叡智の洞窟~金狐姫の孤軍奮闘~ (片玉宗叱)
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01 プロローグ

 小説家になろう様で連載して完結させたものです。


 罵る声とともに投げられた拳大の石が鈍い音をたてて頭に当たり、彼女はその痛みに思わず膝を折った。

 痛みに声を上げようにも、毒により咽を潰されているために呻く事しかできない。

 纏ったぼろ布は至る所に血が滲み、縛られた手を地面につき蹲った際に露出した肌の至る所には痣や乾かずに血を流す傷が見えた。

 今し方、石の当たった所からは血が滴り本来は黄金の輝きを持っていたであろう汚れた髪を更に赤黒く汚して行く。

 

「立て!きりきりと歩け、罪人めが!」

 

 護送する兵士が彼女に罵声を浴びせ、固く縛られた手首の縄を引き無理やり立たせられる。面を上げた彼女の顔は酷く窶れ、目の下には濃い隈が表れていた。

 腫れた瞼から僅かに見えたミントグリーンの瞳に光は無く、また瞳孔は濁り周囲で罵声を浴びせる群衆の姿を映してはいなかった。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 罪人として引き立てられている彼女は、この国の今は亡き側妃が産んだ第三王女のサフィエ・スヴァーリ・カァフシャアク、十五歳。

 王家に入った獣人族である金弧族の曾祖母の血が強く出た彼女は狐獣人の特徴である三角の獣耳と豊かな毛を蓄えた尻尾を持って生まれてきた。

 カァフシャアク王国では王家、貴族、民の多くがチアノク(東方黄色普人語で『徳の道標』を意味する)を信仰していた。

 チアノクは「万物に様々な神・聖霊・祖霊が宿り人々の行いを見守っているので小さな事でも良いから身の丈に合った徳を積みなさい」「他種族は姿は違えど同じ聖霊・祖霊に連なる者。寛容でありなさい」と説く非常に緩い宗教であり、これによりチアノクを信仰する者は他種族に対しての差別が殆ど無い。

 故に家族の中で唯一獣相を持って生まれた彼女だが、その愛らしい容姿から『金弧姫』と呼ばれ家族からも周りからも疎まれること無く健やかに成長していった。

 そう、サフィエは周りから愛され何不自由なく幸せに暮らしていたのである。

 

 事態が悪化していくのはサフィエが七歳の時から。

 実母の側妃、サフィエと同母兄の第一王子と第三王子が同じ時期に体調を崩すと間を置かず相次いで亡くなり、その後すぐに王と正妃も同じような症状により亡くなった。

 毒による暗殺が疑われたが、遺体などから毒の残留が認められなかった事、症状がよくある死病と同じであった事、そして王太子であった正妃の実子である第二王子の新国王への即位が急がれた為に偶然にも同じ病による病死と結論づけられた。

 その後は恙無く王太子は国王として即位し、宰相以下の重臣の努力により国内での大きな混乱は起こらなかった。そして前国王の喪が明け、代替わりで国王の王太子時代の側近達が要職に就いていき、国の上層部が一新されるとそれは起きた。

 

 カァフシャアク王国は東方と西方及び南方の物流文化が交叉するところにある。(読者に於かれては地球で言うところのボスポラス海峡周辺のような地域と考えて欲しい)

 東西を結ぶ地峡の中央に海峡があり、それが南北にある海を結んでいる。その近辺には良港として使える入江・海岸が数多存在する、そんな交易するに優れた場所である。

 この地は多くの種族が行き交い、また定住しており、皆がチアノクを信仰しているので種族間での諍いも無く、国は非常に安定した治世を行う事が出来ていた。

 

 そんなカァフシャアク王国であったが新国王を戴き体制が一新されると国王は西方で最大勢力の一神教であるスウツノ教を国教とすると発布した。

 スウツノ教は神より与えられた啓典を絶対としている。啓典の中で『神は地上を管理する為に人を作った』と記されているが、長い歴史の中で『神は白色普人族に世の全ての支配を委ねた』と曲解され西方諸国による周辺への侵略の大義名分に利用された。

 またこれを信じるスウツノ教徒は白色普人族以外の他種族や同じ普人族でも肌の色が違えば『人以下の存在である』として『亜人』の蔑称を用い、蔑視し差別し弾圧している。

 例え白色普人族以外の種族がスウツノ教へ帰依しても『人外』である故に、その身分が如何に高かろうと奴隷階級へと落とされる事になる。

 

 そんなスウツノ教を、敬虔なチアノク信仰が主である数多の種族が共存するカァフシャアク王国の国教にする事は、まさに暴挙であり国内各所から強烈な反発が生じるのは必至。

 このままでは国を徒に乱す事になると国王や国の上層部に苦言を呈した貴族家の当主は何故か隠居したり病床に臥せたりし表舞台から消え、そしてスウツノ教へ帰依した者が新当主となって行く。

 また白色普人族以外の貴族家は身に覚えの無い罪を着せられ取り潰しとなったり処刑された。

 そして白色普人族以外への弾圧が国内で始まり、チアノクの社や神像、祠、碑等は破壊され、多くの他種族の民がカァフシャアク王国から西方以外へ出奔。

 それにより人口が激減すると、代わりに西方諸国からの移民が入って来て国内はスウツノ教徒の白色普人族が占めるようになる。

 

 新国王即位から二年。サフィエが十歳の頃、有力貴族家の殆どがスウツノ教徒になる頃に、サフィエと妹のフェティエは城の一角にある塔に一緒に幽閉される事になる。

 幽閉され事で生活の質は必要最低限まで落とされたが、将来の政略の駒とする為に彼女達姉妹への王女としての教育は継続された。

 

 サフィエが十五歳になろうとする少し前、彼女に『恩寵の御印』が顕れる。これが彼女の運命を過酷で残酷なものへと変えてしまった。

 

 恩寵とは人が十二歳から十六歳の間に神々(スウツノ教では唯一神)から必ず賜る贈り物とされる技能や技術であり、至極稀に異能とも呼べるものを賜る事例もある。

 この恩寵を賜った証として左上腕をぐるりと腕輪のように巡る紫色(チアノーゼの唇の色と同じと思っていただきたい)の複雑な模様が顕れる。

 御印が顕れた本人が自身の恩寵の内容を知りたいと願うと左手の甲にうっすらと神代文字により内容が示されるのだ

 しかしサフィエに顕れた御印の色は紫色ではなく黒色だった。その模様も今まで多くの人に顕れた植物を思わせる有機的な物ではなく、無機的な直線と円弧にて描かれたもの。

 そして恩寵を知りたいとサフィエが願っても左手甲に浮き上がるのは文字とも模様とも言えない神代文字とは全く違うものだった。

 

 この頃になるとサフィエ付きの侍女も白色普人族のスウツノ教徒に代わっており、獣人の相を持つ彼女を蔑み世話もおざなりなっていたのと、サフィエも敢えて誰にも話さなかった為に、彼女に顕れた恩寵の御印が異常であることに暫く気付かないでいた。

 

 ある日、サフィエが一人で湯浴み(とは言っても盥に湯を張りその中で清拭するのみだが)をしている時に無断で湯浴み場に入って来た侍女に黒い御印を見られてしまう。

 侍女は「御印?それにしては真っ黒で気味が悪い!」と言うや否や扉も閉めずにその場を立ち去り、その足で侍女長へと報告を上げる。

 侍女長より報告を受けた国王は、即座にサフィエを地下牢へと連行するよう指示を出し、またスウツノ教の司祭を呼び出し、サフィエを審問する事を決定する。

 

 サフィエに行われた審問は、審問の名を騙る拷問であった。

 言葉の刃を突き立てられ、鞭打たれ、殴られ、切られ、純潔は汚され、人としての尊厳全てを踏み躙られ、その絶望と諦めの中、スウツノ教徒ではないのに異端者として、唯一神に対しての冒涜者・反逆者としての罪を問われ無理やり認めさせられた。

 結果、サフィエは磔刑の後に火刑に処される事が決定された。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 刑場である王都中央広場には磔刑に用いられるX字型の磔台が用意され、刑吏達が待機していた。

 そこへ兵士に引きずられるように罪人としてサフィエは連れて来られた。道中の投石で身体は痣だらけであり頭を始め至る所から出血している。

 刑吏達はそんな彼女を冷ややかな目で見ながら磔刑の執行準備を進めた。

 

 磔刑は罪人を長く苦しめ辱め、死に至らしめる事を目的とした刑罰である。衣服は剥ぎ取られ、手首の橈骨と尺骨と手のひら付け根の手根骨との間に釘が打たれた固定され、それだけでも刑を受ける者は苦痛を味わう。

 更に自重を支えられないよう脚を四十五度曲げた不自然な姿勢を取らされ足を打ち付けられる。

 磔台が立たされると自身の体重で肩が脱臼し、更に胸にも重さがかかる事で呼吸困難に陥り受刑者は疲弊して行き、最後には肺水腫を起こし呼吸が出来なくなり絶命するまで筆舌に尽くせぬ苦しみに苛まれる事になる。

 

 手足を打ち付けられた痛みにサフィエは声を上げるが、咽を潰されているために悲鳴にはならず、空気の抜ける音だけが彼女の耳朶を打つ。

 

 息が苦しい。身体中が痛い。何故、自分がスウツノ教に断罪されこのような苦しみを受けなければならないのか。何故、平和で穏やかな日々が失われてしまったのか。何故……何故……。

 

 朦朧とする意識の中でサフィエは何故を繰り返す。

 

 嗚呼、神々よ。聖霊、祖霊達よ。

 願わくばこの苦しみを早く終わらせ我が魂を輪廻の輪へと導き給え。

 悲しみも苦しみも洗い流す輪廻の輪へと。

 

 サフィエは痛みと苦しみの中で祈り願う。

 この苦しみを終わらせ、安寧の中に揺蕩う事を。

 母と二人の兄のもとへ逝かせて欲しいと。

 残された妹に幸多からん事を。

 

 そして呪う。

 平穏を奪いサフィエを貶め辱めた兄である国王を。

 傲慢で理不尽で利己的なスウツノ教とその唯一神を。

 

 滅べ!スウツノの奴ばらども!

 我が苦しみと痛みの千倍も万倍も味わいながら劫火に焼かれ滅んでしまえ!

 嗚呼、チアノクの神々よ、聖霊よ、祖霊よ。

 教えに背く事なれど、この憎しみと怨みと呪いは永久に彼の者どもへ!

 

 そしてサフィエが苦痛に苛まれる中、光の中に微笑む母と二人の兄の姿を見たように感じた刹那、彼女の意識は闇へと沈んで行った。

 

 



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02 覚醒と転生と

 水の中を揺蕩うような、ふわふわと宙に浮かぶような不思議な感覚をサフィエは感じた。

 苦痛も感じなければ身体の感覚も無いのに意識だけはある。光も闇も感じない。

 

―これが死後の世界?―

 

 ゆらゆらふわふわしながら自身がそこに在ると感じる世界。

 

―あら?―

 

 無いはずの視界が開け、周りは何処までも続く草原へと変貌した。風を感じ、ふと辺りを見回すと同時にサフィエは身体が在ることに気付く。思わず彼女は口走った。

 

「え?何で?あ……声が……」

 

 咽を毒で潰されて失ったはずが声が出ることに驚き、自身の身体を見て傷も痣も一切無い事にまた驚く。

 

「わたくし、確かに磔刑に処されて死んだはずよね?」

 

「いや、君は死んではいない。ぎりぎりで間に合って良かった」

 

 背後からの声に更に驚くサフィエ。振り返るとそこには褶のついた布を纏った人物が居た。

 見る限り男性とも女性とも判別出来ない顔立ちと体つきで身長はサフィエより少しだけ高い。

 彼女は呆然とその人物を見詰め、そして自分が裸であることを唐突に思い出した。

 慌てて手で胸元を隠そうとしたが、何時の間にか自分も目の前の人物と同じ様な布を纏っていた。

 

「へ?あれ?」

 

 思わず間抜けな声を上げる彼女に謎の人物は微笑みながら話しかけた。

 

「いきなりこんな状態で訳が分からないだろうから取り敢えず説明しよう。座って話そう」

 

 すると目の前にテーブルと椅子が現れる。サフィエは突然現れたそれに、おっかなびっくりの体で近寄り、突いたり撫でたりした後、ようやく座ることにした。

 

「さて、君の名はサフィエ・スヴァーリ・カァフシャアク。カァフシャアク国の王家スヴァーリ家の第三王女で間違いないかな?」

 

「はい、その通りです。それで、あの、貴方は?」

 

「それについてはまた後で説明するよ。それよりもう一つ質問」

 

「何でしょう?」

 

「前世地球人の由逗子(ゆずし)(かける)さん」

 

 それの名を聞いた瞬間、サフィエの中に様々な記憶が蘇る。そして何故自分がサフィエとして此処に居るのかを理解、否、思い出した。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 その日は全国的に猛暑日だった。午前十時を過ぎると気象庁発表気温は三十度を超え、日差しとアスファルトの照り返しが容赦なく肌を焼く。

 

「こりゃ路上は四十度超えてるな。きっと」

 

 スーツの上着を持ち、ハンカチでは間に合わないのでハンドタオルで噴き出る汗を拭きながら客先へと打合せに向かうこの男、由逗子(ゆずし)(かける)四十一歳、某中小電機系システムハウスで電子回路関係の開発部に所属する今年厄年のアラフォー独身で中間管理職のナイスガイ。

 結構整った顔立ちなのに女性限定の極端なあがり症で、お付き合いを棒に振り続けるうちに気が付けば四十路に突入していた。

 三十路になったばかりの時は両親も「まだ結婚しないのか」と煩かったが、弟と妹に子供が出来ると孫を構うのに忙しいのか、ぱったりと言われなくなった。

 

「ほんと温暖化なんとかならんのかねぇ」

 

 ぼやきながら先程コンビニで購入したスポーツドリンクを一口含んだ途端に景色が切り替わった。

 

 最初は真っ白な空間かと思ったが、よく見ると壁も床も天井も調度品すらも真っ白の部屋。

 どこに照明があるのか確認出来ないが影が存在しない為、調度品の輪郭がはっきり見えなかったのだ。

 まるで二○○一年宇宙の旅でボーマン船長がスターチャイルドになる前に過ごした部屋の様ではないか。

 

 このままぼさっと突っ立って居ても仕方ないと思うと同時に、こんな有り得ない状況に陥っているのに落ち着いている自身を不思議に思いつつ、未来的デザインのソファーに腰を下ろした。

 

「このまま俺も白色の宇宙食みたいなのを食べつつ老人になるまで過ごしてスターチャイルドになるのかねぇ……」

 

「いやそれは無いね」

 

 翔の呟きに返す声がある。見ると何時の間にか初対面の人物が目前のソファーに座り片手を上げなが挨拶をする。

 

「やあ、はじめまして」

 

「どうも。はじめまして。それでどちら様で?」

 

「君に分かりやすく説明すると、オーバーマインド的な何かの一部? 但し君が居た宇宙のではないけれど」

 

「……つまり所謂一つの異世界転移的なものですかね?」

 

「かなり違うね。軽く説明するけど良いかな? SFとか宇宙論とか統一理論とかに興味あった君ならある程度理解出来ると思うけど。嫌なら直接記憶に焼き付けるけど? すこし君が大変な事になるけど」

 

「是非ともお話でお願いします」

 

 翔は即決し土下座で応えた。

 

* * * * * *

 

 オーバーマインド的な何か、正確に言うと宇宙の情報量子次元にある超個体的な意思であり精神であり宇宙開闢より存在しているとの事。

 それを聞いた翔が「オーバーマインド(主上心)と言うよりユニバースマインド(万象心)?」と言うと「じゃあそれで」と承認されてしまった。

 超紐理論では宇宙は時空間の四次元とコンパクト化した余剰次元から成り、物質は余剰次元で振動する紐、または面であるとされている。

 万象心曰く「当たらずとも遠からず」らしい。

 

 極端に言えば物質=宇宙の構造そのものなので宇宙間での物質の転移は構造も含めての移動となるので、移動元も移動先もそこに不連続が発生してしまう。

 宇宙は微分不能な不連続を嫌う。もし不連続が発生すると宇宙はその不連続を残したまま相転位を起こし、万象心の存在する情報量子次元の法則をも変えてしまう可能性が高いかも知れないとの事。

 

 さて、では何故此処に翔が存在するのであろうか?

 

 知的生命体の意思・意識というものは根底で万象心と繋がっていて物質世界に浮かんだ無数の島のようなものであるらしい。

 目の前で話す万象心の言うには彼?の宇宙で或る知的生命体が物質転送、所謂ワープの実験を行ったらしいがそれに失敗。翔を巻き込んで宇宙の構造を局所的にまるっと入れ替えてしまったらしい。

 それを感知した万象心(目の前に居るのは分意識)は翔の元居た宇宙の万象心と協力し入れ替わった構造をプランク時間よりも短い時間で元に戻したらしい。

 その時に元の宇宙から切り離された翔の精神のみが情報量子次元に互換性があった為に元に戻せず取り残された結果、現在の状態になってしまっているとの事。

 翔の精神を目の前の万象心の本体に繋げるには、一度は肉体を持たせる必要がある。つまりこの状態は万象心が作り出した精神世界と言うことが伝えられたら。

 なお、彼方に戻された肉体は精神が切り離されて見た目は脳死状態らしい。

 

* * * * * *

 

「えーっと、つまり精神や意識って実は情報量子次元と相互作用した結果であると? それで掻い摘まんで言えば、このままでは万象心に繋げられず、この保護された精神世界を無くすと俺の精神と言うか意識と言うか、それが其方の情報量子次元に拡散してしまい失われるって事ですか」

 

「ざっくり言うとそう。たった一人分の精神・意思・意識とは言え私/我々に統合出来ないのは大きな損失と言えるから」

 

「それで肉体を持って生まれ直す事で繋げる訳ですか」

 

「生まれ直すと言うより、未発達の精神・意識に接ぎ木するイメージかな。成長の結果、由逗子翔と言う個体意識は表に出ないままに寿命を迎え、肉体が無くなっても君の精神・意識は最終的に私/我々に統合されるから」

 

「あー、今の状態って結局はあの世にも行けずに宙ぶらりんみたいなもんですか。それで良いですよ」

 

「ありがとう。協力してくれた御礼をしたいけど、何かない?」

 

「それなら寿命まで生きて天寿を全うさせてもらえませんかね? 事故とかで死にかけても助けて貰えれば。居るんでしょ? オーバーロード的な飼育員種族」

 

「やっぱり気付くかぁ。宜しい。寿命前に死亡しそうな時は助けに向かえるように、彼等が常時監視している知的生命体が存在する惑星に生まれるようにしておくよ。そこならマーカーを付けるのも問題ないから。他には? この際だから何でも良いよ」

 

「宇宙船ください。無補給か途中での資源レベルの補給で恒星間航行が出来る母艦のようなやつ」

 

「一応は検討させてみるよ。では良き人生を」

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「思い出したかな?」

 

「ええ、確かにわたしはサフィエであり由逗子翔でもありますわね」

 

 彼女の中には由逗子翔の記憶と経験も、サフィエとして生きた記憶とも共存していた。

 不思議と記憶の連続性があり自身が由逗子翔の精神を宿している事も受け入れ納得している。

 それにしても性が変わってしまった葛藤なども無いのが不思議でもある。

 

「それは何より。本当に危ないところだったよ。脳死直前で君を軌道上の飼育員種族のステーションに転送回収させて蘇生させたからね。危うく約束を反故にするところだった。今の君の肉体、ボロボロだよ? 完全に快復するまで医療ポッドにマイクロ/ナノマシンを使って惑星時間で一ヶ月はかかるってさ」

 

「と言うことは此処はあの時みたいな情報量子次元に連なる精神世界なのですね」

 

「その通り。それで希望の宇宙船なんだけど、残念な事に個人に与える訳にはいかないらしくてね」

 

「それなら……」

 

「言わなくても分かるよ。君を殺害しようとした者達への復讐だね? 憎しみ、怨み、復讐心が渦巻いているのは理解している。しかし残念だがそれは君個人の事情であり私/我々や監視している飼育員種族は関知しない案件だよ。あと少ししたら最低限の肉体の修復も終わり覚醒させる事も出来るから、養生しながら考えると良い」

 

 万象心が穏やかに諭すとサフィエの意識は暗転して行った。

 

 



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03 軌道上より

 サフィエが救出されてから惑星時間で三十日以上が経過し、彼女は医療カプセルから出されて意識も覚醒していた。

 飼育員種族(オーバーブリーダー)たる異星人のマイクロ/ナノマシンを使った再生医療によって彼女が負った肉体的な怪我や損傷は完全に癒され失っていた声も取り戻せた。

 そして『恩寵の御印』は跡形もなく消えてしまっている。

 

 しかし精神に於いては癒された訳では無い。

 由逗子(ゆずし)(かける)の記憶を取り戻し彼女のパーソナリティが変容していても、肉体が覚醒する事で情報量子次元の精神世界では平衡を保っていた精神は再び激しい怒りと怨みと憎しみを抱える事になった。

 更に残してきた同母妹のフェティエの事を思うと胸が引き裂かれる思いだった。

 

 

 ステーションにあるトレーニングルームの窓からは彼女が生まれ育った惑星の眺望が広がっている。

 彼女が療養生活をするスペースの人工重力は惑星の表面重力と同じにされたこの環境下で、彼女は心に闇と痛みを抱えながら萎えた肉体を戻す為にリハビリに勤しんでいた。

 

「精ガ出マスネ。体調ハイカガデスカ?」

 

 普人族型の看護・介護アンドロイドが声をかけてくる。

 飼育員種族はサフィエと同じ大気は呼吸出来ず、またその外見がサフィエ達とはかけ離れており、発声の違いから音声による会話が不可能である事から、このアンドロイドを通してサフィエとコミュニケーションを取っている。

 ちなみにこの飼育員種族、外見は金魚の一品種である琉金にそっくりである。腹鰭と尻鰭の代わりに歩行器官があり、胸鰭の部分から先端が分かれた触手が生えている。

 肺ではなく大気中に適応した鰓を持つが高圧高湿度高濃度酸素環境下でないと生存が難しい。

 逆にサフィエがその環境に入れられたら酸素中毒で命を落としてしまうだろう。

 

「お陰様で歩行器無しでも歩けるようになったわ。でもまだまだね。少し歩いただけで息が上がるの」

 

「りはびりニ無理ハ禁物デス。焦ラナイデ」

 

「分かってはいるのよ。でもね、残してきた妹が、フェティエの事が心配なの」

 

 サフィエの妹フェティエはまだ十二歳。

 復讐を果たすよりも先に妹をあの幽閉されている塔から自らの手で救い出したい。

 万象心が約束したのは自分の命だけであり、妹の救出を飼育員種族達に頼む訳にはいかないのだ。

 再度地上へ降り立ち妹フェティエを救い出す為、サフィエは歯を食いしばり毎日のリハビリに励んだ。

 

* * * * * *

 

 サフィエの精神は危うい所で踏み止まっていた。

 もし、由逗子翔の記憶と経験が甦っていなかったら、とっくに憎悪に飲み込まれ崩壊していたであろう。

 睡眠精神治療装置(ヒュプノ・セラピー・マシン)による治療も功を奏していた。

 精神の安定を欠いた状態では人は悪夢に魘されたり不眠症となっては更に精神が不安定になってしまう。

 穏やかな睡眠が得られれば、それだけでも症状の改善が期待出来るのだ。

 それに時々、装置を通して万象心の分意識によるカウンセリングも行われている。

 

 しかし、それでも尚サフィエの中の憎悪は消えない。

 スウツノ教とその教徒ども、カァフシャアク国王である兄を赦してなるものかと。

 由逗子翔の記憶が甦った今なら分かる。

 父なる国王と正妃、母である側妃、同母の兄二人を病死に見せかけて暗殺したのはスウツノ教に被れて唆された兄とその側近どもだと。

 祖国を乗っ取る為にスウツノ教を信奉する西方白色普人族至上主義の国々が仕掛けた謀略だと。

 必ずやあの邪知暴虐の者どもを討ち、スウツノ教と言う前世地球に在った一神教の悪しき所を煮詰めたような白色普人族至上主義者どもをその教義諸共撃滅するのだ。

 彼女の憎悪と狂気は日々昇華され、それは自らに課した使命と宿命となって行く。

 飲み込まれてなるものか。必ず妹を救い出し、傲岸不遜な白色普人族至上主義者どもを祖国より打ち払い、愛しいチアノクの同胞(はらから)である民を呼び戻し彼等に安寧を。

 サフィエは遥か惑星の軌道上で静かに怒りを燃やし心に刻んでいく。

 

* * * * * *

 

 サフィエが惑星軌道上で覚醒してから凡そ半年が過ぎた。

 やせ細っていた身体は療養所によって肉付きも良くなり、地道で苦しいリハビリにより体力・筋力は元よりも向上した。

 激しかった憎悪も精神治療によって静かな怒りへと昇華されつつある。

 

「希望は決まったかな?」

 

睡眠精神治療装置(ヒュプノ・セラピー・マシン)で眠りに就くと情報量子次元の万象心が創る精神世界へとサフィエは喚ばれ、そう問われた。

 

「ええ、決まりました」

 

「何を望む?」

 

「お見通しだと思いますが」

 

「君の意志の確認の為だよ」

 

 この精神世界では感情の振れは存在しない。ただ淡々と言葉が紡がれる。

 

「力と智慧を、何者にも負けぬ力を、世を変革する智慧と時間を望みます」

 

 平坦に、だが決然とサフィエは告げる。

 この星の知的生命体は未熟だ。前世地球よりも社会的にも思想的にも遥かに未成熟で停滞している。

 だから変える。変革する。より成熟し進化させ平穏なる意思と精神で万象心へと到れるように。

 

「君の望むものを与えよう。私/我々は与えた後は、この惑星と君に干渉しない。君が心に刻んだ望みが叶い、再び良き未来で相見(あいまみ)える、その時まで私/我々は見守るのみ」

 

 サフィエは深々と頭を下げ感謝の言葉を紡ぐ。

 

「本来ならわたくしサフィエとその前世の由逗子翔の意識や意思は貴方の居る情報量子次元の海に消えて逝く運命でしたのでしょう。しかし貴方の慈悲で新たな生を受けた事、また今生の命を救っていただいた事に深い感謝を。ありがとうございました」

 

 万象心(ユニバースマインド)の分意識は満足げに頷き、その姿を消した。そしてまたサフィエの意識もそこから去り、創られた精神世界は消失した。

 

 果たしてサフィエの望んだ力と智慧は、如何なる形で現実と化すのであろうか。

 




 明日の投稿も午前6時になります。


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04 昇天と雌伏と

 カァフシャアク王国、王都中央広場。

 この国の教区を任されているスウツノ教司教のエツィオ・コベルリは目の前で行われている異教徒で異端で神への反逆者である忌むべき『獣の亜人』サフィエ・スヴァーリが磔刑に処される様をを笑顔で眺めていた。

 コベルリ司教の役目はこの国の教化である。

 チアノクなる邪悪な教えを祓い、唯一神の啓典の教えを遍く広め、この王国を白色普人族が治める地に作り変えて卑しき『亜人ども』を排斥する事。

 それが正しい事であり、その為ならば異教徒どもや亜人どもには何をしても許されると彼は本気で信じている正しく神の忠実なる僕(狂信者)だった。

 

 東西交易の要衝であり、また南北とも通じる事の出来るカァフシャアク王国。

 この地を得たいが為に西方諸国とスウツノ教会は謀略を仕掛けた。

 教育係に化けたコベルリ司教配下の司祭達が王太子と側近達を薬物を使うのも厭わず教化(洗脳)し、彼等に王室・王宮に巣喰う邪悪なチアノクの信奉者を浄化(暗殺)させた。

 この謀略が推し進められた理由は、東方の豊かな資源とその権益を手中に収める野望に駆られた西方諸国の思惑と、スウツノ教会内外で富と栄誉と地位を得たいと願う教会に巣喰う俗物どもの欲望が噛み合った結果であった。

 

 コベルリ司教は苦しむ罪人がそろそろ事切れるであろう様子に満足しながら踵を返そうとしたその時、磔刑に処されている罪人の上に天から光が降り注いでいるのを見た。

 その神々しく柔らかな光に彼は思わず跪き祈りの姿勢になりながらも目の前の光景から目を離せないでいた。

 広場に居る多くの見物人の見守る中、磔台で磔刑に処せられている神への叛逆者ではるはずのサフィエの身体が光の粒子となって、天からの光に導かれるように昇天して行く。

 その様をコベルリ司教は震えながら見つめていた。

 彼の心中には様々な思いが考えが浮かび消え、千々に乱れて思わず立ち上がり叫んだ。

 

「なぜだ!? 罪人であり神の敵、卑しい獣亜人ごときが何故あの様な神々しく昇天するのか! 亜人どもに奇跡は起こらないはずではないのか! 有り得ない! 絶対に有り得ないし私は認めない! これは邪教の(まやかし)だ! そうだ、そうに違いない!」

 

 コベルリ司教が喚いている最中、天からの光が消えた。そしてその直後、晴天の空から一条の雷が磔台へと走る。

 その轟音と閃光に広場に集う見物人の多くは目が眩み腰を抜かして恐れ慄いた。

 彼等の視力がようやく回復し如何なったかと広場の中央を目をやると、そこには焼け焦げて粉々になった磔台が散らばるのみであった。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

『……派手な演出をしてくれたわね』

 

 一年前に行われた自身の救出現場の映像を見て、呆れた顔でサフィエは傍らに佇む生身の(・・・)飼育員種族(オーバーブリーダー)へと声をかけた。

 本来サフィエと飼育員種族は同じ環境を共にする事が出来ないはずであり、また発声器官の違いにより音声による直接会話も不可能であったはずだ。

 

『私達から見て非情であり残酷な行為でしたから、警告の意味を込めてあの様にしました』

 

 応える飼育員種族の表情は変わらないが、揺れる触手の様子から不愉快であった事が見て取れた。(そもそも彼等には表情筋が存在しない)

 

『それで、そろそろ拠点も完成に近いのですが、何処に降下させるつもりですか?』

 

『そうね。一応は西大海洋の真ん中あたり? そこから潜航しながら中つ海へ進入して国の南海にでも落ち着くつもりよ』

 

 サフィエの要望を受け、万象心からの依頼で飼育員種族が建造したのは大気圏内限定の大型機動母艦。

 深海の水圧に耐えられるような構造で、成層圏までなら飛行も可能。展開式飛行甲板と二百メートル級の艦船が建造可能な艦内船渠(ドック)を備え、各種工作機械が揃った艦内工場もある。

 海水や海底、地殻表面から資源を採取し資材化する施設もあるので補給に関する不安は無い。

 エネルギー源として艦内施設用・補助動力用として固体内凝集核融合炉、重力制御用・主推進用にプラズマ型高出力ミューオン核融合炉が設置されている。

 飼育員種族の技術レベルからすると重力制御もそこそこ枯れた技術であり、それ以外はそれこそ旧式過ぎて考古学博物館にでも展示されるような代物である。

 外観は全長約三千メートル、最大直径約三百メートルで、形状は水中および空中での抵抗が少なくなるよう両端が戦闘機のノーズコーンのような形状をしていて、空に浮かんだ姿は葉巻型UFOそのものだ。

 

 エネルギー源に核融合炉を採用したのには理由がある。基本的にこの艦はサフィエ一人で運用される事になる。

 もし飼育員種族の使う対消滅型縮退炉にした場合、燃料に反物質を使用している為に万が一あった場合に対応が間に合わず反物質による対消滅エネルギーの発生で惑星に致命的な損害を与えてしまいかねない。

 その点、固体内凝集核融合炉は温度が上がり過ぎたり損傷すると水素を閉じ込めて核融合を起こしている固体格子構造が崩れ、水素を放出して反応が止まるし、プラズマ型高出力ミューオン核融合炉は反応条件がシビアで一部でも損傷したら反応が停止してしまう。

