専属メイド・ターニャ大佐 (ヤン・デ・レェ)
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ヘッケン・ウルフ C

時に第二次欧州大戦前夜。

 

日に日に悪化する国際情勢を横目に、独り平穏と発展を享受する国があった。

 

その名も「合州国」である。この国は歴史こそ浅いものの、フロンティアスピリットとマニフェストディスティニーへの情熱を絶やすことなく、人類の叡智によって新大陸を席巻した。植民地獲得にも大いに積極的であり、建国から200年と経たずに他の列強を圧倒する莫大な国富を保有するまでになった国家である。

 

標榜するは所謂自由民主主義。帝政の根が深い欧州諸国からすれば歓迎と拒絶を同時に受けるイデオロギーであった。

 

さて、そのような国にも上下というものは存在する。だが貴族社会の厳格さとは異なり、実力と機会さえあれば容易に夢を掴みうるのが合州国の流儀であった。

 

この流儀により、また一人のイレギュラーと一人のモブとの邂逅により、この世界そのものの歴史が大きく動こうとしていることなど誰が知り得るだろう。いや、増えすぎた人間に手を焼く神的存在にそんな余裕などない。

 

斯くして、イレギュラー当人すらもあずかり知らぬうちに、彼女の運命は数奇の深淵に導かれるまま、ただ一人のモブでしかなかった少年の手に託された。

 

 

 

ヘッケン・ウルフ、全名はヘッケン・"ウルフ"・モルガンJrという。ウルフは愛称であり、その帝国風の名前は生誕の地が帝国であり、また彼の父親オルブリヒトが由緒正しき帝国貴族家出身であったことに由来する。ウルフの由来は生まれた瞬間に遠くでオオカミが一斉に遠吠えを上げたことから来ている。

 

モルガンの名前からも理解できる通り、彼の生家は合州国最大の財閥であるモルガン家である。

 

ヘッケンの祖父はモルガン財閥の創始者であり、一代で世界一の大富豪に登り詰めた人物である。

 

世界最大規模の市場を持ち、圧倒的な最新技術と余りある労働力により世界中の富が集約される合州国の金融・銀行業を一手に独占するモルガン家は、その圧倒的な財力により次々に主要産業への影響力を拡大していき、現時点においてモルガンの名に勝る影響力を持つ者は合州国の中で存在することが許されない程である。

 

そんな創業者の初孫として生誕したのがヘッケン・モルガンJrであった。祖父となった創始者ジョニー・モルガンは生まれたばかりのヘッケンを殊の外溺愛した。孫の可愛さに耽溺する余り、自身の息子にも名乗らせなかった「Jr」を誕生早々に贈っている。ヘッケンが合州国で生まれていれば、今頃名前もヘッケンではなくジョニーになっていたことだろう。

 

ヘッケンの母親はモルガンの長女ルイーズである。ルイーズは帝国留学中に出会った当時20歳の伯爵家嫡男エルヴィン・フォン・オルブリヒトとその日のうちに交際し、留学期間終了と同時に結婚した。

 

父であるジョニー・モルガンの反対を押し切って結婚したルイーズは当面の生活を支えるために自身の資産を元手に宝飾と毛織物の貿易会社を設立。夫に頼ることなく莫大な財産を築いた。この実績を鑑みた父親からの許しを得た二人は合州国に渡航。ルイーズの実家で改めて結婚式を挙げた。この時の参列者は三千人を超えていたとも言われている。

 

そして、三年後に念願だった第一子ヘッケンが誕生したのだ。これにジョニーは狂喜乱舞し、彼の両親も目に入れても痛くない程に息子を溺愛した。

 

さて、そんな家庭で蝶よ花よと育てられたヘッケンは傲慢にも卑屈にもなることなく成長した。特別な才能は無く、強いて言えば千年に一人の美少年と称される美貌に恵まれたこと以外は平凡すぎる人間だったが、このまま何事もなく大人になっても何も問題はなかったのだ。生まれた瞬間から豊かで穏やかな暮らしが約束されている、そんなヘッケンの人生に突如として現れた分水嶺。その舞台は奇しくも彼の生誕の地、帝国であった。

 

 

 

ライヒとも称される軍事国家「帝国」は欧州にて厳然とした威を放つ比較的歴史の古い国家である。皇帝が御座する宮殿を遠望できる最高級ホテルに泊まっていたヘッケン。彼の好奇心と善良な心が、彼に運命の出会いを齎した。

 

 

 

「何方か、何方か、この子に慈悲を賜れませんでしょうか?」

 

消え入りそうな声で訴え出る女性が一人、腕に赤子を抱いて町行く人々に声をかけていた。身形からして貧困であることは一目瞭然だった。帝都でも指折りの富裕層の邸宅が軒を連ねるこの区画には決して似つかわしくない存在だ。町行く人々は口々に罵るでも、指を指して笑うでもない。ただ、肩を竦めて通り過ぎるか、口と鼻をハンケチで押さえて不愉快げに白い目を向けるばかり。どれだけ長い時間そこで立っていたのだろう、女性の顔は寒さで赤く腫れているように見えた。

 

身を切るような寒さの帝都。街灯に明かりが灯り、空からは雪が降り始めた。時折通る馬車が巻き上げた雪が埃と共に粉末状になって舞う。吐く息は尚のこと白く。女性は自分がよく目立つように街灯の根元に立っていた。頭上からの光に照らされて、吐かれた息がキラキラと輝いた。足の指先までかじかんでいてもおかしくはない。もう限界だったのだ。

 

女性は遂にその場を後にした。向かった先は貧相な民家が立ち並ぶ区画。そこに在るこじんまりとした孤児院だった。あと十歩も歩かずに辿り着くところで彼女の足が止まった。孤児院の門の前に、小さな男の子が立っていたのだ。この孤児院で暮らす子供だろうか?

 

いや、そんなことはないだろう。女性は心の中で首を横に振った。少年の身形が余りにも整っていたからだ。大人でも買えない上品に鞣された革製の黒い外套に、貂か何かの毛皮をふんだんに使った帽子を被っていた。足元も外套と同じ色のピカピカの革長靴で固めている。着膨れしているようにも見えたが、それが一層少年の愛くるしさに拍車をかけていた。何か恵んで貰えれば…そう思ったが周りをよく見れば貧民街には場違いな四頭立ての大きな馬車が停まっていた。少年は余程の家の子息らしい。諦めるしかない。

 

女性は立ち去ろうかと思った。子供の目の前で子供を置き去りにする、そんなことは出来なかった。最後に残った人の親としての意地とも、人間としての尊厳とも言うべきものが邪魔をしたのだ。自分も、自分の生まれたばかりの赤子も運に恵まれなかった。ただそれだけなのかもしれない。温かい春や夏に生まれていれば、こんなことをせずに済んだかもしれない。そう思いつつ沈んだ足取りで踵を返した女性。そんな彼女を呼び止める声があった。外ならぬあの少年である。

 

「ねえ、お姉さん。ここに何か用があったんじゃないのかい?」

 

予想だにしなかった大人びた声に振り返れば、すぐ目の前に少年が立っていた。驚いた女性は赤子をつい守るように強く抱きしめてしまう。そのせいで、眠りを妨げられた赤子が泣き出した。

 

びゃんびゃん泣き出す我が子をあやしつつ、こちらをじっと見つめる少年に目を向ける。少年は女性が話さないので、自分から話し始めた。

 

「パパとママがね、合州国とは違う都市の造りや人の暮らしについて学んできなさいって僕を馬車に乗せて回らせたんだ。初めは楽しくなかったけど、だんだん色んな所を見たくなって。馬車から降りて彼方此方を見て回ってたら執事とはぐれちゃって、気がつけば道に迷ってたんだ。それで、さっきやっと執事と合流してね、帰る前にどうしてもここを見たかったから孤児院に寄ったんだよ。」

 

「それで、お姉さんは孤児院になにか用があったんじゃないの?でも…子供たちと遊ぶのは明日にした方がイイと思うよ?だって、今頃はみんな眠ってると思う。」

 

女性は突然話し始めた少年に驚きつつも、何と答えたものかと頭を悩ませていた。ただの傲慢な金持ちの子供が相手だったら縋りつくなり、罵倒するなり手があった。だが、目の前の子供にはこちらを侮蔑するような色が全くない。身を清める余裕もないから臭い筈なのに、自分から近寄ってくる不用心さには純粋無垢な子供としての衝動と、大人の様な落ち着きと知性がちぐはぐに絡まっているようだ。

 

首を傾げる少年に、女性は意を決して話してみることにした。

 

「実はね、この子を孤児院に預けるつもりだったの。でも、その…貴方が門の前に立っていたから、少し怖くなっちゃって。ね、だから一度おうちに帰ってからまたここに来ようと思ったの。」

 

「そうだったんだ…ごめんなさい。僕があそこに立ってたから、お姉さんに迷惑をかけちゃったんだね。」

 

「迷惑なんてそんな…。」

 

少年は申し訳なさそうに頭を下げた。あまりの腰の低さに驚くが、顔を上げた少年が放った次の言葉に今度こそ女性は声を上げた。

 

「じゃあ、何かお詫びをしなくちゃ。…ねえ、お姉さんはなにか困ってない?僕にできることなら、少しはなんとかできるよ?」

 

「えぇ!?」

 

どんな温室で育てばこんな子供が育つのだろう。女性は眩暈を覚えた。警戒心も無さすぎるし、悪意も無さすぎる。まるで世の中の汚いものを全て隠されて育ってきたようにすら思えた。

 

「そ、そうねぇ…。」

 

「うん、ゆっくりでいいよ。いきなり言われても困るもんね。」

 

だが、確かにこれはチャンスに違いない。少年が言う「どうにかできる」ことがどれだけの部類なのか、そこにはあまり期待しない方が賢明だろう。けれど、何かしら言質を貰えれば、恥も外聞も捨てて彼の親に縋ってでも子供に少しでも利益になる条件を引き出したい。

 

そんな10にも満たない子供を相手に考えるには過ぎた思考で、女性は少しの間真剣にお願いの内容を考えた。

 

「ねえ、僕、私のお願いね、この子にあったかい場所で元気に大きく成って欲しいの。」

 

「うん。」

 

「だから、そのためには温かいベッドや服やお乳が必要なの。でも、今の私にはこの子が大きくなるのに大事なものを一つも持っていないの。それを買うためのお金も。」

 

「うん。」

 

「だからね、この子に少しで良いから恵んであげて欲しいの。さっき言ったミルクでも、服でもお金でも。何でもいいの、少しでもいいからこの子のために何か、あなたがたくさん持っている物やいらない物でいいからこの子に何かちょうだい?」

 

「うん。わかったよ。」

 

「え、ほ、本当に分かったの?」

 

「うんっ!つまり、この子にあったかいベッドとあったかいミルクとあったかい服があればいいんだよね?」

 

「え、えぇそうよ。」

 

「じゃあ、行こっか!」

 

「え?え?どこへ?」

 

「ウチに!」

 

そう言った少年は困惑する女性の手を引いて歩き出した。向かう先は馬車。待っていた御者に少年が一言「このヒト、僕のお客さん。」と言うや否や、御者は女性と赤子に向けて慇懃に一礼し、執事は女性の手を取り丁重に馬車へと招き入れた。一足先に乗り込んでいた少年は、大きな金属製のポットから温かい紅茶を同じ金属のコップに注いで、女性に手渡した。

 

「ミルクも入れる?お砂糖は?コーヒーの方が良かった?でも、僕はまだ飲めないから馬車には置いてないんだ。」

 

「え、あ、え…ありがとうございます?」

 

「坊ちゃま、御両親が心配しておいでなので急ぎます。少し揺れますぞ。危ない時は爺めにおつかまり下さい。ご婦人も、十分お気をつけて。あと、おかわりは私がお注ぎ致します。」

 

「あ、ははは、どうも…。」

 

直後馬の足音が大きくなり、車内にもわずかに振動が伝わって来た。少年はにこにこと笑みを浮かべて終始困惑した様子の女性を見守っていた。赤子はいつの間にか泣き止み、すやすやと眠っていた。

 

 

それから時が流れること約7年。誰からも愛される純粋無垢な少年は、純粋無垢さはそのままに魔性の美貌を湛える青年へと成長していた。少年の隣には先月引退した爺やの代わりに、新しい側近が三歩後ろにぴったりと付いて近侍していた。まだまだ小さな女の子だということは、誰の目から見ても明らかだった。「幼女」と名状するのが適切な、その見た目にヤケに映えるメイド服を纏う彼女こそ、あの日彼に母親共々拾われた赤子の成長した姿であり、今年で満7歳を迎えたヘッケン専属メイドである。

 

名を、ターニャ・フォン・デグレチャフ。

 

雪の様に白い肌に美しい青の瞳と透き通る金髪をもって生まれた彼女は、主人ヘッケンの裁量により母共々帝国民の平均年収を遥かに上回る俸給で召し抱えられ合州国に移住。モルガン家の元で当代最高の教育を受けて直属の家人として養育された。

 

早熟極まる異質さと、それ故に光る無数の可能性と素質を見抜いた先代執事自身の手により、ターニャは主人を守り主人に尽くすための技術と心構えを徹底的に教え込まれた。水を吸う砂漠の如く、その全てを二年ほどで継承したターニャはヘッケンの正式な最側近としての身分を与えられた。その過程で父エルヴィンが親バカのあまり息子の周りを固めるターニャにも一定以上の格を要求した結果、彼女は本人の知らぬうちに、取り潰された歴史だけは一丁前な貴族の名跡を継ぐ者として、意図しない形で帝国政府からその存在を認知されることとなった。

 

「(クっクっク…存在Ⅹも、まさかこれほど私に都合のいい展開が待っていようとは思うまい。今頃どうしてこうなったのだと私を不用意に転生させたことを後悔していよう。まぁ、転生できたこと自体には感謝している。神を騙る魔とも妖ともつかぬ分際にしては上出来だ。自称神は所詮自称に過ぎんな。ああ、自分の将来が楽しみだ。せいぜい豊かに平穏に楽しく暮らしてやるさ。)」

 

ターニャは二度目の人生が少々歪ながらも確実に恵まれたものになることを確信し、心の中でほくそ笑んだ。一人あくどいことを考えているところに、タッタカと軽快に駆ける人影が近づいてくるのが見えた。屋敷の部屋の掃除中、仕事の最中だろうと何時だってターニャの元へと走ってくる人と言えば一人しかいない。

 

「ターニャー!お土産でじいじからクッキーとチョコの詰合せ貰ったから一緒に食べよ?」

 

「ウルフ坊ちゃま、ターニャはここにおります。私のような使用人にもお声がけいただきありがとうございます。ただいまお飲み物の支度をいたしますので、坊ちゃまはテラスの方でお待ちになっていて下さい。」

 

「ありがとー!先に行って待ってるね!あ、ちゃんとターニャも自分の分のコーヒーを持ってくるんだよ?いいね?折角じいじが僕にくれた物なんだから、僕が食べてイイって言ったらターニャも遠慮することないんだよ。次にウチが投資するとこから貰ってきた試作品なんだって!楽しみだなぁ~!あ、コーヒー忘れずにね?あと僕はいつものミルクティーで!」

 

「畏まりました…全ては坊ちゃまのお望み通りに。」

 

「よろしい!じゃあ、またあとで!」

 

「(ふふふ…今日も坊ちゃまが「ふつくしい」…い、イヤイヤイヤ!私は何を言っているんだ!?…あくまでも、そう、あくまでも豊かに暮らすための寄生先なんだ。ただの、そうただの寄生先…坊ちゃんのカラダに寄生…私は何を考えた?もうこのことは忘れよう。うん。)」

 

「(ただ、まあ…少しくらい媚びを売ってしまっても仕方はあるまい。うん。そうだ。これは仕方ないことなのだ。必要な犠牲。必要な措置なのだ。)」

 

「(だから私のスカートが短くなっても何も違和感はない。自腹で買った香水を髪に振りかけるのも仕方ない。今世の母親から勧められるがままにめかし込むのも、たまたま一度誉められただけのメイド服を規定も無いのに自分の仕事服に選んでしまっても…何も、何の問題も生じ得ない。生じ得ないのだ!)」

 

ターニャはヘッケンというイレギュラーに出会ったことで自分自身の身に起きた特大の異変を直視できずにいた。それは彼女の性質を根本から揺るがすものではなかったが、少なくともヘッケンに一度見つめられてしまえば彼のことを一個の人的資源として捉えることなど最早到底不可能だった。

 

母親にすら査定の目を向けるターニャにとって、ヘッケン・ウルフは「人間的な」ターニャの唯一の弱点であり、不倶戴天の天敵だった。

 

「(「そんなこと」はない、私に限って「そんなこと」があって堪るものかッ!)」

 

そう、自分に言い訳しつつも年相応の可愛いらしい音が聞こえてきそうな足取りで、ヘッケン用の茶器や自分用のコーヒーカップを携えた彼女は、ご主人様の待つ広い庭を一望できるテラスに向かった。

 

たったの7年間、されど7年間。訳も分からずヘッケンに翻弄されてきたターニャは言葉にできない苦しさと、例えられない心地良さに目を回してきた。その感情に経験はなく、その所為で自身の変化への自覚もない。

 

しかして他者には今まで通りの冷酷さで、例外を除きその本質は揺らぐ事無く、彼女は今日も愛しの愛しのご主人様のワガママの為に喜んでその身を捧げるのだった。

 

最後にもう一度だけ、彼女のことを紹介しよう。

 

彼女の名前はターニャ・フォン・デグレチャフ。

 

日本のエリートサラリーマンを前世にもち、後の合州国軍欧州方面軍最高司令部付統合作戦参謀本部直属「第一航空魔導戦闘団特殊急襲部隊」、又の名を「第一特殊作戦コマンド独立行動部隊/(仮称)アパッチ魔導大隊」の隊長ターニャ・フォン・デグレチャフ空軍大佐であり、今をもって未だ満7歳のいたいけな幼女である。

 




補足1
Q.何故「von」が貴族でもないのに付くのか。
A.箔をつける為にモルガン(祖父)がモルガン(父)のコネを通じて、帝国の没落貴族の中でも由緒正しく古さだけは自慢できる家から、家系図付きで買い取りターニャに与えたから。二人の将来のための布石。

・ヘッケン・"ウルフ"・モルガンJr…主人公。現在16歳。ターニャの誇らしきご主人様。圧倒的な勝ち組に生まれた。もともとの人間性と生育環境が良すぎた結果、無事に純度100%のぼんぼんへ成長した。全力で蝶よ花よと育てられたため世の中の理不尽や悪意、一般常識に疎い。千年に一人の傾国の美貌を持つ以外は、他よりも思い切りのブレーキが効かない凡人。ただしその生まれからもわかるように運は良い。それに少しくらいアホの子でないと色々釣り合わないので調整が入った。自立型のスタンドが最低四体(両親・祖父・おっさん幼女)いる。顔面凶器レベルは当社比で中の上(既婚者には効力が弱まるくらい)。(尚、ターニャのA・Tフィールド/モデル:サイコパスはあっさりと貫通した)
ps:生まれてこの方現金を見たことが無い。お金=白い紙(小切手)だと本気で思っている。あ…あと、ターニャのことが家族として好き。コーヒーをそのまま飲めるターニャを大人だと思ってる。

・ターニャ・フォン・デグレチャフ…主人公。現在7歳。ヘッケンの元で何不自由なく育った。母親も健在で、今は同じ屋敷の厨房で働いている。爺やにその異質さを見抜かれて鍛えられた。武装メイドではない…今はまだ。これから色々とヤラかしていくご主人様の尻拭い…ではなく、先回りして美味しいとこだけ提供するタイプのメイドさん。身体能力などの素質は概ねアンロック済み。後述する理由により、今ならどんな演算宝珠でも使用できる。筋金入りの火力戦信徒の血が騒ぐ時が来るのはまだまだ先の事。本人は絶対に認めないがヘッケンに対して歪な感情を抱いている。頼まれてもいないのにミニスカートにするあたりで既にお察しである。卑しい女ズイ…。信仰心が知らぬ間に彼女を侵食しており、その対象が何の因果かヘッケンに置き換わっている。存在X君みてるぅ~?君の信仰心NTRされてますけどぉ?状態。恋愛経験ゼロの純情さんなのでヘッケンの顔を正面から見ることができない。可愛いね。中身はおっさんだけど。

・存在X…信じて送り出した不信心サイコパスおじさん幼女が、いつのまにか純情ミニスカメイドにジョブチェンジしていて「えぇっ…(困惑)」ってなった。色々とイレギュラーが多すぎて、最早どうすればいいのかわかんなくなっちゃった可哀そうな存在。ヘッケンは顔が良いので憎めない。ターニャの舞い上がりっぷりに日々ドン引きしてる。

オマケ

サイコパスおじさん渾身のミニスカ改造メイド服を目の当たりにして。
→「うわっ…(ガチ引き)」

自分の力は1mmも増えないのに、ターニャの信仰心がなぜか上がっているのに気づいて。
→「どうしてこうなった?(宇宙猫)」


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辞令と頼もしい存在 C

こんなことがあってよいのだろうか…。

 

ターニャの自問は至極当然のものであった。

 

 

 

 

 

八歳のお誕生日にプレゼントされたのは、新品の空軍将校制服一式。オマケとばかりに最新鋭の演算宝珠付きである。

 

ヘッケン坊ちゃまの熱烈なアピールの上で開催されたターニャのお誕生日を祝う立食パーティの席での出来事であった。包み紙を如何にも自然で子供じみた動作で開封した彼女を困惑させた張本人…人呼んで『大モルガン』こと、ヘッケンの祖父にして財閥の創始者が、好々爺然とした表情で言った。

 

「お誕生日おめでとう、ターニャ嬢、これからも孫を頼むよ。(貴様の正体はお見通しだぞ?)」

 

満面の笑みの幼女ターニャの目元がピクリと引き攣った。

 

「大旦那様、どうもありがとうございます!私の方こそ、是非今後とも坊ちゃまのお傍に!」

 

何か副音声が聞こえたような気がしたが、ターニャは敢えて心からの言葉を述べた。

 

ターニャの本心からの言葉に大モルガンは顎髭を扱き、感心したように笑った。

 

「ほう…素晴らしい。あの子のことを支えてやってくれ。ヘッケン坊やはアレで結構、真面目なんだ。(くっくっく…コネで大陸派遣軍にねじ込んだ甲斐があったわ。)」

 

またもや副音声が…って今なんて言った?

 

今度は流石に聞き流せない内容を含んでいた。

 

「今聞かなきゃ後悔するッ!」

 

内心で刮目しながら、ターニャは恐縮しつつも大モルガンに尋ねた。

 

「……は?今なんと?」

 

おっとついつい乱暴な聞き方になってしまった。

 

無礼なのは確かだったが、それでも大モルガンもターニャも気にした素振りは見せずに話は展開していく。

 

「うむ、孫を頼むと言ったのだ。」

 

そんなことは理解している。聞きたいのは私の進路についてだッ!

 

ターニャは心の中で吼えた。そして、幼い笑みにも理知に富んだ瞳を宿しながら直截斬り込んだ。

 

「いいえ、聞こえましたよ。そのあとです、そのあと…恐縮ですが、大陸派遣軍にねじ込んだとは一体…。」

 

ターニャの言葉に大モルガンは「ほっほっほ」とどこぞの聖夜の不法侵入者のように笑った。

 

「……だから言っただろう?あの子はあれで結構真面目なんだ。」

 

「えぇ、存じております。ですから先日も、自分も大陸で帝国と戦うとか仰っておりました…ガッ!?」

 

慕っている男の趣味趣向や性格をターニャが知らないハズはなく。直近の行動履歴は当然頭の中に入っており、毎日の自慰の回数に至るまで統計を取ってある。どれもこれも将来のためだ。

 

しかし、この時ばかりはターニャも見落としていた。単純なヘッケンならば迷わず志願してその日のうちに令状を掴み取ってきてもおかしくないことを。

 

「…わかるか?これは儂も不本意だ。だが、此処で徴兵検査に受かってしまった事実を隠し、剰え志願を蹴ってみろ…マスコミにバレたら家業に支障が出る。これは外ならぬヘッケンも理解していることだ。」

 

ヘッケンは馬鹿だが愚かではない。その馬鹿だって愛すべき利点になりうる。しかし、こういう時の頑固なところはいただけなかった。無論、今も戦火の中で苦しんでいる人のために戦いたいという信念は敬服に値する。そのために行動を前々から重ねていたことだって、ターニャからすれば惚れ直したと思ったものだ。だが、彼を大事に思う家族からするととんでもない話である。

 

「いいえ!坊ちゃまさえ折れれば、彼が自分で断れば問題ありません!」

 

「坊やを曲げられるもんか!母親が言っても聞かないんだぞ?それに、あの子の頑固さは儂譲りだ!だから、第一次で稼いだ儂に憧れて戦場に出ると言い出したのだ!」

 

ターニャの真面目な訴えは少し斜め上からの返答により遮られた。

 

おっとぉ~?話が変わってきたぞ?

