PSPo2 Extra Cannaeus (駄蛇)
しおりを挟む

やむ無く立ち入った未開の地

 旧文明の遺跡【レリクス】。それはグラールの三惑星に点在しており、今よりも一万年以上前に発展していた古代文明によって建造された遺跡の総称である。

 今回発見されたレリクスは元々海底深くに眠っていたものが最近になって突然海面近くに浮上してきたらしい。そんな経緯から巷では『海底レリクス』と呼ばれていた。

 その無機質ながらどこか生物的な造形は高度な技術によって造られており、【フォトン粒子】に関連した技術も多く見受けられる。

 今でこそあらゆる分野で利用されて現代のエネルギーとして当たり前の存在となったフォトンだが、発見されたのは今から1000年ほど前。

 それよりもはるか昔に建造された遺跡にそのフォトンが利用されているということは、旧文明がそれほどまでに進んでいたという証拠でもあった。故にこれらレリクスは未知の技術の宝庫。

 旧文明の分析、及び技術解析による現代文明の発展のため、グラール中の研究者は日夜このレリクスの研究に勤しんでいる。

 ただし、あくまでここは未開の地。ともすれば未知の罠や危険な原生生物が存在する可能性を無視できるわけもなく、多額の報奨金により企業もフリーも関係なく傭兵が護衛として集められるのが常だった。

 今回は久々に大規模な調査となるらしく、募った傭兵の数もかなり多い。

 ヒューマン、ニューマン、ビースト、キャスト。多種多様な種族が入り乱れているが、皆共通しているのは己の欲望に忠実でギラギラと目を輝かせているということ。

 特にフリーの傭兵はよほど太いパイプでもなければ収入が不安定なため、不定期ながら確実に稼ぐことができるこの護衛任務は奪い合ってでもつかみ取りたいものなのだ。

 彼らは掲示された依頼表に目を通し、自身の実力と相談しながら次々に依頼を受領している。

「…………」

 その光景を、広いフロアの隅で身を潜めるように眺める青年も傭兵の一人だ。

 特徴的なのは左肩から右腰及び腰を固定するように巻かれたワンショルダー型のハーネスベルトだろうか。また、そういうファッションなのかベルトの尾てい骨辺りからはベルトとして機能していない帯が別で取り付けられており、地面に触れそうなほど垂れている。

 その上から羽織っているノースリーブのパーカーのフードを深く被り、他者からその顔を確認することは難しい。

 とはいえ、180には満たないながらもそれなりの長身に加えて、細身に見えるがその実余計な脂肪を落として絞り込まれた筋肉質な肉体。そして露出している右腕に掘られた炎の入れ墨等の特徴から、十中八九彼の種族がビーストであるということは間違いないだろう。

 そんな大きなガタイを不自然にならない程度に小さくしている青年には積極的に依頼を受領するような素振りはなく、されど依頼を諦めた様子もない。

「──これだけの人数が集まっているってことは大手のスポンサーがついてるようだな。久々に儲けられそうだ。そう思うだろう?」

 そんな彼にわざわざ声をかける人影が一人。

「……今日の飯も食えるかどうかの身としてはありがたい限りだね」

「ということはお前もフリーか。若そうなのに大したもんだ」

 キャストと呼ばれるアンドロイド型の種族の男性は、最初は簡単な応答で済ませられる質問や会話で場を繋ぎつつどこまで踏み込んでもいいかこちらとの距離感を測っている様子。

 青年の方から会話を繋げるような返しをしていないにも関わらず、無理なく話を途切れさせないその話術は自分にはできない器用さだと感心しながらも、青年は深く被ったフードを外すことはない。

「ところで、さきほどから依頼を受領するわけでもなくここで佇んでいるようだが、体調でも優れないのか?」

「人をかき分けていくのは苦手なんだ。依頼の数は十分あるし、焦らなくても今はいいかなって」

「ふむ、健康なら結構。俺たち傭兵は身体が資本だからな。お前のやり方があるのなら俺がこれ以上口出しはせんよ」

 不思議そうにしながらもそれ以上の指摘は控え、男性キャストは自然な動きで半歩下がった。彼にとってはそこが青年のパーソナルスペースの境界線だと判断したらしい。

 そこで一旦会話が途切れたのはこのキャストが青年に近づいた理由が彼の体調を案じたからであり、その確認が取れたからだろう。

 それからしばらく特に会話することもなくお互い無言でその場に佇んでいたからだろうか、この場に似つかわしくない少女の声につられて2人の視線は声のする方へと向けられていた。

「なんだあの少女は? 手練れの傭兵には見えないが、研究者……いや助手か?」

「隣にいるビーストとペアみたいだから実地訓練かも?」

「確かに【シールドライン】は身につけているようだが、あれほど隙だらけな傭兵がこのレリクスにいて大丈夫か?」

 【シールドライン】とは、外部の衝撃から身を守るにプログラムされたフォトン・エネルギーで全身を覆った防護具のことだ。

 詳しい経緯までは知らないが、原生生物のほとんどが同様の特性を有しており、その生態を解明した研究者たちが科学的に再現したものらしい。

 渡来の防具と遜色ないほどに強固ながらも重量がほとんどないことに加えて、衝撃に反発する際にしか視認できない透明性。それらの観点から防御面を無視して装飾を行えるため、統一感のある装備を求める軍事会社の間で瞬く間に普及。

 今では傭兵の必須装備と言える地位を確立している。

 少女の衣服の一部は淡く発光しており、それはシールドラインを身に着けることを周囲に知らせるシステムの一環だ。つまりは彼女も傭兵で間違いないのだろうが、黒いキャストの男性が言う通りその立ち振る舞いは傭兵とは言いづらい。服装もまるで学生服のような装いなのが場違い感に拍車をかけていた。

 引率と思われるロングコートを着たビーストは獣人らしく体格がよく荒々しい見た目……と言いたいところだが、あれはただ手入れが雑なだけだろう。そちらは立ち振舞から実力者だと思われるが、その2人はお世辞にも仲がいいとは言いづらく、一向に動こうとしない少女に痺れを切らしてその場を離れてしまった。

 取り残された少女は周囲を頼ることもできず自分の肩を抱いてうずくまってしまう。その姿は見ているこちらが心配になるほど弱々しい。

 彼女に振られる仕事は良くて荷物運びや簡単な事務作業だろう。

 残っている依頼次第とはいえ、ここよりも深部で活動する予定の青年が彼女と関わることはない。

 それでも一応は気にかけていた方がいいかも、などと考えていた青年は不意に感じた胸のざわつきに身構えた。

「どうかしたか?」

「いや、ちょっと……」

 嫌な予感がする、と言いかけて青年は寸前のところで口を閉じる。皆がそうとは限らないものの、大抵のキャストは合理的な思考を好み、根拠のない勘などは嫌う傾向にあるからだ。

 目の前の男性キャストが同じとは限らないが、さほど重要ではない趣味嗜好の違いで揉める可能性を避けるべく青年は沈黙を貫いた。

 ただし、感じた『嫌な予感』が何かが起こる前触れであることを青年は確信している。故にどんなことが起きても大丈夫なように全身の毛を逆立てて臨戦体制に入る。

 ふと視線を向けてみれば目の前のキャストも彼なりに何かを察知したらしく、僅かに姿勢を低くして周囲を警戒し始めていた。

 ──間も無くして、地面が大きく揺れた。

 警戒していた2人は転ばずに済んだが、突然のことに尻もちをついているヒトもちらほら見受けられる。

 何者かの襲撃かと周囲を見回すがそうではないらしい。天井から僅かに差し込む太陽光以外にまともな照明がなかった空間に、けたたましい警報と共に照明が煌々と灯り始めたのだ。

 理由は分からないが、休眠状態だったシステムが再起動したらしい。さらに状況は悪化し、現状唯一の出入り口である扉がゆっくりと閉まり始めていた。

「突然のことでみんなパニックになりかけてるね」

「とすれば、まずは──」

 フロア中で悲鳴が飛び交う中、2人はお互いに目配せした後、示し合わせたように別々の方向へと走り出した。

 向かった先にいるのは、唖然としてその場で固まる研究員や医療スタッフのような非戦闘員たち。彼らを難なく持ち上げた青年はそのまま扉の前まで移動させ、次の目標を定めて再び走り出す。

 見れば、青年たち以外にもこの非常事態の中で冷静に救助活動をしている傭兵が多数見受けられる。今回招集された傭兵の質はかなり高かったらしい。

 扉の前は依然として逃げようとする人で溢れかえっているが、幸いにも扉の閉じるスピードは緩やかだ。出口で詰まらないよう誘導を担当する傭兵もいるため、辛うじて統制は取れている。

 閉まる扉は止められないようだが、完全に締まり切るまでには全員が逃げ出せるだろう。

「逃げ遅れたヒトはいないか?」

「大体は扉の前に移動できたと思う。一応少し奥まで見てくるよ」

「今からか!? もう時間がないぞ!?」

「ちゃんと逃げ切れるように計算してるから問題なし!」

 言うが早く身軽な動きで人の波に逆らっていく青年。その背中と背後の扉を交互に見た黒いキャストの男性は、迷いながらも踵を返し、出入り口の誘導を行う傭兵の応援へ加わった。

 刻一刻と閉まる扉を背にして、青年は枝分かれした通路を手際よく確認していく。

「逃げ遅れたヒトはいない、かな」

 仮にいたとして、まだブリーフィングすら始まっていないのに勝手に奥へ行ったルール違反者の自業自得だ。可能であれば助けたいが今は余裕がない。

 逃げ遅れないように確認を切り上げて振り返ると、未だフロアの中心付近でうずくまる少女の姿が視界に入った。

「あの子まだ……っ!?」

 おそらく誰が悪いわけでもない。こういう非常事態に慣れてなければ動けないのは当然の反応であるし、うずくまって視認しづらかったから他の傭兵に気づかれにくかったのも仕方がない。青年もその一人だが、気づいた傭兵も他の人の誘導を優先しただけであり少女を見捨てたわけではない。

 そもそも、下手すれば自分が閉じ込められるかもしれない状況で救助活動を行える方が異常なのだ。彼らを褒めることはすれ、責めることはできない。

 強いて言うなら運が悪かった。ただそれだけのこと。

「少年、いそげ!」

 黒いキャストの男性が閉まりゆく扉の向こう側から叫んでいるのが聞こえる。少し言葉を交わしただけの関係だというのに、律儀なヒトだと青年は小さく笑う。

 閉まっていく扉の幅は残りヒト一人分程度。彼だけなら間に合う。そう計算して行動していたのだから。

 ただしそれだと少女一人をこの未開の地に置いていくことになる。

「それは流石にないな」

 考えるまでもないと即座に結論を出し、青年は走る方向を変更。覚束ない足取りで今にも転びそうな少女を支えるべく駆け寄っていく。

「怪我はない?」

「──え?」

 キョトンとする少女の声をかき消すように、そして彼らの運命を決定づけるかのように、背後の扉は重々しい音を響かせて閉ざされてしまった。

「あ、ちょ、嘘っ!?」

 一度に出来事が起こりすぎて頭の中で整理しきれていないだろう少女だが、『閉じ込められた』という状況だけは理解し慌てて走り出した。

 地響きも収まって転ぶ様子はないが、それはつまりすでに手遅れであるという証明でもある。

「待って待って待って! 嘘だよね!? 出して、出してよー! このっ、このやろっ! 開きなさいよー!」

 固く閉ざされてしまった扉を叩いて蹴ってまた叩いて。無理だとわかっていてもそうしなければ気が収まらないのか、少女は虚しい抵抗を繰り返している。

 それからしばらくして状況が理解できたらしく、少女はその場でへたり込んでしまった。少し離れた青年にまで聞こえるほど大きなため息は閉じ込められた絶望の他に、ふつふつと煮えたぎる苛立ちも含んでるように感じられる。

「だから帰ろうっていったのにさ。ここはやばいって、あれだけ言ったのになんで聞いてくんないかなぁ……」

「まあ起こっちゃったものは仕方ないよ。さっきも言ったけど、怪我はない? さっきまでうずくまってたみたいだけど」

「あ、うん。ちょっと眩暈がしただけで、今は大丈夫。

 それよりごめん。閉じ込められちゃったの、もしかしなくてもあたしのせいだよね」

 申し訳無さそうにしながら相手の表情を伺う少女だが、扉の前は傾斜になっており座ったままの少女と立ったままの青年の視線がほぼ同じ高さにあるという状況だ。軽く覗き込んだ程度ではフードを深く被った青年の顔は確認できないだろう。

 それでも状況からして怒っているに違いないと判断したらしく、少女はその小さい身体をさらに小さくさせて顔を伏せてしまった。その姿に罪悪感を感じた青年はしばらく悩み、観念したようにそのフードを外して素顔を晒す。

「気にしてないよ。あのまま君を置いて逃げたほうが後味悪かったし」

 言葉だけでなくそれが客観的に見てもわかるように目線を少女と同じ高さまで落とし、可能な限り優しく微笑んで言葉を投げかける。

 フードの下に隠れていた素顔を目の当たりにした少女は、青年が怒っていないことを理解してホッと胸をなでおろすものの、続いてキョトンとした様子で青年の顔をまじまじと観察し始めた。

 体格からおおよそ予想はついていただろうが、人懐っこさを残しながらも威圧感があるツリ目や体毛に覆われた耳などは間違いなくビーストの特徴だ。しかし血の気を感じられない白い肌や肩ぐらいまで伸ばされた銀髪からは荒々しさは感じられず、雪原に佇むような静けさがあった。

「えっと……ビースト、だよね?」

「種族はそうだけど? ……ああ、『これ』?」

 言いながら彼が指さしたのは自身の瞳。一方は緑が混じったターコイズブルー、もう一方はより深い色のダークブルーという、同じ青系統でありながら全く別の色に見えるその二色は見ていると吸い込まれそうなほど幻想的だった。

 また、この目はとある種族共通の特徴でもあるのだが……

「俺は違うよ。ちょっと特殊な体質だけど」

 言いながら青年は立ち上がって辺りを見回し始めた。

「な、なにか来てるの?」

「いやその逆。さっきまでの騒々しさが嘘みたいに静かだ。

 ……奥から気配がするけど、これはここに住み着いてる原生生物かな?」

「へぇ、すごいね。あたしには全然わかんないや……って、待って待って! まさか奥に進む気?」

 まるで化け物を見るような目を向けられ、青年は思わず苦笑いを浮かべる。

 傭兵としてここに来た以上危険は承知の上なのだが、そこまでの覚悟がないところをみるとやはり彼女はまだ駆け出しのルーキーなのだろう。

 体格的に無理だとわかっていても、奥に進もうとする青年をどうにか引き留めようと服の裾を掴んで離す様子がない。さらによほど必死なのか、その目にはうっすらと涙を浮かべていた。

「一旦ここで待とう? ほら、待ってたら救助とか来るかもだし!」

「……それはあんまり期待しないほうがいいかも」

 そんな少女に言うべきかどうかを悩み間を置きながらも、青年は容赦なくその可能性は否定した。

「まず、俺たちはこのフロアに取り残されたけど、他のヒトたちが無事脱出できたかどうかわからない。

 それに仮に脱出できていたとして、俺たちの救助となると改めて依頼を出す必要があるんだ。このレリクスはパルム政府のものだから、この辺りが管轄になってる部署が受領して初めて正式に依頼として掲示される。

 そこから傭兵なりなんなりを雇って、って流れとなると……ごめん」

 少し容赦なく現実を突きつけすぎたらしい。みるみるうちに青ざめていく少女を見て説明を止めるが、青年の袖を握る手はひどく震えていた。

「でも望みがないってわけじゃない。俺たちが閉じ込められる瞬間を見ているヒトはいたし、救助の依頼は確実に出る。

 だから待つのも手だと思う。一応パートナーカード交換しておくから、もし助けがきたら教えてもらえると嬉しいかな」

「え、一人で行っちゃうの!?」

「手分けできるならその方が助かる可能性も高いからね。幸いここには支給品として持ち込まれた食料やトラップなんかも残ったままだから、数日耐えるぐらいなら……」

「あ、あたしも一緒に行く!」

「でも君の言った通り奥は危険……」

「それでも行く! こんなところで一人になるぐらいなら行ったほうがマシ!」

 なりふり構ってられなくなったのか、青年の腰に両手を回してしがみついてしまった。

 この小柄な身体のどこにそんな力があるのかしっかりとホールドされ、ビーストである彼の力を持ってしても引き剥がすことが難しい。

 彼女の心境も理解できない訳ではないが、どう見ても戦闘経験が浅いであろう少女を連れて未開のレリクスを踏破できる自信は彼にもなかった。

 だが……

「……わかった。その代わり絶対に俺から離れないで」

「っ! うん、うん! 何があっても絶対離れないからっ!」

 一人にしないで、という少女の悲痛の訴えを前にしてはあらゆる理論は無力。ここは青年も覚悟を決めて少女の付き添いを許可することにした。

 一人っきりにならずに済んだことにひとまずホッとしたのか、少女は彼の腰に回していた腕を解いて身なりを整える。

「じゃ、じゃあこれからしばらくは一緒だから……よ、よろしくね。

 えっと……」

「クラムだよ」

「クラム、ね。あたしはエミリア。エミリア・パーシバル。改めてよろしくね」

 お互いに自己紹介を終えると、エミリアはぎこちないながらも笑顔を浮かべ、その動きに合わせて一房結んだ金髪が小さく跳ねた。今は切迫した状況のせいで怯えているが、本来は年相応に明るく笑う少女なのだろう。

 2人で奥へ向かうという選択が正解かどうかはわからない。それでも、この少女が笑っていられるのなら良しとしよう、と白銀のビーストは自分に言い聞かせて小さく息を吐いた。

「っと、まずは……」

 2人で奥に進むと決まり、まず最初にクラムは自身の左胸辺り……ハーネスベルトに取り付けられた【ナノトランサー】に手を伸ばす。

 これはフォトン粒子から精製される【Aフォトン結晶】、およびその結晶の性質によって生み出される歪曲空間を利用した収納装置だ。

 そして歪曲された空間から彼が取り出したのは、刃渡り1m程はある納刀された【剣影】。

 いきなり武器を取り出したことに何事かと身構えるエミリアをよそに、クラムはその得物を左腰のホルスターに固定していく。

「……ねぇ、あんたって武器にこだわりがあるの?」

「まあ間違ってはないかな?」

 固定し終えたのを見図り、エミリアからそんな質問が投げかけられる。

 彼が今取り出した【剣影】は見た目こそ片手で扱うセイバーを鞘に納刀しているように見えるが、武器系統はツインセイバーであり、刀はもちろん鞘も武器として用いる一風変わった業物だった。

 だがフォトンの技術が未発達の時ならまだしも、フォトン・エネルギー物質化装置の小型化に伴って現在ではフォトン・エネルギーを刃として用いた武器の方が手入れがしやすく安価で出回っている。

 実体剣も切れ味はフォトンを物質化した物に勝るとも劣らないのだが、より念入りな手入れが必要で取り扱いが難しいことから、見た目重視のコレクターかよほどのマニアしか使わないのが今の常識だった。そして、彼の持つ武器はそのマニアの間でさえ『妖刀』と評され畏れられる曰く付きのものだ。

 加えて、武器は小型収容装置のナノトランサーに入れておけば移動の邪魔にもならないのに、わざわざ今取り出して腰へ下げている。

 側から見れば奇妙な要素しかない相手に対する質問としては至極真っ当すぎてクラムは自嘲気味に笑った。

「俺としてはこういう武器の方が使いやすいんだ」

「ふーん……」

 エミリアも疑問に思っただけでそれ以上の追及はなく、すぐに興味を失ったように視線を伏せた。もしかすると、レリクス踏破の頼りにしていた相手が骨董品コレクターで戦闘力皆無の可能性を恐れたのかもしれない。

 もしそうだとして、言葉で納得させることは難しい。下手にアピールして余計に信頼を失うよりは行動で示すべきだと判断し、背中に刺さる視線から逃げるようにクラムは出口を探す準備を整え始めた。

「さて、必要なものはっと……」

 未踏の地で出口を探すにあたり、まず危惧するべきは道に迷うことだろう。

 故に2人は拠点となるフロア内に放置された備品をあさってマッピングに必要なビーコンを見繕う。

 このこぶし大程度のビーコンはレリクスの技術を解析して作られた装置の一つであり、設置した位置を知らせるのはもちろん、特殊な音波の反射により周囲の地形を把握することが可能。さらにその情報を近くのビーコンと共有していくため、置けば置くほど詳細な地図が作成されていくのだ。

 作成された地図は各自の端末でリアルタイムに受信可能であり現在地も表示されるため、ビーコンの電波が届く範囲で道に迷う心配はほぼないと言ってもいい。

 クラムは持てるだけのビーコンを武器用とは別に備えてある右腰のバックルにあるナノトランサーへ収納。その他の準備も整うと拠点となる最初のフロアから伸びる道から一つを選び、ビーコンを等間隔に設置しながら進んでいく。

 ただし設置を行っているのはクラムだけ。エミリアはやはりまだ不安らしく、クラムの腰から垂れたベルトの帯を申し訳程度に握って歩いている。

 ……はたから見るとペットの散歩のようであまりいい気はしないのだが、涙目で必死についてくる少女を突き放すようなことはクラムには出来なかった。というか、出来るのであれば最初の時点で同行を拒めているだろう。

「──エミリア止まって」

 背後の少女を庇うように腕を横に出しつつ立ち止まり、その鋭い視線は通路の先へ。遅れてエミリアもクラムの目線を追いかけると、この先の場所でうごめいている影に思わず後ずさりした。

「うぅ、やっぱり原生生物の住処になってる。見逃してくれたり、しないよねぇ……」

「【チャッピー】みたいな臆病なのだったら話は別かもしれないけどね」

 目の前にいるのは4体の【エビルシャーク】。その凶暴な牙と刃物のように鋭く進化した腕を武器とする二足歩行の原生生物が素直に逃げてくれるとは到底思えなかった。

 さらになぜか既に興奮状態であり、見つかれば即戦闘になるのは間違いないだろう。まだこちらに気づいていないため、奇襲をかけられるのは不幸中の幸いか。

 クラムは首のチョーカーに触れながら、もう片方の手は腰に下げた【剣影】へと伸ばす。その際に違和感を感じて振り返ってみると、いつの間にかエミリアは彼のベルトから手を離して後退りしていた。

「エミリア?」

「……あの、えっと、えっとね。直前でこんなこと言うのはなんだけど……

 あたし、武器は持ってても実は戦闘経験なんてほとんどないの」

「なるほどね、わかった。エミリアは一旦ここで待機してて。すぐに戻るから」

 言うが早くクラムは姿勢を低くし、まるで滑るように音を立てずにエビルシャークとの距離を詰めていく。その動きに合わせて彼のベルトの帯が尻尾のようにゆらゆらと揺れ、その光景は獲物に近づく獣のようだ。

 遮蔽物伝いに近づき、最寄りのエビルシャークまでの距離は2m程度。残りのエビルシャークも近くに固まっているため、遮蔽物に隠れながら1体ずつ隠密で、という方法は取れそうにない。

 エミリアに危険が及ぶ可能性をできる限り排除するためにどう動くべきかを頭の中でシミュレートし、青年は静かに腰の得物に手を添える。

「──っ」

 遮蔽物から飛び出し、残りの距離を一息で詰め寄りながら腰の【剣影】を抜刀して一閃。その細い腰を一撃で断ち切り、さらにダメ押しと言わんばかりにその上半身をフロアの端へと蹴り飛ばした。

 その勢いを殺さず身体をさらに回転させ、近くにいた2体目の側頭部を鞘の方で殴打する。手応え的に相手の頭蓋骨ごと脳にダメージを与えられただろうが、白銀のビーストはその両腕を切り落として反撃の手段を確実に奪う。

 瞬く間に2体を無力化した青年はそこから間髪入れず残る2体に向かって跳躍。身体を地面と水平にしながら腰を捻って回転し、遠心力を利用した鞘の振り下ろしで3体目も殴殺。

 ここでようやく敵の存在を感知し咆哮で威嚇する最後のエビルシャークだったが、遥か格上の相手に対してそれは自らの命を差し出すにも等しい愚行。

 白銀のビーストはその甲高い咆哮を意に介さず、むしろ好機と言わんばかりにその開いた口へ右手の刀を突き刺すことで内側から脳に致命傷を与えた。

 文字通り瞬殺。4体全てをほぼ一撃で片付けたうえに返り血すら浴びていない銀狼は、しかしすぐには警戒を解かずに静寂に包まれたフロアを用心深く確認。確実に安全だと判断することでようやく【剣影】を納刀する。

「もう大丈夫だよ。……エミリア?」

 再びチョーカーに触れながら振り返って声をかけるが、通路の影から僅かに顔を出している少女から返答がない。

 顔の前で手を降っても無反応で、軽く肩をゆするとようやく我に返った様子だった。

「す、すごいね。さすが傭兵って感じ」

「あはは、そこまで褒められるとちょっと恥ずかしいかな」

「だって本当のことじゃん。それに、ちょっとホッとしたよ。右も左もわかんない場所で不安だったけど、あんたがいれば安全っぽいしさ」

「そう、かな……まあ、そう思ってもらえたのならよかったよ」

 戦闘に自信があるとはいえ、羨望の眼差しで見られて堂々としていられるかと言えば話は別。少女の視線から顔をそらし、なおも向けられるむず痒い視線から逃れるように歩き始めた。

 対する少女のほうはクラムの実力が本物だとわかり多少なりとも心に余裕ができたのだろう。彼の後ろを追いかける足取りは先ほどに比べると少し軽やかになっている。

「それに比べてあのおっさん。あたしが働かないからって、ムリヤリ連れ出してこんな危険なレリクスにほっぽって……」

「……働かなかった?」

 聞き間違いかと耳を疑い聞き返すが、少女は特に悪びれた様子もなく、むしろこっちが被害者だと言わんばかりに口をとがらせている。

「そうだよ? ちょっと事情があって形だけでも軍事会社に登録しなくちゃいけなかったんだけど、戦う気とかこれっぽっちもなかったし。

 それを何度も言ってるのに聞いてくれないわ、一方的に武器渡してきて働けって言うわ……

 あー、なんかだんだんハラが立ってきた! こんなかよわい女の子を一人にするなんて、ひどいと思わない?」

「……あーうん、そうだね」

「でしょ? やっぱりそうだよね!

 たしかにあたしも、仕事をえり好みしてなんにもやってなかったけど、いきなりこれは酷いもんね!」

「………………」

 こういう時は下手に反論せず同意するのがよい、とナンパ癖のある旧友が言っていたなーなどと思い出したクラムは顔をそらしながら言葉だけで同意したのだが、付け焼き刃でやるものではないとすぐに後悔する。

 自分の意見に同意してくれるヒトがいたことで勢いを増したエミリアの不満は決壊したダムの如く激しさを増し、今現在未開の危険地帯を歩いているのだということを忘れてヒートアップし始めたのだから。

 一度手綱を手放した暴れ馬を止める術など知らないコミュニケーション下手は、ただただ嵐が過ぎるのを待つしかない。

 そうして一通り不満を吐き出したところでようやく違和感に気づいたらしく、エミリアは小首を傾げてクラムの方を見る。

「って、どうしたの? そんな微妙そうな顔して?」

「いや、なんでもないよ」

「その顔でなんでもないことはないでしょ。

 まあいいや、あんたがいれば無事に帰れるような気もするし、おっさんには後で文句いいまくってやる」

 不満が逆恨みにまで発展したのはどうかと思うが、未開のレリクスを突き進むモチベーションが高まったのは怪我の功名だろうか。

「SEEDはもう存在しないからレリクスは安全だ、とか言い張ってあたしのいうこと信じてくれないしさ……

 そりゃ、今まで発見されたレリクスはSEED襲来があったときばかりに機能を覚醒させていたよ?

 でも、全部が全部そうだったかっていうと、そういうわけじゃなかったんだよね。一説によると、SEEDの散布する素粒子に反応して起動しているみたい。だけど、同時に地場の乱れも観測されてるから、どうもそれだけじゃないと思うのよね。そもそもSEEDは3年前に一掃されたはずなのに、こうしてレリクスは起動してるわけでしょ。レリクス自体が何らかのプログラム管理である以上はトリガーとなるものも、それに準じた……」

「………………」

「……あ。え……ええっとー……」

 少女から矢継ぎ早に語られたのはレリクスに関する考察。その内容及びそれを語る真剣な表情は先程まで年相応に愚痴を言っていた少女のものとは思えなかった。

 そんな突然の豹変にクラムが面食らっていると、我に返ったエミリアは足を止めてバツが悪そうに視線を泳がせる。

 泣いて怒って狼狽えて、コロコロと表情の変わる少女は見ていて全然飽きない。

 出口が見つかるかどうかもわからない探索の中、張り詰めすぎた神経を適度に解してくれる彼女の存在はクラムとしてはありがたかった。話の内容には思うところがあるが、今追及する必要はないだろう。

「詳しいね」

「あ、いや……こ、このくらい常識でしょ? 常識! 常識だって! 傭兵だったら誰だってこれぐらい知ってて当然なの!」

「常識ね。うん、なるほど常識だ」

 先程の知的な分析とうってかわってかなり強引な誤魔化し方。その極端な代わりように思わず吹き出すと、言ってた本人も恥ずかしくなったのか少し顔を赤くして口をへの字に曲げてしまった。

「わ、笑わないでってば!

 どうせあんたもあたしが言ったことなんて信じてないんだろうけど……」

「信じるよ」

「え、本当に……?」

 まさかそんな風に返されるとは思っていなかったらしく、不貞腐れていた少女は驚いた様子でクラムの顔を見上げる。

「難しい話だったから、内容は全然わからなかったんだけどね。

 でもエミリアが真剣に考えてるってのは伝わってきたし、デタラメ言ってるわけじゃないのはわかったから」

 どんな返しをしたら喜ばれるかなど考えず素直な感想を述べてみたのだが、少女はキョトンとした表情のまま動かない。いや、どういう表情をすればいいのかわからない、という表現が正しいかもしれない。

 時間をかけても適切な答えが導き出せなかったらしく、それを誤魔化すようにエミリアはわざとらしく大きな身振り手振りで話し始めた。

「あ、ああ……ええっと! 話変わるんだけどさ、さっき倒したエビルシャークほったらかしにしてるけど、片付けなくてもよかったの……?」

「レリクスでは気にしなくていいよ。詳しいことはわからないけど、備え付けられた設備のおかげで腐る前にフォトンに変換してくれるみたいだから。

 討伐数を報告する依頼があれば、変換される前に回収用のナノトランサーに収納するけどね」

「そ、そういえばそうだったね。じゃあ今回は無視していっか。あはは……」

 しかし咄嗟に思いついた話題で会話が弾むほどのトーク力はお互いに持ち合わせておらず、すぐに会話は途切れてしまった。

 それでも変な空気が流れている感じはなく、クラムも無理に会話を続けようとはせず通路を歩いて行く。

「……ありがとう」

「えっと、どういたしまして?」

 いきなりのお礼がどれに対してなのかわからず首を傾げるが、少女はそれ以上何も言わずはにかむのみ。少女の心境などわかるわけもなく、しかしながら青年も彼女の笑顔につられて微笑んだ。

 ……心なしか彼女の歩く位置がさきほどより近づいたような気がするが、実際のところはわからない。少なくともクラムのベルトを掴まずについてきているのは確かだった。

 相も変わらず人の気配もなく不気味な通路だが、2人は特に会話は交わさずとも軽い足取りで奥へと突き進んでいく。




PSPo2が全盛期のとき、ホオズキ使用のオリキャラすごかった印象があります
なお自分もその一人です()

過去に別のサイトで投稿してて、二次創作禁止の規約改定でボツったのを練り直したものなので、もしかしたら似た文言が出てくるかもしれないです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

脅威は光に退けられ

 エビルシャーク討伐からさらに10分ほど探索を続ける2人。

 それまでの間会話らしい会話はほとんどなかったが、重苦しい空気が漂っているかといえばそうではない。

 単にクラムが話し下手であることがエミリアにも伝わったことで、無理に会話をしようという雰囲気がなくなっただけ。

 だから全くの無言というわけではなく、時折肩肘張らない雑談が交わされていた。

 それに伴い彼女の中で変化があったらしい。

「──ねえクラム、ビーコンってこの辺りに付ければいい?」

「位置はそこで大丈夫。でももうちょっと高い方がいいかな、俺が付けるからエミリアは端末見てて」

 相変わらず原生生物の対処はクラムが担当してエミリアは物陰から覗いているだけ。しかし通路の探索やビーコンの設置など、戦闘以外の部分は積極的に手伝ってくれるようになっていた。

「ふふん、ビーコンの取り付けも結構慣れてきたかも」

「1人でやると意外と手間だから助かるよ……ん?」

「な、なに!?」

 突然立ち止まったクラムに驚いて反射的にその後ろに隠れるエミリア。しかし腰に下げた【剣影】を抜刀することなく歩いて行く様子から戦闘ではないことを察したらしく、恐る恐るだが背中越しに彼の視線の先にあるものを確認していた。

 槍のように鋭くなった頭部及び最低限の動力炉だけで構築されたシンプルな構造のそれは、レリクスを守る自律機動兵器【スタティリア】の一種である【タヴァラス】。床に転がっているのはその残骸だった。

「エビルシャークがやったの?」

「いや、狩る側だったのはこのスタティリアの方だね。エビルシャークはコレが起動したせいで縄張りを追い出されたんだ。

 だから興奮状態であんな場所にいたんだと思う」

 しかしながら現にこうして残骸が転がっており、他の部位に目立った損傷がないにも関わらずコアとなるAフォトン・リアクターのみが正確に撃ち抜かれていた。

 このスタティリアは音の反射で敵を捕捉して突進を繰り返すだけの単純なプログラムで動いている。それほど厄介な相手ではないが、そのコアを一撃で狙撃できるとなればかなりの手練れだ。

「──スクラップ集めのお仕事ですかぁ?」

「っ!?」

 予想外の方向から声をかけられ、とっさにクラムは声の方角とエミリアの間に割って入り抜刀。

 先ほどまで誰もいなかったはずのそこに立っていたのは一人の女性キャストだった。

 身長は165センチ程度。無骨でロボらしさが全面に出ている男性キャストと比べると、人工毛髪や人工皮膚などを用いた流麗なシルエットに、ヒトの装束ように軟質金属や布で装飾が施されたパーツを装備していることが多いのが女性キャストの特徴だ。

 彼女もその例に漏れず、肩より少し長いワインレッドの人工毛髪は二つ結びにし、黒いドレス風のパーツを身にまとっている。ただし服の方は既製品を改造しているのか、見覚えのあるデザインながらもそれよりもさらに露出が少なかった。

 それだけならば暗くとも華やかな見た目なのだが、彼女はおでこから目元までを黒いバイザーのようなもので覆っている。

 よって、まともにその色白な人工皮膚が見えているのは鼻と口ぐらい。個々のパーツだけならそうでもないが、全体の印象はまるで喪服だ。そんな体格や服装も相まって華奢な印象を受けるが、侮ることなかれ。

 その細い身体が軽々しく抱えているのは【エクスプロージョン】。大型兵装のレーザーカノンに分類される武器の中でもトップクラスの銃身の長さを誇り、全長は彼女の背丈の倍近くはあった。

 現代の技術なら各自が設定した【戦闘タイプ】に応じ、シールドラインが装備品に重量補正などをかけてくれるとはいえ重いものは重い。それを難なく扱っているとなると純粋な腕力でもビーストであるクラムといい勝負かもしれない。

 さらにそんな巨大な武器を持っているにも関わらず、声をかけられるまでクラムでさえ気付くことができなかったほど気配の消し方が上手い。武器的にも床に転がるスタティリアを仕留めたのは彼女で間違いない。総合的に見ても実力はクラムと互角だろう。

「そんなに敵意を向けなくても大丈夫ですよぉ。貴方の仕事を取るような真似はしませんし。

 私の仕事を奪うつもりなら、話は別ですけどねぇ?」

 ところどころ間伸びした口調で話すキャストだが、クスクスと笑う口元とは裏腹にその手に持つ銃口はこちらへ向けられている。

 最初から敵対しているならまだしも、こんな非常事態に敵を増やすことはしたくないためクラムはすぐさま【剣影】を納刀。

 念のためエミリアの盾になる立ち位置は維持しつつ、両手を挙げて戦闘の意思がないことを伝える。

「こっちも戦闘は避けたい。話の内容的に、貴女も今回のレリクス調査で雇われた傭兵ってことでいいのかな?」

「その認識で間違いありませんよぉ」

「20分ぐらい前の地響きと警報については?」

「そういえばそんなこともありましたねぇ」

「なら話が早い。あの地響きはレリクスの再起動が原因みたいで、今は拠点にあった出入り口が封鎖された状況なんだ。

 閉じ込められたことは伝わってるから救助は来ると思うけど、いつになるかわからないから出口を探すのを手伝って欲しい」

 まだ正式に調査が始まっていないのこんな奥深くにいるのは、他の傭兵よりも早く依頼を達成して報酬をもらうためだろう。安全面の観点から依頼開始前の行動はルール違反なのだが、実際それをやっている傭兵が一定数いるのも事実。

 対策として傭兵同士で相互監視するのが暗黙の了解とはいえ、今それを指摘するのは適切ではない。依然として睨み合いが続く中、状況と要望だけを簡潔に伝えて相手の反応を待つ。

「……それが嘘でないという証拠はありますかぁ?」

「そこ疑うところ!?」

 ……この辺りは傭兵業の経験値差か。クラムと違ってエミリアは彼女の返答が信じられなかったらしい。

「依頼の中には討伐数などによって報酬が変動するものもありますからぁ。

 仮に私が受けた依頼とそこの彼が受けた依頼に被りが会った場合、私を嘘の情報で追い出して成果を横取りする、なんて光景はよくあるんですよぉ。

 理解してもらえましたか、かわいい傭兵さん?」

 無視してもいいだろうに、意外にも女性キャストはその理由について懇切丁寧に説明してくれた。ただまあ、相手を煽るような言い方だったのは気になったが……

「俺と一緒に拠点へ戻って……だとしても俺がこの場にいない誰かと共謀して追い出そうとしてる可能性までは潰せないか。

 じゃあ仮に俺が嘘を言ってるとして、どれだけの見返りがあれば聞き入れてくれるかな?」

「ふふ、どうやら交渉が苦手なようですねぇ」

「……コミュニケーション自体が苦手なんでね」

 実際、結論を急いでかなり愚策な提案をしてしまったと後悔をしているが、緊急事態故に人手が欲しい状況だ。多少のリスクは負うしかないと腹をくくる。

 目の前では女性キャストが沈黙して見返りの内容を熟考しているようだが、レーザーカノンの銃口は依然としてこちらへ向けられたままだ。

 その引き金が引かれないことを祈りながら物音を立てず息を殺していると、耳が痛くなるほどの静寂の中でカチカチと一定の間隔でリズムを刻む音があることに気がついた。

 一度気になるとたとえ小さな音でも無視することができず、動けなくともつい視線を動かして音の発信源を探ってしまうのは生物の本能なのだろうか。

 そうして視線を巡らせた結果、どうやら女性キャストの腰に下げられたものから奏でられているようだった。手のひらに収まりそうな大きさのそれはてっきり服の装飾品の一部と思っていたが、状況から察するに懐中時計なのだろう。

 だがなぜそんなものをキャストが身につけているのか、その答えが見つかる前に彼女の持つ銃口がゆっくりと下げられた。

「では、貴方たち2人とパートナーカードの交換というのはどうでしょう?」

「……個人情報の提示ってことね」

「妥当なところだと思いますよぉ?

