ライスシャワーを救うためにできること。 (さんさか)
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ぷろろーぐ

 

 時代はバブル真っ盛りの1989年6月10日。

 日本全体が好景気に湧いている中、とある寂れた牧場の一角に人が集まっていた。

 

「お、生まれるぞ! リコチ、頑張れ!」

「頑張れ、頑張れ!」

 

 人々の目線の先では、馬房の中でお腹を大きくした牝馬が出産の時を迎えていた。お尻から仔馬の頭が出てきている。

 その周りにいる人たちは、母親に向けて声援を送る。

 十数分の格闘の後、仔馬は母親の体内から排出された。黒鹿毛……に少し灰色の毛が混ざっている葦毛の仔馬だ。

 母親がぺろぺろと仔馬を舐める。が、仔馬はぐったりとしていて動かない。

 周りの人の雰囲気が暗くなっていく。

 

「……まさかリコチも死産か」

 

 一人が思わずそう呟いた時。仔馬は初めてピクリと身体を震わせた。

 

「おぉっ」

「良かった、やっと代表にいい知らせが出来たぞ」

「これが数千万とかで売れてくれれば、何とか……」

 

 一転明るい雰囲気に包まれる人間たち。皮算用をし始める者もいた。

 仔馬は頭を持ち上げ、母親の姿を確認してビタッと身体を硬直させる。

 

「……っ!? ぶひゅひゅん!?」

 

 そして暴れ始めた。

 足を延ばし、身をよじらせて振り回す。

 母親がその様子に驚いて一旦離れると、仔馬は少し落ち着きを取り戻した。そして立ち上がれないまでも、地面を蹴って馬房の隅へ、隅へと移動して、母親や周りの人間たちから距離を取ろうとする。

 

「ど、どうしたんだ?」

「わかんないけど、怖がってる、のか?」

「それなら私たちはちょっと遠くから見てた方が良いかな」

「そうだな」

 

 人間たちは馬房から少し離れたところから見守ることにした。

 その後もしばらくの間、馬房内では仔馬が心配そうに近づく母親から逃れ続けていた。もっとも、移動速度の差は大きく、すぐに追いつかれていたので仔馬はしばらくして無駄を悟って大人しくなった。

 やがて出産から1時間が経たないうちに仔馬は無事立ち上がる。名馬は生まれてから立ち上がるのが早いというエピソードが多いが、この仔馬は平均的だった。

 しかしまた問題が発生する。

 

「飲まないな」

「もう立ち上がってから30分くらいたってるのに、お乳を探そうとすらしないなんて……」

 

 初乳を中々飲もうとしない。

 それどころか、立ち上がって移動がしやすくなった途端、ぎこちない動きながらまた母親から距離を取り始めていた。よほど臆病な馬のようだ。

 結局初乳を飲んだのは出産から3時間後くらいで、仔馬の免疫機能を考えると危ない水準だった。

 生まれた直後から不安を感じさせる出来事が重なり、牧場の関係者は先が思いやられたという。

 

 

 

 

 この仔馬ヒバリコチの1989は、後にキザノハヤテと名付けられる。

 ミホノブルボンやライスシャワーらと何度も激闘を繰り広げ、「想像を超える馬」との異名を持つ、あのキザノハヤテだ。

 

 当然、この馬がGⅠ馬になるだなんて、まだ誰も想像していない。

 



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1.ライスと同世代ってマジ?

 チャリで通勤中、暴走トラックに轢かれた。

 

 と思ったら「馬」に生まれ変わっていた。

 

 えぇ……

 転生とかマジであるんだ……

 でもそこは異世界転生じゃないのか? 何故に馬? 

 牧場の外の景色や僕の世話をする人たちを見るに、間違いなく現代の日本だ。

 車の外見や世話する人たちのファッションが若干古臭いので、年代的にはバブルの時代くらいだと思う。少なくとも僕が死んだ令和ではない。

 前世に後悔は数ほどあれど、未練はそんなにない。高校以来友達らしい友達もおらず、ブラック企業に勤めてやっすい給料を得るために精神を摩耗させるだけの生活だったのだ。そこから解放されてラッキーまである。

 今世は前世より有意義な人生(馬生?)を送りたいものだ。

 

 ともかく僕は馬に、それも競走馬に生まれ変わったらしい。

 生まれた直後は滅茶苦茶混乱したね。だって気づいたら目の前に自分より大きい動物がいるんだぜ? パニックになってもしょうがないだろ。

 逃げようとしているうちに、どうやら馬に生まれ変わったらしいとはわかったけどさ、それでも頭の中には疑問符がいっぱいで母馬の乳を飲むのなんかは少し躊躇してしまった。

 

 そんな混乱の極みにいた僕も、季節が2周し、何度か住まいを変えさせられた今となってはもう馬の生活に慣れた。正しくは慣れるしかなかったというべきかもしれないけど。

 一応少しばかり競走馬の生活については予備知識があった。死ぬ1年ほど前から『ウマ娘プリティダービー』という競走馬が擬人化されたゲームをやっていたので、元ネタを調べるついでに競馬のことも調べていたし、そうでなくとも大学時代に競馬好きの知人がいて、無駄に話を聞かされていたのだ。くだらない人生だったけど少しは役立つじゃないか。

 馬の生活に慣れるため、よりよい食事を得るため、そして何より長生きするため、予備知識をもとに人間には積極的に媚を売り、放牧に出されれば率先して走り回った。調教では人間の言うことをよく聞き、そして自分の体をいじめ抜いた。

 そうして気が付けばあっという間に月日が流れ、もうすぐ僕のデビュー戦をすることになった。

 

「ハヤテ、いよいよお前のデビューだぞ。元気に走って、あわよくば私に金を恵んでくれ」

 

 僕の頭を撫でながらそう語りかけるおっさんは滝澤さん。

 僕、競走馬キザノハヤテ号の馬主である。

 馬主というのは馬が生きていくための費用を払ってくれる人なので、いわば滝澤さんが僕の生命線だ。

 彼が馬主になったのはここ数年のことらしい。僕以外にも馬を何頭か持っているそうなのだけど、未だに勝ち星が全くないそうで。

 

「羽田調教師、ハヤテはどんな感じだ? 行けるのか?」

「大丈夫ですよ。見た目はまだちょっと細いですが、走る力は抜群です。ここ最近は機嫌もよさそうですから、暴走も起こさないでしょう。滝澤さんに勝利の美酒をお送りできそうです」

 

 いつもは自信たっぷりな滝澤さんだけど、流石に新馬戦前ともなると不安なのか、羽田調教師に何度も僕の出来について確認している。

 そんな心配しなくても大丈夫だって! 周りの評価を聞くに僕ってばそこそこ走れるっぽいし、新馬戦くらいは勝ってみせるよ! 

 

「そりゃ楽しみだ。ただまぁ、まずは無事に帰ってくることを第一に、な」

「えぇ。まだまだ若駒ですからね」

 

 せやな。折角生まれ変わったこの命、どうせなら長く楽しみたい。

 競走馬はレースで結果が残せなければ天寿を全うすることができない。

 しかし頑張りすぎれば予後不良で安楽死されてしまうのも事実。

 怪我なく走ること。レースで勝つこと。両方やらなくっちゃあならないってのが競走馬のつらいところだな……

 ぃよーし、まずは新馬戦がんばるぞ! 

 

 

 

 そして数日後、馬運車に載せられやってきました新潟競馬場! 

 ここでの新馬戦芝1000mに出るんだって。

 正確な日付まではよくわからないけど、まだまだ夏真っ盛りな8月。アプリ版の新馬戦がこのくらいの時期だし、競走馬としては平均的なデビュー時期になるのかな? 

 鞍やらハミやらを装着し検量をして、さぁいざレース……の前にパドックだ。ここで出走馬の紹介をするわけだな。

 

 ほえー、パドックってこんな感じなんだ。

 出走する時のゲートの順番に並んで、小さいコースを歩いて回る。

 新聞を片手に観客が僕らをじっくりと観察している。時々「あれはいいな」とか、「うーん微妙か?」とか呟いているのが聞こえる。それ以外は割と静かなもので、えもいわれぬ緊張感が漂っている。

 競馬場に行ったことはないからパドックは前世含めて初体験だ。

 大学時代の知人から競馬の話を聞いていても、そもそもあの時はウマ娘に嵌る前だから話半分。一緒に見に行こうと誘われたことが一度だけあったけど、別の用事が合って断っちゃったんだよね……。馬に生まれ変わった今からするとあれはちょっと惜しいことしちゃったなぁ。

 なんてどうでもいいことを頭の中でくるくる考えながら、出走馬みんなでくるくるパドックを回る。

 

 ここで馬体の良さとか調子とかを見る、ってことは知っている。でも、そんなの見てわかるもんなのかな? 

 試しに周りの馬を見てるんだけど、さっぱりわからん。馬の本能的に強そうな馬ってのは何となく感じ取れるのだが、人間にそんなことが感じ取れるとは思えないし。

 人間的感性で区別がつきそうなのは体の大きさとかムキムキ具合とかくらいなものかな? 例えば僕の3つ前を回っている8番のゼッケンをつけた黒っぽい馬なんかは小さめじゃなかろうか。

 えーとゼッケンに書かれているお名前は……「ライスシャワー」か。

 

 ……

 

 ん? 

 

「ハヤテ? ほら歩いて」

 

 思わず足を止めてしまい、厩務員の宮尾君に手綱を引っ張られる。

 いやでもちょっと待って。見間違い……じゃあないな。

 黒鹿毛の馬で、8月の新馬戦で、新潟芝1000mに出る、ライスシャワー……!? 

 

「ヒヒ──ン!!?? (ライスだぁあああ!!??)」

 

 思わず立ち上がって嘶いてしまうのも仕方ないと思う。

 




競走馬キザノハヤテ
1989年6月10日生まれの葦毛(まだ黒鹿毛っぽい)の牡馬。
元ヒト息子。最推しはライス。
初戦直前で突如興奮しだした模様。


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2.レースに全く集中できないキザノハヤテ君

 説明しよう! 

 ライスシャワーとは、『レコードブレイカー』、『黒い刺客』等の異名を持つ競走馬である! 由来はともかく、カッコいい二つ名だよね! 

 レースで最高位の格付けであるGⅠで3度1着になった有名な馬で、僕が前世でプレイしていたウマ娘のゲームにも実装されている。

 ウマ娘におけるライスは僕の最推しキャラであった。

 そもそもウマ娘を始めたのはSNSでフォローしてた絵師さんがライスの絵を描いたのを見て興味を持ったのがきっかけで、そしてライスの史実を調べているうちに実際の競馬にも興味を持った。

 

 今日同じレースで競い合うこととなったライスシャワー号。これは恐らく本人(本馬?)だと思われる。

 黒鹿毛で少し小柄という特徴が一致しているし、見れば見るほどライスシャワー号とウマ娘のライスがダブって見えてくる。いや、馬のライスシャワーはオスだから性別からして違うんだけど、それはそれとしてね? 

 前世の史実におけるライスシャワーの初戦は8月の新潟芝1000mだったはず。ウマ娘をプレイし始めてしばらくした後、ライスの距離適性が短距離Eなのは何でだろうと思って調べたことがあるから覚えてる。

 その初戦でライスシャワーは新馬戦を勝ち上がるのである。

 

 あれ、んじゃこの勝負勝っちゃダメじゃね? 

 だってこれは史実でライスが勝った新馬戦だよね? 

 馬になったせいか、なんとなーく、この馬は自分より強そう、速そう、ってのが見てわかる。この感覚に従えば、今のライスシャワーは僕と互角、いや、少し僕の方が勝っている、と思う。

 つまり、お互い本気で走れば、多分勝ててしまう。

 史実でライスシャワーが初戦で勝利していたはずなのに。

 

「ハヤテ、大丈夫か? 宮尾さん、随分と発汗してますけど、どうしたんですコイツ?」

「わからないっす。ただ、8番を見てるんすよ」

「……みたいですね」

 

 騎手の澤山さんがやって来て厩務員の宮尾君と話してるけど、僕が考えるのはライスのことばかり。

 滝澤さんのために勝ちたいのはやまやまだが、そのために本来勝つライスを負かすのはちょっとなぁ。

 ライスはただでさえこの後、色々と辛い出来事が待っている。

 初戦くらいライスが勝って素直に祝福されるべきでは? 

 でも、あくまで勝てそうというだけで、走ってみれば僕が普通に負ける可能性もあるからこれはただの杞憂か? 

 それなら本気で僕も走るべきだろうか? だがしかし万が一ライスが負けるようなことがあっては……! 

 

「返し馬いくぞ、ハヤテ」

 

 いつの間にか騎乗していた澤山さんから合図出されたのでちょっと走る。

 というかそうか、僕はライスと同世代なのか。

 つまりウマ娘アニメ二期の後半の年代だから、ミホノブルボンやマチカネタンホイザ、それとサクラバクシンオーとニシノフラワーも同世代だっけ? ウマ娘に実装されてる馬がいっぱいだな。

 上の世代にはアニメ二期で主役を張ったトウカイテイオーとメジロマックイーンなんかもいるわけで。

 うーむ、ちょっと会ってみたい。

 いや、このまま走り続けていれば巡り合う機会はありそう? 今日戦うライスのように、彼らと闘うこともあるかもしれない。

 

「大外だから、入ってすぐにスタートだぞ……わかってるのか?」

 

 ん? 

 あ。

 考え事をしていたらいつの間にかレース直前になっていた。もうゲート入りが始まっている。

 えーっと。

 とりあえずこのレースはライスに勝ってほしい。

 勝者にはブーイングではなく、歓声が似合う。新馬戦のころのライスなら変なイメージも付いていない。

 ライスの笑顔のために、滝澤さんには我慢してもらおう。

 ゲートに入る。

 

 ガチャン! 

 

「……おいっ!?」

 

 てなわけですまんな。

 走りはするけど、本気は出さん。ゆったり走らせてもらう。

 後ろからライスの走る姿を観戦するぜ。うーん、ライスの走る後姿カッコいいよぉ! 

 イテッ、パシンと一発鞭が入った。でも走らないよ。

 

「あー、ダメだこりゃ。久々に暴走してら。よりによってレース初戦で暴走するのかよ」

 

 澤山さんは僕の気持ちを感じ取ってくれた様子。それ以上鞭を入れることはしなかった。

 あ、でもせめて賞金がもらえるところまでは頑張った方がいいかな? 出走手当的なものもあったと思うけど、順位でもらえる賞金と比べると大した額じゃなかったような気がする。

 賞金上乗せできるのなら、そっちの方が滝澤さんのためになるよね。5着までは貰えるんだっけ? ちょっとは頑張ろうか。こんだけ遅れて最後尾を走ってれば、もうライスに勝ってしまうこともないだろう。

 息を大きく吸い込み、強く踏み込んで速度を上げる。

 

「おおっと、やっと走る気になったか? でももう、うん、間に合わないな」

 

 最後方から1頭2頭3頭と抜いたところで手綱が引っ張られた。減速の合図だ。

 前にいたウマたちも減速している。

 ……あ、これでもうレース終わりか。いつの間にかゴール板を通り過ぎていた。1000m、1kmって馬にとっちゃホントあっという間だな。

 えーと、11頭立てで3頭抜いて後ろから4番目、だから……8着? oh…ちょっと手を抜きすぎたかも……

 あちゃーと思いつつ、掲示板を見る。上から8,9,5,10,4と点灯している。ライスは8番だったから、うん、無事ライスが勝ったらしい。

 まぁライスが勝ってくれたのなら僕は満足かな。

 しかし改めてライスと同世代かぁとの考えが頭の中を埋め尽くす。何とかライスが正当に評価されるようになってほしい限りなのだけど。

 

「ぶるるっ(どうにかできませんかね?)」

 

 僕に跨る澤山さんに視線を送ってみる。

 まぁ、人間には馬の言葉は伝わらないんだけど。

 

「もう終わり? とでも言いたげだな、コイツ……あぁー、これ降ろされるかも。コイツならGⅠも夢じゃないと思うんだがなぁ」

 

 ん? 澤山さん、今なんて? 

 僕、GⅠ勝てそうなの? つまり、皐月賞と日本ダービーを勝って、ミホノブルボンの無敗二冠を阻止できるかもしれないと? 

 

 なるほど。

 つまりこれはライスをヒールに、悪者にしない方法があるというわけじゃないか……! 

 




1991年8月10日3R 3歳新馬 新潟芝右1000m 晴、良馬場 11頭立て 
1着 ライスシャワー 0:58.6



8着 キザノハヤテ 1:01.0


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3.ライスをヒールにしないためにできること

 そもそも競走馬ライスシャワー号は史実において、いや、『前世の』史実において悲劇の馬として有名だ。

 レース中に脚を骨折し、安楽死処分がとられる馬なのである。

 それだけではない。

 GⅠを3勝したにも関わらず、そのうち2勝は勝利を祝う声より対戦相手の敗北を惜しむ声が多く、祝福されなかった馬なのだ。

 現役時代は悪者、ヒール役として。死亡前後はブームを起こすほど悲劇の馬として人々の記憶に残った。

 その実力よりも、悲劇的な面ばかりが注目されて。可哀そうな馬として。

 僕はあんまり『可哀そう』って言葉、好きじゃない。無責任な同情を寄せる言葉で、ただの自己陶酔だ。それにライスにはもっと評価するべき部分があると思うんだ。

 

 可哀そうだと言われてしまう、そのきっかけとなるのが、ミホノブルボンの無敗三冠を阻んだ菊花賞での勝利だ。

 日本競馬で特に由緒正しい格式高い3つのレース、皐月賞、日本ダービー、菊花賞。これらはクラシックレースと呼ばれ、競走馬の一生で2度と走れない特別なレースだ。

 それゆえに、この3つの冠を手にしたものは三冠馬と呼ばれ、最大級の賛辞を向けられる。

 この三冠に王手を、しかも無敗二冠で王手をかけることになるのが、ミホノブルボンという馬だ。

 無敗三冠はこの時代前例がまだ一つしかない。それほどまでに達成が難しい大記録。ファンは無敗三冠馬の誕生に期待していた。

 しかし、それをライスシャワーが破るのだ。人々の期待を裏切って。

 その結果ライスシャワーには賛辞ではなく罵倒が向けられる。悪者・ヒール役のイメージが付く。それが後世から見ると『可哀そうな出来事』になってしまう。

 

 これが僕の『前世』での歴史。だが、『今世』の歴史はこれから紡がれていくものだ。

 

 ライスをヒールにしないためにできること。

 つまりライスが人々の期待を裏切らない様にすればよい。

 正確には、人々の期待がミホノブルボンに集中しない様にすればよい。

 僕にできることは、ミホノブルボンの無敗を破ること。あわよくば、二冠のどちらか、皐月賞か日本ダービーでミホノブルボンを破れば、人々の期待はミホノブルボンに一極集中することはないはずだ。そしたら、菊花賞を制したライスシャワーにも祝福の言葉が降り注ぐことになるだろう。

 それが僕の今世の目標だ。今そう決めた。

 

 歴史改変していいのかだって? 

 ここを前世のパラレルワールドだと仮定すれば、歴史が変わる事はむしろ必然では? 

 むしろ僕が介入するまでもなくミホノブルボンが負けるかもしれないし、そもそもブルボンが存在しない世界線という可能性もあるかもしれない。

 それに第一、前世では僕、競走馬キザノハヤテ号がいたかどうかもわからない。僕が存在している今の時点で既に歴史が変わっている可能性もあるんだ。

 だからそんなの考えだしても、もう時すでにお寿司。きっと大丈夫さ! 

 

「ぶるるん! (てなわけで澤山さん、今後ともよろしく!)」

「おぉ、今日もやる気満々じゃないか。よし、行くぞ」

「ぶるぅー(いくぞー!)」

 

 新馬戦から数日後。今日も今日とてトレーニングをする日々である。

 降ろされるかもと心配していた澤山さんだったが、どうやら乗り替わりにはならなかったようだ。良かったね。

 ちなみに、澤山さんは中堅どころの騎手らしい。10年以上騎手をやっていて、GⅠに出たことも何度もあるそうで。

 そんな彼からダービーを取れるかもと言われたのだ。これはやってやるしかねぇよなぁ!? 

 

 

 

「今日はよく走りましたね。スパートの指示にも素早く反応してくれています」

「そうなんだよな。パドックであんなにイレ込んだヤツとは思えない」

 

 トレーニングが終わり、厩務員の宮尾君にブラッシングしてもらっている横で、騎手の澤山さんと調教師の羽田さんが話している。

 どうやら先日のパドックでの奇行の訳を探っているらしい。

 でも言い訳させて。いきなり自分の推しと出会ったら挙動不審になるやろ? ならんか? ならよく覚えとき、それがオタクの生態なんや。

 

「普段はこんな大人しいんすけどねぇ」

 

 宮尾君は口ではなく手を動かしてもろて。

 そんでもうちょい前の方ブラッシングしてくんない? 

 

「考えられるのは……臆病なのかもしれない。人や馬が多いのは苦手なんじゃないか。厩舎で嫌に大人しいのも、周りに馬がいるから萎縮しているということも考えられるな」

 

 宮尾君の言葉を受けて、羽田さんが持論を展開する。

 いいえ、違います。ただのオタクです。

 でも確かに厩舎の馬房はほぼ満員御礼状態だ。いつも馬の鼻息や嘶きが絶えない。僕はそこまで気にしないけど、他の馬にとってはストレスな環境なのではないだろうか。

 あぁ、もしくは馬は寂しがりって聞いたことあるし、逆にこういう環境の方が落ち着くのだろうか? 

 今度隣の馬房にいる先輩馬にどう思ってるか聞いてみよ。

 

「そうっすかね? むしろコイツは図太い気がしますけど。俺としちゃ、コイツが見てた馬の方が気になるっすね」

「あぁ、8番の……レース中もほぼずっと見てましたよ。鞭入れても最後走る気になっても」

「そうなのか? えぇと、ライスシャワー号だよな? ……牡馬だったよな? もしかしてソッチか? 種馬になったら大問題だぞ」

 

 ソッチじゃないよ。あ、宮尾君はそっちでいいよ。そこ気持ちいいわぁ。

 羽田さんからまさかのホモ馬疑惑を掛けられてしまった件。

 流石にそんなことはないと思う。ウマ娘で実装されてた馬の名前で、かつ最推しのライスだったからこそあそこまで大きく反応してしまったのだ。

 

 でもまぁ牝馬を見ても何とも思わないのは確かなんだよねぇ。

 だって元が人間だもの、そもそも馬をそういう目で見るってことが僕にはできない。

 まぁ繁殖とかやるとしても当分先の話だろうし、それまでにはなるようになるやろ。

 

「……まぁそれは今考えても仕方ないか。なんにせよ、レース終盤で見せた末脚は良かった。次のレースだが、オーナーサイドとも相談して今週末の新潟に出し直すことに決まった。澤山、行けるな?」

「大丈夫です。今度こそ、コイツの力を引き出させてやります」

 

 おや、次のレースが決まったっぽい。

 流石に今度は勝たないとね。

 そして目指すは打倒ミホノブルボンだ! 

 





予想よりもお気に入り登録していただいて震えております
評価も既に入れていただいて感謝の限り


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ウマ娘編:憧れのあの人と

原作ウマ娘とちゃんと言えるようにウマ娘編もちょこちょこ入れていく
……入れていけたらいいな



 

 死んだと思ったらまたもや生まれ変わっていた。

 

 一度経験済みとはいえ、何とも不思議な感覚。前々世みたいな無念の突然死ってわけでもないからってのも余計そう感じるのかも。

 キザノハヤテ号としての命が燃え尽き、意識が闇に落ちた後に急に光に包まれたんだ。そして自分の口から出た言葉が「おぎゃぁー」と産声になった時は人間に生まれ変わったのかと思った。

 しかし、生まれてしばらくして頭頂部とお尻に不思議な感覚があることに気付き、はっきり目が見えるようになって自分の母親にケモ耳がついているのを確認して思い違いに気付いた。

 

 というわけで競走馬キザノハヤテ号改め、ウマ娘キザノハヤテだよ! いえーい! 

 

 ……これマジ? 

 つまりウマ娘のライスシャワー、いや呼び捨てなんて恐れ多い、ライスさんと会えるということ!? 

 いやいやまだ会えると決まったわけじゃないけどね? その可能性が生まれただけでも十二分! 

 三女神様ありがとう!! 

 

 そんなこんなでウマ娘としての人生がスタートし、なんやかんやあって中央トレセン学園に無事合格。

 いよいよ出立の日となり、お母さんに駅まで送ってもらった。

 

「向こうでも元気でやるのよ。それと忘れ物はない? 電車の切符に、中央トレセンの案内状に……」

「いひひ、大丈夫だよお母さん。そもそも荷物の大半はもう昨日送ってるし。なにかあっても何とでもなるよ」

「でも、ハヤテちゃん変なところで抜けてるから心配で……」

「僕ももう高校生相当なんだよ? だいじょーぶ。それじゃあ、行ってきます」

 

 はぁ。今世の母さんはやけに心配性で困る。

 言いはしないけど、こちとら高校生どころか前世と前々世を含めれば母さんを上回る年齢なのだ。

 人生経験豊富な僕に隙は無い……! 

 

 

 

(電車に揺られること数時間後)

 

 

 

「お金忘れた……」

 

 僕は駅で項垂れていた。orzのポーズだ。

 電車の切符は持っていたので中央トレセン学園の最寄り駅まではたどり着いたのだけど、そこからバスに乗り換えるためのお金を持っていなかった。田舎出身なのでICカードなんて高尚なものも持ち合わせていない。乗る前に気付けて良かった……! 

 そういえば普段使ってるお財布、トレセン学園に送る小物類と一緒にしちゃってたかも。

 

「まぁ、走っていけばすぐ着く、はず」

 

 僕は気を取り直して立ち上がった。

 幸いトレセン学園は駅からそんなに離れた距離ではないのだ。

 アニメでスぺちゃんが走ってトレセン学園に行こうとしていたことからそれは明らか。

 スマホで徒歩のルートを検索して……あ、やべ、スマホの電池が残り15%切ってるじゃん。

 うーん、やっぱりそろそろ買い替えの時期かぁ。

 トレセン学園に着くまで電池持つかな? 持たなさそうだなぁ……そもそも10%前後になると突然電源が落ちるようになるし。

 あ、落ちた。黒く塗りつぶされた画面に呆けた表情の僕の顔が映る。

 今回は電源落ちるの早かったなー(諦観)。

 

「ま、まぁ? 地図アプリなんぞに頼らなくっても、僕なら大丈夫だし?」

 

 世の人は、それをフラグという。

 

 

 

(トレセン学園を目指すこと数時間後)

 

 

 

「迷った……!」

 

 やべぇよやべぇよ、もう日が傾いてきてるよ! 

 駅から脱出するのに時間を取られすぎた。都会の駅ってどうしてこう分かりにくいかなぁ! 

 そして駅から出た後もなんか同じような場所をぐるぐると回っているような気がしてならない。今、前方に見える交差点はもう3度くらい見たような気がする。

 ぐぬぬ、ここは恥を忍んで道行く誰かに尋ねた方が良いか……というか始めからそうするべきだった。

 

「えぇと、優しく教えてくれそうな人……あ」

 

 交差点の信号待ちをしている黒髪のウマ娘ちゃんがいるではないか! 

 大きなリュックサックを背負っている後ろ姿に、頭から突き出た耳をピコピコさせている。

 ここら辺に住んでいるウマ娘ならトレセン学園がどこにあるのかはわかってるはず。若しくは今日入寮するお仲間かもしれない。

 僕は意を決してそのウマ娘に道を尋ねることにした。

 

「あのー、ごめんください。道を教えてほしいのですが」

「ふえ?」

 

 えっ、この声は……? 

 黒髪のウマ娘が振り返り、僕は彼女の顔を真正面にとらえた。

 見間違えるはずもない。

 右目を隠す漆黒の前髪。紫色の瞳、大きなウマ耳。可愛らしく、少しおどおどとした印象を抱かせるその顔立ち。

 一瞬意識が飛びそうになったが、何とか持ちこたえた。

 

「そそそそっその、トレセン学園っは! どこですかっ!」

 

 意識は持ちこたえたけど、口調がすんごいことになった。

 

「えっと、もしかして、貴方も新入生?」

「はひっ!」

「わぁ、ライスもそうなの! 一緒に行こう?」

 

 あ、ダメ。尊みがキャパオーバー。

 遠ざかる意識の中、僕はこれ以上にない幸福感を感じていた。

 




キザノハヤテ
葦毛で細身なウマ娘。
トレセン学園の生徒としては珍しく痩せぎすなウマ娘で、髪の毛はぼさぼさ、目元には濃いクマがあり、如何にも不健康そうな見た目。
そんな外見とは裏腹に、走りの才能はかなりのもの。
自分の才能を信じて悠然とレースに挑む。

「イマイチな体調でだって、誰にもなしえない大記録――打ち立てて見せますよ……!」

得意なこと 水泳、歌謡曲
苦手なこと 予定を立てること
耳のこと 潜水する時は水が入らないよう畳む
尻尾のこと ご機嫌で尻尾を振っていたら残像ができる
家族のこと 実は祖母が有名な歌手
秘密① レースと同じくらい泳ぐのも好き
秘密② 強敵を認識すると思わず睨んでしまう




ウマ娘編の書き溜めは全然ありませんがこちらの作品はウマ娘の二次創作です


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4.やり直し新馬戦

 再び新潟競馬場芝1000mに出ることとなりました、キザノハヤテです。本日は真面目に走ります。よろしくお願いします。

 新馬戦の後のレースだから未勝利戦ってやつだな。

 走る距離もレース場も同じだが、今回は1枠1番と最も内側からスタートすることになった。前回は8枠11番だったので真逆だ。

 

 そういえば新潟芝1000mと聞いて僕はてっきり直線コースを走るのかと思っていたのだけど、前回走ったコースは普通にコーナーがあった。無論、今回走るコースも同じだ。

 スタートは向こう正面、つまり観客席から遠い直線からで、時計回りにコーナーを回って、観客席前の直線でゴールに飛び込む形になる。

 新潟芝1000mはウマ娘では唯一の直線コースだったから印象的だったんだけど、記憶違いで別のレース場だったのだろうか。

 ……前世の記憶はもう体感2年以上前のことだし、記憶があやふやになってきてるかもしれない。

 そのくせブラック企業で2か月連勤した思い出や、上司に理不尽に叱られたことや、友達と絶交したことや、受験に落ちたことや、両親を泣かせたことや、4回連続でメジロマックEーンを作ってしまったことやらなんやら、嫌な思い出ばっかりはっきり思い出せて嫌になる。スタミナ回復薬を使ってまでマックEーンになってしまったあの時のやるせなさは筆舌に尽くしがたい。

 

「とまーれー」

 

「今日は落ち着いてるなぁ……流石にこれで負けは許されないな」

 

 号令がかかって澤山さんが僕の元へとやって来た。

 おっとそうだった。これからレースなんだった。

 前世は前世、今世は今世だ。しっかり気持ちを入れ替えねば。

 

「ぶふぅ(今日はちゃんと走るよ!)」

「よしよし。今日こそお前の走りをみんなに見せてやろうな」

 

 鼻息で答えると首筋をポンポンと優しく叩かれる。

 本馬場へ移動し、スタート地点まで返し馬をし、しばらく輪乗りをしたのちにゲート入りとなった。

 最内の僕が真っ先にゲートに入り、他の馬のゲート入りを待つ。

 少し手間取っていたようだけど、全員がゲートに収まり。「ガチャン!」との音と共に手綱が扱われる。

 

「よし、勝った」

 

 スタート直後にフラグ建築するのやめてくれません? 

 とはいえ、澤山さんがそう言うのもわかる。

 抜群のスタートを決めた僕らは、数秒間走っただけで他の馬たちから馬の体2つ分、つまり2馬身の差がついているのだ。短距離のレースでこの差は大きい。

 澤山さんが手綱を扱う様子を見るに、今日はこのまま逃げ切る感じみたいだ。

 いくら前世でウマ娘をプレイしていたことがあると言ってもリアル競馬はにわかな僕なので、騎手さんの指示がないとどのくらいの速度で走ればいいのかよくわからない。

 最近は自分でもどのくらいのペースで走ればいいのかは薄々わかってるんだけど、基本的には騎手の澤山さんにお任せ。

 調教し始めの内は、よく飛ばしすぎと窘められたものだ。

 

 先頭を維持したままラチ沿いにコーナーを走り抜けていく。勢いあまって少し外に持ち出してしまうが、多少の距離ロスがあっても僕の先頭は揺るがない。

 そして最終コーナーを抜けたあたりで澤山さんからスパートの鞭が入り、それに従って速度を1段階上げると、後ろに続く馬たちとの差がどんどん広がっていく。うーん、まだ全力じゃないんだけど。まぁ、こんなもんか。

 僕以外の足音が遠ざかる一方のまま、ゴール板前を先頭で駆け抜けた。

 楽勝ですな。

 

「走る気になればコレか……すごいな、コイツは」

 

 褒めても何も出ませんぜ。

 なんたってここは通過点に過ぎない。

 ミホノブルボンの無敗を崩すと決めたのだ。

 相手は前世の史実で無敗二冠になる馬なのだから、めちゃくちゃ強いハズ。ブルボンを倒すためにはこんなところなんぞで足踏みしている暇はない。

 さぁ次だ次! 

 

 

 

「ハヤテ、よくやってくれた! ご褒美の梨だぞ~」

 

 レースから数日後、いつもの厩舎に戻ってきて、馬主の滝澤さんからカットされた梨を手渡しで食べさせてもらっているところだ。うまうま。馬だけに!(激馬ギャグ)

 というか馬って梨食べれるんだね。馬になってから初めて食べたわ。

 人間だったころ、果物の中では梨が一番好きだったんだ。だからこのご褒美は滅茶苦茶嬉しい。

 馬になってもこの好物は変わらなかったようだ。

 

「オーナー、次のレースですが」

「ちょっと待ってくれ。今はハヤテの食事中だ」

 

 テキが滝澤さんに話しかけたけど、滝澤さんがそれを止める。

 なんかすまねぇな。さっさと食べきっちゃった方がいいのかな? 

 でもせっかくの梨だから少し味わわせて。

 体感2年以上となる久々の大好物を噛み締め(物理)、しかし馬の大きな口で食べているとあっという間に滝澤さんが用意していた1玉分の梨を食べ終えてしまった。

 ごちそうさま! 

 

「待たせたな。それで次のレースの話だったか」

「はい。以前お話しされていた新潟3歳ステークスですが、今からですと中2週での調整となります。新馬戦を連戦したこともありますので、一度間隔を置くべきかと」

 

 どうやらテキは僕を休養させたい模様。

 でも僕はまだまだ全然いけまっせ。

 元気さをアピールするためにぶんぶんと首を縦に振る。すると滝澤さんが僕の様子を見て頷く。

 

「うむ、ハヤテも頷いているようだしな。少し休ませよう」

 

 違う、そうじゃない。

 

「で、そう言うってことはどこか出したいところでもあると?」

「9月29日のききょうステークスを考えています」

「コース条件はどんなだったかな」

「中京レース場の、芝1200mですね。ハヤテはあまり移動を苦にしていないようなので、移動については問題ないかと」

 

 あー、次走が勝手に決められていくぅー。

 言葉を話せないってのはただただもどかしいね。

 ま、もし話せたとしても、どんなレースを走るべきかは結局わからないし、羽田さんや滝沢さんに決めてもらう形になりそうだけど。

 

 というか次も短距離レースか……まぁ走る距離が短いぶん、疲れにくいからその点はいいけど。

 でも確か、バクシンオーが活躍する前の短距離路線ってなんか賞金的にあんまり良くないんじゃなかったっけ? 

 あと、短距離戦ばかりしているとクラシック路線に行けなくなったりしない? 大丈夫? ミホノブルボンに挑戦すらできないのは嫌だよ? 

 

「1200mか……では、ききょうステークスの次はもう少し距離を伸ばしたところで使いたい」

 

 おっ、滝澤さんナイスゥ! 

 うんうん、短距離だけじゃなくて、もうちょっと長い距離も行ってみようぜ! 

 

「あー、ききょうの1週間前に1600mの芙蓉やコスモスがありますね。次走はそちらにしますか」

「それもあったか。いや、まずはききょうステークスでいい。ゆっくり体を作っていこう」

 

 そういうことなら了解。じゃあまずは短距離レースでしっかり地固めして行こう! 

 





1991年8月17日3R 3歳新馬 新潟芝右1000m 晴、良馬場 5頭立て 
1着 キザノハヤテ 0:58.1


当時は何回か新馬戦に出せたっぽいですね。調べて初めて知りました。ハヤテ君は未勝利戦だと思っていますが、大した違いはない……よね?


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5,キザノハヤテという馬(夢を抱かずにいられない)

騎手の澤山さん視点。
後年、キザノハヤテについて語っているような感じ。



 ──もう録音始まってるの? 

 あ、はい。んじゃまぁアイツの思い出を語っていくけど。

 そうだな、最初から話そうか。

 

 まずあの馬、キザノハヤテの第一印象はパッとしない馬だった。

 生まれは零細牧場で、血統的背景は薄く、馬体も貧相。

 強いて言えば葦毛という特徴があるくらいか。その毛色だって菊花賞が終わるまではほとんど黒かったから、あの当時は殆ど特徴のない、平々凡々な馬だった。

 この馬は良くてオープン馬だろうと思っていたし、テキだって最初に見た時は俺と同じようなことを思っていたらしい。

 正直、期待していなかったんだ。

 

 ところがいざ乗ってみたら驚いた。

 あれはまさに、空気を切り裂く疾風(はやて)だった。

 名馬の乗り心地は雲に乗るようと例えられることがあるけど、その感覚はこういうことかと納得した。

 軽く走らせるとさながら滑るように動く。上下運動の少ない、蹴った力を無駄なく推進力へ変換する効率的な走り。

 それでいて反応も良く、先頭でも、好位でも、後ろからだって競馬をできる柔軟性をも合わせ持つ。

 あれほどの逸材には俺はもう会えないだろうって確信してるよ。

 

 ハヤテは普段は大人しく、滅多なことでは暴れない物静かなヤツだった。図太い性格で、悠然とした感じがあったね。

 馬の群れの中での立ち位置としては、群れることを好まない変わり者だったな。でも別に臆病ってわけじゃないんだ。

 唯我独尊というか、自分から距離を取って、他の馬も不思議とあまり近づかない。でも、いじめられている子はかばう優しい馬で、群れからは一目置かれてた感じだった。

 そう、優しい馬だった。調教中に俺が落馬しても独りでに戻ってきて、落馬した俺の足や腰回りを気遣う仕草までするんだ。あんな馬、ハヤテ以外に見たことがない。

 そして物分かりが非常を通り越して異常に良かった。調教も同じことを二度三度やれば全部覚えてしまう。ゲート試験だってすぐに通ったくらいだし、レースがどんなものかもわかっていたと思う。ある程度言葉を理解していた節もある。とても利口で、乗りやすかった。

 

 

 当時の俺の成績はあまり良くなかった。

 騎手としては既に10年以上やっていたが、いいとこ中の下。

 特にハヤテに出会う前の数年は成績が振るわず、若手にどんどん抜かれていく立場になっていた。羽田厩舎以外の馬になんて、ほとんど乗っていなかった。

 だからハヤテと接する機会は多かった。

 そうやって接していると、ハヤテは割と気まぐれで頑固なヤツだということが分かった。

 

 自分がこうしたいと思ったときには、俺たちの指示なんて聞きやしない頑なな性格。

 調教中にその頑固な一面を出すこともあった。

 特にデビュー前に併せ馬をしたときによく暴走してた。暴走を始める前はなんとなく上の空だったり、逆に張り切りすぎていたりするんだ。それでいざ走らせてみると、大逃げをするように走ったり、逆に脚をためて最後に差したり。

 今から思えば、頭の良かったハヤテのことだ、アイツなりに色々試していたのかもしれない。

 これを無理に矯正させようとすると、しばらく拗ねて機嫌を悪くする。

 機嫌が悪い時はそっぽを向いて、静かに尻をこちらに向けてくるんだ。蹴られたら大変だから俺たちは距離を取らざるを得ない。人に向けて蹴ったことは結局一度もなかったけど、ああすれば俺たちを遠ざけることが出来るって学習してたらしい。

 機嫌を直すために近くのスーパーへ好物の梨を買いに行くこともよくあったよ。

 それでいて、暴走する時こそアイツはかなりいいタイムを出すから困ったものだった。

 そんなこともあり、暴走中は極力、ハヤテの好きなように走らせる、というのが滝澤オーナーと羽田厩舎の方針だった。

 

 そんなキザノハヤテの強みはスピードを出すための瞬発力だった。

 静止状態からでも1秒そこらでトップスピードまで持っていける、瞬発力に優れた筋肉がある。調教中にハヤテにスパートの指示を出したとき、あまりの加速力に振り落とされて何度も落馬した。さながらでかい波が体にぶち当たるようだった。

 幸いにして大きな骨折とかは一度もしないで済んだけど、当時は体中あざだらけになったよ。あのおかげで大分受身が上手になったね。後々交通事故にあった時に大怪我しないですんだのはそのおかげかも知れないな。

 兎も角、尋常ではない加速力はスタートダッシュや差し足のキレに直結した。特にスタートは本当に上手だった。

 新馬戦に行く前から、もしかしたら行けるとこまで行けるのでは……と思っていたよ。新馬戦前にもなれば暴走癖も全然出さなくなっていたし、初戦の心配は全くしていなかったな。

 

 調教を施していき、ハヤテの新馬戦が決まった。8月10日の新潟芝1000mだ。

 初めてのレースで緊張したのか、パドックで立ち上がったり、急にすごく発汗したり等かなりイレこんだ様子を見せた。かと思えば、その後はぼーっとしていたり。暴走癖が出そうな雰囲気だとは思った。だが、それでもなお、走り出してしまえば圧勝できると思っていた。

 新馬戦は最初から飛ばすつもりだった。だからスタートはその加速に耐えられるよう身構えていた。

 ところがゲートが開いてもあの暴力的な加速はなかった。

 

 そう、やっぱり暴走癖が出た。

 よりによって新馬戦で暴発させるとは、と思ったものだ。あの時の『暴走』は完全に走る気が無かったみたいでなぁ。よそ見をしていたくらいだった。

 何を見ているのかと思えば、パドックからずっと気にしていた馬、ライスシャワー号を見続けていた。

 今になって思えば、アイツはあの時からライスシャワーに何か運命的なものを感じていたのかもしれない。

 終盤も終盤になってからやっと走る気になったハヤテの加速力に振り落とされそうになりつつも、初戦は終わった。

 

 ふがいない結果に終わった俺を、滝澤オーナーは難なく許した。

 尊大な口調が目立つ滝澤オーナーだったけど、馬への愛情は本物で、本業の隙間を見つけては自分の馬の下へ行っているようだった。厩舎内で何度も鉢合わせたことがある。

 それゆえに馬の性格も、ともすると騎手である俺以上に把握していた。

 ハヤテの暴走癖も既に知っていて、それが発揮されたときには「ハヤテの好きなように走らせてやれ」と言うことが常だった。だからこそ今回暴走したハヤテを、過度に追うことをしなかった俺を信頼してくれたらしい。

 騎手としてはなんだかなと思うところもあったが、強い馬に乗れる機会をみすみす逃すはずもなく、俺は晴れてキザノハヤテの主戦騎手になった。

 

 次戦からはまるで馬が変わったかのように、真剣にレースに取り組んでいたし、俺のやりたいレースをやれた。

 まず、やり直しの新馬戦では逃げ切り勝利した。

 最も内側の枠を引けたってのもあるけど、新馬戦の中に一頭だけ古馬を入れたかのようだった。もはや他の馬に申し訳なくなるくらい。大楽勝だった。

 

 1か月ほど時間をおいて挑んだ3戦目のききょうステークスでは、テキからの指示で作戦を変更して道中は馬群の中に控え、最終直線で差し切る競馬を試した。が、これも難なく1着になった。周りを囲まれても道中かかることもなく、スパートの指示に素早く反応して最終直線でぶっちぎり、3馬身差の圧勝。あそこまで着差を付けるつもりはなかったんだけど、あれでもまだまだ余力がありそうだった。

 あまりに強くて、もう笑うしかなかった。

 翌日関係者が集まって飲めや食えやの大騒ぎをしたよ。ハヤテも果物がいっぱいもらえて嬉しそうだったね。

 

 ききょうステークスを勝ったあの時、俺はこう思ったんだ。

 キザノハヤテはこんなところで留まる馬じゃないって。

 コイツに相応しい栄誉は日本一の称号(ダービー馬)しかないと、そしてその時は俺も表彰台に上がるんだ……なんてね、夢見ちゃったんだ。

 




てなわけで、ききょうステークス勝ちました。

1991年9月29日9R ききょうステークス 中京芝左1200m 晴、良馬場 5頭立て 
1着 キザノハヤテ 1:09.8

競馬にわかなので描写になんか変なところがあったら申し訳ない。


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6.調子乗ってるハヤテ君

 どうも、未勝利戦とききょうステークスを勝ち、3戦2勝になりました。キザノハヤテです。

 まぁ楽勝ですよ。人の頭脳を搭載してトレーニングもしっかりこなしてるんですし? 

 考えてみれば負ける要素がないよね。

 それにまだ短距離レースばっかりだったせいか、レースで疲労困憊になったりしたことないんだよね。スパートかけて本気で走ればきついけど、それだって最後の直線だけだし。バテる程じゃない。つまりまだまだ僕の限界は底知れずというわけなのだ!

 ふふん、僕ってば強いじゃん。これなら澤山さんが言った通りGⅠを、つまりミホノブルボンにだって勝てるのかもしれない。

 

 それはさておき、今日も今日とてレースである。いちょうステークスって言ってたかな? 以前滝澤さんがお願いしていた通り、以前より距離が伸びて1600mでの戦いになる。

 前走を走ったあと、また1か月くらい休養期間があったので僕の体調はバッチリ仕上がっている。

 場所は東京レース場で、以前の3戦に比べると人が多いこと多いこと。

 重賞レースになるとこれ以上の人が押し寄せてくるのだろうか……想像がつかないな。

 

 なお、今日は雨が降ってる。

 ウマ娘をやってたから雨でも雪でもレースやるってことはわかってるんだけど、いざ自分がやる側になるとこんな天気でもするんだと驚きを隠せない。

 今でこそほぼ止んでるような状態になったけど、昼前はそこそこ降ってた。

 一昨日も雨降って昨日はずーっと曇り空だったし、こりゃコースの方に行ったら芝がぐじゅぐじゅになってるかも。

 雨が降る中での調教って、そこまでやってるわけじゃないし、ちょっと不安。というか、ぐじゅぐじゅになった馬場を走るの苦手なんだよね。脚がとられるというか、いつもより飛び跳ねないと前に進めない。

 厳しい戦いになるかもしれないが、でもまぁ、ここまで2連勝の絶好調な僕なら勝てるでしょ(楽観視)。

 

 さてと、今日も強そうな馬はしっかり名前を確認しておこうか。

 何故ってそろそろミホノブルボンと鉢合わせるんじゃないかと思うんだ。

 前世の史実でブルボンが何のレースに出てたかってのはちゃんと覚えてないんだよね。ライスと一緒に走っているスプリングステークスに皐月、ダービー、菊花の4つはわかるんだけど、それ以外はわからない。確か菊花賞前にも一度ライスと走っていたはずだけど、レース名は何だったかな……

 何故か僕のウマ娘アプリにはミホノブルボンが未実装だったのでブルボンの戦績はそんな感じでうろ覚えなのだ。無課金勢だったから仕方ないね。そもそも新潟競馬場1000mの件で自分の記憶があてにならなさそうなことも分かったし。

 そんな訳でブルボンがいないかちゃんとチェックしておく。

 強そうなお馬さんのゼッケンのお名前は、えーと、サンエイサンキュー……冠名からして知らんな、次。オンエアー……この馬も知らん。

 えーと、あと強そうなお馬さんはー、ふんふん、お? おぉ!! 

 

 マチタンだ!! 

 マチカネタンホイザさんじゃあないですか! えい、えい、むん! 

 ウマ娘実装済みの馬に会うのはライス以来2頭目だ。

 前世の史実では善戦マンとして、そして蜘蛛を食べてお腹壊したり、レース直前で鼻血(馬の鼻血は窒息の危険がある危険な状態)を出したりとちょっと不憫な感じの馬だったらしい。そして数多くのGⅠレースに出ながら、惜しくも手が届かなかった馬だった。そんな不憫なところが判官びいきが大好きな人たちにはウケて、結構人気のあった馬みたいだ。

 ウマ娘においても、その不憫なキャラ付けは引き継がれ、そしてなによりものすごい努力家な設定になった。あとはGⅠ未勝利だけど個性派揃いのチームカノープスで人気を博している。

 

 しかしそうか、今日はマチタンと闘うのか。

 うーん、ウマ娘のマチタンはかなり好きなキャラだ。でもライスほど大好きというわけではない。

 そもそもこのレースで勝ったか負けたかも知らないし。

 打倒ミホノブルボンを掲げる以上、勝って勝って勝ちまくるのが一番の近道になるわけで。

 若干申し訳ない気持ちはなくはないが、ここは勝たせてもらいますぜ! 

