【第1章完】スキル【編集】を駆使して異世界の方々に小説家になってもらおう! (阿弥陀乃トンマージ)
しおりを挟む

第1集
プロローグ


                  プロローグ

 

「だーかーらー! それがワンパターンなんですよ!」

 

「!」

 

 私の発言に金髪碧眼の女性はビクッとなる。ああ、しまった、萎縮させてしまった……。私は咳払いをひとつ入れて、笑顔を浮かべながら話す。

 

「他のパターンを考えてみませんか?」

 

「う~ん、でもですね……」

 

「でも?」

 

「やっぱり他の皆さん、そうされているじゃないですか?」

 

「ああ、まあ、そうですね……」

 

「それがやっぱり王道、正しいってことなんじゃないかなと思っているんです」

 

「いやね……」

 

「やっぱり読者の方もそれを望んでおられると思うんです!」

 

「落ち着いてください!」

 

 私は女性を落ち着かせる。

 

「はあ……」

 

「百歩譲って転生は良いとしましょう」

 

「はい」

 

「問題はその経緯です」

 

「経緯?」

 

「そう、馬車に轢かれて死んでしまった主人公……もうありふれています」

 

「まあ、お約束なようなものですから……」

 

「お約束って! 馬車に轢かれた方、現実にご覧になったことありますか?」

 

「ないですけど」

 

「そうでしょう?」

 

「そこはフィクションだから良いじゃないですか」

 

「フィクションって……」

 

 私は額を軽く抑える。

 

「他作品との違いを出すのはそこからでも……」

 

「ストップ! そこなんですよ!」

 

 私は手のひらを女性に向ける。女性が首を傾げる。

 

「え?」

 

「千歩譲って転生は良いとしましょう」

 

「十倍になりましたね」

 

「……なんで皆、揃いも揃って同じような世界に転生または転移するんですか?」

 

「はい?」

 

「いや、だから、なんですか、この『ニッポン』って!」

 

 私は机の上に置かれた原稿を拾い、トントンと指で叩く。

 

「皆さんがイメージしやすい異世界なんでしょうね……」

 

「憧れなんですか?」

 

「憧れ……まあ、そういう気持ちを抱いている読者さんも中にはいらっしゃるんじゃないでしょうか」

 

「憧れますか⁉ スーツを着て、毎日死んだような目をしながら『カイシャ』という場所に出勤し、朝から晩まで働く『シャチク』と呼ばれるような生活に⁉」

 

 私は素直な疑問を口にする。

 

「う~ん、そう言われると、どうしてなんでしょうね……?」

 

 女性は腕を組んで考え込む。私は軽く天井を仰いで呟く。

 

「どうしてこうなった……」

 

 かくいう私、森天馬(もりペガサス)も異世界転移者である。この世界では浮いている、スーツ姿で日々を過ごしているのがその証拠らしい。ただ、いわゆる前にいた世界の記憶はほとんどない。医者によれば、転移の際に受けたショックで、記憶を失ってしまったのだろうということだ。では、何故名前が分かるのか? スーツの内ポケットに入っていた複数枚の紙に、この名前が書いてあったからだ。なんだかキラキラしているような気がするが、『名無し』で通すのも何かと不便なので、その名前を名乗っている。

 

 私自身も転移してきた当初は結構なパニック状態だったが、その後幾分落ち着きを取り戻し、現状の把握に努めた。当初世話になった集落の長老によれば、転移してくる者はそう珍しくないという。その者たちの話を聞くと、なんらかの事故や病気で命を落とした者がこちらの世界にやってくるというケースが多いようだ。残念ながら――幸いにもというべきか――私にはそのような記憶がない。だが、恐らくは似たようなきっかけでこの世界に来たのだろうと結論づけた。

 

 問題なのは、転移した者が元の世界に戻る術はないのではないかという長老の言葉だった。私はその言葉に軽く絶望したが、わりとすぐに気持ちを切り替えた。ならば、この世界で生きていくしかないだろう。でもどうやって? 長老がヒントをくれた。異世界からやってきた者たちは珍しい『スキル』を持っていることが多い。そのスキルを駆使して、この世界でも活躍しているという。私はスキルを見極めることが出来る不思議な水晶玉の置いてある宮殿に招かれ、『スキル鑑定』なるものを受けた。結果、私が所持しているスキルは。…【編集】だった。私も含め、全員の頭に「?」という文字が浮かんだ。

 

 とはいえ、物は試しだということで、私は『パーティー』というものに加えられた。幹事の類は苦手だから避けてきたな……というおぼろげな記憶を思い出しながら、私は『クエスト』なるものに参加させられた。これが大変だった。元の世界ではお目にかかることがなかったであろう猛獣や、奇妙な生物が次々と襲い掛かってくるのだ。街からちょっと離れるだけでこれである。治安はどうなっているのだ――まあ、クエストというのがいわゆる治安維持の一環なのだろうが――とにかく、私はそういった状況においては全くと言っていいほど無力であった。見事な剣技を発揮する『勇者』の男性、火や雷を自在に発生させることが出来る『魔法使い』の女性、爪や牙で勇敢に戦う『獣人』の方の陰に隠れたり、逃げ回ったりすることしか出来なかった。

 

 自分の情けなさにほとほと嫌気がさした頃に、パーティーからの離脱をやんわりと勧められた。要はクビだということである。少し心が痛んだが、パーティー側からの、「無理やり参加させた連中が悪いよ」、「あなたのスキルが活かせる場所がきっとあるはずだわ」、「……幸運を祈る」という言葉には救われた。

 

 街に戻った私は職を探すことになった。しかし、自分に一体何が出来るのかが分からない……迷いながらも、とにかく私は色々と動いた。酒場の給仕、市場の手伝い、土木工事作業員などを転々とした……しかし、心はスッキリと晴れなかった。

 

 そんな中、初めに私を保護してくれた集落の女性と、街中で偶然再会した。女性に相談してみると、そういえば長老が伝え忘れていたことがあるという。なんでも、スーツを着ている転移者は、街の『オフィス』が立ち並ぶエリアなら働き口があるのではないかということであった。そういうことは最初に言ってくれないか。

 

 私はオフィスエリアに足を運んでみた。そう簡単にことは運ばなかったが、なんとか私は会社に入社することが出来た。社名は『カクヤマ書房』。業種は出版だという。面接では、私の所持スキルが【編集】であるということを告げると、「君のような人材を待っていた!」という言葉を頂き、入社が決まった。

 

 入社したのは良いものの、私はすぐさま困難に直面した。このカクヤマ書房はいわゆる『弱小』企業だということだ。経営は常に火の車、給料がきちんと支払われるかどうかも怪しいという。何故であるか? それは強力な競合他社の存在だ。カクヤマ書房のみすぼらしい社屋の斜め前に立つ、立派な建物……『カクカワ書店』である。この会社が多くのヒットを飛ばしている。この世界では『小説』というジャンルが人気を集め、一大娯楽にまで成長しているようである。カクカワはこの小説にめっぽう強かった。

 

 我が社の社長は露骨にイライラしながら、会議の場で、「うちも小説でなにかヒットを出せ!」と無茶ぶりをしてきた。狙ってヒットを出せたら誰も苦労はしないだろう。それに小説家志望者はみな、カクカワに原稿を送っている。信頼と実績をなによりも重視するのは、皆同じようだ。頭を抱えていたその時……。

 

「郵便でーす」、我が社には珍しく応募原稿が大量に送られてきた。なんだこれは? 私はすぐにピンときた。そうだ、カクカワが大規模な小説コンテストを開催するとか言っていたな、つまりこれらは、間違って我が社に送ってきてしまった原稿だろう。

 

「……!」

 

 私の中でひらめいた。これも何かの縁だ。この応募原稿の中から、光るものを感じた方と連絡を取り、小説を書いてもらおう。背に腹は代えられない。間違った方が悪いのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話(1)強引な勧誘

                  1

 

「さあ、こちらにどうぞ、散らかっておりますが……」

 

「はあ……」

 

 私が連絡を取った方の中から、最初の女性が来社した。私は女性に座るように促し、自らも席についた。

 

「え~お名前はルーシーさん」

 

「は、はい……」

 

「えっと……」

 

 私はルーシーさんの顔をじろじろと見てしまう。金髪碧眼に透き通るような白い肌、尖がった長い耳……『エルフ』である。

 

「あ、あの……」

 

「あ、こ、これは失礼! エルフの方と実際にこうしてお話するのは初めてだったもので!」

 

 私は頭を下げる。ルーシーさんは笑う。

 

「ふふっ、確かにこの辺では珍しいかもしれません……」

 

「す、すみません……」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 私は胸をなでおろす。いきなり気分を害され、帰ってしまったらたまったものではない。私は早速本題に入る。

 

「それで、原稿を拝見したのですが……」

 

「あ、あの、それなのですが……?」

 

「なにか?」

 

 ルーシーさんは言い辛そうに口を開く。

 

「ワタシったらうっかりしていて……」

 

「うっかり?」

 

「ええ、カクカワ書店さんに送るはずだった原稿をこちらに間違って送ってしまって……」

 

「ああ、それなら問題ありません」

 

「え?」

 

「それではですね……」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「はい?」

 

「い、いえ、で、ですから……こちらに送ったのは間違いで……」

 

「こちらは気にしません」

 

「ワタシが気にします」

 

「では?」

 

「原稿を返して頂けないかと……」

 

「ふむ……」

 

 私は原稿を置き、腕を組む。ルーシーさんがこちらを伺う。

 

「あ、あの……?」

 

「……カクカワさんでは埋もれてしまいますよ、せっかくの才能……」

 

「え?」

 

 私の言葉にルーシーさんの顔色が変わる。

 

「知っての通り、カクカワさんから多数のヒット小説が出ています。カクカワさんに原稿を送るのが賢明な判断でしょう」

 

「は、はい……」

 

「しかし、毎月、毎週、いや、毎日、膨大な数の原稿がカクカワさんの編集部には届けられている。それら全てに時間をかけて目を通すのは困難……その中から抜きんでようとするのはとても大変です」

 

「は、はあ……」

 

「分かりますか?」

 

「はい?」

 

「いくら才能や実力があっても、“運”が無ければ、小説家にはなれないのです」

 

「!」

 

「例えば、今この原稿をカクカワさんに持っていっても、机に積み重ねられるだけでしょう。……誰かの目に留まるとは考えにくい」

 

「そ、そんな……」

 

「……ですが、ご安心ください」

 

「え?」

 

「貴女は運が良い……」

 

「ど、どういうことですか?」

 

「このカクヤマ書房に来たからですよ」

 

 私は大げさに両手を広げてみせる。ルーシーさんが周りを見渡しながら首を傾げる。

 

「えっと……」

 

「我が社ならば、すぐにでも小説家になれます」

 

「ええっ⁉」

 

「原稿から光るものを感じました……」

 

「そ、そうですか……」

 

「もちろん、このままというわけにはいきませんが、打ち合わせを重ねて、良い小説を作りましょう。貴女には間違いなく才能がある」

 

「才能……」

 

「これも何かの縁です……我が社で挑戦してみませんか?」

 

「が、頑張ってみます……」

 

 ルーシーさんが頷く。作家候補、一名確保。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話(2)ありふれている転生もの

「だーかーらー! それがワンパターンなんですよ!」

 

「!」

 

 私の発言にルーシーさんはビクッとなる。ああ、しまった、萎縮させてしまった……。私は咳払いをひとつ入れて、笑顔を浮かべながら話す。

 

「他のパターンを考えてみませんか?」

 

「う~ん、でもですね……」

 

「でも?」

 

「やっぱり他の皆さん、そうされているじゃないですか?」

 

「ああ、まあ、そうですね……」

 

「それがやっぱり王道、正しいってことなんじゃないかなと思っているんです」

 

「いやね……」

 

「やっぱり読者の方もそれを望んでおられると思うんです!」

 

「落ち着いてください!」

 

 私はルーシーさんを落ち着かせる。

 

「はあ……」

 

「百歩譲って転生は良いとしましょう」

 

「はい」

 

「問題はその経緯です」

 

「経緯?」

 

「そう、馬車に轢かれて死んでしまった主人公……もうありふれています」

 

「まあ、お約束なようなものですから……」

 

「お約束って! 馬車に轢かれた方、現実にご覧になったことありますか?」

 

「ないですけど」

 

「そうでしょう?」

 

「そこはフィクションだから良いじゃないですか」

 

「フィクションって……」

 

 私は額を軽く抑える。

 

「他作品との違いを出すのはそこからでも……」

 

「ストップ! そこなんですよ!」

 

 私は手のひらをルーシーさんに向ける。ルーシーさんが首を傾げる。

 

「え?」

 

「千歩譲って転生は良いとしましょう」

 

「十倍になりましたね」

 

「……なんで皆、揃いも揃って同じような世界に転生または転移するんですか?」

 

「はい?」

 

「いや、だから、なんですか、この『ニッポン』って!」

 

 私は机の上に置かれた原稿を拾い、トントンと指で叩く。

 

「皆さんがイメージしやすい異世界なんでしょうね……」

 

「憧れなんですか?」

 

「憧れ……まあ、そういう気持ちを抱いている読者さんも中にはいらっしゃるんじゃないでしょうか」

 

「憧れますか⁉ スーツを着て、毎日死んだような目をしながら『カイシャ』という場所に出勤し、朝から晩まで働く『シャチク』と呼ばれるような生活に⁉」

 

 私は素直な疑問を口にする。

 

「う~ん、そう言われると、どうしてなんでしょうね……?」

 

 ルーシーさんは腕を組んで考え込む。私は軽く天井を仰いで呟く。

 

「どうしてこうなった……」

 

「え?」

 

「い、いえ、なんでもありません、打ち合わせを続けましょう」

 

 私の半ば強引な勧誘の――自覚はしている――結果、ルーシーさんは我がカクヤマ書房での作家デビューを決意してくれた。カクカワ書店という大手出版社やその他中堅出版社では、競争率が激しい。デビューの確率を少しでも上げるには、弱小――自分で言っていて悲しくなってきたので、マイナーと言いかえる――マイナーレーベルで勝負するのも悪くない判断だと思う。そういった流れで、早速打ち合わせ初日を迎えたわけだが……。

 

「う~ん、ワンパターンですか……」

 

 ルーシーさんがなおも腕を組んで考え込む。そう、この世界の小説では、今は『異世界転生』ものが流行している。ベストセラーのほとんどが『転生もの』だ。大体、『ニッポン』という国へ行き――『二ホン』という場合もある――そこでカイシャに務め、働くという内容だ。内容にほぼ差はない。いわゆる『ガワ』だけ変えて、中身はほとんど区別がつかない。しかし、それが……売れる。なので、猫も杓子も『転生もの』ばかりというわけだ。

 

 ただ、いくら売れるといっても、出版社側でも危機感のようなものは抱いている。『内容は問わない、書きたいものを自由に』という趣旨の文を募集文面に盛り込んで、コンテストなどを開いてみるのだが、どうしても転生ものばかりに内容が偏ってしまう……と、カクカワの社員が嘆いていた……のを、酒場で耳にした。

 

 流行しているから、それに乗るのが正解、ニーズに応えるのがプロ、という考え方もあるのだが、我がカクヤマ書房はマイナーレーベルであり、いわば後追いだ。同じようなことをしても、大手、メジャーレーベルには勝てないだろうし、そもそも追いつけないだろう……。だが、このことを馬鹿正直に目の前のルーシーさんに伝える必要はない。どうオブラートに包んで伝えればいいものかと……私は頭を抱える。

 

「……」

 

「あの……」

 

「は、はい、なんでしょうか?」

 

「ワタシなりに考えてみました」

 

「え?」

 

「異世界転生ものの魅力を」

 

「ああ……」

 

「す、すみません、分析も必要かなと思いまして……」

 

 ルーシーさんが申し訳なさそうに頭を下げる。私は手を左右に振る。

 

「い、いえ、大丈夫ですよ……」

 

 ルーシーさんが頭を上げる。

 

「よろしいですか?」

 

「伺いましょう」

 

 私は身を乗り出し、メモを取る用意をする。

 

「転生・転移もののほとんどは現在の記憶を保持したまま、転生・転移するケースが極めて多いです……」

 

「ああ、そうですね」

 

「そこでカイシャインとして働いたり、時間に追われて忙しく過ごすようないわゆるファーストライフ……そういった話の展開がほとんどですね……」

 

「はい」

 

「主人公の設定はもちろん、作品によって異なりますが……」

 

「それはそうですね」

 

「その多くは等身大の人々です……」

 

「うん」

 

「読者に近い設定がなされています……」

 

「ふむ」

 

「それによって感情移入しやすい点が魅力なのではないでしょうか?」

 

「はあ……」

 

「ど、どうでしょうか?」

 

「えっと……」

 

 私はメモを置いて、腕を組む。

 

「ま、的外れな分析でしたか?」

 

「いえ、大変興味深い内容でした……ですが」

 

「ですが?」

 

「そんなに良いですかね? 転生・転移って」

 

「え?」

 

「経験者としては苦労の方が多いのですが……」

 

「ええっ⁉」

 

 私の発言にルーシーさんが驚いて立ち上がる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話(3)ニッポンジンだ!

「ど、どうしましたか?」

 

「モ、モリさん……転生者なんですか?」

 

「いや、厳密に言うと、転移者らしいですね」

 

「転移者……」

 

「そんなに驚くことですか?」

 

「そ、そりゃあ、驚きますよ!」

 

「大して珍しい話でもないみたいですけどね……」

 

 私は首をすくめる。

 

「少なくともワタシは初めて見ました」

 

「そうですか」

 

「そうです」

 

「とりあえず、お座り下さい」

 

「は、はい、失礼しました……」

 

 ルーシーさんが席につく。私は小声で呟く。

 

「やっぱり珍しいんじゃないのか?」

 

「なるほど、それで……」

 

「え?」

 

「どことなく他の人間の方と雰囲気が違うなと思っていたんです」

 

「あ、ああ、そうですか……」

 

「スーツ姿だし……」

 

「え、服装から?」

 

 雰囲気以前の問題のような。

 

「あの……いくつかお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

「え、ええ、構いませんよ」

 

「お名前は……」

 

「森天馬です」

 

「モリ=ペガサスさん……姓名が分かれているのですね」

 

「ええ、そうですね」

 

「モリというのが、いわゆるファーストネームですか?」

 

「いや、ファミリーネームだったような……」

 

「ファミリーネームの方が先にくるのですか?」

 

「そうですね」

 

「それって……」

 

 ルーシーさんが顎に手を当てて考え込む。

 

「あの……」

 

「あ、すみません……」

 

「はい」

 

「お家では靴を脱ぎますか?」

 

「ええ、脱ぎますね」

 

「ゴミは持ち帰ったりしますか?」

 

「ゴミ箱などが近くになければ」

 

「麺などをすする時、音を立てますか?」

 

「どうしても癖で……」

 

「パン派ですか? お米派ですか?」

 

「お米ですね」

 

「口癖は?」

 

「すいません」

 

「ニッポンジンだ!」

 

「ええっ⁉」

 

 ルーシーさんが私をビシっと指差してきたので、私は面食らう。

 

「あ、す、すみません、驚かせてしまって……」

 

「い、いえ……」

 

「でも、確信しました。モリさんは異世界のニッポンからやってきたのですね……」

 

「は、はあ……あ、そういえば……」

 

「え?」

 

「大事なことを忘れていました」

 

「?」

 

 私は立ち上がる。ルーシーさんもそれにつられて立ち上がる。私は内ポケットから、名前の書いた紙を取り出し、ルーシーさんに手渡す。

 

「わたくし、こういうものです……」

 

「カイシャインだ‼」

 

「えっ?」

 

「しかもこれ、メイシじゃないですか⁉」

 

 紙を受け取ったルーシーさんは小刻みに震えている。

 

「メイシ……ああ、それってそういう名前なんですか?」

 

「ん?」

 

「なんとなく、こういうことをしなくてはならないと思って……」

 

「ビジネスマナーが染みついている!」

 

「は、はあ……」

 

「驚くことばかりです……」

 

「と、とにかく座りましょう」

 

「は、はい……」

 

 私はルーシーさんに座るよう促す。

 

「えっと……なんの話をしていたのか……」

 

「モリさん!」

 

「あ、はい」

 

「ワタシからこういうことを言うのもなんなのですが……」

 

「なんでしょう?」

 

「モリさんの異世界転移の体験記を出版した方が良いのではないですか?」

 

「え? 体験記?」

 

「そうです。モリさんにしか書けない、モリさんならではの題材じゃないですか」

 

「私ならでは……」

 

「いかがでしょうか?」

 

「いや、そう言われるとそうしたくなるのは山々なのですが……」

 

「何か問題が?」

 

「……記憶が無いのですよ」

 

「えっ!」

 

「いわゆる前の世界にいた記憶というのがほとんど無いのです」

 

「は、はあ……」

 

「おぼろげというか……断片的なのですよね」

 

「そ、そうなのですか……」

 

「ですから、体験記というのはなかなか難しいですね……こっちの世界に来てからの話なら書けるかもしれませんが、それほど面白いものになるとは思えません……異なる二つの世界の文化を比較することが出来れば良いのですが、比較対象をほとんど忘れてしまっているのでね……」

 

「そうですか……すみませんでした、事情も知らず無神経なことを言ってしまって」

 

 ルーシーさんが頭を下げてくる。私は手を左右に振る。

 

「いえいえ、気にしないで下さい……ん⁉」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。

 

「? どうかされました?」

 

「い、いや、そうか……」

 

「はい?」

 

「ルーシーさん!」

 

「は、はい!」

 

「貴女ならではの題材で書けば良いのですよ!」

 

「ワタシならでは?」

 

「そうです!」

 

 私はルーシーさんに向かって力強く頷く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話(4)エルフならでは

「ワタシならではですか……?」

 

「もっと広く考えてみても良いかもしれません」

 

 私は両手を大きく広げてみせる。ルーシーさんが首を傾げる。

 

「え?」

 

「そう、エルフという種族ならではの題材とか」

 

「エルフという種族ならでは……?」

 

「はい」

 

「な、なんだか大きな話になりましたね……」

 

「エルフという種族の特徴を活かしたお話とか面白いかもしれません」

 

「特徴?」

 

「ええ、例えば、なにかありませんか?」

 

「う~ん」

 

 ルーシーさんが腕を組んで考え込む。

 

「なんでも良いのです」

 

「……長寿とか?」

 

「ほう、他には?」

 

「男女ともに長身が多い……」

 

「ほうほう、他には?」

 

「狩猟を好む……」

 

「ほうほうほう、他には?」

 

「保守的なところがある……」

 

「ほうほうほうほう、他には?」

 

「えっと……耳が長い?」

 

「分かりました!」

 

「ええっ⁉」

 

「分かりましたよ!」

 

「な、何がですか?」

 

「完全に見えてきました……」

 

「何が見えたのですか……?」

 

 戸惑うルーシーさんに対し、私は説明を始めます。

 

「まず、長身のエルフが狩猟を行っています」

 

「はい……」

 

「あるエルフが革新的な狩猟方法を思い付きます」

 

「どんな方法ですか?」

 

「長い耳を使った狩り方です」

 

「はい? どんな狩り方ですか? それは?」

 

「当然、保守的な性格が多い他のエルフたちから反発を招きます……」

 

「それはそうでしょう、わけがわからないですよ……」

 

「そこに長寿ならではのあるある話を絡めて……」

 

「あるある話? どうやって絡めるのですか?」

 

「そこはこう……上手いこと」

 

「ば、漠然としていますね……」

 

「エルフならではの話かと思ったのですが……」

 

「す、すみません。なんだかよく分かりません……」

 

「まあ、私もよく分からなかったので……」

 

「分からない話をしないで下さいよ!」

 

「すみません……」

 

 私は頭を下げる。ルーシーさんは横顔を向けてため息をつく。

 

「はあ……」

 

「! これだ!」

 

 私は机を叩く。ルーシーさんが驚く。

 

「こ、今度はなんですか⁉」

 

「大事なことを忘れていました」

 

「ええ?」

 

「今、ルーシーさんの横顔を見て、思い出しましたよ」

 

「な、なんですか?」

 

「エルフの方々の特徴……美しいということです」

 

「!」

 

「どうですか?」

 

「ど、どうですかと言われても……自分ではなんとも……」

 

 ルーシーさんは照れくさそうにする。私は話を続ける。

 

「その美しさをフォーカスします」

 

「はい?」

 

「美女のエルフが二人います」

 

「はい」

 

「その美女のエルフ同士でキャッキャウフフします」

 

「キャッキャウフフ⁉」

 

「そうです、楽しく和気あいあいと交流しているのです」

 

「あ、ああ……」

 

 ルーシーさんはなんとなく納得する。

 

「そういうお話です」

 

「どういうお話⁉」

 

「ふと思い出しましたが、異世界ものには『ガクエン』というものが登場することがありますね。もしくは『ガッコウ』……」

 

「ああ、はい、ありますね、そういうのも……」

 

 ルーシーさんが頷く。

 

「そこに通っているエルフたちのお話です」

 

「エルフの『ガクエン』ものですか……」

 

「はい、数百年通っています」

 

「長すぎませんか⁉」

 

「だってエルフは長寿ですから。違いますか?」

 

「それはそうですけど……なるほど、その数百年間でいくつかの事件が起こって、それを解決していくと……」

 

「いや、大した事件は起こりません」

 

「えっ⁉」

 

「私のおぼろげな記憶では、ガッコウでの生活でそれほどドラマチックなことが起こった記憶がありません。無理に事件を描く必要はありません」

 

「い、いや、小説ですから、なにか事件があった方が……」

 

「読者はそういうのは望んでいないと思います。事件よりもキャッキャウフフです」

 

「事件よりもキャッキャウフフ⁉」

 

 驚くルーシーさんに対し、私は頷く。

 

「はい、美女のエルフ同士による数百年間に及ぶキャッキャウフフ……間違いなく需要があるはずです」

 

「あ、あの……?」

 

「なんでしょう?」

 

「美形の男性エルフを出して、イチャイチャさせるのはダメなのですか?」

 

「男なんて要りません!」

 

「ええっ⁉」

 

 私の発言にルーシーさんは驚く。

 

「そうです! だから舞台も『ジョシコウ』です」

 

「ジョシコウ……」

 

「女の子しか通えないガッコウです。よって、登場キャラは全員女性!」

 

「ぜ、全員女性……例えば、活発な子とちょっと内気な子の組み合わせとかですか?」

 

「いいじゃないですか! タイトルは『エルフ!』。これです!」

 

「数百年間に及ぶキャッキャウフフ……確かに見たことのないお話ではありますね……壮大なスケールを感じますし……それでちょっと書いてみます」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。最初の打ち合わせはなんとかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話(1)体を張った取材

                   2

 

「ふう……」

 

 私は今、街からかなり離れた場所の荒野にいる。スーツ姿で。砂埃が激しく舞っている。そんな中に私はいる。スーツ姿で。何故そんなことをしているのかというと……。

 

「……モギ君」

 

「……モリです」

 

「ああ、失敬。しかし、今はそんなことはどうでもいい」

 

「どうでもいいって……」

 

 この失敬なことを宣う、白髪頭の老人はクレイ先生という方で、かなり名の知られた画家だ。先生の描く絵には大変ファンが多く、発売する画集はいつもベストセラーだ。

 

 それがこの度、我がカクヤマ書房から画集を出版するということになった。何故にしてマイナー出版社の我が社が、人気画家のクレイ先生と仕事が出来ることになったのか。

 

「……見たまえ」

 

「!」

 

 大きな岩の陰に隠れながら、クレイ先生はあるものを指し示す。その指し示した先には、巨大な灰色の狼が歩いていた。あれが噂に聞く、伝説級のモンスターか。こうして距離をとっているだけでも、物凄い迫力に呑まれてしまいそうだ。

 

 私は恐怖で震える両足を両手で抑えつけ、その狼へ視線を戻す。幸いにもこちらには気が付いていないようだ。砂埃が強いということも影響しているのだろうか。こちらの臭いがうまいことまぎれてしまっているのかもしれない。

 

「これは幸運だよ、モズ君」

 

「……モリです」

 

「ああ、失敬、しかし、そんなことはささいなことだ」

 

「ささいなことって……」

 

「見たまえ」

 

「見ております」

 

「あの威容、その辺の野良狼には百年、いや、千年かけても醸し出せないだろうね」

 

「そこまでですか」

 

「ああ」

 

「そのようなモンスターにここまで接近出来るというのは大変幸運ですね」

 

「……」

 

「ああ、もちろん、先生の長年にわたる研究結果が実を結んだということですが……」

 

「…………」

 

「あとは先生、この辺りを拠点とし、あの伝説級のモンスターをキャンバスに存分に描いて頂きたいと思っております……」

 

「……足りないんだよねえ」

 

 私は嫌な予感をしながら振り返る。

 

「はい?」

 

「なんかこう……違うんだよねえ……」

 

「ち、違うというのは……?」

 

「イメージとは程遠いのだよ」

 

 嫌な予感は確信に変わりつつあったが、私は尋ねるしかなかった。

 

「先生の思い描くイメージとは?」

 

「良い質問だ、モロ君」

 

「……モリです」

 

「ああ、失敬……君、脚の速さには自信があるかい?」

 

「ひ、人並み程度かと」

 

「決まりだ」

 

 いや、なにが決まりなんだよ、これから嫌なイメージだけが脳内を支配しているぞ。どうしてくれるんだよとかなんとか思っている内に……。

 

「うわあああ!」

 

「シャアア!」

 

 私に課せられた任務はこの巨大狼に出来る限り接近し、ちょっとばかり挑発し、巣から引きずり出すということだ。引きずり出した後? 全力で逃げ回る、スーツ姿で。

 

「いやあああ!」

 

「シャアアア!」

 

 狼の唸り声を背中に受けながら私は必死で逃げ回った。頭上からクレイ先生の喜ぶ声が聞こえてくる。

 

「これだよ、これ! 私が追い求めていたものは! モンスターというのは捕食対象を追いかけているときの姿が一番美しい! そうは思わんかね、モネ君!」

 

「モリです!」

 

 名前を訂正しながら、私は全速力で走る。なるほど、こういう取材姿勢だったわけだ。そりゃあ大手も中堅も敬遠するわけだ。これでは命がいくつあっても足りない。

 

 もう少しで追いつかれるというところで、念の為に雇っていた青年二人の放った弓が巨大狼の両脚を射抜いた。狼の私を追撃する足は大分鈍り、私はなんとか逃げおおせた。九死に一生を得るとはまさにこのことだろう。

 

「……うむ」

 

 私は先生の下に戻る。先生はキャンバスを眺めながら満足気に頷いていた。納得のいく一枚が描けたということだろうか。それなら私の苦労も報われるというものだ。

 

「クレイ先生」

 

「おっ、君か、よく無事だったな」

 

「ええ、なんとか……」

 

「君の奮闘のお陰で良い絵が描けたよ」

 

「本当ですか?」

 

「ああ、見てみなさい」

 

 先生がキャンバスを指し示す。そこには巨大な灰色狼が全身を躍動させながら、獲物――スーツ姿の私――を追いかける獰猛な様子が生き生きと描き出されていた。私は感動のあまり、疲れもどこかに吹き飛んでしまった。

 

「これが先生の描く、かの伝説級のモンスター、『フェンリル』ですね?」

 

「いや、違うよ?」

 

「え?」

 

「これはフェンリルの亜種、フェイクリルだよ」

 

「フェ、フェイクリル?」

 

「毛色と言い、よく似ているのだけど、大きさが全然違う」

 

「は、はあ……」

 

 私は全身から力が抜けていくのをはっきりと感じる。

 

「とはいえ、この『フェイク』シリーズ、上々のスタートが切れたね」

 

「ちょっと待って下さい……」

 

「うん?」

 

「フェイクシリーズとはどういうことでしょうか?」

 

「伝説級のモンスター……によく似たモンスターを描くシリーズさ」

 

「伝説級のモンスターを描いていただけるという話では⁉」

 

「伝説級のモンスターはこの辺では滅多に遭遇しないからねえ……遠征に出る必要がある。その為には……もうちょっと取材費がないと」

 

 クレイ先生は言い辛そうにこちらを見る。詳細をしっかり詰めなかった私のミスだ。いや、そもそも遠征隊を組織するような資金を我が社が工面出来るはずもない。死ぬ思いをして走ってこれか……私は思わず天を仰いだ。

 

「ああ……」

 

「空を見ているのかい? そうだ、空と言えば、この辺にもあの怪鳥のフェイクが……」

 

「先生、それはまた後日……」

 

 結果として、クソジジイもとい、クレイ先生の画集は発売された。我が社にとっては久々の大ヒット作だ。編集長も喜んでいる。早速第二弾という話が出てきたが、私は上手いことはぐらかした。あれでは命がいくつあっても足りない。それに私が主に任されているのは、小説でヒット作を出すことだ。こちらに専念したい。今日も若い女性との打ち合わせだ――下心がないといえば、嘘になるが――獰猛な狼よりはこちらのお相手の方が遥かにマシだ。

 

「こんちはーっす‼」

 

「⁉」

 

 狼の耳を生やした褐色の女性が入ってきたので、私は反射的に机の下に潜った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話(2)ボールをすくい取る

「へ~これが編集部っすか~」

 

「ちょっと確認をさせていただきます……」

 

「あ、はい」

 

「お名前は?」

 

「アンジェラっす!」

 

「お住まいは?」

 

「西の村っす!」

 

「ご種族は?」

 

「狼の獣人っす!」

 

「……はい、確認が取れました……」

 

「あの~編集さん?」

 

「はい」

 

「なんでそんなに離れているっすか?」

 

 私が部屋の端の方に隠れるように座っていることにアンジェラさんは困惑気味だった。

 

「えっと……」

 

「お話がしづらいというか……」

 

 それもそうだ、大体失礼にあたる。私はおそるおそるアンジェラさんの座る席に近づく。

 

「実は……」

 

「実は?」

 