 

「いや、そこは存じ上げないというか…。」

 

ターニャは困惑している!

 

「そうに決まってる!あぁ、可哀そうなヘッケン!儂の孫が戦場に行ってしまう!お前はそのままで十分頑張っているというのに!」

 

朗々と語り始めた大モルガンに、ターニャはただただ困っていた。

 

「あの…大変申し上げにくいのですが、家業に関わらぬようにと遠ざけたのは大旦那様の指示だったのでは?…と私は旦那様から伺っておりますが…。」

 

「あの婿ッ!許せん、儂の本意を知らせずにそのことをヘッケンに垂れ込むとは!次の親族会議でねちっこく粗を指摘してやろう。」

 

許せヘッケン父。

 

ターニャは心の内で懺悔した。それも一瞬のこと、すぐに切り替えて重大事に関してもっと詳細について知りたかった。知らねばならなかった。

 

「あの…それで、如何なさるので?私としましては坊ちゃまには是非とも安全な場所でぬくぬくと…それはもう、ぬくぬくと暮らしていただければこの上なく安心できるのですが。」

 

思わずこぼれた本心は坊ちゃまのためでもあり、自分の願望でもあったりする。そこは否定できないが、寧ろ誰しもが望むことである。流石に大モルガンも否定するつもりはさらさら無いようだった。

 

「ふぅむ…それは儂も同じよ。しかし、さっきも言ったがヘッケンは一度決めたら動かん。無理に否定することも…そんなことすれば口を利いてもらえなくなる。それだけは絶対に避けねばならん。」

 

「それでは…。」

 

口を利いてもらえなくなるくらい我慢しろ、とは言えないし言わない。だって自分も死んでしまいそうな心地になると理解できるから。あの玉のような御子は人を狂わせるのが上手だ。ここにも被害者が一人、幼くして運命を決められてしまった。

 

もはや議論の余地なく、彼は戦場に向かうことになるだろう。だが、戦場に行くにしてもできることはあるのだ。此処からはソレについての議論だった。

 

「うむ…ヘッケンには、あの子の要望通りに大陸派遣軍に一兵卒として参加してもらうことになった。だが、無論首輪は付けさせて貰う。そのことは坊やも承知の上じゃ。戦地に向かい、帝国と戦うことがあの子の第一の希望だからな。儂もあの子の意志を尊重したい。」

 

「しかし…情報士官や後方勤務でもない限り、前線投入は必至との予測が立てられますが…。」

 

ついつい官僚のような言葉遣いが出てしまうターニャに、大モルガンは眉を顰めるでもなく、にんまりと弧月を口元に浮かべた。

 

「そこで白羽の矢が立ったのがお前さんだ。」

 

ドキリ…。案の定とはこのことか。

 

だが離れ離れになるよりも、坊ちゃま一人が死ぬよりもうんとマシだと考える自分がいることに、ターニャも薄々気が付いていた。納得してもいた。

 

だから彼女は不満ではなく、自分が成すべきことに関する要件を抽出するために言葉を重ねる。

 

「…具体的なことを、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

ターニャの表情は完全に幼さを捨てていた。熟練すら感じさせる表情に大モルガンは満足げに笑った。

 

「ハハハッ!結構結構、腹を括ったようだな。好い顔をしている。」

 

「…空軍士官として密着して監視兼航空支援を行えと…そのような理解でよろしいでしょうか?」

 

もはや遠慮などなかった。だがそれも当然、そこまで一途に想えなければ大モルガンもターニャに便宜を図ったりしなかっただろう。

 

「あぁ、どうせなら戦局を動かしても構わんぞ…魔導士としての己の適性を測ったのは、こういう機会を見越してのことではないのか?」

 

「…ご存じでしたか。」

 

ターニャは休日を潰してまで自分の適性について模索し続けていた。ただ可愛い幼女のままでは、きっとすぐに誰かに取って代わられてしまう。そうに違いない。

 

そんな脅迫感に苛まれながらも、それをバネにターニャは自分を磨いてきた。キュートで包容力があって萌え萌えで尚且つ如何なる外敵からもご主人様を守れる守護者系メイドに需要はあるはずだ、というのがターニャが導き出した今世における一端の結論であった。

 

「合州国大統領の糞の色まで筒抜けよ。…さて、それでは正式に軍から辞令が届くまでに、こっちを頭に入れておくように。」

 

「これは…?」

 

差し出されたのは大きく分厚い黒革のビジネスバッグだ。鍵までついている重厚なもの。とても幼女に持たせるものではなかったが、そんなことは互いに承知の上だ。寧ろ予想を遥かに上回る機密に触れられるとあって、ターニャは興奮してさえいた。

 

ターニャの興奮を知ってか知らずか、大モルガンは敢えて自慢げにブツの出所について語った。

 

「昨日、空軍大将の知り合いとポーカーをする機会があったんだ。そいつには数万ドル貸したこともあってな、その催促をしたら誤魔化しおったからポーカーの景品と担保を兼ねてふんだくってきた代物だ。」

 

「空軍作戦行動計画要綱…緒戦の航空出動のスケジュールでしょうか?」

 

読んで字の如くとはこのことだった。面白くもなんともない資料の束を、しかしターニャは速読のようにその場で読み込んでいく。

 

内容の中心的部分を言い当てたターニャに大モルガンはしかし納得した様子の一方で、驚嘆は見せなかった。

 

「ご名答。攻撃範囲と編成、それから活動期間も明記されておる。変更や追加情報は逐次我が社の連絡員から現地で受け取れるように手配しておく。ターニャ嬢は…いいや、もう子供扱いはしないぞ。ターニャ・デグレチャフ君、君は合州国空軍大尉としてキャリアを開始し半年で佐官に登りつめたまえ。そのうえで儂の孫を生きて戦場から連れ帰ること。これが絶対条件になる…結婚の話はそれからだ。」

 

「…ッ!?契約書の控えはいただけますか?」

 

唐突な爆弾投下にさしものターニャも目の色を変えた。縋りつく勢いで契約書を催促する幼女。欲しいものを強請る素振りが一番幼女らしいのに、肝心のその欲しいものが結婚の確約だというのだから…大モルガンは苦笑を禁じ得ない様子だった。

 

「はッはッはッ!!勿論だとも!そこまで言えれば上出来だ…ヘッケン坊やは儂の…いいや、モルガン家の良心にして宝だ。くれぐれもよろしくお願い申し上げる。」

 

言いたいことは言った。言うべきことも言い終えた。仕事人の顔から今度こそ好々爺になった大モルガンはターニャの頼りない双肩にその分厚く固い手を載せて、静かに頭を下げた。

 

「掛けて頂いた御恩に報いるべく、全身全霊を賭して励むことを誓います。…お声がけいただかずとも、ヘッケン坊ちゃまが行かれるのでしたら船底に貨物として隠れてでもついていく所存でした。」

 

ターニャもターニャで、モルガン一族には恩がある。不義理な人間にはなりたくないし、この際まとめて恩返しをしてしまおうという気持ちになっていた。彼女なりの誠意のこもった言葉は歴戦の商人である大モルガンにしかと届いていた。

 

「これは…随分惚れられたものだな。あの子も罪な男だ。余計なお世話だったかな?」

 

「滅相もない。これで坊ちゃまの生存率が格段に上がったことは疑いありません。」

 

通じ合った共犯者の二人が目くばせで通じ合い、しんみりした気分に浸っている所に、渦中の人がやってきた。珍しくタキシードなど着こんだ孫の姿に大モルガンとターニャは揃って相好を崩した。

 

 

 

 

「では…おぉ~ヘッケン、好い所に!さ、主賓のお出ましだ。年寄りはお暇するよ。此処からは若い者で楽しみなさい。じゃぁの。」

 

「いつの間にじいじと仲良しになったんだい?おっと、まずはお誕生日おめでとう!だね、ターニャ。」

 

自室に去り行く祖父に手を振りながらヘッケンがターニャに尋ねると、彼女は脇に黒革のビジネスバッグを置き、胸に空軍将校制服を抱きながら眩しい笑顔で言った。

 

「大旦那様と約束したのです。坊ちゃまのお世話はこれからもずっと私が独占できるようにと。」

 

「独占!?ずいぶん強い言葉を選んだねぇ~。流石はターニャだ!」

 

「坊ちゃま専属メイドですもの。これくらいできて当然です!」

 

えっへんとない胸を張るターニャと、そんな彼女を温かい目で見守るヘッケン。二人の主従は何処となくズレながらも温かい時間を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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自主規制 C

坊ちゃまご乱心。

 

「あの、坊ちゃま本気なのでございますか?」

 

ターニャの言葉は尤もだった。

 

「あの、本気で軍のブートキャンプに参加されるので!?」

 

ターニャの愛しのご主人様は言った。

 

「勿論だ!僕は一兵卒として、ヘッケン・ウルフ二等兵として正規の訓練を受けた上で従軍するんだ。じゃなきゃ不公平じゃないか!」

 

ご主人様の言葉も尤もだったが、しかしターニャは言わずにはいられない。

 

「い、いいえ!そんなことはございません!ご家族のことも考えてください!皆様、貴方が従軍されることには納得されましたが、それでもブートキャンプではなく、我が家の子飼いの教官団による特別演習を経て、軍に配属されるべきだと、そのように仰っておりました。」

 

「しかしだなぁ…」と煮え切らないご主人様にターニャは吼えた。

 

「考え方を変えるのです。坊ちゃま!坊ちゃまは戦火に苦しむ人々を侵略者から救うために戦地へ赴かれるのですよね?」

 

「うん!その通りだ!」

 

ターニャは思った。「しめたッ」と。

 

「ならば、一人でも多くの敵を倒し、一日でも長く戦場で戦い続けるためにも、特別な訓練が必要なのです!そのための特別メニューが坊ちゃまには待っているのです!」

 

「おぉっ!!」

 

「ご納得いただけましたか?」

 

「納得したぞ!ターニャ!流石は僕のターニャだ!」

 

愛するご主人様からの褒め殺しにターニャは顔を赤らめた。頬に桜色を灯して内股でしおらしく成ったターニャ。彼女が新しい扉を開きかけた時であった。

 

「ふ、不束者ですが…。」

 

「じゃぁ、ターニャも特別メニュー頑張ってね!」

 

「………へ?」

 

ターニャは思った。「何それ聞いてない」と。

 

ターニャの疑問はすぐさま氷解した。ヘッケンが目くばせで爺に扉を開かせると、ぞろぞろと巌のように屈強な男たちが入室してきたのである。

 

「ほらコレ、じいじがターニャが喜ぶだろうって、お手紙だよ。」

 

「お、お手紙、ですか…。」

 

ガチムチ集団に完全包囲されたターニャとヘッケン。自然体のヘッケンの心臓には毛でも生えているのだろうか…そんなことを思いながら、彼女は震える手でヘッケンから手渡された手紙の封を切った。

 

内容はこうである。

 

「いきなり佐官は無理だわ。でもあと三か月しかないからターニャ嬢にも頑張ってもらわなきゃね♪じゃぁ、私の軍の知り合いをまとめて送っておくから安心して鍛えられてください。因みに内容は以下の通りです。士官学校のお勉強(三年分を三か月で!お得だね!)、飛行訓練(普通の人は慣れるまで三か月かかるってさ!)、語学(ベルンでヘッケンがお土産を買う時に重宝します。好感度アップに利用してどうぞ。)…エトセトラエトセトラ…。追伸 みんなガチムチだけど子供には優しいから安心してね♪じいじ。」

 

「おッひゃぉッ!?お、おのれぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!?あの爺いぃいいぃぃぃ!?」

 

「大丈夫かい?ターニャ?」

 

「あ…失礼いたしました。私はこれで…えっと、あ、あのキッチンの掃除がまだでしたので!」

 

心の中で絶叫しつつ、スッと気配を消してその場を辞さんと先手を打つターニャ。しかし、彼女の肩をガシリと掴む者がいた。

 

「ターニャ嬢…キッチンは私にお任せあれ、貴方は坊ちゃまと一緒に特別メニューを。」

 

「じ、爺やぁぁぁぁッ!?」

 

ターニャは内心で一人阿鼻叫喚を演じながら、錆びたブリキのようにぎこちなく頷いた。

 

この日から三か月間、二人はそれぞれの分野…ターニャは士官としてヘッケンを支えるために必要な技能と知識を、ヘッケンは生き残るために必要な技能と知識を…で大陸派遣軍への従軍に向けての準備を整え始めたのである。

 

 

 

 

三か月後…。

 

「ターニャ・フォン・デグレチャフ君、君を空軍特務大尉に任命する!わが軍の先鋒として精鋭偵察部隊を組織せよ!貴官の部隊は本軍に先行して敵地に夜間突入する!本国時間早朝に貴官は500名を率いて敵国上空に到達、順次展開し橋頭保確立のための戦略地図作成に励むように!現地協力者との折衝は部隊長である貴官に一任する!以上!」

 

「貴様らは!このクソ合州国ライフル師団の誇るクソスナイパー共だ!貴様らのクソ勇敢さとクソ忍耐強さは教官である俺が保証する!存分にクソ帝国のクソゾルダート共の頭にその(自主規制)を(自主規制)してこい!クソ共の中でも最高のクソマークスマンが貴様だッ!ヘッケン・ウルフ・モルガンJr、前へ!貴様はクソ金持ちであるために、また途中参加の尻の青いクソ新人編入組であったがために!このクソブートキャンプの中では周回遅れの(自主規制)だった!しかーしッ!貴様はあろうことか、そのクソ努力とクソ根性で一週間と経たずに栄えある我らがクソ合州国のクソ狙撃手記録を三度塗り替え!今やこの俺の愛らしいクソダメでもダントツのクソ首席に登りつめた!そこでだ、貴様のクソ実績とクソ努力を考慮して本来なら二等兵、良くても一等兵の所を、上等兵としてクソ大陸に送り込んでやる。クソ大陸のありとあらゆる(自主規制)を(自主規制)出来るように精一杯(自主規制)してこい!」

 

 

 

 

 

 

 



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訓示 S

某日 作戦行動0日目 合州国ラングレー飛行場

 

 

 

私…ターニャ・フォン・デグレチャフは、今日ここに至るまでの三か月間を思い出していた。

 

ヘッケン坊ちゃまとの約束から早三カ月が経ち、私は無事に士官学校を爆速で卒業、コネ編入だったため首席こそ逃したが次席で入営することが出来た。そこからは申し分のないコネとカネで爆速で昇進…何の功績も無いのに…し、今日に至る。

 

辛かった…三か月間辛いことしかなかったと言える。特に辛かったのは作戦行動中の排泄と食事に関する訓練だった。

 

トイレトレーニング(ガチ)、及びマグマクッキング(火力)である。これは通称に過ぎないが、あまりにもあんまりだと思うなかれ。それは早計だ…実際はもっと酷かった。

 

生まれて初めてガソリン焼きの味を知った時は、これまで私がどれだけモルガン財閥の衣食住に恵まれて来たのかを再認識することが出来た。貴重な体験だったが二度と御免である。…が、恐らく今日からはほとんどそういう日が続くであろう。

 

自分が豪快な野戦クッキングに勤しんでいる様子を思い浮かべただけで、私は憂鬱の波に水平線まで流される様に感じる。

 

にしても…うぅ、どうか坊ちゃまには知られませんように。この年で、空からばら撒くことになるとは…あぁ、あんまりだ。こんなことを、こんなはしたないことを平然とやってのける女だと知られでもしたら私は生きていけない。

 

だが、戦場での道理に従わなければただただ無惨に死にゆくのみ。そのこともまた現実なのだ。だ、だから私が催した時に致し方なくゴニョゴニョ…うぅ、や、やらなきゃッ…やらなきゃダメなのかッ!?

 

 

 

 

ターニャが雑念に魘されていると、滑走路脇の大スピーカーから指令が伝達された。

 

「各員搭乗準備ー!各部隊長は搭乗前の訓示等あれば今のうちに済ませておくように!敵領域内上空では私語厳禁、ハンドサインと筆談のみ可!各部隊は5分後に搭乗開始!以上!」

 

慌ただしく動き始める無数の戦争機械たちをぼんやりと眺めながら、ターニャもまた自分自身の部隊の元へ向かった。もうそこには萌え萌えメイド・ターニャの顔は沈んで見えなくなっていた。そこにいたのは、分厚い防寒用の特注戦闘服に身を包んだ冷徹な空軍士官、メイド戦士・ターニャだった。

 

 

 

 

淡々とした足取りで割り振られた輸送機の前に辿り着いたターニャは、自身の持ち分…約500名の部隊員の前、にあるレーションの空き箱で組んだ小高い足場の上に立った。

 

ぺったんこの胸をえっへんと張り、しかし、その自然体を意識した威風の波に自分という幼女の上官を舐め切った部隊員を巻き込みながら、沈黙によって渾沌と緊張を演出し、ただ場の静謐を待った。

 

………

 

沈黙の下、ターニャは両の足を僅かに開くと、上半身は重心を落して直立不動の姿勢を保ち、その上でその人形の様に細く可憐な腕を精一杯振り上げた。

 

ターニャは叫んだ。

 

「諸君!諸君には何が見える!諸君の目には何が見える!目の前には何が居る!」

 

問われた意味を兵士たちが噛み砕いてしまう前に、思考の隙を与える前に、ターニャは畳みかけるように腕を振り下ろした。

 

「私には見える!そこに居る者の顔が!目が!体が!闘志が見える!」

 

「そこに居るのは幼女か?違う!そこに居るのは農夫か?違う!そこに居るのはパン職人か?違う!そこに居るのは炭鉱堀か?違う!そこに居るのは仕立て屋か?違う!違う!違う!」

 

「そこに居るのは兵士だ!そこに居るのは戦士だ!私の目の前で整列する諸君は兵士だ!諸君の目の前にいる私は戦士だ!」

 

「我々はこれより戦場へ向かい、本軍上陸の為の橋頭保を築く尖兵である!諸君は国家の最先鋭として選ばれた戦士だ!」

 

「もしも故郷に家族を残してきた者がいるならば!今ここで帰るがいい!我々は燃え滾る先鞭を敵軍に叩きつけ、その行動に枷を嵌める役を負っている。その為に必要なものは迷いなく上官の命令に従い、死をものともせずに前進できる者だけだ!戦車のガソリンでパンを焼き!液体燃料で暖をとり!高度二千メーターで用を足せるものだけだ!」

 

「総員戦闘準備!死に方よーい!覚悟のある戦士だけが、私と同じ機体に乗ることを許す!私と共に極寒の空を泳ぐことを許す!私と共に敵兵のはらわたを地上軍の頭上にばら撒くことを許す!」

 

ターニャの檄は、激しく、熱烈で、その幼女の外見も相まって一層神秘的でさえあった。腹の底からこみ上げる妖しい熱狂に唆された数人が呼び水の歓呼を上げた。鍵穴は嵌り、歯車は正常に作動した。滑らかな駆動音と共に、戦場を埋め尽くす歯車が、ネジの一本一本が、一先ずは500セット納品された瞬間だった。

 

満足げに笑ったターニャの顔は、ヘッケンも見たことが無い淫靡でいて凶暴なものであった。

 

彼女は叫んだ。

 

「総員搭乗開始!目的地は敵占領地パリ―スィイの西方約100マイル、到着後は海岸線に砕ける白波に沿って飛べ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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降下 S

作戦行動初日 西海岸線上空

 

 

 

 

この世界での戦史上、大型輸送機を利用しての大規模派兵作戦は、偵察のための大隊に限定されていたとしても初めての試みとなった。

 

合州国が誇る、世界的にも新しい旅客機から改装された空軍輸送機内部では、降下準備が着々と進んでいた。降下、のち上昇。この最初のステップこそが真の意味での開戦の狼煙であることを、その場で時間を待つ魔導士の誰もが理解していた。

 

気密性が高く、まだ空調が未熟な航空機内では煙草を吸うことはできず、また傍受を危惧して私語も慎まねばならない環境下では、兵士たちは沈黙せざるを得ない。沈黙は緊張の中で一人、戦争の熱狂と興奮からすら隔離されるようなものであり、精神の健康に適切ではない。

 

故に、機内での兵士たちは彼らの先祖がそうであったように、巧みに戦場での道理に沿った娯楽を探し出し、創作しては工夫に工夫を重ねて互いを慰め合っていた。ここでもまた、ハンドサインによる仲間内だけで伝わる士官厳禁の下品な会話や、目くばせでの物々交換…このような場合は大抵ブロマイドやコンパクトな艶本…をして静寂から逃げ回る時間を潰していた。

 

静かな、しかしそこかしこから殺した笑いが聞こえてくる機内。そのような環境下で、我らがターニャ大尉は冷静だった。一人、どこまでも冷めた目で作戦資料の内容を思い出し、淡々と分析を行っていた。

 

ターニャの頭の中に描き出されたのは帝国、連合王国、フランソワ共和国、レガトニア協商連合、ダキア、イルドア、そしてルーシー連邦を含む巨大な戦略地図であった。現在の各国版図は帝国が連邦と連合王国を除く欧州の大半部分に占領地を拡大している状況であり、各国の状況は絶望的であり、また帝国の進行速度は異常であるとさえ言えよう。形勢不利というよりも、なぜ合州国はここまで何もしてこなかったのか、と言いたくなる気持ちもわかるだろう…それも前例でもない限りは、だが。

 

前世を現代日本のインテリサラリーマンとして生きたターニャにとって、その戦況は、地形や地名に至るまで余りにも、この世界にはない前例との符合点が多すぎた。

 

故に、彼女は考えずにはいられなかった。

 

「(ふむ…勝ったな。)」

 

順当に合州国が戦えば、遠からず勝利することは火を見るよりも明らかなことだと、ターニャは考えた。

 

というのも、彼女に言わせれば今の状況は緒戦の第三帝国による電撃的な戦術に等しく、それはまた戦争が見せた一時の魔法のようなものであって、多方面戦線の展開及び、その無思慮な拡大が、最終的にその国のありとあらゆる資源を食いつぶしたうえで敗北せざるを得ない状況に陥ることは、どこの世界の歴史からも学べることだからである。

 

戦争の成り行きとも言うべきものを見据えたターニャはしかし、懐疑を忘れることなく…というよりかは、純粋に前線で戦う自身の身と坊ちゃまの身を案じて、早くも今後直面するであろう過酷な戦闘をシミュレートし始めた。

 

手始めに初戦を完遂しなければならない。なぜなら、坊ちゃまの身の安全に直結する本国軍上陸部隊の敵前強襲の為の上陸地点、それも敵は味方を排除しにくく、味方が敵を排除しやすい地点を上空から見つけ出さねばならなかったからだ。ともあれ、地点を選定するのはターニャの仕事ではない。彼女たちの仕事はカバンが満杯になるまで航空写真を撮りまくること、そしてその写真を本国総司令部まで無事に持ち帰ることである。

 

「(いずれ必ず帝国は限界点を迎える。人類の叡智の炎はまだ開発どころか、理論さえ組まれていない今、少しでも私と坊ちゃまの身に迫るリスクを削減する方法を模索するのが先決だ。…あぁ、坊ちゃま、せめて貴方が私の部隊にいらっしゃればどうとでもできるのに…い、いやいやいや…私は何を言っているんだ。戦場で士官が贔屓しては部隊全体の生存率に関わることになる…坊ちゃまが死ぬところなど、想像しただけで脳が焼き切れそうだ!と、ともかく…そう、上官と部下の関係になれば、なれれば…。)」

 

 

 

 

ターニャの脳内

 

 

 

 

戦場でのことだった。落下傘降下を失敗したヘッケンを探しにターニャは単身、パリースィイ郊外の森へと向かった。かの都市は未だ帝国軍の牙城として機能しており、秘密任務のためのターニャの部隊の派遣だった。

 

本来であれば作戦の為の尊い犠牲として捨て置かれるヘッケンだったが、ターニャは彼を見捨てることなどできなかった。その場で部下に作戦の完遂を命じると自身は単身、敵部隊が跳梁する森へ突入したのだ。

 

ガリアの森の中での遭遇戦を古代帝国のようにいくつも経験しながら、弾薬が尽き、食料が尽きてもなお彼女は進み続けた。そして捜索開始から三日後、二人は奇跡的に再会を果たす。