 フリーの傭兵は何かと費用がかさみますし。仮に本当に閉じ込められたのだとすると、正当な報酬が受けられるかわかりませんからぁ。

 私個人としては数週間飲まず食わずでも問題ないので、救助を待ってもいいですからねぇ。

 あるかもわからない出口を探すために備品を消費するなら、今後につながるものでなければ割に合いませんからぁ。

 それに、いざという時にお互いに連絡先を知ることも必要でしょう?」

 そっちの情報が偽造されてなければね、と思ったがその軽口はこの交渉をさらに不利にするだけ。喉元まであがってきていた言葉を飲み込み次の言葉を探す。

「……この子は成り行きで俺と行動してるだけなんだ。だからこの子のパートナーカードは勘弁してあげてほしいんだけど」

「それが本当と証明できない以上、承諾できませんねぇ」

 予想はしていたが妥協は許されないらしい。しかし、クラムの後ろに隠れたままのエミリアに視線を向けた女性キャストは一瞬だけ口元を歪ませた。バイザーで表情は読み取りにくいが、もしかすると眉をひそめたのかもしれない。

 ただ表情がわからない故に睨まれたと勘違いしたのか、エミリアは再びクラムの背中の後ろに隠れてしまう。

「大丈夫?」

「う、うん、気にしないで。

 それよりクラム、私のパートナーカードも交換していいよ。どうせ知られて困るようなことはないし」

「……では交渉成立ですねぇ、()()()君?」

「……そうだね」

 女性キャストはレーザーカノンをうなじにあるナノトランサーへ収納。代わりに取り出した端末を操作してパートナーカード交換を済ませていく。

 表情が曇るクラムに対し、エミリアはこの交換に危機感を抱いていない。

 ……得体の知れない相手に個人情報も記載されたパートナーカードを渡すリスクにまで理解が及んでいないのは、この場合はある意味幸福なのかもしれない。

「クラム君とエミリアちゃん、ですかぁ。よろしくお願いしますねぇ」

「……こちらこそ、ラミュロス」

 自分の交渉下手のせいでエミリアの情報まで渡してしまったことを悔やむクラムは、せめて相手の素性を探れないかと彼女のパートナーカードへ目を通していく。

 しかし残念ながら彼女もクラムと同じくフリーの傭兵。所属団体も無ければ本物かどうかもわからない連絡先ぐらいしか読み取れるものはなかった。

 それ以外でわかったことと言えば彼女が『ラミュロス・パトローネ』という名前であることと、あとはパートナーカードの発行元がパルムではなくニューデイズである点ぐらいだろうか。

「十分な見返りがあるなら個別対応もしておりますので、今後ともご贔屓に」

 言いながら端末を収納し身軽になった彼女の足が向かう先は、レリクスの奥ではなくクラムたちが来た方角。

 拠点からここに来るまでは壁が崩落していた場所を除けばほぼ一本道であるため、逆走してたどり着くのは当然拠点だけ。

 それがわかっているからこそ、心強い背中の影に隠れた少女はその背中を呼び止めた。

「ちょ、出口を探すの手伝ってくれるんじゃないの!?」

「もちろん協力しますともぉ。ただし情報が本当か確かめる必要がありますので、一度拠点に戻らせてもらいますがぁ」

「とか言いながら、安全な場所で助けが来るまで待つつもりでしょう!」

「それは言いがかりですねぇ。協力するという条件で報酬も前借りしましたし、ここで契約を破るのは後の関係も考えると合理的ではありませんからぁ。

 それに出口を探すとなれば崩落した壁の先も確認する必要がありますし。そうなれば3人固まって探すより、ある程度バラけた方が効率的と思いますよぉ?」

「う、うー……っ! 正論過ぎて言い返せないぃ……っ!!」

 最初の印象が悪すぎたのか、エミリアの中では目の前の彼女は嘘をついていると思って疑わないらしい。しかし自分が突っかかったところで歯が立たないことはわかっているため、クラムの後ろで威嚇をするのが精一杯の抵抗のようだ。

 しばらく少女の虚しい威嚇を笑いながら見ていたラミュロスだったが、不意にクラムの方へと顔が向けられた。確認できるのは口元だけだが、それでも真剣な表情をしているのは十分に伝わってくる。

「見たところ、そこのかわいい傭兵さんは戦闘慣れしていませんねぇ?

 パートナーカードに記載された所属もそれぞれ違いましたし、本当に成り行きでここまで来てしまったのでしょう。

 ですがここより奥へ彼女を連れて行くのはおすすめしません。彼女だけでも拠点へ引き返すことを提案します。

 もしよければ、護衛を引き受けますよぉ?」

 その提案はエミリアの安全を考えるなら願ったり叶ったりな提案だ。遭遇するエネミーも原生生物よりスタティリアの割合が増えてきている。更に奥に行けばクラムでも対処が難しいスタティリアが起動しているかもしれない。

 しかし彼の背後にいる少女は絶対に離れまいと腰に腕を回してがっしりとホールドしていた。拠点のときもそうだったが、こうなってしまうと彼女はテコでも動かないだろう。

「ごめん、悪気はないんだ」

「まあ第一印象が悪すぎましたからねぇ……

 これ以上は止める義理もありませんが、くれぐれも無茶はしないでくださいねぇ」

 肩をすくめ力なく笑い、女性キャストは今度こそ拠点へと戻っていった。

 その背中を見送り、再び2人になるが少女の怒りはまだ収まっていないらしい。

「もう、あいつ絶対協力する気ないって!

 あーあ、こんなことならパートナーカードなんて交換するんじゃなかった……」

「今回は俺の交渉ミスだけど、これからは素性を知らない相手にパートナーカードを交換しないよう注意しないとね」

「あんたは心配じゃないの? 出口を探さないどころか、救助が来ても連絡してくるかも怪しいのに?」

「それに関しては大丈夫だと思うよ」

 あまり印象のいい出会い方ではなかったというのに、意外にも彼女に対するクラムの評価は高かった。それを信じられないと言わんばかりに眉をひそめて顔を覗き込んでくる少女。

 直感であるためどう説明したら伝わるかと首をひねってしばし悩んだものの、しっくりくる答えが出ることはない。

「強いて言うなら俺と似てる雰囲気があったから、かな」

「似てる? あいつとクラムが?」

「まあ直感だけどね。……意外と当たるから大丈夫だよ」

 少女の表情からしてやはり理解は得られなかったらしい。それでもそれ以上の不満がなかったのは多少なりとも彼女から信用はされているからかもしれない。

 そこよりさらに奥はフロアが極端に少なくなり、狭い通路が延々と続いていた。

 幸い遮蔽物の少ない一本道のため危険は少なかったが、代わり映えしない風景は意識していなければ集中力が削がれていきそうだった。

 そんな通路を抜けると風景は一変。今までと比べて一段と広いフロアへとたどり着いた。壁や床に施された装飾は他の場所と系統が変わり、特別な空間であったことは容易に想像がつく。

「まだ出口は見えないか。他と雰囲気が違う部屋だし、出口そのものじゃなくても転送装置の1つや2つあってもいいと思うんだけど」

「うう……この場所で探索するの? 壁に並んであるの、大型の自律機動兵器だよ?

 もしこれが動かしたらとか考えると……」

 自分の肩を抱いて身震いする少女の目線の先にあるのは、4メートル近い巨体とその身の丈ほどの斧を持った【スヴァルティア】と呼ばれるスタティリアだった。

 ここ以外のレリクスでも多数目撃されており、過去何度かレリクス探索に参加したことがあるクラムにとっては見慣れた存在だ。しかしそれは壁の装飾品としてであり、この兵器が起動している場面には今まで立ち会ったことはない。

 ──だからこそ、目の前の1体が歩き始めた時には思わず全身の毛を逆立てた。

「……ちょっ、じょ、冗談でしょ!?」

「エミリア声抑えて」

 冷静に近くの柱に隠れたクラムはエミリアを引き寄せながら彼女の口を左手で塞ぎ、右手の人差し指を自分の口の前に置く。

 いきなりのことに目を白黒させる少女が落ち着くまでに十数秒。その間に柱の影からそっと顔を出して確認するが、どうやらスヴァルティアはこちらに気づいていないようだった。

 起動したのはクラムたち侵入者に反応したのではなく、レリクス起動による自動防衛の一環だったらしい。

 さらに不幸中の幸いというべきか、まだシステムが完全に立ち上がりきっていないのか索敵が甘い。完全に起動すれば隠れることは不可能だろうが、少しでも時間が稼げるのはありがたかった。

「……エミリア、ここから拠点まで一人で戻れるかな?」

「一応道は覚えてるけど、って一人? 待って! もしかしてあいつと戦う気!?」

「あれに追われたままだと、進むのも引くのも難しいからね。

 けど、さすがにあれ相手にエミリアを庇いながら戦える自信はない。それよりは、ある程度安全が確保できた道を戻ってもらった方がいい。急げば途中でラミュロスと合流できるだろうし」

 あの人がちゃんと拠点に向かってるならね、と付け加えながら青年は困ったように笑った。

 今にも泣き出しそうな少女をこれ以上心配させまいと振る舞うが、残念ながら彼もその手のコミュニケーションが得意なわけではない。

 だが悠長に説得している時間もなかった。索敵が始まる前に少女を危険から遠ざけるため、囮も兼ねて壁から飛び出そうとするがその腕は彼女の小さな手に掴まれた。

「あ、あたしも……戦う」

 その言葉は一人が心細いからか、はたまた別の理由か。

 戦うのは嫌だ、とさんざん言っていた少女が自らの意思で口にしたその言葉。このまま無視することもできたかもしれないが、絞り出した彼女の言葉に対しそんなことをする考えは不思議と浮かばなかった。

 背後ではスタティリアの索敵音がこちらに迫っているのがわかるが、青年は少女と同じ目線の高さで向かい合った。

「かなり危険な戦いになるよ?」

「わ、わかってる。戦うのは嫌。でも、ここでクラムを置いて逃げるのはもっと嫌!

 あたしが足を引っ張らなきゃ勝てるんだよね?」

「エミリアが力を貸してくれるなら必ず」

 投げかけられた質問に即答したおかげか、幾分か少女の表情が和らいだのがわかる。

 だがそこへ彼女を試すかのようにスタティリアの咆哮がフロア中に響き渡った。どうやらこの場所を特定されたらしい。

 本能的な恐怖を呼び起こす雄叫びにエミリアの表情が強ばるが、深呼吸を何度か行いながら太ももに巻き付けてあるナノトランサーからロッドを取り出し、彼女は己を鼓舞するように笑う。

「なら、あたしも覚悟を決める。クラムのこと、信じるからね!」

「じゃあ、俺も頑張らないとだね──」

 言うが早く、クラムはエミリアの身体を軽々と抱えあげると柱の壁から飛び出した。直後にスタティリアの巨大な斧が柱を砕きながら二人のいた場所へと振り下ろされる。

 間一髪だったというのに青年は冷静に体勢を整え、少女一人を抱えているとは思えない身軽な動きでスヴァルティアから離れて少女を下ろした。

「エミリア、ロッドを持ってるってことは【テクニック】が使えるんだよね? 闇属性は使える?」

 【テクニック】とは大気中に漂うフォトンに干渉し、フォトン・リアクターを媒介として超常現象を発生させる技術のことだ。

 フォトン・リアクターによって変換されるエネルギーはその性質ごとに【炎】【氷】【雷】【土】【光】【闇】の6種類に加え、現在特に目立った性質が確認されていない【無】の計7つの属性に分類されるのだが、基本的に引き出せる属性は一つだけ。

 クラムの【剣影】で例えると、今彼が使っているのは無属性であり、もし属性を変えたいのであれば新しい武器として作り直さなければいけない。

 しかしテクニックを扱うためのフォトン・リアクターは特殊で、【無】を除く6属性を使い分けることが可能。威力は使用者の精神力が顕著に現れるため得意不得意はあれど、多種多様な超常現象を引き起こす事ができる。

「え、あ……め、【メギド】ぐらしか使えないけど」

「使えるだけで十分。俺があいつの動きを止めるから、合図をしたらありったけのテクニックをぶつけてほしい。それまでは武器も収納してここで待機だ」

「武器も?」

「そう武器も。詳しいこと説明してる暇はないけど攻撃の要はエミリアだから、いつでも動けるようにしててほしい。

 ただし、危ないと判断したら迷わず後ろの通路へ駆け込むこと、いい?」

「う、うん!」

「良い返事だ」

 覚悟を決めたとはいえ戦闘経験の乏しい素人であることに変わりない。

 だが戦う覚悟を決めた少女は、ただ守られるだけの護衛対象から微力ながらも『戦力』になった。彼女の覚悟を無駄にしないよう、白銀のビーストは首のチョーカーに触れながら自分よりも巨大な兵器へ向かって疾走する。

 当然スヴァルティアが黙って立っているわけもなく、その手に持った巨大な斧が横薙ぎに払われた。

「まあ、そうくるよね」

 目の前のスタティリアと戦うのは初めてだが、似た骨格でこれより一回り小さいものとなら戦った経験があるクラムにとってそれは予想通りの行動。

 胴体を刈り取らんとする軌道で刃が迫るが、彼はさらに体勢を低くして地面を滑ることでやり過ごした。

 そしてがら空きになった懐へ潜り込むと腰にさげた【剣影】を抜刀。瞬く間に6度の斬撃を叩き込んだ。あまりの速さに打撃音が1つにまとまって聞こえるほどの連撃は、スヴァルティアの左足に数センチの深い傷を刻む。

「岩ぐらいなら切れる威力で振ったんだけど……

 やっぱり大型兵器に組み込まれたシールドラインは厄介だね」

 足元の虫を踏み潰すかのごとく暴れるスヴァルティアの動きを軽やかに避けながら、クラムは眉をひそめて舌打ちする。

 目を凝らせばこの大型自律兵器を覆う薄い膜が見えるが、それは現代の人間も身に着けているシールドラインと同系統のもの。

 しかし小型化のためにフォトン・リアクターで運用される現代のものと違い、多少の大きさは問題ない自律機動兵器に内蔵されているのは安定した高出力を維持できるAフォトン・リアクターだ。その強度は並のシールドラインの比ではなかった。

 さすがは、SEEDの対抗策として旧文明人が生み出した兵器だといわれるだけある。

 それでもクラムは怯むことなく攻撃を加え続け、スヴァルティアへ確かな傷を増やしていく。

「気をつけて、相手の動きがさっきと違う!」

「っ!」

 エミリアの声に反応して大きく後ろへ後退した直後、スヴァルティアに内蔵されたAフォトン・リアクターが一際明るく輝き出し、テクニックにも似た雷撃を自身を中心に広範囲へ放った。

 地面を転がるようにしてギリギリ範囲外へ逃れることができたが、あのまま張り付いて反応が遅れていれば避けきれず、いかにクラムといえどただでは済まなかっただろう。

「ありがとうエミリア、助かった!」

「う、うんっ!!」

 間合いの関係でクラムは4メートル近い巨体に張り付かざるをえないのだが、そうすると相手の動きを全ては把握できない。エミリアの位置はクラムの死角を補うのに最適な場所だったのだが、そこまで頼むのは酷だと判断して彼は指示はしていなかった。

 なのに実際は自分の役割を理解して的確な指示を繰り出してくれた。戦闘そのものは未経験だとしても、彼女のポテンシャルは思っている以上に高いのかもしれない。

「これは、俺もカッコ悪いところは見せられないね」

 雷撃が収まると同時に再びスヴァルティアに張り付いて連撃を与えていくクラム。

 絶えず立ち位置を変え、時にコマのように回転しながら繰り出す斬撃はシールドラインの上からでも相手の装甲を着実に削っていくが、それでも破壊するには至らない。

 それでもクラムは攻撃を緩めることはなく、むしろ先ほどよりも激しく斬撃を叩き込む。

「エミリア、そろそろ攻撃準備を──」

 何かを見極めフロアの端で待機しているエミリアに指示を飛ばすが、ここでスヴァルティアが斧を大きく振り上げた。

 張り付いていたクラムでもわかるほど大きな動作に彼の直感が警笛を鳴らすものの、それを言葉にする前に相手の方が早く動いた。

「なん……っ!?」

 局所的に重力でも操ったのか、その巨体が跳躍したのだ。それだけならクラムも適切な対応を取れただろうが、その標的が自身ではなく、後方にいたエミリアだったことで思わず動きを止めてしまった。

 スタティリアは高度なプログラムで動いているとはいえあくまでプログラムだ。瞬時に学習して進化するがそのパターンを把握して意図的に偏った学習をさせればある程度の制御は可能なはずだった。

 だから相手がエミリアを脅威と判断しないよう、フロアの端で攻撃もさせず武器すら持たせずに待機させていたのだ。

「俺が把握できてない『何か』が、俺よりもエミリアを脅威として判断させた……?

 いやそれよりも……っ!」

 考察は後にして駆け出すが流石に間に合わない。エミリアもいきなりのことで動けていない様子。

 彼女の装備しているシールドラインがどれほどの性能であろうと、振り下ろされる斧をまともに受ければタダでは済まないだろう。

「エミ──はぁ!?」

 なりふり構わずクラムが『切り札』を切ろうとしたその時、覚束ない足取りながらエミリアも遅れて動き出す。──ただし、迫り来るスヴァルティアに向かう形で。

 その無謀な行動に思わず素っ頓狂な声を上げるクラムの目の前で、少女は足をもつれさせながらもダイブ。スヴァルティアの下をくぐる形で回避に成功した。

 顔面から着地する不恰好な回避に肝を冷やしてクラムが駆け寄るが、シールドラインのおかげか目立った傷はない。

「あいたたた……上手く行ったみたい?」

「……ほんと、無茶するよ。けどナイスファイト」

 その奥では標的を見失った斧が床に振り下ろされている。瞬く間に床に亀裂を走らせるその攻撃がどれほどの威力だったのか想像するのも恐ろしい。

 さらに床に亀裂を走らせるだけでなく通路の崩落まで引き起こしており、もしエミリアが通路側に逃げていたら崩落に巻き込まれて生き埋めになっていたかもしれなかった。

 一見無茶な彼女の行動だったが結果的にはそれが正しかったといえよう。

「あと一息だ。エミリアは武器を構えて待機。いけるね?」

「も、もちろん!」

 その力強い返しに満足そうに頷き、クラムは得物を握り地面を蹴る。

 対するスヴァルティアも地面から斧を引き抜き、振り返る遠心力を利用してその巨大な斧を振り回す。その軌道は先程よりも低く、先程と同じようなスライディングでは避けられないように対策されていた。

 しかしクラムもそれを瞬時に判断し跳躍。斧の上を飛び越えそのままスヴァルティアの胴体へ肉薄すると、回避などを考慮しない渾身の一撃を叩き込んだ。

 今までのどの攻撃よりも強力な一振りは、その一撃だけでシールドラインに守られた胸部に深々と傷を付ける。それでも継続的に攻撃を与えていた脚部ほどの損傷にはならず、その奥にあるコアにも当然届かない。

 にも関わらず、その銀狼は何かを確信して小さく笑みを浮かべた。そして、それを証明するように目の前の自律機動兵器の動きに異変が起こる。

 まるで油を指し忘れたロボットのようにぎこちない動きを繰り返し、最終的には機能を停止したわけでもないのにその場で動かなくなってしまったのだ。よく見れば、その体表ではいたるところで断続的にスパークを起こしている。

「これって、【麻痺】?」

 エミリアが呟いたそれは、雷属性のエネルギーが稀に引き起こす状態異常の一種。

 フォトン・エネルギーは刃などの形状に固定されていても常に流動的な性質を持つ。そこへ雷属性のエネルギーが過剰に干渉した場合にその流動性を鈍らせる事があるのだ。

 そして鈍ったフォトン・エネルギーがシールドラインのように全身を覆うものだった場合、全身を守る鎧は一変して拘束具となり、さらには周囲のフォトンとの干渉すら遮断しテクニック等も封じるため、目の前のスヴァルティアのように何も出来ずに動きを止めてしまうというわけだ。

 その際、同様の能力で動きの鈍ったフォトンは継続的にスパークを起こすため、巷では『麻痺した』ともっぱら表現されている。

 ただし彼の持つ【剣影】は無属性。その武器が『妖刀』と恐れられているのは、属性に関係なく武器そのものが麻痺を引き起こすことができる能力を秘めてるが故だった。

「エミリア今だ!」

「っ!? う、うん!」

 クラムの叫び声で我に返り、エミリアは一心不乱にロッドを振り回す。構えや振り方など意識する余裕もないが、打てるだけのテクニックを動かなくなった相手へ次々と叩き込んでいく。

 純白のロッドから放たれた黒いエネルギーの塊は吸い込まれるようにスヴァルティアの胸部へ命中。放たれた直後はお世辞にも強力な威力を有しているとはいえなかったが、直撃する際に急激に威力が増大。

 傷の入っていたスヴァルティアの胸部を砕くだけでなく、その奥のコアにまで大きなヒビを入れて4メートル近い巨体を大きく仰け反らせることに成功した。

「やっ──」

 慣れていない戦闘での、おそらく初めての手応えに少女は喜び跳ねる。しかし、倒れゆく巨体は最後のあがきとも言わんばかりにヒビの入ったコア……正確にはそれを構成するAフォトン・リアクターを限界点まで稼働。先程雷撃を発生させた時よりもさらにまばゆく輝かせる。

 間もなくして放たれた雷撃は威力・範囲共に最初のものとは比べ物にならず、瞬く間にクラムたち2人を飲み込んでしまった。

 

 予想外の一撃に当然逃げることは叶わず、シールドラインがあるとしても防ぎきれるわけがない威力の雷撃。

 エミリアは反射的に目を閉じ、いずれ訪れる想像を絶する激痛に備え歯を食いしばる。

 しかしながら、いくら待てども痛みらしい痛みがない。まさか痛みを感じる暇もなく死んでしまったのかと最悪の状況が脳裏を過ったとき、大きな手が彼女の頭を撫でるのを感じた。

「──よく頑張ったね」

 続いて聞こえてきたのは、自身を労ってくれる優しい声。

 恐る恐る目を開けると、まず目に入ってきたのは青白いモヤの掛かった風景。ところどころでスパークを起こしていたそれは、彼女が状況を把握する前に霧散。元のレリクスの風景に戻ってしまう。

 フロアの床や壁には焼け焦げた跡が広範囲にわたって残っており、スヴァルティアが放った雷撃の威力がどれほどのものだったのかを物語っていた。しかしその焼け跡も2人の周囲1メートルほどには見当たらず、まるでその場所には雷撃が発生しなかったかのようだった。

 なぜそうなったのか、目を閉じていた彼女は当然知る由もなかった。

 

「お疲れ、エミリア」

「あ……うん……」

 キョロキョロと辺りと見回している少女に声をかけるが、その反応は鈍い。どうやらまだ状況が掴めていないらしい。

 しかし四肢がボラバラになり地面に転がっているスヴァルティアを発見したことで状況を理解し、次第にその表情が明るくなっていく。

「これ、あたしたちでやったんだよね……?」

「そうだよ」

「夢じゃないよね? あたしたち、生きてるよね……っ!?」

「もちろん」

「……やった、やったよ! あんなでっかいのを倒しちゃった!

 すごい、本当にすごい! あんたを信じてよかった! やった、やったあ!」

 喜びを全身で表現するように飛び跳ねるエミリア。それでも湧き上がる感情を表現しきなかったようで、感極まった彼女は勢いよくクラムへ抱きついた。

 少女が抱きついたところでびくともしない体格差のはずだが、どうやら彼は立っているのがやっとだったらしい。踏ん張りがきかずにそのまま押し倒されてしまった。

 その瞬間でも少女に怪我がないように支える彼の気配りは流石の一言に尽きる。

「わ、わわっ、大丈夫!?」

「あはは、大丈夫だよ。ちょっと疲れただけだから」

「あ……そうだよね。あたしの方に来ないように、あんなヤバいヤツにずっと張り付いて攻撃してくれてたもんね……」

 ……実はそれだけが理由ではないのだがそこには触れず、表情を曇らせる少女へ優しく微笑んだ。

「エミリアが手伝ってくれたから勝てたんだ。これぐらいお安い御用だよ」

 ゆっくりと上体を起こし、エミリアを先に立たせてクラムは一呼吸入れる。

 エミリアはもちろんクラムにも目に見えて怪我はないが、彼の額からにじむ汗やなかなか整わない呼吸からしてかなり疲労が溜まっているのは客観的に見ても明らかだった。

「【レスタ】使ったほうがいいよね? あたしのじゃ気休め程度かもしれないけど……」

「あー、それなんだけ……ど──」

「──え?」

 戦闘を終えた開放感や疲労感などが組み合わさり、注意力が散漫になっていたのが原因か。小さな地響きと共に新たなスヴァルティアがすぐそこまで迫っているのに2人とも気づくことができなかった。

「────っ!」

 それでも反射的に跳ねるように身体を起こしたクラムは、エミリアの手を引いて後方へと投げ飛ばした。

 受け身など取れるわけもなく少女の身体は地面を派手に転がるが、シールドラインがあれば大怪我にはならないだろう。

 しかし青年の方はそうもいかない。目の前には左腕を大きく振り上げ、今にもその鋭い爪で敵を切り裂かんと構えたスヴァルティア。

 とっさに【剣影】で防ごうとするも受け方が悪かったらしく、振り下ろされた鋭い爪によって妖刀はいとも簡単にへし折られた。

 妖刀の犠牲で多少の軌道変更はできたものの、それでも彼の身体は深々と切り裂かれ、その雪のような白い肌から鮮血が舞う。即死は避けられたが、出血の量からして致命傷であることは間違いなかった。

「──だったらどうしたぁっ!!」

 それでも身体を動かせたのはビーストの類まれな生命力のお陰だろうか。よろけながらも両足で踏ん張り、雄叫びをあげながら乱暴に掴んだのは先程倒したスヴァルティアが持っていた巨大な斧。力任せに振るわれたそれは目の前の新たなスヴァルティアの胴体を正確に捉え、斧ごとその巨体を壁際まで吹き飛ばした。

 しかしすでに負った傷が軽減するわけもない。出血が酷すぎるのか、荒い呼吸を何度繰り返しても息苦しさは治る様子がない。

 次第に足腰に身体に力が入らなくなりその場に崩れ落ちるが、駆け寄ってきたエミリアによって支えられた。とはいえクラムとエミリアでは体格差がありすぎて膝立ちを維持させるのが精一杯の様子。それでも彼を倒れさせまいと、小さな身体で青年の身体を支えようと踏ん張っている。

 霞む視界で確認するも少女に目立った傷はない。かなり乱暴に投げたのだが、やはり彼女のシールドラインは強固なものだったらしい。

「ああ、よかった……」

「やだ、やだよ……!

 どうしてあたしなんか……かばって……」

「あはは、どうしてと聞かれても……気づいたら身体が動いてたとしか言えないかな」

 涙をボロボロと流し声を震わせる少女を心配させまいと平然を装うが、溢れ出る血の量は誤魔化せない。

「ま、待ってて! いま、治すから!」

「エミリア」

 クラムの身体を支えつつ、震える手で何度も落としそうになりながらも少女はロッドを握り【レスタ】を唱えようと構えるが、それを真っ赤に染まった手が制止させる。

「俺は体質のせいで【レスタ】とかが効きにくいんだ。こんなところで力を浪費しなくていい」

 しかし少女も首を何度も横に振って拒否してその傷を癒そうとテクニックを乱発。先程の黒いエネルギーとは真逆の優しく暖かい光がクラムの身体を包み込む。

 ……彼の『体質』上、本来であればその光は弱まり彼の身体を癒やすことは叶わないのだが、どうやら彼女のロッドは治癒系の効果を高める能力を持っているらしく、僅かにだが出血が治まり初めていた。とはいえ内蔵の損傷が激しいうえ血を流しすぎた。もはや焼け石に水だろう。

 むしろこのままエミリアが無茶をすれば精神を摩耗させ、彼女にまで危険が及びかねない。

 そんなエミリアの無謀を止めるには言葉だけでは不可能だと判断し、クラムは朦朧とする意識で立ち上がると右腰のバックルにある小さなナノトランサーから端末を取り出し操作し始めた。

「……まったく、情報を偽装してたら化けて出てやる」

 操作を終えると、もはや端末は不要と言わんばかりに足元へ捨てて両腕をだらりと下げる。

 すでに手足の感覚がなくなってきているためその手に武器を握ることすら叶わず、そんな彼をあざ笑うかのように左手から血を滴らせる大型自律機動兵器はゆっくりと立ち上がった。

「やっぱ倒しきれてないよね。

 文字通り死ぬ気で使うのは初めてだけど、せめてあいつだけは絶対に道連れにしないと……」

 朦朧とする意識の中、むしろ命の危機を感じて脳が快楽物質を出しているのか気分だけは異様に高揚していた。

 牙をむくように獰猛に笑いながら、クラムは倒すべき敵だけは見据えて『切り札』の準備をする。使用すれば確実に命は無いが、今この状況なら数分遅いか早いかの違いでしかない。

 むしろその数分で少女の命が救えるのであれば願ったり叶ったりだろう。

「どうして、どうしていつもそうなの!? みんなあたしを置いてっちゃうの!?」

 そこへ背後から少女の悲痛の叫びが響き渡った。

「あたしを置いていかないでよ! ひとりにしないでよ!」

 その叫びは死に急ごうとする青年への懇願か、それとも彼を通して見ている『何か』への哀願か。しかしどちらへも少女の願いは届かない。

 それでも少女は叫ぶ。その身を犠牲にして守ってくれた青年を救いたい一心で。……それしかできない無力な自分を悔やみながら。

「誰か、誰でもいいから……助けてよぉっ!!」

 テクニックの乱発により意識が朦朧としながらも願い続けたその瞬間、少女の叫びに応えるように()()()()()()()()大量のフォトンがフロアへと放出されこの空間を黄金色へと染め上げていく。

 現代の技術で実現できるのかわからないほど高密度のフォトンはフォトン・リアクターを介していないにも関わらずテクニックとは比べ物にならない高火力のエネルギーを生み出し、瞬く間にスヴァルティアを跡形もなく消し飛ばしてしまった。

「なに、が……?」

 突然の出来事に唖然とするクラムだったが、何が起こったのか確認する体力はもはや残されていなかった。

 受け身を取ることすらできず、糸が切れるように彼の身体は無機質な床へと倒れ込む。

『あなたを……死なせはしません!!』

 すべての感覚が曖昧になっていくなか、その慈愛に満ちた声だけははっきりと聞こえたのを最後に青年の意識は白く塗りつぶされていった──




1章は連投する予定が誤字脱字修正していたら1日ズレてしまいました

今後の展開的にこっちのほうが動かしやすいかなと思ったので、オリキャラ2人で運用していきます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たな居場所を得る

「────」

 聞こえてくるのは、誰かの話し声。ただしまだ意識が覚醒しきてないからか、まるで水中聞いているかのに朧げでその内容までは理解できない。

 それでも周囲が安全ということだけは本能的に察知し、青年の意識は不完全な状態で跳ね起きるよりも正常に目覚める方を選択したらしい。

 ゆっくりと時間をかけ、靄のかかったような感覚の輪郭を捉えていく。

「──ん」

 重い瞼を開けてまず最初に入ってきたのは煌びやかに光る天井の照明。その眩しい天井に目を細めていると、光を遮るように人影が覗き込んできた。

「……オゥ、気がついたネ!」

 やけに反響した声なのはキャスト特有の合成音声だからだろうか?

