ヒャッハーアックスッ!! (RINT)
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プロローグ
少年と斧


 シャイニング大好き!


 

 

 

 

 

 少年が一人、夜の森の中にいた。

 

 

 

 今日は新月。故に月明かりも無く、森は完全な暗闇に包まれている。

 何も無い、真っ暗な世界。あるのはただ、ザァザァと風に揺れる葉の音だけ。

 

 そこに一人、人間が居る。

 軍用ゴーグルを首に下げ、軍服と大量のナイフに身を包む青年。

 側から見れば軍人かと思うだろう。

 

「………………」

「…………………何、見てん、だよ……………」

 

 その側に、一体の生物がいた。

 全体の大きさは一般的な犬くらいだろうか。斧のようなでかい頭に恐竜の小さい足を二本生やしたようなフォルム。

 

 明らかにこの世の物とは思えない存在。

 

 

 悪魔。

 

 

 

 恐怖心から生まれた、人間を殺す怪物。

 

 そいつが俺の目の前で死にかけていた。

 腹? と呼べる場所に大きく抉れた傷口があり、その他にもかすり傷と呼べる箇所が幾つか残っている。

 恐らくどっかのデビルハンターが殺し損ねたのだろう。

 

「……おら、どっか、行きやがれ……。ガキの、見せ物じゃ、ねぇぞ……」

「……………………死ぬの?」

 

 少年が無情にも尋ねる。

 

「……………………死ぬに、決まってんだろ………」

 

 悪魔もまた少年に対して答えた。

 地面を見ればわかる通り血の量は多い。むしろ、これでよく失血死しないのかわからなかった。

 もしかしたら、見た目よりも強い悪魔なのかもしれない。

 

 これは、チャンスだ

 

 そう考えると、俺は噛んでくださいと言わんばかりに右腕を悪魔の前に出す。

 

「何の……、冗談だ?」

「噛めば治るんでしょ?」

「…………ハッ、助けてどうなる。テメェが………、俺に、食い殺される、だけだぞ?」

「それは無いよ」

 

 俺はそう言って悪魔に右腕を噛ませた。

 チュウチュウと自分の血が抜けていくのを感じながら俺は口を開いた。

 まるで、胡散臭いセールスマンのように。

 

「これは契約。アンタを助けてあげるから、俺を助けろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チュンチュン、とどこからか鳥が鳴いている。

 何も無い暗闇から解放されるように俺、斧の悪魔は目をゆっくりと開けた。

 

 俺がいたのは穴がいくつも空いたマットの上だった。

 ひび割れたガラスをガムテープ止めた窓から差し込む光を見ながら、俺は小さい二本足を使って起き上がる。

 

(………一体、ここはどこだ?)

 

 確かあの夜、俺は………………。

 あのクソチェンソーの傷で死んだはず………………。

 

 いや、違う。俺は契約したのだ。

 

 あの森の中、暗闇の中で確かに聞いたし、血を飲んだ。

 そして俺は、人間と契約した。

 だとしたら、ここは契約者の住居か?

 

 しかし、あたりを見る限りかなり狭く、そしてボロっちい。農家の倉庫と言われた方が信じるくらいだ。

 

 なら、ここは俺を閉じ込める為の牢屋って事か?

 だとしたら窓が俺の届く範囲にあるのはおかしい。その窓だって今は換気のためか、開けっ放しになっている。もはや牢屋として機能していない。

 と言う事はやはり、ここは奴の住居なのか…………?

 

「あ、起きてた」

「ッ!」

 

 突如後ろから声が聞こえた。俺は咄嗟に振り返り、戦闘態勢に入る。

 

 俺の後ろに立っていたのは人間の子供だった。

 推定年齢は7から9歳。パーマっ気のある黒髪と首に軍用ゴーグルをぶら下げ、同じく軍服を身に纏った少年。

 

「おはよう」

 

 人間の子供は警戒する俺を見るも、まるでそれを気にする事なく挨拶した。

 なんだかやりづらい。

 

「……………チッ」

「愛想悪いね。別に良いけどさ」

 

 悪いが愛想が悪いのは生まれつきだ。失礼な事言いやがって。

 

 コイツは何者なんだ? ただの子供、にしては妙に落ち着きがある。普通に見るなら常に薄笑いの絶えない穏やかな子供だ。

 しかし、俺は弱体化しているとはいえ正真正銘の悪魔。悪魔を前に怖がる奴は多い。戦いを挑んでくる奴だって、その多くは恐怖の感情を持っていた。

 しかし、目の前の人間は何が違う。何が違うかは分からないが、何か、大切なものが無いような……。

 

「ご飯できてるよ」

 

 俺が考えていると、人間の子供が食パン二切れを持ちながら話しかけてきた。

 

「いらねぇよ。んなもん」

「悪魔も腹空かしたら死ぬんだよね」

「……………チッ」

 

 確かに俺ら悪魔は超常の者だが、地球上に存在する生物の一種でもある。いくら強い悪魔といえど、食い物がなくなれば生きてはいけない。

 仕方がない。ここはこいつの言葉に甘えるとしよう。

 

 そう考え、俺は小さな両足をペタペタと歩き、人間から差し出された食パンの皿の前に立った。

 

「いただきます」

「……………」

 

 人間は両手を合わせて東洋の食事を始める挨拶をすると食パンを手に持って口にした。

 

 …………まさか、朝の飯はこれだけなのか?

 

 少ない。あまりにも少なすぎる。

 朝飯がたった食パン一切れのみ。こんな生活していたら栄養失調でいつか倒れそうだ。

 

 しかし、これで確信は持てた。奴は軍人じゃ無い。

 

 最初は軍服を着ているあたり、どこかの実験で俺を捕らえたのかと思ったが、それは違う。

 軍の食事は身体作りの為にしっかりと献立を調整されている。決して、食パン一切れだけの食事を出す軍は存在しない。

 コイツは軍人じゃ無い。

 だが、それが本当なら、もう一つの疑問が浮かび上がる。

 

「……………何故俺を助けた」

 

 そう。俺を助けた理由だ。

 悪魔は言わば人間の敵。その逆も然り。

 人間の多くは銃の悪魔の影響で悪魔自体を恨んでいる奴が多くいる。

 恨んでなくてもデビルハンターなり何なりに通報するはずだ。

 だが、コイツは俺に血を分けて、しかも契約を持ちかけて来た。

 コイツの目的はなんだ?

 

 俺の問いに、子供は食パンを食い終わってから答えた。

 

「んー、強いて言えば、仕事で必要だった。かな?」

「仕事?」

 

 仕事? なんだそれは。

 悪魔が必要な仕事……。わからない。

 もしかしてコイツは裏社会の人間なのか?

 

「手伝ったらわかるよ」

「……………チッ」

 

 まぁいい。こうなったら契約に従うしか無い。

 拾われた命だ。ゆっくりと力をつけていけば元の姿に戻るだろう。

 

 するとゴサッ、と俺の後ろで何が落ちた。

 振り返ると人間が何も入っていないボロボロの袋をこちらに向けながら開けて持っていた。

 何がしてぇんだ? コイツ。

 

「何の真似だ?」

「袋に入って」

「……何でこんな事しなきゃならない」

「契約はお互いを助けろ、だったでしょ? それに、君を見たらみんなに殺されるから」

「みんな?」

 

 みんなって何だよ。

 デビルハンターの事か?

 

「いいから早く」

「わかったから急かすな。………チッ」

 

 そう言って俺は袋の中に入った。

 袋の中は小さい穴から光が漏れ出しており、暗くは無い。小さいは小さいので、狭っ苦しいのだが。

 少年は俺が入った袋を肩にぶら下げると倉庫の扉を開ける。

 

「ここは……」

「シー。見つかったら殺されるよ」

 

 俺が見た景色はあまりにも()()()()()

 

 何処もかしこも素っ気ないコンパクトな平屋造りで、止むを得ず渋々そこに建っているかのような気配を漂わせている建物がまるで骨董屋の売りもんみたいに無造作に並んでいる。

 地面に草木など無く、あるのは平で硬い土のみ。風も水分すら含んでおらず、ただただ乾燥した死の風が生ゴミや鉄を燃やした臭い匂いを乗せて吹くだけだった。

 

「おー、ビリー。また仕事か?」

 

 突如、少年に誰かが声をかけた。どうやらコイツの名前はビリーと言うらしい。見た目じゃ似合わない名前だ。

 小さい穴を通りて見ると老け顔の老人が笑みの絶えない優しそうな顔でこちらに近づいてくる。

 しかし、その笑みが逆に胡散臭く、まるで詐欺師がするような気味の悪い笑みだと俺は思った。

 なるほど、ただの廃れた街でも無いらしい。

 

「キーボおじさん。うん。今日も仕事」

「若いもんはようやるのぉ。頑張りなさんな」

「ありがと」

 

 少年は薄笑いをしながら、それでも少し警戒して歩き立ち去る。

 

「………ここはスラム街か?」

「うん。汚くて臭いでしょ」

 

 なるほど。どうやら俺は最悪な場所で保護されたらしい。

 生命というものすらなく、あるのは訳ありでここに流れついた住民とパネルで作られた脆い家。

 逃げ出そうにもコイツの契約で逃げることも叶わない。

 なるべく早く契約を完遂すべきだな。

 

 そう考えながら身体を揺らされる事数十分。揺れがおさまり俺が入った袋は地面に置かれる。

 どうやら目的地に着いたらしい。

 

「出てきて良いよ。仕事場に着いたから」

 

 ボロボロの袋が開き、朝の眩しい日差しが俺の目を閉じさせる。

 光に慣れると俺は袋から出て数十分ぶりの地面に足を付いた。

 

 その地面は先程のものとは違い、新鮮な土の匂いのする柔らかいものだった。所々に雑草が生えており、奥には森林が生い茂っている。

 

 あそこよりも、ここで暮らした方が何倍もマシだな。

 住む家がないのはこの土地に所有者がいるのだろう。

 

「さてと、契約通り手伝って」

「仕事ってのは、木を切ることか?」

「んー、これは副業ってやつなのかな? 本業は違うよ」

「本業?」

 

 後でわかるよ、と言いながらビリーと言う少年は俺を持ち上げた。

 ……………木を切るんじゃ無いのか?

 

「ところでさ、君ってよく切れるの?」

「は?」

 

 突然の発言に俺は急に嫌な予感を覚える。

 人間は汚れた手で俺の体をペタペタ触っていた。

 

 まるで、持ち手を探すように。

 

 まさか、コイツ…………………ッ!

 

「前の斧は壊れたから使い物にならないんだよね」

「……テメェ、待…………………ッ!」

「あ、ここかな?」

 

 俺の言い分も虚しく、人間は後頭部にある尻尾を持ち、振り上げる。

 そして、そのままの勢いで、俺をおもいっきり木にぶつけた。

 

「グゲッ!!」

 

 俺の鼻の刃がバキィッ!、と木にぶつかった。

 人間は木の切り込みを見ると、うんうんと頷きながら俺をを木から引き抜く。

 

「お〜。よく切れるね」

 

 そしてまた俺を振り上げて木にぶつけ、また振り上げての工程を繰り返しながら人間は木を伐採する。

 しかし、俺はその工程に酔ってしまい、今吐いてもおかしくは無い状態だった。

 まるで遊園地にあるバイキングが高速で動いているようなの感覚、と言えばわかるだろうか。

 

「クソがッ! テメェッ! 覚えてろッ! 後でッ! 必ずッ! 

ぶち殺してッ! やるッ!」

「これならなんとか次の仕事まで間に合いそうだ」

 

 俺は恨言を吐き捨てながら、人間は安心しながら仕事をする。

 深い森林の隅っこで、いつまでも木を切る音が鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

「はい。ご飯」

 

 ゲロを撒き散らかしながら木を切る作業も終え、日が丁度頭上に位置し始めた頃、俺と人間は昼食の支度を始めていた。

 昼食とは言っても、朝食と同じく食パン一切れだけ。野菜や肉なんてないし、ジャムすらも無い。

 どんだけ貧相なんだよコイツ。

 

「チッ、また食パン一切れだけか」

「仕方ないでしょ。これだって結構高いんだ」

「は? いくらだよ?」

 

 一般的なパンの値段は日本円で一袋280円位である。

 木を伐採する仕事で食パン一枚だけの生活をしているのなら少しは余裕が持てそうだが……。

 

「えっと、一切れ250バーツだったかな?」

 

 250バーツ。日本円で約千円。

 パン一切れだけで千円? 値段が高すぎるのも程がある。

 

「流石に高すぎるだろ。ぼったくりじゃねぇのか?」

「ここら辺は物価が高いから。他の所で買うと300超えるし。ジェネロおばちゃんの所が一番安いんだ」

「クソみてぇな街だな」

「うん。そうだね」

 

 このパサパサした食パン一枚でこれだけ高いとなると相当あの街は腐っていると言える。

 むしろ、こんな子供がよくここで生きていけたのかがわからない。

 恐らく、コイツが言う本業がかなり儲かるのかと思うが、そこもなんだか怪しく思えて来た。

 

「大丈夫だよ。一回50000バーツの仕事があるから」

 

 噂をすると他の仕事の話が人間の口から出てきた。

 

「……それが本業か?」

「うん。それじゃあまた袋に入って」

「またかよ…………。チッ」

 

 俺は悪態をつきながら袋の中にスポッと入り、人間はその袋を肩にぶら下げると再び歩き始めた。

 一回50000バーツ、日本円で約20万の仕事。

 確かに儲かるが胡散臭い。こんな腐った街だ。どうせロクでも無い仕事なのだろう。

 

 それから歩く事1時間くらいか。たまに同じ所を行ったり来たりとあまりにも挙動不審な行動をしていた人間が歩くのをやめた。

 

 ポケットからビー、ビー、と何か震えている。

 

 人間はそこのポケットから黒く四角い物、通信機を取り出して受信ボタンを押す。

 通信機から聞こえる声はガーガー、とノイズ混じりで聴こえにくい。古いタイプなのか、ゴミ広場で拾って来たのもなのだろう。

 人間はその声を聴くと「わかりました」と一言だけ答え、送信ボタンを押した。

 

「少し揺れるよ」

「は? どう言……うおっ!?」

 

 人間の言葉の意味を聞こうとした瞬間、袋がぐわんぐわん、と激しく揺れ始めた。さっきの伐採で酔いが治ったばかりでこれである。これ以上食べ物を吐き出すのは溜まったもんじゃ無い。

 必死になって袋にかぶりつき、自分の体を固定して穴から通す外を見た。

 

 行き交う人や建物がすごい速さで通り過ぎてゆく。曲がり角を勢い良く曲がり、前方で屯っている邪魔な人間を飛び越え、まるで世界大会に出身するマラソン選手の様に人間は走っていた。

 ここからでは顔は見えないが、呼吸の荒れ方から相当焦っているのがわかる。まるで、横取りはさせないと言わんばかりに。

 

 走る事数分。俺は吐き出す事なく我慢していると、ようやく人間の動きが止まった。どうやら目的地に着いたようだ。

 荒れた呼吸を整え、軽く深呼吸してから人間は歩き出した。

 見えて来たのは3階建てのコンクリート製ビル。所々が崩れ落ちており、地震が来たら即解体される脆そうな建物だ。

 

「ネクロおじさん」

「来たか。ガキ」

 

 60代くらいの男の声がした。顔は見えないが、ドスの聴かせた声。裏社会の人間なのだろう。

 

「早速だが、仕事だ」

「どこに現れたの?」

「ここの廃ビルに一体。先に行った一人が死んだ。気をつけろよ」

「わかった」

 

 そう言って人間は廃ビルに足を踏み入れる。

 

「おい。ちょっと待て」

「?」

 

 途端、ネクロとか言う奴が人間を呼び止めた。

 

「その袋の中身はなんだ?」

 

 ネクロが知りたいのは俺が入っている袋であった。

 人間は袋を見せつけながらネクロの問いに答える。

 

「新しい武器」

「……そうか。殺せるならなんでも良い。さっさとしろ」

 

 人間は曖昧な答えを言い、再び廃ビルの中へと入る。

 

 何年も使われていないのだろう。中も所々瓦礫が散乱し、壁にはヒビや崩れ落ちた跡が残っている。

 電気も通っていないのを見るに、誰もいないし使っても無いのだろう。

 いや、そんな事はどうでもいい。俺が知りたいのはコイツの本業だ。

 俺を袋に隠す事だったりと不思議に思っていたが、この街の貧しさを見て大方予想はついている。

 

「おい、仕事ってんのはまさか……」

「そう、君の想像通り。出てきて良いよ」

 

 そう言って人間は俺を袋から出して、伐採した時と同じ様に俺の尻尾を掴んだ。

 

「ここ持てば良い?」

「もう勝手にしやがれ」

 

 俺は適当に返事し、人間も俺を持ちながら上の階へと上がってゆく。

 一歩一歩階段を登って行くごとにカコーン、と足音がビル全体に鳴り響いていた。

 

「テメェ、金ねぇのか?」

「無いから働いてんじゃん」

 

 人間は俺に話しながら3階へと登り、エントランスルームのドアの前に立った。

 どうやらここに目的の奴がいるのだろう。

 

「木を切っても月収13000バーツぽっちだからさ。そんな仕事してたら飢え死ぬんだよ。だけど、この仕事はかなり良い」

 

 バンっ! と人間の蹴りで強引にドアを開けた。

 

 人間が開けた部屋は大体4LDKくらいの広さだった。しかし、瓦礫やら窓ガラスやらが散乱しており長年放置していた事がよくわかる。

 

 

 その広い部屋の中央に一体、異形がいた。

 

 

 緑色の肌に丸細いフォルム。それが真っ二つになるように360度、血のついた並びの良い歯が日光に反射しギラつかせ、身体のあちこちに付いている大小いくつもの目玉がこちらをジーッと見ている。

 人間の長い手足を4本生やして地面に立つ禍々しい生命体。

 

 

 別名、ピーマンの悪魔。

 

 

 ピーマンによる恐怖により生まれた。俺と同じ存在。

 

「やっぱり、デビルハンターが一番儲かるな」

『ブシャァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 口が裂けるほどの奇声を上げながらピーマンの悪魔は人間を確認すると戦闘態勢に入る。全体重を掛けて体を前に倒し、人間目掛けて突っ込んできた。

 動きは鈍いものの、潰されればひとたまりもない。

 人間はその行動に怖気付くことも無く、ただこちらに来るのを待っている。

 そして、ピーマンの悪魔が後一歩の所まで近づくと…。

 

「よっと」

 

 勢い良くスライディングした。

 

 ピーマンの悪魔の股をくぐり抜け、背後をとる。

 ピーマンの悪魔は無様にも壁にぶつかり、その衝撃でよろけてしまった。

 この隙を逃すほど、人間は甘くは無い。

 人間はピーマンの悪魔の足目掛けて俺を振るう。

 

「おらっ」

『ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!』

 

 俺の刃はピーマンの悪魔の足を立ち切り、赤い血飛沫を部屋一面に撒き散らかす。

 あまりの痛さに相手は悲鳴をあげた。

 

 背中に配置された目が人間を捉える。

 余裕のある表情を見て怒ったのか、身体中にある手や足を人間の方へと無造作に向けて来くる。

 どうやら確実に葬る為にコイツを捕まえる気なのだろう。

 流石にこれは人間でも逃げるのが難しいかもしれない。

 

 しかし、その考えを否定するかのように手足の攻撃を避けた。

 横に移動したのでは無い。

 

 上へと飛んだのだ。

 

「フンっ」

「ちょっ! テメェェェェェェェエエエエエエッ!?」

 

 人間はピーマンの悪魔の手足目掛けて俺を投げる。

 俺の刃は手足をまるでネギの束を包丁で纏めて切るかのように立ち切った。

 これで、奴は移動できない。

 

『ブギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

 

 汚い奇声がビル全体を鳴り響かせる。よほど痛いのだろう。

 しかし、その痛みもすぐに感じなくなる。

 

「うるさい」

『ブギィッ!』

 

 人間は腰に挿してあったナイフを両手で持ち、ピーマンの悪魔の目玉に目掛けて突き刺す。

 そのナイフを90度反転させ抉ると、肉をスライスする様に横一閃で切り裂いた。

 ピーマンの悪魔は体内にある大腸小腸血その他諸々をシャワーのように部屋に撒き散らかしながら絶命。動かぬ肉塊と化す。

 それを確認した人間は俺に近づき床から引っこ抜いた。

 

「ふう。意外と簡単だった」

「テメェ、扱いが雑すぎるぞッ!」

 

 特に俺を投げたのは腑が煮えくり返る程。

 力が元通りで契約が無ければ、頭を掻っ捌いていた所だ。

 

「良いじゃん。君の報酬でもあるんだしさ」

「本当にテメェ後で覚えておけよ……!?」

「ヘイヘイ」

 

 適当に返事をすると人間はナイフを持ちながら悪魔の死体に近づく。

 ちゃんと絶命させたはずなんだが……、もしや、万が一の為にもう一度確認を……。

 

「よし。殺したな」

 

 するとドア付近でドスの効いた声がした。

 見るとさっき程のネクロとか言った男が俺を見ながら立っていた。

 どうやら戦闘が終わった事を人間が通信機で報告したらしい。

 

「それがお前の新しい武器か?」

 

 ネクロは俺に向かって指を差しながら人間に問う。

 人間はナイフで悪魔の死体を刺したり引いたりしながら答えた。

 

「うん。結構切れる」

「街の連中には見つかるなよ。血眼になってソイツ捌こうとするぞ」

「わかってるって」

 

 捌く。その言葉でコイツの行動が確証が確信へと変わる。

 

「なるほどな。悪魔の身体を捌いて売るってか」

「そういう事。闇市で売れば50000バーツだから結構儲かるんだ」

 

 悪魔の臓器は基本レアだ。雑魚悪魔だろうがなんだろうが悪魔の目玉を見せただけでも物好きなコレクターが水源のように湧くほど集まるほど。

 ただし全世界で共通だが悪魔関連の転売は基本的に法律で禁止されている。もしバレたら重い罰が待ち受けているのは確かだ。だから売ればかなりの値が付く。

 このスラム街の住人にとっては悪魔はタダで金を手に入る金塊のような存在なのだろう。俺が外から隔絶されるのは納得のいく理由だった。

 

「他に何かやってるのか?」

「うーん。賞金かけられた人の首をマフィアに差し出して金もらうのと、その死体を解体して臓器を売る事、かな?」

「狂ってんな。テメェ」

「そうでもしないと生きていけないから」

 

 どうやらコイツは人殺しも経験しているらしい。人間の大体は同族を殺す事を嫌う。殺す時があるのだとすれば大体が復讐くらいだ。

 

 だが、コイツはそんな感情を持ち合わせていない。殺さなければ生きていけないから、という理由でコイツは人を殺している。

 生きる為なんだから仕方が無いと思う奴もいるかもしれないが、そんな決断を受け入れられない人間がこの世にどれだけいるのだろうか。恐らく、そんな人間は少ないと思う。

 

 コイツはその少ない側にいる。

 

 俺の言葉を平然と受け流しながら人間は最後の臓器をビニールシートの上に置いた。

 どうやら、これで全部らしい。ほぼ一撃で仕留めたからか臓器の損傷は見た限り激しくない。

 人間は両手を上にあげて背伸びをすると何か思い出し、ネクロに聞いてみた。

 

「さっき言ってた死んだ人ってどこ?」

「さっき見てきた。食い荒らされて原型をとどめてないぞ」

「ならいらないや」

 

 どうやら死んだ奴の臓器も売るつもりだったようだ。

 しかし、食い散らかされているという言葉を聞いてまともに売れないと判断したのかその死体に興味をなくした。

 

 その後俺と人間はその場を離れ、ネクロが連れてきた他の連中に後を任せた。どうやらネクロという奴はここら辺スラム街を牛耳るマフィアのリーダーらしい。しかし、規模は小さく、それなりの収益もない為、衰退の一途を辿っているんだと人間は説明した。

 死体をあらかたトラックに詰め込んだネクロは懐から茶色の分厚い封筒を人間に渡す。

 多分、今回報酬なのだろう。

 

「ほらよ、色をつけて61000バーツだ」

「え? なんで?」

 

 人間は呆気に取られていた。

 それもそのはず。報酬が聞いていたものと比べて上がっている。当然の反応だろう。

 

「死体の損傷がひどくなかったからな。綺麗な部分が多い。そのおかげで高く売れた」

 

 さっきも言ったが、先程狩った悪魔の臓器は損傷が少ない。理由は人間が使う武器である。

 コイツが使ってるのはナイフと俺だけ。そしてコイツは最後ナイフでトドメを刺した。

 恐らくだがナイフの刃が内臓まで届かなかったのだろう。見た目に反して損傷が少ないのはそのせいだ。

 

「どうも」

 

 ネクロはその言葉を聞くと部下を運転席に回し、トラックの助手席に乗る。

 

「次、また悪魔が出たら頼むぞ」

 

 ブロロロロッとトラックは悪魔の死体を乗せスラム街の方とは逆の方向に向かって走って行った。

 人間はそのトラックを最後まで見ずに袋に入った俺を肩に担ぎながらスラム街の方へと歩き出した。

 

「もう夕暮れだ」

 

 ただ、真っ赤に染まった空を見上げながら、そう言った。

 

 

 

 

 

「ただいま〜」

 

 その後、なんの出来事も無く無事に帰路に着いた。

 天井にぶら下がっているランタンにマッチの火を通し、部屋を明るくしてから人間は夕飯の準備に取り掛かった。

 俺はそんな人間を見ながらマットの上に座る。

 正直言ってここは居心地が悪い。

 周りの奴らに見つかれば身体を捌かれて売られる。

 しかしここに居ても壁に開いている穴や割れた窓から吹く風が俺の体温を徐々に奪う。

 さらには契約によって悪魔と戦わなければならない。

 俺の力は元に戻っていない。今の俺は雑魚悪魔でも殺せるだろう。

 故に、情報が必要だ。

 

「おい」

「?」

「毎日悪魔殺し続けてんのか?」

 

 俺がまず聞いたのは悪魔出現の頻度である。

 

 力を取り戻すまでは悪魔の血を大量に飲まなければならない。同族の血など不味くて飲む気は失せるが今現状は仕方が無いだろう。

 コイツは悪魔殺しに手慣れている。しかしどのくらい年月をかければ元の力を取り戻せるかわからない。なら、どの頻度で現れるか知っといた方がいいだろう。

 

「え? 心配してんの?」

「な訳あるか。テメェが死のうが興味はねぇ」

 

 別に協力関係だからと言ってコイツの仲間ではない。

 契約上は助けなければならないが死んだ時はその血肉を頂く。

 人間の死体は有効活用した方が自分の利益になる事もあるからな。

 

「別に毎日ってわけじゃ無いよ。悪魔だってこない日もあるし先に殺されてる時だってある」

 

 曖昧な答えだ。これなら力を取り戻すのは随分と長くなるかもしれない。

 

 そして次の情報はスラム街の地形。

 

 これも知っておいた方が得は多い。どこに悪魔が出やすいか、万が一見つかった時の逃げ道、隠れ場所は把握しておいた方が助かる。

 俺は外に出られないのだ。地形がわかり、俺が契約上信用できるコイツくらいしか知り得る機会が無い。

 

「いつからここに居る」

「うーん。軍を抜け出して残飯拾い食いしながら生きてたら、いつの間にかスラム街に来てたから知らない。確か、一年前くらいかな?」

「ここの地形はわかるか?」

「興味ないから知らない」

 

 本当にコイツは役に立つのか? 段々と怪しくなって来た。

 コイツがちゃんと役に立つかで俺の生存率が上がるわけなんだが……。

 

 仕方が無い。次に行こう。

 

 次は弱み。理由は単純。俺がコイツ動かしやすい方が比較的自由に行動できる。

 弱みと言ったがそれは千差万別。大切な人を人質に取られた。知ってはいけない事を知られてしまった。など様々な弱みが人にはある。

 コイツには大切な人は今日見る限りいなさそうだし知ってはいけない事なんてものはないだろう。

 なら、違う弱みを引き出す。

 

「お前は何を望んでいる」

 

 願いだ。

 

 復讐、金欲、性欲、とりあえずなんでも良い。その願いを叶える術を与えれば今日よりも動かしやすくなるだろう。

 人間はうーん、と唸ると答えを決めたのかフライパンから目玉焼きを取りながら言った。

 

「毎日三食、安心安眠、平和に過ごす事」

「………………普通だな」

「普通とは程遠い生活過ごしているからね」

 

 チクショウ! コイツ、欲すらもねぇ!

 もっとあるだろうがッ! 金持ちになりたいとか、女抱きてぇとか、そう言うのがさぁッ!

 なんだよその平凡な生活望んでますみたいな夢ッ!

 コイツッ! 思ったより動かしにくいッ!

 

「何? その変な顔」

「うっせぇ!!」

「コワ〜」

 

 クソが。コイツと話しているとなんだかおかしくなりそうだ。

 

 だが、聞く限りではデビルハンターはこの街には少ない。力を取り戻して殺されそうになっても相手は非正規の奴らだ。そんな奴らに遅れをとるほど俺は弱くは無い。

 仕方が無い。気になるやつを聞いてみるか………。

 

「ハァ…………。じゃあ最後の質問だ」

 

 俺はため息を吐くと目玉焼きをパンの上に乗せている人間に聞いてみた。

 

「さっき軍と言ったな。兵士だったのか? その割には幼いが」

 

 先程の発言。軍を抜け出して残飯拾い食いしながら生きてきた、とコイツは言っていた。ならコイツの気味の悪さも頷ける。

 悪魔に対する恐怖心の無さや、殺し方。そして戦闘の鮮やかさ。人間を殺すのにも長けているコイツは軍出身だと言えばこの全てに納得がいくのだ。

 少しの間はは協力関係が続く。相手の事を知っておいて損はない。

 

「どっかの独裁国の少年兵出身。国の名前は知らないし、俺の母国も知らない。一応、東洋人だけど」

「見ればわかる。両親は居なかったのか」

「うん。気づいた頃には兵士として生きていたから」

 

 国には知らないらしいが、ある程度は特定できる。

 ここの通貨はバーツだから恐らくタイだろう。なら中国あたりが妥当か。

 しかし、あそこの軍服はこんなデザインだったのだろうか。そもそもあそこは独裁国では無いがするが、恐らく気のせいなのだろう。

 

「優しいね。君」

 

 唐突に人間がそんな事を言ってきた。

 

 優しい? 俺がか?

 

 寝言は寝て言え。俺は人間が嫌いだし、悪魔も嫌いだ。どちらも欲に溺れていつか自滅する哀れな生き物。そんな生物に対して温情などあるはずが無い。

 

「あ? 食い殺すぞ」

「俺は美味しくないよ」

 

 俺の言葉を聞き流すと使い終わったフライパンを雨水で溜めたバケツに放り込んむ。

 今日の夕飯が完成したようだ。

 

「それよりご飯食べようよ。今日はいつもよりゴーセーだから」

 

 俺は指定の席に座ると目の前にある食事に目を通した。

 白い卵白に黄色い黄卵。その名も目玉焼きが丸々食パンの上に置いていた。

 簡単に言うとシンプル•エッグサンド、と言ったところか。

 それにしても……。

 

「あ? これが豪勢?」

「うん。ゴーセー」

 

 やはりと言うべきか、しょぼすぎる。

 朝と昼に食べたパサパサの食パンに目玉焼きを乗せただけ。普通ならベーコンやレタスを乗せるのが一般的なのだが、これが豪勢だと言えるのは余程金がないのだろう。

 

「チッ。ショッボいな」

「ショボいかな? いつもならパンに何もかけないで食うんだけど」

 

 知ってるよ、と心の中で呟きながら俺はエッグサンドを口にする。

 

 うん。イマイチ味がしない。そりゃあそうだ。塩胡椒すらかけていないのだから当然だろう。こんな不味い飯で良く毎日を生きられたものだ。

 

「うん。美味しい」

「うめぇか?これ。塩胡椒くらいかけろよ」

「それ買う金がないんだよ」

 

 確か物価が高いんだったか。食パン一切れで約250バーツするほどの腐った街だ。ベーコンやレタスなんてものはとんでもない額なのだろう。どれだけ高いかは聞きたくもない。

 

 俺は最後の一口で喰らい、シンプル•エッグサンドを食い終えた。

 人間も俺と同時に食い終えたのか、皿を回収して先程のフライパンが入れてある雨水のバケツに放り込む。

 

「ご馳走さん」

「明日も早いからさっさと寝よう」

 

 そう言って人間は部屋に吊るしてあったランプの火を消した。

 明日も仕事か。優雅に休める時間なんてものは貧乏人には無い。必死に働いて、自分の生活を維持する為に休んでる暇なんて無いのだろう。

 明日は地形把握からすべきか。あの森林地帯から遠目で見れば大体はできる。

 そう考え、俺はマット上に仰向けになる事なく、玄関付近のブルーシートを包んで寝転んだ。

 

「あれ? そこで寝るの?」

「俺と一緒じゃ寝れねぇだろ。こっちで寝る」

「……………ふーん」

 

 人間は俺の話に納得したのかマットの上で仰向けになり壁側の方に顔を向け寝っ転がった。

 俺も奴とは顔を合わせずに玄関の方に顔を向け、寝ようとする。

 

 とりあえず明日の事は明日考えよう。今日ぐだぐだ考えたって仕方が無い。

 恐らく、明日も今日と同じ日程だろう。朝飯を食べて、午前中に木を切って、午後に悪魔を探し、そして見つけたら殺す。毎日これの繰り返しだ。

 人間はこの作業を一年続けている。酷だと思わなかったのか。労働から逃げたいと考えなかったのか。

 それとも………………ッ!

 

「ほい」

「おい! テメェ! 何しやがる!」

 

 考え事に夢中していた俺は背後から来る人間に気がつかなかった。俺の体を持ち上げ、人間が先程横たわっていたマットに連れて行こうとする。。

 

「せっかくの共同生活なんだから一緒に寝ようよ」

「ウルセェ! 離しやがれ!」

 

 流石の俺もプライドはある。10歳前後の人間と一緒に寝るなんて、寒い外で寝た方がマシだ。

 

「ほら暴れない。刃が当たる」

「…………………チッ」

 

 人間の言葉に俺は舌打ちをしながら暴れるのをやめた。

 流石にここで怪我でもさせたら今後の生活に悪影響を及ぼすかもしれない。最悪の場合は、コイツを殺してしまって契約違反で死ぬ事。それだけは勘弁して欲しいと思ってる。

 

 マットの上に俺を移動させると、人間も先程と同じようにまた寝っ転がった。

 サイズの合わないレインコートを布団代わりに上に被せ、人間に抱きしめられながら目を瞑った。

 

「ここの夜はいつも寒いからさ。毛布一枚だけじゃ凍え死ぬんだ」

「毛布代わりってか?」

「別にそういうわけじゃ無いけど……」

 

 じゃあ、わかりにくい話をするな。と心の中で呟きながら俺も目を閉じる。

 

「ねぇ」

「あ?」

 

 人間が突然、俺に声をかけた。

 明日は早いんじゃねぇのか?

 

「そういえばお互い名前知らないよね」

「なんで教える必要があるんだ」

「契約はお互いを助ける、でしょ? しばらくの間は共同生活じゃん」

「チッ」

 

 遊びじゃないんだぞ。と言いたかったが、恐らくコイツは気の済むまで何度も俺を起こすだろう。答えた方がいいか。

 

「…………………………斧の悪魔。そう呼べ」

「呼びにくいなぁ」

 

 いちいち感に触る野郎だ。いいだろ、斧の悪魔でも。

 だが本名は教えられない。教えてそれが広まりでもしたら奴に狙われる危険性がある。たださえ重度どころか狂度の厄介オタク気質なのだ。二度とあんな悪魔に近づきたくないし話したくもない。

 

「チッ、じゃあ〝レックス〟でいい」

「仮称?」

「仮称に決まってんだろ」

 

 本名話すバカがどこにいるってんだ。お互い利用する立場だろ。

 

「おら、次はテメェだ」

「えっと…………。No.D7-00031。それが俺の名前」

 

 なんだそりゃあ。軍の識別番号か?

 多分だが、コイツは自分の名前を知らないのだろう。何となくだが、わかってしまった。

 

「呼びにくい」

「じゃあビリーでいいよ。みんなそう呼んでるから」

「仮称か?」

「仮称」

 

 ビリー、か。確か、あのキーボとか言うジジイが口にしてたな。すっかり忘れていた。

 東洋人くさいのにモブっぽくて似合わねぇ名前しやがる。

 B級映画に出てくる『勝手に出てきて知らないところで死んでいるモブ兵E』のような印象を俺は持った。

 

「おら、自己紹介は終わりだ。さっさと寝ようぜ」

「うん。じゃあ明日もよろしく。レックス」

 

 そう言って人間は俺をもう一度抱きしめて寝息をかいた。

 

 

 

 

 これまで気に入らなかった奴を殺しながら世界を歩いていた。

 人間は等しく愚かだ。何かの欲に縋り、追いかけ、恐怖し、最終的には自滅する下等生物供。

 悪魔もそうだ。等しく愚か。人間を見下し続け、時には人間に恐怖心を生み出し唆す。しかし、自らがその立場になれば恐怖し、そして死ぬか殺される、単細胞の塊。

 

 そんな奴らが気に入らなかった。

 

 だから、あのチェンソーと対面した時は心底ムカついた。

 自由気ままにあらゆる生命体を殺し尽くし、そして死んでも何度でも甦る悪魔にとって最悪のヒーロー。

 そんなやる事なす事全てが破茶滅茶なヒーローに俺は嫉妬した。

 自由に世界を渡り、自由に殺し、助けた見返りすら貰わず殺し、恐怖も無くただ殺す。そんな愚かでも何でもない奴を俺は羨ましく思ってしまった。

 

 だから、殺そうとした。

 

 しかし、現実は甘くはない。現に俺は死にかけ、弱体化してしまっている。

 今、奴がどうなってるかなんて知らないし、知る術も持っていない。もしかしたら近くで俺の事を見て嘲笑っているのかもしれない。

 

「…………………チッ」

 

 やはり愚かだ。俺も、お前も。みんな等しく平等に愚かだ。

 

 目を瞑る。目に写るものは何もない。

 あるのはただ、真っ暗な闇だけ。

 

 だが、そんな闇の中でも俺は不思議な、何か、奇妙なものを感じた。

 まるで、光が俺を照らしてくれるような…………。

 

 俺はその疑問を抱きしめた温かさを心で感じながら深い眠りについた。

 

 

 




 ???「見つけた」


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デビルハンター編
青年とアックス


 今回の話、メッサ長い。
 まさか一話で赤バー到達するなんて思わず、はっちゃけながら書いてたら、いつの間にか三万字になっていたという恐怖。
 正直言ってめっちゃ恥ずかしいです。
 「ヒャッハーアックスッ!!」をお読みくださった読者の方々、ありがとうございます。これからも精一杯、頑張ってゆく所存です。
 では、始めましょう。
 
 トランスフォーマー:リベンジ大好き!!


 

 

 

 

 

 

 少年の頭の中で、懐かしくも消してやりたいと何度も願った記憶を思い出す。

 

『同胞よ。よく聞きなさい。我が総帥の子らよ』

『君達の敵は、君達から何かを奪い、踏み躙る者どもです』

『君達はその者達に奪われました。名も、家族も、家も、世界も』

『その何もかもを奪い去ったのです』

『世界は侵略者に奪われました。家は外の人間に破壊されました』

『母親は悪魔に拐かされました。父親は悪魔に穢されました』

『今、貴方達の手元には何も残ってないでしょう』

『だから、全てを討ち滅ぼしなさい』

『同胞から奪ったものを、奪い殺すのです』

『同胞よ。我が総帥の子らよ』

『戦いなさい。取り戻す為に、奪う為に、君達の大切な物をもう一度手にするのです』

 

 声が聞こえる。あの声が、俺を蝕むように頭に響く。

 あの時はアイツを殺してやりたいと何度思った事だろう。

 

 別に殺す理由は無い。恨む感情も無い。

 

 あるのは、ただそうしなければ取り戻せないからだ。

 

 アイツらは奪い殺せと言った。なら、それに従う。

 アイツらが僕から奪ったから奪い殺す。それだけだ。

 

 だけど、殺せなかった。

 

 アイツは死んでいた。無様にも、身体は消し飛び、頭だけを残して。

 

 どこかの敵対国がやったのだろう。周りの建物は崩れ落ち、そこかしこにクレーターができていて、真っ赤な炎が真っ黒い煙を幾つも立ち昇らせる。

 俺らが崇拝していた総帥はどうも自殺したらしい。この国はもう終わりだ。

 

 その事をどこかの兵士に聞かされて俺は『そっか』とか、『へぇー』としか思えなかった。

 殺された同胞達の、怒り、悲しみに満ちた表情をしていたのと比べて俺は、

 

 

 

 

 

 

 どこか、ネジがハズレていると思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「ん……………」

 

 チュンチュン、とどこからか鳥が鳴いている。

 何も無い暗闇から解放されるように俺、ビリーは目をゆっくりと開けた。

 修復不可能レベルまで割れた窓。雨風を漏らさぬように貼った脆いパネル。散らかった食器。

 いつもの家だ。いつものようなボロっちい家。

 

「ふぁああ……」

「起きたか」

 

 俺の膝の上に何かが乗っかっていた。

 斧のようなでかい頭に恐竜の小さい足を二本生やしたようなフォルムの悪魔。

 

 俺の相棒、レックスが目の前に立っている。

 

「おはようレックス」

「おはよう、じゃねぇよ。今何時だと思ってんだ」

「え? 5時?」

「6時だ」

「ま?」

「ま」

 

 あちゃー、と俺の心の声が口から漏れてしまう。

 あそこの管理人うるさいからなぁ。金渡して黙らせようかな。だけど、それだけで金を渡すのもなんか気が引ける。

 ぐだぐだ考えたって仕方が無い。やるべき事をしよう。

 

「ハァ……、仕事行くか……」

 

 そう言って俺はレックスを袋に入れて玄関を開け、外に出た。

 いつも通りの死の風が俺達をご丁寧に出迎えてくれる。そんな風を身体に受けながら目的地に向かって歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 レックスと出会って六年半。

 今日も俺らは仕事を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、レックス」

「ん? なんだよ」

 

 木の伐採を終え、次の仕事に向かう途中、俺はレックスに話しかけた。

 

「今何バーツあるっけ」

「85000バーツ」

 

 うーん、足りない。退職するまで後、約100000バーツ。

 集まればなんとかこのスラム街とマフィアから抜け出して新しい人生の始まりなのだが、こんな金額、一生かけても集まらないだろう。

 考えてもしょうがない。計算するか……。

 

「えっと、木ぃ切って。13000だろ?」

 

 月給13000バーツ。他に良い仕事はないのかと言いたいのはわかるが、時給が高く、副業もして良いのはこの仕事のみ。生きていくためには仕方のない事だろう。

 

「前殺した賞金首は合計21000」

 

 確かあの金は一週間前に悪魔契約取締法で追われ、しかもマフィアの構成員を殺した賞金首だ。

 なんかバッタの悪魔と契約して凄い脚力だったが、金玉蹴って倒れたところを首を刎ねるいつもの工程で殺せたので比較的簡単だったのを思い出す。

 

「ゴミの電子機器溶かして固めた金塊が9100くらいだったかな?」

 

 電子機器を燃やすのは思っていたよりもかなりヤバい。なんせ、電子機器類は燃やすとなんちゃらガスみたいな毒ガスを噴出させるのだ。しかもその事を知っているのにも関わらずガスマスク無しでの作業。

 興味本位でバイトしたのが間違いだった。結局、途中で抜け出し、金塊をちょろまかして闇市で売ったのがこの金である。

 

「キーボおじさんの遺体っていくらで売れたっけ。1500も行かなかったっけ」

「1000だ。忘れてんじゃねぇよ」

「そうそう。それだ」

 

 ある日、家から物が紛失する事件が発生した。

 無くなったのは食品や食器、ランタンの油など。

 運良く金品は食料を買う為に持って出ていて無事なのだが、無くなったものはどれも生活に必要なものばかり。正直困っていた。

 なので、犯人を探して奪い殺す事に決定。市場や売店などで売られていた俺達の所有物の出どころを調べ、俺と同じ被害を受けた人の聞き込み調査もし、最終的に犯人は隣に住むキーボおじさんだとわかった。

 その後は、まぁ、ここまでの話でわかるだろう。

 

「寝ぼけるのも大概にしやがれ。さっさと目の前の事に集中しろや」

「集中してるよ。いつでも殺せる準備はできてるから」

 

 そう言って俺はレックスの背中から生えた尻尾を持ち、戦闘体制に入った。

 スラム街市街地に出現した悪魔一体、目標を確認する。

 

「悪魔殺して売れば、大体50000バーツ」

 

 ドゴォンッ!とパネル製の脆い家を破壊しながら出て来た生命体がこちらに無数の目を向けてジーッと見ている。

 赤く細長いフォルム。口が縦に四つあり、涎を垂らしながら7つの手足を動かして向かってくる。

 

 

 唐辛子の悪魔。

 

 

 唐辛子の恐怖心から生まれた、人間を殺す異形。

 そんな異形を見て、俺は嬉しそうにレックスを振り上げた。

 

「やっぱり、デビルハンターが一番儲かるね」

「ペラペラうるせぇよ」

 

 赤辛い血が、あたり一面に飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「辛っ。ベ〜」

「ゲホッゲホッ! コイツとは二度と戦いたくねぇ…。ゲホッ!」

 

 唐辛子の悪魔との戦闘後。俺たちは口に入った血を吐き出しながら死体を解体していた。

 ナイフを突き刺し、抉るたびに血が飛び散り、顔に付着した。

 鉄辛い匂いが鼻や口を刺激し、さらには肌までヒリヒリさせる。正直言って解体はマフィアの裏方に任せたい程だ。

 しかし、臓器をちょろまかす奴はマフィアにもいる。少しでも稼ぐ為ことができるのならこんな辛さは耐えられる。

 

 結果、いつもよりも30分解体作業に時間がかかり、全てが終わった頃には空が赤い夕日が俺達を照らしてくれた。

 

「ネクロおじさん。これでいい? 一撃で殺せたから臓器の損傷は少ないと思うけど…」

「よし。こりゃあ言い値がつくぜ。色つけて59000バーツってとこか?」

「どうも」

 

 ネクロは懐から分厚い封筒を取り出すと、それを俺に渡した。

 封筒に入っている金は約60000バーツ程。これくらいの金があれば今月は食っていけるだろう。

 しかし、まだ足りない。ここを出るにはもっと金が必要だ。

 

 ……金ばかり考えていると頭が痛くなる。気楽に考えたほうがいいか…。

 

「それにしても良く死なねぇな。お前みたいな奴は半年もすれば悪魔の餌になってんのに」

「死なないように立ち回ってるからですかね」

「やっぱり、俺も悪魔と契約して力つけた方がいいかね」

 

 やめた方がいいんじゃないかな。悪魔って大体は人間の部位や五感を対価に契約に持ち込むことが多いし。だから俺はあまり悪魔とは契約しないのだが…。

 口に出したら怒られそうだから少し言葉を濁そう。

 

「知らないですよ。大体、俺はレックスを振り回してるだけですし」

「悪魔と契約しても死ぬ奴は死ぬぞ?」

「わかってんだよクソッタレ! おら、どっか行きやがれ!」

 

 濁しても怒られた。やっぱり理不尽だ。

 ネクロおじさんの言う通りにその場を離れるとレックスを袋の中に入れて、市場へと向かった。

 俺は先程もらった封筒の中身を見ながら夕食のことを考える。

 

「この金で今夜の夕食はゴーセーだね」

「だな。流石に今日は塩胡椒付けろよ?」

「わかってるって」

 

 この金で久しぶりに美味しいものを食おう。今夜もエッグサンドを食おうと悩んだが、レックス曰く、パンは飽きたらしい。流石にこの二ヶ月は食パン三昧だったからそりゃあそうか。

 

 なら、市場でうまい物でも買うか。

 肉も良いし、甘いフルーツも良いが、ここ数年は魚を食っていない。

 よし、決めた。

 

「あ、パンじゃ無くて久しぶりに魚食おうよ」

「何の?」

「んー、食える魚」

「アホかテメェ」

 

 そんな馬鹿みたいな話をレックスと交えながら歩き出す。

 空は、初めて仕事をしたあの時と同じように赤く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「ただいまー」」

 

 その後、なんの出来事もなく帰路着いた俺たちは玄関を開けて自宅の中に入る。

 そろそろ暗くなる頃合いの為ランタンの明かりを灯し、部屋全体を明るくさせた。

 

 さて、早速夕飯の準備に取り掛かろう。

 

 フライパンを熱してそこに卵を二つ焼き、塩胡椒をかけてパンに乗せる。たったこれだけの簡単な調理だ。時間は2分もかからない。

 

 いつも通りのシンプル•エッグサンドの完成だ。

 

「ほら、ご飯できたよ」

「結局食パンかよ……!」

「無理。やっぱり魚高いよ」

 

 やはりというべきか、魚の相場も高かった。

 一匹大体50000バーツ。本当の値段は知らないのだが、きっとこれよりも安いのだろう。今後の生活の為にも金は取っておかないといけない。

 だが、今回のエッグサンドは塩胡椒をつけている。これがあるかないかでは美味しさが格段に違うのだ。

 俺の身体はもう、塩胡椒無しでは生きていけなくなってしまっていた。

 

「「いただきます」」

 

 両手を合わせ、食事の挨拶をするとパンを持ち、それを口いっぱいにかぶりついた。

 熱々の黄身が口いっぱいに広がり、良い感じの塩味がそれを引き立てる。

 まさしく、俺特製の最強のパンだ。

 

「うん。美味い」

「しっかし、流石に飽きるだろ。豪勢な食事がエッグサンドだけだとよ」

「ん? そうかな…」

 

 どうやらレックスはエッグサンドに飽きたらしい。まぁ大体のゴーセーな食事はこれだから飽きるのは仕方が無いか。

 

 飽きてる癖に、ちゃんと口にして食べてるけど。

 

 だけど、確かにエッグサンド以外のパンを食ったことが無い。ジャムとか卵以外のものを今度買ってこようかな…。

 

「普通の街だとこれにジャムも塗るらしいよ? ネクロおじさんから聞いた」

「流石にジャムじゃねぇだろ。普通はレタスとマヨネーズじゃねぇのか?」

 

 レタスにマヨネーズか……。ジャムは食った事あるけど、レタスとマヨネーズは無いなぁ…。

 

 どんな味をしているのだろうか。酸っぱいのか、甘いのか、しょっぱいのか。はたまた今日の唐辛子みたいに辛いのか。食べた事が無いから想像できない。

 だけど、やっぱりそれは買えない。そもそも物価が高すぎるし、マヨネーズなんかは見たことすら無い。多分、一生口にする機会は無いだろう。

 

「まぁ、ぐだぐだ喋っても仕方ないよね。これよりゴーセーな食事はできないし、スラムを逃げ出せる金もない。普通なんて夢のまた夢だよ」

 

 スラム街から抜け出しても、どうせ残飯を食い漁る生活に戻るだけ。

 個人情報なんて物はないし、そもそも俺はマフィアに雇われている。

 金が無いから美味い飯も食えない。あんな路地裏の不味い飯は懲り懲りだ。

 

「一度でも良いから美味しい物食いてぇな……」

「あ? 独り言か?」

「何でもない。さっさと寝よう」

 

 そんな独り言を言ってから、ランタンの火を消した。

 ランタンに入っていた残り油を油容器に入れると、レックスを持ってってボロボロのマットの上に寝っ転がる。

 あとはレインコートを身体に被せレックスを抱きしめて目を瞑るだけだ。

 暗闇の中、俺はレックスを抱きしめた両手を握りながらいつものように願う。俺が望む、最高の夢を見せてくれる為に、天に祈った。

 

 

 今夜は良い夢が見られますように。

 

 

 そう願い、俺は深い闇の奥へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「×××××は自由になったら何やりたい?」

 

 いつも見る夢だ。朝起きたら忘れて、寝たら何度も見る夢。

 どっかの独裁国に送られる前の出来事。ビリーは孤児院施設で二つ年下の女の子、名前は忘れたがそう尋ねられた時の事だった。

 

「うーん。わかんね」

 

 俺はそう答えた。

 別の生き方。孤児院の壁を越える自分を想像しても、ビリーには他のケースを知らなかった。

 外には何があるのか。まだ見ぬ世界を想像することもできない自分にとって、その質問に返答することができなかった。

 

「えー、少しは考えなよ。未来の自分」

「そう言う××は何がしたいの?」

「私? 私はね〜。お父さん、お母さんと遊んで、美味しいご飯を食べて、一緒に子守唄を歌いながら寝るの! 後、学校に行きたい! 学校に行って友達とも遊んで楽しく勉強もするんだ〜!」

「へー。学校、か……」

 

 彼女も、当時の俺も、学校というのがどういう物かわからなかった。

 ここの様に、いつも訓練をするのだろうか。

 ここの様に、頭に変な装置をつけながら勉強でもするのだろうか。

 ここの様に、ナイフや鈍器などの武具の取り扱いや、『生き物の殺し方』を教わりながら兵士としての知識を詰め込まれるのだろうか。

 ここ以上に、楽しく生活できるのなら、行きたいと思えるのだろうか。

 

「楽しいかな……」

「うん! 絶対楽しいって! ×××××もいつか一緒に行こうね!」

 

 随分と先の事を考えてるなぁ、と俺は思った。

 ここから出れる日はいつなのだろう。

 最近では、施設の子供達が一人ずつ姿を消している。里親でも見つかったのだろうか。

 多分、彼女もすぐに親が見つかり、夢を叶えられる日が来ると思う。

 そんな事を思った俺は、学校に行ける幸せを感じる事になる彼女を少しだけ羨んだ。

 

 しかし、そんな感情もすぐに忘れる事になる。

 

 彼女は次の日には施設に居なかった。

 まるで彼女という存在がいなくなったかの様に綺麗さっぱり消えていた。

 施設に居た職員の話を盗み聞きした内容によると、どっかの北国の実験部隊である『モルモット』と言う所に送られたらしい。

 そこで彼女がどうなったかなんて俺は知らないし、知る術も無い。

 

 一つだけ気になったのは、彼女は夢が叶えられたかどうかという事だけ。

 

 しかし、そんな事を考える事なく俺も、どっかの独裁国へと送られた。

 

 今のビリーにとっては、そんな記憶は無用な物。

 彼女の名前なんて知らないし、顔も覚えていない。

 記憶にあるのは、ただただ陽気にはしゃぐ、明るい声だけが聞こえただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと目を開ける。

 俺が最初に見たのは天井だった。錆びつき、所々に雨止の板を貼ってある脆い屋根。

 窓は冷たい風を防いでおらず、いつでも24時間換気できるように完全に割れている。

 そこから見える月の光は俺に「おはよう」と挨拶するかのように顔を照らしていた。

 

「寝れない…」

 

 食事が少なかったのだろうか、それとも、明日の仕事の事を考えるからだろうか。何故か睡魔が襲ってこない。

 必死に寝ようとしても、頭の中は夢の事でいっぱいとなってしまう。

 ダメだ。考え事をしてると余計に眠れなくなる。

 