 修理やメンテナンスに関しても艦内の自律自動機械を使えば可能な構造と機構になっている。

 

 またサフィエ自身も彼女の希望通りに誰にも負けない力を得る為に変わってしまった。

 彼女が選択したのは有機・無機ナノマシンによる人工細胞への全身細胞置換。

 彼女は肉体的に人である事をやめた。

 

 

 サフィエが現在存在する宇宙は、由逗子(ゆずし)(かける)が存在した宇宙と物理法則の差異は殆ど見られない。

 しかし次元構造には明らかな差が存在した。情報量子次元と四次元+余剰次元との間に相互作用を可能にする仕組みが余剰次元に存在するのだ。

 平たく言えば物理世界と精神の相互作用、つまり『魔法』や『魔術』が現象として明確に存在する。

 

 この宇宙は情報量子次元と四次元+余剰次元(以下、物質次元と呼ぶ)間で様々なエネルギーの遣り取りを行う事が出来る。

 精神エネルギーは情報量子次元で想起された意思・意識により物質次元に現象を生じせしめる事が可能であり、これが所謂『魔法』である。

 また、物質次元においてエネルギーを用いて(制御のしやすさから主に電磁場と光量子が用いられる)所定のプロトコルで情報量子次元に干渉する事で物質次元に特定現象を引き起こす事も可能であり、これが『魔術』と呼ばれるものだ。

 『魔法』も『魔術』も無から有を生じさせることは出来ない。

 例えば真空中に陽子一つを生み出したとすると、必ずそれに見合う精神エネルギーが消費されるのだ。

 そしてその精神エネルギーは物質次元から何らかのエネルギー(主に光量子)が精神による情報量子次元との接続性に依って変換され補充される。

 この宇宙でも『静止質量エネルギーは静止質量と光速の二乗の積に比例する』という特殊相対性理論から導き出された質量とエネルギーの関係は変わらない。

 よくファンタジー小説などで見かける『何も無いところから岩を生じさせ飛ばして攻撃するストーンバレット』などをこの宇宙で行おうとしたら膨大なエネルギーコストと精神をすり減らすような意識と意思の想起が必要となる。

 例として挙げると物質一グラムの静止質量エネルギーは九十テラジュールで、これは長崎に投下された原子爆弾ファットマンの核出力とほぼ同じである。

 こんなにエネルギーを使う位なら腕力頼みでその辺の石ころを投げた方がマシである。

 この宇宙で現実的な攻撃魔法となれば、相手近傍の物質を精神エネルギーを使い1マイクログラムほどの反物質に変化させるだけでTNT換算で四キログラム相当のエネルギーを浴びせる事が可能となる。

 この余剰次元に干渉し素粒子の性質を変える技術を実際に飼育員種族は応用し、低コストで反物質を生成する事で対消滅型縮退炉を実現させている。

 ちなみにサフィエが受け取る大型機動母艦のミューオン核融合炉のミューオン発生装置にも『魔術』による素粒子置換技術が使われている。

 

 

 サフィエの事に話を戻そう。

 彼女は全ての細胞を人工細胞と置換する事によって、有機生命体が必要とするタンパク質や炭水化物などの必須栄養素の経口摂食行為が不要となった。

 エネルギーは人工細胞内で、水から分離して得られる水素をナノマシンが構成したナノ構造薄膜と『魔術』を併用した凝集核融合させる事によって得られる様になっている。

 肺は冷却兼気体元素吸収を行い、また肺胞膜に備わったナノ構造により核変換(融合)を行う器官に、胃腸は固体元素の吸収と核変換(融合と分裂)を行う器官と化した。

 彼女の骨格はニッケル・コバルト系超合金とチタン系合金との複合材に置き換わり、骨髄が存在した骨の内部は有機・無機ナノマシン製造プラントが納まっている。

 極端な話、サフィエは頭部と骨格さえ無事でエネルギーの都合さえつけば周囲から物質を取込み肉体を再生する事が可能なのだ。

 神経細胞もちろん専用の人工細胞に置換され、化学物質に依存しない情報伝達により反射速度が向上し、更に脳細胞すらも置換した事により脳がコンパクト化され、その余剰スペースを使い合金による頭蓋骨の構造強化が行われ、記憶容量と思考力強化、情報量子次元と物質次元との相互作用を円滑に行う為の『魔術器官』とも呼ぶべき物が形成された。

 肉体から発生する余剰エネルギーは化学エネルギー変えられ血流に乗って肝臓を模した器官に一時蓄えられ、更に『魔術器官』へと送られて逐次精神エネルギーへと変換されて情報量子次元に蓄えられる。

 他にも様々な機能・能力が備わったが、それらは追々明らかになるであろう。

 

 実はこの人工細胞への置換は、程度の差はあれど惑星監視に携わる飼育員種族も受けている実績のある技術である。(彼等は完全置換している訳では無く、残されている生体部分が多い)

 サフィエが彼等と同じ空間を共有し会話も可能になったのは、彼女がこの処置を受けた事で極限環境でも活動出来るようになった事が理由であった。

 

『そうだ。フェティエの最近の様子は? 元気にしてると良いのだけど……』

 

 サフィエはリハビリで体力を戻した後、人工細胞への置換処置を受けた為に最近までまた意識を落として医療ポッドの住人となっていたのだ。

 

『貴女の妹へのスウツノ教による洗脳教育が始まってます。まだ薬物を使うまでに至ってませんが時間の問題と推測できます』

 

 それを聞いたサフィエは激しい怒りを覚えた。

 その怒りに反応し彼女の新しい身体は出力を上げ、余剰分のエネルギーの回収が間に合わず、髪の毛が帯電して逆立つように広がった。

 

『落ち着いて下さい。まだ完全には制御しきれていないので過負荷がかかるとバラバラになりますよ。余剰分を『魔術器官』(マギ・サーキット)で処理して情報量子次元へとプールして下さい』

 

 人工神経細胞には脳内物質をエミュレートする機能があるが、それを停止してしまうと喜怒哀楽という人間らしさを失い、彼女は精神すら人では無いモノへと変容してしまう。

 そうならない為にも彼女は学習し訓練し、己の新しい身体を制御しなければならないのだ。

 

『……こんな未熟者ではまだ地上へは戻れないわね。フェティエ……無事で……』

 

 ステーションの窓の外、故郷の惑星を眼下に見るその目からサフィエは静かに一滴の涙を流した。




 明日の投稿も午前6時になります。


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05 深き大海の底へ

 サフィエに与えられたら大型機動母艦は由逗子翔(ゆずしかける)の記憶に有った日本神話の海神に肖り『オオワタツミ(大綿津見神)』と命名された。

 オオワタツミの核融合炉の出力では惑星重力圏からの離脱は不可能だが、大気の断熱圧縮による熱が発生しない降下速度に制限しながら大気圏へ突入する分には問題は無い。

 艦内にサフィエを乗せたオオワタツミは管制・制御する人工知能トヨタマビメ(豊玉毘売)(サフィエ命名)の繰艦によって順調に降下し無事に西大海洋へと静かに着水した。

 

『予定海上への着水を確認。重力制御停止。主反応炉はアイドル状態へ移行。艦体各部の確認と点検を開始』

 

 夜の海が全周投影された操縦室でサフィエは席に着きながらトヨタマビメからの報告を聞いていた。

 

「はい、タマちゃん宜しく~」

 

『訂正。私の正式呼称はトヨタマビメです』

 

「相変わらずタマちゃんは堅いよ。わたし達しか居ないんだからもう少し砕けても良いんじゃない?」

 

 この一年間のうち、前世記憶の影響からかサフィエの普段の言葉はかなり崩れたものになっていた。

 

『現在艦内各部及び艦外上部確認中。完了後に左右に九十度ロールを行い艦外底部の確認を行います。重力制御が停止している為、完了するまで艦長は固定装具を外さないようお願いします』

 

「無視された……はぁ、了解。どれくらいで終わりそう?」

 

『メンテナンス・ドローン総出で行います。問題が無ければ三時間の予定』

 

「その後は洋上航行に水密チェックに深深度耐圧チェックに……先は長いね」

 

『全ての公試完了まで1ヶ月の予定です』

 

 それを聞くとサフィエはげんなりとして溜息を吐く。

 

「分かってたけど、やること無いから退屈しそう」

 

『スリープ・モードを推奨』

 

「果報は寝て待てってか? やかましいわ!」

 

 その後、公試中に運良く海底鉱床を見つけたり、洋上で巨大海洋生物に遭遇したりしながら順調にスケジュールを消化して行き、最後の海中全速航行試験を迎える事となった。

 

 オオワタツミの海上・海中の航行は電磁推進によって行われる。

 艦体中央寄りの前後にあるX型に張り出した翼のような構造物が主たる電磁推進装置である。

 艦体表面外装平面にも補助推進装置が多数設置されており、それが艦体のピッチ、ロール、ヨーの三軸の姿勢制御を行う。

 

「最大時速百キロメートル以上て希望はしたよ? だけどこれはやり過ぎじゃない!」

 

『水深千メートルを時速二百二十キロメートル。増速中』

 

()めて()めて! 減速ぅ! 機関停止っ! トヨタマビメへ艦長権限による命令! 海上海中航行に於ける速度制限は時速百キロメートルを設定。艦長より解除命令が有る場合は速度制限を解除する。以上!」

 

『主反応炉待機(アイドル)状態へ。主推進装置停止。速度制限に関する命令受諾』

 

 大声で叫びながら停船を指示し命令を追加するサフィエ。それを受けてオオワタツミは減速する。

 

飼育員種族(オーバーブリーダー)も加減しないところあるのね。ホント勘弁して……」

 

 操縦席の背もたれに体重を預けて伸びをするサフィエ。現在の身体では意味の無い行為ではあるが生身の頃の癖はなかなか抜けない。

 

『全試験は完了です。確認項目は全て良好(チェックリスト・オール・クリア)

 

「それじゃ浮上して再点検をお願い。その間にわたしはステーションから送られてきたフェティエの様子を私室で確認しておく。艦底チェックでロールする時は知らせて」

 

『確認はここでも出来ます』

 

「ついでに、不味いけど人工細胞の維持に必須な元素の摂取もして来る。ホント不味いけど」

 

 人工細胞を構成する有機・無機ナノマシンは永久不変ではなく消耗もする。それを補う為に様々な元素を必要とする。

 酸素や窒素は大気中から得られるが、しかしそれ以外のナノマシンを構成する為に必要な炭素、リン、硫黄、カルシウム、その他諸々の元素類を水溶性化合物やコロイドにし、水を溶媒・分散媒にしたコロイド溶液にして経口摂取するしかない。

 さて、サフィエの身体は人をやめてはいるが味覚と嗅覚はオミットされていない。

 しかしこれらの感覚神経は鈍化させる事は出来る。そう、『無くす』のではなく『鈍化』なのだ。

 その結果がこちら。

 

「うええぇぇ……不味いぃ……」

 

 嘔吐(えず)きながら涙目になるサフィエ。摂取間隔が長いのがまだ救いである。

 

「美味しいもの食べたい……」

 

 なまじ前世を思い出した故に、余計に普通の食事を渇望する彼女であった。

 

 なお妹フェティエの様子だが、報告によると薬物を使用されているのは確実だが、誰も居ない所で不満を漏らし悪態を吐く様子から、洗脳されている様には見受けられなかった。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 西大海洋と中つ海を結ぶヒブラルシャルク海峡の手前の深度五百メートルの海中でオオワタツミはホバリングしていた。

 オオワタツミは全長三千メートル、直径三百メートルの巨大艦である。

 浮上した場合でも艦体の七十パーセントは海中にあり、最浅部が二百五十メートルしかないヒブラルシャルク海峡で浮上航行するには電磁推進装置も含めると海底までのクリアランスはギリギリであった。

 

「補助電磁推進でリフトしながら夜中に浮上航行で抜ける事にしてたけど、これ無理じゃない? 航跡波(ウェーキ)半端ないから沿岸に被害出しそう」

 

『大気圏内飛行による通過を提案』

 

「それしか無いかな。でもそれやると、ぼんやりだけど光るのよね、この艦」

 

 想像して欲しい。ぼんやりと光る全長三千メートルの巨体が高度三万メートルを飛んで行く様を。

 サフィエは思わず頭を抱えて喚いた。

 

「限界高度を飛行してもデカいし光るしで目立ち過ぎる! あーっもう! もっとコンパクトなの造って貰うんだったぁ!」

 

『艦長の要求仕様を満たした結果です』

 

「そこツッこまないでよ……。夜中だし、普通は皆さん寝てるから大丈夫かなあ。でも監視塔があるのよね」

 

 ヒブラルシャルク海峡の両岸には、そこを領有する国により高台に監視塔が築かれていた。

 塔は灯台も兼ねており夜中でも人が常駐している。

 

「ドローンで催涙ガス放り込んで目眩ましする?」

 

『それはそれで別な騒ぎになるかと』

 

「仕方ないか。目撃されるリスクはあるけど深夜に飛行して通過しましょう。通過後は速やかに着水潜航で」

 

 幸運な事に低気圧の接近が知らされ、空が雲で覆われるタイミングを待ってオオワタツミは離水し、雲上を飛行する事で目撃される事なく無事に海峡を通過した。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ヒブラルシャルク海峡を通過後はトラブルも無くオオワタツミは順調に航海を続けた。

 海峡を抜けて五日後、目的海域であるカァフシャアク王国南海へと到着、王都南東五十キロメートルの海底へと落ち着いた。

 

「着いたけど、まずは王都の偵察とフェティエを迎え入れる為の艦内環境整備よね。彼女は生身だからバス、トイレ、キッチンに寝具は必須。食糧事情もなんとかしなくちゃ」

 

『食事なら海中プランクトンから作る完全栄養の合成食糧があります』

 

 いそいそとフェティエの生活環境について検討するサフィエ。そこに声をかけたトヨタマビメにサフィエは激怒した。

 

「あのね! あんな養殖鰻の餌みたいな激マズ謎ペーストを可愛いフェティエに食べさせられないじゃない! タマちゃん、人にとって食事ってのは楽しみでもあるのよ? 断固として普通の美味しい食事が出来るようにするの!」

 

『サンプルがあればコピーして合成食糧として提供出来ます』

 

「わたしが試しに焼き魚を作った時、コピー合成した結果を忘れてないわよ。なによあの微妙に不味い苦味と焦げ臭さのある魚味のドロッとした何か。しかも若干生臭い」

 

『有機物、無機物ともに完全にコピーした物でサンプルと同一と判断できます』

 

「……これだから恒星間文明に連なる知性体は。買い出しに行くにもお金が。ねえタマちゃん、取り敢えず諸々の元素と一緒に海水から抽出した金は保管してあるのよね?」

 

『現在三キログラム保管されています』

 

「じゃあ一キログラム分、小指の先くらいの大きさの不揃いな粒に加工しといてもらえる? 東方の適当な都市で買い物してくるから。情報収集も併せてお願いできる?」

 

『情報収集依頼を受諾。現状提供出来る移動手段を提示。小型潜水艇若しくは有人ドローン』

 

 その二つが目の前に立体映像で表示される。小型潜水艇は収納可能な履帯が装備された陸上移動が可能なもので、どことなく形がイルカっぽい。

 有人ドローンの方は三角形のリフティングボディで中央と左右にリフトファンのある高速タイプ。前進時には中央リフトファンが九十度向きを変えて推力になる。

 

「ドローンは悪目立ちするから却下。潜水艇で人目につかない海岸に上陸が妥当かもね。で、貨物容量ってどれくらい?」

 

 小型潜水艇の映像がクローズアップされ貨物室が赤く表示された。

 

『三×三×四メートルで三十六立方メートルです』

 

「なんでや! 阪神関係ないやろ!」

 

 サフィエは思わず前世のネタでツッコミを入れてしまった。

 

『艦長発言の理解不能』

 

「……ごめんて。わたしが悪かった」

 

 ともあれフェティエ救出への準備は進む。




 明日の投稿も午前6時になります。


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06 妹と姉と

 フェティエは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の異母兄である王を除かなければならぬと決意した。

 フェティエは、この国の前王の末の姫である。

 幼い頃に父母と二人の兄を失い、姉と一緒に塔に幽閉されて暮して来た。

 齢十三の時に姉が居なくなり、追放されたと聞かされた。しかし侍女達が控えの部屋で話しているのを立ち聞きして知ってしまった。

 姉は磔刑に処されたのだと。

 ボロボロの姿で引き回され衆人の前で貶められ辱められた挙げ句に殺されたのだと。

 その日からフェティエは泣き暮らした。泣いて泣いて涙枯れるまで泣き、彼女は誓った。

 かの冷酷無比な王を許してなるものかと。

 

 今日もフェティエは朝から傲岸不遜極まりない教育係にスウツノ教の啓典を読まされている。

 つい先日、フェティエの腕に『恩寵の御印』が現れた。示されたのは『四元徳』。それは知慮/思慮/知恵、勇気/忍耐、節制、正義と分類される、人として美徳とされる気質。

 御印が現れた時、姉の処刑以降いつの間にかぼんやりと霞がかっていた頭の中が急にはっきりとした。

 

 意識が明瞭になると色々とおかしかった。

 なぜ玉座に就く異母兄を許してなるものかと深く誓っていたのを忘れていたのかと。

 どうして狂おしいまでスウツノ教に傾倒し心酔していたのかと。

 なぜチアノクの民として神々と聖霊と祖霊を信じていたことを忘れてしまったのかと。

 どうして敬愛していたはずの姉を卑しい獣亜人だと思い込み蔑んでいたのかと。

 フェティエは愕然とした。

 

 原因はあの教育係だとフェティエは断定した。

 授業の前に必ず彼が用意した薬草茶を飲まされていたからだ。

 それを飲まされると頭がぼうっとして体がふわふわするが、『恩寵』を賜って以降は四半刻(およそ十五分)もしないうちに何事も無かったかのように頭がはっきりして自分を取り戻す。

 これは毒を盛られているに違いない。そして『四元徳』には解毒の異能があるのかもしれない。

 幸いにも周りにこの事が知られた様子は無い。

 

「あの男が毒を盛るように命じてるんだわ。ねえ様を処刑するだけに飽き足らず、わたくしも殺すつもりね。そうに決まってる。それに今思うと、かあ様も、にい様達も彼奴に殺されたんだわ」

 

 如何にして此処から逃げ出せないかフェティエは考える。

 フェティエは十四歳。世間知らずの小娘であるのは自分でもわかっている。それでも姉の分まで生き抜く為にここから脱出することを考える。

 

「逃げるところなんて曾祖母様の一族のところくらいしか無いけど、受け入れてもらえるかしら」

 

 彼女は益体も無い事を考えながら、変わらないよう演技しながら日々を過ごしていた。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 オオワタツミが潜む海域から東、中つ海の東の端にある湾の奥、交易でそこそこ栄える港町ファーティがある。買い物の目的地としてサフィエはそこを選んだ。

 

 上陸するにあたってサフィエは着る物が無い事に気付く。

 オオワタツミの艦内はサフィエ一人しか居らず、艦内は一定の環境が清潔に保たれており、更に今の身体は老廃物を出さない。

 それ故、オオワタツミ艦内では胸と腰を布で隠した程度のほぼ全裸な楽な姿で生活をしていた。

 慌てて艦内で合成繊維で布を作り、裁縫の腕は怪しいので簡単に貫頭衣を仕立て、更にその上から布を重ねて纏いトーガ風の見た目にする。その際に尻尾穴の処理には苦労した。後でミシンを作ろうと堅く心にメモをする。

 取り敢えず裸足でも平気な身体であるので靴は割愛したが、人前に出ても一応恥ずかしくないように(サフィエ主観で)整えることはできた。

 

 潜水艇で夜中にひっそりと上陸したのは港町ファーティから徒歩で一昼夜ほど離れた(約百キロメートルの距離)人目に付かない砂浜で、事前偵察で近くに林があったのが決め手だった。

 林の中に潜水艇を乗り入れ、草や木の枝葉で擬装する。ついでに服と身体を適当に汚しておく事も忘れない。更に幸運にも上陸前に見つけた沈没船から貨幣を回収できたので、金粒とは別な小袋に入れて古臭く擬装した合成皮革で作った肩掛け鞄に仕舞っておく。

 準備を終えて街道に出ると人外の速度で走ること二時間。夜明け前にファーティ近くまで到着した。

 夜明けを待って入街すると入門税を徴収する衛兵から誰何された。

 

「嬢ちゃん、金狐族なのに随分と古い西方の格好してるな? どこから来た? 一人か?」

 

「カァフシャアクから逃げて来たのよ。親はスウツノの糞共に殺されたわ」

 

「あー、そりゃ災難だったな。噂はここまで来てるぜ。よく見りゃ裸足じゃねえか。それにその服、貫頭衣の布を組み合わせてるのか。考えたもんだ」

 

 関心する衛兵にクチャキ銅貨十二枚を渡し入街できたので、まずは着るものと履くもの探す為に衛兵に尋ねる。

 

「身支度を整えたいから古着屋と靴屋を教えて欲しいんだけど。ほら、この格好じゃどこも雇ってくれないだろうし」

 

「なんだ嬢ちゃん、そんな格好でも結構金持ってるのか」

 

「生憎、古着と靴を買ったら素寒貧だろうけどね」

 

 答えるサフィエに衛兵が下卑た視線を投げる。

 

「嬢ちゃん美人だから娼館でも紹介してやろうか? すぐに稼げるようになるぜ」

 

「お生憎様。妹を迎えに行かなきゃならないんだ。そこまで堕ちるつもりは無いよ」

 

 衛兵の言に辟易しながらも背筋を伸ばし毅然と答えるサフィエ。衛兵は肩を竦めた。

 

「そりゃ残念。今日は市が立つ日だ。古着と靴ならそこで探すと安く買える」

 

「ありがとう。それじゃあね」

 

 作り笑顔で衛兵に礼を言うとサフィエは市の開かれている広場へと足を運んだ。

 

 サフィエは縄で区分けされ露店が並ぶ広場を眺めながら歩いて行く。朝も早いので人出はそう多くない。

 程なくして古着を売っている露店を見付けた。

 地球のイスラム圏で婦人が着るヒジャブのような服を着た黄色普人族の人の良さそうな小母さんが開いている露店である。

 サフィエが祖国で着慣れた女性用のカフタン(前開きの袖の長いガウンのような衣服。地球のトルコ周辺の民族衣装でもある)やシャルワール(サルエルパンツぽいズボン)も露店の敷物に並んでいた。

 カフタンは小母さんの娘が結婚した時に置いていった物らしく、可愛らしい模様の刺繍がしてある。色も明るい物が多かった。

 状態の良い物を小母さんの助言も得ながら吟味して選び、気に入った物を上下合わせて三着購入。

 

「重ね着できる何か無いかしら?」

 

 小母さんに尋ねると、奥の木箱から引っ張り出して、ノリノリでああでもないこうでもないと始めてしまった。

 結局、なかなか可愛らしい重ね着用のものも三着購入した。知り合いで直しをやっている人が露店を出していると言うので場所を教えてもらい、また露店を眺め、時には冷やかしながら歩いて行く。

 教えてもらった直し屋は、小柄で皺くちゃのお婆さん。全部の直し代を前金一括で払い、一揃い分だけその場で直して貰えるかとお願いすると、店主のお婆さんは快諾し、その場で手早く直してくれた。

 残りは明日夕方前に取りにおいでと言われたので、サフィエは礼を言いその場を辞した。その後も彼女は買い物を続ける。

 この日は服の他に靴にスカーフや腰紐、飾り紐などを購入する。そのうちに夕方近くなったのでサフィエは慌てて宿を取る事にした。

 一泊二食付きでダンニェ銀貨十枚とちょっとお高い。そして宿で出された久し振りの普通の食事の美味しさに、サフィエは泣いた。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 その日、フェティエは夕食後に王から呼び出され、侍女に連れられて王宮へと足を運ぶ。

 王との謁見は玉座の間ではなく謁見室と呼ばれる小部屋で行われた。

 跪いて首を垂れるフェティエに王は告げた。

 

「第四王女フェティエに申し付ける。其方(そなた)を西方のロームルレム国に、かの国の王の側付きとして送る。これは王命故しっかり励め」

 

 スウツノ教は重婚も愛人を持つ事も認めない厳格な一夫一婦制である。しかし、気に入った女性に役職を与える事で王宮に入れ、事実上の妾・愛人として囲う権力者も多かった。ロームルレム国王も、御多分に洩れず何人もの妾・愛人を側付きとして囲う好色な人物と知られている。

 フェティエは平静を装いながらも内心で悲憤慷慨した。

 跪いたままなので見えないが、目の前でふんぞり返っているであろうこの異母兄は、まだ成人もしていない十四歳の自分の純潔を好色オヤジに捧げろと命じたのだ。

 姉の分まで生きると誓ったのに、これでは生きながら死ねと言われている様なものだとフェティエ思う。激しい怒りの後に湧き上がるのは諦念か。

 

「承りました」

 

「おおそうだ、全て彼方で用意する故、其方は身一つで向かうがよい。十日後に迎えが来る。では下がれ」

 

「御前、失礼いたします」

 

 異母兄の余りの仕打ちに、フェティエは叫びたかった。泣きたかった。しかし、この場では出来ない事だ。なぜなら自分は毒に侵され心を失っている振りをしているのだから。

 フェティエの中で『自害』という言葉が浮かんだ。

 

 それから五日程経った未明の事、フェティエは夜明け前に目が覚めてしまった。寝床から出て窓に向かうと板戸の留め具が外れ少し開いている事に気付いた。窓の板戸は外開きのうえ、就寝前には閉じて留め具をかけていたはず。

 何かの器具を使って開けたのかとも思えるが、ここは城の敷地内にある五階建ての塔の最上階。人が外壁を登って来られるはずも無い。

 不思議に思いながらも窓を開け、まだ目覚める前の王都を見下ろしながら「ここから身投げしても良いかな」などと考える。その時、窓枠に何か置かれているのが視界に入った。

 

 それは掌にすっぽり入る大きさの鈍色をした半球状の何か。恐る恐る手に取ると伏せられていた所が深く抉れている事が見て取れた。

 じっくりと眺めてみると表面に文字が書いてあるので読んでみる。書かれていたのは懐かしい癖のある字だった。

 

 『これを耳に当てて。声の手紙よ。サフィエより』

 

 フェティエは涙した。

 




 明日の投稿は午後6時になります。


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07 港町にて

 港町ファーティで一夜明かしたサフィエは食料品の買い出しの準備を始めた。取り敢えず一週間分もあれば事足りると思われるので、人が引ける荷車に積める位で問題は無いだろう。

 前日、市を冷やかしながらも荷車や木箱を売っている商店や工房の情報は仕入れてある。

 潜水艇のある場所までの鮮度の維持は魔法でこっそり冷やせば問題無い。荷車の強度に不安があるからスピードは出せないが、サフィエは不眠不休で動けるから一昼夜かければ到着できる。

 そうと決まれば行動開始。宿の朝食を泣きながら食べ終えるとサフィエはまず荷車を作っている工房へと向かった。なお朝食の時に宿の女将がなぜか平パンを一枚サービスしてくれた。

 

 昨日と違って小綺麗になったサフィエが街中を歩くと、ひしひしと視線を感じる。

 今のサフィエは若い娘が着る華やかなカフタンを着込み、髪の一房を編み込んで飾り紐で纏めている。金狐族特有の黄金色の髪が陽の光を映し眩いばかりに輝く。

 形の良い柳眉に吊り気味の大きな目にミントグリーンの瞳。そこに影を落とさんばかりの長い睫毛は優美なカールを描いている。

 柔らかな頬は薄桃色に色づき、また桜貝を思わせる唇はふっくらとして艶やかだ。

 少女のあどけなさと金狐族特有の妖艶さが共存する美少女。それがサフィエである。

 

 そんなサフィエであるからか、上半身裸に派手柄の袖無しカフタンを羽織った破落戸どもに目を付けられたのも(むべ)なるかな。

 

「よう姉ちゃん。ちょっと俺達に付き合えや」

 

 リーダー格の破落戸に腕を掴まれたサフィエは彼を一瞥すると抵抗もせず腕を引かれるままに裏通りへと、そして彼らが溜まり場に使っている空き家へ連れ込まれた。

 サフィエが連れ込まれてすぐ空き家の中から怒鳴り声に続いて肉を打つ様な音、物が派手に壊れる音、合間に怒声と悲鳴が聞こえ、唐突に静かになった。

 暫くするとサフィエが空き家から出てきて、何事もなかった様に目的地へ向けて歩き始める。

 

「人をやめたわたしをどうこう出来る訳ないのに」

 

 と、独り言を呟きながら。

 

* * * * * *

 

 荷車を扱う商店では運良く新品の在庫があり、荷台の長さが一般より長い物が購入出来た。これで多少は多めに買い物をしても大丈夫。

 一度、宿に戻って荷車を預かってもらい次に行った木箱を作っている工房では、生憎と在庫が無かったが、その工房が贔屓にして貰っている商店に中古が在るはずだからと紹介してもらえる事になった。親方が同行で。

 

「すみません、わざわざご一緒していただいて」

 

 恐縮するサフィエにイスケンダー親方は呵々と笑う。

 

「なぁに気にすんな。御用聞きにも行かなきゃならんかったからな。それにむさ苦しい男弟子と歩くよりも華があらぁ」

 

「そのお店って何を扱ってるんですか?」

 

 あわよくば食料品を扱ってる店なら良いなぁと思って聞いてみた。

 

「豆、麦、胡麻、それと少しだが香辛料も扱ってるな」

 

 香辛料の扱いもあるとか、これは是非とも購入しなければと、ふんすふんすと決意するサフィエ。

 そんな彼女の横でイスケンダー親方は孫を見るような優しい目をしていた。

 

 世間話をしなが暫く歩くと目的の店が見えてきた。ウーズーン商店と看板が出ている。

 店の様子からどうやら卸商のようであり、小売りをしてもらえるか分からないなぁとサフィエは少し不安になる。

 幸い、イスケンダー親方の口利きもあり中古の木箱四つと取り扱いのある商品を売ってもらえた。

 更に店主に塩や乾物、肉や野菜等の生鮮品の扱いの店を聞くと、手数料は取られるが商会で取り纏めてもらえる事になった。だが手持ちの現金(貨幣)が足りない。

 仕方なく金粒をサフィエが見せると店主の目の色が変わった。

 どうも純金は同じ重さのファラ金貨よりも価値があるらしく、支払いは是非とも純金粒で、と強くお願いされてしまった。

 とにかく明日の昼までには購入品を用意してもらえる事になりサフィエは親方と店主に礼を言いウーズーン商店を後にした。

 

「あ、お直し出来てるかな?」

 

 今日は市が開かれていないので、直しを頼んだお婆さんの自宅へと向かう。一応、住所は聞いていたが、お婆さんの自宅近くと思われる場所で屯していた奥様方に、直し屋のビュゼお婆さんの家はどこですか、と聞いて確認すると目の前の家がそうだった。

 

「ごめんください。昨日お直しをお願いした金狐族のサフィエと言います」

 

 声をかけると顔を出したのは昨日の市で古着を売っていた小母さんだった。

 

「いらっしゃい。待ってたわよ」

 

吃驚(びっくり)してるサフィエに小母さんは悪戯が成功したと笑いながら招き入れる。

 小母さんの名はキャナン。旦那さんと息子と姑のビュゼお婆さんとの四人暮らし。今の時間は旦那さんと息子は仕事に出ているとのこと。

 先日、嫁に出たのは末娘で「やっと娘ども全員片付いたよ」とキャナン小母さんは笑う。

 

「はいよ。(ほつ)れたところもついでに繕っておいたよ。持ってお行き」

 

 ビュゼお婆さんが直した服を渡してきた。

 