 明るく綺麗な声色であるということはわかるが、まだ覚醒しきっていない頭では投げかけられる言葉を上手く認識できなかった。

 ちょっと待ってて、という言葉だけは聞き取れたが、女性キャストはパタパタと慌ただしく小走りでどこかへ行ってしまう。かと思えば再びこちらへ戻ってきた。

「シャッチョサン、今取り込み中だから、ワタシから軽く説明ネ~。

 ワタシ、チェルシー。ヨロシクネ」

「えっと、はじめまして……」

 派手に盛られたエメラルド色の髪と、スリットの深いドレスパーツを身にまとった、どこか水商売を連想させる女性キャスト。その見た目のインパクトもさることながら、妙な片言で喋りながら物理的に迫ってくるその勢いに押され、何も理解できていないながらも挨拶だけは返す。

「はい、ハジメマシテネ~。

 礼儀正しい人で気に入ったヨ。今後ともご指名ヨロシクネ!」

「え、ここそういう店なの?」

「ノンノン。ココはリゾート型コロニー【クラッド6】。その中にある、民間軍事会社【リトルウィング】の事務所ダヨ」

 言われて周囲を見回してみると、今いる場所はパーテーションで簡単に区切られた小さな空間。その外側から聞こえる話し声や人の気配からそこそこ広い空間の一角であることはわかる。

 そしてクラムが先ほどまで眠っていたのはかなり上等だとわかる2人掛けのアームソファであり、膝位の高さの長テーブルを挟んだ反対側には同じく上等な一人掛けのアームソファが2つ。典型的な応接室のレイアウトだった。

「おうおうおう、面白いぐらいわけがわからないって顔してるな」

 困惑しながらも自分の置かれた状況を少しづつ把握してきたところで、その様子をからかうように笑いながらビーストの男がこの区切られた空間の中に入ってきた。

 無精髭を生やし、手入れが不十分なボサボサな髪で目元を隠したその容姿はだらしないの一言に尽きる。初対面なら間違いなく警戒するだろう身なりだが、彼のことは見覚えがあった。

「……たしかレリクスで──っ!?」

 その記憶に引きずられるように、あの場所で何が起こったのかを一気に思い出し思わず身体が強張る。

 心臓がやけに大きく脈打ち耳の内側でうるさいほど響いているが幸い誰にも気づかれていないようで、目の前の男は何事もなく話を勧めている。

「思い出してきたみてえだな。お前さんの言う通り、俺もこの前あったレリクスの調査の参加者だ。

 いろいろあって、その日中にレリクス内に閉じ込められたバカを救出するっつー任務に切り替わっちまったけどな」

「……その日中? そんなに早く救助依頼の申請が?」

 ケラケラと愉快そうに語る男に苛立ちを感じなくもないが、それ以上に迅速な対応に驚いて苛立ちはどっかに消えてしまった。

「んにゃ、扉が閉まった後にお前さんに助けられたってやつらから救助を依頼されてよ、しかも報酬までポケットマネーで出すと言われちゃやるしかねえだろ?

 で、他の通路から迂回したら戻れるかもってことで即席の救助隊が作られたんだ。

 普通なら依頼の申請で1日はかかるのに運がいいやつだぜ。まあ、俺らも多少なりとも報酬もらえたから文句はねえけどな」

 まさか閉じられた扉の向こうでそんなことがあったなど思いもしなかった。

 他の傭兵は分からないが、あの時逃げ遅れそうなヒトを助けたのはただの自己満足だ。まさかそれに恩を返されるとは思ってもみず、クラムは何とも言えない感覚に困って頬をかいていた。

「しっかしまぁ、あのバカ連れた状態で大型の自律機動兵器相手に無傷とは流石だな」

「……無傷?」

「ん? そりゃおめぇ、身体に目立った傷が無いんだからそういうことだろ? まあナノトランサーが壊れてたから、そこに攻撃を受けたのかもしれねえが」

 言われて自分の身体に視線を向けると、左胸にあるナノトランサーは確かに壊れていた。修復すれば中身が取り出せるかもしれないが、中にある武器も同様に損傷している可能性を考えるとやる意味は薄いかもしれない。

 しかし今はそんなことどうでもよかった。

 記憶が正しければあの時クラムの身体はスヴァルティアの爪に深くえぐられ、治療が不可能なレベルの致命傷を受けたはずだ。

 なのに、男の言う通りクラムの身体にはそれらしい傷が痕跡すら残っていない。皮膚と一緒に裂かれたであろう服も最初からそんなこと無かったかのように無傷だった。妙な倦怠感こそあれ、それは寝起きだからという理由で片付くもの。

 ……身体を抉られたのは勘違いだった? そう考えれば辻褄が合うが、あの時の痛みと身体が冷たくなっていく感覚が勘違いだったとは思えなかった。

「ああそうそう、いざ救出に向かったら、最初に俺たちが集まってた場所で全身傷だらけになったキャストの嬢ちゃんがいて、そいつがお前らのいる座標を教えてくれたんだ。

 傷の手当をするからって名前も名乗らずそのままどっか行っちまったけど、今度会ったら礼言っとけよ?」

 おそらく彼が言っているのはラミュロスのことだろう。ということはあの時、端末で彼女に自分たちのいる座標を送ったのは間違いないらしい。

 だとするとどこまでが現実で、どこからが勘違いなのか、寝起きのクラムの頭ではまともに整理するのは不可能だった。

「座標がわかったお陰ですんなり救助が終わったのはよかったんだが、大変だったのはそのあとでなぁ……

 いやぁ、お前さんの引取先がわからなくて困った困った。名字から心当たりのある場所に連絡しても知らぬ存ぜぬで突っぱねられたし面倒だったぜ? 元ガーディアンズのクラム・アーセナルさんよ」

「…………」

 ガーディアンズとは、惑星内ではなく宇宙空間に造られている巨大なコロニーを拠点とし、このグラール全域の保安を目的に結成された『惑星間警護組織』のこと。

 確かにクラムは以前そこに所属していたが、訳あって除隊している身だ。

 別にどうしても隠していたかったわけではないが、パートナーカードからその履歴は抹消していて普通ならわからないはずの過去を探られたことでクラムの中で警戒レベルが上がっていく。

 対するビーストの男は両手を軽く挙げ、心底どうでもいいという態度で背もたれを軋ませながら鼻で笑った。

「そう警戒しなさんな。パートナーカードの再発行跡があったから念のため調べてみただけだ。

 ガーディアンズを除隊してる、ってこと以外はわかってねえよ。それ以上となると金も時間もかかりすぎてメリットもないしな。

 で、その『見た目』含めてなんか訳ありっぽかったから俺が引き取る形でここまでご招待。今の今まで数時間ぐっすりすやすや、ってわけよ」

 態度の悪さには思うところがあるが、男が嘘をついている様子はなかった。

 ……そもそも、クラムの過去を調べようとすればガーディアンズの内々で処理された情報へ必然的に手を出す必要があるのだ。身元確認のためだけにそこまでやるメリットがないのは確かだろう。

「まあその、助けてくれてありがとうございます」

「そんな畏まらなくてもかまわねぇよ。こっちも報酬以外に下心があったからな」

 終始クラムの反応が予想通りだったようで、男は満足そうに背もたれにもたれかかり、戻る反動で立ち上がった。

「クラウチ・ミュラーだ。このリトルウィングを取り仕切ってる」

「取締役ってことは、社長じゃないんだ?」

「あー……それはあれだ、あだ名みたいなもんだから気にすんな」

 なぜかバツが悪そうに顔をそらし、その後ろではチェルシーが2人のやり取りを見てニコニコと笑っている。

 理由が気になるところだが、今ここで聞くほどのものではないのはなんとなく察することができた。

「そういえばさっき救助したのが複数人いるように言ってたけど、キャストとは別で俺と一緒にいた女の子は?」

「ああ、あいつか──」

「おっさん、言われた通り来たよー……」

 クラウチが気だるそうに腕を組み明後日の方向を見ていると、その間を埋めるようにパーテーションの向こう側から誰かを探している少女の声が聞こえてきた。

「おっ、ちょうどいいタイミングだな。ほらさっさとこっちこい!」

 それを待ってましたを言わんばかりにクラウチは腕組を解き、荒っぽい言葉を仕切りの向こう側にいるヒトに向けて投げかける。

 間もなくして顔を覗かせたのは赤い学生服のような衣服を身にまとった金髪の少女だった。少女はうつむいて一歩一歩足を引きずるような歩き方で、憂鬱そうにしながらため息をついている。

「……あのさ、おっさん。今日ぐらいカンベンしてよ。あたしがどういう状況だったか、知ってるでしょ?」

「知らねぇし、興味もねえからカンベンしねぇよ」

 そのやりとりだけで2人の関係が良好でないことは想像に難しくない。お互いがお互いに不満を募らせ、それ以上の会話は無駄だと判断したらしく、クラウチは早々に話題の矛先をこちらの方へ振ってきた。

「それよりお前、客の前でそんなツラするんじゃねえ」

「……えっ? あっ、は、はじめまして! ……って、どこかで見たような?」

 少女も少女でその場に来客者がいるとは思っていなかったらしく、反射的に顔を挙げて姿勢を正す。しかしその来客者を見るとキョトンとした表情で首を傾げ、一房まとめた髪を小さく揺らしていた。

 本当にコロコロ表情の変わる少女だと再認識し、クラムから自然と笑みがこぼれる。

「無事でよかったよ、エミリア」

「え……? えぇぇぇぇーっ! あ、あんたは……!?

 い……生き……てる? ……なんで、生きっ……生きてるの!? なんで、おっさん!?」

 まるで幽霊でも見るかのように身構え叫ぶエミリア。いきなりのことで状況を整理できていないようで、少女は視線を彷徨わせて最終的にはクラウチに掴みかかる勢いで説明を求めていた。

「勝手に他人(ひと)を殺すんじゃねえよ。お前、ほんと適当なことしか言わねえな」

「あたしが気がついた時、まともに説明しなかったのそっちじゃん! というか生きてるの知ってたんなら教えてよ!」

「そっちこそ目が覚めてからロクに喋りもしてなかったじゃねえか──」

 そして始まる2人の口論。お互いに非があるもののそれぞれが自分のことを棚に上げて相手を責めるためその激しさは留まるところをしらない。

 それを止める術など知らないクラムは助けを求めるようにチェルシーの方に視線を向けるが、そのホステス風のキャストは口論を止めるどころか微笑ましそうに笑って見守っていた。どうやらこの光景はいつものことらしい。

 今回の一件とは無関係な文句まで出始めてそろそろ収拾がつかなくなってきたところで、不意にエミリアは力が抜けてクラムの隣にへたり込むように腰を下ろした。

「でも、よかった……よかったぁ……

 あそこで起こったことって、ぜんぶ、夢だったんだ……よかったぁ……」

「夢、ね……」

 一房にまとめた金髪を揺らしながら心底安心した様子でへにゃりと笑うその表情とは対照的に、隣に座っている青年の表情は晴れない。

 こうして2人とも生きて再会できたのは喜ばしいことだ。しかし、抉られたはずの部分に触れてみても傷の跡すらないことが逆に不気味で手放しでは喜べないのだ。

 そんな温度差のある2人を見るクラウチは不敵な笑みを浮かべており、彼は彼で何やら企んでいる様子。

「ところでお前さん、フリーなんだろ? 寝泊まりする場所とかはあるのか?」

「いや、考えてなかったというか……

 レリクスでの報酬をあてにしてたから、今ほとんど手持ちがない状態で……」

「ってことはここから別の惑星に移動する交通費もないってわけか?

 丁度いい、このままうちの会社に入っちまえ」

「え──」

「はぁ!? おっさん、急に何言ってんの!?」

「お前とは話してねえよ、黙ってろ」

「ぐぐぐ……」

 まさかの提案に言葉が出ず唖然としていると、なぜかエミリアの方が先に反論。しかし当然というべきかその言葉は一蹴され、言い返せなかった彼女は隣に座る青年の影に隠れて虚しく威嚇していた。

 ラミュロスと出会った時もそうだが、体格のせいか彼女に手頃な盾代わりにされてる節がある。それだけ彼女から心を許されてるということなのだろうだろうが。

「えっと……確かにありがたいんだけど、俺ナノトランサーが壊れてて武器がない状態なんだ。

 たぶんそっちが思ってるような働きはしばらく出来ないと思うんだけど……」

「ならうちの備品貸し出してやるよ。

 それに今なら、いないよりはマシ程度のパートナーもつけてやるしな」

 最初から想定していたと言わんばかりの即答。おそらく、この物腰の低い青年が考える程度の不安要素はすべて対策済みなのだろう。

 ただ気になるのはその待遇の良さだ。クラムも腕に自信がないわけではないが、単に腕利きの傭兵を雇いたいだけにしては手際と待遇が良すぎる。

 もし付加価値を期待しているのだとしても、彼個人に依頼を斡旋してくれるような顧客との太いパイプがあるわけではない。彼を雇用することによってこの会社に新たな依頼が舞い込む、なんてことにはならないことはクラウチもわかっているはず。

 それに加えて先程の『下心がある』の発言。不用意に首を縦に振っていいのかどうか悩んでいると、彼の身体を盾にしたままのエミリアが関心した様子でひょっこり顔を出した。

「めずらしく太っ腹だねー」

「何他人事みたいな顔してんだ。お前のことに決まってんだろ」

「ええっ!? そんなのあたし聞いてないし! 勝手に決めるとか横暴!」

「……ほぉ、お前、それはつまり一人で働きたいってことか?」

「う……そういうわけじゃ……」

 見事な返り討ちに合い、これ以上の発言はさらなる墓穴を掘りかねないと思ったのか少女は再び黙り込んでしまう。ただ彼女のおかげでなんとなく相手の思惑が読めてきた。

「もしかして、すでに俺の部屋とか用意されてたり?」

「察しがいいな。頭の回転が早いやつは嫌いじゃねえ。で、どうだ?」

「クラウチの望むような働きができるかわからないけど、それでもよければ」

「よーし、決まりだな! まあ使い物になんねえかもだが、好きに使ってくれて構わねえ。

 ってことで、エミリア。コイツを部屋まで案内してやれ。パートナーなんだから、仲良くな」

 差し出された手を握り返し、交渉は成立。面接どころか経歴や前科の確認すらまともにせずに契約成立になるとは思ってもみなかった。

 その握手を不服そうに見ている少女が一人いるが、2度に渡って言い負かされ戦意喪失しているため噛みついてくることはない。

 最後の抵抗として頬を膨らませて不機嫌さをアピールしているが、負け犬の遠吠えにクラウチが対応するわけもなかった。

「……それじゃ、案内するからついてきて」

 これ以上ゴネても何も変化しないと悟ったエミリアは諦めたようにため息をつき、クラムの背中から離れてとぼとぼ歩き始めた。その少女の後を追いかけ、クラムは事務所の扉をくぐる。

 リゾートコロニーというだけあって、事務所の外は多くの人で賑わう商業施設となっていた。視線を避けるようにフードを被り直してから行き交う人をすり抜け、たどり着いたのは大きな扉で厳重に閉ざされた通路の一角。

「ここが居住区の入り口ね。端末のIDが登録されてるならここのセンサーにかざせば開くから。

 あ、センサー通さず入ろうとしたら警備員来ちゃうから、開いててもちゃんとセンサーを通してね?」

 言いながら自分の端末をかざして開いた扉をくぐり、それに倣ってクラムも少女の後を追う。

 居住区の通路は商業施設とは一変して無機質で同じ構造が奥まで続いていた。床や天井など一定間隔で現在地が記された地図が表示されているとはいえ、それでも気を抜くと道に迷いそうな造りだ。

「えっと、用意されてる部屋は……転移装置使えばすぐ近くだね」

 クラムの端末に表示されている部屋番号と地図を照らし合わせ、入口近くに設けられた転移装置の開閉ボタンに触れる。

 この転移装置はナノトランサー同様にAフォトン結晶の歪曲空間を用いた技術であり、予め設定された転移装置同士を行き来する際に利用するものだ。転移時の衝突を避けるため、片方の装置上に何か物体があれば扉が開かないようになっている。エミリアが操作してすぐに開かなかったということは、転移先で装置を利用しているヒトがいるということなのだろう。

 扉から少し離れたところで先客が転移してくるのを待ち、入れ替わるように入って装置を起動。視界が一瞬歪むような感覚とともに転移先へと移動した。……といっても、どこもかしこも同じ構造のため一瞬本当に転移したのかわからなくなるのだが。

「そういえば、エミリアとクラウチって上司部下って関係の割にはお互いに言葉遣いに遠慮がないけど、親子とかなの?」

「あたしとおっさんが? ないないない! ない、んだけど……」

 ふと気になったことを尋ねてみると、少女は手首が取れるのではと思うほど手を振って否定する。

 ただし全部間違っているというわけでもないらしく、どこから話すべきかとしかめっ面で首をひねりつつ、ゆっくりと事情を話し始めた。

「あたし、ここに来る前はチェルシーと一緒のショーパブで働いていたの」

「……未成年だよね?」

「あ、うん。だから厳密に言えば働いてたというよりは、居候する代わりに配膳とかのお手伝いをしてたというか……

 とにかく、資源枯渇の影響で元々経営が右肩下がりだったのにあたしが転がり込んじゃったからさ、しばらくしてお店閉じちゃったの。

 それでお店の常連だったおっさんに、店のツケをチャラにする代わりにあたしとチェルシーを引き取ってもらったんだ」

「ああ、それでリトルウイングの社員として雇用されてるのか」

「そういうこと。『働く気がねえやつは住まわせねえぞ!』って一方的にさ。その後のことはレリクスで話した通り、ってあれは夢だったから知らないか。

 まあそんなこんなで、一応おっさんが保護者ってことになってるの。

 そうじゃなきゃ、あんな融通聞かないおっさんのところなんか出ていってるし」

 たぶん向こうも同じこと思ってそうだなー、などと思いながらもクラムは口には出さず愛想笑いを返す。

 クラウチがクラムを破格の待遇で雇った理由。それは十中八九、この引きこもりと化しているエミリアの育成だろう。『好きに使ってくれ』という丸投げの依頼だったが、とにかく自分の生活費は自分で稼げるようにしてくれ、というところか。

「着いたよ。ここがあんたの部屋。……ふむふむ」

「どうかした?」

「あたし、今おっさんと一緒に住んでるんだよね。この通路の突き当りを右に行った奥」

 言いながらエミリアが指さした方向はそこまで遠くない場所だ。これからパートナーとして活動するのだから、部屋が近い方が都合がいいのでクラウチがこの場所を手配したのだろう。

 ただし、この少女のニヤニヤとした表情は決してそんなことを説明するために自分の部屋の位置を言ったわけではないのは明らかだ。

「ねえクラム、あたし達ってパートナーなんだよねー?」

「あ、うん。そうだね」

「じゃあ、あたしが困っていたら匿ってくれないかなーって」

「……どうぞご自由に」

「っし! 手頃な避難場所確保!」

 上目遣いになりながら猫なで声で頼み込む少女に色々思うところはあれど、相変わらず突き放すことは出来ずクラムはこめかみを押さえながらも首を縦に振ってしまった。

 ただ、ちょうど良い逃げ場所を得られたことで小さくガッツポーズするその姿を見ると、落ち込んでいるより調子が出てきた今の方が好ましいのは確かだ。多少のことはしばらく目をつぶったほうがいいかもしれない。

 この課題は今後どうにかするために頭の片隅に置いておき、今は住居の確認のため部屋の中に入る。すでに最低限の家具家電が揃っており、間取りは寝室ともう一つの部屋に分かれた1LDKだった。

 ガーディアンズ時代に彼が住んでいた部屋は一部屋が広い代わりにLDKだったが、リゾートコロニーのため一人暮らしよりも複数人で暮らす方に重きを置いた間取りになっているのかもしれない。

「まあテキトーに使ってみるといいよ。その間、あたしは休んでるからさ」

 欠伸をしながら少女が向かったのは奥のベッド。そこに腰掛けたかと思えばそのまま横になり、瞬く間に寝息まで立て始めてしまった。

「そこ俺が使うはずのベッドなんだけど……」

 すでに夢の中の少女にその小言は伝わらず、自分の部屋なのになぜか取り残されたような感覚に陥るクラム。

 かといって今寝たばかりの少女を起こすのも気が進まず、この際だからと腰のナノリアクターから端末を取り出し操作し始めた。

『──ご指名ありがとうございます。警備員からペットの世話まで要望とあらば七変化。ラミュロス・パトローネでございます』

「それ毎回やってるの?」

『内容以上に最初のインパクトが重要ですからねぇ』

 自動アナウンスの如く定型文をつらつらとまくし立てたのは、レリクスでパートナーカードを交換した女性キャストのラミュロスだ。

 通話が繋がって第一声目が予想外過ぎて一瞬どこかの企業に間違えて連絡してしまったのかと焦ったが、フリーの傭兵を続ける上で彼女なりに工夫した結果らしい。

『それで、要件は何でしょう? 仕事の依頼でしたら、つい先程企業と長期契約をしたばかりですのでお引き受けできませんよぉ』

「依頼じゃないよ。ただレリクスでのことをお礼しようと思って連絡しただけだから。

 おかげでエミリアも無事助かった、ありがとう」

『……律儀な方ですねぇ』

 音声のみの通信だが、端末越しにあきれてため息をつく彼女の姿が容易に目に浮かぶ。それでもこうして一度礼を言っておきたかったのはビーストという人種に刻まれた義理人情故か。

『まあ、座標だけ一方的に送りつけて連絡なしだったので何かの悪戯かと最初は思いましたが、念のため救助隊に知らせて正解でしたぁ』

「……それ以上入力してる暇がなくてね。そっちもボロボロだったって聞いたけど、大丈夫なの?」

『ひとまずは、ですねぇ。私の方も崩落している壁から大型のスタティリアが現れて戦闘になっていましたからぁ。

 結果論ですが、エミリアちゃんは貴方の方についていて正解でしたねぇ。彼女の護衛と並行だと私も流石に分が悪かったですし』

 どうやらお互いに似たような状況に陥っていたらしい。そしてクラムの場合は最終的な火力をエミリアに任せたが、ラミュロスは単身で撃破したということになる。戦ったのが同機種とは限らないが、やはり重火器を用いるキャストの火力は侮れない。

 ……不謹慎ながら、鉢合わせした時に変にこじれて戦闘など起こらないでよかったと青年は静かに胸をなでおろす。

「そっか、無事でよかったよ」

『それはお互い様ですねぇ。

 ……おっと失礼、そろそろブリーフィングが始まりますので失礼しますねぇ』

「うん、ありがとう」

 通信を終えて再び部屋には静寂が訪れたが、相変わらずエミリアが起きる様子はない。

 他にすることも思いつかずなんとなく家具家電の動作確認をしてみるが、それだって30分もあれば全て終わってしまい本格的に手持ち無沙汰になってしまった。

 寝ている少女1人を部屋に置いて行くのも少し抵抗があるが、最低限の家具しか無いこの部屋で休める場所は少女がすでに使っているベッドのみ。

 どうするか悩み、置き手紙をして1人で施設の散策でもしようかと考え始めたところ、誰かに呼び止められたような気がして振り返った。

 しかしそこにいるのはベッドに横たわったエミリア1人。そしてこの空間に2人以外の気配はない。

「気のせいかな?」

『……待って』

 今度は気のせいではなく間違いなく聞こえた声に彼の中で警戒度が上がる。パッと思い浮かぶのは光学迷彩を身につけた暗殺者。しかしそんな大層な装備の相手に狙われるような覚えはない。

『ここでなら、2人で話が出来そうだから……』

 そして何より、その声の声色は暗殺者とは程遠いほど優しく穏やかなものだった。

 あたりを見回していると、いつの間にかベッドで横になっていた少女が上体を起こしている。しかし何かがおかしい。

「エミリア?」

 違和感を感じながら一歩近づいたその時、エミリアの身体に光の筋が浮かび上がっていく。それはまるで何かを起動する回路のようであり、間もなくして全身に光の筋が浮かび上がると彼女の身体からフォトンが放出され始める。

 姿形はエミリアだがエミリアではない神々しい『何か』へと雰囲気を変えたそれは、やがて少女の身体から抜け出すように正体を表した。

 まず目につくのは何かの儀式に用いるのか露出度の高い装束。次にそれそのものが光っているかと見間違うほど艶やかな金髪。それに加えて母性の権化のような優しい笑み。半透明な姿含め、総じて天女のような浮世離れした存在だった。

『私はミカ。訳あって、この子に宿る意識のみの存在です。この姿も、状態も、すでに失われた古の技術によるもの。

 失われた技術を旧文明のものと言うのなら、私は「旧文明人」となりますね。

 途方もない過去に、この星を生きていた原初の文明を持ちうる人類。それが、私達でした』

 ──何を言ってるのだろうか。

 そんな言葉が浮かんでしまうほど突然現れ、突拍子もないことを口にする謎の女性。しかし、今優先するべきは……

「……今エミリアが眠ってるのは貴女が?」

 不思議な光に包まれ宙に浮く少女と、その身体から現れた謎の女性。構図としてはエミリアがこのミカと名乗る女性に操られているようにしか見えなかった。直感的に違うと思いながらも、ひとまずクラムは彼女を『敵』と判断して問いかける。

 しかしどういうわけか、天女のような女性は睨まれていることを喜ぶかのように口元を緩ませ、静かに首を横に振った。

『今は浅い睡眠状態にあります。気がついてから貴方と再開するまでずっと気を張り詰めていましから、ようやく気が休まったのでしょう。

 心配せずとも、すぐに目を覚ましますよ』

「つまり、眠ってること自体は異常じゃないと?」

『はい。私はエミリアが安らいでいるほんのわすかな時間だけ、この身体をお借りしているだけです。

 この、些細な時間で構いません。どうか、私の話しを聞いてください』

 穏やかながら芯の通ったその立ち振る舞いは、その口から語られることが紛れもない真実なのだと信じさせる不思議な説得力があった。

 彼女の要望に頷き、クラムは部屋に備え付けられている椅子に腰掛けることで聞く姿勢を示す。

『ありがとうございます。

 この時代の背景などは、エミリアの記憶から把握させてもらいました。

 3年前、グラール太陽系を襲った危機。SEEDの襲来は、私達の時代にも起こったことなのです』

「……ダークファルス、だよね」

『その通りです。この時代でも復活し、再びグラールの人類により封印されたと把握しています。それに伴う、資源枯渇問題も。

 私達の時代も同様に……いえそれ以上に深刻で、3惑星はSEEDの汚染で回復が不可能な状態でした。そして、旧文明人の肉体も』

「肉体も? ヒューマンは旧文明時代のSEEDから生き延びた人種が先祖だって聞いたことがあるんだけど」

 クラムもそこまで歴史に詳しいわけでもなく、むしろそういう勉強は苦手なのだが、フリーの傭兵時代にそんなことを語るヒトがいたことを彼は朧気ながら記憶している。

 ヒューマンから他の種族が生まれたのだから当然だろう、とその時は流していたのだが、今ミカから語られている話と食い違いがあるように感じ、話の腰を折るのを承知で口を挟んだ。

『それは半分正しく、半分誤った認識ですね。

 順を追って説明しますと、我々はまずSEEDに対する強力な浄化をこのグラール全てに行い3惑星を蘇らせました。

 そして、浄化された惑星に住まう新たな生命体を造り出したのです。それが今現在ヒューマンと呼ばれる方々になります』

「生き延びたんじゃなくて、後から造られた存在だからSEEDの影響を受けなかったってこと?」

『その通りです。ですが惑星の浄化もヒューマンの製造も、すべては旧文明人が計画した大きな「賭け」のための布石。こうして精神だけとなった私たちが現代に生きるヒトの肉体を奪い、復活するための……』

 単に歴史の講義をしているわけではないことはわかっていたが、だんだんと話の雲行きが怪しくなってきた。その深刻そうな表情からしていい話でないことは間違いないだろう。

『そして今、グラールの人々は旧文明人の計画を……自らが滅ぶ道をその手で開こうとしています』

「どうしてこのタイミングに? たしかに今ならSEEDを封印した直後だから二の舞いを踏まずに済む絶好の機会だとは思うけど……」

 仮にそうだとして、SEEDの襲来により今の文明も滅ぶ可能性だった十分にあった。それを含めて『賭け』としていたのだとしても、今はまだSEEDとの争いによる爪痕が深く残っている状況だ。

 乗っ取るタイミングを見計らっているのだとしたら、もう少し先の方が乗っ取った後の負担も少ないはず。

『SEEDの復活は我々も想定していないことでした。ですので、復活のタイミングとSEEDの封印に直接の関係はありません。

 復活が目前に迫っているのは、今の文明が旧文明の想定したレベルまで発展してきていることが原因なのです。

 旧文明人の精神が眠る、こことは違う空間を開けてしまう技術にまでたどり着いたことが……』

 旧文明人が眠る別空間と、その空間を開いてしまう技術。そこから導き出される旧文明人が求めている技術となれば、自ずと答えは1つに絞られる。

「……亜空間航行?」

 その呟きに悲しそうに眉をひそめてミカは首を縦に振る。

「つまり亜空間実験は旧文明人が誘導してる実験?」

『いえ、実験そのものは人類が新たな可能性を切り開こうとする純粋な探究心からくるものです。

 その探究心を利用し、計画に組み込んだのは私達旧文明人の方。現在実験を行っているヒトたちに罪はありません』

 つまり、まんまと旧文明人のしかけた罠にかかりかけているということらしい。

 あまりに突拍子もない話。しかし、ミカの表情は真剣であり、何より彼女という精神体がこうして目の前に存在しているのだから全てが嘘というのはありえなかった。

『どうか、この忌まわしい計画を阻止するために、手を貸していただけないでしょうか?』

「エミリアはこのことを?」

『この子は……心を閉ざしきっていて、私の声を認識してくれないのです』

 視線を伏せ、静かに首を横に振るミカ。一番身近な者が聞く耳持たないというのは残念だが、年端の行かない少女に人類滅亡計画を止めてくれと言うのも酷なことかもしれない。

 そう考えると、ガーディアンズ時代に多少なりとも惑星規模の事件に関わった関わったクラムが先に聞くことが出来たのは幸いか。

「でも貴女も旧文明人だよね? なんで俺に計画阻止の提案を?」

『私達は、滅ぶべくして滅びました。新たに文明を築ける土台を作りこそしましたが、私達の役目はそこまで。世界は次の世代に任せるべきなのです。

 ……それに、貴方にとってはすでに私の存在は他人事ではないのです』

「え──」

 今の『え』は疑問から来るものではなく、しまった、という後悔から思わず出てしまった言葉なのだが、当然ながらミカにその意図が伝わるはずもない。

『なぜ、縁のないはずの私と貴方が話すことができるのでしょうか……?』

「あの……」

『そして、あのレリクスで自律機動兵器に襲われたのは、本当に夢だったのでしょうか……?』

「ちょっと……」

『……貴方は、生きているのでしょうか?』

 状況の確認の為に念入りな質問をしていたのを、協力を渋っているように捉えられたらしい。目の前の天女のような女性は脅しとも取れる言葉で迫ってきた。

 しかしその表情は相手を脅しているとは思えないほど暗く、苦痛すら感じていそうなほど痛々しい。

 彼女の語った内容はそれはそれとして気になるものだったが、まずは誤解を解くのが先決だろう。

「……その脅し方は貴女の声色とは合わないよ。あとごめん、俺からの回答が遅れちゃったね。

 信じるよ。俺で良ければ計画の阻止にも協力する」

『っ、ありがとうございます……っ!』

 少しテンパって余計なことを加えてしまったが、ひとまず自分の立場を示すことができたことに青年はホッと胸をなでおろした。

 ミカの心底嬉しそうに微笑む様子からも、本来の彼女がどういう性格なのか容易に想像できる。先程の脅しは彼女的には出来れば使いたくない最終手段だったのだろう。

 ただ、脅しっぽくなかったのは彼女の雰囲気と声色のせいであり、文言や行間は参考資料でもあったのかと言うほど完璧だったのが少し気になるところだが……

「というか、やっぱり俺ってあの場所で死んだんだ」

『正確にはその一歩手前でした。それでも現代の技術では修復不可能な致命傷でしたが。

 あのとき、エミリアの強い願いによって発現した私のプログラムが貴方の身体を再構築しているのです。こうして話している、今も……』

「なるほどね。ちょっと確認なんだけど──」

「──ふぁ……」

 穏やかに目を閉じて寝息を立てていた少女が身じろぎながら小さな声を漏らした。まだ目覚めてはいないようだが、2人ともそちらへ気を取られ話は打ち切られてしまう。

『そろそろこの子が目を覚まします。詳しくはまたいずれ……』

 そう言い残してミカの姿は空気に溶けるように消えてしまう。それに伴いエミリアの身体に浮かんでいた筋も消えていき、最終的に少女の身体は糸に引かれるようにゆっくりとした動きで元の位置に横たわる。

 それから間もなくして薄っすらと目を開いた少女は、覚束ない動きでベッドに手をついて自分の力で上体を起こした。

「んー……ちょっと寝ちゃった、かな?」

 寝ぼけ眼で身体を動かしゆっくりと覚醒を促す少女と、特に理由もなくそれを眺める青年。やがて完全に目が覚めた彼女がこちらに気づき、視線がかち合った。

「おはよう、エミリア」

「あ、うん。おはよう……

 あのさ、なんでこっち見つめてるの?」

 キョトンとして小首をかしげ、至極まっとうな質問を投げかけるエミリア。

 しかしその返答にクラムは顎に手をおいて考え込んでしまう。ミカの存在は今説明しても彼女に理解はできないだろう。旧文明人の復活計画など論外だ。となれば何か適当な理由をつけるしかないのだが、丁度いい言い訳が思いつかない。

 そして押し黙ったままで視線を泳がせていたため、目の前の少女は次第に眉をひそめ始めてしまう。

「……エミリアの寝顔を見てた?」

「ちょっ、寝てるのに気づいてたんなら起こしてよ! あー、恥ずかし……」

 急かされてとっさに出た言葉としては色々と最低レベルな言い訳だったが、どうやら軽く怒られる程度で許されたらしい。

 逆にエミリアのほうが赤くなった頬を冷ますようにパタパタと手で扇ぎながら顔をそらしてしまった。

「今日はこれぐらいにして休む?」

「うーん……ごめんそうする。また明日案内するね」

「仕方ないよ。今日は色々あったから」

「たしかに……はじめての仕事でしょ? いきなり事件に巻き込まれちゃうし、ヘンな夢は見るし……」

 指折り数えながら今日の出来事を振り返るエミリア。クラムもクラムでガーディアンズ時代の初任務は色々と起こりすぎたが、これはなかなかいい勝負だろう。

「まあ、細かいことはいいや。

 とにかく、あたしもあんたも無事だった、ってことが重要だもんね」

 跳ねるようにベッドから立ち上がりもう一度大きく伸びをする。それでもまだ眠気はとれないようで、彼女の意思に関係なく大きく口を開けて欠伸が出るのを慌てて手で隠していた。

 それを他人に見られたのが恥ずかしかったのか、クラムの視線から逃げるようにパタパタと小走りで扉の方へ行ってしまう。しかしその扉を開く直前、少女はその場で立ち止まりクラムの方へ振り返った。

「どうかした?」

「あ、あのね……えっと、ええっとぉ……」

 視線を泳がせて両手をもみ合わせているその仕草は、頭の中にある言葉が上手くまとまらないか、それを口にするのを躊躇っているように見えた。

 しかし、その葛藤を有耶無耶にできる出口がすぐ後ろにあるというのにそれをしないということはどうしても言いたいことなのだろう。その内容までは察することはできないが、少女を急かすようなことはせずいつまでも待つ姿勢を示す。

 それから待つこと十数秒、言葉はまとまらずとも言う覚悟は出来たようで、一語一語確かめるように少女はゆっくりと口を開いた。

「その……あんたがいなかったらあたしはきっと、レリクスの中にずっと取り残されていたと思う。

 それに、何よりもあたしの言うこと、信じてくれたし……

 まあ、あれは夢だけどさ。でも、夢でもうれしかったかな……」

 気恥ずかしさからか視線は上下左右にせわしなく動き、声も今にも消え入りそうだ。それでも不思議とその声は鮮明に聞き取れ、へにゃりと締まりなく笑うその表情には思わず目を奪われ言葉を失ってしまった。

 守る側と守られる側。それは守られる側が救われるのはもちろんのこと、守る側も『守りきれた』という事実に救われてはじめて意味がある関係なのだ。故にエミリアのその笑顔はクラムにとって何よりの報酬だった。

「……ちょっと、あんまりキョトンとしないでよ。言ってるあたしも恥ずかしいんだから……」

「あはは、ごめん。ちょっと言葉が出てこなくてね。

 でも、うん……エミリアが無事でよかったよ、本当に」

「うぅ……だめだめ、ストーップ!

