烏丸超常探偵事務所の超常事件簿(修正前) (ゲーマーN)
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旧8話 回廊ノ淵源

【推奨BGM:堕天女戦】クトゥルフ神話RPG 血塗られた天女伝説より


 転移先。薄闇の回廊の先に待ち受ける神楽鈴の徘徊者(緑)を速攻で始末した五人がその背後の扉を潜り抜けると、そこには今にも能面を被せられる寸前の青年の姿があった。

 大悟達の攻撃方法では間に合わない。万事休すかに思われたところで、五人目の同行者である遠藤健児が少女の足元に向けて勾玉を放り投げた。

 その勾玉の光で、無数の能面と少女の姿が掻き消えた隙に大悟達は青年の前へ飛び出した。

 

「ギリギリだったな。君達のお陰で上手く忍び込めた」

 

「お礼を言うのはこちらの方です。あなたのお陰で彼を助けるのが間に合いました」

 

「大悟さんの言う通りです。あの能面は俺達だけでは間に合いませんでした」

 

「健児さんのお陰です!」

 

「まあ、そうだな」

 

 並び立つ五人の姿に、青年は驚愕と困惑の入り混じる声を漏らす。

 

「一体、何が…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…」

 

「…()()()()?」

 

 青年の言葉に、大悟が疑問の声を上げる。しかし、青年がその問いに答えることはなく、それよりも先に、鏡の砕け散るような音と共に黒い着物の少女が再び彼等の前に姿を現した。

 

「何者? あなたたちのような人間をこの世界に迎え入れた覚えはないわ」

 

「僕達は烏丸超常探偵事務所の者だ。遠藤健二さん。そこの彼を元の世界に連れ戻すために、この世界に入らせてもらった」

 

「私を?」

 

「はい。あなたの母である遠藤貴理子さんの依頼で行方不明になったあなたを捜しに来ました」

 

 大悟の言葉に、健二は安堵から全身の力が抜け、その場に座り込んでしまう。これまで何をしても元の世界に戻ることが出来ずにいた。このまま永遠に閉じ込められると考えていた健二は、外からの助けが来たという事実に、影の回廊に一筋の光明が差し込むのを感じ取っていた。

 最後の一人、遠藤健児は黒い着物の少女の前へ一歩を踏み出すと、唇を歪めて怒りを露わにした顔をして、自分をこの世界に閉じ込めた化け物を睨みつける。

 

「俺の顔を忘れたとは言わせないぞ…化け物め…!」

 

「あぁ、あなた…仲間殺しの…」

 

「ようやく会えたな、ずっとこの時を待っていた」

 

 健児の素顔を初めて目にした健二は再び驚愕の表情をする。彼が自らの祖父であることは健二も知っていたが、こんなにも自分と瓜二つの顔をしていたとは思ってもみなかった。

 だが、それよりも気になることがある。その疑問を黒い着物の少女が代わりに口にした。

 

「あなた、あの面をどうやって外したのかしら?」

 

「分からないか? 不可思議な力を持つのはお前だけではないということだ」

 

 その言葉に、着物の少女は健児と共にある四人に視線を向ける。魂を見通す「目」を持つ着物の少女は眩いばかりの銀の光を放つ魂と、健二と健児以上の輝きを放つ二つの魂に納得したように頷いた。これほどの魂の持ち主であるのならば、それ相応の力を持っていて然るべきだ。

 そのまま姫子に目を向けた着物の少女は、その魂を見ようとして「闇」を目の当たりにした。姫子の魂は人間のそれとはかけ離れた、あまりにも悍ましいものだった。

 

 全身が血のように赤く、ピンク色の髪は鉤爪の付いた12本の触腕に分かれており、背中には青黒い皮膜を持つ小さな翼ともヒレともつかぬ器官を備えている。

 大凡、人間としては有り得ない姿をした姫子の本性を目撃した少女は立ちくらみを起こす。

 人ならざる者である自らの精神を侵食するほどの禍々しいモノを目にした着物の少女は、今までの冷静さをかなぐり捨てるように叫び声を上げた。

 

「あなた…何者なの…!?」

 

「アタシか? アタシは神だ」

 

「神?!」

 

「…邪神ですけどね」

 

 ボソリ、と凛太郎の口にした「邪神」という言葉に着物の少女は納得してしまう。彼女の正体が邪神であるというのならば、あの視覚から精神を侵す禍々しい形をした魂にも得心が行く。

 同時に、目の前にいる少女の姿をした人ならざる者はこの世界から追い出さないといけない、自らの道を阻む存在であると着物の少女は認識した。

 

「そう…それなら―――消え去りなさい。あなたのような存在に用はないわ」

 

 呪文:【眷属召喚】

 着物の少女:MP消費無効

 

 黒い着物の少女は大悟達が動く前に襲いかかってきた。シャン! と黒い着物の少女が神楽鈴を振るうと、影の中から這い出るように無数の能面が着物の少女の周囲に浮かび上がる。

 その能面は中央部分が真っ二つに割れると、ジジジと羽音を立てながら飛びかかってきた。

 面蟲(めんちゅう)。これまでに大悟達が探索してきた回廊でも幾度となく遭遇してきた、壁や柱、箪笥等の上に置かれた能面に擬態して、無防備に近付いた人間に襲いかかる異形の存在である。

 

「うわあッ!!」

 

「すごい数です!」

 

「楓!」

 

「押忍! 【烈風】!!」

 

 技能:【烈風】

 秋本楓  :MP12-5=7

 

 普段、身に纏うことで物理攻撃と魔法攻撃を同時に行うために使用する風を、今回は敵全体に攻撃するための純粋魔法攻撃として具現する。吹き荒ぶ【烈風】を自在に操ることで、押し寄せる面蟲を根刮ぎにする。

 しかし、爆竹を使用することで追い払うことができる面蟲は兎も角として、それ以外の徘徊者を薙ぎ払うほど【烈風】の威力は高いものではない。

 

 ドドドドドドドド――!

 

 風の障壁を突き破るようにして突撃してきたのは走り廻る徘徊者だ。その腕の幾本かを【烈風】にもがれながらも、敵対者である六人を轢き殺そうと自分の身を顧みずに突進してくる。

 対して、前に出たのは健児だ。長年、この影の回廊を探索してきた彼の経験と反応速度は伊達ではなく、鞄の中から取り出した古いカメラのレンズを走り廻る徘徊者に向けた。正面からフラッシュを浴びた走り廻る徘徊者はその動きを停止させる。

 

■■■(ダゴン)…お前の技を借りるぜ。【ファイアマグナム】!!」

 

 技能:【紅蓮】

 小鳥遊姫子:MP21-4=17

 

 技能:【古き血族】

 小鳥遊姫子:SAN80-1=79

 

 腰を落とし、両腕を胸の前に揃えてから右腕を下へ左腕を上へ大きく開くことでその間にエネルギーを溜め込んだ後、振り上げた右腕を走り廻る徘徊者の横っ面に叩きつける。

 父なるもの■■■(ダゴン)、或いは剛力戦士■■■■(ダーラム)の技を模倣したその一撃は、走り廻る徘徊者を橋の上から叩き落とすのに十分なだけの威力を秘めていた。

 横に吹き飛ぶ走り廻る徘徊者の背後に、ようやく六人は黒い着物の少女の姿を見つけた。

 

「正直、気が引けるけど…殺される訳にはいきませんから! 【紅蓮】!!」

 

 技能:【紅蓮】

 榊凛太郎 :MP12-4=8

 

 未だに黒い着物の少女と戦うことに抵抗のある凛太郎だが、しかしこのまま殺される訳にはいかないと黒い着物の少女に向けて【紅蓮】を解き放つ。

 面蟲の群れを斬り刻む【烈風】は凛太郎の【紅蓮】を妨げることはなく、それどころか追い風として炎の弾丸を加速させる。

 音速の壁を突き破り、超高速で迫る【紅蓮】の弾丸が黒い着物の少女に突き刺さる。

 

 シャン!

 

 寸前、不可視の壁が【紅蓮】を防ぎ止める。旧支配者にも痛痒を与えるほどの攻撃を、黒い着物の少女は悠然たる態度で受け止めた。その防御能力に唖然とする間もなく、黒い着物の少女は【念力波】で束ねた高エネルギー体の雨を降り下ろす。

 紫色の光が無数に降り注ぐ。その攻撃を受けるつもりはないと、五人の前に出た大悟が紫光の雨に両手を向けた。

 

「【ウルトラシールド】!」

 

 技能:【念力波】

 着物の少女:MP??-5=??

 

 技能:【念力】

 九条大悟 :MP14-4=10

 

 両腕を体の前面に広げ、その間に作り出した円形の光の膜が紫光の雨を受け止める。降り注ぐ数こそ多いものの、一条一条の威力はそれほど高くはないらしく、即興の盾でも十分に防ぎ切ることができた。

 まずは互角。第1ラウンドはお互いにダメージを受けることなく幕引きとなった。

 

 技能:【超能力】

 榊凛太郎 :MP8+1=9

 秋本楓  :MP7+1=8

 

 技能:【銀の兆し】

 九条大悟 :MP10+1=11

 

 技能:【光を継ぐもの】

 九条大悟 :MP11+2=16

 

 技能:【古き血族】

 小鳥遊姫子:MP17+2=19

 

 技能:【神通力】

 着物の少女:MP??+2=??

 

 状況:【影の回廊】

 着物の少女:MP??+??=??

 

「――行きます!」

 

 超能力の類を使うことなく、己の身一つで黒い着物の少女の下に飛び込む楓。ナックルダスターを握り締めた右拳を思い切り叩き込むと、黒い着物の少女の目の前の空間に亀裂が走る。

 

「覇ァッ!!」

 

「そこだ! 【フィンガースパーク】!!」

 

 次いで左拳が亀裂の中央に突き刺さると不可視の障壁が硝子のように砕け散る。その隙を逃すことなく、楓の頬のすぐ横を通り抜けるように姫子の指先から赤黒い闇を纏った【雷撃】が迸る。

 

 技能:【雷撃】

 小鳥遊姫子:MP19-5=14

 

 技能:【古き血族】

 小鳥遊姫子:SAN79-1=78

 

 しかし、その【雷撃】が黒い着物の少女に痛苦を与えることはなかった。確かに【雷撃】は黒い着物の少女に命中したのだが、黒い着物の少女の身体は無数の彼岸花の花弁に転じると、橋の袂へと彼岸花の花弁と共に舞い降りた。

 化け物の攻撃を防げるのはいいが、こちらの攻撃も化け物に届かないのでは埒が明かない。

 

「おい化け物…そこの物体、昔もあったな」

 

 故に、健児は切り札を切ることにした。健児が視線を向けた先には、注連縄に守られた緑色の結晶が宙に浮いている。

 

「そしてお前は、ずっとここに引き籠もっている…思うに、お前にとってはさぞかし大事な物なんだろう…違うか?」

 

「何をするつもり!?」

 

「あの結晶体を破壊してくれ! きっと、あれが化け物にとっての弱点だ!」

 

「止めなさい!」

 

 黒い着物の少女の顔に浮かぶ焦燥の色を見て、健児は己の推測が正しかったことを確信する。本来であれば、最後の悪足掻きとして化け物に変異した自らの手で破壊するつもりだったが、今はそんなことをせずとも破壊することができる。

 健児の指示に頷いた大悟は背後の結晶体を振り返ると、結晶体に向けて両腕を真っ直ぐに突き出した。そのまま両腕を大きく左右に広げることで光のエネルギーを溜め込み、その全てをL字に組んだ右腕の前腕部から放出した。

 

「【ゼペリオン光線】!!」

 

「――させない!」

 

 技能:【光線】

 九条大悟 :MP13-9=4

 

 技能:【念力波】

 着物の少女:MP??-5=??

 

 全身全霊全力全開の光の奔流が結晶体に襲いかかる。それを許すまじと三度彼岸花の花弁にその身を変えた黒い着物の少女は、【光線】の射線上にその身を出現させると、空間が歪むほどの【念力波】でゼペリオン光線を正面から受け止める。

 神の娘である姫子の【破壊】と破壊力に於いて双璧を成す大悟の【光線】を正面から受け止める黒い着物の少女に、大悟の最初のパートナーである凛太郎は思わず驚愕の声を上げる。

 

「大悟さんの【光線】を防いだ…!?」

 

「いや、まだだ! このままその器を【破壊】させてもらうぜ! 【アイゾードショット】!!」

 

 技能:【破壊】

 小鳥遊姫子:MP14-9=5

 

 姫子は闇の中より一振りの剣を引き抜く。その剣の銘は【アゾット】。中世の錬金術師パラケルススが持っていたという伝承のあるこの魔剣には超常の力を強化する機能がある。具体的には、超能力と呪文の威力を向上させる。

 魔術的な用途に使われていたこの短剣に神の力を流し込むことで、ムチと長剣の二つの形態を持つ姫子本来の得物である魔剣【アイゾード】を具現化する。

 

 素体である【アゾット】から超常の力を強化する機能を受け継ぐ【アイゾード】は、その鋒から集束・増幅させた【破壊】のエネルギーを解き放つ。赤黒い闇を纏った光線がゼペリオン光線の横を通り抜け、黒い着物の少女の展開する障壁を一気に食い破る。

 少女自身は自らの肉体を無数の花弁に変化させることで負傷を免れたものの、その背後の結晶体には光と闇の奔流が直撃した。

 

 ガッシャーンッ!!!!!

