堕天使たち (みくろめがす)
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はじまるまえに

 闇の中、一人の翼を生やした女が地に堕ちてもがいていた。女の背中に翼があることは驚くべきことではない。この世界ではありふれたものなのだから……

 女は堕天使なのだ。

 

 直前の戦闘で右の羽を失った彼女はあまりにも非力であり、無力だったが、女は泣かなかった。気力だけは残っていた。

 当然だ。私は鋼のような精神の持ち主なんだ。それに、どうしても確かめたいことがある。

 

 皆は、「あのお方」は無事なのか?

 

 女は立ち上がろうとした。

 立てなかった。左足が歪な方向に折れ曲がっている……

 だが、彼女の心は折れなかった。涙一つすら流さなかった。あの頃に比べれば、なんということはない。

 

 

 

 カラワーナという地味な名を持ち、平均的な光力しかなく、ほぼ全てにおいて平均から抜きん出たものがない彼女を待っていたのは、平均を遥かに下回る半生だった。心の底から笑うことなど一度もなかった。一緒に話し合える友達もライバルもいない。

 

 それはカラワーナが『神の子を見張る者《グリゴリ》』に入っても何ら変わることはなかった。毎日馬車馬のように働いたが、いい仕事は何一つ来ない。たまに来るのは上司からなすりつけられる始末書ぐらいだ。

 同僚や友人は誰一人いない。「カラワーナ?もちろん知っているさ。あの陰気くさい名前の根暗女のことだろう。え、何処にそいつがいるかって?それは知らないな……」

 

 ああ、またか。皆が私の罵詈雑言を言っている。だがもう慣れっこだ。

 

「よく聞こえなかったのかしら。私は貴方の感想じゃなくて、その女が何処にいるのかが知りたいんだけど」

 

 珍しいな、何の用だろう。また始末書なのだろうか。この前の仕事はお世辞にもいい出来ではなかったからな。

 

「私は彼女をスカウトしに来たのよ」

 

 

なんだって?

 

 

 カラワーナは即座に動いた。これが最初で最後のチャンスであると直感していた。何としても、なんとしてもいい印象を与えなければならない!

 

 

 足音が聞こえる。挨拶する為に席を立つ……

 足音が近付いて来る。顔に作り笑いを貼りつける……

 

 待て!

 

 よりにもよって何故、今日という日にこんな扇情的な格好をしてきたのだろう。おまけに私は美人だ。相手が男性ならともかく、女性なら逆効果にしかならない。

 最後の角を曲がる音が響く……もうどうしようもない。

 

 

 だが相手の姿を見た瞬間に、カラワーナは自分の心配が杞憂に終わったことを悟った。何故なら相手の女性は、自分より遥かに扇情的な格好をしていたからだ。そして美しかった。

 それも、ただ美しいだけではない。この女性は私には無いものを持っている。どれだけ努力しても、決して手に入らないものだ……なんと言うのだろう?

 可愛らしさ?ちがう。そんな低次元なものではない。

 妖艶さか?いや、それを遥かに超えたものだ。

 

 

 気品。

 

 

 その気品ある女性は口を開いた。

「はじめまして。私の名はレイナーレよ。貴方がカラワーナよね?」

「はい、よろしくお願いします」

 そして、レイナーレは言った。彼女にとっては何気ない言葉だったのだろうが、カラワーナにとっては今まで生きてきた中で最も嬉しい言葉を。

 

 

「素敵な名前じゃない」

 

 

 カラワーナは生まれて始めて、心の底から本当の笑みを浮かべた……



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すべてが終わる

 カラワーナは嬉しかった。生まれて初めて、自分のことを見てくれる者に出会ったのだ。褒められたのも初めてだ。しかし、彼女のその気持ちは長くは続かなかった。

 

「貴方には何か得意な物はあるかしら?」

 まずい。何か返事をしなければならない。私にも何か自慢できるものがある筈だ……考えろ。

 

 ―――何一つ見つからない。

 

「いいえ」

 カラワーナはとてつもなく惨めな気持ちになった。

「そんなことないでしょう。高い光力を出せたりするんじゃないの?」

「全く」

「じゃあ知恵を出せたりは?聡明そうな顔をしてるわよ」

「一つも」

 レイナーレは辛そうな表情を浮かべていた。カラワーナは今すぐ死んでしまいたかった。

 この話は断ろう。自分は何の才能もない、文字通りの無能なのだ。これ以上いても恥をさらすだけじゃないか。

 

 だが断りの言葉を考える必要はなかった。彼女には誰にも負けないものがあったのだ。そして、それに気付かせたのはやはりレイナーレだった。

 

「汗くらい出したことはあるでしょう?」

「はい!」カラワーナの耳に、自分がそう返事する声が聞こえた。人生に2度目の、そして日に2度目の真実の微笑みを見せて。

 その日のその時から、カラワーナはレイナーレに仕えることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、カラワーナの周りは何も変わらなかった。相も変わらず周囲は冷たい目線を向け、さらに冷たい言葉をかけてくる。

 だが、カラワーナは変わった。もう私は一人じゃない。レイナーレ様がいる。そして、新しい仲間も。

 

 

 堕天使ドーナシーク。

 カラワーナより先にレイナーレの部下となっていた古株の男だ。それまでは様々な組織を転々としてきたらしい。レイナーレ達の中で誰よりも年をとっており、そして誰よりも物事をよく知っていた。酒を酌み交わしているときに、カラワーナは彼から様々なことを教わったものだ。

 人間界の知識。数々の神器の詳しい性能。

 そしてあの世界に混沌をもたらすテロリスト達の巣窟、「禍の団」のことも。ドーナシークは「禍の団」に関わったことのある数少ない一人だった。

 しかし、そんなドーナシークも、自分自身とレイナーレの過去だけは絶対に教えなかった。カラワーナはそれを深くは聞かなかったし、自らの過去も言わなかった。罪を犯して天使の地位を剥奪された堕天使にとって、過去は忌まわしいものでしかない……

 

 

 

 しばらくすると、その中にミッテルトが加わった。

 彼女はゴスロリ服を着た少女で、光力も魔力も、そしてオツムも無かった。オマケに最初は言葉すら話せなかった。カラワーナはどんな酷い事をされたのかは分からなかったが、なにか(・・・)酷い事をされたのは一目で分かった。それを知った時、カラワーナは自分が如何に恵まれた環境だったかを悟った。

 ミッテルトは生まれて直ぐに親に見捨てられたのだ。社会からも、世界からも。それでも、レイナーレ達は見捨てなかった。

 ミッテルトはレイナーレを他の誰よりも慕っていたのだから。

 それだけで十分だろう。

 

 

 カラワーナにとって、4人で過ごした日々は楽しかった。酒を飲み交わしている時はもっと楽しかった。ミッテルトがボケて、カラワーナとドーナシークが突っ込み、そしてレイナーレがそれを見て笑っている……カラワーナはこの夢がずっと続くことを願った。

 

 だが、夢はいつか醒める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、レイナーレは泣いていた。部下たちには「絶対に泣いては駄目よ、常に前を見て生きなさい」と言っていたにもかかわらず。だが、つらい事があったから泣いていたわけではない。自己嫌悪の涙だった。

ミッテルトが仲間になってから長い時がたつが、彼女たちを取り巻く状況はますます酷くなっていく。もはや誰にも相手をされない。陰口すら言われない。 

もう何もなかった。そして、レイナーレは皆を幸せにさせることができない自分が許せなかった。

 

 もはやカラワーナ達から愛想を尽かされるのも時間の問題ね。でも、私はありとあらゆる手立てを尽くした。毎日、死に物狂いで働いた。10年、20年、30年、40年、50年、60年……そして今月の終わりが70年目。

 それでも、何も変わらない。出世する道はもう無くなったのよ……

 

 嗚呼、せめて私に力があれば!!!!

