洋館少女の暮らしぶり (あるいてごろりと)
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父と母

私の名前はリサ・トレヴァー。

かなり裕福な生活を送れている一家の1人娘である。

学校が休みの日には、ピアノを習っている。

日記を書くのも趣味で、日々の出来事にコメントを添えるように書くのが好きである。

父のジョージ・トレヴァーは洋館や研究所を設計したすごい人である。

仕事と家庭をどちらも大事にする人で、定時には家に帰ってくるし休日には豪華なパーティーにたくさん参加させてくれた。

 

4週間かけて海外旅行にだって連れていってくれたわ。

父は、言っていた。

「有給休暇は飾りじゃないんだよ。」

 

ある日、父がしょんぼりして帰宅していたから母が理由を聞いたら、有給は飾りじゃないことを洋館の建設作業者に言って反感を買い怒られたと言っていた。

俺悪くないのに・・・、とぼやく父とあなたが悪いとしかる母と過ごす時間は刺激だらけで毎日が楽しかったわ。

 

ただ、時折KYな父と喧嘩をすることもあった。

洋館建設がそう・・・、最初は私だって大仕事だと張り切る父を応援していたのよ。

けれど、洋館に私の肖像を描いたステンドグラスを設置したいと言い出した時には、自慢の父親であっても猛反対した。

14歳の娘の絵を自宅でもない所に置くなんて、何を考えているのかしら。

 

可愛い娘の事でも仕事に私情を挟まないで、とお怒りの母が日本のれすらー?から学んだコブラツイストという技をかけても父は発言を撤回しなかった。

顔を真っ赤にしながら、

「トレヴァーの名においてここは絶対に引かん!」

と言っていた。

一家の総意であるかのように言わないでほしい。

何だか父の執念が怖かった。

 

母のジェシカ・トレヴァーは優しい人だ。

それと絵を描くのが趣味で、学校で絵画の宿題が出た時には母に付き添ってもらったことが何度かある。

母の絵は繊細なタッチだが、角度を変えてみると力強さを感じることもある。

おしとやかだがプロレス好きな母らしい絵である。

けれど、キャンバスの隅に『闘魂』と書くのはいただけない。

 

記憶の限りだと私に対して怒ったことはない。

お嬢様学校に通っていたから、その人柄は教育の賜物なのかもしれない。

ただ、めったにないが妄言が出てくる人だ。

 

私がまだ5歳頃だったろうか・・・、今より小さい子どもの頃に変な夢を見た。

何かに追われる夢である。

その何かが恐ろしくて私は泣きながら逃げる夢を見た。

深夜に両親の寝室に駆け込んで夢の内容を話した。

母は私たちの先祖はイタコで、子孫の私たちにもわずかばかりその血が入っていると説明した。

その血が、あなたに未来を見せただろう、と。

私は家系図を取り出し、先祖に日本人がいないことを説明した。

日本と縁を持ちたがるのは、その国のれすらーが好きという理由だけでしょう?と問い詰めた。

母は頬を膨らまして寝てしまった。すねたのだ。

まぁ、次に言うのはそんな未来を打破するためにもプロレス技を覚えなさい、とかだろうし却って良かったのかもしれない。

 

そんなこともあったが普段の母は優しくて怒らないし料理もできるし、父へのプロレス技で粛清するとき以外は上品で大好きである。

 

ある日、父がパーティーに行こうと言った。

父のお得意様が私たち一家を是非とも招待したいとのことだ。

うんとおめかしをして行った。

 

お得意様は、オズウェル・E・スペンサー卿というらしい。

今日行くところは洋館ではなく、スペンサー卿の本邸らしい。

その大豪邸を前にして私は呆然としてしまった。

私たちの家の何倍ぐらいあるのだろうか・・・、もしかしたらつ抜けして二桁に達しているかもしれないぐらいの大きな庭と家だった。

できれば私をここの召使いに雇ってほしいぐらいだ。

両親をチラチラと見て奉公させてくれアピールをした。

けれども父が、このまま犬になりたいとか言い出して目が覚めた。

召使いの娘と犬の父が同居なんて嫌すぎる。

ご飯や散歩が私の当番だったら、いくら給料が良くても即退職届を提出することだろう。

 

淡い期待をどぶに流された気持ちになり、テンションが低いまま私は大豪邸の門をくぐった。

 

 



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スペンサー卿

重い足取りのままスペンサー卿の大豪邸を訪れた私。

シンプルだがお金持ちのシンプルゆえに高いであろう扉を前にして私は帰りたくなった。

母はニコニコしている。これからのパーティーが楽しみなのだろうか。

緊張しているのか、貼り付けたような笑顔にも見れる。

周囲から怖がられないか、あの表情。

父はずっとはぁはぁと言っている。何に興奮しているのか知らないがやめてほしい。

正直隣に立つのも嫌である。

 

扉が開くと初老の男性が現れた。

恐らく執事長であろう。

後ろには若いメイドと執事が首を垂れる。

 

「ようこそいらっしゃいました。秋も深まり本日は風がやや強く冷え込むでしょう。どうぞ中へ入り暖をお取りください。」

 

「はぁはぁ・・・、本日は招待はぁ・・・、頂きありが・・・はぁはぁ・・・とうございますはぁ。」

 

「・・・・・・。」

 

執事長は微笑んではいたが、この沈黙の間は父のことを気の毒な人だと考えている時間に違いない。私が恥ずかしい。

母は父の背中をさすっている。優しいけど甘やかしすぎ。

何で父は走ってもないのにこんなに息が荒いんだ。

体が原因でなければ、何かを考えているからだろう。

・・・やめよう。

 

執事長に案内されたのは、入り口すぐのホールと客室であった。

主への挨拶は今すぐでなくて構わないそうだ。

その間に一度身体を休めてください、とのことだった。

早くも病人扱いだ。

 

父はポケットからおもむろに錠剤を取り出しそれを飲んだ。

私は興味本位で聞いた。

 

「なにそれ?」

 

「バファ〇ン」

 

「頭痛?それとも熱でもあったの?」

 

父でも体調不良を起こすのが意外だったが、私はこれを好機と捉えた。

父の看病を理由に帰ろう。

私には私専用のふかふかベッドが待っている。

今日ははよう寝たいのだ。

もっともその理由の大半が父なのだが・・・。

今ばかりは感謝しよう。

 

だが、私の予想に反した返答を父がしてきた。

 

「いや、半分のやさしさの効能ってどんなんだろうと思って。」

 

知るもんかい。

そんなチープな考えで医学の結晶を飲まないでほしい。

 

「あら、あなた。私の優しさじゃ足りないんですか?」

 

母がバファ〇ンに嫉妬しかけている。

 

「いや、君には到底及ばないよ。これは私には必要ないようだ。

困ったモノにあげるとしよう。」

 

惚気た空間から早くでたいと考えていたところで、コンコンと扉がノックされた。

 

「どうぞ。」

 

父が答えた。

 

ガチャリと開いた扉の奥には、男性の老人が立っていた。

足が良くないのか杖をついている。

老人は私たちの姿を見ると口元に笑みを浮かべた。

 

「よくぞ来られた、トレヴァー君。

顔を会わせるのは建築相談の時以来だろうか。あれから君の手で作り上げた家で悠々自適な生活をさせてもらっているよ。

執事長からお加減が優れないとうかがったのだが、具合はいかがだろうか。」

 

老人は父に愛想よく笑顔を振りまいている。

それにしても、パーティーを開いておいて悠々自適とは大富豪の感覚はよく分からない。

 

「これはスペンサー卿。こちらから挨拶に行けずに申し訳ない。

具合のほどは先ほど薬を塗って問題なくなりました。」

 

どうやら屋敷の主が来たようだ。父は普通の人のように振舞っている。

あと、飲み薬だったよね?

 

「ふむ。私の知り合いの名医に来てもらおうかとも思ったのだがそれは何より・・・しかし、我々の再会に水を差すようなマネをした敵はどんな輩なのかね?」

 

スペンサー卿は軽くおどけたような表情で質問をした。

 

「水虫です。」

 

父は屈託のない笑顔で答えた。

途端に空気が冷え込む。

スペンサー卿以前に実の父の感性が私には分からなかった。

私が沈黙の中で天を仰いでいると、突然静寂がかき消された。

 

「くっく・・・、ハハハハハ!

能ある鷹は爪を隠すとは君のような人を差す言葉なのだろうな。

いやはや、私の要望を全て叶えてくれた設計者の言葉とは思えないよ。

いや、失礼。今の発言に侮べつの意はない。

むしろ君の能力を理解する数少ないであろう関係者であることを光栄に思うよ。

さぁ、パーティーはもう直に始まる。

君たちにも是非とも楽しんでもらおう。」

 

最後の言葉を言う時に、スペンサー卿は私と母にウインクをした。

涙が出そうになった。

何か大きな試練を乗り越えたことで心が打ち震えたために出た涙だ。

スペンサー卿の寛容さには敬意を表しよう。

私はこのパーティーを素敵な老人のために満喫することを決めた。

 



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パーティー

時計は夜の時間帯を指していた。

案内された大広間では、すでにパーティーの準備は整っている。

壁の各所にかかるランタンには火がついていて、天井では大きなシャンデリアが煌々と光を灯していた。

室内は、まぶしくないほどの暖色系の明かりに満ちている。

 

テーブルクロスのかかった丸いテーブルが8つばかり一定の間隔で円を作るように配置されており、その上には一流シェフが腕を振るったであろう豪勢な料理が置かれていた。

 

各テーブル付近では、きれいなドレスやスーツを着た人々がそれぞれ周囲の人たちへ挨拶をしている。

恐らく高位の貴族階級の人たちなのだろう。

私が今まで経験してきたパーティーの中で間違いなく一番位が高い人たちが集まっている。

親戚やお友達感覚の挨拶は怪訝な顔をされないだろうか?

貴族の挨拶ってなに?思考がぐるぐるしてくる。

やっぱり帰りたくなってきた。

 

「今宵は洋館完成記念パーティー、言わばあなた方トレヴァー家も主役です。

どうぞリラックスしてお食事やご歓談をお楽しみください。」

 

ガチガチに固まっている私を気に掛けてか執事長が話しかけてきた。

素敵なダンディの心遣いに少しばかり気持ちが楽になる。

私が彼に少し頭を下げると、ニコリと笑顔を返してくれた。

この人レディの扱いに手慣れていることね。気を付けなくっちゃ。うふふ。

 

スペンサー卿は貴族を前にしても明朗快活な挨拶をしており、パーティーは落ち着いた様子で始まった。

 

それにしても貴族様は光りたい人ばかりなのだろうか。

キラキラして人が眩しい。

2000年ぐらい前なら皆神様扱いをされていただろう。

頭からつま先までいくらのものを身につけているのだろうか。

人柄はまだ分からないが、資産だけで考えてもお近づきになりたくなる。

彼らが札束ではたいてくるのなら喜んでこの頬を差し出そう。

 

「コンクリート打ち放しの大広間ってなんか雰囲気暗くなるよな~。」

 

父がなんかケチをつけている。

 

「ちょっとお父さん。人ん家に文句言わないでよ。」

 

「でもさ、リサ。崖際にお城のような家を建てたいなんて幼稚じゃない?

 嵐が来たら減速する前に直にぶつかってくるだろうし、崖崩れが起きれば大豪邸が一発おじゃんだし。」

 

「そうかもしれないけど。それなら今後も関係を続けていくためにも、設計者としてアドバイスをした方がいいんじゃないの?」

 

「洋館とは別でこっちの邸宅は人様が設計したものだから変に口をはさめないんだよ。完成したものに今更、って話だしな。

それに貴族として名高いスペンサー卿の要望だぞ?

俺が口なんか挟めばアメリカ合衆国では暮らせなくなるぞ。

毎日ジャム無し乾パンの生活になってもいいのか?」

 

「自分に正直なお父さん大好き。いつも働いてくれてありがとう。」

 

「そんなほめんなよ。ほめても小遣いぐらいしか出ないぞ。」

 

ちょろいもんである。

意図しない所でお小遣いをもらう約束もできた。

帰ったらそのお小遣いで新しいキャンバスでも買おう。

母と一緒に私たち2人の絵画を描こう。

しかし、家主相手に水虫発言できるメンタルの父ならちょっとぐらい何か言っても問題ないのではないだろうか。

もはやアレな人として見られているだろうし。

それとも貴族には何かしらの一面があるのかしら。

スペンサー卿にはどんな権力があるのだろうか、と思案していると父が声をかけられた。

 

「トレヴァー君。よく聞こえなかったが何か言ったかな?」

 

気づいたら私と父の背後にスペンサー卿が立っていた。

父は若干青ざめた顔をしていた。

この父親はまったく・・・。

 

「あー、あの。おトイレに行きたいなと思いまして。」

 

「ここを出て突き当りを右だよ。」

 

父は、ははぁーどうも、と言いながら急ぎ足で去っていった。

さっきまでの強がりはどこへやら。

 

「執事長。配膳が済んでからでいいからトレヴァー君の様子を見てくれないか。もしものことがないようにな。」

 

「かしこまりました。」

 

スペンサー卿が執事長に指示して、後を追わせようとしている。

もしもって水虫のことだろうか?

いや、そもそも水虫ではないだろうあの人。

何でもいいけど、どうかトイレにこもった父が腹下して執事長にご迷惑をおかけしませんように、と祈る。

 

「美味しそうな料理ねぇ~。」

 

母は大きなチキンを前にして感嘆の声を上げていた。

 

「何かお取りいたしましょうか。」

 

メイドが母に声をかける。

 

「あら、ありがとう。それじゃ、これとこれをお願いします。」

 

「かしこまりました。」

 

メイドが皿に料理を盛る間に母が私の所に来る。

 

「リサもいらっしゃい。滅多に食べれないから今のうちにたくさん食べましょう。」

 

「もうお母さん。あんまりはしゃがないでよ。」

 

私もこう言いながらよだれが垂れそうなのを必死にこらえていた。

 

 

あれから少しの時間が過ぎた。

執事長は父の様子を見に行ったようだ。

父はやっぱり用が足したかったのだろう。

 

一方、母とスペンサー卿はというと・・・

 

「うぇーい!のってるかーい!?」

 

「へーい!」

 

「今からシャンパンタワーすんぞー!」

 

「いぇーい!」

 

二人とも酔っていた。

早すぎる。

スペンサー卿の勢いに母が乗ってあげてるようにも見えるが、顔が真っ赤なところを見ると母も大分きているのだろう。

何も起きなきゃいいのだけれど。

 

スペンサー卿はメイドや執事に指示を出して、大広間の中央にシャンパンタワーを作らせる。

母が上からグラスに酒を注ぎたいと言い出す。

 

「やってくんねぇ!注いでくんねぇ!」

 

スペンサー卿もノリノリで譲っている。

 

「いっきま~す。」

 

母は脚立に上り、一番上のグラスにシャンパンをなみなみと注ぐ。

溢れたシャンパンは下のグラスに滴り落ち、それを何度も繰り返して最後まで到達させる。

周りから拍手喝采が起こった。

スペンサー卿も興奮気味に打ち鳴らしている。

母は片手を後頭部に回して、どーもどーもと言っている。

 

突如、母はバランスを崩した。

ハッとしたが、うまく体を動かしたため、脚立が倒れることもなく、母も落下することはなかった。

けれども、母が握っていたボトルが目の前のグラスにあたる。

 

ドンガラガッシャ―ンッ!!