 

 結晶体が砕け散る。薄緑色の結晶の欠片が湖に降り注ぐ中、自分達の勝利を確信した健児が目にしたのは苦虫を噛み潰したような顔をした黒い着物の少女の姿だった。

 

「よくも…よくも器を壊してくれたわね。もう時間がない、今すぐ生き返らせないと……」

 

「駄目だ! 苦痛や憎悪に歪んだ魂を集めたところで君の母親は蘇らない!!」

 

 黒い着物の少女の言葉に反応したのは遠藤健二だった。

 

「何を…!?」

 

「その方法で誕生するのは底なしの憎しみに呑まれた憎悪の怪物だ!」

 

「黙りなさい!」

 

 必死に少女を止めようとする健二の言葉は、しかし黒い着物の少女の心には届かない。神楽鈴を振り抜くと同時に、黒い着物の少女は健二達の前から姿を消してしまう。

 

「…やはり、私の言葉では彼女には届かないか」

 

「健二さん。今のはどういう……」

 

「簡単なことだ。私は幾度もの繰り返しの中で彼女が母親を復活させるのを見たことがある」

 

「繰り返し?」

 

「この世界は今日一日という日を何度も繰り返している」

 

 それは、何週間も前にこの世界に迷い込んだ遠藤健二が今も尚生きている理由だった。この世界に迷い込んだ健二は幾度となく影の回廊を踏破してきた。そのために、黒い着物の少女が何のために人々の魂を集めているかを知っていた。

 

《私のお母さんよ。もうずっと長い間眠ったまま。その魂は体を離れ、底知れぬ憎悪に苛まれながらも、今もこの世界を彷徨い続けている。何とか体は維持していたけど…あの男が器を壊してしまった。もう時間がない、今すぐ生き返らせなければ……》

 

《私は昔、人間として生きようとした。でも、大切なものは全て人間が奪っていった。あの時の光景は…今も、光を失った目に焼き付いている…私は、人間であることを捨て、心を捨てた。そして、数え切れない人間を殺した》

 

《全ては、もう一度お母さんに会うため…そのためだけに…》

 

 彼女の目的は母親を取り戻すこと。人間を殺すのは、そのために必要な力を蓄えるため。

 

 これまでの遠藤健児は自らを『大食らい』という徘徊者に変異させ、魂の器たる結晶体を破壊することで黒い着物の少女を撤退に追い込んできた。復活に不足していた力をこの世界を構成する力で補填した彼女は、強引に母親復活の儀式を実行してきた。

 しかし、復活のために集められた魂はどれも苦痛や憎悪によって歪んでいた。歪んだ魂に彼女の母親は侵されてしまい、『肥大化した憎悪』という化け物を誕生させた。

 

「肥大化した憎悪……」

 

「その怪物は、やがて私達の世界に現れることになる。人の魂を喰らい、更にその力を増し、途轍もない災厄になる」

 

「…悲しいことですね。彼女はただ、母親に会いたかっただけなのに……」

 

「……」

 

 凛太郎の言葉に、健児は無言になる。

 

「どうか…どうか彼女達のことも助けてほしい。何度時を繰り返しても、私には彼女達を救うことはできなかった。だが、君達ならば……!」

 

「…健二さん」

 

「報酬は幾らでも払う! 元の世界に戻った暁には必ず用意する! だから!!」

 

 必死に頭を下げる健二に、健児は――

 

「はぁ…孫がこれだけ頭を下げてるのに俺も下げない訳にはいかないな」

 

「…祖父(じい)さん?」

 

「正直、あの化け物のことは許せない。…だが、大切な誰かに会いたいという気持ちは俺にも痛いほど理解できる。頼む。どうか()()()を助けてやってくれ」

 

 頭を下げた。本音で言えば、あの化け物を憎悪する気持ちは今でも彼の中に残っている。

 それでも、向こうの世界に置いてきた妻が産んでくれた子供の、そのまた息子の願いを無下にするようなことは健児には出来なかった。

 そして、

 

「…分かりました」

 

 大悟もまた、彼等の想いを汲み取った。

 

「必ず、彼女達を助けてみせます」

 

 神妙な表情で頷いた大悟の言葉に安堵の吐息を漏らす健二。彼等の会話を静かに聞いていた姫子は橋の袂の方に体を向けると、上から下へゆっくりと【アイゾード】を振り抜いた。

 

「…それならノロノロしてる時間はねぇな」

 

 技能:【古き血族】

 小鳥遊姫子:MP5+2=7

 

 技能:【古き血族】

 小鳥遊姫子:MP7+2=9

 

 呪文:【門の呪文】

 小鳥遊姫子:MP9-8=1

 

 時間経過により回復した魔力で門の呪文を行使する姫子。すると、姫子の目の前の空間に裂け目が走る。その裂け目の先には、彼等がこの世界に来る前に通り抜けた路地が広がっていた。

 

「この先に行けば、元の世界に帰ることができるぜ」

 

「本当か!?」

 

「おう。お前らは元の世界に戻ってろ。先を急ぐならアタシ達だけの方が早いからな」

 

 この先、戦闘能力を持たない二人の存在は邪魔になる。先程の戦闘を見て、それをよく理解していた健児と健二は、ならばとそれぞれ自らの持ち物を大悟達に手渡した。

 

「それなら、この回廊で集めた道具を君達に託しておく」

 

「それと、これも受け取ってほしい」

 

 そう言って、健二がポケットから取り出したのは大勾玉の一つだった。

 

「きっと、この大きな勾玉にも何かの意味があるはずだ」

 

 この回廊で役に立つ全ての道具を大悟達に差し出した健児と健二は、まるで双子の兄弟のように全く同じ動きで裂け目の向こうに消えていく。

 

「後は、任せたぞ」

 

 その言葉を最後に、健児と健二の二人は影の回廊から脱出を遂げるのだった。




黒い着物の少女

呪文:【眷属召喚】 消費MP3
本来は徘徊者系の魔物1体を召喚する呪文。
【影の回廊】の内部では、MP消費無しで徘徊者を召喚できる。

技能:【念力波】  消費MP5

技能:【神通力】
毎ターンMP2回復

状況:【影の回廊】
ターン開始時、黒い着物の少女のMPを全回復する。



九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP   4/14
SAN 65/65

榊凛太郎
Lv  31
HP  48/48
MP   9/12
SAN 55/65

秋本楓
Lv  31
HP  48/48
MP   7/12
SAN 55/60

小鳥遊姫子
Lv  31
HP  48/48
MP   5/21
SAN 78/90

所持品
・混沌の神楽鈴×6
・金色の鍵×沢山
・ひかり石×沢山
・爆竹×沢山
・古いカメラ×沢山
・コンパス
・勾玉×3
・特別な勾玉×3


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旧13話 一巡目の世界(一日目の今日)

 チリン、と風鈴が小さく音を立てる。赤い着物の少女と向かい合うように、大悟達は赤い座布団の上に腰を下ろした。姫子は胡座をかいており、残りの三人は少女同様に正座で座っている。

 

「私はヒガナ。えっと、私の姉にはもう会いましたよね」

 

「あの黒い着物を着た女の子のこと、だよね?」

 

「はい、その通りです。彼女の名前はヒバナ。私の双子の姉です」

 

 赤い着物の少女は自らの名を告げる。ヒグラシの回廊でも彼女達が双子とは聞いていたが、瓜二つの顔の作りからして、彼女達は一卵性双生児の姉妹に違いない。

 当時の日本には双子忌避の風習が存在していた。双子が生まれることを「一度に二人も三人も産むのは犬猫の仲間」などの意味から「畜生腹」と忌み嫌う地域が多かった。こういった双生児に対する偏見は昭和30年代頃から薄れてきたと言われている。

 

 その当時、女手一つで双子を育て上げた女性は本当に立派な母親だったのだろう。幼少の頃に山奥に厄介払いされた彼女が周囲の習慣や価値観に染まっておらず、双子を育てることに心情的な抵抗が無かったのだとしても、二人の子供を育て上げるのは大変だったはずだ。

 無論、彼女の伴侶、双子の父親が共に家事育児をしていた可能性もあるにはあるのだが、ここまで父親に関する記録がない以上は、彼女一人で子供たちを育て上げたと考えるのが妥当だろう。

 

「お前、この世界に来る前からアタシ達のことを知ってたな? それはどういうわけだ?」

 

「私には、生まれつき千里眼という力が備わっています。母から受け継いだ能力です」

 

「千里眼…!?」

 

「ほ、本当ですか…!?」

 

「はい。遠く離れたものを透視したり、稀にですが、未来に起こり得ることも見えます」

 

 姫子の追求に対するヒガナの答えは驚くべきものであった。

 

 本来、千里眼とは千里先など遠隔地の出来事を感知できる能力であり、即ち「空間」を飛び越える能力と言い換えることができる。だが、彼女のそれは「時間」をも飛び越える。空間と時間、その両方を飛び越えるなど超抜級の異能力と言っていい。

 姫子の知る限り、空間と時間、この二つの権能を併せ持つのは、外なる神■■=■■■■(ヨグ=ソトース)と旧神■■■・■■■(ヤード・サダジ)の二柱のみ。それほどまでに、この二つに干渉する力は稀少なものなのだ。

 

「あなたたちのことは、遠い昔、夢で見ました。夢の中であなたたちは、バラバラになった私たち家族を再び一つに結びつけてくれた。そして、遠藤健二さんがこの世界に迷い込んだ時、夢が予知夢であったことを確信しました」

 

「健二さんが…?」

 

「夢の中では、彼があなたたちをこの世界に導いたからです。そこで私は、彼を見守ることにしました。彼と一緒に迷い込んだ、この子を通して……」

 

 膝の上に乗せた黒猫の尻尾の付け根部分をポンポンと撫でるヒガナ。にゃあ、と黒猫は心地よさそうに目を閉じた。彼女は優しげな笑みをしていたが、次第にその表情は暗くなっていく。

 

「……ですが、最後まであなたたちがこの世界に現れることはありませんでした」

 

 そうしてヒガナは一日目の今日(一巡目の世界)で起きた出来事を語り出した。

 

 

 

 

 遠藤健二は、決死の探索の末に霊魂の淵叢の祭壇の間に辿り着いた。これまでの祭壇は如何にもな部屋の中央に設置されていたが、霊魂の淵叢は、石の洞窟の中央に設置されていた。憎悪を振りまく影に追われていた彼は、必死の表情で勾玉を祭壇に納める。

 すると、彼を追っていた殺意は何事も無かったかのように消え去ってしまう。安堵の息を吐いた健二は開かれた扉の先に歩みを進め――

 

 シャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャンシャン……!

 

 前方から聞こえてきたその音に全身が凍りついた。よく見れば、神楽鈴の徘徊者が進行方向の通路から迫ってきていた。今まで、祭壇の間の先で徘徊者に襲われることはなかった。予想外の事態に驚愕と恐怖のあまり健二は身動きが取れない。

 神楽鈴の徘徊者が目の前まで迫り来る。そのまま健二は努力の甲斐もなく暗闇に息絶える――

 

「…え?」

 

 寸前、眩いばかりの光が部屋の中に差し込んできた。視界の全体を覆い尽くすほどの光が神楽鈴の徘徊者の全身を包み込む。否、神楽鈴の徘徊者を包み込むのではない。神楽鈴の徘徊者が光を発していることに、目の前に立つ健二は気が付いた。

 動きを止めた神楽鈴の徘徊者の全身から光が抜け落ちていく。その光が完全に抜けた後には、まるで電池が抜けた玩具のように倒れ伏す神楽鈴の徘徊者の身体だけが残されていた。

 

 健二は恐る恐る床に倒れ伏した神楽鈴の徘徊者の傍に寄って行くと、ここまでの道中で拾った木の棒で能面の辺りをツンツンと突っついてみる。反応はない。どうやらあの光が抜けたことで完全に活動を停止したようだ。

 何が起きたのか正確にはわからない。それでも自分が九死に一生を得たということは、この世界に迷い込んで一日も過ごしてない健二にも理解できた。

 

《あなたの魂に用があるの。細工をさせてもらうから、大人しくしていなさい》

 

「今のは…魂、か?」

 

 ふと、健二の脳裏を過ぎるのは黒い着物を着た少女の言葉だ。彼女は、健二の魂に用事があると言っていた。あの結晶体を化け物に変性した健児(大食らい)に破壊されたことで余裕を失った彼女が、形振り構わずに徘徊者の魂を回収しているのかもしれない。

 その推測を裏付けるように神楽鈴の徘徊者の来た方向に健二が進んでいくと、奥の部屋には力を失った徘徊者が無数に転がっていた。

 

 突然、回廊全体が震動する。転びそうになる体をどうにか抑えつけて、走り廻る徘徊者の背後にある黒塗りの扉を開く。三つ目の勾玉を入手してからというもの、数分間隔で回廊が度々揺れるようになった。その中でも今の震動は最も激しいものだった。

 扉を開けた先には広大な空間が広がっていた。健二が居るのは高台に当たる場所なのだが、そこから部屋の全体像を把握できないほどだ。

 

「あの蜘蛛のような徘徊者(忍び寄る徘徊者)まで…取り敢えず、次の揺れが来る前に階段を降りるべきか」

 

 今の内に、階段を下りておくべきだろう。そう判断を下した健二が階段を降りると、部屋の中央には巨大な穴が空いていた。穴の底には美しい翡翠色の光を放つ巨大な結晶体が存在しており、その結晶体から生えた二本の角状の柱を通して上に何かを注ぎ込んでいる。

 穴の中央には円形の太い柱があり、その上部とは木造の橋で繋がっている。その橋を渡った先にはミイラに似た状態の人型の何かが眠っていた。

 

「私のお母さんよ」

 

 咄嗟に後ろを振り返ると、そこにいたのは両目を包帯で覆い隠した黒い着物の少女だった。

 

「もうずっと長い間眠ったまま。その魂は体を離れ、底知れぬ憎悪に苛まれながらも、今もこの世界を彷徨い続けている。何とか体は維持していたけど……」

 

 少女特有の可愛らしい声に憤怒と憎悪の色が混じる。

 

「あの男が器を壊してしまった。もう時間がない、今すぐ生き返らせなければ……」

 

「どういうことだ?」

 