 

 

 その時、レイナーレは思い出した。「神の子を見張る者神の子を見張る者(グリゴリ)」の総督のアザゼルが、大の神器マニアであり強力な神器を求めていることを。そしてドーナシークが、この付近の教会で、ありとあらゆる者を回復させることのできる神器である「聖母の微笑聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)」の所持者がいるのを見つけたことを。

 おまけにその娘は皆から蔑まれている。奪ったとしても誰も気にしないだろう。

 

 私がその神器を奪えば、偉大なるアザゼル様だって、きっと、きっと……

 

 

 神様が私達を導いてくださったのね!!

 

 だが、レイナーレはとんでもない思い違いをしていた。

 この世界に神はいない。

 レイナーレを導いたのは死神だ。

 

 

 

 カラワーナはレイナーレからその話を聞かされた時に最初は難色を示したが、最終的には計画に乗ることになった。それを話すときのレイナーレの顔は、今までで見たことがないほど喜びに満ちあふれていた。自分が反対すれば、レイナーレ様は悲しむだろう。自分が仕事を断ろうとしたときのように。

 カラワーナはそのような顔を二度と見たくなかった。

 

 それでも、カラワーナは何としても止めるべきだった。その計画を話している時のレイナーレの顔は確かに笑っていた。だがその顔にもはや知性や気品はない。あるのは狂気だけだ。

 そして、彼女たちの計画はリアス・グレモリーと兵藤一誠というイレギュラーによって破綻した。

 

 

 

 

 カラワーナは立ち上がれなかった。おまけに空も飛べなかった。堕ちるところまで堕ちていた。

 それでも、私は生きている。私なんかが生きているんだ。なら皆だって……何とかして探さなければ。

 芋虫のように地面を這って進んでいく。しかし、とてつもなく強い精神の彼女は、涙だけは流さなかった。

 また4人で1からやり直そう。いや、その前にレイナーレ様に謝らなければ。今回の失敗は完全に私のせいなのだ。レイナーレ様は許して下さるのだろうか?分からない。ドーナシークは?ミッテルトは?それも分からない……

 

 彼らがいた木に戻った。あらん限りの声で呼びかける……

「ドーナシーク!ミッテルト!大丈夫か!」

 返事はない。

「ドーナシーク、ミッテルト!何処にいるんだ!」

 何一つ返ってこない……

 カラワーナは周囲を探し始めた。そして、ついに見つけた。

 

 彼女達の散らばった羽を。

 

 答えは2つしかない。そうカラワーナは感じた。彼女達は消滅させられたか……もしくは彼女を、そしてレイナーレを見捨てたのだ。

 

 それでもカラワーナは泣かなかった。レイナーレに「絶対に泣いては駄目よ」と言われていたことを決して忘れなかった。

よく見たら羽の数が少ないじゃないか。ということは、ミッテルト達は生きているんだ。そうだ、そうに決まっている……

 

 

 ほんとうに?

 

 

 彼女は強引にその不安を打ち消し、必死の形相でレイナーレが儀式をしていた教会に向かった。もしかしたらレイナーレ様も私を見捨てたのだろうか?まあ、それも致し方ないだろう。所詮私は、その程度の堕天使だったんだ。まず、教会の入り口に向かわなければ。

 だが教会に入った直後に、カラワーナは見てしまった。何よりも見たくないものを。想像したくないものを。

 

 レイナーレ様の羽だ。それも片方だけではない。両方だ。

 

 

 カラワーナは想像していた。予測もしていた……ただ、覚悟が出来ていなかった。

 

 

 どん底の状態のカラワーナを取り立てたレイナーレは、どんなときも部下への思いやりを失わなかったレイナーレは、そして、この世界で誰よりも美しかったレイナーレは

 

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 紅い髪の悪魔に吹き飛ばされて。

 

 

 

 

 

 カラワーナは生まれて初めて哭いた。

 この世界に神はいない。レイナーレ様もいなくなった。

 

 

 

 

 待て。あれは何だ?

 何人もの羽を生やした奴等が裏口から出ていく。勇んだ足取りで。

 レイナーレ様ではない。

 誰だ?

 

 すぐに分かった。その中心にいる女は、あの紅い髪をしていたのだ。

 リアス・グレモリーだ。

 

 紅の髪の女が勝ち誇った声で何かを語っている。何を言っているのだろうか?

 カラワーナは聞き耳を立てた。

 

「……してもお馬鹿な……だったわね」

 

 全ては聞こえなかったが、何を言っているのかは分かった……奴等は私達のことを嘲笑っている!

 カラワーナは震えた。怒りと悲しみの両方で。奴等の言うことは事実だ。私は大馬鹿だ。

 彼女はその先の言葉はもう聞きたくなかった。だが先を急ごうとしたそのとき、耳に入ってしまった。

 

 

「まあその上司のレイナーレとやらも、あんな奴等とつるんでいたんだから、程度が低かったんでしょうね」

 

 

 カラワーナの耳に、何かが切れる音がした。

 いま、奴はなんと言った?奴は私を侮辱した。それはいい。

 だがその後に、皆を、仲間を嘲笑ったのだ。ドーナシークを。ミッテルトを。

 そして、レイナーレ様を。

 

 

 

 カラワーナは悟った。

 奴等は悪魔そのものだ。

 

 カラワーナは思った。

 奴等は屑だ。

 

 カラワーナは誓った。

 あの女を……『紅髪の滅殺姫(べにがみのルイン・プリンセス)』の異名を持つ悪魔を……

 八つ裂きにしてやる。



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頂点に立つ者は

 悪魔や堕天使が暮らす冥界で最も高い山とされる『神の砦(ディヴァイン・フォートレス)』は、悠久の時を経ても何一つ変わらず下を見下ろす。山の斜面に鬱蒼と生い茂る高山植物はその山と見事に調和しており、正しく神の名を冠するに相応しいものであるかに見える。

 だが、その山の実態はあの『禍の団(カオス・ブリゲード)』によってその名前から最も遠いものとなった。

 

 『禍の団』が結成されてから間もない頃、旧魔王派のトップであるシャルバ・ベルゼブブ、クルゼレイ・アスモデウス、カテレア・レヴィアタンの3人は人工神器や合成獣を開発するために一ヶ所に定住できる軍事拠点を欲していた。だが、そのような大規模な拠点を造るには「神の子を見張る者」などの敵対組織に感づかれてしまう問題がある。

 皆が諦めかけていたその時、カテレア・レヴィアタンは一つのアイデアを提案した。

 

「『神の砦(ディヴァイン・フォートレス)』の中に私たちの新たなる世界を構築するのよ!」

 

 この突拍子もない案は即座に実行される。山はくり抜かれ、表面は建設のカモフラージュに使われた。そして内部には何重もの防御システムの下に『禍の団』の総本部や研究所、ありとあらゆる神器や兵器、聖杯が入れられた大金庫が置かれる事となった。

 どこの陣営も、まさかこのような大胆不敵な方法で拠点を造るとは夢にも思わず、気付いた時はすでに遅すぎた。

 

 世界最高峰の山は世界最強の要塞へと生まれ変わった。

 

 その要塞に付けられた名前は至ってシンプルだ。

 神に反逆するもの、そして『禍の団』の望む混乱。

 

 

『バベル(BABEL)』。

 

 

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『バベル』の防御システムの凄まじさは想像を絶するものだ。その警戒はCIA本部より厳しい。

 要塞全体を覆う特殊金属は、たとえ頭上から水爆が落ちてきても耐えられるような設計が施されている。要塞の周りには無数の地雷が仕掛けられ、何重もの電気柵と赤外線センサーが24時間体制で動き続ける。

 レーダーは要塞の周囲数十㎞の全天をカバーしており、その範囲に入ったものはたとえ雀1羽であっても感知可能だ。発見した場合は即座に上級堕天使や悪魔、そして訓練された多数のワイバーンが殲滅にあたる。地上からは無数のサーチライトが照らされ、夜であっても空は昼間のように明るい。

 

 その最深部に位置する執務室の椅子に、『禍の団』トップの1人、カテレア・レヴィアタンは退屈そうに座っていた。カテレアにとって、変わり映えのしない世界は死ぬほどつまらなかった。

 神が死んだ今、この世は一刻も早く私達によって変革されるべきなのよ。そして、私が世界のトップに座る……

 

