エンドロールのその後に (ハンバーグ大公)
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1話

 

 

遠い遠い昔。

 

魔王と呼ばれる覇者が大陸を長く統ていた頃。

その時代が100年ほど続いた後、西の王国を中心にして支配下の人々は一挙に蜂起した。

 

その小さな火はやがて大陸を焼き尽くす程の炎となり

次々と諸国は立ち上がった。

 

されど帝国軍も退かず、大陸の各地を戦場として多くの血が流れることとなった。

 

6年の戦いの後、両陣営とも疲弊し、戦争は膠着状態に陥った。

 

帝国側も王国側も決定打に欠き誰もが戦争の終結を絶望視していた時

 

ある男が活路を開いた。

 

その者は勇者と呼ばれた。

 

彼はただ汚い農民に過ぎなかったが、腕っぷしが強かった。

 

何でもないどこにでもいる若者でしかなかった彼は同世代の若者と同じく王国軍に志願した。

 

平凡に立身出世を胸に抱き、平凡に村の仲間を連れ、平凡に民兵中隊に配属された。

 

 

 

 

 

ただ一つ彼が違ったことは生き残ったことだった。

何度も何度も部隊の壊滅に立ち会ってはただ一人生き残り

 

その度に敵騎士の首を持ち帰った。

 

やがて彼は領主に従騎士の位を与えられ、各地の戦場で名を馳せて周った。

 

24人の騎士を討ち取り10人に及ぶ貴族を捕まえ、数えきれない雑兵を倒した後

 

彼の高名は王の耳に届いた。

 

王は彼に選りすぐりの従者を与え魔王を討ち果たすように命じた。

 

王は余興のつもりだった。

たかが一騎士が停滞した戦線に活路を開くなど到底思ってはいなかった。

 

しかし彼は王城に乗り込み魔王を討ち果たして見せた。

 

 

 

カリスマ的な指導者で或った魔王と半ば神聖化されつつあった血族の体制は

統領の死に余りにも弱かった。

 

 

指揮系統に致命的な傷を負った帝国軍は内部から崩壊を起し各地で王国側に各個撃破されていった。

それから半年、帝国は中核領を失い血族は命からがら北へ逃げていった。

 

そして大陸に平和が訪れた。

 

彼は英雄として迎えられ、個人には余りあるほどの栄典を受けた。

 

王女を妻に迎え、侯爵の地位を与えられアーデンの土地を賜った。

戦場から戻って彼は初めて腰を落ち着けたのだ。

戦争終結から6年のことである。

 

 

 

 

 

 

ーーー 王国歴1324年 東部アーデン侯爵領 ーーー

 

 

静かな森に囲まれた、王国西部の辺境に

アーデン侯爵領の屋敷が存在する。

 

かつて勇者と呼ばれた英雄も今ではこの美しい小地方の主である。

 

景勝地であるイーデンの地を望んだのは自分のどういった部分なんだろう。

 

彼は窓の外に広がるカバの森を眺めながらぼんやりと考えた。

 

「勇者様、奥方がお見えになります」

彼は従者に呼びかけられた。

 

その事を聞くと彼はやや不機嫌そうな顔をして

「今日は会いたくないと言え」

と告げた。

 

従者はあきれ顔で了承し扉に近づいた。

 

しかし扉は従者が手をかけるより前に開いた。

 

「アーサー様、お久しぶりです」

 

勢いよく放たれた扉から現れた女性はそう挨拶した。

 

扉を開けたのは彼の妻、元王女のリーゼロッテであった。

 

「リーゼロッテ。よく来たな久々に会えて嬉しいよ」

 

アーサーは表情にはこれっぽっちも不満を出さないで歓迎の意を述べた。

 

がしかし彼女は

「うそを申さないでください。先ほどの言葉聞こえておりましたよ」

とにべもなく告げた。

 

別段特別なことではなくこの夫婦間ではこのような冷めきった関係が日常なのである。

 

彼女は続けて従者に目くばせして部屋から出ていくように促した。

 

アーサーはまたあの話かという顔をした。

 

部屋から従者が出ていったあとにリーゼロッテは対面の椅子を引き、腰かけた。

 

「して、男児の事なのですが」

彼女はこう切り出した。

 

「はてなんの事かな」

アーサーは惚けながらおもむろに机の上のインテリアを手遊びし始めた。

 

リーゼロッテはそんな態度に眉をひそめた。

 

「子供の事ですよ。お忘れですか?」

リーゼロッテは語気を強めて述べた。

 

アーサーはインテリアを眺めながら「もうメアリとアンがいるではないか」と告げた。

 

リーゼロッテはため息をついて立ち上がり

バン!と机を叩いた。

 

「真面目に聞いて下さい。男児が生まれるまで子供は作ると申したではないですか!」

 

彼女は端正な顔立ちには似合わぬ形相で迫った。

これにはアーサーも怖じ、冷や汗をかいた。

 

体躯は何倍もアーサーの方が大きいが彼女には王の気質と言うか

彼女の父に重なるところが多かった。この時もアーサーを驚かせたのは彼女のそういう部分だった。

 

ともかく彼女はアーサーが夜の相手はおろか日頃でさえ会いたがらないところに辟易していた。

 

「このままでは、アーデン家は断絶ですよ!」

彼女は叫ぶように訴えた。

 

アーサーは悪かったと謝り、息巻く彼女をなだめた。

 

暫く沈黙が続いて、両者とも落ち着きまた椅子に腰かけた。

彼女もまたひどく乱暴に怒鳴ったことを恥じ、乱れた金の長髪を手で整えた。

 

それを見たアーサーは先ほどまでの王の化身はどこへ行ってしまったのだろうかと少し可笑しくなったのとこんな華奢な女性に何を怯えていたのかと自嘲もした。

 

今度はアーサーからゆっくりと語り掛けた。

 

