吾輩はBETAである。名前はもう無い。 (へびさんマン)
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吾輩はBETAである
大昔にArcadia様に投稿したものの移植作です。
吾輩はBETAである。名前はもう無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ、という訳ではない。
だが、吾輩には『生まれ』というものに該当する出来事が、都合三度存在するのだ。
どれを以って『生まれ』と言えば良いのか、そればかりはとんと見当がつかぬ。
故に、順繰りに語るとしよう。
一度目は、日本という国。
幼く自我のない赤ん坊であった吾輩は、多くの凡愚と同じく、その一度目の生まれをとんと覚えておらぬ。
ただ、その日本は平和な国であった。餓死することはなく、食べ物は豊かで娯楽に溢れ、失われた何十年とかいう割に増税しては景気を冷やすトンチキ財政政策をする以外は概ね好い国であった。*1
その日本で吾輩は一度目の死を経験した。死因は分からぬ。癌であったのかも知れぬし、交通事故か地震や津波などに巻き込まれたのかも知れぬ。
ともあれ、吾輩は一度死んだ。
二度目の『生まれ』は、ソ連という国であった。
これははっきりと覚えている。
何故なら吾輩は赤子ながら確固とした成人の自我をもっていたからだ。
寒く厳しい国であった。
生きることに苦労したが、幾ばくかの高等教育の知識は立身出世の助けとなった。
だが外国のことを見聞するにつけ、以前の日本があった世界とは、この世界が異なることに気がついた。
何せ大日本帝國が存続しているのだ。
吾輩が生まれたのは第二次世界大戦の頃であったが、原爆が落とされたのは、ベルリンであった。
──── いわゆる並行世界というやつなのだと吾輩は理解した。
さりとて、吾輩がすることは変わらぬ。
日々の糧を得て、糊口をしのぎ、
妻を娶り、子が出来た。責任ある仕事も任せられるようになった。良い人生であった。
一度目の人生とは比べ物にならぬ速さで宇宙開発が進み、縁を得てソ連の宇宙開発に携わっていた吾輩は、充実した日々を過ごしていた。
そうして二度目の人生を平々凡々と過ごすうちに、転機が訪れた。
──── そう、BETAである。
外宇宙より飛来したあの
正確に言うならば、『実物を初めて見た』、のである。
吾輩はBETAたるものを、その概念をかすかに知っていた。
今は遠き一度目の人生で、そのような「あいとゆうきのおとぎばなし」があったはずである。
なにぶんその当時でも通算で都合四十か五十年は昔の話であり、かなり朧気な記憶であるが、吾輩はそれについて、幾ばくかの知識を得ていた。
火星におけるモニュメントの発見と、初めての知的生命体との接触に湧き上がる周囲を他所に、吾輩は恐怖した。
あの醜悪な、外宇宙からの資源回収ユニットは、その
火星のオリンポス山が削られて平らになったように、ソビエトの山も谷も何もかもが削られて失くなってしまうのだ。
吾輩は恐怖した。
狂ったかのようにBETAについての情報を収集した。
自分の抱く危機について、BETAの生態について、BETAの目的について、様々な手段で世間に、国家に訴えた。
何度も、何度も、何度も。
──── だが、誰も吾輩の言うことを信じなかった。
皆が、吾輩が狂ったのだと後ろ指を指した。
妻にも子供にも、愛想を尽かされた。
閑職に追いやられ、やがて宇宙開発の職場も
だがそれでも吾輩は、BETAの危険性について発信し続けた。
恐怖に駆られて、吾輩は貪欲に旧縁を辿って情報を集め、自費で論文誌を立ててまで発表し続けた。
狂人扱いは変わらなかったが、吾輩は地球で最もBETAに詳しい人間の一人となっていた。
そして、またしても転機が訪れた。
BETAの月面への展開と、それに続く第一次月面戦争の勃発である。
吾輩の論文は一躍脚光を浴び、BETA専門家として軍事顧問に招かれることとなった。
にわかにBETAの脅威が認識され始め、世論操作などの果てに相次いで世界規模の対BETA計画が発動された。
吾輩が論文で提唱したのは、降着ユニットの落着阻止を旨とする水際作戦と、その網を逃れての降着後に初期段階で徹底殲滅する早期殲滅作戦である。
これらの論文ではあらゆるケースを想定していた──── 特に政治的要因で早期殲滅作戦が実施できない地域への降着を危惧していた──── のだが、その危惧は事前の想定があったにもかかわらず、現実のものとなった。
人類というものは、一度痛い目に遭わねば、学習せぬものだと、吾輩は悟った。
故に、吾輩は最終的解決として、オルタネイティヴ3に介入することを決意した。
吾輩は提案した。