「わぁ、ありがとうございます。新品みたい。あれ? 一着、買ってないのが混ざってますけど……」

 

 広げてみると、形が由逗子(ゆずし)(かける)の記憶にある衣装に類似していた。

 

「それはね、あたしが若い頃に東から来た金狐族の娘さんから刺繍を頼まれた装束でね……。西に向かった帰りに取りに来ると言って行ったきり何年経っても取りに来なかったんだよ……」

 

 切なそうにビュゼお婆さんが言う。

 

「お義母さんは若い頃は名の通った刺繍名人だったからねぇ」

 

 サフィエは話を聞きながらも混乱していた。

 

―色違うし豪華な刺繍がしてあるけど、巫女装束だこれーっ!―

 

「あんたを見たとき、その娘さんを思い出してね。良かったら貰ってはくれまいかね?」

 

 サフィエは口を開けたまま、視線を装束とお婆さんを行ったり来たりさせた後、やっとの事で言葉を発した。

 

「あの、これ大切な物じゃないですか。わたしなんかが頂いて良いのでしょうか……」

 

「もう何十年も前のもんだし、その方が多分あの娘さんも喜ぶんじゃないかねぇ。あたしはそう思うんだよ」

 

 港町ファーティより東から来たと言うならサフィエの曾祖母とは別の氏族なのだろう。

 軌道上から見た限り、確かに東には弧状の列島が存在していたし、この惑星は形こそ違え大陸の配置は地球とよく似ていた。

 果たしてこれは偶然なのか万象心(ユニバース・マインド)の意思なのか、それとも前世宇宙の並行宇宙なのか、サフィエは分からなくなった。

 

 ビュゼお婆さん宅を辞して宿へと戻る道すがら、サフィエは空を見上げ一人ごちる。

 

「物理法則の違う別宇宙だと聞いてたけど……情報量子次元に互換性があるから、ひょっとして……」

 

 頭を振ってサフィエはその考えを頭から追い出した。

 

「考えても仕方ないよね。わたしは今ここに生きてるんだもの」

 

 我思う故に我ありだし、と思いながら心に晴れない靄を抱え彼女は宿へと急いだ。

 

* * * * * *

 

 明けて翌日、サフィエは昼まで街中をぶらぶらした後、宿から荷車を引いてウーズーン商店へと向かった。

 頼んだ量が量だけに一往復で運べるかなと心配になる。

 店に着くと既に購入品は準備されていて、荷車一杯ギリギリに積むことが出来た。

 

「お嬢さん、これ一人で引けるのか?」

 

「平気平気。わたしこう見えて結構力持ちなんですよ?」

 

 店主のケーファー・ウーズーンが心配そうに尋ねるも、サフィエは引き枠を掴む持ち上げ涼しい顔で答えた。

 

「ぉおう。どこまで運んで行くのかは聞かないが気を付けてな。また何か入り用になったら訪ねてくれ。あの金粒なら大歓迎だよ」

 

「ありがとうございます。お世話になりました」

 

 軽く頭を下げてサフィエは街門に向けて歩き出した。

 荷車はからからと音を発てて移動して行く。今の所、嫌な音はしていない。念の為の軸受けに注す油はイスケンダー親方から受け取っている。

 

「車軸が壊れても最悪は荷台ごと背中に担いで行けば良いだけだし楽勝楽勝」

 

 街門を通過するが、入いった時とは別の衛兵が立っていた。サフィエは軽く会釈して門を出て街道を進んで行く。

 

 行きとは違い丸一昼夜以上を荷車を引いて歩き通して潜水艇を隠した林の近くまで到着した。

 ここまで途中、夜中に獣に襲われたが魔法で微量の反物質を作り小爆発を起こして追い払ったり、時々車軸に油を注しながらの行軍であった。

 

「荷車が通れる道が無いのよね。担いで行くしかないわ」

 

 荷車の下に潜り込んでバランスを取って背負うと林の中に入って行く。

 

「足場悪いなぁ。そんな離れてないし飛んで行こう」

 

 サフィエは意識を集中し重力制御を想起し、情報量子次元から物質次元の重力場へと働きかけ地面を蹴った。

 ぴょ~んと言う擬音が聞こえそうな勢いで荷車を背負ったサフィエが空を飛ぶ。いや、よく見ると弧を描いている弾道飛行。飛ぶじゃなくて跳ぶだった。

 自身と荷車に作用している惑星の重力場に干渉し引力を小さくして跳び上がったのである。程なくして砂浜に無事着地したサフィエ。いそいそと林に隠した潜水艇に荷物を積み込み、その後意気揚々と海底に待つオオワタツミへと帰還していった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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08 声の手紙と救出と

『フェティエ、あなたを独り残して居なくなってごめんなさい。あの日、わたくしは地下牢へ入れられてしまいました。そして思い出したくもない悍ましい目に遭わされ貶められ辱められて磔にされました』

 

『でも命を落とす寸前に、幸運にもある方々に瀬戸際で救われて、今こうしてあなたに声を届ける事が出来ています』

 

『あなたの様子は特別な方法で見守っていました。日々心を失って行くあなたが、とても、とても心配で、悲しくて、それでも何も出来ないわたくし自身が悔しくて。今まで、わたくしは身体の治療と、あなたを塔から連れ出す力を得るために動くに動けず、とても歯痒い思いをしていました』

 

『フェティエ、あなたも恩寵を賜る歳になったのですね。フェティエ、あなたが自分を取り戻したのは、きっとあなたが賜った恩寵のお陰なのでしょう』

 

『フェティエ、自分を失った振りをしてるのは辛い事と思います。あの男に理不尽な要求をされたのも知っています。よりにもよって、あのロールムレムの王の下へ送るだなんて。わたくしが必ずそこから出してあげます。あなたが自分を偽らずに生きて行けるように、わたくしがあなたの未来を拓きます』

 

『だからフェティエ、愛しいフェティエ。絶対に絶望しないでください』

 

『絶対に憎しみに囚われないでください。絶対に希望を捨てないでください』

 

『必ず、わたくしが、あなたの姉が迎えにまいります。その時は、この声の手紙がぶるぶると振るえて淡く光って知らせます。そのあと何が起こっても、何を見ても怖がらないで、逃げずにそこに居てください』

 

『フェティエ、それまで辛いでしょうが、あと少しの辛抱ですからね』

 

『嗚呼、フェティエ。泣き虫で優しく賢いフェティエ。大好きなフェティエ。わたくしの可愛い妹。愛してるわ。あなたに神々と聖霊と祖霊の加護があらんことを』

 

 

「……ねえ様。生きてた。生きてたんだ」

 

 ボイス・メールを聞き終わり、プレイヤーを握り締めて胸に抱きながらフェティエは声を押し殺して涙を流す 。

 本当は声を上げて泣きたい。嬉しくて跳ね回りたい。

 大声で「わたくしも、ねえ様が大好きです!」と大声で叫びたい。

 でも、どこで誰が聞いているかも分からない塔の中、迂闊な事は出来ない。

 もし知られでもしたら、この声の手紙は取り上げられて、自分は地下牢に入れられてしまうだろう。

 そして迎えに来た姉も捕まってしまうかも知れない。

 侍女達が塔に来る前に隠さなくては。

 フェティエは涙を(ぬぐ)い動き出した。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 フェティエが王に呼び出される二十日程前、買い物を終えたサフィエの乗る小型潜水艇は、港町ファーティからオオワタツミが水中待機している海域に戻って来た。

 

「タマちゃん、ただいま~」

 

『お帰りなさい、艦長。深度二百メートルまで浮上し待機中。収容扉開きます。操縦こちら(アイハブコントロール)

 

「ほーい。操縦そちら(ユーハブコントロール)

 

 小型潜水艇はトヨタマビメに制御され収容扉を通りエアロックへと進入。

 

『収容扉、エアロック閉鎖。エアロック内排水開始。排水後、洗浄完了まで艦長に待機を要請』

 

「了解。荷物の搬出搬入は作業ロボに任せる。けど、入庫作業は絶対わたしが立ち会からね」

 

 港町ファーティで購入した食料品のうち、生鮮食料品は速やかに冷凍しなければならない。

 運搬中、サフィエの魔法で摂氏十度以下に常に冷やされ、潜水艇のカーゴスペースでも低温を維持した。

 しかしフェティエを迎えるにあたって、その時期が不明な為に長期保存するための処理が必要になる。

 幸いにして飼育員種族が長期冷凍保存技術(生きた生物サンプルを細胞組織や組成を破壊しないで凍結保存するのに使われるもの。適切な処理をする事でほぼ損傷無しで甦生も可能。古くは彼等が恒星間航行時を行う時にコールドスリープとして使われていた)を持っていたので、それを冷凍庫代わりの保管庫に組み込んでもらっていた。

 食べ物に関してトヨタマビメは微妙にポンコツなので、仕分け作業と下処理はサフィエの仕事だ。

 肉や野菜を洗って切って包んでと、せっせと作業に勤しむサフィエ。

 思わずあれもこれも買い過ぎて、フェティエと二人で消費しても一ヶ月分ほどの量があったので、処理に結構な時間を要したが、なんとか満足に終了。

 その時、トヨタマビメが香辛料や調味料に興味を示したので、試しに少量をサンプルとして単体毎に提供したところ、味を完全にコピーした物が出来上がってきた。

 ただ、液体のもの以外はペースト状か固形キューブと化してはいたが……。

 

「味は良いんだよね味は。ペーストはまだ許せるよ? でも固形キューブ! てめーはだめだ! せめて粉末にしてよ! カッチカチで扱い難いじゃない!」

 

 それでも取り敢えず食に関しては色々と捗ったのでヨシ! とサフィエは思った。

 

 食べ物に関するあれやこれやが一段落付くと、次はいよいよフェティエの救出作戦の策定に移る。

 

「行く、乗せる、逃げる」

 

 カエサルか。それとも金庫破りか。

 

『具体的な作戦内容の提示を要求』

 

「王都に行くでしょ? フェティエを乗せるでしょ? そのまま王都から逃げるでしょ? ほら、そのままじゃない」

 

『具体的且つ詳細な作戦内容と行動スケジュールの提示を要求』

 

 肩を竦め掌を上に向け、やれやれと言った風にサフィエは首を振る。そして一つ一つ詳細を語って聞かせた。

 概要はドローン部隊により非殺傷の照明弾や閃光弾や煙幕(催涙ガス含む)で王城正面を爆撃し陽動とする。これにより塔周辺の警備を引き剥がしつつ無力化し、その隙に有人ドローンをフェティエが幽閉されている塔の下に着陸させる。その後、サフィエ単身で塔に侵入し、フェティエを連れ出して離脱する。

 そのための必要十分な弾薬の準備をトヨタマビメへと指示した。

 

「陽動でどれだけ警備を無力化出来るかなぁ。それだけが不安要素だわ。出来るだけ穏便に済ませたいけど、最悪は肉弾戦かなぁ」

 

 準備を進める最中、フェティエを好色王へと送る兄王の企みを、妹に密か張り付けてあるマーカー兼監視装置で知ったサフィエは激怒した。

 

「あンの人でなし! 泣かす! ぜぇったいに泣かしてやる!」

 

 作戦変更である。

 彼女は自重する事をやめた。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 その日、王都は明け方から混乱した。

 日の出前の朝焼けの空を背景に、雲に届く程の高さの『羽根の付いた巨大な黒い円柱』が突然、カァフシャアク王国王都にほど近い東南東の南海上に現れ、音も無く接近して来ていたのだ。

 その正体は飛行状態で起立したオオワタツミである。わざわざ起立させたのは、その方が王城と王都の連中にプレッシャーを与える事になるだろうと考えてたからだ。なにせ長さ三千メートル直径三百メートルの巨体である。起立させれば確かに雲まで届く。

 自重を捨てたサフィエは、この巨大機動母艦で王城に直接カチコミをキメる事にした。この作戦にトヨタマビメは難色を示したが、そこは艦長権限で押し切った。

 操縦室の全周スクリーンにはパニックに陥り右往左往する王都の民と、真っ先に逃げ出した王侯貴族とスウツノ教の聖職者どもの姿が映っている。

 威圧の効果は覿面だった。

 

 そしてマーカー兼監視装置と先行して出した偵察ドローンは塔で待つフェティエの姿を捉えていた。彼女は震えながら気丈にも窓を開けて接近するオオワタツミを見つめている。

 

 混乱する王都上空を起立したオオワタツミはその威容を誇示しながら高度三百メートルを維持しながら王城へと向かう。

 

「タマちゃん、ピッチそのまま。高度百、速度二十まで落として。王城上空まで達したら停止」

 

『了解。王城到達後は停止、滞空します』

 

「有人ドローンの位置は?」

 

『予定通り高度千メートルで本艦の後方五百メートルを随伴飛行中』

 

「もう少し離しといて。だめ押しで脅かすよ。主電磁推進の外側電極のみをアクティブ。電極間最大電位差で気中放電、十秒間隔で十回、開始」

 

 閃光を撒き散らし、落雷のような音を王都中に轟かせながらオオワタツミは王城上空へと到達した。

 

「それじゃフェティエを迎えに行ってくるね。有人ドローンを艦尾ハッチの真下まで近づけて。キャノピーは開けといてね」

 

『了解。お気をつけて』

 

 オオワタツミは艦首を上にして起立しているが、重力制御中の艦内は自由落下状態になっている。

 サフィエは通路を遊泳しなが移動し、目的のハッチから有人ドローンへと飛び降りる。

 『魔法』で重力制御をしながらの落下なので、ドローンから外れる事も、激突する事もなく羽のように柔らかく降り立ちコクピットへと滑り込む。

 

「ドローンへ移乗したわ。操縦こちら(アイハブコントロール)

 

『確認。操縦そちら(ユーハブコントロール)

 

「タマちゃん、予定通りオオワタツミはピッチ戻して撤収。合流点で待機しといて」

 

『了解。艦体ピッチ戻し。移動速度と高度は事前設定に従い海上までは高度千メートル速度四十キロメートルを維持。海上到達後、速やかに合流点まで移動』

 

「音速超え出しちゃダメだよ?」

 

『了解。音速未満で速やかに移動』

 

 有人ドローンの上空でオオワタツミは高度千メートルの位置を回転中心にして、ゆっくりと水平状態へ姿勢を戻していく。

 

「さて。オートパイロット解除、と。フェティエを連れてさっさと逃げよう」

 

 王城が無人になっているのは確認出来ているが、念のために周囲を一周してから塔の近くに着陸した。

 

 サフィエはドローンから飛び降りると真っ直ぐに塔の入口へと向かった。警備の兵も逃げてしまったので邪魔する者は居ない。

 

「ねえ様! ねえさまぁ!」

 

 五階の窓からフェティエが身を乗り出して手を振り叫んでいる。

 

「フェティエ! もう大丈夫よ! 扉を開けるから下に降りて来て!」

 

「鍵が閉まってて出られないの!」

 

 早朝の襲撃だったため、フェティエの部屋の鍵は閉められたらままだった。塔の入口の扉も施錠されたままだ。

 

「おりゃあ!」

 

 勇ましい掛け声と共にサフィエは入口の分厚い扉を蹴り飛ばす。派手な音を発てて扉が塔の内側に吹き飛んでバラバラになる。

 サフィエは塔に入ると一気に五階まで階段を駆け上がりフェティエの居る部屋の扉の前へ。

 

「フェティエ! 聞こえる? 今から錠前を壊すわ。危ないから扉の前から出来るだけ離れて! 横に避けるか隠れるかして!」

 

「はい! ねえ様!」

 

 フェティエは扉の前から退避しベッドの陰に隠れた。

 

「いくわよ! っせい!」

 

 サフィエは腰溜めに構えて扉の錠前に正拳突きを叩き込み破壊した。因みに彼女の本気の打撃は音速を超えて衝撃波を発生させる。

 錠前が壊れ扉が開き、サフィエは部屋に飛び込んだ。

 

「フェティエ!」

 

「ねえ様!」

 

 ベッドの陰から飛び出しフェティエは彼女の姉に抱き付くと声を上げて泣き出した。

 

「うわあああん! ねえ様! ねえ様!」

 

「頑張ったわね、フェティエ。本当によく頑張って耐えたわね。もう大丈夫よ」

 

 泣きじゃくる妹をサフィエは優しく抱きしめ、落ち着くまで暫く背中を優しく叩いてあやしていた。

 

「落ち着いた? さあ、さっさと逃げるわよ!」

 

「はい! あの、お空を飛んで来た物で行くのですね? それとあの大きな柱は何ですの? ねえ様は今までどこに居たのですか? それと……」

 

「取り敢えず質問は後でね。彼奴等(あいつら)が戻ってくる前に王都を出ましょう」

 

 まだ少しフェティエは涙声だったが、サフィエは小柄な妹を横抱きにすると塔の階段を駆け下りる。

 

「ひゃあああああ!」

 

「叫ばない喋らない! 舌噛むわよ!」

 

 階段を飛び下りるように駆け下りると、そのままの勢いで有人ドローンまでサフィエは走り切る。

 そしてフェティエを持ち上げて有人ドローンの副操縦席に座らせると自分もひらりと乗り込んだ。

 

「シートベルトを締めないとね。付け方教えるから、よく見ていて」

 

 サフィエは手本を示した後、慣れない手つきの妹を手伝い、彼女にシートベルトを装着させた。

 

「ねえ様、少しきついです。これで良いのですか?」

 

「緩いと危ないから、それで大丈夫よ。苦しくなったら我慢しないでさっき引っ張った所を緩めてね」

 

「はい、ねえ様」

 

 サフィエはパネルを操作してチェックリストを画面上に表示させる。

 

「それじゃ行きましょう。ビフォア・リフトオフ・チェックリスト。キャノピー、クローズ。スタートアップ・パワーソース、オン。イン・ソリッド・ニュークリア・フュージョン・リアクター、プレッシャゼイション。メイン・リフトファン・ポジション、ニュートラル。……」

 

「ねえ様、なんのおまじないですか?」

 

「……リアクター・アウトプット、ノーマル。ん、確かにおまじないかもね。飛ぶ前に色々確認しないと安全に飛行出来ないから。っと続き続き」

 

 サフィエはディスプレイに表示されるチェックリストを淡々と確認していく。その間、フェティエはポカンと姉の作業を眺めていた。

 

「ビフォア・リフトオフ・チェックリスト、コンプリート、っと。それじゃ飛ぶわよ。リフトオフ・スラスト、セット。離昇(リフトオフ)

 

「わぁ! 浮いてます! ねえ様浮いてます!」

 

「そりゃあ空飛ぶ乗り物だもの。(Ten)三十(Thirty)七十(Seventy)。オートパイロット、セット」

 

 二人を乗せた有人ドローンは高度を上げて、混乱する王都を後目に一路オオワタツミとの合流点へと向かって飛行を開始した。

 

* * * * * *

 

 サフィエ達を乗せて有人ドローンは高度三千メートルをオオワタツミとの合流点に向けて順調に飛行している。

 

「わぁ! 高い、凄い!」

 

 フェティエにとっては生まれて初めての空の旅である。先程まで幽閉されていたのに眼下の景色に興奮してはしゃぎっぱなしだ。

 もちろん死んだと思っていた姉が生きていて、更にその姉が助けに来てくれたのだ。嬉しさにはしゃぐのも無理は無い。

 

―コパイ席のコントロールを切っといて良かった―

 

 はしゃぐフェティエが意識せずに操縦桿やスイッチ類に触るのを見て、事前に副操縦席側の機能を停止させていたサフィエは安堵した。

 オートパイロットに設定してあるが、不用意な操作で解除される可能性もあるからだ。

 

「ねえ様。こんなの凄い乗り物、どうやって手に入れたのですか? 空を飛んでるなんて夢みたいです」

 

「んー、色々と内緒が多いんだけど、まぁ、わたしを助けてくれた人達に作ってもらったのよ」

 

「どんな方達なんでしょう。お会い出来ますか? 是非お礼を言いたいのです」

 

「あー、うん。いつかそのうち会えるよ。きっと」

 

―無理無理無理! その前にフェティエの寿命が来ちゃうよ!―

 

 フェティエの救出を以て飼育員種族との接触も断たれた。その時が来るまで、この惑星の知的生命体とは接触しない。サフィエは例外中の例外であった。

 

「むぅ。ねえ様なにか隠してませんか?」

 

「ハハハ、ソンナコトナイヨー」

 

「大体、素手で扉を壊したり、わたくしを横抱きして階段を駆け降りたり! ねえ様は色々おかしく有りませんか?」

 

「キノセイ、キノセイ」

 

「後でじっくりお話してくださいね? ねえ様」

 

 じゃれ合う姉妹を乗せて有人ドローンはカァフシャアク王国の王都から南東海上への飛行を続ける。

 程なくして海上に黒くて細長い物が見えて来た。海上に着水したオオワタツミである。

 

『フォックス・ワン。こちらオオワタツミ管制。ドローン用飛行甲板展開済み』

 

「こちらフォックス・ワン。オオワタツミを視認(インサイト)。アプローチ・チェックリスト……コンプリート。タマちゃん、自動(オート)で降りるからよろしく。フライトモード、セットリモート。操縦そちら(ユーハブコントロール)

 

操縦こちら(アイハブコントロール)。お帰りなさい、艦長』

 

「え? 今の声はどこから? 誰なんですか、ねえ様」

 

「あー、トヨタマビメって言ってね、ほらあそこに見えてる(ふね)の人工知能……て言っても分からないかぁ。んー(ふね)に宿った精霊とでも今のところ思ってて良いよ。それと話したの」

 

「精霊! おとぎ話に出てくるみたいなのですか? どんな姿なのでしょう」

 

「姿ねぇ。王都の空に現れた柱みたいなのフェティエも見たでしょ?」

 

「はい、びっくりしました。怖かったです」

 

「それがオオワタツミよ。あそこに横になって海に浮かんでるのが見えるでしょ? あれが本来の姿勢なんだけど。まだ距離があるから分からないだろうけど、長さが二ビニュルメ(※架空単位:一ビニュルメは約千五百メートル)あるから」

 

「え?」

 

「それで、そのオオワタツミを動かしてるのがトヨタマビメ。精霊より魂って言うべきかしら……」

 

 それを聞いてたフェティエは絶句した。この空飛ぶ乗り物とか、空にも浮かぶ巨大な柱みたいな船(?)とか、極めつけは姉が身に付けた怪力とか。姉を助けた人達というのは、ひょっとしてチアノクの神々なのではないだろうかと思った。

 

「因みにオオワタツミの意味は『大いなる海神』、トヨタマビメはその娘で『豊かな真珠の女神』って意味らしいわよ?(前世知識だけどね)」

 

 それを聞いたフェティエ「やっぱり……」と呟きながら余りの精神的衝撃に気を失った。

 

* * * * * *

 

「いや~失敗失敗。敬虔なチアノクの民の信心、甘く見てたわ」

 

 無事に着艦し、収容された有人ドローンから気絶した妹を抱きかかえて下ろしながらサフィエは色々と察してぼやく。しかし彼女は妹に再開した時から気になっている事があった。

 

「タマちゃん、医療ポッドの準備。フェティエをこのまま医療区画まで運ぶわ。診断もだけど治療モードも使うと思う。この子から変な『匂い』がしてるのよ」

 

『了解。艦長の懸念は薬物と推測』

 

「洗脳するのに薬を盛られてたみたいだから。そうそう、液体呼吸中に目を覚ますとパニックになるから『魔酔』できるようにしといてね」

 

 治療ポッドを治療モードで使用する場合、治療用マイクロ・ナノマシンを投与する為と、患者への身体的負担を軽減する為にポッド内を呼吸可能な液体で満たす必要があった。(現代の地球で呼吸可能な液体としてフルオロカーボンやパーフルブロンが知られており呼吸器治療の臨床試験が行われている)

 そして『魔酔』は、サフィエの治療にも使用された異星人の技術であり『魔術』により情報量子次元を通して神経系に干渉し、薬物による麻酔と同じ効果を得る事ができる。

 

「気絶してまだ目が覚めないって、よっぽど気を張ってたのね」

 

 医療ポッドに入れる前、フェティエの服を脱がせ全身を確認するが、幸いにも虐待を受けた痕は無く、サフィエは安堵した。

 

 医療ポッドでの診断の結果、やはりフェティエの体内には植物由来の向精神作用のある物質が、常人なら廃人に成りかねない量が蓄積されており、神経系も侵されていた。同時にフェティエの持つ『恩寵』の効果も確認出来た。

 『恩寵』とは、飼育員種族が古代にこの惑星全ての知的生命体に組み込んだ遺伝情報と人工的な自己増殖型細胞小器官により実現されるシステム。マーカーとトレーサーの役目を持ち、ネットワークを構成して飼育員種族へ個々のデータを送りつつ、本人の持つ資質を少しだけ強化する。

 この資質を強化する機能は、使命とは言え異質なものを組み込んでしまった事に対する、原住知的生命体への飼育員種族からのお詫びらしい。

 故に、飼育員種族由来の技術の塊であるオオワタツミとトヨタマビメは『恩寵』を解析することが出来るのだ。

 

 フェティエの『恩寵』の四元徳。その中の忍耐/勇気の力により、文字通り『忍耐』つまり精神力だけでフェティエは薬物に対して耐えていたのだ。

 それを知らされたとき、サフィエは妹をすぐに救い出せなかった事を悔いた。

 現状でも妹の神経系は限界を迎えようとしていた。あのまま薬物を投与され続けられていたら、彼女の妹の命は近いうちに失われていただろう。

 

 医療ポッドでマイクロ・ナノマシンによる治療を受けながら眠る妹に、サフィエは声をかける。

 

「目を覚ましたら、うんと甘やかしてあげるからね。フェティエ」

 

 斯くして、お互いを思い遣りながらも引き離された姉妹は、再び相見える事ができた。

 サフィエは、先のことは分からないけど今はこの幸せを出来るだけ長く感じていたいと思う。

 

―愛しいあなた達に神々と聖霊と祖霊の加護があらんことを―

 

 サフィエの耳に、懐かしく優しい声が聞こえたような気がした。




 明日の投稿も午後6時になります。


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09 三年目の呑気

 サフィエがカァフシャアク王国の王都から妹を救出してから三年が過ぎた。

 その三年の間に彼女の祖国がどうなったか。王が王都を逃げ出し国内が混乱した隙を西と東から攻め込まれ、あっと言う間に滅亡してしまった。今その土地は、海峡を挟んで東西別々の国が領有している。

 

サフィエの二歳下の妹フェティエは十七歳になり身長も伸びた。

 サフィエの身長は百五十六センチメートル(本人は狐耳を含めた百七十センチメートルを主張)のままだが、フェティエの身長は百六十五センチメートル。

 サフィエは妹を少し見上げるようになってしまった。

 サフィエとフェティエは姉妹だけあって顔立ちは良く似ている。

 ただ、サフィエは父に似てやや吊り目気味、フェティエは母に似てやや垂れ目気味。

 最近は身長のせいかサフィエが妹に見られる事も多い。

 今現在、サフィエとフェティエの姉妹はオオワタツミを離れ、港町ファーティからほど近い、東にある小さな宿場町スーコンサルで暫く前から宿屋暮らしをしている。

 

 三年前、神経系を侵されていたフェティエだが、治療を短期で終える事が出来た。後遺症の心配も無い。

 快復後、暫くは大人しくしていたのだが、トヨタマビメから色々と聞き出してしまい、結局は飼育員種族やサフィエが人をやめて不老不死になってしまった事がフェティエにバレてしまった。

 人では無くなってしまった事を知られ、サフィエは妹に気味悪がられて嫌われる、と恐れた。しかし逆に「そんな大事な事を黙っていたなんて」とフェティエに怒られ泣かれてしまう。そして姉妹二人、抱き合いながらお互いに「ごめんね。ごめんね」と謝りながら泣き明かし、翌日には蟠りも無く元の仲の良い姉妹に戻っていた。

 

 オオワタツミで暮らしているうちに、フェティエの才能が開花した。恩寵『四元徳』の知慮/思慮/知恵の覚醒である。

 トヨタマビメとの会話や得られる未知の知識が引き金になったのか、フェティエの思考力、記憶力、学習能力等の知に関する能力が高まった。

 元々聡明な姫ではあったが、それでも秀才の一歩手前。

 しかし覚醒したフェティエは天才と呼ぶに相応しい能力を獲得した。特に数学、物理に関心が高く、瞬く間に高等数学の理解を深めて行った。

 

 この三年間、姉妹は基本的にはオオワタツミで暮らしていた。

 時々港町ファーティに出掛けて買い出しをしたり、更には木造帆船に擬装した高速船を使って世界中を旅をしたりと二人仲良く楽しく穏やかに過ごしていた。

 旅の道すがら、サフィエは大陸の東や西大海洋の先にある人が住まない南北アメリカに相当する大陸で、前世でも馴染みのある発酵食品や作物、香辛料等を見付けては狂喜乱舞した。食べ物ではしゃぐ姉を、妹は呆れた目で見ていたが。

 これらのサフィエが集めた作物達は洋上農業プラント『ネノクニ(根の国)』にて遺伝子操作による品種改良の最中である。

 ネノクニはオオワタツミの船渠内で製作可能なサイズの浮遊型海上プラットフォームを多数接続・強化して建造された。上部には密閉された広大な温室が作られている。

 この洋上の農地とも言えるネノクニ、オオワタツミに曳航されて、中つ海の彼方此方(あちらこちら)を彷徨っているので船乗り達の間では『彷徨う箱島』として半ば伝説となっている。

 そして何故かトヨタマビメが自ら進んで品種改良作業や栽培を行っているのだが、この超高性能人工知能、何かに目覚めたのかも知れない。

 

 そんなこんなで結構のんびりと充実した日々を送っていたサフィエ達だが、サフィエ自身は当初の目的を忘れてはいなかった。

 世界の停滞を打ち破り変革を齎し、この星の知的生命体がより成熟し進化し、平穏なる意思と精神で万象心へと到れるようにと願った事を。

 そのためにサフィエは一歩踏み出す事にしたのだ。

 

「フェト(フェティエ)、オオワタツミに居ても良かったのよ? なにもこんな所まで付き合わなくて良かったのに」

 

「えー、サフ(サフィエ)(ねえ)と一緒が良いんだもの。ダメ?」

 

 宿場町スーコンサルから内陸部へと入った山の中に姉妹の姿があった。王族ではなくなった二人は畏まった言葉使いを止めて久しい。

 

「うむ、愛い奴め。でも山の中で道の無いとこを歩くんだよ。大丈夫なの?」

 

「疲れたらサフ姉におんぶしてもらう」

 

「全く、十七にもなって甘えたなんだから……」

 

 サフィエの山歩きには確とした目的がある。拠点作りだ。

 

 自分の望みを叶えるには暴力は必要ないと彼女は考える。

 理性と知性を育て、在るがままの自然を是とし、それを探求する事を学問とし、助け合い、尊重し合い、また争わず競い合うように徳の道を説き導き、思考の明確化を促す。

 それを遍く世界に広げれば自ずと人々は一人で立ち、停滞を是とせず歩を進められるはずだと。

 青臭い理想論だと彼女自身も分かっている。

 それでも挑むのだ。

 万象心(ユニバースマインド)に誓ったのだから。

 彼女にはほぼ無限の時間がある。時間をかけて人の社会に無理をさせないように、ゆっくり進めていく。ズルをして無理やり発展させても、必ずどこかで破綻するだろうから。

 

 

 木漏れ日を受け、木々の間の道無き道を思索しながら歩いていると、フェティエが音を上げた。

 

「サフ姉、つーかーれーたー。おんぶ~」

 

「ほらあそこ、少し開てる所だからもう少し頑張って。着いたら少し休憩しよか」

 

 サフィエの示す先は木々が開け、その向こうに岩肌が見える。どうやら今回の目的地、スコーンサルから見える崖に到着したようだ。

 

「はい、飲み物」

 