「落ち着いて聞いてくれ、リーゼロッテ。俺はな、ただ今の生活が維持できればそれでいいんだよ。

君とメアリとアンが傍に居て、こんなに華やかな生活をしているだけで十分なんだよ。俺たちや娘たちが生きている間は

何一つ不自由することがないくらいお金もあるじゃないか」

 

こう諭すと「それでも」とリーゼロッテは男児の必要性を説いた。

 

アーサーは苦い顔をした。

 

こう聞くと妻の願いを聞き入れたくない頑固な夫と思われるかもしれないが、そうではない。

別段彼女の旺盛な性欲にほどほど疲れたのでもない。

アーサー自身は彼女の事が好きだし、家族を愛している。別段男児を作っても構わないのだが

事情がそれを許さないのだ。

 

彼は国民的英雄である。はたまたリーゼロッテは王家の長女である。

 

王国の皇位継承順位は決まっている。しかし彼女の兄には子が居ない。現在の国王は高齢である。

 

もし英雄と王女の子供が生まれたなら、国民はその子を世継ぎにと推すだろう。

そうなっては兄公との対立は避けられず、アーデン家は政治の舞台に引き出されるだろう。

 

 

それだけは避けたい。平和は得難い物である。何よりも最前線でそれをずぶさに見てきたアーサーにとってみれば

家族内での殺し合いなど言語道断であった。

 

 

もっとも平たく言えば彼女が跨がっているのは自身ではなく栄光で

彼女がねだるのはその先の皇位であるという事実に心底萎えてしまったのだ。

 

 

暫く無益な問答を繰り返し、夫婦間に亀裂が入るのも悩ましかったため

 

その日はとりあえず彼女を満足させるため共に過ごした。

 

夕食を終え、娘たちには不仲を悟られぬよう精一杯に愛想を撒き寝かしつけ床に入った。

 

ベットに入ると彼女はすぐにアピールを開始した。

アーサーは気分が乗らなかったが仕方なく誘いを受けた。

 

服を脱ぎ、互いに触れ

何とか目の前の行為にふけろうと必死になったが

やはり彼女を昔のように眺めることができなかった。

 

 

「はっ!・・はっ!・・」

 

アーサーは彼女に覆いかぶさるようにして

必死にベットを軋ませた。

 

「あぁ!!・・あっ!・・・」

 

体を重ねるたび甘い声を出すリーゼロッテ。体には汗が滲み美しい金の長髪が

妖艶に乱れ、顔を光悦の表情でいっぱいにしていた。

 

だがその顔を見ても声を聴いても彼女の真意はここにはないのだろうという

思いが、一層強くなるばかりでいくら体を動かしても悲しさが込み上げてきた。

 

 

「・・・どうしたのですか・・・?」

 

リーゼロッテが途中で突くのを止めた彼に尋ねた。

アーサーは動くのを止め、息を切らしながら言った。

 

「・・・もう・・・やめよう」

 

ついに哀しみに耐えられなくなったアーサーは苦悶の表情で体を起こした。

そこには、どうして愛を確かめ合うのにこんな思いで胸をいっぱいにしなければならないのか、という怒りも混ざっていた。

 

彼の体はやる気をなくし折れてしまった。

だが、彼を苦しめたのはそれだけではなかった。

顔を上げて見合ったリーゼロッテの顔は彼の心を深く傷つけることとなった。

 

リーゼロッテは歪んだ、今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

もちろん一番最初に想像できたのは彼女の自尊心を傷つけたことだったが

そこには哀しみ、怒り、絶望、後悔の念が滲んでいるようにも見えた。

 

それは写し鏡のようでもあった。

 

 

「・・・そう・・・ですね。そうですよね・・嫌だって言ってるのに、無理にさせて・・・ごめんなさい」

 

そう謝るとリーゼロッテはすぐに顔を逸らし布団に包まった。

 

部屋は暗かったし見間違いだったのかもしれない。

 

でもはっきりと脳裏に刻まれたその場面をアーサーは何度も反芻しながら結局なかなか寝付くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 



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2話

 

 

陽光に照らされアーサーはベットで目を覚ました。

 

ベットにはリーゼロッテの姿は無く、アーサーただ一人だった。

昨晩の事はよく覚えていない。だがあの顔と自らの胸の痛みはしっかりと残っていた。

 

 

アーサーは着替えると従者を呼んび

旅装を整え上流の慣れない装束に身を包み王都へ向かう準備をした。

諸侯を集めた王侯会議が王都にて開かれるのだ。

 

旧帝国領には先の大戦で功労のあった諸将に分割され誕生した小領が多く存在した。

王はこの巨大国家を中央集権で制御し続けることに限界を感じしぶしぶ一部の管区や大貴族に自治を認める代わりに

統制機関として王侯会議を設置した。

 

このため1年に1度、管区卿に任命された諸侯と大侯爵以上の貴族が集められ会議が開かれる。

それでも80近くの貴族が一堂に会する会議は機能的とは言えず

とても民意や個々の事情を反映したものにはなりにくい。

 

こういった事象もアーサーが政治を忌避する理由であった。

 

アーサーはアンとメアリを呼び「お母さまをよく支えてあげなさい」と説いた。

 

「あい!お父様!」二人は可愛らしく手を上げて返事した

 

彼女らはまだ幼い。

リーゼロッテもこの上なく愛情を注いでいるが、彼女の本心に照らせばこの子らが不憫でならない。

従者のバートンに彼女らを頼みアーサーは屋敷を後にした。

 

 

僅かばかりの供回りを連れ王都へと続く街道を進む。

 

アーデンの街を通り、自分が建てたーーー名前はもちろん市民が付けたものだがーーー英雄橋を渡り大街道へと合流した。

 

暫く進み宿場町へ入る辺りで行列に出会った。

どうやら道を逆に行くらしい。

 

遠目には判らなかったがそれは廃兵の列だった。

兵達は負傷し目は虚ろで辛うじて列を保つほどに士気は低かった。

 

アーサーは戦列の中に旗印を見つけだしそこへ駆け寄った。

旗本にはいくつかの馬回りと傷だらけの老騎士が馬にまたがっていた。

 