「かくかくしかじかで……」

 

 私は先日の恐怖体験について話す。アンジェラさんは笑う。

 

「あ~それでっすか、それはまた大変だったすね……」

 

「す、すみません……狼さんの耳を見てしまうと、体がつい反応してしまって……」

 

「まあ、それも無理ないっすね。でも、あの狼も結構かわいいところあるんすけどね」

 

「そ、そうですか?」

 

「そうっす。よく分かっていないだけっすよ」

 

「は、はあ……落ち着きました。あ、申し遅れました、私はこういう者です」

 

 席に着く前に私は名刺をアンジェラさんに渡す。

 

「モリ=ペガサスさんっすか……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……モリさんはニッポンからの転移者ってのはマジっすか?」

 

「え、ええ、そうです」

 

 隠してもしょうがないことだと思い、私は素直に頷く。

 

「すっげえー! オレ、転移者の方、初めて見たっすよ!」

 

 アンジェラさんは目を輝かせてこちらを見てくる。

 

「そ、そうですか……でも、何故私が転移者だということをご存知なのですか?」

 

「いや、もう結構な噂になっていますよ、カクヤマ書房さんにそういう編集さんがいるって。オレの村にも聞こえています」

 

「そ、そうなんですか……で、あれば……ごほん」

 

 私は咳払いをひとつ入れる。アンジェラさんが首を傾げる。

 

「ん?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはご存知なのですね?」

 

「ええ、それはもちろんっす!」

 

 後で知らなかったと言われても困るので、このことはきちんと確認しておこう。

 

「では、アンジェラさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「はい! 間違って原稿を送っちゃったのはこっちのミスっすから! それで声がかかるのも一つの縁かなと思って!」

 

「ふむ、そうですか……」

 

「そうっす!」

 

 前向きなのはこちらとしても非常に助かる。私はアンジェラさんの送ってきた原稿を取り出して、机の上に置く。

 

「それでは早速ですが、打ち合わせを始めましょう」

 

「はいっす!」

 

「原稿の方を拝見させていただきました……これは……いわゆる『スポーツ』ものですね」

 

「はい! 『スコープ・ザ・ボール』を題材にしてみたっす!」

 

 スコープ・ザ・ボールとは、こちらの世界で流行っている球技で、赤青2チームに別れた選手たちが、フィールドに設置された四つのかごの中に入った相手チームのボールをすくい取り、制限時間内にどれだけ多くの相手チームのボールをすくえるかを競う競技である。相手に対しての妨害は目つぶし、急所への攻撃を除けば、基本なんでもありである。

 

「スコープ・ザ・ボールはたいへんな人気競技ではありますが、あまり小説の題材にはなっていませんね……」

 

「そうっすよね! 狙い目だと思ったっす!」

 

「確かに目の付け所は悪くないと思います……しかも」

 

「はい」

 

「そこに一捻りを加えておられますね」

 

「ええ、主人公は転生した先の異世界のニッポンで『スコープ・ザ・ボール』を行うという展開なんすよ!」

 

「うむ……」

 

 私は軽く額を抑える。

 

「どうっすか! この展開⁉」

 

「……」

 

「衝撃的だと思うんすけど⁉」

 

「……確かにインパクトはあります」

 

「そうでしょう⁉」

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「展開に無理があります」

 

「え?」

 

「私はニッポンからの転移者です。転移の際のショックで記憶がおぼろげなのですが……ニッポンをはじめ、あの世界の方々にスコープ・ザ・ボールは受け入れにくいと思います」

 

「ど、どうしてっすか⁉」

 

「……逆なんです」

 

「逆?」

 

 アンジェラさんが首を傾げる。私は説明する。

 

「向こうではボールをかごに入れる競技が流行っています」

 

「かごに……入れる⁉」

 

「ええ、ボールを蹴ったり、投げたり……」

 

「はあ……」

 

「棒と棒の間に通したり……」

 

「へえ……」

 

「ボールを棒で打って、客席に入れるというのもありましたね……」

 

「それ……なにが面白いんすか⁉」

 

「そこなんですよ!」

 

 私はアンジェラさんを指差す。

 

「えっ⁉」

 

「価値観などがまるっきり違う相手……異世界の方々がスコープ・ザ・ボールをすんなりと受け入れるとはどうしても考えにくいのです」

 

「な、なるほど……」

 

 アンジェラさんは頷く。私は原稿を眺めながら呟く。

 

「無理に異世界などへ行かず、この世界でスコープ・ザ・ボールを行う小説の方が無難かと思いますが……それだとインパクトに欠けますね。もちろん、インパクトが全てだとまでは言いませんが……」

 

「う~ん……」

 

 アンジェラさんが腕を組んで考え込む。

 

「キャラクターなどは生き生きとしていますが……」

 

「……それなら、これはどうっすか⁉」

 

 アンジェラさんが頭をガバっと上げる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話(3)スポ根とラブコメとちゃんこ

「……伺いましょう」

 

「……『スモウ』をやるっす!」

 

「はい?」

 

「あれ? モリさん、知らないっすか、スモウ?」

 

「い、いえ、知っています……というか覚えています」

 

「巨大な男たちが半裸でぶつかり合う競技っす!」

 

 競技というか、あれは神事だったと思うが……まあ、それに関しては置いておこう。

 

「……それで?」

 

「この世界に住むゴブリンがふとしたことで命を落とし、ニッポンに転生するんす!」

 

「ふむ……」

 

「転生した先で、そのゴブリンはスモウ部屋に入門することになるっす!」

 

「はあ……」

 

「ゴブリンは憧れの女性に励まされ、意地悪な先輩からの理不尽なシゴキにもめげず、ライバルたちと切磋琢磨して、カクカイのヨコヅナを目指す、サクセスストーリーっす!」

 

「……」

 

「どうっすか⁉」

 

 アンジェラさんが身を乗り出して感想を聞いてくる。

 

「小柄な体格のゴブリンが大柄な相撲の力士たち相手に戦っていくというのは面白そうではありますね……スポ根要素ですか。ただ単純に戦っていくのは、ちょっと変化に乏しいかなと思うのですが……」

 

「部屋の親方の娘とのラブコメ要素も入れます」

 

「ラブコメ……」

 

「後は『チャンコ』!」

 

「え?」

 

「知らないっすか、スモウレスラーはチャンコという鍋料理を食べるんすよ」

 

「ああ、そ、それも覚えています……」

 

「これでグルメ要素もバッチリっす!」

 

「うむ……スポ根にラブコメにグルメですか……」

 

「話にアクセントは付けやすいと思うんすけど!」

 

「うん……」

 

「どうっすかね?」

 

「まず率直に……」

 

「はい、なんすか?」

 

「主人公がゴブリンというのは……ちょっと華がありませんね」

 

「ええっ⁉」

 

「読者の方が手を取りたくなるとは思えません……」

 

「そ、そうっすか……」

 

「ええ」

 

「う~ん……」

 

 アンジェラさんが腕を組んで考え込む。私は尋ねる。

 

「なにかありますか?」

 

「そ、それなら!」

 

「え?」

 

「スライムはどうっすか⁉」

 

「ス、スライム?」

 

「はい!」

 

「また急に飛びましたね……」

 

「『転生したらスモウレスラーだった』ってタイトルで!」

 

「タ、タイトルまで⁉」

 

「はい、今、パッと浮かんだんす! 略して『転スラ』!」

 

「りゃ、略称まで⁉」

 

「どうでしょう⁉」

 

「ちょ、ちょっとお待ちください……」

 

 私は前のめりになるアンジェラさんを落ち着かせる。

 

「こういうのって案外、タイトルからストーリーを思い付くっていうパターンも多いって聞くんすけどね~」

 

「そ、そういう話も聞かないことはないですね……」

 

「でしょう⁉ 行きましょうよ! 転スラで!」

 

「う、う~ん……」

 

「駄目っすか?」

 

「いや、響きは良いような気はしますけどね……」

 

「それなら良いじゃないっすか!」

 

「ちょ、ちょっとお待ちを……」

 

「は、はい……」

 

「えっと……つまり先ほどのゴブリンの役割をスライムに置き換えるということですね?」

 

「そうなるっすね」

 

「話は結構変わるのでは?」

 

「もちろん、細部は変わるっすけど、基本のサクセスストーリーは変わんないっす」

 

「うむ……」

 

「サブキャラも変わらないっす」

 

「ということは、ラブコメ要素もグルメ要素も引き継げると……」

 

「はい!」

 

「なるほど……」

 

「どうでしょう?」

 

「えっとですね……」

 

「?」

 

 アンジェラさんが首を傾げる。

 

「根本的な話をします」

 

「根本的?」

 

「はい、スポーツと小説という媒体の相性があまりよくありません……」

 

「!」

 

「頂いたスコープ・ザ・ボ―ルの小説も読ませてもらいましたが、よく分からないのです」

 

「分からない?」

 

「ええ、私はスコープ・ザ・ボールの経験者ではありませんので、細かい動きに関して、どうにもイメージが掴めないところがあって……」

 

「イメージ……」

 

「イメージが掴めないということはすなわち、そのキャラクターたちが何をしているのかがさっぱり分からないということです」

 

「! さ、さっぱり……」

 

「この世界で大人気のスコープ・ザ・ボールを題材にしても、私のような読者は出てきます。いわんや、噂レベルでしか知られていない相撲を題材にされても……」

 

「読者にはまったく伝わらないと……」

 

「そうなるかと思います」

 

「そ、そうっすか……」

 

「や、躍動感などは感じられたので、書き方次第だとは思いますが」

 

 私は慌ててフォローを入れる。

 

「でも、止めた方が良いと……」

 

「おすすめは出来ません」

 

「そうっすか……」

 

「違うジャンルでアプローチしてみるのが良いかと思います」

 

「ち、違うジャンルっすか? そ、そう言われても……競合の少ないスポーツもので勝負をかけようと思っていたので……」

 

「こういう場合は『気付かなかったから誰もやれなかった』ではなく、『気付いていたけど誰もやらなかった』と考えた方が良いです」

 

「‼」

 

 アンジェラさんは私の言葉に衝撃を受ける。私は声をかける。

 

「少し極端な話をしました……ん⁉」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話(4)獣人の疑問

「どうかしたっすか?」

 

「アンジェラさん……」

 

「はい?」

 

「貴女しか書けない話を紡ぐべきです!」

 

「ええっ⁉」

 

「貴女にしか出来ないことです!」

 

「オ、オレにしか出来ないこと……」

 

 アンジェラさんは首を傾げる。

 

「思い付きませんか?」

 

「いやあ、そう言われても……」

 

「先ほど、私がフェイクリルに散々追いかけまわされたという話をしたとき、貴女はこのようにおっしゃいました……」

 

「え?」

 

「……でも、あの狼も結構かわいいところあるんすけどね。よく分かっていないだけっすよ……とね」

 

「そ、それが何か?」

 

「貴女は獣人という御種族です」

 

「は、はい……」

 

 アンジェラさんは何を今更という表情になる。私は両手を広げる。

 

「つまり、人でもあり、獣でもあるということ……」

 

「は、はあ……」

 

「貴女は双方にとって良き理解者なのです」

 

「!」

 

「貴女ならではの立場を活かした小説が書けるかと思います」

 

「オレならではの立場を活かした……?」

 

「そうです」

 

「ま、まだ、よく分からないっす……」

 

「分かりませんか?」

 

「え、ええ……」

 

「例えばですが、人と……」

 

 私は右手を掲げる。

 

「はい」

 

「モンスター……」

 

 私は次に左手を掲げる。

 

「は、はい」

 

「これを……一つにする!」

 

「‼」

 

 私は掲げた両手を合わせる。アンジェラさんが驚く。

 

「……後は分かりますね」

 

「い、いや、分かんないっすよ! 人とモンスターが衝突したみたいじゃないっすか⁉」

 

「……『擬人化』です」

 

「え?」

 

「モンスターを擬人化するんで!す」

 

「え、ええ?」

 

「全員美少女です」

 

「び、美少女⁉」

 

「タイトルは……ずばり『モン(むすめ)。』!」

 

 私は紙にでかでかと書いたタイトルをアンジェラさんに見せます。

 

「モ、モン娘……」

 

「そうです」

 

「……色々と気になることがあるんすけど……」

 

「なんでしょう」

 

「この『゜』はいるんですか?」

 

「いります」

 

「いるんですか⁉」

 

「むしろ一番重要です」

 

「い、一番重要⁉」

 

「全員女じゃないと駄目なんすか?」

 

「男が混ざるとどっちつかずになってしまう恐れがあります。ここは美少女好きにターゲットを絞るべきです」

 

「そ、そうっすか……」

 

「ご理解頂けましたか?」

 

「あの……一番気になるのが……」

 

「はい?」

 

「これ、オレっすよね……?」

 

 アンジェラさんが自分の姿を指し示す。私は頭を抑えながら声を上げる。

 

「……あ~」

 

「い、いや、あ~じゃなくて! これは別に珍しくないんじゃないすか⁉」

 

「アンジェラさんカワイイから良いじゃないですか」

 

「カ、カワイイ⁉ い、いや、自分に近いような存在を書くのはどうしてもなんかこう……抵抗があるというか……!」

 

「ふむ……ではこうしましょう」

 

「ど、どうするんですか?」

 

「発想の転換です」

 

 私は広げた手のひらをひっくり返す。

 

「発想の転換⁉」

 

「人をモンスター化するのです」

 

「ええっ⁉」

 

「つまり『擬モン化』です!」

 

「ぎ、擬モン化……?」

 

「分かりますね?」

 

「い、いや、さっぱり分からないっす!」

 

 アンジェラさんが首をブンブンと左右に振る。

 

「凛々しい勇者は雄々しいドラゴンにするとか……」

 

「はい……」

 

「美しい女騎士は毛並みの艶やかなユニコーンにするとか……」

 

「はあ……」

 

「そういう感じでよろしくお願い出来ますか?」

 

「え、えっと、ちょっと待って下さいっす!」

 

「まだ擬モン化について疑問がありますか?」

 

「なにちょっと上手いこと言っているんすか! あるっす! 疑問!」

 

「なにか?」

 

「モンスター化して何をすれば良いんすか⁉」

 

「それこそあれですよ」

 

「あれ?」

 

「戦うのです!」

 

 私はビシっとアンジェラさんを指差す。

 

「戦う⁉」

 

「ええ」

 

「ど、どうやって……?」

 

「まあ、シンプルに戦闘でも良いと思いますが……」

 

「戦闘……」

 

「爽やかにレースでも良いかなと。誰が一番速いかを決めるレースを行うとか……」

 

「! ドラゴンやユニコーンの走るレース……上手くやればスポ根要素も盛り込めるかもしれないっすね……分かったっす、それでちょっと考えてみるっす」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはなんとかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話(1)またも体を張った取材

                  3

 

「うおおっ! これですよ! これ! 創作意欲がビンビンと刺激されます!」

 

「そうですか、それは何よりです……」

 

 茶色い三つ編みのヘアスタイルが特徴的な眼鏡をかけた若い女性が興奮気味に手に持ったスケッチブックにペンを走らせる。この若い女性はレイカ先生という。先生ということはつまり、我が社にとって大事なお仕事を依頼する方だ。先日、我が社と仕事をしたクレイ先生のお弟子さんで、新進気鋭のイラストレーターさんである。

 

「うん、とってもいい! 良すぎる!」

 

 レイカ先生のペンが止まらない。

 

「良いですね! 本当に素晴らしい! なんかこう……良い! アイディアがドンドンとあふれ出てきて止まらない!」

 

 そのわりには語彙力が足りてないですね、という余計なことを言い出しそうになったのを私はグッとこらえる。

 

「これは良いです! なぜなら良いものだからです!」

 

 なんか構文みたいなのが飛び出した。

 

「もうなんというか、良さしかない!」

 

「……レイカ先生、参考までにお伺いしたいのですが……」

 

「はい⁉ なんですか、急に質問ですか⁉」

 

「あっ、お邪魔になるようでしたら良いのですが……」

 

「いえ、構いませんよ! どうぞ!」

 

「では……特にどの辺りを良いとお感じになられたのですか?」

 

 ただ『良い!』を連呼されても困る。こちらとしてもある程度は把握しておかないと。

 

「なかなかの質問ですねえ!」

 

「そ、そうですか……」

 

「う~む、やはりこの筋肉の躍動でしょうか!」

 

「筋肉の躍動……」

 

「ええ、さらにその肉体同士の激しいぶつかり合いですかね!」

 

「肉体同士のぶつかり合い……」

 

「技の応酬なんかも見ごたえありますよね!」

 

「技の応酬……」

 

「やっぱりプロレスは最高のエンターテインメントですよ!」

 

「そうですか」

 

「この格闘技をこの世界にもたらしてくれたという異世界の方々にはまったく感謝してもしきれませんね!」

 

 どうやら私と同じ転移者が広めたものらしい。知らなかった。そういえば、元いた世界で観戦した記憶がおぼろげにあるような……。いや、それよりもだ……。

 

「先生、もう一つよろしいでしょうか?」

 

「はい! なんでしょう?」

 

「何故に私はパンツ一丁なのでしょうか?」

 

 そう、私は黒のパンツ一丁という姿でレイカ先生の傍らに立っている。

 

「取材の一環です!」

 

「こ、これが取材? 今ひとつ分かりません……」

 

「モリさんには実際にレスラーの方々から技をいくつか受けてもらおうかと思いまして!」

 

「ええっ⁉」

 

「やっぱり体験してみないと分からないじゃないですか」

 

「じゃ、じゃないですかと言われても……」

 

「本来なら私が受けようと思ったのですが、危険だということで急遽モリさんに代わっていただきました!」

 

「き、聞いていないのですが⁉」

 

「今言いました!」

 

「い、いや……」

 

「より良い作品作りのため……お願いします!」

 

 レイカ先生が頭を下げてくる。ここで私が断って、せっかくの新鋭イラストレーターを逃すようなことになってしまったら、編集長に怒られる。それだけは避けねばならない。私は少し逡巡した後、答える。

 

「……分かりました」

 

「ありがとうございます!」

 

「どうすれば良いでしょう?」

 

「リングに上がって下さい!」

 

 レイカ先生は部屋の中央にあるロープで囲まれた四角いスペースを指し示す。私は言われるがまま、ロープをくぐって、そこに上がる。

 

「上がりました」

 

「はい! ではお願いします!」

 

「うっす……」

 

 見るからに屈強な男性が私の正面に立つ。

 

「じゃあ、ちょっと、ラリアットやエルボーなど、打撃技から見てみたいですね~!」

 

「うっす!」

 

「え?」

 

 打撃技?

 

「そらっ!」

 

「ごはっ⁉」

 

 私は強烈な手刀を胸に喰らう。もちろん手加減はしているのだろうが、それでもかなりの衝撃だ。続けていくつかの技を立て続けに喰らい、私はたまらず倒れ込む。

 

「ちょうど倒れ込まれたので……」

 

 何がちょうどだ、ちょうどって。男性がレイカ先生の方を向く。

 

「はい」

 

「関節技の方をいくつかお願いします」

 

「分かりました……」

 

 関節技? それってもしかして……。

 

「はっ⁉」

 

「まず腕ひしぎ十字固めを……」

 

「!」

 

 男性は私の右手手首を掴み、さらに右腕を脚に挟んで、伸ばしてくる。痛い。

 

「お~極まっていますね~良い感じです!」

 

 レイカ先生がスケッチブックにペンを走らせる。全然良い感じではないのだが。

 

「それでは4の字固めを……」

 

「‼」

 

 男性は私の両脚に脚を絡めてきて、私の両脚を4の字に交差させる。痛い。

 

「お~シンプルですけどそれでいて美しいですね!」

 

 レイカ先生が声を上げる。全然美しくないのだが。

 

「それでは逆エビ固めを……」

 

「⁉」

 

 男性はうつ伏せになった私の体を跨いで、私の両脚をわきの下に挟んで持ち上げ、私の背中を反らせる。これも当然痛い。

 

「お~出た! ポピュラーな技! 奥深さを感じます!」

 

 レイカ先生が叫ぶ。痛さしか感じないのだが。

 

「はあ……はあ……」

 

「お疲れ様でした! ありがとうございます! お陰で良いイラストが描けそうです!」

 

「そ、それは何よりです……」

 

 しばらくして、レイカ先生が描いたイラスト集が発売された。美少年同士がくんずほぐれつするイラストが中心であった。これがまたよく売れた。気を良くした編集長は第2弾を企画しろと言っているが、身の危険を感じた私は適当にはぐらかしておいた。どこまで誤魔化せるだろうか……。その前に小説でヒットを飛ばさなくてはならない。今日も打ち合わせだ。

 

「こ、こんにちは~」

 

 全身水色の液状のような体をした柔らかそうな方が入ってきた。

 

「そ、その体が欲しい!」

 

「えっ⁉」

 

 私は思わず叫んでしまった。相手は戸惑う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話(2)硬派な作品

「あ……」

 

「えっと……」

 

「いや失礼、こちらの話です……」

 

 私は口を抑える。

 

「こちらの話?」

 

「羨ましいと思って……」

 

「う、羨ましい?」

 

「い、いえ、お名前をお伺いしても?」

 

「あ、マルガリータです」

 

「お住まいはどちらに?」

 

「北の洞窟です」

 

「……はい、確認しました。えっと、マルガリータさんは……」

 

「はい」

 

「ス、スライムの方ですか?」

 

「そうです」

 

 そう、目の前にいる方は液状の形をしたスライムなのだ。まさかスライムの方が、小説家を目指しているとは……。

 

「えっと……」

 

「話しづらいですか?」

 

「い、いや、まあなんというか……はい」

 

 私は苦笑交じりで返答する。

 

「ちょっとお待ちください……」

 

「?」

 

「……よいしょ」

 

「!」

 

 私は驚いた。マルガリータさんが人間のような形態になったからである。顔もついている。目鼻立ちも整っている。口もある。その口から言葉が発せられる。

 

「お待たせしました」

 

「い、いえ……」

 

「移動などは通常態などが便利なもので、ついそのままで来てしまいました……」

 

「そ、そうなのですか……」

 

「すみません」

 

「い、いえ、こちらこそすみません」

 

 私とマルガリータさんは同時に頭を下げる。

 

「……」

 

「あ、どうぞお座り下さい。あっと、その前に……」

 

 席に着く前に私は名刺をマルガリータさんに渡す。

 

「モリ=ペガサスさんですか……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……モリさんはニッポンからの転移者っていうのは本当ですか?」

 

「ああ、そうです」

 

 隠してもしょうがないことだと思い、私は素直に頷く。

 

「すごい……。ボク、転移者の方、初めて見ました」

 

 マルガリータさんは目をキラキラと輝かせてこちらを見てくる。

 

「そ、そうですか……しかし、マルガリータさんの……」

 

「マルで良いですよ」

 

「え?」

 

「みんなそう呼びますから」

 

「は、はあ……マルさんのお住まいの方にも私のことが知られているのですか?」

 

「ええ、もう結構な噂になっていますよ、カクヤマ書房さんにそういう編集さんがいるって」

 

「そ、そうなのですか……で、あればですね……ごほん」

 

 私は咳払いをひとつ入れる。マルさんが首を傾げる。

 

「?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはご存知なのですね?」

 

「ええ、それはもちろんです」

 

 もはや毎回のことになりつつあるが、後で知らなかったと言われても困るので、このことはきちんと確認しておかなければならない。

 

「では、マルさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「はい。原稿を送り間違ったのはこちらのミスですから。こうしてお声がけいただいたのも一つの縁なのかなと思いまして」

 

「ふむ、そうですか……」

 

「はい」

 

 前向きなのはこちらとしてもありがたい。私はマルさんの送ってきた原稿を取り出して、机の上に置く。

 

「それでは早速ですが、打ち合わせを始めましょう」

 

「お願いします」

 

 マルさんが再び頭を下げる。

 

「原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「はい……」

 

「率直に言って……」

 

「は、はい……」

 

「読み応えがありました」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ええ」

 

「よ、良かった……」

 

 マルさんが胸をなでおろす。

 

「ただですね……」

 

「は、はい、なんでしょう?」

 

「なんと言いますか……」

 

「…………」

 

「う~ん……」

 

「……言ってください」

 

 沈黙に痺れを切らしたマルさんが話しの続きを促してくる。私は口を開く。

 

「気になる点がいくつかありまして……」

 

「はい」

 

「まず一つ目は……」

 

「一つ目は?」

 

「ちょっと長いですね」

 

「長い?」

 

「文量が多いとも言い換えられます。ボリュームがたっぷり過ぎますね」

 

「ボ、ボリュームが多い……」

 

「二つ目は……」

 

「二つ目は?」

 

「言い回しや使っている語句などがやや難解ですね」

 

「あ、ああ……」

 

「もう少し分かりやすい言葉に変換しないと、読者の方がついてこられないと思います」

 

「そ、そうですか……」

 

「三つ目ですが……」

 

「け、結構多いですね」

 

「ご安心ください、これで最後です」

 

「あ、そうですか……」

 

「むしろこの一点に集約されるのですが……」

 

「集約される?」

 

「作品全体があまりにも硬派過ぎます」

 

「こ、硬派⁉」

 

「はい、硬過ぎます」

 

 著者の方は柔らかそうなのに、と言いかけてやめた。セクハラになる可能性がある。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話(3)セクシーダイナマイト

「か、硬いですか……」

 

「はい、内容はこの世界で数百年前にあった戦国時代を題材にしていますね」

 

「ええ、そうです」

 

「その時期に活躍したが、あまりスポットの当たらなかった方を主役に据えている……」

 

「マ、マイナー過ぎるかなと思ったのですが、ボクはその方のことが好きなので……」

 

「先ほども申し上げましたが……」

 

「はい」

 

「読み応えはありました。マイナーな主人公ということを忘れるくらい」

 

「あ、そ、そうですか……」

 

「ですが」

 

 私は右手を掲げる。

 

「は、はい……」

 

「これは読者層がかなり限られます……」

 

「え……?」

 

「いわゆる『時代』ものというだけで、ほとんどの読者が敬遠します。書店でもあらすじだけさっと目を通して、棚に戻してしまうでしょう」

 

「!」

 

 マルさんが目を丸くする。

 

「せめてもう少しエンターテインメント性があればと思うのですが……」

 

「エンターテインメント性……」

 

「繰り返しになりますが、ここまで硬派な内容ですと……」

 

「はあ……」

 

「これは例えばの話なのですが……」

 

 私は右手を挙げる。

 

「はい」

 

「オリジナルのキャラクターを出すことは出来ませんか?」

 

「オ、オリジナルですか?」

 

「ええ、狂言回し的なキャラクターというか……」

 

「う、う~ん……」

 

「あるいは」

 

「あるいは?」

 

「読者の目線に立ったキャラクターを主役に据えるとか」

 

「ど、読者目線のキャラですか?」

 

「ええ、それで大分分かりやすくなるかと思いますが」

 

「う~ん……」

 

 マルさんは腕を組んで考え込む。

 

「……もしくは」

 

「も、もしくは?」

 

「物語を彩るキャラが欲しいですね」

 

「い、彩るキャラ?」

 

「ええ、そうです」

 

「た、例えば?」

 

「そうですね……謎の女とか」

 

「な、謎の女⁉」

 

「はい、謎の女」

 

 私は頷く。

 

「そ、それはどんな謎を持っているんですか?」

 

「……さあ?」

 

「さ、さあって⁉」

 

 私の言葉にマルさんが戸惑う。

 

「そういうミステリアスなところが読者の興味を惹きつけるのです」

 

「ふ、ふむ……」

 

「さらに……」

 

「さらに?」

 

「セクシーであれば言うことはありません」

 

「セ、セクシー⁉」

 

「はい、セクシーダイナマイトです」

 

「ダ、ダイナマイト⁉」

 

「そうです」

 

「セ、セクシーダイナマイトとは例えばどんな方でしょうか?」

 

「う~ん、セクシーさがダイナマイトのように爆発しているのでしょうね」

 

「セクシーさが爆発している……?」

 

 マルさんが首を傾げる。

 

「マルさんが思い浮かべているセクシーさがこの机の高さくらいだとします」

 

 私は腹部あたりの高さの机を軽く叩く。それを見てマルさんも頷く。

 

「は、はい、そのくらい……」

 

「ダイナマイトとは、この部屋の天井くらいです!」

 

 私は天井をビシっと指差す。マルさんが驚く。

 

「そ、そんなに⁉」

 

「当然です。セクシーダイナマイツなのですから」

 

「え? ダイナマイトですか? ダイナマイツですか?」

 

「それはどうでもよろしい」

 

「え、ええ……」

 

「とにかくそういったキャラを出せば、男性読者が食いつくでしょう」

 

「く、食いつきますか?」

 

「食いつきます」

 

「だ、断言されますね……」

 

「男なんてどこの世界でもそんなものです」

 

「モ、モリさんもそうなんですか?」

 

「……ノーコメントです」

 

「あ、逃げた……」

 

 私は話を変える。

 

「イケメンキャラも必要ですね」

 

「イ、イケメンですか?」

 

「はい、女性読者を獲得する為です」

 

「イケメンですか、難しいな……」

 

「イケメンが五人くらい欲しいですね」

 

「お、多すぎませんか⁉」

 

「一人ではサービスが悪いです」

 

「サ、サービス?」

 

「タイプの異なったイケメンを大量投入すれば、女性読者のハートを鷲摑みですよ」

 

「……」

 

「これらはあくまで一例ですが、そういう方向性で進めてもらって……」

 

「ボ、ボクはそういう話は書きたくありません!」

 

「‼」

 

「あ、す、すみません……ただ、ボクはこの世界の戦国時代が好きなんです。戦いはもちろんよくないものですけど、そこから見えてくるもの、学べるものがあるはずです。好きなものについてより深く知ってもらうというのはダメなんですか?」

 

 マルさんが私に尋ねてくる。やや間を空けてから私は答える。

 

「……好きばかりでは売り物になりません」

 

「⁉」

 

 マルさんが目を見開いてこちらを見る。

 

「皆さんどこかで妥協というか、折り合いをつけて作品作りに取り掛かっています」

 

「……自分の嫌いな題材でも書くということですか?」

 

「少し極端な話ですが、まあ、中にはそういう方もいらっしゃいますね、プロとして」

 

「それがプロだというなら、ボクには無理かも……」

 

「いやそう言わずにもう少し……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またこれだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話(4)転スラ

「どうかしましたか?」

 

「マルさん……」

 

「はい?」

 

「もう少し柔軟に考えてみませんか?」

 

「柔軟に?」

 

「ええ」

 

「……硬いのはダメですか?」

 

 マルさんは俯く。体がぷるんぷるんと揺れる。

 

「ダメとは言いませんが、一般の読者に受けるとはとても思えません」

 

「好きなものを書くのはそんなにダメなんですか?」

 

「その場合、ご自分だけが満足している状態になりかねません」

 

「自分だけ……」

 

「大半の読者が置いてけぼりです。ほとんどついてきてくれないでしょう」

 

「むう……」

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「そういった問題を解決する方法があります」

 

「ほ、本当ですか⁉」

 

 マルさんが立ち上がる。

 

「……落ち着いてください」

 

「す、すみません……」

 

 マルさんが席に座る。

 

「その方法ですが……」

 

「はい」

 

「流行りのものを書くということです」

 

「え?」

 

「流行に乗っかるのです」

 

「そ、それは分かります。ですが……」

 

「ですが?」

 

「それが解決方法なんですか?」

 

 マルさんが首を傾げる。

 

「流行りのものを書くことのメリットはまず……それだけで手に取ってくれる読者が増えるということ。これはとても大きなメリットです」

 

「そ、それでも!」

 

 私の説明にマルさんは不満そうな顔になる。私は尋ねる。

 

「なにか?」

 

「安易に流行に乗っかっても埋もれてしまうだけだと思います」

 

「そうですね」

 

「そ、そうですねって……」

 

「要は乗り方の問題です」

 

「乗り方?」

 

「ええ、他作品との違いをアピールするのです」

 

「違いですか?」

 

「そうです、読者の方に『これは他とは違うな』と思わせれば良いのです」

 

「そ、それはなかなか難しいような……」

 

「いや、マルさんならば可能です」

 

「ええ?」

 

「マルさんの書かれる文章、硬さは多少否めませんが、文章力の高さは随所に伺えます」

 

「は、はあ……」

 

「これだけでも他と一線を画すことが出来ます」

 

「そ、そうでしょうか?」

 

「はい、この硬さを逆に利用するのもありかもしれませんね……」

 

 私は顎をさすりながら呟く。

 

「硬さを逆に利用?」

 

「そうです。何か思いつかないですか?」

 

「う~ん」

 

 マルさんが腕を組んで考え込む。

 

「思い付きませんか?」

 

「い、いやあ、そう言われても……」

 

「この硬い……真面目な文章に似つかわしくない設定を作るのです」

 

「似つかわしくない設定?」

 

「とことんおバカな方向、ありえない方向に振り切ることですかね?」

 

「お、おバカ……ありえない……」

 

「それでいて流行を外さない……」

 

「む、難しくないですか?」

 

「まあ、ちょっと考えてみましょう。現在の流行はなんですか?」

 

「え、や、やっぱり……異世界への転生・転移ものですかね」

 

「そうです」

 

 私は頷く。マルさんが戸惑う。

 

「い、いや、流行しているのは重々分かっているつもりですが、ボクはああいうジャンルにはどうしても苦手意識がありまして……」

 

「あえて向き合うことで見えてくるものもあります」

 

「!」

 

 私の言葉にマルさんが目を丸くする。

 

「流行に目を背けるだけでなく、トライしてみることも必要なことだと思います」

 

「ふ、ふむ……」

 

「マルさんの作家としての引き出しが増えると思うのです。いかがです?」

 

「……た、例えば、どういう転生・転移が良いでしょうかね」

 

「……」

 

「い、いえ、すみません、それをボクが考えるんですよね……」

 

 私は右手の人差し指を立てる。

 

「……ひとつ、思い付いています」

 

