Elementary, my dear Harry. (Hamish)
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Eternity In Scarlet
A Strange Visiter


 

 メアリー・カーソンの朝は早い。

 午前六時きっかりに自室で目を覚まし、身支度もそこそこに早速仕事に取り掛かる。支給された旧式のメイド服を足で蹴飛ばしながら、渡り歩く廊下中のカーテンを開け、朝の陽射しを取り込む。

 住み込みで働いているスウィングラー邸は英国が一の高級住宅街、ロンドンのベルグレーヴィア地区の一角に聳え立つ豪邸だ。ルネサンス美術のあれやこれで潰された部屋の数たるや片手では足りず、壁に掛けられた絵画の素晴らしさたるやどの美術館にも負けぬ。

 しかし、無償で毎日その無防備で荘厳な作品たちを見ていても、メアリーが欲に駆られることは無いのか?

 ない。無欲であるのがメアリーがこの屋敷の主、スウィングラー婦人に買われている理由である。

 やっとの事で辿り着いた玄関をあけると、庭には五冊の新聞紙が投げ込まれていた。メアリーにとっては新聞なんて一社で事足りるものであったが、この屋敷の坊ちゃんが考えていることはよく分からない。五社読むべきと言うのなら、そうなのだろう。彼はメアリーより頭がいい。何十も歳下であっても、彼の異常性には目を見張るものがある。

 

 次に彼女がつま先を向けたのはこれまた屋敷の最奥に近い部屋だった。元来た道をメアリーは早足で戻る。

 効率が悪い?効率性なんてこの屋敷の主たちには関係ない。メアリーの朝一番の仕事とは、屋敷中のカーテンを開き、新聞を持って坊ちゃんの元に届ける事だ。まだ足を踏み入れていなかった廊下のカーテンも開きながらメアリーは急ぐ。

 メアリーの足が一つの扉の前で止まった。やっと目的の部屋に辿り着いたらしい。胡桃で作られた重厚な扉は金色に縁取られて、真ん中に填められた金版には“Hervey.J.Swingler”という文字が入れられている。深呼吸をして息を整え、きっかり三回ノックをして、メアリーは口を開いた。

 「朝でございますわ、坊っちゃま」

 手元の腕時計で確認すると、時刻は丁度六時半。坊ちゃん―――ハーヴェイが時間に厳しいことを知っていた為、メアリーはいつも気を張らせていた。中から呻き声が聞こえる。メアリーはいつもの事だと瞬きをした後、扉をそっと開けた。

 

 部屋の中は酷く整然としている。ブルーに染った壁にはメアリーが想像出来ないような値段の絵画が掛けられて、四つある本棚にはまるでインテリアかのような小難しい分厚い本や数百のレコードが差し詰められている。棚にはアンティーク調の小物が並び、年代物の蓄音機が存在を主張している。書斎のようなその部屋は、見たところティーンが使う様な部屋では無い。さしづめ大学の教授辺りが住んでいる構成だ。

 ―――それとは正反対に、酷く荒れた天蓋付きのベッド。何枚もの乱れた掛け布団と、乱雑に散りばめられた何個もの枕。床に落ちているものもある。贅沢に柔らかなものを使ったその小山の中から、一つの青白い手が挙げられた。その手の主の姿は未だ毛布に埋まっている。

 「……新聞」

 「こちらに」

 不機嫌そうな声にメアリーが五つある新聞の一つ、タイムズを彼の手に収めると、ハーヴェイ・J・スウィングラーはバネのように身体を起こした。やっと姿を見せたハーヴェイは、バーガンディのシルク生地の寝間着の腕を捲り、眠たげな目のまま新聞に目を通し始めた。

 くしゃくしゃのブルネットの髪、少し細い切れ長の青い目。面長で頬が角張ってはいるが、ハンサムと言えばハンサムだ。メアリーはハーヴェイの意識が完全に覚醒したことを確認して、彼の今日の服をクローゼットから出し始めた。

 

 ハーヴェイの目が新聞を飛ぶように移動する。今頃彼のスーパーコンピュータの様な脳味噌が沢山の情報を処理している事だろう。メアリーは口元に手を当てながら文字を追っているハーヴェイを一瞥して、今度は靴を選び始めた。

 「お支度が出来ましたわ」

 「私も丁度読み終わりました。棄てて良いですよ」

 間髪を入れずにハーヴェイが、持っていた新聞全てをメアリーに押し付けた。この数分の間に五社全てを読み終えたらしい。メアリーの持っていた服を受け取ったハーヴェイは、そのまま着替え始める。メイドに見られながら着替える、というのももうすっかり慣れているらしい。メアリーが老女であるということも起因するだろうが……恐らくメアリーが年頃の女性でも、ハーヴェイは恥ずかしがらずに着替えるだろう。妙な確信がある。

 メアリーは渡された新聞の一つに目を通した。正直言って、メアリーがこれを読み終えるのには数十分の時間を要するだろう。見ただけで目が痛くなってくる。

 

 ……実は、以前彼を試してみたことがある。信じられないと言って。

 因みに結果は、言わずもがな。少しばかり得意げな顔をしながら、ハーヴェイはメアリーの全ての問いに完璧に答えた。紙の端に書かれてあったコラムまで網羅されていた。Of course(もちろん)と言い置いた後で全てを暗唱して見せたのだ。それ以来、メアリーは迂闊に彼を疑うような事はしなくなった。

 

 メアリーが新聞に気を取られている間に、ハーヴェイは身支度を済ませたらしい。姿見を見ながらシャツの襟を整えている彼に、メアリーは一応といつもの問いを投げ掛ける。

 「奥様の朝のご起床ですが、坊っちゃまが起こされますか?」

 紺のベストの前を閉め終えたハーヴェイは振り向いて、切れ長の瞳を妖しく細めながら、少しばかり微笑んだ。

 「私の仕事ですから」

 ……因みに()()とは間違っても()()という訳では無いし、坊っちゃんも奥様の()()()()()()子供、という訳でもない。

 退廃的な関係でないというのは分かっているのだが―――メアリーはため息を押し殺して、畏まりました、と腰を折った。

 傍から見れば、少々犯罪チックなのだ。

 そんなことを考えながら。

 

 

 

 シャンデリアが煌めくベッドに横たわる巨体。丸々と、まるでボールのような身体はベッドのスプリングを軋ませている。大きないびきをかきながら、件のスウィングラー婦人は睡眠を貪っていた。

 「ママ、ママ」

 ハーヴェイはそのベッドの淵に腰掛けながら、豚の蹄のような膨れた手を両手の中にとって囁いた。ワックスで整えられた髪の一房が彼の額に影を落とす。大ぶりなダイヤモンドが嵌め込まれた指輪を、ハーヴェイの少し骨ばった青白い手がなぞった。

 「……ハーヴェイ……私の愛しい、完璧の子……」

 夢見るように、スウィングラー婦人は呟いた。定まらぬ視線はハーヴェイその人に注がれている。彼女はもう夢から覚めているのだが、彼女にとっては現実も夢に同じ。こんな“完璧”なハーヴェイがいるのだ。どうして夢でないと否定出来るだろう。

 少なくとも、婦人自身には無理だった。

 柔らかくハーヴェイは言葉を紡ぐ。

 「朝ですよ、ママ。鐘の音が聞こえますか。教会の鐘です」

 「私の愛しいハーヴェイ。きちんと聞こえるわ。今日はいい夢を見ちゃった」

 「どんな夢を?」

 「ああ、ハーヴェイ。貴方とお花畑を眺める夢よ。馬車に乗って風に吹かれるの」

 「夢ではありませんよ、ママ。夏休みですから、私はいつでも貴方のものです。アルプスの方に旅行に出ませんか?今の時期ならば気候も十分でしょう」

 

 耳障りの良いクイーンズ・イングリッシュがハーヴェイの口からクリアに聞こえる。

 キャッと婦人は声を上げた。頬を乙女のように紅潮させて目を細める。ハーヴェイは微笑みながらベッドから立ち上がり、脇に据え付けられている大きなドレッサーの小さな宝箱から、真珠のネックレスを取り出した。

 「あら、ハーヴェイ。今日はそれにするの?」

 「目覚めたママの瞳が真珠のようだったから」

 婦人は手の少ない筋肉を目一杯使って身体を起こした。脇に手を着くのにも精一杯だと言うのにハーヴェイの手を借りたくないのは、乙女心というものだろう。ハーヴェイはカールした夫人の金髪を撫で付けると、首に真珠のネックレスを掛けた。項まで手を回して金色の輪に鈎を引っ掛ける様は、息子と言うよりお気に入りの恋人のようだった。

 その後もハーヴェイがドレッサーからメイク道具を出し、婦人に化粧を施していく。誠、他人の化粧ということを考えても、彼は手馴れすぎていた。

 最後に赤赤しい口紅を塗って、ハーヴェイは一息つく。

 「行きましょう、メアリーが朝食を作り終えたようですから」

 「そうね、お腹がすいたわ」

 ハーヴェイに差し出された手を取って、スウィングラー婦人は寝巻きのワンピースのまま、赤いヒールを履いた。その巨体に見合わぬ細い足が収まったのを確認すると、ハーヴェイは彼女をリードし始めた。

 

 彼女は例え寝起きでも、どんな時でも赤いヒールを履いている。二インチ程の高さを持つそれはいつもピカピカに磨かれて、光を反射している。

 ()()()()、初めて顔を合わせたハーヴェイがスウィングラー婦人を褒めた最初のものだった。

 

 

 

 「ハーヴェイ、貴方にプレゼントがあるの!」

 朝食を食べ終わり、二人とも珈琲を嗜んでいた頃―――スウィングラー婦人はがぶがぶに砂糖とミルクを入れていたが―――婦人は、突然そう言った。ハーヴェイは目を少しばかり見開くと、メアリーの方を振り向いた。メアリーは丁度箱を持ってきていたところで、気配を気が付かれた事に少しばかり硬直した後、高級そうな包み紙に包まれた小さな箱をハーヴェイの前に置いた。

 ハーヴェイは珈琲のカップをソーサーに置き、そのソーサーをテーブルの遠くの方に置いて、婦人に向き直った。少しばかりの笑顔を添えて。

 「ありがとう、ママ」

 「いいのよハーヴェイ」

 スウィングラー家では、プレゼントというのは別段珍しいものでもない。記念日でもないのにポンと目が飛び出でるようなものを渡す。腐るほど資産がある婦人は溺愛しているハーヴェイにしょっちゅう贈り物をするし、彼も拒まなかった。お金持ちの子供にありがちな反抗期というのもなく、酷く従順だ。

 「さあハーヴェイ……気に入ってくれるといいんだけれど」

 スウィングラー婦人はワクワクとした表情で彼を見た。しかしハーヴェイはその箱の包み紙を剥がすことなく、婦人をちらりと見る。婦人はニンマリと笑った。

 実は、彼女の“プレゼント”は、彼を喜ばせるためだけのものでは無い。勿論彼に喜ばれることを第一にしているのだろうが―――他にも、目的がある。彼女自身の欲の為だ。

 「貴方の推理を、聞かせて頂戴」

 そう、スウィングラー婦人は、ハーヴェイの推理を見る事が、何よりも大好物だったのだ。

 

 

 

 ハーヴェイはひとくち珈琲を口に含んだ。ブラック特有の珈琲豆特有の苦さが舌に染み渡る。背筋を伸ばし、視界と思考をクリアにした。足を組んで、口元に手を当てる。見定めるようにその箱を見つめた後、スウィングラー婦人に向き直った。

 「持っても?」

 「良いわよ」

 「ならば、私はもうこの中身が分かったと言っても差し支えないでしょう、ママ」

 「言ってみて」

 箱に一切触れずに、ハーヴェイは豪語した。スウィングラー婦人の心は踊っている。彼の推理を、今か今かと待ち望んでいるのだ。

 

 「まず」

 ハーヴェイはそう前置きをした。

 「この箱の小ささから言って恐らくは身に付けるアクセサリー、高さからして指輪かブローチかカフスかピアスかイヤリング」

ハーヴェイは五つ指を折った。

 「持ってもいいということは揺れる物が特徴的ではないか、そもそもシンプルな形状か」

 「この時点でイヤリングは外れる」

 ママは大きな宝石が揺れるイヤリングが好きでしょう?とハーヴェイはウインクし、小指を元に戻した。

 「ママはここ一週間家を出ていないしテレビもあまり見ないから、買うとしたら外商が送ってくるカタログに載っているもの。しかしお気に入りのカフスと指輪の外商はまだ送ってきていない。よってブローチかピアスに絞られる……」

 ハーヴェイは薬指と中指を戻しながら席を立つ。ソファ前に置いてあった数個のカタログを手に取ると、パラパラと捲り、一つだけテーブルに持ってきた。

 「先週ママのお気に入りのブローチが壊れてしまったでしょう?まだ修理が帰ってきていないはず」

 「自分の大切なものを失っている時に人に与えようとは普通思わないですから、残ったのはピアスだけ」

 人差し指を戻し、ハーヴェイが折っているのは親指のみになった。思っていた通りのページを見つけたらしく、片眉を吊り上げてハーヴェイはテーブルに開いたままのカタログを置いた。

 「つまり、これはバルベロットの真珠のピアス」

 カタログの中央に輝く金色の真珠。小さく書かれた値段は普通の人間には手が出しずらい桁だ。サラリーマン四人合わせた年収程ある。

 スウィングラー婦人は目を見開いた。

 「素晴らしい推理だわハーヴェイ。つまり貴方はこの箱の中身がピアスだと……」

 「ママは言わせたがっている」

 ハーヴェイはにやりと笑った。

 

 

 

 「どういう事?ハーヴェイ」

 「恐らく中身は隕石の欠片」

 ハーヴェイがそう言うと、スウィングラー婦人は真ん丸な目をもっと見開いた。

 「メアリー、五日前のタイムズを」

 メアリーはハーヴェイと婦人に視線を往復させると、キッチンの棚から隠されていたらしい新聞紙を取り出した。ハーヴェイが笑みを深める。普段だったら即座に捨てられているはずのそれが、メアリーの領域であるキッチンに隠されていた。推理の裏付けも同然だった。

 「ママはタイムズ紙を読んでいますから、当然知っているはず」

 ハーヴェイは一面に載った、イングランドに落ちた小さな隕石の写真を婦人に見せた。

 「なぜ隕石だと?」

 「アクセサリーにしては包み方が拙すぎるし―――何より、テープの間に一粒だけ砂が紛れ込んでいる。爪の中に入っていたんでしょう。普通の人間は爪に砂なんか滅多に入りませんからね、包んだ人間は箱を包むことに慣れていない、爪に砂が入りうる人間―――必然的にこの記事が頭に浮かんだのです」