オルタネイティヴ3は、表向きは、『ESP能力者によるBETAとの意思疎通、情報入手計画』とするが、ソ連内部では吾輩の介入により、『ESP能力者によるBETA指揮系統奪取計画』として進行させることを。
つまり、BETAを敵とするのではなく、BETAを
駆除ではなく、利用だ。
と は い え。
宇宙に進出するような種族の管理システムをハッキングするなどということがそう軽々と出来るはずもないのである。
少なくともESP能力者を
(
『BETAの指揮系統奪取と利用』は不可能である、と結論された。
故に、オルタネイティヴ3の変更案については、却下された。
変更案に関して纏めた資料や論文は、いつかの誰かのために引き継がれるだろう。
……案外、吾輩が作った資料をベースに、女狐と名高い香月博士がオルタネイティヴ4を閃くのかも知れない。
だが、今となっては関係のない話である。
無理もない話であるが、吾輩は再び気狂い扱いをされた。
その結果として、吾輩は危険思想の持ち主として、オルタネイティヴ3の研究所を追われることとなったのだから、もはや吾輩にはオルタネイティヴ3もオルタネイティヴ4も関係がないのだ。
しかし吾輩は諦めなかった。
諦めるわけにはいかなかった。
BETAの物量に、人類はいずれ押し負ける。
人類は生存競争に敗北する。
それは半ば以上確定的な未来である。
吾輩は諦めない。
勝つためには、『BETAを以ってBETAを駆逐する』必要があるのだと、吾輩は確信し、盲信し、信奉していた。
吾輩は、はたと閃いた。
真正面からハイヴに突入する必要などないのである。
『BETAはBETAを攻撃しない』
『BETAは人間を捕獲することがある』
『BETAの兵士級*2は、人間の肉体から再構成される』
この三点から、吾輩の頭に天啓を受けたかの如きアイディアが閃いた。
即ち、突入ではなく、── 潜入。
BETAに偽装した人間が、捕虜に見せかけたESP能力者とともにハイヴに潜入するのだ。
BETAからBETA認定されるくらい完璧な偽装を施せば、『BETAはBETAに攻撃されない』という原則により攻撃を受けない。
捕虜としてならば、ESP能力者を堂々とハイヴに連れていける。
では、『BETAに偽装する』とは、一体どうするのか。
ここで重要になるのが、三番目の法則だ。
『BETAの兵士級は、人間の肉体から再構成される』
つまり── 人間をBETAにすれば良い。
人間を、その意識を保ったまま、捕獲したBETAと融合させる。
人造BETA計画。
ヒトの意識を宿したBETAを、何食わぬ顔でハイヴに帰還させる。
捕虜としてESP能力者を連れて。
そして頭脳級を乗っ取るのだ。
それで任務完了だ。
『怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ』?
『深淵を覗き込むとき、深淵もまたお前を覗き込む』?
上等である。
吾輩が
吾輩は喜んで深淵に身を投げよう!
── こうして吾輩の二度目の人生は終わりを告げた。
吾輩はBETAである。名前はもう無い。
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蛇足・香月夕呼
『BETAの脅威は量である。
だがそれは単に物理的戦力という意味だけではない。
全宇宙を
真に恐ろしいのは、その知的蓄積である。
BETAにとってあらゆる事象は、既に乗り越えてきた過去に過ぎないのだ。
BETAが人類のような敵性存在と相対したのも、これが初めてではあるまい。
── あの醜悪なBETAの外見は、遥か異星の知的生命体を呑み下して、データとして取り込んできたという歪なコラージュの結果なのかも知れぬ。
吾輩たちは、BETAを通じて、全宇宙の炭素系生命の無念の残骸── 亡霊と相対しているのだ』
──── BETA生態学の第一人者 アラム・スカチノフ博士
『ならば、人類もやがては亡霊としてBETAに取り込まれるであろう。
しかし亡霊というものは時に憑依して生者を乗っ取り、また怨念で以って祟り殺すものだ。
故に吾輩はそこに人類にとっての一縷の希望を見出すのである。
……あるいは死後に友を訪ね励ますような心優しき亡霊も居るであろうが、少なくとも吾輩がそうではないことは確実であろう』
──── 論文原稿に残された走り書きより
◆◇◆
横浜基地の副司令室。
神宮寺まりもは、親友として香月夕呼の酒盛りに付き合っていた。
どういう流れで酒盛りになったのかは最早覚えていないが、多分、夕呼が何かしらのスランプを脱して一段落ついたということなのだろう。
そしてこれまたどういう流れか分からぬが、まりもは夕呼にこう質問していた。
──── あなたが一目置くような研究者って、居るの?