「え⁉」

 

「スライムがニッポンに転移するのです」

 

「ええ⁉」

 

「転移して、プロレスラーになります」

 

「プ、プロレスラー⁉」

 

「『転移したらプロレスラーになった件』略して『転スラ』です」

 

「りゃ、略称まで⁉」

 

「ええ、ピンときました」

 

「で、でも、スライムである必要性が感じられませんが?」

 

「スライムの方は体が柔らかい、形状も自由に変化することが出来る……」

 

「あっ……」

 

「その特性を活かして無双します。俺TUEEE好きな方もにっこり」

 

 私は笑顔を浮かべます。マルさんが考え込む。

 

「意外性はあると思うんですけど……」

 

「何か気になることが?」

 

「ボクの好きな要素を少しでも盛り込めればと思ったんですが、無理そうですね」

 

「出来ますよ」

 

「えっ⁉」

 

「ニッポンのプロレスの歴史を紐解くと――私もよく分からなかったのですが、先日プロレスジムに取材する機会に恵まれました――各団体が林立、それぞれが時には手を組み、時には争い、隆盛・衰退を繰り返すその様はさながら戦国時代です!」

 

 私はビシっとマルさんを指差す。マルさんが息を呑んで呟く。

 

「少し、いや、かなり興味が湧いてきました。なるほど、団体間の争いなどを戦記風に描けるかもしれませんね……分かりました。それでちょっと考えてみます」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはなんとかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話(1)またまた体を張った取材

                   4

 

「はあ……」

 

 私は砂浜でため息をつく。おじさんが話しかけてくる。

 

「どうしたんだい、モリ君? いい若いもんが昼間からため息なんかついて」

 

「もう夜ですよ……」

 

「え? ああ、本当だ、気が付かなかったよ」

 

「いや、気が付くでしょう……」

 

「作業に夢中になっていたからね」

 

「そっちで何の作業をしているのですか?」

 

「それは秘密だ」

 

「秘密って……」

 

「なんだい、なんだい、随分と不安気な声色だね?」

 

「それは不安にもなるでしょう……」

 

「なんでまた?」

 

「なんでまたって、夜の無人島で二人きりになっているからですよ!」

 

 そう、私は今、街からかなり離れた場所の無人島にいる。スーツ姿で。おじさんと二人で。

 

「大丈夫だよ、朝には知り合いの漁師が迎えの船を寄越してくれるから」

 

「本当ですか? 得体の知れないモンスターとかに襲われたりしないですか?」

 

「この島にはそういう危険なモンスターはいないよ」

 

「そうなのですか?」

 

「ああ」

 

「それはご経験からですか?」

 

「仕事柄、こういう場所には慣れているからね」

 

「そ、それは心強いです……」

 

「もっともこの島は初めてきたからよく分からないが」

 

「は、初めてって! じゃあどうしてモンスターはいないって断言したんですか⁉」

 

「長年の勘ってやつだ」

 

「か、勘って……」

 

 この適当なことを宣う、禿頭の中年男性はデンラジャ先生という方で、かなり名の知られたルポルタージュライターだ。先生の突っ込んだ取材内容には大変ファンが多く、発売する本はベストセラーの常連である。

 

 それがこの度、我がカクヤマ書房から本を出版するということになった。何故にしてマイナー出版社の我が社が、人気ルポライターのデンラジャ先生とこうして仕事が出来ることになったのか。

 

「……出来たようだな」

 

「?」

 

 デンラジャ先生が茂みの方へ向かい、鍋を持ってくる。何か妙な臭いがするなと思っていたら料理をしていたのか。妙な色あいのスープを持ってくる

 

「ふむ……」

 

「先生、これは……?」

 

「これが今回の取材の目的だよ」

 

「目的?」

 

「ああ、世界の珍味をテーマにしている」

 

「え? 打ち合わせでは無人島を巡ると伺っていたのですが……」

 

「それだけだと面白みがないと思ってね、その島で獲れる食材で料理を作って、それを食し、その味についてもレポートしようと思ったんだ」

 

「は、初耳なのですが……」

 

「さっき思い付いたからね」

 

「さ、さっきって……」

 

「おまけのコラムなんかでどうだろう?」

 

「構成については後々あらためて打ち合わせを……」

 

「そうだね……じゃあ、食べてごらん」

 

 先生は鍋から皿に盛って差し出してくれる。

 

「あれ? 先生はお食べにならないのですか?」

 

「僕は食べたことがある。君の新鮮なリアクションが見たいんだ」

 

「は、はあ……」

 

「さあ、遠慮なく」

 

「それでは失礼して……いただきます」

 

「どうぞ」

 

 私はスプーンでスープを口に運ぶ。

 

「! に、苦っ……」

 

「やはり苦いか……」

 

「な、なんですか、このスープは⁉」

 

「まあ、それは良いじゃないか」

 

「良くないですよ」

 

「続いては……」

 

「ま、まだあるのですか?」

 

「こっちのシチューだ」

 

 先生は別の鍋を持ってきた。また独特な臭いと色あいをしている。

 

「な、なんのシチューですか……?」

 

「……」

 

 先生は無言でシチューを皿に盛る。

 

「せ、先生?」

 

「さあ、お食べ」

 

「ま、また私ですか⁉」

 

「新鮮なリアクションが見たいんだ」

 

「は、はあ、そうですか、いただきます……」

 

 私はため息まじりでシチューを口に運ぶ。

 

「どうだい?」

 

「‼ か、辛っ!」

 

「ほう、この島のアレは辛いのか……」

 

「ア、アレってなんですか⁉」

 

「お次はこの汁物だ」

 

 先生は新しい鍋を持ってくる。

 

「また珍しい臭いと色あいですね……」

 

「そりゃあ珍味だからね」

 

「……これはなんでしょうか? 肉?」

 

「この島で獲れる例のアレだよ」

 

「だから例のアレってなんですか⁉」

 

「まあまあ、食べて食べて」

 

「はあ、いただきます……⁉ す、酸っぱ!」

 

「ほう、酸味が強いのか……」

 

 先生がメモを走らせる。私は咳き込みながら先生に尋ねる。

 

「……先生、参考になりましたか?」

 

「ああ、珍味シリーズ、意外とそれだけで一冊書けそうだね」

 

「そ、そうですか……ちなみにアレとは?」

 

「食べたら不老不死になると言われている……」

 

「⁉ ま、まさか、に、人魚⁉」

 

「冗談だよ、僕は人魚にも知り合いがいるからね、食べる気にはならないよ」

 

「わ、悪い冗談過ぎますよ……」

 

 このデンラジャ先生のルポは発売され、大きな話題を呼んだ。編集長も喜んでいる。早くも第二弾をという話が出てきたが、私はなんとかはぐらかした。どこに連れていかれるか、何を食べさせられるか分かったものではない。体当たりの取材を行うとは聞いていたが、編集まで巻き込むとは……我が社と仕事をする理由が分かった気がする。それはそれとして私が主に任されているのは、小説でヒット作を出すことだ。今日も打ち合わせだ。

 

「あ、こんにちは……」

 

「⁉ す、すみません!」

 

 下半身が魚の女性が入ってきたので、私は反射的に頭を下げた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話(2)スイスイと読める

「え⁉」

 

「い、いや、思わず……」

 

「思わず?」

 

「な、なんでもありません、失礼、こちらの話です……」

 

 私は口を抑える。

 

「こちらの話?」

 

「妙な罪悪感が……」

 

「ざ、罪悪感?」

 

「い、いえ、お名前をお伺いしても?」

 

「あ、ヨハンナです」

 

「お住まいはどちらに?」

 

「南の海です」

 

「……はい、確認しました。えっと、ヨハンナさんは……」

 

「はい」

 

「に、人魚の方ですね?」

 

「そうです」

 

 そう、目の前にいる方は下半身が魚の姿をした人魚なのだ。まさか人魚の方まで小説家を目指しているとは……。

 

「えっと……」

 

「人魚は珍しいですか?」

 

「い、いや、まあなんというか……はい」

 

 私は苦笑交じりで返答する。

 

「そうですよね、ワタクシも街の方に来るのは久しぶりのことですから」

 

「あ、あの……つかぬ事をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「なんでしょうか?」

 

「ど、どうやってこちらまで?」

 

「ああ、こうやって」

 

「!」

 

 私は驚いた。ヨハンナさんが体を伸ばして、器用に立って見せたからである。そして二三歩ほど歩いてみせる。とても自然だ――わずかに聞こえてくるペチペチという音を除けば――。鱗の部分もそういうスカートの柄に見えなくもない。もっともスタイルの良い上半身、美しい顔立ちにまず目がいくというのもある。ヨハンナさんが笑う。

 

「お分かりいただけましたか?」

 

「は、はい……」

 

「結構、こうやって歩いている人魚は多いんですよ」

 

「そ、そうなのですか?」

 

「はい、意外と気が付かれないものです」

 

「そうなのですね……」

 

「そうなのです」

 

「……すみません、変なことを聞いてしまって」

 

「いえいえ」

 

 私とヨハンナさんは同時に頭を下げる。

 

「あ、どうぞ席におかけ下さい。あっと、その前に……」

 

 席に着く前に私は名刺をヨハンナさんに渡す。

 

「モリ=ペガサスさんですか……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……こちらもつかぬことをお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

「? どうぞ」

 

「……モリさんはニッポンからの転移者っていうのは本当ですか?」

 

「ああ、そうですよ」

 

 もうすっかり慣れたことなので、私は素直に頷く。

 

「へえ……。ワタクシ、転移者の方を初めて見ました」

 

 ヨハンナさんはこちらを興味深そうに見てくる。

 

「そ、そうですか……しかし、ヨハンナさんのお住まいの方にも私のことが知られているのですか?」

 

「ええ、もう結構な噂になっていますよ、カクヤマ書房さんにそういう編集さんがいらっしゃるって。なんといっても人魚は噂好きですから」

 

 ヨハンナさんはそう言ってふふっと笑う。

 

「そ、そうなのですか……で、あればですね……ごほん」

 

 私は咳払いをひとつ入れる。ヨハンナさんが首を傾げる。

 

「?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはもうご存知なのですね?」

 

「はい、それはもちろんです」

 

 もはや毎回のこととなりつつあるが、後で知らなかったと言われても、こちらとしても困ってしまうので、このことに関してはきちんと確認しておかなければならない。私は重ねて尋ねる。

 

「では、ヨハンナさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「はい。原稿を送り間違えてしまったのはこちらのミスですから。こうしてお声がけいただいたのも一つの縁というやつなのかなと思いまして」

 

「ふむ、そうですか……」

 

「はい」

 

 前向きなのはこちらとしてもありがたいことだ。私はヨハンナさんの送ってきた原稿――海の中で書いたのだろうか? それにしては濡れたりはしていないが――を取り出して、机の上に置く。

 

「……それでは早速になりますが、打ち合わせを始めましょう」

 

「はい、お願いします」

 

 マルさんが再び頭を下げる。

 

「えっと、原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「はい……」

 

「率直に言いまして……」

 

「は、はい……」

 

「なかなか面白かったです」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ええ」

 

「よ、良かった……」

 

 ヨハンナさんがほっとしたように胸をなでおろす。貝殻で覆っただけの豊満な胸に目が奪われそうになるが、痴漢扱いされたりしたらたまらないので、すぐに目を逸らす。

 

「とても読みやすかったです」

 

「そうですか」

 

「テンポも良いです」

 

「ああ、そこら辺はこだわっているつもりです」

 

 スイスイと読めました、人魚だけに、と言おうかなと思ったが、余計な一言のような気がしたので、それは飲み込む。

 

「ただですね……」

 

「は、はい、なんでしょうか?」

 

「う~ん、なんと言いますか……」

 

「……」

 

「………」

 

「…………」

 

「……………」

 

「……どうぞ、遠慮なく言ってください」

 

 長い沈黙に痺れを切らしたヨハンナさんが話しの続きを促してくる。私は口を開く。

 

「……お話自体は面白いのですが……」

 

「ですが?」

 

「少しリアリティに欠けます」

 

「リアリティ⁉」

 

 ヨハンナさんは驚く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話(3)クオリティは細部に宿る

「ええ、リアリティに欠けます」

 

「……例えばどういうところが?」

 

「これはいわゆる『婚約破棄』ものですね?」

 

「そ、そうなります」

 

「主人公、ヒロインの人魚が人魚の王子から突然婚約を破棄され、宮殿から追放されるものの、実は数千年に一度の不思議な力を持っているということが分かり、慌てて呼び戻されるも、既に地上に住む人間のプリンスと結ばれていたと……」

 

「はい」

 

「今頃戻ってこいと言われても、もう遅い……ざっくりですが、そういうお話ですね?」

 

「そうです」

 

「ふむ……」

 

「そ、それでどういうところがリアリティに欠けるのですか?」

 

「まず婚約破棄ですね」

 

「そ、そこから⁉」

 

「ええ、婚約というものは一種の契約です。それを一方的に、何の責任も果たさず破棄するということはありえません。あってはならないことです」

 

「は、はあ……」

 

「出るとこ出た方が良いと思います」

 

「出るとこ?」

 

 ヨハンナさんが首を傾げる。

 

「司法の場です」

 

「さ、裁判ってことですか⁉」

 

「はい、そうです」

 

「な、なんで……」

 

「ヒロインに落ち度が見当たらないからです」

 

「そ、それは王子が他の若い人魚の姫と結婚したくなって、婚約者のヒロインが邪魔になってきたから……」

 

「……ということは浮気ですよね?」

 

「ま、まあ、言ってしまえば……」

 

「ならばヒロインはその点を攻めるべきです」

 

「攻める⁉」

 

「はい。弁護士次第ならそれなりの賠償金が請求出来るのではないでしょうか?」

 

「ば、賠償金……」

 

「そのあたりの法廷劇を描いても面白そうですね」

 

「テ、テンポというものを重視しているので、婚約破棄まではなるべくスムーズにもっていきたいのですが……」

 

「しかし、実際はそこまでスムーズに事は運ばないでしょう?」

 

「じ、実際はそうかもしれません」

 

「そうでしょう」

 

「で、ですが……」

 

「ですが?」

 

「相手は人魚の王子です」

 

「はい」

 

「ヒロインよりも立場は上です」

 

「そうですね」

 

「その辺のことは権力でなんとでもなってしまうと思います」

 

「では……泣き寝入りをするということですか?」

 

「ま、まあ、そういうかたちになってしまいますね……」

 

「良いんですか?」

 

「え?」

 

「それで本当に良いんですか?」

 

「ええ?」

 

「戦うべきときは戦わないと!」

 

「い、いや、物語的にはさっさと先に進みたいので……」

 

「ヨハンナさんがどうしたいかです!」

 

「ええっ⁉」

 

「強大な権力に屈してしまうのは読者としても悔しいのでは……?」

 

「で、ですから、その後によりスペックの高い王子と結ばれ、前の婚約者を見返すところで、カタルシスが生まれます!」

 

「法廷でやり込めた方が手っ取り早くカタルシスが生まれるのではないでしょうか?」

 

「そ、それもそうかもしれませんが……クライマックスが早すぎませんか?」

 

「それは工夫一つです」

 

「工夫?」

 

 ヨハンナさんが首を捻る。

 

「ええ」

 

「た、例えば?」

 

「法廷劇をじっくりと描けば……」

 

「ほ、法廷劇を⁉」

 

「はい、文量は確保出来ると思います。それにテンポの良さ、丁々発止の台詞のやり取り……法廷劇との相性はかなり良いかと……」

 

「あ、そ、そうですか……」

 

「それでは、法廷劇で進めてもらって……」

 

「ワ、ワタクシはそういう話は書きたくありません!」

 

「‼」

 

「あ、す、すみません……ですが、ワタクシがもっとも書きたいのは、人間の王子とのラブロマンスです。婚約破棄によって傷ついた心が人間の王子との交流で癒されていき、ヒロインは再び、生きる希望を取り戻していきます……そういった心の機微を書いていきたいと考えています。そういうものを好む方は結構多いと思うのですが……それではダメなのでしょうか?」

 

 ヨハンナさんが私に尋ねてくる。やや間を空けてから私は答える。

 

「……それもリアリティに欠けると思うのです」

 

「⁉ い、いや、この場合はそれだから良いのではありませんか? 住む場所の違う者同士がふとしたきっかけで知り合い、恋仲になっていく……」

 

「そこですよ!」

 

「えっ⁉」

 

 私がビシっと指差す。ヨハンナさんはビクッとする。私は謝る。

 

「ああ、失礼……」

 

「い、いえ……そこというのは?」

 

「……住む場所の違いです」

 

「は、はい?」

 

「人間の王子と結ばれるわけですよね?」

 

「そ、そうです」

 

「その後は?」

 

「は?」

 

「その後はどこで暮らすのですか? 人間の王子は陸の上でしか生活できませんよね?

 

それにヒロインが海から離れるのはあまり良くないと思うのですが?」

 

「お、おっしゃっているのは結ばれた後の話ですよね? そのあたりは、言ってしまえばどうでもいいことだというか……」

 

「いや、そういった部分もしっかり決めるべきです!」

 

「そ、そんな⁉」

 

「クオリティは細部に宿ります!」

 

「!」

 

「そういう設定も決めてこそ読者もグッと引き付けられるはずです」

 

「……そ、そうでしょうか」

 

「そうです」

 

「なかなか難しいですね……」

 

「あまり難しく考えず……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またこの感覚だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話(4)人魚の異文化交流

「どうかしましたか?」

 

「ヨハンナさん……」

 

「はい?」

 

「この際なのですが……」

 

「はあ……」

 

「ジャンルを変えてみてはいかがでしょうか?」

 

「ええっ⁉」

 

 私の提案にヨハンナさんが驚く。

 

「婚約破棄ものも一つのジャンルとして確立されてはいますが……読者層が限られます」

 

「限られる?」

 

「ええ、どうしても女性が主体になってしまいます」

 

「そ、それでもワタクシは別に構わないのですが……」

 

「それはもったいないです」

 

「もったいない?」

 

「ええ、せっかくのテンポの良い読みやすい文章をお書きになることが出来るのです。もっと幅広い読者を獲得出来るジャンルに挑戦してみるべきだと思います」

 

「そうは言いましても……」

 

 ヨハンナさんが困ったような表情になる。

 

「……ダメですか?」

 

「例えばどんなジャンルですか?」

 

「そうですね……」

 

 私は腕を組む。

 

「……」

 

「ひとつキーワードになりそうなのが……」

 

 私は右手の人差し指を立てる。

 

「キーワード?」

 

「ええ」

 

「なんですか?」

 

「『異文化コミュニケーション』です」

 

「!」

 

「異なる文化と触れあうことによって感じること……いわゆるカルチャーショックを書いてみると面白いのではないでしょうか」

 

「カルチャーショック……」

 

「そうです」

 

「そ、その場合、主役は人魚ということですか?」

 

「そうなります。ヨハンナさんにしか書けないものです」

 

「ワタクシにしか書けないこと……」

 

「いかがでしょうか?」

 

「興味は湧いてきました」

 

「そうですか」

 

「で、ですが……」

 

「はい?」

 

「カルチャーショックとは例えば何でしょうか?」

 

「まあ、分かりやすく言えば、『食』でしょうか」

 

「しょ、食ですか?」

 

「はい」

 

「ふむ……」

 

 ヨハンナさんが顎に手を当てて考え込む。私はハッとする。

 

「も、もしかして、ヨハンナさん……」

 

「え?」

 

「ベ、ベジタリアンだったりしますか?」

 

「いいえ?」

 

 ヨハンナさんは首を振る。

 

「あ、そ、そうですか……」

 

「お魚さんとかは食べませんが……」

 

「お肉は?」

 

「全然オッケーです」

 

 ヨハンナさんが右手の親指をグッと立てる。私は戸惑う。

 

「オ、オッケーですか……」

 

「はい、むしろウエルカムです」

 

「そ、そうですか……」

 

 何かイメージが違うな……。いや、こちらが勝手なイメージを抱いていただけだが。ヨハンナさんが首を傾げる。

 

「何か問題が?」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

「それで?」

 

「は、はい……例えば『人魚のグルメ』、これはインパクトあると思うのです」

 

「グルメですか……」

 

「ええ、幅広い層に訴求出来るはずです」

 

「なるほど……」

 

「もちろん、それはあくまでも一要素としておいて他の要素を押し出すことも出来るかなと思います」

 

「他の要素?」

 

「たとえば……『衣』ですね」

 

「衣……着るものですか?」

 

「はい、人魚の方が異なる種族の衣装を着てみるというのは、女性層に受けるかと」

 

「確かにファッション好きは多いですからね……」

 

 ヨハンナさんが頷く。私は畳みかける。

 

「衣食とくれば『住』もありですね」

 

「住ですか……」

 

「はい、人魚の方による物件探しというのもなかなか興味深いです」

 

「ふむ……」

 

 ヨハンナさんが腕を組む。

 

「ピンときませんか?」

 

「いや、面白そうではあると思います。ですが……」

 

「ですが?」

 

「お話にこう……起伏が足りないかなと」

 

「なるほど、起伏……」

 

「す、すみません、素人魚が知ったようなことを……」

 

 ヨハンナさんが恐縮する。

 

「いえ、おっしゃりたいことは分かります」

 

「そ、そうですか……」

 

「……起伏を作るポイント、ありますよ……」

 

「ほ、本当ですか⁉」

 

「……サメです」

 

「サ、サメ……?」

 

「おぼろげなのですが、私の元いた世界では、困ったらサメというような具合で多くの創作物にサメが出ていました」

 

「こ、困ったらサメ⁉」

 

「ええ、サメを出せばパニックものとしての要素も出せます」

 

「た、確かに、でも……」

 

「でも?」

 

「中には荒っぽい、手の付けられないサメさんもいますが、基本的にワタクシたちはサメさんたちとも仲良くやっているのですが……」

 

「……まあ、悪役というわけではなく、一つのアクセントとして用いるとか」

 

「アクセント……うん、とりあえず異文化交流を一つの軸に据えて書いてみます」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはどうにかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話(1)マニアックなプレイ

                  5

 

「はあ……」

 

 私はとある建物の中の部屋でため息をつく。おじさんが話しかけてくる。

 

「どうしたんだい、モリ君? ため息なんかついちゃってさ~」

 

「いや……」

 

「僕には理解出来ないな~」

 

「そうですか……」

 

「そうだよ、こういう状況、男ならば心が躍って躍って仕方がない状況だろう?」

 

「う、う~ん……」

 

 私は首を傾げる。

 

「なんだい、なんだい、随分と不安そうだね~?」

 

「それは不安にもなるでしょう……」

 

「おや、なんでまた? こういうところでのプレイは初めてかい?」

 

「それについてはノーコメントです……」

 

「ということは経験ありってことだね?」

 

「ご想像にお任せします……」

 

「それではなんで沈んでいるんだい?」

 

「ほぼ初対面の方と一緒に夜のサービスを受けるなんて初めてだからですよ!」

 

 そう、私は今、街の表通りから少し外れた通りに建つ妖しげな建物の中の部屋にいる。いわゆる風俗店の控室という奴だ。スーツ姿で。おじさんと二人で。

 

「大丈夫だよ、もっとリラックスして」

 

「そう言われましても……」

 

「優しくするからさ……」

 

「私にそれを言われても困るんですよ……」

 

「はっはっは! それもそうだね!」

 

「まったく……」

 

 この適当なことをおっしゃる、もじゃもじゃ頭でひげ面の中年男性はロイエ先生という方で、かなり名の知られたノンフィクションライターだ。先生の書く本には大変熱狂的な読者が多く、発売する本はベストセラーの常連である。

 

 それがこの度、我がカクヤマ書房から本を出版するということになった。何故にしてマイナー出版社である我が社が、人気ノンフィクションライターのロイエ先生とこうして仕事が出来ることになったのか。

 

「……どうぞ」

 

 黒服を着た男性が席まで呼びに来る。

 

「ああ」

 

 ロイエ先生は慣れた様子で席を立ち、黒服さんが指し示す方へ向かって歩いていく。

 

「あ……」

 

「ほら、君も早く……」

 

先生は振り返って、私についてくるように促す。私は慌てて立ち上がり、先生に続く。黒服さんが奥の突き当たりの部屋の手前にある部屋を開ける。

 

「……こちらでお着替えください」

 

「ふむ……」

 

「先生、これは……?」

 

「どうかしたかい?」

 

「着替えるというのは?」

 

「なにかおかしいかい?」

 

「い、いや、裸になるんじゃないですか?」

 

「! はっはっは! 君は一体何をしに来たんだい?」

 

「い、いや……」

 

 何をしに来たかと言わてたら、ナニをしにきたかと思うんだが……。

 

「ここで衣装に着替えるんだよ」

 

「衣装ですか……」

 

 い、いわゆるコスチュームプレイというやつだろうか。ただでさえ、男女三人という状況に慣れていないのに、こんなことになるとは……。

 

「まあ、そう硬くならずに。嬢、お姉さんたちの方が慣れているからね、彼女らに全てを委ねればいい」

 

「は、はあ……」

 

「……お着替えは終わりましたか」

 

「ああ」

 

 黒服さんの問いに先生が答える。

 

「では、どうぞ……」

 

 私たちは部屋を出て、あらためて奥の突き当たりの部屋に通される。

 

「?」

 

 私はキョロキョロしてしまう。部屋に誰もいなかったからだ。

 

「……モリ君! モリ君!」

 

 先生が小声で私を呼ぶ、

 

「は、はい?」

 

「君はそこの大きなかばんの前の椅子に座っていたまえ……私はカウンターの中に立っているから」

 

「あ、はい……」

 

 立ち位置なども細かく指定されるのか。戸惑っていると、女性が入ってくる。二人……え、二人⁉ 多くない⁉ 女性の中の一人、男装をした女性が口を開く。

 

「亭主、チェックアウトをしたいのだが……」

 

「はい! ……になります」

 

 カウンターの中に立っていたロイエ先生が元気よく答える。

 

「それでは、これで……」

 

「はい、ちょうどお預かりします! 夕べはお楽しみでしたね……」

 

「あらやだ……」

 

 可愛らしい恰好をした女性がポッと顔を赤らめる。

 

「ぶはっはっは!」

 

 その様子を見て、ロイエ先生が大笑いし、満足気に頷く。なにがなんやらと戸惑っていると、女性二人が私の前で立ち止まる。男装の方が尋ねてくる。

 

「貴方は旅の行商人の方かな?」

 

「え? あ、は、はい!」

 

 私は今さらながら自分の着替えた衣装を確認する。なるほど、行商人の方が来ていそうな服を着ている。つまり、今私は宿屋で休んでいる行商人の役をしなければならないのか。

 

「なにか良いものはあるかい?」

 

「えっと……」

 

 私はかばんの中をあさってみる。小袋を取り出す。

 

「それは?」

 

「えっと、毒消しです。こいつさえあれば毒サソリに刺されても安心です」

 

「そうか。それは間に合っているな、また機会があれば頼むよ」

 

「ああ、はい……」

 

 女性たちは別の出口から出ていく。ロイエ先生が頷く。

 

「いや~これだよ、これ!」

 

「え⁉ い、今ので終わりですか⁉」

 

「そうだよ、ロールプレイの店だからね。今日は宿屋で勇者たちを見送る親父役をプレイしたんだ。いや~興奮したな~」

 

「そ、そうですか……プレイってそういうこと?」

 

 このロイエ先生のノンフィクションは発売され、そのシュールな内容は話題を呼んだ。編集長も喜んでいる。早くも第二弾を出せという話が出てきたが、私ははぐらかした。どこに連れていかれるか、何をさせられるか分かったものではないから――いやむしろ、ナニかがあって欲しかったくらい――である。アポなしの取材を行うとは聞いていたが、編集まで巻き込むとは……マイナーな我が社と仕事をする理由が分かった気がする。それはそれとして私が主に任されているのは、小説でヒット作を出すことだ。今日も打ち合わせだ。

 

「あら、こんにちは……」

 

「⁉ お、お願いします!」

 

 妖艶な雰囲気を身にまとった女性が入ってきたので、私は思わずお願いをしてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話(2)溢れちゃう

「あ……お、お願いします……」

 

「あ、すみません。初めまして……」

 

「は、初めまして……」

 

 女性が露骨に戸惑っている。

 

「失礼しました、どうぞおかけ下さい……」

 

 私は座るように促す。

 

「は、はい……」

 

「お名前をお伺いしても?」

 

「ヘレンです……」

 

「お住まいはどちらに?」

 

「一応、この街です」

 

「……はい、確認しました。えっと、ヘレンさんは……」

 

「はい」

 

「えっと……」

 

 私はどうにももぞもぞしてしまう。なんとも言えない気持ちになって落ち着かないのだ。

 

「ごめんなさい、力は抑えているつもりなのだけど……」

 

 女性は長いまつ毛が特徴的な目を伏せる。どうせなら、その大胆に開いた胸元やおへそ、太ももの露出を抑えて欲しいものだ。豊満な身体と美しい顔立ちに目を、妖艶な雰囲気に心を奪われてしまう。

 

「えっと……力というのは……?」

 

「サキュバスの持つ魔力よ」

 

「サ、サキュバス……」

 

 そう、今私の目の前に座っているのは背中に黒く短い翼を、頭に短い角を生やし、全身を下着同然の恰好――ニッポンにいた時の記憶を思い起こすと、ボンテージという種類のようだ――に身を包んだ悪魔的存在である。

 

「どうしても溢れちゃうのよね……」

 

「え?」

 

「魔力」

 

「あ、ああ……」

 

「ごめんなさいね」

 

「い、いえ、別に、全然構いませんよ……」

 

「そう?」

 

「ええ」

 

「でもあなた、もぞもぞしちゃっているじゃない」

 

「え?」

 

「なんだか落ち着かない感じよ?」

 

 ヘレンさんが私のことを指差す。

 

「い、いや、こ、これはいつものことですから」

 

「いつものこと?」

 

「ええ、発作のようなものです」

 

「だ、大丈夫なの?」

 

「じ、直に治まりますから……」

 

「そ、そうなの?」

 

「そ、そうです……」

 

「それなら良いけど……」

 

「あ、失礼、順序が逆になりました……」

 

 席に着く前に私は名刺をヘレンさんに渡す。

 

「モリ=ペガサスちゃん……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……ひとつ聞いても良いかしら?」

 

「どうぞ」

 

「……モリちゃんはニッポンからの転移者っていうのは本当?」

 

「ああ、はい」

 

 すっかり慣れたことなので、私は頷く。

 

「へえ……。アタシ、転移者の方を初めて見たかもしれないわ」

 

 ヘレンさんはこちらを興味深そうに見てくる。その視線がどうにも艶めかしい。

 

「そ、そうですか……サキュバスの方にも知られているとは……」

 

「ええ、結構な噂になっているわよ、カクヤマ書房さんにそういう編集さんがいらっしゃるって。サキュバスは珍しいものが好きだから」

 

 ヘレンさんはそう言って笑う。微笑みひとつとっても妖艶だ。

 

「そ、そうですか……で、あればですね……ごほん」

 

 私は咳払いをひとつ入れる。ヘレンさんが首を傾げる。

 

「?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはご承知なのですね?」

 

「それはもちろんよ」

 

 もはや毎回のこととなりつつあるが、後で知らなかったと言われても、こちらとしても困ってしまうので、このことに関してはきちんと確認をとっておかなければならない。私は重ねて尋ねる。

 

「それでは、ヘレンさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「ええ。原稿を間違って送っちゃったのはこちらの手違いなわけだから。こうして声をかけてもらったのも一つのご縁なのかなと思って」

 

「ふむ、そうですか……」

 

「はい」

 

 前向きに捉えてくれているのはこちらとしても本当にありがたいことだ。私はヘレンさんの送ってきた原稿を取り出して、机の上に置く。

 

「……それでは早速になりますが、打ち合わせを始めましょう」

 

「ええ、お願いするわ」

 

 ヘレンさんが長い脚を組み替える。目を奪われそうになるが、グッと堪えて話を始める。

 

「えっと、原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「ええ……」

 

「なんというか……」

 

「?」

 

「率直に言いまして……」

 

「……」

 

「なかなか面白かったです」

 

「本当?」

 

「はい」

 

「それは良かったわ……」

 

 ヘレンさんがほっとしたように胸をなでおろす。指先が胸に振れ、下着からこぼれ落ちそうになるのに目が釘付けになりそうになるが、すぐに目を逸らす。

 

「テンポが良くて、とても読みやすかったです」

 

「そう」

 

「ただですね……」

 

「ただ?」

 

「う~ん、なんと言ったら良いのか……」

 

「………」

 

「…………」

 

「……………」

 

「……どうぞ、遠慮なく言ってちょうだい」

 

 ヘレンさんが話しの続きを促してくる。私は尋ねる。

 

「遠慮なくですか?」

 

「ええ、もちろんよ」

 

「では、ストレートに言いますが……」

 

「うん」

 

「エロ過ぎます」

 

「はっ⁉」

 

 ヘレンさんは驚く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話(3)文字がエロい

 私は説明する。

 

「なんというか、文章からにじみ出てきています。エロさが」

 

「そ、そんなに?」

 

「ええ、それはもうとめどなく」

 

「とめどなく⁉」

 

「ドバドバと」

 

「ドバドバと⁉」

 

「これでは……」

 

「これでは?」

 

「ちょっと我が社からは出版は出来かねますね」

 

「び、美少年同士がくんずほぐれつするイラスト集を出していなかったかしら?」

 

「あれはあくまでも格闘技の技を掛け合っているだけですから」

 

「あ、あくまでもって……」

 

「特にそういう意味合いはありません」

 

「ふ、ふ~ん……」

 

「ただ、こちらは……」

 

 私はヘレンさんの原稿を指差す。

 

「こちらは?」

 

「もう、そういうレベルを超越しています」

 

「超越している⁉」

 

「文字が妖艶な形をしています」

 

「いや、どんな形よ、それ!」

 

「上手く言えないのですが……」

 

「普通に文字を書いただけよ!」

 