「目ぇ瞑って羊でも数えてろ」

 

 途端、レックスの声が聞こえた。どうやらこちらも寝れていないらしい。

 

「羊ね……………。殺し数えても良いの?」

「勝手にしろ」

 

 レックスの言葉通り俺は目をつぶって羊を数える。

 

 目の前に一匹目の羊が来た。斧で殺す。

 目の前に二匹目の羊が来た。斧で殺す。

 目の前に三匹目の…………。

 

 羊の肉って美味しそうだなぁ。

 ちょっと毛が邪魔だけど、皮を剥ぎ取って火に通せばイケそうだ。あ、煮付けもいいし、なんなら鍋に入れて………。

 

 ぐぅぅぅぅぅぅううううううう。

 

 俺の腹から、情けない音が家中に鳴り響く。

 

「……今度は腹減って寝れない」

「……本当にうるせぇぞテメェ」

 

 そんなつもりじゃなかったんだけどな。と心で呟きながら俺は目を閉じた。

 面倒だから目を閉じて黙っていよう。そうすればいつかは寝れる。そんで美味い飯を食う夢でも見れば………。

 

『×××××は自由になったら何やりたい?』

 

 ハッ、と目を開ける。

 

 あの夢の事を思い出してしまった。

 あの孤児院から抜け出した未来の事。あの時は美味い飯を食うくらいしか夢が無かったが、まさか自分が木を切って悪魔を殺す仕事をするなるなんて思ってもなかっただろう。

 

 そう言えば、レックスに未来の自分について語った事がなかった気がする。もしかしたら、俺と同じ夢かもしれないし、俺よりも壮大で偉大な夢かもしれない。

 

 なんだろう。レックスの夢に少し、興味が湧いた。

 

「ねぇ、レックス」

「ああ? んだよ」

「……ここを出たら何したい?」

「あ?」

「……いや、少し気になって」

 

 レックスはあまり、自分の事について話さない。

 

 俺が聞こうとしても曖昧な答えや話を逸らして誤魔化そうとしている事が多かった。

 俺は別にそれでも良いと思ってたし、悪魔も恥ずかしい過去の一つや二つはあるのだろうと勝手に解釈して目を背けていた。

 だからなのだろうか。

 

 彼が悩んだ姿が珍しく思ったのは。

 

 少しの間俺とレックスとの間沈黙が続く。

 聞こえるのは、外から聞こえる風の音だけ。

 

 俺の質問にレックスは数分間悩むと、答えを出したのか口を開けた。

 

「……因縁のある奴を殺す」

 

 因縁のある奴……。

 え、それって……

 

「俺の事?」

「ちげぇよ。テメェなんか知るか」

 

 どうやら俺は対象外らしい。

 俺はホッと胸を撫で下ろす。

 良かった。レックスと殺し合いにならなくて。

 

「取り敢えず最初は国々を飛び回るな。情報集めて、見つけるまで世界を渡り歩くだろ」

「ふーん。因縁のある奴って誰? 昔の傷を付けた人?」

「人じゃねぇが……。まぁ合ってるよ」

 

 因縁のある奴を探す為に世界を渡り歩く、か。

 なんか、凄いな。

 俺はあまりそう言うのないから上手く想像できない。

 

 それにしても、世界か。

 ここのスラム街の外。そこから広がる広大な大地や海。雪や溶岩なんて物も見たくなってきた。見た事は無いから想像はできないけど、なんだか楽しそうな旅になりそうだ。

 

 レックスと世界を歩く自分も悪くは無い。

 そう考え、俺はレックスの話に乗り出す。

 

「俺も手伝おうか?」

「……言っとくが普通に死ぬぞ?」

「今の君は強いのかな?」

「チッ」

 

 レックスはいつもの様に舌打ちすると顔を俺には見えないように振り向き、そのままマットの上で横になった。

 

「わーったよ。連れてってやる。スラムから出れたらの話だがな」

「やった」

 

 スラム街から出れたら楽しみな事が一つ増えた。これなら仕事にも精が出るだろう。

 そう考え、俺も横になり目を瞑る。

 考え事が減り、頭の中も空っぽとなる。そうすると睡魔が俺を襲ってきて、深い眠りへと誘ってくれる。

 闇が俺を出迎え、俺はその深淵に奥深くへと落ちてゆき…。

 

 

 突如、トントン、と誰が扉をノックする音が聞こえた。

 

 

 こんな時間に誰だ? そろそろ寝たいのだが……。

 

「おい。起きてるか?」

 

 扉の奥から聞こえたのはドスの効いた声が特徴の男だった。

 この声はいつも聞く声。ネクロおじさんだろう。

 

「……起きてるよ、ネクロおじさん。こんな時間にどうしたの?」

「悪魔が出た。仕事だ」

 

 悪魔、か。

 なるほど、休んでる暇なんて貧乏人には無いって事か…。

 俺はマットから起き上がると静かに眠っていたレックスを夢から起こした。

 

「……あ? 今度はなんだよ」

「……悪魔だって。行こう、レックス」

「……おう」

 

 俺はレックスを袋に詰めると玄関を開けて外に出た。

 風はやや冷えており、しかし、先ほどまでレインコートの布団で暖まっていた俺とレックスの体温を奪うにはちょうどいい冷たい風が俺達を出迎えてくれる。

 すぐにトラックの荷台に乗り、ネクロおじさんも運転席に座って進行すした。

 夜の暗い中、俺とレックスを照らしてくれるのはまん丸の月だけだった。

 少し休眠しようと考えたが、こんな寒さじゃ寝るにも寝れない。

 

(子守唄くらい、歌わせてくれよ……)

 

 この街のクソさを再び味わいながら、目的の場所まで車は走った。

 まるで、俺の死地を無断で決めるかの様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の場所に着いたのか、トラックはジャリジャリっと音を立てて停車した。

 見えて来たのは3階建てのコンクリート製ビル。所々が崩れ落ちており、地震が来たら即解体される脆そうな建物。

 

 レックスが初めて仕事をした、思い出深い場所だ。

 

 トラックを降りてレックスを袋から出すと、ネクロおじさんに悪魔の情報について聞く。

 

「ここに悪魔が出たんですか?」

「ああ。先導した四人が帰ってこねぇ。悪魔殺したら合図くれ」

「いつも通りですね。わかりました」

 

 そう、いつも通り。悪魔を殺して臓器を売れば寝れる。

 なるべく早く仕事を終えようと心の中で呟きながら俺達は廃ビルのへと入っていった。

 

 やはりというべきか、中も所々瓦礫が散乱し、壁にはヒビや崩れ落ちた跡が酷く残っている。

 電気も通っておらず、先ほどまで俺たちを照らしてくれた月の光は雲に隠れ、ビルの中は完全な暗闇と化した。

 

「血の匂いが濃いな……」

「進もう。早く寝たいし」

 

 そう言って予備のために持ってきたランタンに火を灯し、灯をつけてから一歩歩く。

 

 ピチャッ、と何か水が跳ねたような音がした。

 

 不思議に思い、俺はランタンの灯りを下の方に寄せる。

 

 

 

 

 

 そこの廊下の現場を表現するならば地獄絵図だった。

 

 

 

 

 

 脳味噌や目玉、小腸大腸、抉り取られた腕、足、肉から剥き出した骨などの人間の中身。

 そして、壁や床、さらには天井までべっとりと飛び散り張り付いた大量の血肉が廊下にばら撒かれていた。

 

 恐らく、先導して帰ってこない四人はコイツらの事だろう。

 

「うわぁ、グロ……」

「こりゃあひでぇな。原型を留めてないぞ」

 

 確かにこれは酷い状態だ。

 悪魔に殺された人は何人も見てきた。食い殺されて身体の一部が無い遺体などはよく見るが、この死体は俺が見た中でダントツに悲惨な者だ。

 

 死体の現状や床の凹みなどを見るに、硬く重たいものに潰されたような感じがする。

 悪魔は、何か武器でも持っているのだろうか。

 

「なんの悪魔だろう」

「会敵してからのお楽しみだな」

 

 そんな事を言いながら俺とレックスは地獄絵図の廊下を突き進み、2階へと上がる。

 一歩一歩階段を登って行くごとにカコーン、と足音がビル全体に鳴り響いた。

 2階に着くと一つずつドアを開け、部屋を確認。暗くて見えないが、いつもの様な殺気を放つ気配はしない。

 

 なら、三階にいるのだろうか……。

 と、思った瞬間。俺は廊下の先にある光を見つけるとランタンの火をすぐに消す

 

「? どうした」

「シー。向こう見て」

 

 レックスの疑問に俺は向こう側にある謎の光に向かって指差す。

 見ると黒スーツを纏った成人男性五人が懐中電灯を持ちながら廃ビルを探索しているのを発見した。

 服装からしてまずスラム街の人間じゃない。なら、あいつらは……。

 

「黒スーツ……。公安か」

「見つかったら捕縛されるから慎重にね」

 

 デビルハンターとはいえ、俺達は非正規の者。今やっている悪魔の殺し、契約、転売は法に反する行為そのものだ。公安とか警察が俺達を見つけたらすぐに引っ捕えるだろう。

 

 そういえば前にもこんな事があった気がする。そう考えながら俺は来た道を戻り、三階へと登ろうとした。

 

 確か、あの時は二年前くらいだったか。

 俺達が狩ろうとしていた悪魔を公安に横取りされ、挙げ句の果てには補導だとか言って一晩中追いかけ回された記憶がある。無事に姿を撒くことができたが、あれは俺が人の話を聞かなかった事が悪かった。

 実は悪魔を殺そうとする前にネクロおじさんから、「公安の野郎どもがいる可能性があるから気を付けろ」とか言われて注意された事が…。

 

 あれ? 何で今ここに公安がいるんだ?

 ネクロおじさんその事について言ってたっけ?

 うーん。思い出せない。どうやら話を聞かない癖は治っていないようだ。

 

 一応、レックスに確認を取ってみよう。

 

「ねぇ、レックス」

「あ? なんだよ」

「なんでここに公安が

 

 

 

 

 

 

 突如、オレンジ色の光が二階を広く照らした。

 

 

 

 

 

「ギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 そして、ひどく暑苦しい熱気と突如ビルから鳴り響く悲鳴の数々。

 先程の公安の奴らに、何かあったのだろう。

 急いで階段を降り、廊下を駆け進むと、突き当たりの角を勢い良く曲がる。

 

 

 

 そこで見たものは、先程の廊下と同等の地獄絵図だった。

 

 

 

「!?」

「アチィッ! アチィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええッ!!」

 

 火が、人に纏わりつき、赤い炎とドス黒い煙を立ち上らせる。冷たい季節だというのに、この空間だけ夏みたいな異様な熱気を無造作に放っていた。

 公安の人はまだ燃やされ始めたばかりなのか生きてはいる。しかし、全身を真っ黒に焼け焦げながら、纏わりつく火を拭う様にジタバタと苦しそうに暴れ回っていた。

 

 あれで助かる事はないだろう。

 

「燃えてる……」

「公安の野郎どもが瞬殺だ。こりゃ、油断すると死ぬな」

 

 公安のデビルハンターは優秀な人が多いと聞く。そんなエリート達がこのように無様にも現在進行形で燃やされ尽くされている。

 

 どうやら俺達が相手にしている悪魔はかなり強いらしい。

 

 悪魔がいる位置はある程度わかった。公安がいた廊下の先にある部屋だ。

 そう考えると燃え暴れる公安の人達を通り過ぎ、悪魔がいると思われる部屋に入った。

 

 入った瞬間、戦闘態勢に入り、警戒しながら当たりを探索。ランタンは見つかる危険性を考慮して火をつけずに腰に吊るしておいた。

 

 大体6LDKの部屋でそこそこ広い。探索して分かったのは瓦礫やら大きくヒビ割れた壁、窓ガラスの破片が散乱しており長年放置していた事だけ。窓から見える景色も暗闇だけで、特に気になる点も無い。

 結局、この部屋には悪魔のあの字も見当たらなかった。

 

「見当たらねぇな」

 

 どうやらハズレを引いたらしい。見当たらないと言う事はそう言う事だ。

 逃げたのか、それとも三階に移動したのかわからないが、寝る時間が短くなったのは確定でわかった。

 こうなったら、ビルの隅々まで探し尽くしてやる。そう決断し、俺は来た道に戻るために振り返る。

 

「?」

 

 部屋の奥の廊下からコツコツ、と足音が聞こえた。よく聞いてみると段々と音が大きくなっていき、誰かがこの部屋に近づいて来ているのがわかる。

 もしかしたら、公安の生き残りが来たのかもしれない。そう考えながら逃げる準備と一様念の為、戦闘態勢に入り誰か来るのを待った。

 

 そして、音が部屋手前まで聞こえてくるようになった瞬間、足音がピタリと止む。

 

 俺の目の前に誰かがいる。

 

 暗闇で見えにくいが、俺は目を凝らしながらそこにいる人を確認した。そこに立っていたのは……。

 

「あれ? ネクロおじさん」

「…………………」

 

 俺の雇い主であるネクロおじさんが無表情でこちらを見ていた。

 

 ここに来たのは何か訳があるのだろうか。いつもなら、戦いを終えてから迎えに来る算段だったはず。

 

 そう考え、俺はネクロおじさんに避難を促す。

 死んでも別に困りはしないが、今死なれると金がもらえない。どっか安全なところで避難してもらいたいものだ。

 

「さっき見たでしょ。燃えてる死体。ここに居たら危ないよ?」

「……ビリーよぉ」

 

 一度間を開けてからネクロおじさんは口を開けた。

 

「?」

「ここは臭いと思わねぇか」

「……うん」

「クソみてぇな野郎も多いし、平気で犯罪に手を染める奴もいる。まるで人の皮を被った獣の巣だ」

 

 何か、嫌な予感がする。

 

 身体から感じる冷える風はどんどん冷たくなり悪寒が俺の身体に張り付き、纏わりつく。しかし、そんな状況でも何故か背中から汗がポツポツとできていく気がした。

 

「……何が言いたいの?」

「悲しいねぇ。ビリー」

 

 俺はネクロおじさんの言葉に反応して無意識にレックスを構えた。

 何故そうしたのかは知らない。

 だが、俺の危機察知能力が激しく警報を鳴らしているのは良くわかる。

 奴の目を見る。一つ深呼吸する。そして、心臓の音を静かにさせた。

 何も考えるな。レックスを構えろ。意識を散らしたらその場で死ぬと思え。

 

 コイツは今、

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前みたいな良い奴が殺されるなんてなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺の敵になったんだから。

 

 

 

 一歩、大きく踏み込み、レックスを振り上げる。

 相手は構えていない。武器は無し。無防備で隙だらけ。斬り込めば確実に殺せる。

 

 俺はネクロを真っ直ぐ見ながらレックスを勢い良く振り下ろした。

 その刃は確実にネクロを亡き者にする一撃だった。

 

 しかし、真っ直ぐ見すぎるあまり、悪魔の存在を頭から完全に忘れていた。

 

 その事が、かえって命取りになってしまった。

 

「横ッ!」

「ッ!!」

 

 レックスの声と同時に窓から黒い塊がコンクリートの壁を壊しながら異常な速さで俺に迫ってきていた。

 すかさず、後ろに飛び、衝撃を和らげるためにレックスの刃を黒い塊にぶつける。

 

 瞬間、俺は空気とコンクリートの壁に押しつぶされた。

 ドガァッ!、とコンクリートが破壊される音が鳴り、黒い塊と共に空中に放り出された。

 

「ぐっぎぃぃッ!!」

 

 黒い塊による豪速とGに耐えきれず、空中で刃を受け流し、ビルの外にある壊れかけのゴミ処理場に不時着した。

 二階から落ちたが、溜まったゴミがクッションとなり、目立った傷は特に無い。一緒に飛ばされたレックスも無事だ。

 今思えば、コンクリートの壁に大きなヒビが入っていた気がする。あれが無ければ俺はペシャンコになって死んでいただろう。

 

「イッテェ……。何?」

 

 分からない事だらけだが、とりあえずネクロおじさんが俺を殺そうとしたのはわかった。あの人は衰退しているとはいえここら辺を牛耳っているマフィアのボス。多分、逃げたとしても部下達が俺を血眼になって殺しにやってくるだろう。

 なら、殺し返すしか無い。

 そう思い、ゴミ山から立ち去ろうと一歩を踏み出した瞬間、

 

 

 呆気なく、ずっこけた。

 

 

 ドサっと地面に転んでしまい、口の中に細かい砂利が下に絡み付いている。

 気持ち悪いと感じながら地面に手を着き、立とうとして。

 

 

 

 レックスがあり得ないような顔をこちらに向けているのに気づいた。

 

 

 

「び、ビリー……、お前……!」

「ん? 何?」

 

 何でそんな顔をするのだろう。変顔大会なんてしている場合では無いのだが。

 

 しかし、その考えは見当違いだと分かった。

 

 レックスが見ているのは俺では無い。俺の足だ。

 確かに、なんだか足のあたりがズキズキと痛い。着地に失敗して骨折でもしたのか。

 そう思いながら俺は自分の足を見る。

 

 

 

 

 

 何も無かった。

 

 

 

 

 血がドバドバと流水のようにでている以外、何も無かった。

 

 

 

 

 俺の右足は、まるで()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「アギィ…………ッ!」

 

 突如、今まで感じた事がないあり得ない程の痛みが襲いかかる。

 まるで傷口を熱した鉄板で焼き尽くすような激痛へと変わり、全身を駆け巡った。

 

 足が無い。痛い。

 吹き飛ばされた。痛い。痛い。

 何で、痛い。痛い。痛い。痛い。

 いつ。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 どこで。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 

 頭が考える事を放棄しない。何度も何度も頭の中で文字や単語、思い出がぐるぐるとスープを混ぜるように駆け巡る。

 しかし、考えても考えても答えは出ない。さらには思考すると気持ち悪くなり、激痛とも合わさって、酷く吐き気がするような気分となった。

 

「悲鳴も鳴かないで大したもんだよ。お前は」

「ネクロ、おじさん……ッ。なん、で…………ッ?」

 

 激痛で声が掠れる俺を見下ろしながらどこからともなく現れたネクロは、懐からタバコを一本取り出して口に咥えた。

 

「俺たちマフィアは、のし上がらなきゃあ生きていけねぇんだよ」

 

 まるで仕方が無い事だと吐き捨てるかのようにタバコに火をつけ、フゥ、と白い煙を空中に吐き出す。

 

「周りはでかい組ばっかでよぉ。このままだと俺らはいつか潰れちまうんだ。だから、テメェみてぇに悪魔と契約して強くなる事に決めた」

 

 ドスゥッ! とビルから何か巨大な生き物が、土煙をばら撒きながら着地した。

 地面は揺れ、黒い煙と薄暗い夜の闇越しから見える赤い二つの眼光。それが真っ直ぐ俺を捉えながら見下していた。

 

「契約内容はスラム街に住む全ての命。それを引き換えに俺は悪魔の力を手にする事」

『そして、俺が望むのは俺自身の復活!!』

 

 土煙が晴れる。雲にかかった月が顔を出し、ビルの一角を薄く照らしてくれる。

 

 そこに立っていたのは、不気味な笑みをした悪魔だった。

 

 二階建ての家よりもでかい図体。武者のような鎧を着こなし、腰には酒の入った瓢箪、身の丈を超えるほどの黒く、禍々しい金棒を肩に担ぎ、鬼の仮面から見える二つの赤黒い眼光がまるで俺達を嘲笑うかのように鈍く光る。

 

 一眼見て確信した。

 

 コイツは、今まで狩ってきたどの悪魔よりも強い、と。

 

『フハハハハハハハハッ!! やったぞ! 遂に俺は再誕した! この俺が、鬼の悪魔が、この世界の頂点として統べるのだッ!!』

「ッ……!」

 

 まるで耳が張り裂けるほどの馬鹿大きい声がスラム街中に響き渡る。

 それに反応するかのように街の暗闇からポツポツと小さな光が出現し始めた。

 

 住民達が眠りから目覚め始めたのだ。

 

「悪りぃなビリー。恨みは無いがこれも組の為なんだ。潔く死んでくれ」

「………クソッ!」

 

 俺は胸に挿してあるナイフを引き抜くと、それを鬼の悪魔目掛けて投擲した。

 あのデカブツにとってナイフの投擲など焼け石に水だろう。だから、攻撃を当て、怯んだ隙に……。

 

 

 

 

 しかし、俺の憶測は非情にも砕け散る。

 

 

 

 

『フンッ!!』

「ギッ……!」

 

 鬼の悪魔はただ金棒を振っただけだった。何の策略もない。単純な一振り。

 

 

 しかし、その一振りは俺の希望を打ち砕くには十分な威力だった。

 

 

 投擲したナイフは金棒によって粉々に砕け散り、さらに豪速で振ったことにより激しい突風が俺達を吹き飛ばす。

 土煙を巻き起こし、人は宙を舞踊り、脆い家屋やゴミの山はバラバラに吹き飛ばしながら倒壊させる。

 

 空中を舞った俺は受け身も取れずに硬い地面に背中から落下。両肩、背骨がバキィッ!と音を立ててヒビ割れるのを感じた。

 痛みに我慢しながら逃げようとするもレックスが居ないことに気づく。

 吹き飛ばされた時にはぐれてしまったのだろうか。

 

『なんだ? その矮小な攻撃は。そんな物、痛くも痒くも無い!』

 

 激痛に悶えながら歯を食いしばらながら周りを見渡していると鬼の悪魔の金棒が俺を押しつぶすべく振り下ろされた。

 

 俺は両腕に力を入れて回避しようとするが、足の痛みと両肩の骨折で力も入らず、中途半端に避ける事しかできなかった。

 

 

 

 

 自身の左足が金棒によって押しつぶされる。

 

 

 

 

 バキビチッ! と木が折れるような、泥水を踏んだような音が同時に鳴った。

 

 そして、後から来る、全身が燃え上がるような激しい痛みが俺を襲う。

 

 歯を食いしばる事もままならないまま、俺は腹から悲鳴を上げる。

 

「……ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『今度は良い叫び声だったぞ。小僧!』

 

 両足から全身に駆けて熱い熱気が突き抜けた様な激痛が俺を襲い、腹から口の中に込み上げてくる気持ち悪い酸味が口一杯に広がる。

  堪らず、膝をつき地面に向けてそれをベチャベチャと吐き出した。

 薄れゆく視界に自分の胃の中身が映り、香る胃酸臭にさらなる嗚咽が込み上げた。

 

『さぁ! もっと鳴け! そして恐怖しろ! 最強の悪魔はこの俺だぁぁぁぁぁあああああッ!!』

 

 頭が考えをやめない。

 まだ吐き気がする。武器を、持てるか。ダメだ。持てない。勝てない。どうしても。アイツには、勝てる気がしない。レックスは、親友は、無事。なら、生きて、帰って、一緒に、飯を……。

 

「おい、ビリーッ!」

 

 薄れゆく意識の中、いつも聞いている声が俺の中に呼びかけてきた。

 

 そうだ、まだ、止まれない。まだ、何も、夢は、叶ってないじゃないか。

 

「さっさと逃げるぞ!」

「う………、ぐ………………………」

 

 声が段々と聞こえなくなる。俺の意識が完全な闇の奥へと落ちてゆく。

 ダメだ。まだ、止まっちゃダメなんだ。

 手を伸ばせ。生きるのを諦めるな。

 まだ、俺は、夢を………。

 

 

 

 

 …………夢って、何だ?

 

 

 

 

 あれ、なんだっけ、思い、出せない……。

 

 確か、あの家で、約束、した、気が……。

 

『フハハハハハハハハッ!。我々悪魔はこんな下等生物に怯えていたのかッ!? なんと貧弱! なんと軟弱なのだ! これからはもう人の時代では無い! 悪魔がッ! 全てを支配する時代なのだ!』

「おい! さっさと、起きやがれッ!!」

『貴様らは俺が直々に焼き殺してやる。感謝しろ!』

 

 悪魔は笑う。嘲笑う。まるで宴の下手くそな演者を見ているかのように高笑いする。

 もはや、ビリーに勝てる見込みは無かった。

 

 彼らは、完全な詰みと化していた。

 

 鬼の悪魔が腰には吊るしてある瓢箪の酒を一気に飲み込む。そして喉に溜めると口に空気を溜め込み、そして、

 

 

 

 

 豪炎を口から吐き出した。

 炎の津波があたり一帯を飲み込むように燃え広がってゆく。

 

 

 

 

『キサマらの焼き加減はッ!! ミディアムだッ!!』

 

 あの公安達を焼き殺した炎がここら一帯を洪水のように侵食し、焼き尽くす。

 

 激しい熱気と火の粉があたり一帯を飛び回り、家屋は焼き尽くされ。避難し遅れた人は炎に巻き込まれ黒く変質し、赤い炎があらゆる物を焦がし渦を巻く。

 

 立つことはできない。逃げることすらままならない。後の選択肢は炎に焼かられるを待つだけ。

 

 

 

 俺にやれる事は、もう、何も……。

 

 

 

 いや、ある。俺が今すべき最善の行動が、まだある。

 

 ふと、俺の襟を咥え、引きずりながら逃げようとするレックスを見た。

 

 俺は動けない。構わずに行け、と口にしたいがそんな余裕は無い。

 なら、やるべき事をしなければ……。

 

 俺は朧げになってきた意識を強引に取り戻しながら腕を後ろに持ってくる。

 そして、いつものようにレックスの持ち手である尻尾を掴むと、

 

 

 

 

 残った力を振り絞って後方へと投げた。

 

 

 

 

「は?」

 

 レックスは一瞬、ビリーが何をしているのか分からなかった。

 何故、自分を投げたのか。何故、そこまでの力を出す事ができたのか。

 

 

 

 

 何故、ビリーは笑っているか。

 

 

 

 

 ずっと近くでいた故に、ビリーの行動の意味を理解してしまった。

 

 

 

 

「テ、メェ…………ッ!」

「生きろ……、レックス」

 

 掠れた声で、レックスに呼びかける。

 声が出ているのか分からない。もしかしたら聞こえないほど小さいのかもしれないし、そもそも口を開けていないのかもしれない。

 

 だか、ビリーにとってはこんなものは、些細な事だった。

 最後の言葉を言うために、雀の涙程度の力を振り絞り、レックスに笑いかけながら口を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界ィ、気ままに旅してこい……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、俺は炎の波に飲み込まれた。

 

 目に写るものは赤、赭、緋。それ以外は何も映らない。

 身体が燃え上がる。足の痛みが無くなり、代わりに全身に針が刺さるような痛みがズキズキと俺に襲いかかっていた。

 

 橙色をした肌が黒く変質してゆく。筋肉が固まり、動かす事ができなくなる。熱すぎて、逆に寒く感じてしまう。

 

(熱い、なぁ………)

 

 しかし、彼は悲鳴を上げなかった。

 

 熱いのは知っている。全身に針を通す痛みも現在進行形で味わっている。だが、彼は声すら上げる事なく目を瞑っていた。

 元々もう彼に叫ぶ力が無かったのか、死に際でレックスに無様な姿を見せたく無かったのかは知らない。本人でさえ知るよしもない。

 ただ、燃え上がる炎の海の中で彼が唯一した事は、

 

 腕を伸ばしながら思い出の中で浸かることだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい夢を見た。

 いつか忘れて、たまに思い返すような、いつもの日常。

 

 俺が初めて夢を抱き、ここから出たいと思った思い出深い記憶。

 

「ニホン?」

「ああ。知ってるか? 日本」

 

 いつものように食パンを食べているとレックスが話しかけてきた。

 この頃は悪魔の出現頻度が過去最悪で、食事が1日一回にまで少なくなったのを覚えている。苦い思い出だ。

 そして最後の食パンを口にして不味い不味い言いながらレックスがニホンの事について話始め、今に至った。

 

「一応。あ、だけど日本語くらいしか知らない」

「は? 一体どんな教育してきたんだよ」

「うーん。頭に変な装置取り付けられて…」

「わかった。わかったからそれ以上の話をするな」

 

 どうやらあそこで習ったニホンについての教育はレックスからしてみれば異端だったらしい。

 まぁ、学習中に倒れたりした子供もいたから、今思えば確かに異端なんだと思う。

 

「で、どんな所なの?」

「あぁ。小せぇ島国でな。だけどアメリカ並みにビルが山ほど立っててよ。

 後、親切で礼儀正しい奴が多いんだとか……」

「うわぁ、胡散臭」

 

 最初聞いた時はかなり嘘臭い言葉ばかりだった。小さい国な癖して、でかいビルが立ち並び、それでいて周りの人達は礼儀正しい。

 詐欺師の国かと疑うくらいに信じられなかった。

 

 しかし、レックスの次の言葉で、行きたくないと思っていた心が掌返しすることになる。

 

「後、食文化がすごいって聞いたな。食うっちゃあ無いが、少なくともここに売ってあるパンよりフワフワだろうぜ」

「え、マジで?」

「マジ。しかも安い」

 

 俺は今食っているこのパンしか分からないが、これよりもフワフワなパンは存在するのか、と少し疑問に思った。しかもそれより美味いし、しかも安いと言う。

 レックスの言葉通りなら、とんでもない国だな。そのニホンって所は。

 

「すごい所しか無いじゃん。俺からしたら殆ど夢の国だよニホン」

 

 その時、俺は初めて夢を抱いた。

 ニホン。美味い飯が安く食える俺にとっては最高の国。いつかこのスラム街を出て、レックスと一緒に暮らせる事を想像した。

 

 俺に話しかけてきた孤児院のあの娘も、こんな感じで夢を語っていたのだろうか。

 

「いつか、行ってみたいなぁ……」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 

「いつか行けるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は手を伸ばす。

 

 こんな幸せな日々に戻れるように願いながら手を伸ばす。

 

 もう、金なんて欲しくありません。

 

 もう、スラム街から抜け出そうとも思いません。

 

 だから、もう一度。

 

 幸せな日常に───────────────────────────────────────────────────────────────────………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、何も聞こえない。

 まるでテレビ番組を途中で切られるように何も聞こえない。

 ただ静寂。声も、悲鳴も、燃える音も、何もかもが聞こえない。

 あるのは、黒に染まった深淵だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃え上がる。ただ、燃え上がる。

 悪魔が炎を吐いている。逃げ惑う人々は豪炎の波に呑まれながら生き絶える。

 住む家は焼かれ灰と化し、さらには真っ黒な煙が支柱のように空へと立ち上っていた。

 

 そんなスラム街の地獄絵図を他所にレックスは一人の死体の前に立った。

 肌は炭のように黒く、所々に亀裂が入り、まだ熱がこもっているのか赤く染まっているところもある。

 今でも崩れそうな手を空に掲げながら仰向けになっている死体にレックスは呼びかけた。

 

「………………おい」

 

 返事は無い。

 当然だ。こいつの心臓は止まっているし、生きていても苦しいだけだ。こんな状況で死んで無い人間なんて世界中探してもいないだろう。

 

「何勝手に死んでやがんだ」

 

 世界を見に行け。それが彼の最後の言葉。俺に向けられた、最後の願い。

 側から見れば感動する話だと思うだろうが、そんな事はない。

 

 こんな終わり方が、あっていいはずがない。

 

「……………生きるのは、俺じゃなくてテメェだろうが」

 

 レックスは初めて目の前の死体を愚かだと思った。

 

 自分の夢を叶えることすらままならない、不運な少年。希望を持って走っても、最終的に殺されかけ、唯一の友を助けて死んだ。哀れな人間。

 

 

 

 そんな、こんな所で終わって欲しく無かった、愚かな人間だ。

 

 

 

 レックスは深呼吸する。

 

 いいや、違う。まだ終わりじゃない。

 コイツの死は、こんな所で終わってはダメだ。

 コイツが俺を救ったように。

 俺も、コイツを救わなければならない。

 

「……テメェは、ここでくたばるのはまだ早ぇよ」

 

 そう言って、レックスは死体の胸の上に乗っかった。

炎が消火された後なのか、強火で熱したフライパンのように身体が熱い。しかし今は生命の暖かさは1ミリも感じない、ただの骸だ。

 

「待ってろ、すぐに生き返らせてやる」

 

 その言葉を口にした瞬間、突如としてレックスの足が死体に埋め込まれてゆく。

 どんどん沈んでゆき、まるで底なし沼に浸かるように全身が死体の中へと入り込んでゆく。

 

 

 身体が鼓動する。血管が死体の身体を覆う。

 

 

 黒い肌がパリッと、ゆで卵の殻のように割れた。そこから亀裂が入り、下から橙色の生きた肌が露出する。

 

 抉り取られた両足が、まるで内側から再生するかのように生える。

 

 燃やし尽くされた髪はいつも通りのパーマっ気のある長い髪に生え替わり、蒸発して無くなっていた目は潤った綺麗な黒目へと変わっていった。

 

 

 

 鼓動がする。生命の音がする。

 

 

 

 その音を心地いいと感じながら、ビリーは目をゆっくりと開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………………………?」

 

 何も無い暗闇から解放されるように俺は目を覚ました。

 

 俺がいたのは穴がいくつも空いたマットの上だった。

 ひび割れたガラスをガムテープ止めた窓から差し込む光を見ながら、俺は両足を使って起き上がる。

 

 あれ? 足? 

 

 なんで足があるんだ?

 

 俺は確か、あの時……、鬼の悪魔に焼き殺されて……。

 

 と言うか、なんで家にいるんだろう。

 

 部屋を見渡す限り、レックスの気配はしない。玄関には何度も出るなと申しつけているから外にいるとは考えられないし……。

 

 じゃあ、もしかすると、ここは……。

 

「あぁ、死後の世界? ってやつか………」

 

 なら、この状況にも納得がいく。なんで自分の家にいるのかは知らないが、両足があったり、目立った傷がないあたり俺はいわゆる幽霊みたいな存在になったんだろう。

 

 そうか、俺は死んだのか……。

 

 不思議と実感は湧かなかった。当然だ。死を体験した人なんてこの世には存在しないのだから。

 未練は無い。あまりに感情が気薄だからなのだろうか、あの悪魔に対して怒りなんてものはないし、少しだけ楽しかった人生だと感じている。

 ただ、心残りがあるのなら、レックスを一人にさせてしまったことだけ。

 だけど、多分大丈夫だろう。レックスのことだからどうせ愚痴とか言いながら旅に出ているかもしれない。なんなら、今は世界中を旅しているのかもしれない。

 

 いいなぁ。世界旅行。俺も、行ってみたかった……。

 うじうじしても仕方がない。俺は死んだ身だ。死んだら死んだでそれをちゃんと受け入れなければならないだろう。

 

 そう考えて、俺は玄関の方へと歩き、ドアノブに手をつけた。

 

 と言うか、ここは地獄なのか、それとも天国なのか。

 

 俺的には天国はつまらなさそうだ。それに、犯罪歴とか殺傷罪とか考えて行くとしたら地獄だろう。

 

 そんな事を考えながら俺はドアノブを捻った。

 新しい、人生を歩む為に………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチっと、ドアは固く閉ざされていた。

 

「あれ? 開かない」

 

 え? おかしい。このドアに鍵なんて無いし、開かないことも滅多に無かったはず。

 なら、外に何かつっかえてるとか……

 

「おい!」

 

 窓の外を確認しようとすると聞き覚えのある声が背後から聞こえた。

 

 俺はもしやと思い、振り返る。

 

 斧のようなでかい頭に恐竜の小さい足を二本生やしたようなフォルム。背中には細長い尻尾が生え、鋭い目付きが俺を真っ直ぐ見つめていた。

 

 間違い無い。

 俺の相棒、レックスがそこにいた。

 

「あれ? レックス? もしかして死んだ?」

「バカか。死んでねぇつーの」

 

 ああ、なら良かっ…………………え?

 

 いや、おかしい。どう考えもおかしい。

 

「じゃあ、なんでここに居るの?」

 

 俺はさっき思った疑問をレックスにぶつけた。

 それは、ここにレックスがいる理由だ。

 だってここは死後の世界。俺は死んだからここにいる。なら、レックスは何故死んでないのにここにいるんだ?

 

 レックスはまるで俺の考えを読んでるかのように呆れながら真実を伝えた。

 

「テメェはまだ死んでねぇぞ」

「え?」

 

 ? 死んで無い? いや、それもおかしいって。

 だって俺は死んだ身だ。あの悪魔に両足を潰され、ちゃんと燃やし尽くされて焼け死んだ。ちゃんとこの身で死というものを感じたのだ。間違えるはずがない。

 死んでいないとするなら、ここは何処なのだろうか……。

 死後の世界じゃ、ないのか?

 

「なぁ。ビリー。少しだけ聞いてくれ」

 

 俺が少しだけ考えていると、レックスが先に口を開けた。

 

 

 

 

「俺は、因縁の奴なんて殺す気は無かった」

 

 

 

 

「え?」

 

 俺の呆気ない言葉を他所に、レックスは話を続ける。

 

「最初はアイツが憎かったさ。無茶苦茶理論で敵も味方も目撃者もぶっ殺して、草木すらも残さずに立ち去る姿が気に食わなかった。出会ったら真っ先に潰そうといつも思ってたぜ。他の強ぇ悪魔と協力してな。だけど、まるで歯が立たなかった」

「………………」

「死にそうになった間際にこう思ってた。絶対復讐してやる。必ず殺してやるってな」

 

 レックスは俺を見ずに顔を下に向けながら話す。まるで、過去の自分を思い返しているように。

 

「だけど、ビリー。テメェに出会ってから全てが変わった。バカ見てぇに木ぃ切って、金の為に悪魔殺して、その割に貧相な飯食って、一緒に寝る。俺にとっちゃあ最悪の同居生活だったが、次第に心が晴れてく様な気がしたんだ」

 

 そんな事、俺だってそうだ。

 レックスと出会ってから、毎日が楽しかったんだ。

 

 だから、後悔している。今の生活が一番幸せだったのに、人並みの生活を夢見た結果がこれだ。金を集めようと悪魔に挑み、そして無様に殺されてしまったのを、俺は今すごく後悔している。

 

 俺の後悔の念を感じ取りながら、レックスは一人でに喋り続けた。

 

「もう別にアイツがどうとか知ったこっちゃねぇ。どっかでヒーローごっこしてるかも知れねぇし、死んでまたエンジンふかしてもらってるかも知れねぇ。だけどよ、俺はもうアイツを殺す気なんてもんは微塵も無い。

 だから……、その、なんだ」

 

 レックスの言葉が一瞬だけ詰まる。

 

 この時、レックスは一体何を思ったんだろう。

 

 過去の自分と向き合っているのか。それとも、俺と同じくあの六年間の毎日を思い返していたのだろうか。

 

 躊躇った言葉を、レックスは口に出して言った。

 

 大切な友人に向かって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は、ビリーと馬鹿やってる方が楽しかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如として、パネルでできた脆い家が砕け散った。

 壁や窓、ドアがチリのように飛散し、外の世界が露わになる。

 

 白い。どこまでも白い世界。

 

 地平線が見えるほどの、広大な白い大地。

 それだけ。ただ。それだけしかない。

 木も草も、空も水も、家も生命も何もなく。何色にも染まっていない。

 まるで絵を描く前のキャンバスのような世界に俺達は立っている。

 

「生きろ。ビリー」

 

 レックスは口にする。

 自分の命を救ってくれた恩人に向けて。

 

「こんなクソくだらねぇ所で立ち止まってねぇで世界を見て行け」

 

 レックスは口にする。

 自分に心の温かさを教えてくれた友に向けて。

 

「これは契約だ。俺の心臓をやる。代わりに…」

 

 レックスは口にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの始まりの夜に交えた契約の時のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最高に馬鹿みてぇな人生を、思いっきり楽しんでこい」

 

 

「レックスッ!!」

 

 目を開き、飛び起きる。

 燃え上がる家屋の光と空へと向かう黒い煙、嗅覚を刺激するような焦げ臭い匂いが、俺に向かって「おはよう」と挨拶するように目に映った。

 

 荒い呼吸をしながら自分の身体を確認した。

 

「黒焦げになったはずじゃ…………」

 

 身体はなんの異常もなく橙色の肌。そして潰され、抉り取られた両足がまるで何事もなかったかのように残っている。

 

 どうなっているのか、まるで分からなかった。

 今がどういう状況なのか、あの悪魔は何をしているのか。

 

 

 

 自分の相棒が何処にいるのか。

 

 

 

 荒い呼吸のまま俺はあたりを見渡した。

 いない。誰も、何もいない。あるのは燃え尽きた死体の山だけ。

 もしかして、レックスは死んでしまったのか、そう考えがよぎり、

 

 

 

 自分の心臓の音が不思議と聞き覚えのある鼓動音であるのに気がついた。

 

 

 

 半裸の姿を見る。

 何も無い。何事もなかったかのように傷もない綺麗な肌がそこにあるだけ。

 しかし、自分の右腕に何か付いていた。

 文字のような、刺青だろうか。黒く刺々しい文字が、手の甲から肘にかけてまで彫られている。

 

 

 

 

 

 

 

 enjoy until you go crazy!!

(狂うまで楽しめ!)

 

 

 

 

 

 

「レックス………!」

 

 これは、俺に向けられた言葉だ。

 俺の心臓になってまで命を賭してくれた大切な相棒の言葉。

 そして、今、俺は非情な現実に気づいた。気づいてしまった。

 

 

 レックスはもうこの世にはいないのだと。

 

 

『あ?』

 

 目の前から馬鹿みたいに大きな声が聞こえる。

 血や人間の中身がどっペリと張り付いた金棒を持ちながら目の前にいる俺を見据えている異形。

 

 俺を殺し、レックスが死んだ要因となった元凶。鬼の悪魔とその隣にいるネクロが目の前に堂々と立っている。

 

『おいおい。どうなってんだ。なんで焼け死んだ野郎が生きてやがんだ?』

「知りませんよ。あのレックスとか言う悪魔が何かしたのかもしれません」

『まぁ良いか。もう一度あの世に送ってやる。感謝しろッ!』

 

 俺を嘲笑いながら鬼の悪魔は瓢箪を口にする。

 そして、空気を大きく肺に入れると、俺を丸焼きにした豪炎を再び口から吐いた。

 

 130度以上広範囲の炎が津波のように押し寄せてくる。

 全てを焼き尽くすために、一人の人間を焼き殺すために目の前の光景の全ても飲み込んだ。

 

 

 全てがスローモーションに見えた。

 炎の進行が遅く感じた。炎を吐き続けている悪鬼は高笑いながらこちらを見ている。ネクロおじさんも、無表情のままこの光景を眺めていた。

 

 コイツらは、なんの夢を願っているのだろうか。

 

 鬼は全生命体の頂点。

 

 ネクロおじさんは自分のマフィアを強くする為。

 

 その為だけに、この街を燃やし続けている。

 非道な行いだと思うだろう。しかし悪い事じゃない。

 

 俺だってそうだ。レックスといる生活よりもいい生活を望んだ。金を貯める為に悪魔を殺し、そして売った。

 

 俺はアイツらと同じだ。何かを目標に向かうから、周りの命を踏み台にして登ってゆく。

 夢に向かう為には多少の犠牲は必要不可欠。だから、どう考えても仕方ないと思ってしまう。

 

 だから、悪い事じゃ無い。悪い事じゃ無いけど。

 

 

 俺は腕に刻まれた文字を見た。

 

 

 

 狂うまで楽しめ。

 

「そうだね、レックス」

 

 俺に宛てた、レックスの最後の言葉。

 

 最後まで何事も楽しんで来いと言う、相棒からのエール。

 

 それなら、狂いながら奪い殺さないと、楽しめないよね。

 

 俺は、絶体絶命な状況の中、右腕を空に掲げると、

 

 

 

 

 力強く、振り下ろした。

 

 

 

 

「楽しもう。俺達二人で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 激しく、禍々しい炎の波が音を立ててビリーを再び飲み込んだ。

 炎は吹き飛ばされた家屋に燃え移り、広がって、人間を焼けた死体どころか骨までも灰にする。荒々しく竜の如く炎はうねり、スラム一帯を焼き尽くした。

 

『今度はウェルダンだな』

 

 鬼の悪魔は先程の人間の焼き加減を考察しながら、次の獲物を狩るべく、歩き去る。

 

 このスラム街の人間もあらかた片付いてきた。すばしっこいやつばかりだが、モグラ叩きの様に楽しめば退屈はしない。だが、骨がない奴が多すぎる。契約上、スラム街に住む人間を殺さなければならないが、明らかにつまらない。公安の野郎どもも非正規の奴らも、みんな歯応えが無さすぎて……。

 

『?』

「どうしましたか? 鬼の悪魔」

 

 鬼の悪魔は後ろに振り返る。その行動に疑問を持ちながらネクロは尋ねた。

 

『なんだ…………?』

 

 鬼の悪魔が見据えるのは先程ビリーを殺した炎。まだ荒々しく燃え上がっており、黒い煙が太い柱となって空へと立ち上っている。

 

 そんな事はどうでもいい。問題は、あの炎の中で何かが起きている事だ。

 

 自分の炎については自分が一番よくわかっている。だからこそ、違和感を持ったのだ。

 炎が何かを焼く焦げ臭い匂いもする。人の死体を火葬した灰の匂いもする。しかし、血が混じった鉄の焦げ臭さを感じない。

 

 まさか、いや、そんな事、あっていいはずが……。

 

 鬼の悪魔が、先程から燃え上がる炎を見据えながら考察していた次の瞬間。

 

 

 

 

 

 炎から、何かがこちらに向かって勢いよく飛び出した。

 

 

 

 

 

 そして、その何かが鬼の悪魔の顔の横を通り過ぎると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の右腕と胴体が斬り離された。

 

 

 

 

 

 

 

 何が起きたのか全く分からなかった。気がついたら右腕が斬り伏せられ、そして、

 

 切られた右腕を通して全身から激しい痛みが襲いかかっていた。

 

『ギィィィャャャャャャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 

 鬼の悪魔はあまりの激痛に悶絶した。

 血が止まらない。ドバドバとシャワーの如く大量の血が地面にこぼれ落ちてゆく。

 切断面がまるで炎に炙られるかのように熱い。自身の身体が沸騰するかのようで、何度も何度も頭を地面にぶつけ、痛みに耐える。

 

『う、腕ガァァッ! お、俺のォォォォォオオオオオッ!?』

 

 誰が腕を切り落としたのか。この所業に鬼の悪魔は怒り狂った。

 

 この仕打ち、燃やすだけでは飽きたらない。金棒で押し潰し、五臓六腑を撒き散らかしてから嬲り殺してやる。

 頭に血が上るのを感じながら、鬼の悪魔は金棒を握る手を強く握り締め、振り返る。

 

 メラメラと燃える炎を背に腕を切り落とした男の姿を目に焼き付けた。

 

 

 

 

「フゥィィィィィィィィ…………………………」

『なんだ、お前は…………ッ!』

 

 

 

 

 そこに立っていたのは、悪魔だった。

 

 

 身体の特徴は人間に近いと言うより人間そのもの。橙色の肌を露出している上裸で、ボロボロに破れたカーゴパンツを履く一人の青年。

 

 しかし、人間と言うにはあまりにも顔と腕が異形と化していた。

 

 頭部が斧と怪獣が混ぜ合わさったような形状になり、両腕からも腕を貫くように斧の刃が、口には鋭い牙が生えている。

 

 人間ではないようで、しかし、悪魔ではない存在。

 そんな不特定で曖昧な生物が一歩一歩と鬼の悪魔に近づいてきている。

 

 

 

 

 

 

 確実に、殺す為に。

 

 

 

 

 

 

 鬼の悪魔は空に向かって怒声を響き渡らせる。

 

『先程の雑魚悪魔が死体を乗っ取ったのかッ!? 俺のぉぉぉッ! 腕をぉぉぉぉぉッ!』

 

 鬼の悪魔は金棒についていた血と臓物を振り落とし、敵を確実に潰す為に地面を蹴った。

 

 鬼の悪魔が宙を舞い、金棒を構える。

 

『捻り潰してやるゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!』

 

 相手を殺す為に全ての力を使った攻撃。金棒の重さと鬼の悪魔の巨体な体重全てを使って相手を押し潰そうとした。

 

 硬い地面はめくりあげ、相手の臓物は押し潰されながら露出し、身体は水風船のようにパァンッ!と破裂するだろう。後に残っているのは悲惨な死体だけだ。

 

 

 

 

 

 当たりさえすればの話だが。 

 

 

 

 

 

 バキィッ! と振り下ろした金棒が粉々に砕け散る。

 まるで砂浜でやるスイカ割りのスイカのようにバラバラとなって鉛の雨を降らせた。

 

『ハァ?』

 

 鬼の悪魔は目の前の状況に呆けた声を出してしまう。

 

 何が起きたのか分からなかった。

 押し潰したと思った瞬間、スイカのように金棒がバラバラになった。

 自分が出せる最大最恐の攻撃を、

 

 

 コイツは、両腕についている斧だけで対処した。

 

 

「……足を止めるな、前をみろ。

 武器を持って前へと進め。

 略奪しなけりゃ奪われる。

 守るな止まるな突き進め……ッ!」

『な、なァァァ!?』

 

 ブツブツと小言を言いながら斧の姿をした異形が一歩一歩前へと進む。

 止まる事はない。拳を握り、目の前にいる敵を見る。

 

 

 顔の斧に彫られている装飾の隙間から見える赤黒い眼光が鬼の悪魔を真っ直ぐ捉えていた。

 

 

「奪い取るならァッ! 奪い死ねェッ!!」

『く、く、くる、来るなァァァァァァァァァァァァッ!!!』

 

 鬼の悪魔は恐怖した。自分より格上な生命体を前に、顔を青く染めてしまった。

 勝てるはずが無い。勝てる見込みもない。

 

 逃げるか、死ぬか、それしか選べる道がなかった。

 

 金棒ですらない持ち手を異形に投擲する。

 

 頼むから死んでくれ。俺を、恐怖から解放してくれ。鬼の悪魔は希望に縋るように願った。

 

 しかし、そんな希望も非情な現実の前で打ち砕かれる。

 

 手を貫くように生えた斧の刃が持ち手を切り捨て、異形は地面を蹴った。

 崩れ落ちた瓦礫を踏み台にし、高く、悪鬼よりも高く飛び上がる。

 

 顔と両腕の斧が悪鬼の顔を写し出す。

 

 顔を上げ、飛び上がった異形を見た。

 

 両腕を天高く振り上げ、異形は落下してゆく。

 

 鬼の悪魔は、ただ見据えることしかできない。

 

 生を諦めた獣は、もう何もできない。

 

 

 

 「Heeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeッ!!!

Haaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaッ!!!

 

 

 

 

 

 渾身の力で振り下ろした斧は鬼の悪魔の仮面や武者鎧を砕き割り、バシャァッ!と血肉が切り裂かれる音を立てながら上半身を真っ二つにした。

 

 真っ二つにされた上半身から脳みそや大腸小腸、大量の血がザァァッ、と大量の雨水となって当たり一面の炎を消火させる。

 

 物言わぬ骸となった悪鬼は、膝を着き、力無く仰向けとなってドゴォンッと地面を揺らしながら倒れた。

 

 もはやそこに立っていたのは、斧の異形しか居なかった。

 

「う、嘘だ。そ、そそ、そん、そんなッ!?」

 

 目の前で起きた事を納得していなかったネクロは混乱していた。

 

 街中を住民を皆殺しにし、悪魔の力を用意してマフィア界のトップに躍り出る。

 莫大な金も、予算も、部下も手に入る夢のようなユートピアが彼を待ち受けているはずだった。

 

 しかし、現実はどうだ。公安のデビルハンターを皆殺しにするほどの力を持つ鬼の悪魔が、たった一体の異形によって討ち滅ぼされた。

 こんなもの、納得したくてもしきれない。

 

 いや、まだ挽回のチャンスはある。

 あの悪魔と契約するのだ。

 契約すれば俺の未来は保証される。

 

 なら、早速すぐに契約を持ちかけよう。

 ネクロはそう楽観視し、契約を持ちかけるべく顔を上げる。

 

 

 

 目の前に、目的の悪魔がいた。

 

 

 

「ヒッ!」

 

 ネクロは目の前にいつの間にか立っていた恐ろしい存在に恐怖し、思わず尻餅をついてしまう。当然の反応だ。最強だと思っていた悪魔がこの悪魔に無様にも殺されたのだから。

 斧の姿をした異形は悍ましいほど尖った牙をした口を開く。

 

「ネクロおじさん、かぁ」

 

 その声にどこか聞き覚えがあった。

 落ち着いた。どこか世間離れしている独特の声音。

 

 間違いない。コイツはあの時焼け死んだビリーだ。

 

「お、お前、ビ、ビリ、ビリー、な、なのかッ!?」

 

 ビリーは何も答えない。

 代わりに右手に生えている斧を目の前にいる人間を殺すべく構えた。

 

「ま、ままままま、待ってくれ!!」

「ん?」

「お、俺はアイツに騙されてただけだ! ほ、ほほほほ本当だ! 脅されて、しし、しかかか、仕方なくや、やったんだよ!」

 

 そんなの嘘だ。この場を逃れるためのありきたりな嘘。

 

 本当はネクロが契約を持ちかけたのだ。森の奥深くで弱っているのを発見し、契約を持ちかけ、部下三人を生贄に捧げて復活させた。

 

 そう。このネクロこそが、この惨状全ての元凶なのである。

 

「そうなの?」

 

 ビリーは斧を構えたままネクロに確認する。

 ネクロも安堵の笑みを浮かべながらもう一度嘘を吐いた。

 

「そ、そそうそ、そそ、そうなんだよ! 信じてくれ!」

「……………………」

 

 一瞬の静寂がビリーとネクロの間に流れてきた。お互い無言で相手の顔を見ながら、短い時が過ぎてゆく。

 

 少し時間が経った後、ビリーの口が開いた。

 

「俺、初めてなんだよね」

「は、はい?」

「奪われた後の喪失感ってやつを感じたの」

「え? え?」

 

 喪失感? 初めて? コイツは、何を言っているのだ?