 

「ターニャ!逢いたかった!あぁ、でも君は悪い子だ、僕のことなんて放っておいてくれればよかったのに!」

 

足に添え木をし、銃を抱いて木に隠れるように寄りかかっていたヘッケンが言った。彼の言葉を聞くと、主人が生きているという事実に涙を我慢できなくなったターニャは泣きながら彼の胸に飛び込んだ。

 

「坊ちゃま!ヘッケン坊ちゃま!逢いたかった!あぁ、よかった。生きててくれて…。」

 

二人が感動の再会を果たしたころ、森は既に帝国軍によって完全に包囲されていた。森からの脱出を試みるも二人は失敗、ヘッケンはターニャを庇い重傷を負ってしまう。魔導士として死力を尽くして抵抗するも、二人は最早身動きが取れない状況だった。古びた防空壕を最期の場所に決めた二人の表情は暗かった。ターニャは逃げ込むなりヘッケンを安静に横たえ、自分は何かないかと中を物色した。

 

「坊ちゃま…力及ばず、申し訳ありません。このような、このようなものしか用意できませんでした。」

 

出血多量で蒼白のヘッケンの為にターニャが見つけられたのは、いつの物ともわからないが、比較的新しい円いチョコレートの缶だった。カラカラと振れば音がして、蓋を開けるとまだ一切れだけそこにはチョコレートがあった。

 

「ターニャ…君には本当に迷惑ばかりかけてきたね…。僕は君に何も返してあげられていない…このまま、死んでいくなんて、申し訳ない…なにか、せめて僕にできることはないだろうか?」

 

ヘッケンは震える手でチョコの缶を受け取ると、蓋を開けてターニャに差し出した。

 

「坊ちゃま、坊ちゃまがお食べになってください。私は士官でしたから、散々食べてきました。それに、貴方からもたくさんたくさんいただいてきたではありませんか。」

 

ターニャが首を振ると、ヘッケンは「そうか」とだけ言って、それからチョコの欠片をそっと口に運んだ。

 

「…んッ!?」

 

それでいい…。ターニャがそう思っていると、彼女の唇に生温かい感触と、甘くもほろ苦いチョコレートの味がした。味蕾をよぎるその感覚の正体を理解する前に、彼女の目の前でヘッケンは崩れ落ち、もう二度と動かなかった。

 

冷たくなった彼の手を握ると、どうしようもない無力感がこみ上げてくる。唇に手を遣ると、そこにはもう甘さなど残っていない。ヘッケンの血と泥の後味だけが残っていた。

 

だが、どうしようもなく熱を帯びた唇に触れるたびに、彼女はあの甘美な記憶に縋らずにはいられないのである。

 

 

ヘッケンの死後、彼の骸を背負って敵地を脱出したターニャは戦争の英雄となった。そして戦争が終わった今も、今は亡き最愛の人に操を立てて一人静かに暮らしているのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ターニャの脳内 終わり

 

 

 

 

 

「(あぁ!おいたわしや、ヘッケン坊ちゃま…って、私はいったい何を!?)」

 

ターニャがヘッケンとの甘いメロドラマに現を抜かしていると、正面の席に向かい合うようにしていた副官が驚いた様子で筆談用の紙を差し出してきた。

 

「(デグレチャフ大尉!?その鼻血はどうされた!)」

 

「(……高度に不慣れなもので…。)」

 

「(魔導士として抜群の成績を収めた貴女がですか!?)」

 

「(何事にも例外はあるものですよ。)」

 

数言やりとりをして、無理やり納得させた感は否めなかったが、それ以上の弁解は時間が許さなかった。

 

底の丸いコップを逆さまにして網を被せたようにも見える赤いランプが音もなく点灯したのだ。降下準備の合図だった。

 

先発はターニャが、それから順次各員が降下、超低高度に到達してから闇夜に紛れて海岸線を一気に盗撮する作戦だ。各分隊の持ち分は直径3キロメートル。複雑な地形を読み解く間もなく、高精度カメラで俯瞰地点より流れるように撮影班が連写していくのだ。ターニャや彼女の直属として配された士官たち、戦闘員の仕事は周囲への警戒と、いざという時に撮影班を無事にホットゾーンから離脱させることだ。

 

ターニャが自身の体に固定された非常用落下傘の確認作業を終えると、すぐさま機体横のハッチが開口した。

 

「マルマルヒトフタ、ターニャ・デグレチャフ降下。」

 

消え入りそうな声で呟いたターニャは、支給されたM1カービン自動小銃をきつく握りしめ、輸送機から飛び出した。

 

浮遊感に弄ばれるのも一瞬。彼女は落差10メートル以内でハヤブサのように最低限度の動作で上昇、すぐさま急降下すると、フッと燐光を消して自らの自重と残った重力加速度だけを利用して、今度こそ作戦領域に指定されている超低高度に向けて真っ逆さまに滑空していった。その速度の凄まじさは、輸送機の先端に設けられたレーダーが一瞬取り逃がすほどであったという。黎明期とはいえ、レーダーの網を潜るほどの不規則かつ常識外れな人外滑空がターニャの最初の戦闘記録に数えられたというのは、後に敵味方問わず広まるジョークである。

 

教練で習った例のない光景に、他の士官はあんぐりと口を開けて驚き、自身の降下時間を10秒も超過してから飛び降りることとなった。

 

ターニャの凄まじいダイブを真後ろで見ていた兵士が零した。

 

「すげぇ…」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外 ラブレター C

ターニャが偵察任務に赴いた数日後のこと、帰還後間もなく手紙が届いた。宛名はターニャ・フォン・デグレチャフ様。差出人はヘッケン・ウルフ・モルガンJrだった。

 

ターニャにとっては生まれて初めての想い人からの手書きの手紙。これまでずっと傍にいたから、手紙でやり取りなんてする必要もなかったのだ。遠く離れた今に感慨深さと共に寂しさを覚える瞬間だった。

 

ラブレターで舞い上がるなんてそれこそ子供の、ロマン主義者の妄想だと思ってきたターニャだが、丁寧に丁寧に手紙の封を切る手を止めることは出来なかった。

 

仄かに香るガンオイルの匂いすらも、ヘッケンのモノだと思えば香水のように感じてしまい、手紙の文面を眼よりも先に鼻を近づけて嗜んでしまったのは愛嬌である。

 

うずうずと微笑ましく期待を膨らませるターニャは、立って読むべきか、座って読むべきか悩んでしまい、うろうろと手紙を持ったまま部屋の中を三周した。滲んでくる手汗で字が滲んでしまうことを危惧したターニャは、思い切ってゆったりとしたパジャマに着替えてから、慣れて久しい硬いベッドに横になり、うつぶせの状態で布団の中で読むことにした。

 

誰も盗むわけがないとしても、ターニャにとっては黄金にも等しく、眩しい代物だったからだ。

 

毛布に潜り込み、体に比して大きめの懐中電灯で真上から照らしつつ、ターニャは整然と並んだヘッケンの文字に目を走らせた。

 

 

 

 

拝啓ターニャへ

 

 

僕は元気です。三か月ぶりに会えると思っていた矢先に、君は戦地に一足先に向かってしまったけれど、僕は君が生きて帰ってくることを疑っていないよ。てっきり、一緒に出兵するものだと思っていたからね、ちょっぴり寂しい気持ちに嘘は吐けないけれど…。

 

君と僕はそれぞれ特別メニューに励んだ後に、わざわざ正規のルートを進んだわけだけど君の方はどうだった?士官学校の勉強はやっぱり難しかったかな?でもきっとターニャのことだから、ちょちょいのちょいで記録を塗り替えちゃったりもしたんじゃないかな。何も知らないくせにこんなこと言ったら悪いね。ごめんね。

 

お互いに軍務のことは何も書けないけれど、代わりに僕はブートキャンプでのことを書こうと思うよ。でも、案外つまらない話かもしれないね。だって、そうだろう?僕たちが経験した特別メニューに比べたら、随分余裕をもって受け止めきれる訓練が大半を占めていたからね。あぁ、でもやっぱり君がいないと寂しいよターニャ。これまでずっと僕のそばには君がいたし、もしも君が僕がいないことに居心地の悪さを感じていてくれているのなら、今の僕も同じ気持ちだと離れていても断言できるよ。

 

僕の兵科はね…あ、え?ダメなの?…ごめんよターニャ、書いちゃダメみたいだから。代わりにブートキャンプで頑張った話をするね。あのねターニャ、実は僕には得意なことができたんだ。というのも射撃訓練で…え?これもダメ?だって、たくさん当てたってだけの話じゃないか!…んー…ごめんよ、ターニャ。

 

うぅーん、でもそうなると書けることがいよいよ無くなっちゃうなぁ…あ!そうだ、とびきりのがあったよ!

 

ねぇ、ターニャ。僕に新しい友達ができたんだ!彼女は少しお堅いところもあって冷たい奴なんだけど、それでも僕にべったりでね。ドジな僕を、よく訓練でも元気づけてくれるんだ。名前はターニャって言うんだけど、このターニャは実は君の名前からとったものでね…それで、ね?えへへ、少し照れるなぁ…君の子にも、勿論兄弟でも相棒でもいいんだけど、ヘッケンとかウルフって名付けてくれてたら嬉しいなぁ!

 

もうすぐ消灯の時間になるから今日はここまでにするね。あ、あと上等兵になったんだけど皆に何を教えればいいと思う?今日は試しに生でミミズを美味しく食べる方法をレクチャーしたんだけど、内臓と泥を濾しだす工程で皆は吐いて倒れちゃったからね…うぅ~ん、加減が難しいや。

 

じゃあねターニャ。向こうで会える日を心待ちにしてるよ。体に気を付けて。

 

 

ヘッケン・ウルフ・モルガンJr

 

 

 

 

………。

 

……。

 

…。

 

 

なんだろう、読み間違いかな?

 

私の勘違いでなければ、この文章の中で坊ちゃまは明らかに私以外の女に現を抜かしているようにも読めるのだが…しかし、ん????

 

 

 

…ちょっと待て、おいおいおいおい、どういうことだ!?冷たくて硬い奴って…それにこの匂い、ガンオイル…。

 

まさか、坊ちゃまは銃にターニャと名付けられたのでは????

 

は!?う、うううう、嘘だッ!?

 

そんなことあっていいのか!それじゃあ、私は無機物に嫉妬を……。

 

いや、だがオカシイだろう。どう考えてもオカシイだろう。だが、現にこのような手紙を私に送って寄越された訳であるし…もしや、何か助けを求められているのでは?何かの暗号?或いは私を求めるあまり、直接は気後れするからともう一人の同姓同名の人物を経由して、あれ、いや、どういうことだ!?

 

わ、わからない!坊ちゃま!貴方のターニャは私です!その冷たくて硬い女などより、温かくて柔らかい私の方を是非に!

 

あれ?おかしいのは私の方か?これは違うのか?違う解釈か?なッ…なら私は、私はどうすれば。

 

このままでは、私のヘッケン坊ちゃまが得体のしれない無機物に盗られてしまうではないかッ!?

 

 

 

 

ガバリ!とターニャは布団から抜け出すと、裸足のままペッタペッタと自分のクローゼットに向かった。士官用の個室である以上、モノをどこに置こうと勝手である。クローゼットの中からM1カービン自動小銃が出てきてもおかしくはないのだ。

 

ターニャはじぃ~っと自身の愛銃を見つめると、しばらくそのまま見つめ、それから温度で色が変わるグラスのように見る見る顔を真っ赤にした。首筋に沿って頭のてっぺんまで真っ赤になったターニャは、ぼそりと、本当に誰にも、それこそ自分の耳にも聞こえないほど小さい声で自分の銃に語りかけた。

 

「…ヘッケン………坊ちゃま…。」

 

「M1カービンのヘッケン……坊ちゃま…。」

 

「私の、ヘッケン…ぼっ……私のヘッケン…。」

 

「ぅ…」

 

「ぅう……」

 

「ぅううがあああああああ!?」

 

愛銃は沈黙を保ったまま、クローゼットの中に叩き込まれる…寸前でしなしなと床に腰を下ろしたターニャの胸に抱きかかえられた。

 

「うぅ…道具に名前なんて…付けるべきではなかった…。いや、でも…。」

 

ターニャはライフルをそれはそれは大事そうに胸に抱えて呟いたとか呟かなかったとか。

 

 

 

 

その晩遅くまで、ターニャはお返しの手紙の内容にこのことを書くか書くまいかで悩みに悩み抜き、結局書かないことにしてペンを執ったのだが、後日、選任射手として護身用に支給されたガバメント拳銃にヘッケンが『勝利』を意味する自分以外の女性名『ヴィクトリヤ』と名付けたと手紙で知り、今度こそ荒れに荒れたターニャであった。

 

 

 

 

 

 



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複雑怪奇 S

ここで一度、欧州各国の情勢について説明しておこう。

 

まず主要参戦国はライヒと呼ばれる帝国、協商連合、連合王国、共和国であり、このほかに中立、或いは虎視眈々と参戦の機会を狙う国がいくつか存在するが、主戦場並びに各陣営主力はこれら四か国である。

 

ノルデン侵攻から始まった戦争が半年を過ぎる頃、その泥沼化を恐れたことで連合王国が合州国に志願兵を中心に構成された義勇軍の派遣要請を通達、一年半目に突入する直前に合州国がこれを呑んだ。これにより、帝国対それ以外の欧州各国という陣営がほぼ完成した。

 

一方、好いニュースだけではない。義勇軍派遣の決め手となったのが、帝国軍によるパリースィイの占領と統治の情報である。情報統制の隙間をすり抜けて、海を挟んで三日遅れで電報が届くと、その急報に大統領は重い腰を上げた。

 

帝国軍は開戦当初、北方の協商連合軍との泥沼の戦争により百個師団近くを協商連合国境線との各要所に張り付けざるを得なかったが、春の到来と共に双方の足並みが崩れたため、一旦戦略的撤退、立て直しを図りこれに成功した。対して協商連合側は立て直しに失敗。オースフィヨルド以南に迫る勢いで押し込まれていた。

 

北方での戦局打開に成功した帝国軍はこの隙にルーシ連邦に協商連合分割案を通達し、連邦はこれを快諾したものの軍は出さなかった。それでも、後顧の憂いを絶つことに成功した帝国軍は先々から北方に張り付けていた熟練兵を核として再編成した軍をそれぞれ南下させ、これに航空魔導師と最新鋭の各種兵器…機関銃・戦車など…を投入した電撃的な戦術で共和国を圧倒した。

 

共和国はあっけなくパリースィイまでを失陥。しかし、逆を言えば帝国はそこからは一歩たりとも押し込めず、総指揮を執るピエール・ミシェル=ド・ルーゴ少将が敷いた堅固な防衛陣に攻めあぐねている現状だった。

 

連合王国はパリースィイ失陥と共に派遣軍の大部分を共和国残存兵力と共に現地で継戦させる傍ら、来る合州国との共闘に向けて第二次派遣軍の編成作業に精を出している。

 

 

 

 

 

そもそも世界大戦の発端となった事象はレガドニア協商連合によるノルデン侵攻である。これを発端に欧州各国は、伝統的な均衡思想に基づき、旧秩序回復の為、或いは将来的な脅威漸減また撃滅の為に戦争に参加した訳だが、その参加の段階で明らかな違和感が発生していた。

 

というのも、戦争が『正史』において勃発したのは1923年6月ごろであったが、この世界…即ち、ヘッケン・ウルフ・モルガンJrというイレギュラーが神の管理不行き届きにより爆誕した世界では、なんとノルデン侵攻が開始されたのは1921年1月末である。二年も早い開戦となった。

 

極寒の中で協商側から開始された戦争は、講和を考える間もなく泥沼に突入した。余りにも早い開戦が齎した異変現象は多いためここでは一部のみを抜粋するが、少なくとも当時の協商政府が戦火を選んだきっかけは国内での経済不順、これに伴う政権批判の苛烈化にあった。

 

政権が傾くほどの不祥事の切欠が何処にあったかと言えば、北方極地の合州国との共同経営案の頓座にあると考えられる。これは無論、異界の『正史』には無かった展開であり、間接的にも合州国との関係強化による自国の安全を図った協商側の思惑と、合州国が合法的手段による大陸への影響力拡大を、延いては連合王国が外交上の仲介マージンで一儲けを企んだ末に起こった外交上の特異点と言える。

 

これに際し実務を担ったのがヘッケンの生家モルガン一族だった。

 

1920年代には上院議員の椅子も獲得し、既に一強となっていた独占資本モルガンが事業を牽引することが大統領の口から出たことで、この政策は完璧なものとなり、また協商連合の未来は安泰かと思われた。

 

 

が…、その協商連合側の資材横流し、建設費用の嵩増し受注、人件費の徹底的な削減指示等によって、モルガン財閥は大いに腹を立てて撤退。この際、協商連合側が損害賠償やら訴訟問題でタコ殴りにされている他所で、モルガン財閥は代わりに帝国の資本を購入、これにより帝国が潤ったのは言うまでも無かった。

 

財閥の撤退により、協商連合では財閥系列の銀行、企業が懲罰的撤退を行ったために事業の衰退と失業者が爆発的に増加した。結果、当然の如く現政権は批判にさらされた訳である。政権が悪いというよりも、天下り的に私腹を肥やした役人や協商側のプロジェクト責任者が悪いのだが、元を辿れば同じである。民衆の怒りを納める為に、結局彼らは愛国心を煽り、また共通の大敵を用意することでこの政治的難所を乗り越えようと試みた。

 

だが、その冒険は未曽有の規模の大戦争へとつながる片道切符であり、またそこには快勝も決戦も望めない、先の見えない戦争が待っていたのだ。

 

ノルデン侵攻の背景で、間接的にもヘッケンが作用していた事実を、また彼が戦場に向かう宿命を背負わされた意味を、その黒幕をターニャが知るのはまだまだ先のことである。

 

 

 

 

 

 



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初戦闘 S

ターニャが降下してから続々と兵士たちが後に続いた。最年少で最勇敢などお笑い話にもならない。幼女に負けるな!という気合を込めて、兵士たちは真っ逆さまに超低空域ギリギリまで最高加速で突っ切った。

 

危なげなく低空域で浮遊し、部下たちの到着・配置を待ってから、ターニャはライフルのスリングを腕に絡ませ、双眼鏡で周囲を見回した。

 

副官が撮影班を引き連れて降下してくるのを認めると、マガジンを外して弾丸を確認してからガシッ!と音が鳴るまで力いっぱい叩き込んだ。ターニャはコッキングを引いていつでも撃てる状態にした上で各員に命令を発した。

 

「総員傾注!これより我々は南南西に続く海岸線に沿って散開飛行する。撮影班は順次撮影を開始、フラッシュの光で敵が寄って来る可能性があることを肝に命じろ。情報ではパリースィイ以南は未だ共和国の領域だが、我々が今いるのは帝国の実効支配領域である!パリースィイ以北に片足を突っ込んでいることを忘れることなく、戦闘班は迎撃態勢をいつでもとれるようにして置け!いいな!」

 

「イエス!マム!!」

 

幼女にマムとはこれ如何に。

 

耳元の無線通信装置と、それから見える範囲の部下に命令すると、彼らの威勢のいい声が返ってきた。しかし、ターニャから見れば緊張と興奮が入り混じった硬い声である。少々の不安を胸に彼女は「行動開始」を宣言した。

 

 

 

 

高度300メーターから500メーターの間で散開陣形をとったターニャの大隊は、撮影班を縦一列に細長い蛇のように配置した。ターニャ自身は中心に近い部隊の上空、先頭を切って飛翔していた。革ベルトの軍用時計を視れば、蓄光文字盤が淡く光ることで、文字が浮かぶように現れる。時間はマルフタサンゴ、行動開始から一時間近くたっていた。

 

隊列を崩さぬまま、また上下左右に味方の機影が重なることがないように配慮しつつ、適宜位置の入れ替えを指示することもターニャの役目だ。同じ光景を見続けると、人の判断能力は緩慢になり、また慣れから些細な違和感を見逃し杜撰な判断を下す確率が増加する。それは由々しき事態である。

 

ターニャの采配は確かだった。だからこの時も、敵航空魔導師の機影を機先を制して発見することが出来たのだ。

 

その時無線が入った。

 

「大尉!9時の方向、海岸線の北に向かう機影あり!数は約50!こちらに真直ぐ…ぐぁあぁッ!?」

 

ジジジっ!と耳元で潰れるように鳴った無線機のノイズが、ターニャが経験した最初の戦闘の始まりの音だった。

 

「総員戦闘配置!索敵班が敵部隊と接敵!迎撃班は私に続け!護衛班は撮影班と共に進路を直進!接敵時の想定通り、南ノルマンデル・フランソワ共和国軍駐屯部隊と合流せよ!以上、送れ!」

 

ターニャの発令と同時に、部隊から見て前方東北に火の粉が散った。索敵担当の部隊と敵部隊との戦闘が始まった証だった。人数差はこちらが圧倒している。しかし、戦闘経験では向こうに分があることは間違いないだろう。そのことだけが気がかりだった。

 

「(いつ、どこで死ぬかも分からないのが戦場だ…だが、私には坊ちゃまが…坊ちゃま、どうか私に力を…そしてヘッケン、貴様は私と坊ちゃまの敵を討て!!)」

 

ターニャの首元で大モルガンから贈られた宝珠から光が噴きこぼれるように溢れだし、瞬間、ターニャの飛翔速度はそれまでの1.5倍を優に超え、まさに夜空に流星を駆る様な勢いで前線へと突入していったのだ。

 

 

 

 

ターニャが突入してすぐに、彼女の下に配属された士官たちは幼くも勇敢な上官の期待に応えるべく声を張り上げ、指示を飛ばした。

 

「総員戦闘配置!総員戦闘配置!迎撃班は大尉に続け!散開上昇始め!送れ!」

 

「撮影班!撮影はここまでだ!これより我々は全速力で直進!南ノルマンデルでフランソワ共和国軍と合流する!帰国は数日間は無理だと思え!行くぞ!」

 

撮影班が高精度カメラを仕舞いこみ、限界速度で彼方まで駆け抜けていくのを横目に、副官ら戦闘部隊総勢200名はターニャの後を追った。

 

 

 

 

ターニャが直率する部隊50名と駆けつけた時、すでに戦闘は終わっていた。カーキ色のコートと軍服を着た味方の機影がない代わりに、敵影らしき濃い緑の軍服と毛皮のファーが付いた外套を纏った兵士たちが50機ばかり滞空していた。

 

「馬鹿な!海岸線側には50名の兵士を配置していた筈では!」

 

こちらを確認するや散開陣形のまま真直ぐに突進した敵部隊は、ターニャの小隊と交差する直前に上昇、すれ違いざまに高高度から弾丸を撃ち下ろしてきたのだ。

 

「(チッ…練度に違いがあり過ぎる。今ので何人かは呑まれたか?…それより、向こうの目的は明らかに我が軍の、合州国航空魔導師の威力偵察…不味いな、南ノルマンデルで待機している共和国の友軍の存在も、勘づかれていても可笑しくない…だが今はッ!)」

 

撃ち下ろされた銃撃につい頭を低く抱えるように飛ぶ新兵が数名。彼らの前を塞ぐようにターニャは躍り出た。

 

「今は目の前の敵だけに集中せよ!敵との練度の差は人数とチームワークで埋めろ!人的資源はこちらの方が潤沢なのだ!私が攪乱する、士官は釣れた奴から囲んで墜とせッ!」

 

ターニャは言い切るとすぐさま上昇した。背中に士官の「大尉殿!一人では無理です!」という声が当たって砕けた。

 

 

 

 

ターニャには逃げられない理由があった。

 

「(結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚結婚ッ!!!!坊ちゃまとの結婚の結納品として儚く空へと散れ!帝国軍!)」

 

ターニャの咆哮は誰にも届かなかったが、代わりに上昇後も異常な加速で接近してくる敵機に、帝国軍の魔導師達は困惑を隠せなかった。

 

「一機突出してくるぞ!速い!速いぞ!気をつけろ!」

 

散開陣形から、ターニャを受け止めるサッカーゴールのネットの様に、への字を描いた陣形で銃を構える帝国軍の魔導師達。彼らの射程内にターニャが入ったと思った瞬間。

 

「死ねぇッ!!」

 

引き金が引き絞られ、横一列に炸裂する花火の様に50門のマズルフラッシュが瞬いた。

 

硝煙を晴らす様に、一機が墜ちた。真下は海だ。煙に抱かれて虚空に堕ち行く、気の毒な敵兵を憐れんだ帝国兵だったが…

 

「おい、あれ隊長じゃないか?」

 

「は?…う、うわぁぁぁ!?」

 

撃ち落とされたのは味方だった。しかも、ついさっきまで陣形の中心で部隊に指示を出していた隊長機だったのである。顎から入った弾丸は脳幹を吹き飛ばし、後頭部に大きな空洞を開けていた。爆裂する寸前に、リンボーゲームのように体を滑り込ませ、そのまま流れるように真下から中央の隊長機を狙撃したのだ。

 

正気の沙汰ではなかった。巻き込まれれば幼女の小さく脆い肉体など骨も残らないというのに、ターニャは敢えて爆風の前へ、その真下へと自分の反射神経と直感を信じて飛び込んだのだ。それはまさに、戦闘狂或いは精神異常の自殺志願者ですら思いつかない変態機動だった。

 

「何が起こった!?」

 

そう、全員が思った瞬間、彼らの背後から自動小銃の火線が伸びた。驚く間もなく、本能的に回避行動を取るも既に遅い、瞬時に二名があの火線に貫かれて無惨に散った。

 

「貴様!何者だ!」

 

戦場で口走るには滑稽すぎるその言葉を、しかし彼らは吐かずにはいられなかった。隊長機を皮切りに、次々に墜とされていく友軍機。それは絶望の感情に近かった。何が起こったのかすら、理解できないままに。誰にやられているのかすら、知らないままに。そのまま死んでいくなんて、と。

 

「うぅうぅぅああああああ!!!」

 

ゴムまりが金属の檻をのたうち回るように機動する影、その姿を捉えることも出来ないまま、視界の端から、その外から、頭上から、次から次に銃撃されたことで戦意を喪失するほどの恐怖に襲われたある若い兵士が逃げ出した。

 

しかし、熟練兵が敵の増援と戦っている隙に、全速力で敵前逃亡を試みた彼の目の前に、小さな影が浮かび上がった。

 

それは、底から音もなく生えてきたようにしか見えず、また敵にも味方にも見えなかった。

 

「き、君は、だ、誰だ?そこを、そこをどいてくれ!俺は行かなきゃならないんだ!」

 

それは小さな女の子だった。でも変だ、と兵士は思った。

 

体にぴったりのカーキ色の軍服と、その上から少し濃い色のカーキのコートを着ている。体のあちこちにはごてごてと無線やマガジンが所狭しと付いていて、士官が好むような黒革のマップバッグも掛けている。そういえばあのバッグには見覚えがある。あぁ、そういえば隊長が肩に掛けてたやつじゃないか。

 

…。

 

小さな女の子は腕にライフルを抱えていた。切り詰めた銃床と、延長された銃身。普通よりも長い弾倉には赤くてドロッとした液体が撥ねていた。

 

小さな女の子の顔は…顔、それは顔と言ってよかったのだろうか?

