故の規模も、実態は分からない。 もう、千年も前だから」

「……え?」

 

 コウの吸い込んだ意気は、そのまま疑問の声に変わった。

 小柄で肩まである緑色の髪を揺らして歩くクウルの背を見つめ、コウはまた立ち止まってしまった。

 今、彼は何と言ったのだろう。 自分の聞き間違えではないのか。

 

「何……言ってんだ」

「君は千年も眠り続けていて、僕たちにカプセルを掘り起こされて目覚めたんだ。 惑星・ディギングの歴史はもう十世紀に及ぶ。 コウは……千年前の人間なんだよ」

「クウル……冗談……はは、笑えない、冗談なんだよな……?」

「ほんとうだ。 嘘は言わない」

 

 にべもない冷たい返答だった。

 コウは真っ向からクウルに視線をぶつけられて、思わず目を逸らす。

 クウルが何を言っているのか分からなかった。

 頭がその言葉を理解できても、感情がかき乱されて納得ができなかった。

 もし、クウルの言葉が真実そうであるというのなら、コウは一人っきりになったも同然ではないか。

 移民した先の惑星で、全ての動物や生物の研究を始めるんだ、と息まいていた父親も。

 ガイノイドを人生の伴侶に選んでバカ騒ぎをしてくる親友も、世話になった先輩たちも、みんな、全部失ったってことだ。

 この地に住む人間が十世紀の時が過ぎたと言っても、目覚めたばかりのコウにとってみれば一瞬だ。

 急に震えだす体に、強く首を振って自分を誤魔化した。

 

「マジかよっ、本当なのかよっそれ! 本気で言ってるのかっ!」

 

 自然と語気も荒くなり、震えた声でクウルに詰め寄った。 子供と間違える位、華奢な体の肩を力一杯に掴んで。

 必死な顔でコウは真正面からクウルを見つめる。

 クウルの口は動かなかった。

 その代わり、眼鏡の奥にある意志の強い目で彼はコウを見返してきていた。

 下手な言葉よりも、それはコウの心に響いてしまった。

 本当なんだ。

 

「……コウ、説明はもういい?」

「っぅ……き、聞くさっ……」

「うん」

 

 掴まれていた方から腕が離れて、クウルはその後を擦るように身を寄せた。

 結構な力で締められたから、手跡が残ってしまっている。

 それを隠すように居住まいを正して、クウルはもう少し言葉に気を付けなければと一つ息を吐いてからまた口を開く。

 

「千年前、僕たちの先祖……つまり、君を含めてだけど、僕らは《祖人》と呼んでいる。

 彼らは事故で惑星ディギングに不時着した。 船体は七つに割れて、この灼熱の地にバラバラに落ちてきた。

 その時点では、CSPTのカプセルは飛散こそしたものの、殆どが稼働状態を保ったまま無事だったと資料には残されてる」

 

 カプセルから飛び出た《祖人》の多くは、灼熱に焼かれ酷寒に凍りつき、多くの犠牲者を出したという。

 移民船に搭載された超大型の稼働可能なジェネレーターが無ければ、生き残るニンゲンは居なかっただろうしクウルも産まれて来なかった。

 とにかく、生存基盤を築くのが最優先だった。

 移民船に残されていた機能を使い、命を繋いだ彼らは、堕ちてしまったのは仕方が無いと惑星開発に着手した。

 生き残った生産プラントをかき集め、持っている技術を生き残った人員で結集し、都市を築き上げたのである。

 食料の備蓄は船体が破壊されたとはいえ、船内に十分あった。

 生産も可能な態勢が整えられ、惑星ディギングはとても広い広大な土地だけは有り余っていた。

 居住区が作られ、工場ができて、酷寒と酷暑を克服し人類が根付いたのである。

 

「《祖人》が作り上げた都市は、3つある。 僕が、知っている都市だけだけどね」

 

 コウはもう、クウルの話をただただ聞いているだけだった。

 否定するには真実味に溢れすぎているし、彼が嘘を話す理由も見当たらない。

 だんだんと自分の置かれた状況が、クウルの落ち着いた喋り口に実感が沸き、ハッキリと理解できたのである。

 

「それで―――」

「分かった、ありがとうクウル」

「……もういいの?」

「うん……もういい」

 

 出会った時の明るい様子から一転、コウは沈鬱な表情を見せて俯いてしまった。

 クウルは息が詰まるような感覚に、大きく息をそっと吐き出す。

 目覚めた《祖人》へと現状を説明するのは、惑星ディギングに暮らす全ての人に課せられた義務だ。

 この極限ともいえる世界では、知識が無ければたちどころに命を落とすことになるからだ。

 何の装備もしないで外に出れば、自殺となんら変わりが無い。

 クウルは胸の内で自分を指名してコウを呼んでくるようにと言付けた艦長を恨んだ。

 今の今まで知らない人だったとはいえ、自分の言葉がナイフとなって他人を傷つけるのは、まともな神経を持っていれば心地よいものでは無い。

 ある意味で、コウが話を切り上げてくれたのは渡りに船だった。

 義務だと割り切る事は、難しい。

 

「あのさ」

 

 ぽつりと、コウは言った。

 

「後で資料っていうか、クウルの話してたのを調べることって出来るのかな」

「できるよ」

「そっか」

 

 調べて見る、とは言わなかった。 真実を見てしまったら、何かが壊れてしまいそうだと怖くなった。

 コウの立ち止まっていた足が、聞くことを拒むように自然と前に出た。

 クウルはコウが歩き出したのを見て、慌ててその横に並ぶ。

 

「興奮してゴメン、クウルのせいじゃないの思いっきり掴んじゃった。 痛かった?」

「別に、いいよ」

 

 義務だからね。

 コウの視線を受け流しながら、服を手で寄せてクウルは心の中だけでそう応えた。

 

 

 

「艦長、艦橋前につきました。 後はヨロシク」

 

 シップ・スパイダルの艦橋前まで案内されると、仕事の続きがあるから、とクウルとは別れることになった。

 ガイノイドのメルが遅れて頭を下げて、そのクウルの後ろを不釣り合いな最新式の電子アンテナを揺らして、パタパタとついていく。

 そんな様子を見送っていると目の前の扉が開いて、コウは一つ頭を掻いた後に中へと入っていった。

 円形状に操作パネルが配置され、中央に艦長席が設けられている。

 コウから見ても、宇宙船に良く見られた標準的な設計だった。

 違うと言えば、宇宙では目視がそれほど重要ではない為、モニターではなく厚いガラスのような物で、外が見える点だった。

 いくつかある席の上では、乗組員だろう人たちが雑談に興じていた。

 

「さぁ、こっちに来てもらえます?」

 

 少しだけ他の人たちよりも高い場所に座っている女の人が、入り口で周囲を見回していたコウへと声をかける。

 ウェーブがかかったクリーム色の長い髪が腰まで伸びており、人好きのしそうな暖かい笑みを浮かべて会釈するように頭を下げる。

 同じように頭を下げて、コウは彼女の顔を見た。

 厚ぼったい唇にトロンと下がった目じり。 服飾こそ紺と黒で統一されて落ち着きのある姿だが、可愛らしさやふわっとした印象が強い女性だった。

 立っている場所からして、彼女がこの艦橋のトップ―――つまりは艦長なのだろう。

 身長もコウよりずっと小さくて、偉い人というイメージがまったく沸かない。

 勝手に硬派なオジサンだと考えていたコウは、想像とは剥離した容姿に若干の戸惑いを見せた。

 艦長だろう女性の隣に陣取っている、見慣れない形の帽子をかぶっている男性の方がよっぽどコウのイメージに近い。

 眉が太く、体格もがっちりとしていて、鷲鼻と浅黒い肌が特徴的な、厳つい中年男性。 大人という物はこういう物だとコウの想像と一致する。

 識別票を渡すように言われて素直に差し出すと、艦長である少女が受け取ってそのまま照会を始めた。

 

「そこに椅子を用意してある。 気楽にして座ってくれ」

 

 厳つい男性の声に促されて、コウはおずおずと備え付けられた椅子に体重を預けた。

 

 

「名前は確か……コウ君だったな。 私は副官を務めているボシュボルだ。

 そして彼女は、もう察しているだろうが、この船シップ・スパイダルの艦長を務めているジュニエルジュだ」

「本当はもっと長い名前があるのだけど、基本的に皆、愛称で呼び合ってるわ。

 私の事はジュジュ、彼の事はボッシといった様にね」

「へぇ……そうなんですね。 長いって、どのくらい長いんですか?」

「えーっと、そうね。 私の本名はジュニエルジュ・ジュール・カイト・シル・ジュジュエット。 もっと長い人も居れば、短い人も居るけれど」

「うわ長っい! す、すみません。 ちょっと長すぎて覚えられそうにないっす」

「ええ、愛称だけ覚えてくれれば結構よ。 目覚めたばかりのしち面倒臭ぇ人たちは、口を揃えて同じことばっかり囀りやがる」

「は?」

 

 コウは突然と言っていいほど言葉遣いの変わった艦長に、言葉を詰まらせて身を引いてしまった。

 見た目からして柔らかい少女から、信じられないような暴言が飛び出して固まってしまう。

 慌ててジュジュは口を手で押さえていた。

 そんなやり取りを見守っていたボッシが、仕切り直すように一つ咳払い。

 

「艦長のジュジュは幼いころ恒星に喉を焼かれていてな。 人口声帯膜と声音補助チップを埋め込んでいるのだが、精度はあまり宜しく無い。

 興奮したりすると誤作動が多くなって、発言が荒くなってしまうんだ。 余り気にしないでくれ」

「っ、ごめんなさい。 自分ではなかなかコントロールすることが難しくて……」

 

 両手を合わせて申し訳なさそうに頭を下げる艦長ジュジュに、コウは曖昧に笑って頷いた。

 そんな説明を受けてしまっては、謝罪を受け取るしかない。

 機械が悪さをしているのなら、仕方が無いだろう。

 

「そういった事情から、艦長のジュジュは必要が無い時以外は、喋る事を好まない。 何かあれば私に相談すると良いだろう。

 まずはそうだな。 このシップ・スパイダルには立ち入るのに許可が必要な区画もある。

 一度、施設の案内を受けてもらえるとありがたいが」

「そうですね。 アンズちゃん……あそこに居る貧相な小娘に案内させるわ」

「えー、アタシなの?」

「へっへっへ、貧乏くじだ、ざまぁねぇな」

「スヤン! その舌引っこ抜くわよ!」

「いいじゃねぇか、歳も近そうだし仲良くなって来いよ。 意外と良い友達になれるかも知れねぇだろ」

 

 ジュジュに指名されたアンズという少女が、詰まらなそうにタッチパネルを叩いていた顔を上げた。

 かと思えば、隣のスヤンと呼ばれている男性といきなり口喧嘩を始めている。

 そんな様子を見て、コウは居ずらい雰囲気を誤魔化すように息をそっと吐いた。

 どうにも、この船シップ・スパイダルに乗り込んでいる人達は、個性的な面々が多いようだ。

 だが、まぁこんなものなのかも知れない。

 千年もたっていれば常識や世界が変わるだろうし、自分の事だって《祖人》などと変なレッテルが貼られてしまっているし。

 少し煮え切らない感情も心の奥底で自覚していたが、コウはその事には深く触れないようにした。

 なんだかんだと話していたアンズも、指名されたとあっては仕方ないと割り切ったのか。

 気が進まないような顔を隠さずに、艦長へと了解、と告げてコウへと近づいてきて、手を取る。

 同年代と思える少女に手を取られて、コウはうっと身を引いた。

 

「んじゃ、とっとと済ませちゃお。 行きましょ」

「え、あっ、おい」

 

 半ば引きずられるようにしてコウはアンズに引っ張られて艦橋から立ち去ろうとした時に、ジュジュから声が掛かる。

 

「アンズ、待って」

「どうしたの?」

 

 立ち止まったアンズとコウが、出入口で振り向くと、艦長は懐から指示棒を取り出して一つ上に挙げた。

 ボッシがその横に立ち、合図によってシップ・スパイダルの艦橋に居る全てのスタッフが立ち上がる。

 ジュジュはゆっくりと、頭を下げて。

 

「コウ君。 熱砂と氷結の大地へようこそ。 蜂が棲まう蜘蛛の船へ、ようこそ。 歓迎しますね」

「え、あ~……あの、よろしくっす」

「アンズ、コウ君をよろしくね」

「ええ。 任されたわ」

 

 《祖人》であるコウを、電子音によって扉が閉まるまで全員がその場で立って見送っていた。

 

 

 



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四話 不和

 

 

 

 コウが立ち去った艦橋では、何とも言えない雰囲気に包まれていた。

 彼らも殆どが《祖人》と出会うのは初めての事であり、実際に会ったことがあると言える者はスヤンやボッシといった年長の一部の人間だけだ。

 場の雰囲気が浮ついて落ち着かなくなった様子に苦笑を漏らすボッシを眺め、スヤンはパネルの金属を指で叩きながら口を開いた。

 

「んで、艦長。 次のポイントに行くのかどうか、ここらで決めとかないとまずいだろ。 あのガキが居るんじゃ危険だぜ」

「コウ君が拾えたのは予定にはない事だったからな。 一度シティに戻るのも検討すべきだろう」

 

 スヤンの声に応えたのはボッシだった。

 その言葉を聞きながら、ジュジュは前髪を指で遊びながら思考に耽る。

 ややあって、水筒らしき円筒の物を手に取って口に一度含むと、ジュジュは二人を交互に見返してから

 

「まだ予定の半分にも満たない採掘工程です。 もうちょっと気張っていけ、根性無しのチキンども」

「ありゃりゃ、黒字の内にシティに戻って休みにありつくのも悪くねぇんじゃねぇかって思ったけどな。 艦長は怖ぇや」

 

 スヤンはおどけた様子で手を振り上げて、水蒸気を上げる電子パネルの前に向き直った。

 

「彼、何を私たちに齎してくれるかしら」

「さて、今はしばらくは聞かない方が、余計な波風を立てずにすむでしょうな」

「そうね……今は予定通り、ブツを掘り起こすのが先。 このまま工程は消化しましょう」

 

 千年前の人類の技術は、この星に住む者にとって常に改革を起こしてきた。

 それは例えば、シティそのものの安定の為に必要な技術であったり、灼熱と酷寒の大地を駆け巡っているこのシップ・スパイダルでもある。

 コウのような《祖人》の発見は、過去の繁栄を極めた技術結晶の遺産を発見したに等しい。

 少なくとも、このディギングに住む人々にとってはそうだった。

 だからこそ、目覚めたばかりの《祖人》ここで言えばコウには期待しているし、精神的な面まで含みケアをする義務がディギングの人間にはある。

 コウ達の持つ知識は、彼らの生き抜く糧に直結するのだから。

 

「でも心配だわ。 アンズちゃんはクソほど怒りっぽいし。 ゴミ滓みたいな結果になっちまうかも」

「あぁ? そりゃ多分あんまり大丈夫じゃねぇだろうな。 じゃじゃウマだしよ」

「だが、いい経験になるだろう」

 

 本来ならば艦長のジュジュが先頭に立って、コウの面倒を見るべきなのだろう。

 ジュジュもまた《祖人》とは初めて立ち会うし、興味もある。

 だが、立場でいうと難しいところだ。 惑星ディギングに住む者たちは今を生きるのにどうしても必死になる。

 目覚めた《祖人》達とはその常識の食い違いから喧嘩になって、結果として失ってしまうという話は多く伝え聞いている。

 シップ・スパイダル全ての人命の責務を負っているジュジュでは《祖人》との諍いが起きた時に、取り返しのつかないトラブルを生む危険性もあった。

 

「ああ、本当に心配だわ。 喧嘩早くて馬鹿なアンズちゃんで大丈夫かなぁ……」

 

 頬に手を当てて、ジュジュはこの話題をそう締めくくった。

 

 

 

 アンズに案内されていたコウの足がピタリと止まっていた。

 船内を順繰りに巡って、蜘蛛脚から脚へ渡る途中の腹の中。

 轟音が鳴って艦全体が揺れ始めてしまったからである。

 左右に身体を揺らされながら、コウは慌てていた。

 

「これっ、なんだ!?」

「ちょっと、くっつかないでよ! 危ないでしょっ!?」

「うわわっ!」

 

 勢いを増していく足元からの振動に、もう立っていられない。

 バランスを崩して勢い余り、アンズの身体を支えに態勢を整えようと必死に藻搔く。

 膂力のあるコウに押し倒されるような形で、アンズは地面に押し付けられて倒れ込んでくるコウと縺れるようにして転がってしまう。

 お互いに絡み合って止まった壁面にぶつかって止まったところで、ようやく静止する。

 コウの背中が熱波に晒されて一気に焼けて行く。

 

「んがぁっ、あっっついっす!」

「ちょっ、もうっ! 何やってんのよアンタ! 馬鹿なの!?」

「いつつ……だって、こんなに地面が揺れてたらしょうがないだろ!」

「冷却装置が駆動して振動しているだけ! こんなの毎日の事よ!」

 

 壁にぶつかったのがコウだったのは、幸いだったかもしれない。

 この振動に慣れているアンズは、一人であったなら間違いなく何の問題もなかった。

 彼女が巻き込まれて怪我をしていたら、転がっているコウの顔面を思い切り蹴飛ばされて殺されていたかも。

 怒鳴り散らす少女の罵声を聴きながら、コウはそんな事を思っていた。

 揺れに耐えられなかったのは経験がなかったからだ。 立っている場所が揺れるなんて、今この瞬間まで宇宙で過ごしてきたコウには想像も出来なかった。

 常に一定の重力で管理させ、揺れることのない大地で人生を過ごしてきたのだから、産まれて初めて地震を経験したような物である。

 

「あーもうっ、ほら、背中見せなさい!」

「いや、大丈夫―――」

「じゃない! 甘く見て死にたいわけ!? 火傷で死んだ人だって大勢いるの! 案内くらい面倒かけさせないで普通にさせなさいよ、馬鹿!」

 

 コウの言葉を遮って、アンズは大きな声で罵倒した。

 そう口に出すアンズの大袈裟で逼迫した様子は、コウにとって面白いものでは無かった。

 しぶしぶと背を向けて座ると、服を捲ってアンズが手元から取り出した軟膏のようなものを塗りたくられる。

 なんだよ、そんなに悪い事かよ。

 コウは思う。 確かに自分が凍眠している間に、この惑星ディギングでは様々な常識が出来て形作られたのであろう。

 今の地面が揺れる一件だけでも、コウの知らない事が多岐に渡ると思えた。

 その位は分かる。 だが、今は起きたばかりで何も知らないのだ。

 常識とか、約束事とか、暗黙の了解だとか。

 多分もっと、色んな事が分からない。 それこそ目の前のアンズとどう接すれば良いのかさえも。

 望んでこの場所に居る訳じゃ無いんだ。

 いきなり千年も時間を越えていて、誰も知らない土地に放り出されて、そんな事を聞かされて鬱憤は溜まっている。

 あああーーーーーっと、大声で今すぐにでも叫びたいくらいである。

 背後から怪我は酷く無い、良かった。 という安堵したように息を吐くアンズの声が、それを押しとどめていた。

 しかし募っていた不満は口に出てしまった。

 

「そんなに面倒見たくないなら良いって。 別に頼んでもいないっす」

「あんたねっ!」

 

 むっつり顔で胡坐のまま顔を逸らして言い放ったコウに、案の定アンズは食って掛かった。

 怒る少女を無視して頬を膨らませるコウの耳朶に、わざとらしい大きな大きなため息が聞こえてくる。

 

「あのね……アタシは案内しないわけには行かないのよ。 クウルに聞いてないの?」

「クウル? なんでクウルが出てくるんだよ」

「この星の事を、何処まで聞いたのかって尋ねてるの。 オウムみたいに質問を質問で返さないで頂戴」

 

 アンズの厳しい言葉に、コウは奥歯を噛んで肩を震えさせた。

 どうしてそんな事を言えるんだろうか。

 相手の気持ちを考えることが出来ないのだろうか。

 目が覚めればガイノイドの出来損ない。 移民船は千年以上も前に事故で壊れたなどと言われ、誰かと話をすれば無遠慮で好奇心にまみれた視線をぶつけられ、距離感には壁がある。

 もしかしたら、艦長であるジュジュだって、喉が焼けたなどという嘘をついて自分を馬鹿にしていたんじゃないか?

 こうして疑い始めてしまったら切りは無かった。

 コウの中に淀んでいた不満が、疑念の渦となって態度にまで現れてしまうのを、止められなかった。

 質問に黙り込んだコウに、呆れた視線を突きつけて、アンズが口を開く。

 

「あっそう……応える気は無いって事ね。 子供だってもう少しはシャンとしてるわよ」

「っ、好き勝って言ってくれちゃってさ! 俺の何がアンズに判るんだよ!」

「あんたこそ、此処の何が分かっているて言うのよ! もうアンタもこの星に住む一人の人間よ! 何時までも拗ねて話も聞かないなんて、格好がつかないわ、そうでしょう!?」

「訳わかんねぇっての! 知らねぇよ!」

 

 怪我を見ていたアンズの手を振り払うように立ち上がって叫んだ。

 睨む視線を真っ向から返し、アンズも負けじと立ち上がる。

 

「言っとくけど、この星の事をちゃんと聞かないと死ぬわよ。 義務って言うのもあるけど、私はこれでも親切心で言ってあげてるんだから!」

「義務だって?」

「そうよ、カプセルから出た《祖人》には、惑星ディギングの事を一から十まで説明する義務があるの。 そうしないと、皆すぐに死んでしまうから」

 

 その《祖人》という言葉そのものが、同じ人ではないレッテル貼りじゃないか。

 そんな文句を飲み込んで、コウはアンズの死んでしまうという言葉に口を噤む。

 船体の壁に身体を押し付けただけでも、火傷という怪我を負ってしまう。 こんな星の中で生きる為に知識は絶対に必要だ。

 そりゃあ義務にもなってしまうだろう。

 でも、それでも、納得がいかなかった。 感情が爆発してしまいそうだった。

 自分でも癇癪を起こしているというのが分かっている。 でも、どうにも意地ようなものが邪魔をして素直になれなかった。

 

「3億人も居た《祖人》がどれだけ残れたのかも聞いていないみたいね。 たったの30万人。 それしか残れなかった。

 もちろん、カプセルに入って無事だった人も大勢いたけど、事故の影響でこの星に散らばってしまったせいで総数すら不明なのよ。

 だから、まだアンタみたいにカプセルに入ったままの人も居るかもしれない。 バラバラに時代を越えて来てしまうの」

 

 それまでの語気の荒い様子から一転して、苦い声色で話すアンズの声がやけに耳に通った。

 コウは自分たちが居た時代の技術が、どれだけこの星の人たちに臨まれているのかを、惑星ディギングに必要であるのかを知った。

 シップ・スパイダルの大きな目的の一つは、間違いなく彼らが《祖人》と呼ぶ自分たちの捜索も含まれているんだろう。

 貴重な技術を持っている人間に、勝手に死なれてはたまらない。

 だから義務になっている。

 アンズが押し黙って話を聞いているコウを見つめて息を吐く。 ともすれば、今にも泣いてしまいそうなほど顔を歪ませている目の前の男にクウルと似たような感情をアンズは抱いていた。

 とても、やりづらい。

 だから彼女は、コウを慮って回りくどい説明をやめた。

 それはアンズの気遣いであったが。

 

「ねぇ、アンタって何が出来るの」

「何ができる……?」

「私たちに、何をしてくれるの? 今、私たちが世話をしてあげてるのも、それが知りたいんだから、教えてくれてもいいでしょ?」

「……」

「まただんまり……もう、いい加減にしてよ、ホント……」

 

 コウはまた腹の底が煮えるのを自覚した。

 そんな聞き方って無いじゃ無いか。 そんな風に聞かなくてもいいじゃ無いか。

 拾って保護したのは千年前の人類の技術が欲しいから。 そんなの、分かっているけど、じゃあ自分は知識だけしか求められていないのか。

 結局コウは、またも口を噤んで話はしなかった。

 口を開いたら、また余計な事を言ってしまうだろう。

 気遣いそのものが間違った方向に向かってしまったのは、コウよりも一歳年齢が若い、彼女の過ちだった。

 今は答えてくれないと諦めたのだろう。 落胆を隠さずにアンズが案内の続きを促して、足を進めて行く。

 その自分よりも小さな背を追って、コウは自然とつり上がった視線を彼女にぶつけて。

 その後、彼らはシップ・スパイダルの施設を全て巡り終える迄、必要な時以外の会話がまったく無くなってしまった。

 お互いがお互いに、不平不満の顔を崩さす、すれ違う艦内の人々から振り返られながら、事務的に各所を巡り終えた。

 

 

「ふうん。 それで、そんなに怒っているんだ」

「ああ、ったく。 何も馬鹿だなんて言わなくても良いじゃんか。 こっちは何にも知らないってぇのにさぁ」

「そうだね、アンズは怒りっぽいからね」

「そうだよな。 あの子ちょっとすぐに怒鳴りすぎだろ」

「うん……まぁ僕も謝らないとね。 しっかりと説明できなかったから」

「クウルが謝るようなことじゃないさ」

「ありがとう。 でも……アンズの気持ちも分かる。 僕も千年前の事は分からないから」

「そりゃ俺だって……分かってるよ。 でもまだ、ぜんぜん混乱してるんだ。 皆からすれば千年前から続く普通のことかもしれないけど、俺は……」

「アンズもきっと同じように思ってるよ。 僕からも謝る」

「……はぁ~~~……どうなっちまうんだろうなぁ。 俺……なぁ、クウルってアンズとはどんな仲なんだ?」

「どうって、友達?」

「そこ疑問形なのか」

 

 アンズと別れたコウは、行く当てを失って、結局最初に会ったクウルを捕まえて愚痴を零していた。

 クウルは艦内の通信機器などの整備が本来の職務であり、このシップ・スパイダルの管制を担っている。

 与えられた部屋で、趣味であるアンドロイドの開発以外は、ずっと電子パネルの前に座って過ごしていた。

 喫緊の問題が起きなければ、割合に暇と言っても良い場所であった。

 MM型のガイノイド、メルも一緒にこの部屋に居る。

 散乱した各種工具と、携帯用の小さな端末が所狭しと置かれていて、備え付けのベット以外に家具は殆どない。

 メルは生まれたばかりで、クウルのお茶汲みが日常的な仕事であった。

 今もステンレスで作られた簡易のキッチンに立って、お湯が沸いているのをじっと眺めて立っている。

 頭頂部に付けられた最新のアンテナが、やっぱり無駄に目立ってアンバランスだ。

 クウルの鉄の文字盤を叩いて入力していく音。 時折、艦内に滞った水蒸気を放出する音。

 そして、水が沸騰する音が、コウの耳に響いて。

 椅子に身体を預け、顔を真横に倒していたコウは原始的な"ポンコツ"を見て、ぼんやりとその音を聞きながら。

 

「あのさ」

「なに?」

「やっぱ、俺が悪いんだよな」

 

 それまでコウが部屋に入ってきてから、一度も目線を送らなかったクウルの顔が上がる。

 たっぷりと時間をかけて、ぐりぐりの眼鏡の奥で彼の顔を見つめ、やがて頷いた。

 

「多分ね」

「そっか」

「コウみたいに眠ってた人は、僕たちが失った技術を持ってるのが大半で、それは事実としてディギングに住む人達に幸福をくれた。

 アンズが尋ねていた事は、本音を言えば僕も聞きたい事だ。 少しアンズは性急すぎるけど」

「そうだよな……うん、分かった。 俺、アンズに謝るよ」

「きっと彼女も同じだろうね」

「だと、良いけどさ」

 

 丁度、メルが話の区切りがついたと判断したのか、おずおずと二人の間に割って入る。

 雰囲気などという曖昧な人の会話の判断が判るのかは不明だが、それは丁度良い間の合間であった。

 テーブルの上に、湯気が立ち上るカップが二つ置かれていく。

 メルは人のように腰に手を当てて、胸をそらした。

 

「ふん、できました」

「うんうん、よく頑張ったね、メル。 えらいえらい」

「ありがとな、メル」

「いえ、ご命令に従ったまでです」

 

 不器用に顔の輪郭を駆動させて微笑むメル。 コウは早速カップに口をつけて微妙な顔をした。

 茶ではない。 ただの煮立ったお湯の味しかしなかった。

 もしも自分が知っている千年前のアンドロイドを見せたら、その完成度にクウルは嫉妬を覚えるんじゃないだろうか。

 いちいち、過剰なくらいに自作のガイノイドを褒めちぎるクウルに、コウは苛々した気分が払拭されて笑みを見せるようになった。

 移民船内で別れた親友の事を、思い出す。

 

「ははは、俺の友達なら、アンドロイドを専攻して学んでいたからクウルの役にきっと立ったんだろうな」

「そうなんだ、残念」

「俺と話をしていたこと位なら、教えてあげられるかも。 聞く?」

 

 笑みを浮かべるコウに、クウルは眉をしかめた。

 だが、アンドロイドについて。 しかも《祖人》の話となればその提案はとても魅力的だった。

 クウルは好奇心に負けたように首肯する。

 

「おっけー。 でもまぁ、もっぱら話してたのは性欲処理とか、人肌の再現方法とか、くっだらねー下劣な話ばっかなんだけどさ。 あはは、まぁ下ネタってやつ?」

「……っ、そ、それはっ」

 

 パッとクウルの頬が赤く染まった。

 コウは思い出すようにして、もう遥か昔となった馬鹿話。 猥談に近いものを口から滑らせる。

 乱れ飛ぶそのアレコレな話は、次第にコウ達の間で本題となっていた性行為に移っていき、いざこの話の本命ともいえる友人の実体験談に移ろうとしたところでクウルは目の前のテーブルを叩いていた。

 室内に大きな音が響き、メルの電子音がピピっと甲高い音を鳴らす。

 コウは身を引いて驚いた。

 

「ど、どうした!?」

「あの、えっと、僕、これでも忙しいから。 終わり」

「あ……ああ、ごめん。 無駄話しちまったな……」

 

 なんとなく迫力のある声に押されて、コウは謝った。

 流石に子供に聴かせる話でもなかったか? とコウは反省しながら謝った。

 アンドロイドの開発が趣味であるクウルには、技術的な面での話の方が良かったんだろうな、と思いながら気まずくなって立ち上がる。

 最後に一つ謝ってから、コウはしずしずと退室することになった。

 仕事の邪魔をするわけにもいかない。

 今のところ、気軽に話せる相手は年齢が近く、同性のクウルだけだった。

 アンドロイドという丁度良い話題があったせいで、少し浮ついてしまったのだろうか。

 今度はもう少し、仕事が忙しくない時に聞かせてあげようと考えながら、行く当ても無いので割り当てられた部屋へと戻ることにした。

 帰り際、シップの蜘蛛の腹。 発着場を通る事になって、時折揺らぐ振動に気を付けながら歩いていたが、薄茶色のシートに包まれている大型の機材のコードを足に引っかけてしまって転倒する。

 

「いってて……うわ、どうしよう、コレ」

 

 アンズに案内された時にもこの大型機材の事は尋ねたが、関係ないという有難い言葉を頂戴してしまい、ろくすっぽ聞けなかった。

 暫く、引っこ抜いてしまったコードを手に取って眺め、コウは頭を掻いた。

 余所者である自分が、下手に弄って別の場所に端子を突っ込む。 実はこの端子は予備であり機材に挿入する必要はない。

 端子の接続部分を誤ってショートする。 色々な考えが巡ってしまって、結局放置することにした。

 下手に弄ってまた怒鳴られたり、怒られるのもあほらしい。

 まぁ転んでしまったのは、不注意だったので今後は気を付ければいいだろう。

 そう一人で納得し、苦笑を零す。

 本当に、なんでこんな所に自分は居るのだろうか、と煮え切らない思いが笑いとなって腹を付く。

 戻って寝てしまおう。

 コウは見慣れぬ艦内の中を歩き回って、なんとか割り当てられた自室に着くと、対して眠くも無いのにベットの上へと身を投げ出した。

 

 

 扉一枚を挟んで出て行ったコウの足音が遠ざかるのを確認してから、クウルは落ち着かない様子で洋服の裾を掴んで居住まいを正して座り込む。

 真っ赤になった頬を覚ますように、手で顔を仰ぐ。

 メルは主人の体温が上昇していることに気付いて、肩に備え付けられた小型扇風機を取り出すと、腕で彼女の顔に風を当ててあげた。

 

「大丈夫ですか」

「うん、ありがとね、メル」

「質問なのですが、アンドロイドに備え付けるちつへき装置の差異と有意性においての選び方というのは何でしょうか」

「……今の僕とコウの会話、即刻に記憶のログから消去する様に、メル」

「何故でしょう?」

「なんでも!」

 

 不思議そうに首を傾げたガイノイドに、クウルは大声で叫んだ。

 

 

 

 



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五話 土蚯蚓

 

 

 

 凍った時間が溶ければ、その速度は早いもので。

 コウがカプセルから目が覚めてから、時間でいえば三日間が過ぎていた。

 人類のホームである地球に照らし合わせれば、72時間。 この惑星ではまだ陽が沈む気配はなく二つの恒星が元気に大地を焼いている。

 シップの中での生活に一定のリズムが出来始めていた。

 殆どを宛がわれた部屋の中で過ごすので、つまらないと言えばつまらない。

 寝台と椅子、食事のためのテーブルが狭い個室に納められていて、飾りつけもされていない鉄と扉に囲まれた殺風景の部屋の中。

 やることと言えば、人間には避けられない欲求を満たす事と、移民船の事故についての資料や惑星ディギングにおける歴史を調べること位だ。

 後はせいぜい、クウルと雑談に興じるくらいで、いい加減に暇になってきた。

 心の整理は、ついたと思う。

 このシップ・スパイダルに乗っている皆が言っている事は、決して大袈裟な物じゃ無いということ。

 コウは部屋に用意された端末の名前に座って嘆息した。

 のけ反る様に背もたれに体重を預けて、天井を見上げる。

 無理やり鉄釘で鋼の板を取り付けたような、無骨な天井が見えた。

 そのままコウはゆっくりと目を瞑ってその景色を追い出すと、脳裏にアンズの声が蘇る。

 

 なにができるの?

 

 実のところを言ってしまえば、コウには突き刺さる物があった。

 こうしてモニターに映る資料を捲って惑星ディギングの歩んだ歴史や、今日にいたるまでの事情を知れば知るほど、その思いは強くなった。

 実感こそない物の、今はもう千年も前のこと。

 移民船に乗り込んだ時、コウはまだ学生だった。

 専攻していたのは、宇宙船外での修復作業やデブリ除去などを担う小型の作業機体免許の取得を主としたものである。

 この荒涼の大地で役立てるような技術は、きっと持っていない。

 そうなるとアンズだけではなく、自分を拾ってくれたシップ・スパイダルの全員の期待を裏切ってしまったように感じて、なんだか居た堪れない気持ちが湧き上がってくるのだ。

 別にきっと、何も出来なくても彼らの対応は変わらないのだろう。

 それは資料からも読み取れるし《祖人》に対しての考え方はおおよそ理解したつもりだ。

 ゆっくりと目を開いて、端末を横目で眺める。

 この装置も、随分と自分が日常的に触れてきた物と違う部分が目立つ。

 まず、原始的だ。 入力装置は有線コードで直接つなぐ必要があり、口頭で命令も出来ない。

 標準的に搭載されていた補助AIも当然なく、いちいち面倒な手順を踏まなければ調べごとも捗らない。

 唯一救いと言って良いのは、千年たっても使ってる文字が変わっていない事だろうか。

 単純に読み書きができるだけではなく、プログラムその物に使われている言語も一緒だった。

 ふと、コウは自分の左腕に装着しているリストバンドに目を落とす。

 黒いベルト部分の中央に、蒼い宝石がくっついているデザインの物で、実はこれは個人用の携帯端末だ。

 用途は様々。 個人バイタルも見れるし、相手の身体に触れればその人のバイタル情報も取得できる。

 データベースとしての機能もあるし、音声会話、周囲の気温や湿度などの環境情報の取得など、多機能である。

 固定端末への接続用に、細い電子スレッドコードが搭載されており、惑星ディギングに降り立ったコウにとって洋服以外では今は唯一の私物と言えた。

 とはいえ、規格の違いから繋げられる端末も無いので、その機能はオミットされているのに等しいのだが。

 それも千年前の環境を前提にしたものばかりなので、この個人端末に入ってるデータが役に立つことは無いのだろう。

 せめて専攻していた艦外作業用の修復機体《リペアマシンナリー》があれば別だろうが、無い物をねだっても仕方がない。

 

「あぁぁ~~っ、もうっ! どうすりゃいいんすかねぇ!」

 

 女々しいと自分でも思えるが、どうしても頭に過るのは移民船に搭乗する前の出来事ばかり。

 友人や父親はどうなってしまったんだろう。

 飛散してコウのようにまだ眠っているのか。 それとも、調べた歴史の中に消えてしまっているのだろうか。

 忘れようと別の事を思おうとしても、時間が経った時にふいに気になってしまって集中できなかった。

 電子音が響く。

 テーブルに備え付けられた端末からは、艦橋から直接繋がる通信機器が設置されている。

 冷却装置の駆動と、その振動だけで驚いてしまったコウの話を聞いた艦長のジュジュが、わざわざ備え付けてくれた装置だ。

 すぐには取らず、暫くしてからコウは息を吐き出して受話器を取った。

 声の主は、副艦長のボッシ。

 

「コウです。 どうしたんですか」

『休んでいるところ悪いな。 少し騒がしくなるから、驚かない様に連絡をしておこうと思ったのだ」

「ああ、冷却装置がまた動くんですか?」

『いや、ミミズが来た』

「み、みみず……?」

『うん? まだ知らぬのか? 端末で《土蚯蚓》について調べて見たまえ。 少し忙しくなるが、大事にはしないから安心してくれ』

 

 ボッシの声は落ち着いた声色だったが、その発言は矢継ぎ早だった。

 言い終わるのが早いか、通信が切れるのが早いかと言った具合だ。

 どうせやることも無い、とコウは言われた通りに《土蚯蚓》について端末を弄って検索した。

 

「おわっ!」

 

 同時、艦内に轟音が響き、冷却装置の駆動とは比べ物にならない振動が大地を揺らした。

 思わず端末に身体ごと寄せてしがみつく。

 慣性によって体が引っ張られる感覚から、シップ・スパイダルが動いている事が分かった。 

 上下に、時に左右に揺れ動く室内に、言い知れぬ恐怖を覚えながら、端末に表示された映像に視線を向ける。

 《土蚯蚓》

 そう呼ばれる生物が、この惑星ディギングには居る。

 大地の底を縦横無尽に掘り進み、小さい個体で3メートルを越える大きさ。

 巨躯なものであれば海洋生物であるクジラと変わらないほど成長し、その巨大な体躯を振り回す惑星ディギングの厄災。

 シティの発展を妨げ、人類が急激な人口低下する原因ともされ、資源採掘の大きな障害となっているのが、現住生物であるこのはた迷惑なミミズ共であった。

 言葉でこそミミズと称しているが、巨大な細長い岩石が移動していると言った方が良いだろう。

 あえて近い生物を参考に、呼称されているに過ぎない。

 これが今、現れたということだろうか。

 こんなバケモノみたいな奴等が。

 コウは振動から立ち上がる事も出来ず、モニターに映し出された《土蚯蚓》を凝視していた。

 

 

「艦橋だ。 繋がっているか」

『へいへ~い』

『聞こえてます』

『大丈夫です』

『通信状態、良好』

「結構だ。 クウル、全員の状況はしっかり見ておけ」

『了解』

『そっちで捕捉したのは、大きそう?』

 

 例の宇宙服のような分厚い服装に着替えたアンズとスヤンを始めとした《ホーネット》乗り達が艦橋のボッシに答えを返す。

 頭部をすっぽりと包み込むヘルメットを被り、特殊素材で作られたバイザーを降ろして視界を確保。

 普通のガラスでは照りつける二つの恒星の熱波に焼かれ、溶け落ちてしまうからだ。

 艦外作業機ホーネットの座席部に乗り込むと、機体から何本も飛び出しているコードを引っ掴んで、ヘルメットや艦外作業服に空いている穴に突っ込んでいく。

 これらを接続することで、温暖の激しい場所での活動をするための調整機器だ。

 熱波や酷寒の中で動けるよう、冷気や暖房を送り込み、ホーネットに付けられた尾部のジェネレーターを利用して、作業者を守るための装置である。

 

「まだ地表に姿を現していないから大きさは不明だ。 艦橋のデータでホース級《馬級》からエレファン級《象級》を予測している。 数は多くても15体は居ないだろう」

『へっ、余裕じゃねぇか。 めんどくせぇな』

 

 ボッシの声にスヤンがおどけた調子で応えた。

 スヤン以外のホーネット乗りは、曖昧に同意する様に笑った。

 スヤンのその笑い声に鼻を鳴らす。

 個人の端末からアンズの機体に通信が入る。 このタイミングで何を?