 なんか小っ恥ずかしくなってきたから今日はもうおしまい!」

 視線を逸らして誤魔化していたがそれも限界に達したらしく、エミリアは逃げるように扉を開いて出て行ってしまった。

 かと思えばその扉が自動で閉まる直前、それを阻むように足で止めつつ隙間から顔だけ覗かせる。

「今度はあんたのこともいろいろ教えてね。なんてったって、あたしたちは『パートナー』なんだから!

 じゃあまた明日!」

 返答を待たずに少女は顔を引っ込め、パタパタと足音が遠のいていくのを青年は1人見送る。

「うん、また明日」

 誰も聞いていないと分かっていても返答したクラムの声は、1人しかいない部屋の中に溶けていった。




これにて1章終了です
現時点で3章ぐらいまで書いて入るんですが、話を書き進めるごとに過去の話を修正することがたびたびあるので、今後の更新は不定期になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

未熟な雛鳥

「──ハイ、これで登録完了。これから、いつでもお仕事出来るヨ」

 日を改めてリトルウィングの事務所。チェルシーに説明されながら処理を行い、クラムは正式にリトルウィング所属の傭兵として登録された。ただしエミリアのような正社員ではなく、依頼の外部委託を請け負う雇われ傭兵としてだが。

 フリーとの違いは自分で依頼を探してくる以外にもリトルウィングから依頼を受注することができるほか、現在のクラムのように住居の提供などのサポートを受けられる。

 逆に正社員との違いは、給料が成功報酬である代わりに依頼の受領は本人の自由であり、傭兵業以外の業務……リトルウィングで言えば『海洋リゾート地区開発』の業務に携わる必要もないという適度な距離感を保つことができる。立場としてはフリー以上正規雇用未満といった状況だろうか。

 実力が顕著に現れるものの、比較的安定した依頼件数を確保しつつ自分の都合で動けるためこの状況を好む傭兵も多かったりする。

 ちなみに、先日ラミュロスが通信の際に言っていた『企業との長期契約』とは、傭兵業の営業許可を得ていない企業が用心棒を雇うというイメージが近い。

 傭兵業を営む者は上記のような様々な雇用形態の中から自分に合ったものを選ぶのが基本となる。

「依頼の受注ってチェルシーに聞けばいいのかな?」

「それ以外にも、自分が探してきたお仕事をウチの依頼として受けるヒトもいるわヨ。そうすればこっちでサポートできる部分はサポートするし、場合によってはボーナスも出せるからネ」

「聞けば聞くほど自由な会社だね」

「そのおかげで助けられるものもあるからネ。でもある程度精査はしてるから、おいたしちゃダメヨ?

 それじゃあ、リトルウィングの一員として頑張ってネ!」 

 そんな2人のやりとりを後ろから眺めながら、憂鬱そうにため息をつく少女が1人。

 昨日はなんだかんだ吹っ切れたように見えたが、一晩経って冷静に振り返ってみるとやっぱり面倒なのは嫌、といった心境なのは容易に想像できた。

「ほらエミリア、そんな膨れっ面じゃカワイイ顔が台無しヨ? スマーイル、スマ〜イル!」

 自分の口角を指で押し上げながら笑うチェルシーとは対象的に、ふくれっ面の少女は目を伏せる。

 このまま待っていて機嫌が治るなら別だがこの様子ではすぐには無理だろう。ならば多少強引に、かつそこまで拒絶されない程度に連れ出すほかない。

「それじゃあそろそろ行こうか」

「うー……無理かもしれないけど、出来れば簡単な依頼でお願い」

「簡単かどうかはエミリア次第かな。チェルシー、ここって訓練施設とかある?」

「モチロンあるヨ~。端末の方に道順送っておくワネ」

 言いながら手際よくキーボードを操作し、クラムの端末へ詳細な情報が送られた。

 リゾートコロニーの中にある施設のため、一般人向けのフィットネスジムの一角に模擬戦も可能な訓練所が設けられているようだ。

 リトルウィング社員なら格安で利用できるうえ、給料天引きのシステムもある。今現在、特別に給料を前借りさせてもらい多少は手持ちがあるクラムだが、それを消費せずに済むならそれに越したことは無いだろう。

「依頼とか受けないの?」

「受けてもいいけど、俺はナノトランサーが壊れてるから手持ちの武器がないんだよね。

 とりあえずは事務所の備品でしのぐつもりなんだけど……」

「しばらく使ってないものだから一度メンテに出してるのヨ。

 壊れたりはしてないと思うけど、万が一があったらタイヘンだからネ」

 チェルシーによれば早くても半日はかかるらしい。

 クラムだけでの活動ならそれぐらい待っても構わないかもしれないが、今はパートナーであるエミリアのやる気の維持が最優先だ。今現在絶賛急降下中の彼女のやる気をどうにかするためにも、とりあえず仕事の一環として何かしておく方がいいというのが彼の考えだった。

「まあ正式なパートナー結成1日目だし、最初はお互いに親睦を深めるってことにしても文句は言われないよ。

 だよね、チェルシー」

「好きにしていいってシャッチョサンも言ってたからネ!」

 サムズアップとウインクで応える受付嬢に後押しされ、クラムはエミリアを連れて出発。

 ヒトで賑わう商業施設区間を進み、2人がまず向かったのは一定区画ごとに設置された停留所だ。

 チェルシーから渡された地図によると訓練所もといフィットネスジムはこの区画から離れたところに設けられていた。そういった場合にコロニー間を簡単に移動できるよう、クラッド6内では巡回船が無料で利用できるらしい。

 社用のシップを使えばそれを待たずして直接向かうことも出来るが、急ぎでもないのに数に限りのあるものを利用するのに抵抗があったクラムによりこちらの交通手段が選ばれたわけだ。

「ところで、あんたって傭兵をし始めて長いの?」

 不意にエミリアからそんな質問を投げかけられるが、巡回船の待ち時間が退屈だったのだろう。

「SEED事変が終わったあとぐらいからだから3年ぐらいかな」

「意外と短……いや長いの?」

「全体から見ればまだまだ新参者だよ。俺の年齢で無所属を3年続けてるのは長い方らしいけど」

「そういえば何歳だっけ?」

「えっと……20歳だね」

「なんで一瞬考えたの? まあいいけど。

 てか今20歳ってことは、今のあたしぐらいの歳からフリーの傭兵やってたってことじゃん。……うん、あたしには全然出来る気しないわー」

 目をつぶって険しい顔で唸り始め、そして少女は一人納得しながら頷いている。

 さすがにクラムもフリーで活動する以前にガーディアンズの研修生として訓練を受けているし、それ以前に育った環境の影響で武器の扱いには慣れているという土台作りがあるのだが、そんな部分はまったく考慮していないらしい。

「しかもクラムぐらい強くても金欠になるぐらいギリギリの生活なんでしょ?」

「あー……、それに関しては俺の状況は参考にならないかな。俺の場合は色んな事情が重なって、報酬が少ない依頼を受けることが多いだけだから」

 へぇ、と反応をするエミリアだったがそこへ巡回船が到着したことで一旦この話題は中断。ただの時間つぶしの話題のため巡回船が出発してからは別の話題に切り替わっており、とりとめのない雑談を何度か交わしている間に目的地へと到着した。

 ジムの中は思っていた以上に広く、多種多様なトレーニング機器が並んでいる。ただし今の時間帯は利用客が少ないらしく、機器の利用率は低かった。

 そこからさらに奥にある訓練スペースに至っては、大人数で行うスポーツができそうなほど広い空間の中に利用者は片手で数える程度しかいなかった。エミリアの訓練にはちょうど良い環境といえよう。

 訓練スペースを利用するに当たり、IDパス代わりにもなっているナノトランサー付きリストバンドを左手に固定しつつ、2人は他の利用者と離れた場所を陣取り準備運動がてら各々身体を伸ばしていく。

「さて、とりあえず今日はエミリアの現状確認だね」

「本当に素人だからね?

 原生生物複数体相手に無双するようなあんたと比べないでよ? ……あ、でもあれは夢か」

 ……何気ない少女の呟きで思い出したが、現在彼女はレリクスでの出来事を夢だと思いこんでいる状況だ。おそらくは防衛本能の一環だろう。

 であるならば無闇に思い出させるべきではないと判断し、意識して微笑みを崩さないようにしながら少女の認識に合わせて会話を続ける。

「まあそれなりに自信はあるけど、流石に無双は出来ないかな。武器もしばらくはここの備品を借りるわけだし」

「武器一つでそこまで変わるもんなの? 本人の精神力の高さが影響するのはわかるけど」

「フォトン粒子の性質上、精神力の質が関係するのは確かだね。けどフォトン・リアクターの性能もかなり影響してるんだ」

 これはフォトンで銃弾や刀身などを形成する際に避けられない()()()が主な原因であり、リアクターの質でそれをどこまで軽減できるかが威力に直結すると言ってもいい。

 なおリアクターの質が影響するのはそれだけにとどまらず、銃弾であればその周囲に空気抵抗を軽減する特殊な膜を展開させることで、レーザー等であればその出力を上昇させることで、刀身であればインパクトの瞬間にさらにエネルギーを放出することで、それぞれ威力を増大させられるように設計されている。

 だからこそ高純度かつ精密なエネルギー出力を可能とする高品質なフォトン・リアクターが搭載された武器は高価で取引され、お手頃価格な初心者向けの武器と明確な差別化が図られている。

「……ちょうど良いし俺の体質について概要だけでも説明しておこっか」

「体質?」

「実際に見てもらったほうが早いと思う。

 ちなみに【ハントモード】と【スタンモード】の違いはわかる?」

「一応それぐらいなら」

 ならよかった、と頷きながらクラムが貸出用ナノトランサーから取り出したのは訓練用のセイバー。

 先に述べた【ハントモード】とは出力されるフォトン・エネルギーをすべて破壊力に使用する状態のこと。

 対する【スタンモード】とはフォトン・エネルギーを特殊な出力方法で用いることで相手を無傷で気絶させられる状態のことを指す。

 どちらもシールドラインで防ぐことができるが仮に防ぎきれなかった場合、その余剰分が殺傷力を持ったエネルギーとして貫通してくるのが【ハントモード】、その余剰分が非殺傷な代わりに無力化のしやすさへ繋がるのが【スタンモード】なのだ。

 現在の武器にはこの2種類の切り替え機能が標準搭載となっており、高品質な武器がそのまま効率的な殺傷及び無力化どちらにも使用可能という便利さが実現している。

 なお、訓練用の武器は切り替え機能がなく【スタンモード】でしか使用できない設計になっている。

 クラムはその非殺傷なセイバーの柄を何度か握って調子を確かめつつチョーカーに触れたのち、躊躇なく自分の腕に刃を叩きつけた。

「ちょ──っ!?」

 いきなりの光景にギョッとするエミリアをよそに当の本人は多少眉をひそめる程度。確かにシールドラインで防いだのならその程度で済むだろうが、その刃はフォトンによる不可視の鎧に阻まれることはなく彼の左腕に食い込んでいた。

「え……う、ええ!? いきなり何やってんの!? というかシールドラインは!?」

「ああ、この体質のせいでもあるんだけど、俺普段からシールドラインつけてなくてね。けどそれで傭兵業を続けるのは説明含めて色々都合が悪いから、こうやって衣服が発光する()()のダミーを装備してるんだ」

 つまり彼はシールドラインなしで自分の腕を切りつけたことになる。そして【スタンモード】という名前のせいで勘違いされがちだが、その出力が非殺傷なのはシールドラインを起動してあることが大前提であり、そうでなければいかに【スタンモード】とて十分凶器になりえる。

 にも関わらず彼の腕が切り落とされることはなく、打撲跡がその白い肌に薄っすら残る程度だった。

「それでこれが俺の体質。シールドラインがなくてもある程度フォトンの攻撃を防ぐことが出来るんだ」

「いやいやいや、だからって他に説明の仕方があるでしょうが!!」

「実際見てもらった方がわかりやすいと思ったんだけど……」

「たしかにわかりやすかったけど、それにしても限度ってもんがあるの!」

 当然と言えば当然の反応なのだが、実のところクラムが行ったのはシールドラインの強度テストで稀に使われる手法だったりする。

 特にモトゥブのショップはアンダーグラウンドの市場に近いため露店のような売り方も少なくなく、当然そういった店では購入前に正式な装置を使って強度を試すことはできない。その場合は目当てのシールドラインを装備してからスタンモードにした自分の武器で叩きその衝撃の度合で確認するのだ。

 無論、仮にも自分の腕を斬りつけるわけだから躊躇いなくできるヒトは限られているし、自傷目的以外で生身の腕にできるヒトなどグラール中探しても彼以外にいないだろうだが……

 どちらにせよエミリアの理解を得られることはないだろう。

 話がややこしくなりそうだからその辺の事情は伏せ、180近い長身のビーストは自分より小さい少女からの説教を甘んじて受けることにする。

「いい? 今後そういう自分の身体を傷つけるようなことは禁止。見てるこっちも怖くなるんだから!」

「うんわかった、気をつけるよ」

「ホントにわかってるのかなぁ……」

 流石に初っ端から飛ばしすぎたらしく、少女からの信用がみるみる下がっていくのが目に見えてわかった。まあエミリアの危惧した通り、彼に反省した様子はないのだが。

「まあとにかく、俺はフォトンの攻撃を阻む体質なんだ。俺に近づくとフォトンを利用した装置の機能が鈍るって表現が近いかな。

 だから俺自身がフォトンを利用するときにも影響がでちゃって、テクニックどころかフォトンアーツも使えないんだ」

「ああそっか、フォトンアーツもテクニックみたいに周囲のフォトンに干渉して、武器に読み込ませた動きを再現するシステムだもんね」

「そういうこと。【モノメイト】みたいな医療キットや、他の人から受けるレスタとかなら多少効果はあるけど、効き目はかなり悪い。

 体感だけど全体の1%程度にまで落ちるかな。腕に大火傷を負ったヒトを完治させるレベルのテクニックでも、俺に対しては指先のささくれを治す程度の効力しかないから」

「聞けば聞くほど日常生活にも影響ありそうな体質だね」

「実際このままだと結構不便だよ。だから普段はこのチョーカーに備え付けられた装置で抑えてるんだ。でもその時に身体の動きまで鈍っちゃうから、戦闘中は機能をオフにするしかないんだよね」

 ということで、とチョーカーの装置を再度起動しながら訓練用のセイバーをナノトランサーに収納し、ここまでの長い長い前置きを挟んでようやくクラムは本題に入る。

「エミリアには支援よりも攻撃系のテクニックで頑張ってほしいかな」

「うー、拒否したところで状況は変わらないもんね。って、あたしがテクニック主体なのって話したっけ?」

「……レリクスで聞いた気がするんだけど、間違いだったかな?」

 そうだっけ、と少女は首を傾げながらもそこまで気にした様子がないのを見て内心ホッと胸をなでおろす。

「ちなみに持ってる武器は?」

「ロッドとセイバーが1つづつ。あ、でもセイバーは持ってるだけでまともに振ったことすらないけど……」

「セイバーは護身用ってことか。追々そっちも練習しておいたほうがいいと思うけど、先にロッドがどんな感じか見せてもらってもいい?」

 クラムに促され、表情を曇らせながらも太ももに巻き付けた自分のナノトランサーからロッドを取り出したエミリア。彼女の身の丈より大きいため取り回しにコツがいるのは確かだが、それを抱えるように握る構え方を見ると本当に戦闘経験は無いに等しいらしい。

「あ、でも結構いいロッドだね」

「そうなの? おっさんから無理やり渡されたやつだからよくわかんないけど」

 言われてから不思議そうに自分の【クラーリタ・ヴィサス】を眺める少女。フォトン・リアクターを中心にまるで花弁のように広がるパーツは、おそらくテクニックを放つ際に威力を補強する機構だろう。白と桜色で彩られたそのシルエットは、まるで天使の翼のようだ。

「使いやすさまではわからないけど、少なくともリアクター周辺の部品はかなり上等品だね。調整次第でもっとよくなるかも」

「へぇ、あんたってそういうの詳しいんだ?」

「子供の頃はモトゥブにある武器商人のところでお世話になってたからね。だから多少の目利きはできると思う。

 それで、エミリアの得意な【テクニック】は?」

「うーん、これと言ってないかな。どの属性も基本テクニックが使えるぐらいだし」

「あ、でも全属性扱えるんだ」

「別に珍しくはないでしょ? ……臨機応変に属性を切り替えて、なんて器用なことはできないからね? 言ってて自分で悲しくなるけど!」

 先んじて釘を差すように言われるが、誰かにそれを要求されたことでもあるのだろうか? とりあえず触れない方がいいことは察して青年は首を縦に振っておく。

 だがエミリアの自己評価とは裏腹に、クラムは彼女のテクニックの素質を高く評価していた。

「今は瞬時に変えれなくても、変える時間ぐらいは俺が稼ぐから大丈夫だよ。

 それに現状のダメージ源は間違いなくエミリアだからね。弱点属性に合わせれば俺が攻撃するより威力出るし」

 シールドラインは外部からの衝撃をフォトンで反射させる仕組みだが、リアクターの調整でフォトンの属性を意図的に偏らせることで同属性の攻撃に対しより強力な反発を行うことが可能になる。ただしこれには欠点もあり、対となる属性には反発と逆の作用、つまり威力の相乗効果が発生してしまうのだ。

 例として挙げるならば、先日のスヴァルティアとの戦いだ。

 あの時クラムがエミリアに闇属性のテクニックを指定したのはスヴァルティアの身体を覆うシールドラインが光属性だったからである。

 故に光属性のフォトン・エネルギーを纏った攻撃に対しては強固な鎧になるが、その対となる闇属性のテクニックである【メギド】に対してはエミリアのテクニックでもクラムの攻撃に匹敵する威力へと上乗せされるのだ。

 そしてシールドラインは原生生物の生態を模して作られたのだから、元となった原生生物にも同様の効果がある。弱点属性で攻められるというのは少ない労力で成果を得るために必要不可欠な技術だといえるだろう。

「じゃあ今度こそエミリアの現状把握だ」

 少女を手招きしつつクラムが向かったのは、透明なガラスに覆われた小さなドーム状の施設。

 ロッドを抱えたままついてきたエミリアがなんとなくそのロッドでガラスを叩いてみるも、強度はかなりのものらしく傷一つついていない。

 ただしドームの中には何もなく、エミリアからすれば何をするための施設なのか外観からはわからないことだろう。

「5分間ドームの中をランダムに動くターゲットを狙う遠距離武器用のトレーニング施設だよ。

 どのテクニックでもいいから、一回でも多くターゲットに当たるように頑張ってみて」

「一応確認なんだけど、そのターゲットってこっちに襲ってきたりは……」

「上級者向け以降なら襲ってくるけど、今回は心配しなくて大丈夫だよ」

 その言葉に肩の力が抜けたらしく、自分からドームの中に入っていくエミリア。準備が整うとカウントダウンが始まり、中心に立つ彼女はもちろんのこと、見ているクラムも自然と緊張感が高まっていく。

 間もなくしてドーム内に50センチ四方のターゲットが複数体出現し、変則的な動きで彼女の周りを飛び交い始めた。速さはそこまでだが、複数のターゲットが縦横無尽に急停止と急旋回するため動きの予測がつきにくい。

「わっ、と、とっ!?」

 その動きに唖然とし固まっていたエミリアは遅れて行動を開始。慣れない動きながらもロッドを振るい、フォトン・リアクターを起動させてテクニックを放つ。

 彼女がとっさに使ったのは光属性の攻撃テクニック【グランツ】。上空から光の矢を降らせるテクニック、という触れ込みだが、光属性の特徴は治癒力や免疫力といったフォトン以外から生まれるエネルギーの増幅だ。

 故に、実際は対象の上空に特殊な力場を発生させ、自然光や人工光をその力場で増幅させて攻撃技としている。他の攻撃系初期テクニックが全てロッドを起点に発生するのに対し、この技だけが上空からの攻撃なのはそのためだ。

 これをとっさに使うということは光属性が彼女の肌に合っているのだろう。ただし……

「──ぜ、全然当たんない……」

 あっという間に5分が経過して終了を知らせるブザーが鳴り響く。連続でテクニックを放つことに慣れていないのもあるが、ロッドを起点とせず対象の上空に力場を作る関係上、初心者が【グランツ】で動くターゲットに狙いを定めるのは難しかったようだ。

 そして5分間呼吸も忘れて必死に長物を振っていたせいで軽く酸欠気味になっているらしい。ロッドを支えにしてどうにか立っているが、生まれたての四足獣のように少女の足は小刻みに震えていた。

 それを予測していたクラムは予め準備していた酸素スプレーを彼女の口に当てて吸引させつつ、呼吸を整えさせるために背中を擦る。

「それでも3回は当たってるね。中級者向けの難易度でこれなら十分だよ」

「ち、中級者向け!? あたし戦闘初心者って言ってるじゃん!」

「それで3回当てられてるから自信持っていいってこと。

 ロッドの取り回し方と狙いの定め方はまだまだだけど、テクニックを発生させる変換効率の高さがそれを補ってるのが今のエミリアの状態だね」

「ま、待って……今耳鳴りがすごくて頭がガンガンする……」

「……本格的に酸欠っぽいね。端っこで少し休もうか」

 なまじゲーム感覚で行える施設なのもこういう時は考えものかもしれない。

 青白くなった顔色で、頷いているのか首に力が入らず項垂れているのかわからない少女をフロアの端っこまで移動させ、彼女の息が整うまで献身的に介護する。

 しばらくしてようやく顔色が戻ってきたところで、改めて講評を述べる。

「テクニックそのものは問題なかったよ。フォトンをテクニックに変換するタイムロスもほとんどない。

 改善点はロッドの取り回し方と、狙いの定め方かな」

「これでもちゃんと狙ってたんだけど……」

「うん、それはわかってる。今の時点でも単調な動きの原生生物になら対応できるだろうから安心して」

 そう、決してエミリアのテクニックは弱いわけではない。むしろ素質は十分にある……いや、ありすぎるというべきだろうか。

 彼女に伝えていなかったが、先程のターゲットは攻撃を当てるだけではなく一定のダメージを与えなければ点数として換算してくれない仕様になっており、難易度が上がるほどに要求されるダメージは高くなる。

 3回の直撃でスコアも3回分。つまりエミリアは一撃で中級のターゲットの基準を満たす威力を出していたことになる。

 これを原生生物で換算するなら、先日クラムが倒したエビルシャークを有効属性以外の初級テクニック1発でも確実に怯ませることができ、3発ほど直撃させれば倒せる程度の威力は有している。

 仮に彼女やその武器のポテンシャルが非常に高いのだとしても、戦闘初心者の精神力で繰り出されるテクニックとしては破格の威力だ。外部からのブーストがかかっていると言われたほうがまだ納得がいく。

(可能性があるなら、ミカの影響かな?)

 直接聞いてみないことにはわからないが、ミカは自分のことを『意識だけの存在』、『精神体』と表現していた。

 二重人格のようにエミリアの精神に取り憑き彼女に声だけを届けるならまだしも、クラムにまで声や姿が認識出来るとなるとそれは文字通りの精神体とは少し違うのではとクラムは推測している。

(それにミカの姿、あれは少し変質してるけど()()()()()()()()()()()()

 もし彼女がフォトンに干渉して様々な事象を起こしているのであれば、エミリアのテクニックを補強することも可能かもしれない。

 ……そもそもの話、なぜミカはエミリアに取り憑いているのだろうか? 昨日のミカの話を聞く限り、旧文明人の意識はこことは別の空間で眠っているはず。その意識がこうして一人の少女に取り憑いているのであれば、なにかしらのきっかけがあると考えるべきなのだが……

「さっきからあたしのおでこばかりジロジロ見てるけど……なにか付いてる?」

「エミリア、レリクスの調査に行ったのって前回が初めてって言ってたよね?」

「そうだけど?」

「他に誰かに同行したことは? レリクスじゃなくても、旧文明人に関係のある場所の調査とか」

「ないない。自分で言うのもなんだけど、傭兵として働いたのあれが初めてだったし。それ以外はクラッド6内でバイトを転々としてただけで、記憶がある限りでこのコロニーから離れたこと無いよ。

 ……っていうか、いきなりどうしたの?」

「ちょっと気になったから、なんとなくね。

 じゃあエミリアの現状は知れたし、次からはロッドの振り方の練習を中心にしようか」

「うぇぇ……まだやるの?」

「……心配しなくても今日はもう終わりだよ。明日から実践兼ねて簡単な依頼を受けてみる予定だからね」

 どうやら今後は純粋な体力づくりも必要らしい。今から追加で訓練をすれば効果的かもしれないが、明日のエミリアが筋肉痛で動けない未来が容易に想像できたためそこは手加減しておく。

 ……壁を使ってどうにか立ち上がっている様子からすると、すでに手遅れかもしれないが。

「あんたは戻らないの?」

「もう少し身体を動かしてからね。

 ここの片付けはやっておくから先にシャワー浴びてきていいよ」

「じゃあ先に受付前で待ってるね」

 手を振りながら訓練所を後にする少女の背中を見送り、知り合いがいなくなった空間でクラムはフードを深く被る。

 白い肌にオッドアイという目立つ容姿を隠す目的でもあるが、考え事をするときはいつもこうして周囲の情報を遮断し没頭できるようにするのが彼のルーティンであった。

 そして手首のナノトランサーからトレーニング用のロッドを取り出し、他の人の邪魔にならない場所で調子を確かめるように振るい始めた。

 先程エミリアへ説明した通り、彼はテクニックを扱うことは出来ない。だとしても、そのフォームの確認ぐらいであれば可能だ。

 今までに見てきたテクニック使いのロッドの振り方を思い出しながら自分でも振るってみて、気をつける点やどういった説明をすればイメージしやすいかを分析していく。

「基本はこんな感じか? いやなんか俺の癖が出てる気がする……流石にここまで頻繁に持ち手を切り替えるのはエミリアには難しいかな……?」

 しばらくロッドを振り回し基本となる動きを抽出して最適化していくが、テクニックができないクラムには動きそのものはコピーできてもテクニックを使う際の『溜め』までは再現できない。

 現に今しがた抽出した動きも、ロッドだけではなくスピアやダブルセイバー系統の長物武器の動きを自分なりに組み込んでいる。

 他の武器の動きから学べる部分もあるとはいえ、これ以上の最適化はクラム用にアレンジされてしまいエミリアとの共有が難しくなってしまうかもしれない。

 あとはエミリアに実際に動いてもらい、彼女の癖に合わせて細かく調整していく方が効率的だろう。

「手合わせ構わないか?」

 戦闘技術の教育方針がまとまり一息ついていると、それを見計らったかのように背後から声をかけられた。

 振り返ってみるとそこにいたのは1人の女性。耳、体格その他の特徴からして種族はヒューマンだろう。

 彼女の身につけている真紅のトレンチコートは随所に棘のような硬質パーツがあしらわれており、まるで茨を纏っているかのよう。そのため美麗ながら不用意に近づくのを躊躇ってしまう雰囲気を醸し出していた。

 そして彼女がその手に握っているのは訓練用のセイバーだ。『手合わせ』と言っていたのだからそれ用だとは思うのだが、クラムはこの女性と初対面のはず。

 いきなり手合わせと依頼されるとは思ってもみず、どう対応するべきかで身構えてしまう。

「えっと……」

「ああ、すまない。私の名はクノー。同じくリトルウィング所属のものだ。君が昨日ここ所属になったクラムだな?」

「あ、初めまして。所属になったっていってもほとんど成り行きみたいなものだけど」

 フリーの傭兵をしてると他の同業者に舐められないように言葉遣いや態度をある程度大きく見せるのが処世術なのだが、流石に同じ会社……おそらく正社員の先輩が相手となれば話は別。初対面で失礼がないように慌ててフードを脱いでクラムは背筋を正す。

 しかしクノーと名乗った女性は、気にするなとでも言うように右手を軽く振って小さく笑った。

「そこまで畏まる必要はない。立場上は先輩になるが、単に君より長くここに所属しているというだけ。

 ここは入社までの経歴を問われない反面、入社後の実績で全てを評価される完全な実力主義の会社だ。入社順で慕われるぐらいなら対等な立場で接してくれたほうがマシだ。それに、そちらのほうが私も話しやすい」

「……貴女がそういうのなら」

 いきなり対等と言われても即座に対応できないのはコミュニケーション下手の性か。

 クラウチの時は彼のだらしなさもあり結構簡単に自然体で接することができたが、彼女の場合は雰囲気も合わさり口調もぎこちなくなる。

 とはいえ畏まるなと言われればそれに合わせる他無い。せめて態度だけでも自然体であろうとすると余計に自然体からかけ離れるわけだが、クノーは笑って流してくれているのでよしとしよう。

「ちなみに手合わせっていうのは?」

「言葉通りの意味さ。クラウチにスカウトされた君の実力を肌で味わってみたいんだ。受けてくれるか?」

 その提案はクラムにとっても願ったり叶ったりだ。ミカによって再構築されているらしいこの身体は今のところ多少の倦怠感はあっても行動に支障が出るほどのものではない。

 だが多少とはいえ違和感があるのも事実。この状況で実践的な動きをした場合にどうなるのかを確認できるなら断る理由はないだろう。

 トレーニング用のロッドをナノトランサーに収納し、代わりに取り出したのは目の前の彼女とおなじトレーニング用セイバー。そして空いた手でチョーカーの装置をオフにし、身体を支配していた倦怠感のようなものが軽くなったのを確かめながら青年は向き直る。

「じゃあ武器はこのセイバーのみ。フォトンアーツはなしって条件でも?」

「ああ構わない。ではいくぞ──」

 言うが早く、右足を踏み込むと同時に繰り出される鋭い突き。

 そのほとんど不意打ちに近い攻撃に対し、クラムも即座に反応。後ろに引くわけでも左右に避けるわけでもなく、右手に持つセイバーで相手の刺突を巻き取るようにして左側へ弾いた。

 それにより身体が開いた相手に対して自分はいつでも剣を振るえる体勢という状況。この機会を逃さず、さらに踏みこみカウンターを狙う。

 しかしながら向こうも手練れの傭兵。崩れた体勢を戻そうとするのではなく、セイバーを弾かれた方向に身体を回転させることで膝蹴りへと動きを繋げていく。

 狙いは、今まさにセイバーを振るおうとしているクラムの右肘。純粋な力比べなら女性ヒューマンの脚力で男性ビーストの腕力を止めることはかなわないだろうが、振る直前かつ関節を狙われればそれも可能ならしい。しかしそれも僅かな間であり、最終的には体格差で勝るクラムの力技には敵わない。

「──っ!?」

 にも関わらず、クラムはセイバーを振るわず転がるようにして彼女の側面へと移動する。直後、先程まで彼の首があった場所をフォトンの刃が()()から通り過ぎた。

「ほう、今のを避けるか」

「狙いが一々怖いんだけど!?」

 見れば、彼女が順手で握っていたセイバーが今は逆手に持ち替えてられていた。弾かれてから今の1秒に満たない間に持ち替え、死角から彼の首を刈り取ろうとしていたらしい。

 そんな初見殺しを回避したクラムは転がった低い体勢のまま足払いで隙を作ろうとするものの、重さを感じさせない独特な足運びですでに距離を取っていたクノーには届かなかった。

 彼女の動きは変則的だがその全てに無駄がない。あらゆる状況から攻撃に転じる技術は流石の一言に尽きる。

 そんな彼女の攻撃を避けるだけでなくカウンターさえ狙うクラムも十分な実力者だろうが。

 あくまで手合わせなのだからとセーブしようと考えていたがそんなことを目の前の女性は許してくれないらしい。自然と動きはより鋭くより激しく、ただの手合わせにしては白熱したものになってきた。

 片やその体格に似合わない防御メインでカウンターを狙う白い獣人、片や体格差をもろともせず的確に敵の急所を狙う攻撃的な麗人。

 フォトンアーツ未使用とは思えないほど激しい打ち合いが続くこと数分、不意に2人の距離が開き、お互い絶妙に攻撃が届かない間合いで睨み合いとなった。

 しかしそこで休憩が入ることはなく、両者ともに間合いの外にいる相手へどう攻めるべきか思考を巡らせる。そして先に動いたのはクノーの方。

 それは初手と同じ、踏み込みと共に繰り出される刺突。セイバーの間合いギリギリを見極めた一撃だが、逆に言えばクラムの方が一歩下がってしまえば届かないだけでなく、前のめりになった相手へのカウンターを決めることができる。しかし……

「なん……っ!?」

 完全に見切っていたはずが、予想した位置よりもさらに伸びてきたセイバーの刃先が彼の眉間へと迫る。

 とっさに弾いたものの、無意識に腕を動かした結果偶然そうなっただけ。防げたのはほとんど奇跡であり、反撃などする余裕もなく体勢を崩しながら後ろに転がるはめになった。

「驚いた。これも初見で見切られるとはな」

「まぐれだよ。自分でもどう防いだのかさっぱり。

 ……ああ、持ち手を滑らせたんだ」

「その通り。まあこの程度の小細工では直撃したところで大したダメージは与えられないが」

 彼女の手に注目してみると、突く直前は鍔近くを握っていたのに今は柄頭付近を握っている。間合いが伸びる妙技はそういうカラクリだったらしい。

 クノーはその技術を謙遜しているが、その手に持つセイバーは彼女の指の動きに合わせてくるくると回り、まるで武器が意思を持っているかのように動いていた。純粋な技量も非常に高いが、この器用さが彼女の持ち味なのだろう。

 お互いに決定打となるものはなかったが、相手の実力を図るだけならもう十分すぎるほどだろう。特に話し合うことはなかったが自然と手合わせは終了という雰囲気になっていた。

「……大丈夫なのか? 体調が悪いのならこのまま医務室に連れていくが」

「大、丈夫……こうしないと熱が抜けないだけ、だから……」

 汗もほとんどかかずに笑っていた様子から一変し、クラムは床に手をついたまま荒く短い呼吸を何度も繰り返していた。

 そんな姿を見て心配になったのか、クノーは膝を屈めて覗き込んでくるがクラムは右手を前に出すことでそれを制する。

「なるほど、何義な体質をしているな」

「ある程度までなら()()で対処できるんだけどね……」

 激しい呼吸がしだいに落ち着いてくるとクラムはチョーカーを起動。身体が重くなるような錯覚があるものの、それは身体に負荷がかかっているのではなくむしろやや強制的に身体を休めようとしているからだったりする。

 それ故に先ほどまでの息苦しそうな呼吸がピタリと止まり、自力で立てる程度にまで回復してみせた。

「それにしても君はなかなかに守りが堅いな。一本ぐらいなら取れると思ったのだが、残念だ」

「俺は生きた心地しなかったけどね」

「それだけ私も本気だったんだ。いい運動になったよ」

 頬を伝う汗を拭いながら満足気に笑うクノー。

 そしてそんな実力者を相手にしたクラムも、自分の想定した動きと実際の動きに大きな誤差が無いことを確認できてホッとしたように息を吐いた。

 お互いに息を整え、握手でお互いの健闘を称えてこの手合わせを締めくくる。

「さて、それではクールダウンといこう」

 ……そう言いながら、彼女はセイバーを握り直して切りかかってきた。

「クールダウンって言わなかった?」

「言ったとも」

 会話が成り立っているようで何かが致命的に噛み合ってないような気もするが、確かに彼女の攻撃の手は緩まっている。それでも気を抜いたら重い一撃をもらうような攻撃が続いているわけだが……

 どうやらこれが彼女なりのクールダウンらしい。慌ててクラムもチョーカーの機能を切って対応する。

「ところで、エミリアの指導役はどうだ?」

「話広まるの早くないかな?」

 まさかこの状況で会話が続くとは誰も思わなかっただろう。しかも昨日決まったばかりのことを初対面の相手に聞かれるなんて予想外にも程がある。

 なんだかんだクラムもそれに対応できているが、なまじ対応できるなせいでクノーは手を緩めてくれる様子がない。

「クラウチが考えそうなことだからな。

 それに実を言えば、最初から君を探していたんだ。レリクスで起こった事故の際にエミリアを助けてくれたと聞いてな。

 クラウチからは特に何も無かったかもしれないが、私から礼を言わせてもらおう」

「それは、出来ればこのタイミング以外に言ってほしかったかな……」

「ふふ、それには謝罪しよう。ほんの小手調べのつもりだったのだがつい熱くなってしまった」

 目の前の女性はそう言うが、小手調べの初手が不意打ちじみた突きというのはいかがなものか。

 そんな言葉が浮かぶが今のクノーに言ったところで笑って誤魔化されることだろう。ツッコむ体力すら今は惜しんで会話とクールダウン(?)に集中する。

「それで、君はエミリアの実力をどう評価する?」 

「今のところ戦闘経験のなさが足を引っ張ってるけど筋は悪くない、かな?