 サーゼクスは良い魔王だったが、「最高」ではなかった。そして、私は「最高」だ。

 

 カテレアは「最高」が好きだった。頂、ベスト、至高。何でもよかった。兎に角1番こそが全てだった。

 当然でしょう?地球とかいう矮小な星で最も高い山はエベレストであることは誰でも知っている。でも、2番目に高い山を知っている者はほとんどいない。

 

 そんなカテレアにとって、セラフォルーにレヴィアタン、すなわち魔王の座を奪われたのは何よりの屈辱だった。オーフィスという自分の力を上回る者がいたこともだ。その時から、カテレアはこんな世界を破壊して再構築してやると誓ったのだ。

 そのことについてこう言った中級悪魔がいた。「世界は甘くない」。

 カテレアはその者を即座に吹き飛ばした。

その通りよ。あなたに言われなくても分かっている。

 でもね、世界は賢くもないのよ。

 

 この私を認めなかったんだから。

 

 思い出すだけで腹が立つ。世界を変革し、あのセラフォルーとオーフィスを惨めに地面に這いつくばらせた後はどうしてやろうか。あっさり殺すのはあまりにも勿体ない。そうね、まずは奴らの……

 

 

 だがその時、カテレアの思考は執務室のドアを開けるノックに中断された。忌々しいわね。コバンザメのごとく私にすり寄ることしかできない下種な者たちが。

 カテレアは不機嫌な声で「誰?」と言った。

「中級堕天使のダスティヒです」男の声だ。

「入りなさい」

 ダスティヒがおずおずと入ってくる。

 カテレアはダスティヒが嫌いだった。あの男はこの私より背が高い。それが忌々しかったので、カテレアはダスティヒに「跪け」と命令した。ダスティヒは素直に従った。

 

「要件は何?」

「はい、堕天使達に『アザゼル様は』…」

「何故あんな奴に『様』をつける必要があるの」

「申し訳ありません。『アザゼルは他勢力との戦争を望んでいて、そのために強力な神器を必要としている』という偽の情報を掴ませ、『聖母の微笑(トワイライト・ヒーリング)』を奪わせてから、堕天使達を殺害して神器を我らの物にするという計画ですが……」

「早く言いなさい」

「……失敗しました」

 

 カテレアは目の前のダスティヒを吹き飛ばしたくなる衝動を懸命に抑えた。何年も待たせて、結局そんな結末になるなど、やはり下賤な者たちは当てにならない。

 いや、生きとし生ける物全てが信用ならない……信じられるのは自分だけだ。その為に、『バベル』の警備はほぼ全てを機械化しているのだ。機械は決して裏切らない。

 

 

「堕天使達は上級悪魔のリアス・グレモリーに目を付けられて交戦に入り敗北し、首謀者のレイナーレは死亡。神器を持つアーシア・アルジェントはグレモリー家の眷属になった模様です」

「それから?」

「はい?」

「やるべきことがあるでしょう」

「恐れながら意見を申し上げますと、再びアーシアを狙うことはグレモリー家、ひいては悪魔そのものと戦争をしなければならない可能性があるので利益が乏しいと思われますが」

「生き残った堕天使達はどうするの」

「あのような下級堕天使達など、放置しても構わないでしょう」

「何を言っているの!」

 カテレアは怒りの限界になって立ち上がった。ダスティヒは恐ろしさで顔がこわばっていた。

 

「生き残った者たちが堕天使上層部に事実を報告し、私たちの計画が露見する恐れがあるのよ。何故そこまで頭が回らないの!」

「申し訳ありません」

「早急に始末しなさい。迅速、そして今すぐに。どうするかはあなたに任せるわ。もし出来なければ、あなたの首はないものと思いなさい」

「了解しました」

 ダスティヒは怯えた表情で頷き、カテレアの執務室から去った。

 

 

 

 ダスティヒが出ていった後に、カテレアはずっと考えていた。堕天使達のことを。レイナーレという女のことを。

 カテレアはレイナーレを見たことがなかったが、彼女をこの世の誰よりも嫌悪していた。あの女は唾棄すべき存在だ。ダスティヒの聞くところによると、こともあろうか奴は自分のことを「至高の堕天使」と名乗っていたのだ。

 

 冗談じゃない!!

 

 カテレアは怒りで身を焦がしそうになった。

「至高」は私だけで十分なのよ。

 

 奴は、レイナーレだけはただ始末するだけでは済ましておけない……あいつ等にはこの世界で最も辛い、想像を絶するような苦痛を与えて殺さなければならない……たとえそれが、レイナーレの部下であっても。

 あの堕天使達の断末魔を想像するのは、さぞかし楽しいだろう。

 

 カテレアはダスティヒを呼び戻して命じた。とっても嬉しそうな顔をしながら。

「残りの堕天使達をひねりつぶしなさい(・・・・・・・・・)

 

 

 

 



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二種類存在する

 その日、兵藤一誠の周りには予想外な出来事ばかりが起こった。

 

 アーシアの件はいい意味で想定外なものだろう。リアス・グレモリーの魔力によって両親は何の反対もせずに、アーシアが自分の家で同居する事を許してくれた。問題はその後だ。

 

 学校に着いた時点で、一誠は今日が厄日であることに気付いた。松田と元浜からはアーシアの同居のことでボコボコにされ、そのアーシアは女子達によって一誠がいかに人でなしであるかを異常にしつこく教えられていたが、そのことについては一誠は何とも思わなかった。

 俺はとっくに人間やめて悪魔になっちゃってますから、人でなしなのは当たり前ですもんね!それに、足元を槍でぶっ刺された痛みにくらべりゃどうってことねえよ。

 あいつに、レイナーレにな。

 

 その後も災厄は続いた。夜に人間と契約をするために自転車で家へと向かい、ドアを開けた先に待っていたのは人間ではなく魔法少女の服を着た超人ハルクだった。その超人ハルクと共に「魔法少女 ミルキースパイラル7」とかいう深夜アニメをぶっ続けで見させられている時、一誠はこれで災難が終わることを願った。

 2度も異常な奴らにいろいろされたんだから、もう十分じゃないのか?

 

 終わらなかった―――。

 

 2度あることは3度あった―――。

 

 契約が終わり、自転車に乗って帰ろうとするとき、一誠は前に何者かが立っているのを見つけた。一誠はすぐに天性の勘によって、目の前の者が美少女であることを感じた。

 その勘は正しいだろう。だが、肝心な事が抜けていた。

 

 その美少女は今までとは比べ物にならないくらい異常だった。

 何せゴスロリの服を纏い、背中に羽を生やし、眼には明確な殺意を持っていたのだから。

 

 

 

 ミッテルトは面と向かって立っている兵藤一誠に怒りを抑えきれなかった。

 こいつが、こいつがレイナーレ姉さまを殺したんだ。

 

 

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 ミッテルトは、天使だったころの自らの過去のことはあまり覚えていなかった。思い出したくなかったと言ったほうが正しいかもしれない。

 なにせ彼女は親に生まれた直後に捨てられ、言葉すら話すことができなかったのだから、それも致し方ないだろう。

 

 それでも、ミッテルトは両親のことが好きだった。ウチを生んでくれただけで、感謝しなくちゃならないんだから。

 やがて彼女は独学で言葉を覚えたが、その言葉遣いは下級天使の話し方から見よう見まねで学んだものなので、とても汚らしかった。

 

 そして、冬がやってきた。何の才能もない者にとって、冬の寒さはとても耐えられるものではない。ミッテルトは草原で飢えて倒れていたところを見つけられ、天界の養護施設に預けられることとなったが、彼女にとっては周りの大人たちの自分に対する態度が気に食わなかった。

 いつもいつも、ウチだけにはなんで腫物を触るように扱うんだろう?