老騎士はアーサーに気が付くと馬を止め下馬し礼をしようとしたが引き留めた。

アーサーは彼に「貴公は」と聞いた。

 

老騎士は答えた

「私は兄公様の配下、ランドルフでございます。只今より我が所領に戻るところでございます」

 

アーサーは重ねて尋ねた

「この傷はどうしたものだ。どの戦場で受けたものだ」

 

老騎士は言い淀んで

少しの間の後答えた。

 

「北方の、旧帝国軍の残党との戦いでございます。兄公殿の軍団は北征を行ったのですが、奴らの抵抗激しく

この有様でございます」

彼は遠い目をしていた。

彼の所領は遠く、まだ3日かかるとのこと。

不憫に思えたのでアーデンの街で休んでいくよう提案したところ

ランドルフは望外の、という感じで一度は固辞したものの最後には受け入れた。

 

 

その列を見送った後再び街道を王都側へ進み始めた。

 

サーコートをたなびかせ馬を駆る。

 

だだっ広い平野を貫く大路にただ朝日めがけて突き進む。

その光景と共に老騎士の列を思い出す。

懐かしい感触だったなと心のどこかで思った。

 

先ほどの光景に胸を痛めたのは確かだった。しかし彼ら兵士に纏わりついた土と汗と血の香り。

そして老騎士のしていた遠い目、そのすべてが何処か懐かしいものだった。

 

アーサーは馬上で空を剣で切る真似をした。

刀を抜かずただ模倣で。

 

数打振ったあたりで息切れを起してしまった。

チェーンメイルを着込んだ従騎士が心配そうにこちらを見つめている。

 

「すまん。何でもない。気にしないでくれ」

 

こっぱずかしくなり、そうごまかし、再び馬を進めた。

 

その胸の高鳴りが恐ろしくも思えたし、でもやはり過去のものだとその息切れに笑いもした。

 

 

 

 

 

ーーー 王都エルカスター オーフォール宮殿 ーーー

 

アーサーの思った通り会議は遅々として進まなかった。

それぞれが自らの権益や領土を守ることしか頭にない王侯会議は

 

あれこれところころと議題が変わって節操がない。

東方での帝国残党との戦いや

旧帝国領における農民蜂起、更には海禁例の消滅により銀が大量流入し封建制が揺らぎ始めたこと。

 

 

そんなこんなで会議が紛糾すると結局最後は王の一声でこうと決まるのだ。

 

それを見てアーサーは分かった。互いに諸侯に争わせ、結託しないようにわざと公平な会議に呼び出し解れた議論を王の号令で決めるというシステムは

暗に王の指導力の誇示と諸侯の意思を減衰させる意味を含んでいるのだと。

 

あくまで王権による中央集権を拡大したい王と多く誕生した諸侯たちは対立関係にある。

 

ともあれ現体制の維持は王の名声や威厳による部分も大きかった。

かの戦争を勝利へ導いた王。この肩書がなければこの議会は永久にまとまらぬだろう。

 

しかしこの王が高齢であるのも事実。

この王が死ねば政局は必ず乱れる。

 

この議会の混乱が王国にまき散らされる事は間違いない。

後継者である兄公の立場は弱い。

子がおらず、まして戦功を上げられなかった彼は王国から蔑ろにされている。

 

そうなれば私の時代だ。

こう息巻く者はこの議会に多く潜んでいる。

 

 

王国にはいくつかの派閥がある。

 

 

最大勢力はもちろん王家だがこれは2分されている。

兄公の側に立つ者とリーゼロッテの側に立つ者。

 

両者の確執は幼少期から続いている。

兄公は暗愚と言われていたがただ長男であるがだけで持て囃され育った。

だが先の戦では杜撰な指揮で多くの兵を失い、諸侯からの人気は低い。

 

対して妹のリーゼロッテは真逆であった、彼女は幼い時から勉学に熱心であった。

 

 

柔軟で、信仰にも篤い人気のある王女だった。

 

もちろん

最初からリーゼロッテも兄公を見限っていたわけではない。

ただ母が、死に際に言った「お前が男であったなら」という一言に

彼女は野心の炎を燒べられたのだ。

 

 

 

もちろん王国に巣食う権力者たちは彼らだけではない。

 

教会勢力ーーー

 

戦争においては魔術師の供給源となり王国側の勝利に貢献した主教が作り上げた組織。

帝国の庇護となったベルトブンド教会以外は

王国側になびき、正統とされ今日では大陸の宗教世界を戴くこととなった。

 

教会は大陸各地の修道院を傘下に収め、王国にとどまらず各国に股を掛ける

大勢力である。

その意思決定権は法王の諮問機関である教皇院にあり、その構成員である枢機卿の一人がこの王侯議会にも名を連ねている。

 

 

 

はたまた議会の反対側で声を荒げるひげずらの男たちが居る。

 

管区卿連合ーーー

 

アーサーのように戦功を上げた荒武者たちが

旧帝国領に封ぜられ、同じように帝国を分割した諸国や帝国残党とにらみ合う中

その苦境を訴えるため連合した管区卿の寄り合いである。

 

彼らは王国本土の貴族から見れば田舎騎士も良いところ

野蛮で粗暴な者たちで、大貴族からは敬遠されている。

 

しかし彼らは王国内で最大の兵力を持つ派閥で

この事実は王を悩ませる不安材料の一つである。

 

 

このほかにも小勢力や日和見を決め込んでいる貴族がいくつもおり

その均衡を王が何とか保っているのだ。

 

結局議会は管区卿たちの願いを聞き入れ、再び東征軍を編成することとなった。

 

しかし司令官は兄公ではなく大貴族デンプシャー公が務めることとなった。

王は難色を示したが教会勢力もこれに賛同したため了承せざるを得なかった。

 

 

議会はその日のうちに終わった。

 

アーサーは評議場からでて廊下に向かった。

 