 アンズは顔を顰めながら通信機のスイッチを入れた。

 

「アンズ」

『はい……? なんですか、ボッシさん』

「コウ君にミミズの事を話して居なかったな」

『……すみません』

「義務だぞ」

『分かってます』

 

 ボッシの注意にアンズは面白く無さそうに答えた。

 施設の案内をしてからアンズはコウを艦内で見かけても無視をしていた。

 本当は《祖人》を任された以上、しっかり全てを説明しなければいけないのにも関わらず。

 判ってはいるが、一度こじれてしまった関係に、どうしても声を掛けることが出来なかった。

 半ば、艦橋からの注意を無視する様に、顔を振ってホーネット起動の準備を推し進める。

 全てのコードを接続、ホーネットのプログラムが立ち上がり、稼働を確認すると、シップの発着場に12機ものエンジン音が唸りを上げて轟音を響かせる。

 この艦外作業機に用いられるエネルギーは全て、二つの恒星から得られる熱射と熱量―――太陽の光で賄われていた。

 

『進路が逸れてくれりゃ良いんだがな。 面倒がなくてよぉ』

「戦う訳じゃないんだから、何時もとやる事は変わらないわ」

『はん、俺は嫌だね。 何が悲しくて汗まみれ泥塗れでミミズ共の道を作ってやらにゃならねーんだ』

「そうぼやくな、スヤン。 奴等に捕捉されないのであればそれでいい。 だが、難しいと判断すれば出てもらうぞ」

 

 ボッシの声にスヤンは気怠く返し、アンズを含むホーネット乗り達は思い思いに了解を返す。

 シップ・スパイダルに搭載されているホーネットの数は全部で十二機。

 この部隊は年長者であるスヤンが率いている。 ただ年長者だからと言う理由だけではなく、スヤン以外にホーネットに搭乗して《土蚯蚓》と相対したことは無い者たちばかりだからだ。

 この十二機のホーネットの用途は、基本的には採掘用に開発されたものである。

 道具を所持する能力を持っているので、兵器にも転用できるポテンシャルがあるだけで、シティを守る為に配備された物とはタイプが違う。

 戦闘用のものでは無いのだ。

 制御は生身でも動かすことが可能だが、より力を引き出す為のプログラムも作られている。

 ホーネットは人間の動きを延長させることが目的で作られても居る。 掘削作業においては最終的には人の手が必要になるからだ。

 過去、艦外作業機が産まれる前は爆破による、非効率的な手段での資源の回収が主だった。

 広大な大地に眠る資源の回収という面において《祖人》が生み出したホーネットという機体は、この星の歴史を変えたと言って良いほどの大変革だったのである。

 全機の発進準備が整ったところで、スヤンはバイザーを降ろしてそれまでの態度を一変させた。

 

『掘削工具、発破、作業工程の全確認。 ホーネット全機オールグリーンだ。 どっちも準備完了、いつでもどうぞってな』

「艦長、準備が終わりました」

 

 報告を受けてボッシが通信装置から離れる。

 シップの後部遠望カメラが映すモニターをじっと見つめて、ジュジュは小さく頷いた。

 端末を操作して、地形図を出しながら声を震わす。

 

「来るわね?」

「ええ、来ますな」

 

 二度目の探査でミミズ共との距離がキロ単位で近くなっている。

 《土蚯蚓》どもは大きさはそれぞれ個体差があるし、大きいものほど重力に引かれて動きが鈍くなるのも他の生物と変わらない。

 それでも全長で20メートルを越す《象級》でさえ、その速度は時速100キロを越える速度で移動する。

 小型な物になれば300キロを越える速度を出す個体すらおり、その質量は岩盤のそれと変わらない。

 すなわち、高速の質量の塊が飛び込んでくるのである。

 小型の土蚯蚓であろうと5メートルに及ぶ大きさ、それが200キロを越す速度で次々にぶつかってくれば、シップ・スパイダルでも損傷は免れない。

 下手をすれば動力部などに激突し、最悪は爆発事故を起こすことになるだろう。

 幸いと言って良いのか分からないが、土蚯蚓に明確な意思や理性はない。

 意図的に攻撃を加えてくるといったような、敵意とは無縁で全てが無秩序な移動に巻き込まれる形である。

 つまり、大地を潜って。

 或いは、地表を這って暴れまわるのは全てが無軌道な移動による偶然。

 惑星ディギングに住む者たちにとってはこれ以上ない、はた迷惑な存在なのには違いは無いが。

 

「シップ最大速度での移動で、エネルギーはどのくら持ちやがるんだ、クソども」

「大方15分です、艦長」

「ん、ボッシさん。 ここいらの測量済みの地形図、空洞、ソナーでの反応、ぐずぐずしねぇでとっとと出してください」

 

 ボッシは言われた通りにクルーからの情報を、手早く自身の端末で纏めて表示する。

 ジュジュの座る目の前のモニターが別れて、その奥にある地形地図のデータが表示された。

 人類がこれまでに踏破し、命を懸けて記載してきた世界地図でもある。

 時間を確認したのはシップ・スパイダルのオーバーヒートによる機関部停止までの猶予を確認する為だ。

 スパイダルの最高速度は100キロ前後。 脚を這わせておうとつのある大地を疾駆する中でも最大速度が出る船だったが、それでも《土蚯蚓》と比べれば遅い。

 それに稼働時間も長い方ではなく、船体が多い分だけエネルギーの枯渇は早い。

 それが弱点と言えば弱点だ。

 

「渓谷がありますね」

「誘い出しますか」

「距離の計算を」

 

 艦橋に詰める数人のブリッジメンバーが鉄のパネルをけたたましく音を立てて打ち込み始める。

 ジュジュの後ろに立って地形図を睨んでいたボッシが、そっと呟いた。

 

「微妙ですな」

「ええ、そうね……」

「距離はおおよそ五千。 高さは三百三十」

「渓谷への到達予測時間は八百五十二秒です」

 

 おおよそ14分。 最大船速で動ける範囲内だが、渓谷に誘い込むには時間が足りない。

 ジュジュの眉間に皺がよった。

 艦橋は静まり返り、ボッシを含めてクルーたちはじっと自らの画面を見ながら情報を収集し続け、じっと艦長の判断を仰ぐ。

 目を閉じてジュジュは一つ上唇を噛んで。

 今日から四日間、二つの恒星に照らされた灼熱が終わりを告げる。

 自然衛星による酷寒の闇夜へと移り変わるのだ。

 最大でマイナス二百度を越える世界に、急速に様変わりしていき、氷の大地へ。

 蜘蛛脚の船シップ・スパイダルに備え付けられた太陽光エネルギーによる発電で、動力を確保している為に酷寒の二日間は動く事すら難しい状況になる。

 この間に蓄電していたエネルギーが途絶えると、搭乗員全員が凍死するという意味とイコールだ。

 口元に手を寄せ、歯を噛んで思考を巡らすジュジュに、ボッシが声をかける。

 

「艦長、ホーネットを出して蚯蚓どもを誘導しましょう」

「船から遠ざけるのね。 でも象級だったらどうしますか。 尻穴が一つ増える位には危険よ。 日没まではどのくらい?」

「おおよそ四時間後です」

 

 既に聞かれることは知っていたのか、間髪入れずに答えが戻ってくる。

 今から全力で蚯蚓から離れ、4時間でエネルギーを蓄積して酷寒の二日間をやり過ごせるか。

 現在の稼働状況、エネルギーの残量など様々な事に考えを巡らせていたが、やがてジュジュの肩はがっくりと落ちた。

 クリーム色の長い髪が力なく垂れる。

 ボッシは確認を取る様に良いですか、と尋ね、ジュジュは顔を俯かせたまま頷いた。

 

「スヤン」

『へーい、待ちくたびれてるぜ~』

『真面目にやりなさいよっ!』

『やってんじゃねぇか、うるせぇな』

「元気でよろしいが、残念なお知らせだ。 このままじゃ振り切れない。 蚯蚓はこちらに向かってきている。 ホーネットで誘導してミミズの進路を変えろ」

『はいよ、ボーナスはよろしくなぁ』

『時間は?』

 

 アンズが尋ねる。

 それは誘導する場所まで、どの位かかるのか、という時間のことだ。

 判明している《土蚯蚓》の数少ない習性の一つとして、山谷の深い場所では進路を変更するというものがある。

 掘削作業機体として運用されるホーネットが出来る誘導というのは、その場で深い谷を掘る事を意味する。

 だからこそ、地面にミミズ共があけた空洞や地形を把握しなければならなかった。

 シップ・スパイダルはいずれにせよ、これから移動をしなければならない。

 誘導を行う地点までは蜂は蜘蛛の腹の中だ。

 ボッシがクルーの顔を見る。 クルーは頷いて二度、パネルを叩くと声をあげた。

 

「二分後です」

「聞こえたな、二分後だ。 作業の猶予時間は10分。 必ず成功させろ、いいな」

『了解』

『あいよ』

「みなさん、無事に帰ってきてくださいね」

『オッケー、全員、時計を合わせろ、とちるんじゃねぇぞ』

『了解』

 

 蜘蛛は動き出し、熱砂の中を這いずり回る。

 やがてきっかり二分後。

 蜘蛛の腹は横に引き裂かれて、顎が落ちる様に発着場の出入口が開かれる。

 時速100キロで走るシップ・スパイダルの発着場から黄色の砂嵐を巻き上げる大地が顔をのぞかせた。

 ホーネットに乗り込んだ十二機の作業員に、熱風と砂塵がぶち当たる。

 バイザーを叩く砂利と暴風の音。

 掠れた通信にボッシの声。 直後に命令を下すスヤンの大声が響いた。

 

「時間だ、行けっ!」

『二分きっかり! おし、行くぞぉっ! テメェ等、ビビんなよ!!』

『行くぞっ!』 

『飛び込め!』

 

 スヤンが先頭を走り、いの一番にシップ・スパイダルから飛び降りて行く。

 外骨格の四股が持っているのは、作業に使う装置や工具だ。

 それぞれが形状は違えど、数多の道具を使いこなせるホーネットの汎用性はとてつもない物である。

 全ての機体が役割に沿った道具を両手で持ち、発着場を走り出す。

 周囲が次々に熱砂に飛び込んでいく中、アンズも負けじと発着場の床をパワースーツの力で蹴り込んだ。

 蜘蛛の腹から、十二機の鋼鉄の蜂が飛び出していった。

 高速に流れる景色の中で流動する、黄土色の大地に鈍い金属の塊から、速度を殺すためのパラシュートが開かれた。

 まるで羽が生えたかのように。

 飛び降りたホーネットを置いて、蜘蛛は速度を維持したまま走り抜けていく。

 轟音と突風、そして巻き上がる噴煙を残してスヤン達ホーネット乗りの視界を奪った。

 土と砂、そして熱の揺らぎが一気に襲い掛かり、ホーネットは冷却のために水蒸気を外部に吐き出していく。

 着地と同時に、操手はパラシュートを切り離す為に電子パネルを叩き。

 遠く遠く、大地の奥から岩盤を突き破る音が響いた。

 ホーネットと蜘蛛が拭き上げた砂塵ではない。

 土蚯蚓という人類の災厄を誘導することが出来なければ、全員で死ぬことになる。

 

『さぁ、仕事だ。 気張っていくぜ、テメェら!』

 

 猶予は10分間。

 蜂による生命を懸けた穴掘り作業が、開始された。

 

 

 



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六話 掘らねば死ぬ

 

 

 

 振動に揺られながら、あちらこちらに身体をぶつけてしまうが、とにかく艦橋を目指す。

 あの《土蚯蚓》の資料を読んでから、居ても立っても居られなくなった。

 なんだってこんなに揺れてるんだ。 いや、分かっている、移動しているから揺れているのは。

 重力下にある船はこれだから、などと文句言いながらも艦橋にコウが慌てた様子で走り込んできた。

 入口に一番近いジュジュが気付いて、驚いて声をあげる。

 

「コウ君!?」

「あのっ、ミミズって―――」

「ちょっ……っと! 動いているシップ・スパイダルで船内を動き回るなんて、イカレてんのか、もしくは神すら憐れむ低能ね、怪我はしてない!?」

「いきなり酷いな!? 大丈夫、ちょっと痣が―――あっ!」

 

 艦橋のモニターに映る十二機の艦外作業機に気が付いたいのか。 コウは質問の最中に大声をあげて固まった。

 アレは、あれは見たことがある。

 コウの専攻していた宇宙艦外作業機リペアマシンナリーに酷似している。

 違うのは尾部へ円錐状に取り付けられた大型のジェネレーターの有無と、装甲が無く、外骨格がむき出しなところだ。

 なんであんなマシンがこの惑星にある。

 

「なぁ、ジュジュ。 あれって何だ?」

「我々はホーネットと呼んでいる。 資料で見た蜂に形状が似ている事から、そう名付けられた。

 そして今、ホーネットに乗り込んだクルーは土蚯蚓を誘導する作業を行っているんだ」

「ってことは、人が乗っているんだ」

 

 ボッシからそう説明されて、慣れない振動に壁に手を当ててバランスを取りながら、モニターから視線を外して顔を上げる。

 彼はそんなコウを一瞥してから頷いた。

 シップ・スパイダルは今も移動中だ。 速度こそ落としたが、安全圏まで移動して、太陽光エネルギーの蓄積を一刻も早く行う必要がある。

 モニターにはどんどんと艦外カメラで映されていた、ホーネット達の機影が小さくなって、やがて土煙に隠れてしまった。

 それが意味するところに思考が及ぶと、思わず口に出してしまう。

 

「あの、なんだっけ……ホーネットに乗ってる人達は、置いていっちゃうのか?」

「今は彼らに任せています」

「い、良いのか? 死んだらどうすんだ!?」

 

 惑星ディギングの資料を見て、ミミズどもが押し寄せて、数多の災厄を人類に及ぼしたのを知ってしまった。

 コウはあのミミズ達の引き起こした数々の事件や事故を見たばっかりだから、どうしても嫌な予感を募らせてしまう。

 意思こそ無いものの、最低でも3メートルを越える全長を持つ、岩の塊と言って良いバケモノだ。

 パワースーツに着ていたところで、高速で動く質量の塊が生身に直撃すれば、まず死は免れない。

 ホーネットという艦外機がどれほどの強度を持っているのかは分からないが、無事では済まないだろう。

 コウの言葉は、艦橋に響き渡っていた。

 が、誰もその声には答えなかった。

 長い沈黙が、艦橋では続いて、鋼鉄の蜘蛛の脚がずりずりと這いまわる振動と異音。 そして電子機器の音だけが鳴っていた。

 蜘蛛の脚に付けられた冷却装置が音をたて、艦橋の窓を水蒸気の煙が覆って視界がなくなり、蜘蛛の動きは熱砂の中で停止した。

 コウは艦長であるジュジュへと顔を向けると、彼女はゆっくりと立ち上がった。

 

「私たちは出来る最善を尽くして、生きています」

「最善って……」

 

 ようやくコウに返ってきた言葉は、犠牲が出ても容認するような声だった。

 人が乗る必要があっただろうか。 艦外機はオートパイロットの機能があったはずだと思ったところで気付く。

 その方法が失われているんだ、と。

 顎のあたりを手で擦り、鉄面皮を張り付けたボッシがコウの隣まで歩いてきて、肩を叩いた。

 

「コウ君。 君が心配している事は、艦長も含めて全員が同じだ。 ただ、全員で生き残るのに最も良い方法を選んでいるつもりだよ。

 もしも君ならどうする? 確実に船内の人間は助かるし、もし上手く運べば、全員助かるかも知れない。 そんな選択肢を考えて、選んだつもりだ」

 

 低く落ち着いた声が、諭すように降りかかる。

 コウは申し訳ない気持ちになった。 そんな事を考えずに、蚯蚓どもの前に出る行動を起こす訳が無いじゃないか、と浮足立った気持ちも落ち着いた。

 人を犠牲にするような、切り捨てるような考えで住んでいける星ではないだろう。

 バツの悪そうな顔を俯かせ、コウは視界の端に映るモニターに首を巡らした。

 ホーネット搭乗員の映像が映し出されている。

 これは艦外作業機に直接取り付けられた映像なのだろう。 酷いノイズが走っていて、映像は砂嵐が混じって乱れていた。

 話をしたことのある顔も、無い顔もそこには映っていた。

 泥だらけになって、必死な顔をして。

 蜃気楼で揺れる砂塵の中を、ホーネットというコウから見たら酷く不格好な艦外作業機を動かして。

 

「すみません……俺……」

 

 ようやく絞り出せたその言葉には、複雑な気持ちが絡んでいた。

 ボッシは僅かに目を細め、コウを一瞥してからジュジュへと振り返る。

 そのジュジュは、ボッシが色々な事を代弁してくれたことに、感謝を示すように頭を下げた。

 ジュジュもまだ20歳を迎えたばかりであり、シップの中では若輩にあたる。

 トラブルを抱えてその判断を下すことになるのに、まだ全く慣れていない。

 詰問するようなコウの言葉に、反論しようと口を開くことが在れば、きっと音声補助チップによる弊害から手酷い言葉を思う存分ぶつけてしまっていただろう。

 それを止める様に、ジュジュの前に立って話してくれたことは、感謝に足る事であった。

 

「……全員、シップに異常が無いか点検は終わりましたか?」

「大丈夫です」

『通信・管制問題なし』

「温度、ジェネレーター、問題ありません」

 

 矢継ぎ早に上がってくる報告に、ジュジュはクルーの優秀さに笑みを浮かべてしまう。

 そうだ、大丈夫だ。

 絶対に誰も死なせずに、このシップは皆でシティに帰るのだ。

 大丈夫、このシップ・スパイダルの搭乗員は、みな優秀だ。

 そう信じて息を吐くジュジュの耳朶に、切迫したホーネットからの通信が届いた。

 ジュジュも、コウも、顔を上げてモニターへと視線を向ける。

 

『―――燃えちまうぞっ!』

 

 切迫した怒鳴り声に、艦橋に詰める全員の顔が強張った。

 

 

 

 

 砂塵をまき散らして通り過ぎた蜘蛛を見送り、アンズはホーネットが持つ巨大な円柱型の棒を大地に突き刺した。

 これは艦外作業時において、一定な周波数を感知し、受信と送信を行う電信探査装置である。 

 シップ・スパイダルが全速で逃げている最中、余剰エネルギーが回せないために艦内には通信周りの出力が落ちてしまう。

 その為、ホーネット同士の相互作業時には、このソナーが無ければ通信や探査が難しくなるのである。

 当然、シップ・スパイダルの通信補助としての役割も担っている為、ホーネット乗りには欠かせない存在だ。

 

『探知開始! 周波数合わせ!』

『通信良好』

『問題なし』

『よし、良いぞ。 アンズ、展開急げ、10分しかねぇぞ』

『分かってるわ!』

 

 口々に通信が繋がって、スヤンからの指示が早速飛んでくる。

 アンズはホーネットとシップ、そしてホーネット同士の相互通信の管理と、臭気センサーを始めとした監視員で"ソナー"と呼ばれる役割を担っていた。

 《土蚯蚓》は体表からかなりの濃度の腐臭をまき散らしている。

 これは大地に潜っている時にはまったく無く、惑星ディギングの二つの陽光に焼かれる事で発生する物だと言われていた。

 もしも地表にミミズどもが出ていれば、臭気センサーで相対距離と接触に至るまでの推定時間をかなり正確に割り出すことが可能なのだ。

 そうした各種監視機器を、しっかりと大地に固定してアンズは機体を動かしながら、サブモニターをいくつも稼働させ始める。

 

『アンズ! おせぇ! イアン、アンズのフォローに入れ! 間に合わねぇ!』

『オッケーだ!』

 

 熱砂舞う400度を越える灼熱の大地。

 その熱を冷やす為に機体から冷却装置が稼働して、水蒸気の白煙を巻き上げる中、大地にホーネットの膝をつけたスヤンが毒づいた。

 

『おいおい、勘弁してくれよ。 岩盤じゃねぇか!』

『スヤン、柔らかい場所を探そう!』

『馬鹿が、そんな時間はねぇ。 クソ、こんなところに降ろしやがって、恨むぜ艦長。 ショウ! エノク! 遅れてんぞ!』

『すいません!』

『そんなに硬そう?』

『スヤン、ダメだこりゃ! 杭じゃ頭すら入らない! ドリルの方が良い!』

『ラット、ドリルだってよ、テメェの番だ! アンズは解析まだか! 機材班、とっとと用意しろ! あぁ、くそっ! 暑くてたまんねぇな、おい!』

 

 電磁ドリルの機材を持つ機体が辿り着き、直下に穴を穿ち始める。

 一機がホーネットの外郭部を支え、もう一機がドリルで深い穴を岩盤に開けて行き、岩を砕いて凄まじい噴煙を巻き起こす。

 大型と言っても、全長で4メートルのホーネットが開ける事の出来る穴は、直径50センチほど。 深さで言えば12メートルくらいが限界だ。

 白と茶の煙が空中で絡み溶けあって、風に吹かれて混ざり合う。

 爆音の鳴る荒野、スヤンはその間も周囲に振動探査の為の装置を次々に設置していく。

 岩盤にドリルで穴を開けたのは、岩盤の底に空洞があるかどうか調べるためだ。

 深く掘られた穴の中で振動エネルギーを与え、その余波から空洞のある場所を特定する。

 これは《祖人》の古くからの知恵であり、ボーリングと呼ばれる技術である。

 そして《土蚯蚓》の習性は深い峡谷にあって進路を変更するというもの。

 地表だけでなく、大地の底も自由自在に這うミミズどもは、地下に大規模な空洞―――通り道を作り上げているのが常だ。

 千年も前から存在しているこの現住生物は、巨大な地下洞を作り上げている。

 一か所を特定すれば、地表に谷を作るのに苦労はいらない。

 

『距離3000~3500。 特定、10以上の音振を確認!』

『やっぱ団体さんか、嬉しくて涙がでるね』

『スヤンさん、ギリギリですか?』

『ああ、やべぇな』

 

 この時点で時間は5分使っている。

 既に四機のホーネットがドリルで岩盤に穴をあけているが、やはり硬質の岩盤は砕くのに時間が掛かる。

 おおよそ3分の時間を掛けて、深度12メートルまで掘り進んだドリルの高速回転音が、岩を穿つ音ではなく空気を裂く音に変わった。

 その瞬間、控えていたホーネットが四機、穿ったばかりの穴に向かって突進する。

 放出される冷却風が、操縦者の視界を真っ白に染め上げて。

 

『撃つぞ!』

『良し!』

『固定した!』

『支えろ!』

『射手と支え手以外は、アンズのところまで退避だ!』

 

 殆ど狙いすら付けずに、ホーネットが持っている携行電磁砲の銃身が開けたばかりの穴の中に突き入れられていく。

 70口径、おおよそ5メートルにも及ぶ砲身。 この電磁砲はホーネットが携行出来る火砲の中でも最大級の威力を誇る。

 更に大きな地上設置型の電磁砲も用意はしているが、よほどの厚さがある場所で無ければ使わない。

 射手を一人を、発射の反動で怪我をしない様に、三機のホーネットが支えて機体を固定して。

 確認を終えた射手が、操縦盤の肘から先を動かして、機体が追従する様に砲の引き金がひかれた。

 僅かな時間を置いて、爆発音がヘルメットを突き抜けて音を響かせる。

 まるで地震が起きたかのように鳴動する大地。

 穿った穴から立ち昇る、行き場を失った火柱が地面から噴き出した。

 

『呆っとしてんじゃねぇぞ! 離れろ! 燃えちまうぞっ!』

 

 スヤンの激が飛んだ。

 巻き起こった火柱に反応が遅れたか、蹈鞴を踏んでもつれ合うようにして倒れ込む四機のホーネット。

 舌打ちを一つ。

 艦外作業―――特に《土蚯蚓》の襲来が予期される―――中では、一つのミスが命に関わる。

 なんせ、艦外作業服とヘルメットを失えば、数十秒で死に至る熱砂の惑星だ。

 作業機体のホーネットを守る事が、そのまま自分の命を守る事に直結している。

 

『スパイダル艦橋だ。 聞こえるかスヤン。 問題はあるか?』

『スヤンだ! 問題はねぇ! 悪ぃけどブリッジはちょっと黙っててくれ! アンズ!』

 

 反響した振動から探知できる情報が来るのが遅い。

 

『もうちょっと! もう少し待って!』

『イアン! ショウの機体損傷確認! アンズ遅ぇ!! 何時までやってんだ!』

『待ってってば……今出たわ! 爆発地点から南南東25メートル! 東に41メートル地点! 直下に大きな空洞がある!

 岩盤の厚さは46メートル、それとミミズは馬級が6の象級が1! 後は特定できない!』

『スヤンさん! 機体は無事です! ですが、砲身が!』

『岩盤直下空洞の位置に到着! 機材運びます!』

 

 矢継ぎ早に上がる報告、スヤンは首を巡らして一つ息を吐いてから声をあげる。

 

『砲身の焼けた部分はブレードで切れ、後一発使って捨ててくぞ。 岩盤が厚いから破砕した岩に身を隠せるポイントを割りだせ! 時間は!?』

『3分22秒!』

『上等!』

 

 ホーネットの腕から塗料が噴出されて、空洞位置を示すマーキングが大地に刻まれる。

 周囲の作業道具を纏めて、避難の準備を始める隊と、岩盤を割る機材を運び込む隊に別れて道具が運搬されていく。

 噴き出す汗に二度、三度と瞬きをして霞む視界の中でスヤンは次々にマーキングを行っていき作業は進んだ。

 電気アクチュエーターの駆動音を盛大に響かせ、冷却噴射の水蒸気がどのホーネットからも頻繁に上がっていく。

 既に機体の出力は全開だ。 エンジン音も喧しい。

 凄まじい轟音と熱波の中で、通信そのものが拾えなくなるくらいである。

 鋼鉄の杭が二機の蜂によって運ばれてくる。

 岩盤を割って作り出した裂け目に、その杭が立てられて巨大なハンマーを振りかぶったホーネットに打ち付けられた。

 この無骨で巨大な鋼鉄の杭は、火薬と特殊な信管が埋め込まれている爆弾だ。

 大地の巨大な岩盤、厚さ60メートル級の岩すら砕くほどの威力を誇っている。

 杭を打ち付けていたホーネットが離れ、固定化された合図が送られてくる。

 六機のホーネットが破砕ポイントから次々に白い水蒸気の羽を生やして、飛び立って離れて行った。

 耳障りな金属音と、徐々に体を熱くしていく熱波。 通信からも全員の荒くなった息が耳を打つ。

 既に視界は殆ど無い。 時折、風向きによって砂煙と水蒸気が晴れると《土蚯蚓》の集団が目視できるほどの距離で突き進んでいるのが確認できた。

 モニターの端に小さく刻まれていく時間は残り51秒。

 

 ―――間に合った!

 

 そう確信できる距離だった。

 クソ蚯蚓に轢き殺されずに、奴等の餌にならずに済んだ。

 そうした安堵を全員が抱いていた。

 後は遠隔から、信管を起動してやれば岩盤を砕いて大きな谷が、この大地に出来るはずだ。

 スヤンは水蒸気の靄と砂嵐を抜けて周囲を見回し―――1機足りない事に気付く。

 なんだ、何処だ!? と思った瞬間に通信から声が届く。

 

『スヤンさん! 動けません!』

『何処だ! ハモンド! アンズ!』

『岩盤の上に取り残されてる!』

 

 スヤンの怒鳴り声に、アンズがモニターを確認すれば岩盤の上に取り残されたホーネットが一機。

 倒れ伏したまま動かないのは、先ほど杭撃ちをした時か。

 そんな考えが一瞬過るが、それよりも岩盤の上に居るのがまずい。

 アンズのすぐ傍に備えた装置から、ミミズの接近を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。

 

『馬鹿野郎! 何ですぐに通信しなかった!』

『すみません! っ、え、エネルギー切れです! 再起動を……くぅ、かけてました!』

『エネルギーだぁ!? くそったれ! 引っ張るぞ!』

 

 スヤンを含めて複数の機体が動けないハモンドの下へと向かって行く。

 救出に向かいながら、スヤンは舌打ちする。 ホーネットの動力源は電気だ。

 ジェネレーターが付いている尾部に、コンデンサーも一緒にくっついている。

 シップと同じく、肩の部分には太陽光エネルギーを電力に変換するパネルが装備されているが、それは殆どオマケの機能のようなもので、今のような緊急時以外には使われることは無い。

 一時的にとはいえ、機体が全く動かなくなったのであれば、それは艦外作業服に送られるはずの冷風もカットされていた事を意味する。

 この400度を超える熱波の中で。

 少なくとも、火傷はしているだろう。

 ホーネットが群がり、一機のホーネットを持ち上げて、全員で岩盤を滑り降りて行く。

 その中でスヤンは怒鳴った。

 

『アンズは何で気付かなかったんだ! 何を見てやがった!』

『……っ!』

 

 ソナー員として通信の管理が彼女の仕事だ。

 蜂の目と耳になるのがアンズの役割だというのに。

 丁度、空洞地点の精査作業が重なったために、ホーネットを結ぶ通信管理が疎かになって、電力ダウンを見落としてしまった。

 彼女はあまんじて、スヤンの怒りを受け止めるしかなかった。

 唇を噛んで、流れ落ちる汗に首を振れば、警告音と振動。

 モニターには岩盤直下にミミズの存在が、這い寄っていた。

 

『スヤン! 下!』

 

 アンズは叫んだ。

 救出部隊とアンズ達が退避していた部隊を遮る様に、洞穴から地表へと《土蚯蚓》が顔を出す。

 体表が灼熱によって焦がされ、猛烈な腐臭がまき散らされて土気色の煙が一気に空気を侵食していく。

 アンズの場所からはハッキリと見ることが出来た。

 初めてみる《土蚯蚓》は目も鼻も口も、おおよそ生物として必要な器官を全て削ぎ落した細長い岩の塊のような物体。

 それがスヤン達の機体のほぼ真下から、大地が隆起したように飛び出していた。

 海面から顔をのぞかせる、クジラの様に。

 スヤンを含んだホーネット各機体から、唸り声に聞こえるほどの出力で《土蚯蚓》の上を踏みつけて走る。

 

『おい! イアン! とっととぶち―――』

 

 地表に現れて暴れまわり始めた《土蚯蚓》。 スヤンからの通信が不自然に途絶えたが、言いたい事は全員に伝わった。

 撃て。

 そう言っているのだ。

 アンズも、彼が言っている事は理解できた。

 ここで《土蚯蚓》の進路を変えることが出来なかったら、自分たちの家であるシップ・スパイダルも失われる。

 そうなれば全員、ここでお陀仏だ。

 だが、分かっていてもアンズのホーネットは、大地に設置された電磁砲をへ向かうイアンの機体に向いてしまった。

 

『イアン駄目! 今撃ったら皆が巻き込まれるっ!』

『だが、アンズ! 撃たなければやられるぞ!』

『アンズ! 退がれ!』

 

 例えどのような個体であっても、ホーネットが土蚯蚓に轢かれれば一たまりもなく圧殺される。

 スヤン達はミミズを足場に、こちらへと向かって走り込んできている。

 電磁砲の駆動音が、一際高く鳴り響いて。

 

『待って―――』

 

 まるで時間が止まったかのように一瞬が引き延ばされて、鋼鉄の指が砲台の射出装置をつかみ取った。

 五機のホーネットがミミズの上から跳躍して、中空に鋼鉄の蜂が飛ぶ。

 砲台の引き金が引かれて。

 何かが高速で通り過ぎたかのような、高い高い空気を切り裂く音が荒野に跳ねた。

 アンズの視界に過ったのは何か見えない物が超高速で通り過ぎた影だけ。

 次の瞬間には大地を引き裂き、撃ち込まれている弾頭爆弾が破裂し、膨張した力が逃げ場を求めて空を焦がす爆炎を放つ。

 

 土と水蒸気の煙を引き裂いて、赤熱の閃光がアンズの網膜を焼いた。

 

 

 



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七話 砂まみれの雫

 

 

 

『待って―――』

 

 その言葉が艦橋に居る、コウ達全員に聞こえてきた最後の通信だった。

 映像はとっくに途切れ、音声も全く聞こえずにノイズ音だけが響いてくる。

 最後は殆ど、何がどうなっているのか映像を見ていてもまるで把握できなかったが、赤く焼けた爆発があったことだけは理解が出来た。

 それはとても、現実に起きているものだとは思えなかった。

 全員が何も映さなくなったモニターに、呆然と顔を向けている中、ボッシだけは淡々と端末の前で操作パネルを叩いて、口を開いた。

 

「クウル、通信は拾えるか」

『途絶えたまま』

「アンテナが死んだな?」

『多分』

「分かった」

 

 その声を切っ掛けに、艦橋内に居るクルーたちは全員が気付いたように自分の操作パネルへと向き合って、居住まいを正していく。

 暗くなったノイズばかりが走る映像を、じっと見つめたまま離れられないのは、コウとジュジュだけだった。

 

「ジュジュ」

「え? あ、そ、そうね……」

 

 ジュジュは声を掛けられてようやく正気に戻る。

 

「ホーネットの、回収に向かいます」

「周辺を警戒しながら移動する。 ミミズ共がまだ居る可能性がある、各種センサーからは目を離すな、いいな」

「了解しました」

「分かりました」

 

 ジュジュの声は震えていた。 ボッシが彼女の後を引き継ぐように、指示を出していく。

 ようやくコウもモニターから僅かに離れるようにして後退りすると、ジュジュが震えた声で指示を出す姿を追った。

 彼女の顔から血の気が引いている。

 それが分かるくらい、顔を蒼白にして。

 この惑星の何が分かる。

 この場所で何ができる。

 そう尋ねられた記憶の中の言葉が、コウの頭の中で何度も繰り返されて。

 シップ・スパイダルがゆっくりと動き出して、ホーネットの回収に向かって行く。

 無事でいてくれ。 それはきっとこの艦橋に―――いや、このシップに乗り込んだ者たちが全員思っていることだ。

 ホーネットに乗っている知人なんて、怒声や罵声ばっかり浴びせてきたアンズだけだったけれども。

 コウは通信から聞こえてきたアンズの無事を祈らずにはいられなかった。

 まだ、謝ってもいないのだ。 これでお別れになるかもだ何て、思う事さえ嫌だった。

 

「生きてろよ……」

 

 誰にも聞こえないような小さな声。

 その言葉を耳で捕らえたのは、すぐ近くに居るジュジュと、ボッシだった。

 顔を見合わせ、ジュジュはボッシに小さく頷く。

 立ち尽くし、未だにショックを受けているような様子を見せるコウに、低い声がかけられた。

 

「コウ君、大丈夫か」

「ボッシさん……俺は、ぜんぜん」

「そうか。 スパイダルが動いてる間は、艦内を動き回ると怪我をする危険性がある。 そこで座っていると良いだろう」

「は、はい。 ありがとうございます……あの、ボッシさん……えっと、俺」

 

 椅子に体重を預け、腰を深く落としたコウは、顔を俯かせて言い淀んで拳を握りこむ。

 そんな彼にボッシは目を細めた。

 時間だけが過ぎて、スパイダルの移動音が響く中、ボッシはコウの傍にずっとついていた。

 やがて、目的地にようやく着こうかと、鋼鉄の蜘蛛が減速を始めた頃に、俯いていた顔を上げるコウ。

 そんな顔を上げた彼の表情に、鉄面皮で無表情だったボッシの顔が驚いたかのように、少しだけ動く。

 

「俺、あの艦外機と似たような物を専攻していました。 だから、俺も……!」

「コウ君、その話は後にしよう。 そろそろ現場に着くようだ」

「脚を突き刺して、アンカーを」

「稼働します」

 

 ジュジュの短い指示に答え、無骨な金属の脚から固定用のアンカーフックが射出され、脚が大地に固定される。

 大きな振動が一度、訪れて艦橋を揺らしたかと思うと、それまで続いていた振動はまったく無くなった。

 ボッシが小さく頷いて、コウの肩を優しく叩いた。

 

「一緒に見に行くかい?」

「行きます」

 

 この惑星ディギングに生きる事。 それをしっかりと知って貰う為には、一番手っ取り早いと考えて、ボッシはそう提案した。

 ボッシが今までに出会ったことのある《祖人》と同じように、コウは現実に惑星ディギングで起こっている事と、千年前の常識の間に挟まれて精神的な不安を抱えていた。

 その状態を察していたからこそ、顔を上げた時に見せたコウの強い意思のようなものを敏感に感じ取れた。

 だから、大丈夫だと思った。

 百聞は一見に如かず、という諺ではないが、今のコウはしっかりと惑星ディギングに住む人々と同じ顔をしている。

 今回の《土蚯蚓》の襲来は、シップ・スパイダルにとっても、コウという《祖人》にとっても良い経験になったのかもしれない。

 もちろんそれは、幸か不幸かで言えば不幸だろうが。

 艦橋から走り出して、先に向かってしまったコウの背が、角を曲がって消えていく。

 ボッシは襟首を一度なぞるように、服を整え直すと、蜘蛛の腹にある発着場へ向かおうとジュジュに告げた。

 

「艦長、では私は発着場へ向かいます。 こちらはお任せいたします」

「はい……お願いします、ボッシさん」

 

 コウの後を追うように、ゆっくりとボッシは艦橋から出て行った。

 

 

 

「何がエネルギー切れだっ! 全部テメェのせいだぞ!」

 

 コウが発着場に駆けつけて、最初に耳に聞こえてきたのは、スヤンの大きな怒鳴り声だった。

 ホーネットの動力は電力で、それが無ければ当然起動はできなくなるし、動かなくなる。

 その電気はシップに蓄えられた太陽光エネルギーから蓄電を行う。

 液体燃料でも稼働することは可能だが、特殊な工程を踏んで作られるそれは非常に希少だ。

 二つの恒星から送られるソーラーエネルギーでの蓄電がこの星では主軸であり、出力の増減によって変わるが数時間以上の採掘作業を前提としている為、出撃後すぐにエネルギーが切れるなどと言うことは本来ありえない。

 今回は、一機のホーネットがエネルギー切れで動けなくなったせいで、全員が危難に陥った。

 ヘルメットを脱いで、砂利と泥と汗に顔を濡らして怒鳴るスヤンの怒りは正統なものであった。

 

「蓄電は原則だろうが! もう二度と俺はお前に頼らねぇし、ホーネットにも乗せねぇ! あのクソ蚯蚓どもがもう少し速かったら、今頃は全員死んでても可笑しくねぇぞ!」

「も……もうしわけ……」

 

 現場の指揮を預かるスヤンからすれば、論外である。

 集団での作業、まして人が生きるに困難な熱砂の大地で命を預かる者からすれば、規則を守れない者は真っ先に切り捨てるしかない。

 コウはスヤンの怒号を聞き、背中が震えた。

 クウルと雑談し、別れた後にこの発着場で一本のコードを抜いてしまって居なかったか。

 艦橋で聞いていた通信からも、トラブルが途中で起きた事は明白だ。

 もし、あのコウが足で引っかけてしまって抜いてしまったコードが、ホーネットの蓄電をする為の物だったら?

 ―――もしかして、俺のせいか!?

 そう思い当たった瞬間に、コウは何もしていないのに、額と手の平から嫌な汗がじわりと滲み出る。

 胸が押し付けられたかのように、急に息苦しくなった。

 人が死んでしまうかもしれない、その原因の一端が自分の意固地だった態度のせいであるかも知れないと気付いて。

 

「スヤン! もうそれ位にして! ハモンドは怪我をしているのよ!」

「うるっせぇ! アンズは黙ってろ! テメェも同じなんだよ!」

「っ! そ、それは……っ!」

 

 憤慨を押し隠さず、腕を取ってスヤンを諫めるアンズにも、怒鳴り散らす。

 エネルギーが切れてホーネットが稼働しなくなれば通信も何もない。

 ホーネットの状態の監視、通信が出来ているかどうかを監査しなくてはならない"ソナー員"―――つまりアンズがいの一番に気付かなくてはならない事だった。

 スヤンにとっては許しがたいミスを犯したと同然であり、言いたい事はそれこそ山の様にある。

 他にも携行用ではなく大地に設置して使う電磁砲をぶちかました馬鹿も居る。 安全の確保が無い限りはホーネットに向かって火砲を向けるなんてことはしてはならない。

 そもそもスヤンが言っていたのは、最初にドリルで穴を開けボーリングに使う携行用の電磁砲の事だ。

 よりによって火力が桁違いの電磁砲の引き金を引くなど、命がいくつあっても足りなくなる。

 今回、怪我人だけで済んだのは奇跡に近い。

 息を荒げるスヤンの耳に、電子音が鳴り響いて、舌打ちを一つ。

 担架に乗せられたハモンドの容態の変化を示す物であった。

 

「スヤンさん、ハモンドは気絶しました。 今は、医療室に……」

「クソが、とっとと連れてけ!」

 

 諫められて、ようやくスヤンは全身に火傷を負ったハモンドを運び出すように手を振った。

 車輪の回る乾いた音が響いて、場所を開けたコウの横を通り過ぎて行く。

 ハモンドと呼ばれた意識の無い男性の顔が、コウの脳裏に焼き付いた。

 怪我も、事故も、自分のせいかもしれない。

 それは衝撃を伴ってコウの胸を叩いていた。

 スヤンの矛先は、俯いて歯を食いしばっているアンズに向かっていた。

 

「アンズ、お前もいらねぇ。 次の作業からはホーネットから降りろ」

「……やだ」

「何が嫌だってんだ、見てみやがれ!」

 

 大袈裟に手を振って、シップ・スパイダルのアームによって回収されたホーネットを指し示す。

 アンズは僅かに視線を持ち上げて、発着馬を見渡した。

 十二機のホーネットが固着されていた筈のハンガーデッキには、九機しか鎮座していない。

 完全に無事だったと言える機体はスヤンやアンズを含めた七機のみ。

 他は四股の何処かが吹き飛んだり、ジェネレーターやコンデンサーが破損をしたりして、大規模な交換作業がなければ動かせないものだ。

 殆どが電磁砲と弾頭杭による爆炎によって損傷したものである。

 損失となった一機はミミズ共と一緒に、地下数百メートルの空洞の底に沈んでいるだろう。

 人員こそ放り投げだされて無事であったが、そのパイロットも骨折と火傷の怪我を負った。

 これはあくまで、艦外機だけの損失である。

 本当に重大なのは貴重な人的資源だ。 骨折と火傷を含む重傷者は2人。 軽い怪我を負っているのが3人。

 ホーネットが無事でも、装甲などは何も取り付けられていない。

 掘削作業機という性質上、装甲をつけてしまえば作業に支障を来してしまうからだ。

 剥き出しの外骨格だけでは、爆発の起こした炎や、その余波で飛んで来た破砕された岩石などから人を保護することは難しいのである。

 

「テメェのミスが引き起こした事だぜ。 判ったか、ホーネットから降りろ」

「嫌ッ! 私はっ、でも、だって私はホーネットに乗る事しか出来ないの!」

「出来てねぇだろうが! 嫌だ、やめてが通る仕事じゃねぇんだよっ!」

「そう、だけどっ―――」

 

 スヤンに食って掛かろうと口を開いたアンズの声は、発着場に響いた鉄を叩く轟音に掻き消されて遮られた。

 コウのすぐ隣に、何時の間にか立っていたボッシが金属の棒を床に打ち付けていたのである。

 自然とこの場に居る全ての人間がボッシと、そしてコウへと向けられた。

 肩を震わせて息を荒げるスヤンも、気付いたかのように顔をあげる。

 

「何時までくだらん言い争いをしている。 スヤン」

「チッ……あぁ」

「とっとと上に行って艦長に損失を含めた現状の報告に行け。 こっちは私が引き継ぐ」

「わぁったよ」

 

 目じりに涙を浮かべて俯くアンズを一瞥して、スヤンは一つ頭を掻くと了解を返して入口に向かった。

 ボッシが発着場で矢継ぎ早に指示を出しながら、スヤンとすれ違う。

 コウはその様子を見送りながら、こちらに足を向けてくるスヤンをじっと見た。

 気付けば、コウはスヤンの進路を塞ぐようにして前に立っていた。

 それは、自分でも良く分からない内に感情に突き動かされて出てしまった行動だった。

 手を広げて止めるコウに、まだ呼気の整っていないスヤンが顔を顰める。

 

「あ?」

「お、俺なんだ……案内された後、ここでコードを一本引っかけちゃって、抜いちまったんだ! だから、もしかしたら……」

「……」

 

 身長が自分よりも十センチ以上は高いスヤンに、見下ろされるようにして見つめられる。

 その緑色の瞳の色からは、感情がまるで抜け落ちている様に思えて。

 ただ、酷く冷たくコウの顔をその眼に映していた。

 

「あっ……」

 

 結局、スヤンは何も言わずにコウの腕を引っ張って道を空けると、そのまま一瞥もせずに立ち去ってしまった。

 何も言われなかったこと、その行動がスヤンの胸中を物語っているようだった。

 ボッシの命令から、発着場に集まっていた人達が慌ただしく動き回っている。

 点検作業、交換作業に入る者や端末を叩く者、報告に声を挙げる者。

 その発着場の中央に、ボッシも無視する様にして立ち尽くす一人の少女の姿がコウの視界に自然と入ってくる。

 小まめ色の髪を揺らして、天井を見上げるように顔を上げて。

 コウの足は呆然と立ち尽くしているアンズに向かって自然とそちらへ向かった。

 スヤンとは別の意味で肩を震わしている。

 コウは近づいてくるにつれて、彼女が動けないでいる理由を察した。

 泣いているんだ。

 

「あ、あのさ……」

 

 コウの言葉が届いているのか居ないのか。

 まったく反応見せずに、鼻を啜る音が周囲の喧噪の中に紛れて聞こえてくる。

 背を向けて震える後姿が、案内された時と比べて酷く小さく見えた。

 アンズが無遠慮とも言えそうなほど、明け透けに物怖じせずに声を挙げる理由が分かった気がした。

 いつ死んでも可笑しくない、こんな惑星でしがみついて生きているから、伝える時に伝えなければもしかしたらもう、二度と会えなくなってしまうかも知れないから。

 伸ばしかけた手を引っ込めて、コウはそれでも口を開いた。

 

「ごめん……アンズに謝りたくって、俺」

「……」

「お前が言っていた事、やっと実感できたっていうか、その」

 

 そこで初めて、この発着場に来てからアンズの視線がコウへと向いた。

 はっきりと判るほど目を腫らし、頬を紅潮させる少女の視線のの迫力に押されたのか、コウの身体が一歩だけ後退した。

 何度か、アンズの口が開いたり、閉じたりしたものの、やがて何も言わずにその口が噤まれる。

 スヤンと同じように、動いたかと思ったらアンズはコウの横を通り過ぎて駆け抜けて行ってしまった。

 まるで見えない何かから逃げるように。

 砂まみれの顔から雫を落として。

 

「あっ! ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 急だったせいで呆然と見送ってしまったコウだったが、今度は声を出してアンズの背を追いかけ始めた。

 なぜかは分からないが、今ここで別れてしまったらもう二度とアンズと引き離されてしまう気がした。

 だから、彼はその背を追って離れまいと、発着場から走り出した。

 

 

 



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八話 同じ星に生きる

 

 

 発着場から走り去るアンズの足は速かった。

 艦内の構造に不慣れなのも手伝って、彼女が角を曲がって行くたびにコウは乱雑に置かれた通路の道具をひっくり返してしまう。

 それでも背中を追って声を掛ける。 走る事を止めないアンズを引っ掴んで、お互いに勢い余って転んでしまったところでようやく追いついた。

 

「いっつ……っ」

「わ、わりい!」

 

 短いうめき声に、パッと離れて立ち上がる。

 

「なに!? ついてこないでよ!」

「俺のせいなんだ! 最初からお前やクウルの話をちゃんと聞いていれば、こんな事故は無かったんだ! だから、俺、アンズや皆に謝らないといけない!」

 

 コウの本心だった。

 引っこ抜いたコードに心当たりがあって、それが原因で作業を行う者を―――引いてはシップに乗り込んだ搭乗員全員の身が危険にさらされた。

 たかが一本の接続機器、そう軽い気持ちで考えて見過ごしてしまった物がこんな事態を引き起こすとは思わなかった。

 でもそれは、ちゃんと彼らの話を聞いていれば回避できたことかもしれない。

 妙な意地を張って、自分から説明を聞く耳をふさいで、貴重な時間を潰してしまっていた。

 爆発を移すモニターを前にして、コウは後悔をしている。

 座り込んでいた腰を上げて、アンズは未だに止まらない涙を袖で拭いながら、尋ねた。

 コウが何を言っているのか分からなかった。

 

「何の話なのっ!」

「案内された後、俺、発着場で変なコードを抜いちまったんだ。 足を引っかけて、転んだ時に……勝手に変な場所に突っ込んだらまずいと思って、そのまま放置しちゃって―――」

 

 最後までコウは言い切ることが出来なかった。

 乾いた音が、船の通路に響き渡る。

 左の頬を思い切り平手でたたかれて、耳の奥に高い音だけが残される。

 アンズの張り手は良い音がしていた。 メルはその音を拾って首を回し、クウルの肩を掴んで声のする方向へと指を指し示す。

 

「っ……いってぇ」

「アンタのせいで……」

 

 アンズは反射的に叩いてしまったコウの頬と自分の手の平を見て、苦い顔を隠さずに俯いた。

 コウのような《祖人》へと全てを説明するのが義務だ。 アンズも気まずさから説明を避けてしまったのだから、コウだけのせいではない。

 むしろ、この惑星ディギングに住む者たちから見れば責められるべきはアンズの方だろう。

 だが、それが分かっていても口を突いて出る感情は止められなかった。

 自分の罪悪感を誤魔化すように。 自らの過ちを転嫁するように、怒鳴りつける事しかできなかった。

 

「滅茶苦茶よっ! 何が《祖人》よ! 全部うまく行ってたのに、アンタが来てからトラブルしか起きてない!