 ハーヴェイはそう言い終えて、包み紙を剥がした。

 出てきたのは―――透明なガラスに入った、固定された隕石の欠片。Thanks.(ありがとう)とハーヴェイが言うと、婦人は嬉しそうに手を叩いた。

 「学者の方に包んでもらったの。私には手際がよく見えたけれど、ハーヴェイは気が付いたのね!」

 「ええ、確かに綺麗ですが、若干折り方が幾何学的すぎましたから。…………因みに」

 ハーヴェイはスウィングラー婦人をじっと見る。

 「真珠のピアスも、買っているんでしょう?」

 スウィングラー婦人は固まった。ハーヴェイは笑みを深める。

 「その首元のネックレス、ロゴがバルベロットでしたが、昨日の朝はアクセサリーボックスの中に無かった」

 それに同じ金色の真珠でフィリピン産、とハーヴェイは言った。

 ハーヴェイにアクセサリーを買ったら、目移りして他のものも買ってしまったのだ。スウィングラー婦人は全て推理されていたことに気付いて、歓声をあげた。

 こうしてハーヴェイは、珍しい隕石の欠片と、金色の真珠のピアス。両方を手に入れた。

 締めて、十万飛んで三百七十五ポンド。現在の日本円に直すと、約二千四百万円に上る。

 

 

 

 昼頃、スウィングラー邸の呼び鈴が鳴らされた。

 メアリーが庭をぬけた先の門の方へ歩いていったのを窓から見ながら、ハーヴェイは眉を顰める。その様子を不思議そうに見ながらスウィングラー婦人はハーヴェイに声を掛けた。

 「ハーヴェイ、何かあったの?」

 「……ヴァルトロミア校以外に、申請していた学校ありました?寮制で恐らくカトリック、お金持ち御用達の」

 「無いと思うわ。どうして?」

 「来訪者が」

 「ハーヴェイ、貴方でも推理出来ないの?」

 「……何処と無く違和感があるので」

 門の前に佇む緑のローブを纏った女性。メアリーが鉄の門に備え付けられた受話器に手を伸ばしたのを見て、ハーヴェイはベルが知らせる前にリビングの対となる受話器を取った。

 「ハーヴェイ」

 「ああ坊っちゃま、アポイントメントをお取りでないお客様がお出でです。どうも早急にお話しなければならない事があるとか」

 メアリーの声も何処と無く警戒を孕んでいる。数多の芸術品が飾られている豪邸だ、盗みに入ろうとする者も珍しくない。基本的にアポを取っていない人は後日、という形にしているし……というか、それを知らないのはスウィングラーにあまり関わりのない者だ。ここはお引き取り頂くというのがセオリーだろう。

 しかしその後に続いたメアリーの言葉に、ハーヴェイは固まった。

 「何やらお客様が、『不思議な力を感じた事は無いか』と」

 「……教会の回し者……いや、寧ろ反対……」

 「坊っちゃま?」

 「……いえ、なんでもありません。お通しして下さい」

 「よろしいのですか?」

 「ええ。あとはこちらで引き受けます」

 目を細めながらハーヴェイは暫し考えを巡らせ、受話器を置いた。メアリーが女性を中に招き入れたのが彼の視界に入る。口元に手を当てて考えている最中、心配そうに眉を下げるスウィングラー婦人の姿が目に入り、ハーヴェイはにこりと微笑んだ。

 「どんな方なの?今からいらっしゃるのは……」

 「馬鹿馬鹿しい事を言っても?」

 ハーヴェイは婦人に向き直った。

 「恐らく、魔法学校からの入学のお誘いですよ」

 スウィングラー婦人は目を丸くした。魔法なんて―――そんなもの、実在する訳がない!呆気に取られている婦人を一瞥し、ハーヴェイはすぐさま自身の推測を撤回した。

 なんてね?なんておどけて見せたが、ハーヴェイの目は依然として鋭い。口元の人差し指が、短くカウントを打っていた。

 どうか自分の推測は間違っていてくれ―――そう、願いながら。

 「私が応対を……確かめたいことがあります。映画は先に見ていて下さい」

 質のいいオーダーメイドのベストを正して、くるりと踵を返しハーヴェイはリビングから出て行った。スウィングラー婦人は不思議そうにそれを眺める。

 それにしても、何故“魔法学校”なんて突拍子も無いことを言ったのかしら?

 私も彼も、魔法は使えないわ?

 スウィングラー婦人は少しばかり考えていたが、また直ぐにテレビのリモコンを手繰り寄せ、再生ボタンを押した。お気に入りの映画を見ているうち、すっかり婦人は来訪者の事を忘れていた。

 

 

 「ご機嫌よう」

 緑色のローブを来た女性―――ミネルバ・マクゴナガルが赤い絨毯の敷かれた廊下を歩いていた時、不意に声を掛けられた。振り向いてみると、そこには壁に寄りかかった一人の少年が立っていた。十一にしてはひょろりと高い身長、綺麗にワックスで整えられたブルネットの髪、如何にも金持ちらしい高級なスラックスとベスト。手首に輝く金色のカフスは、窓からの光を反射してキラキラと輝いていた。

 少年は口元に手を当てながら、鋭い目でミネルバを探っている。

 ミネルバは姿勢を正して―――いや、正すまでもなく背は伸びていたが―――その少年に向き直った。

 「私の名前はミネルバ・マクゴナガル。突然の訪問、申し訳ありません」

 「魔法学校から遥々ご苦労様です」

 ミネルバは驚いたように口をぱくぱくと開閉した。何故って?勿論、ハーヴェイ・J・スウィングラーはマグル生まれとされているからだ。

 「Elementary, lady(初歩的なことです)

 ハーヴェイは少しばかり怒ったような……不機嫌そうな表情で笑った。

 「貴女の姿勢、歩き方、髪型、手のペンだこ、目の配り方……何処ぞの教授か、或いは寮制学校(ボーディング・スクール)の教師。その何世紀も前のような時代遡行な緑のローブを常用しているあたり、排他的なカトリック系の学校に務めている可能性が高い……と思っていましたが。私のこの力について知っているのならば話は別です。現実的には考えられませんが、私は知っている。この世の中に魔法というものがあることをね……ヴァチカンからの使者かとも考えましたが、この屋敷の婦人は英国王室の遠縁。アポイントメントぐらいは取るでしょう」

 滑るようにペラペラと推理がハーヴェイの口を抜けていく。推理を始めると止まらないのが彼の悪癖だ。

 「よって貴女は、ミネルバ・マクゴナガルさんは魔法学校からの使者。違いますか?いえ、合っているでしょう。先程の表情が是と言っていた」

 ミネルバに主導権を渡すまいとハーヴェイは言葉を紡ぎ続けている。一方のミネルバは呆然とハーヴェイを見つめるだけだ。

 「困るんですよ」

 ハーヴェイは言った。

 「私は既にロンドンのヴァルトロミア校に通うことになっていますから。それに、寮制学校なんて、このロンドンから離れるのは婦人が心配です」

 「しかし、魔法使いの適性がある者は必ず魔法学校に附属せねばなりません。それが英国魔法界の決まりです」

 「英国魔法界?」

 ハーヴェイは鼻で笑った。が、すぐにその笑みは消える。そして口元に手を当てて少しばかり考えた後、小さく溜息をついた。諦めに近い。

 「……分かりました。婦人に会わせましょう」

 ミネルバは薄々、このハーヴェイの家庭の並々ならぬ特殊性に気付いていた。まるでこの家の執事のように振る舞う様は、今まで訪ねてきたどの生徒よりも落ち着いている。普通“魔法使い”と言われたら、動揺したり、喜んだりするはずなのだが。一つ前の子なんかは跳ね回っていた。

 「婦人は私に甘いですから、魔法に対して不信感を抱くことは無いでしょう。しかし彼女は敬虔なクリスチャンです。イギリス国教会に多額の寄付をするぐらいには」

 説明の仕方には十分な注意を、とハーヴェイは言った。ミネルバは神妙に頷く。長い教師人生色々な家庭を見てきた。ハーヴェイの家庭も、予想の範囲内ではある。彼自身は予想の範囲外だが。

 「では、ご案内します」

 ハーヴェイは手でスっと指し示すと、洗練された歩き方で廊下を歩き始めた。

 やはりこの子は()()()()()()()。マクゴナガルはじっとハーヴェイの背中を見つめた。

 まるでこの家を、自分の家だと見なしていないみたいだ。

 自分の勤める先だと、言わんだばかりに。

 

 



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Boring Diagon Alley

 

 ハーヴェイ・J・スウィングラーは考えていた。

 彼のスペックの良い(ブレイン)を忙しなく動かしながら、口元で彼の人差し指が規則的なカウントを打っていた。勿論想い人は、件のホグワーツ魔法魔術学校。渡された入学許可証と簡単な説明書きを意味もなく眺めている。丁度目の前の扉が開いた時、彼は目線を上にあげた。

 「楽しみね!ハーヴェイ」

 いつになく声が跳ねているスウィングラー婦人にニコリと微笑むと、スウィングラーは手を差し出した。彼の手首にはパルミジャーニ・フルリエのシックな時計が納まっている。フェレットの毛で作られたファーが綺麗なジャケットを羽織った婦人の足元には、いつもの通り赤のヒールが据えられていた。

 「行きましょう、ママ」

 手を引いてエスコートしながら、ハーヴェイは三日前、ミネルバ・マクゴナガルという女史が訪ねてきていた時のことを思い出していた。

 あの後、結局スウィングラー婦人はハーヴェイの思っていた通り、魔法というものに好意的な態度を示していた。元々シンデレラだとか白雪姫だとかに憧れる脳内お花畑の人間である。寧ろ、自分の育てるハーヴェイが魔法を扱える()()()()()()人間だと分かって、大喜びしていた。これにはミネルバも拍子抜けである。

 

 エスコートの先はロールスロイスだった。庭の噴水の周りに敷かれたレンガ調の道の上に、滑らかな黒の巨体が佇んでいた。運転手が帽子をとって黙礼した後、運転席に乗り込んだ。

因みにもしハーヴェイが運転免許証を取ったら、婦人はポルシェのオープンカーを贈るつもりらしい。シルバーとレッドの車体に彼のブルネットの髪が靡くのかと考えたら、今から楽しみで仕方がない。という事で、もう既に買ってある。そして、ハーヴェイはそれにとっくに気がついていた。

 恐らく自身の成人を、五台ほどの車がお出迎えするであろうことも。

 

 

 

 ロンドンの一角、チャリング・クロス通り。疎らだが決して人通りは少なくない往来。

ミネルバ・マクゴナガル女史とその隣に落ち着きなく視線を移らせる三人の親子の前に、一台のロールスロイスが止まった。イギリスの首都ロンドンと言えど、ロールスロイスを見ることはあまりない。突然目の前に現れた高級車に四人が目を白黒させているうちに、奥の方の扉から背の高い少年が出てきた。外見で言えば二歳ほど年上だろう、と両親に挟まれて彼らを待っていた少女は考える。黒の革手袋を着けたその少年は、これまた黒のアタッシュケースを持ってこちら側に回り、恭しい態度でドアを開けた。中から出てきたのは金髪をカールさせた、丸々としたフォルムの中年女性。緑色の目は腫れぼったく、顎は三段にまで分かれて、唇と靴の鮮やかな赤が目を引く。一方

 ……色合いが違いすぎる。

 少年とその女性に血縁関係があるのが少々疑わしく、三人の善良な親子は目を丸くした。

 まあ、事実、無い。

 

 「Good morning、ミネルバ・マクゴナガル女史。お待たせしましたか?」

 「いえ、九時きっかりです。おはようございます、ミスター・スウィングラー。スウィングラー婦人」

 「ご機嫌よう」

 スウィングラー婦人は人好きのする笑みを浮かべ、ミネルバ、そしてその隣の親子に挨拶をした。少女の両親は少しぎこちなく挨拶を返す。この目の前のスウィングラー婦人が、とんでもない資産家だということに気が付いたからだろう。なんなら母親の方は、スウィングラー婦人をテレビで見たことがある気がしていた。確か王室関係のニュースだったように思う。どうか思い違いであってくれ、と願いながら、彼女は強引に笑みを作った。

 「それでは参りましょう。あの店です」

 ミネルバが眉を吊り上げながら言った。自立したコンパスのようにどこもかしこも真っ直ぐな彼女はスタスタと歩いていく。引き連れられる五人は慌てるように彼女の後を追った。

 「私、ハーマイオニー・グレンジャー」

 スウィングラー婦人の手を取って歩いていたハーヴェイの隣に、少女―――ハーマイオニー・グレンジャーが駆け寄ってきた。

 「あら、可愛い名前ね」

 ハーヴェイが口を開く前に、スウィングラー婦人がそう言った。車路側を歩いていたハーヴェイは婦人を一瞥すると、左手に持っていたアタッシュケースを右手に移動させ、少しばかり微笑んで左手を差し出した。

 「私の名前はハーヴェイ・スウィングラー」

 「よろしく」

 ハーマイオニーは差し出された手を握った。黒革で鞣された手袋の感触。どうやら手と手で握手する気は彼には無いようだった。よろしくとも言わなかった。しかしハーマイオニーは気が付くはずもなく、ペラペラとこれから赴く魔法界について一方的に語っている。後ろを歩いていた彼女の両親は、少年の左手に納まっているのがパルミジャーニ・フルリエだと見えて、いよいよ顔を青ざめさせ始めていた。

 

 漏れ鍋は酷く寂れていた。まだ朝方だからかパブには人が少なく、店主もグラスを磨いている。ハーヴェイはあまり環境がよろしいとは言えない店内に眉を顰めた後、なるべくファーのジャケットが汚れないようにスウィングラー婦人を道の中央に寄せた。

 小さな中庭に出た。ここからどう行くんです?とハーマイオニーの父親が至極真っ当なことを言う。レンガの壁に近寄ったミネルバは何も答えず、三回レンガを叩いた後、くるりと振り向いた。

 「このレンガ壁の決められた三つを叩くと、ダイアゴン横丁への道が開きます」

 ミネルバの背中の奥で、レンガが幾何学的な動きをしながら道を開けていく。グレンジャー親子やスウィングラー婦人は驚きの声を上げた。一方ハーヴェイは黙っている。目はじっくりと、入念な程にレンガの動きを見つめている。得体の知れないものを見るように、少しばかり不快そうに。

 

 最初に彼らが赴いたのはグリンゴッツだった。英国魔法界最大の魔法銀行。大理石の床に、並べれた高い受付。耳と鼻がとがったゴブリンが経営している。

 「お金はお持ち頂けましたか?」

 「一先ず五百ポンドほど……」

 「十分です」

 ミネルバは手の空いていたゴブリンに近寄った。

 「ホグワーツの入学者です。ハーマイオニー・グレンジャーと、ハーヴェイ・J・スウィングラー。二人の口座を作ります」

 「畏まりました。保護者の方に書いて頂く書類がありますので、そちらをご記入ください」

ぺらりと紙が渡される。フロアの真ん中にあるソファに促され、彼ら保護者たちは書類に目を通し始めた。

 「ねえ、貴方っていつ自分が魔法使いだと知ったの?」

 端のソファに座って、ハーマイオニーがハーヴェイに喋りかけた。少し面倒くさそうに目を瞑った後、ハーヴェイは口を開く。

 「一歳」

 「一歳?嘘よ」

 「嘘だよ」

 ハーヴェイは退屈そうに間髪入れずに言った。ハーマイオニーが呆れたようにハーヴェイを見つめる。

 「貴方、冗談が下手なのか、それとも嫌な人なのか、どっち?」

 「どっちも」

 「ママの前では随分猫被ってるのね」

 「要望に応えているから」

 「私の要望には全然沿わないのね」

 「必要性を感じない」

 一欠片も、とハーヴェイは付け足した。そしてブルネットの髪を整え直して、腕の時計をちらりと見た。明らかに失礼極まりない。ハーマイオニーは心の底から彼を殴りたくなったが、同時に少し面白がり始めていた。自分の通っている公立の小学校にいる悪ガキのように幼稚では無いし、話の通じない馬鹿な子のように頭が悪い訳でもない。私立ってこんな子ばっかりなのかしら、とハーマイオニーは思った。