 すぐに分かった。

 

 彼女の生みの親は、名門の上級天使だった。その上級天使の一族は凄まじく高い知性を持っていることを誇りにしており、全員が生まれた時からその素養があった。

 ミッテルトを除いては。

 こいつは殆ど0と言ってもいいくらい知性もなく、おまけに戦闘能力も皆無だ。とても使い物にならない。

 一族は相談し……ミッテルトを山に捨てた。

 だが、彼女は死ななかった。生命力だけは一人前だったのだ。

 

 養護施設の者たちは、ミッテルトが上級天使の捨て子である確信はなかった。だが倒れていた時に彼女の着用していた、高貴な純白のロリィタファッションを見れば、誰だってそう思うだろう。

 それを知った時も、まだミッテルトは両親が好きだった。全部、ウチが悪いんだ。

 

 やがてミッテルトがある程度成長したとき、彼女の元に1通の手紙が舞い込んできた。如何にも高価な紙で出来た、立派な封筒だ。そしてその中には、彼女がずっと待ち望んだことが書いてあった。

 

「私が間違っていた。明日迎えに来る」

 

ミッテルトは心の底から嬉しかった。人目を憚らず、親に、神様に向かって大声で叫んだ。

「あっざーす!!」

 

 

 夕方に迎えが来た。8枚もの翼を持つ上級天使の男が近づいてくる。翼が2枚しかないミッテルトはいつもの真っ白なロリィタファッションに身を包んで、いつもの会釈をした。

「これはこれは~!ウチがミッテルトで~す!」

 男は何も答えない。

 

 2人は空を飛び立ったが、ミッテルトの飛ぶ速度は男に比べると遥かに遅い。

「待ってよ~!」

 男はいったん止まり、ミッテルトが追い付いてから再び動き始めた。

「ゴメンゴメン、ウチはあんたたちよりずっと才能ないから。これでもモーレツに努力したんだけどね~。あ~っ、努力して当たり前っていう顔してる!まあ、実際ウチにはそれくらいしか取り柄がないんだけどさ。にしてもなんでアンタ、そんなに速いの?いったいどうやって……」

 ミッテルトはそれ以上話さなかった。コイツは何の反応も示さない。ウチ一人がペラペラ喋りまくってバカみたいだ。

 

 暫く飛んでいると、男がゆっくりと右斜め前方を指さす。ミッテルトがそちらを向くと、空高く聳え立つ立派な屋敷が見えた。

 ここからウチの新たな人生が始まるんだ。ミッテルトの心は躍った。

 

 男が屋敷の入り口に立つ。ミッテルトは一刻も早く入りたくてうずうずしていた。

 入り口の扉が開け放たれるが、出迎える者は誰もいない。しかし、ミッテルトはそれを特に可笑しいとは思わなかった。

 きっと、仕事で忙しいんだろう。

 男は手でミッテルトについてこいという合図をする。行く先には地下へと潜る階段があった。ミッテルトは素直についていった。

 

 階段を降りると、目の前に現れたのは部屋全体を金属に覆われ、中には何一つない殺風景な部屋だった。初めてミッテルトはおかしいと気付いた。

 

「……」

「なんで?」

「入れ」

「なんでって聞いてるのよ!」

「早く入れ」

「なんで!どうしてウチがこんな部屋に入らなきゃならないのよ!」

「いいから、早く、入れ」

「質問してるのはウチなのよ!早くなんか」

 それ以上ミッテルトは話せなかった。男に突き飛ばされたのだ。ミッテルトは部屋のドアの向こう側まで吹き飛ばされる。

「早く入れと言っているのが、聞こえなかったのか?」

 

 ミッテルトはもう少しも心は躍ってなどいない。一刻も早く元の場所に帰りたかった。

入ったと同時に、ガタン!という何か重いものを落とす音が聞こえた。男は扉の覗き板を開けてこちらを見ている。

 ミッテルトは怯えた口調で話し出した。

「どうして……どうして……ウチをこんな目に……」

「もっとひどい目にあわせてやる。今俺の右手にある液体は何かな? 答えは言わぬが花だな」

「なんでよ!ウチが何をしたっていうのよ!」

「何かをしただけでもダメだ」

「それならなぜ、手紙に間違っていたなんて書いたの……」

「本当にそう思っているからだ。たしかに間違っていた……お前は生まれてすぐに殺しておくべきだった」

 

 

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 男はミッテルトの父親だったが、彼女のことが疎ましくてしょうがなかった。あのクソガキのせいで、どれほど危ない橋を渡ったことか。

 ミッテルトが養護施設に拾われたことを知った時、男は慌てた。もしミッテルトを捨てた事が皆に知られたら、自分たちの一族は天界から追放されてしまうだろう。その事態を避けるために、ありとあらゆるところに大金をはたいて揉み消し、肝心のミッテルトも牢屋に放り込んだのだ。

あの部屋は全体を合金で固められていて、その硬さたるや中級堕天使ですら破壊することができないレベルだ。同じく扉も合金でできているのは言うまでもないだろう。

 あんなカスみたいな能力しか持たないクソガキに開けられるものではない。明日じっくり殺してやる。

 

 

 男は満足してベッドで眠りについた……それが命取りになると知らずに。

 

 男はクソガキを、ミッテルトを舐めすぎた。

 



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抵抗は始まった

 

 屋敷の3階に、一際大きな扉がある。そして扉の中にはそれに輪をかけて大きな寝室があった。部屋のすべてを真っ白に塗り固め、天井からは大きなシャンデリアが垂れ下がっている。ミッテルトを閉じ込めた男、すなわちこの屋敷の主の部屋だ。

 部屋の隅には、何十個もの同じ形の瓶が置かれてある物置きがある。そのすぐ下のキングサイズのベッドで、男は気持ちよさそうに眠っていた。素晴らしい夢を見ているのだ。

 男はドリルを持っている。ドリルは命乞いをするクソガキの右手を刺し抜く。クソガキは泣き叫び、男は笑う。そして左腕を槍で突き刺す。仕上げは両脚を鈍器で砕く。ガキは動けなくなる。そして泣き叫ぶ。

「ウチの話を聞いて!!!」

 男は答える。「昔からよく言うだろう?死人に口なしだって」……

 

 誰かが男を呼ぶ声がする。男は起きる。だが、目は覚めきっていなかった。

「お話があります」

 安眠を妨害された男は怒り狂っていた。ふざけるな。一体何時だと思ってるんだ。一番いいところで起こしやがって。

「後にしてくれ、今はいいところなんだ」

「本当に大切な話なんです」

「五月蝿いな、誰なんだ?」

「アンタの娘よ」

 

 

男の眼は覚めた。

 

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 1時間前、ミッテルトは牢屋の中で泣いていた。

 ウチはまたひとりぼっちだ。ウチは死ぬんだ。明日、毒を飲まされて死ぬんだ……

 この牢屋の壁は、彼女の光槍をいくら当てても傷一つ出来やしなかった。今は何時かも分からなかった。何か逃げ出すための道具も何一つない。あるのはただ、四方を覆う何かの金属で出来た灰色の壁と同じ灰色の覗き窓が付いたドアだけだ。

 

 ウチは一体何が、ずっと周囲の奴らを信じてきたことの、一体何がダメだったんすか?

 

 その時、ミッテルトにある考えが浮かんだ。

 いや、それがそもそも違ってたんだ。

「信じる」ってことがダメなんだ。

 今までウチが人の言葉に従って、何かいいことあった?

 ない。ある訳ない。

 今までもないし、これからもないだろう。

 

 ウチはずっと一人なんだ。

 信じられるのはじぶんだけなんだ。

 そうだ、いっその事あいつを……

 

 だが、ミッテルトはすぐにそれを打ち消した。

 あまりにもダメな考えだ。何でウチが、あの男と同じレベルに堕ちなきゃいけないんだ。

 

 誰かを殺す奴はカスだ。相手のことを知らずに勝手に判断する奴はもっとカスだ。これ以上ないほど最低な奴なんだ。

 ウチは確かに弱い。アタマも弱いし、運動神経も、光力もない。

 でも、ウチはカスじゃない。

 カスなんかになってたまるか。あんな男の言いなりになってたまるか。

 ウチは今まで後ろばかり見てきた。これからは、ずっと前に進むんだ。

 ウチはまだ2回裏切られただけじゃないか。3度目の正直。こんどはウチから喋って説得するんだ。そうすれば、きっとわかってくれる。

 アイツも私と同じ、ひとりぼっちなだけなんだ。

 いや違う。どんな時だって、外の世界とはつながっている。ただ、それは皆当たり前だと思っているから、気付かないだけなんだ。

 この部屋だって、ウチが勝手に、「ひとりぼっち」だと思い込んでいただけじゃないの?

