狼傭兵と英雄少女 (玉鋼金尾)
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Q&A

自分に対する質問形式で答えたものが中心です
追加していくかどうかは未定です


Q、二次創作は可能?

A、"金銭や過度な利益が発生しない"範囲での同人活動及び二次創作は勝手にやってイイと思ってる。世界観使った二次創作の範囲とかは営利が発生しない範囲なら勝手にやってもOK(R-18も転移転生も可、今後これは変わるかも)

 

Q、"業"って結局何?

A、人を変化させる力です。愛情や怒り、夢や希望や絶望、とにかく人の原動力となる物全般に関わるものです。キャパシティを超えてそれらを持つと、大変なことになります。

 

Q、クルツってどのくらい強いの?

A、強さを数値化できないので明確には言えません。当人は中の上と自分を表しており、実際それは的を得ているとは思います。正直言って真正面から戦っていれば勝てない相手は結構多いです。

 

Q、"振り香炉の勇者"一行の強さとそれぞれの役割、一行における強さの順位は?

A、個々の能力は魔神を倒していただけあってクルツ以外は世界的にみても分野における上位に入る実力者揃いです。

それぞれの役割は斥候と呪術を扱う"赤狐"、彼女と同じく斥候を行い露払いをする"疫病"、敵の実力者を叩く"双剣騎士"、中核となり指揮を執る"振り香炉の勇者"、支援を行う"火薬樽"、治癒や悪霊を打ち祓う"月の巫女"と言った具合です。

一行を単純な戦闘力順に並べるとベーリン、ルナ、ケイ、ブロック、クルツ、ソニアの順です。

 

Q、クルツの生きる理由、目的は?

A、物語開始時は「死を選ぶことを亡き恋人は絶対に望んでいないから死なない。ナールの面倒を見終わるまでは死ねない」くらいの感覚で生きています。

魔神教徒が起こした事件の終盤からは、師としての意識がより一層強くなっています。以前と比べて受動的ではなく、能動的にもなっています。

 

Q、話に出てた"林檎戦争"って結局何なの?

A、作中の神話の一部であり『月と太陽の女神に"善意の魔女"から最も美しい者へ(当人は2人に送ったつもり)と書かれた林檎を捧げようとした際に、所有権を争って口喧嘩が発生。神々と眷属である生物による戦争へと発展した』出来事です。

 

Q、遺産って何?

A、神代に作られた武器や道具です。往々にして自我を持たされており、好き勝手な物が多いです。ナールが持っていた聖剣の自我は男性であり、どうしようもない女好きで男に使われることを拒むものでした。

 

Q、聖剣何で笑ってんの?

A、最後に折れた時ですね。クルツのことを出来の悪い孫の様に彼は感じており、やっと前向きに生き始めたなと思ったからです。

 

Q、魔神教徒が準備していた期間と“大火”が焚き付けて暴れさせた期間に差がある様に思うのですが……

A、準備自体は前々からされていたのですが、穏健派が主導権を握り続けていたので実行されなかっただけです。各地にこういった火種はあるでしょうね。

 

Q、作中の倫理観、やばくない?

A、逆です。彼等の世界ではこちらの倫理観(特に日本での倫理観)はほぼ通用しないと思った方がいいです。法が届かぬ場所では無防備なら襲われる事もありますし、物の値段を知らなければ騙されて金をむしられるのは普通の事なのです。

 

Q、金貨が流通してるってことは金の量って多いの?

A、埋蔵量は多めですが金貨を使う人はあまりいませんし、お釣りが大変なので使用を拒否される場合もあります。主に賠償金や貴族への報償といった特別な場合に使われていますね。

 

Q、食事や娯楽といった水準は割と高いほう?

A、神の時代に世界は統一状態であった名残と、共通で使える言語があり交易や情報の共有が容易であるのでそこらの水準はかなり高いですね。現代人でも1か月くらい、世界を回るならそれ以上の期間は楽しめると思いますよ。

 

Q、クルツがナールに出会わなかったり、引き取らなかった場合はどうなっていましたか?

A、アナザールートは4通りほど用意しています。破滅、破戒、悪徳、魔王と言った題名を個人的には付けています。

自暴自棄となり酒に溺れる生活が続き魔神教徒が勝利した"花の都"で朽ちていく、"赤狐"に唆されて利用され悪逆と快楽の限りを尽くす、"赤狐"に唆されたが利用されることは無く悪人ながら正義を成す、自分を追い詰め続け魔神となる。

 

最初の1つ以外は基本的にナールによって討伐されます。ナールはクルツではなくベーリンに拾われたり引き取られ、魔神教徒の事件を生き残った彼の養子として育てられます。なおその場合は彼女は母親と早期に和解しており、クルツに対しての心象はかなり悪いものとなっています。



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資料

諸々の資料
作中で説明しきれない部分、ネタバレなどを含みます



クルツ 資料

【名前】クルツ

【誕生日】不明

【種族】魔族

【性別】男

【呼ばれ方案】クルツ、狼の、臆病者、疫病、エルスウィン

【年齢】推定130歳以上(物語開始時)

【出身地】東方の島国コムラ

【趣味】読書 飲酒 喫煙

【家族】血筋はどれだけ遡っても農奴か平々凡々で歴史には乗らない血統。

【好き】金、肉、ベーリン、酒

【嫌い】契約違反、銀行屋、野宿時の淡白な食事、善意の魔女、"大火"

【身長】251cm

【体重】測定不能(秤が機能しない)

【利き手】右

 

 見た目が凶悪な魔族。体臭は獣臭いで済む程度、愛する人であった"振り香炉の勇者"ケイを殺された少し後ナールと出会う前はもっと臭かった。体重が重すぎるために頑丈なベッド以外では眠れず、床が抜けることがあるのと悪夢を見る事が悩みである。

 真っ当な戦いは好まず恐怖を煽る戦術や奇襲、知識を使うことを好む。奥の手として生石灰を詰めた小さな壺を投げたり、物や人から吸い出し溜め込んだ毒や病を放つ力を使う。かつて勇者一行として旅をしていた時は汚れ仕事の大半を担っていた。

 

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ナール 資料

【名前】ナール

【誕生日】8月14日

【種族】獣人

【性別】女

【呼ばれ方案】ナール、嬢ちゃん、小さな悪魔、弟子の方

【年齢】10歳→15歳(成人)→18歳

【出身地】湿地の国イスト

【趣味】食事、運動、狩猟

【好き】師、食事、芋、肉、菓子

【嫌い】不味い食事、キノコ

【知力】非常に賢い

【容姿】子供→非常に健康的

【身長】137cm→171cm→173cm

【3S】B??/W??/H??→B81/W61/H88→B82/W61/H89

【体重】35kg→65㎏→66kg

【利き手】右

【髪型】目が隠れない限り伸ばしっぱなし、くせが強い毛質

 

 琥珀の瞳と黒髪をもつ少女、よく食べよく寝てよく喋る。才能があり呑み込みも早い。魔力知力運動神経のどれをとっても素晴らしいの一言に尽きるが、歌唱だけは壊滅的である。クルツが居ない時、近所の老人達にお菓子を貰っている。自室で手透きとなった時は"記念品"作りをしていることがある。

 クルツから教えられている技術や知識は、戦場で見た既存の武術と本から得た知識、かつて仲間が使っていた技術からクルツが実際に使ってみて無駄を省いた物である。彼女が学んでいる思想は「正道のみでは事を成し得ず、邪道のみでは傑物足り得ない」事と、「己の目による観察により真実を見極めよ」ことである。

 

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ベーリン 資料

 

【名前】ベーリン

【誕生日】3月21日

【種族】人間

【性別】男

【呼ばれ方案】双剣の騎士、好色騎士

【年齢】31歳

【出身地】ルテア

【趣味】食事、飲酒、賭博、決闘

【家族】父親、母親、妹(双子であるため同い年)

【好き】クルツ、ナール、女、宴会、エリー

【嫌い】節制、我慢、"大火"

【容姿】金髪碧眼、容姿端麗、筋骨隆々

【身長】178cm

【体重】85kg

【利き手】右寄りの両利き

【握力】120kg

 

 クルツと最も仲が良かった人物。ルテア貴族の次男坊であったが王宮内で刀傷沙汰を起こし一度追放された過去がある。勇者一行の中ではケイに次いで人気がある剣士で、二振りの長剣を片手剣のように扱い敵を屠る。屋敷に居る全ての使用人達に手を出してはいるが、本命は幼少期から仕えてくれているエリーである。

 実は勇者一行の最古参メンバーであり、魔族に偏見を持っていたがクルツと出会って殴り合いと討論を重ねるうちに考え方が変わっていった人物でもある。"振り香炉の勇者"の物語の編纂に"勝手に"そして"無理矢理"携わっていたが、彼の話す内容では世間的な都合が悪いとされて月教徒から弾かれてしまっている。

 

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ケイ 資料

【名前】ケイ・ノルニトゥス

【誕生日】4月1日

【種族】有翼種

【性別】女

【呼ばれ方案】振り香炉の勇者、鷹が産んだ鳶

【年齢】21歳(死亡時)

【出身地】帝国

【趣味】読書 掃除

【家族】父、母、義母1、義母2、兄、妹、他10人の妹弟

【好き】クルツ、善行、パンケーキ

【嫌い】卑劣、柑橘類

【身長】161cm

【3S】B84/W60/H86

【体重】???(背中の羽が重く、本人が諮りたがらなかった)

【利き手】右

 

 帝国の田舎貴族の生まれ。腰から翼の生えた種族である有翼種。家紋は鷹の翼を象った物であり、彼女の血族は鷹の翼を持つ一族であることを誇りとしていた。家族で唯一何故か鳶の翼を持っていた彼女は血の繋がりを疑われ疎まれ、冷遇に耐えかね出奔し冒険者となった。彼女が持っていた聖剣は家出の際に宝物庫から無許可で持ち出した物である。

 正しい事を正しいと言い張る人物であり、旅に出た直後の若い頃は世の中にある汚い行いの悉くを嫌い正義を成していたが旅の仲間(主にルナとクルツの影響)と関わるうちに、汚い行いも時には必要なのだと思い知ってある程度の妥協点を見つけ出していった。汚れ仕事を任せていた負い目からクルツと積極的に話すようになり、お互いに遠慮しなくていい事に気付き次第に仲が深まっていった。

 

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ルナ 資料

【名前】ルナ

【誕生日】7月7日

【種族】獣人

【性別】女

【呼ばれ方案】嘘つき、赤狐、ろくでなし、毒婦

【年齢】28歳

【出身地】砂漠国家ルーシン

【趣味】宝石鑑賞、加虐

【家族】母

【好き】クルツ、金、飲酒、悪戯、ナール、思い通りにならない物、毒物

【嫌い】傭兵、牢獄、"大火"

【身長】159cm

【3S】B81/W57/H84

【体重】???

【利き手】左

 

 勇者一行の偵察担当の1人であった人物。余罪が多過ぎて救いようがない赤狐の獣人。ケイと旅をしていた時は大人しかったが、それ以前とそれ以後はかなりの罪を犯し続けている。父親が不明である点や母親が娼婦で孤児となった過去があるなど、ナールと出自が似ていることから彼女に興味を持っている。問題のある人物ではあるが、勇者一行解散後に一番クルツのために動いてくれている人物でもある。……余談ではあるが1児の母である。

 

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ブロック 資料

【名前】ブロック

【誕生日】11月11日

【種族】ドワーフ

【性別】男

【呼ばれ方案】火薬樽、おやっさん、爆弾魔

【年齢】67歳

【出身地】獣人国家カンスロ

【趣味】飲酒、爆破、発明

【家族】妻、娘、息子2人、孫8人

【好き】祭り、馬鹿騒ぎ、酒、爆発、硝煙の香り、新技術

【嫌い】ルナ、風呂、ミミズ、"大火"

【身長】131cm

【体重】64kg

【利き手】右

 

 勇者一行と旅をしていた髭を蓄えたドワーフ。爆発物と発明を好む変人。陽気で常に酔っており種族の外見を気にしない性格であったために、出会ってすぐに技術に興味のあるクルツと打ち解けて友人となっていた。人間の2倍の時を生きるドワーフにしては早婚であり、物語開始時には20歳になる孫がいた。彼の発明好きと技術はその孫にしっかりと受け継がれているらしい。

 ゴミ捨て場に居たナールが間違えられる原因となっただけあって酒癖が悪い。その事件が起こった時はクルツとはぐれており、別のごみ捨て場で朝まで眠っていた。物語開始時には暗殺されてしまっている。犯人は才能に嫉妬した同僚であり、その同僚もまた証拠隠滅のために消されている。勇者一行の中では最弱である聖女に次いだ強さである。

 

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ソニア 資料

 

【名前】ソニア

【誕生日】5月18日

【種族】人間

【性別】女

【呼ばれ方案】月の聖女,月の巫女

【年齢】17歳

【出身地】ルテア

【趣味】飲酒 賭博 美少年美少女発掘 

【家族】父、母、妹

【好き】美少年美少女、蒸留酒、富、権力

【嫌い】かつての勇者一行、誠実、節制

【身長】151cm

【3S】B92/W64/H88

【体重】不明

【利き手】左

 

 かつて勇者一行に参加していた月の女神から啓示を受けることが出来る少女。元は孤児院から売り飛ばされる寸前の孤児であったが、前述の資質に目覚め凄惨な運命を回避した。主に神官が使う魔術を使いこなすが信仰心は薄く、享楽を好み権力を求める性格である。彼女が啓示を受けられるようになれたのは、彼女が月の女神に近い性質を有しているからである。

 

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ランジェ 資料

 

【名前】ランジェ

【種族】魔族

【性別】女

【呼ばれ方案】鯱娘

【年齢】10歳→18歳→27歳

【出身地】魔神教徒の村

【趣味】臭いを嗅ぐ、彼方からの声を聴く

【好き】戦闘、日光浴、ナール、魚肉、"深淵"

【嫌い】ひよこ豆、下着

【知力】そこそこ

【身長】146cm→171cm→171cm

【3S】B??/W??/H??→B83/W60/H85→B84/W60/H86

【体重】35kg→67㎏→67kg

【利き手】右

【髪型】黒髪であり白の差し色が入っている

 

 鯱の要素を持っている剛腕の魔族。不明な点が多いが人間社会を破壊する危険性は持ち合わせていない。体臭はやや生臭い、風呂に入る生活を続けれていれば少し生臭い程度。理解できない匂いを知覚できるが説明できるようなものではないため周囲からは理解されない(本人は気にしていないが)。何がとは言わないが、履いていない。

 

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【言語】

◆識字率

 国にもよるが完全な識字が行えるのは高くても10~12%程度である。完全に文字が読めなくとも、普通に生きている限りは単語を読むことで割と何とかなったりはする。

 

◆学問

 写本が基本であり活版印刷は大規模には普及していない。有用とされた知識は国や教会に占有される傾向にあり、魔術や魔法関係の学問が発達している。火薬兵器の作成は可能ではあるがあまり普及はしなていない。その理由は火薬兵器を支える弾丸及び火薬、銃身の生産技術といった下地が育ちきっておらず、数を揃えるには魔術師の育成よりも高価となるためである。

 

◆戦争と飢餓

 100年を切り取っただけでも3年に1度は大きなものが発生する。特に前者は割と高い頻度で発生する。基本的に生き続けている傭兵の練度(知恵や戦い方含む)は非常に高く、座っていても仕事が来るような傭兵団ともなれば最も弱い者でも並みの冒険者に負けることは無い。

 

◆傭兵について

 契約と信頼を尊重しそれに従う兵士。雇い主が契約を破ったり、彼等を使い捨てるようなことしたり、契約外の仕事を強要しなければ頼れる存在であり続けるだろう。「死ぬまで戦ってくれない」などと2流の商人等は宣うが、彼等は傭兵が命を商品にしているのだと理解していないのかもしれない。

 

◆冒険者について

 過去に存在した開拓の先駆けを担っていた"冒険者"の名を借りた冒険者ギルドの謳い文句に惑わされて各地から集まってきた傭兵もどき、何でもやる者達。出自にもよるが基本的には死亡率が非常に高く初年度を生き残れる者は少ない。平均的な実力は並みの傭兵に及ばないので、専門的な技術や知識を有している場合を除いては安価で雇える傭兵としての運用が好ましい存在。何故か傭兵を敵対視している者が多い。

 

◆大陸語

 シーナ大陸の人間社会で使われる一般的な言語。辺境や排他的な場所に行かない限り、これを身に付けるだけでどの種族とも会話を行う事が出来る。しかしながら地方によっては若干の方言や抑揚の違いがあるので、完全な意思疎通に時間を有する場合もある。

 

◆各国各種族の言語

 種族や国家が持つ独自の言語。辺境や排他的な地域である場合は大陸語では通じても応答してもらえない場合がある。その場合は状況に合わせた言後を用いる必要がある。

 

◆神語

 大陸語が生まれる前に大々的に使われていたやや難解な言語。話者と識字が行える者は少なく、王侯貴族がその過半数を占める。国家間のやり取りや学術的な命名には、慣例としてこの言語が用いられる。

 

◆魔族語

 神語が独自の発展を遂げた末に生まれた言語。基本的に人間に対して教える魔族が居ないので、人間で読み書きが出来る者は殆ど居ない。秘密結社や魔神教徒はこの言語を使用して暗号を作り出すので、発見した機密文書を解読するのは非常に困難である。

 

【種族】

◆人間(広義)

・概要:魔物、魔族、魔神以外の人型の種族。人間(狭義)、獣人、エルフ、ドワーフ、有翼種、竜人、等々幅広い種族を指す言葉である。彼らに共通しているのは月と太陽の女神によって創造されたことだけである。他種族(魔物や魔族を含む)との生殖を行った場合、両親のいずれかの種族が誕生することになる。

 

◆人間(狭義)

・寿命:約80年(成人年齢:15歳)

・概要:最も多い人型の種族。例外を除けば平均的な体躯と身体能力を有する。これといって特徴は無く、獣人と同様にどの国でも見る事が出来る。月教徒の神話では最も最初に想像された人型の種族が人間であるとされている。

 

◆獣人

・寿命:約80年(成人年齢:15歳)

・概要:耳や尻尾といった獣の特徴を有する人型の種族。一纏めにされてはいるが多様な外観を有する種族であり、概ねの場合は高い身体能力や感覚機能を有する。獣人同士の子供は母か父に似る特性があるが、近しい外観の獣人同士の子供は混ざった外観で生まれる(レオポンや狼犬など)。

 

◆エルフ

・寿命約120年(成人年齢:15歳)

・概要:長い耳と端麗な容姿を持つやや小型の人型の種族。身体能力は人間と大差無いが魔術に長けている。大半が月教を信仰しており、都市部では可能な限り自然と共存した構造の家屋を、それ以外では巨木を支柱として活用した伝統的な家屋に居住することを好む。

 

◆ドワーフ

・寿命:約160年(成人年齢:15歳)

・概要:小柄で筋肉質な人型種族。主に山間部に居住し、鉱業や工業に従事している事が多い。太陽の女神に創造されたことや炭鉱内で太陽を拝むことが機会が希薄であることが起因しているのか太陽の女神を信仰する者が多い。酒好きで陽気、髭を生やしている印象を持っている者が多いが個人によってそれは異なる。

 

◆魔物

・寿命:不定

・概要:元来は生物兵器として魔神によって作り出されたものが野に帰ったものであるが、人や動物や物質に"業"が溜まり変質した場合にも発生する。生態や性質が凶悪であるため、人間と言葉を交わし共に暮らすことはほぼ不可能である。

 

◆魔族

・寿命:不定

・概要:神代で起こった"林檎戦争"において魔神側に付き眷属になって"恵み"を与えられた一族と"業"を貯め過ぎて肉体が変異した者達。宗教的な要因や魔物との区別が難しいことなどから、大多数の人間からは恐れられるか忌み嫌われている。人間社会においては肉や魚の処理やなめし革の生産、煙突掃除や染色に従事する者が多く、次いで多いのは身体が頑健である者が傭兵や剣闘士になる場合と計算能力に秀でた者が銀行業を営む場合である。

 

【国家】

◆シーナ大陸

・貿易国家ルテア

 2つの都市と点在する町や農村によって構成されている三大国家全てと隣接した国家。敵対し合う3つの巨大な国家に対して中立の立場で行う貿易と造船業の収益が国を支えてる。商人の国家なだけあって識字を行える者は他国よりも若干高い。各地から料理人が集まってくるため、多種多様で美味な食事を楽しむことが出来る。

・帝国

 ルテアの西に存在する人間が統治する国家。強大な軍事力と大陸で最も広大な領土を保有しており、領土の端は湿地の国にまで達する。国内に温泉が多く存在していることが影響しているのか、風呂文化が盛んで硫黄が最も取れる。

・北方国家ルガルー

 ルテアの北方に存在する獣人が統治する国家。元々は領土の大半が耕作に適さない寒冷地であったが、肥沃な土地を求めて南進し、領土を広げる事で大陸における3大国家に名を連ねるに至った歴史がある。食事は単調な料理ばかりであり、いかに食料を長期に渡って保存するかの研究が盛んである。

・神聖ドーレ

 ルテアの南方に位置するエルフが統治する国家。南北に広く森林面積は3大国家随一、月教徒の聖地を有しており国民のほぼ全てが月教徒である。北部から中部にかけては他国との衝突を繰り返してきた歴史がある為か他宗教及び他種族に排他的であるが、南方は非常に牧歌的で旅人に対しても好意的な者が多い。また北方や中部は厳格な戒律を守る宗派であるため食事は質素で味気なく、南部は緩い戒律の宗派であるので肉食も行うといった地域性もある。

・湿地の国イスト

 東方に存在する決まった種族が統治してない国家。季節は雨季と乾季の2つで、主食は水田で作られる米である。魔神を封じた1人の男を源流とする王家が安定した国家を統治していたが、"娼姫傾国物語"以降に起きた政変で不安定な状態となっている。新たな統治者は非常に若い王女である。

 

【宗教】

◆月教(つききょう)

 月の女神を信仰する宗教。主に大陸の西側とエルフによって信仰されている。教義は清貧を重んじる生活で魂の研鑽を行いより良い存在として生まれ変わることでいずれ月の女神の下に辿り着くことを目指すといった物。厳格な戒律を守る宗派では肉食を他者の雑念や"業"を取り込む行為であるとして禁じているほどである。しかしながら組織の内部は腐敗しており、免罪符の発行を乱発し、聖職者達は信者から見えない場所で好色や暴食に勤しんでいる。

◆陽教(ようきょう)

 太陽の女神を信仰する宗教。主に大陸の東側とドワーフによって信仰されている。信徒は捧げ物を行う事でその見返りとして豊作などの恩寵や日照りを起こさないようにと願う。宗派によっては決闘に勝利した者を生贄とする儀式や放血儀式が行われている。死後は、砕けた魂が様々な物に宿る事で廻り回ってまた人となるとしている。故に陽教の世界観では地獄というものは存在しない。

◆その他の信仰

 "林檎戦争"と呼ばれる神々の戦争で離反しなかった神々を信仰する宗教。代表的な神としては"林檎戦争"の休戦を取り仕切った調停の女神カイリと戦功から竜人の創造に携わることを許された竜神ガザトラである。信者の数こそ月教や陽教には劣るが、信仰されている地域は非常に幅広い。月教や陽教は彼等からの布施を入手する目的で、教会の一部を貸し出している。

◆魔神教

 "林檎戦争"を続ける月と太陽の女神から離反した神々を信仰する宗教。信仰対象となる神には反逆を企てた好戦的な神もいれば、争いを好まないが故に離反して隠遁した穏健な神も居り、魔神や組織毎に教義や儀式は全く異なっている。



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本編 1章 ~深淵より愛をこめて~
1話


 この物語はとある世界のとある時代の物語――

 大地が6つの太陽に焼かれ黒雲が地上を包んだよりもずっと後。

 雪の世界で石棺から目覚めた者達が月の光を見出した時よりもっと後。

 艱難辛苦の末に世界が人の世となった時代の物語。

 

 シーナ大陸南西部、"死海ナレイヤ"の海岸沿いに3つの大国に囲まれた貿易国家ルテアという国があった。流れの商人達が集まり亡国の王を祭り上げて出来上がり、対立し合う大国同士の中間貿易の場となる事で類を見ない速度で繁栄していた国である。

 特に首都である港湾都市アルバルドは最も大きな港がある都市であるために発展具合が凄まじく、類稀なる華々しさと花の名産地であることが相まって、他国の者からは『花の都』と呼ばれていた。

 

 その『花の都』の貧民街、汚物と腐敗に満ち満ちた場所に一軒のあばら家が建っていた。壁や天井には穴が開いており、窓は小さな物が1つだけ。垣間見える室内には本や酒瓶が足の踏み場も無い程に散乱しており、吐き気を催す獣と酒の悪臭が満ちている。

 家具は安楽椅子1つがあるだけで、寝床は皺と脂染みだらけの万年床。陽が届かぬ森の中、霧が立ち込める薄気味悪い沼地にある獣の巣が如き家だ。普通の人間ならば、訪れることは愚か近寄る事すら躊躇する事は間違い無いだろう。

 

 そんな家には奇妙な男が住んでいた。

 8尺程の身の丈は体毛に包まれており、手足口には肉を引き裂く爪牙、顔は狼のそれに近いが目の数は3対で合計6つもある。3歩歩けば子供が泣き叫び、また3歩歩けば婦女に悲鳴をあげられる。そんな悍《おぞ》ましい見た目の一人の男だ。

 彼の名は傭兵クルツ。姿は人に非ず、されど生まれと心は人のそれ、善人なれど悪人でもある半端者。人間らしい化け物の彼こそがの主人公である。

 

  ――善意の魔女 著 「我が功罪」 第3巻 "異形の傭兵"より抜粋

 

 

 

 

「人様を見かけで判断しやがって……」

 

 俺は今、『花の都』の地下牢獄に囚われている。太陽の光も街の喧騒も聞こえない牢の中で、遠く離れた拷問部屋から聞こえてくる悲鳴を聞きながら苔生した壁と錆び付いた鉄格子を眺めて愚痴を零し、釈放されるのを待っている。

 捕らえられた理由はただの勘違い。路地裏に連れ込まれた少女を悪漢達から救ってやったら、見た目の所為で驚いた少女に悲鳴を上げられて、駆け付けた人の話を聞かない冒険者達に悪人扱いされ屯所に連行されたといった具合だ。

 確かに俺は化け物で、服は恥部を隠せる腰布一枚と褌だけで他には何も身に付けていなかったのだから悲鳴を上げられてもおかしくはない。だから少女には文句の1つも言うつもりは無い。俺はただ、頭と耳を使おうともしなかった思慮の無い冒険者共に腹を立てているだけだ。

 

 奴らの所為で捕まるのは、今年が始まってからの半年間だけで既に5回目を数えている。毎度友人達が釈放されるように手を回してくれるまでの数日間を牢の中で過ごすため、この牢獄の献立は制覇したし囚人を管理する看守とも顔なじみになってしまった。

 通路の音の響き方も覚えてしまったので、今まさにこの牢に向かって駆け寄ってくる足音が看守の物でないこともわかる。大きな靴音を立てながらこちらに向かってくるのは、剣を引きずって走る子供。おそらくは我が不肖の弟子、ナールだ。

 

「お師匠様! ここにいらっしゃったのですね!」

 

 牢の前に現れた足音の主は予想通り弟子の少女であった。健康的な小麦色の肌と闇夜のように黒い長髪、人の耳に加えて生えているぴんと尖った耳と太い尻尾を持つ獣人。数え年で8歳の小さな彼女は俺を探して方々を駆け回ったのか、その身に汗と埃を纏っている。

 彼女は既に手回しを済ませているようで、ポケットから錆びた鍵を取り出すと牢の鍵を開け俺を解放した。緊急事態に陥った時に備えて、彼女には少なくない金を預けているのでそれを賄賂として使って釈放までの手続きを短縮させたのだろう。

 

「急にいなくなるからびっくりしたんですよ! 捨てられたかと思ったんですよ!」

「えぇい、暑苦しいから引っ付くな! それと……刀身が傷つくから剣を引きずって歩くなと何時も言っているよな? お前という奴は、武具を使わずに壊すような真似はするなと一体何度言ったらわかるんだ!」

 

 駆け寄り柔らかい頬を毛皮に顔をうずめた弟子の少女、ナールの旋毛を尖らせた第二関節で突く。肉体的にはあまり傷つくことは無く、小指を角にぶつけたかのような痛みを与えられる体罰だ。

 

「うぎっ!? 痛いです……痛いですよお師匠様……」

 

 拳骨を喰らったナールは頭を両手で押さえ、琥珀色の瞳を潤わせた。余程痛かったのだろう、尻尾を股下に巻き込みんでいるし針のように立っていた耳は塩水に漬け込まれた葉の物の様に垂れ下がってしまっている。

 彼女の師匠として、商売道具を乱雑に扱った彼女を厳しく罰しなければならなかった。それは仕方のない事ではあったのだが、こうも痛がられると罪悪感がふつふつと湧いてくる。

 

「まったく……。おい、行くぞナール!」

「あぁ! お師匠様、待ってください! ナールを置いて行かないでください!」

 

 こちらが牢から出て先へ先へと進んでいくと、ナールは袖で涙を拭って追いかけてきた。俺が置き去りにする気など無い事はわかっているはずなのに、それでも不安そうな表情で必死に付いて来てくる。おそらくだが、彼女の経験した悲惨な半生がそうさせているのだろう。

 

 

 今隣でビスケットを頬張りながら歩いている弟子、獣人の少女ナールは孤児であった。流れの娼婦の元に生まれ、僅か2歳にして捨てられた彼女は去り際に母親が放った「迎えに来るからここで待っていてね」という言葉を一切疑わずに信じ、悪臭漂う魚市場のごみ捨て場で健気にも母の迎えを待ち続けていた。

 廃棄された残飯や捨てられた瓶に残った液体を日々の糧とし、穴の開いた酒樽と蚤や虱が群生する布切れを集めて作った不潔な寝床で眠りにつく。彼女はゴミ捨て場から一歩も出ない生活を9か月もの間続けていたのである。

 そんな不潔極まりない生活をしていた彼女は、俺と出会った時には酷い状態になっていた。髪はフケまみれで砂糖を塗された菓子の様になっており、肌は病によって茹で蟹の甲羅の様になっていた。小さな体には骨と皮だけが残っていて、腹は餓死寸前である事を見る者に一目で理解させる程に膨れていた。

 複数種の病と寄生虫に侵されていた彼女の呼吸は絶え絶えで、脈は時折聞こえなくなっていた。酩酊した俺が酔い潰れたドワーフの友人と違えて連れ帰っていなければ、間違いなくその日中に死んでいた。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 見られていることに気付いたナールが菓子から口を離し、不思議そうな顔をこちらに向ける。夢中になって好物を食べていた彼女の小さな口の周りには、先程まで口にしていた菓子の屑が付いてしまっている。

 

「少し考え事をしていただけだ。それより、口の周りを汚し過ぎだぞ!」

「えっ、あっ、ごっ、ごめんなさい」

「袖で拭くな! 袖で! あぁまったく……ほら、拭いてやるから動くな」

 

 袖で拭おうとした弟子の腕を掴み、腰布に結びつけていた手拭いで彼女の口元についた汚れを拭き取る。両目を瞑り、されるがままに柔らかな頬を拭かれるナールは耳と尻尾を左右に振っている。おそらくだが、優しい親が自分の子供にするように面倒を見てもらえているのが嬉しいのだろう。

 

「お師匠様、お師匠様」

「何だ?」

「今日はお仕事ですか? それともお休みですか?」

「もう昼過ぎだから酒場に行っても仕事は無い。休みにするしかないだろうな」

 

 太陽の位置からおおよその時刻を推測し、弟子の質問に答える。

 この街において傭兵が雇われるのは、主に早朝から昼にかけての時間帯。出立前の商人や戦力を求める者が酒場にやって来て、朝食や昼食を食べながら店内に居座っている傭兵を吟味し声を掛けたりするのが一般的である。

 それとは別に有力な貴族や豪商が友人に居れば、伝手で仕事が回ってくるのだが俺にはそういった手合いの知り合いはいない。居るのは自称騎士の女好きと美少年好きの生臭な聖女様と、悪党の赤狐と酒好きの鍛冶師だけだ。

 

「でしたらでしたら! 今日はナールに稽古をつけていただけませんか?」

「構わんが、それで良いのか?」

「良いのです! ナールはもっともっと強くなって、お師匠様やお師匠様と旅をしていた方々みたいになりたいのです!」

 

 質問に対して、彼女は迷うことなく答えた。構って欲しいとか、遊んで欲しいといった願望を抑え込んで鍛錬を所望したというわけではないらしい。

 

「……そうか、なら稽古をつけてやろう」

 

 屈んでいた体勢から曲げていた足を伸ばしていつもの猫背へと戻り、稽古を付ける際に使っている林に向かって歩き出す。教えるとは言ったものの、何を教えてやろうか。幼い彼女でも扱える技術で、かつ戦闘において相手に傷を負わせる事が出来る物なんてあるのだろうか。

 思案しながら歩き、手拭いについた菓子をはたき落としているとふとあるものを思い出した。あれならば金も掛からずそこまで強い力も必要ない、練習すれば強力な武器にもなるはずだ。



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2話

 皮革製の投石紐から放たれた石が風を切り裂きながら飛翔していき、的として置かれた煉瓦に当たって林中に小気味良い破砕音を響かせる。彼方此方から聞こえていた木の葉の音や鳥獣の鳴き声が一斉に止み、束の間の静寂が訪れる。

 

「どうだ、地味だが悪く無いだろ?」

「おぉ! 凄いですお師匠様! 硬い煉瓦がバラバラになってます!」

 

 俺が木端微塵にした煉瓦の欠片を拾い上げ、ナールは興奮気味に声を上げた。どうやら今から俺に教えてもらえる技術がお気に召したらしい。

 手軽に手に入る物を組み合わせて行うこの投石器という武器は古今東西の文明で活用されており、熟練した者による投石は頭蓋を打ち砕く威力となる。習得が難しいという欠点こそあれど、弓よりも応用が利く上に必要な物は手軽に持ち運べる物ばかりと利点は多い。

 

「これナールにも出来ますか? お師匠様みたいに出来ますか?」

「しっかり練習すればな。ほら、こいつがお前の紐だ。失くすなよ?」

「はい! ナール頑張りますね! 出来るように頑張りますね!」

 

 投石紐を渡されたナールは、早速拾い上げていた煉瓦を包み勢いよく振り回し始める。その姿勢や振り方はおざなりで指導したくなるような状態だが、やる気に満ちている。あれやこれやと口出ししてやる気を削ぐより、何度かやらせてから良い点と改善点を伝えてやった方が良さそうだ。

 

「若いだけあって、勢いだけは立派だな。どれ、頑張る弟子を肴に一杯」

 

 蜂蜜酒に手を伸ばし栓を抜き、飲み口へと鼻を近づけ香りを鼻孔へと流し込む。"黄金酒"と呼ばれる限られた産地で作られる至極の酒、数ヶ月間少しずつ貯金してようやく買えた高級酒の良い香りが体内に満ちていくと共に、幸福感が沸き上がり口内に唾が湧き出してくる。

 暫くの間それを楽しんだ後、甘露を舌でも味わおうと瓶を傾けゆっくりと口内へと運んでいく。しかし舌に届くまさにその瞬間、「あっ」という声と共に弟子によって振り回されていた石がこちらへと飛来した。そしてそれは俺が手に持っていた酒瓶を射抜き、美酒を俺の顔面へとぶちまけさせた。

 

「あの、その、お師匠、わざとじゃないんです……」

「わかってる……。ったく、投げ方を教えてやるから河原で的になる物を取って来い」

「は、はい! 取って来ますね! ナール、取って来ますね!」

 

 河がある方を指差し指示を出すと、ナールは大慌てでそちらへ駆けて行った。ほどほどに頑丈で狙いやすい物、的として丁度良い物などそうそう落ちているはずがない。少なくとも俺が身なりを整え、今は無き好物への想いを断てるまでは帰ってこないはずだ。

 

「お師匠様お師匠様、取って来ましたよ! ナールは良さそうな物を見つけましたよ!」

「随分と早いな。……おい、ナール」

「何ですか?」

「その気色が悪い銅像は何だ、魔神崇拝でも始める気か?」

 

 手拭いを取り出し、濡れた顔を拭き終えたたところでナールが帰ってきた。走って行ってすぐに帰ってきた彼女は不気味な雰囲気の銅像を両手で抱えている。柱に3本の触手が巻きついたデザインの、邪教徒の隠れ家を襲撃して戦利品を漁った時にでも手に入りそうな一品だ。

 

「的です! とっても頑丈そうですし、きっとナールが上手になるまで壊れませんよ!」

 

 ナールはそう言いながら銅像を掲げてみせた。見たところ、確かに彼女の言う通り頑丈そうだ。金槌や棍棒で叩きつけても、小さなへこみが出来る程度で壊れることはないだろう。

 

「的としては申し分ないが……。うん? この像、何かおかしくないか?」

「そうですよ。見ての通りおかしな像ですよ?」

「いや、そういう意味じゃなくてだな。ほら、ここに不自然な溝が――」

 

 像の表面に薄らと見えた溝になぞる。すると魔術か何かで封がされていたのか、大した力で触ったわけでもないのに像が線に沿って割れ、中に入っていた身の毛のよだつ収集物が露わとなった。

 封じ込められていたのは大量の指。随分昔に入れられたのであろう乾燥状態の物から、昨日今日切り落としたのであろうまだ湿り気が残っている新しい物まで、50かそれ以上の指が真っ二つになった象の中から転がり落ちていく。辺り一面に広がった鉄臭さと腐敗臭は、この空間を日常から切り離していった。

 

「ぎゃあ! 指が! 指が!」

「あぁ指だ、それも小さな指だ……」

 

 出てきた指は全て親指で、ナールくらいの歳の子供の手についているような物ばかり。それらには創痕が付いており、何か鋸の様な刃物で骨ごと荒々しく切り取られたことが見て取れる。切断はとても合意の上でやったとは思えない、泣き叫び抵抗する子供を押さえつけて事を成したのは間違い無いだろう。

 

「ど、どうしましょうお師匠様!? ナールは、ナールは大変な物を見つけてしまいました!」

「俺達には関係ない、誰かに見られる前に元の場所に戻してこい……と言いたいところだが、見つけちまった俺達は見つかっちまったみたいでな。どうにかしなきゃならないらしい」

「え……? お、お師匠様! お魚さんの頭の人達が! か、囲まれてます!」

 

 像やら指やらに気を取られていた俺達は、気づかぬうちに魚面の魔族に取り囲まれていた。頭が魚のそれで体に鰓や鱗がある彼らは鰭の付いた手でサーベルや銛、弩や棍棒といった武器を携えている。こちらに向けている魚眼は血走り、視線は殺意に満ち満ちている。交渉の余地は無く、殺すか殺されるかしか道は無いようだ。

 

「我ラが御像に触れシ不敬な者に断罪ヲ!」

「断罪ヲ! 断罪ヲ!」

「小サキ者は苗床二、獣は我ラが神へノ供物に!」

「苗床ニ! 供物ニ!」

 

 まさに邪教の司祭な服装の男に合わせて半魚人達が叫んだ。

 自分達は幼児誘拐の犯人で、尚且つ魔神信仰の邪教徒であること、それに加えてこの集団の頭が誰であるのか彼等は自白した。非武装で半裸の大男と少年の様な格好をし剣を腰に差した少女を見て、大勢を引き連れた自分なら容易に勝てると思い権威を高めようと音頭を取ったのだろう。

 

「数は30超えで、装備も潤沢か」

「ま、不味くないですか? 逃げた方がいいのでは……」

「逃げる? 何を言っているんだナール? こんなに良いカモが、金目の物を山の様に持ってきてくれたんだ。逃がすのは勿体ないし……魔神に関わっている連中なら憎むべき仇、"大火"の居場所を知っているかもしれん」

 

 人間の頭蓋骨程度の大きさの石を拾い上げ、大きく振りかぶって集団を束ねている司祭風の半魚人へと投げつける。石は統率者の脚に命中し肉を削ぎ落とすと、残った勢いで転がり跳ね続け、狙った男の周囲を固めていた幾人かの脚の骨を粉砕していく。

 

「散、散レっ! 固マルな! 私カラ離れろ!」

「間ヲ開けロ! 向こウへ行け!」

「退け! 俺に近寄ルナ!」

 

 予想していたよりも相手が強い、固まっていては次は自分が狙われてしまう。そう思ったのだろう彼等は四方八方へと散らばり、次の標的が自分にならない様にしようと手にした武器や大声でお互いを牽制し始めた。

 自ずから散らばってもらうおうと思っての投石であったが、思いのほか効果があった。この混乱に乗じて敵の中央へと踏み込み、集団としての力が発揮出来ない内に蹴散らさせてもらうとしよう。

 

「奴ハドコへ行っタ!?」

「後ロだ! オマエの後ろに!」

「よう、悪いがちょっとばかり付き合ってもらうぞ」

 

 混乱に乗じて半魚人に忍び寄り、彼の腕を掴んで振り回す。武器として扱われた魚面は仲間達に叩きつけられる度に肩が外れ、背骨が圧し折れ、手足の関節が2倍3倍に増え続け、ボロ布の様になっていく。

 その苦痛によって上げた悲痛な叫びや仲間が肉塊となっていく様子は、半魚人達の戦意を喪失させるには十分過ぎるものであった。恐怖で腰が引け、足が震えで動かなくなった半魚人達は逃げる事も出来ずに血濡れで肉塊を振り回すこちらに襲われる。彼等が手に持っていたご立派な武器達はその役目を果たすことなく地面へと転がっていく。

 

「ひぃっ! お師匠様ぁ! お助けぇぇっ!」

 

 前方と左右の敵を片付けた時、不詳の弟子が情けない悲鳴をあげこちらを呼んだ。声の方向を見ると、彼女は後方に居て俺に襲われなかった一団と追いかけっこをしていた。美しい装飾の施されたサーベルを握ったまま鼻水と涙を垂れ流して逃げ惑う彼女の姿は、これ以上ないほどに情けないと言うしかないだろう。

 

「まったく、あれが聖剣の担い手とは……世も末だな」

 

 武器にしていた半魚人であったものを放り捨て、血濡れの手で一握りの石礫を拾い上げる。弟子を追う奴らを側面から狙うなら大きな物を一つ投げるよりこちらの方が良い。

 

「ナール! しゃがめ!」

「はっ、はいぃぃ!」

 

 少女が命令通りに這いつくばったのを確認してから、手の平に包み込んでいた石礫を散弾の要領で投げつける。制球は上手くいかない上に個々の威力も先程の物には劣り、盾を構えられたり鎧を着こまれれば防がれてしまうが今は牽制が目的なので問題は無い。

 石は追いかけていた幾人かに当たり、その歩みと思考を数瞬の間だけではあるが止め、爪牙で半魚人共の肉を食い引き裂く時間を作り出してくれた。この場だけで言うならば、あの弟子よりも役に立っていると言えるだろう。

 

「まったく、手間ばかり増やしやがっ──」

「お、お師匠様!? 火が! 火がお背中に!」

 

 先程蹴散らした者達の中に生き残りがいたようで、背中を火球を飛ばす魔術で射られた。幸いにも、かけられた魔術は下級の物であったため皮膚の一部が焼け焦げる程度で済んだが、それによって引き起こされた強烈な痛みは俺に思い出したくない過去を思い出させた。

 火の中に取り残され焼かれた最愛の者と彼女が愛した孤児達の泣き声、燃え盛る火炎に身を投じ彼女達を探し出そうとした時の苦痛と焦り、灰の中から見つけた遺品の数々を見つけた時の悲しみ。ナールを拾うよりもずっと前に味わい、脳裏に焼き付いていた記憶が幻覚として一気に押し寄せてくる。

 視界は白と黒の点滅で塞がれ、喉が収縮して正常な呼吸が出来ずに窒息しそうになる。咄嗟の判断で左腕に噛みつき、自分自身に痛みを与えていなければ、過去に味わった苦難に苛まれ押しつぶされて動けなくなってしまっていた。

 

「野郎……ただで死ねると思うなよ!」

 

 逃げればいいのに反撃を試みた勇気ある愚か者の脚へと駆け寄り、膝の皿を踏み砕く。思い出したくないものを無理矢理に思い出させてくれたのだ、情報を聞き出すついでに相応の礼をしてやろう。



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3話

「お師匠様、やっぱりナールには無理です! 出来ませんよぉ……」

 

 木に縛り付けられた半魚人を前に、ナールは振り上げた石を落とし泣きべそをかいた。彼女には「捕虜が魔術を行使できなくなるよう、腕を石で砕け」と命令したのだが、優しすぎるようでなかなか実行できず、この半刻の間石を持ち上げては下ろしてを何回も繰り返している。

 

「お前がやらないなら俺がやることになるが、それで良いのか?」

「それは……うぅ酷い。お師匠様は酷すぎます……」

「ほら、やるかやらないか。さっさと決めろ」

 

 涙ぐむナールの小さな手を開き、石を握らせて選択を迫る。彼女は以前、雇われた俺と共に戦地へ赴いた際に自らの師や傭兵達が行った"情報収集"の様子を目撃している。自分がやらねばもっと酷いことになるとわかっており、選択肢が与えられていないのと同じだと気付いているのだ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 暫しの沈黙の後、ナールは謝りながら捕らえた半魚人の指と腕へと石を振り下ろした。しかし骨という物は頑丈で、彼女が可能な限り傷付けまいと力を加減したために叩き割れていない。中途半端な勢いで重量物を叩きつけ、半魚人を苦しませただけであった。

 このままでは駄目だと彼女は体重を乗せ始めるが、それでもなかなか破壊することはできず、10本の指を砕くのに36回の殴打を必要とした。打つ度に彼女の小さな手は自他の血で赤く染め上がっていき、可愛らしい声が出る細い喉からは嗚咽だけが漏れるようになっていく。終わり際には罪悪感に膀胱が耐えられなくなったらしく、初めて人を殺めた新兵のように大腿を湿らせてしまっていた。

 

「お師匠様、終わりました」

「よくやったなナール、後は俺がやっておくから河で洗ってきていいぞ」

「……はい」

 

 悪臭を漂わせているナールは袖で流れ続ける涙を拭きながら、像を拾った河原へと向かって行った。背中を丸めて歩く彼女は抱擁して背中でも摩ってやりたくなるような様子であった。

 彼女には傭兵として致命的なまでに残虐性が無かったので、それを身に付けさせるために前々から残虐な行いを強要している。剣術を教え込んでもそれを敵に振るう事が出来ない彼女を一人前の傭兵へと育て上げるため、ゆっくりと時間をかけて矯正していっているのだ。

 もしも彼女が弟子になりたいと言っていなければ、読み書きと知識だけを与えてどこかの寄宿学校に放り込むか子を成せなかった貴族に売り込むかのどちらかをしていただろう。少なくとも、今進んでいる茨の道を歩ませはしなかったはずだ。

 

「さてと、そろそろお話を聞こうか」

「――っ、狼の化物メ。俺は何ヲされテモ応えヌぞ……」

「それはお前の身体に聞いてみるまでわからんさ。なぁ魚野郎、百刻みにされたことはあるか? 皮膚を剥がれたり、目を抉られたことは? 局部や尿道に針を通されたり、傷口に痒み薬を塗られて放置されたことは?」

 

 質問をしながら捕虜の前に鹵獲したナイフと尖らせた木の枝を並べ、かぶれを引き起こす草を石で磨り潰し始める。自分がこれから何をされるのか想像しやすいように、それらの行為は彼の目の前で大きく音を立てて行っている。

 

「…………」

「そうか、ないか。なら今からその全てを体験してもらう。組織と重要人物の名前、それと信仰の対象と目的等々を洗い浚い吐けば楽にしてやるが、それまでは痛めつける手を止めるつもりは無いしお前を殺すことも決してない。何時までも付き合ってやるから、言いたくなったら言え」

 

 

「お師匠様、今戻りました! それで……あの……」

「もう終わったから安心しろ。残骸は全部隠しておいたし、戦利品は取ってある」

 

 行水と洗濯を終えて帰ってきたナールは周囲を見渡し不安そうな表情をしていたが、もう酷な事を強いられないのだと伝えられると少し安心した表情になった。耐えられないと思って"終わらせる仕事"をやらせなかったが、やらせても良かったのかもしれない。

 

「そうなのですか。それで、何かわかったのですか?」

「かなり事がわかった。奴らが"水底の徒"という魔神教に属していた事と指導者が"海月"と名乗っている事、目的が死海に封じられた魔神の復活である事。どれも高く売れそうな情報ばかりだ」

「売る!? 売るのですか!?」

「あぁそうだ、売るんだ。名声を得たい貴族か出世を狙う見習い騎士、もしくは正義馬鹿の冒険者共。何処の誰に売ったとしても、悪くない金額を払ってくれるはずだ。解決はそいつらに任せてしまえば厄介な連中とこれ以上関わらずに済む。悪い話じゃないだろう?」

 

 紐で縛って纏めた戦利品と証拠の品を放り込んだ革袋を背負う。これを売り払う事が出来れば、数か月は金に困ることは無いだろう。

 

「それで良いのですか? 大事になっているは確かですし、解決すればお師匠様のお名前が売れるのではないのですか? お仕事、しやすくなるのではないのですか?」

 

 折角手に入れた情報を簡単に手放すことに、名声や仕事を得られる機会を悩むことなく金に換えてしまうのに合点がいかないのだろう。腑に落ちない表情のナールが問いを投げかけてきた。

 

「良いんだ良いんだ。有名になって厄介事に巻き込まれやすくなるよりも、雑魚を蹴散らして稼いだ金で酒を飲んで肉を食って女を抱いてる方が性に合っている。そんな事より、師匠にばかり荷物を持たせてないでお前も戦利品を運べ」

 

 司祭風の男の所持品を調べた際に出てきていた本をナールに差し出す。皮で装幀された50頁前後の本であり、背表紙には魔族語で『海底の子』と書かれている。間違いなく彼らが属する団体に関した記述がされているであろう一品だ。

 

「本ですか? 何というか、凄く奇妙な革表紙ですけど……」

「そりゃあそうだろう。そいつは下手装本でも特上の一品、人皮装丁本だからな」

「げてそうほん? にんぴそうていほん? にんぴ……という事は人の皮!? これ、人間の皮なんですか!?」

 

 弟子は何の皮であるかを告げられると、派手に驚いて大声を上げた。全身に鳥肌を立て、水から上がった犬の様に体を震わせた彼女は驚きのあまり本を地面へと落としてしまう。表紙が捲れ、本の内側が露わになる。開かれた頁には、文章になっていない魔族語の羅列と海牛の様な魔神の挿絵が載っていた。

 懐に入れて持ち運べる大きさであることと本の汚れ具合から、日常的に使っていた物なのだろう事が見て取れるがその内容までは読み取ることが出来ない。

 

「ふぅ良かった。お師匠様、地面に落としちゃいましたけど汚れてませんよ」

「何が良かっただ、馬鹿弟子め! 何かが封じられていたり、読んだだけで呪われる物かもしれないから、鑑定されていない本の取り扱いは注意しろと前に教えただろうが!」

 

 戦利品の一つ、銛を取り出し不注意極まりない行動を取った弟子の肩を柄で叩く。手に入れた戦利品の中によくわからない物があった時は、基本的に鑑定を行える者の目が通されるまでは取り扱いに注意しなければならない。不用意に箱や本の中身を調べたり、拾った杖を面白半分に振るのは自殺行為に等しいのだ。

 

「まったく、下手をすれば四肢が腐り落ちたり壁の中に埋まるところだったんだぞ」

「ひぇぇ、次からは気を付けます」

「わかりゃ良いんだわかりゃ。ほら、開かない様にこの紐を使って縛っておけ」

 

 紐を手渡し本を縛らせる。先程目に入ってしまった部分が安全だからといって、本そのものが安全であるとは限らない。弟子が牢で俺を追いかけた時の様に転べば、再び本が開かれ何かが起こってしまうかもしれない。

 

「はてさて、誰に情報を売りこんだものか。悩ましいな……」

「そうなのですか? 誰に売っても同じではないのですか?」

「それがそうでもない。連中は下っ端にも潤沢な装備を持たせられるくらいに資金を持っている。恐らく貴族や豪商に繋がりがあると見ていいだろう。適当に情報を売っちまえば、さっきの連中を俺が始末したと敵方に露見するかもしれん」

 

 街へと歩きながら弟子と共に今後の事を考える。権力者や独自の人脈を持つ者が関わっているかもしれない以上、敵は誰で何処に潜んでいるのかわからない。現状だと目の前に居る幼い弟子以外は手放しに信用することができないだろう。警戒心は持ち続けなければ。

 

「なるほど……では、お師匠様の旧知の方に売り渡してはどうでしょうか。"振り香炉の勇者"様と旅をしていた方々なら、大丈夫ではないのでしょうか?」

「確かに奴らなら他の連中よりかは信用出来る。出来るんだが、しばらく連絡を取っていないから何処に居るのかわからない。"双剣騎士"ならすぐに見つけられるかもしれないが、居るであろう場所が場所なだけに会いに行くのが難しい」

「何故なのですか?」

「奴隷以外の魔族は入れない貴族街の何処かにあいつが住んでいて、俺が見ての通りの姿をしているからだ。奴隷を持ってそうな奴、商人か貴族と協力して変装すれば呼び止められることなく入り込めるかもしれないが……いや待て、手が無い事もないな」

 

 知人の少なさで手詰まりになったかと思った時、ナールを見て一計を思いつく。そうだ、俺にはこいつが居たじゃないか。磨けば光る原石を磨いてやればいいだけではないか。



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4話

 港湾都市アルバルドの表通り。

 城壁から港付近の倉庫街まで続くこの通りには、もう薄暮がやってきているというのに多種多様な種族の者と数多の交易品を積んだ馬車が昼間に通った時と変わらない程に行き交っている。響き渡る轍の響きと駄獣の嘶きは、門を潜り抜ける前から聞こえる程に騒がしい。

 通りに沿って店を構えている酒場や飲食店からは、客達の笑い声と油気の多い料理の香りが光と共に漏れ出ている。途方もない距離を旅し、想像もできないような苦労を乗り越えたのだろうか、窓から見える人々は砂漠を超えた駱駝の様に酒を胃の中へと流し込みながら互いに労を労っている。

 

 ここには裏通りに蔓延る腐敗と退廃は見受けられない。

 隙を見せれば痩せこけた孤児が襲い掛かって来ることもなく、泣き叫ぶ赤子に見向きもせずに酒や薬に狂う母親が目に入ることもなく、補導をちらつかせて賄賂を求めてくる衛兵も居ない。恐らくだが、街の顔として好ましくない要素は清掃と排除でもってこの通りから排除されているのだろう。

 この街を訪れた観光客や行商人にとっては過ごしやすい空間なのだろうが、この街に住む俺達には不自然なまでに整えられ悪臭のしないこの通りに気持ち悪さを感じてしまう。

 

「お師匠様、何処へ向かっているのですか?」

「服屋だ。貴族街に続く門を警戒されずに通るには服が必要になるからな」

「お師匠様が服をッ!? 出会った時から今まで裸足で半裸だったお師匠様が!?」

「……買うのは俺の服じゃない、お前の服だ。俺は奴隷に扮して、お前は主人の行商人の娘に扮して貴族街に入るんだ。ほら、あそこのまだ開いている店に行くぞ」

 

 驚いた表情の弟子を摘まみ上げ、偶然視界に入った小さな服屋へと進んでいく。

 店構えから豪華なものが多い表通りの店達と違い、地味で人気の無い服屋。客足が途絶えてから随分経つのか扉の取っ手は塗装が剥がれ錆び付いてしまっているし、店内は森の中の様に薄暗い。開店している事を示す掛札が無ければ、潰れた店だとしか認識できなかっただろう。

 持ち上げていた弟子を降ろし、古びて硬くなったドアノブに手を掛け捻る。力を加えられ開かれていく扉は想像していたよりも音を立てて軋み、鳴り響くドアベルと共に俺達の入店を店内に知らせてくれた。

 

「い、いらっしゃ……っ――」

 

 目が隠れる程に前髪を伸ばしたそばかすのある少女が、騒々しい入店音を聞いて店の奥から現れた。現れたのだが彼女は俺を見て驚き、一声小さく悲鳴を上げるとそのまま腰を抜かして気絶してしまった。失礼な女だ。

 

「気絶しちゃいました。お師匠様、どうしましょう?」

「息と脈が正常で、見たところ怪我も無いから放っておけばいい。どれ……起きるまでの暫くの間、失礼極まりないこいつがどれくらいの商品を扱えっているのかを見させて貰おうじゃないか」

 

 首に手を、口元に耳を当て無事を確認し、処置の必要が無いと判断してから店内を物色していく。店内には衣服を着せられた等身大の人形と勘定台があるだけで、商品を陳列する棚は存在しない。開け放たれたままの扉から見える店の奥には、布や糸といった材料と作り掛けのドレスが縫製道具であふれた作業台の上に置かれていた。

 人形達に着せられた服はそこらの店の物よりも遥かに質が良く、在庫を抱え込んでいる様子は全くと言っていいほどに無い。この店は既製品を売るのではなく、特注品を作って売っているのだろう。

 

「腕は悪くないみたいだが、それなら何故流行っていないんだ?」

「ぎゃあ! お、お師匠様ぁ!」

「まったく、一体何をやらかしたんだ?」

 

 弟子が情けない悲鳴を出したのでそちらを見てみると、そこには弟子と彼女の喉にナイフを突き付けている青年の姿があった。種族は人間で年は成人したての15程度、身長は5尺半と平均的で細身である。

 

「ならず者め、ぺリアから離れて盗んだ物を置いていけ! さもないと……」

 

 震える手で刃物を持つ青年は悪党の様な台詞を吐いた。

 彼の視線は倒れている少女へと何度も動いている。恐らくだが彼は少女と親しい間柄の人物で、倒れてる少女と俺達を見て悪党が押し入っているのだとでも考え、何とかしようと咄嗟の行動に出たのだろう。早計で後先を考えていない奴だ。

 

「さもないと何だ、そいつを殺すのか? まだまだ幼い子供の喉笛を切り裂いて、血の泡を吐かせるのか? それとも、その短剣を胸に突き立てて悲鳴でも上げさせるのか?」

「そ、それは……それは、あぐっ!?」

 

 真っ直ぐな心を惑わすように問いを投げつけられ、酷く狼狽した青年はこれを好機とばかりに飛び上がったナールの頭突きを顎先に喰らった。当たり所が悪かったのだろう、石頭による一撃は彼の頭を揺らし青年を昏倒させてしまった。

 

「お師匠様、やりました! ナールはやりましたよ!」

「……そうだな、やっちまった。暴力沙汰になっちまったな」

 

 無邪気に喜ぶ弟子に溜息をつく。折角口先だけで何とか出来そうであったというのに、彼女の余計な行動で正当防衛とはいえど相手を昏倒させてしまった。この場を誰かに見られたとしたら、事実を伝えたとしても疑われ、いつものように投獄されてしまうだろう。

 

「仕方ない。ナール、こいつらを奥へ運ぶぞ」

「奥へですか? でもそれって不法侵入になるんじゃ……」

「そうだが、それでも誰かに見つかるより遥かにマシだ。もう揉め事になっている以上、それを大きくしないようにしなくちゃならんのはわかるよな? ほら、わかったら両手が塞がった俺の代わりに扉を開けろ」

 

 気絶した男女を担ぎ、店の奥へと2人を連れて行く。

 ナールに途中にある扉を開けさせて、奥へ奥へと進んでいき、住居として利用している場所まで達したが人の気配は全くと言っていいほどに無い。対のコップや2つ枕が置かれた寝具といった幸せそうな生活の痕跡を見るに、ここには今担いでいる男女2人しか住んでいないようだ。

 

「勝手に気絶して、勝手に悪党扱いしやがって……ん?」

 

 担いでいた2人をベッドに寝かせてやったところで、ベッド脇のテーブルに見覚えがある本が置かれている事に気が付いた。それを手に取って確認してみると、やはり思っていた通りの絵物語であった。

 

「どうかなされたんですか?」

「懐かしい物を見つけてな。ほら見てみろよ、月教徒共に改訂された"振り香炉伝"だ。"好色騎士"や"月の巫女"、"火薬樽"や"赤狐"が勇者様と一緒に俺を討伐してるぞ」

 

 6つ目の化物が5人の冒険者達に討滅される挿絵が掲載された頁をナールに開いて見せる。本来ならば存在しなかったその頁には、俺に身に覚えのない罪状がこれでもかと書き込まれている。

 

「お師匠様は"振り香炉に勇者"様と最も親しい方では無かったのですか? この本の記述だと、お師匠様は勇者様を誑かした極悪非道の魔族だとなっていますが、どちらが本当なのですか?」

「前に俺がした話の方が真実だ。魔族が勇者と一緒に冒険して人助けをしていたってのが、魔族嫌いの月教徒には都合が悪くてな。本当の話は捻じ曲げられて伝えられてるんだ。今じゃこの国でも故郷でもこの見た目は邪悪の権化、畏怖の対象になっている」

 

 話しながらナールに彼女の近くにあるスツールに座るように促し、こちらは安楽椅子に腰かける。仲睦まじい2人が目覚めるまでやる事は無いのでここで座って待たせてもらおう。

 

「改定前の物は焚書され、改定後の内容が演劇や詩で広まっちまって常識になっている。俺やかつての仲間が多少足搔いたところで何も変わらない常識にな」

「そう……だったのですね……」

「英雄譚は大多数にとってより聞き心地が良く、より都合良く書き換えられる定めにあるってことなんだろうな。……ナール? 聞いているのか?」

 

 返事と視線が無くなったので弟子の方に目を向けると、彼女は座ったままの状態ですぅすぅと寝息を立てて眠っていた。1日中駆け回ったのだから夜になればそうなるのは当たり前、むしろ子供ながらによく耐えれていたものだ。

 

「まったく、いい顔して眠りやがって」

 

 倒れてしまいそうなナールを起こさぬように優しく抱き上げ、安楽椅子に腰掛けなおす。

 体温は人間よりもやや高く、昼間の一件の後に整えたので毛皮が柔らかくなっている俺に包まれた弟子の眠りはさらに深くなっている様で、腰から下は脱力し瞼はぴくりとも動かなくなった。夢の中では暖かい毛皮にでも包まれているのか、盛んに俺の毛束を掴んでは自分の方へと持っていこうとしている。

 

「お師匠様……えへへ、お師匠様……」

「寝言で人の名前を呼ぶとは、可愛らしい奴め。くぅぁッ!?」

 

 小さく軽い弟子のその仕草を愛らしいものだと思って眺めていたが、すぐに痛い目を見る事になった。所詮は子供の握力であるのだから大したことはないと思っていたそれは存外に強く、瞬く間に一握り分の腹の毛が引き抜かれてしまったのだ。

 あまりにも急にやってきた激痛に驚き、思わず素っ頓狂な悲鳴を上げてしまった。聞かれていなかったから良かったものの、もし弟子に聞かれてしまっていたのなら恥ずかしさで毛に覆われた頬を真っ赤に染めてしまっていただろう。



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5話

「あの……その……」

 

 夕食時なってようやく目を覚ました少女は、身を起こすとナールを抱えて座る俺に話しかけてきた。俺に殺しや盗難を行った様子がなく、自分も愛しい人も傷つけられていないのを見て、少し安心したのだろうか。こちらが顔を向けても、少し怖がる程度で気絶はしなくなっている。

 

「貴方は悪い方……ではないんですよね?」

「悪人かどうかは自分でもわからないが、少なくとも俺はこいつの服を作ってもらいに来ただけの客だ。この店やお前に対しては、金を支払ってそれに見合った物を手に入れる以外の用も悪事を働く気も無いぞ」

 

 眠っている弟子の頭を撫でながら、少女の問いに出来うる限りの穏やかな口調で答えを返す。そしてそれに続けて、彼女が気絶してから今に至るまでに起こった出来事を話していく。何が起こったのかを聞かされた彼女の顔は罪悪感からか、目に見て分かるほどに

 

「私達、お客様に何てことを……。申し訳ありませんでした……」

「実害は出ていないし、怖がられるのには慣れてるから別に構わんさ。だがもしどうしても詫びたいというのなら、採寸の時にでもこいつに助言をくれてやってくれ。見ての通りの男の元で育ってきたから、自分にどういう服が似合うのかなんてわからないはずだ」

 

 柔和な表情を作り、ナールの頬を小指で優しく突く。金銭を受け取ったり代金を安く設定させては後々何を言われるか分かったものではないが、この程度なら悪評を立てられたりすることはないだろう。

 

「……是非、是非やらせてください! 私、これでも誰かの服を選ぶのは得意なんです! 店の人形が着ている服も、靴から帽子まで全部私が考えたんですよ!」

 

 何かお詫びをしたいという気持ちに加えて何かそうしたいと思う動機があるのだろうか、青年にぺリアと呼ばれていた少女は、弟子の顔を見たその瞬間から先程までの大人しい喋り方から打って変わって急に饒舌になった。

 

「あぁ、その子だったら何が似合うのかな。シンプルなワンピースかな、それとも形式張ったドレスかな? 布地は白がいいかな、それとも黒のほうがいいかな? ふへっ、ふへへっ!」

 

 彼女はナールを様々な方向から観察し、どの様な服で彩れば良いかの創造を自分の世界に入って行い始めた。髪で目がよく見えない上に口角が上がったその顔は少しばかり、いや非常に気色が悪い。もし他の客の前でこの顔をしてしまったことがあったのなら、この店が寂れているのはそれが原因だと断言できるだろう。

 

 

「大丈夫だから大丈夫だから、安心して身を任せて頂戴。健康的な体に綺麗な黒髪、古傷は一杯残ってるけどそれはそれで野性的で……。あぁなんて……想像力を擽ってくれる身体なんでしょう!」

「お師匠様! 助けてくださいお師匠様! この人、手付きと視線が変です!」

 

 採寸のために試着室へと連れていかれたナールが、創造する欲求を満たしたい変態によって全身を調べ上げられ、今日何度目になるのかわからない助けを求める声を上げている。

 

「あれが、この店がこの店である理由なんだろうな……」

「えぇ、腕は良いし悪い子じゃないんですけどね。あっ、お茶のお代わりを注ぎますね。砂糖はいくつ入れます? そうだ、茶菓子の方も新しい物を持ってきましょうか?」

 

 弟子によって気絶させられていた青年が陶器製のカップに茶を注ぐ。少女よりも少し後に目を覚まし事情を説明された彼は非礼を詫び、申し訳なさからかやや過剰な接客をするようになっている。

 

「ぺリウスだったか、一つ聞いてもいいか?」

「僕に答えられることはそこまで多くないですけど、それでよければ……」

「俺をならず者だと判断した根拠を聞きたい。絵物語の悪役と同じ姿だからとか、女が倒れてるからそう思っただけなのか? それとも、事前に何か事件が起きていたとか何か悪い噂を耳にしていたとか、早計な考えに至る理由があったのか?」

 

 体に対して小さ過ぎる茶器で茶を飲みながら、菓子を載せた盆を運んでくる青年に尋ねる。この質問は別に少年の動機が気になったからしたわけでない。もし仮に何か事件が起こっているのなら、俺が持つ情報の価値は更に高まるだろうと思って質問をしただけだ。

 

「ここだけの話にしていただけるなら……」

「心配せずとも口は堅い。それに、俺が話しても信用する人間は少ないだろ?」

「僕は副業で人形作成をしているんですが、城に入る機会がありまして……。その時に侍女が話しているのを聞いてしまったんですよ」

 

 俺が答えるとぺリウスは周囲を確認し、小声で話し始めた。どうやら世間には知られていない、知られてはいけないような事を知っているようだ。

 

「何を聞いたんだ?」

「『凶悪な外観で半裸、闇夜に光る瞳を持つ魔族が数え切れない程の婦女を攫っている。被害者の中には王族の娘もいるらしい』っていう噂です。不安が広まらないように、緘口令が出されているそうですが広まるのも時間の問題でしょうね……」

 

 少年は言い終わった後に再度周囲を見渡し、誰にも聞かれていないことを確認した。自分の口から広まったと知られれば、どのような罰を受けるか分かったものではないと怯えているのだろう。

 

「それで俺を悪党だと決めつけたと。詳しい内容は聞いていないのか?」

「聞いてますよ。なんでも攫われた王族はレベッカという王陛下の孫娘で、鷹狩りの見学に行った帰りで連れ去られたそうです。王族や彼女の婚約者が血眼になって探しているみたいですが、供の死体以外は何一つ手掛かりを見つけられていないとか」

「王族付きの護衛をどうにかして誘拐を成し遂げられる程の手練れが居て、帰路を把握できる情報網を持った誘拐犯達か。確かにそんな奴らが捕まっていないと聞いちゃ不安になるのもわかるな……」

 

 話を聞き、ぺリウスが早まった行動に走った理由に納得した。力を持った正体不明の何者かに襲われるかもしれないという恐怖は、表通りで安全に生活している者にとってそれはそれは大きなものだったはずだ。

 

「お師匠様ぁー!」

 

 採寸が終えたナールが更衣室から飛び出し、丸椅子に座っている俺の腰に飛びついてきた。彼女は変質者の域に達した職人と密室に入り、その者に体を触られた記憶を上書きするかのように頬を擦り付けている。

 

「えへっへへへ……。あっ、これ私が考えてる服を作る場合の見積書です」

「随分安いんだな。……おい、年齢が間違ってるぞ。数え年ならこいつは10歳じゃなくて8歳のはずだ。確か、初めて会ったときは2歳だったよな?」

「はい! 雨季と乾季が8で、あの場所に居た時は2歳。お師匠様と24の季節を過ごしたのでナールは8歳です! お姉さんが間違っています!」

 

 弟子は埋めていた顔をぺリアに向け直し、自信満々にそう言い放った。どうやら彼女の出身地には四季が無く、雨季と乾季しかなかったらしい。そして季節が4つ過ぎれば1年であるという教えをそれに当て嵌めて考えてしまっていたようだ。

 

「10歳だな、間違いない」

「いやぁ、やっぱりそうですよね! 8歳にしては身体つきがしっかりしているし、10代くらいの女の子くらいから匂う独特な甘い香りを漂わせていましたし!」

「ひぇっ!」

 

 ナールは小さな悲鳴を上げ、気色の悪い発言をしたぺリアの視界から消えるために俺の後ろに身を隠した。貧民街に時折現れる露出魔や追剥に出会っても彼女はここまで怯えることはない。弟子はこの人物が心底苦手なのだろう。

 

「完成予定は3日後か。早過ぎるくらいだが、本当に出来るのか?」

「任せてください! 仕事の早さと品質の良さは祖父の代から表通り一……いえ、アルバルド一ですから! 必ずその日までには完成させますよ!」

 

 職人としての誇りと確かな実力があるのだろう、ぺリアは腰に手を当て胸を張ってそう言った。人としてかなり問題のある人物ではあるが、仕事を頼んでも問題は無さそうだ。

 

 

「ありがとうございました! その、もしよろしければまた来てくださいね!」

「……用があればな」

「えぇ、是非是非! ナールちゃんの服も作りたいですし、それに私……お客様の服も作りたいです! 何でしょうかお客様からも磨けば光る何かを感じるんですよね。あっ、すみません……私ったらまた暴走してしまって……」

 

 金と証文を交換し終えた後、店の前まで見送りに出てきたぺリアは挨拶と共に生暖かさを感じる視線と言葉を投げかけてきた。ナールだけでなく、俺にも目を付けていたようだ。

 

「貶されたわけでもないし別に構わんさ。ほらナール、隠れてないで挨拶しろ」

「服屋のお姉さん……さよなら」

「えへへ、またねナールちゃん」

 

 ぺリアは小さく手を振るナールの姿に微笑んだ。今までとは違い、気色悪さが薄れた笑顔だ。単に小さな子供の可愛らしさに微笑んでしまったから彼女の問題となる気質が表に出なかっただけなのだろう。



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6話

 貧民街と表通りの間にある酒場"行方知れず"。酒気と紫煙が常に漂い異国の音楽が響くこの酒場は、明日をも知れぬ傭兵や命すら賭ける博徒、表に出せぬ仕事を行うならず者や教えに背く生臭坊主などの業の深い連中の吹き溜りとなっている。

 その客層の混沌ぶりは種族の面でも表れており、人間や長耳のエルフ、動物の耳や尻尾を持つ獣人や背丈の低い種族である小人やドワーフといった表通りでも見ることのできる種族に加えて、店内には異形の魔族や竜の角や翼を持つ竜人の姿も見受けられる。

 誰であっても客として受け入れるこの場所で、俺とナールは豪勢な夕食を取っている。大きな机の上に並んでいるのは浅瀬鰐の丸焼きに白身魚の揚げ物、塩茹でにされた玉蜀黍と豆、バターの塊が添えられ白パンの山と火酒。贅沢の極みといった具合の光景と香りだ。

 

「お師匠様、お師匠様はナールに教えられるくらいには綺麗に食べられるのに、何故いつもそのような食べ方をするのですか?」

 

 肉を切り分けずに貪り食いワインを溢しながらラッパ呑みしていると、対面に座る弟子が不思議そうな顔でそう言った。俺とは対照的に、彼女は使うようにと渡してある銀製のカトラリーを器用に使い、肉汁の滴る鰐肉を手元を汚さずに食している。

 

「人除けの為だ。こうしていれば、用が無い奴は怖くて近寄って来ないだろ?」

「そうでしょうか? ナールはそう思いませんけれど……」

「それはお前が俺と長く過ごしてきたからそう思うだけだ。普通の子供であれば悲鳴を上げて泣き叫ぶか、持っているものを放り出してでも逃げだすぞ。ほら、その証拠にガキ共が近づいてこないだろう?」

 

 口にしていた肉を骨ごと嚙み砕きながら、客引きを行う娼婦に交じって客席の間を行ったり来たりしている子供達を指差す。

 彼等は安値で売られた娼婦の見習いで、年上の身の回りの世話をしなくてもよい時は客に愛嬌を振りまいて腹と懐を満たしている。彼等を買った酒場の店主からは大した食事を与えられていないので何時も空腹であり、料理が並んだ机を見つけたならば、座っているのが魔族であろうが凶悪な面をした博徒達であろうが関係なく蟻のように群がっていく。それが来ないのは、彼等が俺の食事風景を見て本能的な恐怖を感じたからに違いない。

 

「懐が温かいのが目に見えるのに誰1人近寄って来ない。効果覿面だろう?」

「確かに誰も――。いえ、誰か来ましたよ! あの男の人がお師匠様の顔を見て、こちらに向かって来ていますよ!」

 

 弟子がいつも通りの大きな声を出し、接近してくる人物を指差した。彼女が指差した方向を向いてみると、この酒場に似付かわしくない豪奢な服を着た優男がこちらに歩いてくるのが見えた。こんな時間にこんな見た目の俺に用があるだなんて、どんな問題を抱えているのやら。

 

「何の用だ? 傭兵を雇いたいなら、俺よりもあっちに居る奴らの方が良いぞ」

 

 視線を近寄ってきた身形の良い男に合わせたまま、命懸けで手に入れた金で博打を打つ傭兵の集団を指差す。貴族や金持ちの争い事に巻き込まれても良い事は無い、雇われるのなんて真っ平御免だ。

 

「普段ならそうしたかもしれませんけど、今日は貴方に用があって此処に来たんですよ。この首飾りに見覚えはありませんか? いえ、あるはずですよね?」

 

 優男は席に座ると、見るからに手作りの首飾りをポケットから取り出して俺に見せた。鹿の角か何かを削って作られた物で、製作者の不器用さが如実に表れているその首飾りには見覚えがあった。今日の昼間まで牢獄に放り込まれる原因となった悲鳴、その悲鳴を響かせた少女が首に掛けていた一品だ。

 

「あの時の女の物か、確かに見覚えがあるな」

「彼女は私の屋敷で働いていた使用人でしてね。日頃の勤労に報いるために休みを与えたのですが、この街に出かけたきり帰ってきていないのですよ。随分長く仕えてくれている子でね、一言も告げずに急に居なくなったりするような子では――」