貴族たちは大概、王都に別邸を持っているのでそちらに向かうのだが

アーサーはリーゼロッテの保有する屋敷がいくつもあったので

特別アーデン家の屋敷を構えることをしなかった。

 

正門に向けて足を運ぼうとした時ばったりと、思いがけない人物に出会った。

 

「あら、お久しぶりですわ」

その女は上品な言葉遣いで嫋やかに話しかけてきた。

アーサーはその声に振り向き

 

「・・・久しぶりだな」

とあまり歓迎しない様子で挨拶した。

 

そこには背の高い女僧侶が立っていた。

青い髪の目の鋭い女性は幾人か聖職者を連れて、自らも教会の装束を纏って居た。

 

アーサーはその姿を見て驚いた。

「驚いた。君がそんなに偉くなっているとは。その装束は高位聖職者の証だろう?おめでとう」

 

女は笑いながら

「恩着せがましいですわね。まるで私の力ではないみたいな言い方ですこと」

と嫌味を発した。

 

両者の間にピリリとした緊張関係が生じた。

アーサーはこの女をよく知っている。

 

この女の名はアネア。かつてアーサーと共に魔王を討った部隊の一人である。

大陸最高水準の魔術師でありながら破戒僧である。

 

魔力とは、信仰心に比例するのにもかかわらず。

 

「君のように…戒律に従順でない者が出世できるとは思わなかった。といった方がよかったかな」

 

アーサーは今度は明確に敵意を含む言葉でやり返した。

対してアネアは涼しい顔をして

「戒律なぞ後世の人間が決めた決まり事。真に信仰に篤い者であれば

そんなものに従う必要もない。それに」

 

アネアはマントの下から何かを取り出して見せた。

それは絢爛な王笏であった。枢機卿の印字が刻まれたそれはたしかにアネアの手に握られていた。

 

「この王都で、私に逆らう聖職者はもう居なくってよ。侯爵殿」

 

見下すような、今にも傅けと言わんばかりの視線は、

アーサーを突きさすようにそそがれた。

 

アーサーは彼女が自分より大きく見えた。そしてかつての彼女はすでに居ないという事実が強烈に刻まれ、立ち尽くした。

そこにはたただ枢機卿としての彼女が居るのみだった。

 

アネアは王笏でアーサーの肩を突き退かせると

そのまませせら笑いながら去って行った。

 

 



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3話







 

夕刻、リーゼロッテの別邸に到着し時アーサーはもうへとへとだった。

 

バトラーたちは彼を迎えるためあれこれと準備していたが

彼は夕食にも手を付けづ、身を清めてそのまま寝室へ向かった。

 

アーサーは彼らの厚意を無駄にしたことを申し訳なく思ったが

何よりも倦怠感の方が勝ったのですぐに床へ入った。

 

眠気に誘われ暫く夢見の中でまどろんでいたがそれはすぐに妨げらえてしまった。

思わぬ来客があったそうだ。とバトラーが伝えた。

 

その顔は引きつっていた。

 

仰々しく、夜半にもかかわらず屋敷は慌てていた。

アーサーは自分が来た時よりも皆が緊迫しているのに少し腹を立てたが

 

その歓迎を蔑ろにしたことを思い出し反省した。

 

「こちらでお待ちです」

 

執事長はアーサーをゲストルームに案内した。

そこには驚くべき人物が座って居た。

その人物を見れば先ほどの喧騒もさもありなんと思えた。

 

「掛けたまえ」

 

上質の毛皮のコートを羽織った、兄公こと皇太子、リチャード殿下が

部屋に堂々たる態度で座って居たのだ。

 

アーサーは皇太子の言葉通り

下座の席に腰かけた。

 

兄公と会うのは、1年ぶりである。

アーサーは国王直参の騎士のため彼の命令を受けない。

 

にもかかわらず皇太子自ら会いに来た、というのは

王でなく彼の意思と言う事だろう。

 

面倒ごとの予感がアーサーの胸を去来した。

 

 

「リーゼロッテは元気か?」

 

皇太子はぎこちない挨拶で会話の端を開いた。

 

「ええ元気にしております。おかげさまで」

 

アーサーは素っ気ない返事をそのまま返した。

相手の狙いが分からぬ以上不用意に踏み込もうとはしない。

 

 

暫くの沈黙が二人の間を流れた。

 

アーサーはじっくりと、彼の本心を観察するが如く

なめまわすように皇太子を眺めた。

 

皇太子にしてみればアーサーの表情からは何も読み取れず

能面のような彼の表情に汗をかくばかりである。

 

常識で考えても長いくらいの時間が経っても

その後の会話は発されない。

 

皇太子は気味の悪さから「そうか。アンとメアリは?」

と続けたがこれも

「ええ、おかげさまで」

というアーサーのブロックでのされてしまった。

 

再び静かになった室内には秒針が時を刻む音だけが響いた。

両者の緊張関係は予断を許さないほど膨れ上がっていた。

 

皇太子はしきりに窓の外や

部屋に掛けてある絵画に目移りした。

 

そして何か発そうとするとどもって口を閉じるのだ。

 

場の空気は、沈黙の力を知るアーサーに傾き始めていたのだ。

 

 

終には耐えきれなくなり、皇太子の方が要件を話してしまった。

 

「・・・アーサー、貴様はリーゼロッテと我、どちら側につく?」

 

アーサーは拍子抜けだった。皇太子がなんの探りも、計算もなく自らの要求を

すらすらと話してしまった。

 

 

どうしようもなく体面や圧迫にさらされたとき人は焦りを感じる。

 

この術は現在の国王が多用する技で、アーサーも見て盗んだ。

 

 

しかし悲しいかな、それを一番間近で見ているはずの者が何ら対応策を取らず

ただしどろもどろになるしかなかった。

 

噂はーーー暗愚だと言う風評は全く嘘などではなかったのだ。

 

 

「そこまで」

 

アーサーがさらに奸計を巡らそうと動く前に

二人の会話は鋭い遮られた。

 

声は部屋の隅から発された。そこにはいるのが判らなかったほど小柄な、腰の曲がった老貴人が腰かけていた。

 

こんな木偶のような者が?先ほどの強い言葉を発したのか?