「それでも……雰囲気がこう……」

 

 私は両手をもみもみとさせる。

 

「その手つきは何よ⁉」

 

「い、いや、すみません……」

 

 私は慌てて手を引っ込める。ヘレンさんは黙る。

 

「……」

 

「なんと言えば良いでしょうか……」

 

「……じゃない」

 

「え?」

 

「だってしょうがないじゃない! どうしても醸し出してしまうのよ! 自分の秘めるエロティックさを!」

 

 ヘレンさんが机に突っ伏す。

 

「ヘ、ヘレンさん……」

 

「アタシだってエロいのは書きたくないわよ! でも、そういう体質なんだからしょうがないじゃないの!」

 

「それって体質なんですか?」

 

「知らないけど!」

 

「す、すみません……」

 

「でもアタシは本を書いてみたいのよ! 登場人物同士の心の交流とか、心の機微とか!」

 

「は、はあ……」

 

「ダメなの⁉」

 

 ヘレンさんが顔を上げて尋ねてくる。私は腕を組む。

 

「……」

 

「どうなの⁉」

 

「う~ん……」

 

「う~んじゃなくて!」

 

「む~ん……」

 

「いや、そういうことじゃないのよ!」

 

「悩ましいですね……」

 

「悩ましいって⁉」

 

 ヘレンさんが体勢を直す。胸がプルンと揺れるのが目に入る。色んな意味で悩ましい……ということは黙っておく。

 

「……少し落ち着いて下さい」

 

「ああ……」

 

「内容に関してですが……」

 

「ええ……」

 

「特に問題はありません」

 

「そうなの?」

 

「ええ、もちろん、ある程度のブラッシュアップは必要になってくるかとは思いますが……」

 

「そう……」

 

「ただ、なんというか……」

 

「なんというか?」

 

「繰り返しになってしまいますが……」

 

「うん?」

 

「……エロいんですよね」

 

「だから何よそれ⁉」

 

「いやらしい感じなんです」

 

「言い直さなくても良いから!」

 

「雰囲気がどうしても……」

 

「じゃあ、お堅い文章にすれば良いの⁉」

 

「いや、全体的にポップな文体が印象的なので、それを捨てるのは惜しいです……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またまたこの感覚だ。

 

「? どうすれば良いの?」

 

「……内容の見直しでしょうか?」

 

「内容?」

 

「はい」

 

「ストーリーを少し変えるとか?」

 

「そうですね……」

 

「ハッピーエンドをビターエンドにしてみる?」

 

「いえ、それではまだ十分ではありませんね……」

 

「え?」

 

「キャラクターを変えてみますか」

 

「ええ?」

 

「登場人物を減らしましょうか」

 

「いや、そんなに多くないでしょう?」

 

「そこをなんとか」

 

「じゃ、じゃあ、友人キャラを一人減らす?」

 

「う~む……」

 

 私は首を傾げる。

 

「ええ、まさか、もっと減らせって? サブキャラと言えど、これ以上は削れないわよ」

 

「……メインキャラを削りましょうか」

 

「はっ⁉ 主役の男女を⁉」

 

「そうです」

 

「男女の恋模様が主軸のお話なのよ⁉」

 

「それがエロに繋がっているのかもしれません。男か女、どちらかに絞りましょう」

 

「絞るって……それじゃあ話が別のものになっちゃうじゃない!」

 

「やむを得ません!」

 

「やむを得るわよ!」

 

「そこをどうにか」

 

「……じゃあ、女一人を主人公にするわ。それで良いでしょう?」

 

「……それではまだ不十分ですね」

 

「はい?」

 

「いっそのことジャンルごと変えちゃいましょうか」

 

「はっ⁉」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話(4)サキュバスの考え

 私は頷く。

 

「うん、それが良いかと思います」

 

「良くないわよ!」

 

 ヘレンさんが声を上げる。私は訂正する。

 

「断言するのは言い過ぎました。しかし、検討の余地はあると思います」

 

「検討の余地って……」

 

「見方や考え方を変えると、また違ったアイディアが浮かんでくるかなと……」

 

「違ったアイディア? 例えば何かあるの?」

 

「そうですね……」

 

 私は腕を組んで考える。

 

「……」

 

「ホラーとかどうでしょうか?」

 

「嫌よ」

 

「どうして?」

 

「アタシ怖いの苦手だもの。夜とか一人で出歩きたくないわ」

 

 悪魔なのに?という言葉を飲み込んで提案を続ける。

 

「……昼間のホラーというのはどうですか? 明るいところに忍び寄る恐怖というか……」

 

「怖いの苦手だって言ったでしょ」

 

「そこをなんとか」

 

「なんとかって言われても無理よ」

 

「むう……」

 

「それにそれはなかなか難しいじゃない。それなら素直に夜の話にした方が良いわ」

 

「いや、やっぱり夜は避けましょう」

 

「どうしてよ?」

 

「エロくなってしまう恐れがあるからです」

 

「どんな恐れよ!」

 

「とにかくホラーは無しです」

 

「自分から言っておいて……」

 

「すみません。ヘレンさんは何かありませんか?」

 

「え?」

 

「ご自分の興味のあるジャンルとか……」

 

「そうね……」

 

 ヘレンさんが考え込む。私も黙る。

 

「………」

 

「……ファンタジーとか?」

 

「ファンタジー?」

 

「ええ、壮大な冒険譚とか、良い感じじゃない?」

 

「なるほど、若い層にアピール出来そうですね……」

 

「でしょ?」

 

「ただ、ちょっと待って下さい……」

 

「なによ?」

 

「多くの種族が出てきますよね?」

 

「まあ、そうなるでしょうね……」

 

「異種族間の交流も生まれると……」

 

「そういうシーンも出てくるかもね……」

 

「やっぱり、ちょっと、エロいですね、それは……」

 

「考えすぎなのよ!」

 

「ファンタジーは無し……と」

 

「話を進めないでよ!」

 

「では……ミステリーなどはどうでしょうか?」

 

「ミステリー?」

 

「名探偵が殺人事件などを解決していくのです」

 

「怖いの嫌って言ったでしょ」

 

「しかし、人気のジャンルということはご存知でしょう?」

 

「それはまあね……」

 

「一作ヒットすれば、名探偵をレギュラー主人公にしてシリーズ化も見込めます!」

 

「ああ、それは良いかもしれないわね……」

 

 ヘレンさんが興味を示す。私は頷く。

 

「良いでしょう?」

 

「でも……ああいうのってトリックを考えないといけないじゃない。そういうのアタシには無理よ、ハードルが高すぎるわ」

 

「細かいところは犯人が魔力でどうにかしたっていうことにすれば良いんですよ」

 

「そ、そんな適当で良いの⁉」

 

「大胆な省略をすることも時には必要ですよ」

 

「大胆過ぎないかしら?」

 

「まあ、ちょっと考えてみましょう……外界との連絡手段が遮断された海に浮かぶ小島」

 

「怖そうね……」

 

「最初の事件が起こり、自分たちの中に犯人がいるということを推理した主人公は広いリビングで皆一緒になって一晩を過ごそうと提案します」

 

「ああ、なんか良く聞く展開かも?」

 

「『犯人と一晩過ごすなんて冗談じゃない! 私は部屋に戻らせてもらう!』と言って、自分の部屋に戻った男……翌朝、その男も死体となっていて……」

 

「ああ、ありがちな展開!」

 

「ここからちょっと一捻り……」

 

「ちょっとって何よ!」

 

「そこら辺はお任せします」

 

「考えるのが面倒になったんでしょう!」

 

「ただ、やっぱりこれも無しですかね……」

 

「ええ?」

 

「夜の密室、複数の男女、何も起こらないはずがなく……」

 

「無理やりエロい方向に持っていかなくて良いのよ!」

 

「いや~やっぱりどうしても……」

 

「どうしてもじゃないのよ!」

 

「ミステリーも無しですね~これは参った!」

 

 私は頭を抱える。ヘレンさんが口を開く。

 

「う~ん、空想科学は?」

 

「空想科学ですか?」

 

「ええ、魔女とも呼ばれるアタシが科学を題材にするの、面白い化学反応が期待出来そうじゃないかしら? どう?」

 

「う~ん、却下!」

 

「そ、即答! なんで⁉」

 

「空想科学……SFですよね」

 

「そ、そうね……」

 

「どうしてもSMがちらついてしまうのでダメです!」

 

「あなた発想がエロガキ過ぎるのよ!」

 

「ガキ? 子供? そうだ! これだ!」

 

「な、なによ……」

 

「エロ本! もとい絵本です!」

 

「え、絵本⁉」

 

「心温まるようなハートウォーミングな話を書くんです。そこにはエロが介在する余地はほとんどありません!」

 

「そ、そうかしら……でも子供向きでしょう?」

 

「子供向きだからと言って侮るなかれ! 子供はしょうもないものはすぐ見抜く、非常にシビアな読者です! 逆に言えば、思っている以上に読み込んでくれます。ヘレンさんが望む、登場キャラ同士の心の交流や、キャラの心の機微も読み取ってくれるかと思います!」

 

「ふ、ふ~ん……まあ、絵本でひとつチャレンジしてみるわ」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはどうにかこうにかうまくいったようだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話(1)飲み会

                   6

 

「乾杯!」

 

 私は今、とある酒場に来ている。基本一人で飲むのが好きなのだが、今日は一人ではない。

 

「いや、しかし、モリくんが元気そうで良かったよ」

 

「心配していたのよ?」

 

「……健康でなによりだ」

 

「ありがとうございます」

 

 私は軽く頭を下げる。頭を下げた相手は勇者の男性、ヒイロさん。魔法使いの女性、マジカさん。獣人の男性、ビースさん……そう、かつて私が――ごくごく短期間ではあるが――参加させてもらっていた『パーティー』の面々である。

 

「飲みに誘おうとは常々思っていたんだが、俺たちも色々忙しくてね……」

 

「『クエスト』の依頼が殺到しているというお話は伺っています」

 

「そうかい?」

 

「ええ、お三方の活躍はいつも話題になりますから。我が社の女性社員もよくヒイロさんのことを噂していますよ」

 

「それは照れるな~」

 

 ヒイロさんが後頭部をポリポリと掻く。

 

「ちょっと、モリちゃん、お世辞はいいわよ。こいつまた調子に乗るから」

 

 マジカさんがヒイロさんの側頭部を杖で軽くつつく。

 

「な、なにすんだよ」

 

「だらしなく鼻の下を伸ばしているからよ」

 

「そんなところは伸びねえよ」

 

「分かっているわよ、たとえで言ったのよ」

 

「……マジカさんのこともよく話題に上がりますね」

 

「あら、そう?」

 

「ええ、『躍進するパーティーを支える美人魔法使い』と……」

 

「嫌だわそんな、『エリート美人魔法使い』だなんて……」

 

 マジカさんが顔を両手で軽く覆う。ヒイロさんがそれを冷ややかな目で見つめる。

 

「……おい、ちゃっかりフレーズを増やすなよ」

 

「え?」

 

「え?じゃねえよ、お前こそお世辞にまんまと乗せられてんじゃねえか」

 

「私の場合は正当な評価だから良いのよ」

 

 マジカさんが胸を張る。

 

「どこら辺が正当だよ」

 

「エリートとかね」

 

「それは自称だろうが」

 

「スタイル抜群の美人とかね」

 

「またフレーズ増やしてんじゃねえか」

 

「ん?」

 

「ん?じゃねえよ。大体それは関係あるのか?」

 

「それはもちろん。容姿も大事でしょう」

 

 マジカさんは当然だろうという顔で頷く。ヒイロさんが呆れる。

 

「はあ……自信過剰過ぎんかね……」

 

「なによそれ、私の魔法で助けられたことも多いでしょう?」

 

「俺の剣技でもって窮地を突破したことの方が多いだろうが」

 

「剣技?」

 

 マジカさんが首を傾げる。

 

「ああ、我ながら見事な剣さばきだろう?」

 

「ああ、あれね、ヘンテコなダンスかと思ったわ」

 

「ヘ、ヘンテコだと!」

 

「あら、違った?」

 

「お、お前なあ……」

 

 ヒイロさんが目を細める。

 

「なによ?」

 

「……前々から思っていたが、お前はリーダーへの敬意というものが足りないな……」

 

「え? リーダーだったの?」

 

「そうだよ、クエストの受注とかなにやら、全部俺がやってんだろうが」

 

「雑用係かと思っていたわ」

 

「お前……」

 

 ヒイロさんがさらに目を細める。マジカさんが首を傾げる。

 

「なに?」

 

「これはちょっと教えてやらないといけないな……表へ出ろ」

 

「怪我しても知らないわよ」

 

「上等だ」

 

「……その辺にしておけ」

 

「!」

 

 これまで黙っていたビースさんの低く鋭い声にヒイロさんたちがビクッとなる。

 

「モリも交えての久々の酒席だ。下らん争いはやめろ……」

 

「わ、分かっているよ」

 

「え、ええ、冗談よ、冗談……」

 

 ヒイロさんたちが席に座り直す。ビースさんが酒瓶を持って、私の方に向ける。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 私はグラスを差し出す。ビースさんが酒を注いでくれる。

 

「……それでどうなんだ」

 

「はい?」

 

「調子の方は?」

 

「あ、ああ、お陰さまでなんとかやれています。スキル【編集】も活かせている……ような気がします」

 

「そうか、それは良かった……」

 

 ビースさんは頷く。マジカさんが腕を組む。

 

「まさか出版社とはね、盲点だったというか……」

 

「『あなたのスキルが活かせる場所がきっとあるはずだわ』とか言っていたじゃねえかよ」

 

 ヒイロさんが呆れた視線を向ける。マジカさんが首を捻る。

 

「そんなこと言っていたかしら?」

 

「調子の良いやつだな……」

 

 私はやや間を空けてから口を開く。

 

「……お願いしたいことがあるのですが」

 

「なんだい?」

 

「お三方を取材させて頂きたいのですが……」

 

「ああ、そんなことか、お安い御用だよ」

 

「インタビューに関しては後日あらためてお願いしたいのですが、まずはその内容について了承を頂きたいのです」

 

「内容?」

 

「ええ、『パーティーを追放した側の心境』についてです」

 

「ええ⁉ そ、そんなこと聞きたいのかい?」

 

「はい」

 

「も、もっと他の内容じゃダメなのかい?」

 

「それは他社もやっていますから。ちょっと角度の変えたアプローチをしないと……」

 

「そ、そういうものかね……」

 

「つ、追放された人が追放した側に取材するの?」

 

「……やりにくいな」

 

 ヒイロさんたちが戸惑い気味な反応をする。後日インタビュー取材は行われ、その記事が載った雑誌はよく売れた。なにせ追放された者が追放した者にインタビューするのだ。我ながら、なかなかリアルな記事が書けたと思う。ただ、それはそれとして私が主に任されているのは、小説でヒット作を出すことだ。今日も打ち合わせだ。

 

「失礼する……」

 

「⁉ お、お疲れ様です!」

 

 重々しい鎧をまとった凛々しい女性が入ってきたので、私は思わず敬礼をしてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話(2)堅い印象からのソフトな文体

「い、いや、そこまで畏まらなくても良いのだが……」

 

 女性は困惑する。

 

「あ、すみません。初めまして……」

 

「あ、ああ……」

 

「大変失礼しました、どうぞおかけ下さい……」

 

 私は席に座るように促す。

 

「失礼……」

 

「お名前をお伺いしても?」

 

「ザビーネという……」

 

「えっと……お住まいはどちらに?」

 

「この街のあの建物だ。ここからもよく見えるな」

 

 女性が窓の外を指差す。街の中心にある大きな城の傍らに寄り添うように建つ立派な建物……騎士団の寮である。

 

「……はい、確認しました。えっと、ザビーネさんは……」

 

「ああ」

 

「騎士団所属ということで……」

 

「うむ、これを……」

 

 ザビーネさんが腰につけた鞘を指差す。そこに差された剣の鍔の部分に見事な装飾が施されている。私は目を見張る。

 

「それは……」

 

「畏れ多くも国王陛下から拝領したありがたい剣である。これは騎士団の正式な団員にしか与えられないものだ。限られた者しか所持していない」

 

「なるほど……」

 

「ちなみに自分は部隊長を任されている」

 

「それはすごいですね」

 

「いや、まだまだ精進しなければならない」

 

 ザビーネさんが首を左右に振る。綺麗な長い金髪が静かに揺れる。しかし……美人だな。女優だと言っても通用する容姿であろう。これで剣の腕も強い上に、部隊長も任されるということは頭も相当切れるのだろう。天は何物を与えるものだ。私はしばらく見惚れてしまう。

 

「……」

 

「……なにか自分の顔についているか?」

 

「あ、い、いえ! なんでもありません!」

 

「そうか。それなら良いのだが……」

 

「あ、失礼しました、順序が逆になってしまいました……」

 

 席に着く前に私は名刺をザビーネさんに渡す。

 

「モリ=ペガサス殿か……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……ひとつ聞いてもよろしいか?」

 

「はい、どうぞ」

 

「……モリ殿はニッポンからの転移者というのはまことか?」

 

「ああ、はい」

 

 すっかり慣れた質問なので、私は頷く。

 

「ふむ……。自分は転移者を初めて見たかもしれんな」

 

 ザビーネさんはこちらを興味深そうに見つめてくる。その真っすぐな視線は鋭く、こちらを射抜いてくるかのようだ。私はなんだか恐縮してしまう。

 

「そ、そうですか……騎士団の方にも知られているとは、それこそ畏れ多いことです……」

 

「ああ、結構な噂になっている、カクヤマ書房にそういう編集がいると。騎士団は国の様々な情報を掴んでいなければならないからな」

 

「な、なるほど……で、あればですね……ごほん」

 

 私は咳払いをひとつ入れる。ザビーネさんが首を傾げる。

 

「?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはご承知なのですね?」

 

「それはもちろんだ」

 

 もはや毎回恒例のこととなりつつあるが、後で知らなかったと言われても、こちらとしても困ってしまうので、このことに関してはきちんと確認をとっておかなければならない。私は重ねて尋ねる。

 

「それでは、ザビーネさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「ああ。原稿を間違えて送ってしまったのはこちらの手違いなわけだからな。それにこうして声をかけてもらったのもなにかの縁というやつなのかなとも思ってな」

 

「ほう、そうですか……」

 

「ああ」

 

 ポジティブに捉えてくれているのはこちらとしても実にありがたいことだ。私はザビーネさんの送ってきた原稿を取り出して、机の上に置く。

 

「……それでは早速になりますが、打ち合わせを始めさせていただきます」

 

「ああ、お願いしよう」

 

 ザビーネさんが軽く頭を下げる。重々しい鎧がカチャっと音を鳴らす。

 

「ええっと、原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「……」

 

「なんと言いましょうか……」

 

「?」

 

「えっと……」

 

「……率直な批評を頼む」

 

「は、はい……」

 

 なんだかこちらが気圧されてしまう。

 

「……では」

 

「えっと、面白かったです」

 

「それはまことか?」

 

「え、ええ……」

 

「それは良かった……」

 

 ザビーネさんがほっとしたように笑みを浮かべる。

 

「読みやすかったです」

 

「読みやすかった?」

 

「ええ、文体がソフトというか……」

 

「そうか……」

 

「意外なことに……」

 

「意外?」

 

 ザビーネさんが首を傾げる。

 

「え、えっと、読み手に好印象を与えると思います!」

 

「そうか」

 

「そ、そうです……」

 

 私は慌てて話を逸らす。ぱっと見、お堅い文章しか書けなそうな方だと思ったなんて言ってしまったら大変なことになる。

 

「ふむ……」

 

「ただしかし……」

 

「しかし?」

 

「う~ん、これはなんと言ったら良いのか……」

 

 私は腕を組む。

 

「………」

 

「…………」

 

「……………」

 

「……どうぞ、忖度なく言ってくれ」

 

 ザビーネさんが話の続きを促してくる。

 

「では、ストレートに申し上げますが……」

 

「ああ」

 

「どことなく嘘っぽいです」

 

「はっ⁉」

 

 ザビーネさんは驚く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話(3)ふっわふっわナイト

「なんというか、文章全体からにじみ出てきています。嘘っぽさが」

 

 私は説明する。

 

「う、嘘っぽさ……」

 

「はい」

 

「そ、それはなにか問題があるのか?」

 

「え?」

 

 ザビーネさんの問いに私は首を捻る。

 

「小説とはいわばフィクションだろう?」

 

「まあ、そうですね」

 

 私は頷く。

 

「であれば、嘘っぽくても良いのではないか?」

 

「それは確かにそうかもしれません。ですが……」

 

「ですが?」

 

「多少なりともリアリティというものは欲しいです」

 

「多少なりとも……」

 

「そうです。読み手、読者はそういうものを敏感に察知します。『ああ、この作者はほぼ想像で書いているな』と……」

 

「そ、想像の翼をいくらでも広げられるのが、小説の良いところではないのか⁉」

 

 ザビーネさんが両手を広げて声を上げる。

 

「いくらでもと言っても、限度というものがあります」

 

「限度?」

 

「はい。少し本当のこと、あるいは本当っぽいことを混ぜ込んでおかないとおかしなことになってしまいます」

 

「む……」

 

「例えば、ザビーネさん……」

 

「な、なんだ……」

 

「その剣……」

 

 私はザビーネさんの腰にある剣を指差す。

 

「こ、これがどうかしたのか?」

 

「剣というものを扱うのには技術が要りますよね?」

 

「あ、ああ、剣術だな」

 

「そう。剣術には基礎となる型というものがありますよね?」

 

「そ、そうだな……」

 

「その基礎をベースにして、騎士の方、または勇者や剣士の方はそれぞれの戦い方を見出していくわけではないですか?」

 

「ま、まあ、概ねそうだな……」

 

「だけど、基礎がなっていないと戦い方を磨き上げられない……強くはなれない」

 

「う、うむ……」

 

「それと同じです」

 

「お、同じだろうか?」

 

 私の言葉にザビーネさんは腕を組む。

 

「大体ですけどね」

 

「だ、大体って……」

 

「まあ、結局私がなにを言いたいのかというと……」

 

「む……」

 

「こちらの原稿には……」

 

 私はザビーネさんの原稿を指差す。

 

「原稿には?」

 

「その基礎がなっていないため、ふわふわしています」

 

「ふ、ふわふわしている⁉」

 

「はい、もう、ふっわふっわです」

 

「ふっわふっわ⁉」

 

 ザビーネさんは私の言葉を反芻する。

 

「申し上げにくいですが……これではとても……」

 

「……では」

 

「はい?」

 

「どうすれば良いのだ⁉」

 

 ザビーネさんが立ち上がる。鎧がカチャカチャと鳴る。

 

「ちょっと、落ち着いて下さい……」

 

「これが落ち着いていられようか!」

 

「そこをなんとか……どうぞお座り下さい」

 

「……」

 

 私はザビーネさんを座らせる。少し間を空けてから話を再開する。

 

「問題点を洗い出しながら解決していきましょう」

 

「洗い出す?」

 

「はい、まずはこの嘘っぽさがどこから来るのか……」

 

「ふむ……」

 

「それが一番難しいのですが……」

 

 私は思わず苦笑を浮かべる。ザビーネさんは再び腕を組む。

 

「うむ……」

 

「この小説は……主人公がパーティーをクビになるところから始まりますね」

 

「ああ、そうだ」

 

「いわゆる『追放系』というジャンルにカテゴライズされるものですね」

 

「そうなるな……」

 

「……ザビーネさん」

 

 私はザビーネさんをじっと見つめる。ザビーネさんが戸惑う。

 

「な、なんだ……」

 

「追放されたご経験は?」

 

「あるわけないだろう!」

 

「ふっわふっわナイト!」

 

 私はザビーネさんを指差す。ザビーネさんが再度驚く。

 

「ええっ⁉」

 

「失礼しました……」

 

 私は人差し指を静かに引っ込める。ザビーネさんが不思議そうに尋ねてくる。

 

「ふっわふっわナイトとは……?」

 

「それは忘れて下さい……しかし、問題点が早速ですが明らかになりました」

 

「ええ……?」

 

「ザビーネさん、騎士団にはいつから……?」

 

「十の誕生日を迎えるころには在籍していた。正式な団員になったのは十三の誕生日か」

 

「……剣術の腕には相当な自信が?」

 

「当たり前だ。月に一回模擬戦を行うが、ここ数年は負けた記憶が無いな」

 

「それはすごいですね……そのお若さで部隊長を任せられるということはかなり優秀な頭脳を持っていらっしゃるのではと推察しますが……」

 

「自慢ではないが、騎士団内にとどまらず、文官たちの養成学校の試験を受けたことがあるが、どの教科もほぼ満点だったな」

 

「……ここだけの話、部隊長とは具体的にどの部隊を任せられることになるのですか?」

 

「機密事項なのだが……人の口に戸は立てられぬだろうな。どうせすぐに分かることだろう。王女様の護衛部隊を仰せつかった」

 

「ハイスペック! 追放云々とは無縁過ぎる!」

 

 私はたまらず天を仰いで声を上げる。ザビーネさんは戸惑う。

 

「えっ⁉ な、なんだって……」

 

「いえ、こちらの話です……しかし、あれですね」

 

「あれとは?」

 

 ザビーネさんが首を傾げる。

 

「ザビーネさんは追放系を書くのを止めた方がよろしいです」

 

「そ、そんな! それではどうすれば良いのだ?」

 

「う~ん、文体はソフトなんですよね……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またまたまたこの感覚だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話(4)騎士団の内部事情

「どうかしたのか?」

 

 ザビーネさんが頭を抑える私に尋ねる。

 

「い、いえ、なんでもありません」

 

 私は手を左右に振る。

 

「自分としては会心の出来と言っていい原稿だったのだが……」

 

 ザビーネさんが俯く。

 

「基礎がなっていないところにどれだけ積み重ねても、点数は百点満点には届きません」

 

「むう……言ってくれるな……」

 

「率直に申し上げたまでです」

 

「基礎がなっていない、私の場合はリアリティの欠如か」

 

「そういうことです」

 

「リアリティを得るにはどうすれば良い?」

 

「それはもちろん、実際にパーティーから追放されるのが一番だとは思いますが……」

 

「そ、そういうわけにはいかん!」

 

 ザビーネさんが声を上げる。

 

「そうでしょうね、栄えある騎士団の団員が、その辺のパーティーから追放されるだなんて……騎士団の威光に関わります」

 

「分かっているじゃないか」

 

「では、逆はいかがでしょう?」

 

「逆?」

 

「パーティーにこだわらず、ご自分の部隊から、使えない者を追い出すというのは……」

 

「そ、そんなことが出来るわけがないだろう!」

 

「そうですか?」

 

「ああ! 皆私が選抜させてもらった、優秀な隊員たちだ! 追放する理由がない!」

 

「ならば理由を作るのは?」

 

「え?」

 

「騎士団の活動費を横領したなどとでっち上げて……」

 

「そんな正義にもとるようなことが出来るか!」

 

 ザビーネさんが立ち上がって勢いよく剣を抜く。私は慌てる。

 

「も、もちろん、今のは例えばの話でございます……」

 

「ふん……」

 

 ザビーネさんは剣を納めて座る。

 

「う~ん、やはり追放系は厳しいかと……」

 

「ダメか……」

 

 ザビーネさんが肩を落とす。私は腕を組んで首を捻る。

 

「う~ん……」

 

「……邪魔をした」

 

「はい?」

 

「私には文章を書く才能は無かったようだ……原稿は適当に処分しておいてくれ」

 

 ザビーネさんは再び立ち上がると、部屋から出て行こうとする。

 

「ちょっとお待ち下さい!」

 

「!」

 

 私はザビーネさんを呼び止める。

 

「話は戻りますが、ザビーネさんは追放系のお話を書くのをお辞めになった方が良いと申し上げているのです」

 

「む……」

 

「ここは違う話を書いてみるのがいかがでしょうか」

 

「違う話?」

 

「そうです」

 

「ジャンルの違う話ということか?」

 

「そういう考え方もありですね」

 

「それならば却下だ」

 

「何故ですか?」

 

「言ったように私は子供の頃から騎士団に身を置いている。この半生は戦いの歴史だ。戦いの経験を少しでも還元できればと思って、今回の話を書いた」

 

「それが追放物ですか」

 

「そうだ、パーティーと騎士団、立場こそ違えど、強力なモンスター討伐に赴くなど共通点は案外と多い。そして……」

 

「そして?」

 

「これは半ば伝説と化している話だが、なんらかの事情で騎士団を退団した者が凄腕の傭兵となって活躍した話もある」

 

「ほう……それは考えようによっては追放系のお話ですね」

 

「そうだろう?」

 

 ザビーネさんが笑みを浮かべる。

 

「しかし……」

 

「なんだ?」

 

 ザビーネさんが首を傾げる。

 

「……その手の伝説・伝承はこの国の各地に残っているのでは?」

 

「あ、ああ、そうだろうな……」

 

「それではよほど面白くかつ上手く、そういったエピソードに肉付けしていかないと、ただの伝承の再生産または紹介になってしまいますね」

 

「むう……」

 

「やはり追放系は一旦見直すことにしましょう」

 

「ではどうするのだ!」

 

 ザビーネさんが声を荒げる。私が答える。

 

「ここは発想の転換です」

 

「発想の転換だと?」

 

「そうです」

 

「例えば?」

 

「『追放系』ならぬ『歓迎系』!」

 

「か、歓迎系だと⁉」

 

 私の発言にザビーネさんが目を丸くする。

 

「はい」

 

 私は頷く。ザビーネさんが尋ねてくる。

 

「それは一体どういうものなのだ?」

 

「う~ん……」

 

 首を捻る私にザビーネさんが呆れる。

 

「き、決めていないのか?」

 

「決めていないというか、今まで誰も書いてないようなお話ですからね……」

 

「誰も書いてないようなお話?」

 

「例えばですが、騎士団に入団し、周囲から大きな期待を寄せられ、先輩団員たちから大いに歓迎される少年の話……」

 

「む!」

 

「そういう話ならばかなりのリアリティをもって書けるのではないでしょうか?」

 

「た、確かにそれはあるかもしれん……」

 

 ザビーネさんが腕を組んで頷く。

 

「もちろん、そこはある程度の嘘を混ぜてもらって構わないのですが、騎士団の内部事情などを書いてみるのも面白いのではないでしょうか?」

 

「内部事情?」

 

「ええ、友情、時には対立……あるいは……」

 

「あるいは?」

 

「恋愛とか……」

 

「は、破廉恥だな!」

 

 ザビーネさんが顔をこれでもかというくらいに真っ赤にする。

 

「……まあ、今のは一例です。騎士団寮での若人たちの青春模様……興味をひく題材です」

 

「う、うむ……まあ、その方向性でひとつ挑戦してみるとしよう……」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはなんとかどうにかこうにかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話(1)翼をください

                  7

 

「はあ……」

 

 私はため息をつく。女性が話しかけてくる。

 

「どうしたんですか~モリさん? ため息なんかついちゃって~」

 

「さあ、どうしてでしょうね……」

 

「もしかして体調が悪いんですか?」

 

「そう言われるとそんな気もしてきました……」

 

 私はわざとらしく頭を抑える。

 

「お大事になさってください」

 

「そ、それだけですか?」

 

「え?」

 

「ええ?」

 

「なにか?」

 

「いや、いいです……」

 

 私は首を左右に振る。

 

「そろそろ準備が出来ます」

 

「それはよくない知らせですね……」

 

「ん?」

 

 女性は首を傾げる。

 

「いや、独り言のようなものです……」

 

「はあ……それでは確認よろしいですか?」

 

「はい、どうぞ」

 

「現在の心境は?」

 

「最悪です」

 

「ワクワクです?」

 

「どう聞き間違えたらそうなるんですか」

 

「違うんですか?」

 

「最悪と言ったんです」

 

「最悪……」

 

「そうです」

 

「あれ、ひょっとして……」

 

 女性が顎に手を当てて考え込む。

 

「……」

 

「乗り気じゃない感じですか?」

 

「ようやく気がついてくれましたか」

 

「何故?」

 

「何故って、そんなこと決まっているでしょう……」

 

「え、なんですか?」

 

「なんでバンジージャンプをしなきゃならないんですか⁉」

 

 私は高い橋の上で思い切り叫ぶ。

 

「今の心からの叫び、良いですね~」

 

「良くないですよ……」

 

「モリさんの気持ちがひしひしと伝わってきました」

 

 女性は胸に手を当ててうんうんと頷く。この女性はイサスパコ先生という方で、最近名の知られてきたドキュメンタリーライターだ。先生の勢いがある取材内容には大変ファンが多く、発売する本はベストセラー連発である。

 

 それがこの度、我がカクヤマ書房から本を出版するということになった。何故にしてマイナー出版社の我が社が、絶賛の売り出し中であるイサスパコ先生とこうして仕事が出来ることになったのだろうか。

 

「……伝わったのなら、気持ちを汲んで欲しいんですが……」

 

「なにかおっしゃいましたか?」

 

「いいえ……」

 

 私は再び首を振る。

 

「いや、おっしゃったでしょう、しっかり聞こえましたよ」

 

「独り言ですよ……」

 

「気になることがあるのなら遠慮なくおっしゃって下さい」

 

「……繰り返しになりますが、何故にバンジージャンプをしなくてはならないのですか?」

 

「今、大流行しているんですよ、ご存知ありませんでしたか?」

 

「……編集者としては恥ずかしいことですが、あまり気にしてはおりませんでした」

 

「そうですか、それはともかく……」

 

「ともかくって」

 

「そもそもとして、異世界から転移してきた方から伝わりまして……」

 

「ああ……」

 

「まあ、度胸試しの一種で似たようなことは一部では行われていたのですが……異世界の方の助言でより本格的なものとなりまして……」

 

「そういう経緯があったのですか……」

 

 異世界の転移者も余計なことを広めてくれたものだ。

 

「そうです。聞くところによるとモリさんも異世界からの転移者だそうですね」

 