「回りくどいな……。要は消えちまった女を俺に探させたいんだろう?」

「まぁそんなところです。彼女を見つけ出してくれるのならば、これくらいは出そうと思っておりますがどうでしょうか?」

 

 そう言いながら彼は3枚の小銀貨を机の上に置いた。大工の日給が大銅貨1枚であり、それを30枚集めたのと同じ価値を持つこれは人探しの人員を雇う報酬としては過剰な物である。この男にとって、探し人はそれほどまでに大切な者なのだろう。

 

「足りんな。前金でそれを、達成した場合もう一度同じ額を払うなら請け負おう」

「2、2倍ですか!? お師匠様、それはいくらなんでも高すぎるんじゃ!?」

「付けこめる隙を見せた方が悪い。どうだ、これで嫌なら俺じゃなくてその女を"助けた"冒険者達にでも頼みに行け。真偽を問わず噂話が大好きなあいつ等にな」

 

 優男と女が主人と使用人という関係を越えているであろうという予想を下に、報酬を引き上げようと試みる。貴族同士の問題解決のために雇われるのではないのだと分かった以上、搾り取れるだけ搾り取るつもりだ。

 本当に許されぬ恋をしているらしく、彼は法外な価格を提示されてもすぐには断らず悩み考え始めた。もう一押しといったところだろう。

 

「……っと言いたいところだが俺も鬼じゃない。使用人を心配するその姿には心打たれるものがあるし、今なら前金で2枚後金で2枚の銀貨4枚にしておこうじゃないか。もちろん口止め料込みでこの価格だ」

 

 同情的であるかのように、機会が今しかないように見せかけながら要求を少しばかり引き下げる。この手法はかつて仲間で交渉役を担っていた"赤狐"、悪党のルナが使っていたものだ。関わっていて酷い目にあわされたことも多かったが、その代わりに彼女からは様々な物を学び取れた。

 

「報酬を吊り上げられるだけの自信があるのですか?」

「鼻は利く方だ、御覧の通りな」

 

 自分の顔、狼面を指差し口角を上げる。我ながら中々に良い冗談を言えたのではないだろうか。

 

「ふふっ、でしたら貴方に頼みましょう。探してほしい使用人の名前はエレーナ、見つけたのなら生死を問わず、事情があって居なくなったのならその事情を包み隠さず教えてください。帰ってくるのに手伝いが必要な様子でしたら、助けてあげてくれると嬉しいです」

「善処しよう」

「ではこちらに署名を。あぁ、私の名前は事情があって書けないのですが代わりに血判を押すので安心してください」

 

 優男は腰に差していたナイフを抜き、契約書と共に机の上に置いた。契約の不履行が起こらなければ使用することのない血判を使い名前を明かさないのは、やんごとなき身分の者で何者にも名前と秘密を知られたくないからなのだろう。

 書かれている契約内容に問題が無いか確認してから署名する。男はそれを見届けた後に自らの指先を切り血判を押した。これでもし契約不履行となれば、第三者が関わることになりこの男にとって不都合な出来事が起こるようになった。

 

「前金はここに。エレーナのこと、よろしくお願いしますね」

 

 契約書の上に銀貨2枚を置くと、優男は周囲を執拗に見渡しながら足早に去って行った。自分が何者であるか気づいた者が居ないか気になって仕方がない様子だ。

 

「お師匠様、お師匠様! 見てください!」

「何だ?」

「この銀貨ピカピカです! 良く見る汚れた奴とは大違いです!」

「そりゃそうだろうさ。公の場で見るやつは、交易で各地を行き来しているせいで手垢と錆で汚れちまってるが、こいつは仕舞い込まれていて外に出ていない物だったんだろうからな」

 

 俺に見せようと弟子が掲げた銀貨を取り上げ、指の上で転がす。銀貨は惚れ惚れする程に輝いており、見る者を惑わす魅力を放っている。もしも裏通りに投げ捨てたら、こいつを巡って何人の老若男女が殺し合いを始めるのだろうか。

 

「随分と懐が温かいんだな。狼の」

 

 目の前にあった輝きを背後から声をかけてきた人物に掠め取られた。眼前で行われていなければ気づくことすら出来ない鮮やかなこの手並みと仄かに香る葡萄酒の香り、背に当てられた柔らかな肉の感触からその人物が誰であるかのはすぐにわかった。

 

「"赤狐"か、俺から物を盗ったってことは死ぬ覚悟ができてるんだろうな?」

「おぉ怖い怖い。昔の仲間の冗談にそこまで言う必要はないんじゃないのか、"寝取られ狼"(エルスウィン)? それにこれは盗んだんじゃない、お前が勝手に使ってる技術の使用料さ」

 

 赤毛の見た目だけは秀麗な獣人、かつて共に勇者一行に加わっていた"赤狐"のルナは図々しくも席に着いて足を組み、机の上に並んだ料理に手を付け始めた。彼女はいつの間にか盗み出したナイフ、ナールが先程まで使っていたカトラリーで肉を切り分けている。

 "寝取られ狼"(エルスウィン)、彼女が俺を呼ぶのに使った呼称は童話に出てくる狐に寝取られた女狼の名前だ。俺と彼女との間にあったとある出来事を弄って楽しむためにそう呼んでいるのだろう。

 

「あれ? それ、それナールの!」

「付け加えるなら、今から売る情報の代金も込みでこれで払って貰おうと思ってる。さっきの男からの頼まれ事に関する情報、欲しいだろう?」

 

 使い終えたナイフを弟子に手渡しながら、コソ泥は俺の欲する声を悪戯っぽい微笑を浮かべて待っている。相変わらず腹立たしい奴だ。

 

「聞かせろ」

「……それが人に物を頼む態度かい?」

 

 ルナはそう言うと、肉を口の中に放り込んで黙り込んだ。綺麗な面に薄ら笑いを浮かべ、こちらが下手に出てお願いするのを待っている。危害を加えようと襲ってきたり、こちらに害を及ぼす素振りは一切無く、只々こちらをからかいたいのだ。

 もし仮にこちらが力任せに聞き出そうとしても、無視したとしても彼女はそれすら良しとする。ルナは俺がどのように反応するのかを見たいだけ、強く叩いた玩具がどのように反応するのか見たいだけなのだ。

 

「オシエテクダサイ」

「探している女は貧民街4番地にある阿片窟、"洞窟"って場所に潜んでる。私が手配した借家に引き籠って、何かを待っているみたいだったな」

 

 つまらない返しをわざわざ考えて、それを返した事が面白かったのだろう。ルナは口角を上げ、事件の核心に迫る重要な事柄をさらりと口走りながら住所が書かれた紙を机の上に置いた。

 

「それはつまり、自分から行方不明になったってことか。だが何の為に?」

「さぁね、関わったのは家の手配だけだし、興味が無くて調べてないから詳しくは知らない。だけど、会った時に少しばかり気になることは言っていたな」

「何を言っていたんだ?」

「聞きたいかい?」

 

 こちらの質問が投げかけると、ルナは愉しそうな顔になった。情報の見返りとして、俺に良からなぬ事をさせようとでも考えているに違いない。

 

「それなら追加で情報料を貰おうか。そうだなァ今はおかげさまで金には困っていないし、質問に答えてくれるならその代わりに教えようじゃないか」

「答えられる範囲で答える。その代わり、答えられたらちゃんと教えろよ」

「わかってるわかってる! じゃあ質問だ。その子は何だい? こさえたのかい? 誘拐したのかい? お前が愛していたケイ……"振り香炉の勇者"が魔人になった子供、"大火"に殺されて時以来、子供嫌いになっていたお前がどうして子供を連れているんだ?」

 

 ナールを指差しながら、ルナはしたい質問を全て口にした。答える内容は大した事の無いものばかりなので別に構わないが、得られる情報が1つなのに対して質問の数が多過ぎるのではないだろうか。

 

「こいつは俺の弟子だ。捨てられていたのを酔ったブロックと間違えて連れて帰っちまってな、捨て直すのも目覚めが悪いから面倒を見ている」

「ナールです!」

「なんだつまらないな。沸き上がってくる獣欲を解消するために、肉奴隷連れ回しているとかなら多少は弄り甲斐もあっただろうに。おや? その腰に差している剣は……まさか!?」

 

 両手でパンを持って食べているナールが携えた業物に気が付いたルナは素っ頓狂な顔になった。かつて最愛の者が使っていた聖剣を、未熟な子供に預けていることに驚いているらしい。

 

「見ての通り、ケイのやつが使っていた聖剣だ。担い手じゃない俺が持っていても抜くことも振るうことも出来ないし、神代の遺産に埃を被せておくくらいならと剣が担い手に選んだこいつにくれてやった」

「この子が新しい担い手ねぇ、成程成程……」

「あの、何でしょうか? ナールの顔に何かついていますか?」

「……何でもないさ、見覚えがあったような気がしたけど気の所為だっただけさ」

 

 ナールの顔を観察したルナは何かを思い出した顔をしていたが、それを飲み込んだ。何か弟子について知っていることがあるのだろうが、この反応をした時の彼女の口は堅い。どんな手段を使ったとしても話させることは出来ない。

 

「それで、気になる事ってのは何だったんだ?」

「『孵るまであと少し耐えなきゃ』って独り言だ。意味は分からなかったが、あれは不気味な響きだった。気を付けろよ狼の、お前はお前が思っている以上の大事件に首を突っ込んでいるのかもしれんぞ」

「忠告感謝する……感謝はするがそいつは置いていけ」

「断る。盗人と相席しているのに、奪われたくない物を机の上に置いている方が悪い」

 

 未開封の葡萄酒を掠め取ると、ルナはこちらに背を向けて店を後にした。

 歩き去る彼女の服の下からは、貴金属や宝石がぶつかり合う音が聞こえていた。邪教徒が魔神を召喚しようとしていたとしても、巨大な魔物を孵化させ悪事をなそうとしていたとしても、彼女にとってはどうでもよいのだ。自分に害が及ぶか理由がない限りは、何もせずに現金に換えられる私財を身につけてことが収まるまで街を去るつもりなのだ。



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7話

「違う、俺は狂ってなんかいない! 俺は真実を知ってしまっただけなんだ!」

 

 夕食を食べ終えた後、帰り道をナールと歩いていると突如大声が響いた。気になってそちらを見てみると、騎士と小奇麗な格好をした兵士達に取り押さえられて運ばれていく男の姿があった。

 血染みと汚れでぼろ雑巾のようになった衣服を身に纏ったその髭面の男は、周りに居る者達ではない何かに怯えた様子で身を捩って兵士達の拘束から逃げ出そうと試みている。

 

「お前達も気付くべきだ! 早くしないと大変なことになるんだぞ!」

「黙れ! こらっ、大人しくしろ!」

 

 踵に金の拍車を付けた騎士が棍棒で男を殴って黙らせる。それによって騒ぎを聞きつけやって来た者達に何かを伝えようとした男の言葉は途中で途切れてしまった。何か聞かれてしまったら不都合なことがあるのだろう。

 

「お師匠様、お師匠様。あの騎士様……六角形を使った紋章を使っています。王様の許可がないと使えない六角形を、蜂の巣の一部を紋章に使っています」

 

 ナールが騎士の身に纏っている衣服に刺繍された紋章を指差す。ルテアの王が使う紋章は蜂の巣であり、蜂の巣を構成する部屋の形と同じ六角形は忠誠や功績が認められた貴族のみが紋章の一部に用いることを許される特別な物。それを身につけているという事は、あの騎士が下級の者ではないという事を意味している。

 よくよく見れば小奇麗な兵士達も武具に各々の紋章を付けている。紋章を持っている者ばかりの戦闘集団、恐らく彼等は貴族街の警備を行っている騎士団の団員とその見習い達なのだろう。

 

「あれは名門貴族のロタ家の紋章だな。でもって周りの奴らも見覚えのある紋章ばかりだ。あんな豪華な顔触れがこんな場所に揃うってことは、ただの捕り物ってわけじゃあないんだろうな……」

 

 殴打された痛みで身体を丸めた男が、監獄がある場所とは別の方向へと連れて行かれるのを全ての目で追っていく。何処に連れていくつもりなのかはわからないが、正式な裁きの場に連れていかれるわけではない

 

「あれは何だったんでしょうか?」

「わからん。誰かの陰謀を暴こうとして罪を丁稚あげられたのか、それとも何か見てはならない何かを見てしまったのか。何にせよ、皆に知られると都合の悪い事を知ったんだろうさ」

 

 もう行くぞと言ってナールの背中を軽く叩く。権力を持たない俺達には何も出来ないのだから見続けても意味は無いし、見続けて機嫌を損ねようものなら何をされるかわかったものではない。今はただ、男の語る大惨事が俺達に降りかからないことを祈るばかりだ。

 

 

 貧民街の一角、魔族が多く住む住宅地に俺の家はある。表通りからは遠く、墓場と隣接したあばら家の平屋で部屋は1つ。広さこそ貧民街の家にしては広い方ではあるが、その外観は廃屋と見間違うような状態の一軒家だ。

 この穴だらけの家に俺はナールと共に住んでいる。1つの部屋を布の敷居で3つに分け、各々の部屋と共用の部屋としている。風呂も囲炉裏も無く、照明は籠められた魔力で光る魔石が2つあるだけなので常に薄暗い。片付けを行わない2人の所為で室内は散らかっており、俺の所為で酒と獣の臭いが立ち込めている。

 この家には価値のある書物が多数あるが、泥棒が入ったことは一度も無い。法を破る勇気がある泥棒でも、流石に命は惜しいのだろうか。それともこんな家には価値がある物なんて何もないと思って入る事さえ考えもしないのだろうか。

 

「お師匠様お師匠様、"紅日誌"の下巻って何処にあるんでしょうか?」

「無いぞ。欲しけりゃコムラにまで足を運べ」

「それって確か東の果てにあるお師匠様の故郷でしたっけ? 流石にそこまで行くのはナールには無理ですよ……うぅ、続きがすごく気になるのに……」

 

 ナールは表紙に返り血が付いた本を抱きしめ残念そうな表情をした。彼女が抱えている本は100年程前に貴族達の間で流行っていた小説で、戦乱の中でその多くが焼けてしまっているので今となっては入手困難な一品だ。夢を壊さないように敢えて言わなかったが、もしも極東の国であるコムラに辿り着けたとしても、もう半分を読むことが出来るかは定かではないだろう。

 落ち込む彼女を横目に戦利品として手に入れた本を開き、瓶に閉じ込めた鼠に見せていく。少々可哀そうではあるが本の安全性を確認するために仕方ない。本に込められた呪いの犠牲になったのなら、盛大に弔ってやろう。

 

「本自体に呪いは無さそうだな。いや、人が読む場合や文字を読める知性がある場合に効力が現れるかもしれないか……だが頻繁に開く物にそこまでの物を仕込んでいるか?」

「危ないかもしれないのに読む気なんですか?」

「鑑定で見られて知った人間が多くなれば情報の価値が下がるし、危険物を知り合いに譲るのは気が引ける。それなら自前でやるしかないだろう? ほら、危ないから離れてろ」

 

 弟子を自室へと押し込み、左半分の目だけで捲った頁を眺めていく。

 幸いにも、本には呪いの類は籠められていなかった。しかし背表紙以外の部分は暗号化されており、一目で読める状態ではない。情報として売り込むにしても、これが解けていなければ本来の価格よりも低くしなければならない。

 

「文字は魔族の言葉で、換え字式の暗号と文字挿入の組み合わせか」

「お師匠様がナールに教えてくれた奴ですね! 確か、簡単な暗号でしたよね?」

「全部が同じ決まりならそうだ。だがこいつは……暗号化されてる全頁が違う決まりで書かれてる。それに、後半になればなるほど暗号が複雑になってやがるな」

 

 最初の暗号は子供でも解ける物であったので、もしかしてと思って後半の頁でも同じ解読方法を使えるか試してみるが、それではまともな文章にはならなかった。鍵となるもの無しでこの詩的表現が詰まった文章を全て復号化するには、数年の時を要するかもしれない。

 

「うわぁ……見ているだけで頭が痛くなってきますね。どうするのですか?」

「3日で読めるところまで、地道に読み進めてみる。目標は10頁くらいだな」

 

 ガラクタの中から拡大鏡と使い終わった契約書を取り出し、メモを取りながら解読作業を始める。せっかく苦労するのだから、それに見合ったものが出てくるといいのだが。



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8話

「お師匠様、お師匠様!」

「初めと終わりの文章を決まり文句だと仮定して――いや、それだと文字の数が合わないな。どう組み合わせても形容詞にも副詞にもならないし、名詞か?」

「お師匠様ッ!!」

「うるさいぞ! まったく、耳元でデカい声を出さなくても、気付いてほしけりゃ肩なり背中なりを軽く叩けばいいだろ! あぁクソっ、頭が痛ぇ!」

 

 独り言交じりに作業をしていた俺の耳元で叫んだナールの額に手刀を入れる。夜通し暗号解読を行っていた頭に響いた彼女の声で、頭が真っ白になり辿り着きかけていた4頁目の答えから遠ざかってしまった。

 

「うぅ酷いです。『明日は"洞窟"に行くから、朝になったら何をしてでも解読を止めさせろ』ってナールに言ったのはお師匠様の方なのに……」

 

 弟子は蹲り、頭を抱えて震えている。頭がうまく動いていない状態で彼女に打ち付けた手刀は、力加減が機能していなかったので相当に痛かったはずだ。

 

「顔を洗い終えたら家を出る。外出の用意をしておけ」

「は、はいぃ……」

「あぁそうだ、今日は鉄板仕込みの上着を羽織っておけよ。そのままの格好で行ったんじゃ、阿片窟の追い剥ぎにナイフで内臓を掻き回されるかもしれんからな」

 

 幕の向こうで身支度を済ませていく弟子に、壁に掛けられて埃を被った防具を身につけるように指示する。外見上はただの上着であるそれは、裏地に何枚もの金属片を鋲打ちしてある立派な防具であり短刀程度であれば防ぐことができる。修繕も簡単で、軽くて動きを阻害しづらい良い防具である。

 

「ひぇっ!」

 

 弟子はされるかもしれない行為を想像して身震いし、慌てなくてもいいのに大慌てで上着を羽織った。倍の年齢の者を打ち倒せる実力はあるというのに、まったくもって臆病な奴だ。

 

 

 貧民街4番地、此処は騒ぎが起きない日も身包みを剥がされた者が水路に浮かばない日も存在しない極めて治安の悪い地区だ。この場所では数多の犯罪組織が血生臭い縄張り争いを繰り広げ、相手が誰でも御構い無しに襲い掛かる追い剥ぎ達が闊歩している。用が無い限り、入るべき場所でない。

 臭いも酷い物で、道端に吐きだされたまま放置された吐瀉物や水路に廃棄されて浮かんでいる魚の臓物から放たれる刺激臭は臭いを越えて目に染みる域に達している。

 

「音を聞けば奇声に嬌声、臭いを嗅げば阿片の香りと悪臭、目を開けば禁輸品を売る露店。こんな場所に隠れ潜むなんて、一体何を考えているんだか」

 

 表通り以上の悪臭から鼻を守る為、煙管で香草を混ぜこんだ煙草を吹かしながら弟子を連れて阿片窟の中へと歩いて行く。

 阿片窟の"洞窟"は増築に増築を重ねた所為で、原型を留めてない聖堂である。内部は明かりがなければ殆ど何も見えない程に暗く、何処までも続いているのでは無いかと思わせる程に広い。元々礼拝用に置かれていた椅子に横たわる人々は、涎を垂らして焦点の合わない目で虚空を見つめている。少なくとも信仰心を持つ者は此処には居なさそうだ。

 無気力となり体を清潔にしない彼等が寄り集まっている所為か、屋内は俺の家よりも濃厚な獣臭さが充満している。例えるならそう、数十匹の犬猫を室内で放し飼いにしているかのようだ。

 

 惚けた表情で身を寄せ合う男女を横目に通路を進んでいくと、ある集団に遭遇した。それは派手な服を着込んだ魚面の男と、彼に連れられて歩く手枷や足枷を嵌められた痩せ細った子供達。阿片商人と支払いの為に売られた少年であった。

 彼等が横を通り過ぎる時、男が身に付けている首飾りが昨日壊した銅像と似た形をしていることに気が付いた。どうやらこの磯臭いこいつも邪教徒の仲間であるらしい。

 

「お師匠様、さっきの人!?」

「あぁわかってる。武器を揃えられる資金源が何なのか謎だったが、まさか阿片の密売だったとはな。だがそれなら納得できるな……」

「何が納得できるのですか?」

「昨日、帰ってすぐに教えた王族の娘の事だ。この国で出回っている阿片は、王族や貴族が偽装した花畑で密造して流している物ばかりで、邪教徒はそいつを手に入れられる人脈を持っている。それなら誘拐するのに必要な情報収集や工作だって簡単に出来ちまうだろう?」

 

 周囲に誰も居ないことをよく確認してから、声を小さくして納得した理由を弟子に話す。箝口令が出ている出来事を話していたと知られれば、どんな処罰を受けるかわかったものではない。

 

「おぉ! 確かにそれなら合点がいきますね! それだけ条件と資金が整っているなら、ナールでも護衛を片付けて誘拐出来ちゃいそうです!」

 

 ナールは納得した様子で頷き、容姿に似付かわしくない物騒なことを口走った。この師匠あってこの弟子あり、姿形の違う俺がそこにもう1人居るかのようだ。

 

 阿片窟を奥へ奥へと進んで行く度に、目に入る阿片吸引者の数が増えていく。骨と皮だけの彼等は阿片で無気力になっており、動かず語らず煙管を口に咥えているだけで何もしない。通り過ぎる俺達を、虚ろな双眸で追いかけるだけだ。

 暫く歩いていると、傍を歩く弟子に手を握られた。彼女の小さな手は震えており、冷や汗で湿っている。どうやら黒く澱んだ瞳を向けられ続ける事に恐怖を覚えたらしく、手の平から伝わってくる脈は小動物のそれの様に速くなっている。

 その手をこちらが握り返してやると、彼女の震えは少しだけ収まった。幾つかの左目を下に向けて様子を確認すると、弟子は緊張の残った笑みを浮かべていた。信頼している師によって守られているのだと意識させられ安心したのだろう。

 

「あっお師匠様お師匠様、あそこの表札を見てください! 『エレーナ』って書かれてますよ、探してる人と同じ名前が書かれていますよ!」

 

 ナールがそう言いながら前方にある壁を指差した。住所が書かれた紙から目を離してそちらを見てみると、そこには雑多な木材で作られた表札が壁に打ち付けられていた。それには彼女が言っていた通り、探している女の名前が書きこまれている。近くにある鉄製の扉に記された住所とルナから得た情報が合致するので、目的地はここで間違いない。

 

「ナールが見つけたんですよ! お師匠様より早く見つけましたよ!」

「はいはい偉い偉い。それで、お嬢さんはご在宅かな?」

 

 したり顔で胸を張るナールを撫でながら、扉を軽く叩く。

 中からの反応を待ち、扉の前で数分ほど待った。しかし、留守なのかそれとも中に居るにも拘らず反応しないのか返事は返ってこない。ふと取っ手に手をかけて少し引いてみると、重い扉は錠前の閂に引っかかることなく動いた。

 人差し指を突き刺せるくらいに隙間を開けると、鉄錆と吐瀉物を混ぜ合わせたような異臭が室内から溢れ出てきた。鼻を突くその臭いは、魚市場で積み重ねられ腐敗した魚の腑に似ている。

 

「ナール、剣を抜いておけ」

「は、はい!」

 

 もしもの時に備え、弟子に剣を抜かせる。住人の返事は無く、開いているはずのない鍵が開いている上に物騒な異臭がしたのだから、中に何があるのかなどわかったものではない。

 後ろ手で中に入るまでの秒読みをし、終えると同時に大きく扉を開け放ち侵入する。重量のある煙管を武器代わり構え、周囲確認をしながら進んでいく。暗闇の中を進むにつれて臭いは濃くなっていき、発せられている元へと俺達を誘った。

 臭いの元へと辿り着くと、そこには俺達が探していた女が横たわっていた。目を潰され、引き裂かれた腹から腑を引き摺り出された彼女は何かを呟きながら緩やかに訪れる死を待っている。

 

「ひっ!?」

「裏切……私じゃ……」

 

 エレーナであろう女は踏み潰された苺のようになった瞳でこちらを見つめ、必死に何かを伝えようと試みている。しかし息絶え絶えの彼女は断片的にしか言葉を発せておらず、その内容は想像で補う事しかできない。

 

「私は……貴方を愛していたから……!」

 

 彼女は縋るように俺の腕を掴むと、最後の一言を喉から絞り出し息絶えた。

 力の抜けた指が腕から離れると、同時に掴まれていた場所から痛みが沸き上がってくる。見るとそこには爪が食い込んで出来た傷があり、裂けた皮膚から血が流れ出ていた。彼女の切実な表情と死に瀕して出した異質な腕力に気圧されてしまい、筋肉まで届く怪我をしていることに気づいていなかったのだ。

 

「お師匠様、大丈夫ですか!? ナールの傷薬を使いますか!?」

「この程度の怪我なら要らん。そんなことを考える暇があるなら、俺が手当てをしている間に部屋に残った金目の物と情報を掻き集めろ! ほら、早くやれ!」

 

 ベルトに括り付けた巾着から塗り薬を取り出そうとした弟子を手を突き出して制し、部屋の探索をするように命令する。この程度の傷であれば、高価な薬を使わずとも手拭いを使って傷口を縛り上げるだけでよい。弟子が怪我をした時に備えて彼女に持たせている薬を使う必要はない。

 それに、今はそんな事よりも女の殺され方が妙であるのが気になって仕方がない。何故苦痛を与える必要があったのだろうか、何故喉を潰されていなかったのだろうか。彼女が口にしていた言葉にその問いを解き明かす鍵があるのなら、「裏切り」という部分にそれはありそうだ。何らかの疑いをかけられ、裏切り者として処断されたのだろうか。

 

「見つけましたよ! ナールは良い物を見つけましたよ! あっ――」

 

 手当を終えて考え込んでいると、何かに躓く音と共に何か硬い物が背中中央の、火傷の痕に叩きつけられた。眉間に皺を寄せ振り返ると、真珠の首飾りと封の切られた封筒を手に持った弟子が地面に這いつくばり誤魔化し笑いをしていた。

 

 

「ぐすっ……お手紙の内容は何だったんですか?」

「恋文だ。この手紙によると、エレーナは俺達の依頼主とは違う男と密かに交際していて、駆け落ちするつもりだったらしい。さっきお前が見つけた首飾りは、その男からの贈り物だそうだ」

「……え? 貴族の方とお付き合いしていたのではなかったのですか?」

「立場上、主人のことを拒絶出来なかっただけで愛情は無かったらしい。依頼主の首飾りだけが残っていたのは、もう身につける必要が無くて捨てたからだろうな」

 

 煙管で打たれ額が赤くなった弟子に手紙を投げ渡し、真珠の首飾りに目を向ける。連なる大粒の真珠達には謎の紋様が彫り込まれていたのだが、その紋様には見覚えがあった。

 

「確かこいつは……あぁやっぱりか」

 

 解読途中の本を取り出し開いてみると、彫り込まれている紋様と同じ物が記載されていた。どうやら首飾りの送り主は魚面の教団の1人であるようだ。そうなると彼女が裏切ったと疑いをかけたのは邪教徒ということになる。日時から考えるに、俺達が襲ってきた集団を返り討ちにした件で疑惑を持たれたに違いない。

 

「常々思うことだが、世間は存外に狭いな」

 

 悲劇的な結果に終わった少女の体に布を被せ、瞼を動かし閉じさせる。愛した者からは裏切り者だと思われたままで、依頼人に事実を報告される以上彼女は誰からも弔われることはない。それならせめて朽ちる迄は人に見えるように整えてやろう、そう思っての行いだ。

 

「行くぞナール、首飾りと手紙は巾着に押し込んでおけ」

「この人は放っておくのですか? どこかに埋めてあげないのですか?」

「そんなことをすれば、目立っちまって俺達が関わっているのが露見する。それに、偶然で仕方がないとはいえ俺達もそいつがそうなった要因の1つだ。そんな奴らに弔われても、良い気分になりゃしないだろうさ……」

 

 弟子を扉の外へと追いやり扉を閉める。食われたり穢されたりして亡骸が辱められないようにと針金を鍵穴に差し込んで鍵をかけてやる。恋のために危険を冒し死んでいった乙女に、他人として出来る事はこのくらいしかない。



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9話

 4番地から無事に帰ってきた俺達は“行方知れず”の奥の席、入り口から遠く2階の娼館へと続く階段から離れた座席を占拠して依頼主を待っている。酒場に入り浸って早9時間。暗号解読や座学に勤しんでいた俺達の体には酒気と肉料理の匂いが染み付き、食事代の予算として机の上に積み重ねていた貨幣は夕食の分だけになってしまった。

 

「お師匠、そろそろお腹が空きませんか?」

「…………」

「お師匠様〜? 聞いてますか〜?」

 

 今朝の出来事を踏まえてか、ナールは適度に聴こえる声量で何度も呼びかけてきた。4、5回目の呼びかけで俺が気づくと、彼女は文字が読めない者でも注文出来るように絵が書き込まれた品書を俺の前に差し出してきた。

 その彼女の行動によって、どれくらいの時間が過ぎたのか把握することが出来た。弟子の腹時計がここに無ければ、きっと閉店の時間まで気づかずに作業をし続けていたに違いない。

 

「飯にするか。おいそこの!」

「こっちです! こっちです!」

 

 本日3度目注文をする為に、近くに居た給仕に2人掛で声をかける。喧騒と音楽で騒がしい店内で気づいてもらえるように、大きく手を振り大声を出して彼女を呼んだ。

 呼ばれた給仕は呟きながら謎の作業をしていた魔族の男と本の虫の少女という奇妙な2人組に呼ばれたというのに、怯えの表情一つも見せずに笑顔で良い返事をした。下劣な者や荒くれ者が多く集まり、些細な事で刃傷沙汰が起こるこの酒場で働く薄給の給仕にしては珍しく愛想がある。

 

「ご注文ですね? 何に致しますか?」

「黒麦パンと鶏の塩焼き、それと火酒2瓶を。それでこっちには──」

「兎肉のシチューと甜橙のエードを!」

 

 俺とナールは必要最低限の言葉だけで注文を伝え、各々が各々の代金を彼女が持っている盆に載せた。支払いに使うのは全て鉄貨。10枚で大銅貨1枚と同じ価値の小銅貨よりも1つ下、10枚揃ってやっと小銅貨1枚となる額面が最小の貨幣を大量に積み上げている。

 この鉄貨という貨幣は購入する物品の価格が高い場合は大量に運ばねばならず、両替商の下で銅貨に変えようにも高い手数料と長ったらしい手続きを要してしまう。それ故に俺達傭兵はこれを好んでおらず、手に入れてしまった場合には積極的に手放そうとする。

 

「畏まりました。あれ?」

「どうかしたのか?」

「ひぃ、ふぅ、みぃ。あの、多い分をお返ししますね!」

 

 積まれた貨幣の数を数えて、代金が過剰に支払われていることに気付いた彼女は超過分を机の上に戻した。貯まると嵩張る鉄貨を心付けとして渡し、手元に残さないようにする客層が存在するのをこの店で働いているというのに知らないらしい。

 

「くれてやるから気にせず持っていけ」

「いえいえ、そんな! 何もしてないのにお金なんて貰えませんよ!」

「いいから黙って懐に入れておけ」

 

 生真面目なのか中々受け取らない彼女に金を押し付け握らせる。賭博の賭け金にするにも安酒を注文するにも足りないような金額なのだから、遠慮せずに受け取ればいいのに。

 

「でも……いえ、有難く頂戴します」

 

 給仕は端金に対して深々と礼をして、厨房へと向かっていった。一瞬の躊躇いの後に受け取ることを決めたのは、彼女なりの事情があるからなのだろう。

 

 

 作業を行いながら料理を待っていると、聞き覚えのある革靴の靴音が近寄ってくるのが聞こえた。床を踏みしめ軋ませているのはこの足音は間違いない、依頼主である彼のものだ。

 

「ようやく来たか。遅かったじゃないか……」

「これでも忙しい身でしてね。それで? 彼女は見つかりましたか?」

「あぁ見つけたぞ。居なくなった理由も判明した」

 

 弟子から巾着を取り上げ、手に入れた恋文を対面に座った男に渡す。

 手紙を読んだ彼は、自分の想いが自己中心的で一方的なものであったことを知って項垂(うなだ)れた。それでも愛情は潰えていないのだろう、彼はエレーナが捨てていった首飾りを握りしめている。

 

「それでエレーナは? もう街を出たのですか?」

「残念だが、女は死んだ。俺達が辿り着いた時には既に手遅れだった」

「そんな……」

 

 悲報を聞かされた男は酷く落ち込み、静かに涙を流した。口に手を当て、流れ落ちる涙で頬を揺らす彼の左人差し指には豪奢な金の指輪が光っている。

 左人差し指に指輪がある。それは彼が既婚者か婚約者が居る人物であることを意味していた。以前会った時は確認できなかったので、今は外し忘れているのだろう。注視してみると、それに刻印された名前と家紋を確認することができた。名はレベッカ、誘拐されたと噂になっている王族の娘と同じ名前。そして家紋には六角形が使われている。

 これはつまりそういう事なのだろう。眼前のこの男は、婚約者を探さねばならない時だというのに使用人に現を抜かしていたのだ。婚約者に愛情が無く愛している振りをしているだけだとしても、そうあってはならないだろうに。長年生きた経験上、この男のように自分本位な人物に関わり続けても不利益しか発生しない。才色兼備で特別な資質のある弟子に興味を持たれる前に離れるべきだ。

 

「こちらは契約を履行した。報酬を早く払ってくれ」

「ちょ、お師匠様!? 今それを言うのですか!?」

「言って何が悪い? 契約に感情労働は組み込まれてないし、やる気もない。同情や慰めが欲しいなら、報酬を支払った後に娼婦と酒でも飲め」

 

 嫌われるような言葉を投げかけ、傷心している男の前に契約書を広げて報酬を要求する。彼の話をこれ以上聞いていても、疲労が溜まるだけで一銭にもなりはしない。俺は彼の臣下でも友人でもましてや家族でも無いのだから、彼の話に耳を貸す義理は無い。

 

「……ご縁があればまた何処かで」

 

 男は複数の感情を押し殺した声でそう言うと、銀貨2枚を置いて席を立った。去り行く彼は猫背で俯いており、椅子や脚で何度も転びそうになっている。覇気を無くしたその姿は、稀に墓場に現れる亡霊にそっくりであった。

 そんな男と入れ替わるようにして、愛想の良い給仕が注文していた料理を運んで来るのが見えた。人の波や伸びている脚を避けて歩く彼女の足捌きは、舞踊を踊っているかの様に軽やかで、激しく動いているというのに両手で運んでいる盆の上の料理は一切溢れていない。本当にただの給仕なのか疑ってしまう程の凄まじい体幹と筋力だ。

 

「お待たせ致しました」

 

 給仕は俺達の席まで辿り着くと一礼し、配膳を始めた。彼女の動作はその一つ一つが洗練されており、芸術作品のような美しさを孕んでいる。まるでこの猥雑とした酒場に似付かわしくない熟練の使用人がそこに居るかのようだ。

 机の上に並べられていく料理は、湯気と共に麦と肉と香料の混じった幸福の香りを放ち、俺達の鼻孔を擽り涎を溢れさせる。銀の匙を持って配膳が終わるのを今か今かと待ちわびる弟子は、酒場で演奏されている音楽に合わせて鼻歌を歌い尻尾を小さく揺らしている。

 

「お師匠様、美味しそうですよ! とっても美味しそうですよ!」

「俺はこの頁を解いてから手を付けるから、食いたきゃ勝手に食い始めてろ」

 

 一緒に食べ始めようと笑顔で誘ってくる弟子から本へと目を移す。今朝までに3頁しか解読できていなかったこの本の解読は、現在5頁までが終了している。頁数だけで見ると作業の進捗としては進んでいる方ではあるが、得られた情報が情報なだけに素直に喜べない。

 復号して読めた部分に書かれていたのは、勧誘にあたっての注意事項と魔神を褒め称える文章だけで、儀式の詳細や信仰している魔人の名前といった重要な情報は一切得られていない。暗号が文字の入れ替えや挿入だけの単調の物から文節や綴りの入れ替えを織り交ぜた複雑な物へと変化しているので、もう少し解読を進めれば有用な情報を得られるのかもしれないが。

 ふと本から目を離し弟子を見ると、彼女は食事に手を付けずにこちらを見つめて頬を膨らませていた。共に会話を交えた食事をして欲しい、構って欲しいということなのだろう。

 

「……腹が減っては頭が回らんな。続きは夕食を食ってからにするか」

 

 聞こえるようの呟いて本を閉じ、鶏肉を掴んで口へと放り込む。するとその様子を見ていた弟子は、真似をする様にシチューの具を掬って口に放り込んだ。大きな具を口に含み頬を膨らませた彼女は、満面の笑みで咀嚼している。



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10話

 友で作った肉の傘を差し、滴る赤で染まった布地を小波(さざなみ)の様に揺らす少女が笑う。黒目が赤く、白目が黒く染まった彼女は背後の館に火を放つと、雑多な槍で地面に磔にされた俺へと近づき囁いた。

 

「これで私を忘れられないよね、先生?」

 

 悪魔のような微笑みを浮かべた少女は恋敵から奪った香水の残り香を残し、隙だらけの背中を向けてゆっくりと去って行く。後ろに残した男が自分を追いかけず、愛する人を救うべく燃え盛る館の中にかけていくのがわかっている少女は、復讐心を煽る為に俺とケイが好んでいた歌を口遊んでいた。

 

「お師匠様、朝ですよー。今日はナールの服を取りに行く日ですよー!」

「っ――!!」

 

 高揚した声を上げる弟子に体を揺らされたことで、悪夢から目を覚ますことが出来た。毎夜再体験させられる記憶の所為で、鼓動が聞こえるくらいに早まり既に塞がった傷跡が痛んでいる。魔神"大火"となった1人の孤児が目論んだ通り、俺は彼女を忘れることは出来ておらず復讐心と苦悩に苛まれ続けている。彼女の細い首を圧し折って息の根を止めなければ、この悪夢を終わらせることは出来ないだろう。

 

「すごい汗ですが、大丈夫ですか? ナールがお水を持ってきましょうか?」

「大丈夫だ……こいつを飲んで少しすれば落ち着いてくる……」

 

 心配するナールの提案を断り、近くにあった蒸留酒を胃袋へと流し込む。このまま時間が経つのを待って酔いが回ってくれば、この苦痛は収まるはずだ。それまでの時間は、貴族街に入り込むための変装をする時間として使ってしまおう。

 安楽椅子から立ち上がり、朽ちかけの床板を外して隠してあった棺桶を取り出す。長らく表に出していない黒塗りのそれには、錆び付いて機能を失った鍵が付いている。開けるには壊してしまうしかない。

 

「お師匠様、それは何ですか? なぜ棺桶に鍵があるのですか?」

「こいつは勇者が俺を放り込めるようにと作っておいた代物だ。もっとも先に死なれて使い道が無くなっちまったから、今となっちゃただの箱だがな。鍵は見ての通りで盗難対策だ」

「中には何が入っているのですか?」

「見ていればわかる」

 

 脆くなった錠前を引き千切り、棺桶の蓋を開ける。中に入っているのは武具一式と振り香炉。人間が身に付けるには大き過ぎる鎧兜と7尺近い長さがある鉄製の金砕棒、そして刺々しい突起と血錆の付いた振り香炉だ。

 

「お師匠様の武具とこれは……」

「ケイが使っていた振り香炉、二つ名の元になった武器だ」

「武器……えぇっ!? 武器として使ったのですか!? これって祭具ですよね!?」

「本来はそうなんだが、あいつはこれをフレイルの様に振り回して敵に叩きつけていたんだ。あまりにも血生臭い使い方をしてたんで、伝えられてはいないがな」

 

 棍棒と鎧兜を取り出し、棺桶の蓋を閉じる。誰にも渡すわけにはいかない形見が入った棺桶は元の場所に戻し、床板で封をする。こうしてしまえば如何なる盗人も見つけ出すことは出来まい。

 

「流石"火薬樽"の作品だ。長年放置していたってのに錆が少ないな」

 

 長年放置していた武具は、保存環境が劣悪だったというのに腐食に耐えていた。鉄片を繋ぎ合わせて鱗状にした鎧も、頭の上半分を覆う威圧的な意匠が施された兜も、弟子よりも重い鉄製の棍棒も実用に耐えうる保存状態だ。

 

「どうだ、護衛役として買われた奴隷に見えなくもないだろう?」

「おぉ! 確かに見えなくもないですね! ……でもお師匠様、お師匠様を知ってる衛兵さんに会ってしまったら、背格好で変装が露見するのではないのですか?」

「貴族街を警備しているのは貧民街に足を踏み入れたことのないような騎士団員とその見習いだけで、俺の顔を知ってるような衛兵は一人も居ない。隣に身形を良くしたお前がいれば、疑われることすらないだろうさ」

 

 完全武装の師を見て率直な感想と疑問を述べた弟子に証文を渡す。小銀貨1枚をかけて作った特注の一張羅に身を包んだ弟子を連れていれば、警備の者に止められることなく壁の内側にある貴族街に侵入できるだろう。

 

「そんなことよりも、こいつの解読が予定の半分しか終わっていないことのほうが問題だ。伝令が運ぶ密書より強固な暗号を使って守られているのだから、さぞ重要なことが書かれているんだろうが……」

 

 机の上に置いてある本を手に取り睨みつける。憎たらしいほどに出来が良い暗号を作り上げた連中は、幼子の指を集めて邪悪な像を作り上げる連中だ。きっとこの国を引っ繰り返すような謀略を巡らせているに違いない。場合によっては、あの赤狐の様に比較的に居心地の良いこの国を離れねばならなくなるかもしれないだろう。

 

 

「お師匠様、見てくださいよお師匠様!」

 

 袖口をフリルで飾られた白色の長袖シャツとスリットの入った黒いスカートに身を包み、洒落た金属飾りのついた革靴を履いた弟子が嬉しそうに飛び跳ねる。一本に纏められた後ろ髪が揺れ動き、それに扇がれ起こった風がラベンダーの香水の香りを運んでくる。

 彼女は服屋に着いてからぺリアと試着室に入っていくまで不機嫌だったが、今は耳は後ろに倒して千切れそうなほどに尻尾を振っている。ご機嫌のようだ。

 

「似合ってますか? 似合ってますよね?」

「あぁ、似合ってるな。剣を携えていてもまったく違和感がない」

「でしょうとも、でしょうとも! でも見栄えだけじゃないんですよ! 蹴りを打ちやすいようにスカートにはスリットが入っていますし、革靴にはナイフを仕込めるようになっ――」

 

 ぺリアはナールのスカートを少しだけ摘まみ上げ、俺に自信作の革靴を見せようとしたが、弟子の鋭い蹴りを顎に食らった。幸いなことに舌こそ噛まなかったが、泡は吹いて気を失っている。

 

「やっぱりナールはこの人が嫌いです」

「すみません……。あぁそうだ、ちょっと待っていてください」

 

 ぺリウスはナールに一言詫びると、気を失った変態を引きずって店の奥へと下がり一人で戻って来た。戻って来た彼の手には皿があり、それには硬めに焼かれたワッフルとジャムが乗っている。

 

「先程焼きあがったものですが、如何でしょうか?」

「お師匠様?」

 

 皿を差し出されると、弟子は唾を飲みこみこちらを見上げた。彼女には「店以外で出された物は極力口にするな」と教えているので、眼前の美味そうな菓子を食べる許可を求めているのだろう。溜息をつき食っても良いぞと手振りで示すと、彼女は皿を受け取り口にした。

 

「ふむ……やはり……」

 

 栗鼠の様に頬を膨らませ、幸せそうな表情をしているナールの顔をぺリウスはじっと見つめて考えこんでいる。どうやら何かを思い出そうとしているようだ。

 

「何ですか?」

「ナールさんは、私が知る方によく似ているなぁと思いまして……」

「似ている人が居るのですか?」

「リッセル卿の御息女にアンナ様という方がいらっしゃいましてね。もしかして血縁があるんじゃないかと思ってしまうくらいに雰囲気が似ているんですよ」

 

 そう言いながらペリウスは弟子から皿を受け取る。彼は綺麗に完食され空になった皿を見ると、少し微笑み会計用の台の上に置いた。

 

「艶やかな白髪に真珠の様な肌、澄んだ空の如き青い瞳を持つ狼の獣人。見た目は全然違うのに、何処か不思議と繋がりがあるように感じるのですよ」

「気の所為ではないですか? 似ている人が3人は居るって言うくらいですし」

「そう……ですよね! いやぁ変なことを言って申し訳ありませんでした」

 

 弟子にもっともなことを言われたぺリウスは、恥ずかし気に頭を掻いた。しかし、人形師という繊細な目を必要とする仕事を行う彼が似ていると思ってしまったのだから、アンナという御令嬢が弟子と共通点を持っているのは間違いない。一体それは何なのだろうか。



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11話

 アルバルドの中央に存在する高い壁に囲まれた地区"貴族街"。

 王が鎮座する王宮と王族が住まう私邸を中心とし、その周囲に豪商や貴族の住居が立ち並ぶこの地区の入り口には、騎士団の者が常駐して住まう者にとっての"異物"が入り込まぬように見張りをしている。

 

「これ本当に大丈夫なのですか? バレたら極刑ものですよ!」

「何度も成功している手口だから大丈夫だ。ほら、鎖を引っ張って歩け!」

 

 不安そうな弟子に首に巻き付けた鎖の端を押し付け、路地裏から追い出す。

 表通りへ押し出され、通行人に見られたことでもう後には引けなくなったナールは、緊張した面持ちで鎖を引いて門へと歩き始めた。今の俺達は、小綺麗な貴族の少女が凶悪な見た目の奴隷を引き連れているようにしか見えなくなっている。

 

「あれだ、あの男に付いて行け」

 

 少年の奴隷を連れた肥え太った男を指差し、小さな声で弟子に命令する。折角変装をしているのだから、扮する格好に近い者と共に進んだ方が怪しまれにくい。

 警備の騎士団員達は飲酒と談笑を楽しんでおり、俺達2組が門を通過しようとしても一瞥するだけであった。そうなるように工夫を凝らしたのだから当然と言えば当然であるが、それにしても不自然なほどに上手く行き過ぎている。実はこれは罠で、通過してすぐに門を閉じて捕らえようとしているのではないだろうかと思ってしまう。

 しかしながらその考えは杞憂に終わり、俺達は一切疑われる事無く"貴族街"への侵入を果たすことが出来た。警備がおざなりであったのは、騎士団が事実上の世襲によって機能不全となっていることだけが原因であったようだ。

 

 門を潜りぬけると、そこには異世界が広がっていた。道は表通りよりも清潔に整えられ、豪奢な大理石の建造物と魔石を嵌められた街灯が並び立っている。焚かれた香の香りが漂い、壁の外で漂う悪臭は抑え込まれている。行き交う人々が上げる声は小さく、騒々しさなど存在しない。

 その光景を見た弟子は小さく息を漏らすと、胸に手を置き深呼吸をした。不潔で臭く騒々しい世界だけを知る彼女にとって、この場所は異郷の景色よりも奇妙な物に写っているのだろう。

 

「ところでお師匠様、すぐに見つけられると仰っていましたが"好色騎士"様をどうやって探すのですか? 何か手掛かりがあったりするのですか?」

「手掛かりなんて必要ない。奴はそんなものが無くとも見つけられるくらいに目立ちたがり屋なんだ。ほら見ろ、嫌でも目に入っちまう物を立ててやがる」

「うわぁ……」

 

 歩いていた俺達の視界の先、大きな屋敷の門前に他の何よりも目立つ像が現れた。甲冑姿の騎士が勇ましく魔物を踏みつける様子を描写したそれは、金箔で覆われており視界に入ると思わずそちらを見てしまう程に派手だ。

 

「まったく、10年経っても相変わらず派手好きとは……ベーリンらしいな」

 

 

 屋敷がある敷地へと近づくと、門前にはこの場に居るはずのない人物がそこに居た。長い茶髪を後頭部で丸く纏め使用人用の服を身に着けた女、一昨日酒場に居た愛想の良い給仕その人だ。

 

「クルツ様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ、ベーリン様がお待ちです」

 

 こちらに気が付いた彼女は、深々と御辞儀をした。なんと驚くべきことに、彼女はベーリンの使用人であった。だがそうなると、何故酒場で働いていたのかという疑問が生じてしまう。金銭面で困っているようにはとても見えないので、少なくとも副業というわけではないのは確かだ。

 疑問の答えを求めて思考しながら使用人に続いて敷地へと入っていく。そうしている内に大量の石像と多種多様な花で彩られた園を抜け、美しい使用人達の横を通り抜け、目が疲れる程に装飾された邸宅へと辿り着く。しかしそれまでにこれだろうと思う答えを自力で出せなかった。

 

「そこまで複雑な事情があったわけではありませんよ。ベーリン様が貴方様の力を借りたいと御思いになって私に捜させていただけ。酒場で働いていたのは貴方様が良くそこに現れると聞いていたからです」

「成程な。……おいナール、ぼうっと突っ立ってないでさっさとこっちに来い! 置いて行かれたいのか?」

「ごっ、ごめんなさい! 今行きます!」

 

 数歩後ろで足を止めていたナールを呼ぶ。彼女が見ていた窓へと目をやると、弟子によく似た雰囲気の少女が本を読んでいるのが見えた。白髪で色白な彼女は6歳程の若さでありながら窓辺に咲いた白百合のように可憐で、一度見たら目を離せない魅力を持っている。

 ぺリウスの言っていた御令嬢とは彼女の事なのだろう。確かに弟子の釣り目を垂れ目に変えれば、髪や肌の色でしか見分けられないくらいに似通う。何か繋がりがあると思ってしまうのも納得だ。

 

「リッセル卿の御息女だよな? 何故ここに居るんだ?」

「ベーリン様の庇護を求めたリッセル卿がお連れになったのです。最近は良くない事ばかり起きていますから……」

 

 使用人はそう言いながら屋敷の扉に手をかける。

 彼女によって開かれた扉の先に広がっていたのは、"贅沢"と言い表すしかない光景であった。玄関から続く全ての通路には絨毯が引かれ壁画と天井画が描かれており、描かれていない場所には芸術品や武具が飾られている。豪奢ではあるが、非常に趣味が悪い。

 案内されるままに館の主がいる部屋へと向かう途中、落ち着きなく歩く使用人達と擦れ違った。今まで見てきた使用人と同様に美形な彼女等の衣服には妙に皺があり、顔は紅潮し少し息を切らしている。騎士様は活力を有り余らせておいでのようだ。

 

「ベーリン様、クルツ様がお見えになりました」

「やっと来たか! エリー、そいつら入れてやってくれ!」

 

 使用人が扉を叩き声をかけると、扉越しに懐かしい声が返って来た。貴族の三男坊で家出息子、自称騎士で女好き、元勇者一行の一員。両手剣を片手で振り回せる怪力と二刀流でもって数多の魔物を葬った英雄の声だ。

 エリーと呼ばれた使用人によって扉が開け放たれ、俺達は兜を被った6尺男に相まみえる。"好色騎士"ことベーリンは臭いを誤魔化す為に甘ったるい香りの香が焚かれた室内で、ソファに腰掛け頬杖をついて俺達の事を待っていた。

 

「よぉ久しぶりだなクルツ! お前は相変わらず凶悪な面をしてやがるなッ!」

「お前こそ、相変わらずお盛んなようだなッ!」

 

 俺とベーリンは再会を喜びながら近寄っていき、互いの頬に互いの拳を打ち込んだ。手加減などしていない体重を込めた一撃、打ち所によっては相手を殺しかねない痛打である。

 

「お師匠様!?」

「ベーリン様!?」

 

 突如殴り合った俺達に驚いた弟子と使用人は、咄嗟の行動に出ていた。師匠を助けようとナールは腰の剣を抜き、エリーは俺達師弟を殺そうと隠し持っていた暗器を取り出している。次の瞬間に師匠と主人が笑顔で肩を組んでいなければ、彼女等の斬り合いでこの場は修羅場と化していただろう。

 

「ハッハッ! 姦淫と贅沢で腑抜けになっていなくて安心したぞ相棒!」

「お前こそ元気そうで何よりだ!」

 

 俺とベーリンは大声で笑い合い、肩を叩き合う。俺達にとって先程の殴り合いは挨拶のようなもの、言わば戯れあい程度のものなのだ。

 

「ところで気になっていたんだが、そこの女の子は何なんだ?」

「あいつか? あいつは俺の弟子だ。酔っ払った時にブロックの野郎と間違えて捨て子だったあいつを連れ帰っちまってな。惰性で面倒を見ているうちに情が湧いたから弟子にしてやったんだ」

「な、ナールです! まだまだ何も出来ない不詳の弟子ですが、お師匠様の元で日々精進しています!」

 

 弟子は大慌てで剣を鞘に納め、名を名乗った。相手が師の旧友であり正体を知られているためか、格好と違って取り繕わずいつもの調子で大声を出している。

 

「"ナール"ちゃん、"ナール"ちゃんねぇ」

「名前がどうかしたのですか? お師匠様に頂いたものなのですけれど……」

「知らないのか? ナールってのは、神代の言葉で"愛される者"って意味。神代じゃ子が誰からも愛されて欲しいと願う親によって付けられていた名前だ。クルツは余程君の事を大事に思っているんだろうな」

「おぉ! そうだったのですね!」

「元の名前の"ナルシラ"、"愛すべき者"って意味の名前よりもマシな名前をくれてやっただけだ。"すべき"より"される"方が良い……そう思っただけに過ぎん。くれてやった物をそいつが勝手に好んで名乗ってるだけだ」

 

 ニヤケ顔のベーリンと目を輝かせた弟子から目を逸らし、熱くなった後頭部を掻き毟る。

 

「それでそれで? 師弟揃ってここに何をしに来たんだ? まさか可愛らしい弟子を自慢しに来たってわけじゃないんだろう?」

「まぁな。俺達はお前にこいつと、こいつを持っていた連中の情報を買い取ってもらいに来たんだ。ほら、受け取れ」

 

 魚面の男達から奪い取った人皮装丁の戦利品を手渡す。

 ベーリンは本を受け取ると何かを探すように頁を捲り始めた。そして本のある部分に目的の物を見つけたらしく手を止めた。彼が手を止めた頁は弟子が不用意に開いた時に見えていた頁で、見ている部分には件の教団が崇拝しているであろう魔神の挿絵が載っている。

 

「その顔、探し物が見つかったって顔だな?」

「あぁ、これから頼んで探してもらおうと思っていた物が載っていた。これを何処で手に入れたんだ?」

「こいつを見つけちまったのを、持ち主に見つかっちまってな。襲ってきたんで撃退したら戦利品として手に入った。要するに偶然だ」

 

 風呂敷に包んで運んでいた物品を取り出し、ベーリンとエリーの双方に見える様に机の上に広げていく。壊れた石像と切り取られた指が積まれていく度に、腐臭が漂い部屋の空気が変わってゆく。

 

「こいつは酷いな……」

「えぇ、まさかこれ程とは……」

 

 壊れた像と山積みにされた指を見た2人は、事の重大さに気付かされて言葉を失った。恐らくだが彼らは「婦女の誘拐事件が起こっている、違法な奴隷売買か身代金目的の犯行なのだろうか」程度の認識であったらしい。

 

「ベーリン、お前はその挿絵と同じものをどこで見た?」

「誘拐された被害者達が身に付けていた装飾品を売り捌こうとした女が居てな。捕まえて背中を確認したら、この不気味な海牛によく似た刺青があったんだ」

「それ以上の情報は得られなかったな?」

「そう……だからお前を探したんだ。情報を手に入れては自部の手柄にせず売りつけているお前なら何か知っているんじゃないかと思ってな。で、予想は見事当たっていたわけだ。聞かせてくれクルツ、お前はどんなことを知っちまったんだ?」

 

 

「――っといった具合だ。復活させられる魔神がどんな奴だったとしても、大きな被害が出るのは間違いない。少なくとも、街の数区画が焼き払われたあの時よりも多くの奴らが死ぬだろうな」

「あぁそうだな、復活させられる前に何とかしなきゃならん。……なぁクルツ、お前はこれからどうするつもりなんだ?」

 

 情報を話していく度に小銀貨を積み上げていたベーリンが、手を止めて俺に尋ねた。俺と違って地位があり、事件を解決すれば間違いなく富と名誉を得られる彼は、共に戦い得た報酬を山分けにしないかと言い出すつもりなのだろう。誰の為でもなく俺なんかの為に。

 

「金を受け取ったら、巻き込まれない内に荷物を纏めてこの国を出る。何処かの誰かが事件を解決して、ほとぼりが冷めるまでは帰ってこないつもりだ」

「それでいいのか? 今のままじゃ、お前は――」

「わかってないなべーリン。俺は俺らしく、お前はお前らしく、化け物は化け物らしく、英雄は英雄らしくってのを誰もが望んでいる。それに逆らっちまっても、痛い目に遭うだけだ」

 

 積まれた硬貨を弟子に持たせ、席を立ちベーリンに背を向ける。こちらを心配してくれる親友の心遣いは嬉しく思うが、加担はしない。勇者と呼ばれた人物と共に功を立て続けても得られなかったものが、たった一度の功績で得られるわけがない。むしろ魔族である俺が功績を上げることに納得のいかぬ者達から嫉妬や疑いの目を向けられ、排除を試みられるようになるだけだ。

 

「……危なくなったら尻尾を巻いて惨めに逃げろよ。英雄として死ぬにはお前はまだ若いし、長い人生の中で一番の親友に死なれちゃ辛いんだ」

 

 成人の歳から10年、25歳になったばかりの友に言葉を残し部屋を去る。粗暴で頑固で率直な彼は、そうすると決めたならきっと逃走を選ぶことが出来ない。それが無駄に終わる可能性が高い愚かな行為であると分かっても、彼が彼である限り決めたことを曲げはしないだろう。俺が彼にしてやれることはそう多くない。



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12話

 打ち砕かれ廃材と化した厩舎、足裏に感じる柔らかく生温かい感触、這いずり逃げ惑う魚面達。それらを踏み超え、獲物を追い詰め鉄塊を振り下ろす。何も考えぬ様にしながら前へ前へと進み続け、捕食と殺戮を続けていく。

 

「おォ神よ……神ヨ……"疫病"から我らヲ御救いクダさい……」

 

 亡骸の山頂で死に瀕した魚面が、信ずる神に救いを求めた。血反吐を吐いている彼の様子は、戦火の中で略奪の被害に遭った月教徒の教会で見られるものとほぼ同じものだ。どうやら教義や価値観や信仰する神が違っても、暴力に晒された信徒の最後というものは似通るらしい。

 

「"疫病"か、懐かしい異名だ」

 

 彼の祈る手を取り口内へと引きずり込む。歯間に肉が挟まったままの牙で噛み千切り、美味くもない肉を傷を癒すために呑み込んでいく。禁忌を犯している罪悪感から吐き出しそうになるのを我慢して胃を満たすと、波打ちながら肉体が再生していき突き刺さっていた槍を押し出して傷を塞いだ。

 こんな悍ましい化物の技など使いたくはないが、俺は御立派な聖剣も秘伝の技も持ち合わせておらず特別な武の才があるわけでもない。人を辞めた際に授かった虫唾が走る力と長寿で得た経験でしか友の為に戦うことはできないのだ。

 

「お師匠様……お口直しのお酒は要りますか? 見つけてきましたけど……」

「手に入れた地図が正しいならあと1か所、奴らの住処を全て襲い終えるまでは要らん。口直しをしたところで、どうせすぐに意味が無くなる」

 

 弟子が差し出した酒を押し返し、血濡れの地図を広げて次の襲撃先を確認する。

 ベーリンと別れ弟子を着替えさせた後、俺達は友が戦おうとしている教団の隠れ家を見つけ出し襲っていた。あいつが戦う際に少しでも楽になるように、命を失わないように敵の戦力を削っている。

 

「ところでお師匠様、出国なさるのではなかったのですか?」

「その予定だったが、そうするにはちと懐が寂しい。だから予定を変更して、金を持っていそうな連中から奪えるだけ奪って逃げようとしてる。それだけだ」

「成程、ベーリンさんの為なのですね!」

「違うと言っているだろ! まったく、まったく……」

 

 心中を言い当てた弟子に金目の物が詰まった袋を投げ渡し、体から排出された長槍を拾い集める。骨に当たり肉を引き裂いたその穂先は、脂が張り付き所々欠けているが投槍としてならまだ使えそうだ。

 

「うぉっと、ととっ! あっ――」

 

 金品で膨らんだ革袋を受け取った弟子は体勢を崩し、地面に尻餅をついた。すると彼女が足元の地面が衝撃に耐えきれずに崩れ去り、開いた大穴が彼女を吞み込んでしまった。心配して覗き込むと、ナールは落ちた先に積まれていた藁の中に埋もれて藻掻いていた。何の空間に落ちたのかはわからないが、ひと先ず危険は無さそうだ。

 

「こいつは中々、御立派なこった」

 

 弟子を追って穴に飛び込み藁を掻き分けてみると、そこには分解された攻城兵器や大砲、量産を度外視した最新の銃器といった非常に高価な兵器と大量の木箱が隠されていた。どうやら弟子が落下したのは秘匿された武器庫であったようだ。

 

「六角形の印! お師匠様、これ全部六角形の焼印が入れられていますよ!」

「そいつがついてるってことは、こいつらは王城の備品。多分城の武器庫から盗み出された……いや、想像も出来んような金額の賄賂を支払って武器庫を管理してる奴に横流しさせたんだろうな」

「そ、それって犯罪じゃないのですか!? とても駄目なことではないのですか!?」

「あぁ、露見すれば族滅は免れん大罪だ。だが露見して裁かれたって話は聞いたことが無い。恐らくだが、多くの貴族が密売に関わっていてお互いに庇い合っているんだろうさ」

 

 腐敗の証拠に溜息を吐きながら、封をされた木箱を抉じ開け中身を検める。するとその中には目を疑うような物入っていた。それはベーリンの次に仲の良かった仲間、"火薬樽"という二つ名で呼ばれていたドワーフのブロックが肌身離さず持っていた水筒と手製の擲弾であった。

 それらの所持品には付着した血痕を拭き取った痕跡があり、それは1人の友人が既に手に掛けられこの世に居ない事を物語っている。勇者一行の解散後、国王から武器の製造や火薬の調合を統括する職を与えられていた彼は俺達よりも早く異変に気付き、気付いてしまったが故に横流しで利益を得ていた貴族か魔神教徒に消されてしまったのだろう。

 余りにも唐突な訃報であったために、死を情報として理解することは出来ても実感は得られなかった。友を失った悲しみで涙を流すことも、命を奪った者への憎しみから復讐を誓うことも出来ない。

 

「……少し、不安になるな」

「大丈夫ですよ! お師匠様は強いですし、ナールも付いていますから!」

 

 感情が沸き上がって来ないことに不安を感じて言葉を零した俺に、弟子は笑みを見せ元気付けようと試みた。彼女の気遣いは見当外れな物ではあったが、その明るさは俺の不安を少しだけ払拭してくれた。

 

「そうか、そいつぁ頼もしいな。よしナール、武器庫の中からあるだろう火薬を探してきてくれ。友の作品をもう利用できないように派手に吹き飛ばしてから国を出るぞ」

「了解しました! 木っ端微塵にしちゃいましょう!」

 

 

「お師匠様お師匠様、これからどうするのですか?」

 

 見つけられる範囲の全て、手を付けられる範囲。その全ての魔神教徒の拠点を焼き払い、人員を殴殺し秘匿していた兵器を処分した後の道中。弟子はこちらの前方に回り込み、後ろ歩きでこちらに顔を向けてこれからの指針を尋ねた。

 

「北方の"山賊道"を通って帝国領に入る。その後はトロップで宿を借りて、英雄様達が事件を解決するまでそこに滞在する。金が無くなるまでは休暇だな」

「観光地で有名なあのトロップでお休みですか! でしたらでしたら、ナールを観光に連れて行ってくださいますよね? 時間もありますし、いっぱいいっぱい師事もしていただけますよね?」

 

 生まれてこの方娯楽目的の旅行というものをしたことが無い彼女は、帝国を訪れた旅人が必ず足を運ぶ観光地へ赴き余暇を過ごすのが楽しみであるらしい。

 

「楽しみなのは結構だがその前にほら、厄介事のお出ましだ」

 

 両脇を玉蜀黍畑に囲まれた道を弟子と話しながら進んでいると、進行方向にある村から黒煙が立ち上っているのが見えた。村には老若男女が血を流して倒れており、小さな少年の手を引いて逃げる少女が魚面達に追いかけられている。どうやらあの小さな村は魔神教徒に襲われているようだ。

 こちらへと逃げてくる子供達が俺達を見つける前に、弟子を小脇に抱えて玉蜀黍畑に逃げ込む。彼等に見つかれば助けを求められるし、そうなれば否応無しに巻き込まれることになる。赤の他人の為に無報酬で戦うなど勘弁願いたい。

 

「おおおお、お師匠様! お師匠様!」

「何だ? 何も得られないし、助けな――」

 

 ナールが何かに怯え地面を指差したのでそちらを確認する。するとそこには蜂の巣があり、俺はそれを踏み潰してしまっていた。巣を破壊され怒り狂った蜂達が飛び出そうとしているのだろう、足裏の地面からは羽音が聞こえてくる。

 迷っている時間は無い。巣穴から飛び出した蜂から逃れるために、ナールを抱えたまま玉蜀黍畑沿いにある用水路へと向かう。こうなってしまえば見つかるのは必至、ならば致し方ないと濡れてはならない物を放り出し、逃走する子供達を捕まえ共に水の中へと飛び込んだ。

 

「何者……蜂ィっ!?」

 

 追いつく寸前まで迫っていた魚面達は、蜂の群れに襲われた。襲われた彼等は蜂への対処の仕方を知らないのか水へと飛び込むことはせず、手に持った武器で群がる蜂の群れを払い除けようとしている。

 弟子と子供達を抱えて水に潜って1分程経ち用水路から出ると、魚面達は全身が腫れ上がった姿で地面に転がり呻いていた。毒が回っているので放っておけば苦しんだ後に息絶えるであろう容態の彼等は、弟子を焚きつけるのに使えそうだ。

 

「おいナール、こいつをやれ」

「やれって……もしかしなくても殺せってことですよね?」

「それ以外に何があるんだ? ほら、苦しませ続けてもいいのか?」

「頼……殺しテ……オ願……」

 

 苦しむ魚面を哀れみの顔で見つめていたナールに、止めを刺すように指示していると会話を聞いた魚面達が弟子の足元へと這いずって行き懇願した。

 地獄の苦しみからの解放を求められた弟子は、自分がやらねば苦しみ続ける事と自分が苦しむことを天秤にかけた末に決断し、震える手で剣を抜くと刃を振り下ろしていった。一太刀また一太刀と、刀身を振り下ろす度に彼女の双眸からは輝きが失われ、迷いで鈍っていた太刀筋は鋭くなっていく。初めて自らの手を使って殺生を行った彼女の顔は、事を終えた時には一人前の傭兵の顔へと代わっていた。



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13話

「あの、助けてください!」

 

 呼吸を整え終えた少女は、俺達が武器を持っていることに気が付くと助けを求めてきた。魔族に襲われたくせにより凶悪な面をした魔族に助けを求めるその姿は、溺れる者が何に捕まってでも助かろうとするのによく似ている。

 

「助けてほしいか? それなら金を払え」

「えっ――」

「傭兵に命のやり取りをさせたいなら金を払うのは当然だ。無償で殺し合いをしてほしいってんなら、血に飢えた人斬りか人助けが生き甲斐の聖人様でも探すんだな」

 

 弟子と共に魚面から戦利品を剥ぎ取りながら、少年少女に助けは有料であることを告げる。不運な彼等に同情はするが、戦闘を生業としている以上赤の他人を報酬抜きで助けるわけにはいかないのだ。

 

「そんな……お金なんて持ってませんよ……」

「払えないなら話はここで終わりだ。村の事は諦めるんだな」

「ま、待ってください! お金は払えませんけど、お金になる物は渡せます!」

「姉ちゃん、それって父さんと母さんの……」

「わかってる。でも、仕方ないの」

 

 少女は立ち去ろうとした俺達を慌てて呼び止めた。彼女は首にかけた何かを握りしめている。指の間から黄金色の光を放っているそれには確かな価値があるのだろうが、手放し難いと思っているようだ。

 

「どうかお願いします! 私達を、私達の村を助けてください!」

 

 少女は手を開くと、握りこんでいた物を差し出した。紐で繋がれた小さな首飾り、三日月を模した金製のそれには使い古された痕跡があり誰かの形見なのだろうことがうかがえる。成程、手放したくないと思っていたのはそれが原因か。

 村や隣人を救うためならばと大切な物を差し出す彼女の心意気と報酬として申し分ない金額で売れそうな首飾り。戦えば友が戦う回数を減らす事にもなるし、寄り道をする理由としては申し分ないだろう。

 

 

 首飾りを受け取り村へと向かい物陰から様子を見てみると、魚面達が捕らえた村人達を広場に集めて何かの儀式をしている最中であった。屠殺場の子羊のように震える村人達の前には以前壊した物に酷似した像や禍々しい形状の刃物が並べられ、魚面達はその周囲で太鼓や笛を使って不安を掻き立てられる音楽を奏でている。

 村人を逃さぬように取り囲む魔神教徒の中には、今までの連中に加えて異質な者達が混じっている。板金鎧を着込んで馬を乗りこなす鯱頭に宝石珊瑚の杖を携える魔術師らしき鱓頭、一目で強者だとわかる彼等の存在が村人達の抵抗する意思を削いでいるようだ。

 成す術が無いと思ってしまい、悲惨な末路を想像してしまった村人達は泣き叫び命乞いをするか神に救いを求めることしか出来なくなっている。多少の勇気を与えたとしても戦力にはなってくれなさそうだ。

 

「お師匠様、あれは何をしているのでしょうか?」

「儀式だって事はわかるが、内容までわからん。魔神に供物を捧げようとしているのか、それとも何かを呼び出そうとしているのか……まぁしようとしているのが何であれ、村人に危害を加えようとしていることだけは間違いないだろうな」

「では早く助けないと、ですね?」

「あぁ、そうだ。報酬を受け取った以上はそれに見合った仕事をしなきゃならん。出来得る限り、可能な範囲で奴らを守ってやろう」

 

 棍棒を握り直し、魚面達に最も近い物陰へと向かう。幸いにも彼等は儀式と村人に夢中で周囲への警戒が疎かになっている。今飛び出して奇襲を仕掛ければ、20人ほど居る内の半数は屠る事はできるだろう。

 

「お師匠様お師匠様、魔術師の方はどうやって倒すのですか? 炎の魔術を使われたら、この前以上に動けなくなってしまうのではないのですか?」

「……問題ない。"魔術師殺し"を使うからな!」

 

 2つある奥の手の1つ、生石灰が詰められた小さな壺を取り出し杖を持つ魚面の顔面に投げつける。壺は油断していた魔術師に命中し、粉塵が顔を包み込んでいく。

 

「アがガヴァ! メガっ! ノどがッ! ハナがッ」

 

 水分に反応して熱や火を放つ粉末が粘膜に付着した魚面は、体内が焼け爛れる地獄の苦しみから聞くに堪えない悲鳴を上げ地面を転がった。余程高位の魔術師でなければ、魔術を発動するには発声を必要とする。呼吸困難となり動けなくなったこいつは無力化したといってもいいだろう。

 突如起こった事態を呑み込めず思考が止まった魚面達に棍棒を振るい、包囲の一角に大穴を開ける。村人を逃がす事で混乱が大きくなれば、有利な状況がより長続きする……はずであった。

 

「無様ニ狼狽エルナ、一歩デモ退ク者ハ殺ス!」

 

 様子を見ていた鯱頭の重騎兵は大声で叫び続ける魔術師を槍斧で叩き潰すと、慌てる魚面達に一喝を入れ、魚面達に後退りする脚を止めさせた。不測の事態に対応出来る冷静さと邪魔であれば仲間であっても殺してしまえる冷徹さを兼ね備えた彼は、暴力と恐怖でもって一瞬のうちに混乱を制してしまった。

 死地に進み活路を開かねば確実に殺される。その恐怖に駆られた魚面達は、各々が持つ武器を構えると鬼気迫る表情で襲い掛かって来た。目の前で同胞が棍棒で叩き潰されようとも腹を食い破られようとも怯む事無く向かってくる彼等の勢いは凄まじく、身体に届いた刃によって身を引き裂かれてしまう。

 

 白刃と鮮血が舞う舞踏が終わった時には、俺の体は自他の体液で一色に染まりきっていた。斬り落とされた左腕や傷が再生する感触と歯間を魚面達の肉片が埋め尽くしている感触、激痛と不快感に襲われている。

 新しく生えた腕の具合を確かめながら、戦う様を観察していた鯱頭へと視線を向ける。魚面達と共に仕掛けれていれば、首を切り落とすか心臓を破壊して俺を殺すことも出来たかもしれないというのに、彼は動かずただこちらを期待の籠もった瞳で見つめていただけであった。一体何を考えているのやら。

 ふと弟子の姿が見当たらない事に気が付いた。物陰からここまでは高い石壁も障害物もないのだから、加勢が間に合わないわけがない。まさか俺の目の届かないところで魚面に殺されてしまったのではないか。そう不安になって幾つかの目で辺りを見渡してみると、鯱頭の背後にある物陰で投石紐を振り回している彼女の姿が見えた。どうやら不意打ちを仕掛けようとしているらしい。

 

「狼ノ、貴様ノ名前ヲ聞コウ」

「そんなもの聞いてどうする? 呼ばれても狼だからワンとは吠えないぞ?」

 

 ナールが石を飛ばすまでの間、彼女の存在を悟られない様に会話を続けてこちらに注意を向けさせる。彼がどれほどの強者だったとしても、無防備な後頭部に投石を食らえば痛いでは済まないはずだ。

 

「何者カ知ラネバ、首級ノ価値ガ測レヌ。モシ貴様ガ名ノアル者デアルナラ、貴様ノ首ハ武功ヲ誇ルノニ役ニ立ツダロウ?」

「自己紹介を求めるにしちゃぁ、物騒なことこの上ない理由だな。だがまぁ知りたいってんなら教えてやろう。一度しか言わないから、よぉっく耳を澄ませて聞けよ! 俺の名前は――」

 

 名乗る素振りをし、息を吸い込みながら近づいていく。そして十分に近づいたところで、名乗る代わりに体内の毒袋から猛毒を吐き出し浴びせ掛けた。これは2つある奥の手のもう1つ、この姿になった時に得た体内に貯めこんだ病や毒物を吐き出す力だ。この力のおかげで俺には毒や病が効かず、他者を侵すそれを吸い出して助ける事が出来るが、それは今のところは役に立たないだろう。

 油断していた鯱頭は、突如としてされた卑劣な攻撃を躱す事が出来なかった。近くにいる村人が吸い込んでしまう可能性を加味して致死性が低い毒を使用している上に、何らかの毒の対策をされていたらしく効果は無いに等しかった。だがそれで構わない、俺の奥の手は今この瞬間では陽動に過ぎないのだから。

 驚きで動きの止まった鯱頭に、ナールは待ってましたとばかりに投石を放った。彼女によって放たれた直径5cm程の石礫は、空を切り裂きまるで導かれているかのように鯱頭の後頭部へと直撃し鈍い音を響かせる。そのはずであった。

 

「グォ!? オノレ卑劣ナッ!」

 

 弟子の一投は見事に鯱頭の後頭部へと飛んで行ったが、男はそれが命中する直前に上体を逸らして避けた。攻撃に気付いた瞬間に即座に回避の判断をしてそれを成した一連の動作、それを見ただけでも百戦錬磨の英雄である我が友ベーリンと同等かそれ以上の実力があるとわかる。少なくとも俺と弟子だけでは勝ち目が無い。