 アンタなんか、土に埋もれてれば良かったんだっ!」

「……ごめん」

「このっ!」

 

 情緒が不安定であったところに告白されたコウの言葉は、アンズの冷静さを失くしてしまった。

 半ば八つ当たりのような行動を自覚しても止められない。

 ぐちゃぐちゃになった感情が先行して、謝られるたびに突き動かされてしまう。

 空気を切り裂いて唸りを上げる自らの振り上げた手が、どうしても止まってくれなかった。

 コウは目を瞑って衝撃に備えた。

 船内に再び響いたのは、肌を叩く乾いた音ではなく、金属を叩く甲高い音であった。

 

「痛ぁぁっ! ちょっ、痛たたたた……」

「メル? あ、アンズ、大丈夫か?」

 

 勢いを殺す間もなく、飛び込んできたメルの腕とアンズの手が交差して、ぶつかり合った。

 メルはアンドロイドで、機械。 鋼鉄の腕である。

 痺れるような手の痛みに、流石のアンズも腕を抑えて蹲る。

 

「クウルも……見てたのか?」

「見てた。 メル、ありがとう」

「すみません。 アンズさん、腕は大丈夫でしょうか?」

 

 メルの声にアンズは何も言えずに首を振る事しかできなかった。

 そんな彼女の頭上から、クウルの冷静な声がふりかかる。

 

「アンズ、喧嘩しちゃダメだよ」

「っもう! クウル! 止めないで、全部コイツのせいだったのにっ!」

「アンズ、本当に全部コウ君のせいだと思ってる?」

「―――っ、そ、それは……」

 

 突然と言って良い闖入者に、アンズは矛先をクウルに向けたが、逆に尋ねられて言葉に詰まってしまう。

 

「勝手に悪いとは思うけど、大声で話してたから全部聞こえちゃった」

「だったら!」

「僕たちは義務を怠った。 責を受けるなら、僕も含まれる」

「……」

「コウは知らなかったんだ。 知らない者の責任を取れなんて、それこそ無責任な事を僕たちは言えない。

 アンズも、僕も、逃げていたんだから」

「私はっ、逃げていたわけじゃない……」

 

 第三者から、自分でも自覚していた部分を指摘されて、アンズは勢いを失って、クウルは首を振った。

 自分のミスを棚に上げて怒鳴り散らした所で、やり直しができる訳じゃない。

 出撃前に仲間の機体ホーネットの蓄電用のコードが引っこ抜けていた事に気が付かなかったのは、ホーネット乗り全員の責任でもある。

 もしかしたらそれは、スヤンが一番悔いているかもしれない。

 誰か一人でも確認していれば、いや、ホーネット乗りだけではなく、誰かが一度でも見て気付いていれば、防げた事態のはずだ。

 アンズはスヤンに、今後の事はどうあれ、その事だけはしっかりと伝えて対策をしなければと心の中で思った。

 目を覚ました《祖人》に、この星の事を説明することは義務だ。

 どんな理由があっても、その人間の命と周囲の安全を守るためには説明しなくてはならない。

 アンズも、クウルも中途半端な、それこそ自分勝手な理由で罪悪感の様な物を抱いて、丸投げしてしまった。

 この星に住んでいてれば知らなかったで済まされない事故はたくさんある。

 今回のホーネットの蓄電コードの事もそうだ。

 そういう意味では二人とも、義務を全うすることが出来なかった。

 コウはクウルが、自分を庇っている事を察して手を振った。

 

「クウル、でもさ……でも、俺からも説明を聞くことを怠ってたと思う。 君と暇をつぶしに雑談しに行った時も、シップを案内してもらってからアンズとすれ違った時も。

 それに、ここに居る人たちと話をする機会はそれこそ沢山あったんだ。 飯を食ったりしに行った時とか、艦内をぶらついた時とか。

 だから、やっぱり俺も悪いと思う」

「……コウ、ごめんなさい。 僕たちも謝らないといけないね」

「いいんだ、俺の方こそ、ごめん」

 

 目の前で頭を下げ合ったコウとクウルを見ながら、アンズは居心地が悪くなってしまった。

 頭の中で怒りや情けなさや、様々な感情が混じりあって。

 かといって目の前の二人の様に頭を素直に下げたくない気持ちすらあって、自分が酷く矮小な存在だと思えてしまいそうだった。

 クウルがずるいと、アンズは思ってしまった。

 シップの中で通信や各種機材の管理が仕事であるクウルは、ホーネットの搭乗員と比べれば比べ物にならないほど安全な場所に居るから。

 でも分かっている。

 アンズはホーネットに乗れなければ役立たずだ。 逆にクウルがホーネットに乗っても何もできやしない。

 適材適所で仕事が分担されているのだから。

 だから、その事を口に出してしまえばそれはただの暴言で、それこそアンズは自分を許せないと思う事になるだろう。

 これ以上、この場に居るとまずい。

 きっと酷い事を言ってしまう。 コウに対しても、クウルに対しても。

 瞬間の葛藤を抱えてアンズが選んだのは、踵を返してこの場所から物理的に距離を離すことであった。

 

「あっ!」

「アンズ……」

 

 止める間もなく走り去ってしまった彼女を見送って、コウとクウルは顔を見合わせた。

 

「アンズも、判っているハズなんだけどね……」

「良いんだ、それよりありがとな! 結構、アンズの平手は痛かったからさ」

 

 明るい口調でおどけた様に笑うコウに、クウルも釣られてくすくすと笑いを零してしまった。

 ズレ落ちてきた眼鏡を人差し指で押さえつつ、口を開く。

 

「アンズにまだ用があるなら、メルに案内させるけど」

「……その前に、ちょっといいか? ホーネットって艦外機あるじゃんか。 あれさ、俺が専攻してた奴と似ているんだ」

 

 コウは壁に拠っかかって、突然に自分の事を話し始めた。

 アンズやクウルに、何ができるのか、という問いに応えようと思ったからだ。

 

「三年前―――っていうか、俺からすれば三年前だけど、十三歳の時に宇宙空間での艦外作業機候補生になったんだ。

 最初の内はホント、落ちこぼれでさ。 ミスばっかりで、教官に怒られてたよ。

 人が死ぬかもしれない事故も、起こしたことがあってさ」

 

 当時の事を思い出すように、平手打ちされた頬を擦りながら言葉を縫むぐ。

 単純なミスも数えれば、それこそ星の数ほど失敗してきた。

 教官はもとより、自分の面倒をよく見てくれた先輩たち、同僚たちを含めてどれだけ迷惑をかけたことか。

 そのたびにコウは怒られたし、逆に怒ることも沢山あった。

 人死にが出るかもしれない危険な事故になる可能性を秘めたミスも、この場所に違わず多かったと思う。

 最初は何もかも分からなかったから、何度も止めた方が良い、才能がない、と周囲に諭されたこともあったし、自分の進路に悩んだこともあった。

 

「はは、でもさ。 そんな俺でも、最終的にはテストでトップの成績に成れたんだぜ。

 遊びに誘われても行かないで、ずっと艦外機のシミュレーターに乗っててさ。

 あんまり自慢できることは無いけど、これだけは俺の数少ない、自慢できることだって思ってるんだ」

「そう……苦労していたんだね」

「ああ、うん。 まぁ、苦労はしていたけど……」

 

 最後の成績表が送られてきた時の感動と、その時に学んだことは、諦めずに頑張ればいつかきっと結果になって返ってくるということだ。

 何度も挑戦して、失敗して、それを繰り返して手に入れた技術と知識は裏切らない。

 多感期であるコウにとって、人生の大きな教訓として刻み込まれた体験だった。

 

「だから、失敗しても俺は諦めないってぇこと!」

 

 クウルに真っすぐ向かい合って、コウは拳を握って笑顔を見せた。

 きっとこの話は結局、ここに着地する為の物だったとクウルはくすりと笑う。

 

「謝るのも、諦めない?」

「うん。 俺、またアンズに謝って来るよ。 それでさ、艦外機……あのホーネットっていうのにも、乗れるようにジュジュに頼むんだ。

 千年前とかそういうの、此処じゃもう関係ないもんな! 同じ星に生きてるんだ! 皆にも迷惑を掛けちまった……だからさ、これから俺、頑張るっすよ!」

 

 ああ、とクウルは思った。

 彼は今、きっと惑星ディギングという星の住人になる宣言をしたのだと。

 その宣誓を、クウルは偶然とはいえ、こうして此処で立ち会って聞いているのだ。

 それが判った時、自然にコウの事が同じ星を生きる人間なんだと理解できた。

 《祖人》ではなく、コウという一人の人間をまっすぐに見ることが出来たのである。

 クウルの口はいつの間にか開いていた。

 

「コウ、私も教える」

「え? なにを?」

「僕はクウル。 クウル=リヒト・ウルリック・クラウウェルク。 君に、預ける」

「ああ、なんだ。 それ、クウルの本名? 愛称だったんだな、クウルって」

「うん」

「でも、長くて覚えられそうにないっすね」

 

 そう言って笑うコウに、クウルは別にいい、と一つ頷いてから隣でぼんやり立ち尽くすメルへを顔を向ける。

 視線に気づいたのか、短く電子音を鳴らしてメルは首を傾げた。

 

「メル、アンズの部屋にコウを案内して」

「了解しました」

「あ、よろしくな、メル」

 

 コウは気分を盛り上げる様に、声を出して手を伸ばした。

 

「逸れない様にしっかりついて案内する様に。 コウ、僕は仕事があるからこれで」

「ああ、クウル。 またな!」

 

 コウに差し伸ばされた手をじっくりと数十秒ほど見つめ、メルは得心したかのように頷いた。

 

「いっ!? 痛っ! メル!?」

「逸れない様にしっかりします。 案内を開始します」

 

 鋼鉄の腕がモーター音を奏でてコウの腕を力いっぱい握ってくる。

 抑揚のない声でコウの右腕をしっかりと挟みこみ、悲鳴を上げるコウを引きずる様にして歩き出す。

 

「いたたたたたっ、ちょ、え!? 痛い、メル何やってんだ!? 痛いっす!」

「案内しています」

「いやそれは判るけど折れる! 折れるって! もうちょっと優しく……何処にも行かないからっ!」

「了解、速度を緩めます」

「そこじゃないの! 優しくして欲しい所はそこじゃないって! クウル! ちょっと戻ってきて何とかしてくれぇ!」

 

 悲鳴を上げながらアンズの部屋へとコウを案内していくメルに、クウルの視線は釘付けだった。

 命令をしっかり認識して遂行する、自作のアンドロイドに感動していて、コウの声は右から左に通り抜けて行ったのである。

 

 

 



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九話 初めて呼んだ

 

 

 

「案内いたしました。 此処がアンズ様のお部屋です」

「うぇえっ……」

 

 どうやら目的地到着したようだ。

 コウは激痛に腕を抑え、涙目になりながらメルから開放されたことを理解した。

 蹲って痛みに震えるコウを半ば無視して、メルは締められた鉄の扉をガンガンと叩く。

 金属同士の当たる音が、艦内廊下に響いた。

 

「コウ様を案内しました。 開けますね」

『メル!? はぁ!? ちょっと待ちなさいっ!』

 

 扉の奥からくぐもったアンズの声が響く。

 彼女の静止は少しばかり遅かった。 ガイノイドであるメルには立ち入りの制限が掛かっている場所以外は、腕に取り付けてある端末で開閉の指示を与える事は簡単だった。

 クウルとアンズは仲の良い友人である。

 当然、お互いに部屋の開閉許可をとっており、それはメルが使う物と同じであった。

 メルがアンズの入室許可を取っていないハズが無かったのである。 耳に触る電子音が鳴り響き、かくして鉄の扉はスライドして開かれた。

 コウの視界に飛び込んできたのは、なぜか簡易のベットの中に慌てて入り込んだ少女の姿。

 よほど慌てていたのか、素肌が見える片足を中空に放り出して、自分の肩を抱くように掛け布を不格好にかぶって、不自然な態勢で寝そべっていた。

 部屋の中ほどには直前まで着ていたであろう洋服が散らばっており、ベッドから飛び出した足首には白い薄布が引っかかっている。

 腕の隙間から見える胸のふくらみが、意外とある事にコウは気付いた。

 未だに痛みに呻き情けない顔で部屋の中を覗き見ていて、アンズの視線と数秒絡み合って、お互いが固まってしまう。

 酷い沈黙が、アンズの部屋には満ちていた。

 電子音が鳴る。

 推移を見守っていたメルが、高品質なアンテナをブラブラと揺らして不思議そうに顔を傾げた。

 

「入らないのですか、コウ様」

「は、入れないっす」

「入れるなっ! ちょっと、こっち見ないでよ!」

「了解しました」

「違う! メルは良いのっ!」

 

 アンズの声が部屋の外にまで響く中、コウは自主的に顔を背けて痛みを訴える腕を抑えた。

 背けた先に居た、このシップに乗り込んでる搭乗員の一人が、事態を察したのかふるふると首を揺らしてジェスチャーだけで謎のエールを送ってもらった。

 そんな光景を見ながらコウは思った。

 どうでも良いけど、腕の痛みが引かない。 怪我したのだろうか、と。

 

「早く扉を閉めなさい! メル! 動けないでしょ!」

「命令ではアンズ様の部屋までコウ様を案内する様に承っております」

「外で待たしておきなさいよ! 着替えてるの! 見て分からない!? 分からないわよね、あーもうっ!」

「何か問題がありますか?」

「大あり!」

 

 ちょっと理解ができませんね、と応えるメルに、アンズは頭をくしゃくしゃと両手でかきむしって、女性らしからぬ唸り声を上げた。

 そうしてようやく頭が少しばかり冷えたアンズは閃く。

 

「メル! 扉を閉めて私が良いっていうまで外で待機! 最優先事項!」

「了解しました」

 

 今度は素直に引き下がって、空気を吐き出すような情けない音と共に鉄の扉が閉じて行く。

 ようやく痛みが引き始めたコウは、顔を顰めてメルに向かい合った。

 

「なぁ、もしかして、わざとやってるとかじゃ無いよな?」

「? わざと、という動作概念は登録されていません」

「まぁ、そうだよな」

 

 そうでなければ、手を引いて案内するのにあれほど力を込めることも無いだろう。

 AIに柔軟な思考を持たせることがまだできていないに違いない。

 コウは一つため息を吐いて覚悟した。

 今の出来事がメルのせいだとして、アンズは怒気を納めてくれるだろうか。 今までの事を考えると女性経験のないコウでも大丈夫だと思える要素がどこにもなかった。

 もう一発、平手が飛んでくる可能性だってあるだろう。

 半ば諦念めいた面持ちで、コウは礼を言った。

 

「メル、案内ありがとな……」

「いえ、ご命令ですから」

 

 腰に手を当てて誇らしそうにメルはそう言って、コウは苦い笑みを浮かばせた。

 

 

「で、見たの?」

「いや、見てない、見えなかったし」

 

 メルを追い出し、アンズが扉越しに言い放った言葉は低い。

 扉が開いた直後、むくれた顔をして睨みつけてくるアンズの表情は迫力が凄かった。 今でもコウの脳裏に過っている。

 本当だろうと嘘だろうと、そう言うしかないという質問を浴びせられて、コウは内心穏やかでは無かった。

 一つ、大きなため息を腰に手を当てて吐き出し、アンズはしばしコウから顔を背ける。

 やがて顎を引いて室内に入る様に仕草で示すと、アンズは不満な顔を崩さずに備え付けられた椅子に腰を下ろす。

 遠慮したように周囲を見回しながら、コウは室内に足を踏み入れた。

 散乱していた服は、この短い時間でしっかり片付けられているようだった。

 後は、コウに与えられた部屋と大差ない殺風景な景色が広がっている。

 アンズが今座っている椅子が一つ。 寝台が一つ。 固定端末とモニター、そして寝台横に簡素な棚があるだけだ。

 唯一目を引くところ言えば、アンズが使っている髪留めと同じような植物が、鉢に植えられて棚の最上部に並べられてることだろうか。

 

「これって、何の植物なんだ?」

「サボテン。 祖父がくれた物と、自分用よ」

「あぁ、やっぱりサボテンなんだ」

「ったく、何なの? そんな話をしにきたってわけ?」

「いや、違うよ。 謝りに来たんだ」

 

 実のところ、サボテンの事もコウはかなり気になったのだが、本来の目的は最初から一貫している。

 想像通りの用件に、アンズは首を振って面倒そうに手を虚空に振った。

 

「もう良いわよ、あんまり馬鹿にしないで。 私だってクウルの言っている事は正しいと思ってるし、アンタにちゃんと説明しなかったのは……ゴメン、反省してる」

「ああ、でもちゃんと謝りたい。 俺が知らなきゃいけなかった事を、しっかり聞こうとしなかったのは本当に悪かった」

 

 この星の危険が分かってるつもりで全く、理解をしていなかったんだと精一杯の誠意を込めて頭を下げる。

 

「良いってば……でも、メルを利用して部屋を覗きに来たのは別だからね」

「げっ、それは見てないって! ちょっと脱ぎかけの服が見えたくらいだし……下着くらいしか!」

 

 誠意は即座に爆散した。

 

「見たんじゃないのっ!」

「ちがっ、ごめんって! 言葉の綾だった!」

 

 振り上げた手がコウに迫って、思わず目を瞑る。

 ところが、アンズの振り上げた手は、優しくコウの身を守ろうとした腕の上にポトリと落ちた。

 あー、と気の抜けたような声を挙げて、彼女は再び浮いた腰を椅子に落とした。

 

「あ、あれ?」

「別に気にしてないから、忘れて頂戴。 シップの上での生活じゃ、珍しい事でもないからね……」

「あ、ああ……」

 

 何だか拍子の抜けた調子で、コウは頭を掻きながら頷いた。

 ふと、彼は疲れた表情を見せるアンズの目が、まだ腫れている事に気付く。

 

「あのさ、聞いて良い?」

「……何かしら」

「動けなくなった人が原因で、事故が起きちゃったんだよな。 それに、大けがした人も」

「ええ、そうね。 死に至るまでの火傷じゃなくて良かったけど……死んでいても可笑しくはなかった」

「だよな。 なんか、ほんとゴメン」

 

 アンズは何度も謝るコウに、首を振った。

 きっとコウは名前も声も知らない。 そんな赤の他人と言っていい人が自分のミスで死んでしまったかもしれない。

 アンズにとって同じホーネットに乗り込むパイロットとしての仲間が。

 モニター越しに見えた映像でも凄まじいショックをコウは受けたのに、間近で見て来たアンズはもっと辛いはずだろう。

 

「責任はアンタだけじゃないわ。 私だってヘマをしたのよ……仲間を危険に晒してしまったわ。 でも……」

 

 アンズは言葉を切ってから、下唇を噛んで続けた。

 

「でも、ここじゃちょっとした事故で人が死ぬのは珍しい話でも無いから。 だから心配なんてしなくても私は平気。 さっきの一発でアンタへの気は済んだから、あんまり気に病まないで」

 

 コウは目の前で話をしている彼女の心情が不思議と理解できた。

 虚勢を張って強がっている事が、はっきりと伝わってきた。

 ただの勘違いかも知れないけれど、コウは確信することが出来た。

 何度も失敗して、何度も怒られて、時に他人を巻き込んで危険にさらして。

 必死に宇宙艦外作業機《リペアマシンナリー》の練習を積み重ねてきたから判ったのかもしれない。

 だって、彼女は泣き叫ぶようにコウへと言っていた。

 自分が目を覚ます前までは、全て順調だったのだと。

 何もかも上手く行っていたんだと、彼女は言っていた。

 

「あの、最初に聞いてきただろ。 俺は何ができるのかって。 正直言ってこの船の中じゃ何も出来ないと思ってる。

 俺が学んでいたのは艦外作業機の事だけだからさ。 でもだから―――ホーネットなら乗れるかもしれないって思ったんだ」

 

 独白するように口を滑らせるコウの声。 アンズの眉間に皺が刻まれた。

 

「俺も今日のアンズみたいに沢山失敗した。 会ったことも無いし、見たことも無い人が、俺のせいで怪我をしちまった。

 その人には謝る事しかできないけど、俺はまだここで迷惑だけしか掛けてなくて、何もしていないから」

「何が言いたいのよ、アンタは」

「だから俺、ホーネットに乗る。 乗れるように、ジュジュに頼んでみる。 アンズもまたホーネットに乗れるように、あの怒ってたスヤンって人に頼んできてあげるからさ!」

「はぁ? ちょっとまって!」

「俺が出来そうなことって、俺がこの場所で皆の為に出来る事って、それくらいしか無さそうなんだ! 

 アンズが言った通り、俺だってもうこの星に住む一人の人間だろ? この惑星の事を知って、実情を知って、見てるだけ何てもう嫌だって思ったんだよ!」

 

 アンズがコウの言葉に強い意志を感じ取って思わず詰まる。 

 何より、彼が言った自分が出来るのはホーネットに乗り込む事だけ、という言葉には衝撃を受けた。

 スヤンへと感情のままに言い放った自分と、今のコウの言葉が重なった気がして。

 アンズは生まれた時から惑星ディギングに住んでいる。

 決して要領は良くなかった。 頭だってそんなに良い方じゃなかった。 性格からやっかみや煙たがられることも多くて。

 自分が何を出来るのかを考えた時にホーネットの存在があった。

 ホーネットは誰もが乗り込んで動きまわせる物じゃ無かった。 才能が必要で、その才能にアンズは恵まれていた。

 自分がシティに貢献できること、惑星ディギングに住む者として生きる為に出来ることは、ホーネットに乗る事だと思ったのだ。

 心の奥底では分かっていたはずなのに、勝手な事ばかり口にして、拗ねて文句ばかり言うコウを。

 何時の間にか《祖人》を蔑視してしまっていた。

 クウルが話したように、突然の事態に混乱して、精神的に余裕が無くなっていた事をいつの間にか忘れて、この星に住む人と同じ常識を無意識に求めていた事に気付く。

 そんなことは無理だ。

 今までに起きたばかりの《祖人》が、起こしてきたトラブルを考えれば、無理な事は分かっているつもりだったのに。

 アンズもまた、今、初めてコウという一人の人間を真っすぐに見つめることが出来た。

 状況をきちんと把握すれば、同じ場所に向かって《祖人》とも一緒に歩んで行ける。

 そんな事は、十世紀に渡って生き残ってきたアンズの先祖達が証明してくれていたというのに。

 長い沈黙が、室内を包んでいた。

 切り裂いたのは、呆然としてしまったアンズに痺れを切らしたコウだった。

 

「やっぱ、難しいのかな。 ダメだと思う?」

「だめ……じゃないと思う」

「マジ? あ、そしたらアンズが俺の先輩ってことになるのか! ははっ、よっしゃ! そん時は、色々とご指導よろしくっす!」

「あのね、まだ決まっても居ない話なのに、喜ばれても」

「大丈夫、俺って諦めだけは悪いからさっ! 乗るって決めたなら、絶対乗ってやるから!」

 

 力こぶを見せて、ことさら明るく笑うコウに、アンズもまた釣られて笑みをこぼした。

 ハッと気付いて誤魔化すように咳ばらいをしながら、表情を直すように首を振る。

 きっと下手な励ましも混じってるコウの振る舞いに、ようやくアンズは気付いていた。

 少なくとも、彼の明るい声と仕草から、アンズの欝々とした暗い気持ちが少し晴れたことだけは確かだったから。

 

「じゃ、俺、早速ジュジュに頼んでくるわ!」

「あ、ちょっと!」

 

 来るときも慌ただしければ帰る時も忙しい。

 立ち上がって扉を開けると、声を掛ける間もなく足音が遠ざかって行ってしまう。

 が、殆ど時間を掛けずに出て行った騒がしい足音が戻ってくる。

 アンズと自分の名を呼ぶ声が聞こえて、怪訝に思いつつも扉を開いてあげた。

 

「なに? 忘れ物?」

「違うよ、ちょっとサボテンの事で思い出してさ!」

「ああ、そういえば。 来た時から妙に気にしていたわね」

「そうそう。 俺の親父もサボテン育ててさぁ、花を咲かせるのが楽しみだって言ってたんだよな。 そのサボテン、花をつける品種なのか聞きたくなっちゃって」

 

 アンズはコウの話す理由にへぇ、と一つ頷いて、花がつくサボテンであることを教えてあげた。

 長い物になると品種によってサボテンは花をつけるまでに数十年とかかるものがある。

 きっともう、二度と会う事は難しいだろう父親の面影を、コウは追っているのだろうか。

 シティへと戻れば、両親が健在しているアンズには、コウの気持ちがちょっと想像できなかった。

 

「そっか、ありがと。 っし! んじゃ改めて、ジュジュのところに行ってくる! アンズの事も忘れないでちゃんと頼むから期待しててくれよ!」

「……ま、頑張ってね、コウ」

「ああ! ん? あっ! ああああぁぁーーーー!」

「きゃっ! ちょ、何!? いきなり大声で!」

「名前ーーーーーーっ!」

「はぁ?」

「アンズ、俺のこと初めて名前で呼んだだろ!」

 

 コウに言われて、アンズは面食らったように口元に手を寄せた。

 

「そ、そうだっけ……?」

「そうっすよ!」

 

 屈託なく笑って名前を呼ばれたことに喜ぶコウが、なんだか年下のように見えてしまったアンズだった。

 結局彼が戻ってきたのは、本当にサボテンの事を聞きに来ただけのようで、手を大きく振りながら別れると、艦橋に向かって走り差って行った。

 半ば呆気に取られた形でひらひらと手を振って見送ってしまい、アンズは部屋に戻って倒れるようにベットの中に潜り込んで、思う。

 コウがホーネットに乗れる許可が得られるはずがない、と。

 艦外作業機で、採掘の主役となるホーネットは高価で大切な資源を多く費やして作られる物だからだ。

 同時にホーネットの操縦者の育成に莫大なコストもかかっているし、搭乗者は当然ながら危険でもある。

 アンズとて、シティで何年もかけてホーネットの操縦訓練を行って、ようやく現場のシップに乗れるようになったのである。

 目覚めたばかりで《祖人》でもあるコウを乗せるとは思えない。

 

「……サボテンか」

 

 うつ伏せで寝ころんだアンズの視界に、二つの植蜂が鎮座しているのが見えた。

 同時にコウの父親がサボテンを育てていたという話を思い出し、妙な繋がりもあった物だなと苦笑する。

 アンズの持っているサボテンは、今はもう居ない祖父から父へ。 

 そしてシップにホーネット乗りとして初めて参加する記念にと父からアンズへ手渡されてきた物だ。

 もう一つの植蜂は、自分がホーネットの操縦資格を手に入れた時に記念だと、父からプレゼントされた物である。

 アンズはゆっくりと目を閉じる。

 途端、瞼の裏に赤と白の光景が浮かび上がって、短く声をあげて跳び起きた。

 やにわに心臓の鼓動が高くなり、その場で胸を押さえて息を吐く。

 首を振ってから近くに置いていた水筒を引っ掴み、一気に水を飲み干した。

 ベットに横に成ってもう一度目を閉じれば、今度は名前を呼ばれただけで矢鱈とはしゃぐコウの顔がふっと浮かび上がる。

 彼の明るい性格には助けられてるのだろうか。

 そんな事を考えながら目を閉じていたアンズは、気が付けば掛け布も纏わずにそのまま寝息を立てて眠りについていた。

 

 

 



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十話 蜘蛛の休息

 

 

 

 寝そべって見上げる天井は相も変わらず鈍い鉄板。

 芳しい土の匂いが懐かしく、緑色に生えそろった芝生。 そしてしゅういに並ぶ背の低い木々と池を模した水面は完璧だ。

 いや、ここまで素晴らしい環境がシップ・スパイダルの中に構築されているとは思わなかった。

 きっと、コウには及びもつかない血と汗と、涙の結晶がこの空間を創りだしたのであろう。

 ただ、惜しい。

 あの天井さえ、広々とした青い空になってさえいれば満点だったのに。

 まぁ、今は巨大な自然衛星が空を覆い隠していて、外はどこまでも真っ暗な闇夜が続いているらしいのだが。

 シップの憩いの場として利用されているこの場所を発見してから、コウはこの芝生の上に良く寝っ転がりに来ている。

 一度だけ踏んだことのある母なる地球の大地を、再現しているような素敵な場所だ。

 外を眺めても殺風景な土気色の大地が広がっているだけ。

 確かに雄大で、コウも最初に見た時は感動したものだが、何処に行っても同じような景色ばかりでは飽きてしまうのは道理だった。

 

「うぉ~……後はこの揺れさえマシならなぁ~……」

 

 酷寒の二日間を迎えた惑星ディギングは、マイナス二百度まで急速に冷えて行く。

 シップは蓄えた太陽光エネルギーで搭乗員が凍死してしまわないように、艦全体を温める為に大型の機会が回転数を上げて暖かい風を送り込んでいるのだ。

 当然、冷却装置が稼働した時と同じように、大きく船体を揺らす振動が日に何度もやってくる。

 もうシップ・スパイダルに乗り込んでから一週間近く経つが、コウはこの揺れには未だに慣れなかった。

 

「あ、いたいた」

「お~……アンズかぁ~……」

「アンズかぁ~……じゃねーわよ! ったく、何やってるのよこんなところで!」

 

 厚紙で出来た茶色い紙の箱を両手で抱えたアンズが、転がっているコウを覗き込むようにしてやってきた。

 芝生に寝転がって左右に体をねじるコウは、だらりと力を抜いており、覇気がまったく感じられない。

 二、三日前まではコウは自分がホーネット乗りになる為にジュジュの下へと再三押しかけていた。

 駆けこんでは断られ、駆けこんでは断られて。

 

『はぁ? 頭に蛆でも沸いたか、それとも英雄気取りのド阿呆か。 コメディアンでももう少しまともな筋を通すものだわ。

 もうちょっと無いミソッカスの脳みそを穿り返してから物を言ってちょうだい、コウ君』

 

 おおよそこのような言葉を毎日毎日、どれだけ断られてもしつこくコウはジュジュの下に詰め寄っていたが、流石に進展が無さ過ぎる。

 罵詈雑言の雨嵐、暴言の暴風雨の中心とさえ思えるほど勢いよく繰り出されるジュジュからの罵倒に、よくもまぁそれだけのレパートリーを揃えているなとコウが感心するほど豊富な詰りである。

 そんな言い放った本人のジュジュは人の尊厳を破壊しそうなほどの文句を垂れた後、必ず頭を下げる。

 西洋人形みたいなふわふわとした見た目と相俟って、凄まじい違和感が走ったのをコウは覚えていた。

 だが、彼女は頑固だ。

 艦外機、ホーネットに乗り込むことは頑なに拒絶された。

 何度顔を付き合わせてお願いしても、やっぱり駄目の一点張り。

 最近ではもう、コウがジュジュの視界に現れた瞬間には罵声が飛んでくるようになった。 コウも正直、彼女の口の悪さには慣れてしまったが。

 

「ってわけでさ」

「あのね、それでやる気無くしちゃった~、何て言うんじゃないでしょうね!」

「んな事ないって! でもちょっと頼み方を考えないと、どうにもならないかなぁって話」

「まぁ、あれだけ言われて良く通い詰めるなって、みんな笑ってたからね……」

「そう言われてもなぁ……」

 

 押してダメなら引いてみろ、という訳ではないが、アプローチの方法を考えなければこの話は進展がない。

 ひたすら拝み倒すのをいったん辞めて、こうして頭を空っぽにしながら次の手を考えることにしたのだ。

 まぁ、引いてみても効果があるとは思えないが。

 

「あ~、それで、アンズは? 何してるの?」

「仕事の途中! 見てわかるでしょ?」

 

 コウの真横に茶色い紙箱を降ろすと、かなり硬質な音を立てて地面に僅かな埃を舞い上げる。

 何かの機械部品だろう。 結構な重量がありそうだった。

 寝そべるコウの横に座り込んで、両ひざを曲げてアンズは座り込んだ。

 珍しく作業服ではなく私服だ。 薄茶色のパーカーのようなものを着ていて雰囲気が違う。

 

「仕事の途中なのに、此処に居ていいのか?」

「うっさい。 良いでしょ別に」

「あはは、うん、まぁ良いけどさ」

 

 ホーネット乗りであり、部隊を指揮する立場のスヤンから、雑用をごまんと押し付けられているアンズは頬を膨らませていた。

 しかも、押し付けられた雑用を全部こなしたところで、ホーネットに再び乗り込む許可を貰えるとは限らない。

 謝って、反省して、それで終わりというわけではないのだ。

 スヤンはまったくもって、公正な姿勢で裁可を下していた。

 ただ、それは分かっていても感情は別。 アンズもまた、次の採掘ではホーネットに乗り込んで汚名を返上したかった。

 

「こんなところで寝てて、ホント暢気で羨ましいわ。 皆、アンタがジュジュを追いかけまわしてるのを見て感心していたのに」

「俺も色々悩んでるってば……」

「疑わしいわねぇ~、私の事もホーネットに乗せてくれるように頼んでくれるって言ったのは誰よ」

「うっ、そう言われると立つ瀬がないっすねぇ~……」

 

 意地の悪い笑みを浮かべて座り込むアンズの視線から逃げるように、コウは身を捩って上半身をむくりと起こす。

 

「なんか、絶対に乗せないんだぁ~~っ! って感じなんだよな、ジュジュ」

「ま、そうでしょうとも。 元から期待はしていないし」

「うわ、ひどっ。 皆さぁ、言葉がきついんだよなぁ!」

「でもね、コウ。 ジュジュが言っている言葉遣いはともかくとして、それは正しい事なのよ。 普通は無理だもの」

「甘く見られてるっすね。 宇宙艦外機のパイロットとしての成績なら、俺は誰にも負けないっすよ!」

「ここ、地上」

 

 拳を握って胸を叩いたコウの自信を、一秒足らずで切り捨てる。

 彼が顔を地面に落として、あぁ、と情けない声を挙げながら大きく肩を落とした。

 却下される最大の要因は、きっと宇宙と地上の違いだ。

 重力下での操作は、無重力下での操縦と、それなりに大きな差異が生じているハズで、絶対にホーネットを乗りこなすことが出来るという自信は正直無かった。

 多分、その辺もジュジュには見透かされて乗る事を断られているのだ。

 シティで何年も、下手をすればどれだけ訓練をしても許可が下りない人も居る。

 そんな厳しいパイロットとしての訓練を受けずに、ホーネットに乗り込んで掘削作業を行うなど自殺と何ら変わりないのだろう。

 

「アンズは仕事に戻らなくていいんすか」

「戻るわよ。 ただ、コウが暇そうだったから声を掛けただけ」

「じゃあさ、アンズも一緒に考えてくれよ! ジュジュを説得する方法!」

 

 身体の向きごと、座ったまま器用に変えてコウは身を乗り出すようにアンズへと顔を向けた。

 アンズもまた、ニッコリと笑った。 

 おお、何か妙案があるのか。 コウはアンズの見せる柔らかくて可愛いと思える笑みに釣られてにへらと笑う。

 アンズはゆっくりとコウの目の前に、紙の箱を移動させてきた。

 

「人手不足って、言葉は知ってる?」

「え、うん」

「押してダメなら引いてる間、こんなところで寝てないで少し手伝って!」

「う~ん……俺は別に良いけどさ。 乗る許可も貰わない内に勝手に弄っちゃ怒られないかな?」

「いいから! やる気のない顔でウロウロしたり寝転んでるやつが目の前に居るとイラつくのよ! 私だって働いてるんだから、とっととそれ持って! 作業着に着替えて発着場にいくわよ!」

「うわっ、もしかしてそれが本音かよ!?」

「うっさい! 良いから来る! 先輩命令!」

「まだ先輩じゃな―――うわっった! 判ったって! 危ないから引っ張るなよアンズ!」

 

 お互いにぶつくさと言い合いながら、休憩場を離れて歩き出す。

 そんな二人の姿が、備え付けられたベンチにだらしなく座っていたスヤンが見送っていた。

 皮肉気な笑みを浮かべ、小さく鼻を鳴らす。

 完全にコウとアンズの姿が消え去ってから、肩を竦めて視線を前方へと向けた。

 

「少しは仲良くんれたんじゃねぇか?」

「そうだな」

「素晴らしいですねぇ」

 

 スヤンの目の前の芝生の絨毯の上で座り込んでいるのは、私服に身を包んだ艦長のジュジュだった。

 一見すればドレスとも間違える位にレースの着いた服装は、ジュジュの容貌も相まってまるで人形であった。

 その隣で木々に背を預けて立っているのが、相変わらず無表情のまま意思を感じさせない表情を張り付けている副官のボッシである。

 二日間の酷寒。

 それはシップ・スパイダルが休眠に入る事を意味している。

 当然ではあるが最低限の人員は艦橋に詰めているし、必要があればジュジュやボッシも艦橋に顔を出すが、概ね闇夜の酷寒の世界では暇になるのが常だ。

 この休息期間は、今後の船の行動指針を纏めたり、採掘する予定の場所を特定したり、採掘の終わった資源の数量を量ったりなど。

 やらなければいけない事は当然あるが、この緑の生える憩いの場で打ち合わせを行うことも日常になっている。

 今日は後からジュジュやボッシ達の存在に気付かないまま、寝っ転がったコウがぼやいているのを、聞いてしまったという形だった。

 

「艦長、一度くらいは試しても良いのでは無いでしょうか」

「そそ、俺も試してみるのはアリだと思うぜ」

「う~ん……」

 

 ボッシとスヤンの言葉に、ジュジュは頬を手に当てて考え込んだ。

 実のところ、アンズが言っていたようにシップ・スパイダルは人員不足に悩まされている。

 乗り込んだ搭乗員はみな素晴らしい技術を持っていて才能あふれる人ばかりである。

 だが、その最大人数が絶対的に足らない。

 コウが個室を与えられたのも、余っている部屋がまだ多くあるからだ。

 惑星ディギングの灼熱と酷寒の大地をシップが走り回れるようになったのは、僅か数十年前。

 ホーネットが開発され、運用が本格的になったのも同時期である。

 シップや艦外機を作るだけの資源を得て、人類が広大な大地を駆け巡れるようになったのは、千年という期間を考えればつい最近と言ってもいいのであった。

 何を隠そう、シップ・スパイダルが資源採掘にシティを飛び出したのも今回が初めて。

 艦長であるジュジュが人員の募集を行い、航行できるだけの人数がようやく揃い、そして大地に飛び出した。

 この灼熱の大地をシップの中で過ごし、遠征を無事に終わらせて船乗りとなった経験を持つ者は、ボッシやスヤンを初めとした少数の人だけだ。

 艦長のジュジュも、ホーネット乗りのアンズも、管制を任されているクウルも、今回が初めての処女航行なのである。

 本音を言えば。

 そう、本心を言ってしまえば、コウの申し出はジュジュにとってとても有難い物であった。

 宇宙と地上の差異はあれど、ホーネットの開発者も《祖人》であり、コウと同じ艦外機の設計技術を持っていた物が作り上げている。

 それはデータの照会で確定で判っていることなのだ。

 ホーネット乗りとして卓越した技術を持っている可能性は存分にあった。 コウも《祖人》だから。

 畑は違えど、試してみたい欲求はジュジュにもある。

 それでも躊躇い、コウの申し出に頑ななのは、ホーネット操縦者が今回のトラブルで何人もの怪我人を出してしまった事実があるからだ。

 この船がシティを飛び出した時に交わした約束をジュジュは果たそうとしていた。

 全員で無事に戻って、酒を呑みかわそう、という約束をした。 死人が出なかったことで大きな安堵をしたが、もう一度同じようなトラブルに直面した時にどうなってしまう事かと想像すると怯えが先に立つ。

 ジュジュは思う。 人員不足は深刻な問題である。

 今回のような人的被害があれば猶更、それは負担を加速させてしまう。

 特にホーネット乗りは激烈な環境で働く性質上、シップ運用の中でも損耗率が突出してしまっている。

 ただでさえ訓練を受けていない素人を乗せるなんてことは、どうしても頷くことができない。

 彼女の苦悩は、ボッシとスヤンには手に取るように分かっていた。

 シップの人的損失は、日常茶飯事とまでは行かなくても、頻繁に起こり得ることを知っているからだ。

 何度も目の前で死んでいく艦乗り達を見送ってきたボッシやスヤンは、ジュジュへの思いに共感することが出来ると同時に、全員を生きてシティに戻りたいと願うあり様が危うくも見えてしまう。

 首を何度も上下に揺らして思考に耽るジュジュに苦笑し、スヤンはボッシに顔を向けて口を開いた。

 

「ま、コウの事は置いといてよ。 今後の話だ」

「そうだな。 スヤン、状態は」

「使い捨ての道具も含めて、4,5回は採掘できる道具はある。 ホーネットの数が減ったのは計算外だったが、まぁ許容範囲だな。 今動けるのは8機」

「ソナー員に一機割く事を考えると、効率は77%ほどまでが限界か」

「ああ、それにホーネット乗りの新人共が精神的にショックを受けてる。 命が助かったのは良かったけどな、今後もホーネットに乗れるのは、どうだかねぇ……」

「少し非効率的にはなりますが、シップが前に出て安全性を確保すれば、彼らも安心できるのでは無いでしょうか?」

 

 ジュジュの提案に、スヤンは肩を竦めた。

 シップ・スパイダルの腹の前面部には、掘削用のボーラーと土砂除去用のプレート、そしてアームバケットが搭載されている。

 掘削現場に辿り着いて、ホーネットが作業のしやすい空間を作りだしたり、大まかな資源が埋まっている場所まで強引に道を拓くためであったりするのが目的の装備だ。

 このアームバケットで削れない岩盤となると、ホーネットによる弾頭爆破しか手段が無くなる。

 

「チキン野郎どもには、それも気休め程度でしょうか……」

 

 シティに戻る案も検討はされているが、シップ。スパイダルは本来、五つのポイントを巡って資源の回収を行う予定であった。

 順調に進んだのは3回。

 3回目の掘削作業でコウのカプセルが回収され、4つ目のポイントに向かう途上に《土蚯蚓》に遭遇してしまったのが現状である。

 この世界にも人が住んでる以上、金銭の問題も絡んでいる。

 シップ・スパイダルを動かす為の膨大な予算は、ジュジュの両親が関係しており、彼女が艦長に据えられたのもそれが大きな理由となっていた。

 《土蚯蚓》との遭遇は人的被害、ホーネットの損失の一番の要因であり、今まで採掘した資源と照らし合わせれば収益はゼロに近い。

 ただ今回は、かなり劣化の少ないコウの入っていたカプセルが手に入ったため、その分だけ金額的には大幅な黒字になる見込みはあったが。

 複雑な事情が絡み合う中、資源の掘削作業は続行されることに決定された。

 

「一度……乗せるのも。 でも、やっぱり……ダメね、無理だわ」

 

 資源の採掘作業に鋼鉄の蜂は欠かせない。

 艦橋でモニターを見ているだけでも腰を抜かしてしまいそうになったジュジュは、ホーネット乗りのパイロットはどれだけ肝が太いのだろうと思ってしまう。

 もし何か大きな事故があって《祖人》を失ってしまったら。

 でも、気力のある人間がいて、その力は未知数で。

 即戦力となってくれることも十分に期待できる。 悩ましい問題だ。

 

「ジュジュ、こうしよう。 一度、発着場で試乗してもらい、問題があるようならばシティまで待機させる」

「ボッシさんの考えに同意だ。 使えないと思ったら容赦なく切るから安心しな、艦長」

「そうですね……あ、アンズちゃんはどうするんですか?」

 

 ジュジュの問いにスヤンは手をひらつかせて苦笑した。

 

「乗せるしかねぇよ。 唯一のソナー員が居なくちゃ話にならねぇさ」

 

 こうしてコウとアンズの扱いが決定した後も、彼らの会議は数時間に及んで続いていた……

 

 

 



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十一話 働き蜂

 

 

 