 そうこうしているうちに「とまーれー」の号令がかかる。

 

「宮尾さん、またちょっと汗出てますね、コイツ」

「そうっすね。今日は特にマチカネタンホイザを気にしてたみたいで……今日の一番人気の馬っすね」

「もしかしたらコイツなりに強い馬がわかっていたりするんでしょうかね」

「あぁー、ありえそうっす」

 

 騎手乗り込み時に澤山さんと宮尾君が少し言葉を交わす。

 今日はライスの時と違ってチラ見にとどめたつもりだったんだけど、彼らにはバレてたらしい。

 むむぅ、次はもっとうまくやるとしよう。

 澤山さんが僕の首をさすりながら目を覗き込んでくる。

 

「でも今日は行けそう……だな?」

 

 おう! 絶好調な僕の走りってのを見せてやりますよ! 

 

 




ハヤテ君が思っている以上にガン見してるという設定があったり。
あと競走馬には皆それぞれドラマがあるんだからもっと敬意を払って……特にその2頭は……


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7.油断:いちょうステークス

 パドックが終わり、ながーい地下通路を抜けてレース場へ。返し馬も終わり、ただ今ゲート入り前の輪乗り中。

 返し馬の時に確認したけど、コース上の芝はやっぱりぐじゅぐじゅ、不良馬場だね。

 滑って転ばないよう、いつもより慎重に走らないと。

 となるとトップスピードや加速力を下げざるを得ないわけで、道中先頭に大差をつけられると追い付けなくなる可能性がある。つまり前の方に立てればそれに越したことはないと思う。今までの調教からして1600mくらいなら僕はスタミナ的にも余裕がありそうだし。

 なお、澤山さんも同じ考えのようで、返し馬の最中に、

 

「うーん、雨だからやっぱり走りづらそうだな。今日はテキの言う通り好位追走かな」

 

 ってなことを他の騎手さんに聞こえない程度に呟いていた。

 好位追走、つまり先行策ってことか。前走は周りが最初から飛ばしてたから僕は差しみたいなポジションまで下がっちゃってたし、今回はもっとスタートを意識した方が良いってことかな。ふむふむ、了解! 

 

 さて、いよいよゲート入りの時間がやって来た。今回僕は3枠3番なので早めのゲート入り。

 そして全員がゲートに収まったところでスターターが旗を振る。

「ガチャン!」と目の前のゲートが開き、僕は水気を多く含んだ地面を蹴とばし、スタートダッシュを決めた。

 うん、スタートダッシュは上々でしょ! 

 

「よしっ……スタートが良すぎるのも考え物か」

 

 え? あ、先頭に立っちゃいそう。

 ドドドドと走りながら自分の今のポジションを把握する。

 抜群のスタートを切った馬は複数頭いるのだが、少し僕が飛び出してしまっている。

 スタートダッシュを決めた馬の中では僕が一番内枠側でもあるせいか、他の外枠側のお馬さんは無理に抜かそうとしないみたい。

 先行で行こうって言われてたのにこれじゃあ逃げだ。

 えぇっと、これ大丈夫なのかな。マチタンは後ろの方っぽいし、実は後ろが有利だったりする? 

 

「仕方ない、こうなったら逃げ切りだ」

 

 アッハイ。作戦変更ですね。それじゃあ僕はただ前を目指すのみ! 

 スタートダッシュを決めた外枠のお馬さんが僕の斜め後ろに着くのが視界の端に映る。いつだって抜かしますよって体勢だ。

 これはマークされてるのかな。なるほどなぁ、これは確かに焦ってスピードを上げたくなるのもわかる。

 でも僕は元人間の理性があるからね、澤山さんの指示以上には速度は出さないよ。

 僕は冷静に先頭を維持しながら坂を上り、コーナーに入っていく。コーナーに差し掛かれば流石に外を回されるのを嫌ったのか、2番手のお馬さんは真後ろに入って僕の視界からも消えた。

 

 そしてそのまま誰かが抜かそうとしてくることもなく、僕が先頭を維持したままゴールのある最終直線へ。

 東京競馬場は最終直線入ってすぐの坂を駆け上がればあとは走りやすい平坦地だったはず。つまりこれであとは突き放すだけ! なぁんだ、今回も余裕だな! 

 坂を駆け上がった僕は「そういや今回マチタンは何位になるんだろう」と、ふと考えて

 

「っ!? まずいっ」

 

 澤山さんが鞭を入れた。

 む、なにがまずいんだ? 

 僕の先頭は揺るがな……あれ? あっ、後ろからものすごい勢いで近づいてきてる馬がいるやんけ! マチタンではないけど! コイツ速いな!? 

 やばい、もっともっと速度上げないと、あっあっ、抜かされるゥ! 

 ぐっと力いっぱい地面を蹴って身体を前へ押し出す。でも不良馬場のせいで思うほど加速できない、トップスピードが出せない。

 何とか抜かされきる前に反応できたけど、外側を走る馬と横並びのままを維持するので精いっぱいだ。マジでヤバい。

 さらに鞭が入る。

 

「まだ行ける。行けるよな、ハヤテ!」

 

 他人事だと思ってぇ! 今全力で走ってますよぉ! 

 でもそう期待されたからにはぁ!? やってやろうじゃねぇかよこんにゃろぉ~~!!! 

 全力以上の、火事場の馬鹿力を頼りにひたすらひたすら脚を動かし地面を蹴る。

 頭の中を真っ白にして走り、そしてゴール板の横を駆け抜けた。

 ゴール板を完全に通り過ぎてから手綱を扱われて減速する。一緒に競り合った相手も減速する。

 ど、どうだ? 

 勝てた? 負けた? 

 

「ふぅー。ぎりぎり勝てた……クビ差かな、危なかった」

 

 澤山さんが大きく息を吐いて、そして小さく呟いた。

 よかった。何とか隣を走る馬に勝てたようだ。澤山さんが指示を出してくれて助かった。そうでなけりゃ負けてたかもしれん。最後の直線で思いっきり油断してた。

 しかし早かったなこのお馬さん。未来の重賞馬だったりするのかな、記念にお名前を拝見……

 

 ん? この子、女の子じゃね? 

 近くでよくよく見れば馬の本能的にそんな感じがするぞ。パドックで強そうな馬だなと思ったうちの一頭だ。

 え、メスであんな速い馬がいるんです? 馬って基本オスの方が強い生き物だよね? だからこそ牝馬限定戦なんてものがあって、そしてダービーを勝ったウオッカの偉業が讃えられるのであって。

 このお馬さんが例外……いやでも、無敗二冠を成し遂げるミホノブルボンこそ例外的な強さを持っている馬だろう。間違いなくこの馬よりも強いはず。

 今回、油断があったのは確かだ。だとしてもだ、このお馬さんより強いであろうミホノブルボンを相手に、今の僕は勝てるのか? 

 

 このままだと……勝てない。

 

 





1991年10月27日8R いちょうステークス 東京芝左1600m 雨、不良馬場 15頭立て 
1着 キザノハヤテ 1:38.6


今更なことなんですが、枠番は史実のどこかしらに挿入して、順位は改変部分以降の順位を一つずつ繰り下げるようにしていく(なので今回マチタンは5位)つもりです。
枠番から全頭ランダムで配置し直して史実とは違うレース展開考えて順位をシミュレーションして……ってできればいいですけど、筆者にはちょっと出来ない。
あと不良馬場って結局前が有利なのか後ろが有利なのかよくわからん……

一週間連続更新頑張ったのでちょっと休みます……


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8.今後の方針

 いちょうステークスでキザノハヤテが勝った。これで3連勝だ。

 羽田調教師は内心笑いが止まらなかった。

 キザノハヤテについては確実に馬の才能ありきで、まるっきり自分の成果と言えないことは理解していたが、それでも自分が調教を施した馬が気持ちよく勝ち続けている様は嬉しいものだ。

 未だに細めな馬体とか、パドックで発汗することが多いとか、そんな不安要素があろうと関係ない程の実力がある。

 預かった当初は貧相な馬体が目立ったので見込みなしと思っていた馬だっただけに、良い意味で期待が裏切られて喜びもひとしおだ。

 

 1勝目は逃げ切り勝利、2勝目は中団から差し切り勝利。これらについてはもはや語ることはない。楽勝だった。

 そして3勝目はソラを使ったが、騎手の鞭には素早く反応しなんとか勝利。前2戦とは違ってクビ差での辛勝だったものの、反応の良さと勝負根性が伺える刺激的な勝利だった。

 とは言え、危うく追いつかれそうだったことから、ハヤテにはやはりこのあたりまでの距離があっているように思える。

 

 優れた瞬発力を持ち、3種類の勝ち方を見せたこの馬なら、最速を目指す者たちが集う短距離GⅠでもいい勝負ができるだろうと羽田は考えていた。

 羽田厩舎は開業以来、比較的短距離方面で好成績を残している。GⅢを1度だけ優勝したことがあるし、GⅡでも何度か入着している。しかしこれがGⅠとなるとさっぱりだった。掲示板にかすりもしない。

 そんな中現れた期待の新星であるキザノハヤテ。ハヤテは初めて羽田厩舎にGⅠ勝利をもたらしてくれるかもしれないという期待がある。

 来年のマイルチャンピオンシップにスプリンターズステークス、古馬になればそれらに加えて安田記念もある。身体が出来上がれば秋の天皇賞をも視野に収められるかもしれない。

 だがまずは3歳限定の朝日杯。そこに照準を合わせるべきだろう。

 

 いちょうステークスを終えたその日の夜、羽田とキザノハヤテの馬主(オーナー)である滝澤は二人で打ち上げをしに行くことになった。

 騎手の澤山は今日騎乗して勝利を上げた別陣営の打ち上げに行くことになったため、こちらには不参加だ。

 

「それで、ハヤテの様子はどうだ?」

 

 喧騒から離れた個室の中で、滝澤オーナーが率直に尋ねてくる。

 

「ピンピンしてましたよ。今頃宮尾君から好物の梨を貰ってご機嫌でしょう。レースの間隔も十二分にとっていますから、疲労が溜まっているような様子はありません。すぐにでも次のレースの調整に入れます」

「それは何よりだ。しかしまぁ、そうは言っても1か月は休ませよう。今日のレースは最後に競り合って疲れただろうしな」

「わかりました」

 

 様子を伝えるついでに遠回しにレース間隔を詰めないかと色目を出してみたが、釘を刺されてしまった。

 ハヤテならば出せば出すだけ賞金を持って帰ってくれそうなだけに少し惜しいが、馬主の要望とあらば仕方ない。

 馬主にはお金にがめつい人と道楽でやっている人の2種類に大別できるが、このオーナーは比較的道楽でやっている側だ。なのでそこまでレース間隔を詰めようとしない。

 滝澤オーナーはハヤテを特に気に入っているようだから、なおのことレースで使い過ぎないようにしたいだろうなとは思っていた。

 なのでこの提案を断られることは想定していた。

 本命はこの次。

 次走についての提案だ。

 

「では1か月ほど期間を置いて、とのことになりますと……次走は朝日杯といったところでしょうか?」

 

 3歳馬の頂点を決めるGⅠレースを提案する自分の言葉に、羽田は思わず笑みがこぼれてしまう。

 若干格落ち感のある3歳GⅠとはいえ、GⅠはGⅠだ。

 ダメ元での出走とか、僅かな可能性にかけてとか、ただの記念出走とか、そういったことでのGⅠ出走の提案はしてきたことはあるが、勝ち負けができると確信をもって提案するのはこれが初めてだった。

 オーナーも1200mより長い距離で走らせたいなんて言っていた辺り、1600mであるこのレースを意識していたはずだ。きっと喜んで乗ってくるだろう。

 いちょうステークスで1600mでも勝負ができることは分かった。ならば朝日杯でも十分勝利を狙える。

 

「あぁー、それなんだがな。私も色々考えたんだが、朝日杯は回避してくれ」

「……回避?」

 

 が、想定外のオーナーの言葉に、羽田の思考は停止した。

 たっぷり5秒程オーナーの言葉を頭の中で咀嚼して、ようやく飲み込めたときに驚きがやっと出てきた。

 

「なっ、なぜです!? 今のハヤテならGⅠに挑戦できる実力は確実にあります!」

「うん。それは私も疑っていない。ハヤテは強い。きっとGⅠを取れるだろう。私もそう思っているとも」

「ならば、勝ち負けができる朝日杯を回避する理由がないのではありませんか?」

「いや、まぁ、なんだ。こんな歳になって言うのは気恥ずかしいが、余りにもハヤテが勝ち続けるものだから、ちょっと夢を見たくなってね。ふふふ」

 

 夢? 夢ならばGⅠ勝利じゃないのか。羽田はそう反論したくなったがオーナーの様子を見て口を噤んだ。

 滝澤オーナーは……ぎらついた目で、獰猛に笑っていた。

 これは勝負から逃げる者の顔ではない。むしろ、強大な敵に嬉々として立ち向かう、恐れ知らずの挑戦者。

 

「思えば私が本格的に競馬にのめり込んだのは、そう、シービーの菊花賞を見てからだった」

 

 羽田は思わず息を呑んだ。

 

「本命はクラシック三冠だ。朝日杯の代わりに、距離が伸びたラジオたんぱ杯……芝2000mの重賞に出す。クラシックを見据えてしっかりと中長距離向けに調教してほしい」

 

 そうオーナーから告げられた時になって、羽田は今まで無意識にクラシック挑戦を候補から外していたことに気付いた。

 クラシック登録の1回目はすでに済ませてあるから、オグリキャップのようにクラシックに出られないなんてことはない。

 いや、だがしかし。

 

「お言葉ですが、ハヤテの瞬発力は短距離でこそ輝くものです。皐月はまだ頑張れるかもしれません。しかしダービー、菊花となると……」

「大丈夫だ、ハヤテならできる。父はダービー馬の全弟なんだから、中長距離を走れないことはあるまい。第一、仮にハヤテが短距離向きだったとしても、そこをどうにかするために君たちがいるんだろう。とにもかくにも、次戦はラジオたんぱだ」

 

 畳みかけられるようにそう言われてしまえば羽田は否と言えない。

 競走馬の未来決定権は調教師ではなく馬主にある。滝澤オーナーが意見を変える意思を見せない以上、これはもうすでに決定事項なのだ。

 

「……分かりました。できる限りのことはさせていただきますが、ラジオたんぱ杯の後にもう一度方針を協議させてください」

「ふん。何の心配もいらんと思うがね」

 

 いくらハヤテが強いとはいえ、それはこれまで戦ってきた短距離での話。

 クラシック三冠なんて1つも取れるわけがない──この時の羽田は、そう思っていた。

 

 




調教師としてはこれまでの自分の実績もあって単距離方面に行かせたいと思ってたってお話。瞬発力に優れていたからってのもあるけど、これまでが短距離戦ばっかりだったので自然とそうなってた感。
というか当時の3歳(現2歳)戦って2000m以上が全然ない……長距離適性がある馬が3歳で結果出せずに引退してたりしてなかったのかな。


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9.宮尾君とラジオと宿敵

 

 自分の実力不足を痛感した僕はこれまで以上に調教に真剣に取り組んだ。

 とはいえ調教量のコントロールは羽田さんたちが行うものだから、絶対量は変えられない……と思っていたらなんか増えた。ついでにトレーニング方法もちょっと変わった。

 今までは筋肉にくる感じのトレーニングが多かったけど、今はどちらかと言えば心臓や肺にくる感じのトレーニングというか。ガーッと走るんじゃなくて、タッタカタッタカとペース配分を意識する感じだ。

 なんで調教内容が変わったのかは謎だが、もっと調教を積みたかった僕としてはありがたい限りだった。

 調教を終えた後はこれまで以上に羽田さんが僕の体に異常がないのかを確認しているけど、今のところ全く問題はない。

 

 そうして毎日ヘトヘトになるまでたっぷりトレーニングをした後のご飯はとてもおいしい。うまうま。馬だけに! (激馬ギャグ)

 でも飼い葉だけってのは物足りないなぁ~? もうちょっとこう、変化をだね。具体的には甘味とかくれてもいいのよ。

 宮尾君どっか行っちゃったけど、果物持ってきてくれたりしないかな。

 なんて思ってたら宮尾君が戻ってきた。しかも何か持っているぞ……ん、おお! 灰色で四角いアレは! 

 

「ハヤテー、ラジオ聞かせたるっすよー」

 

 待ってました! フゥゥウウ↑↑

 宮尾君マジ神ですわ! 

 ……ンっうん。失礼。ちょっとテンション上がりすぎた。

 でもそれも仕方ないことなんだよ。

 元人間、しかも娯楽に溢れた環境に慣れ親しんでいる現代日本人の頭脳が入っている僕にとって、馬の生活というのはものすごくヒマなのだ。

 かといって馬房の中を足でかいたり、身体を左右に揺らしたりして遊ぶのは馬の健康的に良くないことらしく、やると注意される。結果、僕は馬房の中でボーっと瞑想モドキをして過ごすしかない。暇つぶしのためにご飯はすごくゆっくり、少ーしずつ食べることを覚えたほどである。

 ヒマに押しつぶされそうな僕を救ったのが、宮尾君をはじめとする厩務員の人たちが聞くラジオだ。

 元はと言えば、宮尾君たちが馬のことを放って厩舎内で競馬のラジオを聞いていたのが事の発端だった。

 馬房から顔を出して宮尾君の手元のラジオをじーっと見ていたら、ラジオに興味があることをわかってくれたらしく、以来宮尾君は度々こうしてラジオを聞かせてくれる。

 最近は他の厩務員たちも集まって一緒にレースの実況を聞いたりもすることも増えた。

 

「これからお前と同期のジュニア王者を決めるレースがあるんすよ。オーナーの意向でお前は回避したけど、これから先、ここに出たやつらはきっとお前と闘うことになるぞ~」

 

 と言いつつ宮尾君がラジオの電源を付けてチャンネルを合わせる。

 ジュニア王者決定戦と言えば朝日杯……ええと、フューチャリーステークスだっけ? ちょっと違った気がする。でもなんかそんな感じの名前のレースだったはず。12月前半にやる数少ないジュニアGⅠタイトルだ。

 というか僕、その朝日杯フューなんちゃらは回避したんだ。初耳。

 宮尾君はいつものようにラジオの横に新聞を置き、今回のレースの出走馬が記載されてるところを開いた。

 ラジオからは出走馬の紹介の音声が流れている。

 

「今日俺が注目してるのはマチカネタンホイザ。ほら、お前が前のレースでちょっと見てた馬な。あのあと府中3歳ステークスに出て勝ったんすよ。初戦の勝ち馬といい、ハヤテには相馬眼があるんじゃないかと思ってな」

 

 ふむふむ、マチタンが出てるのか。

 というかなに? 僕がいちょうステークス出た後、僕が次のレースで走るまでにマチタンはレースに2度出ていることになるのか。わぁお、ハードスケジュール。いや、そうでもないか? いちょうステークスからもう1か月くらいたってるし、あと昔は割とレースにいっぱい出すのが普通だったとも聞くし。うろ覚えだけどオグリキャップなんかはウマ娘でも再現できない超過密ローテでレースに出てたんだよな。

 

「最終的には3番人気か。まぁそこそこかな。1番人気は変わらずミホノブルボン──」

「ヒヒーン!? (ブルボンだって!?)」

「うぉっ、どうした!?」

 

 宮尾君が僕の嘶きに驚いて、そしてすぐに馬房の中の僕を見て異常がないかを確認している。

 対する僕といえば心臓バックバクで鼻息も荒くなっている。

 ミホノブルボン。無敗二冠馬になる馬。そして僕が倒すべき宿敵。

 そうか、僕が回避してしまったレースに出てるのか。出来れば早めに彼我の実力差も把握しておきたかったのだけど。

 いや、実力差がどうとか、そんなことは関係ないか。僕は僕のベストを尽くせばよいのだ。

 

「どうしたんだ急に興奮しだして……ん? まさか新馬戦と同じ……いや、考えすぎか」

 

 

 その数十分後、ミホノブルボンはGⅠ馬となった。

 僕はそのミホノブルボンに、勝たねばならない。

 




朝日杯フューチュリティステークスって言いづらい、言いづらくない?
なお1991年当時の名称は朝日杯3歳ステークスの模様。言いやすい。

投稿直前に内容確認してたんですけど、中央の厩務員が中央の馬券買うのは違法みたい?
慌てて宮尾君が馬券を買ってたという描写を消しました。危うく宮尾君を犯罪者にしてしまうところだった……


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10.クラシックへ向けて:ラジオたんぱ杯3歳S

netkeibaさんで公開されているコーナー通過順位を元に実況を書いてみた。実際の史実の展開とは違うかも。
……実況難しい。


 

『阪神レース場、本日のメインレース、芝2000mラジオたんぱ杯3歳ステークスです。

 改築されたばかりの阪神レース場では、これが今年最後の重賞競走となります。

 3歳牝馬レースの一角を担ってきました本競争ですが、今年より3歳戦線が大きく改訂されて本競争は牡馬・騙馬限定戦となり、距離も3歳馬戦では数少ない2000mとなりました。

 新生ラジオたんぱ杯の王者に輝くのはどの馬になるでしょうか。

 それでは出走馬の紹介です──』

 

 

 ──・──・──

 

 

 ミホノブルボンを倒す決意を新たにしてから2週間ほど。

 僕の中距離初挑戦の日がやって来た。

 ラジオたんぱ杯。周りの話を聞く限り、GⅢの重賞らしい。

 でも、ウマ娘でこの時期にそんな名前のレースあったっけ……? この時期の中距離重賞と言えばホープフルステークスしか思いつかない。でもあれはGⅠだったはず。うーん、よくわからん。

 人の出も、前走のいちょうステークスの方が多かった気がする。本当に今日のレースは重賞なのだろうか? なんちゃって重賞だったりしない? 

 それはさておき、今回も中々手強そうな雰囲気を感じさせる面々が集まっている。

 芝2000mに挑む馬たちだけあって、来年のクラシック三冠を見据えているのだろう。

 

「ぶひっ、ぶるるぅ(ウマ娘になってる馬は……いなさそうだな)」

「ほれ、ハヤテ、止まらない」

「ひん(引っ張らないで)」

 

 パドックで馬のゼッケンに書かれたお名前を何時ものごとく確認していたのだが、宮尾君に手綱を引っ張られた。それ急に引張られると案外痛いのよ? 

 まぁいいや、名前は一通り確認できた。今日はウマ娘になっている馬はいないらしい。

 それなら楽勝──なんて思わないし、もう思えない。

 ウマ娘になっている馬(=僕が知っている馬)なんて、本当にごくわずかなのだ。僕がまだまだ知らない強者がいるかもしれないのに、油断なんてできるはずがなかった。

 油断していると足元をすくわれてしまう。前世でそのことは嫌と言うほどによくわかっていたはずなのに慢心してしまうとは。全くもって情けない。

 前世の史実を変える覚悟を持つのなら、まず僕自身が前世から変わらなければならなかったのだ。

 もう後悔しない様に。

 僕は全力を尽くそう。

 

 

 ──・──・──

 

 

『各馬ゲートに収まって。スタートしました。ややばらついたスタートになりました。

 真っ先に飛び出たのは5番キザノハヤテ、ですが外から10番ナリタヒーローが出鞭を使って先頭に立ちます』

 

『最初のコーナーに入っていきます、ナリタヒーロー。

 およそ2馬身離れて二番手争いは5番キザノハヤテに7番ハヤノキックと12番トキオレジェンド。

 また2馬身程離れて9番ツルマルタカオー、その外13番スタントマン。

 距離を置かずに内に1番フローリスエリート。続いて2番アラシと、3番ヤマフエスパシオンも追走。

 第2コーナーに入っていきます。

 一番人気の8番ノーザンコンダクトはこの位置。やや後方に位置取っています。

 さらに1馬身離れて、5番ラガーサイクロンに6番マロンデューク。

 最後尾は11番マイネルキャプテンとなっています』

 

『13頭の若駒が向こう正面を駆けて行きます。先頭から最後方までは10馬身程。

 先頭は依然ナリタヒーロー。これにキザノハヤテが並ぼうかというところ。

 今1000mを通過しました。通過タイムは……64秒ほどです。ややゆったりとしたレース展開となっています。

 先頭2頭に続くのはトキオレジェンド。その後ろハヤノキック。さらにツルマルタカオーがここに並んでくる。その後ろはスタントマンを先頭に団子状態です』

 

『第3コーナーを回っていきます。先頭は入れ替わってキザノハヤテ。っと、ここでスタントマンが捲って上がってきた、先行集団にとりついていく。さらにノーザンコンダクトも大きく外を回って位置取りを上げてきた! 

 最終コーナーに入って動きが激しくなってまいりました! 

 先頭は未だキザノハヤテ。2馬身差のナリタヒーローは少し苦しいか! 早めに仕掛けたスタントマンが並んできている! さらには外からノーザンコンダクトがぐんぐん上がってくる!』

 

『残るは最終直線、各馬鞭が入る! っキザノハヤテ! ここで鞭が入ったキザノハヤテ急加速! 後ろを突き放しにかかる! スタントマン差が詰まらない! ノーザンコンダクト食らいつくがこれは届くのか!? 

 キザノハヤテ先頭! 追いかけるノーザンコンダクト! 寄せ付けない! むしろじりじり差が広がっていく!! 坂でも止まらないっ! 

 突き抜けた!! キザノハヤテ1着!!』

 

『隠し持った末脚で見事逃げ切りましたキザノハヤテ。4連勝で来年のクラシックへ向け、その強さを見せつけました。

 2着はノーザンコンダクト、3着はスタントマンとなりました』

 

 

 ──・──・──

 

 

「勝てちまった……」

 

 最終直線、鞭が入った途端にキザノハヤテはトップスピードに乗り、一気にゴールまで駆け抜けた。

 羽田調教師は恐ろしいものを見たかのように固まっていた。

 元はと言えば馬主の意向のため、渋々出走した中距離戦だった。

 下手に走って消耗させてもいけないと考え、騎手の澤山にも勝ち負けにはこだわらず馬を第一にするように、と言った程だ。

 最低限戦えるようにはしてきたつもりだったが、元々羽田は中距離以上でまともに戦える馬を持ったことがなかったので、今回も順当に負けてしまうだろうと思っていた。

 

 しかし今になって思えば、中距離用にトレーニングをしても、ハヤテがへばっている様子はあまり見られなかった。タイムだって良いものが出ていた。ただ、見て見ぬふりというか、それよりも馬を故障させてしまわないかを恐れて、情報を正しく認識できていなかったのだ。

 今までがダメだったのだからと、羽田はキザノハヤテの才能を自分でも意識できないうちに見限っていた。

 だがこの勝ちっぷりはどうだ。あの末脚は格が違う。逃げ切りというよりも、もはや逃げて差すといった具合だ。

 羽田の脳内で「クラシック三冠だ」と言った滝澤の言葉が思い出される。

 

「ハハッ、ひょっとすると……ひょっとするかもしれないか?」

 

 2000mの重賞を勝った。ハヤテが短距離で収まる器ではないことは明らかだ。

 となれば、これまで考えていた出走予定を一から考え直す必要がある。

 

「こりゃ困ったな」

 

 言葉とは裏腹に、羽田は笑っていた。

 

 




1991年12月21日11R ラジオたんぱ杯3歳ステークス 阪神芝右2000m 晴、良馬場 13頭立て
1着 キザノハヤテ 2:05.5


ラジオたんぱ杯3歳ステークスレース後コメント
1着キザノハヤテ(澤山騎手・美浦・羽田厩舎)
 久々の重賞勝利でまずはハヤテに、そしてオーナーや厩舎の皆、応援してくださったファンの方々にお礼を言いたいです。ありがとうございました。
 ハヤテは想像以上に強い走りをしてくれました。今回は最後まで気を緩めずに走りきれたので、精神的にも成長してきたのかなと感じています。
 まだまだ底知れなさを感じる馬なので、これからも期待が持てると思います。



ジュニア編、完!


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閑話:ファンレター


血統公表回
……ウマ娘の二次なのにウマ娘とはあんまり関係ない血統です



 

 時は少し巻き戻って、キザノハヤテが初勝利を上げた頃。まだセミの鳴き声が聞こえる時期。

 

 

 キザノハヤテの主戦騎手である澤山が仕事場である羽田厩舎に出勤してくると、入口付近で羽田調教師と、キザノハヤテの担当厩務員である宮尾が何やら話していた。

 

「テキ、宮尾さん、おはようございます」

「おはようっす」

「おぉ澤山君、おはよう。ちょうどいいところに来たな。宮尾君と一緒にちょっと事務室のほうに来てくれ」

 

 羽田はなにやら機嫌が良さそうだ。宮尾も嬉しそうな表情。

 何か良いことでもあったのだろうか。澤山は一先ずそれを尋ねず、ご機嫌な二人に続いて厩舎の事務室へと入った。

 事務室はあまり整理がされておらず、机の上には書類が山となって無造作に置かれている。が、その書類の上に、この場には似つかわしくない可愛らしいパステルカラーの封筒が1枚だけ置かれていた。

 羽田はその封筒の中身を手に取り、澤山たちに差し出した。

 

「昨日、キザノハヤテにファンレターが来たんだよ。君たちも見た方が良いと思ってね」

 

 ファンレター。

 澤山は何故二人の機嫌が良さそうだったのかを理解した。

 

「それは嬉しいですね」

「やー、まだ1勝上げたばっかりだっていうのに、ありがたいことっすよね。あ、澤山さん、読んでくださいよ」

 

 差し出されたファンレターを受け取った澤山は、宮尾から促され、内容を読み上げていく。

 

「えーと、なになに? 

 キザノハヤテへ

 馬主の滝澤様から連絡を頂き、あなたが中央競馬で勝利を上げたことを知りました。

 いてもたってもいられず、こうして手紙を書いた次第です。

 生まれたばかりの時はとても臆病で、初乳が遅かったせいかあまり肉付きが良くならなかったあなたを、夫は病床にいながらも「良い目つきだ、コイツは走るぞ」「すずめさんの馬の子が重賞を走るんだ」だなんて童心に返ったかのように騒いでいたことが懐かしく感じます。

 私は正直なところそこまで思えなかったものですから、あなたが勝ったと聞いて嬉しいやら申し訳ないやら。

 最期まであなたを心配していた夫も天国で喜んでいることでしょう。ふんぞり返って「それ見たことか」と言っている姿が目に浮かびます。

 牧場最後の世代の馬があなたしか生まれなかったのは何か意味があるのかもしれませんね。

 どうかいつまでもお元気で。

 バラバラになってしまいましたが、牧場に関わっていた私達は影ながらあなたを応援しています。

 そして願わくば、その血を後世に残せるような偉業を成し遂げて、夫の願いを叶えてください。

 すずめ牧場代表の妻より

 ……だそうです」

 

 生産牧場の人から送られてきたようだ。

 それならば1勝馬にファンレターが来るのも納得である。

 

「すずめ牧場っていうのがハヤテの生まれ故郷なんすね?」

「そうだ。ただ、もう閉鎖してしまったらしい。牧場の代表が数年前から病気だったらしくてな。ハヤテを売ってしばらくした後に亡くなって、そのまま牧場も閉鎖だ」

「そうなんすか……」

 

 しかも手紙の内容によれば牧場から送り出された最後の仔馬。牧場はその後閉鎖されているから、下手すれば文字通り牧場最後の一頭かもしれない。

 生産牧場関係者にとって、思い入れは相当なものだろう。

 

「それと、私は昨日調べて気付いたんだが、ハヤテの血統にいる馬の一頭がな、ちょっと特別な馬だったんだよ。君たちは知っていたか?」

 

 そう言われ、澤山と宮尾は顔を見合わせる。お互いの顔には疑問符が浮かんでいた。

 騎乗する、または世話をする馬の血統は、二人も確認している。

 キザノハヤテは父がダービー馬のサクラショウリ……の全弟であるサクラシンボリで、母父がテスコボーイだったはずだ。

 珍しい父を持つと言えばそうなのだが、特別な馬と言うほどではない。

 とすれば牝系に何かあるのだろうか。

 

「いえ、知らないです。確か見慣れないファミリーラインだったとは思いますけど」

「それが何とハヤテの母母は、あの昭和の歌姫、青空すずめが馬主だった馬なんだよ」

「「え!?」」

 

 澤山と宮尾の驚く声がハモる。

 続く言葉が先に出たのは宮尾だった。

 

「青空さんって馬主やってたんすか」

「宮尾君はまだ厩務員になる前の話だから知らなかったか。澤山君は知ってるよな?」

「はい。ちょっと話題になってたのを覚えてます。『お嬢の馬が来た!』って。そうか、それですずめ牧場なんですね」

「そうそう。亡くなってしまった代表が青空さんの大ファンだったらしい。馬を引き取って、血を残そうとしたみたいだな」

 

 言われてみれば先程の手紙にもそんなことが書かれていた。

 競走馬は経済動物である。

 レースで勝って賞金を持って帰ってきてくれる馬、つまり速く走れる馬の血は広く普及し後世に残っていくが、そうでなければ淘汰されていくのが普通だ。

 ただ、中には経済性を度外視して、思い入れのある馬の血を残そうとする人がいる。

 キザノハヤテはそういう背景をもって、生まれた馬だったのだ。

 

「これは下手な騎乗なんてできませんね」

「そうっすね」

「あぁ。私たちでハヤテをいっぱい活躍させて、いっぱい子供を残させてやらないとな」

 

 3人は笑いあいながらも、それぞれ心の奥で夢を描いた。

 





青空すずめ……いったい美〇ひば〇なんだ……
というわけでキザノハヤテの血統です。

キザノハヤテ(架空馬)
1989年6月10日生

父サクラシンボリ
母ヒバリコチ(架空馬)
母父トウショウボーイ
母母タケシコオー

クロス:ナスルーラ5×5、ハイペリオン5×5

活動報告の方に決めた理由の詳細をつらつらと書いておきましたが、たいした理由はありません。競馬にわかの筆者に理屈は存在しない。
あと、この血統だからこういう走りとか、そういった反映はできないと思います。ストーリーにもほとんど影響しません。
要はフレーバーテキストみたいなもんです。


お話の切りも良いし、ちょっとリアルが尋常ではない状態なので年明けまで連載を一時停止します。
年明け前にウマ娘編を一度投稿する予定。週末か、来週かな……


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ウマ娘編:目指す道

 私たちはカラオケに来ていた。

 まずはこの会を提案した私が音頭を取る。

 

「では3人とも無事トレーナーと契約出来ておめでとうの会を始めまーす。今後の僕たちの活躍を願って、かんぱーいっ!」

「かんぱーい」

「乾杯ッ!」

 

 メンバーは同世代美浦寮組で僕ことキザノハヤテ、ライスさんことライスシャワー、バクさんことサクラバクシンオーの計3人。

 出会い頭に目の前で気絶する/されるという劇的な出会いを果たした僕とライスさんであるが、そのことがきっかけになって友好関係が出来た。

 前世では確かデビュー戦以降ジュニア級では一切交流なかったはずだから、こんなにも早く友好を結ぶことが出来るとは思わなかった。三女神様のお陰だろうか? 

 そして入学からしばらく経った今となっては遊びに行く仲にまでなった。

 

 ……とはいえ、流石に二人っきりだと僕の心臓が持ちそうにないので大体バクさんか、もしくは栗東寮組の同世代も一緒に誘うことが多いけど。

 ゆくゆくは、その、二人っきりでデっ、デート!とか!?出来たら……いいなぁって。

 まぁ、二人きりの用事に誘う時点で無理なんですけどね(ヘタレ)。今日のカラオケだってバクさんに僕が提案こそすれ、ライスさんを誘うのはバクさんにやってもらってるし(ヘタレ)。

 

「じゃ、早速歌っていこうか?」

「ハイッ、まずはこの学級委員長たる私が歌いますよ!」

 

 言うや否や機械を操作して予約を入れるバクさん。

 ん? 『バクシンバクシンバクシンシン』? えぇ……あの曲、この世界のカラオケに収録済みの楽曲なんだ……

 早速電波ソングのイントロが流れ始める。

 

「バクさんったらやる気満々だなぁ……ささ、ライスさんもとりあえず予約入れちゃってどうぞ」

「えぇっと……ごめんなさい、ライス、こういうところに来たの初めてで」

「あ。えーと、この機械で歌の予約を入れていくんだよ。そうそう、そこで曲を選択して──」

 

 操作方法を教えるためにライスさんに身体を寄せる。アッ、良い香りが……

 こ、これは不可抗力だから。だからセーフ(?)。

 

 

 

 そんなこんなで時々ドギマギしつつ、ライスさんやバクさんの歌に合いの手を挟んだり、自分も得意な歌謡曲を歌ったり、喉を一休みさせている間に注文した軽食を食べたり、また歌ったり。途中からは採点機能を使ってみたりもした。

 何曲目かわからないくらい歌を歌った後、ライスさんが歓声を上げる。

 

「すごい、また90点台……!」

「ぐぬぬ、実に模範的な点数ですね。私も負けられませゴホッゴホッ」

「今日はなんか調子がいいっぽいね。あとバクさんはちゃんと喉を休めてください」

 

 私がそう言うとバクさんははちみつ入りのレモネードをちびちび飲み始めた。

 入れてた予約も途切れたことだし、ちょっと僕も休もうかな。

 

「ライスもハヤテさんくらいお歌が上手だったら、皆を幸せにできるのに……」

「いやいや、僕はカラオケ用に点数が取れる歌い方をしてるから、上手下手とはまたちょっと違うような……ライブの曲とかはライスさんの方がよっぽど上手だよ。学園のレッスンでも、聞くたびに癒されるというか浄化されるというか、そんな気持ちにさせられる歌声だから」

 

 赤面しつつも「そ、そうかな」と嬉しそうにするライスさん。可愛い。

 バクさんも私の言葉を肯定するように深く頷いている。

 

「でもライス、もっと上手になりたいな。ハヤテさんはお歌の練習でどんなことしてるの?」

「ううむ、レッスン以外で言うと……一人カラオケに来るのが練習といえば練習なのかな。winning the soulとかライブ曲を歌ったりもしてるし」

 

 カッコいいよねwinning the soul。クラシック三冠のいずれかを勝利した時のライブ楽曲。個人的にウマ娘の中ではトップクラスに好きな曲だ。

 アニメでの演出がね、あれ鳥肌もんだった。アニメ二期からウマ娘に入った勢だったからなおの事印象的なんだよねぇ。あの1話エンディングで続きが気にならないわけがないと思うんだ。

 そんなふうに過去を振り返っている間、ライスさんが口を開いていないことにふと気づく。

 なにやら考え込んでいるご様子。

 

「そういえば、ハヤテさんは……」

「はいはい何でございましょう?」

「クラシック路線を走る、んだよね」

「……うん、そうだよ。やっぱりウマ娘たるもの、ダービーを走りたいからねー」

 

 クラシック路線(皐月賞・ダービー・菊花賞)とティアラ路線(桜花賞・オークス・秋華賞)。

 前世では生まれた時の性別でどちらに進むのかがほとんど決まってしまうものだったが、今世ではウマ娘自身の自由意志によってどちらに進むのかが決められる。

 トレセン学園に無事入学出来て、無事トレーナーとも契約出来て、いざ路線の相談をトレーナーとしたとき、僕はちょっと迷った。

 前世をなぞるようにクラシックに出るのか、前々世の史実の邪魔をしない様にティアラ路線に出るのか。

 まぁ前世で散々史実改変しといていまさら何言ってるんだって話ではあるんだけど。だからこそちょっと思うところもあったんだ。

 少し悩みはしたけど、しかし結局僕は前世と同じくクラシック路線を目指すことにした。

 前世の結末には満足してるけど、その道中は色々ともっと上手く出来たはずってことも多かったからね。

 

「ま、そもそもダービーに出場できるかはまだわからないんだけど。ライスさんも、あと一応バクさんもクラシック路線でしょ?」

「うん」

「はいっ、GⅠ全制覇が私の目標ですから!」

 

 うーん、バクさんは本当にバクシンオーしてるなぁ。

 ちょっと心がほっこりして自分の顔が緩みそうになるが、自身に活を入れてこらえる。宣戦布告はちゃんとやらないと。

 

「僕たちがレースでぶつかることもあるだろうけど、その時は友人だろうとなんだろうと勝ちに行くから。よろしくね」

「うんっ、ライスも負けないよ!」

「望むところです! 学級委員長の実力、見せてあげますよ!!」

 

 3人で勝負を誓う。その目はみんな真剣そのものだ。

 ライバルたちとたった一つの栄光目指して競り合う舞台がやってくる。




ウマ娘編は本編とはあんまり関係なしに思いついたもので書いていく


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11.年が明けたよ

 明けましておめでとうございます。

 年が明けて平成4年(1992年)、僕は4歳(現基準3歳)になった。

 今年はいよいよクラシック競争に挑戦する年だ。まだ見ぬミホノブルボン相手にどれだけ勝負ができるのか。

 恐ろしくもありながら楽しみにも感じてくるのは、僕も一端の競走馬になれた証だろうか? 

 

 ちなみに僕は正月を放牧場で過ごしていた。

 詳しい場所はよくわからないけど、雪はあんまり降らなかったから北海道ではなさそう。トレセンに来る前にも一度お世話になった牧場だ。ここで初めて鞍を付けたり騎手の指示ってどんなものなのかを学んだんだよね。育成牧場って言うんだっけ、こういうの。

 なぜトレセンで年明けを迎えていなかったのかと言えば、僕ってば足を少し痛めてしまったのだ。

 や、本当に軽いものだけどね。症状名は骨膜炎っていうそうな。

 去年のラジオたんぱ杯3歳ステークスではありったけの力を振り絞ったわけだが、どうやらやりすぎたらしい。

 レース後にちょっと歩くのに違和感があるなと首を傾げていたら、宮尾君が目ざとく僕の様子が少しおかしいことに気付いた。調教師の羽田さんに報告して、お医者さんに診てもらったら発覚したって感じだ。

 僕はあっさりと限界を超えた走りをしてしまったことに驚いた。自分の限界をきちんと見極めねば……

 

 幸いにも程度は軽いもので、なんなら1か月くらいの間隔を置けばレース出走は問題がないそう、なんだけど、意外と心配性な滝澤さんの判断で年末から約2か月間の放牧となったのだった。

 放牧から戻った後にレースに向けた調整とかが必要なので次走は3月予定。弥生賞かスプリングステークスになるそうだ。僕としてはライスにブルボンにマチタンにバクシンオーにと知ってる馬がたくさんいるスプリングステークス希望だけど、最終的に決めるのは滝澤さんたちだしなー。そうなってくれるように祈ることしかできないや。

 

 

 そんなこんなでトレセンに戻ってきたのは2月も半ば頃。

 月末には放牧で落ちた筋肉を取り戻すため、僕は羽田厩舎の先輩のお馬さんたちとよく併せ馬、競い合いながら走るトレーニングをするようになった。

 

『まだまだ寒い日が続きますねぇ』

「ひん」

『こう寒いと甘いもの食べたくなりますよね』

「ひひん」

『先輩はそうでもないんですか? 意外です』

 

 パカラパカラと歩きながらお隣の馬とお話しする。

 このお馬さんは僕がよく併せ馬する先輩馬。同じ羽田厩舎所属で、僕の隣の馬房で暮らしているカタフラクト号だ。

 カタフラクト先輩は僕より4つ年上で、オープン戦にも勝ったことがある凄いお馬さんなのだ。僕が重賞を勝つまでは、羽田厩舎で一番の稼ぎ頭だったとも聞く。

 今は併せ馬をし終えて、2頭一緒に羽田厩舎に戻るところ。その道すがらのお喋りを楽しんでいるわけだ。

 

「ぶるる」

『えーと、草ですか? 草があればそれでいいと?』

「ひん」

 

 なお、僕は馬の言葉は完全にはわからない。

 元人間な頭脳が入っているせいだろうか? 

 それでもなんとなくニュアンスはわかるし、大きな感情の変化は言葉関係なしに伝わるからそんなに不便だとは思っていない。幸い僕の言葉は相手の理解できるものらしいし。

 ……会話できてるよね? 実は全部僕の一人芝居だったりしないよね? 

 僕が不安を感じている中、僕の背に乗った羽田調教師と、カタフ先輩の騎手の守田さんは先程の併せ馬を振り返って話し合っている。

 

「うーむ、ハヤテの成長が著しいな。今日は週末にレースを控えたカタフの調整のはずだったんだが……守田はどうだった? 乗ってた感じ、カタフは問題なさそうか?」

「そですね。特に悪い感じはせぇへんかったんですが……歳なんでしょか」

「カタフは今年で8歳だからなぁ。今年いっぱいで引退も決まったし流石にそろそろな」

「ウチがレースで初めて乗った馬だけに、引退ってなると寂しいです」

「あぁ、そうか。守田はカタフが初騎乗だったか。ま、よほどのことがない限り見習い騎手のお前を背に今年いっぱいまでは走らせるって言ってくれたんだ。馬主の期待にこたえられるように、せめてもう1勝は頑張れよ」

「はい!」

「しっかし、本当にハヤテは強くなった。放牧明けでまだ全然仕上がってないうちにこれほどとは。カタフで相手にならないんじゃ併せ馬の相手がいないな。どうしたものか……」

「そもそも、ウチの厩舎におるんは短距離馬ばっかりですからね。他厩舎さんに声をかける感じで?」

 

 守田さんが羽田さんに今後の僕の併せ馬をどうするか尋ねると、僕の背の上で羽田さんが「まぁ、そうするしかないなぁ」と唸る。

 でも僕としてはもうちょっとカタフラクト先輩と併せてもいいと思う。

 確かに今日はカタフ先輩より早く走れたけど、コーナーを曲がる上手さで言えば先輩に軍配が上がる。今日もコーナーではだいぶ膨らんでしまった。そのおかげで直線で外から抜きやすかったのはあるけど。僕の気持ち的にはもっと小回りで回るつもりだった。

 他にもカタフ先輩は馬場が荒れたところを走るのも上手だ。バランス感覚というか、体幹の使い方が上手いんだよな。

 だから、カタフ先輩の優れた技術を盗めるまでは他の馬とは併せなくてもいいように思う。

 なんて人間に伝えられたらいいんだけど、人間とは意思疎通できないからなぁ。ダメ元で先輩にコーナー技術教えてもらえないか聞いてみよ。

 

『先輩、曲がる時のコツとか教えてくれません?』

「ひひん」

『そこを何とか……ここはお隣さんのよしみで』

「ひひん」

 

 ぐぬぬ、教えてくれないらしい。

 

「おっと、ちょっと道開けようか」

 

 羽田さんが前方からお馬さんと人間がやってくるのに気付いた。

 2頭並んで歩いていたところを、縦列に並び直してすれ違いやすいようにする。

 前から来るお馬さんはこれからトレーニングかな? がんばえー

 

 ……む? 

 

 あっ、あれは! 

 

「ん、どうしたハヤテ。おい、おーい」

 

 くいくいと手綱を引っ張られるのにもかまわず、前方の馬の元へ少し歩く速度を速める。

 向こうの馬が僕を警戒してか立ち止まる。

 その間にも僕はぐんぐん歩を進め、お馬さんの目の前で停止。

 お馬さんをじっくり観察。

 ……うん、これは、間違いない! 

 僕は頭を下げた。

 

『ライスシャワーさん、ども、こんにちは。僕、キザノハヤテって言います。あの、その、自分、あなたのファンでして。えっとあの、これからも、頑張ってください!』

「……」

 

 あ、困惑してるっぽい。

 流石にちょっと近づきすぎたのかもしれない。ちょっと後ずさりして、と。

 

「あーすいません、飯山さん。うちのキザノハヤテが気になったみたいでして」

「あぁ、羽田さんのところのキザノハヤテですか。噂はかねがね。新馬戦振りですからあいさつにでも来たんでしょうかね?」

「新馬戦振り……アッ、もしかしてそちらの馬は」

「えぇ。ライスシャワーです」

 

 ううむ、距離を少しおいても困惑の雰囲気が収まらないっぽいぞ……

 ストレスになってもいけないから、ここは早急に撤退するべきか? うん、そうしよう。

 

『すいません、ありがとうございました。自分、これで失礼します!』

 

「おおっと? あ、すいません、また後でお話よろしいですか!?」

「えぇ、はい」

 

 さっさと撤収じゃー! 

 あれ、そういえばライスがいるってことは……ここ美浦トレセンだったのか! (今更)

 今まで特に意識したことなかったけど、そういや東京レース場に行く時は新潟に行くよりずっと移動距離少なかったもんね。

 ほえー、それなら今日みたいにトレセン内ですれ違う機会はそれなりにあったり……しないか。すれ違ったの今回が初だもんなー。

 次に会えるのはいつになるかわからんけど、その時は少しでもお話しできたらいいな。

 

 ……なんて思っていたのだけど。

 その願いが人間たちに伝わったのか、数日後、ライスシャワーと併せ馬をすることが決まったのだった。

 





 厩舎所属の他騎手、守田さんを初めて出したけどたぶん今後殆ど出ない。カタフラクト号もたぶん出ない。


 それと筆者は競馬にわかなもので、併せ馬ではそれぞれの主戦騎手が乗るのか、調教師が乗るのか、そもそも調教師って自分で管理馬に乗ることあるのか、併せ馬の相手はどうやって選ぶのか、併せ馬で走る距離はどのくらいでコーナーを含むのかどうか、そしてトレセン内のコースと厩舎を繋ぐ道がどうなっているのか、移動時は乗ったまま移動するのか手綱を持って一緒に歩くのか、あとすれちがいが発生しうるような道なのかどうか……
 一応調べたとはいえ、この話を書くだけでもざっとそのくらいがよくわからないまま書いているので実情と違うところが多々あるかも。

 ま、まぁ、実情と違ってもフィクションということでここはひとつ……


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12.ライスと併せ馬で勝負!

