ハリー・ポッター -Harry Must Die- (リョース)
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賢者の石
1.生き残った男の子


皆さま初めまして。この度、初投稿させていただく、リョースと申します。
ギャグのようで真面目なようでマー髭な感じで頑張っていこうと思います。

タグは随時増やしていく予定です。


 

 

 

 ハリー・ポッターは目を覚ました。

 階段下の物置を住処とするこの十歳の子供は、実にみすぼらしい身なりをしている。

 好き勝手に伸び散らかしてツンツンした黒い髪の毛、ガリガリにやせ細った矮躯、年下の子供もかくやというほどの低身長。かつて愛用していたボロボロの眼鏡は、レンズが割れてどこかへ行ってしまったので無用の長物と化し物置の棚に放置してある。

 そして額には稲妻型の傷跡がある。これは小さい頃にできたものであると聞かされているが、ハリーはこの傷が嫌いだった。鏡を見るといつも見えてしまうので、前髪を伸ばして目元を隠すようにもなった。

 

 時刻は朝の五時半。

 一般的な起床時間としては少々早い程度だが、十歳の子供が起きる時間には早すぎる。

 それは現在住まわせてもらっている家の主――ダーズリー家から決められたルールであり、絶対に破ってはならない従うべき事項であるというものが理由だ。

 ハリー・ポッターは物心もつかぬほど幼い頃、両親を亡くした。

 死因は交通事故と聞いている。

 その際、運良く……いや、運悪く生き残った子供がハリーであった。

 ハリーの両親はとんだろくでなしであったと、ペチュニア・ダーズリー夫人は言う。

 それを幼いハリーへ面と向かって言うのだから、ハリー自身、自らの両親がひどい存在であったのだろうという、諦観に似た認識を持っていた。

 だからもう、亡き両親への興味はない。

 そんな親のもとに生まれた身は親戚中を転々とし、遂に引き取ったのがダーズリー家とのこと。

 初めて自らの境遇に疑問を持って叔母たるペチュニアに問うたところ、この答えとともに「質問をしてはならない」というルールが追加されてしまった。

 それ以降、ハリーは幾度か自らの出自に関する問いをしたが、そのルールに抵触する事の危険さを身を持って思い知ったため、現在そのような愚行を犯すことはない。

 

 ハリーの毎日は、こうだ。

 朝、五時半に起床。

 庭の掃除と、家の前の掃除を手早く済ませる。

 その際に用いられるのはボロの竹箒で、これが壊れると素手でやらざるを得ない。

 プリベット通りの住人に見つからぬようこれを終えると、次は朝食の支度。

 大量のベーコンとスクランブルエッグ。卵料理はポーチドエッグに変わることもある。

 トーストは家とは反対方向、ハリーが通う学校の向こうにあるスーパーで売っている、健康志向の食パンを使ったものを綺麗な狐色になるまで焼き上げる。少しでも黒く焦げようものならその日一日の食事がなくなるので、目を離す事は出来ない。

 新鮮で濃厚なミルクと、一杯のオレンジジュース。

 そして、シャキシャキとしたレタスと瑞々しいトマトを用いた簡易的なサラダ。

 これら全てを仕上げ終えるリミットは、六時五〇分まで。

 ダーズリー家の人間が起きてくる前に全ての仕事を終わらせていなければならない。

 

「やぁ。おはよう、ハリー」

「……おはようございます。バーノン叔父さん」

 

 この日のミスはひとつだけ。

 それは、家主たるバーノン・ダーズリーと出会ってしまった事だ。

 ハリーが食事をとるときは、決まって自室……つまり階段下の物置にてと決まっている。

 それが義務だからだ。

 居候如きが家の者と食卓を共にするなど、とんでもないらしい。

 ダーズリー家の面子と同じテーブルで食事するのは、何らかの記念日でしかありえない。

 もっとも、ハリー自身は記念日であろうと共に食事をしたいと考えた事は一度もないが。

 

「ハリー」

「ごめんなさい叔父さん。今日は食事を……」

「いや、いや。いいんだ、ハリー。今日は特別な日だ!」

 

 家のルールを破ってしまった以上、食事が抜きにされるものと思ったハリーだが、バーノンの上機嫌な声によってそれは遮られた。

 そうだった。とハリーは嫌そうな顔を懸命に打ち消した。

 今日は一年で最低の記念日。

 ハリーの親愛なる従兄弟、ダドリー・ダーズリーの誕生日なのである。

 

「ハリー! いい日だな!」

「ッが!」

 

 ゴッ、という鈍い音とともにハリーは廊下を転がされた。

 顔面、特に鼻に鋭い痛みがじくじくと残っている。

 鉄のような苦々しい味が口内に広がっているあたり、鼻血も出ているに違いない。

 それになにより、視界が真っ白で周囲を銀色の何かがきらきらときらめいている。

 パンチを放ったのは先程話題に上がったばかりのダドリー当人。

 油断した、と口中で呟くとハリーはそのまま気を失った。

 これらは全て、本日十一歳の誕生日を迎えたダドリー少年の拳によるものだ。

 ダドリー・ダーズリーは、十人が十人すべてが一目見て「巨漢」と答え、聞かれてもいない五人が「痩せた方がいいんじゃないの」と言ってくるような容姿を持つ。

 ハリーより頭二つ分は大きな身長。横幅に至ってはハリー二人分と言っても、大げさではあるまい。丸太のように太い手足の先には、私は毎日誰かを殴ってきましたと言わんばかりにごつごつとした拳骨と、驚異的な体重を支えきる大きな足が付いている。

 彼は、二年前まではただの豚であった。

 バーノンとペチュニアという、二人の愚か者……もとい、両親の溺愛によってぶくぶくと脂肪ばかりを身にまとって「健康」の二文字を鼻で笑う人生を歩んできた。

 しかしそれも、二年前のとある日まで。

 不摂生がたたって、遂には病院に担ぎ込まれたのだ。まぁ当然である。

 そしてその日から、ダドリー少年のダイエットが始まった。

 当初はとても嫌がった。己が欲望を叶えてきた両親が、初めて息子に反旗を翻したからだ。

 しかし愛する父親の提案したダイエット方法は、ダドリーにとって実に魅力的であった。

 

「さすが我が息子だ! 鼻っ柱をへし折るパンチでダドリー・ダーズリーに五〇点!」

「やったねパパ! ぼくどんどん強くなってるよ!」

「ああ、わしの自慢の息子だからな!」

 

 ダドリーの実践しているダイエットは、『ハリー狩り』というスポーツを行うこと。

 彼の身体の如く、実に巨大に迷惑なダイエット方法である。

 サンドバッグにされるハリーからすると、たまったものではない。

 ダイエットを始めたその日に顔面へパンチを食らったハリーは、鼻の骨が見事にへし折れてめでたく病院のお世話になっている。

 その治療費は、毎日ハリーが行っている家事により返済を行うことになっているが、ハリーは治療費の金額を教えてもらっていない。きっとずっと続くだろう、と確信しているが、ダーズリーに逆らえるはずもないので黙っている。何より、質問は禁止だ。

 ちなみにその甲斐あって、我が愛しの従兄弟は若干十一歳にして、英国南東部ボクシングジュニアヘビー級チャンピオンというとんでもない称号を手にしている。

 十代後半のボクシング少年たちを殴り飛ばせるのだから、いわんやハリーなど紙屑だ。

 

「ありがとうよハリー! お前の、お・か・げ、だ!」

「ああ、ダドリー! こんなゴミに礼を言えるなんて、なんて素晴らしい男に育ったんだ!」

 

 以降ハリーは常に警戒心を抱き、周囲に気を配る獣のような目付きになってしまった。

 ダドリーからの攻撃は全力で回避せねば、今回のように意識を刈り取られるからだ。

 しかし避ければ避けるほど、ダドリーのパンチも成長しているのをハリーは知っている。

 矮躯故にすばしっこく逃げ回るハリーを、ダドリーが的確に殴り飛ばせるようになっていくのはハリーにとって最悪のことでしかない。

 避けなければ痛い。避ければ相手が強くなっていく。

 もはやどうしようもないことである。

 

「おい起きろよハリー! 今日は動物園に行く日だろ!」

「ッごほ! そ、そうだね、ダドリー。どう、動物園に行く日だ……」

 

 従兄弟に蹴り起こされ、ハリーは肺の中の空気を全て吐きだした。

 鼻血でカーペットを汚さぬよう自らの服で拭き取り、ハリーは即座に返答する。

 叔父の前で従兄弟の言葉を無視するなど、自殺行為としか思えない。

 なぜならば、ダドリーに対して反抗的な態度をとると罰として数週間は階段下の物置に閉じ込められるのだ。

 おかげで学校の出席日数は最低。友達などいるはずもない。

 そもそもこんな小汚い身なりをしたやつを、誰が相手にしようか。

 年がら年中毛玉だらけのぶかぶかセーターに、貧相な体つき、ぼさぼさ髪に、傷もの顔。

 学校の教師にはクラスメートたちの足を引っ張るどうしようもない不良であると認識されており、気にして貰えるどころか相手にしてもらえない。ハリーが自らの境遇は紛うことなき虐待であると知りながら、周囲の大人……いや、誰にも助けを求めない理由のひとつがこれだ。

 

「ハリー! ハリー! 行くぞ、楽しみだろ!」

「ああ、とっても楽しみだ。ありがとうダドリー」

 

 ハリーは、もはや絶望を通り越して諦めているのだ。

 成人してこの家を出て行っても、きっと仕送りと称して相当な金額を持っていかれてしまうことは想像に難くない。

 勝手に死んでいったろくでなしの両親。

 恨み憎んでいた時期もあったが、もはや彼らへの関心もない。

 毎朝の掃除を手早く終えて余った時間でジョギングをし、体力をつけてダドリーのパンチを回避できるようになること。とにかく知識を吸収し、独りでも生きていけるようになること。

 ハリーの目下の興味は、その二つに絞られていた。

 十歳という、幼さをまだ残している小柄な子供。

 明るいグリーンの瞳が泥のように濁り、獣のように鋭くなったのも、仕方ないことである。

 

 ロンドン動物園。

 当初ハリーは近所に住んでいる猫好きフィッグ婆さんの家に預けられる予定であったが、彼女は自らの飼い猫につまづいて足を折ったのがもとで、昨年ぽっくり他界してしまった。

 故に、家に一人残すのは信用ならないという理由で、ダドリーの誕生日祝いの一つである動物園行きに同行させてもらえることになった。

 結果的に、これはハリーにとって人生最大のラッキーであったといえる。

 ダドリーの取り巻き……もとい仲の良い友人たちから散々腹を殴られ、脇腹を突かれ、胃液を吐き出すまいと車中で我慢した甲斐があった。

 ――ハリーは、蛇と話したのだ。

 そんな、まるで魔法のようで夢みたいな体験もダドリーが近寄ってきたのを感知してやめたおかげで、気付かれることはなかった。

 ガラス越しに、ヘビが同情的な言葉をかけてくれたことがとても嬉しかった。

 涙が出そうなほどに嬉しかった。何せ、ほぼ初めてハリーの味方になってくれたのだ。

 たとえ幻覚であってもいい。いや、いっそ夢でも素晴らしい。

 孤立し味方のいない状況で、会話という当たり前のことをすることができた。

 ハリーにとっては、それだけで十分なのだ。

 視線で「ありがとう」と蛇に向かってできる限り最大限の礼を贈り、ハリーは一年で最低の記念日が人生で最高の記念日になったことを確信したのだった。

 

 しかし、ハリーの驚きはこの日だけでは終わらなかった。

 翌朝。朝早く起きて日課をこなしたハリーがポストから手紙を取り出すと、ふと気になるものがひとつ手の中にある事に気付いた。

 

「プリベット通り四番地、階段下の物置宛て……?」

 

 手紙の宛名は誰あろう、ハリー自身だ。

 十年間生きてきて、自分へ手紙が来たことなど一度もない。

 半ば茫然とした心地でその手紙を懐にしまうと、時間が二〇分も余っていると言うのにジョギングをするのも忘れてダーズリー家に飛び込んだ。

 そしてテーブルにダドリー宛ての手紙とバーノン宛ての手紙を置き去りにすると、自室と化している物置へと手紙を放り込む。

 後で読もう。絶対に読もう!

 ハリーは今までにない早さと手際の良さを発揮して朝食を作り終えると、自分の分の朝食である賞味期限切れのパンとダドリーが不味さのあまり食べかけでやめたチョコレート・バーを手に、急いで物置へと向かって行った。

 人生初の手紙。

 それに気をよくして注意力を失っていたのが、ハリーの敗北であった。

 隣家の覗き見が趣味のペチュニアが起きていたことに、ハリーは気付かなかった。

 そしてそんな下劣な趣味を持っていた彼女が、ハリーの様子に気がつかないはずがない。

 

「ハリー! 隠したものをお出し! しらばっくれるとただじゃおきませんよ!」

 

 長年の虐待により染みついた反射は、ハリーに反論すら許さなかった。

 ハリーが自らの手で物置から手紙を持ってくるはめになり、それをペチュニアに手渡す。というよりも、ひったくられる。そして、彼女はその差出人の名前を確認して、絶叫した。

 愛する妻の叫び声に飛び起きたバーノンがどすどすと二階から地響きを鳴らして降りてくると、まず視線を横切ったハリーを突き飛ばし、怯えた様子の妻の肩を抱く。

 そうして彼も手紙の差出人を確認し、首を絞められた豚のような奇妙な声でこう絶叫した。

 

「手紙から逃げるぞォ! いいな! 反論は認めん!」

「ああ、バーノン……」

「オーマイガッ。パパがおかしくなっちまったぜ!」

 

 二階から降りてきたダドリーが生意気な口調でそう呟く。

 始まったのは、手紙からの逃亡生活という奇妙で「まともじゃない」ものだった。

 そういえばバーノン叔父さんは魔法やらファンタジーやら、そういった非科学的で「まともじゃない」ものが大嫌いで、五歳くらいの時にハリーが魔法少女モノのジャパニメーションをダドリーと一緒になって見ていたところ、顔を真っ赤にして激怒していた覚えがある。

 奇妙な逃亡生活も一週間を過ぎた。

 バーノンの努力をあざ笑うかのように、手紙は文字通り雨あられと降り注ぐ。

 ある時はサレー州を飛び出し、ある時はどこだかわからないド田舎にまで逃げ込んだこともあったが、手紙はそれでも追ってきた。

 しかしその迅速な対応は功を奏しており、手紙を読ませたくない人物のハリーはあれ以降、手紙のての字も見ていない。

 それより車で移動するので、隣席のダドリーに太ももを抓られたり腹にパンチされやすくなった方が余程問題であった。

 人生初の手紙。

 確かに読んでみたい。互いを思いやった会話など蛇としか行ったことのないハリーだからこそ、自分宛の手紙などというものは宝物にしか思えなかった。

 だが、ダーズリーの面々と行動をともにして太ももや二の腕にアザを作るくらいなら、別に必要ないのではと思い始めてもいた。

 そうだ。明日、バーノン叔父さんにそう言おう。

 手紙の送り主に、迷惑だからもう送らないでくれという返事を書いてくれ、と。

 果てはフランスあたりまで行ってしまったが結局イギリスに舞い戻り、何やら海の上に建てられたわけのわからない孤島に立つとんでもないボロ屋に行き着いて、毛布なしで床にごろ寝するハリーはそう決心した。

 

 決心したその次の瞬間、雷のような轟音が鳴り響いた。

 ガバッと起き上がり異常を確認すると、ハリーはドアがノックされていることに気づいた。

 すっかりノイローゼ気味になったバーノンとペチュニアも飛び起き、夢の中から叩き戻されて半泣きのまま怯えつつあるダドリーをその背に隠して散弾銃を構えている。

 その銃口がハリーの方を向いているのは、おそらく気のせいではあるまい。

 轟音を響かせていたノックがだんだん苛立たしげになっていき、ついに痺れを切らしたのかドアの向こうから野太く荒々しい大声で呼びかけてきた。

 

「ハリー・ポッター! ここにはハリー・ポッターがおるだろう!」

「そんなガキはここにはおらん! 帰れぇ!」

 

 短い悲鳴と共に語るに落ちたバーノンが答えると、荒々しい声は荒々しい拳でもってドアをぶち破った。

 ペチュニアとダドリーが声にならない悲鳴にも似た叫びをあげ、バーノンの人差し指がピクピクと動き引き金を引きそうになる。

 今まで以上に命を握られているハリーは、これ以上あの赤ら顔の叔父を刺激しないでくれと懇願しようと闖入者へ目を向けると、ハリーは己の目を疑うはめになった。

 それは人というには、あまりにも大きすぎた。

 大きく、ぶ厚く、重く、そして大雑把すぎた。それはまさに巨漢だった。

 クマみたいだ。後にかけがえのない友人となるルビウス・ハグリッドの第一印象は、この一言であった。

 

「『エクスペリアームズ』! 武器よ去れ!」

 

 バーノンが迷わず発砲しようと引き金を引くより早くハグリッドがピンクの傘を向けて叫ぶと、銃の発砲音にも似た爆音を立てて赤色の光球が射出された。

 それがバーノンの構える散弾銃に狙い違わず直撃すると、ぽん、と間の抜けた音を立てて銃身がクラッカーに変身した。目を白黒させるバーノンはそのまま引き金を引き、ばほーんと空気の抜ける音ともにクラッカーを破裂させてしまう。

 ハリー自身もその摩訶不思議な光景に腰を抜かして目を丸くした。そういった邪気のない表情をすると鋭い目つきも柔らかくなり、優しい緑色の瞳もあって年相応の子供に見える。

 紙吹雪が舞散る中、ハリーはその中の一つに目を止めた。

 『ハリー・ポッター。たんじょび、おめでとう』。

 綴りが間違っているもののそれは誕生日祝いの言葉であり、ハリーが生まれて初めてもらったものでもあった。

 確かに今日はハリー・ポッターの誕生日、七月三一日だ。

 ハリーは自身の誕生日を知らなかったわけではないが、またそれがめでたい日であると思ったことも一度もなかったので、自分一人寂しく祝うといったこともしなかった。

 ダーズリー家の刻んだ傷は、深い。

 

「ハグリッド。正しい発音は『エクスペリアームス』です。他に理由はありましょうが、そんなことですから呪文も失敗するのですよ」

「す、すまねぇですだ。マクゴナガル先生様」

 

 上品な声とともにボロ屋へと入ってきたのは、これまた上品な服を着た壮年の女性だった。

 ピシッと皺ひとつないブラウスに黒いベスト、そしてまた夜闇のように黒いスカート。

 まるで図書館の司書さんみたいだ、とハリーは思ったが、彼女の姿を見てペチュニアが潰れたヒキガエルのような悲鳴をあげたので、きっとそうではないのだと感じた。

 何らかの毛皮を仕立てたらしき服を身にまとった大男を後ろに従えて、長身の壮年女性が腰を抜かしたままのハリーの前に立つ。

 彼女が懐から取り出した杖を一振りすると、だらしなく大股開きのままであったハリーの足が、独りでにぴちっと閉じられた。

 そんな『まともじゃない』光景に、ハリーはまた目を丸くする。

 

「はしたないですよハリー」

「……え、あ。は、はいっ」

 

 ぴしゃりと鋭い声に思わず返事をして、ハリーはその場に姿勢正しく立ちあがった。

 マクゴナガルと呼ばれた女性が杖を振るたびに、ハリーの尻や足の埃が自分からぴょんぴょんと跳ねて逃げていく。そんな非現実的な光景をダーズリー家の面々は潰れたウシガエルのような怯えた目で眺めているだけだ。

 ハグリッドが暖炉の方でなにやらごそごそといじると、赤い炎がぶわりと燃えあがった。

 ペチュニアが躍起になって火をつけようとしたものの、湿りきってどうしようもなく諦めたはずのそれが赤々と暖炉の天井を舐めている様を見て、ハリーはただでさえ真ん丸になっている目を、目玉がこぼれてしまうのではというほどもっと丸くする。

 ハリーから埃を払い終えたマクゴナガルがハグリッドを一睨みすると、ばつの悪そうな顔をしてソファの後ろに陣取った。マクゴナガルはというと、バネや綿の飛び出たソファに向かって杖を振り新品同様に綺麗に変えると、ハリーに座るよう勧めた。

 棒きれのような杖一本で、こんな有り得ないことを可能とする女性の言うことに逆らおうとするほどハリーはマヌケではないし、何より彼女の話を聞きたいと強く思っていた。なので大人しくふかふかのソファに座る。そういえば、ソファに座るのはいつ振りか。

 向かいのソファにも同様の処理を施して座ったマクゴナガルは、座り方一つ見ても気品が溢れている。適当に座ったハリーは自分のそんな姿が潰れたアマガエルのように見えて、ハリーは自分が恥ずかしくなった。

 

「さて、ハリー・ポッター」

「は、はい!」

「まずは、十一歳のお誕生日おめでとう。ささやかながらプレゼントです」

 

 マクゴナガルがまたも杖を一振りすると、テーブルの上にそれはみごとなチョコレート・ケーキが出現した。

 どうも手作りらしいそれは、まるで岩のような硬さをありありと見せつけているが、不器用な形ながらも手製の蝋燭があったり、チョコプレートに「おめでとうハリー」という文字があったりと、愛情が詰まっていることがありありと見て取れた。

 ケーキという好物を目の当たりにして一瞬反応した子豚……もとい従兄弟を視界の端にとらえながら、ハリーは困惑のまなざしをマクゴナガルに向ける。

 毎日の食事がビスケット一袋というハリーは、ケーキどころか人から貰い物をしたことはなかったのだ。それを察したのか、マクゴナガルが優しい声で「あなたのものです」と言ってくれなければ、きっとダドリーの胃袋に吸い込まれるものと思いこんでいただろう。ソファの後ろに陣取る巨漢、ハグリッドはそのコガネムシのような黒い瞳を怒りに染めてダーズリー家を睨みつけている。

 

「ありがとう……ございます」

「ええ、お礼を言えるというのはとても良いことですよ、ハリー。……さて。本日の要件はあなたの誕生日祝いというだけではありません」

 

 ハリーには、マクゴナガルの表情が憂いを秘めた優しいものである事に気づいた。

 彼女が合図をすると、ハグリッドがその毛皮のコートから一通の封筒を取り出した。

 それはいつだったかハリーが手にして今日までついぞ見ることのなかった、ハリー宛ての手紙そのものであった。

 バーノンがそれを読ませるなとばかりに悲鳴を上げるが、ハグリッドが傘の石突きを向けるだけでしゅんと大人しくなった。それを眺めてから、マクゴナガルはハリーにその手紙を手渡す。

 

「ハリー。その手紙を?」

「読んでいません」

「……だと思いました。読みなさい、ハリー」

 

 やはりハグリッド一人では厳しかったようですね。

 厳しい声に、ハグリッドが顔を逸らす。ハリーには、元々自分に会いに来るのはこの巨漢一人だけだったということがそれで予想がついた。それは事実であり、嫌な予感がするので私も一緒に行きます。とマクゴナガル自らがハグリッドに声をかけたのだ。

 

「やめろ! ハリー! 何も見るんじゃな――」

「ダーズリー。ちょいと黙っちょれ」

「あ、はい」

 

 ハグリッドに一喝されたバーノンが黙りこむのを見てから、ハリーは手紙を開く。

 そして開いたハリーが「魔法学校……?」と声を漏らす。

 手紙の内容は、こうだ。

 

【ホグワーツ魔法魔術学校 校長アルバス・ダンブルドア

――親愛なるポッター殿

  このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。あと、新学期は九月一日じゃ。まぁ色々と大変じゃろうが、がんばりたまえよ。ほっほっほ。 敬具】

 

 その手紙を読み混乱した顔のハリーを見て、マクゴナガルは思う。

 初っ端から散弾銃をぶっ放そうとする叔父に、やせ細った身体になってもまともな食事を与えない叔母、痣だらけの身体を見るに従兄弟からは暴力を振るわれている。肉体的にも精神的にも過酷な虐待を受けている事は明らかである。

 ハグリッドは当然として、マクゴナガルもダーズリー達を吹き飛ばしたい気持ちで一杯だった。

 二人はほとばしる怒気を、ハリーが手紙を丁寧に読む姿を見て抑えきった。

 しかしそれも、ハリーが声を発するまでの事であった。

 

「これは……その、つまり……ぼくは……」

「そうです、ハリー。あなたは魔法使いなのですよ」

「つまり、えーっと……ぼくはこの学校に通えるということですか?」

「そうだぞ、ハリー。しかも訓練さえ受けりゃ、そんじょそこらの魔法使いなんぞメじゃねぇさ!」

 

 マクゴナガルに恐る恐る質問するハリーに対し、ハグリッドが誇らしげに宣言する。

 片手間に、なにやら懐からフクロウを取り出すと窓を開けて外へ逃がしてしまっているあたりこの男は不可解だとハリーがわかりやすく表情を変えると、その誇らしげな顔もさっと曇ってしまう。

 ホグワーツ、という学校がある。

 それは英国で最も名門の魔法学校であり、ハリーの名前は生まれた時にはすでに入学名簿に載っていたほどのもの。上等な教育を受けることのできるまたとない機会なのだ。

 ぼく、行きたい! という喜びの声を予想していたのか、ハグリッドがその巨大な顔を笑顔にしている中、ハリーはその唇から爆弾を吐きだした。

 

「すみません。ぼく、いけません。バーノン叔父さんに叱られちゃう」

 

 頭を大鍋で殴られたかのような気分とは、まさにこの気持ちだろう。

 二人は、自身の心が悲しみで満たされていくのが分かった。

 厳しい家庭に住むことになるとは聞いていたが、よもやこれほどとは!

 絶望したように暗い顔に変わった二人とは対照的に、バーノンは喜色満面のしたり顔だ。

 ペチュニアから聞いていた。

 このハリーという子供は、『まともではない』。ならば、『まともな人間』が叩きなせば、その腐りきった性根も多少はまともになるのではないだろうか?

 結果はご覧の通りだ。

 まともではないが、まともであろうとしている。

 これは我々の思想が正しかったことへの証左を示す最たるものではないか。

 

「ま、マクゴナガル先生……こいつは……」

「ええ、想像以上です。ハリー。あなた、自身のことについてどれほど知っていますか?」

 

 バーノンの豚のようなにやにや顔は止まらない。

 ダドリーはわが父の余裕を見てとったのか、同じく豚のような笑顔を浮かべている。

 ペチュニアだけがただ一人、そのこわばった表情が変わらない。

 

「いいえ、まったく」

「両親のこともか? ジェームズにリリーのこともだぞ? これっぽっちも?」

 

 せき込むようにハリーに詰め寄るハグリッド。

 少し怯えた表情を見せるハリーに気付き、一言すまねぇと謝罪してから、返答を待つ。

 今までの会話内容から鑑みてそういう返答が来るであろうことは怖々ながら予想していた。

 だが、実際聞いてみてハグリッドは、自身の理性が吹き飛ぶのを止められなかった。

 ハリーの返答はよりによって、こうだ。

 

「それが、ろくでなしの両親の名前なんですか?」

「ダァァァアアアア――ズリィィィイイイイ――ッ!」

 

 爆音としか言いようがない絶叫があがる。

 今度こそハリーは飛び上がり、ネズミのように素早くソファの後ろに隠れた。

 ピンクの傘をバーノンの眉間に突き刺さんばかりに突き出すと、絶叫を聞くまでのニヤケた赤ら顔がチーズのような真っ青になり、そして腐ったオートミールのような白になり、そして甲高い悲鳴を短く漏らす。

 傘の先から青い光が飛び出す。バーノンのすぐ近くにそびえたつ柱に着弾、爆散した。

 ケーキに視線が釘付けであったダドリーが何事かと振り向いた先には、か細い悲鳴を上げて崩れ落ちる父親の姿があった。どうやら腰を抜かしたようだ。

 バーノン・ダーズリーの短くない人生の中でも渾身のしたり顔は、五分ともたなかった。

 

「ハグリッド! おやめなさい!」

「こいつらは――ハリーの――誇り高い――! とんでもない――この――」

「おやめなさいと言っているのです! 相手はマグルですよ!」

 

 荒い息をふーふーと肩を上下に揺らし、視線で滅びよと言わんばかりの睨みを飛ばしたハグリッドはその場にどかりと座りこむ。床板がバキバキ悲鳴をあげた。

 安全を確認できたのか、ハリーが元の位置に座るとマクゴナガルは話を続けた。

 ほげほげ意味の分からない言葉を漏らすバーノンを起こそうと躍起になるペチュニアを無視しているあたり、彼女も腹にすえかねているらしい。という事はハリーにも分かる。

 

「ハリー。貴方のご両親がどのように亡くなったのか、知っていますか?」

「自動車事故って聞いてます」

「自動車事故! リリーとジェームズは、そんなもんじゃ死にゃせん!」

「ハグリッド」

 

 口を挟むな、とマクゴナガルの視線が語る。

 ハグリッドが憮然とした顔で黙りこむと、話が再開される。

 

「いいですかハリー。辛い話になりますが、よくお聞きなさい」

「客人、やめろ。やめるん――」

「黙れ」

「ふぁい」

 

 マクゴナガルがそう前置きすると、ハリーは不思議な感覚に陥った。

 初めて自分のことを知るのだ。

 今までは痛みから逃れられるようになることばかり考えていた。

 それが今や、勇気を振り絞ってでも何かを言いかけた叔父に、あまり注意が向かない。

 こんなこと今までなかったというのに――。

 そう。ハリーはおそらく、生まれて始めて自分に興味を持ったのだ。

 

「あなたの両親、ジェームスとリリーの死因は自動車事故などではありません。……ええ、そうです。……殺されたのです」

「……殺され……」

「そう、殺したのは英国史上最悪の闇の魔法使い。名前を言ってはいけないあの人……いえ、これでは伝わりませんね。――言いましょう」

 

 恐れるように名前を口にしなかったマクゴナガルが、強く瞼を閉じて決意したように言う。

 これに平静を崩したのはハグリッド。

 ギクリとその巨体がたじろいだ。

 

「あなたの両親、そして多くの人間の仇。その名は、ヴォルデモート」

「ヴォルデモート……」

「彼が殺すと決めた人間は、その全てが殺されてしまいました。魔法使い、マグル問わず」

「マグル?」

「非魔法族のことです。あなたや我々が魔法族、彼ら――ダーズリーのように魔法を使えない者たちがマグルです」

 

 ハリーがちらりと目を向けると、そこには阿鼻叫喚のダーズリー一家が。

 自分を虐げた者たちの醜態を愉快かと問われれば、ハリーは間違いなく愉快であると答えることができる。だが、それと同時に嫌々でも虐待しながらでも、育ててくれたことには変わりないのだという思いが心のどこかにある。

 その二つの感情が心の中でどっちつかずの行ったり来たりを繰り返し、ハリーは彼らの様子を見ても笑うことはできず、微妙な表情を取らざるを得なかった。

 マクゴナガルはハリーのその様子を見て、予想よりは歪んでいないと少しだけ安堵する。

 あれほど熾烈な虐待を受けていては、下手をすれば人格が分裂していてもおかしくない。

 

「魔法使いにもマグルにも、彼はどうすることもできませんでした。しかし残された安全な場所のひとつがホグワーツです。ええ、校長のアルバス・ダンブルドアは彼も一目置く存在でした。しかし事は、十年前のハロウィーンに起こりました。あなたたち家族三人が住んでいた村に、彼が現れたのです。あなたは一歳になったばかりでした。そして、そして……」

「殺されてしまった?」

「……ええ、そうです。とても哀しいことですが。そして、彼はあなたをも殺そうとしました。何故そうしようとしたのか、動機は分かりません。もしかすると殺人自体が楽しみになっていたのかもしれない、あの人はそういう男です」

 

 ハリーが目を見開く。

 自身の身に起こったことだというのに今まで全く知らなかったこと、そしてその知らなかった内容があまりにもあんまりなことであった割には、ハリーは妙に落ち着いていた。

 実際にダドリーという脅威から逃げ続けるには、それくらいでないといけないのだから。

 いったん言葉を切ると、マクゴナガルがソファを立ってハリーの隣へ歩いてきた。

 くしゃくしゃの黒髪を撫で、優しく微笑みかける。

 ダーズリー家に来てからはじめて頭を撫でられて、多少気恥ずかしかったものの、しかしその微笑に憂いが混じっている事をハリーは見逃さなかった。

 この人は、この話を自分にすることを悲しんでいるのかもしれない。いや、後悔だろうか。

 そう思えたハリーは、少しだけ彼女の話を信じてみることにした。

 

「そういった無差別に人を殺し、一時期を暗黒時代に染め上げた闇の魔法使い。ただし、彼は今や死んでしまったものとされています」

「死んじゃったの?」

「ええ。あなたを殺そうとして放った呪いが、その身に跳ね返ってきたのです。数多の魔女魔法使いたちを死に追いやってきたその闇の呪いも、あなたにだけは効きませんでした。ですからハリー、あなたは魔法界では有名なのですよ」

「そうだぞ、ハリー! お前さんの事を知らない連中は、誰ッ子ひとりいやしねぇ!」

 

 辛い話を語り終えて長々とため息をつくマクゴナガルと、ハリーのことをまるで自分のことのように誇らしげに言うハグリッドを、当の本人、ハリーはじっと見つめた。その目はいぶかしむ色がありありと表れており、話を信じてよいものか半信半疑であると物語っている。

 ハリーはこう考えていた。

 自分が本当に魔法使いなのだとしたら、なぜダドリーのサンドバッグにされているのだろう。

 本当に魔法使いならば、本当にそのボルデモンド? だかなんだかいう闇の魔法使いを返り討ちにしたのなら、ダドリーの手足の一本や二本、簡単に吹き飛ばせるはずではないか。

 十歳の……いや、今日で十一歳の誕生日を迎えた子供にしては物騒なことを考えているが、心の内はいざ知らず、ハリーが口にした言葉に関して言えば、マクゴナガルの想定内だった。

 

「でも、……その、マクゴナガルさん」

「先生」

「マクゴナガル先生。ぼくが魔法使いだなんて、ありえません。だって、その、まともじゃない」

 

 ハリーが泣きそうな声でそう言うと、驚くことにマクゴナガルもハグリッドもくすくす笑った。

 それに驚いたのはハリーだけではない、バーノンも、ペチュニアもだ。

 因みにダドリーはケーキに向かって這い寄っていた。

 

「魔法使いじゃないだって? ハリー。おまえさんが恐ろしいと感じた時、どうしようもないと思った時、何か不思議なことが起こらんかったか? え?」

「いえ。なにも」

「だろうが? ハリー・ポッターが魔法使いじゃないなんて有り得……えっ、今なんて?」

「ですから、特になにも」

 

 自信満々に問いかけたハグリッドに対して、半目になって答えるハリー。

 その目が語るは「不信感でいっぱいです」というものだ。

 途端にうろたえる大男を見て溜飲を下げたのはダーズリーの面々であり、それに対して落ちついた返答をするのがマクゴナガルだ。

 

「では聞きますが。ハリー。あなた、眼鏡がないのによく見えていますね」

「…………、……言われてみれば」

 

 眼鏡はダドリーの一撃により粉砕されて、いまや物置の棚に飾られた前衛的オブジェだ。

 それからしばらくは、乱視気味であったこともあり見るモノ見るモノが奇妙に見えたものだ。例えば、ダドリーがイケメンマッチョに見えたり、空飛ぶバイクを見たり、お辞儀をする人々を見たり、エトセトラエトセトラ。

 しかしいつの日か、それらはまともな光景に変わっていった。

 質問をしてはいけない。それはよくわかっていたつもりだったが、質問の形にならないよう細心の注意を払ってそれとなく聞いてみたところ、毎日言うことをよく聞いて『まともな態度』をとっていたから、きっと目がよくなったのだろうとペチュニアにぞんざいに言われたことを思い出す。

 それをマクゴナガルに話してみると、彼女はにこりと微笑んだ。正解だったようだ。

 因みにそれを聞いたペチュニアは、まともじゃないことをハリーがしていたという事実にショックを受けて卒倒した。

 

「じゃあ、ぼく……本当に魔法使いなんですね」

「そうですよ、ハリー。あなたには魔道を歩み、魔法を学ぶ権利があるのです」

「おまえさんはホグワーツで凄く有名になるぞ。いまに見ちょれ、今までの生活が屁みてぇなもんに思えてくるはずじゃて」

 

 マクゴナガルとハグリッドが、優しげな笑みを以ってハリーを歓迎する。

 なるほど魔法使いか。

 確かにそんな夢のような将来があるのなら、絶対にそちらへ進みたい。

 ダーズリーから離れられる。なんて嘘みたいな話。なんて夢のよう……。

 ホグワーツからの手紙を握りしめ、ハリーはその鋭い目つきを柔らかく閉じた。

 ああ、行ってみたい。魔法の世界に、行ってみたい。

 ハリーのそういった心変わりを見てとったバーノンは、崩れ落ちる妻を支えながら、なけなしの勇気を振り絞って叫ぶ。

 

「行かせん、行かせんぞ。ハリーをそんないかれたとこになぞ、絶対に行かせない」

「何故です、バーノン・ダーズリー。あなたはこの子を厄介者扱いしていたはず」

 

 マクゴナガルの問いに、バーノンは蒼白だった顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

 

「そいつが『まともじゃない』からだ! そいつはストーンウォール校に行くんだ。そして、それを感謝する日がきっとやってくる。わしはおまえらの手紙を読んだぞ。呪いの本だの魔法の杖だのフクロウだの……そんな品々が学校の授業に必要? 異常だ、まともじゃない。『まともじゃない』……。冗談じゃないぞ。ペチュニアと、妻とともにその子を引き取る時に誓ったんだ。両親から受け継いだであろうねじ曲がった性根をたたき直して、そう、『まともな人間にしてやる』と!」

「おまえのような凝り固まったマグルに、この子の意思を止められるものか」

 

 バーノンの剣幕に、ハグリッドが唸る。

 今度ばかりは正念場と思っているのか、バーノンは多少たじろいだものの踏み直す。

 とばっちりが来てはかなわん、とハリーは抜け目なくマクゴナガルの後ろに隠れていた。

 そんな姿を見てマクゴナガルは、臆病が過ぎる性格になってしまったようだがこの強かさがあればホグワーツでもなんとかやっていけるだろうと確信する。

 一方、バーノンとハグリッドの口論はヒートアップしていった。

 

「ハリーにはまともになる権利がある! 見ろ、多少は現実を見れる子に育っておる!」

「ホグワーツ歴代校長でも、最も偉大なアルバス・ダンブルドアのもとで学べるんだぞ!?」

「そんな得体のしれないくるったじじいのもとに、ハリーをいかせられらるかッ!」

「きさま! おれの前でダンブルドアをばかにするなッ!」

 

 バーノンが吐いた暴言に憤怒してハグリッドの身体が膨れ上がり、傘を振り回す。

 マクゴナガルが止めようとした時にはもう遅い。

 ハグリッドの傘の先から紫色の光が飛び出すと、今まさにケーキに向かってダイブしようとしていたダドリーが尻を抑えて蹲った。すると、全ての服がはじけ飛んだかと思えば、最後の砦たるブリーフがばりばりと裂けていくではないか。見るに堪えない光景にハリーは目をふさいだ。ダドリーは「ああん! ああん!」と快感なんだか恐怖なんだかよくわからない奇声をあげている。ハリーは耳もふさいだ。

 やっぱりハグリッドも魔法使いだったのだろう。つまり魔法でアレ以上のことをしたかもしれない。恨みがないと言えばうそになるが、それでも育ての親たるバーノンがイボガエルにでも変えられたら寝覚めが悪い。

 怒り狂ったマクゴナガルがハグリッドを叱りつけている姿を見て、ハリーは一人落ちついてそんなことを考えていた。

 痴態をさらす息子と未だに気絶したままの妻を抱えて、バーノンは血相を変えて隣の部屋へ引っ張っていく。

 最後にハグリッドを一瞥、マクゴナガルを見て、ハリーと目が合う。

 木製のドアが壊れんばかりにぴしゃりと閉められた。

 

「なんてことを! ハグリッド、今のはアルバスに報告させてもらいます!」

「ああ――マクゴナガル先生様――すまんこってす――つい、つい――」

「なりません! まったく――こんな大事なことをあなたに任せるなど、賢明ではありませんでした! まったく――まったく!」

 

 保護者? たるダーズリーが隣の部屋に籠城してしまったので、三人はボロ屋の外へ出た。

 ここへ来た時はひどい大雨だったはずだが、どういうわけか小屋の周りだけ晴れている。

 狐につままれたような顔をしたハリーを見て、怒り心頭のマクゴナガルも表情を和らげた。

 

「さて、ハリー。夜も遅いですが、早いとこ向かうとしましょう。あんなところに居ては気が変になってしまいます」

「ところで先生」

 

 小舟に乗って陸を目指している最中、ハリーはマクゴナガルに問いかける。

 ハグリッドは叱られた上に校長に報告されると宣告されて抜け殻のようになってしまった。

 いままで質問が禁じられていたために聞きたいことは山のようにある。

 余談だが、この小舟はダーズリー達と共に孤島へやってきたときのものである。

 ……彼らはどうやって帰るのだろう。

 

「なんです、ハリー」

「ぼくの両親を殺した悪い魔法使い……、ヴォルデモートは、なぜ僕を殺せなかったんですか?」

 

 ヴォルデモートの名前を出した途端、抜け殻に魂が戻ってきて巨体がびくりと動いた。

 小舟が揺れて怖いのでハグリッドには動かないでほしかったのだが……。

 話を聞いていた時に、少し疑問に思ったこと。

 当時一歳のぼくがそんな大それた力を持っていたとは思えない。

 それゆえの疑問だったが、マクゴナガルはその疑問に対して答える術を持たない。

 

「……そのことですが、よくわかっていないのです」

「わかっていない?」

「ええ、謎なのです。あなたに放った死の呪いは、あなたにその額の傷を残してあの人自身へ跳ね返っていきました。だから、力を失い姿を消してしまったとされています」

「死んじまったっちゅー奴らもおるが、そんなこと言っとるやつは阿呆だ。奴につき従っていた馬鹿ども――死喰い人《デスイーター》っちゅーんだけどな――も次々戻ってきたもんだが、あれほどの力を持った男が死んだとは思えん」

 

 魂を取り戻したハグリッドが話を引き継ぎ、ハリーにコガネムシのように輝く瞳を向けた。

 ハリーには困惑しかない。

 

「おまけに、あの人は呪いを跳ね返された直後、なけなしの力を振り絞ってあなたに呪いをかけました」

「おまけにって」

「その邪悪な魔法は、失われたはずの闇の魔法。『命数禍患の呪い』です」

「は?」

 

 ハリーの困惑が頂点を目指して全力疾走を始めた。

 いま、なんと言った?

 

「命数禍患の呪いです。その邪悪な呪いをかけられた者は、成人するまでの人生で降りかかるであろう試練の全てが、よりハードに、より厳しいものになってしまうのです」

「ちょっ……」

「ハリー。叔父夫婦一家のあなたへの虐待が妙に過激だったのも、あなたの現在の環境も、おそらくはあなたへの扱いも。ほとんどはその呪いが影響しているのです」

 

 絶句しかなかった。

 確かに人より幸福ではない人生を送ってきたという自覚はあったが、まさかそれが他人の手による作為的な悪意であったとは。

 確かに幼少の頃は、なぜ自分ばかりがと泣き叫んだこともあった。

 不運な星の元に生まれたものだと諦めるしか、自らの心を守る手段はなかった。

 冗談じゃない。ふざけた真似をしてくれたものだ。

 ハリーは激怒した。ハリーには魔法界が分からぬ。だが髪の毛が逆立つほどに憤怒した。

 そんなハリーの怒りに拍車をかけるように、ハグリッドの一言が響き渡った。

 

「まぁ、ほれ。落ち込むなやハリー。俺にはさっぱり分からんが、おまえさんの中にある何か……なにかが、やっこさんをやっつけたことには違ぇねぇんだ。そう、だからこそハリー、おめぇさんは有名なんだ」

「ええ、そうですよハリー。あなたは魔法界では、こう呼ばれているのです――」

「――『生き残った男の子』、ハリー・ポッターとな!」

 

 ……。

 …………。

 沈黙が場を支配する。

 誇らしげに言い放ったハグリッドの顔色がさっと青ざめ、不安げになっていく。

 もはや激怒を通り越して疲弊しきったハリーは、己の姿を見下ろして唇をとがらせている。

 具体的には胸を。

 ハリーの様子を見て何かしらほっとした様子のマクゴナガルが、見かねて言葉を紡ぐ。

 

「ハグリッド。ハリーのフルネームを言ってご覧なさい」

「えっ」

「いいから言いなさい」

「えっ……あ、ああ。ハリー・ジェームズ・ポッター。……じゃろ?」

 

 何かを探るようなハグリッドの目付き。

 なんてことを言ってるんだコイツは、とハリーの唇から盛大なため息が漏らされた。

 多少涙目になったまま、半目でハグリッドを睨みつけているその姿は少々可愛らしい。

 未だにおろおろしているハグリッドに対して、マクゴナガルはこう言い放った。

 

「ハリーは愛称ですよ、ハグリッド」

「なんじゃと」

「正しくはハリエット。ハリエット・リリー・ポッター。将来の立派なレディです」

 

 そう言うとマクゴナガルは懐から杖を取りだし、軽く振った。

 

「『スコージファイ』、清めよ」

 

 すると杖から迸った泡がハリーの頭を洗い流し、ダーズリー家ではシャンプーの使用を許されなかったために水洗いでぼさぼさになった黒髪が、さらさらのそれに生まれ変わる。傷跡を隠すために長めにしていたため、整えていないはずの髪型もそれなりに見える。

 ダドリーのお下がりである毛玉をふんだんにあしらったセーターとダボダボ・ジーンズも、ぴしっとノリの効いたブラウスとすらっとした黒のパンツに変わる。

 埃まみれの肌も綺麗な白に拭かれれば、そこにはボーイッシュな出で立ちの少女が座っていた。

 見目も悪くはない。いや、むしろ、よい。

 小汚い少年と思われたハリー・ポッターは、実のところ小柄な少女であった。

 その事実を初めて知ったハグリッドは、黒い瞳を真ん丸に見開いて驚いている。

 

「驚き、桃の木、マーリンの髭。こりゃー、おったまげた……」

「……まぁ、無理もないのかもしれませんね。あの人がハリーにかけた呪いは、きっとこういうことだったのでしょう……」

「あー、うむ。失礼したな、ハリー。いや、ハリエットか?」

 

 久々にさらさらの髪の毛を取り戻して、内心大喜びしていたハリエット――ハリーは、その言葉に反応した。

 いままでのとんでもない人生が、全てそいつの所為だというのなら。

 許すことは出来ない。

 身を焼かれるような憎悪と、理不尽な仕打ちへの激情が湧きだしてくる。

 そして彼女は、ひとつの決心をした。

 

 ――そんなふざけた野郎、ぼくがこの手で殺してやる。

 

 そう、呟く。

 わずか十歳、いや十一歳の少女がうちあげた復讐の狼煙。

 それを耳にした大人二人は、己の耳を疑いながら、ただ目を丸くする。

 これが後に闇の帝王に立ち向かう、勇者の誕生の瞬間である。

 ハリエット・ポッター――ハリーは、父譲りの黒髪をかきあげ、母譲りの翠眼を、両親のどちらにも似ていない飢えた獣のような鋭い目つきで細め、笑った。

 獅子のように獰猛な笑みのまま、ハリーは船の行く先を、水平線の彼方に見える英国の大地を見つめる。

 それは七月の終わり、八月に至る熱い夏の日だった。

 




長ぇ。
というわけで、ミスター・ハリーはミス・ハリーでした。女の子でした。

【変更点】
・彼から彼女へ。ハリエット・リリー・ポッター。
 女性化することによってパワー的な意味で弱体化。取っ組み合いは死を意味する。
・ダーズリーによるイジメの過激化により、ビビりメンタル化。
 目つきが鋭く攻撃的な思考になり、若干友情を築きにくくなるバッドスキル付与。
・フィッグ婆さんのご冥福をお祈りします。
・メガネ「俺が何をしたって言うんだ」

まずは賢者の石を書き切ろうと思います。
基本的に正史と同じ展開で物語が流れていきますが、彼女が生き残るために頑張る(予定な)ので、だんだんとズレていくことでしょう。
悪魔泣かすイケメン本人は出てこないですが、このハリーはやるときはやる女です。
どうか楽しんで頂けたら幸いです。

因みに今日はハリーのお誕生日。尻に敷いたケーキをあげよう。


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2.九と四分の三番線

 

 

「ハグリッドェ」

 

 ハリーは一人つぶやいた。

 場所はロンドン、キングズ・クロス駅。

 学校への汽車が出るからそこへ行くように、との事だった。

 華奢な白い両手が握るのは、大量の荷物が積まれたカート。カゴに入った白フクロウ――教科書にあったイカした名前を拝借してヘドウィグと名付けた――まで乗っているのだ。目立つどころの話ではない。

 じろじろと突き刺さる視線を感じながら、ハリーは亡きフィッグ婆さんから貰った猫柄のハンカチで手の汗を拭う。

 なぜこうなったのか。

 思い返すのは七月三十一日、ハリエット・ポッター自身の誕生日のこと。

 ああ、本当に、どうしてこうなった――。

 

 

 孤島からの脱出後、小舟は滑るように海を走り、岸辺へ辿り着いた。

 マクゴナガルとは、そこでしばしの別れであった。

 どうやら彼女はホグワーツの副校長先生らしく、忙しい中あまりに心配だったのでやってきたのだという。確かにハグリッド一人では何か失敗してしまいそうだと失礼にもストレートにそう思ったハリーは、ありがたみを感じていた。

 封筒に入っていた、新一年生に必要なモノが記述された二枚目の手紙をよく読み、正しいものを買って、間違ったものを買わないようになさい。あとハグリッドが余計なことしたら報告してください。と言い残すと、マクゴナガルはハリーが瞬きをしたその途端、その姿が掻き消えていた。

 

「ふぃー」

「大丈夫、ハグリッド。マクゴナガル先生が苦手だったの?」

「いや、いや。先生様がいると、ちょいと緊張してな。うーむ、いかんいかん」

 

 ハグリッドは毛皮のコートから、ハリーが腰に巻くとスカートになるのではと思うほどのサイズをしたハンカチを取り出すと、玉のような汗を拭う。

 そうして二人がやってきたのは、英国首都ロンドン。

 魔法界への入口があるとのことでやってきたのだ。

 地下鉄でのハグリッドは、やれ狭いだの、やれ電車はすっとろいだの、あまりにうるさかったので、ハリーが小さく「報告」と呟いて黙らせた。

 そんなハグリッド曰く、ハリーがホグワーツへ通う七年の間に必要なお金は亡き両親が遺しておいてくれていたらしい。ハリーが一歳の時に亡くなったというのに、見通しの良さがとんでもないなと思ったが、当時は闇の魔法使いヴォルデモートとかいう奴に、いつ誰が殺されるかわからない物騒なご時世だったことを思い出した。

 荒れ果てた世の中であってなお両親は自分のことを考えていてくれたという事実に感謝し、彼らが決してろくでなしなどではないということをハリーは思い知った。

 

「じゃあ、そのポークビッツ銀行ってとこに行くんだね」

「グリンゴッツな。魔法使いの世界にただ一つある銀行だ。小鬼が経営しとる」

「小鬼て」

「おうともさ、小鬼だ。だからこそ、銀行強盗なんて狂気の沙汰じゃて。奴らドラゴンまで用意しちょる。あー欲しい。羨ましい」

「ドラゴンまで……ほんと御伽噺みたいだ。でも欲しいってなに、ペットみたいに?」

「おっと、ハリー。着いたぞ、漏れ鍋だ。有名なとこだぞ」

 

 ハリーの問いを遮るようにハグリッドは大きめの声でそう言った。ハグリッドが大きめの声を出すということはつまり、周囲の人間――恐らく全員マグル――が全て振り返るほどの声量だ。

 たくさんの人に怪訝な顔で見られてハリーは顔が熱くなるのを感じ、ハグリッドに対して早く行こうと鍋蓋のような手を突っついた。

 突っついても感じていなかったようなので、拳でぶっ叩いた。

 しかし、周囲の人間にあれだけ見られていながら、漏れ鍋と称されるパブに注意を向けるような人間がいない。

 これはいかなることかと訝しむも、魔法界の入口というだけあって、魔法でもかかってるんじゃないかとハリーは思った。そう思った途端、みすぼらしいパブはおどろおどろしい魔窟に見えてくるのだから、人は現金なものである。

 一体どのような悪鬼羅刹がいるものやらと少々怯えていたハリーは、ハグリッドに促され中に入ってみて勝手ながら落胆した。中に居たのは、朝っぱらからシェリー酒を飲む三人の老婆と、胡桃のように禿げたバーテンと話すシルクハットの小男。

 ハリーが入った時に天井にいた何かと一瞬目が合ったが、それはすぐに何処かへ行ってしまった。不気味なところだ。ハグリッドが窮屈そうに屈んで店に入ると、皆が笑って声をかけている。どうやら店内の全員が彼の事を知っているようで、一杯やるかい。だの、今日はカードで遊んでいかないのか。だの、実に友好的な声が多い。

 なんだ、ぼくが有名なんてことを言っておいて、自分の方がしっかり広い顔を持っているんじゃないか。とハリーは思った。今のいままで多少情けない大男という認識しかなかったハグリッドが、急に大きな人に見えてくる。

 

「いや確かにデカい人だけどさ」

「ん? 何か言ったか、ハリー」

「いいや、なんにも」

 

 ハグリッドの言葉に反応したバーテンが、おやという目でハリーに目をやる。

 そうして何やらはっとしたような顔になると、カウンターから出てきてハグリッドに向かって慌ただしく詰め寄った。

 この後ハリーは、数分前の自分の考えを後悔する事になる。何をハグリッドに対して卑屈になっていたんだ。なんだこれは、とんでもない。

 

「は、ハグリッド。もしや、もしやこの子……いや、この方が……」

「トム、そうだとも。ホグワーツの仕事でな」

 

 すると雷に打たれたような顔をしたのはバーテン――トムだけではなかった。

 店全体が静まり返ったところで、トムは感極まった声を絞り出した。

 

「やれ嬉しや! ハリー・ポッターか!」

 

 トムのその一言は、パブ漏れ鍋をハリー・ポッター握手会場に変える呪文だった。

 パブ中にいた全ての人間がハリーに握手を求め、ハリーが少女である事にたいそう驚いていた。『生き残った男の子』……。いったいどれほど広まっているのか、せめてハグリッドの友好範囲内であってほしい。とハリーは内心で汗を流して願っていたが、あしからず魔法使い全員がそう思っている事は知らぬが仏である。

 そうしてしばらく握手会を続けて、昔ダドリーと一緒になってテレビで見たアイドルになった気分だと変な感覚になっていたところで、ターバンを巻いた青白い顔の男が握手を求めに現れたことに気付いた。

 

「クィレル教授でねぇか! ハリー、この方はホグワーツで先生をやっとられるお方だ」

 

 ハグリッドの紹介を受けて、クィレルが神経質そうな声を漏らす。

 

「ミ、ミ、ミスター・ポッター。いや、いや、ミスだったんだね。お会いできて光栄です」

 

 クィレルの骨ばった手と握手を交わす。

 ――瞬間。

 どうにも抗いがたい頭痛にこめかみを撃ち抜かれて、ハリーの身体が硬直する。

 目の前が緑の光で激しくまたたいた。

 見覚えがあるような、ないような、そんな不思議で悪辣な閃光と、頭蓋を貫く激痛。

 だがその程度の痛みならダドリーの拳で何度も味わっているので、すぐに平静を取り戻す。

 数瞬で立ち直ったハリーはクィレルに、この数十分で獲得した営業用スマイルを向ける。

 それは、つい数時間前までハグリッドに男の子と言われていたとは思えないほど魅力的だった。

 

「こちらこそお会いできて光栄です、クィレル先生。なんの教科を担当しているのですか?」

「や、やみ、闇の魔術に対する、ぼ、防衛です。あ、ああ恐ろしい。き、きみの、おかげで、もはや無用の長物と、か、化していますがね。が、学用品を、かいっ、買いに来たんだね。いっ、いい成績をとってくれることを、い、祈っているよ」

 

 クィレル先生との握手を終え、最後にやってきた男性ともう一度握手を交わし、バーテンのトムがくれた濡れタオルを手に持ってハグリッドとともにハリーは裏庭へ出た。

 別に汚い手をした奴がいたから、などという理由ではない。単純に衛生的な問題である。

 ありがたくタオルで手を拭きながら、ハリーはハグリッドに問うてみる。

 

「ホグワーツの先生って割には、なんだか神経質な人だったね」

「以前はあんなんでもなかったんだがなあ。授業で使う教材をおれのもとに取りに来たりしてたんだ。……ああ、おれはホグワーツで森番をやらせてもらっているんだ。で、だ。どうもどっかで吸血鬼に出くわしたらしくて、それ以降はくっさいニンニクを身に纏ったり、誰に対してもビクついちまったり……人が変わってしもうたわい。恐ろしいことじゃて」

 

 ドラゴンだの吸血鬼だの……。

 なんだか魔法界って、想像以上に危ない所なのではないだろうか。

 

「そういうの……ホグワーツには来ないの? えっと、吸血鬼とか」

「ホグワーツは絶対に安全だ。世界のどこを見たって、あすこ以上に安全なところはないぞ」

「なんで?」

「校長先生さまが、世界最強の魔法使いだからだ」

 

 誇らしげに言うハグリッドの言葉に、本当だろうか? などとハリーが考えているうちに、ハグリッドは例のピンク傘を取り出して煉瓦の壁をカツカツと叩き始めた。

 叩き方から見てどうやら規則性があるらしいが、ハリーにはさっぱり分からない。

 そうすると煉瓦がひとりでに動き出し、ガラガラと擦れる音を立てながら巨大なアーチ型の入口に変化していったではないか。

 驚くハリーに対してにっこり笑ったハグリッドが、その大きな手を広げて言う。

 

「ここがダイアゴン横町だ。そして、ようこそ――魔法使いの世界へ」

 

 その様は圧巻の一言に尽きた。

 黒いローブを着て天よ貫けとばかりに高い三角帽を被った魔女。

 赤に青、緑に紫と色とりどりのローブを着ている子供は、綺麗な箒が飾られているショーウィンドウにへばりついて「ニンバスの新型だ!」「すっげぇ」と大興奮している。

 薬問屋の前では小太りの中年女性がドラゴンの肝が高い事に不平を漏らしている。

 大鍋が積み上げられた店では、中身を自動で掻き混ぜる金の大鍋の実演販売をしていた。

 呪文の本を売っている店がある。「憎いアイツを豚に変える魔法」「呪いのかけ方、解き方」「帝王・女帝への道~これで君もスリザリン主人公~」……なんだか物騒な題名が多いが、実に興味深いものばかりでどれも読んでみたくなる。

 あたりをきょろきょろ見渡していると、ハグリッドが指差してあれが銀行だと言う。

 高く伸びた白い建物。なんだか建築法ガン無視な不安定な曲がり方をしているが、きっと魔法でどうにかなっているのだろう。そうでなければ崩れてしまっている。

 長い指で金貨や銀貨をかちゃかちゃ天秤に乗せて計っているのが小鬼だろう。

 ハリー・ポッターの金庫を開けたい。とハグリッドが手隙の小鬼に黄金に光る鍵を渡すと、小鬼は承知しましたとしわがれた声で一言。次にハグリッドが懐から手紙を取り出し、

 

「ダンブルドア教授から。七一三番金庫のものを」

 

 と、誇らしげな声で重々しく言った。

 それについても小鬼は淡泊な声で承知の旨を告げる。

 そこからは、まさに魔法といった光景だった。

 グリップフックと名乗る小鬼に連れられて、一人でに走るトロッコに乗って洞窟のような通路を超速で走っていく。まるでジェットコースターだ。……ハリーは乗ったことがないが、ダドリーが誕生日に遊園地へ連れて行ってもらったことを自慢されたのを覚えている。

 そんな回想をしている内に目的地に辿り着いたようだ。ハグリッドが気持ち悪そうにしているので、あの超高速に酔ってしまったのだろう。意外と繊細な男だ。

 小さな扉の金庫をグリップフックが開けると、中には金貨や銀貨、銅貨がずらりと並んでいた。

 

「おまえさんの父さん母さんが遺しておいてくれたものだ。おまえさんが成人するまで……ああ、魔法界では十七歳で成人だ。だから、その年齢までの学費分は十分あるぞ。もっとも、無駄遣いはできんがね」

 

 グリップフックが差し出した袋に、金貨や銀貨をある程度詰め込んでいく。

 ポケットに入りそうなほど小さな袋なのに、明らかに質量保存の法則を無視した量が入っていく光景を見て、ハリーはコンピューターゲームのお金はきっとこうなっているのだろうと関係ないことを思った。

 ハリーの小柄な体ではなかなか時間がかかりそうだったので、ハグリッドが手伝った。

 

「金貨はガリオンで銀貨がシックル、銅貨はクヌートだ。十七シックルで一ガリオン。一シックルは二十九クヌートだな」

「ありがとう、覚えておくよ。ところでハグリッド。ぼく、内緒でやったベビーシッターのアルバイトで少しだけお金あるんだけれども、一ポンドで何ガリオンかな?」

「ハリー、ポンドって何だ? スパイか?」

「何も言ってないよハグリッド。忘れて」

 

 続いてトロッコで走っていったのは、七一三番金庫。

 先程ハグリッドが何やら小鬼に言っていたところだ。

 小鬼が金庫の扉に向かって長い指でするりと撫でると、扉が音もなく消え去った。

 中にあるのは、薄汚れた小さな包みただ一つのみ。

 他人の金庫の中身を覗くのは何だかはしたないな。と思ってハリーが目を逸らすと、偶然グリップフックと目が合った。そしてにやりと笑われる。

 

「グリンゴッツの小鬼以外の者がこれをやりますと、扉に吸い込まれてしまいます」

「……どうなるの、それ」

「閉じ込められますな。十年に一度の点検の日まで、ずっと」

 

 ハリーは身震いした。魔法界ヤバい。

 ハグリッドが包みを懐に入れ終えると、またトロッコに乗って地上を目指す。

 トロッコから解放されて陽の光を浴びる頃には、ハグリッドの顔色は空のごとく青かった。

 

「先に制服を買った方がいい。おれはちょっと、その、うっぷ。……これだ。漏れ鍋で元気薬をひっかけてくるから、ちょいと先に行っておいてくれ」

 

 言うが早いが、大男は人込みをかき分けて行ってしまった。

 「マダムマルキンの洋装店」という看板のかかった店に入って行く途中、いやな液体音と低いうなり声、複数人の悲鳴が聞こえてきたがハリーは何も聞かなかった事にした。

 ずんぐりした体型の魔女、マダム・マルキンはハリーが店に入るなり、

 

「坊っちゃんもホグワーツなのね?」

 

 と声をかけてきて、ハリーが「坊っちゃん」に抗議する前に巨大な姿見の前に放り込んだ。

 マダムが藤色のローブから巻尺を引っ張り出すと、巻尺は勝手にハリーの全身の寸法を測りはじめる。ふと視線に気づいて顔を向けると、隣では顎の尖った青白い肌の男の子が別の魔女に採寸を受けているところで、ハリーの事を見ていたところだった。

 

「やあ。君もホグワーツかい?」

「うん。じゃあ君もだね」

 

 男の子の呼びかけに、ハリーが先程覚えた笑顔でにっこりと返す。

 ダーズリーの家でもこの愛想のよさを覚えていれば、もう少し待遇も違ったのだろうか。

 笑いかけられた男の子の青白い頬に、少し桃色が差した――本人は気付いていないが、身だしなみを整えたハリーはかなり器量がよい――が、マダムがハリーにズボンを当ててサイズを計っている事にハッと気が付くとふるふると首を振って言葉を続けた。

 最初の挨拶もそうだったが、どうも気取った喋り方をする少年だ。

 プラチナブロンドの髪をオールバックにしているのもあって、まるで貴族のようだ。

 

「僕の父は隣で教科書を買っている。君は……見たところまだみたいだね。薬瓶はいいものをそろえた方がいい。ガラス製なんてダメだね、クリスタル製なら魔法薬が劣化しないよ」

「うん、覚えておくよ。ありがとう。じゃあ、君はもう学用品は……」

「当然そろえたさ。これから競技用の箒を見に行くんだ。一年生が持ちこんじゃいけないだなんて、意味が分からない。父をちょっと脅して、一本や二本くらい買わせてやるさ」

「脅すて」

「君はクィディッチをやるのかい? というか、自分用の箒はある?」

「クィディッチ? ……あー、いや。持ってないよ」

「なら是非持つべきだ。僕はいま、コメット二六〇を持っている。以前はツィガー九〇を買ってもらったんだが……アレはダメだね。いい箒じゃなかった。何を買ってもらおうかな……クリーンスイープはもう古めのものだし、やっぱりニンバス二〇〇〇がいいかな」

 

 言葉の上では上品だが、言ってる事はかなりアレだ。

 まるで気品のあるダドリーみたいだ。とハリーは思った。

 そんなハリーの失礼な感想などつゆ知らず、その後も男の子は喋り続ける。

 

「君の両親も魔法族なんだろう?」

「らしいね。死別しているから、会った事は覚えていないけれど」

「おや、悪かったね。でもあれだなあ、他の連中は入学させるべきじゃないと僕は思うね。なにせ奴らは、なんて言えばいいのかな、そう、信じられない奴らさ。入学するのは僕らのような純粋な魔法族に限るべきさ。君もそう思うだろう?」

 

 その後もハリーは採寸されながら、男の子がぺらぺらと喋るのを聞いていた。

 よく喋る男の子だ。とハリーが思って答えを返そうとした時、ハリーの後ろから今のいままで聞いていた自慢話の声とそっくりな声がかけられた。

 

「スコーピウス。採寸は終わったのかい?」

 

 ハリーが振り返ると、まさに隣で喋っていた男の子と瓜二つの男の子が目の前にいた。

 青白い肌、尖った顎、プラチナブロンドのオールバック。

 隣の男の子――スコーピウスと違うのは、声が多少落ちついているくらいか。

 双子か。とハリーが思った時、もう一人の男の子がハリーに声をかけてきた。

 

「すまないね。僕の弟は喋り好きなんだ」

「ドラコ。余計なこと言わないでくれ」

 

 採寸が終わったらしいスコーピウスは、ドラコと呼んだ兄の隣に並んだ。

 まるでコピーしたかのようにそっくりだ。

 もし二人が腕を組んでぐるぐる回ったら、ハリーにはとても見分けがつかなかっただろう。

 

「じゃあ、次はホグワーツで会おう。たぶんね」

「さようなら。同じ寮になれるといいね」

 

 気取った声のスコーピウスと、落ちついた声のドラコが去っていく。

 ハリーはそれを見送っていると、窓の外にハグリッドが立っているのが見えた。手には二つの巨大なアイスクリームが。バレーボールほどあるのではなかろうか。

 マダムが二〇分もあればできるから、後でおいでなさいな、と言ってくれたのでハリーは店から出てハグリッドの袖に掴まった。

 

「どうしたハリー」

「たいしたことないさ。ちょっと疲れただけ」

 

 ハグリッドが持って来てくれたアイスクリームを食べながら、ハリーは彼に対して何度目かわからない質問をしてみる。

 

「さっき店の中で会った男の子に聞いたんだ。クィディッチってなに?」

「ああ、そうだった。おまえさんクィディッチを知らんとは! そりゃ損だ」

 

 ハグリッドは手の中のアイスを一口で半分ほど食べると、箒専門店らしき店を指差した。

 先程の子供たちが未だにへばりついているショーウィンドウに、綺麗な箒が飾ってある。

 

「俺たちのスポーツだ。みんなが夢中のエキサイティングなもんで……えーっとだな、おう、マグルでいうサッカーっちゅうやつみたいなもんだな。ルール説明は面倒なんで今度だ」

「サッカーは知ってるんだね。……じゃあ、次。その子の双子のお兄さんが、学校で同じ寮になれるといいね、って言ってくれたんだけど、寮って複数あるものなの?」

「おうとも。グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、んでスリザリン。その四種類だな。俺も、お前の両親も、グリフィンドールだったぞ」

「へえ、じゃあぼくもそこに入りたいな」

「おう、おう。そりゃ嬉しいことを言ってくれる。むしろお前さんがスリザリンに入ったらびっくりだな。悪の道に走った魔法使いや魔女はあすこ出身のもんが多い。『例のあの人』もそうだ」

「ボルシチ……じゃなかった、ヴォルデモートも?」

 

 ハリーがその名を出した途端、周囲十人ほどの魔法使いたちがビクッと肩を揺らした。

 中には犯罪者を見るような目でハリーを睨む人まで居る始末。

 ハグリッドが慌ててハリーの口をふさぎ、せかせかと急ぎ足でその場を去った。

 

「これ。これ、ハリー。その名をむやみに言っちゃいかん、まだ恐れとる魔法使いが多い」

「ご、ごめんなさい。……じゃあ、ヴォル……あの人もホグワーツ出身だったの?」

「むかーしな。昔々、のことさ……」

 

 数々の教科書に錫製の大鍋や天秤、望遠鏡に薬瓶――スコーピウスの忠告通りクリスタル製だ。少々高くついたが――の他には真鍮の物差しを買うと、お昼の時間が近くなってきた。

 くぅ。とハリーがお腹の虫を鳴らして顔を真っ赤にすると、ハグリッドは大笑いして頭を撫でる。

 

「おう、おう。あとは杖だけだ。そんでもって、誕生日プレゼントも必要だな」

「えっと、そんな、うー……」

 

 ハリーの髪の毛をくしゃくしゃにしたハグリッドが満面の笑みで言う。

 不器用で力強すぎる撫で方だったが、なんだか悪い気分ではない。

 誕生日プレゼントなど、恐らく生まれてこの方もらっていないハリーはなんだか恥ずかしくなって口をもごもごさせてしまったが、ハグリッドは遠慮するないと言ってハリーを杖の店に放り込んだ。楽しみにしておきな、と言い残して。

 放り込まれた杖の店の名は、オリバンダーの店。ハグリッドが言うには高級杖メーカーだそうで、世界一の杖職人がやっている店だから杖はここに限る、だそうだ。

 

「ごめんくださ――」

「はいよ」

 

 静かな店の中、シュガッ! と椅子をスライドさせて現れたのは老人だった。ハリーは空中に浮いた椅子にもそうだが、大きな音に驚いて短い悲鳴を漏らした。

 女の子みたいな悲鳴をあげてしまった……いやぼくは女の子だ……なにがわるい……。

 そんな意味のない思考をしているうちに、オリバンダーが微笑んている事に気づいた。

 

「待っていましたよ、ハリー・ポッターさん。お母上と同じ色の瞳にさらさらの髪……色が黒いのはお父上譲りじゃ。でも目付きだけは二人と違いますな、まるで獅子のように鋭い」

「二人を知っているの?」

「もちろんですとも。二人がこの店に来たのを、昨日のように覚えとる。お母上は二十六センチの柳の杖、お父上は二十八センチのマホガニーじゃったな。二人とも、優秀な魔法使いに育ってくれた」

 

 オリバンダーがハリーの隣まで歩いてきて、その髪を撫でる。

 ハリーは今までろくでなしだと思っていた両親を誰もが褒めているので、ちょっとばつが悪かったがそれでも悪い気はしなかった。

 老人の節くれだった白い指が、ハリーの額に触れた。

 そこにあるのは稲妻型の傷。闇の帝王がつけた忌まわしい傷。

 

「哀しいことじゃが、この傷をつけた杖もわしが売ったものですじゃ。イチイの木でできた三十四センチの杖……ああ、あの杖も恐ろしい者を選んでしもうた……」

 

 老人の憂いの声が、少し湿っぽくなったのを感じてハリーは気まずくなった。

 

「しかしルビウス。ルビウス・ハグリッドのやつめ。わしに会わんよう逃げおったな」

「えっ?」

「あやつ、実はホグワーツを退学になっておってな。そいでその時の処罰として、わしの作った杖を折られとるんじゃ。どーせまだ使っておるわい、あのバカもんめ」

 

 憂いの声は、突然ハグリッドのことを話しておどけた色に染まる。

 きっとハリーの気分を察してくれたのだ。

 ハリーは有難い気持ちになって、オリバンダーの事を信頼する気持ちが芽生えた。

 そして老人は話しながら、自動で長さを計る巻尺を取り出してハリーの腕を計りはじめた。

 

「このオリバンダーの作る杖は、強力な魔力を秘めた様々な物品を芯に使っとります。じゃから一つとして同じものは存在せず、つまりそれは他人の杖を使っても、自分の杖程の効果は出ないということになりますな。おまけに杖は持ち主を選ぶ。他人の杖を勝手に使っても杖が主人と認めてくれねば、本来の半分も効果は出んじゃろうな」

 

 巻尺が勝手に鼻の穴のサイズを計ろうとしたのに気付いて、それをつかみとって千切るぞと小声で脅すと、巻尺は大人しく腕回りを調べに戻った。

 それを見てオリバンダーは「威勢のいいお嬢さんだ」と言ってくれたのに対して、彼がまともに女性扱いしてくれた事でハリーは上機嫌になった。実はマダムマルキンの店で、結局ハリーが言うまでスカートでなくズボンを見立てられたことに腹を立てていたのだ。

 そして何本かの杖をハリーに持たせ、ひったくって別の杖を持たせ、またひったくるというよく分からない行動をしたのち、最終的に一本の杖をハリーに持たせた。

 

「柊と不死鳥の羽根。二十八センチ、良質でしなやか。……振ってみてくだされ」

 

 オリバンダーに言われるまま杖を振ると。

 美しい赤と緑の光が杖から飛び出し、金色のフリルがそれらを取り巻いてハリーを飾り立てた。それを見てオリバンダーは素晴らしい! と叫ぶ。

 

「いやはや、素晴らしい。ブラーヴォ。こんなこともあるのですな……いや不思議じゃ、まったくもって不思議じゃ」

「……不思議って、なにがです?」

「ポッターさん、その杖に使われておる不死鳥の羽根じゃが……じつはもう一本だけ。他の杖にも、その尾羽が使われておるのですじゃ。ああ、恐ろしい。兄弟杖がその傷を刻んだというのに……」

 

 ハリーはハッとした。

 つまりそれは、ヴォルデモート。

 名前を言ってはいけない例のあの人と呼ばれる彼も、ハリーと同じ芯の杖を持っている。

 ハリーはバーノンの影響で、運命などという『まともじゃない』ものは信じないことにしているが、この時に限ってはそういうものもあるのではないかと思っていた。

 オリバンダーは続けて言う。

 あの人もある意味では偉大な事をした。あなたもきっと偉大な事をなさるだろう。ですが道を踏み違えてはなりませんぞ――。

 杖の代金を払って店を出たハリーは、そこでハグリッドが白いフクロウの入った大きな籠を持って立っていることに気付く。「ハッピーバースデイ!」と彼が屈託のない笑顔で言うと、ハリーは先程の不吉な気分が溶けて流れ去っていくのを感じた。

 彼は、ちょっとばかり阿呆だ。だがそれを補うほどにいい人だ。素敵な人なのだ。

 ハリーはにこりと笑うと、ハグリッドの腕に勢いよく抱きついた。

 

 ロンドン地下鉄。

 プリベット通りへ戻るための電車に乗るためここまで一緒にやってくる道中、ハリーはハグリッドと色々な話をしていた。

 ホグワーツはどんなところなのか、何に気をつけるべきなのか、両親はどういった人だったのか。そして何より、自分の知らないところで自分が有名であることが不安だ、ということも彼に対して吐露した。

 自分の弱みを決して見せないように育ってきたハリーにとって、誰かに悩みを相談するというのは初めてのことであった。

 

「ハリー。心配することはない。たしかにお前さんは有名になっちまった。これはもう、仕方のないこった。んでも、それがなんだってんだ。おまえさんはおまえさんだ、ハリエット・ポッターだろう。まぁおれはてっきり男の子だと思っちょったがな。……そうむくれるな、今度からはレディとして扱っちゃるか? だがな、ああ。ホグワーツは、楽しいぞう?」

 

 彼と話している最中、ハリーは終始笑顔だった。

 それは実に魅力的なもので、実に年相応の女の子らしかった。

 十一年間の人生で初めての友達を手に入れたのだ。

 嬉しくないはずがない。

 ホグワーツでまた会おう。と約束をして、ハリーはハグリッドと別れて地下鉄に乗った。

 

 ダーズリーの家に辿り着いてまず行ったことは、ダドリーに対して頭を下げる事だ。

 今まで己をサンドバッグにしてきた相手だ、憎くなかったと言えば嘘になるし殺せるものなら殺してやりたかったが、あの醜態は流石にちょっと可哀想だった。

 だがダドリーはハリーに対して豚のような悲鳴をあげると、冗談みたいな速度で部屋に逃げ込んでしまった。開けゴマしようものならショック死したかもしれない。

 バーノンはバーノンで、ハリーを居ないモノとして扱ってきた。ハリーが何をしようともガン無視だ。ハリーが脱衣所にいる時に入ってこようとしたときは殺すつもりで石鹸を投げたところ、息子そっくりの悲鳴をあげた。

 ペチュニアはと言うと、何故かは知らないがハリーに服を与えるようになった。ゴマスリのつもりだろうかとハリーは訝しがったが、どうやら吹っ切れたというか自棄になっているようだった。実は娘も欲しかったのよねェーえ、オホホのホォア! と血走った眼と裏返った声で言われては、反論などできようはずもない。ハリーはホグワーツまでの一ヶ月間、大人しく着せ替え人形になった。

 もうダーズリーの連中が無理強いすることはなくなったが、なんだか落ち着かなかったので毎朝の掃除とジョギング、朝食の用意という日課は続けることにした。

 八月の第二日曜日。オレンジのラインが入った紺色のジャージ(ペチュニアが嬉々として買い与えてきたもので、ここまでくるとハリーも素直に感謝し始めていた。もっとも、ペチュニアのチョイスは若干少女趣味に過ぎるが)を着て毎朝のジョギングをしていたところ、ハリーが自身の肩に重みを感じて視線を向けると、なんと茶色いメンフクロウがとまっていた。

 すわ何事かとたまげたハリーだが、フクロウの首にホグワーツの校章が入ったスカーフが巻かれている事に気づいた。これはハグリッドの言っていた『フクロウ便』というものだろうとハリーは考え、案の定フクロウの肢に括りつけてあった手紙を受け取る。

 羽根をひと撫ですると、ホーと嬉しそうな声を残してフクロウは飛び去っていった。

 早朝で幸いだった。

 プリベット通りの住人に見られれば、噂好きの彼らの事だ、ペチュニアやバーノンの耳に入るのは間違いない。そんな『まともじゃない』ことをハリーがしていたとなれば、今更ではあるがいい顔はしないだろう。下手に刺激したくはない。

 

「なにこれ? 切符? ……と、手紙だ」

 

 歩道で突っ立って読むのもアレなので、ハリーは一度ダーズリー家に戻って読むことにした。

 丁度起きてきたダドリーがハリーを見て悲鳴をあげて逃げ出すのを無視しながら、ハリーは新たに二階へ宛がわれた自室に入っていった。ダドリーは隣の部屋なので、ハリーが扉を開けると自分の部屋に来たものと勘違いしたのか、絹を裂くような悲鳴をあげていた。最初は哀れに思ったものだが、最近では鬱陶しいだけだ。慣れって怖い。

 埃っぽくない、清潔なベッドに座るとハリーは手紙を開いた。

 

【親愛なる我が友、ミス・ポッター

 ようハリー。驚いたか? これがフクロウ便だ。魔法界ではこれが主な連絡手段になるから、よっく覚えておくがええ。んでもって、今回の要件なんだが、まずはすまなかったと謝らせてもらう。ホグワーツに行くには、同封した切符が必要だ。渡し忘れちょった。マクゴナガル先生様に言われてようやく思い出したわい。おれぁこれから先生のお説教を受けにゃならんから、用件だけ書いて送っておく。なに、全部切符に書いとる。心配めさるな、学校で会おう。

 P.S.ダーズリーに何かされたら俺にフクロウ便を送れ。とっちめちゃる。 ハグリッドより】

 

 手紙にはこんな事が書かれていた。

 遅い! というかこんな大事なことを忘れていたのかあのデカいのは!

 ハリーがそう叫ぶと、隣の部屋からブヒィと悲鳴があがった。

 我に返ってちょっと頬を染めたハリーは、手の中の切符を再確認して――

 

 

 ――今に至る。

 チェックシャツにデニムというボーイッシュな服装(ペチュニアイチオシ)をしたハリーは、途方に暮れていた。

 キングズ・クロス駅まではバーノンの車で送ってもらえた。

 別れる際ににやにやしていたのには、理由がある。

 ハリーのホグワーツ行き切符に書かれていたのは『九月一日、キングズ・クロス駅発。九と四分の三番線』というもの。

 九と四分の三? ……まともじゃない。

 バーノンの影響ですっかり口癖になった台詞を呟き、ハリーは切符から顔をあげた。

 九番線には列車が止まっている。人類の技術進化を感じさせる近代的なデザインだ。

 十番線には何もない。

 念のため駅員に聞いてみたところ、やはり知らないと言われたし、ホグワーツという名前すら通じなかった。悪戯と思われて嫌そうな顔をした駅員が行ってしまうのを見て、ハリーは泣きそうになった。というかちょっと涙が出た。

 ハグリッドめ。

 明らかな説明不足に、ハリーは歳の離れた友人を恨んだ。

 ハリーはハンカチで涙を拭ってから、魔法の杖を取り出すか迷った。

 確かハグリッドは、ダイアゴン横町に入るときに煉瓦をコツコツと傘で叩いていた。

 あのピンクの傘の中身には、オリバンダー曰く折れた杖が入っている。

 つまり九と四分の三番線……九番線と十番線の間にある三つの柱のうち、十番線に一番近い柱を杖で叩けばいいのではないだろうか。魔法使いは魔法界の存在をマグルに秘匿する義務があるそうじゃないか。つまり、魔法を使えない者にはわからないよう魔法がかけられているに違いない。きっとそうだ。具体的には、見えない通路とか、ワームホールとか。

 他にも魔法使いがいれば、きっと分かるはずだ。

 何せハリーは大量の荷物を持っている。カートに乗せねばならないほどに。

 つまりホグワーツへ行く生徒は、ある程度のデカい荷物を持っているはずだ。

 するとその荷物の中に、まともな人間なら持たないような品々を見つければいい。

 たとえば、呪文の本。たとえば、大鍋。たとえば、フクロウなどいったもの。

 自分がそのまともじゃない部類に入ることを自覚しているハリーはちょっと恥ずかしくなりながらも、必死で周囲を見渡した。

 しかしそれらしき姿は見当たらない。

 まずいぞ、あと十分しかない。

 

「ヤバい、泣きそう」

 

 ハリーは結局手当たり次第に試してみようと思い、先程予想した柱に向かって歩みよる。

 懐から杖を取り出して、煉瓦をぺちぺちと叩いてみる。

 杖から微量の火花が散るが、それ以上の効果はない。

 それどころか、こんな事をしていては非魔法族――マグルに見つかって何かしら言われるかもしれない。……魔法使いだとバレたらどうなるのだろう?

 あれ、ひょっとしてこの行動ヤバい?

 ハリーがそう思い立って懐に素早く杖をしまうのと、後ろから女性が話しかけてきたのはほぼ同時であった。

 

「坊や、もしかしてホグワーツへは初めて? 行き方はそうじゃないわよ」

 

 天よ!

 ハリーは心の中で叫んだ。

 坊や扱いなんぞ最早どうでもいい。

 このふっくらしたおばさんが、ハリーには聖母にも見えた。

 

「ああ、ええ、そうです。そうなんです。ぼく、行き方がわからなくって……」

「安心していいわ。凄いわね、場所は間違っていないのよ。ただ、杖で叩くんじゃなくってそのまままっすぐ突っ切るだけ。怖がってはいけないわ、そういうものなの」

 

 おばさんの声はとても優しかった。

 この優しさは、マクゴナガルやハグリッド以来のもの。

 ダーズリーの家に居ては決して得られないようなものであった。

 ハリーは彼女の言葉を信用する事にした。

 

「さ、ロンの前にどうぞ。ああ、ロンって私の息子のことね。この子が忘れ物しちゃって、いったん戻ってきたのだけれど。でも正解だったわ。だってあなたに会えたんだもの。さ、いってらっしゃい!」

「わかりました……」

 

 ロンと呼ばれた子の前に立つ。

 正直、彼には注意が向かず背の大きな子だなという印象以外は、すべて吹き飛んでいた。

 ハリーはカートを押したまま、一気に柱に向かって駆けだす。

 はたしてハリーは柱にぶつかることはなく、新たなプラットホームへと飛び出していた。

 目の前にあるのは、近代的とは程遠い紅色の蒸気機関車。

 横目で見ると、九と四分の三とかかれた看板も見える。そうか、ここが。

 ハリーは開いているコンパートメントを見つけて、荷物を中に詰め込もうとしたがあまりの重さに、トランクを自分の足の甲に落として悲鳴をあげてしまった。

 すると赤毛の双子がコンパートメントから躍り出るように降りてきて、「手伝うぜ」とトランクをあげるのを手伝ってくれた。「もっと喰った方がいいぜ」「デカくなれないぜ」と陽気な励ましを受けたハリーは、やっとの思いで客室にトランクは収めることができた。

 とても背の高い双子だった。小柄なハリーからすると見上げなければ顔が見えない。

 汗をかいた額をハンカチで拭いながら、ハリーは双子に礼を言う。

 双子は異口同音にどうしたしましてと言おうとして、「どう」の部分で固まった。

 片方がハリーの額の傷を指差して言う。

 

「驚いたな……それ、なんだい?」

「何が?」

 

 ハリーが聞く。

 もう片方が丸くした目のまま、言う。

 

「おいジョージ、彼だ。いや、彼女だった」

「そうだ、そうに違いない。きみ、ハリー・ポッターだろう?」

「ああ、うん。そのことか。そうだよ、ハリー・ポッターだ。本当はハリエットだけど」

 

 それからはもう、質問の嵐、嵐。

 魔法界一有名な気分はどうか、その傷は痛いのか、もう一回傷見せて、なんで男の子だって言われてたのか、例のあの人の顔見た? など、など。

 双子の質問攻めから解放されたのは、先程のおばさんが二人を呼んだからだった。

 どうやら親子らしい。

 客室でしばらく外の景色を眺めていると、何人かがハリーを指差してひそひそと囁き合うのが見えた。ハリーは恥ずかしくなって、窓から顔を引っ込めたほうがいいと判断した。

 だが汽笛が鳴ると皆が窓から顔を出したので、あまり意味はなかったかもしれない。

 赤毛の女の子が泣きべそをかきながら追いかけてくるのが見えて、ハリーはほほえましくなった。きっと兄弟に置いてかれて寂しいのだろう。

 ハリーの心は躍った。

 それと同時に、暗い感情が芽生えてきた。

 

「怯えるなよ、ハリエット。これからだ。ここから始まるんだ……」

 

 ぼくはこれから、学校で魔法を学ぶ。

 主に攻撃的な、戦うことに長けた魔法を重点的に学ぼう。

 それに何なんだ、『命数禍患の呪い』って。そんなものは、教科書には載っていなかった。

 だから多分、教科書には載らないようなレベルのものなのだろう、そうに違いない。

 最終目標は、ヴォルデモートに一発叩き込むこと。鼻をへし折ってやる。

 その為には強くならなくちゃいけない。

 幸いこれから向かう先は学び舎だ。

 強くなるにはもってこいだろう。

 いつか見てろよ、ヴォル野郎。

 お前の鼻っ柱を殴り飛ばして、鼻の骨をブチ折ってやる。

 ハリーはその明るい緑色の目を細め、一人獰猛に笑ったのだった。

 




【変更点】
・両親の遺産が原作よりも減少。金銭感覚狂ったら人間おしまいよ。
・やせいの マルフォイA マルフォイB が あらわれた!
 マルフォイEX。兄という生き物は、弟妹への見栄と意地で強くなるのだ。
・バイト経験あり。ポンドになら抱かれてもいい。
・ペチュニアの態度が軟化し、ハリーの心中でも好感度が変化してしまう。
・キングズクロス駅でウィーズリー家とすれ違い、九と四分の三番線を教えて貰えない。
・ハリーや、ヴォルさんに鼻はないよ。

【新キャラ】
『スコーピウス・トーマス・マルフォイ』
 本物語オリジナル。名前は原作フォイの息子と俳優から拝借。
 ドラコの双子の弟。多少泣き虫だが、陰湿さは原作フォイ以上。

ホグワーツまでは駆け足しないと、ダドリー坊やがストレスで死んでしまう。
彼女には明確な目標があるので、原作ハリーよりは成績が良くなることでしょう
ハグリッドはどの世界線でも素敵な人なのです。


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3.ホグワーツ

 

 ハリーが一人笑っていると、コンパートメントの扉が開いた。

 その音で窓に映る自分の笑みが真っ黒いことに気付いて、ハリーは笑みを引っ込める。

 振り向くと、そこにはデカい少年がいた。

 身長はどう見繕ってもハリーより頭二つ分はデカい。

 体つきはひょろりとした長い野菜のような印象があるほど細長い。

 顔はそばかすが目立ち、手足が長く大きく、鼻が高い。

 ……上級生だろうか?