 シップ・スパイダルの発着場で、コウとアンズはホーネットの使う作業道具の前で話し込んでいた。

 単純に掘る、と言ってもその作業には多くの道具が必要だ。

 適当に掘ってしまえば、足場の崩落や頭上からの落盤といった命に直結する危険が起こり得る。

 地形や用途に合わせて、適切な道具を使わなければ、その危険性は更に増す。

 アンズもまだまだ勉強中の身ではあるが、ホーネットに乗る意思を固めるコウに説明することは、将来的に考えても自分の身を護る事に繋がる事だ。

 もちろん、コウが乗れるようになるかは話が別だが。

 

「これは電磁タンパ。 秒速九十回で地面をたたく道具よ。 ホーネットのパワーで押さえないと、大変な事になるから覚えておいて。

 柔らかい地面の時は、少しでも締め固めて足場を確保する必要があるわ。 後は、固定電磁砲を設置するのに必要な硬さを確保する時にも、使ったりするかな」

「ははぁ……」

「こっちはインパクトハンマーって言う物。 超高速で杭を射出して地面や岩を穿つ機械。 

 かなりの突貫力があるから、邪魔な岩を砕くのによく用いられるわ。 反動が凄いから、二機で運用するのが基本。

 掘削の時に使う場合、ドリルと違うのは深いか浅いか、という違いだけよ」

「へぇ~……」

「あのね、ちゃんと聞きなさいよ」

「うん、ちゃんと聞いてる」

「どうも信じられないわ……」

 

 相槌を打つだけの生命体になったコウに、アンズは眦を下げてジト目で睨んだ。

 コウはその視線に気づくと、にへらと曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。

 口頭での説明だけでは想像はできても理解はできそうになかった。

 専攻していた宇宙艦外機《リペアマシンナリー》でもそうだったが、実際に動かしてみないと細かい部分を理解できないタイプである。

 どちらかというと感覚に頼ることが多く、使って覚えて行く方が得意なのだ。

 

「ん~、やっぱりさ。 説明だけじゃなくて実際に乗りたいよなぁ~」

 

 コウはそう言って、ハンガーに固定されているホーネットを見上げた。

 こうして許可こそ出ていない物の、乗ろうと思っている期待を見上げながら、色々な説明を受けていると艦外機候補生として入学した頃のことを思い出す。

 あの時も、早く乗ってみたくってたまらなかった。

 

「そんなに焦らなくても、どんなに遅くたってシティに戻れば乗れるわ」

「アンズが言うならそうなのかもだけど、俺は早く乗りたいよ」

 

 額にくっついた黄色のゴーグルの上に両手を乗せて、ホーネットを見上げるコウに、アンズもまた訓練生だった時分を思い出す。

 きっとコウもその時のアンズの気持ちと同じなんだろうな、と。

 結構似たところがあるのかもしれない。

 

「あ~~~ムズムズする! やっぱ今からまた頼みに行こうかなぁ!」

「いいぜ、乗ってみろよ」

「え?」

 

 背後から掛けられた声に、コウとアンズは間の抜けた返事を返して振り返った。

 艦外作業服に身を包んだスヤンが、気怠さそうな面持ちで近づいていた。

 

「あんまりしつけぇから、艦長が試験するってよ。 一度乗ってみてから決めるとさ」

「マジかよ! やった! 引いてみる大作戦成功だぜ!」

「スヤン、本当にコウを乗せるの? 危ないわよ」

「まぁな、だから俺もわざわざ着替えてきたんだ。 一緒にホーネットに乗り込んで横で見てやるから、大事にはならねぇさ」

「外に出るのか!?」

「そりゃダメだ。 まずは発着場の中で、どれだけ動けるか見てからだよ」

「やったっ! よっし、燃えてきた!」

「へっ、ガキだけに元気だけは一丁前にありやがるな」

 

 スヤンに艦外作業服とヘルメットを取りに行くように言われると、コウは脇目も振らずに発着場を飛び出していった。

 突然と言っても良いほど唐突に降りた許可に、アンズが心配そうな顔を向ける。

 スヤンは視線を流して、アンズにもコウの補佐をするように指示を出した。

 

「アンズも早く着替えてきな。 いきなりずっこける事も、あるだろうからなぁ」

「っ、スヤンの馬鹿っ!」

「くっくっく、良いから行けよ。 あんなに張り切ってるコウを待たせちゃ可哀そうだろ」

 

 かつてアンズがホーネットの訓練を始めて間もない頃。

 彼女は最初の一歩でずっこけて貴重な機体を損傷させた過去がある。

 実は殆どのホーネット乗りは最初の一歩で盛大にすっ転ぶのが通過儀礼であるが、アンズにとっては思い出したくない苦い思い出である。

 楽しそうに手を振るスヤンに、アンズは文句を言ってやりたかったが、どうせのらりくらりと交わされるに決まってる。

 だから一言だけ捨て台詞を吐くにとどめた。

 

「スヤンって、性格悪いわよね」

「そりゃすまねぇ、生まれつきだ」

「っもう!」

 

 やっぱり言うんじゃなかった。 口では勝てそうにない。

 アンズは憤慨しながら着替えに走っていく。

 スヤンはその後姿を見送って、ハンガーに固定されているホーネットへと笑みを浮かべながら視線を向けた。

 

「さて、どれくらい動けるかね」

 

 その声色には普段からは想像もできないほど、彼の期待がこもる声であった。

 

 

 

 慣れない作業服に着替えて、ヘルメットを抱えて戻ってみれば、発着場には人だかりが出来ていた。

 試験をする、と言っていたスヤンだけでなく、同じように―――恐らくホーネットのパイロットたち――――作業服を着こんでいる人や、ブリッジで見た人。

 アンズやクウル、ジュジュやボッシまで、普段はこの場所で見かけない人たちが勢揃いしていた。

 点検用の工具やワイヤーなどの機材が片付けられていて、中央に鎮座しているホーネットが二機。 コウと相対するように鋼鉄の光を反射させている。

 人の多さもそうだったが、ホーネットの機体に見られているようで、思わず足を止めて見入っていたコウにスヤンの声が飛んでくる。

 

「おら! ぼうっとしてねぇでとっとと来やがれ!」

「あ、うん!」

 

 駆け足でホーネットの横に立つスヤンのもとに、人の垣根を分けて辿り着く。

 スヤンはコウが目の前まで来たのを確認してから、視線をジュジュへと転じる。

 彼の視線に気づいたジュジュが、ゆっくりと頷いた。

 コウはそんな彼とジュジュに視線を交互に向けて、首を傾げる。

 

「あの……スヤンさん?」

「アンズから機体の事は聞いてるな?」

「あ、はい」

「んじゃ乗れ。 着座してから分からないことがあったら、アンズに聞け」

「分かったっす」

「頑張れよ!」

「こけんじゃないぞ!」

 

 周囲から声援が飛んできて、注目を浴びるのを感じながら、コウは苦笑しながらホーネットの外骨格部に手を掛けて操縦席までよじ登っていった。

 艦外機候補生時代の実技テストを受けてるような感覚だ。

 緊張もするけど、それよりもこのホーネットがどんな機体なのか。 乗り味を想像し、好奇心と楽しみの方が勝った。

 

「コウ、こっち。 此処から身体を滑らせて」

「あ、うん。 アンズ、なんでこんなに人が集まってるんだ?」

 

 操縦席へと身を滑り込ませて着座しながら、コウは小声で尋ねた。

 

「さぁ、私も着替えて戻ってきたら、皆が集まってたの」

「そっか。 ここで失敗したら乗せてもらえないよなぁ、やっぱり」

「多分ね。 あんまり気負わなくて良いわ。 みんな期待なんかしていないし、見世物だと思ってるもの」

「あはは、うん。 ほんとそんな感じだよな」

 

 ここじゃ珍しい娯楽の一つになってしまっているんだろう。

 言いながら、コウは教えてもらった通りに腰にベルトを回して固定すると、ホーネットの起動スイッチを押し込んだ。

 尾部に付いている蜂と呼ばれる所以のジェネレーターとコンデンサーが回り始め、低い唸り声に似た轟音を発し始めて発着場に響く。

 人間の動きの延長上で動かせる様に設計されているホーネットは、四股を外骨格に空いている円筒の中に通す必要がある。

 コウが乗っていた《リペアマシンナリー》に同様であった為、戸惑うことなくホーネットの装着は進めることが出来た。

 足や腕が通ると起動する仕組みになっていたのだろう。

 コウから見て左側にある小さなモニターが音を立てて光った。

 同時、通した腕と足が左腕を残して固定される。

 

「おっ……」

「左手だけは自由に動けるように固定しないのよ。 直接電子パネルを叩く時は全て左手で行うから、覚えて。

 右手の中にダイヤルがあるでしょ? それでエンジンの出力の調整を行うの」

「さっきも聞いたよ。 それに、俺の乗ってたマシンとそう違わないみたいだし、いけそうだ」

 

 装甲に覆われていない事や、カメラではなくヘルメットのバイザー越しに視界があること。

 他にも細かい部分で《リペアマシンナリー》とは確かに勝手が違うが、実際に乗り込んだ感触は似通っている部分の方が多い。

 むしろ手応えを感じているくらいで、コウは自信が持てた。

 ホーネットの設計者は、きっと宇宙艦外機の設計に携わっていた人だろう。

 先に聞いた事を繰り返し教えてくれる声を聴きながら、コウはヘルメットのバイザーを下げてアンズへと首を向けた。

 

「……じゃあ、まぁ頑張って」

「ありがとうアンズ……あ、なぁなぁ」

 

 くぐもったコウの声。 ホーネットから離れようと掛けていた足を外し振り返る。

 

「アンズも、やっぱ期待してない感じか?」

「……ま、私くらいは応援してあげるわ」

「サンキュ、じゃ期待してくれよな」

 

 アンズの声にはちっとも期待するような色は含まれていなかったが、それがむしろコウのやる気に火を点けた。

 コウのホーネットから飛び降りて、背を向けて走っていったアンズを確認する。

 横に座っていたもう一機の蜂がむくりと起き上がってきた。

 スヤンが搭乗しているホーネットだ。 彼は十年前からホーネット乗りとして活躍しているらしく、このシップ・スパイダルでも随一の蜂乗りだと話を聞いている。

 そんな彼から、ヘルメットの内部に埋め込まれたスピーカーから通信が入ってきた。

 周囲の人たちには聞こえていないらしく、ホーネット乗り同士が連絡を行う為の通信装置だろう。

 

『んじゃ、まずは立って歩いてみな。 転んでも構わねぇぞ』

『そんな簡単に転ばないっすよ。 やってみます!』

『おう』

 

 左手も円筒の中に突っ込んで、コウは機体を動かした。

 まずは《リペアマシンナリー》で掴んだ感覚に頼って。

 グウっと力が伝わって、外骨格の武骨な蜂の手が、万歳をするように直上に上がっていく。

 ―――お、遅っ! なんだよ、この反応の鈍さっ! 

 思わず右手に触れる出力ダイヤルの数値を確認すると、全開とまでは行かなくても既に7割ほどの出力で稼働している状態であった。

 自分の体の動きをゆっくりと落とし、ふらつく機体の制御を取ることに成功すると、周囲から苦笑のような笑い声があがってくる。

 座ったまま、片腕を上げてふらふらしている機体は、確かに滑稽に見えるかもしれない。

 ―――皆見てる。 あちゃあ、恥ずかしいな……でも、よぉし……見てろよ……!

 ある程度ホーネットの機体感覚を、この一動作だけでおおよそ掴み取ったコウは、宇宙と地上での差異で揺らいでいた自信を確信に変えることができた。

 コウのイメージとしては出力最低値で運用する《リペアマシンナリー》の動きだ。

 後は、宇宙空間に飛び出す前の、重力を受けている状況での動作を心がければ上手くいく。

 一つ上唇を舐めて、コウはもう一度立ち上がろうと全身をゆっくりと動作させた。

 

『ほう……』

 

 スヤン感嘆を漏らす呟きが耳朶を震わす。

 コウのホーネットがゆっくりと、しかし確りと地面に根を生やして立ち上がる。

 直立した機体が、コウに応える様にモーター音を響かせた。

 一つ息を吐いて、今度は前進する。

 右足、左足と一歩ずつ。 着実に耳障りな鋼鉄の足音を発着場に鳴り響かせて。

 七歩ほど前進すると壁に近くなって、スヤンから再度通信が入ってくる。

 

『おし、そのまま一回こっちに戻ってこい。 ちゃんと振り向けよ』

『了解っす』

 

 身体を捻り、足の手前を変え、器用にその場で身体の向きを正反対に戻して再び前進。

 その動作に危なげな所は全く無く、無駄な機動はまったく見えない。

 熟達したホーネットのパイロットと遜色ない動きであった。

 一歩、そしてまた一歩と歩く機体をアンズは口を開けたまま眺めていた。

 さっきまで見世物を見る様に笑っていた者たちも同様だ。

 同じホーネット乗りのパイロットたちも。

 艦長のジュジュでさえ、誰もがその流麗な動きに一様に驚きに目を剥いていた。

 ボッシだけは普段と変わらず、無表情の鉄面皮でコウの動きを淡々と追って手元の手帳に何かを書き込んでいる。

 

『はっはー! やるじゃねぇか、コウ! そのまま俺の後を追ってこいや! 転んだら終わりだぜ!』

『了解っす!』

 

 コウはホーネットの動きの鈍さには戸惑ってはいるものの、機体その物の操縦感覚は《リペアマシンナリー》と変わらないことが分かって、胸を張れた。

 スヤンがどんな動きをしてきたとしても、追従していくことは難しくない。 そう思える位に。

 実際にそれは正しかった。

 スヤンが緩急をつけて歩いたり、走ったりする動きにも簡単についていけた。

 何も言われずに急な制動をかけられても、戸惑うことなくスヤンの機体と同時にピタリと静止する。

 しゃがみこんで四つ足でホーネットが這う動きで前進されても、同じ動きでしっかり後を追う。

 最後には奇妙な踊りのような動きをされて、若干面食らった物の、それを真似する様に促されれば戸惑いながら複雑な動きをしっかり模倣した。

 自然、それを見守っていた観衆となったシップ・スパイダルのクルー達が、気付けば喝采の声を上げて称えている。

 最初に鎮座していた機体の場所まで戻ってくると、スヤンは笑いながら口を開いた。

 

『はっはっはっはっはっは! おいおい、お前、無断でホーネットを乗り回してたんじゃないだろうな!?』

『別に! このくらいなら全然余裕っすよ!』

『ぶわっはっはっは! 畜生! お前、アンズには黙っとけよ! ぶっ飛ばされるぜ!』

 

 そんなスヤンの馬鹿笑いを聞きながら機体を着座させて、コウはホーネットから降りると、発着場に手を叩く音が響いた。

 まるで良質な映画を鑑賞して、スタンディングオベーションをするかのように。

 口々にコウを称賛する言葉が溢れた。

 スヤンと同じようにヘルメットを脱いだコウは、恥ずかしそうに頭を掻き、やがて声に応えるように両手をあげて歓声を受ける。

 そんな喧噪の最中、ジュジュとボッシが人の波を割って歩いてきた。

 

「いや、素晴らしい操縦技術だった。 スヤン?」

「見てたんだろ、文句なんかねぇさ。 合格だ」

「ボッシさんは、どうですか?」

「艦長、私もスヤンと同じ意見ですね。 これなら文句はありません」

「そうね……あ、コウ君、お疲れ様です」

「え? あ、ありがとう、ジュジュ。 でも、別に大丈夫っす。 疲れてなんかないっすよ!」

 

 コウはジュジュから受け取った手拭いで汗を拭いて、快活に笑った。

 多少、機動に慣れていなかったから気を使ったのは確かだが、この程度の動きでは《リペアマシンナリー》と比べても楽な挙動だ。

 汗こそ掻いたものの、それは緊張から来たものが殆どだ。

 それこそ、肉体的には何時間、何十時間だろうと乗っていられるだろう。

 伊達に休日を潰して丸一日、無限にシミュレーターに乗って練習していた訳ではない。

 ボッシは首を振って。

 

「スヤンは熟達した操縦者だ。 その動きに着いていけるのは一流だろう。 誇っても良い事だよ、コウ君」

「う~ん……まぁ、これでも俺は千年前から艦外機に乗ってるんで! この位ならまだまだ行けますし、スヤンさんとは年季が違うっすね! 年季が!」

「っんだとこの野郎! 何が千年前だ! 調子に乗るんじゃねぇぞクソガキっ!」

 

 腕を組んで人差し指を立てたコウの頭に、スヤンの拳が唸った。

 その痛みと言ったらどうだ。

 一瞬、視界に星が舞ったと思えるような一撃に、コウはもんどりうって派手に倒れ込んだ。

 

「いっでぇぇぇぇぇっっ!」

 

 頭を押さえて呻くコウに、周囲が盛大な笑い声をあげて盛り上がる。

 そんなに目一杯殴らなくてもいいじゃないか! と抗議の声を上げたいが、痛みでそれどころじゃない。

 地面に転がっていたコウは、周りに釣られて笑っているアンズの眼が合った。

 彼女がコウの視線に気が付くと、彼はアンズに向けて不格好に片手の親指を立てる。

 アンズはコウの仕草の意味は分からなかったが、首を傾げつつ同じように親指を立ててくれた。

 

 この日から、シップ・スパイダルの働き蜂が、一人増えたのであった。

 

 

 

 



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十二話 仲間と学べ

 

 

 恒星が顔を出して灼熱へと変わり、早くも三日。

 コウがこの星で目覚めてから十日目を迎えていた。

 現在、シップ・スパイダルは発掘ポイントに向けて、問題なく航行中である。

 現場に着くまでは《土蚯蚓》のようなトラブルが現れない限り、ホーネット乗り達は時間が余る。

 ぶっちゃけ、暇な時間を過ごす事の方が多くなるわけだ。

 スヤンは普段ならば艦橋に上がって雑談に興じている事が多いし、アンズも休憩所や発着場を行き来したりしなかったりする事が多かった。

 勿論、合間に整備や道具の点検、他にも様々な作業を手伝いに行くこともあるのだが。

 ただ、今回は違った。

 操縦技術はもう疑いようもないくらい、驚嘆の域に達すると認められたコウだったが、宇宙に住んでいた彼は地上での採掘作業の知識がまったくない。

 これが出来ないとホーネットにいくら上手く乗れるからと言っても、乗せている意味が無くなってしまう。

 つまり―――

 

「んじゃ、コウ。 これは何だ?」

「えーっと…………なんちゃらハンマーっす」

「あー、じゃあ、これは? 発着場に着いてから使うもんだ」

「えっと機体を止めたりとか、固定するアレみたいな、それっすね……いだぁっ!」

 

 ボコっとヘルメットを殴打する音が鳴り響いた。

 かつて受けた拳骨よりも数倍マシだが、その衝撃の大きさたるや。

 蹈鞴を踏んで後退するコウに、スヤンは怒鳴った。

 

「馬鹿にしてんのかテメェ!」

「痛いっすよ! スヤンさん!」

「痛くしてんだよ馬鹿野郎! ぶっ飛ばしてやる!」

「もうぶっ飛ばされたっすよっ!」

「まぁまぁ、スヤン。 コウはまだちょっと頭おかしいんだから落ち着きなさいよ」

 

 全然フォローになっていないアンズの擁護が悲しかった。

 次の採掘では怪我人が出たことでホーネット乗りの不足から、コウが搭乗することが決まっている。

 本来ならばシティで訓練と座学を経て、厳正な試験をクリアした者のみが認められる現場での採掘作業。

 致し方ない部分があるとはいえ、コウが首をひねる度にスヤンの拳骨は唸りを上げる。

 採掘作業は安全性や慎重性に配慮する一方で、迅速な作業速度も求められるからだ。

 下手に時間を掛けては《土蚯蚓》の襲来があった時に困る事になる。

 効率よく資源を得ることが出来なければ、金銭面にも影響が出る。 それはすなわち暮らしに直結するものであった。

 その全てを理解して実践しろと言うのも酷な話だとスヤンは判っている。

 だが、期待しているのも本音だった。

 この若さで時分と―――いや、下手をしなくても自分よりも熟達した操縦技術を持っているコウが、正しい知識を手に入れた時。

 どれほど素晴らしい蜂乗りになるのか、期待を抱かずにはいられなかった。

 柄にもなく、時間を割いて眼をかけてしまうほどの価値が、少なくともスヤンにはあった。

  

「まずはさぁ、基本の運搬からだけで良いんじゃないの?」

「うっせぇなアンズ。 そんなの判ってらぁ。 現場じゃまずはそれからだ。 だが、周りが何をやっているのか判っていた方が良いに決まってんだろ? じゃねぇとコウ自身が結局困っちまうじゃねぇか」

「そうだけど、シティの訓練生だったわけでも無いんだから、そんなにいっぺんに―――」

「アンズ待って! 俺、ちゃんと頑張って覚えるよ!」

「おっしゃ良く言ったコウ! それでこそ男だ! もう一度アンズにちゃんと聞いて覚えろよ! 一時間後にまた来るからな!」

「うっす! 了解っす! アンズ、頼むぜ!」

「はぁ……まぁ、アンタだってもう私たちの仲間だもんね。 面倒見るから、しっかりついて来なさいよ!」

「あぁ、アンズ先輩、よろしく!」

「よっし、まずは復習から行くわよ!」

 

 そのきっかり一時間後。

 コウのヘルメットは、スヤンとアンズ専用の打楽器になって発着場に響くことになった。

 

 

 シップ・スパイダルは予定された採掘ポイントに到着した。

 翌日からまた、酷寒の夜を迎えることになる為、ホーネットの出撃は見送られ、次の灼熱まで採掘作業は持ち越されることに。

 前回、トラブルによって怪我人を出してしまったことから、ジュジュはホーネット乗りのパイロットを集めて、意識の徹底を目的とした会議を行っていた。

 指揮官のスヤンを含めて総勢9人。

 怪我人は見合わせる形になり、動けるホーネットは全機稼働の見通しだ。

 その中には、コウの姿も勿論あった。

 

「全員に渡ったな」

「はい」

 

 集められたのはブリッジの下部にある、中央にテーブルが備わり、白いモニターとタッチペンが用意された会議室だ。

 端っこに立っていたコウが配られた資料に目を落とせば、奇怪な図形が並んでいる。

 まったく渡された資料の図面の見方が分からなかった。

 コウは隣に立つアンズを肘で突いて小声で尋ねる。

 

「これ、何?」

「現場の予想地形図よ。 聞いていれば判るから黙ってなさいな。 怒られるわよ」

 

 前面のモニターに配られた地形図と同じような画の羅列が表示される。

 

「いいか、今回は扇状になってる岩山を削る。 ここと、こっちのポイントだ。 印をつけろ。 この辺はまだ精査されて無いから、周辺の測量と物資の掘削を同時に進行させる」

 

 ボッシ声だけが響き、コウは落ち着かない様子で周囲を眺めた。

 

「その予定だったのだが……残念ながら不幸なトラブルによって同時進行は困難になった。 そこで、まずは地形測量を二日間。 掘削を二日間と作業を分けて行う」

 

 何人かが頷いて資料に目を落としたり、地形図に印をつけ始める。

 本来備わっていた十二機のホーネットが役割を分担し、効率的に作業を行う予定だったが《土蚯蚓》の襲来によって変更を余儀なくされた。

 コウは、あの爆炎の上がったモニター越しの映像を思い出して、身体を震えさせる。

 僅かに空気が重くなった室内を、咳払い一つで払拭し、ボッシは話を進めた。

 

「まず最初の測量の前に、ボーリングを行う。 地下の空洞がどの程度の規模で存在するかの確認だ。 状況によっては採掘作業は行わず、測量だけ終えて次の採掘場所に向かう」

 

 ボッシは指示棒を取り出して表示されたモニターの画面を指示した。

 周りが一斉にポイントを書き込んで、コウも一拍遅れてアンズの資料を見ながら同じようにペンを動かしていく。

 なおも説明は続けられていった。

 その声を聴きながら、図形をぼんやりと見ていたコウは段々と見方が判るようになってきた。

 岩山が円を描いて周囲を囲むように立ち並び、その中央の平地の外がシップ・スパイダルの留まる場所だ。

 平地部で地下に空洞があるのかどうかを、掘削時に障害になる者があるかどうかを精査し、まだ地図に載っていない部分をホーネットが道具を使って調べて行くのが目的のようだ。

 この平地だと思われる部分も実際には非常に起伏に富んでおり、状況に応じて勾配を均す作業を行う必要がある。

 問題の一つは平地部分にシップ・スパイダルが入り込むには些か入口が狭く、ホーネットでなければ入れそうにない場所だ。

 

「機材の移動はどうする?」

 

 ボッシの説明が途切れたところで、普段からは考えられないスヤンの鋭い声と顔。

 

「地形の関係上、シップが移動することは困難を伴う。 蜂に運んでもらうしかないだろう。 二人一組で機材を崖の上に持って行って運用する予定だ。

 何かしらのトラブルがあれば機材を放棄しても構わないが、極力持ち帰るようにしてくれ」

「クソミミズが出たら逃げろってことか」

「逃げずにひき肉になりてぇなら、止めないぜ~イアン」

「ははは、お前が囮になって助けてくれるってことかよ、そりゃいい」

 

 蜂乗り達が互いに顔を合わせて冗談を言い合って薄く笑い合う。

 ボッシが手を挙げると、すぐに全員の口が噤まれる。

 

「いいか、今までの作業と殆ど変わらないが、蜂の数が少ないのだ。 気を引き締めてかかれ。 先のは《土蚯蚓》という判り易い脅威だったが、トラブルはミミズ共だけとは限らない。

 特に機体の事故はそのまま命に関わる問題に繋がる。 点検を絶対に怠らず、相互に確認し、緊急マニュアルは作業前に必ず一度熟読しろ」

 

 シップに乗って大地を駆け巡っている限り、死亡者が出る事はある程度込みで予想されるのが常識だ。

 ホーネット乗りのパイロットの損耗率が最も高いが、シップが安全であるとも限らない。

 命がけの仕事なのは、どちらも同じだ。

 まだまだシップの運用とホーネットのノウハウの蓄積が十分ではない船乗り達は、経験から反省点、問題点を常に洗い出さねば生き残れない。

 今だけじゃない。

 後世の為にも、生きる術を伝えていく義務がある。

 

「これから四日、掘削作業前までお前たちには十分な時間がある。 出来ることはすべて行え。 スヤン、個別に指導するのは任せるぞ。

 いいか、全て生きてシティに戻る為の努力だ。 惜しむなよ…………艦長、何かあればよろしくお願いします」

「はい」

 

 ボッシに促されて、それまでずっと隣で座っているだけだったジュジュがおずおずと、立ち上がった。 

 コウはそこで改めて、艦長である彼女がこの場所に居たことに気付いた。

 どうも存在感を自分から出さずに引っ込んでいるように思える。

 音声補助チップの影響で彼女は非常に口が悪いのだが、その時に何となくだが、それだけが原因では無い気がした。

 

「シティを出る前に、私は約束しました。 全員で無事に戻ろう、と」

 

 喉の辺りを抑えて口を開いた彼女の言葉が、珍しく暴言の無い物となって滑り出る。

 

「残念ながら、達成することが出来ず怪我人を出してしまいましたが、立ち止まる訳にもいかない理由があります。

 全員で協力して、生きて帰る為にも、次の採掘作業では細心の注意をよろしくお願いします。 皆でシティに帰りましょう」

 異口同音に全員が彼女の言葉に肯定し、声をあげる。

 彼らの相槌に笑みを浮かべて、ジュジュはコウへと視線を向けてきた。

 

「コウ君は、特に気を付けてくださいね。 私、一番あなたを心配しているわ」

「は、はい、ちゃんと生きて帰ってくるっす」

 

 急に水を向けられて、上ずった声で返すとスヤンが楽しそうに口を開く。

 

「艦長、それって俺達はどうでもいいって言ってるみてぇだぜ」

「ははははっ、ひでぇな! 艦長!」

「なんだ、ヤケにモテるじゃねぇか、コウ!」

「なっ―――違うわよ、クソしか吐き出せねぇボケ共が! 煮立った脳みそ働かせる前にその口全部縫い合わせてもががっ」

 

 茶化されて声を張り上げたジュジュの口を、ボッシは流れるような手つきで塞いだ。

 

「艦長の"ありがたい"言葉を聞いたな。 解散だ。 自分の為すべきことを完璧にやれ、成果を期待する。 以上だ」

 

 まだもごもごと口を動かして暴れているジュジュを無視して、全員が席を立って退室していく。

 コウもまた、アンズに背中を押されて一緒に退室することになった。

 彼が仲間内にやり玉に挙げられて、ジュジュのようにからかわれたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 整備、点検。 正常な動きをするかどうかの確認は大事だ。

 過酷な環境下で稼働することから、手間暇とコストをかけて作られているホーネットや、その扱う道具はちょっとやそっとの衝撃で壊れる事はない。

 頑強性や耐久性、維持コストなどは真っ先に考えられて作成させるからだ。

 とはいえ、道具と言うのはどんなものでも使って行けば摩耗していく。

 使う度に廃棄できるほど資源が余っているわけでもない。 

 ある日突然、身の回りのものが壊れて使えなくなれば、困ってしまう。

 それが自分の命に直結るような物ならば、猶更だ。

 

「これがこっちに繋がって……あれ?」

 

 コウはホーネットの外骨格の内側から伸びるコードを引っ張って、艦外作業服に繋ぎとめようとしていた。

 冷風や暖房を送るための管である。

 同じようにコードを引っ張って取り付けたアンズが、コウに手本を見せるように手を振った。

 

「そっちは逆。 端子の向きを良く覗いて見て」

「ああ、ホントだ。 こっちね」

 

 身体の逆側にコードを持って行って付けようとするものの、背面に接着部がある為、なかなか上手く入らない。

 あれ? と口に出しながら力を入れ、接続部に無理やり押し込もうとするコウの頭にスヤンの一撃が飛んで来た。

 もう何十発と叩き込まれた拳だが、痛みにはまったく慣れない。

 

「いってぇ! もうすぐ叩くんだスヤンさんはっ!」

「遅ぇからだよボケっ! お前だけ終わってねぇぞ!」

「だって入らないんだこれ! ほらっ!」

「言い訳すんじゃ……っておい、端子の口を潰してるじゃねぇか! ばかやろっ!」

「痛ったああぁぁぁっ!」

 

 あー……と、呆れた声がアンズの口から漏れた。

 外は頑丈でも中身は電子と精密機械である。

 無理な力を入れれば簡単に壊れてしまう物だってあるし、冷風や温風を送るコードはその代表格だった。

 コウが無理に入れようと押し込んだせいで突端が潰れてしまったのだろう。

 付け替えるように命じられて、スヤンに工具を投げ飛ばされているコウを見つつ、本当に現場に出ても平気なのだろうかと不安になる。

 ホーネットの操縦技術は、長年苦労して身に着けたアンズから見ても、嫉妬を覚えてしまうほどコウは素晴らしいと思える。

 スヤンのスパルタ教育は、現在のシップの状況も一因だろうが、コウへの期待の裏返しにもアンズには見えた。

 操縦は熟達したパイロットすら唸るほどでも、仕事は素人、要領も見ていると決して良い方では無いけれど、取り組みは真剣だ。

 スヤンが構ってしまいたくなるのも分かってしまう。

 

「アンズ! 見て! つけれた!」

「ああ、うん、おめでと」

 

 ホーネットと作業服を繋ぐ、命を守るために最初に行うコードの扱い方。

 いわば、基本中の基本を達成できて喜ぶ姿は微笑ましいとも滑稽とも取れそうで。

 胸中複雑に思いながら、アンズはそっけなく応えて首を振ったのである。

 

 そして夜が明けて―――二つの恒星が大地を照らし始めた。

 

 蜂たちの仕事の時間が、再びやってきたのである。

 

 

 



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十三話 大地の宝石

 

 

 

 緊迫した空気が流れていた。

 窓から覗ける大地が急速に熱されて大気を白く染め上げている。

 闇夜は晴れて、灼熱の四日間が始まろうとしていた。

 蜂乗り達が全員すでに、ホーネットに乗り込んで稼働状態で蜘蛛の腹が開くのをじっと待っている。

 スヤンを先頭に並び立ち、コウも最後尾近くで一見すれば武器にも見えそうな道具を抱えて、出動の時はまだかと待っていた。

 ここから大地の海に飛び出せば、今はまだそこまでは上がっていないが、400度を越える灼熱に投げ出される。

 アンズとスヤンの二人には、数えきれないほどの注意すべき点を繰り返し教えられた。

 コウは、操縦はともかく初めての掘削作業で、うまく立ち回れるかどうか不安に包まれていた。

 

「……やるしかないっすね」

 

 失敗してもめげないで、頑張ってやるしかない。

 コウが人よりも自信があることと言えば、艦外機候補生時代に培ってきた操縦技術と諦めの悪さだけだ。

 他の人よりも、これだけは絶対に誰にも負けない自信がある。

 例え間違えても、失敗しても他の人よりも動いて動いて、動きまくって皆の力になるんだ。

 初心者のコウが出した答えは、精神論ともいえるそんな結論だった。

 

「艦橋だ。 クウル、繋がっているな」

『聞こえてるよ、問題なし』

「ホーネット各機体、返事をしろ」

『おっけー、来てるぜ』

『問題なし』

『大丈夫っす』

「結構だ。 後二分後に口を開ける」

 

 点呼を兼ねた通信の確認とテストが終わると、コウは眼を瞑って一度大きく息を吸い込んだ。

 既にホーネットが冷風を作業服に吹き込んでいる為、緊張から熱くなった頭を、肺に溜め込んだ空気が冷ましてくれたような気がする。

 誰かの、ハッチが開き始めた事を確認する声に、ゆっくりと眼をあけた。

 強風に煽られて土の煙を巻き上げる、乾き始めた大地が姿を現していく。

 それだけで温度差から視界は白く霞んで、小さな砂の粒子がヘルメットのバイザーに叩きつけられた。

 

『行くぞテメェらっ!』

 

 スヤンの声に、全機隊の出力が最大となって、けたたましく音を奏でた。

 それぞれが手に道具を持ち、次々に蜘蛛の腹から蜂が飛び出していく。

 コウもまた、彼らに遅れまいと砂の大地に身を投げ出した。

 瞬間、外骨格から熱波から身を護る冷却噴射が始まって、白煙に塗れる。

 電子レンジの中で無理やり氷を突っ込まれて冷やされているようだ、とコウは思った。

 

『ボーリング地点に移動する! 打ち込んで来い! コウ、お前はこっちだ! ついて来れるな!?』

『うっす! 余裕っす!』

 

 スヤンの指示で、作業が始まった。

 杭を持った機体とドリルで大地を穿ち始めた機体の出す音が響き渡る中、コウはスヤンの近くに寄った。

 コウの持っていたスコップを地面に置くように動作で指示され、素直に従う。

 

『ボーリングで出した個所にマーキングしていくぞ。 ポイントをアンズが出したら指示に従って飛んでいけ。 馬鹿でも出来る仕事だ。 アンズ?』

『判った、任せて。 コウ、私が誘導するからマーキングをお願い』

『了解! っと、わわっ!』

 

 応答直後、地面が振動する。

 電磁砲による榴弾が撃ち込まれて、穿った穴から火炎が噴出していた。

 このボーリング作業は《土蚯蚓》が存在する以上、必ず最初に行う作業だ。

 ボーリングの直下がすぐに大空洞になっている事すら、稀にある。

 だが、そうした危険性があっても行われるのは、最初に空洞の場所を割り出さないと採掘中の事故が絶えないからであった。

 最悪の場合は、この広大な大地な海で、シップを失うことになってしまう。

 それだけは避けなくてはならない。

 崩落事故で全員の命が失われた、なんて笑い話にもならないから。

 コウは揺れ動く機体を制御しつつ、空洞位置を割り出したアンズの声に集中した。

 

『いくわよ、南に三十。 南南西に四十四。 深度は九百七十メートル。 柔らかい場所だとホーネットが通っただけでも自重で崩落するから気を付けて』

『おっけーっす!』

 

 コウの機体が口頭と手を挙げて了解を報せると、起伏のある場所にも関わらず、大地を疾駆する。

 おそらく、この場に居るホーネット乗りでもスヤンくらいしか出せない速度で駆け巡った。

 水蒸気の白煙を立てて、土ぼこりを容赦なくホーネットは舞い上げる為、視界は非常に悪いが、コウ自身はそれほど苦も無く指定されたポイントに到達する。

 モニターにもアンズから指定された場所が表示されているので、視界の悪さはそれほど気にならなかった。

 

『おお、はえぇな、新人!』

『マーキングは辛いからなぁ』

『いやー、コウさまさまだな!』

『何遊んでやがる! 次はテメェらにやらせるぞ、喋ってないで機材上げろボケ共!』

『マーク!』

 

 雑談を交わしている通信を右から左に。

 コウは教わった通り、ホーネットの左腕に事前に装着しておいた特殊な塗料を噴出させる。

 赤や黄色が大地の埃と混じって空気を染め上げた。

 

『二つ目! 今の地点から北に十八! 東に五十一! 深度は1110! 横構造!』

 

 コウはひたすらにアンズの誘導でマーキングを行い続けた。

 再度、ボーリングの振動が反響し、精度を上げて何度も行われる。

 熱砂の中を駆けずり回り、念入りに地下空洞の位置を調べ続け、30か所のポイントにマークした時だった。

 スヤンからの通信が、コウの耳朶に響いてくる。

 

『おし、一度シップに戻って装備の換装するぞ! マーキング位置から測量範囲をシップが割り出すまで待機!』

『了解!』

『第一段階クリアね!』

『順調だな!』

『これからが本番だ、油断するんじゃねぇぞ』

『あー、喉乾いた』

『酒のみてぇなぁ』

『いいね、キンキンに冷えたビール。 くぅぅ、美味いだろうなぁっ!』

『おいテメェら! 飲みたくなるだろうが! 黙らねぇとぶっ飛ばすぞ!』

 

 ああ、最初の仕事が終わったのか、とコウは彼らの明るい雑談が始まってからようやく気付いた。

 ホーネットに取り付けられている簡易モニターに視線を落とせば、3時間が経過しようとしていた。

 そんなに長い時間、乗っていた気がしなかった。

 一瞬、とは言わないが、まだ始まったばかりのようにしか感じられなかったのだ。

 作業服の中は汗と細かい砂が入り込んで気持ち悪かったが、疲れも全くない。

 集中していたのもあるだろうが、時間の流れがいやに早く感じたコウである。

 

『コウ! 何してやがる! とっとと戻ってこいって言ってるだろうが!』

『あ、はい、すみません!』

 

 ミスらしいミスはしていない。

 やることが走り回るだけという、単純な物であったのは事実だが、それでもノーミスなのは間違いなかった。

 集合に遅れた、なんて単純な理由でスヤンに殴られるのはゴメンである。

 コウは出力最大でホーネットのほぼ全速力を出してシップへと戻った。

 が、全力全開で発着場に戻ってきたのが危険運転として注意され、結局コウは頭をひっ叩かれた。

 一時間ほど休憩と、今後の作業内容に時間を割き、ホーネットの装備を換装して再び大地の海へと蜂が飛ぶ。

 作業は途端に忙しくなった。

 平地部を走り回るだけではなく、今度は岩山を登っては降りての上下の運動まで加わった。

 何せ数十メートル、場所によっては百を越える高低差のある崖っぷちを、ホーネットの機動制御一つで飛ばねばならない。

 しかも、道具を運びながらだから余計に神経を使う。

 当然だが、命綱のようなものはない。

 ホーネットは短時間の滞空は可能だが、空を飛べるほどの出力は出ない。

 腕部に装着された鉤爪を岩肌に引っかけながら登る必要があった。

 ボーリング作業では雑談に興じていた面々も、集中が必要なためか寡黙になり、コウの通信機から聞こえる音声は、荒い息遣いと仕事上で必要な短い応答だけである。

 ホーネットの挙動に慣れてきていたコウもまた、少しだけ疲労感を感じる大変な作業だった。

 余裕があるのはソナー員として各種センサーを監査しているアンズと、全体を指揮しているスヤンだけだろう。

 崖を上っている途中に立ち止まって、機体を器用にコウへと向けるスヤンを眼で追った。

 

『コウ』

『なんすか?』

『見てみろよ』

『え?』

 

 スヤンが道具を持っていない腕を動かして、コウはその機体の動きに合わせるように首を巡らした。

 思わず飛び込んできた景色に感嘆の声を上げる。

 

『うわぁ……すっげぇなぁ……』

 

 この星で目覚めた直後に見たような、雄大な景色だった。

 二つの恒星が輝いて、黄土色の大地からは白い噴煙が上がっていた。

 何よりもコウを感動させたのは、見渡す限り広大な、遠く地平線まで続くキラキラと白く輝く絨毯が敷かれている様に輝きを放つ大地だった。

 まるでダイヤモンドを地面に敷き詰めたような景色だった。

 凍り付いた大地が溶けていく時、この時間帯にだけ見られる、この星では何てことの無い一幕なのだろう。

 それでもコウにとっては、見惚れるほどに美しい物に思えたのである。

 

『はっ、この糞ったれな世界にしちゃ、まともな景色だろ?』

『うん……なんか、ホント、ここって惑星なんだな……』

『へっ《祖人》の連中は皆そう言うぜ。 夜が明けて最初の半日くらいだけ見れる景色も、見慣れるとつまらねぇもんだ』

『あはは、でも俺、この景色は好きになれそうっす』

『ちょっとスヤン。 早く進んで! 後ろが詰まってる!』

『ありゃ、怒られちまった。 行けるか、コウ』

『もちろん! まだまだ行けるっすよ! バリバリっす!』

 

 肩を竦ませて舌を出しながら、スヤンに促されてコウは力強く答えた。

 ちょっと疲れて来たかなってとこで元気を貰ったような気分だった。

 多分、というよりも間違いなく、スヤンが眼にかけてくれていたのだろう。

 心の中でスヤンに感謝しつつ、崖の上を活発に走り回る一機の蜂の姿が、その後も見受けられるのであった。

 

 

『なぁ、スヤンさん。 ホーネットに飲料って持ち込めないの?』

『なんだ、ヘバったか? コウ』

 

 測量図を作る為に飛び回っていた蜂たちが、その日の作業を終えてシップの迎えを待っている時だった。

 コウは単純な疑問をぶつけてみた。

 本日の作業の合間に喉が渇いた、という仲間たちの声を何度か聞いていたから。

 

『別にへばっては無いけど……ただ、気になって』

『基本的に飲料は、沸騰してしまってすぐに無くなってしまうから外には持ち出さないわ』

『アンズの言う通りだ。 昔は冷凍庫のような物を作って外に一緒に引っ張り出す案もあったんだがな』

 

 冷却に必要なエネルギーを生み出す為に、どうしても大型化が避けられずに断念することになった。

 ホーネットでの運搬が難しく、シップを付ける必要がどうしても出てしまったからだ。

 そこまでシップが近いなら、いっそ戻ってしまった方が手間がない。

 何よりも外に持ち出す為に苦労をするくらいなら、一刻も早く業務を終える為に作業を効率化した方が速かったというのもある。

 

『一応、作業服の中に入れれば、少しは持ち込めるけどね』

『まぁな……だが、おススメはしないぜ。 どうしても作業中の身体の動きを阻害しちまうからよ』

『動きずらくなると困るのは自分だからなぁ』

『そうそう、ハモンドの奴がずっこけたのは傑作だった』

『うははは、アレなぁ』

『そっかぁ、じゃあしょうがないのか』

 

 口ではそう納得したものの、コウはそれでも、喉の渇きというのは集中を妨げるものだと思っている。

 《リペアマシンナリー》で失敗した時も、飲料が無ければ死んでいたかもしれない、という事故を起こしたことがあるのも関係していた。

 後で戻ったら、作業服の中に水を持ち込む方法を考えてみよう。

 遠くから六本の足を器用に動かして近づいてくるシップを眺めて、コウはそんな事を思っていた。

 

『いやぁ、いつ見ても滑稽だな、うちの船は』

『あら、頼もしい姿じゃない』

『あはは、まんま蜘蛛だもんなぁ。 なんか、飛んで来そうっすね!』

『へぇ? 蜘蛛って飛ぶのか?』

『え、跳びますよ? 知らないんすか?』

『おう、俺達は本物の蜘蛛なんて見た事ないからな』

『ああ……そういう……』

 

 コウの言葉に周囲のホーネット乗り達は不可思議な顔を向けてきた。

 彼らは蜘蛛の姿は実際に見たことは無く、資料で見て知っているだけなのである。

 実際の生物として蜘蛛を見たことが在るのは、コウだけだった。

 なんとなく不思議な気分になった。

 じゃあこのホーネットを蜂と呼んでいたりするのも、ただ姿形が似ているからってだけなのだろうか。

 きっとそうなのだろう。

 彼らは確かに自分とは違う、この星で産まれた人達なんだ。

 ちょっとした雑談だったが、そこでようやくコウは彼らとの違いというものを理解したような気がしたのであった。

 

 蜘蛛がのそりのそりと脚を動かして、大地を震わせる。

 立ち昇った蜃気楼に揺られながら、蜂たちはそんな自分たちのホームを、じっと眺めていた。

 

 

 

 