 

凶相、だった。

 

それは正に凶悪な顔だった。眼を見開き、可愛らしい犬歯をむき出しにし、口角を歪めて微笑んでいた。そう、微笑んでいたのだ。

 

彼女は年若い兵士に向かって初めて口を開いた。

 

「あぁ、やっぱりまだ慣れていない。上手いこと足元をすくう様には出来たが、まだまだスケート選手みたいにはいかないものだな。耳の近くを弾が通った所為で頭が痛い…それに、上体を上げたままでの降下は上手く行ったが、反りが遅かった上に甘かったせいで鼻先が焦げてしまう所だった…坊ちゃまには可愛い私を視て欲しいからな。それは許容できない。今後は要練習だ、そういえばこのマップバッグ、つい取ってしまったがちゃんと作戦資料は入っているのだろうか?ううむ、まぁ不要なら処分すればいい。にしても、災難だった。まさか三十名近い損失を出してしまうとは…だが、部隊を半分に割って救護に回したから、後で復帰してこれる奴もいるだろう。合州国の男はタフなのが多いからな…あぁそれと…?なんだ、居たのか。」

 

「なら逝ってくれ。」

 

それは話しかけているというよりも独り言だった。恐らくは脳震盪か何かで目も廻っていたはずだ。幽鬼のようにふらふらと、だが純粋に脅威のみを判別するマシーンと化した彼女は、その計算高さをそのままに、本能に忠実に体を動かし、敵を討ち、射線を回避し、そうして敗残兵さえ狩ってしまった。

 

意識がない内にと、ターニャを敵と判別し銃を構えた瞬間に、若い兵士は脳天を撃ち抜かれて死んだ。最後の言葉が「この悪魔め」だったことを、ターニャさえも知る由はない。

 

 

 

 

彼女の意識が完全に戻る頃、帝国軍部隊は15名の損失を出し撤退。ターニャの大隊は30名の損失と40名の負傷者を出したが初の戦闘に勝利した。傷は浅くなかったが、部隊は負傷者を二人一組で牽引しつつ南ノルマンデルの合流地点へと進路を定めた。

 

 

 




撮影班 100
迎撃班 200
護衛班 100
索敵班 100

ターニャ 1


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ド・ルーゴ将軍 S

合流地点では案の定戦闘が起こっていた。上空では航空魔導師同士のドッグファイトが展開され、地上ではフランソワ共和国とアルビオン連合王国の連合軍と帝国軍が、互いに戦車を前面に出して漸進、撤退を繰り返す一進一退の攻防が続いていた。

 

上空から戦況を観察していたターニャは合州国の航空魔導師がいないことに気づき、撮影班が向かったであろう味方の駐屯地、その後方に目を向けた。

 

そこには、装甲車の上で戦況を睨みつける闘将の姿があった。ターニャには、前世も含めて、その闘将に見覚えがあるとともに、微妙な苦手意識を感じたのであった。

 

この男こそフランソワ共和国軍の事実上の総司令官ピエール・ミシェル=ド・ルーゴだと知り、「名前までまんまじゃないか」とターニャが納得を覚えるのはすぐのことだった。

 

 

 

尚、この際に合州国は未だ中立の立場であり、宣戦布告していない状況下での部隊派遣だったため、ターニャたちは合州国が国際的な慣習を破り参戦したと後ろ指を刺されぬように、死んだ部下の遺留品を含めて回収済みである。また、このような事情から戦闘部隊といえども共和国と連合王国とのこの場での共闘は許されておらず、また接触を必要とするこの避難処置もまた、非常時に与えられる特権的な行動であった。

 

 

 

 

数分後、ターニャと彼女の部隊は戦闘の狂騒に囲まれた野戦陣地にいた。

 

ターニャはそこで先ほどのド・ルーゴ将軍と面会することになっていた。

 

「(な、なんでこうなるんだ…。)」

 

ターニャは一目見て苦手意識を感じたド・ルーゴとの対談に必要性を感じていなかったが、というか是非とも回避願いたかったが、よく考えればド・ルーゴは、合州国を自国に招き入れた『現地協力者』の親玉のような存在であった。

 

協力者との折衝を一任されているターニャにとって、それは面白くない現実だった。

 

野戦指揮所から場所を移し、人払いされた駐屯地内部の執務室で、ターニャはド・ルーゴ将軍と相対していた。

 

出されたコーヒーには手を付けずに、ターニャは軽く会釈をした。

 

「さて、まずは長旅ご苦労。デグレチャフ大尉殿。」

 

「いいえ、こちらこそお取込み中に大変失礼いたしました。」

 

「はっはっはっ。戦争をお取込み中とは…君は面白いな、アルビオン出身かね?」

 

「いいえ、生まれは帝国ですが育ちは合州国であります。」

 

ターニャが皮肉を受け流し、真面目に自身の出自を答えると、ド・ルーゴの目の色が変わった。いや、分かりやすく変えて見せたと言うべきか。なぜならド・ルーゴが作戦指揮官であるターニャの情報を知らないはずがないからである。

 

「ほぅ、帝国生まれと…では、色々と心苦しいかもしれんが、君には尚のこと勇敢さを求める必要があるな。」

 

「はぁ…?と、いいますと?」

 

雲行きが怪しくなるとともに、ド・ルーゴの話には身振り手振りが多くなり、身をずいっと乗り出してターニャに迫るようなものに変わっていった。

 

「君の部下から聞いたよ。なんでも一人で50名の敵兵に吶喊したそうじゃないか。」

 

「あぁ、それは私も頭に血が上っていたと言いますか、初戦で気持ちが余ってしまったといいますか…。」

 

「いいのだよ。…私にはわかっているとも。君は恐れているのだね?」

 

「…?何をでしょうか?その、私には閣下の仰る意味が…。」

 

ターニャにはなんとなく、自分がここに呼ばれた理由を察してきていたが、それでも自身の口からは言うことができず、また言えば相手の思うつぼだと理解していたため、本当にわからないような口調でド・ルーゴに応答した。

 

「君は本国に、何の戦果も携えずに帰るつもりかね?死んだのは合州国生まれ合州国育ちの兵士たち。生き残り栄誉を受け取るのは帝国生まれの君!さぁ、どうする!?」

 

「(…なんなんだッ!?何が言いたいんだよこの親爺はッ!)」

 

どうするこうするもあるかッ!いい年した親爺が8歳の幼女に生きる死ぬを一丁前に迫りやがって!恥を知れッ!とターニャは内心で思ったが、ド・ルーゴの言わんとしていることを理解してしまったからこそ、目の前の男を見るその目つきには理知と険がちらついた。

 

ド・ルーゴは一旦、乗り出していた身を応接椅子の革の背もたれに預けた。

 

「…フッ、安心したまえ。そこで君に提案だ。今、ここで起きている戦闘の戦局を打開してくれたまえ。」

 

「あ、あの!お言葉ではございますが、小官単独では戦局の打開はおろか!犬死にすることになると愚考いたしますが!」

 

「単独で吶喊など、誰が言ったのかね?」

 

「え?…は、あ!(嵌めたなこの親爺ッ!)」

 

言ってから気づいてももう遅い。ターニャはド・ルーゴという前世と今世を足しても尚、人生経験で上回る強敵の出現により、まんまと手玉に取られてしまった。

 

「よろしい。ならばこうしよう。君たちの部隊はこれから24時間だけフランソワ共和国軍の栄えある航空魔導師だ。公的身分は私が保証する。軍服も銃も貸そうではないか。物資も好きに…フランソワの兵士たちと同じだけ使ってよかろう。さぁ、勇敢なる自由戦士よ今がその時だ!」

 

「…私と私の部隊の上級指揮権は合州国軍統合作戦参謀本部航空作戦部作戦課にあることをご存じの上で、そのように仰っていると、そのような理解でよろしいでしょうか?」

 

「無論。要請したのは私だからな…。」

 

ここにきて、ターニャは確信した。ド・ルーゴの目的は単なる合州国参戦ではないことを。たとえ汚い手を使ってでも合州国を戦場に引っ張り出し、その上で戦わせることだと。出血を強いることだと、そのように確信した瞬間だった。

 

そして、同時に今自分が置かれている状況はマズい。戦わなければならなくなったことも勿論マズいが、それと同じくらい、ここから先どれだけこの男にいいように扱き使われるかもしれないかと思えば、ターニャの思考は冷たく鋭くなっていくのだ。

 

「…委細承知いたしました。では、軍服等お借りします。」

 

「うむ…存分に奮戦してくれたまえ。」

 

「失礼します…。」

 

 

ターニャはその場を辞したが、間もなくド・ルーゴの背筋を這うような寒気が走った。

 

 

 




強化されているのはターニャだけではありません。


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ためらい S

「諸君、我々は戦闘を余儀なくされた。これは半強制的なものであり、危険を承知でこの戦場に兵士としてやってきた我々と言えど、受ける謂れのない任務となる。故に、私はここに誓おう。未来ある諸君がこの場でもしも斃れることがあれば、その時は必ずや合州国と、合州国の正義に勝利を捧げた英雄として凱旋できるように取り計らうことを。さぁ、極めて遺憾ではあるが、これも祖国へ帰るための試練だ。腹立たしい話はここまでにして、今は我々の前に立ちはだかる帝国軍のことだけを考えよう。敵の倒し方だけに全ての資源を投入しようではないか。総員3分で身支度をせよ。3分後、野戦陣地指揮所前に集合。武器、階級章、軍服、全てを入れ替えても、我らの心には潔白なる17の星々と母なる青い河、先祖が流した赤い血の染み込んだ合州国の正義の旗がはためいている。各員行動開始!」

 

 

 

 

ターニャが戦闘準備を始めたそのころ、南ノルマンデル駐屯地上空では熾烈なドッグファイトが繰り広げられていた。

 

「一機撃墜!次ッ…待て!1時前方に新手だ!」

 

「帝国軍の203空!?ノルデン以来の精鋭のお出ましだ!引き締めろ!」

 

帝国軍の航空魔導師による上空からの地上軍殲滅を防ぐことが手一杯の状況下で、手強い新手の登場は嬉しくない報告だった。だが、首都パリースィイを失陥したことに対する責任、そして闘志がフランソワ兵の胸の中では熱く燻っていた。戦場の狂気が平然と人を殺すことを可能にしてしまう。その恐怖の宴が、地上でも、空でも延々と広がる光景に胸を痛める者は、少なくともここには誰もいなかった。そんな聖人がいたとしたら、彼らは真っ先に土の下に迎えられることだろう。誰しもが、そこでは等しく瀕死の人であり、命がけであった。

 

高度1000メーター近辺での激しい戦闘に新たに加わる影は帝国の203空と呼ばれた部隊だけではなかった。

 

「おいあれを見ろ!味方だ!味方の魔導師だぞ!」

 

「数も多い!100?…いいやもっとだ!300はいるぞ!」

 

味方のものとも敵のものとも知れない叫び声。阿鼻叫喚の中でも目立つ300名の集団こそ、ターニャが率いる偵察大隊であった。

 

ターニャを先頭に散開の上で錐陣形を組んだ部隊は勢いよく、共和国と帝国の航空魔導師同士の戦闘に乱入。乱戦を展開しながら続けざまに命令を発した。

 

「敵部隊が乱戦を解きやすいように外縁の包囲を緩めろ!」

 

「各士官は部隊を三つに分けてそれぞれ台形陣形を組んで山裾に追い立てろ!抑えるだけでいい!ゆっくりと押し込んでいけ!」

 

ターニャの指示と同時に彼女の麾下兵士たちは動き始めた。彼らは自分でも驚くほどに幼女ターニャに従順であった。それは先の戦闘で彼女が見せた変態機動への畏怖でもあり、また可憐さと凶暴さが放つ神秘への敬服もあった。

 

従順な兵士たちの機動は息の合ったものだった。

 

しかし、今度の相手は先刻の小部隊とは異なり、一人一人の練度のみならず、その装備や連携に関しても大きく上回るものだった。

 

「士官が一人やられました!大尉!」

 

「敵の攻勢です!連携して二か所同時に襲われてます!」

 

敵部隊は隊を二つに分けて離合集散を繰り返して、当初の目的であった封じ込めを余裕をもって躱していた。戦術目標の未達成が明白な今、ターニャは戦術の変更を余儀なくされていた。

 

「(クソッ!実戦経験が乏しいことだけが私の隊の弱点だったはずだ!なのに今は装備の質ともに後手に回っている…なんとか、何とかしなければ!)」

 

「いいだろうッ!何がなんでも私は坊ちゃまの元に帰る!そのために焦りなど、感情など不要だ。総員傾注、これより作戦を転換する。全部隊は横陣を敷き散開、敵右翼との乱戦に持ち込め!勝つ必要はない。包囲しやすそうな餌を演じろ!その隙に私が首を斬り飛ばすッ!!敵が陣形転換を図っている!今だッ!行け行け行け!!!」

 

ターニャの命令で兵士たちは敵部隊に一斉に襲い掛かった。あまりにも我武者羅な戦術に面食らったのも一瞬、帝国203空はいとも容易く包囲殲滅の準備を始め、一人虚空を泳ぎまわる敵指揮官…ターニャ…を笑った。狙いも漫ろに、只管食いついてくる敵部隊への違和感を203空の指揮官が感じた時だった。

 

『彼女』は外に出すぎていたのだ。

 

「貰ッたぁぁぁッ!!!」

 

「…ッグゥぅぅッ!?」

 

「ヴィクトリヤ大尉ッーーーー!!」

 

「……!?」

 

味方が包囲殲滅戦に移行するとともに、指揮官であるヴィクトーリヤ・イヴァノーヴナ・セレブリャコーフ大尉は、押し出されるように人口密度の低い外周側に出すぎていた。印象的なマップケースと将校用の拳銃、一人だけ違う銀リボンの階級章。全てが指揮官の記号として、強化されたターニャの視線を奪った。

 

そして、先刻にも披露した真下からの急激な上昇からの奇襲攻撃ですべてを決するつもりだったのだ。

 

だったのだが…

 

「(ヴィクトリヤ…坊ちゃま………………の銃ッ!!)クソッ!!」

 

「えッ?キャーーーーッ!?(なんで撃たなかったの?)」

 

ターニャは自分よりは年上であろう若い女の士官を、その名前が故に引き金を引くことを躊躇い殺すことができなかったのである。彼女は苦肉の策として銃を奪い、胸をむんずと鷲掴むや、揉みくちゃになりながら眼下の森へとヴィクトリヤという敵指揮官と共に墜ちて行った。

 

ターニャとヴィクトリヤの墜落は周囲に騒然をもたらした。

 

まず手始めに起きたのはお互いに撤退を確認し合うということであった。

 

「大尉が墜ちたぞおぉおぉぉぉ!?」

 

「デグレチャフ大尉ぃいっぃぃぃぃぃぃぃッ!!?」

 

「ヴィクトリヤ大尉いいいいいぃぃぃ!?」

 

「一旦休戦だ!!撤退!てったーいッ!!」

 

「おいッ!フランソワ軍も一旦退け!」

 

そして戦う相手が消えた共和国軍にも一旦退くように要請を送りと…とにかく、形振り構わずであった。

 

「退く!?追撃戦じゃぁないのか?…ッ何かあったのかっ!」

 

「指揮官が敵の指揮官と共に墜落したんだッ!」

 

「な、なんだってぇぇ!?」

 

勝敗は引き分けといったところか…互いに損失を出しつつも壊滅的被害には程遠く、戦闘継続能力を十分残したままの撤退であった。

 

双方が再戦は遠くないと感じていた。互いの背を黙って見送りつつも、彼らは緊張から身を引き締めずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ヴィーシャ C

むぎちゃのちゃちゃちゃ様

ちはやしふう様

あまにい様

誤字報告ありがとうございます。



「いつつ…あれ、私は確か…。」

 

「あ、お目覚めになりましたか?」

 

ターニャが墜落現場で目を覚まし、周囲を見回すとそこにはついさっき一緒に墜ちた敵の指揮官がいた。

 

「…ぬぁあッ!?貴様はッ!……なぜまだここにいる!それに、どうして私はまだ生きている!」

 

「…それはぁ…どちらかというと、私がお尋ねしたくて…それで。」

 

驚くターニャに対して敵の指揮官…ヴィクトーリヤ…は落ち着いて言った。

 

彼女の言葉に、「苦労するタイプだな」と思いつつ、その義理堅さゆえに寝首をかかれなかったと思えば感謝の念も一応は湧いてくるわけで。ターニャは軽く礼を言うことにした。

 

「それで生かしておいたというわけか…まぁ、理由については秘密だが…ひとまず礼を言おう。」

 

「いえ、私の方こそ…貴女が撃たずに一緒に墜ちてくれたから助かった命ですし…。」

 

「ふん…そうか…で?これからどうするつもりだ?」

 

ターニャが切り出したのは今後のことだった。敵同士の間柄で仲良くすることはお互いにとって良くないことだからだ。

 

「はい?」

 

「ここがどっち側なのか、分かった後では遅いのだぞ?」

 

「あぁ~!なるほど、そういうことですか!」

 

合点がいったと全身で表現するヴィクトーリヤの表情はこれから自分が厳しい現実に直面するかもしれないというのに明るいものだった。握りこぶしをつくり、肩幅に開いた両腕を胸の前で…いわゆるガッツポーズのように…添えると、ターニャにはない胸部の脂肪の塊が揺蕩った。何故か深い敗北感を感じつつ、仕切りなおすように、或いは自分の憂いを払うように、ターニャは人差し指をびしりと突き付けて言った。

 

「そう言うことだ!」

 

「じゃぁ…」

 

「では…」

 

「「お前(私)が捕虜ということで!」」

 

ターニャの聞き間違えでなければ頗る都合がいい提案である。しかし、実際に簡単に捕虜になってくれる人を知らない以上…いいや、知らなかった以上、彼女の感じた驚きは常識的と言ってよかった。

 

「…不思議そうなお顔、何か私が変なことを?」

 

「……は?」

 

 

これが、以後戦場で度々出会うターニャと『ヴィーシャ』の、二人の馴れ初めであった。

 

 

 

 

身の振り方も定まったところで、二人は食事にすることにした。

 

「わぁ~!それ、美味しそうですね!フランソワのレーションですか?」

 

「ま、まぁな…(しまったぁ~…食べ物だけ合州国軍のレーションを持ってきてしまった…。かくなる上は…。)よ、よーし!何かのよしみだ、少し分けてやろう。」

 

ターニャが出したのは所謂Cレーションというもので、その場で食べられる甘いお菓子や栄養価の高いジャムやスプレッドに、乾いたクラッカーなどがたくさん入った、見る者が見れば合州国の学生が好むランチボックスがそのまま再現されたような野戦食だった。

 

ターニャは口封じと、その大人でも持て余す凶悪なカロリーを食べることで隠滅することを目的に、自分がそこまで好まないカサカサのビスケットと濃厚なジャムやスプレッドをヴィーシャに譲った。

 

「え!いいんですか!でもぉ…悪いですよ。」

 

「私がいいというんだから、ほら、さっさと食べてくれ。ただ、このことは他の奴には内緒だぞ?いいな?」

 

ヴィーシャが口にしやすいようにと…さっさと食い尽くしてくれるようにと…ターニャもキャンディーやチョコレートを口にした。

 

「ハイ!任せてください。わぁ~いい匂い…いただきますっ…んッ!?」

 

「どうしたッ!?悪くなってるはずないんだが…。」

 

ターニャはヴィーシャの異変を食べ物が悪くなっているものと分析し、「残りはお前にやる」といって自分はどうしようかと頭を悩ませた。

 

 

 

 

しかし、現実は非情である。たまたま美味しくないのにあたっただけだったようで、その後もりもりと美味しそうにターニャのレーションだったものを味わうヴィーシャ。

 

「~~~ッおいしぃ~ッ!帝国のものとは全然違いますね!」

 

「ふ、ふふ、そうか…よかったなぁ!(くそぅ…私が食う分がなくなってしまったではないかッ!あぁ、ならば仕方ない…アレをたべるかぁ…。)」

 

一度譲ったものを、ましてや一度腹の中に納まったものを返せとは言えない。ターニャは仕方なく気温50度でも解けない…炭を食った方がましな…茹でたジャガイモより美味しくないチョコレートバー(釘が打てる)を懐から引っ張り出した。

 

「あのぅ…これ、よかったらどうぞ。」

 

「!?これは?」

 

ヴィーシャがおずおずと差し出したのは香ばしい匂いと湯気を立てる黒い液体だった。

 

「野戦キットで沸かしたお湯で恐縮ですけど…粉末のコーヒーが一袋あったので…。」

 

「おぉッ!わかってるじゃないか!」

 

「喜んでいただけて何よりです!」

 

今日一番に明るいターニャの反応に嬉しそうなヴィーシャ。

 

チョコレートを少しは溶かせるかもしれない!と希望を抱いたターニャは早速、つい先ほどまで口に入れることすら戸惑われた黒い板(スマホではない)をメスキットに付属するアルミのカップに注がれたコーヒーにひたひた…。

 

「ふふ…これで大分食べやすく…ふぎゅッ!?」

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

「クククッ…無様だろう?まさか、チョコレートに歯が立たないなんてッ!うぅう…役に立たん乳歯めッ!」

 

じ~ん、と骨に響いた痛みに顔をしかめたターニャを、ヴィーシャは優し気な瞳で見守っていた。

 

 

 

 

食事も終わり、静かに焚火を見守る時間がやってきた。特に話もせず、かといって険悪な雰囲気も皆無。

 

そんな折、ヴィーシャがくすくすと笑いだした。

 

「ふふふっ…楽しい人ですね、貴女は。」

 

「突然笑い出したから何かと思えば…くだらん、私はもう寝る。寝るが…逃げるなよ?お互いが命綱替わりなんだからな…言わずとも貴様なら理解していようが…。」

 

「あの…。」

 

「なんだ…?」

 

