あなたに歌を、そしてセカイを (kasyopa)
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ひとりぼっちの作曲者

ご無沙汰しております。初めての方はよろしくお願いします。kasyopaです。
過去に投稿していた「荒野の少女と1つのセカイ」のリメイク版になります。


──雨が降る中、黒塗りの霊柩車が棺を乗せて送り出されていく。

 

『なんでも交通事故らしいわよ。対向車が突っ込んで来たとか』

『ご両親に妹さんまで……災難なこともあったものね』

 

──顔の知らない人達が聞こえる声で噂している。

 

『あの子、どうなるのかしら』

『東京の方の親戚に預けられるんですって。急な話ね』

 

──私の心を見え透いたように垂れ流している。

 

『お悔やみ申し上げます』

 

──それはまるで他人事のように。

 

 

 

「ぅ……ん、いけない、寝ちゃってた」

 

 懐かしい夢を見た気がするけど、あんまり目覚めは良くない。自室のパソコンに並ぶ打ち込みを前に伸びを挟む。

 

 私、烏丸(からすま)言葉(ことは)が趣味として作詞と作曲を続けて早数年。それらしい成果を上げられずにいた。高校生で貯められるお金の額は対したものじゃないから、いい音源を手に入れることはできない。

 バイト……も考えたけど入れたら曲を作る暇なんてない。時間かお金、と言われたら時間が欲しかった。

 

 チープな音源に、比較的安価なバーチャルシンガーを使い歌を届ける。私達の代わりに歌声を紡ぐものだけど、その正体はパソコンソフト。そんな電子の海に命を吹き込むのが作曲者だ。使う理由はそれぞれあるけど、私の場合は……

 

「自分で作った曲なんて、歌えないから」

 

 私は歌うのが下手だった。カラオケの点数で取れて70点台が限界で、テレビに流れる歌番組の点数に度肝を抜かれるくらいの一般人。だけど歌を作りたくて、届けたくて、バーチャル・シンガーに頼っている。

 

「いつもありがとう、KAITO」

 

 パッケージにデザインされた青髪の青年に声を掛ける。数十年前の漫画を彷彿とさせるデザインで笑顔を浮かべて手を差し伸べているが、彼が答えてくれることはない。

 画面を切り替えて動画サイトをチェック。自らが投稿した過去の動画の再生数を確認する。十数とある動画の中で唯一10万再生越えが一つと、あとは行って1万、というところ。昔は殿堂入りなんてものもあったけど、今じゃ100万再生ぐらいじゃなきゃ見向きもされないのが現実だった。

 

「それでも、やめない理由はないから」

 

 そんな現実を受け止めながらもパソコンの電源を落とし、私は眠りにつくのであった。

 

 

 

──神山高校、1-Cにて

 

 翌日、朝一番に登校した私は教室の掃除を行う。義務ではないのだけれど、朝皆が心地よく授業を受けられるようにする準備だ。それに加えて早く登校するには訳がある。

 

「あらおはよう烏丸さん。今日も早いのね」

「先生、おはようございます」

「お掃除、偉いわね。いつもありがとう」

 

 廊下を通りがかった先生が軽い挨拶と共に欠伸をして去っていった。日々の巡回お疲れ様です。

 一通り掃除を終えて席に着けば、鞄の中から覗かせる五線譜とルーズリーフ。グラウンドでは朝練かサッカー部の男子生徒がゴールにシュートを決めていた。

 

「世間の妄言蹴り飛ばそう。自分の足で探してみよう」

 

 思いついた歌詞をルーズリーフにまとめて、キャッチーなメロディーを記していく。早く登校する理由はこれに尽きるけど、時間を求めた結果がこれ。

 まあ、それだけだとなんだか味気ないので掃除を始めてみたら、いい感じのカモフラージュになって今更やめられないんだけど。

 

「限られた世界で、生きて──」

「ふー……大会が近いからって練習もハードだな」

 

 唐突に扉が開きオレンジ髪の青年が入ってくる。タオルで汗を拭いているところを見るに、さっきまで運動していた様子。

 

「おはよう」

「なんだ、委員長じゃねーか。朝から勉強なんてご苦労だな」

「やってみると結構楽しいよ。試験も近いからやってみたら?」

「俺は遠慮しとく」

 

 やっぱり居たか、みたいな顔をしながら自分の席に向かう彼。幸いにも距離があるため内容を知られることはない。彼が最も苦手とする勉強を持ち出せば興味が削がれることは知っていた。

 

「東雲君は朝練?」

「ああ、助っ人とはいえ体慣らしておかないと」

「流石エースは違うね」

「俺みたいな奴はゴロゴロいる。でも、頼まれた分はキッチリやらないとな」

 

 彼は東雲(しののめ)彰人(あきと)君。部活には入っていないけど運動部の助っ人として駆り出される存在だ。バイトの関係からオシャレだと女子の間では人気だったりなかったり、話題に上がることもあるそんな生徒。

 ただし、勉強は大の苦手……というより毛嫌いしてる節があるので成績は山の天気くらい不安定だ。

 後は何より別のクラスの子とよく一緒にいるので、そっちの光景の方が有名だったりする。

 

「(朝練が終わったってことはもうすぐ皆登校してくるかな)」

 

 また外へと目を向ければ、校門辺りで風紀委員の人達が挨拶と共に通りがかる生徒をチェックしている。とは言ってもある程度自由な校風だから捕まる人なんて早々いない……

 と思っている矢先に変人ワンツーフィニッシュの先輩がセットで捕まっていた。

 

「望む未来は目の前に、だけど遮るものが多すぎて」

 

 そんな歌詞をメモして鞄に戻す。私が作る歌詞はいつもこんな感じばっかりで、この学校はそういう意味でも刺激が多い。

 そしてこのクラスにも一際異彩を放つ生徒が一人いた。

 

「皆おはよー!」

 

 間もなく朝礼の時刻という時に賑わう教室に響く声。赤髪ロングで典型的なギャルといった風貌の少女がすれ違う生徒に挨拶を交わしている。

 ムードメーカーでクラスの中心的な存在。恐らく二年生の先輩とも引けを取らないだろう。

 彼女の名前は斑鳩(いかるが)理那(りな)さん。クラスきってのお調子者がやってきた。

 

「おはよう委員長! ご機嫌いかがかなー?」

「おはよう斑鳩さん。早速機嫌を聞いてくるってことはお願い事だね」

「流石委員長は話が早い! 古文の課題終わってないから見せて!」

「はいはい」

 

 手渡したノートを賜り物のように深々と身を低くしつつ受け取り自分の席へと帰っていく。

 

「お前、ちょっとは自分でやったらどうだ?」

「えー、だって勉強楽しくないんだもん。そういう彰人君だってこの前の小テスト赤点だったでしょ」

「あれは山が外れただけだ。勉強してないわけじゃない」

「負け惜しみー、私は赤点回避してるもーん」

 

 仲がいいのか悪いのか、同じ勉強嫌いがどんぐりの背比べである。存在感のある二人が会話しているだけでも絵になるが、私の場合は歌詞のネタとしてちょうどいい。

 しかし、時間はそう待ってはくれない。

 

「二人とも、そろそろHR始まるから」

「はーい」「おう」

 

 教師の登場と共にそれぞれの席へと戻る生徒達を見送りつつ咎める。

 

「起立、礼、着席」

 

 今日もまた、なんてことはない一日が始まる。

 

 

 

「ありがとう委員長ー。お陰で助かった。これお礼のジュース」

「ありがとう。でも今度から気をつけてね」

「はーい。それじゃあお昼ご飯と洒落込みますかー」

 

 お昼休みに入り、涼風の通う屋上で二人昼食を取る。返されるタイミングは分かっていたから鞄も膝の上。

 しかしノートとジュースを同時に渡され、押さえていた手を離してしまった。

 

「あ、っと」

「わわっ! ってあれ?」

 

 不安定な場所で風に煽られ鞄が倒れる。口も開いてしまい中身が散乱してしまった。

 急いで集めていると、斑鳩さんが散らばった紙を拾ってくれる。

 

「これって、五線譜に詞? もしかして委員長、曲作ってるの?」

「あー、うん。別に隠すことでもないんだけどね」

 

 かといって普段から会話する間柄なのは誰もいない為、支障もなかった。

 今日一緒に昼食をとっているのも、戻るのが面倒だからと彼女がここに留まっているに過ぎない。

 

「へー、中々面白い詞を書くじゃん」

 

 今朝書いた物をマジマジと見つめられる。いつか世に出る物だから今知られても問題はない、と思いたい。

 

「ねえ、これ私に歌わせてよ」

 

 紙から顔を上げた彼女が放った一言。

 それが、私達の始まりの言葉だった。




投稿頻度は週一を目処としてます。
暖かい目で見ていただければ幸いです。
では、次回をお楽しみに。


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ひとりぼっちの歌い手

 

 

──烏丸宅、言葉の部屋にて

 

『ねえ、これ私に歌わせてよ』

 

 自分の部屋に篭って作曲していてもその言葉が反芻される。何を思ってそう口にしたのか分からない。

 とりあえずその日は考えておくと答え、時間稼ぎに自分の曲を投稿しているサイトと曲名を教えておいた。

 歌詞だけでは判断に困るだろうし、曲を聞いてから無理という可能性だって考えられる。

 彼女の容姿やノリを考えれば何にも考えていない、という確率が高いけれど私にとってそうは思えなかった。

 

「普通人が作曲してたら、凄いね、とか聞かせて、しか言わないのに」

 

 音楽業界トップを走る作曲家の曲でもなければ、動画サイトでミリオンを超えるような作曲者でもない。アマチュアもいいところの私の歌詞を、歌いたいと普通思うだろうか。

 明日になれば私の曲も聴いたことで意見が変わるかもしれないし、期待しないで待っていよう。

 

『言葉ちゃーん、ご飯よー』

「はーい」

 

 悶々とした感情を抱きながらも、晩ごはんの為に離席。食卓には多くの料理が並んでおり、既に()()が席についてこちらを待っている。

 

「今日も凄い量ですね」

「もうそろそろお料理教室があるらしいので、試作品を試していたそうですよ」

「言葉ちゃんの口に合うといいんだけれど」

 

「「「いただきます」」」

 

 手を合わせた後、おかずを口へと運ぶ。

 

「美味しいです。()()()()

「よかった! たくさんあるからどんどん食べてね」

「と言っても、言葉さんはあまり量は食べられないでしょう?」

「あはは、()()()()はよくわかってますね」

 

 どこか距離を感じる会話だけれど何も間違っていない。

 私の家族は幼い時に亡くなった。かろうじて叔父さんが居てくれた為施設送りは免れ、高校まで上がることができた。二人には感謝しても仕切れない為こうして今も敬語を使っている。

 

「ねえ言葉ちゃん、学校ではうまくやれてる?」

「はい、何も問題は起こしてませんよ。むしろ成績優秀だと誉められるくらいですから」

「そういう事ではないのですが、学校での話を全く聞かないので」

 

 私は笑顔を浮かべているけれど、二人はどこか寂しそうな目をしている。

 自分で語ることもなければ、語られることもない平凡な生活ということだけれど、求められているのはそういう事ではないらしい。

 

「お部屋でも作曲、だったかしら。そればっかりで嫌な事でもあるのかなって」

「ふふ、問題があったらすぐ相談するから」

 

 私の境遇は他人にとって受け入れ難いものなのかもしれない。それでも、今の私は。

 

「大丈夫だよ。私は今、幸せだから。ご馳走様」

「あら、もういいの?」

「こんなにいっぱい食べられませんから。ただ勿体無いので明日のお弁当に詰めてくれたら嬉しいです」

 

 食事を終えて自分の部屋に戻れば再びパソコンと向かい合う。寝る時間も惜しいというわけではないけれど、やることもないので、というやつだ。

 ルーズリーフの()()()()()()()音色は優しくも強く。下を向いている人が前を向いて歩いていけるようなものを。

 普段の私とは違う私になるように、電子の世界から聞こえる音色で私の想いを変えていく。

 

「貴方の人生だから、進まなきゃ」

 

 そんな言葉と共に音楽ファイルを書き出すのだった。

 

/////////////////

 

 

──シブヤ某所、ライブハウス前にて

 

「お疲れ様でしたー」

 

 夜の帳も落ちたシブヤの裏路地、ライブハウスを後にする一人の少女の姿。フードを深く被り、なお隙間から伸びる赤色の髪が特徴的だった。

 抜けた先の正面入り口では、まだ熱気の冷めない客達が思い思いの感想を述べている。

 

「今日もイマイチだったな」

「ああ、いい声してんだがノリもなにもない。曲に救われてるって感じだな」

 

 観客の批評が積もる中をかき分け、振り払うように少女は駆け出した。やがてたどり着いた公園のベンチに座り込み項垂れる。

 

「あ、理那。そんなところで何してるの?」

「ん? 杏こそこんな時間に珍しいじゃん。相棒の子は一緒じゃないの」

「流石にこの時間まで連れ回さないよ。それより、今日も良かったじゃん!」

 

 夜風に舞う星を髪に纏わせた少女がスポーツドリンクを差し出す。名前は白石(しらいし)(あん)、クラスは違えど神高の生徒であり、理那と呼ばれた少女とは既に知り合いのようだった。

 ありがたく受け取りはしたものの、口にすることはない。どうやらそこまで思い詰めている様子。

 

「……あんなの言わせておきなって。理那だったらすぐにでもギャフンって言わせられるからさ!」

「ありがと、他でもない杏が言うんだからそんな気してくるよ」

 

 クラスで見せた明るさはどこへやら、静かなところを求めてベンチを立つ。

 

「明日も学校だし今日は帰るよ。またね、杏」

「あ、うん」

 

 ひどく落ち込んだ様子の彼女へかける言葉が見つからず、そのまま去る背中を目で追うことしかできない。

 

「解ってる。乗れてないってこと、私が一番解ってるんだ……」

 

 悲痛な声は誰かに届くこともなく、夜の街へと消えていく。

 トボトボと歩いて辿りついたのは彼女の家。

 

「お父さんは……そっか、海外出張だもんね」

 

 明かりのない部屋を進み汚れた自室へとなんとか踏み込む。床には医学書が散乱しており、足の踏み場もなかった。

 といっても過去に買い揃えただけに過ぎず、今や無用の長物として部屋の一部を占拠しているに過ぎない。

 

 「いらないなら捨てたらいいんだけど、そういうわけにもいかないしなー」

 

 理那の部屋を埋めるのはいつも本ばかり。しかも全て自分で選んだものなのだからタチが悪かった。

 気が荒れている為余計邪魔に写るものの、蔑ろにしないのは思い入れがあるからか。それは彼女にしかわからない。

 

「とりあえず、委員長から曲教えて貰ってたし聴いてみよ」

 

 そんな現実から逃げるように動画サイトで検索を掛ければ、10万再生ほどの楽曲がトップに躍り出る。

 いくつか関連動画も上がっているものの、オリジナルに勝るものはない。

 

「……んー、寂しいな」

 

 最初の感想はそれだった。哀愁たっぷりに奏られた笛の音と歌詞。

 しかも歌っているのが男性のバーチャルシンガー、カイトであるためある一定の共通認識が存在した。

 

「寂しいけど、まあ、後悔とかそんなのじゃないね」

 

 ただ終わりを告げるだけの旋律は、荒れていた心を静かに落ち着ける。興味を持った彼女は投稿者の動画を漁ってみることにしたのだが。

 

「なんか、雰囲気違い過ぎてわけわかんないな」

 

 ポップ、ジャズ、ロック、果てにはミュージカルまで。多種多様なジャンルを一通り制覇しているし、彼女が聞くに耐えぬものは一つもない。

 それなのに、理那は一つとして納得出来るものがなかった。そうしていたった結論。

 

「これ、ガワは出来てるのに中身が空っぽだ」

 

 巧妙なハリボテ。作者の真意が見てとれないお手本のような音楽。しかしどうしてか、彼女の直感は未だに変わらない。

 

「私が歌ったらどうなるんだろう」

 

 そんな一つの期待を胸に、彼女はベッドで天を仰ぐのであった。




では、次回をお楽しみに。


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能ある鷹は

週一更新の予定でしたが、週二更新に切り替えます。
些か時間をかけ過ぎましたね。


 

──神山高校にて

 

 翌日。昨日は色んなことがあったけど早く寝たこともあって目覚めはいい。朝一に登校して今回は斑鳩さんの到着を待つ。

 そして彼女もまたいつも通り時間ギリギリにやってきた。

 

「おはよー委員長、ふわあ〜」

「おはよう斑鳩さん。寝不足?」

「うん、ちょっとライ……じゃなかった。勉強しててさ」

 

 勉強嫌いな彼女にしては珍しい。何か言いかけていたけど追求する気もないのでそのまま。

 相当眠かったようで朝のHRの始まりまで机に突っ伏して寝てしまい、聞くことは叶わなかった。

 

 

 

 時間割は進んでいきお昼を目の前にしての音楽の授業。ここで斑鳩さんが真剣に歌っていたのなら、昨日の言葉は信じるに値するんだけど。

 

「・・・」

 

 皆の歌声を聞き分けるも彼女の声だけは聞こえてこない。それは先生も分かっていたらしく、即座に呼び出しを貰った。

 

「斑鳩さん、しっかり歌ってください。あなたの声はよく響くんですから、すぐわかりますよ」

「えー、じゃあ合唱に向かないですよー」

「ですから合わせる努力をしてください」

 

 よく響く、と言うのには同意する。外見もさることながら彼女の一声は鶴のようで、すぐに斑鳩さんだとわかるもの。

 そこにお調子者という性格が合わさって瞬く間にムードメーカーへ昇華したと言っても過言じゃない。存在感の大半がその声によるものだろう。

 

「じゃあ行きますよー、二番の頭から」

「──♪ ───!」

「っ!」「うおっ!」

 

 再開された曲に斑鳩さんの声が混じった途端、歌の色合いが変わった。いや、クラス全員の声を合わせても乗っ取られた。他を圧倒する歌声に、一人また一人と歌うのをやめてしまう。

 最終的に彼女の独壇場のまま音楽の授業は終わりを告げた。

 

「理那すごーい! もうプロとか目指した方がいいんじゃない?」

「ほんとほんと、歌手かなにかだと思っちゃった!」

「あはは、それだと宮女に転校しなきゃかなー」

 

 珍しく周囲の黄色い声を受け流している彼女だが、唯一真剣な眼差しで見つめる生徒がいた。

 

「おい斑鳩、うまいのは認めるが声が薄っぺらいぞ」

「そんなのわかってるって。気迫も何も彰人君に比べたら足りてませんよーだ」

「だからお前は……」

「今は気分が乗らないだけだって。やる時はやるからさー」

 

 東雲君が何やら話しているようだけど、こちらには聞こえない。ただ雰囲気としてお互いをよく知ってるようにも見えた。

 クラスでは彼が一方的に面倒臭がっているような印象を受けたけど、この時ばかりは真剣に向き合っている。

 むしろ斑鳩さんの方が興味がないようで、遠くで見ていた私を見つけて手を振ってきた。

 

「あ、委員長また一緒にお昼行こうよー」

 

 そんな彼女は皆に見せつけた、というより言われたからやったという様子で、彼女自身は満足しているようには見えなかった。

 お調子者以前に、わからないことが多すぎて私は混乱しそうになる。しかし話せる機会を逃してはならないと誘いに乗るのであった。

 

 

 

「それで、考えてくれた?」

 

 屋上に出て誰もいないことを確認した矢先にそれだった。考えておく、とは言ったもののこんなに早く急かしてくるとは思わない。

 撒き餌に使った曲もあったのに、彼女の答えは変わらない。

 

「ごめんね、まだ少し悩んでるんだ」

「悩むことないでしょー。YESかNOの二択だよ。NOだったら私も諦めるしさ」

「それでもよかったけど、斑鳩さんがどうしてああ言ったのか知りたくて」

「あー、それもそっか。普通『歌わせて』なんて答えないもんねー」

 

 自分の発言を振り返って何やら気まずそうな表情を浮かべている。

 しかしこれ以上悩むのも時間の無駄だから本人に聞けばいい。竹を割ったような性格の彼女なら誤魔化したりしないと思う。

 

「うーん、ピーンときた! としか言えないんだよね。直感ってやつ」

「それだけで?」

「うん。でも大体芸術ってそう言うもんじゃない? 自分が良さそう、ってのがウケるじゃん」

「それはそうだけど」

 

 言い得て妙というべきか、芸術は一部の理論があれど才能がほとんどを占めると言っていい。

 特に音楽は曲を作る人と歌う人で一気に評価が変わったりする。ゲームとかの音楽なら少し違ってくるけど、詞のあるものなら例外はない。

 私がこれ以上御託を並べても、おそらく彼女には勝てないだろう。左脳より右脳、論理的より直感的で物事を決める気分屋な彼女を御するのは、骨が折れる。

 

「それになんていうんだろ。曲聞かせてもらったけどさ。完成してるのに空っぽっていうか、そんな感じ?」

「へえ、そんな風に聞こえたんだ」

「そうそう。なんか曲の種類多すぎてどれが本当の委員長なのかわかんなかったね」

 

 確かに私は数年間でいろんな楽曲を作ってきた。明るい曲、暗い曲、激しい曲、楽しい曲。ジャンルすら問わない多彩な楽曲作り。

 ある意味凄いことだと理解していても、別に私はなんとも思わなかった。全部の音楽に理論があって決まった音色がある。

 それなのに彼女は中々面白い考察をする。そして同時に鋭い人とも。私は褒美を取らせるように首を縦に振った。

 

「わかった。でも、これを歌うのはちゃんと曲になってから。いい?」

「オッケー! じゃあのんびり待ってよーっと」

 

 望む答えが得られたからか、購買で買ってきたパンを頬張る斑鳩さん。健啖家のようでみるみるうちに腹の中へと吸い込まれていく。

 あらゆる面で私とは反対だな、と思いながらも私はようやく弁当に手をつけ始めた。

 

「(でも、さっきの授業の斑鳩さんすごかったな)」

 

 クラス全員を惹きつける声。1/fゆらぎと言われるものがあることを思い出す。

 彼女が持っているかはさておき、生まれ持ったものの才能というべきか、それとも多くの研鑽を積んだのかはわからない。

 あの時は真剣な東雲君すら声を上げるほど驚いていたのが記憶に新しかった。そんなことを考えながら、お昼休みの時間は過ぎていく。

 

 

 

 そして斑鳩さんと約束をした数日後、曲のデモが完成したので聞かせてみる。

 

「うん、やっぱり聞こえて来ないなー、委員長の音」

「私の音?」

「なんか歌詞に合わせて作った感じが凄いんだよね。いや、すっごく完成度高いよ。でも音から委員長を感じないっていうか」

「本当に面白いことを言うんだね、斑鳩さんは」

 

 ちなみに歌詞はKAITOに歌ってもらっている。あくまでデモといった形だ。

 音楽理論で固められた私の音楽だから、個性というものがあるとは思えない。指摘する人は今までいなかった。

 そもそも指摘するほどの仲も、見てくれる人も居なかったのだから仕方ない。

 

「ガワは凄いのに中身が空っぽだから……ねえ、この曲お店で歌ってもいい?」

「まあ、自作発言しなかったら別にいいよ。どこのお店?」

「WEEKEND GARAGEってところ。ビビッドストリートにあるんだけど知ってる?」

 

 首を横に振る。普段から街の散策などもしていないため、そんな名前の通りがあることも知らなかった。

 

「じゃあ友達もいるからさ、折角なら来てよ! 場所は調べたら出てくるし!」

「あ、えっ?」

「よーし決まり! じゃあ私ご飯終わったから歌ってくるねー」

 

 曲と歌詞を丸ごと掻っ攫って屋上から消えていく。去り際に残した特大の爆弾発言にNOと言えないまま、見送ってしまった。



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WEEKEND GARAGEへ

 約束の日の夕方。斑鳩さんから教えられた住所を元に、落書き塗れの道のり──名前をビビットストリートという──を進んでいく。

 テレビの情報番組では出ないような場所であり、最初こそ不安に思っていたこともあったけど。

 

「ゴミとかはないから、いい場所みたい」

 

 清潔感のないスラムのような場所かと思いきや、いい意味でこの街のもう一つの顔といった雰囲気。

 表の繁華街とはまた違った賑わいを見せていて、歩き慣れればそれこそ店や品といった掘り出し物が見つかりそうな街だった。

 しかし今は目的が違うのと、散策といった趣味はないため目的地に向かって一直線。

 人生損しているかもしれないが、知らなければ幸と不幸の五分五分。箱の中の猫という物に他ならない。

 

 約束の時間の30分ほど先に指定された住所に辿り着いた。お店で歌っていいか、と聞いていたからライブハウスかと思っていたけど。

 

「飲食店、みたいな場所」

 

 WEEKEND GARAGE。週末の車庫という名前からは想像もできないが一応ライブカフェ&バーのようで、今の時間はカフェらしい。

 しかし外から覗き込むに、アーティスト志向と思われるお客さんが大勢くつろいでいるし、中のライブスペースでは盛り上がりを見せ始めていた。

 

「普段なら絶対に入らないけど、お願いだからね」

 

 こちらが返事をしていないから、同意をしたわけじゃないからと逃げることはできる。

 しかしそうしたところで彼女から逃げられる気がしなかった。気分屋の思考がこちらに傾いている時点で、しつこく問い詰められる可能性も高い。

 

「考えても仕方ないよね」

 

 流れに身を任せるように扉を開く。最初に耳にしたのは入店を知らせるベルの音、そして音響。誰かが今まさにライブスペースで歌っているようだった。

 ベージュの髪を二つ結びにした小柄な少女が、見た目に似合わぬパンクな衣装に身を包み、楽しそうながらも真剣に歌っている。

 その隣では見たことのある子が共に歌い上げている。二人で一人、可愛げのある容姿とは違う迫真のデュエットにお客さんは耳を傾けていた。

 

「いらっしゃいお嬢さん。この店は初めてかな」

「あ、はい。そうですね。友達との待ち合わせで」

「そうか。それなら好きなところに座っていい。注文は後で聞くよ」

「いえ、紅茶があればそちらを。種類はおすすめでお願いします」

「わかった」

 

 うっすらと髭を蓄えた壮年男性がカウンターから声を掛けられる。どうやら客と話していたようだが、他に店員らしい姿はなく話を切り上げていた。なんだか申し訳ない。

 少ないテーブルを独占するわけにもいかず、まばらに空いたカウンター席へと足を運ぶ。

 メニューにサッと目を通し、カフェらしくコーヒーや紅茶といった飲み物が並んでいることに安堵した。

 注文しないまま席を利用するのも忍びないし、開口一番の注文だったけど大丈夫だったらしい。

 

 場所取りのために上着が置かれた座席の隣。今歌っているであろう少女の席の隣に腰掛けて、注文を待つ。

 ライブスペースからは今も少女達の歌声が響いていたが、私は特に見ることもなく待ちぼうけ。

 曲は、バーチャルシンガーの曲だろう。それも二人で歌うならもってこいの鏡音リン・レンの曲だ。

 

「(それにしても白石さん、歌上手いな)」

 

 理那とあの少女を比べると、というのは無粋だけどおそらく10人中10人が少女を選ぶだろう。

 歌唱力もさることながら、曲をものにしていると言っていい。ノリもアレンジも思い通りに乗りこなしていた。

 

 今歌っている二人の内の一人は神高の生徒であり、クラスを跨いでも有名な存在の白石(しらいし) (あん)その人だ。

 風紀委員に属しているものの、派手な風貌と長い黒髪に紺の裾カラーが特徴的。そして見た目通りの明るく、歯に衣着せぬ性格から人気も高い。

 神高という自由な雰囲気がよく現れた生徒だと思った。

 

「お待ちどう。ご注文の紅茶だ」

「ありがとうございます」

「ああ、ごゆっくり」

 

 程なくして出てきた香りで思考を止めてお礼を述べる。添えられた砂糖に目もくれず、一口。なるほど、カフェというだけあってかなりの物らしい。

 お客さんの大半はコーヒーを嗜んでいるので少し心配ではあったけれど、こちらも相応に力が入っているようだ。

 斑鳩さんには後でお礼を言わないといけない。素敵なお店を教えてくれてありがと──

 