 疑問に思っているネクロを無視しながら話を続ける。

 

「すごいよな。近くにずっと居たものが、無くなるのってこんなに寂しいんだって。俺、初めて知ったよ」

「な、何を……」

「俺が所属してた軍の教訓知ってる?『奪われたら奪い殺せ』って奴。前話したっけ」

「……………は」

 

 ネクロは全てを理解した。この後起きる事を。自分の身に迫っている死を。

 

 嘘を言おうが、真実を言おうが、自分の未来は確実なのだと知ってしまった。

 最高のユートピアなんてものは、待ち受けているはずがない。

 

「過程がどうだろうが、アンタは俺の大切なものを奪ったんだよ。だからさ……」

「ひ、ひ、ひひ、ひひひ、ひひ」

 

 背中から変な汗が大量に湧き出てくる。自分にこれから起こる未来を想起してしまい足がガクガクと震えてしまう。

 蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり血の気の引いた唇を固く結ぶ。そのせいで声にならない音がネクロの口からビクビクと痙攣しながら鳴き喚く。

 

 助かることはない。味方はいない。

 そんな、確実な死がネクロに待ち受けている。

 

 

 

 

 

 

 

「ネクロおじさんも、味わってみてよ。喪失感」

 

 非情な声と共に、肉を切り裂く音がスラムの街跡の中心から鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い車一台が、森林地帯をくぐり抜け、スラム街跡に向かって走っていた。

 一般の人が見ればどこかのマフィアが車に乗ってどこかの組を襲撃しようとしている最中かと思うだろう。実際、車のトランクの中には職業柄なのか剣や槍、斧にナイフとかなり物騒なものが積んである。

 

 しかし、その車に乗っている人達はマフィアでは無い。

 

 公安デビルハンター。

 

 悪魔を倒す事を生業とする、対悪魔のスペシャリストども。

 

 今回向かっているスラム街には鬼の悪魔が出現したと報告されている。

 

 実際、ここ数ヶ月。タイでは鬼の悪魔による虐殺事件が多く、一刻も早い段階で解決せねばならない状況に差し掛かっていた。

 

 タイの公安デビルハンターは街の各地で検問を張り巡らせ、住民による目撃証言も聞き、さらには海外で活躍する優秀なデビルハンターも雇うなど、事件解決の為に尽力を注いでいた。

 

 この車の中にいる女性も。その内の一人である。

 

 長く赤色の髪を後ろで三つ編みにした髪型。黄色味がかった同心円状が特徴のグルグル目。

 美人でスタイルも良く、胸も大きい。誰もが職場で憧れの存在である先輩上司のような印象を受けるだろう。

 

 そんな彼女が乗っていた車は目的地についたのか。キキィーっと小型のニワトリを絞め殺しているような無情な音がした。

 

「着きましたよ。マキマさん」

 

 同行していた一人のデビルハンターが後ろの座席に座る女性に声をかけた。

 

「わかった。今降りるよ」

 

 女性は男の声に反応し、ドアノブを引くと車用ドアを開ける。

 

 瞬間、鉄の混じった焦げ臭い匂いが、女性の鼻を悪い意味で刺激する。

 スラム街跡から吹きつけてくるザラザラした灰や炭が混ざった風は、まるで不快な固物の撫で回すような感触を持っていた。

 あまりの匂いと気持ち悪い感触にに、思わず鼻を手で塞いぎ、目を細める。

 鼻が効くというのは、利便に働く事もあれば、案外不便に働く事もあるのだろう。

 

「酷い匂いだね。とても焦げ臭い」

 

 鼻を手で覆いながら女性はスラム街跡地に足を踏み入れた。

 

 女性は、その惨状を目の当たりにする。

 所々、小さな黒い煙が立ち上る、瓦礫の山。

 

 それだけ。

 

 スラム街には、それだけしか残っていなかった。

 

 近くにいる連れのデビルハンターが状況を報告をしようと女性に伝えた。

 

「昨夜、例の悪魔が現れ、襲撃したようです」

「それでこの有様なの。脆い街だね」

 

 一様、生き残った人々が瓦礫の上でウロチョロしているが、あれは売れるものがないか探しているのだろう。確か、ここの死者は五十数人と聞く。

 死人に口無し。生きたければ、屍が残した物を奪う方法しか知らないのだろう。

 

 たった悪魔一体の襲撃でこれ程の有様とは。

 酷く醜く、そして脆ろい街だ。

 

 女性は一人でに瓦礫の上を歩く。

 近くにいた一人の男が焦るように女性を呼び止めた。

 

「ちょ、マキマさん?」

「心配しないで。後ですぐに戻ってくるから。ナーさんは悪魔の死体回収を鑑識課の指示に従い行ってください」

「わかりました。必ずすぐに戻ってきてくださいよ」

 

 女性は男を説得すると再び瓦礫の上を歩き始める。

 たまに吹く風や、強烈な匂いが彼女を襲うがこれも目的の為の行動。こんな事で挫けていては、彼に顔向けできない。

 

 そう心に言い聞かせ、彼女は歩き続けると、一人の青年が瓦礫の上で何かをしているのを発見した。

 

 上裸で、右腕には黒く刺々しい英文字が刻まれ、下半身はボロボロになったカーゴパンツを履いている。髪は黒色で肩まで無造作に伸びた天然パーマっ気のある髪型。そんな、少し近寄り難い青年は焼かれて黒焦げになった瓦礫をどかし、隙間を作ってそこから手を入れる。

 

 そして何かを取ったのか手を瓦礫の隙間から出した。

 その手に持っていたのはひび割れが酷く、しかし、何故か原型が留めていた豚の貯金箱であった。

 

 どうやら青年はそれを求めていたらしい。

 

「お、ラッキー。貯金箱無事じゃん。これなら……」

「君。ちょっと良いかな?」

 

 女性は青年、ビリーに声をかけた。

 さっきまでしていた笑顔が私の姿を見た途端消え去り、警戒しながら口を開く。

 

「………悪いけど悪魔については何も知らないよ」

「………なんで私がデビルハンターってわかったのかな?」

「黒スーツ着て、威圧的な態度取ってる奴は大体そうだから」

 

 ビリーは自身の経験上知り得た事を女性の前で話した。

 女性はそれを聞き、ふーん、と興味深そうに青年を見ると、

 

「君。面白いね」

 

 まるで本心で言っているかのように口に出した。

 

「は? アンタ何言ってんの?」

 

 どうやら当の本人からは若干引かれたらしい。当然だ。知らない人から急に面と向かって「面白い」と言われたら誰だって警戒する。

 しかし、そんな事は女性にとって些細なものだ。本題は違う。

 

「実は私が聞きたいのはそれじゃないの。君についてだよ」

「………」

「貴方は悪魔になる事ができる。そうでしょ」

「ッ!?」

 

 途端、瞬時にビリーは女性から距離をとった。

 彼の表情は驚愕な顔つきをしており、いつでも相手を殺せるように戦闘体制に入っている。

 何故、自分の秘密を彼女が知っているのか、ビリーは疑問に思っていた。

 その心を読み取ったのか。女性は答える。

 

「何でわかるの?って顔してるね。私は鼻が特別に効くんだ。だからわかるんだ」

「…………」

 

 女性は鼻に指を刺して真実を答えた。

 しかし、相手は現実味が湧かないようであり、まだ警戒している。

 カーゴパンツに刺してあるナイフの手に取る感触を確認しながらビリーは質問した。

 

「………俺をどうするの?」

「殺して私達の手柄となる、じゃ嫌だよね」

 

 女性はミステリアスな笑みを浮かべながらこちらの方へと歩いてきた。

 ゆっくりと、確実にこちらへと向かいながら、まるでパリコレのステージに立ったファッションモデルのように、堂々と歩を運ぶ。

 

「君の選択肢は二つ。悪魔として殺されるか、日本で切磋琢磨して飼われるか」

「ニホン……」

 

 ニホン。その単語にビリーはナイフを持つ手を緩めた。

 

 いつかレックスと一緒に住むと約束した場所。

 俺達が追い求めていた。夢みたいな島国。

 女性は俺の目の前で止まり、手を差し出す。

 

 握手は求めていない。まるで、犬のお手を求めるかのように手を差し伸べていた。

 

「飼われるなら、それ相応の報酬は出すよ」

「………何バーツ?」

 

 報酬。その言葉を聞いてビリーは質問する。

 ちなみに俺は今、仕事がないから職探しをしている。見つけた中で一番良い月収は25719バーツ。怪しい取引のストッパー役を請け負う中間管理職だ。前の伐採の仕事よりも給料が良い。

 さて、この金額を簡単に超えられるのか? これ以上の仕事は流石に無いだろう。

 

 もしもこれ以上出せるというのであれば、ワンと犬のように吠えてやる。

 

 そうやってビリーは心の中で決めつけていると、女性は少し考えながら答えを出した。

 

「えーと、月収が150万くらいだから………、381834バーツくらい、かな?」

「……………………」

 

 ビリーは目を瞑る。目を瞑って顔を上げた。

 月収約380000バーツ。夢の島国、ニホン。小さな一軒家に住んで自由に生活。

 

 そんな未来の自分を想像すると、ビリーはゆっくり目を開けて…。

 

「………………………ワン」

 

 と言いながら左手を添えた。

 

 

 




 
【挿絵表示】

 大体私が想像したオリジナル武器人間。
 絵が下手くそですが、受け入れてくれるなら幸いです。


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いざ、ニホンへ。

 おひさーです。
 まさかのランキング入りしました。
 読んでくださった読者の方々、ありがとうございます。
 多くの誤字脱字報告。感想を入れてくださり、かなりありがたい気持ちでいっぱいです。
 では、始めましょう。


 閃光のハサウェイ大好き!!


 

「でっけー」

 

 ビリーはそう言いながら目の前に立つでかい建物を見上げた。

 

 俺は今、タイの首都バンコクにある国際空港の、数ある入り口の一つに立っている。

 こんなにデカく、そして綺麗な建物は生まれて初めて見た。バンコクもでかい建物が沢山あって興味を抱いたが、やはり、一番驚いたのは空港の形だろう。

 

 美しいと思った。壁や床はまるで新しくできたかのように白くて綺麗だし、空に貼ってあるかのようなガラスは満月を曇り無く見ることができる。

 夜の空港の中も照明がまるで朝日のように明るく照らしてくれていた。

 人が多いのがやや鬱陶しいが、それもチャラにできるくらい広いし建物の造形も独特で芸術と呼べるほど。

 まさしく、『黄金の土地』と言う名前の通りの最高の空港だ。

 

「こっちだよ。付いて来て」

 

 そう言って俺を連れてきた女性は連れである三人のデビルハンターと共に俺を先導する。

 沢山の人が並ぶチェックインカウンターに女性と俺は後ろに回って自分の番になるのを待ち、ふと、気づいた。

 

(そう言えば、飛行機乗る金ないじゃん……)

 

 確か飛行機に乗る為にはチケットとか言う紙が必要だった気がする。どこでそれが買えるのか分からないが、きっと今持っている金では買えないほど高額だろう。

 

「すいません。俺、飛行機乗る金ないんだけど……」

 

 前に立つ女性に俺は声をかけた。金が無いのなら日本には行けない。仕方がない事なのだろう。

 残念だが諦めるか、と思ったその時だった。

 

「大丈夫だよ。君の搭乗代や証明書、パスポートの発行やその他諸々は全て私が請け負ったから」

「え? あ、いつの間に……」

「はい。君のチケット」

 

 そう言って女性は懐から一枚の紙切れを俺に渡す。

 青色の紙切れにはしっかりと733便ニホン行き、と書かれてあった。

 

 これが、飛行機のチケット…。

 

 いつも手にしていたボロボロの紙より硬く、そしてしなやかな質感。こんな紙、初めて見た。

 

 決めた。記念に取っておこう。

 

 そう心の中で決めると俺の番が来たのか、チェックインしに行き、チケットを警備員に確認してもらい、荷物検査と身体検査をおこなう。

 

 荷物検査はあまり物を持って来なかったから何事もなかったが、身体検査では金属探知機に引っかかり顔の怖い警備員に睨まれてしまった。どうやら腰に挿してあるナイフが引っかかったのだろう。

 その所為で、待合室に連れていかれそうになったが、そうなる前に女性が事情を説明してくれたのでなんとかなった。

 最終的に持っている金属類全て処分すれば搭乗をOKしてもらえた。

 

 このナイフは昔から使っていた物だから捨てるのは少々惜しかったが、ニホンに行くには仕方が無いと割り切り、ガラスの箱の中に入れて処分する。

 

 警備員の簡単な質問に二、三回答えてからようやく解放されると目の前に見えてきたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月明かりに照らされる大きく広がる滑走路と、電灯の光によって姿を現した、大きな翼を広げるかのように配置された巨大な飛行機だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおー……。 あれが、飛行機……! マジででかい鳥みたいだ……」

 

 空港の綺麗な内装の事をすっかり忘れ、窓ガラスに引っ付くほど顔を近づけた。

 白い塗装をされ、細長く伸びるボディ。折り畳むことのできない四つの三角形の翼にはそれぞれ一つずつ丸い扇風機のような巨大な機械(ジェットエンジン)が取り付けられていた。

 

 小さい頃のことを思い出す。

 スラム街から離れた森林の中でレックスと日向ぼっこをしながら空を眺めていたあの日を。空を駆ける鳥のような物に指を刺して「あれは何?」と尋ねた後、レックスが「飛行機だ」と呆れながら答えてくれた日の事を。

 

 

 アイツと一緒に、乗りたかったなぁ……。

 

 

 ふと、レックスの姿を思い浮かべてしまい、窓に手をつける力を緩めてしまう。

 レックスはあの時、どう思っていたのだろう。

 俺と一緒に、空を飛んでみたいとか考えていたのだろうか。

 今となっては解らない問題だ。なんせ、解答を知っているレックスは死んでしまったのだ。俺が知る術はもう無い。

 悲しくなる気持ちを心の壁で押さえながら俺は後ろで待たせている女性について行った。。

 

「どうだった?」

「デカくて迫力があってすごかった、です。えっと、あれに乗るの?」

「あの飛行機じゃないけど、同じ機種だと思うよ」

「へぇー。早く乗ってみたいなぁ………」

「ふふ。君は面白いね」

 

 正直言ってビリーは楽しみだった。飛行機で空を飛ぶのはどう言う心地なのか。鳥にでもなったつもりで飛ぶのか。ビリーはワクワクしながら搭乗口を目指す。

 

 途中でゲートに辿り着き、チケットを拝借して、本日二回目の軽い荷物検査と身体検査を潜り抜ける。

 

 空港と飛行機を結ぶボーディングブリッジの廊下をくぐり抜けると目の前には飛行機の扉がキィィィィィと鳴るエンジンの激しい音と共に俺を出迎えてくれた。

 

「近くで見ると、マジでデカい……。音が、めっちゃうるさいけど……」

「飛行機なんて大体そんな物だよ」

 

 女性の言葉に、そう言う物なのか、と勝手に認識してから、俺は搭乗口をくぐり抜けて飛行機の中へと入った。

 

 ズラッと均等に数えられない程並ぶ座席。そこにちまちまとバラバラに座っている老若男女の人々。広いが、どこか狭っ苦しい機内を女性と俺は突き進む。

 空いてる席もチラホラあるからそこに座るのかと思っていたがそれは違うようだ。女性は飛行機から真ん中より手前の座席横で止まると、

 

「はい。ここが君の席」

 

 先に座ってと言わんばかりに俺を優先させた。

 なんかムカつくが、黙りながら止まってもしょうがない。

 その指示に従い、狭い座席と座席の隙間を縫うように歩いてゆく。

 そして、ようやく辿り着いた奥の席に、少し疲れたのか重力に身を任せながら座席に座ると、

 

 

 

 ボスっと柔らかい椅子が俺の背中を弾ませた。

 

 

 

 あまりの柔らかさにビリーは驚きの表情をしたまま、無意識に背もたれに背中を預けてしまう。

 

「何、この椅子……。柔らかい……!」

 

 それだけじゃ無い。めちゃくちゃ心地良い。まるで空に浮いている雲のように柔らかく、俺の背中を包み込んでくれるような椅子。そのフワフワ感は、もう二度と立ち上がれないくらいに柔らかくて、深くて、病みつきになる程だ。

 

 ダメだ。心地良すぎて睡魔が襲ってくる。まるで頭が睡眠を求めて怠業を起こしているようだ。

 このままだと眠ってしまう。眠ったら外の景色が、あ、だけど1分。いや、1時間だけでも……。

 

「おーい。大丈夫?」

「うおっ」

 

 目を瞑り、熟睡しようとした瞬間、女性が隣から俺を起こした。

 身体をビクっと震えながら俺の意識は暗闇の奥から押し出されるように覚醒する。

 

「あ、はい。大丈夫、です……」

「疲れてるなら寝ても良いけど、そんなにこの椅子が心地よかったの?」

「ええ。こんなにふわふわな椅子は初めて座ったので」

 

 椅子に座る事は何回もあった。普通ではあるが、人生で数え切れないほど。

 しかし、そのほとんどが木でできた硬い椅子だったり、座面のバネが丸出しになってて不快感があったり、最悪な物だと脚が折れて転んだりしたこともあり、決して心地良いなんてものは存在しなかった。

 

 しかし、この椅子は違う。

 雲みたいにフワフワで、不快感も感じさせない。新品のように綺麗だし、さらには肘掛けもあるから腕も休める。

 こんな椅子が存在してもいいのだろうか。いや、いいに決まっている。

 

「ふーん。君、名前は?」

 

 女性は俺の言葉を聞くと、微笑みの表情を作りながら名前を聞いてきた。

 当然か。これから一緒に仕事するんだし、名前は知っておかなければ色々と不都合が起こる。

 

「No.D7-0031、です」

「? それが名前?」

「呼びにくいなら、ビリーでいいよ」

 

 俺はいつも通りに名前を教えると、女性は興味なさそうに顔をこちらの方へと向けた。

 

「わかった。本部に着いてから言おうと思ったけど、早めに一つ言っておくね」

「?」

「ビリー君は今から、()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭から飛行機に乗る楽しみが消え去る。まるで、子どもが飛ばしたシャボン玉が割れ、小さな水滴となって落ちるような、そんな気持ちだ。

 消え去った好奇心の代わりに出てきたのは、隣に座る女性がとても不愉快に感じられる事だけだった。

 

「返事は〝はい〟か〝ワン〟だけ。〝いいえ〟なんて言う犬は要らない」

「……………」

「鑑識課の人が噂話で聞いたんだけどね。使えないウチの犬は安楽死させられるんだってさ」

 

 二人の間に少しだけエンジンの音が長く響き続けていた。

 お互い顔を合わせ、しかし口を開けず、目を逸らす事もない。ただ、二人の間に沈黙だけが続いていた。

 数秒間静寂が二人を包むと先にビリーが口を開ける。

 

「………………それって、死ぬ気で頑張れって事?」

「そう言う事」

 

 なるほど。飼われるとはどう言う事なのか気になっていたが、まさかそのままの意味だったとは。

 

 別に犬扱いに嫌悪感を持っているわけではないし、好きもない。ただ、慣れているだけだ。

 軍にいた頃は周りの兵士達に軍犬扱いされたりしていたし、スラム街ではなんとなくだが、ネクロおじさんにも犬扱いされていた気がする。今更飼われる事になっても何も問題は無い。

 

 ただ、目の前にいる女性が今まで犬扱いしていた人達とは少し違うと思った。

 

 兵士どもやネクロおじさんは自分より格下の相手に命令して、忠実な犬を動かしていると言う愉悦感に浸っている人ばかりだった。

 

 この人は、見下している。

 

 自分の性格や在り方、過去や未来、夢や希望、その全てを見下すような冷笑を女性は顔に浮かべている。

 無論、今までの人達だって見下していないわけでは無い。愉悦感に浸っている時だって、必ず俺を下として見ていたはずだ。

 しかし、その人達とは根本的な所まで違う気がする。

 うまく表現できないが、まるで、人を道具として扱うような、そんな非情の目。

 彼女の目は、そんな目をしている。

 

 

(確定。俺、この人嫌いだ)

 

 

 何か明確な理由や原因があるわけでは無い。

 さっきも言ったが犬扱いされているのは慣れているし、逆にこの人は美人だし、スタイルだって見た事ないくらい抜群。多分、状況が状況だったら一目惚れする人もいると思う。

 

 しかし俺はそう言う恋愛感情よりも本能的な嫌悪感。生理的に無理な気持ちが勝っていた。

 

 仕事に支障は無いと思うけど、多分この人とは一緒に居たくないと思えてくる。と言うか、現在進行形でその気持ちが湧き上がってきてる。

 俺にそんな感情があるなんて思いもしなかった。俺を殺そうとしたネクロおじさんにだってそんな気持ち感じた事ないのだが……。

 

 嫌な事を考えるのはやめよう。せっかくの気持ちの良い椅子に座っているのだ。寝なきゃ損するだけ。

 そうやって頭の思考を切り替え、背もたれに背中を預けながら目を瞑った。

 自分が頭に怠業を認めるように深い暗闇に沈んで行くのを感じていると、

 

 

 

 

 ガタンっと飛行機全体が揺れ始めた。

 

 

 

 

「うおっ」

 

 あまりにも突然の事だったので俺は目をぱっちり開けて窓の外を見る。

 さっきまで空港が見えるだけの味気ない夜の外の景色は奥の赤いランプが目印の広い道路(滑走路)に向かいながら動いていた。

 

『皆様こんにちは。今日もフィリピン航空733便をご利用下さいましてありがとうございます。皆様のお手荷物は上の棚などしっかりと固定される場所にお入れ下さい』

「え? 何? 何?」

 

 突如、キャビンアテンダントのアナウンスが機内中を流れ始める。シートベルトしろだの、上から酸素マスク出てくるだの、不時着時には慌てずに避難しろだのと、俺には理解不能の言葉ばかりが川の激流のように出てくる。

 恐らく、飛行機に乗る為の最低限の心がけみたいなものだろう。難しい事だらけだったからよく分からなかったが。

 そう考えている間に飛行機は広い道路(滑走路)へと到着していた。俺から見える窓から滑走路は見えず、とても大きくそして照明で明るく光る綺麗な空港しか見えないが、きっと普通の道路よりもかなり広いだろう。

 何百メートルくらいあるのかな?

 

 というか、この飛行機ってどうやって飛ぶのだろう。見たところ羽はあるから鳥の様にパタパタと羽ばたきながら空を飛ぶのだろうか。

 そんなくだらない事を考えていると、アナウンスがまるで俺の疑問に答え合わせをするかの様に流れ始める。

 

『それでは、まもなく離陸します』

「え、離り……? うおっ…!」

 

 突如、ゴァァァァアアアア!と甲高いエンジン音が機内を響かる。

 そして、それに呼応するかの様に飛行機は徐々に走る速度を上げてきた。

 身体には軽いGがかかり、それにより背中は柔らかい椅子に軽く沈み込んで行く。

 

「おおおお…!!」

 

 飛行機はどんどん速度を上げてゆく。

 人の脚よりも速く、車より速く、電車より速く、滑走路を走り抜けてゆく。

 そして、

 

 

 ゆっくりと、飛行機は宙に浮かび上がった。

 

 

 飛ぶ。飛んで行く。まるで風に乗った紙飛行機のように空へと駆け上がって行く。

 俺は身体が少しだけ浮いた感覚を味わいながらその光景を小さな窓から眺めて感動していた。

 

「う、浮いてる………、すごい……! 俺、空を飛んでる……!」

 

 窓に顔を貼り付けながら俺は興奮を隠し切れずに夜の空の景色を見ていた。

 

「おい! 前の奴ウルセェぞ!」

「すいません。ビリー君。少し静かにしてくれるかな?」

「おお……! 俺がいた空港がもう小さい……!」

 

 飛行機はどんどん高度を上げて行く。

 

 窓からは、先程までいた空港や車で走っていた夜のバンコクの街並みが広がっており、まるで繊細な技術で作られたジオラマを高い場所から見ている気分だった。

 やがて都市はレースのカーテンのような薄い雲で覆い隠してゆく。北側の窓なので、月の光はあまり眩しく無く、ただ薄暗いばかりの──

 

 

 

 

 

『ビリー君』

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 突如、凍りついた言葉が俺の耳から入り込んだ。

 威圧感は無い。しかし、感情も無い声。その声帯が酷く耳に残り続け、俺の身体を通り抜けながら背中をブルっと振るわせた。

 

 窓から顔を離し、声が聞こえた方向に振り向く。

 

 そこにいたのは女性だった。

 普通に座りながら、微笑みの表情を浮かべ、特徴的なグルグル目が光も無くただこちらを見ている。

 

『静かに』

「…………はい……」

 

 俺はその言葉に従った。別に従うつもりはなかったのだが、人が沢山いる飛行機の中で確かに大声で叫ぶのはあまり居心地は良く無いだろう。

 

「うん。ちゃんと言うこと聞けて偉いね」

 

 そう言いながら女性は俺から目を離し、手元に持っていた新聞を広げそれを読み始めた。

 字が沢山あって読みにくいが写真を見る限り昨日の事が取り上げられている。だってその写真、まんまスラム街だし。

 

 それにしてもうるさい、か。

 少しは我慢出来ないのかと思ったがそれは俺の感覚がおかしいからだと改めて理解する。

 

 と言うか、俺もうるさくて寝れなかった時がある。

 仕事を終え、今日も疲れたから早めに寝ようとするとキーボおじさんの家の方から騒がしい音が聞こえて寝れなかった事があった。

 よーく耳をすませて聞くとキーボおじさんの声と若い女性が何やらお互い喘ぐ声が聞こえる。

 何をやっているかわからなかったからレックスに聞いてみたら、顔を背けて「雌蕊と雄蕊がアレコレするやつ」とか変な事を言ってきた。

 しかし、あれは本当に寝れなかった。薄くて脆いパネルでできた壁だから声がよく聞こえるし、朝から晩まで喚くからキーボおじさんが死ぬまではまともに寝れなかった事を今でもよく覚えている。

 

 そう思うと日本での生活が余計に楽しみになってくる。音に悩まされず寝れるだろうか。もしかしたらこの椅子のように布団もあの硬いマットより、フカフカで柔らかいのかもしれない。

 

「楽しみだなぁ。ニホン……」

「多分着くのは朝くらいだと思うけどね」

 

 ボソッと独り言を言うと女性が新聞を読みながら答えた。

 

「え? じゃあ何時間ここにいるの?」

「んー、大体7時間弱、かな?」

 

 どうやらニホンまでの道のりはかなり長いらしい。

 別に着きさえすればいいが、こんなに人がいる中で6時間も生活するのはなんか堅苦しい。見られるのもそうだし、あの街にいたせいか周りの人達がどうも怪しく見える。そのせいで少しだけ疑心暗鬼になってしまう。

 

(なんか、人が多くて嫌だなぁ)

 

 そう考えながら窓から見える、白い雲と綺麗な星空の世界を堪能しながら眺めていると、

 

 腹からグゥゥゥゥゥウウウウウッ、といびきのような、いかにも情けない音を発した。

 

「そう言えば、昼から何も食ってなかった……」

「そういえばそうだね。すいません。食事の注文したいのですが……」

 

 女性はキャビンアテンダントを呼び出し、機内食の注文をする。

 

 一様目の前の座席の背にあるメニューを手に取り値段を確認してみた。

 機内食の価格は高い物だと2500〜10000バーツで安い物だと120〜200パーツほど。高くて買えないやつもあれば一応なんとか買えるものもある。写真は無いため、それは後のお楽しみということにしておこう。

 

 女性が機内食を頼むとキャビンアテンダントが魚か肉かのどちらか選ぶように言われた。

 秒間悩んだ末、俺は肉ではなく魚を頼む。

 別に肉が嫌いってわけでは無い。スラム街では魚を食う機会が無かったので食ってみたいと思ったからだ。それ以外、理由は無い。

 

「あの、もしかして金は……」

「いいよ。好きなだけ食べな」

「よし……!」

「ウルセェぞ! 毎回毎回!」

「あ、すいません……」

 

 後ろの人に怒られながらも、俺は食事が来るのを楽しみに待ちながら窓の景色を眺める。

 夜空に照らされた雲平線に少し飽きながら待つ事、数分。

 

 先程のキャビンアテンダントが四角く細いタイヤの付いたタンスを持ってくると、そこから機内食の乗ったトレーを座席テーブルに乗せた。

 

「こちら、フィッシュ&ライスでございます」

 

 機内食を見た俺は驚いた。

 驚いたのは、その量である。

 

 トレーに乗っているのは缶を丸ごと乗せたと思われるタイソースのかかった白身魚と、茶碗一杯分の米。他の容器にはツナがそのまま乗っていたり、パンや黄色の四角いケーキ。氷で冷えた飲水が目の前のテーブルに乗っていた。

 

 こんなに食い物があるのは久しぶりだった。軍にいた頃はこれくらいの量はあったのだが、パサパサした携帯食やら変な味のないゼリーなどばかりで美味しくなかったし、スラム街ではそもそも食パン三昧だったのでまともな食事ができていなかった。

 

 しかしこれは違う。湯気から一緒に立ち上がってくる匂いが俺の空腹を誘う。

 こんな事、軍の食事でも、スラムの食パンでも起こりえなかった。

 俺は念の為、女性の方へと顔を向け、確認を取ってみる。

 

「食事がこんなに……。食べても良いの?」

「食べて良いって、君の食事でしょ?」

 

 確かにそうだな。確認する意味ないじゃん。

 では、お言葉に甘えてありがたくいただくとしよう。

 

「いただきます」

 

 いつも通り、俺は手を合わせて挨拶するとプラスチック製のスプーンを持ち、白身魚をすくい上げ口に運ぶ。

 そして、それを思いっきり口の中へと放り込んだ。

 

 

 瞬間、ビリーに電流走る───!

 

 

「美味い……」

 

 空っぽの胃がまるで、白い紙に水彩絵の具が染み渡るように広がってくる。

 白身魚のホロホロとした柔らかい食感。

 甘み、酸味、塩味、そしてちょっぴりヒリヒリする辛味が含まれた独特のタイソース。

 それらがバランス良く、そして噛むたびに口の中いっぱいに広がってゆく。

 軍で食った魚とは一味も二味も違う。

 これは味が濃いような、身が柔らかいような。軍の食事を食べたのはかなり昔だから覚えてはいないが、あれとはかなり別物なのはわかった。

 すごく簡単に言うとめっちゃ美味しい。

 

「こんな美味い食事は、初めてだ……」

 

 そう言いながらもう一度スプーンですくい上げ、二口目を口にする。

 こんな物、食べても食べても食べ飽きない。

 

「そう。それは良かった」

 

 今度は米と白身魚を一緒に口にすると、女性が声をかけてきた。

 目の前に食事があるのに食べないのだろうか。要らないのなら貰いたいのだが……。

 そう考えながら食べた事のない美味い食事を楽しんでいると、ふと気づく。

 

 そう言えば、彼女の名前を俺は聞いていない。

 

 別に知らないければそれで良いのだが、興味が無いと言えば嘘になる。これから仕事をする関係なのだから知っていて当然だろう。

 

「あの、名前は?」

 

 俺は食事をする手を止めずに女性に名前を聞いた。

 女性は特に悩む事なく、自らの名前を口にする。

 

「マキマ」

 

 まきま……、ん? マキ、マ?

 ………………あぁ、あだ名か。

 

「変なあだ名だな……」

「名前だよ」

「え?」

「あだ名じゃなくて、ちゃんとした名前だよ」

 

 あだ名じゃ無かった。れっきとした名前だった。

 それにしても、マキマ、か……。

 どちらにしろ変な名前だ。

 

「マキマさん。食事要らないなら貰っても良い?」

「後で食べるからダメ。今はあまりお腹空いてないから」

 

 どうやら後で食べるつもりらしい。少しだけ残念だ。

 そう考えながら俺は、今度は別皿に添えられていたツナを口にする。

 

 濃過ぎず、薄過ぎない絶妙な酸味加減。

 生タマネギの辛みと、わずかに感じる魚介の塩味っぽい臭みがツナに深いコクを出す。

 超簡単に行くとめちゃくちゃ美味しい。

 

 しかし、何かが足りない。

 

 こんなに美味しいのに、食べても飽きないのに。まるでジグゾーパズルを完成させる直前に最後の一ピースが見つからないような、そんな感覚だ。

 なんだろう。なんだったんだろうか……。

 すごく、めちゃくちゃ大切な何かだった気がするんだけど……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何呑気に飯食ってんだ! さっさと仕事行くぞ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声がした。

 大切な。この世で一番大切な存在の声が俺の頭に響いた。

 一緒に起きて、一緒に仕事して、一緒に殺して、一緒に食って、一緒に寝る。いつも一緒にいた大事な友達。

 

 もう二度と一緒に居る事のできない、失った親友の声が。

 

 

 

 コロン、とスプーンがトレーの上に落ちる。

 

 

 

 そういえば、いつも毎日面を向けながら飯を食べてたっけ。

 朝も、昼も、夜も。いつも一緒に食べてたなぁ…。

 夜に腹減って寝れなかった時は、一緒に冷蔵庫を漁って深夜飯をしてた。

 いつも不味い不味い言ってても、ちゃんと残さず食べていた。アイツは本音言う時はちゃんと言うから多分、本当に不味かったんだろう。

 

 俺は目の前にあるトレーを見る。

 美味しそうな、夢にまで見た人並みの食事。

 

 これ食ったらアイツは、どんな事を言いながら食べるんだろう……。

 

「レックスにも、食わしてやりたかったなぁ……」

 

 先程まであった食欲は減り、飛行機から見える景色も見る気がしない。

 

 しかし、そんな事は許されない。

 

 アイツは死んで、俺は生き延びた。生き延びてしまった。

 アイツは託した。契約をし、『馬鹿みたいな人生を楽しめ』と俺に心臓を預けて死んでいったんだ。

 契約を果たさなければならない。死んでいった命の恩人の契約を果たすために、俺は馬鹿みたいに生きていかなくてはならない。

 やりきれない気持ちを独り言で誤魔化しながら、俺は柔らかくて甘いパンを齧り付いた。

 

 

 

 とても、美味しかった。

 

 




 無理矢理軌道修正すると変な話になるので、飛行機がゆっくりと飛び上がるように少しずつずらしていきます。
 二、三話以降は多分、オリジナリティが出てくると思います。多分。

 感想に質問が来ていたので回答させて戴きます。

 >この世界線にもデンジたちはいるのでしょうか、それともデンジの立場に主人公が完全に入れ替わった形になるのでしょうか。

 回答>本編より一年前の話です。なのでデンジはヤクザの犬になっているし、荒井君やコベニちゃんはまだ公安にいません。


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初仕事

 誤字脱字報告、お気に入り登録、感想ありがとうございます。
 それではいつも通り張り切っていきましょう。

 炎の王国大好き!!


 長い長いフライトを満喫する事6時間。座りっぱなしな事もあり、立ち上がると背伸びをしてしまうほど飛行機にいると、高度が下がったのか雲平線がきえ、果てしない海の向こう側に緑色の大地が見えてきた。

 

 憧れの国、ニホン。

 

 俺とレックスが夢にまで見た。異国の島。

 

 その大地が今、飛行機の窓から見渡せる。

 

 俺達は乗っていた飛行機を降りて、ニホンの空港を出て、黒塗りの車に乗り、車用ドアを開けてコンクリートの地面に立つ。

 

「着いた………」

 

 俺が見た景色はあまりにも()()()だった。

 何処もかしこも天高く聳え立つシンプルなビルが、道路に沿いながら並列に並んでおり、それ以外にもスーパーや横に広いマンションなど、興味をそそる建物が沢山立っている。

 目立つ気配を漂わせている看板はまるで私を見てくださいと言わんばかりに一眼のつく場所にデカデカと貼られている。

 地面には硬いコンクリートだが、ヒビの隙間から雑草が根強く生えており、水分や生命含んだ心地の良い風も、俺達を出迎えてくれるように肌身に優しく吹いてくれる。

 あのスラム街とは違う。全て真逆の世界に俺は堂々と立っていた。

 

「ここが、ニホン……」

 

 思わず俺は深呼吸をした。生きた風を肺いっぱいに吸い込むために、体に入った汚い空気を吐き出して換気するために、鼻と口を使って名一杯空気を吸い込んだ。

 

 その途端、何か美味しそうな匂いが鼻の中から流れるように入ってくる。

 

「? なにこれ。すごく、美味しそうな……」

 

 俺は鼻をクンクンと犬のように鳴らしながら匂いの元を辿ってみる。

 少しずつ、少しずつ。一歩一歩足を前に出しながら歩いていると着いたのは小さな平家だった。

 受付式なのか、カウンターが外にあり、家の頭上には赤くデカイ看板が立て掛けられている。

 そして一番気になったのはカウンターの横にあるガラス張りの部屋だ。

 部屋の中は厨房になっているのか見たことあるやつもあれば、使った事のある物まである色々な調理器具が並んでいる。

 しかし、一際目につくものがあった。

 

 鉄板だ。黒く使い続けられた鉄板がガラスの目の前に設置されている。

 それを使って中年のおじさんは何かを調理しており、手元を器用に回している。

 

 普通の人が見ればおかしな所は無いと思うだろうが、ビリーは違っていた。

 

 その鉄板は、いつも見ていた鉄板とは全くの別物だった。

 

 鉄板には所々小さな丸っこい穴が並列に並んでできている。

 そこには、つるんとした小さな球体がズラッと均等に並んでいた。形も色も白くて綺麗なので、まるでまだ足もつけていない新品のサッカーボールのような印象を持った。

 もちろん、焼き上がった茶色の球体もある。何かの食べ物なのだろうか。

 

「なにかな? 丸っこくて茶色………。小ちゃいパン?」

 

 しかし、パンにしては材料が違う気がする。何か別の、ニホン伝統の食べ物だろうか。

 そんな事を考えながら鉄板を見続けていると厨房に何かを焼いていたおじさんがいつの間にか居なくなっている事に気がついた。

 何か別の用事が入ったのだろうかと思った時、

 

「おい。坊主」

 

 カウンターの方から、声が聞こえた。

 見ると先程のおじさんが俺の事を見ながら何かを片手に持っている。

 

 ボウズって俺の事?

 そんな名前じゃないのだが……。

 

 一様、呼ばれている為カウンターに行くと、目の前のおじさんが手に持った物を俺に渡してきた。

 

「ほら、たこ焼き一舟やるよ。形の悪いやつだがな」

 

 俺に渡されたのは船の形をした木の皿。そしてその中には完全な球体とは言わないものの美味しそうな匂いを放つ食べ物が茶色のソースと黄色のソースがかかった状態で俺の手元に渡される。

 

「え? 良いの?」

「そんなにガラスに張り付きながら見てると客が来なくて商売にならねぇんだよ。ほら、タダで貰ったのならさっさとどっか行きな」

「……ありがと。おじさん」

 

 そう急かされて俺はおじさんにお礼を言いながらタコヤキヤ? と呼ばれる場所を早歩きで離れた。

 

「レックス。本当に親切な人ばかりだよ……」

 

 まさか金も払わないで食べ物が貰えるなんて夢にも思ってなかった。形が悪いやつとは言ったから商品として出す事のできない物を渡されたのだろう。しかし、味は多分美味しいはず。

 そう考えて俺は、船皿の横についてある小さな木の針を一球に突き刺し、口に放り込んだ。

 

 

 瞬間、ビリーに熱気走る───!

 

 

「あフッ! 美味っ!」

 

 焼きたてなのか、熱過ぎて口から出そうになったが、ハフハフと息を吸い込みながらしっかりとゆっくり咀嚼する。

 外はカリッと、中はふわっとしていて柔らかい。茶色のソースが甘味と辛味、黄色のソースが塩味と酸味をタコヤキの味を引き立て、しっかりと補完している。

 しかし、それだけでは無い。このタコヤキの中には、プニプニとした柔らかく弾力のある食材がある。それが噛むごとに微細な甘みが口に広がり、茶色と黄色のソースが絡み合って絶妙な風味を出していた。

 

 率直に言って美味い。

 

「はしゃぎすぎだよ」

 

 途端、後ろからマキマさんの声がした。

 どうやら俺はニホンに来て浮かれてしまったようだ。

 今日から俺は、ここで仕事をする事になる。最低限、失礼の無いようにしなければならない。

 そう考え、俺はマキマさんの方へと謝罪しながら振り返った。

 

「あぁ、すいませ……………ッ!」

 

 そして、目の前にあるでかい建物に俺は圧巻した。

 

 七階建てという高さを誇り、しかも縦だけでなく横にも広がっている。

 壁は白くて綺麗なコンクリートで、ヒビもなく透き通った窓ガラスがズラっと一列に一階ずつ並んでいる。

 屋上のポールにはニホン国旗と思われる旗が、風によってユラユラと靡かせていた。

 

「こっち。ここが日本の公安デビルハンター東京本部だよ」

「で、でかい………。そして広い………」

 

 思わずたこ焼きの皿を落としそうになったがなんとか無事キャッチ。もう一球を息を吹きかけて冷まさせ、口にしながらマキマさんの後をついていった。

 

 本部の正面玄関を抜けると、外装と同じく、透けるように綺麗で広々としたエントランスが俺達を出迎えてくれる。

 中には黒スーツを着たデビルハンターが行き来しており、タバコを吸って注意されてる人や、これから討伐しに行くのか、武器を背に吊るしながら外に出る人もいる。

 

「思ったより沢山いるんだなぁ……」

「東京、と言っても分からないか。ここの地区にはデビルハンターが千人以上もいるんだよ」

「へぇー。千人。多いね」

 

 ちょうどいい温度に下がったたこ焼きを二球一気に食べながら、マキマさんの話を続けて聞く。

 

「その中でも公安は有給多いし、福利厚生が一番良よくてね。日本中どこを探してもこんなに優遇された職場はここしか無いよ」

「へぇー。凄くいい職場って事? あまりわかんなかったけど」

「後で色々教えてあげるよ」

 

 そう言いながらマキマさんはエントランスの奥にある部屋へと入る。俺も後に続くように入室した。

 

 部屋と言ったものの、かなり狭っ苦しい。どれだけ狭いのかというと、大きめのクローゼットと同じくらいの狭さだ。人が精々十五人、ぎゅうぎゅう詰めに入るくらいだろう。

 勿論、机や椅子なんかは無く、さらには窓ガラスさえも存在しない。俺が前に住んでいた家よりも狭いだろう。

 

「なんか部屋小さいな」

「? 部屋?」

 

 俺が疑念を呟きながら、部屋の中を見渡していると、

 

 

 扉が音もなく勝手に閉まった。

 

 

「え、あれ? 閉じ込められた!?」

 

 俺は、扉が閉められた事に困惑する。開けようとしても取っ手がない為、開けることができない。完全に閉じ込められてしまった。

 もしかして悪魔の仕業か? と考察していると、突然、足元がガクンッと音を立てて揺れ、

 

 そして()()()()()

 

 部屋全体が押し上げられてゆく。今日の飛行機ほどでは無いが、まるでゆっくりと上へと登ってゆくかのような、そんな感覚に襲われる。

 

 そして部屋の揺れが止まった直後、上品なベルの音がチーン、と何処からともなく鳴り、扉が開いた。

 

「あれ? ここは?」

 

 そこは先程いたエントランスではなかった。

 

 長く、長く、どこまでも続くような、果てしなく長い廊下。

 同じく長く続く窓ガラス日の光が、廊下を明るく照らしている。

 俺は部屋を出て、窓の方へと駆け寄り、外の景色を見た。

 

「高い……。さっきまで一階にいたのに……。もしかして悪魔の力?」

 

 高い。先程まで俺達がいた場所が上から見下ろせてしまう。果てしなく続くビル群は下から見るのもいいがここから見るのも圧巻だった。

 いや、今、気にするところはそこでは無い。問題は、なんで階段も使わないで俺が一階から六階に移動しているか、だ。

 もしかしてあの部屋に何か仕掛けがあるのだろうか。

 

「エレベーターだよ。知らないの?」

「え、エレベ…………?」

「時間も押してるからこっち来て」

 

 俺の疑問に回答する事なく、マキマさんは日の当たる廊下を淡々と歩いてゆく。

 しばらく歩き続けていると幾つもある扉の内の一つに立ち止まり、取っ手を持って開けた。俺も後に続くように部屋に入った。

 

 部屋はかなり広い。4LDくらいだろうか。でかい窓ガラスがあったり、机があったり、壁には悪魔と天使が戦っているような絵が立てかけてあったりと、殺風景な部屋に何でもいいから何か物を置いているような、そんな部屋だ。

 

(なんの絵だろう。わかんないけど好きだな。これ)

「はい。これ」

 

 俺が立て掛けられた絵に夢中になっていると、マキマさんは机の上に置かれている綺麗に折り畳まれた服一式を渡す。

 

「ウチは基本制服だからちゃんと着替えてね」

「はい……。あ、ロングコートってある?」

「あるけど……。何に使うの?」

「布団。寝る時の。住む家ないんで今日は野宿だから」

 

 なんかトントン拍子でニホンに来てしまったが、よくよく考えたら俺は住む家を持ってない。住む家が無ければずっと野宿生活だ。

 金に余裕ができるまで耐えるしか無い。そう思っていたが、

 

「流石にそんな事させないよ。ちゃんと住む家は用意してあるから」

「え、ま?」

「ま」

 

 まさか、とっくのとうに住居は確保していたらしい。

 どんだけ準備が早いんだよ。とツッコミたいが、今はお言葉に甘えるとしよう。

 

「あ、ありがとう、ございます……」

「うん。じゃあ着替え終わったらもう一度ここに来て。君の教育係に会わせてあげるから」

 

 俺はマキマさんが手にしている服一式を持つと、俺が廊下側の扉ではなく、二つ目の扉、おそらく物置部屋のような所に入った。

 早速、服を着替える事にする。

 白い長袖のワイシャツ腕に通し、ボロボロのカーゴパンツから黒いズボンへと履き替え、一様渡された黒いロングコートを上に羽織る。

 

「お、身体にちゃんと合う」

 

 着心地は悪くは無い。むしろかなりいいくらいだ。こんなに薄いのに暖かくて、しかもちゃんと身体に合わせたサイズ。こんな服は軍で支給された時以来だろう。

 後はネクタイだが、正直どうやって結べばいいのかわからない。まぁ別になくても問題ないだろう。

 

「ネクタイは……、結べないから要らないか」

 

 そう独り言を言いながらネクタイをロングコートのポケットにしまう。後は鏡で身なりを整えて何も問題がなければOKだ。

 

「よし。着替えた」

 

 襟を折り曲げると、扉を開けて元の部屋に戻った。

 

「着替えました」

「ビリー君。ちょうどよかった。彼も今来たところだよ」

 

 部屋にいたのは机に座っているマキマさん。そしてその目の前に一人の男性が立っている。

 見た感じ年齢は30代前後。茶色の短髪に俺と同じワイシャツと首に結んでいるネクタイ、黒いズボンを身に纏っている。

 

 どことなく穏やかな印象を持った、そんな男だと俺は感じた。

 

「彼の名前は伏ヒデトシ。ビリー君よりも四年先輩のベテランだよ」

「初めまして。貴方の教育係を任されました。伏です。これからよろしくお願いします」

「No.ディ………、ビリー、です。よろしく…」

 

 俺はコードネームでは無く、仮称を言った。

 コードネームよりも、仮称の方が万人には言いやすいのだろう。

 

 それにしても、この人が俺の先輩か…。

 言葉遣いは丁寧だし優しそうだけど、敬語はちょっと慣れない。あの街にいた所為でもあるのか、どうにも敬語で話す人は胡散臭く感じてしまう。

 レックスの話だとニホン人が親切なのは当たり前なことらしいから当然なのだろう。しばらくは慣れるまで我慢だ。

 

「ビリー君は新人だからね。今日は伏君について行きな。分からない事があったらなんでも聞いても良いから」

「はい。わかった……」

「では見回りに行ってきます。ビリー君、早速行きましょうか」

「ビリーで良いよ」

「わかりました。ではビリーで」

 

 そう言って俺はフシさんと呼ばれる男と共に部屋から出ようとする。

 これから公安デビルハンターとしての初仕事なのだ。恥をかかないようにしなければ。

 そう考えながらドアの取っ手を持とうとする。

 

「あ、ちょっと待って」

「?」

 

 するとマキマさんが何かに気づいたのか俺の方にゆっくりと歩き近づいてきた。

 何か問題でもあるのだろうか。

 

「ネクタイはしていかないと」

「……あぁ、ネクタイ。しないといけないの?」

「さっき言ったでしょ? ウチは基本制服だって」

 

 どうやら俺がネクタイをしていない事に気づいたらしい。

 

 マキマは俺が着ているロングコートのポケットから折り畳まれたネクタイを取り出すと、手慣れているのだろう、首元の襟に回し、素早い手つきでササっと結ぶ。

 そして最後に、飼い主が飼い犬に首輪をつけるように、キュッとネクタイを締めた。

 

「頑張りなよ。応援してるからね」

「……うん。ありがと」

 

 俺はマキマさんにお礼を言いながらフシさんの後に着いて行く。

 首元のネクタイが少し窮屈だと思いながら広い部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキマさんのいる部屋から出た後、長い廊下を歩き、確か、エレベター? とか言う上下に動く部屋に乗っていた。

 先程とは違い、今度は下に向かって降りている為、浮くほどでは無いが、軽い浮遊感に襲われている。

 普通、物が落ちる時はかなりの速度を出しながら地面に向かうはずなのだが、この部屋はそんな事もなく、ただゆっくりと下へと降りて行く。

 部屋の脇にあるスイッチを押す事で動かすことができるらしいのだが、どう言う仕組みで上下に動いているのだろうか。

 一様、マキマさんから「わからない事があったら聞け」、と言われている為、フシさんに質問してみる。

 

「このエレベター? ってどう言う構造? 悪魔の力を使わずに部屋を動かすって……」

「エレベーターですね。乗ったこと無いんですか?」

「無い。と言うか、見たこと無い」

 

 フシさんは俺の事を不思議そうに見ていると、質問に対して返答した。

 

「そうですね……。ロープを使って物を運んだ事はありますか?」

「あんまり無いかな……。あ、見た事はあるかも」

 

 運んだ事はないが、スラムにいた頃は大きい悪魔を殺した時、クレーンを使ってトラックの荷台に乗せていた気がする。

 その原理でどうすればこの部屋を動かす事ができるのだろうか。

 俺の考えに解答するようにフシさんは口を開けた。

 

「そのロープの両端に、籠と重りを吊り下げるんですよ。ピット部に設置した巻上機、言うなればロープを巻く装置で籠とおもりを、それぞれのレールに沿って昇降させる。それが基本的なエレベーターの仕組みですかね」

「へー。よく分かんなかったけど。よく分からないほどすごい仕組みって事か…」

「説明下手でした。絵で描けば少しはわかりやすくなると思いますよ。後で描きましょうか?」

「あ、じゃあお願いします……」

 

 チーン、と上品なベルの音が部屋の中に響き渡り、それと同時に扉がゆっくりと開き始める。

 

 先程までマキマさんと一緒に歩いていたエントランスの中央を歩き、正面玄関の扉を開けた。

 後は、公安の敷地を出て外を歩いて悪魔を見つけ、そして殺す。たったそれだけの簡単な仕事だ。

 フシさんが言うには、先程俺たちがいたビルが立つ所から少し離れた場所で見回りをするらしい。

 

 歩く事数分後、俺が初めに入った見回りの場所は大きな商店街だった。

 

「人、多い……」

「ここら辺は人通りが多いですからね。ちゃんと私の後に着いてくるように」

 

 最初に目に入ったのは人だ。

 人、人、人。とにかく数え切れないほどの人が街の道路を埋め尽くすかのように歩いている。正直言って鬱陶しいくらいだ。

 とにかく前にいるフシさんに着いて行こうと考えながら、人混みの中の隙間を沿って歩いて行く。

 ようやく背中にまで辿り着いた事をフシさんは確認してから口を開いた。

 

「そう言えば仕事の説明がまだでしたね」

 

 どうやら公安デビルハンターの職務の説明をするようだ。

 俺は非正規だったがデビルハンターをやっている経験がある。多分だが、仕事の内容はあまり変わらないだろう。

 

「私達公安デビルハンターの主な活動は見回りと、民間で手に負えない悪魔の駆除と捕獲です。たまに警察の方々と連携して仕事もしますので、そうなった場合は失礼のないようにしてください」

「へー。殺すだけじゃないんだ」

「悪魔も駆除だけじゃなく有効活用すれば強力な力になりますから」

 

 そう言えば、デビルハンターは悪魔と契約して戦う人が多いと誰かが言ってた気がする。

 俺とレックスの共同生活はあまり珍しくないのか。そんなどことなく残念な気持ちを味わいながらフシさんの話を聞き続ける。

 

「後、基本的な事ですが民間が請け負った悪魔駆除を妨害してはいけません」

「え? そうなの?」

「はい。普通に業務妨害となり逮捕されますからね。公安と同じく民間も命がけで仕事をしていますから」

 

 なるほど、ギョームボーガイって言葉は知らないけど、要するに殺し合いの最中に横取りするなと言う話か。

 タイとニホンとではちょっとデビルハンターの規則が違うんだな。

 

「へぇー。あっちでは早い者勝ちだったんだけどな…」

「? あっち?」

「タイ。昨日までそこに住んでたんで」

「タイ、ですか…。そう言えばマキマさんがわざわざタイまで派遣されていた気が…」

 

 俺の話にフシさんは疑問を持つ。

 フシさんからしたら俺は確かにここに居てはおかしい人物なのだろう。

 タイという外国にいた俺がわざわざマキマさんによってニホンに連れてこられたのだから、たった一人の人員の為にこんな遠回しな行動をするなんて事はフシさんからしたら効率の悪く見える。

 

 ………あ、いや、もしかすると、俺が悪魔になれる存在だから連れてこられたのか?

 

 なら可能性はある。悪魔になれる存在なんて聞いた事も見た事も無い。俺がただ単に知らないだけかもしれないが、俺をわざわざニホンに連れて来たのはこれくらいしか理由が無いだろう。

 デビルハンターの職務って悪魔の捕獲もあるから、飼われるって言う意味もそこから来るものなのだろう。

  

「あぁ、すいません。話が逸れました。そうですね…。後は、悪魔取締法に違反した犯罪者は……」

 

 逸らした仕事の説明を再開しようとするとフシさんは何かに気づいたのか歩くのをやめた。

 何故止まったのか疑問に思ったが、腰に吊るしてあるポーチを見ると、そこからビー、ビー、と何か震えている。

 フシさんはそこのポーチから黒く四角い物体、通信機を取り出してボタンを押した。

 俺が持っていたものよりも質感が綺麗で日光の光が黒い光沢を照らしてくれている。どうやら最新型のようだ。

 

「はい。こちら公安対魔特異四課、伏ヒデトシです。どうぞ」

『西練馬区、スーパーシヘイで梨の悪魔出現。現在、民間人の避難と現場の封鎖が完了しました。デビルハンターの応援を要請します』

(悪魔……!)

 

 悪魔出現。デビルハンターの要請。

 つまり、狩るべき獣がこの近くに現れたのだ。

 

 

 こうしちゃいられない……ッ!