ヴィーシャに袖口を摘ままれて、ついターニャは振り向き尋ね返してしまった。どちらが年上で、身長も上なのかこれでは分かったものではない。それでも振り払わない程度には自分がヴィーシャへの警戒を解いていることを、ターニャは無自覚にも行動で示していた。

 

「お名前、聞いてませんでした。私、ヴィクトーリヤって言うんです。是非、ヴィーシャって、呼んでください。」

 

「…ターニャだ。好きに呼ぶと言い。」

 

「じゃぁ、ターニャちゃんで!」

 

「……おやすみ、ヴィーシャ。」

 

 

ターニャは寝るまで変な気分だった。友達がいたらこういう感じなのか、などと彼女が思いつくことはなかったが…それでも、不思議な奴だ、気に入った程度には感じていた。確かにヴィーシャは不思議な子だった。どうして子供が戦場にいるのかなんて、そんなことを聴くこともなかったし、自分を撃たなかった理由を深く知ろうとあの手この手で聞き出すこともしなかった。ターニャはヴィーシャを変な奴だと思っていたが、ヴィーシャもヴィーシャでターニャのことを不思議な子だと感じていた。

 

二人の相性は至極良好に見えてならなかった。

 

 

 

 

こうして夜は更けていき、二人は更に二晩を供にしてから無事に共和国の陣地に着いたのだった。

 

共和国の陣地で捕虜受け渡しを恙なく終えたターニャだったが、直前、共和国兵士の視線がヴィーシャに集まっていることに気が付き、コホンと咳ばらいを一つ、彼女は聞こえるように大きな声で言った。

 

「この女には気をつけろ!大の男も軽々と投げ飛ばして玉を踏み潰すことに少しの躊躇もない!!捕虜として扱うなら精々、緊張と礼節を以て士官として十分に待遇することだ!気に障ったからと戦場で女になりたくないやつは気を引き締めろ!!」

 

このターニャの言葉を侮るものはいなかった。基地に戻ってきて早々にド・ルーゴから先日の件で大いに称賛を受けていたところを多くの兵士が目撃したからだ。その勇戦を馬鹿にすることは許されず、また幼女の身に余る戦闘狂だともっぱらの噂になっていたことも幸いした。

 

ヴィーシャは胸の内でターニャに感謝しつつ、南ノルマンデル駐屯地の士官用独居房で監視されることになったのである。

 

 

 

 

ヴィーシャとの出会いから数日。合州国から帰りの船が到着し、帝国の再攻撃の前に足早に出港していった。帰り行くターニャたちの背を羨ましそうに見つめる共和国軍や連合王国軍の兵士は少なくなかったが、ヴィーシャだけは独居房の鉄格子越しに手を振り笑顔で見送っていた。

 

ターニャが撮影班と共に本国に帰還してしばらくの時間が経過していた。上陸地点策定は順調に進んでいるとの報告が上がり、三か月もすれば義勇軍上陸の準備が整うだろうとの試算だった。

 

しかし、ことはそう順調に動きそうもなかった。

 

従軍賞他複数の礼状を受け取り久方ぶりの休暇を手に入れ、何時ものように官舎でヘッケンからの手紙を肴にコーヒーを嗜んでいる時だった。

 

「ターニャ・フォン・デグレチャフ大尉は至急三階会議室まで。繰り返します。ターニャ・フォン・デグレチャフ大尉は至急三階会議室まで。」

 

アナウンスと共に、あちこちから様々な職権の将校たちが飛び出してきていた。向かう先は同じ様子だったことから、あまりいい知らせではなさそうだ。ターニャはコーヒーを飲み干すと、茶色の皮革が充てられた編み上げ靴の紐を締め、かわいいサイズのオリーブドラブ色の開襟のサービスコートに袖を通して急ぎ足で会議室に向かった。

 

 

 

 

会議室に入るや、直属の上官でもある航空作戦部長のアーノルド・メイトリックス大佐が単刀直入に言った。

 

「南ノルマンデルが失陥した。駐屯地はライン戦線で総指揮を執ったクルト・フォン・ルーデルドルフ麾下の第三軍による再侵攻で再起不能の打撃を受け、ド・ルーゴ将軍はフランソワ西端のブレスト要塞に籠城。尚、敵は何らかの新型兵器を利用した模様だが…これは目下諜報網を駆使して探っている最中だ。これで帝国は共和国の中部と南部を除き北部一帯を実効支配下に置いたわけだが…百年戦争じゃあるまいに…とにかく、これで我が軍の上陸作戦は大幅に前倒しされることになる。」

 

敵がノルマンデル海岸線の要塞化を完全なものとするよりも早く、合州国は上陸を完了させなくてはならない。

 

ヘッケンに困難が迫っている緊迫感と不安の一方で、あのお人好しのヴィーシャが元気にやっているかもしれない安堵という相反する複雑な感情に苛まれたターニャは、迷い余ってド・ルーゴの幻影をドついたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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上陸前夜 ヘッケン S

ターニャが次の作戦準備に追われている頃、ヘッケンもまた前倒しになった強襲上陸作戦の為に、連合王国行の特別船団に同期の兵士たちと乗り込んでいた。

 

「押すなよ!押すなよ!」

 

「そこ!静かにしろ!」

 

人でごった返す合州国南部の港では、ほぼ貸し切り状態の旅客船がずらりと並び、数個師団分を乗客として次々に呑み込んでいった。向かう人の列の中頃に、ヘッケン・ウルフはいた。最早戦場を前にしてモルガンJrの名は意味を持たない。だからヘッケンも自分のことをヘッケン・ウルフと名乗った。

 

立ったまま待つこと一時間。訓練を思えばへっちゃらだったが、それでも随分足が重く感じたのは緊張のせいもあるかもしれない。彼にとって、生まれて初めて訪ねる異国の地が戦争中だったのだから。

 

「おぉ、ヘッケン坊ちゃん!上等兵になられたとか、おめでとうございます!」

 

「貴方は?」

 

ヘッケンは案内された自分の席に座るや否や、見知らぬ壮年の男性に話しかけられた。男性の顔に見覚えがなかった為、失礼と承知で聞き返すと、男性は喜ばしそうに目を細めて言った。

 

「覚えてらっしゃらなくても仕方ありませんよ。私は幼い貴方に小切手を恵んでいただいたモンでさぁ。私以外にも、ほら、あちこちにおりますでしょう?お顔は覚えてなくても、みーんな坊ちゃんを知ってるんです。」

 

男の話は身に覚えがなかったから、相当に小さいころの話だった。だが、自分のことを、モルガン家のヘッケンを知っている誰かに会えたことが彼にはとても喜ばしく感じたのだ。

 

周囲から振られる手に振り返したり、会釈をしたりと忙しくしていると、ヘッケンは彼らの服装が自分のものと同じことに気付いた。

 

「ありがとう、とても暖かい気持ちにさせてもらったよ。ところで、君たちも義勇兵なのかい?」

 

ヘッケンが聴くと、男が答えた。

 

「はははははッ!他所の国のことなんざ、此処にいる奴らぁ気にもかけませんよ!」

 

不遜ともとれる言葉だったが、ヘッケンはちっとも気分を害した様子もなく、ただ純粋に「じゃぁどうして?」と尋ねた。

 

すると男はヘッケンに手を向けて言った。

 

「坊ちゃんの為でさぁ!俺たちゃ名の売れた結構な奴らでしてね、落ち目の時に救ってもらった恩を返そうとおもいやして。それに、おじい様やお父様から、死んでも家族の世話を見るってお手紙を頂いちゃったもんでしてね。俺なんか年食った御袋ばかりなもんでして、折角だから最後に国から勲章でも貰って人生の花道にしようかと…それで、馳せ参じた次第です。」

 

ヘッケンは驚いた。驚いて、それから何か申し訳なくて悪い気もしてきてしまった。だが、彼の気持ちを察してか、男たちは一際大きな歓声でヘッケンを励ました。

 

さっきの男が言った。

 

「ヘッケン坊ちゃん、俺たちゃアンタを無事に返せるように命を張る覚悟があるんだ。アンタが誰かのために命を張ろうって気概で軍隊に入ったのと同じようにな。だから、そこんとこ忘れんでつかぁーさいよ。」

 

男はそう言って鼻を啜った。

 

 

 

 

連合王国の港町に着くころには、ヘッケンは男たちのことをすっかり大好きになっていた。

 

一番に話しかけてくれたのはカチンスキー。

 

色黒で大柄なのがクロップ。

 

眼鏡を掛けた優しそうなのがチャーデン。

 

特にこの三人と仲良くなったヘッケンは、三人を自分が率いる部隊に配属できないかと直属の上官に願い出た。

 

ヘッケンの願いは一度は却下されたものの、器用で世渡り上手なカチンスキーが「アッシにいっちょ任せてくぁーさい」と言うので、煙草1カートン(なんと1ドルもしない!!)を頼まれた通りカチンスキーに託すと、彼は翌日他の二人を連れて願い出た通りにヘッケンの元へやってきた。

 

ニコニコ顔の三人に囲まれて、これからの毎日は楽しくなるだろうとヘッケンは胸躍った。

 

食事のまずさに耐えれば、それ以外は本国からの潤沢な物資のお陰で退屈しなかった。しばらく連合王国での訓練が続き、訓練に次ぐ訓練に加えて、重たいゴムまりのような救命衣を着て泳いだり走ったり、はたまた死んだように動かずじっとしている訓練もするようになり、みんなへとへとになっていった。

 

それでもヘッケンからしてみればまだまだ余裕だったし、実技に関しては百発百中で連合王国の士官も驚いていたし、合州国の教官たちは鼻高々だった。四人で過ごすうちに、段々と互いのことが分かってきた。一番は何といってもカチンスキーで、彼が四人のなかで一番に年上だった。

 

鷲鼻で猫背気味のこの男は、しかし立派なギャングの親分をしていたらしい。裏社会で大いに羽振りがよかった話には痛快なものも多く、面白い話を聞きたかったら彼に頼めばいくらでもしてくれたのだ。世渡りが上手いのもその時の面目躍如であって、先日はところで、どうやって?と聞くと、彼は「物資の十分な本国の士官じゃなくて、物資の足りない碌に煙草も吸えない連合王国の士官に口添えを頼んだんでさぁ」と答えた。それで上手くいくのか?とは疑問だったが、向こうが少佐だったもので、少尉かそこらの士官から見れば神様のようなものらしい。たとえ国が違っても、軍隊の縦は厳格なのだとヘッケンは思った。

 

「(あぁ…でもそれだとターニャのこともターニャ大尉殿って呼ばなきゃいけないのかぁ…。)」

 

ターニャのことを思い、少し切なく感じていると、今度はクロップが彼を励ました。

 

この大男は気持ちの優しい愉快な奴で、不当に扱われる肉体労働が嫌で戦場に来た口だったが、その大力持ちを利用しては、「これが魔導だ」と称してフライパンを曲げたり、はたまた鉄の窓枠を曲げて曲げたのを戻して見せたりした。

 

その怪力は確かに魔導のようだと、ヘッケンは純粋に力の魔導だと信じ切ってしまったようで、よくクロップに「魔導を使っておくれよ」と開かない瓶の蓋を開けてくれるように頼んで彼を苦笑いさせていた。

 

この時はなんと鉄兜の出っ張りをパン生地のように薄く捏ねてしまって、それからまた元の通りに直してしまった。

 

中々見れたものじゃない、と見物人が多かったのが災いして、士官に「大事にしろ」と叱られてしまったが。

 

最後はチャーデンだ。彼はその見た目通りに教師だったらしく、銀縁眼鏡に優し気な口元の髭とあって、大学の教授にも見えた。彼自身は謙遜して至って普通の小学校教師だと言っていたが、皆信じちゃいなかった。

 

そんな信頼の厚いチャーデン教授は、ヘッケンにそれはそれは大事なものを教えた。

 

それは手紙の書き方だ。それもラブレターの!

 

何時ものように、ヘッケンが「ターニャに会いたいなぁ」と口遊んでいるのを耳聡く聞きつけた仲間の三人が提案して、代表としてチャーデン教授がヘッケンに手紙の書き方を伝授し、またどんな言葉遣いが相手を「メロメロ」にしてしまうのか…ヘッケンは「メロメロ」の意味をお菓子の宣伝文句の一節だとしか思っていない…も教え込んだのだ。

 

こうして完璧にターニャ専用の手紙の書き手となったヘッケンだったが、以後何故かぎこちのない文面が目立つターニャのお返しの手紙に、首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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上陸前夜 ターニャ S

水上 風月 様

誤字報告ありがとうございます。


ヘッケンが連合王国の遠征軍駐屯基地で活動を続けている頃、ターニャもまた重要な案件の処理に追われていた。ついに上陸する海岸線の策定が完了し、今や上陸部隊の配置と、その予想される被害、相手の勢力規模など…莫大な情報を処理する後方事務が今のターニャ大尉の仕事だった。

 

偵察任務を無事に終えた彼女はしかし、キャリアが十分ではないとの判断から前線職を開戦初日までの数か月間外されることになったのだ。これに焦ったのはターニャだった。

 

「坊ちゃまが殺されるッ!」と気が気ではなかったターニャはなんとかして自分が如何に愛国心に溢れ、前線勤務を切望し、また敢闘精神に富んでいるのかを、懇切丁寧に上官であるアーノルド・メイトリックス大佐に直訴した。

 

しかし大佐の返答は「面白い奴だな、貴様。気に入ったぞ、私の下で将校の何たるかを学んでから戦場に送り出してやる。死ぬのが最後になるようにな。」というものだった。

 

ターニャが「そんなッ…どうしてこうなったッ!」と内心で頭を抱えてももう遅い。こうして彼女は開戦初日まで、またしてもヘッケンとの再会の機を逃しまったのである。

 

 

 

 

ターニャの一日は意外とゆっくりである。いや、ゆっくりとは言うなかれ。よく考えれば彼女はまだ8歳9か月の幼女である。

 

官舎で寝起きする彼女にとって、隣の職場までは5分もかからない。朝10時に自分のデスクで業務開始であるから、9時過ぎまで寝ていても悪いわけではなかった。彼女は平常8時過ぎに起床すると、ゆったりパジャマ(モルガン家からの持ち込みの私物、尚シルク製)のまま洗面台で顔を洗い、タオルで優しく水気をとり、子供肌にも関わらず美容保湿を欠かさずにしてから、うがい手洗いの後朝食を摂る。

 

朝食はコーヒーと、それから官舎に届けてもらう食事をそのまま食べる。合州国はすべてがデカいので、基本的に子供用など存在しない。その為、ターニャは大人用を朝昼に分けて食べている。分厚いベーコンやミートローフ、時にはステーキも出るので、こういう時は温め直すなりして食べることにしている。パンはザクザクになるまで焼く時もあれば、白くてふかふかのものをそのまま食べる日もある。飲み物はミルク!ミルク一択である!あの日みたヴィーシャのふくよかさは、ターニャに拭い難い敗北感として残り続けていた。

 

少しの場違い感や不便こそ感じつつも、ターニャは基本自由に食事を楽しむことができていた。

 

食後はコーヒーを片手に新聞を読み込む。罷り間違っても知り合いの死人が出ていないか、具体的にはヘッケンに何かが起こっていないかとお悔やみ欄は特に血眼で読み込んでいる。

 

今日も朝食の時間が終われば、洗面所に行き歯を磨き…接吻する時に臭いと言われたら死んでしまうから…入念に口腔内のケアを済ませてから、パジャマを脱ぎ、コヨーテ色の上下シャツとスラックスに着替え、靴下を履き、暗い焦げ茶色の革が充てられた編み上げ靴の紐を締め、オリーブドラブ色の開襟のサービスコート(常勤服)に袖を通し、ボタンを留めたら完了だ。

 

制帽は式典の時以外にはターニャは基本被らない。坊ちゃまに見せるための髪型が崩れてしまうから。

 

準備が終われば職場に向かおう。

 

いつものようにターニャは「坊ちゃま、行って参ります」と誰もいない部屋に向かって呼びかけると、背伸びして扉を閉めた。

 

 

 

 

ターニャの職場はセントラルから少し離れて、航空作戦課にあった。航空作戦部の直属の下部部門であり、主に名の通り航空作戦に関わる様々な業務をこなす。ターニャの肩書はここの課長補佐であったが、肝心の課長が不在の為、実質的に課長待遇だった。

 

「純然たる人員不足を、冒険し放題特権とは…言い換えもここまでくると清々しいな…。」

 

ターニャはがらんどうの作戦課室を課長補佐のデスクからぐるりと見回して言った。

 

「しかし、ここまでくると如何に我が国が航空魔導師の育成と運営という分野で帝国や共和国、あの協商連合にさえ遅れを取っているかが、分かるというものだな。だが、まぁ言い訳が出来ないわけでもない。我が国には他国にはない高馬力かつ長距離飛行が可能な大型輸送機があり…とはいえコレもまぁ、本国にあるものと同じ巨大滑走路が無ければ飛ばしっぱなしになる代物だが…。」

 

ターニャはただ日がな一日、大佐が訪ねてくるまで只管ボーっとする訳にもいかず、自国の航空軍の軍事ドクトリンは勿論、その軍事配備状況の粗探しと、分析、研究に勤しむことにした。

 

「何はともあれ、先日の任務と戦闘で理解したことは、航空魔導師の練度は数である程度は補い得るが、それにも限界があるということだ。加えて、航空魔導師は基本的に最高速度・殲滅力共に個々人の技量によりその差が明確に現れる。」

 

ターニャは引き出しからまっさらな紙と無駄に鋭く研がれた鉛筆を取り出すと、サラサラと思いついたことを書き連ねていく。

 

「また、集団で動く蜂のようなもので、既存の…まだこの世界では既存ではないが…既存の航空戦術は多くの場合適合しない。人間の身体の稼働領域が限界点。逆を言えば、人間の身体を稼働できる範囲内では航空機よりも繊細かつ高度な機動を実現し得る。しかし、その上で重要なのは現在の我が国が抱えているような…ただ銃を抱えて飛べるだけの存在を戦術的航空魔導師に数えることは出来ない、ということだ。」

 

「となると…やはり、相当な数を間引く必要が出て来る…訓練も今の今まで学んできたものでは実戦からかけ離れすぎている…初戦での我が隊の撃墜数は合計で20…しかし、その内訳は私が18機、まぐれが2機だ。対して我が隊の損耗の最終的内訳は、損失50、損害38…、今考えれば私もよくぞ従軍記章と礼状を貰えたものだな…オフレコではあったが…。」

 

ターニャが鉛筆を止めると、がらんとした室内で鉛筆の転がる音が軽快に響いた。

 

「さて、これくらいでよしとするか…今のところは、だが。先ずは質だな。空を飛べる人間が多いことに越したことはない。無駄死にさえしなければ、そのうち戦士に生まれ変わるだろう…それにしたって、出来の好いのを選抜するしか今は方法がないのだが…うぐぐ…どんどん、坊ちゃまから遠ざかっていく…。」

 

 

 

 

ターニャはそれから三日間、徹夜で構想を練った。

 

そして四日目に練りに練った強化案を合州国航空魔導師再編戦略草案という題名で上官アーノルド・メイトリックス大佐に提出した。

 

提出後。大佐はその場でターニャの提出した冊子を読み込み、即承認。三日後には大佐のお陰もあって陸海空軍の三長官からの承認印を分捕った冊子がターニャの手元に戻ってきた。

 

大佐はターニャにこう命じた。

 

「ターニャ・フォン・デグレチャフ君、貴官にはこれより1か月以内に選抜され鍛え抜かれた航空魔導師による、戦術的打撃能力を有する特殊作戦部隊の編成を命ずる。貴部隊には大統領より名前を与っている。我が軍が誇る最初の本格的航空魔導師団として、『アパッチ魔導大隊』の名を授与する。編成後、貴官とアパッチ魔導大隊は即座に欧州大陸西部戦線に投入される。最初の任務は上陸部隊の支援になるだろう。本日より部隊編成の為の人員募集をかける。募集人員の選定・扱きは君に一任する。存分にやってくれたまえ!!以上!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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アパッチ大隊 S

上陸の一か月前のこと。ターニャは大統領令により新大隊アパッチ部隊の編成の為、空軍司令部のデスクに齧りついて訓練内容他重要事項の決裁に追われていた。そんなある日、コーヒーで成り立っているような精神状態で廊下を歩いていると、書類箱を抱えた巨漢にぶつかった。びくともしなかった巨漢のことはさておき、その拍子に一枚の紙がひらりと舞い落ち、ターニャの目に留まった。

 

それは件の部隊員を公募する為の軍内部で配られるパンフレットだった。赤と青と白。合州国のシンボリックなカラーが大々的に使われており、黄文字ででかでかと「勇者求ム!」と書いてある。アンクルサムも居心地の悪さに身じろぎするほど、この国の男たちを呼び込むのに機能しそうなパンフレットだった。舞い降りた一枚を手に取ったターニャは失笑気味に評して言った。

 

「なになに?フェアリーガーデンへようこそ…我らがアパッチ大隊に勝利を齎す女神…ターニャ大尉…ふ、ふふふっ…誰だ?どこの馬鹿がこんなものをッ!?」

 

「私だよ、大尉。」

 

すると、すぐ真上から声がするではないか。恐る恐る、その巨漢を見上げると、そこには厳ついサングラスで目元をギラつかせるアーノルド・メイトリックス大佐が、書類箱を抱えてターニャを見下ろしていた。

 

「大佐殿ッ…でありましたか…。これはなんというか、失礼いたしましたッ!」

 

「いやいや、構わんさ。悪いとは思ってるよ。」

 

そう言って大佐はサングラスを外した。円らな瞳がターニャには眩しく見えた。

 

「しかしなぜ?小官などを…。」

 

「君は特別、自己評価が低いのかね?」

 

「いえ、そんなことは。」

 

「なら簡単だ。君が士官学校を史上最年少で次席合格…実質首席で卒業したからだよ。」

 

「しかし、いくらなんでもそれだけで…。」

 

ターニャは実際疑問だった。自分のような小娘が…宣戦布告前であり戦果を大々的に公表することができない以上、どうやって自信家で実力主義者が多い合州国の男たちを納得させられるのか。

 

「君は、外見がとてもキュートだからね。男所帯の軍隊じゃぁ、女神みたいなもんなのさ。所謂、夢を見させてやるというやつさ。」

 

「は、はぁ…。」

 

「さ、勤務に戻り給え。そろそろ、公募が終わる。君の仕事はそこからだ。」

 

「承知いたしました…。」

 

案外安直な理由に安堵しつつ、また変な居心地の悪さを感じつつ、ターニャは自分の職務に戻った。大佐はそんなターニャの哀愁漂う背中をなんとも気の毒そうに見送ったのだった。

 

 

 

 

 

募兵は順調だった。結果的に1000人もの応募者が集まり、ターニャはその一人一人の軍歴や受章歴に目を通しつつ、自身の構想する部隊にとって都合のいい順にファイリングしていった。およそ現時点で公表された限りは実戦経験があるものは皆無。若い世代がほとんどを占めていて、長らくの平和にどっぷりと浸かってきた弊害を思わぬところで発見することになった。使い物になりそうなのは、ターニャと共にフランソワ・南ノルマンデルでの秘密作戦に従事した400名弱、その中から更に特に見込みのあるものを選別する必要があった。前途多難な現状に目頭を揉みつつ、ターニャはコーヒーを呷った。

 

書類選考の時点で500人ほど落としたが、それでもまだ500人も残ってしまった。

 

「よくもまぁ、五百人も志願者が集まったものだ…ここから何人に減る事やら…百人くらいがいい目安か?ともかく…私の手となり足となる覚悟がある者だけ…あわよくば、坊ちゃまの盾にも喜んでなれる狂った奴だけを集めるとしよう。」

 

ターニャはそれから一昼夜かけて500人分の資料を読み込み、その中でも特に見どころのある人材とそうでない人材を分別、翌日の初の集会でこの分別したグループごとに試練を与えることに決めた。

 

空軍の演習場を貸し切りにしたターニャは極秘部隊設立の為の重大案件であることを前置きに説明し、それから間を置かずに500人を五つのグループに分割、それぞれを更に五つの班に分け、互いを競わせる形式で演習兼試験を開始した。

 

試験は困難を極め、およそターニャとヘッケンが経験した生き残るための限界に挑戦する特別メニューとほぼ同等の内容だった。そのためターニャの予想では、開始直後は脱落者が頻発するものかと思われたが、案外に脱落者は少なく、正午までに脱落した人数は10人ほど。この段階で、ターニャは焦り始めた。

 

「こ、こいつら正気か!?これだけやっても食らいついてくるとは…案外骨のあるやつらだな…。」

 

「というか、何故脱落しない!なぜへたり込んだヤツが私を一目見て再び立ち上がり走り始めるのだ!」

 

「まッ…まさか、私はとんでもないことを仕出かしたのでは?今、一堂に会しているのは合州国で最も屈強なペドフィリア共ッ!?い、いかんッ!このままでは私が危ない!危険だ!このままでは…そ、そうだ!公募からやり直そうそれがいい……ダメだぁ~~そんなんじゃァ間に合わない!それに、こいつら以上の変態が集まってきたらどうする!海坊主みたいに汗を垂れ流しつつも、桃色に染めた頬を見せつけながら敬礼してくる連中だぞッ!あ、あぁ、坊ちゃま…私はどうすれば…クッ!殺せ!いっそ殺せ!」

 

「そ、そうだ…殺されるなら私が先に殺してやる!貴様らはペドに生きペドに死ぬがよい!よぅし、決まれば早い。今の倍の距離、倍の重量を設定して全員まとめて地獄に堕としてやる!生きて合格できると思うなよ!泣いたり笑ったり出来なくしてやるぅ!」

 

 

ターニャの決意によって、実際に合格に必要な数値はすべて倍に設定され、先ほどまでとは打って変わり次々に脱落者が現れ始めた。しかし、しかし…ターニャが得意になることはなかった。ついてくるのである。

 

ついてくるのである!