「魂と体を一体化させるためには、途方もない力が必要なの。あの器で普通の魂を集めても、お母さんの体を維持するのでやっと。だから、これを被せた」

 

 そう告げた黒い着物の少女は闇の中から1枚の能面を取り出した。先程、健二が彼女と対峙した時にも目にしたその面は、被った者に正気を失うほどの大きな力を与える機能を持っている。あの時は、危うく人で無くなるところだった。

 今回は、祖父の助けはない。警戒心を露わにする健二に、少女は静かな声で淡々と言った。

 

「この面を被れば、魂の力が何倍にも増幅される。元となる魂が強ければ強いほどね。その力の大きさ故に大抵は自我を失い、人ならざる者へと変異する。でも、そういう者達は普通の魂を集めるのに役に立った」

 

 それが、徘徊者の正体。この回廊に迷い込んだ人間の成れの果てこそが【徘徊者】だった。

 

「あの男は素晴らしい魂を持っていた。あんなに自我を保っていられるなんて、正直驚いたわ。そしてその魂は、あなたに受け継がれている。本当は、増幅した魂を収穫したかったけど……」

 

 黒い着物の少女の言いたいことはオカルト素人の健二にも想像することができた。

 

「わかるでしょ、もう時間がないの」

 

 少女の母親の肉体を維持していたエネルギー源である魂の器が破壊された以上、今すぐにでも死者蘇生の儀式を実行する必要がある。そうでなければ、少女の母親の肉体は完全に腐り果てる。

 即ち、

 

「あなたには、今死んでもらうわ……」

 

 黒い着物の少女は顔の前まで右手を上げると目には見えないナニカを収束させていく。それがわかったのは少女の前方の空間が歪んで見えたからであり、そのナニカそのものを目視することは健二にはできなかった。

 こうなってはもはや万事休すということは健二にも理解できた。それでも、生きることを諦めたくないと相対する黒い着物の少女を睨みつける。

 

《来ちゃだめ! 逃げなさい!》

 

《おい、俺から離れていろ……》

 

 その時、黒い着物の少女が思い出したのは二人の親の姿だった。

 

 自分を庇い、社を取り囲む村人の前に立ったお母さん。

 健二を庇い、深淵にて自分の前に立った仲間殺しの男。

 

 ゆっくりと手を下ろす。少女には、もはや健二に対する殺意は宿っていなかった。

 

「まあいいわ…素の魂なんて、足しにもならない。そこで見てるといい」

 

 穴の底にある翡翠色の結晶体から角状の柱が急速に力を吸い上げる。その光は彼等の頭上で緑色の球体を作り出し、光の奔流となって母親の肉体へと降り注ぐ。その神秘的な光景を眺めていた健二は、妙な胸騒ぎを感じていた。

 このままでは良くないことが起きる気がする。しかし、何をする力もない健二には、そこで見ていることしかできない。

 

「なんで…!? こんなはずじゃない!!」

 

 その結果、少女の母親は未だ嘗て見たことがないほどの怪獣に変貌を遂げた。少女の母親が生き返ることはなく、憎悪のままに動き回る化け物に成り果てた。想像を絶する巨大な体躯で天井を突き破り、黄昏の空に飛び出していく。

 

「待って、お母さん!!」

 

 母の後を追うように部屋を飛び出した黒い着物の少女。ただ一人、部屋に取り残された健二に話しかける者は一人もいないはずだった。

 

「…遅かった」

 

 その声に振り返ると橋の前に黒猫が座っていた。その首には、五つの勾玉が連なる首飾りが掛けられている。翡翠の勾玉の放つ神秘的な光が影の中に佇む黒猫の姿を照らし出す。

 

「…君が話したのか?」

 

「やっと私の声が届きましたね」

 

 猫が喋る。十分に異常なことのはずなのに、健二はその異常を自然に受け入れていた。この世界で過ごす内に感覚が麻痺したのか、それとも驚くだけの余裕(SAN)がないのか。いずれの理由にせよ、その冷静さは現状で有利に働くものだった。

 

「事態は一刻を争うので、手短に話します。私のことは、一先ず置いておいてください」

 

「分かった。私にも分かるように、今の状況を説明してほしい」

 

「はい。彼女は、復活に不足していた力をこの世界を構成する力で補填したようです。お陰で私の声が届くようになりましたが…この世界は間もなく崩壊するでしょう」

 

 世界が崩壊する。創作物の世界では稀によくあることであるが、現実として目の前で起きるとなると理解が追いつかない。それでも、自分なりに理解しようと必死に情報を咀嚼する。

 

「復活のために集められた魂はどれも苦痛や憎悪によって歪んでいた。それがあの人を変えてしまいました。今のあの人は、もはや人ではありません。肥大化した憎悪そのものです」

 

「肥大化した憎悪……」

 

「あの怪物は、やがてあなたの世界に現れることになります。人の魂を食らい、更にその力を増し、途轍もない災厄になる…まだ力が弱い内に、こちらの世界で対処しなければなりません」

 

「どうやって?」

 

「この世界の礎となった27の人柱、その魂が燻っている場所があります。今なら、私でもその封印を解けるでしょう。27の人柱は膨大な力を蓄えている。とても制御はできませんが、真っ先にあの怪物に向かっていくはずです」

 

 27の人柱、この時の健二は即座にその意味を察することができなかった。だが、後にその意味を正しく理解することになる。阿地市中央部の山陰で土砂の中から発見された27の人骨。始まりの日に消えた27人の村人こそが人柱の正体――

 故に、人柱の27人は自分達を苦しめた化け物の親子を付け狙う。苦痛を、憎悪を、恐怖を、化け物に味わわせるために。

 

「後は、彼等が足止めしてくれます。時間が稼げれば、あの怪物もこの世界と共に消え去るでしょう」

 

「私はどうすればいい?」

 

「あなたが、その場所まで怪物を誘導してください。道中は私が力を貸します。上手くいけば、あなたを元の世界に返しましょう。……それでいいですね?」

 

「ああ」

 

「この首飾りを持って行ってください。あなたの身を守ってくれます。封印を解くためにも必要ですので、くれぐれも無くさないように」

 

 黒猫は勾玉の首飾りを床に落とす。

 

「私は先回りしています。また後で会いましょう」

 

 そして、首飾りを拾うのを見届けると再会の約束をしてその場を後にした。

 

 

 

「無事、健二さんは役割を果たしました。この勾玉の首飾りに守られながらも、肥大化した憎悪から必死に逃げて、27の人柱の元まで怪物を誘導してくれました」

 

 【勾玉の首飾り】には、物理・魔法問わず外的要因による負傷(ダメージ)を半減する加護が宿っている。この加護のお陰で健二は重傷を負うことなく、肥大化した憎悪から逃げ延びることができた。

 

「ですが…私には覚悟が足りませんでした。27の人柱に囚われたお母さんの後を追い、奈落の底にヒバナも消えていきました。その光景を目の当たりにした私は、かつてのヒバナのように、その内に眠っていた力を目覚めさせた。【時渡り】の力を」

 

「【時渡り】…そうか、ループを起こしていたのは君だったのか」

 

 この世界は同じ時間を繰り返している。本来、一日目の今日で脱出できるはずだった健二を閉じ込めていたのは、彼をこの世界に招き入れたヒバナではなく、彼を元の世界に帰そうとしていたヒガナだった。姉と同じように家族を救いたいという思いで彼女は奇跡を成し遂げた。

 

「最初は、何が起きたのかを自分でも理解することができませんでした。ですが、三回目の今日で全てを理解しました。嘗てヒバナがこの世界を作り出したように、私もまたこの世界の時の流れを巻き戻したのだと」

 

 それは、神の領域に手をかけた奇跡だった。

 否、神ですら、これほどの偉業を成し遂げるのは難しいことだろう。

 世界創造と時間逆行。

 どれほどの思いがあれば、そんなことができるのか。

 

「この能力で巻き戻すことができるのは一日だけ。私は今日という日を永遠に繰り返し、あなたたちが来るのをずっと待っていました。私の身動きが取れない今、状況を打開するには、あなたたちに賭けてみる以外にはありませんでしたから」

 

「身動きが取れない?」

 

「これも長い話になります……」

 

 ヒガナはその根源を語り出す。それは、あまりにも救いようがない神隠しの真相だった。




人類悪 変生


以上の経緯を以て彼女のクラスは決定された。四尾の狐など過去の姿。
其は人間が生み出した、人類史を最も有効に悪用した大災害。
その名をビーストⅠ。七つの人類悪の一つ、『報復』の理を持つ獣である。
(尚、この形態は幼体ですらない卵である。影の回廊という卵を食い破ることで、正式に報復の獣はビーストⅠとして顕現することになる)



九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP  14/14
SAN 65/65

榊凛太郎
Lv  31
HP  48/48
MP  12/12
SAN 55/65

秋本楓
Lv  31
HP  48/48
MP  12/12
SAN 55/60

小鳥遊姫子
Lv  31
HP  48/48
MP  21/21
SAN 75/90

所持品
・混沌の神楽鈴×6
・金色の鍵×沢山
・ひかり石×沢山
・爆竹×沢山
・古いカメラ×沢山
・コンパス


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旧14話 絆を一つに

「私たちは、蛭南村という小さな村から少し外れた山奥の、廃墟となった社で生まれ育ちました」

 

 神通力をその身に宿す女性の子供が双子だったという記録は残されていない。それはつまり、当時の村人が二人目の存在を知らなかったことを意味している。彼女達の暮らしていた社はそれほど辺鄙な場所にあったのだろう。

 恐らくは、女性がひた隠しに隠していたのも村人に露見していない理由の一つだろう。明治期当時の双子を忌避する風習を考えれば、村人に双子の存在を隠蔽するのは当然の判断と言える。

 

「私は母から千里眼を受け継ぎましたが、ヒバナには何の力もなく、普通の女の子でした」

 

「え、ウソ……ついてない…!?」

 

「あの日が来るまでは……ヒバナは、本当に普通の女の子だったんです」

 

 他人の嘘を見抜く力がある凛太郎には、その言葉が嘘でないのは一目で見抜くことができた。

 

 この時の凛太郎の驚愕と心の混乱は表現のしようのないものだった。ヒガナの言葉は、それこそ自らの超能力の不具合を疑うほどに信じ難いものだった。凛太郎はてっきり、ヒバナも生まれながらに神通力をその身に宿す異能者と考えていた。その行使を見た者がいたからこそ、「幼子が危険な神通力を使った」等という噂が広まったのだと考えていたのだ。

 

 だが実際には、ヒバナは神通力等の異能とは縁のないどこにでもいる普通の女の子だった。蛭南村で広まっていた噂は根も葉もないものであり、幼い頃の彼女達が危険な神通力を使ったなどという事実はどこにも存在しない。

 

 火のないところに煙は立たないという言葉がこの日本という国には存在している。火がなければ煙も立たないように、事実がなければ噂も立たないはずで、噂が立つのは、その原因となる事実があるはずであることを意味している。

 蛭南村の住人は、火のないところからこの悪意に満ちた噂を村に広めたのだ。比較的平和な現代日本で生まれ育った凛太郎は、人間の底すらない悪意を見誤っていた。

 

「母はその能力故に村人から忌み嫌われていて、私の身を案じた母は、私に山を下りることを禁じていました。そんな私と母のことを、ヒバナはいつも一番に想ってくれました」

 

 幸せだったあの頃のことは今も鮮明に思い出すことができる。山奥の廃れた神社とその周りだけが彼女達の世界だった。一生忘れることのない、今は遠き、あの日の思い出。幼い頃の情景を思い出して、ヒガナは思わず微笑んでしまう。

 

「ヒバナは本当に優しかった。『お母さんとヒガナは、不思議な力のせいで辛い思いをしているから、だから私が守る』と言って、何かある度に無茶していました」

 

 このまま幸せな日々がいつまでも続けばいい……そんなことを思いながら、彼女達は穏やかに過ごしていた。しかし、彼女達の日常はある日突然に終わりを告げた。

 

「ある日、私は村の少年達が川で鉄砲水に流される事を予知しました。それを聞いたヒバナは、少年達を助けようと急いで川に向かった…でも、ヒバナの警告は聞き入れられなかった。母の子であるというだけで、ヒバナも村人に嫌われていました」

 

「それで、取材記録の9ページ目の出来事に繋がるわけですね……」

 

「はい。少年達が数人がかりでヒバナを痛めつけると、すぐに鉄砲水が押し寄せ、少年達を飲み込みました。ヒバナだけは奇跡的に難を逃れましたが…それが村人の誤解を生みました。村人には、ヒバナが仕返しをするために不思議な力を使って鉄砲水を呼んだように見えたようです」

 

 記録の9ページ目には、少年達が少女のことを突き飛ばしたところ、轟音と共に鉄砲水が押し寄せて、少年達を襲ったらしいと記されている。その状況で一人だけ生き残ったとすれば、村人がそう考えるのも無理のないことだろう。

 しかし、自分達を忌み嫌う村人達を救おうとするなどお人好しにもほどがある。長い間、人間の歴史を見てきた姫子は呆れたような顔でそのことを指摘した。

 

「よくもまあ、そのガキ共を救おうとしたもんだな」

 

「それは…そうですね。あの日、私が余計なことを言ったりしなければ、家族が引き裂かれるようなことも、ヒバナが苦しむようなことはなかった」

 

「…それはどうだろう」

 

 どこか自嘲するような苦笑いをするヒガナに、これまでの情報を纏めていた大悟が声を上げた。

 

「多分、君達が何もせずとも村人達は鉄砲水を君達の仕業と考えたはずだ」

 

「どういうことですか?」

 

「昔話では、川の氾濫は八尾の狐が神通力で起こしたものだった。思うに、蛭南村では災害の類を人ならざる者の仕業であると考えていた。可愛がっていた猫を殺された復讐として、君達が鉄砲水を起こしたと判断したはずだ」

 

「そんな……それなら、私たちはどうすれば……」

 