 ミッテルトは外部と何らかの形で繋がれる場所を探し、それをすぐに見つけた。

 鋼鉄の扉に取り付けられた覗き板だ。

 ミッテルトが覗き板を押すと、板は難なく開き、向こうの景色が見えた。

 

 よっし。さあ、次は何とかして扉を開けよう。どうすればいいか落ち着いて考えるんだ。閉じ込められる前のことを思い出すんだ。

 そうだ。あの男はどのようにして扉を閉めたんだろう?鍵はかけていない。そんな音じゃなかった。

 じゃあ何でこの扉は閉まってるの?

 ミッテルトは考えた。電子ロックか?そうだったらお手上げだ。でも、違うだろう。扉は昔から作られているものだった。魔力や光力の類?いや、だったら音が出るはずがない。だったら答えは一つしかないじゃないか。

 

 かんぬきだ。外からかんぬきをかけたんだ。

 かんぬきを開けるにはどうすればいい? 考えるまでもない。扉と壁にまたがっている、扉を固定している棒を外せばいい。でも、覗き穴を通して棒を外す道具は部屋にはない。そもそも部屋には何もないんだ……

 お手上げじゃんか。

 

 バカ!何を言ってるの!

 ウチは今、決めたんだ。もう振り返らないって。ずっと前に進むって。

 道具がなければどうすればいい?決まってる。

 

 作るんだ!

 

 ミッテルトは自分の純白のロリータファッションを破り捨てた。破った布は、細く、そして長かった。その後、光槍を作り出した。槍は強度より、それ自体の持続時間を重視したものだ。何故かは言うまでもない。

 かんぬきの扉を固定している棒に、光槍の先端を引っかけて外すんだ。

 

 急いで光槍を破った布に括り付け、覗き窓から垂らしてゆく。

 いつアイツが戻って来るか分からないんだ。急がなくちゃ。

 カンッ!!

 マズい。光槍と扉がぶつかる音でアイツが目を覚ましてしまう。慌てず、急いで、正確にやるんだ。

 

 だが、もう一度挑戦しようとした時、光槍は消滅してしまった。ミッテルトは思わず毒づいたが、決して弱音は吐かなかった。何度も何度も光槍を作り、かんぬきの棒に引っかける努力を繰り返した。

 そして8回目の光槍を垂らしたとき、ミッテルトは先端部分が何かに引っかかる感触を感じた。喜ぶ気持ちを抑え、光槍をゆっくりと上に持ち上げる。

 

カラン……

 

 何かが向こうの部屋の、コンクリートでできた床に落ちる音がした。小さな音だ。しかしミッテルトにとっては、何よりも大きな音だった。

 ミッテルトはゆっくりと金属の扉を押した。扉は音もなく開く。

 やってのけた。とうとう、やってのけたぞ。ウチは勝ったんだ。

 

 男はやはり間違っていた。ミッテルトはただのクソガキではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミッテルトは急いで部屋を出て、地上へと向かう階段を上り……

 男の前に立っていた。

「大事な話だっていったじゃないっすか」

「どうやってあそこから……」

 ミッテルトはそれに答えなかった。

「いっとくけど、ウチを殺そうと思ってもムダよ。ウチが警察を呼んだから」

 最も、警察を呼んだのはあくまでをミッテルトが殺されないための保険に過ぎない。男が一言でも謝れば、ミッテルトは警察に間違いだったと連絡するつもりだった。

 だが、男の反応はミッテルトの想像とは180度違っていた。男は笑ったのだ。勝ち誇ったような声だった。

「何がおかしいの?」

「何もかもさ。俺はお前を殺そうだなんて考えてなんかいない。そんな馬鹿なことをするものか。俺はお前なんかとは違う。そして、お前はもう終わりだ----」

「どうゆうこと?」

「なぜ、お前が俺の子であることが皆に暗黙の了解のように分かってても、俺は何もされなかったのかな?どうして俺がお前を殺すことを、この屋敷の者を止めなかったのかな?バカなお前は考えたこともないだろうな」

「何がいいたいの……」

「警察は全部俺の部下なのさ。お前は警察なら信用できると考えたんだろう?砂糖みたいに甘い奴だ。そんな調子だと、いつかあの薄汚い堕天使に堕ちてしまうぞ」

 

 「そして、そのいつかはもう聞こえてくるぞ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 いくつもの足音がする。警察の奴らがこっちに来る音だ。でもその音はあの男ではない。ウチを捕まえに来ているんだ。何もしてないウチを……

 ミッテルトは自分がもう終わりなのだと感じた。しかし、どうしてもやりたいことがあった。

「……殺してやる」

「何かな?」

 

「殺してやる!!!」

 

「やめておけ」

 その言葉にかまわずミッテルトは光槍を作り出して突撃した。コイツだけは、コイツだけは許せない。堕ちたって、死んだって構うものか。

 だが、男は何もしなかった。彼女の槍は何の抵抗もなく男の腹に突き刺さった。ミッテルトは、何故男が何の抵抗もしなかったのかが分からなかった。だが、その疑問は瞬く間に氷解した。

 ハッタリだ。

 警察が俺の部下だとか言うのは、全部ウチを逆上させてアイツに攻撃させるためのハッタリだったんだ。ウチを堕とすための……

「刺してくれてどうもありがとう。だからお前は馬鹿だと言ったろう……」

 

 

 ミッテルトは堕ちた。

 

 

 

------------------------------------------------------------------

 

 

 

 堕天使になったミッテルトは変わった。白いロリータファッションは黒いゴシックロリータになった。純白の翼は暗闇色の汚れた羽になった。

 女子の皆が雛祭りで華やぐとき、ミッテルトは一人で路地裏に座っていた。彼女にとっては、3月3日も12月25日も何も変わり映えはしない。ずうっと一人だ。

 目の前に、一人の帽子を被った中年の男が来るまでは。

 

 

 その男は彼女の前でじっと辛そうな顔をして立っていた。ミッテルトは男があくまで「辛そう」な顔をしているだけで本当はなんとも思ってないことを本能で感じた。

 ミッテルトは「あっちに行け」という無言のオーラを出したが、男は話しかけてきた。

「なんで、君はそんなところに座っているのかな」

 うるさい。ウチに「誰にも頼る人がいないからです、助けてください」とでも言わせるつもりなの?

「まあ、話したくないなら別に話さなくてもいい。私は君に心から同情しているんだがな。分かってもらえなくて残念だよ。ところで、君は食べ物を欲しそうな顔をしているじゃないか。そうだろう?そら、食い物だ。良ければ受け取ってくれ。毒は入ってないぞ」

 目の前にパンが出されたが、ミッテルトは受け取らなかった。男が気に入らなかったのもあったが、どうしても彼の言葉に引っかかるものがあったのだ。

「なんで受け取って食べてくれないんだ?そうだ、のどが渇いているんだな。じゃあ水を出してやろう。ほらどうした、毒はないんだぞ?」

 

 この男が毒のことを強調していることに気付いた時、不安は確信に変わった----

 目の前の瓶があの男の部屋に置いてあったのとまったく同じであるとき、確信は恐怖に変わった----

 

「どうした?父親に挨拶もできないのか?」

 

 

 ミッテルトの口から出た言葉は挨拶でも、皮肉でもなかった。「やめて……」

「お前はなぜ俺がここにいるのかって顔をしているな? 理由は二つある。一つはお前が呼んだ警察の奴らが、俺の傷が浅いことを疑いだしてな。お蔭でミカエルの野郎にバレ、俺も仲良く堕ちたってことさ」

「やめて……」

「面白いことを言うな。俺の顔をよーく見ろ。やめると思うか?おもちゃを買ってやるような顔に見えるか?」

 