 

最終選考に残ったその数なんと64名!

 

ターニャは絶望した。

 

 

 

 

ターニャの絶望とは裏腹に、64人の合格者たちは皆、高い志と卓越した技能、抜群の身体能力と突出した愛国心の持ち主だった。彼らは皆、揃いも揃って、上官であるターニャが史上最年少で士官学校を卒業した才媛であることも、その実力が本物であることも理解していた。尊敬と憧憬の眼差しはしかし、疑心暗鬼にかられたターニャの眼には全くの別物へと変質して見えていたのであった。

 

 

ともかくも、大佐の口添えもあり最終選抜に残った64名が初代アパッチ大隊の大隊員として、セントラルで新設された第一特殊作戦コマンド、その第一の名簿に登録された。これにより、ターニャ・フォン・デグレチャフ大尉は以後、欧州遠征軍の最先鋒として戦局を牽引することが求められると同時に、戦術的な航空魔導師運用の実践者として、合州国本国での地位を築いていくことになる。

 

ここに、合州国軍義勇軍或いは欧州方面遠征軍最高司令部付き統合作戦参謀本部直属「第一航空魔導戦闘団特殊急襲部隊」、またの名を「第一特殊作戦コマンド独立行動部隊・アパッチ大隊」が成立したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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D-Day S

副題『戦略』『理論』『戦術』



水上 風月 様

先日に引き続き、誤字報告ありがとうございます!お世話様です!


その日、僕たちは大陸に向かった。カチンスキーやクロップ、チャーデンも一緒だ。帝国が支配する北ノルマンデル海岸へと、強襲上陸作戦の為に、故郷から500マイル以上離れた土地へ重い背嚢を背負って、敵の命を奪う銃を抱えて、僕たちは揚陸舟艇に沖合で乗り換えた。天には分厚い雲が張っていた。夕食を食べすぎたクロップのはちきれそうなお腹みたいに。

 

 

 

 

その日はありとあらゆるところで、爆音と破裂音と悲鳴、それから何かが拉げて崩れる音がした。一日の始まりから終わりまでずっと、その音は鳴りやまなかった。連合国軍が上陸作戦の前段階で実施した破壊工作により、北ノルマンデル海岸線に続く橋は大きなものから小さなものまでその殆どが破壊された。橋の爆破に並行して、合州国軍が誇る長距離輸送機により落下傘部隊が投入され、彼らによる妨害工作が各所で発動した。だが、最も顕著だったのは陸海空軍が合同で選抜した要員による落下傘部隊の工作でも、上陸直前に行われた暴風雨に例えられるほどの艦砲射撃でもなく、合州国により投入された最新鋭の航空魔導師部隊による爆撃或いは殲滅射撃だった。

 

ノルマンデル南西から北東へ、舐め上げるように海岸線の帝国軍仮設陣地、特にその指揮所を集中的に殲滅爆撃したことで、一時的に指揮系統の混乱を引き起こし、帝国側の上陸妨害が弱まった。これにより、寄り付くことが困難だった各所にも部隊が上陸を開始、初日で橋頭保の確保は確実であるという予測を、敵味方両陣営に抱かせた。

 

時を同じくして、リアルタイムで情報収集に励んでいた連合国軍総司令部に内陸のスパイから入電があった。この報せにより、敵陣の概要が判明。まず帝国軍は今日までに軍を再編成していた。そのため、軍全体の名称も変わり今は欧州の中央部分を包括的に防衛・侵略する戦闘能力を有することから、部隊全体をして中央軍集団と改名。総司令官はクルト・フォン・ルーデルドルフ大将が先の南ノルマンデル攻略により昇進、元帥として続投することが分かった。加えて、麾下部隊はノルデン以来の猛者が集う第三軍が続投、軍司令官はルーデルドルフ元帥の意向により参謀本部から着任したハマーシュタイン中将が務める。続いてこれもノルデン以来の強者揃いであり、尚且つ203空が第三軍より失態を理由に移設されている第一軍だ。第一軍は軍司令官を老将軍マッケンゼン中将が務める。そして、北ノルマンデル海岸線の防衛側の軍こそ急設された第十二軍であることが判明した。司令官は中央からグレーナー参謀総長により左遷されたラインハルト中将である。

 

敵軍概要が判明すると同時に連合軍は敵司令官ラインハルトの抹殺を決定、新設されたばかりの航空魔導師団もとい、特殊作戦コマンド独立行動部隊に首狩り任務を通達、仮称アパッチ大隊はターニャの指揮下、目標の抹殺の為にノルマンデル制空戦に挑んだ。

 

 

 

 

 

 

上陸作戦が開始されたのは合州国が帝国に宣戦布告してから48時間後のことであった。当初帝国側は、敵軍は連合王国の島嶼から最も近いパン=ド=カリーを目標地点に定めたと確信し、疑っていなかった。この確信は、先日捕虜から解放された帝国士官ヴィクトーリヤ大尉の証言…「北ノルマンデル偵察の痕跡あり」…を聞いた後でも覆らず、カリー岬を中心として一帯を優先的に要塞化することで陸海空が合意していた。そんな中、このような判断は誤りであることを主張した将校が帝国側にも三人いた。

 

一人目は、第一軍麾下第七師団『アイゼンクロイツ』師団長アイネライヒ・フォン・マンシュタイン大佐。

 

二人目は、第三軍麾下第十三師団『パンツァーリーベ』師団長ハインツ・グルンデリアン大佐。

 

三人目は、第十二軍麾下第六十六師団『プール・ル・メリット』師団長エルダー・ロンメル中佐。

 

の三人である。マンシュタインは代々軍人の家系であり貴族の家柄も持つ戦略の権威的存在である。グルンデリアンは大戦緒戦で圧倒的勝利を齎した戦車と航空魔導師を利用した電撃戦を考案し、当時の参謀本部次長ハンス・フォン・ゼートゥーア准将に承認させた人物である。そしてロンメルは庶民階級出身ながらも、現場で叩き上げで将校になった猛者であり、若くして勇敢苛烈な戦術で敵を翻弄することで数多くの戦果を挙げた傑物である。

 

この三人の懸念は参謀本部において取沙汰されはしたものの、この時ばかりはゼートゥーア現中将も首を縦には振らなかった。職責故に振れなかったという意見もままあろうが、三人の不信感は増大した。

 

さて、連合軍上陸の報が齎された時の帝国軍の布陣を見てみよう。

 

まず、ヘッケンが上陸する中央のビーチ、ここは第十二軍司令部直轄であり、最も抵抗・妨害ともに激しくなることが予想される。司令官は言わずもがな第十二軍軍司令官ラインハルト中将だ。彼は軍大学での秀才だったが、権力闘争で現参謀総長グレーナー大将に敗北した経緯があった。そのため、左遷人事とも言われている曰く付きの司令官である。軍全容は急設の為、実戦経験の乏しい兵士が集まっているが、司令官命令で麾下部隊から吸収した航空魔導師部隊を上空に張り付かせており、ここに直接打撃を加えられたのは後にも先にもターニャのアパッチ大隊によるものを除けば皆無である。また、この打撃も急襲による一時的なもので、原状回復可能な程度でしかなかった。優先的に構築された鉄筋コンクリートのトーチカ群、対艦重砲群に阻まれて、航空支援を除けば支援らしい支援を上陸後の将兵に与えることが容易ではない苦難の戦場である。

 

続いて、西海岸。西海岸では中央海岸とは真逆に容易く上陸が可能であった。と言うのも、大きな出島のように半島が突き出ており、断崖絶壁部分への警備兵の配置が余りにも杜撰だったからである。この敵軍の手抜かりにより、連合国軍にとっては僥倖とも言える迅速さと少ない被害で海岸一帯を制圧することが叶ったのだ。西海岸には早くも連合国軍の拠点が構築され始め、その上空は亡命者による共和国軍航空魔導師に加えて、今日まで共闘してきた連合王国軍の航空魔導師がぴったりと張り付いて警戒を厳と成していた。

 

最後に東海岸だが…東海岸では西海岸とは真逆の、中央海岸よりも悲惨な光景が広がっていた。要塞設備こそカリー海岸線や中央海岸線に劣るものの、この三番目の戦場は堅固な要塞線であるパン=ド=カリーに最も近かった。パン=ド=カリーが避けられたと見るや、その守備に就いていた師団の一つ、第六十六師団『プール・ル・メリット』がいち早く上陸部隊に反応。迅速な移動により展開中の上陸部隊を叩くことができ、一日で千人を超える死傷者を出すこととなった。一時撤退を余儀なくされた東海岸では方針転換が図られた。連合国軍総司令部は東海岸への部隊上陸を断念し、逆に中央海岸線への敵師団『プール・ル・メリット』の到達阻止を作戦目標に掲げた。連合国軍の死傷者が増大する一方、この目標転換によって『プール・ル・メリット』は中央海岸線の友軍救援への道を断たれ、パン=ド=カリーへの撤退を余儀なくされるのである。

 

 

 

 

 



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これは我がライフルなり。 S

僕は海の中に半分だけ浸かっているような気分だった。半ばまで海に沈んだり浮かんだりしながら進む揚陸艇はグラグラ左右に揺れて気持ちが悪い。ただでさえ、彼方此方から酷い爆音も聞こえてきて、近くの艦艇なんかが火を噴いて耳も頭もおかしくなりそうなのに。体の中身がシェイクされて、僕の前とか後ろで嘔吐する人も沢山いた。僕たちは玩具の兵隊みたいに狭い鉄の箱にギュウギュウ詰めにされている。胸が悪くなるような、ムッとする匂いと粘っこい潮風の混じった嫌な臭いがする。体中がべたべたした。僕たちの足元にはガムとかチョコレートのちり紙が、何人分もの胃液と混ざり合って滅茶苦茶だった。でも、僕の眼は冴えていた。頭だってスッキリしていて、いっそ気分が好いくらいだった。ワクワクしていて、そのことで少し、僕は自分が怖かった。僕は教官から言われた言葉を思い出した。教官は僕にこう言った。「お前は軍人に向いてない」って。どうしてって聞いたら…あぁ、もうすぐ僕たちの番だ。この話は、後でにしよう。

 

 

 

 

その時、僕たちの体に衝撃が走った。大きな水しぶきが視界右前方で起きて、足がガクガク、歯がカチカチ合わさった。前の舟艇が機雷を擦ったのだと理解するには、それから間もなく僕たちの頭の上に人間の破片が降りかかってくるまで待たなければならなかった。細長い腸が細切れになったものが僕の鼻の上に乗り、誰かの左手が結婚指輪付きでカチンスキーの胸に当たった。チャーデンとクロップは胃の中身と血を目いっぱい被っていた。誰かの糞便の香りもした。綺麗に爆散した誰かの半生に想いを馳せる間もなく、僕たちの番がやってきた。僕は前から三番目、僕から見て右から数えても三番目。開く前から機関銃の弾が開閉式の扉に当たる音がした。嫌な音だ。キリキリと劈くような音が僕の頭の中で自動再生される前に、ここから早く出てしまわなければ。

 

 

 

 

ガコンッ!と音がして、それ以外に何も聞こえなくなった。鉄が軋んで開く音。鉄の扉が波を打ち付けるバシャバシャと言う音。僕たちは死ぬのが怖くなった入水自殺者みたいにザブザブ海を掻き分け浜辺に向かう。でも陸に上がれば上がるほど、銃声はますます大きくなる。血の臭いは濃くなる。血で砂浜も海の水も真っ赤だ。オレンジ色の波が逆巻いて、僕たちの内の誰か、もう動かなくなってしまった誰かを攫っていく。彼らは皆、きっと明日には魚の腹の中だろう。

 

機銃弾の風切り音から逃げ惑う。只管動く。立ち止まるな!立ち止まったら死ぬんだ!そう言い聞かせられて、本当にその通りだと思った。僕?僕は止まらない。カチンスキー、クロップ、チャーデンの盾になれるように先頭で突っ走った。僕にも当たるかもしれない。僕には当たらないかもしれない。そんなことは考えない。

 

前へ!進め!進め!進め!

 

考えるな!体の動くがままに!

 

引きちぎれた鉄条網が生い茂る園を超えて、キャンプファイヤーみたいに火柱の立った戦車の残骸を脇目に、負傷兵と共倒れになったメディックを憐れんで、僕たちは前に進んだ。

 

 

 

 

機銃の音が止んだ。今だッ!

 

その時、僕の耳に聞きなれない誰かの声が届いた。

 

「やったぜ!見ろよトーチカが火を噴いてやがる!空からの援護だ!これで安全に上陸できる!」

 

僕は気にせず走って、それから砂浜に乗り上げて暫く進んだところにある砲撃されてぽっかりと出来た穴に滑り込んだ。それからさっきの声の意味を理解した。確かに僕たちに撃ってきていたトーチカがピンポイントで燃えていた。僕は銃床を砂に食い込ませて、銃身のほうを肩に預けると空を見上げた。真っ黒い空。重油をパン生地に練り込んだような空に、見慣れた碧い目と焦がれたブロンドが輝いていた。僕は叫んだ。

 

「ターニャッーーーーーーーーーーーー!!!!!!」

 

ターニャは青い奔流を銃口からぶちまけて、また一つトーチカを潰してから僕の方を見てくれた。ターニャ、君が助けてくれたんだね。ありがとう。僕も頑張るよ。君に好いところを見せられるように。

 

僕はそんな気持ちで、少し仰々しくゆったりと手を振った。それから僕たちを救ってくれた勝利の女神に投げキッスを贈った。ターニャは僕のキッスを受け取ると、物凄い速さで隣の戦場まで飛んで行ってしまった。彼女の背中を見送っていると、ちょうどカチンスキー、クロップ、チャーデンが追い付いて来た。

 

 

 

 

カチンスキーが嬉しそうな僕に向かって言った。

 

「何か好いことでもあったんですかい?」

 

「あぁ、大切な人と再会したんだ。元気そうだったよ。」

 

「そりゃぁ何よりでさ!ところで、さっきのお嬢さんとはどんな関係で…?」

 

「なぁんだ、見てたのかい?彼女が僕の大事な人で、さっき僕らを助けてくれた勝利の女神、ターニャ大尉さ!」

 

「おったまげーだぜ!こりゃぁ~…!」

 

僕が胸を張ると、カチンスキーはあんぐり口を開けて驚いていた。クロップは「おったまげーだぜ!」なんて不思議な調子で驚いていて、チャーデンは眼鏡がずり落ちていた。

 

それから三人は口を揃えてこう言った。

 

「「「流石は我らが坊ちゃんだぜッ!!」」」

 

「それほどでもないよ~…。」

 

僕は照れて頬を掻いた。それから改めて心の中でターニャに僕たち四人が健在であることのお礼を言った。

 

「さぁ、そろそろ戦闘に参加しよう。見た感じだと手前の大トーチカで手間取ってるみたいだし…ねぇクロップ、早速だけどアレ、持ってきてくれた?」

 

「勿論だぁよ!はいよぉ~…コレ、ですね?」

 

僕が尋ねるとクロップは威勢よくそう答えた。そして肩に掛けてある大きな袋から道具一式を取り出して僕に恭しく差し出した。

 

「組み立てる間、時間を稼いでくれる?あっちに移動してから少しだけで好いんだ。」

 

「勿論でさぁ!よっし、クロップ!チャーデン!気張るぞお前ら!」

 

「あいあいサー!」

 

「承知しました。さ、坊ちゃんが先に行ってくださいな。私らは後ろから援護しますんで。」

 

「ありがとう!すぐに終わらせるよ!」

 

僕は三人の援護射撃を受けながら、足場の悪い砂浜を全力疾走した。足元や頭の上を何十倍も凶暴にした蝿の羽音みたいな音が何度も響いた。それでも僕は止まらずに走り切り、一際大きなトーチカの真下で死角になっている土手に背中から突っ伏した。

 

 

 

 

「お前は誰だ!ここから先には進めないぞ!機関銃手と狙撃手が俺たちを見張ってる!!」

 

「ヘッケン・ウルフ上等兵でありますッ!!これより、貴官の援護を担います!!!」

 

「援護だってぇッ!?」

 

僕は隣で電話越しに火力要請をする先遣部隊の部隊長にそう告げた。それからすぐに、チュンチュンと狙撃銃と機関銃の弾丸が砂やコンクリートや僕たちの鉄兜にぶつかって弾ける音が、豪雨みたいに響きだした。僕は出来るだけ小さく丸まったけど、かわりに、弾丸が隣の隊長の顎を吹っ飛ばした。血が噴き出して、隊長が電話を落っことしそうになり、慌てて僕は電話を借りた。骨の破片がほっぺに刺さってジンジンした。僕はさっきクロップから預かった道具一式を組み立てながら、受話器を取った。

 

「おい!おい!軍曹!無事か!」

 

「無事ではありません!」

 

「貴様何者だ!」

 

「ヘッケン・ウルフ上等兵であります!火力支援の要請を代行する任務に就きました!」

 

「上官はおらんのか!」

 

「おりません!」

 

「おぉ!なら構わんよ!今は一刻も早くそこを突破してくれ!こちら戦艦ロドニー艦長カニンガムだ!さ、早いところ座標を頼む!」

 

「ハッ!座標は…わかりました、H12~H13、I12~I13の二か所であります。機関銃陣地と狙撃手の排除のために、火力支援を要請します!」

 

「ロドニー了解!16インチ砲の餌食にしてやろう!報告ご苦労!」

 

「ヘッケン、オーバー!」

 

 

 

 

約一分後、猛烈な勢いで艦砲弾の雨が降り注いだ。狙撃手は今ので壊滅。機関銃手も僅かな間だが射線を切らざるを得ない状況だ。粉塵と硝煙、それから吹き上げられた大量の砂や破片で僕の顔は真っ黒になった。鉄兜もいくらか凹んだだろう。僕は粉塵が目隠しとして機能しているうちに、組み立ての仕上げとして弾頭を特殊鋼に交換した弾丸をチャンバーに差し込んでレバーを引いた。今さっき追いついたカチンスキーたちの声が聞こえた。

 

「坊ちゃん!粉塵が晴れますぜ!」

 

「大丈夫!撃たせないよ!」

 

僕は重たい銃身もヘッチャラだった。土手に乗せて固定し、銃床を肩に押し付けた。

 

「10時の方向!機関銃手がこっちを向いてますぜ!」

 

「…今だ。」

 

ガコンッ!と爆音が鳴り、僕のライフルから撃ち出された弾丸が赤い閃光を放って真っ直ぐ機銃手の胸に吸い込まれた。

 

ドパッ!と機銃手の体が弾けて、その手前にあった機銃ごと敵兵を破壊した。僕は「次弾装填ッ!」と叫んだ。クロップが腰に巻いた革のポシェットから二発目の14.5×114ミリ弾を僕に手渡した。僕はそのままレバーを戻し、白い煙とともに吐き出される空薬莢には目もくれず、二発目を押し込みレバーを引いた。

 

「次は何処だッ!」

 

「2時方向!さっきの艦砲で吹っ飛んだ奴の交替要員です!」

 

「了解!」

 

チャーデンの指示に従ってライフルを動かすと、こっちに向けて機銃を撃とうと格闘する若い兵士の姿が見えた。僕と同じくらいの年齢だ。可哀そうに、と僕は思った。

 

バキンッ!!!!

 

でも彼は敵だった。僕は僕のやるべきことに少しの躊躇もなかった。

 

「やりましたよぉ!坊ちゃんん!」

 

クロップが嬉しそうに叫んだ。

 

「流石は坊ちゃんですね。腕が違います。輸入品のデグチャレフ対戦車ライフルを狙撃銃として扱われるとは…感服いたしました。」

 

チャーデンも眼鏡をカチャリと支えつつ言った。

 

「さ、先を急ぎましょう!トーチカの機銃が潰れたんです、もう後は中の連中だけですよ!こりゃぁ、勲章もの!大手柄ですよ、坊ちゃん!」

 

カチンスキーが持ち前の計算高さで僕の栄誉が如何にすごいかを寿いだ。僕は三人に言葉を返しながら教官から言われた言葉を今度こそ思い出していた。

 

「うん!僕たちも部隊の後続が来たら突入しよう!」

 

「「「あいあい坊ちゃん!!」」」

 

教官は僕に言った。

 

「お前は軍人に向いてない。お前は軍人として、適性がありすぎるんだ。」と。

 

 



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異変 S

「あはははははッ!!最ッッ高ッの気分だッ!」

 

ターニャはヘッケンからの投げキッスを受け取ってからオカシくなっていた。幼女だし。大尉だし。特殊作戦部隊の隊長だし。士官学校次席卒業だし。幼女だし。すでに色々とオカシかった。だが、それでも最後の一線だけは越えていなかったはずなのだ。彼女は、それを今越えた。充血し、収縮したギンギンの眼。いつの間にか瞳の色が紫に変わっていた。どす黒い深淵を隠し持つ眼光に、しかし彼女の部下たちは心酔しているようだった。

 

ターニャの部隊はノルマンデル制空戦へと投入され、早くも一時間が経過していた。損失は驚異のゼロ。対して相手に与えた被害はトーチカ10、戦車12、重砲9、航空魔導師11である。特に、航空魔導師に関してはターニャが関与していない点が大きな意味を持った。なぜなら、ターニャの部隊では既に二名のエース級の魔導師が育っていたのだ。それぞれ俳優上がりの志願兵ドナルド・リーガンと海軍から転属したジョルジュ・ブッシュ。二人ともターニャの忠実な下僕として、「上陸部隊から気を逸らすために攪乱せよ」の命令通り、縦横無尽に暴れていた。

 

「大尉!そろそろ突入しましょう!ラインハルトの奴をとっちめるなら今です!」

 

「いいや、まだ早い!デグレチャフ大尉殿!トーチカの数も少なくなってきました!掃討部隊を編成して地上軍の援護に回し、敵の目を引き付けた上で突入すべきです!リーガンの軽挙妄動になど付き合ってられません!」

 

「なにをぉ~!?この臆病者め!」

 

「うるさい!戦術の話も分からん素人め!」

 

「貴様ぁッ!言ってはならんことを!」

 

高笑いしながらトーチカを潰していたターニャの元に、二人が戻ってきた。好戦的なリーガンと慎重なブッシュは好対照だったが、たびたび衝突した。二枚目で甘いマスクのリーガンと、温厚で冴えないブッシュでは、公私ともに相性が悪かった。彼らを仲裁し、右へ左へと上手く転がすのがターニャの仕事であった。

 

「貴官らの提案はどちらも尤もだ。しかし、我々の最終目標は敵第十二軍司令官ラインハルトの排除。その為に手段は選べん。よって、ブッシュは私の代わりに部隊の半数を率いて地上軍…特に中央軍の援護に回れ。トーチカに加えて迫撃砲陣地と戦車も排除し、完遂次第戻って来い。そしてリーガン、貴官は私と共に残り半数を率いて制空戦を貫徹。このまま押し切り、その勢いのまま敵司令官の指揮所を襲撃する。双方ついてこれる余力はあるか?」

 

「無論です!」

 

「デグレチャフ大尉殿から頂いた命令を完璧に熟して見せます!」

 

ターニャからの問いに二人は勢いよく答えた。

 

「よろしい!では各員に伝達が完了し次第散開。二部隊は同時に攻撃目標に向けて浸透を開始せよ!」

 