「逃げることは…村人から、逃げることはできなかったんですか?」

 

 楓の言葉に、ヒガナはうなだれるように首を横に振った。

 

「……その時間はありませんでした。母の千里眼で、その日の夕方には、大勢の大人がやって来ることがわかりましたから」

 

「腕に覚えのある男性28人による山狩り…逃げ切るのは流石に無理がありますね」

 

「だからお母さんは、その前に私たち二人を山奥に隠そうとしました。ですが、ヒバナはそれを断りました。私とお母さんを守るんだと言って…私の存在は知られていませんでしたから、ヒバナが残れば私は安全に山に隠れられる。そのことはヒバナもわかっていました」

 

 何の力もない少女がいたところで何ができるわけではない。ヒガナとヒバナのお母さんは二人で一緒に逃げるよう必死に説得したが、ヒバナは決して逃げようとはしなかった。かけがえのない家族を守るために、今できることを精一杯やろうとした。

 

「お母さんが説得するもヒバナの意志は強く、私一人で山奥に隠れることになりましたが…二人のことが気がかりだった私はこっそりと林の奥から様子を伺うことにしました」

 

「そう言えば、草叢から妙な視線を感じたって取材記録に……」

 

 雑誌記者の記録。その10ページ目には、「化け物を出せ」と囃し立てる村の男達に怖気づいた安喜さんが、隠れようとした草叢から妙な視線を感じたらしいと記されていた。その草叢には何もいなかったというが、別の草叢に隠れ場所を変えたのが真相のようだ。

 

「やがて村人が社を取り囲み、大勢の怒声がヒグラシの声を掻き消した。村人達は口々に叫びました。『化け物の子が村の子供を殺した、化け物を出せ、仇を取ってやる…!』、と」

 

「本当の化け物はどっちだか」

 

 姫子は、そんな言葉を吐き捨てた。最近、多くの人間の「光」に触れてきた彼女には、見慣れているはずの人間の「闇」が、ひどく気持ち悪いものに思えて仕方がなかった。

 

「母は社の中にヒバナを匿うと、表に立ち一歩も引きませんでした。『優しい私の子が、人を殺すことなどあり得ない。何かの間違いだ』と言い続けていました。でも、そんなやりとりはいつまでも続かず…痺れを切らした村人たちは、遂に大勢で母に襲いかかりました」

 

《でも私に言わせれば、人間の方がよっぽど質が悪いわね》

 

 この場に健二がいたのならば、深淵でヒバナの口にした言葉を思い出していたことだろう。人間の方がよほど質が悪い。彼女は人間の醜さ、汚さをその身を以て知っていたのだ。

 

「鍬や鉈で打たれ、母が悲鳴を上げるとヒバナが飛び出してそれを庇った…ヒバナの顔は恐怖で強張っていて、それでも必死に母の前に体を投げ出しました。でも、」

 

 そこで口を噤み、深い後悔の念を滲ませた表情と声音で続きを吐き出した。

 

「ただの少女だったヒバナは、大勢の大人の前には無力だった。村人たちは力任せにヒバナを抑えつけると、村の子供の仇だとばかりに、ヒバナの両目を潰したんです。血に染まり、力なく横たわる母の姿……それが、ヒバナの目に映った最後の光景でした。きっと、言葉にならない程の恐怖と悔しさだったでしょう」

 

「……ッ」

 

 胸中に、憤怒が渦巻く。凛太郎は奥歯をギリッと噛み締めて、それを懸命に堪えなければならなかった。ここでそれを吐き出したところで何の意味もないことはわかっていたからだ。

 

「でもその時、ヒバナの中に眠っていた力が目覚めました。ヒバナの体が強烈に光り輝き、その光が辺りを飲み込んでいくと、辺り一帯の空間と時間を捻じ曲げ、切り裂き、別の世界を形作った。それが、今私たちがいるこの世界です」

 

 この世界は、幾多の人を傷つけてまで、たった一人の大切な人を守るために存在していた。それはとても自分勝手で、しかし、純粋で真っ直ぐな少女の思いだった。単純な善悪では片付けられない、家族を守るという、その強い思いがこの世界を作り出した。

 

「この世界は、家族を守るという、ヒバナの強い思いが作った世界。その思いは無意識に、この封印された聖域を作り出し、私を閉じ込めました。もう家族が誰にも傷つけられないように……」

 

「無意識に? ということは、まさか……」

 

「はい。ヒバナはこの聖域のことも、私がこの世界に居ることも知らないでしょう」

 

 ヒバナとヒガナ。二人の少女は同じ世界にいながら長い時を別々の場所で過ごしてきた。ヒバナは、ヒガナが生きていることも、この世界に居ることも知らなかった。だからこそ、ただ一人の家族を救うために、殺人という凶行に手を染めた。

 

「そして、ヒバナは母を復活させるために、この世界に人を誘い込み、殺し始めた。心優しいヒバナにとって、それがどれだけ耐え難いことだったか……閉じ込められた私には成す術がなく、ここから見ていることしかできませんでした」

 

「……ヒガナちゃん」

 

「……ヒガナちゃん」

 

「……ヒガナさん」

 

「ヒバナが苦悩する様子は壮絶で、思い出したくもありません。良心に苛まれる度に、何度も何度も自らの心を押さえつけ続け…やがて人としての良心を彼女の胸の奥底へと封じ込めました」

 

 その良心が漏れ出したのが一巡目の出来事なのだろうことは大悟達にも想像が付いた。大抵の者達は面を被った瞬間に自我を失うというのに、何十年もの間、この影の回廊に自我を保ったまま潜伏していた遠藤健児。

 その血と魂を受け継ぐ遠藤健二の魂は、それ相応の力を秘めているはずだ。少しでも多くの力を欲していた一巡目のヒバナが、彼を見逃すような真似をする理由がない。

 

「……すみません、少し話が長くなりました。ですが、あなたたちには真実を知っていて欲しかったんです。ヒバナのことを知り、ヒバナのために憤りを覚えたあなたたちには」

 

「「「「……」」」」

 

「母の復活は失敗します。今の内に何とかしなければ、取り返しのつかないことに……」

 

 その時、世界が震動した。

 

「時間がない……一緒に来てください!」

 

 ヒガナの顔の上に浮かんだ焦燥の色を見て、大悟達は一も二もなく了承の意を示した。

 

 

 

 導かれるままに鏡に触れた大悟達は夕陽の差し込む木造建築の一室に辿り着いた。何かに弾かれたように飛び出したヒガナの後を追い、川の上にかけられた渡り廊下を真っ直ぐに駆け抜ける。その先には、黒い着物の少女……ヒバナが立っていた。

 

「ヒバナ!」

 

 その声を聞き、ヒバナは驚いたように後ろを振り返る。

 

「あなた…ヒガナ…? どうしてここに……」

 

「私もずっとこの世界にいて、この人たちが助けてくれたの。でも、詳しい話は後」

 

「そう…あなたたちが…」

 

 ヒバナは、どこか嬉しそうな表情で見えないはずの目を大悟達に向ける。しかし、長い時を経て妹と邂逅を果たした喜びにもすぐに陰りが生じた。

 

「お母さんは今、とても苦しんでいる。私のせいで、お母さんはあんな姿に……」

 

「ヒバナ…」

 

「私がなんとかする…ヒガナは隠れていて」

 

「私も手伝う」

 

「ダメよ、危ないから隠れていて」

 

「私も手伝う!」

 

「ダメよ、言うことを聞いてちょうだい……」

 

「ヒバナの言うことは、もう聞かない! あなたはいつもそう! 全部一人で背負い込んで!」

 

 それは、彼女たちの母親がヒバナを説得していた時の再現だった。今のヒバナは、村人たちに殺されることを覚悟の上で、子供たちを逃がそうとした母の姿と瓜二つだった。だからこそ、ヒガナは、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

 

「でも、あなたまで失ったら…私…」

 

「昔から私はヒバナに守られてばかりだった。その度に、ヒバナばかり傷ついて……もう嫌なの、何もしないで、隠れてばかりで、後悔したくないの」

 

「ヒガナ…あなた…」

 

「それに、私たちのお母さんじゃない。二人で一緒に助けましょう」

 

 ヒバナの体を抱き締めるヒガナ。その温かい感触に、ヒバナは凍りついた心が解けるのを、或いは止まっていた時が動き出すのを感じていた。

 

「……ありがとう。でも、」

 

「わかってる。私たちだけの力で、お母さんを止められるかどうか……」

 

 強大な力を得て肥大化した憎悪は、今、全ての命を食らい尽くさんとしている。もし元の世界に出るのを許せば、世界を滅ぼすほどの災厄になることだろう。これでもまだ一番弱い状態であるというのに、二人との間には絶望的な力の差があった。

 ヒバナとヒガナはそっと体を離すと、大悟達の方に体と視線を向けた。ヒバナは決まりが悪そうに、けれど何かを言いたそうに、目を伏せたままもじもじしていた。

 

「あの……ヒガナを、ヒガナを助けてくれて…ありがとう。本当に…本当にありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 と、大悟はヒバナを安心させるように微笑んだ。

 

「こんなこと、言えた義理ではないことは分かっています。ですが…どうかお願いします。この面を被って、あなたたちの力を貸してください」

 

 そう言いながらヒバナが取り出したのは、この世界で幾度となく目にしてきた能面だった。

 

「あなたたちは素晴らしい魂を持っています。この面に適応し、あの男のように力を使いこなせるでしょう。加えて、この面は今までの物より遥かに強力です。あなたたちの力を今直ぐに引き出せるようになっています。それだけ負荷は相当なものになります。ですが……」

 

 上げられたヒバナの顔には、一方ならぬ決意と覚悟が漲っていた。

 

「その負荷は、私が全て肩代わりします」

 

「何言ってるの…? そんなのダメだよ! ヒバナの身が保たない、死んでもおかしくないよ!」

 

「分かってる。それでも……」

 

 ヒガナが声を荒らげる。けれども、ヒバナにはそれ以外の方法が思いつかなった。

 

「…お母さんを助けるには二人では力不足。あなたたちの助けが必要です…」

 

 その時、世界に轟く咆哮と共にその怪物は姿を現した。

 

報復の獣

 

 黄昏に染まる空を泳ぐのは『金魚』のような見た目をした化け物だ。

 この影の領域に集う憎悪と苦痛、恐怖の写し身。邪神の域にまで昇華された憎悪そのもの。

 常人であれば、目にするだけで正気を奪われる悪夢の化身。

 それは、あの海底神殿で対峙した旧支配者にも匹敵するような巨躯の怪物だった。

 

「時間がありません、どうかお願いします……」

 

 ヒガナが頭を下げる。

 

「いや、その能面は使わない」

 

「そんな……いえ、当然ですね。私たちのためにあなたたちが無茶をする理由は――」

 

「これ以上、君達が苦しむ必要はない。後は僕達に任せてほしい」

 

「――――――…………え?」

 

「それは、どういう…………」

 

 ヒバナとヒガナの肩を叩きながら前に出た大悟の後を追うように、彼の仲間達は困惑する二人の少女の横を通り抜けて報復の獣の前に立つ。

 

「行こう、皆!」

 

 大悟が右手を前に突き出すと、その身から溢れ出た光が彼の掌中で光の翼を形作る。

 その翼の名前は【スパークレンス】。超古代の戦士達が、神々と一体化するために用いた神器。

 

「凛太郎!」

 

「はい!」

 

「楓!」

 

「押忍!」

 

「二人の光、お借りします!」

 

 両腕をクロスさせ、腕を大きく回すことで三人の光をスパークレンスに収束させる。

 大悟を中心に広がる光の翼が、夕陽が映し出す三人の影を一つに纏め上げた。

 

「アタシも行くぜ! 深淵の闇よ、我が下に集え!」

 

 呪文:【チカラの解放】

 小鳥遊姫子:SAN75-30=45

 

 同時に、三人と並び立つ姫子が【闇の(ブラック)スパークレンス】を空に掲げる。

 闇の翼が左右に開き、その内部に秘めた水晶(クリスタル)を解放。溢れ出た闇が姫子の全身を包み込む。

 

 影を光が照らす。

 影を闇が染める。

 

 光の巨人と闇の巨人、二柱の旧き神が影の領域に降り立った。

 

光の旧神 ウルトラマンティガ

旧支配者 カミーラ




九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP  14/14
SAN 65/65

榊凛太郎
Lv  31
HP  48/48
MP  12/12
SAN 55/65

秋本楓
Lv  31
HP  48/48
MP  12/12
SAN 55/60

小鳥遊姫子
Lv  31
HP  48/48
MP  21/21
SAN 45/90

所持品
・混沌の神楽鈴×6
・金色の鍵×沢山
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旧21話 悪魔の預言

 2016年 6月 30日(木)

 神津市・東区 九条大悟の家

 

 数時間前。その日、朝早くに目を覚ました大悟は部屋の片隅に居るソレに視線を向けた。

 

「おはよう」

 

「主よ。昨夜は暗い顔をしていたが、疲れを取ることはできたか?」

 

 大悟に返事をした一つ目のスラ○ムベスの名前はダンセイニ。超古代から姫子の一族に仕えてきた■■■■(ショゴス)と呼ばれる種族の一体であり、今は大悟を主としている異星起源の生命体だ。本来の姿は常人ならば目撃するだけで大幅に正気を失う(1D6/1D20)ような悍ましいものであるのだが、そのことに苦言を呈した大悟の命に応じて、今の姿に形状を変化させたという経緯がある。

 ダンセイニは、ぷるぷるとした体全体で心配を表現する。その様子に思わず破顔した大悟は、大丈夫だ、と精神の安定を伝えた。

 

「大丈夫。今更、翌日に引き摺るほど軟弱な精神はしてないさ」

 

「それならいいのだが……まあいい。何かあった時は我を呼ぶがいい。主の力になろう」

 

「ありがとう」

 