 

 

 その通信を聞いた俺は我先にと、人混みを腕で強引にどかしながら商店街の看板目掛けて勢いよく飛び乗った。

 

「ここから近いですね…。ビリー。行きま………!?」

 

 通信を終えたフシさんはビリーに話しかけるものの何故か隣にいた連れがいない事に気づく。

 すぐに周りを見渡すと俺は既に看板から看板へとまるでプロのロッククライミングのように飛び移っている最中だった。

 

「は? え? ちょっと、何やってるんですか!?」

 

 フシさんは俺の行動に理解できなかったのか人混みをどかして近づいてくる。

 しかし、俺はすかさず電柱に飛び移り、両端に突き刺さっている棒の足場を使って登って行く。

 

 そして、フシさんはようやくビリーが何をしているのかを理解した。

 

 ビリーは、一足先に悪魔を殺しに行くのだとわかった。

 

「ビリー! 一人で勝手に行動しないでください!!」

 

 フシさんは注意するがもう遅い。俺はフシさんの注意を無意識に耳に流し、商店の屋根に飛び乗り、西練馬区目掛けて走り始めた。

 

「ニシネリマクってのは分かんないけど、スーパーシヘイはここ来た初めに見た事がある。えっと、確か……」

 

 ぶつぶつと独り言を言いながらビリーは前から来る心地いい風をものともせずに走り抜ける。

 屋根から屋根に飄々と飛び移りながら素早く走り、建物と建物の幅が大きい場所を勢いよくジャンプして飛び越え、ビリーは腰に挿してある斧の感触を手で味わいながら足を懸命に動かしていた。

 呼吸が荒れ始める。足が地面につくたびに重くなって行く、しかし動くのを止めない。

 何故なら横取りされるのは嫌だから。

 

 フシさんは言った。民間が請け負った悪魔駆除を妨害してはいけない、と。と言う事は逆に言えば民間が来てしまったら俺は悪魔殺しに介入する事ができなくなる。

 そうなれば金は手に入らない。

 

 なら、民間が来る前に俺が戦えばいい。そうすれば業務妨害になんて事はならないし、文句もないはずだ。

 俺は動く足を止めずに走り、そして飛び、とにかく俺が初めにここに来た場所に向かって行く。

 すると、奥に赤いランプの薄い光が見えて来た。その付近にはデカいスーパーもある。

 どうやら、あれが目的地であり、殺すべき悪魔が出現したスーパーシヘイらしい。

 

 俺は建物の屋根から飛び降りる。電柱の足場や建物のベランダを巧みに使って素早く道路に降りた。

 

 そして、すかさずスーパー目掛けてダッシュした。

 

「? ッ!? お、おい! 君!」

「邪魔だよ」

 

 一人、青い服を来た警官がスーパーに向かってくる俺の存在に気がつき、止めようと前に出た。

 俺はその行動を見て背を曲げ、姿勢を低くする。

 困惑した警官の隙を逃さずに体制が崩れた瞬間を狙って走るスピードをあげた。

 脇を通り抜け、黄色のテープを斧で切り裂き、白黒のパトカーのボンネットを飛び越えながらスーパーに向かって走る。

 

「誰か! その少年を取り押さえろ!」

「ダメです! すばしっこくて捕まりません!」

 

 警官二人がすかさず止めようとするが、左右不規則にステップするビリーを捕まえる事ができずに突破されてしまう。

 そしてついに最後の一人を抜き去り、スーパー目掛けて一直線に向かって行ってしまった。

 

「おい! そっちには悪魔がいる! 危ないぞ!」

「大、丈夫………!」

 

 その行動を見て、慌てた警官がなんとか止めようと警告する。

 しかし、ビリーは完全に無視し、両足をバネに高く飛んだ。

 

 そして腕をクロスし、両足を曲げて身を縮ませると、

 

 

 思いっきり、窓ガラスを蹴った。

 

 ガシャァァァァァァァァァァッ! と窓ガラスが蹴った両足を中心に360度にヒビが入り、バラバラに割れる。

 ガラスの破片がまるで枯れ葉のようにパラパラとスーパーの中で散る。

 

 

 ビリーは着地する。クルッと前転しながらガラスの破片が肌を切らないように受け身を取る。

 そしてすかさず斧を構えると、

 

 

 

「ふっ」

 

 

 

 レジの前にいた緑色の肌をした異形、梨の悪魔目掛けて投擲した。

 

 

『あ? ナんだ? オま

 

 

 梨の悪魔がビリーに目線を合わせた時には既に終わっていた。

 

 プスっと、果物にナイフが刺さるような、そんな音がスーパーに響いた。

 不思議な違和感を感じながら悪魔は頭上を見る。

 

 自分の眉間に斧が深々と刺さっている斧の存在を。

 

『へ、ア、?』

 

 タラリと血がこぼれ落ちる。自分の意思がゆっくりと、確実に消えて行くのがわかる。

 

 梨の悪魔は何が起こったのかわからぬまま呆気ない声を出して力無く地面に倒れた。

 

 ビリーはその様子を確認すると悪魔の屍に近づき斧を引っこ抜く。

 他のデビルハンターは居ない。いるのは警察のみ。スーパーの被害は見た感じ少ない。

 初仕事にしては上出来だ。多分。

 

「初仕事、完了……」

 

 ビリーは仕事に精を出す感覚を心地いいと感じながら斧を屍目掛けて振り下ろした。

 

 ドチュッと果実を割る音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後、悪魔が出現したスーパーシヘイ。

 現在では黄色いテープがスーパーを囲むように張られており、民間人の立ち入りは禁止されている。

 

 その中に入れるとは死体駆除の清掃員と一部の警察。そして公安のデビルハンターのみである。

 つい先程、出現した梨の悪魔の駆除後、警察の聞き取りや現場保存の為、スーパーシヘイから少し離れた場所に俺はいた。

 

 ───正座させられながら。

 

「ビリー」

「な、何?」

 

 目の前に立っているのは教育係を任されたフシさんだ。いつも穏やかな顔に眉間が寄っている。

 明らかに怒っている。

 何故怒っているのかわからないけど怒っている。

 

「私がなんで怒っているのかわかりますか?」

「わかりません……。俺、何かしましたか?」

 

 そう。俺は悪魔を駆除しただけだ。怒る要素は存在しないはず。

 スーパーの窓ガラスを割ったのは仕方がないし、スーパーの目立った被害はそこくらいだ。むしろ褒めてくれてもいいのだと思う。

 

「したから怒っているんですよ……」

 

 しかし、フシさんは頭を抱えながらため息を一つこぼした。

 

「確かに悪魔はちゃんと駆除できました。被害も最小限に終わってスーパーの店長には泣きながら感謝されましたよ」

「じゃあ、なんで……?」

「先ほど言いましたよね? 警察とは連携を取ることがあるから失礼の無いように、と」

 

 俺は頭を捻りながらフシさんが商店街で話した事を思い出そうとする。

 しかし、思い出せない。周りの物に気を取られたのだろう。多分、その話は聞き流している。

 聞いていたとすれば、横取りなんちゃら〜くらいの所か。

 

「い、言ったっけ……?」

「先輩である私の話を聞いてください。現場に警察の確認無しで入るのは基本ダメです。勝手に行動したおかげで貴方、警察から注意勧告出されましたね? もしあなたが一般人なら公務執行妨害として逮捕されていたんですよ?」

 

 どうやら悪魔が出た場所に入るにはいちいち警察の確認が必要らしい。なんとも面倒くさい。

 しかし、郷に従えば郷に従え。例え面倒くさくても、日本に住むためにはルールに従うしかない。多分。

 だから、俺が悪いのだろう。素直に謝っておこう。

 

「す、すいません……」

「まぁ、これに関しては私の意識不足です。ですが、次からは少し考えて行動する様に」

「はい……」

 

 そう言って俺は説教が終わったと判断して立ち上がろうとする。

 次も多分見回りだろう。さっきの商店街にはもう行けないのだろうか。

 あそこは結構美味しそうな匂いがしてたし、買って食いたいと言う気持ちもある。ちゃんとどういう所かも聞いてないし見てもなかったからもう一度行きたいのだが。

 なら、この仕事が終わったら行けばいいんじゃないか? それなら仕事は関係無いから好きに回ることができ…。

 

「ああ、後一つだけ」

 

 突如、フシさんが俺に対して何かを聞こうと迫ってきた。

 今度もかなり眉間にシワが寄っているどころか、刃物の先端の如く鋭い目つきになっていて、先程よりも怒っているのが一眼見てわかっていた。

 俺はその気迫に押されてしまい思わずまた正座してしまう。

 

「何故、悪魔の死体を勝手に解体してるんですか」

「え、後で売るから……」

「あのですね……。それは普通に犯罪ですよ!? わかって言ってるんですか!」

 

 突如、温厚な表情からは想像できないほどの怒声が俺の耳を痺れさせた。

 俺はその気迫に思わず身を引いてしまう。

 

「もしビリーが悪魔取締法を破ったら、私は貴方を逮捕、最悪の場合は殺傷しなければならない立場にあります! 貴方もこんな馬鹿な事で死にたくはないでしょう!」

「そう、ですね……」

 

 フシさんの言う通りだ。

 悪魔関連の売買は法律で禁止されている。俺が住んでいたタイだってそうだったし、日本も例外では無い。というか、そうなのだとしたら俺は既に犯罪者なんじゃないのか?

 そんな事はさておき、確かにそんなバカな事で死にたくないし、フシさんやマキマさんを殺したくない。殺したら夢の生活も全てが水の泡になる。それだけは勘弁してほしい。

 これは、ちゃんと謝った方がいいだろう。

 

「なんか……、すいません……」

「ハァ……。わかりました。次からは気をつけるようにしてください」

 

 そう言ったフシさんは俺に対して手を差し出し、俺はその手を掴んで立ち上がった。

 今回は怒られてしまったが次からは気をつけよう。そう考えた時だった。

 

「災難だったね。伏君」

 

 カツカツとロンファーが地面を踏みしめる音が聞こえた。

 音のする方向を見るとマキマさんが長く赤色の髪をなびかせながらこちらに近づいてくる。

 さっきまで警察の人たちと話してたから、多分俺がやらかした問題を対処していたんだろう。

 一様マキマさんにも謝っておこう。

 

「あぁ、マキマさん。先程はありがとうございました」

「迷惑かけて、すいません……」

「別に良いよ。むしろ、荒事にならなくて良かった。で、どう? ビリー君は使える?」

「実力は申し分無いですし、性格もデビルハンター向きですね。けど、少し教養が薄いです。そこら辺を少し学ばせればなんとかなると思います」

 

 少しとはなんだ、少しとは。

 教養は薄くは無いだろ。なんせ孤児院にいた頃は頭に変な装置被りながら勉学に励んでたし、現に俺は日本語を喋れている。ひらがなカタカナは余裕で習得済みだ。漢字はまだだが。

 しかし、そんな考えを無視するかのようにマキマさんはフシさんの言葉を聞いた後、口を開いた。

 

「そう。ならビリー君は伏君の部隊に所属してもらおうかな」

「え? ブタイ?」

「ウチの部隊に? 一応入れますけど……」

 

 ブタイ、ブタイ………………。

 あぁ、部隊か。そこに所属しろというわけね。

 一応わからないからフシさんに聞いてみるか。

 

「フシさん。部隊ってなに?」

「公安対魔特異四課。私が所属している所ですよ」

 

 フシさんは律儀に説明する。

 四課ってことは一課とか二課とかもあるのだろうか。

 

「ですけど、良いんですか? 私達の部隊は人外をメインに………ッ!」

 

 突然、フシさんの顔が驚愕の色に変化した。

 まるで、サスペンスのドラマで予想外の人物が犯人だとわかるような、そんな表情へと変わった。

 フシさんは確証を持ちながら口を恐る恐る開ける。

 

「まさか…!」

「そう。そのまさか」

 

 マキマは言う。

 フシさんの確証を確信へと変えるように口に出す。

 

 

 

「ビリー君は人間だけど、悪魔になる事ができる〝人外〟職員なんだ」

 

 

 

 その言葉を聞き、フシさんは一驚した。

 

「ビリー。それは本当ですか!?」

「まぁ一応」

「噂半分程度にしか聞いてませんでしたが、まさか本当に実在するとは……」

 

 すぐさま確認するために俺の方へと顔を向け、質問したフシさんはその返答を聞いて驚きつつも興味深く俺を観察している。

 どうやら俺の予想は当たっていたらしい。悪魔になれる存在はかなり希少のようだ。

 

「ビリー君は公安にとっては特別な存在なの」

 

 俺の考えに同調するようにマキマさんも二人に言った。

 そして、なんの感情もなく、そしてなんの興味もなく話を続ける。

 何も映っていないグルグル目を俺に向けながらマキマさんは口を開いた。

 

 

 

 

「だから、特別な対応でビリー君を扱う事に決まりました」

 

 

「公安を辞職したり違反行動があった場合、ビリー君は()()()()()()()()()()

 

 

 

 最初に聞いた時、どう言う意味なのか分からなかった。

 フシさんもそうなる事を分かっていたのかため息を吐いている。

 特別な対応。

 違反行動及び辞職した場合は死ぬ。

 俺は人外職員扱い。

 人外だから、人権なんて無い。

 頭を捻りながら考え、ようやくマキマさんが言った言葉の意味を理解する。

 

「それって、つまり………」

「死ぬまで一緒に悪魔を殺しまくろうって意味」

 

 そう言いながらマキマさんは薄笑いを浮かべながら無慈悲に言う。

 

 空は赤い。まるで血に塗られたように明るい光が人々を照らしてくれている。

 しかし、マキマさんの体で邪魔され、俺だけは照らしてくれない。

 それに不快感を感じながら俺は確信した。

 

(やっぱり嫌いだ。コイツ)

 

 この日、俺は初めて人を嫌いになった。

 

 




 僕は好きですよ。マキマさんの事。
 ビリーがマキマさんの事を嫌うのは本能的に嫌いなだけで、私情ではあまり嫌いな部分はありません。

 IQ134の人が出ましたね。下の名前は勝手に決めました。
 ヒデトシは漢字で書くと秀才と書きます。


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猿狩

 伏さんってこんな声かぁ……。
 まさか不死身退役軍人と同じ声だったとは……。
 今週が楽しみだなぁッ!

 ダークサイドムーン大好きッ!!


 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて見る夢だった。暗い世界。地面には短い雑草がただ永遠と続く様に生えている。

 

 たった、それだけしかない世界だ。

 

 木や池、動虫などの生き物たち、雲や星、月などと言った当たり前のものは無い。ただ草だけが生えている、そんな世界だ。

 しかし、そんな世界でも一際目立つものが目の前にあった。

 

 

 

 扉。

 

 

 

 独房で使うような鉄製のドアが俺を出迎える様にある。

 

 俺は、そのドアを見上げている。

 

 

 ………見上げる?

 

 

 ふと、気になって俺は今の姿を見た。

 金欠の時に売った軍帽とゴーグル、軍服一式を着ている。胸のベルトには愛用していたナイフが挿していたり、腰のベルトには非常食が入っているポーチをぶら下げている。

 俺が少年兵の部隊にいた頃の姿。

 なんとも懐かしい格好だ。

 

「◼️◼️◼️、◼️◼️◼️◼️◼️。◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️、◼️◼️」

「◼️◼️◼️? ◼️◼️◼️◼️、◼️◼️◼️!!」

 

 突然、扉の向こうから声が聞こえた。

 二人の──、掠れているから聞こえないし性別もわからないが──、何やら言い争っている場面ののようだ。

 

「◼️、◼️◼️◼️!! ◼️、◼️◼️、◼️◼️!」

「………◼️◼️◼️。◼️◼️◼️◼️」

 

 そっと、鉄の扉に耳を当てる。

 鉄の冷たい質感を肌で感じながら扉の奥の声を聞こうとした。

 

「◼️の、裏◼️◼️◼️ぁ……、◼️◼️◼️は◼️◼️◼️、にッ!」

「◼️◼️さ」

 

 

 

 

 

 パンパンパンッ!

 

 

 

 

 

 突如、風船の割る音が落雷のように響き渡った。

 

 無情で非情な音は、周りの空間を静寂に包み込む。

 もう何も聞こえない。耳を当てても、聞こえない。あるのは鉄の硬く冷たい感触だけ。

 俺は扉の先の様子を見に行こうか迷っていた。ドアノブを試しに回すが鍵をかけられている様子は無い。

 

 

 

 

 

 しかし、扉の向こう側には全く興味が無かった。

 

 

 

 

 

 あの声の主は何者だったのか、破裂した音の正体はなんだったのかなんてものは一切無頓着だった。

 知りたいと思わないし思えもしない。

 

 なら、後ろに進もう。

 奥は真っ暗だ。永遠に続く野原の先には何もない、ただの闇の中。

 まるで冷たい冷気を放つかのように乾燥した風が俺の肌を撫で回す。

 しかし、何処か安心するようなそんな感覚を覚え一歩前に出た。

 闇は好きだ。沈んでも底がないから退屈しない。

 深淵は好きだ。暗くて寒いから布団を捲って寝れば心地良い。

 スッと目を閉じる。柔らかい土と草の感触が無くなり、代わりに深い暗闇が俺を出迎えてくれた。

 暗い。どこまでも深く、そして黒い。光なんてものは存在せず、ただ闇だけが俺を包み込んでいた。

 

 しかし、そんな時間も長くは続かなかった。

 

 突然、地面がバラバラと発泡スチロールの様に崩れ始める。地に着いていた両足が土と草と共に落ちてゆく。

 しかし、そんな状況でもビリーは落ち着いていた。

 

 やっぱり、好きだな───

 

 ビリーは安堵の笑みを浮かべながら底なし沼のような闇の奥へと沈んでいった。

 そして、深く、深く沈んでゆくと───────

 

 

 

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリ────

 

 

 

 耳元で鳴り続ける呼鈴の音が俺の意識を覚醒される。

 重りが付いているのかと疑うくらい重い瞼をゆっくりと開けて俺は目を覚ました。

 

 知らない天井だ。いや、昨日の夜に見たか。

 白くて、汚れや穴がひとつもない頑丈そうな天井が俺に朝の挨拶をするかの様に出迎えてくれる。

 瞼と同じくらい重い身体を半端強制的に上体を起こした。

 体の上にかかっていた布団をどかして綺麗な床に足をついた。

 俺が寝ていた部屋は天井と同じく白い壁、木の模様をした床。

 装飾品はあまり無く、家具はベッドと机のみの、あまり素気ない部屋だ。

 まぁ、昨日引っ越したばかりだから家具が少ないのは仕方がないのだが。

 

「ふあぁぁ……」

 

 俺は体の意思に従いながら欠伸をして、扉を開ける。

 かなりぐっすり眠れた。俺の家にあったボロボロで硬いマットとは比べ物にならないほど柔らかく飛行機の椅子同様、雲の様にフワフワだった。

 もう少し寝たかったが、この後はお楽しみの朝食が待っている。仕事も早いし、わがままを言っている暇なんて無い。

 視界がぼやけながらも、目を擦りながら部屋を出る。

 向かいにある階段を一段一段転ばない様に慎重に降りるとリビングに続く扉を開けた。

 広く、窓から朝日が眩しく差し込むリビングで一人の男がこちらに顔を向けた。

 

「おはようございます。ビリー」

「おはよう、フシさん」

 

 俺は朝食の支度をしているフシさんに挨拶をする。

 

 これからいつも通りになる新しい朝が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の経緯はニホンの偉い人の命令で決まった。

 

 人間でありながら悪魔になれる存在は大変希少であるらしく、そこそこ長くデビルハンターをやっているフシさんでも見るのが初めてなほど。

 それ故に、悪魔になれる存在である俺は、どうやら公安にとって屈指の爆弾らしい。

 勝手に退職、又は離反し、俺の存在が公共の場でおおやけになった場合、日本社会にどんな影響を及ぼすのか分からないらしく、現状は公安で様子見、及び監視と言うことになっている。

 

 今はマキマさんの命令でフシさんが住むシェアハウスのような寮に監視という名目の元住むことになった。

 俺が不審な行動や逃亡を行なった場合は悪魔として駆除されてしまう。人権なんてあったものじゃない。

 

 しかし、それはそれ。あれはあれだ。上の命令は気に食わないがスラムに住んでいた時以上に豪勢な生活が俺を待っていた。

 風ひとつ通さない頑丈な壁や、曇りひとつない窓。綺麗な空気。柔らかいソファとベッド。そして何より美味い食事が毎日三食だという高待遇。

 はっきり言って俺には勿体無いくらい贅沢すぎる。こんないい生活を送っていいのかと不意に思ってしまうが、ここは言葉に甘えるとしよう。

 逃げるよりも留まっとくほうが得だ。

 

「昨日はぐっすり眠れましたか?」

 

 朝食の用意をしているフシさんが訪ねてきた。

 既に寝衣ではなく、デビルハンターのスーツに身を包んでいる。仕事の支度は既に済んでいる様だ。

 

「うん。すげー寝れた」

「なるほど。それは良かった」

 

 俺はそう答えるとフシさんは食事を傷ひとつない木のテーブルに一つ一つ置いていく。

 今日の朝食はエッグサンドと暖かいコーンスープ。

 エッグサンドは今まで見たことないくらいたくさんの具材が挟まれており、コーンスープは湯気が立ち上り、そこからくる甘い匂いは俺の食欲を沸き立たせる。

 

「「いただきます」」

 

 フシさんと共に手を合わせて挨拶するとエッグサンドを手に持った。

 まず一口齧ってみた。最初に感じたのは思っていた以上にふんわりとした食パンに、少しだけ硬いベーコン。柔らかい目玉焼きにシャキシャキと水々しいレタス、少々酸っぱい玉ねぎの感触。

 そして噛み締めると脂が乗ったベーコンの旨味が口に溢れた。

 それだけじゃない。卵の黄身が噛んだ瞬間、噴出する様に口の中に入り込んでゆく。黄身のまろやかな甘味と昨日食べたタコヤキにかけてある酸味を持った黄色いソース(マヨネーズ)と混ざり合って、柔らかく、塩味と酸味のある味が波紋の様に口いっぱいに広がってゆく。

 これまで食ってきた食パンよりも柔らかく、甘く、そして美味しい。ベーコンの脂と卵のまろやかさ、レタスや玉ねぎのサッパリとした味がちゃんとマッチしており、エッグサンドの味を飽きさせない。

 本当に、美味しい。

 

「パンにマヨネーズとレタス、ベーコンに卵だけでこんなに美味しいなんて……」

「美味しいと言ってもごく普通のエッグサンドですよ? 今までどんな食生活をしていたんですか」

 

 俺の美味しそうな顔を見てフシさんが疑問を持つ。

 どうやら前までの食生活の事を聞きたいらしい。

 

「えっと……。毎日3食食パン一切れ」

「たったそれだけ?」

「うん」

「かなり貧相な生活を送っていたんですね……」

 

 俺の言葉を聞くとフシさんは憐憫にかげった顔をしながら食事を進める。

 あまり同情を誘う様な顔をしないでもらいたいものだが。食欲は減るし、気分も少しだけ悪くなる。俺からしたらもう過ぎた事だから気にしないで欲しいものだ。

 

「相方の、バディ? の人は帰ってきてないの?」

 

 そう考えてから甘いコーンスープを一口飲むと、俺はあからさまに話を逸らした。

 フシさんは難しい顔をしながら答える。

 

「書類整理と始末書などで深夜働らしいですよ」

「へー。シマツショ」

「この後の仕事で合流するので、その時紹介しますよ」

 

 シマツショという物はわからないが、多分仕事で忙しいとか書類を書くとかそういう系だろう。

 

 あ、そう言えば書類の書き方を俺は知らない。ニホン語だってひらがなとカタカナくらいしか覚えてないから、もしこの先書類仕事が出回ったら完全にお手上げだ。

 そうなった場合はフシさんに丸投げしよう。うん。どうせわからないんだから人に頼れば良いとかマキマさんが言ってたし。

 

 そんな甘い考えをしながら今度はエッグサンドを大きく齧り付く。

 今度は白身の柔らかい食感を味わいながら食べていると、フシさんが口を開けた。

 

「というか、呑気に朝食を食ってる場合では無いですからね。食べ終えたら急いで支度してください」

 

 ? 急ぐ?

 確かまだ出勤までの時間は余裕があるはず。そんなに急ぐ必要はないと思うが。

 しかし、フシさんは既に朝食を食べ終えており食器を洗面台に片付けている最中だった。

 表情も、少しだけ焦ってる様に見えるので何か理由があるのだろう。

 仕事が仕事だから、昨日の様に悪魔でも出てきたのだろうか。

 

「? また悪魔出現したの?」

「いえ、違います」

 

 フシさんは食器に水をつけながら否定した。

 そして、手提げバッグを手に持ち、俺の疑問に回答するかの様に答える。

 

「我々公安が追っている悪魔。その潜伏先だった場所の調査ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を素早く、それでいてしっかりと味わいながら食い終わると公安のコートを羽織って仕事の支度を済ませた。

 ちなみにネクタイは適当に結んだ。結び方分かんないし、少し曲がっているが多分これで合ってるだろう。

 そう考えながら玄関で待たせているフシさんと共に寮の扉を開けて外に出る。

 そして寮の横に止めてある黒い車の鍵を開けて乗り込んだ。

 どうやら車で移動するらしい。

 

「え、フシさんって車乗れるの?」

「乗れますよ。さ、時間も押してますし早く」

 

 フシさんの言われるがままに俺は助手席のドアを開け、車の中へと入り座席に座る。

 意外と狭いが窮屈に思えない。車に初めて乗った時の印象はそんな感じだった。

 事故ると大変だからと言う理由でシートベルト? とかなんとかを着けて車はゆっくりと加速して道路に出た。

 

 その後は今までにない快適なドライブだった。

 窓を開けっぱなしにして心地の良い風を通し、車が多く走るハイウェイを真っ直ぐに飛ばした。車内から聞こえる音楽は落ち着いた、しかしリズムの良いテンポで流れており今でも踊り出したい気分になる。

 

「良い曲だな…。なんて曲名だろう…」

「downtownですね」

「ダウンタウン」

 

 そんなたわいもない会話をしながら窓に映る田舎町の景色を夢中に楽しんでいるといつのまにかハイウェイから住宅街の道路に出ていた。

 そして走る事十数分、走る速度を緩め駐車場に車を止める。

 どうやらここが目的地らしい。

 

「ちゃんと着いて来てくださいね」

「はーい」

 

 今度はフシさんの言う事を聞き、言われた通りについてゆく。また怒られたくないし。

 

 俺らが着いた所は田んぼや古い木造建築や新築のコンクリート製の家がポツポツと建ってる田舎町だった。

 もちろん通りには人が誰一人いなく、道路も自動車どころか自転車すら通ることも稀である。家などは少ないが所々建っていて生活感はあるのだが、物音などはせずただ静かに草木を渡る風の音がするだけ。あたりには静寂が満ちていた。

 

 そんな街の周りを見ながら歩く事数分。奥に人混みと赤いランプの薄い光が見えて来る。

 俺らが辿り着いたのは田舎町にある持ち主のいない廃屋だった。

 庭は長く伸びた雑草で埋め尽くされ、古自動車の解体された残骸が、錆に侵食されながら無残な姿をさらす。

 家の木でできた壁も所々に穴が空いており、地震が来たら今にでも崩れそうだ。

 警察がたくさんいる事から、恐らくここが事件現場らしい。

 

「公安デビルハンター、対魔特異四課の伏ヒデトシです」

「同じくビリー、です」

 

 フシさんは黄色いテープを超えて近くにいる警察官に手帳を見せた。

 許可が出ると現場に入り、あたりを見渡し始める。

 

「…! おい。そこの少年」

「?」

 

 すると、一人の警官が俺を呼び止めた。

 まさかまた、知らず知らずのうちに何か問題を起こしてしまったのだろうか。

 しかし、それは見当違いだとすぐに知る。

 

「また問題起こすなよ」

「……はい」

 

 どうやらこの人は昨日のスーパーで現場を封鎖していた警官のようだ。

 ちょっと聞き覚えのある特徴的な渋みの声をしているからすぐにわかった。

 

「お、来たか」

「お疲れ様です。剛田さん」

 

 俺の後ろから声が聞こえた。親戚のおじさんの様な、そんな雰囲気に近い声だ。

 すぐ後ろに振り返る。

 そこにいたのは俺と同じ黒スーツを着たデビルハンターだった。

 黒髪短髪でかなり厳つい顔つきであり、黒スーツの上からでもわかる様なガシッとした筋肉。

 年齢は40後半だろうか、漫画で良く見る体育教師の様な雰囲気をしている。

 

 フシさんは男の声に反応して喋り始める。どうやらこの人が例のバディらしい。

 

「おう。全く、書類仕事は疲れるぜ」

「災難でしたね」

 

 頭をガシガシと掻きながらため息をつくと、男はフシさんの後ろにいる俺の存在に気がつく。

 

「? 後ろの奴は誰だ?」

「新入りですよ」

「ビリー、です……」

 

 俺はフシさんの言う通りに自己紹介を始める。勿論コードネームは言わない。こちらの方が呼びやすいし、変な勘違いを起こしても困る。

 

「ビリー? 顔と体格に似合わねぇ名前だな」

 

 そうかな? あまりそう言う事は考えた事ない。

 確かに俺は東洋人だし、レックスからも比較的童顔と言われたからビリーと言う名前にも違和感があるのかもしれないが、あのスラム街で十何年もビリーで通っていたのであまり実感が湧かない。

 多分、人によって感性は違うのだろう。気にすることではない。

 

「というか、この時期に新人なんて珍しいな。公安の試験は大分先だろ」

「訳ありってわけですよ」

「なるほど。俺は剛田タイジってんだ。よろしくな」

「よろしく、です……」

 

 ゴウダと呼ばれる男は厳つい顔からは想像つかない様な笑顔をしながら俺と握手する。

 フシさんと同じく多分優しい人なのだろう。スラム街ではこう言う自己紹介はあっても、握手とかはせずに、いきなり理不尽に怒鳴られる事が多かった。

 日本人は親切心がある人が多いのだと俺は改めて知った。

 

「それで現場の状況は?」

「酷い。これに尽きる」

 

 どうやらこの中の状態はかなり酷いらしい。一様、フシさんが事前に用意したポリ袋を取り出そう。

 

「取り敢えず中見てこいよ。ありぁ地獄絵図だ」

「……わかりました」

 

 ゴウダさんの言う通り廃屋のドアを開ける。

 ドアノブは錆び付いておりうまく回らないが、少しだけ力を入れると勝手に空いた。

 ドアから流れる重い空気を身体で受けながらギシギシと鳴る廊下を歩き、リビングに続く扉をゆっくりと開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 血が、出迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

「グロ……」

「これは、酷い……」

 

 扉を開けると始めに鉄の匂いが一気に溢れ出す。

 かなり酷い物で、一息吸っただけでも鼻の奥を針で刺した様な、そんな鉄の刺激臭が俺を襲う。

 それだけでは無い。ゴウダさんの言う通り、この現場はまさに地獄絵図と言っても過言ではなかった。

 内臓、骨、皮ごとついた髪、目玉、壁床にドッペリとこびりついている血。人間の中身である五臓六腑の全てが家族と談話するはずの広いリビングに撒き散らかしている。

 床に貼ってある人の形をしたテープのほとんどは上半身が無く、その付近が一番酷い惨状だった。恐らく、咀嚼しながら喰われたのだろう。細かい肉片がバラバラに飛び散ってるのはそのせいだ。

 

 こんな現場は初めてだ。悪魔に喰われた死体は何人も見たことがあるもののこんなに行儀悪く食う悪魔はスラム街でも居なかったと思う。

 

 チリっと、脳内で嫌な思い出が浮かび上がった。

 随分昔の出来事だ。忘れていたと思っていたがまだ俺の頭に深く刻まれている。

 出来れば、あまり思い出したく無い。

 俺は想起された出来事を忘れさせる為に額を手で軽くコツン、と殴っる。それと同時に昔の嫌な思い出が霧に霞むように消えてゆく。

 安堵の息を吐いた後、一歩踏み出そうと前に出た。

 しかし、ゴウダさんが俺の肩を掴んでそれを阻止する。

 

「そこ踏むなよ。鑑識課の新人が吐いたらしいからな」

「警察も現場荒らしてんじゃん……」

 

 ゴウダさんの言われた通りに目の前にある吐瀉物を避けながら部屋の構造を見た。

 

 広さは大体6LD。テレビなどの家電製品は無いが、埃の溜まったテーブルや穴がいくつも空いた絨毯などはそのまま残っている。まぁその家具も、血で真っ赤に染まってしまっているのだが。

 現場は惨状だったが、一番気になっていたのは二階の床が全て取り払われている事。

 丁寧に取り外したのではなくシャベルカーで強引に剥がした様な跡が荒々しく残っている。

 恐らく、ここに潜伏していた悪魔がやったのだろう。それなら鬼の悪魔ほどでは無いとはいえ、かなりの巨体な悪魔だ。

 一応、フシさんに確認を取ってみよう。

 

「これって悪魔の仕業なの?」

「ええ。今現在、東京公安デビルハンターが追っている悪魔です」

 

 そう言いながらフシさんは紙が何枚も挟まれているボードを俺に渡す。

 漢字が沢山あって読みにくいが、一番最初の紙には写真がプリントされてある。

 

「名称、猿の悪魔。巨大な体格に4本腕を持った悪魔ですね。これが監視カメラの映像で映し出された写真です」

「コイツがね……」

 

 写真自体、暗くて見えにくいが電灯に照らされた身体はかなり禍々しい気迫を放っている。

 全身が猿の様な毛で覆われており、両肩からは交互に2本づつ腕が生えている。そしてこちらを見るまん丸な目玉に血がついた鋭利な牙が電灯の光を反射させギラつかせていた。

 

「コイツの厄介な所はかなりの高度な知性がある事。こうやって廃墟や下水道を自身の根城にして移動しているようです」

「へ〜」

「そして一番の特徴なのが子供の血肉を好んで食べる事だな」

 

 ゴウダさんの言葉に反応し、俺は床に貼られてある遺体のテープを見た。

 喰われた場所はバラバラだがどれも小さい。足なんて俺の腕くらいの太さしかなかったし、近くにある歯は成人男性と比べるとまだ大きく無い。

 なるほど、この悪魔はかなりの悪趣味らしい。

 

「年齢は五歳から八歳までの男女だ。今まで18人もの子供達が行方不明になっている」

「そして、今回で5人が犠牲となり、先週のと合わせて計12人ですか…」

「結構食ってるね」

「後6人ねぇ…。熟成の名目で生かされてるか、既に食われてるか……」

 

 ゴウダさんの言葉を最後にみな口を開くなり空気は澱む。

 まぁ仕方がないのだろう。何故なら生かされている可能性よりも殺されている可能性の方が高いからだ。

 

 悪魔は常に人を殺す。そんな存在が人を生かす事なんてあるはずが無い。

 もし生かしているのだとしたらコイツはかなり変わった悪魔だ。勿論、悪い意味で。

 

「……どちらにしろコイツは早急に駆除しなければなりません。野放しにすれば、被害は大きく広がってしまう。そうなる前に手を打たなければ」

「先週はどこら辺にいたの?」

「先週は下水道の通りですね。管理人が子供の死体を発見したらしく、監視カメラの写真もその時取られたものです」

 

 成る程。わざと人通りの少ない所を根城にしているようだ。

 なら、そこを手当たり次第探せば猿の悪魔に辿り着くのかもしれない。

 

「本当に、どこにいるんでしょうか」

「姿を隠すのがうますぎるからな。ここら周辺の廃墟を手当たり次第当たらせれば見つかるかもしれねぇが、時間がかかる作業だ。こりゃあ、今日で終わる仕事じゃねぇな」

 

 確かにそうだ。ここら辺の廃屋や廃墟を探せばいいと思うが時間はかかるし、その分人手も多くなる。さらにはその事がバレると悪魔が逃げてしまう可能性もあるから慎重に動かなければならない。

 なら、事件の鍵を握るのは子供達の行方か?

 

「というかさ。どうやって子供拐ってんの? こんなにでかいなら夜中でも目立つと思うけど」

 

 俺が疑問に思ったのは隠れ方でもなんでもない。子供の拐い方である。

 写真を見る限りこの悪魔の身長は二階建ての家ほどの大きさだ。昼間はおろか、夜中でも住宅地に入り込めばかなり目立つ。

 しかも、夜中は人通りが少ない。つまり、人を攫う機会が少ないという事だ。

 そんな状況で人を、しかも子供だけを厳選して攫うのは不可能に近い。

 一体、どんな方法で人を攫う事ができたのか、俺は気になっていた。

 

「それが一番の謎なんだよ」

 

 俺の疑問にゴウダさんは頭を抱える。

 

「実は先月から子供が突然行方不明になる事件が多発してやがんだ。しかもいなくなる時間帯は必ず昼。悪魔や魔人の目撃情報は無かったから、最初は誘拐の事件として警察が追ってたんだよ」

 

 だが、とゴウダは重い空気の中話を続ける。

 

「行方不明になった子供達計18人の内、猿の悪魔が根城にしていた現場で死んだ5人全員がその中に当てはまったんだ。だから猿の野郎は必ずこの誘拐事件の根本に関わってるはずなんだが……」

 

 攫い方も分からずじまい、と言う事か。

 一体どうやって、どういう方法で子供を攫っているのか。

 ゴウダさんの言葉が正しければ夜ではなく昼の時間帯で子供を攫うのだが、そんな中白昼堂々と悪魔が人の前に姿を現す事があるのだろうか。前例は一様あるにはある。

 しかし、そう言う悪魔の大体は知性の低い奴らが多い。今回のような身を潜めながら人を食う知性を持った奴はあまり人前に姿を出すことを躊躇うだろう。

 なら、どうやって昼の時間に動けているのか?

 

「どうやってるんでしょうね……」

「悪魔の能力とか?」

「あり得るにはあり得るんだが……」

 

 皆一斉に腕を組みながら声をうねりだす。

 そんな曖昧な事を挙げてもキリがないのだろう。もっと確定的な情報が欲しい所だ。

 しかし、こんな事をしても何も解決しないのも事実。いくら事件の考察をしても何の意味が無い。

 とりあえず現場の捜査結果を鑑識課の人に聞きに行こうと血塗れのリビングを出ようとした。

 一歩踏み出すたびにギシィ、と木が軋む音と、パキ、と乾いた血を踏む音が俺の耳に焼き付ける。

 

 ふと、後ろを見た。

 

 広いリビングにある異様な光景。食い散らかされた血と骨と肉。五臓六腑を撒き散らかす異端の場所。

 あの時と同じだ。あの孤児院にいたあの日と、少しだけ似ている。

 

 

 雨が降っていた。

 

 俺ともう一人の少女は濡れていた。

 

 血が草木に撒き散らかしていた。

 

 死骸があった。

 

 死骸に群がる獣がいた。

 

 一人の少女が泣いていた。

 

 

 目を瞑る。何も見ないように、何も思い出させないように目を瞑る。

 すでに過去の出来事だ。過去の出来事だから、振り返らない。振り返りたく無い。

 リビングから出る。血塗れの世界から抜け出す。

 不思議と奥歯を噛む力が強くなった。ギシリ、と歯軋りが鳴ってようやく自分が抱いている感情に気がついた。

 別にこの悪魔が恨みは無い。初めて会うし、子供を食い殺しても俺には関係ないから憎くは無い。ただ、仕事だから殺すだけ。

 しかし、それでもビリーの心の中では何が疼いていた。重く、苦しいような軽い気持ちが。

 まるで、鎖で締め付けられるような、そんな感じだ。

 その感情に疑問を持ちながらビリーは頭を掻きむしりながらポツリと呟く。

 

「猿、ね」

 

 気づかないくらいの、殺意が湧いた。

 

 




 遅れてすいません。
 剛田タイジさんはチェンソーマン20話で登場したデンジくんに「頼め! 食え!」と言ってた人です。
 23話で伏さんの隣にいたから多分彼のバディなのでしょう。多分。
 タイジは漢字で書くと體爾と書きます


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夢見る少年

 沢山のお気に入り登録、ありがとうッ!
 沢山の誤字脱字報告、ありがとうッ!!
 全ての読者に、ありがとうございます!
 後、遅れてごめんッ! 
 今回、メッサ長いよ!

TAROMAN大好きッ!!


 

 

 

 その日は、雨が降っていた。

 

 

 ザァザァと音を立てながら俺たち二人を無情に濡らす。濡れた服が肌に染みつき、ネチョリとした湿気が伝わってくる。

 正直言って早く部屋に戻って服を脱ぎ、下着姿で外を歩き回りたいくらいだ。

 しかし、それでも雨は永遠に降り続く。確か今月は6月だったか? 

 6月の雨はいつもこんな激しい風がいつも降る。何もかもを濡らすまで降り続けるからその頃の俺は少しだけ雨が好きだった。

 

 スッと目を奥の方へと向けた。

 相変わらずの曇天。濡れる木。すでに枯れ果てたエーデルワイスの花。そして、

 

 

 

 血塗られた雑草と、肉。

 

 それを食す獣。

 

 地表は雨と血でぐっしょりと濡れていた。木も草も獣も壁も袋も肉も、全てがまんべんなく雨を吸いこみ、世界は救いがたい冷ややかさに充ちていた。

 

 

 

『ペロ……………ッ。ペロォ………………ッ』

 

 俺の隣にいる少女が泣いている。

 肌に流れる雨粒と共に彼女の目からはボロボロと涙が零れ落ちていた。

 

 なんで、泣くんだ?

 

 別に大した事じゃ無いだろ。たかが犬一匹死んだだけだ。ただ、それだけ。

 コイツが死んだからって、今後の生活に影響は出ない。逆に良かった事といえば部屋が少し広くなったくらいか。

 どうせ今生きていてもここを出る時には殺されていただろう。別れが少し早くなっただけ。

 わかっていた事だろうに。わかっていたのならどうして泣くんだ?

 

 

 

 どうして?

 

 

 

 その時の俺は大好きな雨の日なのに、少しだけ憂鬱な気分だった。

 どうしてかはわからない。部屋が同じな××の泣く姿が初めてだったからか。もしくは目の前の光景があまりにも無残なものだったのか、あの時の俺にはわからなかった。

 

 ただ、そんな憂鬱な日でも、少しだけ嬉しかった事は、

 

 

 ××の泣き声が、雨音で掻き消された事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………ん」

 

 ゆっくりと目を開ける。

 闇に慣れた目が突如入り込んだ光に耐えられず瞼を瞑る。

 何度も瞬きをして光に慣れさせると俺はベッドから上体を起こして這い上がった。

 

「ハァ……………」

 

 かなり後味の悪い夢だ。

 あの時、現場を見た日から異様にあの日の事をよく思い出すようになった。俺としては思い出したく無いのだが、頭が命令違反するかのように淡々と想起される。

 さらには夢にまで現れると来た。これじゃあフカフカなベッドに寝ても目覚めが悪くてスッキリしない。

 

「ねみぃ……」

 

 目を擦りながら部屋の扉を開け、階段を降りる。

 寝足りないのか睡魔が俺の意識を刈り取り、そのたびに口を大きく開け欠伸をしてしまう。

 欠伸によって出た涙を手で拭き取りながら俺はリビングの扉を開けた。

 

「おはよう……」

「おはようございます」

「おう。ちゃんと起きれたか」

 

 出迎えてくれたのはフシさんとそのバディであるゴウダさん。

 フシさんの方は既にスーツに着替えているがゴウダさんの方はまだ寝巻きのままだ。灰色のダボダボした服だからかなり親爺くさい。

 

 俺はリビングにあるテーブルに座る。するとゴウダさんが何やら陶器のコップを出してきた。

 中には黒茶色の液体が入っている。匂いは少し香ばしいような、苦いような、そんな好きとも嫌いとも言えない匂いが俺の眠気を妨げる。

 

「ほらよ。コーヒー入れといた」

「ありがとう……」

 

 どうやらこの液体はコーヒーと呼ぶらしい。飲み物か。

 せっかく淹れてくれたのだ。飲み物ならちゃんと美味しいのだろう。

 そう考え、俺はゆっくりとカップの口縁に口をつけグビッと飲んだ。

 

 瞬間、俺の喉奥で鋭い苦味が襲いかかる。

 

 思わずカップを素早く落とさずに置き、しかめっ面をしながら舌を出す。あまりの苦さに、先程まで頭をおぼつかせていた睡魔が一瞬で吹き飛んだ。

 

「ニガ〜」

「ハハハッ。まだまだお子様だな」

「砂糖とミルクくらい入れてやったらどうですか……」

 

 なんて苦さだ。こんな苦味を味わったのは今は亡きレックスと一緒に路上にあった辺な果物を食った以来だ。

 ただ、このコーヒーの苦味には何とも言えないコクがあるような、そんな風味がそこにあった。

 一概に美味しいとは思えないが、大人の味、大人だからこそのわかる味があるのだろうと理解する。

 

 それでも飲む気になれず、先に朝食のサンドイッチを食べようとするとフシさんが何やら俺のコップに牛乳を入れている。

 何してんだろう。

 

「これで貴方も飲めるでしょう」

「ん………」

 

 フシさんから再度手渡されたカップを手に持ち、俺はコーヒーを再び飲み始める。

 

 今度は程よい苦味と甘味が口の中に拡散した。

 

 ビックリして目を開ける。

 ベースとなるコーヒーとミルクが絡み合い、マイルドでさっぱりとした風味が口の中に広がってゆく。

 しかもそれだけでは無い。コーヒーの苦味よりもミルクの甘さが引き立てられ、まろやかでクリーミーでありながら、どこかほろ苦いなんとも味わい深いものとなっていた。

 

「美味しい……」

「それは良かった」

 

 まさかこんなに苦かったコーヒーが牛乳を入れただけでこれだけ美味しくなるとは。

 案外、コーヒーは苦いだけの飲み物では無い、もっと奥深い物かもしれない。

 牛乳で割ったコーヒー(カプチーノもどき)の匂いを楽しみながら俺はサンドイッチを大きく頬張る。

 

「美味い美味い……」

 

 うん。今日も美味しい。

 今日は焼き鮭を挟んでいる。フワフワのパンにサッパリとした脂身の鮭、水々しいレタスがちゃんと味に仕事をしているようだ。実に味がマッチしていて相変わらず美味しいサンドイッチだ。

 

 

 しかし、何かが足りない。

 

 

 ここ、日本に来て3日。朝起きて、朝食を食べて、仕事して、休憩して、また仕事して、帰って、夕食して、シャワー浴びて、そして寝る。そんな豪勢な毎日を俺は送っている。

 最初は楽しんでいた。新しいものが発見されるたびに興味を持ち、自分が知らないものを体験するのがとても楽しく、そして心地良かった。

 だけど、そんな毎日を送るたびに何が足りなくなってきたのだ。

 その何かは分からない。

 

 ただ、俺の中で何かが変わっていってるのがわかっていた。

 

「今日は一日中見回りですね。昨日リストアップした廃墟を確認しますよ」

「よし。今日こそ猿野郎をぶっ殺しに行こうぜ。まずは巡回エリアを広げてもらえるよう申請するか」

「あ、すいません。俺、午前出れない」

 

 その言葉を聞いて二人は疑問を浮かべる。

 

「何かあるんですか?」

「その時間は始末書の整理だから」

 

 そう。俺はこれから始末書を書きに行く。

 なんでも前のスーパーの一件で書類を書く羽目になっている。その後は上のお偉いさんに謝罪文書いたり、迷惑をかけた人に腰を下げたりするなど、一応始末書だけじゃない。そのせいで時間的にも午前の時間全て使う羽目になるだろう。

 あまり謝るのはいい気分では無いのだが、「これも仕事の内」とマキマさんが言っていた。仕事なら頑張ってやるしか無いだろう。

 

「始末書? あぁ、あのスーパーの」

「何やらかしたんだよ………」

 

 フシさんは疑問が解消されたらしいが、どうやらゴウダさんはまだ頭を捻っている。

 隠してるわけじゃないから教えておこう。

 

「う〜ん………。悪魔殺した」

「あ〜。なるほど」

 

 どうやら納得してくれたようだ。

 悪魔との戦闘は基本的に大規模になることが多い。大規模という事はそれなりの被害を出す可能性が高いという事だ。被害を大きければ大きいほど沢山の始末書を書くことになる。

 正直言って面倒臭い。非正規の頃はスラム街だったから思う存分戦っても平気だったのに、ここでは少しの戦闘でも紙数枚を書く羽目になる。

 

「自業自得ですからね。しっかりと書いて来てください」

「はーい……」

 

 フシさんの言葉に返事をし、コーヒーを飲み干し、サンドイッチを食べ終える。

 

 コーヒーは良い。好きだ。

 匂いもいいし、眠気も飛ばす。苦い味が苦手ではあるもののミルクなどを入れたら苦味と甘味がちゃんと仕事をしていい風味を出してくれる。とても奥深く、美味しい飲み物だ。

 だからこそ、少しだけ身が軽くなった。そのままの意味では無い。無論、()()()()()()()()()()()()

 

 自分の中で心の中が抜け落ちる、と言えば分かるだろうか。日本に来てたった3日。ここで過ごしていくうちに何かが欠けてゆく気がする。

 重くも無く、ただ軽い。

 軽いから、楽しくも無い。そんな感じがした。

 

 自分でも何を言っているのか分からない。

 

 ただ、分かる事があれば、

 

 

 食べ終えたサンドイッチの味が美味しいからこそ、()()退()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは建設物損壊の始末書と死体利用の確認の書類だから、こことここにサイン」

「……………はい」

 

 午前の仕事、偉い人の謝罪などの憂鬱になりそうな仕事を早急にを終わらせた後、俺は机に置かれている書類にサインしている。

 鉛筆で下書きをし、ある程度の確認をしてから黒いインクで杜撰に紙の上を走らせる。

 その後はハンコを押すだけ。それだけの簡単なお仕事だ。

 字を書くだけで全く楽しくはないが。

 しかも…………、

 

「この書類は…………あ、漢字間違ってるね。破損って字はこうやって書くから直しておいて」

「…………はい」

 

 隣にいる人の言葉に従いながら下書きの字を消しゴムで消し、間違った漢字を直す。

 今さっき指示したのは俺が人生で初めて嫌いになった人物、マキマさんだ。

 元から書類仕事は楽しくなかったが、この人の隣にいるだけで更に楽しく無くなる。

 前に俺が言った「この人と仕事をしても影響は無いと思うが〜」の発言は撤回させて欲しい。

 やっぱり仕事に影響ある。

 

「………うん。これで書類は全部片付いた。昼休憩挟んでから見回り頑張りな」

「…………はい」

 

 最後の書類を書き終え、一通りマキマさんが確認すると、始末書の整理を終えた。

 後は午後、見回りをしに行くのみである。

 

 マキマさんに言われた通り昼休憩しようと部屋から廊下へと出て踊り場に行く。

 そこにある自動販売機にポケットに入っている小銭を何枚か入れて光っているボタンを押した。

 出てきたのはオレンジジュース。最近飲んだ物の中では一番好きなジュースだ。

 

 キャップをキュキュっと素早く開け、プラスチック製の飲口に口を付けて飲む。

 瞬間、オレンジの酸味が喉を通して口に広がる。

 まるで果汁をそのままボトルに入れた位の味の濃さだ。

 いや、オレンジ食った事ないから分からないけど、実際に食ってみたら多分これくらい甘いのだろう。

 

「美味しい……」

 

 ジュースを飲めるなんて夢みたいだ。なんなら夢と言った方が信じられるほど。

 スラムの街で作られたジュースはある意味果汁100%なのだが、なんなのかよくわからない果実で作られており、味は甘くは無い。逆に過剰なくらい苦い。

 それなのに定価はなんと217バーツ。一切れのパンよりかは安いが、日本を基準にするとやはり高い。不味いのも合わさって完全にぼったくりだ。

 だけど今では安くて美味しいジュースを飲む事ができる。そんな夢のような日が毎日のように過ごす事ができるのだ。

 

「………………」

 

 しかし、ビリーには迷いがあった。

 今の夢。亡き親友、レックスから託された願い。

 それが俺の心の中で煩っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『最高に馬鹿みてぇな人生を思いっきり楽しんでこい』

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺、楽しんでるかな……」

 

 ボソッと少しだけ弱音を吐いてしまう。

 やめだ。シリアスな事はあまり考えたくは無い。考えたって悩みが募っていくだけだし、そんな考えをしたところで何もできやしないだろう。

 楽しくない事は極力考えないようにしよう。うん。

 ……………………だけど。

 

 

 

 やっぱり、どうすれば楽しめるのか、あまりわからない。

 

 

 

「ハァ…………」

「ため息してどうかしたの?」

「うおっ!?」

 

 途端、後ろから急に声をかけられた。

 俺の体が驚いたからか飛び跳ねてしまい、手に持ったオレンジジュースのボトルを落としてしまう。

 

 それに気がついた俺は咄嗟に自慢の反射神経で頭から勢いよく飛び込んだ。

 ワックスがかかった綺麗な廊下を滑りながらオレンジジュースのボトルをなんとかキャッチ。宙に踊っている際に何滴かこぼれたがそれも少しだけなので損はしていない。…………少し勿体無いけど。

 

「……あ、あぶねー…」

「ナイスキャッチ」

 

 安心していると後ろから誰かが声をかけたのでふと振り向いた。

 

 やっぱりだ。落ち着いた声でなんとなくわかっていた。

 俺に声をかけていたのは先程まで仕事の手伝いをしていたマキマさんであった。

 

「ごめんね。後ろから急に声をかけて」

「ビックリした……」

 

 少し心臓に悪い。たださえ声質がどことなく冷たいのだから尚のこと体に悪いのだ。声をかけるなら一言くらい挨拶してもいいんじゃないだろうか。

 

「一言くらい声をかけてくれ…………」

「うん。次から気をつける」

 

 そう言ってマキマさんは自動販売機に近づき小銭を入れてボタンを押した。

 ゴトン、と中からコーヒー缶が出てきた。マキマさんはコーヒーをご所望らしい。

 自動販売機の中からコーヒー缶を取り出すと、俺の座っているベンチに座り、カシュッ、と空気の入った音を鳴らして飲み口を開けてちびちびと飲み始めた。

 

「ビリー君」

「………何?」

「悩みでもあるの?」

 

 図星を突かれてピクリと身体が身震いする。

 

「………よくわかったな」

「仕事中もため息ばかりしてたからね。いつもより調子が悪いと思ったから」

 

 そんな細かい所によく気がつけるな。いや、俺からしたら普通通りに仕事をしていても、相手からしたらあからさま気分が悪く見えたのかもしれない。

 

 そうか、バレてたのか。

 なら、悩みを聞いてもらった方がいいのだろうか。

 

(言いたくないなぁ……)

 

 どうしよう。マキマさんに聞いてもらうのはあまり抵抗がある。

 いや、困るほどの悩みではないのだが、嫌いな人に弱みを見せたくないとかなんとか、まぁそんな理由だ。

 

 だから言いたくない。言いたくはないが………。やっぱり悩みを聞かせた方がスッキリするし………、いや、だけど聞かせたくないし……、いや、でも……──────────。

 

 

 

 ………やっぱり、考えるのは嫌いだ。

 

 

 

「…………マキマさんは叶えたい夢ってある?」

「あるけど………。どうしてそんな事を聞くの?」

「えっと……、まぁ……、参考程度に……」

「参考?」

 

 結局、聞かせる事にした。理由は単純。普通に悩むのが面倒くさい。

 今も、そしてこれから悩み続けるのが面倒くさいから、悩みを言うことにした。

 

 俺の質問にマキマさんは数秒考えてから返答する。

 

「うーん。大まかに言うなら……、世界平和、かな」

「世界平和……。えらくでかい夢だなぁ……」

 

 世界平和、と言うとあまりにもデカすぎてわからない。もう少し具体的にしてもらいたいのだが、わざと大まかに言ってるのだろう。多分人前に言いにくい夢だと判断する。

 

「そんな事聞いてどうしたいのかな」

「………」

 

 マキマさんの質問に俺は答えた。

 言いたくは無いけど、言った。

 

 本当に言いたく無いけど。

 

「………この先、どうすればいいのかわかんなくて……」

「? どう言う事?」

「夢の話」

 

 俺は手に持ったオレンジジュースを飲んで一息つくと話を続ける。

 

「今の生活に不満は無い。毎日3食美味いもん食えてるし夜はフワフワなベッドで温かく眠れる。昔の俺にとってそんな生活は叶えるべき夢の一つだったんだ」

 

 そう。あの時レックスと誓った夢。共にここ日本で暮らすささやかな、そして絶対に叶わないと思っていた夢。

 そんなクソでありながら、どこか楽しかった日常を思い返しながら天井を見上げる。

 