 

 どうもこんにちは。ライスと併せ馬をすることになったらしいキザノハヤテです。

 数か月間ずっと会えなかったからトレセン内で次会えるのは当分先だろうな―なんて思ってたら、ものの数日で再会が決まっていた。やっほーい。

 というか考えてみれば、確か史実のライスはジュニア時代に骨折をしてしばらく休養していたはずだ。

 それだから練習コースやその道中で見かけなかったのかもしれない。

 つまり、これからは併せ馬の相手としてよく会う関係性になる可能性が……? 

 ウキウキが止まらない。ウキウキが止まらなさ過ぎてそのうちウキーッ! って猿になるかも。

 

 そのことを聞いたのは併せ馬前日の昨日で、遠足前の小学生みたいによく眠れない……なんてことはなく、ぐっすり寝て体調も万全だ。

 というか翌日が楽しみで寝れないなんてこと、僕は前世でも一度もなかったんだよね。

 だからバスでの移動中も眠くならず、寝ぼけ眼の友人にしりとりにずっと付き合ってもらってた覚えが……アイツ元気してるかな。高校で別れたからその後はよく知らないんだよね。

 おっといかん。前世を思い出してしんみりとしてしまった。

 これからライスに会うのだから印象が良くなるよう元気に行かないと。

 

 そんなこんなで羽田さんにつられてライスと再会。

 僕を見た途端、ライスが警戒の雰囲気を漂わせ始めたのは気のせいだと思いたい。

 

「休養明けのオープン馬に、4連勝中の重賞馬を併せてくれるとは。重ね重ね、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらとしても新馬戦でのあの奇行の訳を探りたい意図があってのことですから。馬のストレスにもなるかもしれないお願いを聞いてくださり、ありがとうございます」

 

 羽田さんと、ライスの調教師である飯山調教師とがお互いぺこぺこと挨拶合戦を交わしている。

 ついでに僕もライスに向けてペコリと頭を下げて挨拶。しかしライスは僕を警戒したまま、微動だにしない。

 

「……しかし、ホントに何と言いますか、ずっとうちのライスシャワーの方を気にしてますね」

「そうなんですよ。普段、ハヤテはあまり周りの馬を気にしないんですがね。あんなに尻尾を振って……ご機嫌みたいですね」

 

 ライスとお話ししたい……いやウマ娘のライスと競走馬のライスが別物なのは重々承知しているよ? 

 それでも、なんというか、お話してみたいじゃん? 

 別物と言ってもライスはライスなんだし? 

 

「それでは走らせてみますか」

「はい」

 

 何とか警戒を解いてもらえないものだろうか……

 漢は拳で語るというし、競走馬なら走りで語る、ってもんかな? 

 それならば併せ馬でライスにちょっとカッコいいところを見せねば! 

 

 

 僕はちょっと遅れてやって来た澤山さんを背に、ライスもどこかしらの騎手さんを背に乗せ、調教コースへ向かう。

 併せ馬の内容は芝コースを一周ぐるっと回る感じっぽい。外側が僕、内側にライスで並んで走り出す。

 

 始めは馬なり、つまり馬の、僕らの好きなように走らせてもらえる。

 序盤は並んで走っていたのだが、最初のコーナーを回っていく途中でライスがスッと前へ上がる。縦並びに。まぁそりゃ僕がちらちら視線を飛ばしていたから嫌がるか。

 しかしこれはこれで僕はずっとライスを視界に収めながら走れるので眼福なのだけど。

 とか思ってたらライスがぐんぐん速度を上げていく件。

 僕の気持ち悪い思考が伝わってしまったか? 

 おいて行かれない様に僕も併せて速度を上げていく。その差は1馬身と少しくらい。

 

「結構飛ばすな……足を残せるか?」

 

 澤山さんも呟いてるけど確かにそうね。最初は馬なりだったとはいえ、向こう正面に入ってからはほとんどレース本番並みじゃないか? 

 ライスは休養明けだというのに、こんなに飛ばして大丈夫なのだろうか。あっさりと限界を超えて走れてしまうことは昨年末に僕が実体験している。

 ちょっと不安だけど……レースでこんなこと考えながら走るのも失礼か。僕に出来ることは走ることだけだ。

 

 第3コーナー、第4コーナーと回っていき、最後の直線に入る少し手前で僕とライスにほぼ同時に鞭が入る。

 ぃよっし、いっちょ僕の走りってのを見せたるぜ! 

 ダンッ!と脚を地面に蹴飛ばし、トップスピードに乗る。

 最終直線で僕はライスに並び、そして抜き去る。

 ライスの方はスパートがかかっても速度の上乗せがあまりできていない。やはりハイペースで飛ばした疲れが出てきたのだろう。

 とはいえ必死に食いついてくるので、僕も限界を超えないように気を付けつつも、油断することなく最後まで走り抜けた。

 スタート地点を通り過ぎ、澤山さんが手綱を引いたところで減速。

 

「ふぅー……ハヤテ、お前はすごい馬だよ」

 

 速度を緩めて歩くくらいになったところで澤山さんから絶賛のお言葉。

 お、おう? 何かよくわからんがありがとう? 

 走り終えたら羽田さんや飯山調教師がいるところまで歩いていく。

 そして今回の併せ馬の品評会だ。

 

「澤山、良い走りだったぞ。今回はどうだった」

「興奮はしてましたし、相変わらず視線はお相手を見ていたように感じましたけど、新馬戦と違って特に暴走もしませんでしたね」

「うーむ、そうか……」

「それより、ハヤテの距離適性についてなんですが、意外と長い距離まで持つかも──」

 

 澤山さんが僕から降り、羽田さんと話し込む。

 そこで僕は手持無沙汰になったのでライスの方を見ると、そちらも何か騎手さんと調教師さんが話し込んでいる様子。

 

「どうですか──依頼は──」

「──良い馬ですが、やはり先約が──ので」

 

 その横でライスは息を整えながら凛々しく佇んでいる。パッと見、どこも怪我とかはしてなさそうで一安心。

 すると僕が見ているのに気づいたのか、ライスが僕の方を向いた。それもじーっと見つめてくる。

 あう、そ、そんなに見られると少し恥ずかしさが。

 走り終えた今のライスには、走る前のような警戒した様子は見られない。

 しかも(調教師の人に引かれて)さらに近づいてくるではないか! 

 

「羽田さん、今日はありがとうございました」

「あ、飯山さん、こちらこそありがとうございました」

 

 調教師たちがぺこぺこと挨拶合戦を再びしている中、ライスに見つめられている僕はテレテレしっぱなしだ。

 大丈夫かな、走って身だしなみが崩れたりしてないだろうか。

 

「ひーん」

 

 ほわっ、僕に話しかけてきてくれた!? 

「お前速い」って言われたような気がする。

 ライスに褒められた……! でへへ。

 めちゃ嬉しいんだが。

 

「ぶひひん」

 

 ひえ。

 殺気混じりに「次は勝つ」って宣言されたんですが。目付きがコワイ! 

 お馬さんのライスシャワーってば割とヤンキー系? 

 でもそんなライスもかっこいい! 

 しかも次を想定してくれているということは、

 

『はいっ、また一緒に走りたいです!』

「……ひひん」

 

 え、やっぱり嫌? なぜぇ!? 

 



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13.キザノハヤテ、ライスシャワーに惚れている説

90年代当時の調教タイムがわからなかったので途中の記事はかなり適当


「どう判断したものか……」

 

 羽田は厩舎に備え付けられた事務室で、先日のライスシャワーとの併せ馬の録画を見ながら悩んでいた。

 騎手の澤山からは「ハヤテは長い距離の方が力を発揮しやすいかもしれない」と報告を受けた。ここにきてハヤテの中長距離適性は疑いようがないが、今更ながら皐月賞のステップレースにスプリングステークスの瞬発力勝負にかけたのは見当違いだったかもしれないな、と少し後悔を覚える羽田であった。

 もう少し早く放牧を切り上げるようにすれば無理なく弥生に間に合わせられたのだが……まぁ過ぎたことを後悔しても遅い。

 なんにせよそれは羽田が悩んでいることの本題ではない。

 では何を悩んでいるのかと言えば。

 

「結局、ライスシャワーとのブッキングを回避するべきか否かがわからないんだよな」

 

 これに尽きる。

 キザノハヤテは今現在、羽田厩舎唯一の現役重賞馬であり、なおかつ厩舎初のGⅠタイトルに手が届くかもしれない、期待の馬なのだ。

 わずかでも勝てる確率が上がるように尽力したい。

 そうして不安点を考えていったとき、ライスシャワーと同じレースを走らせると新馬戦の時のように走る気をなくしてしまう恐れがあるのではないか、と考えた。

 トレセン内ですれ違った時の反応を見れば、キザノハヤテにとってライスシャワーが何かしら特別な相手であることがわかる。新馬戦敗北の理由はライスシャワーが関係している可能性が高い。

 

 同世代、そして共に牡馬である以上、共に勝ち進めばブッキングする恐れは非常に高い。高いが、それでも何とか回避できることもあるだろう。

 そうするべきなのか別に気にしなくてもよいのか、その判断材料を欲して併せ馬をしてもらったものの、依然興奮はするし、でも新馬戦とは逆に勝ててしまった。

 同じような状況で全く違う結果。

 羽田には何が何だか分からなくなってしまった。これならいっそ併せ馬の時も全く走る気をなくしてもらった方が単純明快で悩む必要もなかった。

 いやまぁ、そうなったらそうなったで困るのだが。

 うんうんと唸っていると、事務室の扉がノックされ、キザノハヤテの担当厩務員の宮尾が入ってくる。

 

「お疲れさまっす。テキ、ハヤテのことなんすけど」

「どうかしたのか?」

「この前ライスシャワーとのブッキングを心配してたじゃないっすか。それを俺なりに考えまして」

「ほう?」

 

 この前と言わず現在進行形で悩んでいた。

 馬と接する時間が多い担当厩務員からの意見となれば大いに参考にできるだろう。

 羽田は居住まいを正した。

 

「で、宮尾君はどう考えたんだ?」

「やっぱハヤテはライスシャワーに惚れてるんすよ」

「……は?」

 

 羽田の頭の中に「何言ってんだコイツ」との言葉が浮かんだ。

 そんな羽田には目もくれず、宮尾は言葉を続ける。

 

「新馬戦の時に一目惚れして、で、併せ馬の時と、その前に会った時っすか、そこは好きになってもらおうと自分をアピールしてたんすよ」

「いや、牡馬だぞ? ライスシャワー号は。ハヤテが本当にソッチだってことか? もし種牡馬になったら大問題じゃないか」

「そうかもしれないっすけど、ちょっと思ったんすよね。ライスシャワーって少し小柄だから、牝馬だと見間違えたのかもって」

「いやいやいや。馬同士、あれだけ近寄ればオスメスの違いくらいわかるんじゃないか?」

「それでもなお、お近づきになりたいくらいライスシャワーがハヤテの好みなんじゃないすかね」

「えぇ……」

 

 謎の持論を展開していく宮尾。

 羽田は全くもってその理屈を理解できなかったが、しかし宮尾の意見を否定せずに受け止めることにした。ハヤテは人間ではなく馬。自分の理解できない感情や考えを持っていたとしても、何ら不思議ではないのだ。

 

「はぁ……まぁわかった。それで? 結局、宮尾君としてはブッキングは避けた方がいいと思うか?」

「むしろブッキングさせた方が良いんじゃないっすかね。澤山騎手とも話したんすけど、ライスシャワーを意識させてやればハヤテはカッコいいところを見せようとやる気出すかもしれないなって」

「ううむ……まぁやる気を出すかどうかは兎も角、ブッキングしても問題ないという宮尾君を信じよう」

 

 信じるという言葉とは裏腹に羽田はまだ内心半信半疑といった心持ちだった。なので実際はただの問題の先送りだ。

 ついでに、もし種牡馬になったときに本当にソッチ(ホモォ…)だと発覚したらどうしようという不安も先送りにしておく。それについては競争能力に影響はない……はずなので。

 

「そういえば宮尾君。わかってるとは思うが明日は身なりを整えておけよ」

「へ?」

 

 羽田が話題を変えると、宮尾は素っ頓狂な声を上げた。

 どうやら明日の予定を忘れているらしい。

 

「おいおい、取材だよ、取材。今度ハヤテの取材で宮尾君と澤山君も同席させるって言っただろう」

「……あぁっ!!」

「完全に忘れてたなお前」

「いひひ、すみません……」

「まったく」

 

 取材の申し込みがあった時は、厩舎の皆で驚いたものだ。

 なんせ羽田厩舎に直接取材が入るのなんて数年前に重賞を初制覇した時以来なのだから。ハヤテがラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝つまでは、重賞勝利はそれが唯一で、それ以降低迷期をむかえたため長らく取材とは縁遠い厩舎だった。なので取材の依頼も最初はいたずら電話かと思ったものだ。

 今更ながら羽田はハヤテがこの世代を代表する一頭になりつつあることに実感が伴ってきていた。

 

「ハヤテが活躍すればこれからはバンバン取材が入ってくるようになるぞ。今のうちに慣れとけよ」

「なんか感慨深いっすねぇ」

「あぁ。凄い馬に巡り合わせてもらったもんだ。競馬の神様に感謝だな」

 

 

 

【スプリングS】キザノハヤテ、クラシックに向け気合十分

 昨年のラジオたんぱ杯3歳ステークスを勝利したキザノハヤテ(牡4、美浦・羽田厩舎)がスプリングステークス前の追い切りを実施した。オープン馬のカタフラクト(牡8、同)と併せ馬を行い、強目に追って5F68.4、ラスト1F11.5秒と好タイムをマーク。年上相手に2馬身差をつける快走だった。

 羽田調教師は「ハヤテはテンの良さと末脚のキレを両立する馬。クラシックに向けて気合も高まってきている」と自信をのぞかせる。

 キザノハヤテが昨年敗れたのは最初の新馬戦のみ。以降は「レースがどんなものか理解した(羽田調教師談)」走りで重賞1勝を含む4連勝をあげている。レーススタイルは羽田調教師も語ったスタートの有利を活かす先行押し切り型を得意とする。

 また、騎手の指示にも素早く反応する操縦性の良さも持つ。主戦騎手の澤山は「自分の手足のように動いてくれるからすごく乗り心地が良い。風を切る感覚がたまらない」と笑顔。クラシックの意気込みについては「行けるところまで」と不敵な答えを返した。

 担当厩務員の宮尾に普段の様子を聞くと「すごく大人しい。大抵の事には動じない悠然とした感じがある」とのこと。好物は梨を筆頭に甘い果物に目がない。他にもラジオを聞くのが好きで、ラジオを流し始めると動きを止めて聞き入るという。「聞き分けもいいですし、手のかからない利口な馬。あとはデカいレースで勝ってくれれば」そう語った宮尾厩務員の横で、任せろと言わんばかりにキザノハヤテが鼻息で応えた。

 今年のクラシック戦線はこのキザノハヤテと、昨年最優秀3歳牡馬に選ばれたミホノブルボンの2強であるとの見方が強い。

 その2頭が本番を前にスプリングステークスで激突する。

 今年の主役にいち早く名乗り上げるのは誰か。注目の一戦だ。

 

 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

 中山競馬場からこんにちは、久々のレースでワクワクが止まらないキザノハヤテです。

 しかもそのレースがなんと! 彼のスプリングステークスですよ! 

 このスプリングステークスには史実において長距離のライス、中距離のブルボン、短距離のサクラバクシンオーと得意距離の違う馬が一堂に会したレースだ。

 その3頭に加えマチタンも出走していたので、ウマ娘実装組の馬が4頭もいるという点も僕としては見逃せない。

 そして僕としては遂にブルボンと直接対決! 

 これまでしっかりとトレーニングしてきたんだ、余裕かませられるほどではないだろうけど、それでも勝って見せる! 今朝もぐっすり眠れて体調も気合も絶好調! 準備万端! 

 この小雨降る曇天のように、ブルボンを曇らせてやるぞ! 

 

 さて、パドックでいつもの出走馬の確認だ。ブルボンはどこかなーっ、と……

 

 

 ……

 

 

 は? 

 

 

 

 なんだよ、アレ。

 

 

 

 僕を含めた15頭の中で、1頭だけ『化け物』がいる。

 一目でわかる隔絶した実力差。

 ゼッケンに書かれた名前は、

 

 

 

 

 ミホノブルボン。

 

 

 

 



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14.心を燃やして:スプリングステークス

枠番馬番馬名人気オッズ
11ミホノブルボン24.7
22タイガーエース615.9
33ライスシャワー1371.2
34サクラバクシンオー35.9
45マーメイドタバン14234.1
46カミノエルフ716.1
57マチカネタンホイザ515.3
58ダッシュフドー826.0
69マイネルトゥルース1041.8
610マイネルコート1148.0
711シロキタシンザン930.5
712キザノハヤテ12.6
813セイショウマインド15298.9
814ノーザンコンダクト47.3
815リワードガルソン1257.5



 

 

 ははは。

 乾いた笑いが出てくる。

 僕はこんな化物相手に勝たなくちゃいけないのか? 

 これまでに感じたことの無い威圧感を馬の本能が感じ取る。もはや一頭だけ纏うオーラが違うんだよ。

 訳わからんし、でたらめだし、ホントに同世代なのか疑いたくなる。

 これが未来の無敗二冠馬、か。

 

「ん、ハヤテ、どした」

 

 宮尾君に引っ張られ、自分が立ち止まっていたことに気付く。

 茫然とした気持ちのまま、促されるままにパドックを回る。

 油断していたつもりはない。そんなつもりはないが、正直、想像以上だ。だって戦う前から「追いつけるわけがない」とどこか諦めの気持ちが出てきてしまうほどなのだから。

 

 あぁ、そういえばどっかのまとめサイトで見たっけ。

 そもそも競走馬は、新馬戦を勝ち上がれるだけでも優秀な部類なんだとか。一度も勝てずにターフから去る馬も少なくないので。

 そこから重賞を取れる馬はもっと限られる。勝てる勝てない以前に怪我で引退してしまう馬だっているから。

 だから、重賞の頂点であるGⅠ競争に勝てるのは一握りのエリートだけだという。

 なるほど、実物を目の前にすれば嫌でも納得させられる。ミホノブルボンは間違いなく、本当に、一握りの、エリート中の超エリートだ。

 たかが人間の頭脳が入った程度の馬とは比べ物にならないってことだ。

 

「とまーれー」

 

 ブルボンの無敗二冠を崩す。

 当初掲げたその目標がどれ程無茶なことなのか、過去の自分に教えてあげたいくらいだ。

 彼我の実力差を見るに、夢物語としか言いようがない。

 

「宮尾さん、ハヤテどうしたんです? やっぱりレースで一緒だとダメですかね?」

「いや、今回はミホノブルボンっすね、見てたのは。あと、初戦は考え込んでるような感じでしたっすけど、今回はなんというか、茫然としてるというか」

「……宮尾さん、この前の話、試してみますか?」

「この前のって、あぁ、そうっすね。試す価値はあるかも」

 

 いつの間にか騎手乗り込みの時間になっていたらしい。澤山さんが近くまでやってきていた。

 そして僕に乗り込む、のかと思いきや、僕の顔の真正面に立つ。

 

「ハヤテ」

 

 はは、僕を笑ってくれ澤山さん……

 今日はどんなに頑張っても勝てない。そんな不甲斐ない僕を笑ってくれ。

 

「大丈夫、大丈夫だ」

 

 ……何が大丈夫なのさ。

 あの化け物相手に勝てるとでも? 

 

「だから、ライスシャワーにカッコいいところを見せようぜ」

 

 チラっと、澤山さんの視線が僕以外に行く。

 その視線の先には、ライスがいた。

 しかもライスも僕のことを見ている。闘志に燃える目で。

 

「さ、いくぞ」

 

 ポンポンと僕の額を撫でて、澤山さんがやっと僕に乗り込む。

 

 ……そうだな。

 

 レースに絶対はない。だというのに何を最初から決めつけてるんだ? 

 第一、こんな卑屈な気持ちで走ってはライスに顔向けができないじゃないか。

 気合を入れろよキザノハヤテ。ここからが正念場なんだ。

 ふぅー……

 

 ぃよーっし、やってやろうじゃねぇーか! 

 

 

 

 ──・──・──

 

 

 

 呼びかけが功を奏したのか、キザノハヤテは気合を取り戻した。

 澤山はハヤテに乗って地下馬道を抜けてレース場へ向かう。

 今日は午前中から小雨が降り、馬場は重判定。連日のレースで荒れていることもあり、今日はかなりタフなレースになるだろう。

 歓声を受けながらスタート場所へ向かう。

 

「よし、走りに問題はない……すー、はぁー……よしっ、あとはレースで走るだけ……」

 

 返し馬でハヤテの足運びに異常がないことの最終確認を行い、澤山は深呼吸をして気持ちを整えた。

 というのも、澤山はいつもより少し緊張していた。

 レースに出る時はいつだって少なからず緊張しているものだが、『重賞』で『一番人気』の馬に乗るのは初めてのことであった。

 実はキザノハヤテが1番人気になるのも初めてだったりする。昨年は血統で下に見られたり、距離が不安視されたり、他の有力騎手・厩舎に人気が流れたりでなんだかんだ1番人気にはならなかったのだ。

 単勝オッズは2.6倍。とすると支持率は約3割か。この観客の3割というと、何千、もしかしたら何万人が自分たちの馬券を買っているのか……なんて、余計なことを考えてしまう。

 先程キザノハヤテに投げかけた『大丈夫』との言葉は、その実、澤山が自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。

 発走時間になるまで輪乗りを行い、ファンファーレが鳴っていよいよゲート入りとなる。

 

「大丈夫、大丈夫……」

 

 ハヤテは素直にゲートに収まる。

 そして全頭ゲートに収まり、

 

 ガチャンッ

 

「っ!?」

 

 澤山は突然身体を後ろに引っ張られた。

 一瞬でレースが始まったのだと理解して体勢を整えるが、ハヤテと呼吸が合わなかった分、出遅れというほどではないものの、いつものスタートに比べ精彩を欠いてしまう。

 

(あぁー! やっちまった!)

 

 そう思えど、レースはもう始まってしまっている。

 あとで方々に謝罪するとして、今はレースに集中しなければならない。刻一刻と状況は変わっていく。

 

(やっぱりミホノブルボンが前に出ていく、大分追ってるな。っと、ハヤテが上がっていこうとしてる?)

 

 スタートが思うように出れなかった分の遅れを取り戻そうとしているのだろうか。

 しかし、この重馬場でそれは不味い。いくらハヤテに中長距離適性があると言えど、スタミナを消費して潰れてしまう。

 澤山は手綱を軽く引いてハヤテを抑えようとする。しかしハヤテにしては珍しく反応が鈍い。

 コーナーへと差し掛かるころ、ハヤテはスタートの不利もひっくり返して3番手を走っていた。

 内に寄せつつ手綱をもう一度引く。

 

「落ち着け、お前の末脚があれば大丈夫だ」

 

 そして小声で窘めると、今度はスッとハヤテの前進気質が弱まった。

 偶然かもしれないが、ライスシャワーのことといい、今の行動といい、こっちの言葉がわかっているようなそぶりだ。

 澤山は思わず苦笑してしまい、慌てて今はレース中だと自分を叱咤した。

 

 レースは順調に進んで第3コーナーへと突入していく。

 先頭は未だミホノブルボン。ハヤテは2番手のサクラバクシンオーの外、3番手に控えて様子を窺っている状況だ。

 ハヤテは序盤で少しかかっていた分、スパートは最後の直線に入ってからにした方が良いだろう。

 そんなことを考えながら最終コーナー半ばを通り過ぎた時、先頭を走るミホノブルボンに鞭が入った。

 

(最初にあれだけ追ってたんだ、ゴール前の坂で止まるはず)

 

 こんな不良馬場であんなに飛ばせば最後に垂れてくるのは必至。ちょうど今、番手を追走していたサクラバクシンオーの勢いが急激に削がれているように。既に勝利の道筋は見えているのだ。

 そうして最終コーナーを回って、残るは最終直線。

 

「よし、いけっハヤテ!」

 

 

 数秒後、澤山の予想は裏切られる。

 

 

 

 ──・──・──

 

 

『直線向いて先頭は依然ミホノブルボン! その差は3馬身、これは強い!』

 

 あぁ、クソっ。速い。速すぎる。

 必死に走るも濡れた馬場が脚に絡みつく。澤山さんに期待されていた末脚が鈍る。

 

『後続はキザノハヤテが飛びぬけた、1番人気の意地を見せるか!? しかし差を詰められない!』

 

 思っていた以上に肉薄することはできた。あと少し、あと少しなんだ。

 だがしかし、その『あと少し』が遠い。

 もうこの距離では届かない。坂路の申し子と言われるブルボンだけに、ゴール前の坂で足が鈍ることも期待できない。

 なりふり構わず限界を超えれば……いや、もうそれでも厳しいか。

 これが僕とブルボンの実力差。

 今はそれがあることを認めざるを得ない。

 

『残り200m通過してミホノブルボン逃げ切り体勢濃厚! キザノハヤテ必死に喰らいつくがこれは間に合わない!』

 

 でもだからって諦めるわけ、ない。

 お前の強さをこの走りで思い知らされてもなお、僕の心の炎は決して潰えない。むしろ強く燃え上がる。

 

『ミホノブルボン、今ゴールインッ! 2着はキザノハヤテ!』

 

 次は勝つ。

 だから、首洗って待ってな。

 ミホノブルボン……ッ! 

 




1992年3月29日11R スプリングステークス 芝右1800m、小雨、重馬場 15頭立て
1着 ミホノブルボン 1:50.1
2着 キザノハヤテ  1:50.4


5着 ライスシャワー 1:51.6
6着 マチカネタンホイザ 1:51.8



13着 サクラバクシンオー 1:53.6

スプリングステークスレース後コメント
2着キザノハヤテ(澤山騎手・美浦・羽田厩舎)
 呼吸が合わず、能力を発揮しきれなかった。今日はあと一歩及ばなかったものの、クラシックでも勝ち負けに絡める強さは証明できたと思う。


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15.皐月賞への布陣

「今日の敗北は私の騎乗ミスが原因です。申し訳ありませんでした」

 

 席に着いてお冷が用意されるなり、騎手の澤山はそう切り出した。

 馬主の滝澤が眉をピクリと上げる。

 調教師の羽田はもう少しオブラートに包んで話を切り出そうとしていたので、こんな話をするなんて聞いてないとオロオロしている。

 スプリングステークスを終えたその日、がやがやと賑やかな居酒屋の奥、個室席にて。3人はレース後の打ち上げ兼、反省会のために集まっていたのだった。

 滝澤は澤山の話を詳しく聞こうと問いただすことにした。

 

「馬の能力ではなく? では具体的にはどういうミスがあったと言うのかね?」

「スタートの遅れがあったこと、途中でハヤテの行く気を抑えてしまったこと、仕掛けどころが悪かったこと。これらが無ければ、今日は勝てたレースだったと思います」

「ふむ……」

「ですから、まだテキにも話していませんでしたが、私にハヤテは過ぎた馬だと思うのです」

「なっ何を言ってるんだ澤山君!?」

 

 つまり、澤山は騎手を自分以外に変えた方が良い、と言っているのだ。

 実際に敗北の原因が騎手にあったのかは定かではないのだが、澤山は今回の敗北に強く責任を感じているようだった。

 事前の相談もなしにこんな話をされては流石に羽田も黙っていられない。

 だが、

 

「テキ、冷静に考えてください。ハヤテはもっともっとやれる馬です。俺みたいな中堅どころで燻ぶってる中途半端な騎手が乗ってることがおかしかったんです。だから、もっといい一流の騎手を乗せてやってください。そうすればGⅠ、いや、三冠だって夢じゃない。いいや、ハヤテならきっとやってくれるはずなんです」

「い、いや、だがな……」

 

 表面上は淡々と語る澤山だが、その瞳には薄っすらと涙が浮かんでいた。手は強く握りしめられて震えている。隠しきれない本音が滲み出ていた。

 それでもキザノハヤテのことを思えばこそ、澤山は個人的な感情を押し殺すべきだと考えたのだ。

 その悲壮な決意を感じ取った羽田は二の句が継げなくなってしまう。

 

「もしも騎手が、澤山騎手が言うような一流の騎手であれば、今日は勝てた。澤山騎手も羽田調教師も、その考えは同じか?」

「「……」」

 

 滝澤の問いかけに二人は応えられない。

 しかしその沈黙と表情から答えは明らかだった。

 滝澤は「ふむ」としばし瞑目した。

 

「まぁ初めから私の答えは一つだ。騎手は変更しない」

 

「……へ?」

 

 間抜けな声は澤山と羽田のどちらが発したものだったか。

 2人とも呆けた顔で滝澤を見ていた。

 今の話の流れでは確実に騎手の変更が言い渡されるところだったのに。

 

「新馬戦の後、主戦は澤山騎手で行くと決めたからな。だのに騎手を変えたら勝った、なんてつまらないじゃないか」

 

 冗談めかして語られるものの、滝澤の目は真剣だった。

 澤山にはそこに自身への信頼があるように感じられた。こんな中途半端な騎手を信頼してくれる馬主が中央競馬にどれほどいるのだろうか。

 

「よって騎手は澤山騎手のまま。それでいいな? よし、では次の作戦会議だ。次のレースは皐月賞だろう? そちらが警戒している馬とその対応策を聞かせてくれ」

「あっ、はい! えー皐月賞ですが、やはり一番の壁はミホノブルボンだと──」

 

 この信頼には応えねばなるまい。

 居酒屋の席で澤山は決意を新たにした。

 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

 僕とブルボンとの初対戦は僕の敗北で終わった。

 しかしそんなことを悔やんでいる暇はない。皐月賞はもうすぐなのだから! 

 

「てな感じで最近は残すことなく食べてて、いい食いっぷりなんすよ。ハヤテのメシ増やしませんか?」

「そうだな、そうするか」

 

 まずはご飯をいっぱい食べる! 

 少しでもブルボンに勝てる確率を上げるために、栄養はいっぱい取らねば。

 そして日々のトレーニングで栄養を筋肉に変える! 

 

「澤山、今日の調教はここまでにしよう」

「タイムはどうでした?」

「バッチリだ。身体も仕上がってきてるな」

 

 とはいえ目指す姿(ミホノブルボン)にはまだまだ程遠い。

 ブルボンのあの筋肉は驚異の一言だ。スプリングステークスの敗因はそこが一番大きいと思う。僕はあんまり筋肉質な体型じゃないし、重馬場の前走はモロに筋肉の量が結果に直結してしまったのだ。

 調教中に羽田さんたちが、敗因は澤山さんの騎乗ミスだってちらっと話してたけど、僕はそうは思わない。

 だから皐月賞までは徹底的に自分を鍛え上げるつもりだ。

 まぁ、澤山さんたちとはコミュニケーションを取りようがないから、自分を鍛えることしかやりようがないってのもあるけど。

 

「この調子で行って……皐月賞は勝つぞ、ハヤテ」

「ひひん!(勝つぞ!)」

 

 そうしてよく食べ、よく走って過ごすこと3週間。

 ついに皐月賞がやってくる。

 

 

 

【皐月賞】注目馬短評

 遂に皐月賞が今週末に迫ってきた。

 今年の最も『はやい』馬はどの馬か。筆者が注目する3頭は以下の通りだ。

 本命◎ ミホノブルボン

 対向〇 アサカリジェント

 単穴▲ キザノハヤテ

 順を追って簡単に紹介していこう。

 

 まずは文句なしの大本命。ミホノブルボンだ。

 騎乗は生島。ジュニア王者であり、直近のスプリングステークスでも勝利を上げた。

 これまで4戦全勝。まさに隔絶した実力を見せつけている。

 内枠を引けたことも好材料。2000mは未経験だが、華麗な逃げ切り劇に期待したい。

 

 対抗はアサカリジェント。

 騎乗は柴野。皐月賞と同じコース条件の弥生賞の勝者だ。

 ここまで7戦3勝。特に勝ったレースでの鮮やかな末脚は見事の一言。

 本命のミホノブルボンとの競争経験はないので、ミホノブルボン相手にどれほど迫ることが出来るか、期待の一頭だ。

 

 単穴はキザノハヤテ。

 騎乗は澤山。2000mになったラジオたんぱ杯の勝者だ。

 戦績は6戦4勝。スプリングステークスでは精彩を欠き、ミホノブルボンから1.5馬身差の2着になってしまった。

 しかし3位以下には5馬身を付けているあたりに確かな実力を垣間見ることが出来る。対抗と迷ったが、直近のレース結果を重視した。

 

 



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16.今度こそ!:皐月賞1

皐月賞出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
11スタントマン626.4
12ホクセツギンガ1064.1
23リワードガルソン14134.3
24ミホノブルボン11.5
35ナリタタイセイ522.3
36アサカリジェント26.4
47マヤノペトリュース728.5
48マーメイドタバン取消-
59ライスシャワー1168.5
510マイネルコート15168.4
611キザノハヤテ36.8
612セキテイリュウオー417.4
713カミノエルフ836.2
714クリトライ12118.3
715マチカネタンホイザ936.6
816サウスオー13121.9
817マイネルトゥルース16200.2
818セイショウマインド17379.3




 スプリングステークスから皐月賞まではあっという間だった。

 そのわずかな間にも、僕は出来る限りのことを尽くしてきたと思う。

 今日、その成果が問われる。

 

「ぶるるっ(今度こそ、勝つ)」

 

 宮尾君に手綱を引っ張られつつ、ふんすと鼻息荒く、パドックを回る。

 パドックの周りには人、人、人。数えきれないほどの人々が集まってきている。G1、しかもクラシック競争だけあって、観客の数が凄い。

 回りながらミホノブルボンを含む今回の出走馬を見ていると、改めて立ち向かう敵(ミホノブルボン)の強さがわかる。

 僕らが走ったスプリングステークスの他、弥生賞とか若葉ステークスとかで好成績を残した馬もこの皐月賞に挑戦してきているはずなんだけど、それらと比べても、今の時点ではミホノブルボンがとびぬけて強く見える。

 ライスもマチタンも、その他の出走馬も、今のブルボンには追い付けないだろう。

 僕はと言えば……まだ『差』を感じる。

 3週間の付け焼刃では限界があるということだ。

 

 だけど、勝つための対策は十分講じてきた。

 僕の日々のトレーニングもそうだし、騎手の澤山さんや調教師の羽田さんも位置取りとかスパート位置とか、色々作戦を考えてくれている。

 澤山さんたちが話していた内容を盗み聞きした限りだと、今回はミホノブルボンにぴったり張り付いて、ブルボンにプレッシャーをかける作戦をとるそうだ。

 図らずもライスが行ったような、「ついてく、ついてく」作戦に似た戦法を取ることになる。これは期待が高いんじゃないか?

 そうやってブルボンのスタミナを削り、その上でブルボンのスパートがかかったタイミングかそれより前に僕のスパートをかけるとのこと。

 

 澤山さんは「末脚の速さならハヤテは負けない」と太鼓判を押してくれている。

 振り返ってみれば、前走のスプリングステークスでだって、最終直線で僕はジリジリ差を詰めていたのだ。直線入口で3馬身差くらいあったのを、最終的には1.5馬身差まで縮めていたのだから。

 澤山さんは仕掛けどころを最終コーナー半ばくらいで考えているそうだけど、レース中の走りを見つつ柔軟に対処することになるそうな。

 競馬にわかの僕はタイミングよくわからんから任せるぞ。信じてるからな、澤山さん! 

 

 止まれの合図がかかり、その澤山さんがやってくる。

 

「少し汗が出てるな……入れ込んでる感じでもないし、お前も緊張してたりすんのか?」

 

 そういう澤山さんも緊張してらっしゃるようで。

 前回にも増して表情が強張って見えるんですが大丈夫なんですかね? やっぱり澤山さんを信じない方がええんか……? 

 まぁ緊張する気持ちはよくわかる。こんなに人が多いもんなぁ。

 ……

 やべぇ。改めて意識したら僕もなおのこと緊張してきた。

 

 人馬共に緊張感を抱きつつ、パドックからレース場へ向かう。

 地下通路を抜けてレース場に出ればこれまでにないほどの歓声、いやもうこれ地響きでしょ。

 観客席も人で埋め尽くされている。なんかホント、言葉に出来ないほどに圧倒される。前世含めてもこんなに人の目を集めたことがあっただろうか?

 返し馬で今日の馬場状態を確認しながら軽く走る。

 ポツポツと雨模様ではあるけど、芝はぐちゃぐちゃにはなってなさげ。うん、これならむしろ思い切り踏み込める。だから落ち着け、落ち着け自分……!

 

 ゲートに入る前にはファンファーレなんかも生演奏され、GⅠの舞台が特別なんだと再確認させられる。

 ゲートの中に入り、皆がゲートの中に入るのを待つ。

 喧しいくらいにドキドキと自分の心臓が鳴っているのがわかる。

 すると僕に跨った澤山さんが大きく深呼吸をし始めた。

 

「すー、ふぅー……勝つぞ、ハヤテ」

 

 ……あぁ、勝とう。

 ただ声を掛けられただけなのだけれども、不思議とその瞬間、ぱったり緊張感がなくなった。

 

 いつの間にか周囲から音が消えた。

 ゲートに大外枠の馬が入る。

 目の前には青々とした芝生が広がる。

 空は一面の曇天。

 少し冷たさを感じる風が吹く中、

 スターターがやけにゆっくり旗を振った。

 

 ゲートが開ききるよりも先に、僕はゲートの隙間を縫って飛び出した。

 

「よしっ! いいスタートだ!」

 

 ゲートを飛び出た瞬間ドドドドドッと足音が、観客席からは「ワー!!」と言葉にならない歓声が溢れる。

 真っ先に飛び出した僕だったが、ミホノブルボンが先頭は譲らないとばかりに中山の坂を上っていく。それを素直に見送り、そしてブルボンの後ろに着くように2番手争いに興じる。

 ブルボンの真後ろに陣取り、プレッシャーをかけられる位置に陣取る。

 

 しっかし、スプリングステークスの時も思ったけど、よく最初からこれだけの速度で飛ばすもんだな。

 これがブルボンの強さなんだろう。

 何が強いって絶妙なハイペースで逃げ続けているのだ。

 普通なら序盤中盤は少し遅く走ってスタミナを残すものなのだが、ブルボンは最初からそれなりのスピードを出して走る。

 そのスピードについていくと、少しずつスタミナがすり減っていくような速度。そして周りがヘトヘトに疲れてしまう中、ブルボンはペースを落とさずに最後まで走り抜ける。

 そこに後続の馬は関係ない。

 つまり、偏った見方をすれば、ブルボンは僕らとはレースをしていないわけだ。

 自分自身との勝負が第一、唯我独尊な走り。

 

 だからこそ、そのブルボンとブルボン自身の勝負に割って入ることが僅かな勝機をもたらす。

 

 最初のコーナー、次のコーナー、そして向こう正面へとレースはよどみなく進んでいく。僕は2番手を維持し続ける。

 ブルボンはほとんど馬なりで走っており、気楽そうだ。

 そんな中、向こう正面の半ばで澤山さんが少し位置取りを上げるように指示を出してきた。

 さぁミホノブルボン。僕とレースをしようぜ。

 お前の好きなようには走らせないぞ。

 



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17.限界だって超えてみせる:皐月賞2

「……少し仕掛けるか」

 

 向こう正面半ばで澤山さんが手綱をしごく。

 ブルボンに競りかけてプレッシャーを掛けるようだ。今の時点でブルボンとは1馬身差とちょっとくらい。

 外から少し速度を上げ、じわじわとブルボンに迫っていく。

 

「む」

 

 ブルボンと半馬身差に迫ろうかというところで今度は差が詰まらなくなり、逆に徐々に広がっていく。ブルボンが速度を上げたのだ。

 ブルボンの騎手が何かしたわけではなさそうだから、かかってくれたらしい。しかしこちらをチラチラ確認している騎手は抑える様子を見せず、馬なりに任せていた。

 馬群は3コーナーへと入っていく。

 かからせることができたと判断したのだろう澤山さんは、離されすぎないよう1馬身差の斜め後ろに僕を位置取らせる。

 コーナーでこの位置取りならば相手の騎手の死角になりやすい。しかし馬の視界には映る。

 僕ら先頭の2頭が速度を上げるのに伴って後続も速度を上げつつある。

 

「スタミナには余裕があるってことか……? それでも」

 

 さて澤山さん、いつスパートをかければいい? 

 予定だと最終コーナー半ば。しかし、ブルボンは思ってた以上に楽々と走ってそうだし、かかっても騎手が焦っている様子はない。それなら……

 最終コーナーに差し掛かろうかという時、澤山さんが鞭を振り上げた。

 

「ハヤテの方が強いっ!」

(早仕掛けだなっ!)

 

 スパートの指示に大きく息を吸い込み地面を蹴飛ばす。グンッとブルボンに一気に迫る。

 ブルボンの騎手はこちらがスパートをかけたのを見てから、慌ててブルボンを鞭で叩く。ブルボンもそれに伴ってスパートをかけた。

 反応が少し遅れたな、その一瞬が命取りだ! 

 

 どんどん差を縮める。

 やっぱり澤山さんが言ってた通り末脚は僕の方が速い! 末脚勝負で言えば僕はブルボンに勝てる、行ける、勝利は目前! 

 勢いあまって少し大回りになりつつも、最終直線の入口で僕とブルボンは完全に横並びになった。

 チラリとブルボンを見れば、視線が交錯した。

 

(皐月賞は僕が頂く! ブルボン、君の負けだ!)

 

 そう思いを込めて睨んだのが相手を逆に呷ってしまったか、ブルボンが負けじと速度を上げた。

 なんだコイツ、まだ速度が出せるのかよ! 

 ブルボンが差し返してアタマ分前に出る。

 澤山さんが手綱をしごいて「もっと飛ばせ、もっと飛ばせ」と訴えてくる。僕もそれに応えてもっともっと速度を出さんと力を振り絞り、差し返し返してクビ差前に出る。

 そうしているうちにゴール板が近づいてきている。

 残り200mの標識を通過し、ゴール前の上り坂を駆け上がる。ブルボンとの差が再び詰まってくる。

 

(あのゴールで、少しでも前に出られれば!)

「行ける、行けるぞ! 頑張れ! ハヤテ!」

 

 全身全霊をかけて足を動かす。

 ともすれば転んでしまいそうな低い姿勢で走る。

 ブルボンも疲れてきているだろうに、それでもなお速度を緩める様子はない。

 僕らは一心不乱に走り続け──

 

 

 ──横並びになって、ゴール板の前を駆け抜けた。

 

 

 

 

 澤山さんが手綱を引っ張るのでそれに従って減速する。

 

「はぁっ、はぁ……勝てたか……?」

 

 澤山さんが息を整えながらつぶやく。

 疑問符を付けているから、澤山さんの視点からでもどっちが勝ったかわからなかったらしい。

 ミホノブルボンの騎手さんもどっちが勝ったかわからないようで、僕らを見た後、掲示板に目を向けていた。

 その掲示板には1着、2着は表示されておらず、着差を示すはずの枠には『写真』の文字。

 

 2頭揃って減速していき、遂には立ち止まって結果が出るのを待つ。

 観客のざわめきがターフにまで届く。

 息を整えながら、息の詰まる時間を過ごす。

 

 

 

 どれほど待っただろうか。

 

 『写真』の文字がパッと『ハナ』に変わった。

 

 

 

 澤山さんは、一瞬顔をゆがめ、しかしすぐに拍手をして相手を讃えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【皐月賞】ミホノブルボンが激闘を制する

 第52回皐月賞は、ミホノブルボンとキザノハヤテによる一騎打ちの様相となった。

 最終直線で2頭は熾烈な競り合いを繰り広げ、ゴール板前も横並びで駆け抜けた。

 写真判定の結果、ミホノブルボンが僅か9cmで勝利を手にした。

 騎乗した生島はこれがクラシック初勝利。インタビューでは「僕を男にしてくれたミホノブルボンにお礼を言いたい」とうれし涙を浮かべた。

 ミホノブルボンは重賞3勝を含む5戦全勝。無敗での皐月賞制覇は昨年のトウカイテイオーに続く14頭目。

 無敗のダービー制覇にも期待がかかる。

 

 

 

【小物馬主の独り言】白熱の皐月賞 

 地方の小物馬主が中央競馬を好き勝手に批評するこのコーナー。今回の話題はもちろん皐月賞! 

 惜しかった! あと9cm! 

 昨日の皐月賞はミホノブルボンが一着。前回で俺がイチオシしたキザノハヤテは本当にハナ差で二着になってしまった。

 ここまでくると首の上げ下げのタイミングとかそういった次元だよな。くぅ~、あとちょっとだったんだけどなぁ! 

 おかげで俺の単勝馬券はものの見事に吹き飛んじまった。枠連にしておけば……! 

 

 だがしかし、あの熱戦の観戦料だと思えば安いものだ。

 まさに抜きつ抜かれつのデッドヒート。

 先頭を駆けるブルボンをまずハヤテが差し、すかさずブルボンが差し返す。

 そこからさらにハヤテが差し返そうとして、でもブルボンも譲るまいとして、2頭だけが抜きんでていく。あとはもう2頭の独壇場。他馬を置き去りにする頂上決戦! 

 これはダービーが今から楽しみだ! 

 

 2頭はともに次戦はダービーだと発表している。

 ブルボンが無敗でダービーをも制覇するのか!?

 ハヤテが悔しさをバネにリベンジを果たすのか!?

 はたまた勝利をかっさらう刺客が現れるのか!?

 楽しみでしょうがない。

 俺はダービーでもキザノハヤテがイチオシだ! 父内国産馬の意地を見せてやってくれ! 

 

 次回は今週末に迫った天皇賞春について語ってくぜ。

 TM対決に割って入る意外な伏兵を紹介していこう! 

 

 


 

1992年4月19日10R 皐月賞 芝右2000m、雨、良馬場 17頭立て

1着 ミホノブルボン 2:01.0

2着 キザノハヤテ  2:01.0

8着 マチカネタンホイザ 2:02.3

9着 ライスシャワー 2:02.7

 

皐月賞レース後コメント

2着キザノハヤテ(澤山騎手・美穂・羽田厩舎)

 馬自身の気合もレース展開も全てが上手く噛み合っていたので、あれで負けては勝ち馬を称賛するしかない。それでも限界だと決めつけずに、次の舞台でリベンジしたい。

 

 

 

 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

 

 

 

 

キザノハヤテ、苦渋のダービー回避

 キザノハヤテが東京優駿に出走しないことが分かった。

 皐月賞ではミホノブルボンのハナ差9cmにまで迫る接戦を演じており、リベンジを望んでいた関係者やファンからは落胆の声が漏れる。

 調教師の羽田によると皐月賞後も順調に調教を積み重ねていたが、東京優駿3週間前にして右前脚が腫れ上がっているのを担当厩務員が発見。骨膜炎を起こしていることが分かり、大事をとって回避することにしたという。

 骨膜炎はソエとも呼ばれる関節の炎症。体が未成熟な若駒に多く見られ、概ね数週間から数カ月程度で治る。キザノハヤテは昨年末から今年一月までにも骨膜炎を発症しており、これが再発した形。

 皐月賞の走りから東京優駿でも優勝候補と見られていただけに、陣営は苦渋の決断を下すことになった。

 キザノハヤテは今春シーズンを休養に当て、回復具合を考慮しながら菊花賞を目指す予定。

 強力なライバルが出なくなったことで、ミホノブルボンは無敗二冠馬に大きく近づいた。

 



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18.日本ダービー……のはずが

 

「ひひぃーん!(ここから出してよぉ!)」

「ハヤテ、ちゃんと安静にして。怪我を治さないと」

 

 宮尾君のいうことは分かる。

 わかるけどさぁ! 

 明日はダービーをやるんだろ!? 僕を差し置いて!! 