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14話

「そこまでだ! 両者とも動くな!」

 

 鯱頭と俺達師弟が睨み合いをしていると村の外側から声を掛けられた。声の主に目を向けると、鎧を身に纏った育ちの良さそうな青年と無駄に派手な衣服や武具を身に纏った冒険者であろう若者達がそこに居た。恐らくだが、魔神教徒と1戦交えてきたのであろう彼等の衣服は出血や返り血で染まり上がっており魔族である俺や鯱頭に極めて強い憎悪の視線を向けている。

 

「新手カ。獣ト餓鬼ニ加エテ小者ヲ相手ニシテイテハ遅参スルナ……」

「おい鯱頭、強いのに逃げんのか?」

「安イ挑発ダナ。退ケ、塵共!」

 

 鯱頭は槍斧で進路上を塞ぐ冒険者を蹴散らしながらアルバルドに向かって葦毛の馬を走らせて行った。倒されたのは進むのに邪魔になる者に加えて弓兵や術者といった背後を攻撃出来る者、単純な戦闘能力が高いだけでなく頭の回転も速い。鯱頭は疑うまでもなく恐れるべき相手だ。

 

「勝てる気がしないな。……行くぞ」

「はいお師匠様!」

 

 戦闘が終わりもう安全だと伝えようと振り返ると、村人達が俺を見て怯えている事に気が付いた。助けられた事への感謝よりも、得体の知れない怪物が目の前に立っている恐怖の方が強いらしく、彼等はこちらが顔を向けようものなら視線に入らぬように四散する。非常に人間らしい反応だ。

 

「ま、待て! お前は……お前は何者なんだ?」

「そこのガキ共に聞け。俺達はそいつに雇われただけだ」

 

 俺達が立ち去ろうとしていると、何が起こっているのかわからない青年から何者であるのかを尋ねられたので、唯一視線から逃れようとしない2人の子供を指差してその場を後にした。説明は俺達が居ない状態で彼女達の口からしてもらった方が、説得力があるはずだ。

 

 

「まったく、前払いにしておいて正解だったな」

「お師匠様御無事ですか? お酒、要りますか?」

「無事だ。酒は……あるだけ寄越せ、少しは酔わなきゃやってられん」

 

 弟子が背嚢から出した酒瓶を受け取り、口を酒で漱ぎ歯間に詰まった肉片を爪で穿り出す。口内の清掃を終えてからは、酒瓶の首を持ち天を仰ぐようにして酒を喉奥へと流し込む。喉が焼けるような感触と回っていく酔いが、煩わしい視線から少しだけ意識を逸させてくれる。

 

「助けたのはお師匠様なのに、みんな冷たいのですね」

「素性の知れない怪物が大暴れしたんだ、怖がりもするだろうさ。さっ、これ以上こんな場所にいても何にもならん。さっさと国境を越えて享楽に耽りに行くぞ」

 

 教団の物であろう奇妙な像を棍棒で粉砕し、平然を装って村人達に背を向け歩き出す。少女と交わした契約は果たしたのだから、これ以上彼らに関わる意味は無い。これから先、この村が何かに襲われたとしても俺達には無関係だ。

 曇天であった空から小雨が降り出す。雨粒は頬を濡らし、湿り気を取り戻した血液が流れ落ちて目に染みる。背中は重みで更に曲がり、視線は下へ下へと下がっていく。仕方がない、あれは仕方がないことなのだから耐えねばならないのだ。

 

「お師匠様、本当に大丈夫なのですか? 何処か痛いのではないのですか?」

「見ての通り傷は塞がって、もう痛みは無い。新しく生えた腕だってほら、元からついていたみたいに動くよう――。何だ? 歩き疲れたのか?」

「えぇ疲れました! ですからお背中を貸してください!」

 

 ナールはまだ汚れの落ち切っていない背中に攀じ登り、首に手を回してしがみ付いた。彼女は師の隠しきれない心の傷を感じ取り、それをどうにかして癒そうと試みているのだろう。師匠想いの弟子め、可愛がり甲斐のある弟子め。

 

「……ナール」

「何ですかお師匠様?」

「さっきの投石は見事だった。良く出来た褒美に1つだけ我儘を聞いてやろう」

「本当ですか! でしたらでしたら、ナールはおっきなパンケーキが食べたいです! お師匠様の顔よりもおっきくて、砂糖と果物がふんだんに使われているのが食べたいです!」

 

 何が欲しいか尋ねると、背中の彼女は左右に尻尾を大きく振りながら願望を答えた。その動作や願望は子供らしく、そして可愛らしい。彼女と触れ合っていると、子供を溺愛する親がいる理由が何となく理解できてしまう。

 

「それならトロップに行けば食えるだろうが……それまで待てるか?」

「はい! ナールは待てます! いつまでだって待てますよ!」

 

 弟子はそう言うと、自らの胸をとんと叩いてみせた。元気に満ち溢れた彼女の姿は太陽の様に眩しく、こちらを元気付け先程受けた心の傷を忘れさせてくれた。

 

「おやおや、微笑ましいねぇ。まるで本当の親子のようじゃあないか」

 

 その言葉と共に一陣の旋毛風が巻き起こり、俺達の目の前に女が現れた。尖がり帽子を頭に被り黒装束に身を包んだ茶髪の女、如何にもな服装に身を包んだ見目麗しい魔女は警戒心を薄れさせる人の良さそうな笑みを浮かべ、かつりかつりと足音を立てながらとこちらへと近寄ってくる。

 

「"善意の魔女"!!」

「やぁ久方振りだね狼君。前に君に会ったのは100年位前だったかな? 万物を変化させる力、"業"を操ってその姿に変えてあげてから色々あったみたいだけど、元気そうで何よりだ! っとっとっと……そんなものを振り回しちゃ危ないじゃないか。恩人を殺す気かい?」

 

 眼前の魔女が目を瞑った瞬間を狙って棍棒を振るったが、彼女は吹いている風のようにするりするりと避けてしまった。こちらは全力だったというのに向こうは遊んでいるかのようだ。腹立たしい事に、俺には彼女を殺せないのだろうと感じてしまう実力差がある。

 

「何の用で来た。また俺に不幸の種を押し付けに来たのか?」

「人聞きが悪いなぁ、僕は善意で救いの手を差し伸べただけだってのにさ。別に心配しなくても君に何かするつもりはないよ。用があるのは君じゃなくて、そっちの女の子だからね」

「ナールにですか?」

「そうさ。僕は君に渡したい物があるのだけど、受け取ってくれるかな?」

「無視しろ、ナール。こいつは"善意"で他人にものを与えるが、それが必ずしも良いものだとは限らん。大抵の場合、受け取った奴は取り返しのつかない事態に見舞われる。絶対に受け取るんじゃないぞ!」

 

 背に乗せたナールに言い聞かせながら魔女を横を通り抜ける。"善意の魔女"、良かれと思って行動して事件を巻き起こす彼女と関わっては、どんな目に遭うかわかったものではない。

 

「そういう事なので受け取れません。ごめんなさい」

「おやまぁ……だがそうなると困ったね。"白銀の娼姫"、伝説の娼婦シャアラの首飾りとその所在が書かれた羊皮紙。これらをどうしたものかなぁ?」

 

 背後で魔女が懐から取り出した首飾りの鎖を弄ぶ音が聞こえる。魔女の言葉とその音を聞いたナールは振り返り、そちらをじっと見つめた。恐らくだがそういう事なのだろう、彼女の母親は随分と有名な人物であったようだ。

 

「お師匠様……」

 

 ナールは自信の無い小さな声で歩き続ける俺を呼んだ。彼女が言いたい事の察しはつくが、果たしてそれは叶えてやっても良い類の望みなのだろうか。辛い真実を知ってしまい、立ち直れなくなってしまうのではないだろうか。いや、これはそれ以前の話だ。俺には師として彼女を導く資格は有っても、彼女の人生の選択を決める資格なんてないのだから、首を縦に振るしかないじゃないか。

 

「呪われた品では無さそうだし、お前がしたいようにしろ」

「……はい、わかりました!」

 

 ナールは背中から飛び降りると魔女の方へと駆け寄って行き、彼女から豪奢な首飾りと羊皮紙を受け取った。どうやら彼女には母への愛情が残っているらしい。

 

「あぁそうそう、会いに行くなら早めに行った方が良いかもしれないよ。彼女が住んでいるリッセルの街には魔神教徒が沢山集まっていたから、近々何か起こるのかもしれないしね。じゃ、僕はこれで!」

「ま、待ってください! それってどういう――。消えてしまいました……」

 

 魔女は伝える事だけ伝えると、瞬きする間に姿を消してしまった。自分勝手で行動し、後のことなど知ったことはない。現れてから今までの言動は、彼女の性質を如実に表していると言えるだろう。

 

「予定変更だナール。越境する前にリッセルに寄るぞ」

「寄り道になってしまいますが、良いのですか?」

「……リッセルならここからそう遠くないし、俺好みの美味い蜂蜜酒が売っている。さっきの一件で切れた酒を補充できるし、寄り道するには丁度良い。ほら行くぞナール、しっかり付いて来ないなら置いていくぞ?」

 ナールの頭を髪が乱れるくらいに撫で回し、リッセルに向かって歩き出す。弟子は大きな声で返事をすると、小さな足音を立てて後を追いかけてきた。こちらが彼女の為だけに寄り道を決めたと気づいているのだろう。弟子はこちらに追いつくと、微笑み背中に飛び乗った。



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15話

 旅舎都市リッセル。アルバルドから東に進み、帝国領へと近づいた場所にあるこの街は、アルバルドには到底及ばないが豊かな都市である。陸路で3大国を行き来する者達が必ずと行っていいほどに通過する事もあり、表には宿屋や酒場が、裏には娼館ばかりが立ち並んでいる。脅威となる外敵が存在しないためか、この街には外壁が存在せず人も馬車も通り放題になっている。魔神教徒が大砲を持ち込もうとしても、誰も気づかなさそうだ。

 

「この街にお母さんが居るのですね……」

 

 隣を歩く弟子が不安と期待が入り混じった表情で周囲を見渡し呟いた。もしかすると母親は本当に待たせただけなのかもしれない、何かがあって迎えに来られずにいてその間に自分が居なくなっただけなのかもしれない。そんな幼さからくる都合の良い想像と、聡明であるが故にそれ否定する思考が鬩ぎ合っているといった具合なのだろう。

 

「ここまで来てなんだが、会いに行かないという選択肢もあるんだぞ?」

「大丈夫です。ナールは、ナールは大丈夫です。あっ――」

 

 弟子は急に立ち止まり、持っていた羊皮紙を落とした。彼女が見つめる先へと目を向けると、止まっている馬車に典礼な白狼の獣人が乗っているのが見えた。纏められた後ろ髪は絹糸の束の様であり、色白の肌は真珠玉の様。つんと立った耳と太い尻尾の毛艶は思っていたよりも美しい。"白銀の娼姫"、伝説の娼婦シャアラは恐らく彼女で間違いない。

 

「お母――」

「おかあさま、おまたせしました!」

 

 ナールが声をかけようとしたその瞬間、本を抱えた白百合の様な少女が弟子の母親が乗る馬車へと乗り込んだ。彼女はリッセル卿の娘アンナであり、それが発した言葉は弟子に残酷な現実を突きつけた。都合の良い想像による解釈など、所詮有り得ないものであったのだ。

 幸せそうな親子を暫し見つめていた弟子は、声一つ上げずに俯くと自らの手の平を血が出るほどに握りしめた。辛い現実を受け止め、怒りや悲しみが入り混じった複雑な感情を必死に呑み込もうとしているようだ。

 

「ケケけっ! "石棺の一族"ヲ我ラが御神の贄に! 月の女神が如キ白髪を血濡レニせヨ! 肉ヲ引キ裂き恥辱を与エよ!」

 

 間が悪い事に、俺達がこの街を去るより早く武装した魚面の集団が路地裏や屋根の上から現れ暴れ始めた。この集団の目的はナールの母親と異父妹を亡き者にすることであるようだ。

 護衛や使用人が魔神教徒達から親子を守ろうと試みるが、多勢に無勢であるために1人また1人と圧殺され首や腹を掻っ切られてしまう。供が殺される度にアンナが大きな悲鳴を上げるが、周囲の者は自分や身内の命を守るので精一杯。他人である彼女等を助けようとする者は誰1人として居ない。

 遂には親子の眼前に魚面が迫り、血濡れの山刀が振り上げられる。咄嗟にシャアラがアンナに覆いかぶさるが、それは根本的な解決になりはしない。このまま誰も助けず何も起こらなければ、2人の頭が椰子の実の様に叩き割られてしまう。

 

「誰かっ! 誰か助けてください!」

「っ!!」

 

 助けを求めるアンナの声を聴いたナールは、下げていた顔を上げ母親と異父妹の元へと駆け出した。彼女は腰に差していた剣を抜くと、山刀を振り被る魚面の手首を一太刀で斬り飛ばし、返す刀で喉笛を切り裂いた。そして突然襲い掛かられた事に魚面達が驚き戸惑っている事と気が付くと、師がそうしていたように襲い掛かり刃を振るい続けた。

 彼女は瞬く間に10を超える死体を作り出した。血と脂で小さな体躯と聖なる剣を汚したその姿は、仕留めた獲物の腹に顔を押し込み内臓を喰らった狼の様である。

 

「た、助けて頂き有難うございます。貴方は一体何方なのですか?」

「ナールは……ナールは傭兵見習いのナール、偶然通りすがっただけの旅の者です。お師匠様を待たせていますので、申し訳ありませんがこれで失礼致します」

 

 名を問われた弟子は、母から与えられた名ではなく師から与えられた名を名乗り、彼等に背を向けこちらへ戻ってきた。彼女の顔は憂いに満ちており、罅の入った陶器の様で不用意に触れてしまえば壊れてしまいそうだ。

 ナールの声を聞いたシャアラは、彼女が何者であるか気付き声をかけようとした。しかしその声は遅れてやってきた衛兵に囲われたために遮られる。届かなかったその声は我が子を呼び止めようとした言葉であったのか、それとも拒絶の言葉だったのか。

 

 

「……お師匠様、お師匠様のお母さんはどのような方だったのですか?」

 

 街道から逸れた場所にある河原での行水と洗濯を終えたナールの髪を乾かしたり梳いてやっていると、不意に弟子がこちらの母親の事を訪ねてきた。

 

「わからん。生きている以上、産んだ奴は居たんだろうが顔も声も知らん」

「わからない? わからないくらい幼い時に捨てられたってことですか?」

「あぁ、多分だがそういう事なんだろうさ。なんせ物心がついた時には1人きり、合戦で死んだ馬の死骸を野犬と奪い合ったり、陣中から出た残飯を漁って飢えを凌いだり、日銭を体で稼ぐ孤児だったからな……」

 

 弟子の頭皮を按摩しながら1世紀以上前の記憶を引っ張り出す。思い出せるもっとも古い記憶は、蛆が湧いた死体の道を踏み越え蟻が集っている柿を口に放り込むといったものだ。口内を蟻に噛まれた痛みと潰れた蟻の酸味、腐りかけの柿の甘さと柔らかい果肉の感触は今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 

「ナールと少しだけ似ているのですね」

「あぁ、少しだけな……。ほら、梳いてやるから尻尾を動かすな」

 

 弟子の太い尻尾を櫛を使って梳いていく。敏感な尻尾に櫛を使われるのが余程心地良いのか、櫛を動かす度に彼女は目を細めて体を震わせる。

 

「出来たぞ、残った根本は自分で整えろ」

「何故です? お師匠様がやってくれないのですか?」

「お前なぁ……尻尾の根元に何があるかわかって言ってるのか? まったく……何を言われても、どうお願いされてもそれだけはやらないからな!」

 

 弟子に櫛を押し付け、風下に座り煙管と火口箱を取り出す。数秒経ってこちらの言葉の意味を理解し、自分が何を無意識に口走ったのか気づいたナールは真っ赤になって発条仕込みの玩具の様に震え出した。

 休憩と一服を終えて本来の目的地へと向けて歩き出した頃には、陽が沈み始め空に橙と青の濃淡が出来上がっていた。安全な場所を旅していたり、大人数で旅をしているのであれば野営の準備を始めている時間帯だ。

 

「夜を越す準備をしなくてよいのですか?」

「普段ならそうしたかもしれないが、今は皆が魔神教徒に感けていて野盗が好き勝手に大暴れ出来る状況で危険だからしない」

「ではどうするのですか? 到着するまで歩き続けるのですか?」

「夜の間は俺が寝ているお前を担いで歩き、朝はお前の見張りの元で俺が眠る。そうすれば眠る時間を減らさずに、かつ無警戒になる時間を無くせるだろう?」

「おぉ! 確かにそれなら! ですが……お疲れなのではないのですか?」

 

 普段より猫背が酷くなっていることに気付いた弟子がこちらの顔を覗き込む。どうやら歩き回り戦い続けた疲れが出ていることに気付かれてしまったらしい。

 

「この程度なら問題にもならん。ほら、心配してる暇があるなら1秒でも早く眠りについて俺が休んでいる間の見張りに備えろ」

 

 背負っている背嚢を奪い、膝を折り曲げ彼女が背中に乗れる体制を整える。

 こちらがあまり弱みを見せたがらないことを知っている彼女はそれ以上は踏み込まず、背中に上り首に手を回して目を閉じた。彼女も同様に疲れていたようで、数分も経たぬうちに寝息を立て始めた。

 

「<進む我らは何処へ行く。遠き故郷よ嗚呼懐かしや>」

 

 時間の経過を計り、歩行速度を一定にする"傭兵の歌"を歌いながら暗闇の中を歩いていく。声を出すのは危険だが、不安を払拭するにはそうする他ない。本当なら煙草を吸いながら歩きたいところだが、そうしてしまえば遠目であっても見つけられてしまう。だから陰気で古臭いこの歌を口遊むしかないのだ。

 

「<酒宴の終わりの鐘が鳴る。1人1人と闇へ消え、最後は1人ただ歩く……>」



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16話

「ベーリン様、アンナ様とシャアラ様が国外へ向かわれました。馬車での移動ですので何もなければ夕刻には御自宅に、真夜中には帝国に辿り着けるかと」

「それで間に合うといいんだがな……。ところでエリー、お前は何故逃げなかったんだ? 暇は出したんだし、他の使用人みたいに逃げても構わなかったんだぞ?」

「私まで居なくなってしまったら、このお屋敷を守る者も貴方様のお世話をする者も居なくなってしまうではありませんか。湯沸かしで火事を起こしてしまうような貴方様を1人になんて出来ませんよ」

 

 微笑み背伸びをしたエリーが歪んだ兜に触れる。彼女の体温と震えが、冗談を交えた口調で隠そうとしている不安と恐怖が面頬越しに伝わってくる。

 

「必ず帰ってくる。その時には――」

「その時の事はその時に教えてください。私は楽しみに待っておりますので」

 

 エリーは人差し指を面頬に押し付け、想いを伝えようとした主人の発言を止めた。伝えるために帰ってきて欲しい、それを受ける気があるという事なのだろう。

 不意に視界がぼやけ、愛しい人の顔から血濡れた石畳へと変わっていく。どうやら今の今まで見えていた光景は、魔神教徒との戦闘で受けた傷で死に瀕したことで記憶が走馬灯のように思い出されたものであったらしい。

 

「エリー……俺は……お前を……」

 

 愛しい人の名前を呼び、曇り空へと手を伸ばす。視界が黒く染まっていく中で、最後に見えたのは手を差し伸べる大きな帽子を被った茶髪の魔女であった。

 

「さぁ、君の願いを言ってごらんよ!」

 

 

 帝国領に続く山道、"山賊道"の入り口に辿り着いた俺達は、金箔で覆った彫刻で彩られたルテア王家の所有物であることを表す紋章が印された壮麗な馬車と月教徒の神殿騎士が乗り込んだ幾台もの馬車に出会った。不穏な情勢でなければ、王族が旅行を兼ねた巡礼へでも向かっているかのようにも見えていただろう。

 

「ふぁ……おはようございますお師匠様。あー……馬車がいっぱいですねぇ」

「王族と月教徒は何かにつけて難癖を付けてくるから、あまりじろじろ見つめるなよ。こっちは何もしてなくても悪目立ちするんだからな」

「おい貴様ら! そこで何をしている!」

 

 早朝となり目覚めた弟子に言い聞かせ、首を垂れて足早に立ち去ろうとしたが彼らは俺達を放ってはおかなかった。神殿騎士達は剣を抜き俺達を取り囲むと、いつでも突き殺せるように切っ先を向けてきた。

 

「おいおいまたかよ……。ナール、向こうが仕掛けてくるまでは絶対に抜くなよ。権力者の護衛とやり合うことになるのは流石にまずい」

「はい! 了解です!」

 

 弟子が背中から降り、背後に回ってお互いに死角が生まれぬ様に立ち回る。小さな彼女ではあるが、背を守られている安心感は凄まじい。まるで大きな壁を背にしているかの様に目の前の相手に集中できる。

 俺達と周囲の神殿騎士達とが睨み合いを始めて数分間が過ぎた時、彼らの包囲の一角が左右に割れ1つの道が出来上がった。その道の先からは神々しい法衣を纏った薄茶色の髪の、世間からは"月の巫女"と呼ばれている妙齢の女が顔立ちの良い少年達と共にゆったりと歩いてきた。

 彼女の雰囲気や外見は清貧を重んずる月教の宗教画に書かれる成人のそれであるが、本性は他の多くの司祭と同様に決して神聖なものではない。彼女は飲酒や美食を好み、容姿端麗な少年を孤児院で見つけては神殿騎士として自身の護衛にしたり世話役に組み入れて囲わせ、権威を高めるための政争に明け暮れている生臭坊主なのだ。

 

「あらあら騒がしいから何かと思えば、そこにいるのは"疫病"さんではありませんか。勇者様が居なくなってからは落ちぶれて、酒浸りになっていたはずの貴方が小さな女の子を連れてこのような所で何をしているのですか? 小さな女の子を誘拐なさっているのですか?」

 

 糸目で柔和な笑顔と穏やかで優しい口調、彼女を知らぬ者を魅力する包容力を放ちながら聖女は俺達に質問を投げかけてきた。一皮剥いたら野望と加虐愛が詰まっているとは思えない、外面だけはその称号に相応しい風格を彼女は纏っている。

 

「あの馬車に御座す方々を亡き者にする様にと雇われて、子供を盾として使ってでもその仕事をやり遂げようとここに現れた……とかなのでしょうか?」

「お師匠様はそんな事をしようとなんて考えてません! お師匠様はナールと一緒に帝国へ行こうとしているだけです!」

 

 師に投げかけられた反応を窺う挑発的な質問が余程気に食わなかったのだろう。ナールは俺が反論するよりも早く、そして大声で否定した。弟子に尊敬されることは嬉しいが、彼女が噛みついた相手は月教を信仰する地域において強大な権力を有し畏敬される聖女。月教徒だらけのこの場所で突っかかるべきではない相手だ。

 

「貴様! 聖女様に何という態度を、子供とはいえ許せぬぞ!」

「待ちなさい! そう……そうなのね。ごめんなさいねナールちゃん、最近凄く物騒だからお姉さん神経質になっちゃてるの。許してくれるかしら?」

 

 "月の巫女"、ソニアという名の少女は予想通りに激昂した神殿騎士を制止し、視線を弟子に合わせ許しを請うた。弟子の言動から欲していた情報を得られたのであろうか、それらの動作をする直前に彼女はひっそりとほくそ笑んでいた。

 それを目撃した弟子は、眼前の女が外面をよく見せているだけの悪人であると気づいたらしい。顔の僅かな動きから聖女の本質の一角を垣間見た彼女は、恐怖で体が固まり全身が泥沼に浸かってしまったかのように動けなくなっている。

 

「ソニアよ、魔神教徒から民を救う為に移動している途中だというのに御主は何をしておるのだ。今こうしている間にも民草は苦しんでおるのだぞ」

 

 色白で細身の少年が豪奢な馬車から降り立ち、ソニアに苦言を呈した。王家の紋章が刺繍された外套を纏う中性的なその少年の顔と、彼が被る宝冠には見覚えがあった。間違いない、あれは国王の孫であり王位継承権4位である王族フーリ・ルテアその人だ。

 王位継承権を持つ者が魔神教徒と自ら兵を率いて戦おうとしているのは己の継承権を盤石なものにする意図があり、ソニアや月教徒達はそれに付き従うのは彼を擁立して政において力を持つためだろう。

 

「不審な者を見つけたので問答を。ですがご安心ください、外見こそ珍妙な者達ではありますが我が国に住むただの傭兵とその弟子でした」

「傭兵だと? ふむ、体躯は悪くないな……」

 

 ソニアから説明を受けた赤毛の少年は俺達を見て考えこんだ。彼が何を思案しているのかは容易に想像がつくが、それが正解であって欲しくはない。権力争いになど関わりたくはないのに、立場上断れないから合っているなら最悪だ。

 

「貴様ら、余に雇われぬか? もし余と共に悪逆非道の限りを尽くす魔神教徒の討伐へ赴くというなら、言い値の報酬を用意するぞ」

 

 フーリは1人の傭兵に対して持ちかけるにしては破格の条件を提示した。何故彼がそうしたのかの真意は全くわからない。青天井の報酬で2人を傭うくらいなら、傭兵団を丸ごと雇った方が効率が良いだろうに。

 

「小銀貨30枚で、捨て駒になさらぬ限り師弟共々貴方様の兵となりましょう」

「おぉ受けてくれるか! だが御主らはその条件で良いのか? 折角の青天井なのだから同じ枚数を大銀貨で求めても良いのだぞ?」

「御心遣い感謝致します。ですが私めは私めが提供出来る能力以上の報酬を要求しないと決めているのです。どうか御容赦を」

 

 金が多く貰えるに越したことはないが、貰い過ぎるのはよろしくない。報酬というものは、それ即ち仕事に対する責任の重さでもあるのだから。

 

「それで構わぬと御主が言うなら余は何も言わぬが……。まぁ良い、契約を書面にしてやるから連れ付いてまいれ」

 

 そう言うとフーリは自分の馬車へと乗り込んだ。

 彼の後ろを歩き馬車の前まで辿り着くと、豪華絢爛な内装が見えた。座席は寝台として使っても体を痛めぬように柔らかい素材で覆われ、高めに作られた天井には煌びやかな絵画が描かれている。帝国の皇帝が乗る立派な馬車の内装を遠目で見たことがあるが、この馬車はそれ以上に豪奢かもしれない。

 

「よく読み問題無くば血判を押せ」

「……確認致しました。これで師弟共々貴方の手勢で御座います」

 

 差し出された契約書に相違が無い事を確認し、牙で指に傷を付けて血判を押す。ナールには申し訳ないが、暫くの間ご褒美はお預けになってしまう。この一件が片付いた時に改めて褒美を与える時は、何か付け加えてやらなきゃならんな。



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17話

 馬車に揺られて四半日、真昼になった頃合いに馬車が止まる振動で目が覚めた。

 目的地に着くまで随分時間がかかったのだなと馬車から首を出すとそこに見えたのは見慣れた城壁と家財を背負って逃げる居住者達、壁の内から聞こえるは怒号に金切声に金属音、生暖かい風に乗って臭うは爪や髪の燃える悪臭。眠っている間に辿り着いたのは、変わり果てた"花の都"であった。

 

「狼の、御主らはこれを背負い街で暴れる魔神教徒を討滅してまいれ」

 

 フーリは神殿騎士を顎で使い、弟子と共に馬車を下りた俺に紋章が入った盾を渡させた。彼が俺に与えた役割は彼の広告用の看板として走り回る事、何処で何をしていても目立つ俺が民衆を救い彼等からの支持をフーリの為に獲得してくる事だ。

 

「ソニア、余達は城へ急ぐぞ。魔神教徒共から御祖父様を守らねばならん」

「畏まりました。因みにどの様に城まで進むので?」

「堂々と中央通りを通って行く! 誰しもの目に留まるように突き進めい!」

 

 フーリの指示の下、聖女と騎士団は進んでいく。道中に居る魚面達は衛兵との戦いを終えて消耗しきっていたようで、ソニアによって容姿だけで神殿騎士に任命された実戦経験の希薄な修道士達でも蹴散らすことが出来ている。

 

「あの坊主共、散々な戦いぶりだな」

「えぇ酷いですね。あれじゃ武器を振るってるんじゃなくて、武器に引っ張られてるみたいです。見ているとなんだかむず痒くなってきますよ」

「あいつらはソニアに任じれて神殿騎士をやってるだけで、元はただの修道士か孤児だからな。あぁなるのは仕方がないだろうさ」

 

 盾を背負い棍棒を担いで貧民街へと歩き出す。貴族街や王宮の付近には、既に衛兵や傭兵や冒険者が集まっているはずだから行っても大した手柄は立てられない。行くなら助けの手の届き辛い場所が良いのだ。

 

 煤と埃が舞う仄暗い貧民街を襲った魔神教徒は比較的少数であった。しかしながらここ守るはずの者の殆どが名声や金を求めて別の地区へと行ってしまうか逃げ出した為に、魚面達が好き勝手に暴れ回り、それによって起こった混乱の中で火事場泥棒が横行してしまっている。

 治安を守るはずの衛兵は貴族や大商人に自分を売り込もうと、腕利きの傭兵達は金払いの良い客を求めて、何でも屋と傭兵を混ぜ合わせたような存在である冒険者達は名声を求めて、それぞれが欲する物のために此処へ来ないことを選んだのだろう。俺も彼らとそう違わない。来る場所と来た理由が違うだけに過ぎないのだ。

 争う声がする方へと歩きづけていると、ふと焼け焦げた乳母車の中に八つ裂きにされた人形と空になった酒瓶が残されているのが目に入った。死屍累々たるこの道の何処かに横たわる者が捨て置いて逃げたのだろうか、それ程までに大事なものではなかったのだろうか。

 

「お師匠様、そんなに悲しい顔をしてどうしたのですか?」

「……小事に過ぎないから気にするな。さぁ急ぐぞ! 目撃者が居なくなっちまったら、依頼主の要望を満たせなくなっちまう!」

 

 汗ばんだ手の平で顔を拭い、娼婦の骸を漁って宝飾品を集めていたナールを急かす。名声も金銭も求めず貧民街で戦っている愛すべき阿呆達の下へと一秒でも早く馳せ参じ、大暴れをしてやらなければ。

 

 

「セオ様、これ以上は無理ですよ! 私達は数で負けている上に皆疲労の極みにあり、矢も魔力も尽きかけていて……今逃げなければ、貴方様の御命が――」

「ならん! これ以上私達が退けば避難している者に被害が及ぶ。決して退くな!」

 

 戦闘の続く場所へと辿り着くと、そこには村で遭遇した青年が冒険者達と共に数十人の魔神教徒達と死闘を繰り広げていた。口振りと様子から察するに、随分と苦戦しておいでのようだ。もしも今増援が現れたならば、彼等や彼等に守られている者達はその人物のことを忘れられなくなるはずだ。

 砂を拾い上げ手に馴染ませ、目配せと手振りで最初に仕留めるべき標的である弩を持った魚面達を狙えとナールに指示を出す。俺達は敵の背後を取れているので、今から仕掛けるこの攻撃は完全な奇襲となるだろう。

 

「ケケケっ、随分粘ッたがコレで終ワりダ! 斉射用意!」

「くっ、ここまでか……」

「矢毒デ悶え苦シムが良イ、放――」

「戦列を食い破るぞナール、遅れずに付いてこい!」

 

 指揮官の魚面が斉射の号令を下そうとしたその瞬間に建物の陰からナールと共に飛び出し、弩を持った魚面達に襲い掛かる。背後から襲われた彼等は指で突かれた積み木の玩具の様に体勢を崩し、装填されていた矢は倒れた衝撃で引き金が引かれたために明後日の方向へと発射された。

 

「街を、人を、己の名誉を守りたくば脚を前に出せ! 古の者がその名で呼ばれる由縁となったように、危険にこそ飛び込んで見せろ!」

 

 場の有利不利が逆転したこの機を逃がさぬように、崩壊寸前であった冒険者達を鼓舞して戦闘へと誘う。形骸化して便利屋の様なものとなっているが、元来冒険者とは開拓者の先駆けとなり力無き者を危険から守る役目を負った英雄達の称号である。そしてこの場に留まる事を選んだこいつらは、伝説として語り継がれるような冒険者の様になりたいと願う夢追い人に違いない。そんな彼等ならばこの言葉に乗らぬわけがないだろう。

 

「勝機を逃すな! あの男が崩した一角に突撃せよ!」

「聞いたか野郎共、行くぞ!」

 

 セオという名の青年の号令を受けた冒険者達は俺達が崩した戦列へと突入してきた。

 思わぬ奇襲に思わぬ反撃を受けた魚面達は恐慌状態に陥り統率を失った。戦い続けようとする者は討ち取られ、戦意を失い逃げ出す者は無防備な背中を射かけられる。こうなってしまっては戦闘ではなく一方的な虐殺だ。

 

「こりゃあ鹿狩りと変わんねぇな。おらおら、待ちやが──」

「ひぃっ!? な、なんだこいつは!? やめ、やめてくれぇッ!」

 

 最早この場の趨勢は決した、次は何処に馳せ参じて暴れてやろうかう思案していると、曲がり角の先まで魚面を追撃していた冒険者達の悲痛な叫びが響いてきた。強大な力を持つ何者かに襲われたのだろう、曲がり角の先へ行った者は誰一人として帰ってこなかった。

 彼等を屠った強者は馬に乗り鎧を着込んだ重騎兵であるようで、一定間隔で地面を打つ蹄鉄の音と金属音がこちらにゆっくりと近寄ってくる。この音には聞き覚えがある。恐らくだが、この音の主は一騎当千の力を持つ魔族だ。

 

「ウヌゥ……冒険者相手ニ苦戦シテイルト思エバ、貴様等デアッタカ……」

 

 曲がり角から姿を現したのは、やはりあの時の鯱頭であった。彼と彼の乗る馬はここに来るまで戦い続けていたのだろう。全身に刀傷を負い、矢が突き刺さって針鼠の様になった彼等は血を垂れ流しながらこちらへと歩んでくる。

 いつ倒れて息絶えてもおかしくない状態だというのに、近づいてくる彼等の迫力は一切衰えを見せていない。荒い息遣いは獅子の唸り声のように、大地を踏みしめる一歩一歩の歩みは戦象が進んでいるかの様に強くそして重いもののように感じられる。

 

「成程、我ガ生涯最期ノ相手トシテハ悪クハナイカ……!」

「何が成程だ。人様を勝手にそんな大層なものにしてくれるなよ!」

 

 突進してくる鯱頭を迎え撃つべく金砕棒を振り被る。久方ぶりに武人肌の者と真っ向から打ち合う緊張で、顔が引き攣り笑っているかの様になってしまう。鼓動は自分の耳に届くほどに速くなり、体は熱された鉄の様に熱くなっていく。

 槍斧と棍棒、鯱頭と俺が振るった凶器は俺の物が先に標的へと叩きつけられた。振るう速度は向こうのほうが上であったが、俺が狙っていたのは鯱頭よりも前に位置する葦毛の馬が走る際に前に出す前脚。先に届かぬわけがなかった。

 馬にとって命と等しい前足を圧し折られてもなお、葦毛は自らに課せられた軍馬としての務めを果たさんと残った3本の脚で飛び、体躯でもって俺を押し潰そうと試みた。思いもよらぬその攻撃を俺はそれを躱すこと出来ず、棍棒を投げ捨てて両手で受け止めざる負えなかった。

 

「ザンザス、御主ノ作ッタ好機……無駄ニハセヌ!」

 

 馬上で体勢を整えた鯱頭が、重みで動けなくなっている俺の心臓めがけて槍斧を突き出した。棍棒を拾い上げて打ち払うには遅すぎて、すぐに動かす事が出来る片手だけでは止めることは不可能であるこの刺突に対して出来ることは最早一つしか残されていない。左手で押し潰されぬ様に圧し掛かる馬体を支え、右の手の平を槍斧に敢えて貫通させ心臓を破壊されぬ様に逸らすしかなかった。

 激痛を伴う苦肉の策により刺突は右胸へと逸れ、内臓を突き破り体を貫通して石畳へと突き刺さった。鉄の冷ややかな感触と穴や口から零れ落ちる温もり、煮え湯に放り込まれたかの様な発熱を感じた後に声と涙を抑えられぬ痛みが訪れる。

 

「ナーッ――師しょッ……を殺す気か!!」

 

 口内に上がってきた血液と共に音を吐き出し、突き刺さった槍斧の柄を引き抜けないように掴む。俺は重傷を負っているので肉を食らうまで動けず、鯱頭は機動力と武器を失って著しく戦闘能力を欠いている。この絶好の機会を赤の他人に取らせてなるものか。

 名前を呼ばれ、俺が一騎打ちをするとは言っていないことに気が付いたナールは剣を抜きながら駆け寄り、俺の背中を踏み台として使って跳躍した。通常であれば高さという武器を持つ馬上の鯱頭に刃を突き立てる事は叶わないが、登り慣れた台座があって相手が動かない今ならそれは叶うはずだ。

 

「お命頂戴します!」

「――アノ時ノ童カ!?」

 

 鯱頭は手綱から手を放し、腰のベルトから短刀を抜くと斬りかかってくるナールを迎え撃った。驚くべきことに彼は剣と短刀という極度に不利な攻防を制し、弟子の刃が届く寸前に短刀で彼女の上着の表面を引き裂いた。それ同時に鯱頭の首筋は切り裂かれ、彼は切創から血の飛沫を撒き散らして落馬する。

 

「フム……鉄板仕込ミデアッタカ。ソレニソノ剣、ソウカ、ソレナラ納得ダ……。双剣ノ騎士トイイ、最期ノ戦イハ良キ敵ニ巡リ会エタ……」

「お前、ベーリンの野郎と戦ったのか……? なら奴は――」

「心配セズトモ討チ漏ラシテオル。モットモソレガ良イ事デアルトハ思エヌガナ……。オォ神ヨ、我等ガ魂モ今其方ニオ送リ致シマス……」

 

 倒れ伏した彼は傍らに横たわった葦毛の顔を撫でながらそう答えると、満足した表情で天を仰いだ。彼の言葉が本当であるならベーリンは死んでいないようだが、それが良い事ではないとは一体どういうことなのだろうか。

 

「クソっ、抜けれねぇ……。ナールとそこのお前ら、こっちに来て俺を引っ張れ!」

「えっ、それで引き抜いたら死にますよ!? 術師を待ったほうがいいんじゃ……」

「来るかわからん奴らを当てに出来ん! 手はあるから気にせずやれ!」

「そこまで言うならやりますけど……これで死んでも恨まないでくださいね!」

 

 槍斧が突き刺さったままで動けないので、ナールと冒険者達に体を引っ張らせる。彼らが槍から俺を抜き内臓が零れ落ちたその瞬間に、近くに倒れていた魚面の肉を喉へと通して砕けた腕と空いた穴を塞ぐ。死なぬ為にはそうする他無いとはいえ、口内も不快な肉で埋め尽くされる感覚はやはり耐え難い。今すぐにでも上質な肉料理を食べてこの感触を打ち消したいものだ。

 それにこれをやると周囲の目が変わってしまう。今の今まで共に戦って親近感が沸き始めセオや冒険者の視線が、一瞬にして化け物を見る目になっていた。彼等がそう思ってはいけないのだと考え見せないようにしても、感じたことは少なからず表情に現れている。

 

「……次を探すぞナール。俺達は契約金分の仕事をしなくちゃならん」

「ま、待ってください! 今行きます!」

 

 引き抜いた鯱男の槍斧を手に持って、セオ達に背を向けて去る。俺達は名声や称賛を得る為に戦っているわけではなく、立場上断る事の出来ない相手から与えられた仕事をこなしているだけなのだから敵が居なくなったこの場に居る彼らと関わる必要はない。王家の盾を背負った傭兵一行が強敵を討ち取ったという事実が知れ渡るなら、それで良い筈だ。



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18話

 街を走り回り見つけた魔神教徒を片端から始末していると、突如として騒ぎが収まっていき彼等が発する独特な声は聞こえなくなっていった。追撃の号令も勝鬨も聞こえないので撤退し始めたわけではない。彼等はただ静かに気配を消して、何も行動を起こさなくなったのだ。

 

「お師匠様、何か変ですよ! 不気味過ぎます!」

「あぁそうだな……。まったく魚面共め、一体何を企んでやがる。魔神を呼び出すのに必要な分の命を奪い終えたのか? それとも抵抗を打ち砕くための奇策を弄しているのか? 駄目だな、奴らのしようとしていることが全く予想出来ん」

「そうなると、わからないなりに動くしかないですね。どうするのですか?」

「お前ならどうすればいいと思う?」

 

 一答えはあるが、弟子に思考の機会を与えるために問いに対して問いで返す。こちらの答えを聞いてしまったら、きっと彼女はそれに同調して自分の考えを答えなくなるので彼女自身の考えを聞くためには先に問わなければならない。

 

「探しても見つかるとは思えませんし、とりあえずは現状を報告しに依頼主のところに戻るべきかなと思います。様子を見るにしても次の指示を仰ぐにしても、その方が良いですし」

「悪くない答えだが、問題があるな。フーリが居るであろう城にお前はどうやって入るつもりなんだ? 元々俺達みたいな奴は入れない場所だし、この混乱に次ぐ混乱の状況下じゃこの盾を持っているからといって信用はされないぞ?」

「あぅぅ確かに……でしたらでしたら、どうすればいいのでしょう?」

「報告には行かずに、奴らが次に行動を起こしそうな場所で網を張って待つ。そうすれば手柄を俺達だけのものに出来るし、運が良ければ奴らが何かを企てようとしているなら兆候が見つけて先手を打てるかもしれん」

 

 槍斧に付着した脂を落としながら弟子に1つの回答を提示する。相手が何をしようとしているのかわからない以上、何もしてこなければ手の打ちようがない。この状況はむず痒いことこの上ない状況だ。

 

「おぉ成程! ……で、その場所は何処なんですか?」

「今一番守られていない、最も虚弱で混雑した場所だ。今頃は安全になったと思って壁の外から帰ってきた連中でごった返しているその場所に、強烈な魔術を打ち込んだり手投げ弾を放り込んだら一体どうなるんだろうなァ」

「い、急いだ方が良いですね!」

「急がないといけないのは間違いないが絶対に顔に出すなよ。俺達は気づいたことに気づかれないように、あくまで何もわからない間抜けの振りをしなきゃならん」

 

 ナールにそう告げながら酒を口に含み、汚れ果てた口内を綺麗に濯ぐ。傍から見れば戦闘が終わったと思い込んで酒を煽っている一匹の魔族の様にしか見えないように、大声で笑いながら目的地へ向かって歩いていく。

 

「ほうら、やっぱり大変なことになってやがる」

 

 街への入り口は逃げ出した者や彼等の持ち出した財産を積んだ馬車で渋滞が発生していた。交通の整理をするはずの衛兵が居ない為に行進は無秩序なままで改善しそうにない。今ここで爆発が起これば、例えそれが小さな物であったとしても大混乱を引き起こしてしまうだろう。

 

「この行列、これはまるで――」

「まるで敗走だろう。これじゃ10人程度に襲い掛かられても反撃一つ出来ずに皆殺しになる。俺がやるならそうだな……まずは門を吹き飛ばして外と内を分断する。それから逃げ惑う奴らを火矢で射かけてパニックを大きくする。そうすれば我先にと逃げ出そうとする群衆で轢死が発生するから効率良く殺戮を行えるだろうな」

「ひぇぇぇ……お師匠様は随分恐ろしい発想をするのですね……」

「そうでもないぞナール。この程度のことは倫理の枷を外した奴なら誰でも思いつくし実行もする。人間だって魔族だって魔神教徒だってその点は何一つ変わらない。皮の下には誰しもが下劣で卑劣な獣じみた一面を秘めているもんだ」

 

 胡坐をかき、酒瓶をナールの鞄から取り出し中身の酒を砂と入れ替えていく。本当なら油を詰めて投げつけたいところだが、それをやっては火災が発生して混乱が起こり轢死体が作られてしまうので仕方なく砂を入れて投擲物としての威力を底上げする程度に留めている。

 

「さてと、何か動きがあるまでの時間潰しに座学でもするか。ナール、魔神と魔族ってのはどんな存在だったか覚えているか?」

「えっと、魔神は月と太陽の女神が始めた"林檎戦争"で双方の陣営から離反して独自路線を取り雪の時代で眠りについた神々と、"業"を貯め過ぎた人間や魔族が変異したり魔神に取り付かれてそうなってしまったもので……魔族は神代に魔神側に付いて眷属になった人間の一族と"業"を貯め過ぎて肉体が変異した人達です」

「正解だ。なら次は魔族を魔物との違いを説明してみろ」

「魔族と魔物との違いは人間と言葉を交わし共に暮らせる種族であるかどうかだけです。でも明確な基準があるわけはないので、国や地域によってどちらとして扱われるかに差があったりします」

「合っている。じゃあそうだな……"業"とはなんだ?」

「愛情であり憎しみであり、願望であり希望であり絶望。万物の姿を変えてしまう説明の難しいものの事です。これに呑まれると魔族や異形になったり、人格を失って獣となってしまったり、魔神になってしまったりします」

 

 隣に座ったナールは靴に仕舞い込んでいたナイフを研ぎながら模範的な回答を答えていく。師弟揃って戦闘の準備を整えながらのこの問答は、他人から見れば奇妙なものに映るかもしれないが俺達にとっては横に談笑しながら釣りをしているのとそう変わらない。程よく緊張を解し、視野が狭まってしまうのを防ぐのには打って付けなはずだ。

 

 

「結局、何も起こりませんでしたね……もしかしてナール達の考え過ぎで、お魚さん達はすごく上手に撤退しただけだったのでしょうか?」

「そうとしか思えないが、どうにも腑に落ちん。始めたが最後、資金源や後ろ盾を失うような襲撃を損害が大きいからといって中途半端で終わらせるのか?」

「傭兵クルツとその弟子、フーリ様がお呼びだ! ついてこい!」

「……杞憂であることを祈るしかないな。ナール、行くぞ」

 

 立ち上がって砂を払い、使い走りにされている神殿騎士の後に続いて歩く。このまま何も起こらずにお役御免、報酬を与えられてそれで終わりであれば一番良いのだが果たしてそううまくいくのだろうか。

 

 

 神殿騎士に案内されたのは城に併設された広大な庭園であった。大理石の噴水や緑と色とりどりの花冠によって彩られたこの空間には、柔らかく甘い香りが漂っている。人払いがされているようで、流れる水と足音以外は何も聞こえない。

 

「フーリ様はこの先にあるガゼボでお待ちだ。くれぐれも失礼のないように」

 

 案内役の男は庭園の中程にある八角形の建築物へと続く道まで俺達を案内すると、背を向けて庭園を後にした。彼が言っていたガゼボを見ると、その内側には椅子に座って茶を嗜むフーリと彼の傍で控える首輪をつけたエルフの女が目に入った。人に汗と血を流させておいて、自分は安全な場所で奴隷を侍らせ悠々と過ごしているその姿は如何にもこの国の貴族といった具合だ。

 

「待ちわびておったのだぞ狼の! 御主の魔獣が如き暴れっぷりと、御主の弟子が敵将を討ち取ったという話は既に耳に入っておる。契約の通り、いやそれ以上の活躍天晴れであったな! 胸を張って報酬を受け取るが良い!」

 

 フーリは奴隷に重みのある革袋を渡し、彼女にそれを差し出させた。

 小銀貨30枚、これは立場上断れない以来を受けさせられ魔神教徒との戦いに巻き込まれた迷惑料としては悪くない金額だ。これを持ってトロップに行けば、当分の間は豪勢に遊ぶことが出来るだろう。

 

「そうそう、忘れておった。余と共に話を聞いていた何人かの貴族が御主達に興味を持ったらしくてな。魔神教徒を打ち負かしたことを祝って開かれる今夜の夜会に御主ら師弟を招待したいらしくてな、貴族街を通り城に入れるようにと招待状も預かっておる」

「そう言われましても、私めは魔族ですよ?」

「それでも構わぬそうだ。余に雇われ"双剣騎士"ベーリンが敵わなかった強者を討ち取った名も無き傭兵達が、一体どの様な者か気になってしかたないのだろう」

 

 そう言いながら彼はポケットから封蝋で封をされた手紙を取り出しこちらに差し出した。機嫌を損ねれば何をしてくるかわからない相手であるし断るべきではない。運が悪かったのだと自分に言い聞かせ、俺は素直に招待状を受け取った。

 

「一応言っておくが、御主らのその姿では貴人の集まる夜会には参加出来ぬぞ。小娘はもう少し良い服を着て髪を整え、御主は……とりあえず婦女が直視できる恰好をした方が良いだろうな。それとその匂い、血生臭さもどうにかした方が良いぞ」

 

 フーリは片手で鼻を摘まみ、俺やナールから発せられる悪臭の侵入を防いだ。俺達にとっては慣れた臭いでも、王族である彼には耐え難いものであるようだ。

 

 

「良い服が必要とのことですが、あの服なら大丈夫でしょうか?」

「大丈夫だ、お前のあれなら身分相応で丁度良い。問題は俺だ。体が大き過ぎて既製品は着られないし、あの騒動の後でどこの仕立て屋も休んでやがる。まったく、服なんてどこで手に入れりゃいいんだよ……おっ!」

 

 どうしたものかと頭を抱えながら武器や鎧兜を片付けに我が家へと向かっていると、大通りで顔見知りの腕の良い職人であるぺリアと出会った。比較的に安全な場所に住んでいる彼女は怪我一つなく、衣服も全く汚れていない。仕事場が無事であるなら仕事を頼むことも出来そうだ。

 

「あっクルツさんとナールちゃん、お2人ともご無事だったんですね! ……えっと、あの、どうして私をそんなにじっと見ているのですか?」

「いやなに、丁度良いところに来てくれたなと思っただけだ」

「丁度良い……と、いうことは衣服のことでお悩みなのですか!? そうなのでしたら任せてください! こんな状況だから出来ないなんてことはありませんから!」

 

 凝視する俺と俺に隠れて睨むナールに怯えていたぺリアは、服の事で俺とナールが困っているのだと察すると興奮気味な口調で話し始めた。彼女の腕は確かであるし、彼女以外の仕立て屋はきっと仕事どころではないはずだ。彼女に仕事を頼まない理由は無いだろう。

 

「夜会が開かれる時間帯までに大男の上下を揃えられるか?」

「そのくらいなら余裕で出来ますよ! ささっ、採寸しますからどうぞお店まで来てください。えへっ、えへへ! 大丈夫ですから安心して付いてきてくださいよ」

 

 気色の悪い言葉遣いと手付きをし始めた彼女は、細身の少女とは思えぬ力で俺の腕を掴むと人攫いの様に店に向かって引っ張り始めた。あんなことが起こった後でもこいつは変わらないらしい。

 

「なら頼むとするか。ナール、悪いが先に……先に帰ったみたいだな」

 

 先に帰っても構わないと伝えようとして振り返ったが、弟子はもう既にこの場から居なくなっていた。嫌っているぺリアに絡まれないうちにこっそりと、彼女の意識が俺に向いている間に足音と気配を消して逃げたのだろう。



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19話

「肋骨と背骨の本数も多いしですし、骨格も人間と少し違う……いやぁ魔族の方の体は初めて触ったのですが、思っていたよりも興味深いですねぇ!」

 

 ぺリアによって行われた"採寸"は、当然の如く肩幅や身長を測るだけでは終わらなかった。拘る彼女は手足顔の毛質を調べ上げるだけでなく、接触によって筋肉の量や内臓の位置や骨の形状を把握していく。触れられると擽られているかのようにこそばゆく、指圧が加わると体の内外全てをひっくり返されて調べられているかのようで不安感が湧き上がってくる。

 最高の仕事をしてくれるならと天井や壁のシミを数えて耐えていると、申し訳なさそうな顔をしたぺリウスと目が合った。彼は愛する人の行動で神経を擦り減らしているのか、時折片手を腹の上に乗せて胃痛に苦しんでいる。

 

「強面で体の大きなクルツさんが着ても不格好にならず、不自然でない洒落た格好となると……うん無い、無いから私が独自の物を作っちゃおう!」

 

 ペリアは俺の体を調べ上げて既存の衣服では条件を満たせないと判断すると、独り言を呟きながら試着室から出て店の裏手に向かっていった。既に自分の世界に入り込んでしまっている彼女は、3人分の茶の用意をしていたぺリウスの横を通ってもそれに気付かなかった。

 気づいてもらえなかったぺリウスは集中している彼女を呼び止めることはせず、少し寂しそうな微笑みでそれを見送った。本人はそこまで不満を感じていないようだが、傍から見ていた俺からすれば不憫であると感じざる負えない。野郎と2人きりで茶を飲みたくなどないが、このまま彼を放っておくのは少々可哀そうだ。

 

「気が利くなぺリウス、丁度茶でも飲んで休憩したかったところだ」

「あぁそういえば、前に話していた王陛下の孫娘が見つかったそうですよ。なんでも、魔神教徒から離反した集団が連れ帰ってきてくれたとか」

「普段通りの状態で帰ってきたのか?」

「えぇ、心労からか喋る事は出来ないそうですが怪我一つないらしいです。裏切った魔神教徒達は城の一室を使って一時的な軟禁状態にしているそうですよ」

「それはまた、随分不自然な話だな。弟子が偶然見つけるまで情報を一切漏らさなかったくらいには徹底した統制を行える組織のくせに、そうも簡単に裏切り者が出るものなのか? 襲撃の中途半端さといい、引っかかるところが多いな……」

 

 空になったコップを手の内で弄び、見落としているものがないかと思考を巡らせる。名前しか判明していない"海月"と呼ばれる指導者は一体何者で、一体何を考えているのだろうか。

 

「今考えても仕方ないか。ぺリウス、情報の礼に1つ忠告をくれてやろう」

「忠告ですか?」

「そうだ。お前の恋人、ぺリアのことなんだがな。散々"業"に纏わる事件に関わってきた俺の見立てでは、あいつはかなり危うい部類の人間だ。もしも何かが狂えば、人の形を保てなくなるかもしれないから気を付けておけ」

「ぺ、ぺリアが魔族や魔神にッ!?」

「落ち着け落ち着け、そうなることが決まっちまったわけじゃない。ただ彼女の場合はそうなる可能性がそこらを歩いている人間より高いだけだ。余程の事が起こらなければ人のままで人生を全う出来るだろうさ」

 

 勢いよく立ち上がり椅子を倒した青年に冷静になるように言い聞かせ、飲んで一息つけるようにと彼のコップに茶を注ぐ。

 

「何か僕に出来ることはないのですか?」

「お前に出来ることは2つある。1つは彼女が妄執に囚われない様に支えてやることで、もう1つは"業"を押し付ける人柱を用意しておくことだ。もっとも、どちらも予防に過ぎないがな」

「解決策は……無いのですか?」

「あるかもしれないが俺は知らん。万物に宿り、万物の在り方を変えちまうような代物に対して人間程度が出来ることなんざ無いのかもしれんな」

 

 ポットに残った最後の茶をコップに注ぎ、3人分の茶菓子を口にする。

 大口を開けて食事をする俺を見たぺリウスは不安げな表情となった。自分の愛する人が人からかけ離れた魔族や魔物、最悪の場合は魔神になってしまうかもしれないと告げられ、実際にそうなっている俺を見て色々と想像してしまったのだろう。

 

「まぁ不安になるのも仕方ないがな、あまり考え過ぎるなよ。悩み過ぎたらお前が俺みたいな面になっちまうからな。もし不安で不安で仕方がないってんなら、酒を飲んで美味い物を食って、歌って騒いで楽しく過ごせば気が紛れるからそうしろ。そうだな……一緒に騒ぐ友達が居なくて寂しいなら、俺とナールがお前の奢りで一緒に飲み食いしてやるぞ?」

「クルツさん……ありがとうございます。でもふふっ、僕の奢りなんですね」

 

 助言と冗談を交えた言葉を聞いた青年はくすりと微笑んだ。俺はそんな彼にそりゃそうだろうと言葉を返し、2人で服が出来上がるまで他愛のない話を続けた。

 

 

 黒いズボンを履き白シャツを身に着けた上に革製のベスト着込み、背中側に鉄片を仕込まれた身丈が脹脛まである上着を羽織った格好。火点け時を過ぎ夕食時になった頃合いにぺリアが仕上げたその装いは、まるで毛皮の上に新たな皮膚を纏っているかのように自然に体を包み込み動きを阻害しない物であった。

 

「暫くの間服らしい服を着ずに過ごしていたのに、違和感や鬱陶しさを全く感じない。それでいて動きを邪魔しないのだから凄いとしか言いようがないな」

「そうでしょう、そうでしょうとも! 骨と筋肉を調べ上げて予測した体の可動域を邪魔しない作りになっていますから、着たままでも戦えると思いますよ! あぁ、その服を着て戦ってるところも見てみたいなぁ……できればあの格好のナールちゃんも一緒だといいなぁ……」

「クルツさんクルツさん。お勘定、今のうちに済ませちゃいましょう」

「そうだな、あれが終わるのを待っていたら夜が更けちまう」

 

 にやけ顔で妄想を膨らませ続けるぺリアを横目に、ぺリウスは手馴れた様子で代金が書かれたメモ書きを作業場から見つけ出してこちらに手渡した。それに対して俺が記載された代金を革袋から取り出して青年の手の上に載せると、彼は静かに扉を開け放ち小さな声で挨拶を述べた。

 

「またのご利用をお待ちしております。お気を付けておかえりくださいませ」

 

 愛する人の貴重な顧客であり、忠告を行ってくれた者であり、そして頼っても良い相手となったこともあってか、彼からは恐怖や偏見が感じられなくなっていた。

 

 

「おかえりなさいお師匠様、それが新しい服なのですね! ナールは良いと思いますよ、とっても格好良いと思いますよ!」

 

 柑橘から作られた甘く爽やかな香りの香水を買ってから家に戻ると、身形を整えた弟子が出迎えてくれた。彼女は渦潮の様にぐるりぐるりと俺の周りを回り、初めて見る服らしい服を着た師匠の姿を眺めている。

 

「腕の良い職人に作らせたんだ。こいつの出来が良いのは当たり前だろ」

「いえいえ、そういう意味ではなくて――ひゃいっ!?」

 

 嘘偽りの無い褒め言葉を口にしようとした弟子を捕まえて、耳の裏と手首に香水を振り掛けて発言を遮った。師匠の威厳を保つために、気恥ずかしくなって口角が緩んだ顔を見せるわけにはいかない。

 

「お、お師匠様……ナールは、ナールは心臓が飛び出るかと思いましたよ!」

「大袈裟だな。その程度で臓器が飛び出すなら、今頃お前の中身は空になってるぞ。そんなことよりほら、支度も出来たしタダ飯とタダ酒を馳走にされに行くぞ」

「はいお師匠様! あっ! お師匠様、お師匠様は胸中が漏れ出してますよ!」

「誰が上手いことを言えと言った。まったく……」

 

 香水を振りかけている俺に思いついた冗談を言った弟子の頭に弱めの手刀を入れ、丸腰のまま扉を開けて家から出る。まだ不安要素が残っているので棍棒や鹵獲した槍斧を手元に置いておきたいが、夜会が行われる場に長柄の武器を持っていくわけにはいかない。もしも周囲に人がいる状況で何か良からぬことが起こったら、怪力と弟子に頼らざる得ないだろう。



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20話

 招待状を持っている俺達は正規の方法で貴族街にある住居1つ、貴族が所有する豪邸の門前へと辿り着く。外から見ただけの評価としては豪勢さこそベーリン邸のそれに劣るが、敷地の面積と建築物の大きさでは勝っている。貴族街の道と同じく魔石灯が明かりとしてふんだんに使われており、暗い場所はかなり少ない。

 

「大きなお家ですね。出入り口に土嚢を積めば堅牢な要塞になりそうです!」

「そうかもしれないが、内側に内通者が居たらすぐに陥落するだろうな」

 

 壁にもたれ掛かる騎士団員を横目に、門前に立つ使用人の下へと向かう。彼は以前来た時に門番をしていた者であるが、あの時は泥酔して意識が曖昧だったようで俺の姿を見ても何かを思い出す素振りを見せなかった。普段から警備は緩く、もう何も起きないと思っているようで危機感が全くない。これでは泥棒や魔神教徒が入り込んでいても気づくことはないだろう。

 

「招待状を此方に。……確認致しました、ご案内しますのでどうぞ私の後に」

 

 無表情で不愛想な使用人に懐から取り出した招待状を渡すと、彼女はそれを広げて本物であるかどうかを執拗に確認してから案内を始めた。魔族をあまり好ましく思っていない彼女に続いて屋敷の中に入り案内されたのは、料理が乗った大皿が置かれた机が並ぶ広間であった。夜会は立食形式であるらしく、机の近くには小皿が満載されたワゴンが、壁際には座食用の椅子が置かれている。

 辿り着いた時には夜会は既に始まっており、貴族と彼等に招待された者達が親密になりたい相手と交流を行ったり用意された食事に舌鼓を打っていた。魔神教徒との戦いで目立った活躍をした者達が招待されているらしく、参加者の半数は冒険者や傭兵と思しき者達だ。

 

「おい、あれを見ろよ。あいつ魔族だぞ」

「本当だ。何で魔族居るんだ? ここは貴族街だろ?」

「なんて恐ろしい顔……。私、気絶してしまいそうですわ……」

「見ただけで呪われそうな見た目をしてやがるな。うわっ、目が合っちまった」

 

 貴族や招待客が、小さな声で囁き合っている言葉が耳に入る。やはりというべきか、招待状を送ってくれた貴族以外には歓迎されていないようだ。

 

「ここでは抜くなよ? 絶対に抜くなよ?」

「わかってます。わかってますよう……」

 

 唇を噛みしめ肩を震わせる弟子が思慮に欠けた行動に出ないように言い聞かせながら、彼女と共に壁際の人の少ない場所へと移動する。拒絶はすれども興味は無いのだろう。こちらが何かをするわけでもなく視界から消えようと努めていることに気付くと、彼等は視線すら向けなくなっていった。

 

「俺達は俺達に興味を持って寄ってきた奴らだけに構えばいい。それまでは美味い飯を存分に味わって楽しく過ごさせてもらおうじゃないか」

「……そうですね! 折角の機会ですしね!」

 

 ワゴンから小皿を取り、ナールを連れて周りに人が集まっていない机へと飲食物を取りに行く。大皿には牛ヒレ肉の薄切りにチーズやニンニク、オリーブオイルをかけた肉料理、白身魚のソテーに塩コショウとレモンをかけた魚料理、ベリーをふんだんに使ったパイやカスタード液に浸した後にフライパンで焼いて作る甘いパンなどの多岐に渡る料理が載せられている。

 それらの色鮮やかな見た目と発せられる匂いに空腹感が刺激され、腹の虫がそれを寄越せと騒ぎだし、堰が切れたかのように溢れ出した唾液が喉を鳴らさせた。

 

 多くの人々が集った夜会の中、2人で食事を楽しんでいるとこの国に居ないはずの人物が尻尾を揺らしながら歩み寄ってきた。その人物とは"赤狐"の異名を持つ獣人、かつて存在した勇者一行で共に斥候として活動していたルナであった。

 彼女は普段とは違って化粧をし、背中が大きく空いた赤いドレスを身に纏っている。その姿は彼女が性根の腐った夜盗と知っていながらも、数度瞬きをするまで目を奪われてしまう程に美しい。

 

「まさかこんなところでお前達に会うとはねぇ、元気そうで何よりだ」

「何で悪党のお前がここに居るんだ?」

「勿論招待されたからさ。需要が生まれそうな武具と復興に必要な食糧や建材を買い付けて戻って来たら、結構儲かった上に感謝までされちゃってねぇ」

 

 ルナは胸を張り、自慢げにそう言った。彼女がやった商売は足元を見た物であったのだろうが、多くの人々がそれで救われたのは間違いない。善意の欠片も無い利己的な行動が、結果として人助けになることもあるという良い例だろう。

 

「そっちはまぁ聞くまでもないな。弟子と一緒に多くの魔神教徒を、洗脳された女の子達を殺したり喰ったりした功績で呼ばれたってとこなんだろ?」

「お前……今回の一件をどこまで知っていたんだ?」

「拠点の数に場所、装備の質に資金の出所。お前達と酒場で会って警告をした時には、魔神教徒の動きから近日中に武装蜂起するだろうことまではわかっていた。その情報があったから安全を得れて、さっき言っていた交易で利益が出せたのさ」

「早くに大事になるとわかっていたのに、そのままにしておいたのですか?」

「多くの貴族と繋がりがある連中の悪事を事前に阻止しようとしても、罪状をでっちあげられて捕まっちまうから、したくても何もできなかったのさ。現に何かを訴えようとして連行されていく男を狼のお嬢ちゃんは見ていただろう?」

 

 ルナは唇に付いた赤ワインを艶かしく舐め取ると、少々棘のある発言をしたナールの鼻先を人差し指で優しく押した。どうやら弟子は新しい玩具として見られているようだ。

 

「あの時の男の人はそうだったのですね……」

「世の中には勇気や正義だけでは解決できない問題もあるってことさ。あぁそうそう、こんな話をしに来たんじゃなかった。ほら受け取り給えよ」

 

 本来の目的を思い出した彼女は胸元から鍵を取り出して手渡してきた。生暖かいそれを受け取り眺めてみると、鍵の根本には3桁の番号が彫り込まれているのが確認できた。

 

「何だこれ……夜の誘いならお断りだぞ?」

「残念だがそうじゃない。招待状をお前達に送った貴族様が、その鍵を使う別館の部屋で待っているから会いに来いってさ」

 

 そう言って彼女は開かれた部屋の出口の先にある建物を指さした。今居る屋敷よりも質素な造りのそれは異様に窓が多く、廊下以外は全てが個室なのではないかと思ってしまうような外観をしている。

 

「お師匠様が気になった人と会えるのですね! 一体どんな方なのでしょう?」

「おっと楽しんで想像しているところ悪いが、呼ばれているのはエルスウィンだけだから狼のお嬢ちゃんは同席出来ないぞ。別館は内々の話をするために作られた場所だから、呼ばれていない者は入っちゃいけないんだ」

 

 ルナは俺の後を追って別館へと向かおうとしたナールの前に立ち塞がった。好ましくない類の貴族に良からぬことをされないか心配だが、呼び出した相手と問題を起こすわけにはいかないので彼女にはこの場で少しの間待ってもらうしかない。

 

「すぐに戻る。悪いが帰ってくるまで飯でも食って待っていてくれ」

「わかりました……規則は規則、仕方ないですしね! ナールは待ってます!」

 

 一緒に来れず1人残されることに寂しさを覚えたのだろう。俺を見送るナールはその気持ちを露骨に顔と声色に出していた。出来得る限り早く戻ってやらねば。



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21話

 入り口に立つ衛兵の横を通り別館の中に入ると、そこに広がっていたのは番号が記された多数の扉と廊下だけで構成された異様な屋内の光景であった。廊下を歩く者は見受けられず、軋む寝具の音と金銭が積まれる金属音だけが聞こえ、誰が通ったのかわからなくするめなのか焚かれた香の甘い香りが漂っている。

 恐らくだが、夜会で気を引かれた者との不貞や贈賄の現場などの表沙汰には出来ぬ秘め事を行うための場所なのだろう。感じる雰囲気は心地の良いものではないので、招待状の送り主との話が終わったらここからは足早に去りたいものだ。

 

「"赤狐"の野郎が好きそうな場所だこと……っと、ここがそうか」

 

 鍵に彫り込まれた番号を基に扉を見つけだし、扉を軽く叩く。相手が秘密裏に会いたいと願っていたとしても、ここでは礼儀を軽んじるわけにはいかない。

 こちらが来るのを随分と待っていたのか、扉を叩いてすぐに「入ってきてくれ」と男の声が帰って来た。その声に従って鍵を使って扉を開ける。扉は杖を突いた腰の悪い老人であっても軽々と開けられそうな程に重みが無く、誰が何処の部屋に入ったかわからぬようにする工夫がされているのか鍵穴を指してから開くまでの間に軋むことはなかった。

 屈んで部屋に入ると、室内には2人の人物が居た。1人は入室を許可した声の主である厳格な顔付の髭面の男、もう1人はナールの母親である白狼の獣人シャアラであった。ルテアに戻ってきたばかりで着替える時間も無かったのだろうか、2人が身に纏っている衣服は夜会で着られるような豪華な物ではなく普段使いの物だ。

 

「さぁどうぞ、畏まらずに腰掛けてください」

 

 ソファに座っているシャアラは、俺が座っても問題なさそうな大きな椅子に座るように促した。堅苦しい挨拶をする必要が無いのならとこちらが椅子に座ると、彼女は俺の目をしっかりと見ながら口を開いた。

 

「クルツさん、ナルシラ……いえ、ナールは無事ですか?」

「少なくとも外傷はありません。開口一番に聞くくらいに心配なら、彼女を直接見に行けばいいのではないのですか? 夜会の場に待たせてありますから、今行けば元気に食事する姿が見られますよ」

「無理ですよ。だって私は酷いことをしたと思われていますから……」

 

 シャアラは俯いて悲しそうにそう言った。彼女の口ぶりから察するに、弟子がゴミ捨て場に置き去りになったのはただ捨てられたからそうなったのではなく、何か理由があったからそうなってしまっていたようだ。

 

「夫人、貴方は何故あの子をゴミ捨て場に放置して去ってしまったのですか? 失礼を承知で言いますがね、私やナールからすれば貴方は貴族と結婚するために邪魔な子供を捨てたようにしか見えませんよ」

 

 師弟が思っているありのままをシャアラに告げ、否定の言葉と真実を引きだそうと試みる。彼女の後ろに立つ男は少し棘を含んだ俺の言葉があまり好ましく感じていないようで、眉間に皺を寄せた鬼のような形相になった。

 

「違います! あの時の私達は悪漢に後を付けられていて……母子ともに助かるため、連れていては振り切れないと思ってあの子を隠しただけなのです!」

「なら何故迎えに行かなかったんだ?」

「それは……それは殴られて記憶を失っていたからです。気が付いた時には全てを失い彷徨い歩き、通りがかったこの人に助けられて彼の妻に……。あの子の事を思い出したのはつい先日、声と彼女が私に向けた瞳を見た時なのです……」

 

 迎えに行けなかった事を、忘れてしまっていた事を悔やんでいるのだろう。シャアラは俯き泣き出した。そんな彼女を心配してか、強面の髭面は彼女の肩にそっと手を置いた。どうやら彼がリッセル卿であるらしい。

 

「理解してくれなくてもいい。ただシャアラが決して生粋の悪人ではないことと、罪悪感から直接会うことが出来ない弱さを持っていることだけは知っておいてくれ。そしてこれは随分我儘な話ではあるが、注げなかった愛情を君が代わりに注いでやってはくれないか」

「……理解は出来るし同情もしましょう。ですがね、最後の我儘だけは絶対に叶えられませんよ。私は彼女に親でなく師でなって欲しいと願われたのですから」

 

 リッセル卿の頼みを断り席を立つ。俺がナールに与えてきたのは師が弟子に注ぐ親心で、今更それを義親からの愛情に変えろと言われても無理だ。

 

「嫌々この場所に来て散々気分を害しましたが、貴方の真意を聞けただけで来て良かったと思えるようになりましたよ。住所を書いておきますので、ナールと話が出来るようになったら手紙を送ってください。2人で話せる場は作りますので……」

 

 室内に据え置かれている羊皮紙とインクを使い、爪で住所を書き残して部屋を去る。家族ではない俺から彼等に話すことはもう無い。あとは当人同士で解決するべき問題だ。少なくともナールの方には対談する準備が出来ているはずだ。

 

 

 別館から夜会の場へと戻ると、ナールは貴族や豪商の子弟に囲まれ話しかけられていた。会話の内容は魔神教徒との戦いが如何様なものであったのかであり、質問されたことに弟子が答えるといった形式だ。しかしながら彼等の目的は話を聞くことではないようで、下卑た視線をスリットから垣間見える脚や首筋へと向けている。露骨に欲望を曝け出す恥知らずで破廉恥な連中め。

 

「丁度良い所に、こちらのお嬢さんに"青珊瑚"を──ひっ!?」

 

 足音を聞き給仕が近くに居ると思ってこちらに顔を向けた男達はわざと口を開けて牙を剝き出しにし、荒い呼吸をする俺を見て驚き弟子の周囲から一歩遠退いた。"青珊瑚"という名の強い酒で、まだ子供である弟子を酔わせて無体を働こうと考えた下衆な彼等に殺意が沸いたのが隠せなかった。

 

「お師匠様! お話はもう終わったのですか?」

「あぁ終わった。思っていたよりも有意義な時間だったぞ」

「それは良かったですね! そうだ、お師匠様もナール達の活躍を語ってくださいよ! こちら方々はナール達の活躍を聞きたいそうですよ!」

「い、いえもう十分聞いたから結構ですよ。さぁ皆様、行きましょう」

 

 人間を丸呑みにしてしまいそうな魔族の近くに居たくないのだろう。男達はナールの言葉の後に俺が一歩前に出ると、蜘蛛の子を散らすように退散していった。

 

「まったく、これだから放って行きたくなかったんだ……15の成人を迎えていないガキに手を出そうとするなんて、下劣な奴等め」

 

 新たな標的として定めた給仕を取り囲む先程の男達を睨みつける。これから先、弟子が活躍すればああいった手合いが近寄ってくるのは間違いない。彼女には悪人を見分ける方法を改めて教えなければならないだろう。

 

「兎も角用事は済んだ。帰るぞ!」

「はい、お師匠様! あっ、その前にあそこの料理だけまだ食べていないので、帰る前に食べてきても良いですか?」

「……味わってこい」

 

 師の心配を他所に食い意地を見せたナールを見送り、こちらは最後の一杯を給仕の盆からを受け取って喉に流し込む。淡い青色の酒"青珊瑚"。叶わぬ恋と知りながらも貴族の娘と愛し合い、実らぬ愛というものを経験した酒造家が悲しみを表現するために作った芸術作品があんな使われ方をしているとは皮肉なものだ。



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22話

「おいおい……また魔族が来たぞ」

「魚面じゃないか。犬面ならまだしも、誰があんな奴らを呼んだんだ?」

「それもそうだが、隣に居るあの方は……レベッカ様じゃないのか!?」

 

 最後の一杯を味わっていると夜会の参加者達が騒ぎ始めた。何事があったのかと思って彼等が向いている方向に顔を向けると、入口からやって来る司祭風の衣服を身に纏った魚面達といかにも姫様といった風貌の茶髪の少女が目に入った。レベッカと言えば魔神教徒に攫われた王族の娘であったはずだが、誘拐犯と同じ種族を恐れている様子はない。彼女はただ、微笑みながら一点を見つめているだけだ。

 少女の表情に不自然さと不気味さを感じて視線の先を確認すると、以前酒場で俺に仕事を頼んだ男が居た。俺と同様のものを少女から感じて怯えているのか、彼は震えて立ちつくすことしか出来なくなってしまっている。

 

「あァ……神ヨ、この"海月"めラの魂と贄の像ヲ捧ゲマす……」

「なっ、貴様等何のつもりだ! おい誰か、衛兵を呼んでこい!」

「今宵コソ目覚め、君臨シテくださレ!」

 

 魚面達は懐から禍々しい形状の短刀を取り出すと、それを自らの胸に突き立てた。彼等魔神教徒が倒れ伏すと同時に夜会に居た多くの者が全身から血を吹き出し倒れ、先程まで香っていた匂いを上書きする強烈な磯の臭いが立ち込み始めた。臭いの中心はレベッカであり、彼女は何処からともなく湧き出た黒い煙に包まれていっている。

 招待されていた冒険者や傭兵は倒れた者を助けようと試みて、突然の出来事に混乱した者達は倒れているまだ息のある者達を踏みつけてでも我先にと逃げ出していく。

 