「今は最高に馬鹿みたいな人生を思いっきり楽しむ、って夢でさ。だけど……」

「今の生活が楽しいんだったらその夢は叶ってるんじゃないかな」

「うん。楽しいよ? 楽しいけどさ……」

 

 

 

 

「なんか……、物足りなくて……」

 

 

 

 

 物足りない。酷く強欲な物言いだ。

 だけどこれは心の底からの本心。ビリーの本音である。

 

 

 本当に今の生活を続けたいと思っているのか。

 

 本当に俺の夢はこれで合っているのだろうか。

 

 本当に、心の底から楽しいと思っているのか、ビリーは悩んでいた。

 

 数秒、ビリーは頭を掻きむしりボトルに余ったオレンジジュースを一気飲みする。

 こんな相談事なんて柄じゃ無い。第一、考えるのが苦手なんだからこのままでいいんじゃないのか。別に楽しくなくても不満はないのだからこのまま生活しても………

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ビリー君」

 

 

 

 

 

 

 

 突如、マキマの口が開いた。

 

「私はね、最高な人生はやりたいって思った事を楽しくやれる事だと思うんだ」

「………」

「例えば……、毎週無休で朝から晩まで嫌な仕事をして、嫌な上司に怒られて、夜にやっと家に帰ってもやる事があって満足に寝れない。こう言う人生って楽しいと思う?」

 

 マキマさんの質問に俺は数秒間だけ考えた。

 マキマさんが言った日常を想像し、そこに俺を当てはめる。

 

 ………………………なんか嫌だな。

 

 毎日毎日嫌な仕事。俺からしたら事務作業を朝から晩までやると言うことだ。

 さらに言えば家に帰っても仕事がある。酷いものだ。休む時間もなく毎晩毎晩嫌な仕事嫌な仕事………。

 そんな毎日が続くのだとしたら俺は耐えられない。多分3日で耐えられずに逃げると思う。

 

「………楽しくありません………」

「じゃあ毎週休みがあって朝から晩までやりたい事して、たまに有休とって遊びに行って、家に帰ったら美味しい食事とフカフカのベッドが待っている。こう言う人生は楽しいと思う?」

 

 マキマさんの質問をもう一度想像して当てはめる。

 

 

 ………………………すごく楽しそうだ。

 

 

 毎週休み。嫌な仕事ではなくやりたい事。

 なんだろう、やりたい事があまりにも多すぎてうまく置き換えられないが、そんな毎日ならとても楽しいと思える。

 美味しい食べ物にフワフワベッドまである日常。そこに家族がいればどういう生活になるのか、楽しそうで逆にあまり想像できない。

 

「めっちゃ楽しい………と思う」

 

 その答えを聞き、マキマさんはフッと笑う。

 

「今のビリー君はね。やりたかった事を何度も何度も繰り返しやってるんだよ。だから今の生活に何か足りない要素があるんじゃ無いかな」

「確かに………」

 

 マキマさんの言葉は俺の心の軽みを少しだけ取り除いた。

 確かに、思えば俺はフシさんの言う日常を毎日のように体験していた。

 楽しいと思える事を何度も続けていたらいつかは飽きるに決まっている。

 なるほど、最近の退屈感はそれのせいか。腑に落ちて納得してした。

 なら、その退屈感をどうすればいいのだろうか。

 

「じゃあ、どうすれば……」

「そんなの簡単」

 

 マキマさんはコーヒーを飲み干して顔をこちらに向ける。

 酷く、胡散臭い笑みを浮かべながら口を開いた。

 

 

 

 

 

「次の夢を見つけるんだよ」

 

 

 

 

 

「次の、夢……」

「うん。何でもいいよ。例えば、今の伏さんの所よりも美味しい物を食べたいとか、海辺の見える別荘で優雅に過ごしたいとか、……エッチな事をしたいとか。

 そういう新しい事を沢山すれば、君の言う『馬鹿みたいな人生を楽しむ』って夢になるんじゃ無いかな」

「………………」

 

 俺は驚いていた。マキマさんの言葉に。その言葉に深く納得してしまった俺に。

 新しい夢。言うなれば目標。それを叶える為に突き進む。

 心の軽みが取れた。不愉快だった感情が全て消え去り、まるで、心に纏わりついている汚れが無くなっていくみたいだ。

 

「さて、ここでビリー君に問題です」

 

 マキマさんの言葉は続く。

 コーヒーの缶を捨て、俺の目の前で屈み、顔を覗かせた。

 

「今の君には叶えたい夢があるのかな?」

「………………」

 

 目を瞑る。思い返す為に。自分の目標を見つける為に、記憶の奥隅々までを探し見つけようと過去を振り返る。

 

 数分後、一つだけ、死んでもいいから叶えたい夢を思い浮かんだ。

 

 あれは、猿の野郎を捜索をする為に住宅街を探し歩いている最中の時………。

 

「……昨日の聞き込み調査の時…」

「うん」

「昼にフシさんが作った弁当を食べたんだ………」

「うん」

「冷たかったけど、逆にそれが味が出てさ。美味しかったのを覚えてる………」

「うん」

「だけど、弁当だけじゃ足りなかったんだよね。それで午後の見回りの時はお腹が空いて集中できなかったんだ………」

「集中してね。仕事だから」

「そんな時に見たんだよ………」

「何を?」

 

 

 

 

 

「ウナジュウ」

 

 

 

 

 ポカン、とマキマさんが呆気の無い顔をした。

 今にして思えばめちゃくちゃ珍しい表情だったが、あいにくビリーはそれを他所に話し続ける。

 

「すげー美味しそうだった。店から発した匂いだけでわかる。あのタレにあの魚の柔らかそうな身、暖かそうなご飯。写真を見ただけで涎が止まらなかった………」

 

 目を瞑る。闇の世界で映る鰻重の姿。

 黒い箱に入った真っ白なご飯。綺麗な光沢を放つタレが乗った鰻。昇っていっては、ふと消えてしまいそうな湯気。そこから来る鰻重の甘い香り。

 想像するだけで、口の中の涎が止まらなかった。

 

「マキマさん。俺、やりたい事ができた」

 

 ビリーは決心する。

 相変わらずの無愛想な表情だが、その目には鋭く覚悟を決めた男の目の色をしていた。

 

 もう決めた。後は進むだけ。

 決心は着いた。なら叶えるしか無い。

 

 

 

「ウナジュウ、食いたい」

 

 

 

 それが俺の目標。俺の夢。

 俺が叶えるべき、最初の夢だ。

 

 いつの間にかいつもの表情へと切り替えたマキマさんはニコリと笑うと興味深そうにビリーを見つめて言った。

 

「そっか。それなら頑張らないとね」

「うん。給料日までまだまだ先だからまだ食えないけど………」

 

 まぁそれまで我慢して仕事を頑張る。

 

 そう言いながら空となったボトルをゴミ箱に向けて投げようとした矢先、マキマさんが先に口を開いた。

 

「それなら………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一足先に、その夢を叶えさせてあげようか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボトルを投げる手がズレた。

 

 先程までオレンジジュースが入っていた空のボトルが見事なまでに枠に当たりゴミ箱の中に入らない。

 ポトンッ と廊下に何バウンドかボトルが跳ね、何事もなかったかのようにそのまま転がる。

 

 俺は外れたボトルを無視してマキマさんの方を見ていた。

 

 さっきの言葉は、聞き間違いだったのか、と、言いたげな顔をして。

 

「…………マ?」

「マ」

「マジか………」

 

 俺は素直に喜んでいた。

 少し呆気ない気がするし、なんか負けたような気分がするが自分の夢であるウナジュウを食う夢が既に目の前まで迫ってきているのである。喜ばないはずがない。

 

「やった…………!」

「ただし条件が一つ」

「え? 何?」

「実はね。私明後日から京都に出張しなきゃならないの」

 

 出張……………。ああ、わかった。

 確かフシさんが教えてた気がする。仕事とかで遠くに行く事を出張と言うんだっけか。

 

 すぐにウナジュウが食える訳ではないのか………。

 

「キョート………。ならそれ終わったら」

「その次は広島」

「じゃあそれも終わったら」

「次は熊本」

「…………………アンタ叶える気ある?」

「あるよ。だから提案してるんじゃん」

 

 マキマさんはゆっくりと手を俺の膝に持ってきた。

 目と目が合う。マキマさんのグルグルとした螺旋状の目玉が俺を真っ直ぐに見据えた。

 

 何かをねだるように。

 

 誰かに手を差し伸べる救世主ように。

 

 誘惑の魔性のように。

 

 彼女は、言いだした。

 

「もし君が、明日までに悪魔を一体殺してくれたら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鰻重、奢ってあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前にいるマキマさんの顔を直視した。

 期限は明日。

 それまでに悪魔を一体殺す。

 

 つまり、頑張ったご褒美として奢ると言う事なのか。

 まぁ一応、簡単な分類だろう。悪魔一体なら油断しなければちゃんと殺せる。

 俺の得意分野だ。

 

「悪魔一体、ですか……」

「うん。だけどそこら辺の雑魚悪魔や魔人はダメだよ? 強い悪魔を倒さなきゃご褒美とは言えないからね。例えば………」

 

 

 

「猿の悪魔を倒すとか」

 

 

 

 プツッと俺の中で何かが切れた。

 憤るような。沸々と頭の中が沸騰しそうなそんな感情が押し寄せてくる。

 

 その感情に気がつくと目を閉じて深く深呼吸した。湧き上がる感情を抑え込む為に、なんなのかわからない気持ちを鎮める為に、力を抜く。

 奥歯を噛むを力を緩めるとゆっくりと目を開ける。

 光ある光景にいるマキマさんを見据え、ダボダボのロングコートをバサッと羽織った。

 

「なるほど、ね」

 

 理解できた。やるべき目標。俺が叶えるべき夢の先を、なんとなく理解できた。

 

 じゃあ後は進むだけ。

 猿野郎を、奪い殺すだけだ。

 

「できそう?」

「できる。できなきゃダメだ」

 

 俺は右腕の袖を捲った。

 亡き親友であり、唯一の家族が残した遺言をしっかりと目に刻み込む。

 

 

 enjoy until you go crazy!!

 

 

 狂うまで楽しめ。

 

 それなら、俺が楽しまなきゃ意味が無い。

 

「最高に馬鹿みたいな人生楽しむんだ。ここで夢のウナジュウ逃したら多分、一生後悔する………と思う」

 

 床に落ちたペットボトルをゴミ箱に向かってもう一度投げる。

 ボトルは空中で回転しながら弧を描き、ゴミ箱の中へと入って行った。

 ガコンガコンッと軽いプラスチックの音を響かせながらマキマさんの方へと振り向く。

 

「明日まで待っててくれ。マキマさん」

 

 夢は決めた。後は進むだけ。

 

 もう、迷う必要は無い。

 

 馬鹿みたいな人生を謳歌する為に、楽しむ為に。

 

 俺はマキマさんに向けて人差し指を刺した。

 

「俺が、猿野郎を奪い殺すよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「猿野郎いねー」

 

 そして場面は変わって東練馬区住宅街。

 時間は午後5時半を過ぎていた。公園にいた親御さんは家に帰ろうと子供と手を繋ぎ、電柱では鴉同士が戯れ突き合い、空は真っ赤な紅に染まっていた。

 

 練馬区にある小さな公園でブランコに寝そべりながらユラユラと揺れるビリーは側からみれば不審者同然なのだろう。

 行き交う人の殆どが「何あれ……」と不審者を見るような目で見ており、子供は「ママ〜。あれ何やってるの〜?」と疑問を持って、その親は「シッ! 見ちゃダメ!」と注意しながら早歩きで立ち去ってゆく。

 当然、ビリーには聞こえていたがそんな事などどうでも良かった。

 何故なら自分の心配よりも、猿野郎が見つからない心配をしていたのだから。

 

「夕方まで必死こいて探したのに居ないなんて………、嘘でしょうが………!」

「ビリー。行儀が悪いですよ」

 

 そんなビリーの姿を見てフシさんはハァと苦労混じりのため息を吐く。

 ビリーもフシさんの言う事を聞き、素直にブランコに座る。

 しかし態度を直しても表情は直せない。

 それもそのはず。休憩を終えてフシさん、ゴウダさんと合流し、午後の見回りを張り切ってやったのに、結局猿を見つからなかったのだ。悔しいのは当然である。

 

「言っただろ。隠れるのが上手いってな」

「ただ、これだけ捜索に時間がかかるとは思ってませんでしたね。よっぽど潜伏能力が高いようです」

 

 今日捜査をしたのは人通りの少ない道と既に住民や利用者のいない練馬区の廃屋と廃墟。その数、なんと二十一軒。

 廃屋、廃墟の隅々まで探し出し、怪しいところを見つけ、人通りの少ない道を使う可能性も考慮しながら捜査していた。

 しかし、証拠は一切の無く、0のまま。たまに知性の低い雑魚悪魔がいたが、猿とは全く関係の無い奴だった。無論そいつはちゃんと駆除している。

 ゴウダさんの言う通り、1日で片付く事件じゃ無い。多分、明日中でも終わらない気がする。

 

「二課の野茂の部隊に手伝ってもらうか? 貸しで奢られると思うが」

「そうですね………そうした方がいいと思います。帰ったら連絡してみましょう」

 

 二人の会話を聞いてハッとする。

 やばい。どうしようもなくやばい。ここで協力なんてされたら堪ったもんじゃない。

 たださえ自分一人で明日までに倒さなければならないのだ。人員が増えたらどうなる。猿野郎を見つける可能性はグッと上がるが俺のウナジュウを逃してしまう可能性もグッと上がるに違いない。そうなったら何もかもが水の泡だ。

 

 しかし、現状そうしないといけないのも事実。現にこれだけやっても見つからなかったのだ。人員は少しでも増やすべきなのは当然だろう。

 だから、それ以上のいい案を思いつく事が出来なかった。

 ………………もしかして、超やばいのでは? このままだと、ウナジュウ食うの大分先になってしまうのでは?

 

 余計な事を考え、焦ってしまう。ブランコの鎖をガシッと掴み、体を揺らしてブランコの軋り音を鳴り響かせた。ストレス解消になるかもしれないと思っていたが、逆に大振りに揺れるブランコは俺の心をどんどん焦らせる。

 

「ヤバい〜。このままじゃウナジュウが〜」

「何訳の分からない事言ってんだ。さっさと帰るぞ」

「はーい………………」

 

 ゴウダさんの掛け声で我に帰る。

 俺は返事をすると揺れるブランコから勢いよく飛んで地面に着地した。

 大丈夫。まだ焦るような時間じゃない。万が一の可能性だってある。第一、まだ明日見つからないなんて決まってないじゃないか。もしかして味方を集めても誰も見つからず、逆に俺が一番乗りで見つけて猿野郎を殺すかもしれないし。そうだ。そうに決まってる。

 だから慌てるな。慌てちゃダメだ。大丈夫。まだ慌てるな展開じゃ………………。

 

 ダメだ。やっぱり不安だ。

 

 先を越されるかもしれない。越されたら、ウナジュウを食う機会が遠くなるかもしれない。そんな不安が俺の心を潰すように押し寄せてくる。

 

 仕方がないものだろう。この不安はどうしようもない。消せと言われて消せるものじゃないから別の事をして気を紛らわそう。

 

 そう考えて俺はロングコートのポケットから黒い手帳を取り出した。

 それを開き、胸ポケットに挿してあるボールペンを持って真っ白な紙の上を走らせた。

 

「プールも良いな………。あ、海でも良いか………。海って言ったら魚…、いや、貝もか? あー、サザエ食いたくなってきた……」

「何書いてるんですか?」

 

 ブツブツと独り言を言っていたビリーが気になったのかフシさんが突然話しかけてきた。

 

「ん? やりたい事リスト」

「それ、寮にありましたっけ?」

「マキマさんに貰った。公安で支給されて余った奴あげるって言われて」

「おー。結構書いてあるじゃねぇか」

「剛田さん。人のメモを覗き見するのは良く無いですよ」

「別に見てもいいけど………」

 

 そう言って俺は後ろから手帳を覗いているゴウダさんに手帳を渡した。

 ゴウダさんは早速、俺の手帳を開くと読み始める。

 

「漫画読む、ゲームする、携帯カセットプレーヤー買う、新幹線乗る………………、結構普通の事ばかりだな」

「今まで普通とは程遠い生活してたから。大体やりたい事はそれくらいかな」

「まだまだ若いんだから、もっとでかい事やりたくないのか?」

「現状はこれくらいでいいよ。やりたいって思ったら手帳に書くし」

 

 マキマさんのような世界平和って夢に興味は無いし、今のところ、俺がやりたい事はこれくらいだ。下手に増やしたら混乱しかねないので今はこれくらいの方が良いだろう。

 そう考えていると手帳は既にフシさんのところへと手渡されていた。

 数ページペラペラとめくるとフシさんが頷く。

 

「この中のいくつかは現状できるのがありますね」

「え、マ?」

「はい。なら今度、有休取ってみましょうか?」

「お、良いなそれ。久しぶりに肩の荷を下ろすとするか」

「よし………!」

 

 どうやらフシさんとゴウダさんも協力してくれるらしい。

 これなら安心だ。マキマさんだけだと少し不安が残っていたから、信用できる二人がいるのなら安心できる。

 

「とりあえず俺は実家から漫画持ってくるとするか。俺としてはアラレちゃんとかオススメなんだが……、どうだ?」

「剛田さんってアラレちゃんが好きだったんですか!?」

「やめろ! 誤解を招く言い方すんな!」

 

 ワイワイと騒ぐ二人の後ろに俺は着いて行く。

 そんな二人を横目に俺は返された黒い手帳を再び開いてペンを走らせた。

 やっぱり。夢と言うのは考えるだけで楽しい。未来の自分がこれをどうするか、未知の体験を知りたいと思うだけでワクワクしてくる。

 

 こうして考えるとマキマさんが提案したこのやり方はある意味合っているのかもしれない。

 

 後でもう一回お礼を言おう。そう決意したその時だった。

 

「イテッ」

 

 手帳を見ながら歩いていた所為か、目の前から歩いてきた男性に気が付かなかった。

 

 ドン、と肩と肩がぶつかり、身体が少しよろける。

 

「すみません………」

「チッ。前見とけヨ……」

 

 嫌味言われた。

 少しだけイラッとする。謝ったんだからそれで良いじゃないか。なんで舌打ちすんだよ。

 嫌だな……。さっきまで楽しかったのにまた気分が悪くなった。

 

 ぶつかったのは30代前後の男性。短髪で白髪混じりの黒髪。ロゴも描かれてないフツーのワイシャツとカーゴズボンを履いている。

 親御さんなのだろうか、五歳六歳くらいの女の子と手を繋いでいた。しかし、親が親なので俺からしたら仲睦まじい親子に見えない。肝心の親は顰めっ面だし、その所為なのか幼女は死んだ魚のような光の無い目をしている。

 おまけにフラフラと歩いて少し危ない。いつか車に跳ねられて事故ると思う。

 

 しかし、そんな事どうでもいい。事故ったら事故ったでそれは親の責任。赤の他人である俺には全く関係の無い事だ。

 そう考え、少しだけ遠くを歩くフシさん達を追いかけようとして、

 

 

 

 

 

 何か、違和感を感じた。

 

 

 

 

 

「?」

 

 フッともう一度あの親子を見る。

 仲のよろしく無い、親御と思われる男とその子供。子供の方はフラフラと歩いていて少し危ない。

 

 しかし問題なのはそこじゃ無い。子供と手を繋いで歩いている男の方だ。

 

 姿はどこにでもいそうなフツーの服。短髪で、顔も服と同じくどこにでもいそうな顔つきだ。

 

 側から見れば、ストレスの堪った会社員という印象を受け取るだろう。

 

 しかし、ビリーは違った。男にある違和感を覚えた。

 姿じゃ無い。男の歩き方に違和感を覚えた。

 

 

 

 あの男の歩き方は、()()()()()

 

 

 

 人間と言うのは歩く時、必ず癖を出して歩く。

 歩幅、スピード、足の着地点、ロンファーが地面を叩く音量、歩く時の身体のよろめきなど、人によって様々な癖を出す。不規則で、癖を出してる本人でさえ気が付かないほどの。

 

 あの男は、そんな癖が全く無い。

 

 歩幅は常に約70センチ。足の着地点は必ず踵。ロンファーが地面を叩く音は音量調整されてるんじゃ無いかと疑うほど均等でブレも無い。

 厳正な男と言えば納得すると思うが、それでもあの歩き方する人間なんて居ないし、もはや人間ですらない。

 

 …………………………追ってみようか。

 

「ちょっとすいません……」

 

 俺は小声で謝罪をするとソロ〜とフシさんの所を抜け出した。

 そして人混みや建物の死角を利用してあの親子の後を追う。

 

「あれ? ビリーはどうした」

「え? あッ!? また勝手にッ!」

 

 遠くからフシさんとゴウダさんの声が聞こえたがそんな事は無視する。なんせあの親子、歩くスピードが速いからすぐ見失ってしまうのだ。呼びかけようにも少し遠いし、万が一見失ったら元も子もない。

 フシさんから勝手に行動するなと言われたけど今回は事態が事態だから見逃してくれるとありがたいなぁ。

 

 そう考えながら親子の後を追い続けると段々と人の数が少なくなってきた。やがて人気の無い道を通るようになり、さらには狭い路地裏にまで足を運んでいる。

 

「狭。どこ行く気なんだ………?」

 

 なんか段々と怪しくなってきた。女の子の方は抵抗が無いが、相変わらずフラフラと歩いているから意識が朦朧としているのだろうか、あまり生気を感じない。

 このまま後を追い続ける事数十分、誰も使わないような山道の道路を歩いて行く。

 道路の手入れはされてないようで、路面には大きなヒビが入ったりガードレールは抉り取られたような跡が残っていた物もあった。当然人気のひの字も無い場所だ。

 やはり、コイツは何か隠しているそう考察から確証へと変わった時、怪しい親子が少し木が開けた場所へと進んで行った。

 俺も木の影を利用してその場所へと踏み入れる。

 

「ここって…………」

 

 そこにあったのは広々としたコンクリートの広場にポツン、と建つ大きな廃墟だった。

 高さは三階建てでヒビ割れ、蔦が絡みつき、所々崩れ落ちているコンクリートの壁。非常口の鉄扉は赤く錆び、窓は全て撤去されており中は電気も通ってないのか灯りは無い。

 屋上に立てかけてある看板には掠れた文字で『藤本なんちゃら病院』と書かれてある。

 どうやらここは廃れた廃病院らしい。

 

「怪し〜……」

 

 こんな山の中にある、しかも廃れた廃墟に親子二人に用があるとは思えない。元病院長、って雰囲気でも無かったし、そもそもここに来る理由があまり思いつかない。きっと何か怪しい理由があるはずだ。

 

「お邪魔しまーす……………」

 

 なんとか形を保っていた扉をそっと開けて病院の中へと入る。

 中も中でかなり酷い状態だ。床には変な書類とガラスの破片があちこちにばら撒かれたり、不良の溜まり場なのか壁にはスプレーで上手いのか下手くそなのかいまいちわからない字がデカデカと書かれてある。

 個室にはガラクタ同然のテーブルやベッド、車椅子が散乱してたりなど、明らかにゴミの山だ。

 使える物もあるだろうに、と考えながら尾行をしていると、男が立ち止まった。その瞬間、フラフラと歩いていた女の子がバタっとまるで誰も操作しなくなった操り人形のように力無く倒れる。

 

 もしかしてバレたか、と思ったがその考えは違った。

 

 メキメキと木が軋む音を立てながら男の肌が破れてゆく。そして男の身体が膨張すると同時に、虫が脱皮をするかのように男の身体から異形が這い出てきた。

 

「脱皮した……………」

 

 形は人間であるものの、色や頭部が全く人間の形では無い。

 関節部に縫い目があるのが特徴的で上半身半裸の男。髪は無く顔も無い。簡単に言えばのっぺら坊のような出立ちをしている。

 

 コイツは、人間じゃない。

 悪魔が人の死体を乗っ取った存在、魔人だ。

 

『クソガ……。人間の真似事なんて面倒な仕事押し付けやがっテ……』

 

 カリカリと顎を掻きむしりながら恨言を吐き、女子を雑に持ちながらのっぺら坊は奥のロビーへと入っていった。

 俺は殺そうと行動しようと考えるものの瞬時に止める。アイツの言い方はまるで他に仲間がいるような感じだったし、ここは素直に尾行することが最善だろう。

 そう考えながらのっぺら坊が入っていった扉を背にロビーの中を覗いた。

 

 そこには異形がいた。

 

『17人目を連れてきたゾ』

『ほうゥ……、メスかァ……。甘い脳髄が楽しめそうだァ……』

 

 のっぺら坊の奥にいる異形がジュルリと気持ち悪い音を立てて舌を舐めまわした。

 夕日で照らされた光がその異形の姿を露にする。

 

 全身が茶色の毛で覆われており、両肩からは交互に筋肉質の腕を2本づつ生えている。

 そして女子を見つめるまん丸な目玉に白く輝く鋭利な牙。

 

 間違いない。コイツが公安が追っていた悪魔。猿の悪魔だ。

 

「猿野郎………」

 

 俺はそっと戦闘態勢に入る。

 軽く、気付かれない程度の深呼吸をして自分を落ち着かせ、心臓の音を静かにさせた。

 後はなんも感じる事もなく、狩る瞬間が来るまでじっと待つだけだ。

 猿の悪魔が話を続ける。

 

『所で、誰にもつけられて無いだろうなァ』

『ああ、大丈夫ダ』

 

 どうやら俺の存在はバレてないらしい。

 その事に安心しながら聞き耳を立てる。

 

『ここが見つかったらまた移動だからなァ。少しだけ休ましてもらいたいものだァ』

『そうなったらまた子供探しカ』

『あァ。そうならないようになるべく注意しろよなァ』

『わかってル……』

 

「なるほど……」

 

 どうやら子供を攫っていたのはある本人では無く、他の魔人が手助けをしてやっていたようだ。どうやってあの女子を連れて行ったのか知らないがあの変身能力があれば人混みの中でも自由に行動できるのだろう。

 

 なるほど。よくわかった。

 わかったから、後は殺すだけ。

 

 俺はスッと右腕を空へと掲げた。

 流石に過去何体も悪魔を狩ってはいるが、魔人だとは言え2体はキツい。過去にレックスと2体一緒に殺そうとして重傷を負いながらも勝ったのは苦い思い出。もうあんな痛い思いなんか二度とごめんだ。

 

 だからアックスになろう。アックスになれば2体はなんとかなるだろう。

 

 ホッと一つ深呼吸する。そして、心臓の音を静かにさせる。

 

 目を瞑る。奴を殺すイメージ図を思い浮かべる。

 

 よし。覚悟は決まった。

 

 後は殺すだけだ。

 

 そう考えながらアックスになろうとして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後ろから、ゴォンッ!!と殴られた。

 頭の痛みを感じる事なく、景色が黒く変色した。

 

 

 

 




 社畜_:(´ཀ`」 ∠):


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猿、夢、アックス

 ちょー長い

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 アイアンマン2大好きッ!!


 

 夜の街。東京。

 時計の針は七時ピッタリに指しており、空は既に赤く無く、黒一色に染まっていた。

 今夜は新月だ。月光など全く無い。

 

 それでも、暗くは無い。

 東京の夜の街は、そんな事気にしないと言わんばかりに活気付いている。

 

 夜だと言うのに目に写るのは人、人、人の山。中にはすでに酔っているのかフラフラと足がおぼついていない者が半分くらいの割合で路上を歩いている。

 耳を澄ませば仕事で疲れ切ってしまった人々のざわめきや、次々と突然現れた音が耳を通り抜けていく細切れの音楽、ピーポーピーポーと音が鳴り響く信号とその音をかき消すほどの無数の自動車の排気音が街を良い意味で盛り上げてくれる。

 街のあちらこちらで電灯、看板、文字や記号の形をしているネオンが真っ暗な夜を明るくともしてくれている。それはいつもと変わらない。練馬区の、東京のいつもの風景だった。

 

「剛田さん! 居ましたか!?」

 

 そんな綺麗でありながら、とても騒がしい夜の中で、一人の男、公安対魔特異4課の一人、伏ヒデトシが荒い呼吸音を口から吐き、剛田に呼びかける。

 

「いや、こっちには居なかった。西の方には行ったと思うが……」

「そうですか…………」

 

 剛田の報告を聞いて伏は落胆する。

 

「勝手に行動するなと、あれほど言ったのに……ッ!」

 

 沸々と怒りが込み上がってくる。

 勝手に行動するな。最低でも、自分に相談してから動けと何度も注意してきた。家の中でも、仕事中でも。

 最近は良く言う事を聞いてくれるようになったが、それの結果がこれだ。まだ指導の余地が残っている。

 

 見つけたら説教をしよう。伏はそう決意した後、バディである剛田はため息を吐いた。

 

「仕方がねぇだろ。アイツは人の言う事聞かないで勝手に行動するタイプだ」

 

 剛田は胸ポケットから取り出した箱からタバコを一本揺すり出し、口に咥えるとポケットにあったライターで火を付ける。

 口から吐いた白い煙が空にユラユラと昇って消えてゆく。

 

「昨日と今日しか交流してねぇが俺にはわかる。ありゃ、まともに見えて相当頭のネジが外れてやがる」

 

 粗方息が整ってきた伏にタバコ一本とライターを渡す。

 伏もお言葉に甘えてタバコを受け取り、火を付けた。

 

 思い浮かべるのは猿の悪魔を見つけるべく、多くの廃墟、廃屋を調査していた時の事。

 所々錆びついた小さな工場跡地で発見した悪魔を駆除していた最中だった。

 力の弱い奴だったのか、俺らを見た途端に逃げ始めた。しかも工場の入り組んだ地形を利用して俺らの動きを錯乱したのは厄介だったのを覚えている。

 最終的に手負を負わせ、壁際まで追い詰める事に成功した。片足は切り落とされていたし、あの状況の中逃げ切る事は不可能に近かった。

 

 そんな中、悪魔は腰を低くしてこう言ったんだ。

 

 

 

「許してください」「見逃してください」、と。

 

 

 

 当然見逃すつもりは微塵も無かった。相手の悪魔はまだ敵意を持って俺たちを見つめていたし、何よりコイツを見逃す事で被害が出るのかもしれない。駆除する以外選択肢は無かった。

 

 しかし、それはベテランの考えであって殆どの新人はそんな考えを持っていない。

 

 悪魔に対して同情してしまい見逃す奴もいるし、そんな事無視して悪魔を殺す奴もいる。

 実を言うところ、ここの選択肢によって新人の今後が左右される。

 

 悪魔を見逃すような奴は「すぐに死ぬな」と判断し、辞めさせる様に促す。後悔や自責の念を持ちながらも殺す奴は「この先一応生きては行けるだろう」と判断し、そのまま指導して行く。

 新人デビルハンターの多くはこの二つに分かれている。岸辺先生などと言ったイカれてる人間などはそうそういない。

 

 だから、ビリーを初めて見た時はどちらかと言うと後者側の人間だと判断した。

 

 覇気の無い目に愛想の無い童顔。身体は一応筋肉質だが細身でまだまだ若く、社会経験も無さそうな頼り甲斐のない奴。第一人称はそう捉えていた。

 

 

 

 

 しかし、違った。

 

 

 

 

 アイツは躊躇わなかった。命乞いをしている最中に背中に隠していた斧を持って相手の首を切り飛ばした。

 

 驚いたさ。何しろ、何の躊躇もなく首を切り落としたのだから。ビリーの中には慈悲のじの字すら無かったのか。いや、元々存在していないのだろう。

 

 しかし、問題はそこでは無い。トドメを刺した後に、ピクリとも動かなくなった悪魔の死体を鼻歌混じりで解体しながらこう言った。

 

 軽々しく、口にした。

 

 

 

 

 

 

 

『悪魔の討伐数で給料の量って変わる?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 その目に、自責の念やら、後悔やら、動揺などの感情は無かった。まるで存在しなかった。

 興味のある目。自分で殺した数で給料が上がるのかと言う、子供のような純粋な疑問を持った目。

 相手が何なのか、どう言う存在だったのか、全く興味を持たずに、そう言った。

 

「人の言う事なんて聞かない。常識なんて知るよしも無い。相手が命乞いをした? だからなんだ。復讐でも娯楽の為でも無く、ただの仕事だから殺す。金の為に殺す。そんな狂った奴なんだよ。アイツはな」

「……………」

 

 三度目のタバコの味を味わった後、携帯用の灰皿を取り出して火を押し付ける。

 伏も途中で満足したのか剛田の灰皿を借りてタバコの火を消す。

 ジュッ、と言う音と共に使えなくなったタバコから白く薄い煙が昇って消えた。

 そんな煙をまじまじと見ていると、伏が藪から棒に疑問をぶつけてくる。

 

「…………岸辺先生と会わせたらどうなりますかね」

「気にいるんじゃねぇか? もしかしたら、余裕で100点貰えたりしてな」

 

 剛田の中で、苦い思い出が想起される。

 

 どっかの悪魔に殺された先輩の紹介で岸辺先生に指導された時の事。

 会った瞬間に意味のわからない質問をされ、低い点数を勝手に付けられたと思ったら、いきなり顔面ど真ん中をぶん殴られた痛い思い出の日を。

 後々に分かったが、あれは相手がイカれてるのか判断する為の軽いテストのような物だったらしい。

 それならそうと言ってくれれば良いのだが、その事を先生に言ったら「イカれてるかどうかわからなくなるだろ」とまともそうでそうでも無い様な事を言われてしまった。

 そう考えるとビリーと会わせたらどんな反応をするのか少し気になって来た。アイツは意外とネジがぶっ飛んでるから80、90点代は余裕で叩き出すのかもしれない。

 

 それと同時に、自身のバディの点数もおまけ程度に気になった。

 

「伏。お前何点だったけ?」

 

 剛田の質問に伏はピクリと身体を振るわせる。

 俺と同じく苦い思い出だったのだろう。どうやらコイツも初っ端からぶん殴られたか。

 

「………29点です」

「ブハハハハハッ! IQの高いお前でも高得点は取れねぇか!」

「そう言う剛田さんこそ何点だったんですか?」

「39点。まともすぎだってよ」

「人の事言えないじゃ無いですか」

「だな」

 

 ふぅと一息ついてから腰を上げて大きく背伸びをする。まだ猿の悪魔の行方も知らないし、ビリーの捜索もしなければならない。

 どうやら今夜は残業仕事確定らしい。

 

「って言うか、こんな事喋ってる暇じゃないですね。早くビリーを探さないと……」

「いや、多分だがすぐに見つかると思うぞ?」

 

 少し焦っている伏を落ち着かせる為に剛田は2本目のタバコに火を付けながらある物を見つめる。

 

「え? ああ、なるほど………」

 

 どうやら伏も理解できたらしい。顔を上げてとある物を見つめた。

 剛田が見つけたのは一つ目。俺たちを見続ける一つ目だった。黒くて細長い、四角形の物体が垂直な建物の壁に見つからない様に貼り付き、こちらを見つめている。

 

「こう言う人気の無い道は犯罪率が高いから、こうやって対策してあるんだよ」

 

 剛田はそう言いながら伏の隣を歩き始めた。

 

 相方の新人を見つける為に、彼は一本のタバコの火を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い景色の中から段々と意識を覚醒させる。

 冷たく、寒い、そしてどこか落ち着く様な暗い世界から抜け出す様に、ビリーはゆっくりと目を覚ます。

 

 重い瞼を持ち上げるかの様に開く。見える景色がぼやけていた為、窓ガラスを拭く様に瞼を擦った。

 そして、中途半端に自分の意識を保つと同時に頭がズキズキと軋む様な痛みを覚えた。

 

「……う」

 

 頭が痛い。針が刺さっているかの様に痛い。その上記憶が曖昧で、自分が何をしていたのか理解できていなかった。

 

「イッテェ……。何が……?」

 

 ベチョリ、とベタベタした血が付いている頭を抑えながら状況を確認する。

 

 夜だ。めっちゃ暗い。暗すぎて周りの景色が全て黒く見える。

 自分がいる場所を確認する。ざらざらと瓦礫や雑草が生えた床。手入れもなっていない薄汚れた壁。天井は無く、今夜は新月な為星が良く見える。最近はあまり星空を見る機会が無かったから結構綺麗に感じた。

 

 いや、そんな事はどうでもいい。何でこんな廃墟にいるんだっけか……。

 確か……、怪しい、人がいて…、いや、親子だったっけ……?

 そんで………、ここに入って行くのを見て………、それから………。

 だめだ。記憶が曖昧だ。廃病院に入った後を思い出せない。

 

 何か、重要な事だった気がするんだが……………。

 

「何だったっけ………、忘れた………」

 

 忘れてはいけないような事だったはずなのだが、いつまで経っても思い出すことができない。

 

 忘れていい記憶では無かった気がするのだが………、そう考えながら立ち上がった次の瞬間、

 

 

 

『やっと起きたかァ』

 

 

 

 自分の目の前に黄色い目玉が出迎えた。

 

「ッ!?」

 

 驚いた俺は瞬時に後退しようとするも行動が一歩遅かった。

 ゴォウッ! と暗闇から這い出た巨大な右手がネズミを手に取る様に俺を掴み捕らえた。

 

「しまった………ッ!」

 

 俺はなんの抵抗もできずに捕らえられてしまう。

 

 しまった、忘れていた。俺は、殺しに来たんじゃ無いか…………ッ!

 

 目標の為に、夢の為だけに…………ッ!

 

「猿野郎を…………ッ!」

『ようこそ、デビルハンターァ。俺たちのエサ場へェ……………』

 

 目が暗闇に慣れたのか徐々に周りの景色を取り戻してゆく。

 

 目の前にいるのは巨大な異形。

 

 公安デビルハンターが現在進行形で追っている、連続誘拐事件の犯人にして、最低で最悪の悪魔。

 

 猿の恐怖から生まれた存在、猿の悪魔が目の前にいた。

 

『おーおー。怖いねェ。血気盛んなデビルハンター共はよォ』

 

 どうやら俺はかなり睨みつけているらしい。当然だ。目の前に殺すべき標的がいるのだ。誰だって血の気が盛んになるに決まっている。

 

 それでも、猿の悪魔は余裕の表情で俺を笑っている。

 既に捕まっている俺はなんの脅威にもならないと思っているのだろう。近くにいるのっぺら坊に緊張感無く悠長に話し始めた。

 

『おいィ。何後をつかれてんだよォ。ここに長居できなくなっちまっただろうがァ』

『すまなイ』

 

 猿の言葉に言い返せなかったのか、仕方なくのっぺら坊は頭を下げる。

 それを横目にもう一人の、狸の毛皮を被った様な頭の形をしている魔人は腹を抱えながら爆笑し始める。

 

『ギャハハハハ! バカマネキンだ! イヒヒヒヒヒ!』

『テメェーもだ狸ィ。殺すならちゃんと殺しとけよなァ』

 

 どうやらコイツが俺の頭を殴って気絶させた奴らしい。

 見るからに人を見下している様な表情をしている。俺たちの事を食事としか思っていないのだろう。

 

『後で食うんですよ。肉付きのいい男は美味しいですから』

『お前変わってるなァ』

『猿こそ』

 

 二人で不気味な笑みを浮かべながらこちらに目を向ける。

 その目はまるで獣の目だった。

 獲物を見つけた様な、これから食す肉食獣の様な野生の目。そんな鋭い眼光が一斉に俺に向けられた。

 

『さて、お前はどうするかァ』

「…………」

『熟成するにもお前はもう成熟しきってるからなァ。だけど俺達を見たからには食事になるしかもう道は無いィ』

 

 ギチギチ、と俺を握る手の力が強くなってゆく。体内の内臓が圧迫し、隙間という隙間を完全に無くしてきていた。

 胃の中の物が迫り上がってゆくのを覚え、少し眉間に皺が寄る。そんな苦しそうな表情を見て狸の魔人はニヤニヤと悪趣味な笑いをしながら俺を見ていた

 

『安心しな。お前は血の補充用で当分生かしてやるよ』

「後悔すんなよ」

『キヒ、キヒヒヒハハハハハハ!』

 

 笑う、せせら笑う。気色の悪い笑い声が廃病院の隅々にまで鳴り響く。

 音は壁に反響し、跳ね返り、汚い不調和音として奏でられる。

 

 そして、笑い声が徐々に止み、

 

 

 

『人間風情がァ! ペラペラ喋ってんじゃねぇぞォッ!!』

 

 

 

 猿の悪魔は鬼の血相へと変貌して最大限まで握る力を強めた。

 ギチギチと、骨が折れる音を立てながら身体が軋んだ。

 

 

 

 

「ガァァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 まるで雑巾を絞り出す様に俺の身体が締め付けられる。行き場を失った鉄の味が胃の中から口に迫り上げ、ついに口から赤い液体が迸ってしまった。

 止めようにも体内のあらゆる隙間を埋められてしまっている為、口内から熱いものが込み上げてくるのを止めることができない。

 ドバドバと蛇口から出てくる水道水を飲む様に猿と狸は大きな口を開けて俺の血を飲んだ。

 

 ゴクン、と喉仏を動かした瞬間、

 

 

 

 

『うぐッ!』

『ギィッ!?』

 

 

 

 両者共に、目玉に血管が走った。

 

『ま、不味いィィッ!? なんて不味い血だァァ!?』

 

 猿の悪魔が突然暴れ出す。苦しみもがき、手に持ったビリーを放り投げて壁に頭を打ちつける。

 狸も喉を押さえて床をのたうち回り、表情はまるでこの世の者とは思えないほどの血相へと変貌していた。

 

『うぐぅ……、油絵の具と、泥を混ぜて、下水道の水で、薄めたような味だ……。ウッ、ウォェェェエエエエ』

『狸ィ! 汚ねぇぞォ!!』

『汚いナ』

『う、うるせぇ!』

 

 狸が床に吐瀉物を吐いた辺りでようやく皆が落ち着きを取り戻す。

 産まれてからここに至るまで幾多の生物の肉と血を喰らってきた猿だが、あそこまで酷く獣臭い血を飲んだのは初めてだった。

 

 まず最初は悪くは無かった。鉄の透き通る様な喉越しと冷たくなく暑くも無いちょうどいい温度が血の味に風味を出す。そんないつも通りの味だった。

 しかし、問題は後味である。美味い血が徐々に違う味へと変貌する。汚い雑巾に吸い込んだ泥水を飲み込む様な、そんな味が喉の奥へと入り込んで来たのだ。そこに甘味や旨味なんて物は存在しない。あるのは酷く苦みのあるクソみたいな味と喉の奥に残るベタベタとした気色悪い感触だけだった。

 

 考えるだけで頭に来る。不味い血を飲んで血が上り、こんな血を飲ませたビリーを殺そうと目を向ける。

 

 壁に衝突した所為なのか、ビリーはまたもや動かなくなっていた。顔は見えないものの生気が先程よりも少なくなっているのを見るにまだ生きてはいるのだろう。

 

『のびちまってるな。どうする? 殺すか?』

『殺そう! こんな不味いんだ! 肉も不味いに決まってる!』

 

 猿と同じく狸も頭に血が上り、鬼の形相を顔に浮かべながら怒鳴る。

 確かに彼らにとってはコイツの価値なんて無いに等しいだろう。食用にも慣れず血の補給にもなれやしない、ただの荷物同然だった。

 なら、殺す事にしよう。利用価値のない荷物はゴミでしかない。

 

 そう猿が判断し、ビリーを掴もうとすると、のっぺら坊が人間の間に入る。

 

『いヤ、殺すなら見せしめに殺した方がいイ』

『あァ? どういう事だァ?』

『バカマネキンの意見なんて求めてねぇんだよッ!』

 

 怒りに満ちた狸は反論するも、のっぺら坊はそれを無視して話を続けた。

 

『地下一階にいる子供らの前で殺すんだヨ。ここから逃げればどういう風になるか見せしめにネ』

『なるほどォ。悪くない考えだァ。前に逃げようとした奴がいたからなァ。子供は生意気な奴が多いし、いい教育になるだろうゥ』

 

 その提案に猿は顎に手をつけて納得した。

 子供と言う生き物は生意気な奴らが多い。自分達を常に中心として生きていると思い込んでいる下等生物の単細胞共だ。

 だが、そんな奴らでもある程度は教育できる。ここを逃げればどうなるかと言う教育が。

 そして決め手になるのは、コイツがデビルハンターだと言う事。この悪魔社会でデビルハンターは大切な市民を助ける正義の味方の様な存在だ。当然、子供の憧れでもあるのだろう。

 だからこそ、見せしめに殺す価値がある。正義の味方でも所詮は悪魔に勝つ事ができないと言う教育を子供らに学ばせるのだ。

 

 猿はその提案に賛同すると気絶したビリーの襟を摘み狸に向かって投げ飛ばした。

 

『よし、狸ィ。コイツを子供らの見せしめに殺してやれ』

『あ? なんでだよ』

『床汚した罰だァ』

『チッ、わかったよ!』

 

 狸は舌打ちをすると床に転がったビリーを引きずりながらロビーを出た。

 

 目指すのはここの地下一階。当時、ここの病院長が趣味で増築した地下の倉庫。今はのっぺら坊と狸が連れ去った子供達の牢屋として機能している場所だ。

 

『クソが、重い、な! 悪魔だった頃が懐かしいぜッ!』

 

 ズリズリと引きずるものの、ビリーが予想以上に重いのか、狸の力不足なのか、うまく引きずる事ができない。

 そして、下の階へと降りる階段に差し掛かった途端、今まで我慢していた怒りが突如として爆発した。

 

『チクショウがァ! ちゃんと引きずられろやァッ!』

 

 拳を握り、うまく引きずられないビリーを理不尽に殴り始める。

 

 魔人の力を最大限使い、顔面目掛けて力一杯ぶん殴る。

 殴るたびにビリーの口から血液が飛び散り、白い歯が抜け、鼻が曲がり、殴られたところは青く変色し腫れ上がった。

 みぞおちに拳を叩きつけ、えぐり、壁に向かって吹き飛ばした。

 壁に衝突した後もひたすらに殴り続けた。何発かなんてのは覚えていない。ただ、頭に湧き上がるストレスが消えるまで殴り続けたのは確かだった。

 

『ハァ、ハァ……。サンドバッグ用としては使えるな……』

 

 満足するまで殴りつけた後、移動を再び開始した。

 荒れ果てた階段を一段一段ずつ降りる。ここら辺は降るだけなため、先程の廊下よりも楽だった。

 

 そして、目的の扉へと辿り着くと、南京錠を外し、頑丈に巻きつけた鎖を解いて扉を開ける。

 

『オラ! ガキ共!』

「ひっ」

 

 バァンッ! と狸は扉を無理矢理開ける。

 その音に驚いたのか、それとも恐怖したのか、中に入っている子供達は後を引いた。

 

 倉庫の中にいたのは年端も行かない子供だった。外見で判断すれば大体5、6歳位で、男女合計7人程が狭くて寒い倉庫の中に収容されていた。

 狸の魔人を見て溢れそうな涙に唇を噛むが、狸はそれが逆に心地いいと思いながら引きずっていたビリーを手元に持ち上げる。

 

『コイツはお前らを助けにきた正義のデビルハンター様だ。だが、俺達の前に無様にも敗北し、こうして捕らえられた』

 

 その言葉を聞いて子供達は絶望したのか、誰もが苦渋に満ちた表情をする。そして、狸に向けられる恐怖心も全身に針を刺すかの様に浴びせられた。

 

 ああ、心地いい……ッ!

 

 狸の魔人はその眼差しが、その絶望に満ちた表情が、そして、自身に向けられた恐怖がとても気持ち良かった。

 自身の非力だった力が強くなるのを感じる。空っぽになってしまった自尊心が満たされてゆく。まるで、コップに水を注ぐ様に。

 だがまだ足りない。向けられた絶望が、最後の一欠片まで残っていた希望が砕け散り、心が恐怖に満たされるのにはまだ足りないのだ。

 

 だから、このデビルハンターを殺す。

 

 コイツを殺せばどうなるのか。子供達はどんな表情を浮かべ、どんな事を絶望を感じ取る事ができるのか気になって仕方がないのだ。

 

 気色悪い引き笑いをしながらビリーの顎と首に手を当てる。

 手の力を強くして行き、だんだん指がビリーの首に沈んでゆく。

 

『よぉ〜く見えとけ? ここから逃げたら……』

 

 楽しみだ。コイツらの絶望の表情が。今からたまらなく楽しみなのだ。

 精々死ぬまで、恐怖してくれ。そう考えながら…、

 

『コイツみてぇに、死んじまうからなぁッ!!』

 

 コイツの首を捩じ切ろうと腕を引き、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタがな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴキィッ! と何かが砕ける音と共に目の前の景色が180度回転した。

 

 

 

『へ?』

 

 何が起きたのか分からなかった。人間の首を捩じ切ろうとした瞬間、自分の首が、自分の見た景色が反転している。

 平衡感覚が掴めないままフラフラとよろめいて、瓦礫に足を挫き、床に倒れる。

 立ちあがろうにも腕と脚に力が入らず立つことはおろか、這いずり回す事すらままならない状態になっていた。

 

 一体、自身に何が起きたのか。

 

 その事を理解するのにさほど時間は掛からなかった。

 

「イテテテテ……。結構殴られて痛かったな」

 

 先程まで気絶していたビリーが服についたゴミをはたき落としながら立ち上がる。

 その光景を見た瞬間、理解した。

 

 コイツは、気絶しているフリをしていたのだと。

 

『ひゃ、ヒャンへ? ひょはへ、ひゃ?』

 

 首を曲げられた所為なのか呂律が回らない。悪魔としての生命力でなんとか生きてはいるがそれだけだ。魔人であるため、体の構造は人間と同じ。首の骨が折れてしまっているのなら立つ事すらままならないだろう。

 

「あ、ゴメン。トドメ刺さなきゃ」

『ひ、ひひゃぁ。ひひゃひゃぁッ!』

 

 ビリーがこちらを見ている。腰に隠しているナイフを取り出してこちらに向かってきている。

 

 早く、早く逃げなければ。逃げて隠れなければ。

 動かない身体に力を入れて無理矢理動かそうとする。

 しかし身体は狸の意思に反する様に動かなかった。平衡感覚を失っている今、立ち上がる事は不可能だろう。

 

 今も、これからも、狸は永遠に立ち上がる事はできない。

 

「ニホン語喋ってよ。悪魔風情」

『ひゃ、ひゃへッ! ひゃ ベェッ!』

 

 ズブッ! とねじ曲がっている首にナイフを突き刺し、捻るとハムをスライスする様に掻き切った。

 首からドバドバと血が流れ、床や壁、服に飛び散った。

 狸の魔人は何も考えられぬまま死亡。動かぬ屍となり、凍りついた、無感動とでも言ったような静寂を身に纏っているだけだった。

 

「ふー。めっちゃ痛かったぁ……」

 

 ビリーは狸の死体に興味を無くし、顔の傷をペタペタと触った。

 結構痛い。場所を瞼や頬が腫れてるから目と口は開けにくく呂律も少し悪い。まぁ魔人一体仕留められたのだからこの程度の傷は何ともないか。

 

 相手がバカで良かった。壁に叩きつけられた後、痛みを我慢して気絶したフリをしたのは正解だった。

 本当は油断した隙を突いて殺す作戦だったのだが、運良く救出対象の子供達がいる場所まで親切に運んでもらった。

 いや、そんな事は今はいい。相手側の敵は一体減った。これで二体一。この調子で狩り続ければ、目標であるウナジュウに辿り着ける。

 そうと決まればさっさと行こう。

 

「さて、次は猿を……」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああんっ!!」

「うおッ!?」

 

 思わずびっくりして反射的に身体が退けてしまった。

 自分に泣きついてきたのはこの倉庫にいる7人の子供達だった。猿の悪魔達によって誘拐された子達だろうか、安心したかのように泣き喚いている。

 

「ごわがった! ごわがっだよぉ!!」

「え? え?」

 

 まるで恐怖から解放されたかのような泣き声を叫びながら、俺に一斉に抱きつく。

 

 どうしよう。

 

 とりあえず、血の付いたナイフは見せないよう。あんまり怖がらせるのもなんだし。

 しかし、子供の世話なんてしたことが無いからわからない。スラム街での子供といえば大体がスリ魔だったから慣れないし、何を考えているのか時々分からなくなるからあまり好きでは無い。無邪気でそれが逆に微笑ましいから嫌いでは無いのだが、長年の経験から苦手意識が抜けていないのであまり接したくは無いのだが…………。

 

 状況が状況だ。接しよう。

 

「えーと、大丈、夫?」

「……………うん、うんッ」

「そう、それは………、良かった………かな」

 

 見たところ子供達にはあまり目立った傷などは無い。精々、腹の音がちょっと大きく鳴ってるくらいだ。飯の数が足りて無いのか腹が減っているのだろう。

 そのまま放置しても問題無い。さっさと猿野郎を殺しに行こう。とは言いたいが、あまり乗る気では無かった。

 

 敵は二体。一人が俺の相手をする場合、もう一人は逃げるかこの子供達を人質に取るのだろう。

 人質の方は問題無い。別に俺には関係無いから、意味を成さないのだ。

 

 問題は敵が逃げた時だ。

 これは俺の憶測なのだが多分、猿はあののっぺら坊に俺の相手を任せて一人でそそくさ逃げるだろう。今日まで慎重に生き延びてきたのだ。そんな奴がデビルハンターを前に正々堂々と戦うだろうか。いや、無い。

 

 ……………仕方が無い。

 

 一息つく。別にまだチャンスはある。子供達の避難が終わったらアックスになって突っ込めば殺せるだろう。のっぺら坊は魔人だからそうそう苦戦はしないし猿もアックスになれば必ず勝てる。

 

 まだ、慌てる状況じゃない。

 そう考えながらため息を吐くと扉を蹴りで壊して振り返った。

 

「さっさと逃げようか」

 

 少しだけ声に怒りが籠る。

 自分でも気づかないくらいの殺意が湧く。

 俺の身体は、猿を殺したくてウズウズしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れかけている階段を一段一段慎重に歩く。瓦礫が所々あるから音を立てないようにゆっくりと登っていっていた。

 後ろを振り返る。子供は7人。全員が身体を震わせていた。足もガクガクと生まれたての子鹿のようで、不安定で、手すりで支えてないと今でも転んでしまいそうだ。

 

 俺たちが目指すは玄関ホール。この廃病院の外に出れる唯一の場所。

 窓から逃げても良いのだが長年手入れをしていないのか開けようとするとギギギッ、と掠れた音が良く聞こえるため気付かれてしまう。窓からの脱出は難しいだろう。

 それに、玄関ホールとロビーはほぼ反対の位置に存在している。そのため、一番安全でかつ、脱出が簡単な場所は玄関ホールとなったのだ。

 

「よし、誰もいないな………。ゆっくり登ってきて」

「は、はい…………」

 

 一階の廊下に誰もいない事を確認すると、階段の踊り場にいる子供達にサインを送る。

 それを確認すると子供達はまた一段一段と手すりを使い慎重に階段を登っていった。

 

 どの子も足がおぼついてるからかなり危なっかしい。その上、今まで我慢してきた恐怖は割れる寸前の風船のように貯まっているから、そこも不安要素の一つだ。悪魔と遭遇でもしたら多分、どんな行動を起こすのか予想がつかない。なるべく、慎重に事を進めないと。

 すると一人の女の子───今日、のっぺら坊に連れてこられた子───が声を震わせながら尋ねてきた。

 

「も、もうダイジョーブだよね? でびるはんたーが、助けに来てくれたんだよね?」

「シー。バレるから黙ってて」

 

 あまり声を出さないでほしい。ここは静かだ。廃病院の周りはコンクリートの地面なので、草木はあまり多くは植えていない。

 だから、風で揺れる木の幹の音は聞こえないから、誰もいないのも合わさって不気味な程静かだ。

 

 そして、誰もいないからこそ一つの音だけで気づかれる可能性がある。

 ここは音が良く響く。多分、普通の話し声だけでも音が反響し合って病院内ほぼ全域に聞こえるだろう。

 だが、そんな事を教えている時間はない。取り敢えず悪魔に見つかる可能性があるから、と消極的に伝えた。子供達もそれを聞いて顔を青ざめて口を閉ざした。

 

 静かな廊下の中を歩いて行く。

 割れた窓から見える空は暗い。今夜は新月なのだろうか。月明かりが無い代わりに空に散らばる星がいつもより一層強く輝いていた。

 結構綺麗だ。後でまた来よう。

 

 そう考えながら歩いているといつの間にか玄関ホールへと辿り着いていた。

 子供達を待機させ、ホールの周りを見渡すが誰もいない。異常は無いからひとまず安心して良いだろう。

 安全を確証するとハンドサインを送って待機させていた子供達を呼んだ。

 後は、外に出るだけだ。

 

「よし、出口だ。行こう」

「や、やった………」

「出口だ………」

 

 俺が先行して、子供達が後をついて行く。

 外を出た後は山を降りて民家に預ける。後は俺が廃病院に戻って猿を殺すだけだ。

 大丈夫。まだ奴らは気が付いていない。

 さっさと逃げて、殺しに行こう。

 ビリーは玄関ホールの取っ手を握る。

 そして、外に出ようと扉を開け……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『みーつけたァ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横の窓に映っていた猿に気がつかなかった。

 

「ッ!?」

 

 声を聞いた途端、後ろに飛ぶがもう遅い。

 暗闇から現れた一際大きい拳が無防備な俺の胴体を殴りつけた。

 

 自由を失った身体が風とGを受けながら吹き飛び、受付窓を破壊して、ひび割れた壁に勢いよくぶつかる。

 

「グハァッ! ァアッ!」

 

 元々折れていた骨がさらに砕け、傷ついた内臓が再度血を出し、腫れた口と鼻から少量の血が垂れ流れる。

 

『狸の帰りが遅いからつまみ食いしてると思っていたら、まさか人間に殺されたとはなァ。哀れな狸だァ』

 

 ちくしょう。脱出するのに時間をかけすぎた。お陰で相手に不信感を与えて、結果的に見つかってしまった。

 

 猿は倒れた俺の事を無視して子供達の方を見る。

 その黄色い目玉は、家畜の豚を見る目そのものだった。

 

『さてと、もうここは危険な場所だし、子供はさっさと食っちまうか』

「ヒッ!」

『まずは、甘味のある女子から…』

 

 一人の子供に捕まえようと手を伸ばす。子供の方は恐怖で腰を抜かしてしまったのかガクガクと足を震わせて逃げようとしない。

 このままでは猿に捕まり、そして喰われるだろう。

 猿の指が子供の身体に触れる、その時だった。

 

「こんの…………ッ、!」

『ナァッ!?』

 

 突如として現れた斧が猿の人差し指と中指を切り裂いた。

 指は宙を飛び、ボトボト、と地面に落ちる。切られた指から血が垂れ流れ、猿は悲鳴を上げた。

 

『お、俺の指が切られたァァ!? 俺のォ! 指がァ!』

 

 猿は自身の指を切り落とした要因を見る。

 受付窓から飛び出すナイフを持った青年。顔や身体の傷が酷く損傷して、明らかに重症の身なのだが、鋭い眼光とナイフをこちらに突き立てながら殺意を放っている。

 どうやらコイツが斧を投げたらしい。そう考えるだけで猿は沸々と怒りが込み上げてくる。

 

 一方、ビリーも確実に猿を殺す為に右腕を振り上げた。

 夢の為、ウナジュウの為に腕を振り下ろし、アックスになろうと右腕を振り下ろす。

 

 

 

 しかし、現実は甘くは無い。

 

 

 

「クソッ……! アックスになれない……!」

 

 傷が治って行く。腫れた顔や折れた骨、傷ついた内臓がたちまち再生していくのがわかる。

 

 しかし、それだけだ。

 

 頭から、腕から切り裂くように斧が出てこない。逆に先ほどよりも気分が悪く、目に写る景色がボヤけ、平衡感覚が掴めないのか足がおぽついてうまく立てない。気を抜くと意識も飛びそうだ。

 

(血が無いと変身できないのか………ッ!)