 まだまだ武器の取り回しは拙いけど、そこは練習でどうにもなるし。全属性のテクニックを卒なくこなせてる。フォトンをテクニックに変換する効率にムラはないから精神力も安定してる。十分素質はあると思うよ」

「……そうか、君も彼女をそう評価してくれるのはありがたい」

 どこかホッとしたように小さく笑うクノー。その表情は同じ職場の社員というだけの相手に対するものとは思えなかった。

「もしかして、前に担当したことがあったり?」

「一度だけな。私としては手加減したスケジュールを組んだつもりだったが、1日持たずしてギブアップされてしまった」

 そりゃそうだろう、と現在進行系でクールダウンとは名ばかりの何かを行っているクラムは心の中で呟いた。ただ、ここまでの会話からも彼女がエミリアを気にかけているのは十分に伝わってくる。雰囲気で勘違いされやすいだろうが、面倒見がいいのは間違いないだろう。

「もとより私は指導官には向かない。愛想もよくなく、口調も固く、圧迫的だ。初対面の時から彼女には避けられ気味だったからこの結果は必然なのだろう」

「それでもエミリアのこと本当に大切に思ってるんだなーってわかるけど」

「思っていても結果が共あわなければ意味がないさ。その点、君なら大丈夫だろう。すでにエミリアとの信頼関係も築けている。

 君の言う通り彼女は筋がいい。君の指導次第だが十分に伸びる素質があるはずだ」

「……ひょっとして、俺試されてる?」

「いやそんなつもりは……やはりダメだな。こういう言い回しが威圧感を与えてしまうとわかってはいるのだが」

 重い溜息をつきながら顔をしかめたクノー。さきほどまで身体と頭が別に動いているのではと思うほど器用に攻撃と会話を両立していたのが嘘のように手がピタリと止まったのをみるに、本当に悩んでいるということなのだろう。

「話を戻そう。彼女への評価は高いのに先ほどから困り顔ということは、今の悩みは彼女のやる気のなさだろうか?」

「そうだね。今は仕事そのものに拒絶反応起こしてるみたいだし。とりあえず簡単な依頼でもいいから達成したときの充実感を感じてもらうのが一番だとは思ってる。

 ……それから、俺はテクニックやフォトンアーツが使えないからそっち関係で指導役が欲しいかな」

「なるほど、ではそれに関しては私の方でも探してみるとしよう」

「…………」

 お互いに手を止めて会話のみを交わす最中、今度はクラムの方が急に押し黙った。

 その表情は何かを確信しながらもどう切り出そうかを悩んでいるようで、クノーもその様子を対し怪訝そうに眉をしかめている。

「どうかしたか?」

「いや、テクニックどころかフォトンアーツまで使えないって言ったのに反応薄かったなと思って。

 それに俺のこの見た目って初対面だと大体困惑されるんだけど、貴女はそんな感じが無かったというか……

 もしかしてどこかで会ったことあるのかなって」

「……なるほど、先ほどの会話は鎌かけだったか。無垢な仔犬のフリをして、その実計算高い狼だったらしい」

 少し誤解されそうな言い回しが気になるが、今は話の腰を折らないようにクラムは聞き流して彼女の次の言葉を待つ。

「確かに私は君がここに来る以前から君のことを知っている。だが君が知らなくて当然だ。私と君に直接関わりがあったわけではないからな」

 ここに来る以前のクラムの経歴といえばフリーの傭兵。しかしお互いに適度な距離感を保つフリーの傭兵では彼の体質にまで理解があるとは考えにくい。ガーディアンズからフリーの傭兵へ転向するまでに少しの間在籍していた場所もあるが、逆にそこでは仲間同士の結束が強いため彼女が在籍していたのなら気づかないはずがない。とすれば消去法で出てきた答えは一つ。

「……元ガーディアンズ?」

「なるほど、総合調査部所属だったのは伊達ではないということか。

 君が考えているそのとおりだ。役職はガーディアンズ研究部直属護衛官。仰々しい役名だが簡単に言えば研究員の用心棒だな。

 だから研究員たちの交わす話題も多少は耳にしていたんだ。君の場合は出生も相まってよく話題に挙がっていたからな」

 一括りにガーディアンズと言っても部門ごとに細かく分かれているうえ、それぞれに在籍する人数も多い。責任者等の主要人物には挨拶回りをした記憶はあるが、その中の一社員となると知らない方が当然か。

「俺が言うのも変だけど、どうしてガーディアンズを辞めてここに?」

「それは秘密だ。ここは入社前の経歴を問わないと言っただろう? クラウチすら私が元ガーディアンズというのは知らないぐらいだからな。だから私もこれ以上自分の過去を話す気はない。

 それに、ガーディアンズ時代の話などしてても面白くないだろう。……お互いにな」

 どうやら彼女はクラムの事情をある程度把握しているらしい。彼女も彼女で訳ありならばこの話題は双方にとって無益なものだろう。

 それに、先程まで数える程度の人数だった訓練スペースにはいつの間にか人だかりが出来ていた。その全員が訓練をしている様子はなく、クラムたちへ好奇の眼差しを向けている。

「すこしはしゃぎ過ぎてしまったか」

「みたいだね」

 リトルウィングに在籍して長いらしいクノーの実力は周囲に十分知られているはず。そんな実力者と激しい攻防を繰り広げている謎の青年がいて、さらにその見た目が非常に珍しいとなれば見世物として丁度良かったのだろう。

 フィットネスジムの方を利用していた客まで訓練スペースへ覗き見に来ている状態だった。

 すでに手遅れだとしても人目を避けるようにクラムはフードを深く被ってその顔を隠し、憂鬱そうにため息をついた。

「ここの片付けは私に任せて君も汗を流してくるといい。あの子のシャワーは長いから、今からでもお互いあまり待たずに合流できるだろう」

 それから、とクノーはナノトランサーから小さなカードを取り出しクラムへ投げ渡す。

「更衣室含めて完全個室なシャワールームの予約札だ。もちろん男女兼用だから心配しなくて良い。付き合ってもらったお詫びだと思ってくれ」

「それは有り難いけど……いやでもせめて料金だけは払わせて」

「律儀だな君は。その誠実さはエミリアに向けてあげてほしい。今の彼女には寄り添ってくれるヒトが必要だ。

 ……絶対に、見捨てないでやってくれ」

 いくら素質があってもそれを鍛えて指導してくれる相手に出会わなければ宝の持ち腐れだ。にも関わらずエミリアの態度はお世辞にもよろしいとはいえず、その素質を開花させるためにはかなり根気のいることは容易に想像できる。クノーの言葉はそれを懸念してのものなのだろう。

 だがクラムは知っている。エミリアのいざというときの胆力を。

「わかった、任せて」

 故に考えるまでもなくクノーの言葉に青年は力強く頷いた。




 どうせ二次創作書くならクノーやバスクとの絡みも増やしたいなーと思っている今日このごろ


 クラムの体質について、元ネタはPSO2のクラスである【エトワール】のスキルにある【ダメージバランサー】で、それをさらにピーキーにしたイメージです
 主人公はこれを頼りにシールドラインなしの縛りプレイを強いられてる感じです

 元々は昔書いてた時にフォトンアーツの描写が面倒だからやっつけで付与した設定だったんですが、再編集の際にダメージバランサーの効果を知って今の感じに落とし込みました


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

足跡を辿りて

 初日の訓練から日付が変わり、今日の仕事のために居住区の出入り口でエミリアと待ち合わせること30分あまり。

 準備があるから先に行っててほしいと事前に連絡はあったのだが、それに気づいたのは受信してからしばらく経った後だった。そのタイミングで『ここまで待ったのだから』と待とうとしたのが失敗の始まりだろう。

 予想以上に彼女の準備は長引いているらしく、一向に来る気配がなかった。かといって今更先に行くのもなんだか負けた気になるという理由でその場に立ち尽くした結果今に至る。

 商業区画に比べれば人の往来は少ないがそれでも全く無いわけではなく、彼の物珍しい見た目は嫌でも周囲の視線を集めてしまう。

 その視線から逃れるようにフードを深くかぶり、青年は今日受ける依頼をどんな系統にしようかと思案し時間を潰す。もはやここまで来たら相手不在の勝手な我慢比べだった。

「む、お前は……」

 不意に声をかけられ視線を向けると、そこに立っていたのは無骨でありながら洗礼された黒いフォルムの男性キャスト。見るものによっては威圧的を感じるであろう造形にも関わらず彼の纏う雰囲気に棘がないのはその立ち振舞によるものだろうか。

 そんな特徴的な雰囲気故にクラムも彼のことは鮮明に覚えていた。

「たしかこの前の海底レリクスの……」

「あの時はお互い自己紹介もまだだったな。俺はバスクだ」

「クラムだよ。よろしく」

「お前たちの救出任務にも参加していたから無事なのは知っていたが、お互いフリーの傭兵同士。そう簡単に会うことはないとは思っていたのに、面白い巡り合せもあるものだ」

「ほんとにね」

 例外はあれど3惑星を転々としているフリーの傭兵同士が、お互いを覚えている間に再会するなどそうそう起こるものではない。そんな思わぬ再会にお互いに握手を交わし、流石にフードを被ったままでは失礼だとクラムは素顔を顕にする。

「……ふむ、なるほどな。顔を隠していたのは色々訳ありだったからか」

 他の通行人が物珍しそうにこちらを横目に見つつ通り過ぎていく中、目の前の黒いキャストはその容姿に驚きはしたものの、追及はせずに納得したように頷いていた。

「だがいいのか? フードを外してくれたのは信頼の証と受け取るが、ここでは多少なりとも他人の目にも留まる。隠していたのもそれ相応の理由があるんじゃないのか?」

「大丈夫、隠していたのはこの見た目が原因で面倒事に巻き込まれるのを避けるためだったから。

 けど今はここの雇われ傭兵だからね。隠したままで変な噂が立つよりはこうやって少しづつでも慣らしていかないと」

 とはいいつつもやはり周囲の視線は気になるようで、居心地が悪そうにせわしなく自分の顔を触り、少しでも人の目から避けるようにしている。

 自他ともに素顔を晒したままヒトの往来を歩くのに慣れるにはまだまだ時間がかかることだろう。

 そんな不器用ながらも前向きな姿勢がバスクには好感をもたれたらしく、微笑ましそうに笑いながら何度も頷いていた。

「そうか、お前もここに入ったのか」

「『も』ってことは……」

「想像しているとおりだ。レリクスの救助活動を手伝ってる際にクラウチから声をかけられてな。

 入社までの経緯を問わずだからどんな無法地帯かと思ったが、思いの外普通の会社でホッとしているところだ」

「取締役のクラウチはあんな感じだけどね。

 でも、良くも悪くも束縛が少なくて自由な感じだよね。そのせいでまだほとんどの社員と面識がないんだけど」

「無理に広げずとも自然とヒトの和は広がっていくものだ。焦る必要もあるまい。

 こういうなんでもない会話のついでにパートナーカードでも交換していけば良い」

 言いながらバスクが端末を取り出して促してくるのに従いお互いにパートナーカードを交換する。

「クラム……アーセナル? お前あの武器商人の家系だったのか」

「小さい頃お世話になってただけだよ。性はその時貰ったのをそのまま使わせてもらってるだけで、今は完全な他人。

 レリクスで救出された時も引取拒否されちゃったみたいだしね」

「そう、か……数年前に引退した先代はかなりの偏屈者だったと聞くが……」

「あはは、たぶん想像してる以上に頑固者だよ。色んなヒトに会ったけど、あれよりヒドイの見たことないから」

 クラムにしては珍しく辛口評価で語るが、心底嫌っているという雰囲気ではない。むしろその遠慮のなさが一周回って両者の関係が決して悪いものではないことを物語っている。

 それを察したのだろうバスクはクラムの評価に否定も肯定もせず興味深そうに頷くだけに留めていた。

「……ところで、こんな何もないところで佇んでいたが誰かと待ち合わせでもしているのか?」

「ああ、エミリア……レリクスでクラウチと一緒に来ていた子をね。少しでも会社に貢献できるようにしてくれってクラウチから頼まれてるんだ」

「なるほど、さっそく難題を押し付けられたみたいだな」

 以前から社員としてエミリアと接しているクノーだけでなくともすでにこの評価。それだけ彼女の態度は悪目立ちしているということなのだろう。

「素質は十分にあるんだけどね」

「お前の実力はあの救助の手際から十分に察することが出来る。そんなお前が言うのであれば間違いなのだろうが、いかに素質があれど磨かなければ輝くことはない。

 どうやって接するつもりだ?」

「一応簡単な仕事で達成感を得てもらおうとは思ってるけど……」

「なるほど、指導役として全くの無知というわけでもないか。

 ただそれも一つの手であることは間違いないが、気をつけるべきは手段と目的を混同させないようにすることだ。

 手軽な達成感は時に麻薬にも等しい。最悪の場合、依頼を達成するために頑張るのではなく、達成するために簡単な仕事にだけ手を出すという状況にもなりかねない。

 何のために仕事をするのか、あの子にとっての目的や目標を持たせることも重要だ」

「……たしかに、その可能性は考えてなかった」

 この意見が丸々エミリアに当てはまるとも限らないが、考慮して育成方針を考えることに越したことはないだろう。

 多少は多面的に見ていたつもりでも、こうして他人と交流していると目からうろこな意見が飛び交うもの。クラムがコミュニケーションを『苦手』とは言っても『嫌い』とは言わないのにはこういった新しい発見が得られる点にあった。

「説教臭くなってしまったが、俺は彼女のことはよく知らない。詳しい教育方針にまで口出しする資格はないだろう。

 ただまあ、相談したいことがあったら気軽に連絡してくれ。

 ここの依頼を優先するとはいえ基本は各地を転々としているからすぐには無理かもしれんが、極力予定を合わせられるようにしておこう」

「ありがとう、助かるよ」

 そうして奇跡的に再開したキャストの背中を見送ると、白銀の青年は再び一人で時間を潰す。

 そこからしばらくして居住区の扉が開き、中から慌てた様子で金髪少女が飛び出してきた。

「──うぇっ!? あんた何でここにいるの!? 先に行ってて良いって連絡したじゃん」

 時刻を確認してみると連絡を受けてから30分ぐらいは経過している。まるで化け物でも見たかのように驚かれたが、待ち合わせ時間から1時間近く待っていたヒトへの反応としては当然のものだろう。

「あはは、仕事で知り合ったヒトと偶然再会して話し込んじゃってたんだ。そんなに待ったわけじゃないから気にしないで。」

「……ならいいけど」

 待っていた側の返答としては定型文に近いものだが、エミリアを気遣う気持ち半分、自分の勝手な我慢比べだったことを隠したい気持ち半分。それ以上は追求しないでという雰囲気を醸し出しながら苦笑い笑っているとエミリアもなんとなく察してくれたらしい。

 逆に今度は彼女の端末からコール音が鳴り響き、その通話相手を見た瞬間に彼女のほうが苦い表情を浮かべていた。

「もしもし……はい……はい……ええっと、本人は今月のツケは払ったとか言ってたんですけど?

 うぅ、ちょっとあたしじゃなんとも……はぁ……すみませんけど。

 じゃあ、そう本人に伝えます」

 まるで目の前に通話相手がいるかのように縮こまる姿は見ているこちらが気の毒になるほどだ。さらにその対応にそれとなく『慣れ』を感じるのは気のせいではないだろう。

 それを聞いていいものかと通信が終わるまで少女を眺めていると、こちらの視線に気づいて力なく笑い返してきた。

「ああ。ごめん。いつものことだから気にしないで」

「クラウチ宛の電話?」

「そうだよ。自宅からの転送通信。おっさんが出なかったらあたしの端末に繋がるように設定されてるの。

 まあ、うちにかかってくる連絡って言ったら、おっさんが通う飲み屋のツケとかの催促ばっかりだけど」

「ツケにするって、そんなに首が回らないぐらいヤバい状況なの?」

「わかんない。昼間っから飲んでるから、持ち歩いてる分じゃ足りないだけかも。今までも催促が来るだけで取り立てが来たことはないし。

 でも正直ウンザリするよ。人のことはうるさく言うくせに自分はあんなんなんだもん。

 バリバリ働いて、とまでは言わないけど人並みぐらいにはきちんとして欲しいよね。あれでもあたしの保護者なんだし……」

 何にせよ依頼の確認とは別にツケの催促をクラウチに報告する必要ができてしまった。憂鬱そうに重い息を吐きながら肩を落とす少女を気遣い、ゆっくりとしたペースで2人は人混みをかき分け進んでいく。

 宇宙空間を漂うリゾートコロニー故に明確な朝晩は決まっていないが今の時間帯は丁度書き入れ時らしく、ほとんどの店が営業中であり少女の心境とは対照的に商業区画は活気に溢れていた。

 そんな商業区画にある一際目立つ巨大なディスプレイでは、各惑星の情報がわかるようニュース番組が随時放送されている。

 現在放送されているのは『ハル』がニュースキャスターを務めるグラールチャンネル5ヘッドライン・ニュース。そしてその内容は──

『──着工より2年。先月、ついに完成した「亜空間発生装置」の完成式典が、パルムの同盟軍本部で行われました。

 式には、亜空間理論を確立した総合化学企業「インヘルト社」の「ナツメ・シュウ」代表取締役をはじめ、開発に関わった軍関係者や多くの企業が参加しました。

 今回披露されたこの装置により亜空間発生実験が成功すれば、有人での亜空間航行計画へと大きく前進することとなります。

 現在グラールが抱える資源枯渇問題に光明をもたらすこの研究、絶対に成功してもらいたいものですね』

 その内容は、つい先日までなら人類の希望を象徴するものとして素直に喜んでいたことだろう。しかし今のクラムにとっては滅亡へのカウントダウンにも等しかった。

「どうかしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 どうにかしなければいけないが、相手は古に文明を築いた人類という壮大な規模であり、そしてその計画に組み込まれているのは今のグラールで『希望』とも呼べる技術。

 否応にも慎重にならざるを得ず、今の時点では言葉にできない焦燥感に駆られる以外に何も出来なかった。

 その不安を悟られないように笑ってごまかし、改めて商業区画を進み事務所の扉を開くと、何故か受付のチェルシーが不機嫌そうに口をとがらせて事務所内のディスプレイを眺めていた。

「なんでそんなに怒ってるの、チェルシー?」

「今のニュース、スカイクラッド社が出てないネ!!

 亜空間航行の計画にイッパイ出資してるんだヨ! ウチのいい宣伝にナルと思ったのニー!」

 言いながら指さしたディスプレイに映るのは商業区画と同じくグラールチャンネル5のニュース画面。どうやら彼女も先ほどのニュースを見ていたらしい。

 ただしニュースの内容は完成式典がメイン。限りある放送時間の中で出資企業にまで触れるのは難しいと思うのだが、彼女の中では納得がいかなかったらしい。

「スカイクラッド社ってウチの本社じゃん。リトルウィングの宣伝にはならないって。

 それよりチェルシー。おっさん、いる?」

「あ、そういえば、シャッチョサンが2人に用があるって言ってたネ。連絡する手間が省けたヨ」

「おっさんが? ってことは奥にいるよね」

 先ほどまでの怒りはどこへやら、すぐに営業モードに切り替え笑顔で応対する光景にクラムは自分には出来ないことだと1人関心していた。

「それから武器のメンテも無事に終わったヨ」

「ありがとう。……ちょっと確認してみても?」

「握り具合を確かめるぐらいならネ」

 その場で振り回さないように、と念押しされながら事務所のフリースペースへと移動したクラムは手渡された武器をナノトランサーから取り出し、その握り心地を確かめる。

 備品はすべてGRM製の初心者向け装備であり、借りたのは【ツインセイバー】を予備含めて2対と、【ソード】を1本。【ソード】に関しては、【ツインセイバー】の火力で対処できない敵を撃破しなければならなくなった場合の最終手段だ。コレを使うということはそれほどの危険な状態ということであり、できれば遭遇したくないところだ。

 【ソード】のような大きな武器を事務所の空間で取り出すわけにはいかず、確認をしたのは【ツインセイバー】のみ。【剣影】のような実体剣と比べるとどうしても重心など微妙な部分で違いが出てくるのだが、幸いにも形状は昨日使用した訓練用のセイバーと同じ。

 クノーと手合わせしたおかげで【セイバー】としてなら感覚の微調整は終えており、違和感のすり合わせにそこまで時間はかからなかった。

「おまたせ──」

「あのエロオヤジ……! ツケの払い忘れだけならず経費のムダ遣いもするか!」

 早々に調整を切り上げてエミリアたちの元へと戻ると、なにやら鬼気迫る表情を浮かべた少女は事務所の奥へと突き進んでいってしまった。

 状況がわからずチェルシーに視線を向けるも目の前の受付嬢は受付スマイルを浮かべながらエミリアを追うようにジェスチャーをするのみだった。

「ちょっとおっさん! ……ってうわ、酒臭っ!」

「よぉ、来たか」

「来たか、じゃないっての! いつもの飲み屋からまた電話きたんだよ! いい加減ツケを払って欲しい、って!」

 ジェスチャーに促されるままエミリアの後を追うと、すでにエミリアとクラウチが口論になっていた。

 近づくだけで漂う酒気に一度は怯みながらも少女はデスクを叩き、ここに来る前に電話で聞いた内容を矢継ぎ早に告げていく。

 周囲で事務処理をする他の社員が誰一人として彼女らに視線を向けないのはこれも日常茶飯事のだろう。さらにそれだけに終わらず、事務所に来る前には持っていなかったはずの謎の紙切れを数枚デスクへと叩きつける。

「それからこれも!」

「あぁん、こりゃあ資料の経費じゃねえか。どうしてお前がもってんだ?」

「こんないかがわしいものが経費で落ちるわけないでしょ! 常識で考えろ、常識で!」

「あぁ? バカ、わかってねーな。こういう根回しも必要なんだよ」

 白熱する口論に巻き込まれないように首を伸ばして確認してみると、どうやら領収書らしい。ただし発行元はすべて風俗店であり、話の流れから察するにその料金を会社の経費で落とそうとして突っぱねられたといったところか。

 チェルシーが意味深に微笑んでいたのはこれが原因だろう。エミリアは気づいていないようだが、体よく厄介事を押し付けられたようだ。

 クラウチもそれに気づいているらしく、あまり親身に対応しているようには見えなかった。

「まぁいい、それよりも仕事の話だ。

 喜べ、お前たちにふさわしい仕事を見つけてきてやったぞ。こいつは緊急かつ、重要な依頼だ。急ぎ、探して欲しいヤツがいる」

「ヒトの捜索……? なにかの重要参考人とか、要人とか?」

「うんにゃ。俺が前に金を貸したヤツ。つまるところ、借金の取り立てだ」

「依頼主おっさんじゃん! そんなの自分で探しに行け!」

「やかましい! どっかのタダ飯食らいがレリクスでの仕事をポカったからロクな依頼がこねぇんだよ!」

「う……それを言われると……」

 話をそらされたうえで痛いところを突かれ、最初の勢いなど見る影もなくエミリアは気まずそうに視線を泳がせて一歩後ろへ下がった。

 こうなってしまってはもはやエミリアに勝ち目などなく、クラウチの言葉を素直に聞く以外に出来ることはなかった。その慣れた手際から2人の間でどれほどの頻度で似たようないざこざがあり、どのように決着していたのか想像するのも容易い。

 ただしクラウチの言い分には気になる点が一つ。

「レリクスのあれは事故だし、依頼失敗にカウントされないんじゃ?」

「お前も来たか。たしかにお前の言う通り失敗はしてねえ。けど、ああいった大規模な依頼でアピールして次の仕事に繋げなきゃ失敗したのも同然なんだよ」

「なるほど、その辺りはフリーも企業も一緒なんだ」

「そういうこった。わかったらキビキビ働け」

「けどそれならエミリアを責めるのはお門違いじゃ?」

「……捜索対象者の名は『ワレリー・ココフ』。51歳、男性。種族はビーストだ」

 穴だらけの論理でも巧みな話術を駆使すればエミリアを言い負かすことはできるが、冷静に話の流れを読み解き傭兵業の裏事情もよく知るクラム相手には効果は薄い。勝ち目が薄いと見るやいなやこの酔っぱらいはすぐさま話題を本題の方へと引き戻してしまった。

「ワレリーの船は、モトゥブのクロウドッグ地方と場所が特定している」

「それって文化保護地区になってるところだよね?」

「文化保護地区って?」

「んなもん後で自分で調べやがれ。

 クラムはわかってると思うが、シティでもカジノでもなく、とてもヤツには用事が無さそうなヘンピな場所だ」

「他の借金取りに追われて逃げ込んだって可能性は?」

「その可能性は薄いな。いろいろ調べてみたがここ最近までに大きな借金をしてる形跡はねぇ。1週間ぐらい前にカジノで大当たりして風俗店に入っていくのを見たってやつもいたしな」

「……なるほど、だからこのタイミングに」

 カジノで勝って大きな借金もしていない。少し時間は空いてしまっているが、今取り立てれば食いっぱぐれる心配は少ない。ついでに言えば他の借金取りとかち合って荒事に発展する可能性も低い。

 クラウチなりに色々考えているのだろう。仕事を私物化している感は否めないが……

「場所までわかってるんなら、なおさら自分で行けばいいじゃん……」

「何か言ったか、ごくつぶし?」

「なんでもないですー!」

 相棒の頼もしい背中に隠れて野次を飛ばすも即座に返り討ちにあうという流れは、ここに来てまだ3日目だというのにもはや見慣れた光景だった。

 最終的にはエミリアに手を引かれる形で事務所を後にし、クラムたち2人は事務所近くの通路から関係者以外が立ち入り禁止となっている場所へと移動。そこにある転送装置から小型宇宙船である【シップ】へと乗り込んだ。

 内装が少々シンプルなのは、個別支給ではなくリトルウィング社員共用の設備のため余計なものを積んでいないからだろう。 

 ただし操縦桿によるマニュアル操作だけでなく、座標を指定するだけで目的地に向かってくれる自動操縦機能も備え付けられたかなり新しい機体だ。小さな軍事会社が持つには十分すぎる代物であろう。

 クラウチから転送されてきたデータをもとに座標を打ち込み、自動操縦で目的地へと向かう。予測されている移動時間は約30分。

 1人なら武器の整備などをするところだが、今はエミリアとの2人行動。そして彼女にとってはどんな経緯であれ正式に受注できた初めての仕事だ。彼女の緊張を解すのも兼ねて適当な話題を投げかけてみた。

「エミリア、今から行く文化保護地区についてなんだけど……」

「植物や建物を傷つけたら罰金があるから注意しろ、って言いたいんでしょ? それぐらいなら調べられたってば」

「それもあるけど、俺たちが注意するのは地形の方だね。舗装されてる場所もあるけど森の中を歩くことになるから、迷わないようにしないとね」

「やっぱそうだよねえ……そんな場所でヒトを探すとかおっさん無茶言うよ。

 原生生物だってうじゃうじゃいるだろうし……

 はぁー、色々覚悟は決めてるけど、正直この仕事だけはしたくなかったなぁ」

 自動操縦のためただのリクライニングシートと化している操縦席で身体を伸ばしながら大きなため息をつくエミリア。

 その態度は褒められたものではないが、愚痴りながらもこうして目的地へと向かう程度にモチベーションが残っているならまだ大丈夫だと判断し、クラムが注意をすることはない。

「そういえば、あんたはどうして傭兵をやってるの? 小さい頃は武器商人のところでお世話になってたって前に言ってた気がするけど、そっちになろうとは思わなかったの?」

 不意に操縦席を回転させた少女はこちらを覗き込むようにて質問を投げかけてきた。

 身近なヒトが行っている仕事というのは憧れになりやすいもの。にも関わらず別の仕事をするようになったキッカケに興味があるのだろう。

「思ったことはなかったかな。外で身体動かしてる方が好きだったし。だから手伝っていたのも品出しみたいな単純な力仕事や配達とかだけ。

 ……あー、けどその配達中に別の頼まれ事を断れずに寄り道することも多かったっけ」

「レリクスに閉じ込められた時もそうだったけど、昔からそんな感じだったんだね」

「あはは、みたいだね。最初から傭兵になりたい、って思ったわけじゃないけど結果的に俺には合ってたみたいだ」

「じゃあ、あんたにとってはこれが『天職』ってやつなのかな」

 天職という言葉が的確かはさておいて、状況によるとはいえ求められれば協力するという点で彼の性格と傭兵業は相性が良いのは確かだろう。

 少女の満足の行く答えだったかどうかは分からないが、操縦席に座り直した彼女は身体を左右に揺らしながらため息をついている。

「あーあ、あたしも天職見つからないかなー」

「やりたいこととかはないの?」

「んー、考えたことなかったかも。

 何かをやりたいなんて思ったことないし、大体ムリヤリやらされてたしね」

「そっか……」

 彼女のことはまだまだ知らないことだらけだが、どうやらこれまであまり自由がない生活だったらしい。ショーパブで居候していたらしいが、この性格になったのはそれ以前の環境が原因なのだろう。

 ……こういうとき、相手の内側に踏み込めるヒトなら悩みを聞き出せるのだろうが、言葉数が少ない青年にその技術は持ち合わせていなかった。

「まあ傭兵をやってたら色んな人に会うし、ゆっくり考えればいいよ」

「確かに一理あるけど、それまでこれ続けられるかな……?