 

部屋の真ん中のガラスでできた山が一気に崩れ大きな音が鳴り響く。

一斉にこだまする悲鳴。

駆けつける執事長。

青ざめた私。

 

覆水グラスに返らず

 

和やかな雰囲気のパーティーは、私の安穏たる生活と共に音を立てて幕を閉じた気がした。



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ピアノ

ざわざわと声がする大広間―

 

私は天井のシャンデリアを眺めていた。

スペンサー卿や周囲の貴族の顔が見れなかったからだ。

 

「ごめんなさい。皆さんお怪我はないでしょうか?」

 

母はいつもよりかはまだ緊張感のある表情で確認を取っていた。

 

「皆さん、どうか部屋の中央より離れるようにお願い致します。

ジェシカ・トレヴァー様も脚立からゆっくり降りてください。」

 

執事長が声を掛ける。

素直に指示に従う我が母。

 

スペンサー卿は酔いが醒めたのか、呆然と割れたグラスの山を眺めていた。

頭の中で何が渦巻いているのか、知りたいけど知りたくない。

重たく口が開く。

 

「いや・・・、どうやらハメを外し過ぎたようだ。

私の安全確認が至らぬせいだ。すまなかった。トレヴァー君にもあとで謝ろう。」

 

最初の「いや・・・」は、脳内で責任の所在を求めたけどやっぱり否定したから出た言葉なのだろうか。

けれど、そう思うのも仕方がない。

だって、実際にシャンパンタワーを壊したのは母なのだから。

スペンサー卿はその考えを改めただけでも人間出来ていると思う。

 

母はスペンサー卿に謝罪をする。

 

「いえ、私もスペンサー卿の招待に舞い上がってしまったようです。

こちらこそご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。お怪我はないでしょうか?」

 

「ああ、ここにいる者全員無事だよ。」

 

ホッとする私。

どうやらこの場は丸く収まったようだ。

このままお開きになって早く帰りたい。

私の願いに反して、スペンサー卿はちらりと私を一瞥する。

何?何か怖いんですけど。

 

「しかし、せっかくの洋館完成パーティーがこのままだと後味の悪いものになってしまうな。何かしらで場を整えたいのだが・・・、確かトレヴァー君のご息女はピアノが弾けるのだよね?」

 

ああああっ、もう先が読める。

断われ母。猫踏んじゃったしか弾けないと言って。

 

「ええ、娘はピアノを習っていますので何でもござれですよ。ご要望はありますか?」

 

ハードルを上げないで。

周りから「おおっ!」とか聞こえてきて胸が痛い。

 

「お得意の曲で構わないよ。もちろんスローテンポすぎると盛り上がりに欠けるだろうからそれ以外でね。」

 

ニコリと笑うスペンサー卿。

ピアノ弾くこと自体嫌だが、選択肢が広いのがまだ救われる。

 

「リサ、いいわね?」

 

母がこちらを見てくる。

もう後には引けないだろう。ピアノだけに。

 

「・・・はい。」

 

いつの間にか部屋の隅にあるピアノに向かう私。

これが済んだら明日母においしいお菓子を作ってもらおう。

そのご褒美を糧にしよう。

曲は何にしようか・・・。

私だって別にピアノが上手いと豪語できるほどではないが、それなりの曲を弾かないと帰って気まずい雰囲気になる可能性がある。

・・・『月光』にしよう。

私が弾ける曲の中でもっとも貴族の集まりに見合った曲だ。

これしかないと思った。

 

鍵盤に指を添える。

静かになる大広間。

息を整える。

タイミングを見て、鍵盤に指を押し込む。

 

ポン ポ ポポン ポン ポ ポポン 

ポ ポ ポ ポ ポーン

 

しまった!これ『月光』じゃない。

『月光〇面』のOP曲だ!

 

緊張で出だしを弾き間違えたが今更、止めるわけにもいかない。

そのまま『月光〇面』の曲を弾き続けた。

耳が熱い。おでこの中がもやもやする。

お貴族様を前に弾く曲じゃないのはわかってるから恥ずかしさが止まらない。

弾き終えた頃には、私の意識はほぼ無かったと思う。

 

一瞬静まり返ったが、静寂は拍手によって打ち破られた。

拍手の音の中には黄色い歓声も入り混じっている。

皆笑顔で私の方を見てくれている。

これで良かったの?

正直疑ってしまう。

けれど、悪い気持ちじゃない。

それどころか承認欲求が満たされる思いだ。

ちょっとこの思考は危ないか・・・、落ち着こう。

 

スペンサー卿が私に近づき握手を求める。

立ち上がり握手に応じる私。

 

「素晴らしい曲だったよ!」

 

スペンサー卿は手を離すとくるりと踵を返し、私の腰に手を添える。

 

「いかがだっただろうか。ミス・リトルレディの演奏は?」

 

誇らしげに周りの人の顔を伺うスペンサー卿。

声がちらほらと上がる。

 

「どこの曲かは分からないけど、大変良かったよ!」

 

「知らないのに誰もが皆知っている温かい気持ちになったな!」

 

「この曲を聞くと全てを許せそうだ。ありがとう!」

 

口々に称賛されると私も何だか照れて俯いてしまう。

その反応でまたワッと盛り上がる貴族様方。

口笛を吹く人もいる。

やめてくれ。

 

歓声をよそに、いつの間にかトイレから戻った父に近づく執事が目に入った。

2人は何か話している。

そのすぐあとに知るのだが、エマ叔母さんが倒れたらしい。

 



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ジョージ視点 ~発端~

私の名前はジョージ・トレヴァー。

最愛の妻であるジェシカと娘のリサと暮らす生活は幸せそのものである。

 

ジェシカは以前、私に誕生日プレゼントとしてライターをくれたのだが、そこに文字が掘られていた。

『火遊びには注意!ジェシカより愛をこめて』

と書かれていた。

まったく、可愛い嫁さんだぜ。

リサはこのまえ14歳になった。

少し前の話になるが、誕生日プレゼントは何がいいか聞いたら、

「お母さんと絵の練習をしたいから、油絵セットがほしい。」

と言っていた。

誕生日を迎えて彼女に油絵セットをプレゼントすると喜んでくれた。

今度家族3人の絵を描いてくれないかと言ったところ、

「まだ3人も細かく描けないと思うから、お母さんと私の2人だけにするね。」

と言っていた。

まったく、可愛い娘だぜ。

 

私の仕事は建物の設計関係であり、この前は大口の顧客であるオズウェル・E・スペンサー卿から『からくり洋館』なるものの建設依頼が入った。

しかし、不可解なことがある。

依頼の報酬は十分すぎるほどの金額なのだが、そのからくりが存外手間がかかるものなのだ。

 

洋館西側の矢じりを裏庭の像の土台に当てはめて地下へと続く床が作動し、そこで手に入るカギがないと洋館のとある扉が開かなかったり、食堂は2階から石像を落下させても傷のつかない頑丈なものにしてくれと言われたりで、そこで暮らす人はどんな生活をするのか想像がつかない。

作り手側も相当面倒だったろう。

 

それにからくりの内容がかなりえげつないものもある。

なにやら壁のショットガンを取らないと吊り天井が落下する部屋やらカギを台座から取ったら恐ろしい仕掛けが作動するようなものも頼まれたりで、やりすぎである。

 

こんな洋館で子どもを野放しにはできないだろう。

っていうか、モテないな。

スペンサー卿は、絶対結婚してないだろう。

子ども欲しくても結婚できないから養子取るしかないだろう。

そんで金に糸目を付けないで、いっぱい子ども持っちゃうんだろう。

・・・言い過ぎたか。

 

それに洋館の地下には研究所施設を作るらしい。

からくり洋館に研究施設なんて、ミスマッチしていると思うのだが金持ちは考えることが分からん。

 

そんなこんなで洋館は完成間近となり、今日は友人と3人で飲み会を開くことにした。

私以外の者は、2人ともアンブレラ社に務めている。

1人は経理部で部長にまで登りつめたジョニー・ディアス、もう一人は研究部門で主任を務めるケリー・ファブロンだ。

お酒が入り大分あったまってきた所で、ジョニーがつぶやいた。

 

「俺、会社辞めようと思うんだよね。」

 

「どうしたジョニー?あんなに給料のいい所はないだろうに。」

 

私の質問を聞くと、ジョニーが理由を話してくれた。

 

「いや、あんま大きい声じゃ言えないんだけどよ。ケリーから相談されたのがきっかけなんだが、取締役から研究用資器材の一部は購入の申請理由を変更しておくように言われたんだよ。何か怪しいだろ?」

 

「製薬会社で秘密裏に動く金と資器材・・・か。確かにきな臭いな。」

 

「そうなんだよ。少し調べてみるとその資器材は倉庫にまとめて保管しているんだが、荷物の送付先がお前の建築している洋館宛てになっているんだよ。」

 

「俺もあまり大きい声じゃ言えないんだけども、からくり洋館の地下には研究施設を作るように言われてるんだよ。そこに運び込むんじゃないか?」

 

「ますます怪しくなってきたな。やっぱり、急成長する会社にはそれなりの理由があるんだろうな。」

 

「会社を辞めたらどうするんだ?」

 

ジョニーは天井を見上げて逡巡する。まだ決まってないらしい。

 

「田舎に引っ越そうかね。この街の暮らしも気に入っていたけど、理由が理由だし会社近くに住む気にはなれないな。家族3人で海が見える所でのんびりするのも悪かないかな。」

 

「そうか。お前がいなくなると寂しくなるな。たまには連絡くれよ。」

 

「もちろんだ。悪かったな、湿っぽい話をして。そうだ、ケリー。お前も結婚したんだし、若いうちに子どもは作らないのか?ってか、お前全然喋らないな。」

 

ケリーは堅物だ。ここに来てようやく口を開く。

 

「余計なお世話だ。子どもはまだ予定がないな。ただし、子どもの話は妻としたことがある。」

 

「奥さんは何だって?」

 

ジョニーが質問した。

 

「男の子ならダニエルにしたいと言っていた。」

 

「女の子なら?」

 

ジョニーが結構食いつく。興味津々のようだ。

 

「私がアリスならどうだ?と言ったよ。そうしましょ、と快諾してくれた。」

 

ケリーは少し微笑んだ。堅物のこういう所が人間味を感じて嫌いじゃない。

ちょっとからかってやろうか。

 

「アリスちゃんか、いいね~。お前は女の子がいいんだろ?

5,6歳ぐらいまでは父親もかまってもらえるもんな。」

 

ケリーは眉間にしわをよせた。

 

「うるさいな。それにこう見えて俺は女の笑顔にはめっぽう弱い男なんだ。

喜んで男の子を望むよ。それに俺に似て生まれる子もきっと妻の笑顔を拝むために男の子が出てくるだろうよ。」

 

「やっぱ女の子推しじゃん。おっと、もうこんな時間か。そろそろお開きにしようか。」

 

ジョニーが時計を見つつ答えた。

私も名残惜しいが、飲み過ぎてジェシカに迷惑をかけたくない。

3人は、店前で別れを告げて解散した。

 

 

翌日、街で変死体が発見されたとニュースが入った。

名前は、ジョニー・ディアスと報道された。



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ジョージ視点 ~慟哭~

ジョニー・ディアスが死んだ。

昨日まではあんなに元気でいた彼がこの世からいなくなった。

私は突然のことに困惑してしまう。

どうして?何があった?

考えようとしても、それ以上の思考が深まらない。

たまらず、ケリーと連絡を取ろうとするが出なかった。

次にアンブレラ社に連絡をする。

若い女性が上品な口調で応対した。

 

「はい、こちらアンブレラ社です。」

 

「ケリー・ファブロンは本日、出勤でしょうか?」

 

「お客様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「失礼しました。ジョージ・トレヴァーと言います。」

 

「ジョージ・トレヴァー様ですね。確認いたしますので、少々お待ちください。」

 

しばらくして女性の口から出た言葉を私はすぐには理解出来なかった。

 

「お待たせいたしました。申し訳ありませんが、ケリー・ファブロンという方は弊社には登録されておりません。」

 

「・・・すみませんが、言っている意味が良く・・・。」

 

「ですから、ケリー・ファブロンという方は弊社では雇用されておりません。名前はお間違いないでしょうか?」

 

女性はやや苛立ちを感じる声だった。

ケリーがアンブレラ社で働いてない?

意味がわからない。ケリーが嘘をついていたというのか。

じゃあ、なんでジョニーは何も言わなかったんだ?

社員証や名刺を見たわけではないが、彼らの仕事の話はアンブレラ社に勤めているものだと信じられる内容だった。

彼らがアンブレラ社のロビーに向かう姿を見送ったことだってある。

これは夢なのだろうか。ジョニーが死んだことも・・・ケリーのことも・・・全部・・・。

正常性バイアスがかかり、今日の出来事に対して現実味を感じなくなってきている。

一時的に気持ちが安らぐが、あまり長いこと今と向き合わないのも良くはない。

今日は有給を取ろうと思ったが、最近消化しすぎてもう残っていなかった。

 

「あのー、トレヴァー様?」

 

受話口から受付の女性が声をかけてくる。

長く考えすぎてしまったようだ。

 

「すみません、自分の勘違いでした。失礼します。」

 

受話器を戻して台所に向かい、お湯を沸かす。

コーヒーを飲んで落ち着こう。

恐らくだが、今の自分の顔は青ざめていることだろう。

幸い、リサは学校に早々と向かったし、ジェシカも今頃はゴミ収集場で近所の奥様方と井戸端会議をしている時間だ。

1人の時間が欲しくなるなんて、結婚してからは想像もしなかった。

早くこの問題に整理をつけたいと、強く願った。

 

ペーパードリップ式のコーヒー豆の上からお湯を注ぐ。

購入時にはすでに粉砕されている安価な市販品だが、芳醇で香ばしい香りが少しばかり気持ちを穏やかにしてくれた。

 

仕事が終わり帰宅したら、夕食後にでも寝室で考えよう。

ジェシカとは同じベッドで寝ている。

場合によっては、今日にでもジェシカに友人の死を話さないといけないかもしれない。

これは遅かれ早かれのことで、いつかは話さないといけないことである。

ジェシカに隠し事をしたくないからだ。

 

テレビに目を向けると新しくニュースが入り、ジョニーは他殺の可能性があるという情報をキャスターが語った。

勘弁してくれ。

私は、味の無いコーヒーを胃に流し込んだ。

 

 

建築事務所でぼんやりとしたまま仕事をしていると、固定電話のベルが鳴った。

相手は洋館建設をしている現場監督だった。

今日は洋館建築が完成を迎える竣工日であった。

どうやら仕上がったので、一緒に確認をしたいとのこと。

二つ返事で承諾し、車を洋館へと走らせた。

 

洋館に着くと現場監督と数人の職人が出迎えてくれた。

設計者と職人はなかなか馬が合わない関係も少なくはないらしいが、今の私達にそういった空気感はなかった。

これも現場監督と切磋琢磨したおかげだろう。

若い頃はクライアントの提案を鵜吞みにした私に対し、当時中堅社員であった彼から暴言ともとれる文句を言われるときもあったし、それに加えて1mほどの角材が飛んできたこともあった。

それでもお互いの考えを吐露しあった結果、信頼と呼べるような関係を作ることができた。

 

そんな彼でも今回ばかりは私に対して不服そうな顔を見せた。

クライアントが誰かは彼も知っている。

文句を言ってこないのは、私に対して理解を示してくれているからだろう。

 

洋館の内外、それと地下の施設を確認していたら夕方近くになった。

扉一つ開けるのに、手間を要する仕掛けを解かないといけないのが多々あったためだ。

 

現場監督は別れ際に、

 

「もうこういう仕事はしたくねぇな。」

 

と苦笑いで言っていた。

 

私もです、と返して彼とは別れた。

 

その日は家族で夕食を取った。

 

娘は妻に学校での話をし、私は彼氏はできたのかと言いスルーされる。

普段と変わりない日常風景だが、ジェシカは食後私に聞いてきた。

 

「様子がいつもと違うけど、何かあったの?」

 

私は何と答えてよいかすぐには考えつかなかった。

リサが見ている前だし、友人の死の話は避けるべきだろう。

そういえば、リサに以前かっこつけて有給休暇についての話をしたことがあったな。

私はしょんぼりとした顔でジェシカの質問に答えた。

 

「有給休暇が飾りじゃないことを職人達に言ったら怒られた・・・。俺悪くないのに・・・。」

 

私を包む暖かい空気が一瞬で冷え込んだ気がした。

リサは、気のせいかもしれないがゴミをみるような目をしている。

ジェシカを見ると、笑顔だった。

怖い。これ怒っている時の表情だ。

ジェシカは笑顔のまま口を開いた。

 

「それはあなたが悪いです。リサ、カウントお願い。」

 

突如、ジェシカは私に襲い掛かり、どこで身に着けたのかコブラツイストを一瞬でかけてきた。

あばらがきしむ感覚がある。めっちゃ痛い。

リサは床を力いっぱい叩く。

 