『アックス? 何言ってんだ食事がァァッ!』

「あぶっ」

 

 怒りに身を任せた拳がビリーを殺しに猛スピードで迫ってくる。

 燃えカス程度の意識を無理やり燃えたぎらせると、横に飛び、猿の拳を避けた。

 そして、2度目の攻撃。第二の右手がビリーを捕まえる為に手のひらを見せるが、逆にビリーは指と指の狭い間を通り抜けて、猿の腕の上を駆け抜ける。

 

『何ィ!?』

「さっさと、死ねよ……!」

 

 手に持ったナイフの感触を確かめる。握る力を込めて狙いを定める。

 

 頭が悪そうな脳天にぶっ刺そう。

 

 狙いを定めた後、ビリーは両足をバネに高く飛び上がった。

 そして、ナイフを持つ手を天高く振り上げる。

 タイミングも完璧。相手の防御は間に合わない。

 

 勝利を確信しながらビリーは残りカスのような力でナイフを猿の悪魔の頭目掛けて振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 ガキィンッ!と金属と金属がぶつかる。

 

 

 

 

 

 

 

 脳天に刺すことはできなかった。

 最後の力で振り下ろしたナイフは目の前の男によって防がれた。

 

 肩まで伸びている黒髪の天然パーマ。俺と同じくらいの身長と俺と同じ公安デビルハンターの制服とダボダボのロングコートを羽織っている男によって。

 

 

 

 ビリーの攻撃は、()()()()()()()()()()()

 

 

 

 目の前にいるもう一人の俺に困惑する。

 

「な、俺ぇ!?」

『よくやったぞォ! マネキン!』

 

 まずい、この状態はかなりまずい。

 自身の危機察知が反応し、ナイフを持つ手を無意識に離した。

 その瞬間、自身を襲ったのは痛みと吐き気。

 

 同じ顔をしたビリー、もといマネキンの魔人の蹴りが直に喰らう。

 ゴキゴキゴキッ!と、腹から骨が何本は折れる音が鳴った。

 

「グゥッ!」

『弱いナ。弱ってるのカ?』

 

 マネキンの魔人による蹴りは俺の身体を吹き飛ばし、長い廊下に何度も叩きつけられる。

 今でも飛びそうな意識を奮い立たせ、受け身を取ると、奥にいる腰を抜かした子供達に向かって腹の底から怒声を叫ぶ。

 

「何やってるんだ! さっさと逃げろ!」

「で、でも」

「いいから早く!」

 

 正直言って、この場にいても足手纏いなだけだ。それにいつまでもここに居れば巻き添えを喰らう可能性がある。それなら、逃げさせた方がマシだ。

 

 子供達はビリーの怒声に従うように一目散に廃病院から出て行く。それを見た猿は薄汚い笑みを浮かべながら俺を無視して子供の方へと足を向けた。

 

『お? 鬼ごっこか? ハハハハハハッ! 良いぞ! 10秒待ってやる!』

 

 よし。子供達は当分の間は大丈夫だろう。後は、俺の偽物を倒すだけ、なのだが…………。

 

 足が上がらない。身体に限界が来ているのだろう。当然だ。肋骨は一本折れてるし、内臓だってさっきの蹴りで傷ついてる。おまけに血が足りなくて貧血状態だ。更に言えば相手は万全の状態で俺に挑んでいる。勝つのは絶望的だろう。

 だがそんな状況でもビリーは諦めなかった。拳を握り、相手の顔面目掛けて殴りつけ、避けた瞬間に左足を軸にガタが来ている右足を強引に上げて回し蹴りを放つ。

 

 しかし、そんな貧弱な攻撃でやられるような魔人ではない。

 

 蹴りを放つ瞬間、マネキンの魔人は片腕でガード。脇腹を叩くはずだった蹴りは現実を知らせるように前腕によって防がれた。

 

「チッ!」

『遅いよ。アンタ』

 

 すぐさま足を引くが既に身体が悲鳴を上げていたのだろう…平衡感覚が掴めなくなり軸にしていた左足のバランスが保てなくなる。

 

 その隙をついてマネキンの魔人は拳を握り、ビリーの土手っ腹を殴りつけた。

 

「イッ……テェぞ……ッ!」

 

 腹から込み上げてる物を抑え、倒れそうになった身体を何とか堪える。

 しかし、

 

(ちくしょう…………ッ!)

 

 ビリーの身体は既に限界に達していた。

 立つことができない。足が痺れて上がる事なく、逆に地面に膝をついてしまう。

 

 その隙に魔人はもう一度、ビリーの顔面を殴った。

 ドゴォッ! と痛々しい音が病院内で響き渡る。

 マネキンの魔人の攻撃に、情けは無かった。

 

「ブフッ! ゴハッ!」

 

 攻撃は止まない。殴打、殴打殴打。力を緩める事なく、情けなど無く、ただ、怒りの矛先をビリーに向けながら殴り続ける。

 みぞおちを抉るように拳を叩きつける。魔人の力で増幅した蹴りが脇腹を襲い、骨折を悪化させる。

 

『よくも狸を殺したな』

 

 殴るのが止まった後、ガシッと首を掴まれた。

 そしてそのまま手に力を入れて首を絞め、俺の身体を持ち上げる。

 

 抵抗はできない。身体が俺の意思に反しているようにピクリとも動かない。唯一出来ることは、首が締めら出ているせいか呼吸しようと必死に肺と口を動かし続けるだけだった。

 

 今のビリーには、これ以上どうすることもできない。

 

『楽に殺してやろうと思ったけど。やっぱやめた』

「……ァ…………ッ」

 

 懐から俺が使っているのと同じナイフを取り出した。そしてその切先を俺の頭に向ける。

 ナイフの金属の光沢が俺の顔を映り込む。ブレもなく、揺れることもない刃は確実に俺を殺そうと向けられている。

 首を絞める力が強くなる。段々と自分の意識が遠のいて行く。

 

 

 

 ビリーが唯一出来る事は自身の死を待つだけだった。

 

 

 

 

『狸の痛みを、ちゃんと味わえよ』

「…ァ……………ァ…………ッ」

『死ね』

 

 ナイフを振りかざし、掴む力を強めると勢い良く俺の脳天目掛けて振り下ろした。

 

 避ける事など不可能。抵抗する事すらできない。もはや、その先にあるのは非常な現実である死のみだけ。

 ナイフが俺の脳天を貫くのを覚悟しながらビリーは両目を瞑り……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴバァッ! と何かが貫いた。

 

 目の前だ。俺の目の前から音が聞こえた。

 

 ビリーはゆっくりと目を開ける。どうやら死んでいないらしい。

 

 目の前のビリーの顔をしたマネキンは驚愕の表情を浮かべながら固まっていた。

 

 首を絞める力はもう既に無かった。手から離れた俺の身体はドサッと力無く倒れ込む。

 

 目、鼻から一滴、口からタラリと血が流れる。ナイフを持つ手がみるみる内に弱まり、カランッと音を立てながらナイフが床に落ちた。

 

 マネキンの顔が俺を無視するように下へと向ける。正確には自身の腹に注目していた。

 

 黒い爪だ。太く、硬く、そして鋭い3本の爪が、

 

 

 

 

 

 

 

 どこからともなく現れた獣の爪が、マネキンの身体を貫いていた。

 

 

 

 

 

 

 

『な、んで、おれ、ワ、ワワタ、ワタシ、ガ?』

 

 バキバキッと脱皮をするかのように中から本体が現れた。牙から逃れる為に、生きる為に。

 

 しかし、それだけだった。

 

 脱皮したからと言って自身を貫いた爪は消えることは無い。

 フラフラとよろめき、最期は小腸大腸を床に撒き散らかしながら力無く倒れ込み、絶命した。

 

 俺はマネキンの魔人の死体を横目に流して前を見る。

 

 煙となって消えていく獣の腕から、一人の男がこちらに向かって歩いてくる。

 麦色の短髪をした穏やかそうな顔つきの男性。

 

「間に合いましたか」

 

 俺の教育係を任されていたフシさんが眉間に皺を寄せながら近づいてきた。

 

「フシ、さん?」

「勝手に行動するなと言ったでしょう。全く」

 

 何故ここにフシさんがいるのか。いや、そもそもなんで俺がここに居るとわかったのかわからない。

 ここは山の中の人気の無い廃病院だ。ここに俺が居る理由なんてものはないし、猿の悪魔がここに居るとは今日までわからなかったはず。

 

 しかし、そんな考えを無視するかのようにフシさんはビリーの腕を肩に組ませて抱え歩く。

 外に連れ出そうとしているのだろうか。

 

「救急車を呼びました。説教は病院の中でしますからね」

「待って、くれ……」

「待ちません。あなたの治療が先ですよ」

 

 俺の静止する声を聞かずにフシさんは歩き続ける。眉間に皺が寄ってるし、声も多少荒んでいる。怒っている証拠だ。

 

 だが、そんな理由で引く俺でも無い。

 

「待てって、まだ、やることが、ある……」

「すいませんが、意見は聞きません。貴方は勝手に行動しました。なら、私も勝手に行動します」

 

 勝手に行動した事を根に持っているようだ。これじゃあ聞く耳を持たないだろう。

 

 俺が迷惑しているのはわかっている。俺が勝手に行動しなければこう言う事態にならなかったのも理解している。

 

 全ては、俺が悪いのも知っている。

 

 しかし、それでも。

 

 

 

 それでも、やらなきゃいけない事が俺にはあるんだ。

 

 

 

「新しい、夢。できたんだよ……」

「夢?」

「うん……。今日、見せたでしょ? やりたい事、リスト……」

 

 俺は懐から黒い手帳を取り出した。今日の夕方にフシさん達に見せたやりたい事リストだ。

 それを動かしにくい腕を使って適当なページを開く。

 

「最初は……、ウナジュウ……、食いたい、から……、夢、追ってたんだ……。猿とか、子供とか、そう言うのは……、全て、どうでも……、良かったんだ」

 

 夢を書く為のペンを探すものの、どこかに落としてしまったのかどこにも無かった。あれだけ激しい戦闘をしたのだから仕方が無いのだろう。

 

「けど、ムカつくんだよ……。アイツ見てると……、あの頃の……、クソみたいな……、思い出、思い出させてくるからさぁ………」

「……一様聞いておきます。どういう夢ですか?」

 

 ペンの代わりに俺は人差し指に鼻から垂れている血を付け、その指で真っ白なページの上を走らせた。

 インク代わりである血が切れたらもう一度血を付けて、文字を書く。それを三回繰り返すと書き終えたページをフシさんに見せた。

 

 両開きに書いてある文字。ビリーが今、やらなければならない夢を、フシさんは読み始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サルのアクマ、コロす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 純粋な願い。子供じみた矮小な夢。

 ただ、ムカつくから殺すと言う、私情ありまくりのイカれているようでどこか人間らしい願いが血文字で書かれてあった。

 

「フシさん……、後で、名一杯……、一晩中怒って、構わない……。なんなら、これから先……、なんでも言う事、聞いてやる……。だから……」

 

 口にする。声に出す。

 

 ビリーの口が動き、掠れた、貧弱そうな小さい声がフシさんに向けられる。

 

 まるで生まれたての小鳥のように。死にかけの犬のように。

 

 いつも通りの声量なのに、どこか怒りがこもっているような声が病院に聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいつ、俺が殺して良いか……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静寂が、彼らの周りを包み込んだ。

 

 ビリーの目ははっきりとフシさんの方へと真っ直ぐに見つめている。覚悟が決まった、夢を追い続ける少年の目が彼にはあった。

 数時間、真夜中の音色が奏でられていた最中、フシさんが最初に口を開いた。

 

「ハァ……」

 

 出てきたのはため息。呆れたような、諦めたようなそんな息を口から吐いた。

 フシさんは怒る事なく、ビリーの方に顔を向ける。

 

「条件を言いましょう」

「条、件………?」

「そう。条件です」

 

 フシさんは人差し指をこちらに向けながら条件を提示する。

 

「私の指示無しで勝手に行動しない事」

「……え?」

 

 それだけ? ただ、指示が来るまで行動しない事、だけなのか?

 ビリーは頭の回転を無理やり動かして考える。しかし、出てきたのは疑問の文字ばかり。

 そんな困惑している俺を無視してフシさんは話を続けた。

 

「貴方は教養も薄く、尚且つ自分勝手に行動します。ですが、私の指示で動いてくれるならその夢を叶えてあげましょう」

 

 夢を叶えさせてくれる。

 ただ、指示を聞くだけで。

 

 俺の夢が叶ってしまう。

 

 そう考えるだけで自分で気づかない程の怒りが鎮まり、逆にワクワクが押し上げてくる。

 

「はい。さぁ、どうします?」

 

 フシさんが訪ねてきた。

 多分、最後の質問なのだろう。

 

 なら、俺が答えるべき答えは決まってる。

 

「………フシさん」

 

 スゥ、と息を吐いた。深呼吸して自分の心を落ち着かせる。

 心臓の音が段々と静かになって行く。興奮した身体が心臓の音に合わせるかのように落ち着いてくる。

 覚悟は決まった。言うべき言葉もわかっている。

 

 後はもう、言うだけだ。

 

 俺は口を動かした。

 

 自身の夢の為に。

 

 

 

 

「………指示ィ、くれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺自身を、掴み取る為に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の森の中は暗い。

 

 木の葉が月や星の明かりを妨げるからだ。どれほどかと言うと自身の立ち位置が分からなくなるほど。しかも、今夜は新月だ。木の葉の間を微かに明るくしてくれる微妙に頼もしい月明かりも今夜はまったく無い。

 さらには、土の出っ張りや木の根など転ぶ要素もふんだんにあり、怪我の危険性も十分ある。故に、夜の登山は危険が多く、そんな中で出歩く人は初心者か、命知らずの馬鹿だけだ。

 そんな月明かりのない新月の下で森がざわつく。

 

 明かりのない世界で、一際大きな声がやまびこを発しながら響いていた。

 

『ホラホラホラホラァッ! さっさと逃げねぇと食っちまうぞォ!?』

「お母さァァァんッ!!」

「ママァァァ! ママァァァッ!!」

『イヒヒヒヒヒッ! ハーッハハハハハハハハハハッ!!』

 

 泣きじゃくり、絶望を味わいながら逃げる子供を追いかけて、猿の悪魔は楽しそうに走っていた。

 長い足を使って木々を乗り越え、非常に長い4本の腕が走るスピードをさらに上げる。

 

 しかし、子供が追いつかない絶妙なスピード加減で走っていた。理由は簡単。自身に向ける恐怖心が心地良かったから。

 子供は世間知らずで、常識が疎い奴らが多い。だから、ちょっとやそっと怖がらしただけで恐怖を感じ、チビってしまう。

 恐怖しやすいから、猿の悪魔はとても子供が大好きだった。

 

 

 子供が好きだ。

 

 

 純粋で、単純で、そして馬鹿馬鹿しいほどの声量をあげて逃げ回る。脅かせば、尿を撒き散らかして絶望する甘くて美味しい食事だ。

 あの味が忘れられない。初めて食ったガキの甘い血の味が今でも舌にこべりついている。

 

 もういいだろう。頃合いだ。

 コイツらの恐怖は既に感じた。後は食い殺すだけだ。

 

 長い手が一人の男の子に向けられる。子供は逃げようにも、木の根に足を引っ掛けてしまい無様に転んでしまった。

 

 猿の手が、指が、子供に触れようと迫ってくる。底無しの絶望と恐怖を味わいながら子供は目に涙を溜めて、猿は、その恐怖をまだ心地いいと思いながら捕まえようとした。

 

 しかし、その瞬間、

 

「オラァッ!!」

『グォオオオオッ!?』

 

 ドゴォンッ!と、自身の頬が凹んだ。

 

 その直後に来る、痛みと衝撃が猿の悪魔を襲う。

 

 吹き飛ばされた身体を動かし、4本の腕を木の幹に掴んでから、グルン、と体操選手のように一回転しながら着地した。

 

 自身の頬を殴った人物を黄色い丸目で見据えた。

 

 公安デビルハンターのスーツを纏う、黒髪短髪の筋肉質の中年男。

 剛田タイジが、ゴツゴツとしたメリケンサックを手に、猿の悪魔に立ち向かっていた

 

「公安対魔特異四課の剛田だ! 応援が来るまで足止めさせてもらうぜ!」

『チッ! デビルハンターが来やがったかァ!』

 

 猿の悪魔は思わず悪態をつく。子供を追いかけるのに時間をかけ過ぎたか。恐怖させるのが楽しすぎて時間を忘れてしまった。

 

 しかし、そんな事は目の前にいる男を殺せば良いだけだ。他のデビルハンターが来るそうだが、この山の中では来るのに時間がかかるだろう。その間にコイツを殺して子供二、三人食い逃げる事は可能だ。

 

 最初に動いたのは猿の悪魔だ。二本の右拳が剛田を殺そうと迫って来る。

 ただのパンチとは言え、その力はただの人間が喰らえば即死級だ。受ける事は出来ないから避けるしかない。その隙をついて左手で捕まえ、食い殺す。

 

 しかし、猿の悪魔の予測は外れる事となる。

 

「〝アース〟! 盛り上げろ!」

 

 メリケンサックを真下の地面に押し込むと、突如、猿の悪魔が立っている地面が波打つように盛り上がる。

 体制が崩れ、本来剛田に当たるはずだった拳が空を殴った。

 剛田はその隙を逃さずに懐に飛び込む。

 

「オラオラオラオラッ!」

 

 怒涛のパンチ。殴る、殴る、殴る。

 メリケンサックの硬い感触が猿の頬、腹、そして脳天にめり込ませた。

 腹の攻撃は弱い吐き気を催し、頬の殴打は歯を欠けさせ、脳天の衝撃はぐらりと視界が回転して、平衡感覚がおかしくなる。

 

 しかし、そんな攻撃でやられるような悪魔でもない。

 

『甘いぞォ!!』

「グッ!!」

 

 すぐに体制を整えると左手で剛田を捕まえ、そして奥にある岩の壁目掛けて投げ飛ばした。

 本来ならばその速度に困惑しながら壁に激突し、血反吐を吐き出して身体から内臓をぶち撒けながら絶命だろう。実際、猿の悪魔はそうなると予測していた。

 

 しかし、剛田はベテランだ。伊達に長い事悪魔を狩り続けてはいない。

 慌てる事なく、強度の風圧とGに耐えながらメリケンサックを構える。

 

「〝アース〟! クッション!」

 

 突如、壁の目の前にある地面が盛り上がる。先程のような波打つような物ではなく、ドロドロと水を含んだ柔らかい土の壁が軌道線上に生成された。

 

 バシャアッ! と泥の壁に叩きつけられ、衝撃を吸収。服や顔、髪に泥が付いたがそんなの関係無い。泥の壁から這い上がり、猿の懐目掛けて飛び込んで行く。

 

「クソッ! まだまだァ!」

『おい! デビルハンター!』

 

 突如、猿が何かを持った。最初は気にしずに殴ろうと拳を振るうが、その何かを見た瞬間、剛田の動きが完全に止まる。

 

『コイツが見えないのかなァ?』

「ひ、ひ、助け、てぇ……」

「人質………ッ!」

 

 先程、悪魔に捕まりそうになっていた子供が泣きじゃくりながら猿の手の中にいた。右手で子供の体を掴んで自由を縛り、左手の親指と人差し指で子供の頭を摘んでいる。

 ちょいとでも左手を捻れば首の骨が折れ、最悪、ねじ切れてしまう可能性がある。

 

 つまり、

 

 

 剛田はこれ以上、動く事ができない。

 

 

『オラッ!』

「グハァッ!」

 

 猿の第二の右手が剛田を殴りつけた。咄嗟に腕でガードはしたものの、バキバキッ! と木の根が折れるような音を響かせながら骨が砕ける。

 

 猿の悪魔は無慈悲に、非情な笑みを浮かべながら第二の左手の拳を握り始めた。

 

 そこに、人の心なんてものは無い。

 

 あるのは、痛めつけたいと愉悦に思う悪魔の心だけ。

 

『人間なんてもんはなァ! 弱味見せればそれだけで怯んじまう愚かで下等な家畜なんだなァ!』

 

 殴る、殴る。とにかく殴り続ける。

 まるで津波に飲み込まれるように顔面、腹に鋭い衝撃が走り、視界がぐらりと揺れ始める。しかしすぐ続けて2発、3発と蹴りや拳が飛んできた。反撃しようにも、子供を人質に取られている為攻撃や防御のしようがない。

 4発、5発、6発………、とどんどん殴る回数が上がって行く。口の中が鉄の味でいっぱいになり、腹を殴られるたびに吐き気を催した。

 少しずつ意識が薄れていく。全身から力が抜けていく。自分が立っているのか、あるいは死んでいるのかわからない。

 

「く、ク、ソがぁ………ッ!」

『家畜は家畜らしくゥ! 食用として死んじまえよォ!』

 

 とうとう剛田は地面に倒れこんだ。それでも猿の悪魔は手を休めない。休もうと言う選択肢は全く無かった。

 不愉快に聞こえる声が森の中で響き渡る。殴る音も、既になく、あるのはただ虫の息で倒れている男と笑い続ける悪魔の姿しか無かった。

 

 時間をかけるのが惜しい。この男を仕留めて早くガキを喰うとするか。

 

 そう考え、猿の悪魔は足を振り上げた。恐怖に染まった顔が見られないのは残念だがそれは逃げているガキどもで味わうとしよう。

 目の前のデビルハンターを殺す為に、振り上げた足を、地面に向かって振り下ろし……

 

 

 

 

「おい!」

『あ?』

 

 

 

 

 

 聞き覚えのある声が聞こえて、足を止めた。

 ゆっくりと猿が顔を上げる。

 岩の壁の上にいる。崖側に立つ一人の男。

 新月の夜を背に、ダボダボのロングコートを風に靡かる、一人の少年。

 

 ビリーが、マネキンの魔人の首を噛みつきながら立っていた。

 

『なんでお前がここにいるんだ? マネキンは死んだか?』

「ビ、ビリー……?」

 

 何故ここに居るのか、マネキンは奴に殺されたのか、猿の悪魔は考えて───、

 

 すぐに考えを放棄した。

 

 まぁいい。俺が生き残ればどうでもいい。

 所詮は雑魚悪魔。たかが人間にやられる程度の雑魚という事だ。どうせ生きてても役には立たなかっただろう。

 

『コイツ見ろォ! 死んじまってもいいのかァ!?』

 

 咄嗟に両手に掴んでいる人質をビリーに見せる。

 

 こうすれば、大体の人間は面白い様に動かなくなるからだ。

 男を殺せなかったのは少し心残りするが既に時間はない。この子供を人質にしながら、さっさと逃げる。そう考えていた。

 

 

 

 しかし、猿の予想は見事に外れる。

 

 

 

 ビリーはマネキンの頭を放り投げると、勢いよく崖から飛んだ。

 

 そう、猿の悪魔目掛けて。

 

『ありゃ? 聞こえなかったのかァ?』

 

 しかし、それで慌てるような猿では無い。すぐさま第二の左手を構えてゴキ、と指を鳴らす。

 ビリーの落下予測地点は予想がついている。後はそこに手を置くだけ。それだけで人間プレス機の完成だ。

 

 

 ビリーは落下する。猿の悪魔は手を宙へと掲げる。

 

 

『握り潰れちまえよォォォオオオオオッ!!』

 

 猿の咆哮が森中に響き渡った。就寝中だった鳥が一斉に飛び起きて翼を広げて空に駆ける。

 

 星の輝きがビリーの背を明るく照らす。鳥の影が月の無いよりに鮮明に描かれる。

 腕を空高く振り上げ、目の前の猿を見た。

 

 

 

 そして、

 

 

 

 そして、

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 ビリーは腕を、振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がまだ六の頃。とある孤児院で野良犬を拾った事があった。

 その日はかなりの大雨で、かなりの雨粒が風とともにガラスをパチパチと拍手に似た音が激しく叩いていた。

 そんな景色を××と見ながらナイフを手入れをし、外を眺めていたある日、ふと、草陰の奥に何か蠢いているものを発見したのが始まりだった。

 

 最初は興味がなかったが、××は何故かこっそりとて外に抜け出してソイツを拾ってきた。完全に迷惑だったので注意しようと思ったが、面倒くさいくて結局しなかったのをよく後悔していた。

 

 野良犬は薄汚い仔犬だった。

 犬種は不明。少なくともそれなりに小さくて、茶色と白が混ざった毛並みだったのは覚えている。

 犬のくせに妙に人間臭くて、××の膝の上に乗って胸に顔を埋め込むのが好きな変態犬だった。ちなみに俺は噛みつかれた。俺の事は嫌いだったらしい。

 

 うちの孤児院は動物を飼えない。俺が前に飼っていたネズミが見つかった時は職員が目の前でネズミを踏み潰した事がある。多分、この犬も見つかったら殺されるだろう。××もそれがわかっていたはずだ。だから、すぐに飽きて孤児院の外に捨てるだろう。そう思っていた。

 

 しかし、××は野良犬を見捨てずにちゃんと育てた。残り少ない食事や、水で薄めてるのかと思うくらいの牛乳などを懐に隠して静かに食わせたりして、やがて野良犬はすくすくと成長していった。

 

 一緒に部屋でボールを転がして遊んだ。お手やお座りなどの芸を覚えさせるのに苦労した。犬を隠すために木の床を剥がして仮の犬小屋を一緒に作ったりした。

 ××にとっては、退屈で閉鎖的な孤児院の中で暮らす中で、毎日が楽しく思えるほどの日を過ごしていたんだろう。

 俺もその隅で、楽しく過ごしている彼女と共に一緒に遊んだ。

 

 

 

 

 

 しかし、ある日犬はいなくなった。

 

 

 犬の遊び道具であるボールはどこにもなかった

 

 

 床に作った隠し犬小屋が無惨に壊されていた。

 

 

 外には銃痕のあるビニールが遭った。

 

 

 野良犬二匹が、ナニカを喰らっていた。

 

 

 地面にはドッペリと、血痕がそのまま残っていた。

 

 

 初めて、××の泣く姿を見た。

 

 

 

『ペロ………ッ、ペロォ……………ッ』

 

 

 あの時、俺は××の気持ちが分からなかった。全く、全然分からなかったんだ。

 

 すぐ死ぬとわかってたのに。処分されると分かっていたのに。

 なのにどうして世話をしたのか、どうしてナニカを食らっていた獣二匹を殺したのか、理解できなかった。

 

 

 

 

 だけど、

 

 

 

 

 今だけは、

 

 

『馬鹿みたいな人生を思いっきり楽しんでこい』

 

 

 どんな気持ちで、泣いていたのか、

 

 どんな気持ちで獣を殺したのか、

 

 

 

 

 今だけは、理解できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バシュッ

 

 

 バシュビジィ!

 

 

 

 

 バシャビジィバシァアッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血が噴いた。

 

 

 

 

 

 俺の頭を両断するように斧の刃が内側から出現する。

 突き出るように、貫くように刃が俺の両腕から生える。

 

 気分が高揚する。頭の中で独特のリズムが刻まれる。

 表情筋が活性化する感覚を覚え、無表情の俺からは信じられないほどの笑みを顔に浮かべる。

 

 人質とか、仲間とか敵とか、悪魔とかハンターとかどうでもいい。

 

 ただ、ただ今だけは、夢に向かって突き進むのが心地いい。

 

 

 目の前にいる奴を見据えろ。

 

 奴は敵だ。俺から何もかもを奪い尽くす侵略者だ。

 

 

 引くな、臆すな、前を見ろ。

 

 

 武器を構えろ。前進しろ。

 

 

 侵略者共に鉄槌を。

 

 

 奪い取らなきゃ奪われる。

 

 

 enjoy until you go crazy.

 

 

 

 狂うまで、楽しもうぜ。

 

 

 

 

Hyahhaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa──────ッ!!

 

 

 

 

 ヒャッハーアックスは、再誕する。

 

 




 輪廻転生システムが二次創作にとって便利すぎる。

 次回、サル対アックスッ!


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アックスVSサル

 ※この回書いてて思った事。
 「コイツらめっちゃウルセェ〜」

 
【挿絵表示】

 斧の武器人間のデザインを一部変更しました。
 後頭部と首、顎が変わりましたね。シャーペンで描いたので前よりも見やすくなったのかと思います。

 レディ・プレイヤー1大好きッ!!


 

 夜の森の中、二匹の悪魔の雄叫びが鳴り響く。

 

 一匹は楽しそうに、面白そうに奇声をあげる斧の悪魔、ビリー。

 もう一匹は酷く困惑した、疑問を持ちながら叫ぶ猿の悪魔。

 

 その悪魔達は、これからの戦いを楽しみにしている様に突っ込み、戸惑いを隠しきれない様に待ち構える。

 

「Hyahhaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa──────ッ!! 」

 

 直進。

 

 奇声を上げながら突っ込んだビリーは両手に生えた斧を使い、捕まえようとした左手の中指を切り落とし、腕を掻き切り刻みながら猿の悪魔目掛けて前進する。

 

 腕が切り刻まれる。傷が増えるたびにブジュッ!、と痛々しい音が鳴り響き、血が流水のように吹き飛び出す。

 

 それでも斧は止まらない。

 

 毛皮を切り、肉を抉り、噴き出した血を全身に浴びながらまるで狂ったかの様に突き進んで行く。

 

『なッ! あ、悪魔ァ!?』

 

 困惑した猿の悪魔はすぐさま行動に移った。

 人質を殺そうと第二の左手を握りしめようとするももう遅い。

 殺す前に猿の肩にまで到達したビリーが腕を振り上げ、

 

「ウッ、ラァァァァァァァァアアアアアアアア!!」

『ギィィィャャャャャャャャアアアアアアアッ!!』

 

 子供を掴んだ腕を、真っ二つに切り落とした。

 

 肉が落ち、血が噴き出し、まるでシャワーの様にその場に降り注ぐ。

 

『腕がァァァ! お、おれ、俺のォォォ! 腕がァァァァァァ!』

 

 傷口を押さえながら痛みに耐えかね、悶絶しながら地面に倒れだす。

 体制を崩した所為なのか、山の斜面に足を滑り、猿の悪魔は勢い良く転がって行った。

 

『うぐっ! グホッ! ボハッ!』

 

 木々を薙ぎ倒し、土を抉り飛ばしながら斜面を滑りって行く。減速せずに、そのままの形で山を転がりながら下山していった。

 

「うお、うおぉぉぉおおおおおぉぉぉおおおおお!?!」

 

 一方、ビリーも突撃しすぎた所為で着地に失敗し、足を滑らせて転がっていた。両手の斧でブレーキをかけようにも、転がる猿の後続で転がってるため地面が柔らかく、木も薙ぎ倒されて引っ掛けてくれるようなちょうどいい物はなかった。

 

 そして二人は斜面をグングンと降って行くと、

 

 

 

 スキージャンプ台のような仰反った崖に、勢いよく飛び出した。

 

 

 

『「うわァァァァァァァァアアアアアアアアッ!!」』

 

 二人が雄叫びを上げながら宙を舞う。身体が言う事を聞かずに重力に逆らって落ちて行く。

 

 そして、二人はなんの抵抗もできぬまま、白い壁に激突した。

 

 

 

 落下した衝撃が爆発音のような轟音を鳴り響かせる。

 

 白く、頑丈な壁が瓦礫となって散乱し、辺りに白い土煙を立ち上らせる。

 そんな状況の中でキキーッ、と滑るような、鶏を絞め殺したような音が何度も鳴った。

 

 土煙が晴れてゆく。辺りの状況が露わになってゆく。

 

 長く、長く、どこまでも続く灰色のアスファルトとそれを真ん中に割るように遮るガードレール。外に隔絶されているかのように建てられた白い壁、防音壁。

 

 どうやらここは高速道路のようだ。

 防音壁の瓦礫の山に埋もれた俺は周りを見渡した。

 

 廃車が確定したボロボロの車に埋もれながらも、切られた第二の左腕を押さえて痛々しそうに止血する猿の悪魔。そして、

 

 

 数え切れないほどの車の群から出てくる、恐怖の表情を浮かべる民間人達。

 

 

「ひッ! 悪魔だ! 悪魔が出たぞッ!」

「逃げろ! 悪魔だぁッ!!」

「誰かッ! デビルハンター呼んでッ!」

 

 一人、また一人と悲鳴が広がって行く。俺たちが道を遮っている所為か、乗っていた車を捨てて、非常口に向かって次々と走り去って行く。

 

 邪魔だったから逃げてくれるならありがたい。そう考えながらビリーは身体を覆い被さるように積まれている瓦礫を悠々と片手で投げ飛ばした。

 

「邪魔!」

『ヌウゥッ!』

 

 猿の悪魔も止血を終えたのか自身の上に乗っかっていた車を投げ飛ばした。

 

 その顔は、怒りに満ち溢れた鬼の形相だった。

 

『貴様、悪魔だったのかァ!? 人間の味方をする面汚しがァ!!』

「うるさいなあ…………」

 

 耳がキンキンする。めちゃくちゃうるさい。

 そんな大きな口で叫ばないでくれ。今も。そしてこれからも。

 

 イライラする。目の前の奴が邪魔で邪魔で仕方がなかった。

 脳裏に移る××が泣く声。クチャクチャと咀嚼音を立てる獣の口。沸々と、ぐるぐるとあの頃がまるで昨日の様に感じてしまう。

 

 思い出は過去の物だ。忘れる物だ。

 

 それを、思い出させないでくれ………ッ!

 

「いいからさっさと…………ッ!」

 

 斧を構える。足に力を溜める。

 研ぎ澄まされた、血がこびりついた刃が電灯の光に当たり、赤く反射する。

 

 猿の悪魔が身構えた次の瞬間、

 

 

 

 間合いに入り込んだビリーが、猿のみぞおちをぶん殴った。

 

 

 

「ウナジュウのッ! 糧になれッ!!」

『オバァァッ!』

 

 汚い涎を吐き出しながら吹き飛ばされた猿の悪魔はその巨体を維持し、体制を立て直した。

 

 そして、近くにあった2台の車を右手左手で持ち上げる。

 

『ふんぬゥ!』

 

 持った車をビリー目掛けて振り回し、押し潰す。

 車のボンネットが地面に叩きつけるたびに凹み、ガラスは粉々に割れ、タイヤは重圧に耐えれずパンクするが、そんな大雑把な攻撃はビリーに当たる事はない。

 

『死ねェェェェエエエエッ!』

「あぶッ!」

 

 とうとう我慢の限界だったのか、怒声を上げながら車を2台放り投げた。

 既にボロボロの車はビリーを殺す為に、押し潰す為に迫ってきている。

 

 ビリーは左足を軸に回転。

 右から飛んでくる車を避けると左からくる車を左手に生えた斧で火花を散らしながら真っ二つにした。

 

『ちくしょうがァァァァァァアアアアアアアアアアッ!!』

 

 攻撃がいなされた瞬間、猿は大きくジャンプする。そして、右腕2本を構えて急降下。

 重力と自身の巨体を利用した二つの右拳がビリーに迫る。

 

『潰れろォォォォッ!』

「ッ!」

 

 ゴバァァァアアアアッ! と轟音が鳴り響いた。

 瓦礫が飛び交い、土煙が昇り、アスファルトはクレーターの様に捲れ上がる。

 

 しかし、肉を潰した音は聞こえなかった。

 奴はまだ、死んでいないッ!

 

『どこだァァァッ! 面汚しがァァァァァァッ!』

 

 めり上がったアスファルトの中心で、猿は天高く雄叫びを叫ぶ。その風圧で、自身の視界を遮る土煙が一瞬にして吹き飛んだ。

 周りには何も居ない。自身が見える範囲には誰も居ない。

 

 ならば、後ろか? そう考えながら振り返った瞬間、

 

 

 

 

 既に、背後に回り込んだビリーの目と合ってしまった。

 

 

 

 

 脳天を真っ二つにするべく振り下ろした刃が猿の顔を映し出す。

 

『貴様ァッ!?』

「うるさいなァッ!!」

 

 避けようと身体を左に倒れるがもう遅い。

 

 脳天の直撃は免れたが、左に逸れたが故に、第二の右腕が切り落とされた。

 

『グアァァァァァァアアアアアアアアッ!!』

 

 バジャァッ! と引き裂かれた右腕の付け根から遅れて血が吹く。

 猿の悪魔は、火傷しそうな熱い痛みに耐えられず、腹の底から奇声を上げた。

 

『俺の、2本目の腕がァァァ……ッ!』

「両腕両足もいで、マトリョーシカにしてやるよッ!」

『ふざけるなァァァァァァァアアアアアアアアッ!』

 

 ビリーの舐めた発言に激昂しながら拳を振るった。

 一撃、二撃、三撃……、と右腕左腕を交互に繰り出し、その度に地面を抉る。アスファルトは砕け、土煙が舞い上り、轟音を響かせる。

 

 しかし、ビリーには届かない。

 

 五発目の拳が地面を叩きつけた瞬間、ビリーは大きく飛び上がった。

 傷だらけの腕の上を走り、間合いに入り込むと、

 

「killllll──ッ!!」

『ウビィッ!?』

 

 猿の顎目掛けて膝打ちをした。

 歯と歯が衝突し、パキッ! と鋭利な牙にヒビが入る。

 

「kiliiii──ッ!!」

『ブゴォッ!?』

 

 そしてそのまま空中で右回転。身体を捻って右脚を上げると、垂れていた猿の悪魔の顔が引きちぎれるほどの衝撃が右頬に炸裂する。

 

 最後に左腕をグルンッと回転させ──

 

「killerrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr──ッ!!」

『ギャァァァァァァァァアアアアアアアアッ!』

 

 ちょうどいい所にあった右腕の付け根を、斧で叩き斬った。

 またもや腕を切り落とされ、猿の悪魔は傷口を押さえながら後ろに退ける。

 

「ラスト一本だッ!」

『くゥッ!』

 

 しかし、ビリーはそんな事構う事無く、血塗られた腕の斧を振り回しながら猿の悪魔を殺さんと迫って来る。

 

 このままではまずい…………ッ!

 

 戦況では斧の方が有利だ。目立った怪我は特になく、体力もまだまだ有り余っている。

 

 対し、猿の悪魔は既に満身創痍の状態だった。左腕以外の腕は全て切り落とされて、その左腕も斧に切り刻まれた傷が癒えていない。明らかに重症だ。今生きているのは悪魔特有の高い生命力のおかげだろう。

 逃げようにも血を失いすぎて力がうまく入らない。恐らく、すぐに追いつかれてしまう。そうなったら完全に詰みだ。

 

 なんとかしてこの状況を抜け出したい。そんな事を考えていたその時、

 

 

 カラン、と何かを蹴る様な音が後ろ下から聞こえた。

 

 

 猿は思わず後ろを振り向く。

 

『ん?』

「ヒッ!」

 

 そこには人間がいた。中年で、小太りで、どこにでもいそうな逃げ遅れた人間が。

 逃げようとしたが誤って空き缶を蹴ってしまったのだろう。顔は今までに無いくらい真っ青な色をしており、後悔と絶望が入り混じっている。

 

 

 ラッキーだァ。

 

 

 猿は迷わなかった。すぐに行動に移し、小太りの男を左手で捕らえる。

 そして抵抗できない様に力強く握ると、親指を使って人間の頭を軽く触れる。

 こうすれば使い勝手のいい人質の出来上がりだ。

 

 早速出来上がった人質をこちらに迫ってきているビリーに見せびらかした。

 

『おい、面汚しィ! コイツ見ろォ!!』

「!!」

「た、助けてくれぇ!」

『一歩でも近づいてみろォ! コイツの頭潰れちまうぞォ!?』

 

 人質を見たビリーは足を止めて立ち止まった。

 その光景を見た瞬間、猿の悪魔はやはりと確信し、高笑いし始めた。。

 

「………」

『ヒヒヒヒヒ……。ハーッハハハハハハハハハハハッ!! やはり哀れだなァ! 面汚しがァッ!』

 

 嘲笑いが二人の空間を包んだ。愉悦の心が満たされるのを感じる。

 楽しすぎて腕をルンルン、とリズム良く振り回した。まるで子供の様に、無邪気で悪意のある笑い声が高速道路内で一人でに響き渡る。

 

 ビリーは何もしない。ただ、片腕を空に掲げながらこちらを見つめている。抵抗しないという合図なのだろう。猿はそう決めつけるとさらに笑う声量が大きくなった。

 

『お前らデビルハンターは愚かだなァ! こうやって人質を出せば、こうも簡単に動け──』

「フンッ!」

 

 瞬間、ビリーが腕を振り下ろした。

 まるで野球のピッチャーがボールを投げた後の様に、その場に立ち尽くす。

 

 その行動が猿の悪魔には意味がわからなかった。

 

 何をしていたんだ? 

 人質がいるのを知らないのか? 見えていないのか?

 

 それとも、俺が本気で人質を殺すと思っていないのか? だとしたら、相当なバカだ。

 

 しょうがない。少し脅してやろう。人質の頭を少しだけすり潰せば彼方も本気だと知るだろう。

 

 そう考え、左手に力を入れ──。

 

 

 

 プュッ、と赤黒いナニカが水鉄砲の様に噴き出した。

 

 

 

『………ハァ?』

 

 そこに人質はいない。握る潰すための人間はいなかった。

 力が入らない。力の入れどころがわからない。

 そもそも左手を握る事ができない。否、()()()()、の間違いか。

 

 ドサ、と軽く、呆気なく、ナニカが落ちる。怯えた小太りの男が走って逃げる。

 

 猿は、自身の左手をマジマジと見た。

 

 

 

 

 そこに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

『ハァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!?!???』

 

 発狂した。自身の身に起こった出来事に理解できなかった。

 人質を握る手がいつの間にか斬り落とされている。いつ、どこで、どんな風に斬られたのか、そもそもあの場所からどうやって斬ったのか理解できない。

 疑問が増えるたびに頭がぐるぐると思考をやめる事を拒否しない。。

 

『なんでェッ! なんで俺の手首がァッ!?』

「何騒いでんの? 要求通り一歩も動いてないでしょ」

『ッ!?』

 

 猿はビリーを見た。正確には、彼の右腕を。

 そこには先程まで貫く様に生えていた斧が無くなっていた。理由はわからなかったが、背後にある防音壁を見て理解する。

 

 キィィィィン…と、斧が微細な振動をしながら突き刺さっていたのだ。その刃には、血がドッペリと付着している。

 

 コイツは、腕に生えた斧を取り出して投げたのかッ!

 

 なぜそんな事が出来たのか分からない。人質がいたはずだ。下手な事をしたら死んでしまうのに、1cmでも投げる軌道がズレたら最悪、殺してしまうかもしれないのに。

 

 コイツは、そんな状況でも、迷わず攻撃したのだ。何の躊躇もなく。

 

 まるで、人質がいるなんて知らない様に。

 

「さて、これで両手は無くなった。次は……」

『ヒッ! りょ、両手が、無いィッ!?』

 

 ビリーは左腕に生えた斧を取り出して、持ち手を握る。止まっていた足が再び動き出す。

 一歩、一歩、確実に、猿の悪魔を殺す為、夢の為に向かって走り出した。

 

「両足をッ! 貰おうかァァァァアアアアッ!」

『ひ、ヒィィィィィィィィイイイイイイッ!!』

 

 猿は何も抵抗できずに殺されるだろう。現に4本の両腕は既に切り落とされている。これでは何もする事が出来ない。精々、残った力で逃げるくらいだろうか。

 

 しかし、足の速さならこちらの方が速い。どう逃げようが勝手だが、どうあがいても猿の悪魔の未来は確定しているのだ。

 

 斧の刃が電灯の光を反射し煌びやかに光る。その刃の光が猿の悪魔に反射し恐怖を加速させる。

 

 間合いに入った。もう逃げる事は出来ない。

 

 左腕に持った斧を振り回し、猿の右足を斬るために迫ってきて──

 

 

 

『なんちゃってェ!』

 

 

 

 猿の悪魔の笑みを見た瞬間、ビリーの動きが止まった。

 

「ッ!?」

 

 瞬間、猿の股の間から何かが飛び出したてきた。

 

 それは細長い尻尾。茶色の毛皮で覆われている尻尾の先端には3本指の掌。

 

 猿の悪魔の尻尾から生えている第五の手が、ビリーを捉えていた。

 

 ビリーは避けようとするが猿を殺す事だけに気を取られてしまい、行動が一歩遅かった。空中で身体を動かす事はできないビリーはそのまま第五の手によって身体を押し出されてしまう。

 急速に感じるGと風圧が彼を襲った。

 

「うガッ!」

『そのままァッ! 吹き飛んじまいなァッ!』

 

 第五の手の進行方向を見た。

 先にあるのは車。何十台も乗り捨てられた民間人の車の群。

 

 コイツは、車の爆破させ、第五の手ごと俺を殺す気だ。

 

 焦ったビリーは斧で中指を叩き斬るがもう遅い。

 

 第五の手がビリーごと一台の車に突っ込んだ。フロントガラスが粉々に割れ、ボンネットはグシャリと紙のように凹み、ガソリンが空いた隙間から勢いよく漏れ出す。

 

 そして、

 

 

 

 轟音と共に、爆破した。

 

 

 

 ドゴォァァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!

 

 猛烈な爆発音が耳の穴に鼓膜を揺れ動かしながらなだれこんで来た。

 

 爆破する。何度も、何度も連鎖爆発し、火花が弾ける。火が弾けるたびに炎が竜の様に舞い上がり、乾いた熱風が竜巻の様に激しく荒れ吹く。

 

 車の残骸が炎を纏って宙を舞い、アスファルトは熱気を帯びてひび割れ始め、激しい衝撃が防音壁やガードレールを吹き飛ばした。

 黒い煙が太い柱となって空に登り、炎の光が夜の高速道路を赤く照らし始める。

 

 明らかなオーバーキル。この爆発なら、確実に奴は粉々に焼け死んでいるだろう。

 

『………フフフフフ。ヒヒヒヒヒ………。

 か、勝ったァ………。勝ったぞォ………』

 

 猿は勝利に酔った。辛い中で勝ち取った勝負に笑い、身体はダラン、と力無く垂れ下がる。

 

 ギリギリの勝負だった。相手が油断したから勝った。最後の手段である第五の手を使って奴を殺す事ができた。

 

 しかし、その代償は少なくない。

 

『うぐゥ……』

 

 思わず笑いを止めて膝を地面についてしまう。平衡感覚が掴めないままぐらつき、手首のない左腕で身を支えた。

 

『血が、血が足りないィ………』

 

 猿は明らかに重症の傷だ。両腕は無くなり、第五の手も爆発の余波で吹き飛ばされている。

 血が穴という穴から隙間なく垂れ流れ、地面にボトボトとこぼれ落ちていた。

 本来ならば回復するまで安静にしなければならないが、ここは民間人がよく使う高速道路。自身の姿も多くの人間に見られている。早く逃げなければ新たなデビルハンターがきてしまう。

 

『食事ィ……。食事を、しなければァ……。いや、に、逃げるのが、先かァ……?』

 

 よろめきながら、傷口を抑えながら歩き始める。血の付いた足が一歩、一歩、確実に足跡を残している。

 

 防音壁の外からサイレンの音が聞こえてきた。どうやら人間が集まってきている様だ。

 本来ならば今すぐにでも襲っている所だが、デビルハンターがいる可能性を考慮すると、この状態で人前に出るのはまずいだろう。なら、隠れるのが先だ。

 

 隠れて、傷を癒やし、次の夜の中で人間を喰らえばなんとかな────

 

 

 ガシャァンッ! と、猿の横に鉄が落ちた。

 

 

『……ァ?』

 

 落ちてきたのは車だった。

 炎を纏い、黒く変質している廃車同然の車が、猿の横に落ちた。

 

 何で車が飛んだのか。理解できない。爆発は既に終わっている。あそこはもう、荒れに荒れ吹く炎の渦だけが残っているだけだ。

 

 

 なら、一体何故車が飛んできたのか。

 

 

 猿の脳には、理解できるほどの知性がある。

 

 

『……ハ、ハァ?』

 

 猿はありもしない予想を思い立てる。思い立ててしまう。

 絶対にありえない。あり得るはずがない。

 そんな事、起きていいはずがない。

 

『な、なんで………』

 

 見てはいけない。背後の炎を。厳密に言えば、炎の中を。自分の考えを否定する様に頭に指令を出す。

 

 見てはダメだ。

 見てしまったら俺は絶望する。もし、俺の予測が、万が一、億が一に合っていたら、俺自身が恐怖によって支配される事になる。

 

 絶対に、何が何でも見てはいけないのだ。

 

 しかし、身体は脳の命令に従わない様に顔を振り向かせた。

 その行動は、自身の予測が間違っていた、と言う安心を得る為の行為だろう。

 

 しかし、猿にとっては逆効果だった。

 

『なんで、なんで』

 

 生まれて初めて心の底から恐怖が這い上がってくる。

 

 薄い刃物で背をなでられる様だった。腕から、背中から、顔から、全身から変な冷たい汗が大量に湧き出てくる。自分の予測合っていたその後の未来を考えてしてしまい足がガクガクと、まるで生まれたての子鹿の様に震えてしまう。

 蒼ざめた顔に血管が膨れ上がり血の気の引いた唇が、歯がガチガチと何度も何度も打ちつけ、鳴らし出す。そのせいで声にならない音が猿の悪魔の中で恐怖が膨れ上がらせた。

 

『なんでなんでなんでなんでなんでなんでェェェェェェェェェェエエエエエエエエエエエエッ!?』

 

 黄色い丸目が目の前の炎を映し出した。

 正確には、炎の中から這い上がる様に歩く、一人の悪魔が。

 

 服は焼け焦げて原型を保っていない。ロングコートは右袖しか残っておらず、ほぼズボンしか残っていない半裸の状態だった。

 だが、露出した肌には傷が無い。まるで何も起きていないかの様に、火傷どころかかすり傷一つない綺麗な橙色の肌が炎の光によって明るく照らされる。

 

 一歩、一歩、前に、確実に一歩を踏み抜く。右腕と左腕から生えた斧を取り出して手に持ち、大きくひび割れた瓦礫を踏みつける。

 

 それはもう、夢に向かう無邪気な少年の様に、

 

 

 

『なんでお前が、生きてんだよォォォォォォオオオオオオオオッ!?』

 

 

 

 ビリーは、燃え上がる炎を背に立ち尽くしていた。

 

 

 

 信じられない。信じる自分が信用できないほど、目の前の光景を疑っている。

 あの爆発で何故死なないのか。何故無傷だったのか。直撃はしたはずだ。第五の手が、彼を捕らえて、爆発を直に喰らったはずなのに。

 

 何故、コイツは生きているんだ……ッ!