 

「ここ空いてる? 他はどこもいっぱいだったんだ」

 

 ハリーはこくこくと頷くと、少年は席に腰かけた。

 怖そうな子が来ちゃったなあ、とハリーが困っていると、少年が声を発した。

 

「君が、ハリー・ポッターかい?」

 

 勘弁してくれ。

 ハリーはそんな気持ちでいっぱいになりながら、前髪をかきあげて傷跡を見せた。

 ほー、と感心したような声が漏れる。

 その声色はどこか幼く、なんだか同年代のような感じがしてハリーは彼の方を見た。

 やっぱりデカい。しかしなんだか、どことなく先程の双子と似ている。

 つまり、世話になったあのおばさんと似ている。

 

「えーっと、君は……」

「ロナルド・ウィーズリー。ロンでいいよ、皆そう呼ぶ」

「じゃあ、ぼくの事はハリーで。ハリエットでもいいよ」

「ハリエット? まぁ、わかったよ。ハリー」

「……」

 

 漏れ鍋の握手会でも、この自己紹介をした。

 だが、女性名で呼ぶ人はいない。何でだろうね。

 

「……えっと、じゃあロン。君の家族に双子はいる?」

「フレッドとジョージのことかな。もう二人には会ったんだね。彼らは僕らウィーズリー兄弟で四番目と五番目、ホグワーツ入学は僕で六人目だ」

「ちょっと待って!?」

 

 ハリーは叫ぶ。

 

「六人目! お母さん頑張りすぎじゃ……、え、なに? というか同い年?」

「そうなるね。……まぁ下にもう一人妹がいるけど」

 

 ハリーは絶句した。

 きっと魔法界の食べ物を食べると、このくらい大きくなるに違いない。

 ハグリッドもそうだったし。

 そういった会話をすませると、あとはだんまりが空間を支配した。

 ハリーはロンの巨体から発せられる威圧感に萎縮して話しかけられないでいるし、ロンは黙ってハリーをじっと見ているだけだ。

 勘弁してくれよと泣きそうになった頃、ロンがおもむろにカバンの中から一つの包みを取り出してハリーに放り投げてきた。パッケージを見ると、『蛙チョコレート』とある。

 マジかよ。魔法使いって蛙喰うのか。

 と思ったが、成分表を見るとどうやら蛙を模しているだけらしい。心底ほっとした。

 しかしハリーはまだ知らない。

 魔法薬の授業などで、蛙のみならずゲテモノ類を嫌というほど触るようになることを。

 

「食べなよ。僕はこのおまけのカードを集めていてね。アグリッパが出たらちょうだいね、そいつだけまだ出てないんだ」

「うん。ありがとうね、ロン」

 

 パッケージの裏を見てみると、どうやらおまけ付きのお菓子らしい。

 因みにハリーはチョコレートを食べるのは人生で二度目だ。

 一度目は、ハグリッドの手作りだという誕生日ケーキ。あれは美味しかった。

 包みを空けると、なんと蛙のチョコが動いている。

 短い悲鳴をあげて放り出すと、窓にはりついたチョコカエルは隙間から逃げてしまった。

 茫然とそれを見ていると、ロンが笑っていることに気付く。

 頬を膨らませて抗議すると「ごめんごめん」と年相応の笑顔のまま謝ってきた。

 そこからは、先程の空気も嘘のように話すことができた。

 ふとおまけの事を思い出してカードを見てみると、半月眼鏡をかけた、おちゃめな表情の老人が描かれていた。ヒゲがものすごく長い。というか、なんと、驚いた。――動いている。きっと魔法界の写真には魔法がかかっているのだろう……改めて今までの世界との違いを、ハリーは思い知った。

 名前を確認してみると、

 

「アルバス・ダンブルドア? このお爺さんがそうなんだ」

「ダンブルドアの事を知らないの! マグルの世界で育っているとはさっき聞いたけど、そこまでとはね……」

 

 カードにはダンブルドアのことがいろいろと書いてあった。

 近代魔法使い史で最も偉大な魔法使い。最強の闇の魔法使いグリンデルバルトを破った。ニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究で有名。ドラゴンの血液研究でも有名。

 カードの裏側を読む限りで彼について分かったことは、存命魔法使いの中では『世界最強』とされる室内楽とボウリング好きの耄碌ジジィであるということだった。

 ダンブルドアがどういう人なのか、ロンの知る魔法界はどんなものなのか。ハリーがロンから聞いていると、コンパートメントのドアががらりと開いた。

 現れたのは半泣きの小肥りな男の子と、たっぷりした栗毛の自信満々な女の子だ。

 

「ネビルのペット、ヒキガエルのトレバーがいなくなっちゃったの。あなたたち知らない?」

「知らない」

 

 男の子の肩に手を置きながら、女の子が一言一言言い聞かせるような喋り方をする。

 あれはきっと、己の自信に裏打ちされたものではない。幾分かの虚勢が混じった喋り方だ。

 それにしてもヒキガエルをペットにするとは。……ロンのペットもネズミだというし、魔法族とマグルでは動物への価値観が違うのかもしれない。

 しかしそうか。ペットとはいえ失せ物探しか。

 ハリーはチャンスだとばかりに懐から杖を取り出した。

 

「あら。魔法を使うの? 見せてもらおうかしら」

 

 栗毛の女の子はそう言うと、ハリーとロンの了承も取らずロンの隣に座った。

 ネビルと呼ばれた男の子は泣きそうな顔のままドアのところで棒立ちだ。

 

「まぁ、実際に魔法を使うのは初めてなんだけど……」

「いいから、はやく。見ててあげる」

 

 偉そうな。

 

「それじゃ失礼して。『ドケオー・トレバー』、場所を教えて」

 

 ハリーがそう唱えると杖の先に淡い水色の光が灯って、カクカクと辺りを彷徨ったあとに隣のコンパートメントに尾を引いて向かっていった。

 途中ネビルのほうを振り返るような動作をしたことから、ついてこいと言いたいらしい。

 

「ほら、トレバー……だっけ。あっちにいるってさ」

「ありがとう、探しに行くね! ぼくネビル・ロングボトム! 後でお礼がしたいんだ、君は?」

「お礼なんていいよ。ぼくはハリー・ポッター」

 

 ネビルが驚いて硬直したが、早くトレバーを迎えにいったほうがいいと言うと、慌ただしく走って行った。

 ロンが褒めてくれてハリーが頬を染めている中、栗毛の女の子は少し残念そうな顔をしている。

 間違っていたら指摘したかったのかなとハリーは予想した。

 

「あらびっくり。あなたが、ハリー・ポッターだったのね?」

「うん。ハリーでいいよ。ハリエットでもいいけど」

「よろしくハリー。私はハーマイオニー。ハーマイオニー・グレンジャーよ」

 

 そう言うと、女の子……ハーマイオニーはさっと立ち上がった。

 そして「失礼」と一言添えてロンの鼻先に杖を突きつける。

 当のロンはびっくりして目を丸くしていた。

 

「『スコージファイ』、清めよ」

 

 ハーマイオニーが呪文を唱えると、ロンの顔の影がするりと消え落ちた。

 魔法の腕をどうしても披露したかったのだろうか。きっとハリーがあのボロ眼鏡をかけていれば、それを直したに違いない。だが奴は死んだ。もういない。

 どうやらロンは顔全体が薄汚れていたらしく、汚れが消えた顔は、年相応のものだった。

 変な影とかは別にない。威圧感も多少は消えてくれたようだ。

 

「もうちょっと身嗜みに気を使ったら?」

「うるさいな! 着替えるんだから出て行ってくれ。覗きの趣味でもあるのかい」

 

 指摘された恥ずかしさにロンがぶっきらぼうな口調で刺々しく言う。

 ロンがそう言うので、ハーマイオニーとハリーが立ち上がった。

 するとキョトンとした顔でロンがハリーに声をかけた。

 

「ハリー、どこいくんだよ。一緒に着替えよう」

 

 それを聞いてハーマイオニーが目を丸くし、ハリーが鋭い目で睨みつけた。

 そしてロンが引きつる言葉を、ハリーはその唇から放つ。

 

「ぼくは女の子だ! 覗きの趣味でもあるのか、ロン・ウィーズリー」

 

 ホグワーツ。

 まるで古城のような風体の、巨大な学び舎だった。

 引率の先生がハグリッドであったため、ハリーは沈んだ気分が晴れていくのを感じた。

 自動で動く小舟にハーマイオニーとネビルの三人で乗って、城へと進んでゆく。

 マダムマルキンは結局あのあと、ハリーの制服にズボンを選んだらしい。

 仕方ないのでそれを穿いて機嫌が悪くなっていたのだ。

 ロンは一応隣に居るが、実に気まずそうにしている。

 ハリーを怒らせたのだからむべなるかなだが、今のいままで同性の友達だと思っていた子が実は異性であるということを知って、戸惑っているようにも見える。この年代の子供にとって、性別というものは如何ともしがたい大きな壁だ。

 しかしハリーはそんな彼の心境に気付いていながらも、先程の無神経な発言に少しむっとしていたので、まだ許す気はなかった。

 ハグリッドが新一年生を連れていったのは大きな扉の前であり、そこで待っていたマクゴナガルが新一年生全員に、此処で大人しく待っているようにと鋭い声で言い残して扉の中へ入っていった。

 途端、子供たちがざわざわと話し始めた。

 これだけ興奮した子供たちに大人しくしていろというのは、土台無理な話だろう。

 

「やぁ。君がハリー・ポッターだったんだね」

 

 そんな中、人込みをかき分けてハリーのもとへやってきた男の子がいた。

 恐らく魔法界で一番有名であろう名前を言ったので、周りの子供がハリーの方を見たり指差したりしながらひそひそ話を始める。ハリーは少し恥ずかしかった。

 やってきたのは、プラチナブロンドの髪の毛。つんと尖った顎。青白い肌。

 マダムマルキンの洋装店で出会った子だ。いや、兄の方か?

 

「やぁ、また会えたね」

「あの時はスコーピウスが世話になった。改めて挨拶をと思ってね」

 

 どうやら兄のドラコの方だったようだ。

 隣に居るスコーピウスにハリーがにこりと笑いかけると、彼はふんと鼻を鳴らして視線を逸らす。するとドラコの反対側には、とんでもなく大きな男の子がいた。二メートルはあるのではないだろうか。ロンよりもさらにデカい……あとゴツい。本当に十一歳か?

 ハリーが目を丸くしていると、ドラコは気がついたようで無造作に言った。

 

「こいつはグレセント・クライルさ。それで隣はご存知スコーピウス」

「よろしくね二人とも」

「おう……よろ、しく……」

「ふん。よろしくしてやってもいい」

 

 クライルと呼ばれた男の子は、鼻にガムが詰まったような声で答えた。

 スコーピウスはもったいぶった仕草で、ネクタイを締める動作をする。

 貴族然とした外見から、年を経てから同じ動作をしたならば実に様になっていただろうが、如何せんまだ十一歳ゆえスコーピウスのそれは微笑ましいだけだった。

 

「そして、僕がドラコ。ドラコ・マルフォイだ」

「改めてよろしく。ぼくはハリー・ポッター。ハリエットでもいいよ」

 

 ハリーがそう名乗ると、いよいよ周囲がどよめいた。

 まさか。嘘だろう。女の子じゃないか。ズボン穿いてるぞ。ポッターは今年入学だよな。

 様々な声が周囲でどよどよと聞こえて、ハリーは自分の耳が赤くなるのを感じた。

 そんな中、ドラコの名前を聞いてくすくす笑いを誤魔化すような咳払いが響く。

 耳ざとく気付いて咎めたのはスコーピウスだ。

 

「おまえ。僕たちの名前が変だとでもいうのか? 赤毛で、ひょろひょろのっぽのデクノボウで、おまけにそばかすだらけの子だくさん。知っているぞ。おまえ、ウィーズリー家の子だろう。人の事を笑えるような身分ではないと思うけどね?」

「なんだと! もう一度言ってみろ!」

 

 一触即発。

 クライルがスコーピウスの隣に立ち、その丸太のような足を踏み鳴らした。

 腰巾着とはこういうものを言うのかと思いながら、喧嘩が始まってしまったら真っ先に逃げておこうと油断なく観察し始めたハリーを見て、ドラコが声をかけた。

 

「やめるんだ、スコーピウス。むきになるな」

「だけどドラコ!」

「そんなのを相手にしていると、品位がないと思われるぞ」

 

 ドラコの一言で、スコーピウスはぐっと黙る。

 どうやら未熟な弟を持っていることで、ドラコには自制心が芽生えているといったところだ ろうか。いくら兄とはいえ、十一歳の少年ではなかなかできないことである。

 ドラコ・マルフォイはハリーに振り返ると、弟とそっくりな気取った声で言った。

 

「ポッター君。見ての通り、家柄のいい魔法族とそうでないのがいる。間違った者とは付き合わない方がいい。そこらへんは、この僕が教えてあげよう」

 

 そう言って、手を差し伸べてくる。

 ハリーはここで、少し迷った。

 ドラコの考えは、現実をよく表したものだ。魔法界はきっと、差別的な思想が強い。

 非魔法族をマグルと呼称するのも、おそらく似たようなものだろう。

 手を取るのもいい。だが、それをやるとロンとは間違いなく友好的な関係を結べない。

 ハリーは自分が強くなれるためにはドラコのような人間も、ロンのような人間も必要だと考えている。誰がどう役に立つか分からないのだ、友好的にするに越したことはない。

 ひとつの方法を選択した。

 

「ドラコ。その言葉は嬉しいよ」

 

 ロンが絶望的な顔をした。

 ハリーはドラコの手を自分の手で包みこんだ。

 握手では、ない。

 

「でも、ぼくはね。皆と仲良くしたいと思っている。彼とも、もちろん君ともね」

 

 そうしてハリーは、自分が出来る限りの笑顔でそう答えた。

 スコーピウスはそれに対して嫌そうな顔をし、クライルはお菓子を食べるのに夢中だった。

 そしてドラコ。ドラコ・マルフォイは。

 

 「そうかい」

 

 嫌そうな顔こそしなかったが、失望の色が見えた。

 

「君の考えは僕たちのそれとは相容れないものだね。だけど気をつけた方がいいぞポッター、朱に染まれば赤くなるという言葉もあるんだ。そいつみたいなのと付き合っていると、いずれ身を滅ぼすぞ」

 

 と、ハリーの手を振りほどいて行ってしまった。

 隣のハーマイオニーが大丈夫? と声をかけてくるのに手をあげて曖昧な返事をして、ハリーは少し離れた位置のロンに向かって笑いかける。するとロンは、自分も笑いかけるかどうか迷った結果、そっぽを向いてしまった。

 どうやらマルフォイ達との会話が気に入らなかったらしい。

 電車の中でも散々スリザリンについて辛辣に語っていたことから、マルフォイ達と親しげにするハリーに対して不信感を抱いてしまったのだろう。確かに、ハグリッドもスリザリンに対してはあまりいい話をしなかった。

 しかも、先程のロンとスコーピウスの会話からするに、どうも家族単位で仲が悪そうだ。

 おまけに、ドラコ・マルフォイ当人も去ってしまった。

 二兎を追う者はなんとやら。ジャパンのことわざそのまんまではないか。

 誰とも仲良くしたい、そう欲張った結果がこれだ。

 きっとどちらかの側についていれば、かけがえのない親友を得たことだろう。それこそ、選ばなかった方が、今後の学校生活で顔を合わせるたび喧嘩をする、不倶戴天の敵になる程に。

 選択に失敗したハリーは寂しい気持ちを心の底に降り積もらせたが、ダーズリー家にてギチギチに踏み固められた心は、その程度では動かない。結果、表情も変わらない。目だけはいつも通り鋭い獅子のようで、かつ死を秘めた毒蛇のようでもあった。

 そんなやり取りをしているうちに、マクゴナガルが戻ってくる。

 

「これより組分けの儀式を行います。一列になって付いてきなさい」

 

 扉に入ると巨大な玄関ホールが出迎え、二重扉を通ると大広間へと至った。

 そこでハリーは、自分の口が開くのを止められなかった。確かに、教科書には書いてあった。だが実際に目にするのとは大違いだ。大量の蝋燭が宙に浮かび、火が踊り、墨を溶いた水に宝石をちりばめたかのような美しい星空が、きらきらと瞬いてハリーたちを歓迎している。

 ハーマイオニーが「ここ本で読んだところだわ!」と叫ぶのと横で聞きながら、ハリーは左右の長テーブルに座る上級生たちでも、奥で真剣な顔をして新入生を眺めているダンブルドアらしき老人でもなく、中央に置かれた四本足の椅子に興味を引かれた。

 新一年生たちのざわめきが小さくなると同時、帽子の裂け目がさらに裂けて口のように動くと、帽子は高らかに歌い始めた。

 歌の内容は、こうだ。

 

――この私はホグワーツ組分け帽子。心を見抜き、相応しい寮へ案内しよう。

  勇気ある者はグリフィンドール。勇猛果敢な騎士はここに立つ。

  誠実なる者はハッフルパフ。忍耐強く心優しき者を受け入れる。

  賢者行くとこレイブンクロー。知識欲を満たす者こそ相応しい。

  挑戦者たるはスリザリン。果てなき欲は必ず目的果たすだろう。

  さぁ、私が見抜こう、教えてあげよう。それが最初の試練だ、小さな勇者諸君――

 

 帽子を被ると心を見透かされるのか。

 そんな恐ろしい考えがハリーの全身を支配しているうちに、既に組分けが始まっていた。

 ファミリーネームのABC順に呼ぶのだろう。ポッターのPはもう少し後だ。

 四つの寮に次々と振り分けられる生徒を見ながら、なるほど確かにそれっぽい生徒が寮にいっているものだとハリーは感じた。ハーマイオニーやネビルはグリフィンドールに配属された。その後に呼ばれたマルフォイ兄弟は二人ともスリザリンだ。その時ロンが不安のあまり呻き声をあげているのに気付いたが、ハリーに構っている余裕はなかった。

 なぜならば、

 

「ポッター・ハリエット!」

 

 ついに、呼ばれたからだった。

 周囲の新一年生どころか、大広間に居る生徒全員がひそひそ話を爆発させる。

 

「ポッターだって?」「あのハリー・ポッター?」「例のあの人を斃したっていう?」

「でもハリエットって何?」「女の子に見えないか?」「ばか、ズボンはいてるだろ」

 

 もうちょっと小さな声で言ってくれ、全部聞こえているんだ。

 それに内容はさきほど扉の前で囁かれたことと似たり寄ったり。

 ハリーはそれらの声を振り切ると、前に進み出て自ら帽子を被った。

 どういった心の読み方をするのだろうか。

 ハリーが戦々恐々としていると、頭の中に声が響いた。

 

『ううむ、なるほど難しい……これは難しい……』

 

 帽子の声だ、とハリーは気付いた。

 

『ほほう、勇気に満ちておる。優しい気持ちもある、知恵も求めておる。そして、なんと苛烈な欲望の渦か。いやはや、久々に面白い子が来たものだ。この心の淀み方……本来ならばスリザリンと即答するような子だ。実際にスリザリンに入れてもよいが……いや、はたして……』

 

 なるほど確かに、ハリーの心中を言い当てている。

 ハリーは自分のことを、欲深き女だと自覚している。

 誰にだって優しくできるならそうしたいが、嫌いな人物はその限りではない。

 強くなるためは勇気が必要と知っているが、力を求める貪欲さもまた必要だ。

 更には淀んでいることも否定しない。

 あんな環境下に在って、なおそれを強制的にとはいえ受け入れていたのだ。

 それはきっと、『まともじゃない』のだろう。

 ふと思い、ハリーは心の中で帽子に呼び掛けることにしてみた。

 

(帽子さん、組分け帽子さん)

『ほう?』

(ぼくは、何よりも力が欲しい。だけどその為に何が必要か、ぼくにはまだわからない)

『その為に私がいる。身を委ねるかね? それとも君が決めるかね?』

 

 その言葉に、ハリーは少し迷った。

 

『私のおすすめはスリザリンだ。スリザリンに入れば、間違いなく君は偉大になれる』

(偉大になれるからといって、それが強くなる道とは限らない?)

『それはそうさ、よくおわかりだ』

 

 そして、自分の目標を見据えて思い出す。

 復讐。顔も知らぬ闇に染まったあの男をブン殴る。そして殺す。

 その為に必要なのは力だ。

 彼女の魂はこう言っている。――『もっと力を(I need more power)』!

 ならば。世界最強の魔法使いと同じ寮に入れば、何か見つけられるかもしれない。

 そうと決まれば、ハリーが呟く事はひとつだ。

 

(ぼくの事は、ぼくが決める。ぼくが行くのは、校長と同じ寮だ)

「よろしい! ならば――グリフィンッ、ドォォォール!」

 

 グリフィンドールのテーブルから、歓声が爆発した。

 双子のウィーズリー兄弟が何やら叫び回り、監督生らしき赤毛の生徒が大きな拍手で出迎えてくれる。ちらりと来賓席を見るとハグリッドがウィンクしているのが目に入った。背中をばしんばしん叩かれ、痛い思いをしながらハリーは監督生に勧められた椅子に座る。

 ほどなくしてロンもグリフィンドールに決まり、もう一人の生徒をスリザリンに入れると組分けの儀式が終わった。

 すっくとダンブルドアが立ち上がり、長い長い髭をゆらして優しげな笑顔を浮かべる。

 そして、大きな声で言った。

 

「おめでとう、新入生諸君! そしてようこそ! ジジィの長話を聞く前に、諸君には大事なことがあろうじゃろうて! ではいきますぞ、そぅーれ、わっしょい、こらしょい、どっこらしょい! Catch this!」

 

 ダンブルドアの挨拶に盛大な拍手と歓声が返される。

 ハリーはというと、満足げな顔で座るダンブルドアを半目で眺めていた。

 世界最強の魔法使いというからにはどんな人かと思えば、本当に耄碌ジジィなのか?

 数分前のぼくの判断は、ひょっとすると間違いだったのでは?

 

「あの人アタマおかしいんじゃないの」

「なんて辛辣な。でも、最高さ! ほら、食べなよポッターくん!」

 

 監督生――パーシー・ウィーズリーというらしい、きっとロンの身内だ――に勧められ、今まで何もなかったはずのテーブルに現れたありとあらゆる料理にハリーは驚いた。

 ダーズリー家で食べられたのはビスケットやパンくらいで、運がいい時に野菜の切れ端をもらえたりする程度だったものだから、何が何だかよく分からないくらいだ。

 その後は「激動」の二文字が正しかった。

 食事を終えるとダンブルドアから今度は礼儀正しい祝辞の言葉を述べられ、四階の廊下には決して近づいてはならないこと。禁じられた森への立ち入り禁止。廊下でむやみに魔法を使わぬようにとの管理人からのお願い。クィディッチ選手の予選があるのでやりたい子はおいで、マダム・フーチに連絡してね。と諸注意を述べた後に、校歌斉唱を行った。

 パーシーの案内でグリフィンドール寮へ急ぎ、中の人物が勝手に動きまわる肖像画――太った婦人に合言葉を告げると、肖像画が開いて中に入れるようになる。合言葉を忘れると当然入れないというのだから、厳しいものだ。

 

 しかしここで少し、いや重大なハプニングが起きた。

 なんと、ハリーの相部屋がロン含めた男子生徒だったのだ。

 確かに螺旋階段が男女で別れていて変だなとは思っていたが、この事件はそんな思考力が低下する原因となる眠気も吹っ飛ぶようなことであった。

 これに激怒したのはハリーでなく、ハーマイオニーたち女子生徒だった。

 ハリー自身はそのくらい別にいいんじゃないか? と思っていた。

 ダドリー相手にそんなことを気にしていたら、あの家では暮らしていけない。

 しかしハーマイオニーたち女性陣の猛反発を見て、反論できる雰囲気ではないと悟る。

 でも確かに、男の子だらけのところはちょっといやだな。とハリーは思った。 

 いったいどうなっているのか、いくらなんでも酷い。ハリーが男の子に見えるのか?

 女性陣がパーシーにそう詰め寄ると、最後の質問に首を縦に振りそうになったところでハリーが杖を取り出したのを見て、彼は慌ててマクゴナガルのところへ走っていった。

 マクゴナガルも寮部屋を取り決めた誰かに激怒してくれたが、結局空いているベッドはなく彼女が「明日には必ず、新しいベッドを用意させます」と言ってくれたので、ハリーはハーマイオニーの厚意で彼女のベッドで一緒に寝ることになった。

 寝る時に少し話したのだが、ハーマイオニーは案外正直にものを言う子で、

 

「確かにハリーは男の子みたいにカッコいいけれどね。うん、でも悪くないわ」

 

 などと言っていた。

 着替えの時に下着を確認するまで性別を疑っていたらしい同室のパーバティ・パチルなんかは「確かに悪くないわ。まるで王子様みたいよ」などとうっとりした顔で言っていたので、ハリーは多少の寒気を感じた。

 ダドリーの見ていたジャパニメーションで「男装女子」というのがあったな、とハリーは思い出して、ちょっとげんなりした。

 しかし激動の一日はあまりに大きな疲労をハリーに詰め込んでいたのか、既に寝息を立てていたハーマイオニーの豊かな栗毛に顔をうずめると、その瞬間に眠りに落ちてしまった。

 

 翌朝。

 パジャマから制服に着替える際、ハリーはパーバティに「あなたもっと食べないと死んじゃうわよ」と浮き出た肋骨を撫でられる羽目になった。

 くすぐったさのあまりについ笑ってしまって二人でじゃれあっていると、とっくに着替えていたらしいハーマイオニーが授業の時間が迫っていると急かしてきた。

 朝食よりも授業が楽しみらしい。

 パーバティがウゲェと嫌そうな声を漏らしたが、……実を言うとハリーは、ハーマイオニーの意見に全面的に同意だった。

 なぜならば、強くなるためには豊富な知識が必要になるからだ。

 強くなる為に学ぶ必要があるのならば、ハリーは喜んで挑む。

 

 天文学。望遠鏡で星を眺め、惑星の動きを学ぶオーロラ・シニストラ先生の授業。

 薬草学。ずんぐりした魔女ポモーナ・スプラウト先生と温室に赴いて魔法植物を学ぶ授業。

 魔法史。なんと教授のカスバート・ビンズ先生は幽霊だ。これは歴史を学ぶ、退屈な授業。

 妖精の魔法。フィリウス・フリットウィック先生という小さな教授が教える授業で、一年生は妖精の悪戯のような魔法を学ぶ、ハリーが想像していた魔法の授業そのままだった。

 変身術は、ミネルバ・マクゴナガル先生の授業だった。ハリーは笑いかけたが、マクゴナガル先生は厳格な表情で返してきた。それでハリーは、この女性は公私でえらく態度の変わる先生だという事に気づいて親しげな反応は期待しないことに決めた。

 

「変身術とは、この学校で学んでゆく魔法の中でも極めて危険なモノの一つです。いるとは思いませんが、授業を妨害する生徒は豚に変えてその日の夕食に出させていただきます」

 

 生徒の大半は笑ったが、マクゴナガルは笑わなかった。本気だ。

 先生が机を豚に変えたり、自身が猫に変身した――「動物もどき」というらしい――時は皆が感激したものだが、実際の変身術はまず、散々複雑な理論を学ぶ必要があった。その時点でやる気をなくした生徒が多いことにハリーは気付いた。なにせ、近い席に座っていたロンがウゲーといった顔をしていたからだ。

 最強の魔女になるという目標があるハリーと、勉強そのものが楽しくて仕方ないという隣席のハーマイオニーのみがノートをすらすらと書いてゆく。

 実技については、配られたマッチ棒を針に変えるというとんでもないものだった。

 確かにこれは教科書には、初歩の初歩と書いてあったが、本当にできるのだろうか?

 ハリーは開始直後にハーマイオニーが見事成功させたのを見て焦りながら、授業が終わるギリギリになってようやくマッチ棒を針に変身させることができた。

 しかしどうやらマッチ棒を変身させることができたのはこの二人だけだったらしく、マクゴナガル先生は二人の成果と努力の結果を褒め、以前のように微笑んでくれた。

 

 闇の魔術の防衛術については、なんというか、臭かった。

 ダイアゴン横町でハグリッドが言っていたように、クィリナス・クィレル先生はどうやらニンニクを常備しているらしく、ニンニクのお腹の減る匂いを教室中に充満させていたので、皆はお昼ごはんが待ち遠しかった。

 ハリーはこの授業に多大なる期待をしていたのだが、やはり期待外れだった。

 ヴォルデモートは最悪の闇の魔法使いである。なんて言われるくらいだから、きっとこの授業が一番役に立つと思って教科書に変なクセがついてしまうほど読み込んだというのに。

 クィレルが危険な生物に対していきなり魔法を使おうとせず、それが何なのかを見極めてから適切な行動を選びましょう。という基本的な説明をしたのに対して「もし何らかの危険な存在に襲われた場合、どういった呪文で乗り切ればいいのですか」と質問したところ、

 

「そんな恐ろしい状況……私には耐えられない! ヒィーッ!」

 

 と叫んで崩れ落ちてしまった。

 マジかよ。

 そんなところからも、この教科に対する期待外れっぷりが窺い知れようものである。

 ハリーに対抗意識を燃やして、続けて自分も質問しようとしたハーマイオニーの目が、真ん丸になって固まっていたのが横目で見えた。

 ロンはその授業、後ろの方でずっと眠っていた。

 

 昼食。

 向かいの席でロンがマーマレードパイにがっつくのを見ながら、ハリーは自分のペットたる白フクロウのヘドウィグが初仕事を終えたのをねぎらっていた。

 手紙を運んできたのだ。内容は、ハグリッドからのお茶のお誘い。

 この時間は数十羽ではきかない数のフクロウが手紙を届けに大広間の天井を飛び回るのでとてもうるさいが、ハリーはこの時ばかりはその騒音に感謝した。

 「やった」と叫んだ理由は、ロンと仲直りができるかもしれないとうものだったからだ。

 ロンとは入学式のあれ以来、まともに口をきけていなかった。

 やはりスリザリン生と仲良くしたいというハリーの思想は、彼には認められないらしい。

 隣でバゲットを頬張っていたハーマイオニーに「一緒に行こう」と誘い、二つ返事で了承を貰ったハリーはテーブルを回りこんでカスタードプティングを口に含んでいるロンを誘った。

 ロンはもごもご言っていたが、しばらく悩むそぶりを見せたあと「今度、今度ね。いまはちょっと……まだ、気持ちの整理ができてない」と言ってくれた。

 それによりハリーは、意気揚々と満面の笑顔で次の授業に向かって、

 

「ああ……、ハリー・ポッター。我らがアイドルだな」

 

 その笑顔を吹き飛ばされた。

 スリザリンとの合同授業である、魔法薬学。

 ハリーは教室の中にドラコの姿を見つけて、隣に座ろうと思って近寄ったがスコーピウスが素早くハリーの前に飛び出してきてあっちへ行け! と威嚇されてしまった。

 肩を竦めて他を探してくれ、とゼスチャーするドラコに頷いてから、ハリーはハーマイオニーを見つけてその隣に座る。遅れてロンがやってきて、ハリーの隣しか席が空いていないことに気付くとしばらく迷ったのち結局隣に座ってきた。

 途端、扉を開けて入ってきた教師がハリーの顔を見るや否や、そう言ったのだ。

 それもねちっこい、嫌味ったらしい声で。

 

「この授業では魔法薬の微妙な科学と、厳密な芸術を学ぶ。我輩が教えるのは、名声を瓶詰めにし、栄光を醸造し、死にさえ……蓋をする、方法である。――ただし、我輩がこれまでに教えてきたマヌケなトロールどもと、諸君らが同じでなければの話だが」

 

 セブルス・スネイプ。

 それが魔法薬学の教師の名で、ハリーの直感ではこの教師は、自分のことを嫌っていた。

 しかし、それは間違いであったことを確信する。

 嫌っているのではない。――憎しみを抱き、そして、戸惑いをも抱いていた。

 突然「ポッター!」と呼ばれる。

 

「アスフォデル球根の粉末に、ニガヨモギを煎じたものを加えると何になるか?」

 

 いきなりの指名ときた。

 しかもこの問題、めちゃくちゃ難しい部類に入るものだ。

 

「い、生ける屍の水薬です、先生。えーっと……効果は、強力な眠り薬です」

 

 しかしハリーは即答できる。

 闇の魔術に対する防衛術、妖精の呪文に次いで、魔法薬学はハリーが最も求めた知識の一つだからだ。つまりそれは、学校が始まる前に教科書を暗記したということである。

 しかも今回は運良く、この魔法薬のことが載っている本をハリーは持っていた。遅れて切符を寄越したハグリッドに手紙を送り付けて何冊か上級生の教科書を手に入れているのだ。そちらの方は三割も読み解けていないが、ちょうどこの薬があった。一年生の最初であるということを考えるとそれでも十分なほどだが……というかこれ、もっと上級生で習う薬じゃないのか?

 セブルス・スネイプ。なんて意地悪な男。

 ハリーが答えたのを見て、スコーピウスががっかりした顔をする。おおかた、失敗したハリーを囃したてるつもりだったのだろう。ずいぶん嫌われてしまったようだ。

 ロンやクライルが何言ってんだコイツという顔をしているのは兎も角、ドラコが感心したような表情をしているのが気になる。隣で指名してもらおうと踏ん張って挙手しているハーマイオニーは無視しておこう。

 スネイプが感心したように笑うと、またもや質問の襲撃を開始した。

 

「よろしい。では、ベゾアール石を見つけて来いと言われたらどこを探すかね?」

「ヤギの胃の中です。茶色の萎びた石で、大抵の魔法薬の解毒剤となります」

「それもよろしい。ではモンクスフードとウルススベーンとの違いは?」

「……同一の植物です。それは、つまり……えっと、トリカブトのことです!」

「よろしい。よく教科書を読んでいるといえよう。グリフィンドールに二点を与える」

 

 攻撃が終わった。乗り切った。しかも、点まで入れてもらえた!

 ハリーの鋭い目が柔らかく閉じられ、ほっとしたような笑顔になった。

 スコーピウスがクライルに八つ当たりしているのが目に入る。

 ロンはほー、という顔をしているし、ドラコはハリーを見て爛々と目を輝かせている。

 ハーマイオニーは、悔しそうに椅子に座るところだった。立ってまで当ててほしいのか?

 最後の方に記憶の井戸から知識を引っ張りあげて疲労したハリーが、ようやくほっとしたその瞬間。スネイプが意地悪な笑みを濃くして最後の追い打ちをかけた。

 

「では最後に。丸ごと食せば熱さましとして使える、愛の妙薬の原料を答えよ」

「えっ?」

 

 またか! とハリーが思う間もなく、その問いの内容に絶句する。

 この一、二ヶ月でずいぶん脳のしわが増えているとハリーは自負していたが、それがまだまだであったことを思い知らされた。

 表情を歪めて必死に脳内にある「薬草ときのこ一〇〇〇種」や「魔法薬調合法」のページを紐解いても、まったくわからない。

 ハリーは三分ほど脳内図書館を荒らしまわった挙句、ついに降参した。

 

「……わかりません」

「アッシュワインダーの卵だ、ポッター。『幻の動物とその生息地』は読んでおらんようだな」

 

 読んでいる事は読んでいる。

 だがあれは、闇の魔術に対する防衛術などで使われる教科書だ。

 魔法薬学ではない。

 

「おや、おや。卑怯と思うなかれ、魔法薬学ではそういったものも扱うのだ」

 

 ハリーの表情を読み取ったスネイプが、にんまりと笑う。

 

「補足しよう。ベゾアール石の見た目は石というよりも干からびた内蔵に近く、かなり希少である。そして生ける屍の水薬だが……材料は先に述べたものに加えて、刻んだカノコソウの根に催眠豆の汁なども必要だ。ポッター。ああ、ポッター。思いあがりは身のためになりませんぞ。グリフィンドールから三点減点する」

 

 その後もスネイプは、ハリーに加点して減点するという性質の悪い芸当をやってのけた。

 生徒二人でペアになって「おできを治す薬」を作る実習に至っては、ハリー・ハーマイオニーペアが完璧に調合したのを褒めて五点を与えた直後、教室の反対側でネビルが調合に失敗してしまいスネイプの指示で医務室に送られる際に、何故注意をしなかったのかと叱りつけて六点を引かれてしまった。

 合計で二点のマイナス。

 魔法薬学の教室――まさかの地下牢だ――から戻る時さすがに落ち込んでいると、ロンが後ろからやってきて「フレッドとジョージなんて君とは比べ物にならないほど減点されてる。気にしない方がいいよ」と笑って言ってくれた。

 ハリーが嬉しそうな顔をしたのでロンははっとなり、せかせかと歩いて行ってしまった。

 スネイプのあんまりな態度を見て、ハリーへの不満を一時忘れてしまったらしい。

 ロンと少しだけ仲直りできたのと、スネイプの人となりを知れたことが今回の収穫だった。

 

 ハグリッドの家では、予想よりも美味しい紅茶と、とんでもない硬さのロックケーキをご馳走になった。

 ハーマイオニーは食べるのに四苦八苦していたが、ハリーは正直これより堅い物体をダドリーに食べさせられたことがあるので、特に苦労もなくガキンゴギンと噛み切ることができた。

 ハリーとハーマイオニーはこの一週間の授業内容をハグリッドに話した。魔法を学ぶのは結構楽しい、お互いに競うようにモノを覚えていくのはかなり素敵なことだった。等といったことをハグリッドが聞くと、二人とも勉強熱心だな、と豪快に笑った。

 耳やらへそやらを舐めようと執拗に迫ってくるハグリッドの飼い犬ファングを足で牽制しながら、ハリーはロックケーキを噛み砕いて言った。

 

「スネイプ先生は、どうもぼくのことを憎んでいるみたいだ。あと、何だか戸惑っているような気がする」

「なにを阿呆なことを。戸惑うっちゅーのはようわからんが、憎む理由がありゃせんわい」

 

 ハグリッドはそう笑い飛ばしたが、何故だかハリーとは目を合わせてくれなかった。

 ハーマイオニーが魔法動物についてハグリッドに質問を飛ばしている間、ハリーは紅茶のポットの下に敷いてあった新聞を眺めていた。日刊予言者新聞とかいうものだ。

 どうやらグリンゴッツ銀行に強盗が入ったらしい。――強盗?

 

「ねぇ、ハグリッド」

「うん? どうしたハリー?」

「この新聞記事。事件が起きたのは、ぼくの誕生日だ。あの時ぼくら危なかったのかな」

 

 しかしその何気ない言葉に対して、ハグリッドは目を逸らしてしまった。

 そこでハリーは気付く。なにかある、と。

 注意深く記事を読んでみれば、『その日、荒らされた金庫は既に空にされていた』とある。

 ハリーは自分の金庫を空っぽにするという愚を犯してはいない。

 しかしハグリッドの開けた七一三番金庫はどうだろう?

 はしたないと思い直ぐに目を逸らしてしまったが、入っていたのは小さな包みが一つだけ。

 しかも小鬼のグリップフック曰く、相当厳重なセキュリティがかけられていた。

 ついでに言うと、あの小包はダンブルドアからの手紙に関係あるものだそうじゃないか。

 これははたして偶然だろうか?

 

 お土産に持たせてもらったロックケーキをバギンバギンと齧りながら、二人は夕食の時間に遅れないうちに城に向かって歩いていた。

 ハーマイオニーはお土産でスカートのポケットがパンパンで、実に歩きづらそうにしているが、魔法動物について色々な話を聞けて満足そうだ。ハリーと繋いだ手も実に暖かい。

 なんだろう? ハグリッドは何を隠している。

 スネイプについてもだ。アレは明らかに何かある。

 なんだ? これは――たぶん、なにかあるぞ。

 ハリーはその鋭い目をさらに細くして、思案を巡らすのだった。

 




【変更点】
・異性なのでロンが余所余所しい上に、ドラコとのやりとりで不信感が。
・ただし、同性との仲はそこまで悪くない。今のところは。
・スネイプの態度が原作よりもちょっとだけ軟化。でも陰湿なのがスニベルスだ。
 やはり少女だとリリーの面影があるので仕方ないこっちゃ。ゆ、優遇じゃないよ!
・『幻の動物とその生息地』。入手は困難ですが、我々マグルでも買えますよ。
・食に関しては、食えりゃいいタイプ。ロックケーキは今後彼女の好物に。

【オリジナルスペル】
「ドケオー・○○、場所を教えて」(初出・3話)
・淡い水色の光が、探し物の場所へ案内してくれる。○○には対象の名称を入れる。
 元々魔法界にある呪文。生活に便利な魔法。

【新キャラ】
『グレセント・クライル』
 ほぼ本物語オリジナル。
 クラップ+ゴイル=十一歳児のゴリラ。パワーは二倍、バカさは三倍。

申し訳程度のDMC要素。
ああ、このペースで投稿していたら、ストックがすぐに切れてしまう。
一話一話を短くすべきだろうか迷うところ。
ハリーちゃんはこれから強くなるよ! たぶん。じゃないと、一年生で死んでまうで。


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4.フラッフィー・パニック

 

 

 

 ネビルが、ぐしゃりと潰れた。

 飛行訓練の授業中に起きたことだった。

 グリフィンドールとスリザリンの合同授業。

 鷹のような目をした担当教師、マダム・フーチが慌ててネビルへ駆け寄ってゆく。

 口の端からどろどろと血を垂らして呻くだけのネビルを抱えたマダムが鋭く言う。

 

「そのままで待機! いいですね! ちょっとでも箒に乗ってごらんなさい、クィディッチのクの字すら言えないようにしますからね。つまり、退学です」

 

 ネビルはちょっと焦ってしまっただけだった。

 箒に乗ってまずは数センチ浮こう。という初歩の初歩の練習のはずだった。

 しかし勢い余ったネビルは、ひゅぽんとコーラの栓が吹っ飛んでいくような勢いで空に舞い上がったかと思えば、ホグワーツの城壁に衝突してそのまま真っ逆さまに落ちたのだ。

 ハーマイオニー他、女子生徒は盛大な悲鳴をあげた。

 度胸ある女であるハリーはネビルが落ちた瞬間に目を閉じずに凝視してしまったので、彼の口や鼻から赤い液体が噴き出すのを見てしまった。しばらくミートパイは食べられない。

 結構な量の血だけが残されて、さすがに誰も笑わなかった。

 ただ一人、スコーピウス・マルフォイを除いて。

 

「見たかい、あの大マヌケの顔を! なさけないったら!」

 

 追従してクライルが笑うと、肝の据わったスリザリン生が何人か笑った。

 スコーピウスが地面に落ちている透明な玉を掠めるように拾い上げて掲げた。

 『思い出し玉』というマジックアイテムで、それを握っているときに何かを忘れていると、中に封じ込められた煙が赤く染まるという、ネビルの祖母が彼に送って寄越したものだ。

 彼が握っている今の状態は、赤。

 それの意味をスコーピウス含めてスリザリン生の誰も知らないのだからお笑いだ。

 

「それを返せよ、マルフォイ!」

 

 喰ってかかるはロン・ウィーズリー。

 スリザリン嫌いとして知られる彼が、友人のネビルを笑いの種にされれば激昂するのも当然というものだった。掴みかからないのは単純に、クライルが立ちはだかっているからだろう。

 喧々諤々と突っかかるロンをせせら笑うようにあしらうスコーピウスに痺れをきらしたのか、ついにロンがとびかかろうと姿勢を低くした、その時だった。

 

「なぁ、ポッター? ハリエット・ポッター」

 

 スリザリン一年生の中で、ボスのように振舞っている少年が歩み寄ってきた。

 ドラコ・マルフォイ。

 スコーピウスの双子の兄であり、彼を弟に持つことで落ち着いた雰囲気のスリザリン生だ。

 そして、純血主義。自らの血筋を誇りに思う、まさに貴族といった風の少年だ。

 その彼が、争いを遠巻きに見ていたハリーを指名する。

 

「ポッターがその玉を取れたなら、返してやろう。ウィーズリー」

「そんなことしなくっても、それはネビルのなんだぞ! 返せよ!」

「いいから」

 

 ドラコは指を鳴らすとクライルを呼び、彼を連れてハリーの前までやって来た。

 クライルはロンがドラコに飛びかかれないようにしっかりガードしている。

 

「せっかく手元にあることだし、箒だ。これを使おう。僕が投げるから、あの玉を先に掴んだ方の勝ち。……どうだい、クィディッチみたいだろう」

「……ドラコ。それは、ぼくと勝負がしたいってことなの?」

 

 ハリーが問う。

 ドラコはそれに対して、ニヤリと笑っただけで答えなかった。

 

「来いよ、ポッター!」

 

 スコーピウスに思い出し玉を投げさせると、ドラコは箒に飛び乗って空中でキャッチし、空高く舞い上がっていった。

 これはドラコと話をしてみるチャンスかもしれない。

 そう思ったハリーは箒に跨り、ふと自分が箒について何も知らないことを思い出した。

 ハリーがマグル世界で育ったことを知るハーマイオニーが叫んだ。

 

「ダメよハリー! 退学になりたいの? それに、箒の乗り方なんてしらないくせに!」

 

 いや、とハリーは否定した。

 全身の血液がやけに熱い。本能の赴くままに地面を蹴ると、既にハリーは空に居た。

 なんら問題はない。飛ぶってなんてすばらしい! ああ! 滾る、昂ぶる!

 一気にドラコのいる高度まで飛び上がると、ハーマイオニーがまるで芥子粒のようだ。

 グリフィンドール生――特にロンの歓声がひと際大きい――の歓声が聞こえる。

 風を切り裂く感覚が心地よい。箒の上でバランスを取るだけで心が躍る。

 ハリーは自分の唇が吊りあがっていくのを感じた。

 

「来たかポッター。いい度胸だ、女にしておくのは惜しい」

「女で悪かったね。だけどドラコ、いまそれは関係ないぞ」

 

 挑発だ。

 スコーピウスや他のスリザリン生と違って、ドラコは分かっている。

 これがただの、獅子と蛇のよくある寮同士のいざこざでないことくらい。

 だけどハリーは心が昂ぶっていくのを、とてもじゃないが抑えられなかった。

 ああ、はやく、ドラコ、はやくしてくれ。

 

「いくぞポッター。ロングボトムの大事な玉だ」

 

 ハリーの気持ちにこたえるかのように、ドラコは笑った。

 獰猛な笑みだ。これと同じものを、ハリーはどこかで見たことがある。

 ドラコが陽の光に輝く思い出し玉を掲げて、

 

「取れるものなら、取るがいい! ほら!」

 

 無造作に天へ向かって放り投げた。

 玉が天高く飛び上がっていき、

 ドラコとハリーの視線の先で放物線の頂点へ達し、

 それがだんだん、スローモーションでゆるりと落下し始めた、

 ――その瞬間。

 二人の箒が弾かれたように高速で飛び出した。

 互いが互いのルートを邪魔しないよう、螺旋を描いて直進する。

 そして二人が並んだそのとき、ハリーとドラコは同時に箒の先を地面に向けた。

 がくんと垂直に折れ曲がり、二人は地面に向かって一直線に落ち始める。

 向かう先は、風を切って落ちゆく思い出し玉。

 二人のスピードは玉が落ちるよりも、断然早い。

 全身で風を切り裂き、地上で皆が上げる悲鳴を置き去りにして、

 ハリーとドラコは二人同時、全く同じタイミングで手を伸ばした。

 スパァン! という小気味よい音とともに思い出し玉を手中に納めたのは、ハリーだ。

 視界の隅で、隣のドラコが悔しそうに顔を歪めるのが目に入る。

 今度は地面に正面衝突しないようにしなければ、という思考をコンマ一秒にも満たない速度で脳裏に閃かせた二人は同じ姿勢で同じ動きをして、地面すれすれで水平に立て直した。

 そうして二人して草の上に転がって勢いを殺し、仰向けになったまま倒れこむ。

 

「ッはァ! ぼくッ、ぼくの、勝ちだ! ドラコ! ぼくの勝ちだ!」

「はぁ、はぁっ、ポッター、くそっ! こいつ! なんてやつだっ!」

 

 心配して駆け寄ってきた赤と緑の寮生たちが心配そうに覗きこむ中、ふたりはガバッと起き上がって互いが獰猛な笑みを浮かべているのを見てまた笑う。

 ハリーは確信した。

 思想が違う、といってあの時ハリーの手を跳ねのけたことは確かに跳ねのけた。

 あの時あの瞬間、ハリーとドラコの道は分かたれたのだ。

 それはある意味では正しく、ある意味では別の意味を持っていた。

 彼がハリーを仲間として受け入れることは、おそらくもうないだろう。

 これがスコーピウスなら、きっと犬猿の仲になり対等の立場に立つことなど無理な話。

 だがドラコは違う。

 スコーピウスという少々困った気性の弟を御せる程度には成熟しており、クライルという自分より力のある者を別のチカラで従えることができる。

 そして何よりも、あの獰猛な笑み。

 ドラコ・マルフォイ。彼もハリーと同じく、何か大きな目的を抱えている男だ。

 二人は互いの瞳の中に、そんな思いを感じていた。

 新たに誕生した「宿敵」は、フフフと不気味な笑い声を漏らしたまま向かい合って微動だにせず周囲を不気味がらせていたが、鋭い声によってその黒い笑顔は真っ青に萎んでいった。

 

「ハリー・ポッター!?」

「ドラコ・マルフォイ!」

 

 つかつかとかなりの速度で歩み寄ってくるのは、ミネルバ・マクゴナガル教授とセブルス・スネイプ教授の二人である。

 その二人の姿を見て、ハリーはしまったと思った。

 今の高揚した気分が、今しがたのダイビング並みのスピードで消え去ってゆく。

 『退学』。

 その二文字が頭に思い浮かんで、ハリーは震えが止まらなくなった。

 ヤバいなんてものではない。ドラコに至っては脂汗まで流している始末だ。

 

「よくも――こんな大それた――首の骨が折れていたかも――」

「ミスター・マルフォイ。我輩と来たまえ。いま、すぐ、だ!」

 

 言葉が詰まったかのようなマクゴナガルと、土気色の顔をしたスネイプ。

 スネイプに腕を引っ張られて、涙目になったドラコが助けを求めるようにハリーを見た。

 だいじょうぶ、ぼくもヤバい。

 同じく涙目になったハリーがドラコを見送ると、今度はハリーが引っ張られる番だ。

 つい先ほどまで熾烈な競争をしたライバル同士は、逆方向へと連れられて校舎へ戻っていった。

 ロンの焦った顔、ハーマイオニーの引きつった顔、スコーピウスの泣き顔。

 それぞれの顔が各々心配する先の方へと向けられていた。

 

 やってしまった。

 マジか。マジでか。

 ヴォルデモートをぶん殴ってやると高らかに宣言しておいて、このざまか。

 退学になればまた、ダーズリーの元へ戻ることになるだろう。

 そうすればあの日々がやってくる。

 ここまで高くあげてから落とされれば、ハリーの心は死んでしまうだろう。

 もはや蒼白な顔色になって、廊下を素早く歩くという曲芸をこなすマクゴナガルにハリーはとぼとぼと付いていった。

 あのプリベット通りに戻るのだけは嫌だ……。

 

 だが、話はそうはいかなかった。

 聞けば、今年度グリフィンドールにはシーカーがいなかったのだという。

 クィディッチの試合ではいつもスリザリンに負けて、寮監のスネイプと話すたびに悔しい思いをしたのだとか。

 ことここに至ってハリーはようやく、クィディッチという魔法族のスポーツ、その選手になってくれという話になっていることに気づいた。

 クィディッチとはハグリッド曰く、最高にエキサイティングで、スピーディで、そして『危険極まりない』スポーツなのだそうだ。

 そうアツく語るのはグリフィンドールのクィディッチ・キャプテンを名乗る、上級生のオリバー・ウッド。がっしりした体格のスポーツ馬鹿といった印象の青年で、ハリーの失礼千万なその第一印象は、後になって事実であったことが判明した。してしまった。

 ハリーは緑の瞳を爛々と輝かせて了承の旨を告げた。

 

「まったく! 一歩間違えたら死んでしまうところだったのよ!」

「すみませんでした」

 

 大広間でヨークシャープティングにぱくついていたところにハーマイオニーからお叱りの言葉を浴びせられ、ハリーはない胸が痛んだ。

 確かにドラコとの勝負は心が踊った。

 だが確かに、あれは他人から見れば二人仲良く地面に向かって突進しているだけだっただろう。

 そう思って一言謝ったその時、やってきたのはロン・ウィーズリー。

 彼は実に男の子らしく、ハリーがファインプレーを見せたことで上機嫌になり、気まずい仲だったことを忘れてしまったようだった。

 男の子はどうも、いつまでも禍根を残すような生き物ではないらしい。

 

「そうぷりぷりするなよ! ハリーは寮の代表選手になったんだぜ!? 百年ぶりの最年少シーカーなんだよ!」

「私が怒ってるのは、そういうことじゃないのよ!」

「へぇー? じゃあなんだい。規則破りをしたことがご立腹なのか、ハーマイオニー」

 

 ハリーはこの状況になってみてようやく、二人の関係に気づいた。

 この二人、徹底的に気が合わないようだ。

 勉強好きで、規則第一。自分にも他人にも厳しすぎるきらいのある性格のハーマイオニー。

 勉強嫌いで、反骨精神・イズ・クール。良くも悪くも男の子で、好奇心旺盛な性格のロン。

 ロンや他の男の子の行き過ぎた悪ふざけを正そうと叱りつけるハーマイオニーはなるほど、いわゆる学級委員長タイプの女の子だ。だが、それはお調子者が多いグリフィンドールの男子たちには反感を買ってしまう行為だ。

 勇猛果敢な騎士道精神を持つ者の集うグリフィンドールと人は言うが、ここの寮生が子供のころから皆が勇者であるということは、決してない。

 スリザリンはそもそも純血のお坊ちゃんが多いので、仲間と馬鹿やって笑うといった子は少ない。ハッフルパフは大人しい子が多く、騒ぎ立てること自体に忌避を感じる子がほとんどだ。レイブンクローに至っては馬鹿騒ぎなどまさにバカのする事だと思っている節がある。

 つまり学級委員長気質のハーマイオニーと典型的なグリフィンドール男子のロンでは、ハリーが間で緩衝材になっているだけで基本的に相容れない系統の存在だったのだ。

 

「そうじゃないわ、なんでわからないのよ!」

「大きなお世話だよ放っておいてくれ。――それよりハリー、今日の真夜中にマルフォイ弟から決闘の申し込みを受けてるんだ。介添人として来ないか? 君にスリザリンがどういう連中なのか、教えてあげたくってね」

 

 憤慨するハーマイオニーにぞんざいな返答をし、あろうことかその目の前で規則破りのお誘いをするという挑発的な事をするロン。

 夜に寮の外をうろつくというのは、教師に見つかれば減点対象にもなりうる。

 ついさっきスネイプに二点も差っ引かれたハリーとしては勘弁願いたいところだが、ロンと仲直りするいい機会かもしれない。それに、スコーピウスが来るというのなら彼とも話をする機会があるやも。

 だが減点は怖いし……などとハリーが迷っていると、あっという間に夜になってしまった。

 寮の談話室でロンを待っていると、十一時半というギリギリになってからロンは男子寮から降りてきた。ダドリーもそうだったが、男の子ってみんな時間にルーズなのだろうか?

 意気揚々とマルフォイをやっつけてやる! と息巻くロンに対してハリーは言う。

 

「ねぇ、やっぱりやめない? バレたら退学かもよ?」

 

 それに対してロンは、一瞬迷った顔を見せるが頭を振って否定する。

 

「男にはね、ハリー。やらなくっちゃいけないときってのがあるんだよ」

 

 ここは男の僕が先導しなければならない。女にはわからないことなのだ。

 と考えているのがよく分かる。

 因みに後で知ったことだが、今の台詞はロンお気に入りのマンガの主人公の台詞だった。

 彼はこの騎士的な行為に酔っているのだ。

 瞳を輝かせるロンを半目になって見ているハリーの後ろから、委員長が現れた。

 

「やっぱりね。ハリー、あなたじゃ止めきれないと思ってたわ」

「まーた君か! なんなんだよもう!」

「本当はパーシーに言おうと思ったのだけれどね。監督生だし、あなたのお兄さんだから。言うことを聞いてくれるかと思ったのだけれど……最近の様子を見るに、あなたきっとそれじゃ止まらないでしょう」

 

 憤慨した様子のロンは、ハリーの腕を引っ張って談話室から外に飛び出した。

 ハリーは何故ぼくが? と思ったが、そういえばスリザリンがどういうものかという事を教えるとか言っていたのを思い出す。

 ハーマイオニーがアヒルのように怒鳴り続けるも、ロンは聞く耳を持たず歩き続ける。

 ロンが腕を強く握りすぎて、ハリーが「痛いよロン」と言ってようやく手を離した。

 

「あー、ごめんハリー。気が急いて、つい」

「ロン。やっぱりぼくは気が進まない。ハーマイオニーの言うことが正しいよ」

「そんな!」

「君と仲直りできるかもと期待してはいたけど、仲直りの代償に退学になっちゃうよ」

 

 ハリーがぶっちゃけたことを言うと、ロンはショックを受けたようだった。

 でもこれは君のためになることなんだよ。としどろもどろに言うロンを放っておくことに決めて、ハリーは談話室へ戻ることにした。

 今朝がたマクゴナガルがハリーのベッドを用意してくれたので、寝心地を確かめたい。

 初めてできた女の子の友達と夢の世界に旅立つまで、下らない噂話をするのもいいだろう。

 だが談話室前の「太った婦人の肖像画」の前で茫然としているハーマイオニーを見て、ハリーは気付いた。婦人がいない。ホグワーツでは絵の中の人物が何処かへ行ってしまったりするのは既に知っていたが、談話室の肖像画もそうだったのか。というかこの場合ぼくたちはグリフィンドール寮へ戻れるのか? 答えは決まっている。否だ。

 

「これは行くしかないね。そうだろ?」

 

 ロンが意気揚々と言い、ハリーは仕方ないので従う事にした。

 ハーマイオニーまでついてきたのをロンは咎めたが、「フィルチに捕まったらあなたを証拠として突き出すつもりよ。私とハリーの保険のためにね」と言うのを聞いて、憤慨した。

 喧々諤々と言い争いを始めた二人に、ハリーが静かにしてくれと言う。

 ここまで騒いでいては、管理人フィルチかその飼い猫ミセス・ノリスに見つかってしまう。

 彼らに見つかったが最後、ねちっこく責めたてられて減点の憂き目にあうだろう。

 そんな事になったらロンに悪霊の呪いをかけてやろうかと思いながら、ハリーたちはついにスコーピウスが待っているというトロフィー室前についた。

 マルフォイめ、やっつけてやる!

 などと息巻くロンに呆れながら中に入ろうとして扉を開けようとドアノブを捻ると、

 

「ほぅら来たぞ、悪い生徒たちだ……退学にしてやる!」

 

 というフィルチの声が響き渡った。

 トロフィー室の中で、フィルチが待ち構えていた!

 ――やっぱり罠じゃないか、この赤毛のっぽ野郎!

 そう気付いたハリーは、悲鳴をあげそうになったロンの口をふさいで、ハーマイオニーに扉を開かないようにしてくれとアイコンタクトを送る。

 ハーマイオニーが扉を勢いよく閉め、フィルチが駆け寄ってくる音に慌てながらも「『インパートゥーバブル』、邪魔よけ!」と唱えて扉に触れられないようにした。

 トロフィー室でフィルチが扉に触れようとして弾き飛ばされてトロフィーの上に倒れ込んだのかは知らないが、耳障りな金属音が大音響で響くのを尻目に、ハリーとハーマイオニーはあらぬ方向へ駆けだした。ロンは半泣きで後からついてきた。

 見つかればどうなる? 知れたことだ。

 立ち止まればどうなる? フィルチもバカではない、すぐ追いついてくる。

 

「なんで!? なんでフィルチが何で!?」

「スコーピウスに嵌められたのよ馬鹿じゃないの何度も言ったわよ馬鹿じゃないの!?」

 

 あえぐロンに、半ギレのハーマイオニーが叫ぶ。

 いま一体どこを走っているのだろうか。

 正直よくわからない状態だったが、どうやらこの中で一番足が早いのはハリーのようだ。本来ならばロンであろうが、彼はいまパニックになっていて使いものにならない。ゆえに自然、彼女が先導する形になるのだが、いかんせん道が分からないので適当に走るしかない。

 すると、後ろからばたばたと不格好に走る音だけが聞こえてきた。

 もう追いついてきたのか!

 ハリーが涙目になっている自分の顔を袖で拭いながら、近場にあった扉に飛びついた。

 だめだ、鍵がかかっている。

 

「お、おしまいだ! もうダメだ!」

 

 悲痛な声をあげるロンに苛立ちながら、ハーマイオニーが鋭い声で叫ぶ。

 その手には素早く抜き出した杖が握られていた。

 

「邪魔よ、どいて! 『アロホモラ』ッ!」

 

 小さな魔力の渦が鍵穴に入り込み、軽快な音を立てて扉が開いた。

 考えている暇などない。

 素早く身体を滑り込ませ、素早く、だが音を立てないように扉を閉めた。

 恐らくフィルチであろう、どたばた足音はこの部屋を通りすぎてどこかへ行ってしまう。

 それもそうだ、この部屋には鍵がかかっていたのだから居るとは思うまい。

 ハリーとハーマイオニーが抱き合う形で安堵のため息をつく。

 胸がどきどきして心臓がはじけそうだ。

 毎日ジョギングしていたハリーでさえそうなのだから、ハーマイオニーは玉のような汗を流してせき込み、あえいでいる。彼女の背中を撫でながら、怒りを込めてロンを睨みつけた。

 しかし、その怒りも彼が怯えているのを見て霧散する。

 ひぃひぃ情けない悲鳴をあげる彼の視線の先を見て、ハリーは冗談じゃないと心中叫んだ。

 ここは部屋ではない。廊下だった。

 しかもダンブルドアが言っていた、禁じられた廊下。

 入ったら死ぬ……確かそんなことを言っていたような。

 それも納得だ。

 ハーマイオニーもハリーの様子に気づき、目の前にいるそれに気がついたようだ。

 デカい犬。第一印象はそれだ。

 あと、頭が三つ。ぐるるると低い唸り声もあげている。

 どうやら彼にしてみれば夜食が飛び込んできたように思えるらしい。

 いや、問題はそこだけではない。

 それが、あと二匹。

 ――つまり、三頭犬が三匹もいるのだ。

 目玉は合計十八個。穴があきそうだった。ついでにハリーの胃にも穴があきそうだった。

 どうする!? どうしたらいい!?

 ハリーの脳裏には、クィレルにした質問が思い浮かんだ。

 

Q.もし何らかの危険な存在に襲われた場合、どういった呪文で乗り切ればいいのですか?

A.そんな恐ろしい状況……私には耐えられない! ヒィーッ!

 

「だめだ! 逃げろぉぉおおお―――ッ!」

 

 ハリーが大声で叫ぶと同時、金縛りにあっていた二人も弾かれたように扉へ逆戻りした。

 フィルチに見つかるか? 知ったことではない。死ぬより幾分かましだ。

 これまたどこをどう走ったものか、ハリーらは数分でグリフィンドール寮へと辿り着いた。

 そのころには太った婦人も絵画に戻っていて、何故かネビルと話をしていた。

 こんな時間になにやってんだあいつとかそういう感想は頭からすぐに流れ出てゆく。

 二人は走ってきた三人を見て、心底たまげていた。

 寝間着で涙目の少女二人と、半泣きの少年一人。しかもこんな夜中にだ。

 

「ど、どうしたのさ三人とも? ぼくみたいに合言葉忘れちゃった?」

 

 惚けた質問をしてくるネビルを押しのけて、ハリーは息も絶え絶えに言った。

 

「あなたたち、こんな時間になにをしていたの?」

「だまれ。『豚の鼻』」

「まあ!」

 

 暴言を吐いたハリーが婦人の肖像画を開け寮の中へ入りこむと、ハーマイオニーが我先にと談話室のソファに倒れ込んだ。

 ロンももう一つのソファに倒れ込もうとしたが、それはハリーが蹴飛ばして自分が座り込んだ。

 床に転がったロンは不満げだったが、文句を言う体力は残っていないようで目で訴えるのみ。

 便乗して談話室に戻れたネビルが心配そうにしていたので、ハリーは図々しくも水をお願いした。

 下男のように甲斐甲斐しく水差しを持ってきたネビルに視線で礼を言い、伝わっていないようだったが構わず中の水をマナーも減ったくれもなくそのまま飲んでゆく。

 栗毛と赤毛の二人からそれを欲する視線を感じたが、ハリーは英国紳士(少女だが)としてレディファーストを行い、彼女が水差しから口を離したころには、中身は空っぽだった。

 ロンの顔が絶望に染まったがハリーは無視した。

 男女の喧嘩は陰湿である。

 

「なんなんだ――あれ! あんなもんを学校に置いておくなんて正気か!?」

「し、死ぬかと思った。ダドリーよりよっぽど怖かった。何のためにあんな……」

 

 悲痛な叫びを漏らすロンとハリーに、ハーマイオニーはうつ伏せになったまま言う。

 

「三匹もいるからちらっとしか見えなかったけど……仕掛け扉の上に立っていたのよ、アレ。きっと何かを守っているのよ……」

 

 確かにハリーも見た気がする。

 しかしそうすると、本当にあそこには何かがあるようだ。

 

 ハグリッドの言葉が思い出される。

 ホグワーツは絶対に安全。世界のどこを見てもここ以上に安全なところはない。

 なるほど、ハグリッドが金庫から引きだしたあの包みはあそこにあるのか。

 だが、包みがなんなのかはわからない。

 重要なモノではあるだろうが、ぼくには関係なさそうだ。

 そして、その考えがすっかり溶けだすころには、ハリーは眠くて仕方がなかった。

 そう思ったハリーは目を閉じて、夢の世界へ旅立った。

 その考えが大いなる間違いであったことに気付くのは、もう少し後の事になる。

 




【変更点】
・ネビルは投げ捨てるもの。
・ドラコ「一応原作でも実力はあるフォイ!」
・ハリーのロンへの扱いが雑。まだ『友人』ではないため。
・弱体化ばかりではないの。むしろ生き残るため自らを魔改造せねば死ぬぞハリー。
・三頭犬が一匹だけじゃ物足りないだろう、吾輩からの贈り物だポッター! 難易度三倍だ! 

【オリジナルスペル】
「インパートゥーバブル、邪魔よけ」(初出・原作5巻)
・扉などへの接触を防ぐ呪文。無理矢理接触を試みると、勢いよく弾き飛ばされる。
 元々魔法界にある呪文。モリーが不死鳥の騎士団会議の盗聴を防ぐために扉に掛けた。

クィディッチシーンは大好きです。
いつかクィディッチワールドカップを…一心不乱のワールドカップを……
次回はちゃんと杖を使ってのバトルシーンを書きたいですね。ビューン、フォイよ!


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5.アンハッピー・ハロウィーン

 

 

 

 ハリーはとてつもなく不機嫌で、かつ素晴らしく上機嫌だった。

 前者の理由は簡単だ。

 ロン・ウィーズリー。あの男の存在が彼女を悩ませる。

 彼の顔を見ると、耳までカーッと熱くなって呼吸が荒くなる。

 そばによると拳がわなわなして、あのそばかすだらけの鼻をへし折りたくなってしまう。

 この煮え滾る気持ち……これが恋か。いいや、違う。こりゃ怒りだ。

 ハリーとハーマイオニーの忠告に一切耳を貸さず、スコーピウス・マルフォイから決闘の誘いなるものに乗って、まんまと罠にかけられた。しかもこちらを巻き込んで。

 下手をすれば退学になっていたのだ、冗談ではない。

 

 あの三頭犬ズがいる部屋から逃げ切ったあと、ぷりぷり怒って寝室に戻ったハーマイオニーの後ろ姿に「ぼくが引っ張り込んだとでもお思いなのですかねぇ!?」などと言ったロンの横っつらに、ハリーは平手をブチ込んだ。

 そして赤くなった頬を抑え、

 

「ああそうかい! 君もハーマイオニーの肩を持つってわけか! 嫌な奴同士寄り添ってろよ、この――ぺちゃぱい!」

 

 などという『名称を言ってはいけない例のあの暴言』にプッツンしたハリーが、頬の腫れたロンの鼻っ柱を一発ブン殴って倒れたロンの脇腹に四発蹴りを入れて石化呪文をかけて掃除用具入れにブチ込んで、扉にハーマイオニーが使った呪文と同じものをかけて扉が開かないようにして以来、目も合わせていない。

 まだ十一歳だ。将来性があるんだ。そのはずだ。

 ネビルが大慌てで何とかしようとしたので、たぶん飢える前には救助されただろう。

 横っ面をビンタされた上に螺旋右ストレート、そして全体重を乗せた蹴りプラスアルファ。

 非力な彼女でもそこまでやれば、彼の意識を奪うには十分であった。

 ハリーって思ったより激情型な女だわね、とはベッドで泣いていたハーマイオニーにロナルド駆除を包み隠さず話した感想だ。

 心外である。

 ダドリーから日常受ける暴力は、こんなものではなかった。

 マクゴナガルの迅速な対応によりベッドは既に用意されていたのだが、その日の夜はハーマイオニーと眠ることにした。

 どこか上っ面な友情だなと感じていた彼女との関係が、信頼へと形を変えた気がした。

 

 次に、上機嫌な理由。

 いつだったかロンとロンの同室の男の子が行ったクィディッチとサッカーどちらが面白いかという論争を聞かされ、マクゴナガルとウッドの熱弁を叩き込まれたハリーは、もはやすっかりクィディッチのファンだった。

 それゆえに今朝の朝食時に、マクゴナガルからの贈り物に度肝を抜かれたのだ。

 なんと、競技用箒の『クリーンスイープ七号』をプレゼントされた。

 ウッドが勧めてくれた実用的な箒で、身軽ですばしこい動きが得意な選手にはピッタリな代物。プロでも採用される信頼度の高い箒である。それでも「ニンバス二〇〇〇だったら優勝は確実だったんだけどなあ」などと未練たらたらなことを言っているあたり、ウッド含め男の子はロマンを追い求める生き物のようだ。

 美男子のように端正な顔を表面上はだらしなく緩めているだけだったが、ハーマイオニーはハリーが内心で狂喜乱舞しているだろうことを見抜いていた。

 フクロウが届けに来た細長い包みを、目の前で開けた時のロンの情けない顔ったら!

 この前や昨日、散々喧嘩したことを水に流して一緒に箒について騒ぎたい、と思っているのは顔に書いていなくても分かったくらいだ。

 しかしそんな虫の良い話はないだろう。と思ったハリーは赤毛の男の子を無視した。

 ハーマイオニーが小声で子供っぽいわよと忠告してきたが、ここで許すつもりはないだけだよ。というハリーのアイコンタクトで納得したのか、諦めたのか、それ以上は言ってこなかった。

 それよりも『一年生は箒を持ってはならない』という規則を、ハリーが堂々と破っていることの方を問題視していた。

 プレゼントカードでマクゴナガルからのものであることがわからなければ、ハーマイオニーは引き下がらず喧嘩に陥っていたかもしれない。

 

「へぇ、クリーンスイープか。子猫ちゃん寮生の割には、悪くないセンスじゃないか」

 

 そんな中かかってきた声は、お馴染みドラコ・マルフォイ。

 少し離れた席に座っていたロンが颯爽と立ち上がったが、こちらに回り込もうとする前にドラコは行ってしまった。

 喧嘩を売ろうとした彼が不良在庫を抱えたまま席に戻っていく姿は寂しげだった。

 スリザリンテーブルに彼が座ると、おとものクライルとスコーピウス、他数名の何某たちがこちらをニヤニヤと笑っている。馬鹿にしているというよりは……なんだろう、少し違う気がする。

 一体なんなのか?

 不気味なものを感じながら、ハリーたち二人は教室へと足を向けた。

 

 授業終わり。

 居残ってフリットウィックに魔法力の強化について延々と聞いていたハリーは、先に行ってもらっていたハーマイオニーを探すことにした。

 今日はハロウィンだ。

 ちょっと頭が固いけど勤勉な女の子、ハーマイオニーという初めてできた親友とパンプキンパイに舌鼓を打ちながら、この前読んだ本について論戦するつもりだった。

 ハロウィンパーティーは十八時からだ。近道をいけば一度寮に戻って、荷物を置いてきてもまだ十分間に合う。

 そう思って小さな中庭を通ると、

 

「あの女ども、デキてるんじゃないのか?」

「いや、案外そうかもね。ガリ勉女があの男女以外とつるんでるとこは見たことないし」

「あいつ友達いなさそうだもんなあ。それより聞いた? さっきの授業でのガリ勉の言い草」

「あー、むかつくよなあ。『違うわ! あなたのはレビオサ~よ!』だってよ!」

 

 などという陰口が耳に飛び込んできた。

 ロン・ウィーズリー、ディーン・トーマス、シェーマス・フィネガン。

 集まると調子に乗るタイプの男の子が、三人揃っておしゃべりしている。

 ディーンは黒人のロンドンっ子。シェーマスは、水を酒に変える魔法が苦手な男の子だ。

 内容からして、まず間違いなくハーマイオニーの悪口である。ついでにハリーのも。

 心外な。

 それにしても幼稚な口撃だとハリーは鼻で笑った。

 ダドリー軍団に居たピアスキーという少年の嫌味は、もっと苛烈で残酷だった。ハリーが無視しても容赦なく的確に心を抉り、女が嫌がる言葉を限りなく突き刺し、子供が怖がる暴言を隙間なく叩きつけ、気丈な男の子のように振舞うハリーがただの女の子のように泣いても嘲笑い続けるという、ある意味で剛の者であった。っていうか悪魔だった。

 とりあえず。あのくらいなら自分にダメージはないから、相手にする事はない。

 自分の過去が『まともじゃない』ことくらい、ハリーは自覚している。

 同年代の女子と喧嘩したこともなさそうなロンの言う事だから、ハリーは大目に見れる(何発も殴って蹴ったことはこの際放っておいてもらおう)のだ。

 だが他の女の子もそうだとは、とてもじゃないが言えない。

 ハーマイオニーに聞かせるような愚は犯してくれるなよ、と思って通りすぎようとした時。

 ディーンの声が聞こえた。

 

「でもロン、いいのかい」

「何がさ」

「ハーマイオニー。お前の悪口聞いて泣いちゃったじゃんかよ」

「い、いいんだよっ! あんな、あんなおせっかい、僕には関係……な……」

 

 ロンがしどろもどろになりながらも言い返そうとした言葉が、するりと喉に引っ込む。

 そして顔がみるみる青くなっていった。

 ディーンとシェーマスが振り向いた瞬間、彼らの未熟でお粗末な脳みそは午前中に受けた授業内容を即座に思い出していた。

 教科書、「幻の動物たちとその生息地」。ニュート・スキャマンダー著。

 その四十七ページ、ドラゴンの項目。

 危険度は、英国魔法省の分類基準で最大値である五。

 「一般的にメスの方が大きく、より攻撃的である」の一文。

 眼前に居たのは、まさに竜そのものであった。

 絹のようにさらさらなショートカットの黒髪が、風もないのに揺れている。

 普段は明るい緑の瞳のおかげで、鋭い目付きでありながら王子様のように凛々しい瞳をしている。だが今はまるで、飢えた竜のように獲物を見定めているではないか。

 小さなドラゴンはその鋭い牙――杖を振り回し、それ以上に鋭く大声で叫んだ。

 

「『エクス……ッ、ペリアァァァームス』ッ! 吹きとべ、馬鹿ロン!」

 

 いつかあのとき、ハグリッドが使って失敗した呪文。

 呪文集などで読んだことはある。理論は知っているが、使う機会などあるはずもない。

 見よう見まねで初めて使った、怒りの一撃。

 だがそれは、怒りという感情でブーストされたことによってハリーに成功をもたらした。

 この呪文は本来「武装解除」と呼ばれるもので、相手の武器を無力化する呪文である。

 ロンは特に杖などを構えていなかったが、或いはそれがいけなかったのかもしれない。

 巨大な魔力の奔流に吹き飛ばされたロンは、きりもみ回転をしながら大きく宙を飛んで噴水の中に突き落とされた。どぼしゃーんという派手な音と水が撒き散らされ、何事かと数人の生徒が噴水を覗きこむ。

 ディーンとシェーマスはただ青くなるだけだった。

 そんな数人をかき分けて突き飛ばして、噴水から顔を出して呆然としているロンの鼻先にハリーは憤怒の形相で杖を突きつけた。

 

「泣かせた? ハーマイオニーを泣かせただって? 暴言を吐く相手は選べよ、ロナルド・ウィーズリー……! おまえは、加減というものを知らないのか? 泣かせるまでやるなんて、『まともじゃない』ぞ!」

「は、ハリー……っ、ぼ、僕、ごめ――」

「ぼくに謝るなあッ! 悪いと思っているなら、ハーマイオニーに謝れ! ばか!」

 

 もう一度杖を突きだすと、特に呪文も唱えていないが怒りの感情が何らかの魔力を放出したらしく、ロンが何かに殴られたかのようにまた水の中に突っ伏した。

 ハリーはハリーで、感情的になりすぎてボロボロと涙がこぼれている。

 激情家かつ暴力的であったことをお披露目したハリーが、口汚く悪態を吐き捨てて足音高く立ち去ってからようやく、二人組がロンの元へやってきた。ロンは未だにびしょぬれのまま呆然としていた。

 その心中はいかなるものか。

 それは彼のみにしかわからない。

 

 

 ハロウィンパーティ。

 決死の覚悟をしていたはずのロンは、大変焦っていた。

 グリフィンドール寮テーブルのどこを見ても、ハリーとハーマイオニーの姿がないのだ。

 場合によっては、皆の前で頭を下げることも考えた。

 それはとても恥ずかしい。

 でも、泣かせてしまった。泣かせるまで喧嘩してしまった。

 ハリーは悪い奴じゃない。女の子だけど、趣味嗜好は男の子に近く話の合ういい子だった。

 ハーマイオニーだって、悪気があってうるさいわけじゃないことくらいは、わかっていた。

 わかってはいたが……どうしても、言うことを聞く気にはなれなかった。

 どうせ女だから。こっちは男だから。

 スリザリンの奴と、仲良くしようとしていたから。

 喧々諤々うるさい、生真面目な委員長だったから。

 そういったことに拘っていた自分が、ばかみたいだ。

 噴水から出た後、もはや白い顔をしたディーンとシェーマスに相談して得た答えがこれだ。

 グリフィンドールの一年生が大喧嘩をしていると聞いてすっ飛んできたパーシーにも、相談してみた。いけすかない生真面目な兄ではあったが、こういうときは真摯に聞いてくれる。ばつの悪そうな顔をした親友二人、そして怒った兄の言うことはおおむね、こうであった。

 ――泣かせた時点で、お前の負け。

 ちょっと理不尽な気がしないでもないが、事実だった。

 泣かせてしまったのは他でもない自分、ロナルド・ウィーズリーなのだ。

 ハーマイオニーには心ない言葉で、彼女の気持ちも考えずただただ傷つけた。

 ハリーには男の子と同じような感覚で接し、彼女の感性を無視して傷つけた。

 

「もう二人と友達になれない、なんてのは……いやだな……」

 

 そして決め手は、この単純な想い。

 自分は思慮が足りなかった。子供すぎた。

 そう思い、二人との心が永遠に離れないためにロンは謝りたかった。

 だが肝心の二人がいないではないか。

 ロンは男の子だ。女子寮には入れないから、彼女らと同室のラベンダー・ブラウンに聞いてみたところ、既に大広間に向かっているのでは? と言われた。

 だからパーティ会場である大広間に来たのだが、いないではないか。

 若干ラベンダーを恨みながら、やっぱり探しに行こうと思って席を立ちあがった、その時。

 

「トロールがァァァあああああああああ―――ッ!」

 

 絶叫とともに、乱暴な音を立てて扉が開け放たれた。

 やってきたのは闇の魔術に対する防衛術の教授、クィリナス・クィレル。

 ローブはよれよれになって、ご自慢のターバンも変にずれている。

 ハロウィンに浮かれてお喋りしていた生徒たちは、一体何事かと静まり返った。

 そして食事を中断した教師陣の方に向かってよろよろと歩きながら、クィレルは喘いだ。

 

「とッ、トロールがァ……! 地下室にッ、地下室に侵入して……! お知らせをォ……」

 

 きちんと言えた奇跡は、そこまでだったようだ。

 クィレルはその体勢のまま、前のめりにばったり倒れて気を失ってしまった。

 そこから先は大パニックだ。

 あちらこちらで悲鳴が上がる。クィレルは多分踏まれているだろう。

 マグル生まれのディーンは状況が呑み込めていないようだが、シェーマスが狂乱の叫びをあげているのでとても不安そうだ。ハッフルパフのテーブルも、レイブンクローもたいして変わりはない。スリザリンですら、泣き始めたスコーピウスを「な、泣くなスコーピウス。だ、だい、大丈夫だ。問題ない」とろれつの回らないドラコが慰めている。

 如何なる魔法を使ったのか、ダンブルドアが甲高い破裂音で皆を沈めてくれなければ酷いことになっていただろうことは想像に難くない。

 黙りこくった生徒たちに向けて、ダンブルドアは毅然としたよく通る声で命ずる。

 

「落ち付きたまえ生徒諸君。監督生よ、すぐさま自分の寮の生徒たちを寮へ引率しなさい。例外は許さん」

 

 ざっと立ち上がったのは、兄パーシーだ。

 まるで水を得た魚のように生き生きしている。誇らしげに生徒たちの引率を始めたあたり、あれは根っからの監督生野郎なのだろう。

 監督生野郎とは如何なものかと思われるだろうが、ロンにとってしっくりくる表現だった。

 彼は普段は鬱陶しい限りだが、有事の際は実に頼りになるリーダーシップを持っている。

 張り切る兄の引率に粛々と従い、皆でどよどよと寮へ歩を進めるうちにはっと気付く。

 ハリー・ポッターと、ハーマイオニー・グレンジャー。

 二人は何処か?

 少なくとも大広間にはいなかった。

 では、この事態を知っているのだろうか?

 きっと何処かで二人、ロンの悪口を言い合っているのだろう。

 問題は、その場所だ。

 寮の談話室か? それとも女子寮の寝室か? それはいい。最善だ。

 最悪は、そうでなかった場合。

 もし地下室近くの教室だったら。何処かの廊下を、大広間目指して歩いていたら。

 

 ――その場合、学校に侵入したトロールに出会う確率はいかほどか?

 

 やっと思考がそこに至ると途端、どっと汗が吹き出してワイシャツを濡らした。

 トロールとは。

 仮にもロンは純血ウィーズリー家の子供で、純然たる魔法族だ。

 そのくらいのこと、マグルの子供が蜻蛉とは何かを知っているかのごとく知りえている。

 身の丈は四メートル、体重は一トンというのが平均的な個体。

 そのような桁外れの巨体と並外れた暴力を併せ持つ、大変危険な魔法生物。

 彼らは生肉を食す。好き嫌いという上等な嗜好などなく、それは人肉でも一向に構わない。

 そして、最大の特徴がある。……彼らは、馬鹿なのだ。

 極々稀に、人語を解するほど知能の高い個体もいる。だが今回の個体もそうであると期待するくらいならば、ウィーズリー家がガリオンくじに当選する方が遥かに可能性は高い。

 つまり、何をしでかすか一切合財予想がつかない。……馬鹿だからだ。

 あれを自在に操ることのできる魔法使いがいるとすれば、それは桁外れた天才か、常軌を逸した馬鹿のどちらかだろう。そのくらい、扱いに手を焼く魔法生物であるということだ。

 では。

 その馬鹿が。

 黒髪と栗毛の女の子二人を目の前にして、どう動くのか?

 答えは至極単純である。

 いただきます、だ。

 

「パ、ぱぱぱパーバババティ? ちょちょちょちょっと、ねぇ、ちょっと」

「な、何よウィーズリー。お、お、驚かさないでちょうだいな」

「い、いや、一つ聞きたいんだけど……いや、聞く資格がないのは分かっていて、なお聞かせてもらうんだけどさ。……ハリーとハーマイオニー、何処か知らない?」

「はぁ? アンタがそれを聞くの? ハーマイオニーは一階の女子トイレで泣いてたわよ。あ、ん、た、の、陰口の所為でね。だからハリーもきっとあの子のところに……、ってあれ?」

 

 あの子たち、トロールが侵入したこと知ってるのかしら?

 と、パーバティの思考がそこへ行きついた。

 彼女のきめ細やかな褐色の肌がさぁっと青くなり、甲高い悲鳴を漏らした。

 悲鳴をあげたいのはロンも一緒だったが、そんなことをしている場合ではない。

 パーバティを落ち着かせようと寄ってきたパーシーを跳ねのけて、弾かれたように駆けだした。

 目指すは一階の女子トイレ。

 パーシーが制止する声など、最早耳には届かない。

 自分の所為で女の子二人が死ぬかもしれない、などという上等な思考には至らなかった。

 自分が助けにいったところで何ができるのか、そんなことも考え付かない。

 自分が行って彼女らは嫌な顔をするだろうか、いやそれすらもどうでもいい。

 余計なことは一切考えず、ロンはもつれる足を必死に動かして走り続けた。

 階段を飛びおりるように駆けおりて、ロンはようやく一階へ到達する。

 あった。あそこだ、女子トイレだ。

 そう、ロンの目がそれを認めた途端。

 ――女子トイレの扉が、爆散した。

 そして悲鳴が響く。絹を裂くような、女の悲鳴だ。

 ロンは最悪の未来を一瞬脳裏によぎらせ、駆けだしながら無我夢中で叫んだ。

 

「ハーマイオニーィィィ! ハリーィィィ!」

 

 

 

 ハーマイオニーは泣き腫らしていた。

 自分は気丈な女だと思っていたが何のことはない、ただ単なる少女に過ぎなかった。

 ロンの何の気のない言葉にショックを受け、こうして涙を流しているのだから。

 泣き場所に誰も使わないような女子トイレを選んだのは、最後の意地だった。

 談話室や寝室で堂々と泣くことはできなかったのだ。

 やはり自分は間違っているのだろうか? 規則を破ることも必要なのか?

 ハーマイオニー・グレンジャーは、マグル生まれの魔女だ。

 両親は二人とも歯科医者。

 歯は人の一生を左右する。立派な職業だ。

 人の健康を支え、その人生の一助となれる。

 それのなんと素晴らしい事か。

 ハーマイオニーは真実そう思っていたし、己も懸命に勉強して医者になると思っていた。

 だが、九月十九日。ハーマイオニーの十一歳の誕生日のこと。

 人生は一変した。

 ホグワーツ魔法魔術学校というところからの手紙。

 そして、その事情を説明しにやってきたマクゴナガル先生の存在。

 その二つが、ハーマイオニーの将来を決定づけた。

 問題は両親にはなんと言おうかだった。

 魔法使いになりたいだなんて、プライマリースクールの時ですら言わなかった世迷い事だ。

 しかし、両親に話したときは少し残念そうな顔をしながらあっさり受け入れてくれた。

 父曰く、ハーミーが言うのなら魔法も実在するのだろう。この年になって新発見だ。

 母曰く、私の娘が魔女だなんて素敵じゃない? がんばってね、ハーミー。

 理解のある両親でよかった、と心底誇りに思ったのを覚えている。

 こんなにも誇らしい二人にだって名が届くような、立派な魔女になりたい。

 魔法を即座に受け入れたマグル夫婦を目の当たりにして目を丸くするマクゴナガルの隣で、ハーマイオニーは強くそう思ったものだ。

 それが、なんだ。このザマは。

 たった一人の男の子の悪口を聞いただけで、こんなにも泣いて。

 

「本当……情けないわ……」

「そんなことはないさ」

 

 ぽつりと漏らした泣きごとに返されるはずのない声。

 驚いて振り向くと、しっかり施錠した個室のドアが見えるのみ。

 ぎし、と軋んでいるので向こうで寄りかかっているのだろう。

 ……ハリーだ。

 彼女の特徴たるハスキーな声が湿っている。

 あの子が泣くようなことなんて、いったいなにがあったのだろうか。

 いや、わかる。ロン達が悪口を言い合っているのを聞いてしまったに違いない。

 

「そんなことはない。君が情けないなんてこと言わないでほしいな、ハーマイオニー」

「ハリー……」

「ロンが何を言ったって気にすることないじゃないか。あんなの、ただの男の子だ。それより聞いてよハーマイオニー、ぼくあいつのことやっつけちゃったんだよ」

 

 気丈に笑い飛ばしながら哀れなロンを吹き飛ばしたときの話をするハリーの声を聞きながら、ハーマイオニーは猛烈に彼女を抱きしめたくなった。

 悪口を聞いてしまってショックを受けたのではなく、それを聞いて、かっとなってロンを吹き飛ばしたですって?

 そっちに行きたいから退いてくれ、と言ってトイレの扉を開けるが早いか、ハーマイオニーは涙に濡れたハリーの小柄な体を抱きしめて引きよせた。

 個室になだれ込むようになってしまい目を白黒させるハリーを、大事な妹を慰めるようにその黒髪を撫で続ける。すると最初は驚いて弱々しく抵抗していたハリーも、諦めたようにハーマイオニーの身体に腕を回した。

 

「ありがとう、ハリー……。私のために怒ってくれたのね」

「や、やめてよハーマイオニー。恥ずかしいよ」

「ううん、やめてあげない。私ったら、友達がいないなんて言葉で泣いちゃってばかみたい。ちゃんとここにいるじゃない、小さな小さな王子様がね」

「……そうさ、ちゃんとお姫様を助けに来ただろう? 君はひとりじゃない。……まぁ、悪役くんにはあとで謝らせるけどね」

 

 そう言い合って、お互いの茶色と明るい緑の瞳を見つめ合ってくすくす笑う。

 二人はお互いを抱きしめ、お互いの髪を撫でながらしばらく笑い続けた。

 ハリーがロンを吹き飛ばした話が本当かどうかを聞いたハーマイオニーが、ハリーに「あとでロンにも謝りましょうね」と言うと、ハリーは少々渋ったが結局了承の旨を告げた。

 ロンが本当に悪い奴であるとは、まさか本気では思っていない。

 誰だって嫌なことを言われ続ければ、つい悪口の一つも飛び出てしまうものだろう。

 彼女らは十一歳という年齢ながら、独自の考え方を見つけ出してお互いをどう許せばいいのかということを考え続けた。考えた結果が、これだ。「喧嘩両成敗」。

 先に陰口を叩いたのはロンだが、こちらだって十分すぎるほど報いを与えている。

 主にハリーが。ハリーの拳と杖が。少々やりすぎだが、ここは女を泣かせたという事で。

 だったら、子供らしくごめんなさいして、あとは忘れて遊ぼう。

 単純で頭の悪い、スマートさの欠片もない方法だが、きっとそれが一番いいのだ。

 

「さぁ、ハーマイオニー。そうと決まれば大広間へ急ごう」

 

 王子様、と呼ばれたのもあって、ハリーは冗談めかしてレディをエスコートする紳士のように手を取った。ハーマイオニーはそれを見てまたくすくす笑う。

 

「そうね。パンプキンパイでも食べながら、ロンとクィディッチについて話すのも悪くないわ」

「きっと乗ってくるよ。なんだったら、クリーンスイープに乗せてあげたっていい」

 

 お互いでお互いの目元が真っ赤に腫れているのを見て笑い、習って覚えたばかりの呪文でお互いの顔を綺麗にする。フリットウィック先生は便利ですが難しい呪文ですよ、と言っていたが、もう彼女たちはお互いの魔法の腕を、いや、お互いのことを信頼していたので、二人とも綺麗に元の顔に戻っていた。

 顔も綺麗にした。髪の乱れも問題ない。心だって、落ち着いている。

 さあ、大広間へ行こう。

 ロンと仲直りをしに行こう。

 と、二人は手をつないで、意気揚々とトイレの個室を出た。

 すると何だろう、腐った生ごみのような臭いが女子トイレに充満していた。

 確かに一階のトイレはほとんど誰も使わないようなところだから、臭いのも仕方ないかもしれない。だけれども、この悪臭はちょっとばかり異常だ。

 更に言うと、ぶーぶーという妙な鳴き声が聞こえてくる。

 主に、頭上から。

 

「……ハリー? な、ななな、何か……何かしらコレ……」

「は、ハーマイオニー。ふ、振り向かないと。ふふ振り向かないと……」

 

 油を差し忘れた機械のように、ぎこちない動きで二人は振り返る。いや、見上げる。

 すると果たして。そこにはグレセント・クライルがいた。

 いや違った。ドラコが苦笑いするような阿呆でも、流石に女子トイレには入ってこない。 

 トロールだった。

 灰色の肌で、最も凶暴とされる山トロール。

 それだけでも最悪だというのに、ぶーぶー言っているのは、彼(?)だけではなかった。

 薄緑色の肌をした森トロール、紫色の肌で毛深く角の生えた川トロールまで勢ぞろい。

 棍棒を引き摺り、突如目の前に現れた小さい人間二人に驚いているのは、計三体のトロールであった。しかも頑丈そうな棍棒装備で、明らかに空腹状態で苛立っている。

 ハリーとハーマイオニーはしっかり勉強しているので、肌の色だけで彼らがどの種類であるかを見抜いたし、森トロールが一番凶暴で、彼らはヒトすら食べることを知っていた。

 だが知っているからと言って、怖くないとは限らない。

 

「「「ブォォォオオオオオオオオオオオオオオ――――――ッ!」」」

「「きゃあああああああああああああああああああああああああ!」」

 

 ゆえに。トロールが獲物を見つけた雄叫びをあげた時。

 彼女らも一緒になって恐怖の絶叫をあげたのも、無理はないだろう。

 

 

 マジか。マジでか。

 まともじゃないぞ、こんなことは。

 ハリー・ポッターは、この上なく焦っていた。

 自分の喉からまるで女の子みたいな……いや女の子だけど、そんな甲高い悲鳴が長々と出るだなんて、これっぽっちも思いもしなかった。

 おまけに何か対抗手段が思い浮かぶかと言えば、答えはノーだった。

 普段の勉強は何のためにあったんだ?

 普段のヴォルデモートへの憎悪はなんだったんだ!?

 混乱した思考の中、トロール全員が棍棒を振り上げる様が見える。

 間違いない。

 叩き潰してから美味しくいただくつもりなんだ。

 そう思った瞬間、頭から血の気がさっと引いた。

 そのおかげかは知らないが、どうすればいいのかがまず思い浮かぶ。

 杖だ。

 

「はッ! ハーマイオニー!」

「きゃあ!」

 

 迷いなく彼女を棍棒の届かない範囲まで突き飛ばした。

 そして自身は懐から杖を引き抜く。

 しかし有効な呪文はなんだ!? こいつら三体同時に何をすればいい!?