まりもはてっきり、『いる訳ないじゃない、この世で私が認めるのは、この天才たる私自身以外に居ないわよ』くらいの回答が帰って来ると思ったのだが。
「そうねぇ、二人……いや、やっぱり一人かしら。居るわね。物理学者じゃないけど」
── へえ、意外。どこの誰よ?
「BETA生態学の、スカチノフ博士。彼の論文や仮説── いいえ、『預言』には私も随分助けられたわ」
── オルタネイティヴ3の顧問だったっていう、あの『預言者』スカチノフ博士かぁ。それはそれで意外ね。あなたのことだから『あんなのただの妄想』よ、くらいにはこき下ろしそうなものだけど。
「あんた私を何だと思ってるのよ。
……世間的には『異端者』だの『異星生命体危険厨』だのと言われてたけど、結局彼の言葉は全て正しかった。
彼はまるで未来を知っていたみたいに的確に、BETAについて予言した。
そして、彼の言葉を聞かなかったせいで、今の世界の最悪な現状がある……」
散々出された警告を生かすことが出来ず、人類はBETAの地球への降着を許した。
そしてずるずるとユーラシアが奪われた。
彼を信じていれば、こうはならなかったのかも知れない。
暗澹たる気持ちになるのを振りきって、まりもは話題を別方向に向ける。
後悔したって始まらないのだ。
それに悪いことばかりではない、天才の言を聞き入れないとこうなるぞという実例を残してくれたお陰で、夕呼がオルタネイティヴ4で実権を握るのが多少楽になったらしいから。
── あの博士は、G元素の存在も予言してたんだっけ。
「そうね、マイナス質量、高温超電導、重力干渉── 彼が予言した通り、BETAは未知の高機能元素を利用していた。
そして他にも予言してるわ。
『全宇宙に散らばる十澗*1もの端末間での通信のために、BETAは
── 実は未来予知能力者だったのかもよ? オルタネイティヴ3のESP研究の副産物だったりして。
「あの博士が生まれたのは、オルタネイティヴ計画どころかBETAが火星にすら来てない頃よ。
……まあ、天然のESP能力者だったのかも知れないけど。
無意識の内に、BETAの思念を受信していたから、あんなに狂ったように警鐘を鳴らしたのかも」
── そういえば最近その博士の噂は聞かないけど、今は何してるのかしらね?
「……人造BETA計画」
── え?
「『BETAを以ってBETAを駆逐する』。彼はそう言ったわ。
それ自体は珍しい考えでもない。
現に私たちは、BETA由来の技術── G元素を使って、BETAと戦っている。
これもある意味、『BETAを以ってBETAを駆逐する』ということね。
……彼の考えは、それ以上に危険だったけど」
── 危険というと?
「彼はオルタネイティヴ3を放逐されている。
危険思想の持ち主だからってね」
── 危険思想の持ち主……。
「彼が言っていた『BETAを以ってBETAを駆逐する』というのは、G元素の利用なんてレベルじゃなかったのよ。
人類戦力としてのBETA。
BETAの指揮系統を奪取し、人類の奴隷として利用する……」
── 本当にそんな事が可能なの?
「オルタネイティヴ3では、不可能だと結論されたわ。
BETAを上回る……少なくとも匹敵するだけの演算ユニットを用意できなければ、BETAに対するハッキングは不可能だ、と。
少なくとも00ユニットレベルのものが無いとね。
それでも難しいだろうけれど。
で、彼は危険思想の持ち主として、追放された……」
── それだけで追放されたの?