 

 しかし、答えは導き出せる事はない。

 そんな疑問を知るよしも無く、ビリーは一歩を踏み出し始める。

 

『ヒッ!』

 

 猿が一歩、足を後ろへと引いた。

 恐怖でおかしくなりそうだった。自分の中に溜まったガスが、風船の様に現在進行形で膨らみ続けている。それが割れでもしたら、今の自分でもどうなるのか分からない。

 

 いつ漏れるか、いつ割れるか分からない恐怖に耐えるほどの自制心を、猿は持っていない。

 

 身体中が恐怖に満たされると、猿は震える口を強引に開けた。

 

『お、お前ェ! お、おお、おれ、俺を、ここ、ころこ、殺していいと思ってんのかァ!?』

 

 その言葉を聞いて、ビリーは足を止めた。

 猿の口は止まらない。必死に弁明するかの如く、唾を撒き散ら貸しながら言葉を並べる。

 

『俺は、悪魔の中では比較的無害なんだぞォ!? 殺した人間だって子供だけ、十にも満たしてないガキだけェ! 十数人くらいしか食い殺してないんだぞォ!?』

 

 我慢ができなかった。すぐ側まで来ている死の恐怖が自身の周りを包み、どんどん肩幅を狭めて行く。

 そんないつか潰れてしまいそうな恐怖を発散させるが如く、猿は口にするのを辞めない。

 

『銃の野郎は百万以上殺してるゥ! それに比べれば俺は無害だァ! 善良な悪魔だァ!』

 

 そんな救いようのない言葉を淡々と、堂々と口にする。

 

『そんな善良で無害な悪魔を殺して、お前は罪悪感が湧かないのかよォォォォォォォオオオオオオッ!?』

 

 全て話し終えた。息継ぎせずに差なし続けてしまった結果、呼吸が荒くなっていた。

 

 一瞬の静寂がビリーと猿の間に流れた。聞こえるのは燃え上がる炎のうねり声と遠くから聞こえるのはさまざまなサイレンの反響音のみ。

 お互い無言で相手の顔を見ながら、短い時が過ぎてゆく。

 

 そして、ビリーが口を開いた。

 

 

 

 

 

「アンタ何言ってんの?」

『……ハァ?』

 

 

 

 

 

 最初に出てきた言葉が、猿の脳を一瞬だけ、停止させる。

 

 コイツは、話を聞いていなかったのか?

 あれほど弁明したはずなのに、俺が善良な悪魔だって事をちゃんと心を込めて話したはずなのに、

 

 コイツは、理解できなかったのか?

 

 いや、違う。コイツは理解している。

 

 理解してるから、こんな答えを言っているんだ。

 気の狂ったかの様な、イカれた思考をしていやがるんだ……ッ!

 

 頭をポリポリと掻きむしりながらビリーは話を続けた。

 

「子供がどうの、殺しがどうのとか。善良だの、無害だのとかどうでもいい。俺にとってはアンタの言い分なんて全てどうでもいいんだ』

『ひ、ひ、ひひひ、ひ……ッ』

 

 どれだけ弁明しようと、どれだけ自分が無害だと証明しようと、それはビリーにとって関係のない事なのである。

 

 先程の人質もそう。自分とは関係の無い全くもって赤の他人。助けたって何の価値もない。ただ感謝されるだけ。

 

 ビリーにとって、そんな事はどうでもいい事でしか無い。

 

 だから攻撃できる。だから人質なんて無視できる。

 

 

 コイツにとって、夢を叶えられれさえすれば後は何でもいいのだ。

 

 

「殺していいと思ってんのか? いいと思うよ。

 罪悪感? 沸かないね」

 

 右手で持った斧の刺先をこちらに向ける。

 非情な言葉が、猿の恐怖心を膨らませる。限界まで、溢れ出るまで、爆発するまで注がれる。

 

 弁明なんて意味が無い。殺す事なんて出来やしない。

 

 自身の頭が予測を出した。これから起こる未来を押し上げる様に想起させられてしまう。

 

 

 コイツに殺される、未来を。

 

 

 そして、

 

 

 

 

「だってアンタは、死んでいい奴なんだから」

 

 

 

 

 猿の恐怖が、爆発した。

 

 

 

 

『イヤだァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 逃げる。

 敵に背中を見せて猿はとにかく逃げ始めた。

 

 恥なんて無い。悪魔のプライドなんてありはしない。

 ただ、生きたいから、この恐怖から解放されたいから、逃げるのだ。

 

 足を止めない。車をどかして、止血した両腕を無様に振り回し、奇声を上げながら愚かに逃げる。

 

 しかし、それでも。

 

 

 迫り来る死の恐怖からは、逃げ切る事は出来ない。

 

 

「ウラァッ!」

『ギャァッ!』

 

 突如、猿まで追いついたビリーの斧がギラついた。

 

 横一線。

 

 斧の刃が猿の両足を引きちぎる。

 

 血が宙に飛び散った。足2本がゴロゴロとバウンドしながら転がり、猿も車やガードレールを吹き飛ばしながら転げ回る。

 

「これでェ! 両足ッ!」

『ァア…………ッ! あ、ァァァァアアッ! アアあァあアぁああァァぁアあっ!!!』

 

 両足を斬り捨てた瞬間、ビリーは地面を蹴った。

 高く、高く、仰向けとなった猿よりも高く飛び上がる。

 

 両手に持った斧を天へと掲げ構えた。星の光が斧に反射し、弱くも煌びやかに光り輝く。

 

 斧は落下してゆく。重力の法則に従いながら猿の頭目掛けて落ちて行く。

 

 顔を上げ、飛び上がったビリーを見据えた。

 

 

 マトリョーシカとなった猿は、何もできない。立ち上がる事も、這い上がる事も、希望を見出す事なんて出来やしない。

 

 

 猿の悪魔を待つのはたった一つだけ。

 

 

 

 死が、出迎える。

 

 

 

『このッ! クソ外道がァァァァァアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

 猿の憎しみの雄叫びが空気を震わせた瞬間、

 

 

 

 顔が、割れた。

 

 

 

 ドチャァァァァァァァアアアアアアアアッ!、とトマトが潰れる様な音を響かせながら猿の顔を真っ二つに潰し割った。

 

 大量の血が滝の様に噴き出し、二つの黄色の目玉が飛び出し、巨大な脳味噌が小腸の様にその場に撒き散らかされる。

 

 血の雨が降り始める。ザァァア、と音を立てながらビリーを無情に濡らし、ネチョリとした湿気と、気持ち悪い暖かみが肌に直接伝わってくる。

 

 トマトの様に潰れ割れた猿の頭は、うるさい口を動かさない。

 

 血が降る世界で斧は静かに笑った。

 

「………うるさいなあ」

 

 

 何の感情も無く、口にした。

 

 

「………獣風情が、ペラペラ喋ってんじゃねぇよ」

 

 

 

 




 バトル描写って書いてるとめっちゃワクワクするよね。
 特に救いようの無いクズを叩きのめす時とか。

 注意、やらかしました。

 夜の戦闘なのにバリバリに日光って書いてあるのに気づいた作者です。
 こう言う時に限って僕って意識が抜けちゃうんですよね。
 一応書き直しました。ちょこっとだけです。夜の戦闘なのに日光ってなんだよ。
 本当に申し訳ございませんでした。
 


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約束の時

 

 

 黒い。真っ暗な世界。

 

 どこまでも続く、深淵の空間。

 

 そこに、俺はいる。

 

 立ってはいない。寝転んでもいない。宙に浮いている訳でも無い。

 

 ただ、そこにいるだけ、存在しているだけなのだ。

 

 そこには俺しかいない。他の誰でも無い、俺だけしかこの世界に存在していなかった。

 

 腕が無いから暗闇の中を手探りで歩くことはできないし、そもそも足も無い状態だ。

 身体も無い。身体が無いからこの世界が暖かいのか寒いのかもわからない。ただ、自分の顔だけ、いや、目だけがあるのは確かだ。

 

 俺は、見渡す事しかできない。

 

 だが、そんな時間も終わりを迎える。

 自身の見る世界に、一筋の光が差し込んだ。

 

 小さく、細長い、そんな弱々しい光がビリーの目を明るく照らす。

 眩しい。目がチカチカするからそんなに照らさないでくれるとありがたいのだが。

 

 

 

 

 だけど、暖かい……。

 

 

 

 

 そんな光を身で受けながら無いはずの手を光に向けて手を伸ばし───

 

 

 

 

「……ん…………」

 

 目を覚ました。

 重い瞼をゆっくり持ち上げるが如く開け、窓から差し込む光に慣れるように目を擦り、瞼を細める。

 

 聞こえるのはカーテンが風に靡く音と車のエンジン音とサイレン音。後は、室内にサクサクとした水々しい音とテレビの中で喋っているニュースキャスターの話し声。

 

『昨日の午後9時過ぎ、西練馬区の高速道路で悪魔の戦闘が発生しました。悪魔同士の抗争だった模様であり、巻き込まれた民間人の負傷者は出ましたが死傷者は今の所確認されておらず──』

 

 テレビの中のニュースキャスターは昨日の事件の事を詳細に話していた。

 テレビを見れば戦闘痕が痛々しいほど残っている崩壊した高速道路の一部が映っている。猿の死体は既に回収されたのだろうか、瓦礫まみれの灰色のアスファルトの上には血痕だけしか残っていない。

 

 ああ、そうだった。昨日の俺は倒れたんだっけか。

 確か、急に眠気が襲ってきて、俺の意識を途絶えさせた気がする。よく覚えてないけど。

 まぁ悪魔と三回連続で戦いでもしたら普通は疲労で倒れるだろう。

 

 じゃあ、ここは病院なのか。どうりでなんか消毒臭い匂いがすると思った。別に嫌いでは無いけど、鼻がスースーして逆に気持ち悪く思える。

 

 ふと、時計を見た。午前9時半過ぎくらいか。日付は…………、うん。まだ一日しか経ってない。

 

 猿の悪魔はちゃんと俺の手で殺した。半日寝たにもかかわらずまだその感触が残っている。

 とりあえず起きあがろう。そう考え、背伸びしながらベッドから上体を起こした。

 

「ん、んっ〜………ハァ……」

「やっと起きましたか」

 

 隣から声がした。ビリーは声がした方へと顔を向ける。

 

 俺のベッドの横で座っているのはフシさんだった。いつものスーツ姿で、手には果物ナイフと既に切り終えたリンゴを手に皮を器用に剥いている。

 

 りんごの皮、食えるんだけどな……。勿体無い。

 

「えっと………、おはよう、フシさん」

「そうですね。おはようございます。

 りんご、切っておきましたよ」

「あ、サンキュー……」

 

 フシさんに感謝しながら切ったりんごを手に取り、口に放り込んだ。

 

 りんごは初めてだってけど甘いと言うより酸味が勝ってる。

 だけどそれほど酸っぱいって訳ではなく、りんごの水々しい果汁が乾燥した口を潤す様に広がっているのを感じた。

 

 うん。美味しい。俺の味覚は正常に働いているようだ。

 

「剛田さんから聞きましたよ。本当に悪魔だったんですね」

「え、信用できなかった?」

「ええ。悪魔になれる人間なんて見たことが無かったですから。ただ単に見栄を張っているのかと」

 

 ふーん、と興味無さそうにビリーはリンゴをもう一度食った。

 

 まぁ普通に考えれば悪魔になれる人間なんて信じれるはずが無い。俺だってこの姿になって初めて存在をしったほどだ。

 もし、昔の俺が今の俺に会って「悪魔でも人間でも無い存在に俺はなるよ」と言われたら信じれる自信が無い。詐欺師なのかまず疑う事から始めるだろう。

 

「そういえばさ、どうして俺の場所わかったのさ」

 

 普通に疑問をぶつけた。

 

 そういえば、なんで俺がいた場所がわかったのか。フシさんとゴウダさんには見つかってはいないし、あそこの廃病院までかなりの道のりがある。そこをヒントも無しにどうやって俺の場所まで来たのか単純に知りたくなった。

 リンゴの皮を器用に切ってウサギ型にしながらフシさんは答える。

 

「監視カメラですよ」

「カンシ……。ああ、アレか」

「ええ。貴方が親子、厳密にはマネキンの魔人の後をつけている所をちゃんと映っていました。それでわかったんですよ」

「ふーん……。そうなんだ」

 

 日本にもあるのか、監視カメラって。

 あまり苦手なんだよなぁ。みられてるかんじがするし、軍にいた頃なんて寝室にも監視カメラがあったからよく寝れなかったのを思い出す。

 まぁ、外にあるなら少しはマシか。気にすることでは無い。

 そう考えながら次のリンゴを取ろうと手を伸ばし、

 

 

 

 スッとリンゴが乗った皿が滑る様に下がった。

 

 

 

「え?」

 

 フシさんが皿を引いたのだ。端を持って、俺の手がリンゴを取れない様な位置まで持ってっている。

 そして、そんなフシさんの顔は、結構怖かったりする。

 

「残念ながらリンゴは後で」

「え? え? 何で?」

 

 なんでなのか分からなかった。

 フシさんは俺の見舞いに来たのだろう。そのリンゴも見舞品なので俺の物なはずだ。食う事が出来ないのは理解できない。

 フシさんは何かしたいのか、その疑問に対して、フシさんは俺の思考を読んだかの様に答えた。

 

「ビリー。あなた、まだ説教が残ってるでしょう」

 

 

 

 ………………………………あ。

 

 

 

 俺の思考が一瞬だけ空っぽになった。

 

 まるで、夏休みの宿題を完璧にしたと思ったら登校初日にみんなが俺の知らない宿題を出していた感覚に近いだろう。

 

 一瞬止まった影響だった為か、上手い言い訳が思いつかない。何をどう言えばいいのか分からない。

 

 とりあえずビリーは何か喋ろうと口をもごもごと開く。

 

「いや、その〜……。そうだっけ?」

「あなた廃病院で言いましたよね。一晩中説教してくれて構わない、と」

 

 どうやらそれも覚えている様だ。俺は覚えてないけど……。

 

 これは非常にまずい……。フシさんの説教は恐らく一晩中続くだろう。根拠は無い。しかし、確証はある。

 自分の危機察知が赤色に点滅しながらビービー、と警報を鳴らしているのだ。これが確証と言わ無いのならなんと言うのだろうか。いや、もう確信に近い。

 

 どうにかして説教から逃れなければ。そう焦りながら喉からなんとか出てきた言い訳を咄嗟に言った。

 

「え、いや〜……。それは、その…………言葉の綾?」

「言ったことは認めるんですね」

「うぐっ」

 

 虚を疲れて腹から変な声が出てしまった。

 これでもう、ビリーは逃げも隠れもする事はできなくなった。

 

「さて、口に出したのなら責任を持ってください」

「楽しく無いことに責任を持てる自信は無い……」

「では始めますよ。まず貴方は人に聞いてから行動すると言うのが──、って、耳を閉じないッ!」

「いや……ッ! 絶ッ対に閉じる……ッ!」

「子供ですか貴方ッ!」

「子供じゃ無い……ッ! 多分今年で18歳くらい……ッ!」

「若ッ!? い、いや、そう言う話じゃなくてですね……ッ!」

 

 とにかく最後の抵抗として耳を塞いだ。説教なんて楽しく無いんだから死んでも聞きたく無い。

 

 ここが個室だったから良かった。共有だったら周りの患者に迷惑がかかって恥ずかしいし、面倒臭いから助かった。いや、助かってないけど。

 

 どうにかして説教を聞かない方法を考えなければならない。普段あまり使っていない脳をフルパワーで回転させ、説教から逃れる方法を思いつこうと───。

 

 

 

 

 

「こんにちわ。ビリー君」

 

 

 

 

 

 マキマさんを見た瞬間、希望を見出した。

 

「マキマさん………ッ!」

 

 救世主がきた。この状況を打破する事のできる、唯一の救いが。

 

 まさか、嫌いな人が助け舟を出してくれるとは思っても見なかった。マキマさんが来てこれほど嬉しいと思う日は今日以外で他に無いだろう。なんせ、説教を止める事ができる唯一の希望なのだから。

 

 フシさんはマキマさんの姿を見ると説教を中断して顔を向ける。

 

「マキマさん。今日は休暇じゃなかったんですか?」

「うん。だから見舞いに来たの。後、約束の件もあるし」

「約束………?」

「おお!」

 

 約束、ウナジュウを奢ってもらえる約束をマキマが切り出した瞬間、ビリーは声を荒げた。

 

 そうだ。約束を理由に抜け出す事ができる。

 説教は中断されるし、しかもうなぎを食いにいける。これほど俺にとって都合の良い場面は無い。まさに一石二鳥だ。

 

 そんな希望を見出したビリーは早速マキマさんに着いて行こうと考え立ち上がり───

 

 

「だけど、ビリーくんにはまだやるべき事があったね」

「え?」

 

 

 その言葉を聞いて、固まった。

 

 マキマさんの言うやるべき事。それが分からなかった。いや、分かりたくなかった、の間違いか。

 

「説教終わったら来てね。下で待ってるから」

「ちょ、マキマさぁん………ッ!?」

 

 まるで俺の意図を読んでいるかの様にマキマさんは見舞品をタンスの上に置き、扉の前で数秒の間屈み止まった後、病室を出る。

 俺が期待していた希望は、まるで脆いガラス玉の様に呆気なくバラバラに砕け散った。

 

「では再開しますか…。大丈夫です。説教の時間は短くしておきますから」

「うぐぅ………」

 

 時間が短くなっからって説教自体はするので嬉しくもなんとも無い。

 言い訳は通用せず、頼みの綱であるマキマさんは逃げた。

 

 やっぱり嫌いだ、あの人。

 

 もう覚悟を決めて説教されても良いのだが、やっぱり受けたくない。

 

 ここは、言い逃れるしか他に無い……ッ!

 

「いや、病室では静かにしなきゃ……ね?」

「大丈夫です。ここ、防音なので」

 

 初っ端から失敗した。防音の個室ってなんだよ。

 

 他の患者さんにも迷惑がかかると考えたが周りを見れば俺しか居なかった。何故かは知らない。

 患者がいないから迷惑にならない。だが、それ以外の人なら迷惑になるんじゃ無いか?

 

「………看護婦とか迷惑にならないかなぁ…?」

「看護婦長に許可を頂きました。最低でも迷惑にはなりませんよ」

 

 くっ……ッ! なんでこんなに用意周到なんだよこの人は…ッ!

 

 よっぽど俺に説教したいらしいのがよくわかる…ッ! 分かりたくなかったけど…ッ!

 看護婦の迷惑にはならない。助けを呼ぼうとも防音で向こう側には聞こえない。完全に詰みの状態になっていた。

 

 いや、まだだ。まだ可能性がある。

 この説教を終わらせる、唯一の秘策が。

 

「ほら、俺って患者じゃん……? 体調悪くなったり……」

 

 そう。自分の立場を利用するのだ。

 

 俺は患者。体の弱く、体調が悪くなっただけで容態が急変し、死ぬ可能性がある重症者だ。

 もしそんな事が起こった場合、俺は手術室やらなんやらに連れていかれるだろう。その隙に逃げる。

 自分の身体は自分が一番よく知っている。足はちゃんと動くし、逃げられる体力もちゃんとある。隙を見て走ればなるだろう。

 

 しかし、俺の意に反する様にフシさんは真実を言った。

 

「医者から貴方の体に異常は無いと言われてます。と言うか、今日退院するでしょ」

「…………………………………そうなの?」

「医者の話を聞いてください」

 

 一瞬の静寂。静かで消毒臭い空気がビリーと伏の周りを包み込んでいた。

 テレビに映ったニュースが子供が見そうな教育番組に映り変わった瞬間、

 

 

(速攻ッ!)

 

 

 ビリーはベッドから勢い良く飛び上がった。

 

 ビリーにかかっていた布団はフワリっと緩やかに宙を舞い、フカフカのベッドをバネ代わりに両足を使ってジャンプする。

 

 頭を天井にぶつからない様に手を添えて、まるで押し上げる様に腕を曲げ、スライディングするかの様に滑空した。

 

 フシさんの背後を取るとすぐさまダッシュ。扉の取っ手に手をつけて、思いっきり引こうと───

 

 

 

 ガチャッ! と扉は固く閉ざされていた。

 

 

 

「あ、あれ? ちょ、あれ?」

 

 何度も何度も扉を開こうと引いたり押したり殴ったり蹴ったりしたが扉は開くことはない。1ミリほどの隙間を生み出す事なくうんともすんとも言わない。恐らく、鍵がかかっているのだ。

 

 鍵を開けようと取っ手の下を見る。

 

 手動でロックする系じゃなかった。まさかの南京錠だった。しかもガッチガチの固いやつが、まるで俺を出させないと言う意思を感じ取るほどの存在感を増している。

 

 一体誰がこんな事を? 

 

 フシさんか? いや、俺の近くにいたから鍵をつけられる余裕はない。

 

 確か、マキマさんが来るまではちゃんと空いていた気が……

 

 ………あ、

 

 思い浮かぶ。この扉を閉めた犯人の顔が喉から競り上がり、口を通りて脳に達して想起される。

 

 《マキマさんは見舞品をタンスの上に置き、扉の前で数秒の間屈み止まった後、病室を出る》

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()》。

 

 

 

 

 アイツ、この病室を出る時鍵をつけやがったッ!

 

 

 

 

 ハメられた! 俺が逃げる事を想定していたのか、事前に鍵を持ってきて扉を閉めやがった! 

 

 

 その事実に気づくも、もう遅い。

 

 ポン、と俺の右肩を叩かれた。軽くも、少しだけ重たい手が肩を掴む。

 

 まるで、死刑申告を受ける死刑囚の様に、その手は肩を力強く握って離すことはない。

 

 振り返る。恐る恐る、ゆっくりと自身の肩を掴む男を見た。

 

 そこにいたのはフシさんだった。いつも通りの、ニコリと笑う優しそうな表情が俺へと向けられる。

 しかし、その笑いが何もおかしな所がないのに何故か怖いのは気のせいだと思いたい。

 

「覚悟、決めてくださいね」

「クソマキマァ………ッ!」

 

 恨言を吐きながら俺は耳を閉じ始めた。

 

 説教は1時間延びた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嵐が直で襲いかかるほどの説教を身に受けた後、ビリーはヨレヨレのおじいちゃんみたいに小刻みに震えながら中庭に行った。

 理由は単純、人の話し声が嫌いになってきたから。

 

 人の声が聞こえると説教の影響なのか耳が痛いし気分も悪くなる。特にエントランスとかはガヤガヤと蛆虫の様に人がいたから頭痛もしてきた。末期だったらどうしよう。

 

 誰だよ。俺の身体には異常が無いって言った医者は。バリッバリに異常あるじゃないか。

 

 とにかく頭痛と気持ち悪さから逃れるために人がいない場所を求める様に歩いていたら中庭に来てしまったと言う事だ。

 

 今は少し日差しが暖かい。春の季節のポカポカした気温が気持ちがいいから憩いの場としては充分機能している。しかも人影は無いからラッキーだ。

 

 中庭に設置してある白いベンチに腰を下ろし、ホッと息を吐くビリー。

 その隣に、誰かが座った。

 

「随分時間がかかったね」

「ああ、そうだな………」

 

 隣に座ったのはマキマさん。

 相変わらず気味の悪い気配がする。そんなに近づくな、気持ち悪い。

 ビリーは思わず端の肘掛けまで距離を取るとマキマさんが尋ねてきた。

 

「顔がやつれてるよ? 何かあったの?」

「全てアンタのせいだ……」

「? 何か言ったかな」

「さぁ。空耳じゃない?」

 

 なんでガッチガチの南京錠を持ってきたのかは置いておこう。イラついて、腹立たしくもあるが、それはそれ、これはこれだ。

 ビリーは咄嗟に本題の話に入ろうと話を逸らす。

 

「とりあえず、猿の悪魔を殺したけど……」

「うん。ビリーくんは偉いね」

 

 褒めてもらっても嬉しくは無い。特にアンタには。

 それよりも約束を守ってくれるのか心配で仕方がないのだが……。

 そんな俺の心を見透かした様にマキマさんは話を進めた。

 

「そんなに怪しまないで。ちゃんと約束は守るからさ」

「はい………」

「とりあえず移動しよっか」

 

 約束のウナジュウを食いに行こうと立ち上がった。

 

 

 

 

 病院の出入り口から出ると、目の前に黒いセンチュリーと一人の男が出迎えていた。

 黒いスーツを来ていて背には刀を背負ってるから多分運転を任された公安のデビルハンターなのだろう。

 そんなこんなで車の後部座席にマキマさんと座ると男も運転席に座り車のエンジンをかけ始める。

 

「シートベルトはしっかりした?」

「うん。した」

「じゃあ早川君。車を出して」

「わかりました」

 

 車のエンジン音が心臓の音の様に駆動し、やがて移動を開始した。

 

 あんなに大きかった病院が徐々に遠ざかって行き、ついに多くの建物の影になって見えなくなってしまった。

 窓ガラスに映る景色は変わり映えのあるものだから飽きそうで飽きない。いつも似た建物をこの三日間見続けたはずなのだが、なぜなのだろうか。少しだけ疑問が湧いた。

 

 病院を抜け出して数分後、高速道路へと入る。

 

 ここら辺の景色は変わり映えしないからあまり好きじゃない。車が多くて少し飽きてきた。どうやら渋滞の様だ。

 恐る恐る前のフロントガラスに映る光景を見ると多くの警察官が旗を振ったり下ろしたり、手を交互に持ってったりして車を一台一台命令するかの様に動かしている。

 

 何かあったのだろうか、そう考えて、警察が遮っている道路を見た。

 大きな穴を開けたまま放置している防音壁に、そこかしこでクレーターができているアスファルト。吹き飛んだ電柱やガードレールが瓦礫に混じって転がっている。

 

 ここは、昨日俺と猿の悪魔が戦った場所だ。

 

「あ、ここの高速道路……」

「ここで戦ったんだよね」

「うん。あの山の斜面から転がってここに落ちた」

「どうだった? 猿の悪魔は」

「うーん……。強くは無い、かな……」

 

 改めて戦闘を振り返るとそれほど苦戦はしなかった覚えがある。

 

 一回油断して死んだが、大した傷はそれだけだ。それ以外はかすり傷のかの字もやられていない。

 結構大振りな攻撃が多かったし、よく見てうまく動けばカウンターに繋がった場面も結構ある。そう考えると猿の悪魔は見掛け倒しの雑魚悪魔なのかもしれない。

 

「そっか。ならいいや」

「? どう言う事?」

「仕事の話。気にしなくていいよ」

 

 訳の分からない事を言うなよ。少しゾッとしたのは気のせいだと思いたいのだが……。

 

 そうマキマさんに若干嫌悪しながら渋滞を抜け、車を走らせる。変わり映えのない景色も高速道路を抜け出せば興味のあるものへと変わり気づけば人通りも段々多くなって行く。建物も質素な物からカラフルな看板やら派手な色の物へと変わり、人々の活気にあふれていた。

 

 そんな景色に見惚れているとやがて車は滑らかに減速し、歩道と車道を沿う様に駐車した。

 

「ビリーくん。着いたよ」

「はーい」

「早川君ありがとう。機会があったらまたよろしくね」

「その時はまた連絡してください」

 

 マキマさんが運転手に礼すると、若干嬉しそうな表情をしながら車を再び運転し、何処かへと行ってしまった。

 

 これから仕事なのだろう。頑張れ。

 

 車を降りた俺は振り返り、背後にある木造の建築物を見上げた。

 いかにも和風と言った感じの建物。屋根はちゃんと瓦を積まれており黒茶色に変色した木がいかにもというほどの雰囲気を放っている。窓や排気口から流れ出る匂いは甘く、香ばしいタレの香りが食欲を駆り立て始めた。

 

「ここが私のおすすめの店。〝うなぎ亭、はやしへい〟だよ」

「へー……。良い匂い………」

 

 良い匂いだが今回は嗅ぐためだけに来たわけではない。夢を叶える為に来たのだ。

 こんな所で立ち止まる訳にもいかないし、取り敢えずうなぎ亭の店の扉を開ける。

 

 

 

 

 

 瞬間、ブワァッ! とうなぎを焼く匂いとタレの匂いが俺に襲いかかってきた。

 

 

 

 

 

「ッ!」

 

 あまりにも突然の事だから少しだけ身構えてしまった。

 

 店の中に換気扇でも出すことの出来ない溜まりに溜まった美味しそうな匂いがまるで水槽に穴を開けた瞬間、行き場の無くした水が飛び出すかの如く押し寄せてきたのだ。

 あまりにも良い匂いすぎて涎が垂れてしまっている。と言うか、先程まで見舞品を食べてたのにもうお腹が空いてきた。油断すると腹の音が鳴り響くかもしれないから少しだけ力を入れて凹ませよう。

 

「おお〜。写真通りだ……」

 

 思わず厨房を見ると表に貼られているチラシ通りの光景が広がっている。

 店員は三から四。年寄りの人が生きているうなぎをスルリ滑らせる様に掻っ捌き、内臓を取り出して尻尾を切り捨て細かい作業をした後串に通して炭火で焼き始めている。その光景はまさに写真で見たそのままの景色だ。

 

 焼けば焼くほどうなぎの香ばしい匂いが漂ってくる。正直言って我慢出来ない。今からでも食いたいほどだ。

 

「らっしゃいッ! 何名様ですかッ!?」

「二名です」

「はい! 2名様ご案内!」

「店は結構活気があるなぁ…」

 

 店員さんも結構元気がある。先程までの症状は無くなってるから耳が痛くなる事は無い。逆にこっちが元気を貰って少し身が楽になった。

 笑顔が素敵な坊主頭の店員は畳のある机へと案内。「注文が決まりましたらお声掛けください」と言いながらその場を立ち去った。

 

 気のいい人だった。機会があったらまたこの店に来よう。

 

「上着はハンガーに掛けといてね」

「ん。わかった」

 

 マキマさんに言われた通りダボダボのロングコートを脱ぎ、壁際にあるハンガーに掛ける。

 

 再び座布団の上に座ると机に立てかけてあるメニューを手に取った。

 見た感じウナジュウの他にも色々種類がある。素焼だったり蒲焼だったり。後は鰻丼とか言うやつもあるのだがこれはウナジュウと何が違うのだろうか。頼んでみたらわかるかもしれないが今回はウナジュウを食いにきたから我慢しよう。

 

 我慢しても仕切れない気持ちを抑えながらウナジュウの項目欄に目を通す。

 

「えーと。マツ? タケ? なにこれ………」

 

 なんかウナジュウの横に訳の分からない表記が書いてある。マツとかウメ? バイ? とかそんなものが。

 ウナジュウにも何かしらの種類があるのだろうか。値段の方を見るとウメ? からマツへと順に値段が上がっている。

 

 どうしよう。普通のウナジュウを食いにきたのだが……。

 そんな困った俺に解答を差し伸べるかの様にマキマさんが言った。

 

「ああ。松、竹、梅ね」

「知ってるの?」

「知ってないと鰻重を美味しく食べれないから」

 

 ……………ちょっとだけ悔しい。

 

 嫌いな人に知識で負けるとこんな気持ちなのか。屈辱というか、劣等感が入り混じった、そんな不快感が心の臓を掻き回している。

 ちょっとイラついたのは内緒だ。

 

「簡単に言うとね。それは多さの違い」

「多さ……。うなぎの?」

「正解」

 

 よし、と小さく拳を握りグッとガッツポーズした。やったぜ。

 

「鰻重は松、竹、梅と三段回に分かれてるの。どれを選ぶかによってうなぎの多さや大きさは変化するんだ。

 基本的に松は特上。竹は上。梅は並って所かな」

「へー。そうなんだ……」

「まぁ、店によってこの基準は違う所もあるからね」

 

 なるほど。ただ単純に量の問題か。値段が変わるのもそれだとわかれば辻褄が合う。

 逆になんで特上を松とかに表現するのかは疑問だが、知るのはまた今度にしようと考えを改めてメニューに再び目に通す。

 

 それにしてもうなぎの量、か……。

 まぁ迷う事はない。うなぎは多い方が楽しめる。

 

「じゃあ俺は………。よし決めた」

「うん、私も。すいません。注文いいですか?」

「はーい! 注文お伺いします!」

「ウナジュウのマツ一つ」

「私も同じものを」

「はい。松二つですね! かしこまりました!」

 

 注文書にペンを粗方走らせると「少々お待ち下さい」と言いながら席から元気良く離れる。後は待つだけか。

 

 今から待ち遠しい。ワクワクしすぎて落ち着かず、少しだけ身震いをしてしまう。本当だったらその場で踊り出したいくらい上々な気分だが、目の前にはマキマさんがいる。あまり醜態な姿を見せなくない。勿論、好意的な意味ではなく弱み的な意味で。

 そんなソワソワとしながら待っているとマキマさんが尋ねてきた。

 

「ビリーくん」

「なに」

「猿の悪魔討伐。ありがとう」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ビリーは目をまんまると開けながら驚愕する。

 

 少し驚いた。いや、本当に。

 

 まさか感謝されるとは思ってなかった。マキマさんは上司だし、俺は平社員。立場的には彼女は感謝する側ではなく感謝される側である。

 そんな上司が俺に向けてそんな言葉を向けられるのは、なんだか小っ恥ずかしいというか、だけど少しだけ嬉しいというか、うまく言葉では表現できないのだがそんな二つの感情が混ざった心境を覚えてしまう。

 後、少しだけ気味が悪い。一センチくらい後退ろう。

 

「………なんでお礼を?」

「猿の悪魔が駆除されたお陰で臨時休校していた学校が再開できたし、心配していた親御さんも安心して子供を外に連れ出せる事ができたからさ」

 

 なるほど。猿の悪魔の被害は結構大きな実害が出ていたらしい。そう考えるとマキマさんの立場的には感謝するのも納得かもしれない。

 マキマさんは話を続ける。

 

「正直参ってたんだ。子供達の死体が見つかったあの日から公安に苦情が殺到してね。『税金払ってやってるからちゃんと仕事しろ』とか『悪魔を野放しにするな』とかそういう感じのやつがさ。だから苦情の対処で私も今週は結構忙しかったんだ」

「そうなの? あんまりそんなイメージ全然無いんだけど……」

「普段は人目のない所で仕事はしてるから」

「ふーん。そうなんだ……」

 

 イメージとは裏腹に結構忙しいんだな。マキマさんって。

 

 確か、明日には連続出張だとか言ってたな。しかもフシさんに聞いた話だと熊本の次もまだあるらしい。具体的な回数で言うと五、六回を優に超えるそうだ。流石に忙しすぎだろ。嫌だな〜。

 

 そう考えてくるとこの人もこの人で嫌な事もあるのだろうか。あんまり顔の表情が変わらないからわかりづらい。

 一応、仕事には不満はなさそうだが、それは俺の偏見だ。マキマ自身がどう思ってるかなんてマキマ自身しか知らないだろう。

 

 だから、自分には関係のない事だ。

 

 そんな事を考えながら待つ事、1時間弱。

 元気な店員さんが何やら黒い箱をトレーの上に乗せて運んできた。

 遂に来たらしい。

 

 俺の夢であり、目標でもある、

 

 ウナジュウが、目の前にまで迫ってきているのだ……ッ!

 

「お待たせしました。鰻重の松、二箱ですね」

「おお〜」

 

 驚きの表情を隠せないまま、ビリーは机の上に置かれた箱へ目をやる。

 

 我慢出来なかったのか黒い光沢のある綺麗な箱の蓋に手を出した。

 まるでクリスマスプレゼントを開ける子供の様に蓋を開ける。

 

 その刹那───、

 

 

 ビリーに電流走るッ!

 

 

 開けた瞬間、米の暖かくもどこか柔らかそうな湯気と、先のタレ付きの鰻の甘い香りが一気に激流となって天に漂った。

 

 しかし、匂いだけではない。見た目も完璧だった。

 

 白く、どこまでも白い米はふっくらとしていて、その上に掛かったタレを吸収、茶色く沁み込んでいる。なんとも美味しそうな見た目なのだろうか。

 うなぎもそうだ。柔らかそうで、今でも崩れてしまいそうな身。しかもでかい。どのくらいのデカさなのかというと箱にギリギリはみ出そうなほどだ。

 箱の大きさは大体縦横二の腕程の正方形だからそれとほぼ同等の大きさなのだろう。しかもそれが三枚も入っている。あれほど高額の値段と釣り合うのも納得だ。

 

「すげ〜。写真で見るよりもめちゃくちゃ美味しそ〜」

「ご飯はおかわり自由だから。頼みたかったら店員さん呼んでね」

「マジか」

「マジだよ。それじゃあ早速……」

「「いただきます」」

 

 両手を合わせて挨拶すると割り箸を割る。中途半端に折れてしまったが気にはしない。今日はウナジュウを食う日なのだから。

 

 緊張しているのか箸の先端がプルプルと震えている。しかしそれでもめげずにうなぎに箸を入れ始める。

 

 

 スッと、まるでそこには何もないかの様に抵抗も無く箸がうなぎを切った。

 

 

 どれだけ柔らかいんだよ! と突っ込みたいくらいだが今は耐える。

 練習の成果を出す為に箸を杜撰だがある程度器用に使い、ご飯と一緒に切ったうなぎを持ち上げる。

 

 そして口を開けて、パクリ、と食べ始めた。

 

「美味ッ!」

 

 思わず叫んでしまった。いや、それは仕方のない事。

 それほど美味いのだ。このウナジュウという物は。

 

 噛んだ瞬間、うなぎが解けた。身が残っている訳でもない。そのままの意味で解けたのだ。

 柔らかい。これまでの人生で、これほど柔らかい物を食ったのは初めてだった。

 魚特有の邪魔な骨は無く、解けたうなぎの旨みと脂、そしてタレ。それらが混ざり合い、口の中で味わい深い風味を出しながら溶けてゆく。そこに、不快と感じられる要素など、一切存在していなかった。

 率直に言って美味しい。写真で見た後、どんな感じなのか考えてはいたが、まさかこれほどまでとは想像していなかった。

 

「そんなに焦って食べても鰻は逃げないよ」

「だって……ッ! 噛んだ瞬間………ッ! ホロリって…………ッ!」

 

 ダメだ。うまく言葉で言い表せない。ウナジュウの美味さが脳の思考に追いついておらず、ついには考えることを放棄してしまいそうだ。それほど、美味しいのだ。

 

 美味しいのは何もうなぎだけじゃない。

 

 ご飯だ。このウナジュウの中で一番興味深い物はご飯だった。

 

 白い米はそれは美味しかった。半ば透き通って艶やかな色合いは宝石の様で、一粒一粒は中まで火が通っているが決してベタつかず、サラサラしているが硬さも粗さもなく、噛むとほのかな甘みと上品な香りが感じられる。

 

 そんな美味しいご飯に、タレを掛けるとどうなるか。そんなの簡単。

 

 

 

 箸が、止まらなくなる。

 

 

 

 止まらない。箸が、止まるという行為を忘れているかの如く、動くのをやめない。

 

 白米に余すことなく沁み込んだタレはベストマッチだった。甘くも余程の濃さのないタレとふっくらとした香り際立つ米の味。それらが噛むたびに甘辛くもしっとりとした味わいを出している。

 

 これがウナジュウ……。これが夢……ッ!

 

 頑張って猿を殺した甲斐があった。

 

 今の俺に、悔いなど残っては無い。

 

「ダメだ……。箸が止まらん………」

「面白いなぁ。ビリーくんって」

 

 ウナジュウを楽しんでいると突然マキマさんが笑いながら言い出した。

 キョトンとした表情をしていたビリーだったが箸を再び持ち直す。今は食べる事に集中しているのだ。あまり話しかけないで欲しい。

 

 面倒なので適当に返事する。

 

「……どこがだよ」

「うーん。楽しんでご飯食べる所とか、無愛想なのに感情だけは豊かな所とか、後は……」

 

 キョトン、としたビリーの表情を見ながらマキマさんはこう言い放った。

 

 

 

 

 

 

「悪魔になれる所とか」

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 少し、気分が悪い。

 先程までウナジュウを楽しく食べていたのに、もう気分が悪くなった。

 箸に持ったうなぎを口に放り込むと一旦箱の上に置き、息を吐きながら話し出す。

 

「…………好きで、こんな身体になったんじゃない……」

「………」

 

 無意識に苛立っていた。何故かは知らない。ただ、これだけははっきりと言える。

 

 俺は一瞬だけマキマさんに嫌悪感を放った。

 

 目の前の女が少しだけ気に食わなかった。不快だった。気持ち悪かった。

 何が悪魔になれるのが面白い、だ。その言葉を聞いた途端、得体の知れない苦く、ドロドロとしたものが肺からこみ上げてくる。

 

 少しだけ、ビリーの目が空になる。光も反射しない、ただの黒へと変わった。

 

「俺は、レックスさえいればよかったんだ。貧相な生活でも、アイツとなら楽しく毎日を過ごせると思ってたんだ」

 

 今でもたまにだが思い返す。あの日の生活を。

 起きて、食って、仕事して、悪魔殺して、何か買って、食って、寝て、そんな毎日を楽しく過ごしていたあの日常を。

 

 もう戻ることの出来ない青春を、ビリーは振り返る。

 

 

 

 そして、レックスが死んだ日の事も。

 

 

 

「アイツは、死んじまった」

 

 自分の心臓を意図せずに撫でる。撫でるたびにまるで針に刺されるかの様に心が痛くなった。

 

「死んだ俺に心臓やってさ。死んじまったんだよ……」

 

 そう言いながら話を無理矢理切り上げると、うなぎを食べた。

 今度は味がしない。あそこまで美味しかったウナジュウが酷く美味しく無くなっていた。

 腹も空いていない。楽しくも何ともない。

 

 退屈で、つまんなくて、どうしようもない様な────

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ生きているとは思うよ?」

「…………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 マキマの言葉に思考が止まる。

 

 

 どう言う意味なのか分からなかった。全く、全然、1ミリも理解できなかった。

 

 

 生きている? 俺の中で?

 

 

 いや、そんなはずは………。

 

 

「レックスだったけ? その悪魔。

 大丈夫。ちゃんと君の中で生きているよ」

「え、いや、でも……」

 

 

 信じられなかった。マキマの言葉が、信用できるはずがなかった。

 だからなのか、少しだけ漏れた殺気を隠しながらマキマに追求し始める。

 

 

「なんの、確証があって……ッ」

「前に言ったよね。私は鼻がとても良く効くんだ」

 

 マキマは自身の鼻に指を刺す。

 

「君の中には悪魔の匂いがする。死臭とかじゃなくて、ちゃんとした生きた匂いがね」

「…………ッ!」

「レックスは、君の中で生きているんだよ。浪漫的な意味じゃ無い。心の中で生き続けているって訳でもない。本当の意味で、ビリーくんの心臓になって生きているんだ」

「そう、なのか…………」

 

 

 その言葉を聞いて、なんだか不思議な気持ちに満たされる。

 嬉しい様な、救われた様な、少なくとも先程までの不快感は感じなかった。

 

 だけど、ひとつだけ確かなのは、

 

 

 

 

 

 とても、()()()()()()

 

 

 

 

 

 突如、頬に一滴、涙を走らせた。

 

「あれ………、あれ…………ッ」

 

 声はかすかに震えていた。

 

 こみあげてくるものがあった。安心した途端、自分自身の感情の収拾がつかなくなる。

 押さえ込もうとしても、押さえ込めない。今まで我慢していた感情が、津波の様に押し寄せてくる。

 

 

 わからない。わからない。

 

 

 なんで泣いているのか、自分自身でもわからない。

 

 

「ちょっと、俺………ッ、おかしいなあ…………ッ」

 

 

 手で目を擦り付け、溢れ出す涙を拭う。

 声を出さずに肩を細かく震わせて静かに、自分が泣いていることを、誰にも気取られたくないという様子で、俺は泣いた。

 

 

「泣きたい、なんて………ッ 思ってなかったのにな………ッ」

 

 

 溢れた涙が雫となって零れ落ちる。零れ落ちた涙が跳ね上がる。

 膝の上に、ぽたぽたと涙の滴が垂れていた。俯いたままのその顔は、ただ紅くした頬が覗くだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜は、不思議とぐっくり寝れたのを覚えている。

 

 




 デビルハンター編 完ッ!

 次回は正月スペシャルです。

 それでは皆さん! 良いお年を!


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※おまけ
※ 正月スペシャル〜設定集ッ!


 
 正月スペシャルッ!設定集でーすっ!
 
 あの人のこ〜んな事や、あ〜んな事が載ってるよ!


 チェンソーマン最高ッ!チェンソーマン最高ッ!
 お前もチェンソーマン最高と言いなさいッ!



 登場人物設定。

 

『No.D7-0031』

 名称ビリー

 

 年齢 十二歳(プロローグ時点)〜十八歳(デビルハンター編時点)

 誕生日 1月30日(少年兵はとある国の建国記念日が誕生日と定められている為本当の日は不明)

 好きなもの 食う事、寝る事

 嫌いなもの 本能的な意味でマキマ(私情で嫌いなものは特に無い)

 趣味 downtownを聞く、食べ歩き。

 コンセプト デンジと対照的なようでアンチテーゼほどでは無い。

 

 

 スラム街で非正規デビルハンターをやっていた少年。

 前までとある独裁国の少年兵として生きてきた。

 

 表情が乏しく、とても無愛想。逆に感情は豊か。

 右腕に丸々《enjoy until you go crazy!!》という刺青がある。

 

『欲しいものはあるか』と問うと、『毎日三食、煩い音に悩ませられずに安眠、平和に過ごす事』のみだったが、レックスと過ごしている内に『日本に住む事』となった。

 今ではレックスの契約に沿って『馬鹿みたいな人生を思いっきり楽しむ』という夢に置き換わっている。後、食べるのが好き。意外とグルメである。

 

 家族は居らず、気づいた頃には兵士として徹底的に育てられており、名前どころか顔も覚えていない。一応東洋人である事は確かである。

 名前も知らないため、軍にいた頃の識別番号をそのまま名乗っている。ビリーと言う名前はスラム街で呼ばれていた仮称であり、本名ではない。

 

 レックス曰く、『勝手に出てきて知らないところで死んでいるモブ兵E』

 

 軍いた頃の教養がまだ残っており、奪ったら奪い殺せという信条を徹している。その為、殺すと決めた相手は例え水の中、地の果てだろうと仕留めようとやってくる。

 

 深く考えることは苦手で、世の中全てが簡単にできていればいいと常日頃思ってたりする。しかし、一応苦手であって考える事を最初から放棄する事はない。殆どの事はまず考える事から始め、わからないのなら、やっと放棄するか他の人に任せる事が多い。

 

 考えることはちゃんとするくせに殆ど自分勝手に行動し、さらには人の話もよく聞かないのがビリーの問題点の一つ。

 

 

 

 戦闘時

 

 右腕を力強く振り下ろす事で斧の悪魔に変身することができる。

 頭部が斧と怪獣が混ぜ合わさったような形状になり、両腕からも腕を貫くように斧が、口には鋭い牙が生える。

 この状態でのビリーは何故かテンションが異様に高い。普段言わないはずの言葉を言いまくる為、別人ぽいが別人では無い。ちゃんとビリー本人である。

 

 手に生えた斧は自分の意志で取り外しが可能であり、手に持って攻撃する事もできる。意外と多彩。

 

 戦闘時は常人離れした身体能力に加え、自身の肉体各部から突き出ている斧を巧みに使い、対象を荒々しく斬り刻む攻撃を得意とする。

 斧に拘ることもなく、自前のナイフで仕留める時も。

 

 兵士としては身体も心も成熟しており、殺す時は躊躇しない。例え女子供だろうと敵と判断すれば即刻、首元にナイフを突き刺す。

 別に殺す事を娯楽として楽しんでは居らず、ただただ仕事だからそうしているだけ。その為非道な人物と思われやすいが、逆に仲間と認識した人物には積極的に接しているあたりそれほど非道では無いのだろう。

 

 

 

 素の戦闘力

 

 早川アキと同等。岸辺以下

 

 

 

 

 誕生経緯

 

 作者「チェンソーマンの二次創作のオリ主一緒に考えて」

 友達「テキトーに無感情のやつでいいんじゃね?」

 作者「いやいや、今時無感情主人公は流行らんて〜」

 

 結局、無感情主人公にはならなかったが無愛想主人公になった。

 

 

 斧の悪魔

 

 通称レックス。

 

 タイのスラム街でビリーと暮らす武器型の悪魔。

 『助けてやるから俺を助けろ』と言う契約でビリーの仕事を手伝っていた。

 斧の様な怪獣の頭、恐竜の様な小さい足。細長い尻尾を生やしている。斧バージョン恐竜カービィみたいな感じ(目はイカつい)。

 

 名前のレックスは仮称である為本命は不明。元ネタはアックスとT-REXが似てるから引用。

 

 当初は契約を早く遂行して立ち去ろうと考えていたがビリーと接して行くうちに彼に惹かれ、いつしか大切な家族と認識していった。

 鬼の悪魔との戦いで死亡したビリーの心臓となり、生きながらえる。

 チェンソーと呼ばれる悪魔と浅く無い因縁を持っている様だが……?

 

 誕生経緯

 

 作者「斧をモチーフとした悪魔の考案したい」

 友達「それで? 何か決まったのか?」

 作者「元ネタなんだけどさ……」

 友達「勿体ぶらずに言えよ」

 作者「性格はお前を元に作りました」

 友達「却下で」

 結局通った。

 

 

 キーボおじさん

 

 スラム街に住む住人。推定年齢は70を過ぎている。

 一応、スリの達人と言う設定。だからなのか、ビリーは彼を警戒していた。

 ニコニコ顔が貼り付いている胡散臭いおじさん。

 魔がさしてビリーの家内で盗みを働いた。その後の彼の行方はお察しください。

 

 誕生経緯

 作者「クロサギおもしれー。そや! 正義の犯罪者キャラ作ったろ!」

 結果、中途半端なキャラが出来上がり雑に処分。

 

 

 ネクロおじさん

 

 スラム街を牛耳る極小マフィアのボス。推定年齢は50代後半。

 スラム街を燃やし、ビリーの運命を動かした全ての元凶。鬼の悪魔と契約し、その力を使って自分のマフィアをトップにのし上がろうと企んでいた。

 最期は頼みの綱である鬼の悪魔がビリーに殺され、命乞いをしたが、結局通じずに喪失感(物理)を味わった。

 

 誕生経緯

『Hunter× Hunter』に登場するクロロ•ルシルフルの〝名前〟を引用。

 スラム街と言ったら流星街。流星街と言ったら幻影旅団。幻影旅団と言ったら団長。

 こんな連想ゲームみたいな感じで決めた。

 あくまで名前だけが元ネタな為性格はお察しの通り全く違うから注意しよう。

 

 

 ピーマンの悪魔

 

 タイのスラム街に登場した野菜型の悪魔。

 ピーマンに四方八方目玉をつけて、横真っ二つになる様に歯が180度ある。

 野菜型悪魔の中では比較的強い分類。だけど死んだ。

 

 誕生経緯

 作者「子供が好きな野菜はッ!?」

 友達「ピーマン」

 完ッ!!

 

 

 唐辛子の悪魔。

 

 タイのスラム街に登場した唐辛子型の悪魔。

 唐辛子の様な見た目で目玉が四つ、手足が合計7本ある異形。

 弱いが血がとにかく辛く、そしてヒリヒリする。倒す時には注意しよう。

 

 誕生経緯

 作者「お前さ、ラーメンで好きな味って何?」

 友達「あ? なんだよ急に」

 作者「いや、なんとなく」

 友達「うーん。坦々麺だな……」

 作者「へー。以外」

 友達「結構辛い物好きだからな。坦々麺の上に七味唐辛子もかける派だから」

 作者「うへ〜。辛そ〜」

 

 この発言を二日後に思い出して採用きた。

 

 

 鬼の悪魔

 

 タイのスラム街を襲った亜人型の悪魔。

 赤い鬼の仮面を被り武者鎧を見に纏わせ、腰には酒の入った瓢箪、手には自身の身の丈ほどの金棒が握られている。

 ネクロと契約し、最強の悪魔を目指してスラムを襲ったが、アックスとなったビリーの前に恐怖して無様に敗北。死亡した。

 

 誕生経緯

 作者「ゾンビの悪魔くらい強い悪魔ってどんなのが思い浮かぶ?」

 友達「知るか。適当で良いんじゃね?」

 作者「こう言う設定が一番重要なんだけど……」

 友達「そうなの。じゃあ…………?」

 

 友達が本棚に積まれた『鬼滅の刃』を見る。

 

 友達「鬼の悪魔ってどうだ?」

 作者「採用」

 

 

 梨の悪魔

 

 スーパーシヘイに出現した果物型の悪魔。

 ほぼ二言だけしか喋ってない悲しき存在。

 ちなみにコイツだけ誕生経緯が無い。パッと思い浮かんで出しただけ。

 

 

 マネキンの魔人

 

 マネキンの悪魔が人間の死体を乗っ取った姿。

 のっぺら坊の顔をし、体の関節部は縫い目がある人形の様な姿をしている。

 原作小説『バディストーリーズ』に登場するマネキンの転生体なのかは不明。

 誕生経緯は小説読んで便利な能力だと思ったから。

 

 

 狸の魔人

 

 狸の悪魔が人間の死体を乗っ取った姿。

 狸の毛皮を頭に被った様な姿をした野生人みたいな見た目。

 人を馬鹿にする言動が多いが本人も馬鹿である。

 木の葉に念を込めてそれを対象に持たせると幻覚を見せる事ができる能力。幻覚を見ている間、対象は眠っているかの様に突っ立っている。マネキンが連れ去った女の子がフラフラ歩いていたのはコイツの所為。

 誕生経緯が(ある意味)複雑すぎる為紹介できない。梨の悪魔とは別ベクトルで異色のキャラ。複雑なのにパッとしないのは多分気のせいだと思っていいです。

 

 

 猿の悪魔

 

 マネキンの魔人と狸の魔人を従える猛獣型の悪魔。

 見た目はそのまま巨大な猿だが腕が2本交互に生えている。

 尻尾にも腕、というより手が生えておりこちらは親指、中指、小指で計3本指の異形の手。

 子供の血肉が大好きであり、マネキンと狸の力を使って17人もの子供達を誘拐した。

 人間の事を露骨に見下しており家畜扱いしている。

 廃病院を拠点にしていたところ、偶然マネキンの後を追ってきたビリーに遭遇。そのまま戦闘へ。

 当初はビリーのダメージが初っ端からあった事で有利だったが、アックスになったビリーの前では全く歯が立たずに無様に敗北。死亡した。

 実はコイツよりも鬼の悪魔の方がよっぽど強い。攻撃手段が殴打しか無いのは流石に……。

 

 誕生経緯

『ポケモン』と『モンハン』やってたら猿の悪魔が思い浮かんだ。

 尻尾に手があるのはこれが元ネタ。

 

 

 

 

 ビリーの経歴。

 

 0歳 どっかで生まれる。両親は不明。

 

 3歳 孤児院に入院。この頃から物心がついた。

 

 6歳 愛犬ペロが殺される。××は泣いた。

 どっかの独裁国の少年兵として軍に配属される。××とは生き別れに。

 戦争に行く事も無く訓練し続けていたらいつの間にか独裁国滅亡していた。 

 

 

 

 その後、10歳までの経歴は不明

 

 

 

 10歳 タイのスラム街に着く。コードネームを名乗っていくうちに呼びにくいからか〝ビリー〟と言う名前を貰った。

 

 12歳 相棒であり家族でもあるレックスと出会う。

 

 18歳 運命の日。鬼の悪魔に殺された後、レックスが己の心臓となった事でアックスになる事ができる謎の存在になった。

 

 ビリー、マキマに拾われ夢の日本へ。←今ここ。

 

 

 

 

 Q&A

 

 〉ビリーって何人?