 

「びぃーん(く゛や゛し゛い゛よ゛ぉ~)」

 

 悔しくて悔しくてたまらない。

 

 

 

 ことの始まりは皐月賞の翌日にさかのぼる。

 皐月賞は僅か9cmでの決着だったと聞いて、悔しかったが、同時に僕は日本ダービーでならばミホノブルボンに勝てると確信した。

 皐月賞を通して分かったことがあったのだ。

 

 一つは良くないこと。最高速度は僕の方が速い……ことはなく、僅かに負けていた。

 最終直線の競り合いで、僕らは抜きつ抜かれつゴール板前を駆け抜けた。

 予想では僕の方が上だと思っていたのだけど、最高速度は差し返された分だけブルボンの方が速い。僅かな差だが、絶望的な差だ。

 あれ以上速度は出せない。

 出せたとしても、無事では済まない。それは僕だけではなく、ブルボンもそうだろうけど。

 レース前に感じた『差』は、このスピードの差だったのだろう。

 だから末脚勝負をするべきではなかったのだ。

 

 もう一つは良いこと。スタミナ的な余裕は僕の方があった。

 予想以上の粘りを見せつけたブルボンだったが、ゴールの後はそれはもう息も絶え絶え、全力を振り絞っていつ倒れてもおかしくないんじゃないかって感じだった。

 途中で僕が競りかけたことで史実以上のタフなレースになったことも一因だろうけど、今はあのあたりがブルボンのスタミナギリギリの距離なんだと思う。

 対する僕は、確かに疲れはしたが、やろうと思えばあと200mくらいはあの速度を維持できたように思う。もしもスパート位置が200m前であったら……

 まぁ、結局たらればだけどね。

 しかしたらればでも、具体的に勝機が見えたのは大きな収穫だった。

 

 少なくとも皐月賞の段階では、僕の方が中長距離に適応できることが分かった。

 これが秋になるとどうなるかはわからない。坂路調教で元の才能を上回れるほどに鍛え上げる時間ができてしまうから。

 つまり皐月賞から然程間を置かない日本ダービーこそが、ブルボンを打ち破る絶好の機会と言えた。

 

 ライスを救うことが、ヒールにしないことが出来るかもしれない。

 それが現実味を帯びてきていた。

 僕は日本ダービーで絶対にブルボンに勝つべく、皐月賞の翌日から早速厳しいトレーニングに身を投じた。

 もうやる気であふれてたからね。

 僕だけじゃなく、僕の周りにいる人たち──馬主の滝澤さんに始まり、澤山さん羽田さんに宮尾君、そして普段はあまり関わりのない羽田厩舎所属の他の厩務員さんや騎手さんたちでさえも「ダービーでは勝つ」って気合入ってたからね。

 レースの疲労が抜けきらないうちにいけいけどんどんと厳しいトレーニングを積み続けたんだ。

 

 しかし皐月賞で僕は全力を振り絞って走っていた。

 それこそ、自分の限界を超えた走りだ。

 

 思い返せば皐月賞の翌日の時点でなんか前脚に違和感があるような気がしていたのだ。

 でも、目の前に転がり込んできた目標達成のチャンスに目が眩んで、僕はそれを我慢してしまった。

 ここで以前似たようなことがあったなと、思いとどまれていれば回復が間に合ったんだろうけど……僕は多少の無茶を押してでもトレーニングを積み続けた。

 毎日走り続け、違和感はやがて痛みへと変わり、それでもダービーでは勝たねばと走り続け──

 

 ──遂には歩くのがつらいほどまでに足の痛みがひどくなってしまった。

 特に傷んだ右前脚なんかは腫れていた。そこまでいけば言葉の伝わらない人間にも気づかれてしまうもので。宮尾君がお医者さんを呼び、僕は骨膜炎との診断を受けてしまった。

 そして僕の関係者が集まって協議した結果、日本ダービーを回避して回復に専念することになったらしい。

 

 

 そのことは当初僕には知らされなかった。

 まぁ冷静に考えれば、馬相手にわざわざ言うことはないってのは分かるんだけどさ。

 なんか宮尾君を筆頭に態度が急に軟化したというか、何が何でも勝ってやるって気迫がなくなり、僕をいたわる母性にまるっきり取って代わったものだから、不思議だったんだ。

 ふと僕の様子を見に来た滝澤さんが「お前が走るダービーを見たかった」と呟かねば気付けなかった。

 

 僕は怪我してもなお、日本ダービーに出るつもりだったから滝澤さんのその言葉の意味を理解して激怒。

 大きく嘶き、馬房の中で立ち上がり、ドスンと前脚を着地させた時に骨膜炎の痛みに悶絶し、しかし鼻息を荒くしながら滝澤さんを睨み付け、しきりに今の言葉の真意を(馬の言葉で)問いただし続けた。

 当然僕の言葉が伝わるはずもないから、「足が痛くて荒れているんだろう」と変な受け止め方をされてしまったけど。なんだか滝澤さんたちに裏切られたような気がして、その日は一晩中泣いてしまった。

 

 

 そんなこんな出来事があったのがもう3週間ほど前。

 遂に明日は日本ダービーの当日なのに、僕は未だに美浦トレセンの羽田厩舎の馬房でのんびりすることを余儀なくされている。

 

「ひぃん……(しかしこれは不味いことになった)」

「お、急に落ち着いた? ほらハヤテ、ご飯だぞ。お腹減ったろ? な?」

 

 僕が不出走になれば、ブルボンは順当に明日のダービーを勝つはずだ。

 ダービーの2着馬はライス。皐月賞で見た限りライスの実力はブルボンには遠く及ばず、僕にさえ追いついていない。あそこからダービーまでに鍛えられたとしても、史実を超えることは非常に困難だろう。

 僅かな可能性として、僕との関わりの中で覚醒イベントが何かしらあれば……いいや、あったとしてもダービーで追いつけるほどの覚醒を遂げられるとは思えない。

 無事ダービーを優勝したブルボンは、無敗三冠という夢を人々に与えてしまうことになる。

 つまりだ。

 ライスがヒールと呼ばれるようになる、その舞台装置が出来上がってしまう。

 

 不味い。

 ライスを救うため、ライスをヒールにしないために走って来たのに。もうその状況にリーチがかかることになる。

 僕は……何も変えられないのか? 

 いいや、そんなことはない。皐月賞でブルボンに肉薄した2着馬なんて前世の史実ではいなかったはずなのだから。僕が行動すれば未来はきっと変わる。それにまだ菊花賞まで時間はある。

 考えろ。ライスを悲劇の馬で終わらせないために。僕に出来ることを。

 

 

 

 ――・――・――

 

 

 

『残り400m切る! ここからはブルボン未知の世界!』

 

『マーメイドタバン! 外の方からマヤノペトリュースやってきた! しかしまだ2馬身から3馬身!』

 

『残り200だ! ブルボン先頭、ブルボン先頭! おそらく勝てるだろう、もう大丈夫だぞ!』

 

『ミホノブルボン! 2400mを3馬身から4馬身、5馬身リードで逃げ切った! 6戦6勝、去年のトウカイテイオーに続いてまたもや無敗の二冠達成ー!!』

 

 




クラシック前半はこれで一区切り。
なのでちょっと充電期間に入らせていただきます。書き溜めを全面的に手直ししたい。
その間に、後年ヒト息子回想話と、ウマ娘編を挟んで……本編再開は3月半ばくらい?
でもその時期はリアルが忙しいので確かなことは言えないのです。年度空けて連休近くになるかも。その点ご了承をば。


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19,キザノハヤテという馬(夢の舞台への思い)

本編再開まで閑話的なもので時間稼ぎをしていくスタイル
今回は厩務員の宮尾君から見たハヤテのエピソード


 ダービーを目前にしたソエの再発は、俺にとってすごく苦い思い出っすね。俺がきちんと見てさえいればよかった話っすから。

 なんだかんだ、浮かれてたんすかね。俺たちの馬がダービーに出られるんだって。

 で、オーバーワークになってしまった。大人しくて賢い馬だったから、ハヤテも痛みを我慢しちゃったのかもしれません。

 ハヤテの様子がおかしくなってからようやく気付いて……何やってんだ、って話っすよ。

 それからハヤテの関係者が集まって今後の方針を決めることになりました。

 つまり、ダービーに出るか、出ないか、ってことです。

 

 

 お医者さんの意見では、ダービーに出走することだけを目標にするのであれば、回復は間にあうとのことだったんすよね。

 もちろんその場合はほとんど調教ができないままレースに臨むことになるから勝利を諦めるような形になるでしょう、とも言われたんすけど。

 

 それを聞いた俺とテキそして澤山騎手は、迷いはしましたけども、勝てないことは承知でダービーに出したいって思いました。

 でも、滝澤オーナーだけは、ダービーを回避して回復に専念させるべきだと主張したんすよ。まだ菊花賞、そして有馬や天皇賞があると。

 でも有馬や天皇賞とは違うんすよね。俺ら競馬関係者にとって、ダービーは特別っす。ありきたりな言い方っすけど、夢の舞台なんすよ。出走できるだけでも名誉なんです。ダービーとは縁がない厩舎でしたし、このチャンスを逃したくなかった。

 それに、なんだかんだでハヤテなら勝ち負けにまで持って行けるかもしれないって思いもあったんで。

 そりゃあ多少無理をしてでも、って考えちまいます。

 ただ、滝澤オーナーは頑として首を縦に振らなかった。「ハヤテをこれからも走りたいように走らせ続けるためにも、今回の出走は認められない」と。馬が第一の人でしたから。

 それでダービーには出ないことになったんすよね。

 

 

 その後、俺とオーナーの前でハヤテが暴れたときは怖かったですね。

 いやぁ本当にあの時は怖かったっす。睨み付けられて、耳をつんざくような嘶きを向けられて。あれが殺気っていうやつなんでしょうね。

 しばらく威嚇されてましたけど、その後は一転、急にめそめそと泣き出すもんだから、当時は何が何だかよくわかんなかったっすね。

 

 それからしばらく、ハヤテは全く元気がなかったんすよ。

 ホントに意気消沈しちゃって、時折「びぃーん」と悲しそうに嘶いてたっすね。

 あの頃は食欲もなかった。だからどんどん痩せちゃいました。

 馬体重が、えーと確か、450kgを割ったんだったっけな? 皐月賞の時と比べて-30kgとかになってましたからね。

 好物の梨を混ぜてやらないと碌に食べない状態になって、一時期はガリガリもガリガリ、骨が浮いて見えるレベルにまでなってたんすよ。

 それ以前はよくしていた、馬房から頭を突き出して隣のカタフラクト号にちょっかいを出すこともしなくなってたっけ。逆にカタフの方がハヤテを心配してましたね。

 

 俺が特に衝撃的だったことは、あんなに好きだったラジオを馬房の前で付けても、ラジオの近くによって来なかったことっすねぇ。

 それどころか、日本ダービーの時はラジオを持った俺を威嚇してくる始末。ラジオを消してご機嫌取りに終始する羽目になりました。

 まるで聞きたくないと言わんばかりでした。

 

 それでようやく、俺はハヤテの気持ちを理解できたんすよ。

 ハヤテは痛みで鳴いている訳じゃなかったんだ。ダービーに出られないのが悔しいんだって。

 思い起こせば、ハヤテが滝澤オーナーの前で暴れた時、直前にオーナーが呟いていた言葉を、俺は聞いてまして。「私だって、お前が走るダービーを見たかった」と。あぁこの人も本心ではそう思っていたのかと、そばにいた俺が同意の言葉を投げようとしたとき、ハヤテが暴れ始めてたんすよね。

 だからきっと、オーナーの言葉を聞いて、ダービーに出れないことがわかって、それでアイツは悔しくて、怒って、それで泣いたんだなぁって、すごく納得しました。

 人間の俺たちと同じかそれ以上に、アイツはダービーにかける思いがあったってことでしょう。

 

 

 え、なに? 馬がそんなこと思うわけがないって? 

 まぁ、関わりがない人たちからしたらそう思うかもしれないすけど、俺らが思っている以上に馬は頭がいい動物なんで。

 特にハヤテは頭が良かったからなぁ。アイツはこっちの言葉がわかってたと思いますし、文字もわかってたんじゃないかなぁ。雑誌を見せたら目線が完全に文字を追っていたことがあったんすよね。

 そんなのあり得ない? 

 あー文字はともかく、少なくとも自分の名前とライスシャワーって言葉は確実に覚えてましたよ。

 特にライスシャワーについては俺たちが話すだけでも、ラジオで読み上げられるだけでも、必ず耳を動かしてましたし。アイツはライスシャワーにメロメロでしたから。

 

 あぁ、そういえばダービーではそのライスシャワーが2着になってたんだっけ。

 ハヤテのせいでラジオでは聞けなかったから翌日の新聞を見てね、やっぱりハヤテが目に付けた馬だけあって、強い馬なんだなって滝澤オーナーと話してた思い出があります。

 ふふっ、まだこの時はライスシャワーの等身大の写真を馬房に貼ることになるとは思ってなかったなぁ。

 あれを考え付いたあの時の俺はマジでどうかしてた。でも、あれは効果あったと思うんすよね。張り替えてやればそのたびにご機嫌になってましたし。

 まぁそれはまた別の話だから、もうちょい後で話しましょうか。

 

 えーと、あの時はどうやって元気が出たんだっけな。

 あぁそうだ、プール! 

 アイツ、プールが大好きになって、それで機嫌が一気に直ったんすよ。

 ダービーから数日後だったかな、足に負担をかけないトレーニングってことでプールに連れてったんすよ。当時はまだ美浦にプールが出来てからそんなに経ってない頃っすから、テキもプールの利用はあの時が初めて。

 ノウハウとか全然なかったんすけど、聞けばブルボンもダービー前にソエになりかけてたっていうじゃないっすか。それをプールで治してまた坂路調教をしたとか。 

 あちらさんはハヤテよりは幾分かマシな状態だったらしいっすけど、それでもそんなに効果があるのならば、まぁ物は試しだと。

 それで行ってみたらハヤテが気に入っちゃって。

 2回目以降はプールに行くとわかった途端ぶんぶん尻尾を振るんすよ。プールに着いたら着いたで飛び込まんばかりにプールに入って、元気に泳いだり潜水して遊んだり。俺は何回かハヤテが潜水した時に引きずりこまれてプールに落ちましたからね。あれマジで死ぬかと思いました。

 テキはすっかりハヤテのはしゃぎっぷりに絆されちゃって引退まで何度も何度もプールに通うことになりましたから、俺はそのたびに戦々恐々としてましたよ。

 思えばハヤテのあのスタミナはプールで育まれたんすかねぇ。

 

 

 6月にもなると、食欲もまぁそれなりに戻ってきましてね。足の方も治ってきてたんで、ここらで一度放牧に出しておきますかとの話になりました。

 体重が戻ることを期待して放牧に出したんすけど、それがまぁ失敗。

 アイツ、制御する俺らがいないと放牧地をひたすらに走り続けたんすよ。食いっ気より走りっ気ってことなんすかね、放牧場の芝をまぁ荒らしに荒らして走る。

 前回放牧に出したときはそんなことなかったんすけど、ダービーを回避したことで走り足りなかったのかも。

 ハヤテは元々そんな食う方でもないし、放牧地で運動しまくってるせいで体重もあんまり回復しなくってですね。変な走りの癖がついてもいけないんで2週間くらいで慌てて戻しました。

 

 放牧から戻ってきた後はしっかり管理して調教を積んでいきました。プールがいいリフレッシュになるみたいだったから、調教はすこぶる順調でしたね。

 目指すはもちろんクラシックの終点、菊花賞っす。

 世間では無敗三冠への期待が高まっていたけど、そんなの関係なかった。

 ただハヤテの強さを証明したかった。

 GⅠを取りたかったんすよ、俺たち……そして何より、ハヤテ自身が。

 

 

 次回、菊花賞編:因縁の対決! 

 ついにヤツが覚醒する。キザノハヤテは史上最強の敵に太刀打ちできるのか! 

 

 

 ってな感じで次の記事に繋げたらどうっすかね。

 え、微妙? スベってる? 

 うーん、割と真面目に考えたんすけど。

 




美浦トレセンのプール開設年は平成3年(1991年)11月だそうです。
本編が今1992年夏なので、ちょうど半年前くらいにできたピッカピカの新施設ってところですね。
なお、栗東トレセンのプール開設は1988年9月である模様。坂路といい、美浦トレセンは何故施設整備が後手に回ってしまったのか。


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ウマ娘編:相部屋のあの子

お久しぶりです、ぼちぼち再開していきますー


 私、グロリアグラチアの相部屋の子は……バカだ。

 

 日本中央トレセン学園。

 栄誉あるこの学園に無事入寮できた私は、地元を離れて学園寮に住まうことになった。

 私に与えられた部屋は美浦寮1階の二人部屋。相部屋で過ごすことになる相手の名前はキザノハヤテ。私と同期の新入生らしかった。

 

「アンタが私の相部屋の、キザノハヤテかしら? 私はグロリアグラチアよ」

「えと、初めまして、キザノハヤテです。よろしく、グラチアさん」

 

 これがハヤテとの初対話。

 夕飯を食べ終えた後だったから、19時頃だったか。だいぶ遅い時間にハヤテはやって来た。

 最初の印象は、不健康そうなやつだなというものだった。

 ハヤテは見るからに痩せぎすで、素肌は美白を通り越して青白い。濃い葦毛はボサボサで、目には濃いクマがある等、ずぼらな性格も伺えた。

 こんなヤツ中央でまともに走れるのかしらと、疑問に思ったものだ。

 ただ、既定の時間から3時間くらい遅れて美浦寮にやって来たくせにそんなことを感じさせない落ち着きぶりだったから、これは大物か、よほどのバカなんだろうなと感じた。

 

「えぇ、よろしくハヤテ。荷物解き、手伝いましょうか」

「助かります。それじゃあ服を整理してもらっていいですか?」

 

 

 はたしてハヤテがそのどちらだったのかと言えば……まぁ世間一般から見れば前者と言って差し支えないだろう。

 私だってつい最近まではハヤテはものすごい大物だと思っていたのだし。

 

 入寮の翌日からキザノハヤテは優れた才能を周りに示した。

 まずは走力。美浦寮内の新入生を対象とした新歓模擬レースでは連戦連勝。スタートが上手く、尚且つ最後の直線の粘り強さがある。私も一度一緒に走ったけど、ゴール直前で差し返された。まさに惚れ惚れとする走りだった。

 授業が始まればその秀才っぷりは私がいる隣のクラスにも伝わるほど。私自身、寮の自室でハヤテに勉強を教えてもらったりもした。ハヤテは見た目とは裏腹に割と気さくでお人よしなヤツだったから、「教材のここがわからないの」と尋ねれば肩を寄せて懇切丁寧に勉強を教えてくれた。近づいてきたハヤテはいい香りがしてちょっとドギマギした。

 お人よしだから何か悩んでいる風の子がいると、積極的に声をかけに行っていた。ケンカの仲裁や、親元を離れてホームシックになっている同級生のケアもお手の物だった。最初は外見で引かれてたけど。ハヤテって絶対に見た目で損してるわ。着飾ればきっとカッコいいのに。

 そうして入寮から1週間経つ頃には、ハヤテはその誠実な性格から皆に頼りにされる存在になっていた。

 そのくせよく忘れ物をしたり、迷子になったり。ちょっと抜けたところがギャップになっていて、かわいい。

 

 中央トレセンにいる人は皆すごい部分があったけどハヤテは格別だった。足が速くて、頭もよくて、気配りもできて、でもちょっと抜けたところが可愛くて、一緒にいると心が温かくなる存在。

 ハヤテと一緒の部屋になれたことはとても幸福なことだと思っていた。

 

 

 

 そんなある日のこと。

 

「グラチアさん、ちょっと大事なお話があるんですが」

 

 二人っきりの部屋(自室なのだから当然)で突然そう切り出された。

 だ、大事な話? 

 その声に応えてハヤテを見れば、とても真剣な眼差し。心なしか緊張しているようにも見える。

 そんな心構えが必要な話となると……もしかして、もしかすると告白……!? 

 なんて、そんなわけないわよね。

 

「え、えぇ。いったい何の話かしら?」

「その、実は──」

 

 ドキドキ。

 

「──部屋にポスターを飾りたいんです」

 

 ……

 うん、まぁ私が勝手に期待してただけだし。むしろ変な話じゃなくってちょっとホッとする。

 ポスターを飾るくらい別にどうってことはない。

 トゥインクルシリーズを走る私たちには多かれ少なかれ憧れの先輩がいるもの。

 かくいう私も実家には憧れのメジロラモーヌさんのポスターを飾っていたりする。麗しのティアラ三冠ウマ娘。私もいつかあんな風に……そのためにはまずこの小柄な体を成長させなきゃいけないけど。

 ハヤテにもそんな憧れの人がいるというわけね。

 ルームメイトの私に配慮してくれたんだろうけど、そんなことわざわざ聞かなくってもいいのに。私ってそんな狭量な女だと思われてるのかしら。

 

「別にいいわよ。誰のポスター? ちょっと見せてよ」

「あ、注文はまだです。これなんですけど……」

 

 ハヤテがスマホを私に見せてくる。

 その画面を見て、私は固まった。

 映し出されていたのは私も知る人物だった。

 

「……ライスシャワーさん?」

「はい!」

 

 ライスシャワーさんが控え目に笑顔を浮かべている写真だ。

 いつもとは比べ物にならないほど速く思考が巡りだす。

 背景は学園の練習コース。服装は体操着。少し頬が赤いのは緊張しているのか、もしくは状況からして少し走った後なのだろうか。

 そもそもデビュー前の私たちと同世代のウマ娘なんだから、まだポスターなんて作成されるはずなんてないのだけど……? 

 

 彼女は私と同じ美浦寮所属ではあるものの、あちらが引っ込み思案な性格のようで、私は直接話したことがない。

 食堂でよく大盛りの食事を平らげているのを見かけるくらい。

 そんな間柄ながら名前がわかるのは、単にハヤテが彼女の話題を出すことが多いから。

 ハヤテは彼女がクラシック三冠路線の有望株だと睨んでいるのか、行動を逐一観察しているのだ。つまりは敵情視察……と思っていたのだけど。

 

 目線をスマホから外してハヤテを見る。

 心なしかいつもより笑顔のような。気のせいかちょっと血色がいいような。尻尾は誤魔化しようがないほどぶんぶん振られてご機嫌である模様。

 しかし私がすぐに返事をしなかったせいか、尻尾の勢いが徐々に削がれていく。

 

「やっぱりポスターはダメ、ですかね……?」

「あ、いえ! そういうことではないの。そういうことではないんだけど」

 

 ……これは確かめねばなるまい。

 

「えっと、ポスターが出るの? そんな話聞かないけど」

「いや、近くで写真を拡大印刷してくれるところがあるみたいなので、そこに頼もうかなーと」

「そ、そう……それはその、ええーっと、臥薪嘗胆みたいな感じってことよね……?」

「?」

「何でライスシャワーさんの写真を張りたいのかがちょっと疑問で、何と言うか、ライスシャワーさんはクラシックを走る予定のハヤテにとってライバルなんでしょ? だから、ちょっと言い方はアレだけど、にっくき敵を忘れない様に、みたいなかんじなのかなぁと……」

 

「にっくき敵だなんてとんでもない! ライスさんは僕の推しですからこれはガッツリ応援の意味を込めたものですよ。ただ、あんまりぐいぐい行くとお互いちょっと距離感がつかみにくいところがあるでしょう? この写真を獲らせてもらうのも個人的にはちょっとやりすぎたかなとは思ったんですけど、やっぱり一枚くらいは盗撮じゃない写真も持っておきたいですし、後々ライスさんが有名になるのは確定ですけどそれ以前に自分に対してだけの笑顔の写真を撮らせてもらって後方古参ファン面したいというかそんな欲もちょこっとあったりしてバクシンオーさんの介護付きでデビュー前のこの時期に何とか取らせてもらったんです。で、最近はこの写真見てによによしてたんですけど、やっぱり部屋に飾りたくなって。昔宮尾君が部屋に写真を貼り始めたのは正直引いたんですけど、あれに慣れちゃってたからどうにもこっちに来てからは部屋の中が物寂しい気がしまして。で、折角写真があるんだから綺麗に打ち出してもらおうかなとカメラ屋さん行ったら拡大印刷サービスやってるっていうじゃないですか。これはもう実物大にまで引き延ばして印刷してもらおうと。そしてその写真に向かって部屋の中でひっそりと応援の念を送りたいなと思った次第です、はい。

 ……すみません、考えてたことがちょっと溢れ出しちゃいました」

 

 ……うん。

 あんまり理解したくないけど、ライスシャワーさんのことはライバルではなく、身内というか、崇拝対象というか、そんな感じのカテゴライズらしい。

 ハヤテの新しい一面を垣間見た。

 できれば見ないままでいたかった。

 

 

 こうして、私たちの部屋の一角には、でかでかとライスシャワーさんの写真(およそ等身大)が飾られることとなった。

 特に文句を言うことではないのはわかっている。憧れの人のポスターを張るくらい、誰でもやることだ。

 なにより個人の趣味趣向は自由だから、ルームメイトとはいえ他人が口出しすることではない。

 

(ニコニコ)

「……はぁ」

 

 それでもライスさんの写真を眺めてご満悦な表情を無言で浮かべるハヤテを見ると、思わずため息が出てしまう。

 何だろう、夢破れたような、敗北感というか、残念というか? そう、残念な気持ちだ。

 ちょっと尊敬を抱いていた相手が、意外に俗っぽくて勝手に幻滅して、残念な気持ち。これはきっとそういうものだろう。うん、そうであってほしい。

 私の中に芽生え始めていたはずの淡い感情は実ることなく散った。

 

 

 私、グロリアグラチアの相部屋の子は、ライスシャワーバカだ。

 




キザノハヤテのヒミツ
写真が趣味。バズーカのような望遠カメラから、どんなことに使うのかわからない小さいカメラまで色々持っている。


今更感ありますがウマ娘キザノハヤテ君のイメージなんか作ってみました

【挿絵表示】

灰色(葦毛)の髪、不健康そうな隈、くせっ毛が中心的な要素


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20.菊まであと少し

 

「──ですから、次走はこのレースがいいんじゃないかと」

「なるほど、考えていなかったが、一理ある。ふむ、羽田調教師はどう思う?」

「うーん、澤山君の言うこともわかります、わかりますが……ただ、ダービーに出走できなかった件もありますし。なぁ澤山君、次走は私かオーナーの案のどっちかの方が良いんじゃないか?」

「いえ、菊花賞で勝つために、どうか」

「そう言われてもな……」

「ううむ、これは悩ましいな……」

 

「あのー」

「なんだ宮尾君、何かいい案でもあるのか」

「いや、そんな悩んでるなら、いっそハヤテに選んでもらうとかどうっすか」

「はぁ?」

「ダービー出れなくてあんだけ悔しがってたんすよ、ハヤテにもなんかこだわりがあるかも」

「何を言い出すのかと思えば……」

「いや、面白い」

「オーナー!?」

「ハヤテの好きなように走らせてやれ、なんて言ったこともあったしな。実際にハヤテに決めてもらおうじゃないか」

 

 

 ──・──・──

 

 

 なんか放牧に出されたと思ったらすぐにトレセンに戻ってきてしまったでござる。

 折角走り放題のトレーニングし放題と思ったのに……トレセンでの調教はまだまだ疲れてないところで澤山調教師からストップがかかっちゃうから、僕としてはちょっと欲求不満というかなんというかですね。

 怪我の療養中にプールトレーニングをするようになってから大分スタミナ面が強化された気がするから、もっともっとトレーニング量を増やしてもいいと思うんだ。

 あと、こんなトレーニング量でこの先勝てるのかどうかが不安ってのもある。出来ることはしておきたい。

 

 僕は今、焦りを感じている。

 というのも放牧から戻って数週間経った頃、たまたまライスと併せ馬をする機会があったのだ。

 ライスと併せ馬をするのはスプリングステークス前に併せ馬をした時以来2度目になる。

 同世代で対戦する機会が多いから相手に情報を漏らさないようにしているのか、はたまた単純に羽田さんがライスの調教師さんと仲が良くないのか、同じトレセンにいるのに全然会えてなかったから会えたことは嬉しかったのだけど……

 

『めっちゃ速くなってますね……? いや、速さというか、粘り強さ?』

「ひひん」

『あ、嫌味じゃないんです、単純に感心してですね』

「ぶふぅ」

『ハイッ、また走るときはよろしくです』

 

 ヤル気満々のライスと走り、一応僕が競り勝った。しかし以前のような余裕はなく、僕はなりふり構わぬ本気で走っての辛勝だった。

 僕が休養している間に、ライスは随分と実力をつけたようだ。僕がプールトレーニングで身に付けたものと同等かそれ以上の、天性のスタミナが本領を発揮しつつある。

 皐月賞の時点では、正直なところ、ライスに際立った強さはなかった。

 レベルで例えるならブルボンのレベルが99のところ、僕はレベル89、ライスはレベル60くらいで、皐月に出走してた他メンバーは大体40~80くらいだと思ってくれれば良いか。

 それがここにきてライスは目覚ましい急成長を遂げ始めている。さっき例えたレベルで言えば90に迫ろうかというところ。

 飛ぶ鳥(ブルボン)を落とす勢いだ。

 この調子で行けば、ライスは菊花賞でブルボンを上回る走りを発揮するだろう。

 つまり、ブルボンの無敗三冠を阻んだライスがヒールになってしまう。僕の努力は水泡と化す。

 

 

 だけど、いや、まだ出来ることはある。具体的には2通り考え付いている。

 

 1つ目は菊花賞前の前哨戦、そこで僕がブルボンを打ち破ること。

 ブルボンとライスは菊花賞の前哨戦を一緒に走っており、そこでライスはブルボンとの差をダービーよりも縮めたというエピソードがあったはずだ。

 そのレースでブルボンを負かすことができれば言うことはない。無敗三冠の夢は途絶え、ライスが菊花賞でブルボンに勝ってもヒール呼ばわりはされないだろう。

 あとはライスの最期を何とか出来れば、可哀そうな馬との評価はされないはずだ。

 ……うん、そっちは敢えて今まで考えないようにしてたけど、こっちもこっちで中々の無理難題だな。まだ時間の余裕があるからゆっくり解決法を探っていこう。

 

 2つ目は、もうこれは最終手段だけど、ライスの代わりに僕が菊花賞を勝つことだ。

 つまり僕がヒールの汚名を被ればいい。

 ただし、これは史実からすればライスの勝鞍を奪うことになり、強いてはライスの最期を変える上ではマイナスな改変になりかねない。

 ライスが最期の宝塚記念に出走を決めた背景には、種牡馬入りするための実績作りの面があったと聞く。

 クラシック世代限定で3000mの菊花と、古馬戦で2200mの宝塚とでは大分話は変わってくるかもしれないけど、種牡馬になるにあたってGⅠ勝利数がものをいうのは間違いない。もし実績不足で種牡馬入りできず、現役引退後は行方不明(≒お肉に……)なんて結末になっては史実以上に報われない。

 

 どちらにせよ、僕がレースで勝たないといけないのがつらい。1つ目の案はブルボンを、2つ目の案はライスを上回る必要がある。

 言うは易し行うは難し。だけどそこはもう腹をくくるしかない。

 簡単じゃないのは身を持って体験してきた。それでもやるしかないんだ。

 

 

 2つの案のうち、出来れば1つ目の案で行きたいところなのだけど……実際のところ1つ目の案はそもそも実行に移せない可能性が高い。

 クラシックレース最後の大目標である菊花賞は(怪我とかしなければ)出られるとは思うけど、前哨戦はいくつか選択肢があるわけだし。その複数の選択肢から出走レースを決めるのは滝澤さんたちになる。

 ただ、そうなるとライスの最期に向けた問題がチラつく。

 なんとかしてライスと一緒の前哨戦に出れないものかと考えるも、こればっかりはどうしようもない。

 馬の僕には、次に出るレースを選ぶ手段も権利もないのだか──

 

「ということでハヤテ、次はどのレースに出たいっすか?」

 

 ──ぁら? 

 え? 宮尾君マジで言ってる? 

 今日は滝澤さんが厩舎にやって来ていて僕の関係者が勢ぞろいしている。

 彼らが僕の馬房の前にぞろぞろとやって来たと思ったら、宮尾君が急にそう切り出してきたのだ。

 滝澤さんが会話を繋ぐ。

 

「菊花賞の前哨戦について、私たちの中で案が3つ上がっている。それを選んでほしい」

 

 え、え? 

 マジでこんな願ったり叶ったりな状況があっていいんですか? 

 えーとえーと、ブルボンとライスが出た菊花賞の前哨戦って何だったっけ? 

 

「1つは9月27日、中山競馬場で施行される芝2200mのセントライト記念。私の案だな」

 

 くっそ、もう人間だったころの記憶があいまいになってきてるからレース名がわからない。

 思い出せ、思い出せ~!! 

 

「次は羽田調教師の案で、神戸新聞杯。これも9月27日開催だが、阪神競馬場で開かれる芝2000mの競争だ」

 

 確かその前哨戦は菊花賞と同じレース場だった、ような。だから──

 

「最後は澤山騎手の案で、京都競馬場の──」

「ひひーん! (それだぁ!!)」

 

 ぃよっし、これで望みは繋がった! 

 

 

 

 

【注目馬動向】キザノハヤテ、復帰一戦目は京都大賞典

 皐月賞ハナ差2着となった後、休養に入っていたキザノハヤテが復帰する。その復帰一戦目は古馬混合戦である京都大賞典だ。

 同競争には同期の〇外であるヒシマサルも出走を予定しており、4歳勢が古馬相手に実力を示せるのかが注目の的となりそうだ。

 古馬は宝塚記念を制したメジロパーマー、京都記念を制したオースミロッチらが出走を予定している。

 




 ぬか喜びなハヤテ君
 人の話は最後まで……聞いてもブルボン出るかどうかは判断できんか……

次走について各々の主張
・滝澤オーナー:セントライト記念
……菊花賞優先出走権が貰える競争のうち、距離が長い方。2000mより長い距離の経験を積ませたい。
・羽田調教師:神戸新聞杯
……菊花賞優先出走権が貰える競争のうち、距離が短い方。皐月後に怪我したので、あまり無理をさせたくない。
・澤山騎手:京都大賞典
……菊花賞前の重賞としては最長距離。強敵揃う古馬混合戦。京都競馬場を経験させておきたい。

京都新聞杯(ライスとブルボンが出走するレース)を誰も選ばなかった理由
……皐月後のことを思えばレース後の休養は必須。京都新聞杯は10/18、菊花賞は11/8になるので、中二週だと休養を挟む余裕があまりない。新聞杯に出すくらいなら大賞典(中三週)の方が良い。


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21.半年ぶりのレース:京都大賞典

京都大賞典出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
1 1 ボストンキコウシ 12 154.5
2 2 メジロパーマー 3 5.9
2 3 マルトラック 14 331.4
3 4 キザノハヤテ 2 2.7
3 5 オースミロッチ 4 19.6
4 6 メイショウビトリア 8 37.9
4 7 タニノボレロ 6 24.5
5 8 コウエイダッシュ 7 32.4
5 9 グレートロングラン 13 261.4
6 10 ヒシマサル 1 2.2
6 11 ニシノブルース 11 82.5
7 12 タイイーグル 10 75
6 11 エリモパサー 5 24.2
8 14 アローガンテ 9 70.3
8 15 エイシンウイン 15 446.2




 

「いいか澤山、レース間隔はギリギリなんだ。絶対に、無理させるんじゃないぞ。あくまで目標は菊花賞だからな」

「はい。今回は皐月みたいな強引な競馬にはしないつもりです」

「うん、それがいい。勝てるに越したことはないが、別に賞金不足で足切りされるなんてこともないんだし、何よりまずは無事に帰ってきて次に繋げられるようにな」

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

 僕が気付いたのはレース直前のパドックのことであった。

 

「ひん?(あれ?)」

 

 ブルボン、いなくね? 

 まん丸のパドックだから前後1、2頭のゼッケンの確認がしづらいのだけど、あの栗毛でムキムキなブルボンらしき馬がいないのはわかる。

 というか一頭も見たことのある馬がいない気がする。メジロパーマーというウマ娘に実装済みのお馬さんこそいるものの、馬としては初対面。

 ブルボンとライスの出た菊花賞前哨戦は京都レース場だったと思ったんだけど、まさか……記憶違いだった!? 

 うわぁやらかしちまった!! 

 

「おぉっ、どうどう、久しぶりのレースで緊張したか?」

 

 パドックを一緒に回る宮尾君が引綱を引っ張って僕を落ち着かせる。

 ぐぬぬ、やらかしてしまったのは仕方ない。

 元々、前哨戦では勝負できないだろうなと思ってたんだ。

 運よくプラスになったかと思ったけど、それがゼロだっただけ。マイナスの事態ではないからセーフセーフ、ノーダメージだ(精神的には大ダメージ)。

 

「うーん、今日はまた一段と発汗してるっすねぇ。「とまーれー」おっと、止まって止まって」

 

 しかしこれでいよいよ後戻りできないというか、残された歴史改変のチャンスが菊花賞だけになってしまったぞ。

 ダービー回避してしまった時点で半ばわかっていたこととはいえ……だからこそ、春シーズンはもっと上手く立ち回れたんじゃないかと後悔がつのる。

 いや、終わったことを後悔してもしょうがないんだけど、こればっかりはどうにも性分なのか考えずにいられない。

 

「ハヤテ、久しぶりのレース頑張ろうな」

 

 澤山さんがいつものように僕に一声かけ、僕の背中に跨る。

 むむぅ、色々と思うところはあるけどそれはひとまず置いといて。

 目の前の復帰戦に集中するとしますか……! 

 

 

 地下馬道を通ってターフへ移動する。

 その間に今回の出走メンバーを振り返っておこう。

 このレースに出走しているお馬さんとは全員初対面だと思われるのだけど、どうやらこのレースはメジロパーマー号(2歳年上)が出走していることからわかるように、年上のお馬さんも出ているようだ……っていうか1頭を除いてみんな年上っぽい気がする? 

 

 唯一同世代かなぁっていうお馬さんも、同世代で強い馬なら皐月賞で一緒に走っているはずだから初対面なのはおかしいし、なんかめっちゃ強そうに見えるから若作りなだけなのかもしれない。

 僕の馬の本能だと、その若作り(仮)さんが今回一番気を付けるべき馬になりそう。

 

 ウマ娘にもなっているメジロパーマーはその若作りなお馬さんには見劣りするような気がする。

 でも確か史実だと宝塚記念を勝ったタイミングじゃないか、コレ? 

 えーと、ライスが出走する最初の有馬での優勝馬がパーマーだったはずで、パーマーはグランプリ春秋連覇してたはずだから……うん、つい数か月前に宝塚記念を勝っているはず。つまり今がちょうど勢いに乗っている時期。

 見劣りするからと言って油断していい相手ではない。

 

 地下馬道を抜けるとスタンド横に出る。

 おぉ、池だ。コースの真ん中にでっかい池が見える。

 京都競馬場はライスと関わりが深い競馬場というだけあって、前世で旅行計画を立てようかと思っていたくらいには色々調べていた(結局仕事が忙しくて旅行しにはいかなかったけど)ので、情報として円形パドックやコース真ん中に池があることは知っていた。

 それでもこうして自分の目で見るとちょっと感動するものがある。

 

 池を横目に見つつ軽く返し馬をしてスタート場所へ。

 しばらく輪乗りをしているうちにいよいよゲート入りに。ゲート内に誘導された後はじっとスタートを待つ。

 

 

 ガチャン! 

 

「よし」

 

 約半年ぶりのレースでもスタートは抜群に決まった。澤山さんからもお褒めの一言。もっと褒めてくれてもいいんですよ! 

 さて、スタート時点では真っ先にゲートを飛び出せたけど、そこからメジロパーマーが強めに追って先頭を奪取していく。澤山さんはこれには追随せず静観の構え。今回も番手で勝負するつもりらしい。

 なお、僕のすぐ外側からスタートしたお隣さんも番手で勝負するようだ。でも残念でした、内側は譲らないぜ! 

 スタンド前を通り過ぎて最初のコーナーへ入っていく。

 

 先頭はパーマー。1.5馬身程の差で僕とお隣さん。その後ろもそれほど間を置かずに馬群は一塊になっている。

 うぅむ、同世代しかいなかった皐月賞やスプリングステークスから考えるとこのペースに皆ついていけてるのはちょっと驚きだ。もっと馬群がばらけそうなものなのに。

 やっぱり年上のお馬さんたちもただ年齢を重ねたわけじゃないってのがよく分かるな。

 なお、今回一番強そうに見えた若作り(仮)さんは馬群の結構後方にいる。差し追込み馬なのかな? 

 

 さてそんなことを考えているうちにコーナーを回り終わって向こう正面に入ったわけだが……おおぅ、坂が見える。

 中山競馬場や東京競馬場の最終直線にある坂よりもっと大きく見えるぞ。あれが噂に聞く淀の坂か。真正面から見るとさながら壁だな。

 レースは進行していよいよその坂へと突っ込んでいく。

 いくけど……うん? 見た目ほどきつくない、かも。少なくとも中山より楽な気がする。勾配が緩いのかな? はっ、若しくは僕の鍛錬の成果!? 

 今の体力ならこっからスパートかけてもゴールまで持ちそう。さぁ澤山さん、スパートの指示を! 

 

「……」

 

 えぇっと、あのあの、スパートはまだですかね? 

 いやまぁ体力が持つかどうかなんてホントに走ってみないと本当のことは言えないから、そこは素人考えの僕より経験豊富な澤山さんの判断で行きたいところなんですが。

 あっ、そうこうしているうちにお隣さんが位置取り上げ始めた。パーマーのすぐ外を回ろうとしている。

 間に入るのは厳しそう。なので、僕は前がパーマー、右横は内ラチ、左斜め前がお隣さんに塞がれてしまうような形に。

 これは、やばくないか? 

 

「む、流石にちょっと不味ったか」

 

 僕とほぼ同時に澤山さんもこの状況に気付いた模様。

 だよね、これじゃスパートしたくてもできないじゃん! 

 後ろに一度下がろうにも後ろにも後続馬が差を置かずに追走してきているから身動きが取れない。完全に囲まれてしまっている。

 そうこうしているうちにお隣さんはパーマーに並んでいく。このお隣さんの後に続いて外から抜かせばいいのだろうか? 

 馬群は最終コーナーへと入っていく。

 と、ここでパーマーが若干膨らんで内側に少しスペースができた。

 

「! ここだっ」

 

 それに目ざとく気付いた澤山さんが内に向かってスパート指示。

 エッ内なの!? コーナーで内に寄せるのキツイんだけど!! 

 それでも何とか内側へ寄せ、ちょうど内ラチのない区間に入ったこともあって内側からパーマーに並び、そして追い抜かす。

 しかし先に動いたお隣さんはさらに先を行く。

 くっそ、追いつけるか!? 

 あとはもう200mくらい。しかしその差は2馬身程。

 ぐんぐん差は詰まるものの、それ以上に速くゴール板が近づいてくる。

 もう少し、あともう少し僕にスピードがあれば! 

 

 結局、並びかけようとしたその瞬間、ゴール板前を通過した。

 

 

「あー、届かなかったか。まぁ古馬相手の復帰戦でクビ差2着なら十分だろう。まだ余力はありそうだし、これなら菊で勝てる、うん、勝てるぞ……!」

 

 ゴール板を通り過ぎて減速していく中で澤山さんがブツブツと呟いている。

 うぅむ、菊花賞で勝てそうってことは朗報だけど……

 

 今回はなんか不完全燃焼!! 

 

 

 

 

 


 

 1992年10月11日11R 京都大賞典 芝右外2400m、曇、良馬場 15頭立て

 1着 オースミロッチ R 2:24.7

 2着 キザノハヤテ   2:24.7

 ・

 ・

 ・

 

 京都大賞典レース後コメント

 2着キザノハヤテ(澤山騎手・美穂・羽田厩舎)

 1着は逃したものの、復帰戦としては及第点だと思う。京都競馬場にも、長距離にも、十分適応できそうな感じがある。

 





菊花賞はポンポン更新予定
次回更新は来週水曜で、次々回更新は金曜で、そっからしばらく毎日更新……できたらいいな


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22.菊花賞に向けて・それぞれ

 

「なんだあの負け方は! ふざけてるのか!?」

「申し訳ありません。あの若いのが出遅れたばっかりに……」

「全くだ! いいか、京都新聞杯での敗因は、先頭を取られてしまったことだ。アイツは逃げてこそなんだからな。だから、菊花賞では、絶っっっ対に、ミホノブルボンに先頭を譲らせるな! 増永にもよく伝えておけ!」

「えぇ、よくよく、伝えておきます」

 

 

 

「菊花賞はこいつが逃げる。きっとブルボンと先頭を取り合うやろな。ハイペースになることを考えた方がええ」

「そうですね。ならダービーと同じく、後方に構えて差し切りを目指す感じで?」

「いや、ブルボンはただの逃げ馬やない。持たせてくるやろ。とすりゃあ、ダービーん時みたいな後方からの競馬じゃ間に合わんかもしれん。だから岡谷さん、次走のカシオペアステークスで、アイツに番手を追走する競馬を今一度勉強さしたってほしい」

「なるほど……わかりました」

「今年ブルボンに勝てるとしたら菊花しかないんや。ここはなんとしても勝つで」

 

 

 

「ブルボンはどうやった?」

「勝てましたけど、正直なところ、最後はもう一杯一杯でした。あと800m、距離が延びるとなると」

「……あの馬が怖いな」

「それだけじゃないですよ、皐月の2着馬も菊花賞では戻ってきます……それでも、僕たちは天皇賞へは行かない。菊の舞台へ行くんでしょう?」

「あぁ。これは私たちの人間の欲かな。ブルボンは走りたくないかもしれんが。生島君、頼んだ」

「はい」

 

 

 

「もし逃げ馬のキョウエイボーガンが出てくれれば、ライスシャワーでミホノブルボンを負かすことが出来ると思います」

「えっ、あ、そうなんですか?」

「見たところ長距離はライスシャワーの方が走れますから。ミホノブルボンはスタミナが持たない。他に逃げ馬がいるとなればなおさら。ですから菊花賞ではご期待ください」

「それはそれは……主人にお伝えしても?」

「えぇはい。それでは俺はこれで」

「はい、またよろしくお願いいたします。……珍しいわね、松場さんがあんな風に喋るの」

 

 

 

「了解しました。菊花も先行策で……ふぅー、ははっ、もう今から緊張しちゃってます」

「おいおい、この前の自信はどうしたんだ?」

「いえ、ハヤテなら勝てると思えばこそ、これで勝てなかったら俺のせいだなと考えてしまって、どうにも」

「ならばこそ、ハヤテを信じろ。大丈夫だ。澤山君はハヤテに乗ってさえいればいい」

「それはちょっとひどくありません?」

「はっはっは。もちろん澤山君の馬への負担が少ない騎乗あってのハヤテの走りだと、その点は信頼しているよ。でもまぁ滝澤オーナーもよく言っているが、ハヤテの好きなように走らせてやれよ。レースがどんなものなのか、アイツは理解している節がある。もし早くに行く気を見せたら、まぁよっぽどじゃなければ行かせてやれ」

「はい、わかりました」

 

 

 

 

菊花賞特集目次

 ・無敗三冠に王手! ミホノブルボン……P.11

 ・想像を超えていけ! キザノハヤテ……P.12

 ・不気味に頂点を狙うライスシャワー……P.13

 ・ノーザンテーストの大器マチカネタンホイザ……P.13

 ……

 ・母を失ったキョウエイボーガン……P.14

 

想像を超えていけ! キザノハヤテ

 皐月賞の雪辱を晴らすべく、満を持してキザノハヤテが菊花賞に出走する。

 今ではその実力は疑いようもない。前評判ではミホノブルボンとキザノハヤテが人気を二分している。

 しかし、初戦の新馬戦では7番人気であったことをご存じだろうか? 

 競馬記事を10年以上書き続け、当日新潟競馬場に居合わせていたはずの筆者でさえ、初戦では全くのノーマークだった。

 そう、キザノハヤテは当初から注目されていたわけではないのだ。

 

 そもそも、血統からして2流だった。

 父サクラシンボリは、重賞勝利はGⅢエプソムカップのみ。ダービー馬サクラショウリの全弟であることを見込まれ、種馬入りした背景がある。が、産駒成績としては1992年9月現在、キザノハヤテ以外は条件馬が精々。

 母側も同様だ。母ヒバリコチは7戦して未勝利。兄弟・伯叔父母にも勝利馬が見当たらず、2代母で漸く未勝利戦勝利、その兄弟で条件戦勝利馬が出てくる程度。その上の世代も際立った成績は残していない。

 さらに、初戦にはそれ以外の不安要素も重なった。

 調教タイムこそ当時から光るものはあったものの、パドックでは大きく嘶いて入れ込むわ、発汗もすごいわ、馬体も貧相に見えて、「この馬はダメかな」なんて思わざるを得なかったのだ。

 その不安を的中させるがごとく、初戦は8着に沈んだ。

 

 しかし最後尾から3頭抜いた最後の末脚は目を見張るものがあった。

 走る気にさえなってくれれば、大物になるのでは。そんな筆者の予感はすぐに証明されることになる。

 新馬戦を連闘するとあっさり勝ち上がり、ききょうS、いちょうS、そして2000m重賞のラジオたんぱ杯3歳Sまで4連勝。そして皐月賞では写真判定に持ち込む大接戦を演じてみせた。

 ミホノブルボンに一番近い馬は、名実ともにこのキザノハヤテで間違いないだろう。

 

 正直、不安要素を上げればきりがない。両親がともに内国産馬であること、西高東低が嘆かれる関東調教馬であること、調教師・騎手ともに中長距離の実績に乏しいことも懸念点だ。夏を経てもブルボンに比べるとトモの張りはなんとなく頼りない。ようやく葦毛らしく白い毛が混じり始めた体毛を見ると、一昔前にはよく言われていた『葦毛は走らない』との言葉も思い起こされる。

 しかしそんな想像を超えてくれそうな『何か』が、この馬にはある。

 菊花賞で見事下剋上を果たし、新たな時代の潮流となれるか。

 

 

 

【小物馬主の独り言】世紀の一戦、菊花賞! 

 地方の小物馬主が中央競馬を好き勝手批評するこのコーナー、今回の話題は今週末の菊花賞! 

 もしかしたら俺たちは歴史の目撃者になるかもしれない。もうドキドキしちゃうね。

 さて、そんな菊花賞で俺がイチオシに挙げるのは……

 

 ライスシャワーだ! 

 

 いやそこはミホノブルボンじゃないんかーいってな。

 俺としてもそうしたいのはやまやまだが、やっぱり血統的に厳しいと思う。

 その点、ライスシャワーの父リアルシャダイは、昨年と今年の天皇賞(春)で3着に入るステイヤーを排出しているから安定感がある。母父マルゼンスキーの産駒には菊花賞レコードを保持しているホリスキーもいるから、血統面での長距離適性は抜群と言えるだろう。

 あと、関東住まいとしてはやっぱり関東馬に勝ってほしいなぁと……

 

 おいおい関東馬ならキザノハヤテはどうなんだって話になるが、正直ここはかなーり迷いどころ。

 ただ、二冠馬を子に持つダービー馬の全弟が父っていっても、結局父親のサクラシンボリ自体の勝鞍は2000mだから、3000mまで行くと流石にどうかなって思うんだよなぁ。

 そんなわけで俺のイチオシ馬はライスシャワーだ! 