「こんばんわー、やってまーすか!」

 

 勢いよく開かれた扉と聞きなれた声。二人の少女の歌声を掻き乱すほどの声量に、思わず口をつけたカップを離す。前言撤回、雰囲気がぶち壊しだ。

 例えるならカラオケで自分が曲を歌う時に店員が入ってくるようなものである。

 

「よう理那、今日は随分上機嫌じゃないか。何かいいことでもあったのか?」

「それは聞いてのお楽しみ。それよりおじ様、いつもので!」

「はいはい。すぐ出来るから大人しくしてるんだぞ」

 

 壮年男性相手におじ様、というのは中々に肝の座った発言だが彼は気にしていないようだ。いや、むしろ否定するのを諦めたようにも見える。

 いつもの、で注文が通るほど通い詰めているのだろうか。

 

「あれ、委員長じゃん。もう来てたの?」

「うん、誘ってもらったからには遅れるわけにもいかないからね」

「相変わらず真面目だなー。ま、いいや。隣座るね」

 

 座る席を探す最中に見つけたのだろう。すぐに斑鳩さんは私の隣を確保すると席にどっかりと座った。

 服装は随分とラフかつ派手なもので、この店や通りの雰囲気にマッチしている。

 ひとまず合流できたことに安堵しながら、私はカップの中身に口をつけるのであった。



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WEEKEND GARAGEにて

「斑鳩さんはここによく来てるの?」

「うん。昔からの常連かな。お父さんとよく来てるんだー」

「お父さん……ミュージシャンか何かなの?」

「ううん、外科医だよ。でもここのコーヒーが美味しいからって通い詰めてるの」

 

 意外な役職の登場に驚きつつも、彼女の勉強嫌いからみるに継げなさそうだなとも思ってしまう。

 それでも二人でよく来ているとなると、仲が悪い訳でもないようだ。

 

「理那の親父さんは外科医でも有名人だからな。贔屓してもらってありがたい限りさ」

「それはおじ様と杏の腕がいいからでしょ?」

「いやー、そう言ってもらえると嬉しいね」

「あっ、杏。お疲れ〜」

 

 そんな話をしていると、いつの間にか白石さんがそばまで来ていた。どうやら歌い終わったみたいで、隣には一緒に歌っていた少女も添えられている。

 歌っていた時とは打って変わって小動物のような雰囲気だ。

 

「理那ちゃん、今日は歌っていくの?」

「うん、しかも新曲だからこはねも楽しみにしててね?」

「へえ、新曲かー。何歌うの? バーチャルシンガーの曲?」

「いやいや、オリジナルだよオリジナル」

 

 どうやら斑鳩さんとは知り合いのようで気兼ねなく話している。今日は、という言葉からおそらく何度もここで会っているのだろう。

 新曲という響きに白石さんの興味も向いていたが、やがて見慣れぬ私の方へと向けられた。

 

「ところで、隣の子は? さっき話してるみたいだったけど」

「あ、私のクラスの委員長。名前は……あー、委員長って呼び過ぎて忘れちゃったな」

「烏丸言葉です。よろしくお願いしますね」

「うわ、すっごい真面目じゃん! 私は白石杏、クラスは1-Aなんだ。よろしくね。それでこっちが私の相棒のー」

「あの、えっと、小豆沢こはねです。よろしくお願いします!」

 

 相棒。なるほど、そう言われれば先ほどの歌も頷ける。お互い引けを取らない実力だったことはここの店の賑わいを見ればわかった。

 斑鳩さんの声で掻き乱されたとはいえ、二人を讃える声は今も響いている。

 

「理那、まだ時間が掛かるから一曲くらい歌ってきたらどうだ」

「うへー、Vividsの後かー。こりゃ荷が重いなあ」

「そんなこと言って、歌う気満々なんでしょ?」

「あ、バレた? こはねちゃんも頑張ってたし、私も頑張らないとって思ってたんだよね」

 

 通い詰めてるだけあってもう一つの家族のように接している斑鳩さんは、意気揚々とライブスペースに足を運んだ。

 

「お、今度は理那ちゃんか、今日は何を聞かせてくれるんだい?」

「オリジナル! 楽しみにしててね」

「へえ、オリジナルか。曲も作れたのかい」

「私はさっぱり。でも作ってくれた人がいたんだー」

 

 飛び交う声に期待を抱かせつつも手を動かす彼女。

 その眼差しは今まで見たことがないくらい真剣な物で、今までも必死に打ち込んできたというのがわかる。お調子者な普段の姿とは大違いだ。

 

「それじゃあ、しっかり付いてきてね!」

 

 静かな始まりから鍵盤の音色が奏られる。簡素な演奏だからこそ彼女の声がよく響いた。

 肉声という厚みのある音源で形になっていく私の音楽。それに。

 

「──♪ ───!」「──♪ ───♪」

「へえ、カイトさんも使ってるんだ」

「一緒に歌ってるからなのかな。理那ちゃん楽しそう」

 

 しかもご丁寧なことにデモで使ったKAITOのボーカルをコーラスとして起用することで、混声合唱みたいな響きを実現している。

 音程を完璧に歌い上げるバーチャル・シンガーに対して、自分はノリに特化した歌声。

 歌詞も彼女のまっすぐな性格が助けてマッチしているようにも聞こえた。

 

「──♪」

 

 歌い終えた彼女を拍手が上がる。喝采ほどではないものの賞賛の声が上がっていた。

 

「ありがとー。いやー久々に半分くらいは乗れたね。ありがとう委員長」

「半分くらい? 今ので全部じゃなかったの?」

「あはは、やり過ぎたらカイトの声潰しちゃうからさ。その辺りは考えてるよー」

「なるほどね」

 

 声がクラス全員をもかき消すことは知っている。そこに拡声器が合わさればいかにバーチャルシンガーといえど危ういだろう。

 しかし、それ故の喝采がない。この場にいる人は手を抜いていることを知っていた。

 

「理那の場合は今まで乗れてなかったからよかった方だ。何があったか知らないが」

「あー、なんでだろ……」

 

 自分の席に戻り出来上がったコーヒーを受け取っている。彼女の答えもまだ探り探りであった。

 しかしポツポツと答えを紡いでいる。

 

「いつもは一人だけどカイトの声もあったし、この曲も半分くらい? は私のための曲だしさ」

「もしかして今まで一人だったから調子出なかったってこと?」

「うん。ひとりぼっちは寂しいからさ。誰と一緒にいて欲しかったのかな」

「えー、じゃあ私達は仲間じゃないわけ?」

「そうじゃないけど基本的にライバルじゃん」

 

 確かに、一人だけで何か努力するというのは虚しいものだ。競い合える相手も欲しいところだけれど、それだけでは心の支えとは言い難い。

 

「だからまあ、杏にとってのこはねちゃんじゃないけど、委員長が助けてくれて嬉しかったよ」

「確かに一緒に歌うだけが相棒、ってわけじゃないからな」

「え、じゃあ言葉さんがさっきの曲作ったの!? 凄いじゃん!」

「いえそれほどでもないです」

「作曲できるなんて凄いなあ、一歌ちゃんみたい」

 

 私に向けても称賛の声が飛んでくるが、別に凄いことじゃない。

 それにこの感想も斑鳩さんとKAITOの歌あってこそのものだから、私だけが受けるのは間違っていると思う。

 

「それじゃあ理那はこれから言葉さんと一緒に組むんだ」

「あえ? いや、そう出来たら万々歳だけど、そういう約束してないしなー……」

 

 チラチラと期待を込めた視線を向けらる。

 いつもなら逃れることもできただろうけど、今日は彼女のホームに周囲の視線も合わさって完全にアウェーの状態だった。

 ここでNOと言えるのであれば、それはとんだ天然か自我の強い人間だけだろう。そして私はそのどちらでもなかった。

 

「……まあ、別に困ることでもないけど」

「やったー! ありがとう委員長!」

「むぎゅ」

 

 望む答えが得られたのかボディーランゲージで喜びを表してくる。

 なお文系の私にとって見るからに運動系な彼女の力は過剰であり、抱きしめられている間は好感度が下がっていたことをここに記しておく。

 

 そんな形で、私達はなし崩し的にユニットを組むこととなったのだった。




次回でプロローグは終わりです。


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ユニット結成

 

 その日からというもの、私を取り巻く環境が少しだけ変わった。

 

「おはよー言葉、今日も真面目だねえ」

「おはよう斑鳩さん。……どうして名前?」

「だってコンビ組むんなら名前くらい覚えなきゃでしょ。ほらほら、言葉も私のこと名前で呼んでいいからさ」

「なら、私も理那で。呼び捨てでいいかな」

「全然大丈夫! むしろバッチこいだよ!」

 

 まずお互いを名前で呼ぶようになった。呼び捨てならこちらもと返してみたけれど、むしろ喜んでいる。

 

「ん、なんだ理那、いつの間に委員長と仲良くなったんだ。それにコンビってなんだよ」

 

 いつも以上に騒いでいる彼女の変化に気付いたのか、東雲君が声をかけてくる。彼にしては珍しい行動だ。

 

「言葉が私に曲を作ってくれるようになったんだー。これで今までの私とはおさらば!」

「へえ、委員長が曲を……というか曲作れたんだな」

 

 ちらりとこちらへ視線を向けるも、あまり興味がないのかすぐに理那の方へと戻す。あくまで用があるのは彼女の方らしい。

 

「じゃあ、お前らもアレを越えようって思ってるのか?」

「あー、うーん。どうかな。わかんないや」

「なんだよそれ。あそこで歌ってるならてっきりRAD WEEKENDを……」

 

 私の知らないところで話が展開していく。

 どうやら二人も音楽関係で以前から関わりがあるようにも思えるが、具体的なことは後から聞くことにしよう。こんなバチバチの空気に首を突っ込みたくない。

 

「私はともかく、言葉はそのイベント全然知らないからね。それに彰人君だって知らないのにやるって言われる方が嫌でしょ?」

「まあ、そうだな。早とちりだった」

 

 お調子者な彼女ではあるものの、彼の本心に気づいているのか宥めるのは早かった。

 人それぞれに己を懸けているものがある。恐らくそのイベントというものが東雲君にとって特別なものなのだろう。それこそニワカであることすら許されないように。

 そこから彼は躍起になったのがバカらしくなったのか、席に戻ろうとしていた。

 

「そっちにその気がないならいい。話は終わりだ」

「はーい。あ、そうそう。言葉にあそこの店教えてるから会った時はよろしくねー」

「はあ!? てめえこの! ……はあ」

 

 最後にとんでもない地雷を踏み抜いていくあたり理那らしい。なおとばっちりとして睨み殺しそうな視線が私に向けられたのは言うまでもない。

 

 

 

 お昼休み。秋風がそろそろ厳しくなってくるかと思いながらも変わらず屋上で弁当をつついていた。

 

「ねえ理那、東雲君とは知り合いなの?」

「うん、この前行ったお店の常連でね。中学くらいの時から知ってるよ」

 

 今が高校一年生だし、数年くらいの付き合いといったところだろうか。

 

「まあ、でもきっかけは全部アレかなー。RAD WEEKEND」

「RAD WEEKEND? そういえば東雲君も言ってたね」

「そ。おじ様……あ、謙さんのことね。この前行ったお店のマスター。その人達が集まって作ったイベントなんだけど──」

 

 そうして彼女は語ってくれたのは、あの通りのライブハウスで行われたイベント。

 ビビッドストリートの人達が口を揃えて伝説と語り継ぐイベントが、多くの憧れを生んだという。

 東雲君もその一人であり、音楽への入れ込み具合は学校の授業とは比にならないらしい。

 そして彼が常連として通い詰めているのが、この前教えてもらったWEEKEND GARAGEだそうで。

 

「それで、彰人君達は絶賛そのイベントを超えようと必死なのでした」

「なるほど。だから結構言い合ってたんだね」

「仲良いかはわかんないなー。腐れ縁ってやつ?」

 

 私の方が先に常連だからねー、と付け加えながら購買のパンを齧っている。

 東雲君も私に知られた事で落ち込んでたし、あんまり行かない方がいいかな。

 そんな彼のことを考えていたら、一つの言葉と疑問が頭を過ぎる。

 

『私はともかく、言葉は全然知らないからね。それに彰人君だって知らないのにやるって言われる方が嫌でしょ?』

 

 少なくとも理那はRAD WEEKENDを知っているだけじゃない。実際に体験している。どれだけ凄いものか知っているはずだ。

 そのイベントから多くの人がアーティストを目指したのなら、理那も同じではないだろうか。そして彼女もまた超えたいと思っているのではと。

 しかし見つけた人物はまるでそのイベントを知らない。正直に言うなら興味がないのだから、意に反するのではないだろうかと。

 

「理那は、何も知らない私と組んでよかったの?」

「ん、別に? 私の目標は伝説を超えることじゃないし」

「じゃあ、どうして歌い始めたの?」

 

 最初の動機。なぜ歌おうと思ったのか。すると彼女は一瞬キョトンとし、やがて遠くを見る目でこう言った。

 

「人の心を癒すため、かな」

「人の、心を?」

「うん。父さんが昔『人の心にメスは入らない』って言っててね。体の怪我とか治っても、元気になれない人がいっぱい居たんだ」

 

「そんな人をいっぱい見てきて、少しでも父さんの力になれたらって思ったら、歌ってたんだ」

 

 確かにストレス解消や精神的負担を和らげるために歌や曲を聞く人は多い。

 彼女がいうには音楽療法というものがあるくらい人の情動に働きかけるらしい。

 それでも、それが叶うかどうかは……ううん、これ以上は彼女に失礼だね。

 

「そういう言葉は、なんで音楽作ってるの?」

 

 今度はこちらの番、と言わんばかりに返される。まあ、コンビを組むのであれば答えても差し支えないだろう。

 

「私は、音楽しか知らなかったからね。でも、どんな音楽を作ればいいのかはわかってないんだ」

「音楽しかって、何、想いを伝える方法とか?」

「そんな大層なものじゃないよ。本当に私に残ってたのがそれだけだっただけ」

 

 ほんの少し、この考えに至った経緯を話してもいいと思った。コンビを組むのなら身の上話も悪くない。

 

「昔は音楽教室に行って、コンクールにも出てたんだ。でも、ある日見にきてくれる筈の家族は来なかったの」

「あー……この雰囲気だと……」

「うん。事故で全員亡くなったんだ」

 

 いつか見た夢の答え。決して裏切られたわけでも邪魔されたわけでもない。誰が悪いわけでもない。

 歩いていたら犬に噛まれたみたいに不幸な事故だった。でもその日からほとんどのものがなくなった。

 

「楽器も全部売ったし、私は親戚に預かられた。でも音楽だけは残ってたから」

「今も作り続ける、と。だから空っぽの曲なんだね」

「正直、そう言われた時にはビックリしたよ。だからこそ面白い、とも思ったんだけどね」

 

 今や機械的になっていた音楽作り。何も求めず、当たり前のものとして続けていた。

 彼女との出会いもそうだけど、あの言葉がなければ私も興味を持たなかっただろう。現実は小説より奇なりとはこのことか。

 

「でも音楽作ってるなら、自分の世界に閉じこもってないで周りを見てみたら? そしたら曲の中身も埋まるかもね」

「そういう理那も、半端な外見の音楽じゃ満足できないんでしょ?」

「あははー。ま、そこはコンビ同士ギブアンドテイクってやつで」

 

 互いの利害一致。まだ進むべき道は分からないけれど、彼女とは上手くやれそうな予感がする。

 

「それより組んでるなら名前とか決めない?」

「それもそうだね」

 

 どこで活動するにしても名前があった方が楽。

 今まで私一人の匿名で良かったが、彼女と組むなら互いに納得できる名前が必要だった。しかし方向性が決まってないのに名前を決めようとはこれいかに。

 

「とりあえず、歌は軸にするとしてー」

「歌は聞いてくれる人あっての物だからね。SONG TO YOUとかどうかな」

「お、いいね。なら発音をもじってS(エス)(トゥー)U(ユー)ってことで」

 

 SONGの頭文字でS、TOと発音が同じTWOから2。ローマ数字なのは私たちが一人一人だからとか、そんな理由。YOUも発音からUに。

 見た目より意味がザックリとしているが、方向性が決まってない以上これより踏み込んだ名前も烏滸がましい。

 

「それじゃあ改めてよろしくね、言葉」

「こちらこそ」

 

 これが、SⅡU始まりの日。ここから先起こる未来の予想は誰にも出来なかった。




プロローグ編おしまいです。これからはキャラの絡みが増えると思います。
次回「シブフェス編」お楽しみに。

キャラ設定

烏丸 言葉
斑鳩 理那


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シブヤフェスタに行こう

シブフェス編。もといシブヤフェスタ。
2周年記念イベント「この祭に夕闇色も」のお話になります。

リメイクにあたり、時間軸がかなり前倒しになっていますがお願いいたします。


 

 コンビ──正確にはユニットを組んで、名前もできた。

 発信する媒体はとりあえずネットにする。今や有象無象のアーティストが溢れる電脳世界で投稿したところで、最初はいい隠れ蓑になるだろう。

 初めは私のアカウントで投稿しようかとも思ったけど「折角なんだしユニットのアカウントも作ろうよ」ということで新設することに。

 なお、投稿すべき楽曲はまだない。

 

「さて、これからどうしようかな」

 

 ユニットとして活動するなら曲作りからだけど、方向性を決めていないのでジャンルは未定。

 ただ、歌い切った後の彼女が全力を出せていなかったのは事実。ならそれに耐えられるような曲を作るのが当面の目標になるだろう。

 作り手や歌い手より、聞き手の方が感性が優れているというのはよくあることだ。ただ、それを言葉に出せるかは別問題だけど。

 

「とりあえず、もう一曲似たようなのを作ろうかな」

 

 理那が「歌わせて」と言った前向きな歌詞をもう一度。

 それも今度はWEEKEND GARAGEで聞いた二人の楽曲のような、逆境に対して強くいられるものを。

 

 

 

──神山高校、昼休み、屋上

 

「それで、次の曲を考えてきてくれたんだ」

「うん。理那の好みに合うかどうかは分からないけど」

 

 重厚なサウンドで理那の声に負けないものに仕上げてみた。リズムもわかりやすいからノリやすいとも思う。

 一通り聴き終えた彼女はヘッドホンを外し、うんうんと咀嚼するように首を縦に振った。

 

「なるほどね。さては杏とこはねちゃんに影響されたなー?」

「影響、ってほどじゃないけど参考にはしたかな。こういう曲の方が理那の声に合ってると思うから」

「それはすっごく言われる。よく通る声してるんだからってね」

 

 元よりあそこはクラブハウスが多く、フロアを沸かせるためにテクノやハウス、EDMなどを中心に据えたミュージシャンが多いらしい。無論RAD WEEKENDでも例外ではないらしい。

 

「あそこで音楽やってたら結構歌うけどさ。私は乗れないんだよね」

「それはどうして?」

「まあ、こっちにも色々あるんだ。とりあえず、それがどうにか出来るまでそういう系はなしでお願い」

「分かった」

 

 おそらく、彼女の身の上に関係する話だとは思う。今も少し遠い目をしているから総じて過去に音楽で何かあったのは間違いない。

 それでも彼女が言いたく無いなら追求する必要はないだろう。そこまで親睦を深めた中でも、過去から付き合う幼馴染でもないんだから。

 

「だから前みたいに素直に誰かを応援するみたいな曲とかの方が、しっくりくるんだよね」

「なら、その方向で大丈夫?」

「うん。あ、でも今日みたいにはい完成品、ってしないでね。私も意見したいからさ」

「わかった。あ、でも前と同じメロディーとかになるかも……」

 

 歌うのは理那だから彼女の想いを尊重したい。しかし似た曲をもう一つ作るとなると方向性が似通ってしまう可能性が高かった。

 正直、自分のインプットの少なさには絶望するしかない。

 

「んー、それならシブフェスに行くのはどう?」

「シブフェスって確かセンター街の?」

「そうそう! 色んなアーティストとかも参加するらしいしさ、いい刺激になるかもしれないじゃん?」

 

 シブフェス。今年初めて開催される今までにない規模のお祭りだ。

 主催はどこか知らないけれど、芸術家支援という側面が強く、絵画やモニュメントの展覧会もあるらしい。

 後は乃々木公園に野外ステージが設営され様々なアーティストがパフォーマンスをするらしい。

 なお一般公募枠があり申し込みすれば参加できなくもないけれど。

 

「(まだ曲が出来てないし、活動方針も曖昧だからね)」

 

 今回は曲作りの為の参考にさせてもらおう。

 それに直感で私の音楽を見抜いた子の言うことだ。それ以外の何かがあると信じる価値は十分にある。

 

「そうだね。なら一緒に……あ、でも理那だったら他に誘ってくる友達も多いんじゃない?」

「そこは言葉とデートするって言っとけば大丈夫だよ。それに、私もちょっと試したいことがあってさ」

「試したいこと?」

「うん。何するかはその日になってからのお楽しみ〜」

 

 冗談を交えながら口にする彼女は、いつもどおりのお調子者だった。

 何か良からぬことを考えているようだが、まあ変人ワンツーフィニッシュの二人に比べればまだマシな方だろう。

 こうして私達は、シブフェスに観客として参加することになったのだった。

 

 

 

 家に帰ってひとまずイベントについて下調べ。出演者について調べておけば注目すべき相手も見つかるかもしれない。

 

「えっと、最初に出るのは『MORE MORE JUMP!』アイドルなんだね」

 

 ネット活動を主にしているアイドルで、曰くMC一押しらしい。

 シブヤのイベントとはいえまだご当地のお祭りに近いこのイベントに出るあたり、まだ駆け出しか営業途中なのかどちらなのだろう。

 四人のうち三人は元アイドルであり、かなりの知名度を誇ってたらしい。その辺りはサーチしたことも聞いたこともなかったので全く知らない。

 

「それ以外だと目ぼしいのは、ワンダーランズ×ショウタイムかな」

 

 協賛枠の目玉として据えられた、フェニックスワンダーランドでもかなりの知名度を誇るショーユニット。

 確か神高の生徒も何人かが参加しているとかなんとか聞いたことがある。

 動画サイトでも時折おすすめとしてナイトショーの切り抜きが上がってくることもあった。一通り目を通しているけどあくまで参考資料としてまでだ。

 それ以外は名前も聞いたことのないユニットばかり。作詞と作曲でインドアを極めたのが裏目に出ている。

 

「言葉ちゃん、入るわよ?」

「あ、はい。どうぞ」

 

 ふと扉をノックされ叔母さんが入ってくる。お盆の上には湯気が上るカップとマドレーヌが数個乗っていた。

 

「作業ばっかりだと効率悪いから、って思ったんだけど……あら? シブフェスじゃない」

「ありがとう叔母さん。はい、友達に誘われたから行ってみようかなって」

「あらあらまあまあ、それは良かったわ。あ、晩御飯はいらないかしら?」

「そこまで遅くはならないと思います。その時は連絡するので」

 

 そういえば二人に伝えていなかったな、とお盆を受け取りながら思う。しかし心配する必要はなかったらしい。

 彼女は終始嬉しそうにしながら部屋を去っていく。

 ひとまず思考がリセットされたので、差し入れの紅茶とお菓子を頂くことにした。



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シブヤフェスタ、スタート

 そうして約束の日。時間になっても理那は駅前の集合場所に現れなかった。

 気になって連絡を取ろうと試みるも、そもそも連絡先を交換していないことに気付く。

 割と早い時間に来たから今はいいものの、これからはどんどん人が増えてしまう為あまり良くない。

 

「迷ったのかな」

 

 五分、十分と待ち続けてみても姿が見えない。いつもと違う交通状況で予定が狂ったのだろうか。

 電車やバスの遅延状況を調べても問題はなかった。

 いやお祭り女とも言える彼女のことだから、場合によっては先に野外ステージに行っている可能性もある。

 

「確かもうすぐステージが始まるんだっけ」

 

 案内所から拝借したチラシを見るに、最初のMORE MORE JUMP! の出番がもうすぐだ。楽しみかと言われるとそうでもないが、参考という意味では逃すのは惜しい。

 駅前ということもあり見るからに観光目的の人達も増えてきて混雑し始めていた。このままでは集合場所に理那が来たとしても私を見つけられる可能性は低い。

 

「なら、まだステージの方がいいよね」

 

 伝言を残す術もないけれど、あれだけ存在感のある彼女であれば見つけるのは容易いだろう。それに遅れた彼女側にも責がある。

 人混みに埋もれる前にステージへ向けて歩を進めた。歩行者天国と化した車道を辿り、乃々木公園の入り口に差し掛かったところで。

 

「よろしくお願いしまーす!」

 

 女子高校生、それも同年代と思わしき子達がビラ配りをしていた。四人いる中でも一段と声が大きいのは、赤の袖カラーの金髪を二つに結んだ少女。

 持ち前の明るさを生かして笑顔も一緒に振り撒いていた。他の三人は落ち着いており、テキパキと手渡している。

 

「Leo/needです! 今日の午後に演奏するので、もし良かったら」

 

 最も身長の高い子が差し出してくる。断る理由もないので受け取り一見。紺色を基調とした夜空を切り抜く一枚。可愛らしいイラストの横には非常にインパクトの強い──

 

「これって、もしかしてライオンのイラストですか?」

「えっ!? あ、はいそうなんです! バンド名がLeo/needなのでそこから」

「ああ、やっぱりそうなんですね。こういった創意工夫はとてもいいと思います」

 

 ふと尋ねてみれば予想通り、しかしあちらからすれば予想外だったらしく嬉しそうに由来まで教えてくれた。

 確かに一見すれば、幼稚園児がクレヨンで描いたような線の荒さや動物とは思えない形状から想像するのは難しい。

 しかしバンド名を活かさずしてなんとなる。それにこれがライオンだとわからなくても、人の記憶には残るだろう。

 

「おお〜、初めてでほなちゃんの絵を見抜くなんて凄い!」

「さ、咲希ちゃん……!」

「いえ、私は別に。バンド名から推測しただけですよ」

 

 彼女の嬉しさが伝播したのかすぐに金髪の子も寄ってくる。どうやら話すぎたらしい。

 

「確か午後(いち)、でしたね。楽しみにしてます」

 

 ひとまず彼女達の邪魔になっても悪いので足速にその場を離れ、ステージ前へとやってきた。

 既に人が集まっているが鮨詰め状態というわけでもない。しかし理那と思わしき姿はどこにもなかった。

 

「まあ、でもライブが始まったら釣られて出てくるかもね」

 

 人探しに意識が移っているうちにステージ上では五人の少女の姿があった。一人はMC担当の人だろう。後はオープニングを彩る、MORE MORE JUMP! のメンバー。

 生で見るアイドルは、なんというか生気の塊だ。場のボルテージを高める発火材として彼女達ほど優れた人達はいないだろう。

 

「♪──────!」

 

 明るく、楽しく、元気に。アイドルとはそういうものだけれど彼女達からはもっと別の、何か特別な想いを感じる気がする。

 その一体感が木霊して場に光をもたらしてくれていた。ただ、その光が私にとっては眩しすぎるようにも見える。

 

 あくまで参考資料としてのスタイルを崩さず、私は歌に耳を傾けているのであった。

 

 

 

『ありがとうございました!』

 

 曲に集中していたらいつの間にか終わっていた。どうやらタイムテーブル的にも数曲で交代らしい。

 しかし注目のアイドルユニットというだけあって通行人も引き込み、観客が倍以上に増えていた。

 ここまで人が増えると逆に人探しも苦労しそうなので、一度集合場所へと戻ることにしよう。

 

「あの、写真いいですか!」

「視線こっちにお願いしまーす!」

 

 そんな駅前のそばに人集りが出来ている。多くの人が中心へ向けてカメラやスマホを向けていた。

 男女問わず撮影しているが比率としては男性が多い。おそらく女キャラクターだろうと視線を向けてみると。

 