疑問を訂正すると、私立にも私服でスーツを着る奴はそうそう居ない。

 「お友達になったのね」

 前からスウィングラー婦人が歩いてくる。にこにこと微笑んでいて、ハーヴェイもまた笑みを作った。

 「この子、同年代の子にお友達がいないから心配していたの。いつも難しい本を読んでばかりで……」

 「行きましょう、ママ」

 被せるようにハーヴェイが立ち上がった。どうやら“ママ”には逆らえないらしい。ハーマイオニーは笑った。

 「友達。いないの?」

 「邪魔な友人は作らないと決めている」

 ハーヴェイは冷たく言い放った。

 

 あれから色々あった。例えば、ハーヴェイの持っていたアタッシュケースの中に大量の札束が入っていたとか―――先走ったスウィングラー婦人がハーヴェイの為に本屋のものを買い占めかけたりだとか―――その時は「興味が無い」とハーヴェイが本気で魔法を嫌悪しているような表情を作ったり―――スウィングラー婦人が女王の親戚だとバレたりだとか。ほぼほぼスウィングラーのせいである。今は丁度婦人が買い与えたアイスをハーマイオニーが食べ終わったところで、ミネルバは少し疲弊しているように見えた。

 「貴方は食べないの?」

 「甘いものは嫌いだ」

 「嫌いなものばかりなのね」

 「偶然今日もう一つ嫌いなものが新たに出来た」

 ハーマイオニーは呆れてものも言えないらしく、首を振った。幾ら空気の読めない彼女でも、その嫌いなものが自分ということに気がついたらしい。ミネルバはため息を吐いた。

 「皆さん、最後は杖の店です」

 「オリバンダー?」

 「何故それを……いえ、先程通り掛かったからですか」

 「Precisely(その通り)

 頷いて軽く肯定しながらハーヴェイは言った。

 ……しかし、こんなに失礼な事を言われていても、ミネルバは不思議と怒りが湧いてこない。不思議だ。ハーヴェイが今日頭の良さを随所で見せていたからか、はたまた魔法界に対して少しばかり攻撃的だからか。“そういう人間なのだ”と受け入れさせてしまうような魅力が彼にはあった。

そして感じ取っていた。猫被っている方ではなく、こちらが素なのだろうと。そして、ホグワーツに来た暁には、猫を完全に破り捨てて、とんでもない人間になるだろうと。

 誰よりも規律を重んじるミネルバは、頭が痛くなってきていた。

 頼むからグリフィンドールには来ないでくれ、レイブンクローに行けと。

 そう願わずには居られなかった。

 

 オリバンダーの店内の床は木製だった。その上古かったため、ボールのような巨体のスウィングラー婦人が歩いただけで床はキイキイと悲鳴をあげ、婦人は赤面していたが、手を引いていたハーヴェイは何も気にしていないかのようにすまし顔で振舞った。

 こういうところが憎めないのかもしれない、とミネルバは思った。人の感情の機微によく気が付くから、空気を読もうと思えば完璧に読める。……自分たちには読もうと思わないだけで。それが致命傷なのだが。

 「おや、お二人さん。ホグワーツの新入生だね」

 「ハーマイオニー・グレンジャーです」

 「………………スウィングラー」

 「成程」

 にやりと気味の悪い笑みを浮かべて、オリバンダーは言った。先にハーマイオニーが杖を選ぶらしく、ハーヴェイは目尻を押しながら欠伸を押し殺した。遂に退屈を隠しもしなくなっているその姿に、ハーマイオニーは何か言いたげに口を開閉した。

 「さて……グレンジャーさん、杖腕を出して」

 「利き手の事ね、どうぞ……ハーヴェイ、貴方も少しは興味を示したらどうかしら?次は貴方よ」

 「例え()()()()を差し出されても、私は別に構わないよ」

 店内をじっくりと見て回っていたハーヴェイが背中越しに答えた。

 「まあ、折りはするが」

 付け足すようにそう言い振り向いてハーマイオニーを一瞥すると、ハーヴェイは背中で手を組み直し、また店内を見る事に没頭し始めた。魔法にはあまり興味が無いと言うのに、杖職人の店には興味を示すなんて変だわ、とハーマイオニーは怪訝に見つめていた。

 ハーマイオニーの全身の至る所に巻き尺が当てられた後、オリバンダーはハーマイオニーに杖を試し始めていた。リンゴ、樫、アカシア……違う、違う、違う……ハーマイオニーも段々焦り始めていた。もしかしたら自分は才能がないのでは無いか、と。落ち着けと安心させようとしてくるオリバンダーの声でさえもイラつきの要因になった。

 違うわ、ハーマイオニー。私は才能がある魔女なの。

 決して、能力が、無いわけじゃ、ない。

 「二十分経った」

 「分かってるわ!!!」

 ハーマイオニーの持っていた杖から赤い炎が吹き出た。周りにいた全員が目を丸くする。

 「……Brilliant(素晴らしい)

 若干引いたようにハーヴェイが呟いた。イラつきで髪の毛が猫のように逆立っているハーマイオニーの手からこれ以上惨状が繰り出されないようさっと杖を奪ったオリバンダーは、彼女の杖となったであろうそれを箱に再び収めた。

 「……葡萄にドラゴンの心臓の琴線、二十七センチ。曲がりにくいが振りやすい。どうぞグレンジャーさん、君の杖だ」

 オリバンダーはハーマイオニーに箱を渡した。感動のため息をつきながら、ハーマイオニーはそれを受け取る。

 「相性は最高のようだな」

 ハーヴェイは眉をぴくりと上げて言った。

 

 しかし、本番はここからだった。

 次の番はハーヴェイで、彼は散々大口を叩いていたにも関わらず、どの杖も合うことがないようだった。もう少しで三十分も経とうかという時。ハーマイオニーは馬鹿にしたようにハーヴェイを見つめた。

 「…………なんだ」

 「貴方って杖に嫌われてるのね」

 「私が嫌っているんだ」

 「歩み寄らないと」

 「もう先輩気取りか?」

 「事実そうよ」

 仁王立ちする小さい少女を見つめながら、ハーヴェイは嘲るように笑った。

 「第一こんな嵩張るものを振るということだけでも気に入らない」

 ひゅんひゅんと杖を振り回すハーヴェイ。杖から発射された無数の光線が何処かの無機物に当たって弾けた。口元をひくりと痙攣させながらハーヴェイは額に青筋を立てる。

 「ビビディバビディブーか?馬鹿にしやがって」

 「化けの皮が剥がれてるわよ」

 ハーヴェイとハーマイオニーは同時にスウィングラー婦人を振り返った。

 果たして彼女は、オリバンダーの店のソファに座って寝ていた。ぐっすりと。ハーヴェイは勝ち誇ったように口角を上げた。

 「剥がれても聞く人はいない」

 「とっくにバレてると思うわ」

 「彼女だけに優しくしているということが重要なんだ、お分かりかな?」

 舌打ちをした後、ハーヴェイは杖を元の箱に戻した。

 「ミスター、もっと短いものは?彼女のよりも短いやつ」

 イラついたように机を指で叩きながらハーヴェイは言った。

 「短い……短い……」

 ブツブツ呟きながらオリバンダーは考える。数刻後、彼は突然思いついたようで、しかしハーヴェイを三度見したあと、妙に納得したような顔で奥の棚に入っていった。

 「嫌な予感がする」

 「私は貴方に会った時からしてたわ」

 「嘘だろう、初対面時は私に惹かれていた筈だ」

 「……なんですって?」

 「Elementary(初歩的な事だ)、態度を見れば分かった」

 後ろからクスクスと笑い声が聞こえる。言葉を失ったハーマイオニーが振り向くと、両親がにやにやと笑っている。彼女が睨むと、慌てたように口を閉じた。因みにミネルバ・マクゴナガル女史はその間、存在を殺して壁際に佇んでいた。こんなに長くなるなら先に説明を終わらせて帰れば良かった、と後悔しながら。

 「物腰柔らかで知的な年上が好みか」

 「貴方って本当……嫌な人ね」

 「どうも」

 「褒めてないわ。それに……自分で知的とか言ってしまうのは、ただのナルシストよ」

「ナルシスト?私は賢い。この場の誰よりもね。証明しようか?凡人の君の為に」

 くるりと振り返ってハーヴェイはグレンジャー夫妻を一瞥した後、ハーマイオニーに向き直った。

 「父親はマックス・グレンジャー、母親はアメリア・グレンジャー。二人とも歯科医、家族経営。中流階級でロンドンの南西部在住。お父上は庭いじりと車の修理が好き、君が生まれた時にタバコをやめた、お母上の趣味は料理、家の隣に住む意地悪なおばあさんが嫌い、最近洗濯機の調子が悪く家電量販店に行くつもり……まだ言った方が?」

 「………………結構よ」

唖然とした顔でハーマイオニーが断った。

 「いや、最後まで言わせてもらう」

 しかし止まらないのがハーヴェイである。

 「ハーマイオニー・グレンジャー。趣味は勉強、特技は勉強。一人っ子で従兄弟も特になし、ミントの歯磨き粉が好き、学校では馬鹿な人間しかいないと自意識過剰に他人を見下し、自分はもっと出来るはずだと家でも自習。初恋の人は小さい頃近所に住んでいた……」

 「結構!!!」

 ハーマイオニーはすんでのところでハーヴェイを止めた。

 「もう結構よ。言わなかったかしら?」

 「聞くつもりはなかった」

 「なら訊くのが間違いね」

 膨れたハーマイオニーにハーヴェイが嫌味に首を傾けるのと同時に、奥からオリバンダーがやってきた。手には杖の箱を一つ、握っている。

 「お邪魔しましたかな?」

 「いえ、どうでも良い事だったので。試しましょう、日が暮れる前に」

 ハーヴェイは杖腕を出した。

 箱から取り出されたのは酷く短い杖だった。三十センチやそこらという普通の杖とは違い、万年筆ほどの長さ。表面は骨のように白く、持ち手が浮き出ているのではなく、逆に凹んでいる、変な杖。

 「イチイに不死鳥の羽、十五センチ。酷く固く、振りにくい」

 ハーヴェイはその杖を取った。何も変化がない。火花も、何かを浮かせることもなかった。オリバンダーが申し訳なさそうな顔をする。

 「やはりその杖では……」

 「いえ、これにします」

 ハーヴェイは自信ありげに言った。即答だ。にやりとニヒルに笑う彼は、今日一番ご機嫌に見える。

 「手に持って分かった。これは私の杖だ。よく手に馴染む……ああ、この杖は私が凡人では無いことを分かっているんだろう……反応が無ければ自分の杖だとは分からない人間と違ってね」

 「あら、芯が死んでるだけかもよ?」

 「死んでてもペン回しには使えるだろうよ」

 ハーヴェイはその杖を指先でくるくると器用に回している。一転上機嫌になったハーヴェイを面白くなさそうに見つめるハーマイオニーは、オリバンダーに詰め寄った。

 「でも、何か欠陥があるんでしょう?さっき様子が変だったわ」

 「ああ、いや……まあ、その杖自体の欠陥と言うより……」

 「なんだ、この杖に何か?持ち主として私には知る権利がある」

 ハーヴェイも詰め寄った。眉を下げて、オリバンダーは答える。

 「……極端に短い杖を持つ者は、人格になんらかの欠陥がある人間だとよく言われていてね」

 ハーヴェイは目を開いてハーマイオニーを見た。

 ハーマイオニーは今日一番の笑顔で応える。

 「人格に欠陥ね。納得だわ」

 「ミスター、葡萄の杖の持ち主には何か欠陥が?それともこの目の前の人間が特殊なだけ?」

 「……何も言わんよ」

 オリバンダーはそそくさと奥に引っ込んで行った。

 

 

 

 「ハーマイオニーちゃん、とってもいい子だったわ。頭も良いし、ハーヴェイもお話していて楽しかったでしょう?貴方とまともに話が出来る子供は少ないもの」

 「……私がお話をするなら、貴女のように教養がある人間が良いです」

 「ふふ、おだてないで。照れちゃうわ」

 午後九時近く、スウィングラー邸に帰ってきた二人。あの後グレンジャー親子が気に入ったスウィングラー婦人がディナーに誘い、遅くまで話し込んでしまった。ハーヴェイもハーマイオニーも笑顔が凍っていたが、誰も文句を言わなかった。親たちが目をきらきらさせながら話していたら子供は口を挟みづらい。二人とも今までロクに友達を作ってこなかったばかりか、家で学校の話を少しもしなかったので、親心的には寂しいものがあったんだろう。少しそれを引け目に感じていたハーヴェイとハーマイオニーは、閉口してレストランまでついて行った。子供同士の会話は、弾んでいると言うよりぶつけ合っているようだったが。

 二人が庭を歩いていると、メアリーが近付いてきた。

 「奥様、お坊ちゃま、失礼致します……お坊ちゃまにお客様が」

 「またノーアポイントメントか……最近は無礼な輩が多いですね」

 「それが……マクシミリアン様です」

 「あら」

 スウィングラー婦人は口元に手を当てて驚いた。

 「ハーヴェイは携帯電話を持っているでしょう?わざわざ訪ねなければならない用事でもあったのかしら……」

 「マクシミリアンは何処に?」

 「お坊ちゃまの自室に」

 「……夜も遅いのに」

 ハーヴェイは項垂れるようにため息を吐いた。

 「マクシミリアンと話した後私はそのまま寝ます。おやすみなさい、ママ」

 「おやすみなさいハーヴェイ。貴方に良い夢が訪れます様に」

 ハーヴェイは婦人の手にそっとキスすると、自室へと早足で向かう。道中黒の革手袋で唇を拭った。

 

 

 

 「……ルネサンスの巨匠だ。いつ見ても素晴らしい」

 月明かりに照らされて尚、薄暗いハーヴェイの自室。入口に寄りかかるハーヴェイに、絵画を見つめたままの男―――マクシミリアンはそう言った。まさかずっとこの暗い中で絵画を見つめていたとでも?今日何回吐いたかも分からないため息を押し殺して、ハーヴェイは横の壁に付けられた電気のスイッチをパチリと上げた。

 「何故電気も付けずに?」

 「影が深みを作り出す作品もある」

 「否定はしない」

 事実ハーヴェイもこの絵画を寝る前の暗い中で見るのが好きだ。ハーヴェイは広い自室を横切って、マクシミリアンの隣に立った。そのまま彼に倣うように絵画を見つめる。マクシミリアンは依然としてハーヴェイを見なかった。灰色のスリーピースのスーツ、左手の人差し指に嵌った大きい金色の指輪。彼はハーヴェイの知人だった。いや、知人と言うより、()()のようなものだろうか。マクシミリアンは三十代後半だったが、ハーヴェイの生意気な態度を気にしていないようだった。