 

「貴様、何者だ?」

 

アーサーは気分を害した様子で老人にあたった。

 

彼は暫く何も言わなかった。独特の緊張感が部屋に漂った。

兄公の暗愚で解れた雰囲気がかの老爺の一言で再び均衡へと戻った。

 

老爺はふふと不気味に笑った気がした。

 

「失礼、申し遅れました。兄公の御目付け役を拝領しております、ハリソンと申します」

 

彼はそう、名乗ると立ち上がり兄公の横についた

そして、兄公に変わってアーサーに詰問しだした。

 

「昨今の情勢、鑑みても到底安定とは言いにくい」

 

「そこで先ほどの質問であるが・・・」

 

ハリソンはわざと言葉を止めアーサーに話させるよう促した。

アーサーは

「私達が王政に歯向かう意思があるとお疑いか?」

と述べた。

 

ハリソンはにたりと笑い顔の皺をさらにしわしわにした。

 

「お話が早くて助かります。まして叛心なぞありますまいな?」

ハリソンは強調した。

 

 

「私は王陛下に叙勲されたのですよ?名実ともに今は陛下の諸侯でございます」

アーサーはきっぱりと過不足なく答えた。

余計な口上を付け加えては足を掬われる。そう直感が叫んでいた。

 

 

「しかし、忠臣は次君に仕えずとも言いますな」

ハリソンは嫌味な言い回しでアーサーを刺した。

 

 

「うむ…しかし」

アーサーは言い淀んだ。

まずいと思ったがすぐには言葉は出なかった。

 

「知っております。民草が誰を推しているか、貴族がどちらにつきたいか、もね」

ハリソンは独特の抑揚でそう述べると部屋を闊歩した。

 

皇太子は何か言いたげだったが場の空気に圧されてすっかり蚊帳の外であった。

 

だがその空気に気圧されていたのは彼だけではなかった。

アーサーもまたその覇気に伸されていた。

 

先ほどまで策略家みたいな顔をしていたのが恥ずかしい。

本物の前では全く歯が立たない事を思い知らされた。

 

「更にはリーゼロッテ殿。彼女は最近方々の諸侯によく贈り物をしているそうではないか」

ハリソンは追及を止めなかった。

 

「女性の思いは解らぬもの。さしずめ最近は茶にお熱のようで」

アーサーが言い返す。

 

「文通で茶の話のだけというのも不思議なこと。まして相手が有力貴族ばかりとは、いささか解せませんな」

ハリソンは老いさばらえながら唯一輝きを失っていないその両眼で

じっくりとアーサーを見据えた。

 

「・・・兎に角。私にも、彼女にもそのような思いは全くありません。疑いは全くの杞憂でございます」

アーサーは懇願するように言った。

 

ハリソンは顎髭をなで ならばと近衛兵に筆と羊皮紙を持たせた。

それを受け取ると彼はデスクを用意させ筆と羊皮紙共にそこに置いた。

 

 

「・・・これは?」

 

アーサーはデスクを見つめながら訝しんだ。

 

「誓約書です。王に叛意がないことの証明を」

ハリソンはさらさらと文章を書くと羊皮紙を突き出した。

 

じっとアーサーが凝視する。

「・・・そんなに、私たちが信用なりませんか?」

 

アーサーは静かな、しかし確実な怒りをちらつかせた。

ぎろりと、今度は戦士としての闘志を無礼にもハリソンと皇太子に向けた。

 

しかし

「ええ。信用なりませんな。そして怖い、あなた方は有名になりすぎた。邪魔でしかない」

ハリソンはそれに物怖じせずはっきりと言い捨てた。

 

 

アーサーは怒りとともにも悲しさと苦しさが胸に込み上げた。

数年前までは肩を並べて戦ったではないか。兄公に至っては家族ではないか。

どうにか平穏に暮らせないのか。

 

震える手で羊皮紙に印を押しながらそう願った。

 

 

 

 

 

 



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4話





ーーー 大陸北東部 アイントベルク王国 要衝デルベレッツ城 ーーー

 

 

暗雲立ち込める、山ばかりの寒野にデルベレッツ城塞は存在している。

 

北へ抜ける街道のうち山々に阻まれない北方街道を見下ろすこの城は

古くから帝国の最重要拠点として重臣オーゼンベルク家によって見守られてきた。

 

しかし長く、北の魔族らの本領を守り続けたこの要塞は

今まさに王国軍の手によって堕ちようとしている。

 

 

 

 

 

 

「そうか。ご苦労であった」

 

城主は最後の壁が越えられ残すは城館のみとなったことを告げられ、伝令に労いの言葉を掛けた。

 

伝令は涙ながらに平服し、また城主は生き残った兵を全て城館前に集結させ女子供も武装せよと命じた。

 

そして彼は静かに目を閉じた後

横に控える侍女たちに向かい言い放った。

 

「このオーゼンベルク家の宝具。決して敵に渡してはならない。倉庫ごと火にかけ灰燼に帰せよ」

 

侍女や家臣はそれを聞いて驚いたが、すぐに皆押し黙って覚悟の決まった顔で

 

「承知しました」

 

と述べた。

 

城主は静かに腰の剣に手を掛けた。

ゆっくりと引き抜き

感傷たっぷりに剣の照りを眺める。

 

だが次の瞬間その覚悟は台無しにされた。

 

バリンという音がしたかと思うと高窓のグラスが割れ何かが飛び込んできた。

 

城主は剣を構える。

 

飛び込んだ影はむくりと立ち上がった。

 

「武人としての心構え、御立派です。しかしその宝具は渡していただかなければ困ります」

 

影はそう言うと曲剣を構え城主へ飛び掛かる。

 

侍従が前に出たが、一閃で伏せられた。

城主は慄きながら刺突を放った。

 