 あたしは戦うのとか苦手だし、調査とかも……キライだしさ」

「……?」

 今妙に間があったような気がするが、それを尋ねる前にシップが僅かに揺れたことで話題が打ち切られてしまった。どうやらモトゥブの大気圏に突入したらしい。ここまでくれば目的地まで数分もかからないだろう。

 質問のタイミングを見失ったことで小さな疑問は払拭されることなく、彼の意識は自然と依頼の方へ切り替えられていく。

 眼下に広がるのは、自然の少ない過酷な環境であるモトゥブでは珍しい広大な熱帯雨林。その一角に設けられた駐艇場には所狭しとシップなどの乗り物が停められていた。

「おっさんはへんぴな場所って言ってたけど、そのわりに観光プラント並みに船が多いじゃん」

「こういう自然の中を散歩するのが好きなヒトも多いからね。……とはいえ確かに普段より多いかな? 今日何かイベントでもあったっけ?」

「だとしたら人探しするのに最悪の状況じゃん。

 ていうか、なんであたしたちがおっさんの貸したものの取り立てをしなきゃならないのよ……

 経費だけじゃなくて、依頼まで私物化しはじめてるよあのおっさん。誰か、ガツンといってくれないかなぁ……」

「ただの人探しなら肩慣らしにちょうど良いかなって流してたけど、これが続くようなら俺からも指摘してみるよ」

「べつに、止めはしないけど、効果ないと思うよ。

 あたしも言ったことあるけど、まったく聞いてくれなかったもん」

 それに関しては事務所での口論に対する社員の反応から容易に想像できるため、肯定も否定もせず苦笑いで流す。

「まあ、あたしが言ったからってのもあるんだろうけど。

 仕方ないよね。おっさんにとってみれば、あたしはただのお荷物にすぎないもんなぁ……」

「じゃあまずはそのお荷物からの卒業が目標だね。そうすればクラウチの対応も変わってくるだろうし」

「えぇ? そんなことであのおっさんが急に態度変えたりすると思う?」

「もちろん。エミリアだって飲んだくれのクラウチがちゃんと仕事してくれれば少しは見る目変わるよね?」

「……むぅ、まあ少しはね」

 一瞬納得しそうになるがそれが癪だったのか言葉を濁してささやかな抵抗を見せる。何にせよ彼女なりに短期的な目標の目処はついた。

 あとはその達成に向けてクラムがフォローしていくだけだ。

 エミリアも軽く頬を叩いて意識を切り替え、依頼された捜索にやる気を見せる。……そんな少女の目の前で、白銀の獣人は視線を鋭くさせながら辺りを忙しなく見回していた。

「どうかしたの?」

「いや……ここだと邪魔になるかもしれないから、シップの駐艇場所変えてくるよ。すぐに戻るからちょっと待ってて」

 わざわざ言うほどではないと誤魔化したが、森の奥にいる原生生物の気配がやけに殺気立っているのを青年は感じていた。

 駐艇場になっているこの場所は原生生物が入ってこないように防壁が張られているが、万が一ということはやはりある。わざわざエミリアを不安にさせる必要もないため、適当な理由を作ってシップを地上から浮かせた場所へ移動させる。

 地上からやや浮かせた場所に駐艇させつつ『錨』を地面に打ち込み船が移動しないことを確認し、元の場所へと戻っているとエミリアが誰かと話しているのが遠目に確認できた。

 ただの世間話ならいいがトラブルだったらまずいと足を早めて合流すると、彼女と会話をしていたのは小柄なビーストの男女であり、クラムも良く知る顔ぶれであった。

「トニオ……?」

「おまっ、クラムじゃねぇか! ははっ、久しぶりだな。元気にしてたか?」

 小柄な男性ビーストの方が目を丸くして素っ頓狂な声を上げ、倍近い身長差を物ともせず飛び跳ねながらクラムの肩に腕を回し、彼に膝をつかせることでやや乱暴に再会の喜びを表現している。

「リィナも久しぶり。えっと、3年ぶりぐらい?」

「ほんと、挨拶もそこそこにローグスを飛び出したかと思えばそれから一切連絡なしなんて酷いじゃないか。一体どこをほっつき歩いてたんだい?」

「フリーの傭兵として各地を転々とね。今はリトルウィングって会社の雇われ傭兵だけど」

「なるほどね。まあ元気そうにやってるならよかったよ」

 そんな懐かしい面々での挨拶を交わす中、突然蚊帳の外に追いやられてぽかんと口を開けたまま佇む少女が一人。それに最初に気づいたトニオが咳払いを挟んで一旦会話の流れを止める。

「そういや自己紹介がまだだったな。俺はトニオ・リマ。フリーの傭兵だ」

「あたいはリィナ・リマ。夫婦で傭兵やってるんだ」

「えっと、あたしはエミリア。リトルウィングって会社の社員です……一応。

 それで、3人は知り合いなの?」

「……まあね。フリーの傭兵になる前に色々とお世話になってたんだ」

 改めて自己紹介を終え、真っ先に疑問を投げかけたのは当然ながらエミリアだ。その質問に対しクラムはややボカした内容で返すが、それだけの情報でも少女の疑問を晴らすためには十分だったらしい。

「けど、結婚してたのは知らなかったよ」

「連絡先よこさず雲隠れしたやつにどう伝えんだよ。ったく。

 まあその辺の話はまた今度だ。エミリアから聞いたが2人はヒトを探してるんだってな?」

「ワレリーってビーストをね。どこかで見てない?」

 端末に保存されてる捜索者の顔写真をトニオたちに見せてみるが、2人はお互いに顔を見合わせて首を横に振るのみ。やはりそう簡単に任務終了となるほど現実は甘くないらしい。

「俺らも文化保護地区の見回りを頼まれてついさっき来たばかりでな。まだお前ら以外に誰とも会えてねぇんだ。リィナが言うには外の原生生物もやけに凶暴だったらしい。

 なんにせよ、奥に進まなければ見回りも人探しもできねえしな。目的も一致しているようだし、しばらく俺たちと組まないか?」

 その提案はクラムたちにとっても願ったり叶ったりだ。エミリアの方を見ると彼女もパーティを組むことに異論はない様子。

 かくしてパーティを組むことになった4人は早速目標のすり合わせを行っていく。

 基本的にはトニオたちの手伝いで見回りをしつつ、その間に捜索対象のワレリーが見つかれば御の字、というのがざっくりした方針となるが、両者ともに明確な目的地が無いため最初の一歩を決める必要があった。

「とりあえず、『カーシュ族』の村まで行こう。そこに行けば、この妙な雰囲気の手がかりがあるかもしれないからね」

「村って、道はわかるの?」

「カーシュ族は土地を転々と移動するから、はぐれていた仲間がわかるように森に目印を残しているんだよ。カーシュ族にしかわからない文字だけどあたいはあらかじめ学んできたから、それをもとに辿れはすぐさ」

「へー、どんなのだろ……」

 リィナの鶴の一声で詳しい方針が決定した4人は、早速準備を整えて文化保護地区である森の中を進んでいく。

 一度駐艇場から外へ出れば原生生物の侵入を防ぐ防壁の恩恵は受けられないが、ここ一帯は定期的に観光ツアーも開かれている場所だ。駐艇場ほどではないが簡易的な柵や足場などが組まれており、一定の安全は確保されているため進むことは難しくない。

 ……傭兵としての一定の水準を満たしていればだが。

「エミリアがそろそろ限界みたいだね」

 他の3人は純粋に体力がある以外にも不安定な足場を歩き続けることに慣れているが、そうではない少女では体力の消耗は激しかったようだ。

 今はまだクラムに手を引かれてなんとか立っているが、不測の事態に備えるならばこの状況はあまり好ましくない。

 エミリアを担いで進むという方法もあったが、いつ原生生物が襲ってくるかわからない環境での無理は禁物だと判断し、4人は見晴らしのいい場所で休息を挟むことにする。

「うう、ごめん……」

「気にすんな。ルーキーのサポートだって任務の一部だ」

「そういうこと。俺も武器の最終調整したかったからちょうど良いし」

 言いながら胸にあるナノトランサーから【ソード】を取り出したクラムは、他のメンバーから十分に距離を取った場所でフォトンの刃を出力。実際に振るってみて不具合や違和感が無いかを確認し始めた。

 その様子を物珍しそうに眺めるエミリヤやリィナとは別に、トニオは邪魔にならない位置まで近寄りつつ肩をすくめていた。

「その念入りさは相変わらずだな」

「メンテしてるヒトを信用してないわけじゃないんだけどね。子供の頃に染み付いた癖みたいなもんだよ」

「ん? というかそれGRM製の初心者向け武器じゃねぇか。それにフォトンの刃は体質に合わないって言ってたのに、なんだってそんなもん使ってるんだ?」

「ちょっと訳あって武器を収納してたナノトランサーが壊れたんだ。今使ってる武器用ナノトランサーも予備のやつだし」

「ナノトランサーが壊れたぁ!? 修理の目処は立ってんのか?」

「修理代も持ち合わせてないし、しばらくは保留。

 武器買う予算もないし、しばらく会社の備品を借りる感じになるかな」

「マジか……まあ助けになってやれるかわかんねえけど、困ったらいつでも言えよ?」

「すでに今すごく助かってるよ。俺とエミリアだけじゃ闇雲に探すしかなかったんだし」

 トニオとの会話をしつつテキパキと手持ちの武器すべての調整を終え、ナノトランサーに収納しながら皆が休憩している場所へと戻る。

 いつの間にかリィナがいなくなっていたようだが、エミリアが言うには近くの警戒を兼ねて辺りを散策しているらしい。

 もうすぐ戻ってくるだろうというのがエミリアの意見だが、一応クラムたちは二人組同士で組んだ臨時のパーティだ。ペアであるトニオの意見も聞くべきかと隣を見ると、その小さな獣人は眉をひそめたまま首をひねっていた。

「どうかした?」

「いや、なんつうかお前と言葉でコミュニケーション取り合うのにどうも違和感があってだな?」

「…………あー、なるほどね」

 相手を気遣って言葉を探しながらも結局オブラートに包みきれてないのは置いておいて、クラムもトニオの感じている違和感には自覚があり、どこか気まずそうに視線をそらした。

「昔はそんなに言葉数少なかったんだ?」

「少なかったってもんじゃねぇよ。簡単な受け答えだったら表情と態度でしかコミュニケーション取らねぇんだぜこいつ。

 ぶっちゃけ、こいつの声ちゃんと聞いたの今日が初めてかもしれねぇ」

「むしろそれでコミュニケーション取れてたのすごくない?」

「まあでかい図体のくせに人懐っこい見た目してるからな。

 返答に困ったら子犬みたいに困った表情で固まってたらどうにかなってたぜ?」

 ケラケラと笑いながら冗談交じりに語るトニオとそれを興味深そうに聞くエミリア。

 あることないことを言われているような気がしないこともないが、当の本人は2人の会話には混ざらず憂鬱そうに遠くを眺めている。

「んで、見ない間に何があったんだ?」

「……タイラーのところでお世話になってた時、ボル三兄弟に懐かれた」

「……………………あー、なるほどな」

 どうやらクラムにとって昔の自分を他人の口から誇張して語られるという気恥ずかしさよりも、ここまでの経緯を思い出すほうが精神的にきていたらしい。

 遠くを眺めながら苦笑いと共に語られた一言は、茶化していたトニオが一瞬にして憐れみの視線を送るほどのものだったようだ。ただし、全てを察したトニオと違って状況を掴みきれないエミリアはキョトンとした表情で2人の顔を交互に見合わせている。

「そんなにヤバい人たちなの?」

「その、なんだ。悪いやつじゃないというか、ただのバカ三兄弟なんだが……

 まあ、エミリアも会う機会があったらわかるさ。とりあえずクラムと相性が悪いのは確かだな。あれに付きまとわれてたんなら無口でいられなくなるのも納得だ。

 茶化して悪かったな」

「いや気にしないで。あれのお陰でフリーの傭兵やってこれた部分もあるし、元はといえば武器のメンテのためにド・ボルと関わる頻度が多かったのがキッカケだし」

 とは言いながらも、その口元だけを無理矢理笑わせようとするぎこちない笑みが変わる様子はなかった。

 そんなやり取りをしていると、特徴的なツインテールを跳ねさせながら小柄な女性ビーストが茂みの中から現れた。

「ちょうどそこでカーシュ族の目印を見つけたよ。みんな、そろそろ出発しても大丈夫かい?」

「うん、あたしはもう大丈夫!」

 10分程度の小休止だったが、完全に力尽きる前に休憩に入ったおかげかエミリアも自力で歩ける程度には回復したらしい。

 改めて出発した4人がリィナの先導で向かった先にあったのは岩肌に刻まれた記号のようなもの。これがカーシュ族が用いる文字なのだろう。

「へぇ、目印ってこんなのなんだ。おもしろい形してるね」

 象形文字ほど原始的なものではなく、ところどころに現在の共通言語の名残が見られた。

 とはいえ名残があるのは形だけであり、意味はカーシュ族特有のものになっているらしい。これを解読するなら事前に学んでいるリィナに任せる他ないだろう。

 エミリアは興味深そうにリィナの解読を背中越しに眺めているが、クラムとトニオは周囲の警戒のために女性陣2人から少し離れた場所で立っていた。

 今のところ近くに原生生物の気配はなく、適度に木陰があるこの場所は大自然を満喫するにはもってこいの環境だ。それゆえに2人は最低限の警戒はしながらもどこかリラックスしている様子だった。

「そういえば、リィナと結婚してるってのも驚いたけど、今は傭兵ってことはガーディアンズを?」

「ああ、除隊した。結婚を期に一種に働きたいってリィナにお願いされたんだが、元ローグスって経歴の影響でガーディアンズ入隊が難しかったんだ。

 悩みはしたが、世話になったヤツらに恩を返すのにガーディアンズでも傭兵でも問題ねぇと思ってな。

 ついでに言えば、お堅い制服を着るのが面倒だったってのもあるが」

「ああ、あの制服ね」

 トニオが言っている通り、ここ最近になってガーディアンズでは共通の制服を着用するのが義務となっていた。職員の装備の質を底上げするのに加えて、もしかするとSEED事変の際に落ちてしまった信頼を回復することが目的なのかもしれない。

 ……風の噂で堅苦しい服を強いられた現総裁が憂さ晴らしのために定めたとも耳にしたが、真実が明らかになることはないだろう。

 そのデザインはクラムも見たことがあるが、真っ白なワイシャツに紺色のベストとズボンまたはスカートという組み合わせだ。誠実さを醸し出すのは間違いないが、トニオの言葉通り『堅い』という印象も受ける。彼にはそれが窮屈だったのだろう。

 そんな他愛もない雑談を交わしているとリィナの解読が終わったらしく2人は呼び戻された。

 一度目印を見つけたら後は流れ作業、というわけにはいかず、時には謎解きのような内容もあり追跡するのは容易ではなかった。

 さらに目印の場所に規則性はなく、岩肌に詳細が刻まれている場合もあればそこそこ樹齢のある大木に簡単な方角だけ示されている場合もあってまちまちだ。

 文字を読めるだけでは迷いそうなものだが、カーシュ族ならわかる隠れた法則性でもあるのかもしれない。

「おっ、これも目印だな。リィナ、解読頼む」

「あいよ。……うーん、これは」

「あ、それ……この先の道のりについてだ」

「え?」

 その間の抜けた声は誰のものだったか。例に習って男性陣は周囲の警戒で女性陣は解読と別れようとした直後、エミリアがこぼした言葉に全員の視線が集まった。それに気づいていない少女は真剣な表情で目印に目を通しており、時折指差しで何かを確認していく。

「今までの目印と違って、かなり詳細に書いてあるね。これが最後の目印ってことかな?

 ……ふーん、なるほどなるほど。よかった、わりと近い場所にあるみたい」

 満足気に頬をほころばせる少女とは対象的に口を開けたまま固まる3人。ようやくその状況に気づいた少女が不思議そうに小首を傾げていると、間をおいてリィナが3人の考えを代弁するように問いかけた。

「……なんで読めるんだい?」

「なんで……って、さっきからリィナが読んでるのを後ろで見てたし」

「それにしたって、理解早すぎねぇか? 少なくとも俺はさっぱりだぞ」

「……そ、そんなことないって。誰だってできるよ、このぐらい! ね、あんたもわかったよね?」

 なんだか似たようなことが以前にもあったなと漠然と思い出しながら、その特徴的なオッドアイが壁に刻まれた文字の羅列を順々に眺めていく。

 周囲の警戒をしてたとはいえ遠巻きに解読の様子は観察していた。ここまでの目印にも刻まれていた文字と同じものもいくつか見て取れるが……

「いや、全然わからない」

「だよなー」

 さすがに教本もなしにこれを解読できるわけがなかった。

 隣で同じように壁を眺めていたトニオもお手上げと言わんばかりに両手を上げて首を横に降っている。

「なんでそこわからない同士で嬉しそうなのよ。

 それよりもほら、ほら! こっちだよ、早くいこー!」

 これも以前見た流れで、少女は両手をわたわたさせながら他3人からの視線から逃れようとし、目印が示す方向へと小走りで進み始めた。

「──おまえ、とまれっ!」

「え?」

 突然の警告にキョトンとしながら足を止める少女と、緊張の糸を張り詰める3人。

 そこから最初に動いたのは白銀の獣人だった。流れるようにチョーカーの機能を切りつつ、刃を出力させた【ツインセイバー】で飛来する『何か』を弾き落とす。

 だが確かに手応えがあったにも関わらず弾いたはずの飛来物は見当たらない。おそらくはフォトンを変換したエネルギーの塊だったのだろう。

「みんな、あそこだよ!」

 リィナの指差す方を見れば、そこそこ太い枝の上で器用にロングボウを構えてこちらを覗く少年の姿があった。

 元より魔除けなどの文化が根強いモトゥブではエキゾチックな装飾を施されることが多いが、彼の身にまとう衣装は特にエスニックさが顕著に現れていて『原住民』という表現が似合いそうな風貌だった。

「これ以上近づかせはしないぞ!! 村は、ぼくが守る!!」

「な、なんかすごく勘違いされてない……?」

「ひょっとしてあんた、カーシュ族? 村で何かがあったってこと……?」

「だとしたら何だッ!!」

 まるで獣の威嚇のように吠えながら【アルテリック】の弦を引き絞る少年から感じるのは敵意と殺意。カーシュ族の村に近づく侵入者を警戒する門番かとも思ったが、それにしてはこちらの様子を伺う素振りはなく交渉の余地がなかった。

「許さない、許さないぞ! 村は、みんなは、ぼくが守るんだ!!」

「ちッ、聞く耳もたねぇか……来るぞ! 気をつけろ!」

「エミリアとリィナは俺たちの後ろへ!」

 再度放たれたフォトン・エネルギーの矢を弾きながらクラムが前に出る。

 しかし木の枝から枝へと飛び移っていく少年は非常に視認しずらく、周囲を木々に囲まれたこの空間では相手の独壇場だ。エミリアはもちろん戦闘に慣れたクラムたちでさえ防御を固めて様子をうかがうことしかできない。

 幸い潜んでいる位置はおおよそ察知できるため狙撃の対処は可能だが、こちらから攻撃できなければ状況は一向に好転しない。

「このままじゃ埒が明かねぇな。どうする、俺が突っ込むか?」

「くくり罠みたいなのが仕掛けられてる可能性もあるし、不用意に近づかない方がいいかも」

「ならあたいに任せな」

 攻めあぐねて話し合う2人を見かねたリィナが彼らを押しのけ矢面に立つ。その両手に握られているのはツインハンドガンの【アルブ・レガ】。

 比較的小型な銃身だが小柄な彼女には十分な大きさの二丁拳銃を器用に扱い、放たれた無数のエネルギー弾が森の中を駆け巡る。

「ちょ、文化保護地区ってその区域にあるもの壊しちゃダメじゃないの!?」

「知らないのかい? バレなきゃ犯罪じゃないんだよ」

「バレなくてもダメでしょうが!」

 ……まあ実際のところ、この辺りは舗装された山道から大きく外れた森林地帯だ。職員が定期的な点検は行っているだろうが、すぐにバレることはないだろう。加えてカーシュ族のような原住民が木々を選定して村を形成することに罰則がないように、文化保護地区とはいえ抜け道が存在するのも事実。

 そしてリィナの射撃は一見乱雑なように見えるが、罠が仕掛けられてそうな部分へ探りを入れつつ足場となる枝を狙撃して少年の機動力を着実に奪っていた。

 他の種族に比べてフォトンの扱いが不得意なビーストはフォトン・エネルギーへの変換効率が低く、休息を挟まずに撃てるエネルギー弾の総量は少ない。それでも一発一発を無駄にせず、自身の精神力がもつギリギリまで相手の足場を崩してくれたリィナの頑張りによって、森の中を縦横無尽に駆け巡っていた少年を地面に引きずり下ろす事に成功した。

「……ふぅ、あとは頼んだよ2人とも」

「おう、任せとけ! クラムはここを頼む!」

 ここまで攻められなかった鬱憤を晴らすようにトニオはクローをスタンモードへ切り替えながら疾走。小さい身体を生かして木々の隙間を縫うようにして間合いを詰め、【ギザミサキ】を振り下ろした。

 その素早い動きにロングボウでは対処不可だと判断した少年の方も武器をスピアである【トゥプ・ナスル】へと持ち替えて応戦し、両者の武器が激しい火花を散らす。

 その数度の打ち合いを見るだけでトニオの実力が勝っているのは明白だった。しかし地の利は少年の方にあり、木々を利用した立体的な動きで格上を翻弄している状況だ。そして頻繁に立ち位置が移動するため経験の浅いエミリアではサポートは難しく、リィナは先ほどの乱射から精神力は回復しきっていない。

「他に俺たちを狙ってるやつはいないかな?」

「気配は感じないね。エミリアのことはあたいに任せて、クラムはトニオのフォローをお願い」

「うん、まかせた」

 自身の武器をスタンモードに切り替えながら地面を蹴り、ここが不安定な足場とは思わせない速度で白い獣人が森の中を駆け抜ける。

 トニオと違って最短距離で肉薄して繰り出した奇襲は、しかし寸前のところで身を翻した少年には当たらず大きく後退するのを許してしまった。

「ごめん外した!」

「ならダメ押しするまでだ!」

 距離をとったところで数的有利も実力差も埋まるわけではない。クロスボウの狙撃を警戒しながらも再度接近するトニオに対し、クラムは後方のエミリアたちから離れすぎないようにその場にとどまり少年の動向を注視する。

 その対応の違いからか、少年の次の動作をいち早く理解したクラムはその場全員に聞こえるように叫んだ。

「なにか仕掛けてくる!」

「なにっ!?」

 その警告を証明するように高密度のフォトンをまとい始めた少年が右腕を前に突き出すと、その手を起点として幾何学的な模様が空中に展開。周囲の木々を焦がしながら虚空から炎の化身とも呼べる存在が現れた。

 ──【ミラージュブラスト】。

 元々はカーシュ族が保有していた技術であり、それを解析したことでグラール中に瞬く間に普及。ビーストの【ナノブラスト】やキャストの【SUVウェポン】に並ぶ新たなブラスト技として確立されいる。

 フォトンの扱い方が影響しているのかはたまた遺伝子構造の問題か、ヒューマン及びニューマンだけが使用可能であるそれは、別次元に存在する幻獣を一時的に顕現させて使役する召喚術式だ。

 呼び出すことが可能な幻獣は各属性に対応した計6種類。今しがたカーシュ族の少年が呼び出したのは炎属性の幻獣【ヌイ】。マグマのように燃える真っ赤な肉体を持ち、特筆するべきは自身の胴体よりも巨大なその右腕。

 その拳へ吸い込まれるように圧縮されたフォトンは、やがて炎の塊へと変換されて前方へと放出。

 ヒトが扱えるテクニックとは比較にならない熱量を持つそれは触れたものを瞬時に燃やし尽くしながら突き進み、侵入者であるクラムたちへと襲いかかる。

 クラムの警告で身構えていたトニオはとっさに横へ飛ぶことで回避に成功。しかし放射状に伸びていく炎はクラムやその後方にいるエミリアたちには回避するのが不可能なほどに広がっていた。

 シールドラインやクラムの体質だけで防ぎきれるわけはなく、仮にシールド等で防いだとしても瀕死の重傷は免れない。

「2人とも今すぐ俺の近くに!」

「あいよ。ほらエミリアも!」

「え、ど、どういうこと!?」

 絶体絶命の中、その打開策を知る2人と何もわからず手を引かれていく少女が1人。どうにか合流できたが【ヌイ】の放った炎はすぐそこまで迫っている。

「ちょっと、どうするつもりなの!?」

「説明してる暇がない。とりあえず武器は収納してたほうがいいかな!」

 切羽詰まってはいるが絶望まではしていない。そんなクラムに言われるがまま武器をナノトランサーへ収めて丸腰になった3人は、間もなくして炎に包まれてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

純然たる悪意を前に

 カーシュ族の少年が呼び出した幻獣【ヌイ】により森の一部が炎に包まれる。

 密林での放火など危険極まりない行為なのだが、放った火力が規格外なら引き起こす現象も規格外。ミラージュブラストで呼び出された【ヌイ】が空気に溶けるように姿を消すと、それに伴い周囲の炎がまたたく間に消火されてしまった。

 その光景はまさに幻覚(ミラージュ)という表現が正しい。

 そこには『燃えた』という結果である焦土だけが残り、炎に包まれたものはすべて炎もろとも跡形もなく消滅してしまった。

 そんな悲惨な焼け野原の中にただ一箇所、まるでそこだけは炎を受けなかったかのように無事な場所が存在していた。

 範囲は半径1メートル程度の円形。その空間は青白いエネルギーに覆われており時折スパークが起こっている。

「なに……これ……?」

 状況を飲み込めず、ただ頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出したのはエミリアだった。

 何が起こったのか、彼女はその一部始終を目の当たりにしている。

 それでもそんな言葉が出てきてしまうほど、目の前で起こった出来事が信じられなかった。

 この青白いエネルギーの発生源は間違いなくクラム。

 しかし何かを取り出したようなそぶりはなかった。背中越しにはわからないほど小さいものだった可能性もあるが、ミラージュブラストを防ぎ切れるほどの装備がそんな小型であるなどありえるのだろうか……?

 情報が少なすぎて隣にいるリィナに視線を向けてみるも、彼女も一度だけ青年の方に視線を向けたあとは肩をすくめるのみ。

 今のままでは仮説すら十分に立てられない状況だが、さらに彼女を混乱させたのはその光景に見覚えがあったからだ。

 しかしそれがどこでどんな状況だったのかは記憶に霞がかかったように思い出せない。

 間もなくして青白いエネルギーは霧散。エミリアが言葉を投げかけるより先に、目の前の獣人はその腰から垂れた帯をなびかせながら駆け出しまった。

 

「……っ、なるほどね」

 エミリアたちの無事を確認してから駆け出した青年は一瞬だけ眉をひそめて小さく呟いた。

 やや引きつった笑みを浮かべるその口元から垂れてくるのは、彼の白い肌とは対象的な紅い雫。

 先ほどミラージュブラストを防いだのはたしかにクラムの『切り札』によるもの。

 しかしその能力がどう言うものなのか彼が説明したヒトは数える程度しかいないし、詳細に関しては彼以外に誰1人として知るものはいない。

 いや、彼でさえ完璧には把握しきれていないかもしれない。

 それでも少なくとも断言できるのは、発動後にここまでの反動はなかったということ。

 体力の消耗が激しいのは間違いないが、吐血するほどの反動は今までに一度として経験したことがない。体質の変化等も考えられるが、一番有力な可能性となれば……

「肉体再構築の影響だよね、普通に考えて」

 見た目はすでに完治しているが、瀕死の重傷を手当してくれたミカの『プログラム』とやらは現在も稼働中だと彼女は言っていた。そのプログラムとの相性が悪くこのような結果を引き起こしているのだろう。

 使用不可とまではいかないが今まで以上に使い所を考える必要が出てきてしまった。

「だけど今はいい。トニオ、連携お願い!」

「おうよ!」

 血を拭いながら【ツインセイバー】を握り直し、クラムはカーシュ族の少年に向かって疾走。その背後に張り付くようにトニオが追走する。

 ミラージュブラストを耐えられたことに動揺していたカーシュ族の少年も、遅れながらも【アルテリック】へと持ち替えて迎撃のために弦を引き絞る。

 その動きに連動してリアクターが起動し、弓と弦の間にフォトンエネルギーの矢を生成。通常であれば生成される矢は1本だけだが、そこから更に引き絞ることでリアクターが再び起動する。

 それに伴い出力されたエネルギーはより強力な一射か、複数の矢に分裂するかの2通りに用途が設定でき、彼の場合は最終的に4本もの矢が番われた。

 この状態ではロングボウの弦は一時的に固定され、ハープのように弦を弾くことで1本づつ射ることができる特殊な待機状態に移行する。

 一般的にはこれを肘より下を固定し肩を素早く動かすことで高速で射っていくのだが、少年は器用に指を使って4度、リアクターが『弾いた』と認識するギリギリの間隔で弾くことでほぼ同時に放たれた。

「荒削りだけど技術はあるみたいだね。でも……」

 放たれた4つの矢はそれぞれ上下左右に広がりつつ、各方向からクラムの眉間へ吸い込まれるように迫る。だが寸分違わない正確な軌道はそれ故に狙いが読みやすく、そういった対処を得意とする彼は2本の剣でそのすべてを的確に弾き落とした。

 そこまでは彼の想定通りだったのだが、今は体調が万全ではなく武器の品質も高くなく、加えて出力状態は鍔迫り合いには向かないスタンモードのまま。上記の悪条件が揃った状態で容易く弾けるほど少年の矢は甘くなかった。

 そのためパリィの際は足を止めて踏ん張る必要があり、その僅かな間にカーシュ族の少年はバックステップで距離を取りつつ次の射撃準備を整えている。

 未だ両者の距離は数メートル。本来のクラムであれば一息の距離だが、今の状態で詰め寄るのはそう簡単ではなかった。

「肩借りるぞ!」

 そこへ割り込むように飛び出したのは小さな男性ビースト。倍近くある身長差を物ともせずにクラムの肩を踏み台にし、さらに枝を足場にして少年との距離を一気に詰める。

「──っ!?」

 少年も即座に反応して射撃対象を切り替えるが、今回は人数差でも実力差でもクラムたちの方が上手だった。注意がトニオに向いたのを見計らい、クラムはその手に握っていた【ツインセイバー】の片方を少年へ投擲。

 それ自体は左腕の篭手で防がれてしまったが体勢を崩せただけで十分。その隙に距離を詰めたトニオのクロ―が少年の頭部を捉え、地面へ叩きつけることで容赦なくその意識を刈り取った。

「お疲れトニオ」

「お前もな。ったく、てこずらせやがって」

 本当に気絶しているのか2人がかりで確認し、安全がわかってから後方で待機していたエミリアたちを手招きする。

 それでも真っ先に狙われた影響からかエミリアはまだ怯えた様子で、両手で抱くように【クラーリタ・ヴィサス】を握ったままクラムの背中越しに覗き込んでる。

「この子がカーシュ族? あたしたちと同じように見えるけど……?」

「カーシュ族っていうのは、種族じゃない。あたい達のような文明を持たず原始的な生活をしていた『部族』なのさ。

 とはいえ近年は文明に触れる機会が増えたみたいだし、話は通じるはずなんだけどね」

「そのわりには、あたしたちをおもいっきり何かと勘違いしてるみたいだったけど……

 どうしようっか、この子」

 トドメはスタンモードだったため気を失っているだけだろうが、今回の戦闘とは無関係と思われる怪我が多数見受けられるため手当ては必要だ。

「けど、村で何があったのか確認したいよね」

「あんたもそう思う?」

 怪我をしているとはいえ4人がかりで行うほど重傷なものではない。それにこの少年があれほどまでに殺気立っていたとなると村で何かあったのは間違いないだろう。

 トニオの方を見れば、彼も顎に手をおいてこの後の動きを考えていたらしい。お互いの目線が合うと、それぞれの考えを察したように2人は頷いた。

「俺とリィナは一旦こいつをつれて手当に戻る。お前達は先に進んで村の様子をさぐっておいてくれ」

「了解。俺の位置がわかるように端末は設定しておくよ」

 パートナーカードの設定を操作し、お互いの位置情報が探知できるようにプライベートモードを切っておく。

 村のおおよその位置はわかったが、正確な位置がわかっているのといないのとでは雲泥の差だ。こうやっていればトニオたちの手間も幾分かは省けるだろう。

「けど一気に戦力半減かぁ……」

 とはいえ、危険と思われる場所に戦力が半減した状態で向かうエミリアは不安な様子。残念ながらクラムたちが乗ってきたシップは最低限の設備しか無いため、少年の手当てをするとなると必然的にこの割り振りになるのだが。

「そう心配するなって。クラムがいれば大抵のことはどうにかなるさ。なるべく早く追いつけるようにこっちも急ぐしな。

 んじゃ、頼んだぞ」

 ……ここだけの話、小柄なトニオとリィナで気を失った少年をどう運ぶのか気になっていたのだが、倒れた少年の片足を小脇に抱えながら前転することで器用に背負いあげてみせた。

 倒れているヒトの脇の下から首を入れつつ、自身の正面側に垂れている膝と手首を抱えることでバランスをとるその体勢は、火災救助の際などに道具を使わず効率的に運ぶために編み出されたものだ。

 ただしトニオを少年のような体格差があると抱えるまでが意外と大変だったりする。それを対策した結果が先程の前転なのだろう。その手際の良さから普段からよく使っているのがよくわかった。

 走り去っていく2人を見送り、静かになった森の中でエミリアは苦い表情でため息をついていた。

「なんだか、ただの人探しだと思ってたのにどんどん話が大きくなってくね……

 ……うーん、なるべくなら戦いたくないんだけどなぁ……」

「ちなみにカーシュ族の村ってどの方向?」

「んー、ここからだと南西の方角かな。けど、途中に分かれ道が数回あるみたいで、間違えたら迷っちゃうかも」

「とりあえずその分かれ道の進む先って覚えてるかな?」

「えっとね……」

 エミリアの説明を聞きながら端末を操作し、呼び出したのはここ一帯の衛星写真だ。しかし撮影されたのは半年ほど前のもの。

 カーシュ族の村が表示されるか怪しいところだが、クラムは地図を眺めながら指で何かをなぞっていく。

「たぶん、村があるのはこの辺だね」

「え、わかるの!?」

「まあ経験則でね。定住しないってことは分類としては規模の大きな野営みたいなもの。そして長期間の野営となると安全性の他にも水源の確保も重要になってくるんだ。あまり労力をかけないように元の地形を利用する、っていうのもポイントだね。

 そういったことを考慮してみると、地図を見る限りここから少し下った先に大きな川があって、その上流とエミリアが説明してくれた村の方角が交わりそうなんだよね。

 そこから遠すぎず、かつ川が氾濫しても被害を受けない場所となるとこの辺りがちょうどいいかなって。

 ……うん、この位置なら少し遠回りすることにはなるけど、戦いを避けながら進むことはできると思うよ」

 チョーカーの機能をオンにすることで多少はマシにはなったが、今の彼は『切り札』の反動でかなり疲弊している。

 多少の戦闘であれば許容できるが無理は禁物と判断し、先ほど以上に原生生物の気配に注意して安全なルートを選定しながら2人は森の中を歩き進めていく。

「舗装されてない道だから足元気をつけてね」

「それはわかってるけど、これ迷ってない? 大丈夫?」

「今のところは目印も見失ってないから大丈夫だよ」

「目印って、カーシュ族の?」

 言われて当たりを見回し始めたエミリアだが、この辺りには目印どころかヒトや獣が通った跡すらなかった。

「そういう人工物じゃなくても目印はいろいろあるよ。

 俺が今目印にしてるのはあの山肌だね」

「山肌って、あの土が丸見えになってるところ?」

「そう。あれはさっきいた位置からも見えていたし、方角も目的地との直線上。そこそこ特徴的な見た目だから別の山肌と見間違うこともないからね。

 それ以外に目印にできるものなら、川なんかは川沿いは絶対に上流下流にたどり着くし、適宜時間がわかる状態なら太陽の位置なんかでもおおよその方角はわかる」

 結局は舗装された道を歩くのが一番安全だけど、と念押しつつ、仮に迷った場合の対処方法を知ってるかどうかは重要だ。

 いざというときの知識を披露する元傭兵と、それを真剣に頷きながら記憶するルーキーは、こまめに小休止をはさみながらさらに進んでいく。

 そうして、どこを見渡しても草木ばかりの空間をかき分けること数十分。ようやく原生生物のものとは違う、ヒトが歩いたであろう獣道らしきものが見つけることができた。

 この辺りを頻繁に歩いている証拠だろう。さらに運が良いことに、細かい道筋の修正のためか木に簡単な方向を示した目印も見つかった。

 エミリアに解読してもらってその方向がクラムの予想した位置と重なっていることを確認できると、わずかながらも進展したことで次第に少女の足取りも軽くなっていく。

 ……しかし、そういう時に限って良くないことが起こるのが常というもの。

「きゃあ! じ、地震!?」

「いや違う。これは……」

 地響きと共に岩肌を突き破り、周囲の木々をなぎ倒してきたのは巨大な重機。……と見間違うほど重厚な体格を持つ原生生物だった。

「なにあの戦車みたいな硬そうなやつは!?」

「【バグ・デッガ】か。出てくる場所が最悪だね」

 大きさもさることながら、最大の特徴は前身を覆うその装甲。純粋な強度はもちろんテクニック等による攻撃にも強固さを発揮するそれは並の武器では刃が立たない。

 嘘か本当か、同盟軍保有の兵器で装甲破壊を試みた際、本体が息絶えても装甲には傷一つつかなかったという報告すらあった。

 研究者の分析によると雷属性を用いた原子操作により自然界には存在しない物質を生成しているらしく、その構成は飛行艇に用いる装甲の参考になっていると言われている。

 動きは鈍く遠距離の攻撃手段も持たないが、逆に言えばその弱点を補えるほどの強靭な装甲であるということであり、それを身に着けたまま突進できるほど筋力も桁違いだ。

 暴れまわる小さな飛行艇に生身のヒトが挑むようなもの、と言えばどれだけ危険な存在かイメージしやすいだろう。

 ゆえに『一人の時に出会ったらまず逃げろ』と現地のルーキーがベテランから忠告される代表的な原生生物だった。

 対処する場合はテクニックやトラップを用いて足止めを行いつつ、後ろへ回って皮膚が柔らかい部位に攻撃を与えるのが基本だ。シンプルで地味だが傭兵の装備で出来る手段はそれしかない。

 視力はあまり良くないためこちらの存在には気づいていないのは幸いか。だがクラムが言ったように現れた場所が悪かった。

 狭い訳では無いが木々が少なく開けた空間。周囲は底が見えない谷底か高くそびえ立つ崖しかないためこっそり進むことは難しく、すでに興奮状態のため見つかれば戦闘は避けられないだろう。

 ……奇しくも、前回のレリクスで最初にエビルシャークを発見した時やスヴァルティアと戦う直前と状況が酷似していた。

 しかしこれまでと違うのはクラムがかなり疲弊しているということ。

 トニオたちと分かれてからここまで原生生物との戦いを避けられたおかげで体調も回復してきているが、それでもまだ万全には程遠い。

(俺が引き付ければエミリア1人なら村までたどり着けるかな……?)