 麻痺呪文か! いや、違う、それだと一体が失神するだけで他二体の棍棒が来る!

 武装解除!? いや、違う、それも同じ結果になるだけだ。

 浮遊呪文で棍棒を空中に浮かして殴るか? いや、ダメだ、だから結果は同じだ!

 

「ハリー! 炎よ! 馬鹿だから多分火を怖がるわ!」

 

 トロールが狙いをハリーに定めた瞬間、鋭い声があがる。

 それに返事をする余裕もなく、必死に脳に刻んだ通りの動きを自らの腕で再生する。

 手首のスナップを利かせて、対象に杖先を刺すように向ける!

 

「『インセンディオ』ォォォ―――ッ!」

 

 杖から飛び出した炎が、真ん中にいた森トロールのザンバラ髪に着火して顔を赤く染める。

 自分の頭が燃えれば、如何に馬鹿であろうとも流石に気付いた。

 頭の火を消そうと振り上げたままの棍棒を振り回せば、自然と両脇に居るトロールに棍棒がぶつかって、獲物を叩き潰すどころではなくなるだろう。

 つまり、同士討ち狙いだ。

 自分はおたおたまごついていたというのに、ここまで的確な判断ができるとは。

 ハリーはハーマイオニーの頭脳を改めて尊敬するとともに、ようやく現状認識を始めた。

 敵はトロール三体。山、森、川と三種類勢ぞろいだが、種類ごとに大きな違いは特にない。

 強いて言うならば、ハリーたちから見て左に位置する灰色の肌の山トロールが最も大きな身体を持つというところだが、彼らの棍棒を一撃でも喰らえば戦闘不能になるこちらとしてはたいした違いがあるとは思えない。こちらの勝利条件はトロール達全員から逃げ切る……いや、それは無理だ。数が多すぎる。では完全に無力化するか。または、殺すか。それしかない。

 ハリエット・ポッターは今までにハエ以上に大きな生物を殺したことはない。

 しかしここで覚悟を決める必要がある。

 ヴォルデモートに一撃を入れるならばそれはつまり、生きるか死ぬかの戦いになるだろう。

 己の人生を勝手にハードモードにされたという恨みこそあれ、奴を殴り飛ばすという目標は多少軽い気持ちで決めたことではある。だが、あの時の激情が嘘かと問われれば否だ。

 ここは、彼らトロールには申し訳ないがぼくの練習台になってもらおう。

 そう決めたハリーの行動は早かった。

 

「『ペトリ……フィカスッ・トタルス』ッ!」

 

 呪文発動の補助になる言葉である「石になれ」をつける余裕はない。

 未熟な魔法や苦手な魔法はこうして呪文の後に補助単語をつけることで、より発動を確実にする意味合いがあるのだとフリットウィックは授業で言っていた。

 だがハリーは自分の呪文に自信がある。ゆえに、発動の確実さよりも発動の速さを選んだ。

 石化呪文の青い閃光が山トロールの突き出た腹にブチ当たる。

 山トロールはまるで石になったかのように動きを止めたが、炎を消そうと棍棒を振り回す森トロールに顔面をしたたかに打たれて、ブァーッと雄叫びをあげて活動を再開した。

 ばかな。魔法の発動が確実じゃなかったのか?

 これに少なからず動揺したハリーは、実戦経験が少なすぎたと言わざるを得ない。

 

「そんな!? 確かに当たったのに!」

「きっとお腹の脂肪が分厚かったのよ! 次は顔に――ハリー! 危ない!」

 

 ハーマイオニーの悲鳴のような声に、川トロールの方を向くハリー。

 そこには、完全にハリーを目的に棍棒を振りおろそうとする姿があった。

 まずい! とハリーはとっさに考え付いた呪文を叫んだ。

 

「エッ……『エクスペリアァァァームス』!」

 

 ロンに向けたのと同じ呪文。

 あの時は怒りのあまりに魔力がブーストされて発動に成功した。

 本来は二年生あたりで習う呪文だが、ハリーはそれでもできると不思議な確信をしていた。

 とっさの行動は果たして、ハリーに正解をもたらした。

 パチッと何かがはじけるような軽い音がして、棍棒が川トロールの手から弾き飛ばされる。

 弾かれた棍棒は降りおろそうとしていた川トロールの顔面にブチ当たり、情けない悲鳴をあげてのけぞったせいでバランスを崩してしまい、女子トイレの入り口がある壁を背中で押し潰した。

 ハリーは轟音を立てて飛び散る木片から顔を守るために左腕で庇い、杖を持つ右腕を倒れたばかりの川トロールに突きだした。視界の隅で、ハーマイオニーも同じ動作を取っているのが見える。

 二人は今度こそ成功させるために、異口同音で叫んだ

 

「「『ペトリフィカス・トタルス』! 石になれえっ!」」

 

 青い閃光が二つの杖先から飛び出し、空中で合体したかと思うと閃光は人間大の大きさになって倒れ伏した川トロールの股ぐらに飛び込んで行った。

 青い光が川トロールの醜い身体を包みこみ、一瞬で光が消え去った後はピクリとも身動きしない川トロールが出来あがった。腰布すら不自然な形で固まっている。

 やった! と喜ぶ暇もなく、ようやく頭の火を消し終えたらしい森トロールと山トロールが喧嘩をはじめたようだった。先程の同士討ち狙いがようやく効果を発揮したらしい。

 原因は問うまでもなく、森トロールが振り回した棍棒のせいだろう。

 さすがのホグワーツも、トイレ内まではそんなに広くはない。そこで四メートルもの巨体が二体暴れるものだから、破壊された陶器の洗面台や個室の木片が雨あられとハリーに向かって飛んできた。

 両腕をクロスして顔だけは守ったものの、ひと際大きな陶器片がハリーの胸を強打して、彼女の矮躯を壁まで吹き飛ばす。

 背中を壁にぶつけてウッと息が詰まったハリーは、悲鳴をあげながら駆け寄ってきたハーマイオニーに抱きしめられながら上を見た。

 ダドリーと一緒に見させられた、ウルトラボーイとかいう特撮映画を思い出す光景だった。

 怪獣大決戦かよ。ハリーが呼吸を回復させると、顔面にパンチを貰ったのか歯をぼろぼろにした山トロールと、頭髪がすっかり燃え落ちてつるっ禿げになった森トロールがこちらに狙いを定めていた。どうやら喧嘩をしてお腹が空いたらしい。マジかよ馬鹿すぎるだろう。

 ゆっくりと棍棒を振り上げ、叩き潰してミンチにするつもりらしい。

 先程から振り下ろす系統の攻撃しかしてこない気がするが、たぶんトロールの脳みそはそこで限界なのだろう。ぶーぶー唸ってはいるが、互いで意思疎通をできている感じすらしない。

 だがそのパワーは、依然として脅威のままだった。

 このままでは、死ぬ。

 死んでしまう。

 

「まずい……どうにかして気を逸らさないと……! 片方を潰してももう片方が……!」

「でも、でもどうやって……!? どうやってそんな……!?」

 

 諦める気は毛頭ない。

 自分の身体を強く抱きしめるハーマイオニーの体温を感じながら、ハリーは思考を巡らせた。

 だが、答えは見つからない。

 ここまで轟音を立てて暴れているのだから、誰か来てくれてもいいものを!

 とハリーが益体もない願いを心中で叫んだその時。

 聞きなれた、それでいて先程までは腹が立って仕方なかった声が、トイレに響き渡った。

 

「ハーマイオニーィィィ! ハリーィィィ!」

「「ロン!?」」

 

 間違いない。

 赤毛で、ひょろひょろのっぽ。

 熾烈な喧嘩をしていたはずの、ロン・ウィーズリーだ。

 助けに、来てくれたのか。ハーマイオニーに腹が立っていても、ハリーがあれだけのことをしても、助けに来てくれた。

 嬉しさと気恥ずかしさが入り混じった気持ちが少女二人の心を満たそうとするが、状況はそれを許さなかった。

 ハリーとハーマイオニーの視線がロンに向かうと同じく、トロール二体の視線もロンへ向いた。

 そのうち森トロールの目が恐怖に見開いたのを、ハリーは見逃さなかった。

 ロンの燃えるような赤毛を、炎と見間違えたのかもしれない。

 怪物の視線を受けて一瞬たじろいだロンは、それでも果敢に懐から杖を抜き放った。

 しかし使う呪文に迷っているようだ。

 驚きから回復した山トロールが獲物に迷ってこちらへ振り返ったのと同時、

 隙ができたと判断したハーマイオニーは、ロンに向かって叫んだ。

 

「ロン!」

 

 その一言で、ロンは彼女が何を言いたいかを把握したのかもしれない。

 ロンは長い腕を振り回し、一回転させると最後に小さく跳ねあげる。

 ハリーとハーマイオニーも、一度ロンの方を向いて此方に狙いを定めるという、致命的な隙を見せた山トロールに杖を向けた。

 そして、三人はほぼ同時に叫ぶ。

 

「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

「『エクスペリアームス』! 武器よ去れ!」

「『ステューピファイ』! 麻痺せよ!」

 

 ロンの浮遊呪文が、森トロールから棍棒を取り上げる。

 ハリーの武装解除呪文が山トロールの手から棍棒を弾き飛ばす。

 ハーマイオニーの麻痺呪文が山トロールの意識を奪い去る。

 浮遊呪文の効果を持続させきれなかったのか、ロンが息を切らして膝を突くと同時に宙に浮いた棍棒が森トロールの脳天に落下して鈍い音を立てた。

 ハリーの弾いた棍棒はそんな森トロールの顔面に直撃。緑色の彼は轟音を立てて壁に倒れ鼻血を垂れ流したまま、そのままずるずると床に這いつくばった。

 山トロールに至ってはもはや抵抗の術すらない。

 ハーマイオニーの麻痺呪文は的確に山トロールの眼球に飛び込んでいき、灰色の巨人はその意識を一瞬で奪われて、白目をむいて立ったまま気を失っていた。

 

 ハリーは荒い息を吐き出し、力が抜けたのかその場に膝を突く。

 案外度胸の塊であったハーマイオニーがそんなハリーを抱きしめた。

 安堵のため息をつく二人は、ロンが驚きの声をあげるのを聞いて顔をあげる。

 そこにはトロールよりも恐ろしい顔をしたマクゴナガルが飛び込んでくるところだった。

 スネイプとクィレル(トロールの姿を見た途端ヒーッと叫んで座りこんだ)もあとからやってきて、三体のトロールが倒れている様を見て驚いている。

 トロールの状態を調べているらしいスネイプを見る暇もなく、マクゴナガルが大声で怒鳴った。

 

「一体全体、どういうおつもりですかッ!」

 

 声も出なかった。

 トロールと生きるか死ぬかという戦いを終えた後だというのに、こんなに怖いとは。

 ロンに至ってはぽかんと口を空けたままで、スネイプがマクゴナガル先生の前に行きなさいと言わなければそのまま座りこんでいたかもしれない。

 魔法生物の棍棒より教師の一言の方が怖いとは。

 

「えっと、その、えーっと」

 

 しどろもどろになるハリーに構わず、マクゴナガルは追撃を飛ばす。

 

「殺されなかっただけ運が良かった! 寮に避難しているはずの貴方がたが、なぜこんなところにいるのです! パーシー・ウィーズリーが報告してくれなかったら危ない所でしたよ!」

 

 ロンはそれで察した。

 あのときパーシーから隠れようともせず、彼の制止を振り切って飛び出したのだ。

 当然グリフィンドール寮監であるマクゴナガルに報告が行くだろう。

 生徒が一人、足りませんと。

 パーバティからの証言を聞いたかもしれない。

 だからこそ、一階のトイレとかいう辺鄙なところに来たのだろう。

 それに、これだけ派手に壊れていれば騒音も酷かったことだろうし。

 ハーマイオニーがマクゴナガルに何か言おうとしたのをロンが手で制し、泣きそうな顔になりながらひとつの決意を秘めた目でマクゴナガルの目を見据えた。

 

「僕が悪いんです、先生」

「ロン……?」

 

 訝しげな声をだすハーマイオニーに黙るよう目で告げて、ロンは言う。

 

「僕が、この二人と喧嘩をしたんです。それで二人を泣かせてしまって……」

「それで? なぜ貴方は此処に居るんです?」

「そ、それで、えーっとですね。その、パーバティに教えてもらったんです。謝ろうと思って。それで、それでトロールが入ってきたって聞いて……それで……居ても経ってもいられなくなったんです」

 

 正直に告げた方がいいと思ったのだろう。

 ロンは包み隠さず話している。教師に嘘をついてもバレると思ったのだろうか。

 マクゴナガルが三人をじっと見て、ふと柔らかい顔をした。

 しかし次の瞬間には、すぐ厳しい顔に戻っていた。

 

「ミスター・ウィーズリー。レディに涙させるなど、紳士にあるまじき行為です。あなたの愚かしい行動にグリフィンドールから十点減点。ポッター、あなたはどうやら魔力が枯渇している上に怪我をしているようですね。寮に戻る前にマダム・ポンフリーのところへ寄りなさい」

 

 減点されたことにロンは多少ショックを受けているようだったが、どこかすっきりした顔をしている。

 妙に晴れやかで憑きものが落ちたような感じだ。

 そんなロンを見ていると、スネイプが妙にこちらを睨むようにしているのが目に入った。

 しかしハリーと目が合うと、すぐにそっぽを向く。

 そこまでぼくのことが気に入らないのだろうか? とハリーは少し哀しい気持ちになった。

 

「ミス・ポッター、ミス・グレンジャー」

「ふひゃい!」

「はっ、はい!」

「貴方がたは不運でした。しかし、大人の野生トロール相手に、こうまでできる一年生はそうはいないでしょう。さらに様子を見るに、見事な魔法だったようですね。それに対して一人十点、グリフィンドールに差し上げましょう」

「え? あ、え……?」

「さあ。今日はもう、寮に戻りなさい。ポッターはくれぐれも医務室に行くことを忘れないように」

 

 ハリーは自分の耳に入ってきた言葉が信じられなかった。

 丸くなった目をハーマイオニーに向けると、彼女は微笑んでいた。

 医務室へ向かって、ハリーはしこたま怒鳴られた。

 マダム・ポンフリー曰く、ハリーは肋骨が一本折れていたそうだ。

 華奢な腹が真っ青になっていたのが、マダムの薬一つできれいさっぱり健康的な白に戻る。

 魔力を使い切って尚絞り出すように魔法を使っていたためにボロボロになった身体も、彼女の治癒によって明後日にはすっかり元通りになるだろうということを告げられた。

 安堵と健康とともにたっぷりお説教をいただいた後、二人はグリフィンドール寮へ戻る。

 談話室はウィーズリーの双子を中心に大騒ぎであった。

 どうやら食べ物を持ちこんで、ハロウィン・パーティーの続きをやっているらしい。

 誰もハリーたちが戻ってきたことに気付かないで歌い踊っている。

 そんな中、入口の隅の方で一人ぽつんとロンが立っているのが目に入った。

 横目でこちらをちらちらと見ているのが、実にいじらしい。

 どう謝ろう、どのタイミングで謝ろう、と顔に書いてあるのがよくわかる。

 ハリーとハーマイオニーが顔を見合わせてくすりと笑うと、二人は彼のもとへ歩み寄った。

 

「あっ、あのっ、ハーマイオニー! ハリー! ごめん、ごめんなさい。僕、僕……」

 

 つっかえながらも眉を八の字型にして情けない顔をして言葉を絞りだそうとするロン。

 ハリーは笑って、彼の首に飛びついた。

 そうして背の高い彼の顔を自分たちのところまで下げさせると、

 

「ロン。ぼくたちとってもお腹すいてるんだ。でも背の高い君じゃないと、あの人込みからお菓子は持ってこれないだろう? だからさ。頼むよ。君じゃないとできないんだ」

 

 ああ、とロンは合点のいった顔をする。

 そうしてお菓子目当てに跳梁跋扈する寮生たちの中に飛び込んでいき、その大きな両腕に大量のお菓子を持ってこちらへとんぼ返りしてきた。

 その途中、食べ過ぎて寝転がっていたネビルに躓いてしまって盛大に転び、手に持っていたフィフィフィズビーだのバーディー・ボッツの百味ビーンズだのパンプキンパイだのが空中に放り出される。

 ハーマイオニーが杖を一振りしてそれらを停止させ、ハリーの顔面を汚すことを阻止した。

 ハリーが彼の大きな手を握って助け起こすと、三人はそろってくすくすと笑う。

 

「ねぇハーマイオニー」

「なぁに、ハリー」

「……女って、勝手なもんだねえ」

「……なんのことかしらねえ」

 

 ロンが何を言っているのか分からないという顔をしているのを見て、二人はまたくすくす笑う。

 この日から三人は、かけがえのない『友達』同士となった。

 人と人とのつながりなど、何がどうなってこうなるのかなんて、誰にもわからない。

 ただ三人の場合は、トロールをやっつけるという、とても興奮する出来事を共にしたという経験がそうさせただけだった。

 三人はきっと、何十年経ってもこの日のことを忘れないだろう。

 






【変更点】
・侮辱に対しては殺人すら許されるんだし、これくらいは。
・マクゴナガル先生だって、そこまでお金持ちじゃあないんです。
・ロンは犠牲になったのだ。
・禁じられた廊下の扉を叩くと、わんこが3つ。もひとつ叩くとトロールも3つ。
・両生類顔の医者はいないけど、ホグワーツにはマダムがいるので安心して常連になろう。
・どの世界でもこの三人は『友達』になるのです。

ストックなんてしったことか!おれは部屋に戻る!
戦闘回でした。この話で、魔改造の兆しが見え隠れしはじめたはず……。
トロール相手で入院コース。医務室の常連と化しても優秀なマダムが居るので安心。


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6.クィディッチ

 

 

 ハリーは吐きそうだった。

 別にダドリーがホグワーツに降り立ちハリーの腹を殴って飛び去っていったわけではない。

 緊張のあまり、胃の中の物を全て戻してしまいそうだったのだ。

 トロールのことがあって二週間も経たないうちに、ハリーは大事なイベントに直面した。

 クィディッチだ。

 ハリーはひょんなことから、グリフィンドール寮のクィディッチ選手に選ばれてしまったのだ。

 しかも、ポジションはシーカーというもの。

 三種類ある個性的なボールのうち、《スニッチ》という逃げ回る金色のボールがある。

 このボールを手にすればその時点で捕獲チームに一五〇点が追加され、試合が終わる。

 つまり相手に一五〇点差をつけられる前にこれを取るか、開始してからすぐさま取るかをしてチームを勝利に導くことができるのだ。逆を言えば、これを取らなければ延々と試合を行う羽目になるのだ。例えば両チームのシーカーがトロール並みの無能であれば、何週間かかってでもやり続けるほどである。

 シーカーはこのボールを捕まえることのできる唯一のポジションだ。

 ほかの選手が触ると、スニッチニップという反則になる。もっともこれは、七〇〇ある反則のうち一つであるというだけで、他にも凶悪でアホくさい反則はいっぱいある。

 そして箒で飛ぶという危険極まりないスポーツである中で、シーカーは最も危険である。

 執拗なマークや悪辣な反則でタコ殴りにされるというのも珍しくはない。

 ハリーの矮躯ではそんな総攻撃にあった場合、容易にぼこぼこにされて沈んでしまう。

 それでガチガチに緊張しているのかと言えば確かにそうだが、最たる理由は他にある。

 なにせ、初陣なのだ。

 しかもシーカーは、たった一人の選手でありながら試合を左右する一番重要なポジション。

 負けたらどうしよう。本当に試合になるのだろうか?

 そんなネガティブなことを考えていたからだろうか。

 キャプテンたるオリバー・ウッドが大声を出したとき、ハリーは心臓が縮みあがった。

 

「いいか野郎ども!」

「女もいるけど?」

 

 クアッフルという赤いボールをシュートして得点を手に入れるポジション、チェイサーのアンジェリーナ・ジョンソンが口を挟む。いよいよ俺の演説だぞ、といった具合だったウッドは微妙な顔をして、咳払いした。

 

「では淑女諸君も」

「よろしい」

「ウッドったら、いつも忘れるのよね」

 

 同じくチェイサーのアリシア・スピネットとケイティ・ベルが続けて言う。

 ウッドはもはやどうにでもなれという具合にため息をついていた。

 

「いよいよだ。今年度は、きっとここ数年最高のクィディッチ・チームであると俺は信じている。つまり何が言いたいかと言うとだ。勝てる! 勝てるぞ! 俺たちは!」

「このチームで勝てないなんて、そりゃ大問題だなあ」

「今までスリザリンに勝てたことなんてあったかな?」

「黙れよウィーズリーズ。ともあれ試合だ! さあ行くぞ野郎ども! ……と、女ども!」

 

 ウッドはそう叫ぶと、勢いよく更衣室から飛び出して行った。

 一方でハリーは心臓を口から吐いてしまいそうだった。

 まともじゃない……特別措置で選ばれたんだぞ……ぼくがシーカーだなんて……。

 本当に実力があるんだろうか? というかこれトロール戦より緊張してないかぼく?

 負けたらどうしよう……いや、ぼくが出るんだ……負けちゃうかも……。

 思考がいよいよ危ないところまで行き詰った時、ハリーは自分の尻が左右同時に思い切り叩かれたことにびっくりして大声であられもない悲鳴をあげた。

 

「ふぎゃあ!?」

「ハッハー! ハリー、案外女の子らしい声出せるんじゃないか!」

「こりゃあいいもん触っちゃったぜ。ご利益で勝てちゃうかもな!」

 

 顔を真っ赤に染めて振り向くと、陽気な笑顔の双子が目に入った。

 彼らはプレイヤーを追いかけまわして箒から叩き落そうとするとかいう、あまりに物騒すぎるボールである二つのブラッジャーを追い払う、ビーターという役割を持っている選手だ。

 フレッドは右手を、ジョージは左手をわきわきと下品な動かし方をしている。

 そして顔はにやにやと悪戯したあと特有のイヤーな笑顔。

 ……こいつらか! 人の尻を触ったのは!

 

「フレッド! ジョージ! 君ら次やったら呪うぞ!」

「怖い怖い! こうなったら空へ逃げるに限るね!」

「来いよハリー! 飛ばないと呪いは届かないぜ!」

 

 双子はそう囃し立てると、まるで踊るようにピッチへと出て行った。

 ばっかじゃないの、子供なんだから、とアリシア、ケイティの二人も続いて行く。

 そうして最後にアンジェリーナが、

 

「どうだいハリー。緊張は取れた?」

「……え? ……あっ……」

「よーし、そうでなくっちゃ。ほら行くよ、女は度胸!」

 

 パチンと尻を叩いてきた。

 またか。またなのか。

 こうなるとハリーはたまったものではない。

 

「なんでアンジェリーナまで叩くんだよぉ!」

 

 もはや緊張など何処へなりとも消え失せたという様子でハリーは頬を膨らませて更衣室からピッチへと足を踏み出して、深紅のクィディッチ・ローブを揺らす爆発めいた歓声に驚いた。

 右を見ても、人、人、人。左を見ても、人、人、人。

 縦五〇〇フィート、横八〇フィートの楕円形のピッチ、それを取り囲むような上空に設置された観客席には赤い応援旗を掲げるグリフィンドール寮生と緑の応援旗を振り回すスリザリン寮生、そしてその両者に挟まれるような形でハッフルパフ生とレイブンクロー生、さらにその反対側には貴賓席なのか教師たちが一塊になって座っているのがよく見えた。

 ピッチ両端には高さ十六メートルの金の柱があり、これの頂点には同じく金の輪がとりつけられている。クアッフルをあそこにブチ込んで一〇点をもぎ取るのが、三人娘の仕事だ。

 ピッチのド真ん中ではスリザリン・チームが既に整列している。

 ああ、また緊張が――

 

「いや、落ち着かないとマズい」

 

 ……ダメだ。

 公衆の面前だろうと、きっとまた尻を撫でられる。

 フレッド&ジョージ(おまけに三人娘もだ)がにやにやしていたので、きっとその危惧は正しかったのだろう。ハリーは身震いした。緊張なんぞしている場合じゃない。

 不穏なセクハラ魔たちの事に気付いているのかいないのか、恐らくいないのだろうウッドはハリーが緊張していない様子を見て鼻の穴をふくらませて勝てる! と叫んでいた。

 マダム・フーチが審判をやるようだ。

 その手にはクアッフルを持っていて、足元にある箱には革のベルトを引き千切ろうとガタガタ暴れているブラッジャー二個がある。金のスニッチは……恐らく真ん中の扉の中に納められているのだろう。

 マダムがその鷹の目のような黄色い目でじろりと選手全員を見渡して言う。

 

「みなさん、くれぐれも正々堂々と戦ってください!」

 

 その言葉にグリフィンドールキャプテンのウッドはびしりと姿勢を正したが、スリザリンキャプテンのマーカス・フリントはへらへら笑っているままでハリーを舐めまわすように見ている。

 この視線には覚えがある。

 ハリーのどこを殴ろうかと思案している時のダドリーだ。

 ただ、親愛なる従兄の場合はハリーの弱いところを確実に突いてくる豚のくせに狼のような目をしていたのに対して、フリントのそれはただ脅しているだけのように思える。

 笑わせる。

 ハリーが微笑みかけると、フリントは面食らったようだ。

 ふいっと顔をそむけてしまった。

 

「さぁ! 箒に乗って!」

 

 マダムの号令に従って、ハリーはクリーンスイープ七号に跨る。

 そうしてぐんっと重力を味わうと、煩わしいそれを振り切って空高く舞い上がった。

 それぞれのチームが三次元的なフォーメーションで試合開始前の位置に着く。

 シーカーはほぼ真ん中に近い、一番上の全体を見渡せる場所に着くことになっている。

 目の前には、相手チームであるスリザリンのシーカーが陣取った。

 ハリーはその人物の姿を見て、目を見開いた。

 プラチナブロンドのオールバック。

 青白い肌に、とがった顎。

 薄いグレーの瞳はぎらぎらと輝いていて、己の敵をまっすぐに見据えている。

 それはさながら、飢えた竜か蛇だ。

 

「……ど、ドラコ……!? ドラコがスリザリンのシーカーなの?」

「そうさ、ポッター。お前の相手は――この僕、ドラコ・マルフォイだ」

 

 鋭い笛の音と共に、試合が始まる。

 実況はウィーズリーの双子の仲間であるリー・ジョーダンという生徒がやっている。

 しかしその解説の声はハリーの耳に届かない。

 周囲でクアッフルが飛び交い、ブラッジャーを殴り飛ばす様も眼には入らない。

 在るのは目の前の、ドラコ・マルフォイただ一人。

 

「ポッター。僕は今日が楽しみだったぞ」

「……ぼくも、これは負けられない、ね」

「そうさポッター。……せいぜい本気でやるんだ、なッ!」

 

 ドラコが急激に箒を回転させ、操縦者ごと横回転する。

 すると丁度ドラコの頭があった位置から、ブラッジャーがハリーの顔めがけて飛んできた。

 慌てて顔を引き、宙返りするように暴れ球を避けると、急いで箒を操り体勢を立て直す。

 ぐるりと縦に一回転する形になったハリーは、目にかかった髪を顔を振って払う。

 体勢を戻して二メートルほどバックすると、その前ではドラコがニヤニヤと笑っていた。

 

「おいハリー! 大丈夫か!」

 

 ブラッジャーを追いかけてやってきたらしいウィーズリーの双子どちらかが、ハリーの隣でぴたりと止まる。ついでにドラコをちらと見遣るが、今は試合中と割り切ったのか、またもハリーに襲いかかってきたブラッジャーを手に持つクラブでばこんと一撃。すぐ近くを横切ろうとしていたフリントの顔めがけてすっ飛ばしていた。

 頼むぜ、とウィーズリーがハリーの背中をポンと叩いて風を切って混戦の中へと飛び込んでいく。

 そのやり取りの間、ハリーはずっとドラコとの視線を外せないでいた。

 クアッフルが互いのゴールに入ったり、弾かれたり、キーパーがナイスセーブをしたりと言った情報が右の耳から飛び込んで左の耳から突きぬけてゆく。

 一筋の汗がハリーの黒髪を濡らし、ぽとりとグローブに落ちたその時。

 瞬間、今度はドラコめがけてブラッジャーが真下から突っ込んできた。直前に木製の打撃音がしたので、ウィーズリーがドラコめがけてブチ込んだものだろう。危なげない動きでドラコがブラッジャーを避けたその時、ハリーは視界の隅に金色に光るものを見つけた。

 ――スニッチだ!

 ハリーはドラコが体勢を立て直す前に、その場で回転するように方向転換。スニッチの方へ頭を向けて全速力で疾駆した。

 数瞬遅れたドラコが、舌打ちをする間も惜しいとばかりに弾かれたように飛び出す。通常ならばその程度、一呼吸以下の隙とも言えない合間であった。だが、ことクィディッチにおいてその瞬間の差は致命的である。

 まるで放たれた猟犬のように、金色の光めがけて突き進む紅色の矢は、ピッチの端を巡るように逃げ回るスニッチ目指してみるみるうちに加速していき、クリーンスイープ七号の出せる最高速度まで達した。

 届く。届く! あともう少しで、ぼくの世界まで追い詰めてやれる!

 ハリーがそう確信し、左手を箒から放して眼前を逃げ去ろうとするスニッチを捕まえようとしたその瞬間。

 

「……ッ、ぐ!」

 

 予期せぬ衝撃がハリーの真横から襲ってきた。

 ブラッジャーではない。

 スニッチを取らせまいとしたマーカス・フリントが、無茶なタックルを仕掛けてきたのだ。

 彼の体重の半分もないハリーは軽々と吹き飛ばされ、不安定な姿勢であったために危うく箒から叩き落されそうになる。

 この高度から、なんの魔法補助もなく地面にたたきつけられれば骨の一本や二本、簡単に圧し折れていることだろう。打ち所が悪ければ死をも免れ得ない。

 しかし、それはタイミングを合わせたウィーズリーズが小さな体を受け止めてくれたことによって防がれる。

 けほ。と小さな咳をこぼすと同時。紅色と緑色の観客席から怒号と歓声が爆ぜた。

 

「反則じゃないのか今のーっ!」

「いいぞフリント! ポッターを突き落とせ!」

「ふざけるなフリント! この×××野郎ーッ」

 

 品があるとは言えない罵詈雑言が飛び交う中、マダム・フーチが笛を鳴らして試合を中断させるとフリントに厳重注意を与えた。

 ウィーズリーズに礼を言って箒に尻を乗せ直したハリーは、スニッチがもう目の届かない所へ逃げ去ってしまったことに気付いて歯噛みする。

 魔法で空中に表示されている得点板を見ると、一〇対四〇と表示されていた。

 

「……まずい、負けている」

 

 試合が再開されるなり、ハリーは再度空高く舞い上がってピッチ全体を見渡した。

 紅色のローブを着た選手が――あれはアンジェリーナか――クアッフルを抱えて高速で飛んでいる。スリザリンのビーターがブラッジャーを打ちつけるも、彼女は箒ごと横に一回転する事でスピードを落とすことなく軌道をずらすことなく、ゴールに向かってクアッフルを投げつけた。

 しかしスリザリンもさるもの、三つあるゴールのうち、一番遠くに陣取っていたはずの緑色のキーパー選手が素早く箒を使って、まるでベースボールのようにクアッフルを打ち返した。

 だがアンジェリーナの策は実る。キーパーが打ち返した先に居たのは、獅子寮チェイサー三人娘が一人、ケイティ・ベル。すっ飛んできたクアッフルを、まるで意趣返しのように箒で叩きだすと、それはそのままゴールの輪へ吸い込まれるように飛び込んでいった。

 グリフィンドールに一〇点追加である。

 他を見れば、ビーター同士の小競り合いも起きている。

 フレッド・ジョージ、そのどちらかがブラッジャーをクラブで打ち抜く。それはスリザリン・チェイサーであるエイドリアン・ピュシーの後頭部を強かに打ちつけた。気絶でもしたのか、使っていたコメットシリーズの箒からクアッフルと手足がするりと抜けて、ピッチへと落下していく。彼の仕返しのためか、スリザリンビーターのデリックは、ブラッジャーの進路に躍り出ると、そのクラブを以ってして、叩くのではなく突きを繰り出した。スコットランドのプロチーム、 《ウィグタウン・ワンダラーズ》が編み出したビーターの技《パーキンズシュート》である。

 まるでビリヤードの玉のように信じられない速度で突き出されたブラッジャーは、自身の速度とデリックの放った《パーキンズシュート》の勢いをプラスして、獅子寮ビーターたるウィーズリーへと襲いかかる。

 しかし悪戯コンビのコンビネーションは伊達ではなかった。片方が狙われるのを予知したかのように相方のピンチに駆けつけたもう片方が現れると、二人揃ってクラブを振り被り、全く同一のタイミングで同じブラッジャーに叩きつけた。ジャパンチーム《トヨハシ・テング》お得意のビーター技、《ドップルビーター防衛》である。

 二人分の腕力を込められた打撃は、デリックの《パーキンズシュート》を真正面から打ち砕いて、それを放った張本人に直撃する。紅色の観客席から歓声の爆発と、緑色の観客席から落胆の呻きがそれぞれあがった。

 チェイサーとビーター、そしてゴールを守るキーパー達の熾烈な争いは、一〇点を奪い奪われて互いにしのぎを削っている。

 しかしシーカーは未だ、その役割を果たしていない。

 果たすその時こそが、試合の決着だからだ。

 ――次こそ。

 次こそドラコを出し抜いて、スニッチを手に入れてやる。

 獣のような目をさらに鋭くギラつかせ、スニッチを睨み殺すと言わんばかりのハリーの目はしかし、次の瞬間に大きく丸く見開かれた。

 

「え……っ? あれ、えっ、えええっ!?」

 

 箒への尻の座りが悪い? などと考えたのも束の間。

 ぶるぶる箒が小刻みに震えたかと思うと、途端にクリーンスイープ七号は暴れ牛にでもなったかのように荒ぶりはじめたではないか。

 上下に揺さぶったり、左右にぶんぶんと尻を振ったり、ぐるんぐるんと横回転したり。

 その上に乗っているハリーはたまったものではない。

 いくら箒には呪文がかかっていて乗り心地が改善されているとはいえ、そんな無茶な動きをされては股や太腿に食い込んで痛いなんてものではない。あと、それどころではない。いまハリーが居る場所は高度二〇メートル近くあるのだ。ここから落ちればただでは済まない。

 箒が壊れた? コントロールを失った? それとも箒がぼくを乗せるのに嫌気がさした?

 あらゆる原因を考えるが、ハリーはそのどれをも否定した。

 結論。箒にしがみつくことだけを考えないと、振り落とされる!

 

「うわっ! う、ああっ!? ひゃ、やだッ、うわあああっ!?」

 

 

「ハリーは一体何しちょるんだ?」

 

 隣の観客席でハグリッドが呟いた。

 その巨体を窮屈そうにベンチに乗せ、隣に座る生徒たちもまた窮屈そうにしている。

 だがいまはそんなことどうでもよろしい。

 ハリーが、我らがシーカーのハリーがどうやら箒のコントロールを失っているらしいのだ。

 しかしそれにしては様子がおかしい。

 あれでは、どうみても箒がハリーを振り落とそうとしているようではないか。

 

「さっきぶつかったときに壊れちゃったのかな?」

「観客席で誰かが呪いをかけてるのかも!」

 

 シェーマスやパーバティがそう声に出す。

 だがハグリッドはその両方を否定した。

 

「いんや。箒っちゅーのはお前さんらが思っとるよりも堅固な守りが施されとる。多少ぶつかった程度じゃ壊れやせんし、未成年のチビどもが扱う呪いくらいじゃあ、箒に悪さなどできやせんよ」

 

 ハグリッドが心配そうな声ながらも事実を言うその隣で、ハーマイオニーが双眼鏡を振り回すようにして観客席を見渡していた。

 ロンがハーマイオニーの肩を掴んで言う。

 

「な、何してるんだよハリーが大変な時に! 落っこちちまいそうだ!」

「大変な時だからこそよ! ――居たわ! まさか、でも――」

「何がまさかなんだよ!」

 

 ロンがハーマイオニーの双眼鏡を奪い取ると、彼女が見ていたあたりへ照準する。

 ハーマイオニーの指示に従って見てみると、黒い髪に鉤鼻、深い皺を眉間に刻んだセブルス・スネイプが瞬き一つせずに何やらぶつぶつ呟いている。

 ハリーとハーマイオニーの二人から勉強指導を受けていたロンは数秒思い出そうとして、スネイプの目を見て脳裏に閃いた。あれは、何かの呪文を使っている姿だ。

 ロンは悲鳴をあげる。

 

「スネイプがハリーに呪いを!? いや、奴さん教師だぜ? ……やりかねないけど」

「わからないわ。ホグワーツの教師なんだから、そんなこと……でもやりかねないわ」

 

 こういう時はどうすればいいのか。

 数瞬迷った二人だったが、ハリーが常々言っている事を思い出した。

 彼女曰く、「疑わしきはぶちのめせ」。

 いったいなにが彼女にそんな思想を植え付けたのか。二人はそれを聞いた時とても心配であったが、今この時においてはその言葉を聞いていてよかったと心底思った。

 二人は弾かれたように立ち上がると、その勢いのまま観客席を疾走した。

 クィディッチへの熱狂とポッターの不穏な様子への心配と、二種類の大声が響き渡るスタンドを走って走って、ついにはスネイプの居る貴賓席の裏側まで回ってきた。

 ロンはそこで人込みに衝突してしまい数人を薙ぎ倒したが、ままよと人込みを掻き分けてハーマイオニーが通れるように隙間を作る。

 滑るようにその隙間を駆け抜けて杖を取り出したハーマイオニーは、できるだけ小声で、しかし鋭く正確に呪文を唱えた。

 ――対象は、哀れなスネイプのローブだ。

 

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 唱えるが早いか、ハーマイオニーは元来た道を疾走してロンと合流する。

 杖から飛び出した青い炎は、込められた魔力が消費されるまでは決して消えない魔法の火。

 たとえ水をかけても、消えはしないだろう。

 より威力の高い同系統呪文の『インセンディオ』もあったが、此方の方が時間稼ぎにはぴったりだ。なにせ今回はスネイプを焼き尽くすのが目的ではないのだから。……いや、チャンスがあればやってしまってもいいかもしれないが、今はその時ではない。

 二人の連係プレーで瞬時に人ごみにまぎれてしまったので、恐らく下手人がだれかはわからずじまいだろう。ひょっとしたら熱狂した何処ぞの阿呆の仕業と思ってくれるかもしれない。

 鋭い悲鳴が背後で響き渡り、火を消せという叫びを聞きとって二人は急いで群衆から飛び出し、ピッチの上空を見上げた。

 ハリーは、ハリーは無事だろうか。

 ピッチ上空を飛び交う選手たちの中、そのうちの赤い一人。

 もはや片手で箒にぶら下がっていたハリーが、まるで曲芸のように一回転して箒に飛び乗った姿を見て、二人はようやく成功を確信し、抱き合って喜んだ。

 

 

 ハリーが箒に飛び乗った時、既に体力の限界を迎えていた。

 玉のような汗で黒髪を額に張り付け、飢えた獣のようにピッチ全体を見渡す。

 歯を剥いて射殺すような瞳で睨みを利かせるその顔は、女の子がしていいものでは決してない。

 だが今は試合中。性別など関係ないのだ。

 そして明るい緑の瞳はようやく目標を発見した。

 プラチナブロンドのオールバック姿が、遥か地表近くを疾走している。

 ――見つけたぞ、ドラコ・マルフォイ!

 ハリーは箒を力の限り握りしめ、一気に最大速度まで加速させると地上に向けて突っ込んでいった。ドラコの行く先を目指して急降下し、地表すれすれ、彼の眼前に躍り出て水平に持ち直した。

 

「ポッタぁーッ! きさまぁ!」

「へへん! いくぞ、ドラコ!」

 

 ドラコの鋭い叫び声が聞こえる。

 目の前にはやはり、スニッチが飛んでいた。

 二人のシーカーから逃れようと必死に銀の翅を細かく振動させて逃げ惑う。

 蛇のような軌道を描いて、ドラコがハリーのすぐ後ろで追いすがる。

 金を追いかける紅と緑は、ピッチの芝生すれすれを舐めるように光速で飛び回る。

 科学を軽んじる魔法界において、ピッチ外周の骨組はコンクリートなどではなく当然のように魔法で組み立てられた木製である。

 つまり、隙間がある。

 狡猾なスニッチはその隙間へ潜り込み、二人のシーカーから逃れようと画策する。

 しかしハリーとドラコは、そのようなことで怯むような脆弱な度胸は持っていない。いや、かつては持っていたのかもしれない。しかしドラコは考えなしの弟や学友への対応や、貴族間の社交界で味わった苦渋や策略などの経験を積んだことからくる自信。ハリーはダドリーからの暴力で培った観察眼と安全を見抜く力、闇の帝王への憤怒と憎悪からくる獰猛な心。

 二人の獣は、木材の隙間を縫うように奔った。

 各々が独自に安全かつ素早く動けるルートを見抜き、互いの身体を用いてタックルを放ち、スニッチを追いかける。

 

「―――ッ」

「……チッ」

 

 このフィールドで逃げ回る事に利を見出せなかったのか、業を煮やしたのか。まるで謀ったのようにスニッチがひと際大きな木材を這うように、誘導するように飛んでいったことに二人は気付き、苦い顔をする。

 黄金の目論見通り、二人はあの木材を避けざるを得ない。だが上手く避けなければ、相手のリードを許してしまう。どうにかしてギリギリまで追跡を続けるしかない。つまり、これは、チキンレースの始まりだ。

 正確に、急激に方向転換する事の出来る魔法が掛けられたスニッチは、難なく木材に触れる数ミリ前で直角に動いてピッチ上へと飛び出す。二人を叩き付けんと画策しているようだ。今の速度、今の姿勢では二人とも真正面から木材に衝突して意識を手放すか、最悪首の骨が圧し折れることだろう。

 見失ったときのために用意されているらしき、クィディッチ選手の姿を映す魔法スクリーン。ピッチ上空に投影されたその画面でシーカーの姿を観戦していた観客たちが、大きな悲鳴をあげた。

 二人は、スニッチが悪辣に嗤ったかのような錯覚を覚える。砕けよ、挫けよ、と。

 だが、二人はそれぞれ右足と左足を曲げると、互いの身体を同時に蹴り飛ばした。

 スニッチの直角移動ほどではないにしろ、それによって急速に互いの位置をずらした二人は、箒の柄を必死に持ち上げることによって木材の枠組みから上空に向けて飛び出した。

 

 観客席から、幾度爆ぜたか分からない歓声があがる。

 ここで二人の勝負を左右したのは、単純なところ運であった。

 重要なのはピッチに飛び出した時点で、スニッチに近かったのがハリーだったということ。

 ハリーの獰猛な気配に気づいたのか、魔法が掛けられた無機物にあるまじきことだが、スニッチは自らが逃げようとしたのとは別の方向へ逃げようとした。

 急激に角度を変えて、上空に逃れようとする気配がハリーに伝わる。

 だが、一手遅い。

 鬼気迫る顔で追うドラコよりも早く、逃げるスニッチよりも早く。

 右手を伸ばしたハリーが、スニッチを手中に納めようとしたその瞬間。

 がつん、と後頭部に衝撃を受けた。

 あまりにあんまりなタイミングでハリーはバランスを崩し、箒から転げ落ちてもんどりうってピッチに倒れ伏す。

 会場が、一気に静まった。

 死んだんじゃないか? という無粋な誰かの呟きすらが、何処かから聞こえてくる。

 何が起こったのか分からないハリーは大の字の状態から起きあがろうとして、ふと自分が息を出来ないことに気がついた。

 即座に酸欠か? と思い浮かぶが、違う、何か喉に詰まっている!

 寝返りを打って四つん這いになると、ハリーは懸命に喉に詰まった何かを吐きだした。

 けぽ、という可愛らしい音とともにハリーの手の中に落ちてきたのは、なんとスニッチだ。

 静寂に包まれたピッチの中において、ハリーはずきずき痛む後頭部を左手で抑えながら、捕らえられて大人しくなった金のボールを天に向かって突きあげた。

 

「うォォォおおお―――ぁぁぁあああああああああ――――――ッ!」

 

 全くもって少女らしくないが、勝利の雄叫びをハリーがあげた瞬間。

 試合会場の全てが歓声と怒号の爆発に包まれた。

 

 試合終了――。

 結果は、一七〇対六〇。

 グリフィンドールの勝利である。

 異議を申し立てようと審判に詰め寄ったフリントが、ハリーの頭を蹴り飛ばした事についてドラゴンのような形相のマダム・フーチや観客席から飛び降りてきたマクゴナガルからお説教を受けているのを尻目に、グリフィンドールチームの面々が次々に地上に降り立ってハリーを抱きしめてきた。

 ウィーズリーズが抱きついてきて、また冗談で尻に手を伸ばしてきたが、笑顔のハリーに全力ビンタを喰らう。しかしそれでも笑っていた。チェイサー三人娘はハリーを代わる代わる抱きしめ、その頬や額に熱烈なキスの雨を降らす。

 ウッドに至っては喜びのあまり、もう少しでハリーを絞め殺しそうになっていた。

 撫でられ過ぎた黒髪はくしゃくしゃにされ、皆の歓声で耳がおかしくなりそうだったがハリーはそれでもよかった。今この時だけは、それでも構わなかった。

 いまこのときだけは、喜びと興奮の感情のみが、ハリーの心を占めている。

 こんな、こんな事は初めてだ。

 ハリーは観客席から走ってくるグリフィンドール寮生の中に、ハーマイオニーとロンの姿を見つける。そして二人に向かって、無邪気で屈託のない笑顔を見せていた。

 そうして揉みくちゃにする皆から抜けだすと、二人の首に飛びつくように抱きしめる。

 まともな英語が口から出てこないが、それでもハリーの喜びは二人に伝わっているだろう。

 二人の頬にキスをすると、ハリーはまた幸せそうに笑いをこぼす。

 きっと、今日のことは一生忘れない。

 赤くなったロンと朗らかな笑顔のハーマイオニーを見ながら、ハリーはそう確信したのだった。

 ああ、よかった。

 ぼくは、ホグワーツに来ることができて本当に幸せだ。

 




【変更点】
・全体的に選手たちの技量アップ。
・リア充イケメンはセクハラすら許される。
・戦闘やクィディッチに関してはどんどん魔改造して逝きます。エクストリィーム!

ピッチの外観や構造は映画と同じように想像してください。
クィディッチのみでお送りしました。流石にこれ単体だと、文章が短くなりそうで大変。
文章中に唐突に現れるダドリーが便利すぎて、コイツ魔法生物か何かじゃないかなぁなんて。

※誤字をしないよう気を付けているつもりですが、私もマグルですのでうっかりしてしまいます。報告じつに有難いです。


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7.セブルス・スネイプ

 

 

 ハリーは今、呪いをかけられていた。

 なぜだか足が先程からタップダンスを踊って止まらないのだ。

 もはや息をするにも苦労する有様で、荒い息と汗で張り付いたシャツが気持ち悪い。

 杖を取り落とさないよう持ち続けるのが精いっぱいで、上半身を懸命に固定する。

 そうしてふらふらと何度かぼそぼそ呟いたのち、ようやく呪文を唱えることができた。

 

「ふぃ、『フィにゃーとぁ、ふにゃ、『フィニート』! っぷあ!」

 

 短縮呪文である。

 魔法界に無数にある呪文の中には、短縮しても効果が得られるものが多々ある。

 例えばこの呪文。『フィニート・インカンターテム、呪文よ終われ』。継続系の呪いを停止させる類の呪文であり、先程ハリーが掛けられていたダンス呪文を終了させる効果がある。

 『呪文よ終われ』は補助単語であり、呪文の効果をより正確に、または苦手な呪文を正しく発動できるようにするための言葉だ。要するに、自転車でいう補助輪である。

 そして補助輪を外した状態で唱えるのが、あらゆる状況において役立つ形。この場合で言うと、『フィニート・インカンターテム』である。

 口から紡ぐ言葉が短ければ短いほど呪文は早く発動でき、有事の際に素早く使えるというのはそれだけでアドバンテージを得ることができる。特にこの呪文は限定的ではあるが相手にかけられた呪いを解けるので、短縮できると便利だ。

 そして此度の《短縮呪文》。それが『フィニート』だ。

 前半部分の『フィニート』だけでも呪文は発動できるが、その場合の発動難易度は一気に跳ね上がる。箒で言うと、両手を柄から離して全速力を出すようなものだ。未熟であれば呪文は不発に終わるし、呪文によっては自らに跳ね返ってくることもある。これをリバウンドという。

 上級生になると《無言呪文》と呼ばれる、まさに読んで字の如く無言で呪文を扱う技術を学ぶのだが、これには多大なメリットと共に多少のデメリットが存在する。

 相手に何の呪文を発動したのか、ほとんど悟らせないという多大なメリットはある。更には呪文を唱える時間がないので、ほぼタイムラグ無しに次の呪文を放つことだってできる。

 しかし、要するに無言呪文は計算でいう暗算と同じものだ。素早いが、正確さに欠ける。十全の威力で魔法を放ちたいのならばスペルを唱えるべきであるし、魔法というものは精神力が重視されるので、しっかり唱えた気分になれる、というのも重要な要素なのだ。

 さて。

 現在ハリーがかけられていた呪い『タラントアレグラ、踊れ』は、呪う対象の動物にダンスを踊らせることができるという、バカバカしくも恐ろしい呪文だ。

 一年生の終わりごろに習うこれは、主に学生同士の喧嘩で使われる程度の攻撃的呪文だ。波乱万丈な学生生活を送る予定のある悪い子には垂涎もの、覚えておいて損はない。

 だがこの呪文。阿呆のようだが実に凶悪で、踊りはじめのころに解呪できれば何のことはないが、時間が経過すればするほど息切れで正確な呪文発音ができなくなり、踊りをやめられずに激しく熱い夜を狂おしいほどにヒャーウィゴーする羽目になる。これは拷問に等しい。

 では何故ハリーがこの呪文をかけられていたのかと言うと、実のところ覚悟の上である。

 大の字で床に寝転がって胸を上下に揺らし、顔を真っ赤にして汗を流しているという大変はしたない格好でいるハリーの前に立っているのは、魔法薬学教授セブルス・スネイプその人だった。

 

「立ちたまえポッター。その程度で疲労困憊していては、先が知れるぞ」

「……待っ、……待ってくだ、さい、……せ、んせい……っ」

「ならん。実戦で本当に待ってくれる相手など、余程のマヌケでもない限りあるはずもなかろう。『エレクト』、立て」

 

 びんっ、とバネ仕掛けの人形のようにハリーの身体が勝手に立ち上がった。

 スネイプの呪文により無理矢理立ちあがったハリーは、息を切らしながらも杖を構える。

 だが今のふらふらの状態では、呪いの言葉を吐き出すのも苦しげだ。

 

「『コ……、『コンふぇあ……っ、『コンファンド』ぉ!」

 

 ハリーの杖の先から紫の光球が飛び出し、ひょろひょろと情けなくスネイプの胸元へと向かってゆく。そんな無様を鼻で笑ったスネイプは、容赦なく杖を振った。

 

「『アドヴェルサス』、逆行せよ」

 

 スネイプの杖から薄黄色の板状の光が、ハリーの出した光球の行き先を阻むように現れた。

 そうして光球がそれに触れた途端、恐ろしい勢いでハリーの元へと戻ってゆく。

 目に落ちんとした汗を脱ぐっていたハリーは回避が間に合わず、自ら放った錯乱呪文をその身に受ける羽目になった。

 

「ポッター。呪文と言うのは術者の資質のみならず、発動時点の体力によっても出来が左右される。今の自分が放った錯乱呪文の遅さを見たかね? あれがその証左だ。一方未だ体力を消費していない我輩が使用した跳ね返し呪文は後の先を取った。つまりはそう言う事だ。そのちっぽけな脳みそで覚えておきたまえ」

「ふぁ、ふぁぁぁい……ほああ」

 

 ハリーが弱っていた事で跳ね返された錯乱呪文も弱まっていたのだろう。

 運良く奇行に及ぶことはなかったが、それでもろれつが回らなくなった舌で返事をする。

 そうしてまたばったりと倒れこんでしまった。

 

「ふむ。だらしのない。これが授業であれば減点しておりましたぞ、英雄ポッターどの」

「ほにゃ」

「……」

 

 呆れた声を出すスネイプにまともな言葉も返せないハリーを見て、彼は杖を一振りする。

 するとハリーの乱れた衣服も汗まみれの身体も荒い息も、その全てが拭われたように綺麗さっぱり消え去った。

 ぽかんとした顔のままのハリーを置いて、スネイプはさっさと教室を出て行ってしまう。

 彼も疲れているのか、どうにも歩き方がおかしい。片足を庇っているような歩き方だが、ハリーの呪文がひとつでも当たっていたのだろうか? いや、どうなのだろう。わからないが、彼は一度も振り返ることはなかった。

 ハリーはおよそ女子がしてはいけない乱暴さで椅子に座ると頭を掻いて、ため息をつく。

 何故、ハリーはスネイプに呪いをかけられ放題になっているのか。

 ことの起こりは、マクゴナガルへの頼みごとにあった。

 

 

 クィディッチでグリフィンドールが勝利し、しばらく廊下ですれ違う獅子寮生徒がハリーの事を英雄扱いしてくるという騒動が、ようやく沈静化してきた十一月の半ば。

 ハリーはハグリッドの小屋へお茶をしに行っていた。

 もちろん、ハーマイオニーとロンの二人も一緒だ。

 

「スネイプが呪いをかけていたんだ」

 

 ロンが言う。

 

「ハーマイオニーがローブを燃やして中断させたけど、あいつがハリーの箒に呪いをかけてたんだ。目を離さないで、ぶつぶつぶつぶつと根暗そうに!」

「阿呆か。あやつは仮にもホグワーツの教師だぞ、んなこたぁするもんか」

 

 ロンがそう説明するも、ハグリッドは譲らない。 

 彼はダンブルドアの認めた男であって、それならば疑いの余地はないと。

 しかしハーマイオニーもこれに喰ってかかった。

 

「でも私見たのよ。目を逸らさず、絶え間なく呪文を紡ぎ続けるだなんて呪いをかけている仕草そのものなのよ。『呪いのかけ方、解き方』に載っていたわ」

「だが、そんなことをする理由がありゃせんだろう。いっくらスネイプ先生がスリザリン贔屓であっても、リスクとリターンが見合わなさすぎやせんか?」

 

 それに対する答えもハーマイオニーは用意していた。

 お茶を啜っていたハリーの肩を小さく叩いて、言葉を促す。

 

「あー、えっとねハグリッド。トロールが侵入したあの日、ぼくスネイプに睨まれたんだ。怖い形相で。だから、ぼくのことを……その、憎んでいるんじゃないかなって」

 

 多少しょげたようにハリーが言うと、ハグリッドは彼女の頭をポンと優しく叩く。

 だがそれでもあまりに力強く、ハリーは自分の身長が縮んだ事を確信した。

 

「いくら憎んでたとしても、彼が生徒を殺すなど絶対にねえ。これでも喰って忘れろ」

 

 陰気な話はここで終わりだ。とばかりにハグリッドがどさっとバスケットを机に置く。

 中身はロックケーキだ。今度はクランベリーやラズベリーが練り込まれているようで、甘酸っぱい匂いが漂っている。

 ハグリッドの様子を見て、ロンとハーマイオニーの二人はこの話を諦めたようだ。

 ハリーが目を輝かせたが、ハーマイオニーの笑顔はどこか苦々しげだった。

 ロンはそのケーキの異常な硬さを知らない。

 一個まるごと頬張ろうとして、金属音めいた音で自分の前歯にヒビが入ったことを知った。

 

「でもさぁ、スネイプったら酷いんだよ! 僕が分からないところばーっかり当てるんだ!」

「お言葉ですけどロン? 枯れ木に花を咲かせる薬は、先週習ったばかりのところよ」

「そうだったっけ? スネイプの話を聞くくらいなら、チャドリー・キャノンズがいかにして優勝するかに想いをはせた方がよっぽど有意義だと思うんだけどね」

「ところでロン。チャドリー・キャノンズって何年優勝してないんだっけ」

「全部で二十一回も優勝してるんだぜ!」

「最後に優勝したんは一八九二年で、一世紀も前だろうが。え?」

 

 三人の子供たちがぺちゃくちゃ喋るのを楽しそうに聞いていたり、時折口をはさんだり、ハグリッドはまるで親友と息子娘が同時にできたかのようにとても楽しそうだった。

 特に今までホグワーツに通ってきた生徒たちには不評だったらしいロックケーキが、ハリーには大好評だったこともあってもはやご機嫌は天井知らずだ(ハーマイオニーとロンは食べるふりをするのに忙しかった)。

 ハリーがお茶を淹れたり、ハーマイオニーが魔法で作ったクッキーを振るまったりと、三人は空が赤く染まるまで実にのんびりとした休日を過ごした。

 そろそろ帰らねばマクゴナガルが怒る。という時間になって、ハリーがふと言葉を漏らす。

 

「そういえばさぁ、ハグリッド。動物に詳しいんだよね?」

「うん? なんだハリー突然。そりゃーあ、詳しいっちゃあ詳しいが」

「この前フィルチに追いかけられて逃げ込んだ廊下で、頭が三つある犬に出くわしちゃったんだけど、なんて種類か知ってる?」

 

 件の、禁じられた四階の廊下での話だ。

 規則破りをしたことを堂々と話したことにハーマイオニーがぎょっとしたが、ハグリッドはかんらかんらと笑っていたのでほっとしているようだ。

 ロンがそれについてからかうような目を向けて、ハーマイオニーに肘打ちを喰らっているのを見てハグリッドは話を続ける。

 

「やんちゃでよろしい。おまえは父さんの子だなぁ、ハリー。あと、そりゃあフラッフィーのことだな。種類はケルベロスだ。ギリシャあたりの怪物じゃて」

「フラッフィー? あれに名前なんてあるの!」

 

 脇腹を抑えたままのロンが嫌そうな声を出す。

 それにハグリッドはにやりと笑って、わざわざおどろおどろしく言う。

 

「そうだとも。それぞれフラッフィー、プラッフィー、ブラッフィーっちゅーんだ」

「適当すぎやしないかそれ」

「何を言う。ダンブルドア先生へお貸しするとき名前を聞いてくすくす笑っとったんだぞ」

「ハグリッド、その笑いは別のものだと思うわ……」

 

 誇らしげなハグリッドへ冷静にツッコミを入れる二人を見て、ハリーはくすくす笑う。

 ロックケーキをバギボギンと齧りながら、ハリーは何の気なしに言った。

 

「ダンブルドアに貸したって、あの人もああいう危険な動物が好きなの? やっぱりあの人頭おかしいの?」

「そりゃどういう意味じゃいハリーや。いんや、あの人は別にそうでもないんじゃねえかな。ダンブルドアは守るために借りていって……」

 

 ロンはその言葉を聞き逃さなかった。

 

「守るため? 一体何を守っているって言うのさ?」

 

 しかしそれは悪手だった。

 ハグリッドが自らの失言に気付き、しかめっ面をして押し黙る。

 眠くなったハリーがそろそろ門限だよと言うまで、二人は何とかして情報を引き出そうと四苦八苦していたがその全てが無駄に終わった。

 ロンとハーマイオニーが何を言おうと、ハグリッドはまともに取り合ってはくれなかった。

 

 次の日、ハリーは朝早くに目が覚めた。

 休日であるため、隣のベッドで眠っているハーマイオニーと男子寮で眠っているだろうロンは、あれから夜遅くまで分厚い本を読み漁って情報を得ようと躍起になっていたようだ。

 談話室でしばらくのんびり本を読んでいても二人とも起きて来なかったので、ハリーは寮から外に出ることにした。

 雪がちらほらと降り始めて来週には真っ白だろう、という中庭で先程読んだ魔法の練習をしていると、通りがかったマクゴナガルが声をかけてきた。

 どうやら杖の振り方を間違えていたようだ。

 それから一時間、唐突に始まった課外授業によってハリーは変身術の課題である、無生物に手足を生やす魔法を会得するに至った。

 これに喜んだのは、ハリーだけではなくマクゴナガルもだ。

 勤勉な生徒は珍しくて嬉しいですと言うと、ご褒美としてグリフィンドールに一点をプレゼントしてくれた。それにより笑顔になったハリーは、ふと、かねてより考えていたことを相談してみることにした。

 

「マクゴナガル先生、ちょっと相談したいことがあるのですが」

「なんです、ポッター。まあ、無碍にする事もないでしょう。ついておいでなさい、温かいココアでも淹れてあげましょう」

 

 二人して人の少ない城の中を歩き、マクゴナガルの部屋へと辿り着く。

 

「ポッター、おかけなさい」

「はい先生」

 

 マクゴナガルが魔法でテーブルの横に椅子を出し、ハリーは礼を言ってからそれに座る。

 暖炉でぱちっと爆ぜる音が響き、マクゴナガルが肉球の絵が描かれたマグカップにココアを注ぐのを横目に、部屋を一通り眺めた。

 シックな内装で、とても落ち着いた空間にデザインされているのが実に彼女らしい。

 暖かな紅色のカーペットや、学術書に魔術書が入っているらしい整頓された棚が目につく。

 ハリーはその棚の中に、猫缶が入っているのを見逃さなかった。

 

「さて、では相談事とはなんですか?」

「ええ……」

 

 ハリーとマクゴナガルがココアを一口飲む。

 そして、相談の内容へと取りかかった。

 

「先生。初めてあった日のことを覚えていますか」

「もちろんですとも。……ですけれど、実はあなたが幼い頃に一度会っているのですよ」

「え?」

「ダーズリー家へ預ける日のことです。まだほんの小さな赤ん坊でしたね……。失礼、それでなんです?」

 

 危うく思い出話に突入しかけたが、そこは聡明なマクゴナガル。

 脱線することなくハリーに話を促した。

 小さく頷いたハリーは、言葉を紡いでゆく。

 

「ぼくにかけられた呪い、『命数禍患の呪い』のことです」

「ああ……」

 

 ココアを飲もうと傾けていたが、彼女はそのマグカップをテーブルに戻した。

 

「あまり詳しく話していませんでしたね」

 

 マクゴナガルは懐から眼鏡を取り出すと、それを鼻に乗せた。

 やはり彼女は眼鏡をかけている姿が似合っている。

 彼女は自分が猫に変身した時、目の周りにまるで眼鏡のようなブチがついている事を知っているのだろうか?

 

「『命数禍患の呪い(メルムミセリア)』。あれは、強力な闇の魔法です。その凶悪さから秘匿され続けてきており、これを知る者はこの現代ではほぼ居ない、とされています。……つまり何が言いたいのかというと、ここから先の話は誰にもしてはいけませんよ。誰にも、というのはあなたの信頼する友人たち……ウィーズリーとグレンジャーくらいにはよろしい、という意味です」

「…………」

「もちろん、貴方の心の準備ができてからのお話ですが」

「…………はい……」

 

 マクゴナガルは何かを考えるように数秒、眼鏡の位置を調整していた。

 そしてココアを一口飲み、話を続ける。

 

「ダンブルドア校長曰く、その呪いは対象となる人物の『運命』に干渉するようなのです」

「運命……そんなものが、本当に……」

「それが実在するかどうかはともかく、考え方の一つではありますね。ともあれ、その呪いは運命を奪い取るもの。つまるところ、本来あなたが経験するはずだった幸運は『あの人』が得て、『あの人』が陥る不運はあなたへ振りかかると……そういうものだそうです」

 

 ハリーはココアを飲んでいるはずなのに、まるでハグリッドの入れた泥のようなコーヒーを飲み干したような顔になった。

 

「それじゃなんですか? ぼくがヴォルデモートの分まで損してるってことですか?」

「……、そうなりますね。他者の人生を食い物にするという恐るべき闇の秘術。『あの人』……いえ、ヴォルデモートのやりそうなことです」

 

 怒りで頭がおかしくなりそうだ。

 ヴォルデモートの勝手で両親を奪われ、ヴォルデモートの勝手で不運を味わい、ヴォルデモートの勝手で、今のいままで本来はしなくてよかったはずの苦労を背負い込んでいる?

 ハリーは頭の中で、未だ顔も知らぬヴォルデモートを殴って鼻をへし折った。

 

「それで?」

 

 脳内ヴォルデモートが水車に取り付けられ高速回転し始めた頃、マクゴナガルが言った。

 眼鏡の奥で光る彼女の瞳は、ハリーの考えを見抜いていたようだ。

 観念したようにハリーは白状した。

 

動物もどき(アニメーガス)になる方法を知りたいんです」

「……そうですか」

 

 マクゴナガルはハリーの目を見て、居住まいを正した。

 手を組んで膝の腕に置く凛とした姿は、老いてなお美しいとハリーは思う。

 重ねた歳月と彼女の堂々とした空気がそう見せるのだろう。

 

「ポッター。私はダンブルドア校長の手ほどきを受け、在学中に動物もどきになりました」

「……! じゃ、じゃあ!」

「落ち着きなさい。……自分で言うのもなんですが、一つの例としてお教えしましょう。O.W.L.試験とN.E.W.T.試験という二つのテストのことは、ご存知ですね?」

 

 ハリーは頷いた。

 入学するにあたって、魔法というもののマの字も知らないハリーは買った教科書を読みあさり、ハグリッドに買ってもらった本もまた読んでいた。

 その中の一冊にあった、ホグワーツ在学中必ず受けることになるテストの内容を見て、不安を覚えた記憶がある。マグル生まれやマグル世界で育った魔法使いの皆が通る道とはいえ、何も知らない世界に飛び込む者には、少々酷な内容であった。

 O.W.L.試験とは、普通魔法レベル試験の頭文字をとってそう呼ばれる試験のことだ。ホグワーツに在籍する五年生が六月に受ける、将来の進路に大きく影響する重要な試験である。受験最大学科数は十二。

 この試験で一定以上の成績を収めた生徒のみが、六年生から始まるN.E.W.T.レベルの授業を受けることが許される。

 N.E.W.T.試験(めちゃくちゃ疲れる魔法テスト)の実地は、七年生の六月だ。

 その名の通り、酷い疲労とパニック、中にはストレスで発狂しかける者までいる。

 これも、将来就きたい職業の幅を広げるためには必須の試験だ。

 もっとも、難しさはO.W.L.の比ではない。

 魔法の事を知らないハリーが練習問題を一問紹介してあるページを見た途端、その文字の濁流を読むことそのものを拒否したほどだ。

 

「私はその二つの試験でトップの成績を収めました」

「嘘だと言ってよミネルバ」

「本当ですよ失礼な。そこまでいって、動物もどきに挑戦できるのです。何が言いたいかというと、これは相当厳しいものなのですよ。それこそ、年単位で時間を消費するほどに」

 

 要するに、何かを考えながらなれるようなものではないと。

 マクゴナガルの目はどこまでもハリーの頭の中を見透かしていた。

 

「……やめておきます。時間が厳しそうです」

「そうでしょうね。それに、何の動物になるかは貴方の適正次第です。たとえるなら昆虫、天道虫などになってしまっては出来ることは限られてしまうでしょう」

「……はい……」

 

 話を中断すると、マクゴナガルはハリーにココアを飲むことを勧めた。

 少し渋ったが、ハリーは大人しくそれを飲む。

 甘い味がふわりと広がるのに比例して、気持ちも大分落ち着いてきた。

 ハリーがんっくんっくとココアを飲み終えるのを待って、マクゴナガルは口を開く。

 

「ポッター。強力な魔女を目指すのならば、何も動物もどきという小難しい手段を求めることはありません。目標へと至る道は、色々とあるのです」

 

 マクゴナガルは言う。

 ハリーの本来言いたかったことは、こうだ。

 『ヴォルデモートをぶちのめす為に強くなりたい。でもその方法が分からない』。

 例のあの人、闇の帝王、名前を呼んではいけないあの人、などと呼んでヴォルデモートの名前すらをも恐れているこのご時世、そんなことは口にできないとハリーは思ったのだろう。

 しかしそれは、マクゴナガルを見くびりすぎだった。

 ハリーは改めて、マクゴナガルに願う。

 

「先生。ぼくは強くなりたいんです。それも、普通の速度ではなく。早く、実戦的な力が欲しいんです」

「ではポッター。何故そうまで急ぐのです? この学校ホグワーツでは、闇の魔術に対する防衛術という授業がある時点で、きちんと授業を脳味噌に刻んでいればある程度の戦闘力を手に入れられるのですが」

「……この前のトロール相手に、ぼくは無力でした。ハーマイオニーがいなければ、あの時点で殺されていたと思います。ある程度じゃダメなんです。普通の速度ではダメなんです」

「…………」

 

 ハリーがまくしたてるのを、マクゴナガルは黙って聞いていた。

 

「今学期が始まる前にハグリッドに上級生用の本を貰ったりはしていたんですけど……。多分、本を読んで勉強するだけじゃ得られない……そういった力が必要なんだと思います」

 

 ようやくその言葉を絞り出したハリーが落ち着くまで待ち、マクゴナガルは言った。

 

「ポッター」

「……はい」

「その考え自体は悪くはありません。トロールの時と言い、思い出し玉の時と言い、あなたはやはりトラブルに巻き込まれやすいようです。呪いの事も加味すれば……、ええ。私は賛成です」

「先生……!」

「ですが私では行えません。きっと、どうしても手心を加えてしまいますからね」

 

 ぱぁっと表情を明るくさせたハリーは、その一言に不吉なものを感じて笑顔のまま眉をひそめるという器用な真似をする。

 その不安は後になって嫌と言うほど的中していたが。

 

「協力してくれる先生は私が探しましょう。校長先生にも相談しておきます」

 

 そうしてやってきたのがセブルス・スネイプその人だった。

 曰く、決して手抜きをせずより実戦に近い形で教えてくれる適任者、だそうだ。

 ダンブルドア教授イチオシの指導者である。

 確かにそうだろう。彼はハリーのことがどうも気に入らないようなのだから。

 嬉々として嫌味を飛ばし、ハリーが見たことも聞いたこともないような呪文を用いて実戦形式で鍛えてくれるという事なのだ。

 因みにハリーは、これをロンには言っていない。

 ハーマイオニーには言ってある。しかし彼女でさえ大いに心配して反対したのだから、スリザリンとの因縁深い彼が知れば、猛反対したに違いない。そしてきっと、ハリーの身が危ないと言って止めただろう。

 現に二人は、ハリーを箒から叩き落そうとしたのがスネイプだと言っている。

 ハリーにはそれが事実かどうかは分からない。

 スネイプはハリーに点を与えたり、それを帳消しにするように差っ引いたりするので、いまいちどんな人なのかが読めないのだ。

 いや、意地悪で性格のねじ曲がった人物なのは確かだが、それでも魂まで歪んでいるとは思えない。

 

「ポッター。立ちたまえ」

「むにゃ」

「…………」

 

 彼は容赦なくハリーに呪いをぶちまけるし、彼女の攻撃は全て見事にあしらった挙句に辛辣な嫌味を飛ばしてくる。

 だがハリーが本当にへばったり参ってしまったときは、何かしらの治癒魔法でさりげなく気遣ってくれるのだ。その処置はまさに完璧・パーフェクト・スネイプ。衣服の乱れや崩れた髪型、汗やそれによる体臭、更には空腹まで満たしてくれるという、彼の魔法には細やかな気遣いが見て取れた。

 ハーマイオニーやロンはああいうけれども、本当に彼がぼくの箒に呪いをかけたのか?

 いやしかし、課外授業では毎回手加減などしてくれないし、若干嬉しそうだし……。というかアレ手加減はしていても一切容赦していないだろう。呪文を唱える速さが尋常ではない。教えるつもりがあるのか?

 そう思ってしまったハリーは、意地悪で悪辣な彼のことを本心から嫌うことができなかった。

 週に三回、放課後にその時々空いている教室で、課外授業は行われる。

 クィディッチの練習も週に三回やるので、ハリーは結構多忙だった。

 その日は練習と課外授業の日程が被ってしまい、彼女はクィディッチローブを脱いで軽くシャワーを浴び、シャツと短パンに制服のローブを羽織っただけ、というラフな姿で急いでいた。

 本日の課外授業は普段より三〇分早く始めることになると、フクロウ便で通達されていたというのに、もうタイムリミットの一〇分前だ。既に二〇分もオーバーしている。

 

「怒られる。絶対怒られる。遠まわしにねちねちと嫌味言われる。絶対言われる!」

 

 今日はクリスマス・イブだ。余計な皮肉を貰って嫌な気分にはなりたくない!

 どぱん、と乱暴に扉を開けて教室に飛び込んだハリーは、スネイプの姿がないことに安堵のため息を吐きだした。

 課外授業はあまり他の生徒に知られたくはないと言うスネイプの意を汲んで、基本的にはスネイプの地下教室で行われる。だが上級生が自習に使って空いていなかったり、ゴーストがいたり、ポルターガイストのピーブスが悪戯して酷い有様だったり、様々な理由で教室変更がなされる。

 今回使う教室は初めて利用するところだったが、もう長い間使っていない教室のようだった。隅っこに積み上げられた机や椅子のうち一つを勝手に持ち出し、ハリーはボロボロのそれに座りこむ。

 ふと見渡してみると、部屋には巨大な鏡が置いてあった。

 それはあまりに大きかった。派手な装飾が施された頭が、天井を多少擦っているようだ。

 

「……みっともなくないかな」

 

 ハリーは鏡の前に立って、身だしなみを整える。

 慌てて更衣室から出てきたので、シャツからおへそが少しはみ出ているのが見えた。

 服装の乱れは心の乱れですなポッター。五点減点。……などという幻聴が聞こえてくるようだ。それに淑女として、だらしないのは如何なものだろう。なんにしろ、直しておいた方がよさそうだ。

 さて、スネイプが来る前にしっかり直して難癖をつけられる余地をなくそう。と思ってもう一度鏡を見て、ハリーは驚きの声をあげた。

 

「ハーマイオニー? それにロン?」

 

 鏡には彼女の親友二人が、屈託のない笑顔でハリーの後ろから歩いてきている姿が映っていたのだ。慌てて振り向いたハリーは、二人の姿がないことにまた目を丸くする。

 もう一度鏡を見てみれば、確かに二人は映っている。しかし、現実には居ない。

 

「……鏡の、中だけにいるのか……?」

 

 ハーマイオニーはその豊かな栗毛を揺らして、楽しげに笑っている。

 いつも澄まし顔の彼女にしては、珍しい笑顔だ。ハリーはそれをとても魅力的だと思う。

 ロンはやはり、身長が高い。小柄なハリーでは彼の顎に届くかどうかといったところだ。

 赤毛の彼はその長い手で、鏡の中だけでハリーの頭をわしゃわしゃと撫でている。

 

「……、……ッ?」

 

 そうして魅入っていると、新たな人物がまた後ろからやってきた。

 くしゃくしゃな黒髪で眼鏡をかけている、ハシバミ色の瞳の男性。

 深みがかった赤く美しいさらさらな髪の、明るい緑色の瞳の女性。

 ハリーに記憶はない。ないが、あれは……。

 

「パパ……、ママ……?」

 

 まだいる。まだまだ、大勢やってくる。

 鳶色の髪の男性や、黒い髪のハンサムな男性。小柄な茶髪の男性もいる。鳶色と茶色の男性はマクゴナガルやハグリッドと笑い合い、黒髪の男性と睨み合って互いにフンと鼻を鳴らすのはスネイプだ。

 あれは、ペチュニアおばさんか。バーノンにダドリーもいる。あれだけ厳しかった三人が、少し申し訳なさそうに、それでも愛情をこめて微笑んでいるではないか。ロンの母親や、父親らしき少し頭髪の薄い男性。フレッドやジョージ、それに他のウィーズリーの兄妹達も。ハーマイオニーにそっくりな、彼女の両親だろう夫婦もいる。

 それに、ドラコ・マルフォイだ。鏡の中のロンと不機嫌そうな顔を交わすものの、ゴツンと拳と拳をぶつけ合う姿は親友のそれに違いない。スコーピウスにクライル、彼らもいるのか。ドラコやロンに呆れ顔をされながらも、楽しげに笑っている。ああ、動物園で出会ったあのヘビもいる。亡くなってしまったフィッグ婆さんや彼女の愛した猫たちも、ヘドウィグまで。みんなみんないる。

 

「ああ、あああ……」

 

 ハリーは澎湃と涙があふれるのを、止めることができなかった。

 その涙すら、目の前の光景を眺めるのを邪魔する障害ですらない。

 ローブの袖で乱暴に涙をぬぐい、一心不乱に団欒の景色を眺め続ける。

 母が、微笑んでいる。父が母の肩に手を回し、ハリーの頭をわしわしと撫で始めた。

 ロンとドラコがクィディッチの雑誌を片手にハリーの頭の上で、ぎゃあぎゃあと論争を始めた。ハーマイオニーがその様子を見てくすくすと笑っている。

 スコーピウスにクライルは先生方と共に、ヘビやフクロウたちとじゃれあって遊びはじめた。彼らはとても楽しそうで、無邪気な笑顔を浮かべている。

 黒髪のハンサムはにこにこと笑って、鳶色の髪の男性と茶髪の男性と笑い合っているし、その三人はウィーズリー夫妻、グレンジャー夫妻とも親しげだ。きっと家族ぐるみの付き合いをしているのだろう。

 ウィーズリーの兄弟たちは、泣き続けるハリーを励まそうとふざけたりおどけたり、眼鏡をくいっと上げながら元気の出る魔法について講釈を始めたりしている。

 ああ、ついに声まで聞こえてきてしまった。

 

『なに泣いてるんだよ、ハリー。何を困ることがある?』

『そうさ。私たちの可愛いハリー。君は笑顔でいる方がよっぽど美人だよ』

『何を言う。男の子だったら一緒に遊べたのに、なんて言っていたのは何処の誰だい』

『しょうがないさ、彼は格好つけの女泣かせなんだ。ハリーの前でもそうありたいのさ』

『ほら、ハリー! 君も言ってやってくれ、マルフォイはこの良さがわからないらしい!』

『そんな弱小チームの何が面白いんだか! ポッター、君までこんなチームがいいのか?』

『やめなさいってば二人とも、ハリーが困ってしまうわよ。ハリーも二人を止めてよ、もう』

 

 いつの間にか、ハリーの両肩には彼らが置いた手や、頭には撫でてくれる手の感覚がある。

 きっと後ろを見ても、横を見ても姿はないのかもしれない。

 だけど彼らの体温は確実にいま、この身体で感じている。

 声だって聞こえる。

 ハリーは実のところこれを、自分の願望だと、叶うはずのない悲願だと感じ取っていた。

 だけど、だけれども。

 例え叶わぬ夢だとしても、この暖かさを感じられるのならば。

 今この一時だけでも。

 感じていたって、悪くないのでは。

 

『ねぇ、ハリー。元気をお出しよ。僕らがいるだろ?』

『ハリー! 泣くなよ、僕はもう殴らないぞ。ほら泣くなって!』

『おい、ポッター。君が女々しいと僕が困るんだ。しっかりしろよ』

『なぁ、ハリエット。君が泣いていると今度は私たちが困ってしまうぞ?』

「ああ、ああ……。みんな……、みんなぁ……っ」

 

 親との思い出など、必要ないと思っていた。

 ダーズリー一家と仲良くできるなど、きっと有り得ない未来だ。

 ドラコともロンとも仲良くしたいと思っても、片方を取れば片方は取れなかった。

 ハーマイオニーとロンの二人と友人になれたけれど、真実の意味で心を許せてはいない。

 自分の思い通りになることなんて、この世の中には有り得ない。

 自分は底辺のゴミクズで、それが当たり前なのだから。

 それ以上を考えてしまっては、そんなに高いところから落ちては、心が死んでしまう。

 あの動物園の。

 あのヘビと会話ができた、あの時から。

 どうやらぼくは、欲張りになってしまったらしい。

 誰かと普通に会話をできただけで、言葉にできない喜びを感じられたのに。

 今だってそうだ。

 随分高望みをしてしまっている。

 願わくば、ぼくは、

 彼らと、

 ずっと――

 

「ポッタァ――――――ッッッ!」

 

 鋭い声にハッと息を飲んで、心臓が跳ねあがる。

 目の前の光景は煙のように霧散し、彼らの暖かさは露と消えた。

 すべてが消えた。

 声は、もう聞こえない。

 

「……ッあ、……! ……ッ!」

 

 手を伸ばして、せめて残滓をつかみ取ろうともがく。

 しかしその手に触れた鏡は、冷たく、冷たく、何も暖かくなどなかった。

 声にならない憎しみをこめて振り向くと、そこには蒼白な顔色のスネイプが立っていた。

 音高くつかつかと歩み寄り、ハリーの両肩を乱暴に掴む。

 とめどなく溢れる涙を隠そうともせず、ハリーは叫んだ。

 

「……邪魔をッ、なぜ、なぜ邪魔をしたんだ! スネイプ、先生ッ! あんた、何でだよッ! なんで……っ、なんで……」

 

 しゃくりあげながら、スネイプの胸を力なく殴りつけながら、ハリーは泣き続けた。

 縋りつくようにもたれかかり、大声をあげて泣いた。

 ただの少女のように、泣いた。

 十一歳の子供のように、泣いた。

 スネイプはそれを責めもせず、怒りもしない。

 ただハリーが泣きやむまでの長い長い時間、彼女の好きにさせるようにしたようだ。

 鉤鼻の上で昏く光る黒い瞳が、じっと鏡を見つめていた。

 

 ようやくハリーが泣きやんだとき、空はもう橙色の光を隠して暗い藍色になっていた。

 また嫌味を言われるのではないか?

 いや、彼のローブは胸のあたりがぐっしょり濡れている。

 全部ハリー自身の涙だ。たぶん、一人の乙女として認めたくはないが、鼻水もだ。

 恐る恐るスネイプの顔を見てみると、驚くことに全く怒っていなかった。

 それどころか、多少労わるような色さえ見えるではないか。

 

「ポッター」

「ひゃっ、ふぁい!?」

「これはな、《みぞの鏡(The Mirror of Erised)》というものだ。幾百、幾千もの魔法使いが、これに囚われてきた」

 

 訥々と語る彼の言葉を、ハリーは大人しく耳に入れる。

 普段あれだけ嫌味を交えて話すのが嘘のようだ。

 

「何を見たかは、今は問うまい。ああ、問うまい。……これは、決して、真実を映したりはしない。では何を映すのか。分かるかね、ポッター」

「……えっと……たぶん、願望。その人が欲しい……願っている、欲望を……」

「ふん、英雄様は優秀ですな。その通り。そして補足をするならば、これに一定以上魅入られた魔法使いは、鏡の中に吸いこまれて消化されてしまう」

「……食べられちゃうの?」

「概ね正しい。餌をおびき寄せるため望みを読み取って見せ、幻聴を弄してくる、というわけだ」

 

 ハリーは身震いをした。

 スネイプに寄り添っているため、彼の体温がとてもありがたい。

 何の変哲もない巨大な鏡が、まるで大口を開けた怪物に見えてしまう。

 

「そして、重ねて、言おう。これに映るものは、決して、真実ではない。かつて魅入られた者たちのように、死の国へ旅立ちたくはあるまい。この鏡はダンブルドア校長に……ああ、彼に言って何処か余所へ移してもらおう。絶対にだ。ゆえに、これをもう一度見たいなどと。……思ってくれるな、ポッター」

 

 ああ、とも、イエス、とも声が出ない。

 ――あのスネイプが。ぼくを気遣ってくれている?

 そんなハリーの失礼な考えを見抜いたのかそうでないのか、それきり言うとスネイプは目元を赤く腫らしたハリーを放って教室から出て行ってしまった。

 一人残されたハリーは、もう一度鏡を見た。

 散々泣いて心が空っぽになってしまったからなのか、鏡にはもう何も映っていない。

 両親も、友人たちも、もう誰も映らない。

 声も聞けなければ、会うことも二度と叶わない。

 

「だけど、たぶん、それでいいんだ。きっとそれが正解なんだ」

 

 ハリーは寂しい気持ちを胸の奥にしまいこんで、教室を出た。

 今頃グリフィンドール寮では、双子のウィーズリーを中心に馬鹿騒ぎしているに違いない。

 そんな考えを巡らせて廊下を歩く中、ハリーは思う。 

 スネイプは、ぼくが泣いている間哀しそうに鏡を見ていた。

 彼は、あれに、いったい何を見たのだろうか。

 




【変更点】
・すにべるすのたのしい課外授業。嬉々として呪ってきます。
・原作よりハグリッドの口が固くなった。あまり情報を引き出せないよ!
・動物もどきになりたいおんなのこ。
・みぞの鏡がより凶悪でクレイジーに。そんなもの学校に持ってくるな。
・ハリーの望みは『皆が笑って隣に居る世界』。絶対に叶わない夢です。
・ダンブルドアではなく、スネイプが登場する。

【オリジナルスペル】
「アドヴェルサス、逆行せよ」(初出・7話)
・薄黄色の板状の光を出し、これに触れた魔法を術者に跳ね返すことが出来る。
 半純血のプリンスの創作呪文。『ワディワジ』の上位版。

「エレクト、立て」(初出・7話)
・対象を直立させる呪文。結構乱暴なので、怪我人にはまず使用しない。
 元々魔法界にある呪文。威力の低い『アセンディオ』。

多少のオリ展開が入りました。魔改造された以上、歴史もズレ始めます。
ついにストックエンド!正確にはこれの途中から、生中継でございます。
更新速度が遅れるでしょうけれど、ボリュームは減らさないように致します。
次回からはラストに向けてアクセラレーション。戦闘シーンが増えてまいります。


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8.ちっちゃなノーバート

 

 

 本日は十二月二十五日。

 クリスマスである。性なる日である。

 ジンッグッベェア! ジンッグッベェア! すっずーがァ、鳴ルーモス! HEY!

 きょッおーはぁー楽っしーいー、クーリースーマーステューピファイだオラァ!

 サンタの格好をしたスネイプが百人に分裂して大広間の天井を飛び交い、蛇そっくりな顔のおっさんとワルツを踊って爆発した。犬と鹿がタップダンスを踊り、鼠と狼が拍手喝采。ピンクのゴスロリ服を着たカエルがウィーズリーの双子にサンドバッグにされているその背後で、頬を染めた乙女のような顔のダンブルドアが金髪のハンサムガイとディープで熱烈なキスをしている。クレイジーでロックなまともじゃない四人組がここにホグワーツを立てようと宣言した、その瞬間。

 ハリーは目が覚めた。

 

「――夢か」

 

 なんだったんだ今のは。

 汗こそかいていないものの、代わりに涙が出そうだ。

 誰も見てはいないが、ハリーはそれをガウンを羽織って忘れることにした。

 確か、ハグリッドが巨大な蜘蛛を「お前の婿にと思ってな」と紹介してくる夢だったはず。

 こんな聖なる日に、まったく冗談ではない。

 

「ハリー! 起きておいでよ!」

 

 ロンの陽気な大声が談話室から、女子寮たるここまで届いてくる。

 いまはクリスマス休暇の真っ最中。

 このグリフィンドール寮にはハリーとウィーズリー兄弟の五人しかいなかった。

 他のみんな、ハーマイオニーも含めて全員は家族の元へホグワーツ特急で帰っていった。

 ロンやフレッド&ジョージ、パーシーは両親が次男のチャーリーが働いているルーマニアに行っているので、帰っても仕方ない。とのことらしい。フレッドとジョージは居たらそれだけでにぎやかだし、ロンは親友。パーシーは多少口うるさいところもあるが、勉強のわからないところを教わるにはもってこいの頼れる人材だ。

 こういう長期休暇にプリベット通りへ帰らなくて済むのは、実にいいことだった。

 昨日の出来事で、自分がダーズリー一家と仲良くできたらという願望があることを知ってしまったのは多少ショックだった。彼らが過去のことを悔いることができ、ハリー自身が彼らからの虐待を許すことさえできれば、それも不可能ではないだろう。

 だが現実で彼らとそういう関係になるには、少なくとも今は無理な話だ。

 女子寮から出て階段の踊り場から下を見ると、談話室には巨大なツリーが飾られていた。

 そのツリーの周りにはプレゼントボックスや手紙が山と置かれている。

 そして、その前に立っているのは満面の笑みのロン。

 

「おはようさん、ハリー! メリー・クリスマス!」

「ああ。おはよ、ロン。メリー・クリスマス」

 

 そういえば誰かとクリスマスを祝うのは初めてだな、とハリーは涙が出そうな嬉しい気持ちという不思議なものに浸りながら、ぱたぱたと降りて行った。

 ロンが手作りと思わしきセーターを着ているのをハリーがみていると、君の分もあるよとロンがもこもこと膨らんだ包みを差しだした。

 ハリーが首をかしげると、ロンが微笑みながら君宛てだよと言う。

 驚いたハリーが半信半疑のまま包みを丁寧に開くと、なんと、まあ、ウィーズリーのおばさんからのプレゼントだった。

 エメラルドグリーンのセーターに、ホームメイドのファッジ。それに手紙。

 手紙には、ロンからあなたにプレゼントを送るようにとの知らせを受けたこと、フレッドとジョージが素晴らしいシーカーだと騒いでいたこと、パーシーが優秀な生徒だと褒めていたこと、ほかにもいろいろなことが書かれていて大変分厚かったが、ハリーはそれがとてもうれしかった。

 

「因みにそのセーター、ママの手作りなんだ。僕のはいつも栗色さ」

「いいじゃない。ハーマイオニーの髪の色みたいで綺麗じゃないか」

 

 ロンがその言葉に顔を真っ赤にしたのを見て、ハリーはけらけら笑う。

 大きいガウンの方が可愛いのよ、と言うハーマイオニーに従って大きめなサイズのガウンを羽織っているが、どうにも袖が長すぎて手が動かしづらい。

 どうせだからと階段の影に隠れて、ガウンとパジャマを脱ぎすててウィーズリーおばさんお手製のセーターを着てみた。もこもこで気持ちがいい。

 

「じゃーん」 

「似合ってるよ、ハリー!」

 

 ハグリッドからは手彫りらしき木製の横笛。

 吹いてみるとフクロウの鳴き声のような低い音が出て、ハリーはいたく気に入った。

 おまけは綴りの間違った荒々しい文字のクリスマスカードに、チョコやラズベリーやナッツの入った大量のロックケーキ。ハリーはちょうどいい朝ご飯だとばかりにバギャブギョと一つ頬張った。ロンにも勧めたが、朝食前なのに彼はお腹がいっぱいだったようだ。

 なんと、マクゴナガル先生からもある。変身術の上級生用参考書と、綺麗な黒い羽ペン。丁寧な文字のクリスマスカードには、しっかり勉学に励むようにとの有難いお言葉つきだ。

 そして更になんとなんと、ダーズリー家からも来ているではないか。

 あんまりにも驚いたものだから、上級生用参考書の表紙を見て目を回していたロンも一緒になってハリーがぴしっとラッピングされた小ぶりな箱を開くのを見ている。

 開けてみるとメモ用紙に走り書きで、

 

――クリスマスプレゼントだ。 バーノンおじさんより。

 

 とだけ書いてあった。……五〇ペンス硬貨だ。しかもセロテープで張り付けただけ。

 あの家族はこういう行事ごとの贈り物だけはしっかりやるから、心の底から憎めない。

 たとえそれが、五〇ペンスぽっちであろうとも。

 箱の大きさに比べて随分質素なプレゼントだなあ、と思いながらもありがたく頂戴して、箱の方を空けてみた。するとバーノン以上の走り書きで、

 

――夏休みにはこれを着てきなさい。 ペチュニアより愛憎をこめて。

 

 などという文句が書いてあった。愛憎て。

 嫌な予感がしながら開けてみると、中には真っ白なワンピースが。

 ご丁寧にも麦わら帽子まで入っていて、絶対着ろよという有無を言わせない威圧感まで同封されていた。かなり高価そうなのが見て取れるため、無碍にもできない。

 所々にフリルがあしらわれていたりと、完全にペチュニアの趣味だ。

 遠回しな嫌がらせなのか、それとも娘が欲しかったというあの時の奇声は本心からだったのか、どちらにしろ善意という形を保っているために嫌がることも断ることも出来ないという、ハリーにとって最上級のいやらがせだった。

 何を勘違いしたのかロンが、

 

「聞いていたよりいい叔母さんみたいだね、ハリー」

「……そ、そだね……」

 

 などと言ってくるのも、またダメージがデカい。

 どうやらダドリーからもあったようだが、チョコの包み紙が入っているだけだったので、彼が用意したプレゼントに何があったかはお察しの通りであった。そんなオチはいらん。

 だがこの調子だと、無難にお菓子を贈っておいて正解だったようだ。たぶん。

 ハーマイオニーからは、蛙チョコレート詰め合わせパック。これもデカい。

 クリスマスカードが入っていた小さな箱には、可愛いリップクリームも入っていた。

 使うたびに香りが変わる魔法がかかっているために、飽きずに楽しめそうなのが良い。

 

 最後に残っていた包みは、どうやらロンの物ではないらしい。

 ロンがハーマイオニーからの百味ビーンズを片手に見守る中、その包みを開けてみた。

 すると銀色のさらさらした布が滑り落ち、床にきらきらと折り重なる。

 どうやらマントのようだ。

 まるで液体のようだとハリーが思いながら広げてみると、ロンが大声で驚いた。

 短い悲鳴を漏らしたハリーが睨みつける。

 

「なっ、なんだよ! びっくりさせないでよ!」

「ご、ごめんハリー。でも、でもそれ! 見てよ、鏡! 自分の姿! ほら!」

 

 不審に思いながらもハリーはマントを広げたまま、鏡を見てみる。

 不覚にもまた変な悲鳴をあげてしまったが、取り乱さずには済んだ。

 鏡に映っているのはハリーの生首。

 一瞬《みぞの鏡》を思い出してしまったが、マントを下ろしてみると自分の身体がきちんと映ることに安堵した。あれはスネイプが校長に頼んで撤去したはずだった。

 ロンが囁くような声で言う。

 

「ハリー、それ『透明マント』だよ……!」

「透明マント? ……なんか安直なネーミングだな」

「文句言っちゃいけない! それがどれだけ貴重でとんでもないものか……」

 

 口を開きっぱなしでロンが見つめてくるので、ハリーは彼にも貸してあげることにした。

 小躍りするように喜んで、いや実際に踊りまわって、ロンは鏡の前で生首になったり手足だけ出したり上半身だけになったりして飽きもせずに遊び始めた。

 そんな姿を眺めながらハリーは、包みに同封されていたカードを手に取る。

 それには見覚えのない細長い文字で、

 

――君のお父さんが亡くなる前に、これを私に預けた。

  君に返す時が来たようだ、上手に使いなさい。メリークリスマス。

 

 とだけ書いてあった。名前は、書かれていない。

 おおはしゃぎのロンとは対照的に、ハリーの心は疑心でいっぱいだった。

 こんな貴重でとんでもないもの、いったい誰が? 