「はい、そうです」

 

「バンジージャンプはご存じありませんでしたか?」

 

「転移の際に受けた衝撃の為か記憶がほとんどないのですが……バンジージャンプのことは知っていましたよ」

 

「そうですか、それは良かった」

 

「良くはないでしょう。何故私がバンジージャンプにトライせねばならないんです?」

 

「異世界でのバンジージャンプは元の世界とのバンジージャンプとは何らかの違いがあるのかどうかということを検証せねばと思いまして……」

 

「検証するまでもないでしょう」

 

「へ?」

 

「へ?じゃなくて、どこの世界でやろうと違いはありませんよ、怖いだけです」

 

「怖い……?」

 

 イサスパコ先生が首を捻る。

 

「そこで首を捻る意味が分かりません。怖いという感情は分かるでしょう?」

 

「なるほど、怖いと……」

 

 イサスパコ先生がメモを走らせる。

 

「メモるまでもないと思いますが……」

 

「他は何かありますか?」

 

「……今は何も考えられません」

 

「そうですか……では、準備も出来たようですので……」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい……!」

 

「お願いしま~す」

 

「! うおお~っ⁉」

 

 私は背中を押され、橋の上から身を投げ出した。勢いよく落下する。水面ギリギリの所で命綱が文字通り私の命を繋いでくれた。私は何度か空中でビョンビョンとした後、橋の上に引っ張り上げられた。イサスパコ先生が笑いながら問うてくる。

 

「ははっ、どうですか~今のご気分は?」

 

「異世界転生したような気分です……」

 

「なるほど……それでは続いてなんですが……」

 

「はい?」

 

「命綱無しでやってみるってのはどうでしょう」

 

「絶対にお断りします!」

 

 とにもかくにもこのイサスパコ先生の本は発売され、大きな話題を呼んだ。編集長も喜んでいる。早くも第二弾をという話が出てきたが、私はなんとかはぐらかした。紐無しバンジージャンプなど狂気の沙汰だ。かなりぶっ飛んだ取材を行うとは聞いていたが、編集者まで巻き込むとは……我が社と仕事をする理由が分かった。それはそれとして私が主に任されているのは、小説でヒット作を出すことだ。今日も打ち合わせだ。

 

「……邪魔をするぞ……」

 

「⁉ そ、その翼をください!」

 

 背中に黒い翼を生やした女性が入ってきたので、私は思わずお願いをしてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話(2)身の危険を感じる

「は、はあ?」

 

 女性は露骨に困惑する。

 

「あ、す、すみません。初めまして……」

 

「あ、ああ……」

 

「大変失礼しました、どうぞおかけ下さい……」

 

 私は席に座るように促す。

 

「うむ……」

 

「お名前をお伺いしても?」

 

「クラウディアという……」

 

「えっと……お住まいはどちらに?」

 

「詳細は言えないのだが……」

 

「え?」

 

「魔王城だ」

 

「ま、魔王城⁉」

 

「ああ、我は魔族だからな」

 

 クラウディアさんは背中の黒い翼を軽くはためかせる。

 

「な、なるほど……」

 

「それで問題ないか?」

 

「は、はい、問題ないです……」

 

「それは結構……」

 

 場所がよく分からないのは問題なのだが、魔王の城について細かく問い質したら、冗談抜きで身の危険だ、命がいくつあっても足りないだろう。

 

「……えっと、クラウディアさんは……」

 

「うむ」

 

「魔族の方ということで……」

 

「ああ、この翼と……」

 

 クラウディアさんが頭を指差す。両耳の上あたりから立派な二本の角が折れ曲がって生えている。艶のある綺麗な黒髪とは対照的に白い角だ。

 

「角ですね」

 

「ああ、魔族の特徴だ」

 

「サキュバスの方の角とはちょっと違うのですね」

 

「サキュバスも広義的には魔族だが、我々とは微妙に違う」

 

「微妙に?」

 

「角の生え方や翼の大きさなどだ」

 

「ああ、なるほど……」

 

 私は頷いて、クラウディアさんを見る。美しい、整った顔立ちをしている。

 

「……なにか?」

 

「い、いえ、なにも!」

 

「そうか。それならば良いのだが……」

 

「あ、そうだ……失礼をしました、順序が逆になってしまいました……」

 

 席に着く前に私は名刺をクラウディアさんに渡す。

 

「モリ=ペガサスというのか……」

 

「ええ、モリとお呼び下さい」

 

「……ひとつ聞いてもいいか?」

 

「はい、どうぞ」

 

「……モリはニッポンからの転移者というのは本当なのか?」

 

「ああ、はい」

 

 すっかり慣れた質問なので、私はあっさり頷く。

 

「ふむ……なんというか……」

 

「なんというか?」

 

「貴様のような転移者は初めて見たな」

 

「そ、そうですか?」

 

「ああ、はっきり言ってあまり強さを感じない」

 

「そ、そうですか……魔族の方にも知られているとは、なんとも畏れ多いことです……」

 

「うむ、なかなかな噂になっている、カクヤマ書房にそういう編集がいると。魔王城でもよく話題に上がる」

 

「そ、そうなんですか……」

 

「ああ」

 

 魔王城で話題になるのはあまり歓迎したくないことだ。

 

「な、なるほど……で、あればですね……もう一点確認なのですが」

 

 私は指を一本立てる。クラウディアさんが首を傾げる。

 

「?」

 

「ここがカクカワ書店ではなく、カクヤマ書房だということはご承知なのですね?」

 

「ああ、もちろんだ」

 

 もはや毎回恒例のこととなりつつあるが、後で知らなかったと言われても、こちらとしても困ってしまうので、このことに関してはきちんと確認をとっておかなければならない。冗談抜きで命に関わりそうなことだからだ。私は重ねて尋ねる。

 

「……それでは、クラウディアさんは我が社のレーベルから小説を出版することになっても構わないということですね?」

 

「うむ。原稿を間違えて送ってしまったのはこちらの手違いなのだからな。それにこうして声をかけてもらったのもいわゆる一つの縁というやつなのではとも思ってな」

 

「因縁じゃないことを祈ります……」

 

「うん?」

 

「い、いえ、何でもありません……」

 

「ああ」

 

 ポジティブに考えてくれているのはこちらとしても実にありがたいことだ。しかしちょっと待てよ?こちらの返信はどうやって魔王城に届いたのだろうか?気になったが、あまり詮索しない方が身のためだろう……。私はクラウディアさんの送ってきてくれた原稿を取り出して、机の上に置く。

 

「……それでは早速ですが、打ち合わせを始めさせていただきます」

 

「うむ、よろしく頼む」

 

 クラウディアさんが腕を組んで背もたれにドカッと寄りかかる。とても打ち合わせに相応しい態度とは思えないが……それを指摘したら、大変なことになりそうなので、私は気にしないことにする。

 

「ええっと、原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「……」

 

「う~ん、なんと言いましょうか……」

 

「む?」

 

「えっとですね……」

 

「……気にするな、率直な批評を頼む」

 

「は、はい……」

 

 そうは言われても。こちらが気圧されてしまう。

 

「………」

 

「お、面白かったです」

 

「本当か?」

 

「は、はい……」

 

「それはなにより……」

 

 クラウディアさんがほっとしたように笑みを浮かべる。

 

「ただしかし……」

 

「しかし?」

 

「う~ん、これはなんと言ったら良いのでしょうか……」

 

「……どうぞ、気兼ねなく言ってくれ」

 

 クラウディアさんが話の続きを促してくる。

 

「……それでは、はっきり申し上げますが……」

 

「ああ」

 

「これではウケないと思います」

 

「なっ⁉」

 

 クラウディアさんは驚く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話(3)人の世を案じる

「ウケません」

 

 私は繰り返す。

 

「ウ、ウケない……」

 

「はい」

 

「い、今、面白いと言っただろう?」

 

「はい、言いました」

 

「ならばウケているではないか?」

 

「いえ、私個人だけにウケても意味がないです」

 

「意味がないだと?」

 

「そうです」

 

「どういうことだ?」

 

「……広く世間に受け入れられる可能性は薄いです」

 

 私は両手を大げさに広げる。

 

「何故そう思う?」

 

「この小説ですが……」

 

 私は原稿を指差す。

 

「うむ」

 

「魔族が勇者を倒すというストーリーですね」

 

「ああ、そうだ」

 

 クラウディアさんが頷く。

 

「いわゆるアンチヒーローものというジャンルにカテゴライズされると思いますが……」

 

「……」

 

「これを面白いと感じる人は少ないと思います」

 

「そ、そうか?」

 

「ええ」

 

「つまりあれか? 世間は勧善懲悪を好むということか?」

 

「それも大きいです」

 

「それも?」

 

 クラウディアさんが首を傾げる。

 

「もう一点気になったことがありまして……」

 

「もう一点?」

 

「はい……」

 

「そ、それはなんだ?」

 

「……なんというか」

 

「はっきり言ってくれ!」

 

「……よろしいのですか?」

 

「ああ、構わん!」

 

「……話が単純過ぎます」

 

「た、単純⁉」

 

 クラウディアさんが再び驚く。

 

「ええ、単純です」

 

「こういうのは単純明快な方が良いのではないか⁉」

 

「ふむ、そういう考え方もありますが……」

 

「そうだろう! 変にこねくり回すよりも良いはずだ」

 

「ただ、それにしても……」

 

「それにしても?」

 

「もう少しこう……なにか欲しいですね」

 

「なにかってなんだ⁉」

 

 クラウディアさんが立ち上がる。

 

「落ち着いて下さい」

 

「う、うむ……」

 

 クラウディアさんが椅子に座り直す。

 

「……捻りが欲しいですね」

 

「捻り⁉」

 

「そうです」

 

「捻りとは……」

 

 クラウディアさんが首を捻る。

 

「まあ、ちょっと話を整理してみましょうか」

 

「あ、ああ……」

 

「魔王が勇者を倒すという話……単純で分かりやすいですが、どうも……」

 

「駄目なのか?」

 

「駄目というわけではありませんが、言ってみればこれは勇者が魔王を倒すという構図を逆にしただけですよね?」

 

「ま、まあ、そう言われると……そうかもしれんな」

 

 クラウディアさんが腕を組み直して頷く。

 

「それではありふれています」

 

「ありふれている?」

 

「はい、勧善懲悪が勧悪懲善になっただけですから」

 

「か、勧悪懲善?」

 

「ええ、そうです」

 

「懲らしめられている時点で悪だと思うが……まあ、魔族の我が言うことではないか……」

 

「とにかく、ありふれています」

 

「勧悪懲善がありふれているか?」

 

「はい」

 

 クラウディアさんの問いに私は頷く。

 

「……そうだろうか?」

 

「世の中全体の話です。良い人が泣きを見て、悪い奴が笑うというのはよく聞く話です」

 

「そ、そうなのか?」

 

「残念ながら……」

 

 私は悲し気に目を伏せる。

 

「ひ、人の世も色々と荒んでいるのだな……この場合、魔族の我はなんと言えば良いのか分からないが……」

 

 クラウディアさんが複雑な表情を浮かべる。

 

「……人の世が荒んでいるのだから……」

 

「うん?」

 

「喜べば良いんじゃないですか?」

 

「馬鹿なことを言うな、そこまで堕ちてはいない」

 

「す、すみません……」

 

 私は慌てて頭を下げる。

 

「人の世がある程度平穏でなくては困るのだ」

 

「困る?」

 

「ああ、小説を出すどころの話ではなくなるだろう?」

 

「それはまあ……そうですね……」

 

「そういうことだ」

 

「えっと……クラウディアさんは……」

 

「なんだ?」

 

「人の世の安寧を祈っているのですか?」

 

「安寧とまで言うと語弊がある気もするが……元気にやってくれていればそれでいい」

 

「げ、元気にですか?」

 

「ああ、元気でなければ魔王城にも攻めてこないだろう?」

 

「だ、だろう?と言われても……」

 

「退屈なのだ」

 

「か、簡単に征服出来た方が良いんじゃないですか?」

 

「多少なりとも歯ごたえが無ければつまらん」

 

「そ、そういうものですか……」

 

「そういうものだ」

 

「はあ……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またまたまたまたこの感覚だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話(4)魔族の裏話

「どうかしたか?」

 

 クラウディアさんが頭を抑える私に尋ねる。

 

「い、いえ、なんでもありません……」

 

 私は手を左右に振る。

 

「それにしても……我ながら良く出来た原稿だと思ったのだが……」

 

 クラウディアさんが俯く。

 

「今のお話……」

 

「うん?」

 

 私の呟きにクラウディアさんが反応する。

 

「人がある程度元気でないと魔族の方が困るというお話です」

 

「ああ」

 

「新鮮な驚きでした」

 

「そうか?」

 

 クラウディアさんが首を捻る。

 

「……それなんですよ」

 

「え?」

 

「視点をちょっと変えてみるんです」

 

「視点を変える?」

 

「はい」

 

「……ひょっとして、それが捻るということか?」

 

「ええ、そうです」

 

 私は頷く。

 

「ふむ、視点を変えるか……」

 

 クラウディアさんが顎をさする。

 

「……」

 

「どうすれば良いのだ?」

 

 私はクラウディアさんの原稿を手に取る。

 

「……このストーリーは魔王側の視点ですよね?」

 

「ああ、そうだな」

 

「それをちょっと変えるんです」

 

「どうやってだ?」

 

「魔王や魔王の側近ではなく、もっと下の身分の方を主人公にするんです」

 

「! 下の身分だと?」

 

「そうです、中間管理職とでも言いましょうか」

 

「その者を主人公にしてどうなる?」

 

「勇者が魔王城に攻めてきたときはどうされますか?」

 

「迎撃するな」

 

「その場合魔王様はどうされているのですか? 奥で休まれたままですか?」

 

「いや、一応魔王の間に出てきてもらうな……」

 

「そうなんですね」

 

「勇者パーティーの強さにもよるがな」

 

「しかし、わざわざ出てきていただくということは……」

 

「ん?」

 

「勇者にも頑張ってもらわないといけませんよね? 最下層で全滅したなんて拍子抜けもいいとこです」

 

「ま、まあ、それはそうだな……」

 

「そこです!」

 

「な、なにがだ⁉」

 

 私の言葉にクラウディアさんが戸惑う。

 

「勇者にはある程度頑張ってもらわないと困る……魔王様のお目にかかれる程度には……」

 

「……どういうことだ?」

 

「そこまでの導線作りを書いてみてはいかがでしょう?」

 

「ど、導線だと?」

 

「はい、そうです」

 

「た、例えば?」

 

「……魔王城には簡単にはたどり着けないんですよね?」

 

「あ、ああ……」

 

「しかし、たどり着いてもらわなければお話にならない……」

 

「そ、そうだな……」

 

「よって、それとなくヒントを散りばめておく……」

 

「そ、それとなくヒントってなんだ⁉」

 

「それはこれまでのご経験を生かして頂いて……」

 

「経験……」

 

 クラウディアさんが首を傾げる。

 

「なにかしらあるのではないでしょうか?」

 

「……まあ、思い当たる節は……ないことはないな」

 

「それは良かった。経験という言葉で思い付いたのですが……」

 

「なんだ?」

 

「勇者たちは経験を積み……いわゆる『経験値稼ぎ』ということをしながら、魔王城に向かってくると思うんですが……」

 

「ああ、何やらそんなことをやっているな……」

 

「勇者たちの遭遇するモンスターの配置も重要です」

 

「うむ……」

 

 クラウディアさんが頷く。

 

「いきなり強力なモンスターと戦わせたら、勇者パーティーが全滅してしまいます」

 

「そうだな。あとは基本的には要所の守備を固めるという意味で強力なモンスターを配置するようにしている」

 

「モンスターの扱いにも苦慮されているのでは?」

 

「生き物だからな、そうそう思う通りには動いてくれん」

 

「そのあたりの話も盛り込んでみてはいかがでしょうか?」

 

「ふむ……」

 

「さらに……」

 

「まだあるのか?」

 

「はい、あります」

 

「なんだ?」

 

「宝箱……アイテムです」

 

「ああ、それか……」

 

「妙なことに勇者たちに都合の良いものが置いてありますよね?」

 

「外れも混ぜているがな」

 

「そうなんですね」

 

「まあな」

 

「そういった設置の話でも掘り下げると色々あるんじゃないでしょうか?」

 

「中身が逆になっていったり、空だったりな……」

 

「あれはどういうことなんですか?」

 

「大体発注ミスか業者の手違いだな」

 

「ぎょ、業者がいるんですか?」

 

「ああ、あまり大きな声では言えないが」

 

「はあ……」

 

「腹立つこともあるな」

 

「腹立つこと?」

 

「せっかく置いたのに、それに気が付かないで通り過ぎる時だ」

 

「ああ、なるほど……」

 

「まったく、設置費用もタダではないというのに……」

 

 クラウディアさんが顔をしかめる。私は改めて問う。

 

「……イケるんじゃないでしょうか? そういった導線作りの際の苦労話……」

 

「ふむ……まあ、正直その手のネタならば事欠かん……その方向で書いてみるか……」

 

「よろしくお願いします」

 

 私は頭を下げる。打ち合わせはなんとかかんとかどうにかこうにかうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話(1)独特な占い

                   8

 

「ふむ……」

 

 今、私は巷で女性を中心に話題の『アババの占い館』に来ている。占いにはそんなに興味はない。あくまでも取材である。担当するはずであった女性社員が体調不良で休みの為、急遽私がくることになった。会社から意外と近かったので、それは良かった。

 

「……お待たせしました」

 

 ベールで顔を覆った女性がゆっくりと部屋に入ってくる。この方がアババさんか。おお、やっぱりなんだかそれっぽい雰囲気はあるな……。女性が私の対面の席に座ると、口を開く。

 

「本日はどうやって占いましょうか?」

 

「は、はい……え?」

 

「え?」

 

「ど、どうやってですか?」

 

「え、ええ……」

 

「こ、こういうのって、何を占うか聞くものじゃないんですか?」

 

「ああ、わたくしのやり方は少々異なりまして……」

 

「はあ……」

 

「様々な占い方を用いて占うのです」

 

「ほう……」

 

「それでどうされますか?」

 

「……例えば、どんな占い方があるんですか?」

 

「そうですね、こういうものを使ったものですとか……」

 

 アババさんが手のひら大くらいの水晶玉を机に置く。

 

「これは水晶占いですか?」

 

「そうです」

 

 またベタな奴だな。まあ良いか。

 

「では、とりあえずこれで占ってもらえますか?」

 

「分かりました……はあ~」

 

 アババさんが水晶玉の上に両手をかざす。

 

「……」

 

「はあ~!」

 

 水晶玉にヒビが入った。私は驚く。

 

「ええっ⁉」

 

「……落ち着いてください」

 

「い、いや、落ち着けないですよ! 絶対良くないことでしょう⁉」

 

「これがわたくしの占いです」

 

「ええ……?」

 

「水晶玉の割れ方によって、吉凶を見るのです……」

 

 アババさんが説明する。そういえばそんな占い方をする部族がいると聞いたことがあるが……あれは動物の骨を使ったりしなかったか? とにかく私はアババさんに尋ねてみる。

 

「それで……どうなのでしょうか?」

 

「良くないことが起こりますね」

 

「良くないこと?」

 

「ええ、水晶玉が割れましたから」

 

「割れ方で吉凶を見るとか言ってなかったですか?」

 

「とにかく、良くありません」

 

「はあ……具体的には?」

 

「女難に見舞われますね」

 

「女難? お、女の方ですか?」

 

「そうです」

 

 アババさんが頷く。

 

「そ、そうですか……」

 

「いかがなされますか?」

 

「えっと……せっかくだから他の占いも体験してみたいのですが……」

 

「分かりました……!」

 

「あっ!」

 

 アババさんが水晶玉を乱暴に脇に投げる。商売道具じゃないのか。首を傾げていると、アババさんが机の上にカードを何枚も並べている。これはあれか。カード占いか。

 

「……分かりました」

 

「へ?」

 

 私が間抜けな声を発する。アババさんが首を傾げる。

 

「いかがしましたか?」

 

「い、いや……並び方とかで占うんじゃないですか? 今はざっとカードを並べて、適当にめくったようにしか見えないのですが……」

 

「……おっしゃる通り、適当にめくりました」

 

「ええ?」

 

「わたくしはフィーリングを大事にする方なので……」

 

「いやいや……」

 

 戸惑う私をよそにアババさんが何枚かめくったカードを見つめて呟く。

 

「見たところ、仕事運が良くありませんね……」

 

「あ、そ、そうですか……」

 

「注意した方がよろしいかと思います」

 

 注意するもなにも、この仕事が外れのような気がするんだが……。ん、待てよ? ということは当たっているのか。私は顎に手を当てながら頷く。

 

「ふむ……」

 

「いかがなされましたか?」

 

「あ、いや……なんでもないです」

 

 私は首を振る。

 

「……では、どうしましょうか?」

 

「……せっかくですから、もう一種類くらい、占って欲しいですね」

 

「分かりました。最近女性に人気のあるやり方がありますが……」

 

「ああ、ではそれで……」

 

「はい……」

 

 アババさんが虫眼鏡を取り出す。なるほど、手相を見るのか。これもベタだな。

 

「……」

 

「………」

 

「え⁉」

 

 私は驚く。アババさんが私の顔を覗き込んできたからだ。アババさんが首を捻る。

 

「なにか?」

 

「い、いや、人相を見るんですか? 虫眼鏡要りますか?」

 

「ええ、欠かせません。毛穴の状態を見る占いですから」

 

「本当に女性に人気あります⁉」

 

「これが意外と……ふむ、分かりました」

 

「……どうですか?」

 

「金運がよくありませんね。浪費などしない方が賢明です」

 

「そ、そうですか……それじゃあ、そろそろ失礼します」

 

「お帰りですか? それではお代ですが……こちらです」

 

「ええっ⁉ 聞いていた値段より随分高いんですが⁉」

 

「割れた水晶玉分も込みです」

 

「割ったの貴女でしょう⁉」

 

「お支払い頂けないのであれば……」

 

 アババさんが後ろの方に目をやる。これはマズいパターンだ。

 

「わ、分かりました! 払います……」

 

 私は占いの館を後にする。なんてこった、取材費オーバーだ……とんでも占い師じゃないか……しかし、待てよ? ある意味これも仕事運が悪いということか? じゃあ当たっているのか? いやいや馬鹿馬鹿しい。私は会社に戻る。

 

「…………」

 

 七人の女性が一斉に私を見つめてくる。私は慌てて手帳を確認する……あ、しまった、皆の打ち合わせを同じ日にしてしまっていた……ひょっとしてこれが女難か?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話(2)思わぬ顔合わせ

「……」

 

「………」

 

「…………」

 

「……………」

 

「………………」

 

「…………………」

 

「……………………」

 

 今、七人の作家志望者、私が担当している方々が顔を揃えている。エルフのルーシーさん、獣人のアンジェラさん、スライムのマルガリータさん、人魚のヨハンナさん、サキュバスのヘレンさん、騎士のザビーネさん、魔族のクラウディアさんだ。しかし、皆黙っている。私は沈黙に耐え切れず、口を開く。

 

「え、えっと……」

 

「モリ殿」

 

「は、はい?」

 

「これはどういうことか?」

 

 ザビーネさんが刺すような口調で尋ねてくる。

 

「えっと……いわゆる一つのダブル……どころではないですね、セプタプルブッキングをしてしまいまして……」

 

 私はハンカチを取り出して汗を拭う。

 

「何故にしてこうなった?」

 

「ついうっかりと言いますか……」

 

「ついうっかりというレベルか?」

 

 ザビーネさんの眼光が鋭いものになる。

 

「お、おっしゃる通りでございます……」

 

 私は頭を下げる。

 

「ひどいわ! アタシの他にも女がいたなんて……!」

 

「ヘレン殿、くだらない冗談は慎んで頂きたい……」

 

「あらま、場を和まそうと思ったのだけれど……」

 

 ヘレンさんがペロっと舌を出す。

 

「別に他に担当する者がいてもなにも不思議ではない……だが!」

 

「は、はい……!」

 

「この扱いはあまりにも雑なのではないだろうか?」

 

「ま、まったくもって、おっしゃる通りでございます……申し訳ございません……」

 

 私は頭を下げる。

 

「まあまあ、モリさんも色々とお疲れだったのですよ」

 

「ル、ルーシーさん……」

 

 ルーシーさんが助け舟を出してくれる。なんて優しい……ひょっとしてこれが女神という存在だろうか?

 

「ニッポンジンは異世界でも人一倍責任感の強い国民だと聞いたことがあります」

 

 ルーシーさんは自分の尖った耳に手を当てる。ザビーネさんが腕を組んで頷く。

 

「ふむ……」

 

「ここはニッポンジンらしいケジメをつけてくれると思います」

 

「……ん?」

 

 流れが変わったな。

 

「……というわけでモリさんには『セップク』をしてもらいましょう!」

 

「ええっ⁉」

 

「それは自分も聞いたことがある……」

 

 ザビーネさんが頷く。ルーシーさんが優しい笑顔を浮かべる。

 

「では、それで手打ちということで……」

 

「……方々、異存はないか?」

 

 ザビーネさんが皆を見回す。

 

「よく分かんないけど、オレはそれで良いっすよ」

 

「ボクも異議なしです」

 

「ワタクシもそれで構いません」

 

 アンジェラさん、マルガリータさん、ヨハンナさんが頷く。

 

「アタシもそれで良くってよ」

 

 ヘレンさんがウインクする。

 

「どちらでも良い……」

 

 クラウディアさんが頬杖を突きながら答える。ザビーネさんが頷く。

 

「……賛成多数だな、では……」

 

「モリさん、そこんとこよろしくお願いします♪」

 

 ルーシーさんが右手の親指をグッと立てる。私は慌てて立ち上がる。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「え?」

 

「流石に命だけは勘弁して下さい!」

 

「ええ?」

 

「本当にこの度は私の不手際でございました! 申し訳ございません!」

 

 私は頭を下げる。

 

「優しくしているようで脅すとは……ルーシーさん、綺麗な顔して怖いっすね……」

 

「いやいや、アンジェラさん、ワタシはそのようなつもりでは……」

 

 ルーシーさんが手を左右に振る。

 

「これもエルフ千年の叡智ってやつですか……」

 

「マルガリータさん、ワタシはそんなに生きておりませんよ!」

 

 ルーシーさんが声を上げる。

 

「セップクって何なのかしら?」

 

「……さあ?」

 

 ヨハンナさんの問いにルーシーさんが首を傾げる。

 

「分かっていないことやらせようとしたの? 恐ろしい娘……」

 

「いや、恐ろしいって!」

 

 ヘレンさんの言葉にルーシーさんが不服そうにする。

 

「……とにかく、申し訳ございませんでした!」

 

 私は再度頭を下げる。ザビーネさんが口を開く。

 

「まあ、よく分からんが、それほど反省しているようならば許してやってもいいと思うのだが……方々、いかがだろうか?」

 

「待った」

 

「……なにか?」

 

 ザビーネさんがクラウディアさんに視線を向ける。

 

「貴様が何故この場を仕切っている?」

 

「……仕切っているつもりは毛頭ないが」

 

「そういう態度が気に食わん」

 

「なんだと?」

 

 ザビーネさんがややムッとする。

 

「虫だかなんだか知らんが……」

 

「騎士だ」

 

「どうでもいい」

 

「ふん、魔族はロクに発音も出来んのか?」

 

「なに?」

 

 今度はクラウディアさんがムッとする。

 

「やるか?」

 

 ザビーネさんが鞘に手をかける。クラウディアさんがそれを見て呟く。

 

「……ほう、覚悟があるのか?」

 

「ああ」

 

「おおっ! 騎士対魔族っすね! これは熱い!」

 

「ア、アンジェラさん、無邪気に煽らないで……」

 

 ルーシーさんが慌てる。私も慌てる。

 

「止めてください、なんでもしますから!」

 

「……ほう?」

 

 クラウディアさんが悪そうな笑みを浮かべる。魔族の面目躍如だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話(3)なんでもする

「あ……」

 

「今、『なんでもする』と言ったな?」

 

「ええ? 言いましたっけ?」

 

「いや、確かに言ったぞ。我の耳は誤魔化せん……」

 

「地獄耳というやつか」

 

「貴様は黙っていろ……」

 

 クラウディアさんがザビーネさんを睨む。

 

「ふん……」

 

「……気を取り直して、なんでもしてくれるのだな?」

 

「い、いや、それは……」

 

 私はわざとらしく目線を逸らす。

 

「まさか……」

 

「え?」

 

「嘘をついたのか?」

 

「う、嘘と言いますか、何と言いますか……」

 

「もしも嘘だと言うのならば……」

 

「ならば?」

 

「この建物のみならず、この辺一帯を灰燼に帰してやっても良いのだぞ?」

 

 クラウディアさんが右手の手のひらを上にする。手のひらから小さな火が出る。

 

「そんなことを自分が許すと思うか?」

 

「貴様の許可なぞ求めていない」

 

「求められてもそんなものは却下だ」

 

「止められるものならやってみろ……」

 

 クラウディアさんとザビーネさんが睨み合う。

 

「おおっ、これは激戦の予感っすね!」

 

「ア、アンジェラさん、だから無邪気に煽らないで……」

 

 ルーシーさんが慌てる。

 

「熱そうなのは人魚的にはちょっと嫌ね……」

 

「ヨ、ヨハンナさん、そんな呑気なことを言っている場合ではなくて……」

 

 ルーシーさんが呆れる。

 

「かぶりつきで見たい戦いですね。なにぶんスライムには縁遠い世界ですので……」

 

「マ、マルガリータさんもちょっと冷静に……」

 

 ルーシーさんが頭を抑える。

 

「オッズはどうなるのかしら? 賭けたら盛り上がるわよ~」

 

「へ、ヘレンさん……そういう欲求もあるのですか?」

 

 ルーシーさんがため息をつく。

 

「あ~! 皆さん、落ち着いて下さい!」

 

 私は声を上げる。皆さんの注目が私に集まる。

 

「……」

 

「なんでもします! ただし!」

 

「ただし?」

 

 クラウディアさんが首を傾げる。

 

「皆さんの執筆する小説がヒットを飛ばしたらの話です!」

 

「「「「「「「⁉」」」」」」」

 

 ルーシーさんがおずおずと尋ねてくる。

 

「み、皆さんというのはワタシたちも対象に含まれるのですか?」

 

「え? えっと……」

 

「モリさん、これは大事なことですので」

 

「ああ、まあ、はい、そうなります」

 

「そうですか……」

 

 ルーシーさんが深々と頷く。

 

「ふ~ん、面白そうじゃないっすか……男に二言はないっすね?」

 

「え、ええ……」

 

 私はアンジェラさんに応える。どういう問いかけだ?

 

「……う~ん、食べちゃおうかな」

 

「はい?」

 

 マルガリータさん、聞き捨てならないことを呟いたような……。

 

「人間、しかも異世界の方……それならお許しが出るかも……」

 

「え、えっと……?」

 

 ヨハンナさんが顎に手を当てて呟く。お許しって何の話だろうか?