 心強い言葉に感謝を述べつつ、部屋の中を見回した大悟は目的の物を見つけた。それを手にした大悟が赤いボタンを押すと、どこからか人の声が聞こえてくる。その声の方に視線を向けると、そこには人が閉じ込められた黒い箱のようなものがあった。

 非常に仰々しい描写をしたが、要するにリモコンでテレビの電源を入れただけである。

 時計を見ると、まだ六時前。出勤時間まで大分間があるので、朝のニュースを見ることにした。

 

『――「過度の疲労」により入院していたピアニストの小鳥遊藍子さん(10)が退院したと、所属事務所から発表がありました。7月2日、神津市中央区のコンサートホールにて、事務所移籍後の初コンサートをするとのことで――』

 

「小鳥遊藍子……姫子様の器であった適能者(デュナミスト)の少女か。無事に回復されたようで何よりだ」

 

「本当にね。胸のつかえが下りる思いだよ」

 

 ダンセイニの口にした適能者(デュナミスト)とは神の器に選ばれた人間の名称だ。姫子、即ち■■■■■(クトゥルフ)の娘である■■■■■(クティーラ)適能者(デュナミスト)に選ばれた藍子は、その父親である■■■■■(クトゥルフ)の干渉をもろに受ける体質になってしまう。

 長い間、姫子を抑え込むほどの強靭な精神力を持つ藍子でも、本体には及ばないながらも強大な力を持つ邪神の影に抗えるほどではなく、この世界に対する干渉が原因で倒れてしまった。

 

 尤も、その真実を公の場で話すわけにはいかない。いずれは異形の存在に関して公表する必要があるのは事実だが、原因や対策が不明なまま公表するとパニックを引き起こす可能性があり、異形の存在は未だ一般に周知されていない。この状況で藍子の入院理由を邪神復活の影響等と馬鹿正直に発表するわけにはいかず、そのために表向きの理由(カバーストーリー)を用意する必要があった。

 それが『過度の疲労』である。丁度、元マネージャーが児童虐待防止法等違反の容疑で逮捕されたこともあり、その入院理由に疑いを持つ者は殆どいなかった。

 

「だが…演奏会(コンサート)か。姫子様の適能者(デュナミスト)の奏でる音色とあらば、一度は我も聞いてみたいものだ」

 

「音楽に興味があるのかい?」

 

「無論だ。古くより、神に捧げる儀式とは音楽と共にあるものなのでな」

 

 信仰に於いて、音楽は非常に大きな役割を果たしている。信者達は音楽を通して、共に神に感謝を捧げ、共に神を褒め称え、同時に信仰を捧げる神の存在を再確認する。音楽と信仰は、決して切り離すことはできない密接な関係にある。

 姫子の一族に奉仕してきた■■■■(ショゴス)の一個体として、ダンセイニが藍子の演奏に興味を抱くのは当然の成り行きだった。

 

「それなら一緒に聞きに行く?」

 

「……いいのか?」

 

「大丈夫だよ。きっと事務所の皆と一緒に聞きに行くだろうから、その時にね」

 

 大悟には、終わることのないマシンガントークでまくし立てる恵里と、そんな恵里に苦笑いしながら付いて行く自分達の姿が容易に想像できた。

 

「礼を言う、我が主よ」

 

 見た目がスライムのダンセイニには表情など無いはずなのに、大悟には、ダンセイニが満面の笑みを浮かべているように見えた。

 

「むっ!? 主よ、テレビを見よ!!」

 

 突然、ダンセイニが険しい声で警告を発する。何事かと思いつつ、大悟がテレビの方に視線を戻すと、テレビの画面には想像だにしない光景が映り込んでいた。

 

「なんだ…これは…!?」

 

 画面の中央で白い渦が巻いている。元々、放送されていた映像が画面の奥に吸い込まれるように消えていき、何もない黒い背景のみがテレビの画面に映し出された。光も、闇も、影も、本当に何一つとして存在しない世界に突如として青い炎が燃え上がる。

 

「お久しぶり……いえ、はじめましてと言うべきかな? ウルトラマンティガ」

 

「僕のことを知っているのか……!?」

 

 その炎の中から、全身茶色の衣装に身を包む一人の男が姿を見せた。貼り付けたかのような無表情にも拘らず口元に笑みを称えたその男は、テレビ画面の向こう側から大悟(ティガ)を見ていた。

 

「ええ、知っていますとも。我々キリエル人はずっと昔からこの星を導いてきたのですから」

 

「キリエル人……それがお前達の名前なのか?」

 

 大悟の問いに答えたのはテレビ画面に映る男ではなく隣に居るダンセイニだった。

 

「キリエル人とはまた随分と懐かしい名前が出てきたことだ。■■■■■(クトゥルフ)様に怯え、竦み、身を隠していただけの卑怯者がこの星を導いてきたなどとは。この星を導いてきたのは貴様らのようなコウモリやハイエナではない。光の勢力と共に勝利を掴んだこの星の人間達だ」

 

「……その言葉。光の従僕に成り果てた■■■■(ショゴス)の言えたことではないな。よく見れば、かつての力の大半を失っているようではないか。その生き汚さは貴様らの本性同様に醜悪極まりないな」

 

 怒り、妬み、敵意、殺意、嫌悪、憎悪。その他、人間の言葉では表現できないほどに負の感情に満たされた言葉の応酬を繰り広げるダンセイニとキリエル人。大悟は彼等の関係を知らないが、それでも太古の昔から両者が敵対関係にあるのだけは察することができた。

 その身から憎悪と憤怒の炎を溢れさせるキリエル人は、しかし、大悟に視線を戻すと燃え滾る炎を自らの内に抑え込む。

 

「……まぁ、いいでしょう。今回、私は預言者としてキリエルの神々の意志を、言葉を伝えるためにここへ来たのです。貴方のような■■■■(ショゴス)如きを相手にしている時間はありません」

 

「預言者だって?」

 

「ティガよ、キリエルの神々にその命を捧げなさい。さもなければ……」

 

「さもなければ、どうなる?」

 

「聖なる炎が穢れに満ちた人類の都市を焼き払います。そうですね、私の予言では【菊川市S区】が浄化させるでしょう。今、あの地は悍ましい呪詛と怨念に満ちていますから」

 

「ふざけるな!! 何が予言だ! ただの脅迫じゃないか!!」

 

 大悟が怒りの声を上げると、預言者を名乗る男は心外だと言わんばかりの表情をする。

 

 預言と予言。この二つは読みこそ同じだが、それぞれ別の意味を持っている。

 

 預言とは、神から預けられた言葉を人々に伝えることや、その言葉そのものを意味している。預言は神の言葉を伝えるものであり、キリエルの神々の言葉を代弁する目の前の男は、神と人とを仲介する預言者である。

 尤も、それは預言者の男の口にした言葉が真実であるならばの話だ。予言の意味を曲解している預言者の男の口にした言葉に、いったいどれほどの信憑性があるものだろうか。

 

 予言の定義は、ある事象に関してその実現に先立ち「予め言明すること」である。神秘的事象としての「予言」は、その中でも合理的には説明することのできない推論の方法によって未来の事象を語ることを指している。

 預言者の男は、予言と称して自分達のチカラで都市を焼くつもりだ。そんなもの、予言でもなんでもない。自分達が起こす事件を「予告」しているだけである。

 

「それで? ウルトラマンティガ、あなたはキリエルの神々にその命を捧げるのですか?」

 

 大悟は唇を噛んだ。預言者の男の言葉を信用も信頼もしていないが、だからこそ、この男の要求を断れば、本当に都市を焼くという確信にも似た予感があった。かと言って、キリエル人に自らの命を捧げるというのも論外である。

 どうすれば、と苦悩する大悟の姿を見て、預言者は口の端を吊り上げて、悪魔のような嘲笑を浮かべた。さも愉快で堪らないとでも言うように、「ふふっ」と喉の奥から笑い声が漏れてきた。

 

「ご安心を。ご友人に別れを告げる時間くらいは差し上げますよ。キリエルの神々に命を捧げる覚悟が決まりましたら、【菊川市S区】まで来てください。……ああでも、あまりに来るのが遅いようでしたら、どうなるかは分かりませんがね」

 

 その言葉を最後に、預言者を名乗る男はテレビ画面の中から姿を消してしまう。数秒後、画面に戻ってきたニュース番組を眺めながら、身体を動かすことなく一つの疑問を投げかけた。

 

「ダンセイニ……いったい、キリエル人って何者なんだ?」

 

「炎魔人、キリエル人。人類発生以前の地球を支配していた勢力の一つ。3000万年前、人類と共に闇の勢力に立ち向かった『イスの偉大なる種族』のあぶれ者がキリエル人だ」

 

 ダンセイニ曰く、『イスの偉大なる種族』は滅亡に向かう銀河系『イス』から十数億年前の地球にやってきた精神生命体であり、人類発生以前の地球を支配していた勢力の一つ。時間の秘密を解き明かした唯一の生物とされており、その大偉業から「偉大なる」を付けて呼ばれている。

 

 イス人は途轍もない科学力を有しており、互いに精神を交換する装置を使って時間と空間を超越する。また知性というものを何よりも尊いものとしており、高い価値を置いている。肉体を持つ生物と精神交換してはその生物の文化・知識を収集し続けており、文化や技術等は集めた知識から気に入ったものを採用している。故にこそ「お気に入り」の消失を認められるはずがなかった。

 

 闇の勢力との戦争で地球人類の文化が喪失する可能性を観測したイス人は、その可能性を破却するために3000万年前の超古代人に接触した。そして、光の勢力が勝利するために、超古代人と共に闇の勢力との戦いに身を投じた。

 

「これはあくまで推測であるのだが、この水晶玉を主の下に送り込んだのはイス人であろう」

 

「え? それはどういう……」

 

「イス人の能力であれば、■■■■■(クトゥルフ)様の封印が弱まるのを観測していたはずだ。その時、人類が闇の勢力に支配されることのないように、イス人の打った布石がこの水晶玉なのだろう」

 

 ダンセイニが触手を伸ばした棚の中には水晶玉が収められている。D・D・L曰く、その水晶玉は別の宇宙に繋がっている可能性があり、姫子曰く、無限に近いチカラを秘めているという。邪神対策に送り込むモノとしては、十分すぎるほどの道具である。

 仮に、今の人類が自力で邪神の復活を妨げることができたとすれば、■■■■■(クトゥルフ)の復活を警告するためのタイムカプセルを残したのではないか、とダンセイニは推論を述べる。

 

「……少し、脱線したな。要するに、イス人は当時の人類と協力関係にあったわけだ。彼等は共に闇の勢力に立ち向かい、遂に闇の勢力の封印を成し遂げた。そして、協力関係にあった者達との別れを惜しみながらも元の時代に帰った……はずだった」

 

 そこで一度言葉を切ったダンセイニは、「その頃には異次元を彷徨っていたので、我も正確なところは知らないのだがな」と前置きをしてから続きを話し始めた。

 

「何事にも例外というものはある。人類と共通する精神性を持つイス人の中にも、人類同様に自己顕示欲が強く、人類を支配しようとする考えの者達がいた。それが――」

 

「……キリエル人」

 

「いかにも。光と闇、神々の戦争で疲弊した隙に付け入り、漁夫の利を狙ったキリエル人は3000万年前の人類に猛威を振るった。だが、光の勢力はその程度で倒れるような者達ではない。多くの犠牲を出しながらも、当時の人類と共にキリエル人を追い詰めた」

 

 ダンセイニは、異次元から覗き見た当時の戦いを思い出す。自分達と死闘を繰り広げた光の勢力を卑劣な手段で追い詰めるキリエル人の姿は、腸が煮え返るほどに気に食わないものだった。

 

「だが、仮にもイス人の末端であるキリエル人は逃げ道を残していた。肉の器を捨て、精神交換装置で時空を超えたのだ。逃げた先は不明だが、少なくとも中世の時代には奴らは存在していた。その頃から人類に干渉を行い、「より良い方向に導く」と嘯いて支配しようとしていたのだ」

 

 因みに、中世に活動していたキリエル人は人類の支配に失敗している。キリエル人に精神を支配された人間を悪魔と契約した魔女と見做した宗教関係者によって、多くの無辜の民と共にキリエル人に支配された人間が火刑になったことで、人間社会に直接干渉することが不可能になった。

 精神生命体であるキリエル人が人間の起こす炎で命の危機に陥るようなことはないが、人間社会に干渉するための器の方は容易に死んでしまう。人間社会に干渉する足掛かりを失ったキリエル人は、ほとぼりが冷めるまで雌伏の時を過ごすことにしたのである。

 

「主よ。キリエル人の言葉を信じてはならないぞ。奴らは、最大の障害である主を排除してから人類を支配するつもりだ。今の人類では、キリエル人に抗うなど到底不可能なことであるからな」

 

「…分かったよ。キリエル人対策について、どうにか考えてみるよ」

 

「うむ、それでよい。キリエル人の策略を破る方法について、我も共に考えよう」

 

 主従関係にある一人と一匹(?)は共にキリエル人の対策を話し合う。ああでもないこうでもないと意見をぶつけ合う内に、時間はあっという間に過ぎていく。そうして朝7時を回った頃に、事務所のトークルームにメッセージが届いた。 

 

『皆さん、おはようございます』

 

 SNSに届いた健吾からの挨拶メッセージに、探偵事務所のメンバーの何人かが「おはよう」と返事を打ち込む。無論、大悟もまた「おはようございます」とメッセージを打ち込んだ。

 

『突然ですが、本日から僕と礼子さんは菊川警察署に出向することになりました』

 

「菊川警察署!?」

 

 その報告は、まさに晴天の霹靂であった。

 

「これが運命と言うものか。よもや、キリエル人の呼び出した先に行くことになるとは……」

 

 ダンセイニの言葉を聞きながら、大悟は反射的に以下の文章を打ち込んでいた。

 