 サフィエは背嚢から敷き布を出し岩肌の前に敷くと、妹にマグボトル(・・・・・)を差し出した。

 

「ありがと~。中身は?」

 

「真水」

 

「えーっ。甘いの無いの?」

 

 不満を口にする妹にサフィエは「冗談よ。フェトの好きなタァホ(桃に似た果実)水よ」と笑いながら答える。それを聞いてフェティエも笑顔で受け取った。

 

「ん~! 冷たくて美味しい」

 

 そう、保温出来るマグボトル。オオワタツミ艦内工場謹製である。地球の十世紀前後の文明レベルのこの惑星ではオーパーツ扱いされる代物。更には宿に固体内核融合を動力にした(サフィエしか持ち運べない重さの)小型冷蔵庫まで持ち込んでいる始末。三年間のオオワタツミでの生活でフェティエもすっかり順応していた。

 ちなみにこの(タァホ)、大陸の東へ旅した時に見付けて若木ごと持ち帰り洋上農業プラント・ネノクニで収穫した物だったりする。他に杏子のような物(シーイン)梅のような物(リズィン)なども見付けて持ち帰り、それらもトヨタマビメが世話をしていたりする。やはり何かに目覚めたに違いない。

 

「フェトは休んでて。わたしはちょっと見てくるから」

 

「うん、待ってる。気を付けてね」

 

 果実水を飲みながら手をひらひらさせるフェティエを後に、サフィエは軽い身のこなしで崖に取り付いて調べはじめた。

 

* * * * * *

 

 崖を調べてから二日後、スーコンサルの周辺調査を終えて、姉妹は宿を引き払いオオワタツミに戻っていた。

 

「サフ姉、最初から欲張るのは無理じゃない? 目立つし」

 

「そうよねぇ。重機持ち込むとか、どう考えても無理筋よね」

 

 スーコンサル近くの崖は確かに立地としては良かった。

 海にも街道にもほど近く、買い出しにも不便は無いので、拠点を作るには申し分ない。

 

「そうだ! サフ姉がコツコツと手堀したら良くない?」

 

―いやいやいや。恩讐の彼方にの了海じゃないんだからさ―

 

 内心で前世に読んだ文学作品に準え(なぞらえ)たツッコミを入れながらもサフィエは考える。

 サフィエは信じられない程の怪力の持ち主であり、文字通り不眠不休で活動出来る。適切な工具さえ用意できれば(外見的には)一人人間重機になれる。

 

「ん~? それ、有りと言えば有りかも」

 

 斯くして異世界版『青の洞門』(主演、サフィエ)が計画されそうになった、がしかし。

 

「でも、わたしが作業に取り掛かるとオオワタツミに毎日は戻って来れないから、ご飯作りは無理。フェト、自分で作れるの?」

 

「ううっ、サフ姉がイジワル言う~」

 

 この三年間でフェティエも姉の影響を受け、まあまあの食いしん坊になっていた。

 この三年間で食材や香辛料、調味料等を得たり自作していたサフィエは料理が趣味になった。前世の朧気な知識と味覚を頼りにし、新たな食材を使ったサフィエの調理は地元料理の味も一段引き上げるのだ。

 フェティエは胃袋を完全に掴まれていた。

 

「フェトが現場に住むにしても、テントだと不便だろうし。いっそ丸木小屋でも建てる? 食材とか諸々はタマちゃんにドローンで運んで貰えば良いし」

 

「お風呂! お風呂と清潔なトイレも所望します!」

 

「なんか無理に秘密基地っぽくしないで、普通に街中に大きな家建てて、そのまま拠点にしても良い気がしてきたわ」

 

『水上住宅を提案』

 

 トヨタマビメが姉妹の会話に割り込んで来た。

 

「いやタマちゃん、それだと現状と大して変わらなくない? それに私達だけで住む事が目的じゃないし。オオワタツミは公開できないよ?」

 

 この時、サフィエの頭の中に別な宇宙の地球と言う惑星に存在した、曳航中に沈没してしまった水上レストランのイメージが浮かんだ。沈んだのに浮かんでしまった。

 

「……一応、検討だけはしとく」

 

 喧々囂々、お互いそれぞれが意見を出したり、肯定したり、否定したり、混ぜっかえしたりで夜は更けて、フェティエがダウンしたところでお開きとなった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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10 再訪と再会と

 結局、拠点の件は擦った揉んだの末、港町ファーティと宿場町スーコンサルの中間点あたりに土地を買い、長期に寝泊まり出来る宿坊を備えた屋敷を建てると言う現実的な案に落ち着いた。

 建物を建てるには、まずは土地を手に入れないと始まらない。そこでサフィエは知己(ちき)であるウーズーン商店の店主、ケーファー・ウーズーンを頼る事にした。

 土地を手に入れる為には地権者であるこの近辺を治める領主に話を通し地代を納めなくてはならない。

 ウーズーン店主なら領主に伝手が有るに違いないと思い、早速訪ねてみる。

 幸いにもその日はウーズーンは予定も無かったので面会に応じ、サフィエ姉妹は店の奥にある商談用の簡素な部屋に案内された。

 

「なるぼどな。妹さんと住むために土地が欲しいと」

 

「ええ。町中だと土地も高いし、そもそも余っていないでしょ? それに静かに暮らしたいのもあって」

 

「口利きするのに吝かじゃないんだがなぁ、この辺りを治めるダニーロフ様は善いお方なんだが、少し癖が強いと言うか何と言うか」

 

 言葉を濁すウーズーン。サフィエは思い当たる事があった。

 

―あ~、ダニーロフの小父さんかぁ。なんで北方矮躯族の人がこんな南に居るのか不思議に思った事があるのよね。今思うと矮躯族と言うか小父さんてドワーフそのまんまだったし―

 

 子供の頃、彼のダニーロフ氏は時々カァフシャアクの王城を訪問していた。その折りにサフィエは彼と話した事が度々ある。と言うより彼の話のが面白くサフィエがおねだりしていたのだが。

 隣のフェティエはまだ幼女だったので憶えていないらしく、小首を傾げている。

 

「構いませんよ。お願いします」

 

 サフィエが頭を下げると、横で茶菓子のナツメヤシ様な物(フルァマアジュ)を食べていたフェティエも慌てて姉に倣う。

 

「何か手土産とか要ります?」

 

「そうさなぁ。交易商人上がりの御方だし、何か珍しい物でもありゃあ良いが。無ければサフちゃんの金粒でも喜ぶと思うぞ」

 

―元交易商人だったのね。面白いお話が多かったの納得したわ―

 

「それじゃ取って置きの珍しい物を用意しておきます。それと、これは口利き料としてお納め下さい」

 

 サフィエが革袋に入ったいつもの金粒を差し出すとウーズーンは満面の笑みで「任せとけ」と応える。

 サフィエは滞在している宿に繋ぎが取れたら知らせて貰えるようにお願いしてウーズーン商店を辞した。

 

「フェト、ビュゼ婆ちゃんとこ寄ってく?」

 

「お土産、宿に置きっぱなしじゃない。一度戻ろうよ。ネノクニで採れたコウチャだったっけ? あれ気に入ってくれるかな」

 

「紅茶は茶の葉の加工品だよ。わたしは緑茶の方が好きなんだけどね」

 

「リョクチャは渋いし苦いしお砂糖入れても余り美味しくないから苦手」

 

「紅茶にもお砂糖たっぷり入れるもんね。フェトのお子ちゃま舌」

 

「苦手なものは苦手なんですぅ!」

 

 賑やかに話ながら宿まで歩いて行く姉妹。彼女たちを良く知らない通行人達には種族違いの仲の良い友人同士として見られていた。

 

 ちなみに地球で中東以西へ喫茶文化が伝わったのが十三世紀以降。紅茶に至っては十七世紀終わり頃から広まっていった。

 この惑星でもチャノキに相当する植物は大陸の東端が原産の為、まだ東方西方ともに伝わっていなかった。

 

 宿から荷物を持って直し屋のビュゼお婆さんの家を訪問した。

 ビュゼお婆さんとキャナン小母さんにはあれから度々お世話になっている。

 サフィエは時々訪れては、ビュゼお婆さんからは裁縫と刺繍を、キャナン小母さんからは料理を習っている。

 勿論、只で教わるのではなく、オオワタツミ艦内で作った布や糸を手習い代として渡していた。サフィエの提供するそれは上質で均質な布と糸だったので大変喜ばれたのは言うまでもない。

 なおフェティエについてはお察しである。

 

「おや、サフちゃんにフェトちゃん、いらっしゃい。今日はどうしたんだい?」

 

 出迎えたのはキャナン小母さん。それにサフィエが答える。

 

「こんにちは。近くまで来たからお土産渡そうと思って」

 

「そんな気を使わなくて良いのに。取り敢えずお入り。さ、フェトちゃんも」

 

 家の中に入るとビュゼお婆さんが皺だらけの顔に笑みを浮かべて姉妹を迎え入れる。

 

「良く来たねぇ。座りな座りな。ほれ、バクラヴァ(甘い焼き菓子)があるから遠慮しないでお食べ」

 

 ビュゼお婆さんは、姉妹を孫娘のように可愛がっている。もっと顔を出しなと訪れる度に言われている。

 

「お義母さん、サフちゃん達、また、土産を持ってきてくれたらしいのよ」

 

「これ、東の方で手に入れたの。美味しかったからお裾分けね」

 

 サフィエは肩下げ鞄から茶葉と厳重に布に包んだ磁器で出来たティーセットを取り出す。

 

「いつも何か頂いてばかりで悪いわねぇ。それにしてもこれは何だい? 干した薬草みたいだね」

 

 早速、茶葉の入った入れ物を開けて中身を見るキャナン小母さん。

 

「遠く東の方のオチャと言う飲み物でね、この前に旅した時に飲んで気に入ったから買ってきたの。この道具を使って煎れるのよ」

 

 サフィエは布からティーセットを取り出した。白磁のシンプルな物だ。しげしげと見てビュゼお婆さんは言う。

 

「ほう、見た事の無い器だねぇ。陶器かい? それにしても薄いねぇ。なんか高価(たか)そうだ」

 

「持ってみて。凄く軽いから。それでね、それは磁器(スゥリルゥ)て焼き物で、こっちがオチャを煎じる専用の道具で、こっちがオチャ専用のバイダル(カップ)。いつも良くしてくれてる小母さんと婆ちゃんへの感謝の気持ちよ」

 

 サフィエが説明してると、横で手持ち無沙汰だったフェティエが口を出した。

 

「わたしが煎れてあげる! 香りも良くて、ちょっと苦いけど美味しいよ。わたしは甘くしないと飲めないけど」

 

「ありがとうねぇ。ちょうど甘いバクラヴァもあるし、試すのも悪くないねぇ」

 

 ビュゼお婆さんが笑顔でフェティエに言葉を返す。

 

 お湯を沸かそうとキャナン小母さんが竈へ行こうとするのをサフィエが引き止めた。

 

「内緒にしてたけど、わたし簡単な『魔法(ビュユゥ)』なら使えるから、お湯くらいならすぐ沸かせるの」

 

 恥ずかしそうにサフィエが打ち明けた。

 

「おやまあ! サフちゃんは『魔法使い(シリィリバ)』だったのかい? たまげたねぇ」

 

 驚くビュゼお婆さんとキャナン小母さん。それを見てサフィエは不安になる。

 

「あ、あの。わたし、変……かな?」

 

 笑いながらキャナン小母さんはサフィエの背中を遠慮なく叩きながら言う。

 

「なに言ってんだい。魔法使い(シリィリバ)は確かに珍しいけど、サフちゃんはサフちゃんだろ?」

 

「あたしの義理孫が魔法使い(シリィリバ)だなんて自慢にしかならないよぉ」

 

 ビュゼお婆さんもそれに乗っかってサフィエを孫認定している。

 姉が孫認定されたのを聞いてフェティエが「わたしは? わたしは?」とビュゼお婆さんの袖を引いた。

 

「もちろんフェトちゃんも美人で自慢の義理孫だあよ」

 

「ビュゼ婆ちゃん、大好き!」

 

 ビュゼお婆さんに抱き付くフェティエ。お婆さんはフェティエの頭を髪を梳くように撫でる。

 

「ほんにフェトちゃんは、こんなに大きいのに甘えん坊だねぇ。サフちゃん、変だなんて思ってないからねえ。二人とも遠慮しないでいつでも遊びに来ておくれよ」

 

 その後、賑やかに皆でお茶を楽しみ、お喋りに興じた。ついでに甘い物が一緒ならフェティエは紅茶をストレートで飲める事も分かった。

 帰り際に軽くハグをして挨拶し、姉妹は宿へと戻る。

 帰り道の彼女たちの足取りは軽やかだった。

 

* * * * * *

 

 ビュゼお婆さんの家を訪問した翌々日、ウーズーンから領主に繋ぎが取れたと連絡が来た。領主の予定が空く明後日、ファーティの中心にある領主の館に参内するようにとの事。

 慌ててサフィエはトヨタマビメに通信で『取って置き』の製作を依頼する。

 

「タマちゃん、取り敢えず装飾は良いから明後日の夜明けまで大至急でお願い。間に合わなさそうなら前に試作したやつ送って! 茶葉とティーセット、それと金粒五百グラム分も!」

 

 よもやこんなに早く面会が叶うとは思ってもいなかったサフィエ。トヨタマビメにドローン特急便を頼む。

 

「参ったなぁ。もう少し後かと思ってた」

 

「サフ姉、贈り物とかは契約決まってからでも良くない?」

 

「フェト、こう言うのは最初が肝心なのよ。それに相手は『あの』ダニーロフさんだし」

 

 そんなこんなを話していると宿泊している部屋の扉が激しく叩かれた。

 

「お、お客さん! あんたに会いたいって、りょりょ領主様が! あんた達なんかやらかしたのか!」

 

 おいこら、北方ヒゲダルマ。フットワーク軽すぎじゃねーか。とサフィエは内心で悪態を吐く。

 

「あ~、もう! はい、すぐ行きます! 疚しい事はしてません! 面会のお願いを出してただけなんです!」

 

 慌てて二人して外行き用のカフタンを羽織り、宿のフロントへと急ぐ。

 

 フロントに着くと、そこには赤ら顔のヒゲダルマ、もとい、矮躯族の男性が腕を組んで仁王立ちしていた。

 

「お前が面会を求めたサフィエと申す金狐族か?」

 

 サフィエが上位者に対しての礼をとる前に目の前の矮躯族は彼女に誰何した。

 まじまじと怪訝そうにサフィエの顔を見る。

 そして脇で固まっているフェティエを見るや、くわっと目を見開いた。見開いたまま、またサフィエに視線を戻すと顎が外れんばかりに口を開け、わなわなと振るえ始めた。

 

「まさか……まさか……」

 

 拙い、バレた! とサフィエは思い、フェティエを促し二人で礼を取り声を張る。

 

「ご領主様! 初めてお目もじ叶いまして恐悦至極にございます! ここでは人目も御座います故に、人払いをご下命されるか、場所を変えていただけますよう、伏してお願いいたします!」

 

「う、うむ。では外に馬車を控えさせておる。そちらで話すと致そう。付いて参れ」

 

 どうやらサフィエの大声で、彼は気を持ち直したようである。

 そして姉妹が馬車の中に乗り込むや否や領主ダニーロフは(こうべ)を垂れた。

 

「サフィエ姫様、フェティエ姫様、よくぞ、よくぞご無事で。ウーズーンからその御名と金狐族であると聞いた時は、まさかと思いましたが。成長されて見違えましたが、よくよく見れば幼き頃の面影が残っておられる。それにお二人ともジャービト様とメディーン様によう似ておられる。まさか再びお二人にお会いする事が出来るとは」

 

 ジャービトは父王の、メディーンは姉妹の実母の名である。

 感極まってダニーロフの涙腺は決壊した。サフィエは彼を覚えていたが、フェティエの方は彼に会ったのは幼児の頃なので全く覚えていない。

 それでも自分たちを心配してくれる人が居た事を嬉しく思い、フェティエの目が涙で潤む。

 

「サフィエ姫様は磔刑にて身罷られたと、またフェティエ姫様はカァフシャアクの王都が混乱した折に行方知れずになったと聞き及んでおりました。まさかこうして生きておられたとは」

 

「ダニーロフ様、そう遜らないで下さいまし。カァフシャアクは滅びました故、わたくし達は既に王族ではありません。今は交易商の真似事をして細々と暮らしております」

 

 嘘も方便て便利な言葉だなー、とサフィエは心中で呟いた。

 

「土地を所望されたという事は、この地を拠点に、または腰を落ち着けられる、という事ですかな?」

 

「ええ。船と宿の暮らしは何かと不便でして」

 

「船は今どちらに? もし沖に碇泊しておられるなら、ファーティの港の使用許可をすぐにでも発給いたしますが」

 

「わたくし達二人で運用出来るような六ビジャック(約九メートル)くらいの小さな船ですわ。スーコンサルの浜近くに泊めさせていただいておりますの」

 

 木造帆船に偽装した高速船である。甲板と上部構造があり、快適で広い生活空間を備え、帆走も出来るが固体内核融合炉を動力源にしたウォータージェット推進で時速七十キロメートルの巡航が出来る、内部を他人に見せられない代物(オーパーツ)である。

 

「それでしたらファーティとスーコンサルの中間などと言わずファーティに土地を用意させましょう。これも先々代のアルペレン様への恩返しとさせて頂きたく」

 

 こうして、とんとん拍子に話は進み、当初の予定と違ってしまったがサフィエ達は港町ファーティの程近く土地を得る事となったのである。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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11 金狐の宿塾

 ダニーロフの好意により土地の確保は出来た。また港に船を係留しておく(マリーナ的な)場所も借り受けられた。

 これらの契約を結ぶにあたり、ダニーロフは「姫様方からは頂けません」と契約金や賃料を頑として受け取ろうとはしなかった。

 そこでサフィエは用意した『取って置き』を見せる。

 

「ダニーロフ小父さま、こういうのお好きですよね?」

 

 出されたのは鞘に納められた一振りの『刀』。玉鋼を使っていないし製法も違うので『日本刀』ではない。

 サフィエは内心、焦って試作品を渡さないで済んだことを安堵していた。

 

 サフィエは世界を彼方此方彷徨いている頃に、見せかけでも護身用に携帯する武器が必要だな、と思った。彼女はうろ覚えの日本刀の作り方を何とか思い出しながらトヨタマビメに伝え製作を依頼する。

 『折れない曲がらない良く切れる』が基本で、例えば刃先と中心近くまでは硬いとか、中心から峰に向かって柔らかくなるとか、全体的に靱性と弾性は高いとか。

 そして止せば良いのに「ついでに研がなくても切れ味が落ちないで錆びなければ良いよね」とサフィエは要らん希望を出した。

 トヨタマビメは要求仕様を満たす為に、飼育員種族の技術で複数種類の合金を作成し、それらを組合せた上で金属内結晶に欠陥や不連続が生じないようにして、それぞれを完璧に結合(・・)した。

 接合や鍛接ではなく結合である。このトンデモ複合材で作られた刀は最早『刀の形をしたナニカ』であった。

 出来上がりを確認し材料や工程を聞いたサフィエは、がっくりと両手と両膝をついて「鋼鉄で作ってと指示すりゃ良かった」と項垂れた。

 今回ダニーロフへと献上する為に用意したのは、試作品の反省を生かした鋼を使用した『折れにくい曲がりにくい常識的な切れ味』の刀である。もちろん波紋も再現してある。

 但し、鋼の品質を始め(マクロ的には)見えない部分でトヨタマビメが要らんことをしているので、それを知られるとオーパーツ扱いされるべき代物ではある。

 

 閑話休題。

 

 鯉口を切り、鞘から鈍色の刀身をゆっくり引き出すダニーロフ。

 

「ほう、これはまた見たことの無いカヴィクリチ(曲刀)ですな。良い鋼が使われておる上に、美しい」

 

 ダニーロフはふう、溜め息を吐く。

 

「大陸の遥か東の地で手に入れた物です。彼の地で護身用として買い求めたうちの極上の(・・・)一振りですわね。見た目だけでなく実用にも耐えますわ。これをお渡ししようと思っていたのですが……」

 

 ダニーロフは鍛冶師では無い。元商人で現領主である。しかし彼は刀剣の収集家であった。それを知っていたサフィエはこれを用意したのだ。

 

「むむむ」

 

 眉間に皺を寄せるダニーロフと、その向かいで悪い笑みを浮かべるサフィエ。

 

「どうです、ダニーロフ小父さま。そちら()献上致しますので、契約金と向こう二十年の賃料を受け取っていただけますかしら?」

 

 おまけ商法か。おまけが本体と言われるビ○グワンガムか。

 

「いや、普通は献上品が有るから金を負けてくれと言われるものなんだが……。ええい! 分かった分かった。全く、姫さ、んんっ。サフィエ殿はメディーン様に似て押しが強い」

 

「それでは契約成立ですわね」

 

 徐にサフィエは、ぱんぱんに膨れた背嚢から金の延べ棒(インゴット)を取り出しテーブルの上に並べ始めた。まさか大量にそれを持ち歩いてとは、そして即金で支払われるとは思ってもみなかったダニーロフはその光景を見て言葉を失う。

 

「サフィエ殿、これは……」

 

「純金で三千ファラ(約三十キログラム)あります。港の使用料も込みですので、お納め下さい」

 

「いやもう、何も言うまい」

 

 ダニーロフは諦めの重い溜め息を吐くのだった。

 

 無事に契約を終えたサフィエは、ダニーロフが懇意にしている大工を紹介して貰い、早速仕事を頼む事にした。

 

 大工の棟梁の名はマフムト。筋骨隆々で日焼けした浅黒い肌のエネルギッシュな禿頭の中年男性である。

 

「御領主様からは話は聞いてるぜ。広めの家を建てたいんだって?」

 

 こんな小娘が御領主様からの紹介ねぇ、と胡乱な目でマフムトはサフィエを見る。もちろん本物の紹介状を持参していたので疑っている訳では無い。

 

「はい。拙いですが希望を絵に描いてまいりました。目を通して頂けますか?」

 

 にこりと笑いながらサフィエは紙に描いた詳細図面を差し出した。なお東方では普通に植物紙が普及しており、そう質の高いものでなければ庶民でも普段使い出来る価格で売られている。サフィエは敢えてその紙を使っていた。

 

「あー、畏まった言い方は止めてくれ。尻が落ち着かねえ」

 

 照れたように頬を掻きながらマフムト棟梁は図面を手に取ろうとした。

 

「はぁっ? なんだこりゃ?」

 

 棟梁は素人が描いたものだから簡単な間取り図一枚ぐらいにしか思っていなかったのに、目の前に在るのは建物の外観に始まり、各部屋や柱や壁等、各部の寸法までがキッチリと書き込まれた何枚もの図面。

 

「おいおい、俺たちでもここまでのモンは描かねーぞ。それに線が整い過ぎてる。嬢ちゃん何モンだ?」

 

 サフィエは内心で焦る。

 

―あ、うっかりボールペン使ってたわ―

 

 ダニーロフから交易商の真似事をしていると聞いているはずだからと、ここはいつもの便利言い訳、大陸の東の端で手に入れた道具を使ったと言う事にして誤魔化した。

 

「まあ良いか。これだとかなり土地が余るぞ?」

 

「拡張の余地は残しておきたいのよね。ほら、一応は交易商も営んでいるし」

 

「ふむ。後で倉でも建てるつもりか。よし! 御領主様から紹介された話でもあるしな。この仕事請け負うぜ」

 

 マフムト棟梁に図面を渡し、後日数回の打合せを経て、実際の建築作業や建材の詳細は棟梁にお任せで正式発注となった。

 その時に、予想金額にかなり色を付けて渡そうとしたが、棟梁は「御領主様から前金は頂いているから」と受取を固辞された。

 

 しかし「人の口に戸は立てられぬ」の言葉通り、サフィエが年齢不相応(実際にはそろそろ二十歳)の大金を持っていると、どこからか噂が流れた。

 それを聞いた欲の皮が突っ張った破落戸(ごろつき)連中が、サフィエ達に集ろうと接触を試みる。しかし姉妹はマフトム棟梁との契約が結ばれるや、さっさとオオワタツミに引き上げていたので破落戸どもの目論見は外れてしまった。

 

 サフィエのばら撒いている金の出所だが、お察しの通り海水からの抽出で得ている物だ。

 せっせと海水から抽出し続けた結果、現在サフィエがオオワタツミに保管している金の総量は十トンを超え、未だ毎日増え続けている。

 フェティエが積み上げられた金地金を見て「これだけ有ればもう十分じゃない?」と言った事があるが、サフィエ曰く「(かね)は有るだけ有った方が良いのよ!」と返したのだった。

 

 家屋敷が整うまで暇になったサフィエは取り敢えずオオワタツミに引き籠もり趣味に没頭する事にした。

 以前にビュゼお婆さんから譲ってもらった巫女装束擬きを手本に、東方風にアレンジしてみようと考えた。

 過去に、苦労して再現したミシンは(暇潰しの為に)敢えて使わずに手縫いで作り、ビュゼお婆さんに教わった伝統模様の刺繍を施すつもりだ。

 サフィエが型紙を起こしたり裁断したりするその傍ら、妹のフェティエは勉学に励んでいた。

 年齢の割りに幼い物言いで、ほやほやしているように見えるが、暇さえあれば飼育員種族が提供してくれたデータをテキストに、数学か物理の学習に勤しんでいる。

 

 縫ったり刺したり学んだり実験したり、偶にビュゼお婆さんの所に仕立てた装束を見せに行ってお茶をしたり、建築現場の見学に行ったり、交易商人の真似事をして旅に出たりと、のんびりと過ごした。

 

そして約一年が過ぎ、家屋敷が完成した。

 サフィエは二十一歳、フェティエは十九歳になっていた。

 

 同じ敷地内に本宅(母屋)、別宅(離れ)、宿坊(寮)、厨房、湯浴み場、厠の六棟を建て、敷地は高さ一ルメ半(一ルメは約百五十センチメートル)で囲まれている。

 本宅(母屋)は三階建て。各部屋の間取りは大きく取られ、その広さは狭い部屋でも二十畳程はある。本宅と言っても住む為の建物ではない。

 

 別宅(離れ)は(母屋に比較して)こぢんまりとした二階建。広さ的には十人位は余裕で住めそうである。建物の中は間仕切りされておらず、注文した時にマフムト棟梁にツッ込まれたが、兎に角これで良いと押し通した。

 

 宿坊は個室×五、二人部屋×五、四人部屋×五で三十五人が一度に寝泊まり出来る二階建て。全室広さは同じだが、四人部屋だけは二段ベッドが備わっている。なお一階には談話室があり、そこで寛ぐ事も出来る。

 

 厨房は食堂も備えた平屋建て。火の気はここと湯浴み場にしか無いようにしてある。

 

 湯浴み場は湯を沸かす竈と洗い場と蒸し風呂。湯船は無い。洗濯もここで行う。

 

 廁、つまり共同トイレである。バイオトイレ(コンポストトイレ)であり、使用したら一定回数ハンドルを回し撹拌してもらう(事になっているが、こっそり撹拌装置と、発酵を促す遺伝子操作された好気性微生物が後ほど仕込まれる)。投入するオガクズの仕入先はマフムト棟梁の伝手でファーティ中の木工を行っている所から適宜集められるようにした。

 ちなみにこのトイレ、打合せの時にマフムト棟梁が関心を持ち、サフィエを質問責めにしていた。そのうち真似されるかも知れない。

 これらの建物は石と煉瓦と木材を使用して建てられた。なお各建物は渡り廊下で結ばれている。

 

 完成した自分達の住処を前にして感慨に耽る姉妹。

 

「サフ姉、できたね」

 

「うん。ここから始めるんだ。フェトも協力してね」

 

 サフィエは妹の肩に手を置いた。その姉の手にフェティエが自分の手を重ねる。

 

「もちろん! 考えて、知って、また考えて、そして学んで新しい事を見付けていくのは楽しいってこと、いろんな人に分かって欲しいって、わたしも思うもの」

 

「そうだね。でもまずは私たちが住む離れ、住みやすく改造するよ!」

 

「うん! サフ姉!」

 

 姉妹は手を繋ぎ、晴れやかな表情で、これから彼女たちが住む建物へと歩いて行く。

 

 金狐の宿塾(アルゥティキハヌィ)、後に名が変わり、歴史でも語られるようになるスヴァーリ学考舎(ピギクルオーマヌス)、その始まりの瞬間であった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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12 始まりと子育てと

 サフィエの理想を実現させる為の活動拠点、金狐の宿塾(アルゥティキハヌィ)が完成した。

 

 掃除や料理をする人員はビュゼお婆さんとキャナン小母さんにお願いして、子育てが終わって時間に余裕の出来た小母さま方を雇う約束をしている。

 

 問題は講師と塾生。

 宿塾とある通り、学ぶ者が泊まり込みで滞在出来る私塾である。勿論、通いでも受け入れる予定だ。

 しかし学舎であるからには講師と学徒が居ないと話にならない。

 講師は取り敢えずはサフィエとフェティエが務める事になるが、塾生は募集をかけても集まらなかった。

 それはそうだ。成人しているとは言え小娘二人が講師なのだ。傍目から見て未熟者が学問などと、ましてや教える側になるなど馬鹿にしているのかと思われても仕方が無かった。

 

 困った姉妹はダニーロフに相談する。彼の答えは至ってシンプルだった。

 

「まずは子供達に読み書きを教えるところから始めれば良かろう。それにサフィエ殿達には余裕もある。謝礼金を取らずとも運営でるのであろう?」

 

「それも考えたのですが、他の私塾から疎まれる恐れがありまして」

 

 港町ファーティは意外と読み書きを教える私塾が多い。

 交易が盛んな所であり商家も多いので、最低でも読み書きが出来ないと良い仕事に付けないのが影響しているのかも知れない。

 

「ふむ、となればだ。カァフシャアク王国混乱の折に、ここファーティにも難民が流れて来てな。孤児となる者も多く出たのだ。殆どは養子として引き取られたが、乳呑み児だった者の幾ばくかは引き取り手が現れなくて、神殿と儂とで開いた孤児院で今も育てられておる」

 

 東方で信仰されるチアノクには相互扶助の教えがある。

 富める者は困窮する者へ分け与えよ。分け与えられた者は、小さな善行でも継続し徳を積む事で受けた恩を返すべし。

 これが影響しているのか、東方に於いては事情により親が育てられない子供を養子に取る家庭が多い。そこには働き手が欲しいなどの打算はあるだろうが、引き取られてから無下に扱われる事は無い。

 そこから(あぶ)れた子供達でも、最終的に神殿や篤志家の経営する孤児院に引き取られ育てられる。

 

「それでだ、その子らに教えて見てはどうかの?」

 

 当時、乳児であったなら今は五歳か六歳。サフィエの前世記憶ではそろそろ教育を始める年齢である。サフィエが思案してると、それまで黙って聞いていたフェティエが口を開いた。

 

「その子供達は何人居るのですか?」

 

「乳呑み児だったのは八人だな。孤児院も手狭で出来れば引き取って貰えると有り難いのだが」

 

「いいえ。孤児院の全員で何人いるかです。血が繋がってなくてもその子達にとってのお兄さんお姉さん達、弟妹達と引き離されたりしたら、悲しいじゃないですかぁ!」

 

 フェティエは姉が居なくなった時の事を思い出していた。血は繋がっていなくても兄弟姉妹として仲良く助け合って暮らしているのに離れ離れにされる悲しみはいかほどかと。

 

「サフ姉、いいよね? みんな引き取とろうよ」

 

―ん~、当初予定と全く違うけど、フェトが乗り気ならまあ良いか―

 

 サフィエが迷ったのは一瞬だった。

 

