白磁の王 (習作)
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ボーン1ーーたどり着いたのは理想の果て、しかし現実は甘くない

本作は基本一人称進行です。
今後内容に一部原作キャラクターを否定する描写、表現等が登場しますのでご注意ください。


「は、はは、なんてこった」

 思わず言葉がこぼれた。思いも寄らない幸運に巡り会ったのだ。

 目の前には実際には見覚えのない少女と少年、座り込んだ地面は冷たく握りしめた手には肌触りが柔らかい芝を感じた。狼狽した様子の少女と、また違った戸惑いを見せる少年から視線を空へと向ける。

 一面の青空。大きく息を吸い込めば、いつもよりも遙かに清々しい香りが鼻を抜けた。

「空気がうまい」

 比較的空気が澄んでいた田舎で暮らしていた俺であっても、異世界の空気は非常に綺麗だと感じた。二度、三度と深呼吸を繰り返す。その度に気分が晴れ渡っていった。肺に満ちる空気とともにふつふつと欲望が満ちあふれていく。欲望から喜びが生まれ、喜びから自然と笑った。静かなそれは、周囲で騒ぐ多くの少年少女達の声でかき消されていく。

 

 どれだけ望んだことか。どれだけ夢見たことか。絵空事と笑いつつも、心の奥ではいつでも望んでいた。小さな頃から憧れ続けた非日常。それが今この時、目の前に確かに存在していた。嬉しかった、心が躍るというのは正にこの様なことを言うのだろう。

 目の淵に薄く涙を浮かべ、感無量。穏やかな気分の中、何度目かになる深呼吸を終えた。

 

 そして、俺は目の前で口づけを交わした少女達に再び眼を戻す。

 鮮やかな桃色がかった金髪を揺らし、黒髪の少年を足蹴にした少女に向かってゆっくりと立ち上がり歩を進めた。高くなった目線で見た彼女は思ったよりも小さい。目算で考えても、三十センチ位は離れているだろうか。一方の少年は屈んでいるためよくは分からない。

 

 ゆっくりと近づく俺に気が付いたのだろう、少女は少年から目線を変えた。

 彼女は鳶色の瞳で俺の目をじっと見つめてくる。負けじと見つめ返せば、彼女はムッとした表情を造形した。やはり、俺が知るように気が強い性格であるようだ。

「あんたは誰よっ!」

 いかにも不機嫌です、と言わんばかりの声色で彼女が問いかけてきた。相当に虫の居所が悪いようだ。しっかりと芝を踏み固めながら自らこちらへ近づいてくる。

 そのお陰で、三歩ほど歩いただけで彼女と普通のトーンで会話出来るほどの距離まで近づけた。

「で、あんた誰?」

 再度聞かれた。今度はこちらも言葉を返す。長年連れ添った大事な名前だ。

「太一だ。佐藤太一、ただの人間だ」

「に、んげん。……そう。もういいわ」 

 少女の反応は予想通りの物だった。もうお前に興味なんてない、というように踵をかえし黒髪の少年の元へと戻っていく。だが、それは困ってしまう。

「待ってくれ。頼みがある」

「え、ちょっ、なにっ」

 彼女の肩を掴み、無理矢理こちらを向かせる。右手に掴んだ彼女の肩は思いの外細く、強く握れば簡単に折れてしまいそうだった。肩が痛かったのか、俺に触れられた事が不快なのか、はたまたその両方か、彼女は顔を苦しく歪めた。悪いとは思っている。だが、しかし彼女の話は終わっても俺の話は始まってすらいないのだ。そして、この話は現状において最も大事な事柄だ。

 俺は彼女の肩を両手で掴み、顔を見下ろす。そうだ、これを終えなければ何も始まらない。

 何ていっても、これはーー

「ルイズ、俺とキスをしてくれ」 

 

ーーキスから始まる物語なのだから。

 

 

 

 