しかし剣は空を裂き、城主は胸を貫かれた。

 

「がっ・・ぐはぁ」

 

彼は血を吐きながら膝から崩れ落ちた。

必死に胸の傷口を抑えるが、効果はない。

 

だくだくと流れる血潮に死を悟った。

 

影は曲剣を振るい血を拭った。

 

「・・・・・貴様・・・・名は・・・?」

 

霞ゆく意識の中で、城主はなんとか声を出した。

影はゆっくりと光を帯び人の形を紡ぎ始めた。

 

そして彼はゆっくり振り返った。

 

深い緑のマントに包まれた、おぼろげな背中。

彼は自らを「宵闇のアイザック」と名乗った。

 

 

「そうか・・・君が・・・」

 

城主は、その名を聞いたことがあった。

魔王を討ち取った一行の一人。

アイザックとは宵闇の異名をとる、呪術師である。

 

彼は名の知れた戦士に討ち取られたことに

安堵し介錯を請うた。

 

アイザックは了承し、ゆっくりと城主に近づく。

 

「願わくば、貴公の魂が海へ還らん事を」

 

そう口ずさむとアイザックは城主の首を撥ね飛ばした。

 

 

 

ーーー 翌日、旧デルベレッツ城塞 王国軍陣地 ーーー

 

「・・・空が濁っているな」

 

アーサーは馬上から黒煙で曇る空を眺めてそう言った。

煙は上へ登れば上るほど空へ溶け、その境界はあいまいになっていく。

 

「そうですか、私にはむしろ空がこの煙すらも吸い込むほど、澄んで見えていますが」

 

従者は同じく上を見上げながらそう述べた。

アーサーは訝し気に空を睨んだが、

暫くして「そうかもな」とこぼした。

 

 

やがて彼らは王国軍の野営地に到着した。

下馬し、諸侯の旗がたなびく陣へすぐに向かった。

 

仮の陣屋として使われている富農の屋敷にはすでに騎士たちが勢ぞろいし

アーサーを待っていた。

待たせては悪いと

急いで戸を開け、壇上に登る。

 

 

 

「アーデン侯、アーサー卿である」

 

仰々しく従者が叫んだ。騎士たちは平伏しアーサーの訪問に謝辞を述べた。

 

アーサーは指揮官の交代を彼らに告げた。

 

兄公はすでに王都へ戻り、代わりとしてデンブシャー公が着任する。

 

戦下手の皇太子に前線の兵らはほとほと嫌気がさしていたらしく

これを聞いた時、彼らの顔は一気に華やいだ。

 

 

アーサーは懐かしさを感じていた。

こうやって居並ぶ騎士の列も、彼らの鎧に刻まれた無数の勲章も。

 

すべて懐かしく、愛しくさえ思えた。

 

そうやって感慨にふけっていると

一人の騎士が叫んだ。

 

「・・・恐れながら、お願いがございます」

 

彼は血が滲んだ包帯に包まれた右手を上げた。

 

従者が断ろうとしたが

アーサーはこれを制し、申してみよと述べた。

 

騎士は感謝を述べると

、必死の形相で、掠れながらも意見を述べた。

 

「アーサー卿に・・是非とも、御加勢いただきたいのです」

 

場内は静まり返った

アーサーも度肝を抜かれ、まさかそんなことを言われるとはという感じで

呆気にとられた。

 

どよめきが広がった後

まばらに賛同する声が沸き上がった

 

「そ、そうだ・・」

 

「アーサー様なら・・・この戦局を・・・」

 

やがてその淀みは大きな賛同となって騎士たちを包んだ。

 

次々に湧く懇願にアーサーがたじろいでいると

「なにを言うか!!貴様ら、不遜であろう。身の程をわきまえよ!!」

 

従者は叫んで彼らを制止した。

騎士たちは再び静まり、歓声は止んだ。

 

アーサーはドクンと心音が高鳴るのを腹のうちで感じていた。

 

それでも最初に発言した男は深々と頭を下げ、

「どうか・・・・お願いします・・閣下の旗印だけでも、兵たちは勇み立ちます」

そう申し立て、食らいついた。

 

従者はしつこい彼に、厳しい言葉を投げようとしたが、

それより前にアーサーが口を開いた。

 

 

「いや・・・、貴様らの気持ち受け止めようぞ」

 

重く、ゆっくりとした口調でそう告げると

騎士は急なことで驚き、目を丸くしていたが

すぐに正気に戻ると、まさに感涙と言う感じで泣き出してしまった。

 

「はっ・・・!ありがとうございます・・・」

 

彼は涙でぐずぐずになりながら感謝した。

騎士らは立ち上がり、さも勝利は約束されたかのような

盛り上がり様であった。

 

それだけアーサーの高名と、実力が尊敬されているのだ。

 

アーサーは血が湧き、興奮しているのが分かった。

だからそのまま、剣の柄に手を掛け天に向けて突き上げた。

 

嗚呼、あの頃は何度こんな高揚を味わっただろうか。

騎士らの目は輝いていた。

 

難敵もこの人が居れば勝てる。

 

そんな眼差しだった。

 

アーサーは英雄らしく胸を張り高々と宣誓した。

 

「このアーサーが居れば、あらゆる難敵も撃ち亡ぼせるであろう!騎士よ我に続け!」

 

その後は、よく覚えていない。

 

ともかく、歓喜の狂乱に包まれたままやたらめったら騒いだのだろう。

彼が目を覚ましたのは夕刻の、ベットの上だった。

 

息は酒臭かった。

 

従者はあきれ顔でアーサーの目覚めを確認すると声を掛けた。

 

「おはようございます」

 

アーサーは後悔した。褒められたり必要とされたりすると、すぐに調子に乗ってしまうのは悪い癖だ。

彼はため息をつくと気だるげに体を起こした。

 

「・・・どれくらいたった?」

 

従者は眉一つ動かさず、答えた。

 

 