「ダニーロフ小父さま。孤児院の皆を引き取る方向でお話を詰めましょう。幸い宿坊は現状でも三十五人までなら生活出来るようになってますし。そうだわ、いっそのこと職員さんも一緒に移ってもらえないかしら? お給金も弾みますわよ」

 

 こうして『金狐の宿塾』は当初予定の『寄宿舎付き私塾』ではなく『教育を専門に行う孤児院(私塾として一般家庭の子女が通うのも可)』としてスタートする事になった。

 

 神殿とダニーロフが共同で運営していた孤児院には十二歳を筆頭に下は乳児二名を含む総勢二十三名。職員として神殿から女性三名と、ダニーロフ配下の男性二名が居たが、新たな孤児が居たときの受け入れ先を無くす訳には行かず、彼らはそのまま孤児院に残る事になった。

 

 金狐の宿塾で受け入れる孤児の内訳は、十二歳が三名、十一歳が二名、十歳が一名、九歳が一名、八歳が三名、六歳が五名、五歳が四名、三歳が二名、乳児が二名で計二十三人。

 

 孤児達の生活の世話は、雇う予定の小母さま方を増員してお任せ出来るだろうし、年長組の孤児達もお手伝いするだろう。

 しかし乳児のお乳をどうするか問題となった。

 神殿から派遣されていた女性のうち二名が乳母の役割も担っていたのだ。

 暫くはこの二人に逗留して貰えると事になったが、いつまでも引き留めて置くわけにもいかない。

 

 悩んだサフィエはオオワタツミへと来ていた。困った時のタマえもん。

 

「タマちゃん、母乳とか粉ミルクって合成できる?」

 

 但し答えは斜め上だった。

 

『艦長が妊娠する事により母乳の自己生成は可能』

 

「え」

 

『妊娠する事で艦長の脳内神経系の人口細胞が特定の生理活性物質(地球人だとプロラクチンとオキシトシンというホルモン)を分泌する事で、それを受けて乳腺の人口細胞が活性化し母乳の生産が始まります』

 

「そうなんだ……。いやいやいや! それよりも、わたし子供が作れるって知らなかったよ! ビックリだよ!」

 

『ログによると生体機能は極力温存されると細胞置換を行う前に説明されています。現状、艦長の全身の細胞は人口細胞に置換されていますが生体時の感覚及び機能を艦長が意識していないだけでそれを維持しています。卵巣は生体と同じ卵細胞の生成が可能。子宮も生体と同等の機能を保持。艦長が情動その他により発情する事で排卵が起り、異性と交尾し生殖器内部に射精される事で受精、着床する事で妊娠出産が可能です』

 

「最後、言い方ぁ!」

 

『また艦長の場合、健康な精子の提供があれば受精着床の確率は二百パーセント以上』

 

「どゆこと?」

 

『獣人は多胎児を妊娠する傾向にあるのが理由。特に艦長の場合は両卵巣より同時に複数個の排卵が行われ多胎児を妊娠する可能性大』

 

「そんな情報は聞きたくなかったよ……」

 

 取り敢えず件の生理活性物質(ホルモン)は随意的に分泌する事が不可能であるし、外部からそれの分泌を促す、或いは投与して乳腺細胞を活性化したとしても、未婚なのに赤ちゃんに母乳をあげてるなんて知られたら色々と誤解を招きそうである。

 結局、女性職員二人からこっそりサンプルを入手し、トヨタマビメに合成して貰い粉ミルク化する事になった。哺乳瓶も込みで。

 言い訳は勿論『はるか大陸の東端の云々』である。

 

 そんなこんなの受け入れ準備の合間、フェティエとお茶をしなが、サフィエはその事を話した。

 

「あ~、この身体になってから月のものが無いから、てっきり子供は作れないと思ってたわ」

 

「サフ姉、良かったね」

 

 フェティエは本当に嬉しいらしく満面の笑みだ。

 

「でも、その、わたしがゴニョゴニョ(発情)する相手って見付かるかな……」

 

 手のひらを合わせ両手の人差し指だけを付けたり離したりしなが顔を赤くするサフィエ。

 ゴニョゴニョ部分が小声でよく聞こえなかったフェティエはそれを『恋』と解釈した。

 

「サフ姉かわいいから、きっと見付かるって。サフ姉の赤ちゃんかぁ。見てみたいなぁ」

 

「わたしよりフェトの方が先に結婚する気がする。あなたにも曾祖母様の血が流れてるから、わたしみたいな金狐族の子が生まれたりしてね」

 

 一頻り子供の事で盛り上がったその日、サフィエはふとした弾みで好奇心から、ある事をこっそり試した結果、精神的なものでなく物理的な刺激で排卵する事を知って悶絶することになった。

 

* * * * * *

 

 孤児達の受け入れ準備も恙無く進んでいた頃、このままでは男手が足りないだろうからとダニーロフから男性を派遣する提案があった。見習い二人をこちらに通わせるとの事。

 取り敢えずは顔合わせでも、と言うことで、サフィエとフェティエの姉妹はダニーロフの館を訪ねることになった。

 

「初めまして。アルペレン・カルカンです」

 

「ブルト・エナールです。宜しくお願いします」

 

 折り目正しく挨拶したのは二人の普人族の若者。

 

 アルペレンは茶色の髪に茶色の瞳に浅黒い肌をした少し神経質そうな長身痩躯。

 ブルトは赤味が強い金髪に碧い瞳に象牙色の肌をした精悍な顔立ちの偉丈夫。

 共に二十歳で事前に聞いた話では二人とも学がありダニーロフから見て将来を嘱望される若者との事だ。

 

 二人が挨拶をした後、ダニーロフが口を開く。

 

「こいつらを暫く預かってくれるか? 扱き使ってかまわん」

 

「ええと、お二人とも事務方のお仕事をされてるんですよね?」

 

「うむ。なかなかに(さと)い二人だぞ」

 

「事務処理や子供の教育だけじゃなくて遊び相手とか大丈夫なんですか?」

 

 聞くとアルペレンが三男、ブルトが次男。二人は幼なじみで、ともに兄弟も多く、子供の頃は弟妹の世話は専ら彼等の仕事で子供の扱いには慣れているらしい。

 

「取り敢えずお試しで通って貰えば良いんじゃないかしら。ねえ? サフ姉」

 

「任せとけ、こほん……。お任せ下さい。ガキど……、子供達の体力に負けるような柔な身体はしてませんから」

 

 ブルトが片腕に力瘤を作りながらアピールすると、アルペレンが呆れながら言う。

 

「お前なぁ。一緒になって遊び呆けて仕事を疎かにするんじゃないぞ。私の方ですが、弟妹にも教えてたので読み書きと計算はお任せ下さい」

 

「ふふっ。お二人がそれで宜しければ。わたしたちも助かります」

 

 建物も出来た。スタッフも揃った。こうして漸く孤児達の受け入れ体制が整い孤児院兼教育施設として金狐の宿塾の運営が始まった。

 

* * * * * *

 

 子供達を受け入れてから暫くは試行錯誤の連続だった。

 基本的な読み書きと計算を教える為の教科書や筆記具を準備したり、東方で一般的な倫理を教える為にチアノクの『教本』を神殿から取り寄せ写本して、子供でも読み解けるような絵本を作ったりと、子供達の世話を小母さま方に任せながら、メインスタッフであるサフィエ、フェティエ、アルペレン、ブルトの四人は寝る間も惜しんで作業した。

 

 環境が変わった事で夜泣きをする子が続出。仕方無く個室や四人部屋を止めて、急遽母屋の一室を、乳児を除いた全員で寝られる寝室に改造した。

 床を一段高くして上がり(かまち)を設けて土足厳禁にし、ベッドを使わず床に布団で寝るようにさせた。

 これは子供達には概ね好評だった。

 ただ寝相の悪い子に蹴られたり、下の子達が上の子の布団に潜り込んで団子になったり、寝ている間に毛布や掛け布団を取られたり、寝る前に枕投げに興じて大騒ぎをして泊まり番の小母さまに雷を落とされたり、と愉快なトラブルは多発したが、夜泣き問題は解決した。

 

 乳児二人は昼は小母さま方と年長組にお世話を任せられたらが、それでも殆どサフィエが世話をする事になった。

 サフィエが用意した粉ミルクが原因である。

 二人が金狐の宿塾に来たのは生後五ヶ月になったばかりの頃だったので、夜間含めて四から五時間おきに授乳させる必要があった。

 粉ミルクを溶かすのにお湯が必要となるのだが、離れは別として表向きには湯は竈で沸かす必要がある。しかも竈は厨房と浴場にしか設置されていない。

 そんな頻繁な湯沸かしは人手も手間も掛かるし、夜中もとなれば尚更大変な仕事になる。

 それで『魔法』が使えるサフィエが適任だったので任されてしまった。なにせポットなどに水を入れて直接加熱する事も、哺乳瓶で粉ミルクを溶かした後に適温へ冷ますのも自由自在。

 フェティエは「サフ姉、子育ての練習だね」などと呑気に曰っていたが。

 お陰で乳児二人はすくすくと育ち、初めての言葉がサフィエを見て発した「まぁま」だった。

 

 そんな幸せな瞬間やトラブルとも言えない事を一つ一つ経験し失敗しながらも積み重ね、子供達に愛情を注ぎ智慧の種を蒔きながら月日は経過していった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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13 日常の終わり

 金狐の宿塾(アルゥティキハヌィ)が開かれて十年。

 開設時に引き取った子供達のうち年長組だった者達は独立した者達を除き、研究職及び講師として残っている。

 

 開設されて暫くすると、雇っている小母さま達から幼児も預かって貰えると働く婦人達に口コミで広がり、一時は幼稚園と小学校を兼ねた様相を呈していた。

 月日が過ぎ金狐の宿塾で教えられたら者達が育ち社会に巣立って行く。

 そこから既存の私塾より高度な教育が格安で或いは無料で受けられることが広く知れ渡ると、ファーティ周辺だけでなく東方各地から志を持った者や、深い知識や智慧を求める者が集うようになった。

 今では母屋は建て替えられて講義を行う学舎に、宿坊も規模が大きくなり寄宿舎となった。

 今でも基本は謝金は取らずに運営されている。

 

 この十年でサフィエ達にも変化があった。

 アルペレンとブルトがダニーロフの下を辞し、正式に金狐の宿塾の職員になったのである。

 

 そしてフェティエが二十三歳の時の事である。

 

「サフ姉、わたしアルペレンと結婚するから!」

 

 どうやら一目見た時からお互い意識していたらしく、両片思いのまま今まで経ってしまったらしい。もちろんサフィエは二人を祝福したのは言うまでもない。

 ただ結婚に伴い、離れをフェティエとアルペレンの夫婦が使う事になるのでオーパーツ扱いされるような設備は撤去された。不便になったと妹から文句を言われたが幸せを掴んだのだから、それ位は受け入れろとサフィエは内心で思う。

 

 そしてその翌年にはブルトが、元孤児達の年長組であった獣人・虎族のハリーデを娶った。所謂『出来婚』でだ。

 引き取られた十二歳当時から、ハリーデがブルトに纏わりついて猛アタックを仕掛けてはブルトに上手い具合にあしらわれていたのは既知のこと。

 ハリーデが十六歳になってから更に攻勢が強まり、遂に押し切られ観念したらしい。

 

―押し倒されたの間違いじゃないのか?―

 

 とサフィエを始め周囲が思ったとか思わなかったとか。虎だけにタフな肉食系女子のハリーデである。

 

 サフィエが面倒を見ていた二人の乳児、ネケサとエディトも今では十一歳。ネケサは南方長耳族の特徴を、エディトは北方長耳族の特徴を持った美幼女である。

 いまだにサフィエを「サフまぁま」と呼ぶ甘えん坊の面はあるが、存外しっかり親離れ出来始めている。

 

 そんな忙しくも穏やかな十年が経過し、サフィエも三十路を越えた。

 フェティエは既に五歳の長女を筆頭に年子の長男と、そこから二歳離た次女の三人の子供の母親だ。

 サフィエはアラサーの叔母さんになってしまった。

 しかし永遠の十五歳。外見は十年前と変わらず若々しいまま。

 今までは童顔だからで誤魔化していたが、流石に三十路でも十代と変わらない肌艶姿に事情を知らない周りは訝しめ始める。

 

「頃合いかな……」

 

 条件付きだが不老不死であるサフィエが定命の人々の中で暮らして行くのは厳しいものがある。

 事情を知る実の妹のフェティエならいざ知らず、何も知らない他人から見れば何を思うか。

 

「旅に出よう」

 

 サフィエはそう決意した。以前から温めていた計画でもあった。

 勿論、物見遊山の旅では無いし、皆に黙って旅立つ訳でもない。

 サフィエが集め、洋上農業プラント・ネノクニで栽培されていた作物の一部は、ファーティ近郊に土地を借りて試験的に栽培を行っている。

 それらの普及を名目に農業指導をしながら旅をするのだ。

 収穫が安定するまでその地に留まり、資料を残し、乞われれば教育も施し、そして終わればまた次の土地へと旅をする。

 金狐の宿塾は資金以外はサフィエが手を出さずとも回るようになっている。新しい学術資料や運転資金についてはトヨタマビメに定期的に届けるように指示を出しておけば良い。学術資料に関してだが、世に出す出さないはフェティエに判断して貰えば済む。

 

 サフィエはその事を真っ先にフェティエに打ち明けた。

 

「姉さん、わたしも姉さんと同じ身体に成れれば良かったのに」

 

 姉の心の内にある寂寥(せきりょう)を感じ取ったのか、フェティエはそんな事を零す。

 

「フェト、貴女はあの時に出来たはずの寿命延長処置すら望まなかったじゃない。そもそもあそこ(オオワタツミ)の設備じゃ、わたしみたいな細胞置換は出来ないわ。それにね、フェト。これはわたしの我が儘かも知れないけど……、貴女が寿命延長も全細胞置換も望まなかったのは、わたしは良かったと思ってるの。貴女には母として、人として限りある人生を全うして欲しいと願ってるの。子を産み育て、命を次へと繋いで行くのって素敵で素晴らしい事じゃない? 人としての人生って辛いことも色々と有るだろうけど総じて幸せなことだと思うわ。ネケサとエディトを育てさせてもらって、わたしはそう感じたの。彼女たちから沢山の大切なものを貰ったわ。彼女たちを……、愛してるのよ。わたしも……、本当は自分で子供を産んで育てたい。けど、わたしを置いて子供は先に逝ってしまう……。あの子たちも……。ごめんね、なんか支離滅裂なこと言ってるね、わたし……」

 

 サフィエは、そこから先に言葉を続ける事が出来なかった。

 由逗子(ゆずし)(かける)の男性としての前世記憶を持ってはいるがサフィエのメンタリティーは女性のそれなのだ。

 フェティエは声を発てずに静かに泣く姉を抱きしめ、その背中を黙って優しく撫でるのだった。

 

* * * * * *

 

 斯くしてサフィエは旅に出る。

 ネケサとエディトは「サフまぁまと行く!」と激しく泣いた。もう十一歳、されど十一歳。まだまだ甘えたい年頃でもある。

 サフィエの旅は終わりの見えない旅。各地を巡るのに何十年と掛かるであろう。そんな旅に幼子達を連れては行けない。

 

「お仕事の旅で危ない事も沢山あるかも知れないの。だから二人は連れては行けないのよ。もし連れて行って、二人が怪我したら、病気になったら、まぁまは悲しいし、フェト叔母ちゃんも、あなた達のお兄ちゃんお姉ちゃん、お友達も、皆が悲しいむのよ? お手紙たくさん出すからね。皆の言うことよく聞いて、良い子にしてお留守番してるのよ?」

 

 愚図る二人に優しく声をかけて宥めるように諭すサフィエ。

 

「エディト、良い子にしてお留守番するよ! ネケサも一緒にお留守番するよね?」

 

「うん、エディトと一緒にお留守番してる」

 

「二人とも良い子ね。ああ、ネケサ、エディト、愛してるわ」

 

 下唇を噛んで耐える二人をサフィエは思わず掻き抱いた。今生でサフィエは「サフまぁま」として彼女たちに再会する事は叶わないかも知れない。

 

「姉さん、気を付けて」

 

「フェト、頼んだわよ。アル(アルペレン)、フェトをよろしくね」

 

「サフ義姉さん、任せて下さい。お元気で」

 

 金狐の宿塾に残る面々に別れを告げて、自作の巫女装束風の旅装に身を包みサフィエは東に向けて旅立った。人一人が横になれるスペースに屋根が付けた改造荷馬車に作物の種や種芋を積み込んで。

 

 但しこの馬車は途中の人目に付かない場所で馬もろとも、馬に擬装したロボットホース二頭立てのオオワタツミ艦内工場謹製の大型馬車と入れ替える予定だ。これで不眠不休での移動が可能になる。

 入れ替えられ、回収された馬は洋上農業プラント・ネノクニへと移送され、そこで飼育される事となっている。

 

「食事を摂らない生活、十六年振りかぁ……」

 

 サフィエは取り敢えず水さえ有れば、それを分解して得られる水素の核融合エネルギーだけでの活動が可能だ。しかし馬達の当座の飼い葉と飲み水は持って行く必要がる。無くなれば途中の宿場町や集落で補給するのだが。

 また、サフィエが時々摂取する必要のある「とても不味い必須元素コロイド溶液」は馬車の入れ替えの時を含めて、適時トヨタマビメから補給を受ける事になっている。

 

「馬車の入れ替え予定地に着くまでは、のんびり行きますか」

 

 サフィエの独り言に応える様に馬車を引く馬が、ぶるるっと鳴いた。

 

* * * * * *

 

 幾つかの宿場町や集落に泊まり馬達を休ませながら途中で北へと向かいう人通りの無い街道をサフィエ進み、予定の場所に近付いていた。

 

「この辺りがそうなんだけど……。あそこの森の入口の所かな?」

 

 独りで旅をしていると独り言が増えたなとサフィエは思う。

 目指す先に街道の休憩場所として広場があった。ただし殆ど利用者も居らず、整備されていない為、背の高い雑草が生い茂っている。

 

「馬車を乗り入れる前に草刈りだね、こりゃ」

 

 馬車には一応は農機具を一揃え積んで来てはいたが、サフィエは護身用として腰に佩いている『刀のようなナニカ』を使ってみる事にした。

 これは以前にサフィエとトヨタマビメがヤラかした末に出来上がったブツで『サフィエの怪力』で扱っても『折れず曲がらず非常によく切れる』上に『手入れ要らず』の色物、もとい代物である。高周波ブレードの様なギミックは一切仕込まれていない。

 そして見た目以上に重いコレで実際に物を切るのは何気に初めてだった。

 

「確か刀って引き切るんだよね」

 

 刃渡り七十センチメートル程の『刀のようなナニカ』を鞘から引き出し、その刀身を比較的太い雑草に触れるか触れないかという所まで近付けた時、風が吹き雑草が揺れて刀身に触れると、切れた。

 それはもう、スパッと切り口も鮮やかに、切れた。

 

「なにこれ」

 

 刀を眺めて呆然とするサフィエ。それから彼女は一心不乱に雑草を薙ぎ払い、気が付くと休憩場所全体の草刈りが終わっていた。

 サフィエを見る馬達の目は、心なしか呆れているように見えた。

 

「ば、場所も拓けたし。結果オーライよね。うん」

 

 まだ陽があるうちに刈り取った雑草を片付け、馬車を休憩場所へと乗り入れた。

 馬を馬車から外し休ませながらサフィエは空を見上げた。

 

陽が落ちるとサフィエは火を熾して焚き火を焚く。それを前に形だけの野営を始めた。

 

 サフィエは傍らに置いていた布包みを広げると、そこには鈍く光る少し大きめのバングルが二つとサフィエの狐耳に着けられる耳飾りが一組入ってた。

 この十年間というもの、滅多なことではオオワタツミへ向かうことは無かったサフィエが、旅立つ前に久し振りオオワタツミに訪れてトヨタマビメに馬車とロボットホースを作らせる前に、急ぎでわざわざ作らせたものだ。

 出来上がったそれらを受け取りファーティへ戻ると擬装高速船を自動操縦でオオワタツミへと回航させた。

 

 二組のバングルと耳飾り、これらが通信機である。小型化する為に送信と受信の機能を左右のバングルと耳飾りそれぞれに振り分け、エネルギー源、所謂電池に相当する部分は省略されており、動作させるにはサフィエの体内で発生する核エネルギーとサフィエ自身の精神エネルギーを使用する。

 サフィエが装着すると身体内にプローブを兼ねたアンカーが打ち込まれて固定され、エネルギー供給経路の確保と神経系への接続が行われる。一度身に着けたらオオワタツミに行かない限り外せない。

 

 港町ファーティに定住していた頃は港から擬装高速船でオオワタツミまで行くことが出来たので、敢えてリスクを冒してまでトヨタマビメと通信を行う機器は使わなかった。

 今回の旅でも、有人ドローンを使えばたとえ内陸部に居ようともオオワタツミとの行き来は出来る。

 しかし万が一目撃されて目立つのは嫌だとサフィエは思っている。

 出来れば穏便に慎重に、それがサフィエの基本的な行動指針であり、本来の臆病な性格でもある。時々、いや、度々やらかしたり自重を捨ててしまう事も多々あるが。

 

 バングルと耳飾りを手に取るとサフィエは荷馬車の寝起きするスペースに潜り込んだ。

 ファーティを発つ前に装着しなかったのは皆に違和感を持たれたくなかったから。前述したようにサフィエは基本臆病なのだ。

 覚悟を決めてバングルと耳飾りを装着するとアンカーの打ち込みと神経系への接続に伴う苦痛がサフィエを襲う。痛覚等を鈍化させているがそれでも痛いし苦しいのだ。一晩中、サフィエは毛布に包まり耐え続けた。

 

 そして苦痛も治まり夜も明けようとした頃。

 

『通信リンク確立。艦長、応答願います』

 

 トヨタマビメからの連絡が入る。

 

「タマちゃん、おはよう。物凄くキツかったわ。覚悟はしてたけど」

 

『車両は大型輸送ドローンに積載済み。発艦準備完了。日没後の現地到着に合わせてに発艦予定。艦長、本通信システムは思考にての通信が可能』

 

 飼育員種族(オーバーブリーダー)の情報量子次元を用いる通信技術は衛星を使わずとも惑星全域をカバー出来るFTL(超光速)通信を可能としている。

 更にサフィエが装着した通信機は彼女の言語野に接続されているので、頭の中で言葉を考えるだけでトヨタマビメとの会話が可能となっている。

 

「良かった。あ、声に出してた」

 

 サフィエは頭の中だけで言葉を紡いでみた。

 

『独り言をブツブツ言いながら歩く危ない人にならないで済むよ。タマちゃん、聞こえる?』

 

『はい。通信リンクは安定』

 

『ん~、通信する時の符丁とか決めとく? 例えば私からタマちゃんに呼び掛けて始める時は「タマモノマエよりリュウグウ。送れ」、でタマちゃんからの返しが「こちらリュウグウ。タマモノマエ、送れ」とかみたいに』

 

 お前は陸自か。それとそのコールサイン、趣味(ネタ)に走り過ぎだ。

 

『呼称変更の必要性を認めず』

 

 案の定、トヨタマビメに拒否されるサフィエである。

 そんな遣り取りをしつつ馬達の世話をしながら、ゆるゆると過ごし、トヨタマビメからの連絡で日が暮れる頃には馬達を休憩場所から離し、近くの森の端へと誘導した。

 そして陽が没した直後、それは上空に現れた。

 

『トヨタマビメより艦長へ。輸送ドローン現地上空へ到着。着陸進入開始』

 

 地球世界のV-22オスプレイに似た大型輸送ドローンは回転翼(ローター)の翼端を光らせ、固定翼モードから転換モードを経て減速しながら垂直離着陸モードとなり、サフィエの居る休憩場所へ、刈られた雑草を発生するダウンウォッシュで巻き上げながら着陸した。

 

 馬車の入れ替えは問題無く終わった。ここまで使って来た荷馬車は、この場で放棄するので、引いてきた二頭の馬達だけがネノクニまでの輸送対象だ。

 馬達は意外にも大人しく輸送用ドローンのカーゴキャビンへと収まり、ネノクニへと運ばれて行った。

 輸送用ドローンを見送った後、サフィエは荷馬車から新しい馬車へと荷物を移し終えると、荷馬車を分解して木材へと変えた。

 幾ばくかは偽装用の薪として持って行く。金具や釘等も回収しておく。

 

 馬車は全長五メートル全幅二メートルで、荷台と折り畳みベッドを備えた一人用のキャビンを持ち、床下が車軸よりかなり下にあること以外は木製の四輪馬車に見える。しかしこの車軸の下にあるスペースにゴム製のタイヤが付いたサスペンション付き引き込み脚が収納されていて、ホイールに動力が内蔵されていて自走も可能。

 また、ロボットホースの方は人工知能を搭載し、行動も外見も完全に馬に見えるように偽装されている。動力は水を分解して得られる水素の固体内核融合だ。

 サフィエが身に着けた通信機と同じ通信機能を持ち、サフィエからの指示を受ける事ができる。

 

 サフィエは馬車を操り街道を進んで行く。

 彼女の本当の旅が始まった。




 明日の投稿も午後6時になります。


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14 旅のサフィエ

 サフィエが旅を始めてから百年以上の時が過ぎた。

 訪れた地での滞在期間は凡そ十年から十五年。老いないサフィエが留まれるのはそれが限界。この百余年で彼女が回れた地は六ヶ所でしかない。

 それでもサフィエの蒔いた種はその地に芽吹き、根付き、周りの地に広がって行った。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 旅を始めて最初に向かったのは港町ファーティから直線距離で五百キロメートルほど東にあるシャティウルハリ国。

 そこにはダニーロフの古馴染みである人物が治める領があるからと彼から聞かされ、手始めにそこから始める事に決めていた。

 ダニーロフからの身元保証書と紹介状のお陰で領主との面会もスムーズに行われ、領内で新しい作物等を広める許可も直ぐに得られた。

 しかし作付けが許可された現地に行くと、そこは出来たばかりで開墾も進んでいない開拓村。領からの援助も殆ど無く入植者達は食うにも困る有様だった。

 

 件の領主は、ダニーロフからの紹介とは言え、成人もしていないような小娘(実際には三十路過ぎ)を信用していなかった。

 現状で問題の無い農地を任せてダメにされたら大損だし、サフィエの言う土地に合う新しい作物や農法、農民への教育などには全く関心が無かった。

 ならば自分に損が無い、潰れる前提で、食い詰め者どもや都市部に違法に住み着いていた貧民どもを送り込んで作らせている形だけの開拓村へと送り込んでいたのだ。

 

 サフィエが聞くと、ここに居る人達は元は浮浪者や貧民街、所謂スラムの住人で、農業の経験者は皆無。僅かな種籾と人数分にも満たない粗末な農具を持たされ、困窮者救済の名目で、まるで捕縛された罪人のような扱いをされながら無理やりこの場所へ連れて来られたのだと、諦念が浮かぶ虚ろな目で村の代表者が話してくれた。

 

 サフィエは激怒した。チアノクの教えにある相互扶助を歪んだ形で行っている此の地の主を悔い改めさせねばと決意した。

 領主とは綺麗事や善意だけでは務まらないのはサフィエも理解している。しかし、この仕打ちは余りにも非道ではないか。

 困窮者を都市部から何とかしたかったなら、こんな乱暴な事をしなくても他にも様々な遣りようは有ろう。ここの領主がダニーロフの古馴染みだろうが何だろが、弱者を虐げる唾棄すべき奴をこの際だから無視して勝手にやってやる、とサフィエは決意した。

 

 しかし、まずは飢えに苦しむこの入植者達をなんとかしなければならない。幼子や乳飲み子を抱えた母親も居るのだ。

 

『タマちゃん、麦と豆と塩の在庫確認! 十分あるなら大至急二百キロずつ送って! あ、ちゃんと脱穀してあるやつね。それと鍋釜食器二十、いや三十人分。あと粉ミルクと哺乳瓶も五人分!』

 

『着陸場所の指示を要求』

 

『背に腹変えらんない状況だから、ここに直接乗りいれちゃって!』

 

 キレると自重が吹き飛ぶサフィエ。初手からのやらかしである。

 

 要請を受けオオワタツミに曳航され中つ海を彷徨(うろつ)くネノクニから穀類、豆類、食器類を積んだ輸送用ドローンは四時間余りの飛行の後、サフィエに依って開拓村のド真ん中に描かれた、○にHの記号の上に着陸していた。

 腰を抜かし恐れる村人達を後目(しりめ)に、せっせと荷物を運び出したサフィエは炊き出しの準備を進めて行く。

 簡単に塩で味付けしただけの豆を入れた麦粥を作る。トヨタマビメが気を利かせたのか圧力鍋も荷物に有ったのでそれを使って豆は柔らかく煮る事が出来た。

 

「取り敢えず簡単な物だけど出来たわ。食べて。あと赤ちゃんの居るお母さん、お乳の出は大丈夫?」

 

 安心させる為に微笑みながらサフィエが村人達に声を掛けると、拝まれた。

 口々に、ありがたや、神々の御使いさまだ、いや慈悲の神の使徒さまだと言われ、それはもう拝み倒された。

 その日、村人達は久し振りに満足のいく食事が出来た。

 

 その後は適宜食料を輸送用ドローンを使い補給をしつつ、村人達の体力の回復を待ち開墾を進めて行く。農機具はサフィエから高品質の物が提供された。

 サフィエが率先して働くので、元気になった村人達も「女神さまに続け」とばかりに働く。

 いつの間にかサフィエは御使いさまから女神さまに昇格されていたらしい。

 ここで伐採や切り株の掘り起こしや馬車に積んでおいた馬鍬を使った耕耘にと、偽装ロボットホース(ウミサチヒコとヤマサチヒコ。サフィエ命名)が大活躍した。二頭の正体を知らない者達からは、大人しい上に人の指示を理解して黙っていても仕事をこなす、賢い名馬と思われていた。

 

 サフィエは大地と同様に、人も拓き耕し育てた。

 読み書き計算を教え、記録を残す事を教え、チアノクの民として徳を積むことを教え、育んだ。

 新規作物は勿論の事、既存の作物の生産性を上げる智恵を授け、人口も増えて開拓村は何時しか豊かな村へと変わっていった。

 志を持つ者には金狐の宿塾への紹介状を認め(したため)て路銀を持たせて旅立たせたりもした。

 

 代替わりした領主は、父親と違い非常に協力的で、何くれとなく支援して貰えたのも大きかった。

 噂は噂を呼び、元開拓村には教えを乞う人々が訪れ、新しい作物や技術、教育が領内に広がって行く。

 

 そうして最初の地での二十年は瞬く間に過ぎた。

 来たときにお乳が出ない母親に抱かれていた乳飲み子達も皆立派に成人し、あの諦念を露わにしていた代表者だった男は村長として十年を勤め上げた後に引退し、既に鬼籍に入っていた。当時の現役世代だった村人達も老境に差し掛かっている。

 

「収穫も安定したし、人も育ったし、歳を取らないのを誤魔化すのも苦しくなって来たしで、そろそろ次へ行くべきかしら」

 

 最近は私塾で子ども達に教える事が増えたサフィエは独りごちる。

 

「塾の後継者候補も、任せても問題ないレベルになってるし。うん、そうしよう。それにファーティの様子も見ておきたいから、一度帰ってみよう」

 

 諸々の引き継ぎを済ませると、惜しまれながらもサフィエは再び旅に出た。

 

『次は東方の北の方に行こうかな。寒冷地向けの作物も広めないとね。タマちゃん、下調べ(偵察)よろしく』

 

『要請受諾』

 

『タマちゃん相変わらず堅いよぉ。付き合い長いんだから砕けても良いんじゃない?』

 

『本要請は以前より検討中』

 

『いけず~』

 

 ロボットホースのウミサチヒコとヤマサチヒコが蹄の音を響かせて馬車は進む。穏やかに旅は続く。

 