 しかし、どうだろう。

 これがあれば何ができる?

 みぞの鏡は……ああ、いや、論外だ。

 あの光景をまた見たくないと言えば嘘になるが、だがもう、あれには関わらないと決めた。

 スネイプのあの姿を見て、あの言葉を聞いてしまった今となっては、それが一番だ。

 だがこのマントを使って姿を隠しているならば、きっと先生に見つかることはない。

 夜間徘徊はもちろん、もしかすると図書館の閲覧禁止の棚にある本を読めるかもしれない。

 あれは上級生の、しかも先生の許可を取った者しか許されない。

 ヴォルデモートに報いを与えるという目標がある今、知識はあるに越したことはない。

 しかし……そうか、ああ、うん。

 

「パパの、マントかぁ……」

 

 フレッド&ジョージとへとへとになるまで遊びまわったり、ロンとチェスをしたり。

 双子はあきれるほど無尽蔵の体力をもっていたし、クールな悪戯を何個も知っていた。ロンのチェスの腕前もあきれるほどであった。一体何手先まで読んで指しているのか想像もつかない。その頭脳を勉強面にも向けて欲しいものだ。

 時にはパーシーに勉強を教えてもらったりもした。ああだこうだと魔法理論について意見を飛ばし合う二人の後ろで、残りの三兄弟がウゲーと舌を出していたのが印象的だ。

 そして時には夜更かしもした。読書していたシリーズ物を全て読み終えてしまったので、続きをどうしても読みたいと渇望し、透明マントを着て図書館へお邪魔したこともあった。

 閲覧禁止の棚にもふらふらと足が引き寄せられもしたが、そのたびに自制心が勝った。

 もし見つかったらどうする?

 減点されるのは目に見えているし、なにより閲覧禁止の棚には唐突に叫び出す本や読者を物語の中に引きこんで主人公と同じ行動をしなければ出られなくする本、燃やすと魔界に飛ばされてしまう本などがあるそうじゃないか。因みにこの情報はすべてウィーズリーズによるもので、全て体験済みだそうだ。どういうこっちゃ。

 ハーマイオニーがロンに対して常々口を酸っぱくして言っているが、もう少し己を律する必要があるかもしれない。好奇心を抑える心が。

 夏休みの間はロンと共に幾つの規則破りをしたのか、ハリーにはわからなかった。

 透明マントを着ていても危うくフィルチに遭遇しそうになったことも何度かあるし、廊下ですれ違ったダンブルドアなど、ひょっとしてバレているのではないかと思わせる微笑みを浮かべていたこともある。

 世界最強と呼ばれるほどの男だ。もしかすると本当に見えていて、面白がって見逃したのかもしれない。透明マントも、もしかしたら万能ではないのだろうか。

 

 休暇が開ける、その前の日。

 寝つけなくて夜の散歩にでかけたハリーは、誰かがぼそぼそ話している声を耳にした。

 こんな時間にいったい誰だ? 決して人のことは言えないが、この学校にはいまほとんど生徒がいないはずだ。そうすると教師の誰かだろうか。

 廊下をまっすぐ進むとちょうど近づいていることになるのか、声はだんだん明瞭になってきた。どうやら言い争っているらしい。片方の語調が強すぎる。

 気になって近付いたものの、もし痴話喧嘩だったりしたらどうしよう。

 ハーマイオニー達と面白い噂話ができそうだが、普段接する教師のそんな姿は見たくない。

 そう思って来た道を引き返そうとしたら、曲がり角から二人の教師が飛び出してきた。

 片方が片方を壁に押さえつけている。

 まさか! まさかこの場でコトをおっ始めるつもりか!?

 しかも……二人の教師とは、スネイプとクィレルだ!

 えっ、いや、まさか!? ああ、そんな! まともじゃない!

 黒髪と紫ターバンが夜のランデブーであっちっち!? でも二人は男性同士だぞ!?

 しかし、言い争っていたはずだ。もしかすると夜の逢瀬ではないのかもしれない。

 

「な、なんで……セブ、セブルス、何で、こんな事を……」

「このことは二人だけの問題にしようと思いましてね」

 

 やっぱり夜の逢瀬だった!

 ハリーは自分の口を押さえて声が漏れないようにしたが、耳まで赤く染まるのがわかる。

 まさか、そんな。

 ダドリーがジャパニーズコミックを読んでベーコンレタスという表現に喜んでいたの横目で見ていた記憶が蘇る。男の子ってそんな食べ物が好きなんだな、という感想を持とうと懸命に努力して現実逃避したものだが、まさか、実際にその現場を目にしてしまうとは!

 もはや茹でダコのように真っ赤になったハリーは、その場を立ち去るという考えが頭からすべて吹き飛んでいた。透明になっているハリーには気付かず、二人は話を進めてゆく。

 ハリーの「ぼくは十一歳なのにこんなものを見ていいのか」という心配は杞憂に終わった。

 二人の話に何やらきな臭いものを感じたからだ。

 続く会話は、彼女のその予想が実に的確であったことを証明した。

 

「生徒諸君に《賢者の石》について知られると困るのは、……君だけではないでしょうな」

 

 クィレルが息を飲んで、喘ぐようなぜいぜいとした呼吸に変わる。

 賢者の石? その、仰々しい名前の代物が二人の争いの焦点なのか。

 ハリーは言葉の意味を考えようとしたが、会話は構わず進んで行ってしまう、

 

「ああ、クィレル、クィレル。我が友、ミスター・クィリナス」

「ひ、ひぃ……」

「私が何を言いたいのか、お分かりのはずですな?」

 

 スネイプの粘着いた声が蛇の舌に変わって、クィレルの背筋をちろりと舐める。

 しかしその舌は棘がびっしり生えているようで、スネイプが言葉を一つ一つ紡ぐごとにターバンが揺れてクィレルが短い悲鳴を漏らす。

 脅しているのか……? しかし、いったいなにを。

 先程飛び出たハリーの知らぬ単語である、『賢者の石』なのは分かる。

 だが、スネイプはそれをどうしたいのだろうか。

 

「あなたの怪しげなまやかしについて、是非とも……お聞かせ願いたいものですな?」

「な、何のことやら……わた、私には……、さささっぱり……」

「よろしい。では、また、お話しする機会があることでしょう。その時までに、どちらへ忠誠を尽くすのか……じっくりと……その、頭で。考えておくことですな、ミスター?」

 

 ハリーは愕然とした。

 スネイプには一定の信頼を置いていたのだ。

 だから、ハーマイオニーとロンがハリーの箒に呪いをかけていたのがスネイプであるということも、未だに半信半疑だった。

 本当にスネイプが? あの、細かな気遣いのできる男が?

 確かに、意地悪で性根がひん曲がっていて粘っこい目で女生徒人気のない男だが、そこまでか?

 しかしこの会話は確かに脅し脅されのそれだ。スネイプも、いつもの嫌味と皮肉を足して無愛想で割った彼の口調とは全く違う。クィレルのどもりですら普段より三割増しだ。

 それに、なんだ?

 忠誠を尽くすとは……どういう意味だ? いや、片方だけは分かる。

 ダンブルドアだ。

 ホグワーツの教師陣たる彼らが味方するのは、世界最強の魔法使いたるアルバス・ダンブルドアに他ならない。

 では、もう片方は。

 ――もう片方は、誰だ?

 

 ひと気のない、グリフィンドールの談話室。

 ハリーはハーマイオニーとロンと共に、隅っこのソファに座っていた。

 眉間にしわを寄せたハリーと思案顔のハーマイオニー、苦虫を噛み潰したような顔のロン。

 クリスマス休暇が明けてハーマイオニーが帰ってきたその日の夜、ハリーは二人を呼び出した。

 談話室から人がいなくなるのを待って、休み期間中に見聞きしたスネイプとクィレルの件を相談してみることにしたのだ。

 

「もしかしたら、やっぱり、君達が正しかったのかもしれない」

 

 ハリーがぽつりと言う。

 彼女の予想としては、ハグリッドが七一三番金庫から引きだしたモノこそまさにそれだ。

 そしてその隠し場所は、禁じられた四階の廊下。

 巨大な三匹の犬が守っていた仕掛け扉の奥にある。はずだ。

 パズルのピースは殆ど揃っていた。ただ、その手に持っている事に気付いていないだけだった。

 必要なのは、そのパズルを組む意思だけだったのだ。

 

「あの三匹の三頭犬が守っている仕掛け扉の奥にあるのは恐らく、『賢者の石』ってものだ。あれはニコラス・フラメルって錬金術師が作り上げた、不老不死を実現する秘宝らしい」

「ニコラス・フラメル……。『過去の偉人、及び巨大な功績』って古い本に載っていたのを覚えているわ。寝る前の軽い読書に読もうと思って枕元に今もあるわよ。確か六〇〇歳半ばくらいで、何世紀も錬金術について偉大な功績を残している人物のはずよ」

「そりゃさぞ眠れそうな本だね。僕も覚えがあるよ、もっとも、蛙チョコレートのカードの裏だけどね。ダンブルドアと一緒になって研究してる人だよ、確か。ダンブルドアのカードだけは大量に出てくるからね……すっかり覚えちゃってるよ」

 

 三人の知識は、答えに至る道を紐解いてゆく。

 今のいままで問題視していなかった事案が、実は巨大な問題であったということが判明。

 ハリー曰く、スネイプとクィレルの密会は実に怪しいものであった。

 そして、そのどちらかが。

 

「ヴォルデモートに組みしている……」

「でも例のあの人はもう死んだって話じゃないか! 他でもない君の手で! それにやめろよハリー、その名前言わないでよ」

「いやだね、ぼくの宿敵だ。それ、ヴォルデモート!」

「やめろったら!」

 

 名前ごときに怯えるなよ、とロンに意地悪するハリーを制してハーマイオニーが言う。

 ロンが救いの女神を見る目でハーマイオニーに縋ったが、それは果たして間違いであった。

 

「ハリー曰くハグリッドも言っていたそうだけれど、あれは力が弱まっているだけらしいわ。あの人が関係なくっても、あの人の信奉者がまだいるかもしれないじゃない。もしかしたら復活させようと思って、賢者の石を狙っているのかもしれないわ。あれにはそれだけの力があるもの」

「そんなの君の予想にすぎないじゃないか!」

「それに、主君の敵討ちにハリーを狙っていたっておかしくないじゃないの」

「それは……! ……そうだけどさ……」

 

 ハーマイオニーとロンの話が熱くなってきたのを、今度はハリーが止める形になった。

 ヴォルデモートというのは、名を出す事すら恐れられるほどの影響力を未だに持ちえている。

 それは恐ろしい事だ。

 死していると、多くの魔法使いや魔女たちが闇の帝王は、英雄ハリー・ポッターの手によって打ち滅ぼされ、その魂は冥府へ突き落とされてしまったのだと。

 そう信じているのだ。盲信しているのだ。

 狂ったように思い込んでいるにも関わらず、それでも恐れられている。

 まるで地獄の釜の蓋から腕を伸ばして、名前を呼んだ者を引きずり込もうと舌舐めずりしていると本気で思っているかのように。

 

 そしてハリーの話を聞いた二人の出した結論は、こうだ。

 やはりスネイプが賢者の石を狙っているのではないか。

 クィレルは、賢者の石に施された『まやかし』……つまるところ、守りの魔法を知っているのではないだろうか。だからスネイプに迫られていたのでは。

 仕掛け扉の前にあんな怪物を置いておくくらいだ、他に番人がいたっておかしくはない。

 ひょっとしたら動物ではなく、呪いなのかもしれない。

 それこそ、ダンブルドアに味方するホグワーツ教師陣が全員関わるほどの。

 その守りの魔法の破り方を教えるよう、クィレルを脅したのか?

 ハリーがスネイプには一定の信頼が置けると思う。と言ってはみたものの、二人はハリーの箒に呪いをかけたのはスネイプで間違いのない事だと言うし、なによりあのクィレルに闇の帝王に組みするという大それたことができるとは思えない。

 スネイプは課外授業の時そんなそぶりは見せなかった。とハリーが言うと、それを初めて聞かされたロンが「君はなんて無防備なんだ! マーリンの髭なんてものじゃないぞ!」と大憤慨してしまい逆効果だった。

 

「とにかく! 賢者の石を狙っているのはスネイプだ! そして、その秘密を守っているのが……クィレル、なんだけど……」

「それじゃダメよ。彼がスネイプの押しに勝てるようには見えないわ」

「……もって、三日かな」

 

 三人は火が消えかけた暖炉の前で、深いため息を漏らした。

 

 数週間後。

 クィレルの頬はげっそりとやつれていた。

 スネイプは執拗にハリーから点を差っ引いた。

 しかしそれはクィレルがスネイプに抵抗し続けていることの証左であり、ハリーたち三人を大いに驚かせたと同時に、賢者の石が無事である安堵を与えてくれた。

 クィディッチの試合でスネイプが審判を買って出たと聞いた時は、流石のハリーも訝しがらざるをえなかった。ハーマイオニーも一体何が目的かと考え込んでいたが、ロンはその目的を見抜いていたようだった。彼曰く、審判という立場を利用してハリーを箒から叩き落すつもりだ、とのこと。

 

 しかしロンの物騒な予言は杞憂に終わった。

 その理由は至極単純で、ダンブルドアが観戦に来ていたからだ。

 まさか世界最強がいるところでハリーを殺そうとはするまい。

 勝敗によってグリフィンドールが首位に立てるかどうか、という問題のハッフルパフ戦は実に順調に終わった。スネイプがハッフルパフに理不尽な贔屓をすること以外は全く問題なし。特に理由のないペナルティーシュートや全く理由のない試合中断、一切理由のない厳重注意などがピッチ上空を飛び交ったが、ハリーが試合開始から五分も経たずにという前代未聞の素早さでスニッチ・キャッチを決めたことで試合は見事に終了した。

 爆発のような歓声が紅色の観客席から湧きあがり、皆がやんやと大騒ぎを始める。

 箒から飛び降りたハリーたちグリフィンドールチームは、抱き合って歓声をあげた。

 ダンブルドアが勝利チームによくやった、がんばった。と声をかける中、ハリーは苦々しげな顔をしたスネイプと目が合った。にっこりほほ笑むと、むすっとした顔のままフンと鼻を鳴らしてどこかへ行ってしまう。

 そのことでまた、ハリーはスネイプという人物がよくわからなくなってしまった。

 

 期末試験まで十週間を切った頃。

 一年間学んだことの復習を行うため、ハリーたち三人は図書館へ足を運んでいた。

 ロンはぶつくさ文句を言っていたがハーマイオニーの熱心な言葉によって不安を煽られて、やりたくないとは言っていたものの、結局一緒にやらざるを得なくなったのだ。

 ハーマイオニーはもう一月前からやるべきだったと後悔して必死にガリガリ羽ペンを走らせているし、ハリーは気が散って『実践的に実戦的な魔法十選』を読み始めている。ロンに至っては居眠りまで始めてしまった。

 日が天辺から傾いてハリーが本を読み終える頃になってようやく起きあがったロンがあげた声には、未だにガリガリやっていたハーマイオニーもハリーも目を上げた。

 

「ハグリッド! 君が図書館に来るなんて珍しいな!」

「君が言えることか? ロン」

 

 ハリーの声を無視してロンはハグリッドの方へすたこら歩いて行った。

 ハーマイオニーが肩をすくめるのを見て、ハリーは自分も行くかどうか迷ったがロンがすぐに戻ってきたのが見えたので、持ち上げかけた尻をまた椅子に戻す。

 しかし興奮したロンの様子は、女性陣二人の興味を引くには十分であった。

 

「ハリー! ハーマイオニー! おいで、おいでよ。ハグリッドの奴、面白いことしてる」

 

 そうしてやってきたのは森近くのハグリッドの小屋。

 蒸し暑い夕方だというのに、全てのカーテンを閉め切っている。そうなれば当然窓も全て降ろされている。

 ノックをするとハグリッドがドアを素早く開けて、三人を引き摺りこむとすぐさま閉めた。

 びっくりした三人は更に驚くことになる。

 まさか、この季節に、暖炉に火を入れているとは。しかも火力は相当に高く、外と比べてもむわっとして息苦しい。ハグリッドが勧めたイタチ肉のサンドイッチを頬張りながら、ハリーはハグリッドに問う。

 

「ハグリッド……なにやってんの……? いや、何考えてるの……?」

「ハリー、いやあ、こいつぁだな……」

「こんな暑い日に熱い部屋で……ついに頭おかしくなったの?」

「断じて違ぇからな」

 

 遠慮なく言うハリーにハグリッドが失礼な、と一言呟いて椅子に座る。

 ヤカンから三人に配ったお手製らしきいびつな形のカップの中に、お湯を入れる。

 ティーパックすらもお手製なのか、ハーマイオニーのパックは少し破けていた。

 その会話の合間を突いて、ハーマイオニーがハグリッドに言う。

 

「ところでハグリッド。賢者の石の事だけれど」

 

 動揺のあまり、ハグリッドが茶をひっくり返した。

 カップの着地点に居たロンが悲鳴をあげてのたうち回る。

 

「んなっ、何故知っちょる!?」

 

 ハーマイオニーの狙ったタイミングは完璧であった。

 油断どころか予想だにしていなかっただろう。

 

「いや、俺は知らん! 知らんぞ! 何の事じゃろな賢者の石って!? そりゃお前らの知っちゃならんモノだ!」

 

 語るに落ちとる。

 にやりと笑ったハーマイオニーを見てハリーは、この女はとんでもない奴だと確信した。

 親友ではあるが、そう、敵に回したくはない。

 

「それをスネイプが狙っているのよ」

「……、なんだって?」

「ハリーが見たのよ! クィレル先生を脅して、何かを聞き出そうとしているの。あなたの三頭犬が守っているものって賢者の石でしょう?」

 

 ハグリッドは何も答えない。

 このタイミングでそれは、肯定と同じ意味を持ってしまう。

 しかし否定することもまた難しい。ハーマイオニーは狡猾であった。

 

「それで、もしかしてだけど、ハグリッド。ダンブルドアが賢者の石を守るために、何かを仕掛けてあるんじゃないの? ハグリッドから三頭犬を借りたように、他の人も……多分、呪いとか、仕掛けとか……」

 

 ロンの頭をタオルでごしごし拭いて、首を折りかけたハグリッドは深いため息をつく。

 ドライヤーを使ったようにロンの髪の毛が逆立って、乾燥が完了する。

 片眉を吊り上げたロンが後ろを振り返った時、あまりにも強引なやり方にあきれ果てた顔のハグリッドがそこに居た。

 だが、ほぼ何もヒントがない状態からここまで来れた事、恐らく答えを持っているであろうハグリッドまで問いにきたこと、そして破天荒な学生生活のどれかを気に入ってくれたのだろうか。意外とすんなり答えてくれた。

 

「どうやってそこまで辿り着いたのかは、まぁ聞かんでおこう。およそ学校の規則を三〇は破っちょるだろうからな。そして、そう。お前さんらは知りすぎだ。これはな、学生のお遊びで関わっていいものではないんだ。分かるな? え?」

「そんなこと、分かってるさ! でも、スネイプが狙ってるんだ!」

 

 ハグリッドの諭すような言い方に、ロンが噛みつく。

 しかしハグリッドは動じない。

 ゆっくりと、言い聞かせるように話を続ける。

 

「そこも問題だ。スネイプ先生は仮にもホグワーツの教師だ。いっくらスリザリン贔屓でグリフィンドールから減点したり意地悪しても、そりゃ彼が寮監だからだ。贔屓もしたくなる。……行き過ぎちょるがな」

「でもハグリッド。以前も言ったことだけれど、スネイプはハリーの箒に呪いをかけていたのよ?」

「それもおかしい。奴さんにはハリーを守りこそすれど、呪う理由がないんだ」

「……でも、ぼくを憎んでいるようだったよ」

「だが殺すほどではなかろう。うん? それに、ハリーをどうにかするんなら、課外授業で二人っきりの時に一年坊主なんぞどうとでもできるじゃろ」

 

 一年坊主、というところにロンが反論しようとしたがハリーはそれを制す。

 確かにそうだ、その通りだ。……坊主ではないが。

 ハリーは去年から今までずっと、スネイプに実戦的な魔法を師事している。

 妨害呪文や麻痺呪文、束縛呪文に気道確保呪文、爆破呪文も切断呪文も教えてもらった。

 それまでハリーの使えた術など、武装解除呪文や浮遊呪文くらいにすぎない。

 嫌味を言いながらも恐らく、渋々褒めてくれたことだってある。今にも舌打ちしそうな、苦虫を口いっぱい頬張ってむしゃむしゃしたような顔で言った言葉が褒め言葉だと言うのなら、そうだ。そうに違いないのだ。

 彼が根っからの悪人であるとは、あの脅しの現場を見てもなかなか信じられないのだ。

 それに、なにより、

 

「あのダンブルドア教授が認めている。それだけで、スネイプ先生を信頼するには十分だ」

「でもハグリッド……!」

「そうだよハグリッド!」

「まったく」

 

 ハーマイオニーとロンの頭をわしゃわしゃと撫でまわし、困った笑みを浮かべる。

 あまりの力強さにハーマイオニーは首を痛めたのか、ぐりんぐりんと回して調子を整えている。ロンはきっと身長が縮んだのだろう、痛みに呻いている。

 いいぞハグリッド。そのノッポをチビに変えろ。そいつと話していると首が痛いんだ。

 二人を撫で終えたあと、ハグリッドはハリーの頭もくしゃりと撫でた。

 やはり力が強すぎる、加減が下手くそだ。

 椅子が軋むほどの圧力を受けたが、ハリーは彼の分厚い掌で撫でられるのが好きだった。 

 友達として接してくれるハグリッドだが、こういうときは実に大人らしい。

 黒く小さな目を細めて、ヒゲもじゃの口元をにんまりと曲げる。

 それは、聞き分けのない子供を相手にする大人の顔だ。

 ハリーにはそれがちょっと悔しく、そして頼もしくもあった。

 彼女がハグリッドの評価を心の中であげて、彼の掌に頬ずりして甘えていたところ。

 思う通りの答えを得られなかった上に痛い目まで見て、すんすんと泣きごとを言い始めたハーマイオニーとロンを見かねたのか、ハグリッドがクッキーが数枚吹き飛ぶ威力のため息とともに、口を開いた。

 

「じゃあ、ちょっとだけ教えちゃろう。教えても問題ないところを、な」

 

 二人の顔がぱぁっと明るくなった。

 そしてハリーの内心でハグリッドの評価が下がった。

 

「おまえさんらが思っちょる通り、石を守るにはそれなりの理由がある。……それなりだ、ロン。そんな顔をしてもここは教えてはやらん。そう、だが、石を守るためにホグワーツの教師陣ほとんどが協力しているのは確かだ」

 

 お調子者なきらいのあるハグリッドが、今のいままでかたくなに口を閉ざしていたのだ。

 こうして喋ってくれるのならば聞き逃す事など出来ないとでも思ったのか、ロンは大きな耳に手を添えて聞きもらすまいとしているし、ハーマイオニーに至ってはマグル製の手帳にメモ書きなどをしている。

 

「森番の俺がフラッフィー、ブラッフィー、プラッフィーを貸した。番犬代わりにな。あとは……そう、先生方のほぼ全員が、ちょちょいのちょいとな」

「先生方って……しかも教師陣のほとんど?」

「そうだとも。スプラウト先生、ビンズ先生、フリットウィック先生。マクゴナガル先生はもちろんだし、フーチ先生にクィレル先生もだ。ああ、あと、お前さんらはまだ一年生だからよく知らんだろうが、上級生の授業を受け持っちょるシニストラ先生に、バーベッジ先生。バブリング先生にトレローニー先生も協力しちょるんだ」

「そんなに……!? ホグワーツの先生ほとんどじゃない!」

「そして、そうそう。忘れちゃいかんのが、ダンブルドア先生様も、もちろん手を加えとる」

 

 ハグリッドが名を連ねたのは、ホグワーツに勤める教師のほぼ全員だった。

 管理人や校医、司書といった役職の人や、あとは数人の教授の名がないだけ。

 本当にホグワーツ教師陣が、総出で守りを固めているらしい。

 ハリーは今あげられた名前のほとんどの顔を思い浮かべることができるし、いったいどんな守りを構築しているのかも予想がつく。それぞれの教授の得意とするものを障害として設置しているのだろう。ハグリッドが凶暴な魔法生物を提供している以上、それは想像に難くない。

 マクゴナガルならば変身術を用いた何かだろうし、スプラウト先生なら何やら危険な魔法植物でも使った罠を置いているのだろう。

 だが、魔法史を教えているビンズ先生や、占い学のトレローニー先生なんかも関わっているというではないか。一体なにをどうやって彼らが守りを固めているのか、全く想像できない。

 ハリーたち三人は、これを聞いてそれなら安心なのではないかと考え始めた。

 それも、ハグリッドの次の言葉を聞くまでの短い間ではあったが。

 

「そうじゃて。コトはそれだけ大きく、危険だ。ああ、スネイプ先生だって協力しちょるぞ」

「え!? スネイプが!?」

「そりゃあ、そうさな。奴さんもホグワーツ教師の一人、優秀な魔法使いだからな」

 

 ハグリッドがこうも簡単に話したのは、こういった理由からだ。

 つまり、「知ったところでお前たちにできることはない」ということ。

 それを言いたかったのだろう。

 

「ほれ、分かっただろう。一年坊主では手に負えん問題なんだ、これはな」

「むぅ……」

「でも、スネイプはクィレル先生を脅していたのよ……?」

「それも、きっと何かの勘違いだろうよ。中立の考えを持つハリーが聞いたっちゅーのがあれじゃが、うむ。そうだな、スネイプ先生は誤解されやすいお人だ。むしろその塊だな」

 

 これをトドメに三人は納得したと思ったのだろうが、ハグリッドの思惑は逆効果だった。

 スネイプが守りを固める側の人間だった?

 ならば、その守りの内容は、彼に筒抜けだということに他ならないのではないか。

 しかしクィレルに詰め寄っていたのは、なぜか。

 クィレルは元々、修行のため休職をする以前はマグル学という学問を教えていた教師だ。それが今年になって復職し、人が変わったようにおどおどした性格になってからは闇の魔術に対する防衛術の教鞭を取っている。 

 つまり、新しく構築した彼の守りをよく知らなかったからなのか?

 

「……ハグリッド?」

「おう、なんじゃハリー」

「フラッフィーたちを大人しくさせる方法って、あるの?」

 

 ハグリッドはそれに笑顔で答えた。

 

「おう、あるとも。だが、それは俺とダンブルドア先生しか知らん。心配めさるな、こればっかりはダンブルドア先生の指示でたとえ他の教師だろうと教えちゃおらん。……そう、お前さんらの心配する濡れ衣の大悪党、スネイプ先生にもな?」

 

 茶目っ気たっぷりに言われた答えに、ハリーたち三人は大きく安堵する。

 それならば問題ない。

 あの三頭犬を呪文一つで攻略できるなどとは思えない。少なくとも二人か三人は用意して、一斉に呪文を唱えないと、きっと分厚い毛皮に阻まれて通じすらしないだろう。

 安心した途端、三人は部屋の暑さが気になってきた。

 特にハリーとハーマイオニーは、ブラウスが汗で湿ってしまうのを嫌がった。

 それに、話に熱くなりすぎてもう日が暮れている。

 いくら蒸し暑い日とはいえ、夜にこんな状態で出歩いたら風邪を引くかもしれない。

 更にこの室温から考えて、温度差のあまりにそれは確実だろう。

 それゆえにハーマイオニーが立ちあがり、ハグリッドに言う。

 

「ねぇ、ハグリッド。ちょっと部屋が暑すぎるわ。窓を開けてもいい?」

「おっと。悪ぃな。それはできん相談だ」

 

 そう言ったハグリッドの視線が、暖炉へと向けられる。

 なにやら毒々しい色の卵らしき物体を茹でているようだったが、ロンが驚きの声をあげた。

 ハリーとハーマイオニーが何事かと彼に視線を向け、そして彼のブルーの瞳がきらきらと輝いている事に気付く。それはつまり、厄介事であるという事だった。

 なにか、アレはとんでもないものに違いない。

 そう思った少女二人の心境も知らず、ロンは興奮した様子で言う。

 

「ハグリッド……あれ何処で手に入れたの! あんな、ああ、さぞ高かったろう?」

「いんや。賭けに勝ったんだ。知らん奴とトランプでな。そいつは厄介払いができたと喜んでおったが、俺にはその気持ちが分からんね。こんな素敵なものを手放すだなんて」

 

 しかもハグリッドお墨付きの素敵なもの、ときたもんだ。

 彼の趣味はここに居る全員がよく知っている。

 危険で刺激的な魔法生物が大好き。彼はそれらにすっかり恋をしているのだ。

 つまり、あの卵は食用のために茹でているのではない。

 ……孵そうとしているのだ。きっと。

 

「これが孵った時のためにな。さっき図書館で本を借りたんだ。ほれ、『趣味と実益を兼ねたドラゴンの育て方』っちゅー本だがな、なかなか面白いぞこいつぁ」

「ドラ……。ハグリッド? え、じゃあ、なに? あれ、ドラゴンの卵なの!?」

「おうともハリー。とっても美しい生き物を見せちゃれるぞ」

 

 マジでか。

 そういえばハグリッドは、ダイアゴン横丁でドラゴンが欲しいと言っていた。

 それを実現したというわけだ。

 とんでもない話だが、なるほど、ハグリッドならばやりかねない。

 

「おおっ、そろそろ孵るぞ!」

 

 ハグリッドがミトンを付けて卵を鍋から取りあげる。

 本に書いてある文章を真とするならば、どうも母ドラゴンの吐息がごとく温めなければ孵らないらしい。さもありなんと言うべきか、ふざけんなと言うべきか。

 テーブルの上のタオルに鎮座した卵は、既に深い亀裂が走っている。

 ぴきぱきと軽快な音を響かせる卵は次の瞬間、キーという鳴き声と共に爆散した。

 破片が小屋中に飛び散り、仔ドラゴンは派手な誕生を見せつける。

 額に殻の欠片を乗せたままロンが感嘆した。

 

「ハグリッド、これノルウェー・リッジバッグ種じゃないか。すっげー……」

「の、ノルウェー……?」

「ノルウェー・リッジバッグ種。桁外れに攻撃的なドラゴンで、すっごい珍しいんだよ。すっげー……いやほんと、すっげー……」

 

 ロンとハグリッドの男の子二人は黒とブルーの瞳をきらきらと輝かせている。

 カッコいいものはイコール正義であり、あらゆる不正からも許されるもの。

 それが男の子という生き物だ。カッコよければそれでいいのだ。

 女二人はうーんという顔をして孵ったばかりの仔竜を眺める。

 しわくちゃで粘液にまみれた羽根、爬虫類のような独特な目、ずらりと鋭い牙。

 ハリーは初めてまともに話せた相手と言うことで蛇が好きな動物に挙げられる稀有な少女の一人であるのだが、これはどうにも可愛いとは思えない。ハーマイオニーに至ってはただ単に怖いだとか気持ち悪いだとかそういった感情を抱いたようだ。あまり近寄ってほしそうな表情ではない。

 少女たちがうーんと唸っていると、テーブルの周りを動きまわってあちこちからドラゴンを眺めているロンが、ふと窓の方をじっと見始めた。

 そして鋭く叫ぶ。

 

「マルフォイ!」

「ロン、コイツの名前はノーバートに決めたんだ。そんな名前は嫌じゃて」

「いやそうじゃないよ馬鹿じゃないの! いま! マルフォイがこの家を覗いてたんだ!」

「そんな!」

 

 見間違いであってくれ。

 などという願いは神に通じるはずもなかった。

 ローブをなびかせ走り去る後ろ姿は、まず間違いなくマルフォイ兄弟のどちらかだ。

 そして多分、あまり優雅とは言えない仕草から見るに、弟のスコーピウスだろう。

 さらに彼が小屋を覗いていた理由はわからないが、この後の行動は明白だ。

 常々ちょっかいをかける彼のことである。スネイプか、もしくはマクゴナガル。

 教師のもとへ告げ口しに言ったのだろう。

 グリフィンドールの減点を目論んで。

 

 透明マントがあれば隠れて帰ることができるが、そこではたと気付く。

 ……しまった、女子寮の自室だ。取り寄せ呪文は……無理だ、理論を知らない。

 ハーマイオニーならできるか? と思い、彼女へ視線を向ける。

 ダメだそうだ。頭を抱えて、解決策を呟いて自ら否定しているのがいい証拠だ。

 奴とは違ったルートで学校へ戻れるか?

 いや、無理だ。

 それにハグリッドの小屋は、森への見張りも兼ねて見晴らしのいい場所に在る。

 それはつまり、城からも良く見えるということだ。

 姿を消すことはできない。隠れることはできない。

 

「あー、これは……」

「ハ、ハリー! なにか思い付いた!?」

「いや」

 

 状況のまずさをわかっているのか、ロンが焦った声で問うてくる。

 だがハリーは諦めたように、木製の椅子に座りこんだ。

 さすがに死ぬことはないとはいえ、これはきっと、厳しいことになるだろう。

 

「万事休す、だ」

 




【変更点】
・ハリー、あなた疲れてるのよ。
・ダーズリー家は常識的な一家なのです。
・透明マントをアンロック。これ無しは流石に無理ゲー。
・ハリーちゃんは健全な十一歳女子です。しかたないのです。
・このハグリッドから情報は引き出せないッ!と思って頂こうッ
・ホグワーツ教師陣の本気。全員原作の先生ですヨ。

戦闘シーンが増えるとキッパリ言ったが……スマンありゃウソだった。
実はこのお話、次話と分割しております。森での罰則は次回に持ち越しです。
そして石の護りが固くしすぎた。やったねポッターちゃん、試練が増えるよ!!


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9.禁じられた森

 

 

 

 規則破りの代償は高くついた。

 スコーピウスがハグリッドの小屋を覗き、彼の不法行為が発覚して数十分後。

 これ以上時間をおいても無駄だろう。それよりも早く寮へ戻って知らん顔したい。

 そう考えたハリー、ハーマイオニー、ロンの三人はハグリッドに別れを告げ、こっそりと戻ろうとしたところで――見つかった。

 恐る恐る廊下を抜き足差し足忍び足している途中、そこには恐ろしいまでに無表情のマクゴナガルが廊下に仁王立ちしていた。ハリーは漏らさなかった自分を褒めてやりたかった。

 その背後には、にたにたと腹の立つ顔を引っ提げたスコーピウス・マルフォイ。

 まず間違いなく告げ口したのだろう。

 マクゴナガル女史の怒りは、それはそれは激しいものであった。

 

「まったく――こんな夜中まで外出しているとは! ハグリッドにもキツく言っておきますが、貴方がたには罰則が必要です! それとグリフィンドールとスリザリンは一人につき五〇点減点します!」

「ご、ごひゅっひぇん……」

「きっ、聞違いですよね!? いまスリザリ」

「だまらっしゃい! あなたがた五人ともっ! 一人、五〇点です! 情けない声を出すんじゃありませんウィーズリー!」

 

 ハリーはマクゴナガルを信頼しているが、それと同じくらい厳しい先生だと思っている。

 すっかり縮こまってしょげているが、それはきっと隣に居るネビルには負けるだろう。

 彼はスコーピウスがハリーたちを嵌めようとしていることを聞きつけ、ハリーたちに忠告するために走り回っていたそうなのだ。惜しむらくは忠告先の三人組を見つけることができず、外出禁止時間を過ぎるまで廊下をうろついてしまったことか。つくづくハズレくじを引きやすい子である。

 そしてしょげているのはグリフィンドール生の四人だけではない。

 スコーピウスも憮然とした半泣き顔で、マクゴナガルに怒られていた。

 女史曰く、ベッドを抜け出して夜出歩いているのだから同罪である。とのこと。

 

 ハリーはグリフィンドールから二〇〇点も引かれてしまったことにもショックを受けていたが、ネビルには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 別にハリーは、その気になれば誰がなんと言おうと全く気にしないことができるつもりだ。

 あいつが、ポッター一味がグリフィンドールの優勝杯を砕いたのだ、などと言われても「ぼくがクィディッチで稼いだ分を差し引いてもお釣りがくるぞ」で済ますことだってできる。

 だが、彼らは違う。

 ロンは大層気にしてお腹を壊して何度もトイレに消えてしまうし、ハーマイオニーは授業中に自信たっぷりに発言する事がなくなってしまった。ネビルに至っては、たっぷりした頬がげっそりとやつれてしまったかのようで見るに堪えない姿になっている。

 意外な事に、スコーピウスも参ってしまっているようだった。

 どうやらドラコが「君はマルフォイ家の恥だ」とこっぴどく叱ったらしく、いつもクライルとスコーピウスを引きつれて三人で歩いている姿を廊下で見るが、最近では全く見ない。スリザリン一年生のボス的存在たるドラコに冷たくされては、自然とほかの蛇寮生も似た態度をスコーピウスに取ることだろう。

 きっと彼は、ハリーたち以上に肩身が狭いに違いない。

 そしてハリーは、自身が思っているほど太い神経を持っているわけではない。

 浴びせられる罵詈雑言には全く堪えていないかのように、飄々と過ごしているようには見える。だがクィディッチの練習中や授業中の魔法の扱いなど、細々としたミスが目立つのだ。

 おまけに件の日から彼女は、一度も食事のために大広間へ足を運んでいない。ハグリッドがくれたロックケーキ数個で日々を過ごしているようで、ロンとハーマイオニー、ネビルは彼女が見る見るうちに痩せていく姿を見て、いつ倒れるのかずっとはらはらしていた。

 彼女曰く、ダーズリー家に居た頃はこの程度なんでもなかった。とのことだが、一度幸せを知ってほぐれた彼女の心が、今この時でも強固なままであるなどと誰も信じていない。

 この状況は、確実に彼女の心も削り取っているのだ。

 

 罰則は、本日の真夜中行われる。

 ハグリッドと共に、禁じられた森の探索を行うようだ。

 どうやら彼自身もマクゴナガルからたっぷり絞られたらしく、仔竜のノーバートをルーマニアに送られてしまったこともあってすっかり小さく見えた。

 それに至るまでには結構な物語があったのだが、今のハリーにはどうでもいいことだった。

 この場所までハリーたち五人を送ってきた管理人のアーガス・フィルチは言う。

 

「お前たちはこれから森へ行く。そこで探索をしてもらうぞ」

「森へ!? そんなの、召使いのする事じゃないか!」

 

 スコーピウスが悲痛な声をあげるが、フィルチは嬉しそうにそれを遮った。

 この男はいつもそうだ。

 生徒が嫌がったり、悲しんだり、痛がったりする姿を至上の喜びとしている節がある。

 ハリーが思うに、それはきっと嫉妬という感情だ。いつのことだったか、かつてバーノンが彼の母校たるスメルティングス男子校の同窓会で、一番の落ちこぼれだったパウェル・オフラハティが事業で大成功し、バーノンよりも巨大な富を得て悠々自適に暮らしている、という話をペチュニアに愚痴っていたのをハリーは聞いたことがある。

 なにせ、リビングのすぐ外にハリーの部屋、階段下の物置があったので、聞いてしまったのは仕方ない事なのである。盗み聞きしたくてしたわけではないのだ。そうなのだ。そういうことなのだ。

 つまりその時のバーノンの声色と、フィルチの声色はとても良く似ていた。

 何に嫉妬しているのかは、わからない。十一歳かそこらの小娘には分からない事なのかもしれない。だが、きっとその感情に間違いはないのだろう。

 くだらない嫉妬でキツく当たられてはたまったものではない。

 

「ならば荷物をまとめた方がいいねぇ。え? ホグワーツ特急をおまえのために出してやろう」

「…………」

「それで、よろしい。罰則が終わる頃に身体の無事な部分があればいいんだがねぇ……」

 

 クケケと笑い声ひとつ残してフィルチは去って行った。

 もはやネビルは泣きそうだし、スコーピウスに至っては既に涙を目に溜めている。

 森の探索内容としては、ユニコーンを探す事であった。

 どうやら近頃、ユニコーンを傷つけてまわる何かが森に潜んでいるらしい。

 傷付いたユニコーンを見つけたならば手当てして、助からないようならば楽にしてやらねばならない。そういった内容の罰則であった。

 これは生徒が、それも魔法もろくに学びきっていない一年生のやることなのだろうか? とハリーは思ったが、だからこその罰則なのだろうと思いなおした。

 ネビルが怖々とハグリッドにその旨を訪ねてはいたが、「俺か、ファングがついてりゃ森のモンたちゃお前らを襲ったりはせん」との言葉に多少安堵のため息を吐いていた。

 ハグリッドが引率するハリー、ハーマイオニーのチームと、ファングを連れたスコーピウス、ロン、ネビルのチームに別れた。

 女子二人を大男が守り、男子三人を屈強な番犬が護衛する。

 きっと妥当な組み合わせだろう。

 ……たぶん。

 

「見ろ、ハリー。ハーマイオニー。銀色の血……ユニコーンの血だ。こんなに傷付いたあれらを俺はみたことがないな」

「ユニコーンって……どういう生き物なの、ハグリッド」

「一角獣、とも呼ばれとるな。ユニコーンっちゅーのは、とても純粋な生き物でな。その血を飲めば、たとえ死ぬ寸前だとしても延命ができるって話じゃて」

 

 魔法界には、そこまでとんでもないものがあるのか。

 角や尾の毛は魔法薬の授業で何度か扱った経験があり、魔力の詰まった代物だということはわかっていたが、よもやそこまでとは。

 だがそんなとんでもない効果があるのならば、乱獲とかされそうなものだが。

 

「そんなことにはならない。あれだけ美しく無垢な生き物を自分の利のために殺すっちゅーんだから当然なんだが、ユニコーンの血を飲んだ者は呪われちまう。不完全な命になるってー話だ。生きながらに死んでいる、なんて言われとるな。恐ろしいことだよ、そんなことをするのもさながら、それをできる奴がいるっちゅーんはな……」

 

 ハグリッドの小さく低い声は、ハリーの背中をなめてぞくっと身震いさせた。

 そういった生き物を傷つける者が、この森にいる。

 そう考えれば考えるほど、暗雲のような恐怖がハリーの心を占めていく。

 視界に入ってくる木々のざわめきを見ると、その茂みの向こうに黒いフードをすっぽり被って鋭い牙を隠そうともせず口元を三日月に捻じ曲げた怪人が現れて、たちまち襲いかかりハリーたちを瞬く間に八つ裂きにしてしまうのでは、という不安が湧きおこる。

 しかしハグリッドがいるのだから、そんなことにはならないだろう。

 と思った次の瞬間。

 

「ほんぎゃああああああああああ……!」

 

 情けない悲鳴が森に響き渡った。

 この声は……、ネビルだ。

 赤い光も上空に上がっており、煌々と夜空を照らしている。

 あれは、救難信号がわりの花火魔法だ。

 それを見たハグリッドの目が、真剣なそれへ変わる。

 

「そこで待っとれッ! いいか、一歩も動くなよ!」

 

 まるで雷のように鋭く大きな声でハリーとハーマイオニーに言い放ったハグリッドが、さながら砲弾のように茂みをなぎ倒しながら矢のように闇の向こうへ飛んで行った。

 ギャアギャアと何かの鳥が上で鳴く中で、二人の少女は互いの手を固く握ってただひたすらに待っていた。会話はない。このような状況下で、思い付くはずもない。

 いやな想像ばかりが膨らむ。ネビルは、皆は大丈夫だろうか? 何かに襲われてはいないだろうか? 草根を掻き分けて歩く小動物や、虫の飛ぶ音、這いずる音、鳥の声などが、すべてがすべて悪魔のささやきに聞こえてしょうがない。

 ハリーとハーマイオニーはそこそこディープな読書家であるために、想像力も人一倍だ。

 どれくらい経っただろうか。

 ハリーが警戒するため杖を上げていた腕が疲れ始めた頃、ハグリッドが去って行った方からガサガサと大きな音がした。

 ――ハグリッドだろうか?

 しかし件の不審者であった場合、目も当てられない。

 油断なく身構えていたところ、茂みの向こうに大きな髭もじゃ男が見えてきた。

 よかった、本物だ。……たぶん。彼に化けた何者かでなければ。

 少しの疑惑を含んだ視線をハグリッドに向ける二人は、ハリーたちを美味しくいただこうとする何者かであれば絶対に抱えていない者を見て安堵した。

 腰を抜かしたらしいネビルと、頭頂部を抑えて涙目になったスコーピウス。そして頬を赤く腫らしておかんむりなロンだ。

 ロンの説明を聞くに、どうやらスコーピウスがネビルを驚かしたらしくそれに驚いたネビルが大きな悲鳴をあげたとのこと。そして、半狂乱のネビルに突き飛ばされるという思わぬ反撃を受けたスコーピウスが木の根に引っ掛かって転び、手に持っていたランタンを強かにロンの横っつらに打ち付けてしまったというらしいのだ。

 ハグリッドにお叱りと拳骨を貰ったスコーピウスがぐずぐずと洟をすする中、ハグリッドは子供たちの班分けを再編成する必要を感じたらしい。

 直径五メートルはあろうかという切り株の上に皆で座って審議した結果は、ハリーにとっては大いに不満であったがハグリッドの顔を立ててその通りに従った。

 

「まったく……何故僕がポッターなんかと……!」

「……置いて行くぞ、スコーピウス」

 

 メンバーは以下の二名と一匹。

 尊大な貴族、スコーピウス。生き残った女の子、ハリー。んで、ファング。

 なぜスコーピウスと二人っきりなのかとハグリッドに問うてみれば「おまえさんならば、あやつもそう簡単に手を出せまいて」とのこと。

 そういったわけで二人はファングを連れて闇に包まれた森の中を歩き回っていた。

 スコーピウスの持つランタンが揺れて、どうにも不気味な影をいたるところに投げかけている。

 すると、またも茂みががさがさと音を立てた。

 盛大に驚いたスコーピウスが自分の後ろに隠れるのを無視して、ハリーは杖を取り出した。

 しかし出てきたのはただのネズミ。

 こちらを一瞥すると、どこかへ向かって駆け出していく。

 チチッと走り去る姿を見て、スコーピウスは安堵のため息を漏らす。

 別の物も漏らしちゃいないだろうなとハリーは不安になった。

 

「ど、どどどどうした、こ、怖いのか、ポポポポッター」

「きみ、ちょっと落ちつきなよ」

 

 スコーピウスが肩を掴んだまま震えているので、うっとうしくてしょうがない。

 態度の割に小さなその手を振り払うと、ハリーはさっさと先を歩いていく。

 慌てて後を追ってくるものの、その頼りなさはハリーが今まで見た男の子の中では一番だ。

 かといってファングが頼れるかと問われると、答えはノーだ。

 さっきからくぅんくぅんと情けない声を漏らしてハリーの太腿にすり寄っている。

 コイツもコイツで邪魔だ。

 

「ぽぽぽったたたー」

「落ちつけッて」

 

 暗闇の中、スコーピウスが震える声で話しかけてきた。

 そんなに恐ろしいなら見栄を張らなくてもいいのに、と思う反面、なぜそんなに震えた声を出してまで話しかけてきたのかハリーには興味があった。

 

「き、きみは。……なぜ、ドラコに認められているんだ」

「……?」

「ふん。何を言われているのかわからない、って顔をしてるね。これだからグリフィンドールは困るんだ。愚鈍にすぎる」

 

 鼻を鳴らして、馬鹿にした風のスコーピウス。

 普段ならいらっとくるような仕草だが、今のこの時ばかりは少々違った。

 そうだ、いつもならその目に宿るは嘲りや侮辱の色である。

 だが。いま彼の眼に宿っているのは羨望のそれだからだ。

 

「僕は、僕は情けない話だけれどドラコにいつも怒られてしまう。もちろん僕もだけど、彼はそれ以上に優秀だからね、父上の厳しい教育も顔色一つ変えずにこなすんだ。そして、僕を怒るとき、ドラコは事あるごとに君を引き合いに出すよ」

 

 スコーピウスは誇らしげに、そして口を歪めて悔しげに言葉を紡いでいく。

 兄弟のいない(ダドリーは豚であって兄弟ではない)ハリーにとって、その感情はよくわからないものであった。

 誇らしい気持ちは、想像がつく。ロンを見ていればそれは分かる。

 血を分けた自分の兄弟なのだ。そんな人間が立派な人物ならば、まるで自分のことのように誇らしく思ってしまったって別段おかしなことではない。

 兄だから、兄弟だからこそ認めたくない。

 何かと腹立たしく、気に入らなくて、ちょっかいをかけてしまうその気持ち。

 

「だから、気に入らないんだよ。そんなドラコに認められている君のことがね」

「ま、待ってくれ。認められている? ぼくが?」

 

 彼からの予想外の言葉に、ついハリーは驚いた。

 ドラコとは良いライバル関係であると思ってはいる。

 しかし彼は純血主義者だ。良い好敵手と思われてはいるだろう、という自覚はある。

 だが、彼が人を認めるというのは話が違う。と、ハリーは思うのだ。

 いったいどういうことだろうか。

 

「それは……どういう……?」

「……、」

 

 耐えきれなかった、といった様相でスコーピウスは舌打ちを漏らした。

 ハリーがそれに怪訝な顔を向けると、彼は状況への恐怖を忘れたかのような顔で彼女を睨みつけている。それはさながら、縄張りを脅かされた野良猫のようだった。

 

「先日、ドラコはな。僕に対して『ポッターが純血であれば』と言ったんだ。それはつまり、君の血筋以外の全てを彼が受け入れていることに他ならないんだ。分かるか? そんなことを言われた僕の気持ちが」

「……ぼくは君じゃない。わからないよ」

「だろうね。ドラコがあんなことを言ってしまったと、もしもパパに知れたらと思うと恐ろしいよ。いったいどうなってしまうんだろう」

 

 最初は、また何かしらの嫉妬かやっかみかな、と思っていたハリーも驚いて、スコーピウスの薄い青色の瞳を見つめた。

 

「君は、危険なんだ。僕にとっても、ドラコにとってもね」

 

 情けない、甘やかされたお坊ちゃんかと思っていたが。

 なんだ、この子。やれば出来る子だったのじゃあないか。

 

「だから、ポッター。君はもうドラコとほんぎゃあああ今のなんだ怪物か!?」

「ほんともう、きみ黙っててくれないかな」

 

 前言撤回だった。

 スコーピウスの見せた、兄を想う気持ちらしきものを垣間見ることができたハリーだったが、ファングのくしゃみに驚いて抱きついてこようとしたのを見て、幻滅してしまった。

 仕方ないと思うんだ。この鼻水を垂らして泣き出しそうな情けない顔を見てしまっては。

 こんな情けない男の子はハリーの趣味ではないので、抱きつかれるのは丁重にお断りした。

 足蹴にして。

 

「『ルーモス』、光よ」

 

 怯えてびくびくするスコーピウスを横目に、ハリーは杖を取りだす。

 その杖を掲げて呪文を唱えると、杖先にほんわりと明かりが灯った。

 話しているうちに、ずいぶんと暗いところまで歩いてきたらしい。何はともあれ、灯りがなくては、何も見えなくてはお話にならない。

 優しげな光があたりを照らすと、ふと視界の隅に闇が固まっている事に気づいた。

 きらきらと輝く液体のそばで蠢いている闇の塊は、どうやらその液体を飲んでいるようだ。

 となるとこれは、生き物か。

 よくよく見てみれば、人型をしている。

 銀色に反射した光がその生き物の口元を照らしており、ぼどぼどと液体が滴っていた。

 この、ツンと鼻につく鉄の臭い。これは……血だ。

 血の匂いだ。

 ハグリッドの言っていた、ユニコーンの血だ。

 それを啜っていた。

 ということは。

 つまり。この怪人は。

 ――呪われている。

 

「ギャアアアアアアアアア!」

 

 ハリーの背後でスコーピウスが絶叫した。

 ばたばたと慌てて手足を振り回すのが視界の隅に映っているので、どうやら腰を抜かしたらしいことがわかる。

 ファングは……どうやら逃げたようだ。薄情者め。

 しかしハリーも人のことは言えない。

 ああ、明りをつけたらいきなりご本人のご登場だ。

 もし二人、もとい一人と一匹が取り乱していなかったら、自分が絶叫していただろう。

 

「……ハァー、ァァァア……、ァアアア……」

 

 怪人の息遣いがごろごろと掠れているのが分かる。

 口からは飲みきれなかったらしきユニコーンの血がぼたぼたと垂れており、目深に被られたフードの奥は闇に染まり、顔はうかがえない。まるで、影か闇そのものだ。

 隙間から伸びてきた青白く骨ばった手が、ビキビキと音を立てて変化した。

 五本の指がそれぞれナイフのように鋭くなった。杖灯りを反射してギラリと光る。

 魔法だろうか? しかし、呪文は聞こえなかった。

 なにはともあれ、危ないのだけは確かだ。

 

「おい! おいスコーピウス! 立って逃げろ!」

「あわわわわ。ふぉふぉいのふぉいぃ……」

 

 ダメだ、使いものにならん。

 フォイフォイうるさいスコーピウスは放置する事に決定。

 明かりをつけたままの杖を怪人に向けて突き出し、ハリーは叫ぶ。

 

「『ステューピファイ』、麻痺せよ!」

 

 ハリーの杖先から赤い閃光が勢いよく飛び出した。

 それはまっすぐ怪人の胸あたりへと伸び、見えない壁に突き当たって弾け飛んだ。

 今のは、おそらく盾の呪文だ。

 しかしその威力や効果範囲は、ハリーの使うそれとは桁違いで、まるで別物だった。

 更にだ。よもや、呪文すら唱えずに、杖すら用いずに魔法を使うとは!

 ヒトかすら定かでない怪人相手に呪文が効くかどうかと思いながらの攻撃であったが、そもそも届いてすらいない。実にまずい。

 

「くっそ! 化物かこいつッ! 『エクスペリアームス』!」

「……」

 

 武装解除の赤い光が、怪人めがけて空中を奔る。

 怪人はその光を鉤爪で薙ぎ払い切り裂くと、滑るようにハリーに向かって跳んできた。

 重力に支配されていては到底できない、あまりに不自然な動きで眼前に詰め寄ってきた怪人は、その鋭い爪でハリーの顔を薙ぐように振るってきた。

 あんなもので切り裂かれては、首から上が無事であるかなどわかりきったこと。

 ならば防がねばなるまい。

 

「『プロテゴ』、護れッ!」

 

 半透明な盾で爪の一撃から身を守ると、ハリーはその場を離れるかどうかを思案した。

 スコーピウスを置いていくか?

 兄のドラコと違って、弟のスコーピウスはあまり気に入らない性格をしている。

 だが自分の行動の所為で死んでしまっていいほどかと問われれば、答えはもちろんノーだ。彼だってただ粋がってるだけの男の子に過ぎない、それに彼にも愛してくれる両親や兄がいるのだ。見捨てることなど、できはしない。

 ハリーは明るい緑の瞳を細め、怪人を見据えた。

 爪を向けてくる怪人の動きに隙はない。

 しかし、体運びはまるで素人のそれだ。直線的すぎて、格闘技経験者の動きではない。

 少なくとも、ダドリーの方がよっぽど洗練された動きで厄介だった。

 ついでに言えば、彼は超重量物体であったため、体当たりに当たれば最後。意識が粉砕される。しかも表面積が巨大なので、避けることそのものが至難であった。

 つまり、相手が何者であろうとも、避けられさえすれば怖くはない。

 ダドリーオススメのジャパニメーションでも言っていたではないか。

 

「当たらなければ、どうということはない!」

 

 突進してくる怪人の爪を、横っ跳びに逃げることで何とか避けきる。

 ローブの端っこが切り裂かれる様を見て青ざめるも、立ち止まれば死あるのみだ。

 小柄で、非力で、何の一撃も与えられない。

 だが体力だけには自信がある。

 毎日毎日愛しの従兄たるダドリーに追いかけ回され、それに対抗するためジョギングで体力づくりをして、女の身という不利な条件を覆すために努力した日は無駄ではなかった!

 ありがとうダドリー、今度お礼に魔法で豚にしてやるよクソ野郎!

 

「『ステューピファイ』! 『ステューピファイ』! 『エクスペリアームス』!」

 

 避けながら、ほぼあてずっぽうに呪文を乱射する。

 魔力切れが刻一刻と近づいてくるような無茶ではあったが、それでも死ぬよりはマシだ。

 それに件のトロールとの一戦で、魔力切れになっても絞りだせば魔法が撃てることは分かっている。ゴマと魔法使いはなんとやら、なのだ。あのときは結果、枯渇した魔力を回復させるために苦しい思いをしたものだが、死ねばその思いもできなくなるのだ。

 いまは後先考えず、目の前の怪人を、殺せ。

 

「『ディフィンド』、裂けよ! 『ディフィンド』! もいっちょ『ディフィンド』!」

 

 ナイフを振るうように杖を跳ねさせると、その軌道の通りの斬撃が杖先から飛び出した。

 仄かに青い光を纏った白刃が、三連撃。

 奇妙で複雑な形状の刃が、滑るように怪人の首を刈り取らんと向かってゆく。

 だがハリーは己の目を疑った。

 単純に横薙ぎの一撃目を、サイドステップで容易に避けられる。

 稲妻のような形の二撃目は、宙返りしながら前進するという曲芸で対処される。

 最も複雑で悪辣な形状の三撃目は、怪人が着地と同時に足が滑ったかのように前進し、背中から肩を利用してウィンドミルのような動きで回避されてしまった。

 これら三撃を、一度も停止せず、驚くべきことにこちらに突き進みながら行われてしまった。 

 

「くそっ、そんなばかな! イ、『イモビラス』ッ!」

 

 魔法強化か、それともヒトではないためか、どちらにしろ身体能力は相当高いのではないかと判断していたが、これは流石に冗談では済まされない。

 いまも、ハリーの射出した停止呪文が体をすり抜けるかのようにして避けられてしまった。

 目と鼻の先。怪物が、弓を引き絞るかのように腕を引いて、

 

「……ッ、ぎ、痛ッ……づァ……!?」

 

 矢のような爪が心臓へ、胸の中心へと伸びる影が微かに見えた。

 まずい、直撃コースだ。

 などと思うよりも速く。灼熱の感覚を右肩が訴えて、ハリーは悲鳴を漏らした。

 痛い、というよりは熱い、という感覚が先に来る。

 刺される瞬間、眼前に迫られたときには既に後退しようとして、木の枝に引っかかって後ろ向きに転んだのが幸いした。突き刺さったのは、怪人の指の中ほどまでだ。貫通はしていない。

 しかし、怪人にとっては殺傷力を高めるため腕を捻っていたのが災いした。

 半分脱いでいたハリーのローブが怪人の腕に絡まり、彼女の肩から指を引き抜いたときには、もはや力ずくで引き千切るしか外す手段はなくなっていた。

 

「……、……?」

 

 ぽたり、と。

 ハリーの血が滴る音と、落ち葉と枯れ木を踏む音のみの世界に、異音が紛れ込む。

 怪人は訝しんだ。

 たしかに液体が地面に落ち、吸い込まれる音ではあった。

 だがそれは、地面に蹲っている汚らしいハリーの肩から滴る血液ではない。

 ハリーのローブが吸って滴る彼女の血液でも、彼女が息を切らして口の端からこぼした涎の音でもない。なんだ? 失禁でもしたのか? いや、違う。もっと、こう――

 もっと、甘い匂いの――

 

「――、……ッ!?」

「ッハハァ! 気付いたか!?」

 

 甘い、匂いの、――酒だ。

 これはなんだ? 匂いから考えて……そうだ、ラム酒だ。

 一体どうやって? そんなのは愚問だ。魔法族にとってその質問は愚かにすぎる。

 『水をラム酒に変える魔法』など、魔法学校の一年生ですら簡単に使える魔法ではないか。

 この酒の滴るローブ。酒は恐らく、血液を『変身』させたもの。

 そして酒とはなにか?

 アルコールが含まれた飲み物。人の欲を刺激する事から、魔法媒体としても使われる。

 だがそれ以上に今この場において注目すべきことがある。

 遅まきながらそれに気付いた怪人は、慌ててローブを引き千切ろうと爪に力を入れる、が。

 既に魔力を練り終えて、杖先を怪人へ向けて嗤うハリーが叫んだ。 

 

「……ッ!」

「遅い! 遅すぎるんだよ、変態野郎! 『インッ、センディオ』ォォォ――ッ!」

 

 バシュッ、と存外軽い音を立てて、ハリーの杖先から赤い火球が飛び出す。

 大きさは赤子の拳ほど。随分と頼りないサイズになってしまったが、この場では関係ない。

 酒の、アルコールの特徴。

 それは。可燃性液体である、ということだ。

 

「…………ッ!? ……ッッッ!」

「熱っづ!? あぢぢぢ!」

 

 声にならない悲鳴をあげる怪人。

 猛火は瞬く間に怪人の全身に燃え広がり、無様に地面を転げ回る。

 それによって運悪く少量の酒が飛び火したハリーも地面を転がってそれを鎮火するが、怪人は腕に酒の染み込んだローブを巻き付けているので、たっぷりとした燃料を孕んだ松明のようなものと化している。

 ゆえに、未だに轟々と、赤々と燃え続けているのだ。

 

「……、……ッ!」

 

 自分の腕を筆頭に、全身が燃える痛みとはハリーにとって想像の埒外である。

 ハリーのいままで味わった最大の痛みは、ダドリーの放つ貫手を肋骨の隙間に差され骨を握り潰される、というものである。 

 アレと同程度かそれ以上だとしたら、相手はまず間違いなく行動不能に陥っているに違いない。

 その隙に赤い花火を空に打ち上げようと杖を上空に向けそれを放った途端、ハリーの目はありえないものを見てしまったために、恐怖と驚愕に見開かれた。

 

「う……でッ、を……!?」

 

 腕を、引き千切った。

 怪人が燃え盛る自らの右腕を、もう片方の手でブチブチと千切り取ったのだ。

 発火源たる右腕を左手に持った怪人が、そのギラついた眼光を以ってハリーを貫く。

 それに竦み上がったハリーは、唯一の武器たる杖を構える事も出来ず、ただただ恐怖した。

 今現在、自分の状態はどうだ。無防備に杖を空に向けている阿呆の極みの姿は。

 燃え続けたままの右腕が今、ハリーの眼前へと投げつけられる。

 異様な速度だ。とてもではないが、ヒトが片手で投擲した物体の速度とは思えない。

 アレが当たれば、どうなる?

 決まっている。

 死だ。

 

「あ……っ、いや、ぁ、ああっ、―――ッ」

 

 恐怖に呑まれてしまう。腹の底からの、巨大な恐怖。

 腰が抜けてしまいそうだった。失禁してしまいそうだった。

 あと一息。一呼吸すれば、きっとあの燃え盛る腕はハリーの柔らかな頭蓋を吹き飛ばし、血と脳漿を森の養分としてばらまくことだろう。

 死は、怖い。

 原初の記憶が蘇る。

 毒々しい緑色の世界。寒々しい純白の世界。

 廃墟と化した住居に一人立つ、黒のローブを羽織った、蛇のような赤い目の―――

 

「――ルォォォォオオオオオアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 

 瞬間。

 世界は暴力的な怒声によって打ち払われた。

 木々を薙ぎ払い跳んできたのだろう、まるで上空から地面に突き刺さるようにして着地した巨体が、火球と化した右腕をその巨大な掌で掴み取った。

 もはや拳と化した掌の中から、くぐもった破裂音がする。

 一本一本がハリーの持つそれと比べて倍以上ある指を開くと、最早なんだったのかわからない程に圧縮されたゴミクズ、もとい右腕が地面にカサリと落ちた。

 怒気により胸を膨らませ、獣のような咆哮を吐きだす巨体。

 それは、まさに。見覚えのある、頼れる友人。

 

「ハグリッド!?」

「ゴォォォアアアアアアアアアアア!」

 

 およそ人語のそれではない雄叫びをあげ、ハグリッドは樹木から引き抜いたらしき棍棒のような枝を振るう。

 大振りで単純なそれは、怪人が数メートルほどバックステップを踏むことによって、脅威的な身体能力もあって簡単に避けられてしまった。

 だがそれだけでは終わらない。枝を振り抜いた体制のまま、ハグリッドは地面を蹴る。

 途端。爆発呪文でも使ったかのごとく土を撒き散らし、砲弾のように怪人へ向かって一直線に飛び出していったではないか。これに対応するため、怪人は着地と同時に残った左腕を構えんとする、が。

 

「―――ッ、」

 

 ガクン、と膝が曲がり地に落ちた。

 腕という部位は、存外かなりの重量を内包している。そんな大事なモノを、一本喪失しているのだ。普段と同じような動きなど、できようはずもない。

 バランスを崩した怪人が、ハッとした気配でハグリッドを見据える。

 悪鬼。

 まさにその言葉に相応しい憤怒の表情で、袈裟に振り抜いたばかりの枝を、その人智を超えた膂力を以ってして先程とは逆方向へと無理矢理に方向転換。怪人の眼前に跳び込みつつ、それと同時に逆袈裟へ振り上げた。

 

「ガァァァアアアアアアアア!」

「……ッ、……!」

 

 空気が切り裂かれる爆音を巻き上げながら、ハグリッドの枝は怪人の胴体を強かに打ちつける。銀色混じりの胃液を吐き散らして、砕けた枝とともに吹き飛ばされる怪人。数本の樹木を薙ぎ倒しながら上空へ向かって吹き飛んでいく様は、何かの冗談のようである。

 それを行った猛者は、怪人が吹き飛んだ方向へ地を蹴って飛びだす。

 一歩一歩地面を踏みしめる足音は一つ一つが爆発となる。荒々しくも一直線に駆け寄ったハグリッドが、怪人が吹き飛んで飛び込んだ樹木の幹に向かって拳を振り抜いた。

 正拳の打撃を受けた樹木が一瞬、周囲の景色ごと捻じくれたかのように歪む。そしてその異常が元に戻ったときには、数百年成長したであろう一本の樹木は粉微塵に爆ぜ飛んだ。その木を棲み家にしていたのだろうか、哀れな羽虫や蝙蝠たちが飛んで逃げてゆく中、ハグリッドははらはらと落ちてくる葉の中で闇を睨み続ける。

 逃げられたと判断したのか。

 ハグリッドはのっしのっしと地面へ座り込んだハリーの元へ歩み寄ってきた。彼女の肩を掴んで揺さぶるその表情は悪鬼のようなそれではなく、いつもの人のいいヒゲもじゃだ。

 怖いとは、思わなかった。

 

「ハリー! ハリーお前さん大丈夫か! 怪我しちょらんか!? え!?」

「あうあうあう。揺らさないでくれぇえ。あと痛い、肩が痛いからやめやめうえっぷ」

 

 慌てふためいたハグリッドの行動が、いま一番ハリーの命を脅かしている。

 それに気付かないあたりに彼のそそっかしさがよく表れている。いつもはほほえましく楽しくなってくる彼のその特徴だが、今はやめて欲しい。切実に。

 同じく、いやきっとそれ以上に慌てて駆けもどってきたロンやハーマイオニーが、ハリーを心配して次々と声をかけてくる。

 安心感から緊張の糸が切れ、意識を手放しそうになるハリーは、無事を示すために微笑んでみせた。逆効果だった。ロンの諦めるなという声や、ハーマイオニーがかけようとして失敗している習ってもいない治癒呪文が聞こえてくる。

 

 ハリーは薄れる視界の中、夜空を見上げる。

 夜空へ向けて自分の小さな手をかざした……つもりだったが、力が入らない。

 口角がより吊りあがり、ハリーは自嘲的に笑った。

 この、一〇分にも満たない小さな小競り合いは、彼女の精神に大きな打撃を加えることになった。自分の小ささ、弱さ。そして、殺すことへのためらいのなさが必要だと思わせるには、十分な出来事であった。

 先程の怪人。

 ハグリッドが来なければ、狩られていたのは自分の方だ。

 手下か? 賛同者か? わからない。わからないが。 

 きっとあれは間違いなく、ヴォルデモートに関する何者かだ。

 つまり。

 殺すべき敵だ。

 




【変更点】
・原作より更に減点。ネビルェ。
・罰則の内容が、何故かキツくなった。
・ハリーに兄弟はいない。いいね?
・森で出会う怪人を魔改造。原作の出番は二〇行以下だった。
・ハグリッドが間に合ったため、ケンタウルスとの面識なし。

此度は戦闘回でした。分割の後、更に足しまして。
魔力に関する設定は独自のものです。これから強化されるんだし、足枷もね。
ホグワーツの森番は最低限このくらいできないと内定もらないらしいですね。
ローブで顔を隠した怪人……いったい何者なんだ……。


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10.小手調べ

 

 

 ハリー・ポッターとマダム・ポンフリー。

 二人の女性はいま、魔法医学についてのお話をしていた。いや、説教だった。

 魔力枯渇を短期間にそう何度も引き起こせば、ふと何でもないとき急に魔力を練れなくなることがある。というお説教だ。

 ガラスのゴブレットを例に出せば分かりやすいだろうか。

 耐熱性のないそれに熱湯を注げば、ビキキと白くひび割れてしまう。一度だけならばまだしも、それを何度も続ければヒビは大きく深くゴブレットを侵食していき、ついには穴をあけてしまう。そうすれば注がれた湯はどうなるだろう。明快である。漏れ出でるのだ。

 それと同じことが、魔法族の身体でも起きてしまうのだという。

 幸いなのが、もしそうなったとしてもガラスのゴブレットとは違って治療法があるというところか。

 魔法というものには原理がある。

 魔法族の血液には、魔力が含まれている。これは血小板などと違って物質的ではない、精神的なエネルギーであり、これを含んだ血液の事をエーテルと呼んでいるのだそうだ。

 余談ではあるが、純血の魔法使いはそれだけで濃密なエーテルが体内に流れているということになる。それはつまり、それだけで優秀な魔法使いになれる可能性があるということだ。もっともそれはあくまで可能性であり、その魔法使いが日々を鍛錬するか怠けるかによって血中の魔力量が増減することを考えれば、必ずしもそうとは言い切れないのが不思議なところである。

 さて、この魔力を生成するのはもちろん血液と同じく、日々の食事と健康的な生活である。つまり睡眠や栄養摂取を怠ると魔法の力も弱まってしまうのだ。それは体力と何ら変わりのない、至極わかりやすい構造である。では健康的な魔力の詰まった血液を、魔法の源たるエーテルを全身に送り出すのは何か。

 決まっている、心臓だ。別名を魔力炉といい、全身の血管へエーテルを行き渡らせて、魔法のエネルギーとする。

 先ほどの例をこれに当てはめれば、心臓とはつまりガラスのゴブレットだ

 ではそのゴブレットがひび割れてしまえば、穴が開いてしまえばどうなるか?

 これもまた明快。死、あるのみ。

 

「わかりましたかポッター。魔力枯渇とは、それほど恐ろしく愚かしいことなのです。以降は余裕をもって魔法を使い、常に一定量の魔力を体内に残しておくようにしておきなさい」

「わかりました、ありがとうございますマダム・ポンフリー。……でもこれ試験前日にいうことじゃないですよね!? 明日は期末試験なんですけど!?」

「なにをいうのです! 試験など生きていればまた受けられます! たとえ試験に落ちて来年もう一度一年生をやることになろうとも、健康であればそれでよいのです!」

「心が死んでしまう!」

 

 そうなのだ。

 今は学年最後のテスト期間、その真っ最中であった。

 禁じられた森での罰則にてまたもやその体内魔力を枯渇させてしまったハリーは、肩の傷を癒すためにも保健室へ赴いたのだが、そこの主によって巨大な雷を落とされてしまったのだ。

 ロンはそれに憤慨して荒い鼻息を噴き出したが、ハーマイオニーは当然だとばかりに鼻を鳴らした。

 彼女によって一定期間中は授業内外問わず、魔法使用を禁じられてしまった。つまり実技点が得られないということだ。彼女は、成績を取り戻すために普段よりも勉強量を増やす必要があった。

 もともと座学においてはまじめに勉強していただけに、そこまで大変な所業ではなかったのが不幸中の幸いというところか。これで実技便りにたいして勉強をしていないなんてことがあったならば、本当に留年の危機が待っていたことだろう。

 そして待ちに待った、恐怖の期末試験。

 不安感から若干ノイローゼになったハーマイオニーと、それに巻き込まれて勉強に勤しんだ死にかけのロンはふらふらと寝室に戻っていった。まだ眠るには早すぎる時間だが、ホグワーツの試験は数日を要して座学と実技をみっちり行う、厳しいものだというので明日に備えてしっかりと脳みそに休息を与えようと考えたのだろう。

 

 魔法薬学は悪辣で引っかけ問題の多い試験で、変身学は小難しい魔法理論ばかりを記述する……のかと思っていたが、実はそうでもなかったことをハリーたちは知った。

 どうやらこのテスト問題、魔法省が発行しているらしい。

 スネイプやマクゴナガルのように特徴的で本人の趣味や性格が滲みでたような問いではなく、淡々と必要な知識を習得しているかどうかの問いかけばかりが目立った。

 魔法史のテストについては、製作者にハリーのファンでも居たのかと思いたくなるほど、近代魔法史の半分以上がハリーのことについて占められていた。試験時間も後半になり、皆が近代魔法史の問いに挑み始めたころ会場での雰囲気が妙なものに変わってしまった。この瞬間、ハリーは皆が自分のことを考えていることに気付いて、赤面しっぱなしだった。

 しかし会場の監督は、ホグワーツの教師だ。

 ハリーの得意科目は闇の魔術に対する防衛術、変身術、妖精の魔法、飛行訓練。苦手な教科は魔法史、そして魔法薬学。

 特に恐ろしいのが、よりにもよって苦手である魔法史と魔法薬学の試験だった。

 魔法史については言わずもがな。いつもの教室プラス、ビンズ先生プラス、試験特有の静かで張りつめた空気。これはいったい何の睡眠呪文かと叫びたくなるような睡魔が教室中を飛び交っており、幾人かは情けないことに試験開始直後には机に突っ伏していびきをかいていた。

 ハリーは頑張って頑張って、己の太ももを何度もつねりながら最後まで必死に起き続けた。内容は知っているものばかりだったので、試験結果については心配ない。心配が必要なのは誤字脱字をしていないか、だ。後半はほとんど夢の中から現実へ腕を伸ばすようにして羽ペンをガリガリ動かしていたので、ミミズがのたくったような文字になっていたかもしれない。

 魔法薬学は最悪の一言だった。

 試験内容は悪辣ではない。問題を解くことだってできた。

 だが。だがしかし。試験監督はかの蛇寮寮監、セブルス・スネイプ。

 生徒一人一人の背後をじっくり、ゆっくり、ねっとりと練り歩き、カンニングの疑いをかけられたくないがために背後を振り向けない生徒たちの解答用紙を覗き込むような気配を漂わせ、最後に、「ふん」と小ばかにしたような鼻息を残していく。

 回答が間違っていたのか? なにかひょっとしてマヌケな回答を書いてしまっていたのか?

 そんな不安感を刺激するには十分すぎるほどの悪魔の所業であった。もちろんやり過ぎである。気の弱い生徒、特にスネイプ教授を苦手とするネビル・ロングボトムなどは、椅子から転がり落ちて気絶しかねない風であった。

 

 若干の騒動がありながらも、ハリーたちは無事に期末試験という試練を乗り越えることができた。

 お祝いというほどのことでもないが、彼女たち三人はハグリッドの小屋へお茶をしにきていた。

 ハリーは胡桃入りロックケーキをバゥゴシャボギャァオと食べながら、ロンとハーマイオニーが試験内容について頭を悩ませている様を眺めている。どうやらハーマイオニーが一問ずつズレて回答したかもしれない、と半泣きになっているのを、ロンが気にするなよ僕なんてほぼ白紙だから、と慰めているのか煽っているのかよくわからないことを言い、今まさに口喧嘩が勃発したところだった。

 ごぎゅんと飲み込んで、ハリーは自分もテストについてハグリッドに聞いてみることにした。

 

「ねえハグリッド。ゴブリン反乱軍のリーダーの名前ってグリップフックだっけ」

「いんや、ハリー。そりゃグリンゴッツ銀行で世話んなったゴブリンの名前じゃて。お前さんごっちゃになっちょるぞ」

 

 しまったなあ、一点逃したか。などと言っているハリーは、試験官がビンズ先生ではなくグリップフックだったら捗ったかもしれないのに、と笑う。

 そんな都合のいいときに都合のいい奴が来てくれるものか。とハグリッドも笑う。

 せっかくの魔法界なのだから、そういう展開があってもいいんじゃないかな。とハリーは考えたが、ふとそこで、思考の端っこに生えた木の根にローブの端っこが引っ掛かった。

 なんだろう? いまぼくは、変なことを言っただろうか?

 

「どうしたんだハリー? なんかまた間違いでも思い出したか?」

 

 ああ、なんだろう。

 ハグリッドの面白がっているような、ほほえましいような、そんな顔を見つめながらハリーは考える。

 間違い……? あれ、ちょっと待て。

 なんだ。何が……、

 

「……都合のいいときに都合のいい奴は来てくれない」

「うん? どうしたハリー」

 

 ハグリッドの言った言葉を再度、口中で繰り返す。

 それに対して訝しげに覗きこんできたハグリッドの顔、その口髭をハリーは掴んだ。

 

「何するんじゃい」

「ハグリッド。あのさ、ノーバートの事なんだけれども」

 

 ヒゲを掴まれたまま、ハグリッドは傷付いた子犬のような目をした。

 それもそうだろう。

 彼は危険な生物が大好きで、目を抉ろうとしてくるような生物が多いが、それこそ目に入れても痛くないほどに、だ。

 だがそんな彼でも、ついこの間の事件は随分と反省したらしい。

 なにせ自分のせいで、ハリーに傷を負わせてしまったようなものなのだ。

 孫と親友を一度に持った気分だったぞ、とでも言って消えてしまいたいくらいであった。

 ハリーは彼がそんな罪悪感を持っている事を知っていて尚、問いかける。

 

「ノーバートのタマゴ、誰に貰ったって?」

「んあ? おー、誰だったかな。パブでトランプして……あー、誰だったか……。ああ、いや。知らん奴だな。フードを目深にかぶってたし、覚えがないわい」

 

 ああ。

 この時点でハリーは、嫌な汗が止まらなかった。

 ギシギシと、脳髄の奥を刺してくるような頭痛までしてきた。

 雰囲気が変化したのを気取ったか、ロンとハーマイオニーも口論をやめて此方を向く。

 

「それで、他には何か話した?」

「おお、したぞ。ドラゴンについて、どう可愛いかどれほど美しいか、そりゃー延々と朝までな。奴さんも興味を持ってくれたようで、話が弾んだぞ」

「ドラゴンの話だけ?」

「いんや。奴さんは他の生き物についても興味津々でな、フラッフィーたちの話もしたぞ。あいつらに比べりゃー、ドラゴンの世話なんて軽いもんだってな」

 

 さて。

 都合のいい時にやってくるのは、いつだって都合の良くないものだ。

 森での罰則でやってきたのは元気なユニコーンの姿ではなくその無残な死体。そして悪の帝王ヴォルデモート、もしくはその賛同者。

 与えられたのは罰則を終えた安息ではなく、肩への激痛と恐怖、二日の入院。

 さて、さて。

 違法なドラゴンの卵を欲しいと願ったとき、やってくるものは何か?

 実際に手元にやってきたのは、お望みの品であった。 

 では、それを与えたのは何か?

 名も知らぬ、顔も知らぬ、さらには違法品であるドラゴンのタマゴを持ち歩いているという、不審者という名では足りぬほどの怪しい人物。

 疑わしきは呪わずという言葉もあるが、こればかりは変だ。

 厄介払いをしたかったのだろうと考える事も出来る。しかし、それにしては賭けで譲るという手段はあまりにも遠回りだし、何より不自然かつ危険だ。もしその賭け相手が闇祓いだとしたら、などという懸念を考えていなさすぎる。

 危険な代物を手元に置いたままにしてはいけない、と考えられる程度の危機感を持っている人間が、ちょっと軽率すぎやしないだろうか? いくら焦っていたのだとしても、だ。そう、あまりにあんまりな手段だ。たかだか十一年しか人生を経験していない程度の少女に断言されるほど、稚拙にすぎる。

 さて、さて、さて。

 ならば考え方を変えてみよう。

 違法なドラゴンのタマゴをパブまで持ち歩いている不審人物。

 それを欲しがっていたハグリッドに、都合よくお目当ての品を持って話しかけてきた。

 闇祓いか、またはその類ではと警戒もせず、賭けの品に違法品である竜卵を提示してくる。

 その無警戒さは、ハグリッドが闇祓いではないと知っていたからではないか?

 いや、むしろ、ハグリッドが危険な生き物大好き野郎だと知っていたのでは?

 違う。きっと、順序が逆なのだ。竜卵を持っていたからハグリッドに接触してきたのではなく、ハグリッドと接触するために竜卵を手に入れたとしたら?

 そもそもドラゴンについての話をするつもりはなく、それが切っ掛けに過ぎないとしたら。

 その後の、フラッフィーについての話がメインだとしたら。

 たとえば、そう。四階の廊下を攻略するための――

 ――手懐け方とか。

 

「ハグリッド。以前フラッフィー達を大人しくできるって言ってたけど、本当にそんな方法あるの?」

「おう、ちゃんとある。まぁ、教えてはやらんがね。お前さんらが無茶しちまったらいかん」

「いや。僕に言わなくてもいい。その、パブで賭けをした人には言ったのかい?」

「内緒だ」

 

 ハグリッドは首を横に振った。答えないつもりらしい。

 もっとも、答えなくても十分だ。その目は、実に正直者のそれであった。

 そこまで露骨にそらさなくてもいいだろうに。

 

「……、……ヤバいぞ二人とも」

「……ええ、そうねハリー」

「え、何が?」

 

 今の話で理解できなかったロンを放っておいて、ハリーとハーマイオニーは弾かれたかのように走りだした。

 ハグリッドが止める声と、ロンが待ってくれと叫ぶ声を置き去りにして、二人は城の庭を突っ切って廊下を疾駆する。

 目指すは、ダンブルドア校長の部屋。

 ここまで来ては、もはや自分たちの手には負えない。

 校長に助けを求めなくては。

 足音高く走り続けていると、廊下の隅からマクゴナガル先生がすっと顔を出した。

 彼女の後ろで管理人のフィルチがにやにやと笑っているあたり、どうやら廊下を走っている姿を彼に見られてしまい、それでマクゴナガルを呼ばれてしまったようだ。

 行く手を遮られてしまい、ハリーたちは立ち止まる。

 しかし、彼女でも問題はない。むしろ好都合だ。

 

「マクゴナガル先生っ!」

「なんです、ポッター。廊下を走るなど淑女にあるまじき――」

「ダンブルドア校長に会う必要があるんです! 彼が、彼がいま必要なんです!」

 

 息せき切って矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 罰則が与えられるのを今か今かと待ち侘びて、にたにた笑いが大きくなるフィルチの顔が憎らしい。

 今はそんなもの気にしている場合ではない。

 説明しようにもハリーは泡を食っているために、代わりにハーマイオニーが口を開いた。

 

「賢者の石のことなんです」

「……なぜ、それを」

 

 相も変わらず、ずばっと核心から攻める女だ。

 

「あれが危ないんです。誰かが石を盗もうとしているんです! 先生方の仕掛けた守りも、三頭犬やら何やら、きっとその全ての突破口を掴まれています!」

「そんなばかなことがありますか! あなた方がどうやってそれらを知ったかは分かりませんが、守りは堅固にして厳重です。少々やりすぎたかと思っているくらいなのですよ!」

「でも先生! それならせめて、校長先生に警告を!」

 

 ハーマイオニーが喘いだ。

 しかしマクゴナガルはふっと表情を変えると、ぱちんと指を鳴らす。

 彼女の持つ羊皮紙の書類に挟まれてあった羽ペンが、見る見るうちにメンフクロウへと変身した。

 

「では念のため。彼に手紙を運ばせましょう。運が良ければ、途中で会えるでしょう」

「途中……? ちょっと待ってくださいマクゴナガル先生! 校長先生はいまどこに!?」

 

 杖で描かれて空中に浮かぶ魔力文字をさらさらと羊皮紙に移しながら、マクゴナガルは澄まし顔で答える。

 

「ロンドンです」

「ろっ!?」

「今朝方、魔法省からフクロウ便が届きまして。緊急の要件だそうなので、お昼前にはここを発ちましたよ」

 

 校長が、ダンブルドアがいない?

 この大変な、一大事に。世界最強と呼ばれる男が、いない?

 ハリーやハーマイオニーはもとより、これにはロンも青ざめた。

 そしてその焦りが、致命的な間違いを呼び込んでしまう。

 

「スネイプだ!」

 

 ロンが叫ぶ。

 ハーマイオニーがまずいと思うより先に、彼の舌は動いてしまった。

 

「なんですって?」

「石を狙っているのはスネイプなんだ! 間違いない、ダンブルドアがいないなら、もう侵入してるはずだ!」

 

 マクゴナガルの顔色が、訝しげなそれから憤怒のそれに変わる。そして、最終的には呆れのそれになってしまった。

 ここでハーマイオニーに続いてハリーも、ロンの失態に気がつく。

 ハーマイオニーが、いやハリーでもいい、彼女らが言えば、まだ何かしらの理由があると思われただろう。

 しかし、ロン。

 ロン・ウィーズリーは、マルフォイ他スリザリン生と、散々喧嘩だの口論だのといった問題を引き起こしている、典型的なグリフィンドールのやんちゃ坊主である。

 そしてセブルス・スネイプ。彼はご立派なグリフィンドール嫌いだ。

 ウィーズリー家のスリザリン嫌いことも、スネイプのグリフィンドール嫌いの事も、両者の生い立ちや、そうなってしまう経緯を知っているマクゴナガルとしては、ロンがこう叫ぶのも止む無しとも思ってしまったのか。呆れた顔のまま呆れ果てた声を絞り出した。

 

「……寮へ戻りなさい。フクロウ便は、一応出しておきましょう」

「マクゴナガル先生! でもスネイプが」

「くどいですよミスター・ウィーズリー! セブルスは確かに意地悪な面もありますが、そのような愚かなことをする男ではありません! 寮へ戻らないというのなら減点してさしあげましょうか!」

 

 マクゴナガルの大声に、ショックを受けた顔をしたロンは口を噤んだ。

 ハリーらもそれは同じ気持ちだったし、何よりへまをやらかしたロンの向う脛を蹴り飛ばしてやりたかった。

 だが今この時ばかりはそんな時間すら惜しい。

 今朝方届いたフクロウだって?

 ダンブルドアが出かけたのは昼ごろ。

 途中で引き返して来たりといった不慮の事態を避けて、ちょうどいい頃合いといえば何時くらいか?