「お、お師匠様! あれは一体何なのですか!?」

「多分、いや間違いなく魔神復活の儀だ。小賢しい魔神教徒共め、魔神の脅威になりそうな相手を儀式に巻き込んで始末しやがった!」

「そんな……そんな大それた儀式は場を整えなければ出来ないのでは!?」

「勿論昨日今日の準備で出来ることじゃない。随分前、この屋敷が作られた時くらいには細工を仕込んでいたんだろうさ。まったく、抜け目がない連中だ!」

 

 長机の1つを引っ繰り返して遮蔽物にし、駆け寄ってきた弟子と共に裏側に隠れる。弟子の最低限の装備しか無いこの状況で復活した魔神と戦っても勝てるかどうかはわからない。戦うにしても逃げるにしても、虚を突かねばならない。

 そっと顔を出してレベッカの様子を見ると、そこには下半身が海牛となった少女の姿があった。肌は青白くなり頭に触角が生えたそれは、発火する黒い粘液を身に纏いながら腰を抜かした婚約者へとゆったりと這っていく。その行動から感じられるのは敵意ではなく純愛に近い何かだ。

 

「記憶が残っている……? どうやら儀式は失敗して別の何かが生まれみたいだな」

「そうみたいですね。でもどうして……あっ! もしかしてナール達が像を壊したからじゃないですか? 最初に見つけた物や村で破壊した物、あれらが儀式に必要な物だったから儀式が失敗したのではないですか?」

「そうかもしれないな。おっと、騎士団のお出ましだ」

 

 魔神教徒の言葉からしたのであろうナールの考察を聞いていると、逃げ出した者達からの通報を受けたであろう騎士団の団員達が到着してレベッカを取り囲んだ。たとえ王族であったとしても、異形の姿となってしまうと扱いは変わってしまうようだ。

 

「レベッカ様、ご同行願いま――」

「邪魔、私の前から退いて」

 

 連行しようとした騎士団の団員が伸ばした手をレベッカは払い除けた。殴打された腕の骨が床に落とされた硝子瓶のように砕け散ったようで、小さな破砕音と共にぴんと伸びていた腕が垂れ下がる。

 

「腕っ! 腕が!」

「嗚呼ケヴィン、私の愛しい人……。世界中の邪魔なもの全てを壊して、私達2人だけの世界を作ってあげますからね……」

 

 婚約者の前に辿り着いたレベッカは随分と物騒な発言をしながら周囲に火炎と斬撃の魔術を放ち、取り囲んでいる騎士団やこの場に留まり負傷者の手当てをしていた者達を亡き者にし始めた。熱い胸の内を曝け出すようなその攻撃は、俺に"大火"の姿を思い出させる。

 元々そうであるのか魔神教徒によって何かを吹き込まれてそうなったのかはわからないが、邪魔者と見れば殺傷することも流れ弾で誰かが傷付くのも厭わない彼女は放っておけば俺達の脅威となる。まだ力の制御を覚えていない今この場で仕留めてしまわなければ。

 

「炎を使うアイツを相手にしたくはないが、この国を壊されるわけにはいかん。ナール、奴が油断した時を見計らって仕掛けるぞ! おい、聞いているのか?」

 

 反応が無い弟子の方を向き、言葉を失った。隣に居たナールは右腕の付け根と顔面に流れ弾を受けていた。顔は右目上部から右頬に至るまでの皮膚を火傷し、右腕は筋肉と骨を斬り裂かれて文字通り皮一枚で繋がっている状態で呻いている。それだというのに俺は敵と炎に目を取られてしまい、弟子の様態に気付くことが出来なかったのだ。

 

「ごめんなさいお師匠様……ナール、ナールは体を晒し過ぎました……」

「出血が酷い……これじゃ魔術師や医者を探す時間は無いな。どうする、どうするんだ傭兵クルツ。このままじゃ弟子を見殺しにすることになるぞ!」

 

 弟子の体を右半分を上になるように転がし、シャツとベルトで傷口を押さえてみるが出血の勢いは止まらない。このままでは出血死してしまう。何か手立てはないのだろうか。

 今までに得た知識を総動員して弟子を救う方法を考えていると、ふと近くにある暖炉に刺さった火掻き棒が目に入った。辛うじて繋がっている腕を切り離し、あれで傷口を焼いて塞げば出血は止まるかもしれない。だがしかしそれを行えば更なる苦痛を彼女に与えることになる上に、魔術で腕を治すことも出来なくなってしまう。命を救うためとはいえ、そんなことが許されるのか。

 

「大丈夫ですよ、ナールは大丈夫ですから……」

 

 こちらの表情と視線の先にある物を見た彼女はやろうとしている行為とそれを躊躇している事を理解したらしく、右腕を自らの手で体から斬り離してそう告げた。

 助かろうとする彼女の意思と信頼を俺の躊躇いで無下にするわけにはいかない。俺は暖炉に刺さった火搔き棒を引く抜き、熱された先端部分を傷口へと押し当てた。肉が焼け傷口が塞がると共に水分が弾ける音が鳴り響き、声を出さぬようにと机の脚を咥えて痛みを我慢している弟子の呼吸が荒く強くなっていく。

 

「死ぬなよ、死んだら絶対に許さんぞ!」

「死にますよ、私が殺しますから」

 

 弟子が意識を失わないように呼びかけていると背後から女の声が聞こえ、それと同時に胸部から肉と皮膚を突き破って槍が生えてきた。振り返るとそこには騎士団員が使っていた槍を俺の背中に突き立て磔にしているレベッカが居た。

 

「ごめんなさいね、私達の世界に他人は必要ないの。でも安心して頂戴、この子も一緒に送ってあげるからきっと寂しくは無いはずよ」

 

 レベッカは手の平に火炎を集め弟子へと向ける。

 胸を貫かれ大切にしている者を目の前で焼き払われるこの状況、それは俺に"振り香炉の勇者"ケイを"大火"が屠ったあの時を彷彿とさせた。炎で焼かれることを恐れて動けなければ、またしても俺は失うことになる。

 

「奪わせん! 決して奪わせんぞ!」

 

 震える両手両足を気力で無理矢理動かし、弟子に魔術を放とうとしているレベッカの腹に喰らい付く。内臓を貫かれた痛みで動けないはずの男に脇腹を噛み付かれた彼女は、俺に魔術を放ち痛みを与える事でこちらを引き剝がそうと試みた。

 もう何も失いたくない想いと気力。それだけを頼りに体が炭になっていく感覚と思い出される不快な記憶の波を耐え抜き、首を左右に振るって肉を食い千切る。人間とは違う何かになって体が強靭になっていたとしても、臓腑が溢れるような怪我をすればただでは済まないはずだ。

 腹に開いた穴からは臓物と共に魔神の体内で形成される特有の黒い結石が零れ落ち、徐々に治癒していく傷口は人間の皮膚ものではなく弾力のある黒い皮膚によって塞がっていく。海より深く暗い愛情を持つ少女が魔神教徒によって行われた儀式の失敗でなってしまったのは魔神であったようだ。

 

「お師匠様……! よくも……よくもお師匠様を!」

 

 師の全身を焼かれたことに激昂したナールは、左手で剣を抜くと悶え苦しむ魔神に向かっていき、全体重をかけただけの単調な刺突を彼女の胸部へと放った。

 突き出された聖剣は魔神の胸骨を砕き魔力と生命の炉である心臓を刺し貫いたが、それと同時に加えられた負荷に耐えきることが出来ずに根元から折れてしまった。刀身から鳴り響いた金属音は何処か笑っているような、満足しているかのようであった。

 

「お師匠様! お師匠様! 大丈夫ですか?」

「痛ぇから揺らすな! まったく、怪我人を手荒に扱いやがって……」

「ごめんなさい……。あぁそうだ、ナールに手がありますから任せてください! お師匠様、ちょっとだけお身体に触りますよ……」

 

 ナールは突き刺さった槍を引き抜き、辛うじて生き永らえている俺の口を抉じ開け魔神の臓物と柑橘類の香りがする肉を放り込んだ。人の目があるので人間の死体を損壊するわけにはいかず、二度と癒着することが無いものであるとはいえ、随分と思い切ったことをしたものだ。

 焼け爛れた傷口が癒ると同時に体が熱を持ち頭が酷く痛みだし、頭部の骨が変形して新たに一対の瞳と瞬膜が形成されていった。どうやら魔神の肉に内在していた大量の"業"を取り込んだ肉体が変質してしまったようだ。

 

「お、お師匠様!? 眼が、琥珀色の眼が増えていますよ!」

「眼が6つから8つに増えただけだからそう慌てるな。それよりも奴に、お前が心臓を貫いた魔神に止めを刺してやらんとな。あのままじゃ……少し可哀想だ」

「ケヴィン……私は貴方を愛――」

「ば、化け物め! 私の側に近寄るな!」

 

 ケヴィンは近くに落ちていた皿を這いずり近寄って来る瀕死のレベッカに投げつけた。顔に当たって割れた皿の破片が額を切り裂き、流れた血が白目を染め上げ目尻から滴り落ちた雫がゆっくりと水溜まりを作り上げていく。

 

「お前も運が悪かったんだ。恨んでくれるなよ」

 

 衛兵の死体から長剣を取り上げレベッカに振り下ろす。弟子を傷つけた事は決して許さないが、攫われた末に魔神に変貌させられた彼女には同情を禁じ得ない。来世やあの世という物があるならば、そこでは幸福になって欲しいものだ。

 息絶えたレベッカを見下ろしていると、こちらに向かってくる多数の足音と騒がしい程の金属音が聞こえてきた。どうやら全てが終わった今になってようやく騎士団の本隊が到着したらしい。今回は目撃者が居て俺達は忌避される魔神を倒した功績を上げているので、間違って捕縛されることは無いだろう。

 

 

 夜会での一軒の後、数日間続いた聴取から解放された俺達は一度帰宅して着替えてから"行方知れず"に行って朝食を取っていた。献立は正体不明の挽肉を香辛料で味付けして焼き固めた物と酢漬けの葉物をライ麦パンに挟んだ料理と、葡萄の果汁に少しの蜂蜜を加えた甘い飲料といった豪勢なものである。

 

「おいナール、口元が汚れているぞ。まったく……」

 

 弟子の顔に布を押し当て、付いている肉汁やパン屑を拭き取ってやる。今のナールは利き手を失って食事を上手く口に運ぶことすら満足に出来なくなっている。左腕だけの生活に慣れるか、腕の代わりとなるものを手に入れるまでの間は補助してやらねばならないだろう。

 

「そういえばなのですがお師匠様。今日のナール達、ずっと見られてませんか?」

 

 満足気に耳と尾を動かしていたナールは周囲を見渡してそう言った。彼女の言う通り、店に居る面々は自らの用事を済ませつつ時折俺達へと視線を向けている。

 

「あぁそれはな……表向きには『レベッカに取り憑いて復活した魔神をお前が倒した』ことにされている所為だ。身内から魔神が生まれた事実を王族が隠したせいで、今やお前は神代の存在を倒した英雄として見られるようになっちまったんだ」

「そうなのでしたら嘘を嘘だと伝えなくても良いのでしょうか? このままにしておいたら、ナール達も嘘吐きの仲間になってしまうのではないでしょうか?」

「不安に駆られた人間ってのは、聞き心地が良い噂を聞くとそれを信じて疑わない。今のこの国で真実を語っても無駄だから諦めろ。……もし過大な評価に不満があるなら、鍛錬を積んで相応しい人物になればいい。幸いお前には素質はあるし、努力次第じゃ噂に違わないようになれるだろうさ」

 

 作られた英雄として時の人にされたことが不満げな弟子の頭を撫で回す。突出した才能と向上心がある彼女なら立派な英雄にだってなれるはずだ。

 

「おやおや、随分痛めつけられていたと聞いていたが元気そうじゃないか」

「……今更何しに来たんだ?」

「そう警戒するなよ。お前が知りたいであろうことを教えに来ただけだって!」

 

 甘い香りと共に現れたルナが勝手に同席し、俺の朝食をひょいと掻っ攫う。

 いつも通りの調子でこちらを煩わせてくる彼女は、一口を嚥下した後に紅の塗られた唇を開いて話を始めた。彼女が話したその話は俺達を帝国領へと、観光都市トロップへと誘うものであった。



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本編 2章 ~さらば愛しき友よ~
23話


 帝国とルテアの中間にある"山賊道"という山道。まるで丸められた紙を開いたかのように無数の斜面があるこの道は、その複雑な地形と出没する魔物の脅威がある所為でまともな整備を受けておらず関すら作られていない。それ故に関の通行料を免れようとする者や禁輸品を扱う密輸業者の通り道に、それを襲おうと企む夜盗の狩場になってしまっている。

 傭兵や冒険者といった護衛を雇わずにこの道に入った者は、総じて悲惨な最期を迎えることになる。山賊に捕まり身包みを剥れた上で奴隷商人に売り飛ばされるならまだ良い方で、最悪の場合は魔物に襲われ生きたまま捕食されて地獄の苦しみを味わうことになるだろう。

 

「お師匠様お師匠様、ルナさんのあの話は本当なのでしょうか? 傷を負って動けないはずのベーリンさんがメイドさんを抱えてトロップのある方角に走って行ったって、そっちに向かえば右手になる物があるって……」

「嘘を吐いてもあいつに利益が無いから、少なくとも嘘"は"言ってないはずだ」

「成程……。ところでお師匠様、何故わざわざ険しくて危ない道を行くのですか? 遠回りになりますが、街道沿いを進め良いのではないですか?」

 

 肩掛けの鞄を背負った弟子は立ち止まり、多くの馬車が行き交う街道を指差す。普段よりも交通量が多い街道は馬車と食料を積んだ荷馬車で混みあっており、徒歩で進む者は整備された道を歩めずその恩恵を得ることが出来ていない。

 

「お前の言う通りの道を進めば確かに楽で安全かもしれないが、見ての通りで今の街道は復興に使う物資の運搬で混みあっている。馬車に乗って進めないから関に辿り着くまで数日かかるし、辿り着いても手続きを後回しにされて延々と待たされ続けることになる。金と時間を無駄にしたいなら道を変えてやるが、どうする?」

「変えなくて大丈夫です! このまま進みましょう!」

 

 どうやら情報を集めながら行う休暇の予定が狂い、食わせてやると約束してそれっきりになっていたパンケーキを食べられなくなるかもしれないのが嫌であるらしく、ナールは大慌てで俺を追い抜くと急かす様に歩く速度を速めた。

 

 

「人が倒れてます! 馬車の近くに人が倒れてますよ!」

「罠や待ち伏せではないな。車輪だけが壊されていて靴の取られた死体が残っているから、多分野盗に襲われたんだろうな」

 

 道を進んでいた俺達は6台の破壊された荷馬車とその周囲で倒れている人々を見つけた。引く馬が居なくなった荷馬車からは全ての荷物が持ち去られており、零れ落ちたのであろう穀物が残されているのみであった。

 

「積み荷は穀物だったんだろうな。需要が満たされて価格が下がる前に辿り着いて、ボロ儲けをするために"山賊道"を選んだってところか」

「お師匠様、この子生きてます! 血だらけですけど生きてますよ!」

 

 馬車に残っていた豆と麦を手に取り眺めていると、死体漁りをしていたナールが生存者を見つけ出した。弟子が声を発する方へと顔を向けると、そこには弟子とそう離れていない年齢のやや生臭い魔族の少女が倒れていた。

 色白で髪は黒を主として白髪の部分が点在している。隻眼であるのか右目に眼帯を着けており、背中の途中に背鰭が、背骨の終わりの部分には鯱を思わせる筋肉質な尻尾が付いている。彼女は酷い怪我を負っているが、持っている薬を使えば助けることは出来そうな様態だ。

 

「助けれますけど、どうしましょう?」

「どうするかは見つけたお前が決めろ。この薬を消費して足手纏いを増やし師匠にそれを運ばせるのか、短刀を使って苦しみを終わらせてやるのか選べ」

「ナールが決めるのですね……お師匠様、ごめんなさい!」

 

 薬と短刀を差し出し選択を迫ってきた師に対し、ナールは荷物を増やすことに謝意を述べながら薬を取って手当を始めた。一切の迷いなく死体漁りに行った弟子を見て、人間らしさを失っていないか少し心配していたがそれは杞憂であった。

 

「手当が終わりました!」

「なら背負ってやるか。こいつ、見た目以上に……重いな」

「口に出す程に重いのですか?」

「あぁ、多分尻尾が重いんだろうな。棍棒と槍斧に加えて背負ってると結構な負荷になるからさっさと目を覚ましてくれりゃいいんだが……」

 

 背中を揺らして起きるかを試してみるが、少女は目を覚ます気配すら見せない。しばらくの間は彼女を背中に背負っていなければならないようだ。

 

 

 増えた荷物を背負って道を歩き、"山賊道"の中間地点にある川へと辿り着いた。碧と緑と白が入り混じった美しい光景が広がり、細流に混じって葉擦れや鳴き声といった命の音が溢れている。道端の木に白骨化した人間や血濡れの衣服が吊るされている殺伐とした地域であるとは思えない。真実を知らなければ、ある種の神聖さすら感じてしまう場所だ。

 

「おぉ……」

 

 今まで広がっていた凄惨な光景とは対照的な景色を見た弟子が感嘆を漏らした。何も知らないから素直に感動出来るのだろう。

 

「不用意に迂闊に近づくなよ。死ぬぞ」

「……死ぬ? 死ぬのですか!?」

「昔、この場所にまだ村があった頃に山火事があってな。火に追われて川の中に逃げ込んだ村人が溺死して、怨霊になっちまってるのさ。迂闊に入ればまだ溺れていると思っている霊に脚を引っ張られ、水を飲めば体を乗っ取られかねん」

「ひぇぇ……」

 

 ナールは鳥肌を立たせ、急いで水際から離れた。霊的であったり神秘的な存在に対しては、いかなる高名な騎士や武者であろうと対策を講じていなければ無力である。神速の剣も、岩をも砕く剛腕も何の役にも立ちはしない。

 

「人の手が入っていないのは、人が手をつけられない理由がそこにある可能性があるってことだ。命に関わるから頭に叩き込んでおけ」

「わかりました! ……ですけどですけど、それならどうやって渡るのですか?」

「悪霊は金属とか硝子の出す音を嫌うから、こうやって音を鳴らしながら進めばいい。ここらに居る程度の低い悪霊なら、こうするだけで近寄ることすら出来なくなる」

 

 ナールに見える様に腰を降ろし、棍棒に鯱頭から得た槍斧を打ち付けて音を鳴らす。すると水底に潜んでいた黒い影達がその姿を現し、勢い良く逃げていった。彼らは遠くで再び集まっていき、こちらを恨めしそうな瞳で見つめている。

 

「知らないと死ぬ。知識は鎧だ」

「すごくすごく、よくわかりました!」

「音は俺が鳴らしてやるから、お前は流されない様に俺を掴んでいろ。肩まで浸かって歩けなくなっても離さなければ無事に渡れるはずだ──」

 

 そう言うや否や、ナールは俺の尻尾を握りしめた。敏感な部分であるからあまり掴んで欲しくは無い部分だが、そこなら仮に手が離れてしまった時に間違いなく気づけるのでまぁ良しとしよう。

 

「何があっても渡りきるまで手を離すなよ」

「はい! 絶対に離しません!」

 

 ナールに強い口調で言い聞かせ、川を渡り始める。近寄ることが出来なくても彼等は決して諦めない。あの手この手で仲間に引き入れようとしてくるはずだ。

 

「え? 川を渡ると死ぬのですか?」

「そんなわけないだろ。何か聞こえてるならそれは幻聴だから信じるな」

「わかりま──お、お師匠様! 尻尾が! 尻尾が千切れてきてはいませんか!?」

「幻覚だ。騙されるな」

「幻覚……じゃあ脚に付いてる大きな蛭も偽物ですか?」

「蛭? あぁくそっ、そいつは本物だ!」

 

 悪霊から幻覚や幻聴の標的にされた弟子が騙されぬ様に会話を続けていた俺は、気付かぬ内に背中を"一尺蛭"と呼ばれるという動物に噛みつかれていた。川を渡りきって患部確認してみると、血を吸って2尺程に膨らんだ蛭が脚に吸い付いていた。

 

「でかっ!? い、痛くないですのか?」

「歩き辛いが痛くは無い。参ったな、火口を丁度切らしてるってのに……」

「それならあっしのをお売りいたしやしょうか?」

「助かる。……いやちょっと待て、確か人気は無かったはずだよな?」

 

 声を掛けられつい返事をしてしまったが、よくよく考えれば対岸には誰も居なかった。俺は一体何に返事をしてしまったのだろうかと不安になり、声がした岩の上へと目を向ける。

 岩の上には胡坐をかいて座る黒猫の獣人が居た。弟子よりも一回りか二回り大きい背丈で暗色の衣服に身を包んだその獣人は、袖口から少しだけ出ている手で支えた煙管を口に咥え品物を積んだ背負子を背負っている。背は低いが成人であり、恐らくは商人なのだろう。

 

「どうするんでやすか? 買うんでやすか?」

 

 乾燥した煙草の詰まった箱を岩の上に置き、彼女は揉み手を作った。俺達の財布の中身にしか興味がない商人のように見える。

 

「幾らなんだ?」

「へっへっへ……時価で小銀貨2枚でやす」

「高っ!? 高過ぎますよ!」

「あっしとしては別に買って頂かなくても構いやせんけど、そっちの旦那はこれが無いと困る。それなら高値で売りつけるのは当たり前でやしょう? 手に入り難い物が高価になるのは当然のことでやすよ」

 

 競合する相手が居ないのをいいことに高額な代金を請求してきた彼女は、弟子に対してそこはかとなく殴りたくなる表情で妙に説得力のある言葉を口にした。

 

「致し方あるまい。そいつを貰おうか」

「へへへっ、毎度あり!」

「良いのですかお師匠様、吹っ掛けられているのですよ?」

「日暮れまでには越えられるからと山越えを甘く見て準備を怠った高い勉強代だ。行軍速度よりも装備の充実を優先するべきだったな……」

 

 小銭入れから小銀貨を取り出し、岩の上の煙草と交換して火を点ける。

 危険地帯に長時間滞在する危険を冒すくらいならばと、最低限の荷物だけを持って素早く通り抜けてしまおうとしたのは失敗であった。もしもこいつと出会う事が出来ていなければ、噛まれた部分を削り取らねばならず、怪我をした状態で歩く事になっていた。

 火が大きくなり蛭を炙って外したところで商人から買った煙草から妙に甘い香りが立ち上っていることに気がついた。香り付けに使うには強過ぎて、魔除けに使う類の物でもない不可思議な香りだ。

 

「で、お前は何者なんだ? 街道じゃなくて"山賊道"を、それも1人で通ってるってことはただの行商ってわけじゃないんだろう?」

「行商? あぁ、この荷物の所為でそう見えてらっしゃるので……。勘違いしているようなので言っておきやすが、あっしはしがない小悪党でこいつは道すがらに奪った戦利品。街道を通らない理由はこいつを見てもらえばわかってもらえるかと」

 

 黒猫の獣人は長袖を捲って、隠していた両腕を俺達に見せた。

 彼女の腕には腕輪のような刺青が彫り込まれていた。それは罪を犯して投獄される者が罪状によって異なる形状の彫り込まれるものであるのだが、彼女の腕には様々な形状のものが彫り込まれている。目前に居たのは極悪人、歩く犯罪図鑑とでも言うべき人物であったのだ。

 適切な距離を取らねばと思って弟子に目を向けると、彼女の尻尾が小刻みに震えているのに気が付いた。本人が意識して動かしていたり、感情が現れているといったものではない。この症状は毒によって起こるものだ。

 

「不法侵入、器物破損、窃盗、詐欺、不敬罪、墓荒らし、強盗、脱獄及び脱獄幇助!? お師匠様、この人やばすぎますよ! この人は大悪党ですよ!」

「あぁ、それに随分と演技が上手いらしいな」

「それってどうい……こふっ──!」

 

 ナールが血の泡を吹いて倒れ、打ち上げられた魚の様に痙攣し始めた。背中に乗せていた少女も弱々しくではあるが同様の症状が現れている。原因は間違いなく先程商人から買い取って吸っている煙草から出た煙だ。

 

「香りで隠した毒を自ずから吸わせて警戒を最小限にし、意味の無い会話で時間を稼ぐ。これが毒だと、お前が暗殺者だと気づいた時には手遅れってとこか……」

「へっへっへ、そういうことでやす」

 

 彼女は使った毒に対して耐性と自信があるらしく、余裕綽々な態度で喫煙を再開した。俺に毒が効かない事も毒に侵された者からそれを吸い出せることも知らないということは、こいつを送り込んだ奴は俺のことをあまりよく知らないようだ。

 

「何故俺達を狙う? 魔神教徒の残党にでも雇われたのか?」

「さぁ、どうなのでやしょうな? おっとっと、危ない危ない!」

 

 黒猫は蛙のように飛び退き、俺が振り下ろした棍棒を避けた。彼女の座っていた岩が砕いた棍棒から振動が伝わり、電撃を受けたかの感触が腕に襲い掛かってくる。

 

「こんなに可愛いあっしを叩き潰そうとするだなんて、狼の旦那は酷い人でやすねぇ。それに毒の効かない身体をお持ちであっしの手には負えないらしい。……やる事やったし、お暇させていただきやしょうかね!」

「逃がすか! ――っ!! クソッタレ、姑息なクズ野郎め!」

 

 煙幕を焚いて逃げようとする黒猫を追った俺の足の裏に、奇妙な文様が彫り込まれた撒菱が突き刺さった。足の甲を貫通したそれには取り除こうとすると激痛を与える呪いが込められてらしく、引き抜く際に激痛が襲い掛かってきて隠していた感情が吹き出してしまった。

 

「2人とも、今助けてやるからな」

 

 弟子と少女の首筋に噛みついて毒を吸い出し、呼吸が穏やかになっていくのを確認してから彼女達を背負って山道を歩いていく。立てていた目標に加えて何者が何の為に暗殺者を送り込んだのかを調べなければならなくなった。まったく、何時になったら厄介事から解放されるのやら。



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24話

 観光地トロップは帝国の南西部に位置する大陸一の保養地である。雪によって白化粧が施された美しい山脈を眺めながらの食事や温泉を活用した公衆浴場、剣闘士によって行われる試合の観戦や勝敗を予測する賭博といった具合に様々な娯楽に興じる事が出来るのがこの場所だ。

 宿屋の窓から見下ろせる道には土産屋や飲食店が軒を連ねており、名も無き旅人から歴史に名を残す様な著名人、触手の塊の様な外見の魔族から取り巻きを引き連れた美形のエルフまで様々な者が観光を楽しんでいる。賑わいは夕餉の時間となった今でも昼間とまったく変わらない。まるで夜という物が存在しないかのようだ。

 助けた少女と共にベッドに寝かしていたナールが目を覚ます。泡を吹いて倒れたところで記憶が途切れているようで彼女は靴に隠してある短刀に手を伸ばそうとしたが、窓辺で安楽椅子に揺られて流行りの春画を眺めている師を見てここが安全であると気付いてその手を止めた。

 

「お師匠様、ここは何処なのですか? ナールはどうなっていたのですか?」

「ここは目的地にある宿のお前達2人が寝泊まりする部屋で、お前は暗殺者だった黒猫が煙草に仕込んだ毒を吸いこんで死にかけていた。因みに暗殺の標的は俺じゃなくてお前だったらしいぞ」

「ひぇぇ……どうしてナールが……」

「生き残った魔神教徒が送り込んだのか、それとも成り上がりを嫌うお貴族様が送り込んだのか……俺達が生きていると都合の悪い誰かが依頼主なことが以外には、理由も、目的も、何もかもがわからん」

 

 開いていた本と窓を閉じて魔石灯を点ける。狙撃を受けやすい位置に身を晒しても攻撃されることはなかった。あの黒猫以外に暗殺者は雇われていないと見てよいだろう。

 

「確かなのはお前が死んだと思われてるであろうってことくらいだ」

「でしたら今は安全なのでしょうか?」

「断言は出来ないが、多分そうだ。しばらくは観光を楽しみながら──」

 

 今後の予定を口にしようとしたところでナールの腹が鳴り響いて言葉を遮った。気を失っていたせいで昼飯を食べれていなくて空腹なのだろう。

 

「とりあえずは腹ごしらえからだな」

「そ、そうですね! 行きましょう!」

 

 腹を鳴らした上にそれに対して気を使われたのが恥ずかしかったのだろう。弟子は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

 

 香辛料を詰めて焼いた鶏を皿に敷き詰めた葉物の上に載せた物、雑多に切られた野菜の煮込みが入れられた寸胴鍋、小麦を円形に伸ばしてチーズや具材を載せて石窯で焼いた料理、血潮の様な色合いの葡萄酒。俺と膝の上に座ったナールは机上に並んだそれら馳走を前にして、口内に溜まっていく涎を飲み込んだ。

 

「ところでなんだが、何故膝の上に座ったんだ?」

「何故って……こうしていれば不意打ちを仕掛けられても安全だからですよ!」

 

 弟子は自慢気に、そして満足気にこちらを見上げてそう言った。しかしながらそれは理由付けに過ぎないようで、彼女の尻尾は喜びで揺れ声色や表情からは甘えたい願望が漏れ出している。喪失と苦痛を短期間で味わった彼女は優しさを求めているのだろうから拒絶するのは酷というもの。丁度良い機会であるし、受け入れてやって甘えたい盛りも発散させてやるとしよう。

 

「お師匠様、この"百日鶏"柔らかいですよ! すっと切れていきますよ!」

「普段食ってるのは雄鶏だが、そいつは雌鶏だからな。脂が乗っているから良く切れるだけじゃなくて当然味も……違うぞ」

 

 鶏肉をナイフで切り分け口に運ぶ。"百日鶏"の雄鶏は筋肉質で歯応えがあり噛むほどに旨みが出てくる肉質であるが、雌鶏は柔らかく噛み千切った部分から肉汁が溢れ出してくる。この料理は内側に行けば行くほどに詰められていた香辛料が効き始めることで味が変わり、飽きることなく食べ続ける事が出来るように工夫されている。

 

「これ美味しいですね! ナールは手が止められませんよ!」

「楽しむのは結構だが、腹の調子が悪くなるからそれだけを食べるなよ」

「確かにこれだけ食べてたら胃もたれしそうですね。あぁ! お師匠様お師匠様、こっちの煮込み料理と円形のも結構イケますよ!」

 

 ナールは頬を膨らませて幸せそうに咀嚼している。彼女を見ているとなんだかこちらまで幸せな気分になってくるが、それと同時に傷が目に入り俺がもっとしっかりしていれば傷付かずに済んだのではないかと考え胸が苦しくなってしまう。

 

「手が止まっていますがどうかしましたか?」

「何でもない、いつもより味わって食ってるだけだ」

 

 酒瓶に口を付けラッパ飲みにし、不思議そうな顔で見上げるナールから目を逸らす。視線が合ってこの感情を悟られてしまったら、心身ともに休ませねばならない彼女に気を使わせてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければ。

 

 

「あの子、そろそろ起きてたりしませんかね?」

「さぁどうだろうな。一応毒は吸い出してやったが――」

 

 食事を終えて部屋の扉を開くと突如視界が布で覆われ、それに続いて腹に異物が侵入する感覚と突き刺された物体の冷たい感触が訪れた。咄嗟に腕を振るって視界を塞ぐ布を払い除けると、何者かが振るった腕に当たって弾かれ真っ暗な部屋の中を転がった。

 目を離さずに明かりを点け、襲い掛かってきた相手を確認するとそれは鯱の背鰭と尾が付いている魔族の少女、"山賊道"でナールが救う事を選んだあの少女であった。彼女は食事用のナイフを凶器として持っており、殺意の籠った瞳でこちらを睨んでいる。

 

「命の恩人に随分な事をしてくれたな……」

「お師匠様! 大丈夫なのですか!?」

「このくらいなら軽傷だ。さっき肉を食ってたからな」

 

 心配する弟子に傷口を抑えていた手を退けて傷が塞がっていく様を見せる。傷口は肉が脈動し、増殖し、痛みを生みながら塞がっていっている。

 

「強き父を殺せた人、強い貴方を殺せれば"深域"の寵愛を得られる……」

「"強き父"? あぁ成る程、そういう事か。悪いが俺はお前の親父程強くはないぞ。あの男は俺達と戦っていた時には真の強者との戦いの後で死に掛けになっていたし、それに止めを刺したのは俺じゃなくてこいつだ」

「嘘、吐いてない。嘘みたいだけど」

 

 鯱娘は俺の目をじっと見つめた後に静かな口調そう呟いた。彼女の発言が全て真実であるならば、彼女は魔神教徒が起こした事件で遭遇したあの鯱頭の娘であり俺達は彼女にとって親の仇。こちらの命を狙った理由は敵討ちなどではなく独自の価値観によるものであるようだ。

 

「……とても残念」

 

 ナールを観察した鯱娘はひどく落胆した。彼女の価値観が如何様なものであるのか完全には理解しかねるが、彼女が強者の命を奪う事に価値を見出しており弟子のことを殺す価値も無い者と見なした事だけは理解できる。

 

「お師匠様お師匠様、これ絶対に失礼なことを言われてますよね? ナールはあの人に喧嘩を吹っ掛けられているんですよね?」

「そうも取れるが向こうにその気は無いみたいだから放っておけ。……それで? 俺達はご希望に沿うような相手じゃなかったわけだが、それでも殺し合う気か?」

「しない。意味が無いから」

「そうかい。それならさっさとどこかに行って――。……何故俺をじっと見る?」

 

 鯱娘はナイフに付着した血液の臭いを嗅ぐと、俺を食い入るように眺め始めた。彼女は時折不思議そうな表情で首を傾げて何かを考え込んでいる。

 

「不思議だから。貴方からはとても濃い寵愛の臭いがする」

「ちょ、ちょっと近いですよ! 離れてください!」

 

 俺の首に手を回して臭いを嗅ぎ始めた少女をナールは引き剥がした。安全とは言い切れない人物だから師から離れてほしいのではなく、自分以外の女が師に体を密着させるのを許しておけなかったのがその慌てようから見てとれる。

 

「決めた。面白そうだからついてく」

「……え?」

「よろしく。良い匂いの人」

「ちょ、まっ、えぇっ!?」

 

 鯱娘はナールを抱擁して匂いを嗅ぎ始めた。急に抱きつかれたナールはどうしていいのかわからずに慌て、行き場を無くした左腕を何もない場所で留めて震えさせている。どこかへ行けと言っても彼女は恐らく付いて来るだろう。不思議な少女が仲間に、いや不気味な少女に付き纏われることが確定してしまった。



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25話

「付いて来るのは構わんが、何か俺達の役に立つことをしろ」

「勿論それくらいは」

「お師匠様、良いのですか!? 不審者ですよ!?」

「こういう類の奴は付いて来るなと言っても付いてくる。今は敵意が無いみたいだし、勝手に付きまとわれるだけになるくらいなら利用した方が良いだろ」

「それはそうですけど……」

 

 ナールは不服そうな表情で鯱娘を自分の体から引き離した。師が認めたとはいえ非常に胡散臭い人物が近くに居続けるという状況を許容できないのだろう。

 

「変な人、貴方は何が出来るんですか?」

「ランジェ。得意なのは殺戮と探し物……それとお世話」

「ひっ!?」

 

 不気味な笑みを浮かべた鯱娘に右腕の付け根であった部分を撫でられたナールは鳥肌を立てて飛び退いた。弟子は彼女の事が苦手であるようだが、弟子には世話役が居た方が良いしので価値観の違う人間の思考を読む練習にもなるので彼女の存在は非常に都合が良い。我慢してもらうとしよう。

 

「じゃあ後は任せた。まぁ仲良くやってくれ」

「え、この人置いていかないでくださいよ! お師匠様、お願いですか――」

 

 助けを求める弟子を置き去りにして部屋の扉を閉める。恐らくだが弟子と鯱娘は2人きりにしても問題はない。何となくではあるが、2人はかつて対極のような存在で一歩間違えれば殺し合いが起こるような間柄であった俺とベーリンがそうなったように強い繋がりを持てるような気がする。

 

 朝を迎え宿に併設された酒場で朝食をとっていると、遅れて起きた少女達が階段を下りてきた。ランジェこと鯱娘はよく眠れたようで元気満々だが、弟子のナールは目の下に隈が出来ている。どうやら散々な目に合ったらしい。

 弟子は衣服をいつもより綺麗に着ており、よく解かされた髪を後ろで一本に束ねている。鯱娘が口にしていた得意なことの1つにお世話をすることがあったので、多分彼女に朝の支度の全てをされたのだろう。元々顔と髪質が良いので、装い以外は貴人の子息のようになっている。

 

「眠れなかったのか?」

「はいぃ……抱き枕にされた上に首に耳を当てられて……」

「良い匂いで、握った栗鼠みたいな鼓動で可愛かった」

「こっちは殺されるんじゃないかと思いましたよ……」

「殺したりなんてしない。貴方は良い匂いだから」

 

 ランジェは2人分の椅子を引き、品書きが彫り込まれた大きな木盤を弟子が見やすいように持ち上げた。至れり尽くせり、そんな待遇を弟子は受けている。

 

「だが悪くない、そうだろ?」

「不本意ですけどね!!」

 

 

 街から離れ草原に辿り着くと、そこはさっきまで聞こえていた喧騒や賑やかな街並みが嘘であるかのように静かであった。唯一聞こえる音といえば、遠目に見える厩から聞こえる嘶きと馬上試合の練習をしている者達から発せられるものだけだ。この場所であれば激しい運動をしても誰の迷惑にもならないだろう。

 

「お師匠様、今日は何をするのですか? 走り込みですか?」

「いや、今日は実戦を見据えた訓練だ。ランジェ、ナールをこの棒で殴れ」

「殴る? 木の棒でも当たったらナール怪我する……」

「これは俺じゃ力加減の出来ない師事、着替えと同じでお前にしか手伝えない弟子の世話だから怪我程度の事は気にしなくていい。ナール、お前はランジェに殴られないように避けるか攻撃を棒で受け流せ」

 

 気の乗らないランジェとナールに棒を手渡し、少し離れた場所で2人を見守る。弟子に課した訓練の目的は利き手の逆での防御を取得してもらうこと。そのためにランジェには片手剣程度の長さと重さのものを、ナールには短く根元が分かれて鍔のようになっている形状の棒を渡してある。

 

「棒を使う時は受け止めるなよ。受け流すか絡めて落とせ」

「そうは言われましても……」

「実戦だったらランジェの振ってる棒は鋭利な刀剣や骨肉を断つ斧や頭蓋を砕く棍棒に代わる。今のままだと武器を1つ失ってるし、致命傷を受けてるぞ!」

 

 良くない動きをして何度も打たれている弟子に指示を出し、自身の生死が関わっているのだと意識させる。訓練と違って実戦には2度目も手加減もない。俺のように頑丈ではない彼女は一太刀たりとも浴びてはならないのだ。

 

「それと、避ける時に過剰に動き過ぎだ。相手の攻撃に合わせて小さく動くようにしないと隙が生まれるし必要以上に体力を消耗しちまうぞ! ほらそこで前に出ろ! 大振りを狙う相手がうまく振りきれないように懐に入りこめ!」

「わかりました……わっ、ととっ!」

 

 やっている当人では気付けない無駄な動きを指摘すると、ナールは指摘された通りにランジェの懐に入り込んだ。しかし腕を失ってから時が経っておらず平衡感覚を損なったままの弟子は急停止に失敗し、躓いてランジェに飛び付いてしまった。

 飛び付かれたランジェは勢いよく突っ込んでくる弟子を受け止められず、2人揃って草の上に倒れこんだ。幸いにも石の上には転ばなかったようで、鈍い音は聞こえなかった。

 

「おかしいなぁ……いつもならこんなことにはならないのに」

「その"いつも"と今は違うんだから、出来たことが出来なくても仕方ない。だがそうなると予定を変えないといけないな。よし! 2人とも、今から俺が止めるまでこの草原で"猟犬と鴨"をして遊んでいろ! 休憩は片方が疲れた時に取れ」

「追いかけっ子の遊び……ですか? ナールは大丈夫ですよ! まだお稽古できますよ!」

「遊びも気分転換も鍛錬の内。それに遊びだからって鍛錬にならないわけじゃないんだぞ? それに今のお前に必要なのは心に余裕を持つことと機能の回復、それが出来なきゃ強くなるなんて不可能だ。ほら、つべこべ言わずにさっさと始めろ」

 

 不服そうなナールを説き伏せ、手を一度叩いて催促する。彼女は何事でもうまくやれるが、それが出来ない状態に陥ると何故それが出来ないのかを分からないことがある。出来ない理由を考える時間と考えた結果から思いついた解決方法を実践できる機会を与えれば、最終的には自分に何が必要であるかを自分で考えられるようになれるだろう。



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26話

「こうやって編んで繋ぐと、花冠」

「器用ですね。荒々しそうなのに」

「そうでしょう? それでこれをこうすれば、お姫様」

「……どうも?」

 

 追いかけっこの休憩中、2人は草の上に座り込んで花冠を作っていた。ランジェによって作り上げられた花冠はナールの頭に被せられ、被せられたナールはやや緊張の解れた顔でランジェと会話を続けている。自重を使った鍛錬をしながら遠目にそれを見させてもらっているが、なかなかに微笑ましい光景だ。

 

「おっと、もうこんな時間か。2人とも、鍛錬を切り上げて街に戻るぞ!」

 

 太陽の位置から鍛錬を終了する時刻に至っていたことに気づき、休憩中の2人に鍛錬の終了を告げる。楽しげな彼女達の邪魔をするのは忍びないが、この旅の目的は観光と情報収集であり修行ではない。まじめにやり過ぎて当初の目的を見失ってしまうわけにはいかない。

 

「汚れと汗が酷いし、一先ずは身を清めるところからだな」

 

 

 街に戻った俺達はかいた汗を流すべく公衆浴場へと足を運んだ。

 一言に公衆浴場と言っても、この街にあるそれはこの世に存在する他の物とは格が違う。建物は壁画や彫刻で彩られた浴場は数百の人間が同時に入浴出来るほどに広く、湯は沸き出ている温泉だけでなく薬湯も備えており、金さえ払えば飲料の提供やオイルを使った按摩といった奉仕を受けられる。これほどまでに整った公衆浴場は他には存在しないだろう。

 

「凄い……神殿よりも闘技場よりも、ルテアのお城よりも大きいですよ!」

「そうだろうそうだろう? なんせ建築当初は『皇帝の居城より大きな建物を建てるなんて不敬だ!』って騒ぐ連中も居たくらいだからな」

「"建築当初"。クルツ、何歳?」

「人間だった頃の外見と当時起こっていた出来事とから考えれば凡そ130くらいだとは思うが、数えてないから正確にはわからん。まぁあれだ、100を超えてるなら2桁の数字が多少違ったとしても些細な問題だろ?」

「それはそう。あっ……一文無し」

 

 建物に入ってすぐの受付に立て掛けられた看板に書かれた入浴料を見たランジェが呟く。そういえば彼女は一文無しで、来ている衣服以外には何も持っていなかった。仕方がない、この場はこちらで立て替えておくとしよう。

 

「奢ってやる。その代わりに弟子を頼むぞ」

 

 腰布に括り付けていた財布から金を出して3人分の料金を支払う。人生の糧となるよう様々な体験をナールにさせるのと彼女のお守りとして同行させるため、2人の料金には飲料の提供と按摩の奉仕を上乗せしている。

 

「わかった。ナールは死なせない」

「浴場は殺されるような場所じゃないが……まぁいいか。終わったら宿で合流で!」

 

 赤い木札を少女達に渡して、男風呂へと続く通路を歩いていく。久しぶりに大きな風呂で脚を伸ばして入浴できると思うと嬉しさで尻尾が勝手に動いてしまう。大衆向けの大きな浴場がある文化圏は珍しいので、楽しめるうちに存分に楽しまなければ。

 

 脱いだ衣服と褌を籠に入れ、浴場用の腰布に着替えて茶褐色の温泉から臭う鉄臭さと薬湯から臭う独特な薬草の香りの中へと進んでいく。湯煙で満たされた浴場は人間と人間ならざる魔族が入り乱れており、地獄の軍勢が押し寄せてきたかのような光景であった。魔族"も"入浴出来る区画が少ないせいか、随分と混雑している。

 ゆったりと浸かれる場所はないかと奥へ奥へと進んでいくと、混み合っていない薬湯が張られた風呂を見つけた。浸かっているのは坊主頭で筋骨隆々の中年と青年だけだが他の客はそこに近寄ろうともしていない。彼等2人は関わるべきではない人物なのか。

 

「君、そこの君だ。遠慮せずに入り給えよ」

 

 俺の視線に気づいた坊主頭が声をかけてきた。他に空いている場所が無い上に向こうから声をかけられたのだから、入らねば間違いなく不興を買うかもしれない。皆から避けられている彼等の素性がわからない今、それは避けるべき行為だ。

 

「私は君に、君が連れている小さな英雄さんにも手を出す気はない。だからそんなに警戒しないでくれ給えよ」

 

 飲んで緊張を解せということなのだろう。男は果実酒を注いでこちらに差し出した。ナールのことを知っているとは、一体こいつは何者なのだろうか。

 

「名も知らない奴からの酒は受け取れん」

「よろしい、ならば名乗ろう。私の名はギュンター、この国の秩序を守る職に就いている者だ。俗っぽい言い方をするならそうだな、猟犬といったところか」

 

 遠回しに名乗れと言うと、男は自らが密偵や不穏因子を排除する役柄であるとこちらに告げた。帝国で彼の言葉に当たる組織は犬を模した覆面を被り漆黒の衣服を身に纏った皇帝だけに忠実な私兵部隊、皇帝の敵と反逆者を狩り尽くす情け容赦のない狩人達。是非に及ばず目を付けられるべきではない者達だ。

 

「さっ、次は君の番だ。飲み給えよ」

 

 ギュンターは改めてこちらに酒を差し出した。理由をつけて相手に名乗らせた以上、これを飲まぬわけにはいかない。俺は酒を受け取り飲み干す姿を見せつけた。

 

 

「失った腕の代わりと英雄の行方ねぇ……」

「何か知っているのか?」

「心当たりがないわけでないが、他人であるクルツ君に情報を与える義理は無い。君が対価を支払うと言うなら話は変わるかもしれないがね」

 

 帝国内であれば彼以上に情報を集めているものはいないだろうと思い、これまでの経緯と求めている物を伝えると、彼はそれを知っていた。そしてどうやら情報を与える代わりに仕事をさせるつもりであるらしい。

 魔物の討伐なのか不穏因子の排除なのかはわからないが、見知ったばかりの傭兵に頼む仕事だから大したものではないだろう。仕事の内容を聞くまでは、俺はそう思っていた。

 

 

「お師匠様……今なんと?」

「腕の代わりの情報を報酬に、"好色騎士"ベーリンの討伐を引き受けた」

「それって勇者一行のあの方ですよね!? お師匠様のお友達なのですよね!?」

 

 師が親友を殺害する依頼を受けたことに驚愕したナールは、切り分け持ち上げていた大きなパンケーキを皿の上に落とした。やっとの思いで食べられるものが机や床に落ちなかったのは、彼女にとって幸いなことだっただろう。

 

「あぁそうだ。奴は"業"に呑まれて正気を失ったらしくてな、帝国内の廃城に住み着いて付近の村落に被害を与えてるらしい。魔神教徒に何かされたのか、それともどこぞの魔女に何かをされたのかはわからないが、人ではない何かになっちまってるそうだ」

「そんな――。で、でも別にお師匠様がやる必要はないんじゃないですか? お師匠様だって友達のベーリンさんを傷つけるのは辛いはずです!」

「友人だからこそ、奴を仕留めるのは俺じゃないといけない。何処の馬の骨か知らない奴らに殺されて、他人の名誉の一部になる辱めを受けたら可哀そうだろう?」

 

 目を瞑って眉間に手を当て感情を、涙と声を出来うる限り抑えて話す。唯一の友人である男を殺したくないという感情を仕方ないのだと割り切って押し殺す。

 

「それはそうですけど……どうにか出来ないのでしょうか? 何とか元に戻す方法とかはないのでしょうか?」

「この世界はそんなに都合良くは出来ていない。狂ってしまったものは戻し難く、死んだものは決して蘇らん。そういう奇跡があるのは神話や絵物語の中だけだ」

「やっぱりそうなのですね……。いつ出発するのですか? 今すぐですか?」

「目的地の情報を集めて荷物と移動手段を確保してからだから……出発は最速でも1週間後になるだろうな。それまでは今日と変わらない生活を続ける」

 

 2人に合わせて注文していた巨大なパンケーキを摘まみ上げ大口を開けて丸ごと放り込む。塗られたバターの塩気とベリーのジャムの甘みが口内を埋め尽くし、鼻へと達した香ばしい香りが幸福感を湧き上がらせる。頬張る弟子が満足した顔をするのも納得の味だ。

 

「ベーリンさん対策で何か特訓とかしないのですか?」

「そんなことはしない。付け焼刃の技が通用する相手じゃないし、天才じゃない俺じゃ1週間程度の時間で付け焼刃の段階までもっていけるかどうかすら怪しい。出来ることといえば、適した道具を買い揃えることくらいだろうな」

 

 長年共に戦っていたベーリンと俺はお互いの手の内を知り尽くしている。勝てるかどうかは用意した道具がどの程度通用するのかと運で決まるだろう。



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27話

 俺達はベーリンと戦う際に使う装備を求めてトロップの市場へと足を運んだ。アルバルドの市場に比べて賑わいも品数も劣っているこの場所で必要なものが手に入るかはわからないが、この街の付近でここ以上に品揃えが良い場所はない。ここで手に入らないのであれば入手するのは諦めるしかないだろう。

 英雄殺しを達成するための買い物は地元の市場を騒めかせた。戦争が起こっているわけでもないのに大量の弩と投槍を買い漁り、それを荷車に積んでいく俺達を見ようと地元の住民が集まりそれが何かと気になった観光客が見物に訪れている。

 

「見てくださいお師匠様、人集まりが出来ちゃってますよ」

「観光地でこんなことをやってる奴は普通なら居ないからな。見ていても面白みが無いと気づいたら勝手に居なくなるから気にするな」

 

 住民は物珍しさから、観光客は催しをやっているのではないかという勝手な期待から集まっているだけだ。時間が経てば飽きて方々に散っていくだろう。

 

「それはそうとしてお師匠様、流石にこれは買い過ぎでは?」

「むしろこれくらいじゃ足りないくらいだ。相手は一対一の勝負なら勇者一行で最強、矢の雨と槍衾を払い除けて斬り込めたり、騎士相手に数百戦の決闘をして黒星を上げたことのない男。そんな化物じみた奴が本当の意味で化物になってるんだぞ」

「用意しても用意しすぎということはなさそうですね……」

 

 ナールは改めて相対することになる男の強さを知ると固唾を飲みこんだ。英雄譚や俺によって語られている部分だけでは彼の実力を計り知ることなど出来ない。

 

「そんな相手にナール達は勝てるのでしょうか?」

「勝つ以外に道は無い。勝てるように全てを出し尽くすだけだ」

 

 最後の弩の検品を終えて荷車に積み込む。滞在費の大半を使って購入したこれらの大量の武器を使っても恐らく今のベーリンを倒すことは出来ない。最後はこの手で握った武器で彼と打ち合うことになるだろう。

 

「鎧も武器も振り回すのには小さ過ぎるな」

「クルツが大き過ぎるだけ」

 

 武具を扱う店で商品を見てみたが、どれも人間か人間より小さな種族に向けて作られた商品だ。盾の取っ手には腕が通らないし、武器の刀身と柄は短過ぎる。

 

「お師匠様お師匠様、これ何なのでしょうか?」

「そいつは湿地の国イストで使われてる投げ輪だな。……欲しいのか?」

「え、あっ、はい! 使ってみたいです!」

「そう思うなら渡してある小遣いで買ってこい」

 

 気になった商品を持って来て俺に見せたナールにそう言ってやると、彼女は軽やかな足取りで会計へと向かった。見つけた武器を相当気に入っているようだ。

 

「まったく、俺に見せなくても勝手に買えばいいだろうに」

「クルツに見て欲しかったんだと思う。大切な人だから」

「そんなもんかねぇ……」

 

 日用品を販売している露店に置かれた伐採用の両手斧を手に取り、片手で軽く振るってその重さや振るい心地を確認する。武器として作られたものではないが振りやすく、人型の生物を破壊するには十分な破壊力がある。腰に差していざという時に使う分には悪くない。

 食料と武器と水、旅に必要な物の準備はこれ以上無いまでに整った。後は情報の通りの場所に進んで行き、怪物となってしまった親友と戦って打ち勝つだけだ。辿り着くまでに友を傷つける手が止まらないように心の準備を整えておかなければ。

 

「さてと、あとはこいつを引く輓獣だな」

「ばんじゅう……というと、お馬さんとか驢馬ですか?」

「あぁそうだ。予算と補給の問題があるから今回買うのはそのどちらでも無い騾馬だな。機嫌が悪くなると足を止める欠点はあるが、旅の友として最適だ」

「味も悪く無い」

「いや必要に駆られない限りは食わないからな……。事が済んで不要になっても近くの村か町で売ってお別れするだけだ」

 

 家畜を取り扱う商人が居る方へと荷車を引きながら、涎を飲み込んだランジェに食用としては扱わない事を念押しした。馬ほどではないがそこそこ高価である騾馬を肉にするなど勿体無いじゃないか。

 

「お師匠様、あれが騾馬ですか?」

「あれは馬……いや、騾馬か?」

「騾馬だと書いてる。騾馬でしょ」

 

 家畜の取引が行われている場所まで辿り着いた俺達が目にしたのは一頭の雄の輓獣。体の大きさは馬ほどあるが、顔は間違いなく騾馬のそれで驚くほど安い値段の書かれた木札にも騾馬と書かれている生物であった。

 

「おっ! 狼の旦那とお嬢さん方、もしかしてこの騾馬に興味がおありで?」

「興味はあるが、欲しいとかじゃないぞ」

「それでも構いませんよ。まぁとりあえずよく見ていってくださいよ。……どうです? 立派な身体付きでしょう? 勿論見た目だけじゃないので、その荷車と皆様方くらいなら楽々運べちゃいますよ!」

 

 売りたい理由があるのだろう商人は俺達が騾馬を見ていると近づいてきて売り込みを始めた。騾馬は子を残せない上に作るのに手間が掛かるのにそれを手離したいと考えるとは、一体どんな問題を抱えているのやら。

 

「じゃあなんで安いんだ?」

「あぁ、それはですね……」

「気性難か? 騾馬の気性難は最悪だろうな」

 

 騾馬は唯一といっていい欠点として頑固であったり陰湿なところがある。それに加えて気性難まで入っているとなると扱いが難しいどころではなくなる。この男が手放したいと考えるのも納得だ。

 

「まぁ、そういうことです。でも質だけは保障しますよ」

「質だけを保証されてもなァ……」

「ぉうぁっ!?」

 

 商人と話していると騾馬の近くに居た弟子が珍妙な声を上げた。声がした方へと視線を向けると騾馬に顔を擦り付けられている弟子と鯱娘の姿があった。気性難であるという話がまったくの嘘であるかのように懐いている。

 

「お師匠様見てください! この子、すごく人懐っこいですよ!

「おいおい嘘だろ……練れのある調教師ですら指を持っていかれたってのに……」

 

 少女達に騾馬が甘える様子を見た商人は驚愕して両膝を付いた。どうやらあの騾馬は気性の荒い馬の様に凶暴で手に負えないような個体であったらしい。

 少女達と騾馬の様子を見ていると、懐かれている理由が何となくではあるが理解出来た。鼻先を弟子達に擦り付けている騾馬の鼻息が妙に荒く、時折商人に顔を向けた時には勝ち誇った顔をしている。恐らくだがあの騾馬は若い女が好きなのだ。

 

「金にしたかったんだろう。丁度良かったじゃないか」

 

 商人の肩に手を置き、木札に書かれた分の金銭を握らせる。安価で癖はあるが質としては申し分ない輓獣が手に入った。奇妙な旅の仲間が増えることになるが、もう既に奇妙な少女が居るので大して気にはならない。誤差のようなものだ。

 

 

「ちょいとそこ行くお嬢さん方」

「ナールとランジェのことですか?」

「あぁそうです、獣人と魔族のお嬢さんです。ちょいと私の語りを聞いて行ってはくれませんか? お代は聞いた後で払うかどうか決めていただいても構いませんので」

 

 両目を布で覆い、廃材で作った弦楽器を携えた男にナールは呼び止められた。格好から察するに彼は物語を語って日銭を得る盲目の芸人で手にした楽器は話の合間に楽器を掻き鳴らし、利き手に緊張感を与えたりするために使う物に違いない。

 普段であれば数多くの物語を知る彼のような人物の周りには娯楽を求めた人々が集まるのだが、明日食べる物にも困る世情であるためか誰一人として近寄ってはいなかった。あまりにも儲けられないので、通りすがりの俺達に声を掛けようと考えたのだろう。

 

「それだったら聞いてもやってもいいんじゃないか?」

「だそうですので、お願いします」

「では語らせていただきます。これは東方の沼地の国イストで起こった悲恋の物語である"娼姫傾国物語"。流れの娼婦とイストの王子のお話です」

 

 これから語る物語を題名を口にした男は楽器を掻き鳴らした。その音はまるで舞台の幕が開いていくかのようであり、然程期待していなかった内心を揺さぶられた。それに彼が口にした"娼姫"とナールの母親は同一人物であるのかも気になる。同一人物であるのなら、ナールにとっては親を知る貴重な機会になるかもしれない。

 

「美し過ぎるってのも罪なものなのです。……時は今より8年前の、季節が2つだけの国の事。激しく雨が降りしきる日の事。狩りに赴く心優しき王子は1人の女が野盗に襲われている場面に出会した!」

「うーん、ちょっと都合良過ぎませんか?」

「そこは気にしない……ナール、野暮」

「これは放ってはおけぬと王子は馬を走らせる! 彼は女と野盗の間に割り込むと刀を抜いて斬りかかり、風が一吹きする間に野盗一味を打ち据え気を失わせていく! まさに疾風が如き早業である!」

 

 男は剣を振るう身振り手振りに加えて、手製の弦楽器を言葉の終わりに掻き鳴らして臨場感を演出する。座ったままで全てを演出出来るとは中々に興味深い芸だ。

 

「大丈夫かと問う王子に、女は被っていた笠を脱いで頭を下げた。当然の事をしたまでよ、表を上げよと王子が言うと彼の瞳に女の麗しき容姿が映り込む。白き髪に赤き瞳、滑らかな絹のような肌。助けたのは月の女神を思わせる白狼の獣人であったのだ!」

「……ん?」

「見惚れた王子は思わず名を聞かせてくれと頼み込み、それに女は応えて名乗った。私は流れの娼婦、名前はシャアラと申します」

「おおお、お師匠様! これって!」

「そうらしいな。……あぁ、気にせず続けてくれ」

 

 母親の登場に弟子が驚き、それに反応して何事かと話を止めた男に続けるように促す。舞台となっている場所と時期から、続きの内容によってはナールの父親が誰であるのか判明するかもしれない。もしも王子であるなら、弟子は王族の末裔であるということになる。

 

「雨に濡れた女が寒さと疲れで震えているのに気づくと、王子は彼女を労わり城に泊まってはどうかと提案した。実直な王子のそれを女が受け入れると、王子は半ば強引に彼女を馬に乗せ、彼自身は縛った野盗を引き連れ泥道を歩いたという」

「一気に力強い印象に変わったな……」

「もしかして筋骨隆々?」

「王子は城に辿り着くと召使い達に世話をするように命じた。しかしながら突然王子が美女を連れ帰り、世話をするように命じたとなればあらぬ噂が立つというもので、流石にこのままではいかんと考えた王族家臣は集まり、王子に事の次第を問いただすことにしたのでございます!」

 

 男が区切りをつけるために楽器を掻き鳴らす。

 

「王子は人助けをしただけだと説明し、普段の王子を知る者は皆納得。だがそうなってくると、誰のものでもない美女を見てみたいと考えてしまうが人の好奇心。老若男女犬猫問わず、皆一様に女の姿を見ようと試みた! そして見た者達は心を奪われてしまった!」

「うわぁ……うわぁ……」

「絵物語であれば巻き起こる問題を片付け、めでたしめでたしと行くがそうはならぬが人の世という物! 王子は皆の変化に気付かずに女と関わってしまい、ゆるりゆるりと彼女との距離を縮めていってしまう! そして王子と女が惹かれ合うようになった時、悲劇は起こったのである!」

 

 男は声を張り上げ楽器を掻き鳴らして、ここから結末を話すぞと宣言した。彼の話に引き込まれた俺達は、茶々を入れることすら出来なくなっていた。

 

「なんと王子の祖先が封じた魔神が、女に惚れたが王子の為と自分を律している王を夢の中で唆したのだ! 俺を解放すれば女を手に入れられるぞ? 世継ぎは別にあいつじゃなくても務まるだろう? 国の繁栄を約束しようか? 毎夜続く甘い誘惑の数々に、王はついに耐えきれなくなった!」

「ひぇぇ……」

「剣を片手に王子の寝室に忍び込み、夜伽の最中の王子へと切り掛かった! 風切り音が鳴り響き、鮮血が部屋中に飛び散った! そして悲鳴を上げた女へと歩み出す! 怯えた女は乱れた寝巻きで逃げ出して、馬屋に繋がれた王子の馬に飛び乗った! 馬は何かを察して走り出し、女は西へ西へと消えていく! それを見つめる王の影、そこに蠢く魑魅魍魎! はてさてこの王がこの後どうなるか、それは"振り香炉伝"でお話し致しましょう」

 

 男は幕が閉じていくかのように楽器を掻き鳴らし、お付き合い頂きありがとうございましたと口にして頭を下げた。気になる部分を残して次も聞きに来てもらう。そういった形式であるらしい。

 

「シャアラさんはその後どうなったのですか?」

「さぁ、それはわかりません。似た方がいらっしゃるそうですが、会ってお話がしたことがないので本人であるのかの確認は取れないですよ」

「そうですか……。お話、面白かったです! ありがとうございました!」

 

 ナールは代金として6枚の小銅貨を男に手渡した。旅芸人が芸を披露して1度に得られる金額よりかは高く、受け取った男は手の感触に驚いている。

 

「ナール、状況証拠だけなら王族の血筋……」

「それでもナールはナールです。お師匠様の弟子ですよ」

「……そうだな。それは変わらないな」

 

 横を歩く弟子の頭を少し強めに撫で回す。どれだけ彼女の血筋が良かろうが、どれだけ姿に差があろうが、彼女が俺の弟子であることは変わらないはずだ。

 

 

「君、こんなところで何をしてるんだい?」

 

 略奪を行う兵士達によって焼かれた村から逃げ出し草藪の中で息を殺して潜んでいると、尖がり帽子を頭に被り黒装束に身を包んだいかにも魔女といった風貌の女に話しかけられた。こちらが無力な少年に出来ることはないから隠れているのだと伝えると、彼女は手を差し出してこう言った。

 

「それなら僕が君に力をあげよう。さぁ、手を出して目を瞑ってごらん」

 

 願ってもない誘いだと思い彼女の手を取り目を瞑る。次に目を開いた時、俺の体は獣のものとなっており腕の中に湿り気のある球体を抱え込んでいた。鎧兜を身に纏った肉片が散乱し、焼ける家屋の音だけが耳に入る。

 ふと抱え込んでいるものに目を向け、そしてそれが何であるかに気づいた俺は嘔吐した。抱えていたそれは1人だった俺に居場所を与え母親のように接してくれた女、戦火で負った火傷の痕を包帯で隠して生きていた女の一部であったのだ。

 

「おいおい、どうしたんだクルツ。石にでも躓いたのか?」

 

 反芻の苦しみで目を瞑った一瞬で景色が街中へと変わり、聞くと安らぐ声がかけられる。顔を上げるとそこにはこちらを覗き込む勇者の姿があり、手に抱えていたものは球状の根菜へと変わっていた。悲鳴も怒号も聞こえず、血と煙の臭いも風からは臭わない。

 

「貴様はいつもそうだな。ほらもっとシャキッとしろ! ぼうっとしてると――」

「ぼうっとしていると、大切なものを奪われてしまうんですよ。先生」

 

 聞くだけで血が頭に上る声が耳に届いたその瞬間、体が磔にされ火炎が勇者を包んで消し去ってしまう。もう見たくない、もうやめてくれと目を瞑って叫ぶとまたしても目の前の景色が変わった。今度は暗く汚い部屋の中、髪と衣服を乱れさせたルナが俺の皮を剥いでいるといったもので遠くからは失った片腕を持って近寄ってくるナールの姿が見える。

 ルナに皮膚を剝がされ、ナールが近寄ってくるたびに心臓の鼓動と呼吸は早まっていき、手が届くのではという距離まで弟子が来た頃には爆発してしまうのではないかと思う速度の脈となっていた。

 

「クルツ、大丈夫?」

「お師匠様! 起きてくださいお師匠様!」

「――っ!! 良かった……夢か……」

 

 弟子達に揺さぶられて悪夢から目を覚ます。胸に手を当てると鼓動は異常な速度の律動に刻んでいた。もしも弟子達が起こしてくれなかったら、死んでしまっていたかもしれない。

 

「いつも以上に魘されていましたが、一体何を見たんですか?」

「過去一番の悪夢だ。……夢で良かった」

 

 荷車で揺られて酔ったせいか酷い悪夢を見ていた。過去に起こった事実を並べられただけではあるが、それ故に辛いものがある。目が覚めている間だけは悪い夢を見ないのだから、起きられるならずっと起きていたいものだ。

 ゆっくりと体を起こし、騾馬の様子を確認する。騾馬は荷車を引いている騾馬は力強く、こちらが出す指示を素直に聞いてくれている。今回の旅を終えるまでと思っていたが、それ以降も頼れる旅の供としても良いかもしれない。



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28話

 トロップから離れて数日が経った頃、人気の無い道を進んでいた夜。何かの集団が前方の道を塞いでいるのが目に入った。月明かりに照らされたその集団は頭巾付きの外套で全身を覆っており、全員が両の手で武器を携えている。

 

「情報通リ奴ガ居タ! 裏切者モ一緒ダゾ!」

 

 彼等は俺と鯱娘の姿が見えると指を差し、殺意とその正体を隠すことなく襲い掛かってきた。向かってくる彼等の頭巾が捲れ露わになったのは海豚面だ。

 恐らくだが先の事件で計画を無茶苦茶にされたことを根に持っている魔神教徒の残党なのだろう彼等は鯱娘、ランジェの事を裏切者だと呼んでいた。どのようなことがあってそう呼ばれているのかは不明であるが、彼女も俺達と共通の敵を有しているらしい。

 

「お師匠様! 海豚が攻めてきましたよ!」

「わかってる! 応戦するぞ!」

 

 魔神教徒の残党を迎え撃つべく金砕棒を手に持ち荷車から飛び降りる。先の事件の際に有用な人員と装備を消耗してしまっているのか、目の前に居る残党は恐れるに足りないことが見て取れる武装と体躯の者ばかり。万全ではない弟子と一緒に戦っても、苦戦はしないだろう。

 

「嗚呼……血を求めておられるのですね」

 

 残党達が迫り俺が棍棒を振り上げたその瞬間、後ろの荷車に乗っていた鯱娘が俺の脇を通り抜けていった。彼女は彼女の父が使っていた槍斧を携えて海豚頭の集団へと走っていき、大きく振りかぶったそれを剣を持った海豚面に振り下ろした。

 海豚面は実戦経験が希薄であったのか、咄嗟の反応で剣の柄だけを持った状態で受け止めようとしてしまった。当然の如く剣は大きな力に押し負けて、槍斧の刃と共に持ち手体を切り裂いていく。傭兵もどき程度の実力を持つ冒険者達と互角以上に戦えていたあの時の魔神教徒達とは違い、この残党達はただ武器を持っただけの集団であるようだ。

 

「悪魔ダ! ……悪魔ヲ囲ッテ殺セ!」

「敵はそいつだけじゃないぞ。生臭野郎!」

「こっちを忘れてますよ!」

 

 一番槍となったランジェに意識が向いてしまっている魚面達にナールと共に斬り込んでいく。俺達と彼等の戦いは一方的なものであり海豚面達は叩き潰され、喉や腹を切り裂かれ、食い破られ、無垢な子羊の群れが飢えた獣の群れに襲われるように成す術なく1人また1人と数を減らしていった。

 

 

「どうしてなんだ?」

「……何が?」

「何故こいつらから裏切り者や悪魔と呼ばれているんだ? お前もこいつらと同じ魔神教徒なら、こいつらの味方であるのが自然なはずだろ?」

 

 息絶えた海豚面から戦利品を剥ぎ取っている時に、疑問に思ったことをランジェに問いかけた。彼等の武器庫を破壊し戦力を削いだ俺や世間的には魔神を討伐したことになっている英雄であるナールと同じくらいに憎まれている理由とは一体何なのだろうか。

 

「溺れたら主からの啓示が聞こえるようになった。それで異端だと襲われた」

「あぁ成る程……納得だな」

「お師匠様、何が納得なのですか?」

「高い位ってのはそれを保証する何かがあるから成り立つものなのはわかるな? 王なら"石棺の一族"であることの証明や王足り得る功績や能力、聖職者なら神秘的な経験としたとか巡礼や儀式や苦行を経たという実績やそれに向けられる尊敬なんかが重要になる」

「真偽は兎も角、突然神の声が聞こえた……何て事で権威の座から降ろされることを恐れて異端扱いにしたかもしれない。ってことですか?」

「そういうことなんだろうさ。俺よりも人間臭い連中だ……」

 

 引き千切られ何処の部位かわからなくなった肉片を飲み込み傷を癒しながら、現金と現金化できる装飾品を剥ぎ取っていく。普遍的な価値を持つ指輪や腕輪や首飾りといったものから、学者が喜びそうな邪教徒が祈りに使う装身具まで、価値が付くものは勝者の権利として全て戦利品として頂かせてもらう。

 

 

「なーる、なーる、なーるは、おししょうさまのーまなでーしー!」

 

 川辺で野営の準備をし終え、3人並んで戦利品を洗っている時にナールは謎の歌を歌い始めた。聞いたことが無い抑揚の付け方ない。替え歌ではなく自作の持ち歌なのだろうそれは忖度無しの正直な感想を述べるのであれば下手な歌だ。

 

「ナール、歌下手」

「言ってやるな。おいナール、何でそんな変な物付けてるんだ?」

 

 歌いながら血濡れの首飾りを洗う弟子が、穴を通した骨に赤い紐を繋げて作られた首飾りを掛けていることに気が付いた。猟師が仕留めた獲物の爪や牙を収集して作り上げたような見た目であり、構成している物には何故か見覚えがあった。

 

「これですか? これはナール特製のお守りです。世界中の誰も持ってないナールだけの特別なお守りなんですよ!」

「指、牙、肋骨の欠片、血と毛……悪趣味」

「ナール、お前――」

 

 ランジェが首飾りの部品と俺の体を交互に指差してくれたおかげで既視感の正体が判明した。何と驚くべきことに、彼女は俺の体から切り離された肉から毛と骨を入手して首飾りを作っていたのだ。見た目の愛らしさに反して何ともまあ悍ましいことをしていたものだ。

 

「仕留めた獲物や大切な相手の一部を御守にする風習はどこにでもあるものだと教えはしたがな。……お前のそれはいくらなんでもやり過ぎだ」

「駄目……ですか?」

「俺がもう要らないと思って遺棄した物だから絶対に駄目ってわけじゃないが、そういう物を作るのは普通の人間からすれば異常なこと。往々にして好かれることない行為だってことはちゃんと理解しておけ」

「クルツ身内に甘過ぎ。弟子たらし」

「言ってくれるなよ。そのせいで痛い目にあったことだってあるんだからよ……」

 

 洗った装飾品に付いた水気を拭き取り弟子の鞄の中に詰め込んでいく。鞄の中に恐らくは俺の骨で作られているであろう封書開封用の短刀が入っていたが、さっきもう注意をしたところであるし見なかったことにした。

 弟子がこちらにそういった感情を持っていることは知っていたが、ここまで重い感情であるとは思ってみなかった。下手な拒絶の仕方をすれば、"業"に呑まれて魔神となってしまうかもしれないので気をつけねば。



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29話

 3日3晩の馬車旅を経た夜半、俺達は山奥にある小さな村まで到着した。禿男から知り得た目的地まではあと半分、ここで休息を取りつつ酢漬けや燻製といった保存食と水を補給して進めばそう苦労せずに辿り着けるはずだ。

 

「騒がしいですね。あんなに木材を集めて焚火の準備でしょうか……?」

「違う。人、燃やそうとしてる」

「火刑か。穏やかじゃねぇな」

 

 深夜だというのに騒がしい村の中央では木々が積み上げられ、その近くには伐採した木をそのまま持ってきたのであろう3本の丸太と人間を縛り付けられる縄が置かれている。大きな街なら娯楽と見せしめで火刑が用いられることは多いが、小さな村では木材を大量に消費するので余程の罪が犯さない限りは行われない。この村で一体何が起こったというのだろうか。

 

「魔族だ! 悍ましい魔族が出たぞ!」

「魔族だと! きっとそいつらも共謀者だ!」

「邪悪な存在め! 子供を返せ!」

 

 こちらに気付いた村人達が荷車の周りに群がってくる。瞳が恐怖と凶器に染まっている彼等は俺を馬車から引きずり降ろそうと手を伸ばしたり、拳大の石を投げつけたりしてきた。魔族に対する偏見が強い村でもここまでされることは稀だ。余程のことが起こったに違いない。

 

「黙れ! 死にたくなければ動くな! 許可なく動いた奴は殺すぞ!」

 

 金砕棒を地面に打ち付け接近してきた村人に脅しをかける。心に余裕が無く、疑いで目が曇っている相手には冷静に接しても無意味である。彼等のような状態になった者は大抵の場合、一度冷静にならない限りは単純明快で世界共通の言語、つまるところ暴力と恐怖くらいしか通じない。

 音と衝撃に村人達は死を感じて気圧されてくれた。彼等は自分だけは暴力の対象にならないように俺達を荷車から引きずり降ろそうと伸ばしていた腕を引っ込めて、こちらに投げるべく握っていた石礫をその場に落としていく。

 

「俺達はここに来たばかりで飯と水を買う以外の用事が無い! 害を与える気も与えられる気も、殺す気もないし殺される気もない!」

「ナール達はただの旅人です! 村の代表の方と話をさせてください!」

「もし戦うならいっぱい死ぬ」

「……皆下がれ。儂が話す」

 

 俺とランジェが金砕棒と槍斧で威嚇し、ナールが代表者を探していると1人の杖を突いて歩く老人が群衆の中から現れた。禿げており額の中心から右頬にかけて大きな古傷がある彼は俺を見た時は警戒心を残していたが、ナールとランジェを見るとその警戒心を薄れさせた。

 子供を連れて旅をしているから凶悪ではないと判断したのかと思い周囲を見渡すと、彼が何故警戒を解いたのか何となくではあるが理解出来た。村の中に子供は全く見受けられない。どうやらこの騒ぎは村の"子供"に何かがあって起こったものらしい。

 

「お前は村長か?」

「如何にも」

「ならあんたから聞こう。この村で何が起こったんだ」

「誘拐と殺人じゃ……。最初は森に住む夫婦か消え、次に誘われたかのように森へに入っていった子供達が消え、何度かそれが続いた後にまだ子供が残っていた2つの家族の内1つが襲われ殺人と誘拐が行われた。そして唯一子供が残っている魔族の家からこいつが出てきたんじゃ」

「それで魔族に対して攻撃的だったと。だがこいつは――」

 

 村長は懐から1本の骨を取り出して俺達に見せた。彼が俺達に見せたそれは小さな肋骨で、一見すると小さな子供の物のように見える。しかしながらそれはよくよく見ると兎や鹿といった動物の肋骨が変形した物であり、所持していても不自然な物ではなかった。