 男の全身に殺気が漲るのをミッテルトは感じた。

 ウチがアイツとまともに戦ったところで勝ち目はない。逃げるしかない。どうにか初撃だけ避けられれば……

 

 甘かった。次の瞬間、ミッテルトは地面に体を叩き付けられた。拳を上から振り下ろす動きが、ミッテルトには全く見えなかった。それくらい速い一撃だった。

「助けて……誰か……」

「驚いた。まだ喋れるとは。それに免じて、二つ目の理由を教えてやろう。それはだな……」

 その時、男のすぐ後ろから声が響いた。女の声だ。

 

 

 

「私に殺されるためよ」

 

 

 

 男はすぐさま振り返った。しかし、遅すぎた。男の胸には一本の光槍が突き刺さっていた。

 ミッテルトは何か起こったのか全く分からなかった。だれかがウチを助けたの?まさか。こんなみすぼらしくて弱いバカなアタシを助ける奴なんているはずが……

 そのまさかだった。

 

 だが、男は死んではいなかった。自分の胸に突き刺さった光槍を引き抜き、女に向かって右手で突きを繰り出した。顔を狙っていた。女はそれを辛うじて避けた。

 マズい。傷を負っていてもアイツの動きの速さは常軌を逸している。ウチを助けてくれた女の堕天使ですら、あの男には敵わない。

 ミッテルトは叫んだ。「逃げて!」

 女はそれを無視し、両手から光槍を作り出した。

 

 

 男は素早く両手に光力を纏わせてガードを固めた。当然だ。両手で光槍を作り出したなら、次の動きは右手で斬り付けるか、左手で斬り付けるかしかない。ミッテルトにも、男にもそれは分かっていた。

 

 女はそのどちらもしなかった。

 

 男に向かって突進するが早いか、女は男の足に向かって蹴りを放った。蹴りは男にダメージを与えることはできなかったが、バランスを崩すには十分すぎた。

 女はそれを逃がさず、右手の槍で男の腹を突いた。突きはまともに入り、男は叫び声をあげる。続いて左の槍が男の脇腹にもろに直撃し、男は完全に戦意を失った。

 それから先は赤子の手をひねるようだった。3撃、4撃と女の攻撃は着実に男にヒットしてゆく。

 女のどの打撃もそれほどの速度はない。

 しかし、美しさがあった。優雅さがあった。今まで見たどの天使よりも崇高で、どの堕天使よりも妖艶なものがあった。

 そして6発目に首筋目がけて女は槍を突き立てようとした。男はすでに蹲っている。

 だが、その攻撃は届くことはなかった。ミッテルトが身を挺して男をかばったのだ。

 

「コイツを殺すつもりなの!?」

「殺すつもりよ」

「ダメ」

「正気?この男があなたに何をしようとしたか分かってるの」

「もちろんよ。でも、アンタはあの男と同じカスになるつもりなの!?」

「……」

「言い方がきつかったらゴメン。でも聞いて。 ウチは天使の時、コイツを殺そうとしたの。最後の最後で、我慢することができなかった。だからウチは堕ちた。ウチはカスになった。コイツと同類になった」

「アンタだけには……ウチを助けてくれたアンタだけにはそうなってほしくない」

 ミッテルトは目の前の女性をしっかりと見つめてこう言った。これだけは、何が何でも譲れないことだった。

 

「分かった。とりあえずこの男は私がグリゴリに連れていくわ。貴方は少しここにいて頂戴」

「……待って」

「何?」

 

「ありがと。ウチを助けてくれて」

女は優しく笑った。「お礼を言わなきゃいけないのは私の方よ……」

 

 

 

 次の日、ミッテルトは同じ路地裏で座っていた。

昨日、ミッテルトを救った女がやって来る。

「どしたの?今日はウチを狙う輩はいないッスよ?」

「そんなのじゃないわ。今日はとっても大事な話があるの」

「なんスか?」

「自己紹介を忘れてたわ。私はレイナーレと言って、『教会』っていう組織のリーダーをしているの」

「で?」

「私と一緒に働かない?」

 ミッテルトは言葉を失った。

 なんで、なんでウチなんかを?

 

 

「え、え~っと……」

「『教会』にいるのは私だけじゃない。結構大人数の組織なの。決して悪い話ではないと思うんだけど」

「いやそうじゃなくって、ウチなんかをどうして?ウチは力もないし、アタマも悪いのに……」

 

「あなたはとっても優しい」

 

「ふぇ?」

「優しいことは、この世界で2番目に大切なのよ」

「じゃあ1番は?」

 

「決まってるじゃない。自分に自信を持つことよ」

 

「……」

「もう一度言うわ。私と一緒に働こうと思わない?」

 

 答えは分かり切っていた。



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しかし無残にも

 初めて会った時から、ミッテルトはレイナーレの全てが好きだった。美しい顔立ちや均整の取れた体つきはミッテルトにとって憧れだった。言葉遣いや性格も素晴らしいものに映っただろう。だが一番好きなのはそのどれでもなく、身のこなしだ。

 ミッテルトは、レイナーレが男に放った蹴りを何百回も練習した。あの時の動きを自然とできるようになる為にレイナーレの一挙一動をこっそりと観察し、何千回も繰り返した。その努力が全て徒労に終わった時、ミッテルトは悟った。

 

 ウチは、永遠にレイナーレ姉さまに勝てないんだ。いいや、姉さまに勝てるヤツなんてこの世にいない。

 

 だから自分が仲間たちとともにリアス・グレモリーに吹き飛ばされ、奇跡的に助かった時もミッテルトは慌てていなかった。

 さっそうと現れて、目の前の赤い髪をした悪魔や巫女のコスプレした奴をあっさりと倒すんだ。だって姉さまは強いんだから。

 

 

 確かにレイナーレは強い。しかし、兵藤一誠はもっと強かった。

 それだけのことだったが、ミッテルトは認められなかった。

 

 

 だからミッテルトは今、兵藤一誠の前に立っていた。

 殺意はあったが、ミッテルトがここに来たのは殺すためではなかった。

 そんなことをしたって、姉さまは生き返らない。コイツに、姉さまを殺したコイツに生き返らせてほしいって頼むんだ。悪魔に転生させられれば、姉さまはまた元に戻れる。

 

 姉さまは悪魔のことをきらってた。自分が悪魔になったことを知ったら、姉さまはどんな顔をするだろう。死んだ方がマシだって思うのかもしれない。たぶんウチの行動は単なる自己満なんだ。

 でも、それしか思いつかないの。ウチの頭じゃね。

 

「姉さまは最初はアンタを殺そうとしなかった。槍をワザと外した。なのにアンタは……」

 やらないより、試したほうがまだマシだという思いでミッテルトは兵藤一誠へと向かって話しかけた。

 

 

 実際はやらないほうがずっとマシだったのだが。

 

 

---------------------------------

 

 

 

 兵藤一誠は、目の前にいきなり現れた少女についていくつか推理した。

 (1)コイツはかわいくて、(2)身長とおっぱいは小猫ちゃん並みに小さく、(3)背中にレイナーレと同じ羽をはやした堕天使で……最後が一番重要なんだ……

 (4)俺に敵意を持っている。

 

 どう見ても話し合いが通じるヤツではない。この前に現れたカラワーナ……部長が消し飛ばしたとか言っていた奴に俺が襲われた時と状況は一緒だ。俺を殺そうとしているのも全く同じ。でも違うことが一つ。

 極めたら神すら倒せる神器である「赤龍帝の籠手」、即ちブーステッド・ギアを俺が持ってるということ。それを向こうは知らない。

 

 それを利用しない手はなかった。一誠は左腕の「赤龍帝の籠手」をレイナーレがアーシアを殺害したことへの怒りによってこっそりと起動させた。『Dragoon Booster!』と言う声とともにでかい光と音が発せられる。

 

 一誠はバレやしないかとひやひやしたが、相手は驚いて攻撃したりせず話しかけてきた。

「何でレイナーレ姉さまを殺したの」

 一誠はミッテルトのお喋りを邪魔したりはしなかった。むしろもっと続けてくれたほうがありがたかった。時間がたてば経つほど、一誠の「赤龍帝の籠手」は強くなるのだから。10秒ごとに力を倍にする神器なのだ。

 レイナーレとの戦いは、この神器の詳しい性能が分からないまま終わってしまった。コイツとの戦いで確かめてみるのもいいかもしれない、という思いがあった。

 

『Boost!』

 4倍。体中を力が漲ってくるのが一誠にははっきりと分かった。

「姉さまは最初はアンタを殺そうとしなかった。槍をワザと外した。なのにアンタは……」 

 一誠はミッテルトの話すことなど聞いていなかった。レイナーレと同じく長ったらしいことをペチャクチャ喋っているのが、むしろ滑稽にも思えた。

『Boost!』

 これで8倍!