「ワン!ツー! 外れた!? ワン!ツー! 外れた!?」

 

外れてない。父さんさっきからピクリとも動けていない。

それと愛する妻と娘よ、カウントとるのは抑え込みのときだ。

リサはこれを十五回は繰り返し、私の意識が朦朧としたところで制裁は終わりを迎えた。

 

温かいシャワーを浴び、傷んだ筋肉を癒した後にジェシカと寝室に入った。

この頃には、ジェシカの機嫌はすっかり元通りとなっていた。

ベッドに入り、おやすみと言い合い電気を消す。

ジェシカは、あっという間に眠った。

 

今日は何だか疲れる1日であった。

今すぐにでも眠りにつけそうだが、少しだけ事件について整理しようと思う。

ジョニーはなぜ殺されたのか、他殺が本当ならば誰によるものなのか。

これはすぐに解決できることではない。

 

ケリーについてはどうだろうか。

アンブレラ社に行けば、何かわかるかな。

しかし、今朝の受付嬢とのやりとりを思うと取り合ってもらえる気がしない。

ケリーという人物が会社にはいないと言われれば、身を引く他にないだろう。

それ以上は、警察でも呼ばれるかもしれない。

家族に迷惑をかけるようなことはしたくない。

お前は生きてくれているだろうか。

結局、考えたところで何も進まなかった。

 

明日はクライアントのスペンサー卿の自宅に、洋館が完成した報告の電話を入れる予定だ。

出来れば、それでアンブレラ社とは関わりを最後にしたい。

まぶたが次第に重たくなってくる。

私はそれに身を任せて、深い眠りについた。

 

 

深夜の時間帯に、ジェシカの泣き声で目を覚ました。

彼女は私のパジャマの胸元の部分を掴み、声を上げて泣いていた。

妻のこういった姿は見たことがない。一体なんだというのだろうか。

私は彼女の背中に手を回し、さすって落ち着くように声を掛ける。

 

この間に何故か私は、

 

リサが起きてこないだろうか?まぁあの子はかなり寝つきの良い子だからそれは無いか。

 

などと悠長なことを考えていた。

しばらくすると、ジェシカは泣き止み始めた。

肩を掴み、彼女の顔を確認すると目を腫らしていた。

 

「一体、何があったんだい?」

 

私が聞くと、彼女は再び涙をぽろぽろとこぼしながら言った。

 

「ジョージ。洋館に行かないで!リサが・・・リサがとんでもない姿に変えられてしまう!」

 

私はジェシカの発言に思考が追いつかなかった。

 

 



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ジョージ視点 ~決意~

ジェシカと私はリビングにいた。

あれから妻とゆっくり話をしようと思い、飲み物でも飲まないかと持ち掛けたのだ。

ジェシカは頷いてくれた。

 

ソファに座る彼女に温かいミルクを渡す。

話をするなら眠気を覚ますためにコーヒーの方が良かったかもしれない。

けれども、気持ちを落ち着けて眠くなるのならそれはそれでいいと思ったのだ。

話は進まないかもしれないが、それでもいい。

私のそんな考えを察してか、彼女は受け取ったマグカップの中身を見るとクスリと笑ってくれた。

 

「ありがとう。それと明日も仕事なのにごめんなさい。」

 

「構わないよ。ちょうど小腹がすいていたからね。夫婦水入らずの時間も欲しかったところだし。」

 

飲み物はついてるけどね、と言いかけて喉の奥に押し込める。

 

「それで何があったんだい?君があんなに取り乱すなんて初めて見たよ。」

 

「・・・恐ろしい夢を見たの。」

 

「夢?」

 

「ええ。あれはきっと夢。でもこのままではきっと・・・。」

 

ジェシカはそれが夢であってほしいかのように言った。

 

「洋館で何が起きるんだい?」

 

「私達はスペンサー卿に招かれて洋館に行くの。ただ、あなたは仕事が忙しくて数日遅れてくるのよ。

先に行った私とリサは・・・白衣の男達に拘束されるわ。」

 

白衣の男。頭に浮かぶのはアンブレラ社の研究員達だった。

彼らが洋館で俺らを待ち構えている?何のために?

その疑問はジェシカが次に語った言葉で答えを得られた。

 

「私たちは何かの薬を打たれるのよ。効果はよく分からないけれど、体調がずっと優れなかったわ。その間も私たちは狭い部屋に閉じ込められて研究員達にずっと監視されるわ。

私はリサと脱出を試みようとするのだけれども、すぐにまた捕まってしまう。

その後、私には研究価値が無くなったらしくて・・・殺されるわ。」

 

自然と拳に力が入る。

ジェシカとリサは薬の臨床試験を強制的におこなわれるらしい。

それで必要が無くなれば・・・。妻と娘を粗末にする外道達をどうにかしたくなる気持ちに駆られる。

 

「ジョージ、落ち着いて。これは現実に起こったことではない夢の話なの。・・・ごめんなさい、やっぱり寝覚めが悪くなるような話はするべきじゃなかったわ。」

 

「いや、すまない。・・・動揺してしまった。だけど、それほど大きな負担ならば・・・君の不安が少しでも晴れるのならば続きを聞かせてほしい。」

 

ジェシカは私の顔をジッと見て頷いた。

妻に見て取れるほど、私は表情に出ていたのだろうか。

私とジェシカはミルクを飲んで少し時間を置く。

 

「そこから先の記憶は断片的なものなの。映画のフィルムの一コマをいくつか見たようなね。

あなたが洋館にたどり着いたところ、あなたとスペンサー卿が話をしているところ、あなたも拘束されてしまうところ・・・あなたはそのまま洋館内で飢えてしまう・・・。そして、最後に私が見た夢に映されたものは・・・。」

 

ジェシカは目を閉じ、頭を垂れてマグカップを支える両腕の間に乗せる。

まるで何かに祈るかのように。

 

「・・・もはや人でない姿となったリサだったわ。顔には人の皮を被り、立ったままでも地に届くほどの長い腕・・・それでもあの子は呼ぶのよ。ママ、ママって・・・。あの子が幼い頃の呼び方でね・・・。そこだけは耳元で囁かれるように聞こえたわ。」

 

妻は肩を震わせていた。

私は彼女の持つマグカップを手に取りテーブルに移し、最愛の妻を胸の中へ抱き寄せる。

彼女に重くのしかかる悩みを、不安を、恐怖を全て抱えてあげられればと思いながら。

鼻をすするような音が聞こえる。

私は現実で起こったこれまでの事を振り返る。

異常なからくり仕掛けの洋館とその地下にある研究施設、アンブレラ社員であるジョニーの死と消えたケリー・・・。

根拠と呼べるほどではないかもしれないが、ジェシカが語った悲劇と結びつくものはある。

彼女の話は傍から聞けば、気の毒に思われるほどの突飛な内容だろう。

しかし、私にはそれが近いうちに実現されるのではないかという予感があった。

 

私は洋館やアンブレラ社と関わる大元の人物を頭に浮かべる。

あの男が、私の家族を壊そうというのか。

もしそのつもりならば、私は全力で家族を守るために動こう。

 

「ジェシカ。話してくれてありがとう。君の話、信じるよ。君とリサは必ず俺がそんな目には合わさせない。だから・・・君も一緒にリサを守ろう。」

 

最後の一言は妻を奮い立たせるために言った。

今ジェシカは泣き崩れたばかりなのに、やはり私は不器用である。

それでも私を見る彼女の目には、小さく希望の光を灯しているように見えた。

 

あの男は・・・、今はまだ1人の人間として接しよう。

けれど、尻尾は必ず掴んでやる。その時に私は容赦をしない。

 

あの男、スペンサーを・・・。

 



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ジョージ視点 ~約束~

明くる日の朝、私は洗面所で顔を洗い髭を剃っていた。

隣のキッチンルームではジェシカが朝食を作っている。

元気にしているようには見えるが、無理をしていないだろうか。

 

それが杞憂だということをダイニングテーブルに並べられたかつ丼を見て理解した。

というか、何で彼女はかつ丼を知っているんだ?

それに作れるんだ?

あれか、ずいぶん前に日本のプロレス試合を見に行ったときか。

帰りにかつ丼を食べた気がするし、書店でレシピブックと日本語辞典も買っていたな。

熱心に勉強したもんだ。

 

すでに席についていたリサは、キョトンとした顔でかつ丼を眺めていた。

普段がパンとベーコンエッグだからな。気持ちは分かる。

ジェシカがエプロンで手を拭いながらやって来る。

 

「このかつ丼は" 現を勝つ具 "料理だそうよ。リサはテストがあるしジョージも仕事で忙しいし、成功を祈って作ってみたわ。」

 

彼女の語る笑顔がたまらなく愛おしかった。

ほかほかと湯気を立てるかつ丼を眺める。

これを食べて頑張ってね、という応援メッセージというやつか。ありがたい。

かつ丼の意味もそうなのか。

・・・そうなのか?

とにかく、ジェシカは何だかやり切った顔をしているし、この様子なら大丈夫だろう。彼女は強い女性だ。

 

「おいしそうだね。さぁ、食べよう。」

 

3人で食卓を囲み、料理にありつく。

うん、うまい。

ただ、朝飯にしてはちょっとだけコッテリかな。

俺も年をとったな。

ガツガツと食べるリサを見て、そう思った。

 

 

会社に着いた私は、スペンサーに電話を入れようとしていた。

けれども何度か番号を間違えてしまい、改めて緊張していることを嫌でも自覚させられる。

会社に着いてすぐにトイレに行き、えづいてしまったぐらいだ。

ようやく求めた番号にかけることができ、家主が出るのを待つ。

 

「はい。」

 

相手はスペンサーの声ではなかった。

 

「ジョージ・トレヴァーです。お世話になっております。こちらの番号はオズウェル・E・スペンサー卿のものでしょうか?」

 

「はい、その通りです。私は家主の執事です。ご要望をお聞かせください。」

 

「先日、建築依頼のあった洋館が完成しましたので、お伝えください。」

 

「かしこまりました。少々お待ちください。」

 

しばらくすると受話器から声が聞こえた。

 

「やあ、トレヴァー君。」

 

スペンサー・・・。

 

「お久しぶりです。あれからお変わりありませんか?」

 

「はっはっはっ。変わりないよ、ありがとう。君の方はいかがかね?」

 

「お元気そうで何よりです。私の方も変わりないです。お気遣いいただきありがとうございます。

すでにご存じだとは思いますが、今回は洋館工事が完了したため、その連絡を入れた次第です。」

 

「今は実に愉快な気分だよ。早く君の設計した新しい家を拝みたいものだ。

だが、私はここ1週間多忙でね。立会いは明日でいいかね?その時に代わりの者を出そうと思う。

いや、実に残念だよ。」

 

「それは私としても残念です。明日の日程でお願いいたします。代理の者は何時ごろに到着しますか?何せ広い建物ですから、時間次第ではお食事を用意致します。」

 

「ふふっ。気遣いは無用だよ。代理は私の執事だからね。彼に昼食を持たせよう。時間は9時でいいだろうか?」

 

「問題ありません。昼食については、ありがたく頂戴いたします。よろしくお願いいたします。」

 

最後に一言加えて話を終えようとした所で、スペンサーが言葉を挟んできた。

 

「おっと、すまない。1つ確認したいことがあってね。

まだ今日より先の話になるが洋館完成を祝して11月11日から1週間に渡り、パーティーを開こうと思うんだ。

もちろん洋館でね。

親愛なる友人の君にも出席してもらえないだろうか?」

 

何気ないスペンサーの誘い文句が、恐ろしい提案に聞こえた。

ここが分岐点だろう。

ここで返答を間違えれば、ジェシカの夢が実現するかもしれない。

それだけは、絶対に避けねばなるまい。

 

「11月11日からですか?。実はちょうどその日から仕事が繫忙期でして。いや、誠に申し訳ありません。」

 

「むっ、そうか。それは残念だ。しかし、君は無理でも妻子はどうかね?

少しでも多くの人とこの幸せを共有したいのだが。」

 

普通、仕事した当人ほっといて家族を誘うだろうか。

改めて腹立つな、この男。

 

「妻と娘ですか!?ああ、残念です。

娘がちょうど11日にピアノのコンクールがあり、妻も娘の発表を心待ちにしております。

評価点により勝ち抜けば1週間続く発表会のため、申し訳ありませんがきっと娘も妻もパーティーに行くことが出来ないでしょう。」

 

開き直った私はよく舌が回っていた。

ムカつく奴の提案を断るのが、こんなにもスッキリするとは思わなかった。

それに家族自慢も同時にできて気持ちがいい。

 

「そうか、娘の発表会か・・・。

相当腕ききのピアニストなんだね。私も演奏を聞いてみたいよ。

うむむ、しかしそうなると洋館でのパーティーはどうしても都合がつかなくなるね。

準備があるから前もってやるわけにはいかないし。

先延ばしにするには、私の気持ちが待てないしな。

そうだ、10月末頃に現在の私の邸宅にて貴族のパーティーを開くのだが、それに招待してもいいだろうか?」

 

これはジェシカの話にはなかったことだ。

貴族のパーティーなら人目に触れるだろうし、何よりあの洋館と研究施設がないのだからまだ安全か?

この男の視界に入る時点でそうは断言できないが・・・。

しかし・・・、スペンサーの本邸にはきっと研究施設へ移す予定の物品があるのではないだろうか。

もし違法な薬物やその資料を見つけ出すことが出来れば、それを世に公表してあの男の地位を叩き落すことができるかもしれない。

そうなれば、水面下での実験など続けることはできなくなるだろう。

私は覚悟を決めた。

 

「卿、私達一家は貴族のマナーに疎いのですが・・・。」

 

「それは心配しなくていい。

貴族といっても今回の参加者はマナーに固いものばかりじゃないからね。

それに、君たちのことは事前にこちらで伝えておくから、安心して普段通りの挨拶をすればいいさ。」

 

今は快いと思わせるような返事をしておこう。

後で、妻と娘を自宅に待機させるような用事でも考えよう。

 

「それではご紹介に預かろうと思います。」

 

「おお、来てくれるかね。嬉しいね。

細かな日時は、代理の者に伝えておくよ。」

 

「はい、よろしくお願いいたします。」

 

「ああ、こちらこそよろしくお願いするよ。それでは話が長くなってしまったが、この辺りで失礼しよう。」

 

「はい、失礼します。」

 

そこで電話を切った。

大きく息を吐き出す。

とうとうスペンサーと接触する約束を取り付けてしまった。

だが、もう後には戻れない。

やるしかないのだ。

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

スペンサー卿は受話器を置いた。

彼は書斎にいた。

扉がノックされる音がする。

 

「入りたまえ。」

 

レバータイプのドアノブが斜めに傾き、奥から初老の男が現れる。

彼はこの屋敷の執事長である。

 

「紅茶をお持ち致しました。」

 

執事長はスペンサー卿のテーブルに、紅茶を注いだカップとソーサーを置いた。

 

「いい返事は頂けたでしょうか?」

 

スペンサー卿は苦い顔をする。

 

「いや、計画を変更せねばならなくなったよ。

せっかく良い舞台を整えてやったというのに、本当に残念だ。」

 

「役者を変更致しますか?」

 

「いや、役者は彼でないといけない。あの洋館を設計した彼でないと意味がないからな。」

 

「左様でございますか。」

 

「なに、最後には舞台に入れればいいのだよ。大事なお客様方の前ではできないが、彼らが帰りの時に拘束すればいい。車はパーティー中に細工をしておけ。」

 

「かしこまりました。」

 

執事長は自身の左手を腹部にあて、右手を背中に回して一礼する。

 

「それとスペンサー様。1つよろしいでしょうか。」

 

「なんだね。」

 

「フィクサーより抹消した者はH.C.Fの疑いが強いとのことです。」

 

「そうか、よくやった。この大事な時期に情報漏洩でもされたらたまらないからな。彼にも礼を伝えておいてくれ。それと10月下旬にはこちらへ戻るようにとも。」

 

「かしこまりました。」

 

「ふふっ、楽しみだよ。彼の驚く顔が目に浮かぶようだ。舞台設定は洋館だけじゃないぞ。これから忙しくなるな。」

 

スペンサー卿は、子どものような笑顔を浮かべていた。

 



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ジョージ視点 ~急転~

スペンサー卿の邸宅で催されるパーティーに参加する約束をしたその日の夜に、

私は自宅の寝室で悩んでいた。

隣で横になるジェシカに、今日の話をしようかしまいか私は考えていた。

いや、彼女に隠すようなことは決してしない。

しないのだが・・・、私はスペンサーの邸宅を隙あらばあさるつもりでいるのだ。

違法な物を見つけ、世にそれを公表する。

きっと命にかかわることに違いない。

ジェシカは私を止めようとする言葉を紡ぐかもしれない。

恐怖とそれを妻に打ち明けるには少ない勇気が、私を悩ませていた。

 

ふと、同じベッドで横になるジェシカを見やると、彼女は私のことをジッと眺めていた。

私の言葉を待ってくれているのだろう。

私は自分の髪を手でくしゃりとする。

これで二度目になるが腹を括ろう。

 

「ジェシカ、聞いてほしい。

今日スペンサーと仕事の話をしたんだ。」

 

彼女は頷いた。

私は言葉を続ける。

 

「その時に洋館でパーティーを開かないかと言われたよ。

理由をつけて洋館でのパーティーには参加しないと言うことはできた。

けれども、スペンサーの現在の本邸に誘われた時には乗ったよ。

そこでは貴族が集まるらしい。

ジェシカ、私はその邸宅で奴の恥ずかしくて世間様に見せられないものを暴こうと思うんだ。」

 

ジェシカの瞳には、一瞬だけ不安に似た色が浮かんだ。

私は彼女の背中に手を回し、鼻と鼻がくっつくぐらいに顔を近づけた。

 

「君とリサはここで待っていてほしい。

それも理由をつけて何とかする。

奴だって、パーティー中は貴族がいるし研究施設のある洋館でないから、派手な動きはないはずだ。

必ず戻るから信じて待っていてほしい。」

 

ジェシカは私を見つめたままだった。

少しの間、沈黙が流れる。

 

「私も行きます。」

 

彼女はさらりと言った。

 

「けれども、それじゃ君たちの身の安全が保障できないだろう。」

 

私は少し語気を強めて言った。

しかし、彼女の意志は変わらない。

 

「貴族の中にポツリとあなたが一人いると、浮いてしまうんじゃないの?