 「遅かったな。婦人のご機嫌取りにディナーか?」

 「少し買い出しに。遅かったと言うならその胸ポケットに入れられた四角い箱を使ってみたらどうです?携帯電話って言うんですよ、それ」

 「知らない訳が無いだろう、お前に携帯を買い与えたのは私だ」

 「で、なんの用」

 「ホグワーツ魔法魔術学校から入学許可証が届いたそうだな」

 「三日前にね。いつ頃手紙が来るとか一報ぐらい入れても良かったのでは?ヴァルトロミアへの入学がキャンセルされたんだが」

 「魔法だからと嫌ってお前が詳しく聞かなかったのが悪い」

 「お陰様でしりびくぐらい長ったらしいローブを着る羽目に」

 「笑えるな」

 「届いたら切り刻んでやりたい」

 制服の形がスーツに似てたからヴァルトロミアへの進学を決めたハーヴェイが。とんだ笑いものだとハーヴェイは自嘲した。

 「それぐらいの無駄話なら電話で済むはずだ。本当に何の用だ?私は早く寝たい」

 「お前はつくづく大人への敬意というものが足りない」

 「示すべき人間には示している」

 「女王(クイーン)だけだろう、それ」

 呆れたようにマクシミリアンは言った。

 「お前に頼み事があるんだ」

 「MI6のマクシミリアン・B・ハミルトン様が私に?」

 「茶化すなジェームズ」

 「その名で呼ぶな」

 ドン、とハーヴェイがベッドの脚を蹴った。

 「物に当たるな」

 「頼み事とはなんだ?内容によって貸しの量を決める」

 「お前は私に三百五十六の借りがあったはずだぞ」

 「先月裁判の偽装証言で百二十六返したはずだ」

 「じゃあこれはお前の働きによって変動させよう。下は六十上は決めないでどうだ」

 「破格だな」

 乗った、とハーヴェイは言った。マクシミリアンから携帯電話が渡される。

 「予備だ、私の連絡先だけ入れてある」

 「そこまで重要なのか?」

 「勿論、英国を左右しかねないからな。魔法使い共だけに任せてはおけんよ」

 「私も一応その一人なのだが」

 「お前は嫌っているだろう。あの種の……人間を」

 「そうだな」

 ハーヴェイはさらりと肯定した。

 「お前への頼み事は単純なものだ。この前と比べればな。『生き残った男の子』……ハリー・ポッターを見張れ。随時経過を報告しろ」

 「生き残った……なんだって?」

 「お前まさかそれすらも覚えてないのか?」

 「必要の無い記憶は消去してる」

 「闇の帝王……ヴォルデモートを消した赤子だよ。お前と同い年だ」

 「で?その英雄を介護しろと?何故?」

 「どうも魔法界に潜入させている者たちによると、ヴォルデモートはまだ生きているらしい」

 「はあ?死んだんじゃないのか」

 「そこはよく分からないが、魔法だ、なんでもありなんだろう」

 「Wizards(これだから)!」

 ハーヴェイは忌々しげに舌打ちした。

 「ダンブルドア派の人間がパブで話していたそうだから間違いない。しかも件のハリー・ポッターに対してね」

 「……まさか、尾けたのか?」

 「いや。元々パブに潜入させていた構成員が盗み聞いた」

 「本当に恐ろしいよ。陰謀論を唱えている頭のおかしい者たちに拍手を送りたいぐらいだ」

 ハーヴェイは呆れたようにそう言った。

 「……十一年前に起きた悲劇を、また繰り返すわけにはいかない。闇のナンタラのお陰で私たちは随分と被害を蒙った……あの惨劇を二度と繰り返すわけにはいかない。あの時の激務は二度と思い出したくもない」

 「私怨が入ってないか?」

 「気の所為だ」

 二十代前半、ボロ雑巾のように扱き使われていた時期を思い出して、マクシミリアンは目を細めた。その瞳の奥に確かな炎を感じ取って、ハーヴェイは引いたように頬を引き攣らせた。恐らく彼を酷い目に遭わせた上司は何処かに飛ばされているのだろう。運が良ければ。

 「ともかく」

 マクシミリアンはハーヴェイに向き直った。

 「何も無ければそれでいい。お前は都合良くハリー・ポッターと同年代になってくれた。片手間に監視してくれるだけでいい。出来ることなら世界を救え」

 マクシミリアンは手を差し出した。

 「世界を救った場合貸しを六百ほどくれ」

 「良いだろう」

 交渉成立だ、とハーヴェイは手を取った。マクシミリアンはにっこりと笑う。暇では無いはずだ、なのにここまで来たということは相当懸念していたことなのだろう。

 「因みに、そこの梟はなんだ?」

 ハーヴェイの目が死んだ。部屋の隅に置かれていた鳥籠の中身についてだろう。

 「……メンフクロウだ」

 「知っている。フクロウ目メンフクロウ科メンフクロウ属だろう。学名はTyto alba」

 「人間ウィキペディアを見せびらかさなくてよろしい。………………手紙を運ぶそうだ」

 マクシミリアンはOh、と目を丸くした。

 「手紙」

 「何も言うな」

 「名前は決めたのか?」

 「マクシミリアンとつけてやろうか?」

 「可愛がってやれよ」

 ハーヴェイのワックスで綺麗に整えられた髪をぐしゃぐしゃと掻き回して、マクシミリアンは部屋から出て行く。廊下の方からGood night!と言い捨てた声が聞こえた。

 「…………マクシミリアン」

 髪を整えながらハーヴェイがぽつりと言うと、部屋のそのミルクティー色のメンフクロウが、ホーと鳴いた。

 「Brilliant(素晴らしい)

 ハーヴェイは心底嫌そうな顔で、自身のベッドに倒れ込んだ。



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Please Help Me

 

 ハリー・ポッターは視線を忙しなく動かしていた。

 バーノン・ダーズリーらダーズリー家の面々に何とか頼み込んで連れてきてもらったキングズクロス駅。そこから親切な赤毛の家族に面倒を見てもらい、ハリーは九と四分の三番線、ホグワーツ特急へ乗ることへ成功した。そしてなんとか、最後尾近くの空いているコンパートメントを見つけることが出来たのだが……

 ……そう、()()では無かった。

 ハリーが着いた頃には既に一人の少年が新聞紙を広げ、自身の上に被せ寝ていた。一列の座席を犠牲にして。横向きに寝ており、足元は下に下ろしていたため下半身は見えたが、肝心の顔は見え無かった。見ようによっては終電で激務に死んでいるサラリーマンに見えなくもない。スーツと腕時計が少し高すぎ、身体が小さい事に目を瞑れば。

 「ここって空いて……この人、君の知り合い?」

 ハリーが目の前の爆睡している少年を見ているとコンパートメントの扉が開き、赤毛の少年がひょっこり顔を出した。件の赤毛一家の一人である。

 「いや。僕が来る前にはもう寝てたよ。他の場所なくて」

 「ホグワーツは変人が多いんだって。運が悪かったと思うしかないね」

 うちの兄たちもそうだけど、と付け加えながら赤毛の少年は言った。そのままハリーの隣に座る。少年の足は器用に畳まれていたため、通りづらくはなかった。

 赤毛の少年がハリーをチラチラと見ながら上着を脱ぐ。

 「僕ロン。ハリーだよね」

 「そう。よろしくロン」

 「よろしく」

 どうやら彼はハリーの事を知っているらしかった。まあそれはそうだろう。あの“生き残った男の子”なのだから。魔法族家系の子供なら耳にタコができるくらい聞かされている。

 「それにしても、これ誰だろうね」

 沈黙を紛らわすようにロンは言った。

 「上級生かな」

 「かもね。背も高いし。流石に新入生がこれは無いって」

 「だよね」

 ハリーとロンは朗らかに笑った。

 「見てみようよ、顔」

 「ダメみたい」

 ハリーは目の前に広げられた新聞紙の余白を指さした。何かボールペンで書かれている。

 「『DON’T TOUCH ME(触るな)!!』……いい根性してるね。やっぱり上級生だよ」

 「こんな混んでる汽車の中で一列丸ごと贅沢に使って寝てるんだもの、そりゃそうだよ」

 「でもこう言われると見たくなるよな。覗くだけなら構わないよ。そーっと。そーっと」

 悪戯っ子の血筋には抗えず、ロンはそろそろと手を伸ばして、新聞紙をペラリと捲った。

 また新聞紙が出てきた。

「『CURIOSITY KILLS THE CATS(好奇心は猫をも殺す)!!』……うるさいな。もう一回捲ってみよう」

 「『LOOK UP』……上を見ろ?」

 ハリーとロンは同時に上を見た。勿論広がるのはコンパートメントのただの天井。何かが貼られている訳でもなく、異変がある訳でも無かった。

 ロンはまたペラリと捲った。

 「『LOOK DOWN』……またか?」

 また二人は同時に下を見た。何も無い床である。

 だんだんイライラしてきて急かすようにハリーもまた捲った。

 「『LOOK TO THE RIGHT』」

  うんざりしたような顔で二人とも同時に横に向けた。

 「『LOOK TO THE LEFT』」

 二人とも同時に左を見た。何かある筈がなかった。

 ハリーとロンは競うように次の新聞紙を捲る。

 「『YOU LOOK SO STUPID(馬鹿に見えるぞ)』…………」

 二人とも何も言わなかった。何だか図星な気がしてきて、なんて馬鹿なことをやっているんだろうと少し心が虚無に包まれた。だがもうここまで来たら引き返すのは勿体ない。ロンが最後の紙を捲ると、綺麗な顔をした少年が出てきた。緩くワックスで整えられたオールバック、ピン付きの赤のネクタイ。

彼がこの意地の悪い一連の流れを生み出した犯人である。

 「こんな奴がこんな変人とは世も末だな」

 ロンが眉を顰めて言った。見たところいい所のお坊ちゃんのようなこの少年が、ホームレスのように新聞紙を上に被せて寝ている。確かに世も末かも。ハリーはそんな事を思った。

 

 

 結局、彼らはその後その少年を起こすことは無かった。事実その判断は間違っていなかったと言えよう。ホグワーツのモットー、『眠れるドラゴンをくすぐるべからず』を実に忠実に守っているホグワーツ生の鑑である。

 車内販売のおばさんがやってきた。ペットのヒキガエルを無くした男の子がやってきた。次々とやってくる来訪者に、毎度これには流石に起こした方が良いだろう、とハリーがロンを見ても、ロンはどちらも首を横に振った。二人は起こさなかった。まさしく英断、未来の英雄たちはきちんとリスクヘッジが出来るのである。キングズクロスから汽車が出て早数時間、どうでもいい事を喋り散らかしながら、彼らは車内販売のお菓子を消費していた。

 しかし無礼にも彼を起こす輩が現れた。

 「誰かヒキガエルを見なかっ…………二人ともヒキガエルを見なかった?ネビルのがいなくなったの」

 偉ぶった声だった。コンパートメントの扉を開けた少女は、右手に見える椅子を占領した新聞から覗くスーツを見て一瞬眉をしかめたあと、ハリーとロンに向き直った。ロンはその反応に目敏く気が付いた。

 「きみ、この人のこと知ってるんだね?」

 「残念ながら。触らない方がいいわよ」

 『DON’T TOUCH ME!!』の文字を一瞥して少女は言った。

 「私たちと同じ新入生よ。喋り出したら止まらないイヤミ製造機みたいな人だもの。まあ本人としてはイヤミと自覚してないのかもしれないけど……」

 「車内販売が来た時も起こさなかったんだ。大丈夫かな」

 ハリーが心配そうに言った。

 「大丈夫よ。彼、甘いものが苦手らしいの。きっと車内販売も『低脳な人間が自身の頭の悪さを補うために摂取している糖分なんていらない』って言って跳ね除けるに違いないわ」

 「親しいんだね」

 「まあまあよ」

 素っ気なく少女は言った。しかしハリーは、彼女の口角が少しだけ上がっていることを見逃さなかった。

 「……私、ハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャー」

 「僕ロン。ロナウド・ウィーズリー」

 ハーマイオニーとロンは軽く握手した。

 「よろしくロン。あなたの名前は?」

 「ハリー・ポッター」

ぎこちなくそう言うハリーに、少女―――ハーマイオニーは目を見開いた。

 「あら、()()()が?」

 「その通り」

 ハリーは少し疲れたように微笑んだ。魔法界にはプライバシーなんて存在しないらしい。自分の名前を言っただけでこの反応だ。

 しかしハーマイオニーは意外な反応を見せた。

 「私も知り合いに魔法族はいないの。マグルってやつね。参考書を二、三冊読んだ限り、あなたは魔法族に崇め奉られているらしいわ」

 「そうらしいんだ」

 初めて自分以外にマグル生まれがいると分かって、ハリーは安堵のため息を吐いた。どうやら気位の高そうな女の子だけれど、良い友人になってくれるかもしれない、とハリーは思った。

 その時だった。

 

 「どけ」

 またまた来訪者がやってきた。今度はオールバック―――と言っても新聞紙の彼とは違い、かっちりと固められたものだったが―――の金髪の偉そうな少年、その脇に体格が大きめの少年二人。どんと身体を押されたハーマイオニーは、寝ている少年の上に突っ込んだ後、慌ててロンの隣に座った。それでもスーツの彼は起きない。ハリーはむしろ尊敬さえ抱いていた。

 「失礼な人ね!」

 眉を吊り上げてハーマイオニーが言う。ロンも顔を顰めていたし、ハリーは真ん中の少年がこの前のマダム・マルキン洋装店にいた子だと分かり、少し身体を仰け反らせた。その時彼はハグリッドを馬鹿にしたのだ。苦手意識は拭えない。

 何しに来たんだこいつら、という三人の視線に晒されながら、真ん中の少年は腕を組む。自分が上位であるというように、顎を上げた。

 「ほんとかい?このコンパートメントにハリー・ポッターがいるって、汽車の中じゃその話で持ちきりなんだけど」

 とんがった声だった。強く関心を示した顔で、真ん中の少年は探るようにハリーを見ていた。

 「じゃあ、君が?」

 「私たちは無視ってことね」

 ハーマイオニーがロンに向かって言った。

 「失礼な女だな」

 金髪の少年は言った。ロンの方を一瞥した後、鼻で笑う。

 「見たところによるとウィーズリーの人間もいるらしい。ああ、なんで分かったかって?赤毛で、汚らしいそばかすで、育てきれないたくさんの子供がいるウィーズリーなんてひと目でわかるさ。そのダボダボのシャツ!」

 金髪の少年の言葉に、脇の二人が意地悪そうに笑った。ロンの頬が赤くなる。母親が朝忙しく作ったコンビーフ入りのパサパサなサンドイッチを隠しながら彼が反論の言葉を探しているうちに、ふとハーマイオニーが口を開いた。

 「貴方は育ちが良さそうだけれど、彼には敵わないと思うわ」

 「彼?」

 「彼よ。王室の血縁だもの」

 ハーマイオニーが目の前で寝ている少年を指さした。金髪の少年が嘲笑する。

 「ホームレスみたいに寝てるやつが?おいクラッブ、その新聞紙を退けてみろ」

 脇にいた屈強な少年A―――クラッブが少年に近付き、新聞紙をばさりと叩き落とした。

 