 ハリーは腕時計を覗く。午後四時二〇分だ。

 きっと、今だ。

 

「ではマクゴナガル先生、失礼します。ロンったらテストが終わって浮かれてるんです」

「ちょっ、全部僕のせいか!?」

「だまれ。そうだねハーマイオニー、行こう。失礼しますマクゴナガル先生」

 

 渋るロンを引きずるように、ハリーとハーマイオニーは寮への道を歩きはじめた。

 フィルチが罰を与えないことに抗議をはじめたが、禁じられた森での行き過ぎた罰についての話を持ち出したマクゴナガルに大声で説教を受けていた。どうもアレは彼の独断で決められた罰だったらしく、マクゴナガル以下教師たちは相当お冠だったようだ。

 まあ、死ぬとまで脅かされた禁じられた森なのだ。たかだか生徒への、それも一年生の罰で使われるような場所ではないだろうとは思っていたが、まさか独断とは恐れ入る。

 大人しくなったロンを連れて、三人は廊下を歩き続けた。

 三人で顔を見合わせ、ひとつ頷く。

 角を曲がり、マクゴナガルとフィルチの姿が消えてからも歩き続ける。

 ちらちらと後ろを見るロンの尻をつねって、ハーマイオニーが深呼吸した。

 そして彼女の説教の声が届かなくなった途端、背中を蹴飛ばされたかのように走りはじめた。

 

「ハリー! ハーマイオニー!」

「ええ、たぶんお察しのとおりよ」

「行かなくちゃ。これはきっと、ぼくたちがやらなきゃならないのかもしれない。……奴が賢者の石を手に入れるっていうのは、ぼくにとっても都合が悪いんだ」

 

 風のように廊下を駆け抜け、階段を駆けあがり、薄暗い廊下へと飛び出す。

 魔法仕掛けの蝋燭がひとつひとつ点火されて足元を照らしていく中、彼女らは立ち止まる。

 禁じられた廊下。

 黴臭い木製の扉を前に、ハリーたち三人は立ち尽くしていた。

 

「ハーマイオニー、ロン。覚悟はいい?」

「いいけど……ねぇ透明マントかぶっていかない? 三頭犬にみつからないように」

「もちろんよハリー。あとねロン。相手は犬なのよ、匂いでバレるわ」

 

 ハーマイオニーが諭すようにロンに言ったが、ハリーは首を横に振る。

 それに驚いたハーマイオニーが何かを言おうとするが、ハリーが懐から杖を出すのを見て口を閉じた。

 

「いや、一応被っていこう。一瞬見えないだけでもお得な気分だ」

「そうかしら……」

「『クェレール』、取りだせ」

 

 ハリーが軽く縦に杖を振ると、空中にはまるでナイフで裂いたかのような跡が残っていた。

 目を丸くするロンの目の前で、ハリーがその裂け目に左手を突っ込んだ。ずるりと引き出されたのは、流水のような美しい布。透明マントだ。

 ハリーはそれをかぶって姿を消すと、杖を額の前に構えて集中しはじめた。

 そして鋭く言い放つ。

 

「ハーマイオニー、扉を開けて」

「うーん、わかったわ。『アロホモラ』!」

 

 渋るような反応を見せたものの、何か策があるのだろうとハリーを信じて頷くハーマイオニー。

 彼女の振るった杖によって、扉の錆び付いた鍵穴が魔力反応で仄暗く光った。

 その光が収まるや否や、ハリーは特殊部隊よろしく扉を蹴り飛ばして中へと飛び込んだ。ハーマイオニーとロンにはその姿が見えていないので何とも言えないが、独りでに扉が開いたように見えただろう。

 しかし透明化したハリーが扉の中に入って目にしたのは、三匹の三頭犬が眠りこけているところ。透明マントを被る被らない以前の問題であった。

 自動演奏の魔法がかけられた竪琴が放置されている。優美な音楽が、いまこの場にまったく似つかわしくなかった。

 

「……これは……」

「そんなに警戒することなかったみたいだね」

 

 ハリーが呆然とそれを眺める中、ロンとハーマイオニーも扉を開けて入ってきた。

 念のため扉を開けっ放しにするつもりらしく、ロンの抜いだローブが丸めて挟み込んである。

 しばらくは竪琴に込められた魔力が切れる様子がないので、ハリーらはこれ幸いと部屋の探索を始めた。

 探すは仕掛け扉。

 数分ほど部屋を探しまわり、そうしてハリーたちは部屋の中央に集まった。

 結論から言って、仕掛け扉は案外すぐに見つかった。

 

「見つかったねハリー」

「ああ、見つかったねロン」

「どうしましょうかハリー」

「ああ、どうしようかハーマイオニー」

 

 三人の視線は床に集中している。

 仕掛け扉は見つけたのだ。

 見つけたのだが、

 

「どぉぉぉして、わざわざ扉を枕にして寝るのかなぁぁぁ……」

 

 ロンが盛大なため息とともに、その場にしゃがみ込む。

 ハリーたちの力では、三頭犬の頭を持ち上げることはできない。

 よしんば魔法で何とかできたとしても、今度は操っている者が此処で脱落してしまうことになる。これだけの重量物に浮遊呪文をかけて、かつ持続せねばならないとすると、一年生という幼い身体で生成される魔力では圧倒的に量が足りない。

 ではどうしたら良いのか。

 決まっている。

 

「どいてもらうしかないな……」

「でも、どうすればいいんだい? こんな重い物、僕らの力じゃどうにもならないよ」

「君はもうちょっと自分の頭で考えたらどうだい」

「……ハリー、君ちょっとスネイプに染まってないかい」

 

 ロンが嫌そうな顔をしてハリーを見る中、ハーマイオニーは顎に手を当ててぶつぶつと何かを呟いていた。

 攻略への糸口を探っているようだ。

 

「そうだわハリー。なにか、てこの原理とかを使ってどうにかならないかしら……」

「てこ、かぁ。……だとして、長い棒とかがないしなあ……魔法で出そうにも、魔法式を知らないし……」

 

 ロンが竪琴を見る。

 彼の視線を追っていたハリーは、眉間にしわを寄せて考えていたが、溜め息を漏らした。

 

「やっぱり……起こすしかない、か」

「起こすだって!? 何考えてるんだよハリー」

 

 とんでもない、といった風に両手と首を振るロン。

 しかしハリーも、嫌そうな顔を隠そうともせずに伝える。

 

「でも、彼ら自身に動いてもらわないとダメだ。前足が乗っかっているとか、そんな程度の話じゃないんだ。ぼく達から何もできないのなら、こいつら自身にやってもらおう」

「でも、どうやって起こす? できるだけ穏やかに、それでいて怒らせずに」

 

 ロンが心底怯えながら、といった風におずおずと申し出る。

 

「あら。そんなの簡単じゃない」

 

 ハーマイオニーがあっけらかんと言うので、ロンの表情は太陽のように明るくなった。

 勉強好きなハーマイオニーなら。ハーマイオニーならなんとかしてくれる。まだあわてるような時間ではなかったということだ。

 期待に輝いたロンと、なにをするつもりだこいつという訝しげな表情のハリーを尻目に、ハーマイオニーはその懐から自身の杖をするりと抜いて、

 

「『レダクト』、粉々!」

 

 竪琴を吹き飛ばした。爆発四散、慈悲はない。

 ぱらぱらと軽い音を立ててあたりに散らばる木片と糸を呆然と目に目にして、ロンは大口開けて、ハリーは目を点にして驚愕を露わにしていた。

 やりやがった、この女。

 知識を豊富に詰め込んだその頭脳は大変頼りになる少女だが、その実やることなすことが大味なところがある。今回はそれがよく表れていた。

 というか思い切りが良すぎだ!

 

「ハァァァーマイオニィィィ――ィイ! なにやってくれちゃってんですかァーッ!?」

 

 ロンが絶叫したくなる気持ちもわかる。

 竪琴が奏でている間、フラッフィーズは赤子もかくやというほどぐっすり眠っていた。

 おそらくあれがハグリッドの言わなかった、フラッフィーズの対処方法なのだろうことは明白。

 つまり、音楽が鳴らされている間は起きなかった。だが竪琴はもうない。

 起きるのだ。怪物が。

 

「だけど君はそれをぶっこわした! 起きちゃうじゃないか!」

「あら。起きないと退かせられないじゃない」

「心の準備ってもんが必要なの、心の準備ってもんがァ!」

 

 ケルベルスというのは、古代よりその存在を確認されている古い魔法生物である。

 古代ギリシアの魔法使いが作り出した人造魔法生物とされる説もあれば、はたまた未確認神的存在による創造物という説もある。そのどちらかだとしても、それ以外の何かがルーツだとしても、相対する魔法使いにとっての驚異は然程変わらない。

 彼らの毛皮は魔法耐性の性質が宿っており、その原理はドラゴンの外皮と変わらない。長い月日の中で幾多の魔法使いから数多の魔法をその身に受け、まるでウイルスに対する抗体のようにさまざまな魔法耐性を手に入れた。というわけだ。

 おまけに頭部が三つもあるという、恐ろしい特徴まで備えている。

 彼らは脳を三つ持っている。つまるところ、下手な呪文は効かないことが多いということだ。

 たとえるならば、睡眠呪文。うまく当てて眠りへ落とすことができたとしても、三つある頭のうちの一つだけしか夢の国へ誘えないだろう。ただでさえ魔法耐性を持つ毛皮を備えているため体を狙いにくいというのに、そんな特徴まで持っていては手に負えない。

 いわゆる、魔法使いの天敵とも言うべき魔法生物のひとつである。

 

「起きたぞ! いいか、合図したら撃つぞ!」

「ロン! 手首のスナップだけを利かせるのよ! 肘に力を入れちゃだめ!」

「わ、わわ、わかってるよ! 大丈夫、いける、いける」

 

 未だに眠そうにとろりとした目つきをしたケルベルスたち。そのうち一頭の三頭犬が、ぐぐ、と強張った体を伸ばすように起き上がる。

 胡乱な目のまま、起き上がったフラッフィー(ブラッフィーかもしれないし、プラッフィーかもしれない)が鼻をひくつかせて、侵入者たる三人を発見する。

 唸り声を腹の底から響かせることで完全に覚醒した頭で、重いまぶたを開いて獲物を見たとき。

 彼(彼女)の意識が吹き飛ぶ直前に見たのは、杖をこちらに向ける三人組であった。

 

「「「『ステューピファイ』、麻痺せよ!」」」

 

 三人の一糸乱れぬスペルが重なり、ひとかたまりとなった魔法反応光がまばゆく輝き、フラッフィーの視界を奪う。

 外皮に魔法耐性があるとはいえ、決してそのすべてを無効化できるというわけではない。三頭犬に炸裂した失神呪文は頭のひとつに吸い込まれ、バツン、とゴムが千切れたような音とともに意識を刈り取った。

 しかしこうべを垂れたのは、ハリーらからみて左の頭だけ。

 他二つは、兄弟がやられたことに怒り狂って唸り声をさらに激しくしただけだ。

 その威嚇の声は、どうやら残りの二頭にとってちょうどいい目覚まし時計になってしまったようだ。ゆっくりと、眠気を振り払うようにゆっくりと起き上がってくる。

 これは非常にまずい。

 ただでさえ一頭で命の危険を感じているというのに、それが三倍になっては手に負えない。

 

「だめだ! 左側の頭が気絶しただけだ!」

「三頭犬ってそれぞれの意思が独立してるのね! 脳は三つあるのかしら? 肉体への命令系統がどうなってるのか興味深いわ!」

「ハーマイオニー、きみいまそれ言うこと!?」

 

 三人は今しがた魔法を使ったばかりで、連続して使うには少々の無茶が必要になる。

 それはハリーの得意分野だ。マダム・ポンフリーに怒られたばかりだが、この際そんなものは知ったことではない。スイミングで苦しくなって、さあ息継ぎをしようと思ったがもう少し頑張って潜る、という感覚に近い。

 ハリーはホースを潰して中に残った水を押し出すように、体内エーテルから魔力を無理矢理にかき集めて呪文を叫ぶ。

 

「跪け! 『スポンジファイ』!」

 

 杖先から飛び出したカナリアイエローの魔力光が、三頭犬の前脚の付け根に命中する。

 何も起こらなかったことに、二つの頭が怪訝な顔をしたかのように見えた。再び唸りはじめ、驚かせた憎々しい黒い頭のちんちくりんを引き裂こうと、一歩前に出た、瞬間。

 関節を外されたかのように、三頭犬がよろけた。

 

「……っ!?」

「ふふ。君は果たして、肩がスポンジになっても立っていられるかな」

 

 嗜虐的な笑みを浮かべたハリーに、ロンが後ずさった。ドン引きである。

 生き物が立つという状態を維持するには、意外とかなりの力を入れているということがわかる。先程ハリーがかけた呪いは弾力化呪文という魔法であり、魔法反応光に触れた対象をスポンジ状に変化させる、変身術の一種である。

 では、力を入れねばならぬ部分が柔らかいスポンジになれば、どうなるのか。

 そうすると自然、重力に従って巨体が崩れ落ちることになる。

 

「やったわ、ハリー!」

「まーぁねん」

 

 三頭犬のうち一頭を無力化した賛辞に、ハリーは振り返って得意げな顔を披露した。くるくるくる、とガンスピンのように杖を回して口を吊り上げている。

 ロンがため息をついたその時、ハーマイオニーにぐいっと肩を引っ張られて、彼女の隣に引きずり出される。何をするんだよ。という間もなく、彼が見た光景は、残りの三頭犬が完全に敵意をむき出しにして此方を睨みつけているという恐ろしいものだった。

 ひゅい、とロンが息を飲む。

 それを合図にしたのかどうなのか。

 残りの二頭が、攻撃を開始した。

 片や刃物のような牙を並べた大口を開けて飛びかかり、片やヒトの骨など粉微塵にできるであろう凶悪な爪を振るってくる。

 魔法使いの天敵のひとつたる、ケルベルス。

 だが。

 人間という生き物には、天敵など存在しない。

 

「『ステューピファイ』ッ!」

「うぃっ、『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

 

 素早く杖を抜き放ったハーマイオニーの唱えた失神呪文が口中へ飛び込んだと同時に、幾分か遅れてロンの放った浮遊呪文が顎を持ち上げて強制的に口を閉じさせる。

 結果的に、そのタイムラグが命運を分けた。

 逃げ場のなくなった呪文が真ん中の頭の口内で暴れに暴れた結果、噛みつこうとした三頭犬の瞳がぐるりと上を向き、そのまままぶたの裏へ消えていく。どうやら、身体への命令権は真ん中の頭にあるらしい。左右二つが、驚きながらも未だ吠えていることから、それが予想できる。

 ハッと気づいた二人があわててその場から飛び退くと、身体を動かせなくなった三頭犬が先ほどまで二人のいた位置に倒れこみ、盛大な音と埃を撒き散らした。

 もう片方はどうなった。とロンが振り向くと、そこには三つの頭すべてから牙が、二本の前足から爪が抜け落ちて情けない鳴き声を漏らす三頭犬がいた。

 ハリーが杖を構えたまま息を整えている姿を見て、ロンが驚きと心配の声をかける。

 

「ハリー! だいじょうぶかい?」

「大丈夫……だよ。ちょっと、さすがに怖かったからね……。一頭仕留めたからって、調子に乗るもんじゃないな」

 

 額には汗が浮いている。

 ハーマイオニーが推測するに、恐らく武装解除呪文を極限まで魔力を込めて射出したのだろう。力を込めて物を殴れば相応の破壊が起きるように、魔力を込めれば相応の威力を持たせることができる。同じ呪文でも人によって効果のほどが違うのは、こういった理由も大きい。

 更には、魔法耐性のある外皮に阻まれないよう、眼球めがけて魔法を放ったのも疲労の原因となっているようだ。ぎりぎりまで引きつけてからの、武装解除。さぞ緊張したことだろう。

 三頭の三頭犬を無力化したハリーたちは、仕掛け扉に粉々呪文をかけて、木製の扉を粉砕する。

 無力化したとはいえ殺害していない以上、攻撃手段のひとつを奪ったにすぎない。

 現に、最初に無力化したはずの三頭犬などは這ってでも此方へ近づこうとしているではないか。

 きっとショックから回復した彼らがその気になれば、ハリーたちの小さな体はたちまちのうちに八つ裂きにされるか、本日のディナーになっていることだろう。

 

「飛び込め!」

 

 ハリーの鋭い声を合図に、三人はかつて仕掛け扉だった床の穴へと躊躇なく飛び込んだ。

 せいぜいが地下一階ぶんくらいの高さだろうと思っていた三人は、落ち続ける感覚に恐怖を覚えた。まさか。いったいどこまで落ちているんだ。

 ひょっとすると、三頭犬たちを突破するという無理矢理な手段で仕掛け扉を降りた者には、永遠に落ち続ける呪いがかけられる。などという自動起動式の魔法陣てもしかけられていたのではないか。と豊かな想像力でハリーは頬を引きつらせる。

 なにやら紫がかった色をした地面が見えてきた。この速度でたたきつけられれば、仮に床にクッションがあっても意味をなさず、汚い花火となるだろう。悲観したロンが早くも「もうおしまいだ!」と叫んでいるが、ハーマイオニーは一人落ち着いていた。落下しながらも苦労して体勢を整え、杖腕に持ちっぱなしだった自分の杖を床に向け、叫んだ。

 

「『スポンジファイ』、衰えよ!」

 

 それは先ほどハリーが唱えた呪文であり、対象をスポンジのように弾力のあるふわふわしたものに変じてしまう魔法である。一年生で習う呪文の中では、なかなかに難易度の高い呪文だ。

 ハリーが使ったときは杖先から魔法反応光がビームのように飛び出す、光線射出型の魔法だった。

 しかしハーマイオニーの使った弾力化呪文は、はたしてどのような細工をしたのかスプレー状に光が広がっていく。ハーマイオニーが広範囲をスポンジ化したおかげで、三人はクッションのような床に叩きつけられた。

 かなりの衝撃を殺す事ができたが、それでも痛いものは痛い。

 しばらくの間痛みを紛らわすために三人が三人ともごろごろとのた打ち回っていたが、どこか安堵して弛緩した空気が蔓延している。それもそうだ、十一年の人生で頭が三つある犬を三匹相手にするなどという、奇妙かつ危険な体験を終えたのだから。

 

「痛ってぇぇぇ~~~……けど、これでようやく助かっ」

「――って、ない! 助かってなんかないぞロン!」

 

 緊張と恐怖から解放された、軽い調子のロンの声を遮ってハリーが叫ぶ。

 なんだろうと億劫そうに振り向いたロンが見たのは、何がなんだかわからない、太くてぬるぬるした触手のようなものに巻きつかれたハリーとハーマイオニーだった。

 これはいったい何だ? と心底驚いたロンだったが、次の瞬間には自分も同じ目に逢っていた。

 ロンが叫ぶ。

 

「ら、乱暴する気なんだな!? 魔法薬学の教科書みたいに! 魔法薬学の教科書みたいに!」

「ロンおまえちょっと黙ってろ!」

 

 どこからか電波を受信して頬を染めて絶叫するキモチワルイ赤毛のノッポに罵声を浴びせ、ハリーは自分の太ももをまさぐる触手を引き剥がす。

 彼女はこの触手の正体を知っていた。

 《悪魔の罠》。

 魔法植物の一種であり、不用意に触れた生物を触手のように動く極太の蔓で巻き上げて、そのまま絞め殺す。事切れた獲物はそのまま簀巻きのようにぐるぐる巻きにして保存食とし、栄養が必要となったら蔓の表面から溶解液を滲ませて獲物を溶かし、吸収する。そうして地中から得られなくなった栄養を摂取するという、食虫植物ならぬ食ナンデモ植物だ。その性質上、魔法史によれば、十二世紀あたりの魔法使いが宝を守りたい時などの罠として設置していたそうだ。ゆえに、悪魔の罠などという名前がついてしまった。

 その大きな特徴は、動物だろうが植物だろうが問わない恐ろしいまでの雑食性。数年間は栄養を摂取せずとも生存可能で、たとえ粉微塵に千切れても生命活動に支障のない異様な生命力。植物のくせに葉緑体を持たず、紫外線や熱にことさら弱く、日の当たらない地下空間などに生息すること。

 そして、捉えた獲物は逃がさないということ。

 

「はっ、ハーマイオニーぃ! どんどん巻きついてくるよぉ!」

「わかってるわよ! ロン、落ち着いて! これは悪魔の罠っていう魔法植物なのよ。スプラウト先生がおっしゃっていたわ。というか今日のテストに出たでしょう? 何やってるのよロン」

「へぇー。君が名前を知っていて実に幸いだよ、ああ! 名前よりこいつをどうしたらいいかを知りたかったなぁ前から思ってたけど君らちょっとズレてるよ本当!」

 

 ロンが涙ながらに絶叫する。

 しかしそれに対するハーマイオニーは、ずいぶんと落ち着いたものだ。

 それもそのはず。対処法を知っている者にとって、悪魔の罠とは脅威になりえないのだ。

 恐ろしいほどの雑食性を有する魔法植物、悪魔の罠。そんな彼らでも、食べられないものはある。それは無機物だ。元来が抵抗すらしない石ころやらゴミやらを捕縛して、さらにそれを溶かしたとして、そんなものが彼らにとっての栄養になるだろうか。もちろん答えは否だ。むしろエネルギーの無駄遣いである。

 それを逆手にとった攻略法が、動かない事。ただそれのみだ。

 自らを無機物と誤認させることで、悪魔の罠に見逃してもらうという単純かつお手軽な防衛術があるのだ。他にも、植物の宿命として火を放たれれば燃やされてしまうし、紫外線が苦手という特徴を利用して太陽の光を当てて縮こませる、という対処法もある。

 だが魔力を消費しない方法があるならば、この先も試練は続く以上それを選ばない手はない。

 そういった理由でじっと石のように静止していたハーマイオニーが、ハリーの鋭い叫び声で身じろぎしてしまった。そのせいで悪魔の罠に生物であると認識されてしまい、ハーマイオニーの細い腰に触手が巻き付き始めた。

 ロンはもう簀巻きだ。

 

「は、ハリー!? なにするのよ!」

「だっ、だめだハーマイオニー! 動き続けるんだ! とにかく動かないとだめだ!」

 

 ひどく焦った様子で、ハリーが暴れている。

 もはや服の中まで触手に巻きつかれているようで、不快げな顔をしているのが見て取れる。

 しかしそれでも激しく抵抗し、その分だけ悪魔の罠に締め付けられていた。

 ハーマイオニーが叫ぶ。

 

「ハリー! あなた悪魔の罠を知らないわけじゃないでしょう!?」

「知ってるさ! 知ってるけど……説明の手間が惜しい! ええいぬるぬるして鬱陶しい! 『インセンディオ』、燃えろぉっ!」

 

 ハリーは燃焼呪文を唱え、杖から真っ赤な炎を吹き出す。

 熱に弱い悪魔の罠は、火の粉から逃れようとして蔦を縮ませる。少しでも表面積を小さくして、着火しないようにするためだ。

 それにより獲物を手放した悪魔の罠は、ハリーを中心にざざざぁっと引いていく。

 触手に捕まっていたハリーもハーマイオニーも、ロンも解放される。二階分の高さを持つ部屋の、二階の床に相当する位置に悪魔の罠を敷き詰めていたようだ。天井から床に落ちるかのような高さで三人は落下し、腰を打ったり尻をぶつけたりと痛い目に逢っていた。

 

「どうしてあんなことしたのハリー! 危ないじゃない!」

「そう怒らないでよハーマイオニー。ほら、足元を良くみて」

 

 掴み掛らんばかりに怒っていたハーマイオニーが、はっと息を呑む。

 足元に転がっていたのは、暗赤色の植物だった。ハリーの放った火でくすぶっているものや消し炭になっているものもあるが、この特徴的な棘だらけで、しかも歯の生えた奇妙な植物は見間違いようがない。

 冷や汗を流して、ハーマイオニーが震えた声でハリーを抱きしめた。

 

「ああ、ああ! ありがとうハリー! 助かったわ、こんな、こんなのって……」

「は、ハーマイオニー? いったいどうしたのさ?」

 

 ハリーの言わんとしていることがわからないロンが、急に震えだしたハーマイオニーを訝しんで声をかける。

 自身が危険な状態であったことに気づいてしまったハーマイオニーの背中を撫でて落ち着かせながら、代わりにハリーが彼の問いに答えた。

 

「燃え尽きかけてる植物、あるだろう。赤っぽいやつ」

「う、うん。これがなにか? 悪魔の罠だろう?」

「違うんだ。それは《毒触手草》、または《有毒食虫蔓》っていう魔法植物で、かなり悪質なやつなんだ。具体的にいうと、後ろから掴み掛ってきて、鼻の穴や耳の穴に蔓を突っ込んできて、中に種を植え付けるっていう」

 

 ロンの顔がゆがんだ。想像してしまったのだろう。

 説明しているハリーの顔も苦々しげで、これの存在を知ってしまったとき、できるならばこんな知識を得たくはなかったと思っていた。

 魔法省からC級取引禁止品に指定されているため、取扱いには省の許可と専門のライセンスが必要となる危険な植物である。もちろんホグワーツ一年生たるハリーらがそれに対する術を持っているはずがないので、毒触手草の毒を注入された時点で、終わりだ。

 他にも棘だらけの茨のような蔓で突き刺してこようとする肉食植物《スナーガラフ》や、ハリーたちが今立っている地面には泣き声を聞いた者は命を落とすと言われている成体の《マンドラゴラ》が生えているなど、完全に殺しにかかっている構成である。 

 震えあがったロンは、早く扉の向こうへ行こうと催促する。

 ハリーたちにも異論はなかった。

 部屋の隅に生えている木の根元にいる、ボウトラックルを警戒しながら、ハリーたちは扉に手をかける。

 ここまでで、試練はたった二つだ。

 

「か、カギだ……」

 

 扉の向こうで、ロンが呟くのが聞こえる。

 手をつないだハリーとハーマイオニーが、誘い込まれるように扉をくぐる。

 するとそこには、大量の鍵が飛び回るという異常極まりない光景が広がっていた。

 

「なんだこれ? 変身術……じゃないな、妖精の魔法っぽいな。フリットウィック先生か?」

 

 風を切って飛び回る鍵たちは、まるでクィディッチで使われる金色のボール、スニッチのような翼を忙しなく羽ばたかせていた。

 スニッチは高速飛行する黄金の鳥、スニジェットという魔法生物を模して造られている。

 ならばスニッチの羽を生やした鍵は、何と呼ぶべきなのだろう。

 ロンが次の部屋への扉を見つけ、開錠呪文で開けようとするも、失敗する。ハーマイオニーが代わりにやってみたが、これも無意味だった。どうやら扉に魔力そのものが通らないようになっているようだった。

 ハリーに向けて二人がお手上げだ。とジェスチャーを見せてきたので、ハリーは部屋を観察した。

 飛び回る無数の鍵鳥。異様に天井の高い灰色の部屋。そして――

 

「ハリー、それ……。ああ、そんな……」

 

 ロンが情けない顔で、情けない声を出す。

 彼の指差す先にあるのは、立派な台座だった。

 なにかを乗せていた跡がある。ハリーはそれを、そこに乗っていたものがいったい何なのか、即答することができる。なにせ毎日のように見ているのだ。見間違うわけがない。

 

「ああ。……箒だね」

 

 彼の問いに答えたハリーは、台座の周りに散らばった木片を眺める。

 執拗なまでに破壊されており、一番大きな欠片でもハリーの腕程度の長さだ。とてもではないが、それに乗ることはできないだろう。

 もはやそれは箒ではなかった。元箒の現ゴミだ。

 鍵を見るうちに、この部屋での試練がわかってきた気がする。

 天井の高い、今までよりも少し広めの部屋。

 スニッチ。……モドキの、金鳥が飛び回る。

 そして箒。今では木片だが、この部屋を作ったホグワーツ教師の思惑は明白だ。

 飛んで、鍵を手に入れて、開けろ。箒なしで。

 そういうことだろう。

 

「どうしようこれ」

 

 ハリーが引きつった笑顔で、二人を見る。

 おい。目を逸らすんじゃない。

 




【変更点】
・実技の試験受けちゃダメよ宣告。慈悲はない。
・ネビルなんていなかった
・過激な女、ハーミーちゃん。女は度胸。
・フラッフィーズは実力で突破。帰りのことは度外視。
・悪魔の罠単体だと試練にならないので。
・オメーの箒ねえから!

【オリジナルスペル】
「クェレール、取りだせ」(初出・10話)
・別空間に仕舞った物品を取りだす魔法。物品は片手で持てるサイズと重量に限られる。
 元々魔法界にある呪文。反対呪文は「リムーヴァ、仕舞え」。

「スポンジファイ、衰えよ」(初出・PS2ゲーム『賢者の石』)
・不安定な魔法で、術者の認識により効果が若干変動する。今回はスポンジ化。
 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。PC版・秘密の部屋における効果。

【賢者の石への試練】
・第一の試練「三匹の三頭犬」森番ハグリッド
 三頭犬三匹を出し抜いて仕掛け扉をくぐる必要がある。

・第二の試練「悪魔的な罠」スプラウト教授&スネイプ教授
 悪魔の罠に混じって毒触手草(棘だらけの暗赤色の植物。長い触手に触ると危険。原作2巻登場)等が混じっており、焼却以外の脱出を選ぶとほぼ確実に死亡する。


魔法生物やら魔力やら勝手に色々付け足していますが、だいたい独自なのでご注意を。
人間同士のバトルだと私の心が燃えて筆もタラントアレグラなのですが、不思議なモノです。はやく対人戦を!
ハリー達は生き残れるのか! 賢者の石を狙う何者かは無事最後の部屋に辿りつけるのか! がんばれ何か色々と!
ここから試練ラッシュ。更新速度もイモビラス! 頑張れ私! Cheering Charm!


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11.オーバーロード

 

 

 

 ハリーは屈伸運動をしていた。

 ローブは脱いで、ロンに持ってもらう。

 ネクタイを解いて、丸めてポケットにしまいこむ。

 ブラウスを第二ボタンまで開けて、胸まで涼しい空気が入るようにする。

 袖を肩まで捲って、涼しくかつ動きやすく。華奢な二の腕に冷たい空気がふれて心地よい。

 万歳状態から両手を組んで上体を反らせば、ぱきぱきぱき、と心地よい音が背中から鳴る。

 それは宙を舞い踊る鍵鳥たちの羽音に隠されて消えていった。

 

「それじゃあ、いいわねハリー。制限時間はだいたい五分くらいよ。でもずーっと持続させるってのはやったことがないから、気持ち半分くらいを目途に、出来るだけ早く決めてね」

「君ならできるさ、ハリー。だって君は一〇〇年ぶりの最年少シーカーだもの!」

 

 ハーマイオニーの確認と、ロンの激励。

 ふたつの声を小さなその背に受けて、ハリーはとんとんとその場で跳んだ。

 足首の調子はいい。挫くことはないだろう。

 手首も問題なし。杖のスナップも利く。

 両肩も大丈夫だ。多少無茶な挙動をしても痛めはしまい。

 膝、腰、首、背中、股関節、すべて問題なし。オールグリーンだ。

 魔法の訓練や勉強のみならず体力づくりを怠らなかったという努力の果実が、今この時たわわに実っている。それはさぞや甘美なる味であろう。

 もう一度肩をぐるぐると回して、ハリーは拳を横に突き出し、親指を天井に向けた。

 

「いくわよハリー! 『ヴェーディミリアス』!」

 

 合図に従い、ハーマイオニーが杖を振るう。

 すると彼女の周囲に、明るい水色をした正方形の板が複数出現する。

 それらはハーマイオニーの指揮に従って、部屋のそこかしこへと飛んで行った。

 足場現出呪文。

 もとは高所における作業などで使うために開発された、歴史の浅い若い呪文である。

 煌めく鍵鳥たちが飛び交う中、ハリーは目を見開いて部屋全体を眺める。

 クィディッチで培ってきた目。

 獣のように細められた明るいグリーンの瞳は、どのような素早いものだろうと見逃さない。

 ひょい、と水色に光る足場に飛び乗って、ベルトに挟んだ杖を抜き放った。

 

「『グンミフーニス』、縄よ!」

 

 杖先から飛び出した緑色の縄が、石造りの梁に巻きつく。

 ぐいぐいと幾度か引っ張ってしっかり巻き付いていることが確認されると、縄はまるでメジャーのように勢いよく杖先の中へと巻き戻っていった。

 それに引っ張られる形でハリーが天井まで飛び上がり、猫のように梁の上に着地した。

 巻き上がる途中、掻き抱くような動作で鍵をとらえようとしたが、手のうちには何も入っていない。飛行する動作はゆったりとしている割に、回避に関しては存外素早い。失敗だ。

 ちりりりり、と鍵鳥たちがハリーの方を向いた気配を感じる。

 どうやら敵と認定されてしまったらしい。

 

「うっく、痛っ! なんだこいつら、噛む……違う、つつく? なんか突っついてくる!」

 

 鍵鳥にくちばしなどという、上等なものはない。

 あるのはスニッチのような透明で素早く動かせる翼。

 そして金属製の細長い体。

 たとえくちばしがなかろうと、そのような細く硬いものの先端が体当たりしてきたらどうなるか。

 痛いのだ。死にはしないが、それが何羽も、何百羽もいて、かつそれらすべてがハリーに向かって突進してきたら。どうなるか。

 恐怖心を煽られながらも、ハリーは鍵鳥を振り切って、梁から跳んだ。

 

「『グンミフーニス』!」

 

 自由落下の最中に、途中の壁へ縄を撃ち込む。

 通常の縄ならそんなことはありえないが、これは魔力で編んだ魔法の縄だ。

 魔力は純粋な高エネルギー体。物理的に物体を破壊するにはもってこいのものである。

 縄が壁を貫き、しっかりと固定されたらしくハリーの体を引っ張った。落下中の体重を支えたがゆえに肩が外れるかと思うほど痛かったが、そこは無視をする。

 目の前にいるのだ。お目当ての鍵鳥が。

 まず間違いないだろう。ハリーがジャングルの猿のように部屋中を跳びまわる中、彼女の眼前にはよろよろと疲れたように飛ぶ鍵鳥がいる。御自慢の羽が折れている。賢者の石を狙う下手人がだれかは知らないが、そいつが捕まえた時に折れたのだろう。しかも、身体の部分(とはいっても元は鍵なので鍵そのものだ)は錆びついていて、いかにも古そうだ。

 ハーマイオニーが出現させた足場に着地と同時に駆ける。ロープアクションだと、どうしても素早さには箒で劣る。両者を比べたとして勝っている点は、トリッキーな動きが期待できるところだろうか。だが相手が魔法生物ならばまだしも、魔法をかけられた通常の鍵ならば魔法式(プログラム)通りに動くだけだ。それもあまり期待できない。

 次々と足場を飛び下り、宙を自在に飛び回る鍵を追いかける。

 

「この……っ、なかなかに、読みにくいっ」

 

 シーカーたるその素質を最大限に生かし、ハリーは鍵の動きを先読みする。

 どう手を伸ばせば、どんな反応をするか。そう動けば、ああして逃げるか。

 体感時間ではいくら時間がたったのか、もはや把握できない。優秀なクィディッチ選手ならば感じたことのある、コンマ一秒が何十秒にも何分にも、時間が引き伸ばされる、快感にも似たあの感覚。あれを何度も繰り返せば、実際の時間の流れがわからなくなってしまっても仕方がない。

 実際にハーマイオニーの叫ぶ声は、ハリーに届いていなかった。玉のような汗を流し、前髪を額に張り付けて、アクロバティックに鍵を追い続ける。その口元は笑みの形に歪んでおり、この状況を楽しんでいることがよくわかった。

 よくわかっただけに、危険だった。

 

「ハリー! はやく! もう持続できないわ!」

「はやくしてくれハリー! ハーマイオニーの集中力が限界なんだ!」

 

 聞こえていないだろう、とわかっていながらも叫ばずにはいられない。

 現出した足場を駆け、壁や天井を蹴り、ロープで渡る。あらゆる手段をもってして鍵を追い詰めるハリー。まるで本当に箒なしでクィディッチをやっているようなその姿は、実に輝いていた。

 だが輝いてもらっちゃ困る。先に鍵を捕ってもらわねばなるまい。

 

「ああっ! ハリー、気をつけて!」

 

 冷や汗を流したハーマイオニーの足元が、一瞬ふらつく。

 長時間もの集中のあまり、魔力枯渇に似た症状を引き起こしたのだろう。マグルでいう貧血だ。

 ロンが彼女の肩を支えたが、もう遅い。

 ハリーは今しがた着地したばかりの足元が消滅したことに気づいて、酷くあわてた。縄呪文を天井に撃ち付けて、一気に上昇する。ハリーを追いかけていた鍵鳥たちも続いて上昇。あの集団につかまれば、きっとずたずたになるだろう。

 それはまずい。縄を巻き上げている途中で切断し、近くの柱を蹴って目的の鍵鳥へと向かう。

 柱と柱の間を縫うように飛び回る鍵を、ハリーは同じく縄魔法で飛んでゆく。

 特別なことは何もできない。

 先ほどからハリーがやっているのは、鍵鳥の考え方を読み取るための追いかけっこ。

 そんな狩人たるハリーから逃れるために、鍵鳥は変則的な動きでカーブを描く。しかしそれはハリーの思う壺だった。ハリーが背後から近づいて腕を伸ばせば、鍵はほぼ確実に、体があって腕を曲げにくい方へと動く。つまり現在ハリーが鍵を捉えようと左手を伸ばすと、鍵はハリーの右手側へと動いて避けた。

 彼のそんな挙動をこの数分のやり取りで把握したハリーは、小手先の技で捉えるのは難しいと判断した。カーブで逃げるのならばショートカットしてやる。と言わんばかりに、鍵の進行方向とはズレた位置に縄を撃ち込む。

 それは鍵の向かおうとしていた先であり、鍵からしてみれば目の前に突然ハンターが現れたようにしか見えなかっただろう。

 そうしてハリーは、むざむざハンターの懐に飛び込んでしまいあわてて逃げようとした鍵の捕獲に成功する。左手の中で暴れる鍵を握りしめて、ハリーは梁から飛び降りた。

 目当ての鍵鳥を捕まえたはいいものの、他の鍵たちはまだ追いかけてきているからだ。

 

「ハーマイオニー! 受け止めて!」

「んっ!」

 

 床に飛び降りたハリーは、ハーマイオニーに向けて鍵鳥を投げ飛ばした。

 少々危なかったもののしっかりキャッチできたそれを、先ほどはうんともすんとも言わなかった鍵穴にねじ込む。そのあまりにも乱暴な扱いに、鍵が羽根をばたつかせて抗議した。

 手をはたかれて驚いてしまい、思わず手を放したハーマイオニーの隙を見て、鍵が羽ばたいた。これで逃げられる、と鍵穴から離れて飛び立った。そのとき。

 飛び込むような挙動で鍵に近づいたロンが、その長い腕を活かして逃げ出した鍵鳥を見事にキャッチした。ハーマイオニーの時とは比にならぬほど暴れに暴れる鍵だったが、ロンは握る力を全く緩めない。さきほどの彼女よりもさらに乱雑な扱いで鍵穴に突っ込み、抵抗空しく鍵をひねって開錠に成功した。

 それを見てハーマイオニーは感謝するより何するよりも早く、ハリーに叫ぶ。

 

「ハリー! 開いたわ、来て!」

「わかったーっ」

 

 梁の上を走り回っていたハリーが、床に弾力化呪文をかけながら飛び降りる。

 結構な高さから飛び降りたにもかかわらず、ゴムのようになった床のおかげで怪我なく着地したハリーが、猛然と駆け抜ける。ハリーの通った道には、天井付近からダイブしてくる鍵鳥たちが勢いよく床に突き刺さって、奇妙な模様を描いていた。

 しかし、このままだと間に合わない。

 箒に乗っていれば、余裕で扉を潜り抜けて、その瞬間に二人が扉を閉めることで鍵を振り切ることも容易だったことだろう。

 その箒は今や、ゴミクズだ。自分の足で行くしかない。

 このままいけば間に合う。

 このタイミングなら、と思ったところで。

 現実は厳しかった。

 

「……ッ、が、ぁ……!」

 

 ハリーの左足、そのふくらはぎ。

 一本の鍵が、深々と突き刺さっていた。

 彼女には知る由もないことだが、その鍵鳥はあまりに密集しすぎた鍵鳥たち同士でぶつかり合い、勢いよくはじかれた一羽であった。はじかれた先は標的たる少女の未来予測位置。なればこれ幸いにと突っ込んできたのか、魔法式通りにそのまま突っ込んだかのどちらかだろう。

 ハリー自身は、この鍵がどうして自分に刺さったのかはよくわかっていなかった。

 だが、現在の状況が非常にまずいことだけはよくわかっていた。

 足が一本、だめになった。

 それは機動力の低下を意味する。機動力の低下はすなわち、回避力の低下を示す。

 それは、それは。

 ハリーは天井を見た。

 綺麗に瞬く星のような、幻想的な光景が広がっている。

 それは鍵鳥たちの刃がハリーを串刺しにしようとする、殺意の星だ。

 盾の呪文で防げるのか。と一瞬思案して、きっとそれでは守りきれないということに考えが至り、そしてもはやお手上げなのだと気付いたハリーは、薄く微笑った。

 ここまでか。

 

「おい! おいハリーッ! 諦めるな!」

 

 しかし。

 その悲観的な思いは、ロンの鋭く大きな叫び声によって中断された。

 ロンが、扉を開けて待っているロンがその大きな掌をこちらへ差し伸べている。

 ハーマイオニーが泣きそうな顔で、ロンに預けたハリーのローブを抱きしめている。

 そういえば、そうだ。

 ここであきらめたら、彼らが困るじゃないか。

 にま、と笑顔になったハリーは、止まりかけていた足を再び動かして。

 そして。手放しかけた杖を、ロンに向けた。

 

「えっ、ちょ。待っ」

 

 必死に手を伸ばしていた必死な形相のロンの顔が、呆けたそれになる。

 

「『グンミフーニス』! ロン、引っ張ってくれ!」

 

 ハリーの杖先から縄が飛び出し、ロンの左腕に巻きつく。

 ままよ、と大声で唸りながら、ロンはそれを力の限り思い切り引っ張った。

 メジャーを巻き戻すように、その場から滑るように、散々振ってから開けたコーラの栓のように、巨人と綱引きをした庭小人のように。ハリーの小柄な体は扉に向けてすっ飛んでいく。

 ロンが抱き留めて、しかし勢いが強すぎるために失敗して。

 ハーマイオニーをも巻き込んで、三人はもんどりうって床に倒れこんだ。

 瀑布の如き鍵鳥の羽音を聞きつけて、ハーマイオニーは乱れた前髪をかきあげながら上体を起こし、杖を振るう。すると蹴り飛ばされたかのように、乱暴に扉が閉じられる。

 続いて鳴り響いたキツツキのような連続音は、ひょっとしなくても扉に鍵鳥たちが連続して突き刺さっている音だろう。何十秒も音がやむ気配がないので、もしハリーがあそこで諦めていたらと思うと、恐ろしくて仕方がなかった。

 

「助かったよ。ありがとう、ロン」

「どういたしまして、ハリー。君ってフレッドとジョージ並みに無茶な子かもね」

 

 床の上にロンを押し倒した形になってしまったため、一言謝ってから退いた。

 ハーマイオニーにも抱きしめられて、お小言を言われてしまう。諦めたわね、このバカ。と。

 彼女にも謝罪の意を表明しておいて、そして治療を頼んだ。

 ハーマイオニーは治癒呪文が使える。本来ならば四年生で習うそれを一年生の時点で習得しているというのは、ハリーは実に舌を巻く思いであった。強さを渇望するハリーではあったが、彼女のその知識欲に裏付けされた豊富な知識は得難い武器だ。

 横に寝かせられたハリーは、未だにびちびちと動いて激痛を与えてくる鍵を睨む。これからコイツを引き抜くのだ。

 きっと痛さのあまり身体は暴れてしまうだろうから、力のあるロンに押さえつけてもらった。そしてハーマイオニーのハンカチを口いっぱいに頬張って、思い切り噛みしめる。痛みに呻き、ハーマイオニーに早くしてくれと目で訴える。

 ぶつぶつと呟いて集中力を挙げたハーマイオニーが、杖を振り上げた。

 それと同時に、ロンが力いっぱい鍵をハリーの足から引き抜く。ハリーは声にならない悲鳴を上げた。

 

「あ、ッぐ――――――ッ!」

「『エピスキー』、癒えよ!」

 

 痛みのあまり暴れる身体は、ロンがしっかりと押さえこんでいる。親愛なる豚のおかげで普通の女の子より体力のあるハリーだが、男の子の力にはかなわない。悔しいことも多い非力さだったが、今はそれが功を奏していた。暴れてしまっては、治療をするハーマイオニーの手元が狂ってしまうからだ。

 まるで肉を焼くような音が響き渡り、それと同時にハリーのくぐもった悲鳴も奏でられる。

 痛々しい旋律が収まるころに、ようやくハリーのふくらはぎに開いた穴は、流れる鮮血が蒸発するかのように煙となって消えると、綺麗さっぱり元通りの白い肌になった。

 粘着質な涎とともにハンカチを口から吐き出すと、ハリーは激しく咳き込む。荒い息を吐き出して、ロンとハーマイオニーに礼を言い、ためしに立ち上がってみる。

 違和感と鈍い痛みが残るものの、歩けないほどではない。先ほどのように高速で動くのはひょっとしたら厳しいかもしれないが、それでも前へ行くしかない。

 ヴォルデモート本人だろうと、その手下だろうと。

 奴に組するものならば、倒さなければならない。

 特に帝王の復活など、想像するだに最悪だとしか言いようがない。

 ならば阻止しなければならない。

 賢者の石にて完全復活など、冗談でも言いたくない悪夢そのものだ。

 

「……よし。さあ、行かないと」

「少し休んだら、ハリー」

「だめだ。こうしてる間にも、何者かが石を手に入れちゃうかも」

 

 切羽詰まった表情のハリーの肩に、ロンが柔らかく手を置く。

 いったいなんだ、と振り返ったハリーの頬に、ロンの人差し指がぷにっと刺さった。

 しばらく硬直が続く。

 

「……あにすんにゃ」

「落ち着きなよ、ハリー。それに、たぶん。この部屋で君の出番はないよ」

 

 出番がないとは如何なることか、と訝しんだハリーがロンの指差す方へ目を向けると。

 なるほど。これが予想通りのものなら、ハリーの出番はないかもしれない。

 広々とした部屋を、独りでに点火した松明が赤々とした炎でもって照らしていく。

 揺らめく光に照らされて現れたのは、巨大なチェスボードだった。

 白と黒のチェッカー、ファイルとラインともに八マスずつ、六十四マスのチェスボード。

 黒の軍勢がこちらに背を見せ、白の軍勢がこちらと敵対しているのだろう。

 わざわざバカ正直にゲームをしている暇などないので、白のポーンの間を通って行こうとしたところ、突然動き出して剣で道をふさがれてしまった。退けば、鞘に剣を収めてくれる。

 チェスで勝って進め、ということだろうか。

 ハーマイオニーが言うには、マクゴナガル先生はチェスの元英国チャンピオンだったそうだ。ずいぶんと前の大会の事らしいので、ひょっとしたら戦術は古いかもしれない。勝機があるとしたら、そこだろう。

 さて。

 ハリーら三人組のチェスの腕前はどうなのかというと、まずハリーが一番弱い。駒の動かし方を良く分かっていない時点でお話にならない。友達がいなかったので今までチェスを触ったこともなかったというのも大きいだろう。ダドリーがチェスを食べ物だと思っていたのも大きすぎる要因だろう。

 次点でハーマイオニー。あまり経験はないものの、持ち前の頭の回転の良さで先読みをして、なかなかの実力をつけている。ロンと対局するたびにめきめきと力をつけている状態だ。大人になるまでに続けていればかなりの打ち手になるに違いない。

 ダントツで最強の名をほしいままにしているのがロンだ。彼の手にかかってはハーマイオニーなど赤子同然であり、ハリーなど目を瞑っていても勝てる。事実、ハリーとハーマイオニーを含めたグリフィンドール生四人を同時に相手取って全員と故意にスティールメイトするほどの実力を有しているのだ。

 

「僕に任せてくれ。なに、たまにはいい格好見せたいじゃないか」

 

 赤毛のノッポが、不器用にニヤッと笑う。

 不覚にもちょっとカッコいいと思ってしまったハリーは、照れ隠しのために「ならさっさと指示を出せ」とロンの尻に平手を叩きこんだ。

 乱暴だと抗議するロンは、それでも盤上を観察する。

 これだ、この目だ。

 チェスをする時のロンは、随分と不思議な目をしている。

 まるで未来でも見えているのではないかというほどハリーらの手を読んでくるその先読みの異常さ、チェスに関する知識ならば他の追随を許さないその豊富さ。

 ハリーはロンの指示に従いビショップの位置へ移動して、元々そこに居たビショップに場所を譲ってもらう。我等に勝利を、なんて声をかけられても困る。

 しかし、そうか。

 自ら動いて声を出してというのなら、これは普通のチェスではない。ウィザードチェスだ。駒が自分の言うことを聞いてくれるか如何かは、駒自身が打ち手を認めているか否かに依る。ハリーが行ったウィザードチェスは通常のチェスと同じサイズなので何とも思わなかったが、相手の駒を取る際には、駒が駒を実際に破壊するのだ。クイーンならば持っている剣で一刀両断するし、ナイトならば馬の一蹴りで粉砕する。

 心配になってロンを見てみれば、ナイトの位置についた彼がハリーの表情を見てとってニヤリと笑う。

 

「心配しなくていいよハリー。この試合、勝つのは僕たちだ」

 

 なんとまあカッコいいことを。

 そんなロンを見ていると、彼はその得意げな笑顔を引っ込めて真面目な顔つきになる。

 ビッ。と間の抜けた短い音が鳴る。

 ゲーム開始だ。

 先攻は白。つまり相手側のようだ。

 重々しい音を立てて、白のポーンが動く。

 石造りのホワイト・ポーンはその足音を響かせながら二マス分を歩いて、E4のマスへと進む。そうして彼は腰の石剣に手を置いた。さあ、来い。いつでも殺してやる。物言わぬ対戦相手からそんな幻聴が聞こえる。

 しかし驚くべきは、そこではなかった。

 

「な、んだって……ッ!?」

 

 ロンから驚きの声があがる。

 巨大なチェスボードの、ほぼ真ん中。丁度D6と呼ばれる位置の色が変わったのだ。

 ぐにゃり、とマーブル模様になったと思えば、黒かった床板が白に変じる。

 それと同時。隣り合うD5の黒かった床板が、同じく白に変じた。

 白いD4と、白になったD6に挟まれて、D5が白になる。

 これは、これはつまり――

 

「リバーシ……!」

 

 ロンが絶望的な声を漏らす。

 彼に数瞬遅れてハリーは気付いたが、この試練の悪辣さに思わず悪態をこぼした。

 理解できていないハーマイオニーが疑問を飛ばす。

 試合に集中したいであろうロンにではなく、ハリーに問いを投げるあたりの気遣いが残っているのは彼女がまだこの事態に気付いていないからだ。

 

「は、ハリー? どういうこと?」

「……ああ。これはね、チェスと同時にリバーシでもあったんだよ」

 

 リバーシ。

 これもチェスと同じく、イギリス発祥のボード・ゲームだ。

 チェスと同じく六十四マスのボードを使う。もう一つは、裏表が白と黒のチップを用いる。自らのチームの色をしたチップ二つで、相手のチップ一つを挟むことで反転させ、自分のチップの色に変える。

 そういう単純明快なゲームだ。

 だからと言って簡単なゲームであるというわけではないが、ロンにとって違いはない。

 ゲームルールの内容如何にとっては、だが。

 

「……ルールだ。ルールを確認させろ! 特に、勝利条件をだ!」

 

 ロンが叫ぶ。

 これが侵入者を排除するための罠ならば、これほど滑稽なことはない。

 だが、三頭犬のときの仕掛け扉然り。

 悪魔の罠での焼却という脱出方法然り。

 此度のチェスで勝てば通れるということも、然り。

 正解が用意されているということは、これらは排除ではなく試練なのだ。

 ならばこそ、挑戦者の求める声には応じるはず。

 ロンのその予想は正解だった。

 白のキングが、その手に持った剣を床に打ちつけると、魔法文字がするりと流れ出す。

 空中に描かれた文字は、『同時に勝利せよ』と素っ気ない文章。

 だが、それにロンは苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

 

「……チェスとリバーシを同時にやって、同時に勝利しろってことかよ」

「そんなの! できるわけないじゃない!」

 

 ハーマイオニーが悲鳴をあげた。

 ロンの強さを良く知っているハリーだが、これはチェスではない。

 一体どうしたらいいのか分からないが、ロンは大きく深呼吸すると眼光鋭く言い放った。

 

「――約束する。君達を取らせはしない」

 

 ロンが言い放つと同時、駒に指示を飛ばし始める。

 チェスでポーンを動かすと、次はリバーシの指示を飛ばす。

 ポーンとポーンが剣で斬り合い、黒いマスが白いマスを挟んで色を変える。

 白のビショップが黒のポーンを貫いて、ハリーの目の前でポーンが爆散する。ロンがナイトに指示を出せば、一足飛びにポーンの頭を飛び越えて白のビショップの首を刎ね飛ばす。

 相手が複数の黒マスを挟んで白に変えれば、ロンはそれを上回る数を挟んで縦横斜めを一挙にひっくり返す。

 チェスにもリバーシにも疎いハリーでも分かった。

 激戦だ。

 それも有り得ないほどの。

 相手が魔法式(プログラム)に従って最良の手を選んで動いているのに対して、ロンは自前の頭脳で逐一状況を判断し、己の出せる最善の手を打っている。

 そう、最善だ。最良ではない。

 ロンには相手と違って、行動に制約がついている。

 自分自身、ハリー、ハーマイオニーの駒を絶対に取らせないという制約が。

 これを破るわけにはいかない。

 ハリーとハーマイオニーは当然だ。なぜなら彼女らは女の子だ。古い考えかもしれないが、敬愛する父たるアーサーは常々言っていた。女の子を守るのが、男の子の仕事なのだと。ロンもそれに異存はない。

 自分は二人より劣っていると自覚はしている。そそっかしいし、成績も良くない。だが、この場面だ。この時がきた。親友だと思っている彼女たち二人を守るのに全力を尽くせるなど、これ以上の名誉はないだろう。誇らしいのだ。

 そして自分自身も取られるわけにはいかない。

 チェスだけなら、自分を取られることを前提に行動して、あと一手のみをハリーたちに任せても大丈夫だろう。チェックメイトをしてもらうだけの簡単な仕事だ。

 だが事は違う。リバーシもしなくてはならないのだ。

 こちらも自分が倒れたあとで、指示を出してもいいのかもしれない。

 しかし。だが、しかし。

 そう上手くいくはずがなかった。

 フル回転させた脳が悲鳴をあげ始め、激しい頭痛に集中力をかき乱される。

 つ、と鼻からネバついた血が垂れてきた。

 それに気づいた一瞬が、集中力のほつれであった。

 

「しまっ……ッ!」

 

 一手。

 そのたった一つを、ミスした。

 ゲームとしては、致命傷ではない。それは悪手ですらない。

 だが。今この時において。

 それは、やってはならない手であった。

 ハリーは取られない。ハーマイオニーは届く位置に居ない。

 ならば。

 標的は、――自分だ。

 

「ロォォォ―――ンッ!」

「いやァァァ―――ッ!」

 

 相手のクイーンが、ファイルをひとっ飛びして此方へ跳んできた。

 振りかぶられた石剣の動きが、スローモーションでよく見える。

 まずいな、と思った思考が口を突いて出た、その瞬間。

 石剣はロンの乗った馬の首を刎ね飛ばし、返す刀でロンの脇腹を貫いた。

 熱い。

 最初の感想はそれだった。

 次にわき上がるのは、嘔吐感。

 今までの人生で感じたことのない嫌悪感が胃を満たして、ごぼりと粘着質な血が溢れる。

 少女二人の、絹を裂くような悲鳴が聞こえる。

 意識が遠のく。

 それは決して手放してはならないものだと分かってはいる。

 分かっているからこそ。

 ロンは、手に届く範囲に落ちていた石の欠片を拾って己の肢に突き刺した。

 

「ぐ……、あッ……!」

「ロン! ロン!」

「血、血が! 早く止血しないと!」

 

 ハリーの悲鳴のような呼び声と、ハーマイオニーの切羽詰まった声が聞こえる。

 ロンは後者の声を聞いて、慌てて叫んだ。

 

「動くなハーマイオニーッ!」

「……ッ」

「げ、ゲームは、終わって、いない。まだ、続いている」

 

 ごぼ、ごぼ、と液体音を漏らしながらも、這いつくばりながらも、ロンは指示を続行する。

 ハーマイオニーは涙の瀑布を溢れさせ、ハリーは唇を喰い千切らんばかりに噛んだ。

 石の兵士たちが無言で従う。

 彼らが従うのは石造りの黒い(キング)ではなく、斃れたナイトの騎手(ロン)だ。

 

「……行け、クイーンに成ったポーン。お前が行くのはF5だ。……チェック! リバーシ。A1に黒を置く。これでAファイルと1ラインは僕たちのものだ」

 

 白に動揺が広がる。

 石の、無機物の、ただの魔法式に従う石ころどもが。

 何の力もない、死体同然の少年一人に怯えているように見える。

 ロンのブルーの瞳が、ぎらぎらと怪しい光を携えて盤上を睨みつける。

 燃えるような赤い髪の奥で戦場を見通す青は、勝利を確信した、まさに将のそれであった。

 赤い血を石剣から振り払った白のクイーンが、ポーンに縊り殺される。 

 仇とばかりに相手のナイトが動こうとするが、そこを動けば、キングが裸になる。

 だが、そこを動かねば白い女王を害した黒の歩兵が、白い王の首を刎ね飛ばす。

 詰み(ツークワング)だ。

 しかしルール上、相手のナイトは動かねばならない。

 憎々しげな様子で白のナイトはロンの頭上を飛び越え、先に居た黒のポーンを踏み砕いた。

 これで、白の王は、死あるのみだ。

 

「……ハ、リィ。動け。トドメは、きみ、が。刺すんだ」

「ロン……」

 

 ハリーはビショップだ。

 ただただ、斜めに動けばいい。

 早くロンの元へ行きたい一心で風のように駆け抜け、ハリーは相手の王に手が届く位置までやってきて、叫んだ。

 それはたった一言でいい、魔法の呪文。

 相手の首を掻き切る、ただ一言。

 

「チェック・メイト!」

 

 白の王が、掲げていた宝剣を手放す。

 耳障りな音を立てて剣がボードに落ちれば、同時にロンが指示を出し、盤上がほぼ黒一色に染め上げられた。白を打ちこむ隙間など、あるはずもない。

 チェスも。リバーシも。

 同時に勝利したのだ。

 

「……ッ、……!」

 

 ハリーが急かすように、降伏した白の王を睨みつける。

 生き残った白の兵士たちが全て平伏したのを合図に、中空にはコングラッチュレーションの文字が躍った。

 しかしハリーとハーマイオニーに、そんなものを見ている余裕はない。

 二人は脱兎のごとくロンのもとへ駆け寄り、急いで止血を試みる。

 あたりは既に血だまりのようになっていて、ロンは既に意識を手放している。

 ハリーは己のブラウスを引き裂き、上半身の服を脱がせたロンの腹に巻いてゆく。ハーマイオニーは杖を額の前に構えながら極限まで魔力を込めて、鋭く唱えた。

 

「『エピスキー』、癒えよ!」

 

 ほのかに緑がかった暖かな光がロンの腹を包む。

 痛々しく引き裂かれた痕の見える脇腹の傷が、ゆったりと塞がってゆく。

 ハリーがロンの頬をはたいて意識を呼び戻そうと試す。

 すると、魔法の効果もあってロンはゆっくりと目を覚ました。

 

「ロン。お願い、返事して。あなたがいなくなるなんて、いやよ……」

「……、ロン。ロン、返事できるか? 頼む、何でもいいから言ってくれ」

 

 死にかけ。

 または死ぬ寸前とでも言いたげな二人の様子に、目を覚ましたロンは小さく笑った。

 笑ったおかげで治癒されたばかりの脇腹が鋭く痛んだが、それでもロンは笑顔だった。

 

「……なん、だよ。別に死ぬわけじゃないだろう」

「ロン……!」

「あ、待ってハーマイオニー。抱きつかない方がいい」

 

 感極まって抱きしめようとするハーマイオニーを、ハリーが止める。

 流石にこの状態でそんなことをしては、殺してしまうかもしれない。

 意識を引き戻し、傷付いた肉体を魔法で治せても。

 ダメージを受けた心までは、どんな魔法でもなかなか治すことはできないのだ。

 

「おや、セクシーに、なった、ね。ハリー。へそ出し、かい?」

「うるさいな、ロン。……ちょっと休んでよ。心配させるな……」

 

 冗談を飛ばしてもしおらしいままのハリーに、ロンは薄く笑った。

 ここは大人しくしておいた方がよさそうだ。

 先は格好付けて勝つなんて言っていたのに、この様では全く格好つかない。

 カッコ悪いなあ、僕。

 そう一言呟いて、ロンはしばらく夢の世界へ旅立つことにした。

 

「バカ。十分かっこいいっつぅの」

「ロンは自分の評価が低すぎるのよ」

 

 残された二人は、体力の回復もかねて数分休むことにした。

 ハリーが足の痛みをほとんど気にしなくて済むようになった頃、ロンが呻きながら身を起こす。

 大丈夫かい、と声をかければ逆に心配されてしまった。

 人のことは言えないだろうに。

 

「よし、次へ行こう! スネイプから石を守るんだ!」

「いやまあ、スネイプかどうかはわからないんだけどね」

「ハリーが何度もそう言うもんだから、だんだん私も疑問に思えてきたわ……」

 

 怪我も癒えて、くだらない話をして疲れもある程度削いだ。

 ならば前進あるのみ。

 ロンは陽気にそう言って、次の試練への扉に手をかけた。

 

「ロン。何が来るかわからないから、十分以上に注意してよ」

「わかってるって」

 

 わかっていない様子でロンは扉を開け放つ。

 先ほどの頼れる格好よさはなんだったのだろうと思いながら二人は扉をくぐった。

 なんだか薄暗くてよく見えない。

 部屋に入った最初の感想はそれで、次に「臭い」だった。

 

「……ねえ、この酷い臭い、覚えがない?」

「ははは。やめろよハーマイオニー。脅かすなって」

 

 二人が乾いた笑いを零しているその前で。

 ハリーが懐から杖を抜きながら、ため息をつきたい気持ちを呑みこんで叫ぶ。

 

「現実逃避してる場合かッ! 来るぞ!」

 

 なにか大きなものが、風を切って落ちてくる。

 転がってそれを避けたハリーは、大きく振りかぶって呪文を唱える。

 しかしその失神呪文は、何か大きなもので阻まれた。続いて援護に放たれたハーマイオニーとロンの呪文も、似たようなものに弾かれて届いていない。

 何も見えないというわけではないが、こうも薄暗いと敵との距離も把握しきれない。

 ぶつぶつと呟いたハーマイオニーが、杖を掲げて叫ぶ。

 

「『ルーモス・マキシマ』!」

 

 するとただの『ルーモス』とは違う、蝋燭のような杖灯りではなく閃光のようなまばゆい光が、杖先から発せられた。

 ドーム状に広がる光は、まるでシャボン玉が膨らむがごとき勢いで瞬く間に部屋中を覆い尽くし、闇をすべて打ち払った。ハーマイオニーが杖を掲げるのをやめても、明るさは消えることなく部屋を満たしている。

 そうして見えてきた光景を一言で表すならば、

 

「うわ、キモッ」

 

 ロンが呟いたそれである。

 バカ、バカ、バカ。見るに堪えない光景の名がそれだ。

 トロール。全長三メートルから四メートルのトロールが、ずらりと並んでいた。

 その数、全部で十匹。

 十匹のバカが鼻息荒く、棍棒を持って立っていたのだ。

 かつてハロウィーンの夜に見た光景よりも酷いものを見て、ハリーとハーマイオニーが叫ぶ。

 

「気持ち悪っ!」

 

 バカなりに悪口だと解釈したのか、トロールたちが怒りの声をあげた。

 ブーッ、と鼻息荒く十匹が十匹すべてが棍棒を振り上げ――

 お互いの顔面に思いきりぶつけてしまう。

 そうして始まったのは乱闘だ。

 お前が悪い、いいやお前だとでも言いたげな呻き声が部屋でぶーぶー鳴り響き、地団太やたたらを踏む音がずしんずしんと響き渡る。

 なんと下らない光景だが、彼らは巨体だ。彼らから見ればチビ助に過ぎないハリーら人間にとっては、遥かにデカく重い生物が暴れているというのはそれだけで既にかなりの脅威だ。

 だがハリーはこめかみを抑えて頭痛をこらえる。

 

「どうやって突破しようこれ」

 

 ロンとハーマイオニーは苦笑いを返すしかできなかった。

 




【変更点】
・逆に考えるんだ、箒なんてなくたっていいさと。
・数少ないロンの魔改造ポイント。
・実際、同時勝利って出来るのかな。
・ロンを放置は出来ないので連れていく。足枷ウィーズリー。
・モンスターハウスだ!

【オリジナルスペル】
「ヴェーディミリアス」(初出・PSゲーム『賢者の石』)
・足場を出現させたり、隠し通路を暴く呪文。術者にはかなりの集中力が求められる。
 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。

「グンミフーニス、縄よ」(初出・11話)
・杖先から魔力で編んだ縄を射出する魔法。本来は捕縛などの用途に使われる。
 元々魔法界にある呪文。魔力の込め方次第で長さや太さが決まる。

【賢者の石への試練】
・第三の試練「君もダイ・ルウェリンに」フリットウィック教授&マダム・フーチ
 箒に乗って飛び交う鍵鳥から目当ての物を見つけ、扉を開ける。……だけだったはずが、石を狙う何者かが箒を破壊したせいで無駄に難易度が上がった。

・第四の試練「ディープブルー・チェス」マクゴナガル教授
 チェスとリバーシを同時に行って勝利する必要がある。
 このステージで魔力は必要ない。チェスを知らない者はその時点でチェックメイト。


今回、チェスは悩みに悩みました。私チェス出来ないのです。色々と不自然な点は多々あると思いますがオブリビエイト! 君は何も見なかった、いいね。
ここまでが比較的イージーステージです。次回からは適性のある人間でないと全くできない試練ばかりになる事でしょう。頑張れハリー、胃薬は暴れ柳の下の部屋だ。


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12.スターゲイザー

 

 ハリーは即座に動いた。

 相手の反応が遅いことはハロウィーンの夜に学んでいる。

 杖を抜き放ち、手首のスナップのみで突き刺す動作で呪文を放つ。

 

「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」

 

 バチン、と弾かれる音とともに、正面のトロールが持っていた棍棒が手放された。

 くるくると宙を舞う棍棒を、今度はハーマイオニーの浮遊呪文が捉えて支配下に置く。

 ハーマイオニーが操る杖の動きに合わせて棍棒が突進し、一体の森トロールの側頭部に鈍い音を立ててぶつかった。

 あまりの衝撃にのけぞった森トロールは、朦朧とした意識で自身の体重を支えきれずに崩れ落ちる。その際に隣にいた山トロールを巻き込んで倒れたので予想外の儲けだ。

 その隙をハリーは見逃さなかった。痛みと怒りに唸る山トロールの左目に向けて、失神呪文を放つ。どれだけ頑強な肉体を誇る魔法生物でも、眼球まで頑丈な種はそうそういない。トロールも例外ではなく、目玉に打ち込まれた呪文が脳に達し、まるで事切れるかのように失神した。

 ハーマイオニーは再度浮遊呪文を唱えると、二本の棍棒を同時に操るという離れ業を見せてのける。空中で独楽のように回転させて威力を高めると、それぞれ呆けていた森トロールと川トロールの顔面にシュートする。

 

「やったぜハーミー! 撃墜数が増えたよ!」

「なに変な電波受信してるのロン! 引っ込んでなさい!」

 

 ハーマイオニーの叱咤に、ロンは大人しく壁際に下がっていった。

 どちらにしろ、今の状態では少し腹に力を入れるだけで傷口が開いてしまう。

 くやしいが、足手まといだ。

 

「『インセンディオ』、焼き尽くせッ!」

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 ハリーとハーマイオニーが、同時に赤と青の炎をばらまく。

 ハロウィーンの個体と同じく、ヒトよりは獣に近い脳構造を持つトロールは火を恐れる。

 案の定、怯えた声を出して魔法火から離れだす。仲間がやられた怒りは、どうやら今の恐れで忘れてしまったようで完全に怯えた声しか出していない。

 こうして完全な優位に立って始めて、ハリーは気づいた。

 この部屋にいるトロールのすべてが、頭から出血している。

 ハリーたちがノックダウンした個体は言わずもがな、まだ相手取っていないトロールまでもが怪我をしているのだ。なぜか。それはおそらく、石を狙う下手人がやったのだろう。やはり、先に進んでいる。それもこれだけの数を、頭部のみの外傷で済ませて。

 倒すべき敵の強大さに身震いするも、ハリーは止まるわけにはいかなかった。

 一気に駈けだして、ハリーを捕まえようとする巨大な手をスライディングすることによって速度を緩めず避けて通る。トロールの股下を潜り、背後を取るとそのままの体勢で呪文を唱える。

 狙うは、アキレス腱だ。

 

「『ディフィンド』、裂けよ!」

 

 バヅンッ! と派手な音が響いた。

 ハーマイオニーは戦闘中にも関わらずびくりと肩を動かし、やった張本人であるハリーもたまげた。

 足首が小さく裂かれたトロールの腱は、自重もあって大きく切れてしまう。

 痛々しい悲鳴をあげた灰色の肌のトロールは、あまりの痛みにその場に倒れこんでしまう。

 少し同情するし申し訳ないと思うが、悪いが生き残るためであり、押し通るためだ。

 恨むなら存分に恨んでくれ、と心の中だけで言い訳しながら、ハリーは失神呪文をかけて倒したトロールの意識を奪った。

 続いてハーマイオニーは、トロールらが暴れたことにより生産された瓦礫を集めて、宙に浮かばせていた。ごがぁと怒りの雄叫びをあげて突っ込んでくる川トロールに向けて杖を振ってそれらを射出し、飛礫の雨を降らせる。重量によって押し倒されたトロールだが、鬱陶しそうに瓦礫を払って起き上がろうとするあたり、人間ならば入院もののダメージであるはずだが彼らには効いていないようだ。

 だがハーマイオニーの狙いは、そこではない。

 トロールの周りに瓦礫を集めることこそ本懐なのだ。

 

「『コンフリンゴ』、爆ぜよ!」

 

 どぱ、と空気を押しのけて岩が飛び散った。

 紅蓮の光を撒き散らして、拳大から人の頭ほどの飛礫と変じた岩がトロールに牙を剥く。

 火薬を使っていないので熱はそうでもないが、それでも爆発呪文により爆ぜた物体の威力は、対象物の大きさによるので、此度の爆発は中々のものである。それが幾度も重なって、至近距離で食らってしまうというのは出来れば想像したくない状況だ。

 それを全身にしこたま浴びせられた川トロールは、苦痛の呻きを残し、その動きを止めた。

 

「ハーマイオニーッ! そういうことするなら先に言ってくれ! 危なかったぞ!」

「あっ! ご、ごめんなさいハリー!」

 

 失神したトロールを盾にして飛礫をやり過ごしたハリーの叫びに、いまさら気づいたのかはハッとなったハーマイオニーから謝罪が飛んでくる。

 残り三体。

 ブーッ。とリーダーらしき個体が吠えると、両隣にいたトロールが棍棒を振りあげた。

 奴らが統率役か。

 ハリーはそう判断し、その割にはあまり統率がとれていなかったな、という思考を押し込めて走り出した。ハリーのいない位置に棍棒が振り下ろされるが、バカにはできない。問題は床が揺らされたということだ。足を取られないように細心の注意を払って踏み込むが、ハリーの軽い体重ではどうしても体が浮いてしまう。

 リーダー格の黒い肌のトロールが棍棒を振り上げたのを見て、ハリーはまずいと歯噛みする。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーの声。

 その声に一瞬で作戦を立てたハリーは、方向転換して逃げに徹した。

 杖を下に向けて、口中で呪文を唱えながら走るのは結構難しい作業だが、できる。あとはハーマイオニーがうまくやってくれると経験からわかっているからこそできる。

 すばしっこい黒髪のチビを壁際に追い詰めたと見て、護衛トロール二匹が舌なめずりをして喜んだ。今夜のメインディッシュは決まりだ。

 しかし二匹は、冷水を浴びせられたかのような気分になって一気に気持ちが萎えてしまう。

 否、違った。冷水を浴びせられたかのような気分ではなく、実際に冷水を浴びせられたのだ。

 

「……『アグアメンティ』。さあどうぞハーマイオニー、見せてくれ」

「任せてハリー」

 

 冷気がハーマイオニーを中心に渦巻いて集まり、白い霧の中心で杖を振るう彼女は、まるでお伽噺の魔女のようだった。いや、事実魔女である。ホグワーツの誇る、秀才の魔女。

 複雑な紋様を描くように杖を振るい、最後に水を薙ぐように空を切って杖先を突きつける。

 狙いは、水浸しの床だ。

 

「『グレイシアス』、氷河になれッ!」

 

 杖先から白い煙が噴きだす。

 それが水にあたると、たちまちのうちに硬質な音とともに凍り始めた。

 驚いた護衛トロールが飛び退こうとするも、すでに遅い。ハリーの魔法で全身が水浸しになっていた二匹は、たちまち体中が氷漬けになっていく。

 慌てふためいた様子ではあるが、もはや何もすることはできまい。

 驚愕と恐怖の表情のまま、二匹は醜い彫像となってその動きを止めた。

 

「ブォォォ――ォォァァァァアアアアアッ!」

 

 それに激しい怒りを表したのは、最後のリーダー。

 海トロールだ。

 山トロールと川トロールを気の遠くなるような回数かけ合わせて、それでいて突然変異によってようやく創りだされたとされる、魔法使いの創りあげた魔法生物である。

 言語は扱えないが、解せないわけではない。

 むしろトロールのバカさ加減に辟易した近代の魔法使いが、どうにかして克服できないかと試行錯誤して創ったものなのだから、原種よりも頭脳の出来がよくて当然である。

 さらに海トロールは外皮に多少の魔法耐性が付与されており、申し訳程度ではあるが、それでも野生のトロールと比べれば、遥かに魔法に対して強い。少なくとも、極限まで魔力を込めるなどをしていない十一歳の魔法など、たいした効果が見込めないほどには。

 だが。所詮はトロール。

 頭脳戦などできようはずもなく、ただ、普通のトロールよりも少しだけ出来がいいというだけの話。しかし、こと本能が大きなウェイトを占める戦闘というジャンルにおいては、海トロールはうってつけだ。本能的な力に、ほんの一握りの頭脳。

 厄介極まりない暴力装置の体現である。

 

「ハーマイオニー! 下がれ!」

 

 唐突に。

 ロンのよく通る声が響いた。

 咄嗟にその声に従ったハーマイオニーは、兎のようにぴょんと跳ねてバックステップを取る。するとちょうどハーマイオニーの立っていた位置に石の飛礫が飛来して、床を抉って転がっていった。

 青ざめるも杖を取り落すまいと気丈に振る舞うハーマイオニーを見て、ハリーは心底安堵する。

 そして次に飛んできた指示は、ハリーへのものだった。

 

「ハリー! トロールの足元に瓦礫をばらまいて! とにかく動きを制限するんだ!」

「任せろロン! 『ウィンガーディアム・レヴィオーサ』!」

 

 ロンの指示に従い、ハリーは散らばった瓦礫を浮遊させて放り投げた。

 本来ならもっと素早く、それこそ巨人が蹴り飛ばすような勢いで放りたいものだが、如何せん浮遊呪文はその名の通り、元来浮遊させるためだけのものなので、スピーディにものを動かせるとは言い難い。

 ならば途中まで浮遊させて、あとは慣性と重力に任せて放った方が、よほど素早く大きく重いものを放りだせるというものだ。

 足元に瓦礫を放られたトロールは鬱陶しそうにしながらも、その一つ一つを棍棒でたたき割っていく。選択肢としては上等だ。先ほどハーマイオニーの使った呪文は、対象の瓦礫が大きかったから一撃でトロールを昏倒させるほどの爆発ができた。だから、瓦礫を砕いて小さくするというのは頭のいい方法ではないが、愚行ではないのだ。もっとも、魔法で飛んできたそれ自体に意思があって自分を攻撃してきた、と思っていたという可能性もあるので、一概にあの個体の脳みそが上出来かは判断がつかない。

 ならばとハリーは《粉々呪文》を唱える。あれだけ砕かれてしまっては、爆破してもそんなに威力の大きな爆風で攻撃できないというのなら、身動きを封じてやろうという魂胆だ。

 狙い通り。ハーマイオニーの放つ切断呪文に小さな切り傷を受けるのを嫌がって、たたらを踏んだトロールの足の裏を、まきびしのようになった瓦礫の欠片が貫いた。今までハリーが他のトロールたちにやってきたことに比べれば微々たるものだろうが、痛いものは痛い。

 痛いという警告信号を受け取ったならば、それを避けようとするのは魔法生物でも備わった本能であり、彼にもやはりそれは備わっていた。切断呪文を嫌がるも、下がれば足の裏に鋭い痛みを味わうことになる。

 さて、トロールはバカである。

 訓練次第では警備員の真似事ができる個体がいるとはいえ、そんなものは魔法省所属などといったとてつもない希少な部類である。この部屋のトロールは総じてバカそのものであり、とてもではないが調教によって侵入者を攻撃するなどという命令を受け入れられるような個体ではなかった。

 その点、この海トロールはかなり優秀であった。全十匹の群れのボスとなることで命令系統を手に入れ、侵入者に対しての攻撃という単純な命令も下すことができる。人間の言を操れずとも理解はできる。トロール同士の意思疎通すら可能だ。

 だがそこはトロール。

 複数の状況が重なって、それの解決策を考えるとなると脳みそがパンクしてしまう。

 侵入者を叩き潰さなくてはならない。だが邪魔な呪文が飛んできて痛い、それは嫌だから避ける。しかし避けると足元のちくちくした何かが足に刺さって痛い。だから避けない。けれど動かなければ呪文は当たるし、侵入者を攻撃できない。だからといって動けば……という思考の無限ループである。

 窮したトロールは、ついに強硬手段に打って出た。

 

「ブゥゥゥゥ――――ッ! ンモォォォ――ッ!」

「うわっ! 駄々をこね始めたぞ!」

 

 兎にも角にもとりあえず暴れる、である。

 棍棒を振り回し、壁を破壊し、石柱をなぎ倒す。巨大な醜い赤ん坊は、周囲に破壊を撒き散らしながら大暴れする。しかし、それは、大きな過ちだった。

 海トロールが我を失ったことによって余裕ができたハーマイオニーが、杖に魔力を集中する。数秒という短い時間だが、こと戦闘中に置いては那由多にも等しい隙になる。そうして極限までの魔力を込めたハーマイオニーは、最大限の威力を伴った切断呪文を打ちつけた。

 

「『ディフィンド』、裂けよ!」

 

 教科書の手本に載っても相違ないほどに綺麗な動きで杖を振ってトロールに突きつければ、杖先から風の刃が飛び出した。

 それは狙い違わず飛来し、海トロールの額に大きな切り傷を負わせた。

 だらりと流れる血に慌てた彼が暴れるのをやめた、その瞬間。

 既に杖を構えていたハリーが、鋭く唱えた。

 

「『アナプニオ』、気道開け!」

 

 《気道確保呪文》。

 本来は読んで字の如く、何かを喉に詰まらせたり溺れた者の気道を開き、生命維持を試みる応急処置の呪文である。

 あろうことか、ハリーはそれを悪用した。

 トロールの傷口を無理矢理に気道であると認識することで、呪文の発動を可能とした。

 そうしてトロールにできたほんの少しの傷を開き、巨大な傷口となるまで引き裂いたのだ。

 垂れる程度の流血がどく、どく、と噴き出すようになってから、トロールはようやく自分の視界が真っ赤に染まっていることに気付いた。そしてその視界も、随分と霞がかっている。

 ハリーはそれを隙とみて、武装解除呪文を射出した。 

 海トロールの眉間に赤い閃光が直撃すると、棍棒が弾き飛ばされると同時、余剰魔力に打ち据えられ、海トロールは背中から大きく倒れこんだ。

 轟音も収まり土煙も収まった後には、静けさが残るのみ。

 

「……殺したの?」

「どうだろう。殺すつもりでやったけど、普通にまだ生きてそう」

 

 恐る恐るといった風にロンが覗き込んでくるものの、ハリーの答えは微妙だった。

 無力化はできたと思うんだけど、とロンの方を振り向いた、その時。

 ロンの顔が、歪んだ。

 何事かとハリーが思うのと、そのロンがハリーを突き飛ばしたのはほぼ同時。

 倒れこんだハリーを擦るように、黒い何かが過ぎ去った。

 ハーマイオニーの悲鳴のような声が響いた。

 獰猛な声が、すぐそばで唸った。

 まさか。と思って振り返れば、すでに事態は終わっていた。

 完全に失神した海トロールが、腕を伸ばしたまま白目をむいている。

 悲鳴のように叫びながらもしっかりとした失神呪文を放ったハーマイオニーは、息せき切って壁際に駆け寄っている。その先には、ロンだ。ハリーを庇って、トロールの拳を受けてしまったのだろう。幸いなのはトロールの意識が消えかけの状態で全く威力がなかったことと、元来がハリーを狙った一撃だったためロンには直撃していないということか。

 だが、ハリーは血の気が引く思いだった。

 驚きのあまりよく言うことを聞かない己の足を叱咤し、ロンの方へ這うようにして寄る。

 ハリーを突き飛ばした際に伸ばしたままだった左腕に、トロールの拳がかすったのだろう。肩の付け根から奇妙な方向に折れ曲がったそれは、見ていて違和感と痛々しさ、そしてすり潰されそうな罪悪感をハリーの心にもたらした。

 下手な癒者(ヒーラー)よりよほど経験を積んでしまったハーマイオニーの治癒呪文を受け、ロンは痛みに呻きながらも笑う。

 それに対して、ハリーが震える声で問う。

 

「ロン、ロンなんてことを。どうして、なんでこんな……」

「いやあ、ほら。だって僕も男だもの。女の子を守るくらいさせてくれよ」

 

 あの戦いを見ているだけで、しかも怪我をさせてしまってはウィーズリーの名折れだ。

 そんなことを貧弱な語彙で言うロンは、情けなく笑っていた。

 

「なんだよ、もう。カッコいいことばっかするなよロン」

「そうよ! 心配させるようなことばっかりして!」

「ごめんよ二人とも。でも、まあ、ほら。いいじゃないか、無事だったんだから」

 

 まったく。

 普段あれだけマヌケで頼りない姿を見せられても、こうして実際に助けられる身となってしまえば、途端に格好よく見えてしまう。勝手なもんだなと思ったが、悪い気はしなかった。

 

 またしてもロンの治癒と休憩に時間を割いてしまった。

 仕方のないこととはいえ、早くしなければスネイプもしくは他の何者かが石を奪ってしまったかもしれない。

 そういう意見がハーマイオニーから出されたので、ハリーとロンは慌てて次の部屋への扉を探す。

 見つけた扉に手をかけると、鍵がかかっていた。

 そして扉から発せられた淡い赤の光が部屋全体に薄く照射されるのを見て、何か来るのか、と心臓が跳ね上がる。しかし部屋全体を光が照らし終えたところで、扉にまたもコングラッチュレーションの文字が浮かび上がる。

 鍵の開く軽い金属音が鳴った。試しに扉を押してみれば、普通に開く。

 トロールを倒したかどうかのスキャンだったのだろうか、と思いながらハリーはそのまま扉を押しあけた。三人でなんの魔法だったのだろう、と思いながら扉をくぐれば、そこに広がるのは図書館であった。

 

「わあ、素敵! 本がいっぱい!」

「わあ、最悪! 頭が痛くなる!」

 

 ハーマイオニーとロンがそれぞれ感想を述べる。

 図書館だとすると、今度の試練はマダム・ピンスか?

 しかしマダムは、試練を組んだ教職員には含まれていなかったはずだ。

 今までの試練を思い出して考えると、森番のルビウス・ハグリッド、薬草学のポモーナ・スプラウト、妖精の魔法のフィリウス・フリットウィックと飛行訓練のロランダ・フーチ、変身術のミネルバ・マクゴナガルからの試練だった。先ほどのトロールはおそらく、闇の魔術に対する防衛術のクィリナス・クィレルだろう。

 ならば次は誰か。

 その疑問にはハーマイオニーの声が答えてくれた。

 

「ハリー、ロン。この本に試練の課題が書いてあるわ」

 

 さして広くもない図書館の中央に設置された台座の上にある、茶色い古ぼけた本。

 一冊のそれを見てみれば、題字には銀のインクで「ゴブリンの反乱」と書かれていた。

 ゴブリンの反乱とは、十八世紀に起きた事件である。

 イギリスのスコットランド北東部、アバディーン郊外にある小さな町で、鍛冶屋をしていたゴブリンが起こしたのが始まりだ。

 魔法省からの仕事を請け負った魔法戦士隊(ウォーロックス)が、当時の魔法省魔法生物問題対策部門の役人とともに、先の町に立ち寄った。アバディーン近郊を襲った若く凶暴なマンティコアを退治するために、魔法省が戦士隊のためにゴブリンたちへ装備の製造を依頼していたからだ。

 素晴らしい技術には相応の対価をと、多くのガリオンを支払って最高の剣を手に入れた彼らは、その剣を用いて見事戦いに勝利することができた。

 問題が起きたのはその後だ。

 討伐が終わったあと役人と魔法戦士隊は、立派な剣を打ってくれたゴブリン職人に感謝をと、アバディーン郊外の町へ礼を言いに訪れた。しかし代表して礼を言いに行った魔法省役人はその日、帰ってくることはなかった。不審に思った戦士隊の隊長が町に住む魔法使いに問うてみれば、なんとゴブリンたちに捕えられているというではないか。

 どういうことかと隊員を引きつれてゴブリンを問い詰めたところ、我々はその剣を貸し与えただけなので直ちに返却せよという、無礼極まりない答えが返ってくる。戦士隊が、我々は購入の契約をした上で金を支払ったのだと主張するものの、ゴブリンたちは頑として聞き入れなかった。生物としての価値観の相違からくる諍いである。

 口論が白熱し、ゴブリンの誰かが発した戦士隊への悪罵に激怒した隊員の一人が、杖を抜いて侮辱したゴブリンを脅した。それが反乱の始まりだった。

 一週間にわたる、アバディーン郊外の町での小競り合い、そして小規模な戦闘。ゴブリンと戦う術を知らなかった魔法戦士隊の対応が遅れに遅れたのが長引いた原因だ。

 事件は、コトに気づいた魔法省が派遣した《魔法武装取締執行隊》の手によって終結した。現代では《魔法法執行部隊》と《闇祓い局》に分かれた部署であり、犯罪者への保護法などがまともに整備されていない当時は、過激派中の過激派であった。

 以降、ゴブリンのみならずヒトに属する魔法生物に関する条例への問題へ発展していくのだが……「ゴブリンの反乱」としてはここまでだ。

 その事件に関する本が、なぜここに?

 

「答えはこれよ、ハリー」

 

 ハリーが目を向ければ、本が置かれている台座に、魔法文字が浮かんだ。

 視線で起動するタイプか、などと思いながらそれを読む。

 

「『この事件の問題を解決せよ』。……これ本当に試練か? 学年末テストとかじゃないの?」

「知らないよ。僕に聞いてわかると思うのかい? こんな事件聞いたこともないのに」

「ロンあなた……これ今日のテストに出たところじゃないの……」

 

 ショックを受けた顔のロンを放っておいて、ハリーは本を手に取った。

 手触りとしては、ハードカバー特有の音と感触がする。

 しかし、そうか。

 歴史ということは、これは魔法史教授、カスバート・ビンズからの試練だ。

 やはり試練としてはなんだか、こう、ぬるいというか甘っちょろいというか。

 今までが今までだったので、無駄に警戒心を抱いてしまう。いったい何をさせるつもりだろう、と。

 本の中身は、意外や意外。白紙だ。

 つまりこれに答えを書けということだろうか、と思って羽ペンを探すも、どこにも見当たらない。まいったなと思って本に視線を戻せば、新たな文字が浮かび上がっていた。

 

「『ただし、実際に』……。……、え? どういう意味?」

 

 ハーマイオニーもロンも、首を傾げる。

 いったいどういうつもりでこんな問いを投げかけてくるのだろう、と思っても、物言わぬ本が答えてくれるはずはなかった。

 そう、なかったのだ。本来ならば。

 ページとページの継ぎ目が裂けるように、裂け目から黄金の光があふれだす。

 これは如何なることかと三人が驚くと同時。金色が小さな図書館を呑みこんだ。

 本が閉じられた後には、図書館に人の姿は一つもなかった。

 

 

「…………どこだここ」

「…………どうなったの、これ?」

「…………さあ?」

 

 ハリーたち三人は、とある町の広場に立っていた。

 花崗岩で作られているらしい町並みは、白く美しい。

 馬車がかろかろと車輪を軋ませ、薬問屋が威勢よく新商品を売り出している。

 古着屋は旅人と商売で口論しているし、酒場には昼間から飲んだくれる老魔女がいる。

 どうもマグルの町のようだが、それにしては魔法使いが散見されているように見えた。

 大っぴらに魔法を使っているとは言えないが、それでもハリーたちの知る常識で考えれば、十分に魔法省に厳重注意を受けるような行いがあちこちで見られる。

 ここはいったいどこだろう。

 先ほどまでぼくたちは、賢者の石を守るために四階の廊下の先にある試練へ挑んでいたはず。

 つまり校内。あれが元は何の目的で城のどこに建造された施設なのかはわからないが、少なくともあれはホグワーツの中にある施設のはずだ。

 それが、なんだ? 全く見慣れない町に放り出されているではないか。

 ロンが身震いをする。

 彼は生まれてこの方、常に魔法が周りにある生活を送ってきた。だがこのようなことは、ただの一度もなかった。摩訶不思議に満ちた魔法界においても、こんなのは聞いたこともない。

 

「こっ、ここはどこですか! 私たちホグワーツにいたはずなんです!」

 

 ハーマイオニーが切羽詰まって、すぐそばで突っ立っていた若い男性に話しかける。

 分からないなら質問する。勉強でも生活でも、それはいつだって有用な手段で、優秀な教科書だ。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「アバディーン!? どうしてそんなところに! あ、あの。ロンドンへはどうやって行けばいいんですか?」

 

 しかしその教科書には、両方の場合においても共通する但し書きがある。

 『ただし、質問する相手は選ぶこと』。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「え? それはさっき聞きましたよ。ですから、地下鉄への行き方を……」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「それはもう聞きました! ロンドンへ行きたいんです! どうしたら」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「そ、そうじゃなくて」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「ムキィィィ――――――――――ッ!」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

 

 あまりにも話が通じない相手に、ヒステリックに叫ぶハーマイオニー。

 ロンは男性の脳みそが実はアイスクリームなのではないかと疑い始めたが、一方でハリーはいやな汗をかいていた。

 これは……見覚えがあるやり取りだ。

 具体的にはダドリーがやっていたコンピューターゲームで。

 

「ハーマイオニー。ちょっとそこ退いてくれ」

「えっ、ハリー?」

 

 甲高くキーキー言うハーマイオニーを押しのけて、ハリーは男性の前に立つ。

 そして、思い切り脛を蹴りあげた。

 

「ちょっと!? すっ、すみませんこの子ガサツで短絡的で乱暴で直情的なだけで根っこはとても優しいいい子なんです!」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「本当にすみませ……、……。どういうこと?」

「君のぼくへの評価もどういうこと?」

 

 ハーマイオニーが、あまりにも異常な反応の男性に怪訝な目を向ける。

 彼女の謝罪の言葉はしっかり聞いていたようで、ぶすっとした顔でハリーが男性の元から戻ってきた。二人は唖然とした顔でハリーを見守っている。彼女自身の口から説明されるのを待っているようだ。

 ぼくだって完全に分かっているわけではないんだけれど。と前置きしてから、ハリーは語る。

 

「ここはね、たぶん現実じゃないんだ」

「現実じゃないって……?」

「ほら、コンピューターゲームの中とか、本の中とか。……ああ、そうか。さっきの本なのかもしれない。いったいどんな魔法なのかはわからないけどね」

「コンポタージュゲイってなんだいハリー。僕はノーマルだよ」

「ロンは黙ってて。でも、えっと、それじゃあ何? あの本は禁書の棚に置かれてるような本だったってことなの?」

 

 ハリーが首を縦に振る。

 どこかでそういった本があるという話を聞いた覚えがある。

 それに、とハリーは男性をつついた。

 

「この奇妙な男の人も、」

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

「うるさいな。こんな大規模な術式が書き込まれているなら、たぶんこの男の人(モ ブ キ ャ ラ)にまで魔力を割いてないんだよ、リソースがもったいないから。だからこんな単純な受け答えしかできないんだと思う。この人は人間じゃない、いわゆるNPC……ノンプレイヤーキャラクターさ」

「ハリー君いま英語しゃべってる?」

「ロンは黙ってなさい。ハリー、あなたそれが本当だとしたら、いま私たちがいる本はものすごい価値がある本よ。それこそ魔本そのものだわ」

 

 ハーマイオニーの言に、ロンが心配そうな顔をする。

 しかし心配なのは三人とも同じだ。ここから出られるのだろうか?