「理不尽だ」

 真っ青な空を仰ぎながら呟く。虚空に向けたそれに言葉を返してくれる誰かはいない。

 先ほどの芝生が生い茂る広場とは違い、土が露出しているからか背中が凄く冷たい。それに、ゴツゴツした小石が背中に刺さってそこはかとなく痛いのだ。全く以て理不尽である。

 

 ルイズに召喚された同士ーーだと密かに思っていた少年、平賀才人は今頃暖かい木の床、香りの良い藁のベットを与えられているだろう。酷く羨ましいではないか。たとえ扱いが動物と同等だとしても食事と風雨に悩まなくてすむなら幸せだと思う。

 彼に比べて俺の状況は良くはない。体を起こして、座り込み周りを確認する。

 前は、果てしなく続いて見える平原と街道。横も平原。後ろは大きな門。そして怖い顔をした兵隊。俺はルイズに呼び出されから十分という短時間でトリステイン魔法学院を追放されていた。

 

 

 事の始まりは召喚された直後。使い魔として呼ばれたと判断した俺は、ルイズに契約を催促した。使い魔契約で得ることが出来る”ルーン”は俺にとって必要不可欠な物だった。否応無く戦いに身を落とす事になるであろう事が安易に予想できるからだ。生まれも育ちも一般人であった俺には即物的な力が必要だった。

 契約方法はキスだ。そう単刀直入に伝えたのだが、言い方が良くなかったらしくルイズは怒り強烈な右ストレートを繰り出してきた。不意に近距離からの体重を乗せた一撃が鳩尾を捉え不覚にも思いっきり尻餅を付いてしまったのだ。

 それからの流れは流麗な物だった。先ず、ルイズが引率の教師であったコルベールに駆け寄った。かと思うと彼がすぐにこちらへ来て魔法を唱える。それは物を浮かすことが出来る魔法ーーレビテーションだった。初めて見る魔法という物に心が躍ったが、それは直ぐに平衡感覚の否定という形で恐怖に変えられてしまった。

 そして、コルベールは抵抗できずに宙を浮く俺をそのまま運び、門の外へ放り出したのだ。ただ、彼は問答無用でそのまま放り出したわけではなかった。門の外まで連れ出した後、コルベールは無言で小さな包みを腰のポーチから取り出しそれを俺の手に握らせてくれた。ずっしりと重たい袋の中には金貨が何枚か入っていたのだ。その時の彼の表情はどこか悲壮感を漂わせていた。そして、結局何も言わないまま彼は学院内へと戻っていったのだ。

 

 

「兎に角、歩くか」

 俺は高く聳える五本の塔を見ることを止め、前方に続く街道を進むことにした。

 過去の事を考えて立ち止まっていても現状は何一つ変わりはしない。色々と未練があるのは確かだが、今となってはどうすることも出来ない。

 ルイズとか、タバサとかキュルケとか……もっとお近づきになりたかったものだ。

 しかし、今戻れば無礼打ちで痛い目に遭うかもしれない。むしろ相手は公爵令嬢だ、もしかしたら首がさようならしてしまう可能性もある。それだけは絶対に嫌だ。

 それに折角コルベールーーいやコルベール氏が金貨をくれたのだ。これを元手にトリステインで生活の基盤を手に入れる事が最重要案件だ。

 延々と続く街道を進み、とりあえず首都であるトリスタニアへ向かうことにした。

 

 

 

 黙々と歩き続けること数刻位か、既に夕日が眩しい時間になってしまった。意気揚々と歩を進めてきたが、それもそろそろ限界だ。不思議と痛みはないが、足を動かす気力が既にエンプティ。思わず腰が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

 ゆったりと流れていった景色はただ広い平原から木々が生い茂る森の街道へその様相を変えていた。しかし、一向に街らしき影は何一つ見えていない。始めは方角を間違えたのかとも考えていたのだが、歩き始めて直ぐ矢印を模した看板を見つけた為、間違いではないと判断した。内容は欠片も分からなかったのだが、そこに何かがあるのは確かなことだった。

 

 原作の流れや登場人物など、忘れようがない要素なら兎も角、地理や細かい描写においては残念なことに記憶がない。故に、トリスタニアの位置も、その距離も何一つ知識にないのである。