* * * * * *

 

 港町ファーティへ、サフィエは『サフィエの娘のフェニド』としてと足を運んだ。

 金狐の宿塾は規模も大きくなり、名称もスヴァーリ学考舎(ピギクルオーマヌス)と変わっていた。

 

 すっかり様変わりしてしまった嘗て暮らした場所。その敷地に入り受付で自分で書いた紹介状を出しフェティエとの面会を希望すると怪訝な顔をされた。

 聞くとフェティエは先年、第一線から退き、今は非常勤で講義を行っている。そしてファーティの近くの宿場町スーコンサルで夫と半隠居生活を送っているとの事。

 

―それもそうか。フェトも五十歳過ぎた頃だもんねぇ―

 

 とサフィエは納得した。

 

 受付に礼を言い、妹の住まいを教えて貰い、サフィエはスーコンサルへと向かう。

 

 フェティエの住まいは直ぐに見付かった。スーコンサルで道行く人に聞いたら「門扉の所に狐の像が置いてある家? ああ、知ってるよ」と即答だった。

 そこに着くと確かに受付で教えて貰った通りに門扉の両側にデフォルメされた狐の置物が置いてある。

 建物はフェティエの趣味らしく可愛らしい色使いにデザインだった。

 

「ごめんください! フェティエ様はご在宅ですか? わたしサフィエの娘でフェニドと申します!」

 

 呼び鈴を鳴らし少しドキドキしながらサフィエは玄関から呼び掛けた。

 家の中からパタパタと駆ける音がして、玄関が開けられると、老境に差し掛かってはいるが美しい婦人が現れる。目尻に小皺増え少し老けてはいるが、サフィエが見紛うはずがない、フェティエだ。

 現れたフェティエは目を見開きサフィエを見つめると、両手を口に当てる。と同時にその見開かれた双眸からは涙が溢れた。

 

「あ、あの……」

 

 戸惑うサフィエに妹はきつく抱き付いた。

 

「ひぐっ……、姉さん……、姉さん……」

 

―やっぱり分かっちゃうか―

 

 いつかのようにサフィエは抱く付く妹の背中を優しくトントンとあやすように叩くのだった。

 

 フェティエが落ち着くと、サフィエは家の中に招き入れられる。

 夫のアルペレンと長男は学考舎へと出勤しているし、次男以下との息子達は独立、娘達は既に嫁いでいる。

 

「この前ね、孫が生まれたの。わたしももうお婆ちゃん。それにネケサとエディトだけど二人とも、もうお母さんよ?」

 

 お茶を飲みながら姉妹で話す。このお茶はサフィエがファーティに持ち込んで栽培されたものだ。

 

「ネケサとエディトに子供が……。わたしもフェトと同じでお婆ちゃんだわ。そう言えば手紙はタマちゃんドローン便で届けてたけど返事は来なかったのよね」

 

「ええ? あの子達、ちゃんと書いて交易商人に渡してたわよ? それにわたしも何度か出してるし」

 

「ひょっとしたら……。あのクソ領主か……。やってくれたわ」

 

 どうやらサフィエ宛ての手紙は全て途中で彼の領の領主、それも親子二代に止められていたらしい。

 

『タマちゃん、あのクソどもの屋敷で、わたし宛ての手紙の捜索をお願い。派手にヤっちゃって良いよ』

 

 何となく『殺っちゃって』に聞こえたのは気のせいかも知れない。

 

「手紙、まだ続けるの?」

 

「う~ん、ほら、わたしってこんなんでしょ? そろそろ『サフィエ』としては死んだ事にして消えようと思ってるのよ。そのために、あちらを離れた後は偽名を名乗って娘と言うことにしてるの」

 

「そうなんだ……。わたしは姉さんが歳を取らない事を知ってるから、そうするのは分かるけど……。皆、悲しむわね……」

 

 暫し、しんみりとして無言になる姉妹。空気を変えたかったのかフェティエが姉を揶揄(からか)う。

 

「そうそう! こっちにまで姉さんの噂が流れて来たわよ。何でも『豊穣の女神の御使い金狐族の美少女』が現れて荒れていた開拓地を豊かにしたとかなんとか」

 

「ぐはぁ!」

 

 ダメージを負うサフィエ。それを見てコロコロと笑うフェティエ。

 しんみりとした場面も有ったが賑やかに楽しく姉妹は二十年ぶりの再会を楽しんでいた。

 しかし、サフィエはいつまでも留まる事は出来ない。別れの時は来る。

 

「暫く泊まって行けば良かったのに」

 

 フェティエが引き留めるが、サフィエは悲しそうに首を振る。

 

「駄目よ。偽名を使っても、わたしを知ってる皆には、きっとバレてしまうわ。特にネケサとエディトには」

 

「そうかぁ……。姉さん、また会えるわよね?」

 

「そうね。今度は『サフィエの孫』とでも名乗って会いに来るわ」

 

 二人はどちらともなく抱擁し、別れを惜しんだ。

 

「フェト、またね」

 

「うん。サフ姉さん、またね」

 

 再びサフィエは旅へと戻る。後ろ髪を引かれながらも旅路へと。

 

 スーコンサルを後にしたサフィエは東方でも寒冷地が広がる北へと馬車を向ける。

 

 最初の地ではトラブルも有ったが、結果的には概ね上手く行った方だと彼女は思う。

 

 北へ南へ、そしてまた東へ。

 サフィエの旅は続く。

 本人の与り知らない所で豊穣の女神の信仰を振り撒きながら。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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15 永久の別れと旅路と

 東方の寒冷地での『サフィエの娘フェニド』としての二十年以上にも及ぶ活動を終えたサフィエは、次の目的地である南方(中つ海の南側、地球で言うならシナイ半島やエジプトにあたる)へと移動する事にした。

 この寒冷地での活動でトヨタマビメとの遣り取りが音声だけでは不便なのを感じたサフィエは、通信機の神経系への接続を視覚を始めとした全感覚系へと拡張してもらっている。

 

 その移動の途中での事、トヨタマビメから妹のフェティエが倒れた事を伝えられた。

 前回の旅の反省から、定期的にフェティエや港町ファーティの様子を知るために、ドローンを巡回させ、何かあれば知らせるようにトヨタマビメへ指示していたのだ。

 

 ファーティまでは直線距離で二百キロメートル以上も離れている。

 サフィエの前世、由逗子(ゆずし)(かける)の生きた地球の日本なら高速道路を車で行けば二時間強で走破出来るような距離。しかし、この世界には高速道路も無ければ、ローマ街道の様な馬車を駈歩(かけあし)(時速二十キロメートルから時速三十キロメートル)で走らせられる整備された街道も無い。

 ウミサチヒコとヤマサチヒコの引くオオワタツミ謹製の馬車でも、道の状態や途中にある九十九折(つづらおり)の山道などを考えたら出せても平均時速十キロメートルが良いところだ。

 

『タマちゃん、至急有人ドローン寄越して!』

 

『了解。オオワタツミは艦長の位置から二千キロメートルの位置を航行中。ドローン到着まで六時間』

 

『待って。ウミとヤマに馬車も回収したいから、やっぱり輸送ドローンを回して。到着は夜?』

 

『艦長の位置での日の入りから二時間十二分に到着』

 

 その後、現地時間で二十一時(便宜上二十四時間制で表現しています)を少し過ぎた頃、サフィエは人目を避けてスーサンコル郊外の上空で輸送ドローンから飛び降りると、急いでスーサンコルへと向かったが、スーサンコルの街門は閉まっていた。サフィエは無理に中に入る訳にもいかず、結局は夜明けまで待つ事になった。(それでも二十四時間、馬車を走らせるよりは早かったが)

 

 明けて街門が開くと急ぎフェティエの住まいを『偶々ファーティを訪れたサフィエの孫のサブリエ』として訪ねる。彼女に応対したのは年老いたアルペレンだった。

 

「サフ義姉さんのお孫さんだとか……。確かに義姉さんとそっくりだね。フェトに、君の大叔母に会ってやってくれ」

 

―アルペレンも、もうお爺さんになっちゃったんだね……―

 

 寝室に案内され、ベッドに横になっているフェティエと対面した。

 

「一昨日、急に倒れてね。それから目を覚まさないんだよ……」

 

 サフィエは、ふらふらとベッドに近付き、跪くとフェティエの手を取り、皺だらけの顔を撫でる。

 

『タマちゃん、何とかならないの……?』

 

 サフィエの視覚を始めとした感覚系を通してフェティエを診たトヨタマビメが告げる。

 

『老衰と判断。艦長、残念ながら個体名フェティエはオオワタツミの医療ポッドを使用しても延命は不可能と判断』

 

『そっか……。お別れかぁ……』

 

 サフィエは一滴(ひとしずく)、涙を零した。

 

 それから三日後、フェティエはファーティ近郊に住まう彼女の縁者に看取られながら静かに息を引き取った。享年七十四歳。波乱の少女期以降は幸せな人生だったかも知れない。

 フェティエの葬儀がしめやかに行われ、サフィエもそれに目立たぬ様に参列した。そして葬儀の場に義理の娘と言って良いネケサとエディトも参列しているを確認していた。

 葬儀が終わり、参列者は軽食や飲み物を出す場(日本で言うところの精進落とし)へと移動していく。サフィエはこっそりそのまま立ち去ろうとしたが、そこでネケサに見付かってしまった。サフィエの姿を認めたネケサは驚きに目を見張り、サフィエに駆け足で近付くと、いきなり彼女に抱き付いてきた。

 

「サフまぁま!」

 

 感極まりサフィエの名を呼ぶネケサ。

 

「え、あの、わたし、サフィエの孫でサブリエと言います」

 

 しかしサフィエは内心に込み上げる思いを隠し『サブリエ』を名乗る。

 

「ああ、ごめんなさい。そうよね……。貴女のお母さまから亡くなったって知らせがあったものね」

 

 ネケサが謝罪すると、いつの間にか近付いていたエディトも嬉しそうに包容に参加してくる。

 

「でもほんと、まぁまにそっくり」

 

 サフィエは内心で『そりゃ本人だもの』と応えた。

 

 ネケサとエディトに抱き付かれ、撫でくり回されるサフィエ。

 別れた時は小さかった二人も、今ではサフィエよりも背が高い。

 長命種で老化の遅い長耳族の血が入っているせいか、彼女達はもう五十代なのだが、見た目はまだ二十代半ばと言われても通りそうだ。

 

「サブリエは幾つになったの? ファーティには何か用事で?」

 

 サフィエは取り敢えず用意しておいた言い訳を話す。

 

「二十歳です。母の仕事の手伝いで南方に向かう途中に立ち寄ったので」

 

「やっぱりサフまぁまの孫ね。どう見てもまだ十五、六にしか見えないわよ」

 

「そうよね。まぁまったら三十路過ぎても、お姉ちゃんて感じだったもの」

 

 二人が四十年以上も経つのに自分をまだ『まぁま』と呼んでいる事がサフィエは嬉しかった。同時に事実を明かせない事に寂寥感をおぼえる。

 サフィエは涙を堪えて精一杯の笑顔を作る。少しでも涙を見せたら勘の良い二人にはバレてしまうかも知れない。

 

「そうだったんですね。わたしも幼く見られて色々と嫌な目に遭うのが多いです」

 

「あら、まぁまは平気で受け流してたわよ」

 

「そうそう。普段は優しいんだけど、キレるとこう、バーンでドーンて感じで」

 

 そして出るわ出るわ。二人が語る自分の過去のやらかしにサフィエは思わず赤面し顔を覆った。

 

「あら? なんでサブリエが恥ずかしがるの?」

 

 エディトの鋭いツッコミに、サフィエは慌てながら答える。

 

「いえ、わたしが物心付いた時には祖母は既に他界していましたから。わたしが知らない祖母の話が聞けたのは嬉しいのですが、その、なんか申し訳ないなと……」

 

「私たちには優しいお母さんだったのよ。亡くなる前に会えなくて悔しかったけど、今日サブリエに会えたから…………(許してあげる)。ね、ネケサ」

 

「そうね、エディト。サフィ(・・)リエ、本当に会えて嬉しかったわ。またいつか会いましょう。その時はゆっくり貴女の旅の話を聞かせてね」

 

 二人は言うだけ言うと、離れた所で見守って待っていたそれぞれの夫の下へと向かい去って行く。

 サフィエは呆けた顔で娘二人を見送るしかなかった。

 

* * * * * *

 

 フェティエの葬儀の後、サフィエはスーサンコルを人知れず抜け出し、人目を避けて輸送ドローンの迎えを待っていた。

 

「あれ、絶対にバレてたよね」

 

 どうしてバレたのかとサフィエは内省する。気を抜いたつもりは無かったし、振る舞いも意識して過去のサフィエと違うものにしていた。

 

「全く、二人ともまだ『まぁま』って呼んでくれてたなんて……」

 

 ふふっ、とサフィエは笑みを零した。

 

「いつか本当の事を話す時が来るのかしら。知ったら、あの子達は辛い思いをしないかしら」

 

 ぐるぐるとサフィエは考えるが結論は出そうにも無い。

 そうこうしている内に輸送ドローンは到着する。サフィエが搭乗した輸送ドローンは南方へ向けて夜空へと消えて行った。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 フェティエとの別れからもサフィエは相変わらず旅を続けている。

 

 南方では、食糧事情はそれ程悪くないので嗜好品に向いた商品作物を主に広めた。勿論、常食出来るような救荒作物や品種改良した穀物・豆類も忘れなかったが。

 商品作物で特にサトウキビ(の性質を持つ別物)は喜ばれ、各地に広がり、砂糖に加工されて東方や北方へと運ばれるようになった。

 その際に出る廃糖蜜を使った酒造りを現地の褐色長耳族が始め、更にはそれの蒸留酒、所謂ラム酒まで造り始めたのにはサフィエは内心で「お前らエルフの皮を被ったドワーフだろ」と呆れた。

 そしてサフィエが「ラム酒だこれ」とうっかり漏らしたのをしっかり聞かれており、いつの間にか廃糖蜜から作った蒸留酒は「ラム酒」と呼ばれるようになってしまった。現地語で「ラム」が精霊を意味する言葉だったのは偶然としか言いようが無い。

 

 なおこの惑星では蒸留酒は高級品ではあるが存在していない訳ではない。燃料コストが掛かり、経験による温度管理なので酒精の抽出量も多くない。故に市場に出回る量が少なく高価になってしまうのだ。

 

 そこにサフィエは軽い気持ちで酒精は鶏卵の白身が完全に固まるくらいの熱さで水より早く見えない湯気になるよと豆知識を披露した。

 酒造りをしている飲兵衛褐色長耳族(お前らドワーフだろ)たちは「またまたご冗談を」と笑ったが、サフィエの薫陶を受けた一人がこっそり試した。結果、今までより安定して濃い酒精の物が得られた事で事態は一変。それを聞いて目の色を変えた飲兵衛どもは更に創意工夫してラム酒の量産化に成功してしまう。

 これは南方の特産品として北方矮躯族(本家ドワーフ)に喜ばれる事になり、更にこの技術が北方へと伝わると、彼らは独自で連続式蒸留器を生み出し、後にラヴァリケル(岩を溶かす酒)と呼ばれる酒を生み出す事になる。

 

 そして飲兵衛どもは救荒作物としてサフィエが持ち込んだ甘藷(に似たサツマイモの様な芋)にも目を付ける。

 これは加熱する事で自身の酵素で澱粉が糖化して甘くなる芋だ。

 糖分があれば発酵させる事が出来る。発酵させたら蒸留する。

 異世界で麹こそ使われなかったが芋焼酎が生まれてしまった。

 味見に付き合わされたサフィエは遠い目をして思った。

 

「どうしてこうなった」

 

 甘藷の作付けが増えたのは嬉しい誤算であったのは言うまでもない。

 

 そんな愉快なエピソードも織り交ぜながら、南方でのサフィエの活動は概ね終わりを告げ、今度は東方を素通りして北方短躯族の地へと向かう。

 南方へ赴いた時と同じく、輸送ドローンを使っての移動を選択した。

 

『前に行った東方の寒冷地よりも寒いんだよね。作物は準備出来てるの?』

 

『ネノクニでの試験栽培は問題発生無し。想定される病害虫への耐性獲得も確認済み』

 

『品種改良した麦類と馬鈴薯擬きとテンサイ擬き、それと大豆擬きに大根擬きだっけ。牧畜とかは既に盛んみたいだし手出しはしない方が良いよね』

 

 北方へ着いたサフィエは、まずは南方で仕入れた(ように見せかけたオオワタツミでコピーした物)ラム酒をばら撒いて北方矮躯族の歓心を買い、その蒸留方法を伝えた。

 ついでに馬鈴薯擬きでの酒造りも。

 実は持ち込んだ大根擬き、加水分解酵素を豊富に含み変な臭みも無い。

 そして馬鈴薯擬きは連作にさえ気を付ければ麦よりも単位面積辺りの収量が多く、麦より手間が掛からない。

 連作させない為の大豆擬きを始めとした他の作物の持ち込みでもある。

 結果、北方矮躯族たちは乗り気になった。寒冷地でもあり作物の収量が増えるのは単純に有り難い。ついでに地球のロシア人よろしく強い酒が好き。

 お試しの農耕地が上手く行き、酒造りも出来たとなれば後は早かった。

 荒れ地にも強い新規作物と新しい酒は瞬く間に広がった。

 

 ある夏の日、サフィエが枝豆をおやつに食べているとサフィエの私塾に通っている矮躯族の一人が興味津々の体で寄ってきた。

 

「サブリエさん、それなんですか?」

 

「これ? わたしの持ち込んだ大豆(擬き)の未熟な豆を塩茹でしたやつ」

 

「少し頂いても?」

 

「いいわよ。沢山あるから気に入ったら遠慮なくお代わりして」

 

 ひょいと摘まんで見様見真似で枝豆を食す若い短躯族。

 暫く咀嚼しながら、ウムウムと考え込んでいたと思ったら、徐に飛び出して行き、麦酒を持ってまた戻って来た。(北方では麦酒の仕込みは麦の収穫の終わった秋の終わりから冬にかけて行われる。故に寒冷地であるこの地で作られる麦酒は自然と低温下面発酵、つまりラガーになる。これに火入れした後に年中飲めるように氷室に保管している)

 

 枝豆を食べる。麦酒を飲む。また枝豆を食べ、また麦酒を煽る。

 あっという間に枝豆と麦酒は空になった。

 以降、夏の定番として北方矮躯族(ドワーフ)の間に枝豆が広まって行く事になる。

 

 そんな南方と北方での活動を続けているうちに、フェティエが亡くなってから、五十年近くの歳月が流れていた。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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16 絶望のファーティ

 トヨタマビメはサフィエの命により十日に一度、港町ファーティを偵察ドローンで観察している。

 その際に、学考塾(ピギクルオーマヌ)の書庫へ、存命中だったフェティエに密かに設けて貰った屋根の上にある書庫内にアクセスできる扉から、深夜に作業ドローンを侵入させて書籍や論文が新しく追加されていないかを確認していた。

 追加や更新されていれば内容を撮影しオオワタツミのライブラリーにコピーして情報を蓄積している。

 トヨタマビメは十日前の観察(パトロール)で異常を確認出来なかったので、その時はサフィエには異常無しと報告を上げたのだ。

 

 しかし、僅か十日の間に何があったのか。

 港町ファーティの多くの建物は悉く破壊され、彼方此方(あちらこちら)から煙が上がっている。

 道端や壊れた屋内に倒れている人々はピクリとも動かず、センサーには生命活動を検知出来ない。

 そして所々に数は少ないが、ファーティでは確認された事のない鎧や防具を身に付けた兵士と思われるモノが所々に転がっている。

 

『艦長、緊急事態! 緊急事態発生! ファーティで大規模戦闘が発生した痕跡あり。状況ファーティ壊滅と判定』

 

 トヨタマビメは映像も併せてサフィエへと送る。

 この後のサフィエの行動を予測して、トヨタマビメは有人ドローンと大型輸送ドローンの発艦準備を急いだ。

 サフィエのサポートAIとして誕生し百年以上を経たトヨタマビメは、サフィエとの神経系の接続を密にした頃から急速にサフィエが持つ『慈しむ』を始めとした様々な感情を学習、理解し始めていた。

 

 これはサフィエが自重を完全に捨てるに足る状況。なればサフィエを支援する為に存在する自分は(・・・・・・・)今、何をするべきか。

 サフィエからの指示を待たず、トヨタマビメはネノクニを自律航行モードへと設定し、オオワタツミをファーティへと急行させる。

 

『タマちゃん、これ、現実なの? こんな……、こんなの……』

 

『艦長、現実の映像(リアルタイム)です。現在、有人、輸送の両ドローンは発艦準備を完了。オオワタツミは現地へ急行中。ネノクニは自律航行モードで同様に現地へと向かっています。命令を待たず行動を開始したことを謝罪します』

 

『ううん。タマちゃん、ありがとう。二機ともこっちへ寄越して。輸送ドローンだけはウミとヤマ、馬車を積んだらオオワタツミに回収お願い』

 

『了解。艦長の現在地に七時間後に到着予定』

 

 トヨタマビメは優しい主が心を痛めて泣いているのを通信リンクを通して感知していた。

 

* * * * * *

 

 曇天の空の下、港町ファーティに降り立ったサフィエは、その凄惨な光景に言葉を失った。

 破壊され尽くされた家々。

 道端に重なる遺体。

 木と肉の焼け焦げた臭いや鉄錆の臭いが混ざり鼻を突く。

 辺りに生きた人の気配は無い。

 

「タマちゃん! 全ドローン発艦! 要救助者と周辺の生存者の捜索! 履帯の付いた地上作業ロボも空輸して投入!」

 

 声に出す必要は無い。必要は無いが思わず声を大にしてトヨタマビメへの指示を飛ばすサフィエ。

 

『偵察ドローン群は先行して付近を捜索中。地上作業機は全機待機中。輸送ドローンが帰艦次第空輸開始』

 

学考塾(ピギクルオーマヌス)を見てくるわ……」

 

 サフィエは元金狐の宿塾、現スヴァーリ学考塾へ足を運ぶ。そこで見たのは、街中の家々と同じく破壊された建物と、燃やし尽くされた大書庫(図書館)

 収集され蓄積された智慧たちが、完膚無きまでに消し去られていた。

 

『広域上空偵察で西百八十キロメートルに西に向かって航行する船団を発見』

 

 サフィエに映像が送られ来た。ガレー船の帆に描かれた紋章からロールムレム王国を中心にした西方諸国の物だと判断出来た。

 

「今は構ってる暇は無いわ。生存者を探すのが優先よ」

 

 サフィエも自らの足で歩き、建物の一つ一つを確認しながら生存者を探す。

 トヨタマビメからの報告でも生存者はまだ見付かっていない。

 

 そして生存者を探して歩くサフィエはある建物で見付けた。

 見付けてしまった。

 

「嘘……、嘘よね? エディト……?」

 

 そこには無残にも変わり果て事切れている、五十年振りに再会した愛する義娘であるエディトの姿があった。

 

「エディト……、エディト! あああああ!」

 

 エディトの遺体に駆け寄り縋り付き泣き叫ぶサフィエ。

 そこに更に追い討ちをかけるような報告がトヨタマビメから入る。

 

『艦長。個体名ネケサと確認出来る遺体を発見』

 

 サフィエの脳裏にドローンが撮影している血塗れで横たわるネケサの姿が映し出される。

 

「やだ……、ネケサまで……、また会おうって約束したのに! お母さんよ、まぁまよって打ち明けようと思ってたのに!」

 

 サフィエは泣き叫ぶ。

 無人の街に、娘達の名を呼び泣き叫ぶサフィエの悲痛な声が響き渡る。

 サフィエの慟哭に呼応したかのように街には雨が降り始めた。

 

* * * * * *

 

 ファーティを襲ったのは『東蛮征伐軍』、その海軍であった。

 東蛮征伐軍とは、『唯一神に逆らう蛮族を征伐する』と言う大義名分を掲げてはいるが、この百年間に豊かになって行く東方を羨み、その富を略奪する事だけを目的にして西方諸国によって編成された軍である。

 編成された軍は元カァフシャアク王国王都の東側へ渡り陸を進む陸軍と、中つ海を海岸沿いに東へ進む海軍に分けられた。

 略奪だけが目的なのに何故この様な徹底的な破壊と鏖殺が行われたのか。

 軍の中にはスウツノ教から軍監として派遣された司教や司祭などの多くの狂信者共が同行していた。

 彼等は行く先々で東方にある数々の書物を目にし、また拷問で住民より引き出した証言を聞き『啓典に示されている事とは違う。啓典には示されていない。啓典は絶対であり、これを侵すは神に対する不敬であり罪であり悪である』と糾弾した上で、『これらを奉ずる東方に住まうモノは、神に逆らう人に非ざるモノ。全て根絶やしにすべし!』とヒステリックに逆上し兵共を煽動した。

 軍の兵士達は敬虔な(盲信している)スウツノ教徒であった。

 狂信者に煽動され破壊衝動に駆られた盲信者達は多くの人々を殺し、家々を破壊し、数々の書物を焼いたのだ。

 彼らは略奪と破壊と殺戮の限りを尽くした。

 サフィエとフェティエ、そしてその後継者達が、苦労して東方に広め、やっと芽吹き根付き始めた智慧の数々も破壊して。

 

* * * * * *

 

 東蛮征伐軍は略奪と言う目的を果たすと早々に引き上げて行った。

 領土を獲るのが目的では無かったので各地を荒らすだけ荒らし、住民を鏖殺し(みなごろし)にして。

 

 特に無防備だった海側の被害は甚大だった。

 住民の殆どが消えてしまった町の数は幾つにも上る。

 治めていた領主も多くが犠牲になり、復興に何年かかるかも分からない。

 

 そんな住民の消えた町の一つ、スーコンサルにサフィエの姿があった。

 

 

 

 ファーティで愛娘達の無残な姿に対面した翌日から、サフィエは悲しみを抱えながらも生存者の捜索を再開する。

 ネケサとエディトの遺体はオオワタツミに収容し、出来る限り損傷を綺麗にしてから埋葬する事にした。

 同時にファーティを含め全滅した周辺の町々の遺体の身体的特徴の記録、身元を示すような物の有無の確認、そして埋葬をトヨタマビメへと指示した。

 併せて埋葬の際には遺体のデータと埋葬場所の関連付けを記録するようにと。

 サフィエは一人一人それぞれの墓標を作りたかった。

 もし、縁者が訪れても探し易いように、見付け易いようにと、撮影された遺体の画像から生前の顔や姿を復元した写真と、どこでどのように亡くなっていた等、知り得る限りの情報を墓標に刻む為に。

 数え切れない遺体の確認・記録と埋葬は、ドローン、地上作業ロボ、重機を総動員して行われた。

 その様子を、無事だった土地から様子を見に訪れた人々に目撃されたが、彼等はドローンや重機が作業する姿を見ると、逃げ出す者が殆どだった。

 中には、本当にごく少数だが、作業を手伝おうとする者も居たが、それらの人にはサフィエが対応。丁寧に説明し、お引き取り願った。

 把握出来た人々の墓標をオオワタツミで作り、埋葬地へと設置が終わった頃にはファーティに来てから1ヶ月が過ぎていた。

 サフィエ達が昼夜問わずに弔った人々の数は三万人近くにもなっていた。

 

 

 

 スーコンサルの東にある岩山を見ながらサフィエはトヨタマビメに語りかける。

 

『タマちゃん、昔フェトと一緒に検討した崖、あそこに重機を展開して』

 

 サフィエの両の腕の中に抱えられ、すやすやと眠る赤狐族の赤子二人を優しくあやしながら。

 

 この赤子達はファーティを捜索中に奇跡的に見付かった、たった二人の生存者。

 父親母親と思しき赤狐族の二人が折り重なるようにして倒れてた下で、籠に隠されて庇われていた、ぎりぎりで助けることが出来た小さな命たち。

 

『了解。艦長、洞窟型拠点の整備ですか?』

 

『うん』

 

『個体名ネケサとエディト、加えて艦長の後継者達の無念を晴らさないのですか?』

 

『うん。わたしは、わたしのやり方で、わたしの良心に誓ったやり方で、あの子達の無念を晴らす。でも時には暴力的にでも力を振るわないと守れない事があるって、身に沁みたわ。次は間違えない』

 

『艦長サフィエ、(トヨタマビメ)は貴女のサポートAIとしての存在意義を全うします。私は私の全能力を使って、貴女の望みを叶えられるようサポートしましょう』

 

『ありがとう、タマちゃん。貴方、なんか人間臭くなったんじゃない?』

 

『艦長より『人の感情』を学習し、理解が進んだ結果と結論』

 

『そっか。タマちゃん、いつか全てが終わって、もしもその時にタマちゃんにも()が生まれてたら、一緒に万象心(ユニバースマインド)の下に逝こうか』

 

『お供します。艦長』

 

『ありがとう。さあ、スヴァーリ学考塾(ピギクルオーマヌス)を再興するわよ。資料は残ってるけど、まずは拠点整備して、人を集める事から始めなきゃ』

 

『艦長、先にその乳児の名付けを推奨』

 

『そうね……。色々と考えたけど、男の子はムリーヤ、女の子はマディーヤに決めたわ』

 

『夢と希望を意味する北方古語ですね』

 

ムリーヤ()マディーヤ(希望)。わたしを貴方たちのお母さんにしてね。貴方たちに神々と聖霊と祖霊の加護があらんことを」

 

 ムリーヤ、マディーヤと名付けた赤子達に声をかけながら、スーコンサルの東に聳える崖を眺め、サフィエは誓う。

 

『わたしは絶望しない。独りっきりにされたとしても、絶対に絶望なんてしてやるもんか』

 

 振り返ると沈み往く夕日に染まる海が見える。その時ふわりと風が彼女の耳元を優しく撫でて行く。

 

―サフまぁま、エディトと一緒に先に逝ってるね―

 

―まぁま、弟と妹を、わたしとネケサと同じに愛してあげてね―

 

 サフィエの両の(まなこ)からは涙がぽろぽろと零れ落ちて行った。

 




 明日の投稿も午前6時になります。


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17 叡智の洞窟

 ムリーヤとマディーヤと名付けられた双子の赤子をオオワタツミで育てながら、サフィエは拠点整備に勤しんだ。

 

 まずはスーコンサルの岩山に、長さ一キロメートルもの洞窟を掘り、それを通路として書庫や閲覧室等に使う為の部屋を幾つも設ける事にした。

 

 実際の作業はトヨタマビメが制御する重機・建機によって行われるので、サフィエはレイアウトを考えてトヨタマビメに指示するのみである。

 その間、サフィエは長命種が多い北方と南方の教え子達を、機動力を生かして直接訪ねては協力のお願いをして回った。

 勿論、お願い行脚にはムリーヤとマディーヤも連れて行った。

 その為にわざわざ双子用のベビーカーとか有人・輸送ドローンに取り付けるチャイルドシートまで作らせるほど、サフィエは二人を片時も離したくないと溺愛する様になっていた。

 

「見てみてタマちゃん! リーヤ(ムリーヤ)が()ったしたわ! マディ(マディーヤ)はまだかしらね~。おすわりは上手にできるんだけどね~」

 

 ムリーヤが初めて掴まり立ちしたのを見て、親バカ丸出しで喜ぶサフィエ。そのサフィエを見てキャッキャとはしゃぐ双子。

 救出した時は首が据わるか据わらないかで衰弱も激しかった二人だったが、今ではサフィエの愛情を受けて元気に成長している。

 二人とも推定六ヶ月、ムリーヤの方が少し活発らしい。

 

『艦長、書庫に収蔵する書籍類の製本は全て完了』

 

「配布用の分も?」

 

『全て完了と報告済み』

 

「ううっ、タマちゃん冷たい」

 