 一誠は既に余裕をもって考えていた。レイナーレにはこの時点で既に追いついていた。じゃあ目の前で何か喋っているコイツにはこの辺りで十分なんじゃないか?いや、そう考えるのは危険だ。俺には万に一つの負けも許されないんだ。負けたら死ぬ。それを忘れてはいけない……

『Boost!』

 16倍!! 

 

 一誠は目の前の少女に真正面から突進していった……

 

 

 

 

 

 

 兵藤一誠がまっすぐ突っ込んできたことがミッテルトには信じられなかった。そんな行動をすべきなのは余りにも実力差がある相手の場合だけだからだ。だから必ず、何らかのフェイントを入れるに違いない。右か、左か、はたまた上か。それとも姉さまのように蹴りを?

 しかし、一誠はどれもせずに掴み掛ってきた。ミッテルトは引き離そうとした。光槍を使って戦うミッテルトにとって、接近戦は不利だ。しかし、突っ込んできた以上に信じられないことが起こったのだ。

 

 引き離せない。

 

 両腕を万力のような力で締め上げられている。ミッテルトは全力で抵抗したが、そんなものは存在しないのと同じだった。一誠が振りかぶって頭突きをしようとする。どうすることもできないまま、こんなはずがないとミッテルトは混乱していた。

 一誠の頭突きがミッテルトの顔にまともにヒットして、彼女の鼻の骨が折れたとき、ミッテルトは混乱の極みにあった。ありえない。ただ力を倍にするしかない「龍の手」(トゥワイス・クリティカル)にここまでの力があるわけがない。

 

 

 一誠は追撃のパンチを入れる。4発だった。

 1発目の右フックは懸命にブロックしようとしたミッテルトの左腕をへし折った。

 2発目は腹へのボディブローだった。ミッテルトの体がくの字に折りたたまれる。

 3発目の顎に入ったアッパーカットはもっとひどい結果をもたらした。

 ミッテルトの下顎骨は数本の歯とともに粉砕された。

 そして、4発目の狙いすました必殺の左ストレートがミッテルトに向かって放たれた。レイナーレに放ったものと全く一緒の軌道だ。全てを終わらせたあの一撃と。

 

 しかしそれは空振りに終わる。

 ミッテルトは3発目のパンチで大きく後方へと吹き飛んでいた。

 

 

 

 

 

 吹き飛ばされながら、薄れゆく意識の中でミッテルトは考えていた……

 

 

 レイナーレ姉さまはコイツに負けて死んだ。

 ウチも死ぬんだ。

 

 

------------------------------------------------------------------

 

 敵を倒す時に最も大切なことは何か? 

 この問いの答えを知らないものは多い。ミッテルトがその典型例だろう。知っていても実践できないものはもっと多い。レイナーレも、ドーナシークもそうだった。

 

 一誠は違う。

 油断するな、と言い聞かせて一誠は荒い息を吐きながら、吹き飛んで家の塀に激突して倒れているミッテルトに向かって歩き出した。立ち去ったり、無駄口を叩いたりなんてしない。

 一誠は問いの答えを知っていた。

 

 

 

 しっかりと息の根を止めるということを。



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夢は砕け散った

 暗がりのなかで兵藤一誠のやろうとしている行為、すなわち30mほど離れてうつぶせに倒れているミッテルトにとどめを刺すことは正しい。脇目も振らずにそれを実行しようとしていることも。にもかかわらず、一誠はミッテルトに向かって歩きながら悩んでいた。肝心なことを思い出したのだ。

 おい、俺はそれを今まで一度もやったことがないじゃないか。

 はぐれ悪魔バイサーの時は、一誠はオカルト研究部のメンバーが討伐するのをただ見ていただけだった。フリード・セルゼンは途中で逃げてしまった。レイナーレは確かに倒したのは一誠だが、とどめを刺したのはリアス・グレモリーだ。いざとなったらどうすればいいのかが彼には分からなかった。顔を地面に叩き付ければいいのか? 背後から絞め落とす? それとも……

 

 そう考えているうちに、距離はあと20mになった。一誠はとどめの刺し方について考えるのをやめた。いざとなったら分かることだろうし、なにより相手はピクリとも動かないのだ。何の抵抗もされないだろう。頭を思いっ切りぶん殴ればそれで終わる話なのだ。そして何より、ミッテルトは彼が戦った今までの誰よりも弱かった。

 一誠はもう落ち着いていた。呼吸も整い、まるで散歩でもするかのようないつも通りの速度で歩いていた。悪魔になり、常識を超えた耐久力とスタミナを持ったのだ。おまけに夜でも全く行動に支障がない。

 だからこそ、一誠は目を疑うようなものを見てしまった。

 

 奴の指が動いている!

 

 信じられない思いで、彼は立ち止まってミッテルトを見つめた。嘘であることを願いながら。しかし、目の前の死にかけの堕天使は動き続けた。それも、どんどん活発になっていた。指から手、手から腕。それどころじゃない。やつは立ちあがろうとしている(・・・・・・・・・・・・・・)

 まずいという思いが一誠を駆け巡った。冗談じゃない。ここまで追い詰めておいて逆転を許すなんて、まるであのレイナーレと同じじゃないか。俺はあんなやつとは違う。同じであってなるものか。

 

「畜生!」

 一誠はそう叫んだ直後に駈け出した。15m、10mと距離はどんどん縮まってゆく。人間をやめて悪魔になった彼は、走る速さをますます上げていった。

 そして、彼はミッテルトを捕まえた。右手で金髪を持って引きずり起こす。どういう風にとどめを刺すかは走っている時にもう決めていた。今度こそ逃げられない、鼻への全力のストレート。

 一誠は思いっ切り左手を振りかぶり渾身のストレートを放ち、ミッテルトの全てを終わらせた……

 

 

 

 

 

 はずだった。

 拳を放とうとしたその時、一誠はミッテルトが何かボソボソと喋っているのに気付いた。彼は無視しようとした。しかし、できなかった。微かな声が耳に届いてしまった。

 

 

「ごめん……なさい……」

 一誠は面食らった。コイツは復讐に来たんじゃないのか?

「ごめん……なさい……ウチの……せいで……」今度ははっきりと聞こえる。

 

 

「どういうことだ?」

 そう尋ねた一誠は左手を下した。

 

 一誠は人間をやめたが、人間らしさ(・・・)までは失っていなかった―――。

 

 

----------------------------------------------------------------------------------------------------

 

 

 今の今まで気絶していたミッテルトは何が何だかわからなかった。急に引っ張られたかと思うと、相手が何か喋っている。

「どういうことだ?」

 いきなりぶん殴っておいてそれはないんじゃないの、とミッテルトはしゃべろうとしたが、それは敵わなかった。即座に顎の骨が折れたことによる激痛が襲ってきた。

「いた……い」

 それを聞いた相手は、掴んでいた髪の毛を放してミッテルトを抱きかかえた。ミッテルトは人生で3回目の抱っこを経験したが(残り全てはレイナーレだ)、ちっとも嬉しくなかった。地面に横たえるように彼女を置いた後、相手は再び訪ねてきた。「どういうことだ?」

 ダメだ。何聞いてんのかぜんぜんわかんない。でも、何か答えないとヤバい。

 