「へえ、凄いクオリティ」

 

 本人と見紛えるほどの巡音ルカがそこにいた。衣装の露出は高く、特に忠実なパレオのような部分は深くスリットが入っている。

 モデルの発達がいいのか詰め物をしているのか、本来デザイナーには求められなかった色気が数割増しになっていた。

 表情はクールに、しかしその青い瞳は何か遠くを見つめていた。

 

「(あの目、どこかで見たことあるような)」

 

 吸い寄せられるように見つめていると、こちらに気付いたのか視線がぶつかった。

 

「あ、言葉!」

「えっ、理那?」

 

 聞いたことのある声と共にその目は確かに私を見つめ、駆け寄ってくる。シャッターを切るカメラマンなどお構いなしだ。

 

「あ、時間になったんで撮影終わりでーす! ありがとうございましたー!」

 

 先ほどまでのクールな雰囲気はどこへやら、周りの群衆への塩対応である。最初は渋っていた撮影者もやがて彼女の意思を尊重し散っていった。

 

「酷いよ言葉、折角コスプレして驚かせようとしたのに、どこにもいないんだから!」

「それは理那が遅れたからでしょ。それより、さっきの人達はいいの?」

「別に。待ってる間だけなら、って撮らせてあげてただけだから」

 

 数歩下がって私に全身を見せつけてくる。なるほど、彼女のスタイルや顔の良さも相まってそっくりだ。口さえ開かなければ。

 シブフェスの宣伝にもミク達バーチャル・シンガーが使われていたし、コスプレの一つや二つあるだろう。特にこのシブヤならハロウィンの影響もあるしおかしいことはない。

 

「とりあえず合流出来たし、一緒に見て回らない?」

「それはいいけど、着替えた方がいいと思うよ」

 

 完成度の高いコスプレだからかやはり人の視線を貰ってしまう。プライベートで注目されるのは流石に勘弁だ。

 

「あー! ルカお姉さんがいるー!」

「コラえむ! 急に大声を出すんじゃな……うおっ!」

「ちょっと司まで大きな声出さないで……えっ!」

「これはこれは、中々のコスプレだねえ」

 

 周囲の注目をかき分けてる少女とそれを止めるべく現れた一人の青年。そして後を追うように二人が追加される。

 この中で私がよく知っているのは。

 

「どうも天馬先輩、驚かせてしまってすみません」

「ああ、隣にいるのは烏丸か。委員会でしか話したことはなかったが、奇遇だな」

「はい、本当に」

 

 神山高校が誇る変人ワンツーフィニッシュの一人、天馬(てんま)(つかさ)その人だった。



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ワンダショと一緒に

 

 駅前に集う神高生徒。その中で私がよく知るのは2年A組の学級委員長、天馬司先輩である。

 当然、よく知るというのは人柄をこの目で確かめている、という意味であり内面までは知らないのだけれど。

 

 自らをスターと称し、今まさに隣にいる神代(かみしろ)(るい)先輩とよく騒動を起こしている。背中にある大きな荷物が怪しさを醸し出していた。

 二人まとめて見られがちだが、大体天馬先輩が巻き込まれていることが多い。それでも毎度騒ぎになっている辺り、彼も人がいいのか悪いのか。

 それでも、委員会では潤滑油……というより出る杭みたいに見られてる。それでも退屈する人はいない。

 

「ねえねえ、お姉さんはルカお姉さんとお友達なの?」

「そうだよお嬢ちゃん。私の名前は斑鳩理那、よろしくね」

「はい! あたしは(おおとり)えむって言います! よろしくお願いします!」

 

 目の前の存在に思考を裂いているとピンク髪の少女が詰め寄ってきた。

 先の様子からするに天馬先輩の知り合いとみるが、この積極性たるや彼以上の物を感じる。流石にここまで近いと勘弁。

 割って入った理那が自己紹介まで一気に持っていってくれたが、目の輝かせ具合から彼女の攻勢は止まらないだろう。

 

「でも、ルカ()()()()だなんて本物のルカに会ったことあるみたいな言い方だね?」

「ひえっ!? そそそ、それは……」

 

 彼女は機転を効かせたジョークで主導権を取ろうと試みる。しかしどうしたことか、図星と言わんばかりに慌て始めてしまった。

 理那の顔を見るに笑顔だけれど、どこか腹黒さを感じるようなもの。もしかして、ジョークじゃなくて本気で……?

 

「ルカさんはミクくんやレンくんに比べれば年上だから、えむくんも親しみを込めてお姉さんと呼んでいるんだよ」

「そ、そーなんです! お姉さんみたいにフワフワポワポワーってしてるので!」

 

 そこにすかさず援護を出したのは意外にも神代先輩である。

 確かにルカは20歳という公式設定があり、性格も落ち着きがあってバーチャルシンガー先駆者の中でも『姉』は最早彼女の愛称と言ってもおかしくない。

 

「あはは、そうだよね。私も欲しかったなー、ルカみたいなお姉さん」

「理那は一人っ子なんだっけ」

「うん。そのお蔭でお父さんには自由にさせてもらってるけどね」

 

 先ほどまでのは冗談だったのかと見紛うほど、興味を失ったように普通の笑顔を浮かべていた。

 

「ごめんね、えむちゃん。あんまり可愛いからからかっちゃった。お詫びにお姉さんが何か屋台で奢ってあげよう」

「えっ、いいの? やったー! じゃあじゃあ、何にしよっかなー」

「お姉さんって言っても、烏丸さんと同じクラスなら同じ歳だと思うけど」

「? 私のことをご存知なんですか?」

 

 二人で盛り上がる中、一人ため息をつく灰色がかった緑髪の少女。ふと私の苗字が聞こえた気がして聞き返してしまう。

 

「え、あっ、ごめんなさい。有名だったから、つい」

「毎日欠かさず朝一で登校し、クラス委員長を務める品行方正な生徒だ。僕達、というより先生達の中で有名かな」

「ああ、次期生徒会長最有力候補とも声が高い。まあ、会長を務めるのはオレだろうがな! はーっはっはっは!」

 

 流石、ドローンで生徒の動向を監視していると噂されているだけある神代先輩の情報網だ。

 と思いつつそもそも私は噂にまったく興味がないため、疎いだけと言ってしまえばそこまで。

 しかしせっかく知ってもらえているのなら、ここで縁を作っておくのもやぶさかではない。

 

「では私も理那に続いて自己紹介を。1年C組で委員長をさせて頂いている、烏丸言葉と言います。以後、よろしくお願いします」

「これはご丁寧にどうも。僕は神代類、よろしく頼むよ」

「えっと、草薙(くさなぎ)寧々(ねね)……よろしく」

「神代先輩に草薙さん、ですね。覚えました」

「そして何を隠そうこのオレが「司くーん! 寧々ちゃーん! 類くーん! 早くしないと売り切れちゃうよー!」」

「言葉もー! 一緒にデートって言ったよねー!」

 

 気がつけば点のようになっている二人組。それでも互いの声が届くのは、よほど通るのか大きいからなのか。

 ただ天馬先輩の声を遮るのはナイスカットと思いたい。

 

「おいお前達! 人が名乗る邪魔をするんじゃない!」

「でも、お約束みたいなものでしょ」

「私達も行きましょう。迷うことはないでしょうが、置いていかれますから」

「ああ……しかし何故だろうか、烏丸の友人がそばにいるのに不安しかないぞ」

 

 こうして、なし崩し的に私達は行動を共にするのであった。

 

 

 

 センター街に近づけば自ずと屋台が増えてくる。しかし同様に彫刻などのモニュメントも散見され、理由を神代先輩が天馬先輩に説明していた。

 ついでにストリートピアノまで置いてあるが、誰も触る気配はない。

 一方で私は……

 

「なるほど、では草薙さん達がワンダーランズ×ショウタイムなんですね」

「うん。今日は協賛枠で呼ばれてて、良かったらみて行ってくれると嬉しいな」

「はい。動画でショーの盛況ぶりは存じてますから、期待してますね」

 

 特に話すこともないので彼女達がシブフェスに訪れた理由を尋ねていた。

 私はただの参加者だけれど彼女達は出演者。神代先輩が背負う荷物もショーのための道具らしい。

 

「烏丸さんは何かやってるの?」

「私は特に」

「なーに言ってんのさ。私の為に曲書いてくれてるでしょ」

「えへへ〜、いっぱい買ってもらっちゃった♪」

 

 理那が呆れ口調で戻ってくるが、プロとして活躍している彼女達に比べれば何もやっていないのと同じだ。

 それはそれとして無数の食べ物やお菓子を抱えていては示しがつかなかった。果てにはルカのお面まで。

 ちなみに鳳さんも持っているものは変わりない。一部を他の皆に分け与えている。

 

「バーチャル・シンガーのお面まで……それにルカって、完全になり切るつもり?」

「いいのいいの。こういうのは楽しむのが一番なんだから。はい、言葉にはカイトのお面ねー」

「まあ、うん。ありがとう」

 

 差し出されたのはよりにもよってカイト。まあ、自分が使っているのだからそれはそうかと受け取った。

 

「少し意外。烏丸さんって噂通りだと真面目なイメージがあったから、こういう騒がしいのは嫌いかと思ってた」

「私も普段はこういう場所には来ませんよ。理那が誘ってくれたんです」

「あ、そうなんだ。なんていうか……ううん、なんでもない」

 

 お互いの顔を見つめながら、何か言いたげな表情を浮かべる彼女。しかし口にする勇気がないのか噤んでしまった。

 

「ん? 私みたいな不真面目な生徒と一緒なのが珍しいって?」

「あ、えっと……そういうのじゃなくて」

「あはは、ごめんごめん。でもそうだよね。最近クラスでも『どういう繋がりで〜』って噂になってるもん」

「そうなの?」

「そうだよ。言葉は周りを気にしなさすぎ」

 

 先ほど同じ、まるで人の心が読めるように草薙さんとの会話に割ってくる。お陰で彼女は俯いてしまったが即座の謝罪でなんとか持ち直した。

 まあ、普通なら経緯すら聞いても不明だろう。曲の作り手と歌い手による二人のユニットだなんて説明しても、そこに至る道のりがないのだから。

 

「あの、すみません。写真撮らせてもらってもいいですか?」

「ん? あー、今はちょっと」

「そう言わずに!」

 

 と、そんな会話の中に飛び込んでくる一般客。大層なカメラを持っているが服装や態度から一般客だと予想出来る。

 

「仕方ないなー、一枚だけですよ?」

「ありがとうございます!」

「あの、私もいいですか?」

「私も私も!」

 

 そんな一人を皮切りに、理那を狙っていたのか瞬く間に群衆が再形成されようとしていた。このままでは一緒に回ることは難しい。

 

「わわっ! 理那さん囲まれちゃったよ!?」

「瞬く間に人気者、といったところだけれど」

「すみません。ご迷惑をかけてしまうかもしれませんし、皆さんは先に行ってくださいませんか?」

「むう、しかし……」

「私のことは大丈夫ですよー。その気になれば逃げられるんで!」

「なら大丈夫、なのかな」

 

 先の鳳さんと見せた行動力は三人にとっても周知の事実。実際に逃げそうなのが怖いところだ。

 

「じゃあ理那さん! ショー絶対に見に来てね!」

「うん約束! 楽しみにしてるからねー!」

 

 お互いが望まぬ形ではあるけれど、こうして私達はワンダーランズ×ショウタイムと別れるのであった。



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お昼時、シブヤフェスタで。

 

 ワンダーランズ×ショウタイムの人達と別れた後、遠目に理那の様子を眺めていた。

 多くの人に見てもらえるというのはいいことだけれど、それに伴う問題の一つを知れた気がする。

 

「そういう意味では、顔の見えないネットの方が良かったりするのかもね」

 

 無論、現実でもそういった線引きが出来ていないわけではない。その一つがステージであり、壇上の役者も観客側を第3の壁と称しているほどだ。

 だとするなら、ネットの世界は液晶の壁とでもいうべきか。

 

「表情お願いしまーす」

 

 そんなネットと現実を媒介する者に囲まれた理那はあくまでキャラに徹している。その顔から彼女の内情は見て取れない。

 多分、もう一人の理那がいたら解説してくれたりするんだろうけど。

 

「ほら見てよ絵名、奏! あのコスプレ完成度ヤバくない!?」

「ちょっとテンション高すぎ。ってうわ、何あれ」

「う、すごい人混み……」

 

 こうしてる間にも話題が話題を呼び群衆が生成されていく。そろそろ通行人の邪魔になりそうだし、潮時だと理那に合図を送ることにした。

 とりあえず、あちらから見えるようにKAITOのお面を掲げて振ってみる。彼女は身長も高いしすぐ気付くだろう。

 

「あ、すみませーん! 私もステージとか見に行きたいんで、これで終わりでーす!」

 

 途端に彼女の声が周囲に広がる。よく響く声というのはこういう時にも役に立つみたいだ。

 群衆をかき分けて主役がやってくる……けど顔の表情が優れない。終始自分の衣装を気にしているようだった。

 

「ねえ言葉、ソーイングセットとか持ってない?」

「持ってないよ。どうしたの?」

「いろんなポーズとってたら服に無理させちゃってさ」

 

 ふと見せてくれた背中には線が入り下着が見えそうになっていた。そもそも見せることに特化したコスチュームだから、機能面など考えられてもいない。

 彼女の発育と運動神経の良さが逆に枷になったようだ。

 

「なら近くのコンビニで……」

「あー、屋台とか出てるし、この人混みだときつそうだね」

「他の服は持ってきてないの?」

「うん。これが一張羅だからねー」

「制服持ってるでしょ」

 

 ツッコミをしつつも、確かに歩行者天国に加えて観光客も溢れるいつもと勝手の違う街。ただでさえ目立つ衣装のため自由に歩くのも難しい。

 今も解散しきれていない群衆の視線がこちらに向いている。

 

「カメラマンさんの中でソーイングセット持ってる人は……いないよね」

「あ、ボク持ってるよー」

 

 群衆の端、今は私達のすぐそばに居た桃色の髪をした子が手をあげる。

 

「あ、良かったー。じゃあ貸して……って瑞希じゃん!」

「え、この声もしかして理那? 理那なの?」

「あはは、瑞希でもわからなかったんだ。まあ言葉でも解らなかったし無理もないか」

 

 どうやらこの二人、知り合いであるらしい。

 

 

 

 ひとまず私達と瑞希(みずき)と呼ばれた子、そしてその連れの人達と一緒に人目のつかない場所へと移動していた。

 今は慣れた手つきで破けた部分をつなぎ合わせている。

 

「いやー派手にやったね。もっと丁寧に着ないとカワイイ服が台無しだよ?」

「あはは、この時くらいにしか着ないから大丈夫って思ってたんだけどね」

 

 いつどこで知り合ったのか解らないまま、二人は自分達の世界で楽しんでいる。

 年が離れているようには見えないし、となるとあの子も神高の生徒なのだろうか。別のクラスなのか見たことはないけれど。

 

「「「………」」」

 

 それはそれとして、連れである人達の視線がキツい。特に茶髪ショートの彼女。ジャージに白髪ロングの少女は少し戸惑っている。

 私だって状況が理解できないから色々場を持たせたいけど、友達の友達は友達になれるようなフレンドリーな性格でもない。

 まるで狭い部屋で二人きりになった時の様に、動く針先をひたすら見つめ誤魔化していた。

 

「はい、おしまい。無理しちゃダメだよー?」

「ありがと瑞希。本当に助かった」

「……で、私達はほったらかしなわけ?」

「ごめんごめん。緊急事態だったから……」

 

 作業がようやく終わったところで、茶髪の少女が口を開く。紹介もなしに放置されたのが思いの外効いているらしい。

 私も不安ではあったが、代弁してくれたのでとりあえずこの場は大丈夫そうだ。

 

「理那……あ、このコスプレしてる子ね。友達の友達でさ、ちょくちょく会ったりしてたんだ」

「1-Cの斑鳩理那でーす! 瑞希とは仲良くやってまーす」

「えっとつまり、瑞希の友達……?」

「あはは、まあそういうこと。あ、そっちの子は初めましてだよね」

 

 ソーイングセットを片付けながらこちらに歩み寄ってくる。ニコニコと笑顔を浮かべてるのは社交辞令か、元よりそんな性格なのかは解らない。

 

「ボクは暁山(あきやま)瑞希(みずき)だけど……多分知ってるよね?」

「いえ、特に何も。私は烏丸言葉です。理那と同じ1年C組なので、以後お見知り置きを」

「あー、君が先生お気に入りの模範生徒さんなんだ……見るからに真面目……真面目?」

 

 理那から受け取った屋台の荷物にKAITOのお面を交互に見つめながら疑問を浮かべた。

 確かに噂でしか知らない存在がそれに反してお祭りを楽しんでいる様に見えては拍子抜けだと思う。

 

「ごめんごめん、言葉に荷物持ってもらってたんだ。それ全部私のなの」

「あー、ダメだよ理那。友達なんだから荷物持ちにさせちゃ」

「なんか遠巻きに私のこと言ってない?」

「それは絵名の思い込みだよー。それとも思い当たる節があったとか?」

「あんたねえ! 私だって自分の荷物くらい持つことあるわよ!」

 

 側から見れば仲がいいのか悪いのか。冗談と本音が言い合えるのはとても良いことだとは思うけれど。

 

「まーまー落ち着いて。それより瑞希達もどこか行く予定だったんでしょ? 友達もいっぱい連れてさー」

「友達っていうより、ボク達おんなじ音楽サークルで活動してるんだ。こっちが絵名で、こっちが奏!」

「あ、えーっと、東雲絵名です」

「東雲……ということは東雲君の」

「あ、うん。私が姉で、あっちが弟。そういえばクラス同じなんだっけ」

「へー、彰人君にお姉さんがいたんだ」

 

 茶髪の少女の紹介が終わり、次は白髪の少女へと視線が移る。ジャージ姿に地面まで届きそうなストレート髪が特徴的だ。

 

「その、えっと、よろしく」

「はい、よろしくお願いします」

「本当はまふゆも紹介出来たらよかったんだけど、今はお手伝いしてるし」

「まふゆって、もしかして……いや、いいよ。その時が来たら紹介して」

 

 こうして、ちょっとした大所帯になりながらも再びステージに向けて歩き出した。

 しかしその名前を聞いてからしばらく理那の足取りが重かったことを、ここに付け加えておく。



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夢追人を眺めて

 

 ステージでは入れ替わり立ち替わりで観客が流れていた。先ほどまでは小学校の出し物があったらしく家族連れの姿が目立つ。

 そんなありふれた家族を流しながら、空いた席を一緒に探していると。

 

「瑞希ー!」

「わっ、杏! 来てたんだね」

 

 観客席の方から白石さんが手を振っている。側には東雲君や小豆沢さんの姿もあるが、何より目立つのは一つ頭の抜けた男子、青柳(あおやぎ)君である。

 さらにその近くではワンダーランズ×ショウタイムの四人の姿もあり、神代先輩がこちらを見ていた。

 暁山さんはそれに応えるように皆を連れて観客席を進んでいく。偶然かそれとも場所取りをしていてくれたのか、五人分の席が空いていた。

 

「やっほ、杏。朝練してから来るって聞いてたけど結構早いじゃん?」

「わっ、理那どうしたのその格好! あんまりそっくりだから気づかなかった」

「ありがと、まあこれには事情があってねー」

 

 仲の良いもの同士会話が弾んでいるのを尻目に、私は席が確保出来たことに安堵する。そんな中、ふらりと東雲君がやってきた。

 

「委員長も来てたんだな」

「うん、理那に誘われてね。ところで四人はどういう集まり?」

「なんだ、聞いてねえのか。オレ達、この四人で歌ってるんだよ」

 

 パンフレットのリスト、一般枠の最後に示された名前がユニットの名前らしい。Vivid BAD SQUAD。

 名前の由来は分からないけれど、雰囲気からしてパンクでも歌うのだろうか。

 

「彰人、その人は?」

「ああ、うちのクラスの委員長だよ。それに理那が見つけた相棒だ」

「なるほど、白石が言っていた……」

 

 こちらの会話に興味を持ったのか、はたまた私と話しているのが珍しいのか、青柳君が寄ってくる。

 東雲君と一緒にいることが多い──むしろ当たり前な──のは知っていたけれど、同じユニットを組んでいるとなればあの交友関係も納得できる。

 まじまじとこちらを見つめていた為、視線がぶつかった。こうして面と向かったのは神高でもなかったなと思い返す。

 

「自己紹介がまだだった。俺は青柳(あおやぎ)冬弥(とうや)。彰人達とVivid BAD SQUADとして歌っている」

「ではこちらも。烏丸言葉です。そちらのお父さんの楽曲は、よく参考にさせてもらいました」

「そういえば烏丸は曲を作っているんだったな。それは、何よりだ」

 

 青柳君の父親は有名なクラシック音楽家であり作曲家。曲を作り始めた頃は理論を学ぶ際大いに参考にさせてもらった。

 そんな息子である彼もまた、別の方向とはいえ音楽の道を進んでいる。

 

「だったらオレ達の曲も聞いてけよ。退屈なんか絶対させねえ」

「ふふ、期待してるね。でもそれより先に、先客が居るんだ」

 

 会場にアナウンスが入り、次に出てくるグループの名前が告げられる。その名はLeo/need。

 チラシを配っていた四人が壇上に上がり、各々が楽器の配置についた。その中央に立つのは黒髪の少女。

 MCが変わり、自分達の経緯などを語る中、最も力が入った言葉が。

 

「でも──誰かの心に響く演奏をしたいという想いは、誰にも負けません」

 

 芯の通ったその声は、彼女、いや、彼女達全員の想いなのだろう。やがて始まる演奏は一般参加枠と侮るなかれ、プロに迫らんとする確かな強みがそこにはあった。

 そのレベルの高さに皆が賞賛と感嘆の声を上げている。

 

「学生バンドでアレだけのレベルかー。ほんと、上には上がいるもんだね。言葉はどう思う?」

「演奏も歌唱も、プロみたいって思うよ。でも」

「でも?」

「……心に響くっていうのが、分からないなって」

 

 技術の高さも、想いの強さも理解できる。でもそれだけだった。万人受けする素晴らしい楽曲の数々に、胸を打たれる人は複数いるだろう。

 現に天馬先輩なんて泣いているし、草薙さんや鳳さんのように目を輝かせながらその勇姿に見惚れる人もいる。

 そんな私の言葉を聞いて、理那の顔からも少し表情が失せた気がした。

 

「それは……音楽しかないっていう割には悲しいね」

「その理由も、理那の直感ならわかるでしょ?」

「わかったところで、本人が知りたくないなら言わないよ」

 

 そう言ったきり、再び顔を戻して演奏に集中する彼女。どこまでも敏感だなと感じながらも、同時に苦労するんだなとも思う。

 それから移り変わる楽曲でも私の心境は変わることなく、一人の観客ではなく作曲者として参考材料にするのだった。

 

 

 

 日が傾き、ステージが茜色に染まる。一般枠最後に控えるVivid BAD SQUADの出番が迫っていた。

 ワンダーランズ×ショウタイムの人達も出番がもうすぐということで機材のチェックやら準備で観客席から姿を消している。

 

「さーて、もうすぐ杏達の番だねー。どこまでこの空気をぶち上げてくれるのやら」

 

 同じ場所で歌っている者としての期待か、今か今かとその番を待っている理那。自分がクールキャラのコスプレをしているのを忘れるくらい、顔がニヤついている。

 

「おーい! まふゆー!」

 

 そんな中で、暁山さんが観客の中で知り合いを見つけたのか大きく声を上げる。さっきの白石さんとなんら変わりなくて、少し面白い。

 その名を呼ばれた紫髪の少女は、ゆっくりと三人の元へ歩み寄っていた。

 

「知り合いみたい。暁山さんも顔が広いね」

「……ああうん。ホントに」

 

 紹介する、とは言っていたもののもうすぐVivid BAD SQUADの番。

 それに観客が入れ替わったり、暁山さんがその少女を迎えに行ったりと互いの距離が離れてしまい紹介には至らなかった。

 そして同時に、理那がルカのお面を深く被る。

 

「理那、どうしたの?」

「あ、うん。ちょっと風が強くて目にゴミが入りそうだからさ。防護マスク的な?」

「そう。それならいいけど」

 

 普段の彼女らしくない落ち着いた行動に疑問を抱きながらも、ステージに集中する。既に四人の姿があり、イントロを終えようとしていた。

 音圧高めのヒップホップに会場に揺れる。歌唱のレベルはあの時店で聞いた時よりも遥かに高く、観客皆が圧倒されていた。

 しかし私も、そしてなぜか理那ですら感嘆の声を上げない。私はともかくとして、理那は何かあったとしか思えない。

 

 後に続くワンダーランズ×ショウタイムは一風変わった悪魔のショー。笑いあり、涙あり……いや、涙はなかったけれど、愉快なショーに観客は別の意味で賑わっている。

 空気が変わるとはこのことか、同じ音楽続きとはいえミュージカルでこれほどまでに自分達の色に染めるのはかなりの腕前だ。

 

 共にそれぞれの想いを持って舞台に立っているだけあり、レベルが違う。先のLeo/needもそうだった。

 その想いがなんなのかまでは分からない。それでも彼ら、彼女らには抱いている何かがある。分かりはする、理解もできる。

 ただそれでも、共感だけはできなかった。



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後の祭り

 

 ショーが終わった後、私達は皆より早く帰路についていた。

 駅前の混雑を考えても抜け出すのにはちょうどよかったし、何より理那が居心地悪そうにしていたのが大きかった。

 私は東雲君に、理那は鳳さんに感想を言えてないが、こればっかりは仕方ない。

 

「理那、大丈夫? どこか悪くした?」

「あ、ううん。ちょっと昔の知り合いがいただけだよ」

「知り合いって、もしかしてあのまふゆって人のこと?」

「そ。ま、この話は置いといて欲しいかな。あんまりいい話じゃ無いからさ」

 

 人間誰しも詮索してほしくない事情がある。いくら気分屋でムードメーカーな彼女だって例外じゃない。

 そんな目に見える地雷が側にあったから、彼女は今も顔を隠している。普段なら奇異な目で見られるだろうけれど、このシブヤフェスタがいい具合にカモフラージュとして効いていた。

 

「じゃあ逆にこっちが質問だけどさ、何か参考になりそうなのはあった?」

「そうだね。色々刺激は多かったけれど……」

 

 数々のステージを思い出す。アイドル・バンド・ストリート・ミュージカル。それぞれが己の想いを抱いて魅せる舞台はどれも輝いていた。

 そして少なくとも今日あの場所にいた人達には届いただろう。ただし、全員が全員に届いたわけじゃない。

 

「何か感じるものはなかったかな」

「なら良かったじゃん。()()()()()()()()()だけ、ってことでしょ?」

「……そうだね。理那のそういうところ、すごいと思うよ」

 

 前向きな答えで返されるとは思っておらず、詰まりながらも出てきたのは肯定。

 彼女の鋭さもここまで来ると、素直な褒め言葉が口から滑るほどに感服してしまう。

 それからは会話もなく、人もまばらになった歩行者天国を二人きりで歩いていた。

 そんな中、もう一度見つけたストリートピアノ。まだ誰も触った形跡はなく、夕日に照らされて哀愁たっぷりのセピア色に染まっていた。

 

「ピアノってさ、凄いよね。一人でなんでも出来て、音楽の優等生だ」

 

 私の視線に気付いたのか、理那が口を開く。

 

「でもどうしてだろうね。一人になったら寂しく聞こえるのって」

 

 出せる音の幅は狭いけれど、最も聞き馴染んだ音として愛されるピアノ。しかし蓋をあければその音色は主張が強く、どこにも馴染まぬたった一人の存在だ。

 

「でも、だからこそ誰かが弾いて、一緒に歌うんじゃないかな?」

 

 これだけ人の目がある中で弾くのは私も遠慮したいけど、何より孤独なピアノを放っておけない。

 誤魔化すようにお面を深く被った後、私は一人席に座りピアノの蓋を開く。白の鍵盤も同じく夕日に照らされセピア色だった。

 