 すでに2人ともが安全に村に行く可能性は考えず、エミリアだけでも送り届ける方法を思案し始めていた。

 しかしそんな自己犠牲な行為を引き止めるように、少女の小さな手が彼の上着の裾を引っ張った。

 見れば、少女の表情は強張り足もかすかに震えている。だがその手に持ったロッドだけはしっかりと握りしめて離さない。

 状況的に戦わなければならないのは察しているが、その覚悟まではまだできていないといったところか。

 だが初めて参加した任務が2日前であり、その際はスタティリアと対峙し切羽詰まるまでは戦いたくないと駄々をこねていたのだ。

 そんな少女が自分の意思で状況を精査し、紛いなりにも『戦う』という選択肢を導き出したのだからこの成長を無下に扱うわけにはいかなかった。

 先日のトレーニングで彼女のテクニックの威力は申し分ないことは確認済み。

「……他に原生生物はいない、か。

 よし、俺が囮になるからエミリア主体であれ倒してみようか?」

「嘘でしょ!?」

 ……不安にさせないためにわざと軽い調子で提案してみたのだが逆効果だったらしい。

 まさか自分が主体で戦うとは思ってなかったのもあるだろうが、何いってんだコイツと言わんばかりに怪訝そうな表情を少女は浮かべてしまった。

「たしかに一人で戦うには危険な相手だけど、遠距離技を持ってないから2人以上で戦えば危険度はかなり下がるからね。

 的は大きいし動きは遅い。だけど高耐久だから自分のテクニックがどれだけの威力なのかの目安になる。そう考えたら初心者向けじゃないかな?」

「なわけないでしょうが!

 ……うぅ、でもそれが一番配置として正しいんだよね」

 事実戦いは避けられず、クラム自身は実力があっても彼の手持ち武器の火力はエミリアのテクニックには及ばない。

 戦いに慣れてるクラムが囮を引き受け、ダメージ源となるエミリアが主体で戦うというのは理にかなった配置であった。そのことは彼女も理解しているため、うなりながらも首を縦に振るしかなかった。

「大丈夫。落ち着いてやれば倒せる相手だから。それに本当に危なくなったら助けに入るから安心して」

「その言葉、信じるからね?」

 以前も聞いたその言葉。エミリアにとってはなんでもないただの口癖なのかもしれないが、相手から全幅の信頼が寄せられているのだとも取れるその言葉はクラムにとっては気の引き締まるいい言葉だった。

「じゃあ今回は敵の基本情報を教えるから、あとはエミリアが自分の判断で攻撃してみて。

 まず、あいつの前面には攻撃が通らないと思って良い。

 それから視力が良くないから、動くものや攻撃を仕掛けてきた相手に向かって突進してくる。動きは遅いけど威力は計り知れないし、意外と小回りはきくから避ける時は後ろに回り込むように意識すること。

 あと相手の属性は雷だね。遠距離技は持ってないけど、近づきすぎると放電に巻き込まれるから距離には注意してね」

「前面は攻撃が通らない、突進のときは逃げ方注意、雷属性で、放電することもある……」

 一気に伝えたため混乱するかと思ったが、すでに自分なりに噛み砕いて復唱できる程度に理解していた。やはり彼女のポテンシャルは非常に高いことが見て取れる。

「大丈夫そうだね。じゃあ俺は先に挑発してくる。攻撃のタイミングはそっちに任せるよ」

 言うが早くナノトランサーから【ツインセイバー】を取り出し、ただしチョーカーの機能はオンのままクラムは疾走。

 一撃目は装甲のない下半身を狙うが、それで注意を引き付けるとそれ以降は頭部へ攻撃を集中させ、エミリアの方を向かないように立ち回り始めた。

「えっと、前面は攻撃が通らないから後ろから攻撃。それから雷属性だから使うテクニックは土属性で……」

 まとまらない思考を独り言でなんとか整理しながら準備を整え、エミリアは攻撃を隙を伺いながら立ち位置を調整する。周囲の警戒にはまだ気が回ってないようだが、それでもバグ・デッガに対しての位置取りとしては及第点。

 後ろ足に力を溜め、今にもクラムへ突進しようとする四足獣の背面へ向けて少女は土属性のテクニック【ディーガ】を放つ。

 土属性のテクニックは便宜上『土』属性と呼ばれているが、その本質は鉱物などを主な対象とした物体操作だ。故に弾の生成からそれの直撃までをすべて術者が操作する必要があり、エネルギーそのものを攻撃手段として利用する他の初級テクニックと比べると弾速は遅い。

 その速度は異変を察知したバグ・デッガが振り返るのに十分すぎるほどであり、エミリアのテクニックは強固な装甲で防がれてしまった。

「うそっ!?」

 さらに攻撃を受けたことで標的をクラムからエミリアへと変更されてしまった。クラムの攻撃には目もくれず、巨木でさえなぎ倒す突進が華奢な少女に向かって迫っていく。彼女も慌てて横に走るがその巨体は器用に軌道修正を行い、確実に少女を捉えて突き進む。

 そして彼女の背後にあるのは目を凝らさなければ見えないほど深い谷底。これ以上後ろへ引くことはできない。

「え、ちょっ、ま……っ!?」

「後ろへ回り込むように!」

 バグ・デッガは装甲の関係で前足に重心がかかっているからか、前足は地面を蹴るよりも支えることが主な役目であり、前へと進む推進力は後ろ足が担っているという独特なスタイルで突進を行う。イメージとしては雑巾がけが近いか。それ故速度は遅い代わりに方向転換はかなり融通がきくという特徴があった。

 だからただ横に逃げるだけだといつまでも追いかけてくるため避け方を気をつけなければいけないのも、この原生生物がルーキーからベテランまで幅広く恐れられる要因だった。

 クラムの声で回避方法を思い出した少女は逃げる方向を変更。迫りくる巨体の横をすり抜けるように少女は迷いなく飛び込んだ。

 経験者でも足がすくんでしまうような回避方法に再び青年は肝を冷やすが、その無茶のおかげで無事突進をすり抜けることに成功。

 スヴァルティアの時もそうだったが、とっさの行動力は流石の一言に尽きる。

 そしてこの位置は装甲のない無防備な下半身を狙える絶好の場所だ。だが相手との距離が近すぎた。

 目標を見失ったことでバグ・デッガは突進を止めて立ち尽くしているが、それは次の攻撃へと移行するための予備動作。バチバチと何かが弾けるような音を断続的に発しており、近くで倒れたままのエミリアの髪が僅かに逆立ち始めている。

「エミリア、走れ!」

「っ!?」

 まだ倒れた体勢から戻れていないエミリアも直感的に危険を察知し、クラムの声も後押しとなって地面を転がるようにして少しでもその巨体から離れていく。

 間もなくしてバグ・デッガを中心として激しいスパークが発生。

 その範囲はエミリアが倒れていた場所まで届いていたが、間一髪滑り込んだパートナーが彼女を抱きかかえながら後退したことでなんとか範囲外に逃れることができた。

 見える範囲で少女に怪我はない。それを確認したクラムは彼女を下ろし肩に触れながら小さく笑うと、すぐさまバグ・デッガへと肉薄して相手の注意を引き付ける。

 クラムからエミリアに対して追加の指示はない。それでも彼女は自分のするべきことを理解し、【クラーリタ・ヴィサス】を再び構えて位置取りを開始する。

 今度の間合いは近接武器でも使うのかと思うほど近い。先ほどの失敗から学びすぐに改善したのだろう。

 距離の微調整が拙いのは間違いないが、今彼女の目の前には自身より遥かに大きな肉の塊が視界一杯に広がっているはず。

 今しがたこの巨体が迫りくる恐怖を与えられ、さらに放電に巻き込まれかけたばかりなのにこの距離まで迫れる胆力は大したものだった。

 手際よく位置取りを終えたお陰で未だクラムの攻撃に注意が向いているバグ・デッガはエミリアの存在には気づいていない。

「これで、どうよ!」

 自分の身長よりも長いロッドを全身を使って振るい、リアクターを起動。

 前足で地面を慣らすような動作の後再び突進の準備に入ったバグ・デッガへ向けて、再び土属性のテクニック【ディーガ】を放った。

 いくら弾速が遅いとは言えこの近距離であればバグ・デッガの方向転換も間に合わない。そしてこのテクニックは弾速が遅い代わりに威力は折り紙付き。

 なぜならば、鉱物という6属性の中で()()()()()()()()()フォトン・エネルギーは他のものと比べると繊細であり、外部から衝撃が加わるとエネルギー量に応じた力で拡散してしまう性質があるからだ。

 一見デメリットでしかない性質だが、テクニックを扱う法撃師はあえてそれを利用。エネルギーが拡散すれば当然ながら操っていた鉱物も飛散し、その一連の反応は巨大な手榴弾そのもの。ゆえにただ鉱物をぶつけているだけなのに、バグ・デッガの巨体でも数センチ浮くほどの威力を生むのだ。

 もともと突進のために力を溜めていたところへ背後からの思わぬ後押しを受け、己の足では制御できなくなった四足獣の突進はクラムの横を抜けそのまま崖下へと転がり落ちていった。

 数秒後、渓谷に響き渡る轟音を耳にしながら周囲の安全を確認したクラムたちはホッと胸をなでおろした。

「お疲れエミリア。とりあえず追い払えたね」

「追い払えたって、この崖から落とされて無事なわけ……嘘っ、ピンピンしてる!?」

 エミリアの覗き込んだ崖下には確かにバグ・デッガの姿があるが、目測で100メートルはある谷底まで転がり落ちたにも関わらずその巨体は何事もなかったかのように谷底を疾走していた。

「装甲の頑丈さを差し引いてもかなりタフで、土砂崩れに巻き込まれても土の中から這い出てきたてって報告事例もあるぐらいだからね。

 主な攻撃手段が鈍重な突進だけなのに自然界を生き抜いてこれてる実力は伊達じゃないよ。

 もう大丈夫だと思うけど、また遭遇する前に村へ急ごうか」

「そそそ、そうだね。行こう。すぐに行こう! 今すぐ行こう!!」

 規格外な生命力を目の当たりにして自分がどれだけ危険な生物と戦っていたのか再確認したらしく、見る見るうちに少女の表情から血の気が引いていく。

 表情を強張らせながら一刻も早くここを離れようと必死にクラムの腕を引っ張るその様子は、先ほどの肝の座った立ち回りをしていた少女と同一人物とは思えなかった。

「……あははっ」

「わ・ら・う・なっ!! 早くしないと置いていくからね!」

 クラムを残して先行するのはいいとして、この先で原生生物と鉢合わせして果たしてエミリアだけで対処できるのだろうか……?

 小さな疑問は残るが、そろそろ本格的に置いていかれそうなため青年はその小さな背中を追いかけていく。

「この辺りがカーシュ族の村のはずだけど……

 なんだか、すごく焦げ臭い……」

 真新しい獣道を辿りながら予測した村の位置周辺にまで進んでくると、エミリアの言う通り何かが燃えるような異臭が鼻についた。

 今までの経験から嫌な予感を察知したクラムは自然と早足となり、エミリアよりも一足先に木々の間を抜けると目の前に広がる光景に思わず絶句した。

 数メートルの峡谷を挟んだその向こう側に、目的のカーシュ族の村は確かに存在していた。しかしその村は真っ赤な炎に包まれており、離れた場所にいるクラムたちにまで伝わる熱気を放ちながら黒煙が空高くに舞い上がっている。

「なにこれ……ひどい……

 一体何があったっていうの……?」

 遅れてやってきた少女も思わず口を両手で押さえてその光景に目を疑っていた。

 原生生物に襲われた可能性も十分あり得るが、遠くからでもその村がそこそこの規模であることがわかる。

 そんな村を焼き尽くせる原生生物などそうそういないし、仮にいたとしてもそんな危険な気配をクラムが感じ取れないわけがなかった。

「あ……! ちょっと、あそこ見て!」

 エミリアが何かに気づき指差した方を見ると、燃える村の中で動く影が複数体確認できる。生存者であれば助け出さなければと駆け寄るが、村へと続く橋は落とされており、クラムだけならまだしも2人で数メートル先の村にたどり着くのは容易ではない。

 それに、目を凝らしてみると動いてる影にはどこか違和感があった。

「悲願への道はこれで開かれた。……貴様達にもう用はない。いずこへなりとも、自由に去るがいい」

 黒い服を身にまとった青年に群がるように佇むヒトは種族もまばらで統一感がなかった。

 カーシュ族は様々な種族が集まった『部族』であるとリィナが言っていたが、それにしては先ほど戦った少年と雰囲気が違いすぎる。

「それにあのヒトが持ってるのは……赤い、ノート?」

「あ、ちょっとその隣! あいつ、ワレリー・ココフじゃん!」

 背中を叩かれながら言われた場所を見ると、確かにそこにいたのは捜索対象であるワレリー・ココフその人だ。

 彼がカーシュ族の一員であるという情報はクラウチから渡されたプロファイルには記載せれていなかった。であるならば彼含めて同じように佇むあの集団はカーシュ族とは無関係の集まりなのだろう。

 そして、黒服がこちらの存在を気づくとそのすべてを見下したような眼光が2人へと向けられる。

「む……? カーシュ族……ではないようだな。貴様達、ここで何をしている」

「それはこっちのセリフ! こんなひどいことをして……コレ全部、あんた達がやったの?」

「だとしたら、どうする? その脆弱な力で、私と刃交えるか『消え往く存在』よ」

「『消え往く存在』って、あんた何言ってんのよ……?」

「事故を理解することもできないか。すべからく愚かしい存在だな。まぁいい──」

 次の瞬間、数メートルの谷を難なく飛び越えてこちら側に着地する黒服の青年。

 その動作に一切の悪意はなく、ただ流れ作業のような気だるささえ感じられ、エミリアどころかクラムでさえ警戒を強めるのが遅れてしまった。

「どちらにせよ、貴様たちはここで潰えるのだっ!!」

「っ!?」

 直後、まるで地面を滑るような速度で動き始めたかと思えば、すでにクラムたちへ手が届く範囲にまで黒服の青年は迫っていた。

 それほどまでに予想外な素早さだったのもあるが、近づかれた一番の要因は未だに相手から殺意が感じられなかったせいだ。

 ただし暗殺者のようにそういった気配を消すのがうまいわけではない。目の前の青年は単純にクラムたちを『敵』と認識すらしていないのだろう。

 道端の虫けらを殺す際にわざわざ悪意や敵意を向けることがないように……ただ目についたヒトが邪魔だから払いのけようとする動作に近かった。

 それほどまでにクラム達と黒服の青年の間には絶対的な実力差があるのだろう。

 逆に言えばそれだけこちらを下に見ているということであり、それゆえに相手は武器を握っておらず、丸腰のクラムでも対処することが出来た。

「…………」

 しかし格下と思っていた相手に動きを阻まれたことがよほど癪に触ったのだろう。黒服の青年は嫌悪感を顕にしながらナノトランサーから実体剣を取り出し、明確な殺意と共に振るわれた。

 対するクラムも辛うじてナノトランサーから【ツインセイバー】を取り出すことは出来たが、チョーカーの装置をオフにする余裕はない。

 そして武器の出力もハントモードからスタンモードに切り替える暇がなかったが、結果的にはそれが功を奏したと言えるかもしれない。

「────っ!?」

 パリィする余裕まではなかったが、相手の攻撃を見極め最小限の威力で受け止められるように刀身の角度を調整していた。だというのに、相手の攻撃を受けた彼の身体は信じられないほどの衝撃と共に吹き飛ばされたのだ。

 まるでラガン種の尻尾で薙ぎ払われたかのような衝撃は、信じられないが黒服の青年が横薙ぎに振るったセイバーによるもの。

 以前述べたように、フォトンを用いた武器は同じ形状と素材でもフォトン・リアクターの質によりその威力は増減する。

 剛腕で振るわれる並の品質の武器よりも、細腕で振るわれる高品質な武器に軍配が上がることもありえるのだ。

 とはいえそれを加味しても先ほどの威力は規格外すぎる。ハントモードのまま受けつつ衝撃を緩和するため後ろに跳んだからよかったものの、もしどれか1つでも対応を間違えていれば刀身が砕けていたかもしれない。

 背後にいたエミリアもろとも数メートル地面を転がるが、クラムはすぐさま立ち上がって武器を構える。背後で少女の呻く声が聞こえるが、今は彼女を心配している暇がない。

 それどころか間髪入れずに接近して繰り出される攻撃に対処するのが精一杯でチョーカーの装置をオフにする余裕すらなかった。

 そこまでクラムが追い詰められている原因の1つはやはりその威力だ。ツインセイバーの片方だけでは攻撃の軌道をそらすことすら叶わず、両方のセイバーを使用することで辛うじて危険を免れている状態。

 まともに打ち合うのならまだしも、防御やカウンターの技術に富んだクラムが弾きれない攻撃が彼より細身の青年から振るわれるとは考えにくい。

 だから何かあるはずなのだ。ヒューマンの細腕でビーストの剛腕に競り勝つカラクリが。だが残念ながら、それを探る時間を相手は与えてくれない。

「多少はやるようだが、これ以上戯れる気はない」

 激しい連撃を放ちながらも退屈そうにため息をついた黒い青年は、トドメと言わんばかりに大きく踏み込みその手に握るセイバーを一閃。

 その威力は最初の一撃の比ではなく、両手のセイバーを使っても受け流すことは不可能。当然、受け止めようとすれば最悪の場合刀身が折れるだろう。

「────っ!」

 故にクラムは()()()()()()()()ことを諦め、右足を軸にしながら上段蹴りを繰り出した。

 狙いは今まさに剣を振るっている青年の細腕。

 ここまで散々体格差が覆されて押され気味だったが、それが起こりうるのはフォトンの武器同士を用いた攻防であったからだ。

 旧世代の防具と比べてシールドラインは重さがなく動きを制限しないが、全てにおいて勝っているかといえばいくつかの欠点が存在する。

 1つは、一定以上の衝撃でなければシールドは起動しないということ。これはシールドラインを常時起動している関係上、他人と触れ合う際にも反発が起こってしまうと不便であるという理由からだ。そのため、ただ触れる程度ならシールドラインは反応せず、殴られたり蹴られたりと怪我を負う可能性がある行為で初めてこの不可視の鎧は意味を成す。

 そしてもう1つは、重さがないために慣性が非常に弱いということ。装着者へのダメージは鎧と同等かそれ以上に防げても、衝撃によるノックバックまでは軽減されないのだ。

 つまり、クノーのように的確な防ぎ方にはならずとも体格差で十分に勝っているクラムであれば力任せな蹴りでも相手の細腕を弾き返すことができる。……もちろんそれでも弾けない可能性もあったが、攻撃を防ぐ方法はこれしか思いつかなかった。

 結果的にその賭けには勝ち、迫りくる刃をやり過ごすことに成功した。ここまで防戦一方だったクラムに初めて回ってきた攻撃のチャンス。蹴り上げた左足を着地させる動作を踏みこみとして利用し、全身をくまなく利用した渾身の一撃へと繋げていく。

 攻撃を弾かれた直後の相手にその攻撃を防御する手段はなく、起死回生の一手は黒服の青年へと叩き込まれる。

「……っ」

 しかしその攻撃に手応えがない。

 シールドラインも原理は武器と同じで、普段は薄く纏っているだけのフォトン・エネルギーが衝撃を防ぐ瞬間のみ高出力で放出されることで硬質化する。ただし稀にこの瞬間的なエネルギーの放出が攻撃そのものを受け流してしまうことがあるのだ。

 同じ防御でも、硬い物質で攻撃を阻むのと、表面を滑らせて攻撃を受け流すのでは根本が違うように……

 普通に防がれるだけなら武器側とシールドライン側の性能差に応じたダメージが相手に通るが、受け流されてしまってはどれほど強力な一撃でも相手に一切のダメージが入らない。

 ただしあくまで『稀』だ。だからこそ手数を増やすため、銀狼はその場で回転しながら遠心力を加えた回し切りを繰り出した。

 チョーカーのせいで動きが鈍っていなければあと2撃はねじ込めたが、相手の攻撃を凌いで作り出した僅かな時間に叩き込むにはこれでも破格の攻撃速度だろう。

「ふん、つまらん」

 にも関わらず、黒服の青年に効いている様子はなかった。

「……ちっ」

 実際、その可能性は十分にあった。

 最初の2撃は確かに効いていなかったが、その後の攻撃には手応えがあった。その証拠に相手が攻撃を受けてノックバックしていたことも確認している。

 ハントモードで出力している刃はその身体を切り裂き、無視できないダメージを与えることができた、はずだった。

 なのに黒服の青年が無傷なのは、有り体に言えば両者の装備の差。相手のシールドラインに備わった攻撃を受け流す力(回避力)衝撃の吸収力(防御力)が、クラムの用いた武器のフォトン・エネルギーの放出力(命中力)衝撃の貫通力(攻撃力)を上回っていたということなのだろう。

 それはつまり、クラムの持つ武器の出力では相手のシールドラインを貫くことができないことを意味している。

 こうなってしまってはクラムに勝ち目はない。ダメージの入らない攻撃など相手にとっては目障りなだけ。

 避ける必要が無いとわかった黒服の青年は徐に左手を前に出し、彼を纏っている禍々しいフォトンエネルギーを用いてクラムをその場に拘束してしまった。

「なんだ……これ……っ!?」

 カウンターを主体とするクラムにとって、相手の小さな動きも見逃さず次の一手を予測するのは基本動作にも等しい。

 仮に初めて見る動きだとしても、これまでに培った膨大な知識から類似するものから予測することも難しいことではなかった。だというのに、黒服の青年が展開したそれには今ある知識すべてをかき集めても類似するものが見当たらなかった。

 強いて言えば先程カーシュ族の少年が見せたミラージュブラストが近いだろうか? ただ、もしそうだとすると今の知識から予測するには専門知識が欠けすぎている。

 ……そういった場合に有耶無耶にできるのが彼の『切り札』なのだが、チョーカーの機能がオンのままかつ今の体調では十分に発揮することは出来ない。

「まずは、貴様から消えろ!」

 フォトンエネルギーの出力がより一層強まり、黒服の青年の左手に幾何学的な模様が展開。禍々しいフォトンエネルギーがクラムの身体まで侵食しようと迫る。

 絶体絶命のその刹那、迫りくる闇を払うかのようにクラムの背後から光の矢が降り注いだ。

「何ッ!?」

 初めて動揺を見せた黒い青年は左手に展開していた魔法陣を解除。それに伴い拘束が解けたクラムは、状況を把握できないながらも即座に行動を開始した。

 この光の矢であれば相手にダメージを与えられると判断し、体格差に物を言わせた肉弾戦で拘束を図る。

 だが黒服の青年も危険を察知し、クラムの接近に対して反撃ではなく逃げるように身を翻した。

 そうして距離を取った後の相手は忌々しそうに舌打ちをしながらも無茶はせず、踵を返して燃える村の更に奥へと姿を消してしまった。

 念のために黒服の青年が消えた方向に注意をしつつ背後に目を向けてみると、そこには天使の羽根のようなロッドを振るうエミリアの姿。

 ただしその身体には回路のように光の筋が浮き上がっており、今彼女の身体を動かしているのがエミリア本人ではないことを示していた。

 そして無理矢理に彼女の身体を操った影響なのか少女の身体はふらつき、光の筋が消滅すると同時に膝から崩れ落ちる。

「エミリア!」

 とっさのことで武器を仕舞う暇もなくその場に投げ捨てながら少女のもとへと滑り込み、地面に倒れ込む前にその小さな体を抱え込む。

 ミカの気配が感じられないが、無理な干渉で彼女の方も力を消耗してしまったのかもしれない。

 少女の身体に特に外傷らしいものは見当たらず、呼吸も安定している。ひとまずは安心だろう。

 ……そう、慌てる必要はないのだ。

「落ち着け……落ち着け……」

 その言葉はエミリアではなく自分に向けたもの。頭ではわかっていても脳裏にこびりついた嫌な記憶がこれ見よがしにフラッシュバックし、鼓動が無駄に大きく、速くなっていく。

 自分の呼吸音が耳の中で反響し、外部からの情報が遮断されたせいで余計にトラウマが彼の精神を蝕んでいき──

「──おい、どうした!

 やっと追いついたと思ったらいったいどうなってんだ、こりゃ!」

「トニ……オ?」

 いきなり肩を大きく揺さぶられて力尽くで意識を現実へと引き戻された。

 我に返った青年の目の前にいた褐色の男性ビーストの顔。どうやら駐艇場まで戻ったあと、位置情報を頼りにシップで直接ここまで来たらしい。

 そして到着してみれば目の前には炎に包まれたカーシュ族の村。トニオたちが困惑するのも無理はないだろう。

 だが上手く思考がまとまらないクラムには今の状況を上手く伝えられず、それを察したトニオも視線を燃える村の方へと向けて立ち上がった。

 そこに先ほど襲ってきた黒い青年の姿はないが、彼が引き連れていたヒトたちは未だそこで棒立ちのまま動かない。

 かと思えば急にハッと我に帰ったようにその目に光を灯し、燃える村に驚いた様子で一目散にその場を走り去ってしまった。

「あっ、おい! お前ら、待ちやがれ!

 こんなに文化保護地区を荒らしやがって、一人残らず捕まえてやる!」

「でも、今の人たち、何か変だったよ。

 声をかけても何も反応がなくて、まるで洗脳でもされてるみたいだった」

「だとしても関係ねぇ!」

 トニオはその手に【キザミサキ】を握りながら谷の向こう側へ飛び移ると、逃げ惑うヒトたちを捕まえるべく燃える村の奥へ一人で追いかけていった。

 その背中を見送ったリィナはナノトランサーからウォンドを取り出しながらクラムの方へと駆け寄ってくる。

「2人とも怪我はないかい?」

「俺は大丈夫。エミリアも見る限りでは。気を失ってるけど呼吸は安定してるから……」

 念のためリィナにも確認してもらい、彼女の目からみても問題ないという判断を受けて、クラムはようやくホッと胸をなでおろした。

 そこへタイミングを見計らったように、エミリアのナノトランサーに収納されている端末からコール音が鳴り響く。当然ながら気絶した彼女では応答不可のため、代わりにクラムが彼女の端末を取り出して対応を図る。

『おい、ワレリーの船が動いたぞ! おめぇら、きっちり追い立てろ!

 どうなってるんだ、オイ、エミリア!』

「っ!?」

「うるさいよ!

 通信回線なんだからわめかなくても聞こえてるって!」

 回線を開くと同時に響くけたたましい怒声に思わず通信機を顔から遠ざけていると、それを奪い取ったリィナがクラムの代わりにクラウチへ怒鳴り返してしまう。

 この辺りの肝の座り方というか啖呵の切り方は、さすがは当時22歳ながらタイラー一味の副艦長として荒れくれ者たちを指揮していただけのことはある。

『あぁ、誰だおめぇ?』

「たまたま一緒に行動していたフリーの傭兵だよ。

 クラムは今疲労困憊だし、エミリアも気を失ってるから、大きな声出さないで」

『気を失ってるだと!? ……ちっ、わかった、ワレリーはこっちで追うからてめぇらはとっとと戻ってこい!』

 こちらに拒否権はないと言わんばかりに命令をまくし立ててきた後、一方的に通信が切られてしまった。そんなクラウチの態度に対し、リィナはわざとらしく大きなため息をついている。

 間もなくしてトニオが戻ってくると、先ほど逃げた内の数人をロープで拘束していた。しかし拘束の際に気絶させざるを得なかったらしく、こんなことをした理由をすぐに聞き出すことは難しそうだった。

「……さて、俺たちはこの状況をどう報告したものか」

「他の逃げ出したヒトたちも捕まえて、いろいろ話を聞かなきゃいけないね」

「となると、カーシュ族のボウズはそっちに任せちまったほうがよさそうだな。

 一旦お前らをシップのところまで連れて行くから乗りな」

「ありがとう、助かるよ」

 言われるがままトニオたちのシップへと乗り込み、最初に出会った駐艇場へと向かう。

 今思い返すと、人の気配がないわりに停泊するシップが多かったのは、先ほどの黒服の青年に操られたヒトたちが集まっていたからなのだろう。

 すでにここまで逃げてきたヒトもいるようで、駐艇場に残されたシップは来たときよりもかなり少なくなっていた。

 ただそのヒトたちがかなり無茶な発進をしたのか、地上に停められているシップの中には真新しい衝突跡と共に横転しているものもチラホラあった。別の理由から空中に停泊させていたものの、結果的にクラムの判断はいい方向に転んだらしい。

 そんなシップを遠隔操作で地上まで下ろし、引き渡されたカーシュ族の少年をシップへと運び込む。

 気を失っているエミリア共々本当は横に寝かせてあげたいところだが、残念ながら最低限の設備しか無いシップでは操縦席ぐらいしか身体を固定できる場所はない。

「一通りの手当てはしておいたから、あとは寝かせておけば勝手に起きるはずだ。

 そっちのには自動操縦機能があるみてぇだし、お前も疲れてんだから移動中ぐらいは休んどけよ」

「うん、ありがとう……」

「俺たちはもう少し、ここの事後調査をしていくからよ。

 ああ、そういえばさっき逃げた中にお前らが探してたやつもいたぞ。俺とリィナで捕まえといてやっから安心しな」

「クラムたちの上司っぽいのが自分で追いかけるって言ってたから、そっちは大丈夫だと思う」

「そうなのか? まあ他に何かあったら連絡する。……あんまり気負いしすぎんなよ」

 疲労以外の理由も合わさり反応が薄いクラムにそう言い残し、トニオたちは駐艇場の外へと走り去っていった。

 2人の背中を見送って人けのなくなった駐艇場で、クラムはシップの扉を閉めて無言でクラッド6の座標を入力。ゆっくりとシップが動き出すのを確認し、深く息を吐きながら背もたれに寄りかかった。

 それからしばらくして、無異質なアナウンスに気づいて青年はゆっくりと目を開ける。

 目の前のモニタには目的地到着を知らせるウィンドウが表示されており、シップのエンジンも内部の照明を消さない程度の省電力モードに切り替わっていた。

 惑星モトゥブから拠点であるクラッド6までの約30分の航行中、いつの間にやら彼も眠っていたらしい。

 そしてそんな寝起きのクラムを心配するように通話画面越しにチェルシーがこちらを覗き込んでいる。

『みんなお疲れみたいネ』

「ごめんチェルシー、担架か何かヒトを運ぶもの持ってきてもらってもいいかな?」

『そう言うと思ってすでに向かってもらってるワヨ。……ン? もう一人イルネ?』

「ワレリー探してる最中にちょっとね……

 この子も一緒にどこかで寝かせられそうかな?」

『了解ネ。2人のことは任せてクラムも早く休むノヨ。

 シャッチョサンも今はいないし、任務の報告は明日でも大丈夫だからネ』

 念押しするように言い残してから通信が切られ、それを見計らったようにシップの中へ数人の男女が入ってきた。

 そしてクラムが手伝うまでもなく手際よくエミリアとカーシュ族の少年をそれぞれストレッチャーに乗せていくと、彼らは一足先にシップを後にする。

 シップに一人残って後片付けを簡単に済ませ、後はここを出て自室へ戻るだけ。そこで張り詰めていたものが緩んだのか、青年はその場にうずくまり大きなため息をもらしていた。

 簡単な人探し。そう考えて向かった先での度重なる危険の数々。上手く立ち回ったつもりだったのだが、結果としてエミリアと受けた初めてに任務は失敗に終わってしまった。

 反省するべき点は数え切れない。だが今は、全員が無事だっただけマシだと結論付け、青年は一人帰路についた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

確固たる決意を示す

 謎の集団によるカーシュ族襲撃事件から数時間後、自室にて休息を取っていたクラムは無機質な通知音によって目を覚ました。

 倦怠感の残る身体を無理やり動かして確認してみれば、内容はクラウチからの招集命令だ。

 あれからまだ1日も経っていないのに戻ってきているのはワレリーの追跡を諦めたのか、すでにすべて終えたからなのだろうが、メールの文面からでは読み取れない。

 ……ただ冷静に思い返してみると、クラウチはワレリーの所在をリアルタイムで把握していた節があった。借金取りの任務など職権乱用かと思われたが、もしかすると彼なりに安全を確保したエミリア用の実地研修だったのかもしれない。

 ともあれ昨日の失態に加えて寝起きなのもあり気乗りはしないが、仮にも上司からのメールを無視するわけにもいかず渋々指定された場所へと向かう。

 その途中に通りかかった商業区画では、巨大ディスプレイで流れるニュースにて先のカーシュ族の一件が大きく取り上げられていた。

 モトゥブでの大火災という内容だけでも重大だが、その場所が文化保護地区であり焼かれたのがカーシュ族の村だったことがさらに大きな波紋を呼んだらしい。

 報道陣のマイクやカメラに囲まれフラッシュに包まれているのはかつてのクラムの指導教官。現ガーディアンズ総裁となった彼女は同盟軍の総司令官と並び立ち、首謀者の捜索に尽力することを記者会見で宣言していた。

 彼女の心労を心のうちでねぎいながらも、それはそれとしてニュースにつられて集まった人混みの中でずっといられるほどクラムはこういう環境に耐性があるわけではない。足早にこの場を抜けようと歩き始めた直後、人だかりの中に見知った黒いフォルムが目に入った。

「バスク?」

「文化保護地区を燃やすなど、なんと愚かな……っ!」

 彼もニュースを見ている1人のようだが、こめかみを押さえながら大きなため息をついていてこちらに気づいていない様子。

 ……一瞬声をかけるかどうか悩んだが、その判断をする前に遅れて彼がこちらの存在に気づいたようだ。

「ああ、お前か。

 ……失礼、見苦しいところを見せてしまったな。それほどまでにあのニュースが衝撃的でな」

「いや気にしてはないけど。知り合いがカーシュ族にいたの?」

「そういうわけではない。単にその文化に興味があって、機会があれば訪れてみたいと前々から思っていただけだ」

 カーシュ族は現代の文明から離れた原始的な生活をしている部族だ。【ミラージュブラスト】は彼らの文化の代名詞とも言えるが、使えるのはヒューマンとニューマンのみ。

 キャストである彼が訪れてタメになるようなことがあるのかと疑問に思っていると、視線からそれを察したのだろうバスクは自身の発言に補足してくれる。

「カーシュ族の文化からは種族の垣根に関係なく学ぶことが多いぞ。

 原始的な生活の中で身につけたフォトンの扱い方や、自然との接し方など、俺たちの発想できないことをやってのける。

 ……だというのに、その礎となる彼らの村を焼き払うなど……愚の骨頂! 文化保護地区を何だと思っている!」

「とりあえず落ち着いて。みんな驚いてこっち見ちゃってるよ」

 どうやらこの黒い男性キャストは多様な文化を尊重し、見聞を広げることが趣味であるらしい。そんな彼が今回の事件を目の当たりにすればここまで激怒するのもなんとなく頷ける。

「……そういえば、カーシュ族の少年を保護したという話も聞いたな。あれはお前たちが?」

「あ、うん。依頼の最中に侵入者と間違われて無力化せざるを得なかったから、成り行きでね」

 心なしか、彼のツリ目に発光する目がさらに鋭くなったような気がし、クラムは本能的に一歩下がりながら質問に答える。

 だがそんな青年の抵抗虚しく肩をがっしりと掴まれるとそれ以上身動きを取ることができなくなってしまった。

「その少年が目を覚ましたら、是非俺に取り次いでくれ、頼む!」

「わ、わかった。わかったから! その時はまた連絡するから! じゃあ俺、人待たせてるからまた今度!」

 ただでさえバスクの挙動で周囲から注目され始めているところにクラムの珍しい容姿も合わさり、ニュースを見ていた通行人のほとんどがこちらを見ていた。

 気休めでも慌ててフードを深く被り、どうにかバスクをなだめたクラムは逃げるように商業区画の人混みを抜けていく。

 思わぬトラブルに巻き込まれながらもたどり着いた場所はリトルウィングの事務所近くで営業してあるとあるカフェだ。

 事前にエミリアから聞いた情報によると、立地関係も相まってリトルウィング社員が店名指定なしで『カフェ』と呼ぶとほぼ100%ここなのだそうだ。

「──よう、来たか。先に一杯始めさせてもらってるぜ」

 ……逆に言えばそれだけ利用率が高ければ他の社員とかち合うことも多いだろうに、ここへ呼び出した張本人のテーブルにはそこそこ度数の高い酒が入った小瓶が置かれていた。もちろんまだリトルウィングは営業時間のはずだ。