「もう一度聞こう。どういうことだ?」

 前言撤回。コイツはマジで(・・・)ヤバい。

「なにが……?」

「決まっているだろう。お前が謝ったのはなんだ?」へえ、ウチはそんなことしゃべったの。

 

 この時アーシアのことについて謝ったと嘘をつけば、きっと一誠は許しただろう。アーシアを殺して神器を手に入れようとしてすまなかったと。もう二度とこんなことはしないと。

 

 だがミッテルトは、そんな嘘をつけるほど賢くなかった。

「姉さまに……顔向けできなかったから」

 痛みのせいで、いい言葉が思いつけなかった。

「ウチは……姉さまのために……なにもできなかった」

 そしてそれが、ミッテルトを救ったのだ。

「ウチがもう少しできてたら……姉さまは……あんなことをしなかった」

「あんなことって?」

「アーシアを……攫ったり。姉さまは、みんなの為に働いてた……ドーナシークとカラワーナは、みんなの為に強くなろうと努力してた……ウチは、みんなの為に……なにもしなかった」

 

「なあ。お前の名前、何と言うんだ?」

「……ミッテルト」

「そうか。ミッテルト、一つだけ言いたいことがあるんだ」

「……なに?」

 

「すまなかった」

 

「……ねえ、お願い」

「なんだ?」

「姉さまを……生き返らせて?」

 

 一誠は黙っていた。どんな返答をすべきなのか分からない表情をしていた。怒り、悲しみ、罪悪感、そしてそれらすべてが合わさった表情だ。

 ミッテルトは必死の思いで尋ねた。これがどう考えても、レイナーレを生き返らせる最初で最後のチャンスであることは分かっていた。

「お願い……姉さまを生き返らせて?」

 一誠からは何も返事は返ってこない。ミッテルトは辛抱強く待った。

「何か……言って?」

 返事が返ってきた―――ミッテルトの後ろから。

 

 

「何と言ってほしいのかしら?」

 

 

 ミッテルトは心臓が止まりそうになるほどの衝撃を覚えた。その芯まで凍りそうな冷たい声をほんの少し前に聞いたことがあった。

 

 その声の主は女性だった。レイナーレと同じく気品のあり、そして強い女性だった。

 ただ……

 

 

 

 

 

 彼女の髪は、紅かった。

 



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堕天使たちの休暇(「堕天使たち」スピンオフ) 第1話 じゃんけんには必勝法がある

「堕天使たち」のスピンオフです。レイナーレ達がハワイに行ったら……という話ですが今回はプロローグのそのまた最初なのであんまり進展しません。



 2007年の8月18日、世間ではとっくに夏だったが、堕天使レイナーレの部下のドーナシークはうすら寒い思いだった。

 

 ドーナシークにとっては夏も冬も同じだった。いつも相変わらずコートを着用していたし、手袋をはめていた。手袋は指紋を残さないためで、コートは敵の攻撃を緩和したり、いざとなったら中に物を隠すにも非常に都合がいい。ドーナシークは服には実用性しか求めていなかった。

 そんなドーナシークにとっては、他の者たちの非実用的な服装が不思議でしょうがなかった。だがレイナーレは上司なのであまりとやかく言わないほうがいいだろうと思ったし、カラワーナはまだ我慢できた。

 しかし、つい1月前に仲間になったミッテルトは別だ。

 ミッテルトの着ている服は正真正銘のゴスロリだ。偵察、見張り、戦闘。全局面において最低最悪クラスと言っても過言ではないだろう。ドーナシークがそれを注意した時、ミッテルトは返した。「じゃあアンタの望む服って何よ」そしてドーナシークが実用的なデザインの服をラフで書いた絵を見せると、ミッテルトは一瞥してこう言った。

「つまんないの!」

 ドーナシークは目の前の少女を張り倒したい気持ちを我慢してその場を去った。そんなこともあってか、ドーナシークはミッテルトのことが嫌いだった。そしてそのミッテルトが、今回のドーナシークの薄ら寒さの最たる原因なのだ。

 

 原因は単純だった。

 昨日にミッテルトがいつもの思い付きでアメリカに行こうと突然提案した。よくある話である。

 それにレイナーレが悪ノリして同調した。これもまたよくある話である。

 あろうことかそれにカラワーナが賛成した。これはめったにない話である。

 

 かくしてあっさりと二人を陥落させたミッテルトはドーナシークに話しかけていた。「ねーねー、ドーナシーク。何とかならないの?」

「無理だな」にべもなくドーナシークは答えた。

「そんなこと言って、大分昔ではいろいろなところに旅行に行ったって……ほら!50年前に姉さまとスペインに行ったって」いちいち手の甲を開けて5をオーバーリアクションで表現している所がドーナシークには癪に障った。

「時代が違う。今は当時よりも遥かに警備が厳しくなっているんだ……主に2001年のテロ事件によってな」イライラした声で続ける。「パスポートにはICチップが義務付けられ、偽造防止技術は遥かに発展した。入国審査ですら今はすんなり通してくれない。おまけに距離が遠すぎるために魔方陣による転送もできない。大手を振ってあんなところに移動できるのは宇宙に浮かぶ人工衛星に見つからない様に超高速で移動出来たり、冥界の技術を利用してインターネットの戸籍やICチップをばれない様に作成できる一部の上級悪魔くらいだ。諦めるんだな」

 

 だが、そんなことでミッテルトが諦めるはずがなかった。わざわざ小指と薬指を立てて機関銃のごとく喋り続ける。「2人も賛成したのよ! アンタ以外全員! アンタはどうせ、準備するのがメンドいだけでしょ。それをギゾーボーシとかアイシーとかもっともらしく言って……」

 ドーナシークは目の前の餓鬼を黙らせる方法を暫く考えた。そして、思いついた。どう見ても公平としか思えない内容だ。

「わかった。なら正々堂々決めようじゃないか。1回勝負。じゃんけんだ」

 

 ミッテルトは真顔で言った。「じゃんけんって何スか?」

 見ていたレイナーレとカラワーナはずっこけた。

 

 

 

 ドーナシークは真顔だった。まあ、1月前まではミッテルトは世間から隔離された地獄すらも生ぬるい環境で生きていたのだ。じゃんけんを知らないのも致し方ないだろう。

 そして、それこそがドーナシークの狙いなのだ。

ドーナシークはあらかたルールや出し方を説明し終えた後で、そのルールをもう一度説明したままの順番でミッテルトに確認させた。「えーと、パーはグーに勝ち、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝つ……」

「そうだ。簡単だろう?完全な運の勝負だから、これより公平な勝負はない。そしてもう一つ、じゃんけんには決まりがあるんだ。必ず手を出す前に、最初はグーと言うんだ」

「分かった」

ドーナシークは間髪を入れなかった。「いいか、一回こっきりだぞ。負けたらそれで終わりなんだ。あとで文句を言うな」

「分かったって言ってるでしょ!」

「いくぞ、最初はグー……」

 

 ドーナシークはじゃんけんに勝った。ミッテルトはグーを出し、ドーナシークはパーを出したのだ。

 かくしてミッテルトの野望は終わりを告げ、ドーナシークは意気揚々と部屋に戻り心機一転してトレーニングに戻った。

 

 5分後にカラワーナがドーナシークの部屋に怒った顔をして入りこんでくるまでは。

 

「ミッテルトは泣いていた。あれは公平な勝負じゃないとな」

「失礼なことを言うな。じゃんけんが何よりも公平な勝負なのはお前だって知っているはずだ」

 直後カラワーナは大声で言った。かなり長年付き合っていたドーナシークには、明らかに彼女が怒っているのが分かった。

「確かに、普通はそうだ。だが、ミッテルトは直感で分かったんだ。あいつはお前に操られてグーを出したんだ。どんな手を使ったのかは知らないが、お前はミッテルトの意思を捻じ曲げたんだ」

「証拠はあるのか?」

「いいや」

「じゃあ、意味がないな」

 

 しかし、ドーナシークは内心ひやひやしていた。ミッテルトにグーを出させようとしたのは他ならぬ事実だからだ。それも、ほぼ確実にグーが出るように仕向けたのだ……

 

 



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