 このお祭りもいつか過ぎて行った思い出として、色褪せていくのかもしれない。

 指先から奏でるのは、哀愁の音色。終わってしまうこのお祭りとこの空気へ向けた曲。

 ゆっくり、静かに、優しく。ひとりぼっちのピアノと、終わりゆく祭りに向けて私の曲を捧げるように。

 

「♪───」

 

 側に寄り添う理那が、歌詞のない歌詞を紡いでいる。メロディーだけを追って、お面越しだというのに彼女の歌はよく響いていた。

 群衆から向けられた視線もカメラのレンズも、意識の外にある。孤独の世界に二人と一つきり。それでも寂しいと感じることはない。

 

 

 

 演奏を終えて顔を上げれば、多くの視線がこちらに向いていた。その中にはこのお祭りで知り合った人達の顔も多く見られる。それでもKAITOのお面が私を守ってくれていた。

 席を立ち、共にその場を後にしようとしたところで理那の足が止まる。彼女の前には、まふゆと呼ばれた少女が立っていた。

 

「……まふゆ」

「? 私のこと、ご存じなんですか?」

 

 しかし、会話にはならない。今の彼女はコスプレにお面も完備した変装にも等しい状態。よっぽどのことがなければ彼女を見抜くことは不可能だった。

 

「ああいや、何も知らないよ。邪魔したね」

「えっ、ああ、はい」

 

 横をすり抜け去ってく理那を追いかける。まふゆと呼ばれた少女はそのまま私の後に続いて静かな曲を奏で始めた。

 闇の中で一筋の光を見つけるような、そんな優しい曲。そんな曲にも、私の心は揺るがない。

 一人足速にその場を去ろうとする理那になんとか追いついた。

 

「理那」

「あ、うん。ごめんね。どうもあの子見ると調子狂っちゃってさ」

 

 このお祭りで理那の顔の広さを再認識したものの、それは同時に触れてはいけないものに触れてしまった気もする。

 いつだって友好的な彼女の姿はもうどこにもなく、ただひたすらに何かを抑えようと必死になっていた。

 その要があの少女だということは、火を見るよりも明らか。それでも。

 

『この話は置いといて欲しいかな。あんまりいい話じゃ無いからさ』

 

 コンビを組む仲として、今この問題は追求するべきではない。むしろ今必要なのは気分転換である。

 

「……理那、何か食べたいものはある?」

「ん? どうしたのさ急に。まあ屋台のは大体食べたからないけど」

「ファミレスでもなんでも、好きなもの言って。奢るから」

「何〜、真面目な言葉にしては珍しいじゃん。じゃあお言葉に甘えて大盛り料理が出てくる喫茶店にしよっかな」

 

 そうして彼女に連れられてお店の中に入っていく。晩御飯もあるし、私はバスケットに入った小さいセットにしようかな。

 なお、その後出てきた量に完全敗北した私は理那に助けてもらうのであった。

 

 

/////////////////

 

 

──とある自室 25時にて

 

 少女はいつものように人を救うための音楽を作る。かつては一人きりだったこの作業も、少ないながらも唯一無二の仲間に囲まれ、様々な縁によって彼女を構築している。

 また、それによって得られた成果というべきか、今回のお祭りで得られるものは多く作曲も順調に進んでいた。

 それでも一種の賑やかしか、通話だけはチャットアプリの『ナイトコード』が繋げてある。

 

『そういえば、今日まふゆと奏が演奏する前に演奏してた人いたでしょ?』

『あのお昼前に会ったAmiaの友達でしょ? その隣にいた……烏丸さん、だっけ?』

『そうそう。その動画録ってた人がいたみたいで、今SNSで結構話題になってるみたいなんだ』

 

 Amiaから送られてきたURL。その先には確かに烏丸と呼ばれた少女がカイトのお面を被り、隣では理那が歌詞のない歌を紡いでいた。

 哀愁たっぷりに奏でられた曲は今まで聞いたことこそあれど、作曲に取り憑かれた少女にとって生で見るのは初めてである。

 

「この人には、どんな想いがあるのかな」

 

 ひどく印象的だったのを思い出しながら一言が自然と溢れる。そして同時に、瑞希の知り合いが側にいたことも。

 

「ねえAmia、ちょっとお願いしていいかな」

「ん、どうしたのK」

「この人、また会ってみたいな」

 

 新しい縁の始まりは、案外すぐそこに転がっているのかもしれない。



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気まぐれにゃんこの頼み事

──神山高校 食堂 お昼休み

 

 結局シブヤ・フェスタで得られたものは少なく、それからも変わらずいつもの日常が訪れる……と思っていた。

 流石に屋上だと寒さが堪えるので理那に誘われ学食の食堂にやってきている。しかし二人きりの食事とは違っていた。

 

「瑞希が学校来てるなんて珍しい。今日はお昼登校?」

「まあそんな感じ。学食がカレーだったから来ちゃった」

 

 理那の隣に座っているのは暁山さん。さっき変な会話があったような気がするけど気にする必要はない。

 食事中も会話を挟む二人。友達の友達、という割には仲睦まじく話す様子は親友と言っても差し支えないだろう。

 そんな中、一人浮いている私を引き入れる為か暁山さんが話題を切り出した。

 

「そういえばこの前のシブフェスだけどさ」

「はい」

「最後に烏丸さんが演奏してたの、誰かが録っててSNSに上げてたみたいなんだよね」

「そうですか」

「ありゃ、怒らないんだ。それがなんでか知らないけどバズっててさー」

 

 スマホを差し出せば、縦長の動画にこの前の演奏風景が映し出される。

 「シブフェスで見かけたピアニストとコスプレがヤバいww」と短い動画だからか50万再生を越しており、リプライも二桁後半まで行っている。

 何がそこまで、と思いきやリプライは大体理那のコスプレに関する事ばかりだった。曲に関してもちらほら見えるが、「オリジナルか否か」が大半。

 

「大体理那のことについて言われてるね」

「あはは、みんなそんなもんだよ。でも曲についてもコメントしてる人いるよ」

 

 まだ名も知られていない二人組。ただネットの世界に「こういう人達もいる」と発信するには十分な材料になる。

 しかし私達に辿り着くには遥かに遠い。気付くのはあのお祭りで居合わせた誰か、特に暁山さんのような人間くらいだと思う。

 

「あれ、烏丸さんってもしかしてこういうこと興味ない?」

「まあそうだねー。瑞希のこと知らないくらいには?」

「あー、それもそっか。知り合いがちょっと烏丸さんのこと気になってたから話くらいしたかったんだけど……」

「へえ、言葉に興味があるなんて珍しい。もしかしてこの前の子?」

「うん。奏っていう、曲を作ってる……あ、ジャージ着てた女の子のがそうなんだけど」

 

 紹介はされたから覚えてはいる。ただ印象云々を聞かれると長い白髪ストレートと、風が吹けば飛ばされてしまいそうな線の細さとしか答えられないだろう。

 ステージでもすぐにそれぞれの楽しみ方をしていたし、特別会話を交わしたわけでもない。むしろあそこで一番交流を持ったとするなら草薙さんくらいだろうか。

 しかし、作曲をしているのか。どうもあのお祭りから音楽関係の人達と関わりを持っている気がする。いや、正確にいえば理那と知り合ってからかも。

 

「あの方、作曲をされているんですね」

「うん。あ、もし良かったら聴いてみる? 動画教えるよー?」

「ありがとうございます。では是非」

 

 動画の名前を教えてもらってとりあえずブックマーク。マリオネットのサムネイルが特徴的。ただその場で聞くことはしない。食事中はマナー違反だ。

 

「聞かないの?」

「はい。食事が終わってからの甘味として頂きます」

「噂通り真面目だねー。それに甘味って、デザートってこと?」

「あはは、言葉ってば洒落た言い回しー。じゃあ私も後で聞かせてもらおっと」

 

 こうしていつもとは違うチグハグなお昼は過ぎていく。

 

 

 

 食後も暁山さんが曲の感想を求めてこちらを見つめている。それが主食であるように、自分の食事にはほとんど手をつけていない。

 本人は「猫舌だから出来立てはちょっとねー」と言っていたが本当かどうかは判断に困る。

 ひとまず教えられた動画を聴いてみることにした。

 

 操られているような、縛られている日常にNOと答える曲。激しい曲想から暗闇の中で必死に足掻いているような気さえしてくる。

 一通り聞き終えてみれば、ニマニマと期待を込めてこちらを見つめてくる暁山さん。

 

「どうだった?」

「楽曲に対しての歌詞が非常にマッチしてますね。現実で足掻くといいますか、アンチテーゼといいますか」

「なんていうか、結構ズバッと言ってくるね……でも気に入ってくれたみたいで良かった」

「気に入る……」

 

 その言葉に対して流石に首を傾げる。楽曲分析をしただけで特別思い入れがあるわけでもない。あくまで一般論だ。

 

「へー、あんな子がこんなストレートな歌詞書くんだね。もうちょっと上品かと思った」

「あ、作詞は別だよ? 紹介しようと思ったらいなくなってたし」

「ということは、まふゆか……ふーん」

 

 理那も理那で感想を述べているが、何か思い当たる節があったのか急に興味を失せてしまったようで聞くのをやめてしまった。

 

「なんていうか、二人とも冷静だね」

「いやー、悪気はないんだよ。ただこっちも音楽やってるから何がいいたいのか大体分かるっていうかー」

「あはは、理那ってば鋭いもんね。じゃあ、どんな風に思ったの?」

「そりゃ簡単だよ。今に満足出来ないから抜け出したいってことでしょ。ジャンルからしてそうだし」

 

 単刀直入。歌詞から受け止められる部分を抽出して弾き出した彼女の答え。アンダーグラウンドと称される音楽の数々。

 反体制、反商業主義といった、現実を真っ向からNOという芸術の形式。私が唯一()()()()楽曲群でもあった。

 

「まあ、当たってるっちゃ当たってるけど、少し違うかな」

「なーんだ。じゃあいいや」

 

 元より興味のない問題だから正解すら求めていない。気分屋らしい返事でむしろ理那らしいと言える。

 でもおそらく、そこにまふゆという人物が噛んでいるからというのも理由の一つなんだと思った。

 

「それで話を戻すけど、もし良かったら奏に会ってくれないかな」

「別に構いませんよ」

「えっ、ホントに!?」

「はい。私も他の作曲者さんと関わったことはあまりないもので」

 

 作らないからといって全くの参考にならないわけじゃない。どういった想いで作っているかは参考になると思うから。

 

「あ、じゃあ予定決めなきゃ。次の休みって空いてる?」

「学校の時間でなければいつでも合わせられますよ」

「オッケー、じゃあ決まったら連絡……って連絡先交換してなかったよね」

 

 仲介役として暁山さんと連絡先を交換。こうして、暁山さんの導きの元別の作曲者と会うことになった。

 

「あ、私だって言葉の連絡先持ってないのにー。じゃあ私もー」

 

 ……ついでに理那との連絡先も交換することが出来たのだった。



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ファミレスにて

 次の休み、今度は暁山さんに指定されたファミレスまでやってきていた。連絡役兼仲介人として参加するらしく、あちらの案内の方は問題ないらしい。

 私は予定の時間より10分ほど早く到着し、三人でテーブル席を確保する。普段なら理那も付いてくるかと思ったけど……

 

『あー、ごめん。私その日別の予定があるんだよね』

 

 と彼女らしからぬノリの悪さで断られてしまった。そういう日もあるだろう。

 ひとまず暁山さんに席を確保したことを連絡する。するとすぐに返信が返ってきた。

 

『ごめーん、ちょっと遅くなるから先に注文しちゃってて』

 

 こちらは一人だがあちらは二人、予測できない事柄で片方が遅れることもあり得る。

 そんな不自由さも他人と関わる醍醐味なのだと噛み砕き、あるものとして受け入れていた。

 注文といっても特別なにか欲しいわけでもないので、ドリンクバーを頼みセルフサービスのティーバッグで紅茶を抽出する。

 安物でこの前行ったライブ&カフェバーに比べれば天と地ほどの差だが、元より求めていないので気にすることはない。

 

 一応今日出会う人のために作曲の道具も持参しているが、今は手をつけるべきではないだろう。

 ただひたすらに紅茶を飲むことに時間を費やし、集合時間から10分ほど遅れて二人は現れた。

 

「居た居た。ほら奏、こっちだよ!」

「み、瑞希……もう少しゆっくり……」

 

 ボストンバッグを手にした暁山さんに導かれジャージ姿の少女と相見える。顔が青ざめているように見えるけれど。

 

「烏丸さんの方に荷物置いてもいいかな?」

「はい、構いませんよ」

 

 鞄を受け取りそこそこの重みを感じる。虚弱そうに見える彼女だけれど、なにかスポーツでもやっているのかな。

 

「お久しぶりです、宵崎さん。こんなに早く再会できるとは思っていませんでした」

「あ、うん……ごめんね。私の都合で呼び出しちゃったのに、遅れて」

「いえいえ。今日は一日暇ですから、お気になさらず」

「もー、そんな固い挨拶いいからさ。奏も座って! 昨日から何にも食べてないんでしょ?」

「ううん、昨日はゼリー飲料を少し」

「そんなのじゃ全然お腹膨れないよ! ほら、メニュー選んで。ボクはいつも通りのポテト大盛りにするからさ」

 

 こうして見ているとなんとも不思議だ。お互い気の合う性格には見えず、絶えず暁山さんが宵崎さんを引っ張っているような気がする。側から見た理那と私もこんな風に見えてたりするのかな。

 

「烏丸さんは何か頼む?」

「私は大丈夫です」

 

 そういってカップに入った紅茶を見せるも、暁山さんは浮かない表情だった。

 

「……もしかして曲作る人ってみんなそんな食生活だったりする?」

「私はちゃんと朝ごはんも食べてますからそんなことはないと思いますよ」

 

 ただ、昔は作業に没頭しすぎて叔母さんの差し入れだけで凌いでいた時期もあったっけ。あの時も含めて叔父と叔母には感謝しかない。

 だからこそ、宵崎さんの入れ込み具合も分からなくはない。彼女は坦々麺を注文し、出揃うまでは何気ない世間話を始める。

 ひとまずボストンバッグに視線を送りながら、先ほど疑問に思ったことを口にしてみることに。

 

「宵崎さんは何かスポーツでもされているんですか?」

「ううん、それはお見舞いの荷物。お父さんが入院してるから」

「……すみません、失礼なことを聞きましたね」

「気にしてないよ。大丈夫」

 

 どうやらあまり良くないことだったらしい。すかさず詫びを入れるも静かに首を横に振っていた。どうやら本当に気にしていないみたい。

 私も身の上話をするときはどうしてもそういった事情が付き物なので、彼女としても慣れっこなのかもしれない。

 

「うーん、二人とも固いなあ……そうだ、こんな機会だし名前で呼んでもいい?」

「問題ありません。宵崎さんもよければ」

「あ、うん……烏……言葉さん」

「言葉も折角だしボクのことは名前で呼んじゃっていいよ。同い年だからさ」

「ああいえ、私は大丈夫です」

 

 機に乗じて暁山さんも私に名前で呼ぶことを希望してくるが、首を横に振る。

 どこかで関係が拗れた場合、慣れ親しんだ呼び方を続けるのも、改めて変えることも憚られるからだ。そうなるくらいなら、私は一定の距離を取る。

 

「えー、理那のことは呼び捨てで呼んでるのにー」

「あれは、理那が私の相方だからです」

「理那って、この前一緒にいた人だよね。じゃあ、やっぱりあの曲って」

「はい、私の作った曲ですよ。即興ですが」

 

 話題を捻じ曲げながらも本題に持っていく宵崎さん。目が輝いているといえばそうだし、結論を急いているような気もした。

 落ち着いて、ゆっくりと答えるために私は最後になった紅茶で喉を潤す。でもまずは先制として話題の一つを潰しておこう。

 

「なんでもSNSではそこそこ伸びてるようで。私には興味のない話ですが」

「あんまりそういうことは気にしないんだね」

「はい。特別誰かに向けた曲でもありませんし」

 

 強いていうならあの場所にあったピアノのための曲、あの場所に向けた曲だ。SNSで拡散されるとは思わなかったけれど、私の顔が写っているわけでもないし問題はない。

 

「そっか。誰かに向けた曲じゃなかったから、あんなに寂しそうだったんだね」

「寂しい、ですか。……そういえば、宵崎さんは音楽サークルに入っているんでしたね。宵崎さんはどういった事をされているんですか?」

 

 何やら勘違いされそうなので早急に話題を転換する。あまり私自身について考えてほしくない。

 理那のように直接口に出してくれるならまだしも、彼女はそう言った性格じゃないと思うから想像して終わりだろう。

 まあ、私も憶測で物を言わないのは同じなんだけど。

 

「私も作曲だよ。言葉さんとは方向性が違うけど……」

「もし宜しければその方向性という物を教えていただけませんか?」

 

 私に足りない楽曲の中身の部分。楽曲からある程度読み取れるその人の意思である。参考材料は多ければ多いほどいい。

 

「うん。私は、誰かを救いたい。それに、笑顔になってほしいから」

「……なるほど、それは素晴らしいですね。信じるものは救われる、といいますから」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」

 

 安心した笑みを浮かべる彼女だが、恐らく愛想笑いでしかないだろう。でもこれが私の出来る精一杯の答えだ。

 私は人を救おうだなんて大きなことを望んだこともないから。

 

「言葉さんは、どういう想いで曲を作ってる?」

「私は特に何も。趣味、といえばいいのでしょうか。それをしてないと落ち着かないタチでして」

「特に……そっか」

「へー! 趣味が作曲なんだ。それなら動画とかにも上げてたりする?」

「はい。よければお教えしますよ」

「ありがとー! あ、それならボク達のチャンネルもお教えちゃうねー」

 

 暁山さんとURLを交換してからは、ずっとマシンガントークで主導権を取られてしまった。

 宵崎さんにとってはそれが日常茶飯事というように聞いており、私も真似て丁寧に避けたり答えたりしていく。

 そんな形で時間が過ぎていき、あっという間に解散になった。

 

「それでは私はここで」

「また学校でねー」

「じゃあ、またいつか」

 

 ありきたりな言葉を交わした帰り道。私は以前教えてもらった動画から動画投稿者のページに飛び、他の楽曲へと耳を傾ける。

 25時、ナイトコードで。それが彼女達の音楽としての名前であった。

 聞こえてくるのは優しい音色に優しい歌詞。なるほど、誰かを救うにはこういう曲が一番だと思う。ある時期からは全てそのような楽曲で固まっていた。

 

「……これも、違うかな」

 

 耳からイヤホンを外す。得られた成果は、少なかった。

 

 

/////////////////

 

 

 一方の奏も、帰ってから瑞希より送られてきたリンクを開き楽曲に耳を傾けていた。楽曲を投稿しているのなら、その傾向から彼女の想いが掴めるかもと詮索する。

 しかし耳に飛び込んでくるのはピアノの時とは打って変わったジャンルの数々。

 聴き馴染みのあるバーチャル・シンガーが紡いでいても、楽曲ごとの顔がまるで違っていた。

 

「この民族音楽のだけ再生数が多いけど、多分雰囲気が合ってるから」

 

 人気のジャンルで得られた一定の評価。形式ばった音楽で、彼女自身の顔が見えてこない。

 

『私は特に何も』

「本当に、何も想わずに作ってる……でもそれじゃ、誰の心にも届かないのに」

 

 それでも彼女には目に見える実績がある。SNSで拡散されていた動画がそうで、曲に対しての感想だってある。

 

『特別誰かに向けた曲でもありませんし』

「それなら、この寂しい音色はどうやって……?」

 

 顔の見えない少女との出会いは、奏にとって後ろ髪を引かれる思いを残したのだった。



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スキー合宿を前に

今回から少し趣向を変えたオリジナルイベント回になります。


 

 神山高校 1-C

 

 それから時が過ぎて、枯れ木の葉も落ち切るような冬の季節。日が昇って間もない朝は北風が身に沁みる。

 暁山さんの紹介で新しい縁を繋いでもらったものの、私に響く何かはなかった。1、2回程度で判断するのは悪いことだと思うけれど、生憎私には私の生活がある。これ以上怠慢を続けて理那からの依頼を蔑ろにするわけにもいかなかった。

 あくまで趣味の範疇、理那との共同作業も相まって時間がかかるのは明白。別に納期があるわけでもないし、大した問題じゃないんだけれど。

 

「……なんだか騒がしいね」

 

 教室では少しソワソワした空気が漂っている。神高祭も少し前に終わったし大きなイベントは過ぎたと思っていたんだけれど、この空気はそれに似た何かだった。

 

「おはよう言葉。いやー、遂に冬到来って感じだね」

「遂にって、生きてたら普通にやってくるよ。常夏の島じゃあるまいし」

「あはは、それもそうだけど……」

「皆席に戻れー、今日は大事な話があるぞ」

 

 理那が登校してきてすぐ、何かを言いたげだったけど先生がやってきて席に戻されてしまう。大切な話と注目を集める中、先生の口から告げられたのは。

 

「一泊二日で、スキー合宿に行ってもらう」

 

 

 

 神山高校一年生の学内旅行。臨海学校はないけれど、代わりに冬の気候を活かした自然体験としてスキー合宿を執り行っているとのこと。スキーが出来ない人はどうするのか、という声が上がりそうだけど学校行事で単位に関わる為に参加しない理由はないみたい。

 ちなみにスキー用具は向こうで用意してくれるらしく、用意する必要はないそうだ。

 

「とは言ってたけど、必要なものは多いよね」

「ってわけでやってきましたショッピングモール!」

 

 そんなこんなで学校を終えて私は理那と最寄りのショッピングモールにやってきていた。何か買う予定はないけれど、どういうものがあるかは目を通しておくだけでも違う。後は予算の組み立て。

 と言っても必要なのは防寒具と着替えぐらいだから、大して今必要なものもないだろう。

 

「あ、ほら言葉、ヒーター付ベストだって!」

「スキーで動いたら熱くなるよ。警備員の人じゃあるまいし」

「それもそっか。じゃあこっちの顔面が隠れるネックウォーマーとかー」

「……銀行強盗でもするつもり?」

 

 そんなことを考えていたらあれやこれやと理那がいろんなものを見つけてくる。服屋で探すならまだしも多様性を求めるお客さんに応える為、いろんなメーカーから寄せ集められたものが多い。

 私も必要な物をスマホで調べながら周囲を見渡していると、見覚えのあるピンクの髪が揺れている。

 

「理那、あそこにいるのってもしかして」

「ん? あ、瑞希じゃん。おーい、瑞希ー!」

「あれ理那、どうしたのさこんな所で。それに言葉まで一緒にさ」

「ちょっとスキーウェアをねー」

 

 理那に確認を取ろうとしただけだけど、知り合いを見つけて放っておくなどできない彼女は進んで突撃していく。一方あちらも気づいたようで軽く対応していた。ここまで来たら他人のふりをするのも忍びないので二人に合流する。

 

「暁山さんも合宿、参加されるんですね」

「あはは〜。ホントはサボる予定だったんだけど、行かなかったら進級出来ないって言われちゃったしね」

「気まぐれな生徒も大変だ」

 

 どうやら暁山さんは諸事情により学校をサボることが多く、先生達の中では問題児として有名らしい。成績はいいみたいだけど根本的に出席日数が足りないから、そういう問題じゃないとのこと。義務教育じゃないから仕方ないけど。

 そんな暁山さんが見ていたのは、ピンクの迷彩柄に近いスキーウェアだった。

 

「それより瑞希、こっちレディースだけどいいの?」

「だってメンズだと黒とかグレーとか、地味なのばっかりでしょ? こっちの方がカワイイよ」

「いや、入るのかなーって」

「ボクだってその辺りはちゃんと見てるから大丈夫。理那達も良かったらボクが選んであげよっか?」

 

 何やら少し変な会話があったみたいけど、とりあえずここはスルー。自分のは選んだとばかりに私達の方へと詰め寄ってきた。

 

「あはは、私は地味なのでいいよ。言葉は?」

「私も機能性に長ければそれでいいです」

「そんな勿体無い! 理那はともかく言葉だってしっかりオシャレしたらカワイイのに!」

「それこそ馬子にも衣装という物です。それに、将来二度着るかもわかりませんし」

 

 正直スキーのタイミングでしか着ない、私にとっては一生に二度出番があるかないかの代物。そこの外見にこだわるくらいなら、比較的安価で地味なものを選んだ方が学生身分としてふさわしいのでは。

 だからといって暁山さんが思うカワイイに対して私が口を挟む必要もない。

 

「ちょっと待ってて。ボクが絶対言葉に似合うスキーウェア、持ってくるから!」

「がんばってねー」

 

 しかし私の断りは精神を逆撫でしたのか、逆にやる気を出して店内を物色し始めてしまった。理那においては止めることなく棒読みで応援している。

 

「理那は止めないの?」

「いやー、セレクトショップでバイトするくらい好きなことだし止めたって聞かないよ」

「そうなんだ」

「そうそう。瑞希ー、私の分もよろしくねー」

「わかってるー! あ、これ言葉に良さそう。ねえ言葉、これちょっと試着してみてよ!」

 

 暁山さんの意外な一面を知りつつ、渡されたスキーウェアは黒と赤のダークなデザイン。着てみるも別段これといったことはなかった。

 

「うん、普段のしっかりした印象でいいかも。言葉はどういうのがいいとかってある?」

「いえ、別に。これで構いませんよ」

「えっ、いや言葉が着るんだよ!? もっとこう、ないの!?」

「はい、ありません」

「そ、そっか……じゃあ今度は理那の選ぶね」

 

 こうして思いの外私のスキーウェア選びは早く終わった。一方の理那といえば。

 

「うーん、ねえ瑞希、もうちょっと地味なのない? 黒とかかっこいいでしょ」

「なんでそんな派手な見た目のに地味路線なのさ! 素体が勿体無いよ!」

 

 これは時間がかかりそうだった。

 

 

 

「いやー、二人にピッタリのが見つかって良かったよ。言葉がお金持ってきてないって時は焦ったけど」

「今日は見るだけの予定でしたので……理那、立て替えてもらってごめん」

「いいのいいの。ボードとか一式全部揃えるつもりで来てたから」

 

 見るだけのつもりが暁山さんの勢いに負けて購入してしまった。一着で音楽ソフトを買えそうな価格なのも驚いたけど、何よりそれをすぐに出せる理那も中々だった。これには暁山さんも驚いてたけど。

 

「ほんと瑞希ってばカワイイ物見逃さないよね。探求者って感じ?」

「好きだからねー。それより言葉は本当にそれで良かったの?」

「? どうしたんですか急に」

「いや、まあボクの考えすぎかもしれないけど、試着した時何にも言わなかったからさ」

 

 暁山さんにとって気掛かりなのはそれらしい。多分、強引に押し付けたとでも思っているのかもしれない。だから私は本心を口にする。

 

「お気になさらず。恐らく私だけならオシャレなど気にせず、ダサいものを買っていたでしょうから」

「……そっか。それなら、良かった」

 

 しかし、歯切れの悪い返答が返ってくるだけ。そんな心境を読めず、私達は解散し帰路に着くのであった。



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瑞希の心配事

今回はニーゴ視点になります。ナイトコードでの一幕。


 

 草木も眠る丑三つ時。パソコンの画面に向かう少女達は会話を交わしながら作曲やイラスト、動画作成に勤しんでいた。

 彼女達のサークル名は『25時、ナイトコードで。』通称ニーゴと呼ばれるその音楽サークルは、主にネット上で活動を続け今やそこそこに名の知れた存在となっていた。

 活動に支障がなく一同が集まれる時間を模索した結果、25時という深夜を主な活動時間とし数多の楽曲を世に送り出していたのだが……当然、現実での障害がつきまとう。

 

「というわけだから、ちょっと動画遅れるかも……」

『わかった。学校行事なら仕方ないね』

 