 

 正直な所、かなり焦っている。

 日も傾けば、街道とはいえ野獣に襲われてしまうかもしれないのだ。身長は高い方だが、根っからのインドア派であった俺の肉体など木の枝と変わらない。自分で言っていて悲しくはなるが十全たる事実、俺は運動が苦手なのだ。

 そんなモヤシのキングが、この過酷な自然界で生命を鍛え上げた野獣達に勝てるだろうか。考えるまでもなく餌となり、微妙な養分となってしまうのがオチであろう。そんな死にかたはごめんだ。そんな死に方でなくてもごめんだ。

「……はぁ」

 ため息一つ。地面を這い蹲り、街道沿いに生えた木の幹を背もたれにして座る。

 疲労が溜まった足を手で揉みつつ休憩をする。長時間の酷使に感覚が麻痺しているのか何も感じない。この分だとしばらく休んだ方が良いようだ。

 取り合えず、日が昇るまではこの場所で休憩をする事にした。無理に進んで道を逸れたりしても困るし、無闇に歩き回って野生生物を刺激したくない。そして、何よりもう歩きたくない。

「はぁ」

 再度ため息を吐きながら、異界の空を眺めた。夕焼けで赤く染まった空が徐々に藍色を強めていく。こく一刻と光が沈み、人の時間が終わりを告げようとしていた。

「本当に、トリップしたんだよな。本当に」

 願うように呟いた。朝目が覚めたらいつもの部屋で、いつもの生活が待っているだなんて言うなよ。こんな状況でも俺は楽しんでいるんだ。だから、もし夢だとしてもどうか覚めないでくれ。

 そんな思いを群青に染まった空に浮かぶ幻想的な双月に向けて、心中呟いた。

 

 

 

 

 夜が明けた。

 適度に浅い眠りを維持しつつでも、長時間休めたからか肉体は快調そのものだった。野獣に襲われることもなく朝を迎えることが出来たのは行幸である。悪運だけは昔から強かったからな。うん。

 不安定な場所で寝たからか体中が凝っていたようで、体を伸ばしたらもの凄い音がした。ゴリゴリ、バキバキって俺の体は大丈夫なのだろうか。おおよそ人体から出てはいけないレベルの破砕音だったように聞こえたのだが。

 ま、まぁとりあえず、間接とかを痛めても悲しいだけなので軽くストレッチをしてから再び街を目指すことにした。体は資本。安全健康第一だ。

 

 

 

 歩き出すこと多分半日程たった頃。一向に代わり映えがしなかった景色に大きな変化が訪れた。

「囲めっ! 絶対に逃がすなっ!」

 不意に聞こえたのは男の怒声だった。その声に続いて複数の男たちの声も聞こえた。俺は急いで街道沿いの樹木の影に身を隠した。そして、片目だけ出すように幹から声が聞こえた方を覗く。

 よくよく目を凝らしてみると大体五十メートル程先に一台の装飾が施された馬車が止まっているのが見えた。声の主達は馬車を囲む形で立っている。遠目ではよく分からないが、日の光を反射する何かを手に握っているようだ。

 

 恐らく、彼らは盗賊か何かだ。

 比較的警備が弱い貴族や商人を狙ったのだろう。馬車を背に立つ人影は2つしか見えない。

 そこで考えた。

 馬車の貴族、ないし商人を助けるか否かだ。出来ることならば見捨てたくはない。平和な世界で培われた良心が俺を苛むことが分かるからだ。だが、俺に何が出来るというのか?