 

「人の、違う」

「小さいし変形しているから分かりづらいですが、確かに違いますね」

「そんなはずは……」

「食われたにせよ、忌むべき儀式に使われたにせよ、村の子供全員が犠牲になっているなら犯人の家からは大量の骨が出て来て然るべきだ。部外者の俺が言うのもなんだが、骨1本だけが出てきたからといってそれを証拠にして火刑ってのはちと早計じゃないか? それに骨が出てない以上、もしかしたら子供も生きているかもしれないぞ?」

 

 昂った感情のままに、子供が殺されその犯人を見つけ出したと思い込んでいる村人達に疑問を呈した。赤の他人によって誤った判断をしているのだと冷静に指摘された彼等は、お互いの顔を見合わせて話し合い始めた。事件が終わるかもしれないとどこか安心していたのが気のせいであった気付かされた不安と、子供の生存への期待が広がっていっている。

 村人達が早計な考えに至った理由はここが村という閉鎖的な環境下であるせいに違いない。小さく閉鎖的な地域では重大な事件が起こり、小さな証拠や疑わしき者が見つかった時だけでも吊し上げが行われる。人数が少ないため犯人として容易に推測出来てしまい、身近な人物であるために秩序を乱す裏切り者と裁く口実があるせいだろう。

 

「じゃあ、真相は頑張って調べてくれ」

「待て。提案がある」

「嫌だね。領主か安く雇える正義馬鹿の冒険者にでも相談しろ」

「それがそうもいかん。領主の使いには解決したと連絡したばかりで呼び戻して事情を話すには時間が掛かりすぎるし、冒険者共に頼むくらいならお主に頼んだ方が早くて確実。水と食料を報酬にその目と頭を雇い入れたいが……どうだ?」

 

 荷車の積み荷を見た村長は俺達に補給が必要なことを見抜いて交渉を仕掛けてきた。村を取り仕切るだけあって賢い奴だ。きっと倍の金を払うと言っても売らない気なんだろう。

 

「オニール! 薄汚い呪われた魔族に頼るなんて止めなさいよ!」

「黙っていろグレア! 今儂らに必要なのは信仰ではなく事態の収拾じゃ! 祈ったところで子供が返ってくるならそうするが、そうではないだろう!」

 

 月教であることを示す月を模した首飾りを身に着けた若い女が甲高い声で騒ぎ、それを聞いた老人が彼女を杖で強く殴った。月教はあまり好きではないが、この一件には関わりたくないので彼女とは意見が一致している。

 

「孫を許してくれ。月の女神の声が聞こえると宣ってる子なんだ」

「その子、何も聞こえてない」

「あぁそうだろう。それで再度聞くが……頼めるか?」

「面倒だが良いだろう。迷惑料も払うと正式な書面で用意するならな」

 

 旅を続けるのに必要な物を手に入れるため、非常に不本意ではあるが村長の提案を受け入れることにした。ただし無理矢理巻き込まれてしまったのだから、巻き込んできた相手から取れるものは取れるだけ取るが。

 

 

「まずは説明だ。おいそこのランジェを見てるガキ、付いてきて質問に答えろ」

「ぼ、僕? 僕が!?」

「事件解決のためじゃ、行け。他の者は今日のところは帰れ!」

「わ、わかりました……」

 

 俺に指名された青年は村長に小突かれ渋々俺達の後を歩き始めた。事件解決のためにはありとあらゆる情報が必要になる。説明役は必須だ。

 

「件の魔族の家は?」

「あっちです。井戸から遠くて村の外側のあそこです」

「そうか成る程……。妖精や魔女、魔神教徒は?」

「村の周辺には居ませんよ。森の深い場所はわかりませんが」

 

 青年との会話から魔族の一家が村において常日頃から不利な立場にあった事と、外部からの脅威に対する肉の壁として扱われている事が分かり、更に考慮すべき可能性を狭めることが出来た。後は犯行が行われた場所を見て確証を得ていくだけだ。

 

「妖精さんの仕業って単純なオチではなさそうですね」

「魔神教徒なら、もっと賢くやる」

「妖精なら数日で死ぬ"取り替え子"を攫った子供の代わりに置いていくだろうし、魔神教徒ならこんな回りくどい事をせず直接的な手段を取るだろう。子供が居ない家を区別出来るということは、少なくとも犯人はこの村の関係者で間違いない。襲われたっていう家は?」

「あ、あぁ……あの家です。ほら、扉が壊れているあれですよ」

 

 ランジェに見惚れていた青年は暗闇の中にかすかに見える一軒の小さな家を指差した。扉が破壊されたその家の前には干されたままの洗濯物があり、それらの白い部分は点々と黒い染みが付着している。

 近寄って確認してみるとやはりそれは血痕であった。付近の転がっている扉の残骸の内側であった部分にも血痕が付いているので、これは恐らく侵入者が開けられないように扉を押さえていた者が扉ごと引きずり出されて殺された時に飛び散ったものなのだろう。

 

「大人が押さえる扉を抉じ開ける。すごい力ですね」

「取っ手、変形してる」

「見せてみろ。1、2、3……3本指、それに頑丈で鋭い鉤爪があるな」

「あの一家の所為じゃなくて化物の所為! 村長に知らせないと!」

 

 青年は大慌てで村長が居る方向へと走っていった。面だけは良いランジェに見惚れているところからも彼があまり一般的ではない視点を持っているのではないかとは思っていたが、その予想は的中していたらしい。多分魔族の一家とは悪くない間柄であったのだろう。

 

「だがそれならお前は何者なんだ? もし仮に魔物になった村人であると仮定するなら村人達が気付けないわけがないが、かといって村の子供が何処に何人いるのかを知っている以上部外者というわけではないはずだろう?」

 

 外された扉の変形している取っ手を指でなぞりながら犯人の正体について考える。腕力だけなら俺とそう変わらないので魔族か魔物であるのは間違いないが、その行動原理と正体だけがまったくわからない。

 力があるのだから空腹を満たすのであれば大人を狩れば良いというのにそうしておらず、邪悪な妖精や魔神教徒とは何かが違う。

 

「お師匠様お師匠様、大人2人分の血溜まりがあるだけでお金も金品も奪われてませんでした! 少なくとも金銭目的の誘拐じゃないみたいです!」

「食べ物、手がついてない」

「少なくとも子供の誘拐が金銭目的の誘拐ではないのが確定したな。……だが結局犯人の正体も動機もわからず仕舞いか。村の関係者の中に子供を食う存在が村人に紛れていて、別人が疑われるように仕組んだ可能性も考慮すべきか?」

「でもですよお師匠様、扉に残された痕跡と特徴が一致する人喰いの種族はいませんよ。変身したりする吸血鬼も子供を食べる人喰い鬼もあんなことをしたりしませんし……」

「あぁ、だからこそこの事件は複雑怪奇なんだ。……兎に角更なる調査が必要だな。さっきの奴に別の現場まで案内してもらおう」

 

 殺人現場を調べて分かったのは子供の親が殺された事と如何なる物品も盗まれていないことだけであり、誘拐と殺人の犯人に関する情報はあまり得られなかった。

 

「終わりは調べた。次は──」

「始まり、ですか?」

「あぁそうだ。全体を通して子供が狙われている事件だというのに最初に消えたのは森に住む大人2人。夫婦が例外的に狙われた理由は絶対にあるはずだし、それが事件解決の鍵になるはずだ」

 

 死体以外の何もかもが残されたままの家から立ち去り、村長と話している青年へと向かって歩き出す。もしも期待が外れたならば、最終手段として残った子供やナールを餌にして犯人を誘き出さねばならなくなる。手がかりが見つかることを祈ろう。



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30話

「ここの家です。この家に住んでいた夫婦が最初の犠牲者です」

 

 青年の案内のもと、猛禽の鳴き声響く森の道を進み一軒の大きな民家の前まで辿り着いた。家は獣や魔物に襲われぬようにするためか、巨木を支柱として活用し高所に建てられ備え付けられた梯子でしか出入りが出来ない構造になっている。

 梯子を上り中に入ると、家の豪華さに驚かされた。十分な広さを持つ居間と3つの寝室があり、その全ての部屋に窓硝子が嵌め込まれた窓がある。居間には自作と思われる椅子と燭台の置かれた机が配置され、寝室の床には巨大な熊の敷物が、寝具には狩猟で得た獲物から作ったのであろう羽毛布団が敷かれている。立っている場所が悪い事と、所々に黒い烏の物のような羽と乾いた血痕さえなければ田舎貴族の家よりも立派な住宅であると言えるだろう。

 部屋の1つには折り畳まれた布地が収められた揺り籠があり、その周囲には赤ん坊をなだめる玩具や糞尿を受け止めるおむつが置かれたままにされている。どれも新品で完全に未使用であるそれらはまるで、これから生まれ出でる者のために用意されたかのようだ。

 

「かなり立派な家ですね。どんな人が住んでいたんですか?」

「森番のエルフが2人、どちらも弩の大会で実績を残しています」

「戦えない奴等だったわけじゃないと……だがそれだというに抵抗した形跡は無いのは不自然だな。2つもある弩は立てかけたままで、鉈も斧も仕舞われたままだ」

「抵抗する暇すらなかったとかでしょうか? 瞬く間に即死させられたとか?」

「違う、抵抗してない。この部屋、とても濃い匂いがする」

 

 部屋の臭いを嗅いだランジェはこちらの感じることの出来ない何かを感じ取ってその感想を述べた。そして犬の様に鼻を鳴らしながら部屋を歩き始めた彼女は部屋の端に積もった羽の山の中から1冊の手帳を見つけ出した。

 

「その手帳は?」

「一番強い匂いする。持ってたものかも? 読んで」

「読めないのか。こいつは……日記だな」

 

 手帳を開いたランジェは眉を顰めて手帳を俺に投げ渡した。受け取ったそれを開いてみると、全てのページの左上に日付と天気がその日に起こった事と共に記載されていた。これは重要な手がかりになる。そう思い、俺は記載されている日付が最も新しい頁を開いてみた。

 開いた頁には日付と天気といった日常を連想させる情報は書き込まれておらず、細く擦れ気味な線で「子供」と「帰って来て」という言葉が乱雑な文字で一面に書きなぐられていた。執拗に、何かを探し求めている心境を最後の理性で書き留めているような、目下に深淵が広がる崖の一歩手前に立って下を覗き込んでいるかのように不安定さを感じられる。

 気色の悪さを感じながら頁を前に戻すとそこには「私は……」や「辛い」といった短い文章と黒い塊の柄以外は何も書かれていなかった。更に頁を捲ると同じような状態の数頁続き、やがて天気と日付だけが書かれた頁へと行きついた。相当追い込まれて何も書けなくなり、それでいては駄目だと思い何かを書かなければと意味のない文や絵を描いたのだろうか。

 更に1週間、頁を戻すとようやくまともな文章が顔を見せてくれた。そこには「あの不気味な旅人に貰った蝋人形を使えば失ったものを取り戻せるかもしれない。愛しい我が子、どうか私の胎に帰ってきておくれ」と記載され、その下に「帰っては来なかった。願いを叶える蝋人形なんて胡散臭い物に期待した私達が馬鹿だった」ている。どうやらここに住んでいた夫婦は何者かの手で"消された"わけではないらしい。

 

「手が止まってますよお師匠様。何が書かれていたんですか?」

「続きが読みたくなくなる内容だ。憐れみを感じざるを得ない」

「うわ……これってそういう事ですよね……?」

 

 手帳を見せられたナールは手を胸に置いて気分の悪そうな顔をした。日記の内容とこの場の状態から、夫婦が何者かから貰った"蝋人形"とやらを使って魔物か魔族に変化し子供を攫うに至ったことが何となく想像出来てしまった。

 

「説明して。読めないから」

「犯人はここの住民だった可能性が高いと考えられるような内容が書いてある。行動原理はわからないが、共存は不可能な魔物になっちまったらしい」

「そんな……2人は死産の後もいつも通りいい人だったのに……」

「明るく振舞っていたとしても内面まで明るいとは限らんさ。家の外では仮面をつけて役に興じるように、別人のように振舞うってのはよくあることだ」

 

 信じられない様子の青年にそういう物だと教えながら頁を捲り続ける。頁を捲る度に死産が起こったことが書かれた日に、妊娠が判明し期待と希望に満ちた幸せな日々に、なかなか子供を授かることが出来ず他の村人の家庭を羨ましがる記述を目撃することになっていった。

 その中で俺は死産より前の日付に書かれていた1つの言葉に目が留まった。その単語とは"大火"、最愛の"振り香炉の勇者"ケイを殺害した犯人の名前であった。彼女は旅人としてこの家を訪れており、夫婦に"願いの叶う蝋人形"とやらを渡していたらしい。

 

「"大火"!? "大火"ってあの!?」

「他にこの名前が使われている奴も居ないし、奴で間違いないだろうな。あの野郎、密かに悪事を働いてやがったのか。……ランジェ、どうかしたのか?」

「それ、嘘吐きの扇動者。過激な信徒を焚きつけて勇士を沢山連れて行った。全部殺して"深淵"から寵愛を貰うはずだったのにそれを台無しにした」

 

 "大火"の名前を聞いたランジェは槍斧を握る手を震わせた。仲間を殺されたから怒っているのではなく、彼女の信仰において重要になる強者達を関係の無い場所で失わされたことに憤慨しているらしい。やはりというべきか、彼女はナールとは別の方向で血生臭い少女だ。

 

「殺っ!? 今の、僕の聞き間違いじゃないですよね?」

「ここに居るお前以外の手は血で濡れている。お前が思っている以上にな」

「まだ成人すらしてなさそうなのに……」

「大人だろうが子供だろうが、怪物だろうが外見で判断しない方が良いぞ。見た目が可愛らしいかったり綺麗だったりする生き物が安全だとは限らん」

 

 手帳を閉じて腰布に下げた袋に入れ、置かれたままにされた弩と矢をナールに手渡す。所有者が居なくなっているなら貰っていっても文句を言う奴は居まい。

 

「変容してしまったこの家の夫婦が犯人なら子供を食べたり殺すことが目的じゃないし、何処かに閉じ込めているはずだ。子供の声や鳴き声が漏れずそこそこ広い空間で犯行現場から近い場所、森の中に洞窟とかがあればそこで間違いない」

「森の中……僕の知る限り、森の中にそんな場所は無いですね。でもあそこなら、人が立ち入ることを禁じられた未開の部分、"禁じられた森"にならあるかも」

 

 村や里には往々にして入ってはいけない場所が存在する。宗教的な要因で合ったり、事故が起こりやすい地形や地質のために侵入を禁止していたりと理由は様々ではあるが、地元の住民が内側を詳しく知らない事だけは共通している。悪さをした者が隠れ潜む場所としては最適だろう。



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31話

「なら早速その禁じられた森に行ってみましょう!」

「無理ですよ。"禁じられた森"は神聖な場所として禁足地に指定されていて、四方を掴めない結界の壁で守られ唯一の入り口にも見張りが常駐しています。石の混じった地面は硬くて穴を掘ることも出来ないので、許可を得ずに入るには空を飛んで入るくらいしか……」

「不法侵入は無理か。その許可ってのは得られるものなのか?」

「村長に一筆貰えば入ることは出来ますが、その許可を貰えた村人は過去に誰一人としていないですね。凶作で食料を求めての嘆願も一蹴されたこともあります」

「そこにはそれ程までして隠したい何かがあるのか? まぁとりあえず村長に相談して無理そうなら俺達に出来ることは――」

 

 最悪の場合を想定し、ナールとランジェの方を見ながら再度口を開く。子供を攫う相手ならば彼女達はこれ以上無い餌になる。

 

「餌を用意して釣るだけだな。幸い2回も試す機会がある」

「クルツ、酷い」

「2回目ですよね!? それナールは2回目ですよね!?」

 

 少女達はそれぞれの反応を見せた。ランジェは自身が確実に1回目の餌にされることを想定した上での率直な感想で、ナールは1回目にされるかどうかつまり自分を大切に思って相応の扱いをしてくれるのかどうかの確認を取ろうとしている。

 餌にされること自体は特に問題としていない辺り、両者ともに"普通"の少女からはかなり逸脱している。どちらも方向性と信奉するものは違えど狂気的だ。

 

 

「無理じゃ! それだけは許可できん!」

「ですが、ですがですよ村長! そこに犯人が……いえ村の子供達が囚われているのかもしれないんですよ! 森を荒そうとかそういうのではないのですし……」

「無理なものは無理じゃ! 例え子供が何人犠牲になろうが許可出来ん!」

「何てことを言いやがる! みんな! このクズを焼き殺すぞ!」

 

 村に戻った俺達は禁足地へと立ち入る許可を求めたが、村長は頑なにそれを拒否した。老人には村人の命よりも優先する事柄があるようであったが、その言葉を家の中で密かに聞いていた村人達にはそんなことはどうでも良かった。

 家々から飛び出した村人達は村長を引き倒すと、それぞれが手に持った棒で何度も打ち付けながら用意されたままであった火刑場へと彼を引き摺って行った。愚かしいまでに直情的で流れに身を任せている群衆は、打撲痕まみれになった老人を丸太に縛り付け火炙りの準備を整えていく。そしてそんな時であった。月光が降り注ぐ上空から風切り音を立てて何かが飛来し、6尺程の体躯を丸太に縛り付けられている老人に覆い被さった。

 森の家で見たものと同じ黒い羽毛に覆われ2対の翼を背中に生やしたその何かは、4本足の鳥を2足歩行で歩かせているかのような化物であった。その生物は突然の事で硬直していた俺達に対し、血濡れになった嘴のある一つ目の顔を向けた。巻き上がる悲鳴と拡散していく動揺、村人達は倒れた人間を踏み越えながら我先に逃げ出していく。

 

「出るもんが出やがったな。おい、ええっと……案内役の青いの! あの鳥野郎は俺達が何とかしてやるから倒れている連中を助けてやれ」

「は、はいっ!」

「不思議……あれ、濃い匂いがしてる。とっても濃い優しさと願いの匂い」

「意味が分かりませんが兎に角やっちゃいましょう! 犯人さえやってしまえばあとは攫われた子供達を助けに行くだけになりますからね!」

 

 ナールはランジェの謎の発言を受け流し、革帯の中に隠していた短刀を抜いて切っ先を怪物に向けた。犯人が目の前におりそれを倒せば事態は収束へと向かうはずだ。そのはずなのだが何故か嫌な予感がする。取り返しがつかないことをする前に感じる特有のざらついた不穏な感触が胸を騒めかせている。

 

 目の前に目当ての獲物が現れた子供達は勢い良く走り出し、烏の化物に襲い掛かった。ランジェが槍斧で足を切り裂き膝を付かせ、ナールが短刀を胴に突き差し捻って内臓を抉る。練習したわけでも無いのに彼女達、いやランジェは息を合わせられている。まるで弟子に何が出来るのかを知り尽くしているかのようだ。

 内臓を掻きまわされた化物は腹を抑えてのた打ち回り、転倒した転んだ子供の様に鳴き声を上げ血の泡を吐き出した。呆気ない、呆気なさ過ぎるその様子は痛みでやられたように見せかけて近づいたところで奇襲を仕掛けるつまりなのではないかと疑ってしまう程だ。

 

「やったか? ……やってるな」

「呆気ない。やっぱりこれじゃない」

「これじゃない? どういう意味です?」

「あの家で嗅いだ匂いと違う。近い匂いだけどこれにあるのは残り香だけ。血と生の匂いの中に本当の匂いが隠れてる」

 

 ランジェは息絶えた烏頭に触れ死体を嗅いだ感想を述べた。正直意味不明ではあるが、この個体が俺達の追っている相手ではないということだけは伝わった。

 

「じゃあその隠れてる匂いってのは何なんだ?」

「村の匂い。村人から匂うのと同じ」

「それはつまり、この鳥さんは……」

「攫われた村人の子供の成れの果てってことなんだろうな。それならさっきの子供のように泣け叫ぶ様子も、戦いに慣れがなかったのも納得だ。だがそうなると覚悟しないといけないな。1人がこうなら……攫われた連中はこうなっちまってるはずだ。まったく、これも全部あの"大火"の野郎が蒔いた種だ。見つけたらこの手でぶち殺してやる……」

「これ、周知しない方が良いですよね」

「当たり前だ。もう、静かに眠らせてやった方が良い」

 

 烏頭の死体に近付き目を閉じて火の点いた松明を胸に抱かせてやる。姿が変わり果ててしまった哀れな犠牲者は誰からも弔われることはないどころか、最も大切にしていた相手からの拒絶に晒されてしまうだろう。そうなるよりかは俺にこうされた方がきっと、多少はマシなはずだ。



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32話

 許可を得られる人物が居なくなってしまった俺達は青年の案内の下、入ることを禁じられている森の入り口に向かうことにした。攫われた子供達はもう助けられない状態になっているであろうし、状況が変わって弟子や鯱娘を餌にしても相手が寄って来てくれるかわからなくなっている。今出来る最善手は禁足地に指定されている土地に入り全てを終わらせることだろう。

 

「でも、見張りさんは入れてくれますかね? 同情でも買います?」

「見張りは村人との間にかなりの親交がありますが、彼等は領主直轄の部下で任務を優先しますしそれは無理だと思います。どうするおつもりなんですか?」

「多分だが何もしなくても勝手に入れるようになっているはずだ。ほら見ろ……やっぱり随分なことになっていやがるぞ。ガキが散らかしたみたいだ」

 

 森と森とを区切るように流れる川に辿り着き、河辺から対岸を見るとそこには悍ましい邪教の儀式か戦乱の勝利者による掠奪が行われていたのではないとすら思ってしまうような凄惨な光景が広がっていた。

 唯一の入り口であろう場所には簡易的な柵の壁が作られていたのだが、その柵の先端に防具がついたままの人間の手足が早贄のように串刺しにされている。入り口の周囲には臓腑が打ち捨てられており、その臓腑は引き摺り出した者が振り回していたことが出来る絡まり方で枝葉に巻き付いている。

 

「当然。村に来てたし」

「5、6、7……最低11人。完全武装で兵士としての質もある程度あるはずの見張りを全滅させられたってことは相応の数が居たってことですよね……」

「多分。さっきと似た匂いがいっぱいする。とても若くて甘い」

 

 ランジェは一片の肉片を拾い上げて匂いを嗅ぎ、尖った牙の隙間から薄柿色の舌を吐息と涎と共に出して肉片に舌を這わせた。その様子は艶めかしく、それでいて不気味。まるで邪悪な魔神が乗り移っているかのような表情には、"大火"や強力な魔神を目の前にした時のような圧迫感を感じる。

 

「お前は誰、いや何なんだ?」

「私達はランジェ。慈悲深き"深域"と繋がりし者」

「……"達"?」

「見ればわかる。これは頂いた寵愛」

 

 ランジェは右目を覆っていた眼帯に手を伸ばしてそれを取り除いた。

 眼帯に隠されていた部分、眼の無い穴か義眼が入っているはずの場所には黒い白目と赤い黒目で構成された眼球のようなものが収まっていた。彼女が本来持っている目とは違い自由に視線を変えるそれは、暗闇から解放されて周囲を見渡した後に俺とナールを凝視し始めた。

 

「んぎゃっ!? な、何ですかそれは!?」

「"深域"からの寵愛、"深域"の一部で今は私の一部。溺れ流され、暗い海と1つになった時にもらった繋がり。良い鼻と舌、力強さを与えてくれたモノ」

「ま、"魔神憑き"だったのですね……道理で怪力なわけで……」

 

 ナールは怯えの表情を浮かべて俺の後ろに素早く隠れた。"魔神憑き"とは魔神と人間が同じ体に同居しているものであり、体の主導権争いや精神的な融合の失敗によって危険な存在となってしまうことが多い。魔神から致命的な傷を受けたことのある弟子からすれば、特に恐ろしさを感じてしまうものであったのだろう。

 

「ナール大丈夫、噛まないから」

「……ほんとですか?」

「本当。舐めはするけど」

「ひぃっ!?」

 

 眼球のような物体は収まっている穴の隙間から舌のような滑り気のある不気味で気色の悪い触手を幾本も出し、警戒心を少し解いて俺の影から身体を出したナールの顔を舐めた。それ、眼球もどきの行為は人に懐いた犬の様ではあったが見た目がよろしくないために弟子の肌に鳥肌を立たせてしまっている。

 これほどの事象が起こっているというのに静かだと思い案内役の青年の方を見ると、彼は驚き過ぎで気を失い倒れていた。魔物や此の世ならざる存在に対して抵抗が全くと言っていい程に無い。

 これ以上は案内も必要ないし、連れて行けば弱い呪いや魔術でも致命的な影響を受けてしまうだろう。多少の危険があるので森の中に放置するのは気が進まないが、村に戻っている時間で獲物を取り逃すかもしれないのでしばらくはこの叢の中で待っていてもらおう。

 

 青年を草叢の中に寝かせて"禁域"の中を歩き始めると、周囲の様子は瞬く間に変化していった。妖精が肉食性の植物に捕食される叫び声や集まり遊びに興じて笑い声を上げ、魔物達が闊歩する蹄の音や肉を食い千切る咀嚼音が響く森は極彩色の茸や果実によって彩られており、幻想的な楽園と悪夢の世界が入り混じっているかのようだ。

 

「ところでなんだがランジェ、お前は意識を乗っ取られたりはしないのか?」

「絶対無い。"深域"は私を狂わさない。力をくれるだけ」

「存外に親切なのですね。暴れた集団が崇めてたのと同じのとは思えない……」

「"深域"は優しいけど、私達の信じ方が違うだけ。尊き"深域"と繋がりを得るために、ただ強く生きてご褒美を貰うか食べてもらって一部になるかの違い」

「食べっ!? そういえば、鯱さんも魂を送るとか言ってましたね」

「そうなの……? 筋は一本で立派ね。相容れないけど」

 

 先頭を歩き槍斧で枝葉を払い道を作っているランジェは、俺とナールの疑問に対し素直に答えてくれた。質疑で分かった事ではあるが、彼女は強者以外に対しては凶悪な存在というわけではない魔神教徒であるようだ。それだけは間違いない。



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33話

「この廃墟ですよね?」

「恐らくな。だが……奴等が居るにしては静か過ぎる」

 

 辿り着いたのは石造りの廃墟が立ち並ぶ場所であった。破壊された痕跡が残る家屋は植物に侵食されており、神殿と思しき物の石扉は打ち破られている。

 

「クルツの匂いがする」

「そりゃそうでしょう。近くに居ますし」

「違う。クルツじゃないクルツ、炎の匂いがするクルツが居る」

「俺がもう1人いるだって? 何の冗――」

 

 話しながら廃墟を歩いていると、神殿らしき場所から血濡れの獣が姿を現した。頭部は犬か狼で6対の眼球を持っており、こちらと同じく8尺近い体躯は毛で覆われている。その獣の姿は魔神教徒の一件が起こる前の俺と全く同じであり、大きな鏡を前にしているかのようだ。

 

「おいおい嘘だろ。あれ、俺じゃねぇか……」

「そっくりさん……にしては似過ぎていますね。でも何故でしょうか、姿はお師匠様なのにナールにはあれが全くの別人に思えてしまいます」

「そうなのか? よお、そこのデカいの! お食事会でもしてたのか?」

「っ!? クルツ、来る! 構えて!」

 

 背中を掻く振りをしながら背負った棍棒の持ち手を握り数歩近付くと、こちらと見合っていた獣は牙を剥き出しにして跳躍し、俺に向かって片腕を大きく振るった。こちらとまったく変わらない身体能力で俺がしているような素手の攻撃は容易く避けることが出来たが、あまりにも自分と瓜二つな攻撃には気色の悪い感触を植え付けられた。

 

「今の動き、お師匠様の!?」

「あぁ、気色悪いくらい同じだ」

「クルツ、隠し子?」

「『そんなわけねぇだろ!』……っと言い切りたいところだが、残念なことに心当たりは星の数程ありやがる。血縁者の可能性はゼロじゃないだろうな」

 

 弟子と鯱娘に気不味さ覚えながら、背負っていた棍棒を背中から下ろして構える。勇者一行に加わる前から今に至るまで、経緯は省くがそういった場数は踏んで来てしまっているので残念ながら否定しきれない。

 

「不潔ですお師匠様……」

「言ってくれるな。俺も長生きをしているだけの男なんだから」

 

 時折弟子に首を向けて話し、隙を作って見せるが獣は全く襲い掛かってこない。こちらの手の内を完全に理解しているのか、あるいは勘が鋭いだけであるのか。どちらであるのかはわからないが、どちらであっても眼前の男はただ腕力のある獣ではなくそれなりの知性を持ち合わせている事には変わりない。警戒すべき相手だ。

 

「動きと身体能力が同じ程度なら、例え俺の力を使えたとしても人数の多いこっちが有利だ。もし俺があいつなら、不利なこの場で戦わずに一旦退却する」

「コノ状況ナラ、退却……」

「喋っ!? えっ、あっ、に、逃げた!? 逃げましたよ!」

 

 獣は俺の言葉を復唱すると、凄まじい速度で逃げて行った。彼のその様子からは一切の個性を感じられず、まるで俺の真似するために存在しているかのようであった。物真似という段階ではなく在り方まで真似する彼のそれは、狂気ではなく純粋を孕んでいて泥にように張り付いて剥がれない恐怖感を残していった。

 

「あれは何が目的の何者なんだったんでしょう?」

「全くわからん。少なくともここの連中を殺しに来たのと、敵であるのは間違いない。"大火"といい、よくわからない黒猫の暗殺者といい、俺そっくりの物真似芸人と言い……頭痛の種ばかりが増えていくな」

 

 溜息を吐きながら神殿の中を覗き込む。神殿の中には小さな烏の化物達と2羽の大きな烏が引き裂かれた状態で散らかされていた。立ち並ぶ彫刻も、壁を彩る壁画も赤黒い内臓と血液で汚されており、荘厳であったそれらからは断片的にしか内容を読み取ることが出来なくなっている。

 

「残念、戦えなかった」

「戦わずに済むならそれに越したことは無いだろ」

「そうですね! ……この壁画は神代の出来事を記したものでしょうか?」

「月の女神と太陽の女神が"始祖神"に呑み込まれないよう隠れる姿や"始祖神"を打ち倒して兄弟姉妹を開放する姿が描かれているからそうだろうな」

 

 部屋の入口から祭壇まで続く壁画をざっと見て弟子の質問に答える。

 壁画の内容は月の女神と太陽の女神達の誕生から"林檎戦争"の終結まで。権能が分けられ己の支配が損なわれることを恐れて子供を呑み込んでいた"始祖神"から双子の女神が逃げ果せ、"始祖神"を打ち倒し呑み込まれていた兄弟姉妹を吐き出させて神の代表者となってから、姉妹で人間や動植物を創造し、捧げられた林檎1つをめぐって世界を巻き込んだ姉妹喧嘩をするまでの神話を描いたものだ。

 

「でもそれならおかしくないですか? この絵の並び順だと太陽の女神の方が先に生まれてますよ。月教の主張だと月の女神が姉のはずです。それに月の女神は喧嘩にならないように太陽の女神を宥めたって聞いていたのに……この絵だとお互い積極的に、しかも石で殴りかかってますよ!」

「偏向したんだろ。都合がいいように」

「人間が勝手な解釈」

「そうだな……おいおい冗談だろ?」

 

 真実を語る壁画を眺めているとあることに気が付いた。美しい神にと言って1つの林檎を捧げ、"林檎戦争"を引き起こす原因を作った人物が見覚えのある格好をしており知った名前がその横に書かれているのを見つけてしまった。尖がり帽子を頭に被り黒装束に身を包んだ赤毛の女、如何にもな服装に身を包んだ見目麗しい魔女の絵と彼女の名前だ。

 

「"善意の魔女"……」

 

 絵に描かれた女は良く知る魔女と瓜二つ、絶対に同一人物であると断言出来る程に似ている。100年以上前から変わらぬ姿で、何処でも現れるので只者ではないのはわかっていたが神代から生存している人物だとは想像すら出来なかった。

 

「あ、お師匠様! これを見てください! 件の蝋人形、ありましたよ!」

「黒い人型か。呪物のように見えるが、どう思う?」

「多分呪物。大勢の匂いと偽物からしてた火の匂いがする。人柱にすごく似てる」

 

 ナールが見つけた半尺程の大きさの真っ黒な蠟人形の匂いを嗅いだランジェは、魔神教徒としての所見と俺達には感じる事出来ない匂いの感想を述べた。

 

「火の匂い……日記の内容から推測するにどちらも"大火"絡みか」

「そうでしょうね。でもそうだとすると目的がわかりませんね。自分が蒔いた種を仲間に刈り取らせることに何の意味があるんでしょうか?」

「魔神の行動原理は執着に沿ったものが多い。"大火"の場合は俺に執着していたから……物真似をしている奴に経験を積ませて模造品を作ろうとしているのかも?」

「そう言い切れるくらいに、執着されてる? 何故?」

「わからん。奴にした事と言えば男でも女でもない身心のせいで避けられ排斥されていたのを、他の孤児と同じように受け入れて育てただけだし……」

 

 かつて勇者一行がまだ存在していた頃の記憶を思い出す。"大火"となった人物に対して特別扱いはせず、他の孤児と同じようにしか接していなかったはずだ。

 

「お師匠様って……」

「クルツってさ……」

「何だよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「何でもないです! ささっ、村に戻って報告しましょう!」

 

 誤魔化したナールと無言で頷いたランジェは大きな烏の首を腕に抱えて、血で汚れた廃墟の神殿からそそくさと去っていった。こういった時は追及しても話してはくれないし、粘って聞いても鬱陶しいと思われてしまうだけだ。非常に気になるが聞かないでおこう。

 

 

「……! わかった!」

 

 村に戻り約束を果たした見返りとして受け取った食料と水を積み込んでいると、人形を見つめ続けていたランジェが歓喜の声を上げた。大嵐の日々が過ぎ去り暗雲が晴れ、陽の光が雲を切り裂き現れたのを目撃した農夫のような喜びようだ。

 

「一体何がわかったんだ?」

「この蝋人形、持ち主の在り方を歪ませる呪具。持ち主を封じた"業"で歪ませる」

「ロクでもない代物だな。……持っていて大丈夫なのか?」

「もう力を失っているから大丈夫。中身以外ただの蝋の塊」

 

 鯱娘はそう言いながら人形の首部分を圧し折った。蝋人形の内側は空洞になっており、破壊されて空いた穴からは炭化した骨の欠片が次々に零れ落ちていく。

 

「多分これ、人柱にされた上で焼かれた骨。凄まじい苦しみの匂いがする」

「甚だしい知識の悪用だな。俺が知識を与えていなければ――」

「それは結果論です! ナールを見てください! 良い例です!」

 

 ナールは知識を与えてはならない相手に与えてしまったことを落ち込む俺に対して胸を張ってみせた。"大火"は与えられた知識を大いに悪用しているが、自分は有効に活用しているのだと彼女は言いたいのだろう。知識は与えられた者の使い方次第なのだから俺に責任は無いと、単純で反論の余地を多段に含んでいる彼女の言葉に少しだけ救われた。

 

「そうだと思うか……そうか、そうかもしれないな」



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34話

加筆修正


 村を後に暫く進んだところにあった大木の下で野営を行い、弟子達を寝かせて寝ずの番をしていると背後から草木を掻き分ける音が聞こえた。そちらに耳を澄ませて聞こえるのは獣よりも人よりも強い呼吸の事と、人間よりもはるかに体重の重い生物の足音。

 背後に潜む者に気取られぬように立て掛けていた棍棒を手に取る。獲物を求めてやって来た魔物であるのか、野盗と化した魔族が俺達の命を狙っているのか、それとも弟子の命を狙う新手であるのか。どれであっても鉄塊の餌食にしてやることには変わりはないだろう。そう思いながら襲い掛かる頃合いを見極めていると、かけられるはずの無い声がかけられた。

 

「クルツ……そこに居るのはお前なんだろ?」

「その声は――!?」

 

 声をかけてきたのは俺が追いかけている友であった。聞き取れる彼の声は獣の唸り声と彼の声を混ぜ合わせて擦れさせたようだ。

 

「その声はベーリンか! 正気を失ったんじゃなかったのか?」

「あぁ殆どナ。正気でいられるのは1日に数時間程度。しかもその時間は日に日に短くなっていて、それそろ俺の意識は消えちまうって具合ダ」

「だから言える内に最期に別れを言いに来たのか?」

「そうダ。お前の事だろうから俺を終わらせに来てくれるはずだと思っテ、正気に戻る度に住処の周囲を走り回っていたんダゼ。予想道りだったナ!」

 

 ベーリンは微笑んでいるのが見ていなくともわかるくらいに嬉しそうな声を出している。この世に生きている者の中で最も俺を理解している親友は、俺が信頼を裏切らなかったことが嬉しくて仕方が無かったのだろう。

 

「クルツ、ここに居るエリーを頼む。こいつには守る者も身寄りも無い。俺の財産の一部を譲り渡せるように、とある女に遺言を預けてあるが履行されない可能性がある。最悪の場合は……頼む、エリーを助けてやってくれ。こいつは俺の大切な人なんだ」

「それがお前の願いならどんなものでも。俺にはそうする責任がある」

「お前ってやつは……。っ!? そろそろ時間切れらしい。クルツ、最後にお前に良い事を教えておいてやる。お前が倒す魔物は"俺と同じでエリーに執着していて、目の代わりに匂いと音で世界を見ている"。それと、"剣は多少は使えるし空も飛べる"。俺程じゃないが手強いから気ヲツケロヨ!」

 

 有益な情報を言い残すとベーリンは羽ばたく音を立てて気配を消した。出会って5秒で殴り合い、拳と暴言を交えて理解し合い、最高の友となったあの男は周囲からの視線が変わろうとも怪物の俺と最後の最後まで友であってくれた。

 俺はこれからそんな男の息の根を彼の名誉を守るためにこの手で止めねばならない。共に寄り添い歩んでくれた彼のためならば最早躊躇いは無いが、しなければならない事を想うと8つの目から滝のように溢れ出るこの涙だけは決して止めることが出来なかった。

 

「クルツ様……」

「エリー、だったな? すまない。俺が奴の近くに居てやれば――」

「そうすればもっと悪いことになっていたと思います。正気に戻った時、あの方は『かつての仲間が勢揃いで一緒に戦ったとしても、あの鯱男はどうにもならない相手だった』と仰っていましたので……」

 

 草葉の陰から現れたエリーは眠っているランジェの方を見て唇を噛んだ。鯱男という魔族に大切な人を奪われた彼女からすれば、目に見えて鯱の特徴を持つランジェには良くないとわかっていながらも悪しき感情を持ってしまい、そう感じていることを自ら恥じているのだろう。

 

「うっ!!」

「おい、どうしたんだ! 気分が悪いのか!?」

「違います……これは違うんです……」

 

 エリーは口を押えて蹲った。感情の起伏から来た吐き気かと思ったが違いそうだ。病に侵されているわけでも無いのに吐き気の症状、これは――。

 

「おいおい、マジかよ……」

「はい……2か月目です……」

「……成る程、女癖の悪さは世間を欺くための嘘だったのか」

 

 英雄として名が通っており血筋と顔が良いとくれば言い寄ってくる者は必ず現れる。ベーリンはエリーから離れたくないがために、放蕩な浪費家を演じることでそれを未然に遠ざけていたようだ。衝撃的事実は重く、受け止められるようになったのは無言で空を見上げて夜更けまでかかってしまった。

 

 

「成る程! それでエリーさんがここに居ると!」

「理由はわかった。でも……何で私を睨んでいるの?」

「それは――。……後々の事を思えば今話しておいた方がいいか。ランジェ、お前が睨まれているのはベーリンがあの姿になった原因であるお前の親父を思い出させる背鰭と尻尾の所為だ。お前自体に問題があるわけじゃない。そうだろエリー?」

「っ!? え、ま、まぁそうです……ね」

 

 エリーは見つめ返してくるランジェから目を逸らして曖昧な返事をした。仇の親族であるからという理由で恨みを持つことが正しくないとは思っていながらも、人間であるが故に愛しい人を奪われた彼女は眼前の鯱娘に対して負の感情を向けるのを止めることが出来なかったようだ。

 

「恨んでもいい、呪ってもいい。貴方は強いから戦いたいし」

「こいつはこういう奴だ。悪い奴ではない……はずだ」

「えぇ、わかります。わかりますよ……何かに真っ直ぐなところだけはあの人に少し似ていますから……」

 

 エリーはある意味で純粋なランジェにベーリンと似たところがあると感じたようで、物悲し気な表情を浮かべている。今のところの感触は悪くない、時間をかければ彼女達にとって望ましい関係を築くことだって不可能ではないはずだ。

 

 

「そ、それでどうするのですか? 買った武器で罠を作ってそれに嵌めれば実力差を多少は埋められるかもしれませんが、都合良く引っかかってくれるでしょうか? 鼻が良いなら異変に気付いて近寄ってこないのではないですか?」

 

 微妙な空気の中で朝食をとっていると、弟子が何とか空気を換えようと口を開いた。ベーリンを愛する人の前で彼の殺害方法を話し合うのは如何なものかと思いエリーの方を見たが、彼女は眉を少し動かしただけでそれ以上の反応は見せなかった。魔物となって正気を失った者は助けようがなく、本人が殺されることを望んでいるの知っているので覚悟はもう出来ているのだろう。

 

「餌を置いて誘き寄せる。餌はこいつだ」

「これは壺……ですか? もしや、何か特殊な力のある壺なのですか!」

「そんな都合の良い壺なんて持ってない。こいつは見ての通りのただの壺だ」

「ただの壺!? そんなもので釣れるのですか!?」

「あぁ絶対に誘き寄せられる。エリーが少しの事をしてくれれば、何の変哲もないこの壺が他の何よりも奴を誘き出せる餌に変わる」

 

 3人の前に手の平に収まる大きさの壺を置く。目が見えず鼻の利く魔物であるならば、今考えている作戦は絶対に上手くいく。決して綺麗な作戦とは言えないが、勇者一行でケイに次いだ強者でありまともに戦えば勝ち目のない男と戦うには手段など選んでいられていなかった。



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35話

 武器と毒袋から吐き出した毒を使い、弟子と共に英雄を殺す罠を作り上げていく。罠は地面に置かれた壺を動かすと仕掛けられた大量の弩から矢が放たれ槍が降り注ぐ罠を作り上げていくといった単純なものだ。

 どれ程の強者でも四方八方から飛んでくる矢玉を無事でやり過ごすことなど出来はしないので、罠に掛かった者は少なからず傷を負う。傷を負えばそこから毒が入り、動きが鈍らせるはずだ。

 罠の仕上げとして突き刺すような悪臭を放つ汚れた壺を罠の中心に置く。内容物はエリーから排出された体液であり、加熱によって周囲一体に突き刺すような悪臭を放つようになっている。鼻で世界を見ているような者にとってはこれ以上ない釣り餌であり、尚且つ俺達や罠の存在を隠す煙幕となっているはずだ。

 ランジェはその匂いに耐えられなかったので、エリーを守る役割を与えて騾馬と荷車を連れて遠くに離れさせた。本人はベーリンと戦いたかったようでこの作戦の所為で参加出来ない事を不服としていたが、この作戦を取らねば勝機が無いのでその内どこかで強者を紹介するのを交換条件に引き下がってもらった。戦闘狂は御しやすいが面倒臭い。

 

「後は時が来るまで待つだけですね」

「そうだな。待つだけだ……あぁそうだとも、ただ待つだけだ……」

 

 水筒を弟子から奪い取って手を洗い、投擲用に集めていた石を積み上げる。

 時が経つと共に息苦しさが増していく。幾度となく共に死地を乗り越えた友人を殺すことで味わうことになる悲しみと、新たな悲しみを背負ったままどれだけ残っているのかわからない時間を過ごすことになる未来は想像の段階で耐え難い苦痛を与えてきている。

 

 

 仕掛けを施したその日の夕方に、その時は来た。

 英雄であった男は低く重い羽音を轟かせながら現れ、木々の隙間を通り抜けて餌として置かれた壺の近くに着地した。月光に照らされ見えた彼の頭部は鱗で覆われており、聞いていた通り目は無くなっている。壊れた鎧を着た人間の体に洞窟で見られる目の無い蜥蜴の頭部を付けたかのような外見だ。

 彼は臭いの元である壺の近くに着地すると、4本の腕を伸ばしてそれを持ち上げた。壺を動かしたことによって仕掛けていた罠が作動して矢や槍が放たれ、それに合わせて俺とナールが手元にある飛び道具を投げつけていく。土煙と血煙が立ち上り、彼の背に生えていた翅が砕けて羽毛が宙に舞うその光景を見ていると、もしかするとこれで終わったのでは無いかと錯覚してしまいそうになる。

 

「やった……?」

「やってない!」

 

 煙が収まり俺達の方へと顔を向けている怪物が姿を現した。怪物は叩き落とした矢玉の中心で2対、4本の腕で2本の両手剣を握っている。ただ攻撃を叩き落したといっても全ての攻撃を避けられたわけではなく、致命傷となり得ない部位への負傷は追わせられている。剣を使う技術は残っているが、人間であった頃のベーリンよりと比べればお粗末な物であるようだ。ただしそれでも力の差は明らかで、やはりまともにやっても勝てる気がしない。

 

「ベーリン、お前という奴は……いつもいつも予想を超えてくるな。ナール、ランジェとエリーを連れて逃げろ。俺は今から毒と病を撒き散らして、この一帯を生物が生存出来ない場所に変えてこいつと戦う」

「なっ!? どうしてそんなことを!?」

「そうすれば最悪の場合でも相打ちになるからだ。たとえ俺が勝てなくてもベーリンの名誉を守り、お前の腕の代わりになるものの情報も得られる」

 

 ギュンターと交わした契約が記載された契約書をナールに投げ渡し、毒袋から瘴気を吐き始める。先程の待ち伏せの結果で身体能力の有利不利が逆転しているのをはっきりと実感させられた。勝てる見込みは極めて薄く、仕切り直すための撤退も上手くいくとは思えない。目標の達成と弟子の生存を第一にするべきだ。

 

「お師匠様……死ぬつもりなのですか?」

「死ぬ気なんざ毛頭ない。少なくとも、お前を一人前に育て上げるまではしぶとく生きるつもりだ。ほらさっさと行け、毒で死んじまうぞ?」

 

 弟子との間に瘴気で壁を作り、彼女を徐々に追いやっていく。広範囲に毒を撒くのは弟子をこの場所から離れさせる口実を作るためでもある。今の彼女はこれ以上この場に居ても何も出来ないし、居続ければ何かをしようとして危険を冒してしまうかもしれない。

 

「どうかご無事で……どうかナールを置いていったりしないでくださいね……」

 

 ナールは健闘を祈るとエリー達が隠れている方向に向かって走りだした。彼女は一度も振り返らない。振り返ったら足を止めてしまうとわかっているのだろう。

 

「待たせて悪いな親友。さぁ喧嘩しようじゃないか!」

 

 準備が整うまでこちらの様子を見ていたベーリンの方を向いて棍棒を構え直す。強者と真正面からの戦うことを好む以前の彼の気質が影響しているのだろうか、俺が戦う気を見せるとベーリンは笑っているようにも聞こえる唸り声を上げ始めた。

 睨み合う2人の間に1枚の木の葉が落ちたその瞬間、それを合図にして俺達は相手の生命活動を止めるべく動き出した。戦いの主導権を奪われないように俺が攻め気を出して棍棒を振るうと、ベーリンが飛び上がってそれを避け、剣から離した2本の腕で木の枝に掴まった。彼は猿のように木々の隙間を跳ね回りながら攻撃し始め、一瞬のうちに攻守を入れ替えた。

 技術と身体能力の差は埋め難く、致命傷を負わないようにしながら瘴気を放って彼に吸わせるので精一杯で、尚且つそれの効き目が出るのは遅い。たった数合打ち合っただけで少なくない手傷を負わされているこの状況を変えられなければ、辛勝は疎か相打ちすら果たせないだろう。

 

「前に進めないなら……転進あるのみ!」

 

 一撃を放ったベーリンが高所に離脱した僅かな隙を付き、彼に背を向けて遁走する。目指す場所は森の中を流れる川に架かった脆い橋の上。そこは彼から地の利を奪い、俺が彼を倒すことが出来る唯一の場所だ。

 こちらを追いかけてくるベーリンの呼吸は強さや回数が不規則になっているが、動きは未だに鈍っておらず馬並みの速度で走ってこちらに追従してきている。毒や病を呼吸だけで送り込むのでは時間が掛かり過ぎる。噛み付いて直接注ぎ込まなければ。

 

「奇遇だな。俺も丁度追いかけっこに飽きたところだ」

 

 橋の中腹まで辿り着いたところで後ろから跳ねる音が聞こえ、目の前にベーリンが着地した。俺が橋を落として逃げようとしていると思って回り込んだのだろう。

 

「"痛み無くして勝利無し"。ベーリン、俺は覚悟でもってお前を殺す!」

 

 服を脱ぎ捨てるように自分の皮膚を引き剥がし、棍棒と共に投げつける。

 接近する臭いから、俺が棍棒を持って走ってきていると認識したベーリンは両手の剣を全力で振るって棍棒諸共皮膚を斬り裂いた。皮膚は残った勢いで彼の顔に張り付き、彼が知覚出来る世界の全てを塗り潰す。それは手応えの無さと相まってベーリンを混乱させ、俺が襲い掛かって左右1本ずつ、2本の腕をベルトに下げていた斧で叩き潰す隙を作り上げてくれた。

 更にこの機を逃さず彼の首筋に噛み付き、彼諸共橋から川へと飛び降りる。数秒の風の感触の後に石畳に叩きつけられたかのような衝撃を体に受け、暗く冷たい水の中で呼吸を封じられながらも水中で周囲の状況を把握出来ないベーリンへと毒を送り続ける。

 魚が死に絶え水草が枯れて果てた時に息を止める限界が訪れた。死んでも離すものかと彼を掴んでいたが、本当に死んでしまっては元も子もない。食い込んでいた牙を外し、拘束を解いて水面に向かって泳いでいく。

 

「あとは奴を――。流石は英雄様、ここまでやってもあと一歩が必要か……」

 

 岸に上がってベーリンの亡骸を探していると、川の中から歩いてくる彼の姿が目に入った。毒に耐性を持つ"一角獣"でさえも死に至る量の毒物を注入してやったというのに、彼は弱々しくではあるがこちらを殺そうとしている。

 

「そうだこっちだ! こっちに来い! 俺はここだ!」

 

 握り拳を作り彼へと近づいていく。一歩また一歩と歩を進め、距離がに埋まっていく度に籠める力は強くなり、振るい上げた時には爪が食い込み出血していた。拳が届く距離に達した俺とベーリンは互いの顔面に互いの拳を打ち込んだ。彼の拳は俺の牙を打ち砕き、俺の拳は彼の頭蓋骨を叩き割る。この一撃でもって勝敗は決し、頭蓋を砕かれたベーリンはこちらにもたれ掛かり眠るように息を引き取った。

 

「……さらば我が友ベーリン。お前の偉業を語り継ぎ、最後の願いを引き継いで叶えよう。だからどうか、どうか安らかな眠りについてくれ」

 

 俺は彼の事を抱きしめ、大口を開けて噛り付く。"痛み無くして勝利無し"、心身共に傷付く覚悟は既に終えていた。肉を喰らい傷が癒えていくと共に手から肉球と毛が剥がれ落ち、代わりに鱗が生え揃っていく。弟子の腕を食らった時と同じように、取り込んだベーリンの血肉に籠っていた多量の"業"によって肉体が変化してしまったようだ。

 

「あぁわかるぞベーリン。お前はとても暖かい。……太陽みたいだ」



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36話

2章終わりです


 この世からベーリンの痕跡を消し去ろうと考え、変形した親友の骨を石で砕き、着ていた鉄屑を川の中に投げ捨てた。彼の剣も処分しようと考え川の中を隈なく探したが、何故かそれらを見つける事は出来なかった。

 大した代物でないので今の今まで忘れていたが、彼の剣は二振りとも"遺産"であったはずだ。"遺産"は摩訶不思議な力と意志のようなものを秘めている。ここに無いということは必要とされる場所に向かったか、自分に相応しい主人を探しに行ったのだろう。常々思うことだが、死んでしまった主人から即座に離れていく彼等の変わり身の早さは実に不愉快だ。

 壊れた棍棒を川底から見つけ出して森を後にする。そういえば先に逃げた弟子はどちらへ向かっていったのだろうか。極力早く見つけ出して無事であると伝えてなければ、心配で疲れ果てて体調を崩してしまうかもしれない。早く合流してやらなければ。

 

「一体どこまでいったのやら――」

「お師匠様の仇っ!!」

 

 追いかけよう森を歩き草叢を抜けた時、弟子を探す必要は無くなった。彼女は森から出てすぐのところに隠れ潜んでおり、俺が姿を現したその瞬間に靴に隠していた抜き身のナイフで襲い掛かってきた。身を捩って避けていなければ腸を引き裂かれていたところだ。

 

「お、お師匠様!?」

「この馬鹿弟子が! 俺を勝手に殺してんじゃねぇ!」

 

 俺を死んだものとして扱い、逃げろと言ったのに逃げずに敵討ちを画策し、相手をよく見ずに襲いかかった弟子の頭部を拳骨で打つ。彼女の上げた「きゃいん」という悲痛な叫びは、帰ってこれたのだと実感を俺に与えた。

 

「逃げろと言ったってのに勝手なことをしやがって! 2人はどうしたんだ?」

「うぅ……ちゃんと逃がしましたよ。荷馬車であの村に向かってます」

「まったく……追いかけるぞ。あいつには終わった事を教えてやらなきゃならん」

 

 食料と水を補給した村がある方向を向いて溜息を吐く。俺にはエリーに対してベーリンを殺し全てが終わったことを報告する義務がある。

 

「あっ……アァ……ウマソウダ……」

「どうかしたのですか? もしかしてさっきの一撃が刺さって……ひぃっ!? お、お師匠様!? どうしたのですか!? 目がっ、目が怖いですよ!」

「ッ! ナンデモ……ッ、何でモナイ!」

 

 ナールが小さな体から放つ甘い香りを感じたその瞬間、唐突に獣が持つ野性的な欲望が湧き上がってきた。最大限に目を見開いて彼女を見つめ、牙を剥き出しにした口から涎を垂らしたところで何とか正気に戻ることが出来たが、戻ることが出来なければ無体を働くか捕食してしまっていただろう。

 

「いやいやいや! 絶対何かおかしかったですよ!」

「……少しお前が美味そうに見えただけだ」

「それは大問題なのでは!? 人としてまずいのでは!?」

「今はもう収まったから大丈夫だ。ほら行くぞ!」

「"今"は……"今"はなのですね……」

 

 俺の発言を聞いたナールは身震いをした。弟子に対して本当に食われると思って恐怖を感じさせるような顔をしていたとは自分でも信じられない。もしかするとこれまで取り込んできた膨大な"業"によって人間的な部分が歪められてしまったのではないだろうか。もし仮にそうであるなら、弟子が後始末をしなくても済むように正気であるうちに全てを終わらせる必要が出てくる。

 

 

「エリー、終わったぞ。全て、終わったんだ」

「そう、ですか……。クルツさん、大丈夫ですか?」

「心は辛うじて耐えられ得ている。それよりも……頼る先があると言っていたが、誰なんだ? あいつから任された以上、聞いておきたいんだが」

「あの人の妹様です。随分長い間お会いしていませんが、あの人との関係は良好でしたから私と血縁者を無下に扱うことは無いはずです」

 

 エリーはそう言いながらあやす様に下腹部を撫でた。運命は残酷でこの世は不幸に溢れている。救いを求める者が救われることは基本的なく、幸福を求める者や夢を追う者の願いが果たされることは稀だ。世界を救って回っていた英雄であってもそれは変わらない。

 

「クルツさん、ナールちゃん、えっと……ランジェちゃん、ここまでありがとうございます。ここからは道なりに進むだけだからもう大丈夫」

「騾馬と荷馬車、あとこの金を持っていけ。礼は要らん。善意の押し付けだ」

 

 手綱と現金を押し付けられたエリーは不必要だと言われても深い礼を返した。ベーリンにとって大事であった彼女と忘れ形見である彼女達に対して今出来ることはこれくらいしかない。俺に地位や財産があったなら、もっと助けられたのに。

 

「どうにか出来なかったのでしょうか? 悲しすぎますよ……」

「悲しい過去は変えようがない。前に進んでいく」

 

 手綱を握り騾馬を操るエリーを見送りながら、弟子の質問に答える。起こってしまったことは変えられない。出来るのは死んでいった者の分も生きて、次に繋がる何かを生み出すことだけだ。



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本編 3章 ~蛙の王国~
37話


「さぁギュンター、約束を果たしてもらおうか」

「わかっているとも。腕の代わりとなるものの情報だったね?」

「あぁそうだ。どこにある何なんだ?」

 

 依頼を終えたトロップまで戻った俺達は、依頼主であるギュンターに対して報酬として情報を渡すように要求した。"赤狐"のルナから示唆されていた腕代わりとなる物の手掛かりがようやく手に入る。どのような物であるのかはわからないのか、弟子の役に立つ物であることは間違いない。

 

「ここにある種子だよ。これがお嬢さんの腕になってくれる」

 

 ギュンターはナールに目を向けながら机の上に箱を置いて開いた。箱の中には俺の眼球程の種が綿に包まれて入れられている。形状は扁桃や桃の種によく似ているが、これが何だというのだろうか。

 

「そう怪訝そうな顔をせずに聞き給えよ。これは"寄生樹"と呼ばれる動植物に寄生して生息域を広げる特性のある植物の種でね、宿主の一部に成り代わるという変わった性質があるんだ。どんな動物の腕だろうが、脚だろうが関係無くね」

「ナールには成り代わる腕がありませんよ?」

「それが不思議なことに部位の有無は問題にならないんだよ。これに意思や思考能力があるのか、それとも魔力の流れから合わせた形になるのかはわからないけど、失った部位に埋め込めば存在した部位の形となってそれを宿主に操らせるのさ」

 

 光に当たった種は蠢き、根のような物を伸ばして寄生する生物を探し始めた。それを見たギュンターが箱を閉じると、種子は抵抗するように内部から箱を揺らした。種子の段階からこれほどまでに動く植物は見たことも聞いたことも無い。

 

「そんなもの大丈夫? ナール、命を吸われる?」

「その点は安心してくれて構わない。私の部下に手足の全てがこれになった者が居るが、心身共に健康そのものだ。それよりも問題なのは芽吹いた種子が何になるわからないところなんだよ」

「何って……植物が生えてくるんじゃないのか?」

「その植物の種類が問題なんだよ。どうも宿主の在り方によって生えてくるものが違うみたいでね。ある部下の腕を生やした時は、悪臭を放つ花と蔓で構成された腕だった。あまりにも酷い臭いでねぇ……本人が耐えられなくなってしまって自ら命を絶ってしまったんだよ」

 

 ギュンターは少し悲しげな表情でそう言った。敵に対しては情けを持たないような組織に属していても、仲間に対して持つ感情はどこの誰とも変わらないらしい。

 

「ひぇぇ……」

「お前なら大丈夫だから心配するな。それで何をすればそいつを譲ってくれるんだ? 実物を見せたってことはそれを報酬に仕事をさせるつもりなんだろ?」

「話が早くて助かるよ」

 

 対面に座る彼は懐から書類を取り出し、種子の入った箱と共に差し出した。前払いでこれを報酬として渡すから、仕事をやって来いということだろう。

 

「帝国の東端の領地で不穏な動きがるがあると知らせが届いたが、生憎北部で起こった反乱の"処理"をしないといけなくなって手が足りなくてね。急遽実力と信用のある傭兵が必要になったんだ。君達は請け負ってくれると思っているのだが、どうかな?」

「良いだろう。ナール、受け取っておけ」

「はいお師匠様! おぉ、まだ動いてますね……あっ――」

 

 諸々を受け取るように指示を受けた弟子は不用意にも箱を落とし、中に入っていた種に光を当ててしまった。種は勢いよく弟子に飛び掛かり、右肩に張り付く。

 

「あぁそうそう! 言い忘れていたがそれが根を張る時は痛みに慣れた大人でも失禁を我慢できないくらい痛いらしいから、今すぐにでも個室に連れて行ってあげた方が良いと思うよ。じゃ、あとは頼んだよ」

「そういうことは……先に言え!!」

 

 去り行くギュンターがそう言い終わると同時に苦しみだしたナールを抱え、全速力で借りている部屋に向かって走る。到着するまでに生暖かい感触が幾度も腕を伝っていたが、彼女の尊厳のためにそれは気のせいと思うことにしておいてやった。

 

 

「お師匠様、ご迷惑をおかけしました……」

 

 股座を濡らしたナールをランジェに任せて自分の部屋で残金の確認と帳簿の記帳をしていると、身体を拭いて着替えを終えた弟子が扉を開けて入ってきた。

 敬愛する師にお世辞にも綺麗とは言えない液体を掛けてしまったことに申し訳なさと恥ずかしさを感じているのが彼女の顔と声から伝わってくる。こちらに気を遣われたことも逆効果となってしまっているようだ。

 

「気にしていないから気にするな。それよりも種子はどうなったんだ?」

「それなら……こんな感じになりました」

 

 ナールは羽織っていた外套を脱いで、隠していた身体を俺に見せた。彼女の右腕の付け根からは木の枝が幾重にも絡まって出来た腕が生えており、肩には仄かに甘い香りを漂わせる花水木と桃の花が一輪ずつ咲いている。

 

「どうでしょうか? 変じゃないですか?」

「俺よりかは人間離れしてないな。むしろ神秘的で綺麗だ」

「綺麗……綺麗ですか。そう言ってもらえると、すごく嬉しいです」

「……弟子垂らし」

 

 何も考えずに花の見た目を褒めると、ナールは頬を赤らめて微笑んだ。何故そんな反応をするのかと疑問に思ったが、その答えはすぐに導き出すことが出来た。

 彼女の在り方に影響を受けて生えてきた物を綺麗だと褒めるのは、彼女の内面を褒めるのと変わらない。無意識であったとはいえ、口説き文句のような言葉を百以上も歳の離れた年端もいかぬ少女にかけてしまっていたのだ。ナールは既に色気づいているようであるし、言動に気を付けていかねばならないだろう。

 

 

「そいつはちゃんと動くのか?」

「動きますよ。それにかなりの力を出せるんです!」

 

 弟子は新たに得た木の腕で俺の腕を掴んだ。掴まれた部分から伝わってくる彼女の力は、確かに生身の腕の時よりも強くなっている。握力は牡蛎の殻を砕けそうな程に、腕力は家具を軽々と引き摺れそうな程になっている。

 

「ナールは強くなりましたよ! なりましたよね?」

「いや、残念だがお前は前より弱くなっている」

「ナール、残念……」

「どういうことですか?」

「まったく……わからせてやるから付いてこい」

 

 浮かれた様子の弟子に溜息を吐き、彼女を連れて鍛錬に使っていた草原へと向かう。折角の才能を捨て去ろうとしている彼女を矯正してやらなければ。

 

 

「こちらからは反撃だけしかしないから、好きなだけ打ち込んで来い。もし日が暮れるまでに一本でも打ち込めたらうまい肉を腹一杯になるまで食わせてやる」

「遠慮はしませんよ?」

「寧ろするな。全力でなければ気付きは得られん」

「では……行きます!」

 

 ナールはこちらに迫り手にした棒を振い始めた。

 俺は襲い掛かってくる弟子が振るった棒を打ち払い、鳩尾を突いたり脛を打ち据えて彼女を悶絶させる。彼女の太刀筋はいつもよりも軌道を読み易く、打ち払うのも反撃で脛や鳩尾を打ち据えるのも容易い。このまま続ければ一刻も経たぬ内に動けなくしてやれるだろう。

 

「ぐぇぇ……手も足も出ません……」

「偶然力を手に入れて自惚れるからそうなるんだ。自分で得たもので戦えるようにしておかないと、自分よりも力が強い相手が現れた時に何も出来なくなるぞ」

 

 棒を没収して動けなくなった弟子を背負い街へと戻っていく。これだけの無力感を味合わせてやれば、鍛錬で改善しなければならないと気づいたはずだ。

 

「"盗み、学び、昇華し、疑え"。本当に強くなりたいならこの教えに従え」

「"疑え"? 何を疑う?」

「自分で考えて導き出した答えや師匠の言葉、常識や固定観念。まぁ要するに、正しいか正しくないかを一度くらいは頭を使って考えてみろってことだ」

「難しいのですね……でもナール頑張りますよ! お師匠様が認めざる負えないくらいに強くなって、あっと驚かせて見せますからね!」

 

 背中に乗せられているナールは高い目標を打ち立てた。勇者一行を見て目の肥えている俺を強者となることで驚かすのは相当難しいだろう。しかし彼女ならば、天賦の才を持つ弟子ならばそれはいつか実現できるはずだ。……その時までに俺が化物になっていなければよいが。



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38話

「あぁ、まずい!」

「どうしたクルツ、粗相でもした?」

「したわけねぇだろ! 何が原因で"きな臭い"のか聞き忘れていたのを思い出しただけだ。まったく、何処にいるわからない奴を探すなんて不可能に近いぞ……」

「大丈夫。預かってるこれに書いてあるって」

 

 頭を抱えた俺にランジェは羊皮紙を手渡した。折り畳まれていたそれを開いてみると、そこには帝国の東端部の地名とするべき事が書かれていた。いつの間に預かっていたのだやら。

 

「どれどれ"この地域の国境沿いで衛兵が惨殺された姿で発見された。原因の究明と解決をお前に任せる。手段は問わない、全ての行為を私の名の下に許可する"……か、随分とまぁ信用されたもんだな」

「クルツ、友達でも殺せるから」

「それは仕方なかったからですよランジェ!」

「わかってる。ナール、反応しすぎ……」

 

 近くで大声を出されたランジェが不快そうに耳に小指を突っ込んだ。安心して仕事を任せられる実力と、必要があれば躊躇う事無く手を下せる精神を両立した人材だから大事を任せられた。彼女はそう言いたかっただけなのだろうが、少々言葉足らずであった。

 

「許してやれ。言葉が足りなかっただけで悪気はない、そうなんだろ?」

「うむうむ」

「むぅ、ランジェだしそうなんでしょうね。……何やってるんです?」

 

 ランジェは持っていた槍斧を置いて地面座ると、ナールに対して母親が幼い子供を抱き締める時のように両腕を広げて見せた。

 

「ナールは優しく包まれて鼓動聞くの好き。怒らせたからお詫び」

「あっ……す、好きじゃないです! 違いますからね!」

「お、おう……そうか……」

 

 ナールはこちらを向いて強く否定した。しかしながら彼女の真っ赤な顔には明らかな焦りが見えており、その否定の言葉が本心ではないことは容易に見破れる。どうやら他者に、それも同年代の女性に甘えている事を恥じているらしい。

 

「ナール、ぎゅってするの嫌い?」

「うっ、その顔はズルですよ……ズルですよ……」

 

 詫びる気持ちを拒絶されたと思ったのか悲しげな表情を浮かべたランジェに負け、ナールは抱擁を受け入れた。無垢とは無敵な一面もあるのだろう。

 

「まぁ気持ちはわからんでもないし、別に恥じるような事でもないと思うがな。俺も"姐さん"やケイに頭を抱えられた時に安心したことはあるし」

「そうなのですか? ……ん? "姐さん"って誰です?」

「あっ、やっぱり反応した」

「まだ人の姿だった頃、戦場(いくさば)で死体漁りをしていた時に世話になった人だ。内乱中の国で特殊な傭兵を貸し出す代わりに、地方貴族から庇護を得ていた集落の長。俺に知識と愛情を与えてくれたいわば母親のような女性だ」

 

 目を閉じて昔、100年ほど前の記憶を掘り起こして懐かしい人物の姿を思い浮かべる。全身の火傷痕を隠すために包帯を巻きつけた5尺半程の女性、結われておらず地に着くくらいに長い艶のある黒髪の感触と漂わせていた甘い桃の匂いは今でも鮮明に思い出せた。

 

「母親、母親ですか……」

「だがまぁ"ような"だから、彼女はお前にとっての俺みたいな存在だがな。俺がやってもらったことも今俺がしている事とそう変わらん」

「過去形ばかり。死んだの?」

「死んだ……いや、殺された。内乱に終わりが見えた頃、セキホという一族が政争に向けての点数稼ぎで粛清を初めてな。俺と姐さんが居た集落も襲われたんだ。俺がこの姿に変えられて助けに行った時にはもう首から上しか無かった……」

 

 経験した惨事を語りながら手を動かしていると、救えなかった姐さんの頭部を抱えていた時に感じた重さと髪の感触といった思い出したくのないものまで思い出してしまった。

 

「お師匠様! ナールはお師匠様を誰にも殺させませんし、絶対に1人ぼっちにしませんからね! 安心してお師匠様をしてくださいね!」

 

 ナールは俺が見下ろしていた両手の上に顎を乗せた。その動作は可愛らしさを感じるものであったが、放った言葉には狂信に近い感情が籠っており瞳の奥には狂気が宿っている。しっかりと正しい方向へ導かねば、間違いなく"大火"のようになってしまう。これからの旅路では、より一層の注意をしていかねば。

 

 

 人気があり整備された街道を進む度は順調そのものであった。途中までは定期的に行き来する馬車を乗り継ぐことが出来、加えて偶然目的地が同じ方向であった旅芸人の一座と出会い彼等が所有する馬車に同乗することが出来てしまった。

 あまりにも運が良い。反動で途轍もない不幸が待ち構えているのではないか、その前に幸福を与えられているのではないかと疑ってしまう程だ。

 

「おいらが言うのもなんだが、あんたら珍妙だね」

「否定はせん。自分でもそう思うしな」

「ナールと私達とクルツ、確かに奇妙な取り合わせ」

 

 奇抜な格好や派手な衣装を見慣れているはずの一座の少年が、馬車に同乗している俺達を見て普段言われているであろう言葉を口にした。彼は道化見習いか軽業かであるのか身軽であり、鍛錬としてか馬車の支柱に足を掛けて自ら逆さづりになっている。

 

「……ダグ? どんな感じなの?」

「目の多い狼のおじさんと右手書きで肩に花が咲いてる獣人の女の子、生臭いのは鯱っぽい背鰭と尻尾のある魔族の女の子! 珍妙だろミルケ?」

「えぇ、とても……その、個性的な集いね」

 

 終始目隠しをしたままの物静かな女は俺達の特徴を少年から聞くと、言葉を選んで少年の意見に同意した。興味が湧いたのか少し楽し気な声だ。

 

「お姉さんは何の芸をやるんです?」

「私はこれを。単に曲を奏でてお客様を楽しませたり、一座のみんなが呼吸を合わせられるように音を鳴らしたり……とかですね」

 

 ミルケと呼ばれていた女は立てかけてある砂漠の国を由来とする弦楽器を取って軽く弾いてみせた。一音一音が緩やかで落ち着く音色であり、目を瞑れて聞き入れば砂漠を旅していた時の事を思い出す。

 

「おー! 聞いたことが無い感じですが凄く良いですね!」

「ありがとう。ごめんなさい、えっと……」

「ナールの名前はナールです!」

「えっと、ナールちゃん。貴方の声、私の恩人にすごく似ているの。もしかしてなのだけど"娼姫"、シャアラ様と何か縁のあったりとか……しますか?」

 

 意外な名前が出てきたことに驚き、俺とナールは顔を見合わせた。旅の一座に属する彼女の口からその名前が出たことも、恩人であったことも意外であった。

 

「そんなものは無いな。ちょっとした縁だけだ」

「縁はありますが、思っているものとは違うと思いますよ」

「そうなんですか? てっきり血縁があったりするものかと……」

 

 俺とナールは目配せをして咄嗟に嘘を吐いた。世間に露呈すると弟子にとっても弟子の母親にとってもあまり良い事は起こらないはずだ。ナールがシャアラの娘であることは、必要に迫られない限りは秘匿していこう。

 

「おい、急に止まってどうしたんだ。さっき休んだばかりだろ」

「どうしたんだ?」

「疲れてないはずなのに馬が脚を止めやがったんだ。普段なら素直に言う事を聞いてくれるんだが、どうしちまっ――」

 

 馬車から降りて立ち止まって動かなくなった馬の様子を見に行った御者の頭部が、突如暗闇から現れすぐに消えた何かによって引き千切られ、暗闇の中に引っ張られて行ってしまった。馬車に備え付けられたランタンの光では何も見ることが出来ず、耳を澄ませても聞こえるのは全方位からの忍び笑いだけ。俺達は知らず知らずの内に人ならざる者達に取り囲まれてしまっていたようだ。



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39話

「来るぞ! 打ち落とせ!」

 

 騒々しい嗤い声が収まった瞬間に風切り音を立てて迫って来た何かへと手刀を振るう。殴打は見事命中し、迫っていた柔らかい物体を弾き地面へと叩き落とせた。夜目で微かに見えたそれは人の腕程の太さの撓る肉の塊、先端は分厚く粘り気がある液体で湿った舌であった。

 それが続く先へと目を向けると、太い枝の上に立つそいつらが月光に照らされていた。体格は人間程度の大きさで、人間のような歯が並ぶ口を嘲ているかの様に開いた10数匹の蛙達。月光に照らされた黒と緑の斑模様の皮膚を持つ魔物達は、俺達を見下ろしながら捕らえた獲物の首を口内で転がしている。

 

「森黒蛙(モリグロガエル)、知性ある魔物か……」

「ディビット! イッサク! オリビア! アレックス! 座長! あぁ……みんな死んじまってる……もう終わりだ……みんな死ぬんだ……」

 

 ダグという少年は頭部の無くなった仲間達を見て己の未来を想像し絶望した。相対している魔物は魔神を崇拝したり言語を解する程度の知性を有し、他の種族全てに対して敵対的。強靭な体躯を駆使して敵を捕らえると、ほぼ確実に終わりの無い拷問を始めるか卵塊を産み付けて幼生の生餌にしてしまう魔物なのだからそうなるのは致し方無いことだろう。

 

「そうだ! 舌を噛み切れば――」

「おい馬鹿やめろ、そんなことをしても死なせてもらえんぞ。まったく、そんな事を考える暇があるなら少しは生き残る方法を考えろってんだ……」

 

 自決を試みようとする背を叩いて少年の無駄な抵抗を制止する。馬車に乗せてもらった恩がある一座の一員である彼の無駄死にを見過ごせなかった。

 

「また来るぞ! 生きていたきゃ死ぬ気で抗え!」

 

 捕らえた冒険者を絞め落とした蛙達は、気を失った冒険者を盾の様に構えて突っ込んできた。人質を使って相手を殺傷せずに押し倒す戦い方、恐らくだが討伐に来た衛兵や冒険者と戦った経験から編み出した戦法なのだろう。

 

「動きを制限するつもりか。だがしかし、相手が悪かったな!」

 

 転がっていた樽を力一杯振り下ろし、隙だらけで向かってくる2匹の蛙を"盾"諸共叩き潰す。人質というものは、その人物に価値を感じる者やその者を救わねば自己の信念に反してしまう者にしか効力を持たない。人質を気にかけて敗北してしまうくらいなら、その事は知らなかったようだ。

 

「ナール、ランジェ、無事か!」

「余裕、数多いだけ」

「はい! ナールは大丈夫です! ですがこのお姉さんは……」

 

 蛙に聖剣を突き立てた弟子は、それの蛙の下に埋もれた女に目を向ける。彼女は突進を諸に受けてしまったようで、右腕は圧し折れており左腕は噛み砕かれて失っていた。楽器を演奏する者にとっては致命的な負傷だ。

 

「ぃっあぁ……腕が……私の腕が……」

「今すぐ死ぬってわけじゃないから黙って隠れてろ! おいそこの無事な奴等! 俺達が何とかしてやるから盾になる物を集めてそいつと自分の身を守ってろ!」

 