そんな状態だと、抜け出したとしても簡単に目をつけられてしまうわよ。

1人で行くよりも、家族で行った方がまだ目立たず安心です。

リサも1人にはできないですし。」

 

彼女の言葉は、私が危険な行動を侵すことを否定するものではなかった。

ただその可能性を少しでも上げて、目的を達成するために手助けする気概を感じた。

 

「てっきりその・・・、危ないから行かないで!と言われるのかと思ったよ。」

 

彼女は、何を今更と言った表情をした。

 

「そんな女々しいことを言うはずないでしょう。

昨日のあなたの覚悟を聞いているのですから、その気持ちを折ってしまうような野暮なことはしません。

それに・・・、一緒にリサを守るんでしょ?」

 

彼女は微笑んで私を諭した。

先程までの私は、諭されることに不安を感じていた。

今は、こんなに温かい気持ちになれるならば喜んで諭されようと思っている。

 

「一緒に行ってくれるかい、ジェシカ?」

 

彼女は、だから先程からそう言っているでしょうと呆れ果てていた。

私はこの時、彼女をとても強い女性だと思った。

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

次の日は雲一つない快晴であった。

秋も半ばとはいえ、絶え間なく日が照らされる湿地帯のアークレイ山脈はまだ少し暑い。

私はそんな山道を車で走らせた。

 

たどり着いたのは、洋館である。

今日は、スペンサーの使いの執事が完成した洋館の確認と案内を受けにくる。

執事とはいえ、スペンサーの手の内の者ならば油断はできない。

私は護身用の銃を懐に忍ばせていた。

 

車が一台たどり着く。

1950年代という時代を築き上げた大きなテールフィンの車が、我が物顔で私の低価格でありながら高性能な車の隣に駐車してきた。

運転手が降りてきて、私の車をちらりと見た後に挨拶をしてきた。

 

「お初にお目にかかります。私はスペンサー様の執事をしております、

フェンタニル・ノーチェスと言います。

お手数をおかけしますが、建物のご案内の程よろしくお願い致します。」

 

先程の何気ない視線が気になってしまうのは、私が勝手に比較してしまうからだろうか?

いや、そもそも車の価値というものは値段や大きさや派手さで求めるものではない。

乗車するものをどれだけ満足させたかで決まるのだ。

私も含めて、ジェシカや幼い頃のリサをこの車はどれだけ笑顔にさせてくれただろうか。

笑顔を数値化できるのであれば、きっと我が家は棒グラフが長すぎて、あいだに波線を入れる値を叩き出すであろう。

満足した私は彼に返答する。

 

「初めまして。洋館設計に携わりました、ジョージ・トレヴァーです。

スペンサー卿の本邸よりご足労いただきありがとうございます。

こちらこそ、本日はよろしくお願い致します。」

 

執事はまだ30代半ばほどに見える男であった。

茶髪のオールバックで、服装は燕尾服かと思っていたがカジュアルな出で立ちだった。

服の上からでもわかるような筋肉質な身体が、私に一抹の不安を与えた。

 

「では、洋館に向かいましょうか。」

 

歩き出した一瞬、右手と右足が同時に前に出てしまったが、咳払いしたし多分ごまかせただろう。

 

 

「こちらのグランドピアノを弾くと、そこの壁が上に開きます。」

 

「曲目はこちらで設定可能でしょうか?」

 

「ええ、何でも構いません。」

 

「なるほど。」

 

ノーチェスはメモを取っている。

 

「こちらの虎の石像の目に、青い宝石を入れると向かって左側に石像が3分の1ほど回転します。

回転すると石像の右隣に収納スペースが現れますので、貴重品入れとして使うことをお勧めします。」

 

「青い宝石はどこにあるんですか?」

 

「食堂の2階の石像に取り付けてあります。」

 

「なるほど。」

 

ノーチェスはメモを取っている。

何だこの館・・・。

設計しておいて何だが、やはり能率が悪いと言わざるを得ない。

私は、以前南極で研究施設を設計したことを思い返していた。

あそこの人達も今頃困っているだろうか・・・。

 

しばらく案内して周り、お昼はメイド特性らしいサンドイッチを頂いた。

うん、うまいな。

もしものことを考えると躊躇したが、ノーチェスは普通に食べていたため頂いた。

私はその味に満足した。

 

案内が研究施設まで終わり、私とノーチェスは洋館の門まで戻ってきた。

 

「トレヴァー様。本日はご案内ありがとうございました。

家の案内を受けたのは初めてではないのですが、トレヴァー様の設計者としての腕の高さには感服いたしました。」

 

「お疲れ様でした。お褒めの言葉ありがとうございます。

ですが、この建物は建築して頂いた職人の皆様の腕があってこそできたものです。

私1人の力ではありません。」

 

「ご謙遜なさらないでください。

確かに、職人様方の高い実力があってこそ実ったものと言えます。

ですが、トレヴァー様がそこにいなければ完成しなかったのも事実でしょう。

私としても今回のことは、本当に勉強になりました。

改めてお礼申し上げます。ありがとうございます。」

 

このままでは、押し問答になりそうだ。

 

「恐縮ですが、素直に嬉しいです。こちらこそありがとうございました。」

 

ノーチェスはニコリと笑う。

 

「ああ、失礼いたしました。1つ言いそびれていたことがあります。

パーティーについてですが、7日後の午後6時からとなります。」

 

思ったより早いな。

 

「ええ、分かりました。当日はよろしくお願い致します。」

 

「こちらこそよろしくお願い致します。

それでは、私は本邸へ戻りたいと思います。」

 

あっけなく終わってくれたようだ。

とりあえずはひと安心である。

 

「ああ、それとトレヴァー様。」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

 

 

 

「脱出の計画はすでに立てているでしょうか?」

 

 

背筋がゾッとした。

この男の認識が今の一瞬で変わってしまった!

そう、悪い方へ変わってしまったのだ!

 

「だ・・・脱出とは?」

 

「スペンサー卿の手から逃れるための脱出計画ですよ。」

 

手先がぶるぶると震えながら、胸元の拳銃をつかむ。

私の様子を見ていたノーチェスは両手を顔の前に立てる。

 

「ああっ!誤解なさらないでください。

私はあなたの敵になるつもりはありません。」

 

「スペンサーの執事を名乗っておいて、よくそんな嘘が吐けるな!」

 

私は銃口をノーチェスへと向ける。

撃ったことがまるでない素人が、脅しだけでどれだけ通用するだろうか。

車に乗ってすぐに家に避難し、ジェシカとリサを連れて一か八かで海外へ行くか!?

私が逡巡していると、ノーチェスは説明させて下さい、と言ってきた。

私は銃を構えたままで次の言葉を待つ。

少しでもおかしな言動を取れば、威嚇してすぐに車に乗り込もうと思った。

 

「私はスペンサー卿の忠実な僕ではありません。

彼から情報を探るスパイです。」

 

「スパイ・・・?どこのスパイか言ってみろ!」

 

「H.C.F・・・アンブレラ社の同業他社です。」

 

H.C.Fといえば、アンブレラ社のライバル企業にあたる製薬会社の名前である。

 

「お薬の情報の奪い合いでもしているのか?建築会社は関係ないだろ。俺達を巻き込むな!」

 

「おっしゃることはごもっともです。しかし、もうあなたは事件に巻き込まれています。

いえ、むしろあなたも事件の中心人物と言っても過言ではないのですよ、トレヴァー様。」

 

拳銃に一切ひるまない男は、冷や汗ひとつかかずに淡々と語った。

 



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ジョージ視点 ~取引~

 

「事件の中心人物だって?」

 

私の問いにノーチェスは頷いた。

 

「あなたはアンブレラ社に深く関わっているのですよ。

それは建物の設計だけではありません。

今後、スペンサー卿はあなた方一家をとあるウイルスの初の実験台に利用しようとしています。

下手をすれば、その結果が世界に混乱を招くかもしれません。」

 

私はジェシカの話を思い返していた。

囚われた彼女とリサは何か薬を打ち込まれて研究者達に状態を監視される、と。

それは薬ではなく、ウイルスだったのではないだろうか。

研究者達が彼女達を騙して、栄養剤か治療薬などとうそぶいたのだろう。

それに・・・、ジェシカが語ったリサの異形な姿は、ウイルスの作用で細胞が変質することで成り果てたものかもしれない。

ウイルスがそこまで人体を変貌させるなんて聞いたことがないが、人類がやらなかっただけできっと有り得ない話ではないのだろう。

 

「スペンサー卿は何が目的なんだ?」

 

私は彼に尋ねた。

 

「スペンサー卿は、他国のとある遺跡にて咲いていた花からウイルスを採取しました。

彼の目的はそのウイルスを人類に振りまくことです。」

 

「壮大な話だな。奴は自分が神様にでもなったつもりか?」

 

「なるつもりの可能性はありますね。私には理解出来ない考えですが。

さぁ、あなたの質問には答えたのですから、一旦銃を降ろしてくれませんか?」

 

私は構えを崩さなかった。

 

「お前の目的を聞いていない。」

 

ノーチェスは、少しばかりのため息をついた。

 

「分かりました。率直に申し上げます。

あなたとは取引をしたいのです。」

 

「取引・・・?」

 

「ええ。先程話したウイルスは、『始祖ウイルス』と呼ばれるものです。そして、それを宿す花は『始祖花』と呼ばれます。トレヴァー様、あなたにはスペンサー卿の本邸の地下に眠るその花を取ってきて頂きたいのです。」

 

「それで、はい分かりました、とは言わないだろう。見返りは何だ?」

 

「あなた方一家の身の安全を保証しましょう。海外の安全な土地に避難する手引きをおこないます。

アンブレラ社の手が及ばないような場所へです。」

 

それが本当ならば、確かに働きに見合うだけの価値がある取引だ。

実際、スペンサーの違法なおこないを世に広めた後に、報復がないとも言い切れない。

そこが知れない企業相手にどこまで逃げていいのか分からなかった。

役所に行って転居届出さないとな、とか滑稽なことを考えていたこともあるぐらいだ。

目には目を歯には歯を、か。

 

「そちらのメリットは何だ?」

 

「メリットですか。

私にはあまり時間がないのですよ・・・。

先日、亡くなられたあなたの友人のジョニー・ディアス。

彼は私の組織の先輩にあたる方なのです。」

 

思わぬ名が出てきて戸惑ってしまう。

ジョニーがノーチェスの先輩?どういうことだ?

ジョニーは何をしようとしていたんだ?

5年来の友人であった彼が分からなくなってしまう。

ノーチェスは私の考えを見透かしたようだった。

 

「ジョニー・ディアスも私と同じH.C.Fのスパイだったのですよ。

あなたと接触したのだって、アンブレラ社の動きを探るための一手段としてでした。

まぁ、あなたには大分気持ちが緩んでいたようですが。

殺害されたことは、私としても非常に惜しまれます。

技術や知能を教わった良き先輩でしたからね。

ちなみに、彼には妻子はいません。」

 

ジョニー・・・、胸に染み入るように広がるこの気持ちは、友の裏切りへの怒りなのか憐れみなのかそれとも別の何かか、私には判断出来なかった。

 

「その口ぶりからして、ジョニーはアンブレラ社の者に殺されたのか?それにケリーはどうなったんだ!?」

 

「そう矢継ぎ早に質問をしないでください。

ジョニー・ディアスについては、どうやらアンブレラ社の者に殺されたようです。

彼はアンブレラ社に危機を感じて一度身を隠そうとしていましたから。

あなた達と食事をした翌日に決行するつもりでした。

 

ケリー・ファブロンについては、ディアスのように連絡を取っていたわけではないので、私も所在を掴めていません。

ただ、タイミングを考えると面倒なことに巻き込まれている気がしますね。

それは、トレヴァー様も同様の考えでしょうが。」

 

「ケリーはH.C.Fではないのか?」

 

「ええ。彼は違います。恐らくですが、あなた方の食事に同席していたのが原因ではないでしょうか?ディアスは何か言っていましたか?」

 

私は飲んだ時を思い出そうとした。

確か・・・

 

「ジョニーは、アンブレラ社が正規の手続きをしていない資機材を洋館に運び出そうとしている、と言っていた。」

 

「その時にすでに店内につけられていたかもしれませんね。

あの人はどうも・・・詰めが甘い。」

 

私は一瞬ムッとしてノーチェスを見たが、彼の悲しみの色を浮かべた瞳を見やると口出しが出来なかった。

話をしてみると、確かに敵意はないように思える。

少しためらったが、私は銃口を地面に向けた。

ノーチェスは、それを見て少し微笑んだ。

 

「信用していただきありがとうございます。」

 

「まだ信用したわけではないぞ。それに発砲していたら見切っていたのだろう?」

 

「・・・否定はしません。命あっての物種ですから。それでも少しばかり歩み寄れたと思っています。

ご期待に添えるように務めさせていただきます。」

 

何だか調子が狂う相手だ。

 

「話を戻すが、時間がないというのは?」

 

「ディアスが殺されて家宅捜査がおこなわれるまでの間、彼の部屋がそのままの状態なのです。もし処分をしていなければ、私の痕跡が彼らに見つかるやもしれません。

私は次のパーティーが終わるとほぼ同時に、H.C.Fの拠点へ戻るつもりです。

ただし、組織は何の成果もなしには受け入れてくれないでしょう。

その時までに『始祖花』のサンプルはどうしても必要なんです。」

 

どこも殺伐としているな。類は友をってやつだろうか。

 

「あんたが取りに行くのはダメなのか?」

 

本人としてもそうしてくれれば手っ取り早いじゃないか?