 

 日本人です。生まれは不明。育ちはタイとどっかの独裁国と孤児院。

 

 

 

 〉ビリーの容姿ってどんな感じ?

 

 まず、デンジくんを想像してください。

 そしたら地毛を黒にして、肩まで伸ばし、天パーにしてからサイズの合ってないロングコートを羽織らせます。

 後は顔を無愛想な表情に変えれば、まんまビリーですね。

 

 

 

 〉何でアックスなの?

 

 木を切る道具→チェンソー→それ以外の道具→斧

 

 こんな連想ゲームみたいに決めました。

 

 

 

 〉何故〝ヒャッハー〟アックスなの?

 

 斧の武器人間のデザインを考えている最中、『北斗の拳』の雑魚兵士が思い浮かんだからです。何故かは不明。

 

 ネタみたいだから保留扱いとなったのですが、チェンソーマンの二次創作作るからにはちょっとはふざけようと考え始め、これを採用しました。

 それ以外の案は

 

 :ブラッティーアックスッ!

 

 :ヴァイキングアックスッ!

 

 :デビルアックスッ!

 

 :アックスマンッ!

 

 です。これ以外にももう二、三個ありました。

 今更ですが結構厨二臭いですね……。

 

 

 

 〉武器人間変身中は何でテンションが高いの?

 

 頭の中で作業用BGMが流れるからです。

 僕の想像では多分、ジャズが流れてると思います。

 ちなみにビリーはジャズを知らない。

 

 

 

 〉本能的な意味でマキマが嫌ってどう言う事?

 

 本能が『アイツを好きになるな』とか訴えかけている感じですね。逆に私情的な意味ではビリーはあまりマキマの事は嫌いではありません。

 その証拠に「マキマさんの嫌いな所五個言って」と質問したら何故か良い所しか言わないらしく、酷く困惑します。

 

 

 

 〉ビリーの名前の元ネタは?

 

『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』という映画の登場人物であるビリーと言う青年が元ネタ。

 

 

 

 〉ビリーと言う名前の元ネタは分かったけど、コードネームの元ネタもあるの?

 

 あります。

 No.D7-0031のNo.を取り外すと〝D7-0031〟になります

 

 Dは〝December〟の頭文字。

 

 7-0031は反転させると31−7。

 

 その答えが〝24〟

 

 よってDecember24。つまり12月の24日→メリークリスマスイブです。

 

 

 




 次回、バディ編ッ!


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バディ編
バディ•プロローグ


 二章、バディ編、開始!

 ビリーにバディができるよ! やったね!

 MEG ザ•モンスター大好き!!


 

 

 

 

 人は、普段食べる物が違うと幸福度が変わるらしい。

 

 

 

 

 どこかの政治家か評論家、又は教科書に載っている偉い人がそう言ったらしい。ちなみに偉い人の名前は知らない。

 

 何故食べる物で幸福度が変わるのか。それは普段食べている物の質である。

 

 例えば昔から不味い味の飯を食っていたとする。すると大人になってから舌が変になり、やがて、酷い飯を食っても美味しいとか不味いとかの感覚が無くなるそうだ。

 つまりバカ舌と言う奴だ。

 

 逆に美味しい味の飯を昔から食っていたりすると、大人になってもバカ舌にはならず、不味い物にはちゃんと不味いと判断し、美味いものにはちゃんと美味いと評価できる様になる。

 これが幸福の舌という奴だ。

 

 つまりだ。人々は幸福を求めて生活をしている。

 寝て起きてを繰り返し、仕事場に行き金を貯めて、ちょうど良いくらいの歳になれば会社を辞めて幸福を求めて海外でバカンスする。常人にとってこの人生の設計図はまさしく夢のような物なのだろう。

 

 

 だが、本当にこれで良いのだろうか。

 

 

 幸福を手に入れるために、辛いことをするのは本当に幸福なのだろうか。嫌なことをし続けて、それでも幸福の為だ、夢の為だ、と言い訳し、不幸を浴び続けるのは本当に幸福なのだろうか、と。

 

 いいや、断じて違う。そんな物は幸福じゃ無い。

 

 だから、人はまず食生活を変えるべきなのだ。

 

 食事は人の三大欲求の一つである。

 欲求、すなわち幸福。つまり人々は不幸を拭い払う幸福の食事を求めるべきなのだ。食を通して救われ、バカ舌を治し、幸福の舌へと昇格すべきなのである。

 

 人は大きな幸福を追い求めるべき存在である。その為にはまず、バカ舌を治すことから始めるべきなのだ。

 

 ────世界的評論家にして神の舌の異名を持つ料理研究家、〝北侍剣城〟先生著書。

 

 

 

 

「何? これ…………」

 

 公安デビルハンター、ビリーはとある貼り紙に書かれてある長ったらしい文を見ながら呟いた。

 

 正直言おう。全く分からない。

 

 意味不明だ。書いてある事全てが理解不能だった。

 

 俺がバカなのか? バカだから理解できないのか?

 

 バカ舌だから美味い不味いの区別がつかない? それだったら俺はバカ舌って事になるんだが……。

 

 逆に幸福の舌を持っていると美味い不味いの区別がつくらしい。それは無いだろう。バカ舌だろうが幸福の舌だろうが飯は飯だ。美味いか不味いかの違いがあるだけだろ。

 

「やっぱり評論家って何考えてるのかわからないから苦手だな………」

 

 ビリーはあまり、評論家に良い印象を持っていない。悪い印象も持ってはいないのだが、少しだけ近寄り難い。簡単に言えば苦手という奴だ。

 

 体験した事も経験した事も無いくせして自分独自の解釈を織り交ぜて恰も真実だと決めつけるその姿勢が少し気に食わない。というか、テレビの話を鵜呑みにして一回騙されている。

 それ以降、ビリーはあまり評論家に良い印象を持つ事は無かった。多分、これからも持つ事は決して無いだろう。

 

 勿論、そう言う評論家が苦手なだけで、ちゃんと自分の体験や経験を利用して言葉を話す評論家は一様嫌いでは無い。けれど好きでも無い。文字通りの無関心である。

 

 しかし、何故評論家に無関心な男がそんなチラシを持っていたのか。理由はそのチラシの表にあった。

 

 ビリーはペラリ、と裏側から表側へと紙を反転させた。

 

「それにしても、寿司、か………」

 

 このチラシは決して評論家の応援演説用の紙などでは無い。

 表面にはギッシリと詰めに詰めた多くの種類のネタが映し出されている。そして、上にはデカデカ『特上寿司ッ! 本場の匠ッ!』と黄金色をした文字が目立つように配置していた。

 

 そう。これは高級寿司の宣伝チラシである。

 評論家の著書が書かれてあったのは、ただ単に料理研究家である北侍剣城という人がこの店を気に入ってるからで、それをビリーが興味本位で見ただけだ。

 

「美味そ〜。絶対に前食った寿司よりも美味しいやつじゃん……」

 

 ビリーは最後に食った寿司の味を思い出す。

 確か、新宿で大暴れしたヒルの悪魔を討伐したご褒美飯観たんな感じで伏さんと剛田さんとで一緒に食った記憶がある。結構新しい記憶だ。

 その時は市販のやつだったが普通に美味しかった。特にマグロと大トロには驚いた。アレは一度食べたら忘れられないほど美味しい味だった。

 

 しかし、チラシに映る寿司はその更に上を行く存在だと確信する。

 

 脂の乗っていそうな艶のある色合いの良い大トロ。柔らかそうで意外と弾力のある鯛。綺麗な赤身で味わい深そうなマグロ。他にも美味しそうなネタが沢山ある。

 

 ダメだ。よだれが出てきた。今すぐ食べたくなってきた。

 この仕事を終えたら店に出向こう。

 

 そう決意しながらチラシの下に目を移すと、

 

 

 

 

 職人が選ぶ特別五貫、15,000~¥19,999(税抜き)

 

 

 

 

「いちま………ッ!?」

 

 その高額にビリー度肝を抜かした。

 

 高ッ! と言うか、ご、5貫ッ!? 10貫とか、30貫とかそう言うのじゃ無くてッ!? たった5貫で一万超えッ!?

 

 高い。いくらなんでも高すぎる。ぼったくり? いや、高級寿司なんだからこれぐらいの値段は当然なのか?

 わからない。わからないが、少なくとも今の俺の所持金では食えない事はわかった。

 

「ハァ…………」

 

 思わずため息を吐いてしまう。それはもう残念そうに。

 だが、いくら息を吐こうと寿司の値段が下がる事も、自身の所持金が増える事も無い。いや、一応食えるは食える金を持ってはいるが、それを使うと今月の通帳が二桁三桁にまで下がる予感しかない。

 

 ただでさえ無駄遣いはするなと伏さんに耳にタコができるほど言われているのだ。それはもう、忘れたくても忘れないほど。

 まぁ今月中に食えないのは確かだ。あまり考えないでおこう。

 

 そう考えながら手帳の中身を確認した後、それをポケットにしまって──

 

 

 

 背中から、斧を取り出した。

 

 

 

「食いたいとか考えてる場合じゃ無い、か……」

 

 

 

 頭をぽりぽりと掻きながら悪態をついた次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドガァァァァァァアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 

 

 

 

 自身の立っていた一歩隣の壁が轟音を鳴り響かせながら砕け散った。

 

 レンガの瓦礫が雨の様にその場に降り注ぎ、服屋に並んでいるマネキン人形の四肢と首諸共がバラバラとなってその場に吹き飛ばされる。

 

 いろんな色の服やズボンは破け、高級そうなキラキラとしたドレスは細かく引きちぎられながら宙を舞い、それはまるで虹色の紙吹雪となってその場に舞い散り吹く。

 

 砕けた壁から出てきたのは筋肉質の体をした人間と、一体の巨大な異形だった。

 

 

 一人はゴツいメリケンサックを構えて堂々と攻める公安デビルハンター、剛田タイジ。

 

 

 そしてもう一体はタコの様な顔と魚人の様な巨体、魚の尻尾が付いている全身水色の気色悪い怪物、魚人の悪魔。

 

 

 その二人が、お互いに一歩も引けを取らずに拳を構え、血を撒き散らかしながら殴り合う。

 しかし優勢なのは剛田さんの方。魚人の悪魔は剛田さんの猛攻に耐えきれず、防御で手一杯の様だ。

 

 どうやらサボってる間に戦況が大きく変わったらしい。

 

「何やってんだビリーッ! 仕事中だぞッ!」

『余所見とハッ! 随分と余裕があるのだナ…ッ! 舐めやがっテェェェェェェエエエエエエッ!!』

 

 剛田さんが余所見をした瞬間を狙って魚人は髭を彷彿とさせる触手の切先を剛田に向け、放った。

 10本以上ある触手の槍が剛田の身体を突き破ろうと一斉に迫ってくる。まるで刃の雪崩だ。

 

 しかし、それで慌てる様な剛田でも無い。

 

 余所見した状況でもメリケンサックを地面に向けて構え、契約の言葉を言い放った。

 

「〝アース〟バリアッ!」

『なニィッ!?』

 

 突如、剛田を包む様にドーム状の壁が迫り上がる。コンクリートでできた、硬く、頑丈な壁が、触手の槍を抑え込む。

 

『小賢しいゾッ!! 人間メェぇェェェエエエエエエッ!』

「やべぇ! 壁が耐えきれねぇッ!」

 

 しかし長くは持たない。触手の槍が一本一本、回りながらコンクリートを削り抉る。

 キィィィィンッ!、とまるで歯医者で使うドリルの様な音がコンクリートのドーム内で反響する。剛田は子供の頃から歯医者が苦手である為、少し苦手な音だ。それは、ビリーも例外では無い。

 歯がむず痒くなるのを感じながらビリーは残念そうに手に持った斧を構え始める。

 

 

 幸福を得る為に。夢を掴む為に。

 

 

 

 最高の人生を、迎える様に。

 

 

 

「後一ヶ月、頑張るか……」

「ちょッ! 早く! 潰されるッ!」

 

 剛田の救いの声を聞くと同時にビリーは斧を振り上げながら悪魔目掛けて飛び込み───

 

 

 

 鮮血が、飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の島国、日本。

 ここに来てから、既に一ヶ月が経過している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公安デビルハンター東京本部、その最上階のとある一室にて。

 

 室内と呼ぶにはあまりにも広大な空間には照明が一切明かりを灯していない。一応時間帯は昼だ。部屋の光源は五つしかない大きな窓から通る光だけだが、それでも全体的に暗く、格子が日光に当たりその場に影を鮮明に描く。

 かなり質素な部屋であるとすれば長机とその長さに合わせた幾つもの椅子のみ。面白くもなんともない、無機質な部屋だった。

 

 そこに、5人の老輩が座っていた。

 

 威圧的で、高圧的な老人は老眼鏡を掛けながら手元にある書類に目を通しながら話し始める。

 

「米国が近年、新たな戦力と新型兵器の発表をしたらしい。十中八九、威嚇と脅しだろう」

「ソ連も米国に対抗できるよう、新たな軍事実験を始めるという噂も聞く」

 

 老輩5人はため息混じりの言葉を言う。まるで呆れる様に、仕方がないと考えるかの様に。

 

 世界大戦が終結し、世界各国との緊張が弱まり始めた頃、ソ連を中心とする社会主義陣営と、アメリカ合衆国を中心にした資本主義陣営の対立が激化し始め、世界中にまたもや緊張が走った。戦争には発展せずとも、両国の演説ではお互いを罵り、対立を深め、ついには国の戦力の見せびらかし合いをする始末だ。

 

 国民の一部は武力による衝突をしないからか『冷たい戦争』と言われているが、そんな物はまやかしに過ぎない。両国とも一つの判断、一つの言葉によって、いつ戦争の火種が広がり始めるのか予測できないからだ。

 

 そうなると、こちらとしては心臓に悪い。

 

「やれやれ、あの『トルーマン•ドクトリン』『マーシャル・プラン』の発表以降、米国とソ連の対立には火花が絶えんな。弱まるどころかむしろ強まる一方だ」

「まだ第三次緊張が始まったばかりだ。この状況が続けばいずれ二回目の世界大戦が始まることになる」

「そうなった場合、日本を巻き込まないでいただけるとありがたいものだがな」

 

 今回起こった背景を目に通し、頭の隅に入れておくと老輩は書類を机の上に置き、目の前にいる人物に話しかける。

 内閣官房長官直属の公安デビルハンター。マキマに向けて。

 

「マキマ君。最近拾ってきたばかりの犬は役に立っておるかね」

「はい。ちゃんと公安に貢献できています」

 

 マキマは淡々と口にした。そこには感情も愛着も無い。ただ犬を見る飼い主の目だけがそこにある。

 

「先月に猿の悪魔を討伐。その二週間後には新宿を騒がせたヒルの悪魔の討伐に成功しています。ちゃんと命令通りに動いてくれる優秀な犬です」

「なるほど……、優秀、ね……」

 

 老輩の一人はスッと眉をひそめる。

 

 マキマの仕事は犬を育て、それを使いこなす事である。決して情を入れる事ではない。

 

 前に拾ってきた犬の写真を見た事がある。人間に近い、というより人間そのもの。しかも悪魔に変身する事のできるという、今までの歴史の中で類を見ない稀な存在を。

 書類の備考には人格は悪魔ではなく人間がベースと書いてはいたが、所詮は悪魔になる事のできる人外だ。犬種が違うだけで大した差では無い。

 故に、今回はマキマでも情を持つかもしれないと考えた。優秀、とは聞こえがいいが犬に対して情などを入れたと言う解釈もできる。あまり悪魔に肩入れさせない方が良いだろう。

 

「マキマ君。君の仕事は犬を育て、使う事だ。情なんて物は敵である悪魔には必要無い物。あまり入り込まない様に」

「分かっています」

 

 老輩はマキマの声を聞くと背もたれに身体を預けた。

 マキマは特に感想は求めない。理解されないだけだろうから何も言わない。

 そう勝手に解釈するとマキマは一礼し、部屋から出ようと足を後ろへと向ける。

 

「それでは失礼します」

「待ちたまえ、マキマ君」

 

 一人の老輩の言葉にマキマは足を止めた。

 

「なんでしょう」

「君にあげた部隊に居る人外職員は確か、仕付けのなっていない狂犬ばかりだそうじゃないか」

 

 その言葉を聞いて、マキマの身体はピクリと揺れる。

 

「……………」

「悪魔を利用した実験的な部隊だったが所詮はお遊び半分で作ったおもちゃだ。そろそろ解体しようと考えていたんだがな」

 

 四課の成果ははっきり言って著しいとは言えない。当初導入した悪魔や魔人はそれぞれ十ほど所属していたものの、殆どが裏切りや逃亡などで処分され、今では悪魔、魔人合わせて五匹しか残っていない。

 

 それでも成績は良くなるどころか悪くなる一方である。

 

 

 強力な力と能力を持っているくせに怠けて仕事を放棄する者。

 

 飼い主の命令を聞かずマキマの言う事しか聞かない者。

 

 良く働く方だが、悪魔どころか飼い主に牙を剥き、挙げ句の果てには民間人すらも喰らおうとする者。

 

 他にも問題点を挙げればキリがない。

 

 

 今まで甘い目で見ていたが既に限界が近づいて来ていた。そろそろ切り上げ時だろう。

 

 だからこそのチャンスなのだ。

 

 マキマは老輩には顔を向けずに、後ろ向きで言葉の意味を聞いた。

 

「何が言いたいのでしょうか」

「君が拾ってきた犬はとても優秀なのだろう?」

 

 老輩は口を開く。威圧的で、高圧的な態度を直す事の無い、支配者ぶったその老人は、薄笑いの表情を浮かべながらそう言った。

 

「犬の振り見て我が振り直せ、だ。四課の狂犬の仕付けを、その犬にさせてみようじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 公安デビルハンター東京本部。

 

 そのエレベーターの中にビリーと伏、剛田はマキマの部屋に向かうべく、6階に着くボタンを押していた。

 ゴウン、と少しだけ揺れた後、ゆっくり上昇してゆく感覚にあまり慣れないビリーは手で持ったオレンジジュースを一口飲むと伏に尋ねた。

 

「それで、何の用なの?」

 

 今回、見回りに行く前にマキマさんの所に尋ねるらしい。理由は不明。

 何らかの仕事の追加か、それとも新宿の件の様な緊急事態なのか、どちらにしろ出張から帰ってきたマキマさんに会うのだから面倒くさい事この上ない。

 

「ビリー。ここに来て何日経ちましたか?」 

「んー………。一ヶ月、くらい?」

「もうそんなに経つのか……」

「時の流れは早いですからね」

 

 確かに早いな、と自身の過去を振り返る。

 

 スラムを出て日本に着き、そこで生活する事一ヶ月、色々な事があった。

 

 初仕事である猿の悪魔とその一派の討伐に、新宿を暴れに暴れたヒルの悪魔の掃討作戦。初の出張で初の新幹線、そこで出現した悪魔を討伐するのに夢中になって富士山を見逃したショック。挙げればキリがないほどの出来事があった。

 

 慣れない事もあったしそのせいで伏さんに怒られる事も山ほどある。だけど、それと引き換えにしてもお釣りが来るくらいの楽しみを味わう事ができた。

 

 

 

 今の俺は人生を楽しんでいる。そんな感覚がある。

 

 

 

 自分の夢を現在進行形で叶えている。こんなにも気持ちのいい毎日は初めてだ。

 

 契約通りに馬鹿みたいな人生を楽しんでいる俺を見て、レックスも楽しんでいるのだろう。そうに決まっている。

 

「ビリーが珍しくニヤけてやがる……」

「ちょっと怖いですね………」

 

 剛田さんと伏さんが俺の顔を見て引いている。少し悲しい。

 悲しんでいる時も束の間。エレベーターにある上品なベルが6階に着いた事を知らせた。

 

 ゆっくりと開いた扉から出た後、光が均等に照らされる廊下を歩きながら事の詳細を聞かされた。

 

「今日からビリーにはバディを組んでもらいます」

「バディ……。伏さんと剛田さんみたいなやつ?」

「はい」

 

 バディ。

 

 聞くと、どうやら公安デビルハンターをやっていく上で必要なものらしい。

 自分の心境としては、興味が二割、不満が八割ある。あまり良くない顔を浮かべながら剛田の話を聞き続ける。

 

「公安のデビルハンターってのは大抵の場合二人一組で行動するのが基本だ。研修を終えた新人がバディと組み、そこから本格的にデビルハンターとしての仕事に参加する事になる」

 

 へー、とあまり関心無く聞き、ふと、疑問が生じた。

 

「いや、俺最初から悪魔殺してるけど……」

 

 バディを組むのが基本と言われたが、俺はここに来てから一度もバディと組んでいない。ずっと教育係として伏さんとそのバディである剛田さんとだけ仕事をして来た。いきなりバディを組んで仕事など不安でしかない。

 それに俺は研修というものを受けていない。それなのに俺はここに来た当日から悪魔を殺している。

 一体どういう事なのか。

 

 その疑問に伏さんは答えた。

 

「ビリーは人外職員扱いですから。それに四課は少し特殊ですしね」

「特殊?」

「後で教えますよ」

 

 特殊? どういう事?

 

 首を捻るビリーを横目に剛田と伏はひそひそと他人に聞こえないほどの小声で話し始める。

 

「しかし本当に大丈夫なのか? アイツをビリーに任せて……」

「私は反対したんですが、どうも上からの案件でして……」

「?」

 

 俺は一体これから何をされるのだろうか。不安が一割増した。

 

 それぞれの考えが飛び交う中、遂にマキマのいる部屋へと辿り着く。

 

 伏さんがドアをノックする。硬く、そしてどこか執拗な音が二回廊下に鳴った。

 

 中から「どうぞ」と声が聞こえたのを確認した後「失礼します」と言いながら扉を開けた。

 

 扉を開けると出迎えてくれたのはマキマさん。机に座り、背に日光を浴びながらこちらを見ていた。

 

「来たね。伏君」

「ビリーを連れてきました」

 

 物腰の柔らかそうな、それでいてどこか底知れない雰囲気を漂わるマキマは、ビリーに目を移す。

 

「久しぶり。元気だった?」

「元気………かな」

 

 久しぶりの会話だが特に話すほどの話題を出さずに早速本題に入った。

 

「伏君に話は聞いてる?」

「バディの話、だったっけ?」

「そうそれ。ビリー君には今からバディを組んでもらいます」

「そうですか……」

 

 ビリーは明らかに嫌そうな表情を出した。

 

「なんか嫌そうだね」

「二人よりも一人で行動するのが楽だから。それに給料少なくなるのはなんか嫌だし……」

「少なくならねぇよ。と言うか、悪魔相手に一人で戦うのは基本無謀だけどな」

「ああ、だから組めと」

「それもバディを組む理由の一つです。他にも小規模任務とか、パトロールとか、安全を確保するための重要な役割もあります」

「へー……」

 

 自分の事なのにまるで他人事のようにビリーは話を流した。いつもの事である。

 故に、伏はそんな彼の態度を感じ取る事ができた。

 

「ビリー。話を聞いてないでしょ」

「え? え、えーと………。きゅ、給料が減る?」

「後で説教ですね」

「だな」

「つ、次はちゃんと聞くから……ッ!」

 

 説教を逃れるべく伏の怒りを慌てながら収めようとする。

 

 説教はあの病院以降受けてはないがそれでもまだ苦手意識が残っている。これ以上はもう懲り懲りだ。

 人の声が苦手なんて事になったら洒落にならない。ここはなんとしてでも止めたい。

 

 そんな彼らを見守る様に見ていたマキマはふと、何かに気づき、軽く目を伏せて言った。

 

「よかった。ちょうど来たみたい」

「あ、来たみたいだよ。伏さん」

「話を逸らしても無駄ですからね」

「くっ………」

 

 話を逸らす作戦に失敗したビリーは奥歯を噛み締めながら少しだけ話を聞かない過去の自分に後悔した。

 

 この後説教を受ける嫌な気分を感じながら目の前の扉がゆっくりと開き────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開かれた扉の先には、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?」

「ッ!?」

 

 ビリーが首を傾げ、伏と剛田が身構える。

 

 マキマさんが嘘を言ったのだろうか、そこには誰もいない。

 ただワックスがかかった綺麗な床と窓ガラスを通して廊下を照らす日の光のみ。それ以外に何も無く、人のひの字すら存在していない。

 

 一応確認を取るために、マキマさんの方へと顔を向ける。

 

「ねぇ、なんで誰も居な──」

 

 自分が疑問を呟いたその時──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウガァァァァァァァァアアアアアアアアアッ!!!

 

 

 

 大きな口が、背後から迫った。

 

「……ッ!」

 

 巨大な影と、部屋に響き渡る咆哮に気付き、咄嗟に身体を逸らす。

 

 ガチンッ! と歯と歯がぶつかり合う、むず痒い音が鳴った。

 

 自身が先程までいた場所には、巨大な牙がまるでギロチンの様に振り下ろされていた。

 

「ウヴヴヴヴヴヴヴヴウヴヴヴ……ッ!」

「なんだ? コイツ……」

 

 

 

 自身の目の前にいたのは異形のサメ人間。

 

 

 

 頭は身の丈ほどある巨大な魚そのもので、体は人間だ。ボロボロのジーパンを履く以外の衣類を着ていない半裸の状態であり、頭とからだの大きさが不釣り合いで気持ち悪い見た目をしている。

 

 多分敵だろう。うん。俺を襲ったという事はそうに違いない。

 

「シネェェェェェェェッ! アァァァックスゥゥゥゥゥゥウウウウウウウウッ!!」

 

 訳の分からない事を口走りながらサメは巨大な口を開け突っ込んでくる。

 

 だが、巨体のせいなのかあまりスピードはあまり速くはない。

 

 噛み付くタイミングを図ると身体をまたもや逸らし攻撃を避け、そして──

 

「フンっ」

「ギャァァァァァアアアアアアッ!?」

 

 右拳を握り勢いよくぶん殴った。サメの身体は勢いよく吹き飛び、壁に激突。ドスッッ!と鈍い音を響かせながらサメは夢にへばり付く。

 

 柔らかく、そして骨の硬い感触を手で感じ取りながらビリーは腰に挿してあるナイフを取り出し首目掛けて振り下ろそうとして──、

 

 

 マキマが咄嗟にビリーの腕を掴んだ。

 

 

「ビリー君。待って」

「え? 敵でしょ?」

「敵じゃないよ」

「は?」

 

 意味のわからない事を言うマキマさんの話を聞き、ビリーは目の前の光景を見る。

 

 目に入ったのは、伏と剛田が目の前で暴れているサメを取り押さえている現場だった。

 

「ウグゥッ! ウギァァッ!」

「剛田さんッ! しっかり鼻先持ってッ!」

「お前もちゃんと体押さえてろッ! あぶッ!」

「敵じゃない要素無いんだけど」

「だけど味方」

「どこが?」

「アックスゥッ! アックスゥゥゥゥウウウウウッ!」

「殺気がすごい」

 

 あまりの凶暴さに少し引いた。

 

 先程の巨大な頭ではなく、顔の下半部が人間、頭の上半分がサメの頭部と背ビレの形に変化し、頭と体の大きさも釣り合っている。

 

 だが凶暴さについては変わっていない。まるで俺のことを目の敵の様な視線を向けながらもがき足掻いていた。

 

 こりゃ見てられない。そんな時、マキマがサメの目の前に立ち、顔を合わせた。

 

 サメの動きが、一瞬止まる。

 

『ビーム君』

「ヒャッ!」

『落ち着いてくれるかな』

「ひゃ、ひゃひゃ、ひゃい……………」

「あ、落ち着いた」

 

 サメは、まるで恐怖に染まったかの様にその場で身震いしながら大人しくなった。

 取り押さえていた伏と剛田は息を荒くしながらサメから離れる。

 

「ヒィ…、ハァ…、今回もか……」

「ハァ…、ハァ…、わ、私は…、ハァ…、反対、しました…、ハァ…、からね……」

「うん。わかってる」

「マキマさん。コイツ何者?」

 

 ビリーはマキマに尋ねる。

 味方、と言うには態度がアレだが、一応聞いておくことにした。

 マキマはいつもと変わらぬ薄笑いを浮かべながら事務的な声を口にする。

 

「彼の名はビーム君。公安対魔特異四課に所属する人外職員の一匹。サメの魔人だよ」

「ウヴヴウヴヴ……ッ」

 

 魔人が何故ここに? と疑問を持ったがすぐに答えが浮かび上がる。

 確か四課は人外を中心に結成された部隊だと聞いた。それなら俺以外にも人外職員がいるのは道理なだろう。

 

「サメ………。なんで殺気立ってんの?」

「元々凶暴で食欲旺盛だからね。ビリー君が食事に見えたんじゃない?」

「ヴヴヴヴヴヴ……ッ ウヴァアァ…ッ!」

「仇敵を見る目の間違いじゃ?」

「さぁ?」

 

 どうやらマキマも理由が分かっていないらしい。コイツとは初めて会ったから身に覚えの無い恨みを買った記憶は無いのだが……。

 ビリーは次から次へと湧いてくる疑問に向き合いながら腕を組み考え始めた。

 

 しかしながら、その疑問も次の言葉で全て消し飛ぶ事となる。

 

 ビーム、と呼ばれる魔人が暴れた理由がわかったから、と言うわけではない。

 それならばどれ程良かった事か。

 

 ビリーは話を聞く耳を持たない。

 

 つまり一度記憶した話を忘れる時がある。

 

 故に、今回の本題も既に忘れかけていた。

 

 マキマが、ビリーを非情な現実に向き合わせる

 

「ビリー君は今から、ビーム君とバディを組んでもらいます」

「はぁ…………。? ハァ!?」

 

 ビリの脳がフリーズした。

 

 そして、瞬時に理解した。今回、何故呼ばれたかの理由を。

 

「待て、ちょっと待て。俺がコイツと?」

「うん」

「……………」

 

 再確認も虚しく、現実を一方的に知ったビリーは後ろに振り向き、ビームを見た。

 

 明らかに、歯を剥き出しにして威嚇している魔人を。

 

「ウヴヴァ……ッ! ウヴヴウヴヴヴゥッ!」

「絶対に無理だ…」

 

 無理。絶対に。何かなんでも組めるはずが無い。

 敵意がマシマシだ。多分仕事の最中に殺されかける。そんな未来しか想像できない。

 コイツを教育しろ、と言われた方が何倍もマシだっただろう。

 

 ビリーはせめてもの慈悲を求めるが如くマキマに訴えかける。

 

「どうしても組まなきゃダメ?」

「上から指名なんだ」

「…………せめて他の奴で──」

「変更は出来ない」

「俺が死んだらどうすんの?」

「その時はその時だよ」

「……………」

 

 無理だった。逆に現実を知り、自分の首を自分に絞めるだけだった。

 その時の俺はかなり嫌な表情を浮かべていたのだろう。明らかな軽悪感を放ち、場の空気を悪くさせる。

 マキマは不思議と尋ねる。

 

「どうしても嫌?」

「イヤ」

「でも給料は──」

「イヤだ」

「上からの──」

「イヤだ……ッ!」

「ここまで頑なに拒否してるビリー、初めて見たぞ……」

「まぁ、自分のバディになる予定がアレですからね……」

「アックス……ッ! アックスゥゥゥゥウウウウッ!」

「フンっ」

「ギャァァァァァアアアアアッ!?」

 

 我慢できずに襲って来たビームを再び殴り、吹き飛ばす。

 

 今にも俺を殺そうとする奴のバディと組めるはずが無い。確実に仕事に支障が出て足を引っ張るだろう。そうなるのは御免被る。

 

 床に這いつくばりながら呻き声をあげるビームを無視し、マキマに鋭い視線を送った。

 

「ウ、ウゥゥ…………」

「例えアンタの命令だろうと、コイツと組むのは絶対に嫌だ」

「本当に?」

「うん」

「ご褒美を用意しても?」

「う、うん……………?」

「なるほど……………」

 

 数秒の間沈黙が続いた。

 その間、彼女が何を考えていたのかわからない。

 だが、一つだけ確かなのは碌でも無い事だと言う実感のみ。

 

 そして、凍った空気を溶かす様に、マキマは口を開く。

 

「……………………しょうがないな」

「?」

 

 出てきた言葉はその一言のみ。

 意味のわからない、いや、どう言う意味が込められているのかわからない言葉だけ。

 

 しかし、それももうすぐ理解できる様になる。

 

「期限をつけて一週間って所かな?」

「は?」

「ビリー君。一週間で彼を手懐けることが出来たらさ……」

 

 彼女の目が俺を映し出した。

 真っ直ぐに、柔らかく、こちらの顔を見定めている。

 

 まるで誘惑に誘う様に。

 

 犬を躾ける飼い主の様に。

 

 彼女の口はゆっくりと開かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「東京で一番美味しいお寿司屋、連れて行ってあげる」

 

 

 

 

 

 

 

「……………ッ!」

 

 瞬間、自分の中にあるもの全てが吹き飛んだ。

 疑問も、不満も、何もかもが消えて無くなり、驚愕の表情を浮かべながらマキマの方へと顔を向けている。

 

 自分の聞いた言葉が間違いなのか、そうで無いのか、それすらわからない。

 

 ただ真実なのは、また頑張れば鰻重の時と同じくご褒美が貰えるということだけ。

 

「どう? それでも嫌?」

「………………」

 

 マキマが尋ねる。自分の真意を聞くために、顔を覗かせている。

 

 俺は悔しい気持ちで胸が一杯だった。

 

 こんな簡単に踊らされる自分に。こんな事で頑張れる自分に、屈辱を感じていた。

 

 身体が震える。それが緊張のものか、怒りなのかわからない。

 

 ただ、自分にとって後悔しない方を選んだ方が良いと実感する。

 

 

 断る方か、受け入れる方か。

 

 

 その答えに長い時間を費やしながら考えるほど、ビリーは我慢強く無い。

 

 結果、最終的に震える口から出た言葉は言わずもがなである。

 

 

 

 

 

「頑張り、ます……ッ」

 

 

 

 

 

 その時のビリーの顔は、屈辱と嬉しさの混ざった、なんとも言えない表情をしていた。

 

 




 
 今後としてビリーのバディをしてくれる人がビーム君くらいしか居なかった……。
 まぁ理由は消去法と、チェンソーマン20話での伏さんの発言から。

 


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水 油

 遅くなって申し訳ありません!
 リアルイベントだったり、チェンソーマン円盤の売り上げの件だったり、鬱期だったりで、私情、家庭と共にめちゃくちゃ忙しかったです。

 ちょっと頑張った。


 逆襲のシャア大好き!!


 東京、東練馬区商店街。

 

 

 活気のある様な印象を受ける一般的な商店街とは違い、ここはあまりにも静かな所だ。

 

 どの店もシャッターを閉ざし、酒屋の前に並んだ虚しい自動販売機だけが身を縮ませるように光り、購入者が来るまでじっと待っている。勿論、人通りも無く、横切る車や人はあまりない。遠くで鳴り響いている車やトラックのタイヤのうなり音やクラクションが何故か懐かしく感じられるほど。

 

 そんな閑静な住宅街にて、一人の男と一匹の魔人が商店街の店々を横切っている。

 

「…………………」

「ヴウヴヴヴヴウ………ッ!」

 

 歯をギチギチと歯軋りしながら威嚇するサメの魔人、ビームを無視し、敢えて人通りのない道を歩くビリー。

 そんな彼は、少しの不安と少しの不満をため息と共に溢す。

 

 今日はマキマさんに、伏さんや剛田さんに頼らずに仕事をしよう、と言われた。無茶だ、と反論はしたものの立場は犬と飼い主。犬は飼い主に逆らう事は許されない。結局何も言い返せずに命令通りビームと仕事をする事になった。

 

 こうして理不尽な理由からデビルハンターとしての本格的な仕事(?)として経験を積むべくビームとバディを組んだが、

 

 結果はご想像通り、最悪である。

 

「ヴガャァアァアアッ!」

「うるさい」

「ギャァァァァァァァァッ!?」

 

 牙を剥き出しにした巨大な口を開き、襲いかかるビームに文句一つ言いながらぶん殴った。

 

 吹き飛ばされたビームは床に叩きつけながら受け身を取り、再びこちらを威嚇し続ける。

 

(さっきからずっとこんな感じだ……)

 

 不満のため息を一つ溢す。これで何度目のため息か分からない。

 

 自分を殺そうとするバディと組むのも、そのバディと共に仕事をするのも受け入れた。マキマさんの言う通り、仕事で成果を出さなければ殺されると分かってるから受け入れるところは割とある。

 

 だとしても、これはあんまりだ。

 

 自分を常に殺そうと襲いかかる魔人。それを一週間までに大人しくさせるなが今の俺の目標だ。簡単だろうと誰もが思うだろうがそんな事はない。人の血肉の味を覚えたライオンを手懐けろと言っているようなもの。

 人を襲ってる時点で手懐けるもクソも無い。

 

 だけど、無理無理と言ったって寿司が逃げてゆくだけ。

 

「どうしたもんかなぁ……」

「アックスゥゥゥ……ッ!」

「だから誰だよ。アックスって」

「アァァァァックスゥゥゥゥゥゥッ!」

「無視か」

「ヴゥホォッ!?」

 

 訳の分からない事を口走りながら襲いかかるビームを蹴りで吹き飛ばし壁に叩きつけた。

 

 わざわざ人通りの少ない場所を歩いているが、人目に着くと大事になる。なのであまり地面から出てこないで欲しい。

 

「パトロール中に地面から出てくるなよ。目立つだろ」

「うるさいッ! チェンソー様の敵! 言うこと聞かない!」

「だから誰だよ。チェーンソー様って……」

「シネェッ!」

「死なない」

「ギャァァァッ!?」

 

 もう何度目だろう。殴るのも疲れてきた。

 人通りも少ないから殆どの店は閉まっている。見る景色も埃っぽいしあまりいい気分にはならない。

 

 だからなのだろうか、物凄く仕事がつまらなく感じてしまう。

 

「ハァ…………」

 

 本日何回目かのため息を吐きながら目の前の魔人を見た。

 

 地中に潜りながら、だけど背鰭似た何かと殺意だけは隠しきれていない魔人を見て、今後どうすればいいのか考え始める。

 

(一週間、つまり7日までにコイツを手懐けないといけない。

 仕事するだけならまだ我慢できる。殺そうとしても結局は殺されなきゃいいだけだし。問題はどうすればコイツが俺の言う事を聞いてくれるかだ……)

 

 別に自分を殺そうとする奴と仕事しても我慢すればいいだけだ。どんなに自分に覚えの無い恨みを向けられていようが、最終的に褒美が有ればなんとか我慢できる。

 

 だが、今回はコイツと一緒に仕事するのではなく、仕付る事が目標だ。しかも一週間までという期限がある。

 

 そう考えると、かなりの無理難題なものを押し付けられたと不満が溜まる。

 

「寿司食いたいけど、コイツが人の言う事を素直に聞く奴だとは思えないし……。本当に7日でできる事なのか……」

「喰われろッ!」

「無理」

「ブヴォッ!?」

 

 何度もやった所為なのか、最早慣れてしまった奇襲に対応できるようになった。

 

 そんな自分に対して呆れながら地面に項垂れているビームに対して試しに注意をしてみる。

 

「地中から出てくんな」

「黙れッ!」

「ダメか……」

 

 ダメだった。知ってはいたが。

 

 どうすれば言う事を聞ける様にできるのか。多分、体罰でも効果は無いと思う。そんな簡単に仕付ができるのだとしたら、現在進行形で苦労をしていない。

 

「ヴヴヴヴウ……ッ!」

(言う事を聞かない奴の指導って結構面倒くさいな……。伏さんの気持ちがなんとなくわかってきた……)

 

 とはいえ、仕事を放棄する訳にもいかない。廃棄処分で死ぬのは御免被るし、何より、マキマさんに舐められたくは無い。

 

 まだ夢だって進行中だ。中途半端な形で死にたくは無い。

 だからこそ今日の仕事を乗り越えつつ、目標を終え、寿司を食べる。その為にはビームについて少しでも多く知っておきたい。

 

 とりあえず仕事を終えたら伏さんと剛田さんに話をしてみよう。ビームに対して何かしらの対処法を知っているような素振りだったし、何か仕付の近道になる情報があるのかもしれない。

 

 そう考えながら歩いていたからだろう。

 いつの間にか、人通りの無い道から外れ、人が行き交う住宅街に出てしまった。

 

 勿論、地面から飛び出し、襲いかかろうとするビームを人目に曝け出しながら。

 

「……ッ!」

「あ」

 

 人目についたからだろうか。目の前から巡回中の警察官二人が早歩きで近づいてくる。

 

 鋭い目付きだ。悪魔に対して恨みでもあるのだろう。一人は腰のベルトから拳銃らしきものを取り出そうとし、一人は胸ポケットの通信機を口に寄せ始める。

 

「こちら東練馬区図書館前にて魔人を連れた不審人物が──」

「あ、あー。ちょっと待って」

 

 流石のビリーも少し焦りながらロングコートの胸ポケットに手を突っ込んだ。

 警官は警戒したが、ポケットから取り出した物を見た瞬間、警戒を解く。

 

「はい。公安対魔特異四課です」

 

 ビリーがポケットから取り出したのは公安手帳だった。

 巡回中の警察官などにビームを見られてしまった場合、この手帳を見せればなんとかなるとマキマさんに教わったからだ。

 

 手帳を偽物と疑う様にまじまじと見た警察官は数秒後、心底腹立たしい表情を浮かべながら職務に戻る。

 

「………ッチ」

「悪魔の面倒、ちゃんと見とけよ……」

「…………ちゃんと見てるよ」

 

 そんな捨て台詞を吐きながら立ち去る警官を見送りながらビリーも来た道を戻ろうと背を向ける。

 

 あの態度、何やら公安デビルハンターの対応について不満があるのかもしれない。

 まぁ、本来敵であるはずの悪魔を駆除せずにしているのだから不満も溜まる。

 警察も警察で事情があるっぽいし、悪魔を味方につける、と言うのは、自分が思っている以上にグレーゾーンなのだろう。

 だって──

 

「アックスゥゥゥゥゥゥッ!」

「うざい」

「ギャブゥッ!?」

 

 味方でも、こんな感じだし。

 

 

 

 

 

 

 

 一通りの見回りも終わり、ちょうど時計の針が12の文字を刺した頃。

 

「へいよ。たこ焼きお待ち」

「どうも。おじさん」

 

 ビリーは前にも来たたこ焼き屋に顔を出していた。

 腹が空いては仕事はできない。故に財布の紐を緩め、自身の空腹を満たす為にたこ焼き一舟を受け取った。

 

 別に昼飯がたこ焼きである必要は無いのだが、たまたま近くを通って匂いで釣られてしまった。ビリーは意外と単純である。

 

 平日ではあるものの、流石にご飯時には街の人通りは多くなる。仕事で疲れたサラリーマンが、娯楽の一環としてコンビニ弁当、ファミレス、牛丼屋などで一休して英気を養い、再び労働の地獄へと立ち向かっていく訳だ。我ながら社会の正と負の循環、と言った所か。

 

 そんなどうでもいい事を考えながらたこ焼き一玉を口に近づけ──

 

「喰わせろッ!」

 

 同じく腹をすかせたビームに邪魔される。

 

「ダメだ。全部俺のだ」

「喰わせろッ! 喰わせろッ!」

「人の話を聞けよ」

 

 まるで甘えてくる犬の様に(甘えるではなく、殺そうとしてくるの間違いだが)ビリーの持つたこ焼きを奪おうと戯れつくビームを押しのけ、何度目かのため息を吐く。

 

 今日はあまり悪魔が出ない日なのか、練馬区は平和だった。行き交う人々は悪魔とは無縁と思えてしまう程、呑気に歩いている。

 悪魔が出ないなら出ないで良いのだが、こっちの仕事が無くなるのはあまり良い気がしない。平和が一番ではあるが、それ以前に自分の生活が大切だ。仕事をなくされたら困る。

 

 とはいえ、そんな事を考えたって悪魔がノコノコと出てくるなんて事も無い。しばらくビームの仕付に専念しよう。

 

「それにしてもまさか悪魔連れてくるとはなぁ。あまり店の評判落とすんじゃねぇぞ」

「わかってるって」

「食うッ! 食うッ!」

「食わせない」

 

 必死にたこ焼きを奪おうとしてくるビームを引き剥がし、ふと、妙案を思いついた。

 

「そうだな……、俺の言う事聞けば食って良いよ」

「イヤだ」

「なら食わせない」

 

 そう言いながらビリーはたこ焼きを二、三個口に放り投げ、美味しそうに頬張った。

 

 やはり美味しい。たこ焼きはいつ食っても飽きる事なく食べられる。

 

 噂で聞いたのだが、たこ焼きにもたい焼きと同じく味の種類があるらしい。

 

 よく知らないのだがワサビとかチーズとか、中には普通の人でも食べた事のない珍味も取り扱っている様な話を聞いたことがある。まぁ、色々ある様だ。

 

 少しだけだが、興味が湧いた。

 

 どう言う味なのか、不味いのか美味しいのか、珍味、と呼ばれるくらいだから万人受けできる様なものなのだろうか。ビリーは憶測を立て始める。意外とグルメ脳なのだ。

 

 しかし、そんな事を考えていた所為なのだろう。

 

 ビリーは横から迫り来るビームに気付くことが出来なかった。

 

「ウヴッ!」

「うおっ!?」

 

 竹でできた舟を持つ手が離されたこ焼きが宙を舞う。鰹節はヒラヒラと紙吹雪の様に舞い、ソースは飛び散り、一玉一玉バラバラに俺の手元から離れて行く。

 

 そして、弧を描く様に宙を舞ったたこ焼きは───

 

 

 

 

 バグリッ! と、舟ごとビームの巨大な口の中へと消えていった。

 

 

 

 僅かな沈黙。これにはたこ焼き屋のおじさんも唖然としていた。

 ビリーもとても残念そうな顔で目の前の状況に目を張っている。

 

 そんな沈黙を破ったのは、必死にモグモグとたこ焼きを頬張っているビームだった。

 

「ギャハハハッ! うまい!」

「……ッ!」

 

 その光景を見た瞬間、ピンっ! と、自分の中の何かが張った。

 

 なんなのかは分からない。だが、徐々に込み上げてくるものがあるのはわかる。

 

 ふと、無意識のうちに拳を強く握る。ピキッ、と頭に血が上って行く。

 褒美の事も頭から無くなっているのだろう。それぐらい、今のビリーの感情は腫れているのだ。

 

 

 ビリーは基本的、『奪ったら奪い殺せ』と言う信条を中心に行動している。

 

 

 故に、目の前で起きた出来事に関して言えば、ビームは地雷の上でタップダンスを踊っている様なものなのだ。

 

 背中に付いている斧に手を触れた。既にビリーは戦闘態勢に入っている。

 

 しかし───

 

「伏さんもこんな気持ちで苦労してたのかな……」

 

 彼は、我慢できた。

 

 褒美である寿司の為なのか、はたまた伏の教育の賜物なのか定かでは無い。

 

 しかしあれだけ言う事を聞かないで、仕事や自身の信条に従うビリーが、その信条に反するのは、一種の成長とも呼べる。

 

 もしこの光景を伏が見たとすれば涙ぐましく、今まで頑張った自分に感謝するのだろう。よくここまで頑張ったな、と。

 

 しかし、我慢は我慢だ。結果としては感情を抑えきれたものの、あくまで抑えただけで消えてはいない。溜まった怒りは爆破すれば、ビリーは手の付けられない猛獣と化すであろう。

 

 そうは言っても、行き場の無い怒りを何処かで発散できる所が無い。

 とりあえずたこ焼きを食って機嫌を取り戻そう。そう考え、ビリーは財布の紐を緩めた。

 

「とりあえずもう一舟ちょうだい」

「わかった。少し待っとけ」

 

 一舟590円(税込)を台に置く。一応、逃げるかもしれないのでビームを監視した。

 

 余程美味しいのだろう。水なのか、はたまたコンクリートなのか、ともかく沈んでいる地面をバシャバシャと水飛沫を撒き散らかしながら泳いぎ、飛び跳ねている。

 

 こうしてみると無害そうな悪魔に見えなくも無い。いつも俺を殺そうとしてくる悪魔とは思えないほど、だ。

 

 無邪気に笑い、飛び跳ねているその姿はまるで、ご主人に褒められた直後にフリスビーで遊ぶ大型犬の様だ。

 

 そう考えると、不思議と孤児院の犬を思い出す。流石にスケベでは無いし、俺の事を嫌いを通り越して殺そうとしてくるからだいぶ違うだろが、あの子と一緒に遊んだ犬も、こんな感じではしゃいでいた様ないない様な……。

 

 孤児院の思い出を嫌々想起しているビリー。

 

 その時、ビームに異変が起きた。

 

「ギャハハハハ…………?」

 

 ビームの五月蠅い笑い声が止まった。

 

 そして、キョロキョロと周りを見渡し始める。

 

「クン……。クンクン……」

「?」

「なんだ? どうした?」

 

 たこ焼きを持ってきたおじさんもビームの行動に違和感を持つ。

 

 別にそこまでおかしな事はしていない。精々周りを見渡しているだけで、人を襲ったりとか、またたこ焼きを狙っていたりとかはしていない。

 ただ、何か感じたかの様に周囲を見渡しているだけだ。

 

 普通なら無視するだろう。くだらない事を勝手に判断して、ビームから目を離すだろう。

 

 しかし、ビリーは何か嫌な予感がした。

 

 そう。まるで、ビームの行動が、警察犬でよく見かける、匂いを嗅いでいる仕草によく似ていて──

 

 次の瞬間。

 

「クン……………! 餌の匂いッ!」

 

 突然ビームが叫び、そして、

 

 

 

 地面を一直線に泳ぎ始めた。

 

 

 

「餌! 餌ァッ!」

「ちょ、おま、待て……ッ!」

 

 ビリーは愛しの愛しのたこ焼きから目を離し、泳いで行ったビームを追いはじめる。

 

 バディと組む初仕事で問題を起こすのは溜まったもんじゃない。怒られるのは懲り懲りだ。

 

「おい坊主ッ! どこ行くんだ!?」

「ごめん! また後で!」

 

 おじさんの静止を振り切り、小道から大通りへと場所が移りかわり、人混みが闊歩する歩道を爆走しながら目を凝らした。

 

 人と人の狭い隙間を通り抜け、邪魔な時は強引に退かしながら一歩一歩確実に走る。自分の身体能力は成人男性の平均を超えているとは思っているが、しかし、それでも追いつかない。

 

 何故なら、奴は下を泳いでいるのだから。

 

「一匹? …いや三匹ッ!! 三匹三匹食い放題ッ!」

「なんだ?」

「下に何かいるぞ?」

「きゃっ! なんか下を通り抜けた!」

 

 人が邪魔になる歩道の上とは違い、歩道の下は人と言う障害物が無いに等しい。精々足が鬱陶しいと思うくらいだろう。そんなのビームに取っては微々たるものだ。

 

 さらにサメの魔人だった時の名残りなのか泳ぐのが異様に早い。全国水泳競技の選手以上のスピードを出し、障害物がない事が俺との距離を更に引き離す。

 

「クソッ……! 泳ぐの速いなっ…!」

「うおっ!?」

「なんだよ!」

「おい! 人にぶつかっといて謝罪も無しか!?」

 

 後ろから民間人の怒鳴り声が聞こえた気がするがそんなものは無視しながらビームが入って行った薄暗い路地裏を走り抜ける。

 

「……………どこ行きやがった……ッ? ビームの奴………ッ」

 

 不満と同時にふつふつと怒りが込み上げる。自分の中にある糸がキリキリと音を立てて、今にも切れそうだ。

 

 そうビリーの怒りは既に頂点へと達していた。

 

 当然だ。不満しかないバディと組まされ、一日中殺されかけ、愛しのたこ焼きは奪われて、それでもご褒美の為と頑張る最中、よりにもよって問題が起きそうな予感しかしない行動を取るビームを止める為に走り、もし失敗したら廃棄処分という名の処刑が待っているのかもしれないという窮地に立たされているのだ。

 

 これで怒らない奴の方がおかしい話だ。

 

(いや、だけど本当にどこ行ったんだ……)

 

 もう二十は吐いたのかもしれないため息をビリーは吐いた。

 

 一刻も早くビームを見つけたし止めなければならないのだが、生憎と手がかりなんてものは無い。

 

 どうしたものか。そう考えていた時だった。

 

 

 ビーッビーッ、と胸ポケットから微細な振動が身体を揺らしはじめる。

 

「? 何か事件が起きたのかな?」

 

 不思議と思いながらビリーは通信機の受信ボタンを押す。

 

 昔持っていた物とは格別に高性能な通信機から、男の声が聞こえ始めた。

 

『東練馬区十字路で悪魔三体発生。現在、民間デビルハンターが交戦中』

「三体……………?」

 

 通信機から流れる応援要請にビリーは何か違和感を持つ。

 

 そして、その違和感の正体に気づき、思わず冷や汗を流した。

 

 今更悪魔に怖気付いた訳では無い。民間人を早く助けたいと願う訳でも無い。

 

 ビリーは、ビームの不可思議な行動を理解してしまった

 

 三体。悪魔。餌。その匂い。

 

「まずい……ッ!」

 

 奴は食べるつもりなのだろう。悪魔と言う存在を。

 

 此方としてはそれは非常にまずい状況だ。特に、今は民間のデビルハンターが介入している。下手に横槍を入れられたら自分の命がどれだけ短くなるのか想像するのは容易い。

 

 仕事で失敗して銃殺刑とか言葉通り死んでも嫌だ。まだやりたい事は山ほどある。夢だって叶って無いし、手帳の斜線はまだまだ数少ない。こんな所で立ち止まっている場合では無いのだ。

 

 ならどうすれば良いのか。

 

 そんなの簡単。

 

「先回りだ………ッ!」

 

 そう口走りながらビリーはビルに纏わりつくパイプや側にある電柱を巧みに使いながらビルを登って行った。

 

 彼の中の糸は、まだキリキリと軋んでいる。

 

 

 

 




 
 ※報告

 前述の通り、二月中はリアルイベントで忙しいです。ですのでここ一ヶ月間新規投稿は休みます。と言うか、一月中も投稿出来なかったのはそれです。(鬱期と言う名の私情もありますが)
 三月に入ったら本格的に一、二週間投稿を再開しますので気長に待っていただけると幸いです。

 それじゃあ、少し早めで。


 ハッピーバレンタインッ!!


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