「了解ぃッ!」

 

「承知しました!」

 

こうして制空戦の第二幕が開けた。

 

ターニャ麾下のアパッチ大隊は勢いをそのままにノルマンデル制空域をほぼ掌握。散発的な敵航空魔導師との戦闘をこなしつつ、順調に、順調に…戦局を動かしていた。

 

 

 

 

ターニャが戦列を整えるようにエース二人に指示を出していたのと同じ頃、帝国側の指揮所では混乱が充満していた。

 

「らっ、ラインハルト中将が戦死ッ!?どういうことだッ!!」

 

第十二軍司令部内で、ラインハルトの幕僚が声を荒げた。詰問を受けた伝令兵は身を小さくしながら、声を絞り出すように言った。

 

「そ、それが…前線を視察された際に、その、大口径小銃の狙撃を受けまして、それで戦死されました。」

 

「大口径小銃だとッ!?そんなものを上陸作戦で持ち込む馬鹿がどこにいる!」

 

「しかし、大砲のような音が聞こえましたが、中将閣下の周囲にいた小官らには被害もなく…大砲ではなく、それこそ対戦車用の携帯兵器だとしか形容できず…。」

 

「中将のご遺体は…?」

 

「爆散され、それで…。」

 

指揮所の中は沈黙に包まれた。左遷されたとはいえ、ラインハルトの名は内外に響き渡るビッグネームであり、幕僚以下司令部要員にとっては精神的支柱にも等しい存在だった。それが失われた今、どうやって抗戦すればいいのか…。ただでさえ敵は、新たな特殊部隊を投入して前線を押し上げており、虎の子の航空魔導師部隊も被害が拡大している。まして戦車など、鷹に突かれるウサギのようなものだった。

 

もはやここまでか…天に見放されたと彼らが感じていた時だった。

 

「急電!!!ロンメル中佐ご到着!!」

 

「諸君!!話は聴いた!ここからは私が戦術指揮を執る!!」

 

「おぉッ!貴方は…しかし、どうやってあの警戒網を潜り抜けて?」

 

「副官と二人でバイクで走り抜けてきたッ!そんなことより、報告ッ!」

 

司令部に現れたのは第十二軍麾下第六十六師団『プール・ル・メリット』師団長エルダー・ロンメル中佐だった。彼の指揮権は三位以下だったが、既にラインハルト亡き今、抗戦し得る忍耐と胆力を持つ司令官はこの人を措いていないことは、消沈した司令部内を見渡せば誰の目から見ても明白だった。ロンメルの指示の下、帝国の戦争機械たちは再びその鼓動を速めた。

 

「報告しますッ!現在、我が軍は敵兵約3万に上陸を許し、刻一刻とその規模は拡大しております!また、敵航空魔導師部隊との制空戦に我が方は敗退!温存の為ッ、漸次部隊を後方まで撤退させております!」

 

「被害報告ッ!」

 

「ハッ!我が方の被害は既に壊滅的であります!特にノルマンデル西に敵の根拠地が設営されつつあり、そこから続々と敵軍が上陸しております!我ら中央軍はトーチカを半数失い、戦車は三割の損失、重砲は四割の損失であります!地上軍の戦闘継続能力は間もなく消失する恐れが大であります!!」

 

「なるほど、よくわかった!敵上陸は必至!となれば…強いるのは撤退ではなく出血だ。戦略を転換ッ!先ほど、私が連合国軍に受けたのと同じように、私も奴らをハメてやるさ。となれば、引くぞ!」

 

「ひ、退く?ですか?」

 

「違うッ!引くんだ!釣りをするぞ!」

 

「釣りでありますか!?」

 

「そうだ、釣りだ。奴らはまだラインハルト中将が戦死なさったことを知らない。ならばそれを逆手に取ればいい。知らない以上、全ての戦術行動はラインハルト中将のものだと敵は思いこむ。それを念頭において、戦術を練る。私たちの頭上で蝿の如く飛び回る航空魔導師部隊は中央軍が余程可愛いと見える。私たちは中央軍を引き込んで、奴らの地上軍を撃滅すればいい。遅かれ早かれ敵の上陸は避けられない。なら、少なくとも敵の戦術行動を一つ麻痺させるための布石をここで打っておくんだ。ラインハルト中将の戦死に緘口令を敷け!航空魔導師部隊に、あくまでも交戦しつつの撤退を演じさせろ!残存兵力は航空魔導師の半数と共に後方で潜伏、敵地上部隊が深入りし、大トーチカの防衛線を超えた後、これを撃滅せよ!これは勝利の為の戦術的撤退の前に、我が方が敵軍に手向ける恐怖の置き土産である!」

 

ロンメルの指揮の下、帝国軍司令部は再びその指揮系統を回復。淡々と各部隊に撤退命令を発するとともに、如何にも自然な動向で航空魔導師部隊に対して撤退を援護する為の抗戦を下達した。

 

連合王国から鹵獲したゴーグルを制帽のつばに乗せた、帝国の傑物エルダー・ロンメルの魔の手が、連合国軍、ヘッケンとターニャに伸びていた。

 

 

 

 

 



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罠 S

僕たちは後続部隊と合流して敵地の奥深くへと侵入した。敵と味方の死体を踏み越えて。死んだ体に違いなどなかった。僕たちは少なくとも生きていて、戦車にひき潰されて歩兵に蹴飛ばされる彼らと、蹴飛ばす側の僕らとの一番の違いだった。僕は自分のライフルを背中に背負うと、合州国兵士の標準的な小銃に持ち替えて進んだ。進んでは、撃ち。撃っては、進んだ。まるでゲームみたいだと思った。一人、一人、また一人。僕はまさに機械だった。戦争機械だった。物陰に隠れている兵士は障害物ごとライフルで吹き飛ばした。鐘楼に登っている敵は、鐘を銃弾で鳴らせるくらい、仲間と一緒に撃ち込んで倒した。僕たちは姿…彼らの鉄兜、彼らの軍服の色、そう言ったものに反応して引き金を瞬時に引くだけの機械だった。けど、その一事に関して言えば故郷に残してきたどんな人よりも上手い。僕たちは、そういう奴らだった。時折、ターニャの姿が僕たちの頭の上を通過した。ものすごい勢いで、正に女神か妖精さんだ。彼女にこんな才能が秘められていたなんて、きっと僕しか知らなかった。いいや、僕は最初に知っただけで、僕だって最近の話なんだ。彼女は神様に愛されている。僕はそのことがとても嬉しい。きっと、君は死なないね。生きて帰ってくれるね。それなら、好いんだ。僕にはそれだけで満足だった。勲章も名誉もいらない。僕は君と一緒に生きて帰りたい。君と…せめて君だけでも生きて帰ってくれ。

 

 

 

 

大トーチカの防衛線を突破した僕たちは、飢えた獣みたいに中の兵隊たちに襲い掛かった。もう、この段になると投降を受け入れる余裕もなかった。それでも投降してくる人はいる。だから僕たちは、彼らが手を挙げて降参を態度で示す前に、撃ってしまった。目に入れた瞬間に、彼らを撃ってしまうのだ。そうすれば、心騒めく必要もない。君たちの分の恨みや悲しみも、敵の大将に味わわせておいてあげるから、だから許して欲しい。僕たちだって、皆みんな関係なく死んでいったのだ。死んだ仲間の顔も、死んだ敵の顔も見飽きた。たった一日で、余りにも僕たちは死に触れすぎていた。けれど、おかしくなる彼らや仲間を見ていても、僕は冷静だった。僕はずっと、ずっと、ずっとマトモでいられた。少しも心を囚われることなんてなくって、ただ只管、僕の頭の中には温かい家と、家族と、そして何よりターニャのことがあった。僕はターニャの為だと、勝手に彼女の為だと言い張って、次々に人を撃った。僕が撃てば、当たる。だから撃ったんだ。仲間から、死んだ仲間から弾丸を貰って、自分のM1自動小銃で撃ち続けた。ターニャで撃ち続けた。僕は国家の為でも、他の誰の為でもなく、自分の為に撃ち続けた。ターニャが好きだから、だから撃った。

 

18歳の誕生日に理解したよ。僕は君のことが好きだ。でも、なんて言えばいいのかわからないんだ。だから、代わりにこうやって撃ちまくってる。滅茶苦茶に撃って、滅茶苦茶に当てる。弾倉が空になるころ、撃った弾の数だけ敵兵が死ぬ。これは具合が好かった。僕は勝手に撃つ。僕が勝手に撃てば、味方も、そしてターニャも無理をしなくて済む。僕はマトモだ。だから、僕が撃つんだ。ターニャ、力を貸してくれ。

 

 

 

 

ヘッケン達が大トーチカを超えた辺りから敵の攻撃が大幅に弱まった。これを彼らは自分たちが敵を圧倒しているからだと考えて更に前進。更にその速度を速める切欠となったのが、我らがヘッケン坊やの狙撃手としての覚醒だった。彼の超越的なスナイピングスキルにより、優先的に敵の士官が排除され、いとも簡単に敵陣地が後退を始めたのだ。この時、軍内部ではヘッケンとターニャが時の人となっていた。だが、彼らの明るい感情とは全く異なり、その戦略的立ち位置は決して芳しくなかった。中央を押し込んだヘッケン所属の第一歩兵師団他合わせて3万の軍勢は順調に突出しており、既にその先端部分では敵軍による猛反撃が開始されていた。先鋭化する部隊を横に縦に分断、孤立させたうえで各個撃破を狙うロンメルの戦術眼に狂いはなかったのだ。そして、ヘッケンの元にもその鋭利な牙が届こうとしていた。

 

 

 

 

「全隊止まれえぇ!!一旦停止!警戒を厳とせよ!!囲まれた!囲まれたぞ!」

 

部隊長の声が聞こえたのはそれが最後だった。嫌な予感がする。そう思った次の瞬間には悪夢が待っていた。

 

「空軍からの援護はどうした!!索敵は!?」

 

「分からん!ついさっき敵航空魔導師と戦車部隊の発見報告で途切れたままだ!」

 

「撃ってくるぞ!気をつけろッ!?」

 

「ぐあぁッ!!熱いぃぃぃ!!」

 

「火炎放射器だぁぁッ!!!」

 

上から見た時は迷路のようだった敵の後方基地。半地下のようになっているトーチカもあった。それまでは普通に進んでいたのに、狭い路地に差し掛かったあたりだったと思う。僕たちは前後を挟まれてあっという間に孤立した。さっきまで真上をビュンビュン飛んでいた魔導師の姿もない。僕たちだけだ。

 

「坊ちゃん!こっちです!トーチカの残骸から敵を迎え撃ちましょう!」

 

「カチンスキー!チャーデン!クロップ!」

 

「はいはいさ!」

 

「私はここにいます!無事ですよ坊ちゃん!」

 

「さぁ、早くトーチカへ!」

 

「トーチカはダメだ!火炎放射器で皆焼かれてしまう!」

 

「じゃぁ、いかがするんで?」

 

「僕についてこい!前だ!前に進むぞ!」

 

「前だってぇ!?戻った方が好いんじゃないですかい!?」

 

「話は単純だ!ここまで来て帰してくれないことは分かってるんだ!それなら敵の要塞線に潜り込んだ方が生存率は上がる!幸いここは入り組んでいる!そして、敵も味方も壁を壊しながら進めるわけじゃない!味方が来るまで持ちこたえるなら迂闊に火炎放射器も大型兵器も使えない室内が好い!」

 

僕は頭に入っている簡略な敵陣の図を三人に地面に描いて見せた。今いる路地を真っ直ぐ進めばトーチカに、トーチカの脇には敵の要塞線に通じる通路があったはずだ。大トーチカ内の掃討中にみた地図には、少なくとも後退時の通路は書いてあった。この順に進めば、僕たちは狭い要塞路で常に一対一で戦える。これなら人数差も関係ない!

 

「なるほどッ!戦場そのものを変えちまうんですね!」

 

「そうだ!行くぞ!僕に続けッ!」

 

「おい!クロップ、坊ちゃんをさっき拾った敵の機銃で援護しろい!おいらぁ、煙幕を投げて目を晦ますぜ!」

 

「分かったで、カチンスキーのおやっさん!ならチャーデンはポインターだッ!」

 

「難しい言葉をよくご存じで!狙撃しつつ、敵兵の位置をお教えします!ちょうど戦車兵の咽喉マイクもあります、片方は坊ちゃんに!」

 

僕はチャーデンから渡された咽喉マイクを首に装着すると、戦車から引っ張り出した無線装置を背負って駆け出した。今からは勿論、あとで使うかもわからない代物だ。捨てておくには惜しい。僕が駆け出すとクロップの機銃が火を噴いた。僕が直進するから、右側に射線を張ってくれている。まだ敵は殲滅戦を始めたばかりだ。彼らがいる方向の逆、つまり真後ろに浸透するまでには少しだけ時間がある。その隙に、早く道を切り開かなきゃ。僕はトーチカと正面から撃ち合う覚悟で走り抜けた。

 

「さぁ!今だ!」

 

「煙幕投擲!!」

 

「9時の方向機銃手!12時の方向狙撃手!機銃手はお任せを!」

 

カチンスキーとチャーデンのお陰で僕だけは周囲の状況が理解できた。チャーデンが狙撃手の位置を教えてくれた直後、僕の耳に銃声の反響音が届いた。まだ生きてる。なら今度は僕の番だ。弾の弾ける音からして、100mかそこらか…大した距離じゃない。僕は立ったまま愛銃デグチャレフを構え、大雑把に狙いをつけて引き金を引いた。

 

バキンッ!

 

煙幕を追い払いながら突き抜けた弾丸が、狙撃手の隠れる家屋の鉄扉に当たった。鉄扉には勢いよく内側に吸い込まれたような大きな穴が空いていた。撃ち返しては来なかったから死んだんだろう。僕はもうそのころには前を向いて走っていた。走りながら次の弾を込める。見えた!!トーチカだ!半地下状態で機銃だけが僕の方を向いている!今にも撃ってきそうだった。でも、僕は焦らず、ゆっくりとその場に倒れるように俯せになった。死んだように動かずに、一瞬、一瞬だけ体を起こす。それだけで勝負は決まるから。

 

起きる!狙う!撃てッ!

 

バキンッ!

 

防弾ガラスを突き破って、僕の撃った弾丸がトーチカの機銃手を殺した。僕は念のため注意深く観察していたけれど、もう撃ってくる気配はなかった。僕は三人の方に振り返り手をグルグルと空をかき混ぜるように振った。三人の歓声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

僕たちは無事に要塞線に潜り込み、そこで頑丈な部屋を見つけて拠点にした。時々、近づく敵兵を殺し、死体を隠して待ち構えてを繰り返した。僕たちが籠城してから二時間も過ぎるころ、外の方で大きな爆発音と歓声が聞こえた。敵のものか、味方のものかわからない。カチンスキーやクロップが見てくると言ったが、僕が行くことにした。僕は三人の命を預かった上等兵だから。

 

 

トーチカの脇から出たところで、僕の体に衝撃が走った。

 

痛い。痛いくらいだった。

 

温かかった。それは人だった。

 

僕に抱き着く誰かだった。

 

ターニャのほかに、彼女のほかに僕にはその誰かが思いつかなかった。

 

冷たい鉄ばかり触っていたっけ。僕は無性に彼女の頬に触れたいと思った。

 

空はいつの間にか晴れていた。ターニャの瞳のような紺碧の空が僕たちを見下ろしていた。

 



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ネームド S

ヘッケン達が敵の猛反撃に晒されている頃、ターニャもまた敵軍の反撃に阻まれていた。

 

「戦車砲最大仰角!!白燐弾装填ッ!時限信管よーい!敵高度800mぁッ!!」

 

「時限信管よーいッ!よし!」

 

「ッてぇーーーッ!!」

 

ドゥンッ!!

 

ガコンッ!!

 

「次弾装填よーいッ!!」

 

「敵部隊発見」の報告に急行すれば、そこには滞空する航空魔導師部隊と、地上から空を狙う戦車群が待ち受けていた。当初は単なるこけおどしかと思われたが、開戦後、敵航空魔導師はあっさりと撤退、滞空を繰り返した。敵部隊の主攻はなんと戦車砲だったのだ。

 

しかし、この戦車砲が思いのほか効いた。白燐弾という拡散する砲弾を選択したこと、また帝国軍の戦車砲が高高度に対しても威力を発揮したことで、肌を焼き、水を以ても消火できない凶悪な白燐を連合国軍の航空魔導師部隊が飛び交う高度まで届けることが可能だったのだ。この攻撃は、思わぬところで航空魔導師という人間を主軸に置いた戦術兵器の脆弱性を露呈し、また帝国に貴重な空の脅威の撃退策のサンプルを入手させることになった。

 

ターニャは自部隊を散開させるのみならず、その高度を更に上昇させ、その上で戦車の機動性を上回り、また仰角の届かぬ後方へと突っ切る戦術を採り、これに対抗した。しかし、ここで通せば虎の子の戦車部隊が全滅することが火を見るより明らかである以上、帝国航空魔導師も必死の抵抗を試みた。彼らの敢闘はその都合通りの威力を発揮し、連合国軍の航空魔導師の多くに消えない火傷を残した。

 

「邪魔だぁぁぁッ!!!!!!」

 

だが、それでもターニャは止まらない。

 

「アパッチ大隊!総員この場を離脱!離脱の上、目下大トーチカ上空での制空戦に参加する!」

 

「大尉殿!しかしこのままでは味方の航空魔導師がッ!」

 

「こればっかりはブッシュに同意です!我らがこの場を離れれば、練度から言っても数からいっても味方が不利になりますッ!」

 

珍しくドナルド・リーガンとジョルジュ・ブッシュの意見が合った。

 

「そうか、ならば私の命令を無視して貴官ら二人はここに残って戦うことを許可しよう!」

 

「いえ、命令違反をしたかったわけでは…。」

 

「そ、そうですよ大尉!俺たち、あんたに誤解してほしくなくって!」

 

リーガンとブッシュがバツの悪そうな表情で言った。すると、ターニャはにこりと笑って言った。

 

「誤解などどうでもいい。私が言いたかったのは、ここで口論などする暇はないということだ。我々は今や敵の狡猾な手の内にある。今、目下展開中の敵魔導師との制空戦に敗れれば、第一歩兵師団以下中央軍が陸空から殲滅される…理解したか?貴様らは戦略的勝利を捨て戦術的勝利に固執しようとしたのだ!!!戦闘中であっても優先順位の取違は許されん!まだ文句があるなら勝手にしろ!」

 

「文句がないなら私に続け!各々の部隊を率いて乱戦に持ち込め!地上軍に指一本触れさせるな!囮は囮に任せておけ!連合王国軍の航空魔導師のお手並み拝見と行こうではないかッ!!」

 

「「イエス!マム!」」

 

ターニャはこうして航空魔導師と戦車部隊の同時撃滅という極上の餌を放り捨てて、地上軍の上空で乱舞する敵味方の別動隊同士の制空戦に乱入した。ターニャらアパッチ大隊の乱入により、拮抗していた戦局は一気に連合国軍に傾き、約二時間ほどで制空戦は終了。結果は、連合国軍側の圧勝であった。被害を40以上出したうえ、戦車と航空魔導師による別動隊も連合王国の航空魔導師が包囲を突破したことにより撃滅された。帝国側は航空魔導師を60以上損失し、戦車は合計で40両、重砲は30門超を損失した。将兵の損害も甚大であり、一日で三千人以上が戦死、負傷は一万人を超えた。

 

対して連合国側の被害も想定よりは軽微であるものの、二千名以上の死傷、戦車20両、砲18門、航空魔導師30余名の死傷が確認された。今後の侵攻には追加兵力が投入されるものの、彼らの一人一人に遺族がいることを忘れてはならない。

 

そして、ヘッケンとターニャ、この二人は帝国の作戦を打破した英雄として大々的に祭り上げられると同時に、帝国の各部隊・各将帥に明確にその存在を脅威として認識された。連合国と帝国はヘッケンを『神箭手』『ハンター』または『死神』『恐怖』の符号で呼称し、ターニャを『妖精』『聖女』或いは『悪夢』『絶望』の符号で呼称した。

 

大戦始まって以来の『ネームド』の誕生により、戦争はより深みへと填っていくのである。

 

 

 

 

「ふんッ!『ノルマンデルの悪夢』か…中々やるじゃないか!見破られたが、ひとまずの目的は果たした…しばらくは生きているとも死んでいるとも知れぬラインハルトの陰に怯えるがいい…。さて、早いところマンシュタインのおっさんと合流するか…フギンとムニンを持ってきてくれ!なにぃ?わからないだと?バイクのことだよ!俺と副官の愛車を頼んだぞ!」

 

ロンメルは撤退しながらそう零し、副官と共にもと来たように崩壊寸前の前線を立て直しつつ、自身の師団が粘り続けているパン=ド=カリーへ向けて進路をとった。

 

ターニャとロンメル…今だ直接の面識のない二人だが、彼らに生まれた因縁は今後も大戦を通して深まっていくのである…。

 

 

 

 

また同時刻、パリースィイにある帝国軍中央軍集団総司令部では二人の男が対談していた。

 

一人は中央軍集団総司令官クルト・フォン・ルーデルドルフ元帥。

 

一人は帝国技術開発部で主任技師を務めるアーデルハイト・フォン・シューゲル、通称ドクトル。

 

二人の会談中、駆け込んできた兵士がいた。連絡要員であり、参謀本部からのお目付け役でもあった、元人事部所属の現中央軍集団参謀幕僚であるエーリッヒ・フォン・レルゲン中佐だった。

 

レルゲンが言った。

 

「元帥閣下ッ!!ノルマンデルが突破されました!!」

 

「馬鹿なッ!?ラインハルト閣下はどうした!」

 

「戦死なされたとの報告が入っていますッ!…誤報であるとの電報も入っておりますが、情報統制の為の緘口令とも考えられ…。」

 

「…むぅぅ…シューゲル!実験機導入時期は早くとも問題ないな?」

 

「な、何の話を…?」

 

「レルゲン君!喜びたまえ!君は歴史的な瞬間にいるのだよ!元帥閣下が命じ、私が開発し、君の口からその導入が参謀本部に報告されるのだから!」

 

「な、まさかッ!しかし適合者はまだのはずではッ!?」

 

「今さっき、君の報告に前後する形で入ったのだよ…適合者発見の報告がね…。」

 

「しかし、本当に可能なのでしょうか?」

 

「報告書にはこう書いてある。『異常高度に耐えうる』と。」

 

「い、異常高度!?」

 

「名前は、フランツ・ウルリッヒ・ルーベル。23歳の若き鷹…帝国初のエレニウム九十五式四発型演算宝珠適合者だよ。彼を前線に実戦投入する。許可はゼートゥーアが必ずや獲ってきてくれる。これで、西部戦線は我が軍の再起に向けて動き出すことだろう。」

 

「神がそのように望まれておられるのですッ!!!!!私は神のまにまにッ!この研究を神への信仰心によって完成させたのですッ!!!」

 

「量産こそできないが、十分に脅威となろう…さ、レルゲン君、君も仕事に戻り給え…。」

 

 

レルゲンはこのタイミングで現れた適合者の存在に、或いはその背後で蠢く何者かの意志のようなものを感じ取り、背筋が凍ったような感覚を覚えずにはいられなかった。

 

「(何かがオカシイ…何か、大きな渦に呑み込まれていくようだ…。)」

 

勘の鋭さをおくびにも出せず、レルゲンは高笑いするルーデルドルフとシューゲルのいる部屋に背を向け歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 



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休暇初日 C

昼ごはんの御供にどうぞ。


先の戦功を鑑みて、三日間の完全休暇を与えられたヘッケンとターニャ。二人は半年ぶりに二人きりでの時間を過ごした。

 

 

 

 

二人は今、海にいた。昨日までの激戦を忘れたような青い海だ。血の臭いもしない。敢えて、探そうと思えば見つかったかもしれないが、西海岸から更に西に向かって、無傷の海岸を見つけたのだ。二人きりの時間。上裸の坊ちゃまとくれば、ターニャはもう死んでもよかった。ほぼ裸の想い人が、死ぬ思いで渡った海岸線を今は楽しそうに走っている。自分の元に溌溂と駆けて来るご主人様の姿に、メイドに戻ったターニャの心は歓喜と安堵で溢れんばかりだった。無論、下心は満載。坊ちゃまの水着は波に浚われてしまえと、心から願っていた。

 

抱き着いて、抱き返されて。あの時の温もりが忘れられない。あの時の感触が忘れられない。ターニャはムッツリスケベであった。それが前世からのものなのか、今世で開いた扉なのか…それは彼女自身にもわからなかったが。