 

 

 僕の不完全燃焼な前哨戦の翌週。

 ミホノブルボンは京都新聞杯を制した。

 

 ブルボンの二冠を奪えず、そして無敗も崩せなかった。

 無敗の二冠馬は、人々の期待を一身に背負って、菊の舞台へ向かう。

 史実通りに行けば、菊花賞はライスが勝つ。

 そしてライスは祝福されない。

 ブルボンの無敗三冠を阻んだ憎き敵として、人々に、競馬史に、記憶されてしまう。

 

 そうしないために取れる手段は……もう一つしかない。

 出来ればライスの勝鞍を奪うことなんてしたくなかった。でもどうかライス、許してくれ。汚れ役を請け負うのは僕でいい。

 菊花賞──僕が、勝つ。

 

 

 それぞれの思いが交錯する菊花賞が、やってくる。

 





ある程度史実エピソードを織り交ぜたつもり。
実際の人物像を知らないので性格が違う人がいるかもだけど、そこは大目に見て。


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23.歴史の分岐点:菊花賞1

菊花賞出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
11ヤマニンミラクル628.6
12メイキングテシオ731.8
23サンキンタツマー1595.1
24メイショウセントロ18137.5
35ワカサファイヤー1168.3
36グラールストーン1050.3
47ミホノブルボン11.7
48ライスシャワー310.7
59ランディーバーン16106.9
510マチカネタンホイザ416.8
611ヘヴンリーヴォイス17116.7
612キョウエイボーガン1272.8
713ヤングライジン1376.2
714バンブーゲネシス834.0
715セキテイリュウオー1485.1
817キザノハヤテ24.1
816スーパーソブリン526.0
818ダイイチジョイフル935.8




 

 皐月賞の時も人が多いと思ったけど、今日はあの時を上回る人出の多さだった。

 人が多いだけでなく、大多数がある一つのことを願うような、偏った熱気も感じる。

 

 毎度恒例のパドック。

 相変わらずミホノブルボンは強そうだ。しかし、スプリングステークスや皐月賞で見た時のような、圧倒的な強さではなくなっていた。

 ブルボンに追いつけ追い越せと、僕含め他の馬の実力も上がってきているのだ。

 特にライスと、何気にマチタンもかなり仕上がってきているように見える。2頭とも最後に差し切るだけの筋肉をつけてきていた。

 なるほどこれは、なかなかに厳しい戦いになりそうだ。

 ……うん。

 

 手段は問わない。

 ライスを心無い非難から守るために。悲劇の運命から救うために。可哀そうと言わせないために。

 僕が勝ってみせる。

 

 ──・──・──

 

「生島さん、僕はぶっ叩いて逃げますから……」

 

 俺がその言葉を聞いてしまったのは偶然だった。

 キョウエイボーガンの増永騎手が、ミホノブルボンの生島騎手に向けて、悲壮感と決意がないまぜになった様子で逃げ宣言していた。

 キョウエイボーガンは菊花賞に出馬すると発表した時から逃げ宣言を行っていた。それを改めてやっていただけといえばそれだけなのだが。

 

(先輩の無敗三冠がかかってるんだもんな)

 

 彼らは同じ栗東所属で、かつキョウエイボーガンに乗る増永はまだまだ若手(とはいえ俺とは違ってGⅠを勝ったことがあるのだが)。

 キョウエイボーガンの勝ち筋は成績からして逃げ切りしかない。菊花賞でも逃げるのは当然の流れだ。

 しかしそれはつまり、先輩が乗るミホノブルボンの逃げを邪魔することに他ならない。同じ栗東所属同士で潰しあう展開になりかねないのだ。

 増永は何とかそれを避けたいのだろう。それがさっきの発言の真意だ。

 ぶっ叩いて、大逃げする。ミホノブルボンの遥か前方に逃げてしまえば、潰しあうことにはならないだろうとの願望が透けて見える。

 

 そんなことに配慮しなければならないほど、世間はミホノブルボンの三冠を望んでいる。

 この熱狂の一因は恐らく、昨年の夢を今年に重ねている人がいるのだろう。無敗二冠後のケガで菊花賞を回避せざるを得なかったトウカイテイオー。対して、今年の無敗二冠馬ミホノブルボンは、菊花賞に挑むところまでこぎつけた。

 もし仮にブルボンの三冠を阻むものが現れたら、きっとブーイングを飛ばす人がいるだろう。

 

「ふぅー、でも俺は、俺たちの競馬をするだけだ」

 

 例えブーイングを受けようとも、俺たちが狙うのは勝利ただ一つ。

 やることはいたって単純だ。逃げるミホノブルボンに追走して、最後の直線で抜き去る。

 何度も何度もイメージトレーニングした。夢に見るほどまでに。

 差し切れなかった夢もあれば、軽々と1着になった夢もあった。

 今朝は僅差で勝てた夢だった。きっとこれは正夢になる。

 

 問題となりそうなのは、同じ戦法を取るだろう馬がいること。

 最もミホノブルボンを抜くのに適したポジション争いが発生すると思われる。

 そこで生きてくるのがハヤテのスタートダッシュだ。大外枠になったことが気がかりといえば気がかりだが、スタートダッシュに秀でたハヤテならそれでもなお主導権を握りに行けるだろう。

 スタートで有利なポジションを確保し、逃げるキョウエイボーガンとミホノブルボンの後ろに付ける。それさえ上手く出来れば、ハヤテの優勝は難しくない。

 

「大丈夫、俺たちなら、ハヤテとなら、勝てる……!」

 

 ──・──・──

 

 騎手乗り込みの時間となり、澤山さんが「よろしくな、ハヤテ」と言って僕に乗り込む。少なからず緊張しているようではあるが、皐月賞の時のように集中力につながる適度な緊張だと思う。

 

 今日は先行策で行くと聞いている。

 ブルボンとキョウエイボーガンって馬が先頭を取り合うだろうから、その2番手3番手につけ、最終直線でブルボンを差し切って勝つ。一昨日、僕の馬房の前でわざわざ僕にも説明しながら作戦会議してたからな。羽田さんや澤山さんのやりたいことはよくわかっている。

 

 ……ごめん、それじゃ勝てないよ。

 

 ──・──・──

 

 今日のハヤテは絶好調だ。

 静かに闘志を燃やしているのが乗っている俺にまで伝わってくる。

 遂にゲート入りとなった。

 

「行くぞ、ハヤテ」

 

 全頭がゲートに収まり。

 そしてゲートが開く。

 俺が手綱を操作すると同時かそれより早く、暴力的な加速力が俺に襲い掛かる。

 

「っ良し!」

 

 これまでにないほどの素晴らしいスタート! 

 あとは逃げるであろうキョウエイボーガンと、ミホノブルボンの後ろに……

 後ろに……? 

 

 後ろの様子を窺う。

 キョウエイボーガンが必死に俺たちに追いつこうとしているところだった。

 ミホノブルボンは、さらにその後ろ。

 馬群はもっと後ろ。

 

 俺とハヤテは、先頭をつっ走っていた。

 

 

 ──・──・──

 

 

『第53回菊花賞。ゲートに全頭収まって……スタートしました』

 

『18頭が第3コーナーに向かいます。最初に飛び出たのはミホノブルボンとキザノハヤテ、ですがキョウエイボーガンが前に……』

 

『おっとキザノハヤテ中々譲らない! 逃げる逃げる! キザノハヤテ鞍上澤山が手綱を引いているがこれはかかってしまったか!?』

 




明日も更新、というかここからクラシック編が終わるまでノンストップで毎日更新予定。
しばらく感想を返信しないorそもそも見ないつもりなのでどうぞ遠慮なく思いの丈をぶつけておいてください。
次回、菊花賞で勝つために出来ること



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24.菊花賞で勝つためにできること:菊花賞2

 

 皐月賞でわかった僕の長所。それはミホノブルボンを上回るスタミナだった。

 思い出せば、これまで僕はレース中に自分のスタミナの限界というものを感じたことがない。

 

 対して、速さの限界を感じたことはある。

 

 新馬戦。ゴールまでの距離が短かったのもあるが、最後方から3頭抜くのが限界だった。

 いちょうステークス。女の子と競り合うのが精いっぱいだった。

 スプリングステークス。重馬場の中ブルボンに追いつけなかった。

 皐月賞。なんとかブルボンに追いつくことはできたものの、競り負けた。

 つい最近の京都大賞典でだって、結局あと少しで届かなかったではないか。

 

 これまで負けたり苦戦したりしたのは、全部スピードの限界だった。実はそのいずれのレースであっても、僕はまだ走れるスタミナが残されていた。

 羽田さんや澤山さんは僕の末脚が良いというが、本当にそうだろうか? 

 2,3番手という好位に付けて最後に差し切るためには、他の馬を上回る速度を出さないと勝てないのに、僕はその速さへの自信が揺らいでいた。

 

 代わりに、スタミナに対する信頼は深まっていた。

 怪我の影響でプールにばかり行っていたからだろうか? 秋になってからは走って息が苦しくなることが少なくなった。

 皐月賞前のトレーニングを倍以上こなしてもへっちゃらだった。

 速さはもう上がらないが、スタミナならまだ上がるという、確かな実感があった。

 

 今日のパドック。馬の本能から見たライス、それと意外にもマチタンも僕以上に、いや正直、ミホノブルボン以上に強く見えた。

 僕のこの馬の本能は、馬の強さ、つまり速さがなんとなくわかるというものだと思っている。

 その馬が最高速度を出せたとき、どれだけ速いかという目安。

 僕は今日、ライスとマチタンをパドックで見て、スプリングステークスや皐月賞でミホノブルボンに感じたような速さの『差』を感じてしまった。

 

 スピードで負けている以上、ライスやマチタンと同じポジションにいたら、確実に負ける。スパートの速さが足りずに負ける。スピード勝負では勝てないのだ。

 菊花賞では、確か2頭とも先行のポジショニングをしていたはずだ。マチタンはうろ覚えだが、ライスは間違いなくそうだった。

 澤山さんたちの作戦を取れば、ブルボンには勝てるかもしれないけど、だがしかし、ライスには絶対に勝てない。

 ライスにだけは、負けちゃ駄目だ。そうなったら、結局史実から何も変わらない。

 

 だから、僕に残された手段はこれしかなかった。

 

 

「飛ばしすぎだ! 落ち着いて……クソ、『暴走』か! なんでっ!?」

(澤山さん、このまま『逃げ』るぞ! スピードじゃなく、スタミナ勝負に持ちこませる!)

 

 よりによってライス相手にスタミナ勝負を仕掛けなくてはならない。史実を知っているのになんでそんな選択をしてしまったのか、(バカ)を笑う自分もいる。しかし僕はもう覚悟を決めた。

 澤山さんは一度は手綱を引いたものの、僕が走る気を収めないことを早々に悟ったようだった。

 淀の坂もなんのその。

 他馬を置き去りにして、僕は先頭を駆ける。

 しかし内からから僕に並ぼうとしてくる馬がいる。

 ブルボン……ではないな。ゼッケンにはキョウエイボーガンと書かれている。そのボーガンの上に乗る騎手が狂気に取りつかれたようにボーガンを鞭で叩いている。

 僕に並び、そして追い抜かそうとしている。

 凄いな、僕これでも全力の8割以上のペースで走ってるんだけど……その僕を上回る速度で追いついてくるのだから、きっと向こうはほぼ全速力だ。

 流石に彼と張り合い続けるのは危険、かもしれない。もう3コーナーに入ろうというところなので、ここから追い抜かすのはちょっと堪えそうだし。先を譲って後ろからプレッシャーを掛けたり、風よけにしたりしたほうが良さそうだ。

 

 僕はそう判断して下り坂を脱力しながら下り、ボーガンに先頭を譲った。

 そして4コーナーに向けて内側を確保するべく、ボーガンのすぐ後ろへと徐々に移動する。

 その下り坂を下り終えた頃には、澤山さんも覚悟を決めていた。

 

「好きなように走らせろ、か。いやでも流石にこれはなんて言われるか……」

(謝るときは僕も謝るからさ、すまんな!)

「ここから位置取りを下げるのはハヤテの機嫌を損ねそうだからダメ、そんなことをすれば惨敗間違いなしだ。となると前残りで勝つしかない。それを目指すとして、出来ることは……向こう正面で息を入れさせるか。坂の前では仕掛けづらいだろうし。息を入れさせるくらいなら機嫌を損ねないと思うし。幸いボーガンが前に行ったから、これをブルボンに見立てて……いやでも、スパートを出す位置は早めた方が良いのか? いやむしろギリギリまで体力を温存……?」

 

 事前に組み立てていた作戦が僕のせいで全ておじゃんになってしまった澤山さんは必死にここからとれる作戦を考えているようだ。でも今回は僕が全部やるつもりだから難しく考えなくてもええんやで。

 澤山さんたちのことは信頼しているけど、でもこの菊花賞だけは、どうか僕のわがままを通させてほしい。前走みたいな不完全燃焼はごめんだ。

 観客席前の直線を駆けて行く。

 観客席からは歓声……と、かなりのブーイングや怒号が聞こえる。

 そりゃあブルボンに勝ってほしい人たちからしたら、ブーイングでも投げたくなるよね。

 予想はしてたけど、ちょっと心にダメージが来る。

 そして同時に、絶対にこの矛先をライスに向けさせてはならないとの意思が強固になる。

 

 ボーガンに続いてコーナーへ入っていく。

 そこでチラリと後ろを伺うが、ブルボンとの距離が思ったよりも離れていない。最初にかっ飛ばしたから5馬身以上は離れていると思っていたけど、2、3馬身くらいとそれほど距離がないような状態だった。

 やっぱり先頭を取られてかかっているらしい。

 うん、ブルボンには勝てる、と思う。

 問題は──

 ブルボンのだいぶ後ろ、馬群に先んじるようにして走る黒い影。

 見たのは一瞬だけだったが、視線があったような気がしてゾクッとする。

 狙われている。

 ジワリと焦燥感が募った。

 

 

 ──・──・──

 

 

『最初の1000mのタイムは……58秒ほどだ! 1分を切っている! 

 3000mの菊花賞としては破滅的なハイペース、先頭集団の3頭は大丈夫か』

 

『スタンド前を駆け抜けていきました、現在キョウエイボーガンが先頭、その後ろピッタリつけてキザノハヤテが追走、2馬身差でミホノブルボン3番手』

 

『その後ろは5から6馬身離れてメイショウセントロ、そしてまた4馬身位離れましてマチカネタンホイザ、さらにはライスシャワーがまた4馬身ほど離れて現在6番手であります。

 続けて──』

 




明日の更新で決着。
次回、誰も知らない明日へ進め


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25.誰も知らない明日へ進め:菊花賞3

 

 キョウエイボーガンが先頭を駆けて行く。

 それを風除けにして追走する僕、少し離れてブルボン、その後ろの方にはライスたちが続く。そんな形でレースは進んでいる。

 向こう正面に差し掛かった。

 ボーガンの騎手が澤山さんと同じ考えなら、この向こう正面で速度を少し緩めるはずだ。僕もここは素直に少し休む。

 

「よし、ハヤテ、ここで息を入れるんだ……」

 

 僅かにボーガンが走る速度を緩めるのに併せて、僕も併せて速度を下げた。

 するとブルボンがここぞとばかりに少しずつ僕に迫ってきている。ここで息を入れなくて大丈夫なんですかね? 

 

 直線を進み、前方には大きな坂が近づいてくる。

 先頭の順位は未だ変わりなし。

 ウマ娘だとこのあたりから一気に順位が変わるんだよな。現実的にはこんな坂でスパートかけるとか無理ゲーだ。増してやこの先は長い下り坂だから、ここは速度を抑えないと足の負担がヤバいことになる……って澤山さんたちが作戦会議で話していたのは覚えている。

 でも、だからこそだれも予想できないハズ。

 2度目の坂上り中に僕は少し外側へ進路を取る。

 そして坂を上り終えたところで一気にボーガンを抜かしにかかる。

 

「ハヤテ!? まだスパートは早い!!」

 

 いいや、このタイミングがベストだ! ミホノブルボンを置き去りにして、勢いよく坂を下りボーガンを抜かす。

 これで僕が先頭! 

 下り坂の勢いそのままに先頭で駆け抜けてやる! 

 最終コーナーを回って、後ろにはいつの間にか上がってきたブルボンが2馬身差、さらにその後ろからは殺気にも似た闘争心が近づいてきているのを感じる。

 少しでも油断すれば、食われる。全身がすくみ上るような感覚。

 ハッハッハ、もう笑うしかない。

 楽しいな、レースってよぉ! 

 

「くぅ、ここまで来たら後は行くしかない! いくぞ!」

 

 言われずとも! 

 澤山さんの手綱さばきに合わせ、足の回転を速くする。足から伝わる衝撃が全身の筋肉を震わせる。

 しかし、流石に僕もスタミナの限界が見えてきた。かなりキツイ。スパートしているつもりなのだが、全く速度を上げられた気がしない。

 内回りのコーナーと合流する。さぁここからは直線だけ。あともう少し、あともう少しで、僕が菊の勝者となる! 

 しかし、外側斜め後ろから威圧感と共に足音が近づいてくる。

 馬の広い視界に映るのは、やはり黒い馬体。ライスだ。

 

 みるみるうちに差が詰まる。

 並ばれる。

 全身に倦怠感が押し寄せてくる。

 ライスが僕よりわずかに前に出た。

 

 あぁ……

 くぅ、やっぱり僕はだめ、なのか。

 

 そう思ったとき、パシンッと鞭が入った。

 

「ハヤテ! 諦めるな! 意地を見せろ!」

 

 ……そうだ、これは、僕の! 意地だ!! 

 言わせない、言わせない! 絶対にライスをヒールだなんて言わせない!! 悪者扱いなんて、ぜぇっったいにさせない! 

 だからライス、君には! 君にだけは! 絶対にこの菊の冠は渡せない、渡さない! 

 

 ぐんと踏み込んで、ライスを差し返す。

 なんだよ、やればできるじゃねぇか! 諦めたらそこで試合終了ってホントなんだな! 

 ただ、足が、背中が、首が、体中の骨と筋肉が軋む。

 強く歯を食いしばった口の中には血の味が広がる。

 視界にはぱちぱちと火花が飛んで目の前が白く染まっていく。

 すぅっと周りの音が消える。

 平衡感覚がわからなくなる。

 ヤバイ気配がビンビンするが、でも、きっと僕はこの時のためにこれまで走って来たんだ。

 たとえ明日がどうなろうとも構わない。この数秒間に、僕の全てをかけてみせる……っ! 

 何としてもライスより前へ! 前へ! 

 君にだけは、絶対負けない! 

 

 

 無我夢中で走り、気付けばいつの間にかハミから減速の合図が伝わっていた。

 走る速度を緩めていき、白く染まっていた視界が戻って来た時、僕の前にはだれもいなかった。

 ゴールは……いつの間にか通り過ぎていた。

 僕が先頭のまま。

 

 つまり……勝った。

 勝ったぞ! 

 コースを回りながら、鞍上を見る。

 なぁ澤山君、やったな! 

 

「……」

 

 あれ? 

 澤山君? 

 喜んでない? 

 ガッツポーズを上げていない。苦虫を噛んだように、表情が悪い。

 なんで? 

 

 あ、やべ、疲れが。

 

 意識が、と

 

 

 

 ──・──・──

 

 

 

『向こう正面で先頭は息を入れたか、徐々に先頭と後続集団との差が詰まってきている』

 

『淀の坂へ差し掛かって先頭は未だキョウエイボー、おっとキザノハヤテ動いた、なんと一気にキョウエイボーガンを抜き去った! 淀の坂を勢いよく下っていく! 3コーナーに入って差が広がる! ミホノブルボンも下り坂に入ってキョウエイボーガンを躱した! 各馬次々に鞭が入っていく!』

 

『さぁ最初に最終コーナーを回ったのはキザノハヤテ! 2馬身差ミホノブルボン!』

 

『外からはライスシャワー上がってきた! あー! ブルボンが抜かされて3番手に後退ー!』

 

『キザノハヤテにもライスシャワー襲い掛かる、先頭僅かにキザノハヤテ! 必死に粘る!』

 

『だがライスシャワーだ! ライスシャワーだ!!』

 

『いや、キザノハヤテ! 息を吹き返した!! あっと、ちょっとヨレたか!? 前をふさがれたライスシャワーは失速! 

 斜行しながらキザノハヤテ抜き出る、抜き出て今ゴールイン!』

 

『キザノハヤテですが、これは……』

 

『あーこれは審議。審議のランプが点灯しました。どよめきの声が漏れます』

 

『入線順では1着キザノハヤテ、2着にライスシャワー、3着はミホノブルボンとマチカネタンホイザが際どいところだったか。これは写真判定になりそうであぁっと!? 会場悲鳴です。1位入線のキザノハヤテが倒れました。騎手の澤山投げ出されています。人馬共に大丈夫でしょうか』

 

『えー現在、審議のランプが点灯しております。順位が確定するまで、しばらくお待ちください──』

 

 

『──順位が確定しました』

『優勝はライスシャワー、ライスシャワーです。2着にキザノハヤテ、3着にミホノブルボン……第53回菊花賞を、お伝えしました』

 

 1992年菊花賞の決着

 1着 ライスシャワー  R 3:04.8 1.1/2馬身

 2着 キザノハヤテ  降着 3:04.5 

 3着 ミホノブルボン    3:05.1 1.1/2馬身

 4着 マチカネタンホイザ  3:05.1 ハナ

 ・

 ・

 ・

 

 

 

 

菊花賞がっかり 優勝は盗人ライスシャワー

 ミホノブルボンの無敗三冠か、はたまたキザノハヤテがそれを阻止するのか。激戦を熱望された菊花賞の優勝は期待外の2位入線ライスシャワーになった。

 ライスシャワーは道中6番手ほどで息を潜め、最終コーナーから進出を開始すると直線でミホノブルボンを抜き去って、2位で入線した。

 1位入着となったキザノハヤテは最終直線走行中の斜行がライスシャワーの進路妨害をしたと判断されたために2位に降着となり、ライスシャワーが繰り上がって1着となった。

 シンボリルドルフ以来となる無敗三冠を目指して厳しい調教を積んだミホノブルボンや、レース後貧血で倒れるほどの死力を尽くしたキザノハヤテだったが、栄冠はライスシャワーによって掠め取られた。

 

 

 





 誰だよこんな救いのない展開にしたやつゥ!俺ぁシリアス展開嫌いなんだよォ!作者だれや!
 ……ワイやんけ。
 この展開を思いついたのがこのお話を書き始めたきっかけなのです。本当に申し訳ない。
 まだ毎日更新は続きます。


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26.菊花賞の打ち上げ + 比較的まともなマスコミ

ちょっと詰め込み過ぎたかも



 

 菊花賞、そのちょうど一週間後の夜。

 賑やかな居酒屋の片隅の個室席に、3人の男が集まっていた。

 いずれもキザノハヤテの関係者。馬主の滝澤、調教師の羽田、騎手の澤山の3人だ。

 当初は菊花賞当日の夜に行われるはずだった打ち上げだが、ハヤテがレース後に倒れるという一大事に急遽キャンセルになり、一週間延期されていた。

 3人の間に会話はない。注文を聞きに来た店員が怯む程度には場が凍り付いていた。

 滝沢は席に座ってから難しい顔をして一言も発しておらず、羽田と澤山はそんな滝沢の様子に何も口にすることができない。注文したビール瓶が届き、机に置かれても誰も手を机の上に伸ばさない。

 最初に口を開いたのは滝澤だった。

 

「……一先ずハヤテの回復祈願で乾杯しようか」

「そう、ですね」

 

 澤山がそれに応える。羽田も恐る恐る頷いた。

 やっとグラスにビールが注がれていく。

 しかしその間、やはり会話は途絶える。

 それぞれのグラスにビールが注がれると、滝澤が乾杯の音頭を取る。

 

「では、ハヤテの回復を願って、乾杯」

「「乾杯」」

 

 付き合わせたビールグラスは「カンッ」とこの場に似つかわしくない軽やかな音を立てる。

 3人がゴクッゴクッとビールを飲んでいく。

 示し合わせたかのように全員が一気にビールを飲みほし、そしてそろってため息をついた。

 

 菊花賞。

 キザノハヤテは最終直線で斜行し、ライスシャワーの進路妨害をしたとして、降着。要は反則負けとなってしまった。

 客席から見て「ありゃ駄目だ」と思えるほどの大斜行。幸い、ハヤテ側もライス側も落馬等事故を起こすことはなかった。それでも危険な状態だったのは間違いなく、ゆえに処罰を受けねばならない。

 一番最初にゴール板前を駆け抜けたが、結果としては2着だ。

 これにより澤山は2日間の騎乗停止処分を受けた。

 

「すいません。俺の騎乗がもっと良ければ……最初に手綱をひいて体力を消耗させていなければ」

 

 意を決して澤山が謝罪を切り出す。

 

「いや、君の責任じゃあない。我々含め誰もハヤテが逃げるなんて思わなかったし、あの時のハヤテは走ることしか頭になかっただろう。3コーナーのスパートだって、誰が乗っていても制御できたとは思えない。

 君は私の言った通り、ハヤテが走りたいように走らせてくれたんだ、ありがとう……いや、すまなかったな」

 

 それに対し、滝澤は力のない笑みを浮かべながら澤山を許す。「ハヤテの走りたいように」と常々言ってきたのは自分だという自責の念もあった。

 滝澤の言葉を聞いて澤山と羽田の心の内にわずかに安堵が広がる。厩舎を糾弾するような事態にはならなさそうだ。つい先日、美穂トレセンのとある厩舎(特に騎手)と馬主の折り合いがつかなくてひと騒ぎあったばかりなので、今回の打ち上げにはかなり身構えていたのだった。

 

「ハヤテはその後どうだ?」

「今のところは経過は順調です。摘出手術は無事終わりましたが、不意の事態に備えて今も宮尾君が付きっ切りで様子を見てくれています。少し食べ物も口にしはじめていますから、徐々に快方へ向かっていくかと」

「そうか……そういえば、澤山騎手もその後大事ないか?」

「俺、ですか? あ、あぁ、はい大丈夫です。受け身はしっかりとれたので」

 

 レース後、ハヤテは突如気絶して崩れ落ちた。その時に澤山は投げ出されるようにして落馬していた。

 澤山はそのことを問われたのだと理解するのに少し時間を要した。

 なんせ澤山の頭の中は馬主とハヤテへの申し訳なさが6割、ハヤテの容態を心配する気持ちが4割でちっとも自分のことを考える余裕がなかった。

 

 ハヤテが倒れた原因は心室細動による一時的な貧血だったようで、幸いにもすぐに意識を取り戻した。

 しかしその後、大事をとって行った診察により左前脚の関節部分が剥離骨折していたことが判明している。

 まず間違いなく、京都の下り坂を勢いよく下った影響だろう。

 程度は軽いものではあるが、半年程度の休養は避けられない見込みだ。

 

「人馬ともに一先ず無事。良かったが……だからこそ、悩ましいな」

 

 滝澤がまた一段と眉間にしわを寄せ、羽田と澤山は風向きが変わったことを感じ取った。

 やはりこれはひと悶着ありそうな気配。

 血の気がサーと引いていく。

 

「羽田調教師」

「な、なんでしょうか……?」

「これは引退を考えるべきじゃないか?」

「いっ、引退ですか!? うっ、い、いえ、確かに今回の件は調教師である私の責任は大きいものです。で、ですが、少し待ってください。さすがに引退しろと言われましても……」

 

 突然の引責辞任要求に羽田は目を白黒させてしまう。

 いやでも、確かにうちの厩舎は成績芳しくないし、嫁にももうやめたらと諭されていたな。これは事実、潮目の時期なのでは──

 

「違う違う、ハヤテの話だ」

「あ、ハヤテの話。ハヤテの話ですか……えっ、ハヤテですか!?」

「あぁ」

 

 勘違いだとわかって安心したのもつかの間。馬主の提案に再度驚いてしまう。

 ハヤテを引退させるべきか。

 滝澤としては相次ぐケガに不安なのだろう。ケガの程度も軽度の骨膜炎、重度の骨膜炎、そして今回の軽度の骨折と徐々に大きくなっている。今度、重度の骨折でもすればただでは済まない。

 

「ええと、その是非はともかく、引退後はどうされるおつもりで?」

「種牡馬にしたいと考えている。ハヤテの購入時に生産牧場の人とそんな話をしたからな、その約束を果たしたいのだが……どう思う?」

「んん、種牡馬ですか……」

 

 未来を想像した羽田の眉間にも深いしわが刻まれてしまう。

 ハヤテの主な勝倉は、ラジオたんぱ杯3歳Sのみである。

 GⅠはハナ差2着と降着2着。限りなく優勝に近いが優勝はしていない。

 血統背景はなくはないレベル。

 

「現時点では採算度外視であれば、というところでしょうか」

「やはりそうなるか。GⅠを勝てると確信できるのならば現役を続行させた方が良いとは思うのだが、これで復帰してからとなるとどうなるかがわからなくてな」

「勝てます」

 

 澤山がほとんど無意識に口をはさむ。

 その言葉にパッと滝澤と羽田の目線が澤山に向いた。

 2人の視線を受けて澤山は一瞬だけ「しまった」という表情を浮かべたが、すぐに顔を引き締めた。

 

「大丈夫です。ハヤテはGⅠを勝つ馬です」

 

「復帰後でもブルボンやライスに勝てるか?」

「はい」

「今後のレースではマックイーンやテイオーも相手になるぞ。それでも勝てるのか?」

「はい」

 

 滝澤の確認に、澤山はまっすぐ即答を返した。

 やや瞠目した滝澤は、やがて小さく頷いた。

 

 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 

伏兵ライスシャワー繰上がり ミホノブルボン無敗三冠ならず

 無敗三冠を目指して菊花賞に臨んだミホノブルボンだったが、道中不利が祟り3着となった。

 レースはキザノハヤテとキョウエイボーガンが逃げをうち、ミホノブルボンは3番手で追走する展開となった。先頭2頭が競り合い、1000m通過が57.8秒と、菊花賞としては破滅的なハイペースで進んだ。

 ミホノブルボンは必死に先頭を追い一時2番手になったもののキザノハヤテには追い付けず、最終直線でライスシャワーにも抜かれ、3着となった。

 また、1位入着となったキザノハヤテは進路妨害のため降着となり、1着はライスシャワーとなった。GⅠレースでの降着処分は去年の天皇賞(秋)でのメジロマックイーンの降着以来2度目。

 

 

【小物馬主の独り言】勝者のいない菊花賞

 無敗三冠に期待が膨らんだ菊花賞は、異様な雰囲気で幕を閉じた。

 結果的には今回の俺のイチオシ馬であるライスシャワーが勝ったわけだけど、素直に喜べないよな。

 繰り上がって優勝したライスシャワー陣営だけど、その勝者インタビューでは「完敗だった。ミホノブルボンを負かしたい一心だったが、私たち以上にキザノハヤテの思いが強かった」と悔しさを滲ませて、喜びの声は聞かれなかった。

 去年の天皇賞を思い出したよ。プレクラスニーとマックイーンのように再戦出来ればいいんだが……キザノハヤテは休養に入ると発表があった。当分再戦の機会は訪れそうにない。

 

 今回の菊花賞は期待が大きかった分、レース結果には各所で人々のやるせなさが噴出している。

「ライスが勝利を盗んだんだ、菊花賞はハヤテが勝ってた」「いやそれを言うならハヤテとボーガンが破滅逃げしなければブルボンが勝ってた」「いやいやブルボンはハヤテに追いつけなかったんだから菊花賞はどうにせよ無理だった」「なんだと」「やるのか」……そんな風に酒場で喧嘩してる人も見かけたよ。

 誰もが勝利を目指した菊花賞だったけど、誰も報われない結果になってしまった。

 

 しんみりしちまったが、次回は日曜開催レースで俺が注目した馬を取り上げるぜ! こいつらが菊花賞に出れていたら、また結果は違っていたのかもしれない……そんな2頭を取り上げたいと思う! 

 

 

激闘の菊花賞 ダービーの雪辱果たしたライスシャワー! 

 先の菊花賞では三冠馬を目指したミホノブルボンが破れ、1位入着のキザノハヤテが斜行により降着となる波乱の展開となった。

 そんな中見事菊の冠を手にしたのはダービー2着であったライスシャワーだ。

 ライスシャワーはダービーから3連続で2着になっており、調子の良さをうかがわせていた。打倒ミホノブルボンを掲げて重ねてきた努力がついに実った形だ。しかし繰り上がっての優勝であるためか、ライスシャワー陣営は「次の機会があれば必ず決着を着けたい」と悔しさをにじませた。次走は有馬記念を予定している。

 対するミホノブルボン陣営は「相手が強かった。悔しいがそれ以上に称賛したい」と語った。ミホノブルボンはジャパンカップへの出馬を目指していたが、菊花賞の疲れがひどいため回避する見込み。

 また、降着となったキザノハヤテは剥離骨折していることが判明したため、少なくとも半年程度は復帰が難しい状態となった。

 

 

 

 

 

 

 ──

 ────

 ──────

 

 

「そういえばオーナー。一応のご報告なんですが」

「なんだ?」

「ライスシャワー陣営から謝罪がありまして」

「……嫌味か?」

「私もそうかと思ったんですが、どうにも一部報道でライスシャワー陣営を悪し様に扱うものがありまして、あちらも気に病むところがあったようです」

「あぁ、アレか。勝負は時の運だ。大体マスコミなどいい加減なものだろう。3日前の田浦騎手のもそうだったようだしな……んん、同じところじゃないか?」

「同じところ、ですか?」

「同じ新聞だった気がする。そもそもスポーツ新聞はうちが主に広告を出すところの数社分しか読んでいない……あそこにはあまり広告をうたない方がいいかもしれんな」

 



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27.沈む気持ち、軋む身体


この話の前半いる?
迷ったけど設定使わないのもアレなので



 

 これは、夢、か。

 

 明晰夢だ。

 俯瞰視点というか、宙から眺めるような形で、人間だったころの僕を眺めている。

 久しぶりに見る人間の僕はひどく意思が希薄だった。

 仕事に対する情熱はなく、ただ毎日を浪費するだけの投げやりな人生。ヘラヘラとその場を取り繕うばかりで、その内心はいつだって空虚で、常に何かに対する罪悪感を持っていた。

 そんな卑屈な人間だったから、交友関係なんかもないに等しい。

 いったいいつからこんなふうに僕はなってしまったのか。

 

 

 場面が切り替わる。

 中学生の頃の僕だ。

 友人と共に試験勉強を頑張っている。

 でも楽しそうだ。あぁ、この頃はまだ情熱があった。

 唯一無二のその友人とは、一緒の高校を目指していた。

 僕は合格ラインぎりぎりの友人に勉強を教える立場で、彼がよくよく努力しているのを間近で見ていた。そんな友人を見ると、僕も頑張ろうって思えて、互いに切磋琢磨しあえる関係性だった。

 受験直前になれば友人も合格ラインより上の点数を取れるようになっていた。

 そこで僕は勉強詰めで疲れただろうと、友人を遊びに誘った。受験の一週間前に他のクラスメイトも交えてパーッと遊んだ。

 あの時は楽しかったなぁ、前世で一番輝かしい記憶で……一番なかったことにしたい記憶だ。

 

 

 場面が切り替わる。

 高校入試の結果発表の日。

 目指していた高校に、僕は受かって、友達は落ちた。

 

 一緒に見に行った合格発表の場で、僕は友達に声をかけられなかった。

 下手な慰めは傷つけてしまうような気がして。

 何より僕が受験前のあの大事な時期に遊びに誘ったせいで、油断してしまったせいで、友人が落ちてしまったんじゃないかと思うと、友人に責められるんじゃないかと怖くなった。

 友人と碌に言葉を交わさないまま帰宅して、母さんに自分が合格したこと、友人が落ちてしまったことを報告した。

 そしたら母さんはこう言ったんだ。

 

「あら、それは可哀そうにねぇ」

 

 僕はあんまり『可哀そう』って言葉、好きじゃない。無責任な同情を寄せる言葉で、ただの自己陶酔だ。

 それに友人はあんなに努力していたんだぞ? それこそ僕以上に。あの高校に行くべきだったのは、僕じゃなくて、あの友人の方がふさわしいと思えるほどに。

 それを、そんな、たった一言で、すませていいのかよ。

 僕は友人の受験結果を通して『努力が報われるとは限らない』という、当たり前の世の法則を悟った。

 あぁ、そうか。

 それで前世の僕は、真面目に生きるのが馬鹿らしくなったんだ。

 

 

 場面が切り替わる。

 レース場。

 芝生の上に、一頭の馬が倒れている。

 その傍にいるのは……おや、澤山さんじゃないか。必死に倒れている馬に呼びかけている。

 何寝ぼけてるんだか。さっさと起きろよ。

 見た感じ息はしてるんだし、死んでるわけじゃねぇだろ。

 だから澤山さん、泣きそうな顔をするんじゃないよ。

 そんなやつのことなんか忘れてしまうといい。代わりに僕が今度レースで1着をプレゼントしてやる。

 

 そう、菊花賞、その1着だ。

 ブルボンにもライスにもマチタンにも勝ってな! 

 これまでの努力の成果、見せてやるよ! 

 

 

 ……あれ、菊花賞ってもう走らなかったっけ? 

 

 

 

 

 

 

 嫌な夢だった。

 もう菊花賞を走ってから1ヶ月も経とうというのに。

 目を覚ました僕は辺りを見回して慣れ親しんだ羽田厩舎の馬房の中であることを確認した。

 思わずため息が漏れる。

 前世と状況は全然違う。そうわかってはいるのだけど。でも結局、頑張っても歴史は繰り返すんだな。

 努力は実らない。

 ライスはヒールになる。

 全身の鈍痛に現実を突きつけられた僕は、もう一度大きくため息を吐き出して気持ちを誤魔化した。

 

 

 僕は菊花賞で反則負けしてしまった。

 最終直線で、外側に大きく斜行していたらしい。全身全霊を尽くして走った結果、自分が気付かないうちに斜めに走っていたのだ。

 さらにレース後、詳しく調べてもらったところ骨が欠けてしまうほど脚を酷使していたようで。あわやレース中に骨折していたかもしれない状態だった。欠けた骨片を取り出す手術なんかもされる一大事となってしまった。

 復帰するとしても半年くらいの長い休養が必要らしい。

 今から半年と言うと……春の天皇賞はかなり厳しそうだ。

 

 菊の冠は2位入着のライスがとった。

 レース後、ほとんど歓声はなかったそうだ。まぁそりゃそうだよな。

 ブルボンの無敗三冠がなくなり、1着で入着した奴が明らかに反則負けで、そしてレース後にぶっ倒れたのだ。声が上がったとすれば悲鳴か落胆の声だろう。

 ライスを史実以上に微妙な立場に、他でもないこの僕が、させてしまった。

 一体、僕がしてきたことって何だったんだろうなぁ。

 

 僕は怪我の影響でトレーニングもあってないようなもので、馬房の中で独りむなしく過ごす時間が多いので、どうにもならないことを考えてしまう。

 まぁ怪我がなくても今はトレーニングはしたくないかな。

 努力したところで……って考えが出てきてしまう。燃え尽き症候群というか、無気力状態というか。

 

 あと、そのせいか何だかわからないけど、急に僕の毛並みに白い毛が目立つようになってきた。そう言えば僕って葦毛でしたっけ。

 ははっ、真っ白な灰のようになってしまった僕には相応しい色合いじゃないか……

 

「ハヤテ、曳き運動行くぞー」

 

 おや宮尾君。もう日課のリハビリの時間か。

 まぁ、もう起きてしまったことは変えられないからな。どうしようもない。

 今はただ、僕のケガを治すことに注力しよう……

 



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28.誓い

 

 宮尾君に曳き運動で連れられて行った先。

 そこにはなんと先客がいた。

 

「ひーん」

『へっ!?』

 

 黒鹿毛の小柄な馬。ライスだった。傍らには厩務員らしき人が手綱を握っている。

 菊花賞を終えてからライスと対面するのは初めてだ。

 

「ひーん」

 

 しかもどうやら僕の体調を気遣ってくれているようである。

 ライスに心配してもらえるとは……! 

 嬉しいような恥ずかしいような申し訳ないような。

 

「お前は相変わらずだな……ありがとうございます、わざわざ時間作ってもらっちゃって」

「テキたちも了承してますから。それで、その、そちらは大丈夫なんですか?」

「ま、ぼちぼちっすね。ライスシャワー号を見て元気出ると思うんで、大丈夫っすよ」

「えぇ? あ、じゃあもしかして、この前のアレって──」

 

 宮尾君と、ライスの担当厩務員の人だろうか? が話している。

 しかしそんな方に意識を割くことはできない。今、僕はライスとのお喋りで忙しいのである。

 

『ハイッ! 元気です! ご心配をおかけして申し訳ありませんでした!』

「ふるる」

『え、いや、嘘じゃないですよ? 毛色が変わったのは単純に体質ですし、ただ、ちょっとしばらく走れないというか』

「ぶふぅ」

『あ、まぁ確かに馬基準だとそうですよね。走れない=元気がないってことですよね。ハイ』

 

 おぉぉぉ、かつてないほどに会話が弾む。いや話題的に弾んでいるって言っていいのか? いや弾んでいる(確信)。

 これまでに2度併せ馬をする機会はあったけど、その時はほとんど言葉を交わさなかったし、レース前なんてみんな真剣そのもので会話をできるような雰囲気ではない。

 そんな薄い関わりだったのでライスからは特に意識されてないんだろうなと思ってたんだけど、これほどまでに心配されているとは。

 なんぞこれ、夢? 夢を見てるのだろうか? 

 あ、そうだ。菊花賞優勝のお祝いを言わねば。

 

『えっと、それで、あの、菊花賞優勝、おめでとうございマス……』

「……? ぶひぃん」

『え、でもレースの結果としては僕の負けなんですけd』

「ぶひひん、ぶるっるぅ!」

『ひえっアッハイそうですね! 仰る通りです! えーと僕のケガは半年後の夏、あの、とっても暑い時期とかになれば、なんとかなりそうです。あ、いや、その時期はデカいレースがないし、実際レースで戦うのは秋、えっと葉っぱが枯れる頃になってきてから、かも。あぁ、いやいや、併せ馬をすることがあるかもしれないから、それよりかは早いかも?』

「……」

『とにかく暑い時期を過ぎた後です!』

「ひん」

『ハイッ、また戦う時はよろしくです!』

 

 こんな僕とまた勝負をしたい、今度は負けないと言ってくれている。口調はメンチ切ってるヤンキーそのものみたいな感じだが。

 ライスに望まれている以上、この怪我は気合で治さねばなるまい。

 

「ハヤテー、いつまでも見つめあってないで運動するぞ、運動」

「ライス、そろそろ帰ろうか」

 

 は? 宮尾君テメェ僕とライスの時間を終わらせようってか? 

 宮尾君でもそれは流石に許せない。

 嫌だっ、僕はもっとライスとお喋りしたいっ! 

 ライスもそう思うd……アレ!? えっ、行っちゃうの!? 

 ライスは素直に厩務員さんにひかれて帰路へ向かってしまう。

 追いかけたいところだが宮尾君に引っ張られ、そして未だに続く全身の鈍痛が僕をその場にしばりつける。

 

『あ、最後に一つだけ! 僕はあなたのファンなので! ずっとずっと応援してます!』

 

 僕の知る史実以上に微妙な立場にいるライス。きっと世間からは厳しい目が注がれることだろう。

 でも、たとえライスが世間から応援されなくなっても、僕だけは必ず応援し続けると誓おう。

 だってライスは僕の推しだから。

 それになにより、ライスシャワーは――

 

『貴方がホントに強い馬なんだってこと、見せつけてやってください!』

 

 僕の呼びかけに対し、ライスは立ち止まってチラリと僕の方に振り返って尻尾を一振りした後、何も言わずに再び歩き出した。

 漢は背中で語るってか、カッケェ……!! 

 

 

 

 その後、今日のリハビリを終えて厩舎に戻ったら、僕の馬房に等身大のライスの写真が貼ってあった。

 宮尾君が用意していたらしく「これでハヤテは元気出ること間違いなしっすよ!」とのことだった。

 いや確かにライスを毎日見れるのは嬉しいけどね? 

 それはそれで恥ずかしいというか。

 というか宮尾君はどこからこの御尊影を調達したの? ちょっと入手ルートを詳しくお教えいただけませんかね……

 

 





 ライスと会えたことで、とりあえずハヤテのメンタルは危険域を脱しました。推しは人生(馬生)の栄養素。
 さぁここで馬のライスシャワーの気持ちを想像してみましょう!

①「にんじんたべたい」
②「ライスと一緒に走ったからハヤテさんが怪我を……ライスのせいだ」
③「アレで勝ったつもりになんてなれない。今度一緒に走ったら絶対負けない」
④「応援してるとかなんとか言って、なんか舐められてね? マジムカつくんだが」


次回、ヒトの回想+αを入れてクラシック編完結。


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29,キザノハヤテという馬(夢にまで見る狂気)

 

 菊花賞前のあの時。

 キョウエイボーガンが出ると聞いて、俺は勝利への自信を深めていた。

 距離が延びれば伸びるほど、俺とライスシャワーに有利に働く。

 その上でミホノブルボンがキョウエイボーガンと競り合いスタミナを消費すれば、もはや勝利を阻む障害ではない。

 残された懸念と言えば皐月賞でハナ差2着のキザノハヤテくらいだろうが……同じ美浦所属ということもあり秋競馬が始まる前に併せ馬をしたことがある。その時こそ届かなかったが、今のライスシャワーのポテンシャルはあの時をはるかに凌駕している。

 さらにライスシャワー自身も、周りの人の様子から大きな勝負が近いことを感じ取っていたらしい。日に日に気合が高まっていた。

 勝てる。

 菊花賞は、俺とライスシャワーが勝てる。

 そう思っていたんだ。

 

 

 

 レースが始まって、俺は驚いた。

 

(キザノハヤテが逃げた!?)

 

 キョウエイボーガンとミホノブルボンが逃げるのは予想通りだ。しかし、なんとキザノハヤテも逃げてハナを取りに行っているではないか。

 キザノハヤテはスタート巧者であるから、確かに戦法としてはあり得るだろうが……競り合いながら3000mを逃げ切れる訳がない。

 いや、よく見れば鞍上の澤山が慌てている。かかったのか。

 

(キザノハヤテは終わったな。唯一の懸念がなくなった。この勝負……もらった!)

 

 

 

 最終直線で、俺は思い知らされていた。

 

(どこにこんな体力があったんだ!?)

 

 一瞬抜いたはずだった。

 だが、すぐに差し返された。

 その後ふらつき、俺たちの前をふさぐように斜行しながらも、しかしライスシャワーを上回る速度で走り続けるキザノハヤテ。

 おそらく進路妨害との判定でライスシャワーが繰り上がり1位になるであろうとは思った。しかし、実際ライスシャワーに乗っている俺にはわかった。わかってしまった。

 たとえ斜行していなかったとしても、ライスシャワーはもうキザノハヤテに追いつけない。

 ライスシャワーはもう限界だ。現に失速し始めている。

 ミホノブルボンを抜くまでは織り込み済みだった。ミホノブルボンを抜くためにスパートをかけた。しかしその先にもう一頭がいることなど想像だにしていなかった。ましてや、そのもう一頭に、差し返されるだなんて。

 想像を超える馬とはよく言ったものだ。

 

 

 最終的についた着差は1.5馬身。俺たちは完膚なきまでに、キザノハヤテに負けた。

 ゴール板を駆け抜けた後もキザノハヤテはしばらく速度を落とさないまま走り続け、そして外ラチにもうすぐ当たろうかというところで澤山騎手を投げ出して倒れた。

 鳥肌がたった。恐ろしかった。

 あの走りは命を削ってやっていたものだった。最初のスタートから、自分が勝つためにはこれしかないと『馬自身』が判断し、そしてそれをやって見せたんだ。

 なんという執念。

 なんという狂気。

 いったい何がそこまであの馬を駆り立てたというのか。

 

 今でも時々、あの時のことを夢に見る。全てを投げ打ってライスシャワーを差し返すキザノハヤテの狂気を思い出す。

 馬というものは、人には計り知れない何かを抱いているのだと、つくづく思い知らされた。

 キザノハヤテは自分がレースで騎乗したわけではないが、騎手人生の中でも特に影響を受けた馬だった。

 

 

 結果的にライスシャワーは菊花賞で優勝することになったが内容は完敗だった。レース後の優勝者インタビューはいっそ屈辱的だった。

 一部報道で言われたことは的を射ていた。菊花賞の俺たちは勝利をキザノハヤテから奪った盗人だった。結果が結果だけに、オーナーやテキと謝罪に出向き、治療費の肩代わり等を打診したほどだった。

 その協議結果は「お金云々より、ライスシャワーと会わせてやってほしい。どうしても物で納めたいというならライスシャワーの等身大の写真をくれ」ということになったのだが。

 そうすることでキザノハヤテは元気が出るのだと、向こうの担当厩務員がやけに力説していたのを覚えている。聞けばあの時に撮った写真はキザノハヤテの馬房に貼られていたらしい。

 

 その後キザノハヤテとミホノブルボンが長期休養に入ると発表があり、ライスシャワーはライバル不在の中、有馬記念に挑戦することになった。

 ライスシャワーにとって、初めての古馬混合戦。

 しかし、あのミホノブルボンやキザノハヤテとやりあったライスシャワーが古馬に劣っているとは思えない。事前の調教結果もよく、今度こそ俺たちだけの力で1着をもぎ取って見せると意気込んでいた。

 

 

 

 有馬記念当日はトウカイテイオーが1番人気で、ライスシャワーは2番人気だった。

 実際、直前のジャパンカップで勝利したトウカイテイオーが一番の実力馬であることは間違いない。だからこそトウカイテイオーをマークしようと考えていた。

 だがそう思ってゲートを抜けた先、トウカイテイオーはいなかった。探せば俺たちよりも後方に位置どっていた。

 やられた。これではマークしづらい。

 そう思いながら視線を前に戻したとき、先頭を駆け抜けていく『キザノハヤテ』と、競りかける『キョウエイボーガン』が目に入った。

 

(っ!? ……いや、あれはメジロパーマーとダイタクヘリオスだ。でも、もしかしたら)

 

 ぞわっとあの狂気を思い出して寒気がした。

 それからはもう、俺は前しか見れなくなっていた。

 

 

 

「並み居る古馬を押しのけ、見事1着を掴みました。今の気持ちをどうぞ」

「ほっとした気持ちが強いですね。実力を証明できたと思います」

 

 有馬記念を優勝しても、喜びは小さかった。

 ライスシャワーが一生懸命走ってくれたからこその勝利なのだから、騎手の俺が喜ぶことがそもそもお門違いと言えばそうなのだが、だがそれ以上に、当時の俺には脳裏によぎるものがあった。

 

 ──もし、キザノハヤテが有馬に出てきていたら? 

