世界で一番高いとこ (コマキダイ)
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世界で一番高いとこ

人は何のために登るのか?それが人生だから登るんだ……


 

 

 

 それは、なんてことない休日の帰りのことだった。

 その男は、休日を使って車で一人旅に出かけていた。男の名は田島幸平、平凡な30代の会社員だ。仕事はそれなりにこなすが高い目標はなく、ただ飯が食えて寝れて、自分の趣味に没頭することができればそれでいいという人生観で生きている青年である。今日だって、趣味のドライブがてら好きな飯を食ってはどこかで買い物をして時間をつぶし、またこうして帰宅するといういつものルーチンで休日を過ごしていたのである。

 

「明日からまた仕事か……」

 

 幸平は、ため息を吐くと同時にそう言った。

 辺りはすっかり夜になっていた。車のライトが、真黒なアスファルトと、その横に敷かれた歩道の半分を照らしていた。前後には車はおらず、幸平は少しだけスピードを上げて独走していた。

 

「ん……?」

 

 幸平は、遠方に何やら小さな人影があるのを目撃した。幸いなことに前後には車はいなかったので、幸平は車のスピードを除所に緩めていった。よく見ると、その人影は高校生くらいの少女であり、何やら白く大きな画用紙を掲げているようだった。もっと接近してみると、少女の顔つきと、画用紙に書かれた文字がはっきりとしてくる。画用紙には、ひっちはいく、の文字が書かれていた。

 

「おいおい……、なんでまたこんな女の子が……、てかせめて場所くらい書けよ」

 

 と突っ込みつつも、幸平は道路わきに自分の車を停止させ、助手席側の窓を下におろした。

 

「乗って……」

 

 幸平のその言葉を聞いて、少女は車へと近づいた。空いた窓に頭を突っ込んで、少女はけらけらと笑って言った。

 

「あんがとおじさん!」

 

 幸平は、少女のその言葉に若干ムスッとするも、少女を車に乗せた。そして、とりあえずはと車を走らせることにした……。

 

 

 

「それで?どこに行けばいいんだ?」

 

 幸平が少女に問いかけると、少女はこう言った。

 

「世界で一番高いとこ!」

 

 それを聞いた幸平はため息を吐いた。

 

「冗談はよせよ……。ほんとはどこなんだよ?」

 

「冗談は言ってないって、大真面目に世界で一番高い場所に連れてってほしいんだってば!」

 

 幸平は頭を掻きむしって、一回深呼吸をした。

 

「君、両親は?このくらいの年齢の子なら今頃家にいる頃なんじゃないのか?」

 

「そんなの知らないわよ!何よ両親って……」

 

 あぁなるほど、こいつはおそらく家出中なんだな?おそらく適当を言っておけば、どこか遠くに行くことができると考えてるんだ……と、幸平は思った。

 

「とにかくこのまま家に行かないってんなら警察にでも預けに行くぞ?それでもいいのか?」

 

「なによ!私の話が信用できないっての!?」

 

「いや信用する以前にな、世界で一番高いとこってどこだと思ってんだよ?」

 

 少女は頭をひねり、しばらくして答える。

 

「雲?」

 

「いや行けねぇよあれただの水蒸気だから」

 

 思わぬ回答に幸平はツッコミを入れる。

 

「じゃどこよ?」

 

 幸平はちょっとだけ考え、すぐに頭に浮かんだ世界一高い場所を答えた。

 

「エベレストだよ」

 

「じゃあエベレストまで連れてってよ!」

 

「無茶言うなエベレストの頂上まで行くのにどれだけ金かかると思ってんだ?」

 

 幸平は声を大にしてそう返した。

 

「でもおじさん働いてるんでしょ?」

 

「働いてるけどいけないんだよ貰える給料それでも少ないから!」

 

 少女はそれを聞いて、俯いた。

 

「どうしても、今すぐ行くことはできないの?」

 

「あぁ……、多分」

 

 幸平がそう言った直後、少女は目から涙を流した。まさかの状況になりだし、幸平は困惑する。

 

「おまえ、まさか本当に行く気だったのか?冗談じゃなく?」

 