 とりあえず彼らは、元の場所に戻るための方法を模索し始めた。聞き込みだ。

 肉屋の主人やパン屋などは、どうも同じ会話を繰り返すのみらしい。

 通行人の中でも、特定の人間は多少まともな会話になった。とはいっても、YESかNOかで答えてくれる程度であり、実在の人間とは程遠い。

 そこで判明したことは、現在はゴブリンの反乱の真っ最中であり、事件の渦中そのものだということ。ゴブリッシュを話せる人間がいないため、ゴブリンたちが何を要求しているのかわからないこと。そして人質の魔法省役人を傷つけずにゴブリンを鎮圧する方法がない、ということ。

 そう考えると、先ほどの商売人たちは、小規模ながら戦場そのものだというのに普通に商いを続けているということになる。見上げた根性だ。

 とはいえ、実際はそんな商魂たくましい理由ではない。マグルだからゴブリンたちの認識阻害魔法のせいで彼らが見えないのだ。マグルの間でも未だに魔術や錬金術がにわかに信じられている十八世紀という時代であってもなお、ゴブリンたちという異形の人型たちをマグルの目に入れるにはためらいがある。迫害の恐れがあるからだ。魔女狩りの再来など、考えるだに冗談ではない。ゴブリンたちも、魔法を解さない者たち(マ グ ル)との接触を良く思わない。ならばこそ認識阻害によって自らの存在を秘匿したのだ。

 そういうわけもあって、街中で堂々と魔法戦をしていながらもマグルたち町の人間はそれに気づくことなく、平穏な日常を送ることができているのだ。

 さて。

 今回の奇妙な冒険において、恐らく目的は『この事件を解決すること』。そしてその方法は、『反乱軍を鎮圧すること』であると思われる。

 はたしてそれを行うには、どうすればいいのだろうか。

 

「ロン」

「うん、ロンの出番だ」

「何なんだよ」

 

 そして。

 少女二人に大任を任された少年は、意気揚々と魔法戦士隊の集まるところへと歩み寄っていく。

 二人が導き出した結論は、こうだ。

 『ロンが戦いの指揮を執ってゴブリンやっつけちゃえばいいんじゃない?』である。

 

 結果として、それは大正解であった。

 魔法生物としか戦ったことのない魔法戦士隊の面々は、ロンという頭脳を得て見違えるような怪物集団と変貌した。NPCだからなのか、それともこの《人を取り込む本》の趣旨がそういったモノだからなのか、彼らはロンの言うことを疑うことなく受け入れてくれた。

 ロンのまるでチェスを行うかのような指示により、戦士たちは一騎当千の力を得た。

 反乱軍は魔法を使えないという圧倒的不利をものともしない。ゴブリンの創る金属の武器には、自身を強くするものを吸収する特性がある。例えば、ゴブリン製の剣を持った者に失神呪文を放つとする。すると水カタツムリを与えられたプリンピーのように、剣が魔法に喰いつくのだ。それはさながら熟練の剣士の技が如き反応であり、剣の素人が使おうが、まず使い手が魔法に撃たれることはない。そして失神呪文を貪った剣は、その刃で斬った者を失神させる魔法効果が付与される。

 つまり、ゴブリンの造る剣はマジック・キラー・ソードとも言えるのだ。

 そしてロンは、それを最大限に利用した。

 魔法戦士隊にも数振りのゴブリン製の剣がある。ならばとロンは、戦闘を挑む前段階として剣が軋むほどに魔法を放ったのだ。失神呪文、武装解除呪文、切断呪文、くすぐり呪文、などなど。そうして魔法に耐えきれなかった剣は、ぱさりと乾いた音を立てて砂になってしまう。

 そうして数振りの実験を経て、剣の魔法を喰える限界点を見極めた。そうなれば、あとは簡単だ。

 戦闘にゴブリンが剣を持ち出せば、あらかじめ決めた人数の魔法戦士隊隊員が一斉にそのゴブリンへ魔法を放つ。それも、魔力消費の少ないどうでもいい呪文を。『収納呪文』や『包帯巻き呪文』、『穴掘り呪文』に『花咲き呪文』。自身の容量以上の魔法を喰ってしまった剣は、その場で灰となった。

 自らの創った物に異様なまでの誇りを持つゴブリンのことだ。自身の創った剣が、そんなくだらない魔法に耐えきれず破砕してしまった。それは彼らのプライドをも粉々にする事と同義であり、剣を失い膝を突く彼らに、もはや魔法も捕縛も必要なかった。

 そうしてロン・ウィーズリーは英雄となった。

 鬨の声をあげる戦士たちは「ウィーズリーバンザイ!」「ウィーズリーバンザイ!」と大騒ぎである。担ぎあげられて笑顔のロンは、まさに一端の将軍のようであった。

 ハリーとハーマイオニーの二人は、苦笑いと共にそれを見送る。

 

「ロンもとんでもない才能持ちだったんだねえ」

「さてはて、案外簡単にいったもんだわね。ロンの実力ならいけるとは思ったけど」

 

 夜になり、散々もみくちゃにされたロンを放っておいて二人は酒場で夕食を楽しんでいた。

 空に浮かぶのは装飾華美な字体の魔法文字で描かれた、『Congratulation!(君 達 の 勝 ち だ)』の一言。

 やっとこれで試練に戻れる、と気合いを入れ直した、

 次の瞬間。

 ハッと気づけば、空は美しい青を見せていた。

 

「ここは、アバディーン郊外の町だよ!」

 

 昼間、ハリー達が話しかけたNPCの青年がすぐそばに居る。

 立ち位置も昼間と同じだ。

 つまり、これは……時間が巻き戻っている?

 空を見上げれば、『Don't let it get to you!(正 解 だ と 思 っ た ?) I'll give you another chance!(ほ ら も う 一 回 や っ て み ろ バ ー カ)』との文字が。

 キレたハリーが空へ向けて無意味に魔法を乱射しているのを放っておいて、ハーマイオニーとロンは考え込む。

 ひょっとするとこの世界は、正解するまでずっとループするのではないか?

 息を切らしたハリーが戻ってきてこの説を提示したところ、概ねの同意を得られた。小馬鹿にしたメッセージが、未だに空でゆらゆら揺れているのもその理由の一つだろう。

 

「さて。それなら、次は史実通りそのまま進めてみましょう」

「史実通りって、ハーマイオニー。君そこまで細かく覚えているのかい?」

 

 驚いたロンの言葉に、ハリーはまさかという顔をする。

 しかしそれに帰ってきたのは、ハーマイオニーの不敵な笑顔だった。

 

「もちろんよ。『子鬼と好意的な旅』という本に書いてあったわ」

 

 だめだった。

 青々とした空に浮かぶ『What are you thinking about?(君はひょっとして頭からっぽなのかい?)』という文字に魔法を乱射するハーマイオニーを放っておいて、ハリーとロンは悩んでいた。

 いったいどうしたらいいのだろう?

 この三人組において、いや、ホグワーツの一年生、いやいや、ひょっとするとホグワーツ生全体で比べても豊富な知識を持つ彼女がダメだったのだ。

 割と力押しを好むハリーと、そもそも考えるのが苦手なロンは完全に煮詰まっていた。

 

「『この事件の問題を解決せよ』って……なんなんだ……」

「勝利で終わらせてもダメ、史実通りでもダメ……。ビンズはいったい何を考えてるんだ?」

 

 息を切らしたハーマイオニーが戻ってきて、さて次はどうするかという会議が始まる。

 ゴブリン側を勝たせてみるか? いや、それはあまり意味がないだろう。おそらく、ロンにやらせたことの逆が起きるだけで大して変わらない。

 問題点といえば互いの見解の相違が原因で起きた諍いなので、価値観を直すか? いや、現実的な答えではない。

 うんうん頭を悩ませながら、時には酒場に赴いておいしいものを食べてリフレッシュしながら、ハリーたちは青く透き通る空が、燃えるような赤に変貌するまでじっくりと考えていた。

 アフタヌーンティーを飲んでいるときから焦りのあまり現実逃避が目立ってきたが、日が沈んでからはもはや諦観が前面に押し出されている有様である。

 

「あー。うー、あー」

「なんか、ダメっぽいね……」

「なんとか戦いは無益だと説得してみたけど、ギスギスした雰囲気のままだよこれ。正直今までで一番悪い状態だよこれ」

 

 次の日にして、その日の朝。

 町だよ宣言男に蹴りを入れるハリーとロンを放っておいて、ハーマイオニーは考える。

 ひょっとすると前提条件からして間違っているのでは?

 問題点の解決というのは、必ずしもゴブリン達と関わることではないのでは?

 男性に尻を蹴り飛ばされたハリーとロンが戻ってきたとき、ハーマイオニーは一つの疑問を二人に投げかけた。

 

「ねえ、二人とも。この世界は作り物で、余計なところに魔力を割いていないってこと。あれは事実でいいわよね?」

 

 自分の尻をさすりながらハリーが答える。

 

「そうだね。初日に聞き込みに行ったときに民家のドアが開かなかったから呪文で砕いてみたけど、ドアの向こうは何もない真っ白な壁だったって話はしたよね?」

「ええ。不気味よね」

「この上なくね。それで、その民家はこの試練を行う上で全く必要ない部分だから作りこんでいなかった、ってことが理由だと思うわけよ」

 

 ハリーの言うように、この世界には徹底的に無駄がない。

 唯一の無駄といえば空に浮かぶ、女性二人の沸点を易々と突破したメッセージのみ。

 ひょっとしてもしかして万が一にも、あれが攻略のヒントなのかとハーマイオニーが忌々しげに空を見上げたとき。

 ふと。

 脳の奥に、違和感を感じた。

 

「…………、……」

「どうしたのハーマイオニー? 疲れたなら休もうか?」

「黙りなさいロン」

「ねぇハリー! どう思う、この僕への扱い!」

「笑えばいいと思うよ」

「ハッハのハーッ、だ!」

 

 ハーマイオニーに拳骨をもらった二人が大人しくなった頃、彼女は忙しなくあちこちへ足を運び始めた。町の中央広場。露店広場。宿屋周り。商店街。ゴブリンたちの立て籠もる鍛冶場。魔法戦士隊が待機している教会前広場。

 青々とした空の下、青がオレンジになり、オレンジが真っ赤になって、藍色に染まっていくまでそれは続く。

 ハリーとロンが首を傾げながらもうんざりした表情になっていることに気づいているのかいないのか。真剣な顔で一日中見回ったハーマイオニーが、もうすっかり日の沈んでしまった空を見上げて呟く。

 

「やっぱりそうだわ」

 

 なにが? と問いたい二人を手で制して黙らせ、ハーマイオニーは笑顔で言う。

 

「たぶん間違いないわ」

「だから。何に気づいたのさ、ハーマイオニー」

 

 我慢できなくなったロンが問う。

 ハーマイオニーはもったいぶって説明を始めた。

 

「空を見て。綺麗でしょ」

「ハーマイオニー、ついに気が変になったのかい? キミはケンタウルスじゃないんだよ」

「ケンタウルス?」

「ああ、ハリーは気を失ってたから会ってないんだね。禁じられた森で、君が気を失った後にやってきた変なやつさ。火星フェチなんだよきっと」

「……ねえ。私の話、聞くの? 聞かないの?」

 

 青筋を立てたハーマイオニーに、ロンが答えだけ聞きたいというと彼女は完全に不貞腐れてしまった。ロンを叱りながらハーマイオニーの頭を撫でて、宥めすかして説明してもらう。

 曰く、今までの情報はそのほぼすべてがブラフであり、本当の解法は空にあったのだという。

 一日が変わらないのは何のためか。あれだけ手を抜くべきところは抜いている効率的な魔法式(プログラム)なのに、影の位置がなぜいちいち変わっているのか。どうしてあんな腹の立つメッセージを、わざわざ空に浮かばせたのか。そしてその空の美しいまでの再現度は、いったい何のためなのか。

 その答えが、この星空である。

 オーロラ・シニストラ教授。一年生からの必須教科、天文学を教える先生である。

 天文学のテストでも満点を取った自信のあるハーマイオニーが、空を見上げる。天文学は天体の位置やその魔法的意味、月の満ち欠けに潮の満ち引き、さらには星占いも教える学問である。

 今回の場合、その中で必要とされた技術は星占いで使われる星読みの力。

 ロンはわからなかったが、ハーマイオニーに促されて空を見上げたハリーは、ああ、と唸る。

 あまりに自然と溶け込んでいる上にハリー自身天文学に造詣が深いわけでもないので多少わかりづらいものの、空には星読みをすることで見える文字がしっかりと書かれていたのだ。

 

「『魔法戦士隊隊長に酒瓶を振り降ろせ』、かな? ……これは気付けって方が無茶だろう」

「うーん、僕には何て書いてあるのかさっぱりだ」

「ハリー? ロン? これも昨日の夜のテストで出たでしょう? 『魔法戦士隊隊長に酒を振舞え』よ。まったく、ロンはまだしもハリー、あなたまでなんて……」

「出てないぞハーマイオニー。出てないからな。これ七年生で習うようなレベルだからね? 一〇〇点満点中一三九点も取れるキミと一緒にしないでね?」

 

 ハーマイオニーが酒場で貰った酒瓶を隊長に渡すと、常にしかめっ面で不機嫌そうだった彼は、まるで太陽の光がごとくニカッと笑う。

 そうして酒瓶を魔法で開けると、ぐいっと一つ豪快に飲んだ。

 ごっごっごっ、と喉を鳴らしてラッパ飲みするその姿に、隊員たちはやんやと大騒ぎ。

 一滴残らず飲み干した酒瓶を床に投げつけ、ガシャアンと派手な音を立ててガラスを散らす。

 それを合図に、教会広場のあちこちに隠れていたらしき隊員や町人、商人たちやはたまた敵対してはずのゴブリンまでもが集まって、皆明るい笑顔で大きく叫んだ。

 

「「「「コングラッチュレーィショーン! おめでとう、正解だ!」」」」

 

 

 大声が一瞬にして消え、ハリー達は小さな図書館に戻っていた。

 本から黄金の光と共に吐き出されるようにして飛び出してきたハリー達は、床に倒れ込んでいた。予想外の脱出の仕方に、誰も咄嗟に反応できなかったのだ。

 それぞれ好き勝手に悪態をつく。

 ロンがハーマイオニーの尻を触ってしまったらしく、怪我人だと言うのにビンタの報復を喰らっているのを放置して、ハリーは自分たちの入っていた本を手に取った。入り込む前には気付かなかったが、裏表紙には魔法戦士隊隊長の肖像画が描かれていた。結構似ている。

 特に魔力がこもっている様子はない。機能を終えたので魔力切れといったところだろうか。

 魔法戦士隊との大騒ぎはなかなか楽しかったな、と思いながら、本を閉じた。

 さて、次の試練に挑まなければ。

 ハリーが二人の言い争いを仲裁して、出現した扉をくぐって部屋を去る。

 あとに残るは小さな図書館と、ゴブリンの反乱の本のみ。

 挿絵の隊長が、酒瓶を持ち上げて武運を祈っていた。

 




【変更点】
・回復要員ハーミーちゃん
・オリジナル試練。不勉強だと脱出不可なタイプ。
・ロンが自分の才能に自覚し始めたようです。

【オリジナルスペル】
「グレイシアス、氷河となれ」(初出・PS2及びGC『アズカバンの囚人』)
・水を凍らせる呪文。術者の力量によっては周囲に水が無くても使える。
 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。ゲーム中ではハーミー専用呪文。

【賢者の石への試練】
・第五の試練「愚か者の楽園」クィレル教授
 トロール十匹と同時戦闘を行い、全員の意識を奪うか殺害せねばならない。
 既に先行した何者かがある程度のダメージを与えていたため、幾分か楽になった。

・第六の試練「天文学的な魔法史」ビンズ教授&シニストラ教授
 ゴブリンの反乱を解決に導かねばならない。というお題目だが、同じ一日をループするため実際は不可能。実は夜空を見上げて星読みを行うと脱出できるという引っかけ問題。
 因みにメッセージを考えたのはビンズ先生。

……英語は、英語はたぶんこれでいいはず。ですよね、エキサイト先生。
一年生にはまず不可能なハズだった試練。だいたいハーミーちゃんのおかげ。
石を狙う何者かとの戦いまでに体力を回復させておかないといけないのです。
試練はもうちょっとだけ続くんじゃ。


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13.親友

 

 

 

 ハリー達が次に行き着くのは、白く狭苦しい部屋。

 先程の小さな図書館よりもさらに狭くて何もない、何のためにあるのか分からない部屋だ。

 肩から先と腹にうまく力が入らず、実質戦力外と化したロンを下げて、二人は杖を構えたまま部屋を精査する。試しに適当な呪文を投げかけても、特に変わったことは起こらない。結論としては何の変哲もない、ただの通過点のようだ。

 念のために杖を構えたまま部屋へ踏み込んだ、その瞬間。

 

「……な……ッ」

「ま、またなの……?」

 

 三人が次に放り出されたのは、雑踏の入り混じる近代的な街だった。

 ふっと顔を明後日の方向へ向ければ、新大英図書館ビルが見える。左に向ければ広い幅の道路を、二階建てバスが走っている。信号が青になり、スーツを着た男性や、紙袋に野菜やパンを入れた女性が信号を渡りはじめる。スケートボードに乗った悪ガキが迷惑な大声で笑って、バンタイプのパトカーから顔を出した警察官に怒鳴られていた。

 『まともな』スーツ姿など、魔法界ではめったに見られない。

 信号などもってのほかである。キングズクロス駅を利用する割には、魔法使いは基本的にマグル製品をまったく、もしくはほとんど知らないような者ばかりなのだ。

 つまり。

 

「……ロンドンだね」

「それも、キングズ・クロス駅の目の前だわ」

 

 またもや別の場所に放り出されたのだった。

 ハリーは、頭を抱えて頭痛と戦っていた。

 しばらく痛みをこらえて雑踏に耳が慣れたころ、溜め息と共に言葉を漏らす。

 

「……今度はなにをやらされるんだ?」

 

 だが。結論として。

 この試練は二〇分足らずで終わった。

 普通の魔法使いならば間違いなくチェックメイトされてしまうような試練なのだが、ハリー達とはあまりにも相性がよかったのだ。ただ、ハリーたちであるというだけで有利になるほど。

 まず、ひとつ。

 何時の間にか持たされていたバッグに入っていた羊皮紙に書かれていたのが、古代ルーン文字であったこと。

 つまりバスシバ・バブリング教授の試練だ。これはハーマイオニーという頼りになる頭脳のお陰で、多少てこずったものの解読それ自体には成功した。ハリーだけではもちろん、ロンと二人だけだったとしてもここで終わっていただろう。

 

「こんな難しいの、私初めてみたわ! この羊皮紙を持って帰れないかしら……ものすごく勉強になるわよ、これ。……将来古代ルーン文字学を履修したときはこれさえあれば万全だわ」

「それはよかった。いいかいハーマイオニー、早く結果を言ってくれ。早く早くハリーハリー」

「え、なに? 呼んだ?」

「いやそっちのハリーじゃない、違う。今回も何かと戦うような試練だと思って緊迫してたからといって、別にボケて空気を和ませなくてもいいんだよハリー!」

 

 解読された羊皮紙に書いてあったのが、『マグルの店で、マグルの金銭を用いてカナル型イヤホンを買うこと』というもの。署名にはチャリティー・バーベッジ教授の名があり、これがマグル学の試練でもある、ということが窺えた。

 先の通り、普通の魔法使いならばここでまず間違いなく脱落することだろう。マグルの服装すらまともに知らない人が多い魔法界の人々だ。マグルの街で『電化製品』を売っている店を探しだし、尚且つ『イヤホン』が何なのかを理解し、さらにはその中でも『カナル型』とはどのような種類なのかを把握し、そして何ポンドで買えばいいのかと言ったことも分かっていなければ、この試練はクリアできない。

 バーべッジ先生は確かにマグルに関する造詣が深い魔女のようだ。ただ、あまりにも知識がディープすぎるためにこんな試練となってしまったのだろう。わざわざカナル型を指定しているところにはもはや熱意というより悪意すら感じる。

 そして、ふたつめ。

 ハリーとハーマイオニーが、マグルの世界で育った人間であったこと。

 

「うーわ、何これ。うーわあ、やーらしーぃ。なにこの悪意まみれのお財布は」

「ほんとだわ。ポンドだけじゃなくてドルや円が一緒になって入ってるわね。うわあ、スターリングだけじゃなくてエジプトポンドまで入ってるわ。硬貨に至っては……なにこれ、ゲームセンターのコインじゃないの。ここまで来ると意地悪を通り越してギークっぽいわ」

「なにこれ? ポンド? 変なの! スパイか何かかい?」

「ロン。君、ハグリッドと同レベルだったんだね」

 

 こんなとんでもない引っかけがあったとしても、生粋の英国マグルであった二人は引っかからない。

 ハリー自身はイヤホンに詳しいとは言えない生活を送っていたものの、イヤホンがどういった物体なのかなどというのは常識レベルだ。ハーマイオニーは特に虐待やらを受けていたわけではないが、運よく父親がイヤホンやヘッドホンの音質にこだわるタイプの人間だった。カナル型と言われてピンとくるのは、そういった理由からだ。

 ハーマイオニーの父親が音楽を聴くような人間ではなかったら。ハリーとハーマイオニーがマグル出身の魔女ではなかったら。それだけで断念せざるを得ないミッションが、今回の試練だ。 その事実に一人気づいたハーマイオニーは、試練が終わって幻術が解け、元の白い部屋に戻された際に背筋の寒くなる思いをしていた。

 

「楽な試練だったねハリー」

「そうだね。ロンが何度言っても黙ることを覚えない以外はとても楽だったよ」

「お、怒らないでよハリー。珍しくって、つい……」

「怒ってないよ。イラついてるのさ」

「ホントごめんて」

 

 次の部屋へ至る廊下を歩きながら、ロンとハリーが喋る姿をハーマイオニーは黙ってみていた。

 どうしたのだろう、と二人が振り向くと、ハーマイオニーは意を決したように口を開く。

 

「ねえ、ロン」

「なにさ、ハーマイオニー」

「あなた。ここで引き返しなさい」

 

 彼女の言葉が完全に予想外だったのか、驚きに目を見開くロン。

 隣でその様子を見ていたハリーは、ハーマイオニーの言いたいことがわかって俯いた。

 ロンはいま、片足を引きずって歩いている状態だ。

 ウィザードチェスで腹を貫かれ、トロールとの戦いで肩から先を折られ。

 いくらハーマイオニーが治癒呪文を使えるとしても、そもそも癒者でもない以上、完璧な治癒ではないのだ。ローブで隠されて見えないが、もしかすると彼のシャツには赤い染みが滲んでいるのかもしれない。

 つまり。彼はもはや戦力外というだけではなく、足枷と化している。

 

「……それは、僕が邪魔だってことかい?」

「…………、……申し訳ないけれど。……そうよ。足手まといなの」

「ッ、ハーマイオニー!」

 

 低い声を出したロンに対して答えた彼女の真意に、一瞬遅れて気づいたハリーが叫ぶ。

 ハーマイオニーはロンを危険から遠ざけようとしている。

 しかし、ロンはそれを受け入れないだろう。

 普段がどれだけ情けなかろうが、有事の際は勇気を出せる男の子だと、少女らは知っている。

 だから女の子を二人だけでこの先へ進ませるのは、彼が頑として受け入れないだろうということは想像に難くない。

 だからハーマイオニーは、悪役を買って出たのだ。

 わざわざロンの悪感情を煽る言葉選びをして、怒らせることでこの場を去らせようとする。

 頭のいいやり方であった。

 だが、方法がスマートだからといって結果がついてくるとは限らない。

 

「……いやだ。僕はついていくよ」

「ロン!」

 

 ハーマイオニーの悲痛な声があがる。

 不貞腐れた顔のロンではあるが、意地になってそう言っているわけではないようだった。

 

「トロールの部屋で証明できたように、戦力にはならなくっても、盾にならなれる」

「ま、待てよロン。それじゃ君の体が、」

「女の子に戦わせてるんだぞ!? そうでもしなきゃ、僕は一生自分を誇れなくなる!」

 

 口を挟んだハリーだったが、ロンのその叫びに、彼女はすっかり黙り込んでしまった。

 プライドだ。

 女の身である自分にはわからないが、恐らく男の子には意地があるのだろう。

 矜持とも言うべきか。

 ロンの母親モリー・ウィーズリー、旧姓モリー・プルウェットは、とある名家の出身である。

 魔法戦士を多く輩出したプルウェット家は、古くから続く家系であった。そのため、彼女の息子であるロンにもその心構えの教育は、意識せずともしっかり根付いている。

 女の子を戦場に放り出しておいて、安全な場所へ逃げ帰るなどということは、ロンとしては断固として許せないものであった。

 ハーマイオニーは知らずとはいえ、彼の心の奥深くを冷たい針で突いてしまったのだ。

 

「絶対についていく。ハーマイオニーが何を言おうとも、僕は身を挺してでも守るんだ」

 

 完全に、裏目に出た。

 これではてこを使ってもロンはついてくるだろう。

 先の二つは、直接的に戦闘を要する試練ではなかった。だが、だからと言ってこれから先もそうだとは限らないだろう。

 もしそうだった場合にロンにかかる負担は、相当なものになる。

 それこそ、今度こそ死を意識してしまうほどには。

 

「次の部屋だ。先に行くよ!」

「ま、待ってよロン! おい、待てって!」

 

 先走るロンの腰に抱きつくようにして、ハリーが彼の暴走を止める。

 もしまた何らかの魔法生物や魔法が襲い掛かってきたらと思うと、冷や汗が止まらなかった。

 そんな悲観的な予想に反して、明るい部屋にたどり着いた三人が見たのは小さい台座に、赤ん坊の頭ほどの、美しく丸い水晶玉が乗っかっているだけの光景だった。

 水晶玉ということは、占い学の試練なのだろうか。

 しかし占いの試練とはいったいなんなのか?

 訝しげな顔を浮かべながら、各々が杖を取り出してまずは水晶玉を調べようとした時。

 部屋の中央に位置する中空に、魔法文字が浮かび上がった。

 動くものが視界に入って反射的に杖を向けたが、そこに書いてある内容を見てハリーは黒い感情が心の底に降り積もった錯覚を覚えた。

 『己の心を覗く勇気ある者は我に触れよ。心を認めよ。自分を飲み込め。さすれば道は開かれる』。

 これは、つまり……。

 

「……? なにこれ、これが試練なの?」

「戦うタイプの試練じゃなくてよかったけど……なんだろうこれ。この水晶玉に触って、自分の心を見てみろってことかな」

 

 ハリーはこれが最悪な試練であることを見抜いていた。

 自分の心を覗くだと?

 それはハリーが一番見たくないものである。

 諦観と憎悪、憤怒と欲望。半ば死を熱望しながらも、怠惰に生を貪った。

 自身の存在価値を底辺とすることで、脆弱でひび割れた心を守ろうとした、その意地汚さ。

 それを見せられるのか?

 いま。この場で。ハーマイオニーとロンの前で?

 そう考えただけで、かなり辛い。

 

「……僕がまず触ってみるよ」

「ロン……」

「僕はそれくらいしか役に立てないからね」

 

 嫌味とも取れる一言を残して、ロンは怪我をしていない方の手で水晶玉に触れる。

 途端。

 部屋中にロンの声が響き渡った。

 

『いやだ』

「な、なんだよこれ。僕の声だ!」

『いやだ、いやだ。もう嫌なんだ』

 

 動揺したロンは水晶玉から手を放そうとするも、まるで根が張ったかのようにピクリとも動かなかった。

 いったい何が始まるのかとハリーとハーマイオニーが警戒し始めた時、またも水晶玉からロンの声が響き渡る。

 

『ずるい。ずるい。ずるい』

「何なんだよ、僕の声を勝手に使って何を言っ――」

『ハリーばっかりずるい。ハーマイオニーだってずるい』

「――――ッッ!?」

 

 驚きと不満をあげていたロンの声がひっくり返り、奇妙な悲鳴が漏れる。

 唐突にずるいなどと言われてしまい、ハリーとハーマイオニーが怪訝な顔をする。

 ロンはどっと汗をかいて、挙動不審になり始めた。

 おそらく、この内容に心当たりがあるのだろう。

 

『ずるい』

 

 声は続く。

 

『フレッドとジョージは面白くってみんなの人気者でずるい。パーシーは頭がよくてママに褒められてずるい』

「あ、ああ……! あああ……!」

 

 ロンの顔が、見る見るうちに羞恥に染まっていく。

 それを見てようやく、なるほどと合点がいった。

 これは、ロンの心の声そのものなのだ。

 

『チャーリーはあんなに力持ちでたくましくってずるい。ビルはかっこよくって頼られていてずるい。ジニーは可愛がられていてずるい。ママは愛する人がいっぱいいてずるい。パパは自分の楽しめることが出来てずるい』

 

 もはや声も出ない様子で、ロンが滝のような汗をかいている。

 ちらちらとハリーとハーマイオニーを盗み見ているあたり、二人の反応が気になるようだ。

 当の二人は困惑と、居た堪れない様子で佇んでいる。

 

『ハリーばっかり強くって目立っててずるい。ハーマイオニーばっかり頭がよくって優しくってずるい。ずるい。ずるい、ずるい……』

「そんな、違う、嘘だ、そんな、そんな――」

 

 ぶつぶつと否定の言葉を漏らすロンの顔は、もはや蒼白を通り越して白かった。

 膝が震え、立っているのがやっとといった様子だ。

 無理もあるまい。

 これはきっと、ロンの心の奥深く。

 誰にも見せたくなかった、見せるつもりも言うつもりもなかった、闇。

 心の闇そのものだ。

 

『ずるい! ずるいッ! 僕だって、僕だって目立ちたい! 欲しい! 欲しいッ!』

「や、やめ、やめてくれえっ!」

『僕だって人気者になりたい! 僕だってママに褒められたい! 僕だってたくましくなりたい! 僕だって頼られたい! 僕だって可愛がられたいんだ! 僕だって愛する人が欲しい! 僕だってやりたいことがやりたいんだよ! ずるい! ずるい! みんなずるい! ハリーみたいに強くなりたい、目立ちたい! ハーマイオニーみたいに頭がよくなりたい、優しくなりたい!』

 

 心の声は次第に、次第に強く大きく、そして荒々しくなっていった。

 まるで心の底に降り積もった澱を払うように。

 

「やめて! 聞かないで! ハリー、ハーマイオニー! お願いだ、聞かないでくれえっ!」

『あああ、ああああ! あああああ! ずるいんだよぉっ! みんな全部全て僕が欲しかったものばかりだ! 僕だって目立ちたいんだ! みんなに褒められたり注目されたり噂されたりしたいんだ! 僕だって僕だって僕だって! ぁぁぁあぁああッ! くそっ! くそおっ!』

 

 懇願なのか、慟哭なのか。

 ロン本人の羞恥にまみれた悲鳴と、ロンの心からの絶叫が部屋中に満ちる。

 

『あぁぁぁッ! 僕だって、僕だって主役になりたかったんだァァァ――――――ッ!』

 

 ぶつ、と。

 最後の嘆きをひとつ残して、心の声は消え去った。

 水晶玉からロンの掌が離れて、自分の体重を支えるのでやっとだった彼は尻もちをついてしまう。

 滝のような汗をシャツの袖で拭って、ロンは二人を見た。

 ハリーと、ハーマイオニーを。

 

「……、…………。……、……。……聞いただろう。……あれが、僕だ」

 

 ぽつり。

 一滴の汗が床に落ち、言葉も滑り出る。

 

「嫉妬、してるんだ。羨ましいんだ。ハリーは、シーカーをやってるし、体も鍛えてる。強くって、いいなあ、って。ハーマイオニーは、頭もいいし、優しくしてくれる。そういうの羨ましいなあ、って」

 

 これは告白だ。

 ロンは羨ましがっていた。

 ホグワーツで、気兼ねなくバカをやれるのはディーンとトーマスだ。

 だけれど、一番仲がいいのは誰かと言ったら、やはりハリーとハーマイオニーの二人だ。

 男の子は自分一人だけだけれど、二人はとても優しい。

 ハリーは激情家で時々冷たいけれど、何だかんだで人を見捨てられない優しい子だ。

 ハーマイオニーは頑固で融通が利かないけれど、人を想って行動できる優しい子だ。

 翻って、自分はどうだろう?

 優しいだろうか。いや、そんなことはない。

 人のことを考えられるだろうか。いや、そんな余裕はない。

 人を見捨てずにいられるだろうか。いや、そんな度量はない。

 仕方ないとはいえスリザリン生とみればまず敵だと思ってしまうし、相手の気持ちを考えて投げかける言葉を選ぶなんてこと毎度毎度やっていられない。

 それができる君たちがうらやましい。

 僕だって、目立ちたいんだ。みんなに隠れた日陰者でいるのはいやなんだ。

 

「……、……どうだい。これが、僕さ。ロナルド・ウィーズリーなんだ」

 

 ぽつりぽつりと、静かに、だけれどしっかりと伝えた。

 軽蔑されるかもしれない。

 ハリーには、下らないと冷たい目で言われるかもしれない。

 ハーマイオニーには、バカみたいと思われるかもしれない。

 それでも言った。

 言い切った。

 勇気を出し切ったロンは、すっかり座り込んで俯いて震えている。

 そんな震える男の子は、ふわりと抱きしめられる。

 栗色の豊かな髪が、暖かくもくすぐったい。

 

「……ロン。ああ、ロン。あなた、あなたは……」

 

 ハーマイオニーの声も震えていた。

 人の心の闇に触れるなど、普通に生きてきた十一歳の少女には初めてだろう。

 ロンの肩に手を置いて、どういう表情を作ればいいのか戸惑っていたハリーは、やがて不器用に笑った。

 

「ロン。君がいなければ、ぼくらはここまで辿り着けていない。君が目立っていないだって? まったく、チェスゲームのとき君はヒーロー以外の何物でもなかったんだぞ」

「そう、そうよ。ロン。あなた、とてもかっこよかったのよ。それに。女の子二人にあんなに心配かけさせて、何が不満なのよ。ばか。この、ばか」

 

 ついに泣き出してしまったハーマイオニーの声を聞きながら、ロンはぼーっとした顔で二人を交互に見つめる。その顔には疑問の色がありありと浮かんでいたのをハリーは見て取った。

 彼の疑問に答えるため、ハリーは顎に手を当てて考えるポーズを見せる。

 

「なんだい。ひょっとして君、軽蔑されるかもとか思ってた?」

「う、うん……なんで、君たちは……」

「なんでって、あなた、それは……。その、えっと」

 

 ロンの恐る恐るといった風の問いかけに答えようとしたハーマイオニーが、見る見るうちに赤くなる。

 彼にはその様子を見る余裕もないので、なぜ彼女が顔を染めているのかも当然わからない。

 二人を見下ろせる位置に立っているハリーからは二人の表情が丸わかりで、そして心の中までも丸わかりだった。こんなもの、魔法なんて使わなくても十分に分かりやすい。

 なのに分かっていないロンがおかしくって、真っ赤になってあうあう言っているハーマイオニーが可愛くって、ハリーは思わず笑い声を漏らしていた。

 

「くふっ、うふふふ。なんだよ君ら。可愛いなあ、おい」

 

 ロンの背中から手を回し、ハーマイオニーごとぎゅっと力いっぱい抱きしめたハリーは、数秒間二人の暖かさを楽しんでからぱっと離れた。

 びっくりした顔をして振り返る二人を見て、ハリーはおかしそうに笑う。

 ハーマイオニーもそれにつられて笑い、最後に、ロンがぎこちないながらも笑顔になった。

 そりゃあ、そうだ。

 言えるわけがない。

 水晶玉から聞こえてきたあの声が、本当にロンの本心だとしたら。

 あれほど嬉しいことはないだろう。

 確かに嫉妬というのは、いうなれば負の感情であり忌避されるべきものとされる。だがそれを逆に考えてみれば、相手の長所をわかっているということにはならないだろうか。

 もちろん場合にもよる。現にハリーの場合は、目立ってて羨ましいという言葉が入っていたが、ハリー自身そんなに目立っても困るだけであって、言われてもたいして嬉しくはない。その後の強い、という言葉は素直にうれしかったので、ハリー自身もあまりハーマイオニーの事は言えない。

 しかしハーマイオニーからしてみれば、褒め言葉のオンパレードにしかならなかっただろう。『ハーマイオニーばっかり頭がよくって優しくってずるい』だなんて、なんて下手くそな口説き文句だろう!

 本人には全くそのつもりはなくとも、こんなことを言われてしまえば、口説き文句に聞こえてしまう。それが気になる男の子からのものなら、なおさらだろう。

 顔を真っ赤にして意味のない言葉を呻くハーマイオニーをにやにやして見ていると、ついに限界に達したハーマイオニーがロンを突き飛ばして立ち上がった。

 急に押されたので尻もちをついたロンが軽く抗議をすると、小さく謝ってからハーマイオニーは水晶玉に向き合った。

 

「まったくもう! まったくもう! ……いいわ、次は私が触れるわよ」

 

 湯だった顔を冷やすように、ハーマイオニーは毅然と言い放つ。

 別に同じことをしなくてもいいのではないだろうか、とハリーが言うも、ハーマイオニーは首を振って否定した。曰く、次の部屋へ行く扉はまだ出現していない。試練に挑みに来た全員が『心を認める』必要があるのだろう、と。

 ぼくが先にやろうか、と進言するハリーを手で制して、ハーマイオニーは水晶玉に手をかざす。

 深呼吸をひとつ残し、すこし不安げな声で一言漏らす。

 

「やるわよ」

 

 ぱし、と勢いよく水晶玉に手をついた。

 途端。

 部屋中に響かせて、ハーマイオニーの心の声が聞こえ始めた。

 

『いいなあ』

「……何を言われるのか怖いわね」

 

 本人がぽつりと言うと、心の声は続きを紡ぎ始めた。

 

『ハリーは可愛いなあ』

「ひょえっ!?」

 

 奇声をあげたのは、褒められた黒い髪の少女だ。

 ロンもハーマイオニーも変な顔をして、心の声の続きを待っている。

 ハーマイオニー自身はどうもこの内容に心当たりがないようで、戸惑っているようだ。

 

『黒い髪は綺麗だし、柔らかくって羨ましいな。きっと伸ばしてみたらすごく似合うはずよ。顔立ちもかっこいい美少年みたいだけれど、パーツが可愛い系でまとまってるから、成長したら間違いなくずるいくらい可愛い子になるはずだわ』

 

 随分と高評価である。

 自分の心の声だというのに苦笑いするハーマイオニーとは対照的に、ハリーはまるでグリフィンドール寮旗のように真っ赤だった。両手を頬にあてて、時折頭を懸命に振って熱を逃がしているようにも見える。

 しかしその微笑ましい姿をいつまでも見ているわけにはいかない。心の声が続きを始めたのだ。

 

『パーバティは綺麗よね。同じ黒髪だけど、ハリーと違ってエキゾチックな艶と魅力があるわ。お風呂で見たけどスタイルもいいし、本当に同じ十一歳かしら?』

「ごくっ」

「おい、こら。ロン」

 

 生唾を呑みこんだロンの尻をハリーが叩いた。

 ばつの悪そうな顔をしたロンだったが、ハーマイオニーの顔を見て訝しげになる。

 彼女の顔色が悪いのだ。

 

『ラベンダーも魅力的ね。可愛いとか綺麗とかではないけれど、あのフランクで遠慮のない性格は男の子にモテそうだわ。実際トーマスが気になってるっていうし、ああいう子がモテるのね』

 

 なんだ?

 ハリーが怪訝な顔をした。なんだか心の声のトーンが、ずいぶんおかしくなってきた。

 夢見るような声色から、だんだんと低く呟くようになっている。

 

『レイブンクローのジェシカ・マクミランも可愛いわね。ウェーブがかった金髪と褐色の肌がチャームポイントで、猫っぽい可愛さがあるわ。ハッフルパフのハンナも優しい子でとても魅力的だわ。スーザン・ボーンズみたいに三つ編みの似合う理知的な子もいいわね。スリザリンの双子のクロー姉妹なんて、真っ白い肌で綺麗なのに』

 

 褒め方が、なんだろう?

 羨んでいる色が見え隠れしていると言うべきか。

 どこか卑屈な感じがする。

 

『どうして、』

 

 続く言葉で、ハーマイオニーは声にならない悲鳴を漏らした。

 

『私は可愛くなかったんだろう』

 

 ついには耳をふさいでしゃがみこんでしまったハーマイオニーの隣で、ハリーは驚いていた。

 意外だ。

 彼女が寝室で自分の髪を梳いている姿を、ハリーは幾度か見たことがある。

 その後、自分の髪を見て諦めるような溜め息をついていたことも。

 その際に櫛の使い方が下手なのかと思い、ハグリッドが来て以来人が変わってしまったペチュニアに聞いて教わった方法で自身の髪の手入れをしているハリーが助言を進言したのだが、ハーマイオニーには苦い笑みと共に遠慮されてしまった。

 いわく、今まで放っておいたツケを支払っているのよ、と。

 ハーマイオニーは、自分の容姿に少なからずコンプレックスを持っている。

 お風呂上りにハリーの髪を梳きたがったり、同室のパドマ・パチルのきめ細やかな肌を触りたがったりと、自分にないものを羨んでいる節があったことも知っている。

 

『髪はいくらシャンプーを変えてもぼさぼさのままだし、手入れしても手入れしてもサラサラになんてならない。鼻だって低いし、目立って野暮ったいわ』

「やめてよ……こんな、恥ずかしい……」

 

 ハリーはこの試練を、心の闇を見せつけられる類のものだと判断していた。

 以前にハリーが心を囚われかけた、《みぞの鏡》と類似したものだと。

 心の後ろめたいところ、人には言いたくないところを読み取って、対象の精神を揺さぶるような魔法具。闇を認めるか受け入れるかすると、何らかの魔法でそれを感知して次の部屋への扉が開く。最初に聞かされた『心を認めよ、自分を呑みこめ』という囁きは、きっとそういう意味なのだろう。

 

『脚だって長いとは言えないし、背も高くない。遺伝的にも将来伸びる可能性は低いわ。前歯も大きすぎて無様で嫌いよ。知ってるんだから、みんな陰でビーバーって呼んでたの。胸だって、グランマやママのを見てるとそうそう大きくなってくれるとは思えない。女性らしさを求めて髪を伸ばしても、みっともないだけだったわ』

「やめ、て……やだぁ……」

 

 しかし、今回の独白を聞いてハリーは思う。もしや違うのではないだろうか、と。

 ハリーは実のところ、ハーマイオニーの闇を打ち明けられたことがある。

 周りの子がバカに見えて仕方ない。そういう傲慢さからくる悩みを打ち明けられたのだ。

 ハロウィーン以前の、肩ひじ張って虚勢を張って、周囲を見下し気味だったころの話だ。

 ハーマイオニーは将来の仕事に歯医者を見据えていたようで、プライマリースクールのころから一日のほぼすべてを勉強にあてるような子だった。進学校であるにも拘らず飛びぬけて頭脳明晰であり、時には教師よりも頭の回転が早かった。

 そして、そのころから頑固で融通が利かなかった。

 努力して勉強すれば誰でも何でも分かるようになると、本気で思っていた。教師であっても彼らも人間だ。間違いくらい誰だってするが、ハーマイオニーはそれを指摘して直させた。

 そんな子供が可愛いはずはない。

 教師も敬遠する、クラスメートは遠巻きにする。両親は愛情を注いでくれるが、だからこそ心配させることを嫌ってこの現状を打ち明けるわけにはいかない。勉強すればするほど、知識を得れば得るほど、勉強しない努力しない周囲がバカにしか見えない。そうなればまた、態度も硬くなる。二進も三進もいかない、心が締め付けられて固まって、まったく余裕がない状態。

 それが、出会った頃のハーマイオニーだった。

 

『ハリーが羨ましい。パーバティが羨ましい。ラベンダーが羨ましい。ジェシカ・マクミランも、ハンナも、スーザン・ボーンズも、クロー姉妹も、みんなみんな羨ましい』

「うう、ううう……」

『私だって可愛くなりたかった。男の子に噂されたりもしたかった。性格だってエロイーズみたいに優しく心の広い子になりたかった』

 

 魔法の存在を知り、ホグワーツに来ても、それはあまり変わらなかった。

 特にグリフィンドールはそれが顕著だ。

 知識を最も重んじるレイブンクローはともかくとして、スリザリンには純血の貴族であるお坊ちゃんやお嬢様が多い。ゆえに勉強することは生活の一部として当たり前なのだ。ハッフルパフには劣等生が多いなどと他寮から馬鹿にされるものの、それはとんでもない偏見である。真面目で大人しい子が多いからそう見えるのであって、前者二寮と比べればそうでもないが、彼らの大多数も勉強は欠かしていないのだ。ではグリフィンドールはどうかというと、古い常識に囚われず、いつだって新たな世界を打ち立てる先駆者にしてユーモアあふれるやんちゃな子が多い。本当に大事なのは仲間やその思い出だったりと、勉強を重視する子が少ないのだ。

 事実、ハーマイオニーは組み分け帽子にグリフィンドールかレイブンクローかで迷ったと言われている。レイブンクロー寮の生徒からも、どうしてうちに来なかったのかと聞かれたこともあったそうだ。

 

『――私って、醜いわ』

 

 だが。

 ハーマイオニーが選ばれたのは、グリフィンドールだ。

 勇猛果敢な騎士道の、勇気溢れる獅子の心を持つ寮だ。

 

「……二人とも。これが、私よ」

「ハーマイオニー……」

 

 涙をためて、鼻を赤くした姿で二人を見るハーマイオニーは、泣きだす寸前であった。

 居心地悪そうに困ったようなハリーを見て、ハーマイオニーは言葉を続ける。

 

「見ての通り、こんな情けない女なのよ。醜いわ」

「そっ、そんなことない!」

 

 ハーマイオニーの告白に割って入って遮ったのは、ロンだった。

 眉を綺麗なハの字にして、しどろもどろで言葉選びをしているようだが頭が回っているようには見えない。

 

「君が醜いなんて、あるわけ、その、ないだろ。ほら、ハーマイオニー。えっと、うん。そのお……」

 

 おそらく彼が思い、そして言うことは飾り気のない本心。

 ハリーはロンの口から出る言葉の続きを察して、ああ、と微笑った。

 まぶたを閉じて、呆れたように、大きな溜め息を一つ。

 それと同時に、ロンが口を開いた。

 

「君は十分、あー……えっと、ああ。可愛いと。思う、よ」

 

 赤い髪の下で頬も赤くした少年の言葉に、栗色の下が真っ赤に染まった。

 単純なものだ。

 幾百幾千の悪罵を浴びせられても、そんなものはただ一つの光で打ち払われる。

 きっとハーマイオニー自身は気づいていなくても、そういうものなのだ。

 現に見ればわかる。

 己の闇を知られた羞恥と情けなさに震わせていた肩も足も、今はロンの放った一言のせいで火照った熱を逃がすのに夢中なようだ。まったく、お忙しいことで。

 

 しかし、困った。

 ついにハリーの番が来てしまった。

 心の闇を露呈するにしろ、コンプレックスが暴露されるにしろ、ろくでもない事に違いない。

 ハリーは、自分の心の大半が憎悪で占められていることを自覚している。

 顔も知らぬヴォルデモートへの憎しみ。怒り。虚しさ、殺意。

 それを暴露されるのはちょっと、遠慮したかった。

 だが、受けなければならない。

 そうしなければ先へ進めないのなら、多少の犠牲くらい喜んで支払おう。

 ヴォルデモートの野望を打ち砕けるのなら。

 奴の目論見を妨げて、失意のどん底に叩き落とせるのなら。

 

「……よし。じゃあ最後だ。ぼくも触ろう」

 

 自分のメンタルなど、どうでもいいことだ。

 少し落ち着きを取り戻したハーマイオニーとロンが見守る中、ハリーは水晶玉に掌を向けた。

 最後になってしまうけれど、覚悟できるだけマシか。と思いながら、ぺたりと触れる。

 途端。

 ハリーの静かな声が、部屋中に響き渡った。

 

『わからないな』

 

 なんだ? と二人は訝しんだ。

 いつも聞いているハリーの声ではあるのだが、なんだか違う気もする。

 ハスキーで、まるで男の子みたいで、いつもの声ではある。高くも低くもない。

 しかし、感情が全くこもっていない。

 

『さっぱりわからない。ラベンダーはディーンだっていうし、パーバティは三年のセドリック・ディゴリーだろう?』

「……何の話だ?」

 

 ロンが訝しげな顔をする。

 己の事だというのにハリーは未だピンと来ていないようだったが、どうもハーマイオニーは気づいているらしい。はらはらとした様子で落ち着きがない。

 

『アンジェリーナはフレッドがいいなんて言うし、ハンナに至ってはネビルだ。挙句の果てにハーマイオニーはロ』

「わーっ! わーっ! うわーっ! うわぁぁぁーっ!」

 

 ハーマイオニーが突如大声をあげて、心の声を遮る。

 ただ単にびっくりしただけのロンとは違って、ハリーはそれで合点がいった。

 まさか、こんなことを言いはじめるとは。

 ぼくはいったい何を考えているんだ?

 

『みんなみんな、何を言ってるんだろうね』

 

 ぽたり、と。

 綺麗に澄んだコップの水に、一滴の泥が入り込んだかのような。

 小さく些細な、それでいて異常とはっきりわかる極小の違和感。

 泥のように粘ついたその感覚は、徐々に広がってゆく。

 

『誰が好きー、だとか。誰が親友だぁー、とか。お前の頼みなら、とか。君のためを想って、だとか。何なんだろうね、こいつらは』

 

 苛々と。沸々と。

 湧いてくるように、沸いてくるように。

 徐々に徐々にだんだんとゆっくりと、無色の声には色が塗られてゆく。

 タールのように真っ黒い、ドス黒い泥が。

 泥が。

 

『親友だ、とか。家族だ、とか。恋人だ、とか』

 

 泥が。

 

『くっだらないなぁッ! ほんっとうにッッ!』

 

 爆ぜた。

 突然荒げた声に、三人ともびくりと身体を竦ませる。

 ハリーが本気で怒ったことは何度かあった。

 ロンがハーマイオニーを、心無い言葉で泣かせたとき。

 スコーピウスがネビルに、度の過ぎた罵倒を向けたとき。

 だが、こんなにも憎々しげに怒声を放ったことはない。

 ハリーは極限まで感情が高ぶると、喜怒哀楽に関わらず泣いてしまうタイプだ。

 事実、ロンに怒っていた時も泣きながら吹き飛ばしていたし、スコーピウスを折檻するときもドラコが止めにくるまで泣きながら殴り続けていた。

 だというのに、これは如何なることか。

 

『くッだらない! なんでみんな、そんなに軽々しく言えるんだ!? なーに言っちゃってんだろうねえ。笑っちゃうよねえ』

 

 不穏な空気が流れ始める。

 唖然としたロンとハーマイオニーは、心の声が何を言いたいのかを理解するのに精一杯だ。

 ただ一人。

 ハリーはよくわかっている。

 これは心の奥底で思っていたこと。

 彼女の、本心なのだから。

 

『親友? お友達ぃ? ははっ、友情だってさ。笑っちゃうよね。……なんだそりゃ?』

 

 ざあ、と。血の気が引く音を聞いた。

 これはまずい。これを聞かせてはならない。

 ヴォルデモートに対する憎悪ならばまだマシだ、ずっとマシだ。

 だがこれは、これだけはいけない。

 こんなものを聞かせてしまったら、今後の関係にひびが入ってしまう。

 いや、今後だけではない。この先の試練に支障が――

 

「やめ――」

『ハーマイオニーもロンもさ。よくやるよねえ。フツーここまでついてくるか? 彼女らは『例のあの人』とは、なーんも直接の関係はないってのに。よくもまぁついて来る気になったもんだよ。『まともじゃない』よね。ま、便利だから助かるんだけど』

 

 言って、しまった。

 思っていても言わなかったことを。

 言ってしまっては取り返しのつかないことを。

 言われてしまった。

 

「……ぁっ、……、……」

 

 ああ。

 これだ。

 この感覚だ。

 独りぼっちだった、あのときの。

 ダドリー軍団に虐げられて、独りだったあのときの。

 憐みからでも嬉しかった、やっと話しかけてくれた女の子。

 翌日、顔に痛々しいあざを作って、もうあなたと関わるなって言われたの、と。

 ダドリーたちが大笑いするその前で、あなたのせいで痛い目に逢いたくない、と言われて。

 後日、なぜかハリーがやったことにされていて、その女の子の父親に殴られて。

 痛みに泣きたかったけれど、それ以上に胸の中心が痛くて。

 あまりに痛くて、心がどろりと溶けてしまいそうで。

 戸棚に映った自分の目が、濁った泥みたいで。

 生きることに飽いて諦めていて。

 ともだちが、いなくて。

 味方なんてなくて。

 心が死にゆく。

 その感覚。

 いやだ。

 嫌だ。

 

「……ぁ、……。が、ぅ……、」

 

 掠れた声がハリーの喉から這い出て零れ落ち、外気に晒され消えてゆく。

 掠れた声が溶け込んだ空気はざらついていて、とても目が痛い。

 掠れた声が、掠れた声が。

 

「……、う。違う、違うッ! 違うッッ!」

 

 掠れた声が唇から飛び出し、腹の底から絶叫する。

 ハリーの本心に驚いて凍っていた二人が、今度はその大声に驚いて竦む。

 真っ向からの、否定。

 

『僕たち三人は親友だ。私たち大人になっても一緒にいようね。はっはっは。なんッだそりゃ』

「違うッ! やっと出来た友達なんだ! そんなこと思ってるわけないだろう!」

『くだらないの。バカなんじゃないの?』

「黙れ黙れだまれッ!」

 

 絶叫による否定。

 二人に聞かれたくなくて、声を張り上げている。

 しかし脳髄の奥底に釘を突き刺すように、釘そのものが喋っているように。

 三人の頭にはハリーの本音が突き立てられる。

 

『友情なんてさ。そんなもの、あるわけないじゃん』

「あ、―――ッ」

 

 あ、終わったな。

 今までの友人関係を握り潰すかのような一言に、ハリーはふとそう思った。

 追い詰められすぎて、口元に笑みまで浮かんでくる。

 混乱して焦燥して、真っ白だった頭には妙に軽い考えが浮かぶ。今なら冗句だって言える。

 もう、笑うしかないのだ。

 

『親友だとか言われても困るんだよね。信じられるわけないだろう。でもひとりよりは多く居たほうが『あの人』の妨害に成功する確率は上がる。だったらなおさら本心を言えるわけがないんだけどね。裏切られたら困るもの』

「…………、……」

 

 そこまで、言うのか。

 ハリー自身も気づいてはいた。

 先ほど聞かれてはまずい、と思ったのも、そうだ。

 本当に友人として二人を見ていたのなら、あんな打算的な考えは浮かばないだろう。

 ハリー自身は、ハーマイオニーとロンのことを友人として見る事ができない。

 ホグワーツに来てこの一年間、共に勉強したり遊んだりお喋りしたりする者はいた。

 だが。

 心の底から友人と呼びたい人間は、ついぞ見つからなかった。

 魔法という脅威を得てからのハリーは、ダドリーからのいじめを受けなくなった。

 次は豚にされるかもしれないとハリーに怯えて豚のような悲鳴を上げるダドリーを見て、滑稽さや爽快さよりも哀れみを感じてしまうほどには、魔法を知る以前以後での心境は大幅に違う。

 ハリーが魔女である限り、二度と彼からの暴力は受けずに済むだろう。

 しかし、それは仮初の平穏にすぎない。

 彼が十年間ハリーを虐げてきた事実は変わらないし、ハリーの心にはもう、ダーズリーという恐怖が奥の奥まで魂の根源まで深々と刻まれている。

 以前よりダドリーが脅威でなくなったというのは、心的外傷を乗り越える理由にならない。

 ダドリーでなくても、悪辣な人間はどこにでも居る。

 そして、件のトラウマ。

 今後似たような事が起きないとは、限らない。

 リスクを考えてまで友人を求めるのなら、そんな不安定な要素はない方がマシだ。

 端的に言って、ハリー・ポッターは人間不信である。

 

『人は絶対に裏切る』

 

 呟くように。

 

『誰かを信じるなんて馬鹿なこと、二度とやってたまるか』

 

 染み込むように。

 

『ぼくは、誰も信じない。愛なんて、くだらない』

 

 心の声は切り捨てるように断言し、以降は静寂だけを残して消えた。

 この時点で、ハリーは諦めていた。

 ホグワーツにおける生活の中で、得難い友人を得ることはできるだろう、と考えてはいる。

 だがそれには長い年月が必要だとも。

 ハーマイオニーとロンには、一定の信頼を置いてもいいのではないか、と思っていた。

 以前ハロウィーンで起きた、トロールとの戦いでの経験が彼女にそうさせている。

 しかしそれも御破算だ。

 これだけ今までのやり取りが全て打算の上でやっていたことを暴露され、さらにはハリー自身の取り乱しようで、親切にも御自らそれが真実だと宣言しているのだから。

 

「ハリー……」

「っ、……、……。うーん、ごめんねハーマイオニー。事実だ。ぼくは君らを信用してはいない。一緒に居て楽しいなとは思えるけど、実は友達だと思ったことなんて一度もないんだ」

「……ッ」

 

 容赦なく心の臓腑に突き刺される本音。

 楽しかったけど、でもそれまでだったと。

 所詮は『役に立つから』、親友であると勘違いさせたままだったと。

 今のハリーは、友人関係というのは強い絆があると錯覚させられるため、便利な繋がりだとすら思っている。強い絆というのは、時に実力以上の結果を出すことのできる重要な要素であるため、決して蔑ろにすることはできない。そんな風に自然と思えてしまうのだから、ハリーは自分に他者を信じることは無理なのだと、ホグワーツに入る前に覚悟していた。

 だが、ここでそれがバレるのか。

 彼女たちと過ごす時間を、心地よいものだとうっすらと思い始め、誰をも信じないと決めたはずなのに、このことがバレると思うとあんなにも取り乱した。

 そうか。

 やはり、仮初の友人関係だったとはいえ、彼女たちを悪しからず思っていたのか。

 

「ハリー……泣いてるのかい?」

 

 ロンの声が聞こえる。

 頬に触れてみれば、確かに暖かく濡れている。

 泣くほど嫌だったのか。信じてもいない人間が、離れていくのが。

 それは、なんて――なんて傲慢。

 自分からは愛さないけれど、他者からは愛されたい?

 どれほど救いようのない愚か者なのだろう。呆れのあまり嘲笑すら出ない。

 

「ごめんなあ、ハーマイオニー。ごめんね、ロン。ぼくは、こういう女なんだよ」

「…………」

 

 ぼう。と低い音を立てて、扉が出現した。

 ハリーが認めたのだ。自信の心の醜悪さを。

 あれを開ければきっと次の試練へ、もしかすると石のもとへたどり着けるのだが、誰もその場を動こうとしない。ハリーの独白は、まだ終わっていない。

 

「嬉しいとか、腹が立つとか、楽しいとか、哀しいとか、君たちと過ごした一年でいろいろと感じてきたけどさ。好ましい、だとか。頼りになる、なんて。そういうのも感じたよ」

 

 すっかり言葉を失った、仮初の友人二人が佇む。

 ハリーは彼らがそれを聞いているのかいないのか、確認もせずつらつらと言葉を述べる。

 

「でもさ」

 

 そう切って、そこでハリーは二人へ顔を向けた。

 泥のように濁った瞳には、自嘲の色すら浮かんでいない。

 ハーマイオニーはここで確信した。

 彼女は、自分にすら信用を置いていないのだと。

 この世界で彼女が信じるものはなにもないのだと。

 

「友情だとか愛情だとか、そういうのは感じたことがなかった。おかしいかな? グリフィンドールの仲良し三人組なんて呼ばれていたのは知ってたけど、それを聞いてもなんとも思わなかったんだ。その通りだ、と誇ることも。冗談じゃない、と嗤うことも。何にも。なーんにも、だ」

 

 とぷ、と涙が零れてしまえば、もう止まることはない。

 ハーマイオニーは小さく嗚咽を漏らして泣きながら、ハリーの独白を聞き続けた。

 ロンは口を開いて呆けた顔のまま、涙を流して心中を吐露するハリーを見続けた。

 

「ああ、ここで帰ってもいいよ。ここから先はぼくがやることだし、もう十分役に立ったから」

 

 ずっと続くだろうと。

 大人になっても時折会って、思い出話で笑いあうだろうと。

 子供ができて親になって、互いの息子や娘の自慢でもするだろうと。

 そう思っていたのだけれど。

 それは夢に過ぎなかった。

 

「じゃあ、さようなら。また明日、学校でね」

 

 事もなげに、そう言い残して。

 ハリーが扉へ歩み寄り、ドアノブへ手をかけようとした、

 その時。

 左腕をぐいと引っ張られて、ハリーは後ろ向きに倒れこんだ。

 あまりに力が強かったのと予想していなかったこと、そしてハリーが軽すぎたことが原因だ。

 床に寝転がる羽目になるのを阻止したのは、引っ張った張本人であるロンだ。

 ロンに抱えられたまま少し驚いていたハリーは、殴られるかな、と思っていた。

 しかしロンから出たのは拳ではなく言葉だった。

 

「あ、ごめんハリー。強く引っ張り過ぎた」

「別にいいよ。でも離してくれないかな、女の子にこれはセクハラだぞ」

「許してくれよ。友達だろう」

「だから友達じゃないって」

 

 この期に及んで何を言い出すのだろう。

 怪訝な顔をしてロンの顔を見つめる。

 いつものロンならば照れて目線をはずすのだが、この時ばかりは違った。

 

「じゃあ、さ。ハリー。今からでも友達になろうよ」

「…………、……は?」

 

 こいつは。

 話を聞いていなかったのか?

 

「……何を言ってるんだ。この一年、君たちに友情を感じなかったって言ってるだろう」

「じゃあ、来年は?」

 

 来年?

 言われていることを理解できていないハリーに、ロンは言葉を紡ぎ続ける。

 

「再来年は? 四年生になったら? 五年生になって、六年生も七年生も一緒に過ごして。そうしたら、心境も変わるかもしれない」

「変わらないと思うけれど」

「変わるかもしれないじゃないか。試す価値はあるだろう」

 

 何なんだこいつは、本当に馬鹿なのか?

 怪訝な表情を崩さないハリーを見ているのかいないのか、燃えるような赤毛の男の子は言う。

 笑顔で。難しいことはさっぱり考えていないような笑顔で。

 

「なんだったらホグワーツを卒業しても、一緒にいようよ」

「……、…………」

 

 それは。

 それはちょっと。

 気恥ずかしいセリフだ。

 まるでプロポーズそのものではないか。

 ハリーは自分の顔が耳まで赤く染まっていくのを感じた。

 

「んなっ、なに言ってんだよ! バカか君は!」

 

 ロンの腕の中から離れようと慌てふためくハリーを、今度はハーマイオニーが抱きしめた。

 ついに完全に拘束されてしまった。

 などと、焦燥が一回転して冷静になっているからと言って茶化している場合ではない。

 ハリーは先ほど、憎まれても仕方ないほどの告白をしたのだ。

 なのに彼女はなぜ、わんわん泣きながら抱きついてくるのだろう。

 

「はりぃ。ああ、ハリー。あなた、あなたなんて子なの! もう、信じられないわ!」

「……失望させて悪いねハーマ――」

「そうじゃないわよバカ」

「――イオにゃー?」

 

 ハーマイオニーの指がハリーの頬をつまみ、きゅっと引っ張った。

 無駄な肉どころか必要な肉すらないハリーではあまり柔らかくなかったが、それでも構わずひっぱるため、むにっと変な顔になってしまう。

 なにをするんだという抗議を視線に乗せて飛ばすと、また彼女が泣いてしがみついてきた。

 どうしたものか。ロンを見上げてアイコンタクトを試みるも、目をそらされる。役立たずめ。

 

「ぐずっ、うう。ひっく。はりーぃ。あなた、ばかじゃないの。ほん、ひぐ。ほんとに、ばかよ」

 

 ハーマイオニーが涙と洟をローブで拭うと、ぼろぼろの顔のままハリーの目を見つめる。

 泣きすぎて赤く充血しているが、その気迫は本物だ。

 本気で怒っていて、かつ本気で悲しんでいる。

 

「は、リー。あなたね。あなたが私たちを信じられなくても、私たちはあなたを信じてるわ」

「……、……おいおい。そういう冗談はシャレにならないって」

「この私が。この状況で、そういう嘘を言うとお思いかしら」

「…………いや、」

 

 そうは、思わない。

 なぜなら。

 同じ寮であり、同室であり、『友達』であり、

 そして……、そして、なんだ?

 ハリーにとって、この子はなんだ?

 

「ロンの言うように。一年間でダメなら二年間、二年間でダメなら三年間つきあって、もっと長い時間でもつきあって。それでゆっくりと友達になっていけばいいのよ。時間はまだあるの。私たちには、まだいっぱいあるの」

 

 ハーマイオニーが抱きしめてくる力が強くて苦しい。

 さっぱり理解できない。

 いったい、なぜ。彼女らは、こんなにも。

 ぼくを繋ぎとめようとする?

 

「……なんでだ?」

「え?」

「ぼくは君達を友達だとは思ってなかった。なのに君達はどうしてぼくに構う?」

 

 ハリーが心の底から感じた疑問に対する返答は、二人の困ったような、それでいて呆れたような笑顔。ハーマイオニーが抱きしめる力を強め、頬ずりをする。二人の体重を支えているロンの腕も、力が増してぎゅっと抱きしめられているようだ。

 困惑したハリーの頬にひとつキスをして、ハーマイオニーは言う。

 

「そんなの。私たちがあなたを友達だと思ってるから。理由なんてそれで十分じゃない」

「理由になってないよ」

「いいのよ、そんなもので。一年前の私はそれすら分かってなかったけど、これを教えてくれたのはあなた達なのよ、ハリー」

「……?」

 

 さっぱり理解できない。

 ひとつ呟いて、ハリーは二人を押しのけて立ちあがった。

 

「もう、ハリー。待ってよ、一緒に行きましょう」

「ほら、ハリー。僕らを置いていくんじゃないぞ」

 

 そうすると、ハーマイオニーとロンもハリーの隣に立つ。

 立って、共に歩く。

 ハーマイオニーが左腕を抱きしめてきて、ロンが肩に腕を置いてくる。

 二人ともハリーより背が高いので、かなり歩きづらい。

 特にロンだ、こいつは腹が立つほどノッポなので、やろうと思えば立ったままハリーの頭に顎を乗せる事も出来るだろう。ハーマイオニーもハリーより幾分か背が高く、腕に抱きつかれているとは言っても、まるで持ち上げられているかのようだ。

 扉まで行くにも一苦労。

 両手が塞がれているので、また苦労。

 次の試練に至る階段を下りるのも、大変な苦労。

 だけど。

 それでも。

 なぜだろう。

 悪い気は、しなかった。

 

 三人は団子になって階段を降りようとしたため、ロンがハリーの足を踏んだり、ハーマイオニーがハリーにぶつかったりと本気で鬱陶しくなったため、手を繋ぐことで妥協させた。

 まるで小さい子供のように三人並んで階段を降りてゆく。

 魔法を用いて石を切って作ったのだろうか。今まで石畳のように丸みを帯びた石を敷き詰められていた床は、灰色の美しいなめらかなものになっている。

 次の試練へと至る階段も、妙に長い。

 ひょっとすると先ほどの悪辣な試練が、最後の試練だったのかもしれない。

 そう思ったハリーは、二人に一言注意を言って懐から杖を取り出して構える。

 三人の間に緊張が走った。

 もしかすると。居るのだ。

 この扉の向こうに、闇の帝王の眷属が。

 

「……、……」

「ハリー。落ち着いて。急く気持ちもわかるけど、落ち着かないと勝てるものも勝てないわ」

「…………わかってる、つもりだ」

 

 ひとつ。頬を伝う大粒の汗をぬぐって。

 柔らかな黒髪の下で獰猛に光る明るい緑の目を細めて、口の端を吊り上げる。

 この一年。

 奴を殺すことを夢見てきた。

 ヴォルデモートのことは、正直言って恐ろしい。

 心の声が決してその名を呼ばなかったことからもわかる。

 だが、それでも。

 殺したい、嬲りたい、侮辱したい、凌辱したい、蹂躙したい、貶めたい。

 そういった悪の感情を心の奥底で煮詰めていたハリーは、歓喜の気持ちでいっぱいだった。

 そうはいってもヴォルデモート本人がこの先で待っていることは、まずないだろう。

 居るのは奴の賛同者か、手下。はたまた信奉者か。

 構わない。

 やることは変わらない。

 無残に、容赦の欠片もなく、持てる力のすべてを以って、

 

「殺すだけだ」

 

 呟きと共に、扉が開け放たれる。

 心配そうな二人の視線を無視して、ハリーは部屋中に杖先を向けて調べた。

 誰もいない。

 まだ試練は続くのか、と思って部屋に入った、

 その時。

 

「やっと来た」

 

 男の声がした。

 急いで振り返り杖先を向けるも、そこには誰もいない。

 ハーマイオニーとロンも遅れて杖をあちらこちらに向けるが、部屋の中には三人以外に人はいない。せいぜいが部屋の隅に小汚いネズミや蜘蛛がいるくらいだ。

 声はすれども姿は見えず。

 魔法界ではもっとも注意すべきことの一つとされている現象だ。

 

「誰だ! どこにいる、姿を見せろ」

「ハリー! 落ち着いて!」

 

 適当な場所に呪文を撃ちこみながら、ハリーは叫ぶ。

 血走った眼は誰が見ても冷静さを失っていることは明らかだ。

 その様子を見ているのか、声はハリーの醜態を嗤う。

 

「ひどい形相だ。女の子のものとは思えないね、ハリー」

「いいから姿を見せろッ! 会話なんてする気はない! 早く出てきて、早くぼくに殺されろ!」

 

 またも適当な場所に失神呪文を放ち、鈍い音を立てて石壁を抉る。

 癇に障る声がまたも部屋中に響き、ハリーを嘲笑う。

 しかし、この声。聞き覚えがある。

 誰だったか――いや、しかし。そんなはずは。

 ふっと脳裏に浮かんだ顔を否定する。彼がここにいるはずはない。

 彼のように気の弱い人物が、ヴォルデモートの手下?

 ばかな。ありえない……。

 

「ああ、ハリー・ポッター。どうしたんだい、いつもみたいな勇敢さを見せておくれ」

「ッ! そこかあッ!」

 

 声が発せられる方向がわかった。

 姿は見えずとも、何も相手は空気というわけではない。

 ならばその方向へ広域に散らした魔法を放てば、少なくとも相手には当たるはずだ。

 その考えのもと、ハリーは単純に広範囲へスプレーするように杖先から魔力を射出した。

 果たして判断は正しかったのか。

 ハリーが抉った柱の陰から、黒い影が飛び出した。

 天井を舐めるように跳ぶ影に向かって、狙い違わず失神呪文が放たれる。

 予測進路上、ジャスト。誤差は有れど胴体には命中するはずだ。

 当たった! と確信した途端、相手が小さく呟いて発動した盾の呪文によって赤い閃光は弾き飛ばされ霧散してしまった。舌打ちをするハリーを苛立たせるように、影は音も立てずにふわりと着地する。

 そして小馬鹿にするように、ハリーに向けて優雅に一礼した。

 

「お見事。でもハリー、君はここに来ちゃいけないんだ」

 

 その姿を見て。

 その声を聴いて。

 ハリーは自分の根幹を揺さぶられたと思うほどに動揺した。

 

 怪人の元へ墨を水で溶いたような闇が集まり、ローブとなる。

 ――フードを目深に被った、闇のようなローブ。

 綺麗になっているが、あの禁じられた森で見た時と同じものだ。

 怪人は長い礼を終えて、芝居がかった仕草でゆっくり顔をあげた。

 ――闇の中で鈍く輝く白く禍々しい、髑髏の仮面。

 話に聞いたことがある、あの忌々しい白骨のことは。

 

「……まさか、そんな」

 

 ハリーが半歩、一歩と後ずさる。

 殺す殺すと息巻いていたハリーの怯えた姿に、ハーマイオニーとロンが驚いた。

 驚いたと同時、ローブ姿の髑髏仮面に杖を向けて睨む。

 二人のハリーを想っての行動は、ハリーの目には映らなかった。

 信じられない。

 悪い冗談だ、と。夢ではないだろうか、と。

 しかしこの場で現実逃避をすることは、死にも等しい愚かな行為。

 歯を食いしばるようにしてハリーは、自分に気合を入れるため髑髏仮面を睨めつけた。

 

「……ここに居るのが君だとは、全く思っていなかった。なんで、何でなんだ」

 

 白い手が、自らが被る仮面に手をかける。

 髑髏が剥がれ、黒い髪の下に隠れる顔が見える。

 

「……なぜ、君がここにいる!」

「ハリー、君はここにいちゃいけないんだ。これ以上減点されたら困るだろう?」

 

 嗤いながら、彼は仮面を脱ぎ捨てると同時、その勢いでフードが外れる。

 捨てられた仮面が甲高い音を発して割れ、同時に白い魔力となって空気中に霧散する。

 硬質な音にまぎれ、ハーマイオニーとロンの息を呑む音が部屋に響いた。

 今までの人生で、ここまで驚いたことはなかっただろう。

 そして同時に、ここまで失望した気分も味わったことはなかった。

 ハリーは憎悪と困惑、そして怒りを込めてその名を叫ぶ。

 

「なんで、君なんだ! ――ネビルッ!」

 

 闇より深い漆黒のローブを揺らし、髑髏の仮面より禍々しく嗤う。

 最後の試練の間に現れたのは、誰あろう、ハリーの知る限り最も優しいグリフィンドール生。

 ネビル・ロングボトム、その人であった。

 




【変更点】
・マグル学の試練。純血主義者とか来たら死にそう。
・占い学の試練。我は汝、汝は我。
・ハリーの闇。十年で負った心の傷は、一年では治らなかった。
・絶望しろんぐぼとむ。

【賢者の石への試練】
・第七の試練「マッドなマグル学」バーベッジ教授&バブリング教授
 マグルのやり方に従ってメモ通りの買い物をしなくてはならない。ただしメモに書かれているのは古代ルーン文字であり、解読する必要がある。
 元々マグルの知識を持っていないと絶対にクリアできない試練。ハリー達にとって楽だっただけ。

・第八の試練「弱くて強い心」トレローニー教授&ダンブルドア教授
 自分の弱い心をきちんと認めなければならないという、それだけの試練。
 ハリー達は三人で来たため、互いに一番醜いところを知られてしまう結果となった。
 ロンは目立ちたい願望、ハーマイオニーは容姿のコンプレックス、ハリーは人間不信。
 HMDのハリエットちゃんは、奇しくも若き日のトム・リドルと同じ闇を抱えています。

試練も次で最後!やったねハリーちゃん、絶望がやってくるよ。
寮の談話室で三人を止めるというネビルの出番が削られていたのはこのため。
次回はネビルとの戦闘。私は対人戦闘を書くのが一番好きです。目指せスタイリッシュ!


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14.最後の試練

 

 ハリーは、杖を構えた腕が震えるのを感じていた。

 まさか、嘘だろう。悪い冗談だ、そんなはずはない、何かの間違いだ。

 そう思いたくなるほどに、彼女たち三人の前に立ちはだかった敵の正体は、信じられない者だった。

 

 ネビル・ロングボトム。

 ホグワーツの一年生で、ハリーたちと同期。

 グリフィンドール寮の生徒であり、丸顔で人懐こく心優しい、小太りな少年。

 そしてその心の内には、誰よりも多大なる勇気を秘めていることを知っている。

 ハリーたちがドラゴンに関わってしまって窮したとき、一番心配してくれていたのが彼だ。

 自分も罰を受ける羽目になってまで、警告を発してくれようとした、勇気ある少年。

 魔法薬学とその担当教授セブルス・スネイプが大の苦手で、たびたび夢の中でスネイプに襲われていることを寝言で白状してくれるのは、グリフィンドール生たちの周知の事実だ。

 薬草学が大の得意で、もしかするとその教科のみならば、学年主席は間違いないとされるハーマイオニーにすら届くという事はあまり知られていないが、それも彼の大きな長所だ。

 それが、ハリーたちの知るネビル・ロングボトムという少年だった。

 

 だが。

 なんだ、これは。

 目の前で嗤う人物は、本当にネビル・ロングボトムなのか?

 あの子の性格は、人との争いが苦手で臆病だった。

 あの子の笑顔は、ハリーですら心暖まるものだった。

 あの子の雰囲気は、人を和ませる独特なものがあった。

 どんくさくて、要領が悪くて、でも誰も彼を見捨てられないで、つい気になる。

 なのに、なんだ?

 

「いやあ。遅かったね。あの試練を越えてきたんだろ? 随分と苦労したみたいだね」

「ネ、ネビ……ル……? い、いや! 嘘よ! あなたがネビルなはずないわ!」

 

 ハーマイオニーがヒステリックに叫ぶ。

 気持ちはわかる。ハリーだって叫びたい。

 しかし今のネビルから感じる魔力は、あまりにも邪悪だ。

 禁じられた森で殺し合った怪人と、ほぼ遜色ないほどに漆黒だ。

 ハリーたちを心底蔑み、見下している。

 

「僕がネビルじゃない? それは変だなあ、僕はネビルだよ。ネビル・ロングボトム」

「嘘よ! ネビルがそんな顔できるはずがないわ!」

「分からない子だなあ、ハーマイオニー。ひょっとして君、バカ?」

「ッ! 『スペシアリス・レベリオ』ッ! 化けの皮剥がれよ!」

 

 閃くように杖を振って呪文をさく裂させたハーマイオニーが、ネビルを名乗る人物に対して《看破呪文》をかける。これは何であれ正体を隠した偽物を暴く呪文であり、変身術を使って他人に化けていてもこれ一つでその目論見は崩れ去る、高度な呪文だ。

 上級生ですら扱えるかわからない上級呪文を見事に成功させたハーマイオニーの魔力反応光が、ネビルの体を包み込む。

 そこに慌てた様子はない。

 何も変わらず、歪んだ薄笑いを浮かべたままだ。

 ネビルの体はしばらく薄紫色に光り続けたものの、結局なにも起こらずに光は霧散した。

 魔法が失敗(ファンブル)した様子ではなかった。解呪(レジスト)すらされていないだろう。

 つまり。

 奴は疑う余地もなく、本物のネビルなのだ。

 彼が敵なのだ。

 

「いやあ、ずいぶん待ったよ。はやく、早く殺したくてたまらなかった」

 

 ネビルが自身の杖を振り上げて叫んだ。

 

「『レダクト』、粉々!」

 

 彼が呪文を紡ぎ終える前に、ハリーはその場を飛びのいた。

 ハリーの今まで立っていた床が、粉々に破壊される。

 転がって衝撃を逃がしながら、ハリーは思う。

 本気だ。ネビルは本気で、ぼくらを殺す気だ。

 ならばどうしたらいい。

 決まっている。

 

「『エクスペリアームス』!」

「ハリー!?」

 

 ハリーが武装解除呪文を放ったことで、ロンが驚きの声を上げる。

 立っているだけでもつらそうなのに、それでも杖を構えたままなのは感心だ。

 だが彼の咎めるような声に、ハリーは少し不快感を感じた。

 

「ネビルはもう敵だ! 敵である以上は殺す!」

「何も殺さなくてもいいじゃないか! 友達だろう!」

「友達なんていない!」

 

 次々と射出されるハリーの呪文は、そのすべてが攻撃呪文。

 失神呪文、武装解除呪文、切断呪文、はたまた魔力の放出まで行っている。

 一片の容赦もなく絶え間なく、人殺の呪いを撒き散らす。

 その行動原理は憎悪。

 闇の帝王に対する憎悪と空虚が、彼女の体を動かす血液だった。

 その同類と思わしきネビルも、当然のこと憎悪の対象になる。

 己が身をも焦がすような殺意をばらまくハリーに対して、ネビルは冷ややかだった。

 杖を軽く振れば、盾の呪文が効果を発揮して緻密な魔法防御障壁を編み上げる。

 ネビルにこんな魔法の実力があったとは。

 つまり今まで学校では、この膨大なパワーを隠していたということになるのだろうか。

 そうなると途端に憎らしく思えてくる。

 一生懸命やっても、生来のどんくささで失敗してしまう。わざとではないから応援したい気分になっていたのだ。それがすべてわざとだとしたら、今までかけられてきた小さな迷惑の数々も酷いしこりとなってイラつかせてくれる。

 怒りの感情は魔法をブーストさせる。

 女の子がしていい表情をはるかに振り切って、憤怒の形相でハリーは魔力弾を放った。

 

「……おっと、これはまずい」

 

 普段のおっとりした響きが全くないネビルの声がする。

 軽く呟いた直後、ネビルの張った障壁は打ち破られた。

 呪文そのものは当たらなかったようだが、余剰魔力によって吹き飛ばされる。

 ネビルの体が床で数回バウンドしながら、壁に叩きつけられる。そのせいで肺から空気が逃げたのか、激しく咳き込んだ。

 そこをハリーは見逃さない。

 騎士の扱う剣のように鋭く杖を突きだしたハリーの唇から、呪文がこぼれる。

 

「『グンミフーニス』!」

 

 杖先から勢いよく飛び出した光の縄は、ネビルの首に巻きついた。

 彼がはっとした顔をするが、もう遅い。

 設定を少しいじったハリーによって、この呪文は今ネビルを絞首刑にする役目を担った。

 数時間前に鍵鳥相手に見せたロープアクションのときのように、杖先に縄が巻き戻る。

 それに引っ張られてハリーの小柄な体が、高速で跳んで行く。

 制止するハーマイオニーの悲鳴とロンの怒鳴り声を無視して、ハリーは空中で体制を整えて、両足をぴたりとそろえた。

 そして着地。いや、着弾とするべきか。足を着いた場所は、ネビルの腹だ。

 折角吸い込んだ肺の空気をすべて吐き出し、それどころか胃の中身まで吐き出して、内臓もいくつか痛めたのか赤いものも吐き出した。

 吐瀉物を避けるようにネビルを蹴って床に降りたハリーは、首に縄を巻きつけたまま杖を振った。

 杖の動きに連動して縄も動き、膝をついていたネビルを無理矢理に引っ張る。本来であればハリーの非力な腕力ではできないが、魔法がそれを可能とする。この魔法は元来が犯罪者の捕縛目的で使われるものだったが、用途としては身動きの取れなくなった者を縛り上げるだけではなかった。逃げる敵を捕まえて、引き寄せることにも使われた。

 それを悪用したのが、この光景だ。

 ハリーが杖先を動かすと、パワーアシストされた縄が捕縛されたネビルを引っ張る。倒れ込んだ状態から無理矢理引っ張られたので体勢を崩して倒れ、ハリーのもとへと勢いよく床を引きずられてゆく。そしてハリーのいる場所を通り越して、反対側の壁まで放り投げられた。

 壁からずり落ちるネビルは苦悶の声を上げている。首を絞められているうえに、壁に叩きつけられたことによる全身へのかなり強い衝撃。骨が数本折れていてもおかしくはない。

 完全に殺害目的の攻撃である。

 

「だめよ、ハリー! ネビルを殺しちゃだめ!」

 

 ハーマイオニーが絶叫する。

 彼のような心優しい人物がこのようなことをするからには、相応の理由があるはずだ。

 ならばそれを聞かなければいけない。

 それ以前に、ハリーに人殺しなどという重すぎる罪を背負わせたくない。

 ハリーはそう思っていなくとも、こちらは彼女を大事な友だと思っているのだ。

 それゆえに、止めなければならない。

 

「もうネビルは動けないわ! それ以上攻撃しちゃ、だめ!」

「だまれ!」

 

 追撃しようとする姿に制止の声を投げかけるが、それは絶叫により遮られた。

 ハリーの鋭い叫びは、声も裏返って全く余裕のないものだ。

 憎悪と興奮とで、精神が高ぶり過ぎているのだろう。

 

「殺す! こいつは殺す! 『あいつ』に与したんだ! ならアズカバンは必然だろう、だったら殺したっていいだろう!」

「おいハリー! ハリー! ハーマイオニーの話聞いてるのか!?」

「殺す!」

「だめだこりゃ聞いてないぞ!」

 

 壁に背を預けて項垂れていたネビルが、ぴくりと反応して急激に走り出す。

 まるでアッシュワインダーのように素早く移動するネビルめがけて、ハリーが聞き取りづらい発音で呪文を叫んだ。杖先から飛び出した魔力反応光から察するに、切断呪文か。連続して複数の呪文を放ち続けるハリーの姿は、よく言って鬼気迫るという風で、ロンたちから見れば逆に追い詰められているようにしか見えなかった。

 ハリーの凶行を止めたいが、戦闘中に無理に止めたりすると下手をしたらハリー自身が危ない。もちろん彼女の放つ呪文がハーマイオニーやロンに当たるという可能性もあるので、どちらにしろ言葉でハリーを止めるしかない。

 部屋の隅まで走り切ったネビルめがけて、好機とばかりにハリーが武装解除呪文を放つ。

 しかしネビルは如何なる呪文を用いたのか、はたまた魔法具を用いているのかわからないが、部屋の隅に辿り着いたネビルは、その勢いのまま壁を駆け上がっていった。

 ジャパニーズコミックに出てくるニンジャめいた光景に一瞬驚くも、《身体強化魔法》というものを会得しようと勉強していたために納得して、驚愕はすぐに引っ込めて殺意を前面に出す。

 しかしあの魔法は、ハリーも未だに習得の目途が立たない魔法だ。まだ骨格どころか内臓すらしっかりと形成されていない、十一歳という幼い体で身体強化魔法を行使するのは、あまりにも無茶である。特にハリーは女性であり、初潮もまだ来ていない。生理不順で済むならばまだマシだ。下手をすれば、内臓に異常をきたして子を成せなくなる可能性もある。

 現段階では恋愛だの友情だのに全く興味を示せないハリーも、この一年をハーマイオニーやロンと過ごした結果、少しは心境に変化があったのだ。だからこそ先ほどは異常なまでに動揺し、一度は嘘をついてでも否定しようとした。もしも将来自分に愛する人ができて、彼の子を産みたいと願ったところで後の祭り。などという状況は避けたいとハリーは思ったのだ。

 だが、ネビルはそれを使用している。

 技術的にも身体的にも、ましてや魔力的にも知識的にすら彼にはその魔法に追いついているとは思えない。これはいったいどういうことなのだろうか。闇の帝王のしもべたる彼にかかれば、その程度は造作もないといったところなのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 彼も十一歳の子供であることは変わらないはずだ。

 いったい、なぜ。

 

「避けろハリー! 上だ!」

 

 ロンの鋭い声が、ハリーの頭を包んでいた疑念の霧を打ち払う。

 言われた方向を見る暇もなくその場から飛び退けば、ハリーが今までいた場所に轟音を立ててネビルが着地した。体勢を立て直しながら見てみれば、恐ろしいことに石畳が蜘蛛の巣状に割れている。あんなものが直撃したら、ハリーの柔らかい体など容易くミンチと化すだろう。

 転がった状態から起き上がりざまに、ネビルのいる方向に向けて魔法を放つ。

 

「『ステューピファイ』!」

「『プロテゴ・トタラム』! おぅい。どうしたハリー、君はその程度なの?」

 

 ハリーが全力で放った赤い閃光は、ネビルの張った障壁の前にあっさりと霧散する。

 やはりだ。やはりおかしい。

 今の呪文は、盾の呪文の上位スペルだ。

 彼は、ネビルは闇の魔術に対する防衛術が苦手だったはずだ。

 それなのに、ハリーにもハーマイオニーにも使えない呪文を先ほどから平然と使用している。

 それとも、これが闇の魔法使いが誇る力なのか?

 

「くっ、そ……ッ! 『アグアメンティ』! 『グレイシアス』!」

「『ラカーナム・インフラマーレイ』!」

 

 ハリーは水を凍らせた即席の弾丸を放ったが、ネビルの炎魔法にすべてが溶かされる。

 絶対におかしい。今の魔法にはかなりの魔力を込めたはずだ。

 それをいともたやすく。しかも、二度も。

 魔力をだいぶ消費したハリーが玉のような汗を流し、肩で息をしている状態なのに対してネビルの顔は涼しいものだ。

 今も身体強化魔法を使ってこちらに駆け寄ってくるほどには元気があるらしい。

 

「くッ!」

「ほォら、避けてごらん!」

 

 ハリーの数メートル手前で跳んだネビルは、三角跳びの要領で天井を蹴ってハリーのいるところへドロップキックを放ってきた。あまりの速さに回避が間に合わないと判断したハリーは、両腕を交差して顎や心臓の付近をガードする。

 車に衝突されたかのような衝撃が走る。蹴られたところが熱い。もしかすると折れてしまったか、ひびでも入ってしまったか。

 大きく吹き飛ばされたハリーは床にぶつかる際、転がることで衝撃を逃がして更なるダメージを避けた。格闘技の覚えはなかったはずだが、ダドリーの見るプロ格闘技の試合を見て覚えていたのかもしれない。やろうと思って即座に実行できたのは幸いだった。

 転がる最中に姿勢を直して起き上がっても勢いは残っていたのか、靴底を削りながら壁まで押し流される。背中にドンと衝撃を感じると同時、最大限の魔力を込めて両手で杖を構えた。

 特徴的な魔力反応光だ、ハーマイオニーなら気づくだろう。

 ……できれば巻き添えを避けてほしい。

 

「『インッ……センッ、ディオォ……ッ!」

「ろ、ロン! 私の後ろに隠れて! 『プロテゴ』! 『プロテゴ』! 『プロテゴ』! 三重の盾よ、防げ!」

 

 ハリーの力がこもった詠唱によって何をするかを察知したハーマイオニーが、盾の呪文を三重に唱える。

 半透明な盾が重なって出現し、ハーマイオニーとその後ろにいるロンを守る。

 盾の呪文はただでさえ、大人の魔法使いでも使えない者がいることからもわかるように、緻密な魔力コントロールが必要となる高難易度の呪文だ。

 それを三度も連続で行使できると言うのは、恐ろしいことである。

 だがハリーは、彼女がそれを出来ると確信していた。

 なればこそ、遠慮はいらない。

 

「……マキシマ』ァァァアアアア――――――ッ!」

 

 真紅の中にイエローとオレンジが混じった、まるで炎のような魔力反応光が杖先から噴き出す。

 閃光は瞬く間に部屋を横切り、ネビルにその着弾を気付かせないまま彼の体を火達磨とした。

 熱さを感じた時には、すでに全身に炎が燃え広がっている。

 ネビルはすぐに鋭い悲鳴を上げて床に転がるが、効果があるようには思えない。

 それもそのはず、『インセンディオ』系統の上位種たる先の呪文は、燃焼に重きを置いた進化を遂げている。転がった程度で消せるのならば、先人の労苦が報われまい。

 やっとの思いで炭と化す定めのローブを脱ぎ捨てたネビルが頭を上げた時、すでにハリーが杖を突きつけている光景を見ることになった。

 

「『エクス、ペリアァームス』ッ!」

 

 弾くような軽い音と共に、ネビルの持つ杖が彼の手から離れた。

 彼の杖は空中で幾度か回転しながら、ハリーの手の中に納まった。武装解除呪文は本来、魔力運用がしっかりしていれば相手の武器を奪う事も可能な魔法である。しかしそこまで緻密な魔力操作を行うには、戦闘中という精神状態の安定しない場においては相当な集中力を要する。

 つまり。ハリーは今現在。勝利の安堵と殺人への暗い歓喜によって、異様なまでに落ち着いており、静かな凪ぎの心を持っていた。

 身体を半身にし、杖先をネビルの喉に向けている杖腕を前に、奪ったネビルの杖を持つ手を、己の体を挟んでネビルに届かない位置に動かした。

 跪くネビルに対して、杖を突きつけるハリー。

 その状態を好機とみて、ハーマイオニーが動いた。

 

「『グンミフーニス』、縄よ! 『フェルーラ』、巻け!」

 

 魔法縄での拘束。

 杖がない以上、これでネビルは自分からは全く身動き取れない状態となった。

 眼前の獲物が、唐突にボンレスハムとなったことでハリーは驚き、ハーマイオニーを見る。

 ハリーがネビルを殺すつもりだと知った時から泣いていたハーマイオニーは、今やあふれる涙をローブの袖で拭いながらも気丈に杖を構えている。

 とどめを刺しやすいようにした、というわけではないだろう。

 しかし。それでも聞いておきたい。

 

「ハーマイオニー。なぜ拘束を?」

「だって、ハリー。あなたネビルが危険だから殺す気なんでしょう? だから、無力化したわ。それなら、殺す必要はなくなるわよね」

 

 冷たい汗を流してハリーの様子をうかがう。

 明るい緑の瞳は濁りきっていて、そして漆黒の殺意が溢れだしている。

 ハーマイオニーは寝室で、ハリーがダーズリー家で受けた虐待の傷跡を幾度となく目の当たりにした。それは肉体的にも、そして精神的にも傷だらけであった。

 学校に来たばかりの頃は着替えの際に痛々しい痣が見え隠れしており、風呂に入る際に彼女の裸身を見れば、栄養失調を疑うほど痩せ細っていた。普段の言動にもどこか生に飢えた異常性が散見されており、一度激昂すれば野生動物さながらの獰猛さを見せる。孤独でささくれ疑心で歪んだ、濁ったような瞳もまた特徴的だった。

 更に言えば、基本的に欲がない。恋愛に関する話は女の子という名の魔法生物の主食であるため、夜の女子寮では時折そういった情報交換会が行われる。皆がきゃあきゃあ騒ぐ中、彼女は全く興味を示さない。今思えば、先の試練で発覚した『誰も信用できない』という彼女の心の闇がそうさせているのだが、甘いお菓子にも興味を示さず、クィディッチ以外の娯楽にも食指が動かず、ホグワーツのご馳走も単純に栄養摂取としてしか見ていなかったように思える。

 そしてそうなってしまったほとんどの原因が、ダーズリー家の人間だ。

 近年では諦観が先に立って何も感じない人形のようになっていたが、それでも憎んではいたし、可能ならば殺してもよいのではとも思っていた。

 だが、それも叶わなくなった。

 魔法を用いれば、いとも容易くえげつない責め苦を与えられるだろう。

 実際に殺人を犯すにはリスクが高すぎるためにやらないとしても、いつでもそいつを殺せるという優越感は、いけないと思いながらも彼女の精神を非情に安定させていた。

 そういった暗い安寧を抱いていたというのに。彼女を虐待していた側の一人、ダーズリー夫人たるペチュニアの変貌がいけなかった。

 ハリーが自身を魔法使いだと知った後。魔法に怯えているとも取れるが、彼女はまるで開き直ったかのようにハリーに対して、ごくごく普通の接し方を始めたのだ。まるで今までが間違いだったかのように、抑圧されて凝り固まっていた、彼女の中の何かが取り払われたかのように。

 それがいけなかった。

 彼女を心の底から憎めなくなってしまったのだ。

 憎悪という感情は、殺意という意思は心の中に降り積もってしまった。だが、それを向ける相手がいなくなってしまう。それは困る。困るが……どうしようもなかった。

 そしてハリーは、ヴォルデモートへの殺意を煮詰め、滾らせた。

 今までのことはすべて奴が引き起こした、意図的な人災。

 ただでさえ歪んでいた彼女の心は、一見正常に見えるほど完全に捻じれ曲がった。

 それが、その結果が、この目だ。

 泥のような瞳。

 ハーマイオニーを無言で見つめている、その瞳だ。

 

「そうだね。ここまで縛られちゃ、脅威ではないね。杖もぼくの手にあるし」

「そ、そうよ。もうネビルは危険じゃないわ! 殺さなくってもいいのよ!」

 

 納得したようなハリーの一言に、ハーマイオニーは喜んだ。

 が、その喜びも直ちに霧散する。

 ハリーには杖を下す様子が全く見られないからだ。

 

「でも、殺す」

「ハリー……!?」

 

 表情が歪む。

 これは、いけない。

 ハリーはネビルを無力化するために殺すのではなく、殺すために殺すつもりだ。

 憎悪と焦燥が先行し過ぎて、状況判断がまともにできていないのか?