「その神経の図太さはある意味尊敬できるよ」

「んだよ、一仕事終えてきたんだからいいだろこれぐらい」

 一応時間帯によってアルコールの提供に制限はあるのだが、現在は夜間営業の時間帯のためそのあたりは問題ないらしい。

「エミリアの容態は?」

「さっき事務所で目を覚ましたってチェルシーから通信があったぜ。今頃自分の部屋に戻って引きこもってんだろ。

 怪我だって大したことねぇのに、その程度で気絶しちまうとかいちいち大袈裟なんだよ」

 わざとらしくため息をつきながら悪態をつく態度に思うところがあるが、酔っ払い状態のこの男に何を言ってもまともに取り合ってはくれないだろう。

 喉元まで上がってきていた言葉を飲み込み、クラウチと向かい合うようにクラムは席についた。

「あ、そういやおめぇ、何かやっかいなものを引き取ってきやがったな? 今回は特別に許すが、本来は上司である俺の許可とるのが常識だからな」

「どの口が……っと、あー、うん、気をつけるよ」

 一度は飲み込んだが二度目は少し無理があった。とはいえ幸いにも相手は酔っ払い。慌てて誤魔化すとクラウチも気づいていない様子で小瓶に入った酒をグラスに注ぐことなく呷っていた。

「でだ、ワレリーのほうは俺がとっ捕まえて、取り立てついでいろいろ話を聞いてみた。

 めんどくせぇから、結論だけ話すぜ」

 そう言いながら小瓶の残りを一息に呷る。小さく息を吐きながら小瓶を置いたクラウチは眉をひそめて釈然としていない様子であり、取り立てが成功した男がする表情とはとても思えなかった。

「ワレリーは、クロウドッグ地方に行ったという記憶がないみたいだ。

 だが、気がついた時にはカーシュ族の村にいて、周りがぼうぼうと燃えさかっていた、だとよ。

 ……ヤツとは長い付き合いだ。嘘は、ついてねえ」

 自分で言いながらも腑に落ちないのだろう。先んじてクラムが尋ねそうな内容について釘を差してきた。

「記憶がなくなる前、黒い服の男に会ったとか言ってた?」

「そのあたりは特に聞いてねえな。

 まあ、俺としては貸してたもんも回収できたし、それ以上特に言うことはねえよ」

 相変わらずのものぐさ加減だが、当事者でもないのにこの件に首を突っ込むのはたしかにやぶ蛇だ。

 何かしらの陰謀が見え隠れするがそれに時間を割いていられるほどこの会社に人員の余裕はない。

 カーシュ族襲撃事件としてガーディアンズや同盟軍も動き出したのだから、すぐに何かしらの進展があるのは間違いないだろう。

 少なくとも、一民間企業として警戒はしてもわざわざ敵の懐へと踏み込むのは危険すぎる案件だった。

 話は以上だと言うように席を立ち上がり、懐から取り出した端末を操作するとクラムの端末に通知が入る。見れば、クラウチからのメセタの入金が完了した旨が記されていた。

「足手まといをかかえてた割にはなかなかの仕事っぷりだと思うぜ。これは俺からのささやかなボーナスだ」

「いやこれここの飲食代だよね?」

「そうとも言うな。

 けどお前さん起きてからまだ何も食ってねえだろ? 軽食代ぐらいは余分に色つけてっから会計ついでに好きなもんでも食ってけ。 

 そんじゃ、これからも頑張ってくれよ」

 千鳥足で店を後にするクラウチを後目に、念のため送金された金額と伝票の差額を確認しておく。クラウチの言った通り軽食代として十分な額が余分で入金されており、不足分をクラムが払うという展開は杞憂だったようだ。

 とはいえ寝起きであまり食欲がわかない今は何も注文する気が起きず、クラウチの飲んだ酒代だけを払ってそそくさとカフェを後にする。

「さて、と。ひとまずはエミリアの様子を……」

「あ、いたいた」

 店を出て真っ先に思いついたのはエミリアの見舞い。ただ行動に移る前にその見舞い相手が小走りで寄ってくるのが見えた。

「エミリア。よかった、元気そうだね」

「うん、まあね。それよりおっさんに呼ばれたって聞いたけど……もしかして、怒られた?」

 こちらを見つけたときはぱっと顔を輝かせていたのもつかの間、いざこうして対面すると少女は肩をすくめて恐る恐るといった様子で尋ねてくる。

 『クラムがクラウチに呼ばれた』とだけ聞けばそう考えるのも当然か。僅かに肩が上下しているのは、わざわざここまで走って確認しに来てくれたのだろう。

 そんなパートナーを安心させるため、微笑みながら首を横に振って彼女の予想を否定する。

「無事取り立てできたっていう簡単な情報共有に呼ばれただけだよ」

「あ、そう? そうなんだ。ああ、よかったぁ」

「あとその報告ついでに食事代ももらったんだ。エミリアも目が覚めたばかりなら、そこのカフェで何か食べていく?」

「そうしたいのは山々なんだけど……

 ちょっと2人だけで話したいから、先にあんたの部屋に行ってもいい?」

「……わかった」

 それから重い足取りで進むエミリアの後をついていき、クラムの自室まで歩くこと数分。

 先ほど以上に思い悩んだ様子の少女はその間一度も口を開くことはなく、2人きりとなった空間にたどり着いたことでようやく呼吸を思い出したように深呼吸を何度か繰り返していた。

「話したいことってのは、さ。あの、カーシュ族の村で起きた事なんだけど……

 あたしたち、あの黒服のヤツと戦った……んだよね?」

「それで間違いないよ」

 薄々そうではないかと思ってはいたが、やはりあの時エミリアの身体が本人の意思に関係なく動いたことに気づいていたらしい。

 ここで変に誤魔化したところで余計にややこしくなるだけだと判断し、少女の質問に対して青年は素直に首を縦に振る。

「だよねぇ……あの身体が勝手に動いた感じ、夢じゃないんだよね。

 実際に黒服のヤツはいてカーシュ族襲撃事件もあったんだし……」

『そうです、夢ではありません』

「うぇっ!? だ、誰?」

 2人だけしかいない空間を選んで移動したというのに、第三者の声が突然響いたことでエミリアは身構えてしまう。

 慌てて周囲を見渡してみてもその声の主は見つからず少女はさらに混乱。助けを求めるようにクラムの方へ視線を向けていると、ちょうどその間に割って入る用に半透明な女性が姿を表した。

『ようやく、私の存在に気づいてくれたのですね、エミリア』

「ちょっ……何、誰あんた!?

 い、今あたしの中から出てきた……!?」

『私はミカ。あなたの中に存在する旧文明の民……』

 突然の光景に口を開けて唖然とするエミリアの姿は、つい数日前に同様の体験をしたクラムと重なるものがあった。

 唯一違うのは、こうしてミカが姿を表しても宿主のエミリアの意識が残っているという点か。

 あとはミカに説明を任せてしばらく待機……かと思ったがエミリアの表情が強張り始め、なにやら様子がおかしい。

「な、何っ? 頭の中に何か、流れ込んでくる……っ!?」

 頭を抱えてうろたえ始める少女。彼女の対しミカが何かをしたのは間違いないだろう。

 言葉は発しないがそのオッドアイを半透明な女性へと向けて説明を求めると、彼女は肩をすくめて視線をそらせてしまった。

『……記憶の共有です。

 私の事は、改めて説明するよりもこうして伝えたほうが早いと思うので』

 たしかに先日クラムに行った説明と同じものをもう一度するよりは効率的に相手に伝えることが出来るが、問答無用に伝えられるには旧文明人の計画は情報量が多すぎる。

 それを咀嚼する暇もなく一気に流し込まれるのだ。懸念していた通り少女は頭を抱えたままひどく動揺しており、今しがた流し込まれた情報が真実とは信じられない様子だった。

 ……それに、共有する記憶の中にはレリクスでの出来事も含まれているはずだ。

 仮にその部分だけを省いたとしても『なぜクラムがミカを認識できるのか?』という謎が不自然に残ってしまう。そうなれば分析力のある彼女のことだ、他の記憶から補完して推測するぐらいは可能だろう。

 それは自己防衛本能により閉ざされていた惨状を容赦なく突きつけることにほかならない。いずれは必要になるとはいえ、まだ情報の整理が付いていないエミリアへ追い打ちをかけるような行為にクラムは抵抗があった。

 しばらくしてすべての記憶を共有し終えると、恐る恐るといった様子で少女の瞳がこちらへと向けられる。

「この前、あたしが旧文明関係の場所に行ったことあるかって聞いたの、こういうことだったんだね……」

 その瞳から感じるのは、身に余る脅威の存在を知ったことによる恐怖。そしてレリクスでの真実を知ったことによる後悔と絶望だった。

『……強引な伝達方法ですみません。

 心の整理がつくまで、私は姿を消します。落ち着いたら、呼んでください』

 今までの日常を揺るがすほどの非日常を突きつけられた今、小さく震えている少女の中では様々な感情がうずまいて混乱していることだろう。

 存在そのものが非日常であるミカはその姿を見せているだけでエミリアの精神的な負担になっていると判断したらしく、まるで空気に溶けるかのようにその姿を消してしまった。

 ……ただ、ここから彼女をどうフォローすればいいのかクラムにも検討がつかなかった。

 ミカの姿がエミリアの精神的な負担になるのであれば、今のクラムだって同じこと。気休めの言葉でどうにかなることは決してなく、彼も彼で慎重にならざるを得ないのだから。

「今までのこと、全部夢じゃなかった……

 でも、レリクスのことが夢じゃないなら……あんたはあたしの代わりに……あたしの、せいで……っ!!」

「っ、エミリア!」

 しばらく無言の時間が続き、その重苦しい空気に耐えられなかったエミリアは飛び出すようにクラムの部屋から走り去ってしまった。

 間の悪いことにクラムも投げかける言葉を考えることに意識がいき過ぎていたせいで、逃げ出した少女への対応が遅れてしまう。

「ああもう、手荒な真似するならもう少しフォローが欲しかったかな!」

 彼女なりに気を使って姿を消したであろうミカへ思わず悪態をつきながらも後を追いかけるが、その背中を捉えるより先に転移装置の扉を閉められてしまった。今回ばかりは転送装置が近くにある立地条件を恨むしかない。

 扉を閉められてしまっては外から干渉することは不可能。さらに間の悪いことに、転移先の方でも操作が待機状態だったらしい。エミリアの転移直後は向こう側の操作が優先されてしまい、クラムが転移した時には彼女の姿はどこにもなく完全に見失ってしまった。

 自分の部屋に戻っていないのだけは確かだが、そうすると候補はこの広大なリゾートコロニーすべてということになる。さすがにそれを一人で探すのは不可能に近い。

 ならばとクラムは端末を操作して助っ人を頼ることにする。

『ハーイ、こちら民間軍事会社リトル・ウィング窓口のチェルシー。

 お名前とご用件をドウゾー』

 本人直通の連絡先を知らないため若干の賭けだったが、リトルウィング事務所へ連絡して彼女が出てくれたのは運が良かった。

「ごめんチェルシー、クラムだけど!」

『アラー、どうかしたノ?』

「エミリアが自室以外でよく逃げ込んでる場所とかってあるかな!?」

 以前エミリアはクラムの部屋を『手頃な避難場所』と表現していた。自室以外をそう表現するということは、彼がここに来る前から『手軽ではない避難場所』がどこかにあった可能性が高い。

 そこまで考えが至ったのはよかったのだが、彼の質問は言葉足らずでなんとも要領を得ていなかった。それに気づかないほど彼も焦っているということなのだが……

『ン~、シャッチョサンと喧嘩した時はウチの事務所の隅でよく隠れてたこともあるワヨ。それ以外の場所ならココネ』

 端末が何かを受信し、開いてみればそれはクラッド6内にあるとある空間だった。

 どうやらさっきの言葉足らずな質問からチェルシーは彼の意図を正確に推測して考えてくれたらしい。

「ありがとうチェルシー。もし事務所に逃げ込んできたら連絡お願い!」

『了解ネ』

 通話を終え、目的地までの道のりを確認した白銀のビーストはヒト混みを縫うように抜けて商業区画を駆け抜けていく。

 そうしてたどり着いた場所は、大小様々なアトラクションが設置されたレジャー施設のある区画だった。

 家族連れが多く見受けられ商業区画と同じぐらい活気に溢れているこの場所にエミリアが逃げ込んできたのか疑わしかったが、チェルシーから送られてきた場所へ移動するに従って次第に人の気配が少なくなっていく。

「天体観測室……?」

 通路の隅に隠れるように備え付けられた螺旋階段を上がり、その先にあったのは厳重な扉に閉ざされた場所。

 名前から察するに天然のプラネタリウムとして設けられた空間のようだ。大都市の高層ビルに設置された展望台のようなものだろうか?

 扉を開けてみると、どうやらここはクラッド6の周囲を回転しているコロニーの一番外側……コロニー1つを巨大な建物とするならば屋上に位置する場所に作られているらしい。

 天体観測を目的としていただけあって天井や壁がすべてガラス張りなうえ照明も一切ないため、まるで宇宙空間に飛び出したかのような錯覚に陥る空間だった。

 だがここは良くも悪くも年中無休で何かしらの店が営業している巨大なリゾートコロニー。照明がないこの空間でさえ明るく照らすほどの光量がコロニー全体から発せられている影響で、一等星だけならともかく幻想的な星空を観測することは難しい状況だった。

 ここまで大掛かりな設計にも関わらず、他のコロニーから放たれている光がこの空間を明るすぎるほど照らし、さらには幻想的な星空まで隠してしまうとあっては設計ミスも甚だしいだろう。

 実際、ソファが置かれていて休憩所としても使えるにも関わらず人の気配は全くと行っていいほどない。

 レジャー区画の奥まった場所にあるという位置関係も相まってある意味穴場なスポットではあるが、これを生かした何かが無いのであればそれも宝の持ち腐れだろう。

 とはいえそのおかげで、探していた少女もすぐに発見することが出来た。

 膝を抱え、小柄な身体をさらに小さくし、さらに外部との関わりを断つようにヘッドホンをしてる彼女はこちらの存在には気づいていない様子。

 下手に刺激しないように横からゆっくりと近づき、微かに震えているその肩にそっと触れる。

「っ、クラム!?」

「あはは、そこまで怯えられるのは予想外だったかな」

 ここに来るとは思わなかったらしく、エミリアは驚きを通り越して怯えた様子で首をすくめてしまった。

 そんな状態の少女をこれ以上精神的に追い込まないようにしゃがんで視線を合わせると、彼女も恐る恐るだがヘッドホンを外してこちらとの意思疎通を図ろうとしてくれる。

「どうしてここが……」

「頑張って探して……といきたかったけど、チェルシーに聞いたんだ。エミリアならよくここに逃げ込んでるだろうって」

「そう、なんだ……

 ごめん、飛び出したりして」

「いきなり人類滅亡の危機だって言われたらそうなっても仕方ないよ。俺も最初聞いたときは混乱してたし」

 ……彼女の対応からしてクラムの存在そのものを怯えている様子ではないらしい。それを確認しながらクラムもエミリアを刺激しないようにゆっくりと隣に座り、少しずつ彼女との距離感を図っていく。

「でもいい場所だね、静かだし。落ち着いて1人で考え事ができそうだ」

「あたしのはそんなのじゃないよ。ただ現実逃避してるだけ。あれもこれも、都合が悪いものは全部夢だって……」

「…………」

「でも、夢なんかじゃなかった。あんたは、あたしのせいで一度、死んだんだ」

「……エミリア」

「あたしがもうちょっと頑張ったり気をつけたりしてれば、そんなことはなかったのに……

 なのに戦いたくないとか、面倒なのは嫌とか……あたし、ほんとわがままなだけの最低なやつじゃん……」

「エミリアっ!」

 自罰的に自身の肩を握りしめて己を責める少女を止めるため、クラムは彼女の肩を揺らしながら声を張り上げる。

 涙をにじませつつあった少女は突然の大声に息を呑み、一時的にだが彼の思惑通り彼女の自罰的な思考は鈍った。

 そして再び彼女が自暴自棄になる隙を与えないように言葉を投げかけていく。

「あれは俺の不注意が招いた結果だ。エミリアがそこまで思い詰める必要はない」

「そんなわけないじゃない! だって、あたしを庇わなければあんたが死ぬことなんてなかったじゃん!」

「もしあそこでエミリアを見捨ててたら、俺はきっと一生後悔してたと思うよ。今のエミリアがそうなってるみたいにね」

「じゃあ、そもそもあたしが一緒に奥に行こうとしたことが間違い──」

「それも違う。俺1人じゃ無傷でスヴァルティアを倒すなんて無理だった。結果だけ見れば2体目に対処が遅れたけど、1人だったら1体目すら倒せたか怪しいよ」

「それだってあたしが逃げるのに足手まといだから仕方なくじゃん! あんただけなら逃げれてたはず……いやそうに決まってる!

 今回のカーシュ族の時だってそう。ずっとフォローしてもらってばっかりで何もできなかった。最後にあの黒服から守ったのもミカのおかげ。あたしはずっとお荷物だったんだ……っ!!」

「それは絶対にない」

 投げかけられる言葉のすべてに首を横に振ってそれを否定し続ける少女だが、対する青年は嫌な顔ひとつせず、むしろそんな感情を抱くわけがないと言わんばかりに優しく諭すように言葉を投げかけ続けている。

 その押し問答に今のところ終わりは見えていないが、少なくともエミリアがクラムの言葉に耳を貸している限り彼の言葉が止むことはないだろう。

 なぜなら彼は知っているからだ。目の前にいる少女の強さを。その心がそう簡単に折れるものではないことを。

「確かに反省点はあるけどそれは俺も同じだ。そしてその逆で、エミリアのお陰で助かった部分だってある。

 トニオたちと分かれてからカーシュ族の村に辿り着いたのは? エミリアが文字をすぐに解読してくれたからだ。

 バグ・デッガを難なく撃退できたのは? エミリアが協力してくれたからだ」

()()()()()()()()()()()()()!」

「……微々たるものだとしてもこれは間違いなくエミリアの成果だよ」

 その証拠に、否定し続けているエミリアだがその受け止め方に僅かな変化が現れていた。それを感じ取った青年は相手の思考を遮るようなものではなく語りかけるように語気を弱めていく。

「エミリアが今こうして自分を責めてるのは自分のミスを受け入れている証拠。だったら自分の成果もちゃんと受け入れて、良いも悪いも全部ひっくるめた自分と向き合わないと、ね?」

「……良いところっていっても悪いところだらけじゃん、あたし」

「それだけ伸び代があるってことだよ」

 もとより、クラムには相手の思考を誘導するなどという器用な真似はできない。できることはただサポートするだけ。時間がかかっても自力で前を向くことができる彼女の思考を後押しし、少しだけそれを早めさせるだけだ。

 だからこそ語りかけ続けた。慰めるためではなく鼓舞するために。彼女なら絶対に大丈夫という確信があるからこそ諦めずに。

 そして、2人の間に流れる長い沈黙。

 それは少女が心を閉ざしてしまったからではない。それをわかっているから、青年は彼女が再び口を開くまで急かすことなく待ち続ける。

「…………ねえ」

「ん?」

「あたしとパートナーになったのは、あの時おっさんに押し付けられたからだと思うけど……

 あたしと一緒にいること、後悔してる……?」

「心配しなくても、エミリアが不安に思ってるようなことは一度も感じたことないよ」

 彼女がその質問をすることにどれほどの勇気が必要だったか、震える身体からでもある程度察することはできる。故に嘘偽りなく、優しい口調で返答する。

 結果として聞く側としては嘘くさい答えだったかもしれないが、実際にそう思っているのだから素直に答える他ない。そして幸いにも少女には彼の誠実さが伝わったらしい。

「……あのさ……あたし……この仕事は向いてないと思うし、戦うのも好きじゃない……

 けど……向いてなくても、耐えるから。こんなあたしでも成長できるなら……戦い方とか、そういうの教えてよ。

 たぶん、まだいろいろと迷惑かけちゃうけど……」

 たっぷりと時間を掛け、言葉を選びながら少女が口にしたのは前へと向く決意の証。それに対して余計な言葉を挟まずただ静かに相槌を打つだけに努め、少女が内に秘めた想いをすべて吐き出すのを待つ。

「その心構えができてるなら十分。迷惑なんて気にしなくて大丈夫。俺たちはパートナー、だからね」

「……うん」

 覚悟が決まったからと言って何かが飛躍的に向上するなどという都合のいいものはない。

 見るヒトによっては何でもない一歩かもしれないし、おそらくこれから何度も挫けることがあるだろう。

 だが、その一歩を自分の意志で踏み出せた少女であれば……前を向くと決めた少女であればその歩みは着実に進んでいくはずだ。

「……ふー。それじゃあ何しよっか? 依頼でもトレーニングでもなんでもいいよ!

 ミカのこととかも、身体動かしてればだんだん整理つくと思うし」

 覚悟が決まったおかげか先ほどまでの態度が嘘のように少女は意欲的になる。

 迫りくる脅威の規模が大きすぎて現実逃避を起こしているとも受け取れるが、まず自分にできることから手を出そうという心構えになっているのはいい傾向だ。

「そうだね。じゃあ戦闘の基礎から勉強していこうか──」

 

 場所は変わってリゾートコロニー内にあるフィットネスジム。ただし今いるのは訓練場ではなく、時間制限はあるがだれでも利用できるフィットネススタジオの方だ。

 時間帯によりインストラクターがヨガ等のレッスンも行っているここは、フォーム確認のために巨大な鏡が壁に備え付けられている。一から戦闘技術を学ぶエミリアにぴったりの空間といえよう。

 そして今回のエミリアには動きやすいようにTシャツ、ショートパンツ、スポーツスパッツという組み合わせのトレーニングウェアに着替えてもらっている。

 エミリアいわく、ジムで貸出されているものから受付に勧められるまま選んだようだが、さきほどから落ち着かない様子で忙しなく着心地を確かめていた。

「サイズ合ってない?」

「いやピッタリなんだけど、ピッタリすぎて逆に違和感というか……」

「最初はそんなもんだよ。でも窮屈ならすぐに言ってね」

「ん、わかった……」

 と言いつつもエミリアは眉をひそめたままだ。結局、違和感のある着心地に慣れるまで入念に準備運動をしてから【クラーリタ・ヴィサス】を取り出した。

 先日は本当に握るのも初めてという様子だったが、今はロッドを持つ手から必要以上の力みがなくなって様になっている。紛いなりにも実践を挟んだおかげだろうか。

「ところで、あたしってまずどのレベルを目指せばいいの? 今は素人に毛が生えたぐらいだと思うんだけど」

「まずは1人でも危険地帯から安全圏へ撤退できるレベルだね」

「撤退? 任務完了じゃなくて?」

「誰かの命がかかってる、みたいなよほど緊急性のある任務でもない限り撤退さえできればチャンスは作れるからね。

 それに撤退も方向性は違うけど任務完了と同じかそれ以上に難しいことだよ。例えばこの前のレリクスに閉じ込められた時、自分で道を探して脱出経路を探るのがどれだけ難易度高いかエミリアも身をもって知ってるよね?」

「う……それはもう嫌というほど……」

「ペアで動くからその辺りも基本的に俺が判断するけど、何かしらのトラブルで孤立する場面にいつかは出くわすと思う。

 そういった時にエミリアが1人でも大丈夫ってわかっていれば俺も安心して迂回路が探せる。パニックにさえなってなければ通信越しにいろいろ指示も出せるしね」

「なるほど……」

 怪我の功名というべきか、レリクスでのトラブルがいい経験になったらしい。任務において優先するべきことをエミリアもすんなり理解してくれたおかげで指導への切り替えもスムーズに行うことが出来る。

 まずは基本となる武器の振り方のレクチャーから。

 最初はクラムの動きを真似るようにしてエミリアにも実際に動いてもらい、その後壁に備え付けられた鏡なども利用して適宜細かい修正を行っていく。

 実践でロッドを振るった経験と彼女の素質もあって吸収も早く、1時間も経たない内に基本となるおおよその動きはエミリアも身体が覚えてきたようだった。ただ……

「1、2……1、2……ってあれ、次右手と左手どっちが上だっけ?」

「右手が上だね。……けどその足運びになるなら左手が上でもいいか……?」

 逆に実践を挟んだことですでに癖づいてしまった手の動きが邪魔してしまっている部分も見受けられた。

 今のところは気にするほどではない誤差の範囲だが、1つを許容するとどうしてもなし崩しに全体の動きを変えていく必要が出てくる。それゆえにどの範囲までを矯正するべきか悩ましいところだった。

「精が出ているな」

「あ、バスク……」

「……そう警戒するな。さっきは熱くなりすぎてしまってすまないと思ってる」

 そこへ、さきほど分かれたばかりのキャストが再び彼の前に現れた。

 分かれ方が分かれ方だったせいで思わず身構えていると、向こうも反省しているようでその黒いボディでわざとらしく肩を落としていた。

「ごめんって。バスクも今から訓練?」

「いや、ただコロニー内の設備を見て回っていただけだ。そしたら偶然お前達を見かけてな。

 少し前から見ていたが、ずいぶんと熱心に指導してるじゃないか」

「エミリアがやる気出してるからね。クラウチに頼まれてるっていうのも一応あるけど」

「……えっと、クラムの知り合い?」

 突然の来訪者と会話を始めたことで蚊帳の外になったエミリアはキョトンとした表情で2人の様子を伺っていた。

 そのまましばらく待っていたようだが、なかなか会話が終わらないことに痺れを切らしたらしい。タイミングを見計らって至極真っ当な疑問を投げかけてくる。

「そういえばこうして話をするのは初めてだな。俺はバスク。

 つい先日クラムと同じようにリトルウィング所属になった傭兵だ。今後とも、よろしく頼む」

「あ、エミリア・パーシバルです。はじめまして」

「少し前から見させてもらっていたが、飲み込みがはやいな。運動は得意なのか?」

「そんなに得意じゃないけど……」

「なるほど、ならクラムの教え方が上手いのかもしれないな」

「あ、それはあると思う。動きの注意点とか細かく教えてくれるからわかりやすいし」

「その教わり方が君には合っているということだろう。指導方法はヒトによりけりだが、その指導が合う合わないもまたしかりだ。君たちは良いパートナーになりそうだ」

 差し出された手に応じて握手を交わして簡単な自己紹介を終えると、2人はそのまま雑談に花を咲かせていた。

 クラムの会話ベタのせいで話が続かないことが多いが、エミリアのコミュニケーション能力も低いわけではない。ただこうして第三者の立場から見ていると、初対面相手でも適切な距離感を探りつつ会話を続けられるバスクの手腕に改めて驚かされる。

「たまーに無茶要求されるけどね」

「待って、それ初耳なんだけど」

「勝手に中級者向けでトレーニング選んだのとか、バグ・デッガの時とか、忘れたとは言わせないからね?」

「…………」

 ジトーッ、と見られながら例を挙げられるとクラムに反論の余地など無い。自然な動きでゆっくりと視線をそらしそれ以上の追撃が来ないようにしていると、そんなやりとりを傍から見ていたバスクが口元を押さえていた。おそらく笑うのをこらえているのだろう。

「まあ、クラムなりに難易度を見極めてくれてるってのはわかってきたけどね。

 それで次は何をすればいい?」

「やる気になってるところ悪いけど一旦休憩だね」

「え、もう? まだあたし動けるよ?」

「体力づくりならそれもありだけど、今はフォームを覚えてる最中だからね。動きを頭の中で整理する時間も必要だよ。

 10分ぐらい休んだらまた再開しよう」

「そういうことなら、わかった」

 若干納得のいっていないという様子だったが、一応クラムの指示を素直に聞いてくれている。完全に周りが見えていないわけではなさそうだ。

 そんなやり取りを一歩下がった場所から見ていたバスクは腕組をしながら小さく笑っていた。

「あの子、ずいぶんとお前になついたようだな」

「だと良いんだけどね。さっきみたいによく呆れられてるし」

「あの程度ならコミュニケーションの範疇だろう。失望までされてないから気にする必要はない。それにお前の知り合いというだけで俺への警戒もかなり解けていたからな。それだけお前が信頼されている証拠だ」

「…………」

「それに、何か大きな目標が持てたのだろう。瞳にレリクスの時にはなかった輝きがある。

 どういう手を使ったかは知らないが、いい傾向じゃないか」

「そう、だね。意図せず荒療治になっちゃったけど、エミリアが芯の強い子でよかったよ」

 事情を知らないバスクからすれば、仕事をしたくないと駄々をこねていた態度から一変して積極的に訓練をこなす姿を見ればそのような感想を抱くのも当然かもしれない。

 だが今のエミリアには焦りが見え隠れしておりどこか浮足立っている。根を詰めすぎないよう、今はクラムのほうが気を配る必要があるだろう。

「……ちなみにバスクってロッド使ったことある?」

「いやテクニックは基本使わないな。よくて自己修復用にウォンドやマドゥーグで【レスタ】を使う程度だ。

 指導方針の相談か?」

「うん、そう。今の時点でエミリアの動きが基本動作と違う部分があってね。

 小さい誤差なんだけど、ここを許容したらとっさの回避で左右には動けても前後には動けないんだ」

 手際よくナノトランサーから訓練用のロッドを取り出しながらエミリアの動きを再現し、その動きによるデメリットをバスクに説明する。

 対するバスクも白銀のビーストが基本動作と問題の動きを交互に行う様子をジッと観察しながら唸っていた。ロッドは使わないと言ったばかりなのに、彼なりにクラムの相談に応えようとしてくれているらしい。

「ふむ……たしかに動きが制限されるな。後方支援の立ち回りなら俺はそれでも問題ないと思うのだが、回避方向が制限されるのはやはり危険なのか?」

「それ含めてわかってなくてね。俺は近接武器しか使わないから後方での立ち回りは経験不足だし、基本動作も数日前に確認しただけだから」

「……待て、数日前だと? それまでロッドを使ったことはないのか?」

「あ、うん。一応今までに出会ったヒトのロッドの扱い方を思い出しながら、それを参考に基本動作を抽出しただけ」

 何かマズかったか、と不安そうに肩をすくめる青年をよそに、バスクは顎に手をおいたまま視線を横に外して動かなくなった。

 先ほどと似たような体勢のためこれが彼の熟考する際に適した姿勢なのだろうが、今目の前の黒い男性キャストが何を考えているのか見当もつかない。

 クラムがそのオッドアイを動かして壁に備えられた電光時計を確認するとそろそろ休憩を終えて訓練を再開する頃合いだ。

 やる気に満ち溢れている少女はすでにクラムの後ろで待機しておりいつでも大丈夫といった様子。

 考え込んでいる相手に悪いが一言断りを入れようとしたところ、丁度バスクの考えもまとまったらしく、微動だにしなかった姿勢をゆっくりと崩していた。

「これは俺からの提案なんだが、このままその子のやりやすい動きをベースに教えた方がいいんじゃないか?」

「……基本すっとばして大丈夫?」

「確かに基本を重んじるのはいいことだ。

 だが今彼女に必要なのは基本に忠実な動きよりも実践で活かせる動きだろう?

 彼女の場合はすでに独自の土台が形成されつつある。それを癖と捉えるべきか、彼女の強みと捉えるべきか……実際のところそこからは指導者の腕次第でどうとでもなる」

「それに自信がないから迷ってるんだけど……」

「……教える立場であるのなら、お前もお前で自分を卑下する癖は気をつけておいたほうが良いぞ?

 まあそれは置いておいて、お前の基本動作に対する理解力は大したものだ。基本動作から外れた場合にどんなデメリットが有るのかの把握もできている。

 お前なら基礎と応用を混ぜ込んで彼女に最もあった動きに導くこともできるんじゃないか?」

 バスクから提案された指導方法の難易度はかなり高い。ましてや一度も実践で使ったこともない武器の指導であり、その精度が現場での彼女の生存率に直結するとなればクラムが尻込みするのも当然の反応だろう。

 ただ十分な研修期間も与えられていないエミリアが今後も任務をこなしていくなら、その手法のほうが良いというのも納得がいく。

 考えがまとまらず助けを求めるように目の前の黒いキャストを見るが何も答えてくれず、顎を使って青年の背後にいる少女の方を指すのみ。

 後はお前が決めろ、ということなのだろう。

 改めて少女の方へ向き直ると、彼女は話の途中から合流したために状況がわかっていない様子。それでも自分のことを相談しているということは察したらしい。

 自身の態度に問題があったとでも勘違いしたのか、次第に表情を曇らせた少女は不安そうにこちらを覗き込んでくる。

「────」

 そのぎこちなさに、不意にかつてのパートナーの姿が重なった。

 タイプは真逆に違いないが、どちらも指標となる身近な存在が『クラム・アーセナル』というパートナーである点では共通だった。

 ──この子がどうなるか、アンタが半分その責任を背負ってるみたいなもんだから。

 

 脳裏をよぎったのはパートナーと同行するにあたってクラムの教官だった女性から受けた忠告。

 甘やかせば相手の成長を止めてしまう可能性もある。サポートするのと庇うのは別であると当時はずいぶん怒られたものだ。

 ……どうやら、3年もの間1人で傭兵業をしていたことで誰かを導くということの大変さを忘れていたらしい。

 一度大きく深呼吸をして考えを整える。

 教える立場としてクラムはエミリアのことを注意深く観察しているが、それは逆もしかり。であれば、彼もパートナーに恥じない行いをしなければならない。

「……エミリア、すこしハードになるけど、実践形式で動きを覚えていく方針に変えてもいいかな?」

「あたしは大丈夫だよ。時間はかかっちゃうかもだけど、ちゃんとものにしてみせるからさ!」

「……わかった、じゃあ続きは訓練場の方でやろう。ここの片付けは俺がしておくから、先に行って場所確保しておいて」

「りょーかい!」

 クラムの不安など杞憂と言わんばかりに即答で頷いてみせた少女は意気揚々とスタジオを去っていく。

 心が耐えきれず蓋をしていたものを無理やり開かれ、個人の力でどうにかできる規模を超えた脅威を知らされ、今の彼女の頭の中はぐちゃぐちゃに違いない。

 今のモチベーションがそんな身に余る驚異に焦る気持ちからくるものだとしても、一歩を踏み出しあぐねていたクラムにとっては心強いことこの上なかった。

 そうして意気揚々とスタジオから出ていく小さな背中を眺めるバスクはどこか満足そうに頷いている。

「やはり、あのぐらいの年の子供は陰鬱と部屋にこもっているのではなくああして生き生きとしてこそ、だな。

 ……言っておくが、他意はないぞ。子供には元気な姿が一番と一般論を言っているだけだ。わかったな?」

「え、あ、うん……?」

 別にバスクの言葉から何かを邪推したわけもなくただその言葉に無言で頷いていただけなのだが、この黒いキャストは慌てた様子で弁明を図っていた。結局のところ、その理由がわからないクラムには頷くことしか出来ないわけだが。

 何はともあれ、ぼんやりとしていたエミリアの指導方針は少しづつながら輪郭が形作られてきた。

 引きこもってった自分の殻から飛び出し、リトルウィングの一社員としての一歩を踏み出したエミリアと同様に、クラムも『エミリアのパートナー』としての一歩を改めて踏み出したということだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。