 少女は一向に泣き止まないでいる。幸平は頭を掻きながら、とりあえずこの状況をなんとかしようと考えに考えて、そして口を開いた。

 

「まぁ、いつかは行けるんじゃねえか?」

 

「ほんとに!?」

 

 先ほどまでの泣きっ面はいったいどこに行ったのやら、少女は満面の笑顔で幸平に顔を近づけた。それに驚いてしまった幸平は、思わず車を揺らしてしまった。

 

「あっぶねえな!!」

 

「ねえおじさん!私がその……エベレストに行けるようにしっかり働いてね!私も何とかしてあげるから!」

 

「人の話聞いてるのか!?とてもじゃないが俺ごときの収益では何とかできねえから、もっと他のだれかに頼んだほうがいいだろ!だいたい私も何とかするって、どうするつもりだよ?」

 

「簡単だよ!私を家に置いとけばいいんだよ」

 

 また何かおかしなことを言っている。そう思いながら幸平は、とりあえず少女に向かってなんで?と問いかけてみた。すると、

 

「私ね、人に幸せを届けるのが仕事なの。本来はここにいるべきでもないんだけどね……。でも信じて、私を置いておけば、絶対にあなたに幸せが来るはずだから……」

 

 また変なことを……、とは思ったが、今度の彼女の顔は先ほど見た大人をからかうような笑顔ではなく、真剣な顔つきに見えた。幸平は深呼吸をしてから彼女に語り掛ける。

 

「お前、ただ家出してるってわけじゃないようだな……。まあ、本当なら深く言及して警察に突き出すほうがいいのかもしれないが、働いてるってんなら何とかしてやらなくもない……」

 

「やっさしい!やっぱおじさんの車に乗せてもらって正解だった!」

 

「おい馬鹿!抱き着くな!てかさっきからおじさんおじさんって、俺には幸平って名前があるんだよ!」

 

 またしても車の運転が荒くなってしまう幸平。少女はばっと助手席に戻って語りだす。

 

「幸平ね……、私は……、そうだ(そら)!そらって呼んでほしい!」

 

(そら)か……、じゃあ今度からはそう呼ぶことにする……」

 

「ありがとう!おじさん!」

 

「そこは幸平さんって言えよ!」

 

 幸平は、またしてもそうつっこんだ……。

 

 

 

 翌日、幸平は仕事に向かうために身支度をしていた。そこに、(そら)があくびをしながら歩いてきた。

 

「おはぉーおじさん……」

 

「あぁ……。て、やっぱり夢じゃなかったのか……」

 

 幸平は、昨夜の出来事が夢なのではないかと期待していたが、自分の目ははっきりと(そら)の姿を映すものなのでそう考えるのはもう諦めることにした。

 

「それで?お前はどうするんだ?」

 

「どうするって?」

 

「日中俺がいないんだぞ?どう過ごすつもりなんだよ」

 

「あぁ、その辺は心配しないで。一応人に幸せを届けるのが私の仕事だから!」

 

 と、(そら)は昨夜にも言っていたようなことを語った。

 

「まぁ、なんとかできるって言うんだったらそこまで言及しないが……」

 

 と言いつつも、幸平はなんだかんだで彼女のことが心配ではあった。そして彼は、スーツのポケットに入れていた財布を取り出し、二枚の紙幣を取り出しては彼女に渡した。

 

「二千円分だ。多分今日一日食い凌げるくらいはあると思う……」

 

 (そら)は、手渡された二枚の千円札を見てニヤリと笑った。

 

「なんだかんだ言って心配してくれるんだぁ……!」

 

「う、うるさい!じゃあ俺行くからな!」

 

 幸平はそう言うと、速足で部屋の扉へと歩きだした。そんな幸平を見て(そら)は、

 

「報告楽しみに待ってるからね!」

 

と、何やら意味深なことを言い出したが、幸平は聞き返すわけでもなく部屋から出ていった……。

 

 

 

 会社に着いた幸平だったが、着いたとたんに後輩の社員が満面の笑みで幸平に近づいてきた。

 

「どうした斎藤?やけに気持ち悪い笑顔になってやがるが……」

 