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十四話 蜘蛛の母

 

 

 

「お疲れ様。 何を見ているの?」

 

 シップの中に設けられた、地球の環境を模したであろう休憩場。

 迎えられたシップに飛び込んで、砂と埃を水で落とし、さっぱりとしたコウは吸い寄せられるようにこの場所に来てしまった。

 芝生の上で左手を上げぼんやりと端末を見上げていたコウの視界に、ジュジュの姿が過る。

 

「あ、ジュジュ……じゃなくて、艦長」

「ジュジュで良いわよ、コウ君」

「そう? なら今まで通りジュジュって呼ぶよ。 なんか、こう言っちゃ悪いけど、年上って感じがしないもんな」

「あはは、ハッキリ言うね、君は」

「まぁまぁ。 で、見てたのはコレだよ。 ほら」

 

 そう言ってコウが見せたのは、唯一の私物と言っても良い、左手に装着している個人端末であった。

 ジュジュが視線を向けて、首を傾げる。

 

「端末だよ。 見たことない?」

「そういえば、シティの展示室で似たようなものが在ったような……個人用でしたっけ?」

「それそれ。 結構便利で、大概の事はこれで調べ物が判っちゃうんだぜ。 宇宙での若者の必需品!」

 

 千年前の物だけど、と苦笑しながらコウは教えてあげた。

 コウが端末を起動したのか、何も無い空間にウサギや鳥のような愛嬌のある紳士服を着込んだ動物たちが浮かび上がって一礼してくる。

 コミカルなステッキを持ったアライグマが音楽会の指揮を取るような仕草をすると、虚空に様々なデータを取得した映像が浮かび上がった。

 

「かわいい!」

「はは、これただの電源が立ち上がった時に出る娯楽映像だぜ」

「そうなの? でも、素敵ね」

 

 物珍しそうに好奇心にかられ心惹かれるジュジュだったが、一つ咳払いしてぐっと我慢すると本来の用件を切り出した。

 コウも居住まいを正した彼女に、端末の電源を切って目を離す。

 

「それより、地形図のデータの更新をしておいて下さいね。 これが更新元。 この休憩場の端の方にも端末があるから、そっちでよろしくお願いします」

「あ、うん。 ありがとう」

 

 初仕事を終え、翌日作業も無事に完遂し、いよいよ明日からは掘削作業に入る。

 そんなコウの隣に腰を下ろして、彼と同じように芝生の上にジュジュは寝転がった。

 クリーム色の腰まで伸びた髪が、ふわっと中空に浮かんで、甘い匂いがコウの鼻孔をくすぐる。

 柔らかい物腰と灼熱の惑星においては目立つ、美しいくらいに白い肌。

 人形のように整っている顔立ちは、コウも見惚れてしまうくらいに可愛らしい。

 眼を閉じて両手を広げて芝生の上で伸びをする彼女に、コウは笑った。

 初めてみた時からそうだったが、彼女が艦長だとは思えない。

 

「はは、シップの艦長がそんな格好してていいのか?」

「良いの。 今は休憩中だもの。 しみったれた事を言うなよ」

 

 こうして一緒に居ると、彼女は自分と同い年くらいに思えてしまう。

 実際の年齢は4歳も年上だから、お姉さんなのだが。

 けれど、これだけ若いのに厳しい環境の星で、貴重であろうシップの艦長と言う重職についている事は、並大抵の努力ではなれまい。

 コウと違って頭も良いのだろうし、きっと身分も高い人なのだろう。

 だらっとした姿を見ていると、普通の女の人だから、余計にギャップがすごい。

 

「やっぱ艦長って大変そうだよな」

「大変かぁ……」

 

 ジュジュは自重する様に薄く笑ってそう言った。

 意味深な、少し沈んだようにも思える笑みを浮かべて、彼女は口を開いた。

 

「艦長って言っても、私は名ばかりの鼻たれのガキよ、ケツ丸出しで神輿に乗ったようなクソ野郎ってところね」

「う~ん……ジュジュの言ってることは難しいっすねぇ……」

「もう、すぐこうなるんだからっ!」

 

 自分の喉を抑えて頬を膨らますジュジュに、コウは苦笑する。

 この程度の言葉遣いは、もう慣れてしまった。

 自分でもどうかと思うが、今では汚い言葉で罵ったようなセリフをぶつけられる方が、ジュジュらしくて良いとさえ思ってしまう。

 

「ジュジュ、別に俺は大丈夫だよ。 もう慣れたっす」

「……ありがとう……まぁ、それはそれで複雑なんだけど……えっと、あ~あ~……話を戻すけどコウ君から見て、ボッシさんってどう思います?」

「ボッシさんスか?」

 

 尋ねられたコウは頭の中で彼を思い出してみた。

 いつ見ても無表情で、むっつりとした顔に黒い帽子。

 浅黒い肌に鷲鼻と、厳つい顔に一文字に結ばれた口。

 このシップ・スパイダルの中では最年長で、44歳と聞いた。 コウから見れば父親と同年代のオジサンだ。

 決して本人の前ではこんなことを口走れないが、それでも彼が気配りが上手な優しい人だというのは、ジュジュを見ていれば判る。

 何かにつけて気配りをしてくれるし、ジュジュの傍で判断を下すのは彼の役目だった。

 

「優しい人っすね、不愛想ですけど」

「ふふ、そうね。 でもね、言いたい事はつまり、艦長は本来は彼が担うべきなのよ」

 

 あー、とコウは上半身を起こしながら頷いてしまった。

 初めてクウルに案内された時に、同じような事を思っていたのを覚えている。

 単純に見た目だけでもそうだし、今となっては彼女が言わんとしている事も何となくわかる。

 ジュジュはコウに合わせて身体を起こして、芝生を指で遊びながら続けた。

 ボッシとの関係は、彼女の両親と深い親交があって家族ぐるみの付き合いからだという。

 元々、ボッシはシップの艦長、そしてホーネット乗りとして若い時分から灼熱の大地を駆け巡っていた。

 その出資者は、ジュジュの両親だった。

 長らくその関係は続いたのだが、ある理由からジュジュの両親を乗せて採掘に出かけることになったのだ。

 そこで、事故は起きた。

 ボッシのシップは地下の大空洞へと消えていき、その事故で生き残ってシティに戻る事が出来たのは―――

 

「それって」

「うん、私は両親を失って、残ったのは……ね」

 

 シップ・スパイダルは彼女の両親が残した遺産を費やして作られた船だ。

 最初にこのシップに搭乗員として名前が載ったのはボッシである。

 蜘蛛の船を作ると決めた時に、ジュジュはボッシを艦長へと据えるつもりであった。

 自然な判断だ。

 豊富な経験と実績があり、灼熱の大地を駆けまわるシップのリスクも承知して、ホーネット乗りとしてもシティでは有名な彼が艦長になるのが筋だと思った。

 だが、ジュジュの事は何でも聞いてくれるボッシだったが、この船の艦長になることだけは徹底して首を横に振り続けた。

 ジュジュが艦長でなければならない、と。

 

「だから、私なんて本当に座ってるだけなのよ。 もちろん、勉強はしたし自分でも出来ることはやっているつもりだけど……ボッシさんが居なくなったら、何も出来ない艦長なの」

 

 そこでジュジュは首を振って言葉を切った。

 誰かに話を聞いて貰いたかったのだろうか? それこそ《祖人》として乗り込んだ何も知らないコウに、愚痴を零したかったのか。

 それはそれで、彼女の気晴らしが出来るのなら良いか、と受け流す。

 コウは頭に両手を合わせながら立ち上がり、人口池のほとりへと近づいていった。

 本物かどうかわからないが、魚影が見えて思わず視線で追って行く。

 芝生に座り込んだ彼女は、そんな彼の背を見ながら。

 

「実はね、君がここに居るって聞いて、お礼を言いに来たの」

「礼?」

「そう」

「別に、何にもしてないっすよ」

「その謙遜は嫌味か何かか糞ったれ。 《土蚯蚓》に襲われて陰気なアホ面ぶら下げて、暗いじめついた雰囲気を払拭してくれたのはテメェで……私じゃあない」

 

 彼女の言葉は真実だった。

 採掘も予定通りに進み《祖人》の回収まで出来たシップ・スパイダルの行程は、初航行にして最高ともいって良い滑り出しであると断言できる。

 成功ばかりを重ねて、浮ついた空気が蔓延していた。 クルーも、ジュジュもだ。

 災害と同じ扱いである《土蚯蚓》の襲来は、計算のできない場所で起こる物だが、シップの搭乗員にとっては大きな冷や水となったのは間違いない。

 そんな鬱屈とした空気をぶち抜いたのがコウである。

 《土蚯蚓》という驚異を知って、更にその事件を間近で体験したにも関わらず、進んでジュジュへとホーネット搭乗の許可を求めて走り回っていたのだ。

 常識的に考えて、許可が出ないと言う事が分かっていてもめげずに、何度も何度もジュジュの下へと頭を下げに行く。

 コウにとっては惑星ディギングで出来ることをと思って必死だっただけなのだが、その彼の溌溂とした行動と光景はシップの搭乗員達に元気を与えていた。

 ホーネットに乗るための試験を受ける時に出来た人だかりは、その辺も関係していたのである。

 笑いに来ただけではない、応援もしっかりと込められていたのだ。

 喉を抑えながら彼女は言った。

 

「だから、ありがとう。 前を向ける勇気をくれたのは、きっとコウ君のおかげよ」

「なんか、良く分からないけど、皆の役に立てたなら良かったっす」

 

 膝を曲げて座るジュジュは、コウの声に笑顔で頷いた。

 が、次の瞬間、ジュジュのもとまで走ってくると、彼はその場で同じように膝を曲げて目の前に屈みこんだ。

 突然目の前にコウの顔が近づいて、思わず身を引いてしまう。

 

「な、なに!?」

「あのさ、ジュジュは艦長なのが嫌なのか?」

「え?」

「嫌じゃないなら、やっぱり俺もジュジュがこのシップの艦長だと思うよ」

「う、うん、嫌じゃないけど……」

「じゃあ問題ないって。 俺がホーネットに乗ることが出来たのもジュジュのおかげだし、皆が元気になったのもジュジュが俺を邪険にしないで構ってくれたからだしさ」

 

 そこで一つ区切って

 

「逃げることなく、真っすぐにめげず、立ち向かった人にだけしか踏めないスタートラインがあるんだ」

 

 彼女がシップ・スパイダルの艦長になるまで、様々な事があったのだろう。

 少しだけ話してくれた中でも、きっとコウには想像も出来ないあれこれが詰まっているに違いない。

 そこには絶対にジュジュの意思もあるはずで、納得していないのなら別だが、彼女はこうしてシップ・スパイダルの艦長の役職を担っている。

 ボッシに促されたとしても、それしか道が無かったとしても、ジュジュは自分の意思で選んだはずだ。

 この厳しい環境の星で、大地を疾駆するシップの艦長になるために何が必要かなんて、コウにはまったく分からないけれど。

 そこには少なくない努力の後が、必ずあるはずで。

 

「諦めなかった人だけが立てるスタートライン。 ここまで来たのに投げ出しちゃ、勿体ないっすよ……まぁ親父の受け売りなんですけどね、この話」

 

 艦外機《リペアマシンナリー》の候補生になったばかりの時に、トラブルばかりで落ちこぼれだと周りから笑われて沈んでいた時、短くかけられた父親の言葉が印象に残っていた。

 自分の言葉では上手く言えそうにないので、そのまんま転用してみたのである。

 ジュジュはそんな彼を見て、吹き出しそうになってしまった。

 最後まで隠していれば、感動していたものを台無しである。

 なんとか次の言葉に繋げようと、コウは立ち上がって首をひねりながら周囲を回り始めた。

 少し意地の悪い思考が働いて、彼がどんな言葉を掛けてくれるのか期待をして黙ってみていることにした。

 コウは頭を掻いてから

 

「あ~つまりっ、俺もジュジュが、この蜘蛛の母ちゃんじゃないと嫌だなって思う!」

 

 コウが言い終わると、ジュジュの顔が地面に向かって下り、肩を震わせ始めた。

 その仕草が酷く落ち込んでいる様に見えて、コウは焦ってしまう。

 

「えっと、ほら。 ジュジュは一番偉いし、なんていうか、こう、もっと色々遠慮なしに言っても良いんだよ。

 いっそ、喉を抑えるの止めて思うままに喋ってみたら良いんじゃないか?

 スヤンさんなんか、毎日偉そうに怒鳴って来るし、頭にコブが出来るくらい殴りかかってくるんだ。

 ジュジュだって、自信を持ってアレくらいやったって良いんだと思うし。 それに~~~あ~~~」

「ぷっ、くっ……あは、あははははははははっ」

「うわっ! なんすかいきなりっ!」

 

 爆笑だった。 よほどツボに入ったのか、腹を抑えて芝生の上で転げまわっている。

 スカートが捲れて際どい角度なのだが、それすら気付いても居ない様子だ。

 コウは落ち込んでいると思っていた彼女を励まそうと一所懸命だったから、余計に呆気に取られてしまった。

 ついに、ジュジュは地面を拳で叩きつけ、ひーひー言い始めてコウの事を指でさしてくる。

 人間、笑顔を目の前に突き付けられると、釣られて笑ってしまう物だ。

 コウも元気になってくれたのなら良かったと安堵した部分もあって、一緒になって笑い声を上げ始めた。

 休憩場を通りかかった搭乗員が、大声で笑い合うコウとジュジュの姿を認めては、なんだ何時ものコントか、と華麗にスルーしていく。

 

「あー~~、もうっ、死ぬほど笑ったぁ、腸がねじれて口から臓物が吐き出そうだわっ!」

「ジュジュのせいだろぉ」

「うん、ごめん」

「良いって、ジュジュが元気になったなら、笑われる位なら何度もでも付き合うっすよ」

 

 乱れた衣服と居住まいを直し、座り直した彼女は目尻から零れた涙を指先で拭って頷いていた。

 コウはそんな彼女に拳を突き出しながら笑った。

 

「俺も一流のホーネット乗りになるから、ジュジュも立派な艦長目指して頑張ろうぜ。

 きっと誰もがなれるって訳でもない、艦長になれたんだからさ」

「うん、そうね。 せっかく立てたスタートラインだもの、ふいにしちゃ勿体ないわね」

「そうそう、ボッシさんみたいな人にはすぐになれないだろうけど、だからこそ見返してやるくらいになろうぜ」

「……ありがとう」

 

 ジュジュは長い髪を揺らして、笑顔で拳を作り、コウの手にこつんと当てる。

 その笑顔を見れただけでも、コウにとっては励ました買いがあったと思える。

 整った顔立ちに見つめられて、気恥ずかしさを感じ、ことさら勢いをつけて立ち上がった。

 

「えっと、じゃあ俺はそろそろ部屋に戻るよ」

「ゆっくり休んでね。 データの更新を忘れないように」

「了解! じゃあ、またなジュジュ」

 

 そう言ってコウは手を振りながら踵を返した。

 姿が消えるまで見送って、ジュジュは膝の上に落とした手を握り込んだ。

 コウの言葉を思い出すように眼を瞑って。

 やがてゆっくりと眼を開けて、周囲を見渡した。

 連れ立って歩くクウルとメルが、通路の奥からちょうど顔を出して。

 芝生の上で寝転んで眠っているコックが鼾をかいていた。

 ゴミの回収を行ってる青年が、女性に怒られていて。

 池の中の魚が飛沫を上げて外に飛び出した。

 

「よしっ!」

 

 自分に気合を入れるように一つ声をあげ、頬を叩くとジュジュは立ち上がって伸びを一つ。

 ボッシが詰めている艦橋に向かって、作業の引継ぎを行うために艦橋へと向かった。

 そう、この航行が終わっても自分がシップ・スパイダルの艦長であると、胸を張って言える様になる為に。

 スタートラインはここから。

 ジュジュはしっかりと前を向いて歩いて行った。

 

 

 

 



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十五話 資源が糧

 

 

 

 惑星ディギングを駆け巡るシップの役割とは、シティでは得ることが難しい天然資源を得ることが主要な目的である。

 新たなシティの建設が可能な候補地の選定など、人類の生存圏を広げるための役割なども担っているが、最も重要なのは資源確保だ。

 これまでに鉄や銅などに代表されるベースメタルと呼ばれる鉱物資源や、硫黄や水素といった天然ガスを含む大気資源が得られることが判っている。

 これらを大量にシティへ持ち帰り、太陽光以外のエネルギー源の確保と物資の生産をするのだ。

 宇宙移民船に備えられた、生きている生産プラントは多様な資源を物資に変換し作成することが可能であり、リサイクルも高効率で行う事が出来るのだが、それだけでは限界がある。

 だから、危険だと分かっていても艦に乗って大地の海を駆けているのだ。

 ホーネットによる採掘は地下深くまで資源を求めて掘り起こす。

 事故の例はそれこそ多様で、空気中の水分が酷寒により固められ、氷塊となったものが溶けた水が泥を作り、生き埋めになった例もある。

 地表は乾ききっても、掘り進める中で沸騰した水が間欠泉のように吹き出て、ホーネットが高高度まで飛ばされる事もあった。

 そして今、コウ達が採掘を始めた場所から出土したのは火成岩だ。

 地下深くで熱せられて形成され《土蚯蚓》によって表層まで運ばれてきたのだろう。

 火成岩はダイヤモンドなどを含む鉱物資源にあたる。

 ボーリングを行った平野部から、シップの全面にあるアームバケットで大きく穴を広げ、その後にコウ達が乗っているホーネットが大量の土砂を運搬していった。

 コウは作業知識が乏しいので、土砂の運搬をひたすら続けている。

 単純な作業ではあるが、仲間たちが生き埋めにならない為にも運搬作業はとても重要な項目だ。

 ホーネットの採掘作業には効率が求められるので、なんとも忙しい。

 土砂運びだけとはいえ、手の空いている時は道具を持ってくるように命令されることも多々ある。

 知識不足からか道具を間違えて持っていくこともあるので、上り下りを何度繰り返したのか分からないほどだ。

 コウはホーネットの挙動はもう意識しなくても出来るレベルに洗練された。

 シップが待避している地上まではおおよそ40メートルほどだ。

 らせん状の穴にホーネットが歩ける道を作りつつ、地下へと潜り続けてようやく目的の資源にありつけた。

 4時間以上も土砂を運搬していて疲れてきたところに、ついに現れたのが岩肌の色が違う火成岩であったという訳だ。

 設置された大型の光源によって照らされた岩を見ながら、コウは息を吐いた。

 手首にはめている個人端末から、作業から4時間半の経過を報せる電子音がなった。

 ちょっと違う色の岩だな、という感想しか出てこなかったが、コウ以外の人たちは違う感想を抱いていたようだった。

 

『あたりですね』

『いやぁ、これだけ大きいのはそうそう見ないな!』

『出土量も相当だろう。 儲かるなこりゃ』

『スヤンさん、少し削ってシップに成分の解析を頼みますね』

『そうだな、コウ。 インパクトハンマー持ってこい』

『あ、了解っす!』

 

 岩の表面をホーネットの機体で叩きながら、スヤンの声が飛んでくる。

 目的の資源を得る段階まで来たからか、彼らはどこか浮ついた雰囲気で明るい表情をしていた。

 穴掘り作業中には中空を待っていた高濃度の粉塵が視界を妨げていたが、目的の物が見えたからか掘削作業は落ち着いている。

 水蒸気に土煙にと、晴れる事の無かった視界が開けて、開放感を感じるくらいだ。

 削り取った穴道の脇に作りだされた道具の置き場に辿り着く。

 此処にはシップとの連携を取る為に通信で使っているアンテナも設置されて、すぐ近くにはアンズのホーネットの機体があった。

 

『コウ、どうしたの?』

『インパクトハンマー持ってこいって。 えっと……』

 

 そう言ってコウは土埃だらけのヘルメットのバイザーを左手で撫でた。

 水気に張り付いて、泥の線が無数にバイザーの後に残る。

 何度も擦って視界をクリアにすると、乱雑にまとめられた様々な掘削道具を、眼を細めてじっと見つめる。

 この掘削に使う道具もコウは任されていたのだが、忙しくて放り出したのもあってゴチャゴチャだった。

 

『え……どれだ?』

 

 コウは黙ってホーネットを動かしながら道具を持ち上げたり、降ろしたりを繰り返した。

 バイザーから覗くコウの視線が右に行ったり左に行ったり。

 確か一度使って持って行ったから、形状は何となく覚えているが記憶と合致する物が見当たらない。

 ホーネットの両肩に設置されてるライトを小刻みに動かして照らしてもみるが、どこにも無かった。

 鋼鉄の塊をどかしては降ろし、鉄が地表を打ち付ける音が鳴り響く。

 水蒸気の白煙がときおり噴出し、目の前を白く染めて行った。

 そんな、どう見ても迷走しているコウに気が付いたアンズは、モニターから目を離して眉を潜める。

 

『コウ、うるさい! 気が散る!』

『ご、ごめん!』

『ちゃんと教えたでしょ! 早く持って行かないとスヤンに怒られるからね!』

『分かってるよ!』

 

 意気良く返したものの、インパクトハンマーが見つからない。

 ていうかもう、記憶にあった形状すら朧げとなって自信がなくなった。

 金属の塊にしか見えない道具が沢山ありすぎて、一か所に集められていると何が何なのか混乱してしまう。

 今日一日だけでも、作業道具の運搬を繰り返してる中で観測作業を続けているアンズには何度も教えてもらっている。

 流石に聞き直すのは気まずさが勝る。

 

『―――……い! まだか! ……ろ、馬鹿野郎! 聞いてん―――』

『今行くっす! すぐ行くっす!』

 

 掠れたスヤンからの怒鳴り声が耳朶に響いて、コウは焦った。

 行くとは言ったが手ぶらで戻る訳にも行かない。

 そんなことをしたらシップに戻った時に拳の嵐が待っていることだろう。

 それは嫌だ。

 熱された作業服の中から汗とは違う何かが噴き出てくる。

 

『アンズ――――通信……定してねぇ。 アンテナ―――』

『判ったわ。 中継用の場所を作っておいて。 艦橋』

『通信オーケー。 アンズ?』

『問題?』

 

 アンズの声に応えてシップのクウルとジュジュの声が聞こえてくる。

 ここで使っているアンテナは掘削するホーネットとシップの通信を繋げている物だ。

 地下深くに掘り進むと、電気振動の起こす周波が捉えられずに通信障害を起こす。

 その問題には中継地点を作ってアンテナを都度建てる事でしか、今のところ対処法が見つかっていなかった。

 ホーネット同士、或いはシップが近くに居れば、個別での通信は可能だが。

 

『一本アンテナを建てに地下に潜るわ。 一時的に《土蚯蚓》を捕捉できなくなるから、そっちで監視して欲しい』

『シップ了解。 アンズ、気を付けてね』

『ええ……コウ! アンタ、さっきから何遊んでるのよっ!』

『アンズ! ゴメン! どれか教えてくれ!』

『もうっ! しっかりしてよ!』

 

 シップとの通信中も右往左往していたコウは、結局アンズに頼った。

 機械の指で指示された道具を、コウは急いで掴み上げる。

 

『これか! うわっ!』

『きゃああっ!』

 

 途端、岩盤を穿つ大音響が洞穴の中に響き渡った。

 僅かに穴が振動し、地面が揺れる。

 粉塵が舞い、耳障りな電子音が耳朶を打って、コウの機体が反動に押されるように膝から転んだ。

 鉄の塊が打ち付ける音が響いて、ようやく音が鳴りやむ。

 

『―――何の音だ!?』

『っ、すんません! 握ったら機械が作動しちゃって!』

『もうっ! びっくりさせないで!』

 

 アンテナを右腕で抱えながら、アンズの機体がコウに近づいた。

 インパクトハンマーは取っての部分に起動装置がついているらしく、コウは新調に鋼鉄の杭の部分をホーネットの両腕で抱え上げ、立ち上がる。

 

『コウ、怪我はなかった?』

『大丈夫、機体も特に……うん、平気だ』

 

 一つ安堵の息を吐いてから、アンズはバイザー越しにコウの表情を見やった。

 泥塗れの作業服とヘルメットから覗ける表情には、普段の快活さがまったく見えなかった。

 訓練を受けていても、人間である以上はミスが出る。

 いちいちヘコまれても困るのだ。

 

『コウ、行こう』

『あ、ああ』

 

 励ましの言葉はいらない。

 アンズも訓練生だった頃は、失敗を重ねて学んで来たから。

 ホーネットに乗り始めたのは、たったの三日。

 作業を行ってるのも、同じ三日間だけだ。

 コウを責めるほど自分だって熟達している訳ではない。 

 こうして一つの作業の中で、仕事を覚えて行くしかないのである。

 

 

『あ、きたきた』

『コウ~、シップまで戻ってたんじゃねぇだろうな~』

『アンズと遊んでたのか?』

『ウハハハハ』

『す、すいません!』

 

 来た道を戻り、穴の中に入るとスヤンの機体が腕を組んで待っていた。

 出土した火成岩周りは綺麗に掘り刳り貫かれており、スヤン以外のホーネットがその周辺に屯するように座り込んでいる。

 どうやらコウが遅すぎて、休憩していたようだった。

 

『まぁ、今はいい。 後で覚悟しとけよ、コウ』

『うわちゃあ……やっぱりかぁ!』

『ハハハハ、しょうがねぇな、コウ』

『スヤンさん、手加減してやってくれよぉ。 コウが壊れちまう』

『何時も俺は優しく手加減してやってんだろうが』

『そうでしたっけ』

『嘘っす! スヤンさんはいっつもコブが出来るまで叩くんだ!』

『ああ? テメェ、本気で殴られてぇのかおい。 判った、今度はコブじゃ済まねぇぞ』

『ウハハハ、いやぁ冗談っすよ! スヤンさんほど優しい人はいねぇ! 皆も知ってるよなぁ!?』

『あはははは』

『ふふっ、アンテナ、設置するわよ』

 

 アンズの声に各々の返事がまばらに返ってくる。

 スヤンがその様子を見ながら、インパクトハンマーを持って突っ立っているコウに視線を投げた。

 

『コウ、お前やってみるか?』

『え、いいんすか?』

『良いも悪いも、やってみなきゃ覚えられねぇだろ。 お前は特にな』

『うん、俺、やってみたい』

 

 とはいえ、かなりの長時間ホーネットが稼働している状態だ。

 出力の差や作業に携わった機体によっては、そろそろエネルギーの方も心配になってくる頃合いだった。

 

『アンズのアンテナ設置が終わったら、一度シップに戻って休息を取るぞ。 それから採掘だ。 良いな』

 

 スヤンの指示に、周囲のホーネットの出力が上がったのか、機械音が響き始める。

 鋼鉄の蜂たちが、唸りを上げて穴の中から飛び立っていった。

 

『スヤン、設置完了したわ』

『アンズ、通信のテストしとけ。 問題なけりゃ引き揚げだ。 コウ、ハンマー置いて先に戻るぞ』

『了解!』

 

 コウは丁寧にインパクトハンマーを地面に置くと、先ほどまで消沈していた意気が上がるのを感じた。

 新しい事を学び、試すことができるのは、やはり楽しみを抱いてしまう。

 コウはシップに戻る最中、早くも次の掘削作業が始まらないかとワクワクしていた。

 我ながら単純だなと思うも、やはり心に嘘はつけない。

 自然と顔を上げて、穴蔵に差し込む光に眼を細め、コウは無意識に笑みを浮かべていた。

 

 

 



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十六話 掴んだ手

 

 

 

 ホーネットの充電も終わり、休息も万全に整い、いよいよ資源の採取が始まった。

 各種データもシップとの連携が出来ている。

 出土した火成岩は良質で、しかも大量だ。

 たっぷりと30分以上もかけて、安全を確保すると、スヤンがコウのホーネットを促した。

 使い方は、図らずも道具置き場で誤作動させて判ってしまって居る。

 突端につけられた金属の杭が、取っ手を握り込むことで稼働し、超高速で弾き出されるのだ。

 ドリルと違ってずっと構えている必要はなく、単発式。

 杭が飛び出す衝撃で、削り飛ばすか、穴を穿つ役割をもっている。

 スヤンに細かい注意点を受けながら、コウは巨大な火成岩に向かってインパクトハンマーを構えた。

 そして、この時に気付く。

 発着場のテストを受けた時に、奇妙な踊りを真似させられたこと。

 それは採掘作業で使う道具の構え方や、機体制御、反動の抑え方などを疑似的に真似た物をやらされていたのだと。

 

『コウいいぞ、角度を鋭角にしすぎるなよ。 自分の方に飛んでくるぞ』

『分かりました!』

『ハンマーの衝撃は凄いぞ。 スヤンさんが抑えてくれるけど、自分でも踏ん張って制御しろよ』

 

 スヤンとは別の仲間からの声に、コウは首を縦に振って応えた。

 周囲にスヤン以外誰も居ない事を確認してから、コウは火成岩へハンマーの引き金を勢いよく引いた。

 ガァンッ、と硬質な音と衝撃が響き、穴の中が僅かに揺れた。

 杭は岩の横面を猛烈に叩いたが、僅かに表面が削れただけである。

 

『かったいですね、これは』

『コウ、何発か打ち込んでみろ。 イアン、爆破になるかもしれねぇから準備しろ』

『了解!』

『わかりました!』

 

 角度を確認、周囲の安全を確保。

 杭を表面に当てて、岩を穿つ。

 位置を変え、場所を変えてコウとスヤンは火成岩にハンマーを当てたが、6回ほど試しても表面をなめるだけだった。

 スヤンが生身の腕を振って、コウに中止の合図を出す。

 たった数回、道具を使った初めての作業に、コウの息は切れていた。

 インパクトハンマーを打ち込むたびに、反動が衝撃となってコウの身体を打ち付けて。

 スヤンが支えてくれていたが、機体が吹き飛ばされないよう制御しなくてはならない為、力もいる。

 生身で握って道具を使った訳でも無いのに、ホーネット越しでも伝えられるパワーを抑えるのに全身の力が必要だった。

 コウのハンマーの引き金を引いていた右手は、じんじんと痺れて。

 

『だめだな、ホーネットの道具じゃ無理そうだ』

『硬すぎますね』

『爆破しかねぇか』

『イアン、準備は出来てるか? アンズ、位置の確認しろ』

『判ったわ』

 

 スヤンが言いながら火成岩の上から飛び降り、コウもその動き追随して一緒に滑り落ちる。

 彼が言った位置の確認とは、地下空洞や亀裂の位置だ。

 地表にはコウが噴射して回ったマーキングの跡が残っているが、地下に入ってしまうとシップで打ち出したデータに照らし合わせて確認するしかない。

 アンテナの前で作業を行っているアンズのホーネットは、腰に装備したコードを伸ばして装置に接続していく。

 

『えっと、少し時間をちょうだい』

『距離と厚さだ。 今の位置から正確に割り出せ』

『ええ』

 

 アンズの声に周囲のホーネット達が動き出す。

 コウはインパクトハンマーを抱えたまま、周囲の動きを見回して口を開いた。

 

『やばいんすか?』

『地下空洞や亀裂が近いと爆発の衝撃で、崩落しちまう可能性がある。 岩盤の厚さか、距離が遠ければ問題ねぇんだがな、無い頭に詰め込んどけよ』

 

 ホーネット乗りの通信からも、これだけの物を諦めたくない、や爆破したい等と言った感想が流れてくる。

 スヤンは右手で顎のあたりを擦って、アンズが設置したモニターの前でホーネットを跪かせていた。

 ホーネットに乗り込んだ経験が最も豊富で、掘削作業の現場指揮を何度も取っている彼に最後の判断が委ねられる。

 この資源の掘削作業はシティへの貢献やシップの評価、人類全体の貢献という事もさることながら、究極的には自分たちの生活の糧の為ともいえる。

 機体から噴出する白煙の音を聞きながら、暫く黙考していたスヤンは顔を上げた。

 

『周辺を掘り広げるぞ。 待避できる場所を確保してから爆破する。 アンズの解析次第で中止だ』

『了解』

『よし、剣スコとエンピだ!』

 

 解析をしているアンズを一瞥してから、コウもインパクトハンマーをその場に置いて、スコップに持ち代える。

 仲間たちが道具を持って掘り始めたのを見て、その後ろに向かってホーネットを駆動させた。

 土砂の運搬はコウの仕事である。

 途上、アンズの通信が全員の耳に届いた。

 

『大丈夫、空洞は遠いわ』

『厚さは?』

『11メートル。 少し岩盤は薄いけど、距離があるから許容範囲のはずよ。 計算結果、送るわ』

『……おし、イケルな』

 

 アンズからデータを受け取ったスヤンは、やや黙した後に頷いた。

 地質や地形などのデータを参照しながら、スヤンは自分でも手元で計算を行い小規模の爆破ならば可能だと結論を下した。

 スヤンは口元に笑みを浮かべながら、息を吐き出す。

 これだけの質量を持つ火成岩の塊を逃すには、誰かが言った通りに惜しかった。

 命を懸けて資源と金を手に入れに来ているのだ。

 随分と広くなった穴の中を民話して、ホーネットの肩部に装着されたライトを器用に動かして周囲を確認する。

 スヤンは一つ手を挙げて声を出した。 もう、十分だろう。

 

『爆破に入る! 発破準備が終わったらこっちまで待避しろ!』

 

 土砂を外に放り出してきて、ちょうど戻ってきたコウの耳にそんな声が聞こえてくる。

 全員が爆破に入る事を知ると、スヤンは一機のホーネットに向かって頷いた。

 十分な距離を取って、起爆装置が押し込まれた。

 その爆発の規模は、コウの予想を覆して小さく、そして随分としょぼかった。

 コウは爆発の乾いた音炉、視界を数舜だけ焼く閃光と炎に、僅かに目を細める。

 地面が長く、小さく揺れて、どこか遠くの方でガラガラと岩石が落ちる乾いた音が穴蔵に響いてくる。

 そして、その時になってコウの視界を遮るように鋼鉄の塊が横切った。

 設置された照明が逆光になっていて良く分からなかったが、横切ったのはアンズの機体だった。

 なぜか、何もないところで後退している。

 その足下には、最初にコウが使っていたインパクトハンマーが転がっていた。

 転ぶんじゃないか―――?

 

『おい、アンズ!? テメェッ!?』

 

 コウが声を掛けようと口を開こうとしたと同時に、スヤンの怒鳴り声が鼓膜を揺らす。

 アンズのホーネットが、インパクトハンマーの取っ手を踏みしめて装置が駆動した。

 そこから先は、コウには良く分からなかった。

 一瞬の一つ一つの出来事が、全て遅くなったように思えた。

 まるで時間が薄く引き伸ばされかのように、目の前の光景が視界に映し出されて。

 突端の杭が爆発的な勢いで弾き飛ばされ、地面を穿ったかと思えば。

 直後にアンズの機体が中空に浮いて、穴全体が揺れた。

 アンズの機体はそのまま繋がっていたアンテナとコードを引き摺りながら、足下に無いはずの空洞の中に滑り落ちて行く。

 

『え―――?』

 

 間の抜けたアンズの声が耳朶を打つ中、コウは機体を走らせていた。

 一番近くに居た、とか身の危険が、とかそんな事は真っ白な思考の中に消えていて。

 過熱した目の奥が揺れて、気付けばアンテナのコードを中空で引っ掴んで、ホーネットの脚を広げて壁を支えに無理やり止める。

 蜂の鋼鉄の足が軋みを上げて、モーター音を響かせた。

 岩盤を削る音と衝撃に、コウは歯を食いしばり、落ちて行くアンズの機体を支えようと出力を上げた。

 衝撃と共に停止。

 コードに繋がってるアンテナが、岩同士の隙間に引っかかって止まったのだ。

 アンズの機体の奥に、インパクトハンマーが虚空へ落ちて行くのが視界に映り込んだ。

 どこまで続いているのか分からないほど、不自然に削り取られている闇の空洞。

 コウの背筋を、何かが這い回ったかのように寒気が走る。 

 

『コウ! アンズ!』

『っうぅ……ヤバイっす……うわっ!!』

 

 頭上に影が落ちて、スヤンの機体が覗いたかと思えば、ふっと身体が重力に引かれて落ちて行く。

 挟まって固定されていたアンテナの一部が重量によって砕かれ、土の壁を鉄が削る音が響く。

 

『アンテナだぁっ! 押さえろ!』

『こ、コウっ、ばかっ、アンタ、離しなさい! 一緒に落ちる事無いっ!』

『何言ってるんだよ! そんなこと出来る訳ないだろ!』

『うるせぇっ! どっちも黙って捕まってろ! 機体も動かすんじゃねぇ!』

 

 スヤンの怒鳴り声が響いて、コウは彼の機体を見上げた。

 コウの位置から垣間見える視界では、スヤン以外のホーネットはまるで見えない。

 コード一本だけで吊り下げられているアンズの機体から、嫌な音が響いてきて下を向く。

 バイザー越しに捉えた、プツリ・プツリとコード内部の鋼線が重量に負けて引きちぎられていく光景が見えてしまった。

 

『やばいっす! スヤンさん! コードが千切れる!』

 

 コウの切迫した声に、全員の視線が崩落した地面の中に集った。

 宙に浮いたままのアンズもまた、コードの限界を報せる奇音に肩越しに振り返る。

 穴の中の壁を支えに、両足を広げているコウの機体が一緒にずり落ちて行くのも見えた。

 誰かのスヤンを呼ぶ、掠れた声が通信越しに届いてくる。

 

『スヤンさん……』

『なんだ!』

『崩れます……穴が……天井から落ちる小石が……』

『あぁ!? なんだって!?』

 

 その瞬間、全てのホーネットの動きが硬直して、喧しく騒音をまき散らしている筈の穴の中が静まり返った。

 掘削した穴の中が崩落する。

 その条件はいくつかあるが、主な要因は亀裂とハラミと呼ばれる現象だ。

 地滑りとも呼ばれるそれは、もしも巻き込まれてしまえば出る手段が外部からの救出以外に無い。

 アンズの踏んだインパクトハンマーが開け放った亀裂は、地滑りの原因の一つである。

 最悪の光景が全員の脳裏をよぎる。

 パラパラと圧力に負けて押し出されてくる、天井から振ってくる岩や石が、スヤンの乗るホーネットの外骨格を打つ。

 ただ一機、穴の中を覗いていたスヤンの腕が、コウの機体にゆっくりと伸ばされた。

 

『……コウ、俺の腕に捕まって登ってこい。 他は先に逃げろ』

『スヤンさんっ……む、無理だ! 両手が塞がっているんだ! アンズが落ち―――』

『うるせぇっ! 良いからアンズを落として登ってこい! 一人は助かるだろうが!』

『嫌だっ! 一人だけ助かるなんて、そんなのっ!』

『馬鹿野郎がっ! ぶっ殺すぞテメェ! 早く捕まれってんだ――――ぅっ!』

 

 一際大きな、岩盤そのものがズレた音が響いて、穴の中が跳ねた。

 浮いた機体を無理やり戻して、スヤン達のホーネットから白煙が湧き上がって視界を白く染める。

 目一杯、足に力を込めて踏ん張るコウの腕が暴れ始め、コウは目を剥いた。

 アンズの機体の腕が、千切れそうになっているコードへと向かっている。

 

『アンズ! 何やってるんだ! ばかっ、止めろよ!』

『スヤンの言うとおりにしてっ! もう、良いからっ!』

『何でだよ! 落ちたら死んじゃうんだろっ! スヤンさん! くそっ、アンズやめろ! 動くなって言われてただろ、なぁっ!』

 

 もう駄目だ、という声が誰かの叫び声に紛れて飛んできた。

 ふっと、コウの頭上を覆っていた影が消えて行く。

 コウは慌ててスヤンの機体を見上げた。

 バイザーの奥に隠れているはずのスヤンの顔が、酷く歪んでいるのを見た気がした。

 

『撤退だ! ぼっとしてるな、全員とっとと外に出ろ! 機材は全部捨ててシップに走れ!!!』

『スヤンさんっ! 待って、冗談だろ!? おいっ! スヤンさんっ!』

 

 ホーネットが駆ける足音と、崩落の開始を告げる岩が物理的に拉げて潰れる音。

 コウが支えにしていた壁ごとゆっくりと割れて行き、足場を失ったコウの機体が傾いた。

 空に放り出される感覚が、足の裏から脳に伝わっていく。

 

『コウ、なんでっ! バカぁっ!』

『うわあぁぁぁぁっ!』

 

 天井が落ち、左右の壁が割れて行く。

 コウは機体を地下に広がる、真っ暗闇の空洞の中へ投げ出すしか道が残されていなかった。

 コードに引っ付いたアンテナごと、虚空へと引き摺られて、二匹の蜂がもつれあって闇の亀裂に落ちて行く。

 アンズの叩いた電子パネルから、ホーネットが白い何かに包まれて。

 コウが認識できたのはそこまでだった。

 アンズの金切声と、鋼鉄の潰れる鈍い音が地下空洞に反響して、岩と共に落ちて行く中で強烈な衝撃に見舞われて意識を失った。

 

 

 



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十七話 地下970メートル

 

 

 ソナー員であるアンズがアンテナと共に落下した為、艦橋は混乱していた。

 あらゆるリンクが切れて、異常があったという事実に気付くのが遅れたのである。

 気付いた時にはシップ・スパイダルの艦橋から視界に入ったホーネットが、穴から飛び出してきて蜘蛛に向かってくる姿。

 出てきたのは五機。

 濛々と土煙を上げる中、一機のホーネットが飛び出した際に崩落した岩に足を挟まれたが、他の機体に引っ張り上げられて一命をとりとめていた。

 

「問題が起きたようです」

 

 ジュジュの隣に立っていたボッシが、淡々と報告した。

 その位は見れば判る。 詳細が知りたいのだ。

 採掘作業でカメラを持っていくことは稀である。

 場合によっては数百メートルもの地下に蜂たちは潜り込んでいくから、無線通信はソナー員が居なくては不可能だ。

 有線機器の存在は邪魔になる。

 何よりも、土煙が舞い光源の無い地下では、カメラを持って行っても良く見えないという根本的な問題もあった。

 だが、こういう時は視覚情報が欲しくてたまらない。 見えないという事実がジュジュにとって非常に疎ましかった。

 ボッシは彼女を一瞥し頷くと、ジュジュは通信を一つ開いて尋ねた。

 相手はクウルである。

 

「発信は幾つですか?」

『五機』

「誰の……機体ですか?」

 

 予想されていたのか、即座に答えが返ってくる。

 二機足りない。 子供でも分かる単純な引き算だ。

 聞いても意味の無い事だと頭の中で理解しながらも、ジュジュはクウルに尋ねたが、先に割り込んできたのはスヤンの怒鳴り声だった。

 

『ちくしょうがっ! アンズの奴! 引きずりやがって!』

「スヤン、聞こえるか。 話してみろ」

『馬鹿が馬鹿した、フラッシュバックだ。 トラウマになって巻き込みやがった! ついでに俺らも死にかけたっ!』

「落ち着け、スヤン。 お前が興奮してどうする」

 

 先の《土蚯蚓》襲来時の爆炎が原因だろう。 アンズはその精神―――いわゆるPTSDと呼ばれる物に患っていた。

 今回の発破作業を行うまで、誰も気づかなかったし、アンズ本人でさえ自覚していたのか怪しい。

 ボッシとスヤンの通信を横目で眺めながら、ジュジュはクウルに向けて尋ねる。

 

「信号は辿れる?」

 

 ホーネットそのものに電子機器は幾つも搭載されているが、機体が稼働している限りは定期的に位置を報せる信号を送っている。

 それは全方位に数百メートルほど飛ばされており、シップが範囲内に居れば必ず捕らえる事が可能だ。

 クウルは沈黙していた。

 ジュジュは眉根を顰めて、艦長席を窺う搭乗員を指でさした。

 その指は電子モニターの一つに向かっている。

 現場のボーリング作業で割り出した数値を入力し、地形図を含めて周辺のデータを更新するのが艦橋の仕事である。

 ここで入力された情報がソナー員のアンテナに送られて、採掘作業が進められるのだ。

 ジュジュの意図を理解した男性が、慌ただしくモニターに向かって電子パネルを叩き始める。

 

「艦長、コウとアンズが亀裂に落ちたそうです。 それと―――」

『おい! アンズのデータにはあんな場所に亀裂なんか無かったぞ! どうなってやがる!』

「スヤン、気持ちは分かるが落ち着くんだ」

『うっせぇっ! ボッシ! 俺が聞いてるんだよっ!』

 

 通信越しに何かを叩きつけるような音が艦橋に響いた。

 スヤンは激怒していた……当たり前だ。

 命が懸かっているのだ。

 艦橋に響いていたパネルを叩く音が止むと、小さくクルーの一人が声を上げた。

 ジュジュがそちらに目線だけでチラリと覗けば、口を半開きにしたまま、モニターに視線を向けて首を左右に振る。

 

「どうしました」

「か、艦長……その……」

 