その代わり、私達が手引きをしてもらえなくなるが・・・。

どうしても聞いてみたかったのだ。

 

「屋敷内には、執事長がいます。

彼はなかなか隙がありません。

パーティー中は、あえて私は彼の傍にいようと思います。

時間を稼ぎますが、どうか短い時間でサンプルを入手して下さい。」

 

無理難題を吹っ掛けられたもんだ。

けれど、他に一家を守る手段が出てこないのも事実だ。

 

「地下室の入り口は?」

 

「大広間から出て、突き当り左側にスペンサー卿の書斎がありますので、その部屋の一番右の本棚にある赤い本を抜き取ってください。地下室への扉が開かれます。」

 

スペンサーらしい仕掛けだ。

 

「分かった。あんたの言葉を信じるとしよう。だけど、条件が1つある。」

 

「何でしょうか?」

 

「身内のエマさんと建築会社の洋館建設に関わった人たちの安全も保証して欲しい。」

 

「なるほど・・・。

身内の方はあなた方と避難先で落ち合うように手配しましょう。

職人様方は、我が社で勤めて頂くのであれば構いません。

彼らの腕はこの洋館を持って証明されていますからね。

もちろん、安全性は保証します。」

 

「今回のような面倒に巻き込まないようにしてくれるのであれば、お願いしたい。」

 

ノーチェスの表情が少し明るくなる。

 

「ありがとうございます。必ずや約束をお守り致しますので、ご安心ください。」

 

「ああ。よろしく頼む。」

 

「話をまとめますが、来訪されたら隙を見て地下室へと入ってください。『始祖花』は花弁だけでも構いませんが、最低3つはお願いします。

サンプル入手後は私の方から近づきますので、目立たないように注意して下さい。

その後は、とある経路を使い港に避難をして当日海外へ向けて出港します。

それとパーティーは、7日後の午後6時からなのでお忘れなきように。」

 

恐らくチケットの要らない船旅になるのだろう。

 

「ああ、分かった。」

 

ノーチェスと別れた後に、自宅に戻った。

帰宅した頃には、もう夜になっていた。

食事を取りシャワーを浴びたあと、寝室にてジェシカには今日のことを話した。

友人のことも全てだ。

彼女は、友人を亡くした私を気遣うような言葉をかけてくれた。

私達ならきっと大丈夫、とも。

リサは9時ぐらいからずっと寝てた。

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

フェンタニル・ノーチェスはスペンサー卿の書斎にいた。

家主に今日の出来事を報告するためだ。

スペンサー卿は、頷きながら彼の話を聞いていた。

 

「―――以上が洋館及び研究施設についての内容になります。」

 

「トレヴァー君の発言で何か気になることはあったかい?」

 

「・・・いえ、私が気になることは特にありませんでした。」

 

「そうか・・・。うん、報告ご苦労様。君も疲れただろうから、ゆっくりと休むといい。」

 

「ありがとうございます。」

 

「おっと、そういえばフィクサーはパーティー当日に戻ることになったようだ。どうにも支度が忙しかったらしい。」

 

「フィクサー・・・。掃除屋のですか?」

 

アンブレラ社に損益をもたらすならば、敵味方問わずに手をかける者と聞いたことがある。

 

「ああ、そうだね。本当は数日前に戻ってきて欲しかったんだけどね。」

 

ノーチェスはその真意を探ろうと質問した。

 

「なぜでしょうか?」

 

スペンサー卿はふふっと笑った。

 

「先日、アンブレラ社にネズミが紛れ込んでいたのをフィクサーが処理してくれてね。

こちらの屋敷でも仲間がいないか探してもらおうと思ったのだよ。

彼はとても鼻が利くみたいだからね。」

 

マズイ奴がいたものだと、ため息をつきたくなる。

 

「そうでしたか・・・。」

 

「なに、気負うことはないよ。いないのならあっという間に終わることだから。いないのなら、ね。」

 

顔に出さないようにしたが、ノーチェスは悪寒を感じずにはいられなかった。

一般の世とはほど遠い所を生きている彼ほどの男でもスペンサー卿の異質さは、受け入れがたいものがあった。

彼は掃除屋がパーティー前に来なかったことを感謝した。

 

 

そして日付が経ち、パーティーが催される日となった。



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ジョージ視点 ~思惑~

私達一家は、スペンサー卿の本邸の門前に立っていた。

これから貴族のパーティーが催されて、私はノーチェスの言う『始祖花』のサンプルを採取しに行かなければならない。

いやでも鼓動が高まってしまう。

会社のプレゼンだって、まだ若干落ち着いていたと思う。

 

人は何というか、面倒な生き物だ。

人は他種より考えることで、洗練された道具を生み出したり独自のルールを作ることができるのである。

文明の利器も文化もみな、人の思考が生み出してきた産物である。

 

よって、人にとって思考が最大の長所とはいえ、その長所に振り回されてしまう人も少なくないだろう。

道具をうまく扱えずに上司や先輩に説教される人、会社のルールを知らずにこれまた説教される人など。

これらは思考の産物である道具やルールに振り回された人の一例である。

そんな人達は癒やしを求めるものだ。

 

どこにだっているはずだ、無邪気に遊ぶ犬やのんびり日光浴をする猫を見て、

「お前はいいよな・・・。」、なんて思考をする人は。

最大の長所が作り上げたものに振り回された結果、その長所である思考を放棄したくなってしまうのである。退化に一瞬でもすがりたくなる時が出てしまうのである。

 

大概こういう思考になる人は疲れている人だとは思うが。

要するに、私も人が作り上げた組織関係を思考することや知識を集約して作られたこの豪邸を前にして、緊張により早くも疲れ始めているのである。

 

もういっそこのまま犬にでもなれば楽になれるのだろうか?

そう思っているとリサが私を嫌悪の目で見てくるのが伝わった。

声に出してしまったのだろうか?

それすら自覚できないほどに、私は思い悩んでいるのだろうか。

いかんいかん、私は家族を守らなければいけないんだ。

気持ちを切り替えて、門の先へと進んで行く。

 

 

ここの家の玄関ドアはシンプルな装飾だが、重厚感があるため高価なものであろう。

やはり金持ちは使い方が違うな。

私はドアノッカーを叩いた。

中の者が出てくるのを待つ時間が異様に長く感じられた。

後ろのジェシカの顔をチラリと見る。

笑顔だった。それも怒っている時のだ。

 

これから迎え入れる者は、家族を悲惨な目に合わせたであろう言わば敵の仲間である。

気持ちが溢れてしまうのだろう。

だが、どうにか落ち着かせてほしい。

敵に悟られれば、作戦は失敗となってしまう。

 

今回の私がやるべきことはジェシカには伝えてある。

彼女は「私もやるべきことをやるわ。任せて。」と言ってくれた。

私はジェシカの瞳をジッと見つめる。

妻は私の視線に気づくと、ハッとして静かに息を整えた。

彼女も無意識に気持ちが高まってしまうのだろう。

 

そういう私も心臓のエンジンが高まりすぎて、呼吸をするのが若干きつい。

さっきから、はぁはぁと言っている。

その時にドアが開かれた。

 

中から出てきたのは、燕尾服を着こなす初老の男性であった。

恐らく、ノーチェスの言っていた執事長であろう。

執事長の後ろには、若いメイドとフェンタニル・ノーチェスが控えていた。

彼らは首を垂れている。

当然、正体をバラさないようにするため、私とノーチェスの間に会話はない。

大丈夫、慎重に事を進めればボロは出ないはずだ。

 

「ようこそいらっしゃいました。秋も深まり本日は風がやや強く冷え込むでしょう。

どうぞ、中へ入り暖をお取りください。」

 

執事長が私達に笑顔で語りかける。

私もそれに返答する。

 

「はぁはぁ・・・、本日は招待はぁ・・・、頂きありが・・・はぁはぁ・・・とうございますはぁ。」

 

「・・・・・・。」

 

やってしまった。

執事長は笑顔のまま無言である。

リサとノーチェスの視線が痛い。

ジェシカはひそかに私の背中をさすってくれている。

かなり癒される。ずっとそうしてほしい。

 

「どうぞこちらへ。」

 

執事長に客室へと案内される。

 

「主への挨拶は今すぐでなくても構いません。

どうぞ、身体を休まれてください。」

 

執事長は私に向かって言い、ドアを閉めた。

しばらくはこの部屋には来ないという認識でいいだろう。

今が好機だろうか?

手先が緊張で震えてくる。

いや、まだチャンスはある。

 

私はコートのポケットから錠剤を取り出して飲む。

 

「なにそれ?」

 

リサが聞いてきた。

私は落ち着くように意識して答えた。

 

「バファ〇ン。」

 

噓である。

本当は抗不安薬だ。

娘に噓をついてしまい胸がキリキリと締め付けられるように痛い。

 

「頭痛?それとも熱でもあったの?」

 

ある意味頭の痛い状況ではある。

何せ命に関わることなのだから。

 

「いや、半分のやさしさの効能ってどんなんだろうと思って。」

 

テキトーである。

けれど、やさしさに包まれたい気持ちは現在進行形である。

娘の私を見る目が変わったが、致し方ない。

何て言えばいいのか分からなかったし。

 

「あら、あなた。私の優しさじゃ足りないんですか?」

 

ジェシカが尋ねてくる。

私はこれまでの彼女を思い浮かべる。

決意した私を支えてくれたこと、洋館から戻ってきた私を労る言葉をかけてくれたこと、絶品のかつ丼を作ってくれたこと。

足りないはずがないのである。

私は緊張が緩んだことに気がつく。ありがたい。

 

「いや、君には到底及ばないよ。これは私には必要ないようだ。

困ったモノにあげるとしよう。」

 

いい雰囲気が出来た時に、コンコンと扉がノックされた。

もう少しこの癒しのひと時を過ごしたかったのだが、そうはいかないらしい。

 

「どうぞ。」

 

扉が開くと顔を見せたのは、スペンサーであった。

奴と顔を合わせるのは、設計の依頼後に一度相談を受けた時以来だ。

こいつが私の家族を貶めようとする張本人か。

こいつが友人に手をかけた黒幕か。

怒りが沸き上がるのが分かる。

その気持ちを静めようとすることに大分苦労した。

そのため、スペンサーとの話はぼんやりとしてあまり記憶に残ってないのだが、妻と娘にウインクをしたことに腹が立ったのはよく覚えている。

それ以外の話にしても、潜入することを見透かされないようにうまく言ったと思うので、ボロは出ていないはずだ。

 

話の後に、体調を聞かれたので問題ないです、と答えた。

パーティーはもう始まるらしい。

先導する奴の後ろに続き、私達一家は大広間へと通された。

 

 

大広間では、貴族達がガヤガヤとしていた。

スペンサーは、私達に起こり得たかもしれない悲劇の裏側でもこうやってパーティーを楽しむのだろうか。

ますます不愉快である。

つい不満が口に出る。

 

「コンクリート打ち放しの大広間ってなんか雰囲気暗くなるよな~。」

 

この言葉を娘に聞かれてしまった。

いけない、気持ちが昂ぶり過ぎている。

 

突如、背後からスペンサーが声をかけてきた。

私はトイレに行くと言い、慌ててその場を立ち去る。

 

もうここに長居しては、ストレスでどうにかなりそうである。

行くなら今行こう。

 

私は大広間を出た後に、目的地まで急ぎ足で向かおうとした。

しかし、真向かいから貴族らしき人物が歩いてくる。

トイレからの帰りだろうか。

貴族は私の前で立ち止まった。

ゴクリと息を吞む。

 

「そちらの部屋に入りたいのですが、よろしいですか?」

 

「え?あ、はい。・・・どうぞ。」

 

貴族は大広間に戻りたいが、どうやら私がドア前にいたため入れなかったらしかった。

いかん、変に挙動不審だったな。

貴族は気にする様子もなく大広間へと入っていった。

 

気を取り直して廊下を進む。

突き当り左側奥にあるドアにたどり着く。

音を立てないようにゆっくりとドアノブを下ろして引くと、中は本で敷き詰められたような部屋だった。

ここが書斎で間違いないだろう。

 

私は向かって右側の本棚に向かう。

中央奥の壁際にある大きなテーブルのそばを通った時に、書きかけの手紙が目に入った。

通りかかる際に、一文だけ読んでみる。

 

”親愛なるミランダ先生へ”と書かれている。

 

スペンサーに先生がいるのか。人類を混沌に陥れることを企むような奴の先生とはどんな人物だろうか。

考えるだけでも具合が悪くなるようだ。

私は考えを振り払って先へ進んだ。

 

―――――――――――――――――――――――――

フェンタニル・ノーチェスはジョージ・トレヴァーが大広間から出たのを目視した。

執事長は、大広間で料理の配膳に忙しい様子だ。

ノーチェスは彼の元へ向かう。

これから少しでも時間を稼がないといけない。

 

執事長の近くではメイドも慌ただしく、すでに料理の無くなった食器を片付けている。

普段はスペンサー卿しかお世話をしないため、こういったパーティーの際に彼らは大忙しとなる。

ノーチェスは、執事長に近づき声を掛けた。

 

「執事長。」

 

執事長は振り返り、私の姿を確認するととたんに目つきを変えた。

ノーチェスは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。

ゆっくりとこちらに歩んでくる。

目の前に立つ執事長は、ノーチェスに執事としての振る舞いを指南する時の厳しくも優しい姿とは大きく異なる雰囲気を持っていた。

 

「フィクサーより連絡があった。

ジョニー・ディアスの自宅にて、燃えかけの暗号化された手紙を見つけたそうだ。

解読するのに先程まで時間がかかったそうだが、内容はお前に関することだったらしい。

お前は詰めが甘い。

ジョニー・ディアスが外で殺害されたと思ったか?

遺体は動かないとでも思ったか?

もし殺害されたのが自宅だと気づいたのならば、お前はすぐにディアスの家に向かっていただろうにな。

 

しかしこの場で拘束しては、お客様のご迷惑となり主の機嫌を損ねてしまう。

今日のパーティーが終わるまで、束の間の幸福を噛みしめるといい。

私は少しだけ所要で離れるが、主に下手な真似はするなよ?」

 

執事長はメイドに指示を出して大広間から出ていった。

恐らくメイドは、ノーチェスへの監視の任を与えられたのだろう。

執事長が大広間から出て姿を見せなくなっても、ノーチェスは立ちすくんだまま動けずにいた。

 

 

 

執事長は主より、ジョージが何もしでかさないか確認するように指示を受けている。

大広間から廊下に出て立ち止まり、胸元から無線機を取り出す。

 

「おい、モニターに怪しい動きをする者はいないか?」

 

無線機から返答がくる。

 

「ジョージ・トレヴァーが、スペンサー卿の書斎に潜り込みました。

そろそろ出ても?」

 

「十分だろう、ネズミを捕らえろ。

ただし、大事な被験体だから出来るだけ傷はつけるな。」

 

執事長は隣の大広間に聞こえない程度の声量で、無線機に向かって指示を出した。

 

「了解、パトリック執事長。」

 

男は多数のモニターがある部屋にいた。

椅子からゆっくりと腰を上げる。

 

――――――――――――――――――――ー―――――

 

 

右側の本棚には、背表紙の赤い本が分かりやすく配置されていた。

それを抜き取ると、部屋の中央の床が一部スライドして地下へ通じる階段が姿を見せた。

意外と音が静かで良かった。

良いベアリングを使っているのだろう。

階段上から地下を覗くと、存外明るい様子が見て取れた。

いざという時の明かりはジェシカからもらったライターしかなかったので、ホッとする。

 

 

 

 

 

「よお、ジョージ。」

 

後ろから声をかけられる。

驚いて振り向くと、しばらく消息不明となっていた男ーー

 

ケリー・ファブロンがそこにいた。

 



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ジョージ視点 ~邂逅~

~少し前のこと~

 

「パトリック執事長。」

 

ケリー・ファブロンはモニター室より無線機で呼びかけた。

  

「なんだね。」

 

声を潜めている。大広間にいるのだろう。

 

「暗号解読の方が終わりました。

ジョニー・ディアスと手紙で連絡を取っていたのはフェンタニル・ノーチェスです。」

 

「なんだと・・・。その報告は確かなんだろうな?」

 

「間違いありません。

燃えカスのような手紙でしたので、2人の名前以外はほとんど把握出来ませんでしたが・・・。

しかし、『始祖花』の文字が確認できています。」

 

一瞬間が置かれる。

 

「あいつもH.C.Fなのか?」

 

「そうでなくても放ってはおけないでしょう。内通者と暗号文を交わしているのですから。」

 

「・・・昨日までにノーチェスにはそれらしき動きはなかった。

パーティー中に良からぬことをするのであれば、『始祖花』を手に入れるためにジョージ・トレヴァーも関わってくるかもしれん。

2人は7日前に顔を合わせているからな。

どちらかに動きがあった場合、お前も現場に出てもらうぞ。」

  

「了解、それまでは待機させてもらいますよ。」

 

「ああ。もう少ししたら、あいつに挨拶をするとしよう。」

 

「もう少し?何かあるんですか?」

 

「スペンサー様がシャンパンタワーをご所望でな。

なに、じきに終わる。」

 

無線が切れる。

さて、執事長はどんな発言を元部下にかますのやら。

その発言がフェンタニル・ノーチェスを二度と戻れない絶望への道へとおいやるのだろう。

振り返ることでしか、心が安らげないような道を行かざるをえなくなるだろう。

しかし、俺には関係ない話だ。

もし、単独で脱走でも企てようものなら、俺が追い立ててその道に引き戻してやろう。

進むべき道から外れた羊は、怖い犬に追われるものだからな。

 

――――――――――――――――――――

 

 

ケリーは書斎のドアの内側に立っていた。

なぜ、お前がここにいるのだろうか?