 あの『狂気の馬』に勝てたか? 

 

 

 あいつが復活した暁には、ライスシャワーとのコンビでリベンジを果たしたい。

 そう、強く思った。

 

 

 

 

 ──・──・──

 

 

『残り200! 

 パーマー粘る! ライスが追う! 追いつくか! 

 2頭並んで、いや差し切ったぁあ! ライスシャワー、差し切って見事優勝ー! 

 文句なし! 

 今度は、文句なぞ言わせません! その実力は紛れもない本物でした!!』

 

「ひひん!? (勝ったぁ!?)」

「おぉ、まじか。お前のライバルすごいじゃないか」

 

 宮尾君とラジオを聞いていたら、なんと有馬記念でライスが優勝した。

 え、あれ? ライスって有馬勝ったことなかったよね? 僕の記憶違いだっただろうか? いや、ライスのGⅠ勝鞍は菊花と天皇賞(春)×2だけだったはず。有馬はナリタブライアンの3着が最高位だったと思う(うろ覚え)。

 

 歴史が、変わった……!? 

 

 





クラシック後半は多大に否定的意見もあるかと思いますが、これにてクラシック編、完!

次回本編更新まではまたちょっと期間を置きます。
その間に閑話を投稿しつつ、ぼちぼち感想を返していこうかと。



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ウマ娘編:ぃやっふう!!

 

 ──キーンコーンカーンコーン

 

 チャイムが鳴り、今日の最後の授業が終わる。途端に騒がしくなる教室。

 先生が留守で自習の時間になっていたのに、チャイムが鳴るまでは皆ちゃんと真面目に自習してるんだから偉いよなぁ。

 

「ハイッ! ノートは学級委員長である私が集めますよ! さぁさ皆さん、ノートを提出してください!」

 

 いつもの如く張り切っているバクシンオーさんの元へノートを出し、自分の帰り支度を始める。

 今日はトレーニングが休みの日なので、あとは帰寮してまったりと過ごすのみ。明日、明後日の土日もトレーニングの予定がないので久々にゆっくり休めそうだ。

 んーなにしよっかな、積んでるゲームがいくつかあるし徹夜でゲーム三昧しようかなー。そういや明日の午後からは相部屋のグラチアさんもお休みだったはずだし、協力プレイできるゲームするのもいいか。

 もしくはライスさんのストーkじゃない、見守りで一日過ごすのもいいな。ライスさんも明日はトレーニングの予定がないから、どこか遊びに出掛けたりするかも。

 

「ハヤテさん、少しよろしいですか」

 

 そんなこんなで明日の予定を考えていると僕に話しかける声が。

 

「む? ブルボンさんですか。どうかされたので?」

 

 顔を見上げればカバン片手にミホノブルボンが僕の机の前に立っていた。

 前世のお馬さん時代では美浦と栗東という地理的条件からクラシックを走り終わるまで全くと言って良いほど親交のなかったミホノブルボンと僕だが、ウマ娘になった今世では当然のことながら普通にお友達付き合いをしている。クラスも一緒だしね。

 とはいえブルボンさんが僕に話しかけてくることはちょっと珍しい。何の要件だろうか。

 

「明日のお昼はお暇ですか」

「今のところ特に予定はありませんけど……食事のお誘いですか?」

「はい。共同ミッション:BBQパーティのお誘いです。ハヤテさん以外にもあと数人お呼びする計画をしておりまして──」

 

 BBQですとな。うーん、僕はそこまでお肉好きってわけじゃないんだよなぁ。むしろ野菜大好き。

 まぁ折角誘ってくれてるんだし別に断ろうとは思ってないけどさ。

 

「──他にはライスシャワーさん、」

「行きます!!!」

 

 ぃやっふう、BBQサイコー!! 

 

 

 ──・──・──

 

 

 ということでその翌日、ブルボンさんのトレーナーが運転するマイクロバスでトレセン学園にほど近いキャンプ場にやって来た。今はトレーナーたちがセッティング中である。

 メンバーはブルボンさん、ライスさん、マチタン、三人の引率としてそれぞれのトレーナーたち、そして僕の計7人である。

 え、僕のトレーナーさん? 

 あぁ、アイツはトレセン学園から出て行ってしまった。

 

 ……いやただ単に昨日から休暇取って帰省してるだけなんだけどね。

 僕のトレーナーさんは、僕が初めての担当ウマ娘だという若い男性の新人トレーナーである。

 担当ウマ娘である僕のレースが一段落したから、正月とかに帰れなかった分、季節外れの帰省をしているのだ。僕のトレーニングがお休みなのもその関係。

 僕はトレーナーガチ恋勢でも何でもない上に、そもそもトレーナーさんのご両親とはレース場に来ていた時に僕の両親と一緒に挨拶は済ませているため、帰省に付いていく道理はない。

 なお、昨夜電話で「明日はBBQパーティに行ってきますね」って話題を出したら「羨ましい。こっちは親の『孫の顔が早く見たい』アピールがやばい」って愚痴が返ってきた。

 わかるぅー、あれ鬱陶しいよねー。

 今世は女性になったせいか既に僕の両親からもその雰囲気が感じられるんだよね。ホントに視線がうざったいのなんの。

 だから大変なのはわかるけど、でも「君からも何とか言ってくれ」って他力本願なのはどうかと思いますよトレーナーさん。大体トレーナーさんとそのおうちの問題で僕は関係ないでしょうに。まったく困ったもんだ。

 

「わぁ、お肉がたくさん……!」

「うっはぁ、おいしそー!」

 

 準備が進む中、ライスさんとマチタンが美味しそうな大量の食材に目を輝かせている。

 

「ぅわお、ホントにいっぱい当てたんですね……」

「はい。マスターもこれほど当たることは想定外だったようです。しかし、そのおかげでこうして皆さんをお誘いできました」

 

 思わずあっけにとられてしまう食材をデジカメでパシャリ。僕は今回、記録係としていっぱい写真を撮ることにしている。

 今回のことの発端は、ブルボンさんのトレーナーが懸賞でお肉を当てたかららしい。お肉に特段こだわりのない僕でさえ一目するだけで高級だとわかる霜降り肉だ。

 しかも、その懸賞には何通も応募していて、それらがことごとくお肉になって返ってきた。それこそブルボンさんとそのトレーナーの二人では食べきるのに何日か要するほどの量だ。

 冷凍で保存がきくとはいえ、食べるのなら悪くなる前に美味しく食べておきたいもの。そこで今回のBBQが開催されることとなったのだった。

 

「フラワーさんとバクシンオーさんも来られれば良かったのですが」

「まーあの二人はちょうど今、次のレースに向けて忙しいところですからね。仕方ないでしょう」

 

 レースで忙しい時期がずれてしまうから、どうしても都合が合わないことはある。特に路線が違うとそれは顕著だ。

 というかその二人が来れてたらこの世代でウマ娘になってたキャラが勢ぞろいしてたわけか。なんという僕の場違い感。

 いや既に現時点でもそうかもだけど。

 

 話しているうちに準備が整い、早速お肉と野菜が鉄板の上に敷かれていく。

 ジューという音とともに空腹感を誘う匂いがあたりに漂い始めた。それからはもう宴である。

 

 

「ふっふっふ、肉奉行はこのおマチちゃんにお任せあれ! ライスさん、お肉は軟らかめと固めどっちがお好み?」

「えっと、ライスは柔らかめがいいかな」

「ホイホイっと了解。皆も好みを教えてくださいな、今こそ食堂の娘の実力を見せる時! あ、トレーナーさん、火力の調整お願いしていいですか?」

 

 

「まぁ最初に食べるのはブルボンさんのトレーナーがいいんじゃないんです?」

「むん、そうだよね。はい、ではではどうぞ」

「……マスター? それは私の取り皿ですが?」

「おぉーどんな時でも担当ウマ娘を立てるその姿勢。僕のトレーナーさんとは大違いです」

「わかりました。ではミホノブルボン、いきます」

「……どうどう?」

「……とても、とても『美味』です。追加補給を要求します」

「おぉう、ブルボンさんの目つきがレースと同じくらい真剣(マジ)に! マチタン奉行様、我らにもお恵みを!」

 

 

「うわなんですかこのお肉めちゃくちゃおいしい……みんな黙っちゃったし。はっ、これはシャッターチャーンス!」

 

 

「はいチーズ。うん、いい笑顔ですね、もう一枚いきましょうか」

「その、折角だからライス、ハヤテさんと一緒に映りたいな」

「同意。ハヤテさんも映るべきです。カメラをお貸しいただけますか」

「僕はいいですよー撮る専門で……あ、そんな悲しそうな顔しないでくださいわかりました一緒に撮りましょう。それじゃあブルボンさんお願いします」

「承りました。……急に画面が消えてしまいました」

「あっ」

 

 

「うわぁっ!?」

「おうっ!?」

「ご、ごごごめんなさい! ライスのオレンジジュースがハヤテさんの取り皿に……!」

「……これを飲めば実質間せt、うん、これはアリです」

「ふぇ?」

「あ、いえ、お気になさらず……」

 

 

「お兄さまは脂身が好きなの? そ、それじゃあ、ライスのこれ、あげるね。あ、あーん……」

「何あれくそ羨ましいんだが?」

「え、ハヤテちゃん脂身欲しいの? それじゃホーイっと、取り皿に入れとくね!」

「あいや、そういうわけでは……まぁいいか。末永く爆発しろぉっ!

 

 

 

 和やかに食事は進んでいく。

 友達のいなかった前々世や、馬同士で対抗心をバチバチに燃やされていた前世では考えられなかった光景だ。

 

「おいしいね、ハヤテさん!」

「そうですね!」

 

 

 ホント人生(馬生)は何が起こるかわからないね。だから楽しいんだけど。

 

 





 お食事シーンがあからさまな手抜きなのだ。
 前回「閑話を投稿する」と書いておきながら閑話の書き溜めがありませんでした。うーんこの計画性のなさ。


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閑話:キザノハヤテはどんな競争馬だった?

えぇい、まだ設定練り切れてないけど投稿してしまえーっ!

キザノハヤテがウマ娘に実装された世界での掲示板の様子。短め。
それと核心部分は避けてあるけど微妙に本編のネタバレがあります。
なお、設定が練り切れていないためネタバレしたとおりに物語が進むとは限らない。設定変更したお話を投稿したら、そのあとでこっちも手直しします。
……それってネタバレと言えないのでは?



【ウマ娘】キザノハヤテはどんな競争馬だった? 

 

先日の告知で、キザノハヤテちゃんの絵が公開されましたね! 

その元ネタであるキザノハヤテ号とはどんな馬だったのでしょうか? 

 

 


 

 

106:名無しのトレーナーさん ID:iI4k

キザノハヤテって元ネタ的にはどんな馬だったんや

 

108:名無しのトレーナーさん ID:1yMn

>>106

ホモ(直球)

 

109:名無しのトレーナーさん ID:2kkT

>>106

澤山じゃなければ2冠獲ってたかもしれん馬

 

111:名無しのトレーナーさん ID:mn20

ハヤテって青空すずめの馬の孫だよな

当時は結構話題になってた

まぁ名脇役って印象

 

112:名無しのトレーナーさん ID:9z0h

弱くはなかった、ただ対戦相手が強かった……

 

113:名無しのトレーナーさん ID:U3aQ

菊花賞で自分の限界ギリギリのペース配分を勝手にやった馬

なお斜行により降着

 

114:名無しのトレーナーさん ID:A34g

大丈夫です。ハヤテはGⅠを取る馬ですから

 

118:名無しのトレーナーさん ID:2kkT

>>114

あれ別の陣営だったら2つ3つGⅠ取れてたやろ

 

115:名無しのトレーナーさん ID:XDni

ライスシャワーに惚れてたってアレ本当なのかね

 

116:名無しのトレーナーさん ID:18br

少なくとも厩務員と騎手はそう信じてたっぽい

 

117:名無しのトレーナーさん ID:ntbr

ブルボン世代を語る上では外せない奴だよな

1年越しのリベンジマッチは燃えた

 

120:名無しのトレーナーさん ID:tKMT

ハヤテは怪我やスランプを乗り越えて執念で天皇賞勝った馬やぞ、あれは感動もんだったわ

その後はてんでダメダメだったが

 

121:名無しのトレーナーさん ID:LIYG

キザノ冠名ならザノラ君を実装しろ 

 

123:名無しのトレーナーさん ID:2kkT

>>121

ザノラ君とは違ってハヤテはGⅠ馬なんだよなぁ、実績的にハヤテが先なのは当然

 

125:名無しのトレーナーさん ID:9z0h

そうか、ハヤテが実装されたってことはキザノラスト君も実装されるかもしれんのか

これはカノープスが賑やかになりそうですね……

 

124:名無しのトレーナーさん ID:sj7p

キザノハヤテは距離適性どうなるんだろう

中長距離はAとして、短距離もEくらいになるかな? 

 

126:名無しのトレーナーさん ID:mn20

ゴリゴリのステイヤーが短距離を走れるわけないだろ! (ザノラから目を逸らしつつ

 

130:名無しのトレーナーさん ID:ntbr

ザノラ君は陣営の選択ミスで短距離路線走らされただけだから……

 

129:名無しのトレーナーさん ID:A34g

新馬戦1000mだからEは付くんじゃない? 

同じ新馬戦1000m上がりのライスも短距離Eだし

 

132:名無しのトレーナーさん ID:18br

そういやブルボンもライスもハヤテも芝1000mの新馬戦上がりだっけ

この世代適性詐欺がひどいな

 

134:名無しのトレーナーさん ID:XDni

昔は割と短距離デビューからクラシック挑戦ってあったんだよ

ウマ娘でいえばルドルフもそうだし

 

133:名無しのトレーナーさん ID:rRkl

芝AダG

距離適性ECAA

脚質適性ABEG

成長補正は根性30%とみた

 

136:名無しのトレーナーさん ID:A34g

ストーリーの目標にはどう落とし込んでくるかね

史実の出走レース的に、ホープフル・皐月・菊花・春天・秋天・有馬みたいな感じ? 

 

139:名無しのトレーナーさん ID:1yMn

>>136

京都大賞典も咥え入れろ~

 

141:名無しのトレーナーさん ID:2kkT

>>136

ブルボン世代ならスプリングSは外せないやろ

 

142:名無しのトレーナーさん ID:mn20

ハヤテは休養で出れなかったレースが結構あるんだよなー

クラシック有馬とかifシナリオあったりしないかな

 

143:名無しのトレーナーさん ID:sj7p

菊花賞はどう描くんだろうかアレ

 

145:名無しのトレーナーさん ID:9z0h

キザノハヤテを語る上で菊花賞の降着と天皇賞(秋)での再戦は外せないからなぁ

カワプリ同様結構なシリアスなストーリーになりそうだ

 

146:名無しのトレーナーさん ID:ntbr

個人的には宝塚記念をどうするのかが気になる

呆気にとられるマックイーンを見たい

 

150:名無しのトレーナーさん ID:tKMT

一理ある

そう考えるとハヤテのトレーナーはかなりハヤテに振り回される苦労人枠になりそうだな……

 

 



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30.【募集】走る理由

 シニア編は大分ハヤテ君に焦点を当てたお話になると思われ。

 あと、今話はウマ娘では絶対に触れられないであろう史実に少し触れています。
 ご了承ください。



 

 僕が関与しないところで、突然変わった歴史。

 これがバタフライエフェクトというやつなんだろうか? 

 どうもこんにちは。なんだか今になってとんでもないことをしてしまったんじゃないかと恐ろしくなってきたキザノハヤテです。ただ今絶賛療養中です。

 

 年が明けて僕が5歳(現4歳)になってから、僕は骨折を治すために美浦トレセンからなんか別の場所に連れていかれた。

 これまで短期放牧でお世話になった牧場ではなく、トレセンのミニバージョンみたいな施設だった。宮尾君はジョウバンシショとか言ってたかな? 

 ここ、どうやら故障した馬たちが復帰を目指すための施設、ありていに言えばリハビリ施設みたいなところのようだ。

 リハビリ施設なだけあって設備が凄い。僕が大好きなプールはもちろん、ここにはなんとお風呂もあるのだ。

 まさか馬になってもお風呂に入ることが出来るとは……! 

 もうここでずっと暮らしたい。

 

「怪我の治りも順調だし、宝塚は余裕で間に合いそうっすね」

 

 まぁそうは問屋が卸さないんですけどね。

 

 今は宮尾君が僕の見舞いに来てくれている。

 当然のことながら、宮尾君は美浦トレセンの羽田厩舎で働いているので、普段はここにはいない。以前は毎日のように顔を合わせていた羽田さんと澤山さんも、今では2週間くらい全く会わないとかザラだ。

 会う回数が減っていないのは馬主の滝澤さんくらいではなかろうか。元々一カ月あたり1~2回くらいだったからな。……そんなに会いに来て、本業は大丈夫なのかな? いや滝澤さんがどこに住んでて、どんな仕事してるのかは知らないけど。

 あ、ちなみにここでも僕の馬房にはライスの写真が貼られております。流石にここでは等身大ではなくB2サイズのポスターだけど。毎朝の日課はライスの写真に祈りをささげることです。

 

「……はぁ。でもハヤテたちにとっては、レースで走らされるってのは負担なんすよね」

 

 ふと、僕を眺めていた宮尾君の表情が曇る。

 年末年始から、というか有馬記念が終わってから、宮尾君はなんだか元気がない。僕のケガのせいで思いつめているのかと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。

 宮尾君が喋る言葉の断片から判断するに、ライスが勝った有馬記念のレース中にとある馬が骨折、そして競走中止してしまうことがあったようだ。

 

 レース中に骨折と言うと、ライスやサイレンススズカの最期が思い起こされる。

 するとその馬も安楽死処分になったのかと思いきや、治療を受け今も生きているという。詳しい状況はわからないが、生きているのなら何より……だと思うんだけど、話はそう単純ではないようで。

 そもそもの骨折の原因がレースに使いすぎたことによる疲労の積み重ねであると見られたこと。そしてレースに出す出さないで馬主と騎手、それとなんかマスコミを巻き込んで色々あったとのことで、宮尾君としても何か思うところがあったのだろう。

 その馬の名前が、なんかどっかで聞いた覚えがあるような名前なんだよな。どこで知ったんだっけ? 

 

『思い出せなくてモヤモヤするんだけど、宮尾君知らない?』

「一歩間違えばハヤテも……ハヤテはなんで走るんすか? どうしてあんなに一生懸命走るんすか?」

『……』

「って、聞いても仕方ないか。ハヤテの滝澤オーナーはちゃんと馬を生き物として大切に取り扱ってくれる人だから良いっすけど……ウチだってあぁいうオーナーとの付き合いはあるからなぁ。だから……うん、俺たちがしっかりしなくちゃ、なんすよね……」

 

 当然宮尾君が教えてくれるわけもなく。

 むむむ、絶対に聞いたことあるんだけどなぁ。一緒にレースを走ったお馬さんだったか……? 

 僕の心のモヤモヤがとれないように、宮尾君もまた、晴れない表情のまま帰っていった。

 

 

 さて僕の心のモヤモヤ……というか、ここ最近の悩み事はもう一つある。

 それは宮尾君が先程僕に問うた「なんで走るのか」ということ。

 

 というのも、ライスが有馬記念を制覇したことで、僕の目的は半ば達成したように思うのだ。

 

 僕のこれまで走って来た目的と言えば『ライスシャワーを救うため』だった。これが大目標。

 GⅠで勝利してもヒールだと罵られ、やっとその勝利が祝福された矢先のレースで骨折・安楽死となった悲劇の馬。そんなライスが可哀そうな馬と言われないように、強い馬だったんだと言われるように。そのために僕は走ってきた。

 で、そのための中目標として「ライスをヒールにしない」、さらにそのための小目標として「ブルボンの無敗2冠を崩す」とか「菊花賞で僕が勝つ」とかがあったわけだ。

 で、僕の小目標はことごとく不成功に終わった。

 それなら僕の目的は達成しようがないハズなのだけど……

 

 ライスが有馬記念を勝つとその前提がちょっと変わる。

 そもそもライスが最期のレースに出走したのは種牡馬になるための実績作りだ。特に中距離(2000m~2400m)の。

 有馬記念は2500mと中途半pじゃなくて、中距離に近い距離。しかもクラシック世代で古馬を破っての勝利とくれば実績という点ではかなりの成果。

 仮に今年の天皇賞(春)を勝てばGⅠは3勝目。勝利数では史実に並ぶ上に、ある意味史実以上の実績を持つことになる。

 これなら種牡馬にしても十分と判断されるのではなかろうか。

 

 であればライスが最期のレースに出る必要はない。その前に無事引退して、種牡馬になる。

 ……おや、これは大目標を達成したと言ってよいのでは? 

 過程をすっ飛ばしていきなりの大目標達成である。

 嬉しいは嬉しいけど、その、なんというか、達成感がない……

 

 もちろん、マックイーンに勝てると決まっているわけでもないし、春天に勝っても早期引退せずに現役が続行される可能性もあるし、そもそも不測の事態が発生して突然安楽死されてしまうことだってあるかもしれない。

 ただ、僕はこれらに対処する術がない。

 春の天皇賞には怪我で出られないし、引退するしないはライス陣営が決めることだから口出しできないし、不測の事態をなかったことにできる特殊能力等は持ち合わせていない。有馬で競争中止したお馬さんのように生き延びる手段があるかもしれなくても、言葉の通じない人間は僕の主張を聞きやしない。

 

 つまるところ僕がやれること、やるべきことがもうない。

 強いて言えばライスから直々に再戦を望まれているのだから、その約束を果たしたいということくらいだけど……それだって僕がでしゃばるとライスの評価を下げることになりかねないのでは? 

 うむむ、僕はこれからいったいどうすればいいんだ? 

 

 暇なこともあってそんなどうしようもないことを延々と考えて、時折やってくる見舞客や僕の関係者に愛想を振りまき、温泉でまったりする日々を送る。

 そうしてひと月ほどが経った頃。

 馬房からボーっと外を眺めていたら、何やら手綱を引っ張られてこちらにやって来る栗毛のお馬さんを見つけた。

 





 ハヤテ君が名前を思い出せない馬は……言うまでもありませんね。
 ハヤテ君はジュニア期に一度だけ対戦して負けそうになってました。
 わからない人は調べてみることをお勧めします(ウマ娘では触れられないであろう優しくない世界の話題なのでその点ご留意ください)。
 物語を書くために同世代について調べてた時、この競走馬を知って、軽くでも物語中で触れておきたいと思ったので、そのとっかかりとしてジュニア期の出走レースを調整して対戦させたという経緯があったり。
 こういう歴史もあるんだということを、少しでも多くの人に知っていてほしい。


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31.お隣さんはマイペース

 遠くに栗毛の馬が手綱を引っ張られてこちらに向かってきているのが見える。

 栗毛の馬はここにはいなかったから新顔だな。

 馬は大抵鹿毛だから明るい色合いの栗毛はずいぶんと目立つ色だなー。あ、でも今は白化した葦毛の僕の方が目立つのか。

 

 競走馬に怪我は付き物だからなぁ、僕がここに来てからの約一カ月の間にも入れ替わり立ち代わり、何度も出会いと別れがある。

 僕の隣の馬房を使っていたお馬さんはつい一週間ほど前に無事退所していった。なのでちょうど僕の隣が今空き部屋。そこに新しいお馬さんを迎え入れる感じだろうか。

 新顔さんに威圧感を与えないようにちょっと引っ込んでいようかな。

 馬房のなるべく奥に移動して伏せる。

 耳をそばだてると、馬をつれている人たちの会話が聞こえてきた。

 

「あのぉ、先輩、抜け毛を拾うのってOKですかね?」

「はぁ? お前何言ってるんだ」

「いやね、俺、コイツの大ファンなんですよ。まさか会えるなんて思ってなくて。それにここにいる間は俺たちが世話するんですよね? なら、記念に毛をとっておきたいなぁと。切ったり抜き取ったりするのはもちろんダメですけど、これから夏毛への換毛の時期ですし、自然に抜けて馬房の中に落ちたモノなら……」

「あー、そういうことか。うん、抜けた毛を拾う分にはいいんじゃないか?」

「やった!」

「……俺も拾っておこうかな」

 

 おやおや、新しいお馬さんはたいそう人気馬のようですな。

 あの人たち、ここで暮らしている怪我した馬をお世話する人たちなんだけど、大分浮かれた様子だ。僕に対してはそんな素振りなかったのに。

 一応僕だって昨年は……4戦して全部2着だったのか僕(今更)。シルバーコレクターじゃん。それもGⅠに2回出てその戦績なわけだし、競走馬全体から見れば我ながらかなりすごい馬だと思う。

 そんな僕を差し置いてファンと言われる馬……? 

 気になるぞ。誰なんだろう。

 ひょっとしたらウマ娘に実装された競走馬だったりする? 

 

「あと先輩、今更ですけどコイツの隣、あの馬ですよね? 大丈夫でしょうか」

「んん? キザノハヤテ号だろ? 案外大人しい馬だし、何が問題だって言うんだ?」

「いやでも、いわばライバルじゃないですか。ミホノブルボンとキザノハヤテって」

 

 ……え? 

 

『ブルボンだって!?』

 

 慌ただしく立ち上がり、馬房から首を突き出してこちらにやってきている馬を見る。

 栗毛の馬は、もう5mほどにまで近づいてきていた。

 確かに、言われてよく見りゃコイツ、ミホノブルボンじゃねーか! 

 

「おぉっ? 呼ばれたと思ったのか。名前ちゃんとわかってるみたいだし賢い馬だよなぁ」

「これ大丈夫なんですか」

「んー、そんなに心配する事じゃないだろ。俺たちがライバル扱いしてても、所詮は俺たち人間が勝手に言ってるだけだ」

 

 うわぁ、相変わらずムッキムキな身体してんなぁ……

 僕がブルボンを見つめる中、しかしブルボンは全く僕を意に介することなく、大人しく馬房の中へ入れられていく。

 

「キザノハヤテ、ガン見しているんですけど……」

「耳は伏せてないし、威嚇してるわけじゃない。新しく来たやつが気になるんだろうな。まぁ様子を見て、駄目そうだったら馬房を移そうか。さて、まだまだやることはあるんだから、さっさと行くぞ」

「あ、はい!」

 

 馬房の施錠を確認したのち、ブルボンを連れてきた二人は足早に厩舎を去っていく。

 残されたのは僕たち馬のみ。

 ……そういえば僕ってブルボンと話したことないな。レース前はそんなお話しするような雰囲気でもないし。この機会に少し話してみるか。

 

『隣の馬房から失礼。僕はキザノハヤテ。こうして喋るのは初めましてだね、ミホノブルボン』

「……」

 

 返事がない。ただの屍のようだ。

 じゃなくて……えっ、まさかのシカト? 

 これマジ? 

 

『あのー、ミホノブルボンさーん!?』

「……ふごぉ」

 

 寝る、だそうです。

 ……え? 

 

「……ふごぉおお、ふごぉおお」

 

 あぁー、これ寝てるわ。寝息だ。

 え、新しいところに移動してきた直後に寝てるの? 図太いにもほどがあるのでは? 

 

 

 

 そんなこんなで、まさかのミホノブルボンとの共同生活がスタートしたわけなのだが、特にこれといったこともない平和な日々が過ぎていった。

 ミホノブルボンは、何と言うか、非常にマイペースな馬(オブラートに包んだ言い方)だった。

 パドック放牧(柵で区切られた少し広めの範囲内に放牧に出されること)に出された際、寝転がって寝てるのかなーと思いきや地面の草を食べていて、起き上がるのすら面倒なのかそのままズルズルと這って移動しているのを見た時には「あ、こういう性格なんだな」と理解せざるをえなかったよね。

 ウマ娘の方のブルボンも少しとぼけたところがあったが、それはこの馬の性格を反映してのものだったのだろうか……? 

 でも話しかければだいたい返答してくれるし、親しみやすい馬ではあった。馬房が隣同士だったこともあって他愛もない世間話をいっぱいした。

 ちなみに、僕のことを覚えているのかどうか聞いたところ、

 

「ふごお」

 

 とのことであった。

 ニンゲン語に訳すと、『何処かで見たような……?』くらいなニュアンスだと思われる。

 うーん、この。

 ブルボン相手に覇を競ってきたつもりの僕としては、こう、あの、もうちょっと記憶に残していただけなかったんでしょうかね……

 どうやら僕の片思いだったようだ。べ、別に悔しくなんかないんだからねっ! 

 

 

 なお、ライスのことは覚えていた模様。

 初めは僕の時と同じく『知らないけど』的な返答をしてきたのだが、僕の馬房の中に貼ってある写真を見てもらったら思い出したようだった。

 ライスについては

 

「ふごぅ」

 

 とのことであった。

 こちらはニンゲン語に訳すと、『まぁまぁ強いヤツだ』くらいなニュアンスである。

 わかってんねぇ! 

 でも『まぁまぁ』ってのは一言余計ですぜ! 

 その後しばらくライスの強さ、カッコよさを布教しておいた(オタクの鏡)。

 話し終えるころにはブルボンもライスの素晴らしさを理解してくれたようで、『ライスシャワーとまた走りたいな』的なことを言っていた。

 うん、残念ながらその思いが叶うことはないことを僕は知っているんだけど。

 でも『それは無理だよ』なんて言うことは出来ないので、『それじゃあ怪我を直さないとな』と相槌を打っておいた。

 その話ついでに、ブルボンが『もう一度走りたい相手がいる』と言っていたのは気になるところだった。

 なんか僕に少し似てるんだけど、滅茶苦茶睨んでくるヤベーやつなんだとか。なんじゃそれ。うーん、同じ父親の馬とかそういうことだろうか? 

 

 

 あと、目下最大の悩み事である「なんで走るのか」も、ブルボンと何度も話す中で話題に出してみた。

 皐月賞で僕を差し返したときに感じた闘志からして、ブルボンには特別な「走る理由」があるんじゃないかと思ったので。参考までにその理由を聞いておきたいなと思った。

 で、その問いに対するブルボンの回答は

 

「ふごっ」

 

 とのことであった。

 えぇ……

 いや『人が走れって言うから』って、んな身も蓋もない言葉を返されるとは。

 

「ふごー、ふごごっ」

 

 と思ったらその後も言葉が続いた。

 うーむ、なるほど。

 

『一緒に走るのは楽しい、ねぇ……』

「ふぅご?」

『いやまぁわからなくはないけど、去年はそんなこと考える余裕なかったし』

 

 主にあなたの影響でね! 

 ぐぬぬ、こんなぽけーっとした馬にスプリングSと皐月賞で負けているとか今になってものすごく悔しくなってきたぞ。

 ブルボンが言うには、特にずっと先頭で走ると人からいっぱい褒めてもらえて楽しいとかなんとか。

 あー、それで先頭を譲るまいとかかったりしたのかな。これまでの経験則から褒めてもらえなくなると焦ったのかも。

 

 てなわけでブルボンの走る理由は「人に言われた」「一緒に走るの楽しい」と凄くシンプルなものだった。

 参考になるかと言われると……全く僕の参考にはならなかった! 

 走るのが楽しいって視点は久しく忘れていたけど、結局それでライスの最期のレースをどうこうできるわけじゃないしなー。

 うーん、まぁ個人的な悩みなんだし、自分自身で納得の付く答えを用意しないとな。

 





※現在のキザノハヤテ君は換毛が進むと同時に毛色が一気に白くなっていってます。パッと見、別人ならぬ別馬に見えるかも。
 あとハヤテ君はパドックだと対抗心をむき出しにして有力馬をガン見しています。

 折角ブルボンと一緒になりましたが、次話でもうリハビリセンターからは卒業します。


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32.トレセンに戻りました

 

 桜が開花したという話題と共に、僕が美浦トレセンに戻る日程が決まった。

 

『だから僕は一足先にまた走れるようになりそうだよ』

「ふごぉご」

『うん、ブルボンも元気でな』

 

 ブルボンと一緒に過ごして大体2ヶ月くらいだっただろうか。僕たちはすっかり話友達になっていた。

 話してみれば中々に気持ちのいい奴だったが、そのブルボンとお別れ。史実的に、多分もう会うことはないんじゃないかな。

 ブルボンの他にもそこそこお話しした他の馬たちやお世話してくれた人間たち、そしてお風呂に別れを告げ、美浦トレセンに戻ってきたのは4月の中旬。

 

 つまり、春の天皇賞をやる直前のことだった。

 この天皇賞はライスとマックイーンによる、ステイヤーの頂上決戦だ。

 宮尾君によれば、有馬を制した後のライスは連戦連勝とのことで。

 史実では確かマチタンに負けたレースが天皇賞前にあったと思うのだけど……勝ったのか。ここでも歴史が変わっている。

 天皇賞を前にして、菊花賞から4連勝でかなり調子が良さそうだ。

 

 

 対する僕は、あんまり調子が良くない。

 以前のように走っているつもりでも、タイムは少し遅くなってるし、以前より早くバテるようになってしまった。

 休養を挟んだことによる能力の低下……というだけではないらしい。

 澤山さんは僕について、「なんとなくですが、レース後倒れたことで、走ることそのものがトラウマになってそうな感じがしますね」と羽田さんに伝えていた。

 言われてみればそんな気がしてくる。

 

 全力を出さない状態での走りなら別にどうということもない。だからリハビリ施設では気づくことができなかった。

 問題は全力で走ろうとした場合。

 走っているうちに、なんかうまく言えないんだけど、走るのがつらく感じる。段々重圧のようなものを感じて、息が上がってしまう。

 特に最後の力を振り絞るスパートをかけようとすると、途端に足を止めたくなってしまう。

 なるほど確かにトラウマになっているのかもしれない。

 

 つまりブルボンが走る理由だと語った『走る楽しさ』は、僕にとっては『走る苦しみ』になっていたってことだ。はは、乾いた笑いが出ちゃうね。

 もはや思うように走れないという、走る理由探しをする以前の問題にぶち当たってしまった。

 しかし、トラウマが原因だとしたら、どうすれば治るんだろうか? 

 解決法は羽田さんたちも頭を悩ませているが、有効そうなものは特にない。

 強いて言えば、滝澤さんが中途半端な仕上がりでもあえてレースに出すことでトラウマを克服出来るんじゃないかと言っているくらいだ。

 

 で、今日は久々に僕の馬房の前で次走決定会議が開かれている。

 出席者は羽田さんと滝澤さん、宮尾君。それと僕、キザノハヤテだ。

 なお、宮尾君は僕にバナナを食べさせるために同席しているだけである。果物は梨が一番好きだけど、バナナも美味しいよね。

 

「さて今後の予定ですが」

「宝塚記念の前に一度レースで走らせよう。骨の状態としてはもう大丈夫なんだろう?」

「……一応、こちらに戻って来た時点で、骨折は完治していましたが」

「目標が宝塚というところは変えない。が、その前哨戦に、新潟大賞典辺りに出さないか」

「新潟大賞典ですか……」

 

 滝澤さんが羽田さんに提案する。しかし羽田さんは渋い顔だ。

 新潟大賞典……GⅢだっけ? 

 今の僕の微妙な調子だと、確かにいきなり宝塚に行くよりも、滝澤さんの言う通り一度グレードの低いレースで調子を見た方が良いのかもと思うのだけど。

 

「新潟大賞典はハンデ戦です。ハヤテの実績からすると、トップハンデを負う可能性が極めて高いです。休養明けでも、です。テンポイントのようなことにはしないでしょうが、それでも60か61くらいにはなるかと。正直なところ、今のハヤテがその状態で勝つのは相当に厳しいと思います。それならば、初めから宝塚記念に照準を置いた方が良いかと……」

 

 ハンデ戦? なにそれ? GⅢレースじゃないの? 

 ええっと、新潟大賞典って確かヴィクトリアマイルをやる5月前半の中距離レースだよな。いにしえの時代に因子周回でマイル適性がない子を走らせてた覚えがある。

 というかウマ娘でレースの区分にハンデ戦なんてなかったような……? 

 

「いや。ぶっつけ本番で行くより、仕上げている途中でもレースに出して、それから軌道修正するんだ。今回は勝ってこいとは言わん。あくまで調子を見るためのレースだ」

「ううーん、いえ、わかりました。無理はさせませんので、その点はご了承ください」

 

 羽田さんが何を懸念していたのかが今一つ分からなかったけど、次走は新潟大賞典に決まった。

 ところでハンデ戦って何なんですかね? 

 

 

 

 

 そんなわけで新潟大賞典を目指してトレーニングを積んでいくことになった頃、天皇賞(春)では史実通りに事が進んでいた。

 

『三頭の争いだが僅かにライスシャワーか! ライスシャワーが抜け出したぞ! メジロマックイーン二番手か、パーマーも追い出したぞ!』

『先頭ライスシャワー、ライスシャワーゴールインッ! GⅠ3連勝ー!!』

 

 ライスはメジロマックイーン相手に勝利をおさめ、これでGⅠで3勝を挙げたのだ。

 流石にこの頃になると、ライスシャワーは本当に強い馬なんだという論説が主流になってきたように思う。

 実は歴史改変がなされた有馬優勝時点の世間の反応は、菊花賞は繰り上がっただけ、有馬記念はフロック(まぐれ勝ち)なだけ、って見方が主流で、ライスはそこまで強くないと思われていた。

 しかしメジロマックイーンとの対戦を経て、ライスシャワーこそが現役最強だと認める人が増えてきたようだ。

 この記事も『関東の刺客ライスシャワー、関西馬を返り討ち』ってな見出しでライスの強さをたたえている。ええーと、本文は……

 

「うーん、やっぱりハヤテは字を読めてるっぽいっすね。ほら、目線が文字を追ってるような感じしないっすか?」

「いやいやいや、流石にあり得ないだろ……」

「でもライスの記事を開いた状態だと大人しく眺めてるし」

「挿絵で判別……あぁでもこの前挿絵ないのにも食いついてたんだっけか……」

 

 宮尾君と厩舎所属の他の厩務員君が何やら会話しているが、読むのに集中できないのでちょっと静かにしてほしい。馬の目で細かい字を読むのは大変なんだぞ。

 こんなふうに雑誌を見せてくれるようになったのはつい数か月前から。

 

 リハビリ施設で暇にしている際、僕の世話をする人が僕の馬房から見える位置に競馬雑誌のページを開いた状態でたまたま置きっぱなしにしたことがあった。

 僕がそれに興味を抱いているとわざわざ見やすいように馬房内に置き直してくれたので、僕は足だったり鼻息だったりで何とかページを捲ろうと挑戦してみた。

 いやだってライスの特集記事とかあったら見たかったし。

 ただ、そんなのが馬の体で上手くいくはずもなく、雑誌はすぐにしわくちゃのぐっちょりになって読めない状態になってしまったのだけど。

 雑誌の持ち主であった世話をする人は「あぁボロボロにされてる……」と凄く悲しんでいた。正直すまんかった。

 その話が見舞いに来た宮尾君にも伝わり、「ライスの記事を見せたらどうなるんだろう」との話になって以来時々こうして雑誌を見させてもらっている。

 

「もしかしたらライスとは宝塚で一緒に走れるかもしれないっすね、そこ目指して復帰戦頑張ろうなー」

「あれ、でもなんか放牧に出されるみたいな噂聞いたぞ」

「あらら」

 

 宮尾君の言葉で『えっそこも歴史変わるの!?』と反応しかけた。

 ただ流石のライスといえどあのマックイーン相手には大分無理をしてたらしい。休養に入るようだ。

 良かった、ライスが宝塚に出走とか史実よりも早くその時が来てしまうのかと焦った……大丈夫だよね? 直前になってやっぱライスも出走するとかってことにならないよね? 史実がもう当てにならないから本当に怖いんだけど。

 そんな不安を抱きつつも僕の復帰戦となる新潟大賞典の日がやってきた。

 

 





 【悲報】ハヤテ君、ハンデキャップ競争がわからない
 でもウマ娘だけやってると斤量とか知らないと思うんですよね。ウマ娘の中で触れられてなかったと思いますし。
 そして何より筆者がよくわかってないっていう……こんなお話書いてるのに競馬にわかで申し訳ない。
 今のハヤテ君の成績だと今回の新潟大賞典でどれくらいの斤量になるんでしょうかね? ハンデキャップだから滅茶苦茶重いってことにはならないと思うんですけど……
 とりまハヤテ君に61kg、他の馬の斤量は史実から変更なしということにして次の話を書くつもり。
 色々教えてくれると嬉しいけど、恐らく次話には反映しきれないと思うのでご了承をば。


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33.おもいを背負って:新潟大賞典

今回短め





新潟大賞典出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
11カリブソング618.7
22ハシノケンシロウ719.6
23セキテイリュウオー23.3
34キザノハヤテ12.6
34ニックテイオー13143.9
45シャコーグレイド48.3
46ミヤシロテュードオ15265.7
57シャンソニエール1266.9
58ツインターボ37.7
69ホワイトアクセル943.6
610ナリタチカラ515.4
711ストロングカイザー1145.4
712ツルマイナス1045.1
813ハヤノキック14155.5
814アローガンテ838.3



 

 気が付けばいつの間にやらレース当日。

 そして久々にやってまいりました新潟競馬場。

 ここにくるのは未勝利戦以来かな? 

 今回走る新潟大賞典はGⅢの、芝2200mのハンデキャップ競争。

 このハンデキャップ競争っていうのが、羽田さんの言っていたハンデ走のことだ。

 

 澤山さんや羽田さんの会話を盗み聞きして、なんとなぁく分かったことなのだけど、どうにもGⅠを勝つような強い馬がザコ狩りするのを防ぐための措置があるみたい。

 その一つがこのハンデキャップ競争で、強い馬ほど重たいものを背負って走らないといけないのだ。

 これまでの競争成績や、今回一緒に走る相手との力関係。それらを総合的に勘案して、背負うべき斤量(騎手の体重込みの重さ)が決められる。

 今回、僕は出走メンバーの中でトップタイの重い斤量を背負わされる。その重さ60㎏。これまでで一番重かったのは57kgらしいので、約5%の増量だな。

 たかが5%、されど5%だ。

 レース前に何度かこの本番と同じような重さになるように装備を付けられて澤山さんとトレーニングしたけど、今の僕が、この重さを背負って走るのはかなりキツかった。

 しかもこの背負う重さは僕以外の馬はもっと軽いわけでしょ? むぅ、このハンデ戦ってのは一筋縄ではいかなさそうだ。

 羽田さんは「今回は勝つことは二の次でいい。目標は宝塚だ」ってなことを澤山さんに何度も言ってた。羽田さんも今回が厳しいレースになると思っているようだ。

 

 さてそんな厳しいレースになるであろう対戦相手たちをパドックでいつも通り確認していく。

 ふむふむ……まぁブルボンやライスと比べれば今回のメンバーは小粒ぞろいだな。いや、GⅠ馬と見比べるのは酷か。

 一応名前も一通り確認しておこう。まぁGⅢにはウマ娘実装組はそうそういないだろうし、一緒に走ったことがある同世代がいるくらいだろうけど。

 

 ……と思っていたのだけど。

 いましたよウマ娘実装組。

 

 ツインターボ師匠である。

 思わず嘶きかけたけどこらえた。ゼッケンの名前見てびっくりしちゃった。

 そっか、ツインターボってトウカイテイオーと同世代だもんな。つまり僕とは1個違いだから、かちあう可能性は十分あったんだな……今の今まで失念してたぜ。

 しかしそれを意識して改めて見ても、やっぱり見た目はそんな強くなさそうな感じ? これでライスに勝てるとはまだちょっと思えない、かな。

 史実だと確かこの秋にアニメ2期でもやった例のオールカマーがあるんだよな? 夏の間に覚醒したりするんだろうか。

 そんなことを考えているうちに騎手乗り込みの時間になり、澤山さんがやってくる。

 

「今日もよろしくな……ハヤテって逃げ馬がわかったりするのか? 今日は頑張ってアイツに追走するぞ」

 

 どうやら今回はそのターボ師匠を追走する模様。

 いつも通りの番手に控えての先行抜け出しってわけだ。わかりやすい作戦でいいね。

 さて……うぐっ、やっぱり重い。

 僕に乗り込んだ澤山さんの重さは去年のレースと数キロしか変わってないはずなんだけど、それでも重いもんは重い。

 ハンデ戦ってよく考えられたシステムだ。これなら勝利から遠のいている馬にもチャンスがあるだろうし、そっから調子を上げてデカいレースに挑戦だってできる。今の僕にとっては逆風以外の何物でもないけど。

 

「頑張って、帰ってくるからな」

 

 澤山さんは何か感じ取ったのかだいぶ弱気。

 まぁ僕自身調子が良くない自覚はある。下手すると去年のどのレースよりも「勝てる!」って確信がない。周りの力量を見渡した後でさえ、勝てるかどうかは半々ないくらいかなと予想している。

 それとなんというか、こう、心の奥底から湧き上がってくる力がないというか。

 むむぅ、レースで走るからには勝ちたい。勝ちたいけど……何だろうかこの感覚は。空気を入れようとしたタイヤに穴が開いているような、そんな感じ。

 なにはともあれ菊花賞以来のレースだ、走ってくるとしよう。

 

 

 ──・──・──・──

 

 

『スタートしました! さぁハナを奪っていくのはツインターボ。快調に飛ばしていきます』

 

『一番人気のキザノハヤテはこの位置。中団から全体を見渡します』

 

『向こう正面に入って先頭はツインターボ。続いて──……』

『……──キザノハヤテまたちょっと位置取りが下がったか。現在最後方から4頭目』

 

『さぁ最終コーナーまわってハシノケンシロウが上がってきた! シャコーグレイド、ナリタチカラも来たぞ!』

『3頭並んで大接戦ドゴーン!』

 

 

 ──・──・──・──

 

 

 ハァ、ハァ。

 苦しい。

 息が詰まる。

 全身が重い。

 足を止めてしまいたい。

 

 こんなに、こんなにも。

 走れなくなっているだなんて。

 

 澤山さん、羽田さん、滝澤さん。ごめん。

 ライス、キミともう一度、戦いたかった。

 

 キザノハヤテ15位(最下位)

 

 


 

1993年5月16日11R 新潟大賞典 芝右外2200m、晴、良馬場 15頭立て

1着 ハシノケンシロウ 2:13.6

8着 ツインターボ 2:14.4

15着 キザノハヤテ 2:17.2

 

新潟大賞典レース後コメント

15着 キザノハヤテ(澤山騎手・美穂・羽田厩舎)

 調整不足だったことは否めない。次戦までになんとかしていきたい。

 






自分で書いておきながら主人公がこんな負け続けていいのかと自問する筆者


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34.宝塚記念に向けて・ハヤテを復調させるには

 

 

真っ白に燃え尽きたキザノハヤテ

 昨年のクラシック戦線を盛り上げたキザノハヤテの復帰戦は目を覆いたくなるような惨敗で幕を閉じた。かつての鋭いスタートダッシュは身を潜め、中盤からずるずると後退し続けて、いいところなしの最下位だった。

 追切の時計からして未だ本調子ではないのでは、と噂されていた不安が的中した形だ。

 昨年の菊花賞時にはまだ黒い毛色が目立っていたものが、冬を超えた今では真っ白な灰のよう。ファンからは毛色の変化になぞらえて「燃え尽きちゃったのかな」と心配と落胆の声が多く聞かれた。

 競馬関係者は心配と共に憤りを抱いたものも多い。「陣営はどこよりもキザノハヤテの不調を把握していたはず。出走取り消しも考慮した方が良かったのでは」(栗東トレセン関係者)

 しかし羽田厩舎は外野の意見には耳を傾けずに、キザノハヤテは宝塚記念を目指すと表明している。

 関西馬ミホノブルボンに対抗する関東馬として人気を集めたキザノハヤテだが、今や関東のヒーローは小柄ながら関西の強敵を返り討ちにしたライスシャワーだ。かつての栄光を取り戻せるときは来るのだろうか。

 

 

 

【小物馬主の独り言】宝塚記念ファン投票結果が公開!

 皇太子殿下御成婚奉祝 第34回宝塚記念のファン投票結果が公開されたぞ! 

 上位10頭は以下の通りだ! 