 彼女が声をかければ、ゆっくりと振りむいて絞り出すように応えた。

 その顔は青を通り越して、白くなっているようにも見えた。

 ボッシが端末に近づいてデータを照会すれば、図面と計測値をすり合わせた画面が表示されている。

 計測値と入力値の桁が、一つかけ違っていた。

 俯いて身を震わす男性を見て、ボッシは小さく息を吐くと通信のマイクに成っている部分を抑えてジュジュに顔を向けた。

 同じようにジュジュも胸元の通信機を手で塞いでから

 

「なんですか?」

「艦長、ヒューマンエラーです」

「……そうみたいですね」

「す、すいません、俺が……」

 

 艦橋の前に座っていた、俯いていた男性が立ち上がり声を上げるが、周囲の人からの視線に耐えられなくなったのか言葉尻は沈んだ。

 傍に居たボッシは、肩を叩いて。

 

「今は何も言うな、我々全員の失態だ。 それで、実際にコウとアンズが落ちたのは、どの空洞だ?」

「あ、今……打ち直して……えっと、場所はこっちのモニターに出します」

 

 時間を掛けずに表示され、モニターの前にボッシは手をかけながら睨んだ。

 ジュジュも立ち上がって、後ろから覗き込んだ。

 地下970メートル。

 シップ・スパイダルがホーネットの信号を得られる範囲の外。

 これが事実ならデータリンクも通信も、何もできない。

 

「艦長、どうしますか」

 

 ボッシの声で全員から向けられた視線に、ジュジュは察した。

 どうするか、という問いには複数の意味が込められているのを。

 一つは今後のシップの方針だ。 採掘中の事故が起きた場合、素直に引くことが常套である。

 何より、今回ははぐれたホーネット乗りの生存が確認できない。

 しかも地下深くの縦穴に落ちて、その穴は崩落した土砂によって埋められて掘る事も不可能。

 救出の見込みは限りなく低いと言わざるを得ない。

 ジュジュは顎に手をあてて、誰にも見えないように歯噛みした。

 

「……スヤンさん、聞こえますか」

 

 長い沈黙を破って、ジュジュが声をかけたのはスヤンだった。

 

『……ああ』

「ミスはありません。 ボーリング作業で拾いきれなかった空洞があったのでしょう」

『そうかよ』

 

 おそらくスヤンは、これが嘘だというのが分かっているだろう。

 実際のところは本人に聞いてみないか限りは分からないが、ジュジュは不思議とそう思えた。

 そもそも、ボーリング自体は数十度の試行に及んでおり、地質や地層を精査している。

 現場で指揮を執っているスヤンも当然、この割り出したデータを下に作業を行っているのだから、言い訳にしか聞こえないだろう。

 

「それで、救助できる可能性はありますか?」

『あぁ? なんだよそりゃ、あるって言ったら助けるってのか? 冗談だろ』

「予測の落下地点は……地下970メートルです。 可能性があれば、救助します」

「艦長、気持ちはわかりますが、ここは素直に引くべきです」

 

 スヤンの呆れたような鼻で嗤う声に、ボッシが同意するように強く諫める。

 ジュジュも分かっているのだが、どうしても踏ん切りをつけることができない。

 いや、したくないのだ。

 拳を握り、声を震わせて足掻く。

 

「……穴に落下しただけなら無事かもしれない、助かっている可能性はありますか?」

『おいおい、本気で言ってるのか。 どうかね、一度も落ちた事なんか無ぇから判らねぇな。

 だけどなジュジュ。 正確な位置も不明、生存も不明じゃ徒労になるだけだ。 今回ばかりは同意はできねぇ』

「正論です、艦長。 ホーネット及び作業人員の損失2。 これで納得して下がるべきです」

 

 全ての作業に使われる道具は殆どが消耗品だ。

 耐熱・耐冷を備えて、耐粉塵などの処置を全ての道具に行うには手間と時間、そして費用や資源が足りな過ぎて現実的ではないからだ。

 《土蚯蚓》の襲来や今回の作業トラブルによって放棄を躊躇うような装備は、極力排除することに抵抗が無い物を揃えていくのが原則だからだ。

 リスク管理の一環でもある。

 スヤンとボッシ、どちらもシップ・スパイダルにおいては右に出る者が居ないほど、熟達したベテランの艦乗りだ。

 その二人が言う事は間違いじゃない。

 

「地形図をこっちに!」

「あ、はい……!」

 

 それでもジュジュは藻搔いた。

 コウ達が落ちて行った空洞の計測値を見ながら、周囲の空間との繋がりを見て行く。

 惑星ディギングの地下に出来た空洞は、自然に出来上がった物は極少数である。

 ほとんどの場合《土蚯蚓》の通った痕跡であり、地中を削っているせいで生まれるものだ。

 《土蚯蚓》はどうしてか、理由は分かっていないが地表に顔を出すこともある。

 空洞部と地表部が繋がっている場所が、この周辺にもソナーで割り出した範囲以外にもあるかもしれない。

 それは決して、稀ではない事である。

 

「……ここ、すぐ近くに深い縦穴が出来てますね。 横穴に繋がっていて……地表からは72メートル……でも、途中で切れているわ、何故?」

「恐らく、そこはボーリング作業での範囲外です。 探査できる限界だったのでしょう」

 

 クルーの声に、ジュジュはかすかな希望を見た。

 同一の《土蚯蚓》が這って削っていった穴ならば、コウ達の落ちた地下深くにまで潜っていても可笑しくない。

 縦穴が不自然に途切れているなら、コウ達と連絡さえ取れればシップ・スパイダルが誘導できるかもしれない。

 もしくは、シップ・スパイダルで直接《土蚯蚓》が作り出した穴へと移動し、跡を追う形ならばどうか。

 

「スヤンさん、ホーネットの掘削余力はどの程度残っていますか?」

『あぁ? なんだと?』

「ジュジュ」

 

 硬質な声がいやに響いてきて、ジュジュは振り向いた。

 

「だめだ」

 

 彼女の視線と真っ向からぶつかり合って、ボッシは否定を言葉にする。

 ジュジュの苦悩は、艦長としての経験を積んでいたボッシには手に取るように分かっていた。

 シップ・スパイダルは初航行であり、艦長となったばかりのジュジュにはまだ理解できないだろう。

 深い地下空洞に外骨格のみで落ちていったホーネットは、衝撃吸収材があっても生存している事は限りなく可能性が低い。

 仮に運よく生き残ったとしても、怪我の度合いによってはすぐに死ぬ。

 それでも生きていたとして、地下空洞は日光が届く事の無い闇の世界だ。

 ホーネットの動力は電気であり、その電力を生み出すのは惑星ディギングの二つの恒星による強烈な太陽光エネルギー。

 制限時間はおおよそで逆算しても6時間ほどが限度なのを、ホーネット乗りでもあるボッシは判っていた。

 更に言えば、コウ達が落ちた穴が《土蚯蚓》によって作られた物とは限らず、例え道が見つかったとしても肉眼では確認できない地下世界を把握することは困難だ。

 どこかで道が途切れている、新たな崩落や地滑りが、或いはそもそもが脱出不可能な構造だったら。

 シップ・スパイダルではシティの訓練課程を修了したばかりの新人も多い。

 救出に向かえば確実に助かり、経験を積める艦乗り達を、道ずれにしてしまう可能性を考えて然るべきだった。

 コウ達の生存や位置も未だに不明。

 ホーネットに頼れない状況でシップ・スパイダルの駆動はリスクが伴い続ける。

 ボッシの短い否定の言葉には、今あげた全ての要因が含まれている。

 

 頑なで意思の強く籠った、言葉をぶつけられ。

 ジュジュが子供の頃から、両親と共に優しい眼差しを向けてきたボッシの射るような視線に貫かれて彼女は慄いた。

 こうまで強く救出に反対する。 

 ボッシの判断はこれまでの航行でも狂うことなく、まこと的確であり彼さえ居れば大丈夫だと安心さえしていた。

 そんな彼が、断固たる姿勢を崩さない―――ジュジュは顔を俯かせようとして、両手を握って服を潰した。

 ここで頷いてしまえば。

 この場で首肯してしまえば。

 本当に終わりだ。

 ジュジュは、艦長となってから彼女自身が掲げた、シップ・スパイダルの目標。

 これだけはジュジュだけが決めた、約束。

 全員で無事にシティへ、戻る事。

 貫き通せなかったら、蜘蛛の母ではいられなくなる。

 ふっ、と脳裏に最後に会話をしたコウの言葉が蘇った。

 

「……いやよ」

 

 時間をかけて。

 それでもボッシのように眼に力を込めて、真っ向から見返して。

 短く簡潔な否を突きつける。 声は自分でも自覚できるほど震えていたが。

 それでも、服の胸元を握りしめて、通信機を抑える事もせず、彼女は喉を震わせた。

 

「この鋼鉄の蜘蛛に乗り込んだ時、言ったはず。 艦長はボッシがなるべきだって」

「……」

「テメェがトップなら、この騒ぎも仕舞いにするさ。 クソみてぇな博愛主義に目覚めることなく黙って判断を受け入れる。

 こっちだってどれだけド正論を吐かれてるか、なんて理解してるからな」

「クルー全員の命を天秤にかけるのですか?」

「ボッシ。 アンタは私を艦長に推した。 そしてここまで導いてくれた。

 神輿に乗って黙って居りゃ仕事が終わる、それは今でも変わらねぇ話だろうよ。 そう、今までは少なくともカスすら霞む存在価値しか無かったのが"自分"だった」

 

 半ばボッシの声を無視した形で、ジュジュは話を続けていた。

 喉を抑えることも無く、しっかりとボッシの真正面へと立って、顔を上げて。

 

「でもな、ボッシ。 いいか。 シップ・スパイダルの艦長はジュニエルジュ・ジュール・カイト・シル・ジュジュエット、この私だ。

 もうそれは他のどこの誰が、神や悪魔だろうが、艦長になると決めた時点で、この話は覆らなくなったんだ。

 そして半端者の半人前ばかりでも、この蜘蛛の艦の目標を忘れてるトンチキは居ねぇはずだ。

 例えこの場に私が一人きりだったとしてもだ! 全員で生きてシティに戻ることだけは、艦長として絶対に諦めねぇぞ、ボケカスがぁっ!」

 

 目の前のパネルを力一杯に叩き、感情を吐露するジュジュの声は、通信を通して艦全体に響き渡った。

 肩で息をしているジュジュの叩いたパネルの音に従って、地形図が前面の大型モニターに映し出される。

 ボッシは溜め息を吐いた。

 前言を悔いたのだ。 ジュジュの態度を硬化させてしまった、と。

 

「シティに全員で戻るのよ。 ポイントを変えて次の採掘に向かう。 ついでに逸れたホーネットを探せ。

 スヤンさん、30分の休憩を取った後に蜂が出れるように準備を進めろ」

『本気かよ……』

「スヤン、待て。 艦長の心中は察しました。 ですが、今は理想をしまい込んで現実を見つめるべきです。

 我々は艦乗りとしてシップ・スパイダルに乗り込んでいます。 命を懸けて。

 しかし、死に繋がりかねないリスクを無駄に増やしてはいけません。 冷静になってください」

「同感だぜ、ボッシ。 命は大切だ。 テメェは最悪ギリギリの限界点を見極めろ。 これは厳命だ。

 経験の足りないヒヨッ子どもには絶対出来ない事で、癪だが頼れるのは"プロ"のテメェしか居ねぇからだ。

 いざとなったら私のケツを叩いてぶっ飛ばしな、二つの恒星にまで突っ込んでいってやるから」

「ジュエット……」

 

 ボッシはその声に、根負けするように目元を手で覆って言ってしまった。

 艦長のジュジュが通信をそのままにして、艦全体に響き渡る様に意図を宣言してしまった時点で、言葉はもう届かない。

 救出ではなく採掘を目的にすれば、効率に目を瞑るなら作業自体は可能だ。

 稼働可能なホーネットは五機も残っている。

 それは況や屁理屈にすぎないが、やろうと思えばやれない事はないだろう。

 そんな思考が脳裏に過り、ボッシはジュジュの決意に折れようとしている自分を自覚して天井を見上げてしまった。

 被っていた帽子を一度脱いで、くるりと手の中で一度回すと、帽子をまたかぶり直して。

 

「分かりました。 限界だと判断したら、覚悟をしてくださいね、艦長」

「結構」

 

 そんな区切りが付いた所だった。

 まるで見計らったかのように一本の通信が艦橋に届いた。

 その声は聞き慣れないものであり、まずもって艦橋に通信を行うような者ではなかった。

 

『微弱な救難信号を受信しました』

 

 声の正体はクウルの傍に控えているはずの、ガイノイドのメルだった。

 ジュジュは思わずモニターの一つに表示されている、ホーネットからの信号を確認する。

 光点は五つで変わらず、何かの混線かと思ったが、続くクウルの捕捉するような声でそれは否定された。

 

『捉えた信号はメルのアンテナから。 発信先はまだ特定できてない』

 

 何かに気付いたかのようにジュジュは顔を上げた。

 休憩場でコウが見せてくれた、左腕に装着された過去の遺物。 個人用の携帯端末だ。

 千年の眠りから覚めて、唯一の彼の私物だろうソレを、注視していて知っているのは、このシップ・スパイダルにおいてジュジュだけである。

 

「クウル、メルの受信アンテナはどこで?」

『? 私の祖父から貰った物。 アンドロイドに興味を持ったからって、プレゼントされた』

「《祖人》ね?」

『え? うん……そうだけど……なんで判ったの?』

 

 半ば確信を抱いて問いかけた尋ねに、帰ってきた言葉は予測通りのもの。

 ジュジュは勇気をもって踏み出した一歩先に、光明が見えた気分であった。

 シティ周辺では通信の混線で済ませたかもしれないが、ここは大地の海の上である。

 受信した信号は《祖人》から渡された、高精度なアンテナ。

 ジュジュはモニターからは眼を話さず、視線だけでボッシを流し見た。

 

「少なくとも、一人は生きている。 ボッシ……彼よ」

「……スヤン、聞いていたな。 ポイントを変えて採掘を続ける。 準備をしろ」

『ちっ、扱き使いやがって。 後で覚えてろよクソったれ、通信終了だバカヤロー!』

「……ごめんなさい」

 

 荒々しくスヤンからの通信が途切れると、ジュジュは誰にも聞こえないほどの声量で、謝罪をこぼした。

 方針が決まったのならば、呆っとはしていられない。

 救難信号の精査や交信が可能かを打診し、可能ならば位置の割り出しをメルのアンテナ経由で行えるかを願う。

 クウルは自信の無さそうな曖昧な返事を返したが、ジュジュはそれに頷くとボッシと次の採掘ポイントの細部を詰める。

 ホーネット乗りにはソナー員が必ず必要だ。

 艦橋と現場を繋ぐ大事な役割を担っており、ホーネットたちの目と耳にならなければならない。

 現場に身を置く以上は実務となる、掘削や採掘の作業は言うに及ばず、現況のあらゆる場面を俯瞰できなければならず、機器の知識はもとより地層・地勢における危険や状況判断も必要だ。

 ソナー員に求められる役割は総合的な能力が高くなければ、務められるものでは無いのである。

 このシップ・スパイダルでホーネットのソナー員になれるものは3名。

 アンズ、スヤン、そしてボッシだけだ。

 

「では、艦長。 私も休息に入ります。 作業が始まってからは、艦橋の事をお任せします」

 

 鉄面皮のままそう言って退室するボッシに向かって、ジュジュは口を開くことなく頷き、頭を下げた。

 そして、顔を上げ、指示棒を振り上げて声を張った。

 

「次の採掘ポイントに向かいます! 脚を出してっ!」

 

 一時間ほどの待機を経て、シップ・スパイダルはジュジュの命令によって動き始めた。

 億劫そうに鋼鉄の蜘蛛脚を突きだし、のろのろと移動を始めたのである。

 

 

 



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十八話 諦めない係

 

 

 ―――白い世界。

 意識を失っていたコウが眼を覚ました時、暗闇を照らすライトの光に映し出された視界の中は白かった。

 どうして真っ暗なはずの地下世界の中で、白い光景を見ているのだ。

 もしかして死んでしまったのだろうか。

 だが、本当に死んでいるのならば、眼を開けて息を吐いている自分は何だというのか。

 音が鳴った。

 まだ崩落は続いているようで、岩同士がぶつかり合う音が時折遠くから響いてくる。

 振動と轟音は続いている物の、コウの周辺は特に何かが起きている訳では無かった。

 ようやくそこで顔を上げて上半身を起こす。

 生きている。

 どの位の時間、気を失っていたのか。

 ギュイっと耳障りな機械音が間近で鳴って、尻の辺りを突き上げるように震えたジェネレーター音からホーネットがまだ無事に稼働している事を彼は知る。

 機体のモニターに表示された時間から、意識が無かったのはホンの10分前後だった。

 機体から白い風船のようなものが外骨格から飛び出していた。

 その仕組みはともかくとして、この白い物が緩衝材となってパイロットの身を、コウを守ってくれたのだろう。

 周囲を見回したが、暗い。

 ホーネットの肩部に取り付けられたライトが正常に作動していなければ、真っ暗だ。

 左側の方は故障したのか、点灯していなかった。

 頭上を見上げれば落下してきた穴だろうか。

 粉塵に交じり、土や砂がザラザラと音を立てて、機体の外骨格を叩いている。

 同時、ホーネットの左腕の動きが随分と重く感じる。

 暗くて良く分からないが、機体の損傷は左側に集中したのだろう。

 

「動けるだけマシっすね……それより、これからどうすれば……あ、そうだっ!」

 

 ぼんやりとバイザー越しに見上げていた視線が周囲を巡る。

 一緒に落ちてきたアンズが居るはずだった。

 どれだけ深い場所まで落ちてしまったのか、まったく分からないけれど、それでも自分は生きている。

 左腕にだけは少し痛みが走っているが、ほとんど五体満足だ。 幸運だった。

 同じように落ちたアンズもきっと無事に違いない。

 緊急マニュアルに書いてあったことを思い出して、電子パネルを叩きシップへの連絡と、ホーネット同士での通信を試みる。

 ―――確か、近くに居れば交信は可能なはずだ。

 肩に取り付けられたライトを器用に動かしながら、コウはアンズを呼んだ。

 返事はない。

 時折、地面をライトで照らしながら足下を確認しつつ、コウにとっては鈍すぎる動きでアンズを探し始める。

 砂や土が落ちてくる音と、ホーネットの機械音だけが耳朶を打つ。

 

「アンズ、どこだよ」

 

 動きの重いホーネットを制御しながら、だんだんと嫌な予感が鎌首を擡げてくる。

 自分よりも先に落ちたアンズは、土砂の下敷きになってしまったのではないか。

 いや、それ以前に鋼鉄が拉げるような音とアンズの叫び声が聞こえたような。

 まさか、もしかして。

 そんな焦燥を抱き始めたコウが、遠くない場所に彼女の機体を捉えたのはその時だった。

 

「アンズ!」

 

 照らし出された彼女のホーネットの機体は、変形しているのが一目で判った。

 右側面が岩に挟まれて完全に潰れており、蜂の象徴足る特徴的な姿は無くなってジェネレーターが外骨格から切り離されている。

 声を荒げてコウはアンズのホーネットに近づいていく。

 コウの機体から出てきた白い緩衝材の様な物も、中途半端に出ているが、半ばまで土砂で埋もれており黄土色に染まっていた。

 ジェネレーターやエンジンが潰れて地面に転がっているのも判る。

 コウの視界からは背面を向けているホーネットの前に、息を呑みながら近づいていく。

 むき出しの外骨格は、今や立派なクズ鉄だった。

 岩盤に潰されて挟まれ、中央部の座席部と僅かな機器が露出しているだけ。

 そんなクズ鉄に手をかけて、コウはそこで喉を鳴らした。

 見るのが怖い。

 死んでいるかもしれない。

 そう思えるだけの光景が目の前に広がっているから。

 機体は鉄でも、操縦者は艦外作業服に身を包み、ヘルメットを被っているだけの生身なのだ。

 それでも、確認をしないわけにはいかない。

 

「……」

 

 意を決して、というには些か頼りない動きではあったが、ホーネットは耳障りな機械音を立てながら、ゆっくりと拉げた機体の前方へと身を滑らせた。

 

「……っ、はぁっ!」

 

 無意識に息を止めていたコウは、パイロットの姿が無い事にたまらず息を吐き出した。

 それは確かに安堵も含まれたものだったが、同時に焦燥も生み出した。

 落下の最中に期待から投げ出されれば、緩衝材の恩恵にも肖れず、酷い怪我をしているかもしれない。

 いや、楽観するのは難しい。 生身で投げ出されれば死んでいる事だろう。

 この場所に落ちてから投げ出されたとしても、酷暑の問題が残されている。

 発見までの時間が掛かればかかるほど、命が危ない。

 コウの決断は早かった。

 

「アンズっ! 何処にいるんだッ!」

 

 通信が使えないことが分かれば簡単だ。

 肉声で呼びかけるしかない。

 コウはヘルメットのバイザーを開けて、溜め込んだ肺の中の空気を一気に放出した。

 その時に感じたのは熱風でもなく、口の中に飛び込んでくる粉塵でもない。

 思ったよりも熱風もなく暑くない―――そんな感想だった。

 そんなコウの大声に反応したのか、そうでないのかは分からないが、コウの視界の端では今ではもう見慣れた艦外作業服が蠢いたのを捉える。

 暗闇でも僅かな光でも判るよう、艦外作業服には蛍光反射材が使われている事を初めてコウは知った。

 

「ぅ……」

「アンズっ!」

 

 機体の鈍い動きに耐え切れず、コウは冷風コードを外すと放り投げ、機体を飛び出した。

 ホーネットが僅かに揺れ、白い水蒸気を噴出して脚をついて立ち止まる。

 もちろん、ライトは彼女に焦点を当てていた。

 思いのほか足場が悪く、おうとつのあつ岩肌に脚を捕られながら、コウは近づいてアンズの背に手を伸ばす。

 アンズの作業服はところどころ裂傷の跡が残されていて、バイザーに若干の赤みが走っていた。

 

「アンズ! 大丈夫か!? 怪我は!?」

「ぁ……はっ、ぁつい……」

「そ、そうか、待ってろ。 すぐ冷やすからっ! がんばれ、なっ!」

 

 苦しげに呻く声に、今度こそコウは安堵した。

 若干、怪我はしているようだが命に別状はなさそうだ。

 あるとすれば、それは彼女が言ったように熱が原因だろう。

 思ったよりも、と言っても機体から冷風が供給されなければ体の水分はそう遠くない未来に、吸い尽くされてしまう。

 

「そうだ、少し動かすから、ちょっと我慢してて!」

 

 機体を持って来るよりは、アンズを抱えてホーネットのもとに走った方が速い。

 そう考えた彼は、両ひざの間に手を通り、首元を抱え、いわゆる御姫様抱っこのような形でアンズを掬い上げた。

 

「うわっ、おもっ!」

 

 脱力する人間とはそれがどれだけ小柄な人であっても、重い物だ。

 まして艦外作業服そのものも、決してい軽い物ではない。

 コウ自身は平均的な筋力を持つ青年だったが、重い物は重い。

 失敗した、と思った物の、今更アンズを地面に降ろすのは逆に危険な気がした。

 躊躇いもそこそこに、彼は奮起して勾配の付いた坂を歩き出す。

 ホーネットまでは距離にして、僅かに数十メートル。 しかし、この距離でも顔に全身の熱が集まったかのように、汗が噴き出してきた。

 確かに、地上よりは数倍もマシなのだろう。

 それでも、このディギングという惑星が灼熱の星だというのを実感するに足りた。

 深い息を吐き出しながら、コウはようやくホーネットまで辿り着くと、アンズを抱えたまま操縦席へ乗り込み、ヘルメットのバイザーを閉めてコードを丁寧に装着する。

 途端、送られた先から吐き出された冷風が、彼の顔や身体に噴射され目の前をわずかに白く染めた。

 肌から噴き出した蒸気がバイザーを染める。

 

「っ、早くしないとっ」

 

 体感した事の無い経験に戸惑ってはいられなかった。

 アンズは機体から投げ出されてから、ずっとこの環境下に生身で居た事になる。

 人を手で運んでいた、という労働を差し引いても、時間が無いのは理解していた。

 コウは自分の機体の脇の辺りから、新しい冷風コードを引っ張り出すと、アンズの腰のあたりに手を回して浮かせる。

 これは何かしらのトラブルに備え、ホーネットに最初から装着されている予備のコードだ。

 冷風が無ければ艦外での活動は不可能であるため、当然ながら予備は用意されている。 

 コウは手探りで彼女の背や腰の辺り、コードの接合部を探して手を擦り、悪態をついた。

 どこにあるのか分からない。

 どれだけ眼が慣れようと、僅かな光源から薄くぼんやりと見えるだけだ。

 艦外作業服に一本のコードを挿入することが、こんなにも難しい。

 そもそも、自分の服に差し込むこともまだ慣れているとは言い難い。

 

「っ、これかっ!」

 

 やや腰より上、背中に近い辺りに指先に違和感。

 持っていたコードを引き寄せ、アンズの態勢を動かしてゆっくりと挿入しようとしていた手が止まった。

 冷風を送り込むための端子は脆い。

 少し強引に挿し込むだけでも拉げて壊してしまう。

 実際、彼は一度壊している。

 

「っ、迷ってなんかいられるか!」

 

 最悪、自分に繋がっているコードを交互に押し込むことで解決を図ればいい。

 瞬時と言って良いほどの即断で、コウは突端の端子を手に持って艦外作業服に捻じ込んだ。

 接着時特有の機械が嵌った高い音は聞こえなかったが、背後にそびえる鋼鉄の外骨格が僅かに震えて接触の成功をコウに伝えてくれた。

 

「うぅ……」

 

 短く呻くアンズの声に、コウは顔を寄せた。

 

「アンズ、すぐ涼しくなる、大丈夫だ」

 

 彼の声はほとんど聞こえていないのか。

 荒く息を吐き出しながら呻くだけのアンズに、コウは眉根を顰めた。

 意識はありそうだが、混濁している。

 コウはスヤンやアンズから叩き込まれた知識の中から引っ張り出し、彼女の容態に目星をつけた。

 外環境下における人体の代謝異常、すなわち熱中症だ。

 深刻なレベルに達すると意識の混濁他、身体感覚の異常・麻痺や言語の混乱が見られる。 そう教わった。

 覗き込んだバイザー越しに見えるアンズの顔は苦し気だった。

 呼吸も荒く、コウの抱えている腕へと痙攣するかのように体も震えている。

 

「こういう時は涼しくて水を……っでも、水なんて!」

 

 周囲を見渡しても真っ暗な闇が広がるだけだ。

 ホーネットに照らされた場所は、無機質な意思と岩だけが存在を主張し、黄土色の壁が聳え立つ。

 この場所が、この空洞がどれだけ広くて、どういう構造になっているのかさえ分からない。

 

「……水たまり何て……それに、こんな場所じゃ……」

 

 仮に、そう。

 地下水の様な物がたまたま流れていたとしても、人が飲める水であるかどうかは謎だ。

 身体が冷やされて、僅かに呼吸の乱れが収まった気がするアンズを横にしたまま、コウは立ち上がって改めて周囲を見回し、短く呻く。

 気にしないようにしていたが、左腕がじくじくと痛みを訴えている。

 機体の損傷が左側に集中していた事もあって、おそらくだが打撲や打ち身などの軽傷を負っているのだろう。

 自分の状態を確認しようと、ホーネットによってライトを当ててみれば、艦外作業服が何かに引っかかって引き裂かれたような跡が残っていた。

 この分厚い、頑丈な素材で作られた宇宙服にも似た作業服が自分を守ってくれたのだと、その時になって初めて気づく。

 

「うわ、すっげぇ引き摺り後……びりびりだ、ん?」

 

 コウの声が上ずって止まった。

 それは怪我そのもので感じる痛みよりも、作業服の損傷が酷いものであったのもそうだが。

 服が裂けていたことで露わになった、自分の左腕に装着している現状を打開しうる、光明になる物を見つけたからだ。

 自信の左手に装着された携帯端末。

 千年の時を越えて、ただ一つだけコウに残された、かつての文明利器。

 もともと、宇宙艦外機である《リペアマシンナリー》に乗り込むに当たって、コウ自身が選んだ端末である。

 当然、この携帯端末には艦外機のパイロットにとって不足の無い物として選んだ性能がてんこ盛りだ。

 遭難時の救難信号を発信する能力を持つ機種を選ぶように、と先輩から口を酸っぱくして忠告された事を思い出した。

 シップ・スパイダルが気付いてくれるかもしれない。

 この惑星では失われてしまった信号でも、それを捉えることが出来る高性能な受信機を持っている存在を、コウは知っていた。

 そう、いつもクウルの傍に控えている、あのポンコツと評したガイノイドのメルが居る。

 千切れた左腕の服の中に右手を突っ込んで、じくじくと痛む左腕のを無視し、携帯端末に指先を伸ばす。

 厚みのある作業服に手間取って、コウは舌打ちを一つ。

 どうせ殆ど破れているのだ。

 もう少しくらい破いても、問題ない。

 強引に破れた服を、歯を食いしばって引きちぎり、僅かに肌と端末が露出した。

 コウは手馴れた様子で携帯端末を起動させる。

 同時、何も無い空間に浮き上がって動物たちがお辞儀をするが、その行程を飛ばすと一瞬にしてモニターに周辺状況を報せるアラート音が鳴り響いた。

 現在の気温や湿度を表わすウィンドウが虚空に浮かび上がり、外気温が99℃、湿度が16%であることが判った。

 湿度が低ければ低いほど、体感温度は上がるし体の中の水分は大気に吸い取られるように消えてしまう。

 この場所が湿度10%以上もあるのは幸運だった。

 コウの知らぬ事ではあるが、この端末の機能は惑星ディギングにおいて最高峰の性能を誇っている。

 資源を得るために大地の海を渡るシップも、シティの中枢にある重要施設でさえ、コウの持つ端末の一部技術が流用されている事を考えれば推して知るべしだろう。

 コウは虚空に左手を伸ばし、救難信号を送り始める。

 同時に機体の真下で横になっていたアンズに動きがあった。

 

「アンズ、起きたのか!」

「っ……こ、コウ……?」

「ああ、ああっ!」

 

 機体から飛び降りて、コウは両手をついて身を起そうとするアンズの背を支えた。

 真っ暗な地下空洞で、自分以外の誰かの声が確かな意識を持って語りかけてくることに、無意識化で深い安心を覚えていた。

 

「コウっ……なんで、逃げなかったのさ……」

「なんでって、しょうがないだろ。 もう言うなよ……それより、大丈夫なのか?」

「っ、こ、このくらい……っ、だ、だめかも」

 

 普段の十倍くらいは勢いのない様子で息を上げて、最終的には弱音を吐くアンズは小声でコウに漏らした。

 脇腹か、その辺り。

 冷風を送り出す、生命線でもある艦外作業服を脱ぐわけには行かないので確認は不可能だが、痛いのだと自己申告を受ける。

 身体に力が入らない、脱力症状もあって酷く気怠いと。

 額から出た出血は止まっているようだが、頭を打った可能性もあるし、血を失ったのも関係していそうだった。

 アンズ自身も機体から放り出されてからは何が起こっているのか分からなかったようで、怪我をしているのにも今気づいたような様子だ。

 

「でも……っ、コウ、コウの機体が無事なのは、はっ……っ、良かった……」

「ああ、救難信号も送った! ホーネットからもそうだし、俺の端末からも! きっとすぐに皆が助けに来てくれるよ!」

 

 顔を地面に俯かせたまま、アンズはコウの言葉を力なく首を振って否定した。

 朦朧とする意識の中でも、限りなく救出される可能性は低い事を理解していからだ。

 アンズはソナー員だ。

 だから《土蚯蚓》が掘ったであろうこの空洞が、どれだけ大規模な物かを知っている。

 地下空洞は、浅い場所でも500メートルを越える縦深だった。

 加えて自分の乗っていたホーネットは、見る迄もなく大破していることが容易に想像できる。

 ホーネットの原動力は日光による太陽光エネルギーであり、この地下世界では何時間も動き続ければ力尽きてしまう事だろう。

 この見通しだって甘い物だと思ってる。

 コウの考えているような救出が来るとは、とてもじゃないが思えなかった。

 

「だから、無理よ……助からないわ……」

「……」

 

 コウはそんなアンズの指摘に口を締めて俯いた。

 惑星ディギングの事は、無知と言っても良いほどに知識が足りない。

 基本的な部分は説明を受けていても、コウは自分が過ごしたシップの中とホーネットに乗り込んだこの場所しか知らないからだ。

 コールドスリープから目覚めてまだ一ヶ月も経っていないのだから、それはそうだ。

 ホーネットに乗っての採掘作業も、同じ駆け出しとはいえキチンと訓練を受けていて、この星に10年以上も住んでいるアンズとコウでは危険の見積もり方だって彼女の方が、正しいに違いない。

 

「アンズの言ってること、俺も分かってるつもりだよ……」

 

 だけど。

 ここ惑星ディギングにおいては右も左も分からないコウであったが、その故郷。

 宇宙に置いての艦外機候補生だったコウは、災害時の対応が全く叩き込まれていない訳では無かった。

 宇宙と地上の違いはあるけれど、遭難者となった時に取る重要な対応は二つ。

 一つは救難信号の速やかな発信だ。

 このディギングよりも遥かに広大な宇宙空間では、遭難時に自分の位置を知らせることが最も重要であった。

 ホーネットからも、コウの端末からも、外部への呼びかけはちゃんと送り続けている。

 メルが気付きさえしてくれれば、自然とクウルへ伝わる。 そうなれば、生きている事だけはシップに必ず届くはずだ。

 更に、誰にも気づかれずに遭難者となった場合はこの限りでは無いが、今回はスヤンを含めたホーネット乗り全員が知っている。

 コウとアンズが災害に巻き込まれた事を判ってくれている。

 宇宙空間の場合は、何も無い場所で救助を待つことが飲まれることから、大小問わずデブリが多ければ移動する場合もある。

 では、この惑星ディギングで空洞に落ちてしまった場合はどうだろうか。

 アンズが言った救助の困難さの原因は、縦穴の深さ。 すなわち物理的に開いた距離が問題だ。

 原因がわかれば後は簡単ではないか。

 遭難者と救助者、互いの距離を縮めればいい。

 時間制限があるのならば、座して待つ理由も無い。

 命を繋いでくれている鋼鉄の蜂《ホーネット》が数時間以上"も"動いてくれることが、アンズのおかげでハッキリ判ったのは安心をさせてくれた。

 

「登れば良いんだ。 落ちてきた穴は無理だけど、他に道があるかも知れない。 もしかしたら、シップに近い場所に出れるかも」

「っ、それ……は……そうね……」

 

 コウに反論しかけたアンズは、途中で言葉を切り首肯した。

 落ちたら登ればいい、そんな単純で現実味の無い言葉に出そうになった文句を留めた。

 答えそのものは間違いじゃない。

 どう考えても登ったところで、どうにもならない現実に直面するが、一縷の望みに懸けるなら正解ではある。

 落ちてきた穴を上る事は崩落に巻き込まれた段階で、まずもって穴が塞がっているので不可能だ。

 仮に他の道があったとして、途中に崩落して道が無くなっていない事や、崖のような極端な構造になっていないことを願わないといけない。

 アンズは直前まで見ていた空洞の構造を思い出そうとしたが、そんな道は心当たりが無かった。

 だけど、もしかしたら。

 ボーリングでは精査できなかった場所に、地表への出入り口があるかも知れない。

 だからアンズはコウの意見を受け入れた。

 コウだけならば、可能性がゼロなわけじゃない、と。

 そう、自分の機体は完全に壊れてしまったし、怪我と熱が原因で身体も思うように動かない。

 アンズが居れば地下からの脱出を目指すコウの重荷になって、彼の足を引っ張ってしまうだろう。

 しかしコウのホーネットは無事だ。

 極めて楽観的に見れば、地表に向かう道が存在しているかもしれないし、時間を掛けてこの地下空洞を登っていけばホーネットの救難信号が届くかもしれない。

 それをシップが受信できる位置に居てくれるかもしれないし、救助にも来てくれる可能性はあるかもだ。

 余りに儚い可能性。

 一体、確率にすれば何パーセントだろうか。

 脳の冷静な部分では、絶対に無理だと合唱しているが。

 自分の未熟に巻き込んでしまった目の前の男が生き残るには、その無謀な賭けに勝つくらいしか残されていないだろう。

 少なくとも、アンズの知識と経験ではそれ以外でコウが生存できる方法が思いつかない。

 だから、頷いた。

 

「よしっ! それじゃあ!」

「まって、駄目っ!」

 

 全身が痺れたような感覚に顔を顰めつつ、アンズはコウが差し伸べてくる手を払いのけた。

 この態度に狼狽したコウは、自分の右手とアンズの顔を何度か見返し、首を傾げる。

 

「なんだよ、早く行かないと……」

「駄目よ、コウ……っ、私、置いていかないと……」

「何を馬鹿なこと言ってるんだ、アンズ! 一緒に行かないとっ」

「あたしはっ……っ、あたしは、もうだめ! コウ一人なら、可能性があるんだから―――」

「可能性だって、可能性ならアンズだってあるだろっ! こうして俺と話してるのはアンズだ! 今、ちゃんと生きてるだろっ!」

 

 聞き取れないくらいくぐもった音が、ヘルメットの中で響いた。

 アンズの奥歯が強く噛まれて鳴った、軋んだ音。

 

「お願い、お願いだから……一人で行って! もう巻き込みたくないっ、もう、皆の足を引っ張るなんて、いやだ!」

 

 精一杯と言って良いほど、掠れた声でそう訴えるアンズは再びコウの手を払った。

 たったあれだけの閃光と爆炎で、前回の採掘事故を思い出して身体が言う事を聞かなくなってしまった。

 よりによってインパクトハンマーを踏みつけ、亀裂に落下するなど、アンズは自分のミスを心底悔いていた。

 そんな思いを知らないアンズの嘆願が、コウの頭を煮えさせた。

 熱に中り、怪我をして身体的な余裕もなく、命の綱であるホーネットさえ失い、ミスによる精神的な罪悪感。

 ああ、確かにそうだろう、とコウは思った。

 誰がどう考えても、こんな不安定な情緒をしている彼女は、この状況では足手まといになるのかも知れない。

 コウだって頭の奥では、助かる見込みが殆どない事を分かっている。

 アンズよりマシとはいえ、腕は痛いし、ホーネットが何時動かなくなってしまうのか分からない。

 もしもホーネットのライトが壊れてしまえば前後左右すら見失ってしまう。

 だが。

 

「そんなの、知るかっ!」

 

 彼女の嘆願は余りに身勝手じゃないか。

 巻き込みたくないだなんて、現状においては今更だ。

 コウだって眼が覚めてからずっと、シップの皆に迷惑なら掛けまくっている。

 何よりもアンズは言ってくれた。 自分を指して、もう仲間になったんだから、と。

 怪我をしたから?

 機体を失ったから?