 下から出てきたのは、目をかっぴらいた少年。

 

 その場にいた全員、起きているとは夢にも思わず、身体をのけぞらせた。

 「うるさい」

 まるで地獄から這い出てきた悪魔が発したような低い声だった。眠さで目つきの悪くなった水色の目を瞬かせながら、その少年はゆっくりと身体を起こした。蛇に睨まれたかのように誰も動かない中、少年は床に打ち捨てられた新聞紙を拾った。

 「その自制の出来ない騒音で私の邪魔をしたのは君たちか?」

 自前の目つきの悪さで意地悪そうな三人、そしてハリーたちを睨みつける少年。

 あ、僕達もなんだ、とハリーは背中に冷や汗をかいた。

 「……王室の血縁とは、本当のことか?」

 真ん中の少年は唾を飲み込みながら聞いた。スーツの少年は鼻で笑う。

 「人のプライベートに踏み込む前に、名前でも名乗ったらどうだ?」

「……僕の名前はドラ」

 「いい、興味の無い情報は覚えない」

 手で追い払うようなジェスチャーをして、欠伸をしながら少年は言った。

 「それに、見た目で自己紹介以上のことが推測出来る」

 「あら、そう。本当にそうかしら?」

 ハーマイオニーが突然口を挟んだ。ハリーとロンがハーマイオニーを凝視すると、彼女は金髪の少年たちに見られない角度で片眉を上げた。スーツの少年が瞑っていた瞼を上におしやる。

 ハリーは気が付いた。成程、イヤミ製造機を稼働させようと言うんだな。

 「勿論だ。例えばそこの金髪で背が低いヘアーワックス好きの少年」

 席に寝転んだままスーツの少年はぴっと人差し指を指した。

 「身なりの良さとオーダーメイドの靴から上流階級の育ち、親を厳しいと思っているが実際は甘やかされて育った世間知らずのボンボン、そのキツいコロンと引き伸ばされたソックス、両脇にくっつけた金魚のフンは自己顕示欲の表れ、虚栄心というよりかは自分の持つ手札で最大限自分をよく見せようとするタイプだな?シャツのイニシャル入りカフスは誕生日に買って貰ったものだ。その傷の付き方から四、五年前。虚栄心の強い人間なら父親の新品のをかっぱらってくるはず。その上、そうそこの少女のように自己中心的で自意識過剰、自分はこの世界の王様で主人公だと思っている。ああ、勘違いしない方がいい、君は彼女よりも頭は良くない。その反面本性はナイーブで傷つきやすく弱虫。おそらく変にちょっかい掛けて自滅していくタイプだ。全てにかけて要領は中レベル周りの人間選びのセンスもなく自分は履かされた靴で踊らされているとも気が付かない憐れで愚かな人間だと早く自覚した方がいい」

 一息でそう言い切ったスーツの少年は、ちらりとその脇の二人に目を向けた。

 「君たちは……特に言うことは無いな。脳が無いことは誰でも分かるだろう。因みにその少年には友人だと思われていないぞ。精々良くてボディーガードレベルの価値しか見出されていない」

 次から次へと流れていく言葉に口を挟むことも出来ない。

 二人の大柄な少年は呆気に取られたように口をぽかんと開いていた。あまりに流暢でなめらかに煽りの言葉が滑り出してくるものだから、怒りの感情があまり湧かないようだった。

 「相手の態度や威勢だけで敵か味方か判断するタイプだろう。あまりおすすめはしない。人類ならば少しぐらいその低スペックな脳を働かせて文脈を読みとりたまえ。だいぶ頭がマシに見える」

ちなみに挟まれた金髪の少年は今にも沸騰しそうなほど頬をピンク色に染めて、眉を吊り上げている。ロンは嬉しそうに口元をひくつかせた。

 「そして君」

 しかし餌食にされない訳ではなかった。

 「上に五人の兄がいるね?そのお下がりの服装で大体の修理回数と着られた年数が分かる。どれもバラバラだ。そのダボダボのシャツに草臥れたTシャツ、丈の短いズボンにお下がりの杖。そのズックの裏に着いている藁は家畜用のだろう。田舎に住んでいるから自身の世界が小さく、優秀な兄だけを見て育った。何も取り柄がない自身に苛立ちと劣等感を覚えているが改善する気もない。向上心はミジンコほど小さく出世も出来ないタイプ、生涯年収はそこの金髪くんの親御さんの総資産の五分の一にも満たないだろうな。容姿にぐらいは気を配った方がいい、鼻に泥がついているし爪が噛まれた跡でガタガタだ」

 今度はロンが赤面する番だった。思い切り飛びかかろうとしたが、金髪の少年たちがぐっとこらえたため、ここで手を出してしまったら自身が幼稚であることになってしまう。ロンは代わりとばかりに全ての元凶ハーマイオニーを睨んだ。

 一方ハリーは諦めたように目を閉じた。次は僕の番だ。

 「君は―――幼い頃に両親が死に今は自分と魔法の存在を酷く嫌った義両親の元で乱暴な従兄弟と暮らしている。その流行が過ぎ去ったブカブカのTシャツを見れば明らかだ。従兄弟は体格がいいようだな。甘やかされている。一方君はご飯もロクに食べさせて貰えず反抗的な行動をしたら折檻される。横暴でワガママな彼を見下しているが実際そんな君もいい人間ではないだろう?“生き残った男の子”なんて言われて満更でもない。まあそういう意味でなら、ある意味突出したところがないどこにでも代わりがいる平凡な人間だ、おめでとう。負けず嫌いで好き嫌いが激しい。新しく眼下に広がる魔法界という存在に依存し最早家には帰りたくない。やせ細ってセロハンテープでとめただけの壊れかけのメガネをかけた、いじめっ子から逃げ回る人間とは誰もお友達になりたくなかっただろうからいつも一人だったんだろう。マグルの世界で待ってくれる友人もいない」

 遂に彼はこの場の六人中五人を敵に回した。理路整然と語られる煽りと人のコンプレックスを的確に突いてくるその手腕は一点物だろう。この場にいるスーツの少年以外の男性諸君は、皆一様に『殴りたい』という衝動にかられた。まあ殴ってもいいと思う。少なくとも彼らにはその権利がある。

 「少し刺々しい言い方になってしまったな。まあ考え事をしている最中に邪魔をした君たちが悪い」

 クラッブじゃない方が拳を握り始めたのを見て、スーツの少年は腕を組んだ。

 「因みに私は君たちが過去に犯した過ちを全て言い当てる自信がある。もしこれ以上私の時間を邪魔しようと言うのならうっかり全校生徒に広めてしまうかもしれない」

 ではおやすみ。そう言ってスーツの少年はまた顔の上に新聞紙を乗せて寝始めた。遂にクラッブじゃない方が殴り掛かる。すんでのところで、新聞紙を被せたスーツの少年が手を上げて静止した。

 「言っただろう?Inner peace(内なる平和)だ。深呼吸して怒りを抑えろ。精神的に落ち着いた方が人の信頼を得やすいぞ。君の暴力的なお父様だって君を認めてくれる」

 吸って、吐いて。吸って、吐いて。

 スーツの少年はジェスチャーをしながら補助するようにそう言った。クラッブじゃない方は素直に深呼吸を繰り返したあと、金髪の少年の後ろに戻った。何故だろうか、従ってしまう声色だった。それを差し引いても頭が悪かったからかもしれないが。

 「もう一度私を使おうとしたら許さないからな、グレンジャー」

 不意にスーツの少年が言った。その言葉を最後に、彼は黙った。眠りに落ちたらしい。

 

 その場には静寂が充ちた。六人が微妙な顔をしてその場にいた。全員が被害者、誰しもが傷を負っている。無傷だったのはスーツの少年とハーマイオニーぐらいだろう。男子陣は妙に疲れた顔でお互いの顔を見つめていた。

 「……因みに、こいつの名前は?」

 金髪の少年が言った。

 「ハーヴェイ・J・スウィングラー。同い年よ」

 ハーマイオニーが眉を八の字にして言った。この死屍累々の面々を見て、彼を焚き付けたことを後悔しているらしかった。

 「僕はロン。こっちはハリー」

 「僕はドラコ・マルフォイでこっちがクラッブ、こっちがゴイルだ」

 彼らは何も言わなかった。ただ、自身の名前を言って別れた。あれだけ最初はふんぞり返っていたドラコも別れ際は少しばかり落ち着いていたし、ロンも言葉数少なになっていた。

 人は弱みや苦しみを見せられると、その人間と親しくなったと勘違いする傾向にある。普段はあまり見られないからだ。河川敷で殴り合う不良少年たちが最終的には心の友になるのも、看護師がナイチンゲール症候群に陥るのもその心理現象が全ての原因だ。

 ハリーやロン、マルフォイもそうだった。

 最初は嫌な印象でしかなかったが、ハーヴェイとかいう物凄い困難を共にすることによって少しばかり相手の印象は良くなったのである。それでも友人には程遠いが。名乗ったと言うだけまだマシだ。困難を共にするということもまた意味があるのだが、今は割愛することにしよう。もうすぐローブに着替える時間だ。

 

 

 

 ハリーの後、ロンの前。それがハーヴェイの位置だった。

 なんの位置かって?勿論―――組み分けの。

 「正直言ってどこの寮でもいい。馬鹿がいなければ」

 ホグワーツ城への道中そうハリーとロンにごちていたハーヴェイは、死んだ目をして目の前の段の上に置かれた木製の椅子と、その上にある古びたとんがり帽子を見つめた。

 「Boring(つまらん)

 周りには目を輝かせたり白黒させたりしている沢山の新入生。その中で五十歳ぐらいの疲労と哀愁を漂わせながら佇むひょろりとした男。完全に場違いである。今からでも入学拒否とかダメだろうか、とハーヴェイは血迷った。

 「Swingler.J.Hervey!!」

 ミネルバ・マクゴナガルの声が聞こえた。

 死刑台に上がるような気持ちでハーヴェイは壇上に上がった。マクゴナガルは申し訳程度に口角を上げて、帽子を被せた。

 「Smile(笑って)

 「無理です、lady」

 「マクゴナガル先生とお呼びなさい」

 「マクゴナガル先生」

 ぶつくさ言いながらハーヴェイは椅子に座った。ワクワクのワの字も見えない。

 

 「Uh-huh!!!」

 

 被った帽子が突然大声を出した。新入生たちがざわりと騒がしくなる。見ればまだ残っているロンも不安そうな顔で彼らを見ていた。耳を塞いで顔を顰めたハーヴェイに、組み分け帽子は面白そうに笑っている。

 「鼓膜が破れる。少しは自重というものを覚えたらどうだ」

 「君は面白い脳をしているな?赤ん坊の頃の記憶を持っている」

 「だからなんだ」

 「考え方も複雑。知識もあるようだ……フーム、ハッフルパフではないね。グリフィンドール、レイブンクロー、スリザリン……悩ましい……」

 ハーヴェイは目頭を押えた。

 「グリフィンドールはやめてくれ」

 「グリフィンドールは嫌かね?勇気もある、知識については申し分無し、性格は狡猾……レイブンクローかな?………………いや、待て」

 やっと決まったかと言う時、帽子は止まった。

 「君は、()()が嫌いだね?」

 「……まあ」

 ハーヴェイは渋々頷いた。

 「切望するのは飽くなき非日常。心躍る謎に、身の毛もよだつスリル」

 「よくもまあそんなにペラペラと人の性格が語れるな」

 「君の真似をしたまでさ」

 帽子はくつくつと笑った。

 「一つ君にぴったりの寮がある……危機がこれから溢れんばかりに訪れるであろう寮だ……もし運が良ければ命の危機が何回も」

 「それは良い、平坦な日常なんてクソ喰ら……待て」

 「その寮にはあの闇の帝王に睨まれている男子生徒もいる」

 「待て、まさか」

 「君の願いを叶えるならば………………グリフィンドール!!!!

 組み分け帽子は決断を下した。大きな声が大広間中に轟く。

 拍手が巻き起こった。既にグリフィンドールの席についているハーマイオニーとハリーからは苦笑を送られている。先にスリザリンに組み分けされていたマルフォイたちは、そっとサムズアップして嵐が避けて行ったことを喜んだ。

 「この野郎……」

 一方渦中。ハーヴェイは震える声で悪態をついた。

 「生徒の望みを受け入れるのが学校としてのホスピタリティじゃないのか」

 「これが最大のホスピタリティだよ、ハーヴェイ。グリフィンドールに入寮おめでとう!」

 ニコニコとそう告げる帽子に、ハーヴェイは頭の中で散々な悪態をついた。

 

 

 

 その後。潔癖で温室育ちのハーヴェイがグリフィンドール生と馴染めるはずもなく。

 

 「テーブルマナーがなっていない!Oh my god、誰が君を育てたんだ?そうか、君は実の両親がいないんだったな!それを直接テーブルに置くな!」

 「どうして入寮初日の床の上に衣服が投げ捨てられている?週末にはこの部屋をゴミ溜めにする気なのか?フィネガンへらへらするな、こんな事だったら外にあるゴミ箱を君の代わりに据えた方がまだマシだ、君は寒空の中本来ゴミ箱があった場所で凍え死にたまえ」

 「このテープ!このテープから一ミリも侵害してくるな!」

 「このベッドのスプリングはどうなっている?何百年ものだ、この骨董品め」

 

 「部屋が狭すぎる!!!!!!!」

 

 ハーヴェイは天に向かって発狂した。

 

 

 

 翌朝、目の下に濃いクマを作ったハーヴェイは、ベッドの壁に身体を持たれかけさせて分厚い古文書を読んでいた。寝ぼけ眼を擦りながら、ハリーはハーヴェイを見る。そういえば昨日自分が寝付く前からずっとこんな感じだったような。

 「おはよう、ハーヴェイ」

 「気持ちの良い朝だなポッター」

 「よく眠れた?」

 「一睡も。そもそも私はキングサイズのベッドに羽毛布団五枚、枕十二個が無いと眠れないんだ」

 「その条件は厳しいと思うよ」

 「だろうな」

 ハーヴェイはがっくりと項垂れた。流石に入学式終わりの一晩を寝られなかったことがこたえたのか、覇気はなかった。ハーヴェイは腰掛けていた隣に伏せてあった携帯をポチポチと弄って、上を向いてため息をついた。天を仰いだまま、ハーヴェイは口を開く。

 「因みにポッター、私の携帯の液晶がとんでもない色に変化している事について、心当たりはあるか?」

 「……ハーマイオニーが言ってたけど、ホグワーツの中では一切の電子機器が使えないらしいよ」

 「Jesus Christ(そういう事か)!!!!」

 目が逝ったハーヴェイが高圧ネジ打ち機を持ち出し自分のベッドを魔改造するまで、あと四日。

 



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Fun Potions Class

 

 けたたましい音が鳴った。

 ぐっすりと眠っていたハリーたちが一斉に身体を起こし、音の原因を寝ぼけ眼で探す。いや、探すまでもない。既にグリフィンドールの珍獣として名を馳せている人物……ハーヴェイ・J・スウィングラーの、黄色いテープで区切られたテリトリーからだ。