 

 1位 メジロマックイーン

 2位 トウカイテイオー

 3位 メジロパーマー

 4位 ライスシャワー

 5位 キザノハヤテ

 6位 ヒシマサル

 7位 ニシノフラワー

 8位 マチカネタンホイザ

 9位 ホワイトストーン

 10位 ムービースター

 

 出走を表明しているGⅠ馬たちが上位に3頭並んだな。去年の天皇賞(春)以来のTM対決になる予定だ。

 天皇賞は明らかにマックイーンの土俵だったが、2200mの宝塚記念となると皐月とダービーを制したテイオーが有利に見える。

 とはいえマックイーンだって一昨年の宝塚記念では2着、天皇賞(秋)では1位入線しているわけだから、中距離でだって走れないわけじゃあない。これはわからないぞ! 

 俺のイチオシは……うーん、枠順が決まってから決めようかな。

 

 

 

 

 宝塚記念を来週末に控えた平日のこと。

 澤山は宮尾から「あ、さっきテキが澤山さんを呼んでたっすよー」と伝えられ、事務所に向かっていた。

 歩く澤山の表情は硬い。

 羽田調教師はあまり人を呼び出すということはしない性格だ。もし呼び出すとしたらよほど本人に余裕がないか、または急を要することか、もしくは周りに人がいる状態では話しにくいことか。

 まず間違いなく、いい話題ではないだろう。

 

 歩きながら何の話題だろうかと考えれば、真っ先に思い浮かぶのはハヤテのことだ。

 澤山が主戦騎手を務めているキザノハヤテは、今年に入ってからというもののどこか覇気がない。

 昨年の菊花賞で気絶・骨折したことが原因によるトラウマか、はたまた休養期間が長かったことで完全に気が抜けてしまったのか、不調が続いている。

 

 その不調を覆せないまま出走した先月の新潟大賞典では最下位と惨敗。

 陣営としてもあの状態では勝敗に絡むのは難しいのではないかと想定していたものの、レース本番であれほど萎縮してしまうとまでは予想出来なかった。

 異常はパドックで騎手が乗り込むときからあった。

 パドックで他の馬を見ているのはいつも通りだったが、乗り込んだあとに、気持ちの高ぶりというものがなかった。

 むしろ少し苦しそうにしたというか。

 これまで通りに走れなさそうだとの疑念は深まり、ゲートを飛び出した瞬間にその疑念は確信に変わった。いつもの暴力的なスタートダッシュが出来なかったのだ。

 決して出遅れたわけではない。他の馬ならまずまずといった出。

 しかし、ハヤテと言えばゲートの隙間を縫うような反応の良さが強味。それができなかった時点で、澤山は完走させることを第一にした。

 最終直線では息が切れてキザノハヤテの頭が持ち上がってしまい、ブービーから8馬身差での決着。レース後すぐに精密検査で見てもらったものの、どこにも故障はなく、いたって健康体だった。

 やはりレースがトラウマになっているのか。

 何とかしたい気持ちはあるが、何も出来ていない自分が歯がゆい。

 

 そこへ羽田調教師からの呼び出し。

 澤山はいったいどんな話をされるのかと、もしや今になってキザノハヤテから降りろと言われるのではないかと、戦々恐々とした気持ちになっていた。表情が硬くなるのも当然である。

 以前、馬主の滝澤からは「騎手を変えるつもりはない」との言葉を貰っているが、その時から1年以上が経ち、大分状況が変わってきている。オーナーの心変わりが起きても不思議ではない。

 

 『キザノハヤテはGⅠを取る馬』だという信頼、あるいは妄執とも言うべきものがあった澤山にとって、今後ともキザノハヤテに乗れるか否かは、とても重要なことであった。例え今、調子が悪かろうと、ハヤテならばきっと回復できるはずだと信じており、その時は絶対自分が乗りたいとの思いがあった。

 最近の羽田は、澤山がハヤテに乗る際、これまで以上に澤山たちを監視して、なにか思い悩んでいる様子だった。少しやつれてきたようにも思う。あれは乗り換えさせるべきか否かを考えていたのではないか。

 澤山は事務所の扉にたどり着いたところで止まり、一度深呼吸をしてから「コンコン」と扉をノックする。

 

「失礼します。テキ、お話があるとの──どうされましたか?」

「あぁ、澤山君……来てくれたか」

 

 そういう羽田は何をするわけでもなく、椅子に座って天井を眺めていた。

 見るからに生気に欠けていた。

 思わず強張っていた表情がほどけ、代わりに羽田を心配する気持ちがわき出てくる。

 それほどまでに羽田は萎れていた。なんだかこのまま放っておけば、静かに風で飛ばされてしまいそうな、そんな儚さを醸し出していた。

 

「相談があるんだ。この話をするのは君で二人目になるんだが……まぁ座ってくれ」

「は、はぁ」

 

 相談。

 どうやら乗り替わりの話ではなさそう、であろうか。

 澤山の内心に安堵が広がる。

 しかし相談とは。それはそれでどんな話題が飛び出すのだろうか。

 腑に落ちないような表情を浮かべつつも、示された椅子に座る。

 

「キザノハヤテのことなんだがね」

「はい」

「どうすれば回復できるだろう」

「……ええと」

 

 それは調教師がここまで改まって騎手に聞くことか? 

 しかし羽田がふざけている様子はない。

 やつれてしまうほどに、キザノハヤテのことを思っているのだ。羽田は真剣だった。

 

「もう宝塚記念は来週末に迫ってきている。しかし、ハヤテの調子は回復しきっていない。それは君も感じていることだと思う」

「……そうですね。このままだと勝負は厳しいと思います」

 

 澤山は少しためらった後、自分の本音を打ち明ける。

 キザノハヤテは今もスランプから抜け出せていない。流石に新潟大賞典直後ほど悪くはないが、まだまだ復調したとは言い難い。

 騎手の能力とかレース展開とか、そういうもの以前の問題として、キザノハヤテが走れなくなっている。

 身体に異常は全く無い。何かの病気に原因を見出そうと何度も精密検査を行ってもなお、健康体であるとの結果しか返ってこない。体重が極端に落ちていることもないし、細身ながら引き締まった筋肉が付いており、毛並みも綺麗で、見た目上は万全の状態だ。

 走ろうとする気概も失っていないように思える。トレーニングを嫌がったりすることもない。

 ただ、しばらく走るとすぐに息が上がってしまう。

 それでもなおハヤテは走ろうとする。全身から湯気を立ち昇らせ、息も全く整わないにもかかわらず、しまいにはフラフラにながらもなお、走ろうとする。

 その姿は痛々しく、キザノハヤテ自身も現状に焦っているような、そんな印象を抱かせた。

 

 滝澤オーナーは今度こそはGⅠを獲りたいと意気込んでいる。

 馬主の期待は裏切れないし、それに何より勝利を望む気持ちは羽田たちだって同じだ。

 

「手は尽くしてきたと私は思っている。しかし結果が伴っていなければ無意味だ。頼むっ、僅かに回復の芽があるのなら逃したくないんだ。ハヤテが回復するにはどうすればいいか、遠慮なく、何でもいいから、何か、何か案はないか」

 

 羽田は澤山に頭を下げる。まさに猫の手も借りたい状態だった。

 これには澤山も驚き、慌てた。

 

「え、ちょっと、頭を上げてください! ええっとですね、俺も色々ハヤテの調子を戻せないか、考えてはいたんですけど……」

「考えがあるのか!?」

「その、荒療治でライスシャワー号と会わせるとか……」

「……君もそれか」

 

 羽田は力なく天井を仰いだ。

 一瞬でさらに老け込んだようにも見える。

 

「も、ってことはテキも考えていたんですか?」

「私じゃない。宮尾君だ。あんな状態だというのに、何をバカなことをと思ったが、澤山君もそっち側の人間なのか……」

 

 澤山の前に宮尾にも相談していたらしい。

 もちろん澤山はそうすれば万事解決するとは思っていない。宮尾とは違って。

 キザノハヤテがライスシャワーに惚れている(馬っけは出さないので憧れに近いのかもしれない)ということは、羽田厩舎の中では一般常識である。それゆえに他の馬では考えられない解決法が考え付くのも自然な流れだ。

 なんてったって菊花賞以来、ハヤテが元気になるようにと馬房にライスシャワーの等身大写真が貼ってあるくらいなのだから。その写真を眺める時は決まってハヤテがご機嫌に尻尾を振るのもお決まりであった。

 

 ……しかし新潟大賞典後はそうでもなかったりする。むしろ写真からは目を逸らしていることが多い。

 羽田としては元々ハヤテがライスに惚れたという話を半信半疑でとらえていたため、最近の行動も合わせてライスシャワーに会わせることには反対、馬房内の写真も撤去すべきと考えていた。

 

「確かに今の様子を見る限り、ライスシャワーに合わせるのは悪手かもしれませんけど。不調になってからは会ってないですし選択肢には上がってくるかな、と。でもアレですね、ライスシャワー号って今美浦にいないんでしたっけ」

「ライスシャワーは宝塚を回避するから放牧に出されていたはずだ。行き先までは把握してないが……北海道なんじゃないか? 仮に宮尾君や澤山君の言う通りライスシャワーに会わせるにしたって、移動に比較的強いハヤテといえど北海道まで往復するには残り日数が少ない。あと、ウチの懐事情的な問題もある」

「ですよね……」

 

 羽田厩舎の成績はいいところ中の下である。昨年のハヤテのお陰で大きく経営状況は改善したものの、基本的に資金繰りは厳しい。

 流石に効果があるのかないのかよくわからないことのためだけに北海道まで行くことはできなかった。

 二人はそろってため息をついた。

 その後もしばらく二人で話し合ったが、結局明確な解決策は見つからなかった。

 

 そして宝塚記念を迎える──前に。

 

 羽田の元に、とある報せが届いた。

 

 





(調べたらこの時期のライスは美浦トレセンから近場の千葉県で放牧されてたっぽいけど、羽田さんたちは知らなかったということでここはひとつ……)
 宝塚記念は前編を水曜更新予定。後編は金曜。
 次回、絶対に勝てないレース:宝塚記念1


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35.絶対に勝てないレース:宝塚記念1

宝塚記念出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
11オースミロッチ1171.2
22イクノディクタス942.1
33メジロパーマー23.7
44アイルトンシンボリ637.6
55キザノハヤテ37.3
56ロンシャンボーイ841.5
67メジロマックイーン11.7
68ニシノフラワー415.3
79ホワイトアロー12109.5
710セキテイリュウオー1043.6
811アラシ740.1
812シャコーグレイド531.0



 

 

 宝塚記念を走りますキザノハヤテです。よろしくお願いします。

 本日はポツポツと雨模様ですが、一応発表では良馬場とのことなので走りやすそうです。

 

 なお、走りやすかったとしても僕は全然走れない模様。

 なんせ僕の不調は未だに直っていないからね。

 最近は「あぁー、これで僕はもう鳴かず飛ばずになっちゃう感じなのかなー」と諦めモードだ。

 走りたいという気持ちはあるんだよ? 

 でも走っているうちにダメになってしまう。

 前回のレースではスタートすら上手く出られなかった。いくら去年より重い斤量を背負っていたとはいえ、あれはひどすぎる。

 なのでもうどーにでもなぁれって感じ。僕の全盛期は菊花賞までで、今はただの絞りっカス。きっと今回のレースでぼろ負けしたら、僕は人知れずお肉に加工されるのだろう。こんな調子じゃいつそうなったっておかしくないし、もうしょうがない。

 唯一の未練はライスともう一度走れなかったことだけだ。

 

 ま、そんな勝負を捨ててしまった僕のことはさておき、このパドックをご覧下さいよ! 

 

 メジロマックイーン! 

 メジロパーマー! 

 ニシノフラワー! 

 イクノディクタス! 

 

 ウマ娘になっている馬が4頭いる。こんなに多いのはスプリングステークス以来だ。

 その上パーマー以外の3頭とは初顔合わせでもある。

 ニシノフラワーと一緒に走ることで、これで僕はブルボン世代のウマ娘とは全員一度は同じレースを走ったことになるわけだな。

 うぇーい、前世のオタクどもに自慢してやるぜ。「僕、この子たちのモチーフ馬と一緒に走ったことあるんだぜ」ってな! ハッハッハ! 

 

 しっかしメジロマックイーンやべぇな! 

 今まで見たことのある競走馬の中で、ぶっちぎりで強く見える。史実でもこのレースは確かマックイーンが優勝したんだよな? それも納得の強さと気迫だ。

 菊花賞時のライスやマチタンよりも、一回りも二回りも実力は上だろう。

 勝負を諦めたからこそ気楽だけど、この馬に勝てと言われたら無理だと言わざるを得ない。

 こんな化け物相手に、ライスは勝ったってこれマジ? 

 ライスってホントにすごいなぁ! 

 それに対して僕は……

 

「とまーれー」

 

 おっと、騎手乗り込みの時間だ。

 そうそう、僕が今回の勝負を捨てたのは何も自分の実力が低いことだけが理由じゃない。

 

 騎手の問題でもあるんだ。

 というかこんなダメダメの騎手を背にGⅠを勝てる馬がいたら拝んでみたいレベルだね!

 だから僕にはもう敗北を受け入れるしかないってわけ。

 

 

 だって、

 

 

「お、おぉーし、キザノハヤテ、がんばるで!」

 

 今回の騎手、澤山さんじゃないし。

 

 

 ──・──・──

 

 

 宝塚記念に出走する3日前の夜だったかな? なんか羽田さんたちがやけに慌ただしくしてたんだよね。

 どうしたんだろうなぁと思いながら翌日を迎えた僕の前に、羽田さんとともに一人の人物がやって来たんだ。

 見たことはある人だった。

 羽田厩舎で他の馬の、昨年まで僕の隣の馬房にいたカタフラクト先輩とかの、その騎手をしていた人だってことは知っていたから。

 

「ちゃんと挨拶するのは初めましてやな。ウチは守田や。宝塚記念では澤山さんに代わって、ウチがお前さんに乗ることになった。よろしゅうな」

 

 は? 

 え、澤山さんはどうしたの? 

 そんな疑問を込めて羽田さんを見ると、珍しく羽田さんと意思疎通ができた。

 

「澤山なんだが、交通事故にあってな」

 

 え。

 

「命に別状はない! ただ、少なくとも一月程度は入院することになって、今週末の宝塚には間に合わない。だからハヤテ、ひよっこだが、コイツを乗せてやってくれ!」

 

 そう言って羽田さんが頭を下げる。続けて守田さんも頭を下げた。

 

 ……なんていう一幕があったのである。

 これまで僕がレースに出る時は全て主戦騎手の澤山さんが乗ってきた。

 調教中であっても、澤山さんと調教師の羽田さんと調教助手の人くらいしか乗せたことがなく、守田さんを乗せたことは……あったかな? ないような気がする。あったとしても記憶に残らない程度しか乗っていない。

 つまり、僕には乗り替わりの経験が乏しいのだ。

 

 乗り替わりと言えば、大きなハンデになる……らしい。うろ覚えの前世の記憶だけど。

 人間同士でも相性によって合う合わないがあるように、馬と人間の間にも相性がある。人間は相性の良否を理性で我慢できる場合もあるが、馬はなかなかそう上手くいかないらしい。

 でも僕は人間がインストールされたUMAですし? そこは割り切れるしそんな問題にならんやろ……と思っていたのだけど、これが全く違った。

 端的に言おう。

 守田さんは騎乗が下手くそだった。

 

 騎乗に上手い下手なんてあるのかと思っていたけど、あったのだ。

 なんていうかな、澤山さんに比べるとぐらぐらしてるんだよね。だからめっちゃ走りにくい。

 そのくせ、あぁせいこうせいと指示が五月蠅いというか。

 カタフラクト先輩、よくこの人を乗せてレースで勝てたな……ホントはオープン馬じゃなくて重賞クラスの馬だったのでは? そのくらいのハンデだと思う。

 聞けば守田さんの騎手人生は、今年で5年目。加えて勝利数はやっとこさ50勝したところ。20年近く騎手をやってる澤山さんとは比べるべくもない。

 守田さんはまだ初心者マーク付きの見習騎手(斤量軽減1kgがつく)なのだ。

 

 そんなぺーぺーのアンチャンに声がかかった経緯はこうだ。

 羽田さん的には一応僕はまだ『期待の馬』にカテゴライズされているようなので、どこの馬の骨とも知らない奴を乗せるのは憚れるらしく、まず、羽田厩舎がよく声をかけている他のベテラン騎手に声をかけたそうな。

 が、全員に断られてしまった。

 皆して他の競馬場で騎乗予定があり、羽田厩舎に出入りする際に復調の兆しもないと聞いていた彼らは、自分の持ち馬を蹴ってまで僕に乗りたいと思わなかったようだ。

 競馬はロマンで出来ている面もあるが、それと同じかそれ以上に、日銭を得るための『仕事』なのである。仕事のためには、騎乗予定をドタキャンして顧客の信頼を損ねるわけにはいかないのだ。

 さぁこれは困ったぞ……となったところで、羽田さんが思いついたのが羽田厩舎所属の守田さん。勝率は微妙だが、厩舎所属ということもあって羽田さんが一定量の信頼を置いている騎手だ。彼に今週末の騎乗予定はなかった。

 ちなみに、守田さんは今回がGⅠ初騎乗だそうで。

 羽田さん的には、重賞級の馬に乗る経験を糧に成長してほしい意図もあるようだった。

 

 乗り変わりが決まってから宝塚記念が行われる阪神競馬場に移動するまでに、守田さんは頑張って僕を乗りこなそうとしていたが、僕からすれば全くお話にならなかった。

 ただでさえ調子が悪いというのに。それに加えて守田さんを乗せていたら、まともに走れないだろう。

 これが僕が今回の勝負をあきらめている理由である。

 





次回宝塚記念後編、「出口:宝塚記念2」


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36.出口:宝塚記念2

今となっては言い訳というか負け惜しみにしかならないのは重々承知ですが、どうかこれだけは言わせてください。
この展開を思いついたのは2021年の11月か12月あたりなんです。
作者の遅筆が憎い。



 

「ウ、ウチがついにこんなところまで来てもうた……! アカン、手が震えるで」

 

 輪乗りの最中に鞍上から震えた声が聞こえる。

 あぁー、どうしてこんなことに。

 絶不調に加えて騎手が乗り替わるという特大ハンデ。

 いつにも増して、もはや走り出す前から体が重いような感覚さえある。

 宝塚記念のファンファーレが鳴ると、鞍上の守田さんの緊張感が極限にまで高まる。

 ガッチガチに緊張していやがる。

 皐月賞や菊花賞の時の澤山さんがしていたような良い緊張感じゃない。これはスプリングステークスの時みたいな悪い緊張だ。

 うん、決めた。

 最初から最後まで、守田さんのことは気にせず、僕の裁量で走ろう。守田さんに任せてしまったらスタートダッシュすら出来なさそうだ。

 いくら体が重いとはいえ、出来ることをしないで負けるなんて嫌だ。

 勝てないとしても、出来ることをやりきって、すがすがしく負けたい。

 

「オヤジもオカンも見に来てくれてるっていうし、出遅れだけはせぇへんようにせんと……!」

 

 いや、君に任せてたら絶対出遅れる。澤山さんの魂をかけてもいい。馬自身だけで抜群のスタートを切れる僕だったことに感謝した方が良いぞ。

 順調にゲート入りが進んでいく。全頭収まった、な。スタートに向けて力を溜める。

 この重圧に負けない様に、そして前回のレースみたいな不甲斐ないスタートを切らないためにも、気合を入れねば。レース結果は伴わずともせめて、せめて、スタートだけは。

 

 スターターが旗を振り、「ガチャン!」との音と共にゲートが開くと同時に、僕は守田さんの指示を待たずに一瞬で全身の筋肉を躍動させた。

 

「ゥワッ!?」

 

 

 その時、ついさっきまで体にまとわりついていた重圧が、ふっと消えた。

 

 宝塚記念でスタートダッシュを自分一人で決めた僕は驚いていた。

 身体が軽い。

 今までの重圧が全く感じられない。

 あっという間に僕が先頭に立つ。

 守田さん覚醒したのか!? 乗っていることを感じさせない騎乗だ、急に上手になったねぇ! 

 いや、守田さんはやればできる奴だって信じてましたよ(手の平返し)!! 

 

 ちらっと鞍上を見ると、空が広がっていた。

 

 ……あれ? 

 

 身体が軽い。

 まるで誰も乗っていないかのように。

 

 ……

 

 ……うん。

 

 やっちまったァー! 

 スタートダッシュで守田さん振り落としたっぽい! 

 すまん! 

 勝手にスタート切ったのは悪かったけど振り落とすつもりはなかったんだ。わざとではないから許して! 

 

 いやでもこれどうしよう!? 

 僕、もう先頭に立っちゃってるよ? 

 これで急に止まりでもしたら危ない。後続を巻き込んだ玉突き事故を起こしてしまう。

 つまり走るしかない! 

 全力で逃げろ!! 

 

 誰も載っていないのをいいことに、僕はぐんぐん速度を上げて飛ばした。

 身体が本当に軽い。

 

 後続との差が2馬身、5馬身、10馬身と開いていく。

 僕以外の足音が小さくなる。

 

 あぁ。なんかこれ、イイな。

 

 雨を受けて青々としている芝を蹴って走る。

 もっと速く、もっと速く。軽やかな身体は風と同化してゆく。

 のろまな風を追い越し、切り裂き、疾風となって駆け抜ける。

 

 

 あぁ、そうだ。

 走るのって、こんなに楽しかったんだ……! 

 

 

 よぉーし! 

 もうこれは最速で駆け抜けてレコードタイムを出すしかないな! 

 ハッハァー! 

 誰もなしえない大記録、叩きだしてやるぜぇ!! 

 

 ペースもくそもヘったくれもなく『全力で』走り続け、真面目にレースをしている面々を突き放し、ダントツの1位でゴール板を通り過ぎる。観客席からはどよめき混じりの歓声が上がる。

 どうよこれ、確実に宝塚記念の、いや、芝2200mの世界記録(?)を更新しちゃったな……! 

 ゴール板の先で独りでに速度を緩めつつ振り返ると、後ろではようやくマックイーンらがゴールしたところだった。うん、優勝はやっぱりマックイーンみたいだ。

 コース上にいたら邪魔だな。コースの外側に移動して、皆が通り過ぎてから帰るとしよう。

 

 止まった僕を真面目にレースした面々が僕を追い越していったあと、地下馬道へ繋がる出口に向けて足取り軽やかに向かう。スキップでもしたい気分だ。

 ただまぁ流石に真剣勝負を繰り広げる競馬場でそんな浮ついた行動をするのもなと自制。

 そんなことを考えていたら出口のところから宮尾君が出てきた。僕を見つけるなり手綱を片手に慌てた様子で駆け寄ってくる。まぁ今の僕、放馬しちゃってるからね。

 

「ハヤテ、こっちに来るっすよ。よぉしよし」

 

 いやぁお手数おかけします。大人しくお縄につきますよ。

 手綱を繋いで宮尾君はホッと一息ついた。

 

「はぁ、全くお前と言うヤツは……しかしまぁ随分楽しそうに走ってたっすね」

『いやぁ、なんか走るのが楽しくなっちゃって』

「これでトラウマが消えてたりしたら、めっけもんなんすけど」

 

 あぁそういえば。

 言われるまでそんな感情を抱いていたことを忘れてた。

 トラウマが消えたかどうかはわからない。

 わからないけど……へへっ。

 今、確実に言えるのはこれだけだ。

 

 走るのって楽しいな! 

 

 

 

 


 

 1993年6月13日10R 宝塚記念 芝右2200m、雨、良馬場 12頭立て

 1着 メジロマックイーン 2:17.6

 2着 イクノディクタス 2:18.1

 ・

 ・

 ・

 9着 ニシノフラワー 2:21.1

 10着 メジロパーマー 2:21.3

 ・

 ・

 競争中止 キザノハヤテ

 






 ……ちょっと愚痴らせてください。

 シルヴァーソニック君さぁ! 事実は小説より奇なりを地で行かないでくださいよぉ! なんで騎手もなしに番手の良いポジションを確保しきってたんですかねぇ! 
 あとドゥラエレーデ君もさぁ! 独りでにコースの出口へ向かうの笑っちゃったけど、お話の作者としても馬券的にも笑えなかったんですが!?

 ……なんもかんも作者が悪いのです。
 チマチマ書き溜めを作っては微修正し作っては微修正し、書き溜めたら書き溜めたで色々気になる点が増えて大きく書き直したりして、投稿しようかなどうしようかなと優柔不断な気持ちに整理をつけていた時間が長すぎました。
 現実のパクリじゃないと言い張っても後出しだから言い訳にしかならんのです。
 以上、愚痴でした。


 作者はシルソニ君とエレーデ君を応援しています。


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37.一方その頃

 

 

「やった、キザノハヤテです! 想像を超える走りで遂にGⅠの栄光をつかみ取った! 覗見防止の優勝はキザノハヤテです!!」

「優勝者インタピピピ

 

 ピピピ

 

 ピピピ

 

 

 聞き慣れた目覚ましの音がする。

 

「ぅ……?」

 

 澤山は見慣れぬ白い部屋で目を覚ました。

 空調が付けられた天井、隣には落下防止用の柵と、その先に中段にテレビが備え付けられた床頭台。更にその向こうにある窓は曇り空を写していて、冷たい蛍光灯の光が部屋全体を照らしている。

 澤山は思わずふふっと笑ってしまう。こんな状態になってまでこんな夢を見るとは、よほど自分はキザノハヤテという馬に惚れ込んでいるらしい。

 手を伸ばして卓上時計を掴み、目覚ましを止める。

 今日は日曜日。阪神競馬場で宝塚記念が開催される日だ。

 

 にも拘らず、キザノハヤテの主戦騎手である澤山は、未だ美浦トレセンに近い茨城県内の病院にいた。

 交通事故を起こし、入院することになってしまったからだ。

 去年ようやく新調できたマイカーに乗って、夕食を外で済ませた帰宅中、青信号を通過しようとしたときに右からかっ飛ばしてきた車が突っ込んで……

 翌日、目を覚ますと病院にいて、1カ月は入院しておくようにと医者に言われたのだ。

 車は双方とも大破。事故の状況からすると澤山は即死してもおかしくないような大事故だったらしい。

 事実、事情聴取に来た警察によれば、ぶつけてきた車を運転していた男性は亡くなってしまったようだ。

 しかし、澤山は事故直後こそ脳震盪で昏睡していたが、事故翌日に目を覚ました後はピンピンしている。精々が右半身打撲によって内出血の痕が痛々しいのと、右腕を動かしづらいと感じる程度。

 医者から奇跡だと讃えられ、少しむず痒い思いをした。

 騎手という職業柄、咄嗟の受身・回避行動というのは騎手学校で叩きこまれる。それが澤山の命を守った、のかもしれない。

 

 とはいえ交通事故の影響はすぐに表面化しないケースもある。

 今回はぶつかってきた車が明らかに速度超過していたとの目撃証言もあるので、激突時の衝撃はかなりのものだったはずだ。経過を注視しておく必要があるだろう。

 それを見越しての1ヶ月の入院となったわけだ。

 退屈な入院生活になるかと思ったが、思わぬ出会いもあった。

 

「失礼します。澤山さん、朝ご飯をお持ちしました!」

「あぁ、ありがとう」

「いえいえ! 澤山さんには早く元気になってもらわないと、ハヤテちゃんが悲しんじゃいますから!」

 

 今、朝食プレートを持ってきてくれた20代の看護婦は、キザノハヤテのファンだった。名前を聞けば随分前から何度かハヤテと澤山宛てにファンレターを送ってきてくれた人だとわかった。

 キザノハヤテに期待している人がいるのだということは分かったつもりになっていたが、普段関わりのない場所で実際に応援してくれる人に出会うと、それはそれで胸の内に込み上げてくるものがある。

 

 なお、事故のあった当日、澤山は昏睡していて羽田調教師に連絡なんてできない状態だったのだが、この看護婦が運び込まれたのが澤山だと気付くや否や美浦トレセンを通じて厩舎に連絡を入れてくれたという。お陰で澤山が翌日に目覚めた頃には澤山の代わりに騎乗する騎手が決まっていた。

 ただ、その乗り替わり先が守田というのは、澤山からすると不安でしかないのだが。

 看護婦は澤山の前に朝食プレートを置いた後、テレビの前に積まれた小銭をチラリと見る。ここの病院の個室にあるテレビは有料で、見るためには小銭が必要なのだ。

 

「えっと、もしかしてテレビで今日のハヤテちゃんのレースを見ようと?」

「あぁ、そう思って小銭はもう用意したんだ」

「そ、それじゃあ、わ、私も、ご一緒していいですか?」

「ん? まぁ別にいいけど、仕事は」

「大丈夫です、今日はホントは一日お休みにしてあったので! 午前で上がっても文句言われる筋合いはありません!」

 

 休日を返上して働こうとしていたとは偉い子だなと澤山は感心する。

 なお、小声で看護婦が「えへへ、澤山さんと一緒にレース観戦……!」と夢見がちに呟いているが気にしてはいけない。

 ちなみにこの看護婦との出会いは、40を目前にして未だ独身の澤山にとって大きな人生の転機となる出会いだったりするのだが、この物語において重要な事柄ではないため澤山のプライベートな話は割愛する。

 

 

 そして宝塚記念の放送が始まった。

 

 

 パドックや返し馬の様子を見ても、ハヤテと守田が未だ噛み合っていない様子が見て取れた。というか守田がガチガチになっている。

 それは素人目に見てもひどく映るらしく、澤山と一緒に見ていた看護婦はどんどん不安な表情になっていく。

 

「ハヤテちゃんは勝てるんでしょうか」

「うーん、どうなるかな。でもきっと守田と一緒に頑張って走ってくれると思うよ」

 

 口ではそういうものの、澤山の内心は守田に「そこ代われ」と言いたい気持ちでいっぱいだった。医者の言うことなど無視して、阪神競馬場に向かった方が良かったのではないかと思えるほど。

 これは大敗は避けられないかと諦観の念を強める中、果たしてレースは始まった。

 

『──全頭ゲートに収まりまして、スタートしました!』

 

「「あっ」」

 

『おっと、落馬発生! キザノハヤテです、守田騎手が落馬! キザノハヤテは空馬になったまま先頭を駆けて行きます』

 

 思わず澤山も看護婦も声が出た。

 テレビ映像は『重荷』を捨て去って抜群のロケットスタートを決めたキザノハヤテをバッチリ映していた。

 あっという間にハヤテが馬群の先頭に立つ。走りを緩めることはない。

 

「何やってんだか、アイツ……」

「あはは……守田騎手、やっちゃいましたね」

「あぁいや、そっちじゃなく」

 

 経験不足の守田なら、あのハヤテのスタートで降り落とされるのは、まぁあり得なくはない。ましてや今回のスタートは過去一で鋭いスタートだったように見える。

 だから思わずつぶやいてしまった言葉は、どちらかと言えば守田を責めての言葉ではない。

 騎手を失ってもなお走り続けるキザノハヤテに向けての言葉だった。

 

『えー空馬から3、4馬身程離れて現在一番手はメジロパーマー。続けて2馬身離れて──』

 

 普通、空馬になった馬は上手く走れなくなる。

 例えばラチに突っ込んでコースアウトしたり、そもそも走るのをやめてしまったり。馬群の中にいれば一緒に走っていくこともあるが……

 テレビ画面に映し出されたキザノハヤテは、それこそ大逃げをするかの如く走り続け、遂にはカメラに写されなくなった。

 

「吹っ切れた、かもな」

「……? それってどういう……?」

 

 澤山にせよ、宮尾にせよ、最近のハヤテの様子を知っていた者は何かが変わったと、敏感に感じ取っていた。

 その後はカメラにキザノハヤテが写ることはなかったが、何故か中継が最終コーナーを映しているとき、まるで誰かがゴール前を通過したかのような、どよめき混じりの歓声が上がった。

 

 

 

【宝塚記念】貫録を見せつけたマックイーン

 宝塚記念はメジロマックイーンが1番人気に応え、見事1着を勝ち取った。メジロマックイーンはこれで4年連続でGⅠを制覇したことになり(1990年菊花賞、1991~2年天皇賞(春)、1993年今回の宝塚記念)、獲得賞金は10億円に迫る勢いだ。

 2着には8番人気のイクノディクタスが入り、こちらは牝馬として初めて獲得賞金が5億円を超えた。GⅠでの勝利こそないが、前走の安田記念でも2度重なるレースで安定した成績を残していることは特筆に値する。

 レース展開はスタート直後に騎手が落馬して空馬になったキザノハヤテが先頭を駆け抜け、メジロパーマーが続く展開。

 空馬が作り出す超ハイペースに巻き込まれ、メジロマックイーンを除く先行勢が次々失速していった。最後まで落ち着きを保っていたイクノディクタスとセキテイリュウオーが最終直線で猛烈な追い込みを見せたものの、メジロマックイーンが押し切って勝利した。

 

 

キザノハヤテ宝塚でも一波乱

 様々な意味で菊花賞を騒がせたキザノハヤテが、宝塚記念でも波乱を巻き起こした。

 キザノハヤテの主戦である澤山騎手がレースのわずか3日前に交通事故に遭遇して、入院となってしまい、宝塚記念では僅か81勝の若手騎手、守田騎手が乗り替わることになっていた。

 しかしスタート直後、その守田が落馬してしまう。

 キザノハヤテはスタート巧者として有名だが、その際に騎手にかかる負担も大きい。主戦騎手である澤山でさえ「デカい波が体にぶち当たるような感じ」と語ったことがあるほどだから、慣れていなければ簡単に波に飲み込まれてしまうだろう。

 

 しかしその後、キザノハヤテは騎手はただの重りだったと言わんばかりの快走を見せる。

 結果、12秒前後のラップを刻み続け、2分9秒9でゴール板前を駆け抜けた。上がり3Fは34秒3だった(タイムはいずれも筆者調べ)。カラ馬がGⅠ競争で1着馬よりも先着したのは日本競馬史上初めて。

 1着になったメジロマックイーンの時計が2分17秒6だったことから、約8秒も先にゴールまで駆け抜けたことになる。

 

 キザノハヤテはGⅠではこれまでにハナ差2着(皐月賞)、降着2着(菊花賞)、そして今回の宝塚記念はカラ馬になって1着馬より先着と、いずれも能力の高さを見せている。

 次はキザノハヤテ自身が栄光を掴む姿を見たいものだ。

 





 閑話を挟みつつちょいとまた充電期間を頂きます。
 シニア秋シーズンは当初のプロットから出走レース自体を見直すことにしちゃったので、色々と見直したいのです。だから本編再開は……7月中に出来たら褒めてください。
 なお、残り本編話数は多くても両手に収まるくらいに落ち着くような気がしてます。まぁほとんど白紙状態なんですが。

 んあー、オールカマーほんとどうしよう……


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ウマ娘編:ハヤテ君のとある日常

 

「ハヤテ、次の往復が最後だ! がんばれ!」

 

 プールサイドからトレーナーさんの檄が飛ぶ。

 言われずとも頑張っているけど、不思議と応援されるともっとがんばれるような気がしてくる。

 ぃよーし、やってやろうじゃねぇかぁ! ラスト100m、全力で泳ぎ切ってやらぁ! 

 僕は気合を入れて水を蹴る脚に力を込めた。 

 

 

 

 プールから上がると、バスタオルを持ったトレーナーさんが近づいてきた。

 

「おつかれ様。まずはよく体を拭いて」

「うぃ」

 

 今日は午前に授業、午後はトレーニングの日だ。アプリのスタミナトレーニングにも映ってたあの屋内プールに来ていた。僕ら以外にも何組かプールトレーニングに励んでいる。

 僕は次のレースも近づいてきているので、練習にも身が入るというものだ。

 手渡されたバスタオルを受け取り、ガシガシと頭全体の水気を取る。

 

「あぁ、もっと丁寧に拭かないと。髪の毛ボサボサだぞ?」

「どうせくせっ毛ですし、別にいいですよ」

「はぁ。ちょっと貸して」

 

 貸してと言いつつ、トレーナーさんは有無を言わさずに僕の手からバスタオルを強奪した。あー、僕のタオルー。

 そしてタオルでポンポンと軽く叩くようにして水気を取っていく。さらにはドライヤーに櫛なんかも使って僕の髪型を整え始めた。どっから取り出したんだそれ。

 というか女の子(前世と前々世は男だったけど)に対してちょっと距離が近すぎでは? 僕を友達か何かと勘違いしてない? 

 

 ……はっ、もしかしてトレーナーさんが僕に惚れていて、さりげなくボディタッチしたいがために距離感が近い可能性が!? 

 

 僕だってウマ娘の端くれ。大多数のウマ娘の例に漏れず、今世の僕は前々世の基準からするとかなり素材は良い。

 ただ、今世は十数年ぶりの娯楽の数々に感動して夜更しばっかしてることもあり、素材をかなり台無しにしているのだけど。

 隈の取れない目に、美白を通り越して青白い肌。髪の毛をセットすることもないしプール大好きなので塩素で髪の毛は荒れ放題。さらには身体は痩せぎすでおっぱいもほぼ皆無。

 極め付きにウマ娘として十数年過ごしてなお、前世前々世の影響で女性らしい所作がちゃんとなっていないこの内面の残念さ加減。

 女性的な魅力は皆無だというのが僕の自己分析だ。

 しかしこの体で過ごしてみると、意外にもこんな僕を厭らしい目で見てくるような変質者もいるのだ。

 うわぁ、トレーナーさんもそんな変質者の仲間だったとは……ドン引きである。

 折角髪整えてもらったけどちょっと距離とっておこ。

 

「……何か変なこと考えてないか?」

「何故バレたし」

「ハヤテはすぐ雰囲気に出てわかりやすいからね。何考えてたかまではわからないけどさ」

「トレーナーさんは変質者だなって思ってただけですよ」

「君には言われなくないなぁ……」

 

 なにおう、僕は変質者じゃないわい。無言で不服を訴えるためにトレーナーをジト目で睨む。

 

「いやだって初対面の時からして」

「あ、あれはトレーナさんの勘違いじゃないですか」

 

 模擬レースを走るライスさんの邪魔にならないように、『風景に溶け込んで』ひっそりと応援していたところを不審者と勘違いされ、表に引き釣り出された。僕はただ応援していただけだというのに、だ。

 それがちょっとした騒ぎになったせいで、折角模擬レースで1着を取ったライスさんへの注目度が下がってしまった。その後しばらくした後にライスさんが無事トレーナー契約できたから良いものの、一歩間違えばライスさんがどうなっていたことか……

 トレーナーさんには切に反省していただきたい。

 

「だってどう考えても段ボールは風景に溶け込んでな、ったぁ!?」

 

 バシーン! 

 態度を改める様子がないので渾身の尻尾ビンタを食らわせてやった。

 最近躱されることが多かったので当てられて満足。腰さばきを鍛えたかいがあったぜ。

 プール上がりの水気を含んだ尻尾だから威力も申し分ない。

 いい音が鳴ったのでプールで練習してた他の面々の注目を集めてしまったが、ウチの生意気なトレーナーさんを矯正する方が大事である。

 

「くっ、油断した……ハヤテ、それはやめなさいと前も言っただろ……」

「でもウマ娘の力で足や手を使うのは危ないですし。尻尾ならその点そこまで危なくないでしょう? 僕ってばすごくトレーナーさん思いなウマ娘だと思いません?」

「いやそういうことではなく」

「あ、ビンタじゃなくて前やったみたいに尻尾で優しくお尻ぺんぺんした方が良かったですか?」

「いやもっとダメだろ、どうしてそうなる」

 

 いい歳こいてお尻ぺんぺんされるのがよほど屈辱と見える。

 でも前世の僕なんてレースのたびに何千何万人もの前でお尻ぺんぺんされてたんだよ? 今世では少しくらい叩く側に回ったって罰は当たるまい。

 というか、トレーナーさんはそもそも僕が尻尾ビンタしないで済むように言動に気を付ければよいのでは? 

 

「で、今日はこれでトレーニングは終わりでしたっけ?」

「……あぁ。ここ数日はハードだったからな。明日の追い切りに向けてしっかり身体を休ませてくれ」

 

 トレーナーさんもなんか疲れた表情だね。何か心労でも抱えてるのかな? まぁ僕には関係ないけど。

 さてと、時計を見上げれば現在時刻は15時前。

 ふむ。

 

「了解です。あ、少し散歩するくらいはいいですよね?」

「あぁいつもの……はぁ、迷惑になるようなことはしないで、ちゃんと休むんだぞ?」

 

 もちろん、しっかり英気を養いますとも! 

 

 

 ──・──・──

 

 

 制服に着替えた僕は学校内を歩いていた。

 トレセン学園のウマ娘たちは毎日17時くらいまでの練習は当たり前。しかし僕はそれよりも早く練習が終わった。

 となればやることは一つ。トレーニングに励むライスさんを見守ろう! 

 ライスさんを見てるだけで疲れなんて吹っ飛ぶからね、英気なんざ一瞬でチャージできるのさ。

 

 てなわけで校舎の屋上へ向かうため、廊下を歩いてるところだ。

 屋上はいいぞ。

 トレセン学園は学園全体がレース仲間であると同時にレースでのライバルだという関係性もあり、屋上は割と敵情視察のために誰かしらがいたりする。

 そんなところだから僕が行っても不思議がられないし、何より、グラウンドまで距離があるから走っているライスさんに余計なプレッシャーや騒ぎを与えないで済むという利点がある。

 そしてウマ娘も含め、人ってのは頭上への警戒が薄い生き物だ。長らく空に天敵がいない生き物だからね。

 なのでより高い位置から見守るというのは、相手に警戒感を与えないという意味でも、とても理にかなっているのである。「高所から見守る」というのは、初心者からプロまで使える見守りの基礎であり、基本テクニックだ。

 

 さて、僕作成のマル秘ノートによれば、今日のライスさんは第2練習トラックのダートAコースでトレーニングをしているはず……だったよな? ちょっと確認しておこう。

 胸ポケットから件のノートを取り出す。えーっと今日のライスさんの予定は……

 と、よそ見をしたのがいけなかった。

 

「うわっ」「ぎゃあ!」

 

 僕は階段へ足を進めたところで勢いよく階段を降りてきた誰かとぶつかってしまった。

 もつれるように床に香れてしまい、誰かが僕の上に重なるように倒れてきた影響で動けない。

 

「ほらもー、師匠が前も見ずに走ってるからだよー。そっちの葦毛のキミ、ケガは無い?」

 

 半角カタカナ味のある特徴的な声が聞こえてくる。

 彼女が師匠と呼ぶ相手ということは今、僕の上にいるのは……

 

「イテテ、ごめんな大丈──ぎゃああああ!」

「人の顔見て『ぎゃああ』は流石に酷くありませんかねターボさん、まだ何もしてないじゃないですか」

 

 僕の上に倒れていた人物が飛びのいたことでようやく僕は体を起こすことができた。

 そして出会った二人に視線を向ける。

 やっぱりツインターボとトウカイテイオーだ。

 ターボさんは目に悪そうなビビットブルーの髪をツインテールにし、ぐるぐるおめめとギザ歯を持った元気いっぱいちびっこウマ娘である。属性多すぎ。

 テイオーさんは前々世でアニメ2期の主人公格でもあったウマ娘。ポニテにクソガキ感のある不敵な表情が印象的。しかしその不敵さは実力の表れでもある。背丈こそターボさんと同じくらいだけど、強者のオーラが溢れ出てる。

 

「えーと、知り合い?」

 

 おっと、そういやテイオーさんとは初対面だ。

 

「お初にお目にかかりますテイオーさん。僕はキザノハヤテといいます。ターボさんとは……最初に出会ったときに少し脅かしちゃいまして。ほら、こんなナリですから」

「あー……」

 

 こんなナリで通じる僕の外面の悪さよ。

 まぁ目元のクマといい色白な肌といい痩せぎすな体つきといい、幽霊みたいな外見だからね。幽霊嫌いなターボさんにそおっと話しかけたのが悪かった。

 それ以降いい反応してくれるものだから僕もちょっと悪戯心が出ちゃったのも悪かった。

 

「テイオーバリア!」

「わわ、なにするのさー! うーん、キザノハヤテ、ってどっかで聞いたような

 

 今ではすっかりターボさんに怯えられてしまい、今もテイオーさんの後ろに隠れて警戒される始末。

 ぶつかった衝撃で落とした僕のノートを拾い、よっこらせと立ち上がる。そして特に体を痛めていないことを確認。

 僕らウマ娘にとっては不意の事故で突然走れなくなったらシャレにならないからね。軽く体をほぐして、うん、大丈夫そうだ。

 

「すいません、よそ見をしながら歩いていたので。ターボさんの方も、その様子なら大丈夫ですかね」

「お前に心配されることないもん!」

「はい、ターボさんが元気そうなら何よりです」

「ぐぬぬ」

 

 こんなに避けられると僕だって流石に傷つく。

 最近は僕もこれまでの行動を反省してターボさんと歩み寄るべく、ターボさんにはいつもの3割増しで丁寧な対応を心がけているのだが、今のところ改善の兆しはない。悲しみ。

 

あ、思い出した。破廉恥って噂の……って、ボクたち急いでるんだった。ほら行くよー」

「んあっ、そうだった! キザノハヤテ、今度レースで走る時はターボがコテンパンにしてやるからな!」

 

 二人は廊下を駆けて行った。

 ……なんか今テイオーさんが変なこと口走ってなかった? 

 え、僕が破廉恥? なぜ? 

 

 

 なんだか変な噂がたっているらしいけど、まぁおいおい確認すればいいか。

 今はそんなことよりライスさんを一秒でも長く見守ることの方が大切である。

 階段を上って扉を開ければ初夏の日差しが肌に突き刺さる。この良すぎる天気を嫌ってか、今日は屋上に人影は見当たらない。これなら思う存分ライスさんを探せるぞ。

 グラウンドがよく見える方へ移動する。

 えーと……あ、ライスさん発見! 

 

「あぁやはり。この黄雀風はあなたのものでしたか」

「ほえっ」

 

 突然声をかけられて思わず声が出てしまった。

 視界に入っていなかっただけで屋上には先客がいたらしい。そしてこの声と語り調子は僕の知り合いだ。

 

「ゼファーさん、いたんですね……」

「えぇ。ここは良い風が吹きますから」

 

 ヤマニンゼファー。

 腰まで届きそうな大きなおさげと、ちょっと天然が入ったゆるふわな雰囲気が特徴的なウマ娘だ。あと胸が大きい(重要)。

 前世では天皇賞(秋)で一緒に走った仲である。

 あと、風の名前仲間でもあるので、何かとウマ娘のゼファーさんは僕を意識していらっしゃるようなのだが……ちょっと言葉が難解で、僕はなんと言われているのか正直よく分かってない。

 

「そういえばハヤテさん、ご存じでしたら教えていただきたいことが」

「あ、はいなんでしょう」

 

 今までは春疾風とか雲雀東風とか夕凪とかに例えられることが多かったけど今回のこうじゃくふう(?)ってのは初耳だぞ。どういう漢字で書くのすらわからない。どんな意味なんだ……!? 

 

「その、尻尾ハグとは何でしょうか?」

「ぶふっ」

 

 ゼファーさんの言葉を読み解こうとしていたところに思いもよらぬ言葉を投げかけられて吹き出してしまった。

 

「えぇーと、突然どうしたんです?」

「先日ネイチャさんとイクノさんに教えていただいたのですが、意味を分かりかねているのです。ハヤテさんなら、知っておいでかと」

「あぁ最近、ドラマで話題になってたんでしたっけ」

 

 そういやアプリでもそんなイベントあったね。

 ウマ娘になって僕も早十数年。この世界の知識というか常識はそれなりに分かっているつもりだ。

 聞かれたからにはきちんと教えてあげるのが良いと思うのだが……うぅ、これ説明するの恥ずかしくない? 

 

「えぇとですね、尻尾ハグは……ありたい体に言えばウマ娘が親愛を示すものですね。人相手でもウマ娘相手でもやりますけど、こう、相手の体に巻き付けるのが一般的なやり方です。人によっては尻尾で相手の体に触れるだけでも尻尾ハグとみなしたりします」

「それは聞き及んでいるのですが、イクノさんとしようとしたら悪風を吹かせてしまったようで。何がいけなかったのでしょう」

「あー、その、もっと特別な親愛というか、もう少し踏み込んだ感じなんです。だから尻尾ハグは、ち、ちゅーするようなもんですよ」

「まぁ、なんと」

「ですから恋仲になりたい相手とかならともかく、友達相手にするのは、ちょっと。それにそういう間柄でも人目のあるところでやるのはかなり大胆と見られるかも……」

「……なるほど、そういうことだったのですね」

 

 うぅ、こういう純情を真面目に語るのは僕のキャラじゃないんだよ。

 慣れないことして顔が熱い。

 前々世では全く縁がなく、前世ではそもそも選択の余地がなかった。

 そして今世では、精神は体に引っ張られるっていう転生モノ定番の影響か、僕もまぁ人並みには尻尾ハグをするようなプラトニックでロマンチックな恋というものに憧れはある。

 まぁ今んところ憧れがあるだけで、全くもって僕の周りにそんな気配はないのだが。

 いつかそんな青春をしてみたいもんだね。

 

「ありがとうございます。雲が晴れ、清風が吹いたような心地です」

「いえいえ、お力になれたようでしたら幸いです」

「それと……ハヤテさんのことは陰ながら応援させていただきますね。私一人では、追い風にはなれないかもしれませんが」

 

 ? 

 なんか応援してくれるらしい。え、どゆこと? 