 

「ケリー、今までどこにいたんだ!?

ジョニーが亡くなった時に姿を見せなくなったから心配したんだぞ!」

 

「いや、すまない。事情があってな。

身を隠していなければならなかったんだ。」

 

ケリーはいつもの仏頂面で返答する。

私はさらに質問した。

 

「何が起きたんだ?」

 

「俺はとある組織のスパイだ。

それがアンブレラ社に正体がばれそうになってな。」

 

ケリーは続けて語る。

 

「H.C.F・・・聞いたことはあるだろう?」

 

私はその言葉を何度か耳にしている。

しかし、疑念があった。

ノーチェスは洋館であった日に、ケリーを同じ組織のものではないと言ったからだ。

まさか、ケリーが欺こうとしているのか?

それともノーチェスの方が?

付き合いの長い友人を信頼するのが普通だろうが、さすがに敵地に現れたケリーに何も思わないわけがない。

それとこれはノーチェスの言葉を信じるならだが、ジョニーにも裏があったと聞いたからにはその普通の考えがすんなり飲み込めない。

 

一瞬、ジェシカとリサの顔が思い浮かぶ。

迷ってはいられない。

今ここでケリーを信じるか決めよう。

私は彼に質問をした。

 

「ジョニーもH.C.Fに所属していたことは当然知っているのか?

あいつの最後の時にお前はどこにいたんだ?」

 

「・・・ああ、もちろんだ。同じスパイのジョニーとは影で情報共有をしていてな。

それと、ジョニーが死んだ日は2人でいた。

その時襲撃にあったんだが、あいつは俺をかばって先に行かせたんだ。

ニュースであいつの死を聞いて落胆したな。

お前の方は何ともないようで安心したよ。」

 

ケリーは硬い表情で言った。

相変わらず感情の起伏が分かりづらい奴だ。

 

「ジョニーの妻や子どもは無事なのか?」

 

「そうだな。

ジョージは知らないだろうが、ジョニーは単身赴任でな。

以前あいつの部屋に飲みに行ったことがあるんだが、部屋には妻子の写真が飾ってあっただけだったよ。

あのあと、数日かけて組織に頼んで確認をとりに行ったが妻子は無事だったさ。」

 

「そうか、妻と息子は無事だったか。」

 

「ああ。」

 

「いや、子どもは女だったな。」

 

「・・・なに?」

 

「どうして息子だと思ったんだ?」

 

「いや、髪が短くてな。つい間違えてしまった。」

 

「そもそもジョニーに妻子はいないけどな?」

 

「・・・・・・。」

 

私はケリーの顔をジッと見つめる。

妻子が存在するか否かという意見の食い違いは、まだノーチェスが欺いてるかもしれないという可能性もあるだろう。

そのため、カマをかけた。

ケリーの反応次第で私は彼を信じるか判断しようとした。

その結果、この堅物は感情を押し殺すような反応をした。

なにを隠した?ケリー。

 

「・・・なあ、ケリー。

ジョニーが死んだ時に愚痴を言った奴がいてさ。

そいつは愚痴を言っているのに憐れむような眼をしていたんだよ。

そいつも甘いよな。

けれども、そういった素直なところは憎めなくてさ。

・・・悪いけど、今はそいつの方を信じようと思う。」

 

 

小さな発砲音が聞こえた。

ケリーの手には、サイレンサーがつけられたハンドガンが握られていた。

わずかに硝煙の匂いが漂う。

威嚇射撃なのだろうか。

弾はあたっていないし、それ以上撃ってくる様子もない。

 

「そのまま動くなよ。」

 

ケリーが一歩踏み込んでくる。

これは確定的だろう。

 

身体を固くしてはいけない。

私は気力を振り絞り、手に持っていた赤い本をケリーに投げつける。

そのまま振り返り地下室の奥に向かって足早に駆け出した。

ケリーから呼び止めるような声は聞こえなかった。

 

――――――――――――――――――――

 

ケリーは床に落ちた赤い本を見つめる。

ジョージは知り合ったばかりのノーチェスの方を信用したらしい。

仮初の付き合いとはいえ、長年の友を差し置いてその言動は、さすがの俺も不愉快だ。

だが、ジョージがアンブレラ社の闇に深く関わっていることは確定した。

 

 

無線機から声が聞こえてくる。

 

「おい!聞こえるか!?」

 

執事長はやや声が荒かった。

ケリーは返答する。

 

「聞こえてますよ。何かトラブルですか?」

 

「ジェシカ・トレヴァーがシャンパンタワーを粉々に崩しおった!

私は今から大広間に戻り、安全確認と清掃をしなければならん!

ジョージ・トレヴァーのことは任せたぞ!」

 

「パトリック執事長。

やはりジョージ・トレヴァーとフェンタニル・ノーチェスは仲間の可能性が高いです。

それとジョージ・トレヴァーの方は地下室へと入り込みました。

しかし、奴は間抜けなようです。

このまま入り口を閉じてもよろしいでしょうか?」

 

無線機から返答がくる。

 

「それはならん。ただの倉庫なら構わないが、地下室にあるのはスペンサー様の研究資料やサンプルだ。

ジョージ・トレヴァーの気がふれて、それらに少しでも傷をつけられないように行って捕らえろ!」

 

「・・・了解。」

 

ケリーは本棚の枠に着いた弾痕を眺める。

ため息をついて、銃をしまい階段を降りていった。

 

――――――――――――――――――――

 

地下室への階段を降りると、5mほど先に扉が1枚だけあった。

私はやや焦りの気持ちを抱いてしまう。

これでは、ケリーをまくことができないではないか。

だが、後ろにはもう彼が迫ってきているはずだ。

私は駆け足で進み、扉を開けた。

 

そのさきには、天井は2m50cmほどと割と低めだが横に長い部屋があった。

 

 

真向かいには細長いテーブルが3つあった。

それぞれ試験管やマイクロチューブにピペットなどの小物類が置かれたテーブル、中に液体の入っている濃い茶色の瓶がいくつか置かれたテーブル、光度計や遠心分離機にオートクレーブなどの機器類が置かれたテーブルだった。

いかにも研究しているような道具類である。

 

右側には、国立図書館の本棚のように長い業務用ラックが六列に並んでいた。

ラックの高さは2mに少し満たないぐらいだろうか。

それぞれのラックには、何かのトロフィーや小難しい題名の本、それに50cmほどのガラス瓶に閉じ込められたホルマリン漬けの実験サンプルと思われるものが大量に配置されている。

 

左側には大きなテーブルとその両側に紙束の山がいくつもある。

紙束の真ん中には、ガラスのケースに入っている花があった。

これが『始祖花』だろう。

 

 

花に近寄ろうとした時に、私の背後にある扉の向こうから階段を降りる音が聞こえてくる。

私は先ほど来たドアに戻り、カギを閉めてドアの上部を確認する。

そこには2つの分電盤があり、片方の扉を開けた。

中には『天井蛍光灯』とシールが貼ってある漏電遮断器があり、それをOFFにする。

とたんに部屋は真っ暗となり、私はライターに火をつける。

念のため、ヒューズも取り出してその辺にぶん投げておく。

 

足音がかなり近づいてきたため、慌ててラックの方へ向かい奥から2番目の通路に入り込む。

天井を見回して、持ちやすそうなホルマリン入りのガラス瓶を取り出してから、通路の奥に行ってつき辺りでラックを背にして耳をすます。

 

ガチャガチャッ

 

ドカァンッッ

 

ドアが蹴破られる音がした。

ケリーがナイフを片手に部屋に入ってくる。

私はライターの火を消して、身を屈めて辺りの様子を見る。

ケリーは小さい明りだがライトを取り出してきた。

しまった・・・、ラックの陰に隠れて回りこんで逃げ込もうとしたのに、見つかるのも時間の問題かもしれない。

 

ケリーは辺りを見回して、ラックの並びの所で視線を止めた。

そちらにゆっくりと歩きだし、各通路にライトの明かりを向けるが、私の姿が見つからないと手前から1番目の通路にライトを向けたまま少し立ち止まって考えていた。

そして、手前から3番目の通路に入る。

1番目にライトの明かりを照らし続けたことで、仮に私がその列にいたとしても、恐怖で奥の列へ移ったと考えたのではないだろうか。

それに3番目の通路だと、同時に両隣の通路も確認ができる。

ドアに近い列で対応しやすいというのもあるのだろう。私も人を同じ状況で探すならそうする。

 

無理な姿勢は取っていないのに、足が小刻みに震えてしまう。

ジョージは狩られる草食動物のような気持ちを抱いてしまう。

心臓の音がロックを演奏するのが分かる。

 

コツコツと足音を鳴らし通路を進んで行くのが聞こえる。

私はこそこそと来た道を戻り通路真ん中近くに座り込み、彼の足音が一番近い距離になった時に、緊張で息を潜めているのか息を止めているのか分からない状態になる。

もう少し我慢だ。もう少し。

 

ケリーは大分奥に進んだ様子だ。

 

私は片手に持っていたガラス瓶をケリーがいる通路のやや後方めがけて投げ込んだ。

やや後方には投げれたが、ガラス瓶は私の隣の通路で砕ける音を立てて割れた。

 

・・・肩の力弱いな。こうなるなら野球でもやっておけば良かった。

 

ライトの明かりが私のやや後方をちらつかせる。

私はガラス瓶が割れる音に合わせて、もう片方の手に持っていたライターに火を灯す。

そして先ほど天井部を見回した時に存在を確認した、感知器に火を近づけた。

 

途端に、奇数列の通路の天井部にあるスプリンクラーヘッドから放水される。

手前から3番目の通路にいたケリーは水を浴びる。

 

「ぐっ・・・。」

 

驚いたケリーの足が止まる。

私はラックに向かって思いっきり体当たりをした。

ケリーの方に向かって次々と倒れていくラック。

 

「ぐあっ!」

 

ケリーは踏ん張ろうとしたが、濡れた床に足元を取られてそのままラックの下敷きになった。

彼の悲鳴を聞いた私は急いでラックの通路を抜けて、『始祖花』のあるテーブルへと向かう。

ガラスケースの蓋を開けて、中の花を根っこから3つもぎ取る。

それをそばに置いてある大きな紙に挟んでくるくると巻いて、服の内側にしまっておく。

 

私は大急ぎで来た道へ向かって走り出した。

 

――――――――――――――――――――

 

私は書斎に戻ると赤い本を本棚の元の位置に戻して、地下への扉を塞いだ。

地下室にも緊急用の非常ボタンでもあるかもしれないが、これで時間を稼ぐことが出来るはずだ。

廊下を行き、大広間のドアに来た所で振り返る。

ケリーはついてきていないようだ。

もうここまでの事をしたのだから、あとはノーチェスに花を渡して逃亡しよう。

そうしなければ、ここで捕まるか最悪殺されてしまうかもしれない。

 

大広間のドアに手をかけようとした瞬間、

ワッと大歓声が聞こえてきた。

 

そろりと扉を開けて覗くと、大広間の左側奥でピアノを弾いたらしいリサが貴族から賞賛を受けていた。

貴族からこれほどの歓声を受ける曲といえば・・・。

恐らく、『月光』だろう。

リサがジェシカの誕生日に弾いていた曲で、親バカかもしれないが見事な出来であった。

娘の曲が貴族の胸打つものだと知り、私は心の中で大絶賛した。

 

リサの傍には、スペンサーもいた。

奴はリサに笑顔で何か語りかけている。

まんざらでもなさそうな表情のわが娘。

・・・あの男、腹立つから離れてほしいな。

 

貴族達は、大広間のドアとピアノを半円で囲むようにして隙間なく並んでいた。

私から見て貴族の並びの向こう側、大広間の中央部では粉々になった大量のガラスらしきものをメイドと執事長が一心不乱に掃除している。

・・・何があったんだ?

 

私が部屋に入ると、ノーチェスが近づいてきた。

彼の顔はやや青くなっている。

あの割れたガラスが相当まずかったんだろうか。

彼が声をかけてくる。

 

「トレヴァー様。例のものは?」

 

「大丈夫。ここに入っているよ。ご要望の数通りにね。」

 

ノーチェスの表情に生気が戻っていく。

 

「あなたは大した方だ。私なんかよりもよっぽど仕事ができる。心から敬意を表します。」

 

盗みで褒められてもあんまり嬉しくない。

 

「ジョージ!戻ったのね?」

 

ジェシカが私達のもとに来る。

 

「ああ、例のものもしっかりと取ってきた。

すぐにでもリサを連れて行きたいところだが、何があったんだ?」

 

ノーチェスが間に入ってくる。

 

「シャンパンタワーをしたり、ピアノで見事な演奏をしていたのですが・・・。申し訳ありませんが、お話は後の方で。ご令嬢をお連れしてすぐに外に向かいましょう。」

 

「分かった。」

 

私はリサのもとに駆け寄った。

 

「リサ、素晴らしい演奏だったそうだね!親として誇らしいよ!

お祝いの言葉をもっと述べたいんだけど、一旦席を外そうか!」

 

「何かあったのかな?」

 

スペンサーが話しかけてくる。

こいつへの言い訳を何も考えてなかったな。

えーと・・・。

 

「スペンサー卿、実は身内の者の容態が良くないという知らせを受けまして・・・。

これからすぐにでも向かわなければなりません。」

 

「身内って誰が?」

 

リサが尋ねてくる。

 

「エマさんだよ。」

 

噓である。

またもや娘に噓をついてしまい、やはり胸が痛い。

 

「えっ!エマ叔母さんが!?

この前までプロテインとジムで作り上げたシックスパックを私に自慢してきたエマ叔母さんがなの!?」

 

エマさんってそんな筋肉質なの?

 

「そう!そのエマ叔母さんがだよ!

シックスパックでもかなわない敵が彼女を蝕んだらしい!さぁ、だからリサも行こう!」

 

「ちょ、ちょっとお父さん!?」

 

私はあっけにとられるスペンサーを無視し、リサの手を引き連れてジェシカとノーチェスのもとに戻る。

 

こちらの様子に気づいた執事長が駆け寄ろうとするが、貴族の並びが立ちはだかってなかなか進めないでいた。

 

私達4人は、もう二度とこないであろう大広間を抜け出した。



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追想の記憶

ピアノで演奏を無事に終えて安堵していた私。

貴族達の喜ぶ顔を見ていると達成感に浸ってしまう。

私は今夜の出来事をきっと忘れないだろう。

 

それなのに、なぜだか私は父に連れられて、スペンサー卿の邸宅の外を走っていた。

それに母も来るのはともかく、執事も一緒についてきており訳が分からない。

外はすっかり暗くなっており、空はキラキラときれいな星々が輝いていた。

執事はキョロキョロと辺りを見回し、父に話しかけている。

 

「トレヴァー様、こちらへ。私の車に乗って行きます。」

 

「俺の車でもいいけど?あんまり良い車だと目立つんじゃないか?」

 

父は自虐的な提案をしている。

娘が気を遣うのもなんだけど、別にウチの車も悪くはないよ。

 

「いえ、トレヴァー様の車はすでに使えない状態にされています。

あなた方が客室にいる時間に細工をされました。

申し訳ありませんが、そういう手筈だったんです。」

 

父は驚いた顔をしていた。私もだ。

車が使えないってなに?