 ハリーたちの大事な朝の微睡みを邪魔した張本人は、未だ目の前の木板と格闘している。

 「Good morning, boys.素敵な朝だ。一睡も出来なかった私にとっては悪夢のような朝だがね。ああ、勿論私は悪()なんて見てない。言葉の綾だな。これは私の悲嘆にくれる心情を実に上手く表した比喩であって」

 「なあハリー。あいつ狂っちまったのか?」

 「元からだと思う」

 最早クマの常態化した目を血走らせて、ハーヴェイは止まることなくペラペラと話し続けている。手には高圧ネジ打ち機、その先にはベッドの柱。怪訝そうに疑問を呈したシェーマスに、ハリーは微妙な表情で答えた。

 「Nightmareという言葉はゲルマン民族に伝わるMareという悪霊から来ている。眠っている人間の胸元に座り込んで悪夢を見せるんだ。クロアチアでは夜になると美しい女性に化け、長い年月をかけて生命力を吸い尽くすらしい。しかし考えてもみたまえ、睡眠というのは人間の生命における約四分の一程の時間を」

 「アー、一応聞いておこうと思うんだけど」

 寝癖でくしゃくしゃになった髪を掻きながら、ロンが口を開いた。ハーヴェイはなめらかに独り言を続けながら淀みない手つきでネジを打ち込んでいく。低い音が断続的に響いた。どうやら先程のけたたましい音は高圧ネジ打ち機の起動音だったらしい。

 「なんだロバート・ウィーズリー」

 ハーヴェイがやっと返事をした。

 「ロナルドだ。君は一体何をやってるんだ?」

 「見て分からないのか?リフォームだよ、リフォーム。DIYだ」

 ハーヴェイの隣には、木の屑にまみれた『初心者でも簡単!DIY講座』という雑誌が置かれていた。既にベッドには四つほどネジが打ち付けられている。初心者にしては手際がいい。

 「そういうことを言ってるんじゃないんだ」

ロンはすっかり目が覚めたようで、目を丸くしながら言葉を続けた。

 「君がその凶器を使ってその狂気的な行動をしている意味を」

 「凶器で狂気?」

 ハーヴェイは爆発したように笑い出した。手元のブレた高圧ネジ打ち機が床の板をガリガリと削っている。ネビルはシリアルキラーでも見たような顔をして、ベッドの上で後ずさった。

 「やっぱり壊れちゃったのかもしれない」

 ハリーは前言を撤回した。

 ハーヴェイが爆発的に笑い出して数秒後。なんの前触れもなく彼の顔からすとんと表情が消えた。

 「何が面白いんだ。そんな遊び心のない駄洒落ははじめて聞いた」

 「頼むから精神を安定に保ってくれないか?」

 「君に私に命令する権限は無い」

 ロンを無視してハーヴェイはまた作業を再開し始めた。順調に一枚、板がベッドの柱に定着する。血走らせた目をぐわりと開いて、ハーヴェイはネジを付けていく。

 「大体そんな改造しちゃって、怒られるんじゃない?」

 「私が卒業したら物を直す呪文を使いたまえとダンブルドアに言っておく」

 「大改造するなら厳しいと思うよ」

 「ダンブルドアなら出来る」

 「しかもほら、あんまりにも部品が無くなったら修復以前の問題だし」

 「だったら他のベッドを複製すればいい。複製の呪文くらいあるだろう」

 「大きくなれば大きくなるほど魔法は難しくなるんだよ」

 「ダンブルドアなら出来る」

 大魔法使いへの信頼と言うよりは、便利屋としての信頼では無いだろうか。

 「因みに朝から騒音を出したことへの謝意はないの?」

 「あと八分で朝食の時間だ。寧ろ感謝して欲しいね遅刻続きのジョシュア・フィネガン」

 「シェーマスだ」

 片眉をぴんと上げたシェーマスは念を押すようにそう言うと、構ってられないと言う風にベッドから起き上がった。

 「Whatever(なんでもいい)

 ハーヴェイはボソリと呟いた。既に三枚目の板に取り掛かり始めている。黄色いテープの向こう側に転がった木材の種類の多さを見る限り、だいぶ手の込んだものを作るようだ。『初心者でも簡単!DIY講座』の下に精巧な図面が書かれた紙が隠れている事に、ハリーは気が付いた。

 「プロに頼んだ。流石の私でもアマチュアで設計図は書けない」

 ハリーの心の中を見透かしたように、カンカンカンカン何やら打ち付けながらハーヴェイは答える。余っ程ホグワーツのベッドがお気に召さないらしい。安っぽいシーツで熟睡を極めていたハリーとロンは、そっと目配せをした。癪に障るけど、今目の前で精神崩壊寸前の友人を見たら楽な性格をしていて良かったなと思う。

 「ハーヴェイは朝ごはん食べないの?」

 「食べない。既に睡眠欲が食欲を大きく上回っている状態だ。これを完成させるまで寮の階段は降りない」

 「授業は?」

 「勿論欠席に決まっている。例え近くの死火山が活動を開始して大噴火を起こしても、機密機関のバイオ研究所によって死のウイルスが撒き散らされても、月が無くなって超大型隕石が地球に降ってきても邪魔をするな。さもなければテロ組織を焚き付けてスコットランドを火の海にしてやる」

 「オーケー。ここには近づかないよ」

 寝間着からローブに着替えながらハリーは言った。ネビルが遠くの方でがたがたと怯えていた。

 「誰か階段を駆け上ってきてない?」

 「あーあ、上級生からのクレームだ。面倒なことになるぞ」

 外からバタバタと音が聞こえる。ロンがため息を吐くと、扉が勢いよく開かれた。

 「おい、朝っぱらから煩いぞ一年生!」

 「ヴァージン卒業おめでとう」

 

 流れる数秒の静寂。

 

 「……ヴァージンが、なんだって?」

 上級生―――仮にケビンくんとしよう。ハリーたち一年生から視線が針のように突き刺さる中、ケビンくんは顔を可哀想なくらいみるみるうちに真っ赤にして、唇を震わせた。羞恥と怒りが混ざったような表情でハーヴェイを睨んでいる。

 「その寝間着の皺とボタンに引っかかった長い髪で一目瞭然だ。上手く処理出来ていない所を見ると初心者、寝不足で少し目が充血している。夏休み中離れていた恋人と用心に用心を期して入学式から落ち着いた四日目の真夜中に性交渉をしたんだろう。身長、肌、汗のかき具合から推測した部屋番号から推測するに君は今三年生。良かったな、同級生より先に大人の階段を登れて」

 「な、な……」

 「寮生活だから自室でやるのは不可能、という事は場所は談話室か寮の外だな。右足の付け根についたその傷を見るに……」

 「おい、口を謹んで差し上げろ」

 ロンは持っていた紙を丸めて、邪推を続けるハーヴェイをパコンとはたいた。

 その場にいた視線がそちらに向いた瞬間に、ケビンくんは転がるように脱兎のごとく部屋から逃げ出す。可哀想に、とハリーたちが出口に向かって憐憫の目を向ける中、一人ハーヴェイはぽかんと目を丸くしていた。

 「……?」

 「あのなハーヴェイ、僕達もいつかは行く道なんだ。辱めてはいけない」

ロンはしゃがんで、ハーヴェイの両肩に手を置き、まるで三歳の子供を諭すような柔らかい口調で宥めた。無垢な目をしたハーヴェイが首をこてりと傾ける。でも目は血走っているので全く可愛くない。

 「君が行けるのか?」

 「ぶっ殺すぞテメェ」

 掴みかかったロンをハリーとシェーマスが引き剥がすのは、随分骨が折れた。

 

 「なんでアイツはああも人の神経を逆撫でする事に無頓着なんだ?よくもまあ今まで背中を刺されずに生きて来れたな」

 「腹は刺されてるかもしれない」

 ハリーとロンが手の中に収まったハーヴェイ宛の紙をぴらぴらとはためかせながら話していると、ハーマイオニーが近寄ってきた。

 「何持ってるの?」

 「ハーヴェイ・J・スウィングラー宛のマクゴナガルからの怒りの罰則状と、フリットウィックからの嘆きの罰則状」

 「内容は?」

 ロンは眉を顰めながら、まるで裁判官が罪状を発表するかのように紙を伸ばした。

 「アー、変身術の魔法界における重要性と自身の行った愚行に対する反省を羊皮紙三巻き分と、浮遊呪文に関する自習を一巻き分だってよ」

 「あら、反省文。()()()ね」

 「マクゴナガル先生とハーヴェイのバトルなんて一生見たくないよ。入学五日目にして見ることになったけど」

 「あの人魔法全般が嫌いだから、その反省文とんでもない事になるわよ、きっと」

 「なんで嫌いなの?」

 「科学的に証明出来ないからって。自分の推理が魔法でめちゃくちゃにされるのが怖いのよ」

 「マクゴナガルにロックオンされること間違いなしだね。変身術の時は遠くに座ろう」

 ロンとハリーは頷きあった。そういえば、とそのまま二人の目線はハーマイオニーに向かう。

 「なんで君はずっとハーヴェイと組んでるんだ?」

 「あの人ああ見えて学年で一番頭がいいからやりやすくって」

 「ああ見えても彼の頭の良さは分かるよ。悪目立ちしてるから」

 「頑張ればあの人だって他人を慮ったり敬ったり余計な事を言わなかったり紳士な言動が出来るはずなの。でもそれに執着すると思考の八十パーセントが持っていかれるんですって」

 「八十パーセント。つまり僕たちがハーヴェイみたいに全てを投げ捨てれば残りの八十パーセントの脳が使えるようになるのかな?」

 「そこまでして頭良くなりたい?」

 「全然。僕は人間をやめたくない」

 ハリーは首を横に振った。

 「そもそも意識しないとマトモなコミュニケーションが出来ないことがおかしいんだよな」

 「猫被ってる時は今まで読み漁ってきた心理学の文献と知り合いの態度を参考にして、その場に適した最善の行動を取ってるの。プログラミングの応用らしいわ」

 遂にハーヴェイが人間か否かの雲行きが怪しくなってきたところで、ふとハリーは疑問を呈した。

 「君ハーヴェイのことよく知ってるよね。聞いたの?」

 「ええ、聞いたわ。彼の生態に学術的な興味があるの。でも勘違いしないで、好きじゃないから」

 恐らくこの三人の中で最もハーヴェイを人間扱いしていないのはハーマイオニーじゃないだろうか。

 自分より頭のいい人の今まで会って来なかったから。別に友達になりたいとかそういう訳じゃなくて。ハーマイオニーはそうブツブツ言い訳をし始めた。コンパスの長いハーヴェイの横を小走りでついて行く様は傍目から見れば懐いているように見えなくもないのだが、どうしても認めたくないらしい。ダイアゴン横丁で色々、本当に色々言われたので。

 一人で言い訳を延々と喋り続けるハーマイオニーを見て、大概こいつもいい性格してるよな、とロンはハリーに目配せをした。

 

 

 

 「素晴らしきかな、魔法薬学。魔法って面白い」

 ハーヴェイという人物を知っていれば一度は耳を疑うような台詞をハキハキと喋りながら、ハーヴェイは鍋を掻き回していた。隣で蛇の牙を砕いているハーマイオニーが頬をぴくりと引き攣らせる。にこにこと不気味なまでに笑うハーヴェイは、正直言って精神崩壊気味な時の方がマシだと思えるくらい寒気がした。

 昨日半日かけてやっと自分の満足いくベッドを完成したハーヴェイは、満足いくまで惰眠を貪った。取り寄せた最高品質の羽毛布団三枚、枕五個。横に長い棺桶の様な形をした異様なベッドに、なにかの巣のようにそれを敷き詰め身体を滑り込ませたハーヴェイは、ベッドの扉を閉めてうっとりと血走らせた目を閉じた。

 ああ、やはり睡眠こそ至極の贅沢。スウィングラー邸のよりかは劣るが、ホグワーツのベッドも悪くない。

 最早棺桶ベッドからホグワーツ要素など銀河の彼方に飛んでいっているのだが、ハーヴェイにはそんなこと関係なかった。例え外で「鎖を巻きつけて鍵を掛けよう、今ならまだ間に合う!」「落ち着けシェーマス!こんな奴のために君が人殺しになることはない!」とルームメイトがギャーギャー煩くても、扉の隙間からマクゴナガルとフリットウィックからの罰則状が差し込まれても、ハーヴェイの心は平穏だった。

 だから怖いのである。いつもフルスロットルのマシンガンが、突然静かになったのだ。当然弾切れでは無いことなど周囲は認知済みで、ハーヴェイを異常に怖がるネビルなど、笑顔で話しかけられた瞬間脱兎のごとく逃げ出していた。

 「魔法薬学の何がいいのかまったくもって理解出来ないけど、君は取り敢えずハリーに謝った方がいいよ」

 「なぜ?」

 「死んだ顔をしている人の隣でそうニコニコ喋るもんじゃない」

 ハーヴェイはロンの言葉に横を向いた。ハリーが死んだような顔で蛇の牙を砕いている。パキャ、と変な音を出して大きな塊が砕けた。

 「授業の最初のアレ、見てただろ?あのイビリ方は正気じゃないぜ。きっとハリーに親でも殺されたんだ」

 生徒を見て回っているスネイプがこちらに気が付いていないことを確認しながらロンが言った。ハーヴェイはにっこりと笑ってハリーの肩に手を置く。

 「大変面白いものを見させてもらったよ。久々に心から笑った」

 「昨日も君、僕のくだらない駄洒落で弾けるように笑ってたぜ」

 「残念ながら昨日の記憶はほぼ無いんだ」

 ゆったりと微笑むハーヴェイ。

 「ハーヴェイとかハーマイオニーならあの質問、全部答えられたんだろうな」

 アスフォデルの球根が何とかとかトリカブトが何とかとか。授業の最初の出欠で異例の詰問を受けたハリーは思い出したのか眉を顰めた。

 「残念ながら魔法界の知識は最小限に留めている。私だって知らないものは答えられない」

 「君に知らない事なんてあったんだね」

 「勿論だとも」

 「なんでこの国Britain(ブリテン)って言うの?」

 「アングロ・サクソンが侵入してくるより前から定住していた先住民であるケルト系のブリトン人から派生している」

 「ハーヴェイって一家に一台欲しいね」

 ハリーはため息をついた。

 ハーヴェイはハリーの様子を見て、鍋を掻き回しながら少し考え込んだ。

 「凡人だとそう悩むこともあるのか」

 「凡人じゃなくても悩むと思うかな!」

 あの苛め方は例え誰であろうと心にくるだろ、君以外。とロンは言った。ハーマイオニーから蛇の牙を受け取りながらハーヴェイは不思議そうな顔をする。

 「弱みを握ればいいじゃないか」

 「そうか、分かったぞ。君は変な方向に天然なんだ。じゃなきゃそんな顔でそんな恐ろしいこと言わないはずだもんな」

 「一週間ぐらい観察していればその人間の大体の人となりが分かってくる。過去に過ちが無い人間なんて無いんだ、揺すれるネタが出るまで掘り起こせ……と知り合いが」

 「その君の知り合いに今度会ったら殴り飛ばしちゃうかもしれない。その人が居なかったら多分学生生活がもう少しラクになっただろうから」

 「奴はフェンシングと少林寺拳法を嗜んでいた筈だから傷を負わせるのは難しいと思うけど、喧嘩する時には私も手伝おう」

 「ありがとう」

 入学式より幾分か落ち着いた―――というか今までがイライラしすぎていたのだろうが―――ハーヴェイは、未だに睡眠の幸福が続いているのか、ぽやぽやとした雰囲気で頷いた。