『その出向、僕も行くことはできませんか? 丁度、菊川市に重大な用事があるんです』

 

 斯くして大悟は、健吾と礼子の二人と共に菊川市を訪れることになる。菊川警察署特務課に所属する氷室等という刑事と共に、彼等はキリエル人の待ち受ける【菊川市S区】に向かうのだった。




九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP  14/14
SAN 65/65

浪川礼子
Lv  30
HP  48/48
MP  15/15
SAN 70/70

烏丸健吾
Lv  30
HP  40/40
MP  12/12
SAN 55/55


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旧22話 新S区

 2016年 6月 30日(木)

 菊川市・新S区

 

 大悟達は、土地勘のある氷室の運転で移動することになった。警察官らしく交通ルールとマナーの遵守を意識した安全運転をする氷室は、赤信号で車を停めたところでポツリと呟いた。

 

「……真っ昼間から見回りか」

 

 怪異の伝染。三ヶ月前の『怪異症候群』を彷彿とさせる異常事態に、あの事件の関係者として氷室の声色と表情が険しいものとなる。また、市民から多くの犠牲者が出るかもしれない。特務課に所属する警察官として、それだけは阻止しなければならない。

 それなのに、上司の中川から民間人との協力を命じられた氷室は困惑していた。一体全体、あの男は何を考えている、と訝しまずにはいられない。

 

「氷室さん。今の内に確認しておきたいのですが……」

 

「どうかしたか?」

 

「僕達はどう動けばいいですか?」

 

 その声で氷室は思考を打ち切り、健吾からの質問に意識を向けることにした。中川の考えなど自分には分かるはずもない。下手の考え休むに似たり。余計なことを考える時間があるのならば、今起きている怪異事件の解決に集中するべきだ。

 

 そのためには三人の協力者と緊密な連携を取る必要がある。幸いにも氷室は民間人と共に怪異事件を解決した経験があり、他の警察官ほど民間人との共闘に抵抗がない。勿論、他の警察官と比べればのことであり、氷室自身、民間人が怪異事件に首を突っ込むのを良しとしていない。

 本来、怪異事件を解決するのは自分達特務課の役割であり、そこに民間人を巻き込むべきではないというのが氷室等の考えである。

 

 尤も、民間人の協力を完全に否定しているわけではない。新聞記者であり、オカルトジャーナリストの加賀剛(カガ・ツヨシ)や、オカルト研究をしている民俗学者の霧崎翔太(キリサキ・ショウタ)に、怪異事件を解決するために協力を要請することもある。

 それは、前述の二人が高校時代からの友人というのもあるが、彼等二人が怪異事件と真剣に向き合い、堅実に霊的世界を捉えている探索者だからこそ。

 

 まずは、協力者達の為人を知ることから始めるべきだろう。そう考えた氷室は、質問に答える前に幾つかの確認をすることにした。

 

「その前に、あなたたちに何ができるのかを教えてほしい。方針を決めるのはそれからだ」

 

「分かりました。まず、僕達は超能力や霊能力と言った特殊なチカラを持っています」

 

「……超能力か。具体的には、どんなことができる?」

 

「僕は【アナライズ】という分析能力を使えます。それ以外には、対象を雷で攻撃する【雷撃】等の攻撃系の能力や、【堅牢】や【守護】で障壁を展開することができます。全体的に見て、攻撃型の後衛と言ったところですね」

 

 烏丸健吾。烏丸超常探偵事務所の所長である彼は【ロジカル】という固有技能と、対象の個体情報を分析する【アナライズ】という超能力を保有している。

 この内、固有技能の【ロジカル】は封印状態を無効化する体質、或いは精神性のこと。

 分析能力の【アナライズ】はよくあるステータス鑑定系の能力とは異なり、分析対象の弱点・攻略法等を解析することができる。

 

「私は治癒能力を持っています。あとは、弓矢で後方から援護するのが私の役割ですね」

 

 浪川礼子は回復特化の超能力者だ。一応、弓矢や【念力】で攻撃することもあるが、基本的には後衛で回復役に徹している。

 味方一人の状態異常と生命力(HP)を回復する【治癒】、味方一人の状態異常と生命力(HP)を完全回復する【快癒】、味方全体の生命力(HP)と封印状態を回復する【活力】の三種類の治癒能力と、障壁を展開して味方全体に状態異常・正気度(SAN)減少を防ぐ【加護】を施すのが主な役割だ。

 

「僕は、攻撃と回復の両方ができます。元警察官の師匠に体術の類を叩き込まれたので、前衛で戦うこともできます。と言うよりも、基本的には前衛を担っています」

 

 そして、探偵事務所組の中で唯一の前衛が九条大悟である。【光輪】や【光線】、彼の使用する超能力は殺傷能力が高すぎるため、人間等を相手にする時は【格闘技】で対処している。その【格闘技】は元警察官の師匠に仕込まれたものだ。

 また、【治癒】で仲間を回復することもできる。万能とは言えないが、前衛にも後衛にも対応できるオールラウンダーだ。

 

「前衛一人に後衛二人……なるほど、前衛と後衛が丁度二人ずつになるわけか」

 

「それはつまり、氷室さんも前衛で戦うということですか?」

 

「ああ。怪異と戦う時には格闘術と、怪異撃退用の【霊光銃】という特殊な銃を使っている」

 

 氷室の所持する【霊光銃】は対怪異用の特殊武器であり、通常の物理攻撃が通じない霊体にも攻撃を通すことができるが、怪異以外の存在には何の痛痒も与えられない。そのために怪異以外と戦う場合は【格闘技】で対応している。

 基本となる戦闘スタイルは「【格闘技】を主とする」という点で大悟と類似している。二人の違いは、超能力と霊光銃、遠距離攻撃の方法と回復能力の有無だろう。

 

「……よし、ここは二人一組に分かれるぞ。全員で行動するのは効率が悪すぎる」

 

「分かりました。では、組み合わせはどうしますか?」

 

「九条さんと浪川さんで一組。烏丸さんには俺と行動を共にしてもらう」

 

 本来、治癒能力を有する大悟と礼子は別々にするべきだ。氷室もそれは承知しているが、今回は戦力の合計値という観点で組分けをした。霊光銃はそれほど威力が高いわけではなく、一体の怪異を倒すのに複数発の弾丸を撃ち込む必要がある。それ故に治癒能力よりも、共に怪異を攻撃できる戦闘力をパートナーに求めたのだ。

 

 尚、実は健吾も【恵み】という味方全体の生命力を回復する超能力を行使できる。どの組分けでも回復持ちが分かれることは確定しており、偶然にも氷室は最良の組分けをしたことになる。健吾が氷室の組分けに何も言わないのは、それが理由である。

 

 そうこうしている内に氷室の運転する車は新S区にある駐車場に辿り着いた。後ろ向き駐車で自動車を停車させると、隣の車にドアをぶつけないように気を付けながら大悟達は車を降りる。そして、予定通り二人一組に分かれると、【菊川市S区】の調査を開始した。

 

 氷室と健吾は、区の北側から調査を進めることにした。すると、すぐに二人は出入口が一つしかない閉鎖的な公園に行き当たる。今日日、珍しく様々な遊具が設置されているその公園には、ステンレス製の滑り台の傍の砂場に幼い女の子の姿があった。

 

「……平日の昼間から一人遊びとは感心しないな」

 

「はい。今のこの町に子供一人というのは、流石に心配ですね。ご両親はどちらに……」

 

「あの子に聞いてみるか」

 

 氷室は、砂場で一人遊びする女の子に歩み寄る。その足音で気付いたのか、女の子は氷室と健吾の方をさっと振り返った。女の子を怖がらせないように、氷室は女の子に優しく話しかける。

 

「やぁ、こんにちは。いい天気だね」

 

 ピク、と女の子は肩を震わせる。

 

「おかーさーーーん!! おかーさん、助けてーー!!!」

 

 その直後、女の子は悲鳴を上げた。予想外の反応に呆然とする氷室を横に置き、人好きのする笑顔を浮かべた健吾はその場に腰を下ろすと、泣き喚く女の子に目線を合わせて話しかける。

 

「落ち着いてください。この人は、悪い人ではありません。こう見えて正義の味方なんですよ」

 

「嘘だッ!!! お母さんが言ってたもん! 知らないおじさんに声を掛けられたら大声で逃げなさいって!」

 

 実際、成人男性二人が女の子を囲い込む様子は不審者そのものである。親の教育が行き届いた子供故の当然の反応だった。尤も、心配から声を掛けた二人からすれば堪ったものではないが。

 

「――奈々ちゃん!!」

 

 その時、公園の入口から一人の女性が駆け寄ってきた。桜色のエプロンを身に着けたその女性を見て、女の子は嬉しそうな表情を浮かべた。

 

「お母さん!」

 

「こんなところにいたの……今はお家に居なきゃ駄目でしょう?」

 

「だって、ジッとしてられなくて……」

 

「よかった。親御さんがいらしたんですね」

 

 ふぅ、と氷室は安堵の吐息を漏らす。一方の女性の方は、自分の娘を取り囲む謎の成人男性二人を目の前にして、あからさまに警戒するような険しい表情を見せる。

 

「……あなたたちは?」

 

「菊川警察署の者です。本日から見回り強化ということで、現在このS区内を巡回中でして」

 

「そうですか。ウチの奈々がご迷惑をお掛けしました」

 

 氷室が警察手帳を見せると、女性は安心したように肩の力を抜いた。警察官と信用してくれるのは有り難いのだが、これだけで無条件に見知らぬ人を信用してしまうのは些か危険な行動だ。もう少し警戒心を持ってほしい、というのが警察官としての本音である。

 

「いえ、元気があって何よりです。ですが、母親であるあなただからこそ、お子さんに対して細心の注意を払って頂きたい。……こんな世の中です。何時、何が起きるか分かりません」

 

「……そうですね。何が起きるか……」

 

 それは、親子を心配するが故の厳しい言葉だった。その言葉を耳にした女性の表情は、見るからに陰鬱なものになる。自分の注意、それだけでは説明のつかない女性の表情を見て、違和感を覚えた氷室は再度、その女性に言葉を投げかけた。

 

「どうかされましたか?」

 

「お父さんがね……死んじゃったの」

 

「奈々!!」

 

 氷室の問いに答えたのは女性ではなく彼女の娘だった。家庭の事情を無闇矢鱈に口にした娘を叱るように女性が大声を上げると、女の子はボロボロのウサギのぬいぐるみを抱きしめる。

 

「すみません。そういうことですので……失礼します」

 

 母娘は公園を後にする。その後ろ姿を見送りながら、健吾は険しい表情で自らの推理を述べた。

 

「父親の死……このS区で起きている怪異事件と無関係とは思えないですね」

 

「……同意見だ。少し、この件について調べてみる必要がありそうだ」

 

 

 

 その頃、大悟と礼子は何事も無くS区の調査を進めていた。今の所、超常現象の類が起きている気配は感じ取れない。しかし、キリエル人の存在を知る大悟が警戒を緩めるはずがない。不意の襲撃に備えて、警戒を保ちつつ道を進んでいく。

 

「大悟くん、少しピリピリし過ぎよ」

 

 その様子を見かねたように、眉を顰めた礼子が口を開いた。

 

「すみません。けど、例のことが気に掛かりまして……」

 

「言いたいことは分からなくもないけど、今からその様子だと体力が保たないわよ」

 

 怪異事件に関わる以上は常に警戒を維持する必要はある。何時如何なる時でも手段を選ばずに襲い来るのが怪異という存在だ。しかし、大悟のそれは明らかに度を越していた。これでは、肝心な時に精神的疲労から注意不足に陥る可能性がある。

 礼子から【精神分析(メンタルケア)】を受けた大悟はその場で大きく深呼吸をした。スーッと息を吐くと共に緊張が抜け落ちていく。

 

「ありがとうございます。礼子さんのお陰で少しだけ落ち着きました」

 

「どういたしました」

 

 うふふ、と笑みを零す礼子からは大人の余裕というものを感じ取ることができた。それは、まだ若輩者の大悟は持ち合わせていないもの。今回、一緒に行動する相手が礼子で良かったと、氷室の采配に心の中でも感謝を述べた。

 普段の落ち着きを取り戻した大悟が礼子と共に調査を進めていくと、道端で話し込む主婦らしき二人の女性に出会した。

 

「このS区に引っ越してきた須藤さん。お亡くなりになったそうよ」

 

「知ってる……東側に新しく入った川野さんもそうなんでしょ?」

 

「ってことは、これで二人目?」

 

「怖いわよねぇ……」

 

 怪異事件を調査する大悟と礼子には、彼女達の噂話を聞き逃さなかった。二人の死者。このS区で頻発する怪異事件と関係があるかもしれない。互いに顔を見合わせた大悟と礼子は、主婦二人に聞き込みをすることにした。

 

「すみません。お聞きしたいことがあるのですが……お二人がお亡くなりになった、というのはどういうことですか? 最近、この辺りに来たばかりで……」

 

 自分も主婦ですよ、みたいな顔で礼子は主婦同士の会話に入り込む。

 

「……ああ、聞いてくださる? ここへ引っ越してきた須藤さんと川野さん。どうも不可解な死を遂げたらしいのよ」

 

「不可解な死……?」

 

「ええ、二人共ここへ来てから急にお亡くなりになったのよ。それも、この一週間の間にね」

 

「一週間……」

 

 丁度、コトリバコの事件が起きた日だ。やはり、この連続怪死に怪異が関係しているのはほぼ間違いないだろう。もう少し、その不可解な死に関する詳細な情報が欲しいところだ。

 

「偶然にしても怖いですね」

 

「偶然なんかじゃないわ。今日で三人目よ……!」

 

「「「「えっ!?」」」」

 

 突然、後ろからやってきた主婦が「偶然」という礼子の言葉を否定するように声を張り上げた。

 