 メンバーであるAmia、もとい瑞希はスキー合宿の件を他の三人に伝えていた。流石の本人も学校行事にサークル活動を持ち込むことはしない。

 尽力出来ないことに落ち込むがリーダーであるK、もとい奏は受け入れていた。

 

『スキー合宿かあ……そういえば去年そんな話もあったっけ』

「えななんは行かなかったの?」

『行くわけないでしょ。寒いし別に好きでもないし』

「それもそっか」

 

 唯一メンバーの中で昼夜の違いはあるものの先輩であるえななん、もとい絵名に質問を飛ばすも安定のNOが返ってくる。

 望んだ答えが返ってこないものの、こればっかりは仕方ないと肩を落とす。

 

「雪の方はどう? スキー合宿ってあった?」

『ううん、夏に臨海学校ならあったよ』

「臨海学校! いいなあ〜……あ、でも日焼けしちゃうしやっぱり冬でいいかも」

『ゲレンデでも雪が反射して日焼けするよ』

「えっそうなの!? じゃあ日焼け止めも持っていかなきゃ」

 

 淡々と事実を告げるのは雪、もといまふゆであり今も作詞のては止まっていない。母親にシンセサイザーを没収されたものの、大きな支障は無いと活動を継続している。

 それはそれとして瑞希も慌てた様子で用意を進めていた。

 

『Amia、そんな調子で大丈夫なの?』

「大丈夫、必要なのは今日買ってきたから。それに言葉達にも会えたし」

『言葉さんにも会ったの?』

「うん。あっちもスキーウェア買いに来てたんだけど……」

 

『お気になさらず。恐らく私だけならオシャレなど気にせず、ダサいものを買っていたでしょうから』

 

 ふと思い返すのは言葉のこと。自分の選んだものをすぐに良しとした少女。自分の見立てに間違いはないものの、こうも相手の意思がないならむしろ押し付けたと言っても過言ではない。

 そんなことを気掛かりに思っていると自然と口も止まってしまい、周りの不審に思ってしまう。

 

『ちょっとAmia、どうしたの? 急に黙り込むなんて』

「ごめんごめん。大した事じゃないから」

『もしかして、言葉さんと何かあった?』

 

 烏丸言葉という人物について後ろ髪が引かれる奏にとって、踏み込むに値する情報。元より歌で多くの人を救うと誓った彼女だからこそ、自分よりも人のことが気になる性分であった。

 何より、引かれる原因となったあの曲に近づけるのだと。

 

「何かあったってわけじゃないんだけど……」

 

 隠すことでも無いと今日あったことを説明する。無論必要なのは言葉の情報だけなので、理那に関しては一切喋ることはない。

 

「そんな感じで、押し付けたみたいになっちゃってさ」

『でも喜んでくれたんでしょ? それなら気にすることないんじゃない?』

「それはそうだけど、なんていうか昔のまふゆに似てるなぁ、って」

 

 気掛かりになる理由も似た少女がそばに居たからに他ならない。先生達から評価が高いことは知っていたが、それが逆に重圧になっているのではと考えてしまう。

 かと言ってそこまで長い付き合いでもないため、絵名の言う通り気にするほどのことではないのかもしれない。

 

『私に似てるの?』

「雰囲気だけね。ただその、無理してるって感じじゃないからそうでもないって言うか……」

 

 感覚派の人間である瑞希もある程度人の感情には敏感だ。嫌と言えなくても嫌なら多少の戸惑いが出る筈。しかし彼女にはそんな()()などひとつもなく、さらりと答えてみせた。

 それは本心から喜んでいるようだが、あまりに自分の意志がなさすぎた。

 

『それでAmiaはどう思ったの』

「どうって……なんていうか、ほっとけないなって」

『そうなんだ』

 

 まふゆ本人はそんなに興味はなさそう、というより興味を持つことすらない。自分が会ったことのない人のことを言われても彼女にとってはどうでもいいことだった。

 しかし瑞希にとっては目を離せない存在になっている。いつかのまふゆのように忽然と姿を消す未来があるかも知れない。友人である理那がそばに居ても、安心できなかった。

 

「ごめん、変な話しちゃったね。とりあえず、投稿には間に合うようにするからさ!」

『あ、うん』

 

 強引にマイクをミュートにして編集画面へと戻る瑞希。一抹の不安を抱えながらも押し殺すのは得意であり、作業に没頭するのであった。

 

 

 

『ふああ、ごめん、ちょっと眠いから落ちるね』

『私も、明日早いから落ちる』

『うん。えななん、雪、おやすみ』

 

 作業に没頭すること数時間、絵名とまふゆがナイトコードから消える。残ったのは瑞希と奏だけであった。

 

「Kはどうする? 今日は解散にする?」

『わたしはこのままでも問題ないよ。それに……少し気になることもあるから』

「それってもしかして、言葉のこと?」

『うん』

 

 それから奏は語り始めた。あの日言葉に出会って教えてもらった彼女の曲を全て聞いたこと。それら全てに想いが籠っていないこと。それでもSNSで拡散されているあの曲の寂しさはどこから来たのかと。

 

「それでKも気になってるんだね」

『少し、だけどね。まふゆに似てるっていうのは分からなくもないけど、多分、全然違う』

 

 かつてまふゆが一人で作った曲でさえ、どこまでも冷たい暗闇のような曲だった。しかし言葉の作る曲は感情がない。AIやアンドロイドが作ったと言っても過言ではなかった。

 自分の気持ちを代弁してくれる奏に、自分だけではないと瑞希の心は少しだけ軽くなる。それでもまだ顔の見えない少女の事が気になってしまうのであった。




唐突ですが、作者がコロナになった影響で療養解除されるまで更新を一時的に停止します。
楽しみにして頂いている方、誠に申し訳ありません。


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見学組

 

 スキー合宿当日。バスに数時間揺られてやってきたのは一面雪景色のスキー場。寒さも都心とは違って身を切り裂くようだけど、防寒具はしっかりしてきたから問題ない。

 

「やってきましたスキー場! よーっし、滑るぞー!」

「お前、バスであれだけはしゃいでてまだ元気あるのかよ……」

「バスのカラオケでずっと歌ってたもんね」

 

 意気揚々とバスから飛び出す理那。そこから半ばゲッソリとした東雲君が出てきた。それもそのはず、移動中の暇つぶしにとバスに備え付けられたカラオケで絶唱していた。それも正直私達でも知るか知らないかくらいの演歌とかを平気で。

 しかも最近伸び伸びと歌うようになったから無視しようにも耳を傾けてしまい、結果としてクラスの体力をごっそり持っていってしまった。ちなみに私は聴き慣れているのでのんびり外の風景を楽しんでました。

 

「理那、とりあえずクラス点呼からだよ。先に行かないで」

「はーい、わかりました委員長〜」

 

 バスの中でもしおりは確認したけれど、先にスキーで後に宿泊施設に向かう。一年生から宿泊しての学外行事とは恐れ入るけれど、一年生の中で目ぼしいイベントもそんなに無いから一年に一度と思えば大体そんな感じだろう。私立恐るべし。

 

 先生による点呼も終えてそれぞれが目的地に向かって歩き出す。スキー板など、滑るための道具をレンタルするのだけれど、理那は何を選ぶのだろうか。

 

「理那はどうするの?」

「んー、とりあえずやったことないからスキーかな。言葉は?」

「見学しようかなって。こっちにきてから、雪もあんまり見てなかったから」

 

 元々田舎住みで雪はそんなに珍しくなかったけれど、親戚に預かられてからは都会で暮らすようになって長らく雪を見ていなかった。

 そう思えばこの寒さもどこか懐かしさを感じるようで、今はこの景色を堪能していたかった。

 

「そっか。じゃあ言葉が滑りたくなるくらい華麗なパフォーマンスを見せてあげよう!」

「むしろ華麗過ぎたら観戦で満足すると思うよ」

 

 そんな感じで、私達のスキー合宿がスタートした。

 

 

 

 麓の方でスキーリフトに乗り、登っていく理那を見送る。東雲君や青柳君、白石さんも後から続いていくのを遠目に眺めていた。そんな視界の隅に映る、目立たないようにしていた少女が一人。あれは確か、草薙さんだったかな。

 

「うう寒……これなら家でゲームしてた方が良かった」

 

 シブヤフェスタで軽く会話を交わした程度だけど、それでも一人で浮いているのは見ていて忍びなかった。それに私も今は一人だし、ある意味では丁度いいとも言える。

 

「草薙さんは滑られないんですか?」

「烏丸さん。うん。今は見学でいいかなって」

「そうでしたか。隣、失礼しても?」

「いいよ。って、同い年なんだからそんなに畏まらなくてもいいのに」

「いえ、こういう性分なので」

「そっか」

 

 私以上の防寒具に身を包んでもはや毛玉にも見える草薙さんは、見るからに滑る気がなさそうだ。私もスキーウェアを着込んでいるけど、元より滑る気はない。

 かといって隣に移動したものの共通の話題はなく、ただ登っていく理那の背中を目で追っていた。丁度頂きに着いたようで、こちらに向けて大きく手を振っている。彼女らしい。とりあえず手を上げて返事を返した。

 

「あの斑鳩さんって人、えむにそっくり」

「えむさん……確かシブフェスで理那と一緒にいた人ですよね」

「うん。あの時も随分懐いてたし、ショーが終わった後も感想聞きたがってたから」

 

 そう言いながらも私の方へと視線を送る草薙さん。何か気になっているようだけど、私は理那のように勘が良くない。

 

「あの、何か気になることでも?」

「あ、ううん……その、烏丸さんもどうだったかな、って」

 

 この機会にと聞けることは聞いておきたいらしい。知り合いからの評価というのも糧になるし、ここは一つ素直に答えよう。

 

「そうですね、ショーそのものを生で見たことはありませんでしたが、良かったと思います」

 

「特に神代先輩が演じていた悪魔も最後には救われるようなシナリオで、大団円としてはこれ以上にないものだったかと」

「……そっか」

「もちろん、草薙さん達の演技も素晴らしかったですよ。まるで目の前に違う世界があるようでした」

「あ、ありがとう……」

 

 賞賛の声を浴びせているとどんどん小さくなっていってしまう。面と向かった感想は慣れていないのか、ただ単に恥ずかしいのか私にはわからない。

 流石に彼女が可哀想なので、程々に理那の方へと視線を戻す。やったことがない、と言いながらも持ち前の運動神経である程度ものにしていた。先に滑っている人も華麗にかわしているあたり楽しんでいそうだ。

 やがて滑走を終えた彼女は私達の前でブレーキ。雪の飛沫が舞うもかからないように配慮してくれた。

 

「いやー楽しいね! 言葉もやりなよ、教えてあげるからさ」

「ううん、私はいいよ。私はもう少し草薙さんと話してるから」

「なるほど、そっちはそっちで親睦を深めてたってわけだね。じゃあ私はまた行ってくるー!」

 

 えっちらおっちらペンギンの様にスキー板で雪を踏み固めながら進む理那を見送る。楽しそうで何よりだ。

 

「なんていうか、嵐みたいな人だね」

「ええ、本当に。それこそ舞台の主役の様な人です」

「それは言えてるかも」

 

 まだ本気が出せていないと言いつつも、歌で人を魅了出来る少女。また普段からの振る舞いで見せる若々しさは、同い年であるはずの私達にも活力を与えてくれるみたいで。それこそステージに立てば主役の座を勝ち取るのは間違いないだろう。

 後に続く東雲君も白石さんも経験者のようで颯爽と滑ってきた。ただ唯一、青柳君はコーチの人とゆっくり滑っている。こうして見るとちょっと面白い。

 

「(そういえば暁山さんの姿がないような……)」

 

 リフトに乗る時も見かけなかったので、もしかして遅刻かと思い周囲を見渡してみる。ピンクのスキーウェアの筈だから、それなりに目立つと思うけど。

 

「烏丸さん、どうしたの?」

「ああいえ、暁山さんが着てるかな、と」

「暁山さん……あ、もしかしてあれじゃない?」

 

 草薙さんが指差す先は最初に寄ったレンタルの場所。今や学生の列はなくなり、ただ一人でレンタルを終えて出てくるところだった。少し周囲を気にしている様な気もしたけど、こちらの視線に気づいて駆け寄ってくる。

 

「言葉! そんなところに居たんだね。それに寧々ちゃんも一緒だったんだ」

「う、うん。ちょっと話してて」

「そっかー、二人って知り合いだったんだね?」

 

 軽く挨拶を済ませて私の方へと向き直る。あくまで興味は私のようだった。

 

「それより言葉は滑らないの?」

「はい、今はのんびり見学でもと。理那ならもう上に居ますよ」

「ほんとだ。めちゃくちゃ楽しそうにしてる」

 

 見上げる視線の先には、上級者向けコースで華麗にコブを避けたり旗の合間を縫ったりしている理那の姿があった。こうなってくるとプロ顔負けと言っても過言ではないかもしれない。

 それでも滑り終えれば真っ先にこっちに飛んでくるあたり、理那らしいなとも思う。

 

「ふいー、大体わかってきた。あれ、瑞希も居たんだね。何してるの?」

「いやー、理那ってば相変わらず勉強以外はなんでも出来るなーって」

「そういう瑞希こそ勉強大してしてないのに出来るじゃん。それよりほら、瑞希も行くよ。一人じゃつまんないし!」

「あっ、ちょっ、引っ張らないでよー!」

 

 こうして暁山さんは理那に連行されてリフトに乗り込んでいく。嵐の様に去っていく少女は、本当に嵐のように攫っていってしまった。

 

「ご愁傷様です、暁山さん」

「っていうか、あれについていける人いるの?」

 

 草薙さんのツッコミも的確で、終始暁山さんは理那に振り回される事になる。そんな様子を終わりの時間までただただ見つめるだけの私達であった。



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温泉と卓球と

 日も暮れて宿泊施設に移動した私達は各々の部屋で寛いでいた。典型的な年代物のホテルだけど意外にも部屋はしっかりしていた。それでも黄ばんだ白の壁とか数世代前の絨毯とか、どこか時代遅れ感が否めない。

 

「えーっと、食事も入浴施設もないから最寄りの施設で、ね。なるほどここで抑えてるわけだ」

 

 隣では同室になった理那がなるほどとしおりを読んで納得していた。確かに飯無し風呂無しとなればかなり予算が抑えられる。ホテルと言ってもビジネスホテルに近いものなんだろう。スキー場という観光名所がある時点で周囲の街は相応に発展するし、お互いの施設同士でWinWinな関係を築いているのかもしれない。

 

「言葉はご飯にする? お風呂にする? それともナイタースキーしにいく?」

「どれも無しで。もうちょっとゆっくりしてるよ」

「その返事は一番ダメだね。お嫁さんに愛想尽かされる旦那さんの典型例だ」

「そもそも私は女なんだけど……」

 

 食べ物にこだわりもなく、焦って入浴施設に駆け込む必要もなく、最後は流石になし。理那が突っかかってくるけど今は慣れない部屋に心を慣らしておきたい。流石の私も家族や親戚以外の誰かと泊まるのは久しぶりの経験だから。

 

「勿体無いなー、折角の高校生旅行だよ? それにほら、しおりにも書いてあるじゃん。外出時は二人以上でって」

「楽しみ方は色々あるからね。それより理那の方こそ友達から呼ばれてないの?」

「ううんこれから誘うとこー……あ、そうだ。ちょっと待ってて!」

 

 他人が見ていたら「これで本当に相方なのか」と聞かれかねない対応を返していると、理那は何かを思いついたようで部屋を飛び出していった。なんとなくだけど嫌な予感がする。彼女の直感によって導き出された解は時として常識が通用しないから、真っ向から立ち向かっても勝てない。

 

 待っててと言われたものの、こっそり部屋から抜け出そうとして。

 

「烏丸さんからのお誘いなんて珍しいね。何かあったの?」

「いやー、私も知らなかったんだけど無類の温泉好きらしくってさ。折角なら皆さんで楽しみましょう、って」

「だからって何もオレ達まで誘うことはないだろ」

「いいじゃないか彰人。周りのメンバーと交流を深めるいい機会だ」

 

 理那とVivid BAD SQUADの三人に回り込まれてしまった。

 

 

 

「なーんだ、結局は理那の作り話かー」

「あの委員長のことだから、んなことだろうと思ったけどな」

「ごめんごめん。でもみんなで旅行だよ? 皆で楽しんで思い出作ったもの勝ちじゃん!」

「斑鳩の言う通りだ。仲間との思い出は何にも変え難い」

 

 逃げることに失敗した私はそのまま温泉へと連行され入浴。大浴場や露天風呂、サウナなども存分に揃えていたのは驚いた。

 しかし堪能出来たかというとそうでもない。理那や白石さんから質問攻めにあったり絡まれたりと、ゆっくり出来なかった。あと単純に他の学生も目立ったから落ち着かない。

 とりあえず、深夜までやってるみたいなので遅くなったら一人で来よう。無論先生の外出許可をとってだ。

 

 そして今は再び東雲君・青柳君と合流して施設内を散策していた。勿論これも理那の提案である。食事処やマッサージルーム、岩盤浴やら多岐に渡る中、たどり着いたのは遊戯室だった。

 ボードゲームのレンタルや雀卓と古今に渡る娯楽の中で、一際目を引いたのは。

 

「お、卓球台まであるな」

「じゃあ折角だしやってく? あ、ビリの人はみんなに牛乳奢りで」

「よし乗った! えーっと五人だしとりあえずジャンケンで決めよっか」

 

 ジャンケンの勝敗でトーナメント表が埋まっていく。試合数が三試合の所は白石さんと東雲君。二試合のところは私と青柳君。残った理那は不戦勝の枠に収まった。

 

「それじゃあ11点マッチの1ゲームで終わり、杏と彰人君から初めてねー」

「オッケー、じゃあ彰人、悪いけど本気に行かせてもらうからね」

「当たり前だ。どっかの誰かみたいに手抜いたりしたら許さねえからな」

 

 こうして火蓋は切られ、激しい攻防戦が繰り広げられる。白石さんはテクニカルに際どい場所を狙い撃ち、対する東雲君は軽いフットワークで際どい球でも難なく返していた。

 

「羽付きの時もそうだったが、やはり二人はとても効率よく動けているな」

「羽付き?」

「ああ。前に友人達と羽付きをやったんだが、その時は俺が彰人の足を引っ張ってしまったからな」

 

 自虐、というより事実なんだろう。機敏に動く()()の姿を自分のことのように楽しんで見ているのが、何よりの証拠だった。

 互いの点数は均衡し東雲君がマッチポイント。しかし白石さんも追いつけばデュースという所でラリーが続いている。

 

「やるね彰人、じゃあこれならどう!」

 

 先に白石さんが狙ったのはコートの縁ギリギリ。アウトの判断が難しく普通なら見送りそうな軌道だった。

 

「そう来ると思ったよ!」

「えっ、嘘っ!?」

 

 しかし元より狙いをつけていたのか難なく返してみせ、逆に甘い球を誘発した。そこを逃すほど彼は甘い人間じゃない。強烈なスマッシュが白石さんのコートに突き刺さり、後方へと消えていった。

 

「彰人君の勝ちー! 杏も中々いい勝負してたよ」

「流石にアレ返されるとは思わなかったなー」

「ヤマ張るのは慣れてるんだよ。じゃあ次は冬弥と委員長か」

「そうだな。俺も彰人に続くとしよう」

「初心者だからお手柔らかにね、青柳君」

「大丈夫、俺も初体験だ」

 

 サーブ権を譲りラケットを白石さんから受け取る。意外と重いし大きい。

 

「ルール説明はさっきの試合見てたからいいよね?」

「ああ、動きの方も大体イメージ出来ている。いつでも始めてほしい」

「私も大丈夫だよ」

 

 彼なりの満ちる闘志を目の前にしつつ、なるようにしかならないと身構える。初体験とはいうけれどあの真面目な青柳君が相手だと意外にもやってのけるかもしれないし……

 

「じゃあ11点の1本先取で、スタート!」

「──はっ!」

 

 青柳君の振るったサーブは──空を切り球は床へと落ちた。

 

「……えーっと、とりあえず言葉に1点ね。サーブは二本交代だからもう一回やってみて」

「そうか、すまない」

 

 再び構える青柳君。初体験ならよくあるミスだろうと次に備える。しかし次のサーブも空振りに終わった。

 

「あちゃー……」

「やっぱりこうなるか……」

「あらら。それじゃあ、やってみせなよ言葉!」

 

 観戦していた白石さんと東雲君も頭を抱えている。どうやら彼はイメージをするのは得意でも形にするのが難しいらしい。そのまま私にサーブ権が移り、とりあえず構えてみる。理那が審判とは思えない発言をしているけど無視で。

 

「っ!」

 

 私がトスした球もラケットに当たることなく床へと落ちる。

 

「ちょいちょいちょーい! 言葉もかーい!」

「だって私もやったことなかったし」

「えー……あー、これは早く決まりそうだなあ」

 

 それからもお互いにサーブミスを重ねて点数を交換していき、最終的には偶然決まった青柳君のサーブが決定打となって決着となった。

 

「ねえ杏、これでビリで奢りって酷くない?」

「いや、私だって予想付かないよこんなこと!?」

「とりあえず、オレ達の中で負けたやつが奢りってことでいいだろ」

 

 なおここから先のことも考えて、ルールがトーナメントから三人のリーグ戦になったのは言うまでもない。



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楽しいの天才

 かくしてリーグ戦へと変わった卓球勝負は第一試合の勝敗を引き継いだまま、理那との勝負へ進む。挑むのは初戦を勝ち抜いた東雲君だった。既にサーブ権は彼が勝ち取り、真剣な眼差しを向けている。ちなみに私は審判として立っていた。

 ただ理那の立っている位置が違う。ラケットも左で持っているし舐めている……訳でもなさそうだ。

 

「えっと理那、そこで大丈夫? ラケットも……」

「うん。私左利きだから立つところとか変わるんだよ。あ、私も卓球やるのは始めてだしお手柔らかに〜」

「そう言って今日のスキーも普通に上級者コース行ってただ、ろっ!」

「おっと」

 

 東雲君の綺麗なサーブから始まった試合は、不慣れな構えの理那には難しいのか得点を渡していく。しかし確実に、着実に相手の動きに合わせていった。元の運動神経から来るものか、それとも天賦の才なのかはわからない。いつしか点数は追いつきデュースまで持ち込んでいた。

 

「始めてって割には動けてるじゃねーか」

「伊達に運動部の助っ人やってるわけじゃないからね」

 

 互いに部活の助っ人として駆り出されるだけの身体能力に物を言わせた攻防。経験が少ないもの同士、勝敗を分けるのはその場の判断力とセンスだった。

 

「そら!」

「甘いんだよ!」

 

 理那が器用に縁を狙った返しを見せるが、これは先ほど白石さんもとった行動。なんなく返されてしまい逆に理那が甘い球を放るか、と思いきや。

 

「じゃあ逆ならどうかな!」

「っ!」

 

 返しの球は先程とは正反対、しかも縁どころか角に当たってボールはあさっての方向に飛んでいく。こればかりは彼ともいえど返せなかった。それでも必死に食らいつこうとした東雲君はナイスファイトである。

 そんな彼は予想以上に体力を使ってしまったのか、続いてのラリーに追いつけずあえなく失点し、敗北してしまった。

 

「……くそっ、負けた」

「いい勝負だったよ東雲君。じゃあ杏、次やろっか!」

「オッケー、休憩しなくていい?」

「うん、体あったまってる方が動きやすいからさ」

 

 こうして間髪入れず始まった第二試合。理那のいう通りまるで先ほどの試合が準備運動だったのか、と思わせるくらい最初からアクティブに動き回る。先ほどのような不慣れな感じもなく、白石さんの攻めを華麗に崩しては甘い球を全て返していた。

 

「ちょっ、さっきと全然違うじゃん!」

「さっきは初めてだけど、今は違うからね。大体解ったか、らっ!」

 

 スマッシュが炸裂し追加の一点が入る。利き手の違いからか白石さんは常に戸惑いの表情を浮かべていた。それに何より理那の圧倒的なセンスが既に彼女の力量を大きく上回り圧倒している。

 

「始まったな」

「ああ、いっつもこれだ。ほんと嫌になる」

 

 点数係をやっている青柳君と東雲君は、その光景が見慣れたものだと観戦に徹している。そこから先も攻勢は崩れず、そのまま大差で勝利を納めたのは理那だった。

 

「あー、また負けたー!」

「ま、いつものことだろ。牛乳ご馳走さん」

 

 結果白石さんが勝ち星なし、ということで牛乳をご相伴に預かっている。どうして牛乳なのかはいわゆるお約束、というものだそうで。

 

「すまない白石、俺が不甲斐ないばかりに」

「いいのいいの。あのまま彰人とやっても厳しかっただろうし。あ、でも相棒だから手加減したりして」

「そんなことするかよ。寧ろ相棒だからこそ手抜かないもんだろ」

 

 随分と信頼し合っているようで、これなら日頃から二人一緒にいるのも頷ける気がする。持ちつ持たれつとはこういうことを言うのかな。

 

「理那はどれに……って牛乳ダメなんだっけ」

「あーうん。だから私は自販機のコーヒーでお願い」

「解った。あ、烏丸さんももしかして牛乳苦手だったりする? 紅茶買ってこよっか」

「私はコーヒー以外でしたらなんでも構いませんよ」

「オッケー、じゃあみんなと同じ牛乳ね」

 

 近くの自販機まで駆けていく白石さんを見送りながら、片付けをしていた理那が戻ってくる。温泉に入ったというのに来る前より汗だくになっていて本末転倒だった。

 

「理那って牛乳嫌いなんだね。よく食べるから嫌いなものなんてないって思ってた」

「混ぜたりしたら全然問題ないんだけど単品だとねー。あ、因みにカフェオレよりブラックの方が好きだからブラック派だよ」

「そこまでは聞いてないけど、そういえばそうだったね」

 

 いつかWEEKEND GARAGEに行った時もブレンドコーヒーをそのまま飲んでいたな、と思い出す。そんな他愛無いことに思考を巡らせていると白石さんが戻ってきた。

 

「理那ってば、調子が出てきたらなんでもすぐひっくり返しちゃうもんね」

「所謂スロースターターだな。ただその速度が尋常ではないんだが」

「そうなんですね。そうなると無敵のように聞こえますが」

「だからこいつの場合は調子が出る前に崩さなきゃ止まらないんだよ。だからあの時決め切れれば……」

「あの時は危なかったなー。でもいい勝負だったよ」

 

 心底悔しそうに理那を見る東雲君だけど、そんなの慣れっこと受け流す彼女。自分の性質くらい自分で把握しているんだろう。それでも相手を褒める姿勢を崩さないことから印象は良く見えた。

 

「じゃ、落ち着いたところでご飯でも行こっか。私お腹空いちゃってさー」

「いいね、どこ行く?」

「別にここで食べていったら良いだろ。明日もあるからな」

「ああ、俺も明日に備えておきたい」

「では行きましょうか」

 

 こうして私達は晩ごはんに赴き食後はホテルへ戻って解散となった。部屋に着くなり作曲や雑談を交わしていたけれど、今日の疲れもあってか理那はベッドの中へと潜り込む。

 私も枕やベッドの硬さの違いがあって少し不安だけど、寝る支障にはならないだろうと目を閉じるのであった。

 

 

 

「………」

 

 否、眠れない。慣れない場所だから疲労も溜まっているだろうと思ったけれど、そもそもスキーの一つもせず卓球でもろくに動いていない。極め付けには隣のベッドで寝ている理那の存在感や、枕とベッドの違いから目が冴えてしょうがなかった。

 こっそりスマホで時間を確認すれば消灯時間までもう少しある。何かしようとしても理那を起こしてしまうかもしれない。

 

 とりあえず何か飲み物でも飲んで落ち着こうと、部屋を抜け出してホテルの中を散策する。自動販売機の一つや二つくらいは置いてあるだろう。

 

 などとその気になって回り回った結果玄関付近まで足を運んでしまう。そこでは先生と一人の生徒が揉めていた。

 