「まあ、それだけじゃないのよ。
実は裏話があって、彼がある新興宗教と繋がりを持っていたことが分かってね。
直接の原因はそっちよ」
── カルトってこと?
「そうね、あんたも噂くらいは聞いたことがあるんじゃないかしら。
『
── ああ、『
「そう、BETAを天使だとみなして、更に上の珪素生命体を神として崇めるカルト宗教よ。
ま、凡人が考えそうなことよね。
『BETAを崇めれば、BETAに襲われない』とかいってるらしいわ。
荒御魂の観念からの派生かしら?
バカバカしい。
で、彼が接触したのは、その中でも最も先鋭化した派閥よ。
言うならば『
── グノーシス派っていうと、人間は修行すれば天使にも神様にもなれるっていう……。
「そう、そのグノーシス派。
彼らは『BETAこそが人類の次のステージだ』とか言ってるわけ。
つまり、BETAになることを目指してるバカどもってわけよ」
── 博士は彼らに接触して、どうしたの?
「利用したわ、自分の計画のために」
── 利用? 計画?
「人造BETA計画のための、資金源と人身御供に。
そのためにカルトを利用し尽くし、搾取しつくした。
彼の本当の計画はこうよ。
人間をBETAと融合してハイヴに潜入させ、情報を集めつつ、ESPによる
狂気の計画。
カルトの信者を使って人体実験を行い……被験者は嬉々として協力したでしょうね、『BETAにしてやる』という博士の甘言に乗せられて」
── 狂ってる。博士は一体どうして……。
「さあ?
でも、孤独だったからじゃないかしらね。
彼には、そんな凶行を止めてくれる人間が、側に居なかった。
自問自答を繰り返す内に、意思は歪に焼き固まってしまった。
周りの人間は糾弾する、気狂いだと。
頼れる人間は居ない。
人類は愚かだ、訴えかけても全く無駄だ、無駄だった。
── じゃあ、自分でやるしかない。
そんな風に思いつめてしまった、哀れな天才の末路ね。
ああはなりたくないものだわ」
── 夕呼には、わたしが付いてるわ。だから、そんな結末にはならない。させない。
「ありがとう、まりも。私は幸運よ、親友が居てくれて」
── 照れるわね……。それで、博士の計画はどうなったの?
「これは確実な情報ではないんだけど……。
……『人間のBETA化』という狂気の実験のデータが揃った頃に、満を持して彼は計画を実行に移した。
つまり、自身のBETA化よ。後天的ESPの研究もしていたらしいから、その施術もしたのかも知れないわ」
── ……成功したの?
「分からないわ。
ただ、彼はある時を境に完全に消息を断った。
そして──」
── そして?
「そして、その前後から、一部のBETAが奇妙な挙動を始めるわ。
これについては、まりもの方が詳しいんじゃないかしら?
ソビエトの首都直撃に、北極海へのBETA北進……」
── ソビエト首都直撃事件……ソ連内の幾つかのハイヴから、小隊規模のBETAが大深度から後背地域へ浸透、ゲリラ的なテロ行為を行い始める……。
「それに危機感を抱いた上層部は、急速に対BETAで纏まるようになった。
いつ自分の足元からBETAが湧いてくるか分からないんじゃ、政局なんてやってるわけにはいかないものね。
自分の足元に火がついて初めて、ソ連のお偉いさんは本気になった。
博士はこう言っていたらしいわ── 『一度失敗せねば、人類は学習しない』と。
BETAの場合、その一度の失敗が致命的になるんだけど……。
でも、これ以降、まるで人類に『小さな失敗』を経験させるみたいに、一部のBETAは小規模での襲撃を繰り返すようになる」
── まさか、BETAが人類を纏めるために行動してるとでも?
「さあね、そうとも取れるってだけよ。
そしてもっとあからさまな異常行動が、BETAの北極海北進と、その後の海洋ハイヴ建設よ」
── それまでは、ハイヴの分化は、BETAの個体数が一定以上に飽和するまで起こらないとされていた。
「そうね、博士の論文でも、そう予測されていたわ。
でも、それは覆った。彼の預言が外れたのは、これが初めてじゃないかしら?