手筈ってなに?

ここのサービス怖い。

 

「そこを阻止することはできなかったのか?

ローンがまだ残ってるんだぞ!?」

 

父は初対面のはずの執事に啖呵を切っている。

 

「申し訳ありません、とにかく私の車へ!」

 

執事に食って掛かりそうな父を尻目に、車のもとに向かった。

そこには、礼儀やマナーを遵守する執事のイメージとはかけ離れた、ワイルドな車があった。

 

「あら、立派な車ね。」

 

母は、執事の車をほめいている。

父がすねるからやめてあげて。めんどくさいし。

皆が車に乗り込み、走り出したときに私は疑問を口にした。

 

「ねぇ、何が起きてるの?」

 

当然の質問である。

私が知らない所で何かがあるのだろうが、分からない。

なぜ、スペンサー卿の邸宅をこんなそそくさと逃げるように出ていかなければならないのだろうか。

逃げると言っても大広間での貴族達は、私達が駆け足で出ていく時にエールを送ってたが。

全くもって事態が飲み込めない。

助手席にいる父があたふたとしている。

 

「ほら、さっき言っただろ?エマさんの容態が良くないんだ。」

 

「それは嘘でしょ。流石に私でも分かる。」

 

「それは・・・、あれだよリサ。色々と渦巻くものがあって・・・なぁ?」

 

執事に何か同意を得させようとしているが、苦笑いされている。

 

彼は邸宅の門を出ると、アクセルをより踏んだようで車のスピードが出だした。

助手席後方に座っている私からは、ハンドル奥にある計器盤の針がぐっと持ち上がるのが見えた。

窓の外を見ると、闇に染まったような暗い木々が次々と後方に流れている。

それを恐れるようにしてか、ガタガタと車が揺れている。

来た時に把握していたが、しばらくはアスファルトのない土が剝き出しの道をいかねばならない。

私は心許ない力で、座席のシートをつかむ。

 

隣にいる母は私の顔をジッと見て口を開く。

 

「ねぇ、リサ。あなたが小さい頃に怖い夢を見たって話を覚えてる?」

 

突然、何の話だろうか?

その話は私がまだ小学校に行く前だったか。

時折、母がその話を蒸し返すのでよく覚えている。

 

「私が何かに追われる夢を見たんでしょう?それがどうかしたの?」

 

「お父さんはね、リサの怖い夢を実現させないために頑張ってたのよ。」

 

母は、当時幼い私の夢の話を誰よりも知っているかのように語った。

しかし、全然ピンとこない話である。

だってあれは夢だもの。

それに父がポカンとして母を見ているじゃないか。

なのになぜか母が私を見る目は、真剣そのものである。

 

「お父さんは普通の人なら耐えられないようなことでも、決して逃げ出さないで立ち向かったわ。それは全部私やリサのためなのよ。」

 

母の眼差しからどうにも目を逸らすことができない。

それが、偽りのない気持ちを表していることが伝わる。

私は母に問う。

 

「さっき部屋を飛び出したことも・・・そうなの?」

 

母は優しい表情でゆっくりと頷く。

 

「そう、今もね。」

 

やっぱり身に感じる情報が少なすぎて分からない部分が大きく占めている。

けれども、母の気持ちは伝わった・・・と思う。

私は父を少しだけ見やる。

父は私の反応を伺うように見ている。

うーん、照れるというか気まずいというか。

何となくバックミラーに目線を移すと、執事が密かに微笑んでいるように見えた。

 

「トレヴァー様。ご歓談中に申し訳ありませんが・・・。」

 

執事は表情を切り替えて父に話を持ち掛ける。

 

「様はいいよ。それに家族がいるんだからその呼び方はややこしい。」

 

父は偉そうに執事に言う。どこか嬉しそうな表情にも見える。

 

「分かりました。ジョージさん、グローブボックスを開けて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

父がそれに従い助手席前の収納スペースを開ける。

中に手を入れた父は驚いていた。

 

「拳銃はともかくとして、爆弾まであるのかよ。」

 

父が手に取ったのは、赤い円筒状の爆弾が5本束ねてあるダイナマイトだった。

それぞれの筒の先には、数十cmの縄がついている。

狭い空間内で見たそれは、今まで見た中でも最大の恐怖を私に与えた。

 

「お父さん!それ爆弾!?早く窓から投げ捨てて!!」

 

私は思わずそう叫んでしまった。

 

「落ち着いてください。火が無ければ起爆はしません。」

 

執事はバックミラーから私を見て諭そうとする。

これが落ち着いてられるか!

 

「リサ、大丈夫だ。父さんはへましないから。」

 

へまが原因で普段母から様々な技をかけられているんでしょう?

口を真一文字に結ぶ私をよそに、前方の席同士で会話が始まる。

その間、母が私の背中をさする。

すごい癒される。ずっとそうしてほしい。

 

「最後まで油断はできません。そのダイナマイトは1つしかありませんので、ポイントまで使わないでください。」

 

「どこに行くんだ?」

 

父が執事に質問する。

 

「もう少しで林の中にある納屋に着きます。そこには地下道への入り口があり、中を1kmほど進むと崖下にある海辺へと出ます。小舟を停泊していますので、それに乗って港へと向かいましょう。」

 

「何でそんなに用意がいいんだ?」

 

「元々は用心深いスペンサー卿の脱出手段の1つでした。使ったことは一度もないでしょうけどね。」

 

「おいおい、土壇場でエンジンがかからないとかは無しだぞ?」

 

「安心してください。あなたと会った7日前にそれらは確認済みです。」

 

父はホッとしたような横顔をしている。

というか、何この会話?

私の知らない間にホントに何があったの?

いや、さっき説明はあったけど具体的な内容が聞きたい。

しかし、どうにもこの空気に土足で入っていくような真似が私にはできなかった。

 

「爆弾を使うポイントというのは?」

 

父が執事に再び質問する。

 

「納屋にある地下道の入り口で使います。崩落させて追手がこれないようにしましょう。」

 

「・・・分かった。お前の案に家族の命運を託そう。」

 

勝手に託される私達。

けれど、これも言ってはいけない空気を感じ取り、言葉を飲み込む。

 

「ありがとうございます。あなた方は本当に―――」

 

バックミラーから覗く執事の顔がハッとした。

 

「いけない!スピードを上げます。捕まっててください!」

 

そう言い切るか言い切らないかの内に車がさらに加速する。

狭くてやや荒れた道なのに大丈夫だろうか?

私は助手席のヘッドレストに手をかけつつも、後ろを振り返ってみる。

リアウィンドウの奥には、1つの明かりが見えた。

それは徐々に大きくなっていく。

同時にやかましいほどのエンジン音が聞こえてくる。

私は子どもの頃の夢を思い出していた。

何かに追いかけられる夢・・・。

 

突如、破裂するような音が聞こえた。

 

その直後に、私の視界がグルグルと回りだした。

母が私の肩に手をかけたが、それでも遠心力に逆らうことができずに私の頭は外に引き寄せられてしまい、左側のドアに打ち付けられる。

そこから私の意識は途絶えてしまう。



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ジョージ視点 ~終着~

頭が回るようで吐き気がする。

視界の前では真っ白なエアバッグが広がっていた。

隣のノーチェスを見ると、シートベルトを伸ばしたままハンドルを抱え込むような姿勢でいた。

 

「ぐ・・・、皆さん。ご無事で・・・しょうか?」

 

私は後ろを振り返る。

 

「おい、ジェシカ!リサ!無事か!?」

 

斜め後方にいるジェシカが頭を抑えて動き出す。

 

「ううっ・・・、リサは・・・?」

 

真後ろにいるはずのリサに目をやると座ったまま気を失っている。

ノーチェスは意識がはっきりしたようですぐさま私達に目を向けた。

 

「皆さん!追手が近くにいます。すぐにでも車の外に出ましょう!」

 

私は急いで外に出ると、すぐさま後部座席のドアを開けてリサを抱えた。

 

「ノーチェス!ジェシカを頼む。」

 

「ええ!さぁ、奥様!納屋は目と鼻の先です。行きましょう。」

 

ノーチェスは、おぼつかない足取りのジェシカの肩に手を回して歩き出す。

車は樹木にぶつかりボンネットが開いていた。

これじゃ、車での逃亡は諦めた方がいい。

 

突然、発砲音が聞こえて隣の樹木から衝撃音が鳴る。

木に残った小さな弾痕が、追手がもうそこまで来ていることを示す。

 

「ジョージさん!先程の拳銃を!」

 

私は懐にしまっていた拳銃を取り出す。

 

ノーチェスは発砲音が鳴った場所へ銃弾を数発打ち込む。

しかし、銃弾は闇に飲まれるばかりで、その後の無音が気味の悪さをかもし出す。

ノーチェスは、発砲後にこちらを振り向く。

 

「時間稼ぎにしかなりません。今の内に少しでも進みましょう!」

 

ノーチェスは殿を務めて、時折暗闇に向かって引き金を引いた。

ジェシカは意識がはっきりし事情を察したようで、私の後についてくる。

 

「ジョージ、リサは!?」

 

「大丈夫。気を失っているだけだろう。」

 

ジェシカはホッとする。

 

「ノーチェスの言う納屋は目の前だ。入り込むぞ。」

 

リサを抱えた私とジェシカは、納屋の庭に入り込んだ。

納屋は一階建ての木造建築であった。

正面玄関のドアを開ける。

中を覗くと埃が舞い、少しかび臭い香りがした。

私は地下道の入り口を聞こうと、ノーチェスのいる後方に顔を向けた。

ノーチェスは片腕を押さえてこちらにやってきていた。

 

「おい、大丈夫か!?」

 

見ると、押さえた腕からは血が出ている。

 

「すみません、奴は私よりも腕が立つようです。しかし、距離は少しばかり置くことが出来ました。すぐに地下道へ向かいましょう。こちらです。」

 

ノーチェスは、苦悶の表情を浮かべながら納屋の奥へと進んだ。

部屋は入り口と奥にある二部屋だけのシンプルな造りだった。

ドアを開けて奥の部屋に4人が入る。

左側には棚でも作ろうとしていたのか、切られた角材と平板がいくつか置かれていた。

右側には、トンカチや釘が散乱している。

ノーチェスは、簡素なカギをかけてから右奥の床にある真四角の板を持ち上げようとした。

だが、その板はぶ厚い鉄板でできているのか、かなり重いらしく片腕では上がらない様子だった。

 

私が代わり両腕で持ち上げる。

いや、重たいわこれ。

 

ギィィィ

 

ガチャンッ

 

持ち上げた瞬間に納屋の玄関から扉を開けたような音が聞こえた。

追手がもう来たようだ。

早くダイナマイトで入り口を塞がないとマズイ。

 

「ノーチェス!すまんが、娘を肩に担いで連れていってくれ!俺が扉を持ち上げている間に早く!」

 

ノーチェスは先に行くことに一瞬躊躇するような表情を見せたが、優先順位をはっきりさせたようで頷いて痛まない方の肩にリサを担いだ。

 

「すみません、出来るだけ丁重にお運びいたします。すぐに後に来てくださいね。」

 

ノーチェスがそう言い先に行くのを確認する。

ジェシカにも先に行くように促そうとしたときー――

 

 

ガチャガチャ

 

バシュッバシュッ

 

バンッ

 

追手がドアに銃を放ち、カギを壊してきた。

扉が大きく開け放たれる。

中から出てきたのはケリーだった。

 

ケリーは私の懐に即座に入り込み、腹に膝蹴りを入れる。

 

「がぁっ!!」

 

そのまま抵抗できない私の服を掴み、部屋の左側へと投げ飛ばす。

木材の山に突っ込む私。

一番は腹だが、どこもかなり痛い。

何とか私は立ち上がったが、目の前には恐ろしい光景が広げられていた。

ケリーはジェシカの背後を取り、銃を突き付けていたのだ。

 

「よぉ、ジョージ。パーティーの帰りにはまだ早いんじゃないか?」

 

「ケリー!ジェシカを離せ!妻に銃口を向けるんじゃない!」

 

ドンッドンッ

地下道の入口の扉から叩かれるような音がした。

しかし、ノーチェスには開ける力が残っていないらしい。

ケリーは眉間に皺を寄せてそれを見ていたが、恐らく相手が出てこれないことを察して私の方に向き直る。

 

「ジョージ、俺に命令するんじゃねぇ。それと大人しくしていろ。お前の妻が無事でいて欲しいならな。」

 

私がこのままケリーに突っ込んでいこうものなら、奴は容赦なく引き金を引くだろう。

私は身動きが取れないでいた。

このままでは分が悪い。何とかしたいが・・・。

私が辺りを見渡すのにケリーが気づいたかと思うと、銃口をこちらに向けてきた。

 

「おっと、もう妙な真似は起こさせねえぞ。」

 

発砲と同時に私の足に痛みが走る。

 

「ぐぅぁっ!?」

 

「ジョージ!?」

 

ジェシカの叫ぶような声が部屋に響く。

撃たれた所が熱い。ズボンに真っ赤な模様が浮き出す。

私は膝をついてしまう。

ケリーは銃口を私に向けたままほくそ笑む。

 

「さっきはよくも俺をコケにしてくれたな。俺の掃除屋としての長年のプライドはズタズタだぜ?命を取られないだけ感謝しろよ?」

 

「ぐっ・・・。ケリー。妻を・・・離してくれ。私はこの状態だから・・・抵抗できない。私が代わろう・・・。」

 

「まだそんな口が叩けるか。俺に命令するなと言ったろう。安心しろ。

お前らは生かした状態で洋館に送ってやる。

大事な実験体だからな。」

 

ケリーはそれが私に対しての仕返しだと言わんばかりに語った。

 

「当然、執事の方は今から殺しに行くがな。

それとそうだな・・・、娘の方はスペンサー卿に頼んで特別どぎつい実験体にしてもらおうか?