 

 喧嘩もろくにした覚えがない俺が盗賊を相手取って、どうにかできるのか。無策に奴らの前に飛び出しても、せいぜい命を賭しての時間稼ぎーー肉壁程度の働きしかできないだろう。そもそも、死にたくない。自分の命は惜しい。まだまだ、この世界でやりたいことがたくさんあるのだ。

 馬車を見捨てたくなる。俺には元々関係ない人間だし、こういった出来事なんてこの世界では日常的に起きていることなのだ。だから、馬車の主は運が悪かっただけだ。だから、俺は悪くないよな。悪くない。きっと誰もがこの選択をする。そう自分に言い聞かせた。

 

「いい、わけがない。ダメに決まってるだろ」

 あれだけ、退屈していただろう。何も出来ない自分に嫌気がさしていただろう。

 ここでまた逃げてしまえば、前の世界と同じに、なってしまう。ただ逃げて、逃げて逃げ続ける人生が始まってしまう。そんなのは……ごめんだ。

 変わりたいと思っていた。始まりからやり直せるなら必ず変わってみせる、とそう思っていた。ハルケギニアに召喚されて。知り合いも誰もいなくて、でもここなら。ここからなら変わっていける。そう思った。だから嬉しかった。わくわくした。新しい生が始まるって。

「なら、逃げちゃ……ダメだよな」

 そうだ。ここで逃げてしまえば死にはしない。だが、それで昔と同じ生き方になってしまうなら、それは死んだのと同じだ。助けよう。どうにかして、少しでも役に立とう。変わるのだ。自らの意志で。

 

 決意は固まった。俺は近場にあった程良い太さの木を持ち、街道へ飛び出した。馬車を視界に入れると、やはり状況は変化していた。馬車の護衛の一人と賊3人が地に伏している。倒れた護衛は体から黒い煙を立ち上らせていた。

 メイジがいるのかーー。

 思わず足が竦んだ。言い得ぬ恐怖が俺の意識を縛り付けようとする。

「だからどうしたっ」

 強ばった体を無理矢理動かし、恐怖を振り切る。駆けだした先は杖を構えた男。メイジの男さえ抑えてしまえばあとは、護衛が何とかしてくれるはず。

 距離は五十メートル。小学中学で走るトラックをイメージして全速力で走る。運動が下手でも走るのだけは速かった。逃げ足だけは速かった。

 

 ふと、メイジの男がこちらを振り返った。どうやら足音で気づかれたみたいだ。

「なっ……貴様っ」

「く、おおおぉぉぉ」

 しかし、彼は気づくのが遅すぎた。

 俺は走る速度をそのままに振り揚げた木の棍棒を男の頭めがけて振り下ろした。男は腕で頭を庇うことなく、甘んじてその打撃を受け入れた。

 ドラマやアニメで聞いた殴打音と比べると些か迫力に欠ける鈍い音と共に木の棍棒がへし折れる。目の前の男は頭から夥しい程の朱を吐き出し、その場に力無く倒れ伏した。

 

「はぁ、……っはぁはぁ」

 息が荒い。口腔が乾いて血の味が鼻に抜ける。最悪な気分だ。手が震える。

「てめぇっ! よくも」

 ナイフを手に持った男が血相を変えて、俺に襲いかかってきた。とっさに動くことが出来ない。何とか避けようと足を動かしてもただもつれてその場に尻餅を突いただけだった。死にたくない。

 男が迫り、ナイフが俺を捉えようと振り下ろされる。だがーー

 

 布を引き裂く様な音と共にナイフが視界から消えた。俺の命を脅かしていた男が馬車の護衛によって切り捨てられたのだ。

「無事か!」

 残り3人になった賊に刃を向けつつ、声を掛けてきたのは壮年の男。頬に走る刃傷が彼の実力を醸し出している。その歴戦を思わせる様相が僅かな安心感を与えてくれた。

 きっと後はこの人が何とかしてくれる。そう願った。

「はい。なん、とか、大丈夫です」

 俺は立ち上がりながら壮年の護衛に言葉を返す。

「そうか。悪いが君に頼みたいことがある」

「なん、でしょう」

「馬車の裏に隠れた女の子を一人連れて逃げてほしい。奴らの狙いはお嬢様なのだ、どうか頼めないだろうか。この状況で頼めるのは君しかいない」

 壮年の護衛の言葉には僅かな悲壮と懇願が含まれているような気がした。ふと、彼の足下に雫が滴っているのが見えた。ぽたぽた、と紅い雫が一定のリズムで落ちている。腹部に目をやればそこには大きな紅いシミが出来ていた。