「さぁ?半日ぐらいですかね。それより来客ですよ」

 

アーサーはこんな辺境で?と訝しんだが。

もう来ているというので追い返すわけにもいかず、部屋に招く様に言ったが

従者は「もう来てますよ」と言い返した。

 

 

 

「久しぶりだな」

 

声のする方に振り返ると

ゆらりと影のような男ーーー深緑のローブに包まれたーーーがすっと、幽霊のように枕元に立っていた。

 

「アイザック・・か!?」

聞き覚えのある声にアーサーは呼びかけた。

男は深めに被ったフードを取り、その鋭い顔立ちを覗かせた。

 

「いつからいた・・?」

 

「お前が運び込まれたくらいから」

 

アーサーは赤面した。

 

「その乗りの良さと、酒の弱さはお前の悪癖だ。てっきり、この6年で治ったものだと思っていたが、悪化しているとはな」

 

アイザックは呆れながら、木の椅子から、従者を退かせて腰かけた。

 

「もう、6年・・・か」

 

アーサーはアイザックが口にした6年という単語に驚きつつ

ベッドから立ち上がり服を着た。

 

「お前はここで何をしてるんだ?」

アーサーはかつての戦友に尋ねた。

 

「見ての通りさ」

 

アイザックは腰に据え付けた曲剣を見せた。

 

「・・・そうか、お前はまだ戦っているのか」

 

アーサーは憐みのような言い方をわざとした。

 

「なんだ、その言い方は」

 

アイザックは遮った。

癇に障った、というより疑問のような調子で。

 

「俺が、内地に戻りたくてしょうがないと思っているのか?」

 

笑いながらでアイザックは言った。

 

「わかってんだろ。俺たちみたいな人間は、ここでしか生きられないってな」

 

「俺にだって貴族になる話ぐらい来てたさ。侯爵とまで言わんが子爵になれた」

 

屋敷の外はもうすっかり日が落ち切っていた。

アーサーは押し黙って、聞いている。

 

「なおさら可笑しいじゃないか。さっきの言葉は。少なくとも昼間のお前を見る限り

ガワは変わっても心の中身は同じままだと思ったが。

あるいは、あの言葉はお前自身に対してか?」

 

アイザックは黙りこくって、アーサーに話を振った。

アーサーは顔をゆっくりと上げ、唇を震わせながら

声を紡いだ。

 

「・・・わからない。だが、俺はウォーモンガーではない・・・はずだ」

 

悩ましいところを突かれた。アーサーは苦悶の表情で答えた。

 

 

「確かに、俺は戦場が恋しい。さっきまでの騒ぎだって俺の本心だ。だがそれはふと血の気が引くと、恐ろしい怪物のようにも思えた。

最近・・・自問するんだ。俺は・・・何のために生きてる?って。

もちろん妻だって子だっている。俺の人生が、もう俺だけの物でない事ぐらい分かってる。でも・・」

 

アーサーは再び口を止めた。そして彼の、苦難が滲んだ表情をアイザックは静かに眺めて、

その境遇にただ同情した。

そして立ち上がると告げた。

 

「・・明日は、北の砦へ進軍する。くれぐれもへまはするなよ。背中を預けられるのは、もうお前くらいしか残っていないんだからな」

 

扉の方へ向かうアイザックにアーサーは手を伸ばした。

 

アイザックは振り返り、肩を叩いた。

 

「なぁに・・・悩むことはない。ここにいる限り、だいたいのしがらみは忘れられる。俺はお前の味方だ」

 

「取り敢えず、飲み直そうぜ。戦友」

 

酒瓶と屈託のない笑顔でアイザックはそう言った。

 

アーサーはその夜だけは、すべてを忘れいつかの記憶を夢に見た。

 

 



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5話

お詫び

ブックマークいただいている方並びにお気に入り登録してくださっている皆さまには大変申し訳ないのですが、現在このタイトルは再編成中です。

話の大元は同じく書き直している最中ですので暫くお待ちいただけると幸いです。

進捗などについては追ってお知らせいたします。


ー大陸北東部 アイントベルク王国 北方街道 アデル砦

 

「退け―っ!!」

 

馬上の騎士が叫んだ。

 

 

兵たちは狭い攻め手にごった返し敵の攻撃に追いやられ

また騎士の命令に混乱し、総崩れとなった。

 

一本しか残っていない退路の端に廃兵は殺到。

 

王国軍はボロボロと谷へ

落ちて行った。

 

 

 

 

 

「ウォルデット侯、前衛の部隊は壊滅です」

報告に指揮官のウォルデット卿は苦い顔をした。

 

「ここは一度兵を引いた方が」

 

幕僚は後退を進言したが、ウォルデット卿は「否」と断り頭を抱えた。

 

「・・・もう、何日も囲んでおる。なぜあんな小城一つ落とせない」

卿はボヤいた。

 

「実は・・・あの城には、オーゼンベルクの子倅がいるとか」

 

馬回りがそう告げると卿は意外といった顔で

 

「オーゼンベルク家は全員死んだのではないのか?」

と尋ね、

「いいえ、末弟のみあの城に」

と馬回りが暗い顔をしながら言った。

 

ウォルデット卿は頭を悩ませた。

 

幕僚の中では兵糧攻めの提案もあったが、

兵力の多い攻め手側はすでに兵糧を食い尽くし、

なおかつ付近の村々からの徴収・略奪もすでに底をつき

先に音を上げるのはこちら側だとしてこれを退けた。

 

あーでもないこうでもないと意見が出ては潰え出ては潰えを繰り返して

何時間と過ぎたころ。

 

「申し上げます!」

 

伝令が走りこんで報告を述べた。

 

「なんだ!今は軍議中だ!早く城を落とさねば・・・」

 

 

「そのことなのですが・・・」

 

伝令は焦った様子で申し上げた。

 

「アデル砦が・・・燃えております!」

 

幕僚はざわついた。

 

ウォルデット卿は驚き立ち上がると陣を飛び出し

物見台に急ぎ上った。

 

 

「なんだこれは・・・」

 

彼は対岸に登る黒煙を目にし、その光景に困惑した。

勿論自らの配下ではない。では誰が?