「一週間前に一人目、四日前に二人目。そして今日、ここへ引っ越してきたばかりの井森宅の旦那さんが……亡くなったらしいわ」

 

「嘘……」

 

 三人目の被害者。主婦同士(+一人)の会話を立ち聞きしていた大悟は、更に被害者が増えたことにその表情を一段と厳しいものとする。

 

「呪いよ……これが呪いなんだわ! みんな……このS区に引っ越してきた人達は、呪い殺されるのよ!」

 

 道端会議をしていた主婦二人は悲鳴を上げ、逃げ出した。三人目の主婦もまたそそくさとその場を立ち去る。残された大悟と礼子は、主婦達から聞いたばかりの情報に関して意見を交わす。

 

「怪異……まさか、これが伝染?」

 

「でしょうね。確かに、これは今の内に手を打つ必要があるわ」

 

 中川良助――怪異事件の専門部署、特務課の長である彼が協力依頼を出すのも納得である。このまま放置しておけば、被害者の総数は膨れ上がるばかり。外部に協力を求めてでも、今の内に怪異の拡大を根絶する必要がある。

 

「いやああああああぁぁぁぁぁぁああああああぁぁ!!!」

 

 改めて、この町で起きている異常事態を認識した二人が調査を再開しようとしたその時、遠くの方から絹を裂くような()の悲鳴が聞こえてきた。その声を耳にした瞬間、大悟と礼子の二人は表情を一変させた。

 

「「所長!?」」

 

 

 

 それから少し前の出来事、氷室と健吾は『ムーンハイツ菊川』というマンションを訪れていた。

 

「……ここだな」

 

「はい。怪異センサーの反応が最も強いのはこの場所のようです」

 

 調査中、特務課の高木健二と遭遇した二人は【怪異センサー】を渡された。この怪異センサーは付近の怪異に反応して、ノイズを発生させるという仕組みになっている。そして、そのノイズ音が最も激しい場所がこのムーンハイツ菊川だった。

 別行動中の二人と合流する間にここに潜む怪異が別の場所に移動してしまう可能性がある。氷室と健吾は互いに頷き合うと、合流を待たずしてムーンハイツ菊川に乗り込んだ。

 

「怪異の気配がしたのは気の所為か? ……特に異変はないな」

 

「エレベーターがありますね。とりあえず、このエレベーターで各階を調べてみましょう」

 

「そうするか」

 

 氷室に確認を取った後、健吾は建物に入ってすぐ目の前にあるエレベーターのボタンを押した。

 

 ドンッ!!!

 

 その直後、建物の外から大きな衝突音が聞こえてきた。肩が驚きで跳ね上げる。咄嗟に、建物の入口の方を振り返った氷室と健吾が自動ドア越しに目にしたモノは――

 

「……!? 何の音だ!」

 

「氷室さん! 玄関の外を見てください! 飛び降りらしき死体があります!」

 

 グチャ、と潰れた男性の死体が転がっていた。死体を中心に大量の血が広がっており、遠目にも悲惨な状態にあるのが容易に想像できる。怪異・超常事件に携わる者として、死体程度は見慣れている二人は死体の方に歩み寄る。

 

「どういうことだ? このS区で一体何が起きている?」

 

「!?!?!?」

 

 しかし、その死体の向こうから歩み寄るソレを目撃した健吾は全身をガタガタと震わせた。目の前に転がる死体と同じ姿をした半透明の男が、眼球のない真っ黒な目を死体に、建物に、自分達に向けながら歩み寄ってくる。

 異界生物等の異形の存在には耐性のある健吾だが、未だに幽霊の類は強制正気度減少が発生するほどに苦手であり、まるで旧支配者に追い詰められたように怯えていた。

 

「だ、ダメです……! あれを見ては……!」

 

 チーン、と背後からエレベーターの到着音が聞こえる。反射的に二人が振り向いた先には、人の形をした半透明のナニカが――

 

「いやああああああぁぁぁぁぁぁああああああぁぁ!!!」

 

 前門の幽霊、後門の怪異。悲鳴を上げた後、健吾はスッと眠りに落ちるように意識を失った。

 

 

 

 

CASE 2

裏S区

 

 

 

 

 




九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP  14/14
SAN 65/65

浪川礼子
Lv  30
HP  48/48
MP  15/15
SAN 70/70

烏丸健吾
Lv  30
HP  40/40
MP  12/12
SAN 55/55


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旧23話 生ける屍

「氷室さん!! 氷室さん、大丈夫ですか!」

 

「くっ……一体何が……」

 

 氷室が目を覚ますと、別行動を取っていたはずの大悟の顔が視界に飛び込んできた。あちこち痛む体を起こし、周りの状況を確認する。大悟と同じく別行動中だった礼子が、直前までの自分と同じように意識を失い、床に倒れる健吾を介抱している。

 

「俺は気を失っていたのか?」

 

「ええ。僕達が駆けつけた時には、二人共、ここで倒れていました」

 

「そうか……すまない、迷惑をかけたな」

 

「氷室さん!? ちょっ、何処に行くつもりですか!?」

 

 氷室は立ち上がると、大悟の制止を振り切り、そのまま入口の方に歩き出した。しかし、外の景色の見える位置まで来たところで、氷室はピタリとその足を止めた。

 

「死体が消えている……?」

 

「死体?」

 

「俺達が意識を失う前に、飛び降り自殺が起きたはずなんだが……あれも怪異だったのか?」

 

 そこには、気絶する前に氷室が見たはずの自殺死体が存在していなかった。死体どころか血痕すらも残されてはいない。同じ区内にいた大悟と礼子の二人が駆けつけるまでの短時間で、ここまで綺麗に死体を処理するなど人間には不可能だ。もしやあの飛び降りも怪異の引き起こす心霊現象の類だったのか、と氷室は首を傾げる。

 

 何れにせよ、まずは怪異を発見したと報告を上げるべきだろう。氷室は内ポケットからスマホを取り出すと特務課の上司である中川に電話をかけた。怪異事件に於いては一分一秒を争うような事態も珍しくはないため、普段であれば、捜査員からの電話にはすぐに出てくれる。

 尤も、それは中川と連絡を取ることが出来ればの話である。氷室からの電話に中川が出ることはなく、それどころか氷室のスマホからはジジジと耳障りなノイズ音だけが聞こえてきた。

 

「……くそっ、携帯が壊れている。まさか、この怪異センサーの影響か?」

 

 え? と鞄の中からスマホを取り出した大悟は礼子のスマホに電話をかけてみる。すると、直ぐ側からスマホの着信音が普通に聞こえてきた。後から来た二人のスマホは壊れていないようだ。その様子を見て、意識を取り戻したばかりの健吾が血の気のない顔で自らの推測を述べた。

 

「いえ、どうやら例の怪異が僕達のスマホを破壊したようですね」

 

「……連絡手段を断つだけの知能はあるというわけか」

 

 厄介だな、と顔を顰めた氷室は傍らに立つ大悟に視線を向ける。

 

「九条さん、スマホを貸してくれないか? 中川……俺の上司と連絡を取りたい」

 

「分かりました。そういうことなら、どうぞ、使ってください」

 

 大悟からスマホを借り受けた氷室は特務課の電話番号を打ち込んだ。『血染めの電話番号』等の怪異を警戒している中川は、知らない電話番号からの着信には出ないことにしている。それを知る氷室は、特務課の固定電話に電話をかけた。

 

『はい、こちら菊川警察署』

 

「ヒナか」

 

 数秒ほど間が空いた後、電話に出たのは目的の中川ではなく金森雛子だった。そう言えば、今回の調査で情報伝達を担当するのは雛子(ヒナ)だったな、と思い出しつつ、氷室は手短に要件を告げる。

 

「中川に代わってくれ」

 

『氷室? ……珍しいね。いいよ。じゃあ転送します』

 

 再度、数秒の間が開く。今度こそ目的の人物が電話に出た。

 

『どうしました? 氷室さん』

 

「俺達の居るS区内で怪異が出た。真っ昼間からだ」

 

『ほう……』

 

「そいつが無差別に厄をバラ撒くようであれば、必ず膨大な被害が出る。一先ず、市民の安全を確保したい」

 

『……了解しました。では、そのS区内から怪異が漏れないよう厳戒態勢を取ります』

 

 よし、と息を吐く。これで市民の安全は確保できる。後は、

 

『氷室さん、あなたはその怪異を迅速に処理してください。そのための戦力は用意してあります』

 

「ああ」

 

 怪異を処理するだけ。氷室は、中川からの命令に迷うことなく了承の意を伝える。普段通りの頼もしい返事に、電話の向こうで口元を緩めた中川は、『では』と言い残して電話を切った。

 

「……というわけだ。悪いが、あなたたちにも――」

 

「皆まで言わないください。元々、僕達はそのためにこの菊川市に来たのですから」

 

 ようやく調子を取り戻した健吾が探偵事務所組の総意を伝える。氷室が三人の顔を見れば、その顔にはやる気が満ち溢れていた。無理無茶無謀の類ではなく、自分達ならば怪異に対処できるという確かな自信を感じ取れるその表情に、特務課の人員不足から普段は単独で怪異に立ち向かうことの多い氷室は、今までにない心強さを感じていた。

 

「ああ、頼む」

 

 そう言って、氷室がマンションの外に出た――その瞬間。

 

「グオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」

 

 建物の中からは壁の死角になって見えない横の方からナニカが凄まじい勢いで突進してきた。不意打ち。その猛牛もかくやという突進速度も相まって普通の人間では回避不可能。だが、幾つもの怪異事件を解決してきた氷室が普通の人間であるはずがない。即座に情報を把握した氷室は、前方に飛び出すことで横からの不意打ちを回避。腰のホルスターから霊光銃を抜くと、突進してきたナニカの後頭部に六発の弾丸を撃ち込んだ。

 

「こいつは……さっきの!!」

 

 襲撃者の正体――それは、目が覚めた時には姿を消していた自殺者の遺体だった。落下した時のままの全身の彼方此方が損傷した死体が人間離れした身体能力で動き回る。目の前にいる存在が怪異であるのは火を見るよりも明らかだというのに、怪異センサーはまるで反応を示さない。

 

(高木め、また不良品を……)

 

 後頭部に弾丸を受けたはずの生ける屍は平然とした様子で氷室の方を振り返る。歪み、変形した顔で氷室を睨みつける生ける屍は、負の念の限りを込めた咆哮を上げると、氷室目掛けて真っ直ぐに突進してきた。

 

 氷室は身を屈めて生ける屍の脇の下を潜り抜けるように突進を回避すると、右足を軸に体の向きを反転させ、自身に背中を向ける生ける屍の両膝に霊光銃の弾丸を三発ずつ撃ち込んだ。霊光銃の威力では膝を打ち砕くまでには至らないものの、体を支える関節部に銃撃を受けた生ける屍は崩れ落ち、地面に両手と両膝をつく。

 

 その背中を全力で蹴り倒した氷室は、生ける屍の体を片足で抑え込みながら一切の容赦なく霊光銃の弾丸を只管に撃ち込む。その見事な早業には大悟達も呆気に取られてしまう。最初は助けに入ろうとしたのだが、助けに入る間もなく怪異を制圧してみせた。

 

「つ、強い…!」

 

「これが特務課のエース…氷室等の実力。まさか、ここまでの実力者だったなんて…」

 

 予想以上、等という陳腐な言葉で評価できるようなものではない。大悟は、自分達のような超能力を持たぬ身でありながら、この域まで肉体と技術を鍛え上げた氷室に尊敬の念を抱いていた。大悟も【格闘技】を身に付けているが、氷室のそれと比べれば児戯も同然である。仮に【格闘技】のみで真っ向から戦えば、一方的に敗北することになるだろう。それを確信するほどに、氷室との間には隔絶した実力差があるのを感じ取っていた。

 

「ですが、怪異の方も異様なまでのしぶとさです。このまま見ているわけにはいきません」

 

 十、二十、三十と弾丸を撃ち込むが、それでも息の根が止まる気配はない。実弾ではなく霊力の弾丸を発射する霊光銃に弾切れという概念はないが、このままでは生ける屍を滅するのにどれほどの時間を要するか分からない。

 

「氷室さん、退いてください!」

 

「っ!」

 

 健吾の言葉に、氷室が生ける屍の上から飛び退く。直ぐ様、生ける屍は身を起こそうとするが。

 

「【念力】!!」

 

 技能:【念力】

 九条大悟 :MP 14- 4=10

 

 技能:【銀の兆し】

 九条大悟 :MP 10+ 1=11

 

 起き上がりかけた生ける屍の体を抑え込むように不可視の圧力が降り注ぐ。その辺りの怪異が大悟の【ウルトラ念力】に抗えるはずもなく、異能のみならず体の動きすらも【封印】される。

 その間に、健吾は鞄の中から自らの武器を取り出していた。大型の銃器にも似たソレを見た氷室はギョッと目を見開く。礼子の「特例で銃火器の生成・所持・使用が認められています」という説明には、流石の氷室も「は!?」と驚愕の声を上げた。

 

「まずは動きを封じます!」

 

 引き金を引く(Pull the Trigger)。大型銃器の銃口から放たれる青白い光が倒れ伏す生ける屍に命中すると、光を浴びた場所から生ける屍の体が凍りついていく。異界の技術で作られた【冷凍銃】の冷凍光線は人ならざる者すらも容易に凍てつかせる。

 

 以前、説明したように烏丸超常探偵事務所はD・D・Lと協力関係にある。怪異等の超常現象を高次元からの干渉によって発生しているものとして研究を進めているD・D・Lでは、その高次元を異次元と見ていることから異次元空間の研究を行っている。

 その研究の成果こそがゲートと命名された異次元空間の入口である。このゲート内部の空間を調査することも烏丸超常探偵事務所の仕事の一つだ。

 

 異次元空間と言っても、D・D・L側で保護した空間の一部であり、広大な異次元空間のほんの一部でしかない。また、ゲート内部の空間はホールと同じ性質を持っており、ホールと同じように異形の存在の巣窟となっている。

 そのため、普通の人間ではゲート内部の空間に侵入することはできず、異形の存在に対抗できる力を持つ烏丸超常探偵事務所が内部調査を引き受けている。

 

 調査の際にはゲート内部の空間に安全な通路を設置するのだが、この通路には異次元から紛れ込んだ様々な道具が落ちている。原理は不明だが、異次元空間には様々な次元から様々なモノが紛れ込んでおり、その中には人間以外の技術で作られた道具や武器も存在している。

 健吾の使用している【冷凍銃】もそのような異界由来の武器の一つ。異界の文明が作り出したこの武器は怪異相手にも十分な威力を発揮する。

 

「大悟さん! トドメはお願いします!」

 

「はい! 【ゼペリオ――」

 

 技能:【銀の兆し】

 九条大悟 :MP 11+ 1=12

 

 技能:【光を継ぐもの】

 九条大悟 :MP 12+ 2=14

 

 技能:【光線】

 九条大悟 :MP 14- 9= 5

 

 完全に凍りついた生ける屍に向けて大悟は両腕を突き出す。交差させた両腕を大きく横に広げたところで、大悟は視界の隅に青い炎を幻視した。両腕の間に溜めたエネルギーで、咄嗟に自分達四人を覆う光の障壁を作り出す。

 

 技能:【煉獄】

 ???  :MP ??- 6=??