 

 

「(ふ、ふふ…アレからニヤニヤが収まらん…ど、どうしよう…。)」

 

「ターニャーーー!こっちはイイ感じだよ~!」

 

「坊ちゃま!機雷があるかもしれません!危のうございますよー!(勢いで海に来てしまった…大モルガンめ、慰問袋にセパレートタイプの紺水着って…何時の世代だ貴様ッ!!…着てしまったものは、仕方がない…破くにも力が足りんからなぁ…あーあ、幼女の体のなんと不便なことか…。無力にも紺色水着で坊ちゃまを誘惑してしまうとは…ふふふ…おっと、鼻から出血が…。)」

 

「大丈夫だよ!なんたって僕にはターニャが付いてるからね!」

 

「ぼ、坊ちゃまぁッ!!(やめてくれッ!どうか手加減を!キュンキュンするだろうッ!!)」

 

「う、うわぁぁ何だこの波ッ!?ターニャ見ちゃだめだぁぁッ!!」

 

「キャーーーーーーーーッ♡ハッ!?私はいったい何をッ…坊ちゃまお待ちを!私が坊ちゃまの水着代わりにッ!!」

 

「なッ!?何を言っているのか理解しているのかい?」

 

「さぁッ!私が視線を遮ります!今のうちに!チラチラ…さ、さぁ!今のうちにパンツを!海水パンツをお早く!チラチラ…。」

 

「う、うわぁぁぁ!?なんでこんなところに鮫が!?これじゃぁ取りに行けないよ!」

 

「私が取り返してまいります!」

 

「本気なの!?」

 

「鮫如きに坊ちゃまのパンツは譲れませんッ!!」

 

「えぇぇッ!どういうこと!?」

 

「負けられない戦いがここにあるのですッ!!」

 

 

こうしてターニャは坊ちゃまとの海を大いに満喫した。鮫に食いちぎられたボロボロのパンツで半見え状態でビーチバレーに勤しんだ二人は、あとから来た連合国軍の兵士たちから英雄カップルと持て囃された。そこはおいておくとして、何故ボロボロの海水パンツで競技に勤しんでいたのかは戦争中の七不思議として語り継がれることとなった。セパレートを坊ちゃま以外の男に見せる気が毛頭なかったターニャは、すぐさまタオルで全身を覆い隠し、他人にターニャの水着姿を見せたくなかったヘッケンが彼女を横抱きにして走り去ったとか、走り去らなかったとか…。二人は仲睦まじく、休暇初日を過ごしたのだった。

 

 

 

 

遠く離れた祖国から届いた慰問袋の中身は不思議でいっぱいだった。差出人はじいじ。中身はセパレートタイプの紺色水着(太字で胸のところにターニャと書いてある)、着慣れたミニスカ改造メイド服、魔術感応式ネコ耳カチューシャと尻尾(感情の昂ぶりに比例して動く)、豊胸パッド、チョコレート(天然媚薬成分配合)…エトセトラエトセトラ…。

 

やけに大きな袋が送られてきたと思ったらコレである。ターニャはカンカンだった。だが…『これで上手いこと孫を堕とせ』という言質をとったとも言える。そう考えれば悪い気がしないのだった。

 

「(しかし…完全休暇三日の内に、どうやって坊ちゃまを堕とせば好いのやら…)」

 

同じ頃、ヘッケンもまたじいじからの叱咤激励の文章と共に、将来ターニャを第一夫人として結婚を認める旨の誓書ともとれる文面が送られてきていた。これに頭を悩ませたのもターニャと同じ。彼にしてみれば、気づいた時にはずっと隣にいてくれた存在である。金持ちの弊害と言えば好いか、両親とも一週間とて一緒にいた例のないヘッケンにとって血のつながった家族よりも長い時間、深く自分と向き合い続けてくれた存在がターニャだった。

 

「(彼女に告白しよう…あぁ、でも彼女を人前に出すことはお互いにとって今はマズい。戦時中の広報活動にまで引っ張られたら、今度こそ会う時間が減ってしまう…うぅ、なんとか二人だけの秘密にできないものかな?)」

 

二日目にして難問にぶち当たったターニャの元に、そして全く同じ悩みを抱えったヘッケンの元に、それぞれ心強い助っ人が現れた。

 

 

先ずはターニャの元に二人の助っ人が現れた!

 

「大尉!水臭いですよ!俺たちに頼ってくれないなんて!」

 

「そうですよデグレチャフ大尉殿!私たちに任せてもらえれば、必ずや彼を貴女のモノにするお手伝いが出来ますのに!」

 

そう言ったのはアパッチ大隊で副官を務める二人だった。

 

「ドナルド・リーガン少尉、それにジョルジュ・ブッシュ少尉…貴官らがどうして私の恋路を応援しようという気に?」

 

「あ、あっさり恋路って認めるんですね!」

 

「リーガン!口を慎め!大尉殿はピュアであらせられる!」

 

「き、貴様らぁぁッ!…っくっくっく…イイだろう…扱き使ってやるから覚悟しておけ!」

 

「「望むところです!!」」

 

「これぞ俺たちの大尉だ!」

 

「こればっかりはリーガンに同意だッ!」

 

ターニャの指揮の下で、二人は作戦名『ハニートラップ』完遂の為の準備に奔走するのであった。また、同時刻ヘッケンの元を訪れる三人の影があった。

 

「俺たちの存在を忘れて貰っちゃ困りやすぜ!坊ちゃん!」

 

「そうだよぉ~う!おらだに、任せてよぉ~!」

 

「ご期待に添えると、思いますが如何かな?」

 

「カチンスキー!クロップ!チャーデン!君たち、どうしてここに?」

 

上等兵から軍曹に昇進したことで、一旦は離れ離れになると思っていた三人との再会にヘッケンは大喜びだった。再会を喜ぶのもそこそこに、三人組はカチンスキーを筆頭に、ヘッケンがターニャに告白するための絶好の機会を生む作戦を説明し始めた。

 

「いいですかい、坊ちゃん。明日、あっしらが知り合いを集めてコンサートを開きやす。参加者には食い放題飲み放題、おまけに綺麗なねぇさんが出るショーまで見れるんです。この退屈な駐屯基地中の野郎共が集まってくるに違いねぇ。そこでだ、坊ちゃんは貸し切り状態になったカフェテラスで、妖精の嬢ちゃんと一緒に、二人きりで茶ぁをしばく訳ですわな。ここで、ね?坊ちゃん!漢の見せ時ですよ!いっちょ、ガツーンと言っちゃってくださいよ!愛の言葉ってやつを!それで全部大成功!おいら達も軍の物資を使わせてもらって一儲けですわ。モルガン様様ってんで、なら坊ちゃんが一番美味しい思いをしなきゃ神さんに叱られちまいますよ!」

 

「さぁ、どうですかい?やりますかい?」

 

そう聞くカチンスキー。クロップとチャーデンも一緒に考えてくれたのだろう、うんうんと頷いていた。

 

「よーし!やろう!存分にやってくれ!僕も自力で愛を伝えて見せるよ!」

 

「よぉぉぉしッ!来たコレぇぇ!」

 

クロップの雄叫びが響き渡った。作戦名『ロマンチック・デュエット』始動ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一九二三年六月時点(開戦から約二年半が経過)
ヘッケン 18歳
ターニャ 満9歳

*尚、精神年齢はターニャがヘッケンの約2倍。


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萌える男 C

今日も一日お疲れさまでした。好い夢が観れますように。


水上 風月 様

誤字報告ありがとうございます!言葉選び等勉強させていただいております。とても助かります。お世話様です。


人払いの済んだカフェテラスに二人の人影があった。

 

「(ぼ、坊ちゃまに呼び出されてしまった…こ、これは…人払いがされている…何が始まるというんだッ!?まさかっ…他の女が出来たのですか!?そ、そんな!私は遊びだっとでも言うのかッ!坊ちゃま!!答えてくださいッ!ぼっちゃm)」

 

「好きだッ!!!!!」

 

「………ぼっちゃま?」

 

突然の告白に冷静になるターニャ。今日の彼女はメイド服を着ていた。無論ミニスカ改造タイプである。豊胸パッドは入れてない。なんだかヴィーシャに負けた気がするからだ。

 

「お」

 

「…お?」

 

「君…」

 

「きみ?」

 

「き、みの!」

 

「きみの?」

 

空気が張り詰めた。ターニャは生唾を呑み込んだ。ヘッケンは汗をかいている。目線がターニャと、それからターニャの持つメニュー表に描かれたオムライスの絵を行き来した。

 

次の瞬間、ヘッケンが立ち上がって言った。

 

「黄身の美味しいオムライスが好きだッ!!!」

 

「黄身の美味しいオムライスが好きだったのですか!?」

 

「そうだ!!」

 

頭の中が真っ白になるのを感じる。ヘッケンは思考の空白地帯に呑まれて力なく席に着いた。彼とは対照的に、ターニャは明るく振舞った。手を合わせてこう言った。

 

「な、なんて偶然でしょうか!!た、たまたま、本当に偶然にも私、今作ったばかりのオムライスを持参したところでして~!えー、それでー、えー…召し上がりますか?」

 

「食べるよぉぉぉッ!!」

 

「少々お待ちを!」

 

ヘッケンは泣きそうな勢いで叫び、ターニャはきゃぴきゃぴと動いて、オムライスを取りに走った。

 

 

 

 

オムライス発言の裏で、二人は大混乱に陥っていた。

 

「(どどどどどうしようッ!!!君のことが好きだって言いたかったのに…黄身の美味しいオムライスが好きだって…何言ってるんだバカ!僕のバカッ!おたんこなす!オムライスは黄身が美味しいに決まってるだろ!もう!)」

 

斜め上の論点で自分に失望を感じているヘッケンはともかく、ターニャは余りにも行き過ぎた分析と深読みにより、見る見るうちに坩堝に填って行った。

 

「(えぇぇぇぇ!?知らなかったよぉぉぉぉッ!!坊ちゃまの好物なのに私が知らなかっただなんてぇ~…うぐ、ひぐっ…もうやだぁ…ハッ!?危ない危ない、私が冷静さを失うところだった…しかし、リーガン墨付きのオムライス作戦が見破られていたとでもいうのか?…クッ…流石は坊ちゃま…私の想定を遥かに上回る結果をオールウェイズ出してくるとはッ!)かくなる上は…秘密兵器を使うほかあるまい!!」

 

ターニャはそう言って懐からネコ耳と尻尾を取り出し、自身の頭と恥骨辺りに装備した。

 

「お待たせしましたご主人様…ね、ネコ耳メイドのターニャにゃんだにゃん♡」

 

きゅるん♡と音が聞こえてきそうだ。そんな可憐な猫耳メイドさんがそこにいた。ピコピコと動く耳。ゆらゆら、ふりふりと揺れるしっぽ。変身したターニャ…ではなくターニャにゃんの登場により、戦局は一気に彼女に傾いた。ヘッケンは腰を浮かせて警戒態勢をとったものの、その可憐な…というか、可愛いんだコレが。可愛いからね。仕方ないね。

 

ヘッケンはターニャにゃんの可愛さに屈し、力なく着席した。

 

「た、ターニャ…にゃん、なのか?」

 

「そうだにゃん!」

 

「そ、そうなんだぁ……。」

 

愕然とした様子のヘッケンにターニャにゃんは萌え萌えなアラベスクで縁取られたドピンク蛍光色のメニュー表を差し出した。

 

「ご主人様のご注文は何かにゃ?決まったらターニャにゃんに教えて欲しいのにゃ!」

 

「じゃ、じゃぁ、このオムライスで。」

 

ヘッケンはどでかいメニュー表の中心でデカデカと描かれている『合州国産卵使用!スペシャルラブラブデラックスオムライス♡一日一名様限定!』を震える指で注文した。

 

しかし…ターニャにゃんは動かない。

 

「うゆぅぅ~…ターニャにゃんは魔法の言葉しか聞こえないのにゃん。ごめんなさいですにゃん。もう一度、今度はゆっくり、魔法の言葉も含めて教えて欲しいのにゃん。」

 

共感性羞恥を食らえッ!!

 

そう、空耳が聞こえた気がした。

 

経験のないヘッケンはどうすればいいのかわからず狼狽えていたが、やがて羞恥の壁を突っ切る他に道はないことを知った。

 

「が、『合州国産卵使用!スペシャルラブラブデラックスオムライス♡一日一名様限定!』を、ください…。」

 

「畏まりましたにゃん~♡では、もうすでに完成しているので、今すぐお持ちしますにゃん!」

 

「にゃ、にゃんだとぉぉぉぉぉッ!?」

 

注文したら既に完成していたという事実にヘッケンは驚嘆の声を上げた。初めから決められていた、だとッ!?

 

何かの作戦を危惧してヘッケンは周囲を見回したが、そこにはターニャの姿しかない。北も南も西も東も、人っ子一人いなかった。自分も人払いを済ませた側の人間であることを、ヘッケンは混乱のあまり忘れている。

 

 

 

 

ヘッケンの元にオムライスが運ばれてくると、ターニャは食べようとスプーンに手を伸ばしたヘッケンを止めて言った。

 

「る、ルールで、ここではターニャにゃんが食べる前の料理にま、魔法を掛けてあげるのにゃ!」

 

ガタッ!?

 

ヘッケンが血相を変えて立ち上がった。

 

「まさか、君は誰かに脅されて僕に魔法をッ!?」

 

「違いますにゃん。」

 

立ち上がったが、すぐにターニャにゃんの手で席に戻された。

 

「美味しくなる魔法、だにゃん♡」

 

「おいしくなる、魔法…すごいな、君は…僕の知らないことも使いこなしてしまう…流石はターニャ…にゃんだ。」

 

「にゃん♡」

 

「グフッ(吐血)」

 

「坊ちゃまッ!?」

 

「ふ、ふふ、さぁ、その魔法とやらを掛けておくれ!それで、僕も覚悟が決まるから!」

 

「にゃ、はいぃぃぃ!!坊ちゃまのオムライスに…」

 

「僕の、オムライスにぃ…?」

 

「萌え萌えキュン♡だにゃん♡」

 

そう言ってターニャはおもむろにケチャップの瓶を取り出し、オムライスに「あいしてる」と描いた。

 

「に、二段構えだとッ!!ぬわーーっっ‼(萌死)」

 

「坊ちゃまーーーーーーっ!!!」

 

火力戦の信徒、ターニャ・フォン・デグレチャフの前に、ヘッケンは斃れた。その余りにも強すぎる火力によって、骨の髄まで焼き尽くされたのだ。

 

だが、おかげでヘッケンの心も決まった。彼には、ここまでしてくれる幼くも勇敢で一途な女の子がいるのだ。ずっと隣にいてくれた彼女に、報いる時は今を措いて他にない!

 

ガシッ!!とヘッケンはターニャに縋る様に抱き着くと、彼女の耳元に口を持って行った。

 

「ターニャ、君のことが好きなんだ。これからもずっと僕の隣にいて欲しい。好きだ、ターニャ!」

 

ヘッケンの告白を、陸に打ち上げられた魚のように体をビクつかせながら聞き届けたターニャは、泣きながら言った。

 

「ターニャにゃんはご主人様のことが大好きだにゃん ぐふッ……(瀕死)…だ、大大だーい好きだに"ゃ"ん"ッ…ぐはぁッ!?(吐血)」

 

ターニャは真っ赤になっていた。鼻血も物凄い勢いで垂れていた。ターニャは夢現で気絶したまま、無意識の執念だけで自分の想いを伝え、そのまま完全に意識を失ったのだった。

 

「ターニャ!ターニャ!?ターニャーーーーーーーーッ!?」

 

 

 

 

医務室に運ばれたターニャを、ヘッケンは丸一日看病した。休日は半分以上病室で過ごすことになった二人だったが、それでも二人きりで幸せだと、互いに感じていた。

 

「あ、あれ、私は確か…坊ちゃまに魔法を掛けて…それで…ふぎゅうう…お、思い出したら、熱がッ!?」

 

「ターニャ!起きたんだね!好かったぁ~…あれ?でも、顔がまだ赤いね。」

 

医務室に入るなり、ターニャの額に当てていた氷嚢を取り換えようと、坊ちゃまにおでこを撫でられつつ言われて、ターニャはまたしても沸騰した。

 

「な、なんだか熱いですねー坊ちゃまーそ、そーだぁ~!服を、ぬ、脱げばいいんだぁ~!す、すーずC~ですねー!」

 

我を忘れて服を脱ぎ、そのシルクのような素肌を惜しげもなく晒し始めたターニャ。手で仰ぎながら「ゼンゼンダイジョーブ!」を全身でアピールするターニャだったが、もう告白も済ませたヘッケンの敵ではなかった。

 

「…ターニャ、今は欧州の6月だよ?涼しいくらいさ…少し、熱でもあるんじゃないか?心配だから、ほら、こっちにおいでよ。僕がお熱、計ったげるから。」

 

ベッドに乗り込んだヘッケンが脱ぎ捨てた服を着せて、それからあすなろ抱きにターニャを抱くと、彼女は借りてきた猫のように大人しいを通り越し、カチンコチンに動きが硬くなった。

 

「ぼ、坊ちゃま、それは、それはマズいと言いますか…色々耐えられないと言いますか…」

 

ターニャはいやいやと、する余裕もなく、キスの瞬間のようにゆっくりと迫る坊ちゃまの美貌を真正面から受け止める脅威に晒されていた。

 

「…でも、本当に心配だから、おでこ借りるね?」

 

ガッチリと体を包み込まれ、顔も両手により固定されたターニャは観念して、いっそこの瞬間を一生忘れないように楽しもうと心に決めたが…

 

「ひゃ、ひゃうぅぅうぅ…はいいぃぃ坊ちゃまぁぁ…あ、あ~……がはッ!?(昇天)」

 

「あれ!?ターニャ!ターニャがまた鼻から血を噴いた!メディック!メディーーーーック!!」

 

 

 

 

散々な休日だった。だが、ターニャとヘッケンにとっては忘れられない一日になった。掛け替えのない何かを手に入れた瞬間に、魔法が解けてしまうような怖さはあった。けれど、二人は心の中身を共有しても尚、お互いに掛けられた魔法に狂わされたままだ。愛と言うには陳腐なほど、二人は互いのことが前にも増して大好きになった。

 

ターニャの中でまたしてもヘッケンへの忠誠心が上がってしまった。もはやそれは後戻りできない領域に片足を突っ込んでいて、人はその状態を盲従や狂信と呼ぶだろう。彼女はヘッケンの為なら神をも殺すような覚悟を持つに至り、最早、存在Ⅹが望んでいた信仰心の恢復の見込みはゼロに等しかった。しかし、であるが故に存在Ⅹはターニャに試練を与える。その為に新たな祝福を彼女たちの敵に振舞うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ガリア式洗礼 S

今思えば海岸線で経験した戦いは所詮、ノルマンデル地方を巡る激戦の序章に過ぎなかったのだ。

 

ターニャとヘッケンは休暇明け、同じ作戦に従事することになった。

 

作戦目標は二つ。その1が『ブレスト港を包囲する敵第一軍の補給線を破壊、孤立させること』、その2が『ブレスト港のド・ルーゴ将軍の救出』である。

 

ターニャ所属のアパッチ大隊及び、ヘッケン所属の第一歩兵師団他3万余…上陸戦で中央軍として戦った一軍…に加えて追加兵力合わせた総計12万の軍勢は、敵を孤立させるために先ずは補給線の要であるカーン司令部およびその周辺の補給基地を奪取又は攻略の上破壊しなければならない。

 

カルヴァドス県カーンは海岸線から約20キロ後方の都市である。最前線を統率下に置く第十二軍司令部はここに置かれている。

 

ラインハルト中将の死亡が内通者により確認され、司令官が交替したことも判明した。

 

新司令官に任じられたのはノルマンデル撤退戦で功績を挙げたエルダー・ロンメル大佐である。彼は中佐から大佐に昇進したばかりだったが、第十二軍総勢6万の指揮を執る大任を皇帝から託されたのだ。

 

ターニャとヘッケンはこの強敵に1923年の9月まで…およそ三か月以内…で勝利し、その上でブレスト港を包囲する敵第一軍総勢6万強を逆包囲の上、ブレストに籠城する共和国軍との呼応をもって、挟み撃ちで撃破しなければならなかった。

 

困難な任務に、しかし二人は意欲的だった。互いへの想いが通じた今、戦争の早期終結の為に戦い抜くことこそが最大の愛情表現になったからだ。

 

 

 

 

第十二軍司令部では軍議が開かれていた。取り仕切るのはロンメル大佐の副官であるシュパイデル参謀長だった。

 

軍議の駒を動かしつつ戦術を練るロンメルと参謀たちの元に急電が入ったのはその日の夕方だった。

 

「急電!!パリースィイ中央軍集団総司令部より通達!北部戦線が…」

 

「どうした!!」

 

ロンメルが一喝すると、伝令兵は居住まいを正し、敬礼と共に叫んだ。

 

「北部戦線で初の敗北!航空魔導師部隊が欠乏状態にあり、応援を送られたしとの報告あり!これに対し、我が参謀本部は応じる模様!現在はルーデルドルフ元帥閣下が本部のゼートゥーア閣下と折衝を重ねておりますッ…!」

 

「なんだと?…こんなときにヘマを踏んだのは何処のどいつだ!」

 

「参謀本部によれば、敵協商連合のエース・オブ・エースであるアンソン・スー大佐によるゲリラ戦が我が方の補給線に継続的に疲労を強いた結果、必然的に起こった敗北であると分析しております!」

 

「ゲリラ戦だとぉ?…北のアンソン・スーと言い、西のターニャ・フォン・デグレチャフと言い…おい!我が軍からの供出は無いと考えて良いんだな?」

 

ロンメルの追及に伝令兵は冷や汗を垂らしつつ言った。

 

「ハッ!その点に関しては、ルーデルドルフ閣下より確約がございます!」

 

「フッ…補充は難しい、という隠語だな。」

 

「そ、そういうわけでは…。」

 

「君を責めた訳ではない。それよりも…シュパイデル!敵軍の現在位置は?」

 

「ハッ!北方15キロ、カルヴァドス県北部で押し留めることに成功しております!大佐殿!」

 

「いつまでもつ?」

 

「遅くとも一週間で突破されるかと!機甲師団の補充もままならず、第一軍マッケンゼン司令官からも悲鳴が届いております!」

 

「マッケンゼン中将から?…詳しく聞かせてくれ。」

 

ロンメルが言うとシュパイデルは青と赤の軍議の駒を、それぞれ共和国軍と帝国軍として、地図上のブレストとその手前に置いた。

 

「ハッ!マッケンゼン司令官麾下第一軍は現在敵共和国の残存兵力を、敵司令官ド・ルーゴ諸共にブレスト要塞へ閉じ込めております。」

 

「しかし、逆を言えば我が方もブレスト要塞に一個軍を張り付けておかなければならず、我が方に増援を送ることは出来ず、また我が方も二倍する敵を前に戦線の維持で手一杯となり、決定力となる兵力を第一軍に割けない状況であります。」

 

「第三軍はどうだ?」

 

ロンメルが言った。

 

しかしシュパイデルは首を振った。

 

「難しいかと…パリースィイを完全に空にすることは出来ず、またかの都市はレジスタンスの活動も激しく、手薄とわかれば一斉蜂起の恐れもあります。」

 

「自由と不屈の国、か…。では、航空魔導師部隊だけならどうだ?確か、第一軍には203空が補欠状態で参加していただろう?」

 

「は、はぁ…しかし、向こうも何かと入用だとは思いますが…。」

 

シュパイデルが真意を測りかねているとロンメルが笑った。

 

「なぁに、敵の目標は俺たちがいるカーンに違いない。ここを取られたら一番苦しいのは第一軍だ。なんと言っても、ここから補給を受けてるからな。どのみち、敵の数が増える一方なら…いっちょガリア式の洗礼を食らわせてやろうじゃないか。」

 

「ガリア式の洗礼…森林でのゲリラ戦術のことですか?」

 

シュパイデルにロンメルは頷いた。

 

「あぁ、その通りだ。機甲師団と航空魔導師部隊を投入して敵歩兵部隊を一挙に削るぞ。合州国は無尽蔵の体力をもつが、その理性故に悲惨な損害への忍耐の不足…民意が弱点であると私は見た。今は何よりも、一人でも多くの敵兵を殺さなくてはならない。」

 

「…本部に伝達しておきます。具体的な作戦を詰めましょう。」

 

シュパイデルはそう言って軍議の駒を、今度はカルヴァドス県のある森に置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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