「先輩!今日いきなりのことなんですけど、社員の基本給が馬鹿上がりすることになったんですよ!あれだけ社長が給料上げるのに首を傾けてたって言うのに!」

 

「そうなのか?どんだけ上がるんだよ?」

 

「二倍ですよに、ば、い!」

 

「なんだ二倍か……、はぁ!?二倍だと!?んな馬鹿な給料の上がり方あるか!!」

 

 斎藤のそのセリフに思わず驚愕の声を出す幸平。と同時に、自分はまだ夢を見てたんじゃないかという考えに陥った。そうだこれは夢なんだ、であれば昨日のあのへんな女が朝部屋に上がっていたのにも納得がいく。幸平は一度深呼吸をして、目の前の斎藤に言い放つ。

 

「斎藤一生の頼みだ」

 

「はい……!」

 

「俺をぶん殴れ!」

 

「はい!えっ……?」

 

「さあ早く!!」

 

「いや無理に決まってるでしょ!ここ会社ですよ!?」

 

 慌てふためく斎藤に対し、幸平は圧をかける。

 

「じゃあほっぺをつまめ!」

 

「そ、それだったら……」

 

 斎藤は恐る恐る幸平のほっぺに手を伸ばし、そして思いっきりつねった。

 

「いたたたたたた!!痛いって!!」

 

「いや当たり前でしょ!つねってって言ったの先輩じゃないですか!」

 

「それもそうか……、てことは夢じゃないのか……!」

 

 幸平がそんな風に喜んでいると、彼の元に一人の男がやってきた。

 

「おぉ来たか田島!」

 

「山田課長……」

 

「前の商談、実に見事だったそうじゃないか!」

 

 やけに機嫌のいい山田を見て、幸平は困惑した。

 

「えっ?初耳ですが?」

 

「おいおい聞いてなかったのか?お得意先から高評されてたんだぞ君」

 

「俺がですか?いつも通りやっただけですが?」

 

「それがよかったって話さ!おかげで上からの評価も良くってな、どうやら君を主任級にまで昇格させたいって話がでているらしい……」

 

 予想外の事態にまたしても困惑する幸平。彼はそのまま山田に言う。

 

「課長、俺のほっぺをつねって……」

 

「できるか!そんなことすればパワハラだぞ!とにかくよくやったじゃないか田島、素直に喜べ!」

 

「は、はい!」

 

 幸平は一気に気を引き締め、ハキハキと返事をした。山田はそんな幸平の背中を叩いてその場から去っていった。

 

「すごいじゃないですか先輩!俺、先輩の下で働けるなら本望です!」

 

 斎藤が目を輝かせている中、当の幸平はというとあまりの幸運の連続に頭を捻っていた。

 

(いくら何でもできすぎだろ……。なんだってんだ?)

 

 

 

 昼頃、昼食を食べに出かけた幸平は、今朝起きた出来事について考えていた。

 

(どう考えてもおかしい……、前の商談なんか特に気合を入れたわけでもなかったし、会社が急に二倍も給料を上げだしたことも引っかかる……。そしてさらには昇級だぁ?こんな幸運続きなことってあるのか?)

 

 幸平は、手元のコーヒーを飲み干す。

 

(いやそれだけじゃない……、なぜか俺にそこまで興味がなかった同期の可愛い女性社員にはいきなり連絡先を聞かれたし、コーヒーもさっきもう一本当たってしまったし、挙句の果てにはコロボールで金の翼が出てしまったし……!)