 「大体セブルス・スネイプの過去に薄暗いものがあるなんて一瞥しただけで明白だろう。寧ろ後暗いものしかないはずだぞ。もし私が君なら彼の過去を徹底的に調べあげるだろうな。勿論並大抵の者じゃ出身すら当てられないだろうが、今ある材料だけでも私は推理することが出来る。なんで叩くんだ?ハリー。例えばウォーミングアップに初恋の人なんてどうだ?あの使い古されたローブを入学式から着ているから執着心が強いタイプ、初恋の人は幼い頃に―――――おや、こんにちはスネイプ先生」

 ハリーがバシバシと叩いて後ろを向くように言っても喋り続けたハーヴェイの隣に、感情を殺したようなスネイプが現れた。ハーヴェイは前を向いて、少しばかり黙って鍋を掻き混ぜた後、ハリーに向き直る。

 「それで、初恋の人の話なんだが」

 「なんでこの状況で続けようとしてるの?」

 「ポッター、スウィングラーと私語をするな。グリフィンドールは一点減点」

 その後の授業で、スネイプはハーヴェイのことを居ぬものとして扱った。ハリーとロンは何とかしてハーヴェイにスネイプの弱みを調べて貰えないかと頼み込んだが、「私が殺されてもいいのか?」という彼の一言に閉口してしまった。彼らの苦難は続く。

 

 

 

 『やっと電話を掛けてきたな無能』

 「ホグワーツで電子機器が使えないこと言わなかっただろ性悪」

 『お世辞か?』

 携帯の向こうからくすくすと笑う声が聞こえる。ハーヴェイは額に青筋を立てないように携帯を握り締める。

 「インターネットに接続出来ないとはどういう事だ、情報規制も甚だしい。ここは英国だぞ?」

 『やはりそうか。空間認識を阻害する魔法も掛けられているらしいから軍事衛星で見つけることも出来ないし、困ったな……』

 「困ったと言う時にはきちんと困った振りをした方がいい。少なくともその薄ら笑いをやめろ。……そういえばマクシミリアン殿、この携帯に内蔵されていた追跡装置はうっかり壊しておいた。今見るも無惨な姿で私の手の中で転がってる」

 『なぜ?』

 「世界の平和とお前に作る貸し何百を天秤にかけてギリギリ世界の平和が勝ったから。ホグワーツを抑えた時点でお前は魔法界掌握に動き始めるだろう?いくら魔法使いが隠蔽したとて彼ら側にはしこりが残る。第三次世界大戦を防いだんだよ私は。感謝したまえ」

 手の中で潰れた追跡装置を弄びながらハーヴェイは言った。

 『因みにこの電話が逆探知される可能性は考えなかったのか?』

 「その可能性も考慮して中国の違法サーバーを経由してる。逆探知した先はどうだった?」

 マクシミリアンがその場に居たらしい部下になにやら話した後、口を開いた。

 『中国が広東省、深センだ。あそこには世界有数のチャイニーズマフィアがいる』

 「恐らくこのサーバーのバックに付いてるだろうな」

 『そちらに行っても脳はふやけてないようで安心したよ』

 マクシミリアンはやっと探りを入れることを諦めたらしく、ハーヴェイは欠伸をしながら足を伸ばした。現在時刻は十九時、皆が夕食を食べに大広間に集まっている時刻である。

 『眠いのか』

 「大変だったんだ、携帯が通じるギリギリの境界線を探るのが。色々確かめたんだが、どうやらホグワーツのバリアは校長室を中心として球体状に広がっているらしい。わざわざ距離まで測って計算したから間違いない。隙を見て境界の外に出るのもダンブルドアにバレそうだし、次からは飛行術の時に隙を見て上空で通話か、ホグワーツの抜け道を探して他の場所に出るか、バリアの届かない地中からだろうな。次の連絡は遅くなると思う」

 『一ヶ月猶予をやるが……地中からは電波が届かないだろう』

 「確かに」

 『脳がふやけ始めているらしいな、気を引き締めなさい』

 「分かってる」

 電話の向こうのマクシミリアンが息を吸い、声色を変えた。

 『……ハーヴェイ、学校生活はどうだ?』

 「やっと保護者らしい質問をしてきたな。まあまあだよ」

 『本音は?』

 「あと二、三日の命ってところだ」

 『嘘だな、本当は楽しいんだろう。猫を被る必要が無くなって』

 「まあ……それは、否定しない。ベッドも作り替えたし今のところ快適だ。近いうちに誰の目にも留まらない小部屋にサンドバッグを置こうと思ってる。流石に身体が鈍ってきた」

 ハーヴェイは寄りかかっていた手すりから身体を離した。今いる場所は城の正面に敷かれた石畳の橋の上。向こうに見える玄関の更に向こうの大広間に、夕食を食べるハリーたちがいるのだろう。流石にお腹がすいてきたな、とハーヴェイは舌打ちした。

 『……乱されるなよ』

 「勿論。何度言ったら分かる、私は魔法が嫌いだ」

 『好きになりようがないだろうな。魔法のせいで親に捨てられたジェームズくん?』

 「そんな過去はとうの昔に捨てた。覚えてない」

 『捨てて貰っては困るな』

 「なんだと性悪」

 『信頼(trust)だよ、ハーヴェイ。信頼とは弱点に裏打ちされて初めて意味がある』

 ハーヴェイは目頭を押してため息をついた。

 「婦人は今何を?まさか孤独死してないだろうな」

 『手紙が毎日行ってるくせに何を言う……そういえば昨日の夜、セントバーナードの仔犬をブリーダーから引き取ったらしい。明日の朝には可愛いハーヴェイ・ジュニアの写真が同封された手紙が届くだろう』

 「嘘だと言ってくれ」

 『ああ、嘘だよ。名前がハーヴェイ・ジュニアだとは限らん。それに犬はいいぞ。従順で利口だ』

 「Damn it(クソッタレ)!! 私は猫派なんだ」

 『異教徒になる前に犬派に改宗したまえ』

 アルカイックスマイルで微笑むマクシミリアンの顔を想像してしまったハーヴェイは、苦々しい表情で電話を切った。

 



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The Jute bag

 

「ハーヴェイ」

「なんだグレンジャー」

 麗らかな土曜の昼下がり、とあるホグワーツの奥深くの空き教室。

 教師にさえ存在を忘れ去られたその教室は、どうやら見たところ六十年程前から使われていないらしく、本棚に収まるハードカバーの本の表紙には埃が混じり、壁に掛けられた深紅のタペストリーは当時の鮮やかしさなど見る影もなく薄汚れていた。学生が勉学に励んでいたであろう木製のテーブルや椅子は一方の壁際に容赦なく寄せられ、教室の中心には何処から持ち込んだんだと小一時間問い詰めたくなるような豪華なカウチが鎮座している。勿論その表面には埃一つ見当たらないし、中央の床だけはつい最近、最低限とばかりに掃除された跡があった。

 お察しの通り、ハーヴェイである。

 「あなたのオトモダチ二人がとんでもない規則違反をしそうよ。今すぐ止めて頂戴」

 ぴんと仁王立ちしたハーマイオニーがハーヴェイに命令した。ヴァイオリンを軽やかに弾いていたハーヴェイは一瞬彼女を一瞥すると、また演奏に眠るように目を瞑る。

 「私に友人などいない。皆無だ。君もそう。分かったら早く私の城から出ていきたまえ」

 「あら強気なのね。でも残念ながらここは魔法省管轄の国立魔法学校で、公共の場所で、あなたは()()生徒よ。私に出て行けと命令できる立場にないわ」

 「……何故この場所が分かった」

 「図書室の入口からずっと話しかけてたわ。あなたは気が付かずに歩き続けていたけど」

 「考え事をしていたんだ」

 「随分と不注意ね」

 ハーマイオニーが嫌味ったらしくにこりと笑うと、ヴァイオリンが変な音を立てて演奏を止めた。ハーヴェイは苦々しい面持ちで彼女を睨んでいる。

 「君たちのように普段まったく使われていない脳みそを持っている訳じゃないんだ。凡人よりも数十段階上の素晴らしい思考回路が私の頭の中で絶え間なく動いている。私の脳は高性能のコンピュータ、電子機器と同レベル。そう、電子機器!電子機器はホグワーツでは使えない!クソッタレ!馬鹿げた魔法界め、私たちが築いて来た何百年もの科学の歴史を台無しにしやがって!」

 「言ってることが滅茶苦茶よ」

 「滅茶苦茶なのはこの世界だ!」

 発狂したハーヴェイはカウチのクッションを殴るように投身し、そのままハーマイオニーに背中を向けて動かなくなった。

 ため息を吐いたハーマイオニーは、ハーヴェイが侵していないカウチの端っこにちょこんと座る。ハーヴェイの方を伺うと、彼はむすりと機嫌悪そうに目を閉じていた。何だこの五歳児は。

 「ねえハーヴェイ」

 幼子を相手にするように、ハーマイオニーは優しく口を開いた。このティーンの五歳児は思い遣りだとか、気遣いという文化を知らないのだ。その事実が、プライドの高いハーマイオニーの心の間取りを6LDK程にまで広げていた。

 「あなたしかいないの。ハリーとロン、マルフォイ全員の共通の敵があなたなのよ。いつものお得意の嫌味……分析を何個か言ったら彼らだって変な気を起こさないはず」

 「随分と私の人権が軽んじられているようだな」

 「あなたには人権なんて必要ないでしょ」

 ハーヴェイは眉を顰めて身体を裏返し、微笑むハーマイオニーと向き合った。腕を伸ばして手に持っていたヴァイオリンを脇のケースに置く。

 「私にメリットが何も無いじゃないか」

 「マクゴナガル先生への罰則の課題、三回目の羊皮紙が突き返されたんでしょう?下書きぐらいなら考えてあげるわ」

 「なぜ分かる」

 「最近のマクゴナガル先生はどんどん機嫌が下降してるもの。ハリーが飛行術の授業で規則を破って先生にクィディッチに勧誘された時……先生の後ろに悪魔の矛が見えたんですって」

 「チーム入りを断ったら八つ裂きにするとでも言われたのか?」

 「似たようなことは」

 「恐ろしいな」

 「その恐ろしい状態にしたのはあなたよ」

 「間違ったことは書いてない。寧ろ至極真面目に論述した」

 「内容じゃなくて書き方に問題があるんじゃないかしら。お得意の猫被りモードは?」

 「勘弁してくれ、あんなもの使うだけで虫唾が走る。やっと苦行から解放された私の身体を労われ」

 ハーヴェイは長い脚を投げ出してクッションを抱きしめた。ハーマイオニーは無視して立ち上がり、サイドテーブルに置かれた丸まった羊皮紙を広げる。丁度きっかり三巻分、ミネルバへの提出物だ。ハーヴェイは鋭い視線のまま彼女を見つめている。羊皮紙を持つ手を下の方に移動させる度に、ハーマイオニーの眉間のシワは深くなっていった。

 

 

 「ああ…………これは……ダメね…………」

 数分後。ハーマイオニーは呆れて天を仰ぎそう呟いた。

 「なにが」

 「人の神経を逆撫でする言葉のバーゲンセールだわ。追加の罰則は課されなかった?」

 「特に何も」

 「賢明だわ」

 流石ミネルバ・マクゴナガル、ホグワーツ教員何十年の歴は伊達じゃない。ハーヴェイとお関わりあいになることは自分の寿命を三十年縮めると悟ったのだろう。ハーマイオニーは少し黙ったあと、羊皮紙をハーヴェイの胸元に押し付け、勇気を振り絞って唇を開いた。

 「私なら、マクゴナガル先生に一発オーケーを出させてみせるわ」

 「無理だろう。君は無神経で人にズバズバ物を言って嫌われるタイプだ。先生に取り入るのは上手いのかもしれないが、生憎その段階はとうに過ぎていると推察する」

 「……ハーヴェイ。私この間、自分を見つめ直してみたの。今まで私は少し……威張っていたんだと思うわ。自分の知識をひけらかして他人に配慮の欠ける発言をするのは周りの人を嫌な気持ちにさせるし、健全な友好関係を築くにあたって重大な弊害になる。だから、これからは少し自重して、思いやりを持とうと思うの」

 妙にしおらしいハーマイオニーに、ほう、とハーヴェイは目を丸くした。

 「いい心掛けだな。やっと自分が面倒くさい性格だと自覚したのか」

 「とってもいい反面教師がいたから」

 にっこりと、とてもいい笑顔で、これが言いたかったのだとばかりにハーマイオニーは微笑んだ。ハーヴェイも少しばかり固まった後、目を輝かせて、面白いものを見たというようににやりと笑った。がばりと起き上がってハーマイオニーの手から羊皮紙をふんだくる。

 「それはさぞかし優秀な教師なんだろうな。仕方ない、信用しよう」

 そのままぐしゃぐしゃと羊皮紙を丸めて、興味が失せたとばかりに教室の隅っこへ放り投げた。ハーマイオニーは立ち上がってハーヴェイに向き直る。

 「良かったわ、これ以上無駄に羊皮紙が消費されなくて。羊さんも報われないもの。さあ、そのローブを……何このボロ雑巾?」

 「この哀れな布くんにはストレス発散の餌食になってもらった」

 「あ、そう。先に歩いてくれるかしら?大広間からここまでの道が分からないの」

 「良かろう。そもそも存在が知られていない場所を選んだからな、無理もない」

 足元に落ちていたローブを足でどかすと、ハーヴェイは着ていたシャツを正し、空き教室から出て行く。あとに続いたハーマイオニーは一度振り返ると、絶対にここまでの道を覚えようと固く決意した。

 

 

 

 「やあ男子諸君、丁度良く醜い小競り合いを繰り広げていてくれて何よりだ。今日は良い天気だな」

 「あばよポッター」

 「待ちたまえ」

 マルフォイwithBが悪魔の姿を認めた途端瞬時に踵を返したのを見て、ハーヴェイは引き止めた。ハリーとロンも苦々しげな顔でハーヴェイを見ている。同寮の学友に向けていい目では無かった。ハーヴェイはスラックスに両手を入れたまま舐めきった態度で五人を眺めている。

 「そう構えるな、ヴァイオレット・グレンジャーから君たちを止めろとの依頼だ。どうやら諸君らは校則を破ろうとしているらしいな」

 「ヴァイオレット・グレンジャーなんてヤツは知らないし、例えハーマイオニー・グレンジャーからの忠告だとしても僕達は聞かないぜ」

 ロンは眉を顰めて言った。ハーヴェイが隣に立ったハーマイオニーをちらりと見る。

 「君は随分と嫌われているらしいな」

 「随分しつこく止めたから」

 「狡いぞハーヴェイ、女子にばっかり味方するなんて。そんなことしてたらいまに男子の中での君の人権は消え失せるからな」

 「……まだ私の人権は存在していたんだな」

 ボソリとハーヴェイは呟いた。別にあってもなくても良いんだが、何故そう君たちは人権に拘るんだ?と言いたげにハーヴェイは面倒くさそうな眼差しでロンを見ている。

 「ちなみに罪状はなんだグレンジャー」

 「深夜に校内を徘徊した挙句、決闘するつもりよ」

 ハーヴェイはあからさまにげんなりとした顔で五人を―――ハリーを見た

 「くだらない、もう少しエキサイティングな校則破りをするのかと思った……それなのになんだ、決闘?ガッカリだ、ガッカリだよ凡人ハリー・ポッター。かの生き残ったうんたらの君ならヴォルデモートをホグワーツの厨房に召喚したりするのかと」