 

「ふふん、異世界の殿方……興味深いわね。あんなことやこんなこと……」

 

「ちょ、ちょっと……」

 

 ヘレンさんが艶めかしい視線を向けてくる。確実によからぬことを考えている。

 

「な、なんでも……」

 

「あ、あの……?」

 

 ザビーネさんが顔を真っ赤にされている。何を考えているのだろうか>

 

「ふん、なかなか愉快なことになってきたな」

 

「は、ははっ……」

 

 クラウディアさんの言葉に私は苦笑する。私は今一度皆さんを見回す。

 

「………」

 

 な、なんだろう皆さんの眼の色が変わったような……気のせいだろうか。

 

「……ということはだ」

 

「はい?」

 

 クラウディアさんに私は視線を戻す。

 

「ヒット作を出すために入念に打ち合わせをしないとならんな」

 

「そ、そうですね……」

 

「では、早速我と打ち合わせをするぞ」

 

「え? えっと……」

 

「他の者は席を外してもらおうか」

 

「ちょっと待て、勝手に決めるな」

 

 赤面状態からキリっとしたお顔に戻ったザビーネさんがクラウディアさんを制止する。

 

「なにかと言えば突っかかってくるな……」

 

「この場合、極めて正当な抗議だ。他の皆はどうする?」

 

「我の打ち合わせが終わるまで待て」

 

「いつまでだ?」

 

「さあな? 暗くなるまでかな」

 

「なんだと?」 

 

「我も色々と忙しい。今日以外はなかなか予定がとれんのでな、出来るだけたっぷりと打ち合わせをしたいのだ」

 

「それは皆一緒だ。そうであろう?」

 

 ザビーネさんが皆を見回す。皆は揃って頷く。クラウディアさんが面倒そうに問う。

 

「では、どうするのだ?」

 

「順番を決めよう」

 

「どうやって? 戦ってか? まあ、それも構わんが……」

 

「それではフェアではない。くじを引いて……」

 

「くじは誰が作るのだ? それこそフェアではない」

 

「モリ殿に作ってもらえば良い」

 

「む……」

 

「異論はないな?」

 

「いや……ちょっと待て」

 

「なんだ?」

 

「一組の打ち合わせがどれくらいで終わるか分からんだろう?」

 

「半刻ほどに区切れば良いではないか」

 

「はっ、たったそれほどで満足のいく打ち合わせが出来るものか……浅はかだな」

 

「なにを……」

 

 ザビーネさんとクラウディアさんが再び睨み合う。

 

「あ、あの……皆さん合同で打ち合わせをするというのはいかがでしょうか?」

 

 ルーシーさん、何を言い出すんだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話(4)合同打ち合わせ

「合同だと?」

 

「何を馬鹿な……」

 

 クラウディアさんとザビーネさんが揃って呆れる。

 

「しかし、時間が足りないというのなら、そういう方法しかないんではないでしょうか?」

 

「誰か何人かが遠慮すれば良いことだろう」

 

「皆さんは今日の為に時間を作ってきたんです。他の日にするというのはそんなに簡単なことではありません」

 

 ルーシーさんがクラウディアさんに反論する。

 

「だからと言って合同などとは……」

 

「モリさん……」

 

 ルーシーさんが私を見つめてくる。元はと言えば、私のスケジューリングミスでこうなってしまったのだ。どうにかしなければならない。

 

「えっと……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またまたまたまたまたこの感覚だ。私は頭を軽く抑える。

 

「どうかされましたか?」

 

「いえ、大丈夫です……合同の打ち合わせにもメリットがあります」

 

「メリットだと?」

 

「はい……他人の作品を知ること、作風に触れることによって、視点や物の考え方が増えます。言い換えれば頭の中にある引き出しを増やすことが出来るということです」

 

「ほう……引き出しを増やす……」

 

 ザビーネさんがそれぞれ顎に手を当てる。

 

「己一人――編集である私もいますが――ではどうしても限界が生じます。今回はまたとない機会、皆で意見を出し合って、各々の作品の質を高めていきましょう」

 

「ふむ……」

 

「いかがでしょうか?」

 

「まあ、悪くないか……」

 

 クラウディアさんが頷く。私はザビーネさんの方に視線を向けて尋ねる。

 

「どうでしょうか?」

 

「モリ殿がそういうお考えであれば、それを尊重しよう」

 

「ありがとうございます。皆さんもよろしいでしょうか?」

 

「……」

 

 他の五人は無言で頷いてくれた。かくして、異例の『合同打ち合わせ』が始まった。

 

「美女のエルフ同士でキャッキャウフフ……それがワタシの作品のコンセプトです」

 

 ルーシーさんが説明する。クラウディアさんが目を細めて呟く。

 

「魔族の我が言うのもなんだが……世も末という感じだな」

 

「あらそう? アタシは結構良いと思うわよ?」

 

 ヘレンさんが口を開く。クラウディアさんが尋ねる。

 

「どういうところがだ?」

 

「数百年に渡ってのイチャイチャなんて、なんとも壮大でロマンチックじゃないの」

 

「いくらエルフは寿命が長いとはいえ、何年ガッコウとやらに通うつもりだ?」

 

「まあ、そこはいいじゃないの♪」

 

 ヘレンさんがウインクする。アンジェラさんが立ち上がる。

 

「次はオレっすね!」

 

「では、説明をよろしくお願いします」

 

 私が説明を促す。アンジェラさんが説明を始める。

 

「……というわけで、人を『擬モン化』したものっす!」

 

「擬モン化……?」

 

 ザビーネさんが腕を組んで首を傾げる。

 

「なにか疑問があるっすか?」

 

「ちょっとうまいことを言っているな……擬モン化して、結局何をするのだ?」

 

「レースっすね」

 

「レース?」

 

「バトルも考えたんすけど、ちょっと荒っぽいかなって……レースなら基本は正々堂々って雰囲気で爽やかな感じも出せると思ったっす!」

 

「爽やかな感じ……ワタクシは良いと思います」

 

「ありがとうっす!」

 

 アンジェラさんが満面の笑みを浮かべてヨハンナさんに礼を言う。マルガリータさんが立ち上がる。

 

「次はボクですね……」

 

「マルガリータさん、説明をお願いします」

 

「……『転移したらプロレスラーになった件』略して『転スラ』です」

 

「あらら、略称まで決めちゃっているのね」

 

 ヘレンさんが笑みを浮かべる。ザビーネさんが口を開く。

 

「転生・転移ものは正直食傷気味なのだが……しかし、ニッポンのプロレス史に切りこむというのはなかなか興味深いな……」

 

「ど、どうも……」

 

 マルガリータさんがザビーネさんに軽く頭を下げる。ヨハンナさんが立ち上がる。

 

「お次はワタクシですね……」

 

「はい。ヨハンナさん、お願いします」

 

「……ワタクシは異文化コミュニケーションを一つの軸として考えています」

 

「それは良いと思うのですが……」

 

「なんでしょうか、ルーシーさん?」

 

「サメさんの登場がちょっと唐突な気がするのですが……」

 

「いや、話の良いアクセントになっている……良いのではないか?」

 

 クラウディアさんが顎をさすりながら呟く。

 

「ア、アクセント……なるほど、そういう考え方もありますね」

 

 ルーシーさんが頷く。ヘレンさんが立ち上がる。

 

「お次はアタシね~」

 

「ヘレンさん、お願いします」

 

「……アタシは心温まるようなハートウォーミングな話を目指しているわ」

 

「えっと……エロ本ちっくな話?」

 

「絵本よ!」

 

 ヘレンさんがアンジェラさんに対し声を上げる。

 

「サキュバスの方ならではの心の交流……良さそうですね」

 

「そ、そう? ありがと」

 

 ヘレンさんがルーシーさんに礼を言う。ザビーネさんが立ち上がる。

 

「次は自分か」

 

「はい。ザビーネさん、よろしくお願いします」

 

「……自分は騎士団の青春模様を描こうと思っている」

 

「それは良いんですが……『歓迎系』というのは?」

 

「いわゆる『追放系』もののカウンターと考えてもらえばよろしい」

 

「は、はあ……」

 

「良いんじゃないっすか? 騎士団の内部事情は興味深いっす!」

 

 困惑するマルガリータさんとは対照的にアンジェラさんが笑顔を見せる。クラウディアさんがゆっくりと立ち上がる。

 

「我の番か……」

 

「クラウディアさん、お願いします」

 

「……我の話のコンセプトは、『魔族はつらいよ』だ」

 

「こういう裏話的なものは、身内受けにとどまってしまうのでは?」

 

「いや、ボクはとっても良いと思いますよ……大変なんですよ」

 

「そ、そうですか……」

 

 涙を流しそうになっているマルガリータさんを見て、ヨハンナさんが苦笑する。

 

「~~~」

 

「皆さん、お話中のところすみません。皆さんのご協力で思いのほか、実りのある打ち合わせになりました。それぞれの作品作りにもきっと良い影響があるかと思います。本日はありがとうございました。今後もよろしくお願いします!」

 

 私は頭を下げる。合同の打ち合わせはなんだかんだうまくいったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話(1)気の早い前祝い

                  9

 

「さあ、今日は飲みましょう!」

 

 七人同時の打ち合わせを終えた私は皆を連れて、馴染みの酒場へと連れていった。打ち合わせはなんだかんだ上手くいったとはいえ、不手際だったことは事実。おわびも兼ねて、皆で飲もうと思ったのだ。

 

「酒か……」

 

 ザビーネさんが顎に手を当てて呟く。

 

「あ、ザビーネさん、お酒は苦手ですか?」

 

「いや、そういうわけではないが、あまり酒臭い状態で宿舎に戻ると、他の者に示しがつかんと思ってな……」

 

「ああ、そうですか……」

 

「言い訳は結構……」

 

 クラウディアさんの呟きに対し、ザビーネさんがムッとする。

 

「なんだと?」

 

「お子ちゃまはミルクでも飲んでいると良い……」

 

「馬鹿にするな、おい、果実酒を樽ごと持ってきてくれ」

 

「こいつより大きいサイズの樽を頼む」

 

「! 樽をもう一個だ!」

 

「お、お二方とも、張り合わないで下さい……」

 

 ルーシーさんがハラハラした顔でクラウディアさんとザビーネさんを見比べる。

 

「ハハッ! 騎士と魔族の飲み比べだ、面白いっすねえ~」

 

「ア、アンジェラさん、あまり煽らないで……」

 

「いやいや、ケンカを肴に飲むお酒が美味いんすよ、知らないっすか?」

 

「悪趣味ですよ!」

 

「冗談っすよ、エルフさんってば真面目っすね~」

 

 アンジェラさんはニヤリと笑う。

 

「アタシらは気にせず飲みましょう」

 

「そうですね……」

 

「なんか食べる? あ、サラダとかの方が良いかしら?」

 

「いえ、お魚さん以外でしたら、この特上お肉を頂きます」

 

「ガッツリ肉食なのね……」

 

 ヨハンナさんの発言にヘレンさんは驚く。

 

「あ、ボクもお肉をいただきます」

 

「マルガリータちゃん」

 

「マルちゃんでいいです」

 

「マルちゃん、お酒は苦手?」

 

「いえ、そんなことはありません。大好物です」

 

「それなら頼んだら良いじゃないの」

 

「いやあ、あんまり飲み過ぎると、体色がそのお酒の色になっちゃうんですよね。ちょっとそれが恥ずかしくて……」

 

「そ、そういうものなのね……」

 

 マルガリータさんの言葉にヘレンさんは少し困惑する。

 

「モリさん」

 

「なんですか、アンジェラさん?」

 

「一応確認なんすけど……今日は奢りっすよね?」

 

「え?」

 

「違うっすか?」

 

「い、いえ! どうぞいくらでも食べて飲んで下さい! 今日は私の奢りです!」

 

「聞いたっすか⁉ 皆さん⁉」

 

「バッチリ聞いたわ~」

 

 ヘレンさんが笑みを浮かべる。

 

「じゃんじゃん頼みましょう! 皆さん、何を注文しますか⁉」

 

「ル、ルーシーさん⁉」

 

 私はルーシーさんの態度の変化に驚く。ヨハンナさんも驚いた顔で呟く。

 

「ルーシーさん、急にノリノリになりましたね……」

 

「ヨハンナさん、この世界で一番美味しいお酒はなんだと思いますか⁉」

 

「え、なんでしょう……?」

 

「ズバリ、よそ様のお金で飲むお酒です!」

 

「ははっ、それはそうかもね~」

 

 ヘレンさんが笑う。

 

「ふっ、他でもない寿命の長いエルフ様のお言葉だ、間違いない」

 

 クラウディアさんもニヤッと笑う。

 

「や、やっぱりボクも飲もうかな……」

 

「どんどん飲みましょう! マルさん!」

 

「はははっ……」

 

 私は苦笑する。ルーシーさんがストッパーになってくれるだろうと思ったのだが、こういう展開になるとは……しかし、このお店はリーズナブルだ。多少飲み過ぎ、食べすぎてもたかが知れている。大丈夫だろう……きっと。

 

「……あ~ちょっと食べ過ぎたっすかね?」

 

 アンジェラさんがポッコリ膨れたお腹をポンポンと叩く。

 

「おい、騎士! 情けないな、もうギブアップか? ん?」

 

 クラウディアさんが店に置いてある人形に話しかけている。

 

「ふははっ……びゃかめ、しょれは残像だ……」

 

 ザビーネさんは顔を真っ赤にしながらよく分からないことを言う。

 

「ぷはっ! もう一杯!」

 

「わたくしも……」

 

「ボクも~」

 

「ルーシーちゃんも飲むけど、ヨハンナちゃんもマルちゃんもイケるわね~」

 

 ヘレンさんが感心する。

 

「なんだったらこのお店ごとイケますよ? 良いですか?」

 

「それはストップよ、マルちゃん」

 

「ヘレンさんは随分と控えめなのですね?」

 

「ん? アタシが飲み過ぎちゃうと……なんかこう、フェロモンが大量にまき散らされちゃって大変なことになるから自重しているのよ」

 

 ヨハンナさんの問いにヘレンさんはウインクしながら答える。

 

「よろしいのですか? わたくしたちだけ楽しんでいるみたいで……」

 

「大丈夫、大丈夫♪ 皆の楽しそうな様子を見るのが楽しいから……あら?」

 

「ははっ、ははは……」

 

「モリちゃん、大丈夫?」

 

「え?」

 

「顔が引きつっているようだけど……」

 

「い、いや、お酒は強い方なんで大丈夫ですよ!」

 

「いや、懐の方よ」

 

「う……」

 

 懐が痛むところの話ではない。馴染みのある店だからツケがきくが、これは明日、編集長に頭を下げるしかない。給料って何か月先まで前借り出来るのだろう……。

 

「……皆~そろそろお開きにしましょう~」

 

 ヘレンさんが皆に声をかけてくれる。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「いえいえ。それじゃあ〆の一言を……」

 

「え~皆さん、絶対にそれぞれの小説をヒットさせましょう!」

 

「……ヒットしますかね?」

 

 ルーシーが首を傾げる。

 

「します! 数ヶ月後には皆さん、超ベストセラー作家です!」

 

 私は力強く断言する。皆の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「……」

 

「………」

 

 私はその時、自分たちの様子をうかがっている視線に全く気が付かなかった……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話(2)内容が良い

「……突然お声がけして申し訳ありません」

 

「はあ……」

 

「私たちは決して怪しいものではありません」

 

「どこからどう見ても怪しいのですが」

 

 ルーシーが首を傾げる。街中で声をかけてきた男女二人、全身黒ずくめのスーツに黒いサングラスをかけているからだ。ルーシーは軽い気持ちで近くの喫茶店に入ってしまったことを後悔した。

 

「……おい」

 

 男が隣に座る女に促す。女が首を傾げる。

 

「はい?」

 

「はい?じゃない、アレをお渡ししろ」

 

「アレ? ドレですか?」

 

「アレと言ったらアレだろう……」

 

「え、コレですか?」

 

「なんでティッシュだ、違うだろ!」

 

「あ、あのう……」

 

 ルーシーが困惑する。

 

「い、いや、失礼! おい、コレだ、コレ!」

 

 男が自分の胸ポケットを指差す。

 

「ああ!」

 

 女は理解する。男が苦笑を浮かべる。

 

「ははっ、お待たせを……」

 

「私はこういうものです……」

 

 女がテーブルに名刺を差し出す。ルーシーが呟く。

 

「名刺……」

 

「……ってか、まず先輩が出すべきなんじゃないですか?」

 

 女が男に尋ねる。男がばつが悪そうな顔をする。

 

「……だよ」

 

「え?」

 

「今切らしているんだよ、ちょうど」

 

「ええっ⁉ それって、社会人としてどうなんですか?」

 

「しょうがないだろう!」

 

「こ、これは……!」

 

「!」

 

 男女はルーシーの方に顔を向ける。

 

「カ、カクヤマ書店さんの方なのですか……?」

 

「は、はい、そうです……」

 

「な、何故、カクヤマ書店さんがワタシのところに?」

 

「実は……おい」

 

 男が女を肘で押す。

 

「あ、は、はい……って、ここは先輩が言うところでしょう」

 

「そうか?」

 

「そうですよ」

 

「いや、こういうの実は初めてだからな……」

 

「私だってそうですよ」

 

「あの……」

 

 ルーシーが怪訝な顔になる。

 

「ああ、度々失礼……」

 

「いえ……」

 

 男は椅子にきちんと座り直して、口を開く。

 

「単刀直入に申し上げます。ルーシーさん、当社で小説を出しませんか?」

 

「ええっ⁉」

 

 ルーシーが驚く。女が手帳を取り出す。

 

「では、早速打ち合わせの日時を決めましょう……」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「どうかしましたか?」

 

 男が首を傾げる。

 

「い、いや、なんでワタシなんですか?」

 

「それは……なあ?」

 

「ええ……」

 

「だよなあ?」

 

「そうですよ」

 

 男と女は互いに顔を見合わせて何度か頷き合う。そして、ルーシーに向き直る。

 

「……そういうことです」

 

「いや、どういうことですか⁉」

 

「この期に及んで言葉が必要でしょうか?」

 

「いつだって必要です!」

 

「ふむ……」

 

「……」

 

「我々はルーシーさんの書かれる小説が素晴らしいと思っているのです」

 

「え?」

 

「なんと言っても内容が良い!」

 

「内容が良い……」

 

「ええ、そうです。それに……」

 

 男が女に促す。

 

「挿し絵が良い感じです」

 

「挿し絵?」

 

「ご、ごほん! ごほん!」

 

 男がわざとらしく咳き込む。女は慌てて言い直す。

 

「い、いや、美しい挿し絵がイメージされるような文章だということです」

 

「そ、そうですか……?」

 

「そうです!」

 

「後はなんと言ってもストーリーが良いです!」

 

「ストーリーが良い……」

 

 男の言葉をルーシーは反芻する。

 

「いかがでしょうか?」

 

「え? なにがですか?」

 

「この素晴らしい作品をより素晴らしくするための方法があるのです」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ええ……」

 

「そ、それはなんですか?」

 

「良い環境で磨き上げることです」

 

「良い環境……」

 

「その環境を当社……カクヤマ書店はご提供することが出来ます」

 

「!」

 

「あらためていかがでしょうか?」

 

「お、お話だけでも伺ってみようかな、なんて……」

 

「そうですか!」

 

「では、打ち合わせの日時を決めましょう!」

 

「は、はい……」

 

 その後、ルーシーは店を後にする。男は汗をハンカチで拭う。

 

「ふう、まずは上手くいったな……」

 

「……良いんですかね?」

 

「良いんだよ。なりふり構っていられないだろう?」

 

「はあ……あっ! あそこに歩いているのはスライムのマルガリータさんですよ!」

 

「よし! 声をかけるぞ!」

 

「はい! あ、お会計置いときます! 釣りはいりません!」

 

 男と女は店を出て、マルガリータに声をかける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話(3)案外チョロい

「えっと……」

 

 男がサングラスをしきりに触る。

 

「ええっと……」

 

 女が妙にソワソワとする。

 

「おい……」

 

「は、はい!」

 

 男が背筋をビシっと正す。

 

「……」

 

「貴様もだ、女……」

 

「あ、は、はい!」

 

 女も背筋をビシっと正す。

 

「それで?」

 

「自分たちに何の用だ?」

 

 クラウディアとザビーネが向かい合って座る男女を睨みつける。

 

「え、ええっとですね……」

 

「うん?」

 

「ちょ、ちょっとお待ち下さい!」

 

「早くしろ……」

 

「はい、それはもちろん! ……おい!」

 

 男は女に顔を近づける。

 

「先輩、なんですか?」

 

「なんですか?じゃない! なんだこの迫力は! どう見たってカタギじゃないだろう⁉」

 

「それはそうですよ……」

 

「え?」

 

「騎士団の部隊長と魔族の方ですからね」

 

「なんでそんな連中に声をかけた⁉」

 

「リストアップされていたからしょうがないじゃないですか」

 

「ぐっ……」

 

 男が唇を噛む。

 

「おい、まだか?」

 

「あ、す、すみません!」

 

 男がザビーネに頭を下げる。

 

「自分はこれでも色々忙しいのだ」

 

「……ふん、わざわざアピールしなくても良い……」

 

 クラウディアが口を挟む。

 

「……魔族は暇なのか?」

 

「それを聞いてどうする?」

 

「いや、暇ならそれで結構だ。自分たちの仕事も減るからな」

 

「……暇で暇でしょうがない」

 

「そうか……」

 

 クラウディアの答えにザビーネは笑みを浮かべる。

 

「それもこれも……」

 

「ん?」

 

「どこかの騎士団さんがまったく歯ごたえがないからな……」

 

「なんだと?」

 

「まっっっっったく弱っっっっっちいのでな」

 

「強調しなくて良い……!」

 

「いや、事実はしっかりと把握してもらいたいからな」

 

「それは事実とは少々異なるな……」

 

「なに?」

 

 クラウディアが首を傾げる。

 

「単に運が良かっただけだ」

 

「運が良かった?」

 

「いや、この場合は悪運と言った方が良いか?」

 

「……どういう意味だ?」

 

「自分と遭遇しなかったからな」

 

「何が言いたい?」

 

「分からないか?」

 

「回りくどい、騎士ならばはっきりと言え」

 

「自分なら魔族など大した問題ではない」

 

 ザビーネは自らの刀の鞘をテーブルに当ててわざと音を鳴らす。

 

「……言うではないか」

 

「はっきり言えと言われたからな」

 

「ここで会ったがなんとやらだ。決着をつけるか」

 

「望むところだ」

 

 ザビーネとクラウディアが立ち上がって睨み合う。男が慌てて声を上げる。

 

「ああ! ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「なんだ?」

 

「貴様らまだいたのか?」

 

「そもそも何者だ?」

 

「は、はい、私たちはこういう者です!」

 

 男が名刺を差し出す。ザビーネとクラウディアはそれを受け取る。

 

「……! こ、これは……」

 

「貴様ら、カクカワ書店の者か?」

 

「はい、そうです……」

 

「何の用だ?」

 

「とりあえずお座りになって下さい……」

 

「ふむ……」

 

「ふん……」

 

 ザビーネとクラウディアが再び席に座る。やや間をおいて男が口を開く。

 

「た、単刀直入に申し上げます。当社から小説を出しませんか⁉」

 

「何?」

 

「むう……」

 

「い、いかがでしょうか?」

 

「そう言われてもな……」

 

「ザ、ザビーネ様は騎士団の部隊長になられるとか!」

 

 女が声を上げる。ザビーネが慌てる。

 

「い、いや、そんなことを大声で言うな……!」

 

「し、失礼しました! しかし、まことにご立派でございます。もう溢れんばかりの眩いオーラを感じてしまいます! 正義というものを体現しておられます!」

 

「そ、そうか……?」

 

 ザビーネが照れくさそうにする。女がクラウディアの方に向き直る。

 

「その一方、クラウディア様からはそんな眩いオーラにも負けず劣らずの邪悪な禍々しいオーラをひしひしと感じます! 悪というものがなにかということが言葉にせずとも伝わってきます!」

 

「そ、そうか? ま、まあ、禍々しさにはこだわっている方だからな……」

 

 クラウディアが鼻の頭をこする。

 

「そんな御両方にふさわしい作品作りが出来るサポート体制が当社はパーフェクトに整っております! 是非、当社と一緒に仕事をしましょう!」

 

「ま、まあ、そう言うなら……なあ?」

 

「ああ、話だけなら聞いてやっても……」

 

「ありがとうございます! では打ち合わせの日時を……」

 

 女が手帳を取り出す。ザビーネが戸惑う。

 

「い、いや、あくまで話だけであって……」

 

「……只今、このお店の限定パフェを持ってこさせます」

 

「そうだな、三日後はどうだ?」

 

「案外チョロいな……」

 

 男はボソッと呟く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話(4)引き抜き完了

「えっと……突然お声がけして申し訳ありません」

 

「本当よ~♡」

 

「あ、あはは……」

 

 ヘレンの言葉に男の顔がニヤけてしまう。

 

「それで~どんなことして遊ぶの~?」

 

「そ、そうですね……」

 

「先輩、しっかりして下さい!」

 

 女が男のスーツをグイグイと引っ張る。

 

「アタシとイケないことしちゃう~?」

 

「は、はい! します!」

 

「まだお昼だけど……」

 

「全然構いません!」

 

「そう~?」

 

「ええ!」

 

「先輩!」

 

「うおっ⁉」

 

 女が男の頬を思いきりビンタする。

 

「あ、す、すんません……」

 

 女が慌てて頭を下げる。男がズレたサングラスを直しながら呟く。

 

「い、いや、むしろ良かった……ありがとう」

 

「え? 先輩そういう趣味ですか?」

 

 女が距離を取ろうとする。男が慌てて手を左右に振る。

 

「い、いや! 違う! そういう意味じゃない!」

 

「本当ですか?」

 

「本当だ!」

 

「じゃあなんでありがとうって……」

 

「危うく引き込まれるところだったからだよ……」

 

 男が小声で囁く。女も小声で返す。

 

「そんなにヤバいですか、サキュバス?」

 

「ああ、ヤバい。というか……」

 

「え?」

 

「お前は何も感じないのか?」

 

 男が不思議そうに尋ねる。女が首を傾げる。

 

「そうですね……女だからですかね?」

 

「それにしても……鈍感過ぎないか?」

 

「失礼なこと言いますね」

 

「いや、同姓でも多少は惑わされるという話だぞ?」

 

「だって考えてみて下さいよ」

 

「ん?」

 

「仕事中ですよ? 真面目にやって下さい」

 

 女がサングラスを触りながら呟く。男が顔をしかめる。

 

「なんか腹立つな……」

 

「ひそひそ話しているところ悪いんだけど……」

 

「は、はい!」

 

「イイことしないの?」

 

「だ、大丈夫です!」

 

「あら、目線をこちらに合わせないようにしている……サングラスって便利ね」

 

「お、おい! 頼む!」

 

「は、はい! 私たちはこういう者です!」

 

 男に促され、女が名刺を三枚差し出す。ヘレンとヨハンナとアンジェラが受け取る。

 

「!」

 

「こ、これは……」

 

「お二人ともカクカワ書店の方っすか⁉」

 

 三名は揃って驚く。男が頷く。

 

「はい、そうです」

 

「へ、へ~そうなんすか……」

 

「おい、畳みかけろ……」

 

 男が女にそっと耳打ちする。女は頷く。

 

「単刀直入に申し上げます! 当社で小説を出しませんか⁉」

 

「ええっ⁉」

 

「いかがでしょうか⁉」

 

「い、いきなりね……正直魅力的な話ではあるけれど……」

 

 ヘレンが困惑する。

 

「それでは打ち合わせの日時を決めましょう!」

 

 女が手帳を取り出す。ヨハンナが戸惑いながら、アンジェラに目配せする。

 

「ちょ、ちょっと、いくらなんでも急過ぎるといいますか……ねえ?」

 

「そ、そうっすね……」

 

「先輩……」

 

 女が男の方に向く。男が再び耳打ちする。

 

「お前の裁量でやってみろ……」

 

「分かりました……ヘレンさん!」

 

「な、なにかしら?」

 

「当社は一流企業と呼ばれています」

 

「え、ええ、よく存じ上げているわ」

 

「ありがとうございます。当編集部にも体格のがっしりとしたイケメンが多数揃っており、ヘレンさんの執筆を様々な形でお手伝い出来ればと考えておりまして……」

 

「是非お願いするわ」

 

 ヘレンが頭を下げる。ヨハンナとアンジェラが驚く。

 

「ヘ、ヘレンさん⁉」

 

「あからさまに釣られたっすね……」

 

「ヨハンナさん!」

 

「は、はい!」

 

 女が書類を取り出して提示する。

 

「当社は原稿料をこれくらいと考えておりまして……」

 

「よろしくお願いします!」

 

 ヨハンナが頭を下げる。アンジェラが思わず苦笑する。

 

「す、すごく分かりやすく釣られたっすね……」

 

「アンジェラさん!」

 

「え、あ、はい!」

 

「当社の社員食堂には一流シェフが勤務しておりまして……肉料理を中心にメニューは大変充実しております。当社と正式にお仕事をして頂くということになれば、そちらに出入り自由、しかもタダでご利用出来ますが……」

 

「お願いするっす!」

 

「早っ!」

 

 アンジェラが勢いよく頭を下げる。男が驚く。女がニヤリと笑う。

 

「それでは、打ち合わせの日時ですが……」

 

「……お疲れ様~♡」

 

「失礼します……」

 

「よろしくお願いするっす!」

 

 ヘレンたちが店を後にする。

 

「ふむ、これで七名確保だな……」

 

 男がリストを見ながら頷く。女が笑顔を浮かべる。

 

「いや~どうなることかと思いましたけど、終わってみれば楽勝でしたね?」

 

「気を抜くな、仕事はこれからだ……」

 

「あ、はい……」

 

 男の言葉に女が真顔に戻って頷く。後日……。

 

「……皆と連絡がつかない! 一体どうしたんだ⁉」

 

 モリが異変に気づいた頃には後の祭りだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話(1)壮大、感動

                  10

 

「それでは打ち合わせの方を始めさせていただきます。よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 街の中でもひときわ立派な建物の中のある一室でスーツ姿の男女とルーシーが向かい合って座り、挨拶をかわす。ルーシーは緊張を隠せない。

 

「早速ですが、内容についてお話をさせてもらってもよろしいでしょうか?」

 

「は、はい、どうぞ……」

 

 男性の問いにルーシーが頷く。

 

「原稿の方を拝見させていただきました。えっと……」

 

「はい?」

 

「……この作品のコンセプトは何になるのでしょうか?」

 

「コンセプトですか?」

 

「はい」

 

「う、う~ん、難しいですね……」

 

 腕を組んで首を傾げるルーシーに対し、女性が口を開く。

 

「キャッチフレーズみたいなものでも構いませんよ」

 

「ああ、それなら……」

 

「なんでしょうか?」

 

「『美女のエルフ同士による数百年間に及ぶキャッキャウフフ』です!」

 

 ルーシーが力強く答える。

 

「……」

 

 黙る男性に代わり女性が尋ねる。

 

「……えっと……それはなんでしょうか?」

 

「ええっ⁉」

 

 ルーシーが驚く。

 

「ちょっとなにをおっしゃっているのかが分からないんです……」

 

「いや、エルフがいますよね?」

 

「ええ、ルーシーさんのような」

 

「二人いるんです」

 

「ええ」

 

「どちらも美女なんです」

 

「はい、エルフの方は美形が多いですからね」

 

「その美女エルフ同士が……」

 

「同士が」

 

「キャッキャウフフするんです!」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい、ですからそれが分からないんです……」

 

 女性が頭を片手で軽く抑え、もう片方の手を前に突き出す。

 

「キャッキャがですか? ウフフがですか?」

 

「いや……」

 

「この場合、キャッキャは嬌声、ウフフは笑い声だと考えてもらえば……」

 

「そ、それはなんとなく分かります。いえ、そういうことではなくてですね……」

 

 女性は頷きながら手を左右に振る。

 

「それではどういうことでしょうか?」

 

「何故、キャッキャウフフなのです?」

 

「何故……?」

 

「はい、何故なのでしょうか?」

 

「……カッカグヘヘだとオジサンっぽくなるからですかね?」

 

「いや、そういうことではなくてですね……」

 

「ど、どういうことでしょうか?」

 

「……エルフという種族は悠久の時を生きられますよね?」

 

 黙っていた男性が口を開く。

 

「ま、まあ、そうですね……悠久というと大げさですが、人間の方よりは長生きかなと……」

 

 ルーシーが戸惑い気味に頷く。

 

「ファンタジーですよ」

 

「え?」

 

「エルフを主役に据えるならば壮大なファンタジーです! これしかない!」

 

「そ、壮大なファンタジー? そ、それは具体的にどういうことですか?」

 

「そこは先生にお好きなように書いていただければと思っています!」

 

「え、ええ? お好きなようにって……」

 

「取材などが必要ならばご相談下さい。費用はある程度は負担出来ますので」

 

「い、いや、取材もなにも……」

 

「……今日のところはこんなところですかね。お疲れ様でした」

 

「ええ……」

 

 男女が揃って頭を下げる。ルーシーが困惑する。

 

                  ♢

 

「アンジェラ先生、どうぞよろしくお願いします」

 

「どうぞよろしくお願いします」

 

「よ、よろしくお願いするっす……いやあ、先生だなんて照れるっすね~」

 

 アンジェラは照れくさそうに鼻の頭をこする。

 

「早速打ち合わせを始めさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい、どうぞどうぞ!」

 

「え~原稿を読ませて頂いたのですが……」

 

「はいっす」

 

「人を『擬モン化』……ですか?」

 

「ああ、そうっすね」

 

「これはどういうことでしょうか?」

 

「人をモンスターにするんすよ」

 

「……例えば?」

 

「例えば? 雄々しい男性はドラゴンに、凛々しい女性はペガサスになるっす」

 

「はい、それは読みましたが……」

 

 男性が隣に座る女性に目配りする。女性が口を開く。

 

「そのモンスターたちがレースをするんですよね?」

 

「は、はい、そうっす……」

 

「何故、レースなんですか?」

 

「な、何故? そ、それは、汗と涙のスポ根的要素のあるお話を書きたかったからで……」

 

「……古いですね」

 

「ふ、古い?」

 

 男性の言葉にアンジェラが面喰らう。男性が続ける。

 

「根性というものを前面に押し出すと、今の読者は拒否反応を示します」

 

「そ、そうなんすか?」

 

「そうなんです。君はどうだい?」

 

「……とにかく楽して儲けたいですね」

 

 男性の問いかけに女性が答える。男性が視線をアンジェラに戻す。

 

「……こんな具合です」

 

「そ、そうは言っても……じゃあどうすればいいんすか?」

 

「……感動ですね」

 

「は、はい?」

 

「涙、涙の感動巨編です。獣と人の心温まるハートウォーミングなストーリー! 獣人でいらっしゃるアンジェラ先生ならではのお話がきっと書けるはずです!」

 

「まあ、大体の獣とも話せるっすけど……そ、それでもオレは汗と涙のスポ根ストーリーを書きたいんすよ!」

 

「汗なんかいりません! 君はどうだい?」

 

「女性読者受けが悪いと思います」

 

「いや、あんまり女性を意識しすぎるのもどうかと思うんすけど……」

 

「今日はこの辺で……ありがとうございました」

 

「え、ええ……」

 

 揃って頭を下げてくる男女に対し、アンジェラは戸惑う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話(2)ロマン、純愛、夢(エロ)

                  ♢

 

「マルガリータ先生、よろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「は、はい……お手柔らかにお願いします」

 

 マルガリータは後頭部をぷにぷにと掻く。

 

「本日の打ち合わせですが……早速内容の方に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「あ、はい、構いません」

 

「原稿を拝読しました」

 

「ありがとうございます」

 

「この……『転移したらプロレスラーになった件』ですが……」

 

「はい」

 

「ええっとですね……『転移したらプロレスラーになった件』……」

 

「『転スラ』でいいですよ」

 

「え?」

 

「いちいち言うの面倒くさいでしょう? どうぞ略してください」

 

「よ、よろしいのでしょうか?」

 

「はい、ボク自身もそう呼んでますから」

 

「は、はあ……略称が既に出来ているほど、愛着のある作品にこういうことを言うのは少々気が引けるのですが……おい、頼む」

 

 男性が女性を促す。女性はややウンザリした表情を浮かべた後、真顔になって話す。

 

「えっと……単刀直入に申し上げます。異世界である『ニッポンのプロレス』……この題材はいささか、いや、かなりニッチ過ぎます。よって、題材変更を提案します」

 

「ええっ⁉」

 

 女性の提案にマルガリータが驚く。

 

「例えば……お願いします」

 

「はい……『無色転生』というのはどうでしょうか?」

 