 

 幸平はぐびっとコーヒーを喉に通して気を静めようとする。

 

「そういえば……」

 

 幸平はあることを思い出した。

 

『幸せを届けるのが私の仕事だから!』

 

「まさかな……」

 

 そうつぶやいた幸平は、缶を捨てて歩いた。すると、幸平の目にあるものが映った。

 

「宝くじか……」

 

 幸平はしばらく考えた、そしてそのまま彼は宝くじの売り場に足を運ばせたのだった……。

 

 

 

 帰宅してから幸平は、まっすぐに(そら)のほうへと向かっていった。

 

「でどうだった……?」

 

「あぁ、馬鹿みたいに幸運な一日だったよ……!」

 

 幸平はソファーに座って軽く水を飲んだ。

 

「あれはお前がやったのか?」

 

「言ったでしょ?私の仕事は人に幸せを届けることだって」

 

「どういう原理なんだ?超能力か何かか?」

 

「超能力じゃないよ、私の存在そのものが幸運なの」

 

 そう言って立ち上がった(そら)だったが、その直後、急によろけては倒れそうになった。

 

「おい!」

 

 幸平は勢いよく飛び出し(そら)を支えた。

 

「気をつけろよ……」

 

「えへへ……、ごめんごめん!」

 

 そう言う彼女の表情は相変わらず明るかったが、幸平はその笑顔に違和感を感じた。だが、そう感じただけで特に彼女に対して何かを言うわけでもなく、そのまま彼女を起こした。

 

「そういえば、晩御飯食べたのか?」

 

 幸平にそう聞かれて、(そら)は首を横に振りながら、

 

「ううん、まだだけど?」

 

と言う。

 幸平は、

 

「そうか、ちょっと待ってろ」

 

と言って、冷蔵庫から豆腐、そして麻婆豆腐のもとを取り出した。棚からはフライパンと包丁、そしてまな板を取り出しては料理を開始した。

 

「へぇー、料理できるんだ」

 

 (そら)がその様子を見て意外だと感じた。

 

「普段はやらないけどな。学生以来だよ、こんな風に料理をしたのは。でも……」

 

「でも……、なに?」

 

「誰かのために料理をしたのは、これが初めてだ……」

 

 そうつぶやく幸平を見て、(そら)は微笑んだ。

 

「やっぱやっさしいんだぁ……!」

 

「怒るぞ……」

 

 そんな会話が続きながら、やがて麻婆豆腐が完成した。それを食しながら、二人は会話をしだす。

 

「で?実際のところお前はなにもんなんだ?」

 

 幸平が(そら)に問いかける。

 

「まぁ……、ざっくり言うと天使?」

 

「ふざけんな……」

 

「怒ることないでしょ!」

 

 幸平はため息を吐く。

 

「まあとにかく、お前がいればとりあえずは運がよくなっていくわけだ……」

 

「そう、私を家に置いとくだけで私はおじさんの運を上げることができるの……、て辛っ!、こんなもん食べてるの!?頭おかしいんじゃないの!?」

 

「そんなに文句言うなら追い出すぞ……」

 

「……まあ、味は悪くはない」

 

「だろ?これくらいの刺激がちょうどいいんだよ……」

 

 そんな会話を続けたあと、二人は黙々と麻婆豆腐を食していた。だが、しばらくして幸平は(そら)に語り掛けた。

 

「すぐには無理かもしれないが、行けるといいな、世界で一番高いとこ……」

 

「うん、私も早くいきたい……」

 

 どこか寂しげにそう言った彼女を見て、幸平はあることを思った。

 

(もしこのまま幸運が続くなら、いずれはあれを使って早くこの子を連れていけるかもしれないな……)

 

 

 

 そして翌日以降、幸平の幸運は続いていた。

 先日言われた主任級への昇格の噂は予定通りとなり、正式に幸平は主任となることが決定した。さらに、幸平が前に買った宝くじが当選していたことも分かった。結果は一千万円だったが、彼からしたらだいぶ大きな数字でもあった。その嬉しさのあまりに、その日の幸平ははしゃぎながら帰宅していた。

 

(そら)、聞いてくれ!お前の幸運のおかげで会社で主任になることが決定した!それだけじゃないんだ、前買った宝くじで一千万が当たったんだ!これならエベレストに……」

 

 そんな幸平の目に映ったものは、苦しそうに倒れている(そら)の姿だった。

 

(そら)?おい(そら)!どうしたんだ!!」

 

 幸平が彼女のもとに駆け寄る。抱きかかえられた(そら)はゆっくりとその目を開いた。

 

「あぁ……、おじさん……、お帰り……」

 

「いったいどうしたんだ!?」

 

「大丈夫……、大したことじゃないから……」

 