 書庫に収める書籍は、オオワタツミでデータ化されていたスヴァーリ学考塾の書物に加え、サフィエが各地で作ったテキスト類やノウハウ集など、多岐に渡るものを印刷・製本し、考えられる限りの保存・破損防止処理を施したものになる。

 また拠点に収めた書籍類と同じ物が複数セット作られ、教え子達の協力で各地に建設される予定のスヴァーリ学考塾分舎(分校)に収蔵する計画だ。

 

 洞窟型拠点の建設でサフィエは、以後の自重をやめた。

 内壁を強化し簡単には崩落を起こさないように施工するのは勿論だが、書庫には照明、空調を、閲覧室には加えてトイレを始めとする衛生環境、宿泊施設には更に加えて浴室・浴場、火を使わない調理室、冷凍冷蔵庫、挙げ句に全体に生体認証による入退館・入退室システムまで装備する。勿論、動力源は固体内凝集核融合炉である。

 そして拠点最奥には開かない扉。これは次期工事でオオワタツミへとアクセス出来るよう、海中へと繋がるトンネルが掘削され、そこまで降りるエレベーターが設置される。

 

 秘密基地か。いや秘密基地だ。

 

 防衛に関して、拠点の地上側出入口を塞いでしまえば、海中を通した補給で何年何十年でも籠城が可能ではある。

 敵が諦めて引くまで籠もって粘る。これも立派な戦術ではある。しかし、これでは敵に舐められかねない。

 とは言えサフィエは人が傷付いたり傷付けたりするのを非常に怖れる性質(たち)だ。

 例えば妹フェティエの救出では、蹂躙しようと思えば出来たのに、威圧して脅しただけに留めている事でも分かる。

 ただ結果的にカァフシャアク王国は滅んでしまったが。

 

「防壁で食い止めて催涙弾とか閃光発音弾とかで無力化して捕縛? で、戦意喪失したら放逐? 放逐は良いけど、そのまま送り返すのもなぁ……」

 

意識改革の為の教育(人道的手法での洗脳)を施す事を提案』

 

「タマちゃん! 思考通信で裏の意味が漏れてるぅ!」

 

 攻めて来る敵の無力化と捕縛後の問題は未来に起こり得る事だが、喫緊の課題ではないので先送りして、取り敢えず防御の為に拠点のある岩山周辺をスーコンサルも含めて城壁で囲う事にした。

 上部に向かってオーバハングしている城壁を長寿命コンクリートで建設する。高さ二十メートル、幅十メートルにする予定だ。

 漆喰や三和土(たたき)のようなものは存在しているので、中に入れる筋の素材さえ間違えなければ、後世に残っても違和感は無いだろう。

 その範囲だが岩山(洞窟型拠点)を中心にスーコンサルや周辺農地を含む半径十キロメートルの歪な円となる。海上にも延長されスーコンサルの港の防波堤を兼ねる。

 面積は約三百平方キロメートルで、環状七号線の内側や西表島とほぼ同じ面積と言えばお分かりいただけるであろうか。

 

「城塞都市の範疇超えてない? これ」

 

『城壁総延長は防波堤部分を含め六十二キロメートル。岩山山頂に城を建てる事も推奨』

 

「タマちゃんも冗談が言えるようになったのね」

 

『海側の監視・防衛施設として有効と判断』

 

「冗談じゃなかったよ!」

 

 そんな計画を練りながらも拠点の整備は進められて行った。

 

* * * * * *

 

 拠点整備開始から二年と少しが経過して、ムリーヤとマディーヤは健やかに成長し、推定満三歳になった。

 洞窟型拠点の工事も終り、そろそろスヴァーリ学考塾(ピギクルオーマヌス)を再興する為に人を呼ぶことになる。

 居住地となるスーコンサルには町を囲む局所的な城壁が完成しているし、かなり余裕をもって住めるだけの数の住宅も建築済みだ。よしんば足りなくても空き地は十分に確保してある。

 また食糧に関してはネノクニからの船を使った輸送で自給自足にするつもりだ。

 

 拠点完成を機にサフィエ一家はオオワタツミを離れ、スーコンサルの一角に建てた自分達の家へと移ることにした。

 通いも考えたが、双子をオオワタツミに閉塞させていては良いことなど何も無い。

 太陽の下、大地の上でのびのびと暮らし、そして友達を作り、彼らと遊んだり、喧嘩したり、仲直りしたり、大人に褒められたり、可愛がられたり、悪さをして叱られたり、多くの人と関って教えられながら学びながら生きる。そんな普通の生活を送らせたい、サフィエの願いだ。

 

 ただし問題はまだ移住者が居らず、スーコンサルにはサフィエ家族しか居ない事。

 

「家族が沢山居ると楽しいのよね」

 

 サフィエ自作の玩具(おもちゃ)で双子が遊んでいるのを見守りつつ縫い物をしていたサフィエは、ふと懐かしい金狐の宿塾での元孤児達との賑やかな生活を思い出し、しみじみと一人呟く。

 そして、ふと昔フェティエと話した時に彼女に言われた事を思い出す。

 

―サフ姉かわいいから、きっと見付かるって。サフ姉の赤ちゃんかぁ。見てみたいなぁ―

 

「結婚かぁ……。諦めてはいたんだけど……。誠実で、リーヤとマディのぱぁぱ(父親)になってくれて、わたしの秘密が守れて不老不死を受け入れてくれる、そんな都合の良い(ひと)なんて居るのかなぁ」

 

「? ぱぁぱ、なに?」

 

「まぁま、けこん、なに?」

 

 サフィエの独り言に、自分達の名前に反応したムリーヤとマディーヤがよく分かってない顔で聞いてきた。

 

「んんっ! 後で教えてあげるわね。二人ともおやつ食べる?」

 

 咄嗟に誤魔化しつつ、永遠の十五歳は婚活について真剣に悩む事になった。

 

 

 

 悩んでいても時は過ぎる。そうこうしている内に長命種を中心とした教え子達やその弟子達が家族を引き連れて、或いは単身で、続々とスーコンサルへとやって来る。途中で合流した学考塾(ピギクルオーマヌス)で学んだ者達も幾ばくか引き連れて。

 南からは主に船で、北と東方各地からは主に馬車や徒歩で。

 

 人が集まれば物が動く。物が動けば金も動く。金が動けば商人が動く。商人が動けば更に人・物・金が集まり規模は大きくなって行く。スーコンサル周辺は交易がそこそこ盛んだったファーティの近くの地で、元々の地の利が有る。

 一度回り出したら急拡大は必至だろう。

 

 しかしサフィエはその動きを抑制する。無主の地であるここに野放図に人を受け入れる事は諸々のリスクが大きい。

 それにまだ全体の守りの要となる総延長六十キロメートル以上にも及ぶ大城壁は完成していない。

 これが完成すれば、無人で無主の地だが、実効支配している事を理由に、一帯の領有を主張する事ができる。

 

 作物を育て、人を育て、技術を育て、智慧を蓄え、力を蓄え、この地から再び戦いを始めるのだ。

 その為には守りを固めて、奪われ失われる無様(ぶざま)は二度と起こさない。

 

 狐は用心深く執念深いのだ。

 

* * * * * *

 

 サフィエの呼び掛けで集まった者達は、スーコンサルの岩山の崖に再建された新しいスヴァーリ学考塾(ピギクルオーマヌス)を見て驚いた。

 

 それはそうだ。

 昼間の様に明るく、暑くも寒くもない清潔な洞内。

 調べたい内容を告げるだけで目的の書架まで光の道で案内される図書室。

 写本用にと上質な紙と、間違えても専用器具でなぞるだけで消せる不思議なペンが備えられたら閲覧室。

 快適な宿泊室に火を使わないで煮炊きが出来る厨房と、水で流すトイレに何時でも入浴出来る浴場に娯楽室まである。

 これで驚くなと言うのが無理だ。

 

「先生、ここは一体……」

 

 この中では最古参の、一人の褐色長耳族が思わずサフィエに聞いた。

 

「ここはね、いつか必ず人が至れる智慧と技術で出来ているの。夢と希望と叡智の詰まった場所、それがここよ」

 

「サブリエ先生、貴女は……何者なんですか……? 初めてお会いした時からお姿が変わらないから、金狐族とは言え長命種の血が入っているとは思っていましたが……まさか本当は女神様の……?」

 

 サフィエは真顔で彼らに告げる。

 

「いいえ。わたしの本名はサフィエ・スヴァーリ・カァフシャアク。百年以上前に滅亡したカァフシャアク王国の元第三王女で、スヴァーリ学考塾の前身、金狐の宿塾の創設者の一人よ。どう、驚いた?」

 

 絶句する教え子達にサフィエは悪戯が成功した子供の様な笑顔を向けた。

 

 

 暫しの静寂。

 

 

「またまた~、ご冗談を」

 

 その場がドっと沸いた。笑い声で。

 

「ええええ?」

 

 渾身のカミングアウトを冗談で流され、サフィエは困惑する。

 抱っこされてるムリーヤとマディーヤは母の顔を見て、きょとんとしている。

 

「いやぁ、サブリエ先生の冗談は笑えないのが多いけど、ぷふっ、今回のは久しぶりにウケたな」

 

「『どう、驚いた?』ドヤァ! だぜ。ドヤァ! て、くっ、くくく、っいやぁ腹ぁ痛ぇ」

 

「双子ちゃんのこと抱っこしてるからキメ顔しても締まらねえよな」

 

「あの見た目で三歳児二人抱っこって相変わらずの力持ちだわ」

 

「はーい、解散解散。取り敢えずじっくり見学させてもらおうぜ」

 

 言いたい放題でわらわらと思い思いの場所へと散って行く教え子達を呆然と見送るサフィエ。

 暫くすると顔を真っ赤にしてプリプリしながら地団駄を踏む。

 

「もう! なんでよ! 覚悟決めてカミングアウトしたのに! もう! もう! もう!」

 

「ふぇえ……」

 

「まぁまぁ……」

 

「ああっ! ごめんね、リーヤ、マディ。びっくりしちゃったね~、よしよし」

 

 恐るべし褐色長耳族(飲兵衛エルフども)北方矮躯族(酔いどれドワーフども)の強メンタル。

 

 ぐずり始めた双子を慌ててあやすサフィエに古参の北方矮躯族の一人が話しかけた。

 

「先生。先生が何者であろうと私らの豊穣の女神には変わりませんよ。それにしても夢と希望と叡智が詰まった場所ですか。この際、スヴァーリ学考塾じゃなくて『叡智の洞窟』なんてどうです?」

 

 サフィエは赤面した。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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18 狐の嫁入り

 なし崩しでスヴァーリ学考塾(ピギクルオーマヌス)から叡智の洞窟(ビィギリクマァラッス)と名前を変えたサフィエの拠点。

 早速、入り浸る連中が続出した。中には「俺はここに住む!」宣言をする者も出る始末で、早々に運用を見直す羽目になった。

 宿泊室は閉鎖。開館と閉館時間を決めて、閉館時間を過ぎたら問答無用で叩き出し家に帰す事に。

 そのために移住してきた人達の家族の中から『押しの強い奥様方』をスタッフに加え、ついでに潰した宿泊室の仕切りを取り払い大部屋にして、託児所・保育所として開放した。

 厨房もあるしお風呂もある。持ち回りだけど子供の世話から解放される。そのせいで子育て中のお母さん達どころか子育てを終えて暇な奥様方やも昼間に入り浸る様になる。

 ムリーヤとマディーヤもお友達が出来て大はしゃぎだ。

 再初期の金狐の宿塾の再現である。

 

 

 そんな中、なんとサフィエが恋をした。

 お相手は、昔密かに想いを寄せていたが、自分が秘密を抱えていた事に加えて、ハリーデ一が猛アタックをかけていたので、諦めて想いを封印した相手、ブルトにどことなく雰囲気が似た二十四歳の赤狐族の好青年オクタイである。

 彼はスヴァーリ学考塾出身者に師事していた縁で、北方矮躯族の移動に同行して来た合流組だ。

 学問に邁進していた為に、地元でも浮いた話は無かったらしい。

 

『タマちゃーん、切ないよぉぉ』

 

『感情の揺れを観測。やや発情傾向』

 

『だから言い方ぁ! ううう、百歳近くも年上なの知られてるしぃ~』

 

『自称、永遠の十五歳と認識。百歳の件は冗談として処理されていたと記録が存在』

 

『あれね、冗談にしたのって彼らの優しさだと思うよ。うん』

 

 洞窟内の託児所で、うだうだもだもだと脳内でトヨタマビメと会話しながら自分の尻尾を抱え込んでゴロゴロと転げ回るサフィエ。

 彼女が遊んでいると思い纏わりついて一緒に転がる幼子達。

 ムリーヤとマディーヤはそんな母には我関せずで、他の子達と一緒に世話役のお母さんに絵本(サフィエ謹製)を読んで貰っている。

 託児所内はカオスな空間となっていた。

 

「ああ、サブリエ先生。やっぱりここでしたか」

 

 噂をすれば、と言う訳では無いが、ひょっこりとオクタイが顔を出した。

 すると、大人しく絵本の読み聞かせを聞いていたムリーヤとマディーヤが、とてとてとオクタイに向かって行き、はっしとその足に抱き付き見上げておねだりする。

 

「オクにぃ、あしょぼ」

 

「にぃに、あたちとあしょぶの」

 

 同じ赤狐族だからか、いつも遊んで貰えるからなのか、はたまた家で一緒にご飯を食べることが多いからか、二人はオクタイに非常に懐いている。

 食事に呼ぶとは胃袋を掴む作戦か。

 

「ごめんね、リーヤ、マディ。お仕事中だから今は一緒に遊べないんだよ」

 

 オクタイはしゃがんで幼子達に目線をあわせて頭を撫でながら謝った。

 

「あ、あの、その。何かありました?」

 

 もじもじしながらサフィエが来て要件を聞く。聞きながらも尻尾が、ふぁっさふぁっさと揺れている。

 

「このフェティエ・カルカン氏の論文で少し分からないところが」

 

「ん? フェトの? ちょっと見せて」

 

 どれどれと座り込んで、フェティエが書いた論文を受け取りパラパラ捲るサフィエの横からオクタイが身を乗り出して覗き込む。

 

―ぎゃーっ! 近い! 近い!―

 

 内心で激しく悶えるサフィエ。

 乙女か。自称・永遠の十五歳の乙女だった。

 そしてそれを見ているお母さん方と奥様方はコソコソと「あらまあ」とか「なるほど」とか言ってニヤニヤしている。

 

「あ、ここです。数論的ズィッツ函数の零点が、負の偶数と、実部が二分の一の複素数に限られるという予想についての記述なんですが」

 

『タマちゃん、参考書検索してー!』

 

 速攻カンニングである。そしてしれっと答えるサフィエであった。

 

「ああ、これなら確かアルペレンと共著の素数分布論に詳しいのが載ってるわよ」

 

―私が旅に出てる間に夫婦して、こんな小難しいこと研究してたのねぇ。何だかんだで仲良しだったしなぁ―

 

「ありがとうございます。いつも助かります。お礼に俺に出来る事なら何でも言ってください」

 

 妹夫婦の事を考えていて、ぼーっとしていたサフィエは「何でも」と聞いて思わず願望を口走ってしまう。

 

「お嫁さんにして下さい」

 

「え?」

 

 固まるオクタイ。自分が無意識に願望を口走った事に気付いて赤面して茹で上がるサフィエ。

 周囲で、やんやと盛り上がる奥様方とお母さん方。

 

「あ、あの、今のは、その」

 

 しどろもどろのサフィエにオクタイは彼女の手をしっかり握り締め真顔で言った。

 

「はい! お嫁さんにします! 寧ろ俺からお願いします!」

 

 なんだよこいつらも両片思いだったのかよ。リア充め。

 

 斯くして狐は嫁に行く事になった。いや婿を取ったのかも知れない。

 二人の側でムリーヤとマディーヤは「まぁま、およめたん?」「マディも! マディもおよめたんすゆ!」とはしゃいでいた。

 

 この話は瞬く間に(奥様ネットワークで)広がり、あれよあれよ言う間に祝言の場が整えられ、そこで飲んだくれ共の肴にされつつのドンチャン騒ぎの末に二人は夫婦となることに。

 

「不束者ですが、養子とは言え瘤付きですが、そして貴男より物凄く年上ですが、末永く宜しくお願いします」

 

 祝言の後、何故か寝室のベッドの上で正座し三つ指付いて深々と頭を下げるサフィエ。

 双子は最後まで「まぁまぱぁぱといっしょねゆ!」と抵抗していたが、「お友達の家にお泊まりする?」と誘導されると、笑顔で二人揃って母に「ばいばい」しながら、友達と手を繋いでお泊まりに行ってしまった。そんなもんである。

 

「全部受け入れるって決めたからね、そんな畏まらないで」

 

 祝言を挙げる前にサフィエはオクタイに全て打ち明けた。それをオクタイは黙って聞いた後「俺の嫁さん可愛くて最強で最高かよ!」と歓喜したとかなんとか。

 

 そして、二人は結ばれた。

 結果、トヨタマビメが昔に言った通りになった。

 

* * * * * *

 

 サフィエとオクタイの二人が結ばれてから九ヶ月。サフィエは臨月を迎えていた。双子は「あかたん、まだぁ?」と大きくなった母のお腹に毎日話しかけては耳を当てている。楽しいらしい。

 お腹の大きさから確実に二人以上居るわよ、と奥様方には言われている。

 因みに妊娠初期にオオワタツミにこっそり出向いて検査したら三つ子である事が判明している。

 性別は生まれてからの楽しみに取っておくそうだ。

 

 穏やかな日々を送る中、ついにサフィエが産気づいた。

 オクタイを始めとした男共はオロオロとするばかりで役に立たない。そして頼りになるのは奥様方とお母さん方。

 サフィエが産室に入って半日もしないうちに発せられた三連続の元気な産声が、三つの新しい命が無事にこの世界に産まれ出た事を知らせたのだった。

 

* * * * * *

 

 話は少し前後する。サフィエが臨月を迎えたこの時期、スーコンサルを守る総延長六十二キロメートルの大城壁が完成した。

 この大城壁の街道に繋がる出入口には扉は無く、普段は解放されている。

 しかし侵攻を受ける等の緊急時には地下から城壁と同じ高さと厚みの壁がせり上がり出入口を塞いでしまう様になっている。

 なお平時夜間の防犯・獣の侵入防止の為に、木製の城門とも言える木戸を出入口に設置する予定になっていた。これはまだ未着工である。

 

 大城壁建設中は遠巻きに様子を見ていた近隣の領や国。

 西方諸国による略奪後から無人となった旧ファーティ領へ、じわりじわりと蚕食を始めていた彼らは、この大城壁の完成を見て、これを作り出した者に接触しようと調査隊を送り込んで来た。

 城壁の出来る前、北方矮躯族や南方の褐色長耳族、それにスヴァーリ学考塾に縁のある者達がその地に向けて移動していたと聞き及んでいる。

 また略奪を受けた直後に全滅したファーティに於いて、得体の知れないモノ達を使役して、亡骸を埋葬し弔っていた金狐族の娘の噂と、東方の東と北から新しい作物と一緒に広まっている、金狐族の姿で顕現したという豊穣の女神への信仰。

 何かある。そう考えた為政者達は、あわよくば土地ごと自分達の支配下に組み込めないかと目論見んで調査隊を送り込んだのだ。

 

* * * * * *

 

 出産を終えたサフィエだが、出産によるダメージは皆無だった。

 後産を終えると少し休んだだけで三つ子の世話を甲斐甲斐しく始めてしまう。

 そんなサフィエを心配して「まだ休んでたら」と言う周りに、彼女はコロコロと笑いながら言う。

 

「頑丈なのが取り柄なのよ」

 

「本当に大丈夫なのかい?」

 

「ええ。そうだ、この子達をオクとリーヤとマディに会わせたいの。呼んで貰えるかな?」

 

「そうだね。さっきからドアの前でウロウロしてるみたいだから呼んで来るよ」

 

 お産婆さんをしてくれた奥様が「ほら! さっさと入って顔を見ておやり!」と、ドアの前で所在なさげにして居たオクタイを呼び込むと、洞窟内託児所へ向かった。

 

 生まれたのは男の子一人に女の子二人。全員が金狐族の特徴を持っている。

 男の子はサフィエと同じミントグリーンの瞳、女の子はオクタイと同じスカイブルーの瞳だ。

 

「サフ、頑張ったね」

 

「ふふっ、楽勝だったわよ? ぽんぽんぽーんて。さあ、順番に抱いてあげて」

 

 結婚後、オクタイはサフィエを本名の愛称で呼ぶようになった。

 そんなオクタイが恐る恐る順番に赤子を抱いていると、奥様に連れられてムリーヤとマディーヤがやってきた。

 双子はサフィエの横に寝かされている弟と妹たちに近寄ると満面の笑みを浮かべた。

 

「あかたん!」

 

「ちったいね。かあいいね」

 

 思わず声を上げるムリーヤと見たままの感想を言うマディーヤ。

 

「リーヤ、しーっ。赤ちゃんがびっくりしちゃうから大きな声はダメよ」

 

 (たしな)められて「はぁい」と素直に返事し、静かに大人しく自分達の弟妹を見つめる双子。

 そんな二人の頭を優しく撫でるオクタイ。

 その姿を見てサフィエは思う。

 

―ああ、わたしたち、家族なんだ―

 

* * * * * *

 

『艦長。スーコンサル領域内に多方面から侵入者複数』

 

『緊急案件じゃなさそうね。数は? 目的は分かりそう?』

 

『三グループ、合計三十二人。遠距離から盗聴した会話から、我々に接触するのが目的と判明。排除しますか?』

 

 三つ子の世話をしたり、赤ちゃん返りをした双子におっぱい吸われたり(なだ)めたり、どさくさ紛れにオクタイにもおっぱい吸われそうになってシバいたり相手をしたり(意味深)、もちろん叡智の洞窟の運営に参加したりと、サフィエでなければ確実に倒れたか寝込んでいたであろうというこの忙しい時に、侵入者の報告を受けたサフィエは不機嫌になった。

 その感情を受けてのトヨタマビメの排除発言である。

 

『ん~、こっちの体制まだ整って無いからなぁ。完成即閉鎖しといた方が良かったかな? まだこっちに向かって移動の最中の人も居るしなぁ』

 

 順番に三つ子にお乳を与えながらサフィエは考える。

 

『会って丁寧に説明して、お引き取り願おう。で、追い出したら大城壁の出入口閉鎖で。移動中の人達は輸送ドローンで迎えに行く方向で。侵入者との面会は、わたし一人でやるわ』

 

『面会場所の指定を要求。誘導しますか?』

 

『こっちから出向く。輸送ドローンで夜にでも乗り付けるから準備しといて。あ、やっぱ無し。この子達におっぱいあげないとだから、んー、明日の昼間に全部回るか』

 

 自重は捨てたはずだが、やはりコッソリ行動の癖が抜けないサフィエである。

 

 そして明けて翌日。子供達を託児所に預け、心配するオクタイを後にしてサフィエは面会(威圧)へと向かった。全員、スーコンサルの城壁外へ出ないように念を押して。

 

『話が通じなかったら魔法で麻痺(スタン)させて排除ね』

 

『第一グループの上空へ到着』

 

『近くだから、あっという間だねー』

 

* * * * * *

 

 元ファーティ領の隣にあるシャティウルハリ国。そこから調査にやって来た隊長のオルベイは驚愕の表情で空を見上げていた。

 スーコンサルがある方向から飛んで来た恐ろしげな異形の怪鳥が翼を広げて自分達を見下ろして(いるように見える)バタバタと低い連続した鳴き声(ブレードスラップ音)で威嚇しているのだ。

 

「た、隊長!」

 

「慌てるな! そのままじっとしてろ!」

 

 見ていると怪鳥はゆっくりと高度を落とし、彼等から離れた場所で着地した。

 ここで逃げ出す者は誰も居ない。彼等の練度と統率は高い様だ。

 警戒しながら見ていると怪鳥の陰から一人の女が現れ近付いて来る。黄金色の髪を靡かせ、奇妙な装束の金狐族の女だ。

 

「何者っ!」

 

 オルベイは思わず誰何する。

 

「それはこっちのセリフよ。人の土地に無断で踏み込んで来るなんて、一体何処の誰かしら?」

 

「ここは無主の地! 貴様にその様な事を言われる筋合いは無い! 貴様こそ、この地を不法に占拠する賊ではないのか? 怪鳥を操る怪しい女め! 大人しく縛に付いて洗いざらい吐くのだ!」

 

 それを聞き女は声を上げて笑った。そして一頻り笑うと、一度嗤ってから話し始める。

 

「あー、可笑しい。自分で無主の地って言っておきながら縛に付けとか。無主の地で、あんた達の後ろ盾も無い地で、自分達の検断権を使うだなんて、とんだお笑い草ね」

 

 言うと女は背筋を伸ばして告げる。

 

「今のうちに言っておくわ。わたしはスヴァーリ学考塾(ピギクルオーマヌス)の正当な後継である叡智の洞窟(ビィギリクマァラッス)の代表、サフィエ・スヴァーリ。次は無いわよって貴方達の主に伝えてね。ではシャティウルハリ国の調査隊の皆さん、ご苦労様。貴方達は強制退去処分にします」

 

 女の髪が、ぶわりと広がると、鞭を振るわれた時の様な音が聞こえ、その瞬間オルベイは意識を失った。

 

* * * * * *

 

 シャティウルハリの調査隊の排除を行ったサフィエは、面倒臭くなって他のニグループも電撃により麻痺させて強制退去とした。

 

『お掃除完了。タマちゃん、大城壁入口の全閉鎖よろしく』

 

『了解。閉鎖開始。完了まで五分』

 

『シャティウルハリかぁ。ダニーロフ小父さまの縁で最初に行った所よね……』

 

『豊穣の女神伝説の始まりの地と記録が存在』

 

『やーめーてーって。まぁあの国って昔からあんなんだったし今更かな。タマちゃん、こっちに移動中の移住予定の人達の追跡お願いね』

 

『要望受諾』

 

『狐は巣穴に籠もり深く静かに企む。なんてね』

 

 いや、格好良く言っても、子育てに忙しくて他に構ってられないだけだろ。

 

 斯くして狐は巣穴に籠もり子育てに邁進しつつ、次の種を育てる準備をするのだった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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19 発展と暗雲と

 叡智の洞窟(ビィギリクマァラッス)は、途中で横槍が入ったが概ね順調に立ち上がった。

 シャティウルハリ国と他の二領含め、各地から正式な使者がやって来て、周りから正式に認められた。

 特に国王からの親書まで携えて来たシャティウルハリ国の使者からは土下座せんばかりに謝罪された。

 これを以て叡智の洞窟、スーコンサル領は閉鎖を解除。適宜移住者を受け入れる事になった。

 

 サフィエの生んだ三つ子はそれぞれ北方古語で、男の子がムゥズニツ(勇気)、女の子がムドゥリ(知恵)リュボゥ(愛情)と名付けられた。

 お乳を飲んで眠って出して泣いてを繰り返し、すくすくと育っている。

 ムリーヤとマディーヤも、お兄ちゃんお姉ちゃんになった自覚が出たのか、意外と早く赤ちゃん返りから脱して三つ子のお世話の(本人達的には)お手伝いを始めた。

 

 旧ファーティ領の一部であるスーコンサルを含む大城壁の内部は、何時しかティキユバス(狐の巣)と呼ばれるようになっていた。

 褐色長耳族(飲兵衛赤エルフ)北方矮躯族(酒臭髭ドワーフ)どもの酒の席でのワルノリが原因らしい。

 

 さて、そんな事がありつつサフィエはある決断をする。

 

『タマちゃん、そろそろ化学についても広めようかなって思うんだけど』

 

『艦長の意志を肯定。しかし懸念もあるのでは?』

 

 今までは主に数学、物理、そして哲学と倫理学(哲学と倫理学にはチアノクの教えを基に一般化した)を教えて来た。実学としては農学を中心に広めて来た。

 

 さて、ここに来て化学である。

 化学はよく調べてみると分かるようい様々な実学を発展させる根底に位置する学問である。

 例えば、農学などでは肥料の分析や技術が進めば合成。冶金学にしても各種金属を分離したり純度を高めたりに応用される。サフィエの居るこの惑星でも経験的に行われている灰吹法なども化学反応による金属の精錬だ。

 地球の現代社会を支える半導体技術も様々な化学物質の処理が無ければ成り立たない。

 

 ただ、化学を広め発展させる事により起こり得る様々な分野の発展で、今のこの未成熟な社会に取り返しの付かない歪みを生んでしまう事をサフィエは怖れている。

 

 一例として挙げるが、ガンパウダーとして使われるニトロセルロース。これは混酸(濃硝酸と濃硫酸の混合)によりセルロースが多く含まれる綿を処理して作られる。

 地球での発明は十九世紀中だが、実は硝酸と硫酸は八世紀にイスラム世界の錬金術師が発見していたのだ。

 切っ掛けさえあれば、黒色火薬をすっ飛ばして無煙火薬に行くかも知れない。

 

 あれば使いたくなるのが人である。それを思い止まらせるのも、人の理性と倫理であり道徳である。

 故にサフィエ自身は新作物を広める旅で、チアノクの教えに基づく倫理道徳も広めてきたとも言える。

 

『あー、ね。野放図に広めるつもりは無いけど、うーん』

 

『艦長の懸念は理解。初期はティキユバス内で叡智の洞窟メンバー限定を提案』

 

『むむむ。あら、ムゥ達が起きた』

 

「あらら、ぐずってる。襁褓(おしめ)かな~?」

 

 夜中である。サフィエ以外の家族は皆、夢の中。ムリーヤとマディーヤは別室でオクタイに引っ付いて眠っている。

 

『アイツらきっとまた奪いに来るよね。盗人は一度でも味を占めたら何度でも繰り返すから』

 

『シミュレーションでは不確定要素が多く予測精度が確保出来ず』

 

『備え有れば憂い無し。この子達が大人になる頃には何とかしときたいよねぇ』

 

『武力行使を検討しますか?』

 

 てきぱきと襁褓(おしめ)を替えながらサフィエは考える。こういう時、魔法でお湯が沸かせるのは便利だ。

 

『否定、と言うか拒否よ拒否。それは、打てる手が無くなった時の最後の手よ。タマちゃん、わたしの性格知ってるでしょ?』

 

『石橋を叩いて叩いて叩いた挙げ句に別の場所に橋を掛ける性格と認識』

 

『いや、それもあるけどさー。あの時に覚悟決めたつもりだったけど、やっぱり嫌なんだよね、人が傷付いたり人を傷付けたりするの。気長にこちらの発展を見せつけて、無理なく自然と方向変えながら切り崩していくしか手が無いのかなぁ』

 

 汚れ物を臭いが漏れない箱に入れながらもサフィエはトヨタマビメとの会話を続ける。

 

「んー、今度はおっぱいかー」

 

 愛し子達の世話をしながらの深夜の思索と会話は続けられた。

 

* * * * * *

 

 時は流れて行く。

 ティキユバス(旧スーコンサル)は徐々にではあるが人口も増え、農地も広がった。

 今では人口二万人近くを抱え養えるそこそこ大きな地域へと成長した。

 それに牽引される形でファーティやその他も復興が進んでいる。

 

 双子のムリーヤとマディーヤは十六歳となり成人した。ムリーヤは化学に興味を示し、その道に進もうとしているが、マディーヤは、サフィエへの憧れが強いのか家事修行に励んでいる。夢はお嫁さんらしい。

 ムゥズニツ、ムドゥリ、リュボゥの三つ子達も十二歳になり、更にその下に、サフィエとオクタイは女の子の四つ子を授かった。

 メリケ、メルテム、メラル、メルヴェと名付けられたその子達も今は七歳に成長している。因みに四つ子は全員、赤狐族の特徴を受け継いでいて、名前はオクタイの出身氏族に伝わる美姫姉妹に(あやか)った。