「む、無色⁉」

 

 男性の言葉にマルガリータは戸惑う。

 

「ええ、スライムの方ならではの題材ではないかと……」

 

「ボ、ボクは水色ですけど⁉」

 

「それは承知しております。ですが、透明なスライムの方もいらっしゃるでしょう?」

 

「そ、それはそうですけど……て、転生ものですか……」

 

「はい、人気ジャンルですから! マルガリータ先生の文章力を見て確信しました。先生ならばきっと、一大大河ロマンを書き上げられるはずです! よろしくお願いします!」

 

「そ、そんな……」

 

 揃って勢いよく頭を下げてくる男女にマルガリータは当惑する。

 

                  ♢

 

「ヨハンナ先生、打ち合わせの方、どうぞよろしくお願いします」

 

「どうぞよろしくお願いします」

 

「は、はい、どうぞよろしくお願いします」

 

 ヨハンナが緊張気味に挨拶を返す。男性が話す。

 

「それでは早速内容の方に入らせて頂きますが、よろしいでしょうか?」

 

「はい、どうぞ……」

 

「えっと、作品のテーマなのですが……」

 

「ええ、人魚を主役に据えての『異文化コミュニケーション』を主軸にしております」

 

「そうですか。う~ん……」

 

 男性が首を傾げる。ヨハンナが尋ねる。

 

「何かマズいでしょうか?」

 

「マズくはありませんが、なんというかこう……パンチに欠けますね」

 

「パ、パンチですか?」

 

「ええ、そうです」

 

「で、では、どうすればよろしいでしょうか?」

 

「……どうかな?」

 

 男性が隣の女性に尋ねる。女性は一呼吸置いてから話し始める。

 

「異なる文化同士のコミュニケーションというテーマは良いと思います。ただ、アプローチを変えてみるのもアリかと……」

 

「アプローチを変える? 例えばどういうことでしょう?」

 

「広い海に暮らす人魚の方々、その対極に位置するのが……オタク!」

 

「オ、オタク⁉」

 

「はい、彼らは非常に狭い世界に生きています」

 

「少しばかり偏見が過ぎるような……そういうのは人それぞれだと思いますけど……」

 

「ここはあえてステレオタイプのオタクを投入します! ズバリ!」

 

 女性が男性に目配せする。男性が口を開く。

 

「『オタクに優しい人魚姫』! この純愛ラブストーリー! 意外な組み合わせが読者から人気を呼ぶはずです!」

 

「そういうのは似たような作品がいくつかあるのを聞いたことがあるような……」

 

「だからですよ! 乗るしかありません! このビッグウェーブに!」

 

 男性が力強く拳を握る。

 

「波にはいつも飽きるほど乗っておりますが……」

 

「それではよろしくお願いします!」

 

「は、はあ……」

 

 揃って勢いよく頭を下げてくる男女にヨハンナは困惑する。

 

                  ♢

 

「ヘレン先生、本日はよろしくお願いします」

 

「本日はよろしくお願いします」

 

「はい、よろしくね~」

 

 ヘレンはいつもの調子で挨拶する。男性が小声で隣の女性に告げる。

 

「……おい、今日はお前に任せる」

 

「ええ? そうやってサボるつもりでしょう?」

 

「サボるか。しかし、さすがはサキュバス……仕事にならん……」

 

「下心丸出しだからですよ~」

 

「失礼な、隠している! ……つもりだったが、心も持っていかれそうだ……」

 

「しょうがないなあ、手柄横取りだけは止めてくださいよね?」

 

「……内緒話は終わった?」

 

「あ! こ、これは失礼しました。早速、打ち合わせの方を始めさせていただきます」

 

「ええ、お願い~」

 

 女性の言葉にヘレンは頷く。女性は原稿を見る。

 

「えっと、こちらの原稿なのですが……」

 

「うん」

 

「絵本ですね……」

 

「そうよ。まあ、絵の方はまだ仮のものだけどね。概ねそういうイメージで進めてもらえばと思っているのよ」

 

「ふむ……内容もとってもハートウォーミングでした」

 

「そう、それは良かったわ」

 

「だからこそ惜しい!」

 

「ええ?」

 

 いきなり口を開いた男性にヘレンが驚く。

 

「サキュバスの方が書いた本ならば、もっと刺激があってもいいはずです!」

 

「! そ、そんなことをしたら、下手すると発禁処分を食らっちゃうわよ?」

 

「もちろん、そんなことにはならないように我々も微力ながらお手伝いします!」

 

「う、うーん……」

 

「『家族で読めるエロ本』! これはどうでしょうか⁉」

 

「! ど、どうでしょうかもなにもそれはいくらなんでもマズいでしょう⁉」

 

「ギリギリを攻めるのです! 他と差をつけるにはこれくらいせねば……無論、今申し上げた『家族で~~』は作品の根底に忍ばせる裏テーマです。これが書き上げられれば、多くの読者――主に男性ですが――に夢を与えることが出来ます。よろしくお願いします!」

 

「う、う~ん……」

 

 揃って勢いよく頭を下げてくる男女にヘレンは戸惑う。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話(3)エキサイティング、ダイナミック

                  ♢

 

「ザビーネ先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「どうぞよろしくお願いします」

 

「ふむ。よろしく……しかし、先生というのは少々面映ゆいな」

 

 ザビーネがやや恥ずかしそうにする。

 

「早速ですが、打ち合わせの方を始めさせて頂きます」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

「原稿を拝読させて頂きました」

 

「そうか」

 

「ですが、これはなんというか……」

 

「うむ?」

 

「その……ジャンルは何になるのでしょうか?」

 

「『歓迎系』だな」

 

「か、歓迎系?」

 

「ああ」

 

 戸惑う男性に対し、ザビーネは自信満々に頷く。

 

「い、いわゆる『追放系』ではなく?」

 

「ああ、その真逆だな」

 

「ふ、ふむ……そうですか……」

 

「何か気になることでもあっただろうか?」

 

「い、いや、何と言いますか……君はどう思った?」

 

 男性は隣の女性に尋ねる。女性はやや間を空けてから答える。

 

「……一般世間とはだいぶかけ離れているかなと思いました」

 

「そ、そうか? まあ、舞台は騎士団なわけだしな……」

 

「そうは言ってもです。限度というものがあります」

 

「げ、限度?」

 

「ええ、毎回仕事後に皆で食事を囲んでいますね?」

 

「あ、ああ……」

 

「これがありえません」

 

「あ、ありえない⁉」

 

 ザビーネが驚く。

 

「ええ、強制的に飲みの場などに連れて行くのは『アルハラ』に繋がる恐れがあります」

 

「ア、アルハラ?」

 

「『コンプライアンス』的にもよろしくないかと」

 

「コ、コンプライアンス?」

 

「こういった点が読者から忌避されるかもしれません」

 

「き、忌避⁉ そ、そこまでか⁉」

 

「はい、そこまでです」

 

「し、しかしだな……若者がメインだから、彼らの飲酒シーンなどは書いていないし、基本同じ寮で暮らすのだ。食事などで顔を合わせるのは致し方無いだろう?」

 

「そこら辺が重荷に感じるというか……」

 

「それではどうすれば良いのだ?」

 

 ザビーネの問いに男性が口を開く。

 

「……『非干渉系』で行きましょう」

 

「非干渉系?」

 

「ええ、個人のプライバシーが尊重される昨今。騎士団とてそれは例外ではないはずです」

 

「例外だ! 個人主義者だらけの騎士団など聞いたこともないぞ!」

 

 ザビーネが立ち上がって声を上げる。

 

「まあ、その辺はフィクションということで折り合いをつけて頂いて……」

 

「折り合いって……」

 

「ザビーネ先生ならば、そういった騎士団の若者たちを主役に据えて、面白く、かつエキサイティングなストーリーをお書きになれるはずです。お願いします!」

 

「う、う~ん……個人主義者がそうそうエキサイティングするだろうか……?」

 

 揃って丁寧に頭を下げてくる男女にザビーネは困惑する。

 

                  ♢

 

「クラウディア先生、本日はよろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

「ふむ、先生か……悪くない響きだな」

 

 クラウディアがいかにも悪そうな笑みを浮かべる。男性が戸惑いながら話し始める。

 

「さ、早速ですが、打ち合わせの方を進めさせて頂きます」

 

「うむ、頼む」

 

「原稿を拝読させて頂きました」

 

「そうか」

 

「内容なのですが……これは……いわゆる一つの……」

 

「ん?」

 

「えっと……何と言いましょうか……」

 

「どうした?」

 

 言い淀む男性に対し、クラウディアが首を傾げる。

 

「その……おい、頼む」

 

 尚も言い淀む男性は隣の女性に話の続きを促す。女性は若干呆れながらも、クラウディアに対しては真面目な顔つきで話す。

 

「これは『魔族の裏話』というようなコンセプトですね?」

 

「まあ、ざっくりと言うとそうなるな」

 

「ふむ……」

 

 女性が顎に手を当てる。クラウディアが尋ねる。

 

「なにか気になることがあるのか?」

 

「気になること……そうですね」

 

「遠慮なく言ってくれ」

 

「……遠慮なく?」

 

「ああ、そうだ」

 

「良いのですか?」

 

「構わん」

 

「それでは、この魔族の裏話ですが……」

 

「うむ……」

 

「少々内容がマニアックではないかなと……」

 

「そ、そうか?」

 

「ええ、そうです」

 

「魔族の我ならではの視点だからな、そこが良いと思うのだが……」

 

「ユニークな視点であるということは認めます。しかし……」

 

「しかし?」

 

「読者のニーズとは乖離しています」

 

「なっ⁉」

 

 黙っていた男性が口を開く。

 

「読者の多くが求めているのは単純明快なストーリー!」

 

「単純明快……それならば……」

 

「あ、お考えがあれば、どうぞ!」

 

 男性がクラウディアを促す。

 

「魔族が勇者を倒すというのは?」

 

「あ~それも悪くないのですが……そこに一捻り」

 

「ひ、一捻り?」

 

「魔族の方が魔王を倒すというお話です」

 

「そ、そのような話を我に書けと⁉」

 

 クラウディアが思わず立ち上がる。男性はやや慌てながらも自らの考えを述べる。

 

「世間が好むのは下克上のストーリー! その点魔族のクラウディア先生なら、魔王の倒し方をある意味よくご存知なはず……シンプルかつダイナミックでありながらも、『その手があったか!』と読者が膝を打つお話がお書きになれるはずです。お願いします!」

 

「た、単純明快とか言ってなかったか……?」

 

 揃って丁寧に頭を下げてくる男女にクラウディアは戸惑う。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話(4)恥ずかしながら……

                   ♢

 

「うう……」

 

 私、森天馬は半泣きというか、ほとんど泣きながら会社の倉庫を掃除していた。小説でヒットを飛ばせと言っていたのに、肝心の小説が一作品も出来上がってこないのはどういうことだと編集長に詰められ、大事な大事な小説家志望を七名全員、カクカワ書店に引き抜かれてしまいましたと素直に白状した。 

 

 編集長の怒りは、それはそれは相当なもので、私は正直クビを覚悟したのだが、これまでそれなりに積み重ねた実績と、同僚たちのとりなしもあって、とりあえずクビは回避した。だが、編集の前線にすぐ戻ることは許されず、倉庫の掃除でもしておけと言われた。いつまでかは分からない。編集長の怒りが解けるまでだろうか? つまりずっとこのような状態なのかもしれない。私は絶望的な気持ちになっていた。

 

「……さん」

 

「はあ……ん? これは?」

 

 私は倉庫の棚に置いてあった何枚かのイラストに目を留める。どれも見事な出来栄えだ。

 

「モリ……」

 

「これらのイラスト……テイストは違うが、サインは同じだな?」

 

 私は首を傾げる。

 

「モリさん!」

 

「うわっ⁉ び、びっくりした!」

 

 倉庫の出入り口から女性の同僚が声をかけてきた。なんだろう、重いものを運んでくれとかそういうことであろうか。私はほうきを棚に立てかける。

 

「モリさん、お客さんですよ。女性が七名ほど……会議室で待ってもらっていますが……」

 

「!」

 

 私は倉庫を飛び出し、会議室に走る。一分もかからなかったのではないだろうか。あっという間に会議室に着いた私は、ノックするのも忘れて会議室へ入った。

 

「‼」

 

 皆さんの視線が集中する。エルフのルーシーさん、獣人のアンジェラさん、スライムのマルガリータさん、人魚のヨハンナさん、サキュバスのヘレンさん、女騎士のザビーネさん、魔族のクラウディアさんだ。

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

 私は乱れた呼吸を落ち着かせる。その呼吸が落ち着いたころを見計らって、ルーシーさんが頭を下げてきた。

 

「モリさん、申し訳ありませんでした!」

 

「え……」

 

 ルーシーさんに合わせて、他の六名もそれぞれ申し訳なさそうな表情を浮かべてこちらに頭を下げてきている。ルーシーさんが口を開く。

 

「ワタシたち全員、甘い誘いに乗り、カクカワ書店さんにふらふら行ってしまいました……」

 

「ああ……」

 

「とりあえず話を聞くだけと思っていたのですが、あれよあれよという間に、打ち合わせが始まってしまって……」

 

「はあ……」

 

 さすが大手はやることが早いな、などと妙に感心してしまった。

 

「しかし、その……打ち合わせをしてみて、あ、これ、なにか違うなって感じになって……」

 

「……」

 

 俯き加減だったルーシーさんがバッと顔を上げ、こちらを見つめてくる。

 

「もう一度、モリさんとお仕事をさせてもらえないでしょうか⁉」

 

「え?」

 

「随分と虫の良い話だとは自分たちでも思っています。ですが、やはりモリさんじゃないと駄目なんです。お願いします‼」

 

「……‼」

 

 ルーシーさんに合わせて皆が頭を下げてくる。私は一呼吸置いて答える。

 

「ふう……皆さん、どうぞ顔を上げて下さい」

 

「! ……」

 

 ルーシーさんたちが揃って顔を上げる。私は笑顔を浮かべる。

 

「皆さん、またご一緒出来ることを嬉しく思います」

 

「! お、怒っていないのですか?」

 

「そりゃあまあ、まったくなんとも……と言ったら嘘になりますが、とにもかくにも作品を完成させることが、今の私……そしてこの会社、カクヤマ書房にとって大事なことです。そのことは水に流して、また作品をともに作りましょう」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「……!」

 

 ルーシーさんたちが揃って頭を下げる。

 

「ちょうどいいですから、雑談がてら、軽く合同打ち合わせでもしましょうか? 皆さん、どうぞ席について下さい。お茶とお菓子を持ってきます」

 

 私は一旦、会議室を離れ、お茶とお菓子を用意し、席についた皆さんと雑談を始めた。皆さん緊張気味だったが、すぐにリラックスしてきた。ルーシーさんが苦笑する。

 

「……それでワタシは壮大なファンタジーを書けと言われたんです」

 

「壮大なファンタジーですか、それは書けるものならみんな書きたいですよね……」

 

 アンジェラさんがお茶をフーフーとしながら言う。

 

「……オレは涙涙の感動巨編を書けって言われたっす!」

 

「それも書けるものなら書きたいですよね……」

 

「オレにはちょっと無茶ぶりっす!」

 

 マルガリータさんが口を開く。

 

「ボクは『無色転生』という転生ものを書けと言われました……」

 

「正直タイトルには惹かれるものがありますね……」

 

「でも、無色と言われても……ボクは水色ですから!」

 

 引っかかるのそこなんだと思っていたら、ヨハンナさんが困り顔で語る。

 

「ワタクシは『オタクに優しい人魚姫』というのを提案されて……」

 

「それも異文化コミュニケーションの一つの形ですね……」

 

「ですが……オタクの方に優しい人魚なんて実在しませんよ?」

 

 それは聞きたくなかったなと思っていると、ヘレンさんが憮然とした表情で語る。

 

「アタシなんか『家族で読めるエロ本』を書けって言われたのよ?」

 

「そ、それはまた……」

 

「どうしろって言うのよ? ほとんど全部伏せ字になっちゃうわよ」

 

 出来るものならば正直読んでみたいと思ったが、黙っていた。ザビーネさんが口を開く。

 

「自分は……『非干渉系』の話を書けと言われた」

 

「非干渉系?」

 

「個人主義の騎士団が主人公だと……まったく矛盾している」

 

 ザビーネさんがため息をつく。クラウディアさんが口を開く。

 

「我は魔王を倒す魔族の話を書けと言われた……」

 

「そ、それは……」

 

「さすがに承服しかねた。それで恥ずかしながらここに戻ってきたというわけだ」

 

「……まあ、それはそれとして、私たちは従来の方針通りに作品作りを進めていきましょう」

 

「はい!」

 

 ルーシーさんを筆頭に全員が笑顔で頷いてくれた。

 

「それでは……ん?」

 

 その時、私は自分の頭に何かが閃いたような感覚を感じる。またこの感覚だ。

 

「どうかされましたか?」

 

「い、いえ、ちょ、ちょっとお待ちください! ……すみません! シエさん!」

 

 会議室を出た私はシエさんという女性の同僚に声をかける。

 

「なにか?」

 

「あの倉庫にある何枚かのイラストなんですが……」

 

「ああ、さっきご覧になっていましたね。全部私が描いたものです」

 

「! た、例えばですが、小説の挿絵をお願いすることは……」

 

「良いですよ、私で良ければ」

 

「や、やった!」

 

 小説の売り上げの何割かは挿し絵に懸かっていると言っても過言ではない。思わぬ形で神絵師ゲットとなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話(1)各業界への波及

                  11

 

「ふむ……」

 

 打ち合わせ室でクラウディアさんがコーヒーカップを置く。私は問う。

 

「いかかでしょうか?」

 

「良い風味と香りだ、以前よりも良い豆を使っているな」

 

「分かりますか?」

 

「ああ」

 

「お陰様でちょっと高いものを購入出来る余裕が生まれまして……」

 

「しかし……」

 

「はい?」

 

「実感がないな、我の書いた小説がベストセラーとは……」

 

 クラウディアさんが腕を組む。

 

「書店にも一緒に行ったじゃないですか」

 

「ああ、だが、なんというか……自分が書いたものが店に並んでいるというのが、今ひとつ信じられなくてな……」

 

「周囲の反響などはありませんか?」

 

「この間魔王城に顔を出したのだが……」

 

「はい」

 

「会う者、会う者からサインを求められたな……」

 

「へえ……」

 

 サインを求める魔族の方々というのもなんともシュールだなと思ったが、余計なことは言わないでおいた。

 

「さらに……」

 

「さらに?」

 

「魔王様からもお声がけ頂いた」

 

 私は驚く。

 

「ええっ⁉ 小説についてですか⁉」

 

「ああ。目を通して頂いたようだ」

 

 クラウディアさんが頷く。私は恐る恐る尋ねる。

 

「そ、それで……」

 

「ん?」

 

「ご感想は?」

 

「『なかなか興味深かった』だそうだ」

 

「ほ、ほう……」

 

「『続けて励め』ともお言葉を頂いた」

 

「そ、そうですか……」

 

「ふっ、何故貴様がそのように恐縮する?」

 

 クラウディアさんが私の様子を見て笑う。

 

「いやあ、なんといっても魔王様ですから……」

 

「……今度、連れていくか?」

 

「え! いやいやそれは……」

 

「魔王城の取材などなかなか出来ることではないぞ?」

 

「えっと……検討させて頂きます」

 

「遠慮するな」

 

「いえ、最近のスケジュールが色々と詰まっておりまして……」

 

 私は咄嗟に嘘を吐いた。スケジュールには若干の余裕がある。しかし、心の準備が出来ていない。魔王城の取材というのはたいへん興味深いことではあるが……。

 

「そうか、余裕が出来たら言ってくれ。我ならば基本顔パスだからな」

 

「そ、そうですか……それにしてもですね」

 

 私は話題を変える。クラウディアさんが首を傾げる。

 

「ん?」

 

「凄い評判ですよ、クラウディアさんの小説!」

 

「そうか?」

 

「そうですよ!」

 

「凄いといっても……具体的には?」

 

「魔族の仕事に注目が集まっています」

 

「ほう……」

 

「レベル上げの為にモンスターを配置してくれたり、良い所に良い感じのアイテムを設置してくれたり……日々そんな努力をして下さっていたなんて、皆さん、全然思いもよらなかったみたいです!」

 

「少し裏側に踏み込み過ぎたのではないかと思うが……」

 

「とんでもない! 今ではこれくらい、どこの業界でも普通です!」

 

「そ、そうか、普通か……」

 

「はい! さらにですね……」

 

「さらに?」

 

「『これならモンスターを狩れる!』、『魔族何するものぞ!』と言った調子で、勇者パーティーを組む者が若者を中心に増えてきています!」

 

「そ、それは良いのか?」

 

「……さあ?」

 

 私は首を傾げる。

 

「さあ?って……」

 

 クラウディアさんが戸惑う。

 

「宿泊業界は歓迎していますよ」

 

「宿泊業界だと?」

 

「ええ、冒険者たちが多数殺到して、宿屋のベッドがいくつあっても足りなくて嬉しい悲鳴を上げていらっしゃいます」

 

「ほ、ほう……」

 

「『魔族様々だ!』と感謝されている宿主さんもおられました」

 

「感謝されるのもなんだかむずがゆいな……」

 

 クラウディアさんが首を捻る。

 

「さらに旅行業界も歓迎しておりまして……」

 

「? 冒険者たちが旅行業をそこまで利用するのか?」

 

「いえ、いわゆる一般の方たちです」

 

「一般の方?」

 

「はい、小説を読んだ方々から『この場所に実際に行ってみたい!』という問い合わせが相次いでおりまして、旅行会社の皆様がそれぞれ急遽観光ツアーを組んでいます」

 

「か、観光ツアーだと?」

 

 クラウディアさんが面喰らう。

 

「はい、そういったツアーを私のいたニッポンの言葉を借りて、こう呼んでいます」

 

「ニ、ニッポンの言葉? 何と言うんだ?」

 

「『聖地巡礼』です」

 

「い、いや、聖地って!」

 

 クラウディアさんが声を上げる。私は首を捻る。

 

「おかしいですか?」

 

「モンスターが跳梁跋扈するような土地が聖地か?」

 

「はい」

 

「我が言うのもなんだが……世も末だな」

 

 クラウディアさんが頭を軽く抑える。

 

「いやあ、経済は活性化されていますから……」

 

「まあ、貴様らがそれで良いならそれで構わんが……」

 

「それでですね……」

 

「うん?」

 

「少し気が早いですが、第二弾についての打ち合わせをしたいのですが……」

 

「……正直書くネタには事欠かんぞ」

 

「それは頼もしい!」

 

「では、やはり魔王城へ取材に行くとしよう」

 

「うっ……」

 

 私は言葉に詰まる。やはり、避けては通れないのか……?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話(2)次元を超える

                  ♢

 

「うん……」

 

「あ、お茶菓子もどうでしょうか?」

 

 私は打ち合わせ室に座り、紅茶を優雅に飲むザビーネさんに茶菓子をすすめる。

 

「ほう、これは……」

 

「なにか?」

 

「あまり詳しくはないのだが、わりと高級な菓子ではないか?」

 

「あ、そうですね……お陰様でそういうのも用意出来るようになりまして……」

 

「お陰様……自分のか?」

 

 ザビーネさんが首を捻る。

 

「もちろんそうですよ! なんといってもベストセラーなんですから!」

 

「自分の著作がベストセラーとはな……」

 

「実感が湧きませんか?」

 

「正直言ってそうだな……」

 

「周囲の反応などはいかがですか?」

 

「騎士団寮ではわりと読まれているようだな」

 

「騎士団をモデルにしているお話ですからね、どんな内容なのか気になるんでしょうね」

 

「……なかなか気恥ずかしいものがある」

 

「どうしてですか?」

 

 私は首を傾げる。

 

「自分の日記を人に見られているような気がしてな」

 

「ああ……」

 

「やっぱり騎士団を舞台にしない方が良かった……」

 

 ザビーネさんが顔を両手で覆う。

 

「いやいや、リアリティーが出たのだから良かったですよ!」

 

 私は慌ててフォローをいれる。

 

「リアリティー……」

 

「そうです」

 

「小説とはフィクションだろう? そういう要素は果たして必要か?」

 

「無いよりは多少なりともあった方が良いと思います」

 

「多少……」

 

「それによって、作品に説得力が生まれますから……」

 

「説得力か……」

 

「はい。全部が全部フィクションというのも考えものです」

 

「そうか……」

 

「まあ、あくまでもこれは私個人の考え方ですが……」

 

「いや、納得出来る考え方だ……」

 

「それはなによりです……他の場所では反響などは聞いていませんか?」

 

「ああ、王宮だ」

 

「お、王宮⁉」

 

 私は驚く。

 

「女官を中心にして話題になっているようだ。王宮の衛兵部隊の者からそのように聞いた」

 

「お、王宮で話題とは凄いですね……」

 

「まったくとんでもないことになったものだ……」

 

 ザビーネさんが腕を組む。

 

「とんでもないことついで、と言ったらなんですが……」

 

「ん?」

 

「お願いしたいことがありまして……」

 

「なんだ?」

 

「正確にはある興行会社からのお願いなのです」

 

「興行会社?」

 

 ザビーネさんが首を傾げる。

 

「はい」

 

「興行会社がいったい何のお願いだ?」

 

「実は……ザビーネ先生の作品を舞台演劇として上演したいのだそうです」

 

「え、演劇⁉」

 

 ザビーネさんが立ち上がって驚く。

 

「そうです」

 

「な、何故だ……?」

 

「実は私がいた異世界の国、ニッポンでの流行なのですが……」

 

「ふむ……」

 

「『2・5次元舞台』というのが流行っているのです」

 

「『2・5次元部隊』? すごそうな部隊だな……」

 

「いえ、その部隊ではなく……」

 

「うん?」

 

「舞台です」

 

「ああ、そうか、すまん、混乱していた……」

 

「とにかくお座り下さい」

 

「うむ……」

 

「その流行に乗って、こちらの世界でも小説を舞台演劇にしようという機運が高まっておりまして……その第一作としてザビーネ先生の作品に白羽の矢が立ったということです」

 

「ふむ……」

 

「いかがでしょうか?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれないか?」

 

「なにか気になることが?」

 

「気になることだらけなのだが……まず聞きたいことがある」

 

「なんでしょうか?」

 

「そもそも2・5次元とはなんだ?」

 

「……我々がいるのが3次元の世界です」

 

 私はテーブルを指差す。ザビーネさんは頷く。

 

「ああ……」

 

「対して、この小説の挿絵などが2次元の世界です」

 

 私はテーブルの上に置かれた小説を指差す。

 

「う、うむ……」

 

「その間をとったのが、2・5次元の世界です」

 

「……」

 

「お分かりでしょうか?」

 

「……言うほど間をとっているか?」

 

「……細かいことはまあいいじゃないですか」

 

「いや、結構大きなことだろう」

 

「とにかくですね、ご自身の小説を元にした舞台……見てみたくはないですか?」

 

「む……」

 

「いかがでしょうか?」

 

「興味が無いと言えば、嘘になるな……」

 

「そうですか」

 

「芝居鑑賞も嫌いではないからな」

 

「それならば、舞台演劇化は了承したと伝えてよろしいですね?」

 

「ああ、構わない」

 

「それでは重ねてお願いが……」

 

「重ねて? なんだ?」

 

「出演者のオーディションです」

 

「オ、オーディション?」

 

「はい、主役の少年は一般公募から選びたいと考えておられるようです。その人選について、ザビーネ先生の意見も是非伺いたいと……」

 

「じ、自分は芝居については素人だ。遠慮させてもらおう……」

 

「国中から美少年が集まるそうですが……」

 

「やるからには厳しくいくぞ」

 

 ザビーネさんはこれ以上ないくらいのキリっとした表情でオーディションを了承した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話(3)サプライズ演出

「今日はわざわざご足労を頂いてありがとうございます」

 

 私はヘレンさんに頭を下げる。

 

「それは別に良いんだけど……」

 

「はい」

 

「えっと……?」

 

「ここは馬車のキャビンです」

 

「いや、それは分かるわ……」

 

 ヘレンさんがゆっくりと手を左右に振る。

 

「そうですか」

 

「そうよ。アタシが聞きたいのは……」

 

「聞きたいのは?」

 

「この馬車がどこに向かっているかってこと」

 

 ヘレンさんが窓を指差す。窓には厚いカーテンがかかっていて、外が見えない。

 

「ああ……」

 

「ああ、じゃなくて、なんでカーテンを閉め切っているの?」

 

「光が苦手でいらっしゃるかなと思いまして……」

 

「得意ってわけじゃないけど、全然大丈夫よ」

 

「そうでしたか」

 

「開けても良い?」

 

 ヘレンさんがカーテンに手をかけようとする。私は声を上げる。

 

「ああ! ちょっと待って下さい!」

 

「な、なによ……」

 

「……カーテンは閉め切ったままでお願いします」

 

「何故?」

 

 ヘレンさんが首を傾げる。

 

「理由は……三つあります」

 

「け、結構多いわね……」

 

 私は指を三本立てる。ヘレンさんがそれに戸惑う。

 

「まず一つ目は……」

 

「一つ目は?」

 

「パニックになるといけませんから……」

 

「パニック?」

 

「ええ」

 

「どういうことよ?」

 

「今や、ヘレンさん……いや、ヘレン先生はベストセラー作家です」

 

「そんなことは……」

 

「謙遜されても事実は事実です。有名作家が乗っていると分かったらパニックになってしまう恐れがありますので」

 

「顔は知られていないでしょう?」

 

「こう言ってはなんですが、この馬車は結構立派な馬車ですので……」

 

「そうね……」

 

「そういう馬車に乗っているサキュバスの方……ヘレン先生だとすぐに結び付けられてしまいますから」

 

「そ、そうかしらね?」

 

「そうです」

 

「なかなか不便ね……」

 

「こらえて下さい」

 

「いわゆる有名税ってやつね……」

 

 ヘレンさんは髪をかき上げる。なんだか満更でもなさそうである。

 

「とにかくこらえて頂いて……」

 

「まあ、それは分かったわ。他は?」

 

「はい?」

 

「他の二つよ」

 

 ヘレンさんが指を二本立てる。

 

「ああ、二つ目ですが……」

 

「うん」

 

「それは……これから向かう行先を秘密にしたいなと思いまして」

 

「秘密に?」

 

「はい。おぼろげな記憶なのですが、私が元いたニッポンでは、こういう移動の際に行先を秘密にして、いわゆるサプライズ感を演出するのが流行してまして……」

 

「か、変わった流行ね……」

 

「本当は出来れば、目隠しと耳栓もしてもらおうかと思ったのですが……」

 

「そ、それは、なんだか意味合いが変わってきちゃうわね……」

 

 ヘレンさんが困惑する。

 

「ええ、よって自粛しました」

 

「こっちの世界でも、貴族が秘密の社交場に向かうときにこういうことをしなくもないけど、別にそういう場所でもないんでしょ?」

 

「まあ、そうですね……」

 

「じゃあ、良いじゃない、ちょっとくらい外を覗いても……」

 

「まあまあ、それはお楽しみということで……」

 

「サプライズってこと?」

 

「そういうことです」

 

 ヘレンさんの問いに私は頷く。ヘレンさんが笑みを浮かべる。

 

「結構期待値が上がっちゃっているんだけど……」

 

「きっと、ご期待に沿うかと……」

 

「ふ~ん……で?」

 

「は?」

 

「いや、三つ目よ、三つ目の理由」

 

「ああ……いや、間違いです。理由は二つだけでした」

 

「なにそれ、どんな間違いよ」

 

 私の言葉にヘレンさんは苦笑する。本当はもう一つ理由があるのだが、黙っておくことにした。ヘレンさんが醸し出す極上のフェロモンは厚いカーテンなどで覆っていないと、馬車とすれ違った人々が大変なことになってしまうからだ。キャビンも特製で、御者や馬にも影響が出ないように配慮してある。ただ、これまでわざわざ伝える必要はないと判断した。

 

「! 着きましたね……」

 

「ふむ……」

 

「それでは降りて下さい」

 

「これは……建物の入り口?」

 

「入り口にピッタリつけてもらいました。どうぞお入り下さい」

 

「え、ええ……」

 

 ヘレンさんが建物に入る。私は先に進むように促す。

 

「どうぞ、お進み下さい」

 

「これは劇場かしら? !」

 

「~~♪」

 

「わあ~!」

 

「こ、これは……」

 

 ヘレンさんが驚く。劇場の舞台で動物の着ぐるみが数体、劇を展開し、それを見た観客が――そのほとんどが子供である――声援を送っているのである。

 

「事後報告になってしまいたいへん恐縮なのですが、ヘレンさんの書いた絵本を着ぐるみショーにさせてもらいました」

 

「サプライズってこれのこと⁉」

 

「はい、そうです」

 

「~~~♪」

 

「あはは!」

 

「すごい……子供たちがアタシの書いた話であんなに喜んでいる……」

 

「いかがでしょう?」

 

「……こういう風に人の感情を動かすのもなかなか良いものね」

 

 私の問いに対し、ヘレンさんは嬉しそうに笑みを浮かべる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話(4)コンセプト

「……ぷはっ!」

 

「ああ、ヨハンナさん!」

 

 私は海面に顔を出したヨハンナさんに海岸から手を振る。

 

「モリさん!」

 

 ヨハンナさんも私に気付き、泳いで寄ってくる。

 

「お疲れ様です」

 

「お疲れ様です。えっと、今日はなんでまたこちらに待ち合わせを?」

 

 ヨハンナさんが私に尋ねる。

 

「会社に来てもらうよりこちらの方が近いと思ったので……」

 

「こちらの方が近い?」

 

 ヨハンナさんが首を傾げる。

 

「はい」

 

「よく分からないですね……」

 

「とりあえずあちらの方へ向かいましょうか」

 

 私は少し離れたところを指差す。

 

「あちらですか?」

 

「ええ、そうです」

 