「ですから、外出は二人以上でないといけません。諦めてください」

「えー、でもボクまだお風呂入ってないんだよー」

「ダメなものはダメです。どうしてもと言うなら友達と行ってください」

「でももう消灯時間でしょ! 杏は寝ちゃってるし、理那は連絡付かないしさー!」

 

 どうやら連れの人がいないから出られないらしい。あくまで学生である私達は何かあった時のために団体行動を余儀なくされている。

 そういえば私も温泉に行こうとしてるけど誰もいなかった。ここは大人しく諦めて作詞作業でも……

 

「あ、言葉!」

「あれ、暁山さんでしたか」

 

 何かないかと見渡したその視線に捉えられ、一気に駆け寄られる。意外な登場人物に戸惑っていると、そのまま先生の元まで引っ張られて。

 

「これで文句ないでしょ!」

「まあ、烏丸さんとなら……」

「やった! じゃあ言葉、行こっか」

「あの、行くとはどこに「温泉!」」

 

 こうして私は強引に二度目の温泉に向かうこととなった。



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瑞希の誤解

注意
今回の話で瑞希の性別に関する話が出てきます。
解釈違い等、ご了承ください。


 暁山さんの強引さは理那のそれにも似ている。しのごの言わさず相手を振り回す姿は気まぐれな猫にそっくりだった。

 

「ごめんねー、急に連れ出しちゃってさ」

「いえ、むしろ私も丁度良かったといいますか」

「もしかして言葉も温泉行くところだった?」

「元からそのつもりというわけでは。ただ偶然とはいえ良い機会でした」

 

 先ほどまで眠れなかったこと、一度温泉に行ったはいいものの満喫できなかったことを伝えれば笑って返される。

 

「あはは、理那ってば相変わらず振り回してるね。まあボクも似たようなものだけど」

「暁山さんの方が落ち着いてると思いますよ。適切な距離感を保っています」

「そうかな。前にスキーウェア選んだ時、結構無理に押しつけちゃったし」

 

 いくらシブヤフェスタやファミレスの一件があったとしても、まだ私達はプライベートな関係ではない。出会いは偶然だったとしても、そのまま勢いで人の服を選ぶのは図々しいと思うだろう。ありがた迷惑とも。

 ただ理那の補足もあったし、私にとっては別に悪いことでもなかった。あの時言った事は本心に変わりない。

 

「理那が言ってましたよ。セレクトショップでアルバイトしてると」

「ああうん。でもそれがどうかしたの?」

「仕事に出来るくらい好きだとも言っていました。なので気に病む必要はありませんよ」

「仕事ってほどじゃないけど……というか理那、人のこと話過ぎでしょ!」

 

「(でも、そっか。そんな風にフォローしてくれてたんだ)」

 

 今度会ったら注意しなきゃ、とぼやきつつもその顔は静かに笑っている。私自身そこに関して何も思うことはなけれど、相手を納得させるなら信頼している者の情報も合わせて伝えた方がいい。

 理那が暁山さんと関わりがなければ出会ったところで何も起きなかっただろうし、こうして一緒に温泉に向かっていないだろう。そういう意味で理那は縁の潤滑油としてとても良い存在となっていた。

 

「加えてあの時言った事に偽りはありません。嫌なら贈り物であれ使うことはありませんから」

「いやそれもそうだけどさ。その、折角もらったんだし着なきゃなーみたいな事ない?」

「私としてはそんな建前が思い浮かぶ時点で、少なからず感謝の気持ちがあるはずですよ」

「……なんていうか、アニメのザ・委員長って感じだね」

 

 これが俗にいう論破とか正論というものなんだろうけど、それは捉え方次第だ。説き伏せるための文言じゃない。あることないことを考えて気分を悪くしてしまったなら、真っ先にそれは解消すべきだと思っている。何より誤解してほしくなかった。

 

「それじゃあさ、理那が勝手に引っ張り回してるって噂もあるけど……」

「二人の関係ですか? 勿論一方的な物ではありませんよ」

「じゃあじゃあ、今ボクと一緒に温泉に行ってるのも」

「嫌なら断ってます」

 

 その言葉を聞いて明るい表情を浮かべる暁山さん。ここでようやく誤解が解けたようだ。

 

「なーんだ! そうならもっと早く呼べばよかったなー!」

「誤解が解けたようで何よりです」

 

 握られた手に引かれて私達は温泉に辿り着く。風呂道具を忘れたので売店で購入しつつ、男女を分ける暖簾の前で解放された。

 

「じゃあまた後でね!」

「はい、また後ほど──」

 

 そうして暁山さんは脱衣所の方へ消えていく。

 

「──男湯?」

 

 拭えぬ違和感を抱きながらも、これ以上体が冷えてはいけないと私は女湯の暖簾をくぐった。

 

///////////////////

 

 瑞希にとって学校の面々と共同生活なんてまっぴらごめんであった。単位が足りないからと言われても、知ったことかと蹴る予定のところに入った一本の連絡。神高祭と同じように、杏からの誘いが入ったのだ。

 準備期間なんて存在しない、その場限りの参加資格。以前と違い他のクラスの面々とも交流を深めていたのも大きい。

 

 スキー場に向かうバスの中では何をしようかと杏と語り合い、期待に胸を膨らませたものだ。しかしいざ到着して見れば裏切るようなの外野の目。事情を知らない観光客ならまだしも、他のクラスも合わせた視線に当てられた瑞希は、わざと出だしを遅らせる。

 レンタルに向かう学生の群れを遠目に眺めつつ、ゲレンデの白さに驚いては動画の演出を考えていた。

 

 そうしていれば知り合い全ては先にリフトで上へと登ってしまい、取り残されるのは必然。誰が悪いわけでもない、強いていうなら集団行動ができない自分だと責めた。

 ようやく生徒のいなくなったレンタルショップで適当なものを借りて、友人達と合流しようとしたところで意外な影を見つける。リフトの影に潜んでいたのは言葉と寧々。意外な組み合わせかつ二人もこちらを探していたようだったので都合が良いと会話を試みた。

 

 結果としては理那に攫われてしまい碌な会話もできないまま終わってしまう。こればかりは気分屋な少女を呪わずにはいられなかったけれど、スキーが意外にも楽しいことに気付けたのは結果論。

 

 ホテルに戻ってからは荷物をまとめて建物を探索していた。流石に杏とは同室になれず、ルームメイトから逃げるためであることは言うまでもない。杏や彰人、冬弥に理那といった面々の部屋を探してみるも全て空振りに終わり、むしろ先に外に行かれたのは悔やんだ。

 

 そんな感じでお風呂の時間をずらした結果今度は一人では外に出られない始末。ここに関しては偶然通りかかった言葉を捕まえて事無きを得た。ただやはりここでも少し気になってしまうことが一つ。

 奏から空っぽという話は聞いていたが、普段からそんなわけはないだろう。最初に気になるのは押し付けがましい自分の態度のことだった。その不安が晴れなければそもそも言葉に踏み込むことすらできない。

 

 しかし本当の意味で気にしていないということがわかるや否や笑って返すしかなかった。それこそ杞憂というもので、どこか意味のない会話であっても彼女という人間が知れた気がする。嫌なことははっきり言ってくれるその姿は、やはり感情のない友人に似ていた。

 

「う〜ん、いいお湯だった〜♪」

 

 案外お客さんは少なく、心配だった他の学生の姿もなかった為のびのびと堪能できた瑞希は満足して脱衣所を後にする。のびのびしすぎて長風呂になってしまったが、気にすることと言えば言葉を待たせていないか、くらいだった。

 スマホで連絡と取ろうとして、待機場にある埋まったマッサージチェアが目につく。言葉が一人、優雅な時間を堪能でしていた。

 

「(なんていうか、見てるだけならおじさんみたいだね)」

 

 まるで家族サービスの疲れを癒しているその姿は現役女子高生に見えない。理那や冬弥が使用していれば少しは楽しげに見えただろう。

 そんな言葉に臆することなく近づき、声を掛ければようやく立ち上がった。

 

「お待たせ言葉。ちょっと待たせすぎちゃったかな」

「いえ、別に気にしてませんよ。私なりに堪能させてもらいましたから」

 

 本人もそのつもりだったらしく、思わず吹き出しそうになるもなんとか抑える。温泉を後にしながら、他愛のない会話に耽ることにした。

 

「いやー、意外だったね。まさか言葉のあんな一面が見られるなんて」

「特別変わったことはなかったと思いますが」

 

 力の抜き具合といい、学校生活ではおおよそ見られないであろう景色をばっちり捉えた瑞希は上機嫌。空っぽな少女と言いながらも人間らしいところがある、と親近感を得ていた。

 

「そういう私も意外でしたよ。瑞希さんがまさか男の人だとは」

「えっ」

 

 そして、彼女もまたある事実に辿り着いていたのであった。

 



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許容と和解

ずいぶん遅れましたが、ゆっくり更新再開していきます。


 

 私の発言に暁山さんは思わず足を止める。何か不味いことでも言っただろうか。

 

「もしかして言葉、知らなかったの?」

「はい。普段から制服もそうですし、スキーウェアも女物でしたからてっきり」

「あー、そうなんだ。知らなかった、んだね」

 

 今までフレンドリーだった暁山さんは見るからにこちらを避けるような動きをしている。どうやら今まで何気なく接していたのも、知っているからという認識の齟齬から発生したものらしい。知っている上でなお気にしない相手を求めていたんだと思う。

 しかしここで明らかになった以上、どう転ぶかは分からない。そして大概人はこういう時異常だと感じるだろう。

 

 でも、私にとってはどうでもいい。

 

「気にしないでください。そんな些細な事で敬遠なんてしませんよ」

「まあ、言葉だもんね。ごめん。まさか知らないなんて思わなかったからさ」

 

 結構噂にもなってるんだけどなー、と苦笑いを浮かべながらもなんとか距離を取り持ってくれる。再び歩き始めてくれるも、その歩幅は小さかった。

 

「ただ、さ。思うことはあるよね。それが知りたいなー、なんて」

 

 今までの経緯から私が動じないことは知ってくれているとは思うけど、ここでも通用するかは分からない。デリケートな問題だからこそ、感じていることを伝えないといけない。でもその前に確認しないといけないことがある。

 

「その前に、暁山さんが何故その格好に行き着いたのか気になりますが」

「だって、カワイイから」

「そうですね。男物に可愛さは求められません」

 

 ある一定の派手さはあっても可愛いを求められることはない。あったとしても幼少期の子供服くらいでそういったジャンルは潮時だろう。高校生にもなればそれ相応の格好を求められる。

 一部敏感な問題を抱えていると思いきや、そうでないみたいで助かった。

 

「なら別に気にする事でもありません。ネットで異性のアバターを借ることだってありますから」

「いや、それは本人じゃないから出来るっていうか、ネットだから出来るっていうか」

「ではコスプレは? 理那のように同性を演じることもあれば、異性を演じることもあるでしょう」

「それはそういうイベントだからで」

 

 わかりやすい例えを用意するも、どうやら暁山さんの納得を得るには足りないみたいだ。根底にあるものは同じだけれど、それを現実かつ日常的にするとなると話が変わってくるのは分からなくはない。後ここまで臆病なのも、今まで否定されてきた期間が長かったんだろう。いや、噂と言っていた以上それは今も続いている。

 それだけに、表面上の関係だったとしても『理解者』であれば依存してしまう存在。

 

「やっぱり言葉も変だって思うよね。ごめん、今まで無理させちゃって」

 

 おそらくスキーウェアを選んでくれた時のことを言ってるんだろう。私が何も言わなかったから、相手に合わせているんだと思われてしまう。

 

 また誰かが一般論を並べて誤解していく。そんなのはまっぴらごめんだ。

 

「この際ですのではっきりさせましょう」

「え?」

 

 逃げ出そうとする暁山さんの前に立ちはだかる。外出禁止時間を迎えようとしているがお構いなしだった。

 

「暁山さんは可愛い自分が好き。私はそう理解しました。それでは不満ですか」

「いや、不満じゃないけど……その、言葉はそれでいいの? 変だって思わないの?」

 

 そんなことで私は動じない。例え常に女物の服を着ていようが、サングラスで変装していようが、その人が良しとするなら否定することはない。

 

「ここまで関わっているからこそ、嫌ならはっきり言います」

「じゃあ、スキーウェア選んだ時も嫌だったら言ってた?」

「はい。私の代わりに選んでくれてありがとうございます」

 

 嫌なものは嫌と言えるくらいには私にだって意志がある。あの時感謝を伝えることは出来なかったけれど、今なら遅くはないだろう。

 予想外の言葉だったのか暁山さんはしばらくポカンとしていた。しかし段々と意味を理解して明るい表情になっていく。

 

「そっかそっか! そうだよね、言葉なら嫌って言うよね!」

「はい。暁山さんの趣味趣向にとやかく言うことはありません」

「それはちょっと寂しいけど……」

「それにそういう暁山さんの事を、少し尊敬しているんですよ」

「……そっか。ありがとう」

 

 暁山さんが100%望んだ答えではなかったのかもしれないけれど、考えるのをやめたのかホテルに向かって歩き出す。今何を考えているか私にはわからないけれど、きっと悪いものではないはずだと思いたい。

 私の横を過ぎ去る背中に向けて、私の気持ちを後押ししておこう。

 

「そういえば暁山さん、バーチャルシンガーの曲は聞かれますか?」

「え、うん。聞くけど急にどうしたの?」

「後で私のおすすめをお送りしようかと思いまして」

 

 置いていかれないように私もホテルへ向かう。なお到着した矢先に二人で先生からお説教を受けたのは内緒だ。

 

 

/////////////////

 

 

──瑞希の合宿部屋にて

 

 他の生徒とのトラブルを避けるためかそれとも偶然かは分からないけど、一人部屋になったボクは帰って早々パジャマに着替えてベッドに飛び込む。家のより硬くて寝心地は悪そうだけど、昼はスキーで楽しんだし自然と眠くなると思う。

 なーんて思っていたけど、普段はナイトコードで集まって作業しているからか、全然眠くならない。でもパソコンなんて無いから作業できないし。暇を持て余した結果、セカイに行くことにした。

 

「うーん、流石に皆は作業中かなー」

 

 フラフラとセカイを彷徨って皆の姿を探してみるけど、作業に入っているのか見当たらない。その代わりに揺れる白いリボンが見えた。特に何かしてるわけでもなく、向こうも散歩をしてるみたいだった。軽く手を振ってみると向こうも気づいたみたい。

 

「やっほーリン」

「瑞希。どうしたの」

「ちょうど一人で眠れなくてさ。リンは何してたの?」

「別に」

 

 特に興味もないのか、素直じゃないのか。そっけない返事で返す少女の名前は鏡音リン。バーチャルシンガーだ。あ、でもちょっと嬉しそうにリボンが揺れてる。やっぱり素直じゃないなー。

 かと言ってお互い特に何かしてたわけじゃないし、ボクに話題があるわけじゃない。合宿のことを話してもいいけど……あ、ゲレンデの写真とか撮った方がよかった。

 そうして話題に悩んでいるとスマホの通知が鳴る。相手は言葉からだった。なんの前置きもなくURLだけが添付されている。

 

「あ、言ってた曲ってこれかな?」

「曲?」

「うん、友達がおすすめって言ってたから。よかったらリンも聞いていく?」

「……うん」

 

 テコテコと小走りでそばに寄る彼女を導きながら、手頃なセカイの残骸に腰をかける。リンが隣に座ってから、再生。

 スマホから聞こえてくるのは、カイトが歌う雪の曲。不思議と背中を押してくれるような、あったかい曲だった。

 

「へー、言葉ってこんな曲聞くんだ。意外かも」

「不思議な曲。奏が作る曲と全然違う」

「そうだね。奏の曲とは違うね」

 

 奏の曲は暗いところでも一筋の光が見えるような曲だ。この曲はずっと手を差し伸べてくれる曲。それなのに、どこか寂しいような……

 

『後で私のおすすめをお送りしようかと思いまして』

「(相変わらず何を考えてるのか分からないなぁ)」

 

「(けどここまでしてくれるのは、嬉しいな)」

 

 そんなことを思いながら、ボクは曲をお気に入り登録するのだった。

 

 

/////////////////

 

翌日のスキー練習も私は草薙さんと一緒に麓でのんびりしていた。理那が誘ってくれたけど無理に引っ張ろうとしなかったことには感謝している。

 

「烏丸さんはいいの? せっかく友達が誘ってくれたのに」

「私はこうやって眺めている方が好きなんですよ。草薙さんも良ければ私に構わず滑ってきてください」

「いや、私もいいかな……あんまり得意じゃないし」

 

 いく宛もなくただ時間を消費する。今日もまた何事もなく終わりそうだと油断をしていると、背後からピンク色の影が現れた。

 

「あ、言葉! こんなところに居たんだー。もう探したよー」

「暁山さん? どうしたんですか急に」

「ボクがせっかく可愛いスキーウェア選んであげたのに滑らないなんて勿体無いよ! ほらほら、一緒に滑ろう!」

「あっ、ちょっ」

 

 こちらの同意もなしに背中を押しリフトに乗せる。隣には笑顔の暁山さんがいた。

 

「暁山さん、私はまだ滑るとは」

「何事も楽しまなきゃ損だよ。それに、瑞希でいいよ」

 

 私の意見がどう影響したのか分からないが、先日とはまるで様子が違っていた。と言っても暁山さんに辛気臭い顔をされても似合わないと思う。

 加えて名前呼びの許可。むしろそう呼んでほしいと言わんばかりに詰めていく。まあ、このくらいなら別にいいかな。

 

「そうですね瑞希さん。では、お付き合いします」

「そうこなくっちゃ!」

 

 なおその後スキーに挑戦する私だったが、転んでばかり先に進むことはなかった。



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この街で

 

 

 日は長くなったものの、まだ寒い日が続く屋外の公園。ビビッドストリートを側に控えるこの場所で、私は理那を待っていた。

 スキー合宿というイベントから日常に戻った私は、特に大きな変化もなく学生生活と作曲を続けていた。

 一つだけ挙げるなら、瑞希さんからお昼のお誘いを受けたり実際に一緒したりと、以前に比べて絡む機会が多くなった気もする。ただし出席率の悪さから頻度は高くない。

 

 そんな日々を続けながら曲を完成させ、理那に連絡したところこの公園に呼び出された。もちろん曲のデータは持ってきてとのことで。

 曲が出来たのならすぐに練習に移ると思ったんだけどそうでもないみたい。いやでもこれからカラオケに行く可能性もあるかも。

 

「ごめーん、待った?」

「ううん、今きたところだよ」

 

 思考を巡らせていると、いつか見たラフな格好で飛び出してくる理那。手にはスーツケースがあり、大荷物なのが見て取れる。

 

「その荷物は?」

「ん? マイクとかその他諸々。これがないと始まらないからねー」

 

 ベンチの上に広げた中身は彼女のいう通り音楽機材で固められていた。まさかここで歌い出すとか言うんじゃ。

 そんなことを考えているうちに彼女は準備を終えていた。

 

「よーしセット完了。それじゃあ軽く声出しやるから聞いててねー」

 

 そう言って歌い出したのはやはりというか、ルカの曲。それは誰もが知っているであろう有名曲で、彼女が今から歌うであろう明るい曲とは非なるもの。

 でもどうしてか彼女を表すのにはピッタリで、歌い方といい表現力といい完全に自分のものにしていた。

 いつもの迫力はないけれど、どこか引き込まれるその歌声は本当の理那の気持ちを謳っているようで。

 

「よーっし喉も温まったし早速やっちゃいますか」

 

 続いて聞こえるのは私の曲。今までの疑問も消し飛ばすように明るく、前向きな歌声はどこまでも響いていく。少し近所迷惑になるかと思うくらい伸び伸びと歌っていた。

 彼女の声を聞かせるためにできる限り音圧はそのままにメロの補助を減らしてみたけど、成功みたいだ。ちなみに以前理那が活用したKAITOのコーラスは健在だ。

 

「(こういう時の理那は、圧倒されるな)」

 

 元の声がいいのか、それとも積んできた経験が違うのか。おそらく前者もあるだろうけど相手を魅せるアレンジは後者だろう。

 すんなりと歌い上げてくれる彼女の歌声は、一度の終わりを迎えた。

 

「ふいー、どうだった?」

「あ、うん。声の伸びも凄かったし、歌詞らしく堂々としてるなって」

「ありがと、メロディーがないからちょっと歌いづらかったけど、ここはまあ要練習ってことで」

 

 それからも何度か歌っては修正、または意見を交えながら形にしていく。いくつもの課題が見つけながらも、彼女の観察を続けた。

 こんな屋外でもよく響く声、というより緊張している様子がまるでない。午前中とはいえ休日で外に出てる人も多いのに、見聞きされる環境を逆に利用しているような感じ。

 彼女の持ち込んだ機材もよく見れば傷や汚れもあるし、長い間使っているんだろう。それだけこの街で歌っているのかな。

 そんなことを考えているうちに、いつしか歌うのをやめて隣に座り込んでくる。

 

「とりあえず休憩っとー」

「お疲れ様。でも凄いね、こんな場所でも堂々と歌えるなんて」

「あはは、ありがと。もしかしてカッコイイとか思っちゃった?」

「それはないけど、少し気になって。マイクも使い込んでるみたいだったから」

 

 私の問いになるほどねー、と首を縦に振りつつ飲み物で喉を潤していた。流石に空気が乾燥してるし、歌いっぱなしは辛いんだろう。

 理那は落ち着いた後に、私の目ではなく景色を見つめながら口を開いた。

 

「もう4、5年になるかな。私も最初はこんな場所で歌うなんてすごいなーなんて思ってたんだけど」

「けど?」

「最初は私の師匠に連れられてきたんだけど、何度か歌ってて気づいたんだ。ビビッドストリートが『ここで歌っていいよー』って言ってるんだって」

「ビビッドストリートって、この街が?」

「そう、だから歌ってたら色んな人に出会って、今の私がいる」

 

 なんとも、スピリチュアルに富んだ発想をする。気分屋な彼女らしい、とも思うし言い得て妙とも言える。

 この前WEEKEND GARAGEに行った時も彼女は何かと人気者だった。あの人達もこの街で理那が縁を結んでいる。

 

「だから私にとってここはもう一つの家族みたいなものなんだよ」

 

 それはとても素敵な考えだと思う。街そのものをそう捉えてるからこそ、多分声出しの時に歌ったあの歌も響いて聞こえた。

 だとするなら、私の曲もそんな想いに応えられるように努力しないといけない。

 今まで得た中での収穫が少ないのなら、唯一こうして組んでいる彼女を知ることで彼女の為に頑張ろう。

 

「ありがとう理那。じゃあ私もそんな想いに応えられる曲を作らないとね」

「ありがと、さーってもう一回歌ったらWEEKEND GARAGEでコーヒーでも……」

 

 伸びをして席を立つ彼女は、ふと遠くから眺める人影を見つめる。一人のサングラスをした壮年男性と、小柄の少女。確かあれは小豆沢さん……?

 隣にいる人は、どこかで。確か動画で見たことがあるような。あちらも気付いたようで、男性から前に出て理那の方へと歩み寄った。

 

「よう理那、元気してたか!」

「大河のおじ様じゃん! え、なに、戻ってたの!?」

「ああ、謙のコーヒーが恋しくなってな。それより──」

 

 周囲を見渡して最後にちらりとこちらに視線を送った後、再び理那の方へと戻す。

 

「噂には聞いたが、杏に続いてお前も相棒を見つけたか」

「相棒ってほど大したものじゃないけどねー。専属マネージャー? プロデューサー?」

「なんだそりゃ。それで、今はどうなんだ?」

「今はのんびり気楽にやってるよ。それよりなんでこはねちゃんが一緒に?」

「散歩だよ。この街を見せる為にもな」

 

 どうやら彼女の知り合いのようだ。理那も嬉し驚きと言った様子で昂っているように見えた。

 大河と呼ばれた男性の隣では、小豆沢さんも何が何やらと混乱して色んなところに目を泳がせている。ふと目が合えば焦ったようにお辞儀してきたのでこちらも返した。

 

「街を見せる、ね。じゃあ私から一つアドバイスをあげよーう」

「お前のはアドバイスじゃなくて答えになっちまうだろ。それより練習中に邪魔したな」

「気にしないで、ちょうど休憩してたし。それじゃあ頑張ってね、こはねちゃん」

「あ、うん! 理那ちゃんも頑張って!」

 

 ひとしきり話した後、彼女は二人に背を向けてこちらへ歩き出す。その顔はやっぱり嬉しそうだ。

 そんな背中に、男性はこう言葉を投げかける。

 

「理那、お前は変わらず背負い込みすぎだ。昔みたいにもっと伸び伸び歌ってる方がお前らしいぞ」

「分かってる。でも割り切れるくらい、私は大人じゃないからね」

「……そうか」

 

 それは確かに助言だけど彼女には既に答えが見えているような返答。

 ヒラヒラと手を振る様はいつものお気楽な少女であるものの、影を落とした彼女の表情は私には見えなかった。

 

 

 

 二人と別れて再び練習を再開する前に、気になったことを聞いてみる。

 

「ねえ理那、さっきの人は?」

「あれ、言葉知らない? WALKERの古瀧大河。結構有名人だと思うんだけどなー」

 

 彼女が見せてきたスマホの画面には、先ほどの男性らしき人物と5億を超える再生回数が表示されていた。日本のアーティストでこれほどの数字を叩き出せるのは流石と言える。

 しかし、こういったジャンルの曲を聞かないために見逃していたようだ。

 

「それに、あのRAD WEEKENDを作った一人で、私に歌を教えてくれた人の一人」

 

 嬉しそうに語る彼女だが、それは憧れというより親しい人の偉業を語り聞かせるようだった。

 

「そっか。だからおじ様って呼んでたんだね」

「うん。素敵な大人だよ」

 

 ありし日を懐かしむように優しい笑顔を向ける彼女は、どこか哀愁に満ちていた。



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コーヒーを一杯

 あの後は練習を終えて、一服するためにWEEKEND GARAGEを訪れた。

 

「こんにちわー! 空いてまーすか!」

「おう、理那にこの前の嬢ちゃんか。いらっしゃい」

「ご無沙汰してます」

 

 席の案内をしてくれるわけもなく、ただ好きに空いている席を選ぶわけだけど……そんな中で、見知った姿を見つけた。

 

「理那に言葉さんもいらっしゃい!」

「お、杏に彰人君と冬弥君じゃん。今日は個人練習?」

「ああ、今は休憩だけどな。お前もか?」

「そうだねー。午後はここで歌うかも」

「そうか、烏丸と組んだ後は聞いたことがなかったから楽しみだ」

 

 小豆沢さん抜きのVivid BAD SQUADのメンバー。カウンター席に固まった青年二人と、エプロンを身につけた白石さん。

 ただ理那は知り合いがいるにも関わらず、ライブスペースから一番離れたカウンター席の一つ横へと腰掛けた。

 

「それじゃあ杏、私はいつもので。言葉はどうする?」

「前の紅茶と同じものでお願いします」

「オッケー、コーヒーに紅茶ね。ちょっと待ってて!」

 

 注文を受けてカウンター裏に消えていく白石さんを見送る。私もわざとらしく空けられた席に座ろうとして、理那に止められた。

 

「ここは専用の席だからダメー。座るならこっち」

「この後誰か来るの?」

「今すぐはないけどいつ来るか分かんないからね。あの大河のおじ様だって帰ってきてたし」

「つまり?」

「理那の親父さんの席だ」

 

 一向に話が見えてこない中、困った私を見かねたのかマスターの方が助け舟を出してくれる。

 そういえばここに初めて訪れた時も通い詰めている、という話を聞いた。

 

「……とは言うが、理那が勝手に言ってるだけだがな」

「でも、譲太郎さんが来た時はいっつもそこに座ってるよね」

「そう言うことだからさ、空けてくれてると助かるなー」

 

 白石さんの話を聞く限り理那が勝手に言っている、というわけでもないみたいだ。今は混んでいて席がないわけでもないし、理那の顔を立てておこう。

 