一部のBETAが、まだ未発達なハイヴから積極的に
人類の妨害が届かない海中にハイヴを建設し始めた。
まるで人類を殺すのを、また殺されるのを避けるように、ね」
── 北極海ハイヴは、人類が観測した時には既にフェイズ5に達していた……。気づいたら手遅れ。北アメリカ大陸は、BETAの射程に収まった。
「でも、北極海ハイヴ群のBETAは、北アメリカ大陸には進出しなかった。
代わりに、北極海のBETAは太平洋と大西洋の海底に進出……。
今では海洋ハイヴが、世界中で一体どのくらいあるのかさえ、正確には不明。
当初は海運の決定的悪化が懸念されたものの、これらのBETAは船舶を襲うことは殆ど無かった。
だから各国も、海洋ハイヴについては楽観視している……。大陸のBETAを優先して撃滅するべきだとね」
── 今までのBETAと『海洋性BETA』*2は全く別のものだと考えるべきだ、とも言われてるわね。あの博士なら、何てコメントするかしら。
「そうね多分── 『それは私だ』って言うと思うわよ」
── どういう、こと?
「だから、彼は成功したのよ。
彼は生きている。
深淵に身を投げて、機会を伺っていた。
そして数十年の雌伏の果てに、彼は成功した。
BETAの指揮系統奪取に。
どんな奇跡か知らないけれど、何らかの手段でオリジナルハイヴの重頭脳級と、反応炉との間の情報交換を欺瞞したのでしょうね。
恐らく北極海に反応炉を持ちだしたのが彼ね。各国都市部へのハラスメント攻撃も、彼が率いていたのかも。
そして、彼は、自分の王国を築き始めた。
人類の手の届かない深淵の海底で。
彼は自分が持ちだした北極海の反応炉を介して、そこから分枝したすべての海洋ハイヴに、自らを重頭脳級と誤認させた。
海洋ハイヴのBETAは、全て博士の分身よ」
── まさか。冗談でしょう。何の根拠があってそんな。
「根拠、ね。
── 最初、『私が認める研究者は、二人……いや一人』って言ったでしょう?
あのソ連の博士以外にもう一人、注目すべきBETA生態学の研究者が居るわ。
でも、誰も彼に会ったことはない。
誰も彼の姿を知らない。
だけど、その業績は誰もが知っている。
ヴォールクデータ以上に詳細な、『まるで見てきたかのような』ハイヴ内のレポート。
『まるで一緒に暮らしたかのような』生々しいBETAの生態。
『まるで本人がBETAであるかのような』BETAの生理研究……」
── BETA生態学の、七篠博士?
「そう、七篠博士。
フルネームで『七篠瓶太』。
ふふっ、巫山戯ていると思わない?
『七篠瓶太』だなんて」
── 七篠瓶太……ななしのべいた……名無しのBETA?
「きっと七篠博士と、ソ連のあの博士は同一人物よ。
論文の癖がよく似てるもの。
だから、私は一目置く研究者を答える際に、言い直したの。
『二人……いや一人』だと。
……でも同一
── 本当に……そんなことが……?
「まあ、質の悪い
── 私は間違いないと思ってるけど。
それにそれが本当なら、これから面白いものが見られるわよ、きっと」
── 一体、何?
「何処からか知らないけど、七篠博士の名前で、私のプライベートアドレスに連絡が来ていたのよ。
『準備は完了した。逆上陸を開始する。吾輩の手並みをとくと御覧じろ、極東の女狐殿』ってね。
史上初めてのBETAの同士討ちが始まるわ」
── それが本当だとして、上手く行くのかしら……?
「上手く行かなかったら、人類は終わりよ。
仮に、名無しのBETA殿の一大反攻作戦が失敗したとしたら──」
── 海洋ハイヴ全てが、逆に乗っ取られる、ということ?
「そういうこと。
そうなったら、もうどうあがいても絶望ね。
海から押し寄せるBETAの量は、大陸のBETAより多いでしょうし。
その上、海底のハイヴを直接叩くことも難しい。
まあ、そうならないように、私に── オルタネイティヴ4に後詰めを頼んだのでしょうけど」
── つまり、桜花作戦と、七篠博士の逆上陸を同調させるということ? オリジナルハイヴを確実に叩くために。
「そういうことになるわね。
せいぜい利用させてもらうわ。
そして、上手いことオリジナルハイヴを落としたら……」
── 次は、七篠博士を。
「ええ。
人類とBETAは、相容れないのよ。
決して、ね」
ノック。
返事はないが、構わずに白銀武は副司令室に入室する。
鍵は開いていた。
「先生? 霞、こっちに来てません?」
中では香月女史が
「やれやれ……」
武はそっとブランケットを酔い潰れた彼女の肩に掛ける。
と、そこでテーブルの上の状態に何か引っかかりを覚えた。
……。
白銀武は違和感の正体に気付く。
「グラスが二つ?」
そこには、氷が溶けきったグラスが置かれていた。
一体彼女は、誰と酒を酌み交わしていたというのだろう?