「このまま泳いでいっても?」

 

「それでも構いませんよ」

 

「う~ん……」

 

 ヨハンナさんは顎に手を当てて考える。

 

「ヨハンナさん?」

 

「並んで海岸沿いを歩いた方が、時間がより多くなる……あざといかしら? いや、これくらいしても罰は当たらないはず……」

 

 ヨハンナさんがなにやらぶつぶつと呟く。

 

「あの……どうかしましたか?」

 

「あ! い、いえ……」

 

「もしかして……」

 

「え?」

 

「具合でも悪いんですか?」

 

「そ、そんなことはありませんわ!」

 

「そうですか……」

 

「あの……ワタクシも陸に上がります!」

 

「え? まだ少し距離がありますが……」

 

「大丈夫です!」

 

 ヨハンナさんが陸に上がり、私と並んで歩き出す。

 

「本当に大丈夫ですか?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

「それなら良いのですが……」

 

「う~ん、良い風ですね~」

 

 ヨハンナさんが伸びをする。私も同調する。

 

「今日は暑すぎず、風も吹いていいですね」

 

「本当に……」

 

「実はですね……」

 

「ええ」

 

「今日は確認してもらいたいことがありまして……」

 

「確認?」

 

「はい、最近は色々立て込んでおりまして、事後報告になってしまって恐縮なのですが……」

 

「事後報告?」

 

「ええ、まあ、何を言っても言い訳になるのですが……」

 

「別に構いませんよ」

 

 ヨハンナさんが笑みを浮かべる。

 

「え、本当ですか?」

 

「もちろん、内容によりますが……」

 

 ヨハンナさんの視線がすぐに厳しいものになる。

 

「そ、そうですよね……」

 

 私は噴き出る汗をハンカチで拭う。

 

「もっと涼しい格好でいらっしゃったら良かったのに……」

 

「いえ、これも仕事ですから」

 

「仕事?」

 

「あ……」

 

 私は口を抑える。

 

「いや、もう遅いですよ。大体分かっちゃいました」

 

 ヨハンナさんが私の顔を覗き込んで悪戯っぽく笑う。

 

「サプライズ的に演出したかったのですが……」

 

「ふふん、狙いは外れましたね~」

 

「残念無念……!」

 

 私は地面に跪く。ヨハンナさんが戸惑う。

 

「え⁉ そ、そんなにガッカリすることなんですの⁉」

 

「まあ、気を取り直して……見えてきましたね、あちらです」

 

「⁉ あ、あれは……⁉」

 

 私の指し示した先を見て、ヨハンナさんが驚く。

 

「ヨハンナさんの小説の大ヒットを受け、小説の世界観を出来る限り再現させた期間限定の『コンセプトカフェ』ならぬ『コンセプト海の家』です!」

 

「コ、コンセプト……海の家?」

 

「はい、作中でも度々登場しますよね。海の家?」

 

「え、ええ、でもまさか……こんな立派なものを作って……頂けるなんて……」

 

 ヨハンナさんはもう既に感無量と言った感じだ。とはいえ、仕事は進めなければならない。

 

「ヨハンナ先生!」

 

「先生⁉ ワタクシのことですか?」

 

「そうです。そろそろ慣れて下さい」

 

「いや、これがどうしてなかなか……気恥ずかしいものがありますので……」

 

「とにかく、このコンセプト海の家、明日にプレオープンを控えておりますので……」

 

「また、急な話ですね……」

 

「そのことに関しては本当に申し訳ありません!」

 

 私はヨハンナさんに頭を下げる。

 

「まあ、それはもう仕方ありませんわ……」

 

「そう言って頂けると……それで先生にはいくつか確認を……」

 

「確認……なにをですか?」

 

「まず、この海の家の内装です!」

 

「……店の外装も含めて、魅力的な挿し絵にほぼ近い形で再現してもらいました。ワタクシから言うことは特にありませんわ」

 

「そうですか! それは良かった!」

 

 私とその周囲にいるスタッフに安堵する声が広がっていく。

 

「スタッフさんですが……ルックス重視ではなく、感じの良い方を揃えてくれましたね」

 

「はい、面接を何度も行いましたから……」

 

「男の子の服装はカッコイイし、女の子の服装はカワイイ……良い感じですわ!」

 

 ヨハンナさんが右手の親指をグッと立てる。私たちはまた安堵する。

 

「……お待たせしました! 目玉メニューの『焼きそば』です!」

 

「いただきます……うん、とっても美味しいですわ♪」

 

「そうですか、良かった!」

 

 私たちはヨハンナさんの反応に三度安堵する。

 

「こんな海の家を作って頂いて、次回作の構想も膨らみますわね……」

 

「え? そ、それはどんな感じですか?」

 

「……ふふっ、それはまだ内緒ですわ」

 

 ヨハンナさんは私の顔をじっと見つめてから、さっと顔をそらすのだった。

 

「?」

 

「焼きそばのおかわり下さいます~?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話(1)作家さんに無理はさせません

                  12

 

「お疲れ様です、マル……先生」

 

 私はマルガリータさんに頭を下げる。

 

「え、せ、先生ですか?」

 

「はい」

 

「い、いや、モリさん、今までみたいに、マルさんって呼んで下さいよ」

 

「いやいや!」

 

 私の言葉にマルガリータさんはビクッとする。

 

「え、ええ……」

 

「……そういうわけには参りません」

 

「な、何故ですか?」

 

「……先生がベストセラー作家だからです!」

 

「だ、だからといって……」

 

「少なくともこういう公の場では、作家と担当編集というケジメを今まで以上にしっかりとつけなければなりません……」

 

「は、はあ、そういうものですか……」

 

「そういうものです」

 

「ただ……」

 

「はい?」

 

「少なくとも公の場では……とおっしゃいましたよね?」

 

「……まあ、はい」

 

「では私的な場ではこれまで通りの関係性ということで構わないということですね?」

 

「あ、はい……これまで通りというのが、いまいち分からないような……」

 

 戸惑う私にマルガリータさんが畳みかけてくる・

 

「公的な場に影響を及ぼさなければ、私的な場でどのように交流を深めても問題ないと……そういうことですね?」

 

「ああ、はい……そ、そうなんですかね?」

 

 私の答えにマルガリータさんは笑みを浮かべたように見えた。

 

「私的な関係性に何らかの進展があっても、大丈夫だと!」

 

「えっと……何をもって大丈夫なのかにもよりますが……」

 

「問題ないということですね? 先程モリさんは、この問いにはいとお答えになりました」

 

「え? ま、まあ、はい……」

 

「それならば結構です」

 

「そ、そうですか……」

 

 何かヌルヌルっと外堀を埋められてしまったような気がするが、まあ、それはいい。

 

「そこで、ここは? どこなんでしょうか?」

 

 マルガリータさんが周囲を見回す。白い壁に覆われたさほど広くない部屋だ。

 

「えっと……ここは体育館です」

 

 私は答える。

 

「体育館?」

 

 マルガリータさんが戸惑う。

 

「あ、来られるのは初めてですか?」

 

「いや、別の体育館にはありますが、もう少し大きい方……」

 

「ああ、それは第一体育館の方ですね」

 

「え、ええ、確かそうでしたね……」

 

「本日お越し頂いたのは第十三体育館の方です」

 

「け、結構多いんですね、体育館って……」

 

 マルガリータさんが苦笑する。

 

「そうなんです、この国は案外広いですから」

 

「えっと……」

 

「はい」

 

「今日はこちらでサイン会ですか?」

 

「いいえ」

 

「え? あ、トークイベントですか?」

 

「いえ」

 

「え? 違うんですか?」

 

「全然違います」

 

「ぜ、全然違う……?」

 

 私の言葉にマルガリータさんははっきりと困惑する。

 

「サイン会もトークイベントもこの間、行って頂きましたよ」

 

「そ、そうですよね……そ、それでは何を……」

 

「……こちらを」

 

 私はある物をマルガリータさんに手渡す。マルガリータさんはそれを確認する。

 

「こ、これは……マスク?」

 

「はい、『転移したらプロレスラーになった件』、通称『転スラ』の著者であるマルガリータ先生に、謎の覆面レスラーとして、プロレス団体とのコラボマッチに参戦してもらいます!」

 

「ぜ、絶対、嫌です!」

 

 マルガリータさんは激しく拒絶する。

 

「さあ~皆さん、お待ちかね~選手の入場だ!」

 

「うおおおっ!」

 

「赤コーナー! マッドに大量の血の雨を降らす、この国のプロレス界一の嫌われ者ながら、その圧倒的なまでの強さで絶対王者に君臨する! チャンピオン・グレゴリー選手!」

 

「イエーイ!」

 

「ブゥゥー!」

 

 大きな声援とそれをかき消さんばかりのブーイングが入り交じり、会場は早くも異様な雰囲気に包まれている。

 

「それでは青コーナー! 今や知らないもののいない、大ヒット小説、『転移したらプロレスラーになった件』、通称『転スラ』で、この国に未曾有のプロレスブームを巻き起こした才媛が今宵、なんと自らマッドに上がることになったぞ!」

 

「うおおっ!」

 

「まさか自分がリングデビューとか、おもしれー女!」

 

 観客は早くもヒートアップしている。司会が続ける。

 

「それでは、挑戦者、マルガリータの入場だ!」

 

「キャアア! ……?」

 

「ウエーイ! ……ん?」

 

「マルガリータ、軽やかにロープを飛び越えてリングに入場だ!」

 

「ざわざわ……」

 

「観客がざわついています! その理由はもっとも! 本当にマルガリータ先生ですか⁉」

 

「え、ええ……」

 

「声高っ! って、そうじゃなくて先生、声の調子がおかしくないですか?」

 

「ちょっと風邪を……でも大丈夫です」

 

「そ、そうですか、思ったよりガタイが良いんですね?」

 

「プロレス用に仕上げてきました」

 

「な、なるほど……それでは、コラボマッチ、3分一本勝負、レディ……ファイト!」

 

「ふん!」

 

「おっと、グレゴリー選手とマルガリータ先生がリングの中央でがっぷり四つに組んだ!」

 

「む……アンタ、マルガリータ先生じゃねえな? 何者だ⁉」

 

「お、大声を出さないで下さい。担当編集のモリが先生の代わりを務めます……」

 

 私は『転スラ』にも出てくる、主役の青いマスクを被ってリングに上がった。冷静に考えれば、怪我の恐れがあるプロレスなどさせられるわけがない。まったく、会場の熱気に当てられて、どうかしていたようだ……。まあ、後は適当にそれっぽく立ち回ってもらえば……。

 

「ふざけんな! 俺はマルガリータ先生の大ファンなんだぞ! だからこのコラボマッチとやらも受けてやったのに! なんで知らねえ男とプロレスしなきゃならねえんだ!」

 

「えっ⁉ ちょ、ちょっと待って、チャンピオン! 技がガチだから!」

 

 私は見事なヘッドロックを極められる。どうしてこうなった。

 

「作家の代わりに、時には体を張るのも辞さない……へ、編集愛、確かに受け取りました」

 

 リングサイドでマルガリータさんが何故か顔を赤らめながら拳を握る。拳を握る前にタオルを早くリングに投げて欲しい……。あ、ヤバい、意識が遠くなる……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話(2)企画案検討

「お疲れ様です。アンジェラ先生」

 

「う、う~ん……」

 

 アンジェラさんが腕を組む。

 

「どうかされましたか?」

 

「い、いや、その……呼び名っていうか……」

 

「呼び名?」

 

「先生っていうの、いまだに慣れないっすね……」

 

 アンジェラさんが鼻の頭をポリポリと掻く。

 

「とはいえ、もう立派なベストセラー作家さんなのですから……」

 

「実感が湧かないっすね……」

 

 私の言葉にアンジェラさんは苦笑しながら首を傾げる。

 

「いやいや、書店に並ぶ本も軒並み売り切れですよ!」

 

「そうなんすか?」

 

「ええ!」

 

「ああ、それは良かったっす……」

 

「本当に良かったです」

 

「それで……今日はなんすか? すごい立派な建物ですけど……」

 

 アンジェラさんが落ち着かないように周囲を見回す。今、私たちはこの国でも有数の大会社のオフィスにお邪魔している。

 

「先生の作品について様々なコラボ企画が持ち上がっています!」

 

「コラボ? なんすか、それ?」

 

 アンジェラさんが尋ねてくる。

 

「コラボとはコラボレーションの略です」

 

「いや、そのコラボレーションが分からないっす……」

 

 アンジェラさんが戸惑いを見せる。

 

「なんといいますか……『協力する』といったような意味です」

 

「協力する……」

 

「ええ、こちらの会社も含め、非常に多くの会社がコラボを申し出て下さいまして……」

 

「へえ……」

 

「今回はそのコラボ企画の案について、いくつか検討して頂こうかと……」

 

「あの、それって……」

 

「はい?」

 

「こっちに得はあるんすか?」

 

「もちろん、お金は発生しますよ」

 

 私は右手で小さな丸をつくる。アンジェラさんが手を振る。

 

「い、いや、それも大事ではあるんすけど……」

 

「え?」

 

「作品にとってはプラスになるのかなって……」

 

「それももちろんです!」

 

「は、はっきり言ったっすね……」

 

「コラボ企画がヒットすれば、作品の更なる盛り上がりに繋がります!」

 

「そ、そうっすか……」

 

「そうっす!」

 

「ふ~ん、それなら……」

 

 アンジェラさんが頷く。

 

「では、企画検討に移ってもよろしいでしょうか?」

 

「はいっす」

 

「それでは……」

 

 私は別の部屋から皿が何枚か乗ったプレートを持ってくる。皿の上には料理などが乗っている。アンジェラさんが目を丸くする。

 

「こ、これは、もしかして……」

 

「作中に出てくる、料理やお菓子を再現してもらいました!」

 

「ええっ⁉」

 

「どうです? イメージに近いんじゃないですか?」

 

「いやいや、ほとんどそのままっすよ!」

 

「いかがでしょうか?」

 

「すごいっす! 創作料理みたいなもんだったのに……今こうして現実に存在している!」

 

 アンジェラさんが両手で皿を指し示す。尻尾も揺れる。

 

「これなら作品を読んだファンの方々にも喜んでもらえるかなと……」

 

「いや、それはもう! きっと喜んでくれるっすよ!」

 

「それでは……」

 

 私は皿を指し示す。アンジェラさんが首を捻る。

 

「え? なんすか?」

 

「味の方を……」

 

「えっ⁉ 食べていいんすか⁉」

 

「ええ、今日は試食もしてもらおうと思いましたから……」

 

「うわ~……」

 

「さあ、お好きなものからどうぞ」

 

 私が促す。

 

「じゃ、じゃあ、まずこれを……」

 

「どうですか?」

 

「美味いっす!」

 

「どんどんお食べ下さい」

 

「じゃあ、これも……美味い! あれは……美味い! 美味い!」

 

 アンジェラさんが満足そうな表情を浮かべる。私は頷く。

 

「ご満足いただけたようでなによりです……」

 

「いやあ~良かったっす」

 

「では、このまま開発を進めてもよろしいでしょうか?」

 

「ええ、構わないっす!」

 

「ありがとうございます。それでは続いて……」

 

「おお、他にもあるんすね!」

 

「……これはどうでしょう?」

 

「かっこいいっすね!」

 

「……これはいかかでしょう?」

 

「かわいいっすね!」

 

「……これは?」

 

「良い感じっす!」

 

 私は様々なコラボ企画案を伝える。幸いにして、アンジェラさんからはいずれも好反応をいただくことが出来た。

 

「それでは……」

 

「まだあるんすね!」

 

「これが今回最後です……こちらです」

 

 私が別の部屋から持ってくる。アンジェラさんが怪訝な顔になる。

 

「こ、これは?」

 

「抱き枕です」

 

「だ、抱き枕⁉」

 

「ええ、かわいいモンスターの絵が描かれた抱き枕。まるでそのモンスターと一緒に寝ているかのような気持ちになります」

 

「う~む……」

 

 アンジェラさんが枕をつつく。表情は渋い。マズい、さすがに攻め過ぎたか?

 

「あ、あの……」

 

「……これは羊毛っすね?」

 

「は、はい……」

 

「これはフェンリルっすよね? ならば、フェンリルの毛を使うべきだと思うんすよ」

 

「えっ⁉ い、いや、しかし……」

 

「そういうところも徹底していないと、ファンの方は醒めてしまうと思うんすよね」

 

「わ、分かりました……先方に伝えます……」

 

 こ、こだわりが強い……。いや、これがヒットに繋がるなら……。私はうんうんと頷く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話(3)驚きのお知らせ

「ふう……書き終わりました」

 

「お疲れ様です、ルーシー先生」

 

 私はルーシーさんに声をかける。

 

「先生と呼ばれるのはやはり気恥ずかしいですね……」

 

 ルーシーさんは額の汗をハンカチで拭く。

 

「そうは言っても、先生はもはや大ベストセラー作家なわけですから……」

 

「ベストセラー……実感がありません」

 

「そうですか?」

 

「ええ、書店などにもなかなか足を運べませんし……」

 

「ああ、色々とお願いしていますからね……今日はサイン五百冊……」

 

「い、いえ、サインなどをお願いされるのが嫌だというわけではありませんよ!」

 

 ルーシーさんが慌てて手を振る。私はふっと笑う。

 

「分かっていますよ」

 

「だけど……」

 

「だけど?」

 

「自分がサインを書くことになるなんて思ってもみませんでした……」

 

「大変ですか?」

 

「サインを考えるのにまず頭を悩ませました」

 

 ルーシーさんが自分の頭を指で軽く抑える。

 

「でも……」

 

「でも?」

 

「結構堂に入ってきましたよ、ルーシーさんのサインを書く様子」

 

「か、からかわないで下さいよ……」

 

「いや、本当に……」

 

「そういう冗談はいいですから」

 

「冗談ではありませんよ」

 

「もう……」

 

「……とっても綺麗になりました」

 

「え?」

 

「え? どうしました?」

 

「い、いや、綺麗になったって……」

 

「ええ、サインが」

 

「あ、ああ……」

 

「どうかしましたか?」

 

「べ、別に! どうもしません!」

 

 ルーシーさんは声を上げる。

 

「?」

 

 私は首を傾げる。

 

「……それで?」

 

「はい?」

 

「今日はもうおしまいでしょうか?」

 

「ああ、お伝えしたいことがありまして……」

 

「はあ……」

 

「え、えっと……」

 

 私は視線をきょろきょろとさせる。

 

「なんでしょう?」

 

「実はですね……」

 

「はい」

 

「なんと……」

 

「なんと?」

 

「ルーシー先生の作品が……」

 

「ワタシの作品が?」

 

「漫画になります!」

 

「!」

 

「おめでとうございます!」

 

 私はパチパチと拍手をする。

 

「ま、漫画ですか?」

 

「はい、近年、この世界でも若年層を中心にシェアを伸ばしてきているメディアですね」

 

 私がルーシーさんに説明する。

 

「は、はあ……」

 

「もしかして……ご存知ない?」

 

「い、いえ、もちろん知っています」

 

 ルーシーさんは手を左右に振る。

 

「お読みになったことは……?」

 

「タイトルがパッと出ませんが……何冊かはあります」

 

「そうですか。今回漫画化したいというオファーを頂きまして……」

 

「漫画化……」

 

「これは良い話だと思ったのですが……もしも……」

 

「もしも?」

 

「ルーシー先生のお気に召さないようであれば、先方にお断りを入れます」

 

「い、いいえ、そんな、とんでもない!」

 

 ルーシーが激しく手を左右に振る。

 

「そうですか?」

 

「ええ、ワタシの小説のあのシーンや、あのキャラまで、絵がつくということですよね?」

 

「そういうことになります」

 

「えっと、絵柄に関してですが……」

 

「詳細についてはこれからルーシー先生に監修してもらうことになりますが……基本的にはシエ先生の表紙や挿し絵のイメージを出来る限り尊重する形になります」

 

「ああ、それは良かったです……」

 

 ルーシーさんはホッとした様子で胸を撫で下ろす。

 

「お話自体ももちろん原作を大幅に改変するということはありません」

 

「ふむ……」

 

「どういった構成にしていくかなどについては今後の打ち合わせで決めて行こうということになっております」

 

「打ち合わせ……」

 

「もちろんルーシー先生に毎回参加して頂こうと思っています」

 

「は、はい……」

 

 居ずまいを正すルーシーさんに私は笑う。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、優しい感じの女性でしたから」

 

「あ、そうですか……」

 

「漫画家さんも女性です」

 

「へえ……」

 

「やはり、ルーシー先生の作品の世界観を表現するのは、女性漫画家さんが適任だろうという話になったようで……期待の新人さんだそうです」

 

「新人さんですか……」

 

「いや、実力は確かだと私も思っていますよ?」

 

 ルーシーさんが慌てる。

 

「いえいえ! そんな生意気なことを考えたわけではなくてですね! ……私も?」

 

「実はネームを見せてもらって……それをお借りしてきたんですが……」

 

「ネーム?」

 

「漫画の下書きのようなものです。といっても、ほとんど完成形に近いかたちですけどね。漫画家さんの気合いの入りようを感じます……どうぞ」

 

 私はカバンからネームを取り出し、ルーシーさんに見せる。

 

「わあ……!」

 

 ネームを見たルーシーさんの顔がパッと明るくなる。

 

「これならヒット間違いなしかと……」

 

「ええ、間違いないです! ワタシが読者なら、思わず手に取ってしまいます!」

 

 ルーシーさんが笑顔を見せる。私は企画の更なる成功を確信した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話(4)インタビュー

「クラウディア先生、本日はあらためてインタビュー、どうぞよろしくお願いします」

 

 雑誌の編集者が頭を下げる。

 

「ああ、よろしく頼む……」

 

「ご著書の大ヒット、どのようにお感じですか?」

 

「まだまだ戸惑いの方が大きいな……」

 

「著書の中に描かれた場所を巡る、『聖地巡礼』も好評ですが……」

 

「『聖地』ってなんだろうかとついつい考えてしまうな……」

 

「そうですか?」

 

「ああ、これで良いのだろうかともな……」

 

 クラウディアが腕を組む。

 

「ですが、つい先日、先生も参加されるツアーが実施されたそうですね?」

 

「そうだな」

 

「応募者が殺到したと聞いています」

 

「参加者は少ないだろうと思ったが……正直ホッとした」

 

「読者との交流はいかがでしたか?」

 

「悪くはなかったな……」

 

「今後、魔王軍の親善大使に任命されるというお話も伺っていますが……」

 

「本末転倒な気もしないでもないが……魔王様の命なら謹んでお受けする」

 

                  ♢

 

「ザビーネ先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「ああ、よろしく……」

 

 ザビーネが頭を下げる。

 

「ご著書を原作とした舞台、大好評でしたね」

 

「お陰様でな……毎回、満員御礼だった」

 

「キャスティングについてもかなりこだわられたようですね」

 

「まあ、自分なりのイメージがあるからな……」

 

「特別合宿もあったとか……」

 

「騎士団を演じるわけだからな、生兵法は大怪我の元とも言う。しっかりと訓練を積む必要があると感じた」

 

「キャストと寝食をともにしたとか……」

 

「寝床は別だ……やはり自分という騎士と過ごせば、役のイメージも掴みやすいだろうと思ってな。決して他意はないぞ」

 

 ザビーネは首を振る。

 

「キャストの皆さんは揃って『合宿はキツかった』とおっしゃっていました」

 

「ついつい指導に熱が入ってしまった……」

 

「地方でも公演をして欲しいという声も聞かれます」

 

「地方巡業の旅……悪くはないな」

 

 ザビーネが顎に手を当てる。編集者が首を傾げる。

 

「はい?」

 

「い、いや、前向きに検討したいと考えている……」

 

                  ♢

 

「ヘレン先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「は~い、お願いね~」

 

 ヘレンがヒラヒラと手を振る。

 

「ご著書を原作とした着ぐるみのショー、たいへん好評でしたね」

 

「ね~嬉しいことだわ」

 

「お客さんはお子さんが多いようですが……」

 

「ええ」

 

「ショーは見に行かれたんですか?」

 

「お忍びだけど、もう十回は見に行ったんじゃないかしら?」

 

 ヘレンが首を傾げる。編集者が驚く。

 

「十回ですか! 原作者としてそこまでお気に召すショーだったのですね?」

 

「ああ、ショーはほとんど見てないのよ」

 

 ヘレンが手を振る。

 

「……え?」

 

「いや、もちろんショーは素晴らしかったわよ、ただね、それを見る子供たちのリアクションがも~う、いちいち可愛くて!」

 

「ああ……」

 

「それを見に行っていたようなものね」

 

「なるほど……」

 

「ああいうのを見ると……」

 

「見ると?」

 

「ああ、アタシにもこんな純粋な時期があったんだな……って思うのよ」

 

「え、あったんですか?」

 

「あったわよ! ……うる覚えだけど」

 

                  ♢

 

「ヨハンナ先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「こちらこそよろしくお願いしますわ」

 

「ご著書の大ヒットについてはどのようにお考えですか?」

 

「う~ん、皆さん思った以上に、人魚に対して興味がおありだったんだなって……」

 

「作中の人魚のファッションを真似する人間の方も増えています」

 

「それは嬉しい限りですわね。互いの文化への理解がさらに進めば良いと思っています」

 

 ヨハンナが微笑む。

 

「先日は海の家の一日店長もされましたよね?」

 

「はい、しました」

 

「いかがでしたか?」

 

「貴重な経験をさせて頂いて、大変感謝しております」

 

「読者の方も多く詰めかけたそうですが?」

 

「そうですね」

 

「そのお陰か、記録的な客入りだったようですね」

 

「本当にありがたいことです……」

 

 ヨハンナは胸の前で両手を合わせて深く頷く。

 

「今度は海中で海の家をオープンするという噂も聞こえてきますが?」

 

「ふふっ、面白いお話ですけど、安全面などで難しいかと……でも、海の中の素晴らしさをもっと知ってもらえたら良いですね……」

 

                  ♢

 

「マルガリータ先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「お、お願いします……」

 

 マルガリータは緊張気味に頭を下げる。

 

「ご著書の大ヒット、どうお思いですか?」

 

「そうですね、題材がマニアックかなと思ったんですが、分からないものですね」

 

 マルガリータは笑顔を見せる。

 

「プロレスも人気を集めていますが、そのことに関しては?」

 

「嬉しい限りです」

 

「プロレスがさらに人気になれば、作品との相乗効果も見込めますね?」

 

「商業的な話はボクには分かりかねます……」

 

 マルガリータは苦笑気味に答える。

 

「そうですか……」

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「エンターテイメント業界が全体的に盛り上がれば、それはとっても素晴らしいことだと思います」

 

「そういえば、先日、先生自らリングに上がられましたよね?」

 

「え? ああ、は、はい……」

 

「ああいうこともまたご期待して良いのでしょうか?」

 

「ま、まあ、どうなるか……スケジュール次第ですかね?」

 

                  ♢

 

「アンジェラ先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「よろしくっす!」

 

 アンジェラは元気よく返事をする。

 

「ご著書の大ヒットに伴い、コラボ商品も数多く発売されました」

 

「そうっすね!」

 

「中でもお気に入りというのはありますか?」

 

「う~ん、やっぱり、食品系ですかね?」

 

「なるほど」

 

「美味しいから。ついつい食べすぎちゃって……」

 

 アンジェラは苦笑しながら、自らのお腹をさする。編集者も笑う。

 

「確かに美味しいですよね。他に気に入っているのはありますか?」

 

「……抱き枕っすかね?」

 

 アンジェラは腕を組みながら答える。

 

「あ~抱き枕! あちらも大好評ですよね」

 

「最初は正直どうかな?って思ったんすけど……」

 

「実際にフェンリルの毛を使うこだわりぶりが凄いなと感じました」

 

「実は……次も考えているんすよ」

 

「え? 次ですか?」

 

「はい、フェニックスの抱き枕っす……」

 

「ええ⁉ フェニックスの羽毛なんて、手に入れるのが大変じゃないですか?」

 

「そこはフェンリルの時と同様、信頼出来る編集者さんにお願いしたいと思っているっす」

 

                  ♢

 

「ルーシー先生、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 ルーシーが丁寧に頭を下げる。

 

「まずご著書の大ヒットですが、どのように捉えていますか?」

 

「まだまだ実感が湧かないというのが正直な所です。多くの読者の方に届いたことは嬉しく思っております」

 

「周囲の反応はいかがですか?」

 

「家族や友達も皆、自分のことのように喜んでくれています」

 

「それは良かったですね」

 

「ええ、本当に……」

 

 ルーシーが笑みを浮かべる。

 

「先日、漫画化もされました。こちらも大好評です。このことについては?」

 

「活字に苦手意識を持っている方もいらっしゃると思うので、そういう方にも作品を知って頂ければ良いなと思っております」

 

「漫画版の出来については?」

 

「それはもちろん、大満足です!」

 

「ご著書が出版されたばかりの時も取材させて頂きましたが……」

 

「はい、そうでしたね」

 

「その時は『自分が作家なんて信じられない』とおっしゃっていました」

 

 ルーシーが苦笑する。

 

「ああそうですか、それは今もそう思っています」

 

「同じように、『過去の自分に伝えてあげたい』ともおっしゃっていました」

 

「ええ、そうですね、『諦めないで』、『まず一歩を踏み出してみて』ということを過去のもがいている自分に伝えたいですね」

 

                 ♢

 

「モリさん、本日はどうぞよろしくお願いします」

 

「よ、よろしくお願いします……あの、本当に私で良いんですか?」

 

「ええ、今やモリさんは敏腕編集者ですから」

 

「そ、そんなことはありませんよ……」

 

 モリは照れくさそうに後頭部を掻く。

 

「ここまでヒット作を量産出来る秘訣はなんですか?」

 

「秘訣……なんでしょう? こちらが教えて欲しいです」

 

 モリは笑いながら答える。

 

「少し意地悪な質問かもしれませんが……」

 

「どうぞ」

 

「スキル【編集】の影響もあるのではないでしょうか?」

 

「ああ、それも多少はあるかもしれませんが……でもやっぱり……」

 

「やっぱり?」

 

「作家さんそれぞれの努力の賜物だと思います」

 

「努力ですか」

 

「ええ、結局はそれです」

 

 モリが深く頷く。

 

「いわゆる才能とかでもなくて?」

 

「もちろん、文章を紡ぐ才能などもそれぞれ持ち合わせていらっしゃると思いますが……努力することもまた才能だと思います」

 

「ふむ……」

 

「ちょっと偉そうですかね?」

 

 その後もモリは編集者の質問にいくつか答える。

 

「……それでは最後の質問です。今後の野望は?」

 

「野望ですか……そんな大それたことは言えませんが、とりあえずフェニックスの羽毛を探してきます」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

                  エピローグ

 

「……ええっと、この度は……たいへん申し訳ありませんでした!」

 

 打ち合わせ室で私は頭を深々と下げる。七名の作家さん方がそれぞれこちらを見ている。

 

「しかし、またもやセプタプルブッキングをかますとはな……随分と気が抜けているな」

 

「あまりこういうことを言いたくはないが、最近少したるんでいるのではないか?」

 

「ま、まったくもって、返す言葉もありません……」

 

 クラウディアさんとザビーネさんの言葉に私は情けなく俯く。ヨハンナさんが口を開く。

 

「お、お疲れになっているのではありませんか? 色々とお仕事が立て込んでいると……」

 

「う~ん、おかしいな~毎夜このアタシがちゃんと添い寝してあげているんだけどね~?」

 

「「「「「「⁉」」」」」」

 

 突然のヘレンさんの発言を受け、他の六名の顔色がガラッと変わる。私は大いに慌てる。

 

「ちょ、ちょっと、ヘレンさん! 真っ赤な嘘を言わないで下さい!」

 

「嘘……そ、そうですよね。部屋に若い男とサキュバス、只の添い寝で済むはずがなく……」

 

「なんともまあ……油断も隙もないことだな……」

 

「まったく……ふしだら極まりないな……」

 

 ヨハンナさんとクラウディアさんとザビーネさんが揃って冷たい視線を向けてくる。

 

「ワ、ワタシはモリさんのことを信じています! だって考えてもみて下さい! 担当坂kに手を出すなんてモリさんがそんなことが出来る度胸を持っているわけありませんから!」

 

「がはあっ!」

 

 私がガクッと膝をつく。ルーシーさんが戸惑う。マルガリータさんが覗き込んで呟く。

 

「あ、とどめ刺しちゃったかな~まあ、結構ダメージは蓄積していたみたいですけど?」

 

「やっぱり……フェニックスの羽を取ってきてもらったの、なかなか大変だったかな~?」

 

 アンジェラさんが後頭部をポリポリと掻く。頭を上げた私は首を横に振り、口を開く。

 

「や、やはりですね……編集を増員し、何名かは別の方に担当をお願いしたいかなと……」

 

「「「「「「「反対!」」」」」」」

 

「ええっ⁉」

 

 私は七名の言葉の圧に気圧されてしまう。ルーシーさんが私の両手を取り、見つめてくる。

 

「ワタシたちを見出してくれたのはモリさん、貴方です。貴方がワタシたちをここまで導いて下さったのです。ワタシたちは貴方以外の編集さんと仕事をするつもりはありません!」

 

「! そ、そうですか……分かりました! 不肖、森天馬、これからも皆さんの作家活動を全身全霊でサポートさせて頂きます! ……うん? ドアをノックする音が……はい?」

 

「あ、あの~持ち込み担当の方はこちらの部屋だって伺ったのですが……」

 

 別の女性がドアの前に立っている。そうだ、今日は原稿持ち込みも重なっていた。私は皆さんの様子を伺うと、皆呆れながらも頷いてくれた。私は打ち合わせ室のドアを開ける。

 

「ようこそ、カクヤマ書房へ! さあ、こちらへどうぞ!」

 

                  ~第一集完~




(23年8月3日現在)

これで第1集が終了になります。第2集以降の構想もあるので、再開の際はまたよろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。