「ああ、最近見ないなって思ったら理那の父親だったのか」

「今は海外だから。いつ帰ってくるかは分かんないけどね」

「海外……ということは斑鳩の父親も音楽活動を?」

「あはは、冬弥君ってば言葉と同じこと言ってる。音楽とは何にも関係ないよ。ただの外科医」

「そうだったのか。知らなかった」

「オレもだ。でも珍しいな、音楽以外の常連なんて」

 

 彼らにとっても覚えのある人物らしく、よく見る人のイメージらしい。

 そんな周囲から認知されるほど存在感のある人なのか、それともただ単に入り浸ってるだけなのか。私には想像もつかない。

 一方で東雲君も独特な感想を抱いている。この場所はライブスペースも完備している上に使用頻度も高い。

 小さなライブハウスと言っていいほどパンクやEDM、ラップで満たされるこの空間はお世辞にも喫茶店には程遠かった。

 

「理那の親父さんには世話になったからな」

「世話って、謙さんが?」

「俺じゃないが、まあこの話は置いておこう」

「はーいブレンドと紅茶お待たせー。ん、父さん、何かあった?」

「いや、なんでもない」

 

 一瞬マスターの人にも影が見えた気がしたけれど、すぐになくなった。

 やがて白石さんがカップを運んできてくれる。親子だからか彼女も気づいたようだけど、気付かれまいと誤魔化していた。

 大人の繋がりは子供を超える人脈で繋がっている。同業者や過去にお世話になった人等は、生きる時間が伸びるほどに増えていくものだから。

 それは子供が考えても仕方がないことなので、早々に切り離してカップに口をつける。少し味わいが違うけれど、これでも十分に美味しかった。

 

 

 

 そのまま談笑を交わしながら時間を過ごしていると、お客さんの数が増えてくる。

 誰もがみんな音楽アーティストの装いで、白石親子や東雲君、理那にも声をかけていた。

 

「よう理那ちゃん、最近調子はどうだい?」

「絶好調! 今日は新曲引っ提げてきたから後で歌うよ!」

「それは楽しみね、この前聞きそびれちゃったし、期待しちゃおうかしら」

「あはは、お手柔らかにねー」

 

 こうして見ていると、理那が言っていた『街が歌ってと言っている』のはわかる気がする。

 人々だけでは、いつでも歌っていい、という空気感は作れない。肩を張るわけでもなく、ただ受け止めてくれる場所としてこの街がある。

 あの一言だけでこの店の、ひいてはこの街の見え方も変わった気がした。やっぱり感覚主義の彼女には敵わない。

 

「嬢ちゃんは歌わないのかい?」

「はい、私は歌が得意ではないので」

「ははっ、誰だって最初はそうさ。でも理那ちゃんが認めてくれたんだろう?」

「いえ、私は……」

「言葉は作詞作曲担当。だからこの子は歌わないよ」

 

 私にも声を掛けてくれる物好きな人もいたけれど、そこは理那がカバーに入ってくれる為そこまで気苦労することはなかった。

 空気が分かると言っても慣れる訳じゃないからこればかりは感謝しかない。

 

「それじゃ、お店の空気も温まってきたことだし、一曲かましますか!」

「お、理那ちゃんが歌うってよ!」

「そりゃ楽しみだ。久々に上げさせてくれよー!」

「はーい、じゃあ皆、しっかり付いてきてね!」

 

 彼女への期待が高まる中先陣をきる理那。散々周りに期待させてこの空気を作ったのだから、皆も納得していた。

 局側で改良するべきポイントが直せていないけれど、それでもなお皆を楽しませようとする彼女は本当にここが好きみたい。

 

「──♪ ──!」

 

 そして始まる彼女の歌唱は公園よりも声を抑えていた。流石に屋内だから反響もあってあのままじゃ聞けたものじゃない。

 それでも十分すぎる声量に、更なるアレンジを盛り込んだ歌い方で彼女の声を響かせる。

 慣れ親しんだ店の勝手を理解しているからか、二番からは時折備え付けのフィルターもかけて歌声に色を付けていた。

 単調になりがちな繰り返しを即興のアレンジで乗り越えてみせるさまは、フロアを盛り上げるDJにすら見える。

 

「理那お得意の即興アレンジだな。ただいつもより楽しそうっつーか……」

「最近乗れてないって言ってたけど、問題なさそうじゃん」

 

 東雲君や白石さんも、うんうんと首を縦に振っている。確かに彼女の言う通り気分が乗らないとアレンジしようと言う気持ちにはならない。

 私はそう言うのが全くわからないから、むしろこうやって弄ってくれた方が理那らしさを表せて良いなって思う。

 

「曲も楽器それぞれの調和も取れていて、何より斑鳩の声を高めている。ただ、これは……」

 

 そんな中青柳君は楽曲分析にと耳を傾けている。流石は音楽家の息子だなと思う。

 店内の盛り上がりが次第に大きくなっていく中、負けない理那の声は最後まで鳴り響いていた。



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伝説の目撃者

 

「♪──……聞いてくれてありがとう!」

「理那ちゃん今日はよかったぞ!」

「理那ちゃんらしい綺麗な曲で明るい曲ね」

 

 やがて歌い終わった彼女に向けて喝采が送られる。今回は手応えがあったみたいで、観客も相応に満足していた。

 そんな声を一身に浴びながらもマイクを観客の一人にパスして彼女も笑顔でこちらの席へと戻ってくる。

 

「お疲れ様、すごかったね」

「素材がいいからねー。あ、杏またコーヒーおかわりー」

「はーい、それにしてもどんどん上手くなってくじゃん。もしかして今まで本気じゃなかったとか?」

「本気っていうより楽しいとか嬉しいとか、そっちが強いかな」

 

 感覚主義な彼女らしい答えだ。『好きこそ物の上手なれ』というのが、理那を表す上で最も適切な言葉だと思う。

 そうやって話していると、自然と東雲君と青柳君も寄ってきた。

 

「じゃあお前、今まで手を抜いてたってことかよ」

「本気も何も乗れなきゃ意味ないって。彰人君だって嫌いなことで本気になれないでしょ? 勉強とか」

「それはそうだけどよ……」

 

 感覚派ながらその人に応じた説明をするのは正直厄介極まりなく、現に彼も言い返せないようで悔しそうにしていた。

 彼の音楽に対する入れ込み具合は理那から聞いていたし、シブフェスで聞いた歌声もユニット揃ってかなり完成度の高い物なのは知っている。

 私みたいな素人目でも理那一人じゃ足元にも及ばないと思うけど。ただ、誰か一人となら凌ぎを削れそうではある。

 

「だからこれからどんどん成長していくからよろしくねー」

「それなら、俺達もあんまりうかうかしてられないな」

「ああ。ただこいつらはライバルでも何でもねえ。気にするだけ無駄だ」

「……? どういうことだ?」

「ん? 何々、なんの話?」

 

 ギリギリで注文を持ってきた白石さん含め、事情を知らない二人に対して軽く説明する。

 

「私達、別にアレ超える為にやってるわけじゃないんだよね。別の目的があるの」

「え、そうなの!? 理那のことだから絶対そうだと思ったのにー!」

「そうか、それなら仕方ない」

「それに最初から超える気なら杏のお願い断ったりしないでしょ?」

「? 断ったって?」

 

 悔しそうにする白石さんから注文を受け取りつつ、身の上話に花を咲かせる理那。常連ゆえにこの店でいろんな経験をしてきたのだろう。

 ただ私の知らないところで話が進んでいく。内容が見えないまま首を傾げていると、青柳君が助け舟を出してくれた。

 

「以前、白石が相棒に斑鳩を誘ったらしい。俺も後から知ったんだが」

「あの時は誰もが受けると思ってたけどな」

「まあまあ、今はこはねちゃんっていう最高の相棒がいるんだしいいじゃん。昔のこと言ってたって仕方ないし」

 

 そんな経緯があったなんて知らなかった。でもここで白石さんと同年代の子がいるかと言われたら、理那くらいしか見たことがない。

 

「そうだけど、理那も私の話笑わずに聞いてくれてたじゃん」

「人の夢や想いは笑わないよ。それが無かったら元から伝説なんて生まれないし」

 

 人の想いを貶さないのは素晴らしいことだと思う。私にもその考えは理解出来るし、同調しないものの肯定はしていた。

 彼女にもそう思わせる何か、おそらくRAD WEEKENDが彼女にとってのターニングポイントだったのだろう。

 しかしそんな彼女の割り切った発言にどこか寂しそうな顔をしている白石さん。

 

「まあそうだけど……理那も協力してくれたら絶対いいライブになるって思ったんだけどなー」

「ん? 四人で超えるんじゃないの?」

「あれだけのライブはオレ達だけじゃ無理だ。だから今、同じRAD WEEKENDを超えようって奴とイベントをやってるんだが……」

「じゃああの時妙に食いついてきたのって、お誘いだったりした?」

「そういうことだよ」

 

 私達がコンビを組んだ時、舞い上がった理那へ真っ先に声をかけたのは東雲君だ。同じクラスっていうのもあるけれど、そういう意図があったなんて思いもしなかった。

 彼らにも目指すべき場所があり、それに向けて独自のアプローチをしているみたいだ。

 

「ならごめんね。私、人生賭けられるほどの覚悟、無いからさ」

「……だろうな。だから杏、諦めろ」

「そっかー。なら仕方ないね」

 

 白石さんほどの実力者が惜しむほどの人材なのか、それでも理那の主張を尊重した。人のよさがここでも表れている。

 

「杏、話が終わったなら手伝ってくれ」

「あ、ごめん父さん! すぐ行くから!」

 

 そういえばお手伝い中だったな、なんてことを思いながら私は冷めた紅茶で喉を潤す。東雲君も自分の席に戻っていく中、青柳君だけがこの場に残っていた。

 まだ理那に話があるのかと思いきや、その視線は私の方へ向いている。しかし彼は私に話しかけることなく、理那の方へと向き直った。

 

「斑鳩、さっきの曲は烏丸が作ったと聞いたんだが」

「うん、そうだよ。何か気になるところでもあった?」

「気になる……そうだな。曲の感想になるが、斑鳩らしい明るく前を向いて進んでいけるような、そんな想いが伝わってきた。ただ……」

 

 ここで青柳君が口を濁す。やはり私の方が気になるのか、それとも言うべきなのか迷っているようだった。

 

「烏丸の想いが俺にはわからなかった。まるで斑鳩本人が曲を作ったのかように聞こえたんだ」

「へえ、よく聞いてるじゃん」

「気を悪くしたならすまない。ただ、どうしても気になったんだ」

 

 作曲者の想いが見えない曲。演奏家の息子として作曲者の意図を読み取る教育を受けてきたんだろう。だからこそ気付いた違和感だった。

 今度こそ彼の視線は私の方へ向いている。導入こそ理那を使ったが、これは私に対する質問だ。

 

「別に特別なことはしてません。理那が歌う曲だから合わせただけのことです」

「そうそう。だから言ったでしょ、言葉は作詞作曲担当だって。あれ、言ってなかった?」

「……そうか。そうだったな」

 

 それは周りのお客さんに言ったことで青柳君には言っていない。しかし彼は言葉を飲み込んでこの場を後にする。

 彼が離れたことで訪れる沈黙を誤魔化すため、RAD WEEKENDについて理那に聞いてみることにした。

 

「そういえば理那は『人生を掛ける』って言ってたけど、RAD WEEKENDって、そんなに凄いイベントだったの?」

「そうだね。アーティストの想いが観客にも伝わって、そこが一つの世界みたいだった。あれを見せられたら憧れるし、焦がれもするよ」

 

 楽しそうに語る彼女だが、そこまで口にしたところで黙り込んでしまう。

 同い年とは思えない感傷に身を浸し、今までの自分がなかったかのように振る舞った。

 この顔は何度か見たことがある。理那が時折浮かべる遠い日を思う目だ。

 

「ただ本当に人生賭けてたなんて、わかるわけないじゃん」

「………」

 

 苦い笑みを浮かべながらコーヒーを煽る理那。そんな彼女の姿を、マスターの人がじっと見つめているような気がした。

 

 

 

 それから私達の間に会話はなく、理那も時折他の人に誘われながら歌っていた。しかし先ほどまでの陰りは消えず、後に歌った東雲君と青柳君の迫力は比にならなかった。

 誰か一人となら凌ぎを削れそう、と思ったけどそれはあくまで技量だけ。覚悟がないと聞いた瞬間から彼らとは大きな差が見える。

 これだと例え本気を出せたとしても敵わない。いや、戦うわけじゃないけど身近な人間が更なる実力者というのは、理那としても納得し辛いと思う。

 

「ふいー、歌った歌った。こんな時間まで付き合わせちゃって悪いね。もうすぐ晩御飯でしょ?」

「あ、そうだね。じゃあ私はそろそろ」

「じゃあ私も帰ろっかな。おじ様ー、お会計お願いしまーす」

「おう、ちょっと待ってろ」

 

 接客と談笑に勤しんでいたマスターを呼び、会計。なお今回は理那が付き合わせたとのことで奢ってもらえた。機材も全部私物みたいだし意外とお金持ちだったりするのかな。

 

「理那」

「ん?」

 

 扉に手を掛けたところでふと呼び止められた。私ではないけれど気になって視線を向けてしまう。

 

「あんまり背負い込み過ぎるなよ。お前はまだガキだからな」

「あー、聞こえてたんだ。うん、ありがと」

 

 どこに気をかけられたのか分からないまま店を後にする。帰り道の彼女の表情は少しだけ明るかった。



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同じ舞台、別の視点で

<理那>

 

 帰り道、言葉と別れて自宅の方へと足を向ける。冬場の空っ風は体に染みるし、体を温めがてら小走りで行こうかななんて考えながら、今日の出来事を思い返していた。

 大河のおじ様が帰ってきて、珍しくこはねちゃんの練習を見てあげている。今まで誰かについてあげることすらなかったあのおじ様が、こはねちゃんと一緒にいた。

 散歩なんて言ってたけど私にはわかる。何かを教えてあげてるんだろう。だって私が一つ教えてあげようとしたら止めてきたし、そこくらいは自分で気づいて欲しかったのかな。

 

 私も昔、大河のおじ様に歌の練習を見てもらった事がある。って言っても私が勝手に隣で歌って、歌い方を真似てただけなんだけど。

 だから直接教えてもらうことはなかったけど、それでも私がおじ様から()()()()()()ことに変わりない。

 

「でも、師匠っていうにはちょっと違うかな」

 

 大河のおじ様はビビッドストリートの伝説を作った一人に変わりない。でも私の師匠は別の人だ。

 いつも元気で、楽しそうに笑ってて、退屈なんて言葉とは無縁なくらい明るい人。その人の歌には魂が籠ってて、今まで聞いてきた音楽とはまるで違っていた。

 それこそ私が今まで目指してた、医者の道を路線変更するくらいには衝撃的だったのを覚えている。

 

「ま、そのお蔭で失ったものも多いんだけどさ」

 

 赤い自分の髪を弄りつつ空を仰ぐ。夕日はすっかり街の陰に隠れてしまい夜の帳が空を紺に染め始めていた。

 

 ガラにもなく風情を楽しんでいると、スマホがメッセージの通知を鳴らす。送り主は杏だった。何やらイベントを主催するから絶対見に来てほしい、とのこと。多分RAD WEEKENDを目指したイベントだろうと予想を立ててみる。

 

「とりあえず考えとく〜、っと」

 

 即決するには少し時間がかかる。主に言葉も誘えるかとか、その辺りで。私一人だったら断るのも良くないしって、とりあえず行くって答えるんだけど。

 ひとまず言葉にも連絡を入れて、返事を待ちながら家に帰る私だった。

 

 

 数日後の週末。騒ついたお客さんでいっぱいのハコに私と言葉の姿はあった。私はともかく言葉も特に予定もなかったみたいで合わせてくれたみたい。そういえばバイトとかもしてなかったような。

 

「ありがとう言葉、付き合ってくれてさ」

「別にいいよ。私も色々な音楽には触れておきたいから」

 

 私の目指すものとは違う音楽であっても、言葉は必ず聞きにくる。作り手だから何かを掴もうと必死なのかも。いや、私の為に音楽を作ってるから無茶な注文に応えられるようにしてるんだ。

 言葉の作る曲は相変わらず空っぽで、それなのに私の言ったことも、言いたいことも全部詰め込んだ物を提供してくれる。後は私好みにアレンジして、私が歌う。

 以前ライブなんかで歌っていた借り物の曲とはまるで違う、私だけの曲だった。

 

「言葉はさ、こういうライブとかで自分の曲歌って欲しいって思う?」

「どっちでもいいかな。多くの人を癒す為ならネットだけじゃなくてこういう形式も必要だろうし」

「あはは、そうだね。特に手の届く範囲の人に届けようとするなら、ライブが一番だ」

 

 そうやって人の想いが伝播して、新しい思いを作ることは嫌と言うほど知っている。ただ、その裏に秘められた真意に気付く人は少ない。

 ハコの入り口でもらったフライヤーに目を落とせば、今回の主催メンバーの名前が並んでいた。

 

「今回のメンバーは、Vivid BAD SQUADに遠野新、EVERに三田洸太郎ねー。なるほど」

「知ってる人達なの?」

「うん。特に遠野さんとEVERは有名。一応顔見知りだけど、遠野さんはアメリカ修行に行ってたからなー」

 

 遠野さんも注目され始めたのはもちろんRAD WEEKENDが終わってから。色々あったけど、彼も詳しい背景まで知らないだろう。EVERも、三田さんもおんなじ。皆が皆、RAD WEEKENDに魅せられ集まった同志。

 いや、もしかしたらVivid BAD SQUADが軸で動いてる説もある。あの子達が頑張るから、周りも自然と変わってく。今まで笑ってた人が夢に向かって走っていくように。

 

「知らなかったら、私も同じ舞台に立てたのかな」

「理那?」

「ううん、なんでもないよ。それより最初はEVERだ! 最初っからカチ上げてくるよ!」

 

 MCの紹介代わりに説明してあげる。彼らの始まりの舞台を見届けるために。

 

 

 会場が熱気に包まれたままイベントが終わりを告げる。RAD WEEKENDには程遠いけど、並のイベントは超えてくるくらいの反響。これだけのイベントを作り上げたのだということを思い知らされる。

 それでも、私は誤魔化すみたいに言葉へ向けていつもの質問をする。

 

「今回は何か参考になりそうなものはあった? まあ、あれだけ沸いたから少しくらいはありそうだけど」

「会場を盛り上げるための音使いとか、セトリくらいかな。それ以外は特に」

「そっか。それだけでも得られたなら十分だ。あ、でもそれ私以外に言ったら怒られるよー?」

 

 多分言葉には彼女達の想いの部分が伝わってない。その理由は私に分からない。分からない以上私が首を突っ込むわけにもいかない。

 ここで話が終わってしまい、逃げ場のない会場の熱気は私に向けて『貴女はどうなんだ』と問いかけていた。

 同じ舞台を見ていながら今も私は観客席にいる。満足した客達が出口に向けて流れていっても変わらない。

 

「理那?」

「ごめん言葉、先に帰ってて。私、杏達に挨拶してから帰るよ」

 

 一人になりたいからと嘘を吐いて、言葉を送り出し誰もいなくなった会場。スタッフの人も多分裏で各々仕事をしてるんだろう。でも、考え事をするにはちょうどよかった。

 嘘を吐いてるのは私にだって同じだ。人の心を癒したい、なんて言いながら自分の心を癒やせてない。今はただ一人の寂しさを言葉の曲で誤魔化してるだけ。借り物じゃない私だけの曲に縋って、私の想いを歌ってるだけ。

 

「でも、仕方ないよね。RAD WEEKENDは──」

 

 言い訳を重ねようとして、スマホが光る。また杏からのメッセージかなと思って見てみると、知らない音楽ファイルが入っていた。

 

「『Untitled』? 言葉が送ってくれたのかな」

 

 躊躇せず再生ボタンを押した私は、そのまま光に包まれる。反射的に目を瞑って、開いた先に広がっていたのは。

 

「どこ、ここ……」

 

 見たことない落書きだらけのストリートだった。



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セカイの片隅で

<理那>

 

 何の気なしに再生した楽曲は光を放ち、目を開いたら異世界でした。いや、私でもわけ解んないけど現実なんだから仕方ない。ほっぺた引っ張っても痛いから夢じゃないし、あの瞬間に何かが起こって死んだ……とは考えにくい。

 

 見たことないのに知っている気がする通り。落書きで彩られてるのに道は綺麗だし、所々にフライヤーも貼られてて、まるでビビッドストリートみたいだ。ただ唯一違うのは歌声も、人の気配もしないこと。

 なのに寂しさを感じない。この街が最初からこうだったみたいに、一つの場所として完成している。私の直感が『大丈夫』『悪い場所じゃない』と教えてくれた。

 空気も綺麗で、日当たりも丁度いいし、気温も最適。歌の練習するならもってこいの場所だろう。

 

「とりあえず、動いてみるかな」

 

 落ち着いたところで自分の直感を信じて辺りを探索する。と言っても必死に探し回るんじゃなくて、散策しながら探す感じ。フラフラさ迷って、日向にある一枚のフライヤーが目に入った。

 

「これ、RAD WEEKENDのフライヤーじゃん」

 

 記憶に新しい、伝説の熱気と空気の手がかり。謙のおじ様は全部捨てたって言ってたし、コレクターすら持ってない代物が、当たり前のように張り出されている。値段の付けられない価値を持っていることは、今の私でも理解してるつもりだ。

 

 知ってるものが出てきて一気に不信感を抱く。誰かがこっそり持ち出して、この通りに張り出す()()()()をしているとは考えにくい。でも存在しないものがある以上、何かの意図を感じずにはいられない。もしくは、ここがそういう未練の行き着く場所なのかもしれない。

 

 スマホに目をやれば電波は繋がってるし、題名のない曲も再生されているみたいだ。音はないけど、これを止めたら元の場所に帰れるかもしれない。それでも目の前の不信感が邪魔をして、帰る気を起こさなかった。

 

「ホント、みんなコレのどこに惹かれたんだろうね」

「それだけ伝説だったから、じゃない?」

「えっ」

 

 フライヤーに気を取られてて気付かなかった誰かの気配。妙に聞き覚えのある少女の声に振り返れば、腰まで伸びたピンク髪の女の子──巡音ルカが立っていた。

 長袖だけのやたら小さいジャケットに黒のノースリーブ、ヘソ出しのショートパンツと若干の色気がある衣装なんだけど、それより明るい雰囲気が勝っていた。

 

「わーお……今まで色んなルカのコスプレ見たけど、ここまで凄いの見たことないや」

「あはは! コスプレじゃないよー。本物の巡音ルカ。よろしくね、理那」

 

 コスプレでも本物というのは聞いたことがないけど、設定重視かな? でも声もそのままルカだし、なんか握手求めてるし。とりあえずお近づきの印に返しとこーっと。

 

「あれ、私名前先に言ったっけ?」

「ううん? でもセカイで同じ想いを持ってるからわかるんだ」

「世界って、もしかしてここのこと知ってるの?」

 

 出来るだけこの場所の情報を引き出すために質問攻めする。あわよくば、このフライヤーがある理由も知りたいから。

 

 

 ある程度ルカから話を聞き終えて、頭の中で整理する。

 

「なるほどー。まずここは『想い』で出来てる。だからRAD WEEKENDのフライヤーとかがあって、居心地もいいんだ」

「そうね。理那も同じ想いを持ってるからこの世界に来れたし、その『Untitled』を止めれば、元の世界に帰れるよ」

「同じ想いね。でもそれはお門違いかな」

 

 私はRAD WEEKENDに特別な思い入れがない。むしろ思い出の中でじっとしていてほしいくらいだ。

 

「むしろここに来るのって、杏達の方が相応しいと思うけど」

「杏達ならもうここに何度も来てるけど……会わなかった?」

「いや、ルカが第一村人って感じ。でもそっか、杏達もここに来てるんだね」

 

 あれだけ強い信念があったら当たり前かって思う。何より四人がみんな同じ場所を目指して走ってるんだから、こんな不思議な場所が生まれるくらい、なんてことないよね。

 

「理那はこれからどうする? あ、良かったら一緒に歌ってみない?」

「ううん、私はこれくらいで帰るよ。イベント終わったハコにずっといても、スタッフさんに迷惑なだけだしね」

「……理那」

 

 とりあえずルカに教えてもらった方法で元いた場所に帰ろうとすると、不意にルカが名前を呼んだ。

 

「今度来た時は理那の歌、聞かせて? 約束よ」

「え、あっ、うん」

 

 無意識の返事ににっこりと笑った彼女を見送って、私は元いたハコに立っていた。

 

「いや、ギリギリで約束するの反則でしょ」

 

 とりあえずそそくさと退出して家に帰る。私の不思議体験はここでおしまい。ただ私のスマホに残っていたUntitledが、現実だということを教えてくれた。

 

◇ ◇

 

 理那を見送ったルカは、約束を取り付けた笑顔を忘れないままにカフェへ向けて歩き出す。少女が見せた翳りも頭の片隅に置いているが、何より偶然とも言える出会いを喜んでいた。

 セカイの誰もが知らない秘密、次に出会うための約束、そして何より彼女の歌を聞けるということ。バーチャルシンガーとしての最大の報酬。

 

 ガラス扉がカランとベルを鳴らして店内へ。本来のカフェの姿とは違い、ライブ機材が持ち寄られ調整にカイトやリン、レンが忙しなく動き回っている。

 

「あ、ルカ! どこ行ってたの!」

「ちょっと外の空気を吸いに散歩をね。それよりメイコ、私お腹空いちゃった」

「はいはい、もうすぐご飯にするから待っててね」

 

 残された数少ないカウンター席に座れば、ミクも続いて隣に座る。

 

「ルカ、何かいいことでもあった?」

「秘密♪ そうだメイコ、もう一つ注文したいんだけど」

「何? コーヒーならすぐに出来るけど」

 

 聡い彼女にも多くは語らず、ルカは一人話を逸らして厨房に消えるメイコを引き止めた。

 

「ここってテイクアウト、出来る?」



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セカイを歌う

<理那>

 

 強引な約束を取り付けられた私は、次の休みに再びセカイを訪れていた。でも場所や時間が決まってたわけじゃないから、またもどこかわからない場所でさ迷ってしまう。うーん、電話番号とか聞いておけば良かった。

 どこに向かって歩いても似たような路地裏に出るばっかりで、一向に進んでる気がしないのもよくない。

 

「見つからないなー。こうなったら」

 

 探索をやめて歌を歌おう。それもピンポイントでルカの曲。歌が好き(?)なバーチャル・シンガーなら勝手に釣られてやってくるかもしれない。もちろん杏達がこのセカイに来てたら見つかるかもしれないけど、その時は逃げよう。

 

「♪──」

 

 このセカイには似つかわしくない、ちょっと呆れたみたいな曲。気楽に生きていたと願う論理(No)のない曲(Logic)。リズムよく刻まれた歌詞がしっくり来るのが好きで、ウォーミングアップによく歌っていた。こういう曲は人前だと歌わないんだけど、最近言葉の前で似たような曲を歌ったっけ。まあ、言葉ならいいかな。

 

 歌が後半になるつれ、意識を周囲から自分に向けていく。声出しや客寄せならぬルカ寄せから、自分の為に歌い上げて気持ちが乗っていく。それでも楽しくなれるような歌じゃないと知ってるから、淡々と私の心を吐き出していく。

 

 このセカイは杏達の『RAD WEEKENDを超える』って想いから出来ている。この前見たフライヤーもその影響で作られたものだということはわかった。でも、この場所の想いと私の想いは違うはずだ。

 

 私は超えようなんて思ってないし、そもそもRAD WEEKENDが()()()()()()()()んだから。

 

「んー、この辺りかな? あ、いた!」

 

 曲が終わりかけた時、目的の待ち人が現れた。明るい笑顔を振りまいて駆けてくるルカのためにも歌うのを止める。あんな楽しそうな顔にこんな歌は似合わないからね。

 その手にはバスケットと水筒まであって、軽いピクニックみたいだった。

 

「もー、遅いよルカ。退屈すぎて先に歌っちゃった」

「ごめんごめん、カフェからここは遠いから来るのに時間かかっちゃって。でもその歌のお陰で会えたから」

「そりゃそっか。約束はさっきの歌じゃダメかな?」

「ちゃんと聞けてないからダーメ。それに理那ならもっと楽しい曲を歌えるでしょ?」

 

 お気楽な感じでリクエストまで飛ばしてくる。何でもいいって言うよりずっとマシだけど、クールなイメージがあったルカにしては珍しいなんて思っちゃう。まあなんていうか、こんな派手で明るいなルカがクールってのも変な話か。

 手荷物が少し気になるけど、リクエストをスルーする方が失礼だよね。

 

「わかった。じゃあ折角だしとびきり楽しいの行っちゃおうか!」

 

 さっきまでのナイーブな気持ちを蹴っ飛ばすみたいにリクエストに答える。言葉が作ってくれた前を向ける曲。今の私が歌う、私だけの歌。私が一番私らしく歌える──

 

『理那、お前は変わらず背負い込みすぎだ。昔みたいにもっと伸び伸び歌ってる方がお前らしいぞ』

『あんまり背負い込み過ぎるなよ。お前はまだガキだからな』

 

 二人のおじ様が脳裏に浮かぶ。私の事情を知っていても、前を向けさせようとする励ましの言葉。人を癒す曲で私が癒されてないことくらい、みんなにはお見通しだった。

 変わったのは、誰の物でもない言葉の空っぽの曲。私が歌うことで私の想いになってくれる『題名のない楽曲』。最近は私の想いに応えるように作ってくれるから、気分が乗れる。

 

 でも、所詮そこまでだ。私が迷っている限り言葉の曲も迷う。誰かを癒すことなんて、できやしない。

 

「♪──っと、こんなもんかな」

「うん、理那の気持ちがよくわかる曲だった。でも、ちょっと楽しさが足りないかな」

 

 歌い終えればルカが率直な感想をくれる。注文通りの楽しさに届かないのは謝りたいけど、今の私にはこれが精一杯だから仕方ない。

 

「それじゃ、今度は私の番ね。置いていかれないように、しっかりついてきて!」

 

 ルカの口から奏でられる歌は技量も凄いけど、何より今にも踊り出しそうな楽しさと何にも縛られない自由さがあった。二十歳の設定があるはずなのにいつまでも子供心を忘れない、何か。いや、もしかしてただ楽しいだけで歌ってる……?