 (そら)のその声を聞いた幸平は、自分の手を彼女の額に当てた。

 

「ひどい熱じゃないか……!早く病院に!」

 

「待って!」

 

 (そら)が声を張って叫んだ。

 

「病院はやめて……、私は大丈夫だから……」

 

 先程とは打って変わり、(そら)が弱々しい声でそう言う。

 

「教えてくれ、どうしてこうなったんだ?」

 

「私のこの力は……、効力が上がるたびに多くの体力を消費してしまうの……。あなたの運を上げれば、早くこの世界の高いところに行けるかなって思って……」

 

 幸平はその理由に納得したと同時に、その事実を知らなかったとはいえ、彼女に能力を利用させ、そして利用してしまったことに対してすごく申し訳ない気持ちになってしまった。思わず幸平は彼女を抱きしめた。

 

「ごめん……、ごめん……!もう何もしなくていい……、あとは自分で何とかする……!だから、もう無理しないでくれ……!」

 

 強く、強く、(そら)を抱きしめる幸平。(そら)は幸平のそんな姿を見て、

 

「大丈夫だって言ってんじゃん……」

 

と、微笑みながら言った……。

 

 

 

 (そら)をベッドに寝かせる幸平。

 

「きつくないか?」

 

 幸平は、(そら)にやさしく問いかける。

 

「うん、さっきよりはね……。二、三日休めば大丈夫だよ……」

 

「そうか……、お粥、作ってやるよ……」

 

 そう言って、幸平は台所に立った。しばらくして、幸平はお粥を持って(そら)に食べさせた。

 

「どう?」

 

「昨日の麻婆豆腐よりはおいしい……」

 

「よし、元気そうだな……」

 

「体調の確認雑すぎだよ……」

 

 そう言い合いながら二人は微笑み合う。そして幸平は、改めて(そら)に言った。

 

(そら)、これからはお前に頼らずなんとかやってみるよ、だからお前はゆっくりと休んでくれ……。少し時間はかかるかもしれないが、必ずお前をエベレストに連れていく……」

 

「うん……、私ちゃんと我慢する。幸平が頑張るなら……」

 

 幸平はそれを聞いて、(そら)の頭を撫でた。

 

「いい子だ、今日はゆっくり眠れよ?」

 

「うん、頑張ってね……、幸平……」

 

 そう言うと、彼女は深い眠りについた。幸平は立ち上がり、そして自らの頬を叩いた……。

 

 

 

 それから長い月日がたった。

 幸平は主任になって以降、真剣に業務に励むようになっていった。当然ながら会社からの評価は上がっていき、十年経った頃には係長にまで昇進していた。

 そんなある日のこと、

 

「先輩、今度の休日どう過ごすんですか?」

 

「あぁ、ちょっとエベレストに行こうと思ってる……」

 

「そうですかぁ、エベレストですね……。エベレスト!?」

 

 斎藤が幸平のまさかの一言に驚いてしまう。

 

「どうしてまたエベレストに……」

 

「約束……、だからな……」

 

 幸平はそう言うと、残りの仕事を片付けて退勤した……。

 

 

 

 目の前に大きな目標がある。その目標の前に二人は立っていた。

 

「とうとう来たね……」

 

「あぁ……」

 

 この十年、二人はただ月日を過ごすのではなく、定期的には日本の山々を登りながら今回の登頂に向けて練習をしていた。それでどうにかなるという確証があるわけではなかったが、とりあえずやれることはやったつもりであった。

 

「もし登り終わったら、どうする?」

 

 幸平が(そら)に問いかける。(そら)は俯きながら言う。

 

「その時はその時に考えようよ……、ねっ?」

 

「そうだな……。よし、行こうか!」

 

 二人は険しい目標に向かって、はじめの一歩を踏み出した。

 

 

 

 もうどれほど登ったのだろう……。次第に酸素がなくなっていく。日本の山とは比べ物にならないくらいには険しい環境が続いていた。

 

(そら)、大丈夫か?」

 

「うん、今のところは……」

 

 お互いの安否を確認しながら登っていく。

 しばらく経って、二人はテントを張って休憩し始めた。

 