 

しかしそんな事より彼にとってこれは僥倖。

 

「破城槌を!力攻めで良い!攻撃するぞ!!」

 

ウォルデット卿はそう下知すると

おろおろしている幕僚をしり目に

鎧を纏い、さっと戦場へ飛び出していった。

 

 

 

 

ーーー 

 

アデル砦は崖の上に立つ堅城である。

南を除く方角はすべて断崖、その南側も狭い橋が一つしかない

だから攻め手は攻城塔や射石砲を持ち込むことができず、たった一つの狭い通路を撃たれながら進まなければならなかった。

 

兵糧攻めになれば数の多い向こうが先に音を上げるだろうし、この城に立てこもる兵は戦死した主君に殉じる覚悟を持っていた。

だから幾度となく攻め手を跳ね返したこの城の士気は最高潮であった。

 

 

 

そんなときである裏手から侵入者が入ったという一報を聞いたのは。

当然守備隊は南の正門に兵力のほとんどを割いていたが、北側にも歩哨を立てていた。

 

大規模な攻撃の予兆があればすぐにでも報告があるはずだ。

よって砦の指揮官は、これを欺瞞だと見抜き

兵は割かぬと命じた。

 

 

 

しかしこれは過ちだった。

 

 

 

北の城壁にはたった2人の男が乗り込んだ。

崖を伝って、夜間のうちに北側へ回っていたのだった。

 

「敵襲!」歩哨は叫んでブロードソードを振り下ろした。

その太刀筋は確かに侵入者の首元を捉えていた。

 

彼も歴戦の古兵で、腰の入った確かな剣撃を与えた手ごたえがあった。

しかし次の瞬間、体から血を噴き出したのは自分の方だった。

 

 

 

 

アーサーは歩哨を切り伏せると再び剣を構え直した。

壁上の番兵達が剣を抜き一斉に切りかかる。

 

 

アーサーは自分から敵の集団に切り込むとすべての剣撃を躱し、むしろそれを当て返した。

5,6人が一気に倒された。

 

 

背後から弩兵がアーサーを狙撃をしようと狙う。

瞬間彼らの腕が切り落とされた。

 

なにが起こったか分からず、残った弓兵が半狂乱で叫ぶ

「どこだ!?出てこい!!?」

 

しかし悲鳴を上げる弩兵の傍に、何者の姿もない。

弓兵は首元に嫌な気配を感じた。

そして「ここだよ」と耳打ちされた時にはもう胴と首は泣き別れていた。

 

 

 

アイザックは壁上の弓兵と弩兵を一掃すると、アーサーに合図を出した。

 

アーサーも同じく番兵を倒し、合図を確認すると

アイザックの呪術の支援の下広場へと切り込んだ。

 

砦の兵たちはその灰色の炎を見て恐怖した。

 

それもそのはず

アイザックの持つ技はほかに1人と使える者は居なかった。

 

呪術は失われた技術だった。

魔法が、神聖魔法と黒魔法に分けられながらも

前者が教会に後者が帝国皇室に学問体系として受け継がれているのに対して

口伝とシャーマニズムとに依る呪術は今日ではもはやどこにも存在しない。

 

またその在り様も異質である。

 

魔法が神通力として相手や自分に外傷的な効果を与えるのに対して、呪術は自他の内部に作用し精神や臓器への病魔的な効果を与える。

だから奇術として、原始の信仰ながら恐怖され

異教とされた呪術の多くは排他され地下深くへ埋葬されたのだ。

そしてアイザックは数少ない末裔である。

 

 

「そこで止まれ!!」

 

アイザックの倍もある大きさの重騎士が行く手を阻んだ。

フルプレートのアーマーを着込み、マントを翻す彼は手に純白の鋼に輝いたハルバードを持って立ちふさがった。

 

「貴様は!?」

 

アイザックは息を切らしながら名を問うた。

 

「我は!オーゼンベルク家が6男!カーステン・フォン・オーゼンベルク!貴公は!我が父兄の仇、宵闇のアイザックと見た!」

 

アイザックは口角を上げ、そして上機嫌に「左様!!」と答えた。

 

兵たちは固唾を飲んで見守っている。両者の間にあった邪魔者はすべて退いた。

 

 

すなわち、これは一騎打ちの合図だった。

 

カーステンは勇み立ち、ハルバードを振り回し切っ先をアイザックに向ける。

 

対するアイザックは右手に曲剣を、左手にはタリスマンを持ち相手を誘った。

カーステンは敢えて誘いに乗り、ハルバードを思いっきり叩きつけた。

 

驚くべきはその速度で或る。上段の構えから放たれた一撃はその体躯からは想像もできないほど素早くアイザックの居た場所めがけて撃ち込まれた。

 

衝撃で地面が揺れた。手応えあった。しかしカーステンは油断せずすぐに距離を取った。

煙が晴れる。カーステンは警戒して凝視したが、相手は見つからない。

 

まさか直撃を受け粉々になったのか?しかしハルバードにも汚れは見えないし、悲鳴一つ聞こえなかった。

 

であればどこかに居るはずだ?なら何処に?

 

「後ろです!」「殿下!目の前です!」

 

外野が煩い。居ないではないか!目の前にも。

 

後ろになど・・・!?

 

カーステンは突如として首を背後から貫かれた。

 

「ッ!?」

 

アイアンのヘルムの中であふれる血潮。首の後ろに突き刺さる短刀。

 

それらを確かめて初めて彼は刺されたことに気が付いた。

 

なぜ?背後になど回られるはずがない!なんのカラクリだ!?

カーステンは血の中に溺れ、混濁する意識の中で必死に叫んだ。

 

しかしそれは届かず、今わの際に響いたのはアイザックの耳打ちだった。

 

「汝の魂が、どうか海に帰らん事を」

 

 

 



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