 

 その直後、生ける屍を中心に噴き上がる火柱が辺り一帯を包み込んだ。突然の事態に障壁を展開した大悟自身も理解が追いつかない中、炎の中から一つの影が障壁に向けて突進してきた。

 

「……っ、こいつ! このまま障壁を破るつもりか!!」

 

 煉獄の炎を纏う生ける屍はその強大な膂力で光の障壁に何度も殴りかかる。膨大な力を込めた光の障壁はそう簡単に壊れるようなものではないが、このまま人外の膂力で殴られていたら、そう遠くない内に障壁を破壊されてしまう。

 そうはさせまいと障壁の中で礼子と氷室が各々の武器を構えた。礼子は【コンパウンドボウ】に【鉄の矢】をつがえ、氷室は霊光銃の引き金に指をかける。

 

「消えなさい!」

 

「地獄に落ちろ!」

 

「グオオオオォォォォォォォォォォ!?」

 

 右目に矢を、左目に弾を。両方の目を同時に潰された生ける屍は悲鳴を上げ、視界を覆い隠す火柱の中にその悍ましい姿を消していく。

 それから数秒後、火柱が消えた頃には既に生ける屍の姿はなく、焼け焦げた駐車場のみが残されていた。障壁の外ではアスファルトがドロドロに溶けており、並んでいた自動車の外装も液体状となり地面に流れ落ちていく。もはや、あの車達がその役割を果たすことはないだろう。

 

「こんなことが……」

 

 目を疑うような惨状に氷室は呆然とするしかない。これまで『怪異症候群』を含む多くの怪異事件を解決してきたが、これほど物理的に甚大な被害を齎す怪異は見たことがない。健吾はそんな氷室の肩を叩くと、振り向いた彼に何時になく真剣な面持ちで告げた。

 

「…氷室さん、急いであの怪異を追いかけますよ。このまま放置するわけにはいきません」

 

 その言葉に無言で頷いた氷室は、大悟達三人と共に生ける屍の追跡を開始した。

 

 

 

 怪異センサーが役に立たない以上は自らの感覚を頼りにするしかない。生ける屍からの奇襲に備えて大悟達は四人全員でS区を歩き回る。そうしてS区を調査していた四人がとある民家の前を通り過ぎようとした時、

 

「天符到處、回死作生、神硯有勅、衆神護佑。誅戮凶悪、滅跡除形、急々如律令」

 

「!!」

 

 謎の呪文らしきものを口にする中年男性の石ころを投げつけられた。反射的に石ころを受け止めた氷室は「待て!」と声を上げるが、その中年男性は何も言わずに逃げ出そうとする。

「……逃がすか!」

 

「ぐえっ!?」

 

 それを許すような大悟ではない。自分の足を中年男性の踏み出した足の甲の上に差し出すように当てることで、逃げ出そうとした中年男性をうつ伏せになるように転倒させる。悲鳴を上げる中年男性の両腕を掴み上げ、背中を片足で押さえつけ、逃げられないように拘束してみせる。その流れるような逮捕術には警察官の氷室もほう、と息を漏らした。

 そのまま押さえ込んでおくように伝えると、氷室は石ころを投げてきた中年男性を問い詰める。

 

「目的は何だ? お前はこの怪異と何か関係があるのか?」

 

「怪異……な、なんで……」

 

「その様子だと何か知っているようだな。話はそこの公園でゆっくり聞かせてもらおうか」

 

「ひっ!? は、話します! ちゃんと話しますから許してください!」

 

 氷室の鋭い眼光を浴びた中年男性は蛇に睨まれた蛙のように体を竦ませていた。怯えながら、口にしたその返答を聞いた氷室は、中年男性を押さえ込んでいる大悟の方に視線を向ける。

 

「九条さん、解放してやってくれ」

 

「……いいんですか?」

 

「ああ、この男からは犯罪の臭いがしない。どうやら、ただの通り魔というわけではないようだ」

 

 分かりました、と氷室に答えた大悟は中年男性を拘束から解き放つ。直ぐ其処に有る民家がこの中年男性の家らしく、人目につく公園ではなく家の中で事情を話すと告げた中年男性の案内で、大悟達は、その中年男性…本名、中島三枝(ナカジマ・サンシ)の家に足を踏み入れた。




九条大悟
Lv  31
HP  50/50
MP   5/14
SAN 65/65

浪川礼子
Lv  30
HP  48/48
MP  15/15
SAN 70/70

烏丸健吾
Lv  30
HP  40/40
MP  12/12
SAN 55/55


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旧25話 三ヶ月

「……氷室さん!」

 

 無事、奈々を家族の下に送り届けた大悟達は、一度、調査状況を報告するために菊川警察署へ戻ることにした。陽が沈み、次第に空が夕焼けに染まり行く中、一行は菊川警察署に到着する。警察署の中に入る一行に声をかけたのは、セーラー服を着た一人の少女だった。

 

「美琴くん?」

 

「お知り合いですか?」

 

 ええ、と健吾の問いに頷いた氷室は不安そうな表情をするその少女と向かい合う。

 彼女の名前は姫野美琴。三ヶ月前に発生した怪異症候群の被害者であり、同じく怪異症候群の被害に遭った神代由佳と共に、事件解決後の現在も氷室が面倒を見ている少女の一人である。

 烏の濡羽色の豊かな黒髪を背中まで伸ばしており、頭の両サイドにトレードマークの赤いリボンを結んでいる。赤みを帯びた大きな瞳は神秘的な雰囲気を感じさせる。大抵の人に好印象を与えるだろう、APP14の可愛らしい美少女だ。

 氷室の姿を正面から見た美琴は「よかったぁ~」と安堵の溜め息を吐いた。

 

「何故警察署に? まさか、また怪異に襲われたのか?」

 

「私の方は大丈夫です。その、誰かが私に変な電話を掛けてきて……」

 

「電話?」

 

「はい、氷室さんが危ないって……」

 

 美琴の言葉に、氷室は怪訝な顔をする。

 

「……それは確かに変だな。念の為に聞くが、剛の馬鹿じゃないだろうな?」

 

「いえ、違います。声は男の人だったんですけど……」

 

 氷室と美琴の関係を知る者はそれほど多くない。氷室が嫌疑を向けた加賀剛は二人の関係を知る数少ない一人であり、霧崎翔太と共に怪異症候群の解決に協力した氷室の友人だ。氷室の脳内で加賀が「そりゃあ……ねえってもんだよ!」と抗議の声を上げているが、怪異関係の問題をよく引き起こす筋金入りのトラブルメーカーには当然の扱いである。

 しかし、美琴本人の証言で加賀の容疑は否定された。もう一人の協力者である霧崎翔太がそんなことをする人物ではない以上、残る可能性は……。

 

(……まさか、特務課の人間か?)

 

 氷室を除き、特務課に所属する職員は四名。この内、金森雛子に関しては、性別を理由に被疑者リストから除外されるので、中川良助、高木健二、小暮紳一の三人が被疑者となる。本当に彼等が犯人なのかは不明だが、氷室はその犯人の行動に苛立ちを覚えていた。

 姫野美琴は一般人である。仮に特務課の中に犯人がいるとすれば、その人物は警官失格だ。もうこれ以上、彼女を此方側に関わらせるべきではない。

 

「いいかい、美琴くん。君はもう普通の高校生なんだ。また自分から首を突っ込むことはない」

 

「……はい、でも」

 

「でも、じゃない。あまり大人を困らせるな」

 

「す、すみません」

 

 氷室の言葉に、美琴は硬い表情で俯いてしまう。

 

「俺達の仕事は、もう君には関係のないことだ。何か用があるなら後にしてくれ」

 

「……分かりました」

 

 意気消沈した美琴の姿に、礼子は「はぁ」と溜め息を漏らす。数秒、氷室に非難するような眼差しを向けた礼子は、肩を落としたまま警察署を立ち去ろうとする美琴の背に呼びかけた。

 

「待ってちょうだい!」

 

「え…?」

 

「氷室さん。あなたも物騒な世の中なのは知ってるでしょ? こんな時間に女の子を一人で帰らせる訳にはいかないわ」

 

「……それは」

 

「私がこの子の面倒を見てるから中川さんに報告してきてくれない?」

 

 優しげに微笑む礼子だが、その言葉には有無を言わさぬ威圧感を含まれていた。漫画ならば、背景に「ゴゴゴ・・・」という文字が描かれていそうなほど凄みを帯びていた。それこそ、多くの怪異事件を解決に導いてきた氷室が押し黙るほどに。

 

「それなら僕も残ります。……多分、僕がいない方が話せることもあると思いますから」

 

 大悟も礼子に同調する。入所三ヶ月の自分が一緒では話し難いこともある、という口にした理由も嘘ではないが、氷室に袖にされた美琴を心配する気持ちが心の多くを占めていた。

 

「分かりました。では氷室さん、中川さんには僕達二人で報告に行きましょう」

 

「……ああ」

 

 憮然とした表情で頷いた氷室は健吾と二人で奥の部屋に進んでいく。その様子を見送った後、礼子は美琴はソファに座るように促した。ソファと反対側の壁に背中を預けた大悟は、少し距離をおいてソファに腰を下ろした女性二人に視線を向けた。

 

「あたしは浪川礼子。あなたの名前を聞いてもいいかしら?」

 

「……はい。私は姫野美琴です」

 

「美琴ちゃん、ね。素敵な名前じゃない」

 

 物理的距離を詰めないままに、礼子は美琴との精神的距離を詰めに行く。

 

「ホント、男の人って勝手よね」

 

「えっと、その……」

 

「氷室さんのこと、好きなんでしょ?」

 

「え、えぇっ!?」

 

 あわわわ、と美琴が顔を真っ赤にして慌てふためくのを礼子は微笑ましげに見つめていた。

 

「ど、どうして…?」

 

「あら。あたしも女の子なのよ? 見れば分かるわよ」

 

「女の子……?」

 

 等と、大悟が割と失礼なことを口にすると、礼子は大悟のことをギロリと睨みつけた。

 

「何か…?」

 

「…いや。礼子さんは女の子と言うよりも大人の女って印象があって…」

 

「あら、ありがとう。けど、女の子の方が個人的には嬉しいわね」

 

「うーん。女心って難しいなぁ……」

 

 女の子、という言葉に疑問を抱いたのは何も悪い意味ではない。大悟にとっての礼子は頼りになる大人の女なのだ。今日もキリエル人の件で焦っていた大悟を窘めてくれた。本人は褒め言葉のつもりなのを悟ってくれたのか、礼子も直ぐに矛を収める。

 この辺りは日頃の行いが良いからだろう。これが凛太郎であれば、正気度が削れるほどの迫力で睨みつけられたはずである。

 

「それで? どうして美琴ちゃんは氷室さんのことが好きになったの?」

 

「三ヶ月前、氷室さんに怪異症候群から助けてもらったんです」

 

「怪異症候群?」

 

「はい。『ひとりかくれんぼ』を発端とする怪異の連続発生事件です。その時、私は何度も氷室さんに守ってもらいました。だから今度は私が、と思って……」

 

 徐々に言葉尻が小さくなる美琴に大悟はやや苦笑気味に告げる。

 

「男としては、女の子を危険なことに関わらせたくないって気持ちはわかるけどね」

 

「それで女の子の気持ちを蔑ろにしていたら本末転倒よ」

 

「それね」

 

 氷室の気持ちは理解できる。女の子で、高校生で、一般人の美琴には元の生活に戻ってほしい。

 だが、その願いは氷室個人のものでしかない。美琴の人生は、美琴だけのものであり、それをどう生きるのかは美琴自身が自己責任で決めるべきものだ。氷室の意志で、無理に押し付けていいようなものではない。

 

「けど三ヶ月前か……丁度、僕がこの仕事に就いた頃に起きたのか」

 

「え、そうなんですか?」

 

「うん。僕が今の職場…烏丸超常探偵事務所に就職したのは4月8日のことなんだ」

 

 大悟は目を瞑る。その瞼の裏には、全ての始まりの日の光景が鮮明に映し出されていた。

 

「…そう。全ては、4月7日の夜に送られてきた水晶玉から始まったんだ」




九条大悟
Lv  32
HP  50/50
MP  14/14
SAN 65/65

浪川礼子
Lv  31
HP  48/48
MP  15/15
SAN 70/70

烏丸健吾
Lv  31
HP  40/40
MP  12/12
SAN 55/55

氷室等
Lv  30
HP  48/48
MP  11/11
SAN 55/55


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