秘蔵の酒まで取り出して。
もう、彼女の親友は居ないというのに── 。
「……桜花作戦、成功させましょうね、先生」
白銀武は、副司令室を後にした。
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蛇足2・七篠博士のハイヴ攻略
「あったよ! つづきが!」 「でかした!!」
(蛇足なので前話までの読後感を壊す恐れがあります。いあいあ。)
海洋ハイヴ内にて、ボロボロの白衣を着た
『大攻勢の準備は完了。吾輩、感無量』
コレは自らをBETAに改造した狂科学者アラム・スカチノフの成れの果てであり、人類にBETAの生態情報を横流ししていた七篠瓶太であり、今は単なる『名無しのBETA』でしかないモノだ。
ソレは暫し、これまでの道程に思いをはせる。
後天的なESP施術を自らに行い、まずは目を潰した光線級BETAとの融合と感応による乗っ取りを行った。
頭脳級からの命令に気合で抗いつつ、さらに他の戦車級を始めとするBETAと融合を繰り返した。
融合してBETA由来の技術知識を取り込み、リソースとして他のBETAを喰い、徐々に自己改造を進めた。
比較的動きやすい兵士級の身体を得たのもこのころだったか。
他個体を取り込んだことでBETA由来技術に理解を深め、それを応用した自己改造により思考速度やESP精度を向上させることに成功。それによりさらに他個体の取り込みが加速した。
そしてもっと上位の能力を持った個体へと干渉し、制御を奪取していく。
それを繰り返し、頭脳級の支配が及ばない端末を増やす。
とはいえ、制御を掌握した以外のBETAがハイヴ内で新たに生産されて数が増える方が圧倒的に早い。
『名無し』の勢力拡大は、割合としては遅々として進まなかった。
『吾輩は地道に増殖。やがて設備を奪略』
さらに『名無し』の計略が飛躍したのは、BETAの生産プラントのうちのひとつを奪略することに成功した瞬間だっただろう。
そこからは他の生産プラントの掌握を進め、徐々に自分の意識が浸透したBETAの割合を増やしていくことに集中した。
自己改造も同時並行。
戦力と能力を上げ、彼我の能力均衡が崩れる瞬間を……来たるべき時を待つ。
そしてついに頭脳級の掌握に成功し、自らを上位存在/重頭脳級として認識させる段階まで到達した。
ここに至り、BETAが蓄積してきたデータベースへのアクセスにも成功。
はるか遠くの宇宙のかなたで滅んだ異星で蒐集された、他の炭素系生命のデータを用い、さらなる改造が可能になった。
『吾輩は逃亡。行く先は海洋』
地底掘削において非効率であるため生産されることのない海洋適応型のBETA。
それに『名無し』は目を付けた。
そして頭脳級/反応炉を持ち出し、北極海へ進出。
海の底で旧来の資源回収用ユニットである突撃級や要撃級や戦車級によって海底を掘削。
既存のルーチンに沿ってG元素を生産、貯蓄。
『G元素を兵器利用。横領上等』
『名無し』のアドバンテージの一つは、本星に送り出すべき資源を横領し、全て自らの戦力増強に使える点である。
当然ながら、各種G元素も潤沢に使えるし、上位存在としての権限により、兵器転用やさらなる利用法の研究すらも可能となった。
『名無し』配下の海洋性BETAは数を増やし、七つの海の海底を覆い尽くす勢いで戦力を増強していった。
そしてその過程で、人類の勢力圏から最も離れた海底……太平洋の到達不能極に本拠地を移した。
同時にESP能力に加えてPK能力(特に電子操作能力)の開発向上も進め、BETAとしての高度な情報処理能力によって己の身一つで機械的な機能を代替再現することで、地上の人類の通信ネットワークへの介入を進めた。
『名無しのBETA』による七篠瓶太としての論文投稿活動は、そのようにして行われたのだった。
『名無し』は己のことを、サムライアリのような存在であると考えている。