 こうなったらハリーを拘束してでも止めないとだめかとハーマイオニーが思い始めた時、ロンがネビルに声をかけた。

 

「なあ、ネビル……。嘘だよな? 君が、よりにもよって君が死喰い人なんてありえない」

「……、…………」

「ネビル。答えておくれよ。なんで君は、こんなところにいるんだ?」

 

 ロンは何か事情を知っているのか。

 ネビルは、ネビルだけは、何があろうと闇に染まることなどありえないと断じている。

 そこに何があったのか、マグル出身の少女二人にはわからない。わからないが、ロンとネビルは生粋の魔法族出身であるために通じ合うものがあるのか、それともこの二人だからわかるものがあるのか。理由は定かではないが、ロンの呼び声にネビルがぴくりと反応したように見えた。

 

「ネビル! どうして死喰い人なんかになったんだ!」

 

 ロンの悲痛な叫び。

 それが届いたのか、どうなのか。

 ネビルの唇がめくれあがり、異様な笑顔を作った。

 そして、言う。

 

「ハリー、君はここに来ちゃいけないんだ」

 

 先ほどと寸分違わぬ台詞を吐く。

 バカにしているのか、とロンが激昂して胸倉を掴みあげるも、怪我の痛みで手を添えただけのようになってしまう。

 ロンがネビルの顎を掴み、真面目に答えろと叫ぶがそれでもネビルはにやにやと恍惚に満ちた笑顔を引っ込めようとはしない。

 杖を突きつけたままのハリーが魔力を練り始めた。どうやら待ちきれないようだ。

 決して、彼女を人殺しにしてはならない。先の試練で彼女の心の闇を知り、完全に仲違いする覚悟でハリーに杖を向けようとハーマイオニーが決心した、

 その時。

 

「……まッ、待って! ハーマイオニー! ハリー! 見て、見てよ!」

 

 何事かと驚いた二人に、ロンはネビルの顔をよく見るようにと言う。

 訝しげに二人がネビルの顔を覗き込む。

 

「へらへらと笑っている。殺してやりたい」

「お団子鼻が可愛いけど、ちょっと太り気味だわ」

「違う、そうじゃない。そうじゃないよ二人とも。目を見てくれ、ネビルの目だ」

 

 ハリーは未だに怒りに震えており、ハーマイオニーは顔の造形を酷評した。

 だがそうではないのだ。ロンは怪我をしていない方の手で、苦労してネビルの瞼を開かせた。

 ――濁っている。

 ハリーの瞳とは、違う。彼女の瞳には希望の光が感じられない濁り方だが、ネビルの瞳は、文字通り白く濁っているのだ。焦点は合っていない。ぼんやりと杖先が灯るように眼球が発光しているのに気づいたが、これは……魔力反応光だ。

 ここで二人は、そうかと合点がいった。

 眼球から漏れ出る魔力反応光は、脳にまで魔法効果が及んでいる証だ。それも、魔法式で定められた必要魔力よりも多くの魔力が込められている。魔力を逃がさなければならないほど過剰に。

 これはどういうことか。

 ハーマイオニーがその特徴に気付いた時には、既にロンが声を張り上げていた。

 

「ネビルッ! 君がそのくそったれな呪文に負けちゃ駄目だ! 心を強く持て!」

「君がここにいちゃ……、いちゃ、いけ、な、……ううう……」

「ネビル!」

「ロ、……リー、いちゃいけない、いけない、ロン、いけいけロンないなななロロロロンン」

 

 流れがおかしくなってきた。

 ここにきてようやく、ハリーは溢れ出るような殺意を納める。

 ネビルは敵だ。ヴォルデモートの部下、死喰い人(デスイーター)だ。

 特徴的なあの衣装は、まず間違いなくそうであるはずだ。だが、これはなんだ? ハリーにあっさりと敗北を喫し、そして拘束されてもなお笑顔で有り続ける異様な姿。そして、まるでハリー以外の人物が見えていないかのように靄のかかった瞳。

 明らかに正気ではない。

 そして、自分の意思をも持ち得ていない。

 

「そうか、服従の呪文か……!」

 

 ぽつりとハリーが呟いたのが、答えだった。

 ――《服従の呪文》。

 許されざる呪文として知られる魔法であり、これを使おうものならば魔法界最低最悪の大監獄アズカバンへの収監はまず確実とされる、魔法使い最大の禁忌。

 《磔の呪文》、《服従の呪文》、《冒涜の呪文》、《簒奪の呪文》、そして《死の呪文》。

 それらの魔法を扱うには闇の魔術への適性と、闇に染まった心、そして強大な魔力を要する。

 今回の《服従の呪文》に限っては、相手を屈服させたい支配したいという強い気持ちも必要とされる。

 そのような魔法を使えるからには、ネビルを服従させた術者はよほど我の強い人間か、または性根が捻じれ曲がった人間と予想される。

 さておき、ネビルの襲撃が自分の意志ではない、彼は死喰い人ではない可能性が高くなった以上は、処遇をどうするか。

 ハリーは何がなんでも殺す、という主張を取り下げた。流石に闇の魔法使いでもないのに殺害するのは無益であると理解したのだろう。

 代わりに、雁字搦めに拘束して身動き一つとれないようにしたいと願い出た。これにはハーマイオニーも同意だった。

 ロンが必死にネビルに呼びかけるものの、効果があるようには見えない。

 仕方なしにハーマイオニーがネビルに《足縛りの呪文》をかけ、ハリーが《全身石化の呪文》をかけた。

 

「ネビル……」

 

 寂しげなロンの声が、ネビルに投げかけられる。

 彼らの間にどんな事情があったのか、いまは聞こうなどとは思わない。

 いつかは彼らの方から言ってくれるだろう、というのがハーマイオニーの言だ。

 

 ネビルをがちがちに拘束したのち、ハリーたちはどうするかを話し合った。

 彼を操った者が真に賢者の石を狙っている下手人なのか。

 そしてそれに該当する可能性がもっとも高いのは誰か。

 更にはその人物はどこにいるのか。

 情報が少なすぎて意見が飛ばない中、考えることが苦手なロンが落ち着きなくあたりを見回す。

 ハリーとネビルの戦闘で、柱は抉れ壁に罅が入っているなど、ずいぶん悲惨な光景だ。

 ところどころに散見される赤いのは……、ネビルの方をちらと見て、考えるのをやめた。

 哀れな被害者から視線を戻す途中、ロンが視界の隅にふと違和感を感じる。

 あれは……?

 

「ねえ。ハーマイオニー、ハリー」

「許されざる呪文を使ってる以上、相手はまず間違いなく死喰い人で――何よ、ロン」

「だったらなおさら殺った方がいいよ。殺らなきゃこっちが殺られ――何だよ、ロン」

「うん息がぴったりなのはいいことだ。それはどうでもいいからさ、ほら。あれ見て。僕にはちょっとわからないけれど、二人ならわかるかなって」

 

 死喰い人に遭遇した場合どうするべきかと口論し始めていた少女二人が、少年の言葉に壁際を見る。すると、どうだろう。何もない。何もないはずなのだが、違和感を感じる。まるで、目で見ているはずなのに、脳みそが気づいていないような。

 ハーマイオニーがもしかして、とつぶやくのに対して、ハリーはその違和感を感じる場所へ足を運んだ。広い部屋だ、特に何の変哲もない壁にしか見えない。

 ……いや、そうではない。あれは……。

 

「ロン。……たぶんお手柄だ」

「ええ、きっとそうね。私の知ってる通りの魔法具なら、大手柄よ、ロン」

 

 先ほどまで殺す殺さないと剣呑な雰囲気だった女の子二人に手放しでほめられて、ロンの耳が赤くなる。惜しむらくはその様子を二人が全く見ておらず、見つけた謎を解明しようとしていたことか。

 ハリーは違和感を感じる場所をよく見てみる。

 戦闘の余波で周囲は瓦礫と埃だらけだ。

 違和感の一つは、これだ。この場所だけ、四角く綺麗なままなのだ。雨が降った後にどけた車の下、色が全く違うアスファルトが思い出される。それだけ違和感が酷い。

 さらにもう一つは、脳に起きた不具合のような感覚。

 気付けないようにされている、といった方が適格かもしれない。違和感のある場所に目を向けたところで、別の方向へと視線が向かってしまう。その場所を、十秒と意識することができない。これは明らかなる異常だ。そこには『何もない』ように感じてしまうが、それ以外のすべてがそこに『何かがある』ことを証明している。

 ハーマイオニーに目配せすると、ハリーにそこから離れるよう指示される。

 彼女が数歩後ろに下がって大丈夫だと判断、複雑な軌道を描いてハーマイオニーは杖を振った。

 

「『スペシアリス・レベリオ』、化けの皮剥がれよ」

 

 先ほどネビルに使った呪文だ。

 今度は効果があったようで、景色が奇妙に歪んだかと思えば、絵具を溶かすようにして背景に色が付き始める。輪郭がしっかり見えるようになり、色が着々と塗られてゆく。

 十秒ほどかけて出来上がったそれは、複数のゴブレットが置かれた台座であった。

 いったいなんだろう、と思い机の上を見てみれば、見覚えのある文字で問題が書かれていた。

 いや、『おそらく』問題なのだろう文章だ。ハリーにはわからない。

 いや、いや。それ以前の問題だった。

 ……読めないのだ。

 

「英語じゃないな。……なにこれ、カンジ? じゃあこれ中国語か?」

「……、……いいえ。日本語よ、これ」

 

 日本語。

 それは極東の島国、日本で使われている公用語。

 マグルとしては、イカレた発想を実現する高い技術力を持つ、食べ物にうるさい和の国。

 魔法界としては、十九世紀前半から魔法に携わった若い国で、独自の魔法体系を持つ国。

 妖怪なる魔法生物が近年脚光を浴びていることで、英国魔法界でも有名な魔法文化国だ。スネイプの授業でも河童というモンゴル発祥(ハリーが河童は日本産であることを指摘したところ、彼にしては珍しく自分の発言を訂正したことに教室中が驚愕した後、なぜか減点をもらった)の魔法生物を扱った。

 そんな国で使われている言語が、なぜこんなところに?

 

「……ハリー、読める?」

「……いや、ごめん。平仮名ならまだしも、漢字が分からない」

「私がある程度読めるわ。……ちょっと解読してみる」

 

 困ったときのハーマイオニーである。

 なんでも、プライマリースクールで取っていた第二言語の授業が日本語だったのだとか。

 いったいどれほどの進学校に通っていたんだとハリーが戦慄する中、ハーマイオニーがぶつぶつ呟きながら杖先を使って空中に魔法文字を描く音だけが部屋に響く。

 数分後。

 ハーマイオニーがまるで癇癪を起したかのように壁を蹴った音で二人は驚いた。

 

「ど、どうしたハーマイオニー? わからないのか?」

「落ち着きなよハーマイオニー。ほら、急いては呪文をし損じる、だよ」

「ロンは黙ってて」

「僕に対する扱いの改善を要求する!」

 

 栗色の秀才に八つ当たりされた赤毛が涙目になる中、ハリーが恐る恐る尋ねる。

 いったいどうしたのか、と。

 

「どうもこうもないわ。これ、暗号なのよ」

「暗号?」

「そう。解読しても意味を持たない単語の集まりだったから、まず間違いなく暗号よ」

 

 暗号。

 異国の言葉で、暗号。

 それは何と言えばいいのか。そう、一言で言って「悪趣味」だ。

 

「何々……ああ、子供向けの暗号ね、これ。タヌキ言葉っていうのよ」

「え、ポンポコポンがなんだって?」

「『シレンシオ』、黙れロン。文章から平仮名の『た』を抜いて読むのよ。えっと、タヌキ? かしら、これ? 青くて丸いけど多分タヌキね。とにかく、そういう暗号なの」

「――――!? ――、――――ッ!」

「流石にロンが哀れだ」

 

 埃だらけの床に直接座り込んで、ガリガリと杖で空中に文字を刻みつけるハーマイオニー。

 いっそ不気味ささえ感じるその様相をハリーたちは直視できなかった。

 顔を逸らした先、ぐるぐる巻きにされて拘束された上に石のように固められたネビルを見る。

 いまは不思議と、殺そうという気が起きない。

 なぜだろうか。あんなにも殺さねばならないと思っていたはずなのに。

 殺さなければ、自分が自分でなくなるような……そういった切羽詰まった感覚があったのに。

 どういうわけか今はネビルを見ても、いいように操られた哀れな被害者としか思えない。

 ハーマイオニーに諭されたからだろうか? ロンの悲痛な顔を見たからだろうか?

 どちらにしろ、もう自分が誰かを殺したいとは思ってないことで安心した気がする。

 ハリーが自分の思考に足首まで沈み始めた頃、ハーマイオニーが立ちあがった。ハリーは脚を思考の海から引き抜いて、彼女に声をかける。

 

「分かったわ」

「流石。それで、何て書いてあるの?」

「この出題者の性格が捻じ曲がって趣味が悪くって人をおちょくるのが大好きなクソ野郎だってことが分かったわ! ちくしょう!」

―――――(ハーマイオニーが、)―――――(畜生って言った)!?」

「ロン、声でないなら無理して言わなくていいよ」

 

 今度は台座を蹴り飛ばすハーマイオニーを見て、ハリーは不安になってきた。

 なだめすかしてどのような内容が書いてあったのか聞いてみたところ、翻訳後にもまた日本語の問いかけが出てきたのだと言うそれだけならばまだ怒らない。だがそれも五度続けばイライラも最高潮に達してしまうだろう。

 そうしてようやく英文に直す問題が出てきて、それを解けば何とそれもまた問題。

 やっとの思いで辿りついた文章を見てみれば、最初に日本語で書かれていたタヌキ言葉を縦読みしてみれば最終問題に辿りつける。という、何と言えばよろしいものか、とにかく人をコケにしたものであった。

 日本語は縦書きにも、そして横書きにしても全く違和感なく読むことができるとされる奇妙な言語だ。だからこそのギミックなのだが……実際に問題を解く側のハーマイオニーとしてはたまったものではない。

 イライラが抑え切れなくなり、ついに脚が出たというわけだ。

 

「この出題者ほんっと性根が腐ってるわ! 学生時代はいじめられっこの泣きミソだったに違いないわよ!」

「ちょ、ハーマイオニー。試練を作ったのホグワーツの教師だから。忘れてる?」

「別にいいわよそんなの!」

 

 ハーマイオニー曰くイラクサ酒の論理パズルが最後に隠されていたらしく、つまりは透明だった台座の上に乗っているゴブレットの中に注がれている酒の中から正解を選び出して飲めば、その者のみが最後の部屋へ行けるそうだ。

 論理パズル自体は、興奮したハーマイオニーによって十数分かけて今もなお解かれている。

 出題者をなじっていたのが嘘のように褒め称え、これだけ論理的なパズルが組める魔法使いがいるだなんて誰なのかしら、ぜひともお話したいわとまるで夢見る乙女のようだった。

 しかしハリーは台座の隅に、セブルス・スネイプの署名があることを見逃さなかった。見逃さなかっただけで、それを教えることはしなかった。彼女はそこまで愚かではない。

 

 ふと、気づく。

 やはり楽しい。この三人で居ると楽しいのだと。

 同時に惜しいとも思った。なぜならハリーは、この関係を捨てたのだから。

 あの時の試練で本心を曝け出した。それは人と人との繋がりを断つ、致命傷を裂く刃。

 人間の関係という繋がりは、実に脆く繊細な糸でできている。

 寄り合い結び合い、絡み合って繋がって、時や経験を重ねれば強く逞しくなる。

 関係という糸は思うよりも頑健な出来をしているが、それでもやってはならないことがある。

 切るのはまだいい。仲直りして結びなおせば、また(ひと)(ひと)は繋がる。

 捻じれ絡まるのもマシだ。根気よく紐解いて誤解を解けば、拗れても元に戻る余地はある。

 では。

 先ほどのハリーのように。

 関係という糸を焼き尽くすような、残酷で苛烈な激情を吐きかけてしまったら。

 どうなるかなど、容易な問いかけだ。関係修復の可否を問うような次元の話ではない。

 それを直せるかどうかなど愚問である。なにせハリーの場合、関係を結ぶ糸そのもの自体がなかったからだ。あるのは吐かれた火焔のみ。糸など在りはしなかった。

 

 しかしそれならば、この気持ちはなんだろう。

 二度と味わえないはずだった、この、暖かい気持ちは。

 人を殺す覚悟はしてきた。魔法を知ってから一か月、あのプリベット通りで。

 ダーズリー家での経験が、ハリーの胎内に蠢く漆黒の殺意を育んだ。

 それが産声をあげようとしていたのだ。先の殺し合いで。

 誕生は阻止された。だが生まれ出でようとした人殺しの怪物は、霧散して消えたわけではない。

 今もハリーの腹の内で蹲って、機会を窺っているに過ぎない。

 血を啜り肉を食み、爪を以って敵を引き裂こうとする絶好の機会を。

 息を潜めて待っているだけだ。

 そんなものを飼ったままで誰かと関係を結ぶなど、できるだろうか。

 ハリーの答えは否だ。

 間違いなく、どうしようもなく否だ。

 受け入れられるはずがない。人殺しに焦がれ手を赤く染めんとする女など、願い下げだ。

 

 ……だが。

 だが、二人ならどうだ?

 ハーマイオニーと、ロンなら、どう答える?

 嫌われることなど怖くない。すでにそれだけのことを言った。

 怯えられることは厭わない。己が成りたいのはそういう女だ。

 ならば。聞いてみてはどうだろう。

 恐れる必要はもうないのだから。

 

「ロン、これよ。これだわ、正解のゴブレットはこれよ」

「――。――――?」

「あらごめんなさい。まだ喋れなかったわね」

「――――ッ!? ――……すがに酷いんじゃないかなッ! あ、喋れた」

 

 二人の方を見てみれば、どうもハーマイオニーが論理パズルを解いたらしい。

 賢者の石を狙う下手人、下手をすれば死喰い人と戦う可能性もあるというのに随分とリラックスした状態で会話をしている。

 思えば先ほどからそうだ。

 命を懸けた戦いになるだろうことは知っていたはずなのに、己の命そのものを軽視しているハリーはともかく彼らまでハリーと同じく軽い態度で臨んでいた。

 何故か。考えるまでもなく、ハリーに合わせていたのだ。

 彼女を気遣い、彼女が自身の異常性に気づかぬように。

 何故だ。どうしてそこまでしてくれるのだろう。

 半ば答えがわかっていながら、ハリーは二人に向けて、

 

「……ねえ、二人とも。……ちょっと、聞いてくれるかな」

 

 一歩。

 前に踏み出した。

 




【変更点】
・服従の呪文って便利! 親世代はこんな展開が日常ですよ恐ろしい。
 呼び声でレジストされかけたのは、術者に闇の魔法への適性がなかったからです。
・ふざけるなよネビルぅっ!おいてけ!思い出し玉おいてけ!
・スネイプ先生はやっぱりひねくれてないと。こっちが本当の最後の試練。
・ハリーの告白。

【オリジナルスペル】
「アニムス、我に力を」(初出・14話)
・身体能力強化呪文。肉体を強化して戦闘向きに変える呪文。変身術に属する。
 1978年、闇祓いアラスター・ムーディが開発。守護霊並みに習得難易度の高い呪文。

「インセンディオ・マキシマ、焼き尽くせ」(初出・14話)
・火炎呪文。魔力の導火線を空中に設置して魔法火を着火するため、精密性に優れる。
 元々魔法界にある呪文。単純にインセンディオの上位スペル。

「カダヴェイル、尽くせ」(初出・14話)
・《冒涜の呪文》。詳細不明。
 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ヴォルデモート卿が開発。

「ディキペイル、寄越せ」(初出・14話)
・《簒奪の呪文》。詳細不明。
 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ベラトリックス・レストレンジが開発。

【賢者の石への試練】
・番外の試練「友と死合い」ネビル・ロングボトム
 賢者の石を狙う何者かに《服従の呪文》をかけられた学友との殺し合い。
 哀れにもハリーとの戦闘で重度の魔力枯渇になったため、ネビルは全治二週間。

・第九の試練「暗号と論理パズル」スネイプ教授
 何重にも暗号化された謎かけをクリアしなければならない、忍耐力と知恵を試される試練。
 やはり最後は彼の論理パズルでないと。ちなみに青ダヌキの絵を描いたのは教授ご本人。

これにてホグワーツ教師陣の試練は終わりです。
ハーマイオニーとロンがいなければハリーはここで殺人を犯して後戻りできなくなり、第二の闇の帝王に内定が貰えるところでした。今後益々のご盛栄をお祈りいたします。鬱ルート回避。
因みにネビルの眼の状態は、映画『炎のゴブレット』でのクラムを想像してください。
次で最後。ハリーは下手人を倒せるのか!


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15.同じ道を歩もう

 

 

 ハリーは、勇気を振り絞った。

 すべての試練を終え、あとは賢者の石を狙う下手人の潜むだろう部屋へ至るのみ。

 そういった状況にあって尚も。

 石を奪われる前に急いで向かう必要がある状況にあって、尚も。

 彼女は二人に声をかけた。

 そうしなければ先へ進めないからだ。

 だから、一歩。 

 前に進んだ。

 

「……ねえ、二人とも。……ちょっと、聞いてくれるかな」

 

 冗談を言い合っていた二人が、ハリーの声に振り返る。

 どこか悲痛なその声に気づいていながら、二人はそれでも笑顔を崩さなかった。

 人間のできた子たちだ。そう思いながらも、ハリーはそれに甘えることにした。

 

「なにかしら、ハリー? 私は私の仕事を終えたわよ、あとは覚悟するだけ」

「なんだいハリー。僕は戦力外だ。まったく、マーリンの髭もいいところさ」

 

 二人そろってハリーの隣にやってくる。

 スネイプの用意した台座の上に置かれたゴブレットはどこかへ追いやられ、三人のベンチへと早変わりした。ハーマイオニーは完全に問題を解いた自信があるらしい。二つのゴブレットを除き、魔法で消し去ってしまった。

 ハリーが何を話すのかはわからないはずだ。

 それでもなお、彼女らはハリーが自分たちに不利益をもたらすとは全く思ってもいない顔をしている。恐ろしいまでの純粋さだ。どこまでもハリーの事を信頼している。

 

「……ひとつ。ぼくは君たちに秘密にしていたことがある」

 

 何をいまさら、とハリーは内心で自嘲した。

 友達と思っていなかったという告白も、かなりとんでもない秘密である。

 そう思っていてなお、さらに秘密を隠し持っていているなどと、本当に最低だ。

 そして彼女らにとって負担になると知っていて伝えようとしている。

 自分は何をしているのだろう?

 

「ぼく、が。ヴォルデモートに殺されなかった、って話は知ってるよね」

「ハリーその名前を言わなごぁっ! な、なんでもないよ続けて知ってるよハリー」

 

 ハーマイオニーがロンの脇腹に肘鉄を打ったのを見たが、何も言わないでおいた。

 そんなものに構っている余裕はない。

 

「……マクゴナガル先生から聞いた話、なんだけど、さ」

 

 ハリーは未だ躊躇っていた。

 当惑される。拒絶される。隔離される。否定される。

 それらの未来が確定する言葉を、ハリーは紡げないでいる。

 まるで喉が干上がって、どこかへ行ってしまったかのようだった。

 今この時になって、ようやく分かった。

 怖いのだ。

 二人が自分から離れていくのが、どうしようもなく怖い。

 以前にも考えたことだが、ハリーの心はホグワーツに来てから本当に脆くなってしまった。

 独りでなら耐えられたことが、二人、いや、何人も隣にいる今では絶対に耐えきれない。

 唇が震えて、続きが言えない。

 

「ハリー」

 

 口をぱくぱく動かすだけの人形になったハリーに、ロンが声をかける。

 悪戯っぽく得意のしたり顔をしているのが妙に腹立たしい。

 

「言っちゃいなよ。そうすれば楽になれるぜ。そう、マーチンミグスみたいにね」

「ロンあなた何言ってるの?」

 

 面白くなかった。

 場を和ませようとジョークを飛ばされたが、悲惨なまでに面白くなかった。

 恐らくとっておきのものだったらしく、かなりショックだったようだ。

 ついでに言うと意味も分からなかった。

 だが、それでも、ハリーの心をほぐすには一役買ったようだ。

 損な役回りではあったけれど、ロンもなかなかやるじゃないか。そんなことを思いながら、ひとつ大きなため息を吐く。そしてハリーは続きを口にした。

 

「ぼくはね。どうもヴォルデモートに呪われたらしいんだ」

「……呪文を受けたってこと?」

「いや。文字通り、呪われたんだ。ぼくが一歳になる誕生日。パパとママを殺したその足で、ぼくを殺し損ねた後、呪ったんだ」

 

 ハーマイオニーが悲痛な表情を浮かべ、ロンが息を呑んだ。

 それもそうだ。

 ヴォルデモートはハリーを殺し損ねたことで死の呪文が魔法反転(リバウンド)を起こして死んだ。もしくは力を失ったとされているのだ。

 それが、ハリーを呪う余力があっただなんて。

 何の呪いをかけられたのかは非常に気になるところであったが、二人はハリーが言うまで我慢することにした。

 

「それで、だね。ぼくにかけられた呪いは……」

 

 深呼吸。

 額は汗で前髪が張り付いて鬱陶しいし、ブラウスは胸にぺたぺたとくっついて気持ち悪い。

 頬を一筋の汗が流れて床に落ちたのを合図に、言葉が雪崩れた。

 

「《命数禍患の呪い》。成人するまで、対象の『運命』を奪い取る呪文……らしい」

「なんだそりゃ! パパが魔法省勤務だから、僕もある程度は詳しいつもりだけど……そんな呪文、聞いたことないや」

「本来ぼくが経験するはずだった幸運は『奴』が得て、『奴』が陥る不運はぼくへ振りかかる……そういう邪悪な呪文らしい。マクゴナガル先生が言うにはね」

 

 歯切れ悪く言うハリーに、ロンが疑問の声を投げかける。

 疑っているのではなく純粋に疑問に思ったようだ。

 

「『らしい』って。ハリーはよくわからないの?」

「正直言ってわからない。図書館で調べてはみたけれど、そんな呪いどこにも載ってなかったんだ。強力な闇の魔術だから秘匿してるって言ってたし、もしかすると禁書の棚かもしれないね」

「それはたぶん、禁書の棚にも置けないほど酷い魔法だからってことじゃないかしら。私よく図書館に通ってるからマダム・ピンスと仲が良いけれど、許されざる呪文関連はその名前と効果だけ書いてあって、詳しいことは絶対に載せないようにしてるみたいなの」

「誰かが読んで会得したら困るから?」

「ええ。五〇年近く前、ダンブルドア先生が直々に図書館のそういった本を整理したみたいだわ」

 

 この大事なタイミングで魔法省なんかに行ってしまった耄碌爺さんだが、意外なところで仕事をしていた。ただのクレイジーなジジイではなかったようだ。

 組み分けの儀のときやハロウィーンパーティのとき以外、ハリーはあまり見ない人だったが、やはり校長職だから忙しいのだろうか。最後に顔を見たのは、透明マントで《みぞの鏡》に通っていたあの時だ。

 まあ今はそんなこと、どうでもいい。

 要するにハリーがそういった凶悪な呪いをかけられているという、その事実のみが伝わればそれでいい。

 話を続けよう。

 

「とにかく、ぼくにはそういう呪いがかけられてるんだ」

「……ええ」

「胸糞悪い話だな……」

「……それ、で。……ここからが、本題。なんだ」

 

 勇気を振り絞れ。

 お前はどこの寮に入った女だ。

 知識のレイブンクローか。いや、違う。

 優しさのハッフルパフか。いや、違う。

 目的遂げるスリザリンか。いや、違う。

 そうだ。

 勇気のグリフィンドール! そうだろう!

 

「……、ッ、……うん。ぼくと居ると、つまりぼくと関わると、たぶん君たちの幸運も奪われることになると思うんだ」

「…………」

「マクゴナガル先生曰く、普通に降りかかる災難もよりハードになるそうだからね。ぼくはもともとがトラブルに巻き込まれやすい立ち位置なのに、そんなことになったら命がいくつあっても足りやしない」

 

 ハリーは、鼻の奥がつんと熱くなってきた。

 なんだいまさら。怖いのか。いや、怖いのだ。さっき自覚しただろう。

 言え、言うんだハリエット。

 邪悪だろうと。『まともじゃなくて』も。人殺しを許容する薄汚れた女でも。

 せめて、勇気を出せ。

 

「だから、ぼくは提案する」

 

 勇気を。

 

「もう二度と、ぼく、に。関わらないで、くれ。足手まといだ」

 

 そうだ。

 それでいい。

 ああ、認めよう。

 ハリーは彼女たちに、微かながら、友情を感じてしまった。

 ハーマイオニーとロンは、ハリーとは、ひいてはヴォルデモートとは無関係だ。

 だから呪われた自分のせいで、彼女たちに余計な危害を与えたくない。

 例えば。ハリーが何の呪いもなく、ただの一人の勇敢な子供であったなら。ヴォルデモートという巨悪に立ち向かうため、仲間の力を要してロンとハーマイオニーに協力を仰いだだろう。信頼できる仲間とともに挑むことほど、心強く達成できると思えるものは他にないからだ。

 だが現実、ハリーは呪われている。

 呪いそのものはハリー個人に対するものでも、その危害が周囲に及ぶのならば、ハリーは我慢できる少女ではない。自分の優先順位が低いために周囲を遠ざけ、自分独りで苦しめばよいと考えてしまうのだ。

 それはどれほどの孤独か。

 楽しかった時間を経てハリーは気づき始めているが、完全に自覚してしまえば心が折れる。

 だが、折れたからと言ってなんだ。

 足が折れたら手で這えばいい。

 手が折れたら歯で食らいつけ。

 彼女らを危険に巻き込んでしまうことは耐え難い苦痛だと気付いた今、もう隠す必要はない。

 自分に言い聞かせて騙す必要もなくなった。

 

「いまさら何を言ってるのかと思うかもしれない。虫のよすぎる話だと自分でも思う。……だけどお願いだ。ぼくのせいで君たちに危害が及ぶのは嫌なんだ、だから。――離れてくれ」

 

 ハーマイオニー・グレンジャー。ロン・ウィーズリー。

 彼女らは、大事な人たちだ。

 ネビルすら殺そうとするハリーを止めようと考えるほどお人好しで、友達だと思っていないといても態度を変えることはしなかった。

 ハリーにはそんな二人が眩しくて、羨ましくて、疎ましくて、嫉妬していた。

 そうだ。

 意地を張って、嫉妬していたのだ。

 友達じゃないなどと心の声が言ったことも、今のこの態度も。

 自分では生きられなかった光溢れる人生がうらやましくて。

 だからこそ突き放す。

 二人には愛してくれる両親が、兄弟が、家族がいる。

 翻って自分には誰がいる?

 居ないのだ、誰も。かつては居たが、だからこそ、彼女たちを危険に巻き込みたくない。

 失いたくない。

 

「お願いだ。……たのむ」

 

 ハリーは頭を下げた。深く深く、下げた。

 優しい彼女たちのことだ。拒否されて一緒に行くと言われるのは想像に難くない。

 意地を張ることをやめた今では素直に嬉しいと思えるが、それでも駄目だ。

 ネビルとの戦闘で分かった。

 当たり前の話かもしれないが、敵は一切容赦してこない。

 ただの一年生であるネビルを駒に起用するあたり何か考えがあるのかもしれないが、少なくともハリーには、ネビルの瞳を通して敵の殺意を垣間見た。

 あれは、人殺しの目だ。

 禁じられた森で出会った、あのローブの怪人に見られた時と同じ感覚。

 あんな視線を送れるような者に打ち勝つには、無力化させようとする意志では敵わない。

 殺そうと明確に思わなくては。

 魔法は、意思の力だ。敵を縊る覚悟を持たなければ、恐らく勝てない。

 二人がそんな真っ黒い覚悟を決める必要は、ない。

 だから、

 

「そうさせてもらうわ」

「分かったよ」

 

 そう言ってくれと願っていても、いざ言われると絶望的な気持ちになってしまう。

 離れてゆく。

 友達だと言ってくれた人たちが、行ってしまう。

 そんな表情を見せたくなかったハリーは顔を上げなかった。

 ゆえに、二人の表情を見ていない。

 

「ただし、この一時間だけだわね」

「だからここで帰りを待つことにするよ」

 

 がばっと顔を上げれば、ハーマイオニーとロンは微笑みを隠してもいなかった。

 にこにこと、まるで妹の成長を喜ぶ姉と兄のような顔で。

 穏やかにハリーのことを見つめていた。

 

「そういえば、言ったかしら。このゴブレットね、これを飲んだ一人だけを次の部屋へ通すらしいの。だから、その役割はきっとハリーなんじゃないかって思って」

「そうだよ。一人で送り出すのはちょっと心配だけれど、ハリー、君なら大丈夫。君なら間違ったことはしないと信じることができる」

「そう、勉強ができたり、戦略を組めたり、きっとこの先に必要なのはそういうことじゃないの。友情だとか勇気だとか、そういうものなのよ」

「だからハリー。君ならいけるさ。勇気の塊だし、なにより僕らがいるだろう」

 

 二人の声が背中を押してくれる。

 ハーマイオニーがゴブレットを手渡してきて、ロンが背中をやさしく叩いてくる。

 ただそれだけの行為なのに、とても胸が暖かい。

 心がほぐれて洗われる。

 つい先ほどまでもう帰ってほしい離れてほしいと願っていたのに、こんなことで決心は揺らぐ。

 嬉しいのだ。どうしようもなく、泣きたいほどに嬉しい。

 自分のことを想ってくれると実感できるのが、情を感じられるのが、とてもうれしい。

 この場に居ても危険はあるというのに、敵が死喰い人である可能性が高い以上は二人を教師のもとへ行かせるべきなのに、それなのに嬉しくて嬉しくて仕方がない。

 ハリーは桜色に染まった頬を隠すようにそっぽを向き、もごもごと口を動かして言うべき文句を探す。

 だが唇から文句が飛び出す前に、ハーマイオニーにぎゅっと抱きしめられて頬にキスされた。

 面喰って呆けた顔をするハリーを笑いながら、ロンがハリーの黒髪を掻き回すように撫でる。

 なにをするんだ、と振り払おうとするも、体が行動に出てくれない。

 友達じゃない、と叫ぼうとしても、喉の奥が熱くてなにも言えない。

 ハリーはこの日、はじめて声を漏らして泣いた。

 

「……い、行ってきます」

「気を付けてねハリー」

「油断するなよ」

 

 涙を拭いて洟をかんで、ハリーはローブを着直した。

 鍵鳥のせいでへそ出しとなったブラウスも直し、破れたズボンもきちんと直した。来年度はスカートを仕立ててもらおう、絶対にそうしよう、と心に決めながら裾を直す。

 ローブも洗浄呪文で綺麗にした。せっけんのいい香りがする。

 ぼさぼさだったり血で絡まっていた髪も綺麗にしたし、泥や埃だらけの肌も綺麗にした。

 別にこれから戦うのだから見目に気にする必要はないとハリーは主張したが、ロン曰く余裕を見せることが大事ということでハーマイオニーが全力を出したのだ。

 怪我もない。体力もある程度回復した。魔力も十分残っている。

 なにより、心が軽い。

 

「長い階段だ」

 

 こつこつ、と。

 独りで扉をくぐって階段を下りる。

 石造りの段を下りるごとに、気温が低くなっている気さえする。

 不気味だ。こんなにも薄暗くて、蝋燭に灯った魔法火しか明かりはない。

 お化けでも出てくるんじゃなかろうなと思いながら、そういえばホグワーツには普通にゴーストがいたな、と思うと自然と笑えてくる。精神状態にも余裕があるようだ。

 だからなのか。

 最後の大部屋についた途端に響いた声に、心臓が跳ね上がってしまった。

 

「随分と余裕そうだが……遅かったな、ポッター」

「……あなただったんですか」

 

 襟を詰めた黒い服に、バイオレットのローブ。

 ローブと同色のターバンで頭を包んだ、ホグワーツ教師陣の一人。

 闇の魔術に対する防衛術、その教授。

 

「クィリナス・クィレル……」

「先生、だろう。ポッター」

 

 普段のおどおどした様子は微塵もない。

 どもり癖もまったく見られず、どうやら演技だったことが窺える。

 確かに、クィリナス・クィレルは賢者の石を狙う下手人の候補に挙がっていた。

 スネイプとの会話がその理由だ。ハーマイオニーとロンが主張していたスネイプ黒幕説の次点で有力だった説である。

 

「……いくつか質問をよろしいでしょうか、先生?」

「嫌味を言えるようになったかポッター。いいだろう、言え」

 

 口元を歪めるクィレルは、なるほど邪悪な目をしている。

 ハリーのことを路傍の塵とすら見ていない。

 あんなにも人を見下した顔を見たのは、初めてだった。

 ダーズリーでさえあんな高圧的な顔はできなかったはずだ。

 自分への絶対なる自信からくる、高慢な態度。

 惰弱な自信家か、または高慢が許されるほどの実力を持っているかのどちらかだ。

 だがハリーは、クィレルが後者であると思っている。

 

「なぜネビルを操った」

「ネビル? ああ、あの男子生徒か。いや、なに。ポッター、貴様たちを止めなければ、と私に言いつけに来たからちょうどいい手駒に、と思ってね。おまえたちとの交友があるのは知っていたから、ちょうどよかったのだよ。試練で囮に使ったりね」

「……じゃあ、ネビルじゃなくてもよかったわけだ」

「それはそうさ。誰が、好き好んであんな落ちこぼれを使うか。現にスネイプの試練では一人しかここに来れないからな。彼はそこで捨てた」

 

 酷い言われようだ。

 そしてネビル。彼はノーバートの時に続いて、こんなところでも不運を味わっていたのか。

 結果的にだが殺さないで本当によかった。

 もし殺害していれば、ハリーの心は自分の行いに耐えきれなかっただろう。

 ネビルの事を想い、そして次の問いを投げかける。

 

「ハロウィーンの日。トロールはどうやって入れた」

「ほう。あれが私の仕業だと、どうして思ったのかね?」

 

 正解に近い答えを導けそうな、それでいて間違っている出来の悪い生徒を見るような目だ。

 しかしこの男はきっと、正解を教えはしないだろう。

 授業態度が悪かったとは言えないが、教科書通りの教え方をするのみなので、この男の授業は面白くなかった。それはなるほど、この男が人にものを教えることに向いていないからなのだろう。

 

「私はトロールを操ることにかけては特別な才能があってね。奴らはバカだが、きちんと手順を踏めば主に従属する忠実な駒となる」

「それを三体もぼくらに差し出してくれるとは、ずいぶんと太っ腹だな」

「勘違いをしてくれるなポッター。あれはブラフだ」

 

 ブラフ。囮にしたというのか?

 しかしトロールを三体も使い捨てるほどの陽動を必要としてまで行うこととは何だ。

 まあ、いま目の前に見える光景がその答えだろう。

 四階の禁じられた廊下にでも挑もうとしたに違いない。

 

「で、失敗したと」

「チィッ! そうだ。……あの忌々しいスネイプめが! 私の邪魔をしおったのだ!」

 

 ここでその名前が出るか。

 スネイプ黒幕説は覆り、スネイプ天使説が持ち上がる。

 当然だ。ハリーとの個人授業のとき、彼はいつでも殺すことができたのだから。

 苦々しげにスネイプへの文句をぶつぶつ言うクィレルに、ハリーはまた問いを投げる。

 

「じゃあ、もう一つ。どうして帝王側なんかに行ったんだ? 十年前、ぼくを殺し損ねてからは落ち目もいいところじゃないか」

 

 この問いに、クィレルは少しだけ肩を揺らした。

 ハリーは見逃さない。あの感情は『恐怖』に違いない。 

 

「……私の命を御救い下さったのだ。忠実を誓うには、それで十分だろう」

「ホグワーツでマグル学を教えるっていう、安定した立場を捨ててでも?」

「当然だッ! 優れた魔法使いたる私の上に立つ以上、優秀な主であるべきなのだ! それを、なんだ、あのダンブルドアは! あの男はこの私をコケにしたのだ!」

 

 少女の問いかけに、男が憤怒の形相でまくしたてる。

 それはあまり美しい光景とは形容できない、あまりにあんまりな姿だった。

 口角泡を飛ばし、必死さまで滲ませて激昂する。

 大人の取るべき態度ではない。

 

「貴様はスネイプにずっと護られていた。クィディッチのときも……反対呪文で抵抗されなければ、もう少しで箒から叩き落とせたというのに……!」

「アレあんたの仕業か。くそ、教師失格だよ」

「そんなもの、どうでもいい」

 

 そう吐き捨てると、クィレルは自分の背後にある何かに顔を向ける。

 ハリーがそれへ視線を動かすと、恐ろしいことに《みぞの鏡》が置いてあった。

 何故あれが、あんなところに。 

 スネイプがダンブルドアに言って、片付けさせたはずだ。

 恍惚とした顔で鏡を横目で見つめながら、クィレルは言う。

 

「さあ、ポッター。こちらへ来い」

「その前に答えろ。ヴォルデモートはどこだ」

 

 ぎくり、とクィレルが怯えた。

 死喰い人であろうはずなのに、主人の名が恐ろしいのだろうか。

 ひょっとしてヴォルデモートにとって死喰い人たちとは忠誠心や仲間意識で繋がっている仲間なのではなく、恐怖で縛り従える駒かそれ以下だとでもいうのか?

 目を吊り上げてハリーを睨むクィレルが、唸るように大声で叫んだ。

 

「来いと言っている! ポッターッ!」

 

 クィレルがぱちんと指を鳴らすと、ハリーは自分の背中を複数の拳で押されたように感じた。

 そのままよろけるようにしてクィレルの傍へと行く。

 杖もなしに、一体何をした。魔力を叩きつけたわけでもないのに、一体何を。

 だが余裕があれば、隙があれば斃せる。

 その一心で近づいたものの、実際どうしろというのだ。

 まったく隙がない。

 目を凝らして視てみると、膜状に加工した盾の呪文をまとっているではないか。

 いったいどのような魔法式(プログラム)を組めばそのようなことができるのか。

 

「ポッター、これを見ろ」

「……《みぞの鏡》なんかに、何の用が」

「見ろと言ったのだ! 口答えするなァ!」

 

 ヒステリックに叫ばれ、頭を掴まれて無理矢理鏡の方へ向けられる。

 また、皆が映るのだろう。

 今あの光景を見れば、ハーマイオニーとロンとの関係が構築できた以上、あの時よりも幸せを感じられるかもしれない。

 だが、あれは二度と見ない。そうスネイプと約束した。

 しかし目を見開いたまま顔の方向を変えられたためにまともに見てしまう。

 人を食らう、悪魔の鏡を。

 

「……ッ、」

 

 クィレルと二人でいる姿が、鏡には映っている。

 自然な光景だ。現実の様子を左右対象になって見せてくれている。

 しかし。

 鏡の中のハリーが、クィレルの脛を蹴った。

 もちろん現実のハリーはそんなことをしていない。

 蹲るクィレルを足蹴にしながら、鏡の中のハリーは己の懐をまさぐっている。

 そうして取り出したのは、赤黒い宝石のような何か。

 蝋燭の焔が反射してきらきらと煌めいている。あんなにも美しいものがこの世にあるとは。

 生命の輝き。そうか、あれか。あれが、『賢者の石』か。

 鏡の中にある『石』に見とれていたハリーは、次に心の底から驚くことになる。

 鏡のクィレルがすっかり気絶したことを確認した鏡のハリーは、石を手に取って、現実のハリーに向けてにこりと微笑みかける。そして彼女が石をズボンのポケットにしまった途端、

 ずしり、と意外なほど重い感触がズボンに走った。

 そんなまさか。

 そう思ってクィレルに気づかれぬよう何気なく自分のポケットを触ってみると、

 ……ある。

 既に、ある。

 ――賢者の石を、手に入れてしまった。

 

「……どうしたポッター! 何が見えるッ!? 私が聞いているのだぞ、速やかに答えろッ」

 

 一体何が起こったのか、さっぱりわからない。

 《みぞの鏡》はそういう道具だったのか? スネイプの説明不足?

 ぐるぐると脳内を渦巻く疑問と驚愕に、ハリーは気が抜けたかのように呆然としていた。

 いつまでも鏡を見つめているハリーに焦れたクィレルが、大声を出して彼女の意識を引き戻す。

 ハッとしたハリーは、とにかく嘘をつかなければと焦って適当なことを口走った。

 

「くぃ、クィディッチで優勝してる! ぼくがドラコを足蹴にして勝ち誇ってる姿が!」

「嘘を吐くな! そんな子供だましの嘘、わからんとでも思ったか!」

「……あんたを足蹴にしている」

「嘘を吐くなと言ったはずだぞ、ポッター!」

 

 本当のことなのに。

 この悪意溢れる映像はいったいなんだろう。

 本当に自分が望んだ光景なのだろうかと、ハリーは己の心が正常か否かを疑った。

 自尊心ばかり肥大していいように扱われていることに気付かないクィレルは、ハリーの思惑通りポケットにある石の存在に気付く様子はなかった。

 しかしハリーの口から飛び出す出任せに顔を真っ赤にして怒鳴っていたところ、急激にその動きを止める。

 ぜんまい仕掛けの人形めいたその動きにハリーが警戒レベルを最大にまで上げた、その時。

 ハリーの全身の肌が粟立つような声が聞こえてきた。

 

『嘘だ……』

 

 ぞわり、と。

 長く冷たい舌で全身を舐められた。そんな気持ちの悪い感覚が走る。

 なんだ、今の声は。

 クィレルではない。彼の声はここまでしわがれていない。

 ではこの場に現れた新たなる第三者か。だが声はクィレルから聞こえる。

 いったい、いったいどういうことなのか。

 恐怖の感情を見せないよう気丈に振る舞って、ハリーは袖の中に隠した杖を意識した。

 

『私が直に話そう……』

「い、いけませんご主人様。あなた様はまだ弱っておられます」

『案ずるな。そのくらいの力はある……』

「しかし……」

 

 クィレルが目に見えて狼狽した。

 いったいなんだというのだろうか。

 怯えだ、あの感情は間違いなく怯えていることに間違いない。

 だというのに、あの眼はなんだ?

 まるで敬虔な信徒のそれだ。信ずる神が眼前に降り立つ姿を見るような、輝いた瞳。

 不気味だ。

 

『従え、クィリナス』

「……は。仰せのままに、我が主よ」

 

 クィレルが深く頭を下げた。

 いったい、誰に? 奴は何をやっているんだ?

 じりじりと後退しながら、いつでも袖から杖を出すことができるように杖腕を強張らせる。

 この大部屋はすり鉢のようになっており、《みぞの鏡》が置かれた円状の床を取り囲むように同じく円環状の、幅が広い階段がある。後ろ向きに歩くには非常に辛い形状だ。

 転ばぬよう気を付けながら距離を取り、三段ほど上の階段からクィレルを見下ろす。彼はすでにこちらを見ており、するするとターバンを外しているところだった。

 今まさに逃げようとしていたようにも見えるのに、何故止めなかった?

 不可解だ。

 この男、不可解すぎる。

 おまけに、長すぎるターバンをひと巻き、またひと巻きほどいてゆくごとに、彼から感じる邪悪な魔力が際限なしに膨らんでいく気配がしてならない。

 同級生でも一、二を争うほどに魔力貯蔵量、生産量が多いとされるハリーであっても、彼から感じる膨大な魔力と比べれば、月とフロバーワームのようなものだった。

 ありえない。

 ただの人間がこんな大容量の魔力を、溜め込んでおけるわけがない。

 確かな恐怖を感じながら、ハリーはクィレルがターバンを外しきった姿を見た。

 常にターバンを巻いている姿しか見たことがなかったので、そのスキンヘッドの頭は意外なほど小さく感じた。クィレルがターバンを放り投げると、ターバンは自分からクィレルの首に巻きついてマントへと変じる。

 そして、見た。

 鏡に映ったクィレルの後頭部。そこにもう一つ、人の顔が存在するのを。

 気持ち悪い、とハリーは素直にそう思った。悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。

 グロテスクな魔法生物など、図書館で色々と見て、慣れたつもりだった。

 だが、あれは異質だ。

 多頭生物など、つい先ほど可愛い子犬が三匹もいたではないか。

 だというのにクィレルの後頭部に浮かぶ人面は、ハリーの心の底から嫌悪感を呼び込んだ。

 

『ハリー……ポッター……。久しぶりだな……』

 

 喋った!

 

「やだ気持ち悪っ!」

「ポッター貴様ぁ! ご主人様に向かってなんて無礼なァ!」

 

 素直に口からついて出た感想は、クィレルのお気に召さなかったようだ。

 しまった、つい。とハリーは真面目な気持ちを取り戻して、クィレルを、鏡に映る彼の後頭部を見据える。

 ハリーの暴言に対しても、人面は低く笑うだけだった。

 

『……確かに。このような醜い姿になってでも生き残っているわしは、さぞ気持ち悪いだろう』

「ご主人様! そのようなことは!」

『事実だ。クィリナス、クィリナス、クィリナス。おまえにも、嘘を吐くなといったはずだ……』

「ひっ……」

 

 そうだ、あれだ。あの怯え方だ。

 どもりのクィレル、おどおどクィレルとからかわれていたクィリナス・クィレル。

 彼の普段怯えていた様子と、いま後頭部から凄まれて怯えた様子が合致する。

 ……こいつ、常にあの人面後頭部と行動を共にしていたのか。

 

「……『久しぶり』。それで『ご主人様』。……そうか、そうか……」

『頭は悪くなさそうで安心したぞ、ハリー・ポッター』

 

 ハリーのひきつった頬が、平常に戻る。

 桜色の唇が、口元が、三日月のように、裂けるように、笑みの形に歪んだ。

 暗い濁った眼を見開き、感極まったように叫ぶ。

 

「お前が、おまえがヴォルデモート……ッ!」

『如何にも。私がヴォルデモート卿だ。……もっとも、今やゴーストにも劣る霞でしかないがね』

 

 ハリーの憎しみに狂った顔が醜く歪む様を、ヴォルデモートは愉悦に染まった顔で眺める。

 それはさながら娘を見守る父親のように見えて、ハリーをさらにイラつかせた。

 ヴォルデモート自身もわかっていてその顔をしているのか、ハリーの顔がさらに憎悪に歪むのを嬉しそうに嗤っていた。

 ぼくのすべてを奪ったお前が、お前のすべてが憎い、と。

 少女と帝王の間には言葉にせずとも、その悪意の念が伝わっていた。

 

『ポッターよ……死合う前にひとつ、問おう……』

「……なんだ」

『……お前は、『どこまで分かって』いる?』

 

 父親の次は教師の真似事か。

 ハリーはさらに苛々しながらも、突き刺すように言葉を紡いだ。

 

「クィレルを手駒に、ユニコーンの血肉を貪って延命処置をしたのはお前だな」

『……如何にも』

「そして今度は賢者の石を使って『命の水』を創り、永遠の生命を手に入れようとしている」

『……ああ、そうだ』

「そして、おそらくだけど……わざと、ぼくを誘い込んだ。殺すために」

 

 ヴォルデモートが満足そうに頷く。

 クィレルにとっては反対方向に首を曲げられて苦しげだが、体の主導権はまさかヴォルデモートにあるのか? 魂を売るに飽き足らず、体まで明け渡したのか。

 それは……恐ろしいまでの献身だ。

 

『ククク……くはははは。よくできました、ポッター。グリフィンドールに十点!』

「ばかにするな!」

『はッはははは。いやいや、面白いことだ。実に面白い』

 

 悪意に満ちた哄笑を響かせて小馬鹿にするヴォルデモートに叫ぶ。

 いったい何がしたいのだ、この男は。

 いや、冷静になれ。

 ぼくを殺すためだ。冷静さを奪われてしまっては、勝てる勝負も勝てなくなる。

 ひとつ大きな深呼吸をして、ハリーは落ち着きを取り戻した。

 そうしてしっかりとクィレルを見据える。

 

『さて、少女よ』

「なんだ」

 

 ぶっきらぼうなハリーの返事に、口の端を吊り上げて帝王は言う。

 

『その右ポケットに入っている、賢者の石を渡してもらおうか』

「!」

 

 バレている!

 いったいどうしてだ。あてずっぽうではない、ポケットの左右まで当てたのだ。

 心を読む魔法? そんなものあるのだろうか。

 と、思ったまさにその時ハリーの脳裏にとある魔法が閃いた。

 いや、まさか。そんな。冗談ではない。

 もしヴォルデモートが、もしくはクィレルがその魔法を心得ていたらハリーに勝ち目はない。

 

『頭のいい子に育ったようだな、ポッター』

 

 突然ヴォルデモートが声をかけてきた。

 クィレルは主人の手前なにも言わないが、ヴォルデモートが突然そう言った理由をわかっているとは言い難い表情をしている。

 ということは、ヴォルデモートの方か。

 奴は、奴は心を読めるのか!

 『開心術士』なのか!

 

『ほほう……よく勉強している。まあ、よい。はやく石を渡すのだポッター』

「……!」

『そうだ。おまえに勝ち目はないのだ……。賢くあれ、少女よ……』

 

 渡して当然と思っているかのようなヴォルデモートに、ハリーはもう我慢の限界だった。

 人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

 それに、もう殺したくて殺したくてたまらない。

 

『どうしたポッター。石を渡さねば、両親と同じ末路を辿るのみだぞ』

 

 ぶづん、と。ハリーは頭の中にある何かが切れたような気がした。

 鼻の奥から脳の中心にかけてが異様に熱い。視界の隅が赤く見えるのは錯覚か。

 心臓がどくんどくんと動き、全身にとんでもないエーテル濃度の血液を送り込んでいる。

 先ほどネビルと戦ったとき以上に、心が高ぶっている。しかし頭は冷静だ。

 どうやってヴォルデモートを、クィレルごと殺そうかとフル回転している。

 目が熱い。火が吹くように、赤い憎しみに染まっていくのが分かる。

 

「ポッターの目が……!」

『ククク……クィリナスよ、いい目だとは思わんか』

「ご主人様……?」

『この世には力を求める者と、求めるには弱過ぎる者がいる……あれは後者だ。偉大な目だ……』

 

 クィレルの驚く声と、ヴォルデモートの怪しげな笑い声が聞こえる。

 そりゃあ好きだろうさ、おまえが元凶で成った眼だ。敵意を振り撒くひどい目つきだ。

 濁った瞳が、それでいてなお眼光鋭くクィレルを見据える。

 威圧感にクィレルは一瞬気圧されるも、十一歳の少女に気迫で負けたその事実に怒り狂った。

 喉の奥から奇声を吐き出しながら、呪文を叫んだ。

 同時に、ハスキーな少女の殺意に満ちた呪詛も響く。

 

「『ステューピファイ』ッ! 麻痺せよ!」

「『グレイシアス』、氷河となれ!」

 

 ハリーの杖先から飛び出した赤い閃光と、クィレルの杖先から飛び出した青白い光球が二人の直線状で激突し、爆発した。飛び散った光が当たった場所に呪文の効果が及ぶ。白くきらきらと光る氷の粒が宙に舞い、それが床に落ちる前には二人とも次の呪文を放っていた。

 

「『エクスッ、ペリアァームス』ッ!」

「『エクスペリアームス』、武器よ去れ!」

 

 武装解除呪文が宙でぶつかり、またも光を撒き散らす。

 短縮呪文を用いたハリーが、クィレルの丁寧な呪文が放った余剰魔力に一瞬よろけ、たたらを踏む。それを見逃すクィレルではなかった。即座に杖から魔力波を発し、不安定な体勢だったハリーを吹き飛ばす。

 しかしハリーも負けじと、空中でなんとか体勢を立て直して背中から落ちる前に魔力を放出、空中で体勢を立て直すと危なげなく両足から着地した。

 バッと顔を上げてクィレルを見れば、すでに呪文を唱えたようで赤い閃光がこちらに迫ってくる。

 

「『プロテゴ』、防げッ!」

 

 咄嗟に唱えた盾の呪文が、ばぢんと閃光を弾いた。

 クィレルの顔が歪む。おそらく今の一撃で仕留めたと確信していたのだろう。

 もしくは、一年生であるハリーが《盾の呪文》を覚えているとは思っていなかったのか。

 攻撃のチャンスだと判断したハリーが杖を振るおうとするも、彼女はその選択を後悔した。

 クィレルによって幾度も風切り音が響くような、複雑な軌道が素早く描かれる。かと思えば、驚くべきことにクィレルは呪文も唱えずに魔法を放ってきた。それも、一度に十以上もの閃光が迫ってくるのだ。

 通常、射出系の魔力反応光を発する呪文で出てくる閃光は一筋だ。それを如何なる手法を以ってしてか、二桁もの閃光を発したのだ。変わった形状の杖でなら不可能ということもないが、一本の通常の杖を用いてのこれは、明らかに異常だ。

 ヒステリックで自尊心ばかり高い男かと思っていたが、評価を上方修正する必要がある。

 こちらに飛んでくる魔力反応光から察するに、あれらはすべてが失神呪文。

 当たったその瞬間が終わりだ。

 

「『プ……ロ……テ、ゴ』ォッ!」

 

 最大限に魔力を込めて、一メートル四方ほどの分厚い盾を作り出す。

 杖を動かすと盾も一緒に動き、ハリーの目測によって捉えた閃光を防いでゆく。

 後ろ向きに跳びながら、ひとつひとつを対処してゆくうちに、酷い汗をかいていたようだ。最後の閃光を防ぎ切った瞬間、瀑布めいた汗が全身から噴き出してきた。

 息を切らして肩を揺らしながらも、ハリーは杖をクィレルめがけて構えている。

 不愉快そうな顔をしているクィレルに対して、ヴォルデモートの声は面白いショーをみた少年のように喜んでいた。

 

『何をしているクィリナス。お前は、一年生の少女にも劣る男だったのか』

「申し訳ありませんご主人様! ッく、ポッターァァァ――ッ!」

 

 ヴォルデモートに失望されたのはお前のせいだ、と言わんばかりにがなり立てるクィレル。

 あれは己の手下を嘲って遊んでいるだけだということに、なぜ気づかないのだろう。

 今度はもはや一切容赦していないのか、呪文を一切唱えずに魔法を行使し始めた。 

 その速度たるや、声に出して呪文を放つよりもはるかに素早く、ハリーは盾の呪文で防ぐので精一杯だった。とてもではないが、反撃できる隙が見つからない。

 『無言呪文』。それがクィレルの行っている手法だ。

 まさに読んで字の如く、無言のまま呪文を放つ高等技術。本来は発声により自身の脳にこれから放つ呪文を強烈に認識させて、物理法則に魔法式をねじ込むことによって現実世界に干渉し、捻じ曲げ、そうしてやっと魔法を発動できる。

 だが無言呪文は、意思の力のみで現実を歪ませているのだ。

 ゆえに高い集中力と実力、なにより使用する魔法の魔法式を隅々まで理解していることが必要となる。

 もつれそうになる舌を必死に動かして、盾を振り回すように閃光を防ぐ。

 先ほど彼女が感じたように、魔力量には相当な差がある。全力で魔法を打ち合えば、先に魔力枯渇に陥るのはハリーであることが必然。

 魔力を回復するための魔法薬の作成といった技術を持たないハリーには、魔力回復の手段はない。そうなれば自然、先に限界が訪れるのはハリーだ。

 ハリーが構え続けた魔法障壁は、盾の呪文の効果が切れることによって消失する。

 再度自身の命を守る盾を作り出そうと杖を振るものの、霞のような不完全なものしか出てこない。青ざめたハリーが杖を少し揺らしただけで、それは宙へと霧散して消えた。

 見れば、顔色も悪い。足元はふらついており、目線も胡乱でクィレルの杖先も見えているのか定かではない。

 いったい、何が、起きた? まだ、魔力はあるはずだ。

 

「ま、ず――」

 

 思い当たる節が、一つだけ。

 『魔力枯渇』。いや、正確にはまだ枯渇には至っていない。感覚としてはバケツ一杯分ほどの、その程度の魔力はまだハリーの体内に残っている。

 では、このエーテル濃度の薄さはなんだ。

 いや、知っている。事実から目を背けてはいけない。

 学年末試験の前日、マダム・ポンフリーとの会話で出たではないか。

 『魔力枯渇を短期間に何度も引き起こせば、急に魔力を練れなくなることがある』、と。

 無理をしたツケが、ツケがきた。こんな重要で命がけの場面で。

 よりによって、こんなタイミングで取り立てが来てしまうだなんて。

 なんて。なんて、無様な。

 

「よくやった……と言いたいところだが、所詮は一年生ということか。いや、素晴らしい実力だったよ、ハリー・ポッター。『エクスペリアームス』、武器よ去れ」

 

 ぱちん、と。

 ハリーは右手を杖で叩かれたような、小さな衝撃が走るのを感じた。

 他人から武装解除の呪文を当てられたことがなかったので、初めて知る感覚だった。あまり、いいものではない。

 杖が、この一年を共にした最大の武器であるハリーの杖が、クィレルの足元へと飛んでいき、そしてからころと床に転がる。

 嘲るクィレルの声が、頭でがんがん響く。

 黙れ。喋るな。こっちに、来るな。

 

『クィリナス、簡単に殺すでないぞ』

「かしこまりましたご主人様」

 

 ヴォルデモートの命令が聞こえる。

 せせら笑うように冷酷な響きだ。

 殺すな、とは言われたが。何か別の嫌がらせを考え付いたに違いない。

 どうせろくなことではない。

 

『少し、怖い目に遭わせてやれ』

「ええ……冥府への良い手土産となることでしょう」

 

 ほら、やっぱりそうだ。

 相手は死喰い人だ。ただの十一歳の子供である自分よりも、よほど悪辣なことを考え付くに違いない。

 磔の呪文でも使うか? それとも服従の呪文で屈辱でも味あわせるか?

 

「さて、ポッター。授業を始める」

 

 どうやら、とことんまでいじめるつもりのようだ。

 膝をつくことだけはしまい、と意地で立っているハリーだが、情けないことだが今なにかされれば、その場で倒れ伏す自信がある。

 ハリーの強がりを見抜いているクィレルは、なおも嗤う。

 

「ほぼすべての呪文には、『反対呪文』というものが存在するのを知っているなポッター」

「……、……っ、……」

「おやおや、駄目だなポッター。グリフィンドール五点減点」

 

 この男。

 息を切らして言葉を発せないのをいいことに、いやらしい奴だ。

 ハリーは睨むのみで、何も言えないのが悔しかった。

 口から息を吸い込んで、食堂を通し、肺にまで到達させてそこから吐き出すだけでも辛いのだ。

 エーテル不足の体が、酸素を、休息を求めている。

 だが休むわけにはいかない。

 休んだその時が、永遠の休息を取る時になる。

 

「反抗的な目が不愉快だ。十点減点。教師には跪け、ポッター」

 

 クィレルが杖を振り下ろす。

 なにか魔法を使った様子は感じられなかった。魔力を放出したのでもない。

 だというのに、ハリーの体は上から何かに押さえつけられるかのような感覚に崩れ落ちた。

 まるで日本人の日常挨拶である土下座のようだ。

 立ち上がろうとするも力の入らないハリーは、ただの塊になったままぜいぜいと息を吐く。

 それを面白い見世物であるとでも言うように、クィレルは哄笑した。

 

「いい格好だポッター! さて、まずは失神と蘇生の繰り返しを味わってもらおう」

「……!」

 

 顔も上げられぬまま、ハリーは目を見開いた。

 失神呪文は、実戦的で強力な呪文である。その魔力反応光が当たりさえすれば、対象の意識を閉ざすことができる。頭を殴ってショックで気絶させることや、薬品を嗅がせて眠らせることなどと比べれば、実に素早く確実に昏睡させることができる。

 何かのプロセスを通さず、ただ脳に失神せよという命令を叩きつける魔法。それが失神呪文。

 それの反対呪文として、蘇生呪文がある。

 別段失った生命を復活させる魔法ではなく、失った意識を覚醒させることのできる魔法だ。

 失神呪文による気絶はもちろん、先に述べた物理的な要因による気絶にも効果範囲内であり、さらに言えば眠っている人物を無理矢理に叩き起こすことも可能である。

 だが蘇生には、若干の痛みと違和感を代償にする必要がある。

 蘇生後も、頭全体に鈍痛を感じるという症状も残る。手足の痺れも報告されたことがある。

 なにせ失神呪文と同じく、脳に直接命令をぶち込むのだ。そう表現すると軽い痛みや違和感程度で済むのなら、まだ御の字だと思われる。

 だがそれを何度も繰り返すというのは、洒落にならない痛みを引き起こす。

 本来ホグワーツならば、失神呪文とは上級生になって、妖精の魔法を学び終え、呪文学と呼ばれるようになってから習う呪文だ。

 しかし習得難易度としては、そこまで難しい魔法ではない。ハーマイオニーに習いながらでも、標準的な勉強の苦手なホグワーツ生代表であるロンが使えることからも、それはわかる。

 ならばなぜ上級生になってから習う呪文なのかというと、身体の成熟が必要となる呪文だからだ。

 脳に直接影響を与える呪文は須らくそういった措置が取られている。若い未成熟なうちに脳に影響を与えては、まずい事になってしまうかもしれないからだ。人間である以上、成長に関する事柄はマグルと大差ない。ゆえに、魔法という危険と隣り合わせの学問を学ぶ以上は細心の注意を払う必要がある。

 仮にも魔法魔術学校で子供たちに『マグル学』と『闇の魔術に対する防衛術』を教えてきた身であり、それをわかっていながら、クィレルはその拷問を行おうとしている。

 喜悦のため、愉悦のためだけに。

 一人の少女に危害を加えようというのだ。

 

「くそ……ッ! こんな、こんなときに……」

 

 悔しい。

 純粋に悔しい。

 憎みに憎んで、殺すことを切望して、そしてやっと到来した機会。

 だがそのチャンスは、するりとハリーの手から逃げていった。

 

『やれ』

「はっ。始めるぞポッター……『ステューピファイ』!」

 

 赤い閃光が目の前に迫る。

 咄嗟に避けようとするものの、弱った足腰と蹲った体勢からではろくな動きもできない。

 土下座のような恰好だったのが、仰向けになっただけだ。

 だめだ、当たってしまう!

 …………、……。

 …………。

 ……、

 

「……ッ! ……ッ、……。…………、……え?」

 

 ぎゅっと目を瞑り、迫りくる恐ろしい拷問に怯えた様子のハリーが、うっすらと目を開ける。

 赤い閃光は確かに身を包んだ。

 ハリーの喉元あたりに魔力反応光が直撃し、ブラウスが焼け焦げて白く細い鎖骨が見え隠れしている。

 まさか。とは思うが、十一歳では体もまともに形成されていない。

 それにクィレルの怯えきった様子を見てみれば、そういう目的ではないこともわかる。

 片や万全の状態で杖を構え、いつでも殺せる大人。

 片や満身創痍で疲労困憊な上に、杖すらない子供。

 なぜ、クィレルは怯えているのか。

 なぜ、クィレルの放ち続ける赤い閃光はハリーの服を焼くだけで、肌に傷一つ作れないのか。

 なぜ、……自分には失神呪文が効いていないのか?

 

「な、何だ、何が起こったんだ……!?」

『これは……どういうことだ……? クィレル、直接締め殺せ!』

 

 ヴォルデモートの怒声にはっとしたクィレルが、ハリーの元へと走りだす。

 しまった、千載一遇のチャンスを棒に振った!

 ハリーは慌てて立ちあがろうとするも、力が入らないことを忘れていたため無様に倒れた。

 ただただ呆然と、クィレルが宙を飛んで高速で向かってくる姿を見るのみ。

 彼の魔手はそのままハリーの細く白い首にかけられ、骨を折るつもりかというほどに強く乱暴に握りしめてきた。抵抗する間もなく、無理矢理に気管を閉じられる。全く息ができず、喉が潰されて酷く気持ち悪い。えずこうにも出すべき場所がない。吐こうにも出口がない。

 涙をぼろぼろとこぼしながらハリーは、死への恐怖ともう優しい友達二人に会えないことを悲しんだ。

 ――だが。

 その苦しみから、急に解き放たれた。

 胃液を吐き、涙を拭きながら、それでもハリーはクィレルを睨めつけた。

 

「あああっ!? あ、あああっ、がァァああああァ――ぁぁぁあああ!? ああっ、ぐぎゃああああああああああああああ――――――ッ!?」

 

 どういう、ことだ。

 クィレルの右腕が、じゅうじゅうと嫌な音を立てて焼け爛れてゆく。

 ひび割れて色を失ったかと思えば、まるで灰か塵にでもなったようにボロボロと崩れてしまう。

 恐ろしい光景だ。

 完全に狼狽して冷静さを失ったクィレルが、右手を失った喪失感と驚愕、そして恐怖に歪んだ顔で金切り声をあげているのもまた、ハリーの精神をガリガリと削る。

 その状況を生み出したのが、自分であろうということもまたハリーの心に突き刺さった。

 だが、罪悪感に浸るのは後だ。

 いまは弱った体に鞭打ってでも、あの男を斃さねば。

 

「な、なんだこの魔法はァァアアッ!?」

『愚か者! 杖を使え!』

 

 ――使わせてはならない!

 どういうわけだかクィレルは、ハリーの手に触れると身体が焼け爛れて塵と化すらしい。

 ならば、あとはただ、奴の腕に触れるだけでいい。

 幸い奴は混乱していて、ハリーと距離を取るということをしていない。

 既に煙と消えた右腕が杖腕だったのか、苦労して懐から杖を取りだそうとしているクィレルに、ハリーは力を振り絞って跳びかかった。

 そして彼の左腕にしがみつく。

 途端、不愉快な音とともに彼の左腕がたちまちひび割れて灰を撒き散らしていった。からん、と軽い音を立てて彼の杖が取り落とされる。使う腕がないのだから当然か。

 たまらないのはクィレルだ。

 己の腕が両方とも塵と消えてしまい、英語にもならない絶叫を喉の奥から絞り出している。

 

「うッ、腕がァッ!? 私の両腕がァァァ――ッ!? あぁぁぁ、ああああァァァッ! さいっ、再生しない!? なんで。なんでェェェ――――ッ!?」

『なぜ、何故このような、こんな力が……』

 

 クィレルの悲鳴と、ヴォルデモートの混乱した声が部屋中に響く。

 ハリーは続けてクィレルの顔に掴みかかった。

 じゅう、と焼ける音が響く。クィレルがまた絶叫した。

 狙うは目だ。視界を潰せば、幾分か有利になれる。

 

「目がァァァ――ッ! あぎぃぃあぁぁあああああ!」

 

 このまま焼き潰せば、奴の頭部がまるごと灰になるはずだ。

 そうすれば、殺せる。

 殺されかけている以上、殺害するのもやむを得ないだろう。

 しかし、そこで終わりはしなかった。

 両の腕を失くしながらもクィレルは、残った足でハリーの体を蹴飛ばしてきたのだ。

 ああ、自分が男の子だったなら! あのくらいの弱々しい蹴りくらい、なんともなかったのに!

 恐ろしい憤怒の形相で、クィレルは長々と叫び声をあげている。まるで傷ついた野生の獣のように吠えている。床に転がされたハリーは、よろよろと起き上がりながら、最大のチャンスを逃したこととその遠吠えに怯えてしまった。

 怖い。純然たる恐怖が、ハリーの全身を舐め尽くす。

 バジリスクを前にしたカエルのように、ハリーは竦んだ己の身を抱きかかえるように震えていた。

 ハリーの目線の先で、クィレルがこちらを睨むのが見えた。

 もはや彼に眼球など存在しないはずなのに、それなのに。

 それは、か弱い獲物であるハリーを食い殺そうとする捕食者の目だ。

 

「な、んだ……あれ……ッ! あ、ああ……!?」

 

 クィレルの。

 奴の顔が、びきびきとひび割れてゆく。

 灰と化す様子はない。あれはハリーのやったことではない。

 

「私ィのォ、わたァァァしィィィのォ、目がァ……腕ェェがァァァ……よくも、よくも……ポッター……ッ! ポッターァァァアア……ッ!」

 

 クィレルは怨嗟の声を漏らす。

 彼の両腕はもうない。二度と杖を握ることはできないだろう。

 両目も焼き潰した。彼に光はなく、ハリーのいる方向すらわからないはずだ。

 そうだ。わからないはずだ。

 なのに、なぜ奴はこちらに顔を向けている?

 なぜ、奴からの視線を感じる?

 

『クィレルよ』

「ご主人様ァァァ! もォう我慢がなりませんッ! 奴をッ! 奴を殺す許可をォッ!」

 

 猛り狂ったクィレルが、唾液を撒き散らしながら叫ぶ。

 ヴォルデモートは呆れたような失望したような声を漏らし、一言だけ残す。

 

『……よかろう』

「有ァり難き幸せェェェァアアアがァァァぁあああああああああッ!」

 

 クィレルの頬から目元にかけての皮膚には深い亀裂が入っている。

 ぼろぼろと皮がこぼれたその下には、銀と赤の流動体が蠢いている。

 あれはなんだ、と疑問に思う前に氷解した。あれは、あれは血だ。血液だ。

 赤色はわかる、人間の持つ血の色だ。だが銀は……、そうか、あれはユニコーンの血だ。

 延命のため多数のユニコーンを殺し食らい、啜った結果があの有様なのか。

 スキンヘッドのため、頭皮もぼろぼろと崩れて赤と銀が見え隠れしている。潰した目からは涙さながら瀑布と血を流し、裂けた口内にはずらりと鋭い牙が並ぶ。

 ……こいつ、人間じゃないのか!?

 ハリーの考えがそれに至ったとき、変化が起きた。

 クィレルの手の指一本一本が鋭い刃物のように変化し、ぎしぎしと軋む。

 元はターバンだったマントが不自然に動き、腕のようにゆらゆらと蠢く。

 ハリーの倍はある大きく開かれた口からは、紅い霧がごとき息が漏れる。

 知っている。

 あれの正体を、ハリーは知っている。

 他ならぬクィレル自身が、授業で言っていたではないか。

 

「ハァァ――ァァアアアAAAA。……ポッターァア……」

「あ、あんた……あんた、その姿は……」

 

 ハリーは、震えながらもなんとか言葉を出す。

 二の腕から先の両腕がなく、目も見えない怪物。

 皮膚の色は血色を感じられず、そしてひび割れたその下は赤と銀の流動体。

 だがそれでいてなお、捕食者とエサの関係は変わらない。

 何せ、なにせ奴は、

 

「吸血鬼……ッ!」

「YEEEEEEES……、正ィ解ィィだァ、ポッター……」

 

 人類の上位種。

 ヒトたる生物にカテゴライズされる、夜の一族。

 悪の化身。不死者。魔王。塵の王。ノスフェラトゥ。ノーライフ・キング。

 様々な呼び名がある、かつての魔法界最悪の生物。

 それが吸血鬼。

 

「私は、ルーマニアでVAMPIREに遭ってね」

「じゃあ、命を救われたっていうのは……」

「その時だ。MASTERに助けられはしたものの、既に噛まれていた私は、その時その瞬間より吸血鬼となった。陽の光のもとを歩けぬ、NIGHT WALKERに……」

 

 そんなバカなことがあってたまるか、とハリーは叫びたい気分だった。

 だが事実だろう。

 こんな場面で嘘をつく意味がない。

 つまり、奴は本物の吸血鬼。人間の、天敵。

 思い当たる節はいくつかある。

 赤と銀の流動体、つまり彼の血液。そのうちの銀の血液。

 つまり奴こそが禁じられた森で出会った怪人その人であり、呪われた命持つ者。

 では、と考えると奴にはおかしいことがある。

 腕だ。

 森においてのハリーとの戦闘で、奴は自ら腕を引き千切ったはずだ。

 それが、今は再びハリーが奪ったとは言え、先程まで彼の失くしたはずの腕は健在だった。

 何故なのか。それが、この答えだ。

 ユニコーンの血の効果もあるだろうが、それ以上に吸血鬼であるために、失くした腕を再生したのだ。

 

「この姿を晒すことになるとは、何たる屈辱! 貴様! YOU! ポッタァーッ!」

「ひぅ。ああ、あ……っ」

「そォォォうだァ、その顔だァ! その怯えた顔が見たかったッ! POTTER! 血を吸い尽くして、貴様をミィィィィイイイイラァァァにしてやるるるるRURUUUUUUUUAAAAAAAAAAッ!」」

 

 瞬間、轟音を立ててクィレルが床を蹴り砕いた。

 いや違う。跳んだのだ。ただの踏込で、床の石材を打ち砕いた。

 ハリーが見上げると、天井を蹴ってこちらへ砲弾のように拳を放つ姿が見えた。

 慌てて腕を十字に構え、心臓や顎、首といった致命傷を避けようとする。

 触れば、触りさえできれば勝てるのだ。

 例え肋骨を砕かれようとも腕を砕かれようとも、脳や心臓、そして手が無事ならば奴を倒せる。

 そう信じて、ハリーは両腕を犠牲に差しだした。

 だが――

 

「無ゥゥ駄ァァァだァァァッ、ポッッッタァァァーアアアアッ!」

 

 クィレルの絶叫通り、ハリーの防御行動は全くの無意味と化した。

 ばぎべぎごぎ、という鈍く硬質な音と共に、ハリーの両腕が弾かれた。

 両腕が、熱い。変な方向にぐにゃりと曲がっており、骨を粉砕されたのが見てとれる。

 激痛に泣き叫びそうになるが、続けてクィレルの蹴りの威力が貫通して腹に響く。内臓に傷が入ったのか、赤黒い液体が喉を通って出口に殺到、床を汚してしまう。

 よろけながらも倒れまいとするハリー目がけて、続けてクィレルはマントを振るった。触手か何かのように自在に動いたマントはハリーを殴り飛ばし、階段から突き落とす。

 大部屋の中央、《みぞの鏡》の鏡面に叩きつけられたハリーは、咳き込みながら血を吐きながら、それでもクィレルを睨めつけた。

 頭のどこかを切ったようだ。どろり、と鼻を伝って血が垂れている。

 先ほど蹴られたときにどこかの内臓を痛めたのか、心臓の動きに合わせて耐え難い激痛を継続的に感じる。

 抵抗する力はもう、残っていない。

 杖など何処へ行ったか分からない。

 だけど。

 だけれども。

 

「……ッ、ぐ、うううっ、ああ……っ!」

 

 倒れない。

 斃されてなどやらない。

 鏡にもたれかかりながらも立ち続け、血の足りなさから霞んでよく見ない目で敵を睨む。

 クィレルはそれを不愉快そうに睨みつけ、人外の奇声を叫ぶ。すると紫のマントがばさりと翻され、クィレルの体は無数の蝙蝠と化した。

 禁じられた森での光景が思い起こされる。

 ハグリッドが大樹を破砕したとき、多くの羽虫や蝙蝠が飛び立っていた。そうか、ああやって逃げていたのか。と思うと同時、人型ならまだしも多数の蝙蝠などという姿で攻撃されては、拙い防御を行うことすらできないだろうとハリーは絶望感が胃に流れ込むのを感じる。

 高速で突っ込んでくる蝙蝠たちの羽根に体中を切り裂かれながら、ハリーは叫んだ。

 恐怖からの叫びではない。

 まるで、敵の首を跳ねんと挑む戦士の雄叫び。

 闇雲ながら両腕を振り回し、その柔らかく小さな拳で少ないながらも蝙蝠を打ち落とす。

 だが現実は厳しく残酷だ。

 ばぎ、と聞くに堪えない音がハリーの左膝から響いた。

 焼けた鉄を埋め込まれたかのような暑さと痛みを感じる。視線だけで見れば、クィレルのものらしき足のみが蝙蝠の背中から生えている。

 ……蹴り折られた。こいつ、こんなこともできたのか。

 怯んだ隙をついて、右膝の裏を蝙蝠の一匹に体当たりされる。膝を床に打って膝立ちにさせられたハリーは、眼前に蝙蝠が集まって人型を成すのをただただ見つめるしかなかった。

 牙を剥いて、唾液を垂らし、大口を開けてハリーの首筋に噛みつこうとしている。

 ああ、血を吸われて死ぬだなんて。

 自分の死は飢えか衰弱かと思っていたハリーにとってそれは予想外で、嫌な死因だった。

 しかしハリーの心は、不思議と静かに凪いでいた。

 死への恐怖は感じる。

 せっかくできた友人……いや、親友に対する無念もある。

 それでも、それ以上にハリーが感じるのは一つの感情だった。

 解放感。

 この世界は地獄だった。生きる価値などなかった。

 自分の居場所などない、自分を愛さない世界なんて耐えられない。

 やっとだ、やっとなのだ。まるで愛する恋人にようやく会えたかのような顔で、

 涙も流さずに、ハリーは、呟く。

 

「……ああ。やっと、死ねる――」

 

 その微笑みは、十一歳の少女とは思えないほど妖艶に美しく。

 泥のような瞳が、恍惚としてこの世に有り得ざる世界に魅入られる。

 死への渇望。

 自分でも気づいていなかった、ハリーの願い。

 心の闇にすらなっていなかった彼女の切望が、今ここに姿を見せる。

 

 ――だが、死の女神は彼女の来訪を許さなかった。

 

 クィレルが全身を形成して床に降り立ったその瞬間。

 ハリーのポケットから、紅い石が滑り落ちた。

 硬質な音を立てて床に転がったそれに、クィレルが目を取られる。

 彼女の中の生存本能が、鎌首をもたげた。

 咄嗟に左腕で、クィレルの左脚へ全力の拳を放った。

 まるで小麦粉の袋を殴ったかのような感触と共に、服の中の脚が灰と化したのを驚いた顔で見るクィレルは、完全に虚を突かれていた。

 完璧に心を折られた少女が、まるで操られるかのように突如攻撃してきたのだ。

 片脚を失ってしまっては立つこともままならない。

 倒れるのを防ぐため、膝を床についた。

 その間クィレルが見たのは、自分と同じ目線になった少女の姿。

 固く握り締めた右手を振りかぶって、拳を放つその姿。

 

「――ッッッらァァァあああああああああああああああああああ――――――ッ!」

 

 ハリーの声が大部屋に響き、灰が吹き荒れる。

 どちゃ、べちゃ、と。

 固くも柔らかい何かが、床を転がっていくのが視界の端に映る。

 その何かが、《みぞの鏡》にぶつかって止まり、それは鏡面に映った。

 

「――、――――」

 

 クィレルの顔。

 左半分の顔面のみが、転がっていた。

 ちょうど人間の頭部を、縦に四分割したらああなるだろうか。

 断面が灰と化しながらも、耳や眼孔からはとめどなく赤と銀の血液が溢れている。

 もはや何も喋れぬクィレルの欠片は、自信の死を信じられない驚きに見開いた目だ。

 ハリーと目が合う。彼女は徐々に消えゆくその視線を外すことができなかった。

 そうしてしばらくハリーを恨めし気に見つめたのち、ぐるんと白目を剥いて、二度と動かなくなった。

 

「――――う、ぐっ」

 

 もう胃の中にはほとんど物がない。少量の黄色い液体が床を汚す。

 その液体音と共に、もはや動かなくなったクィレルの身体が床にその肉塊を横たえた。

 ハリーにその光景を見る余裕はない。

 衣服が汚れるのも気に留めず、床に倒れ伏す。

 体力も、心も限界だ。

 彼女はゆっくりと、その意識を手放した。

 ハリーは闇に、深い深い闇に、

 ゆるりと沈みゆく。

 

 

 はっと目が覚めると、小汚い石造りの大部屋などではなく、清潔感あふれる白の部屋。

 いったいどこなのだろう。

 

「……知らない天井だ」

 

 起き抜けだというのに、なにか電波を受信した。

 言わなければいけない台詞を宣ったのち、ハリーはゆっくりと身体を……起こそうとして、痛みに呻いた。

 焦りを感じながら周囲を見渡せば、白いカーテンで周りが隠されている。

 ああ、と納得。保健室だ。

 隙間から見える隣のベッドには、見覚えのある男の子がいる。

 ネビルだ。ぐっすり眠って居るようで、可愛らしい寝息が聞こえてくる。

 その痛々しい姿に申し訳なく思いながらも、ハリーは努めて無視しようとしていた人物へと目を向ける。

 すると彼は嬉しそうに微笑んだ。

 

「おお、ハリーや。気づいてくれて嬉しいよ」

「ええ……はじめまして、ダンブルドア校長」

 

 アルバス・ダンブルドア。

 世界最強と言われ、学問の面でも多大なる貢献をしている老齢の魔法使い。

 ハリーが自分の寮を決める切欠になった男。

 

「はじめましてではないよ、ハリー」

「え?」

「君をダーズリーの家に預けるときにちっちゃな君を抱いていたのが、わしじゃよ」

 

 瞬間。

 ハリーの拳が空を切った。

 いつの間にかベッドの反対側に移動したダンブルドアが、少し眉を寄せている。

 何をされても余裕綽々で微笑んでいるような爺さんかと思ったが、意外とそうでもないようだ。

 その姿を見て、ハリーは隠すことなく舌打ちする。

 

「どうしたのかね、ハリー」

「ぼくを地獄に突き落とした人物の鼻にハエが止まってまして。払って差し上げようかと」

「それはありがとう。それには及ばんよ」

 

 ダンブルドアは厳しい表情を緩めて、好々爺然とした笑顔に戻る。

 ハリーはその笑顔を、なんとなく嘘だと思った。

 それもそうだろう、一生徒にいきなり殴りかかられたのだから。

 

「ほっほ。このお菓子は君の信奉者たちからの贈り物のようじゃの」

「……しんぽうしゃ?」

「うむ」

 

 ハリーのベッド脇に置かれた小机には、山と積まれたお菓子が大量にある。

 種類も様々で、お見舞い用のメッセージカードが添えてあるものもある。

 ハーマイオニーとロンの物はすぐに見つかった。友情パワーで。

 羽ペン型砂糖菓子はマクゴナガルからの物。下手なラッピングがなされた包みは、まずハグリッドのお手製ロックケーキだろう。アンジェリーナたちのクィディッチチームの女三人衆からは何を考えたのか、揉むと増えるマシュマロセットだ。ウッドからは最後の試合をボイコットしたことへの恨み言が綴られたクッキーが贈られている。その他いろいろな人たちからの贈り物に、ハリーは思わず笑顔になった。

 

「お、バーティーボッツの百味ビーンズじゃ」

 

 ダンブルドアがそう言って手に取ったのは、たぶんリー・ジョーダンからの物だ。

 

「わしゃこれが嫌いでの。若いころ、シュールストレミングと洗顔料のパフェ味にあたったことがある」

「オエーッ」

「おや、封が開いておるの。……このドドメ色のビーンズなら、食べても大丈夫じゃろ」

 

 ハリーが見ている前でゼリービーンズを口に入れたダンブルドアが、顔を顰める。

 吐き出したいのを堪えているようにしか見えない。

 

「なんと……一年間放置した生ごみ味じゃ。いやはや……」

 

 おどけるダンブルドアの様子に、ハリーはくすくすと笑った。

 そんな彼女の様子を見て安心したのか、ダンブルドアの雰囲気も柔らかくなった気がする。

 

「さて、ハリーや」

「はい先生」

「何か、今晩のことで聞きたいことはあるかの」

 

 ベットのそばにあった椅子を魔法で引き寄せて、腰かけたダンブルドアが問う。

 質問できること、答えてくれる人がいることにハリーは小さな幸せを感じる。

 だがそれを噛みしめるのは後だ。

 まずは真相を知らねばならない。

 

「ヴォルデモートはどうなりました」

「おう。それを真っ先に聞いてくれるとは」

 

 まっすぐにダンブルドアを見つめる。

 少し迷うような仕草を見せたが、言っていいものだと判断したのだろう、彼は口を開いた。

 

「死んではおらん。ただ、退けただけじゃ」

 

 確信めいたものが宿る声だ。

 奴は死んではいない。憑代となったクィレルをやっつけたのだから、或いはと思ったのだが世の中そううまくはいかないようだ。なにせ、死の呪文が跳ね返っても生きているような輩なのだ。保険として何かあるのかもしれない。

 では、とさておいてハリーはベッド脇にあるとんでもない物に目を向ける。

 

「あの」

「何じゃね」

「あれ賢者の石ですよね。無防備にこんなとこに置いてもいいんですか?」

 

 そうなのだ。

 起きたとき横を見たらぽんと置いてあってドキッとしたものだが、何故だろう。

 こんなぞんざいな扱いをされては、守った甲斐がない。

 

「ああ。聞いてくれてうれしいよ。実はの、アレ偽物なんじゃ」

「えっ」

「偽物じゃ。本物はずっとわしのポケットの中に入っておったよ」

 

 力の抜ける話だ。

 つまりハリーは、命がけでレプリカを守っていたということになるのだ。

 ベッドに倒れ込んだハリーが呻く。タヌキジジイめ、とも呟いている。

 それを聞いても微笑んだままのダンブルドアが、説明を続けた。

 

「あれはの。『石を見つけたい者』だけが取り出せる仕組みなんじゃよ。『石を使いたい』でもなく、ただ『見つけたい』者だけ。使う意思があってはいけないのじゃ。んでおまけに取り出せたとしてもそれは偽物。ヴォルデモートに勝ち目はなかったのじゃよ」

「ぐぬぬ」

 

 おのれ。

 そうと知っていれば行かなかったものを。

 可愛らしくさえ見えるジトっとした目でにらみながら、ハリーはため息を吐く。

 一呼吸置き、ダンブルドアが話し始めようとしたのを見計らってハリーは問うた。

 

「何故ぼくたちを行かせたんですか」

 

 開きかけていた口を閉じ、ダンブルドアは微笑む。

 言え、と目で示すハリーに彼は微笑みとともに教えた。

 

「君たちの成長を見たかったのじゃ。万が一の事があれば、わしが何とかするしの」

 

 思えば、不自然だった。

 クィレルは確かに物知りな男だが、頭のいいとはとてもではないが言えなった。

 自尊心ばかりが肥大して、高い実力を自重で潰してしまっている。

 そんな男がダンブルドアを出し抜けるだろうか。

 いま実際に会って分かったのだが、この爺さんは結構抜け目ないタイプだ。

 クィレル如きの謀など見抜けそうなものなのだ。

 

「……とんでもないクソお爺様ですね」

「ほっほ。すまないの、ハリー。君たちに必要な試練だと思ったのじゃ」

 

 ぶん、と空気が殴られた。

 ダンブルドアは動いてもいないはずなのに、確実に軌道上に彼の鼻があったはずなのに、ハリーの振りぬいた薬瓶は空を切っていた。

 

「これ、ハリーや」

「いやいや。もうこれはしょうがないと思うんだよね」

 

 もう一度ぶん、と空を切る。

 今度はハリーの手には薬瓶はなく、ダンブルドアの手の中にあった。

 魔法を使った形跡もないのに行われた不思議に目を丸くし、ハリーは溜め息と共にベッドに戻る。

 眉をひそめたままのダンブルドアに、ハリーは言った。

 

「ぼくが試練を受けるのは別にいいです。強くなるのに必要だから」

「では、何故わしを殴ろうと?」

 

 ダンブルドアの問いに、ハリーは答える。

 

「友達を巻き込まないでください。大切な人たちなんです」

 

 ぽつり、と照れるように放った言葉。

 それを聞いて、ダンブルドアは心の底から嬉しそうな笑顔を見せた。

 まるでクリスマスとハロウィーンとイースターが同時にやってきたような、子供のような満面の笑み。

 先ほどのように嘘が混じった笑みではない。

 本物の、おちゃめな笑顔だ。

 

「そうか、そうか。ハリーや。信頼する友ができたのだね」

「……はい」

 

 ハリーの耳が赤くなった。

 散々な扱いをしておいて、いまさら友人面するなど、という恥もある。

 しかしそれ以上に、ハリーはあの二人が愛おしくてたまらなかった。

 だから。

 彼女はダンブルドアの言葉に、笑顔で答えることができる。

 

「ハリー。その気持ちを、忘れるでないぞ」

「――はいっ」

 

 一週間と少し後。

 ハリーが退院する前の日に、学年末パーティは終わってしまった。

 今年一年おつかれさま。夏休みが終わったらまたおいで、という宴だ。

 そしてホグワーツ生には欠かせないものがある。

 寮対抗戦だ。

 生徒たちの行いによって点数が加減され、最後に優勝した寮は一年間の王者となる。

 六年連続でスリザリンが優勝しているこの対抗戦は、他三寮が熾烈な思いを燃やしていた。

 目的のためなら手段を選ばない傾向にあるスリザリン生は、他寮生徒から嫌われている者が多い。

 ゆえに皆してスリザリンから優勝杯を掻っ攫いたいのだ。

 しかし結果は惨敗。

 四位がグリフィンドール、二六二点。三位はハッフルパフ、三五二点。二位はレイブンクローで、四二六点。そして一位がスリザリン、ぶっちぎりの五四二点だった。

 だが、これは暫定に過ぎない。

 学年末パーティで御馳走をたらふく食べて頭が空っぽになる前に、もう一つ大事な発表がある。

 成績だ。

 教育機関なのだから当然である。

 そしてこの成績ももちろん、寮対抗戦に影響する。

 七学年それぞれの学年において、主席には四〇点、次席には三〇点の点数が加算されるのだ。

 さらに、特別な功績を成した生徒にも点数が追加されることもある。

 今年はスリザリンのクィディッチ歴代最速スニッチ・キャッチを称えて、ドラコ・マルフォイに特別功績点が追加された。どうやら最後のグリフィンドールとスリザリンの試合、ハリーがいないことに激怒した彼は、試合開始六分二八秒でスニッチを捕ったのだという。

 主席や次席への加算では、なんとハーマイオニーが一年生の主席として点数をもらっていた。

 嬉し泣きを我慢しきれなかった彼女だったが、直後に発表された一年生の次席がまたもやドラコ・マルフォイであることを聞いて引っ込んでしまったようだ。

 様々な要因が重なり合って、順位は変わらないものの四寮間で点数差がほとんどなくなった。七年連続で優勝を得たことで狂喜乱舞するスリザリン生だったが、

 しかし、驚きは終わらなかった。

 なんとダンブルドアは、クィレルの暴挙を暴露。

 具体的に何を盗もうとしたかはうまくぼかして明かさなかったものの、ハリーら三人がその野望を食い止めたとして特別中の特別で、大量の点数が加算された。

 それによって順位がひっくり返り、グリフィンドールが一位に躍り出るというとんでもない展開に。

 あまりにあんまりな仕打ちに泣き出すスリザリン七年生もいたらしく、ハリーはロンとハーマイオニーの話を聞きながらハリーは苦笑いと共にスリザリン生に同情した。知らなかったとはいえ自分もその片棒を担いでいるのだから、間違っても口には出さない。スリザリン生全員を敵に回してしまいそうだ。

 閑話休題。

 結局悪事を暴露されたクィレルは、ホグワーツをクビになったとのことだった。

 ハリーは実際には自分が殺害してしまったことを知っているのだが、真相は闇の中だ。

 流石に教師が悪い奴に取り憑かれて死にました。などとは言えないのだろう。

 

 さて。

 ハリーらがホグワーツ最後の週を楽しんで、トランクに詰めた荷物をホグワーツ特急に乗せた時。

 大きくてひげもじゃで図体のデカい優しくて素敵な男が、ハリーをひょいと持ち上げた。

 三メートル近くあるハグリッドは、冗談抜きでハリーの二倍近くあるので脚が全く届かなくて怖い。しかも、彼の抱擁は骨が折れる(比喩表現ではなく)のでできれば遠慮願いたかった。

 

「ウオーッ! ハリー! すまなかったーッ! 俺がもっとちゃんと教えてやりゃあ、あんな怪我しなくてすんだってーのに!」

「げほっ! げっほげほっ! ハ、ハグリッド、肋骨が折ぐえぇあっほえっほえっほ!」

「女の子なのにすまなかったなあハリー! 傷跡のこってねえか! 大丈夫だな! だめでもちゃんと婿さん見つけてやっからなーっ!」

「ぐげほぉ――ッ!」

 

 コンパートメントの中でハリーを見捨てたことを謝罪する二人を無視して、ハリーはハグリッドからもらったアルバムを眺める。

 ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターのアルバムだ。

 一冊にまとめられているが、学生時代の両親や当時の学友たちの写真よりも、赤ん坊のハリー・ポッターと三人一緒に撮った写真の方が多い。

 なかなか面白いものだ。

 写真の中ではまるで男の子みたいな格好をさせられている赤ん坊ハリーがずいぶんと嫌がっているようで、魔法製品らしきガラガラをジェームズの眼鏡にぶつけていた。ずり落ちた眼鏡を直す彼の姿を大笑いしているのは、きっと彼らがホグワーツにいたころから仲の良かった人たちだろう。

 茶髪の小柄な青年と、鳶色の髪のやつれた青年、そして黒髪のハンサムな青年。皆楽しそうで、朗らかに笑っている。

 他の写真では、また別の青年が映っている。母のリリーと共に、こちらも笑顔だ。

 ハリーを抱く黒髪の理知的な青年が――

 

「うわっ!? スネイプ先生だ!」

「黒幕がなんだって!?」

「ロンあなたまだそのネタ引っ張るの」

 

 写真の中では、若い頃のスネイプがハリーを抱いていた。

 母親のリリーと鳶色の髪の青年が笑ってジェームズと黒髪のハンサムを抑えているのを余所に、ハリーが今まで見たことのない優しい表情のスネイプが写真の向こうにいる。困惑しながら、それでも微笑んで。

 そんな写真を見た三人は、驚きに口を半開きにしたまま閉じることを忘れてしまった。

 スネイプに関する謎がまた一つ増えたところで、何の魔法だろうか、マグルでいう汽車内でのアナウンスが鳴る。

 残り数十分でキングズ・クロス駅につくので用意をしろとのことだ。

 それを聞けば途端に寂しくなる。

 他の者にとっては、愛する家族に会える夏休みは楽しいだろう。

 だがハリーにとってはそうではない。

 あの地獄に帰らなければいけないのだ。

 しかし今回に限って、ハリーはあまり心配していない。

 なぜなら彼らは、ハリーが学校の敷地外で魔法を使ってはいけないことを知らないからだ。

 

「バレないようにするのが一番の課題ね」

「実際に使わざるを得ない機会が来なければいいんだけどねえ」

 

 ハーマイオニーとハリーの会話に、ロンが口を挟む。

 

「魔法を使うと魔法省からお知らせのフクロウ便が来るんだ。だから保護者には簡単にバレちゃうし、間違っても使っちゃいけないよ」

「珍しいねえロン。何でそんなこと知ってるの?」

「フレッドとジョージが証明した。身を以って」

「あっそう……」

 

 汽車がゆっくりと速度を落とし、ひと揺れして止まった。アナウンスがキングズ・クロス駅に着いたことを教えてくれる。

 ハリーは椅子から立ち上がり、さて、と気合いを入れる。

 これからが本当に厳しい戦いの始まりだ。

 攻撃はできない。魔法すら使えない。それら全てを隠し通さなくてはいけない。

 なんと厳しい戦いなのだろうか。

 

「……ハリー、大丈夫?」

「はは、まぁ、うん。ちょっと怖いけど」

 

 けど、と言葉を切って。

 ワンピースの裾を揺らして微笑んで。

 

「ヴォルデモートと比べれば、まぁ怖くはないね」

 

 二人の親友はただ苦笑いするしか出来なかった。

 この一年で成長したのは、どうも心だけではなかったようだ。

 ハリーは少しだけ、ほんの少しだけ、憎き宿敵に感謝したのだった。

 




【変更点】
・ハリーの心の闇緩和。持つべきものは素敵な友達です。
・真のラスボスは、やっぱり合体事故(クィレル)先生。
・私は人間を辞めるぞポッタァ―――ッ! 難易度超上昇。
・ダンブルドアの胡散臭さグレードアップ。信頼度は原作よりは低い。
・ヴォルデモート≧ダーズリー家>越えられない壁>その他

【新キャラ・変更のある登場人物】
『クィリナス・クィレル』
 原作人物の魔改造。下級死喰い人。
 ルーマニアへ修業した際に吸血鬼に噛まれて脱人間。分不相応に傲慢な性格。
 本来なら魔力の続く限り肉体を再生する能力を持っていたことで、帝王に気に入られる。
 一応かなり優秀な魔法使いだが、闇の魔術への適性はなかった。石仮面とは関係ない。

大変お待たせしました。一週間かけてこんな量。最長です。
これにて「賢者の石」は終了となります。秘密の部屋は……うん、頑張ります。
今後の難易度に影響する変更点はこの話の中にいくつかありますので、暇なマグルの皆さんは探してみてください。ざっくざっく出てきます。
一年目はハリーが友情(と絶望)を知るお話でした。二年目はどうなるか、楽しみにして頂けると幸いです。
拙作を読んでいただき、ありがとうございました!