 鍋を兜の様に被ったり、木箱の蓋を盾の様に構えたり、奇術や芸に使う実戦向きではない武器を手に持って寄り集まることでなんとか魔物の群れから身を守れている生き残りの方へとミルケを突き飛ばす。森黒蛙(モリグロガエル)は少人数を率先して狙うので、1か所に固まってもらえば狙われずらくなり、そうなれば彼等が狙われないのであれば俺達が戦いやすくなる。

 

「さてと……2人とも、出来る限り奴等を取り逃がすなよ! 取り逃した奴は俺達の戦い方を学んでもっと高度戦術を練ってくる厄介者になるからな!」

「わ、わかりました! 頑張ります!」

「闇の中は得意。……狩り尽くす!」

 

 拳大の石、手斧、槍斧。それぞれが武器を持ち、俺達は相対する魔物達へと襲い掛かった。暗闇の中、俺と魔物達の血の飛沫と骨肉が破壊される音が鳴り響く。襲われる頻度が少なくなった旅の一座は驚く余裕が出来たようで、時折飛んでくる血飛沫と耳に突き刺さる不快音に悲鳴を上げている。

 魔物の群れを駆逐して生まれた静寂の中、足音を響かせながら血濡れとなって戻ってきた俺に彼等は驚き腰を抜かした。煌々と目を輝かせ、口から肉片が食み出し、突き刺さった幾本もの槍や刀剣を体から排出して歩いているのだから致し方ないが、戦い終わってすぐに新手に備えて戻ってきてやったのだから怯えを隠す努力くらいはして欲しいものだ。

 

 

「だ、旦那ぁもうすぐヴェスラに付きますぜ……」

 

 怪我をした者達の手を当てを終えて再度出発する準備を整え出発し、朝となった頃合いにようやく大きな街が遠目に見えるところまで辿り着くことができた。

 座長を失った旅の一座はまとまりを失っており、昨夜の恐怖と相まって凶悪な外見の俺に対して恐れを抱くようになってしまっている。会った当初は凶悪な面を見てもそこまで驚かれなかったので、良い関係を作れると思っていたが気のせいであった。

 

「そろそろか。おいナール、運賃として適当に包んでやれ」

「え? タダで乗せるって言われてたのにですか?」

「つべこべ言わずに金を払え。それで終わりだ」

 

 彼等との間に貸し借りや多少の縁といった物を残さないように、貴重品を持っているナールに支払いをさせる。ないとは思うが、少しでも恩を残せば窮地にあるこの一座を見聞き時に手を差し伸べたくなってしまうかもしれないのでそれを防ぐためだ。

 

「クルツ冷たい」

「そうですよねランジェ。お師匠様の考えはわからないわけではないですが……ひっ!? お、お、お、お師匠様! あの木に人が! 人がいっぱい吊るされてますよ!」

 

 ランジェに同意しながら金を数えていたナールは、ふと顔を向けた先にあった木の異変に気付き指を差して騒ぎ出した。彼女が指し示す方を見ると、そちらには一見すると木の葉が生い茂る柳の木が立っているように遠目には見えた。しかしながらよくよく見ると、それは青々と生い茂る木の葉の代わりに腐敗の進んだ人間達が吊るされており、それらには"内通者"や"裏切者"、"不道徳者"などと書かれた札が首に掛けられている。

 しかもそれは1本や2本ではなく、林のように見えていた木々の半数がそうで、残りの半数は串刺し形にされた者達あった。

 その悍ましく、身の毛のよだつ光景を見ただけで今この領地の荒れ具合がどの程度であるのか何となくではあるが察することが出来る。最早反乱一歩手前、間違いなく危うい綱渡りをしている最中だ。

 周囲の者は腐臭と糞便、血液の臭いで嗚咽を漏らしているが俺は彼等と同じ反応をすることが出来なかった。鼻に入り込んでくる臭いを不快だと思うことはなく、むしろその逆で好ましく非常に食欲をそそる匂いだと感じてしまった。

 

「ウマソウダ……人間ノニク……」

「……お師匠様?」

「ッ!? ……大丈夫だ。まだ大丈夫……」

 

 心配して見上げる弟子の頭を撫で回す。ランジェは正気を失いかけていた俺に気づいており、槍斧を強く握りしめていた。もしもの場合は俺を殺すつもりだったのだろう。彼女と目が合ったので、その考えが間違っていないのだと示すために小さく頷いみせた。



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40話

「止まれ! 怪しい奴等め、お前らは何者だ!」

 

 悍ましい光景を見て進む足が止まった旅の一座に一礼をしてから先に進んでいき、見せしめで罪人が吊るされた関所の前までやって来た俺達は配属されている兵士に強い口調で呼び止められた。彼等は全身を鎧兜で包んで肌を全く見せておらず、槍などの長物や戦斧といった殺傷能力の高い武器を所持していて非常に仰々しい。

 衛兵が国境で惨殺されるという意見が起こった事といい、魔物が徒党を組んで暴れることが出来ている事といい、恐らくは暴政が敷かれている事といい。この地域では尋常ならざる事件が起こっているのは間違いないだろう。出会う者は例え善良そうな人間であっても警戒の対象としなければならない。

 

「俺達はギュンター氏からここに派遣された傭兵だ。最近国境沿いで起こったという衛兵惨殺事件の調査を任されている。生憎と依頼書は無いが」

「早馬で傭兵が来るとは聞いていたがこいつ等が……本当だと思うか?」

「捕まえに来るかもしれない相手にわざわざ嘘を吐くとは思えないしそうじゃないのか? 手荷物検査をしてからフログ様の下に連れて行けばいいだろ」

 

 対応に困った兵士達は話し合った。不審ではあるが状況的に嘘は言っていないと判断したらしく、俺達を権限を持つ何者かの下に連れて行く気であるらしい。

 

「フログ様? この地域の領主様ですか?」

「いや領主様じゃない。フログ様は何というべきか……相談役として最近やって来た魔族でな。蛙面で気色の悪くて不気味だが、手段を選ばず金を掻き集めて領主様の借金を返済し寵臣になった男だ」

「蛙、惨状の原因?」

「……まぁ、あまり大きな声では言えないがな。こっちだ、付いてこい」

 

 ランジェに問いかけられた兵士は、周囲を見渡してから小さな声で蛙の所為でこの地域で酷いことが起こっているのだと教えてから俺達の誘導を始めた。話に出ている男は味方であるはずの兵士達からもあまり好まれてはいないらしい。

 関所に居た兵士に案内されて歩いていく街中は外とは対照的に活気が溢れていた。吊るされたり串刺しされたりしている者は居らず、購買意欲を持った住民達が楽し気に買い物を楽しんでいる。彼等は妙に金を持っており、異常な浪費を重ねている。

 

「羽振りの良い連中ばかり……外とは違って景気がいいんだな」

「フログ様が借金を返して余った金を街の人間にばら撒くように進言してそれが受け入れられたんだ。今じゃ街の連中はあいつの支持者になってやがる」

「街、大多数からの支持を得たわけですね」

「とても狡猾な人」

 

 この兵士は蛙面の男の事が気に入らないらしく、話している最中は明らかに嫌そうな顔をしていた。今から会う男との間に何か困りが出来たなら、一度彼に相談したり頼ってみても良いかもしれない。

 

 

 街の中心部に設けられた囲いの中へと辿り着いた俺達を迎えたのは、最低限の規模で最低限の機能を備えた城と慎ましやかな庭園であった。これを作れと命じた者は落ち着いた雰囲気が好きであるか、身の回りを飾る事に興味がないか、節制に努めているかのどれかであろう。

 

「地味、とっても地味」

「こら失礼だぞ! 厳かだと言え!」

 

 ランジェは極めて真っ当な理由で案内をしている兵士に怒られた。金をばら撒いて領民の心を掴むことをあまり良く思っていない発言からも感じ取れてはいたが、やはり彼は実直な人物であるようだ。こういってなんだが騙しやすそうだ。

 

「……ここの使用人さんはナールやランジェと年齢の変わらない子供が多いのですね。大人が数えるくらいしか――。お師匠様、お師匠様! あそこを!」

「騒ぐな指を差すな俺の毛を引っ張るな。まったく、何が居たん――」

 

 周囲を見渡していたナールは何かを見つけたようで、俺の腕の毛を引っ張った。指を差している彼女の腕を下ろさせ、掴む手を外しながら見ている方向を見るとそこには椅子に座って茶を嗜む赤茶の髪の令嬢と彼女の側に控える赤狐の獣人の使用人が居た。

 令嬢の方は見目麗しく視線を奪われるが、俺達が驚いているのはそちらではない。注目していたのは赤狐の獣人の使用人であり、その理由はその人物が"赤狐"のルナであったからだ。フリルの付いた使用人の服を着た彼女は普段の自堕落な印象を感じさせない。立つ振る舞いも完璧で自然に溶け込み、清純な印象を身に纏っている。

 

「じろじろ見てはカーラ様に失礼だろう。ほら行くぞ」

「そうだな。ナール、ランジェ、美人だからってあまり見過ぎるなよ」

 

 令嬢を見ていると思われたのか衛兵に注意された。何かの事情でこの屋敷への潜入を行っているのかもしれないので、彼女に迷惑が掛からないように知人である事や彼女を見ていたことを隠し令嬢に視線を向けていたことにし、先に進ませるために2人の背を押した。

 

 飾り気のない外観とは裏腹に、城の内側は過度に彩られていた。壁は色とりどりの布地と宝石で装飾され、床は刺繍を施された絨毯が敷き詰められ、見事な出来栄えの硝子細工の照明が至る所に吊るされている。

 そんな室内には数多くの絵画や壺、見栄えだけの武具が飾られている。ふと少し前に見たベーリンの屋敷もこのような雰囲気であったのを思い出したがあれは外観も派手であったので一貫性があった。しかしながらこちらにはそれが無いので、不自然さが際立っている。

 

「中と外で真逆の趣向だな。偶然手に入れた大金で他人が建てた城を買って、好みの内装に変えてみましたといった具合にしか見えん」

「そう見えるか……そう見えるよな……」

「その言い方は何かあったのですね?」

「我らが領主は生来派手好きでは無かったのだが、領地の経営が上手ず苦しい時期を経て辛い思いをなされた反動で贅沢を好むようになってしまわれたのだ。……諫言で大規模な家臣の入れ替えがされたこともの影響もしているかもしれないな」

 

 入室の許可を貰うために扉を叩いた兵士は少し物悲しそうに話した。仕える身である自分にやれることが無いとわかっているらしい彼の表情には、無力感から来る悲しみと自分に対する怒り、そしてもしかしたら状況を変えてくれるかもしれない外界の来訪者への期待が浮かんでいた。最期の一言を発したのはそういった理由があっての事だろう。

 

「放つ言葉には気をつけろよ傭兵。この先に居る男は必要な物を手に入れるためなら何でもするような奴だ。特に……子供達から目を離すんじゃないぞ」

 

 兵士は入室の許可が出るとそう言ってから扉を大きく開いた。蛙面の男は狡猾なだけでなく、あまり褒められた趣味を持ち合わせていない危険な男であるらしい。

 開かれた扉の先には謁見の間があり、正面の大きな椅子にやつれた男が座りその脇に蛙面の魔族が立っていた。蛙男からやや離れた場所には全身を鎧に包み大斧を携えた7尺近い背丈の大男と、東の島国のコムラで使われている特徴的な曲刀を抱き胡坐を掻いて床に座る男が控えている。左右の部屋の隅には弟子や鯱娘と同じ程度の使用人がおり、いつでも飲み物や食べ物を給仕できるように待機している。

 

「カイゼル様、件のギュンターの使いが到着いたしました」

 

 室内に入ってきた俺達、特にナールとランジェを舐めるように見ていた蛙面がやつれた男に報告を行った。話に聞いて思っていた通りの男であるようだ。

 

「よう……やくか。よく来たな傭兵、お主の活躍に期待しておるぞ。……後のことは我が忠臣フログに全て任せる。お主達は此奴に従うように」

 

 カイゼルという名前の領主は、全てをフログに任せると虚空を見つめながら杖を突いて部屋を去ってしまった。彼の放っていた言葉に一切の気力を感じなかった。不死となった死体の方がもっと活力がある言葉を吐ける。この男に誰かを導く力は残されていないのだろう。

 蛙男はその背中を真面目な顔で礼をして見送っていたが、扉が閉まって主人の姿が見えなくなると露骨に不機嫌そうな顔をして溜息を吐いた。その主人に対して無礼な様子を周囲の者は目撃しているが、誰一人として咎めることもなくそれが当然のことであるかのように受け入れている。最早この城には領主の味方は居らず、蛙男の息がかかった者しか居ないらしい。

 

「さてと……そこのデカい奴、お前にはここに居るグルギとゲンゾウを貸してやるから事件を解決しろ。そこの2人、お前達は儂の護衛に付いてもらおうか」

「前半は了承致しますが、後半は了承しかねます」

「何だと……? 今し方、儂に従うよう命じられたばかりではないか!」

「結んだ契約はあくまで事件の解決であって、護衛でも接待でも夜伽でもありません。命令には従うことに異論はありませんが、契約に無い行為の強要をなさるのであれば……こちらとしてもタダでは済まさない積もりでいます」

 

 下卑た顔で子供達の肩へと蛙男が伸ばした手を胴体を割り込ませて遮る。もし無体を働かれそうになっても抵抗し殺害することくらいは出来るであろうが、そのもしもは起こらない方が良い。

 

「契約契約、傭兵はこれだから……。お前が言いたいことはわかったから、さっさと2人を連れて事件解決に向けて動いてこい」

 

 契約外の要求をしようとしていた下種な蛙男は、立場や高圧的な態度に屈することなく当たり前のことを主張する俺が不愉快な気持ちとなったらしく、部下と共に俺達を部屋から追い出した。だが彼は目の前の魅力的な獲物がまだ諦められないらしく、扉が閉まる直前に見えた彼の視線は弟子達の顔よりも低い位置に向いていた。

 

「獣め……」

 

 

「兄さん、完全に目ぇつけられたねぇ」

 

 部屋を出て早々、曲刀を抱いて座っていた方の部下が気さくに話しかけてきた。目元まで伸ばした黒の長髪で、コムラで着られているスカートに似た衣服に身を包んだ彼、彼女の性別は見た目と声のせいで中性的でどちらかわからない。

 

「……やばいのか?」

「やばやばのやばや。うちらのボス、嫌いになったら貴族でも月教徒でも潰すような腹黒さんやからなぁ……兄さん、今夜にでも刺客に襲われるかもしれんなぁ」

「そ、そこまでなのですね……」

「刺客、強そうな2人が?」

「うちらにはさせんやろうな。兄さんもお嬢ちゃん達もギュンターさんの紹介で来た人やから、口の軽いうちらに殺せさせん。やるなら適当な人間に金掴ませてって感じやろなぁ。兄さん達強そうやから直接やりたかったんやけどなぁ」

 

 コムラの都の近くにある大商業都市の周辺、山岳戦を得意とする兵士が多く存在する地方で喋られている独特な方言で気さくな方の部下は隠すべきであろうことを口走った。言葉からは嘘を言って怖がらせようという気は感じられず、代わりに殺意が籠っている。

 

「口が、軽いのは、貴様だけ。俺は、違う」

「そうかぁ? ようけ喋らんだけで口はグルギちゃんの方が軽いんとちゃうん?」

「……少なくとも、お前より、マシ。先に、出ている」

 

 図星であったらしく大男は咳払いをすると低く擦れた声で途切れ途切れに喋り、外へと向かって歩き出した。武具と合わせるとかなりの重量であるようで、彼が歩くたびに大きな音が立っている。正面に立って向かってこられたら、圧迫感を与えられるだろう。

 

「ナ、ナール達も行きましょうか。えっと、お兄さん? お姉さん?」

「どっちやろなぁ! あんたの好きな方で呼び!」

「えっと……ランジェ?」

「聞かれてもわからない。不思議な人……」

 

 弟子に頼られてすんすんと鼻を鳴らしたランジェは不思議そうな顔になった。俺達の感じられない匂いを感じ取ることが出来、そこから情報を得ることの出来る彼女でも目の前の人物の性別を知ることは出来なかった。

 

「お師匠様ぁ……」

「困ったからって俺に聞くなよ。まったく、決められなくて話してくれないなら便宜上男ということにしておけ。違ったらあとで訂正すればいい」

 

 どちらで呼べばよいかわからず俺に頼ったナールに"お兄さん"と今は呼ぶように言って歩いて行った大男を追って外へと向かった。一先ずで男性だとしたのに理由は無い。即座に頭に浮かんだ性別を選んで口にしただけだ。



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41話

「ここや、体は片したけどそれ以外はそのままや」

 

 ゲンゾウに案内され辿り着いたのは、国境沿いの寂れた農村にある警備を担う兵士が滞在する拠点であった。周囲を塀で囲まれ敷地内には梯子で登ることが出来る櫓が建っており、狼煙を上げる場が用意されているが狼煙が上げられた形跡は無い。異常が起きたがそれを伝える余裕が無かったか、もしくは異常を異常だと気付く前にやられてしまったかのどちらかだろう。

 敷地の中心にある小屋の扉を潜り中へ入ってみると、そこには8つの寝具と机と椅子が並んでいた。武器が置かれたままに、鎧が脱がれたままにされており、並んだ寝具には体液の染みが出来ている。全くもって争った形跡は無く、汚れがある部分以外はよく整理されている。

 

「どういう状態だったんだ?」

「身長体重が違う8人が均等に斬り分けられて、無茶苦茶に継ぎ接ぎにされとった。誰1人として人の形はしてなかったなぁ」

「ひぇぇ……その話だけ聞くと狂人が起こした猟奇的な殺人事件って感じですね。金品目的でもないみたいですし……」

 

 被害者の様子を聞いて鳥肌を立てた弟子は、放置された武具を見つめて初見を述べた。確かに彼女の言う通りだ。この現場だけでは犯人の目的がわからない。

 

「快楽殺人、もしくは芸術家気取りの狂人が犯人と見るべきか。ランジェ、いつもの嗅いでる"匂い"とやらで何かわかったりしてないか?」

「……怒ってて悲しそうな匂いが残ってる。どう?」

「相も変わらず有用な情報助かる。参考にさせてもらうぞ」

「どういたしまして?」

 

 こちらの皮肉の通じていないようで、ランジェは感謝の言葉をそのまま受けった。他者との会話の経験が少な過ぎたために通じなかったのか、それとも彼女の周囲には冗談や皮肉を言う者が居なかったのか。

 

「やるから食え」

「どうした急に。……もらうけど」

 

 そんな彼女の反応を見ていると、なんだか申し訳なくなってきたので、腰布に下げていた袋から乾燥した葡萄が入った袋を出して彼女に与えた。何故急に、彼女は顔でもそう言っていたが、貰えるものは貰っておく主義であるらしく、受け取ると欲しそうな顔をしている弟子と共に分け合って食べ始めた。

 

「とにかく今のままじゃあまりにも情報が無い。抵抗の痕跡すら残させていないところから、少なくとも素人の犯行じゃない事くらいしかわからん」

「なら少なくとも農村の人達ではなさそうですね」

「断定は出来ん。長期間潜伏した工作員が居ないとは限らないからな」

 

 小屋から出て寂れた農村の方向を見る。これ程のことをしたのだから犯人を見つけることは出来ないだろうが、聞き込みをすれば少しくらいは情報を得られるかもしれない。

 

 

「蛙の手下が来やがったぞ……」

「今度は俺達から何を奪うつもりなんだ。奪える物なんて残ってないぞ」

「子供を連れている、また子供を連れて行くつもりか!?」

「いや、あの化物に俺達を食わせるつもりなんじゃないか……?」

 

 血が染みついた縄の掛かった絞首台が設けられている村に辿り着くと、俺達を見た村人達が囁き合い始めた。使いが来ると騒ぎが起ってしまう程に、蛙男は憎まれ恐れられているようだ。村人の言動からあの男がやったことは凡そ想像出来てしまう。

 彼等は月の女神と敵対している太陽の女神を崇拝する"陽教"を信仰しているようで、総じて太陽を模した装飾品を身に着けている。太陽の女神を信仰する宗教、主に大陸の東側とドワーフによって信仰されている。今居る場所は大陸中西部なので、ここは彼等にとって異教の土地。恐らく彼等は流浪の民としてこの地に辿り着き、根付いた者達なのだ。

 

「さて、誰から話を聞こ――」

「父さんの仇! 死ね蛙男の手先め!」

 

 情報収集を誰から行うかの話題を出したその瞬間、物陰から飛び出してきた少年がグルギの鎧に牛刀を突き刺した。グルギはそれに気づいていたが避けようとせず、無抵抗で立ち尽くし突き刺された。ふつふつと肉が切れる音が鳴り、突き立てられた刀身を伝って赤い血液が滴り落ちる。

 グルギは食い縛り小さな唸り声を上げると、刀を突き刺した少年の頭を撫で優しく抱きしめた。身体に傷を付けられたというのに彼は一切反撃すること無く、まるで称える様に慈しむかの様に抱擁している。

 

「復讐のため、敵わぬ相手でも、立ち向かう。その勇気と気概、俺は尊敬を表そう」

「うわぁ! また出たグルギのそれ……」

「行け、ただし2度は無い。次は、圧殺する」

 

 グルギは抱擁していた少年を離した。少年は解放されると眼前の大男には勝てないと本能で悟ったらしく、何度も転びながら大慌てで逃げて行った。主人がそうであるからいって手下まで邪悪な存在ではないらしい。ただ、ぶっ飛んだ男であることは間違いないが……。

 

 

「ナール達は決して怪しい者だったり、皆さんに何かしたりしに来たわけじゃないですよ。最近起きている事件を解決するために雇われた傭兵です」

「だから情報、ちょうだい」

 

 一行の中で最も警戒されていない弟子達に聞き込みを任せることにし、俺達はそれを遠目で眺めている。蛙男に子供を連れていかれた村人が多いのか、子供に対して思うところがあるらしく彼等は余所者である弟子達に出来る限り柔らかい態度で接しようとしている。俺達には警戒して話してくれないような話も、彼女達にならしてくれそうだ。

 

「なぁ、少し気になったことを聞いてもいいか?」

「なんや、狼はん?」

「フログに従っているのは何故だ? 共倒れになりかねん男だぞ」

 

 蛙男は領主を堕落させ好き放題やっているようである。彼が何かの拍子に失脚すれば、手を貸していた者共々恨みを持つ者達に命を狙われるのは馬鹿でもわかる。正常な思考能力を持っているなら、そんな乗っていれば自分が破滅しかねない泥船になど乗らないはずだ。

 

「うちは大した理由や無いよ。人斬りのし過ぎで他に行き場が無いからってのと、ボスに従ってたら人を斬れる機会が多いからやね」

「俺は、命を、拾われた。だから命で、返している」

 

 俺の問いに対して2人はそれぞれが付き従う理由を返した。片方は恩義による動機であり、もう片方は必要に駆られたからという動機。真逆ではあるがどちらも安心して護衛として側に置いておけるものであった。

 

「お師匠様、全員に話を聞いてきました!」

「多分、聞けた事以上は知らない」

「でかした。それで、何だって?」

「事件については何も……ですが! 鳥のお面をつけ帽子を被ったの不審な男を見たという情報は得られました! 黒い鞄と杖を持っていて、ハーブや香辛料の匂いを漂わせていたとか!」

「ほうほう、それは興味深いな……それで、続きは?」

「それ以上はわかりませんでした!」

 

 弟子は元気良く返事をした。疫病が発生した際に調査や治療を行う者のような格好をした不審な人物、それが何者であるのかは一切不明であるが事件と無関係であると言うわけではないだろう。目立つ人物であるし、目撃情報を追えば見つけられるはずだ。

 

「他に聞けたのは利用料が高い上に中抜きをされる粉挽き小屋への愚痴と、何かにつけて金や物や子供を奪っていく蛙の悪評ばっかり。誰も何も知らない」

「手掛かりだけ、いや少なくとも手掛かりは得られたか。疫病の医師……何故そんな恰好をしているのかは知らないが、そういう格好をしているなら人間と接触出来るところに行く可能性が高いな。周辺の村を回ってみるか……」

「それがええやろな。ここに居ても人斬れんし、つまらん」

「なら私と――んきゅ!?」

 

 欠伸をして先を歩き始めたゲンゾウに対して斬りかかろうとするランジェの頭頂に手刀入れ、始まりかけていた同士討ちを制止する。戦闘狂同士を戦わせると絶対に収まりがつかなくなる。そうなってはどちらかが死ぬ以外の結末は絶対に訪れない。



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42話

 向かっていた村の途中、木の葉の騒めきと潺(せせらぎ)の心地よい音が耳に入る川辺。戦渦に巻き込まれ擦り切れた心を持つ者であっても癒されるであろう平穏なその場所で、破砕音が鳴り苦痛を訴える悲鳴が響く。

 

「7、6、5、4……」

「知らない! 俺だってあれが何かなんてわからねぇんだ!」

「3、2……1!」

「奴は、奴はこの先にある村に向かって歩いて行った。お、おい! これで知ってることは全部話した! 俺はただの野盗だ! 頼む……大人しく捕まるから、ちゃんとした裁きの場に連れて行ってくれよ……」

 

 皮鎧に雑多な鉄板を鋲打ちした防具を身に着けた男は、弟子が唯一無事に残っている指に拳大の石を打ち付けようとすると自分が何も知らないのだと話して俺やフログの部下達に助けを求めた。1本を残して両手足の指が破砕された彼は、与えられる痛みと石を振り下ろすたびに恍惚とした表情が強まっていく弟子に強い恐怖心を植え付けられたようだ。

 聞き込みをするために次の村へと向かう途中、俺達は野盗の集団と遭遇して戦闘となった。数だけで実力の無い彼等との戦いは、一方的な虐殺といった方が正確なものであり数分程度で終わり今に至る。唯一生き残った野盗への尋問は全て弟子の手によって行われている。

 尋問を行うナールはかつて拒んでいた尋問への抵抗を完全に失っていただけなく、加虐心が満たすことを是としていた。獲物を追い詰める猟犬とは違う、知性がある生物が持つ悍ましい攻撃性を彼女は強く発露させてしまっている。これでは業務的な尋問ではなく、満足のための暴力だ。

 

「やりましたお師匠様! ナール、ちゃんと情報を聞き出せましたよ! それに見てください! 戦利品だってこんなに手に入りましたよ!」

「あぁ……そうだな。よくやったな……」

 

 褒めてくれと頭を差し出す弟子の頭頂に手を乗せ、優しく撫でてやる。彼女は優しい子供だとはもう思わない方が良い。御せれば英雄に、御しきれなければ殺戮の限りを尽くす暴力の化身になってしまう可能性の塊だと考えるべきだ。

 

「末恐ろしい、子供だな」

「天然物……えぇ子やねぇ」

「駄目、殺されるくらいなら私が殺すから」

「お前ら、そういう目でこいつを見るな。まったく」

 

 山賊達が持っていた武器の中から大鉈を手に取り、付着している俺の血肉を拭き取って腰布に引っ掛ける。何はともあれ情報を得ることは出来た。これで目撃されていた不審な人物を追いかけることが出来る。

 

「あとは、厄介なことになっていなければ最高なんだがな……」

 

 

「あ、グルギ様だ! どうしたの? 今日はお仕事なの?」

「おぉ、グルギさんか。よくお越しくださいました」

「グルギ様。うちへ寄っていって、今年最後の葡萄を食べて行ってくださいよ」

 

 目的としていた村に辿り着くと村人達がグルギを取り囲み歓迎し始めた。懐いているのか小さな少年少女が花束や花冠を贈ったり、食べていないのがわかる見た目であるにもかかわらず果物を差し出す老人が居たりとかなりの慕われようだ。

 

「随分とまぁ、歓迎されているんだな。何故だ?」

「ここらに巣食っとった魔物を殲滅したからや。もっともそうした理由は人助けじゃなくて、蛙の大将が乗った馬車がそこを通るから安全の為に掃除をしただけなんやけどね。何も知らん村人からしたら、グルギは善人にしか見えんやろうなぁ」

「別にそれでいいんじゃないですか。成した事に感謝している村人さん達と、やった事だけを見れば救世主なグルギさん。それで誰も損はしてませんし! それにグルギさんが慕われているのを利用すればナール達の情報収集も楽になりますし!」

 

 ナールはグルギの評判を活用する気満々で村人へと近付いていった。

 使える物は何でも使う。俺が教えたことを彼女は教えられた通りに実行している。以前の彼女のであったなら、持たなくても良いような罪悪感が邪魔をして実行に移せなかったはずだ。やはり彼女は変化し始めているのだろう。

 結論から言えば男は村を訪れたが、特も何もすること無く水と食料を購入して行っただけしかわからなかった。だが、それによってわかった事もある。

 

「これは、フログ通貨では、無いな」

「一般的な金だな。フログ通貨ってのは?」

「うちらのボスが領内の農村から鉄という鉄を買い取って、代金として返した屑鉄の地域貨幣。妙に分厚くて重い上に、形が歪で穴が空いてへんから纏められん」

「ゴミみたいな独自の通貨だな。賄賂として使えない屑鉄を財産にさせ、外国から物を買うことが出来ないようにした上で手懐けた街の人間が作った商品を買わせてるんだろう」

 

 改めて村を良く見れば、農具は木製の農具ばかりで鉄製の物品は極度に少ない。これでは搾取に対して反乱を起こすのは至難の業、仮に起こせたとしても裸と石で完全武装の兵士が構える槍衾に飛び込むしかない。

 

「ゲンゾウ、農民達から穀物を買い取っているのはフログが頭の商会で、フログ通貨と金の両替もやってるんだろ?」

「ようわかったな。その通りや」

「成る程、なら良く出来ているな。経済をよく知らない連中から搾り取るのにこれほど効率の良い方法は中々ない! 金で金を稼ぐ! 賢い男じゃないか!」

 

 蛙男の発想に感心し過ぎて笑みが抑えられない。この経済循環は蛙にとって延々と財を産む領土であり、その経済を回している人々は農奴のようなものだ。

 

「国土無き王国、蛙の王国!」

「感心してる……お師匠様感心し過ぎてぶっ壊れた……」

「え、怖……」

 

 珍しい反応をした俺の反応に対しランジェは恐怖を覚えたらしく、槍斧を抱きしめて身震いをした。見慣れない類のものに恐怖を覚えるのは万国共通で、価値観が違っても感じるものであるらしい。



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43話

諸々を修正いたしました


 目撃情報を辿って着いた場所は蛙男と会った城がある街、ヴェスラの裏路地であった。追いかけていたはずの相手が実は近くにいた。これだけ聞けば「いやいやそんなことないだろう」と思うかもしれないが、こういった事は案外によくある。

 ヴェスラの裏路地は元"華の都"アルバルドのそれによく似ている。乱雑で汚く、怒声と敵意の視線で溢れて混沌としている。この土地に詳しくない旅人が足を踏み入れたならば、衣服を含む全ての所持品を奪われるか命を失うかのどちらかになる。

 近くにある家の中から木材が軋む音と若い女の嬌声が聞こえて来る。そちらに目を向けると、その家の扉の前に赤ん坊を背負った幼い少女が座っていた。訪れた村々で農民が被っていた帽子を同じものを被っている彼女の母親は、恐らくだがその実を犠牲にして彼女達を飢えさせまいとしているんどあろう。

 

「"暗闇では最も近い足元こそ見ろ"。諺になるだけあるな」

「今回の場合は仕方ないと思いますよ……」

「見知らぬ土地で人探し、案内役になりそうな2人は蛙の護衛でさよなら。状況はあまり良くないけど、どうするクルツ?」

「どうするもこうするもない。俺達は俺達のやるべき事をやるだけだ」

「待ってください! お金を……お金をちゃんと払ってください!」

「知るか! くれてやった小銭を持って失せやがれ!」

 

 俺が言葉を発し終えたその時、女が家から放り出され閉め出された。

 転倒させられた女の周囲には10枚前後の鉄貨が散らばっている。潜りで娼婦の真似事をしていたのに前金を受け取っていなかった彼女は、質の悪い客に騙されてしまったらしい。あの程度の金では1人の空腹を満たすことはおろか、一欠けらのパンすら買うことが出来ないだろう。

 外で待たされていた少女は母親に駆け寄り、疲れ果てて立ち上がれない彼女を労わる。そんな悲惨な親子の様子を見せられては、異形の体に残っている人の心が揺さぶられ体が勝手に動いてしまう。俺は彼女達に近付いて鉄貨を拾い集め、悟られぬ様に何枚かの小銅貨を紛れ込ませて母親に差し出した。

 

「さっさと拾わないと俺みたいなのに奪われるぞ」

「あ、ありがとうございます」

「まったく……ナール、ランジェ、調査に行くぞ」

「はい! 行きましょう!」

 

 ナールは師が何をしたのかに気が付くと、親子に背を向けてその場を歩き去っていく俺に追いついて腕に飛びついてきた。密かに救いの手を差し伸べた姿勢がお気に召したらしく、ぶら下がりながら頬を腕に摩り付けている。単に賞賛を求めての行いだと思われたくないからそうしただけだったのだが、それは言わないほうが良さそうだ。

 

 

 不審者を探し始めてすぐの事、事態は急に動き出した。

 何と驚くべき事に探していた人物がすぐ見つかったのだ。ただし、見つかった仮面は着けておらず殺された状態ではあったが……。

 

「――っという具合に、あんたらを案内した後に酒場でちょっと長めの休憩を取っていたら悲鳴を聞いて、見にきたらこうなっていたわけだ」

「それサボってたんじゃ……」

「立場が危ういだろうし言ってやるな。目撃者は?」

「一応聞き込みはしたがまったく居ない。人気の無い場所に入り込んで、必然的に追剥ぎに襲われて身包みを剥がれた。この事件はそれだけのものだろう」

 

 この土地に訪れた際に出会っていた衛兵は、仮面を剥がされ血濡れで横たわる疫病を治療する意思が着用するローブを羽織った男を見下ろしてそう言った。見つかった不審者は腹部に刃物を突き立てられており、その刺さり方から前方からやって来た何者かに襲われたのだと想像出来る。

 

「起こった事はただの殺人ですけど、どこか違和感がありますね……」

「どういうこと?」

「そんな簡単に殺されるような奴だったのかって話だ。狼煙を上げる暇さえ与えずに兵士達を葬れるような奴だぞ。ただの追剥ぎにやられるのか?」

 

 起こった出来事に対して疑問がどんどん湧いてくる。起こっていることは全て繋がっており、理由があってそうなっているのは間違いなのだが何1つとして解が見えてこないのが不気味でならない。

 

 

「これからどうすればいいんでしょう……」

「不審な人物、犯人と思われていた男は死んだが事件は解決したわけではないし、とりあえず現状の報告を……おっと! 2人とも今すぐ武器を抜け。絶対に音は立てるなよ」

「わかってます。血の臭いにこの咀嚼音、何かが生肉を食べてますね……」

 

 次はどうしたものかと考えながら目的を定めずに歩いていると、進行方向にある曲がり角の先から非日常の気配を感じ取った。食っている側も食われている側も何者であるかはここからではわからない。

 忍び足で曲がり角まで行き、ゆっくりと角の先へと目を向ける。するとそこには頭髪が半分抜け落ちた妙に大きい頭と大中小それぞれ3対の手脚が胴体に縫い合わされた生物が、人であった肉の塊を夢中になって貪り食っているのが見えた。

 

「あれは魔族でしょうか? それとも魔物でしょうか?」

「わからん。街に住み着いて悪さをする魔物と生物は知り尽くしているが、あの大きさと形状のものは見たことも聞いたこともない。魔神や魔族であるようにはまったく見えないが、そうであるかどうかは確認してない今はわからない。一先ずは正体不明の怪物……とでもいうべきだな」

「ようは何もわからないんだ」

「……そうとも言う。魔神教徒の一件みたいに放置していたらまずいことになるかもしれないし、危険は承知で一度接触してみるとするか」

 

 いつでも振るえるように利き手を握り込み、正体不明の生物へと近寄っていく。一歩また一歩と近寄っていくにつれて耳に入る音が増えていく。荒々しい嚥下と息遣いに零れ落ちた血の滴る音。得体の知らない相手が立てているこれらの音は、恐怖心を容赦なく駆り立ててくる。

 

「おい、そこの人食い野郎。言葉はわかるか?」

「……ミタス……ハラミタス」

「ひぃっ! お師匠様、これやばいですよ! やばすぎますよ!」

「あぁ、話は通じなさそうだ」

 

 声をかけられた異形の者は立ち上がって振り返った。こちらに向けられたその顔は3つの人間の顔が溶け合って出来たような顔であり、3つある口の全てには血液が付着している。怪物の腹は大きく膨らんでおり、もう既に何人かを食したことが伺える。

 

「クウ……クウ……クウっ!!」

「来るぞ!」

 

 こちらが様子を伺っていると、怪物は子供達に向かって跳躍した。

 俺は歯を剥き出しにして弟子に飛びつこうとする怪物の胴に拳を打ち付けて地面に叩き落とす。怪物は地に伏して痛みに悶えながらも、体内から零れ落ちた吐瀉物を拾い集めて再び胃の中に収めながらも、子供達からは決して目を離さない。腹を満たすことに執着しているようで、涎を垂らしながら腹を鳴らし続けている。

 

「な、ナールは食べ物じゃない!」

「食べられる気、無いし。ナールも食べさせない。食べられるくらいなら私が殺すから!」

 

 気色の悪い視線に耐えかねたナールがランジェと共に怪物に斬りかかり、首を切り落とそうと試みた。それに対して怪物は腕を盾として使って攻撃を受け止める。そして獲物を仕留めることが出来ないと悟ったのか、体勢を整えると跳躍し汚物とゴミの浮かぶ水路へと飛び込んで水中へと消えていってしまった。

 

「逃げられたか。意思疎通が出来ないだけで、知能はそこそこ高いみたいだな」

「そうみたいですね……。あの……お師匠様、少し物陰に行ってもいいでしょうか?」

「どうし――あぁ、そういうことか」

「いつもの。手伝う」

 

 血濡れの短刀を持ったナールは脚を閉じて視線を逸らし、言い辛い事情がある様子であった。執拗なまでの食欲を向けられるという恐ろしい経験を味わい、漏れ出してはならない物が漏れ出してしまったようだ。経験が希薄な時に彼女と同じ経験をすれば、俺を彼女と同じ状態になってしまっていたに違いない。だから恥じる必要はないだろう。



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44話

「失礼、クルツ様ですね? カーラ様が是非お会いしたいと仰っております」

「うわ……きつ……」

 

 一先ずは蛙男に報告を行おうと思い城へ向かった俺達の前に、使用人の服を身に纏ったルナが現れ愛想良く丁寧な喋り方で話しかけてきた。以前の印象と真逆な今の彼女を弟子は受け入れられないようで、拒否反応が言動に出てしまっている。

 

「生憎だが――」

「ご案内致しますので、どうぞこちらへ」

「……美人の貴人の誘いを断るのは勿体無いか」

 

 俺が口を開こうとすると、ルナは言葉を重ねて喋らせないようにした。彼女は使用人としての仕草を行いながらも時折小指を小さく折り曲げてみせたり、瞳の動きを使ったりして付いてこいと合図をしている。いいから黙って付いてこいと言いたいのだろう。

 俺は彼女がそうしようとしていることや、それに気づいたことを周囲の者達に悟られぬように、邪な意志があって令嬢に会うのだと思わせるために声量を少し上げて言葉を発した。

 

「狐の人、"火"の残り香がする。敵かも?」

「いや、敵じゃないのは間違いない」

「断言する理由は?」

「こいつが呪術と闇討ちの専門家だからだ。敵ならもっと早い段階で危害を加えていたはずだし、そうなっていれば俺達はもう生きていなかった」

 

 先導する狐の後ろを後ろを歩きながら敵ではないと判断した理由を子供達に説明した。これは知っている彼女の情報から導き出した推論に過ぎないが、これだけは絶対に当たっている自信がある。

 

「狐、強いの?」

「二言目にはそれか……。勝利の為なら手段を選ばない俺の思考と腕力以外はナール以上の身体能力を持ち、専門家並みの呪術を扱える悪党。これが弱いかどうかはお前が判断して決めろ。少なくとも俺はこの女を敵に回したくはない」

「凄い人だったのですね。ナールは程度の低い悪人なのかと……」

「そう思わせないよう、本性に演技を交えて振舞っているだけだ。綺麗な皮の下にはどす黒い欲望と悪意が渦巻いてやがるから気をつけろよ」

 

 否応でも鼻に入る赤狐の残り香の甘さに脳を犯されながら、徹底的に清掃され滑らかにされた肌触りの良い石畳の道を歩いていく。狐の匂いは獣欲をそそる様なものであるが、俺の内からはもっと違う欲望が沸き上がってくる。

 それはこの眼前の柔らかい肉を食いちぎりたいといった食欲だ。胃袋が収縮を始めて音が鳴り続け、溢れんばかりの涎が口内を満たしていく。欲望を抑える為に首を背けてみるが、そうしたことを酷く後悔することになった。

 

「どうかしたのですかお師匠様?」

「クルツ、辛そう。大丈夫?」

 

 視線の中に隣を歩く2つの肉の塊が入ったことで、空腹感は耐え難い物へと変わり果てた。今すぐ何かを口にして胃袋の隙間を埋めなければ、取り返しのつかない事態になってしまう。絶対に避けなければならないその事態を回避するため、俺は弟子が背負っている鞄を開け、保存食として持たせていた肉の塩漬けを口に放り込んだ。

 本来なら削ぎ落すべき塩の欠片を、払い落さずに口に含んだために口内の水分が一挙に無くなり渇きと共に塩辛さによる苦痛が押し寄せてくる。だがしかし、これだけで畜生に変わり知人を食い殺さずに済むなら耐えられる。

 

「モンダイ……無くした。気にするな」

「お師匠様……」

 

 塩漬けを飲み込むと、空腹感は消え去り喉のざらつきから来る不快感だけが残った。そんな俺を弟子は心配そうな眼差しで、鯱娘は恐怖と戦意の混ざった顔で、赤狐はかつての仲間が怪物になりつつあるのを察したのか憐れみの籠った瞳を向けていた。

 

 

「これが病と毒でコムラでセキホ一族を侵した"疫病"、傭兵クルツ……」

 

 カーラという名前の領主の娘は元から知っていたのか、もしくは"赤狐"に教えられていたのか、俺の事を知っていたようで案内されるがままに庭園に建てられた東屋にやってきた俺を見ると二つ名と名前を口にした。開口一番に呼び出した相手に対して"これ"と言ったところから、彼女が俺を化物として見ていることが感じ取れる。

 

「お初に御目にかかりますカーラ様。御声がけ頂いただけでなく、一傭兵に過ぎない私めの名前まで覚えて頂けているとは誠に嬉しく存じます」

「まぁびっくり! ルナが言った通りになった!」

 

 丁寧な言葉を使い跪いて挨拶をすると、カーラは淑やかではない無邪気な少女のような反応を見せた。ルナの名前を口にすることが出来、俺がどの様な動きをするかの予想を聞かされている。この御息女は少なくとも"赤狐"の正体を知っており、彼女から様々な情報を得ている。

 

「"赤狐"、こいつはどういう――」

「そうカリカリビクビクするなって! 私はお前に危害を加えようだなんて考えてない。友人を取って食ったりなんてしないよ」

「こいつ!」

「ナールちゃんもカリカリしないの! ほら、これあげるから取り敢えず落ち着いていつもの可愛いお顔を見せて頂戴よ」

 

 何故か俺がベーリンを食べたことを知っているルナの発言に激昂した弟子に対し、"赤狐”は贈り物を送ることで弟子の怒りを収めようと試みた。

 彼女が差し出したのは見覚えがある、今俺の血肉を覆っているものと非常によく似た毛皮で包み込んだ何かだ。

 

「わぁい、お師匠様の皮だぁ!」

「やっぱりかよ! なんでわかるんだよ!」

「……何か落ちた。あっ──」

「どうしたん……だ──」

 

 俺の皮に喜ぶナールが毛皮に夢中になって床に落とした何かを見たランジェが言葉を失ったので、そちらに視線を向けてみるとそこにはここにあるはずのないものが転がっていた。黒く、禍々しく、視界に入れているだけで嫌な気配を感じられる人形。それはベーリンと会う少し前に訪れた村で見た蝋人形であった。



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45話

「何故これを……もしかしてお前、"大火"を追っているのか?」

「いいや違う。私はカーラちゃんと古くからの友達でね。奸臣に困っていると聞いて、ちょっくら掃除の手助けに来てたら偶然手に入っただけさ」

「ルナは嘘吐きですが、今言っていたことは全て本当ですよ。後半については……聞かなかった事にしていただけるとお互い嬉しいかと」

 

 カーラは信頼され難い友人のために、友人の発言が真実である事を認め、その上で脅迫を交えたお願いをしてきた。悪党であるルナと付き合えているし、存外に強かなのかもしれない。

 

「元はフログが"願いを叶えてくれる珍品"として取り寄せていたそうなのですが、良くない代物だと勘付いて持て余していたようなのです。ルナを忍び込ませて見てもらい、危険な物だとわかったので適切に処分するために買い取りました」

「欲深い人の下に送られ化物を生み出すはずが、欲深いが故に持ち合わせている警戒心に引っかかって阻止された、と。あの気色の悪い視線を向けてくる人が痛い目に遭わなかったのは少し残念ですが、"大火"の狙い通りに事が進まなかったのは僥倖ですねお師匠様!」

「ナール、いい性格してる……」

 

 可愛らしい見た目に反して口が悪い弟子に、ランジェは苦笑いをした。彼女はどうしようもない戦闘狂ではあるが、3人の中では最も素直な性格をしているので、正確に少し癖がある弟子に少し引いてしまったのだろう。

 

「それでこの像はこうしてしまえばそれで終わり。私達がお前を呼び出したのは、別件で用事があったからだ。国境沿いの事件、追ってるんだろう?」

「あれか? 犯人が呆気なく死んでいたし、もう終わったんじゃないのか?」

「死んだが死んでない。追われていることに気付いて入れ替わっただけさ」

「ちょっと良くわかりませんね。どういう事なんです?」

「どういう事なんだろうねぇ? 教えて欲しいかい?」

 

 ナールの質問に対してルナは、にやけ顔を返した。良い性格をしているとは言えない彼女はいつも通り相手を揶揄おうとしているのだろう。

 

「人間、本体じゃない。とか?」

「……この少し生臭いが可愛い子は?」

「名前はランジェ、ベーリンを倒した戦士の娘。魔神教徒で強者と戦いたい戦闘狂だが、極悪人と言うわけじゃない。お前よりは善人だ」

 

 正解を言い当てた鯱娘が何者であるのか問われたので、俺はその問いに素直に答えた。いつの間にか彼女はカーラの膝の上に居り、香水を振りかけられたうえで大きなぬいぐるみのように可愛がられていた。黙っていれば、動かなければ愛らしい子供である。

 

「死体が残って仮面が無かったということは仮面が本体。着けると体を取られる"呪いの仮面"、ありがちでつまらない呪いの物品の蜥蜴の尻尾切り」

「あら、博識なのね。いい子いい子」

「これ……初めてだけど悪くない」

 

 カーラに頭頂部を撫でられたランジェは困惑した表情ながらもどこか満足そうだ。与えられることのなかった類の愛情を享受しているのだろう。

 

「まぁそういう事だ。問題を起こしている犯人は以前逃亡中、追って捕まえようにも追っているのを悟られれば性別や体躯で探すのは至難の業さ」

「面倒な相手……だが不思議だな。潜伏に適した力を使って影ながら活動出来るというのに、何故わざわざ目立つような事件を起こすんだ?」

「さぁ、それはわからない。お前がベーリンを殺したのを見計らったかのように事件が起こったし、『お前に解決させるために事件を起こした』だったり――。……いや、流石にそれは都合が良すぎるか」

「あり得ないな。現実はご都合主義全開の絵物語じゃない。だがしかし、いや……もしかするとあいつなら仕込めかねないか……」

 

 絶対に怒りえない推測を述べ、自身でそれを否定したルナに同調しつつもとある可能性を考慮していた。彼女の推測が正しいのであれば、それは俺達にとって都合が良すぎる。全てを仕組める者などそれは神か神に等しい者、それこそ"大火"くらいなものだ。

 

「だが、何のために?」

「目的は――。目的はお前じゃないのか? 動機はそうだな、『構って欲しい』とか『存在を意識して欲しい』とかそんな面倒臭い少女みたいなものかも」

「それなら無視すればいいのでは!? わざわざ付き合う必要はありませんし!」

 

 後ろに回り込んで体を密着させ、脇腹に指を這わせながら囁くルナをナールは大慌てで俺から引き剥がす。引き剥がされる寸前、ルナは腰布に下げている袋の中に何か硬く細長い物を入れた。受け渡しを勘付かれないように弟子の嫉妬心を利用したのだろう。

 

「無視することは出来るかもしれないが、かなりし難いだろうね。ナールちゃんのお師匠様は頼れる存在だが弱点が多過ぎる」

「弱点……?」

「君、それと今はランジェちゃんもかな? この垂らし男にとっての守るべきものさ。そういったものを"大火"は絶対に利用してくるはずだ」

「守るべきもの、ですか……」

 

 ナールは言葉を反芻し腰に差した短刀の柄尻を撫でながら考え込んだ。師から庇護対象とされることに対しての嬉しさと、未だに自分の身も守れない未熟者であるという事実を突きつけられた事への悔しさが言葉と動きから感じ取れる。

 

「おっと、そろそろいい時間だな。カーラ、これ以上は蛙に怪しまれるぞ」

「そうですね。……傭兵クルツ、次に蛙と会ったならきっと部屋を貸し出されて泊まるように言われるでしょう。そしてその部屋には見た目の良い飲食物が置かれているはずです。それらをすぐに暖炉で処分しなさい。子供達を守りたいなら、命が惜しいなら」

 

 太陽の位置から経過した時間を計ったルナは階段を止めるようカーラに提言し、カーラはそれを受け入れた。去り際に彼女は俺の方へと目を向け、警告を発しながら歩き去った。友人の友人を助けようと思ったのか、或いは蛙男を失脚させる手先を手に入れるために恩を売っているのか。その2つの内のどちらかだろう。

 いずれにせよ彼女は敵ではない。それだけは確かだ。



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46話

 蛙男に現状の報告を行うと、カーラの予想通りに部屋を貸し出され泊まるように促された。絨毯の敷かれた部屋には暖炉と寝具、所持品を収納できる棚と机があり、机の上には良い色になった美味そうな料理と果物の盛られた皿、そして蜂蜜酒の入った瓶が置かれている。

 強固な鍵で施錠出来る大きな窓の付いた室内は暖かく、冬が近づき冷たくなりつつある夜風を感じることないはずだ。奥へと続く扉の先には風呂桶の置かれた浴室があり、湯を注ぎこめば入浴を楽しむことが出来るようになっている。

 

「美味しそうですが、警告を聞いた今食べる気にはなれませんね……」

「蛙男はお前達を気に入っていたから、死ぬような類のものは入っていないだろうがな。兎も角、色々と適当を言って1部屋に固まれて良かった」

「鍵は丈夫で風も入らない。一先ず安心?」

「逆だ。安心させる作りなのがむしろ不安だ」

 

 扉や窓を調べ、完璧な施錠が出来る事に不安を掻きたてられる。扉の鍵も頑丈そうであるし、この部屋は安全で快適に過ごせる部屋であるように思えてしまう。だがきっとそれはそう思わせるように作られているだけなのだろう。

 酒の入った瓶の封を切り、少し口に含んでみると少し妙な味と舌触りを感じた。この酒の中には何かの異物が入っている。悟られずに大柄な俺を殺せる毒の量を混入させるのは困難であろうし、入っているのは恐らく睡眠を促す薬だ。料理にも同様の物が含まれているに違いない。

 

「蛙男が今夜何かしてくるとしたら俺達を薬で眠らせて合鍵で侵入、俺の暗殺とお前達の拉致を達成するって具合のことだろうな。人数は5か6ってところだろう」

「どうします? 襲われる前に部屋から逃げておきます?」

「いいや。ここで待ち伏せて、敵を全員殺して笑顔で蛙男に朝の挨拶をする。あの男も馬鹿じゃないからそれが俺達からの警告だとわかるはずだ」

 

 送り出した手勢を皆殺しにした俺達が特に意味も無く挨拶に来る。「お前が犯人だとわかっている。黙っていてやるからこれ以上こちらに手を出すな」という意思表示にこれ以上のものは無いだろう。自分の感情に従えば立場が危うくなると理解できる知能と利益を優先する性格であるあの男ならば、間違いなくそれ以降は俺達に手を出さなくなるはずだ。

 そうと決まれば待ち伏せの準備を始めなければ。襲いに来るはずの者達が想像している通りの俺達を演じてやり、想像も出来ないような方法で彼等を1人残らず始末する。そうして最期は喉を通して胃の中に――。

 

「チガウチガウ。ソウ……じゃない、そうする必要は無い」

「お師匠様……あの発作ですか?」

「あぁ、だがもう大丈夫だ。さぁ準備をするぞナール!」

「全然大丈夫じゃない。すごい涎……」

 

 ランジェは蛙男の手下を襲う準備を始めようとする俺の顔を見て呟いた。彼女に言われてようやく気が付いたが、俺の口元からは溜まった涎が溢れ出している。これではまるで、これではまるで獲物を前にして抑えの利かなくなった獣のようではないか。

 

 

 穴に合うように作られた金属の棒が挿し込まれ、捻られ噛み合った部品を回転させた金属音が室内に鳴らす。取っ手を回され扉がゆっくりと開かれ、6人分の忍び足で部屋へと侵入し明かりの消され、鼻を突く濃い香水の香りで満ちた室内の様子を確認している。

 

「香水臭せぇな、客用に置かれた香水でガキが遊んだのか?」

「ガキは2人ともベッドで毛布を被ってる。デカい犬野郎はそこだ。予定通り大槌で頭を砕いて、その後にガキ共を連れるぞ」

「座ったまま寝てて……起きていないよな?」

「起きてたら俺達に反応するだろ。それがないってことは盛った薬で寝てるんだ。ほら、さっさと頭を砕いちまえ。こいつがどんな化物でもそうすりゃ死ぬはずだ」

「あぁ……わかった。悪いが金のた──」

 

 急かされて大槌を振り上げた男が喉を押さえて苦しみ出す。壊れた管楽器のように掠れた息をを吐きながら、力の抜けた身体を周囲の仲間に身を預けた。

 

「こいつ、ら……気づいデダ……」

「これは毒か!? 畜生、撤退だ!」

「来てすぐ帰るなんて冷たいじゃないカ。歓迎サセロヨ」

 

 薄目を完全に開いて眼を光らせ、眼前に立っている男の両肩を掴む。開かれ涎が糸を引く大口を恐怖で引き攣った彼の顔へと近付けていき、頭部を胡桃を割る様に挟み込み砕く。割れた骨の中から溢れ出す強烈な臭いと吐き気を催す味、生の内臓に舌を這わせたかのような最悪の舌触りが口内で暴れ出す。

 毒で倒れた男を踏み潰しながらあまりの不快感にそれを飲み込めず口の左右から肉を零す俺を見た侵入者達は、被食者の恐怖を刺激されたらしく逃げ出した。しかしながらその逃走は高所に潜み布で顔を覆った小さな悪魔達が大きく重い棚を倒して扉を塞いだことで防がれた。

 

「香水で毒の臭いを隠し、ベッドの膨らみは枕……子供2人だけが高所に避難していたところから察するに、毒は地を這うもので毒は喰らわないか……」

「毒自慢の暗殺者か。お気の毒にな」

 

 ベッド脇に備え付けられていた机を持ち上げ、片手で返しの付いたナイフを持ち場を仕切っていた男を叩き潰す。先手を取り毒で相手を弱らせることを得意としていたのであろう彼は、決して弱い人物ではなかったのであろうが相手が悪かった。

 

「残りは3、いや2人か」

 

 弟子達の方を見ると丁度2人が侵入者の1人に止めを刺したところであった。残った侵入者は2人で既に毒が体に回り鈍っているように見える。危険が無い限りここは2人に任せ、弟子に実戦経験を、鯱娘には弟子と連携して戦う経験を積ませた方が良いだろう。

 彼女達の集団としての戦い方は、暗がりであることも相まってぎこちない。お互いの体が邪魔となって絶好の機会に攻撃できない時もあれば、時折肩をぶつけ合ったりもしている。足の引っ張り合いで、各々が持つ最大の力を発揮できなくなってしまっている。

 反して暗殺者側の連携は完璧に等しく、入れ替わり立ち替わりで攻撃を行い、不慣れとしているであろう真正面で向かい合っての戦闘で2人と対等に渡り合っている。敵ながら見事なものだ。

 

「ナール、邪魔!」

「そっちこそ!」

 

 勝てる相手に勝ちきれず積もった苛立ちを少女達は遂に口から発した。

 その口論の様子には懐かしさを感じた。"振り香炉の勇者"一行が結集したての頃、勇者一行は戦闘で全く連携を取ることが出来ず足を引っ張り合っては喧嘩を起こし、その度にケイに仲裁される流れが何度あったことか。

 その時の経験からどうすれば纏まり慣れない集団に纏まった行動を取ることが出来るかはわかっている。要は皆が共通して1つの事に取り組むことが出来るように指示を出してやればいいのだ。椅子から立ち上がらせ同じ方向に歩かせたり、石を同じ方向に投げさせるのと同じ方向に投げる指示をするのとそう変わらない。

 まだ他者と協力して敵と戦う事に慣れていない少女達が、それに慣れるまでは的確な指示を出してやろう。経験を積んで助言が要らないようになってもらうために、助言を与えるのみで手は貸さないでおこう。

 

「2人ともよく聞け。今からは敵の殺傷を優先せず、相手が嫌がることを全力でし続けろ。どう動いたら敵が嫌なのかを考えれば自然に勝てるようになる」

 

 少女達が上手く連携できないのは、蓄積した経験をもとに最善の行動を取って最速で相手を仕留めようとして行動が被ってしまっていたからだ。最善手は確かに強い行動ではあるが、集団における戦いでそれをやると混雑が発生してしまうかもしれないし最も良い手であるが故に敵から予想もされ易い。曖昧さや性悪さがある手段の方が良いのだ。

 

「嫌な事、嫌な事」

「やられたくない事……」

 

 助言を受けた2人の動きは一気にここに戦っている時と同じ、洗練された物へと変わった。ナールが斬り込む時はランジェが牽制として槍斧を突き出し、ランジェが敵の手脚や関節を狙って突き出した槍斧を引っ込める時はナールが躍り出て攻めようとした敵の出鼻を挫く。少女達の動きは先程までの醜態が嘘のように良くなった。実力差を埋めていた連携の稚拙さが消えた今、わざと負けようとしない限り負けるのは難しいだろう。

 見ている内にその時は来た。1人が剣を振るった際に弟子がそれを短刀で受け止め膝を蹴り砕き、そうして体勢が崩れた敵の腹部に鯱娘が槍斧を突き立て致命傷を与えた。戦闘力で上回っている相手に数的優位まで取られた最後1人は抵抗らしい抵抗も出来ずに屠られる。持っていた剣は手首を切られたことで落としてしまい、残った手足での格闘も避けられるか関節を撃たれて防がれ、2人の凶刃に身体を何度も切り裂かれた。

 血飛沫が舞い散る中で血濡れとなりながら刃を振るう少女達。獲物を死へと追い詰めるその乱舞にはある種の美しさのようなものが感じられる。



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47話

 日が昇り丁度良い時間となった時、俺達は使用人の1人に部屋を汚したことを告げてから蛙男の下に"挨拶"をしに向かった。子供達2人は着替えて身体を拭いているが、俺は血の染みを口元に付けたままであるので出会う全ての使用人達の視線は恐怖で染まっている。

 

「何だ傭兵、朝っぱらから何の用――」

「夜食と下賜の御礼をと思いまして」

 

 暗殺者が持っていた財布や大槌を見せながら肉片を挟んだままにした口で笑みを作り、下手に出ている素振りを見せて礼をする。凶悪な見た目は不便に感じる事が多いが、今のような恐怖心を植え付けたい場合には便利だ。

 

「そ、そうか……喜んでもらえて良かった」

 

 会ったことのない類の相手に警告の混じった挨拶をされた蛙男は恐怖を覚えたらしく、首を振って周囲に護衛がいるのかを確認した。

 彼が視線を扉へと向けたその時、扉が勢いよく開かれこの地域で最初に会ったあの兵士が姿を現した。荒い呼吸をし、頬を汗で湿らせた彼は崩れるように膝をつくと枯れた声で話し始めた。

 

「報告致します! 国境沿いの村落を見たことがない化物と……仮面の女が襲っています! 居合わせた者が対応していますが、あまりにも数が凄まじくて……ここに来るのも、もう時間の問題かと……!」

「仮面っ! お師匠様!」

「あぁわかってる。2人とも行くぞ。ハゲとした約束を終わらせて、ついでに気は進まないが少しだけこのクソッタレな世界を救ってやろう」

 

 報告を終えると同時に倒れた兵士と蛙男に背を向けて歩き出す。

 相手が大きな行動を起こしてくれたおかげで、ようやくこの地域にやって来た本来の目的を果たせる。それに摩訶不思議な存在である仮面ならば、同じく摩訶不思議な存在である"大火"について何かを知っているかもしれない。そうであったなら都合が良い、そうであって欲しいものだ。

 

 

 兵士の報告の通り、街を出て少し歩いた場所まで化物は迫っていた。

 以前街中で襲ってきた複数の人間達を混ぜ合わせたような魔物の群れが、壊走する兵士達や逃げ惑う者達に襲い掛かっている。化物の動きから、統率が取れているというわけではなく各々が好き勝手に眼前の生物を襲っているように見える。

 

「指揮されているわけではないのか、指揮出来ていないのか」

「どちらなんでしょうね……」

「関係無い。全部倒すだけ」

「そうだな。2人共、まだ戦える兵士を出来る限り回収しながら前に進むぞ。街と逃げている連中は街に居る衛兵に任せて俺達は仮面をつけた女とやらを仕留める!」

 

 暗殺者から奪った石切りにも使えそうな大槌を握りしめ、勇者一行に属していた時にしていたように露払いとしての少女達の前を走る。目に見える範囲に居るのは200程度で街へ向かっているように見える。少なくとも突破は容易そうだ。

 

 先陣を切り、眼前に迫る化物の顎を大槌で下から上に向けて叩きつける。腰の回転を加え全体重を乗せた大槌は化物の頭部を下側から打ち砕き、破裂した骨肉が花火のように打ち上がる。

 襲い掛かろうとした矢先の一撃を受け、動きを止められたその魔物の残った頭部に対し、体の脇を摺り抜けた子供達2人が攻撃を加える。弟子は額に短刀を突き刺した状態で根元から折って致命傷を与え、鯱娘は槍斧の一振りで肉の繋がりを断つ。そうして瞬く間に1体を倒すことは出来たが、突破して前へと進むにはまだまだ壁はあり、それはこちらを捕食しようと迫っている。連携して1体を集中的に攻撃して倒すことはもう出来ない。ここからは各々が仲間を守りながら前へと進んでいかなければならないだろう。

 

「っ! 正面を抉じ開ける! 邪魔者をやれ!」

「ナール、左!」

「ランジェ、右!」

 

 俺が食い千切られ食い千切りながらながらも大槌を振り回し、前方へ進む道を作っている間。俺達を挟み込むようにして左右から襲い掛かろうとする魔物に対し、弟子達は時折お互いの場所を入れ替えながら戦い続ける。

 ランジェが死角から襲われそうになったならばナールは投げ輪を投げ、その逆が起こったならばランジェは呪術か何かで虚空より触手の束を呼び出して魔物を握り潰す。2人はお互いの死角と足りない部分を補い合い、俺が道を開くまで耐えてくれた。

 

「メシ、人飯! 食ウ!」

「マンマ、マンマ!」

「この人喰いの化け物共め……。お、おい! お前達逃げるな! ここで出来る限りを食い止めないと先に逃げた女子供が食われちまうんだぞ!」

「知るかよ! 俺達は逃げさせてもら――」

 

 敵の壁を突破した先には円陣を組んで戦っている兵士達が居た。彼等の内の数名は街とは別の方向へと逃げようとしたが、すぐに孤立したことに気付いた魔物に狙われ捕食されてしまう。群れから離れた被食者が捕食されたかのようだ。

 

「馬鹿な奴め。そこのあんた、助けに来てくれたのか?」

「仕事だから来ただけだ。仮面はどっちだ?」

 

 肉を飲み込み傷口が治っていくと違和感と痛みを感じながら、俺に対して過度な期待を持った兵士にあくまでも仕事で訪れたのだと伝える。勝手に御立派な人物であると思われ期待されても困る。

 

「あっちに居る……が、道中に妙に身軽な奴が塞いでいて辿り着くのは無理だ。ここは一度退いて城壁を活用すべきだ!」

「……馬鹿かお前は」

「ば、馬鹿とは何か! こっちはお前が無駄死にしない様に親切心で言ってやってるってのに!」

「それなら余計なお世話だ。いいか、良いことを教えてやろう。今から戻っても城門が閉じられていて逃げられない上に、城壁で足止めされている魔物と鉢合わせて集中的に狙われることになる。それこそ無駄死になるだけだぞ!」

 

 魔物が登ろうと殺到している城壁を大槌の先で指差す。そこは城攻めの様相を呈しており、兵士達が城壁の上から石を落として登ってくる魔物を落としたり、手足を掴まれ下に落とされてしまったりしている。

 驚くべきことにその城壁の上にはあの御令嬢が立っており、指を差し大きく口を開けて兵士達に指示を出している。見ているだけではいられなくなったのだろうか。勇敢な娘だ。

 

「それに城壁を守れたとしてもそれは一時凌ぎにしかならん。相手方にとって重要な部分を崩さない限りは何度だって大群を作り上げて仕掛けてくるはずだ」

「そうかもしれないが……だがな、仮面が相手にとって重要かどうかはわからないだろ。何か確証はあるのか?」

「強い個体がいるのにそれを前線に出さずに守りに使う。これって王や皇帝を守る近衛兵に似ていますよね? つまりそういう事……なんですよね?」

「あぁそういう事だ。この話を信じるか信じないか、乗るかどうかはお前ら次第だ。行き残っていたいだけなら、ここで固まって襲い掛かってくる奴等の相手でもしていろ」

 

 彼等の言動から正義感に溢れているとわかっているので、それを強く刺激する言葉を投げかけてから教えられた方向へと向かう。兵士の、それも彼等のような正義の味方のような類の者は見知らぬ者に命令されても彼等は動かないだろうが、正義感を刺激する言葉を吐きかけてやれば動く。彼等は自分が良い人間であるという部分を否定されることを強く嫌うのだ。



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48話

 後ろから付いてくる弟子達と兵士達のために敵を打ち倒しながら前進し続けていると、魔物の波を突破することが出来た。敵の波を超えた先には今まで見ていた通りの6体の魔物と2対の腕で武器を持った顔に口だけしかない魔物が居り、更にその先で仮面を身に着けた女が肉を切り裂き手は繋げてを繰り返している。

 おそらくではあるが、肉塊達は仮面によって作り上げられた魔物なのだ。食うに困った農民達を材料にして、街を襲う軍団を作り上げていたのだろう。国境沿いの兵士を殺した理由は、これは予測に過ぎないが、目撃されたから発見を遅らせるために駐屯地ごと黙らせたといったところではないだろうか。

 

「標的は見つかったな」

「でも強そうなのに守られてますよ。ガリガリですが不気味な雰囲気を纏ってます」

「見た目だけだといいんだがな。おい、アレ以外を頼めるか?」

「それくらいなら何とか。……そっちはやれるのか?」

「やれるかだって? おいおい舐めてくれるなよ。お前等の前にいるのは敵を砕く凶悪な化物とアルバルドで魔神教徒と戦った英雄少女と、戦闘狂の怪力娘だぞ」

 

 先を進んで戦っていた俺達を見ていた兵士達はそれ以上は何も言わず、突破してもなお健在な13名で6匹の魔物を抑え込むべく陣形を整えた。

 

「私だけ、雑な紹介」

「お前の場合は仕方ないだろ」

「……むぅ」

 

 ランジェは指定と比べて雑な説明をされたのが不服であったらしく、頬に空気を入れて膨らませて抗議した。世間体から魔神教徒であるとは公然と言えないのだから、他に言いようがないと理解はしたが納得は出来ないらしい。

 

「ゴショウランアレ、オヒネリハコチラへ」

「おひねり……?」

「オヤコヅレサマ、ゴライジョウ、カンシャシマス! ヨコウソイラッシャイマシタ、コヨイハケンジュツヲ、ゴショウランアレ!」

 

 細身の魔物は他とは違い欲から来たものではない言葉を発すると、4本の腕で自らの骨を肉体から抜き出し剣を持っているかのように構えた。

 

「クルツ、あれ曲馬団の人」

「あぁ、そうなんだろうな。軽業師と剣術、身軽で手強いわけだ」

「……救われませんね」

「救われないのが世の中というものだ……! 誰しもみんながめでたしめでたしだなんて、ご都合主義が大好きな脚本家が書く物語の中にしか存在しない……!」

 

 眉間に皺を寄せ大槌を強く握る。無関係の人間であったならば救いようがない状態なのだからと僅かな感情しか持たないようにすることも出来たであろうが、多少なりとも彼等の事を知っていたものだから戦場では持つべきではない冷静さを損なう感情を少しだけではあるが持ってしまった。

 

「何をしてくるかわからん、反応を見て柔軟に対応しろ!」

 

 付着している肉片を頬張り、大槌を振り上げ先陣を切る。どのような攻撃をしてくるかわからない相手である以上、不意な一撃で致命傷を受けかねない弟子や鯱娘に一番槍は任せられない。敵からの最初の攻撃は俺が受けなければ。

 

「サアサアゴランアレ!」

 

 魔物は体重無いかのように片足で跳躍してこちらの一撃を回避して背中に飛び乗り、己の体から抜いた4本の骨を突き立てた。乗られた時に咄嗟に体を揺らしたおかげか、幸いにも心臓には突き刺さっていない。

 

「退け! そこはナールの特等席だ!」

 

 空振り地面に打ち付けた大槌から伝わってきた振動の痺れと、背中からの痛みに悶える俺の上に飛び乗ったナールが魔物を斬りつけたらしく、背中に液体の滴る感触と魔物が背中から飛び退いた感触がした。出欠の量はさほど多くない。武器が短刀であり、相手が素早いためか致命傷は与えられなかったのだろう。

 俺の視界の右端に直地した魔物は着地した直後の硬直を狙った鯱娘から凄まじい猛攻を受けている。4本の腕を使い風切り音を立てしきりに振るわれる槍斧をいなそうとしているが、捌ききれておらず傷は増え続けている。勝てない相手ではなさそうだ。

 

「大丈夫ですかお師匠様!?」

「問題ない。ナール……俺とランジェで奴に隙を作るから投石紐で脚を狙え。お前がうまくやって機動力を奪えればそれだけで勝てるはずだ」

「わかりました。上手く、やってみせます!」

 

 ナールは投石紐取り出し、石を包んで回転させ始めた。投石紐を扱う彼女は様になっている。見えない場所でしっかりと練習していたようだ。

 

「ランジェ、奴を大きく跳ばすぞ。大振りを多用しろ」

「跳ばす? 勝てるのに?」

「勝てるとしてもだ。別に構わないだろう?」

「……わかった。従う」

 

 石を飛ばす準備をしているナールを見たランジェは、渋々ながらこちらの作戦に参加する意思を見せてくれた。戦いたいが俺達との輪を乱してまでではない、魔物に対しては執着する程の魅力を感じていなかったらしい。

 

「その代わり、後で打ち合ってもらうから」

「あぁ存分に付き合わせてやる。約束だ」

「そうと決まれば!」

 

 ランジェは口角を上げ、魔物に対しては槍斧を振るい始めた。大きな音を立て、当たればただでは済まない事を周囲に知らしめている。

 槍斧による攻撃は避けられる為の攻撃であるため当然ではあるが、小さな動きで容易に避けられてしまう。だがそれでも構わない。そこに俺の攻撃が加えて、避ける動作を大きくすることが目的なのだから。

 

「潰れろ!」

「っ! ナール、今!」

 

 叩き潰そうとしているように見える大振りを放つと、魔物は後方に向かって大きく跳躍しての回避を試みた。そうなるように追い詰めた、だから魔物が着地した場所は当然ナールの投石が狙いやすくなる場所だ。

 ナールは合図をした時には石を放っていた。放たれた飛礫は的確に魔物の右脚を穿ち、皮膚を突き破り減り込んだそれは骨を粉砕した。

 

「やった! やりましたよ!」

「良くやった!」

「後は任せろ!」

 

 機動力を奪われた魔物に俺と鯱娘が襲い掛かる。左右から挟み込む様に大槌と槍斧を叩きつけられた魔物は傷口と上下の出入り口から赤黒い血液を吐き出した。



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49話

加筆修正
切りがいいので、ここで1話とします


「……やられたか。だがもう遅い、遅過ぎたぞ傭兵クルツ」

 

 烏の頭部を模した仮面を着けた女は肉を弄るのを止め、立ち上がりこちらに体の正面を向けた。左前側に背筋の曲がったその女の手には赤く染まった骨鋸と小さなナイフが握られている。遅過ぎた、その言葉から何かを既に作り上げてしまったことが読み取れる。

 彼、今は彼女である仮面の背後で弄られていた肉塊が立ち上がる。それは複数人の道化師の格好をした者達で出来た人型の肉塊に、目隠しをした女が胸部に埋め込まれた見た目であり、それぞれの頭部に付いた眼球や固定されていない指が自由に動いている。

 

「ミエル、セカイハコンナニモキレイナノネ!」

「ミルケさん……」

 

 化物の胸に埋め込まれ、言葉を発していたのはこの地方に来る際の馬車に同乗していた女であった。彼女は肉塊についている他の目で世界を見ているらしく、その美しさに感動し目隠しで吸いきれない程の大量の涙を流している。

 

「化物を作り上げて、街を襲って、お前は何が目的なんだ?」

「治療だよ傭兵クルツ。苦しみと戦う体を作ってあげて、皆一丸となって腐敗と堕落をこの世から無くすために戦いを続ける。この世界を綺麗にしたいのだよ」

「腐敗と堕落か、具体的には何そう定義しているんだ?」

「社会の規範だよ傭兵クルツ。富、宗、法……全て一度は壊されねばならない」

 

 仮面はそう言うと広域に影響を与える術を放つと化物の肩を叩き、俺達を襲うように指示を出した。どうして彼がそう考えるようになったのかはわからないが、そう考えるに至った理由は想像に難くない。貧困か、不当な扱いをされたかされているのを見たのか。

 それよりも何の術が使われたかの方が気になる。今のところ影響は無いが、何時どんな影響が出るのかわからない。早急に戦闘を終わらせて、身体の状態を確認しなければ。

 

「今のままでは壊れねば、作り直さねば救われぬ者ばかりだ。傭兵クルツ、英雄を手伝い続けて世界を救い続けたというのに、それでも化物として扱われ続けているお前にならばそれは理解出来るだろう?」

「あぁ……理解は出来る。賛同は出来ないがな」

 

 握る手に唾を吐きかけ大槌を握りなおす。

 世界の間違った部分を正すのには破壊が必要なのは身に染みて理解している。だがそんなことをして結果が得られたとしても世界規模の死と、懸命に生きている者達の不幸が撒き散らされるだけだ。俺は悲劇の片棒を担いでまで理想の世界を作ろうとは思わない。そんな事をすれば死んだケイに申し訳が立たないし、俺個人としてもそのようなことはしたくない。

 

「そうか……残念だよ傭兵クルツ! "大火"から聞いていた限りでは、君とは同じ道を歩んでいけると思っていたんだがね!」

 

 仮面は骨鋸とナイフを振り回しながら怪物と共に襲い掛かってきた。

 仮面は迎えうつ俺の大槌を避け、ナイフで俺の体を切り裂き、怪物は俺の背後へと回り込んで弟子達を分断した。

 

「力を合わせられると厄介だからね。戦いやすい様に分断させてもらうよ」

「ちょこざい仮面め……!」

「君ほどじゃないさ」

 