サムライアリは、別種のアリの巣に侵入し、蛹や幼虫を奪って己の巣に持ち帰り、奴隷にする生態を持っている。
やがてはその別種のアリの女王を弑し、その巣を完全に乗っ取ってしまうという。
『名無し』がやっていることも正にそれで、BETAの指揮系統を乗っ取ることで、その戦力を、技術を、資源を劫掠しているのだ。
そして『名無し』は、人類の一大反攻作戦──── 『桜花作戦』に便乗することを決めた。
人類がユーラシア大陸外縁の各ハイヴを攻撃してBETA戦力を拘束するつもりであるなら、ちょうどいい。
『海洋ハイヴ全てに号令。出撃を命令』
思念により伝達。
さらなる勢力拡大を狙うため、蓄えた戦力とG元素を盛大に消費することとした。
『G元素により空間歪曲。座標計算』
海洋性BETAは、水中では十全な性能を発揮できるが、地上では役に立たない。
いやまあ、大海嘯か津波のように波際から大陸奥深くまで押し寄せることも可能ではある。
地上のBETAと人類が殴り合っている間に、海底でぬくぬくと、それほどの戦力を集積してきた自負はある。
だが、もっとスマートなやり方があるのだ。
『転移門、開け』
海底から、ハイヴ直上へ。
水ごと移動し、降り注ぎ、ハイヴ内を満たせば良い。
G元素の研究の果てに辿り着いた空間歪曲技術により、直通経路を形成。
まさしく海の底が抜けたように、海をひっくり返したかのような怒涛が、オリジナルハイヴを除く地上の各ハイヴへと叩きつけられる。
さらに言えば……。
『海盆規模粘液体級──── ジャイアント・ショグゴゥス級、進発せよ』
その水すらもが、己の戦力であればなおのことよろしい。
海底から空に開けられた転移門へと、
海底の大きな海盆一つまるごと満たしていたようなサイズの、巨大な生きた粘液体が……ハイヴを満たして余りある質量が、天の穴から滴り落ち、地上のモニュメントをへし折りながら地下へと浸透していく。
無数の地上のBETAがそれに巻き込まれていくが、依然としてソレらは無抵抗だ。
現時点を以てなお、BETA側の敵味方識別は、海洋性BETAを敵だとは判別していないのだ。
それらは地上ハイヴ内のBETAたちに取り付き、そして侵食するだろう。
『これでオリジナル以外のハイヴは支配下に置ける。
ここまでやれば、流石に人類の延命も叶うであろうさ』
白衣を着た兵士級の『名無し』が、後ろを振り返る……。
そこには、『名無し』がいま発揮している膨大な演算能力と、あ号標的からの逆ハッキングに抵抗するに足る能力を備えた、巨大な筐体があった。
この白衣の兵士級は、作業用の端末に過ぎない。
本体は、その巨大で強大な、生物的で冒涜的で、ある種の神話的な外観を有する筐体であったのだ。
『さて、そうしたらば……ゆるりと眠って待つとしようか。
英雄たちが、この吾輩を討ちに来るのを……』
◆C号標的
海洋性BETAを統括する重頭脳級/上位存在の人類側呼称。『名無しのBETA』。
桜花作戦後、太平洋の到達不能極に築かれたハイヴにて、不活性化したまま沈黙していると見られている。
極東の女狐曰く「『死せる亡霊、夢見るままに待ちいたり』というところかしら」とのことだが、彼女は何に気付いているのだろうか……?
時折、全世界規模で狂った
◆ルルイエハイヴ
太平洋の到達不能極に築かれた海洋ハイヴの通称。C号標的の根城。
◆『名無しのBETA』
気を抜くとBETA化しそうな自己に対する精神抵抗判定を、狂人特有の頑強な精神でクリアし続けた。覚悟ガンギマリ勢。
深淵に身を投げて怪物になったはいいが、倒されるべき怪物である事実は変わらないので、来たるべき終わりの日まで海底でスヤァしている。
人類のためにも一刻も早く自殺するべきなのだが、死ぬとそれはそれで地上と海中で休眠状態にある無数のBETAの制御が効かなくなるというジレンマ。
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