毎日お前らに娘の経過報告をしてやるよ。

世間の役に立てる実験体になれるのだから、娘も喜んでくれるだろうな。

どうだ?お前らも鼻が高いだろう?」

 

ハハハハッと、ケリーは笑い出した。

私はケガの無い膝に手を当てて立ち上がろうとする。

この男だけは・・・娘を嘲笑うこの男だけは何としてでも・・・。

 

 

 

「ねぇ。」

 

部屋が一瞬で静寂を迎えた一言であった。

ケリーは自身が捕まえているジェシカの顔を覗き込む。

 

彼女はケリーを見て微笑んでいた。

 

 

 

「私はね。」

 

ケリーは彼女の透き通るような言葉を耳にすることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

「娘をあんな姿にしたあなた達を絶対に許しません。」

 

 

 

 

 

 

ジェシカは足を振り上げると、そのままケリーの足の指先を踏んづけた。

 

「ぎぃぃぃっ!?」

 

拘束が緩んだ一瞬でジェシカは身を低くして、足元のトンカチを拾い上げてケリーのすねを叩く。

 

「ぐおおおおっっ!?」

 

ケリーはたまらず飛び上がるが、すぐさまジェシカに銃口を向けようとする。

寸前で私は振り上げた角材を奴の頭部に叩きつける。

 

一瞬意識が飛んだのか、銃を床に落とすケリー。

そりゃ痛いだろう。私だって現場監督から角材を投げられてその痛みをよく知っているからな。

 

ふっとジェシカを見ると、彼女は助走をつけてケリーに向かって飛び上がった。

彼女の両足が伸ばされた瞬間に、それを受けたケリーは壁をぶち破り隣の部屋まで吹っ飛んでいく。

 

・・・すみません現場監督。角材よりも妻のドロップキックの方が強いです。

古い木造とはいえ、これはかなわないな。

 

ケリーは立ち上がれない様子で、うめき声を上げていた。

ジェシカがこちらを振り向く。

 

「ジョージ!早く脱出の準備をして!」

 

その言葉に私はハッとする。

地下道への扉を2人で持ち上げる。

そこには心配そうな表情のノーチェスがいた。

 

「ジョージさん!申し訳ありません!扉が開けられずに・・・。」

 

見れば彼の手はすり傷だらけである。

 

「良いんだ。それよりリサは?」

 

「途中で横になってもらっています。」

 

「そうか。さぁ、先へ行こう。」

 

私達は一緒に中へ進む。

扉からすぐは階段が20段ほどあった。

 

私はすぐに懐から取り出したダイナマイトの縄にライターの火を近づける。

着火した。残り時間は10秒ほどだろう。

一段目にダイナマイトを置き、妻の肩に手を回したままよたよたと走る。

 

階段を降り切り、少し進んだ所で轟音がした。

爆発したのだ。

ぬるい風がわずかに吹いてくる。

後方に目を向けると、崩れたがれきが道を塞いでいた。

 

私達は、地下道の奥へと急いだ。



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エピローグ① ~リサ・トレヴァー~

私の名前はリサ・トレヴァー。

 

父はジョージ・トレヴァーで、母はジェシカ・トレヴァーである。

 

 

14歳を迎えた私は、学校生活や家族との団らんに小さな幸福を感じながら、穏やかに過ごしていた。

 

けれど私達一家は、とある事件に巻き込まれて海外へと行くことになった。

詳しくは教えてくれなかったけど、一家存命の危機に陥るような大事件だったらしい。

 

訪れた地はスペインで、私達を連れて来た執事曰く、「ここは私の生まれの土地なんです。」ですって。

あの日、スペインに初めて来たときにエマ叔母さんが私たちを出迎えてくれた。

私と母は優しく彼女に抱きしめられた。

涙を流して再開を喜んでくれた叔母さんを見ていると、何だか私も泣き出したり嬉しかったりでよく分からなくなってしまった。

父は、職場の人達にペコペコと頭を下げていた。

きっと、彼らも海外に暮らしを移すことになり、それを父が詫びているのだろう。

何で、父が詫びるのかは分からないけれども。

上司らしい人は、父の肩に手を置いていた。

父は感謝の言葉を述べていたので、きっと許してくれたのだろう。

 

 

私は急な暮らしの変化に最初はなれなかったわ。

学校に行っても、道端で会う人も皆笑顔で接してくれるのに私はぶっきらぼうな態度を取ってしまった。

きっと心のどこかで生まれた土地を離れることに不満を感じていたんだと思う。

仕方がないと納得させようとしても、私の心はすぐに馴染んでくれなかったわ。

 

けれど、時間というものは残酷とも聞くけれども私にはいい効果をもたらしてくれた。

少しずつだけれども、その土地で日々を送るごとに明るく陽気な人々といる時間が楽しくなってきた。

ある日学校に行って、「嫌な態度を取ってごめんなさい。」と謝った時にクラスの皆は「いいんだよ。今日から遊んでくれるよね?」と優しい声をかけてくれた。

 

中学卒業まではあっという間だったけども、彼らと過ごした日々と想いを救ってくれた感謝の気持ちを私は忘れない。忘れたくない。

 

高校は進路を考えて、隣町の学校に通うことにした。

同じクラスになった友人とは、休みの日に出かけて服を買ったり、映画を見たりするような仲になった。

彼女と小遣いを出し合って食べたパエリアはとても美味しかった。

 

美術部にも入って絵のコンクールにも参加した。

あまりいい結果ではなかったけれども、自分が描きたいものを描けた満足感の方が大きかった。

ただそれは強がりも入っていて、次は良い結果を残したいと思う自分がいる。

 

 

母は最近、ゴミ出しに行く近所の奥様方との井戸端会議を日課としている。

昨日も笑顔で両手にゴミを抱えて出かけて行った。

エマ叔母さんも近くに住んでいて、その会議に参加しているらしい。

 

父は以前頭を下げた職場の方々と新しい会社を立ち上げたようで、上司は社長となったらしい。

ただ父曰く、その社長は現場に頻繁にくるそうで、「また細かく指摘されるかもな。」なんて苦笑いで言っていた。

私の推測なんだけれども、父はそんな日々を満喫している気がする。

だって、母の話では「昔、現場監督さんと喧嘩していた頃は、朝から足取りが重たく弁当も残していたわ。」と言っていたのだから。

今の父は仕事場に向かう時に、玄関からスキップをしている。

正直いい年なんだからやめて欲しいが・・・。

弁当だって毎回空っぽだ。

 

皆、新しい生活に馴染んで今を楽しんで生きている。

私だってその一人である。

生きていれば何かしらの変化を受け入れなければいけない時はある。

それでも私は、この土地で生活をし、友人と遊び、そして2人の両親と過ごすこの暮らしぶりを少しでも長く楽しんでいたい。

 

 

ある朝、私は自分の部屋で絵を描いていた。

何回も下書きを修正して、ようやく色を塗り始めた段階である。

リビングから母の「朝ごはんの準備ができたわよ。」という声がかかる。

私は返事をして部屋を出る。

 

誰もいなくなった部屋の中央には、完成を待ちわびる一枚のキャンバスがあった。

 

そこには、家族3人が笑顔で描かれていた。

 

 

 




この作品は、元々悲劇の運命に翻弄された少女がもし面白おかしい生活を送れていたら、というコメディ作品にするつもりでした。
ですが、書いている内にもし裏でジョージが奮闘していたら?という話が書きたくなり路線を変更致しました。
そこからは・・・いや、その前からですが矛盾点を何度も発見しては修正するような日々となります。
それと人物名もずっと間違えたままで投稿していたことに今日気づきました。
その名もフェンタニル・ノーチェス。
どこで間違えたかというと、彼が登場した話からすでにマーチェスになっていました。
もはや、ノーチェスって誰?ってレベルでほぼマーチェスでした。

あと、本編でアンブレラ社が設立されたのって、トレヴァ―家が捕まった次の年なんですね。
完全なリサーチ不足ですが、「もしアンブレラ社がもっと早めに出来ていたら?」という設定だと思って頂ければ幸いです。
こればっかりは修正量が半端じゃなくなるので(汗)。

読んで頂いている皆さんには、お手数をおかけして誠に申し訳ありません。
このようなミスを繰り返しながらも一応、エピローグまで書き進めることが出来ました。

トレヴァ―家の話は今回で終わりとなります。
この作品は、他の登場人物で残り2つのエピローグをもってして完結としたいと思います。
拙い文章にも関わらず、ここまで読んでいただいた皆さんには感謝します。
ありがとうございます。
もしよろしければ、最後までお付き合いいただければと思います。


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エピローグ② ~ケリー・ファブロン~

ケリーは片足を引きずりながら、納屋の庭を歩いていた。

ジョージ達が爆破をしてくれたおかげで、地下道への入り口は瓦礫で塞がれてしまった。

これ以上の追跡は無理だろう。

ケリーは、自分が乗ってきた大型バイクを目指す。

 

見上げると夜空を彩る星たちが爛爛と輝いていた。

 

 

俺は星が嫌いだ。

フィクサーとしての仕事は、その性質上夜に活動することが多い。

その明りは仕事の邪魔になることもあるし、何より人が任務をおこなっている中で吞気に光るそれは見ていて癪に障る。

 

星を死んだ者の魂として見るものもいるそうだが、俺はその考えを受け入れられない。

今まで殺してきた奴が、俺を空から常に見ているようだからだ。

 

バイクに何とか跨ると、主の屋敷へと顔を向ける。

これからのことを考えると荷が重い。

木に衝突して主を失った車を横目に、ケリーは愛車を走らせた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ふむ。つまり君は標的にまんまと逃げられ、おめおめとここに帰ってきた訳だ。

挙句の果てに『始祖花』を盗まれてね。」

 

書斎の奥にて椅子に座るスペンサー卿は、俺の報告を聞いて鋭く睨んできた。

俺は部屋の真ん中で両膝をついて、首を垂れる体制を取らされている。

後ろでは、執事長が腰に手を回して2人の様子を伺っている。

 

あのじいさんは一見無防備だが、俺が少しでも反抗する態度を取れば隠し持った銃で躊躇なく撃ってくるだろう。

 

スペンサー卿はため息をつく。

 

「爆発音にざわめく貴族達を落ち着かせるのにも骨が折れたよ。

彼らの信頼を取り戻すのにもまた時間をかけねばならないだろう。

がっかりだよ。君の今までの働きは見事なものだった。

素晴らしいと感嘆に打ち震えるほどにね。その評価を君は地の底まで落としたんだ。

覚悟は出来ているかね?」

 

俺は黙っているしかなかった。

 

スペンサー卿は立ち上がり、目の前の机を回り込んで私のすぐそばに立つ。

彼から伸ばされた手は私の肩に置かれた。

顔を上げると、スペンサー卿は笑っていた。

 

「しかし、今までの功績を考えると君の能力をここで無くしてしまうのは実に惜しいことだ。

それで君に最後の依頼をしたい。

 

 

 

 

すぐにでも君の妻と子どもを作ってもらおう。」

 

 

 

スペンサー卿は笑ったまま語りかける。

 

「やはりフィクサーとして求められる能力を考えると、男がいいな。

10歳になるまでは、その子に何不自由ない暮らしをさせてあげよう。

これは私の温情だよ、ケリー君。

そこからは、私の元で教育をしていこうか。

もし、女の子が産まれた場合は・・・。

そうだな、我が社の研究員にでもなってもらおうか。」

 

淡々と俺の未来設計図が描かれていく。

当然、そこに口を挟む余地などはない。

執事長が見ているため、握り拳を作ることさえかなわなかった。

 

「その任務を終えたら君は用済みだ。

君の妻共々、洋館の地下研究室に収容しよう。

なに、君と妻の会話の機会は少しは与えよう。

君は愛妻家のようだからね。

食事もしっかりとってもらうつもりだし、心配はいらないよ。

パトリック執事長。」

 

スペンサー卿が執事長に声を掛けると、俺の首筋に痛みが走る。

どうやら何か注射を打たれたらしい。

薄れゆく意識の中、俺は仮初の付き合いをしていた時を思い出していた。

 

 

 

 

 

ああ・・・、少しだけお前らと飲んでいた時が懐かしいよ・・・。

ジョージ・・・、ジョニー・・・。

 

 

その後、俺は振り返ることでしか心が安らげないような絶望の道を進んだ。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

それはずっと先の未来の話

 

ケリーの妻は収容された研究室で『始祖ウイルス』を過剰に投与された結果、

死にたくても死にきれないような肉体を得ることになる。

ウィリアム・バーキンは彼女の状態に目をつけて分析し、のちにラクーンシティを恐怖に陥れる『Gウイルス』の発見と開発に成功する。

 

 

ケリーは地下研究室の大きな培養液の入ったカプセルに長い眠りについていた。

見上げる研究員は彼をこう呼ぶ。

 

 

 

 

 

”タイラント”と――――。

 

 

 

 

 

 

 

 




オリジナルキャラのケリー・ファブロンについての話をほんの少しだけします。

彼は『バイオハザード レジスタンス』に登場するダニエル・ファブロンの父親という設定です。
親子ともスペンサー卿に仕えてしまうわけですね。
普段の彼は、感情の起伏がほぼない男で仕事もそつなくこなすのですが、書斎でジョージと会話をした後はその辺剝き出しになっていますね。
そのことがジェシカ・トレヴァーの怒りを買ってしまい、失態に繋がってしまうわけですが。
それほど、ジョージやジョニーと過ごした日々は彼にとっても思い出深いものだったということです。

ちなみにですが、パトリック執事長は『バイオハザード5』で名前だけ登場します。
執事長ではなくただの執事ですが、スペンサー卿に仕えていたのは変わりません。
そのため、オリジナルキャラではありません。
ご存知でしたら野暮な説明、申し訳ありません。

以上、キャラ紹介でした。


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エピローグ③ ~フェンタニル・ノーチェス~

あれから25年の歳月が流れた。
それはとある森での話。



私はフェンタニル・ノーチェス。

もう60前の年になり、あと少しでH.C.Fも定年退職を迎えることとなる。

現在の私の仕事は後任の育成である。

 

今もとある森で一人の若い女とサバイバルの任務を想定した訓練のために、野営をしている最中だ。

 

私はテントから出て、その女の下に向かう。

 

「食事は出来たのか?エイダ。」

 

ムスッとした彼女の手元を見ると、野菜が爆破されたかのように散らばっていた。

私は額に手を当てる。

 

「そんなんじゃ、次の任務で男は落とせんぞ。ラクーンシティで研究者の彼氏を作るんだろう?」

 

エイダはキッとこっちを睨んできた。

 

「あなたのそういう発言はジェンダーハラスメントよ。

それに任務まであと2年もあるのだから問題ないわ。

その頃には、あなたが舌鼓を打つような料理を作っていることでしょうね。

けど、その料理をあなたが味わうことはないわ。

あなたはジェンハラで訴えられるのだからね。」

 

まだ18になる彼女の発言で、私は舌を巻きそうになる。

 

「別に女だから料理ができないのはおかしい、なんて言ってはいないだろう。

1つの作業がこなせなきゃ、一事が万事とやらで任務自体が達成できなくなると言いたいんだ。

どれ、具材を少し貸してみろ。」

 

別に野営地で肉や野菜を持ってきてまで料理をすることはないんだが、同時進行で訓練をしていた方がいいだろうと思いやってみた。

エイダの体術や武器の扱いについては、成長が著しく文句なしなんだが、こういった意外な面が抜けていると早めに気づけて良かった。

 

「ナイフを持っていない手は猫の手にしろ。

そうだ。1つ1つゆっくりでいいから刃を野菜にあてて切ってみろ。」

 

エイダは真剣な表情で野菜を切っている。

 

「なんだ、できるじゃないか。

野菜は逃げないしお前が思うほど固くないんだから、振り下ろすような切り方はしなくていいんだよ。」

 

「確かにそのとおりね。それと”猫の手”という表現が気にいったわ。

ジェンハラの件は取り消してあげる。」

 

「そうかい、そりゃどうも。

こっちは武器の点検をしておくから、残りはお前が切っておけよ。」

 

 

「まだたくさんあるじゃない。いつになったら夕食が取れるのよ?」

 

「知るかい。自分の不器用さのせいだろ。」

 

ブツブツと文句を言いながら作業をするエイダをあとにして、私はテントに向かう。

途中で足を止めて空を見上げる。

今日は、雲一つないきれいな夜空だ。

あちこちに大小さまざまな星が見える。

 

私は25年前の出来事を思い出していた。

そして、同じ組織の先輩のことを・・・。

 

 

 

ディアスさん。

あなたの希望通りにジョージさんとその家族は、無事に避難させることができましたよ。

暗号文に書かれた内容の最後に、トレヴァ―家を気にかけてほしいという一文を見た時には、スパイでありながら不必要な感情に踊らされたあなたに対して、陰ながら文句を言いましたよ。

結果として、それが組織の任務達成に繋がり、私の命も無事に済んだきっかけとなりましたが・・・。

 

風のたよりでは、あれからトレヴァ―家のご息女は良い伴侶に出会い、2人の子宝にも恵まれたと聞いています。

ジョージさんとジェシカさんも、もう10代にもなる孫の成長を見ながらさぞ幸せな日々を過ごしていることでしょう。

私が知る情報は以上ですが、満足いただけたでしょうか?

 

 

 

 

ドンガラガッシャーンッ!!

 

 

音に驚いて私が振り返ると、エイダが不満げな顔をしてこちらを見ていた。

 

「ねぇ、鍋がパルクールしたんだけど、どういうことなの?」

 

何を言っているんだ、あの女は。

私は頭を掻いてエイダの方に向かう。

何となく立ち止まり、チラリと夜空に浮かぶ星を見てみた。

 

 

輝く一等星が束の間、瞬いたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 




オリジナルキャラ残り2名について、少し説明したいと思います。

ジョニー・ディアスとフェンタニル・ノーチェスですが、2人のファミリーネームはスペイン語の挨拶を意味する言葉から取ったものになります。
彼らはスペインを生まれの地とする同郷の設定ということです。
もちろん潜入する際の偽名ですが、スパイが生まれの地をほのめかす名前を使うのは、すごい抜けていることに気がつきました。
今さらですね、修正ももういいかなと思ってます。

そんなこんなで、この作品は完結となります。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。


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