 だから見捨てるなんて、それが仲間だと言えるだろうか。

 この世界では青臭いかもしれない。 現実の見えてない、子供のような我が儘かもしれない。

 それこそ、共倒れになってしまえばシティという場所で笑われる話になるのだろうか。

 でもそんなのは関係の無いことだ。

 コウはアンズとシップに帰りたい。

 半ばヤケッパチと言っても良いほどの思考を経て、コウはアンズに向かって言った。

 

「アンズがここに残る、俺と一緒に来ないって言うなら、良いっす。 でも、無理にだって俺は連れてくから。

 どうせ動けないんだし、拒否なんかさせないっすよ。 アンズが諦める係なら、諦めない係は俺っすね!」

「何を馬鹿言って、あっ!」

 

 コウはアンズの声を遮って、ヘルメットをぶつけ合わせた。

 

「俺は二人で一緒にシップに戻るまで、アンズを絶対に離さないからなっ!」

 

 コウの振り絞った大声が、地下空洞に響いた。

 アンズは呆気に取られたように開いた口を閉じず、コウはそんな彼女にこれ以上話をさせる気もなく、抱くようにしてその身を攫う。

 そのまま彼女を持ち上げると、先ほどはあれほど重かったのに、とても軽く感じた。

 ホーネットの操縦席に放り込むように、アンズを投げてコウもその身を突っ込ませた。

 場所が場所であれば、無抵抗の少女を誘拐している様にしか思えない光景だっただろう。

 

「や、やだ、やめてよコウ! ばかばか、死ぬわ、私なんて連れてったら、死んじゃうからっ!」

「だから、死なない為に頑張るんだって」

「頑張る所を考えなさいよっ、ばか、ほんと頭悪いんだからっ」

「うっさいなぁっ! もうアンズは黙ってろって!」

 

 本人的には必死なのだろうが、コウが抱えたアンズはまったくもって非力であった。

 ただ、機体の構造上、怪我をしている左腕以外はアンズを抱えることが出来ず、彼女が身を捩るたびに脳へ電流が走るような痺れがあったが、幸いと言って良いか。

 彼女の態度に怒りを覚えていたコウは、アドレナリンの脳内麻薬の放出によって、まったく痛みを感じなかった。

 もはやコウには、彼女の言葉には興味が無かった。

 あるのは、ただ一つ。

 どうにかしてこの地下空洞から、地上に顔を出す事だけ。

 絶対に地表に出る。

 機体を左右に動かして、頼りないライトで足下を照らして暗闇に向かって蜂の足を踏み出す。

 アンズの乗っていたホーネットの先に、大きな空間が広がっていそうだった。

 道はある。

 どこまで続いているか分からないが、道はある。

 周囲を確認しながらゆっくりと前へ。 アンズを落とす訳には行かないので、ホーネットの歩みは振動を与えないように、非常に遅い物だった。

 観念したのか、歩き出してからはアンズも儚い抵抗をやめて、コウの身体に押し付けるように、背を預けていた。

 いや、どちらかといえば僅かに残っていた体力を吐き出して、力尽きているのかもしれない。

 

「あ」

 

 コウは、アンズのホーネットを乗り越えた先に、一緒に落ちてきたインパクトハンマーを偶然にも見つけて、声を漏らした。

 先端に括りつけられた鋼鉄の杭で打突する、掘削作業に使われる道具。

 拾ってみれば、土砂に半分埋もれてはいたものの、外観は破壊されておらず、引き金も引けそうだった。

 何かに使えるか。

 道具一つだけとはいえ、この暗く広い地下空洞で手元に何かがあると言うのは喜ぶことだろう。

 拾い上げたホーネットが駆動音を一つ。

 インパクトハンマーを拾った重量感が、コウの心に触れた。

 それは誰かと手を繋ぐのと、同じような安心感に似ていた。

 

 

 



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十九話 芽生えている草

 

 

 延々と続く黄土色のトンネルは途切れることなく、時に視界を水蒸気の白煙で染めながら。

 下がり、登り、アップダウンのある起伏を繰り返しつつホーネットは進んでいた。

 ホーネットの右側のモニターには、アンズがデータを呼び出して空洞図と予想される現在位置が表示されている。

 《土蚯蚓》が削って作り出しただろう道は、構造がとても複雑だった。

 無軌道な動きを繰り返して掘られていく為、横の幅も縦の幅も大きさはまばらだ。

 上下にもうねるし、場所によっては崩落で塞がっていた。

 ミミズが生物である以上、この道も自然に出来たトンネルであるとは言えるかもしれない。

 コウのホーネットは機体の左側は殆ど動かなかった。

 アンズを抱えているのも左腕だし、損傷はそちらに集中していた為だ。

 拾ったインパクトハンマーを右手で握り込んでいる為、重心が右側にどうしても傾いてしまう。

 遅々として進まない鈍いホーネットの動きに、コウは内心で悪態をついた。

 もうちょっと早く反応してくれれば、こんなに遅く無いのに。

 焦れる思いを必死に押さえつけ、コウは気を揉みながらも慎重に脚を動かした。

 速度は出ずとも、足場と視界の悪い地下空洞を、僅かな計器と光源で危うげなく進んでいく。

 その様子をコウに身体を預けながら眺めていたアンズは、舌を巻いていた。

 ホーネット乗りになる訓練では、この機体の重心の感覚を掴むのが、最初の難関だ。

 アンズも腕の悪い方では無い。 

 むしろ総合成績ではトップクラスだったが、初動ではスヤンに笑われた様に、思いっきりすっ転んだ。

 ようやく機体の重心を意識的に制御できるようになったのは、いつだったか。 少なくとも一年は掛かっていただろう。

 道具を持った状態で走り回れるようになったのも、その位の時期だったはずだ。

 シティの訓練所で、高い評価を得ていたアンズでさえ、そんなものだ。

 正直、今こうしてコウが機体を十全に扱い操縦しているのを見ると、コウのスキルは数多のホーネット乗りと比べても頭一つ……どころか群を抜いている。

 しかもホーネットに乗り込んでからの期間はわずかに五日間。

 天才的、と称しても良い。

 いかに千年前に、似たような艦外機に乗っていたと言っても、信じられない技量である。

 上下に、あるいは左右に揺られながら、アンズは自然に口が開いていた。

 

「ごめん……」

「ん? どうした、アンズ」

「あたし、ダメね……」

 

 コウがそんな声にアンズへと視線を向ければ、バイザー越しに見える彼女の目尻が潤んでいるのが見えた。

 力なくコウに体重を預ける彼女の姿と相俟って、普段とはまったく様子の異なる彼女に目を細める。

 

「いきなり、何?」

「シップにね、参加するの……初めてだった」

 

 顔を歪ませ、弱弱しい息を吐きながら彼女は語る。

 とつとつと漏らす言葉は、アンズ自身のことだった。

 初航行のこと、ホーネット乗りとしてシップ・スパイダルに志願したこと、コウを見つけた時のこと。

 そして今、この場で遭難することになった切っ掛けとなった原因。

 《土蚯蚓》を撃退した時に起きた爆炎の光景に、トラウマが出来た事。

 あの衝撃的な光景を振り払えていたつもりだったのに、火成岩採掘時に使った小さな爆発と閃光。

 比べても規模が小さな音と光に、頭が真っ白になって身体は意思に反して後退してしまったのである。

 

「しかもね、そのせいでコウや、皆を巻き込んで……」

「アンズのせいじゃないって。 そんなの気にするなよ」

「さんざん偉そうなこと言ったのに、本当に未熟なのはアタシだった……ふふ、馬鹿みたい」

「……んー、なんかさ、話聞いてるとアンズと俺って似てるのかもな」

「え?」

「前にもちょっと言ったかも知れないけどさっっと!」

 

 急な坂にバランスを崩し、ホーネットの姿勢を器用に変えて態勢を立て直しながらコウは続けた。

 

「俺も失敗ばかりだったんだ。 まぁ、もう昔の話なんだろうけどな、はは」

 

 そう言って笑うコウに、アンズもつられて薄く笑みを浮かべた。

 今度は自分の番、とばかりにコウは語りだしてアンズは下手な励ましをしているのだと思ったのだ。

 実際にはコウの話は真実なのだが、冗談めかして笑う彼に胡散臭さを匂わす原因はあった。

 

「ここみたいに地下じゃないけど、宇宙で遭難するような事故も起こしちゃったことがあるんだ」

「へぇ……」

「本当だぜ。 三日くらいですぐに先生に拾われたけど、あの時は洒落にならなかったっすよ」

 

 コウにとっては苦い記憶でもある。

 宇宙艦外機《リペアマシンナリー》で宇宙船の修復実習中に、宇宙空間に飛び出さないよう機体に固定するアンカーを設置し忘れてしまったことがある。

 当然、スラスター制御はあったのだが、それでも止まらずに宇宙のかなたにすっ飛んでしまった。

 しかも、同僚を巻き込みながら。

 単純なヒューマンエラーから発生したミスであり、よくあると言えばよくある事故ではあるのだが、それだけこっ酷く叱られた物だ。

 追い打ちに、巻き込んだ友人を一人失いかけたというのが最も堪えた。

 なんだかんだあって、結局は救出もできたし仲直りもすることが出来たのだが。

 

「まだ機体に慣れていなかったっていうのは言い訳だけど、結構きつかったすねぇ」

 

 今のアンズみたいに、と付け加えコウは肩を竦めた。

 

「でも立ち直れた。 一緒に巻き込んじゃった友達が俺を見兼ねて励ましてくれて。

 こんなのは数ある失敗の一つだけどさ、生きて戻れれば何とかなるっす。 だから、アンズだっていつか一流になれるって。 

 それに、俺の先輩なんだからアンズには頑張って貰わないと」

 

 屈託なく笑うコウは、アンズに顔を向けた。

 失敗ばかりしていると物事をネガティブに捉えがちだ。

 コウ自身がそうだった。 だからこそ諦めないで励む事の大事さという物を知っている。

 宇宙と地上の差はあれど、艦外機を扱う仕事をしているのだから根底は変わらない。

 お互いに、駆け出しで失敗するのが当たり前な時期なのだ。

 コウから背けているので顔は見えなかったが、アンズは何も答えずに身体の力を抜いていた。

 胸は小さく上下していて、呼吸だけが通信で聞こえてくる。

 熱中症に怪我、そしてこの状況下で体力・精神ともに限界を迎えて意識を落としたのだろう。

 

「あぁ……カッコいい事言ったつもりなんだけどなぁ」

 

 一所懸命に励まそうとした身からするとがっかりしてしまう。

 しおらしいアンズ、というのは珍しいのかも知れないが、コウは彼女の溌溂とした笑顔や怒り顔が、今は無性に見たかった。

 まぁ、それは体調的には無理なのだろうが。

 

「さって、気を取り直して行くっすよ」

 

 一つ誤魔化すように呟いて、彼は揺れに注意しながら歩く事だけを意識し、地下空洞を進んでいった。

 

 

 

 

 何処までも続く円形状に抉られたような黄土色のトンネル。

 その景観に変化が訪れたのは、さらに1時間ほどは進んだ頃であったか。

 途中から横穴ではなく、縦穴を地表に向かって登ってきた感覚はある。

 アンズが引っ張ってきたデータとシップで更新した地形図を照らし合わせながら、コウはホーネットのパネルを叩く。

 見方が間違っていないなら、地表までは800メートルほどまで残っていた。

 破れて剥き出しになっている左腕の一部が、じりじりと熱を伝えてきて。

 下手に動かしてアンズの負担にならないよう気を付けながら、コウが携帯端末にちらりと目を落すと、気温は111℃まで上がっている。

 気温が上がっているということは間違いなく、地表に向かっている証拠だ。

 ホーネットの動きは故障部分を差し引いても鈍く、コウにとってはもどかしい反応ばかりを返してくる機体を動かすことは疲労感を加速させた。

 地表で作業を行っていた時から何も口にしておらず、空腹感や渇きが酷く気になってくる。

 段差や勾配も多いので、集中力の持続も難しくなってきた。

 そして今、ホーネットの肩部ライトに照らされて見えたのは、やや大きめの空間であった。

 それこそシップ・スパイダルが丸まると一艦、入りそうなくらいに広大に思える。

 光源が強くない為、内部全体の構造は見えない物の、ピタリ、ピタリという妙な音を響かせていた。

 

「なんなんすかねぇ」

 

 コウは気味が悪そうに口を窄めて言った。

 地下に広がる広大な空洞そのものは、別に不自然ではない。

 《土蚯蚓》を含めて、自然界が作り出す目に見えない地下世界だ。

 こうした巨大な空洞が出来上がる事は、大陸惑星であるのならば普通の事だ。

 ただ、定期的な間隔で耳朶を打つ音だけは、どうにも不気味だった。

 ホーネットが脚を踏み出すたびに、音の反響が大きくなっていく。

 おっかなびっくりと進めていたコウは、周囲を見回しながらホーネットを進めていた。

 左腕の端末からアラーム。 咄嗟にコウは目線を向けて、動きを止めてしまった。

 中空に映し出された警告と、周囲を見回した景色と音の正体を認識するに従って、やにわに興奮する。

 

「う、うそだろっ……!」

 

 ホーネットが照らした場所に、先ほどの不気味な音が何であるか。

 まさか、と思いつつも現実は明確に音の正体を彼に伝えていた。

 

「水ぅぅぅーーーーっ!」

 

 広大な窪地になっているこの場所に、水があった。

 既に気温が100℃を越える環境下で、どうして沸騰すらせずに地下湖水として溜まっているのか。

 冷静に考えればありえない事ではないと、コウも判ったはずである。

 スヤンに教えられた、あの大地の宝石とも呼べそうな光景を見ているのだから。

 惑星ディギングは、灼熱と酷寒の世界であり、地球の4倍以上の大きさである。

 岩石惑星としては巨大で、地球とは大気圧力にも差が大きい。

 地表は400℃を越える高温に達し、生物はおろか植物すら生えない乾いた大地。

 同時にマイナス200℃を越えて、空気すらも氷結する大地でもある。

 凍り付いた大地が恒星に炙られて溶けだすのは、考える迄も無く水だ。

 それら水分の多くは熱されて中空に気体となって消えゆくが、大地に沁み込んで乾いていくのも存在する。

 地下深くに潜れば潜るほど、大地の表層の熱は失われていくのだ。

 そうして蒸発しなかった水は、土や砂利に沁み込んでいく過程で濾過されて、真水となって地下空洞に落ちて行く。

 もちろん、地下深くに水が潜り込みすぎれば、今度は惑星のマントルからから立ち昇る地熱によって蒸発していってしまうが。

 地層そのものが侵食や堆積物などにより出来上がることを考えれば、水は必須なのである。

 理屈はともかく、コウとアンズにとって救いとなるのは間違いが無い現実だ。

 ゆっくりと、しかし出来る限り急いで巨大な水たまりの淵にホーネットを中座させると、コウはアンズを起こす為に声をかけた。

 

「アンズ、水っす! 飲めるっすよ!」

 

 ところが、彼女は揺さぶっても荒い息を上げるだけで反応が薄かった。

 左手の個人端末でアンズのバイタル情報も監視しているので、死んでいない事だけは確かである。

 コウは一旦、彼女を起こすことは諦めた。

 まずは自分自身の渇きを癒すことを優先したのだ。

 こんな場所に溜まっている水を飲んで平気なのか、という思考は過らなかった。

 むしろどんな泥水でも構わない、と考えていたのだろう。

 ヘルメットを脱ぎ捨て、頭から突っ込むように水たまりに顔を付ける。

 水しぶきが上がり、顔を打つ。

 それは酷く温く、いや、むしろ熱いくらいであったが、乾いた肌へと沁み込むようでもあった。

 口を開ければ気泡が生まれ立ち、喉を潤せば口内にたまった砂利を削ぎ落していく。

 

「っっかぁっ!」

 

 極上とまでは言わないが、涙が出てしまいそうになるほどは嬉しい。

 身体に水分が染みわたり、僅かに痺れていた指先に力が戻る。

 何度も手で顔を洗いながし、分厚い手袋で口元と顔を拭って、コウは情けない声をあげた。

 

「あぁ~~……最高っす……」

 

 至福を堪能しつつ、もう一度水面に顔をつけて出来る限りの水を口内に含む。

 水分が必要なのは自分だけではない。

 むしろアンズの方が速やかに求められる。

 自分で動けない以上は、彼女の水分補給の方法は限られていた。

 

「んんんんっふ」

 

 意味不明な言葉を放ちながら、彼は走ってホーネットの前に横たわるアンズに駆け寄った。

 頬を目一杯に膨らませ、彼女の頭を持ち上げてヘルメットのバイザーをおろすと、顎を開かせる。

 年齢の近い女の子だとか、そうしう細事を気にすることは全く無かった。

 無理やり口をつけて水を流し込むと、案の定アンズは咳込んだ。

 嗚咽により逆流する水が、口どころか鼻から漏れだしてたいた。

 それは確かな生きているという証左。

 現状においては醜さを覚えるより、酷く安心が胸をつくものであった。

 

「げっ……えぅっ……」

「アンズ!」

「うぅ……こ、コウ……」

「水だよ! 水があったんだ!」

 

 突然の、そのままの意味で水を浴びせられた彼女は、薄く瞼を開いて声を出した。

 水と言う単語に気付くと、コウの腕の中でゆっくりと首が巡る。

 薄闇に浮かぶ水面が視界に入り、アンズは小さく笑みを浮かべて口を開いた。

 

「ふふ……ほんとだ……初めてみた……」

 

 知識としては地下に水が溜まることを知っていたアンズも、実際に見るのは初めてだった。

 こうして直面すると、どうにも現実感が薄い。

 それはこの、暗すぎる世界のせいかもしれない。

 ぼんやり湖水を見つめていたアンズが、緑色を捉えて目を瞬かせた。

 

「ぁ」

「どうした?」

「コウ……植物が……」

「え?」

 

 震える腕を持ち上げて、アンズが向けた指先を目で追えば。

 コウも水ばかりに意識が向いていて気付かなかったが、そこには確かに植物が生えていた。

 雑草のようなものが、無軌道に点々とその芽を出していて。

 黄土の大地に確かに根付いて、だが、確かに緑を茂らせて存在を主張している。

 

「はは……すげぇ。 なんか、思わぬ発見っすね」

「ほんとね……」

「オアシスって奴なのかな」

 

 しばしホーネットに照らされる範囲で雑草に向けていた目も、やがて二人は顔を見合して笑い合う。

 

「アンズ、もっと水を飲んで。 水分を補給しよう」

「ええ、じゃあ……お願い」

 

 作業開始から4時間以上もぶっ通しでホーネットに乗っていた事もあって疲労も募っている。

 コウとアンズはこの地下のオアシスで、休憩を取ることにしたのだった。

 

 

 



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二十話 巨岩の蚯蚓

 

 

 

 休憩中、コウはヘルメットをかぶり直してジリジリと熱を増す左腕につけられた端末を見ながら、ふと思う。

 気温が上がっているという事は、灼熱の大地に近づいているということ。

 だというのに、まだシップ・スパイダルとの通信が回復していない。

 ホーネットに備え付けられている通信機は未だに、耳障りなノイズだけが返ってくる。

 左腕に装着している個人端末からも救難信号を発信しているが、彼らがコウの存在に気付けたとしてだ。

 惑星ディギングにある機器と交信が可能かどうかは、判らなかった。

 

「あんまり、過度な期待はしない方が良いのかな……千年前だもんな……」

 

 アンズが言うには、すでにシップが撤退してしまっている可能性の方が高いという。

 そうなれば、コウ達はここで取り残されて地上に戻ったとしても死ぬしかないので、その可能性については考えないようにしているが不安は募る。

 そもそも亀裂に落ちる前にスヤンが見事な撤退を披露してくれている。

 仕方がない事とは分かっていても、胸の奥底でコウは皆いなくなってしまって可笑しくないと考えてしまって居た。

 この場にスヤンが一緒に落ちていても被害者が増えるだけ、というのは間違いないのだが。

 

「せめてコイツに空を飛べるような能力があればな……」

 

 コウはホーネットの鋼鉄の足下を叩きながら機体を見上げた。

 操縦席にはアンズがおり、ホーネットのパネルを叩いている。

 システム的に必要ない、掘削で使うような物をシャットダウンしており、電力の節約を行っていた。

 電気系統は殆ど損傷なく、駆動系も機体の左側にエラーがあるだけだ。

 恐らくだが、アンズのホーネットの緩衝材の上にコウの機体が落ちてきたのだろう。

 深い縦穴で無事である理由は、殆どそれしか考えられなかった。

 コウはスラスターが欲しくてたまらなかった。

 宇宙艦外機《リペアマシンナリー》はロケットエンジンによる姿勢制御機関がついている。

 それさえあれば、宇宙空間のようにとは言わなくても、高い機動力と空中での動きが可能となるのだ。

 無い物ねだりを始めてしばし、コウは顔を上げて思いついたように声をあげた。

 

「あ! そうか、ホーネットは《リペアマシンナリー》が基になっているんだよな」

「どうしたの?」

「いや、うん……ちょっと、いや、なんでもないっす」

 

 いきなりあげた大声に、モニターに目を向けていたアンズが首を巡らした。

 コウは手を振ってそう言ったが、一度思いついてしまったら気にせずには居られなかった。

 携帯端末にはプログラムがある。

 データベース、通信、発信、他にも細かい機能を上げればキリがないが、コウの専攻していた《リペアマシンナリー》のコードも中には入力されている。

 宇宙艦外機は誰でも気軽に乗れるような物ではない。

 資格が必要な以上、機体そのものにもセキュリティロックがかかっている。

 コウが乗っていた練習用の物にも、管理下に置かれている以上はロックが掛かっていた。

 実地訓練の度に、専用のキーを用いてセキュリティを外すのだが、その形式は様々だ。

 ハンガーに設置されている艦外機専用の管理室から操作すること。

 或いは専用のカードキーを購入し、搭乗可能な電子データと生体登録を済ませてインプットさせておくこと。

 カードキーの変わりに個人携帯端末が用いられることもある。

 そして、わざわざカードキーを用意する手間を嫌ったコウは、何時も身に着けている携帯端末にデータをインプットしていた。

 このデータはセキュリティのみならず、自分専用にカスタマイズした搭乗プログラムコードも入っている。

 流石に一から構築することは不可能だが、習得する部分で自分に適したプログラムを入力することは、むしろ推奨されていた。

 コウは何度も失敗を繰り返し、その都度に改良を重ねてきた。

 それは自信があるもので、完全に機体と自分の操縦感覚をアジャストさせたものだ。

 これがもし、ホーネットにも必ず搭載されている機体制御プログラムに流用できればどうなるのだろうか。

 動かなくなるのか、それともエラーを吐いて更に動きが鈍くなるのか。

 電力が何時まで持つのか分からない以上、今の遅々としたホーネットの機体では間に合うかどうかわからない。

 乗っていた《リペアマシンナリー》ほどではなくとも、レスポンスが上がれば御の字だ。

 そうでなくても自分が弄り倒したプログラム。

 コウに適した操作性に生まれ変わる可能性は、無いとは言い切れない。

 

「……アンズ」

 

 携帯端末に目を落とし、考え込んでいたコウの耳朶を轟音が震わしたのはその時だった。

 僅かに振動を伴ったそれは、座っていた地面を震わせ、コウの尻に微かな衝撃を与える。

 どこか遠くで、崩落に似た岩石の打ち付ける音がした。

 

「なんだ……?」

「コウ……これ……」

 

 立ち上がって周囲を見回すように首を巡らせても、何も見えない。

 一度聞こえてからは断続的に音は続いて。

 いや、すでに鳴動していると言っても良い。

 立ち上がったコウも、操縦席から両手をついて身を起こしたアンズも、同時に悪い予感を頭の中で巡らしていた。

 《土蚯蚓》

 地中でシップもホーネットも掘削していない中で響く音の正体。

 地殻変動などで無ければ思い当たる節はそれしかない。

 

「や、やばいんじゃないか?」

「コウ、ここから離れないと……うっ」

「アンズ!」

 

 怪我が痛むのか、腹部を抑えて呻くアンズに駆け寄って、彼女の身を抱きかかえる。

 

「だい、じょうぶ……っ早く、しないと」

「分かってる、でも何処から鳴っているんだ? どこに逃げれば良いのかわからない」

 

 ホーネットのモニターにも音の反応は拾っているものの方角は分からない。

 端末の方でも同様で、出所は不明だ。

 コウは聞き耳を立てるように操縦席に座りながら、声を潜めて聴覚に意識を集中させるが広大な空洞が邪魔をしている。

 地下空洞を震わせるように響かせる音は、発信源を特定するのが困難だった。

 上か、下か。

 それとも登ってきた空洞なのか、奥からなのか。

 ホーネットだけが照らすライトの光量では、肉眼で推し量る事も無理そうだった。

 ただ一つ、幸運なことが在るとすれば、音の響きと振動からデータが発信源は距離が遠いことを教えてくれている点だ。

 コウやアンズの居る、地下世界のオアシスである此処に向かっているとは限らない。

 しかし、鳴り止まない地響きは、そう。 怖い物だった。

 

「駄目元だ、やってみるかっ」

 

 コウは操縦席から降りて、ホーネットの下部を覗き込むように降り立った。

 《土蚯蚓》は地表では時速300kmを越す速度を持っている個体も存在している。

 この地下世界ではどうなのか分からないが、万が一襲われた時にホーネットで逃げ切るのは不可能だ。

 機体の左側、特に駆動系の損傷が激しく殆ど動かせない。

 逃げる途中に転倒すれば、機体に固定されているコウはともかく、アンズは危険だ。

 彼女をホーネットに固定するような道具なども無い。

 怪我をしているアンズではしがみついている事も難しいだろう。

 だが、端末にあるプログラムをコウの物に書き換えられるなら、多少は可能性が上がる。

 反応性が上がるということは急な機体制御も素早く行える事を意味する。

 アンズを抱えている以上、機体性能は上がれば上がるほど良い。

 

「やるしかないっすね!」

「コウ、どうしたの? 何をしているの?」

「アンズ、プログラムっていうか機体制御の管理を格納しているのは何処についているか知ってるか?」

「何? 機体制御? 何をする気なの、コウ」

「良いから、どうせ今の機体じゃミミズに襲われたら逃げ切れないっす、だったら!」

 

 アンズはコウが何を考えているのか分からなかった。

 ホーネット乗りとしてシティで受ける訓練に、プログラムを弄る練習など無い。

 そもそも、《祖人》が生み出した技術に肖って、この機体は産まれた物だ。

 彼女はコウがやろうとしている事そのものが不明であったし、意図を理解することも出来なかった。

 

「これは……違うか? くそっ、見えない!」

「ちょっと、コウ! 何がしたいのよ!」

「自分用にプログラムを書き換えるんだ! 動かなくなるかもしれないけどっ……!」

「ま、待ちなさいよ、そんなの判りっこないわ、痛っ……」

 

 コウを覗き込もうと身体をねじったアンズが呻く。

 ほとんど取り合わずに、コウはホーネットの尾部。

 ジェネレーターやエンジン部を繋ぐ外骨格の間に、小さなコントロールボックスが存在しているのを見つけた。

 影になっていてほとんど見えなかった場所だった。

 

「アンズ! ライトをこっちに!」

「……わ、判ったわ」

 

 パネルを叩いて肩部のライトが僅かに突き出る。

 可動部はそれほど大きくないが、ライトの向きを弄るくらいの遊びは出来た。

 態勢的に右腕しか入らないので、コウは艦外作業服を出来る限り捲って腕を伸ばす。

 泥だらけになっているそのボックスは、しっかりと固定されているようだった。

 指先にかかったボックスに力を入れても、ビクとも動かない。

 

「ダメか! くっっそ、指はかかるんだけど……ぅんっぬぅぅぅう!」

 

 ただ、それでも地下900メートル以上を落下した衝撃は殺し切れなかったのだろう。

 僅かに歪んだフレーム部分に指が取っかかっる。 これ以上ないくらいに力んで引っ張ると、僅かにボックスは広がった。

 

「待って! コウ、こっちで動かせるかも。 確か制御系の項目に……」

 

 アンズの声に、指をかけたままコウは声に出さずに頷いた。

 ほどなくして電子音とともに、ボックスの中のキー音が外れるような音が響いた。

 物理的にもシャットアウトされているボックスだったが、どういう構造なのかは分からないがまた少し、隙間が広くなった。

 指全体が入るほど広がったボックス内に手を入れて、コウが再び力を入れると音を立ててどんどんと開いていくのが脳に伝わる。

 同時に一際大きな振動が大地を揺らし、ホーネットに捕まっているアンズも、尾部に手を突っ込んでいたコウも機体から転がる様にして大地に尻もちをついた。

 濛々とあがる砂埃の中で、音が近かった。

 

「コウっ……時間がないわ」

「待って、今落ちたおかげで、コントロールボックスが開いたんだ。 もう少し待ってくれ!」

 

 今の振動は彼にとってはある意味で感謝できる物だった。

 どういう物理法則が従ったはこの際、どうでもいい。

 コントロールボックスが開いた、という一点が重要だった。

 

「ここか? これに端末を合わせて―――っっ、くそ、届かない!」

 

 端末は左腕に装着されている。

 コウの端末には端子を繋ぐためのコードが内臓されているが、左腕を伸ばさなければ届きそうになかった。

 ホーネットを動かしても、この場所は容易に態勢を変えての作業は難しい。

 ジェネレーターやエンジンの間の外骨格の隙間にあるコントロールボックスは非常に狭く、どうしても届きそうにない。

 

「コウ、こっち。 支える、からっ!」

「アンズ! 無理すんな! 怪我が酷くなる!」

 

 コウの態勢を伸ばす為に、アンズが彼の脚を支えるようにして腕で抱えていた。

 

「だから、早くっ……うぅぅ」

「わ、判ったっす! すぐ終わらせるから!」

 

 僅かに浮き上がった身体。 アンズの肩を踏むようにして、コウは身体を出来る限りに伸ばした。

 左腕を無茶な体制で奥に突き入れるたびに、痛みが走るが歯を食いしばって左腕をとにかく伸ばす。

 挿し込み口を探し続けていたコウの指先に突端が触れた。

 冷却のためにホーネットが白煙を上げると同時、ガチリと何かが嵌った音が聞こえて、即座にコウはアンズから飛び降りた。

 

「うぁっ!」

「ごめん! でも……よし! 繋がってる! やっぱ端子は同じ規格だった!」

 

 言いながら転んだまま立ち上がれないで居たアンズに駆け寄り、コウは身体を支えながら左手の携帯端末を操作する。

 

「あっ! きゃあ!」

 

 アンズの悲鳴と同時に、今度は明確に聞こえる音。

 思わずコウとアンズは同時に明後日の方向へ首を向けた。

 相変わらずに暗闇が広がるだけの空間だったが、一か所だけ変化が生じていた。

 目の前の水面が波立っている。

 時間がない。

 

「アンズ、力が入らないかも知れないけど、掴まってて!」

「う、うん……」

 

 切迫した状況は理解している。

 コウがホーネットにどんな細工を施したのかは謎だが、もはや彼に全てを託すしか無かった。

 アンズを引きずってホーネットに乗り込み、自身の作り上げたプログラムコードのデータベースを引っ張り出す。

 ホーネットの電子モニターにアンズが開いてくれた制御プログラムの部分も同時に立ち上がって。

 

「っ、これは!」

 

 走っているプログラムの全容はコウでも流石に理解ができない。

 しかし見覚えのある部分は数多に見て取れた。

 《祖人》そして《リペアマシンナリー》の制作技術者がホーネットを作り上げたのは間違いないだろう。

 ほとんど賭けに等しいが、コウは確認もせずに携帯端末からのデータの上書きを命じた。

 直後に岩の塊が頭上から落ちてきた。

 コウもアンズも、大声を上げるが轟音にかき消されて。

 ほぼ直近、僅か数メートル先に巨大な岩石が滑り落ちてきたのである。

 眼前に広がる湖水の中二突っ込んで、盛大な粉塵と水しぶきを上げた。

 そして、その岩の塊が右に、左にと無軌道に動き出す。

 まるで、何かを貪っているような獰猛な反応だった。

 生存本能がけたたましい警鐘を脳裏で響かせ、ホーネットに乗り込んだコウは自然と体を動かそうとした。

 が。

 

「う、動かないっ! なんで!?」

「コウ、はやく!」

「動かないんだっ! ちくしょう!」

 

 機体のエネルギーはまだ残っていることを、モニターは示唆している。

 目前で暴れまわり、水の中で動き回るバケモノが、泥水を跳ね上げコウとアンズのヘルメットのバイザーに叩きつけられる。

 豪雨が降って来たかのように、全身に水を浴び、外骨格と作業服を濡らしていった。

 

「くそっ! なんでだ! 動いてくれ……あっ!」

 

 機体そのものは稼働状態であるのに動かない。

 そんな焦燥の中で携帯端末の画面に視線がいったのは、偶然だった。

 プログラムの書き換えを示すメーターが、遅々としながら進んでいる画面だった。

 

「まさか! 嘘だろっ!」

 

 コウが乗っていた《リペアマシンナリー》は、書き換えが非常に速かったのが誤算だった。

 それこそ一秒に満たない速度だ。

 電子音が一つなって、それで書き換えは完了していた。

 だというのに、ホーネットときたらどうだ。

 プログラムの書き換え完了を示す時間はそもそも表示されず、端末の方ではまだ半分しか動いていない。

 何故か目の前の水場で暴れるだけのミミズのおかげで、今のところ命は助かっているが、それも何時まで持つのか。

 《土蚯蚓》は生物だという。

 今、この瞬間に気紛れで、身動きの取れないホーネットに向かってこられたら一貫の終わりだ。

 

「早く、早くしてくれ……っ!」

「あいつ……なんなの、アイツ……っ!」

「アンズ? なに?」

「水が……水が減っているわ!」

 

 暗くて良く分からなかったし、暴れている中で確信は持てなかったが、確かに言われれば水位が低くなっているように思えた。

 《土蚯蚓》の習性は、惑星ディギングに人類が住み着いてから、その生体は多くが謎に包まれている。

 深い谷底、渓谷や高山を避けて移動すること。

 目に見えて気が付く習性というのは、その位だった。

 なぜ、それだけ情報量が少ないかと言えば、観察することが命に直結するからに他ならない。

 地表にでて命を失った《土蚯蚓》は恒星に焼かれて燃えてしまい、残骸が消えるから死後も調査ができない。

 ならば地中はどうかと言うと、人が地下に潜るのはどれだけ周到に用意しても危険すぎるからだ。

 近づけば死ぬ。 ぶつかれば死ぬ。 惑星ディギングにおいて唯一にして生物の頂点。

 災害と呼ばれるにふさわしい、人類の猛威に違いないからであった。

 

「もしかして、水を飲んでる……?」

「ありえるわよ、このクソミミズだって、生物なんだから……っ」

「待てよ、じゃあもしかして、水を求めて地下を徘徊してるっていうことか、コイツ等!?」

 

 なら、それは、つまり。

 コウはこの時、途轍もなく危険ではあるものの、地表へ脱出することが出来るかもしれない妙案が脳裏をよぎった。

 ただ、可能かどうか、その案を思考する暇もなく状況は動く。

 ミミズは、目の前に振ってきた湖水を荒らす一匹だけだと思っていた。

 少なくとも音の鳴動は目の前のミミズの起こす轟音に遮られていたし、岩そのものが暴れまわっている眼前の光景に意識が向かなかった。

 それは地下、土中から湧きだした。

 目撃できたのは、動けないホーネットのライトが偶然、そこに焦点を当てていたからである。

 地下から噴出し、盛大な土ぼこりを上げて湖水を差し挟む形で薄闇の中に現れたのだ。

 まるで海から顔を出した鯨のように、巨大で、壁の様にそそり立って一瞬の停滞。

 次の瞬間にはゼロだったはずの運動が時速数百キロという速度で加速する。

 水を求める。

 つい先ほど、それなりの説得力を持って弾き出した蚯蚓の習性は、コウの目の前にある水に目掛けて突っ込み始めた《土蚯蚓》によって証明された。

 巨大な岩壁そのものに等しい物体が、眼前に広がって。

 アンズは目を瞑り、コウは叫んだ。

 

「うわああぁぁぁぁああっ!」

《―――Rewrite!!》

 

 電子音声がプログラムの書き換えを完了したことを告げるのと、コウの機体が高速で迫りくる《土蚯蚓》と衝突したのは同時だった。

 ホーネットの機体の左方を駆け抜けたバケモノに、外骨格の左腕が完全に粉砕される。

 錐揉みしながらコウは、アンズを必死に支えて機体のバランスを制御した。

 視界は何も見えず、上下左右に滅茶苦茶に揺られてアンズは自分がどこに居て何をしているのか全く分からなくなってしまった。

 空間識失調と呼ばれる、めまいに似た平衡感覚の喪失状態に陥ったのである。

 だが、コウはこの空間を十全に把握していた。

 彼が艦外作業機《リペアマシンナリー》で最終的に卓越した操作技術を得るに支えられたのが、群を抜いて空間識別能力に長けた才能が在ったからであった。

 電子音が聞こえた訳では無い。

 認識としては未だに動かないはずのホーネットだったが、それでも制御を試みたのは咄嗟の判断、悪足掻きだった。

 視界が360度、不規則に回転している中で流動する黄土の塊に、機体の右腕を伸ばす。

 コウは覚えていた。 

 右腕に持っている、掘削作業を行う道具。

 インパクトハンマーをホーネットは右手で持っている事を。

 右腕を引き、動く壁に向かってインパクトハンマーが唸りを上げて、杭を打ち込む。

 一際、大きな岩を穿つような音―――いや、それは《土蚯蚓》の体表を抉り取る音であった。

 コウの動きに機敏に反応し、ハンマーを打ち込んだその体表にホーネットはしがみつくようにして鋼鉄の脚を着地させる。

 少なくない衝撃がホーネットを揺らして、また急激な運動力を受けてエンジンが異音をがなり立てる。

 周囲は水蒸気を盛大に吹き嵐、白の噴煙を巻き上げた。

 アンズを抱えていた左腕が悲鳴を上げ、空間識失調により平衡感覚を失ったアンズが滑り落ちて行く。

 

「あぁぁぁあぁっ!」

 

 怪我をしている左腕しか、ホーネットを操縦しているコウは使えない。

 必死に彼女の作業服を掴んでいるが、ミミズの不規則な動きに揺られてアンズがどんどん外に放り出されそうになってしまう。

 

「うううぅぅぅぅっっ、く、くそぉぉぉぉっ!」

 

 猛烈な慣性を受けて、コウとアンズはホーネットごと前のめりになっていた。

 腰の辺りまでずり下がったアンズは、コウに必死にしがみついている。

 動き続けるミミズはどれほどの速度が出ているのか分からないが、高速で流れて引っ張られていく暗闇の中で、ホーネットのライトが照らした前方に、巨大な岩の塊が突如として現れた。

 間違いなく、壁から突き出た岩石だった。

 《土蚯蚓》の背の上。

 体感速度200キロを越える高速移動の中。

 ライトの光量だけで捉えた岩石。 地下空洞。

 瞬間的な判断が求められる中、コウが選んだのは障害物を避けることではなく排除だった。

 機体を回避するように動かせば、アンズが落ちてしまうという直感に従ったのだ。

 ホーネットの右上腕部だけを動かし、インパクトハンマーを迫りくる岩石に向けて迷わず、引き金を引いた。

 接触、そして穿ち打つ。

 鋼鉄の拉げる音が耳朶を震わせ、岩の飛礫が身体全身を打った。

 

「ガァッ!!」

 

 それは生物の本能による避け得ぬ条件反射だった。

 全身を打つ細やかな石が身体に叩きつけられ、アンズを引っ張っていた左手が無意識に彼女を離してしまっていた。

 インパクトハンマーによる衝撃、高速で走る《土蚯蚓》の慣性、飛礫による痛み。

 これらの要素が折り重なり、アンズの身体はコウにしがみつく事も出来ず、ついに暗闇の地下空洞に投げ出された。

 

「ッ……っ!」

 

 アンズが何かを叫んでいたが、コウには聞き取れなかった。

 中空に浮かんだ身体の輪郭を、視線で追って。

 闇に吸い込まれるかのように回転しながら身体が舞っているのを、コウは目撃していた。

 

「うあああああぁぁぁぁっっ!」

 

 獣のような叫びをあげて、コウはホーネットを跳躍させた。

 無理な姿勢での跳躍に、白い噴煙が一気に視界を染めて行く。

 粉塵が蒸気に濡れそぼり、バイザーを茶色に染め上げて。

 見えない。

 この瞬間、コウの視界には何も見えなくなり記憶に頼るしかなくなったが、コウには見えている。

 手を広げて滑稽にも思える姿勢で中空に投げ出されたアンズの姿が、視界ではなく空間で把握できていた。

 すでに使い物にならなくなっただろう、インパクトハンマーを投げ捨ててホーネットの右腕の外骨格を伸ばし、確かにつかみ上げる。

 衝撃、痛み、そんなものは考慮する余裕も時間も無かった。

 左手でバイザーを拭い、肩口のライトを地面に合わせ、動かない地面に片足で突っ込んでいく。

 尾部に付けられたエンジンとジェネレーターから異音が大音量で発せられ、着地時に擦りつけた大地が捲れ上がった。

 何かに機体がぶつかったのか、それとも限界を迎えたか。

 だが、今はアンズが無事なのかどうかだけが思考を染めていた。

 

「アンズっ! アンズ!」

 

 誰かが見ていたら称賛していた事だろう。

 噴煙と土煙に染まり機体が滅茶苦茶な軌道を描く中で、しっかりと大地に着地したのだから。

 コウはホーネットを止めると操縦席から飛び降りてアンズに駆け寄った。

 鋼鉄の手の中で、ぐったりとして動かない彼女を覗き込む。

 手の力は、無意識に力を込めていたかもしれない。

 まさか、握り潰していたのではないか。

 

「アンズ! アンズ!」

「……」

 

 呼びかける声に応答は無いが、微かに胸が上下に揺れていた。

 息をしている。

 アンズのヘルメットのバイザーが外部との気温差で、僅かに白く曇っていたのがその証拠だった。

 とにかく、生きている。

 それだけ判れば、後はいい。

 振動は未だに止まず。

 ミミズ達は近くに居るが、どこに居るのかはもう不明だ。

 アンズを抱え、操縦席に戻ったコウはノイズの走るホーネットのモニターから、来た道を戻された事が確認できた。

 モニターのライトに照らされ、アンズの背中からコードが不自然に垂れているのに気付く。

 

「……? な、なんだよ! これ!」

 

 新たな問題だった。

 アンズとホーネットを繋いでいた冷風コードが途中で千切れ飛び、何処かにすっ飛んでいってしまったのだ。

 冷風が、アンズには届いていない。

 コウはコードを手に持ったまま焦りながら周囲を見回した。

 

「そんなっ! くそっ! ど、どうすりゃ良いんだ! ちくしょう! どうすりゃ良いんだよっ!」

 

 コウは言いながら必死に思い出す。

 予備のコードは一本しか無い。

 スヤンに直接教えられたことだから、これは間違いがないのだ。

 コードを作るなんてことは不可能だし、何かで転用することも無理だ。

 自分の繋がっている冷風コードしか稼働していない。

 下唇を噛んて、千切れたコードを握りしめていたコウの耳に、ホーネットからの警告音が響いた。

 機体の損傷。 

 エンジンの出力の低下。  

 そして、電力の喪失による充電を促す警告だった。

 左腕の携帯端末には気温が103℃。

 地表に向かえば向かうほど、この温度は高熱になり最終的には400℃を越す。

 

「……生きて戻るんだ……二人で、生きて戻るんだ……そう言ったんだっ!」

 

 連続する緊張、止まらずに続く困難に、荒い呼気を繰り返すコウは、自分に言い聞かせるように繰り返した。

 生きて戻る、と何度も何度も言葉にして。

 絶対にあきらめないのだ。

 目が覚めたばかりで、こんな地下空洞で、自分を掘り起こしてくれたアンズと一緒に死ぬなんて、そんなのはダメだ。

 どんなに絶望的な状況でも、諦めないでいる限り、生きて帰れる可能性があるはずだ。

 もはや自己暗示に近いほど心中で何度も同じ言葉を繰り返し、コウは自分に繋がる冷風コードを引っこ抜いた。

 たかが外気温が少し高いだけである。

 地表に戻れさえすれば、きっとシップが待っていてくれている。

 

「ううぅぅぅぅう……っ」

 

 ジリジリと一気に熱気が入り込んでくるのを、コウは唸って耐え凌ぐ。

 生きて帰る。

 地表に戻る、と。

 そう繰り返しながら、アンズの艦外作業服に、冷風コードを突っ込んだ。

 

 

 

 



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二十一話 蜘蛛の糸

 

 

 じわり、と艦外作業服の中が猛烈に蒸していく。

 コウは冷風コードをアンズに付け直すと、自身の艦外作業服に目を落とした。

 下腹部の一部が破れていた。 恐らく、インパクトハンマーで岩を穿った時の飛礫によるダメージだ。

 身体が無事なのは幸いだっただろう。

 この艦外作業服は本当に命の綱であった。

 破れている下腹部の部分を毟り取る。 股間のところだけが破れて格好が悪いが、ホーネットの操縦に邪魔だった。

 軋みを上げる左腕の痛みを無視しつつ、アンズの腰に手を回すと、股間にあけた穴の中にアンズの腕を突っ込ませる。

 まったく意識が無いせいか、自分の力を入れた方向にアンズの身体がぐったりと向いていく。

 その様子が酷くコウに恐怖を抱かせた。

 バイザーの奥が血に染まっているのも、その時に気付く。

 今は割り切るしかないだろう。 まだアンズは生きている。

 治療は出来ないが、呼吸をしている限りは助かると思わねば、コウの気力も尽きてしまいそうであった。

 

「……っ……はぁっ……」

 

 後は、水だ。

 《土蚯蚓》は水を求めてやまない。

 それは先ほどの一件で確実になった情報であり、水さえあれば《土蚯蚓》をコウは誘導できるのではないかと考えたからだ。

 時速200キロ以上で走るミミズは、ホーネットが歩く速度よりも何倍も早く、かつ地中でその動きを制限されない存在だ。

 上下左右、どこにでも土砂を削って推進していく巨岩の塊そのもの。

 もしも水を使って方向や行き先を誘導できるのであれば、この地下空洞に開けた道を一気に抜けられる事も不可能ではないだろう。

 問題はどうやって《土蚯蚓》の鼻先に水を垂らしてやれるのか、という事だ。

 コウに抜群の反応を返すプログラムに書き換えられたホーネットがあれば、《土蚯蚓》の上に乗る事はそれほど難しくはない。

 それはつい先ほどに証明したばかりだ。

 恐怖も、今は感じない。

 

「……でも、水はどうするんだ!  水がないと、どうにもならないっ!」

 

 発見した湖水は豊富な水源であると言える。

 如何に《土蚯蚓》であろうとも、どれだけ巨大な生物でも、あれだけ溜まり込んだ湖水の水を飲み尽くすのには時間がかかる筈だ。

 だから、水そのものは存在している事が分かっている。 そう考えなくては希望が無い。

 問題は、水を汲むものだ。

 地表に辿り着くまで《土蚯蚓》を誘導するまでの間、水が無くならない位の容器がなければ皮算用である。

 

「器になるもの……岩の破片は? いや、でもそれじゃダメだ。 ホーネットは右腕しか残って無いし……」

 

 抱える物にも限界はある。

 左側は腕は粉砕されて無くなっているし、脚も駆動系が逝かれてて反応が極端に鈍い。

 アンズを抱えている関係上、パネル操作も難しい。

 仮に水を入れる容器として適した岩があったとしても、サイズによっては使えない。

 コウはヘルメットを脱いで顔を拭い、頭を掻いた。

 熱気と吹き出る汗で感情が騒めき立ち、上手く考えがまとまらなかった。

 とにかく、この場に留まっていても仕方がない。

 《土蚯蚓》によって引き戻された道を戻る為に、ノイズの走っているモニターを前面に持ってきて地形図を表示させる。

 湖水に辿り着くまでに妙案を浮かべればいいのだ。

 アンズの身体がコウの動きによって揺られ、顔が目の前まで来る。

 

「アンズ……あ?」

 

 一緒に生きて戻るんだ、と言おうと開いた口が止まる。

 それは閃きに似た呟きだった。

 そうだ、アンズはどうしてこの場所に居るのだ。

 コウと一緒に落ちたからだ。

 それはいい。 それは判っている。

 だが、もう一つ。 重要な物がアンズと一緒に落ちてきているではないか。

 

「アンズのホーネット! 水の器ぁっ!」

 

 外骨格が拉げて潰れていた、アンズの機体の様子を脳裏に描けば。

 確かに四股は壊れて使い物にならない。 エンジンやジェネレーター等の駆動系統も全て潰れている。

 だが、操縦席は無事だった。

 操縦席の椅子はコの字型をしているし、手足を包む円筒状の器がある。

 ホーネットを機敏に動かし、ライトで周辺を照らしながら、モニターに表示されたデータを確認していく。

 コウは空間を認識する能力に長けており、方向感覚に自信もあったし、それは周囲からも認められている。

 右に、左に機体を揺らして進行方向を確認すると、右手親指の奥にあるダイヤルを弾いた。

 損傷と故障によって悲鳴を上げているホーネットが、億劫そうに出力をあげていく。

 今できる最大の出力に達し、白煙が一機の鋼鉄の蜂を包んだ。

 コウの意思に答え、白い蜂と化したホーネットが唸りを上げて大地を踏みしめる。

 ガン、ガンと鋼鉄の脚が大地を踏みしめる音を響かせ、地下空洞を駆け抜けて行く。

 速かった。

 ともすれば、一本の白煙を後背に残し、白い雲を残していくような速度で。

 

「ぅうぅうぅぅぅっ!」

 

 僅かな光量が照らす中、高速で移動を続けて疾駆する一匹の蜂が、闇のトンネルを駆け抜けた。

 崩落直後からは比べるべくもない運動性能によるホーネットの全力稼働。

 プログラムの書き換えによって劇的な性能の向上を見せたホーネットは、僅か20分という短時間でこの地下世界での生存を懸けた、始まりの場所に戻る事ができた。

 

「ふっ……ふぅーっ……はっ、はぁっ……」

 

 しかし、外骨格だけで構成されているホーネットは《リペアマシンナリー》とは違っている。

 パワードスーツのように、人の力を増幅して出力している構造だ。

 つまり、ホーネットでの全力疾走は、生身で全力疾走することと何ら変わりはない。

 どんなに言葉で偽っても、100℃を越える猛烈な高温の中で全力で運動していた事と同じなのだ。

 精神はともかく、肉体は既に限界だと悲鳴を上げていた。

 全身から噴き出す汗は、瞼の裏側にまで入り込んで、刻一刻と全身から乾いていき、手先や足先と言う人体の末端から痺れが増す。

 

「あぁ……ぐっ……き、きついっす……!」

 