 いつの間にかサフィエは九人の子供達のお母さんになっていた。

 

 化学については結局、サフィエは広める事に決めた。今はまだ中学校理科のレベルだが、それでもこの世界では最先端だ。

 今後、緩やかにだが発展して行くだろう。

 

 そして、ティキユバスの叡智の洞窟から蒔かれる学問と技術の種は、徐々に東方、北方、南方へ広がって芽吹いて根付いて育って行く。

 

 そんなこれからの発展が見えて来た時に、獣達が蠢動し始めた。

 

 その知らせは、一家団欒の夕餉の最中に、突然サフィエに(もたら)される。

 

『艦長、緊急の事案発生。ロールムレム王国中心に軍事行動の予兆』

 

『タマちゃん、詳しく』

 

 蝗の如き略奪者どもが蠢き出した。前回から十六年。サフィエの義娘の、ムリーヤとマディーヤの実の両親の、ファーティを中心とした地域の多くの人々の、命を含めて全てを奪ったモノどもが動き出そうとしている。

 

 前回の略奪侵攻以後、トヨタマビメは各方面に定期的に長距離長時間滞空ドローンを飛ばしている。もちろん西方各地にも。

 

『西方各地での物流量解析からロールムレム王国方面への多数の組織的武装勢力の移動を確認。最終的な規模は十万人以上、集結完了は三十日から五十日後と予測』

 

『海峡の、ドーボァズ国の対岸に動きは?』

 

『軍事行動の予兆無し』

 

『んん? 侵攻するなら最前線近くに拠点作るんじゃ? あー、船で一気に移動させるつもりかな。陸路より断然早いからなぁ。しかし再侵攻、意外に早かったわね……』

 

 急に黙り深刻な表情を浮かべるサフィエに、これは何かあったなと声をかけるオクタイ。子供達も不安気にサフィエを見ている。

 

「サフ、何か緊急の事でもあったのかい?」

 

「うん、タマちゃんから連絡でね。オク、後で話しましょ。さぁ、みんな夕ご飯食べちゃいましょ」

 

 サフィエは笑顔を作りそう言うと、取り敢えずの対処をトヨタマビメに頼む。

 なお家族にはトヨタマビメもオオワタツミも、その存在は既知のものだ。

 

『タマちゃん、各国各領にドローン飛ばして第一報として書状で知らせてあげて。特に海峡の東を領有してるドーボァズ国には最優先。届けた後は返事の回収も』

 

『命令受諾、文章は定型文を使用。艦長の署名を要求』

 

『海岸に面した各国各領には避難勧告も。避難民は全てティキユバスで収容出来ると伝えて。食べ物その他、当座の生活には心配ないって添えてね』

 

 トヨタマビメに指示を出したサフィエは憂鬱になる。

 ようやくまた広がりを見せ始めた時期なのに、あと三十年あれば歯牙にもかけないで追い払い閉じ込めて切り崩して行けたのに。

 でも、今やれる事をやるしか無い。サフィエは覚悟を決める。愛する夫と子供達を護るため。

 家族と言って過言ではない叡智の洞窟の仲間を護るためため。

 皆を支えてくれるティキユバスに移住・定住してかれた人々のために。

 

「サフ、何が起こってるんだい? かなり深刻な事みたいだけど」

 

 サフィエ、オクタイ、ムリーヤ、マディーヤの四人が集まったリビングで、手ずからお茶を入れながらオクタイが聞く。

 三つ子と四つ子はおやすみの時間が過ぎているし、子供に聞かせる話でもない。

 

「タマちゃんから、西方がまた動き出したって。まだ軍として編成されてないけど、予想される規模、十万人超えの戦力集結が始まってるの。第一報を各国に知らせる手配済みよ」

 

 サフィエがそう告げると全員が絶句した。

 

「悪夢再びか……」

 

「タマちゃんの予測だと集結完了まで三十から五十日後。そこから編成して侵攻開始だから、まだ少しは余裕はあるわ。ただドーボァズ対岸に動きが無いのが気になるのよね」

 

「海路で一気に来るつもりかな」

 

「わたしもそう思うわ。またこの一帯も襲われるかも知れないわね」

 

「母さん、海ならオオワタツミが使えるじゃないか。あれなら一捻りだろ!」

 

 ムリーヤが身を乗り出してサフィエに訴える。

 

 ムリーヤとマディーヤには成人を機に、彼らの生い立ちを教え、実の両親の墓参りにも連れて行った。双子に良く似た遺影が描かれた二つの墓標を前に、そこに書かれた当時の様子を読んで、彼らは泣いた。泣きながら冥福を祈った。

それでもサフィエとオクタイを父母として慕ってくれている。

 そんなムリーヤが怒りを露わにしてサフィエに訴えて来た。

 

「リーヤ、あれはね、今の人(・・・)には過ぎた力なのよ。それにねリーヤ。オオワタツミは、わたしの半身でもあるタマちゃん、トヨタマビメの依り代、身体なの。オオワタツミは戦いに出さない。これは私の我が儘よ。でも譲れない事なの」

 

 諭すように話すサフィエの強い視線を受けてリーヤはたじろいで座り直した。

 

「お母さんはね、こう見えて、命を捨てる覚悟なら一人で国の一つや二つを滅ぼせる力は持ってるのよ? 今は使わないし、使う覚悟も無いけどね……」

 

 サフィエが貯めに貯めている精神エネルギーは千キログラムを超える質量を反物質へと転化させる事が出来るまでになっている。

 理論上だが通常物質と均等に混ざる様に反物質を作れるなら、自爆覚悟の対消滅反応で最大で百八十エクサジュール(TNT換算四万三千メガトン。ツァーリ・ボンバの実験時核出力(五十メガトン)の八百六十倍)のエネルギーを瞬時に発生させる事が出来てしまう。

 それ以前に相手の生死を問わないの条件で、前時代的な軍隊なら万を相手にしても身体能力だけで無双が出来てしまうだろう。

 

「お母さん、だめ……。死んじゃやだよ……」

 

 マディーヤが泣きながらサフィエに抱き付く。

 

「安心して、マディ。使う覚悟なんて無いって言ったでしょ? お母さんはね、絶対に絶望なんかしない。ネケサとエディト……、あなた達のお姉さん達を亡くしたあの時に、あなた達のお母さんになったあの時に誓ったの」

 

 手を堅く握り締めるサフィエをマディーヤごと後ろからそっと抱き、幼子をあやすように話しかけた。

 

「サフ、一人で抱えないでくれ。俺たち家族だろ? 俺は大した力も無いし、頼りないかも知れない。だけど、それでもサフの伴侶なんだからさ、頼ってくれよな」

 

「うん……」

 

「明日、皆に話して、皆で考えような?」

 

「……うん」

 

 お互いに支え合おうと労り合うサフィエ一家を、サフィエの目を耳を通してトヨタマビメは黙って静かに見守っていた。

 

 

 

 悪夢が来る。

 奪え壊せ殺せと悍ましい鳴き声で喚きながら。

 人の形をした餓えた蝗の群が蠢きながら。

 再び悪夢を見せに襲い来ようとしていた。

 

 

 サフィエが望まない形での戦いが始まろうとしている。

 




 明日の投稿も午後6時になります。


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20 決戦そして決着

 叡智の洞窟からの『西方にて再び侵攻軍が興りつつあり』知らせは各地に衝撃を与えた。

 使者が来訪して書状を受け取る、そんな通常の手段であったなら信じられなかっただろう。

 書状を運んで来たのは空を飛ぶ異形。更には、どういう絡繰りか魔法か、壁に映し出された危機を訴えるティキユバスと叡智の洞窟の代表を名乗る金狐族の娘と西方での集まりつつある軍勢の様子。

 知らせは現実離れした手段によるものであったが、前回の侵攻を覚えている多くの為政者にとっては、まやかしだと一笑に付すには無視出来ない内容の知らせだった。

 

 サフィエ・スヴァーリと名乗った叡智の洞窟の代表は映像の中で、住民避難と各地の連携協力による備えを訴え、各地の連絡網の構築には叡智の洞窟は全面協力する事と併せてティキユバスでは出来うる限りの数の避難民の受け入れをする準備が始まっている事も伝えた。

 

 ティキユバスでは重機によって避難民向けのキャンプ地の設営が行われていた。

 無闇に森林伐採などを行わずに、将来的に農地として使えるような場所を選定してある。

 一区画あたりの収容人数を決め面積を出して区割りをし、各区画毎に人数に見合う共同の水場、炊事場、トイレを設ける。

 

「長引くようなら仮設住宅も考えないと……」

 

「いや、先生。前回と同じなら奪うだけ奪って、兵糧が無くなりゃ撤収するんじゃないか? 心配するほど長引かないと思うぞ」

 

 サフィエ達は叡智の洞窟内にある閲覧室の一つを対策本部にしていた。

 ここには刻々と変化する状況がトヨタマビメ(が操作するドローン)によって地図上に反映されるようになっている。

 プロジェクターによる投影は、やれ目が疲れるだの、近付くと影が出来て見えなくなるだのと不評だった。

 そこで航空写真とそこに被せる透明樹脂シートを用意して大きなテーブル上に広げる。これなら地図は汚れないし、サフィエが(オオワタツミを使って)用意した水性ペンで地図上に書いて消してが出来る。トヨタマビメにドローン操作で状況を書き込んで貰ったり、シンボルを付けた駒などを置いてそれを動かして貰えば、状況をほぼリアルタイムで地図上へ反映出来る。

 

「近隣からの避難民は概ね集まって来てるな。問題はドーボァズ国がな……」

 

「ったく、先生の事を魔女だなんだ言いたい放題言いやがって。挙げ句に協力を拒否とか何考えてんだよ」

 

 古参の二人がボヤきつつ、キャンプ地の現場から上がって来る資料を見ながら地図上に避難状況を書き込んで行く。

 

「あー、それは仕方ないよ。元カァフシャアクの王族で百年以上前の元王女だって正体バラしちゃったし」

 

「なるほど。今更出て来てデカい顔すんなって事か」

 

「まぁ、得体の知れない相手を怖がってるんじゃない? わたしって、十五かそこらの小娘にしか見えないし」

 

「確かに九人の子持ちには見えんわな」

 

 対策本部に笑いが起こった。

 

「でも困りますな。彼処(あそこ)はボトルネックでありチョークポイントでもある。ドーボァズ国だけの問題ではあるまいに。ワシら自身で動けないのは歯痒いの」

 

「仕方ないですよ。我々は武力を持ってませんから西方の動向を知らせて動いてもらうしかないですから」

 

 皆、口は動かしながらも皆淡々と書類の処理を進めて行く。

 

『タマちゃん、ドーボァズのホントのとこはどうなの?』

 

『相当数のスウツノ教徒が元カァフシャアク領土の市井に存在しているものと推定』

 

『そっか……。対岸で動きが無かったのはそう言う事かぁ。こっちの情報も渡ってる可能性高いよねぇ。ふむ……』

 

 考え込むサフィエ。暫くして視線を感じ、はっとして周りを見ると、この場に居る全員が此方を注視している。

 

「ごめん、ちょっと考えに没頭してたわ」

 

「何か策でも思い付きました?」

 

 小首を傾げ頬に指を当てるあざとい仕草でサフィエは言う。

 

「んー、餌を撒いて十万の大軍を一網打尽に出来ないかなぁ、なんてね?」

 

 古参の北方矮躯族の一人がギラリと目を輝かせた。

 

「ほほう。是非とも詳しく」

 

* * * * * *

 

 ドーボァズ国はカァフシャアク王国滅亡後にその領土を占拠した国から、凡そ七十年前に各地に残っていた旧カァフシャアク王国の貴族・豪族が反乱を起こし、それにより独立した貴族・豪族が合議制を採る国であり、首班は持ち回りで力のある貴族から選ばれる。

 その国の議場にティキユバスから使者が訪れていた。

 

「これが目録でございます」

 

 ドーボァズ国はティキユバスとの協力を拒んだが、ティキユバスとしてはドーボァズは最前線として持ち堪えて欲しい。

 それ故に幾隻もの船に支援物資を満載にして訪れたのだ。

 その中には純金塊五万ファラ(およそ五百キログラム)も含まれていて、その現物は彼等の目の前に置かれていた。

 目録を見たドーボァズの首班はほくそ笑む。特に要求などしていないのに、大量の食糧と五万ファラもの金が只で手には入ったのだから。

 

「確かに。此方で確認した現物とも相違ない。ご苦労であった」

 

 首班は感謝の言葉も言わず、とっとと去ねと言いたげな態度で使者に返す。

 

「必要であれば、まだまだ支援は出来ます故に。それではこれで。貴国に神々と聖霊と祖霊の加護があらんことを」

 

 そう挨拶すると使者は議場を後にして帰って行った。

 

「濡れ手に粟とはこの事ですな」

 

「全くだ。それにしてもティキユバスか。カァフシャアクの王族を騙る者が率いる得体の知れない者共め。それにしても見よ、この黄金。あの言い様では、まだまだ持っている(・・・・・)ようだな」

 

 上機嫌な議長が首班に問う。

 

「搾れますかな?」

 

「いや、もう時間も無い。残りは先方にお任せしようではないか」

 

 議場は賛成の拍手で沸いた。

 

* * * * * *

 

「やっぱりって感じでしたね」

 

 金塊に仕込んだ盗聴器により、事の荒ましをリアルタイムでトヨタマビメを通して聴いていたサフィエがそれを皆に告げていた。

 それを聞いての言葉である。

 

「これで餌に食い付いてくれるかどうかだな」

 

「ドーボァズの一般民衆の事は考えなくても済むから負担も減るな」

 

 ドーボァズ国を支配していたのは結局はカァフシャアク王国が滅ぶ前にスウツノ教に転んだ貴族の子孫たちだった事で事態が明確になった。

 ドーボァズ対岸で動きが無かった事も、こちらに協力する気が皆無だったのも納得出来る。

 

「東方各地にこの事を知らせますか?」

 

「止めとけ止めとけ。折角食い付きそうなんだ。あいつ等に他国を通してバレているぞと知らせる事は無い」

 

 仕込みは終わった。後は餌に釣られて獲物が来るかどうか。

 

「それで先生。どうやって十万の大軍を一網打尽にするつもりですかね」

 

「まき網漁よ」

 

「え?」

 

 一同、サフィエが何を言ってるか理解出来ずに動きが固まる。

 

「まき網漁ってアレですよね。二艘の舟使って網でぐるっと囲む」

 

「うん、それよ。あいつ等、船団組んで来るんでしょ? でっかい網で囲んで一纏めにして沖に引っ張って行って孤立させて無力化」

 

「いやそんなデカい網とか船とか、あと一ヶ月も無いのに用意できるんですか?」

 

「出来るんだな、これが。でもどうやってとか、どんな船だとかは内緒よ。ふふっ」

 

 悪戯っぽくサフィエが笑う。

 

「かーっ! 何だよ何だよ。気になるじゃねーか! でも、捕縛した後はどうすんだ?」

 

「もちろん解放するわよ? 意識改革の為の教育(人道的手法での洗脳)を施してからね」

 

 捕虜の処遇は、以前にトヨタマビメと検討していた事を採用したらしい。

 船団捕獲後に捕虜たちは順次意識改革の為の教育(人道的手法での洗脳)を施してから解放となる。

 

「まぁ、餌に食い付いて団子になって来てくれないと無駄になるんだけどねぇ」

 

「しかし、十万の大軍を魚扱いですか。武力で相手するよりも、えげつないですね。漁獲される相手が哀れですよ」

 

* * * * * *

 

 中つ海を大船団が進む。全てが帆走併用のガレー船で、その船の数は二千を数える。兵員の数は漕ぎ手を兼務している者を含めると二十万人。これはトヨタマビメの予測の二倍にもなる。また戦闘に参加しない漕ぎ手の奴隷は十万人である。

 ロールムレムを出た船団、いや艦隊は中つ海の沿岸部を進み、ドーボァズとその対岸の領で補給を受けた後、一直線に沖乗りでティキユバスへと向かっていた。現在その距離およそ百五十キロメートル。

 

 ドーボァズから『ティキユバスは財宝を唸るほど貯め込んでいる』との報告を受けた西方諸国の権力者達は色めき立った。

 証拠の一部としてドーボァズから献上された純金塊が彼等の欲の後押しをする。

 そしてティキユバスは東方に出回る知識の大本である事も伝わった。

 これにスウツノ教が反応する。

 神の教えを冒涜する、神に対する不敬であり罪であり悪である知識の巣窟、悪徳な異教の首魁を滅する機会だと信徒に呼び掛けた。

 結果、トヨタマビメの予測を超えて二十万もの大軍に膨れ上がったのだ。

 

 奴隷達が櫂を漕ぐ一際大きなガレー船の船首に、この船団、東蛮征伐艦隊と名付けられたらこの船団の総司令官であるスウツノ教の大司教、パオロ・ライナルディが広がる海原を眺めながら立っていた。

 

「忌むべき穢れた地までどれくらいかね」

 

「ライナルディ大司教に申し上げます。夜間は篝火を焚き奴隷どもに昼夜を問わず漕がせております。順風も受けておりますれば明日の昼までには着きましょう」

 

「そうか。神から我らに与えられた富を取り戻し、それを不遜にも窃盗していた邪教徒どもを滅するのも、もう直ぐか」

 

 これからの略奪と、その後の栄達を思いライナルディ大司教は機嫌を良くしていた。

 

 まさか自分達が脱出不能の罠の中に突き進んでいるなど思いもせずに。

 

 そして夜を迎えた。篝火を焚き星を頼りに船団は進む。

 その夜の海中で巨大なモノが彼等を絡め取る為に動き出した。

 

* * * * * *

 

『目標群、捕獲範囲に入る。洋上プラットフォーム・アマビエ、目標群南の所定位置にて待機。捕獲網海中にて捕獲範囲に展開済み』

 

『よーし、タマちゃんいくよー。まき網漁(巾着網じゃないけど)作戦、最終フェーズ(水揚げ)開始! 捕獲網、オオワタツミ浮上』

 

『捕獲網全ブイ、ブロー。本艦も浮上します』

 

 東へ進む東蛮征伐艦隊の予測進路の南、つまり艦隊(船団)の進行方向右手に待機させた洋上プラットフォームから、艦隊の後方を時計回りにぐるりと、捕獲網を海中に展開しながら回り込んで囲んでいたオオワタツミは浮上した。

 上下に網を支持する柱を備えた浮沈可能なブイも一斉に浮上する。海上と海中の両方に網があるのだ。支持柱は直立させる為に海中の方がかなり長い。

 この捕獲網、カーボン・ナノチューブを使った繊維で作られており、ちょっとやそっとでは破れないし、人が登ろうにも細すぎて、下手に素手で触れると肉に食い込む危険物だ。

 更に浮上すると網には電流が流れ、触れると死なない程度に感電する。

 ブイとブイの間もカーボン・ナノチューブで作られたワイヤーで繋ぐ念の入れようである。

 

『全ブイ、浮上を確認。包囲完了。捕獲網、ブイ、ワイヤー全て所定の機能を発揮、異常無し』

 

『それじゃオオワタツミ側の端をアマビエに接続。巻き取りながらネノクニまで曳航しようか』

 

 文字通り『一網打尽』にされた艦隊は訳も分からないままに一塊にされ、為すすべも無く曳航されて行った。捕獲作戦中にパニックを起こしたり船が破損して海に転落した者は作業ドローンよって救助されていたのは言うまでも無い。

 

 これにより西方諸国は約二十万人の兵と、約十万人の奴隷と、約二千隻の船を一時的に失う事になった。

 

 この作戦中、サフィエは自宅に居た。開始時は丁度夕飯の後洗い物中。その後は四つ子のおねだりで一緒に入浴からの寝かしつけ。そして朝まで最近北方矮躯族の奥様方から習った編み物をしながら作戦に参加していたのだった。

 




 明日の投稿も午後6時になります。
 次話が最終話となります。


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21 千年の夢(最終話)

 被害らしい被害を出さず、果たしてこれは戦争なのかと疑問を持たれる戦争が終わった。

 ティキユバスに避難していた人々も元の生活に戻って行った。

 西方世界と通じて協力していたと知れ渡ったドーボァズ国は、戦後は東方諸国・諸領から相手にされなくなった。

 ティキユバスの『叡智の洞窟』には事の顛末についての問合わせが各地から来たが、彼等からの返答は「状況の分析と精査中」で、問合わせた者達は結局何も分からずじまいだった。

 自重しないでドローン等のオーバーテクノロジーを使いまくり、百年以上も前に滅びた元カァフシャアク王国の第三王女だとカミングアウトしたサフィエについても山のように問合わせ等の書状が届いた。中には彼女を娶りたい・妾にしたい等、頓珍漢な物も混ざっていたが。

 それらサフィエに対しての問合わせに『叡智の洞窟』は沈黙を貫いている。

 

 そんな世間が落ち着つきを取り戻しながらもざわついていた時、トヨタマビメはサフィエの指示を受けて捕獲網の処分処理と大量に抱えた捕虜の意識改革の為の教育(人道的手法での洗脳)を行っていた。

 せっせと捕虜を睡眠精神治療装置(ヒュプノ・セラピー・マシン)に放り込み熱心に教育し(洗脳と暗示を施し)ては、ある程度処置(洗脳と暗示)した人数が纏まると、西方諸国へ彼等のガレー船に乗せて潜水艇で曳航して、こっそりひっそりと送り返していった。親切にお土産も持たせて。

 薬物とか暴力とか使ってないし、肉体的にも精神的にも苦痛を与えてないから人道的だよね、とはサフィエとトヨタマビメの共通見解である。

 

「はぁ~、取り敢えずは終わったのかな?」

 

 後処理も問題もまだ残っているが、取り敢えず一段落ついたある日、自宅リビングで寛ぎながらサフィエは伸びをした。ストレッチなどはする必要の無い身体だが、気分的なものである。

 

「お疲れさま。なんか思ったよりアッサリとケリがついたね」

 

 愛する夫に膝枕されながらである。

 

「偶々運が良かっただけよ。ドーボァズの件が無かったら、敵が餌に食い付かなかったら、結局はティキユバスで籠城しての我慢比べになったんだから。そうなったら周りも荒らされていただろうし、最悪わたしも戦う事になったかもね……」

 

「それでもだよ。サフ、君って本当は幸運の女神様なんじゃない?」

 

 オクタイがサフィエの髪や耳を撫でながら彼の妻を労いながら冗談を口にする。

 

「もう、オクったら。後は解放した捕虜たちね」

 

「確か再教育したとか言ってなかった?」

 

「うん。幸せになれる『おまじない』()少しね。掛けてあげたんだ」

 

 ふふっと笑うサフィエを見て、オクタイは「うちの嫁さん、やらかすからなぁ」と思うのだった。

 

* * * * * *

 

 ロールムレム国やその周辺の港に、遠征後に音沙汰も無く行方不明になっていた艦隊の旗艦が先触れも無く突然戻って来た。金銀財宝を満載して。

 総司令官のパオロ・ライナルディ大司教も五体満足で帰還した。

 口元だけの微笑み(アルカイック・スマイル)をその顔に貼り付けて彼は言う。

 

「我々は祝福の地を見付た。その島は豊穣に溢れ、民人は敬虔で、上陸した我等を歓待してくれて土産まで持たせてくれた。ティキユバスなどと言う異教徒の穢れた地など捨て置いておけば良いのだ。嗚呼、あの島を手に入れれば我々への神の祝福は盤石となろう」

 

 その後も、ぽつりぽつりとスウツノ教の司教・司祭が乗船していた船が帰還してくる。もちろん土産を満載してだ。

 彼等も一様にライナルディ大司教と同じような微笑みを浮かべ同じような事を証言する。同乗していた高位の軍人達も同様だ。

 

 それらを聞き、流石にスウツノ教上層部も流石に西方の諸侯も訝しむ。

 一部の奴隷や兵士、参加した信徒を無作為に選び厳しく尋問したが、結果は「祝福の地で歓待を受けた。ティキユバスには行ってはいない」であった。

 

「これは明かな軍規違反、敵前逃亡ではないか!」

 

 一部ではそう激昂する者も居たが、船に満載されて持ち込まれた金銀財宝に目が眩んだ多くの上級聖職者と為政者は「獲られた財宝を一定量献上するなら軍規違反の罪二等を減じる。また地位によってはそれを赦す」として、聖職者や職業軍人は不問になる者が多く出た。

 ただ、兵の多くは死罪から期限付き労働刑(兵役期間延長)へ、軍人ではない信徒からの志願者は無期限労働刑から罰金刑(土産として得た金銀の強制徴収)となった。奴隷はその多くが謂わば船の専門職でもあり、殆どが船を出した諸侯の財産扱いだったので、処分はその所有者に一任された。

 

 こうして、トヨタマビメによる意識改革の為の教育(人道的手法での洗脳)を受けた者達が西方世界にばら撒かれて行った。

 

 そしてスウツノ教の中で内ゲバによる分裂が起きた。後にこれは『西方宗教改革』と言われる事になる。

 

 中心となったのはパオロ・ライナルディ大司教を筆頭にネノクニ帰りの司教や司祭達である。

 ご多分に漏れず原理主義派閥による弾圧は熾烈を極めたが、各地のネノクニ帰りの軍人や兵士、民衆が改革諸派に糾合し、原理主義派閥に抵抗する勢力となる。彼らの行動は過激化し暴動・反乱へとエスカレートして行った。

 四分五裂して影響力を失って行くスウツノ教と、暴動・反乱による混乱で国力を落として行く西方諸国。

 西方世界は長い混乱の時代を迎えようとしていた。

 

―狐は用心深く執念深いのよ―

 

 そんな声が何処かから聞こえたような気がした。

 

* * * * * *

 

 その後の話をしよう。

 サフィエはオクタイとの間に最初に産んだ三つ子と次に産んだ四つ子を含めて合計二十二人の子を授かった。サッカーチーム、二チーム分である。頑張り過ぎだ。

 子育てをしながらも彼女はその理念を曲げずに人が自ら立って歩けるよう、進めるように教え導いた。

 彼女は子供達を育て上げ、最後まで添い遂げたオクタイを看取ると人知れずその姿を消した。

 

 サフィエが消えた後、叡智の洞窟は、数多の蔵書は残されたものの、快適さを提供していた様々な設備がいつの間にか撤去され、ただのコンクリート壁の洞窟へ変わってしまった。

 

 叡智の洞窟を支えたサフィエの教え子達やその弟子達でまだ生きていた長命種の者は、或る者はティキユバスに残り、或る者は別の土地に招かれ、或る者は故郷へと帰還し、それぞれがサフィエの理念を受け継ぐ者として教育・研究に邁進した。

 その後もティキユバスは独立学術都市として独自に発展していく。

 

 ティキユバスから発信された智慧と技術は世に広がり、時には停滞し、時には急進しながも、全体としては緩やかに世界を発展させて行った。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 チトセ・スヴァーリ・カルカンはティキユバス大学の博士課程に通う大学院生で金狐族の女性である。

 年の頃は二十六歳で独身の彼氏無し。童顔低身長なので、よく中等部の生徒と間違えられるのが悩みの種だ。

 豊穣祭では親しい人達の間で『神々と聖霊と祖霊の加護のあらんことを』の意味でマイモナァーズの花(ポインセチアの様な花)を贈りあう習慣がある。特に意中の異性に渡す時は、そこにクルゥクルカの花(カランコエの様な花)が添えられるのだが、チトセはそれが添えられたマイモナァーズを十年以上貰った事が無い。ちくせう。

 

 彼女は金狐族であるが、赤狐族の血を引いているのか、耳の先と尻尾の先に黒い毛が生えている。彼女はアクセントになっているこれを自分のチャームポイントだと思っているが、それを話すと友人は微妙な顔をする。失礼な。

 そしてミドルネームにあるスヴァーリと、ラストネームのカルカンとか、一般人の自分としてはティキユバスの開祖と同じミドルネームとか歴史上の数学の偉人と同姓とか、とーっても恐れ多いと思っている。因みにチトセと言う名は極東被れだった祖父が付けたもので、何でも『千年』と言う意味があるらしい。

 

 チトセは自分の我が儘で博士課程へ進んだので親からの仕送りには厳しいものがある。二十六歳とは言えオシャレもしたいし美味しいものも食べたいし、そろそろ古くなってきた兄のお下がりの冷蔵庫も買い換えたいし、新しい電子遊戯機(携帯ゲーム機)で出ている歴史シミュレーションゲームも欲しい。卓上情報装置(ノートパソコン)も最近調子が怪しいし。

 そんな訳で歴史好き(オタク)の彼女は、休日に趣味と実益を兼ねて、史跡巡りの観光ガイドのアルバムをしているのだ。観光局より貸与されたガイドの制服と自前の厚底靴を履いて。

 

「ここが(およ)そ千年前、(かつ)て『叡智の洞窟』と呼ばれていた場所になります。多数の書物を収蔵した書庫を中心に、写本室等があり、資料によれば内部は昼間のような明るさだったそうです。しかも信じられない事に水洗トイレや浴場が設置され、保育所・託児所も運営されていたとも書かれています。ただ過去の調査では給排水に使われるような穴や溝は見付かっておらず、ティキユバスの別施設と混同されたのではとの説が有力です。さて、ここは状態保存の為に入り口付近までしか入れませんが、天井をご覧ください。四角い穴が幾つも開いてます。あそこに何らかの照明器具が取り付けられていたと当時の資料には書かれています。ただそれがどんな仕組みだったかは資料も現物も無く、未だに不明となっています」

 

 ほう、とか、うむ、とか頷く観光客相手に彼方此方を案内し立て板に水で説明していくチトセ。

 

「では、本日の史跡案内と説明は終わりです。担当はチトセ・スヴァーリ・カルカンが務めさせていただきました。ありがとうございました」

 

 終わりの挨拶で、なぜか観光客から拍手を貰うチトセ。化粧もキメて背も高く見せてるのに、彼女を見る年配者達の顔は、どう見ても頑張った孫を見る表情だ。解せぬ。

 

 そんな観光客達が散って行く中、見慣れない装束の少女がチトセの方へと歩み寄って来た。

 

―あれ? こんな子居たかしら? うわ、なにこの子。めっちゃ美人さん! 同じ金狐族だけど世の中って不公平だわ―

 

 そうは言うがチトセだって世間的に、(二十六歳とは言え)見た目は美少女の範疇ではある。

 

 あれは極東の伝統的な民族衣装みたいだけど、刺繍はこの辺りの伝統的模様、不思議な組合せね、等と考えていると少女がチトセに話し掛けて来た。

 

「お姉さん、説明分かりやすかったわ。ありがとう」

 

 礼を言う少女にチトセは「どういたしまして」と返す。

 

「それでね、聞きたい事があるんだけど、良いかな?」

 

「何かな? あんまりプライベートな事は聞かれたくないなぁ」

 

 チトセは冗談めかして笑顔で少女に応えた。

 

「貴女は今、幸せ?」

 

 少女の質問にチトセは「へ?」と間抜けな声を出してしまうが、気を取り直して話し始める。

 

「そうねぇ。二十六歳にもなってまだ独身で彼氏も居ないし、ちょっと生活も苦しいけど、家族も友達も皆優しいし、何より自分の夢を追いかける事が出来てるし、幸せなんじゃないかな」

 

 そう言って、なんとは無しに嘗ては『叡智の洞窟』と呼ばれていた史跡を振り返り、自分に納得させるように話す。

 

「幸せなんてさ、人それぞれで感じ方も違うだろうし。うん、わたしは、今のわたしは十分幸せだよ。あなたは?」

 

 そう言って少女へと振り返る。

 

「え?」

 

 周りを見渡しても先程の少女の姿は無く、季節外れのマイモナァーズの花(ポインセチアの様な花)が一輪落ちているだけだった。

 

―こゃーん―

 

 どこか遠くから風に乗って狐の声が聞こえた。

 

 

~終~

 




 最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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