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賢者の石・変更点

一巻の「賢者の石」時点での変更点やら独自設定やらをまとめました。
登場人物の中には私の脳内設定で挿絵がありますけれども、ご自身の想像を壊したくない方はどうぞ気にせずスルーしてください。


 

【原作との大きな変更点】

 ハードモードとするにあたって原作から変化した要素。

 場合によっては今後に大きく影響する部分もあるため表記。

 

 

・ハリーが女性。

  これによってクィレルに組みつけなくなり、窮地に陥った。

・虐待が過激化。

  人間不信になり、一年生時において誰一人信用できない状態に。

・フィッグ婆さん死亡。

  ウィゼンガモットにおけるハリーの裁判での証人が消滅。

・マルフォイ強化。

  原作における賑やかしキャラから、敵対すると厄介な男へ。

・ペチュニアの態度が軟化。

  それに伴ってハリーの好感度も変化。後のちかなり大変なことになる。

・性別変化のため、周囲の人間関係が変化。

  特にロンが顕著で、この頃の男の子にとって異性の友人は扱いが大変。

・スネイプの態度。

  どちらかというとパッと見リリー似なので仕方のないこと。

・三頭犬など、ホグワーツ教師の試練が強化。

  三人組のマッハな心労を代償に、大量の経験値を得る事になります。

・箒はニンバス二〇〇〇ではない。

  クリーンスイープ七号だってイイ箒なんですよ。まぁ、うん。お察し。

・トロールも三倍。

  せっかくハロウィンなので恐怖も味わってもらいました。

・みぞの鏡シーンにはスネイプが登場。

  我輩とハリーの縁がより深くなるのだ!

・森で出会う怪人が強化。

  正体は吸血鬼クィレルであるため、蝙蝠に変身されて逃げられた。

・三人組が互いの心の闇を知る。

  これにより原作より若干オープンな関係に。依存度も多少高くなる。

・ネビルが不幸。

  服従の呪文を経験する。今後プラスになるかマイナスになるかはネビル次第。

・クィレル強化。

  奴は死喰い人でも最弱、闇の勢力の面汚しめ。ハリーが強敵と戦うに必要な通過点。

・ダンブルドアへの対応。

  次に大切な友達を巻き込んだら殴る、と宣言。老人はそれを受け入れる。

 

 

 

【独自設定】

 深く考える必要はなく、だいたい語感の通り。

 細かい設定なんて考えてられっかよクルーシオ!

 

 

魔力反応光

 杖先から飛び出る光のこと。魔法反応光とも言う。

 人体から生成された魔力が魔法として外気に触れる際に起きる反応。

 要するにだいたいの場合この光が当たれば、魔法が作用する。

 威力を拡散してスプレー状に射出するなど、術者の裁量でいくらか融通が利く。

 

魔法式(プログラム)

 何であろうと魔法を使う際には、プログラムをしっかり組んで発動する。

 杖の振り方、呪文の発声、原理を理解しているかどうかなど。

 これの組み方に問題があると、魔力暴走で不発になったり爆発したりする。

 

魔力枯渇

 読んで字の如く、体内で生成される魔力が不足に陥ること。

 この状態でも搾り取るように魔法を使うことはできるが、不快感や頭痛などが生じる。

 頻繁にこの状態になると、脳がリミッターを設けて突如魔法が使えなくなる症状が起きる。

 

寮対抗戦

 ダンブルドアが急に駆け込み点じゃ!とか言いはじめて酷いものだと思ったので追加。

 その年の学年ごとの主次席に点を与えたり、その一年で偉大な事をした生徒に点を与える。

 特別扱いとかではなく、その範囲内にハリー達の行いが入ってたよ!というヘリクツ。

 

 

 

【オリジナルスペル】

 ハードモードにするにあたって、呪文も追加。

 やったねハリー! より攻撃的な魔法や、スタイリッシュな戦闘シーンができるよ!

 なお、原作で呪文が出なかっただけの魔法も一応オリジナルとして表記しておく。

 

 

「ドケオー・○○、場所を教えて」(初出・3話)

・淡い水色の光が、探し物の場所へ案内してくれる。○○には対象の名称を入れる。

 元々魔法界にある呪文。生活に便利な魔法。

 

「インパートゥーバブル、邪魔よけ」(初出・原作5巻)

・扉などへの接触を防ぐ呪文。無理矢理接触を試みると、勢いよく弾き飛ばされる。

 元々魔法界にある呪文。モリーが不死鳥の騎士団会議の盗聴を防ぐために扉に掛けた。

 

「アドヴェルサス、逆行せよ」(初出・7話)

・薄黄色の板状の光を出し、これに触れた魔法を術者に跳ね返すことが出来る。

 半純血のプリンスの創作呪文。『ワディワジ』の上位版。

 

「エレクト、立て」(初出・7話)

・対象を直立させる呪文。結構乱暴なので、怪我人にはまず使用しない。

 元々魔法界にある呪文。威力の低い『アセンディオ』。

 

「クェレール、取りだせ」(初出・10話)

・別空間に仕舞った物品を取りだす魔法。物品は片手で持てるサイズと重量に限られる。

 元々魔法界にある呪文。反対呪文は「リムーヴァ、仕舞え」。

 

「スポンジファイ、衰えよ」(初出・PS2ゲーム『賢者の石』)

・不安定な魔法で、術者の認識により効果が若干変動する。今回はスポンジ化。

 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。PC版・秘密の部屋における効果。

 

「ヴェーディミリアス」(初出・PSゲーム『賢者の石』)

・足場を出現させたり、隠し通路を暴く呪文。術者にはかなりの集中力が求められる。

 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。

 

「グンミフーニス、縄よ」(初出・11話)

・杖先から魔力で編んだ縄を射出する魔法。本来は捕縛などの用途に使われる。

 元々魔法界にある呪文。魔力の込め方次第で長さや太さが決まる。

 

「グレイシアス、氷河となれ」(初出・PS2及びGC『アズカバンの囚人』)

・水を凍らせる呪文。術者の力量によっては周囲に水が無くても使える。

 元々魔法界にある呪文。ゲームオリジナル。ゲーム中ではハーミー専用呪文。

 

「アニムス、我に力を」(初出・14話)

・身体能力強化呪文。肉体を強化して戦闘向きに変える呪文。変身術に属する。

 1978年、闇祓いアラスター・ムーディが開発。守護霊並みに習得難易度の高い呪文。

 

「インセンディオ・マキシマ、焼き尽くせ」(初出・14話)

・火炎呪文。魔力の導火線を空中に設置して魔法火を着火するため、精密性に優れる。

 元々魔法界にある呪文。単純にインセンディオの上位スペル。

 

「カダヴェイル、尽くせ」(初出・14話)

・《冒涜の呪文》。詳細不明。

 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ヴォルデモート卿が開発。

 

「ディキペイル、寄越せ」(初出・14話)

・《簒奪の呪文》。詳細不明。

 1982年《許されざる呪文》に登録。暗黒時代、ベラトリックス・レストレンジが開発。

 

 

 

【大きな変更のある人物】

 彼らは基本設定はそのままに、生い立ちや性格に手が加えられています。

 ハリーが女性であるというだけで、かなり対応の変わる人物も多くいるはず。

 

 

ハリー・ポッター (Harriet Lily Potter)

 本作の主人公。世界的大犯罪者ヴォルデモート卿に命を狙われるも唯一生き残る。

 「生き残った男の子」などと呼ばれるが、女性である。サラサラの黒髪に母譲りの緑の目、獅子や蛇のように鋭い目付き。額に稲妻型の傷。全体的に母親似だが、父親の面影も感じられる。

・原作よりダーズリー家で虐待が苛烈であったため、激情家で容赦のない性格になった。現実主義寄りな悲観主義者。自身の人生を捻じ曲げたヴォルデモートに強い憎しみを抱いており、その打倒を目標に据えて鍛錬や勉強に力を入れているのが原作ハリーとの最大の違い。若干脳筋。

・『賢者の石』編にて、ハーマイオニーとロンという真の友人を得て考え方が変わった。友情や愛情も、また大切なものであるとして受け止められるようになる。

 

【挿絵表示】

 

 

ロン・ウィーズリー (Ronald Bilius "Ron" Weasley)

 ハリーの親友。ウィーズリー家の六男で、例に漏れず赤毛のっぽ。

 兄たちが全員優秀なためひけ目を感じており、更には友人の女性二人も優秀な部類のため強い劣等感を抱いていた。そのため原作より少し自己顕示欲が強い。

・『賢者の石』編にて、ハリーの心の闇を知ってからは彼女を守らねばという意識が芽生え、一歩だけ大人になった。原作より現状把握能力に優れ、ウィザードチェスで見せた指揮官としての適性が高い。また、宿題を見てくれる頼れる友人が二人に増えたため、頭脳も平均より少し上に。

 

【挿絵表示】

 

 

ハーマイオニー・グレンジャー (Hermione Jean Granger)

 ハリーの親友。マグル出身。一年生時での主席。

 栗色の髪の毛はハリーお気に入りの枕。すっかり描写を忘れてたが原作通り前歯は大きめ。

・原作よりも愛情深く、大人っぽい。ハリーの事を妹のように愛しており、カッとなりやすく不安定な彼女の事を心配している。ハリーから悪影響を受けて、原作よりも怒りっぽく癇癪を起すとブチ切れる。よいライバルが常に隣に居るため、成績は原作より良い。

 

【挿絵表示】

 

 

ドラコ・マルフォイ (Draco Lucius Malfoy)

 ハリーと同学年の男子生徒。ハリーのライバル的存在。

 プラチナブロンドの髪をオールバックにして、薄い灰色の瞳。髪以外は父親と瓜二つ。

・原作より大幅に魔改造されており、手のかかる双子の弟がいるため大人っぽく達観しているきらいがある。ハリーの事を対等な好敵手と見なしており、事あるごとに突っかかる。退学やトロールに怯えるなど、年相応の臆病さもある。

・勉強の出来や魔法の腕は原作よりもはるかに上で、ハーマイオニーに次いで一年生時の次席。根深い純血主義ではあるが、盲目的ではない。なにか野心を持っている。

 

スコーピウス・マルフォイ (Scorpius Thomas Malfoy)

 ハリーと同学年の男子生徒。ドラコの双子の弟。

 臆病で泣き虫そして意地っ張りなため、自分の尊敬する兄が認めているという理由でハリーに突っかかるも、その未熟さに呆れられている。家族想いであるため、ハリーと関わりを持って欲しくないという真摯な面もある。どちらかというとロンのライバル。

・原作ではハリーの息子アルバス・セブルスと同級生で、全く純血主義ではない。ただ『HMD』では原作マルフォイの役に。ただしただの噛ませ犬ではなく、家族を愛しているという行動理念がある。

 

グレセント・クライル (Grecent Crayle)

 ハリーと同学年の男子生徒。ドラコの子分。

・原作登場人物の合成獣。リーダーの子分は二人で十分なんだラホラサッサーイ。十一歳にして二メートル近い巨体を誇るバカ。代償として原作よりおバカになった。スネイプのお気に入りでなければ一年生にして留年するレベル。

 

ネビル・ロングボトム (Neville Longbottom)

 ロンのルームメイト。黒髪にぽっちゃりした心優しい男の子。

・原作と大きな違いは無し。周囲の変化に巻き込まれてちょっと不運になった程度。

 

アルバス・ダンブルドア (Albus Percival Wulfric Brian Dumbledore)

 ホグワーツ校長。銀色の長髪と長いヒゲ。ブルーの瞳と、半月型の眼鏡が特徴。長身。

・原作より出番が少ないものの、透明マントを贈るなど仕事はしている。ハリーの生い立ちを全て知っているため心配していたが、友人が出来たと告白してくれたことを心から喜んだ。世界最強の魔法使いと謳われているため、ハリーにとって当面の目標。

 

ミネルバ・マクゴナガル (Minerva McGonagall)

 ホグワーツ副校長。黒いひっつめ髪と理知的なメガネ。変身術教授で、獅子寮寮長。

・本作では女性であるハリーをよく面倒見てくれる、同性としての目線で見守ってくれる貴重な保護者。原作ハリーより目をかけ、また勉学面ではそれ以上に厳しい。

 

クィリナス・クィレル (Quirinus Quirrell)

 ホグワーツ教授。スキンヘッドに紫のターバン。闇の魔術に対する防衛術を担当。

・原作ではそのような描写はなかったが、本作では明確な死喰い人でありヴォルデモートに忠誠を誓っている。原作と同じく自己顕示欲が強く、優秀な魔法使いではあるが慢心しやすく浅はかな面があるため、ハリーに追い詰められても認めず油断したまま敗北した。

・本作ではルーマニアへの修業の際に本当に吸血鬼に襲われたことになっており、彼自身も吸血鬼となった。日光や流水などに強い代わりに、吸血鬼としては落第点な能力しか持ち合わせていない。

 

【挿絵表示】

 

 

ヴォルデモート卿 (Lord Voldemort)

 ハリーの仇敵。英国魔法界の歴史上最悪の犯罪者。

 かつてハリーの殺害に失敗して肉体を失い、クィレルの後頭部に寄生していた。

・原作と役割や立ち位置は同じだが、メンタル面がだいぶレベルアップした。ハリーに対してどこか特別扱いしている節があった。なお、クィレルはただの便利な駒程度だった模様。

 

 

キャラの身長差

 

【挿絵表示】

 




だいたいこんな感じの変更がありました。
本文に乗せるのもアレかなと思いましたが、変更点が多いので必要かなと。
秘密の部屋編やアズカバン編も情報が増えればこうやって書くことに……なるんでしょうね。多分。


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秘密の部屋
1.最悪の誕生日


 

 

 

 ハリーはお腹が減っていた。

 昨年と比べると幾分か肉がついて健康的になったお腹が、くきゅうと鳴く。

 原因はダドリーだ。

 この夏唐突に「戦いたい奴がいる」等と言いだして、無茶な減量を始めたのだ。

 ダドリー自身、スポーツマンとは言い難いわがままな性格をしているので、自分だけが我慢するという状況が耐えられなかったのだろう。バカ親……もとい親馬鹿であるバーノンが、ダーズリー家に住む者全員のダイエットを命じたのだ。

 ダドリーが茹でた鶏ササミを調味料なしでふたつ。ダーズリー夫妻はササミひとつ。ハリーはササミの茹で汁だ。一日三食すべてがそれである。奴は燃え尽きるつもりだろうか。

 ハリーはそのメニューを聞いたとき何の冗談かと笑ったものの、ペチュニアの真顔っぷりにその悪質なジョークが真実だと悟った彼女は、夏休み初日、友人に助けを求めた。

 ロンやハグリッドにはフクロウ便を飛ばし、ハーマイオニーには電話でだ。

 やんちゃな男の子の親友はお菓子ばかりを贈ってきた。蛙チョコの詰め合わせパックや、ウィーズリーおばさんお手製のはちみつたっぷりのパンケーキ。甘くて甘くて、匂いがダドリーにバレやしないかとひやひやしたものだが、不思議とハリーの部屋にのみ匂いが充満するようになっているようだった。

 大きなひげもじゃの友人は、やっぱりロックケーキだ。元気が出るようにとメッセージが添えてあった薬味入りのものがあったので食べてみたところ、一日中顔色が青と紫のマーブル模様になったので部屋から出れなくなったのは、今となっては笑い話だ。新学期に会ったら殴ろう。

 ハーマイオニーはというと、有り難いことに栄養のある野菜類が入った食料を送ってくれた。日持ちがするようなものばかりだったので多少味気なかったが、それでも有り難いことは有り難い。だが一緒に入っていた無糖のお菓子群は何かのメッセージだったのだろうか。

 ところでハリーは、新しい部屋を手に入れていた。

 ダドリーが物置部屋に使っていた、二階の小部屋だ。錯乱したかのようにハリーに対して普通に接するようになったペチュニアが、「女の子なんだからクローゼットに入るくらい服を持たなくっちゃァねェア!」と言いだしたのが始まりである。

 当のダドリー坊やは最初はグズったものの、クリーンスイープを手入れするハリーの姿を見てからは、箒に吊るされて空中散歩をされるとでも思ったのか快く譲ってくれた。

 

 さて。

 そんな忙しい毎日の中、問題が発生していた。

 手紙が来なくなったのだ。

 夏休みの最初の週は、それこそ毎日手紙のやり取りをしたものだが最近はとんと来ない。

 ハーマイオニーとは電話で話せるかもしれないが、居候の身で電気代を使いすぎるのもどうかと思う。更には最近、かけてみても通話中ばかりで通じないのだ。

 少しばかりの寂寥感を覚えながら、ハリーはドレスのようなスカートの埃を払う。

 髪も綺麗に梳いてあり、唇も普段より柔らかくぷるんとして見える。ペチュニアの命でリップというものを付けたのだ。

 素材がよいためにお洒落をしたハリーはかなりの美少女であり、ダドリーですら一瞬見惚れるほど可愛くなっていた。

 ではなぜこんな恰好をしているのか。

 バーノンの商談に必要だからだ。

 

「ミスター・メイソン! ミスター・タチバナ! さあさこちらへ!」

「やぁダーズリーくん! わたしゃ今日を楽しみにしていたよ!」

「お久しぶりですね。お邪魔致しますダーズリーさん」

 

 バーノン・ダーズリーが長を務める企業、ダーズリー穴あけドリル株式会社は工事器具を扱う業界では有数の実力派企業だ。

 社長の厳格な性格から、信頼と実績と結果を積み重ねてきたために、こうして海外の社長さんを招いての食事会&商談をもぎとったのだ。

 フランスのメイソンドリル会社と、日本の立花重工の二社。その社長夫妻を迎えてのおもてなしと、自社商品を買わせるための心理戦がダーズリー家のリビングで繰り広げられる。

 そう、ここはビジネスマンの戦場! ……を、お茶を持って歩くのがハリーの仕事だった。

 要するに、見目がいいことを買われての給仕係だ。

 これにはハリーも参った。

 自室にいて居ない者として扱われた方がよっぽどマシだ。面倒臭すぎる。

 何故だか熱心にハリーに話しかけてくるタチバナ夫人を漏れ鍋で習得した営業スマイルであしらい、這う這うの体で自分の仕事を終えて自室へ退避する。

 あとはバーノンが商談をうまく済ませることができれば、万事解決だ。彼の機嫌もよくなってくれれば、ハリーも幾分か助かる。主に八つ当たり的な意味で。

 ハリーはスカートのまま、着替えもせずベッドにぼふんと倒れ込む。この後まだ呼ばれる予感がするからだ。そのとき部屋着に着替えていて恥をかくのは自分だ。

 くぐもった声を漏らしながら、ハリーは枕の中に手を突っ込む。

 しん、静寂を部屋に満たした次の瞬間、枕の下に仕込んであった杖を抜き放ってクローゼットへ突きだして低く小さめの声で脅した。

 

「今すぐ出てこい! さもなくば殺す」

 

 傍から見れば子供の遊びか、狂人のそれ。

 しかしハリーは魔女。魔法使いだ。

 ハリーが念じれば杖からは呪文が飛び出し、対象に呪いをかけるだろう。

 未成年の魔法使いが学校外で魔法を使うことは特定条件下を除いて禁じられている。そう、今回はその特定条件下に該当するかもしれないのだ。

 所属国魔法省の認可を受けた一部の未成年魔法使いが使うとき。

 所定の手続きを済ませたうえで、学校の課題のため練習するとき。

 ――命の危険が、迫ったとき。

 

「三つ数える。出てこない場合はクローゼットごと消すぞ」

 

 気配を殺す術を知らないらしい侵入者に対し、警告を発するハリー。

 クローゼットを『消失』させればとりあえずは倒せるだろう。

 油断なく杖先を向けたまま、ハリーは数を数えながら魔力を練り上げる。

 カウントダウンがゼロになった。

 

「警告はした。『エバネス――」

「おッ、お待ちを! ハリー・ポッター様!」

 

 呪文の詠唱を中断する。

 魔力を注ぎかけていたが自らファンブルさせ、詠唱を破棄した。

 クローゼットから無抵抗を主張しながら恐る恐る飛び出してきたのは、小さな妖精だった。

 ハリーはホグワーツで学ぶ前、妖精というのはエルフのように美しい小さな悪戯好きたちだと思っていたが、現実は残酷だった。こんなものに妖精なんて名づけるなよと思ったものだ。

 汚らしい布きれを身にまとい、長い耳と大きく裂けた口。大きな目と小さく長い鼻が特徴で、身長はヒトの子供ほどの醜い魔法生物。

 《屋敷しもべ妖精》だ。

 魔法使いの住む家屋に憑いて、特定の魔法使いを主と崇めて従う本能行動を持つ。

 確認されているだけでも紀元前からその存在がわかっている彼らは、当然ながら魔法使いが創りだした元魔導生命体である。元、というのは長年かけて繁殖と死を繰り返していった結果、通常の生物として世界に認識されたからである。恐らく創造された当時は、必要になるごとに作りだされる守護霊のような存在だったのかもしれない。

 それが彼ら、しもべ妖精だ。

 主たる魔法使いや魔女に従属することを生物としての至上の命題としており、生存意義である。元が魔法界での奴隷制度を廃止するために創られた魔導生命体なので、要するに奴隷の代わりだ。

 慈悲といえば、その労働を彼らが快感と認識できるように創ったことか。魔法使いは労働力が手に入る、しもべ妖精は労働という快感を得ることができる。ウィンウィンというやつである。

 さて。

 ハリーの目の前に現れた屋敷しもべ妖精は、どう考えてもダーズリー家に憑いた存在ではない。

 なにせマグルの家に屋敷しもべ妖精は憑くことができないからだ。

 彼らも飲食は行えるが、あくまで栄養補助としての役割が大きい。料理を任されるしもべ妖精にとっては味見も行う必要があるため必須の技能なのだ。

 彼らは通常、空気中に存在する極微量の魔力を摂取して存在している。つまり魔法使いや魔女などと違って体外に魔力を出す術を持たないマグルが多い場所では、しもべ妖精にとってはまるで山頂のように空気が薄いような気分を味わっていることだろう。

 だというのに、彼、または彼女はここにいる。

 何故だろうか。

 

「君は?」

 

 杖を向けたままハリーが問う。

 侵入者たる屋敷しもべ妖精は魔女の言葉に従おうとするものの、しかし怯えきってしまっていて、どうにも言葉が出てこないようだ。

 杖が怖いらしい。どうやら彼の主人はあまり良い扱いをしてこなかったようだ。

 

「杖は下げた。言ってくれ、君はなんだ」

「ひぅぅ……。は、はい。わたくしめは屋敷しもべ妖精のドビーと申します」 

 

 キーキーと甲高い声でドビーと名乗った彼は、恭しく礼をする。

 若干ペチュニアに影響されているハリーは、小汚い彼の事をあまり好くことができなかった。

 

「そう。で、ドビーとやら。何をしにここへ来た」

 

 あえて冷たく言い放つ。

 怯えているならばそれでも結構。

 その方がより聞きたいことが聞きだせそうだ。

 

「ドビー、ドビーめは。ハリー・ポッター。あなたに警告をしに参りました」

「……警告?」

 

 予想外の言葉だ。

 誰ぞ血筋のよい家からの使いかと思えば、警告ときた。

 いったい何を言われるのかちょっと想像できない。

 ハリーは少しだけ身構えた。

 

「内容は」

「ハリー・ポッター。……あなたはホグワーツに戻ってはいけません。あそこは危険です」

 

 突飛に過ぎる。

 ホグワーツに戻るな? いったい何を。

 それに危険だというのは去年度のことでよくよく身を以って知り過ぎるほどに知っている。

 ハリーは無意識に額の傷を撫でながら、言った。

 

「危険なのは承知の上だ。でも、わざわざ言いに来たからには、ぼくの知りえない内容で危険だということなんだろうね」

「仰せの通りにございます」

「じゃあ言ってくれ。何がどう危険なんだ」

 

 ハリーが何気なく言ったその言葉に、ドビーは黙り込む。

 言おう、言おう、としているのに言えない様子で、おそらく彼の宿る家の主義に反した言葉なのだろうことは容易に考えられた。

 つまり、彼は自らの主に背いてでも警告しに来た?

 ぼくに。この、ハリエット・ポッターに?

 

「言えないのか」

「……はい」

 

 しょんぼりと落ち込んでしまった。

 ちょっとかわいい。

 

「ならいい。勝手に推測しよう」

「え?」

「それにぼくは、何を言われようとホグワーツへ行くよ。力を得るためには知識が必要だ。そのためにはあの城で学ぶ必要がある」

 

 警告に来てくれたのは感謝するが、受け入れることはできない。

 そう言われたドビーは、ショックを受けた顔で固まってしまった。 

 とりあえず何か出してやるか、と思って魔法界製の布袋からロンのクッキーを出そうとしたところ、背後からゴツンゴツンという鈍いが聞こえてきた。

 屋敷しもべ妖精は、種族の宿命として人間を攻撃することが絶対にできない。ロボット三原則を思い出させる本能だが、今この時ばかりは有り難い判断材料だった。

 この肉を打つような音は、自分への攻撃ではない。

 ならば何か、と思いつく前にハリーは行動に出ていた。

 

「やめっ、やめろドビー! 何やってんだ!」

「ドビーは悪い子! ドビーは悪い子!」

 

 電気スタンドを自分の頭に打ちつけている姿は、どう見たって正気には見えない。

 慌ててスタンドを取り上げ、なぜこんなことをするのかを問いただそうとした時。

 部屋の扉がバターンと開いた。

 

「ハリー・ポッター! ぬぁーにを騒いで……なにやっとる、はしたない。パンツ丸出しで」

 

 怒り心頭で入ってきたバーノンが、ハリーの姿を見た途端呆れた声を出す。

 おそらく商談の最中に、ハリーの声が階下に届いてしまったのだろう。

 しかもドビーが見えていない。魔力がないと見えないのだろうか? いやしかしマグルにも使えないだけで魔力はあるはずで……、と少し思考の海に沈みそうになったが急いで現実へと意識を引き戻した。今はその時ではない。

 バーノンの言葉を思い出す。

 スカートのままベッドに寝転んだせいで、スカートがめくれあがっている。

 見え隠れするどころかその存在を盛大に主張しているのは、真っ白なショーツ。デフォルメされたワンポイントのフクロウがチャーミングだ。

 己のあられもない姿に気づき、顔を真っ赤にしたハリーは甲高い悲鳴をあげた。

 

「まったく! おまえのせいで、とんでもない誤解を受けるところだった!」

「誤解じゃないでしょう! ノックくらいしてくださいバーノンおじさん!」

 

 リビングでハリーとバーノンが口論するという、ダーズリー家初のイベントが催された。

 商談は見事成功。ダーズリー穴あけドリル会社は世界に羽ばたく大企業への一歩を踏み出したのだ。口論しつつも上機嫌なバーノンによれば、メイソンドリル会社と立花重工、業界でも有名な二社と組んで新型の穴あけドリルを開発する。そういった結果を勝ち得たそうだ。

 おかげで明日の夕飯はパーティだそうだ。ハリーの悲鳴で誤解を受けたバーノンの取り繕いようがコミカルで、堅物だけが取り柄ではない男だと思われたのがプラスに働いたおかげだそうだ。つまりハリーも同伴を許された。余計なお世話だった。

 ペチュニアが婦女子の部屋に押し入るとはなんたることかとバーノンを叱っているのを尻目に、メイソン夫妻とタチバナ夫妻に出した料理の残り物がタッパーに保存されている。ダイエットはいいのだろうか? とも思ったが、まあこれだけ食べた後で余計なことを言うのも無粋だろう。ということでハリーはそれらを有り難く頂戴し、部屋へと持ち帰った。

 隣室からアダルトな感じのアニメ声が聞こえてきたので、ノックして一言残す。するとダドリー(ブ タ)のような悲鳴と共に音量が下がったので、ハリーはそのまま部屋へと入った。

 ミックスベジタブルはヘドウィグと半分こ。チキンスープの中から少しふやけたチキンを取り出して、ヘドウィグの餌皿に入れてやった。ホー、と低く甘えるような声と共に、指を甘噛みされる。お気に召したようだ。

 穏やかな時間が続く。これでロンたちから手紙が来たら文句なしなのに。

 ハリーはスミレの砂糖漬けケーキと共に、ちょっとした幸せを噛み締めていた。

 

「あの、ハリー・ポッター?」

「うわびっくりした、忘れてた」

 

 部屋の隅にいたらしいドビーが声をかけてきて驚いた。

 元々あまりものだったため少量しかなく、その小さなケーキを頬張ってハリーは言う。

 

「それで、ドビー。ぼくはホグワーツに帰るよ。危険なのはどちらにせよ今さらな話だし、それにあそこはもうぼくにとっては家なんだ」

「ですが行ってはなりません! 罠なのです、貴方様のお命を奪う罠! あなたの損失は、魔法界の……いえ、それだけではありますまい! 世界の損失なのです!」

「罠? 損失? 危険って、誰かの手によるものなのか。それは死ぬほどのものなの?」

「……いけない。これは言ってはならなかった」

 

 再び自分を罰しようとするドビーを慌てて止めるハリー。

 今度彼に襲いかかろうとしたのは、壁だ。

 部屋の向こう側にはダドリーがいるはずで、しもべ妖精の頭でドラミングでもしようものならきっと悲鳴と共に盛大に漏らしてしまうに違いない。

 間髪入れずにまた騒いだら、さすがにバーノンの機嫌も悪くなるだろう。

 

「やめろって! 大人しくしろっ」

「はやく罰しませんと! ドビーは悪い子! ああっ、いけない子!」

「罰しない事こそが罰だと思え! 本能すら自由にできない罰と思えばいい」

「この素晴らしい発想、やはり天才……」

 

 そんなところで尊敬されても困る。

 しかしこれは困った。このドビーとやら、思っていたより意固地になる性格だ。

 誰に仕えているかは知らないが、しもべ妖精への扱いが悪く、しかしそれでも仕えているとなればそれなりに血筋の良いところだろう。

 聞いてもまず答えてはくれないと判断し、ハリーは彼にお引き取り願うことにした。

 

「まぁ、そういうわけだ。御主人からの命令かそうじゃないかは聞かないけど、諦めてくれ。ぼくはホグワーツへ帰らなくちゃいけないんだ」

 

 翌朝。

 ハリーの言葉を聞いて寂しそうにその場から煙のように消えたドビーの顔を思い出しながら、ハリーは新聞配達のアルバイトをこなしていた。

 魔法省発行の書状によれば課題のための魔法使用期間は昨日の一日間だけなので、魔法の練習は行えない。あとは肉体を鍛えるのみだ。

 ダドリーから聞いた話では――そう、聞いたのだ。決して脅してなどいない――フィットネスジムに行けばかなりの運動になるということだ。そのための資金稼ぎなのだが……彼はなぜそんなことまで知っているのに痩せないのだろう。ブタか。ブタなのか。

 せっせと走りながら、ハリーはスパッツとタンクトップ姿でプリベット通りの家々に新聞を投げ込んでいく。

 誰からも手紙が来ないので、いい加減暇を持て余したハリーは既に宿題を片付けてしまっていた。ゲームをやる趣味はない上に、手持ちの本は読み終えたのでやることがないのだ。

 再来週は、ハリーの誕生日だ。

 流石に誕生日には手紙のひとつくらいは送ってくれるだろうと思う。人がいない早朝でよかった、楽しみでにやけてしまう。

 

「これで終わりっと」

 

 最後にダーズリー家に新聞を投げ込んで、本日分のノルマを達成する。

 いい汗をかいた。風呂掃除のついでにシャワーを浴びてよいと言われているので、さっさと冷たいシャワーを浴びたい。七月も後半だ、日差しも強い。

 タンクトップの胸元をぱたぱたとしながら風を呼び込んでいると、

 ――自動車が突っ込んできた。

 

「えっ!? ちょっ、お、わ、うわあああああああ――――ッ!?」

 

 杖を取り出す暇もなく、確実に一二〇キロ以上のスピードでスポーツカーが疾駆してきた。

 狙いは違わず歩道の上のハリー自身。

 すわヴォルデモートの刺客かと思ったが、彼らがマグル製品たる車に乗ってくるとは思えない。

 五時半という早朝であるため周囲には車も人もおらず、横に飛び退いても車が曲がってくればそのまま潰されて確実にお陀仏だ。

 コンマの世界で思考を巡らして導き出した答えは、跳ぶことだった。

 車体とコンクリートの壁の間にハリーを潰すつもりのようだ。ハリーはその壁目がけて全力疾走。車に追いつかれる直前、壁を蹴って車の屋根へと転がり込んだ。

 轟音を立ててコンクリートに突っ込むスポーツカー。

 体を丸めて主要器官を防御、屋根の上をごろごろと転がって地面に叩きつけられた。

 砕け散ったコンクリートの破片が肌を傷つけ、大きめの瓦礫が打撲を造りだす。

 どこか骨が折れたかもしれないが、結構な勢いで壁に衝突した車からガソリンが漏れているので爆発でもされたら目も当てられない。

 転がるようにその場から離れようとするものの、ふらりと体勢を崩して倒れ込む。

 目の前が赤い。血か、血を流したのか。クィレル戦で味わったあの暖かさと同じ感覚。

 頭でも打ったか、地面に倒れ伏したハリーはそのまま意識を手放した。

 

 全治一ヶ月弱。

 医者からあの事件現場に居てたったこれだけとは奇跡だ、と感心されてしまった。

 少なくとも三週間は病院で療養し、あとは自宅療養でいいのだとか。

 骨も折れておらず、外傷は少々酷いものの命に別状はなにもなし。

 だが打撲は酷いものだそうで、肌に傷を残したくないならば入院は必要だそうだ。

 見舞いに来たダーズリー一家からは入院費に関する嫌味をねちねちと言われたが、それでもフルーツ詰め合わせを持って見舞いに来るあたり世間体を気にしすぎというか、律儀というか。

 大人しく治療を受け、清潔なベッドで横になる。

 そこでやっと思考できるほど余裕ができた。

 

「……本当にただの事故だったのだろうか?」

 

 タイミングが良すぎる。

 ドビーが学校に来るなと警告したその次の日に、こんなド派手な事故が起きるなど。

 それも、ハリーを入院させてしまうほどの怪我を負わせて。

 さらには怪我人がハリーだけだというのもおかしな話だ。運転手はどうした。ならばアレは無人で動いていたのだろうか。それはつまり、魔法が用いられている事を意味する。

 ひょっとすると長期入院するほどの重傷を負わせれば、恐れをなしてホグワーツに行かなくなるとか思ったドビーが下手人なのではあるまいな。

 そんな短絡的なことするわけないか、と自分の考えに呆れながら、ハリーは壁掛け時計を見た。

 零時。これで七月三十一日になったわけだ。

 十二歳の誕生日。

 祝ってくれる友はいたはずなのに、その日フクロウを見かけることはなかった。

 今まで何度もこうやって過ごしてきたはず。だというのに、酷く寂しい。惨めだ。

 数ヵ月前に賢者の石を巡る騒動で泣いて以来、なんだか涙腺が弱くなったような気もする。

 意地でも涙を流すまいとして、ハリーは仰向けにベッドに倒れ込む。

 その日は何故だか枕が冷たくて、あまり寝る事が出来なかった。

 

 三週間と少し後。

 入院費がばかにならないということもあって退院を許され、あとの数日は自宅療養となる。

 肌に残った痣を消すのに思ったより長引き、明後日がホグワーツへ行く日になってしまった。

 患者衣を脱いでベッドの上に放り、シャツを探す。

 その時、ふと姿見に映った自身の裸身が気になって、じっくりと眺めてみた。

 まだ顕著な変化はないものの、そろそろ下着を買った方がいいのだろうか。

 昨年はハーマイオニーやパーバティがいたためそういう話もできたし成長の速いパーバティの話はとても参考になったが、今はそれを相談する相手もいないので何ともし難い。

 ハリーは自分の胸をむに、と触ってみた。

 乳腺が発達してきたわけでも、ましてや乳房が膨らみ始めてきたわけでもない。

 十二歳なのだ。同年代と比べると少々遅いかもしれないが、別段おかしなことでもない。ただ少々の違和感を感じるため、そろそろだろうか、という予感がするだけである。

 思えばホグワーツでの栄養ある食事のおかげで、多少は女性らしい体つきになってきた気がする。以前は肋骨が浮くほどガリガリに痩せていて、性差など感じられなかったが今は違う。

 太ももはその名の通り多少は肉がついてきた、腰回りも骨盤の形がわかるほどではなくなっている。骨と皮だけのひょろひょろとは言えない自分の姿に、ハリーは多少の満足を覚える。

 こんこん、と。

 窓を叩く音が聞こえてきた。

 ここは病院の四階である。よって、窓を叩いてくるものなど限られる。

 やっと誰かからフクロウ便がきたのか。

 誕生日から二週間以上過ぎてしまっているが、それでも送ってくれただけで魔法界とのつながりを感じられて、とても嬉しくなる。ヘドウィグはプリベット通りの家に居るから、誰だろうか。ウィーズリー家のエロールだろうか。それともホグワーツからの手紙か。

 

「やあハリー! 全く連絡がないから心ぱ、い……、……ウワーオ……」

「おっとこりゃまずい。目は逸らしてやったぜハリー。俺は見てないよ」

「流石に見ちゃまずい。紳士としては当然だぜハリー。忘れちゃったよ」

 

 窓の向こうにいたのは、フクロウではなかった。

 ウィーズリーの双子と末弟の三人だ。

 三人が何らかのシートに座っているあたり、内装を見る限りは車を透明化させたうえで宙に浮かばせているのだろう。ハリーのいる病室の窓からはばっちり見えているが、おそらく外から見れば何もないように見えるだろう。

 たかが猛禽類如きに裸を見られる程度は気にしないが、それでも男の子に見られてしまうのは屈辱の極みだ。それに、その、なんだ。恥ずかしいという気持ちもある。

 患者衣で体を覆って隠したハリーは、死んだような目で窓の外へメンチビームを放った。

 

「君ら、ちょっとこっち来い」

 

 

「あらあらあら! まあまあまあ! はじめまして、ハリー!」

「会いたかったです、ウィーズリーおばさん」

 

 ぎゅっとふくよかなお胸とお腹で抱きしめられ、ハリーは暖かい抱擁を味わった。

 モリー・ウィーズリー。

 ロンやフレッド・ジョージの母親であり、七人兄弟を子に持つウィーズリー家のボスである。

 クリスマスのときに彼女からの手紙と手作りお菓子をいただいたので、直接の面識はなくとも知り合いではあった。だからなのか、それとも男所帯において女の子という存在が大歓迎なのか、熱烈なキスを頬に貰ってしまった。

 隅の方ではロレッジョ三兄弟が肉の塊となって積みあがっており、ハリーから事情を聴いたパーシーが説教を行っていた。少々拳を痛めたハリーはウィーズリーおばさんとハーマイオニーの慰めを受け、幾分か精神を回復していた。

 

 場所はダイアゴン横丁。

 ハリーらはフローリシュ・アンド・ブロッツ書店で教科書を買う列に並んでいた。

 手紙を送っても返事が届かず、さらにハリーからも手紙が届かないということで心配になったウィーズリーの面々は、ハリーを迎えに行くことにしたそうだ。本来ならば誕生日当日に迎えに来てウィーズリー家でもてなしたかったそうだが、肝心のダーズリー家にハリーはいなかった。入院していたのだから当たり前か。

 ならばダーズリー家の人間に直接聞いた方がいいだろう、とのことだったが、生粋の純血魔法族であるウィーズリー家の面子では、ダーズリーへの心証がよろしくない。そういうわけでマグル出身者である常識的なグレンジャー親子の到着を待っていたため、予定が遅れてしまったそうだ。

 ハリーは彼らのその行動こそが正解だと、強く感心していた。

 仮に、ウィーズリー家の誰かがハリーを迎えに行ったとしよう。例えば店の外でグレンジャー夫妻を質問攻めにしているアーサー・ウィーズリーがダーズリー家に行ったとしたら、まず間違いなく反感を買っていた。彼は熱狂的なマグルファンであり、馬鹿にしているように見えてしまうほど魔法を使わないマグル製品に愛を注いでいる。特に最近では電化製品に恋をしているようだ。

 現にグレンジャー親子でハリーを迎えに行ったとき、外面だけは完璧なダーズリー家は暖かく夫妻を迎え入れとっておきの紅茶で持て成し、ハーマイオニーにはお客様相手には大人しいダドリーを宛がってしばらくの間は談笑までしたとのことだ。

 事情を知らないグレンジャー夫妻は礼節ある家だと思ったようだが、ハーマイオニーはその真実を見抜いていたようで、ハリーと顔を合わせるなり熱烈なキスと抱擁を施してきた。

 あの家には、ダーズリー一家の匂いしかなかったそうだ。

 写真や服、家具に食器。はては食料品など、人間はそこにいるだけで一定の匂いを残すことになる。だがあの家には、ハリーの匂いが欠片たりともなかった。恐らくバーノンが徹底的に気を使っているのだろう。これであの家にはもう一人女の子がいるなどと、いったい誰が思おうか。

 

「はいハリー。これホグワーツからの手紙。ウィーズリー家の方に来てたわよ」

「ああ、だからぼくの方には来なかったのか」

 

 去年見た手紙と同じく、綺麗な便箋をハーマイオニーから受け取る。

 中身はやはり、進学おめでとうの文字と、必要な教科書類のリストであった。

 歩きながらリストを読んで必要な金銭を頭に思い浮かべながら、ハリーはふと気づく。

 今年は妙に必要教科書が多い。

 二年生になるから、という理由だけでは説明がつかない。闇の魔術に対する防衛術だけで何冊あるのか。いったい何ガリオンかかるのだろう。

 しかも気になることに、著者がすべて同じだ。

 大学教授が自分の出版した本を教科書指定する、というのはよくある話だ。

 それと似たようなものか。

 

「ああ、この《小鬼と好意的な旅》って読んだことあるな」

「私が貸したやつね。面白かった?」

「うん。防衛術の観点から見ると微妙だけど、小説としてはかなり面白かった」

「でしょう!? やっぱりハリーはわかってるわ。ロンったら読んで一分で放り投げたのよ」

 

 それは内容以前の問題だと思う。

 しかし、そうか。この小説群を教科書に指定するとは、この本を選んだ教授はよほどのロックハートファンなのだろう。

 代表作『私はマジックだ』で知られる小説家。その名もギルデロイ・ロックハート。

 お茶の間の奥様方に人気な、ちょっと古いタイプのハンサムガイだ。

 魔法界での職業分類は《魔法戦士》になるのだろうか。要するに冒険家であり、その実体験をもとに物語を執筆している。戦士というよりも小説家としての方が有名な人間だ。マグルでいうアイドルや、芸能人といった方がわかりやすいだろう。

 そんなロックハートがどんな人物かというと、顔を前に向ければよい。

 うっとりした顔のマダム達を相手に、輝く笑顔でド派手なサイン会を行っているのが彼だ。

 

「いったいあれの何がいいんだか……」

「あらわかってないわね。彼っていろいろな魔法生物を倒してきた、偉大な魔法使いなのよ」

 

 辟易したロンの呟きに、ハーマイオニーが噛みつく。

 意外なことにホグワーツ一年生の主席様は、あのハンサムにお熱なのだ。

 それは子鬼の本を貸してもらった時に十分すぎるほどわかっている。その際にハリーが貸してくれなどと一言も言っていなかったことからも、よくわかるだろう。

 とりあえず一目見ておこうかなと野次馬根性を出したロンとハリーは、後悔しながら本屋の外へ出ようとする。

 しかしそこに、耳の奥が痒くなりそうな声が届いた。

 

「もしや、ハリー・ポッターでは!」

 

 イケメンの声だ。

 厄介事の匂いを感じとったロンに、ハリーは見捨てられた。

 あとで絶対殴るからな、と視線を送りながら、ハリーは新聞記者らしき男に引っ張られて書店内へと引きずり込まれてしまう。そして放り出されたのは、ハンサムの胸元だった。

 こッ、こいつ! 肩を抱いた!? いや、抱きしめてきやがった!

 即座に鳩尾へ肘鉄をぶち込んだハリーは、急いでロックハートから離れようとした。

 しかし彼もハンサムとしての意地(?)があるのか、ハリーの全力攻撃を食らっても呻くだけで、もう一度ハリーの肩を抱いてきた。感心するべきか呆れるべきか、非常に迷う。

 

「げほっ。今日は記念日ですよ! なにせこのギルデロイ・ロックハート! と、ハリー・ポッターが一度にそろった素晴らしい日なのですから!」

「離せ」

「ああーっ、分かってます。分かっていますよぉ、ハぁリーぃ。照れなくてよろしい! ウン! なにせ私は、ぁハンッ、サムッ! っでェ~~~すからねぇぇ――ッ」

 

 ああ、とハリーは納得する。

 これが「ウザい」という感情か。

 

「なんと彼……おや? おっと! 女の子だったのかいハリー・ポッター!」

「ちょっと髪伸ばしてるだろう見てわからないのか! というか腰を触るな変態っ!」

「いやー、ハハハ! 失ゥ礼! レディに対してあまりにも失礼でしたねっ! ウン!」

 

 謝罪とはウィンクしながらするものではないはずだ。

 しかしハリー・ポッターが女性であるというのは、あまり広まっていないらしい。

 新聞記者は慌ててカメラのフラッシュを焚きすぎて、書店内の天井を煙で白く染め上げている。

 奥様方は驚きのあまりどよどよとざわめいており、ハリーはなんだか悲しくなった。

 というか、どうして自分が男の子だ、などという情報が流れているんだろうか。

 

「なんと彼女! ミス・ポッターが私の本をお買い求めになりにきましたっ! おほん! この、ギィルデロォーイ・ルォォックハァァァーットの! 本! をッ! というわけで私から無料でプレゼント。もちろん全冊、そしてサイン入り!」

「鬱陶しいなあ」

「美しいって? ハハハありがとうハリー! さてここで重大発表です! なんと私! ハンサムなギルデロイ・ロックハートは! んハァァァアンスァァァムぬぁ、ギぃルデるぉぉイ・るぉぉぉックふぁぁあートはァん! 今年度九月から闇の魔術に対する防衛術の名誉ある素敵でハンサムな教授としてハンサムホグワーツ魔法魔術学校に栄誉あるハンサム赴任をすることになりましたハイ拍手!」

 

 魔女たちの拍手と黄色い悲鳴が書店に響く中、ハリーはげんなりしていた。

 はやく解放してくれ。

 助けを求めて視線を彷徨わせると、なんと、なんということか、こういう光景を見てほしくない人物に思いっきり見られていたではないか。

 書店の二階から、吹き抜けを通してこちらを見て笑っている人物。

 ドラコ・マルフォイだ。あと弟。

 まさか、まさかあいつにこんな情けない姿を見られるとは!

 

「ハリー・ポッターくん! 学校は楽しいかね!」

「イエス」

「それはよかった! 明日はもーっと楽しくなるよね! ハリ太朗!」

「イエス」

「ああーっ、ベリーナイス! でも今年からは私が居ます! さらに素晴らしい日々になることでしょう!」

「ノー」

「え? イエス? ハハハハそうだろうねぇ。ではハリー! 学校でまた会おう!」

「絶対にノゥ!」

 

 やっとの思いで解放されたハリーを迎えたのは、羨ましそうなハーマイオニーと報復に怯えたロン(サ ン ド バ ッ グ)、そして嘲笑うスコーピウスと腹を押さえて笑い転げるドラコだ。

 ロンとスコーピウスが険悪な雰囲気で相対しているのを尻目に、ジニーとハーマイオニー、そして笑い過ぎて目尻の涙を拭うドラコがハリーに声をかけてくる。

 

「羨ましいなぁハリー。ロックハートにあんなに親しくされるだなんて」

「そっすか」

「羨ましいわハリー! あとで抱きしめさせてね! あれよ、間接ハグよ!」

「そっすか」

「羨ましいよポッター! どこでもヒロインってわけだ! ぶふっ、くくくく……」

「そっすか……」

 

 何がそんなに面白かったんだ。

 もはや噛みつく元気もないハリーは、おざなりな返事を残してふらふらと書店から出る。

 しかしその進行は、銀細工の蛇で飾られた立派な装飾のステッキに遮られた。

 誰が邪魔をしているんだ、と見上げてみれば、プラチナブロンドの長髪をオールバックにして、黒系統のローブで身を固めた上品な魔法使いだった。四〇代後半くらいだろうか。

 髪色や目付きがマルフォイ兄弟そっくりだ。

 となれば、彼らの父親か、または親類ということになる。恐らく前者だろう。

 

「君が、ハリエット・ポッター、ですな。お初にお目にかかる」

「初めまして」

「ああ。私はルシウス・マルフォイ。あれら双子の父親だよ。君の話は息子たちから、よく、聞いている。今後とも、よろしくしてくれると嬉しい」

 

 挨拶の際の一礼すら優雅だ。

 遥か年上の男性にこうも恭しく扱われると、なんだか面映ゆくなる。

 これが本物の英国紳士か……と、ハリーが感心していると、後ろから声がかかった。

 ウィーズリーズの父親、アーサーだ。

 

「マルフォイ。うちのお客さんに何の用だね」

「これは、これは、これは。ミスター・ウィーズリー。相も変わらず清貧を貫く崇高なる精神、まこと恐れ入る。魔法族の、面汚しになってまで、粉骨砕身働いているというのに」

「きさま。もう一度言ってみるといい、そのお高い鼻が折れ曲がるぞ」

 

 紳士じゃなかったのかよ。

 アーサーと顔を合わせた途端、まるで蛇のような狡猾な顔を見せたルシウス。

 案の定始まるのはおとなげない口論であり、実に子供っぽい喧嘩である。

 それはさながら、ロンとスコーピウスの図をそのまま大人にしたかのような光景だった。

 隣でドラコが少し溜め息を吐いているのが見える。

 

「父上はご立派な人なのだけれど、ウィーズリー家に対してだけは酷く子供っぽくてね」

「あれ、意外。ドラコはお父さんのこと大好きだから、全部正しいと思ってるとばかり」

「そりゃ家族だから愛しているよ。でも親も人間だ、間違うことはある。同レベルに見られるからウィーズリーとは二度と喧嘩しない、って前にも言ってらしたのになあ」

 

 何時の間にか取っ組み合いの喧嘩になっていたイイ歳した大人二人を止めたのは、やはりというか当然と言うか、彼らの奥様であった。

 ウィーズリー夫人のモリーはカンカンになってアーサーの耳を引っ張り、説教を突き刺して旦那を小さく委縮させている。一方マルフォイ夫人のナルシッサは、上品な佇まいのまま冷たい視線をルシウスに突き刺しており、氏が頭を下げるまで一言も喋らず目線を外さなかった。

 自分が人の親になる、などという珍事がもしも起きるとして、ああいうしっかりした母親になれるのだろうか、とハリーはなんとなく将来が不安になった。

 

 さて。

 ハリー達は大いに急いでいた。

 ダイアゴン横丁での買い物を終えて、一日だけウィーズリー家にお泊りしたその翌日。

 そろそろキングズ・クロス駅に行かねばならない、という話が出たのが午前十時少し前。

 だが此処で大きな問題が起きる。

 魔法族の用いる一般的な時計は、マグル製品と同じく(もっとも技術的には一世紀ほど遅れてはいるが)腕時計を用いる。そして家に使われるのは、壁掛け時計という名の何かだった。家族の人数分だけ針があり、その針は『仕事中』や『命が危ない』などという冗談のような文字を指すのだ。

 なのでウィーズリー家には正確に時間を計ることができない。普通はそんなことなく、通常の時間を指す時計があるのが一般的だが、この家の大黒柱は熱心なマグル信者であるので、つい先日彼らの家の時計は解剖台へと連行されていたのだ。

 故にハリーとハーマイオニーの腕時計を頼りに時間を見ていたのだが、前日には通常通りの時間を示していた二人の時計が、共に何故かきっかり一時間遅れてしまっていたのだ。

 これに慌てたウィーズリー家にハリーとハーマイオニーは、大いに急いでロンドンへと直行。夫妻の手で多少魔法を用いてズルをしながら、例の空飛ぶ車を使ってキングズ・クロス駅に着いたのは十一時四〇分。本当にギリギリである。

 さて、さて。

 しかし本当に困った問題が起きるのは此処からだった。

 

「ほら急いで! フレッド、ジョージ! 冗談言ってる暇はないのよ! ありがとうパーシー、先に行ってちょうだい! ほらほらジニーちゃん! 急いで! ロン! ロナルド! あなたまた鼻の頭に泥をつけて! ハーマイオニー、ハリー! このおバカをお願いね! さ、行きますよ!」

「モリー母さんは凄いなあ」

「おじさんそう言ってる暇があるなら走りましょうよ」

 

 荷物を大量に詰め込んだカートを押しながら、人込みを巧みに縫って駆け抜ける。

 マグル達が何事かと見てくるが、それを気にしている余裕はない。

 パーシー、フレッド、ジョージとウィーズリーの面々が、九と四分の三番線に続く壁をすり抜けて先を急ぐ。

 

「ロン! もたもたしないの! 先に行って!」

「うるさいなあハーマイオニー、君は僕のママか!?」

 

 手早く素早く。

 こんな事態に陥った責任として、ハーマイオニーとハリーは先にウィーズリーの面々を行かせた。夫妻は多少渋ったものの、議論している暇はないと急かしてさっさと行かせる。

 ペット足る鼠のスキャバーズをとっ捕まえるのに苦労していたロンを向こう側へと放り投げるように行かせて、少女二人は頷いて先を急いだ。

 十一時五〇分。駅員に頼んでカートから荷物を汽車の中に放り込んでもらっても、間に合うかどうかギリギリの時間だ。駅員は魔法を使える大人であるからして、その心配はいらないだろう。

 間に合った!

 ハリーがそう思って安堵した、その瞬間。

 

「うっ! わ、うわあ!?」

 

 すり抜けられるはずの壁が、ハリーとそのカートを拒絶した。

 かなりの勢いで突っ込んでしまったため、金属のひしゃげる音とハリー自身の悲鳴が駅構内に響き渡る。更には籠の中のヘドウィグが抗議の声をあげるおまけつきだ。

 

「どうしたのかね?」

「い、急いでいたらカートが制御できなくって……」

 

 女性の悲鳴ということで心配したのか、立派な腹の駅員がハリーを助け起こしてくれる。

 新米なのだろうか、一緒にやってきた若い駅員はひっくり返ってこぼれ落ちたカートの荷物を積み直してくれている。

 ひょろっとした新人の彼に礼を言いながら、困り顔の太った駅員に怒られてしまう。

 

「危ないからね、気をつけなさい。今後はもっと時間に余裕をもってくれると嬉しいよ」

「ご迷惑をおかけしました」

「いや、なに。これも仕事のうちさ」

 

 去ってゆく二人組を見送るついでに、壁に掛けられている時計を見る。

 それが示す事実を数瞬かけてようやく認識したハリーは、絶望感のあまり呻いた。

 十二時。

 なんて、ことだ。

 ホグワーツ特急に乗り遅れてしまった。

 これはつまり、どういうことか。

 簡単に分かる事だが、脳が理解を拒否する。

 しかし認めねばならない。

 ハリー・ポッターは、ホグワーツには行けなくなったのだ。

 




【変更点】
・何故かダーズリー家単位での強化。
・死ねばホグワーツ行かなくなるんじゃね理論。
・ウィーズリー家での楽しい思い出作りイベントフラグが折れました。
 よってノクターン横丁へも行かない。いくつかフラグが折れました。
・九と四分の三番線へ行けないのはハリーだけ。

秘密の部屋です。今年も元気にハリーの心をアバダっていきましょう。
今のところ、正史とは然程大きなズレもなく進むと思います。交通手段が違えど目的地が同じなら問題ないというドラちゃん的な理論で。
紳士淑女の諸君のために一言添えると、今年はまだハリーはつるぺったんです。
ところでロンはそろそろ目を潰した方がいいですかね。マーリンの髭!


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2.狂ったブラッジャー

 

 

 

 ハリーは呆然としていた。

 ただちに行動を起こさなくてはならないことは分かっていたが、それでもあまりにもショックが大きかったため、キングズ・クロス駅構内のベンチに腰掛けて呆けていた。

 いったい、自分の何がいけなかったのだろうか。

 ダンブルドアに殴りかかったことで不興を買ったか?

 それとも交通事故の影響で、魔力生成に不具合が?

 冷静な状態であればまだしも、混乱しきった今のハリーでは正常な判断が出来なかった。

 

「ぼくが通れなかっただけなのか? それとも、あの壁自体が機能不全を起こした? そうするとウィーズリーさんたちを始め、家族の人々は向こうでどうしているんだろう? こっち側に戻れるのか?」

 

 考えれば考えるほど、不安になる。

 ふと顔をあげれば、アーサー・ウィーズリーの持ち物である空飛ぶ車が見えた。

 そこで考え付く。

 あれに乗って空を飛んでいけば、ホグワーツまで行けるのでは?

 そう考えたハリーの行動は早かった。

 カートの荷物をフォード・アングリアのトランクに詰め込んで、運転席に乗り込む。

 そこで気付くが、鍵は何故か開いていた。まぁかけ忘れたのだろう。

 

「これで、これで大丈夫だ」

 

 大丈夫じゃなかった。

 どうやってエンジンをかけるのか分からなかった上に、運転席にチビな女の子が座っているのを見つけた警察のおじさんにこっぴどく叱られてしまった。

 親を待つのなら、後部座席に座りなさい! 好奇心から死んでしまっては、両親に申し訳ないと思わないのか! とのことだ。

 その両親がいないハリーには思うところもあったが、ここで何かを言っても無駄に対立を生むだけだ。人はこうして嘘をつくことを覚えるのだな、などと適当なことを考えながら、ハリーはフォード・アングリアから外に出る。

 そしてまたベンチの上だ。

 時刻は午後三時。ホグワーツ特急はそろそろ自然たっぷりな風景を終えて、岩山地帯を進んでいる頃だろう。

 いっそここで待っていれば、ウィーズリー夫妻が車まで来た時に分かるだろう。

 そう思ってハリーは、手持ちのトランクからホグワーツの歴史という本を取りだした。

 ホグワーツ特急が用いられるようになったのは、当時の魔法大臣オッタリン・ギャンボルによってマグルの技術である汽車を使うことを提案したのが始まりだそうだ。

 それまでホグワーツの生徒たちは、各々でホグワーツへ向かって新学期を迎えていたそうだが、三分の一は辿りつけないなどという冗談のような本当の事態に陥っていたことがその発想が出る原因だそうだ。

 では当時の生徒たちはどうやってホグワーツへ向かっていたのか。

 一六九二年に国際機密保持法が制定される前は、色々な手段が用いられていたそうだ。

 テレポートのような魔法的移動手段である『姿現し』ができる親や兄姉を持つ生徒は、彼らに『付き添い姿現し』をしてもらって連れて行ってもらったそうだ。これも数年に幾度か、この危険極まりない魔法を使うための厳しい試験がなかったため、未熟な術師に頼った生徒がばらばらになってホグワーツに現れるというショッキングな事件もあったようだ。

 または、先程ハリーが行おうとしたように空を飛んで向かう者。

 ハリーも得意な箒を用いての飛行や、魔法生物に乗っての飛行、国際条約で禁じられる前は空飛ぶ絨毯で向かう者も少なくなかったそうだ。

 一番確実だった方法は、貴族など身分の高い生徒が用いた手法だ。フクロウ便を飛ばしてホグワーツ教師に来てもらい、そこで『付き添い姿現し』。ホグワーツの教師が使う術ともなれば、安心だろう。

 そこまで読んで、ハリーはあっと声をあげる。

 ばっと隣を見てみれば、籠の中で不満そうなヘドウィグが。

 

「そうか、そうだよ。普通に考えりゃ分かることじゃないか」 

 

 ハリーは急いで羊皮紙の切れ端にホグワーツ特急に乗れなかった旨を書き込み、申し訳ないが誰か迎えに来てくれると嬉しい。としたためた。

 動物虐待だの野生に逃がすななどと文句を言われないために建物の陰に隠れて、手紙を持たせたヘドウィグを飛ばす。彼女に向かわせた先は、当然ホグワーツだ。

 一仕事終えたハリーは、安心してベンチに腰掛ける。

 気が抜けたせいか、急激に眠気に襲われてしまう。魔法界ではないが、それでも外で荷物を持ったまま眠るなどというのはあまりにも無防備で危険だ。

 だというのに、ハリーは睡魔に逆らえず、ベンチにその矮躯を横たえた。

 

 どれほど眠っていたのだろうか。

 空がオレンジ色に染まり、カラスがロンドンの空を飛んでいる。

 慌てて起きあがれば、何者かがハリーの荷物に手をかけているところだった。

 少女が起きあがった事に気づいた男は、騒がれる前に黙らせようと思ったのかもしれない。その大きな手でハリーの口を塞いできた。鼻まで塞いだら死ぬだろうが!

 この野郎、と杖を抜き放って吹き飛ばしてやろうとしたところで、男が宙に浮いた。

 

「な、なんだ!?」

 

 驚いた。ハリーはまだ何もしていない。

 大慌ての男は空中で両手足をばたばたと忙しなく動かすが、勢いよく壁にぶつかって気を失ってしまう。あれはどこぞ骨でも折れてしまったのではないだろうか。

 いったい誰がこの魔法を、と思って振り返れば、そこには杖を構えたまま怒りの形相で肩を震えさせているスネイプが立っていた。

 

「ス、スネイプせんせ――」

「この大馬鹿者が! どれほど無防備なのだ愚か者!」

 

 ぶつぶつと文句を言いながら、ハリーのもとへつかつかと歩み寄ってくる。

 周りのマグル達が何事かと振り向いて野次馬根性を出してくるが、スネイプが杖を振るたびに不思議と興味をなくしてどこかへと行ってしまう。

 怒っている。

 見るからに激怒している。

 

「だいたい乗り遅れるとは前代未聞の大間抜けであるからしてポッター貴様の愚鈍さはまさに親譲りのメガネ野郎のだらしなくて面倒くさがりで人任せで傲慢で卑しくてついでにいやらしくて時間にルーズすぎる奴の特徴をしっかりと受け継いでいるようだな!」

「スネイプせ――」

「何故にこの我輩がポッターめを迎えに行かねばならないのか確かに他より適任であるとは言えしかしてあの老獪なるボケ老人の思惑に乗るのは癪であっても矢張り正しいことも多く従うべきとは分かっているが、やはり腹立たしい! ええい、ポッター! 何故遅刻などした!」

「……うう、」

「えっ?」

 

 予想外の声に驚いて、ようやくハリーの顔を見たスネイプは更に驚いた。

 ハリーが、ぼろぼろと涙をこぼしていたのだ。

 後に聞けばあまりに心細い中、ようやく知り合いが来てくれて安心してしまったとのこと。

 ハリー自身は涙腺が弱くなりすぎたことに多少自己嫌悪しているようだが、スネイプからしてみればとんでもないことだった。往来で、三〇代の男性が、十代前半の女の子を泣かしている。と、見えなくもない。

 駆け寄ってきたマグルの警察官や通行人たちの記憶を杖で何とかしてから、スネイプはハリーの首根っこを引っ掴んで即座に『姿くらまし』した。

 ホグズミード駅のはずれ、ホグワーツ特急の到着を待つハグリッドの前に、二人は現れた。

 この数分でげっそりやつれたスネイプと、彼のローブを摘んでしくしくと泣くハリー。

 ハグリッドまでもがあわや勘違いをするところだったが、これ以上の面倒はごめんだとばかりにスネイプは手で制する。ハリーのぐしゃぐしゃになった顔を魔法で綺麗にしてから、ローブを翻して城の方へと黒い魔法使いは消えていった。

 

「なあ、ハリー。大丈夫か? え?」

「うん。だいじょうぶ。スネイプ先生に、助けて、もらったから」

「おう、おう。心細かったろうなあ、もう大丈夫だぞ。ヘドウィグの手紙もちゃーんと届いとる。俺が世話しちょるからな、安心せい」

 

 ホグワーツ特急から降りてきたハーマイオニーやロンには大いに心配され、城に行ったときにマクゴナガルからは何故遅れたのかの説明を求められた。ハリーが待っていたあの数時間、確かに九と四分の三番線へ通じるゲートが封鎖されているとの記録が残っていたそうだ。やはり危惧した通り、ウィーズリー夫妻含め見送りに来た人々は戻れなかったようだ。

 この尋問によって新学期の組み分けを見逃したものの、ダンブルドアが学期最初のお話をする前に席に着くことができた。この新学期パーティのご馳走を食べそびれるのは、あまりにも大きな損だ。

 

「諸君。また一年がやってくる。夏休みの間に去年学んだことなどすっかりとろけてしまったじゃろうが、それを思い出す前にいくつか話しておくべきことがある」

 

 ダンブルドアの言い回しはやはり変だ。

 気持ちはわからないでもないが、教師のする物言いではない気がする。

 

「昨年度からいる生徒向けのお知らせじゃ。四階の廊下は立ち入りが許可された。ただし、鍵のかかった部屋に入ってはならんことは同じじゃ。闇祓いの試験会場じゃからして、痛い目に逢うだけじゃ」

 

 ここでダンブルドアと目が合った。

 なるほど。賢者の石を巡ったあの場所の事か。

 学校の中にあんなとんでもない施設を作ったのはなぜかと思ったが、闇祓いの人たち用の施設だったのか。試験会場ということは、毎年採用する際にはこの学校でテストを行っているのだろうか。

 ハリーのそんな考えをよそに、話は続けられてゆく。

 

「森へは、相変わらず生徒の立ち入りを禁ずる。そして今年は《暴れ柳》がひどい風邪をひいてしまったようでの、移されぬよう生徒諸君は体調管理にしっかり気を付けることじゃ」

 

 暴れ柳とは、数十年前ホグワーツに植えられた木であり、魔法界でもぶっとんだ代物である。

 近づく者をその枝で殴り飛ばす。それだけの木だ。

 いったい何がしたいのかさっぱりわからない。

 生物とは総じて、動物であれ植物であれ何らかの目的や生存競争を勝ち抜くための工夫をして進化してきたはずであり、それは魔法界の動植物も人工生物でない限り変わらないはずだ。

 だというのに、なんだそれは。

 対象を殴るだけだなんて、本当に何がしたいのかわからない魔法植物だ。

 

「今年度も、廊下での魔法使用を控えてほしいと管理人のミスター・フィルチからの涙ながらの通達じゃ。さて、それでは諸君らにとってどうでもいいお話は終わりとしよう。それ、宴じゃ!」

 

 ぱん、とダンブルドアが手を打ち鳴らすと大広間のテーブルに、料理たちが湧いて出た。

 相変わらず茶色い料理ばかりで食べきれないが、それでもハリーにとっては貴重な栄養源だ。

 取り皿にフライドチキンやマッシュポテト、レタスとトマトのサラダにかぼちゃジュースといったおいしそうなものを放り込んでゆく。

 隣のロンが声をかけてきた。

 

「ありー、もっひょうももぐもぐもぐ」

「汚い! ちゃんと飲み込んでからにしろよロン」

「ごくん。ごめんよ。ハリー、九と四分の三番線のゲートが通れなかった理由って聞かされたかい?」

「いや。いま調べてるんだってさ」

 

 嘘ではない。

 何故かハリーと目を合わせようとしないスネイプや、呆れ顔のマクゴナガルによれば、何者かが細工した可能性が高いとのことで魔法法執行部隊とともに調査をしているとのことだ。

 それを聞いてハリーは、忘れがちだが自分が結構な人物であることを思い出す。

 要するに、闇の帝王を打倒した唯一の人間であるハリー・ポッターを狙った死喰い人残党の仕業ではないか。という見解だったようだ。

 学校内の人間にはクィレルが窃盗未遂犯であることは知れ渡っているものの、彼が死喰い人であったことまでは伏せられている。それもそうだ、ヴォルデモートくんが一年間みんなと一緒に特等席でお勉強してました、などという説明ではパニックになってしまう。

 ロンも不思議そうな顔をしながら、ローストビーフにかじりついていた。

 

「でもハリー、あなた今から疲れていたらあとが大変よ」

「なんで?」

「忘れたの? 来週には今学期初のクィディッチの試合があるじゃないの。伝統の初戦対戦カード、グリフィンドールとスリザリンの!」

 

 ――忘れてました。

 夏休み中に勉強していたとはいえ、やはり他の生徒と変わらず多少の知識が脳みそからすっ飛んでいたハリーは、一週間必死に勉強して遅れを取り戻した。

 そして臨むスリザリン戦。

 目の前には箒に乗ったドラコ・マルフォイが嬉しそうに、かつ怒りに燃えた目でハリーを睨みつけている。口元が笑っていながら目は吊り上っている不思議な表情だ。

 

「ポッター。去年はよくも」

「えっ、ちょっと待って、ぼく何かした?」

 

 下でフーチ先生が正々堂々とお願いしますと叫んでいる中、ドラコが恨みがましい声をかけてきた。

 何かしただろうか? とロンに対してはいっぱいあるものの彼に対しては思い当たる節がないハリーが頭をひねっているところに、噛みついてきた。

 

「何もしていないのが問題なんだ! よくも逃げたな、臆病者!」

 

 ここにきてようやく、ああ、と合点がいった。

 賢者の石を追ったあの事件。最後に試練に挑んだ次の週に試合があったのだ。

 つまりクィレル戦で大怪我を負ったハリーが意識不明で、欠場した試合。

 今回の試合前にもクィディッチ魔人のウッドに激励なのか脅迫なのかわからない叱咤を受けたが、たぶんそのときの激情も混じったものだったのだろう。

 しかし逃げただの、臆病だの、ちょっとばかり心外だ。

 

「去年のことは悪かったと思うよ。だから今ここで君を叩きのめしてやろう」

「……やってみせろ、ポッター」

 

 ホイッスル。

 二人は試合開始と共に、シーカーであるはずが全力でコートを疾駆し始めた。

 一瞬他の選手が驚いて動きを止めるものの、試合は問題なく開始される。

 紅いクアッフルがパスされて飛び、黒いブラッジャーが選手を狙う。スリザリンのマーカス・フリントがその剛腕でクアッフルを投げつけるも、箒を巧みに操った宙返りで勢いをつけた踵落としで、ゴールにはならなかった。

 魔法がかかっているため水中のようにゆっくり落ちるクアッフルをかすめ取ったのは、グリフィンドールのチェイサー、ケイティ・ベル。

 螺旋を描いて奪われ難い飛行を見せつけるも、スリザリンビーターのデリックがヘッドショットを決める。ケイティがティンダーブラストから滑り落ちてピッチに叩きつけられた。

 危険なプレイだが、ルール上はなんら問題ない。獅子寮応援席の怒号と蛇寮応援席の歓声を浴びながら、エイドリアン・ピュシーがクアッフルを捕りこの間隙を突いてゴールを決める。

 

「ちっ、危険なことをする!」

「でもそれがクィディッチだ!」

 

 選手たちの合間を縫って、フィールドを縦横無尽に飛び回るハリーとドラコはその高速飛行の中でスニッチを探していた。上空で目を皿のようにするよりも、高速環境下での細く尖った集中力で見出した方がよい。二人は同時にそう結論付け、相手に先を越されないためのレースを開始したのだ。

 観客席すれすれにドラコが突っ込み、ハリーがそれを追えばフェイントを仕掛けられていたことに気づいてすれすれで停止し、観客に悲鳴を上げさせる。

 そのまま方向転換してゴルフボールが飛ぶような軌跡を描き、ピッチ上空を横断した。

 

「ドラコは、奴はどこへ行った!」

 

 見失ったかと思い、フィールドの遥か上空へ飛んでピッチを見下ろす。

 ――居た! だが、ドラコはスニッチを追っているわけではないようだ。

 ただハリーを振り払ったいまのうちにスニッチを探そうとしているらしく、ピッチの周りを円状にぐるぐる回っていた。まずい、あれではいずれ見つけてしまう。

 

「すぐに行かなくっちゃ――ッ、うわ!?」

 

 ハリーがクリーンスイープの頭を地面に向けたその時、横合いからブラッジャーが殴りかかってきた。慌ててそれを回避し、体勢を立て直しながら急降下する。

 スニッチを、金の影を探して目を皿のようにしていたのが幸いか。

 はっと気がつけば、高速で降下するハリーと並走するものがあった。

 何者かと思えば、先ほどのブラッジャーではないか。

 上空にいたからハリーが一番近いのはわかるが、随分としつこい奴だ。

 

「フレッド! もしくはジョージ!」

「残念! 僕はフレッジョさ!」

 

 ピッチの中央あたりですれ違ったウィーズリーズに一声かけると、それだけで意味を察したようだ。ハリーを追いかけるブラッジャーを、フレッドは大きく振りかぶったクラブで打ち抜いた。

 くぐもった悲鳴を上げながら飛ばされたブラッジャーは蛇寮のモンタギューを箒から吹き飛ばした。

 蛇寮応援席から悲鳴が上がるも、ハリーはそれを気にする余裕がない。

 

「――居た」

 

 今し方吹き飛ばされたモンタギューの巨体が予想外の進行妨害になったのか、不自然な空気の流れで金色の気配が直角に曲がっていった。

 あれだ。あれがスニッチだ。

 ピッチへ落ち行くモンタギューを飛び越えるように突き進んだハリーは、その緑の瞳で間違いのない金色の輝きを捉えた。恐ろしい形相のドラコが、反対側からこちらへ突っ込んでくる。

 まるでチキンレースのように正面衝突しそうになるが、二人はスピードを緩めない。

 互いのハートを試す命知らずの勝負。

 その軍配は、

 

「うおおおお――ッ」

「く、お、お……ッ」

 

 ハリーにあがった。

 度胸勝負は、ハリーの勝ちだった。

 ヴォルデモートと真正面から対峙した女が、今さら怪我の一つは恐れやしない。

 一瞬だけ怯えを見せたドラコを嘲笑うかのように、ハリーは伸ばした右手にスニッチを握りしめた。悔しさに顔を歪めたドラコをすり抜けて、スニッチを捉えた腕を高々と突き上げる。

 紅い応援席から、歓声が爆発した。リー・ジョーダンのマイクを通して興奮した声が掻き消されるような大声の中で、ハリーは笑顔で応える。

 己を責めるような顔をしているドラコが、フンと対戦相手を湛えたのか悔しがっているのかわからない反応で鼻を鳴らしたのを見てハリーは苦々しく笑う。それを見たドラコが勝者は勝ち誇るべきだ、と言いだしたのでハリーが反論しようとしたとき、二人は同時にその場から飛び退いた。

 まるでスニッチを狙い撃つように、ブラッジャーが突っ込んできたからだ。

 魔法式で動いているにしては、動きがあまりにも悪辣すぎる。

 

「ブラッジャー!? 試合は終わったのに、なんで!」

 

 思わず手放してしまったせいで、スニッチが逃げてしまった。

 試合は終わったので逃げてしまっても大丈夫なのだが、思わず周囲を見回して探してしまう。するとドラコがくぐもった声を漏らしたので、そちらへ意識を向ける。

 そこには、側頭部にブラッジャーを食らった彼の姿があった。

 信じられない、という顔をしたドラコは、そのままコメット二六〇から滑り落ちる。

 上空五〇メートル近くある上空からの自由落下は、流石に看過できない。

 いくら柔らかい芝生が敷き詰められているといっても、叩きつけられたら肉塊と化すだろう。

 

「――ッ、だめ!」

 

 クリーンスイープ七号の柄をみしりと握り締め、ハリーは急降下した。

 ブラッジャーがドラコのコメット二六〇を粉々に喰らい尽くしたのち、まっすぐにハリーを狙って飛来してくる。間違いない、あれには誰かが手を加えている。悪意のある誰かが。

 本来はチェイサーがビーターからの攻撃を躱すために行う動き、《イナヅマロール》を用いて不規則にジグザグ走行しながら、ブラッジャーの猛攻を避け続ける。

 地面に向けて落下するドラコへ手を伸ばすも、ブラッジャーが真横から突進してきて手を引っ込めた。あの勢いと硬度では、まず間違いなくハリーの細腕は砕かれるだろう。

 

「くそっ! くそっ! 間に合えェェェえええええ!」

 

 観客席からは歓声が消え、悲鳴がとどろく。

 風を切る音がびゅうびゅうと耳を叩く。

 気が付いたのか、ドラコがうっすらとまぶたを開けた。

 大分出血しているようで、身体を動かせるようには見えない。

 だが、届かない。

 あとほんの数十センチが遠い。

 だが、逆を言えばたったの数十センチだ。

 無茶をすれば、何とかなる。

 

「……っぐ! ああっ、あ……!」

 

 身に余る結果を勝ち取るには、相応の、或いはそれ以上の対価を支払わなければならない。

 そこでハリーはあえて、自らと並走しようとするブラッジャーの射線上へと躍り出た。

 同じ方向へ飛んでいるために多少は威力が弱まるものの、それでも強烈な一撃である事に変わりはない。背骨が軋む音と口の端から暖かい液体が漏れる感覚を覚えながら、ハリーは自身の身体がクリーンスイープの限界速度を超えて加速するのを感じながら、ドラコの身体を抱きしめた。

 力の抜けた人体がこれほど重いとは知らなかった。細腕に全力で力を籠め、最近は腕立て伏せとかもしておいてよかったと場違いな考えを浮かべながら急ブレーキをかけないよう気を付けて、ハリーは緩やかに弧を描いて勢いを逃がしながら芝生のピッチに転がった。

 歓声を無視して、ハリーは必死でドラコに呼びかけた。

 

「おい、おいドラコ! しっかりしろ!」

「う……さ、ぃぞ、……ッター……」

「意識を失うなよ、頼むから!」

 

 軽口をたたく余裕があるなら、まだ大丈夫だ。

 慌てて着地地点に待機していたらしいマダム・フーチにドラコを預けると、ハリーは大きくため息を吐く。試合が終わったのにブラッジャーが選手を襲うことなんて、本当にあるのか。いや、目の前で見たのだ。有り得ないとは思うが、かけられている魔法が経年劣化で緩くなっていたのだろうか。

 ハリーが原因について考えているとき、妙な風切り音を耳にする。

 なんだろうと思うのと、嫌な予感が胸を貫いたのは、ほぼ同時だった。

 

「くっ!?」

 

 ズドン! と大砲のような音を立てて着弾したのは、やはりブラッジャーだ。

 ハリーが飛び退いた、一瞬前まで彼女の頭があった位置に大きくめり込んでいる。

 これには思わず嫌な汗をかいた。

 

「おいおい、ウソだろ! うわったッ!?」

 

 転がって跳ねて、脚を開いて仰け反って。

 試合で極限まで体力を削られたハリーは、その場から走って逃げることができない。

 いや、そもそもこのブラッジャーはそんな隙を与えてくれるだろうか。

 ズドンズドンと絶え間なく上下に黒光りするその球体を動かして、忙しなくハリーを狙うブラッジャーには明らかに何者かの意思を感じる。

 

「ハリー!」

「はッ、ハーマイオニー!」

 

 勝利したのだ、応援席からハリーを抱きしめるためにやってきたのだろうハーマイオニーの声が聞こえる。杖を抜いて魔力を練っているあたり、彼女がなんとかしてくれるだろう。

 というかハリーには杖を抜く余裕も、集中して魔力を練る余裕もない。

 早急な対処を、と心の中で悲鳴を上げたハリーは、さらに悲鳴を上げることになる。

 ハーマイオニーを押しのけて、新任の教師が現れたからだ。

 

「危ないですよ、お嬢さん! ハンサム……じゃなかった、私に任せなさい!」

「ロックハート先生!」

 

 ギルデロイ・ロックハートだ。

 闇の魔術に対する防衛術の新任教師として赴任してきた、稀代の小説家。

 自伝のような本を読む限りは、様々な魔法生物の問題を解決を導いてきた戦士でもある。

 実際の授業を受けたレイブンクローのパドマ・パチルに様子を聞いたところ、「実際に受けてみればわかるわ。素敵よ!」とのことだった。だがハッフルパフのアーニー・マクミランが言うには「頭がおかしい」とのことだ。

 それがどういう意味だったかは、今この場で知ることになる。

 

「そう! こ