 大槌を振り回して体を粉砕してやろうとするが、仮面には避けられ反撃を何度も喰らってしまう。彼女の動きは肉体の限界に達しているのではないかと思う程に素早く、人の型に嵌まったものではないために予想がしづらい。

 一方で弟子達相手を任された怪物の動きは鈍い。しかしながら異様なまでに損傷に強い様で、手足の腱を切り裂かれても槍斧で頭を砕かれてもすぐに復元されてしまっている。急所であると考えられる場所で攻撃していないのは、胸に埋め込まれたことで世界が見えるようになり歓喜の声と涙を流し続けるミルケがいる場所だけだ。

 もしミルケが見たことすらない他人であったならば、如何なる理由で涙を流していたとしても傷付ける事に抵抗はあまり感じなかっただろうが、俺達は多少の関わりを持ってしまっていた。人となりを知っているから、攻撃しなくてもよいのであればしないでおきたいという心理が動いてしまっているのだ。

 

「よそ見してていいのかい?」

「っ! 腱をやられたか……」

 

 鋸刃で右腕を切り裂かれた瞬間に耳まで響く破裂音が聞こえ、その瞬間から右腕に力が入りづらくなり大槌を落としてしまう。相性が非常に悪く、不利な状況が続いているこの現状を打開するためには一帯に毒を吐いてしまわなければならないかもしれない。

 

「傭兵クルツ、毒も病も私には無意味だぞ。対策はしている」

「……そうかい!」

「生石灰もだよ。"大火"から話を聞いたと言っただろう?」

 

 仮面は生石灰をものともせず、マスクの淵を指で叩いた。空気を取り込む場所への細工と、肌に吸い付くように密着させる素材でこちらの奥の手に対処しているのだろう。奥の手は秘密であるからこそ意味がある、知られていては無価値なのだ。

 仮面は放たれた弾丸のように跳ぶと、顔面を捉えるべく拳を放った左腕と今だ健在な両脚の腱を切り裂いた。もはや自力では立っていられなくなり、崩れ落ちて地面に顔を突っ伏す。奥の手が使えなければ俺は真の強者には敵わない。

 

「そこで寝ていなさい。あの2人を動けなくして、まとめて"治して"あげますから」

「待……て……くそっ……」

 

 正直、最近重ねていた勝利で俺は自惚れていた。戦えば勝てる、それが当たり前ではないことを忘れていたのだ。傭兵クルツ、お前はなんて間抜けな男なんだ。

 

「上には上がいる……当たり前、だろうが!」

 

 這い蹲って仮面の後を追おうとするが、地面を蹴ることも腕の力で進むことも出来ずまったく追いつけない。動かなくてはならないのは今だというのに、体が全く自由に動かない。今動くだけでいい、あとはどうなったっていいと心は思っているのに。

 

「お前って奴は、私達が助けてやらないといつもそうだな。ほら立てよ! 性悪の魔神様と似たことをするのは癪だが、お前のためだ!」

 

 腹立たしさを感じる声が掛けられ、背中に冷たい物を突き立てられ口に毛だらけの肉が詰め込まれた。突き立てられた部分からは血が抜け出す代わりに、数百人分の感情の波というべき何かが流れ込んできている。それは頭の中へ向かうにつれて通った所から順に俺を書き換えていく。



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50話

 鯱頭に槍斧で貫かれた時のように心臓が激しく脈打ちだし、全身の血管を血液が激しく巡り始める。筋肉が肥大と委縮を繰り返し、前身の骨と内臓の位置をずらしていく。それによって空いた空間には新たな何かが生成されていく。

 這い蹲った視界の端で新たに2本目の尻尾が生えていくのが見える。俺の地毛である黒い毛と見覚えのある赤茶色の毛が混じった犬とも狐ともつかない形状のそれは、恐らくだが先程食わされた肉に由来するものなのだろう。

 体内の変化が終わり激痛が収まると、今度は喉奥から何かの液体が競り上がってきた。吐血や吐き気ではなく、毒や病を吐き出す感覚ともまったく違う。

 

「かっ、がぁっ、はぁ……こいつは、酸か……」

 

 競り上がったものを口から吐き出すと、吐き出した場所は溶解していた。新たに作り上げられたものは酸を吐き出すためのものであったらしい。

 

「"化物は化物らしく"、らしくなったじゃないか」

「ルナ……俺に何をした?」

「何って、魔力が満ちた極上の肉を食わせて傷を癒して、件の人形の模造品をお前に使っただけだ。ちょいと変な尻尾も生えたみたいだが、間抜けなお前にはお似合いだしイイだろう?」

 

 いつの間にやら近くに居た"赤狐"のルナは臀部から血を流して立っていた。彼女のそこには本来あるべきはずの尻尾が無い。つまり先程俺が食べさせられたものは、それであったのだ。

 極上の肉、それは彼女の言った通りであったらしく生まれ変わったかの様に全身から力が今ならなんでも出来てしまうのではないかという万能感と共に湧いてきて、体が疼いて仕方がない。

 体に感じていた感情の波は瞬く間に流れ去っていき、大切な人を守りたいという願望と孤独を愛欲で満たしたいという2人分極めて強い感情だけが空腹感と共に残っている。

 

「そうか、寂しかったのか……」

「……言うなよ。ほら、腰布から武器を取り出してあいつに突き立ててやれ。私特製の呪物だ。多少の加護なら突き破れるぞ」

 

 ルナはそう言いながら俺の腰を指差した。

 彼女が指差す袋の中を弄ってみると、そこには1尺程の大きさの黒い釘状の物体が入っていた。以前こっそりと入れられたそれからは、見ているだけで吐き気が出てくる様な気配がする。

 

「お前は馬鹿騎士と私を喰らって力をつけたんだ。あんな仮面を着けた変な野郎になんて負けるんじゃねぇぞ?」

「……任せろ」

 

 袋から釘を取り出し走り出す。地を踏み締め体を前へと進ませる脚は鎧武者を戦場へ運ぶ軍馬のように力強く、獲物を捉えた眼球は捉えた獲物の動きを逃す気配が全くない。生きていた中で今以上に体が軽く、自由に動けると思えたことはない。今ならば負けることはないだろう。

 

「心配はしなくていい。あの男と君達、これからはずっと3人一緒だ」

「薄汚ねぇ手でそいつらに触ってんじゃねぇぞ仮面野郎!」

 

 化物に子供達の手足を押さえつけさせ、切除する箇所に印をつけていた仮面の頬に杭を叩き込む。全く攻撃を当てられなかった先程とは違い、突き出した杭は吸い付いていったかのように命中し仮面の背中を貫いた。

 仮面の衣服は魔術で加護を与えられていたのか刺し貫く際に抵抗を感じたが、杭に込められたルナの呪術のおかげか針で紙を突き通すように貫くことが出来た。

 

「――ッ!? 傭兵クルツっ! 怖れはないのか!」

「俺が化け物になるだけでそいつらの命を、そいつらを未来を守れるなら、その為なら俺は全てを犠牲に出来る……火にだって飛び込んでやれるさ!」

 

 両手を突き出し、爪先から指の根本までを外傷と呪いを受けて血反吐を吐いて片膝をついた仮面の背中に突き入れる。そうして突き入れた指を握りこみ、2枚の襖を中央に立って左右に開くように手を動かした。

 左鎖骨を中心として左右に胴を引き裂けた仮面は苦悶の叫びを戦場に響き渡らせた。化物の長の断末魔、それは異形の軍勢が敗北を悟らせるのには十分であったらしく、化け物達は彼方此方へと逃げ始めた。

 

「技も糞も無い力技。その姿に似付かわしいぞ」

「煩いな。……何故ここに来たんだ?」

「宝物庫の鍵を逃げる蛙に渡したくないんで敢えて危険な方に来た。お前を助けてやったのは、まぁなんというか……ついでだっ――」

 

 おそらく金庫の鍵であろう棒状の物についた和の指を通して回していたルナの胸部の中心から槍が突き出した。槍先から柄に至るまで幾重も返しがついたその鉄製の槍は炎を纏っており、血液を沸騰させ傷口を焼き焦がしている。

 

「この槍、この炎、こいつは!」

「た、大……火……」

「えぇ、そうですよ。お久しぶりですね。先生、"赤狐"さん」

 

 槍の持ち手側、赤狐と俺が視線を向けたその先にその女は立っていた。肉で出来た傘を肩にかけ、気品があるように姿勢でほほ笑んでいた彼女はかつて俺の最愛の人を殺した仇であり、教え子の1人でもあった人物であった。

 彼女は火のついた石炭のような瞳で周囲を見渡すと、両手から炎を放ちルナ以外の死体を全て焼き払った。俺に"変な考え"を起こさせないつもりなのだろう。

 

「お前、どの面を下げて俺の前に現れた!」

「どの面かって? 昔から変わらないかわいい教え子の面ですよ。そう言う先生は昔と随分変わったみたいですね。火を克服して、儚い命を連れ回してる」

 

 "大火"はナールに対して妬みの籠った視線を向けた。どうやら愛する者を奪うことで自分へ向けていたはずの意識を妹弟子に取られたと思っているらしい。

 

「残念ね。とても残念」

「そうかい。そいつは……良かったよ!」

「奇襲は無駄だよ先生。おっと!」

 

 目の前の魔神が下を向いた時を狙って俺が投擲した石を容易に槍で弾き落とした"大火"は、死角に回り込みナールが投石紐で放った石を体を傾けて避けた。流石は魔神というべきか、凄まじい反射神経だ。

 

「流石は先生の弟子、抜け目が無いね」

「今のに反応出来るなんて……ありえない……」

「ありえなくはないよ。私が出来るんだから」

 

 驚くナールに対して"大火"は飄々と答えた。勇者一行の技術を全て身に着けられる程に天才で、尚且つ魔神である彼女には常識は通用しない。

 

「"大火"、いやルーシー……。一体何の目的で俺達の前に姿を現したんだ。姿を現すことはお前にとって何の利益も生まないどころか損しかないだろ」

「今日は先生に宣戦布告をしに来たんですよ」

「宣戦……布告?」

「そうです。今日から私達、"曲馬団"は先生達、勇者一行が守った物全てを……この汚れた世界を破壊し尽くします。先生の大切な物は全て壊しますよ」

 

 ルナの頭を踏み躙る彼女はナールの方へと視線を向けて微笑んだ。彼女は俺の頭の中から自分が消えないように刷り込むために、"振り香炉の勇者"ケイが残した結果とケイを失ってから得た物を全て壊すつもりなのだ。

 

「先生、全てを失う覚悟をしておい──」

「人の頭を踏んづけてぐだぐだ喋ってんじゃねぇぞ……性悪のハイエナ女が!」

 

 踏まれたまま黙っていたルナが頭の上にあるルーシーの脚を掴み、発言を止めさせた。彼女の指には角指と呼ばれる指輪の棘の付いた暗器が嵌められており、その棘が"大火"の足の肉を抉っている。

 彼女が屈辱的な体勢を強いられても一言も言葉を発したり行動を起こさなかったのは、自分が無力化されたと思わせ奇襲を仕掛けるためであった。心臓や頭部、臓器といった致命傷を与えられる部位を狙わずに脚を狙ったのは自分との距離が近く、尚且つ"大火"の注意が希薄になっている可能性が高かったからだろう。

 

「この色狂いの女狐め! 離せ、このっ!」

「今だ、奴を仕留めろ!」

 

 ルナは大声で叫ぶと大火の脹脛に噛み付いた。彼女が生きていた事と泥臭い戦法に呆気に取られていた俺達3人はしがみ付かれた"大火"へと攻撃を始めた。

 牽制として酸を吐きかけ飛び道具や砂を飛ばし、3方向から襲い掛かる。4人掛かりで使えるもの全てを使った全力の攻勢は、足の動きを片方塞がれ多方向から襲われている眼前の魔神の脇腹に少しの傷を付けた。

 

「これが力のある魔神……でもこのまま押し続ければ!」

「押し続けさせると思うの? 私の妹弟子は楽観的なのね。でも……みんな来て頂戴! 今ここで"曲馬団"の姿を見せましょう!」

 

 余裕を崩さない魔神はルナの頭部を蹴って自身から引き剥がすと仲間達を呼んだ。それに応えて土中や空中、離れた場所から走って現れたのは奇々怪々や魑魅魍魎といった言葉で言い表すしかない、尋常とは言えない集団であった。

 人形の群れを引き連れる包帯を全身に巻き付けた老人、全身に白粉を施し腕が5尺の身長ほどに長く脚が短い男、下半身が青鹿毛の馬で大陸西方でよく見る甲冑を身に纏った半身半獣の女、4対の腕を持ちそれぞれに楽器を携えた者。それらは全て人間でも魔族でもなく、雰囲気だけで魔神とわかる。今この場では勝てそうにない雰囲気を纏った集団だ。

 

「"傀儡"ココル、参りました」

「"即興師"モン、着地に拍手を!」

「"術馬"アオシャ、参上仕り候」

「"楽団"ガルガ……」

「どうかしら? まだ追いつめられると思う?」

「随分と化物じみた面々を集めたもんだな。どいつもこいつも魔神に魔神、世界を壊すって言葉はどうやら本気らしい」

 

 "大火"の周囲に集まった彼等は不可思議な見た目の集団だ。中身も外見も共通性が無く、老人以外は滅多に目にするような存在ではない。集まって街を訪れたならば、その珍妙さ故に何も知らなければ"曲馬団"が来たと思ってしまいそうだ。だが、彼等の個々の強さは間違いなく勇者一行の面々に、いやそれを遥かに超えているだろう。

 

「ナール、駄目……もう勝てない。絶対に無理」

「だからって逃げられるとは思えませんよランジェ。やらなきゃやられます!」

「心配しなくても今は逃がしてあげるわ。だってまだ"演目"がすべて終わるには早いのだもの。あと5年、それくらいの時間はあげる」

 

 "大火"とそれに付き従う者達は負けを悟ったこちらに何もせずに背を向けて去っていった。間違いなく勝てるこの場で勝利を取りにいかない。俺達は呆気に取られてしまう。



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51話

「あの背後は、襲えない……」

「ナール、それ仕方ない。あれには絶対に勝てなないからこうやって命があるだけマシ。そんなことより、今は死にかけのを助けないと」

「クル……ナール、ちゃん……」

 

 刺された上に蹴り飛ばされたルナは死にかけていた。

 複数の内臓が潰され、骨は砕かれており上下の入り口から血を排出している。生きていることが奇跡なくらいの傷を負っており、手の施しようがないのが一眼でわかる。癒しの魔術が使える神官や魔術師を探している時間はないだろう。

 

「最期に……良いことを……教え……」

「後にしてください! 今、この軟膏を使って――」

「邪魔してやるな。これはそいつで救えるような傷じゃない」

 

 いざという時にために使うよう渡してある軟膏を使ってルナを助けようとする弟子の腕を掴んで止める。突き刺さっている位置を見るに、槍は肺と心臓を削り取って体を貫通している。俺達のような貴族でも王族でもない者でも金を払えば買える程度の薬程では救うことは出来ない。

 

「解ったんだ。"遺産"……の、作り方……」

「作り方が解っただと? "遺産"は作れず至れず解らず、神代の奇跡だろうが」

「解らぬ者には奇跡、だが、理解し実践出来れば……」

 

 ルナは自身に刺さった槍を引き抜くと、空いた穴に手を突っ込み肉の塊を引きずり出した。それは弱々しく脈動する臓器、生命の象徴として描かれることの多い臓器。決して体外に出してはならないものだ。

 

「"遺産"は人間が材料……意志や想い、"業"と自ら捧げた命を形にした物……意志や感情が強ければ強いほど、より良い物が出来上がる。作りたいものを思い浮かべるだけでいい……」

 

 ルナは最後にナールを見てから、心臓を握りこみ眠りにつくように眼を閉じた。数瞬の時が過ぎて彼女の手から力が抜けた時、その手から一振りの短刀が零れ落ちた。鞘にこそ装飾が施されているが、落下の衝撃でそれから露出した片刃の刀身には一切の装飾が無い。

 かつて"振り香炉の勇者"一行の一員であった"赤狐"ルナ、彼女が生み出したのであろう短刀は武器としての美しいものであった。麗しい貴婦人のように緩やかに湾曲した刀身はしなやかで、傷一つなく太陽の光を反射して輝いている。

 

「ナール、こいつはお前が持っておけ」

「ナールがですか!? ……お師匠様が持っていた方がいいのではないのでしょうか。ナールよりも遥かに長くて深い関係なのですし」

「いいやお前が持つべきだ。この大きさの武器は俺には使いこなせないし、奴は最後にお前を見ていた。きっとお前に使って欲しかったんだと思う」

 

 短刀を拾い上げ、弟子に手渡す。きっとナルはこの短刀を思い出として仕舞い込むくらいなら折れるまで使い潰してしまうことを望んでいる。ならば使える者に使わせることこそが正しいはずだ。

 

「ひっ!? お、お師匠様、このナイフ……脈と体温を感じます! それに落としても投げ捨てても磁石にくっつく鉄みたいに戻ってきます!」

 

 短刀を受け取ったナールは異常な特徴を持つナイフを気持ち悪がり、何とかして手放そうと試みているが全く意味を成していない。強い意志があるようで、彼女が何をやっても弟子の元から離れない。

 

「そう気持ちがってやるな。そいつはきっと寂しいんだ。誰かと一緒に居て、一緒に何かをして、決して埋まることのない孤独を埋めたいんだろう」

「ルナさんはそういう人だったんですか?」

「おそらくはそうだ。奴の一部を取り込んで感じたのは孤独感だったし、今思い返せばそういう奴だったんだなと納得出来る行動を取っていた」

 

 勇者一行にかつての友や仲間であった面々と共に居た頃を思い出す。ルナはことあるごとに勇者一行と関係を持っていた。それはきっと孤独を癒すために人の温もりを求めてのことであったのだろう。

 化物の群れが立ち去ったこの場が、周囲一帯が静かになったその時。白い煙と一筋の突風が吹き抜けていった。気色の悪い不気味な感触があったが風が通り過ぎた後に、体や所持品や仲間の姿を確認しても何も変化はなかった。

 

「クルツ、ナール!」

「何だ? 何かあったのか!」

「何か、おかしい。風が吹いてから周りが静か過ぎる」

「静か……ですか? 確かに言われてみればそうですね……」

 

 耳を澄ませてみるが音らしい音が聞こえてこない。歓声も聞こえてこなければ、悲しみの声も一切聞こえてこない。それに先程まで居た兵士達の姿も見えない。彼等が居た場所には化物であった肉塊と兵士の衣服や装備だけが残されている。

 

「こいつはまるで、なんというか溶けていなくなったみたいだな」

「ですね。血も肉も無くなって、持ち物だけが残されているみたいです。……あれ? なんでこんなところに蛙さんがいるんでしょう? 迷子ですかね?」

 

 鎧と衣服の隙間から財布と短刀を取り出したナールは、抜け殻の中から大きな蛙を見つけ出し捕まえた。少女の手に収まらないその蛙は解放を求め、胴を掴む弟子の手から抜け出そうと両手で必死になって暴れている。

 

「見たことのない種類ですね。この地方特有の蛙でしょうか?」

「ナール、それ……」

「何です?」

「それ、人。人から変えられた蛙。同じ匂いがするし」

「え……えぇ!? こ、これが、これが人だったんですか!?」

 

 残された衣服と蛙の臭いを嗅ぎ比べたランジェの発言に驚いたナールは蛙を手から放した。解放された蛙は地面に着地すると、こちらに何かを訴えているかのように鳴き声を上げ始めた。意味は解らないが必死であることは伝わってくる。

 

「そういえば"遅すぎる"とか言ってたような……もしかしてこれのことを起こした何かの準備を終えていたことを言っていたのでしょうか?」

「さぁどうだろうな。これは街の方も見に行ったほうがいいかもしれん」

 

 静まり返った街の方向を見、唾を飲み込む。もしも先程の煙と風が街にも吹き荒れていたならば、大変なことになっているはずだ。



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52話

27話に"娼姫傾国物語"について重要な追記を行いました


 怪物であった肉塊の山とその上で鳴く無数の蛙達、放心状態で泣き続けながら彷徨う幼い子供達、そして城壁の上で見下ろし様子を見る僅かな生き残り達。足元に薄っすらと白い煙が残る街中には逃げ遅れた物の莫大な量の服と靴が散乱していた。先程起こっていたことが、規模を街へと変えてここでも起こっている。

 

「なんてこった。蛙になってない奴は殆ど居ないじゃないか!」

「大きな蛙に小さな蛙。これは……あまりにも無差別過ぎますね」

「神官、金貸し、高そうな服を着てた人達。蛙にされた人達、フログの恩恵を受けていたっぽい人達ばっかり。なってないのはボロボロの服か城壁の上だけ」

「これじゃこの街、いや領地はお終いだろうな……」

 

 ランジェは残された衣服の匂いから犠牲者達の特徴を示した。

 衣服の内側に残された物品を漁って見ると、彼女の言ったことは本当であると証明されるような書類や物品が出てきた。

 

「そうだ。狐の知り合いはどうなった?」

「あの人は……あっ、あそこに居られます! あそこで踏まれないように蛙さんを道の端に集めています! あっ煙が!? あっ、あれ? 変わらない……?」

「煙の中に巻かれても変化がない。そういう奴らが居るってことは蛙に変えられるかどうかには条件があるってことなんだろう。小さな子供と壁の上で戦っていた連中、善悪の区別がしっかりとつかない年齢の子供と勇気を出し戦うことを選んだ奴等か……」

 

 残された状況から、煙がどのような者を対象に影響を与えていたのかを推察してみる。人間の中でも良くも悪くも純粋である子供と家や家族や財産、理由は各々であろうが少なくともそれぞれが命を賭して何かを守ろうとした連中だけが助かっていた。犠牲者との違いはそこにあるのだろう。

 

「"腐敗と堕落をこの世から無くす"だったか。奴の思想からすれば、絞られ続けてる壁の外を見ない振りしていたこの街の住民は消すべき対象だったんだろうな」

「蛙男にくっついて、他人の不幸を知らぬ振り。狙われる理由にはなる」

「だとしてもこれは少しやり過ぎですよ……加減が無いにもほどがあります!」

「俺達が相手にしているのはそういう連中なのさ。追い込まれたり、思い詰めたり、望み過ぎたりした末の連中が俺達の敵なんだ」

「そうなんですね。相手が……よくわかるんですねお師匠様」

「同じようなものになりかけたからな。俺にはよくわかるんだ」

 

 ナールに答えながら腕を掻き毟る。ケイが死んだ後、自暴自棄になって酒に溺れていた時期に魔族よりも危険で凶悪な存在になりかけていたことがある。強い願いや想いを持つ者も危険ではあるが、それらを失った者は何をしでかすかわからないのでより危険であるのだ。

 

「おい! 見ろ! 兵士だ、国境の方から軍が来るぞ!」

「あの旗の紋章は蓮の葉と蛙、湿地の国イストの軍勢のものだ! 1000、2000、3000! いや少なくとも5000は居るぞ!」

「政情不安で出兵どころじゃないはずなのに……噓でしょ……。それに、攻めてくる理由なんてないはずなのに……何で……」

 

 遠方より鳴り響く銅鑼の音と、地を揺らす程の足音が迫り続ける感覚。壁の上で下の様子を見ていた者達が最初にそれに気付き、彼等の反応に気付いたカーラが壁の上へと駆け登り絶望の声を上げた。

 こちらも城壁へと上がると、彼等が見ていた光景を目にすることが出来た。人と槍の波に飾りを付けた戦象の群れ、何台もの攻城兵器が並び立って行進している。まさに大国へ攻め入る第一陣、数万の蛙と百人程度の雑な兵しかいない現在のこの都市では防ぎようのない完全武装の兵団だ。

 

「カーラの嬢さんよ、こいつは戦って勝てる相手じゃないぞ。あんたは旧友の友人だから、逃げるなら安全な場所までは連れて逃げるがどうする?」

「民を、守護すべき土地を捨てるわけにはいきません。戦います……1人でも」

「カーラ、真面目過ぎ……」

「まったくですよ! 無駄死にするだけですよ!」

 

 カーラは落ちていた血濡れの剣を手に取った。身内の知り合いに死なれるのは良い気分がしないし、略奪を試みる連中からの追撃を受けて無事に逃げ切れる保障はどこにも無い。何か策はないものか、相手に効果的な何かは――。

 

「こっちをじぃっと見て、どうかしたのですか? お師匠様?」

「カーラ……イストの今の指導者はどいつだ?」

「"娼姫傾国物語"で語られる事件で断絶した王族の分家、死んだ王子の姪に当たるアナシャという方が女王として統治なさっていたはずです。随分と若くて、断絶した一族のことを尊敬なさっていた事以外にはわからないことだらけ」

「成程、それなら上手くいきそうだ」

 

 カーラの言葉を聞いて思わず口角を吊り上げてしまう。今頭の中に思い描いている策は大いに通用しそうで、この場にいる全ての命を救えそうだ。その場その場で対応を思い付き、何とかしてしまえる点にだけは自分でも素晴らしいといつもながら思う。

 

 

「どさくさ紛れに故郷を奪った帝国め、恥辱と殺戮でもって目に物見せてやる!」

「使者を晒し首にした蛮族共め! ぶち殺してやる!」

「前の戦で給料を未払いにして帝国の屑共、操と金でもって取り立ててやるから覚悟しやがれ! ……お、おい! 城門が開くぞ!」

「何だァ? 降伏の使者でも来るってのか? それで降伏が許されるとでも──あれは……あいつらは一体何だ……!?」

 

 城門へ責めかかるまでもう少しとなり、戦列に並び立ってイストの兵士や傭兵が怨嗟の声と不満の叫びを城壁の上へと向けていたが、城門が開き現れた俺達を見た彼等は驚き言葉を失い動きを止めた。それは当然の反応であった。なぜなら彼等から見た俺達は神秘性と異常性を持つ集団であったからだ。

 鎧兜を身に着けた異形の魔族が彼等が掲げる旗と同じ文様の物を掲げて先頭を歩き、顔の下半分を布地で隠した端麗な鯱の魔族が馬廻りとしてそれに続き、最後に漆黒の馬に跨った獣人の少女が進んでくる。黒衣の3人組、俺達は一切の敵意を見せずにただ戦列の億へと向かって歩いているのだ。



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53話

旧53と54(1/2)を統合し加筆


「ナールがっ!? 貴人に扮してっ!? 交渉をっ!?」

「そうだ。お前は面も悪くないし気を張れば多少は気品も出る。それに恐らくだが……いやほぼ確実に断絶した向こうさんの王族に連なってる。それらしい格好をして偉そうに振舞えば、交渉の席に着くまでは何の問題なくいけるはずだ」

「でも交渉って……ナールみたいな未熟な子供がしても良いんですか? こう、カーラさんみたいな然るべき立場の人がするべきじゃないんですか?」

「ナールさんが"そういった"出自であるなら。殺されるか辱めを受けるのが目に見えている私よりも貴女の方が交渉の席に座るに相応しいかと」

 

 カーラはナールの生まれた時期と母親から推察出来る"出自"を聞かされ、それを活用する方針を伝えられると弟子に大役を任せても良いと口にした。民も兵も時間も無い自分には最早何も出来ないならば、少しでもより良い結果を招く可能性に賭けようと思ったのだろう。

 彼女の顔には悔しさが滲み出ている。自分の領地、自分の領民、自分の地位。その全てを自分の力では守ることが出来ず、小さな子供に生末を任せなければならない。無力感が貴族としての誇りを傷つけてしまっているようだ。

 

「お前さんにも出来ることはある。これに書かれてる物を見繕ってくれないか?」

「鎧に黒馬、イストの旗にナールさん用の礼服。それにこれは――」

「無理か?」

「無理ではありませんが……城門の鍵を交渉材料にするということは、この街と民の運命を完全に相手の手に委ねるということですから抵抗はありますね」

 

 交渉に向かうに当たって必要なものを書き記した紙を渡すと、カールは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。紙には扮するのに必要な道具に加えて、交渉材料に使うから全ての城門の鍵を俺達に寄こすようにと書いてある。

 

「でもそのくらいしないと、盤面は変わらない」

「わかってます。それに、貴方達を敵陣に送りだす以上こちらも危険を背負わなければ不公平というもの。どうか慎重にお願いしますね」

「最善は尽くすし尽させる。だがもしもの時は――」

 

 ナールの背負っている鞄から酒瓶を取り出し、中身を飲み干して猛毒を吐き出す。人が呑み込めば容易に死に至る量まで溜まったところで栓をし、不安そうな表情のカーラに手渡す。

 

「部屋に火を点けこいつを呑め。楽に……とはいかないが、少なくとも中途半端に生き永らえたりせずに旅立つことはできるはずだ」

「……お気遣い、ありがとうございます」

「カーラ、心配しなくていい。大丈夫だから。ね?」

 

 毒を受け取りより一層暗い顔をしたカーラの頭を背伸びをして手を限界まで伸ばしたランジェが撫でる。手の温まりに安心感を感じたのか少し、ほんの少しだけだがカーラの表情が和らいだ。少しばかり狂信的で戦闘狂ではあるが、時折包容力や優しさが垣間見えたりする。俺がランジェに対して猜疑心が生まれないのは、そのためなのだろう。

 

 

「何処(いずこ)の尊きお方か存じませぬが、ここ通すわけには――」

「控えおろう。口を開かず道を開けよ」

 

 道を塞いだ将だと思われる鎧を身に纏った若い男に対して弟子は強い口調で命令をした。予想していたよりも演技力が高く、普段の子供らしい彼女の雰囲気は微塵も感じられない。王侯貴族として生まれ、その道を歩んできた人間の喋り方だ。

 若さ故に異常に対する経験不足からか、彼は高圧的で弟子の雰囲気に気圧されて道を開けた。あまりにも異常な相手を前にし誤った判断を下すことを恐れ、引き留めることをしなかったのだろうが無理もない。勝利目前の大軍を前にたった3人でやって来て、違和感も怯えも無く先程のような態度を取ってくる相手など常人の想定の範囲には存在し得ない。

 

「……っ!? その尊顔はもしや!? と、止まられよ! 貴女様が如何に尊き方であっても、騎乗したまま陣幕に入ることを許すわけにはいきませぬ!」

 

 幾つもの戦列を抵抗無しに割って行き、陣幕の前まで辿り着いたところでようやく1人の老将が俺達を止めた。

 彼の反応のおかげで状況証拠だけであったのが確証に変わった。弟子の顔には“父親”の面影が少なからずあるらしい。

 

「下馬する。ここに」

「御身ヶ為に」

 

 ナールの言葉を合図にして彼女の足元へと行って屈み、彼女が馬を降りる際の踏み台となる。

 これは予めすると決めていたことだ。

 弟子は身の丈に合わない大きさの馬に乗せられているので、降りる際には台座がなければ不恰好にしか降りれない。台座を使って下馬するにしても、相手に強烈な印象を与える“台座”方が良いだろうと考えこうした。

 案の定、少女が鎧を着込んだ魔族を踏み台にするという構図は周囲に衝撃を与え、少女が只者ではないということを理解させた。弟子のことを年端も行かぬただの少女と見る者はもはやこの場にはいないだろう。

 

 

「これは……あり得ぬとは思うが、まったく否定出来ぬ……」

「あぁ、とても似ておられる。目と毛並みは亡き王子に、それ以外は"あの女"に」

「残念ながらな。途絶えずとも"あの女"の面影が強いとは……」

 

 地図を広げた机の周りに並び立っていた武将達は陣幕の中に入った俺達を見ると、驚くと同時に残念そうな声を上げた。ナール本人に対しては敬意を持っているが、彼等の放ったおそらくはシャアラを指しているであろう"あの女"という言葉には敵意が籠っている。悪さをしたわけではないが、国内に混乱を齎した為に良くは思われていないのだろう。

 

「皆、無礼であるぞ! 皆にとって"娼姫"殿が良く思えぬ方でもあの方にとっては母なのだ。同じ血の流れる母に負の感情を向けられては良い気分はせぬ事くらい、人の子である貴公等にはわかることであろう?」

「う、うむ……確かにそうであるな」

「わかったのなら疾(と)く許しを請いなされ」

「先の無礼を御詫び致します。どうか、御許し下さい」

 

 髪も髭も白い老将が武将達の態度に対して叱責を行うと、ナールの母親に対して苦言を呈していた者達は態度を一変させて弟子へと頭を垂れて謝罪した。

 ナールは彼等に対して何とも言えない視線を向けている。未だに機会が無く肉親と和解出来ていない彼女はシャアラに対して良い感情を持ってはいないようだが、だからといって身内に否定的な言葉をかけられてそれを許容出来るわけではないらしい。

 

「彼の者に免じ、我が母への言葉を許しましょう」

「有難く存じます。……して、貴方様は何故今になって御姿を現したのでしょうか?」

「生まれを知らず、師と共に歩んでいた故に致し方無く」

 

 ナールはそう言って俺の方へと目を向けた。

 周囲の一同はまさか魔族が師であるとは思ってもみなかったようで、首を振って遠くの方まで見てから視線を戻しようやく"師"が誰であるのかを理解した。一部を除いて魔族は教育を受けることも教えを乞うことも難しく、教え導く者に慣れる者は少ないのだ。

 

「これが師とは、ご冗談を……」

「冗談なんかじゃないですよ。私、ナールは『"疫病"の異名を持つこの方に命を救ってもらい、言葉と知識と技術を授かった』のです」

「その言葉!? それにその名!?」

 

 ある程度の教養がある者しか身に着けていない神代の言葉でナールが口にした俺の異名を聞いた武将達は、弟子の口調が変わったことよりも聞いた異名のほうが衝撃的であったらしく、一斉にこちらへ視線を向け数歩退いた。長い時が経ち、付け足され過ぎた悪事で高まった悪名は聞いただけで恐れを抱く程になっていたらしい。

 武将の中の何人かは、退きながらも腰に差した剣に手をかけていた。もしも俺が不穏な動きを見せたなら即座に斬りかかれるようにしなければと、体が動いてしまっているのだろう。

 

「そんなに警戒しないでください! ナール達は話し合いに来ただけですから! 殺し合いをしに来たわけじゃないですから!」

「話し合い……つまり使者としていらっしゃったのですか?」

「そうです! あの街の皆さんと戦ったり傷つけたりするのを止めて欲しくてお師匠様と、仲間と一緒にお願いしにきたんです!」

 

 ナールはずいと体を前に出して老将にこちら側の主張を提示した。歴史に名が残るような相手でも臆せずこんな態度でいられるとは、少し前と比べて随分と成長している。

 

「ううむ……そうは言われましても我等は“虎姫”様、女王陛下からあの街を攻めよと命じられておりましてな。尊き血族の貴女様にお願いされましても、はいわかりましたと軍を引き揚げさせるわけにはいかないのです」

「別に撤退しなくていいんです。さっきナールが言ったことを守りつつでも、女王様の命令も果たすことは出来ますから!」

 

 ナールは鍵を取り出し、老将に見せつける。それはカーラから預かった城門の鍵、あの街に居る生存者の生殺与奪の権利に等しいものであった。



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54話

「どうですか? 街の皆さんに手を出さないと約束していただけるなら、この鍵をお渡して城門を開くように合図を出せます。そうすればナール達は目的を果たせて、おじいさんは一兵の損失も無く領土と領民を手に入れることが出来ますが……」

「私は良いと思いますが……諸将はどう思う」

「本当なら願ってもないことですな。申し出を断っても攻め落とせるでしょうが、追い詰められた者達の苛烈な抵抗に攻めあぐね陥落する前に救援が到着してしまってはより大きな損害が出てしまいます。降伏は素直に受けるべきかと」

「賛成ですな。攻め滅ぼして積年の恨みを晴らすことも可能ですが、寛容さを見せられるなら見せたほうが我が国に後々理を生むでしょう」

 

 老将は自分の意見だけで決定を下さず、武将達に受け入れるかどうかを問いかけた。武将達は老将と同じくナールの提案を受け入れることには前向きだ。

 

「で、あるか。……ナール様。このニゲアン、貴女様の願いを叶えましょう。我等は城門が開かれるならば貴女方や街の方を傷付けないと約束致します」

「本当ですか!? やりましたお師匠様! ナールはやりましたよ!」

「あぁ、よくやったな。やはりお前は天才だ」

 

 褒めてくれと言わんばかりにこちらを向いたナールに賛美の言葉をかける。撫でてくれと言わんばかりに耳と尻尾を動かしているが、流石に彼女を子供ではなく尊い血族の一員として見ている者達の前で撫でてやれなかった。

 

「ナール様、些細な事で衝突が発生してはこの話し合いの意味が失われてしまいますので、我々が街に入る前に街に残っている者達との財を避難させて頂けませないでしょうか」

「確かに危ないですね。お師匠様、行きましょうか!」

「あぁ、早く戻ってカーラを安心させてやろう」

 

 カーラが待つ街に向かって歩き出す。

 今のところは思った通りに上手くいっている。このまま進めば国境沿いでの騒動は一先ず収拾がつく。事は俺達の手ではどう足掻いても解決出来ない段階にまで進んでいるので、後のことはあの禿や帝国の人間がイスト側と話し合って解決するべきだろう。

 

 

「強い、あの人達とても強い」

「えぇ、1対1ならまだ何とかなるかもしれませんが多数となるとナールやランジェでも、お師匠様でも勝てなくなってしまいそうです」

 

 街に戻った俺達はカーラや壁の上にいた者達を城へと非難させ、イストの軍勢が街の中を制圧していく様を窓から眺めていた。

 イストの軍勢に属する兵士達はよく訓練されている上に規律を持って行動している。放置された宝飾品を前にしても決して隊列から離れることはない。全員が統一された武具を身に着けているのでしっかりと報酬の払われている練度の高い傭兵ではなく、帝国における親衛隊やあの禿が指揮している部隊のような常備している戦力なのだろう。

 

「煮炊きの煙も見えるな。量から見るに後詰も来ているらしいな」

「失礼、よろしいですかな」

「ニゲアン殿、どうかなされましたか? まさか約束を反故に――」

「いえいえ、食事の用意が出来たので皆様にもと思い運ばせてきただけですぞ」

「ありがとうございま――。あ、あぁ……そんな、何てことをっ……」

 

 ニゲアンが道を開けイストの兵士が運んできた皿を見たカーラは蹲り嘔吐した。

 皿の上では起こってはならないことが起こっていた。残酷で悲惨、真実を知っている者からすれば、見るに堪えない吐き気を催す料理であった。

 その料理とはイストの伝統料理"蛙の唐揚げ"。皿一杯に積まれた悍ましい個体数の唐揚げで、揚げられた全ての蛙の脚は油の海から脱出しようとし泳ごうと試みたのかピンと伸びている。その様子は彼等が最後に受けていた凄まじい苦痛を容易に想像させるものであった。

 

「俺は……俺は何ということを忘れていたんだ……。帝国以東に久しく行っていなかったから蛙を食う文化があるってことを忘れていた……」

 

 

 この世界は呪われているのだろう。恨み、怒り、悲しみの連鎖は断ち切ることが出来ずに何らかの形で生きる者達へと受け継がれていく。

 

 街中では何人分もの"業"を取り込んのであろう兵士達の顔の皮膚が泡立ち、蛙面の魔物や魔族へと変化していっていた。突発的な異常事態に置かれた者達は少し前まで仲間であった暴れまわる魔物に、携えていた武器を振るっている。

 幾十、幾百人もの悲鳴と怒号、血の滴る肉に肉叩き用の槌を叩き付けたかのような音と断末魔。例え知らぬことであったとしても、禁忌を犯した者は用意されている過酷な運命から逃れることが出来ないのだ。

 

「お、お師匠様! まずいです! まずいですよ!」

「これ以上蛙を食わせるな! あれは元人間だ!」

「なっ、あれは……いや確かにただの蛙とは違う食感だったが……」

「あっ──。食べちゃった、んですね……」

 

 ニゲアンの顔が違和感があったことを口にし青褪めたことで、彼がカエルを食してしまったことが判明した。彼に変化が無いのは、取り込んだ“業”が少なかったせいか、“業”を取り込める限度が普通より多かったからだろう。

 

「蛙、どこを見ても蛙──。あ、あぁ……アハッ! ここはきっと蛙の王国なのだわ! そう! こんなのが私の領地な筈がないわ! 夢か幻なのよきっと!」

「カーラ、壊れた。可哀想……」

「『蛙にされたけど呪いが解けたなら、それならきっと』と思っていたところに領民の唐揚げを見せられたんだ。最後の支えが崩れちまったんだろうな」

「ど、どうしましょう!」

「誰かを付けて安静にさせておくしか出来ることがない。今の俺達に出来るのは食べるのをやめさせることと、魔物になった奴に引導を渡してやることだけだ」

 

 涙を流しながらも笑い続けるカーラの面倒を見るよう、目についた気分の悪そうな使用人の肩を叩き壁に飾られていた両手斧を持って出口へ向かって歩き出す。

 イストの軍の中に、使者を惨殺されたことに苛立ちを覚えている声があった。もしも仮に、もし仮にその惨殺も"大火"が仕組んだことであり、今のこの惨状まで見通しての行動であったならば何一つ阻止できなかったのだから完敗であると言わざる負えない。

 

 

 日が暮れかけた頃合になってようやく、俺達の服に染みついた水分は冷え固まることが出来、顔に張り付いた白い脂肪と肉片は薄い瘡蓋の様に乾燥した

 一体何人分の魔物を切り伏せたのか。30を超えてからは、身に付けていた遺留品で人数を推測するのを止めたのでわからない。魔神教徒の一件といい、"大火"の起こす事件は一件一件の被害が大き過ぎる。

 

「"大火"さん、一体何人殺せば満足するんでしょう? 一体何が目的があってこんなことをするんでしょう? 富も名声も国取りにも興味が無さそうでしたし……ナールには理解出来ませんよ」

「理解も出来ないのは当然。魔神は魔神、あるようにある存在。純粋で、罪悪感も倫理観も人とは乖離してるから考え方が根っこから違う」

「だから行動が読めない。純粋故に強く、純粋で強固な意志を持っていて人々に害を与えるまったくもって厄介な存在だ。それに加えて奴は勇者一行から技術と知識を与えられていて目的も手段も読めないくらいの知能を有している。正直言って"ほぼ"無敵だろう」

 

 両手斧で背骨を叩き折られて瀕死となった魔物の頭部を踏み潰す。"ほぼ"無敵の存在を生み出してしまった悔しさや仲間と大切な人を奪われた恨みで、渋い木の実を口一杯に含んで咀嚼をしたような顔になってしまう。



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独白

 俺は臆病で孤独な“人……“魔族”だ。

 傷つくのを恐れ、自分も世界も変える勇気を持てず主張を止め孤独であろうとしながらも、孤独を埋めようとする小物だ。

 ナール、もしお前が居なければ、過去と言う檻の中に引き篭もってしまい前に進めなくなったままだっただろう。

 

 ありがとう。感謝してもしきれない。

 泥酔と偶然によって勘違いが起こり、お前が弟子になった。そのことは俺にとって大きな転機だったよ。

 

 

 

 俺は白状だった。

 自分の幸福のために友の存在を、その悩みを頭の奥底に埋めてしまっていた。貴族という身分にありながら好きに恋をし、それが身を結ばんとする過程に夢中になり過ぎていた。

 最期に友を探していたのはきっと、何かを一緒に解決すればそれで埋め合わせができると思ってしまった下心なのだろう。我ながら、恥ずべき事だ。

 

 友よ。狼の友よ。

 殴打と喧嘩でわかり合った友よ。

 俺は君をどこか、見捨てていたのかもしれない。どうしようもないと諦めている君のその言葉を否定せず、心の内で同意してしまっていたのかもしれない。

 だから「化け物は化け物らしく、英雄は英雄らしくってのを誰もが望んでいる」という言葉に安心感を覚えてしまっていたのかもしれない。

 そうでないと。友のことは大切に思っていたと。自分を納得させたいがために、俺は最期まで彼のために出来ることをした。

 

この気持ちはバレていないだろうか?

彼は俺を恨んでいないだろうか?

俺は彼の友でいられたのだろうか?

 

 

 

 不幸な人生だった。

 捨てられ拾われた先で知らぬ男と毎夜会い、眠れぬ夜を過ごす日々。ある日逃げ出した先で“触れる者”と出会い、技術を身につけ夜盗となった。

 盗み奪う日々の中で正しさを求める勇者女達に出会い、捕まり連れ回されている間に好きになった男をそいつに取られた。

 

 男が1人になったと思ったら、彼は思い出に浸るばかり。そしてその内に子供を引き連れるようになってた。

 私は、私はその子からついに彼を奪うことができなかった。少しだけ境遇が似ているその子に優しくしてしまった。

 

 私はなんて馬鹿な女なんだろう。

 最後までこの娘達のことも、彼に伝えられなかった。伝えていれば責任を負おうとする彼を手に入れられたかもしれないのに。

 

 散々人を不幸にしてきたのに、今更良い人ぶるなんて馬鹿みたい……。

 

 

 

 ナールは嘘を吐きました。

 ナールは卑怯な女の子です。

 お師匠様は“火薬樽”、ブロックさんとナールを間違えたと言われてそれを信じています。でも本当は違います。

 

「ブロック、お前またこんなところで酔い潰れて。お前ってやつは毎度毎度世話が焼ける……ん? お前本当にブロックか?」

 

 ナールにこう尋ねてきたお師匠様に、ナールはブロックさんだと答えてしまいました。ナールはとてもとても悪い子です。

 だって仕方がなかったんです。死にそうで、とても苦しかったところであんなにも優しい目を向けられたんですから。この人になら縋っても良いんじゃないかと思っちゃったんです。

 これはお師匠様が知らないナールの罪です。話せばきっとお師匠様はナールを叱るでしょう、幻滅してしまうでしょう。そんなこと、ナールは耐えられません……。

 

 だから、貴方には決して話さない。



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55話

「姫様……いえ、ナール殿は我が軍勢の半数を獣になる原因を作ったのが誰であるか知っておられるのですね?」

「えっと知ってはいます……けど──」

「話して大丈夫だ。被害者なら少なくとも敵にはならん」

「では……あれは魔神"大火"と、彼女が率いる"曲馬団"という集団が魔物にこの街を襲わせたり、この街の人を蛙に変えたことから起こったことなのです」

 

 俺から許可を得た弟子は事のあらましを老将に話した。

 老将は"振り香炉伝"の最後に出てくる勇者を屠った魔神の名を聞いて驚き、そしてその魔神が味方を集めて悪事を企んでいると聞いて更に驚いている。

 

「なんと! となれば使者の件も帝国と我が国を対立させるための工作と見るべきか。ふむ、目的はわからぬが対立をせぬように動くのが賢明か」

 

 話を聞き終えた老将は即座に手を振り、今話した通りの方向で動くようにと部下に指示を出した。雨風台風に耐える老齢の大木を思わせる安心感が彼にはある。彼の部下が彼の発言を素直に受け入れるのも納得だ。

 

「戦好きの"虎姫"様を説得して戦をやめさせるのは骨が折れるが、せねば魔神の思う壺か……そうだ! ナール殿も我等と一緒にイストの都へ行き、争いを止めるように説いてはもらえませぬか?」

「そ、そんなの無理ですよ!」

「無理ではありませんよ。"虎姫"様は貴方の遠戚で、長らく続いて王座に着いてきた貴方様の一族を強く尊敬されておいででした。生き残った貴女様を見たならば、きっと戦どころではなくなるはず」

「そこまでなのか……」

「えぇ、それはもう! 内々の揉め事の内に散ってしまった遺産を、衣服の一つに至るまで集める程でしたから」

 

 老将はやや呆れ顔でそう言った。

 特定の芸人や芸術家を好みその人物のためなら身と銭を捧げる者達もいるが、“虎姫”とやらはその類らしい。熱狂的な信奉者、崇拝に近い状態なのだろう。

 ケイに対して抱いていた感情も似通った部分が無いことなかったので、気持ちがわからない訳では無いが衣服を全て集めるのは行き過ぎていると思う。他に手の入るものが何もなければ話は別だが。

 

「行くべき。人間同士の争いならある程度で止まるけど、あの魔神……"大火"なら人間の世界を終わらせられるかも」

「そこまでとは……。ところで独特な匂いの貴女は?」

「ランジェ、深き者」

「深……き者?」

「こいつは俺と同じただの魔族だ。さっきの話を聞く限り多分"虎姫"様"とは"仲良く出来る類の性格をしてる。まぁあれだ、戦うことが大好きな怪力少女程度のものだと思ってくれ。だから相手の強さがわかるんだろうさ」

 

 言葉足らずの自己紹介をされ、困った顔をこちらを向けた老将に適当に鯱娘のことを説明した。俺だって彼女の事を理解しているとは言い切れないのだから、説明を求められても困る。

 

「そしてナールの友達。ふふん」

「何胸張ってんだ……ナールの血筋が敬意を払われているだけで、お前が偉いわけじゃないんだぞ?」

 

 胸を張って偉そうにするランジェの後頭部を指で軽く突く。有名人と友人であるからといって、その人物が有名人であるわけではない。

 

「お師匠様、どうしましょう!? 行くべきでしょうか!? これは行くべきなのでしょうか!?」

「迷うところだな。“大火”の好き勝手にさせたくない現状、奴に対抗出来るように同志を集めたいし更なる混沌を防ぎたいが……そうしようとする事を読まれていて、俺達を破滅させるような罠を仕掛けられていた場合が怖い」

「賢いのが相手、とっても面倒臭い」

「どちらを選んでも利点と危険性があるのでどっちにすればいいのか、決定しづらいですね……」

 

 悩ましいものだ。前提として俺達は万能の存在では無いので、起こっている事と予測出来る範囲の事にしか対応出来ない。こうも不確定な部分が多いと迷いが生まれてしまう。

 

「よし、こういう時は昔勇者一行で決めた指針に従うとしよう」

「指針……?」

「『選択で迷った時、やらずに取り返しがつかない事なら取り敢えずやっておけ。迷えば迷うほど、思考が鈍る』ってやつだ。一応言っておくが、馬鹿になれって意味じゃ無いぞ。ただ、思想や心情じゃなくて損得で冷徹に判断しろってことだ」

 

 魔神教徒の脅威性が判明した時と同じく、放置して良いような相手ではない。選択肢があるのなら、安定を選び続けて後手に回るよりも先手が打てるかもしれない方を選んだ方が良いだろう。

 それに今動かなければ状況の悪化に加えて味方になるかもしれない相手が減ることになる。罠を仕掛けられている可能性を加味しても、行って”虎姫”様とやらに謁見した方が良いだろう。

 

「皆様来ていただけるのですね。となれば、早い方がいいでしょう。すぐに早馬を出し、馬車を用意してきますのでこちらでお待ちを」

「頼む。……あぁそうだ。ニゲアン」

「何ですかな?」

「早馬を出すなら一行に化け物のような魔族がいる事を通過する全ての町や村に伝えさせてくれ。俺みたいなのが通ったら驚いて面倒事が起こりかねない」

「それも……そうですな」

 

 ニゲアンは極力こちらに気を遣って返事をしてくれた。ナールの師であるので失礼がないような言動をしてはいるが、彼も俺の事を化け物だとは思っているようだ。俺がこの見た目で、彼は悪評が広まっている地域の人間なのだから仕方ない。

 とはいえこの白髪白髭の老将はしっかりと人が出来ている。偏見から来た評価はそのうち訂正されていくだろう。

 それにしてもこの老将、歳にしては随分と活力に溢れている。この年齢であれば動きや思考が鈍くなってもおかしくは無いはずなのに達者だ。何か秘訣があるのだろうか。



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56話

 襲う者が現れない限りは穏やかであろう村々、行き交う人々で賑わう街を通り過ぎる際。見物人達が必ず押し寄せ、鎧兜を身に着け馬車の近くを歩く俺を眺めていた。彼等は思い思いの言葉を呟き、眼前を歩く魔族に対する感想を述べている。

 恐ろしい、悍ましい、怪物だ、化け物だ。いつも通りの言葉と小さな悲鳴、変わることの無い評価ばかりが耳に入る。早朝に鳴き喚く鬱陶しい鳥やゆっくり眠れる休みの日に限って家の周りで騒ぐ声のようなものだ。

 だがそんな慣れた不快感よりも俺達がイストに入ってから馬車を乗り換え進み続けて早1週間の時が経ち、高くなってきた湿度と増えてきた蚊の方が不愉快だ。他の者は刺されたことに気づかないが、俺の場合は刺された直後から痒みや痛みが現れる。あの羽虫共は人間を刺すときに何かの毒を使って感覚を鈍らせているのかもしれない。

 

「貴公、怒りを感じぬのか?」

「感じるが出さずにしているだけだ。怒りをぶつける価値も、助ける価値も、関わる価値も、話す価値も奴等には無い。そう考えていれば自然と収まっていく。この湿度と鬱陶しい蚊に比べれば大したことはない」

「貴公……随分と残酷だな」

「100年近くも怪物として生き続けたら多少は残酷にもなるさ。他人を変えることの難しさを知って、それが面倒になって興味が失せていく。長くされた人生のせいで体が若いまま、心がすっかり老人になっちまってるのかもしれん」

 

 ニゲアンにそう言い、大きくため息をついて水筒から水を飲む。流れ込む温い水が粘り気を帯び始めた口内を潤し滑らかな湿り気に変えていく。

 俺は終わりの見えない未来、終わることが許されていない長い時間を生き続けねばならない。得た物は砂の城が風で消滅するように消え去っていしまう人生をだ。終着点が見え、それに向かって生きていける人間の一生というものが今の俺にとっては羨ましい。

 

「そっちは、随分と若々しいな。何故だ?」

「恐らく、心に支えがあるからじゃろうな」

「支え?」

「連座で一族郎党共々処刑されかけた時、"虎姫"様に家族を救われましてな。その時よりこの命が尽きるまでその恩返しをせねばと思っているのが、この心身を強く保ってくれていると儂は思っとる」

 

 老将は孫を慈しむ老人のような表情と声でそう語った。彼にとって"虎姫"は主君として使えるべき存在であると同時に、俺にとってのナールの様に慈しみ守るべき存在でもあるのだろう。なんとなくではあるが彼に親近感を覚える。

 

「これって"業"の影響……ですよね、お師匠様?」

「あぁそうだろうな。人並み以上の"業"を内在させられる者は人の姿のままで、より善く、より悪く、より強く成れる。世界に影響を与えられる稀有な存在だ」

 

 眼前の奇跡のような存在に、驚きを感じざる負えない。

 "業"を人より多く内在させた者は人間を超越した力を手にすることが出来る。しかしながら普通の人間であれば体が耐えられずに魔族や魔物へと変化してしまう。

 

 そうならないのはかつての勇者一行や世界中に居る強者達、かつて神代の英雄達やその血族のように、大きな意思に動かされたり呑まれたりし続けない、強過ぎる意思で自分を保てなくなる凡人ではない、強固な自己と意志の力を受け止められる器を有した存在達だけだ。

 勿論特別だからといって“業”に呑まれないわけではない。ようはコップとバケツに水を入れられる容量の違いがあるようなものに過ぎないのだ。無敵な存在などこの世には存在し得ない。

 

「儂がそのような大層な者だったとは……。このような老いぼれの凡将が儂には“疫病”、貴公の方が大したものに見えるぞ」

 

 老将は苦笑しながら俺を指差した。

 見た目だけなら俺は大物なのは間違いない。だが俺は他人の力でこうなったに過ぎず、生来の才覚やら器となる身体は大したものではない。

 恐らくは何者でも無い血筋であり、物心ついた頃には死肉を貪る鴉のように死体から金品を奪い、戦場で死した馬を貪っていた。与えられることがなければ今頃は骨すら残っていなかっただろう。

 

「俺は偶然力を得ただけの凡人に過ぎんさ。こいつらやあんたみたいな本物に比べたら、本当に大したことのない男だ」

「それは……まぁそうでしょうな。ナール殿は尊き”石棺の一族”の血を確実に引いておられますし、そちらのお嬢さんは見た目に反して非常に屈強であられる」

「ありがと、おじいちゃん」

 

 年頃の少女にとっては褒め言葉になり得ないが、この槍斧を持ち運ぶ娘には違ったようでランジェはニゲアンに微笑み礼を言った。表情と仕草だけは可愛らしいと褒められて喜ぶ子供のそれだ。

 

「異様に秀才だとは思っていたが、やはりその血を引いていたのか……だがまぁそれなら天才っぷりも納得だな」

「“石棺の一族”? 何ですかそれ?」

「冬の時代が始まった時、石棺の中で長い眠りにつき、神代からの眠りより覚めて人を導いた一族。王族、”石棺の一族“の血を引いてて強い人が多い」

「英雄だらけだった神代の血を最も濃く残した連中で、女神のどちらかの側に付き従っていた連中の末裔だから生まれながらに力と権威を持っている。要は特別な人間って話だ」

 

 ランジェと2人で弟子の疑問に答えを返す。これは王が王足り得る理由の1つではあるが、大半の人間はあまり知らないことである。何故なら生きるのに必要ない情報であるから、支配者が偉い理由など多くの人間にとっては興味が無いないからだ。

 

「それにしても……確実に血を引いてるって奴は久しぶりに見たな。大枚叩いて偽の血統書を作ってそれを見せびらかしたりしてるような愚かな奴は結構いたが……」

「過去にも会ったことがあるのですか?」

「1人だけな。内乱の続いたコムラを統一し、姐さん……俺の面倒を見てくれた人が仕切っていた村を焼き払った軍を率いていた」

「コムラを統一した、というとセキホ家ですな。1代で長く続いた乱世を終わらせ、反抗する可能性のある忍集や武力を持った村落といった自治勢力を全て平定してしまったとか」

「あぁ、あの死にかけの老人は……死にかけになって尚将としての頭は衰えず徹底的だった。燃やせるものは全て燃やし、壊せるものは全て壊す、殺せるものは蟻の1匹に至るまで殺し尽くしていた。平定する時は先んじて名簿を提出させていたから、取り逃がしはほぼ居ないはずだ……」

 

 懐かしい名前を聞き、昔見た惨状を思い出す。串刺しや牛裂き、磔にした上での刺殺や斬首といった処刑。死んだ振りを暴くための確認作業と死体の焼却。

 セキホは殺し損じの無い方法を取っていた上に、死体の数を先んじて提出させた名簿と照らし合わせていた。徹底振りは凄まじく、もし数が合わなければ訓練した犬と捜索隊を放っていた程である。

 

「そんなのを相手にして、お師匠様はよく生き残れましたね……一体どうやって生き残ったんですか?」

「こっちにはもう味方がいなかったから、気兼ねなく水と食い物と空気に毒と病気を撒き散らし、弱らせてから夜な夜な夜襲をかけてやった。そうしたら老体で戦えない総大将を連れて撤退しちまったのさ」

「クルツ、陰湿……でも効果的」

「加えてあれは夏場だったからな。暑さと乾きで倒れるか、空腹で倒れるか、俺か戦友に食われるか。そんな行軍だった」

「ナールはお師匠様が恐れられていた。いえ、恐れられ続ける理由が何となくわかった気がします。乱世の最後に衝撃的過ぎますよそれ……」

 

 俺の話を聞き終えたナールは耳と尻尾を震わせた。想像力豊かな彼女は、俺が追撃をかけていた連中の味わった苦痛や恐怖を想像してしまったのだろう。



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57話

「っ!? 何か来る!」

「助……け……」

「助けてくれ……頼む……」

 

 何気なく遠くを見たランジェが叫び、そちらを見るとこちらへと向かってくる一団が目に入った。彼等の体や衣服は赤く染まっており、皆一様に足を引き摺っている。

 

「あの人達、魔物か盗賊にでも襲われたのでしょうか? 血だらけで、足も引き摺ってますよ! 助けましょう!」

「おい待て! 勝手に離れるな! 待てよ……"全員足を引き摺っている"?」

 

 速度が落ちている彼等は何故追っ手から逃げきれたのか。追っ手は何故足を引き摺る様になる怪我を全員に与えたのか。あの集団には不審な点があまりにも多過ぎる。様子を見たほうがいいだろう。

 

「少し待て、ナー──」

「今、行きますからね!」

「うげっ!? 抜いてやがる! 野郎共、あのガキ気づいてやがるぞ!」

 

 警戒しろと伝えようとしたが、ナールはそれよりも早くに短刀を抜いて集団へと駆け寄っていった。どうやら不自然な怪我人達の負傷は偽りであったようで、俺達を襲う気であったらしい彼等は武器を抜いて迫って来た弟子を見て奇襲が失敗したと勘違いをし武器を抜いた。

 確かに彼等から見れば、計画を見抜いたナールが武器を抜いて襲いかかって来た様にも見えなくはない。嬉しい誤算であるといえるだろう。

 

「敵っ!? それなら!」

「なんだこのガキ!? 速いぞ!」

 

 ナールは武器を抜き殺意を見せた者達の先頭の膝を踏み台にし、顎の裏に短刀を突き立て殺傷した。そしてすかさず木の腕でその男の右手首を握ろ砕き、彼が手にしていた片手用の戦鎚を奪い腹部を蹴って飛び退いた。

 一連の動作はほぼ同時に行われており、技量の高さが素人目でもはっきりとわかる。相手方の衝撃はさぞ大きいモノであっただろう。

 

「ナールだけずるい!」

「うおっ、生臭い奴も化け物じみてやがるぞ! くそっ、あの糞爺め! これじゃ、話が違うじゃねぇか!」

 

 それに加えてランジェが戦いに加わった。剛腕で振られた大斧は敵を斬り裂き、叩き潰していく。2人が動く場所では弟子に鹵獲され使われては捨てられる武器と、血飛沫が粉雪のように舞っている。

 

「2人とも、何人かは残せよ」

「加勢しなくても宜しいのか?」

「相手は策を弄しただけのトウシロ(しろうと)だったみたいだし行かなくても問題無い。それ……ある程度動きを合わせなられないなら、邪魔になるだけだ」

 

 加勢に行くか迷っているニゲアンと数人の部下達に行かなくても良いと身振りと共に伝える。彼等の練度が相当であっても弟子達とは思想も戦術もまるで違うし、お互いのそれらを知らない。余裕がある今は邪魔になるので一緒に戦わない方が良いだろう。

 

「血を求めているかのような太刀筋に鬼神が如き暴れっぷり……まるで生物を殺すために生まれた獣であるかのよう。勇ましくもあり、それと同時に恐ろしくもありますな」

「獣(けだもの)から戦い方を学んだ天才だからな。多くを救う英雄になるか、多くを殺す殺戮者のどちらかになるだろう……」

「そう思うなら悪い方に転ばぬように指導すれば良いだけではないか? 儂も何人か戦士を育て上げたことがあるが、正しき道に進んだぞ」

「そいつは運が良かったか、あんたが真っ当でその影響を受けたかのどちらかだろうな。俺は運も良い方じゃあないし、他人が影響を受けてくれるくらいの善人じゃない。出来るのは信じてやる事と、教えられる全てを教えてやる事だけだ」

 

 ニゲアンにそう答えながら煙管を取り出し、煙草を詰めて火を点ける。俺は所詮自己中心的で、臆病で、幾百人もの人間を殺めて来た傭兵に過ぎない。望まれているからそうあろうと心がけているだけで、元来は人殺しの獣であろうものが師弟ごっこをしているようなものだ。偶然適性があって、望まれ出来るからしているだけに過ぎないのだ。

 

「そもそも……如何に教え導こうと、相手は生来曖昧な生き物なのだから思い通りになってくれるとは限らん。誠意と信頼で育て、どちらに転んでも決して見捨てず最後まで面倒を見る事以外には出来る事は無いんじゃないか?」

「……貴公があの子供達に怖がられていない理由が分かった気がしますな」

 

 ニゲアンは暴れまわる2人の少女へと目を向け納得した表情をした。流布された伝承や噂といった偏見の幕越しにこちらを見ていた老人の警戒の目が少しだけ、少しだけではあるが和らいだ気がする。

 

 

 太陽から注がれる暖かな日差し、木々の間を通り抜ける心地の良い風、そして漂う血潮の香り。今この林の中では勝利者による“情報収集”が行われている。

 眼前の虜囚に対して年端もいかぬ少女が作業的に既に赤く染まった石を振るい、打ちつけられた男が苦痛を味わいながら助かるために秘すべき事柄を話し続ける。常人からすれば異常な光景だ。

 

「成る程、女王様側についてるニゲアンさんを始末するのが目的で、唆したのは“虎姫”様と敵対してる派閥の貴族と包帯を巻いた老人っと……。他には何か隠していませんか?」

「そ、それ以外には何も知らねぇ! なぁお願いだ殺さねぇでくれよ……。派閥争いに没頭した貴族連中が税を増やした所為で金が無かったんだよ、身重のかかあとガキ共を助けたくて、金が欲しかっただけなんだよ!」

「むぅ……仕掛けられている側とはいえ、派閥争いに参加している身としてはこの男に同情出来ますな」

「同情しても良いが、許してやろうとは絶対に思うなよ。動機はご尤もだが、やろうとしたことの罪が重過ぎる」

「ならどうする。斬り捨てるのか」

「いや、そうするよりも良い手がある。命は奪わず、それでいて俺達の旅路を安全にする策だ。おいお前! 俺達よりも先に進んでこう喧伝して回れ。『ニゲアンは“疫病”と古今東西の英雄達に引けを取らない武芸者達を連れている』……とな!」

 

 命を奪われるのではないかと怯えている男を指差し、牙を剥き出しにして命令する。国の有力者が恐れられている存在や強者を連れているとなれば、見物人が多く集まり襲撃が難しくなるし小物は襲撃を諦めてくれるかもしれない。

 

「いいのですか? 異名を出したら恐れられたり、謂れの無い言葉を言われてしまうかもしれませんよ?」

「旅の安全に比べれば安い。ほらさっさと行ってこい! 行かないなら脊髄を引っこ抜いてしゃぶり尽くしてやるぞ!」

「ひぃっ──!」

 

 適当に脅すと、男は悲鳴を上げて走り去っていった。食われてしまうところだったとか、そういう噂も加わってくれれば小物が襲撃を諦める要因の1つになってくれるだろう。



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58話

 怖いもの見たさで集まった見物人がより増えた旅路の果てに、俺達は“湿地の国“イストの都が見える場所まで辿り着くことが出来た。

 対岸が視界にやっと入る程に広く流されそうにない程に緩やかな流れの大河を中心として、茶褐色の石で作られた建築物が密集して立ち並んでおり、街の周囲には広大な田畑が広がっている。

 種を蒔き終えてしばらくたった後であるらしく、田は泥の中から生えてきた稲によって緑に染まりつつあり、それらが風に揺らされている。

 

「これが稲作……ですかね? 資料で見たものよりも無秩序さが際立ってますが……」

「この地方の稲作は直接種を蒔くからな。資料で見せたことがあるのはもっと東、コムラの方の稲作だ。あっちは苗として育ててから植えるって方法だからもう少し整っているな」

「それ、どう違うの?」

「詳しくは知らないが、『管理しやすく、生育が安定する』からそうしていると聞いたことがある。気候や肥料の違いとかもあるから、検証しない限りは何とも言えないがな」

 

 知っている限りの知識を子供達に語りながら顎の毛を掻く。

 この世には知識として蓄えられてこそいれど、その原因や要因が不明なものがあまりにも多い。そういったものについて弟子に教えるときには、頭が凝り固まらないように極力通説と所見を合わせて語るようにしている。

 

「お米、美味しいのでしょうか?」

「ん? 食った事ないのか?」

「最初の記憶の時点でナールはもうイストには居なかったので。お母さ──、あの人との旅はただひたすら西に向かうものだったので、近しい文化圏で食べる機会も無かったです」

「そうか……なら街に着いたら食ってみると良い。こっちの米は味の濃い物によく合うから、お前の好みには合うかもしれん」

 

 ナールは味の濃い飲食物が好きだ。辛いも甘いも問わず、渋味と苦味以外は濃い方を好むのでこの国の味の濃い料理はきっと気にいるだろう。

 

 

 街に入った俺達は群衆に取り囲まれることになった。彼等は進む邪魔はせずに馬車の周囲を歩き、俺に怯えの視線を送ったり悲鳴をあげたりするかナールを『血族様』だの『血族様がおかえりになられた』などと口にして崇めるかのどちらかの反応を示している。

 “疫病”が来るという噂は俺達がこの街に辿り着くよりも早くに伝わって、尚且つそれに加えて弟子にかつての王の面影を見た者が居て噂話を広めてでもいたのだろう。さながら凱旋更新のような騒ぎになってしまっている。

 残念ながら弟子以上に食欲を唆る存在は居ない。いや、何を考えているんだ。普通の感性ならば、人間を見て食欲を唆られるもくそもないだろうに。

 

「ここまで人垣が出来ていれば行動を取りづらいでしょうし、余程腕に自信があるもの以外は迂闊に手を出せぬでしょうな」

「……目撃者も多いしな」

「貴公どうかしたのか、調子でも悪いのか」

「大した事じゃない。長旅で疲れが出ているのか少しだけ、そう少しだけ腹が減っただけだ。諸用が済んだら飯を食えば良いだけだ」

 

 人間の匂いや動きを意識すればするほど空腹感が胃の底から、涎が口内に溢れんばかりに湧いてくる。

 今周囲にいる生き物を食べたならばこの苦痛から解放されるのではないか。止まらない欲求からそんな事を考えてしまう。

 

「怖い顔してる。クルツ、口開けて」

「何──」

 

 何事かと聞き返そうと口を開けると、ランジェは空いた隙間に食欲を削ぐ光沢のある黒色の塊を放り込んだ。

 舌の上に転がったそれは半固体であり、味わったことのない濃厚な肉の風味であった。滑らかで粘性があるそれは、すぐに口内で解けてしまい唾液と混ざり合って喉奥に流れ込んでいった。

 あまりにも高価で手の届かない酒や捌いたばかりの新鮮な肉や魚、熟し切った果実。そのような美食を口一杯に頬張ったかのような幸福感で先程まで感じていた苦痛は徐々に取り払われていく。

 味が感じられなくなった頃には普段通りの調子に戻っていた。何の食べ物かはわからないが、どうやらそれを放り込まれたことで戦闘狂の少女に助けられたようだ。

 

「助かった。……因みに何だったんだ?」

「“深域”の果実。“深域”の身体に実って、熟れたら千切れて浜辺に流れ着く。“深域”の慈愛の象徴……苦痛を失わせる」

「そいつはなんというか、食った奴によっては依存しそうな代物だな」

「実際依存する。欲しくて同士討ちも起きる」

 

 ランジェは手の平に残った塊を急いで金属製の小箱に仕舞い込んだ。どうやら大切なものを分けてくれたらしい。そこまでの信頼関係をいつの間に気づけていたのやら。



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59話

 群衆と共に進み街の中央部に辿り着くと、石壁と門の前まで辿り着いた。

 石の壁は5メートル程で指が掛けられぬように滑らかに加工されており、門は太い鉄格子を備え全く油断していない10数名の兵士によって守られている。以前通ったアルバルドの貴族街へ繋がる門とは比べ物にならないくらい堅牢なのが見ただけでわかる。

 

「ニゲアン将軍! ニゲアン将軍がお戻りになられた! 門を、道を開けよ! そこっ、如何様な用事かは知らぬが後にせい!」

「……おじいちゃん優遇されてる」

「これでも帝国やルガルーの侵略を幾度となく食い止めておるからな。国内での評判は女王様に次いで良いはずじゃ」

「それほどなのに国外では無名なのですね。ナールもお師匠様も、ニゲアンさんの事を聞いたことが無いですよ」

「それはなんというか……劇的な勝利を一切勝ち取れていないからでしょうな。勝ったといっても焦土戦による粘り勝ち、国土と兵士を消耗した勝利ですから」

 

 ニゲアンは賞賛されることに申し訳なさがあるのか、面を崩さない微妙な表情をしている。大国2つと戦って国を残せているのだから誇っても良いと思うのだが、彼はそう思っていないらしい。

 暫く歩くと櫓を備えた高い壁と左右に分かれる道に行き当たった。その道を右に曲がり、壁の裏側に回ると大理石の宮殿が目に入った。

 建造物と同じ素材で作られた純白の道は清らかな水が流れる水路と花々で彩られている。眩い光景は一見すると城壁の中に極楽が作られているかのようである。

 

「守りに備えた曲がり角の先に開けた場所。勢いよく飛び出した敵は隠れることも出来ず、後ろから押されて退くこともできない……恐ろしい作りですね」

「まったくだ。水路は堀代わりにも籠城の際の水源にもなるし、よく見れば食おうと思えば食える花や生垣ばかりが植えてある。随分と考えられているな」

「2人とも、興味無さすぎ」

「まったくだ。“疫病”は良くも悪くも師としてナール様を育てておるようだな。感性は完全に影響されておる」

 

 ニゲアンは城の美しさよりも、城が持つ戦術的な機能ついて言及した俺達師弟に頭を痛めたらしい。彼の理想としては、ナールには美しいものを見て感動したりする“子供らしい子供”であって欲しかったようだ。

 俺から言わせてみればそれは彼の自分勝手な想像と願望に過ぎない。弟子が望んでこうなったのだからそれを否定する権利など、言ってしまえば赤の他人である彼には無いじゃないか。

 

「さてと、これより先は女王陛下が座す所。万が一に備えて貴公等2人からは武器を預からねばならん。渡してくれるな?」

「無論だ。そもそもあっても無くても然程変わらんと思うが……」

「良いけど、重いから落とさないで」

 

 ニゲアンに言われ、俺とランジェは武器を近くに居た使用人達に渡した。どちらも相当な重量物であるため、使用人達は落とさないように数人がかりで運んでいる。

 使用人は3割程が男で、彼等は小股になって屈んで歩いており少々臭う。その様子から彼等がある身体の一部を切り落とした者達であることが察せられる。

 

「宦官か。随分多いな」

「味方にすれば有力な勢力であったから、取り込む為に採用人数を増やしたのだが……臭うし事あるごとに小銭を要求してくるから儂は好かん」

「同感だな。鼠みたいな連中だ」

 

 武器を預かった宦官が心添えを求めて差し出して来た手に鉄貨が詰まった重い袋を置き、王宮へ向かって歩き出したニゲアンの後を追って歩く。

 狡猾で貪欲、この手の連中は理がある方に味方をするだけだ。利権のために改革を嫌い、敵対者にはどんな手を使っても勝利しようとする。信頼など出来ようものか。

 宮殿の階段を登り、その内部へと入っていく。眩い太陽の光が遮られた涼しさを感じる屋内は、そう設計されているのか風通りが良い。特にこれと言って特出すべき特徴も無い、居心地の良さ以外は求められていないかのようだ。

 

「地味、ですね」

「『趣がある』と言ってくだされ」

「飾られた言葉を言われて嬉しいもんかね? 俺なら正直な感想を言われた方がまだ良いと思うがねぇ……」

「結構結構! 正直さは買おう!」

 

 案内されるがままに正面からやって来た。

 成人して少し経ったくらいの虎の獣人で、黒と黄色の混ざった髪をしている。まつ毛は地毛で長く、肌と唇はハリがあり潤っている。目尻に赤い化粧が入れられている以外は化粧をしていないことから、素で美人であることがわかる。

 服装は質の良い煌びやかな衣服を身に纏いながらも、腰に虎の毛皮を巻き刀を帯びておりお淑やかな印象は受けない。外見の印象は気品がありながらも野生味が溢れた人物といったところか。



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60話

「陛下、何故いらしたのですか!?」

「別に王だからといって座って待つ必要はなかろう。私は私がやりたいようにやる。戦も国政も、何もかもな」

 

 女は驚くニゲアンに吐き捨てるようにそう言った。そうなのではないかと思ってはいたが、やはりこいつが“虎姫”で間違いないようだ。

 常識に囚われない自由奔放な主君。この手の類はとんでもない傑物であるか、ろくでもない暗君かのどちらかだ。前者であることを祈ろう。

 

「それで……ふぅん、なるほどなるほど……」

「な、何でしょうか? ちょ!? えっ!? な、何でナールを嗅ぐんですか!? ひうっ!?」

「血を引いてるのは間違いないが──。……あの邪悪な雌狼の血が色濃く出ておるな。全くもって嘆かわしい、穢らわしい──」

「アナシャ様! お言葉が過ぎますぞ!」

 