 まぁ悪いことではないだろうし、好意はありがたく頂戴しておこう。

 その後はゼファーさんと難解な風言語を交えた他愛もない会話を楽しみつつ、ライスさんを見守ることでしっかりと英気を養うことができたのだった。

 ぃよーし、次のレースも頑張るぞー! 

 

 



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38.放牧は長く続かない定め

 

 宝塚記念が終わった後、僕はかつての走りをほぼ取り戻した。

 いや、初心に帰れたというべきか。今の僕は走り回りたくって仕方がない。

 この調子ならもう一度レースに出してくれてもいいんだけどなぁって感じだったが、流石にGⅠ後は休みに入るらしい。

 

「うーん、すっかり元気だな。夏競馬、高松宮杯辺りにも出したいところだが」

「滝澤オーナーから秋は万全の態勢でって言われちゃったっすからねぇ。あと、騎手は澤山さんじゃなきゃダメだって釘も刺されちゃったし」

「他にも騎手はいるんだがなぁ……あんまり言いたくはないが、守田を乗せたのは失敗だったか」

 

 なんて羽田さんと宮尾君が話していた。

 ちなみに、守田さんは宝塚記念後たいした怪我もなく、翌日には復活していた。宝塚記念から放牧に出されるまでの短い期間、調教をするときに何度か僕に騎乗した、のだけど。何と言うか、僕に乗る時は恐る恐る騎乗しているように見受けられる。

 大丈夫だいじょーぶ、あの時みたいな急加速はしないから。ほれ、さっさと乗りな! 

 

 そしてマイベストパートナーと判明した澤山さんだが、自動車事故とは全くの別件で、なんか悪性腫瘍が見つかったとか何とかで入院期間が伸びた。退院後のリハビリも考えるとレースに騎乗できるようになるのは9月までずれ込みそうだとか。まぁこの機会にしっかり身体を見てもらった方が良いかもね。それでまた僕の元に戻ってきてくれたまえ! 

 

 

 そんなこんなでレース後しばらくトレセンで軽く調整をした後、放牧に出されることになった。

 なお、放牧先はこれまでのところと違う場所になる模様。宮尾君がなんか羽田さんを説得してた。

 羽田さんは「どうしてもというならやるが、問題が起きればすぐに戻すからな」と渋っているのだが……あれかな? 去年の夏、走り回りすぎて体重が回復しなかったことを言ってるのかな? 

 

 いやまぁ、あの時はダービーに出られなかったという悔しさから、抑えきれぬ衝動がありましてね。

 む、そういうことなら走るのが楽しくなった今の僕にも抑えきれぬ衝動があると言えるのでは? 

 放牧場という走りやすそうな広々とした場所に行ったら欲求が爆発しそうだ。

 むむぅ、いかんな。ただでさえ今年はスランプに陥ったせいで皆に心労をかけたのだ。これ以上余計な心配をさせないようにせねば。放牧場では大人しくしよう、そうしよう。

 

「そんじゃハヤテ、暫しの別れっすね。いってらっしゃーい」

「ひん(いってきまーす)」

「ゆっくり休むんだぞ、明後日くらいにはまた見に行くからな」

「ひん(はーい)」

「テキは心配性っすねぇ」

「当たり前だろ、ハヤテは繊細なところがあるからな」

「いやー、ハヤテはめっちゃ図太いってか単純じゃないっすか?」

 

 宮尾君が失礼なことを言っているのを聞きつつ、馬運車へ。秋競馬に向け、ゆっくりしっかり英気を養ってくるぞ! 

 

 ──────

 ────

 ──

 

 おや、もう到着か。

 だいぶ近い放牧場なんだな。関東圏内なのかな。

 馬運車から降ろされ、まずは馬房へ案内される。うん、綺麗に掃除されておるな。

 しばらくは水とご飯を飲み食いして一休みといった雰囲気。案内してくれた厩務員さんはすぐに立ち去ってしまった。

 ……ってあれ、ライスのポスターは? 

 冬の間にリハビリした施設では、僕が到着したときには既に馬房にポスターが貼ってある状態だったのだけど。ちょっとサービスが悪くなぁい? 

 いや、考えてみればむしろ貼ってある方がおかしいのか。

 うぅむ、毎日の日課(ポスターに向かってライスへの祈祷)ができないではないか。羽田さんか宮尾君がポスターを持ってきてくれることを願うしかない、か。

 

 はぁ、放牧に出されて早々気が沈んでしまった。

 外の景色でも眺めて気を紛らわせよう……

 

 ん? 

 

 あれ? 

 見間違いかな、向こう走ってるお馬さんの一頭、すごく見覚えがあるんだけど。

 黒鹿毛で、ちょっと小柄で、しかししっかりと筋肉が付いていて、すっかり強者のオーラを身にまとうようになった馬。

 えっ、これマジ? 

 

 ……

 

 

 いやっほう、放牧サイコー!! 

 

 

 ──・──・──

 

 

 

 羽田調教師は千葉県内のとある育成牧場に来ていた。

 目的は将来有望な馬の視察と、ここに放牧されているキザノハヤテの様子を見るためだ。

 車を降りて牧場の事務所に向かおうとしたところ、ちょうどその事務所から同業者である飯山調教師が出てきた。

 

「おや、羽田さんじゃないですか」

 

 飯山厩舎は昨年の菊花賞から連戦連勝を続けるライスシャワーを管理している厩舎である。

 ライスシャワーはハヤテにとって因縁の敵とも言える存在。それゆえに羽田にとっても飯山は対立すべき敵……なんてことはなく。むしろ同じ美浦トレセン所属の調教師同士なので仲間意識の方が強い。

 加えて、昨年の菊花賞以来は奇妙な付き合いもある間柄である。

 

 斜行によってハヤテが降着、ライスシャワーが繰り上がり優勝となった時、飯山を始めライスシャワー陣営はキザノハヤテ陣営に治療費の肩代わりなどを申し出ていた。

 羽田たちはそんなお金は受け取れないと遠慮したものの、ライス陣営の気が済まず、折衷案として何故か飯山厩舎からは数カ月に一回のペースで、ライスシャワーの等身大写真が送られているのである。

 その折衷案の提案者である宮尾は「写真を見ることでハヤテが元気になる」と主張しているが、羽田としては未だにそれを疑問視している。

 なので飯山に対してはわけのわからないお遊びに巻き込んでしまって申し訳ないとさえ思っていた。

 

「こんにちは飯山さん。今回は、いや今回も無理を聞いてくださってありがとうございます」

「いえいえ、お礼を言いたいのはこちらです。ライスにとってもキザノハヤテと会うことは良い刺激になったようですから」

 

 そう、今この牧場にはライスシャワーがいるのだ。

 ことの発端は宝塚記念の前のこと。

 なんとかハヤテのスランプを脱する方法がないかを羽田厩舎所属の厩務員、そして出入りする騎手たちに口外しないよう言い含めて尋ねて回ったところ、一番支持を集めた改善方法が「ライスシャワーに会わせる」だったのだ。

 羽田は「ライスシャワーと会うと菊花賞のトラウマが刺激されてしまうのでは」との考えもあったが、民主主義的プロセスを経てハヤテとライスシャワーを一度会わせてみようということになった。そのため飯山に連絡を取って、夏の休養時にはライスシャワーと同じ放牧場に出すことを了承してもらっていた。

 その時は場所をよく聞いておらず、放牧場への連絡も飯山が引き受けてくれたので任せてしまったのだが、こんなに美浦トレセンから近い位置で放牧されていたと知っていたら宝塚記念前に日帰りで、というのも考えられたかもしれない。知っていてもしたかどうかはまた別の問題だが。

 

「いやはやしかし、キザノハヤテはよほどウチのライスのことが好きなようですね」

「……あー、飯山調教師もそう思われますか?」

 

 飯山調教師曰く、ハヤテは暇さえあればライスシャワーの方を眺めているらしい。眺めている時は機嫌が良いのか尻尾をいつも振っているという。ポスターを見つめている時と同じ反応だ。

 時々柵越しに駆けっこに誘ったりもしているそうで、分かりやすくはしゃいでいるのだとか。

 対するライスシャワーはほどほどにハヤテにつきあってあげているようだ。馬自身がライバルと認識しているのか、こちらは若干闘争心を露わにすることもあるとのこと。

 話を聞く限りハヤテのトラウマが刺激されて気が沈む、といったことは無さそうで羽田は一安心する。

 

「キザノハヤテもあの様子なら復調できたようですし。羽田さんさえよければ、またレース前に併せ馬をさせていただけませんか」

「えぇ、是非。GⅠ馬と一緒にトレーニングできるとは光栄です」

 

 そう返事を返したところで、羽田はふと昔のことを思い出す。

 ライスシャワーと最初に併せ馬をしてもらった時には、ハヤテとライスシャワーの力関係は逆だったな、と。

 あの時はハヤテが連勝を重ねて勢いに乗っていた時期で、ライスシャワーは休養明けだった。今は逆にハヤテがスランプ明け、ライスシャワーはGⅠ3連勝だ。

 思えば2頭とも随分遠くまで来たように思う。

 飯山調教師を見れば、そちらもそちらで何か思うところがあったのか、しばし感慨にふけっていた。

 どちらからともかく苦笑を浮かべあい、「また連絡します」と言って別れた。

 

 

 その後、ハヤテの様子を見に行ったところ、明らかに厩舎にいた頃より毛艶がよくなっていた。気力に満ち溢れているのを感じる。

 羽田はどうやら心配しすぎていたようだと自覚した。

 これなら、夏の間はずっとここでお世話になってもらうのもいいかもしれない……

 

 

 が、しかし。

 結局ハヤテの放牧はそれから1週間ほどで切り上げられた。

 ライスシャワーを眺めてばかりで碌に食事をとらないくせに、ライスシャワーと同じ時間に放牧に出されれば走り回ってたせいでどんどん痩せる一方だったのである。

 トレセンへ向かう馬運車に載せられる際には、ハヤテがまるで母親から引き離されるときのような悲しげな嘶きをあげていた。

 その話を馬運車の運転手から聞き、ようやく羽田もハヤテがライスを好いていることを認めざるを得なかったという。

 





【悲報】7月中、結局本編書き溜め作る余裕がなかった
こうなったら自転車操業で行くっきゃないね、不定期更新タグが火を噴くぜ!

(できるだけ週一更新頑張りたい)


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39.取り戻す

 

 放牧先でライスと出会えたと思ったらまたすぐに引き離されたでござる。

 悲しみが深い。

 

「ひぃーん(ライス元気かなぁ)」

「また黄昏てる……ほれ、ちゃんとご飯食べるっすよ」

「ひん(はーい)」

 

 痩せちゃったのが原因らしいのだが、でも、ライスと一緒にいられる時間を食事なんかで浪費してしまうなんてもったいないじゃないか。僕は団子(ご飯)より(ライス)派なんだ。

 しかしそんな僕の気持ちを人間が理解してくれるはずもなく。ライスと一緒に暮らせたのはたったの一週間だった。

 トレセンに戻されるかもしれないとわかっていれば、若しくは事前に「ご飯食べないとトレセンに戻されちゃうよ」と忠告してくれれば、ちゃんと食べたのに! 

 そんなこんなで美浦トレセンの羽田厩舎に戻され、こうして体重を戻す日々を送っている。

 うぅっ、やけ食いしてやる。宮尾君おかわりプリーズ! 

 

 一週間だけだったとはいえ、ライスと再会できたこと自体はとても嬉しい。

 それに、なんと前回あった時から半年以上経っているのにもかかわらず、ライスが僕のことをちゃんと覚えてくれていた。僕は前回あった時からさらに毛の白化が進んでいるはずなのだが、ライスが僕を認識した途端「見つけたぞ……!」的な感じの熱視線を送ってくれたのだ。一目で僕が僕だと認識してくれたらしい。

 それだけでもう嬉しさ爆発ですよ。推しに覚えてもらえているとかこれ実質両想いでは??? 

 

 嬉しさのあまり飛び回ってたら、勝負の誘いかと勘違いしたライスと突発的に勝負したりなんかもした。

 なお、結構な広さのある放牧場とはいえ競馬場やトレセンの練習コースほどの大きさがあるわけではないので、勝負はライスの最大の長所であるスタミナが発揮される前に終わってしまい、大体僕が勝った。

 放牧場での勝負は条件が僕に有利すぎるので、本当の勝敗を決めるのはレース本番に持ち越しだ。

 ライスもライスでレースが本番だという認識があるようで、「皆と一緒に走る時(つまりレースのこと)は負けない」との宣言をしていた。その勝負、受けて立ちますよ! 

 

 以前は僕がでしゃばってライスの評判を落とすのではとか考えたりもしたが、真剣勝負をご所望なライスに手加減だなんて出来るはずもない。

 レースでカチ当たったときには、僕も頑張って走るつもりだ。

 で、ライスとの直接勝負は天皇賞(秋)になるだろうとの話。というのも──

 

 む、この足音は。

 最近聞いていなかった、されど聞き慣れた足音。これは……! 

 

「ハヤテ! 久しぶりだな!」

「ひひーん! (おぉ、澤山さん!)」

「はは、すっかりハヤテも元気になったみたいだな。良かった」

 

 ついに退院したんだな! 

 見た感じ足取りも軽そうで、とても入院していたようには見えない。すぐにでも騎手として復帰できそう。

 澤山さんの後ろから羽田さんも一緒にやって来た。

 

「ふぅむ、良かったな澤山君。ライスシャワーと同じくらい好かれてるかもしれんぞ」

「嬉しいような嬉しくないような……まぁ良いことだとは思いますけど」

 

 え、ライスと同じくらい……そこまでは別に澤山さんを好いてはいないよ? 

 

「馬から気に入られ、オーナーからも気に入られてるんだ。オールカマーはその期待に応えて見せろよ」

「はい!」

 

 ──そう、僕の次走はオールカマー。『あのオールカマー』だ。

 そしてライスはそこには出てこないらしい。

 あの……ツインターボが劇的勝利を収める、オールカマーに。

 

 

 一緒の放牧場に出されていた時、ライスの調教師さんがライスの様子を見に来たことがあった。

 牧場の人と話していた内容が偶然近くにいた僕にも聞こえてきたのだけど、ライスは天皇賞直行か、状態次第では京都大賞典をステップにすることも考えているとの内容だった。

 牧場の人が「オールカマーはどうなんです?」と聞くと、「確実に勝利を期するなら中山よりも京都のほうがライスには合うだろう」とのこと。史実的に京都競馬場のほうが得意だったらしいってやつだろうか。それがわかっているなら史実では何故オールカマーに行ったのかという疑問はあるが、そういうことらしい。

 ということでライスは史実とは異なり、オールカマーには出走しない。

 

 正直なところ、僕がそこに向かう予定と聞いて、かなり思うところがあった。

 ウマ娘の知識くらいしか競馬を知らない僕だけど、ウマ娘の元となった競走馬の特筆すべき偉業くらいはわかる。

 スペシャルウィークならダービー優勝と凱旋門賞馬を破ってのジャパンカップ勝利。トウカイテイオーなら無敗二冠と挫折を乗り越えての有馬記念優勝。

 ツインターボなら……大逃げでオールカマーを勝利。

 後世で「悲壮感なき玉砕」ともいわれたツインターボの人気は、多大にこのオールカマーでの勝利に起因していると思う。

 ウマ娘のアニメ2期でも大々的に取り扱われたそのレースに、僕はライスの代わりと言わんばかりに出場することになったのだ。

 

「そのためにも俺はリハビリと……あとは減量を頑張らないとですね」

「ん、なんだ太ったのか?」

「病院食は全部食べきりなさいって恵子ちゃん……よく世話してくれた看護婦に口酸っぱく言われちゃって。運動もあまり出来なかったから2キロくらい……」

「おいおい、今度は前みたいには重くならないぞ、大丈夫か」

「ハヤテに乗る分には大丈夫だと思うんですけど、新馬とかだとちょっと怪しいかもしれません」

 

 ツインターボとの対戦は新潟大賞典以来2度目。

 前回は絶不調だったこともあってボロ負けしてしまったが……僕の調子は前回とは比べ物にならないほどに良い。

 あの時、新潟大賞典で見た時のツインターボの印象は、正直そこまで強そうではなかった。今の僕なら十分勝機はあると言える。

 もし、僕がオールカマーでツインターボを破ったら……ウマ娘のツインターボは、アニメは、それ以前に馬のツインターボ自身は、どうなってしまうのだろうか。

 

 しかし、だからと言って僕が委縮する道理はないのだ。

 そんなことで悩むようならそもそも「ライスを救おう」ってのはどうなるんだって話だし。今となっては僕とは直接関係なく史実からGⅠの勝鞍を失ったメジロパーマーだっている。

 もはや歴史が変わることは止められないのだから。

 あとここで僕が負けると、巡り巡って世代の評価を押し下げ、強いてはライスの評価が下がることになりかねない。

 新潟大賞典と宝塚記念の失態を返上して、堂々とライスとの再戦の場、天皇賞(秋)に向かいたい。

 そのためには、この勝負は負けられないのだ。

 

「ぶるぅ、るるぅ(前世は前世、今世は今世だもんね。恨んでくれるなよ、ターボ)」

「ハヤテに痩せろって言われてるぞ」

「みたいですね。はぁ、しばらくご馳走はお預けか……」

 



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40.中山の直線:オールカマー

オールカマー出馬表
枠番馬番馬名人気オッズ
11ドラールオウカン12101.1
22ハシノケンシロウ1040.4
33ゴールデンアイ718.7
44ホワイトシルバー13246.8
45ムービースター410.6
56ヒガシマジョルカ1143.9
57イクノディクタス613.2
68シスタートウショウ25.8
69ハシルショウグン819
710ツインターボ36.1
711ホワイトストーン512.2
812モガミキッカ937.5
813キザノハヤテ12.1




 

 トレーニングに精を出していれば時がたつのはあっという間で。

 今日は待ちに待ったオールカマー当日である。

 

 皐月賞以来の中山競馬場に若干の懐かしさを感じつつ、いつも通りパドックで一緒に走るメンバーを確認する。

 うん、ツインターボにイクノディクタスもいるね。アニメと、つまりは前世の史実と同じだ。ライスがいないことを除けば。

 あとの方々は初対面……あ、あの馬は新潟大賞典で一緒だったような。何着だったのかは(あの時は自分のことで手いっぱいだったこともあって)わからないけど。

 皆それなりの強さがあるように見えるが、言ってしまえば皆『それなり』なのだ。去年の春ここで戦った時のブルボンや、つい最近放牧先で見たライスほどではない。

 秋の天皇賞から始まる秋競馬GⅠ戦線を戦い抜くためにも、ここは勝ちたいところだ。

 ふんすと鼻息荒くパドックを周回する。やがていつもの号令がかかって澤山さんがやってくる。

 

「ハヤテの調子はどうです?」

「今日は良い感じっす。あとは澤山さんの腕次第っすかね」

「ふふ、宮尾さんも言ってくれますね」

「そんだけ期待してるってことっすよ!」

 

 澤山さんは宮尾君と少しだけ言葉を交わした後、僕に騎乗する。

 程なくしてパドックからターフへと出ていき、芝の感触を確かめつつゲートの裏へ。輪乗りをしつつ発走時間を待つ。

 

「やっぱりアイツが気になるのか? ハヤテが警戒するに値する馬か……」

 

 おっと、ターボをチラチラ見ていたのが澤山さんにバレてしまったらしい。

 小声で僕に話しかけてきた。

 

「でも俺はお前を信じてるからな」

 

 おう、僕も澤山さんは信じてまっせ! 

 今回は羽田さんからこれまでとはちょっと違う作戦の指示がなされている。その作戦をとる場合、澤山さんの見極めが大事になる、とのこと。

 僕のいつもの作戦は『番手追走の先行策』だった。

 羽田さんは、僕はスタートが良いのでその有利を確保しつつ、最後の末脚を活かし切るためにも先行策が一番僕に合っている……と思っていたらしいのだが、何がきっかけか「いっそハヤテの気の向くまま逃げさせるのもありなのでは?」と考え直したらしい。

 ただし、それで最後バテてしまっては元も子もない。適度に速度を緩め、最後の足を残さないといけない。その判断をレース中に下さねばならないため、澤山さんの判断がいつも以上に重要になるというわけだ。

 

 そんなこんなで今回の作戦は『可能ならハナを獲って逃げる』だ。

 いや、そこは『絶対先頭を取る!』じゃないのかよってところだが、今回はツインターボという逃げ馬がいるため、まともに競り合うのは危険ということで若干トーンダウンした形だ。

 僕も破滅逃げと言われたターボについていくのは危険だと思うので、まぁそこは無理に行かなくていいと思う。

 ただそれでターボに先頭を譲る形になったら、結局いつもの作戦と同じ位置取りになるのでは? って思ってしまうのだけど……まぁ積極的に前に行こうっていう心構えは大事だと思う。

 

 そうこうしてるうちにゲート入りが始まった。

 今日は大外枠なのでゲート入りは最後だ。

 続々とゲートに入っていく皆を眺めつつ気合いを高めていく。春の不調からの、いや、菊花賞からの復帰戦くらいの気持ちでいくぞ。

 

 いざ尋常に──

 

 ガチャン! 

 

 ──勝負! 

 勢いよくゲートから飛び出る。内から速度をぐんぐんあげてくるツインターボと並んで先頭を進む。

 澤山さんはまだ抑える指示を出さないので、一先ず先頭を取りに行くつもりで走っていいんだよな? ただ、中々ターボが先頭を譲ろうとしない。というかホントにどんどん速度上げていって僕の方もほぼ全速力だぞ、これ!? 

 

「……流石にここまでだ」

 

 うん、僕もちょっと一息入れたい。

 全力でゴール前の坂を駆けのぼり終えたところで澤山さんが少し速度を落とさせる。これからコーナーに入るから内側をしっかりとっていく方を重視したようだ。

 前を行くターボとの差はコーナーに入ってから広がる一方で、最初のコーナーを曲がる間に3馬身から4馬身くらい差がついてしまった。よく走るなターボ……

 

 中山競馬場の外コースへと入っていく。

 ターボとの距離を一定に保ちつつ単独2番手を駆けて行く。チラリと後ろを見やればすぐ後ろ2馬身差くらいに一頭、さらに馬群もそれに続いてあんまり差がついていない。それもジリジリ詰まってきている感じがする。

 むむ、これだと後続勢の射程圏内に入っているのでは? 僕が知る史実ではターボが勝っているけど、ライスがいないという史実改変の影響で後ろから差しきられる可能性もあるか? いや、でもターボの逃げに途中まで付き合った僕に追いついてくるくらいだから後続もかなり無茶をしてきているのでは? 

 うぅむ、分からん! 

 

「……遅い?」

 

 ふと澤山さんが呟いた。

 今ちょうどおにぎり型のコースの2つ目のコーナーを曲がるところ。もうすぐレースを半分走り終えるくらいだけど……え、スローペースってこと? 

 いやいや、爆逃げのターボがスローになるのなんて最終直線になってからじゃないの? 

 先頭との差は第一コーナーを曲がり終えてからほとんど変わっていない。つまりはターボの破滅逃げと同じ速度で走っているわけなんだから当然疲れて……あれ? 

 そうでもないな。むしろ結構息を入れられたというか……

 え、マジか!? 

 

「それなら!」

 

 澤山さんから鞭が一発。

 了解、ここから一気に行こう! 

 ウマ娘のターボからは想像だにしなかったまさかの幻惑逃げには驚かされたけど、だからって僕も負けられない。

 外コースと内コースの合流点付近でグイっと速度を押し上げ、ターボとの差は詰まり、後続との差は開いて……って後続も動き出した! 

 カーブのキツイ最終コーナーで先頭を外から抜かしにかかるがターボもスパートに入った。

 そうして僕とターボをほぼ並んで中山競馬場の短い最終直線に入った。

 

(負けてたまるかってんだよぉ!)

 

 ここを勝って、堂々と天皇賞へ行くんだ! 

 一息にターボを抜き去って先頭に立つ。

 しかしまだだ、内には『栗毛の馬』がいるし、後ろからいくつもの足音が迫ってきている。

 隣を行く栗毛の馬を見やれば余裕だと言わんばかりに速度を上げた。

 なんだコイツ、僕は眼中にないってか!? 悠々と僕を差し返していきやがる。

 でも、僕にだって意地がある! 澤山さんが手綱をしごいて「もっと飛ばせ、もっと飛ばせ」と訴えてくるのに合わせて力を振り絞り、栗毛の馬より前に出る。 

 残り200mの標識を通過する。ゴール前の上り坂でまた栗毛の馬が差を詰めてくる。このままでは……

 

 いいや、絶対に抜かせはしない! 

 大体なぁ、僕はここ最近負けすぎなんだよ! 最近ってか1年以上か!? 

 何度も何度も惜しいところまで行って、その度に悲しんできた。もう悲しい思いをするのは、悲しい思いをさせるのは、ごめんなんだよ! 

 澤山さんや、羽田さんに宮尾君、滝澤さん……皆のためにも、絶対に勝つ! 

 

 だからこの勝負は譲らない。僕が、一番だ! 

 

 

 走り抜けたゴール板前。

 

 栗毛の馬はいつの間にか消えていた。

 

 

 

 


 

 1993年9月19日11R オールカマー 芝右外2200m、曇、良馬場 13頭立て

 1着 キザノハヤテ  R 2:12.0

 2着 ハシルショウグン 2:13.3

 ・

 ・

 5着 ツインターボ    2:13.6

 ・

 7着 イクノディクタス 2:14.0

 ・

 ・

 ・

 

 オールカマー レース後コメント

 1着 キザノハヤテ(澤山騎手・美穂・羽田厩舎)

 久々に優勝することができ、感無量です。かなりタフなレースでしたが、ハヤテが全力を尽くしてくれた結果だと思います。GⅠも、この調子でいきたいですね。

 

 



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41.アイエエエ!?

【オールカマー】1年9か月ぶりにキザノハヤテ快勝! 

 春シーズンは振るわない成績だったキザノハヤテだが、秋シーズン初戦のオールカマーではその実力をいかんなく発揮して見せた。

 スタート直後は先頭と競り合って逃げ馬のペースを崩し、道中は序盤のリードを活かして後続馬のスタミナを消耗させ、3コーナーからの早仕掛けでレコード勝負にもちこんで他馬をすりつぶす。

 舞台や距離は違えど、菊花賞での走りを思い出させるレース展開だった。

 出走メンバーには重賞馬も少なくなかったが、2着馬には6馬身差をつけるなど格の違いを見せつけた形だ。

 ラジオたんぱ杯3歳S以来、1年9か月ぶり2度目の重賞勝利をあげ、勢いに乗ることができたキザノハヤテ。次走は天皇賞(秋)を予定している。

 

 

 オールカマーで僕は久々の勝利を上げた。一昨年の12月以来の勝利だ。

 しかも2着以降には結構な着差がついての圧勝だったらしい。

 僕の記憶では最終直線で競り合って僕と僅差でゴールに飛び込んだであろう『栗毛の馬』がいたような気がするのだけど……

 よくよく考えればターボより内側から馬が上がって来れるだけのスペースはなかったはずだし、出走メンバーに栗毛の馬はいたもののそれらとは明らかに別人(別馬?)だったし、というかアレはどう見ても『アイツ』だった。アイツはまだ現役引退はしていないとはいえ、今もなお休養中だろうから中山競馬場にいるはずもない。

 

 つまり幻覚を見ちゃってたらしい。まぁ皐月賞と同じ舞台で記憶が刺激されたのかも? 

 幻覚の中とは言えアイツに勝てたのは大分嬉しい。自分の成長を実感できたというか、過去の呪縛を振り切れたというか。兎に角ちょっと自信が付いた。

 この調子で秋の天皇賞からGⅠ戦線でライスと闘い、ライスか僕が勝てば世代的に強かったんだと証明出来て、強いてはライスの種牡馬入りにつながる……んじゃないかなと思っている次第。

 

 ライスの勝利だけでなく、僕の勝利も目標に加えたのは競走馬として僕もただで負けるつもりはないという決意と、あと、オールカマーでの勝利を経て、まぁ少し思うところがありまして。

 僕の本来の大目標からすればライスが勝って勝ちまくるのがベストなのは間違いない。理性的な面ではそうだとわかってる。

 でも、久々に勝ったら僕の関係者の皆の喜びようがすごかったのだ。

 翌日は皆してお酒臭かったし、それに加えて特に澤山さんと宮尾君なんか口角が上がっぱなしで正直ちょっと気持ち悪いくらいだった。

 あとは滝澤さんが高級そうな箱に入った梨を持ってきてくれた。めっちゃ美味かった。

 さらにはファンレターもいっぱい来て馬房の向かいの壁にたくさん飾られた。細かい文字で読みにくい部分もあるけど、一応張り出されたファンレターには全部目を通している。これまでもファンレターはちらほらと送られてきていたけど一度にこんなに多く貰うのは初めてだ。

 これだけ喜んでもらえるとこっちも嬉しいやら恥ずかしいやらむず痒いやら。こんな経験をしてしまっては、感情的な面で、ちょっと欲目が出てきちゃうでしょ? 

 今回、僕を応援してくれる皆に勝利をプレゼントすることができて、本当に良かったと思う。

 そして誰より僕が勝利をささげたい存在と言えば。

 

『聞いて聞いて、僕久々に勝ったんです!』

「ぶひん」

『そっけないライスかっこいい!』

「……ひひん」

 

 もちろんライスだ。

 オールカマーでの勝利から2週間後。レースの疲れもほどほどに抜けてきたところで、放牧場から美浦トレセンに戻ってきたライスと併せ馬する機会が設けられたのだ。

 

「こら、落ち着けハヤテ。飯山調教師、今日はよろしくお願いします」

 

 羽田さんよ、そうは言うけど推しを目の前にしたオタクが落ち着いていられるとでも? いいや落ち着けるわけがない(反語)。

 若干ライスから呆れた視線を感じるけど、ライスの前では僕は常にフルスロットルですよ! 

 

 そうして始まった併せ馬は僕が先行する形で一回、少し休憩を挟んだ後、今度は逆にライスが先行する形でもう一回行われた。

 結論から言ってしまえば一勝一敗。

 先行した方が勝つという互角の結果に落ち着いた。ただし、着差で見ると僕が勝った時は割とギリギリ、ライスが勝った時はそれよりちょっと差がついての決着だったので、総合的にはライスの勝利と言えなくもない。

 しかしそんな曖昧な決着では満足しないのが我らがライス。

 

「ぶひひん」

『えっと、本番ですか? 多分ライスは次の次のレース、だと思いますけど……?』

 

 併せ馬が終わってお互いの息が整ってきたところですぐにレース本番はいつになるのかと聞いてきた。

 僕はこの後天皇賞へ直行だけど、ライスは京都大賞典を挟むかもって話だったような。

 コース脇に待機している二人の調教師の元へとライスと連れ立って歩いていくとちょうどその話をしていたので耳を澄ましてみる。

 

「──ところで、ハヤテの次走は秋の天皇賞で決まりですか」

「そうですね。オールカマーで勝てたので、天皇賞、ジャパンカップに有馬と、GⅠで使っていく予定です。ライスシャワーは天皇賞前に京都大賞典に行かれるんだとか?」

「はい。今のところ体調面の心配はなさそうですし、予定通りレースで一叩きしてから天皇賞に行こうかと。いやはやしかし、天皇賞では西の強敵に加えキザノハヤテも完全復活ですか。ここまでは何とか勝ててきましたが、秋シーズンは一筋縄ではいかなさそうです」

 

『うん、やっぱりライスは次の次になるみたいです』

「ぶふぅ」

『いやそれはちょっと出来ないです……』

「ひん」

 

 次のレースに来いと言われましても、どのレースに出るのかは人間が決めるので僕には如何ともしがたいのですよ。僕としても走れるんならライスと一緒がいいのだけど。

 併せ馬の後は一緒にクールダウン(リアルウマさんぽ)をした。トレセンの練習コースの横にはクールダウン用の林道的なものがあるのだ。

 でも折角なら散歩だけじゃなくて一緒にプールも行ったりしない? 

 プールこそクールダウンにぴったりだよ。

 何よりライスの水着姿とか見てみた──いや、よく考えたらプール行っても行かなくてもお互い全裸だったわ。虚しい。

 

 

 

 そうしてそれぞれが日々のトレーニングを重ねていき。

 

『最終直線入って先頭ライスシャワー、外並んでメジロマックイーン! やはりこの二頭だ、3番手以降は大きく離れたぞ。ここでマックイーンが僅かに前か、ライスシャワーも喰らい付くが、いや、ここでまたライスシャワーが抜き出た! メジロマックイーンは力尽きたか2番手後退! ライスシャワーだ、ライスシャワー淀の坂から押し切ってゴールインッ! もはや敵なし、圧巻の6連勝です!』

 

 ライスは京都大賞典を見事に勝ってみせた。

 もはやここにきてライスの強さを疑う者はいなくなった。なんてったって去年の菊花賞での勝利から負けなしだ。

 ライスの調教師さんと付き合いがある羽田さん始め、ライスの勝利は美浦トレセンの雰囲気を少し明るくした。

 自分たちの管理馬ではないにせよ、美浦トレセンという大きな括りで見れば仲間も同然。

 特に最近は関西の栗東トレセンにやられっぱなしだった関東勢にとって、現役最強馬の地位を確固たるものにしたライスシャワーの存在はまさにヒーローだった。

 

 

 そしてライスと闘って惜しくも2着となってしまったマックイーンについて、京都大賞典の翌々日に残念な報せがあった。

 

「マックイーンが引退っすか」

「らしい。レース後に故障が見つかったとは聞いていたが……まぁ種牡馬になるみたいだし、いいタイミングだったのかもしれんな」

 

 僕の馬房の前で羽田さんたちたちが話しているのを聞くに、マックイーンは京都大賞典の後、程なくして故障が発覚。引退するとの発表があったらしい。

 史実でもマックイーンは今年の天皇賞(秋)には出馬できずに引退している。故障したこと自体は史実通りだ。

 ただ、うろ覚えの記憶ではマックイーンの故障ってもっと天皇賞の直前だったような。アニメだとどう描かれていたっけ? ううむ、思い出せぬ。

 

「テキ、宮尾さん、おはようございます」

「お、澤山君おはよう」

「おはようっす」

「二人ともこれ見ました? マックイーンの話」

「あぁ見た見た。私も昨夜その記事を読んでな、ちょうど今宮尾君とその話をしてたところだ」

「おや、それじゃあわざわざ買ってくるまでもなかったですね。あ、ハヤテも読むか?」

 

 澤山さんが新聞を差し出してくる。

 お、天皇賞の記事か。『メジロマックイーン電撃引退。それでも天皇賞は混戦模様!?』との大見出しが掲げられている。

 ふむふむ? 

 

「そうだ。ちょうどハヤテの関係者が集まったから言っておくが、来週の月曜、またハヤテの取材が来ることになった。宮尾君は大丈夫だよな、澤山君は都合どうだ?」

「来週ですか……もう予定入れちゃってたんですけど」

「それならいい。私と宮尾君で対応するよ」

「あのー、俺に選択権はないんすかねー……?」

 

 羽田さんたちが会話を続ける中、僕は澤山さんから破らないように気を付けつつ新聞を口で受け取り、馬房の床に置いて新聞を読む態勢に入る。

 記事を読む限り、マックイーンが天皇賞に出走できなくなったことを大きく報じているようだ。

 まぁ今の競馬界ではライスとマックイーンが頭一つ抜けてるような印象だしね。マックイーンの不在が明らかになった今、記事の中ではライスと、恥ずかしながら僕との対決に焦点を当てているようだ。

 ふむふむ、リベンジに燃えるキザノハヤテとミホノブルボンか。こんなふうに書かれるのはちょっと照れ臭いね。

 

 ……? 

 

 ちょっと待て。

 リベンジに燃えるキザノハヤテとミホノ……ミホノブルボン!? 

 

 アイエエエ!? ブルボン!? ブルボンナンデ!?? 

 えっなにどういうこと!? 

 えーと、えーと……『天皇賞(秋)でミホノブルボン復活なるか』!? エッ、復活!? 

 ライスだけでなく、アイツとも戦えと!? 

 

 

 

 

 

ライスシャワー、歴代最多重賞連勝記録に並ぶ

 京都大賞典ではライスシャワーがまたもやメジロマックイーンを下して京都の重賞を勝ち取った。

 レースではメジロパーマーがハナを奪うと、ライスシャワーはそれに続く2、3番手を追走。淀の坂の上りから前へと進出し、坂を下っていく中で単独先頭に。最終コーナーでは一時マックイーンに並ばれたものの、直線に入ってからは力強く前へ進出。直線で伸びあぐねたマックイーンに2馬身差をつけて優勝を果たした。タイムは2:23.0とまたもやレコードタイム。

 これでライスシャワーは菊花賞から重賞6連勝とした。この記録は、オグリキャップやタマモクロスと並んで中央競馬の重賞連勝記録として歴代最多タイ。しかもそのうち3勝はGⅠなのだから、ある意味では先の2頭を上回ったといえる。

 現役最強馬を飛び越え、日本競馬史上においても有数の名馬となりつつあるライスシャワー。今後は天皇賞(秋)からジャパンカップ、そして連覇もかかる年末の有馬記念とGⅠ戦線に挑む予定だ。強敵集うGⅠでどこまで記録を伸ばせるか、注目していきたい。

 

天皇賞(秋)でミホノブルボン復活なるか

 皐月とダービーの2冠によって昨年の年度代表馬にも選ばれたミホノブルボンが、天皇賞(秋)への出走を正式に決定し、およそ1年ぶりにレースの舞台に戻ってくることになった。

 ミホノブルボンは3着になった菊花賞の後、故障によって長期休養を余儀なくされていた。一時期はクラシック戦線で覇を競い合ったキザノハヤテと共に常磐支所で過ごす等していた。身体の傷を癒す中、恩師戸崎調教師が逝去。

 戸崎厩舎の調教助手で今年調教師試験に受かったばかりだった盛が厩舎を引き継ぎ、ミホノブルボンも盛の下で復帰を目指していた。

 9月からは栗東トレセンで調教を再開。秋競馬には参戦してくるのではないかとの噂が現実になった。

 現在のミホノブルボンの状態について盛は「まずは出走することが大切」と慎重な態度。坂路調教は1日2本までとミホノブルボンにしては控え目な調整に留めており、未だ本調子ではないとの見方も強い。

 しかし天皇賞(秋)の距離は2000mと、スピードに優れるミホノブルボンにとっては有利な舞台。強力なライバルと目される同期のライスシャワーやキザノハヤテはスタミナに優れるステイヤー気質の馬なので、勝機は十分にあるはずだ。

 





(マックイーンの引退という一大ニュースに気を取られ、ハヤテが平然と新聞を受け取って読んでることに気が付かない澤山さんたちの図)
本作はこの秋の天皇賞で〆る予定です。盛り上がりには期待せずに今しばらくお付き合いをば。
それと、終わりが見えてきた結果どっかにねじ込もうと思ってたけど結局ねじ込めそうにない閑話の一部分をセリフのみで書き残します。



物語の裏側で 1
1993年1月頃

「キザノハヤテが温泉でのんびり……なんやこの記事は」
「うちのも、行かせてみたらどうかと」
「うちの……ブルボンのことか? 何言うとんのや、そろそろ状態も良うなってきたて言うたやないか。また悪うなったんか」
「そうではありません。しかし、一度しっかり休ませることも重要だと思います。それで宝塚か秋の天皇賞辺りを目指してはどうかと」
「……はぁ。わかった。どうせ俺はもうすぐ逝く。そうなりゃ俺たちの馬はみんなバラバラや。お前が合格でもしない限りな。ま、それまでお前の好きなようにやってみい」
「ありがとうございます」



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42.可哀そうな馬


 歴史の修正力()的な話



 

 私の名前は……まぁまだ名乗るほどのものでもない。

 私は一大スクープをぶち上げ、世界に真実を届ける……予定の、週刊誌記者だ。今はまだ上司の顔色を窺う日々を送る、しがない下っ端である。

 

「今日は取材を受け入れてくださり、ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 私は今日、美浦トレセンの羽田厩舎の取材に来ていた。

 早速羽田調教師が出迎えてくれたので名刺交換をする。予定では担当厩務員も一緒に、との話だったが、その担当厩務員は少し遅れてくるらしい。

 

 この厩舎には以前より個人的に注目していた。

 すでに引退してしまったが、カタフラクトという馬がいた。

 私が競馬を担当するようになったばかりの頃に、数カ月交際していた恋人に振られたことがある。その際に、やけになって買った未勝利戦の単勝馬券1万円を、約60倍にして返してくれた思い出の馬だ。

 その後も重賞勝利こそ得られなかったが、最後まで垂れずに掲示板圏内に突っ込む姿には幾度となく「あとちょっと!」と思わされたものだ。

 その思い出の馬が、ここ羽田厩舎所属馬だった。

 

 こう言っては悪いが、羽田厩舎は実績に乏しい厩舎であった。競馬の花形である中長距離で活躍する馬を輩出できず、勝率も良くない。私もたまたま思い入れのある馬がいたから知っていたものの、そうでなければ存在を認知していなかっただろう。

 しかしそれも過去の話。『とある馬』のお陰で、羽田厩舎は大きく名をあげることになる。

 

「コイツがキザノハヤテです」

「おぉ、この馬が……」

 

 今回の取材のお目当ては、そう、キザノハヤテ。

 羽田厩舎に所属し、昨年のクラシック戦線を賑わせた立役者の一頭だ。前走のオールカマーでは久々の一着に輝いており、天皇賞(秋)でも有力候補と見られている。

 馬房の中には細く引き締まった白い馬体があった。今はどうやら壁の隅にある水飲み場で水を飲んでいるようだ。

 と、思ったらキザノハヤテは顔を上げ、振り返って数秒間じっと私を見つめてきた。まるで値踏みされているかのような、深い知性を感じさせる視線。

 私は無事キザノハヤテのお眼鏡にかなったのか、キザノハヤテは「ぶふっ」と鼻息をついた後、また水を飲み始めた。

 

「プール調教を済ませてきたところなので、機嫌はいいはずです。おやつでもあげてみますか?」

「えぇっ、よろしいんですか?」

 

 羽田調教師に人参をスティック状にしたものを渡されたので、恐る恐る差し出すと、ゆっくり首を突き出してポリポリと人参を食べた。

 とても大人しい。そう感じた。

 私が頭を撫でても特に反応を返さない図太さを持った馬だ。

 キザノハヤテと言えばレースで爆走する姿が印象的だが、普段はこんな感じで物静かな馬らしい。

 初対面の相手こそ警戒するが、顔を覚えてしまえばとても人懐こい一面も持つのだとか。

 そして人の指示には従順で、黙々と調教をこなしてみせる。

 総じて関係者を困らせることはあまりないそうだ。

 

「育成牧場でも聞き分けはいいとの評判だったんですがね、入厩したときはそれ以上に線の細さが悪目立ちしまして。正直、そこまで期待はしてなかったんです」

 

 そのエピソードは知っている。血統背景が弱く、生まれも零細牧場。見劣りする体つきに誰もその素質を見出すことはできなかった。

 こんな馬が勝てるわけがない、と。

 だが。

 

「しかしキザノハヤテは強かった、と」

「えぇ、コイツは私たちが想像していた以上に強い馬でした」

「素人目にですが、初めての重賞で危なげなく勝利した時、この馬はひょっとしてダービーを取るんじゃないかと思いましたよ」

「ラジオたんぱ3歳ステークスですね。私たちもあのレースから、本格的にクラシックを見据えるようになりましたね」

 

 キザノハヤテはそんな想像を、実力で飛び越えた努力の馬なのだ。

 下馬評を覆し、キザノハヤテはクラシック競走が始まるまでに目を見張る成果をたたき上げ、クラシック初戦の皐月賞では、ミホノブルボンと手に汗握る勝負を繰り広げた。

 その結果は僅かハナ差7cm。双方の実力が拮抗していることは誰の目にも明らかだった。

 ほとんどの競馬ファンがダービーでの再戦を望んだことだろう。

 評論家の意見は真っ二つに割れたが、私の主観では僅かにキザノハヤテに軍配を上げる評論が多かったように思う。

 私も一競馬ファンとして、キザノハヤテとミホノブルボンによるダービーを楽しみにしていた。

 だが……

 

「しかしライスシャワーがいたばっかりにケガを」

 

 怪我によってダービーは無念の回避。

 リベンジに挑んだ菊花賞ではまさかの降着。頭角を現し始めたライスシャワーに勝利を譲る結果となってしまった。

 その上、再度故障によって休養を余儀なくされてしまう。

 

「ライスシャワーがいたばっかりに、とは……」

 

 羽田調教師は眉をひそめて少し首を傾げた。

 まさか中央の調教師たるものが、あの馬の対戦相手のその後を知らないのだろうか。

 

「ご存じありませんか? ライスシャワーは周りに不幸をまき散らす馬なんですよ。キザノハヤテに始まり、ミホノブルボン、サンエイサンキュー、つい最近ではメジロマックイーンまで怪我を──」

「あいえ、ちょっと待ってください、そのお話はここでは……」

「あぁ、すいません。確かに誰が聞いているかわからないですからね」

 

 羽田調教師は目を泳がせて私の言葉を遮った。

 一応は知っていたらしい。ただ、同じ美浦トレセン所属だけあって大っぴらに批判はできないのかもしれない。

 不思議と辺りに季節外れの冷気を伴った緊張感が満ちる。

 羽田調教師はやけに馬房の向こうを気にしだした。その方向は……ライスシャワーを管理する飯山厩舎のある方向か?

 

 そう、ライスシャワーと一緒のレースで走った馬は、その後怪我をしてしまうことが多いのだ。

 世間はこの事実に注目していない。

 だから私はここにスクープの臭いをかぎ取った。スクープはいつだって人々の盲点から生まれるものだ。

 それに、この題材はかなり話題になるだろうと、私は半ば確信している。

 ちょうど景気が上向いた時期に『地方からの成り上がり』という夢を体現して見せたオグリキャップのように、その時の社会情勢を踏まえた題材を打ち出せば、世間で話題になりやすい。

 先行きが不安定になりつつある現代では『圧倒的なヒーロー』の話より、『巨悪とそれに立ち向かう苦労人』の話の方がウケるだろう。

 ライスシャワーという現役最強馬はその悪役(ヒール)にぴったりだ。

 

 きっと今回の記事は競馬ファンのみならず一般層まで大きな反響を得られるはず。

 ただ、現状では状況証拠のみで偶然だと言われてしまいかねない。なので、関係者の話として筋書きを補強する言質が欲しい。

 なので私は少し小声にしつつも、この話題を続けた。

 

「ただ、どうしても思わざるを得ないんです。いわば疫病神のライスシャワーと何度も戦うことになるとは、キザノハヤテは何とも可哀そうな馬だなと──」

 

 そう口にした瞬間。

 心臓を握りつぶされるような威圧を感じ、全身からドバッと冷汗が出た。

 

 こ、殺される……

 

 

「は、離れて! こっちへ!」

 

 慌てた様子の羽田調教師に手を引かれ、馬房前から厩舎の事務所へ。

 膝に手をついて肩で大きく呼吸する。バクバクと心臓が脈動し、私に生の実感を与えてくれる。

 一体全体、今のは何だったのか。

 

「……初めに、はっきりと、申し上げれば、よかったのですが」

 

 羽田調教師の顔色は白い。きっと私も同じような顔をしているだろう。

 息を整え、咳払いをしてから羽田調教師は言葉をつづけた。

 

「ハヤテの前では、絶対に、ライスシャワーの悪口を言わないでください」

「……は、はぁ?」

「その、ハヤテはとても賢い馬なので、自分の……えー、友達を、悪く言われているのが分かるんです」

「と、友達??」

「えぇ。たぶん、友達です。ハヤテはあれで根に持つので、今日はもう近づかない方が良いでしょう」

 

 話を聞けば、キザノハヤテとライスシャワーは友達、というか、キザノハヤテがライスシャワーに片思いしているような状態らしい。

 遅れてやって来た担当厩務員も交えて話をすれば、数々のライスシャワー関係のエピソードが出てくる出てくる。

 ライスシャワーのことを話題に出せばそわそわしだす? 新馬戦が不甲斐ない結果に終わったのはライスシャワーに一目ぼれしたから? ライスシャワーと一緒の併せ馬では終始ご機嫌だった? 今日は取材が来るから外したが、いつもは馬房にライスシャワーのポスターを飾ってる? 

 

 

 なんだそれは。

 

 そんな……面白い話題があったとは! 

 

 

 寡聞にしてそんな話は聞いたことがなかった。厩舎側もこんな「変な話」はこれまであまり表に出していなかったという。知っているのはキザノハヤテの関係者、そしてライスシャワーを管理する飯山調教師と担当厩務員、あとは常盤支署の数人くらいだろうと。

 これはスクープだ! 

 ライスシャワーの対戦相手が不幸になりやすいなんて話題は、そもそも競馬で故障なんて日常茶飯事で、単に間が悪かっただけでしかない。

 それにわざわざ社会情勢が暗い時に陰険な話題を出すなんて私は何を考えていたのだろう。

 

 

 今、世の中に必要な話題は、そう、『愛』だ! 

 

 

 ライバルでありながら、オス同士でありながら、それでもなお、想ってしまう。これを真実の愛と言わずしてなんというのか。

 こんなネタを世に広めることができるのは私だけだ! 

 今回の記事は『キザノハヤテ秘めたる恋心~気になる彼は高嶺の花~』特集。これで決まりだな! 

 

 





 歴史の修正力(が敗北した)的な話。
 引き換えにハヤテ君が後世においてホモ馬扱いされるようになりました。記事が出た当時はそんなに話題にはならなかったけど、後のネット社会で発掘されて……ってやつです。



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