 

「分かりました」

 彼の姿を見て、そう答えずにはいられなかった。

 大体、俺は助けると決めて、武器を振り下ろしたのだ。変わると決めてここまで走って来たのだ。今更止まることなど許されない。ここで止まるようじゃ、変わるなんて無理だ。死にたくはない、戦うなんて考えるのも嫌だ。でも確かに今は、昔の俺が出来なかったことをしている。それが出来る立場に、いるのだ。

 

 ならば、せめて女の子ぐらいは助け出して見せる。それが今、俺に出来る唯一だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ご読了お疲れさまでした。
誤字脱字があれば随時編集させていただきます。

2012,10/6 17:43 誤字修正


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ボーン2――闘争の末、逃走

 良くも悪くも、状況が膠着していた。

 俺と壮年の護衛は武器を構えたまま睨む盗賊達と向かい合ったまま動くことが出来ない。こちらと相手の間には街道の脇に寄った形で、少女が隠れている馬車が停止している為だ。下手に動けば彼女をが危険に晒してしまう恐れがあるのだ。彼女を連れて逃げると承諾した手前、なんとか無傷でここから連れ出してあげたい。その為には眼前の盗賊達をどうにか抑える必要がある。しかし、俺では最良の策など思い付くはずもなく、ただ奴らを見据え隙を探す程度しか出来なかった。

 

 膠着状況をどうにかしたいのか壮年の護衛は剣を敵に向けたまま口を開いた。彼から漏れた声は小さい。

「私が奴らの目を引こう。君はお嬢様を頼む」

「……」

 つまりは囮を買って出る、ということだ。彼は自らを犠牲にしてまでも主を救おうというのだ。傷ついてもなお剣を下げず主を守ろうとする。正に騎士道精神だ。この状況で不謹慎ではあると思うが、俺が憧れていた物の一つが今、目の前に存在していることに言い得ぬ感動を覚えた。

「分かりました。俺も絶対、無事に連れ出します」

 俺も彼と同じ様に小さな声で告げた。そしてそれは、自分自身に対して向けたものでもある。必ず生かして見せる。そう、口に出すことで再度、決意を固めた。

 

 俺の言葉を聞いた壮年の護衛は小さく頷き、そして大きく息を吸い込み吼えた。獣じみたその咆哮と共に壮年の護衛が盗賊達に肉薄する。それと同時に俺も馬車を目指し一気に駆ける。彼が盗賊達の間で暴れてくれているお陰で、俺の目の前には障害は何一つ無い。馬車までの短い距離を全速力で駆け抜け、その裏でうずくまっていた少女に駆け寄った。

 

 長い金髪を地に垂らした少女は杖を握りしめたまま、頭を抱え小さくなっていた。余程、恐怖を感じたのだろう。彼女の体は目に見えて震えていた。どうやら、俺の存在には気づいていないようだ。いや、気づいてはいても動けないのか。なんにせよ状況は切迫している。すぐにでもここから移動しなくては、盗賊の仲間が駆けつけてくるかもしれない。

 俺は少女を怖がらせないように出来るだけゆっくりと優しく声を掛けた。

「大丈夫か? 君を連れて逃げるように護衛の人に頼まれて来た」 

「……ローレンツは?」

 帰ってきた言葉は疑問だった。恐らくだが護衛の内のどちらかを指しているのだろう。しかし、片方の護衛は既に命を落としてしまっている。近場で起きた出来事だから、彼女が知らない事は無いと思うが、あえて詳しく説明する必要はない。そう考えた。今の俺に求められているのはこの子の安全だ。生きて安全な場所まで連れていく事、それが今貫くべき事だ。

「彼なら、敵を征伐しているよ。その彼から頼まれたんだ、君を安全な場所に連れていくようにって」 

「でも、」

「悪い、時間がないんだ。お願いだから、俺と来てくれ」

「えっ、や」 

 俺は彼女の手を取り引っ張り揚げ、立ち上がらせる。その際、抵抗されるが俺よりも随分小柄な彼女の力は思ったほど強くはなかった。しかし、心底嫌そうに抵抗する彼女を見ていると、嫌がる子供を苛めているような気分になる。なんだか気分が悪い。だが、やはりそんな事で立ち止まっている暇はなかった。