 ニゲアンは尊敬している主人とはいえ流石に彼女の言動を諌めねばならないと思ったらしく、ナールの耳を撫でている女王に言葉を荒げた。

 

「言葉が過ぎることの何が悪い。私は感じたままの言葉を言っただけだ。この国を乱したあの邪悪な女を、女王として非難しておかしなことはあるまい」

「それはそうですが、ナール様に罪は無いではないですか! この方に罪を問うのは間違っておりますぞ!」

「……何を勘違いしておる。私はこの子のことを嫌いとは言っておらんぞ。こんなに可愛くて血の匂いがする血族の娘を私が嫌うわけがなかろう」

 

 ナールの耳の後ろを撫でるアナシャは優しい顔をしている。表情を作って偽っているわけではなさそうに見える。

 弟子は血の匂いという比喩表現をそのままの意味で取ったのか、慌てて自身の腕の匂いを嗅いだ。臭ったとしても汗の匂い程度だろう。

 

「で、そっちの悍ましいのが噂の“疫病”で……」

「ランジェ、貴女同じ匂いがする」

「魔族と同じとは遺憾だが、同感だな」

 

 2人は手を取り合った。同じ武闘派で通ずるものがあったのであろうが、全くもって理解できない。

 

「陛下、此方においででしたか。陛下とお話しされたいと参上した御人を放っておいたまま、席を立たれたので──」

「くだらん蛙男とその共連れのことか? あんな輩は追い返せ。どうせ私やこの国に害を齎すに決まっておる」

「追い返そうとは致しましたが……どうしても陛下と言葉を交わしたいとその一点張りでして……」

 

 やって来た宦官と思われる男はアナシャの機嫌を悪くさせないようにか、随分と腰を低くしながらそう話した。

 蛙男、もしかするとあのフログがこちらに逃げて来ているのかもしれない。そうであるなら彼が何か変なことをこの女王に吹き込む前に手を打った方がいいだろう。

 

「遺憾ながら申し上げます。もしお待たせしている御人がフログという名の男であるのならば、気を許さぬよう留意されてください。随分と恐ろしい男ですので」

「……見かけによらずまともに話すのだな。よし! その話、詳しく話せ」

「では畏れながら──」

 

 俺はフログが敷いていた制度や住人が蛙に変えられた事件の事、そしてその事件の際に彼が即座に逃げ出したことを話した。

 アナシャは話し終えるまで、俺の目を見つめていた。その視線は心の奥底まで届いているかのようで、嘘を口にしていないというのに緊張してしまった。

 

「ふむ、それで──」

 

 話を聞き終えたアナシャは大きく頷くと腰に刺している剣へと手を伸ばし──。

 

「此奴は誰への刺客なんだ?」

 

 近くに居た宦官の1人を袈裟斬りにした。

 一切の迷いのない一撃を受けたその宦官は追撃で放たれた蹴りを受け、仰向けに倒されると袖の内側から紫の液体が滴る短刀を落とした。

 

「陛下、此奴だけでは無いようですぞ!」

「お、お師匠様! 宦官さんが! 宦官さん達とか諸々がみんな武器を隠し持っていました! こちらのことを殺す気みたいですよ!」

「見りゃわかる! 随分と不人気な女王様だな!」

 

 周囲にいたほぼ全ての人物、宦官や召使や僅かに居た衛兵が手に武器を持ち俺達を取り囲んだ。一部の者は敵ではないようであったが、即座に切り殺されるか逃げ出すなどして戦力になりそうにない。

 

「宦官共が……最早生かしてはおけん。ニゲアン、“疫病”、臭うの、尊き血族の子! 我が敵でないなら共に暴れろ! 私に味方するなら褒美はいくらでも出す!」

「そいつは有難い申し出だ。気前の良い御人は好きですぜ、陛下」

「……貴公も宦官共と変わらぬではないか」

 

 元より味方ではあるが、金を貰えるというなら一層身が入るというもの。素人同然の相手を打ちのめして信頼と金銭を手に入れられるならそれに越したことはない。

 

「ナール、ランジェ。手を抜かずに徹底的にやれ! ……誰にでもへこへこする鼠野郎共、生きてここを出られると思うなよ!」

 

 握った拳を手で包んで鳴らしながら毒と酸を吐き出す準備を整える。不意打ちと数頼りで雑多な武器しか集められていない素人が過半数を占めた集団など、相手にもならん。

 

 

 腕力で肉体を引き千切り酸を吐き出し溶かす怪物、敵となったならばと容赦なく剣を振るい続ける女王、幼さに反して徹底的に実力差のある相手を屠る少女達、倒れ伏してなお息のある者にとどめを刺して回る老人。

 殺戮という言葉は、今この状況にこそ相応しい言葉であろう。刺客達は自分達に勝機が無いと悟り逃げ出し始めたが、背後から酸の塊を飛ばされて脚を溶かされるか投石紐から放たれた石で頭部を打ち据えられるかして倒れていく。

 1刻も経たぬうちに殺戮は終わり、屍と血潮が地を覆い尽くした。生前は仲が良かったのか手を繋いだまま死した女官達、壁へと追い詰められ爪が剥がれるまで登ろうと試みた末に討ち取られた宦官、酸の水溜まりの上で呻き続ける寝返った衛兵。この世の終わりのような光景が広がっている。

 

「まったく、贈賄を取り締まる意思見せたらすぐにこれとはな。矮小なだけの小間使いならまだ可愛げがあっただろうに」

「そう、言ってやるナ。人は愚カなノだから」

「──っ!? お、お師匠様! 死体が! あの死体、立ち上がってカタコトで喋っていますよ!」

「筋肉が所々張りっぱなしで目に意思がない……あれは不死じゃないな。仕組みは調べないとわからないが、糸操り人形の様に死体を操ってやがるに違いない」

「おヤ? そこそこ賢い犬ナノだナ」

 

 死体は首だけを俺に向けた。目を動かせば良い角度なのに、わざわざ首だけを動かして視界を確保している。おそらくだが、目の操作よりも首の操作の方が容易だからそうしているのだろう。

 死体を人形の様に使う。その行動から何となくではあるが“傀儡”という言葉が俺も脳裏を過ぎった。もしこれが以前見た“曲馬団”の一員の仕業であるなら、この国が乱れているのも彼らの作為的なものなのであろう。



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61話

「如何にもこの体は傀儡。尤も、己の利益にのみを優先する裏切り者共も、阿片の誘惑で飼い犬同然にされた愚か者共も、乗らねば不利益を与えられると脅され従う者も。似た様なものだがな」

「成る程、随分と口がうまいんだな」

「ほっほっほ、所詮人の心がその程度のものなだけじゃ。儂はほんの少し背中を押して後に退けぬようにしてやっただけに過ぎん」

 

 声の主は操り人形にしている死体で笑う素振りをしてみせた。その言動には全ての他人を馬鹿にしているかのような腹立たしさが含まれている。

 

「貴様……貴様は"疫病"の話で聞いていた連中の1人だな! 姿を現して文句も言えない臆病者の貴様の謀が今この国を混乱させているのだな!」

「そういうことじゃ、面だけ綺麗で凶暴な女王様。まぁ元々、御主が女王になった頃から反抗の芽はふつふつと燻っていたおったがな。今頃軍を集めて反乱を企てておるところじゃろうなぁ、貴方様のお陰で楽な仕事をさせてもらったわい」

「貴様ぁっ!」

 

 “傀儡”は操っている死体を揺らして煽ってみせた。それがあまりにも頭に来たのか、アナシャは握っていた剣を振るって操り人形となっていた死体の肩から胴を引き裂き、切り口に左手を突っ込んで心臓を引き摺り出した。

 清廉さの欠片も無い野生的な攻撃を受けた死体は糸の切れた人形のように動かなくなった。おそらく魔力の源である心臓を活用し、全身に流れていく魔力の流れを制御することで身体を操作していたから心臓を破壊されたことで死体に戻ったのだろう。

 

「野生的ですが、でも凄く良い動き……」

「あぁ、相当に人間の壊し慣れている」

「おい“疫病”、貴様は確か傭兵だったな?」

 

 血濡れの腕で心臓を握りつぶした"虎姫"アナシャはこちらを向き、綺麗な面から作られたとは思えない邪悪が内側から漏れ出した笑みを作った。

 その顔には漏れ出た彼女の本質が現れている。彼女はただ戦うのが好きなだけの愚かな冒険を求める権力者ではない。誰にも曲げることが出来ない強烈な信念があり、それを守るためならば手段を選ぶことはなく、それでいて自他の生命で行われる命のやり取りに血の滾りを感じそれを好む。

 何かを思いつき、俺にそれを命じようとしている彼女は間違いなく強固な自我と欲望を持った人間的な存在である。方向性は違えど、ナールやアナシャと同じような性質を持った極めて扱いの難しい癖の強い人物なのだ。

 

「その通りでございます。もしや……このしがない傭兵に女王陛下から直々に仕事をお与えくださるのでしょうか?」

 

 機嫌を損ねればよろしくないことになるであろうことは明白なので、敬意を払っているようように見えるよう振る舞う。たとえ王族の遺児を育て上げた男であっても、この女に限っては気分と利益次第で手を下しかねない。

 

「そうだ。"疫病"、貴様を言い値で雇ってやる。その代わりに反乱を起こした連中……あの下郎と下郎に操られた阿呆共を1人残らず始末しろ。お前が言い伝えられる通りの存在なら、やり遂げられるだろう?」

「承りました。報酬として私共と魔神"大火"の戦いに御助力を頂くという確約を頂きたいのですが、それでもよろしいでしょうか?」

 

 言い値で良いと言われたので、今最も欲しい物を報酬としてくれないかと提案した。一国の女王と協力の約束を取り付けられたなら、間違いなく"曲馬団"との戦いを有利に運べるようになる。多額の金銭や強力な装備も欲しいところではあるが、孤立無援な現状ではそれらよりも先に有力な味方を増やすことのほうが先決なはずだ。

 

「存外に無欲なのだな。だがそれよりも……軍勢が相手になるかもしれんというのに何故一瞬の間も置かずに応えられる? 地方の兵士を吸収しているだろうから、最低でも30000程度の軍にはなっている。文官まみれで大した将はおらんが数は数だぞ?」

「戦では数は重要ですが、今は問題になりません。雑兵を100程度用意して頂ければ、それだけで勝利をお約束出来ます」

「え……お、お師匠様、それは流石に──」

「出来る、そうだろ?」

「あっ、クルツのずるい言葉だ」

 

 余計なことを喋らせないために、あまり師を否定出来ない弟子の性質を利用した言葉を使ったのをランジェに指摘された。

 

「……手筈を聞いてから納得出来たなら兵を貸してやろう。ただし、納得出来なければ何も援助せん。ほら、お前の思惑を話してみろ」

「それでは失礼して――」

 

 思い描いている未来を話すべく息を吸い込む。彼女にこれより話す計画は決して実現不可能なものではないが、堅実過ぎる人間や度胸の無い人間には到底受け入れられないものだ。彼女はそのどちらでもないが、だからと言って受け入れてくれるとは限らない。熱意や自信を強く言葉に込めねばならないだろう。



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62話

 イスト北部の農村。水田の広がる静かなはずの村は武装した集団、反乱側についた地方の兵士や衛兵の略奪を受けていた。家々の中は踏み荒らされ、田畑は刈田狼藉に合い、婦女や子供が縄で繋がれ連れて行かれている。抵抗したにしろしなかったにしろ男衆は皆殺しの憂き目に遭っている。

 

「おぉおぉ、やってるやってる!」

「お師匠様の予想通りにやってますねぇ……でも何故自国で略奪なんてしてるんでしょうか? 民からの支持を得た方が戦略的にも政治的にも良いはずなのに……」

「足りない物資の補充と軍資金の調達、あとは士気の維持が目的だろうな。露見せずに大規模な軍勢を密かに揃えるのは不可能に近いから、既存の戦力を吸収したんだろうがそれでは物資が足りず、それでいて大義名分もあまり無いから士気も低い。手っ取り早く問題を解決するために略奪を選んだんだろう」

「取るつもりの国を壊して何になるのやら……儂にはあの裏切り者共の気が知れぬよ……」

「気が知れたなら内戦なんて起きなかったかもな。いや……そもそも仮に知れたとしても人間の奥底に隠れた真っ黒な部分だろうから、諍いは起きていたかもしれないか」

 

 人間は邪悪な生物である。お互いを完全に理解してしまえば、中途半端に理解している時よりも争いが起こるようになってしまうだろう。

 

「貴公が言っていた手筈だと、これから彼奴等を蹴散らしこちらが正道であると流布するのであったな」

「あぁ、なし崩し的に反乱に参加している奴等はそれで脱走してこちら側に合流し始めるだろうさ。誰だって悪人にはなりたくないだからな」

「敵を減らし、味方を増やす。略奪を防がない以外は“疫病”という名前の割にまともな策を出したものだ」

「後々味方として使える兵隊の数を減らしたくないからな。折角女王様が協力者になるんだから、彼女が率いる国は強力であればあるほど良い」

 

 利己的な判断でこの策をアナシャに話し、それが採用されたに過ぎない。手段を選ばないのであれば、毒と病で国土を荒らし尽くして戦わずに勝つという手段も候補に挙げていただろう。

 

「クルツクルツ、あれ! あれ! 強そう!」

「何だ……おいおいマジかよ」

 

 興奮気味に肩に乗ってきたランジェが指差す方向を見ると、そこには極東の鎧兜を着込み面頬を着け独特な曲刀を腰に下げた武者が居た。本来は己の領地を文字通り命懸けで守り、主君に従うはずの彼等がこの国に居るのは有り得ないことなのだ。

 

「コムラの武者……何でこんな場所に居やがるんだ。戦乱が終わった後は全員文官もどきになったはずじゃあないのか?」

 

 故郷に居た狂戦士達、極東の国コムラにおける内戦で猛威を振るった彼等は平和が訪れると剣を振るうことよりも算盤を弾くことに熱中するようになっていたので絶滅していたと思っていたがまさかまだ存在していたとは。

 

「それだけじゃない。あそこにも変なのがいる」

「っ!? あいつは!?」

 

 武者の背後にある建物の影に黒い塊が見えた。よくよく見るとそれは以前俺達3人を毒殺しようと試みた黒猫の獣人であった。取り逃し、もう会うことはないと思っていたがまさかこんなところで出会うとは……。

 

「黒猫、毒殺の?」

「あぁ、お前は意識が無かったから知らないかもしれないが、あいつは毒を使って俺達を殺そうとした暗殺者――。……いやちょっと待てよ、そういえばなんでお前は死にかけていたんだ? 別に野盗に負けたわけじゃないんだろう?」

「貰った食べ物に睡眠薬が入ってて弱ってた。悪徳商人の隊商だったみたい」

「お前も結構抜けてるんだな。よく知らない人間がタダで渡してくる食料なんて怪しくて食えたもんじゃないだろ……」

 

 黒猫を見つけたことで、今起こっている問題とはまったく関係の無い謎が1つ解けた。この鯱娘は実力など全く関係のない部分で死にかけていたらしい。

 

「ていうか2回死にかけてたんですね……」

「だから感謝してる。傷物にはされたけど」

「言葉は選べよ。人聞きが悪い」

 

 ランジェは襟を捲り、首筋についた歯型を俺に見せた。こうすればナールが反応するであろうと思っての悪戯であろう。案の定、弟子はそれを見て不機嫌そうな顔をしている。高過ぎる独占欲が刺激されてしまったのだろうか。

 

「むぅ……」

「膨れるな。ほら、さっさと銅鑼を鳴らして伏せさせた連中に合図を出せ。略奪を受けた奴等の中に生き残りがいなきゃ俺達が“正義”の側だと伝わらん」

「救えた命を助けず正義を騙る……か」

「正義なんてただの都合が良い言葉の1つに過ぎないから気にするな。時代や文化、状況や個人の価値観でコロコロ内容が変わりやがる曖昧な概念だ」

 

 絡まった痰を吐き捨てる。

 経験上“正義”という概念を使っていた人間はどこかが狂っている人間か、その概念と字面を利用する人間のどちらかであった。正直言ってあまり好ましい言葉だとは俺は思わない。



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63話

加筆修正を行いました


 鉢で力強く叩かれた銅鑼が鳴り響き、略奪の音が全て掻き消されていく。突如鳴り響いたその音は、村に居る全ての者達の視線をこちらに向けさせた。そうして彼等は俺を視界に入れた。物語や噂話でしか聞いた事のない"疫病"と思しき悍ましい魔族が、目を血走らせ半開きにした口から涎を垂らして見つめてくる。その衝撃は大きな者であったのだろう。

 

「あれは……嘘だろ、何でこんなところに……」

「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! ここに居られる方はかの有名な"疫病"その人、そして我等は女王陛下の命を受け罪無き民草に狼藉を働く逆賊を討つ者也!」

 

 イストの軍旗を持ち上げたナールが、高らかにこちらの立場を言葉で示す。

 捕食者だと感じさせられる見た目の魔族を前にした上、自分達が大義の無い逆賊として認定されてしまった衝撃は大きかったようで、略奪を行っていた者のほぼ全員が靡く旗か俺から目を離せなくなっている。唯一を見せなかったのは鉄板を組み合わせて作られた特徴的な極東の鎧、"胴丸"を着込んだ鎧武者と即座に金品を持って逃げ出した黒猫の獣人だけであった。

 

「爺さんは兵を率いて突っ込め! ナールとランジェは多少は腕が立ちそうな奴をやれ、俺はあの甲冑を受け持つ!」

「猫の方は? 逃してしまうのですか!?」

「奴は狡猾な暗殺者だ。あの手の類の人間は逃げる用意と、追手を殺す罠を予め入念に用意している。だから今は追うべきじゃない」

「クルツだけ強そうな相手、ずるい」

 

 玩具や菓子をねだる子供のようにランジェは頬を膨らませた。その様子はこの戦闘狂いの生臭さ鯱娘もまた、1人の幼さ残る子供であるのだと俺に感じさせた。

 

「そっちが片付いた時に俺の方が片付いていなかったなら、お前に"も"こっちに加わってもらう。それでどうだ?」

「……妥協する」

 

 ランジェはこちらが提示した条件を飲み込んで切り込んで行ってくれた。扱い方さえ心得ていれば、付き合いは難しくない。女王から預かった雑兵達もニゲアンに率いられて少女達の後に続いて敵へと走っていく。彼等は必ず5人1組で動き、総数が自分達の半分よりも少なくなるように戦っている。

 

「"疫病"、いや"四つ手"のクルツ。伝承通り、それなりに頭が回るのだな。成る程、武だけの強者(つわもの)では討伐出来ぬわけだ」

「……お前何者だ?」

 

 甲冑男は俺ですら久しく聞いていない異名を口にした。彼が発したのは"疫病"という名前の印象が強すぎるあまりに広まらなかった異名、千切れた両腕を新たに生えた腕で武器として振り回した時の姿から付けられたものだ。

 それ知っているのは、毛穴の中を覗き込むくらいにこちらを調べている人間か、俺に相当な恨みを持つ人間だけ。相手の出身地を考えればおそらくは後者であろうが、だったらこの男は何者だというのだ。

 

「我が名はコウ・カンゼ。カンゼ家、かつてセキホ家に仕え貴様に煮え湯を飲まされ尽くした者の末裔。貴様によって付けられた一族の汚名……貴様の首を奪うことで濯いでみせよう」

 

 男は剣先を後ろに向けた下段の構えを取ってこちらと向き合った。刀身が胴と甲冑によって見えず男が持っていた刀の間合いが測り難いうえに、手が全て隠れているので何をしてくるのかまったく読めない。

 男の家名には聞き覚えがあった。コムラを制したセキホに対して生かさず殺さずの嫌がらせをし続けていた野盗時代、セキホが家臣から距離を置かれるようにセキホに近しい家臣にも襲撃を仕掛けていた時の標的であった。確か深夜に侵入し片っ端から盗める物を盗み、家畜を半分盗み半分を解き放ち、誘拐出来る人間と遭遇したなら連れ去って身代金を要求する。そういった具合に延々と不定期に被害に遭わせ続けていたはずだ。

 

「あぁ成る程、恨まれて然るべきだな……」

「分っておるなら、その首寄越せ!」

 

 甲冑の男は構えを維持したまま、此方へと前進してきた。正確な長さは分からないが、少なくとも彼の持つ刀は俺の首を切り落とすのに十分な刃渡りであった。急所への一撃を貰えば命はないだろう。

 

「何と取り繕うと俺は人殺しの元野盗だ。首を取られても文句は無い……だが、まだ死ぬわけにはいかないんでな!」

 

 向かってくる男に対し、酸を霧状に吹きかける。酸が強力なものであることは確認済みで必殺の一撃となりうるものではあるが、別に必殺の一撃としてだけ使えるものというわけではない。

 射程を削ればこのようにして目潰しとして使うことも出来る。酸である以上、例え目に入らなくても吸い込めば体内が焼けるし、目を閉じるという行為をおこなった時点で隙が出来る。正道な技とは決して言えないが、正道かどうかばかり気にして勝利を取れないよりはマシだ。

 

「卑劣漢めが!! まともに戦えぬのか!」

 

 鎧武者は片腕で眼球へと飛来する毒霧を払い退け、後方に大きく跳ぶことで体勢を立て直した。彼に追撃をかけようとしたが脛に痛みを感じて動くことが出来なかった。鎧武者は俺の追撃を阻止すべく毒切りを振り払うと同時に棒状の手裏剣を投げていたのだ。

 

「笑わせるなよ小僧。殺し合いに卑怯もクソもあるものか! そんなに決闘ごっこがやりたいのなら、闘技場にでも行くんだな!」

 

 思考の妨害を兼ねた挑発を馬鹿にするような言葉と口調と動作で仕掛ける。こちらは特に頭を動かさずに呼吸のように汎用的な罵倒を行っているが、相手は例え挑発に引っかかることが無くてとも思考が掻き乱される。ただただ小賢しい技だ。

 

「どうした? 仕掛けてこないのか? もしかして1対1の正面向かっての打ち合うじゃなきゃ戦うことが出来ないってわけじゃないよな?」

「っ! そのよく回る舌を斬りおとしてやる!」

「突貫……いや、違うな――」

 

 突進してきた鎧武者はこちらに近づくにつれて徐々に歩幅を狭めている。恐らく刀では防ぎきれない攻撃が来たなら飛び退き、強烈な一撃を繰り出すつもりなのだろう。激高した様子を見せて隠しているのか、それとも長きに渡る修練がそうさせているのかはわからないが、どちらであったにしても彼の剣士としての才能は称賛に値するなのは間違いない。

 

「綺麗だ。だが、あまりに綺麗過ぎ若過ぎる」

 

 才能があり教育を受けた彼の歩みは、長い刻を受け継がれてきた舞踊のようで見惚れてしまいそうになる程に美しい。だがそれは悪く言えば指南書に書かれた通りにやっているかのような動作であり、次の一手が読みやすかった。

 

「惜しいな。敵なのが残念だ」

 

 両腕を心臓と首の上に重ねて守りながら迎え撃つ。今は急所さえ守れればそれでいい、即死さえ免れれば常人では絶対に不可能な方法で反撃を行える。

 一部分しか守ろうとしない俺を見たコウは一瞬だけ疑念を抱いたようだが、それを振り払って全身を続けた。雄牛の如き踏ん張りで地を蹴り、蜻蛉のような急加速をしてみせる彼は防御の手薄になった腹部へと突きを放つ。俺はその刺突へと向かい、鋭利な頭身の先端部を腹部へと突き立てさせた。突き立てさせ、更に前へと進み背中側へと突き破らせた。

 

「貴様、何を!? 死ぬ気か!?」

「おやおや、殺そうとした相手に心配か? 随分とまぁ……余裕があるんだな……」

 

 俺の体を刺し貫いた刀を持つ腕を掴み、刀が突き刺さったまま抜けないように押さえ込む。動きを封じ、十分に時間は作った。そろそろ頃合いで彼女たちが来る頃だろう。

 

「お師匠様! お師匠様、大丈夫ですか!?」

「いつも通りってとこだ……それよりも、2人で奴を料理してやれ。有利な状況は作っておいたから……出来るはずだ……」

 

 口角を上げ、口の端から迫り上がって来た血液を垂らす。俺は最初から単独でこいつに勝つつもりなど無かった。強敵が孤立するように十分に時間を稼ぎ、情報を集めた上で有利な状況を整えて仲間達に仕留めさせる。勇者一行にいた時にやっていた役割をまだ今も俺は為している。

 

「わかりました! 行きますよランジェ!」

「任された」

 

 粗方雑魚を蹴散らした弟子と鯱娘は鎧武者、コウを仕留めるべく走り出した。彼女達が手にしている武器は鹵獲したのであろう刀身が途中で屈折した山刀と破壊力のある槍斧、素手による格闘や隠し持てるような小さな武器で相手にするには少々分が悪いだろう。

 

「くそっ……この化け物がっ!」

 

 コウはナイフを取り出すと俺の手首の腱を切り裂き、刺さった刀をそのままにして拘束から脱出した。そのまま子供達と距離を取ると、素手で俺達が連れて来た雑兵の1人を無力化して槍を奪ってみせた。窮地に陥っても焦ることなく最善の手を打てる判断力、彼の事は素晴らしいとしか言えない。ナール程ではないが、彼もまた天才なのだろう。

 

「逃げられたか。……だが、ここまでだな」

「ほっほっほ、そうは行かんぞ疫病」

 

 周囲での戦闘が終わり、雑兵がコウの周囲を取り囲んだところで新手が現れた。"傀儡"、滅すべき"大火"の手下である老人である男が弩を携えた大量の兵士で構成された軍勢を従え高所に佇んでいる。どうやらこちらの動きは読まれてしまっていたらしい。



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幕間『弟子の休日1』

ただのマッサージです


 それはとある昼下がりのことでした。日課の修練を終えて一息付いたその瞬間、ナールはランジェに拉致されました。無言で接近してきた彼女はナールを小脇に抱えたまま歩き、有無を言わさずとある場所へと連れて行きました。

 連れてこられたのは宿屋に備え付けられた個室のお風呂でした。花弁が浮かべられた湯船からは湯気の立ち昇っており、桶と共に用意された新品の石鹸と新品の布が用意されています。ランジェ以外は良い匂いのする空間です。

 

「ナール、脱いで」

「……へ?」

「いいから、いいから着替えて」

 

 ランジェはナールに湯浴み着を押し付けて、背中を向けて湯浴み着に着替え始めました。綺麗だったであろう白い肌はナールと同じで肩から肩甲骨、腰から足先に至るまで傷だらけ。見る人が見たら勿体無いと口にしそうです。

 理由はわかりませんが害を与えようとしている訳ではなさそうだったので、言われるがままに湯浴み着に着替えてランジェの方を向き直ると彼女は石鹸と桶を握って着替え終わるのを待っていました。

 

「髪、洗うから座って」

「はいはい……一体何なんですかこれは……」

「入浴、綺麗にしてる」

「いやいやランジェ、それはわかるんですけどね。なんでナールは突然拉致されて入浴させられてるんだろうなぁって話ですよ」

「知らない。私もナールをお風呂に入れたりしてってお願いされただけだから」

「お願い……? ということはお師匠様の指示、お師匠様はナールにお風呂に入って欲しかった? それってつまりつまり!?」

「違う、そうじゃない。この後のことの指示も貰ってるから絶対に違う。そうじゃなくてもクルツはそんな意図で指示は出さないはず」

 

 ランジェはナールのつむじを親指で押しながら不純な妄想を完全に、それでいて徹底的に否定しました。彼女は出会った当初よりお師匠様のことを知っていて、ナールの扱い方も心得始めてて。なんだか最近では所謂"姉"というものになっているような気がします。

 

「ん、来て」

「……ランジェ、それは流石に恥ずかしいですよ」

 

 石鹸で泡だらけになったナールの髪を洗い流したランジェは先んじて湯船の中に横たわると、自分に凭れ掛かるようにして湯船に浸かる様に両手を開いて誘いました。ナールの言うことを聞いてもそのその態度を曲げることはなく、ナールが折れて湯船に浸かるまで待ちの姿勢を崩すことはありませんでした。

 ナールが湯船に浸かるとランジェはナールの背中と首と手足を揉み解し始めました。力具合が丁度良くて的確な場所を刺激されて、瞼が自然と降りてしまう程に気持ち良いです。少し待ってください、何故2か所以上から揉まれている感触を受けるのでしょう。それと何だか変な感触です。まるで人の手によるものではないような。

 疑問を持って視線を下へと向けると、そこでは黒と紺の斑模様の触手が蠢いてナールの手足を揉み解していました。気持ち悪い見た目には鳥肌が立ってしまいますが、与えられるこそばゆい感触は中々に甘美で鳥肌とは違う震え方をしてしまいます。

 

「ふぇぇ……」

「良かった。気に入ってもらえて」

 

 ランジェはナールが抵抗出来なくなっていることに気付くと、ナールの瞼の上に触手を載せて塞ぎました。按摩の心地良い感触と湯船の暖かさを与えられ、暗闇に放り込まれたナールの意識はゆっくりと薄れていきました。これがナールの長い安らぎの一日の始まりなのでした。



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幕間『弟子の休日2』

 心地よい暗闇の世界から現実へと帰還すると、そこは借りている宿屋の部屋のベッドの上でした。どうやらお風呂で意識を失ってからここに運ばれ寝かされていたようです。体には疲れが一切残っていません。不可思議な触手による摩訶不思議な按摩のおかげか、筋肉の凝りがなくなっています。

 

「ぐっすり寝てた。気持ちよかった?」

「そりゃあまぁ……悪くは無かったですよ。すごくすごくとってもとっても奇妙な体験でしたけど、悪くは無かったです……」

「なら良かった。ん、服着てこれ付けて」

「今度は何なのですか? いきなりお風呂に入れと言ったり不気味な按摩をしたと思えば、今度は目隠しですか。悪さはしないとわかってるからしますけど……」

 

 手渡された目隠しを言われるがままに着けました。着ける際に周りが少し見えるように、隙間を開けたのですがランジェはそれを見逃さずしっかりと目が塞がるように着け直されました。

 視界を奪った彼女はナールの手を引いて部屋を出ると、肩を掴んでナールを数度回転させて方角を分からなくしてしまいました。何処へ連れて行くのかわからなくするつもりなのでしょうか。

 

「歩いて。すぐそこだから」

「はいはい」

 

 ランジェはナールを押して宿屋を進み、何処かの部屋へと連れて行きました。室内は暖かく、花の匂いと木苺を使った甘味の匂いが室内に漂っています。それだけではありません。この部屋には安心感を感じる獣の匂いも漂っています。あの人が、この部屋にはあの人がいる。

 

「気づいた。ナール、驚かせ甲斐が無い」

 

 ナールが匂いを嗅いで気付いたことを察したランジェは残念そうな声を出して目隠しを外しました。嬉しい驚きを与えようとしてくれた彼女には申し訳ないですが、どうやっても気づいてしまう物は仕方がありません。目隠しを外され見えたのは机の上に置かれたパイと3人分の椅子、そしていつも通りの格好をしたお師匠様が居ました。

 

「これは? どういう状況なんです?」

「日頃の労いと、ランジェからの恩返し。俺は良い風呂に入れて疲れを癒してやったり、飯を食わせたりしてもてなしてやれと指示を出しただけだ」

「……按摩は?」

「按摩? 何のことだ?」

 

 お師匠様は不思議そうな顔をしました。どうやら先程のあれはお師匠様の指示ではなく、ランジェが思いついてやったことであったようです。

 

「なるほど、妙なことをし始めたなと思ったらそういうことだったんですね」

「妙な事とは失礼。れっきとした"私達"の療法」

「いや……知りませんよ。そっち側の事は知られてないことばかりなんですから」

「なら知ればいい。知ってくれる?」

 

 ランジェは1口分のパイをナールに差し出してきました。彼女はあまり感情を顔に出す類の肩ではありませんが、口調と声色で『自分の事を知ってほしい、仲良くしたい』と本気で思っていることが伝わってきます。

 拒絶する理由もないので頷き口を開くと、ランジェはパイをナールの口に放り込みました。しっとりとした生地に染み込んだ木苺の甘みが口内に広がっていくと共に幸福感が沸き上がって尻尾の動きを止められなくなってしまいます。

 この日、ナールはランジェにもてなされ続けることになりました。妙に聞き心地の良い歌を聞かされたり、玉虫色の謎のお茶を提供されたり、ランジェは彼女が思いつく全てのもてなし方でナールをもてなしたのでした。



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64話

64+65(1/2)、加筆修正を含みます


「伏兵……だと!?」

「あの数、俺たちより多い……」

「殺される……終わりだ……」

 

 奇襲を行い常に有利になるように戦わせていたことで保っていた士気が、不利な状況に置かれたことで崩壊してしまった。十分な訓練を積んだ兵士ならば動揺しながらも絶望することはないが、彼等は体格の良い人材に武器を持たせただけの雑多な雑兵であり碌な訓練を受けていない。致し方が無いだろう。

 

「不味いな。数合わせの雑兵の欠点が出てきやがった」

「お、お師匠様! まずいです! 後ろからも、後ろからもいっぱい来てます!」

「囲まれてる。でも突破は出来る。少なくとも3人は」

「それはよろしくないな。包囲の一角を緩めて作った罠の可能性があるし、見捨てた連中が捕虜にでもなろうものなら士気が下がるし俺の立場が無くなる」

「だったらどうするの?」

 

 突破して逃げ延びるのは難しいことではないが、面と向かって一国の指導者と契約を交わしてしまった以上ニゲアンや兵士を捨てることを前提とした作戦を取るわけにもいかない。人数も地形も立ち位置も圧倒的に不利なこの状況、如何に覆したものか。

 

「何をしている傭兵! 兵士達、矢を受けぬように家の残骸に身を隠し防御を固めよ! まだ我等は死んでおらん! 不利ではあるが、負けてはおらんのだ!」

「……お師匠様! ナール達も一先ず隠れましょう!」

「そうだな……体制を整えるべきだ。小僧、コウとか言ったな! こっちに来い!」

「放て! 餌諸共、敵を射抜けぇ!」

 

 降り始めた矢玉の雨に対し、自分の体が近くにいた弟子達の傘になるようにしつつ荒らされていた家へと駆け込む。逃げ遅れた兵士や村人や瀕死の兵士が敵味方関係なく射抜かれ死に絶えていく。斉射が止む頃には、外は地面に突き刺さった矢と蠢き助けを求める者達だけが転がっていた。

 

「生きている味方は残っていても3割程、ニゲアンを除いて30人ってところか。……それで? 矢の雨で殺されかけたお前はこれからどうするつもりなんだ? ここで卑劣だが命がけで戦っていた俺達に殺されるのか? それとも安全なところから命令だけを出してお前達を餌にして俺達を殺そうとしたあの男に灸を据えるのか?」

「俺は……くそっ、"善意の魔女"め。何が『最上の機会と刀をあげる』だ……」

 

 荒れ果てた家屋の中でナールとランジェに刃を突き付けられていたコウは憤怒の表情で眼前に有った机を叩き割った。良かれと思って行動し結果として事態を最悪の方向にもっていく"善意の魔女"、彼はあの女に剣を持たされて導かれたらしい。それにしてもこの男、真っ直ぐ過ぎて敵ながら心配になるな。

 

「いいだろう、あの糞っ垂れを殺すまではお前を殺さないと誓おう。だが戦うにはお前の腹に刺さってる刀が必要だになる。だから──」

「それなら……くっ、くれてやる!」

 

 腹に突き刺さった刀を引き抜き、それと同時に家の中に倒れていた男の死体に貪り付く。いつもやっている荒技なので、驚いているのはコウだけだ。

 

「お師匠様、この人の今の言葉を信じるのですか? ナールにはさっきの言葉がその場凌ぎの言葉としか取れなかったのですが……」

「そう思うなら警戒していろ。だがな、ナール。俺はこいつの在り方を見て、さっきの言葉に嘘が無いと判断してる。愚直で、馬鹿真面目で……出会った時の"振り香炉の勇者"みたいだ。不名誉なやり方をしてまで一族の怨みを晴らそうとする男ではないはずだ」

「……もし仮にそうでなかったら?」

「その時はその時だ。全力でぶち殺せばいい」

 

 警戒しているナールの肩を叩いてコウに刀を手渡す。何も心配はない。停戦が切れた時には姿を晦ますか、大人数で囲んで棒で殴ってやればいいだけだ。この馬鹿真面目はまともに戦ってもらえると勝手に解釈しているかもしれないが、そんな約束などしていないのだから。

 

「ほっほっほ、家に隠れましたか。良いでしょう、さぁ火矢を放ちなさない! 鼠共を火で炙り出して嬲り殺しにするのです!」

 

 包帯男の指示で火矢が一斉に降り注ぐ。家屋の屋根に突き刺さったそれらから、火が燃え移っていき俺達が身を隠している場所が煙に包まれていく。火を消すことが出来る水や土の無いこの場に留まっては、何も出来ずに煙の中で息絶えてしまうだろう。

 

「まぁ立て籠もればこうなるよな」

「どうしましょう! やはり突破するしか……」

「それさっきダメだって。ナール、聞いてた?」

「いいや強行突破はするぞ。ただし、逃げるためじゃなくて敵軍を破壊するために敵に向かって突破を仕掛ける。風で流れる煙に乗じて奇襲を仕掛け包囲網のデカい穴を空けてやろう」

「圧倒的に敵のほうが兵力が多いし、お前達の連れていた兵士は素人同然でこちらの動きに便乗してくれるとは限らない。"疫病"、良い案だが無謀だぞ」

 

 コウは俺がやろうと言い出した作戦に対して常識的な意見を述べた。彼の言うことは尤もで、常識的だ。話しかけている常識的な戦い方をしない相手でないということを除けば模範的であると言えるだろう。

 

「確かに数は力だ。だが、数だけが力なわけじゃない。ついてきてその目で見ろ、コムラで暴れまわった"疫病"流の戦い方を見せてやる。ナール、ランジェ、敵陣に切り込んで大暴れをする準備しろ」

 

 家の中に置いてあったベッドを持ち上げ、煙に乗して敵陣に突入する準備を始める。兵士を集め矢の雨を降らせて来るのはかなりの驚異ではあるが、絶対に打開できない状況であるわけではない。

 

 

「飛び出してきたぞ! そら、射殺せ!」

 

 漂う煙に追われ、煙から飛び出した者を“傀儡”こと“大火”の手下であるココルは部下に射殺させた。敵兵達の射撃はそこまでうまいわけではなく、複数人で1人を狙った射撃しかしていない。練度は低そうだ。

 

「何も見えないが、死んだか……?」

「かもな。化け物みたいな奴もいたようだが、所詮は生物。火に焼かれ煙に呑まれれば死ぬだろう」

「おい、煙の中から変な音がしないか!? まるで巨象が走るような、これは足音か!? みんな気をつけろ、煙の中を通って何かがこっちに──」

「──ちと遅いなァ、気づくのがなぁ!」

 

 煙の中から腕を伸ばし、こちらが迫っていることに気付いた兵士の首を掴んで骨の連なりをずらす。そして煙中より突如現れた化物に仲間が鷲掴みにされ、ずれた骨で起こった窒息でもがき苦しみ様を見せつける。

 人は集団となると強くなった気になれるが、それは容易に覆る脆い虚飾だ。集団となることで個人が持つ個性が薄れたとしても死という普遍的な恐怖は持ち続けている。それを刺激され、恐怖が伝播したのならばここ人であった時よりも多大な混乱を齎してしまう。集団相手には恐怖が強力な武器になるのだ。

 

「何をぼぅっと見ておる! 早く射殺さんか! 図体が大きかろうが所詮はただの獣の魔族、矢弾を浴びせれば殺せるに決まっておる!」

「お、応! 撃て、撃ち殺せぇ!」

 

 命令された敵兵達は闇雲に番えた矢を放つが、狙いは正確ではなく俺の付近まで届く矢は少ない。遠くにいる者は弾道の予測が下手で、近くにいる者は手の震えで正確な狙いがつけられずにいる。

 届いた数少ない矢も俺の背に当たるか俺が盾にしているベッドに当たるだけで、それらを傘にしているランジェとコウにも腹部にしがみついて雨宿りをしているナールにも当たってない。

 

「矢の雨程度で止められると思うな! 俺を殺したければ、大砲の1つや2つでも持ってこい! そうでなければ殺されないように逃げちまえ!」

「ひっぃ、ば、ば、ば……化け物だ!」

 

 斉射を受けながらも動き続け、眼前の兵士を足の裏で押し倒し踏み潰す。針鼠となってなお動き続ける怪物と赤い染みとなった同胞を見た彼らの反応はわかりやすく、距離が近い者は武器を捨て逃走を初め遠い者は更に照準が定まらなくなった。

 

「さぁ出番だ若い衆、包囲にどデカい穴を空けてやれ!」

 

 矢が大量に刺さったベッドを槍の穂先をこちらに向けながら後ずさりする兵士達に投げつけ雄叫びを上げる。矢の雨を超えて敵の戦列へと辿り着き、士気を崩して勢いを削いだ。ここまですればあとは控えた3人が暴れまわってそれで大損害を与えることが出来るだろう。

 ――そう、何もなければ。

 

「突撃! 空いた穴に飛び込み脱出せよ!」

「お師匠様、ニゲアンのおじいさんがこっちに来ます! 担架も一緒です!」

「ばっ、くそ……無駄に有能な爺めが! 余計なことをしやがって!」

「まずい? 脱出できればいいじゃない」

「あの集落から兵力が無くなれば当然だが包囲が狭まったなら、四方八方から圧倒的な数で押し切られちまう。余裕を持てば恐怖も消え素せちまうだろうさ」

 

 火や矢の雨という安全策ばかり取るような連中であっても無防備になる撤退中の敵を見逃すことはない。一挙に包囲網を狭めて仕留めに掛かってくるだろう。"傀儡"が直接率いる部隊に損害を与え、反乱軍における奴の信頼や実績に傷をつけることはもう出来ない。

 

「お師匠様、対角に居る敵が包囲を狭めています! まずいですよ! まずいです!」

「致し方ない。ナール、ランジェ、コウ。お前達3人は担架を運んでない奴等と弩を拾って走れ! 確か真っ直ぐ走れば地図上では橋があったから、そこで騎馬の待ち伏せの準備をしていろ!」

「お師匠様は!? お師匠様はどうするんですか!?」

「俺は殿をする。騎馬か猛者が出てきたらお前達が張った網に諸共突っ込んでやるさ」

 

 担架や村人を伴って走ってくるニゲアン達とすれ違うのと同時に、味方のいない全ての方向に向かって毒の霧を吐く。俺には野盗をしていた頃より得意なものが2つある。それは正面切っての突破でも頭脳を使った奇襲でもなく、夜半の押し入り強盗と撤退戦だ。



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65話

 逃走を始めた俺達に追撃をかける敵は、先頭の数名が岩で叩き潰されたり、体の一部を食いちぎられたり、薙ぎ倒されたりするとその度に追撃も手を緩める。そしてその度に彼等は少数の重装備の兵士に背を追い立てられ、改めてこちらに仕掛けてくる。

 押し寄せては引いていく、浜辺の波のような様子を見せる集団の練度や戦意が低いことが容易に見て取れる。恐怖か、それに類する物で縛り付けられていなければ戦闘を放棄してしまいそうだ。

 

「逃亡阻止の見張り以外は数合わせ、たまたま反乱側に取り込まれただけの衛兵達……。相手にしたことがあるのは小さな野盗の集団程度だろうな」

「邪魔だ退け! 貴様等では話にならん!」

「全くだ。ここは我等"鉄城騎兵"に任せてもらおうか」

 

 全身と馬を鎧で包みこんだ魔族の騎兵隊が兵士の波を搔き分け現れた。人間を両断できそうな戦斧を携え、背には切り詰められた火縄銃を背負い、腰のベルトには擲弾と思われる壺を何個も繋げている。鎧を着て戦える体力に騎馬の技術、火薬の知識まで持っている。間違いなく精鋭の私兵だ。

 通常、権力者は魔族を直属の私兵に組み込んだりはしない。事実無根な悪評を広められないように、そして宗教的な理由から嫌悪していたり熱心な信徒からの人気を失いたくないためにそうしている。戦力足り得る魔族を精鋭部隊として飼っているのは、公に出せないような仕事を生業としている奴くらいだ。

 

「ようやく本命のご登場か。さて、十分時間は作ったし逃げるとするか」

「逃げたぞ! っ!? なんて速度だ……馬並みじゃないか……」

 

 敵の足止めを止め、現れた騎兵だけが追いつけるように4足歩行で逃げ始める。手負いの味方を連れての撤退において最も脅威となる騎兵さえ撃破出来れば、後はどうとでも出来るはずだ。

 ただ、想定外はあった──。

 

「動きは予定通りだが、少々まずいな」

 

 騎兵が来ることはわかっていたが、まさか重騎兵が出てくるとは思ってもみなかった。敗走した敵の追撃といえば、軽装の槍騎兵か弓騎兵といった機動力のある兵種でロクに抵抗出来ない相手に付き纏って攻撃するもので、少なくとも彼等のような重騎兵に向いている仕事とはいえない。彼らの仕事はどちらかといえば衝撃力による戦列の破壊のはずだ。

 文字通り身に染みて知ったことだが、弟子達に鹵獲させた弩はあの重装備を穿てる程に強力ではない。待ち伏せをして、弩の斉射で面倒な追手を排除した上での逃走という計画は最早上策ではなくなっている。

 

「とはいえ……計画通りでなければ混乱が生じるな。致し方ない。後々の面倒にならないことを祈りつつ橋を落とすか……」

 

 計画通りに先に逃げた面々に追いつくべく走り出す。橋を落として損害を与えるのは有用な行為ではあるが、やってしまうと後々使いたいと思った時に苦労することになる。軍の一員として行動している時は極力やりたくない。

 そうこうしている内に橋が見えてきた。橋の全長は地図上で見たよりも長く立派で高い位置にあり、その舌を流れる川は浅く幅が長い。ここから追っ手を突き落とせれば衝撃で骨折等の負傷を追わせられるだろうが、大工事の末に建てられたのであろう橋は見るからに落とすのが容易ではない。

 

「万策尽きたか……かくなる上は犠牲を覚悟で一撃を――。……っ!?」

「お師匠様此方へ!」

「ナールっ!? なぜ姿を現した!」

「い、今はそれが必要だからです! ナールがここで姿を見せれば――」

 

 俺が橋を渡り切ったところで伏兵としての仕事を放棄し姿を現した弟子は、橋の向こう側にまで迫った騎兵達を指差した。指差された騎兵達は橋の手前で立ち止まり、こちらを睨むだけで進んでこようとはしない。

 少し考え、そして理解出来た。ナールが姿を見せたことで追手達は待ち伏せをされていることを知れた。そしてそれと同時に考えを巡らせてしまったのだろう。「橋の先にはどの程度の敵が潜んでいるのだろうか」、「こちらの事を元から知っていて壊滅させる計画であったのではないか」。きっとこのような具合に不安を抱いてしまったのだろう。

 

「よくやった。……あれはもう疑心で追ってこれんだろう」

「では逃げましょう! 逃げ道に落とし穴も掘らせてますから!」

「……まったく、抜け目がない奴め」

 

 俺から与えられた命令、それをより良い形で弟子は果たした。唐突な問題に対応出来た柔軟な思考と実行する決断力、これを褒めずして何を褒めるというのだろうか。血濡れになった左腕を腰布で拭い、ナールの頭に手を伸ばし優しく撫でた。

 衣服で拭ったとはいえ、その衣服も血と脂で所々が汚れていたために弟子の髪に汚れが付着してしまった。そのことにはっと、気付いて手を離すと眼前の年端も行かない少女は離れていく手を捕まえて、一緒に行こうと笑顔で手を引き始めた。

 胼胝(たこ)の感触と仄かに感じる人肌の温もりに導かれ撤退路を歩いていく。"非常に小さな手ではあるが、物質的にも精神的にも力強さが感じられ頼もしい。"振り香炉の勇者"ケイ程ではないが、握られていると安心感が感じられる。



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66話

 撤退に成功した俺達は、近隣の村々や町を回って反乱軍の悪評を伝えて回った。俺だけでは信用されなかっただろうが、ニゲアンと証人となる生き残った村人達がいたおかげで話を聞いてもらうことが出来た。噂は噂を呼ぶものだ。明日には国中に反乱軍の悪評が広まるだろう。

 正義も無ければ道理も無い連中の味方をすれば立場が無いし、そんな連中に付いて国盗りを成せたとしてもどんなことをされるか分かったものではない。どちら側に付くか決めかねていた者達の過半数はこちら側に付くことを決めるだろう。

 そうなれば反乱軍は支持を失い致命的な状況に陥る。村落や町から物資を得るのが難しくなり、軍を維持するには特需を狙った商人から割高の物資を買わねばならなず、物資不足は顕著となり軍紀は緩み士気は下がり続けていく。趨勢を決せられる程の勝利を勝ち取れなければいずれ何も出来なくなってしまうだろう。

 

「思い通りにはいかなかったが、まぁ結果が伴えばいいか……」

「これで、敵は補給が辛くなるはずです! こちらが有利です!」

「ねぇ、2人とも。気付いてないの?」

 

 座って休憩しようとした矢先、ランジェが口を開いた。彼女は冷や汗を掻いており、口調には焦りが感じられる。何かまずいことでも起こっているのだろうか。

 

「どうしたんだ? 何かやらかしていたか?」

「そうじゃない。クルツ、気持ち悪くならなくなってる」

「気持ち悪く……?」

「そうだな、言われてみればそうだ……。喰うことに拒否感が無くなったのか……もう、随分と変わっちまったんだな……」

 

 姿が化け物のそれに変わっても、切り刻まれたり貫かれても戦い続けられるくらいに痛みに鈍くなっても、それでも変わらずにいた変わってはならない部分が知らず知らずのうちに変わってしまっていた。

 

「一体どこまでが俺なんだろうか?」

 

 最早身も心も、既に自分のものではないのかもしれない――。

 今している事が自分の選択で行っていることではないのかもしれない――。

 そのような考えに至ってしまい、不安感が沸き上がってしまう。

 

「心配しないでください。お師匠様は変わりませんから! 体が変わったとしても、心が変わったとしても、ナールやランジェや……ケイさんの事を忘れちゃわない限り、きっとお師匠様がお師匠様でなくなることはないと思います!」

「同意、クルツはクルツ」

「――確かにそうかもしれんな。……奴も芯だけは変わらなかったしな」

 

 手の鱗を見つめ、今は亡き男の姿を思い浮かべる。彼は姿が人のそれから変わり、正気を失い人里には居られなくなっても1人の女を思い続けていた。案外、正気を失ったとしてもと何も行動は変わらないかもしれない。そう思うと少し気が楽になった。

 今思ったのだが、気分が落ちたり上がったりする最近の俺って……もしかして、躁鬱なんじゃないか。いや多分そうだ、そうに違いない。心を落ち着かせられる場所で何か気晴らしでもしよう。したことのない享楽に耽るのもいいかもしれないな。

 

「中身が見た目に近づいただけだろ、"疫病"が化物なのは仲良しごっこをしても変わらんぞ」

「……もしかして、首を落とされたいのですか?」

「出来ない事は脅しの言葉にならんぞ?」

「こいつ……! 助けてもらっておきながら!!」

「まぁまぁ待て待て。俺が化物だってのは客観的事実なんだから別にキレることないだろ。見た目と感性が化物でも、意志さえ変わらなければ俺は俺だって結論が出たんだからそれでいいじゃないか!」

 

 刀剣を抜き、威嚇し合っている弟子とコウの間に入り物理的に2人の距離を開けさせお互いが視界に移らないようにする。2人はまるで飢えた犬のようだ。あまりにも血の気が多過ぎて、いつ殺し合いが始まるか分かったものではない。

 

「お前も小さな子供に喧嘩を売るな、大人気ない。……セキホ、だったよな? 一族の名誉を取り戻したいなら、一族の恥になるようなことはするな」

「くっ……正論を……」

「お互い理解は出来るな? よし、頷いたな? "みんなで仲良くおててを繋げ"なんて不可能なことは求めないが、今だけは刀傷沙汰と揉め事は起こすな。いいな? 溜まった鬱憤を晴らすのは事が済んでからでもいい、そうだろう?」

 

 一時的に味方である彼とナールが殺し合わないよう、2人に言い聞かす。どちらも理解出来る知性は持っているのでここまで言えば問題はないだろう。

 

「まるで"パパ"って感じでやすなぁ。へっへっへ……」

 

 煽っているかのような発言をしながら俺達の前に1人の猫の獣人が現れた。

 子供のように小柄で、黒髪で、手を揉みながら媚び諂うかのようなにやけ顔で背を丸めたその女が誰であるかは見ただけで即座にわかった。随分前に俺達を毒で殺そうとし、再度会った時にはこちらを見るなり戦利品を持って即座に逃げ出した小悪党だ。

 

「っ!? クソ猫!?」

「この猫! お師匠様!」

「わかってる! お前……わざわざ死にに来たのか?」

「いやぁ、皆さんそう殺気立たないでくだせぇよ。あっしは敵意を持ってるってわけじゃあないんでやすからさ」

 

 独特な喋り方をしながら黒猫は無防備なままこちらの間合いに入ってきた。あまりに印象が悪い彼女の接近に警戒したナールとコウが抜刀し、ランジェが戦斧を振り上げているというのに怯えた様子を全く見せない。

 

「ほぅら、こうやって武器だって放り出して無防備に――」

 

 黒猫は服と体の間に存在するあらゆる隙間から暗器を零れ落としていった。砂時計の砂のように武器が積み上がったところで武器とは毛色の違う物品が山の上に落ち、軽快な金属音を鳴らした。それは銀で出来た首飾り、地味で価値はそう高くはなさそうだが金にはなりそうな装飾品であった。

 

「おっとっと、これは違った──」

「待て待て、拾うな。……まだ持ってるんじゃないだろうな」

 

 脇に手を差し入れ、子供を持ち上げるように彼女を持ち上げ上下左右に振るう。すると増水で堰堤が切れ濁流が流れ出したかのように、宝飾品や装身具が大量に零れ落ちた。こいつ、思っていたよりも多くの物を盗んでいやがった。

 

「と、取り過ぎぃ!? お師匠様、この人やっぱりやばい人ですよ!」

「やっぱり殺したほうがいいんじゃない?」

 

 当然、非難囂々となった。何故姿を現したのかはわからないが、このまま左右から圧力を加えて胴を圧し折ってしまうのが良いかもしれない。

 

「……役に立つから殺さないほうがいいと思いまやすがねぇ」

「何故だ?」

「貴重な情報源でやすから。あっしを勝ちそうな旦那側に付かせてくれるっていうなら、敵の数も規模も何もかもを教えちまいやすぜ。へへっ……!」

 

 黒猫は媚びた笑みをしてみせた。

 弟子達を殺されかけたという個人的な恨みはあるし、火事場泥棒を行っていた屑であるので持ち掛けられている取引を即座に拒否したかったが、彼女が持っているであろう"情報"の重要性を考えるとそれは出来なかった。

 彼女は失敗すれば殺される危険を冒して寝返りを試みたということは、提供すればそれを成せると思えるほどに重要な情報を握っていると見ていい筈だ。重要な情報を握っている以上、害を与えられた存在だからといって安易に断罪は出来ない。

 

「おい、こいつは反乱軍に詳しいのか?」

「大量の武器や物資を密輸して売り捌いていたから少なくとも俺よりかは詳しいはず。信用出来るかどうかを考えなければ、これ以上ない情報源だな」

「成るほど……」

「どうしますかお師匠様?」

「気は進まんが使えるものは使おう。こいつが俺達を利用しようとしているなら、こっちもこいつを利用しつくしてやればいい」

 

 持ち上げたまま手を放し落とすような具合に黒猫を降ろす。彼女が味方である内は利用し、敵意を見せたらその時は処してしまえばいい。ついでに金銭や所持品も貰ってしまえばいい。

 

「へへっ、ありがとうございやす旦那ぁ。あぁ、あっしはクロって言いやす。へへっ、気軽に呼び捨てにしてくだせぇ」

「うわっ、露骨にすり寄った! 離れてください! お師匠様は、お師匠様はナールのものですから! 離れてください!」

「いや、ナールのでもないでしょ」

「……騒がしい連中だ」

 

 媚び諂う黒猫を俺から離そうと、ナールは黒猫の服を後ろから引っ張っている。その様子を見たランジェとコウは思い思いの言葉を口にし溜息をつく。こうやって人数が増え、騒々しくなるのは嫌いではない。勇者一行に加わり旅をしていたから、野盗をしていた時から、いや"姐さん"と出会って集落に加わった頃からずっとずっと。



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67話

「――北部の街イーリンが反乱軍の本拠地で、総数は7万程度。数こそ多いでやが、大半が駐屯していた衛兵と金に目が眩んだ素人で構成されてる上にまともな将は居らず内部抗争を起こしてやがりやす。大河と舟を使った進軍は、船の奪い合いと嫌がらせの応酬でまったく進んでやがりやせん」

「形だけとはいえ軍が揃っているのに何故都に進軍しないのかと思ったら、そんなに下らないことをしていたのか」

 

 地図を使ったクロの説明を聞き、敵の勢力範囲と内情を把握することが出来た。中々に無茶苦茶だ。欲望の強い人間を操り反乱を起こさせるのは容易かったのだろうが、我欲が強過ぎて操れなくなっているらしい。

 

「それで、"傀儡"は何をしているんだ?」

「もっぱら各派閥の意見調整をして進軍を促したり、使えそうな兵力を引き抜いて手駒を増やして少しでも前に進もうとしてやすね」

「じ、地味過ぎる……」

「大それた事、してるのに地味」

「そう言ってやるな。欲深い連中はこれ以上なく誘導しやすいが、我欲が強いせいで制御しづらいもんだ。牙を向けられてないだけよくやってると思うぞ」

 

 人の心をというものは完全には読むことが出来ず、須らく容易に移りゆくものだ。操っているつもりが利用されているとか、扇動した相手に危害を加えられるなんてことはよくある話。そうなっていないだけでもうまく渡り歩けていると言えるだろう。

 

「……平定は難しくないかもしれないな」

「それがそうでもないんでやすよ。問題が1つありやして」

「"傀儡"の群狼部隊か……」

「群狼部隊? それって何なんですか?」

 

 コウは嫌な物を思い出したようで露骨に嫌な顔をした。彼が嫌がるということは、"群狼部隊"とやらは俺好みの戦い方をする部隊なのだろう。

 

「小集団に分かれて敵を捜索し、発見したら周囲の小集団と共に夜襲や待ち伏せを仕掛けての一撃離脱や毒物の投射を繰り返す。獲物の体力を削り、肉を食い千切り、確実に追い詰める。無慈悲で手段を択ばない戦闘集団――」

「何だ。お師匠様やナールみたいな戦い方をしてるだけなんですね」

「言われてみればそうだ。お前等と同じく姑息な連中だ」

「お褒めに預かりどうも、真面目君」

「どうもー」

 

 していた嫌な顔をこちらに向けたコウに師弟で大袈裟なお辞儀をしてみせる。彼のように真っ当に戦う者から"卑怯"だの"卑劣"だのと称され罵倒されるのは、その戦い方をあえて選んでいる俺達からすれば称賛されているのと同じだ。

 

「でも、同類なら相手しやすい。でしょ? クルツ」

「モチのロン。悪戯っ子の相手は大得意だ」

「へへっ、それならこの問題についてはあまり気にしなくてもよさそうでやすな。頼りにしてやすぜぇ旦那」

 

 黒猫はおそらく間違いなく裏切り者である自分の安全がほぼ確保されたことを喜び、卑しい笑みを浮かべた。間違いなくこいつは面倒な存在だ。味方であっても不利益があるなら、平気で裏切りを行うだろう。

 

 

 月の光だけが辺りを照らす闇の時間、風に吹かれた木々が囁き声を上げ続ける森の中。彷徨い歩く鹿の群れのように俺達は歩いている。ただひたすらに、片っ端から木々を撫で回している。

 

「……これ、何の意味があるんですか?」

「無いことはさせん。よし、有ったぞ」

「何があったの?」

「"座標"だ。逆さに彫ってあるな。後ろ手で触って読むためか」

 

 木々を触り続けて数刻、ようやくいくつかの"目印"を見つけることが出来た。見つけたそれは木の根元を刃物で傷付けて付けられ物であり、独自の文字で数字と思しき文字が刻まれている。

 

「森を一定区間で区切られたマス目に見立てて数字を割り振ってある。教範通りか」

「……教範に従ってる? 何の教範?」

「俺が"姐さん"から教わり、ルナと共に実戦を経て発展させた遊撃戦の教範だ。"大火"の手下の部隊で戦術も似通ってるからもしかしてと思ったが、あの野郎……俺が教えた通りの部隊を作って手下に預けてやがった」

 

 昔、"大火"を含めた孤児の面倒を見ていた際に俺や勇者一行は、彼等に知識と技術を教授していた。剣術から戦術、化学から魔術までと分野は幅広かったが、"大火"はその全てにおいて他の誰よりも教えられたものを吸収していた。少なくとも実戦で使い物になる程度には身に付いていたはずだ。

 

「え、教範なんてあったんですか!? ナールは見せてもらってませんよ!?」

「そりゃそうだろ、焼失したんだから。それにあんな物は見ないほうがいい」

「何故なんでやすか?」

「俺達が作った教範通りの行動は確かに成功しやすいものばかりだが、それ故にそればかりに固執するようになって柔軟性を欠く可能性があるからだ。相手が同類であったり、手口を知られていたら不利な状況に陥って何も出来なくなる」

 

 作った当初は最高の出来であると思えた教範であったが、後々になって欠陥を抱えてしまっていたことに気付かされた。確かに教範で思考を統一された部隊を作れば連携は取りやすいが、選択肢を狭まるのはよろしくない。今やっているように、行動を読まれてしまう。

 

「接敵したら部隊毎に音色の違う笛で合図して敵の位置を知らせるが、こうやって数字を変えられてしまえば……霧の中に閉じ込められちまう。数字の詳細はわからなくても、形式で縦横がわかれば読み取れるからな」

 

 木々に彫られた数字を書き換え、地図の左右を滅茶苦茶にしてやる。あらかじめ準備した場所で、教範通りに戦うように訓練された彼等はこれだけで混乱を起こすはずだ。



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68話

「お師匠様、質問なのですが……」

「何だ?」

「この目印を付けた人達は、自分がいる場所を予め知っておこうとはしないのですか? 自分と味方の位置が分かれば有利に立ち回れるのでは?」

「それは俺も思った。戦場全体の位置関係を把握出来るのなら、さっき言っていた戦い方よりも効率良く攻撃を仕掛けられるはずだ」

「その疑問に対する回答は簡単だぞ。敵に悟られずに即座に連絡を取るのが不可能だからしていない。それだけだ。現状、この世に存在するありとあらゆる遠方への情報の伝達には必ず"痕跡"が残る。そしてそいつは敵に警戒心を持たせちまう」

 

 奇襲で重要なのは相手が気を抜いていること。敵が居るかもしれないという緊張感から解放され、肩から力が抜けており、思考しなくなったその気を狙ってこそ最大の効力を得られる。

 

「音や光、煙といった合図は遠方からでも敵に気取られるし、伝令では伝達の即時性が無い。味方同士の正確な位置を常に把握するのは今の技術では不可能。だからあえて連絡は取らず、事が始まってから位置情報を伝えて規定通りの動きをするんだ」

「そのための思想と思考の統一……」

「正確には教範と指導者の思想で染められたって具合だろうな。あぁそうだ、爺さんが躊躇わない様に先に言っておくが多分相手はかなり若いぞ。ナールやランジェとまではいかないが、いっていても10代中頃ってとこだろう」

「な、なんと! それほどまでに若いのか……!?」

「そのほうが"仕込みやすい"からな。技術も、思想も」

 

 ニゲアンが混乱しないように群狼部隊を構成しているである年齢層を教えておく。この世界において少年兵は珍しいものではないが、実際に遭遇すると戦闘中でも殺傷を躊躇してしまう者が多い。躊躇し、そして殺される。

 

「ま、常套句でやすな。暗殺教団も邪教も、子供を便利に使いやすし」

「使われてない。ただ、信仰してるだけ」

「おぉ怖怖、味方には殺意を向けないでほしいでやすなぁ」

「貴様が煽るからだろう。まったく、薄汚い野良ネコめ……」

「っ! 仲良くお話ししているところ悪いですが、敵です!」

 

 何かに気付き耳を針のように立てたナールが叫ぶ。

 それと同時、幾発の銃声と風切り音が彼方此方から鳴り響く。敵は気付かれぬように俺達を取り囲み、一斉に射撃を行ったようだ。銃声からは発砲されたのが拳銃であることと、比較的少数での斉射であったことしかわからない。直前まで気配すら感じなかったので人数も、武装の程もまったくわからない。

 区切りと音の強弱を持った笛の音が鳴らされ、襲撃者達が脱兎の如く四散していく。どれか1人を追いかけたとしても、奇襲を受けて一瞬の硬直してしまった俺達では追いつけないだろう。出来るのは逃げる背中を狙って石を投げてやるだけだ。勿論、手での投擲では当たらないか届かない。そして、今いる面々の中に飛び道具を持つ者は――。

 

「あ! やりました! 1人、ナールが1人ぶっ殺しました!」

 

 居た。いや、忘れていたわけではない。決して忘れていたわけではないが、銃撃を受けた直後に追いつけないと判断したところまでしか頭が動かなかっただけだ。石を投げられたのだって反射的な行動に過ぎない。

 ナールはきっと俺が石を投げようとした瞬間に、それが敵に届かない事と追いつけない事を理解して飛距離のある飛び道具である投石紐を取り出したのだ。恐るべき判断力を褒めてやりたいが、無垢な笑みを浮かべていて少し怖い。

 

「待て! 死んでないぞ!」

「寧ろそれでいい! 逃がすな捕まえろ!」

 

 頭部に投石を受けて倒れた兵士に、武装した男女が寄って集って身体を掴んで取り押さえる。言葉に表すと相当なものだが、ここはもう戦場だ。さもありなん、さもありなん。

 

「離せっ……くそっ、取るな……!」

「わぁ、凄い防具」

「ですね。ベルトで固定出来るようにした胴当てに、拳銃や擲弾を入れられるポケットの機能を付けてありますね。これ1つで防具にも鞄にもなりますよ! あっ、すみません……動かれるとあれなので、関節外してから縛りますね」

「ぃっ!?」

「貴様等、容赦ないな……」

 

 ナールは容赦なく防具を鹵獲し、捕虜が逃げないように両肩を痛めつけた。尋問を強要されて泣いていたころの面影はどこにもない。

 

「さてと……。ふむ、狼の獣人の雄ガキか」

 

 髪を掴んで顔を上げさせたことで、種族と性別と年齢を知れた。年齢はランジェよりも少し上、髪は森に住まう狼と同じ具合で顔は腹立たしいことにそこそこの美形。芸人としての道を進んでいれば、謡われるような存在になれたかもしれないだろう。変態貴族が好みそうだ。

 

「群狼部隊……もしかして全員?」

「かもしれん。――っ! 来るぞ!」

 

 引いた波が再度押し寄せてくるように、先程襲ってきた兵士達が襲撃を仕掛けようとやってきた。彼等はいつも通りの思考をし、いつも通りの行動をとったのだろうがその結果は思っていたものとは違っていたようで困惑の表情を浮かべている。

 

「何故来ない!? 集合の合図は出したはず……!?」

「何でお前らがここにいるんだ! お前達は逃走する敵に網を張る役だろ!」

「知るかよ! 数字通り、盤面通りに従っ――」

「そういうことだ。さぁ、どうする? 頼りになるお仲間を呼ぶか? まぁ、呼んだところで来やしないだろうけどなァッ!」

「お、お師匠様……3流の悪党みたいな台詞を吐いてる……」

 

 短刀を利き手に、もう片方の手で鹵獲した拳銃を手にしたナールは驚いた表情を浮かべている。彼女の中の俺という存在は、現実に反して相当に美化されていたらしい。

 

「致し方ないか……。皆、教範通り隊長の事は見捨ててでも勝利を取りに行くぞ! "鏡写し"を呼べ! そして逃げるぞ!」

「ちょ、待て! 置いていくな! 待ってくれ!」

「"鏡写し"……? なんかいや~な響きの名前ですね」

 

 やはり狼であった群狼部隊の獣人達は恐らく撤退の意味を持つのであろう音色を鳴らし角笛を吹き鳴らしながら逃げ出した。その逃走の様子とおいて行かれた敵兵の声色からは、俺達から逃げているというよりかは何かを恐れて逃げ始めたように見える。

 

 彼等が見えなくなったのと時を同じくして、脚音が近づいてきた。大きなものから小さなもの、重いものから軽いもの。多種多様な種族で構成された6人組。その集団の立てる音と気配。それは目を向けずとも何であるのかを理解出来、在りし日を思い出させるものであった。

 音の出所へと目を向けるとそこには紛い物の勇者一向が居た。剣を手にし腰に羽が生えた鳶の獣人、分厚い本を持ち真っ白な聖職者の出立ちをした人間の女、銃火器と鎧を身に纏ったドワーフの男、両手に剣を持った騎士風の人間、盗賊のような格好の狐の獣人と以前見た俺に似た何か。勢揃いだ。

 

「勇者一向の真似事か……おいクロ、コイツについては何も聞いて無かったが……もしかして、ハメたのか?」

「そんなわけありやせんよ旦那ァ、あっしは知らなかったんでやす! あんな不気味な真似事集団、見たことも聞いたこともありやせんよ!」

「っ……かっッ────。ほっほっほ、そうでしょうともそうでしょうとも。平気で裏切りそうな小悪党には知られぬように注意を払ってしておったからなぁ」

 

 捉えていた群狼部隊少年は突如白目を剥き、その口から人を小馬鹿にしているような、不快感を感じる老人の声が流れ始めた。“傀儡”、奴の声で間違いない。



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69話

「こいつ等は何だ? 趣味の悪くて出来の悪い物真似集団か?」

「外見だけで出来が悪いと決めつけるのは早計だぞ“疫病”。貴様に呪いで夢を見せ引き出した情報を元に作った偽の記憶を埋め込み、催眠と過酷な訓練で本物に限り無く近づけている。伝説の勇者一行とほぼ同じと考えた方がいいぞ」

「……マズイのでは!? マズいのではないですかお師匠様!? 最高の人材が集まって幾柱もの強力な魔神を打ち倒した集団と同じらしいですよ!?」

「あぁ不味い。俺以外は各分野、各種族の上澄みばかり。どの国の猛者だって倒せる集団だから、完璧に模倣しているのなら最悪の相手だ。だが──」

 

 こいつらは無敵の勇者一行とは決定的に違う。偽物が完全に能力を模倣しようとも、本物になれない理由がある。

 

「そいつらは俺の眼、客観的な視点で作られた虚像に過ぎん。主観性も、通って来た道の数も、秘密も、何もかもが足りない紛い物だ。強いかもしれないが、本物には遠く及ばない」

「何を戯言を……性能さえ同じならば本物が居るのと変わらないではないか! さぁやれ! あの悍ましき獣と小娘を亡き者にしろ!」

 

 “傀儡”が指示を出し、それに合わせて模造品達が走り出す。自分自身とかつての英雄達、模造品とはいえ迫ってくると肌が逆立つほどの凄まじい圧を感じる。俺の偽物を先頭にし、その背後に双剣と狐と鳶の獣人が横並び、そして最後尾に銃火器を持ったドワーフと聖職者。正面突破や全面の敵に火力を集中させる時に使っていた陣形を取っている。

 

「お師匠様、指示を!」

「わかってる! 前衛は俺が止める! ナールとクロとランジェで中衛の相手を、残りは後衛を確実に仕留めろ!」

「あい、わかった。かつてイストの“二本腕”と呼ばれておったこの老骨にあの聖職者の相手は任せておけ!」

「致し方無い。従ってやろう」

 

 過去にやっていた事をそのままされそうになっているので、相手のしようとしている動きは手に取るようにわかる。

 俺の偽物が毒霧を吐いて敵を弱らせ、本命の中衛が斬り込み、後衛が優勢に事を運ぶための援護する。勇者一行はこの攻撃馬陣形を使って安定して敵を倒せていた。だがこの陣形にも弱点がないわけではない。

 この陣形の弱点は単純で、それは「後衛とその他の空間が多少なりとも空いてしまう点」である。露払いが失敗し敵が中衛を突破して来た場合、近接戦闘が特段得意ではない後衛を守る者が居らず、後ろから壊滅していく危険に晒されてしまう。

 相手側の前衛、露払いの役目を担っている俺の模造品は走りながら息を大きく吸い込む。毒の息を吐く動作、それは俺がやり慣れた動作であった。無意識にやってしまう自然な動作、こんなわかりやすい弱点を残したままにしか出来ないとは恥ずかしいことこの上ない。

 

「初手に毒霧、同じ行動に同じ癖。こうも完全な物真似をされると……背筋が凍るな!」

 

 毒霧を吐く直前のその動作から顔を正面に向けて毒息を吐き出そうとする素振りを見せた瞬間を狙い、掌底で下側より偽物の下顎を打ち付け強制的に口を閉じさせ上を向かせる。これは行動を阻害する一撃、相手の出鼻を挫き視点を天へと逸らすだけのものだ。

 

「通り掛けにやれ! 2、2、4!」

「わかりました! ランジェ、行きますよ!」

「合わせる。確か……左脇腹!」

 

 少女2人が迫って来ているのを一番後ろの目で確認し、頃合いを合わせて空いた左手で偽物の腕を掴み左回りに振り回して立ち位置を入れ替えた。そうして丸裸にされた敵の背には、小さな悪魔達が切りかかる。鯱娘が槍斧を突き入れ大きく傷口を作り、出来た穴に弟子が短刀を突き入れ峰に腸(はらわた)を引っかけて抉り出す。

 通り際の一瞬の内に、彼女達は魔術でも回復に時間のかかる複雑な傷を敵に負わせた。内臓の損傷と多量の出血、この状態に陥った負傷者を死なせないようにするには極度に集中して治療を行わなければならない。ソニアを真似ている者が魔術で回復を試みることは出来るが、コウとニゲアンが後衛に切り込めればそれは不可能になる。これはもしかしたら、もしかしたら敵の前衛と後衛を一度に屠れるのかもしれない。全てが良い方向に進んでいる。

 

「さながら鎌鼬。あの年の子供を此処まで仕込んでいるとは……恐ろしきかな……」

「言うとる場合か、儂らにもやらなきゃならん仕事があるだろうに」

「そうでやすな。……へへっ、ちょいと失礼っと!」

 

 少女達に続いて野郎2人と屑が突破していく。全くこちらと息が合わない男衆は同士討ちを避けるため、揉み合う俺達の横を通るだけであったが黒猫だけはちょこまかと溝鼠のように動き回り、俺の偽物の足の小指に金槌を叩きつけてから通過していった。

 なんとなく想像出来るが、やはり相当に痛かったのだろう。偽物は悶絶し、言葉にならない悲鳴を上げこちらの事を引き剥がそうとして肩を掴んでいた彼の手に凄まじい力が加わった。その所為で鋭い爪が皮膚を突き破り、筋肉を引き裂いて食い込み骨にまで達し激痛が走る。

 

「くぉお……余計なことをしやがって……」

 

 激痛に耐えながら相手の左肩に左足を掛け、石に刺さった剣を抜くように引っ張り肩を脱臼させる。そのまま引き続け、痛みでもって相手を拘束し続ける。痛みで思考を阻害し、抵抗を単調で効果的でないものに変える。名前の無い泥臭い技術である。

 そうやっている間に前へと進んでいった弟子達は自分が戦うべき相手と向かい合っていた。"振り香炉の勇者"ケイに当たる人物にはナールが、"双剣の騎士"ベーリンに当たる男にはランジェが、”赤狐”ルナに当たる女にはクロが相対している。



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