 RAD WEEKENDや杏達が主催したイベントで感じた熱気や覚悟なんてものは感じない。その軽さが私にとって心地いい。いつしか私は自然とその歌を口ずさんでいた。

 

「♪──」

 

 そんな変化に向こうが気がついたのか、ルカはもれなくファンサしてくれる。やがて歌い終えた彼女の表情は清々しい笑顔で、ハイタッチしてきた。なんていうか、ここまで来るとエンターテイナーみたいな感じだなー。

 

「流石はバーチャルシンガーだね。楽しそうで、のびのびしてて、こっちまで口ずさんじゃった」

「ありがとう。でも、理那もこんな風に歌えるでしょう? 例えばさっきの曲だってこんな風に……」

「っ!」

 

 初めて聞かせたはずなのに、私よりノリノリでサビを歌い上げるルカ。その姿は、私に歌を教えてくれた師匠にそっくりで。

 

「……なにそれ、それも『想い』から来てるってこと?」

 

 どう捉えても皮肉に聞こえる言葉を吐き出してしまうくらいに、過去と今を重ね合わせる。ルカは大して反応するわけでもなく、サビだけを華麗に歌い上げてから私の隣に腰を下ろした。

 

「ねえ、理那はどうして歌おうと思ったの?」

「ん? 別に大した理由じゃないよ」

「大した理由じゃなくていいから。ほらほら、お昼も持ってきたんだから」

 

 彼女の手荷物はサンドイッチとドリンク。質問をかわそうとした私も、コップに注がれたコーヒーの香りに誘われて大人しくその場に座り込む。でも水筒からコーヒーが出てくるなんてちょっと意外かも。

 

「あ、砂糖とミルク忘れちゃったわね」

「いいよいいよ。私ブラック派だし」

 

 差し出されたコーヒーを一杯。豊かな香りと苦味が口に広がり、淹れた人が相当な腕だということがわかる。WEEKEND GARAGEにも負けないくらいの美味しさで、水筒から出てきたってことを差し引いても十分だった。

 

「うわっ、何これ美味しい! これルカが淹れたの?」

「あはは、私じゃないよー。でもそうね、紹介できる時が来たら紹介してあげる」

 

「それで、理那はどうして歌おうと思ったの?」

 

 相手が勿体ぶってるわけじゃないけど、今はルカが質問しているから追求はしない。どこかの爆弾魔相手だったらキレてるね。

 

「そうだね。ルカなら詳しく話していいかな」

 

 未だルカのこともセカイのことも信じられないけど、美味しいコーヒーで口が軽くなる。口にして吐き出したらマシになるっていうし、ここから始まるのは私の勝手な独り言だ。

 

「それじゃ、私の師匠の話をするとしますか」

 

 これから始まるのは、私の昔話だ。



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師匠との出会い

<理那>

 

 今から四〜五年前、お母さんは私を産んだ時に亡くなってて、お父さんの病院で面倒見てもらってる頃。その環境に慣れず私は心を病んでしまっていた。

 趣味らしい趣味もなくて、元々やってたことも興味を無くしてただただぼーっと生きるだけ。友達は居たけど勉強友達だし、一緒に遊ぶことはない。お父さんも「人の心にメスは入らない」って助言をくれたけど、理解できなかった。

 

 今思えば寂しい小学生時代だけど、そんな気落ちした私だからこそあの人を見つけられたんだと思う。

 

 入り浸っていたお父さんの病院の中庭。患者さん達が散歩してたり日向ぼっこしてる隅で、一人の女の人が歌っていた。私服だし看護師さんもいなくて、入院してるわけじゃなさそう。というか入院してたら探検してる時に見つけてるはず。

 そんなに大きな声じゃないけど、芯の通ったよく響く声。何よりちょっと暗い雰囲気のする病院で、その人の歌はキラキラ輝いていた。自然と近くで聴きたくなって隣まで寄ってみると、流石に気付かれて歌うのをやめてしまう。

 

「どうしたのお嬢ちゃん、迷子?」

「ううん、ここ、お父さんの病院なの」

「へー、あの院長さんの娘さんか。それでお姉さんに何か用?」

 

 笑いながら私の頭を撫でてくれるお姉さんは、笑顔も素敵ですっごく明るい人なんだってわかった。私がここに来た理由は一つしかない。

 

「お姉さん歌、すっごく上手だね! もっと聴きたいな」

「そっか。じゃあもっと聞かせてあげよう!」

 

 さっきより近くで聞く歌はより輝いてて、太陽みたいな感じ。暗い気持ちなんかも忘れるくらい夢中になって聞いていた。遠くの方にいる患者さん達もうっとりしながら聞いてて、特等席の私は少し得した気分にもなる。

 

「お姉さんすごーい! もっともーっと聴きたいな!」

「お、さっきよりいい顔するようになったね。じゃあ次は──」

「古瀧さーん、診察室で先生がお待ちです」

「残念、時間切れみたい。また会おうね、お嬢ちゃん」

 

 看護師の人に呼ばれたからか歌の時間は終わりを告げる。折角これから面白そうなのに、と頬を膨らましてると申し訳なさそうに手を振ってくれた。約束してくれたし、また会えるよね。

 

 

 それから毎日、ってわけじゃなかったけどお姉さんは診察の日に必ず中庭に顔を出してくれた。色んな歌を聞かせてくれて、私も一緒に歌ったり楽しい時間を過ごしていた。

 

「お嬢ちゃんはほんと楽しそうに歌うねー。お姉さんまで楽しくなっちゃう」

「えへへ。でもお姉さんみたいにもっと上手に歌いたいなー」

「そうだね。でもここじゃ練習するにはちょっと向いてないかな」

 

 ここには色んな患者さんがいるけど、みんなが歌を聴きたいわけじゃない。看護師の人もたまに騒ぎすぎないように、と注意してくる人も居たしあんまりよくないのかも。

 だからってお姉さんと会えるのはここしか知らないわけで。

 

「ねえお嬢ちゃん、もし良かったら私がいつも歌ってる場所にいかない?」

「えっ、いいの! 行きたい!」

「よっし、じゃあお父さんがいいよ、って言ったら連れて行ってあげよう!」

「わーい! すぐ聞いてくるね!」

 

 真っ先に聞きにいってからわかったんだけど、お姉さんはお父さんの患者さんだったみたいで、すぐにいいよって言ってくれた。

 その後はお姉さんに腕を引かれて、知らない道をどんどん歩いていく。綺麗な街並みを抜けて、路地裏にも入って、落書きとかポスターがいっぱいある場所にやってきた。

 ちょっと怖かったけど、お姉さんと一緒だったから我慢出来る。

 

「♪───」

「♪──、♪〜〜」

 

 それに色んなところから歌が聞こえてくる。お姉さんほど上手くはないけど、みんな明るくてキラキラしてるのは変わらない。

 

「お、凪さん! それに、隣の子は誰だい?」

「ん? ああ、この子は私の知り合いでね。ちょっと街を案内してるんだよ」

「はは、流石凪さんだ。顔の広さも随一ってか」

 

「凪さん、その子どうしたの? 迷子?」

「私の知り合いだよ。街を案内してるところ」

「へえ、お嬢ちゃんも得だね。凪さんに案内してもらえるなんて」

 

 行き交う人達みんなに声をかけられてるのも、やっぱりお姉さんが一番キラキラしてるからかも。すっごく人気者でお父さんみたいだけど、そこに文句とかドロドロしたのは無くて、すごく気持ちよかった。

 

「お姉さん有名人なんだね。もしかしてテレビとか出てる人?」

「それはどうだろうなー。これから出られるかもしれないけど。ほら、着いたよ」

 

 お姉さんが着いたと言うからどこかと思いきや、まだ通り道でシャッターの閉まった建物の前。歌う道具もないし、このまま歌ったら歩いてる人とかお店の人に聞かれちゃう。

 

「本当にここなの? 外だし、いっぱい人いるよ?」

「だからいいんじゃない。ほら、一緒に歌おう?」

 

 そんなこと気にしないでお姉さんは歌い出しちゃう。むしろみんなに聞かせようとしてるみたいに、中庭で聞いた時よりもずっと大きな声で、もっと元気いっぱいに歌っていた。

 すぐそばに居たからびっくりしたけど、お姉さんの歌はもっともっと素敵で、一緒に歌おうって言ってくれたことが嬉しかった。

 

「お、凪さんが歌ってるぞ!」

「でも、あの隣にいる子誰だ? 初めて見るぞ」

 

 歩いてる人も足を止めて、ゾロゾロと人が集まってきたけど、怖くない。一緒に歌うって、決めたから。

 

「♪──」

「おお、隣の子も歌い出した」

「歌はイマイチだが、楽しそうに歌ってるなぁ」

 

 聞いてくれる人は私の歌で盛り上がってはくれなかったけど、それでもよかった。お姉さんと一緒に歌うのが楽しくて、聞いてる人なんかどうでも良くなって、合図をしたりなんかもする。

 その分お姉さんはすごい歌で応えてくれて、この場所がステージみたいだった。

 

「誰が歌ってるのかと思ったら、やっぱり凪か」

「あ、大河! どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、こんな人だかりじゃ目立つだろう。それより、そっちの嬢ちゃんはどうした」

「っ!」

 

 歌い終わると聞いてる人の一番前にいたおじさんがお姉さんに話しかけてきた。体も大きくて、髪も染めてて、何ていうか、ヤンキーみたいな人。こっちを見てきたから怖くなってお姉さんの後ろに隠れる。

 

「あらら、隠れちゃった。ちょっと前に知り合った子でね、名前は……聞いてなかったな」

「なんだそりゃ。お嬢ちゃん、名前は?」

「………」

 

 覗き込んでくるおじさんから隠れるように周りをグルグル回る。するとお姉さんがしゃがみ込んで私の顔を見つめてきた。

 

「大丈夫、大河は私の兄さんだから。それより理那ちゃん、ちゃんと自己紹介してなかったね」

 

「私は古瀧(ふるたき) (なぎ)。お嬢ちゃんの名前、聞かせてくれないかな」

「斑鳩……理那」

「そっかそっか、理那ちゃんか。これからよろしくね?」

「うん」

 

 これが私の、音楽を始める第一歩。後に師匠と呼ぶ、凪さんとの出会いの物語だ。



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夢の後先

 

「こんな感じで凪さんに憧れて歌い始めたのが、最初のきっかけかなー」

「そっか、理那にも歌を教えてくれた人がいたんだ」

「うん。それから杏にも会えて、謙のおじ様にも会えた。だから杏は幼馴染でライバルだったの」

 

 昔話を終えて私の動機を教えると、納得したみたいににっこり笑う。先にサンドイッチ食べてるけど、その緩さ加減が逆に私を和ませてくれた。私も一つもらうと、コンビニなんかよりずっと美味しい豊かな風味が広がった。

 

「このサンドイッチも……ルカじゃないよね」

「当たり〜。そんなに作ってる人が気になる?」

「そりゃお礼のひとつも言いたいよ。これだけいい仕事してるんだからさ」

 

 バーチャルシンガーにお母さんとかいないし、その辺りは気になる。こんな不思議な世界だから、未来のテーブル掛けみたいに食べたいものが出てくるのかもしれない。

 詳しいことは知らないけど、今はありがたーく受け取っておこう。

 

「じゃあルカの質問にも答えたし、約束も果たしたから私は帰るね」

「あ、その前に最後にひとつだけ、いい?」

 

 このセカイを後にしようとしたところでまたも引き止められる。私は突拍子のない約束を取り付けられないように手を止めた。流石に二度も同じことに引っかかるほど柔じゃない。

 

「凪さんって、杏の歌を見てくれたり、あのRAD WEEKENDをやった人だよね。今はどうしてるの?」

「そこまで知ってるんだ。なら、気になるか〜」

 

 ルカはこのセカイで本当の想いを見つける手助けをしてくれる、ってのは聴いたけど、知らないことは多いみたい。流石に記憶を読んだりすることは出来ないよね。

 それでも昔話でも途中に「誰?」とか「どんな人だったの?」とか聞かれなかったし、杏からは色々聴いてるみたい。私の師匠というより、聞いた二つの話題の方が彼女にとっては重要なんだと思う。そりゃ、このセカイの根っこみたいなものだから仕方ないか。

 私はルカから視線を外して、冷めたコーヒーを回しながら呟く。

 

「亡くなったよ。三年前にね」

「えっ……」

 

 沈黙。予想しなかった答えに彼女も思わず目を丸くしていた。年上の貫禄とか余裕とか無くて、ただ一人の人間みたいに固まっている。そりゃそうなるよ、もうどこにもいないんだから。

 私が病院で凪さんと出会った理由も、お父さんの患者さんだったってのも、そう。重い病気に罹ってて、通院してた時にたまたま私と出会った。命を運んでくると書いて運命、って言うけど、命を丸ごと持ってくるとか聴いてない。

 

「それを、杏は知ってるの?」

「知らないよ。あのおじ様の事だからね。私が知ったのは、ほら。病院が我が家みたいなもんだったから」

 

「それに、杏も私みたいになっちゃったら辛いでしょ?」

 

 杏は私より凪さんと関わりが深いし、姉妹みたいだなとは思った。

 本当なら謙のおじ様も大河のおじ様も、私に隠したかったはず。凪さんも必死に隠してたみたいだし、街の人でも一部の人しか知らない話。でも環境が許してくれなかった。

 

「みんなRAD WEEKENDが伝説だー、って言ってるけどそりゃそうだよ。本当に命懸けてたんだから」

「だから、理那はあの時『コレのどこに惹かれたんだ』って言ってたのね」

「そう。私はRAD WEEKENDを伝説だなんて思わない。私の師匠の、夢の終わりなんだよ」

 

 本来ならもっと活躍出来たはず。それこそ本当にテレビに出たり、世界にだって飛び出して行けたはずなんだ。なのに諦めざるを得なくなって、それでも最後に何か残そうとやったイベントがRAD WEEKEND。

 私にはそんなイベントにしか見えなくて、あの夜が辛かった。歌い出す前の、辛そうなおじ様達の顔は昨日のように思い出せる。

 

「だから、伝説じゃないものを越えようなんて、想わないんだよ」

「でも、理那はこうやってセカイに来てる。本当は理那だって──」

「だからここには来たくないんだよ!」

 

 同じ想いがあるから同じセカイに来られる、そんな事実を受け止めたくない。約束したから来たけど、無ければハナからこんなところに来る気は無かった。

 杏達がこのセカイに来てるって話だって、心のどこかで嘘だって喚いている。このセカイで会いたくない。会ってしまったら、私の中にある想いが本当だって証明してしまうから。

 

「夢の終わりを見届けて私だけ先に進むことなんて出来ない! 何にも知らない人みたいに頑張るなんて出来ないよ!」

「理那……」

 

 ルカに言っても仕方ないのに私は想いをぶちまける。そこで急に頭の血が引いて、彼女の憐れむような顔がよく見えた。

 

「ごめん、私もう帰るね。コーヒーごちそうさま」

 

 スマホで鳴り続ける音のない『Untitled』を止めて、今度こそセカイを後にした。 

 

 

 セカイを離れてトボトボと夕日に染まった街中を歩く。セカイっていう場所のせいで、心無い事実と向き合うなんて思ってなかった。今だって私にあんな想いがあるなんて信じたくない。

 人生を賭けて何かをするなんて出来ない。本当に賭けて散っていった人を見届けたから。それなら本気になれなくても、今をゆっくり生きられる方がいいに決まってる。私は、何も知らなかった頃に戻ることは出来ないんだから。

 

「どうした理那、そんな世界の終わりみたいな顔して」

「あっ……大河のおじ様」

 

 通りかかる人も無視して家へと向かう途中、聞いたことのある声が私を引き止める。馴れ馴れしくも図々しい態度は大河のおじ様しかいない。サングラスをしたままだから目の動きはわからないけど、ちゃんと私を見ている。見たところ一人みたいだ。

 

「こはねちゃんは? 練習見てたんじゃないの」

「何、少しばかり付き合ってるだけだ。それより、何かあったのか?」

 

 私の顔色は誤魔化せないらしく、心配までさせてしまう。ダメだな私。他の人の前じゃこんなの見せたくないのに、よりによって今この人と会うなんて。

 

「別になんでもないよ」

「顔は何でもないって言ってないな。またバカにでもされたのか」

「まあ、そんなところ。今の私ってば昔みたいにノれてないでしょ?」

「昔みたいに、か」

 

 おじ様も思い出すみたいに私の言葉を繰り返す。遠い日の輝かしい思い出。そこには凪さんも居たし、当然大河のおじ様もいる。兄妹だから当たり前だけど、大切な思い出の一人だ。

 

「お前は背負い込み過ぎだと、前にも言ったな。覚えてるか?」

「覚えてるよー。でも割り切れるくらい大人じゃないって返したよね」

「それはむしろ、大人だからこそ割り切れないもんだ。あの頃は良かった、なんてジジくさいことは言いたくないがな」

「でも今だっておじ様は『世界を獲る』って夢、諦めてないでしょ?」

「そりゃそうさ。しっかり果たさないと男が廃るってもんだ」

 

 それは、みんなの夢だったもの。今でもおじ様が追い続けているもの。今でもがむしゃらに追いかけてるのはネットを見ればわかる。WALKERの活躍がその最たる例だ。

 

「そういう理那はどうなんだ。凪から想いを託された、お前は」

「……そんなの、今の私を見てわかるでしょ?」

 

 その言葉を最後に、私はおじ様の元さえも去っていく。

 遺したものはあまりにも大きくて、私一人で背負いこめるものじゃない。それでも最後を見届けた者として、凪さん達の夢の先を歩く次の世代として、託された想い。

 

『良かったら、私の夢について来てくれないかな』

 

 届かない距離にいる人の最後のお願いは、私を過去に縛り付けているのであった。

 

 

 街をさ迷って、結局辿り着いたのはWEEKEND GARAGE。謙のおじ様のコーヒーが恋しくなったのもあるけど、何だかんだでここが一番落ち着く場所だ。自分の部屋は昔の未練がいっぱいだから寝るだけくらいが丁度いい。

 謙さんにはバレないよう、自分の頬を叩いて気合いを入れる。杏が居たらもっと面倒なことになるからね。

 

「こんにちわー! 今日も来ちゃいましたー!」

 

 今の気持ちを精一杯誤魔化す為に、声を張り上げる。ここではいつもやってることだから、カムフラージュには丁度いい。

 

「おっと、噂をすれば何とやらだな」

「えー? 何々おじ様、噂って何のこと?」

「それは自分で確かめてみろ」

 

 彼の指し示す場所。ライブスペースから一番離れたカウンター席に、一人の黒い影が座っていた。夜に溶けそうな黒いコートに身を包んて、側にはコーヒーが置かれている。染み付いた薬品の匂いがほんのり鼻を突くけど、それだけ医療現場に立ち続けた勲章だ。

 私が知らないわけがない、たった一人の人物。

 

「理那か。相変わらず元気そうだな」

「お父さん……」

 

 私の父親、斑鳩譲太郎がそこにいた。



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人生の先輩

<理那>

 

 訪れたWEEKEND GARAGEに居たのは、海外出張中のお父さんだった。喜びを通り越して驚きが先に出てしまう。

 

「え、海外出張してたんだよね? 戻ってきてたの?」

「出張も何も、用が済めば帰国すると言っただろう」

 

 呆れた様子で返す姿は紛れもなく私のお父さんで、誰かがなりきってるわけじゃなかった。昔は近くの病院で院長をやってたけど、中学に上がる頃にはフリーになった。理由は私も知らない。

 謙のおじ様にブレンドを注文して、隣の席に座る。店の中は珍しくガランとしてて、私達以外にお客さんはいなかった。

 

「おじ様、杏はいないの?」

「ああ、今も仲間と練習してるだろうさ」

「そっか。伝説を越えようと必死だもんね」

「それで、お前はどこで何をしてたんだ?」

「私も歌ってたよー。とりあえず休憩」

 

 コーヒーが出てくるまで、今まであったことを話す。言葉と出会って曲を作ってもらえるようになったこと、杏達がどんどん成長してること。その間は口出しせず目も合わせなかったけど、コーヒーにも手を出さずに聞いてくれてるあたり、真剣に聞いてくれてるんだなって思った。

 

「っと、お父さんがいない間の話はこのくらいかな」

「そうか」

「ちょっとー、私だって色々あったのに労いの一つもないの?」

「それなら、労われるほどの努力をしてから言うんだな」

 

 特に感想を言ってくれるわけもなくコーヒーを傾けた。冗談まじりにねだってみても軽くいなされる。塩対応だけど、元から自分にも他人にも厳しい人。だからこそ天才なんて呼ばれるまでに昇り詰めたから、私に反論の余地はなかった。

 話題もなくなり沈黙がやってくる。話したいことはいっぱいあるけど、必死になるほどボロが出そうで心配になっていた。

 

「ほら、コーヒーだ。それにこれも」

「ありがとうおじ様。って、私サンドイッチ注文してないよ」

「日頃贔屓してくれる常連にサービスだ。たまにこう言うのも悪くないだろう?」

「ありがと。ならお言葉に甘えて」

 

 セカイで食べたのはまた別の、ちょっと豪快なサンドイッチ。それよりおじ様がサービスする時は決まって客に何かあった時だと決まっている。私も昔に何度かしてもらった時もあるけど、必ず相談もセットになっていた。

 上手く誤魔化せてると思ったけど、やっぱり付き合いの長い人達には敵わなかった。杏がいないのも好都合だろう。

 

「それで、何かあったのか?」

「あー、やっぱりわかっちゃう?」

 

 サンドイッチを飲み込んでから苦笑いを浮かべる。分かりきったことだろうみたいな顔で返されるけど、あえて惚けてみる。でも持久戦は不慣れで私の方から折れた。

 

「ちょっと凪さんのこと思い出してさ。年甲斐もなく哀愁に耽ってたっていうか」

「……だが、あの時とは違うだろう?」

「そうだね。言葉が曲を作ってくれるようになったし、お陰で色々変わったかな」

 

 でもそれは問題の先送りにしかなっていない。ひとりぼっちで寂しいのを紛らわせてるだけで、杏達はドンドン先へと進んでいく。私のことなんか振り返ってられないくらい。彰人君に至っては私のことなんか眼中にないだろう。

 

『でも、理那はこうやってセカイに来てる。本当は理那だって──』

 

 ルカの言葉がよぎる。建前ばっかり並べたところで本心は隠せないことは既に証明された。それでもなお、進めない理由があるから。

 

「だからって人生を引き換えに何か出来るわけじゃないし、ダラダラ生きるだけだよ」

「そうか」

 

 これ以上は何も言えないのか、謙のおじ様は黙り込んでしまう。店に流れる曲が何とか場を繋いでいるけれど、合わせてくれる人は誰もいない。

 私は抱え込んだ想いに耐えかねて、一番信頼できる人に投げかけた。

 

「ねえ、お父さんならどっちがいい?」

「何がだ」

「人生と引き換えに何かするのか、ダラダラ生きるのか」

 

 色んな人の命を救い、見届けてきたお父さんだからこそ、どちらがいいか答えを知っているはずだ。この歳になって甘えるのはみっともないかもしれないけど、あいにく私の親はこの人しかいない。そして、この世界どこを探しても、最後に頼れるのは親だけだ。

 お父さんは傾けていたコーヒーを戻して、一呼吸置いてから口を開いた。

 

「私はどっちもごめんだね」

「えー、それってどういうこと?」

「最高の何かをするのに人生を引き換える必要はない。生きて最高の何かを続ける。それだけだ」

 

 珍しく、私の目を見て教えてくれる。真剣な眼差しは捉えて離さない。

 

「それにこれはお前の人生だ。どう言われようが楽しい方へ進む。今までもそうやって生きてきただろう?」

「あっ……」

 

 かつての私はお医者さんを目指して勉強していたけど、今は音楽の道に方向転換している。代償は多かったけど、私がやりたいと思ったことだから後悔なんてあるわけない。

 最初は楽しくても、いろんな事情が重なって楽しくなくなることなんてよくあることだ。私の場合は憧れがどんどん現実に汚されて、そうなりたくないって目を背けただけ。

 

「ホント、お父さんはすごいなぁ。私よりずっと賢いや」

「おいおい、そりゃ当然だろう。何年生きてると思ってるんだ」

 

 賞賛も当たり前のように受け止めるあたり余裕を感じる。私の憧れる大人の姿をそのまま見せてくれた。

 後は言われたように別の道を探すだけ。勉強の時はもう嫌だったから全部投げ捨てた。なら今度も諦める……なんてのは嫌だ。

 

『お、理那ちゃんが歌うってよ!』

『そりゃ楽しみだ。久々に上げさせてくれよー!』

『理那ちゃん今日はよかったぞ!』

『理那ちゃんらしい綺麗な曲で明るい曲ね』

 

 せっかく凪さんにこの街を教えてもらって、この街が歌っていいよって言ってくれてる。見捨てないでいてくれたもう一つの家族を、簡単に捨てられるもんか。

 

 じゃあ、音楽を諦めないで進む私はこれからどうする? 凪さんが見せてくれた伝説を見据えて、託してくれた想いを継ぐ……? それも一つの方法かもしれない。でも、私にはしっくりこない。こんなにコロコロ道を変えるような人間に、人の想いをずっと同じ形で保てる保証はどこにもなかった。

 

 『人の心を癒す』っていうのも結局、凪さんの思いから目を逸らすための言い訳にすぎない。とりあえず音楽を続けられる理由を探して、ちょっと嬉しかった記憶を引っ張り出した程度。だからこれも理由としては弱かった。

 

「私は、どうしたらいいんだろう」

 

 結局その日は答えを見出せず、バータイムまでお父さんと一緒に過ごしていた。



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