「、っなにやってる! 小娘が逃げるぞっ!」

 男の呻きを交えた怒声が辺りに響く。俺が殴り倒したメイジの男だ。彼はただ意識を失っていただけだったのだ。いよいよもって状況が最悪になろうとしている。足下がおぼつかないあいつが完全に復帰してしまえば逃げるのは更に難しくなるだろう。護衛の彼もいつまで保つかわからない。俺に少女を説得している暇などない。

「来い! 逃げるぞっ」

 俺は取った手をそのままに強く引いて森の方へ走り出した。少女はもつれそうになってはいるが、抵抗はしてこなかった。

 

 

 追っ手が来ていないことを祈りながら振り向かず走る。

 左手に掴んだ少女の手が強ばっているのがはっきり伝わっている。俺の僅かに後ろを走る彼女は、何も言わずしっかり自分の足で付いてきている。一応は俺を信用してくれたのだろうか。分からないが、彼女が素直に付いてきてくれるのはありがたかった。先ほどまで聞こえていた戦闘音が殆ど聞こえないところまで逃げてきているが、後ろを静かに追ってきていないとも限らない。体力が続く限り逃げ続けるつもりだった。

 

 しばらく走ると鬱蒼と生い茂る木々の隙間が大きくなってきた。どうやら森を抜けるようだ。後ろに追っ手の姿はない。俺は僅かにペースを落として、近くの茂みの影に身を潜めた。少女も続いてしゃがみ込む。

「大、丈夫、か?」

 今まで生きてきた中で一番の全速力を発揮したせいか、息が上がり上手く声が出ない。それは、少女も同じなようで、白い肌に玉のような汗を浮かべながら荒い呼吸をして、頷いている。俺は茂みから開けた先を見据える。先には小さな小屋がある。

「あ、貴方は何ですか?」

 少女が聞いてきた。何、と聞かれても答えに困る。俺は佐藤太一、ただの大学生だ。

「佐藤太一だ。タイチが名前な」

「別に、名前を聞きたいわけじゃ……」

「えと、じゃあ――」

 どう答えればいい。そう口に出そうとしたとき、後ろからがさりと物音が聞こえた。俺と少女は揃って背後を見やる。盗賊の奴等に追いつかれたのだろうか。

「ど、どうするの?」 

 少女のか細い声が聞こえた。ここで止まったのは失敗だったか。彼女を見る限り、もう走れそうには見えない。俺は走れるかもしれないが、ここで置いていくなんて選択肢は存在していない。何とかしなければ。視線を人気の無い小屋に向ける。

「あそこに隠れよう。見つかったとしても、篭城できる砦があれば何とかなるかもしれない。行くぞ」

 

 俺は少女にそう言うと茂みを脱出し、小屋へ向かう。少女もそそくさと背後を付いて来る。追っ手が気になるのか後方をしきりに見ている。急いで中に入ろう。砦とは言えない様なボロ屋だが、武器になる物や役立つ何かがあるかも知れない。小屋の入り口までたどり着いた俺は、小さくドアを開け中をのぞく。中は思ったより埃っぽく人が住んでいるような気配はなかった。床に積もり雪のようになっていることがそれを証明していた。

「さぁ、中へ」 

 少女を促し俺も中に入る。二人の人間と大量の空気が入り込んだことから大量の埃が舞い上がった。鼻腔をくすぐる不快な感覚に思わず足を止めてしまうが、中に入るところを見られてもいけない。そう考えた俺は口と鼻を抑えながら小屋の扉を閉め、なるべく窓に近くない場所へ腰掛けた。

 

 息を殺して、外の気配を探る。玄人の戦士のようにはっきり気配を読めるわけではない。ただ物音がしないかどうかを聞いているだけだ。俺の意図が伝わっているのか、少女も小屋の一番奥で身動き一つ取らず座り込んでいる。大人しくしていてくれるならありがたい。