 闇の帝王の名前を言ったことで固まる純血出身四人と、呆れかえるマグル生まれ二人。訳の分からない理由でがっくりと項垂れるハーヴェイに、ハーマイオニーは何度目かも分からないため息をついた。

 「闇の帝王はそう簡単にホイホイ召喚出来るものじゃないのよ」

 「分かっているが、最悪の気分だ。ただでさえ毎日が平穏で長閑で退屈で忌々しいというのに。あのハリー・ポッターが魔法界に姿を表したんだぞ?闇の陣営は何をやっているんだ腰抜け共め。そろそろ死喰い人の三人や四人や五人この学校に乗り込んで来てもいい頃だろう!たかが学校だぞ!そう思うだろうデミウス・マルフォイ!」

 「え、あ、ああ……」

 「あの組み分け帽子は私に命の危険が溢れかえったグリフィンドールを約束したはずだ。テロ行為や殺人事件の起こらないグリフィンドールなんて安っぽいポタージュより味気ない!最悪だ……」

 ロンは項垂れるハーヴェイをじとりと見つめた。

 「君さ、もうフレッドとジョージのとこ行きなよ。被検体を申し出れば命の危険なんて山ほど味わえるし、アイツらは校則破りのプロだ」

 「悪戯グッズの作成なんて謎が無いし、被検体なら馬鹿な君たちでも出来る。アドレナリンが満足に出ない。だが進言ありがとう、そのうち彼らと話してみる事にする」

 なんて迷惑な人間なのだろう。そんな目線を一身に受けながら、ハーヴェイはぶつぶつと何やら物騒な独り言を言い始めた。これは聞かない方がいいだろうなとその場に居たハリーたちは即座に耳を遠くしたし、反対にハーマイオニーは一つも聴き逃してなるものかと聴覚に全神経を集中させた。瞬時にグリフィンドールの点を百点減らしかねないのがハーヴェイ・J・スウィングラーその人である。

 「いい事を思いついた」

 指をパチンと鳴らしてハーヴェイは唐突に声を出した。勿論いい事ではないことは明白であったし、近くを通りがかったパーシー・ウィーズリーは冷や汗を垂らしながら通り過ぎて行った。

 「諸君」

 ハリー、ロン、マルフォイ、クラッブ、ゴイルを順々に見てハーヴェイは口を開いた。

 「私は忙しい故、これ以上君たちに構っている時間はない。ハーマイオニーの言うことをしっかりと守るように。でないと魔法薬学の授業前にあらゆる手段を使ってセブルス・スネイプの機嫌を最悪にしてやる。グレンジャー、君は今日明日中にマクゴナガル先生への下書きを完成させるんだ。終わったら渡しに来たまえ。これでいいだろう、喉元に突きつけるナイフの役割は果たしたからな」

 そう言ったと思うとハーヴェイは満足したように踵を返し、早足で廊下を引き返し始めた。

 「ハーヴェイ、マルフォイ達に被害がないよ!」

 ハリーがハーヴェイの背中に叫んだ。

 「じゃあ君たちがなにか考えろ!スリザリン生への恨みは君たちの方が強いはずだ!」

 ハーヴェイは手をひらひらさせながら叫んだ。周囲のスリザリン生が皆一斉に顔を真っ青にしてハリーたちの方を凝視する。ハリーとロンは思ってもみない収穫に顔を合わせた。

 かくして、傍若無人なドラゴンの手綱はハリーとロンの手の中に収まったのであった。

 

 

 

 

 いつの間にかハロウィーンの日になっていた。

 ハリーとロンはどこかの迷惑を撒き散らすスプリンクラーのお陰でスリザリン生とは非常に()()()()やっていたし、ハーマイオニーもそのスプリンクラーと外界との緩衝材として、少々ギクシャクは見られたが彼らと良くやっていた。

 「ねえハーヴェイ、もう夕食の時間よ。水死体の写真は片付けて」

 「あと少し……」

 「ハーマイオニー、いつも本当にありがとう。この学校が今日まで存続出来ているのは君のおかげだと常々痛感するよ」

 「感謝なんてしないでロン。助け合いって大事よ」

 大広間の天井には蝋燭の入ったカボチャが宙に浮きながら妖しいオレンジの光を放っている中、一部のグリフィンドール生はなるべくハーヴェイの方を見ないようにしながら食事を待っていた。

 ハリーとロンももれなくその一員である。ハーヴェイの手に持っているそれが、自身の思春期における健全な成長をもれなく阻害することを彼らは知っていた。流石にハーヴェイ2号にはなりたくないらしい。彼らはひたすら意味もない雑談を垂れ流しながら、ハーマイオニーに英雄を見るような眼差しを送っていた。両親が歯科医だからかなんだか知らないが、どうやらハーマイオニーはグロ耐性があるらしい。

 「未解決事件を纏めた資料なんてどこでくすねたんだろう」

 「スコットランドヤードに知り合いがいる」

 ハリーの疑問に答える声がする。写真を見終えたらしいハーヴェイは、事件のバインダーをパタリと閉じながら顔を上げていた。ナチュラルに泥棒呼ばわりしたことには目を瞑るらしい。テーブルに肘をつきながら、何か思案気に空中を見ている。些か絵になっているのが腹立つな、とロンは思った。

 「些か頭の足りない税金泥棒だが使える刑事だ。名前は確かジャック・スパロウ」

 「カリブの海賊が大英帝国の犬になるとは時代も変わったものだね」

 大広間に入ってくる教師たちを横目で見ながら興味無さげにロンが言った。頭がよく回るハーヴェイの脳にしては、名前を覚えるということに関して致命的な欠点があるらしい。

 「そういえばマクゴナガル先生との喧嘩はどうなったワケ?」

 「グレンジャーのおかげで一発オーケーさ。心なしか提出した時女史がホッとしているように見えた」

 「誰も君とは関わりたくないんだよ」

 「酷い言われようだ。異議を申し立てる」

 「棄却する」

 軽口を叩き合いながらハーヴェイ達が待っていると、時計の長針が12をまわった瞬間、目の前に豪勢な食事が現れた。ホグワーツの屋敷しもべ妖精たちが腕によりをかけたハロウィーン・ディナーだ。ジャックオーランタン風に切り抜かれた丸々としたカボチャの中にはパンプキン・グラタンが湯気立たせ、金色の大皿には山盛りのチキンが美しくてらてらと輝いている。

 「もしかすると入学式よりも豪華かもしれないわね」

 ハーマイオニーが天井に羽ばたく何百羽もの蝙蝠を見上げながら皮付きポテトを皿に取り分け始めた。それに倣ってハリー達も空を仰ぐ。天井には大きな黒い雲が雷を帯びて轟いており、無数のジャックオーランタンが蝋燭をふくんで空中に漂っていた。

 「そういえばもうすぐよね、寮対抗クィディッチ。晴れるといいんだけど」

 「晴れる以前にも問題はありそうなんだけどね」

 ハリーは若干顔色を悪くしながら言った。ハーヴェイとハーマイオニーはポカンとしてハリーを見つめているが、ロンは何かを察したように口を開いた。

 「ああ、フレッドとジョージにおどされたんだろ。実はクィディッチにはブラッジャーっていうボールがあって……」

 ロンが若干熱を持ちながら話を続けていた丁度その時、大広間の扉が勢いよく開いた。ホール全体に響くような音がして、大半の生徒が談笑を辞めた。紫色のターバンに神経質そうな顔……クィレルだ。

 「Interesting(興味深い)

 ハーヴェイがぼそりと言った。ホグワーツの誇る闇の魔術に対する防衛術の教授が、顔を恐怖に引き攣らせながら大広間を全速力で横断している。教員たちが据わる長テーブルの中央、ダンブルドアの前に崩れ落ちる様に立ち止まったクィレルは、恐怖に喘ぐように叫んだ。

 「トロールが……地下室に……!お伝えしなければと、思って…………」

 クィレルはその場でばったりと気を失ってしまってしまった。

 その後は阿鼻叫喚の嵐だ。ダンブルドアが魔法でなんとか生徒を落ち着け、監督生に寮への引率を一任した。

 「僕についてきて!一年生は皆固まるんだ!」

 水を得た魚のようにパーシーが動き始めた。生徒たちは食べかけの御馳走を片手に、騒めきながら立ち上がり始める。情報が錯綜としているようで、生徒たちはしきりに顔を見合わせては囁き合っていた。

 「大変なことになったぞ……トロールだって?きっと誰かが悪戯で入れたんだ。じゃなきゃ入ってこれっこない。馬鹿だもの」

 ロンが囁くように言った。ハリーもそれに神妙な顔で頷く。

 「Trick(悪戯)のつもりなら随分()()悪いけど。これってもしかしてホグワーツでは日常茶飯事だったりするのかな?」

 「そんなわけないわ。先生方の顔を見た?本当に焦ってた。きっと滅多にないこと……異例中の異例なのよ」

 「僕も兄さんたちからは今のところくだらない悪戯の話しか聞いてない。こんな感じのことがあったら嬉々として僕に話に来るから、多分本当にまずいんだと思う」

 ハリーやハーマイオニー、ロンはグリフィンドールの生徒の集団の中で、お互いに顔を伺いながら話し合っている。するとハーマイオニーが何かに気が付き、弾かれたように顔を上げて周りを見渡し始めた。

 「どうしたの、ハーマイオニー」

 「まずいわ……何で気付かなかったのかしら……“Interesting(興味深い)”なんて、絶対良くないことの前兆に決まってるじゃない……」

 ハーマイオニーが呆然としたように言った。ハリー達()()の周りを、赤と黒のローブを着た生徒たちが早足で通り過ぎていく。その時、ハリーとロンは同時に気が付いた。

 「……マーリンの髭!」

 グリフィンドールきっての問題児がいなくなっていることに。

 

 

 

 「トロールが入り込めるとすれば旧地下牢からだろうな……それかパイプか。いや、きっと旧地下牢だ。パイプだとリスクが大きすぎる。トロールと言うのはどれくらいの大きさなんだ?普通の人間の童話でよく見るのは小さいが、あの教員たちの慌てぶりからして大分図体は大きいはず……」

 独り言をぶつぶつと零しながら、ハーヴェイは大広間から少し離れた階段を小走りで下っていた。現在ハーマイオニーと愉快な保護者達がわざわざ集団から抜け出してまで彼を探し回っている最中なのだが、デリカシーと他者への思いやりの心というものを母親の胎に置いてきたハーヴェイには到底考え付いていない。

 いやしかし、何もハーヴェイだってトロールに決闘を仕掛けようとか言うくだらない理由で、わざわざあの混乱のさなかを抜け出してきたわけではない。一部から妖怪だと恐れられている彼にも一応思慮と分別と言うものは最低限備わっている。今回抜け出したのはトロールとは別の理由である。

 「もしも旧地下牢を伝ってトロールを引き連れてきたのだとしたら———」

 ハーヴェイは軽やかな身のこなしで壁に張り付くように進んでいた。

 旧地下牢は、現在ホグワーツに現存する地下牢をもっと奥深くまで遡ったところだ。現在地下室に改造されてスリザリンの談話室に改造されている地下牢は兎も角、ここ何世紀も碌に使われていないそこは、恐らくフィルチ以外は道筋なんてよく知らないんじゃないだろうかと疑問が湧き出るほど複雑な道をしている。携帯を使おうと躍起になって城中を駆け回っていたハーヴェイも道半ばまでしか行ったことが無かった。

 「もしもまだ誰にも知られていない道があるんだとしたら、誰かが塞ぐ前に是非調べておかなければ」

 もうすぐ、いけ好かないアルカイックスマイルことマクシミリアンとの二回目のコンタクトの時期だ。未だに良い方法を思いついていなかったハーヴェイは、これが絶好の機会かもしれないと考えた。今回の事件で、例えトロールの通り道の捜索が徒労に終わったとしても、フィルチの目の届かないこの混乱の中で自由に旧地下牢を見て回ることが出来るというのは絶好の機会に他ならないだ。

 

 ハロウィーンの御馳走には誰も逆らえないのか、夕食をすっぽかしたスリザリンのあまのじゃくな生徒もおらず、ハーヴェイは閑散とした回廊を歩き旧地下牢の入口に辿り着いた。じめじめとした湿気を含んだ空気が吹き抜け、彼の頬を撫でる。

 旧地下牢の入口はいつも鉄製の分厚い柵上の扉と鈍色の鎖で堅く閉じられていて、黒い湖から僅かに染み出る生ぬるい水が黒い岩壁に滴り、なんとも形容しがたい不気味な雰囲気が漂っている。トロールが壊したのか現在鎖は砕け、壁の一部に亀裂が入り、小さな破片が辺り一面に飛び散っているが。ハーヴェイは手を伸ばしながら目測で亀裂の高さを測った。

 「腕の長さが伸びない限り、トロールの身長はおよそ三.六、七メートル。出くわしたら一溜りもないな……」

 奥に続いていく壁の傷を手袋でなぞりながら、ハーヴェイは旧地下牢の奥深くに降りて行った。旧地下牢の入口から続く長い長い階段をひとしきり降りたところで、無数の牢屋に挟まれた通路が一直線に伸びていた。ハーヴェイ自身、なぜ教育機関たるホグワーツにこんな場所があるのかは分からない。中世のマグルの城の持つ特性をそのままコピーしたために作られたのか———それとも、他になにか秘密があるのか。

 旧地下牢は、まるで迷路のようにどこまでも広がっている。箱状になっている牢屋の見分けがつかない為、道に迷ったが最後何時間も彷徨いかねない。地図を作ってもこんがらがって変な方向に進み始めるのがおちだ。ハーヴェイは自前の記憶力で何とかやっているがフィルチには厳しいものがあるだろう。そもそも入口を強固な鎖で閉じていることだし、中を知り尽くす必要などないのだ。

 まるで碁盤の目のように張り巡らされた通路を、かすかに残る悪臭と地面の状態を凝視しながら辿ること数分。ハーヴェイは遂に原点———トロールが現れた場所を見つけた。

 「ここまでで痕跡は途切れてるか……犯人に繋がるものは特になし……いや、()()()()()。これは連れてきたわけじゃなさそうだな……持ち込んだ?計画的に?いったい何のために……」

 ハーヴェイは顎に手を当ててぶつぶつと呟きはじめた。

 「トロール…………この複雑な通路を、出口まで誘導した人間がいるのなら…………」

 顎に当てた人差し指を、カウントするように動かしながら目を細める。

 「思ったより事件は深刻かもしれないな」

 目の前の床に放置された、薄汚れた麻袋を見下ろしながらハーヴェイは言った。




皆さん…………覚えていますか………


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