 コウはアンズの機体の前まで辿り着くと、一度ホーネットの動きを止めて、アンズの冷風コードを溜まらず引っこ抜いた。

 自らに冷風を送り込む。

 癒したはずの喉が、ひりつくように熱かった。

 

「ううぅぅぅ、つ、冷たい……」

 

 急激に冷えた風が身体を一気に冷やしていく。

 コウの頭の奥がガンガンと強く痛みを伴って響いた。

 急速な温度変化による、血管の収縮による痛みだった。

 あまりに猛烈な痛みと、全身に走る倦怠感にコウは身体を震わせながら背を丸めて歯を食いしばる。

 

「はぁ……あぁ……死ぬ……これじゃ、死ぬ……」

 

 初めて、弱気な言葉が自然に漏れ出てしまった。

 目じりからはもう、枯れているはずの水分が吹き出しそうになって。

 コウは薄く目を開けて、ホーネットを動かし、アンズの機体に手をついた。

 水の器として利用しようと、震えながら操縦席を掴んだ時だった。

 ライトに照らされたホーネットの、拉げていない外骨格をぼんやりと見ながら。

 

「あ、ああ……あ、あ、ある! ある! あるっ!」

 

 そうだ、何故気付かなかったのだ。 

 アンズの機体は目の前で、アンズのホーネットにある予備の冷風コードは使っていない。

 

「あるんだ! ある! 熱は平気だ! なんとか……!」

 

 コウはアンズを自分の機体の操縦席に押し付け、飛び降りた。

 一度転倒し、ふらふらと震える足を必死に叱咤し、コウは立ち上がってアンズの潰れてしまっている機体に近づいていく。

 時間はないのだ。

 冷風コードを抜いた今、アンズの出血した身体には100℃を越える高温の渦中に晒されている。

 もはや原形をとどめておらず、どの部分に予備のコードが収納されているのか分からない。

 暗闇の中、外骨格の表面を探るように、手をついて漁る。

 降り積もった土砂が埃を巻き上げる中、コウは2分ほどで目的の物を引っ張り出すことに成功した。

 偶然でも幸運でも構わない。 とにかくコウは喜んだ。

 すぐさまコードの先端を抜いて、千切れてしまったコウの機体とアンズの機体のコードを入れ替える。

 交換そのものにはかなりの時間を要してしまったが、コウのホーネットはしっかりと予備の冷風コードが繋がった事を認識していた。

 アンズに冷風コードを挿し込んで。

 

「やった……!」

 

 その場で尻もちをついて、コウは安堵の息を吐き出した。

 危機的状況にあったせいか、冷風コードの挿し込みは非常に速くなったような気がした。

 機体を見上げて息を整えているコウの耳朶に、今度はホーネットから耳を劈く音が鳴り始めた。

 高速で鐘の音が鳴っているような、耳障りな大音量だった。

 

「な、なんだ!? 壊れたんじゃないだろうなっ!? ここまできてっ!」

 

 操縦席に慌てて戻ったコウが、アンズを抱えるようにして持ち上げた時にモニターに映る表示はかなり乱れていた。

 しっかりと画面へと顔を向けたコウが見た物は、その顔を蒼白させるに足りるものだった。

 無常に告げたのはエネルギーの残量が少ない事だった。

 予測される稼働時間が40分を切っていた。

 蓄えていたホーネットを動かす為の電力が、もう無いのだ。

 

「アンズの電池は!」

 

 コウはまたホーネットから飛び降りて、アンズの機体をよじ登っていった。

 彼女の機体は太陽光パネルによって蓄えられた充電電池がまだ残っている。

 ホーネットの稼働時間はすなわち、命を繋ぐ時間とイコールになる事から、スヤンからは口酸っぱく教わっていた。

 充電方法、蓄えられた電力がどこに貯められるのか。

 その他、電源系統まわりは最重要項目として殆ど一夜漬けみたいな形で教え込まれていた。

 アンズのホーネットに取り付けられているはずの装置はどこにも見当たらなかった。

 外れたのか、潰されたのか。

 とにかく何処にも見当たらない。 

 薄い暗闇の中、土ぼこりがもうもうと立ち昇るだけであった。

 

「くそぉぉぉ!」

 

 コウは外骨格を這うようにして探していたが、諦めざるを得なかった。

 探している時間がもう無いのだ。

 自分のホーネットに戻ると、アンズをしっかりと固定した後に、急いでホーネットを動かしてアンズの機体から力任せに操縦席を引っぺがした。

 それをホーネットが右手一本で抱えると、来た時と同じように出力を最大まで上げて走り出す。

 この地下世界に居る限り、ホーネットは常に稼働状態でなければ命綱である冷風が途切れてしまう。

 生き残るには、完全に機体が力尽きる前に何としても地表に脱出して太陽光を手に入れなければならない。

 湖水までは20分。

 インプットされているデータによれば残された20分で、地下800メートル以上を一気に駆け上らねば生き残れない。

 水を手に入れて、蚯蚓を見つけ、そこに飛び乗って地表まで誘導する。

 時間計算も、思いついた作戦も杜撰だが、コウにはもうこれしか生き残る方法が無かった。

 残り40分、予測された時間一杯までホーネットが全力稼働してくれることだけを願う。

 外に出れば。 地表にさえ出れれば。

 惑星ディギングを照らす恒星が沈むまで、生き延びることが出来るから。

 コウは疾駆しながら叫んだ。

 

「絶対諦めるもんかっ! こんなとこで死んでたまるかぁっ!」

 

 それは強く眩しい、この惑星ディギングに存在する全人類の共通した意思だった。

 それが力を与えたのかどうかは定かではない。

 定かでは無いが、コウの心を折る様に重なった展開に、一筋の蜘蛛の糸が垂らされた。

 

『―――えて……っ……―――か』

 

 疾駆する機体と風を切る轟音、闇を震わす振動に混じってノイズが入りながら何かが聞こえた。

 走り続けるコウは息を切らしながらも、目を剥いてその声に聞き耳を立てた。

 

『―――えろって言ってるのよ! 糞ったれな耳は動いてんだろうがっ! 速く応答しやがれボケナスがっ!』

 

 ころころと鈴を転がすような甘い声での罵詈雑言。

 こんな周囲がドン引きするような言葉を口に出す女性は、コウは一人しか知らない。

 

「おおおおおおおおっ、ジュジュ! ジュジュだよなっ!? 聞こえる! 聞こえてるよ!」

『―――ウ! コウなの―――クソミミズ並みの生命力ねっ、良い、こっち―――…』

 

 通信は不安定だが、確かに通じる。

 受信、発信をしているのはコウの左腕に着けた携帯端末からだ。

 精神を圧迫していた、心に淀んだ物が払拭され、心中に克が戻るのをコウは実感した。

 シップが。

 シップ・スパイダルが居る。

 ずっともう、去ってしまったのではないかと、心の何処かで不安だったシップが。

 地上に戻れば、助かるのだ。

 

「時間が無いんだ、ジュジュ! これから《土蚯蚓》に乗って水を使って誘導しながら上まで行く! ホーネットが動ける時間もそれが限界なんだ!

 ミミズが登っていくから、何とかしてくれ! それまで、待ってて! お願いだっ!」

『―――い? クソミミズ―――って!? コウ……―――』

 

 途中までは繋がっていた途切れ途切れの通信も、次第にノイズの方が強くなり、殆ど声は聞きとれなくなってしまった。

 だが、十分だ。

 言いたい事は全部とは言わなくても、だいたいは伝わったはずだ。

 何時の間にか痛みに慣れてしまった左腕を動かして、アンズの身体を揺らして支え直す。

 

「聞いたか、アンズ! 助かる! シップが居るんだ! 俺達は助かるぞ!」

 

 吐き出す息は荒く、バイザーから見える視界は殆どないが、蜂は軽快に闇のトンネルを突き進んだ。

 災害でありながら、唯一の生き残る希望となった《土蚯蚓》目指して。

 白煙が闇の道を切り裂いていった。

 

 

 

「聞こえない!! クソミミズと登って!? どうするのよっ!」

『艦長ダメです、反応が追えません』

「このヘタレの根性無しっ! 冗談じゃあないわっ!」

 

 バシッと音を立てて、シップ・スパイダルの倉庫からカプセルについていた有線マイクを投げ捨てる。

 メルのアンテナから《祖人》の機器と端子の合う規格は、コウのカプセルに備えついていた妙な形のこの機器しか無かったのだ。

 シップのメイン通信機器、すなわちクウルの管理する機材と繋げられれば、確実に通信が可能だというのに。

 とはいえ、通信手段が確保できた事実は大きい。

 ついでに、かなりコウ達の状況が逼迫している事が分かった。

 右手は眉間を抑え、左手で顔を覆うようにしてジュジュは頭を抱えるようにして考える。

 断片的な情報を整理し、何が必要かを手早くまとめ上げると顔を上げた。

 

「クウル! ボッシさんに繋いで!」

『シップから。 ボッシさん出て』

『―――ボッシです。 艦長、なにか?』

「採掘に出ているホーネットは散水装備に切り替えて、何が起こるか分からないから榴弾装備、電磁砲の使用を許可します。 衝撃緩和材とエアークッションの用意も」

『艦長? 何を言っているのですか』

「クソ共が来るって言ってるんです! 乗っている機体ごとミンチにされたくないなら、とっととしやがれっ!」

 

 主語もなく、端的にアレンジされた言葉であった為、大多数には伝わらなかったがボッシはややあって理解した。

 ミミズが現れることは間違いないようだ、と。

 

『了解。 散水装備の目的を聞いても?』

「コウ君と連絡を取れたのよ。 どういう理屈かわからないけど、ミミズを誘導して地表に向かう、と。 

 水を―――えっと、そう、ミミズは水で誘導できる。 だから散水装備でミミズを誘導してください。

 ホーネットのエネルギーはもう僅かでまともに動けないわ。 途中で切れたら、彼らは放り出されるはず、可能な限り早く準備して」

 

 ボッシの返答を聞く前に、ジュジュは通信を切った。

 要点さえ伝われば、彼ならば何も問題なく対処をしてくれる。

 判り切った了解を聞く時間は、無駄である。

 コウの通信から判る事はミミズの新たな習性の発見でもあったが、信じる信じないを論ずる前にジュジュはそうであると決めかかっていた。

 少なくともコウやアンズを救出するには、コウの言葉を全面的に信じるしかない。

 

「クウル―――」

『コネクト。 繋がってる』

 

 ジュジュの心の中を読んだように、言い終える前に応対するクウルに、やにわ笑みを浮かべ。

 交信相手はスヤンだ。

 ホーネット乗りではあるが、必要最低限の4機編隊で採掘作業をしている現状、スヤン他ホーネットに乗り込む作業員はローテーションで交代しながらの作業だった。

 今、休憩を兼ねての待機状態にあるのがスヤンだったのは僥倖というほかない。

 

「スヤンさん」

『あー? なんだ艦長か』

「コウ君がミミズと一緒に登ってくるわ、電磁固定砲台をシップのデッキに着けて、奴等にぶちかまして頂戴」

『あぁ? なんだって? 何言ってんだテメェは』

「良いから言われた通り準備しろって言ってるのよ! 早くしろ、チキン野郎! 出来ないなら私が直接蜂に乗ってぶちかましに行くわっ!」

『おいおい、まてまて。 わーったよ、準備すりゃ良いんだろ、準備すりゃ! ったく、出来もしねぇことを言うんじゃねぇよ!』

「お願いします!」

 

 そこでスヤンへの通信も切った。

 無茶振りではあるが、それに全て彼らは応えてくれると信じていた。

 飛び出してくる大まかなポイントを割り出さねばならない。

 ソナー員として動いてるボッシのホーネットから、ボーリングの結果をモニターに映し出して地形図を照らし出す。

 場合によってはシップ・スパイダルが動く必要もあるだろう。

 

『艦長、通信から予測される発信源を特定した。 データ送信する』

「ありがとう、クウル」

 

 メルが捉えた通信履歴から、コウ達の現在位置が絞れそうだ。

 空洞の構造を指先で追って、ジュジュのパネルを叩く音が加速した。

 大丈夫だ、ここからシップ・スパイダルを数百メートル移動させる必要はあるが、間に合う。

 

「シップを移動させるわ! 足を出して! 発着場に蜂が戻ってきたら直行するわよ!」

 

 やれそうな事は思いつく限りでやった。

 後は、自分にとっても前を進む勇気を与えてくれた彼の言葉を信じて待つだけだ。

 諦めない、絶対にあきらめないと不屈を教えてくれた、尊敬すべき《祖人》を。

 

 



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二十二話 灼熱の大地へ

 

 

「ついたっ! 水!」

 

 機体に制動もかけず、半ば半身を飛び込ませるようにして操縦席を抱えたまま湖水に飛び込む。

 耐水性や衝撃などの細かい事は考える時間はなかった。

 電源が落ちてしまえばこの場所から脱出する方法が無くなってしまう。

 噴出する地下水の中で、泥塗れになっても採掘を続けることが出来るホーネットだ。

 ちょっとやそっとの水圧で、ショートするような軟な構造などしていないだろう。

 コウの乗っていた《リペアマシンナリー》が基になっているのだ。

 この惑星ディギングにおいて、彼が絶対に信頼できる数少ない《祖人》の利器である。

 水位は随分と落ちていたが、予想通り間に合った。

 

「っ! 来たなっ!」

 

 まるで水を奪いに飛び込んできたホーネットという異物に抗議するように、ヌッっと水面から顔を出してコウへと岩の塊が動き出す。

 コウの眦が下がった。

 バイザーの奥に揺れる瞳は、人類災害の《土蚯蚓》を真っすぐに見据え、口元は一文字にピタリと引き締まる。

 泥塗れの顔が、満身創痍の身体が。

 隻腕の鋼鉄の蜂が、巨躯のバケモノへと相対する。

 これが最後のチャンスだ。

 

「来いよ! 来やがれっ! お前なんか、俺はぜんっぜん、怖くねぇ!」

 

 コウの叫びに応えるかのように。

 いや、単純に水場に現れた異物に対して不快感を示したかのように、《土蚯蚓》はコウへと迫った。

 巨躯からは想像もできない運動性を遺憾なく発揮し、全てを押しつぶす土壁が高速でうねりだす。

 しかし、それはコウにとってはもう恐ろしいものでは無かった。

 極限状態において吹っ切れてしまって居た。

 そもそも、この脱出方法こそ命を懸けた一度きりのゲームのようなものだ。

 ホーネットで抱えている水が地下空洞の中で切れてしまえば終わり。

 零しても、誘導を失敗しても終わりだ。

 轢き潰されるか、それとも黄土の壁に叩きつけられるか。

 機体そのもののエネルギーが切れてしまえば俎板の鯉となるようなものだ。

 それが何だ。

 生き抜く為に足掻くのを止めるくらいなら、最初から落ちた時に死んでいれば良かったのだ。

 千年生き続けてきた。

 こんなところでは死ねないんだ。

 

 跳躍。

 水の飛沫と白煙を巻き上げて、コウの意思が鋼鉄の蜂を動かして、唸りを上げて飛翔をする。

 目標を見失ったように《土蚯蚓》はその身を捩じり暴れだす。

 

「うわあああああああっ!」

 

 悲鳴のような、気合のような雄たけびを上げて、コウはその背にしがみついた。

 ミミズの上で蜂が這い回り、あるかも分からない頭に向かって必死に登る。

 暴れまわる地面が衝撃となって蜂を揺さぶって、抱きかかえていたアンズのヘルメットがコウのバイザーとかち合って割れた。

 飛散する特殊なガラスが、眼の下の皮膚を突き破る。

 痛みはなかった。

 目を瞑ることもしない。

 失明したとしても、全てが終わった後にまとめて悔いれば良い。

 

「うおおぉぉぉっ! 行けえぇ!」

 

 叩きつけるように、コウはホーネットが抱えていた水を《土蚯蚓》へとぶつけた。

 それまで無軌道に暴れまわっていたのに、水を認識した瞬間から指向性を持って《土蚯蚓》は想像通りに誘導に従っていく。

 ある種、本能なのだろう。

 何よりも優先されるのは水であり、その為に地下を泳ぐのだ。

 水場を通り過ぎ、モニターに表示された空洞内の地図を見ながら、コウは水を抱えて張り付いた。

 ミミズの鼻面に近い体表に、卓越した機体制御で水を落としていく。

 じわり、じわりと岩に似た体表が水を求めて姿勢を変えて行った。

 警報が鳴っていた。

 エネルギーの残量を構ってはいられない。

 どうせ乗るか反るかだ。

 

「いけえええぇ!」

 

 もうどれだけの速度で《土蚯蚓》が走っているのかすらわからない。

 その速度は、少なくともホーネットの全力疾走よりは遥かに速い。

 円環状に刳り貫かれた闇のトンネルを駆け上る。

 ライトに唐突に照らし出された、突き出た岩盤が見えた。

 避けられない。

 

「ううぅっ! くそぉっ!」

 

 瞬時の判断。 

 来る衝撃に備えてコウは歯を食いしばって、ホーネットの右足から自分の右足を抜いた。

 水に誘導されて速度を上げ続ける《土蚯蚓》の頭の淵に食らいついた、蜂の脚が轟音をあげて吹き飛んでいく。

 大質量に跳ね飛ばされまいと、力いっぱいアンズを抱きしめて。

 シップまでの片道切符を逃すわけには行かない。

 どれだけ闇の中を走って来たか。

 ジリジリと上昇する熱波に肌を焼かれて。

 暗闇が光を捉えたのはその数分後だった。

 

「光っ!」

 

 モニターに表示された地形図は、その先がもう無かった。

 生き残るための確かな光明が、視界に入る。

 だというのに、あと少しだというのに、急に《土蚯蚓》の動きが止まった。

 加えて唯一の光源だった、ホーネットの左肩に装備された投光器がその力を失っていく。

 ホーネットの警報は鳴り止み、かすかな電子音だけを耳朶に響かせていて。

 気が付けばエネルギーは切れていた。

 鋼鉄の蜂が決して離さなかった容器は、慣性に耐えられずにその腕から飛び出して行ってしまって。

 

「ぐうぅぅ……諦めるかよぉ! ここまで来たんだっ!」

 

 絶望的な状況がむしろ、コウを奮い立たせていた。

 自分が抱えているアンズから、鼓動を確かに感じる。

 それが何よりもコウの気力を高めていた。

 

「み、水がっ! 欲しいっ! んだろうがぁああ!」

 

 既に反応無くなったホーネットから、コウはアンズを抱えたまま転げるように飛び降りた。

 《土蚯蚓》の背中から振り落とされないように、必死に片腕だけでしがみついて。

 それは確実に死に近づく行為。

 だが、たった一つの解法でもあった。

 

「くれてやるっ! ありったけ!」

 

 生身の右腕に、あらぬ限りの力を込め。

 コウは破れた艦外作業服の下腹部にあいた穴から、自らのイチモツを取り出して。

 およそ十時間に及ぶ、人体にたまった排泄していなかった水を放出した。

 《土蚯蚓》は敏感に水を感知していた。

 その性質は、コウにとって最後の救いだ。

 進む。

 先にあるのは二つの恒星が輝き、焼き尽くしている大地。 

 煮立った湯に焼かれている様に、視界がゆがんで。

 進む。

 その瞳にはハッキリと捉えた、円状の暗闇の道の終わり。

 焦げた頭髪の匂いが鼻孔を突く。

 進む。

 表層を埋める土砂を削り取った先に、確信を持って存在する。

 蜂の帰るべき場所があるから。

 

「ジュジューーーーーーーーーーっ!」

 

 身体を猛烈に焼く熱風を受けながら、コウは全ての力を振り絞って叫んだ。

 もう後は全てを任せるしかないから。

 でも信じられた。

 ジュジュが居る事は確信できていた。

 だって、コウを、アンズを。

 違う、蜘蛛の船に居るすべての人達を諦めないで、生還を待ち続けてくれた彼女が。

 信頼できないはずがない!

 

 そして。

 そしてコウは、灼熱の大地に帰還を果たした―――

 

 

 

「放水! 今っ!」

 

 艦橋にジュジュの張りのある命令が矢のように飛んだ。

 視界に捉えた大地から吹き出るようにして出た《土蚯蚓》の突出。  

 その先端からは、ホーネットに乗ってすら居ない、スダボロになった艦外作業服だけを着ている人影が、空に高く放り出されていた。

 

「ボッシさん! コウとアンズを!」

 

 ジュジュの声が早いか、ボッシの乗り込んだホーネットが白煙を吹き上げるのが早いか。

 弾丸のように飛び出したボッシのホーネットが、唸りを上げて《土蚯蚓》へと向かっていく。

 ホーネットに乗ったクルー達は、《土蚯蚓》がボッシの救出活動を妨げないよう、命がけの放水での誘導を行う。

 大地を削る、けたたましい轟音をあげて迫る人類災害。

 その音が野獣のような唸り声をあげているようだった。

 《土蚯蚓》の真横を、1メートルすらないギリギリの間隔でボッシは躊躇いなく駆け抜けていく。

 熱砂の大地に現れた巨躯は、闇の中で全容が見えず相対するのとはまた違う。

 生々しく体表を焼く腐臭と、僅かに身を捩るだけで大地を抉る、全身が凶器となるバケモノで。

 それでも一直線に、ボッシはコウとアンズに向かって加速していた。

 

『気持ちわりぃ音を立てやがって、うるせぇクソがよ。 そんなに死にてぇのか!』

 

 通信越しに、ホーネットの駆動音が一際大きな電子音を奏でて、何かが引かれたような機械的な音と共に、スヤンの声が響いた。

 シップ。

 その蜘蛛の頭に設置されているのはデッキだ。

 左右に太陽光パネルが敷き詰められて、普段ならばこの時間には影も形もないはずの一匹の蜂が。

 どんな生物だろうと命を刈り取る、死神の砲台を前に立っていた。

 ほぼ時を同じくして、ボッシのホーネットから白い塊の緩和材が、コウとアンズの落下地点に射出される。

 大量の水に向かって突き進む《土蚯蚓》が、散水装備によって噴き出している中空へと顔を向けて腹を出す。

 スヤンは口を歪ませ、ジュジュは叫んだ。

 

『今ぁぁっ!』

 

 言われるまでもない。

 スヤンは歯を食いしばり、右腕の引き金を引いた。

 音速であるマッハを越えて迫る、逃れる事の出来ない死の榴弾が蜘蛛の頭から飛び出して《土蚯蚓》の横っ腹を直撃した。

 爆発・衝撃。

 中空に弧を描いていた放水された水が、一瞬で気化するほどの熱波が舞い上がる。

 

『ざまぁみやがれっ! はっはー! 糞ったれがぁー!』

『シップ、前に進めて! ボッシ! コウとアンズは!?』

 

 爆発の影響か、ジュジュの声に返事はなかった。

 突如、ジュジュの命令で動き出した蜘蛛に揺られ、スヤンのホーネットが足を滑らせて転倒する。

 間髪入れずに文句が飛んでくるが、ジュジュはそんな彼の言葉には構っていられなかった。

 

『放水はそのまま続けていて! ボッシ、聞こえる!?』

『………―――艦長』

 

 長い。

 そう、ジュジュにとって長かった沈黙を破って、ボッシの通信が回復する。

 先んじて声を上げようと口を開こうとして。

 

『生きています。 早急な手当てが必要なので医療質の1番と2番の用意を』

「ぁ……」

『くっく、本当かよっ、信じられねぇ! くそったれ! 生きて戻りやがった! 最高にイカレてやがるっ! ハァーッハッハッハッハッハッハッハッハッハァーっ!」

『艦長?』

「……全ホーネットを回収! コウとアンズの治療を最優先! シップを着けてくだしゃい』

 

 言葉尻を噛みながら、ジュジュはその場でペタリと床に腰をおろした。

 ジュジュの命令通り、灼熱の大地への放水は続けられて、ボッシの周辺に泥をまき散らしながら水蒸気に包まれていく。

 気化熱によって周囲の温度は多少引き下げられ、ボッシは予備の冷風のコードを機能するかどうかも分からない。

 ボロボロになった艦外作業服へ接続して、風を送っていた。

 スヤンの陽気な、耳に触る大爆笑が通信越しに聞こえ、その笑い声に交じってクウルの控えめな声がジュジュの耳朶に響いた。

 

『おかえり……』

「……ええ、おかえりなさい……」

 

 追従するようにジュジュは呟き、艦橋でへたり込む。

 窓一枚を隔てた視界の中には、灼熱による水蒸気を巻き上げながら、七色の虹を描く水の軌跡を追いかけていくものだった。

 綺麗だった。

 ただの自然現象だが、それはもう天の祝福に等しいものだと、ジュジュは思った。

 きっともう、二度と見れない幻想的な虹だ。

 ジュジュは心の中でそう、この虹と水が折り成す景色を絶賛した。

 

 



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最終話 ただいま

 

 

 

「や」

「お、クウル~!」

 

 コウが意識を取り戻したのは、地獄のような地下世界から抜け出して四日後であった。

 灼熱を終えた大地が底冷えする、酷寒の世界がもう少しで終わろうかと言う時だ。

 目を覚ました時、ずっと付き添ってくれていたのか、そうでは無かったのか分からないが、目の前にクウルが居て、軽い挨拶と共に手を挙げてくれた。

 すぐには気付かなかったが、メルもその後ろに立っている。

 

「あぁ……うあぁ……うわぁっ、助かったんだなぁ! うううぅぅぅぅっーーーーっ!」

 

 節々に痛みが走り、最後の方は言葉にはできなかったが、コウは嬉しかった。

 治療は、あらかた終わっているようだった。

 全身が染みるのは、恐らく火傷を負ったものの処置だろう。

 

「酷かったよ、君。 実際、良く生きていると思う」

「あぁ……うん。 マジで何度もダメかと思った! くっそー! でも俺は生きてるもんなぁ!」

「ふふ、マジで?」

「そう、マジで!」

 

 そう言い合って、コウは笑ってしまう。

 あまりに生きているという実感が強くて、助かったという安堵が嬉しくて、自然と笑ってしまうのだ。

 そんなコウに釣られるようにして、クウルも微笑む。

 あの暗闇の中での出来事全てが嘘だったんじゃないかと思うほど、楽しい会話であった。

 こうなってくると、チクチクと沁みるような痛みも逆に生を実感させて心地よく思えてくる。

 

「あの、質問を良いですか?」

「え? ああ、何?」

「今の会話。 笑いを催す原因は何でしょうか?」

 

 メルの唐突な質問に、コウは肩を竦めた。

 クウルも同じように肩を一つ上げて、笑みを浮かべ。

 

「さぁ、僕たちも良く分かってないんだ」

「嬉しいと笑うんだよ。 俺は今、めっちゃ嬉しいからさ!」

「なるほど……覚えておきます」

 

 曖昧に頷いて、機械的に首を傾けるメルに、コウは再び声を上げて笑った。

 このガイノイドが命の恩人であることを、彼は知っている。

 こうして起き上がって、実際に目にすれば、コウの手元から送った救難信号を捉えたのがメルであるのが一目瞭然だからだ。

 不釣り合いの最新式の案手が上下に揺れる姿に、コウは喜色を浮かべて口を開いた。

 

「ありがとう、メル。 クウル、この子は最高のガイノイドっすね!」

「お、ようやく気付いたっすねぇ。 僕のメルの素晴らしさに」

「ああ、俺の見る目が無かったっすねぇ……」

「ふふん」

 

 得意げに胸を張ってクウルは一つ、恣意的に笑うと。

 メルは同じようにしてふんぞり返って機械音を鳴らしていた。

 その姿に何とも言えない感情を抱いてコウは身を震わしていたが、クウルはそんな彼に向って口を開く。

 

「僕も嬉しいよ。 名前を預けた君に死なれたら、やっぱり悲しいから」

「あー、あの長い名前なぁ。 ぜんっぜん覚えてないや」

「いいよ、何度でも教えてあげる。 クウル=リヒト・ウルリック・クラウウェルク。

 忘れたら、何度でも聞いてね」

「ああ、うん」

 

 コウは首を傾げつつ頷く。

 気にしていなかったが、どうも名前が長いことには意味があるようだとコウは感づいていた。

 ただ、深く知る必要もないと思っていたので、それがどういう意味なのかを知ろうとしていなかった。

 だから、ここに来てとても気になった。

 長い名前を覚えるのも、なんだか大変そうだという彼個人としての抵抗感があったのも一役買っていたが。

 

「なぁクウル。 名前を覚えるのって、どういう意味なんだ? っていうか、何か意味があるの?」

「あるよ、知らない?」

 

 コウが頷くと、クウルはバツが悪そうに説明していなかったっけ、と頬をかいて、それから教えてくれた。

 惑星ディギングはかつて大幅に人口が低下し、生き抜く事そのものが人類の目標となった。

 その一環で生まれた物が、名前を足すという物だった。

 

「祖人が、事故で散らばってしまってもう会えないかもしれない。 そんな家族や親戚。

 友人や知り合いに自分が此処に居たんだって。 そう判るように子供に本名を残しているんだ。

 僕のもそう。 クウルだけが、僕を指す名前なんだ。 祖人には求められた時に公表することになってる」

 

 あぁ、とコウは納得した。

 

「この星で産まれた人に名前を預けることは、その人への信頼の裏返しでもあるね」

 

 確かに、いつ死ぬかもわからない環境に身を置くことになるのだ。

 それはもう嫌になるほど味わったばかりである。

 そうした配慮は自然と生まれてきたのだろう。

 コウの父親や友人が何年も、何十年も、何百年も前に目が覚めているのかもしれない。

 そんな深い意味がただの名前にあるとは思っていなかったコウは、慌ただしく転がった状況に置かれて忘れていた人物を頭の中で描いていた。

 

「親父、どうしてるのかな……」

 

 そう呟いた時だった。

 電子音が鳴って、メルの近くの扉が開き、現れた顔にコウは思わず背を伸ばした。

 

「ねぇ、クウル。 ちょっと……あっ」

「お、おいっす」

 

 車椅子のような物で移動はしているが、小まめ色の髪を揺らして元気そうなアンズの姿だった。

 

「あ~……思ったよりも、元気っすね」

「なによ、元気じゃない方が良いみたいじゃない」

「違うってっ! ただ、アンズは……その、死にそうだったから」

「……まぁ、うん……お腹も裂けてたみたいだから……」

「うぇ……そ、そうなんだ」

 

 何となく気まずい雰囲気が流れてしまい、お互いにそこで黙り込んでしまう。

 そんな空気を破ったのは、手元に用意していたであろう袋を掲げて口を開いたクウルだった。

 

「アンズ、下着を取りに来たんでしょ」

「ちょっ、クウル! 何言ってるのっ!」

「違うの?」

「違わないけどっ!」

 

 アンズはひったくる様にしてクウルから袋を奪い取ると、椅子の背に隠すようにしてから何故か真っ赤になった顔でコウを睨む。

 クウルはその様子に面白そうに肩を震わせていて、コウは苦笑いをしながら首を振った。

 

「アンズ、クウルのいたずらだよ」

「そうみたいね……ったく、人で遊ぶんじゃないわよ」

「ふふ、ごめん。 でもさ、僕だって少しは君たちに仕返ししても良いでしょ?」

 

 避難するようなジト目をクウルから向けられて、コウは怪訝に思った。

 

「僕はこれでも女だからね」

「は?」

「男同士だなんて、勘違いされ続けるのも困るし」

「えぇ!?」

「一応、コウよりも年上」

「はぁぁあ!? うっそだぁ!」

「アンタ、クウルが女だって知らなかったの? 本当に?」

「いやだってこど……いや、えっと」

「子供じゃないよ」

「うわあ、ごめん! 俺が悪かった! 許して!」

 

 見事に言い噤んだ言葉を継がれて、コウは両手を上げて降参した。

 そりゃ性的アンドロイドの話題を、それも直接行為に繋がる話を出会ったばかりの異性に振られれば困ってしまうだろう。

 彼女が純情かどうかはともかくとして、れっきとした異性であり、コウよりも年上ときた。

 顔から火が出るとはこの事か。

 アンズに負けないくらい顔を赤らめたコウに、アンズは呆れたように溜息を吐いていた。

 恐らくアンズもクウルから、アンドロイドの話は伝わっているだろう。

 余計に形見が狭かった。

 

「まぁ……コウだしね」

「そうだね」

 

 なんだか不思議な納得をされたが、藪蛇になるのも怖かったので黙っている事にしたコウ。

 クスクスと笑い出したアンズに、クウルが口を開く。

 

「で、アンズは本当は何用だったの?」

「あ、うん。 いや、下着も取りに来たのは用事だったけど……」

 

 両手を叩いて、本来の用件を言いにくそうに口の中で転がすアンズ。

 普段はずけずけと物を言う彼女にしては、珍しく言い淀んでいた。

 

「あのさ、コウ。 目が覚めたなら、デッキに上がらない?」

 

 たっぷり時間を掛けて、彼女の口から出たのはそんな言葉だった。

 

 

 

 幸いと言って良いか。

 コウの怪我は左腕の骨折、軽度の脱水・熱中症上、右肩の内出血と擦り傷。

 そして全身には軽い火傷であり、決して軽傷ではなかったが、歩けないほどの重傷でも無かった。

 安静にするべきなのは間違いないが、この惑星ディギングの医療はナノマシンによる制御が出来ているようだった。

 医療技術は宇宙世紀の頃と比べて、あまり優劣の無い環境が整っていた。

 アンズに誘われた時間を確かめ、コウはいそいそと着替え始める。

 シップの窓の外は真っ暗だったから、今は酷寒の二日間を迎えているはずだ。

 自分の部屋で厚めの服を着込み、息が凍り付かないように特殊なマスクを装着する。

 

「う~ん、動きずらいっすねぇ」

 

 もこもことした厚手の服を着込みながら、手元の端末から場所を調べる。

 シップ・スパイダルのデッキ部。

 蜘蛛の頭の部分に当たるこの場所は唯一、船内の施設の中では扉を隔てて外に繋がっている区画である。

 外に出るということは、酷暑の。

 あるいは酷寒の世界に直接出る事になるのだ。

 アンズが何故こんな場所を指定したのか、わざわざコウを誘ったのかは分からない。

 重さを実感できるほど分厚いコートに袖を通し、待ち合わせ場所へと向かっていけば、底冷えのする風が吹いている。

 

「くぅ~~っ、寒ぃ~!」

 

 突きさす冷風に帽子を深くかぶり直す。 

 こんなところに一体、何の用があるんだろうか。

 強烈に吹き荒れる熱波も勘弁だが、身震いの止まらない寒波も出来ればお断りしたい。

 

「あ、きたきた」

「うわっ!」

 

 クウルに引かれてきたのだろう。

 車椅子に座っているアンズとクウルが、扉を隔てたデッキ部―――つまり外に―――居て、彼は目を剥いた。

 外は-200℃を越える超酷寒のはず。

 息を吸えば肺が凍り付いてしまうような環境だというのに、コウと大して変わらない防寒着に身を包んで外にいるでは無いか。

 

「ちょ、ちょっと! 何やってるんだっ!」

 

 慌てて中に連れ戻そうとして扉を開けたが、コウが感じたのは凍死してしまうような物では無かった。

 大型の冷凍庫内に居るような、肌を劈くくらいの我慢できるような寒さだったのだ。

 

「あれ?」

「ほら、やっぱり知らなかった」

「説明不足だったわね……」

 

 話に聞いていたのと違う。

 そんな困惑に戸惑うコウを見て、クウルとアンズは笑い合っていた。

 幸い、彼女たちはすぐにコウへと教えてくれた。

 

「実はね、酷寒と共に明ける夜は、少しの時間だけ生身でも外出できるんだ」

「そうそう、恒星が遥か地平線の向こうで灼熱を作り始める迄のタイムラグ。

 もう3時間くらいもすれば、どんどんと気温が上がっていって外には出れなくなっちゃうけどね」

 

 デッキの防護柵だろう場所に背を預けて、特徴的な緑色の髪を風に靡かせたクウルが夜空を見上げた。

 車椅子に座って同じように、アンズも空を見上げて。

 コウはそんな彼女たちに近づくと同じように大地を睥睨し、遠くを眺める。

 

「外に出れる時間もあるんだ……あ、他の人たちも結構いるんだな」

「うん、外に出れる時間は貴重だから。 シップ・スパイダルの外まで行く人もたまに居るくらい」

「ずっと船の中だと息が詰まる」

「そうだよなぁ。 ホーネット乗らない人は、特にそうかも」

「それで、今日は特に人が多いわよ。 何でかって、コウに見せたい物でもあるんだけど」

 

 三週間に一度という頻度であるが、恒星と衛星の隙間を縫って日の入りが見れるのだ。

 惑星ディギングにおいては基本的に自然衛星が移動して、恒星の輝きが入ってくる。

 しかし、公転軌道の関係から、三週間ごとに地平線から上がってくるちゃんとした日の入りも見ることが出来る。

 それが、今日と言う日でもあった。

 

「そうそう。 でも、まぁ……それだけじゃ、ないけど」

「うん?」

 

 要領を得ないアンズの説明に、防護柵に手を掛けていたコウは肩越しにアンズを見やった。

 寒さから、赤く染まった顔にリンゴみたいな頬だな、と場違いな感想を抱いて首を傾げる。

 結局アンズはそのまま何かを言うことなく、傍に立っていたメルが何かに気付いたかのように顔を上げた。

 

「日の入りまで10分を切りました」

「お~~、なんだか楽しみになってきたっすねぇ」

 

 この時間になって船内に居たクルー達も日の入りを見に来たのだろうか。

 閑散としていたデッキ部に、だんだんと人が集まってきた。

 その中にはジュジュやボッシ。 意外な事にスヤンも居た。

 

「何だお前、居たのか死に損ない」

「いきなりひっでぇっ。 スヤンさんこそ、なんか意外だなぁ」

「んだよ、俺が来ちゃわりいかよ」

 

 なんとも複雑そうな表情でこめかみを指先で掻くスヤンは、照れたのだろうか。

 顔を逸らして奥に歩いて行ってしまった。

 ジュジュもクウルも、そしてアンズも皆スヤンの態度には首を傾げていたが、コウには何となく彼の感情が分かったような気がした。

 あの時。

 自分とアンズを見捨てた時に、スヤンはやり切れない、苦々しい表情をしていた事を覚えている。

 コウ達が助かった夜は終始機嫌よく、深酒をして騒いでいたともホーネット乗りの皆から聞かされた。

 

「スヤンさんは、優しいっすからね」

 

 わざと聞こえるように、大きな声でそう言えば、背を向けていた彼が凄まじい速度で反転してくる。

 大股で近寄ってきて、手の平は拳が作られていた。

 

「うわっ! 何で怒ってるんすか、褒めてるのにっ!」

「っざけんなっ! こらっ! 逃げるなコウ!」

「嫌っす! いて、いてててっ、待って! 俺って怪我人なんだからちょっとまって! いってぇっ!」

「うっせ! その口縫い付けて二度と喋れなくしてやるっ!」

 

 シップ・スパイダルでも馴染んできた二人のじゃれ合いに、周囲からは笑い声が飛んでくる。

 ボッシも呆れたように口を開いてふふふ、と笑い声をあげていた。

 それはとても奇怪な出来事に映った。

 目の前で笑みを見せつけられたアンズが凍った。

 アンズを横目で見ていたクウルが、何事かと振り返って彼女も凍結した。

 最後に口元を抑えて笑っていたジュジュが、自分の隣から聞こえてきた笑い声に口を開いたまま固まる。

 

「ふっふふ……ん?」

 

 三人の少女から、驚愕とも取れる視線を受けてようやく気付いたのか。 

 ボッシが順繰りに全員を見回して、無表情で尋ねた。

 

「どうかしたのか?」

「え、いや、こっちのセリフなんだけど」

「ボッシさんは、笑えたんだ」

「クウル、落ち着いて。 ボッシだって人間なのよ。 とても珍しいけれど」

「……心外だな。 私も笑う事はある」

 

 ここで微笑んでそう言ってくれれば、素直に納得できたのかもしれない。

 しかし極めて厳つい無表情で、冷たく言うものだから余計にさっきの笑顔が幻のようなものに思えて仕方なかった。

 貴重で、奇怪なボッシの笑い声を聞いた事は、稀有な経験と言えるだろう。

 まぁ、それで? と問われれば、いや別に、となるのだが。

 そんな一幕が女性陣の間で上がり、コウがスヤンから羽交い締めされたのをようやく抜け出した頃。

 デッキに上がったクルー達が、待ちわびていた瞬間がやってきたのである。

 一際大きな声。 まるで歓声とも言えそうな物がデッキの随所であがる。

 

 日の入り。

 

 眩しいほどの輝く二つの恒星が、大地を照らし始めて行く。

 凍り付いた黄土が反射して、強く輝くその光がコウの網膜を強く焼いていった。

 肌を刺す風が強く吹いて、凍土の溶け行く独特の匂いがコウの鼻の奥を刺激した。

 見慣れた様子で日の入りを楽しんでいるクルー達の姿に反して、コウは半ば茫洋したように、日の出から視線を離せずに見惚れていた。

 

「……あぁ」

 

 そんな日の入りを同じように眺める姿。

 直前までスヤンに取っ掴まっていたせいで、デッキの一番後ろから見る事になってしまったが。

 それはむしろ、この場所から景色を見ることに繋がって感謝したいくらいだった。

 

 未熟を嘆いていた艦長のジュジュが、先頭に立って。

 その横でジュジュを支えている、頼れる大人のボッシがいて。

 ホーネット乗りの先達である、厳しくて。 でも優しいスヤンとアンズが並んで立って。

 クウルがメルと一緒に手を繋いている。

 

「……」

 

 コウは日の光に照らされる彼らを後ろから眺めていた。

 

 

 千年前。

 コウは家を出た。

 

 何時か出会う、未来の大地に新たな人生を歩む、夢を馳せて。

 行ってきます、と言って。

 家を出た。

 ならば、自分の居場所に戻ってきた時に言う言葉は一つだけ。

 そうだ。

 

「……ただいま」

「? コウ、なんか神妙な顔をしているけど、大丈夫?」

 

 口の中で呟いた言葉は、誰にも聞こえなかった。

 後ろで佇んで呆然としているコウに、アンズが気付いて声をかけてくれる。

 コウはそんなアンズに笑みを浮かべて顔を向けた。

 

「っ……な、何?」

 

 不可思議そうにコウの顔を見たアンズは、そう言って。

 

「なんでも。 日の入りは、もういいのか?」

「あーその……」

「うん」

「私の名前、預けたいんだけど」

「お! はははっ、良いっすよ! あの長い名前っすね!」

「うん……私は。 私は、アンズ。 サーラス・ライル・スラース・シンキサラギ・アンズ」

 

 彼女の本名を聞いて、コウは動きが止まった。

 ついさっき聞いたばかりの、クウルの話が脳裏をよぎる。

 名前。

 何時か誰かが、この場所に居た事に気付いてくれるように。

 シン=キサラギ。

 親父の名前だった。

 

「ちょっと、コウ? 何を呆けているの?」

「……アンズ、俺の親父。 シン・キサラギっていうんだ」

「え? は……?」

「……俺、アンズと一緒に生きるのを、諦めないで良かったっ」

 

 くしゃりと歪んだコウの顔に、アンズは慌てた。

 そんなつもりは無かったのだ。

 いや、むしろこれは喜ばしいというか、コウへ祝福すべきことだろう。 

 とはいえ、その相手がアンズだというのは、何というか不意打ちも良い所である。

 

「あーくそぉっ! 朝日が眩しいっすねぇっ!」

 

 わざとらしく、と言うよりも、二の句を告げれないアンズに配慮したかのように、コウは背を伸ばして空を見上げながら。

 これ以上ないくらいに明るい声でそう言った。

 若干その声が震えているのは、きっと。

 だから、アンズは今、この場に置いて彼と自分を繋ぐ約束をするべきだと思った。

 これは、コウ・キサラギに対してアンズがしなければならない事だと思ったから。

 そして、今の自分が出来るのは、それだけなのだ。

 何時もの様に、コウの軽口に周囲の関心が集まっているのも気付かず、アンズは口を開いた。

 

「コウ、あの! 花! サボテンの花が咲いたら絶対見せるから! あと、助けてくれて……助けてくれて、ありがとう!」

 

 そう言い切ってから、アンズはそこで初めて周囲の視線が全てコウと自分に集まっている事に気付いた。

 寒さからではない、真っ赤に紅潮した顔でアンズは周囲を見回して。

 コウはそんな周りも気にしない様子で、アンズへと振り向くと、いつかの様に親指を立ててアンズへと笑った。

 

「うっす! 了解っす!」

 

 朝焼けに染まる蜘蛛の頭の上で。

 シップ・スパイダルのクルー達が騒いでいる頃。

 

 アンズの部屋に飾られた。

 二つある植鉢の一つに、綺麗な花が咲き誇ったのは。

 

 惑星ディギングに二つの恒星が顔を出して、30分後の事であった。

 

 

 

 

      終

 

 

 

 






完結となります。
読んで頂いた方には心から感謝を。

所感や評価を頂ければ幸いです。


読了、ありがとうございました。


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