 

 一秒、一秒確実に時が進んでいく。しばらく外に気を配っていたが、誰かが近づいている感じはしない。そっと窓から外を覗いてみても、やはり人影は見あたらない。盗賊連中は俺たちの追跡を諦めたようだ。

 

「……っ、ふぅ」

 肩の力が抜けた。緊張の糸が解れ、深いため息が出る。

「周りには誰もいない。しばらくは大丈夫だと思う」

 俺は、小さく縮こまっている少女にそう告げた。すると彼女は小さく安堵の息を吐いて、僅かに強ばった肩を弛緩させた。

 一応、目前の危機は脱した。しかし状況が良くなったわけではなく、むしろ考え方によっては泥沼に片足を突っ込んでいるようにも思える。助けが来るか分からない状況。数や規模が不明瞭な相手、そして奴らの執念のほど。全く見えてこない現状は実に不愉快だ。

 

 それに、何より不可解な事が他にもある。自分の事だ。

 記憶にある通り、俺は運動が苦手だったはずだ。なのに、この短時間でかつて無いほど全力で走り続けていた。今になって考えてみればおかしな事だ。ハルケギニアに召喚されて、初めて長距離を歩き詰め、その後にこの逃走劇だ。以前の俺から考えたら体力が保つわけがない。もしや、ルイズに召喚されたことで、何か特殊な恩恵が与えられているのかも知れない。彼女と契約した使い魔は”ガンダールブ”というルーンを刻まれ、身体能力が強化される。俺は契約していないが、彼女に召喚されたという点で、何かしら力を得ている可能性がある。確証はもてない、な。

 何にせよ、今考えても何も分からないか……。

 

「ねぇ……あの、聞いてます?」

 思考の海から意識を外に向けた途端、いささか不機嫌そうな少女の声が聞こえてきた。どうやら自分の世界に入りすぎていたようで、彼女の話を聞き逃していたみたいだ。俺はじっとこちらを睨む彼女に向き直り素直に謝ることにした。

「ごめん、考え事をしていて聞いていなかった。……それで、どうしたんだ? 何かあったのか?」

 俺がそう聞くと彼女は少し視線を逸らし、数瞬の後再び口を開いた。

「……気にしてないから良いですけど。それより、聞きたいことがあるんです」

「答えられることなら、なんでも答えるよ」 

 聞かれて困ることなんて、使い魔召喚されたことや、その後の一悶着ぐらいしかない。いや、むしろこの世界において俺の歴史は僅か数十時間しかない。話せることは殆どない気がする。これは、参ったな……。適当に誤魔化す事も必要か?

「えと、先ず貴方は誰なんです? 何処から来て何のために私を助けたんですか?」

 告ぎ早に疑問を投げかけてくる彼女の気迫に気後れするも、なんとか声を絞り出した。とりあえず話せないことはぼかして話すことにしよう。

「さっきも言ったと思うけど、俺の名前は太一だ。魔法学院に奉公していたんだが、故あって帰郷する途中だったんだ。君を助けた理由は、その、ただのお節介というか、頼まれたって言うのもあるけど」

「そう……ですか。よく助ける気になりましたね」

 少女は胡散臭そうな視線を俺に向けてのたまった。確かに怪しいよな。ただの平民に見える男が、頼まれた程度で賊相手に歯向かうなど殆ど見られないことだろう。この世界において弱者は奪われるしかないのだから。しかし、彼女の視線が痛い。

「まぁ、いいです。ここまで私を逃がしてくれたのは事実ですから。ありがとう、と言っておきます」

 彼女はそう言って僅かに微笑んだ。緊張が解けていないのだろう、少しぎこちないそれはどこか儚げに見えた。この状況で笑みを浮かべてくれたのだ、俺も笑顔をかえそう。上手く笑えているかは分からないが、少しでも空気が柔らいでくれればいい。

 

 




今回は短くなってしまいました。


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