「もう少しで頂上に着くな……。(そら)、大丈夫か?」

 

「うん、でもちょっときつくなってきたかも……」

 

 そう言う彼女の表情は、少しだけ苦しそうだった。

 

「もし苦しいなら、今回はこの辺にしてまたくれば……」

 

「だめ!せっかくここまで来たんだもん……、また振り出しなんて嫌だよ……」

 

 彼女の防ぎこむ様子を見て、幸平は笑顔を作って語りかけた。

 

「そうだな……、ここまで来たんだもんな……」

 

 思えば目的なんて何も分からなかった。ただ、彼女にはどうしてもその場所に行かなければならない理由があるということだけが分かっていた。そのためだけに今まで頑張ってきたつもりだ。だがそれがあったからこそ、自分は立派な役職に就き、一度は彼女の作った幸福に頼ったりしたものの、ここに来るまでの大金を集めることだってできたのだ。そして日々を進んでいく中で、自分という人間にも変化ができていた。これも彼女のおかげだ、だからその恩返しはしなければならない。

 幸平はそう考え、彼女のために諦めるという選択肢を捨てた……。

 

 

 

 二人は再びエベレストを登りだした。

 

(そら)、調子はどうだ?」

 

 幸平が(そら)に呼びかけるが、(そら)は低酸素環境の影響か意識が朦朧としていた。すぐさま幸平が彼女のもとに駆け寄り、その体を支えながら歩きだした。

 

「もう少しだ……、もう少しだけ頑張ってくれ(そら)!」

 

 二人は進んでいった。次第に幸平は彼女を引きずるように登っていた。もしかしたらもう死んでいるのかもしれない……。そんな考えがよぎるも、幸平は希望に賭けることにして登り続けた。

 やがて、彼の目の前には頂が映った。そこにたどり着いた幸平は、目の前の絶景に心が現れるような気持ちになった。

 

「なぁ……、着いたぞ(そら)。お前が行きたがっていた世界で一番高い場所だ……。なぁ(そら)……、なんで何も言わねぇんだよ……。俺だけ楽しんでも意味ないじゃないか……!お前が楽しまないと……、意味なんて……」

 

 涙を流したいのに流せなかった。止めるべきだったのだろうか?あの時彼女に会わなければよかったのだろうか?そうすれば、こんなところで悲しむこともなかったんだろうか?ひどい話だ、悔いの残らないように進んだはずなのに、後悔ばかりしてるじゃないか……。そんな暗い気持ちななっていた中、彼が支えている(そら)の体が暖かくなっていく。

 

「……!?」

 

 困惑しだす幸平だったが、彼女の体は突如として強い光を放った。その光に思わず目を閉じてしまう幸平。しばらくして、幸平はそっと目を開いてみた。周りを見渡すと、先ほどまでいたほかの登山者たちの姿が消えていた。そして、

 

『幸平……』

 

 その目の前には、白い衣装に身を包んだ天使のような、いや、天使そのものと言える(そら)の姿があった。

 

(そら)……、お前……」

 

『そう、私は本来この世界にいてはいけなかった存在。空の世界にいるべきだった天使よ……』

 

 一瞬のことで驚いたが、よくよく考えれば辻褄はあっていた。幸運を与える能力だったり、この世界に疎いことだったり、何なら一度自分から天使だって名乗っていたじゃないか。

 

「そうか、帰りたかったんだな、天国に……」

 

『本当は早く帰れると思っていたの。でも、結果としてあなたの人生を奪ってしまったわ……。ごめんなさい……』

 

 (そら)は深々と頭を下げた。だが、

 

「謝らないでくれ……」

 

幸平は(そら)に対してそう言った。

 

「謝らなくていい……、むしろ感謝したいんだ!君のために頑張ることで、俺の人生は大きく変わったんだ!なんでもなかった自分が、目標を持ったことでここまで行くことができたんだ!だから……」

 

 (そら)は、そんな幸平の姿を見て微笑んだ。

 

『そうか……、じゃあ感謝してよね!』

 

 (そら)はいつもの生意気な笑顔で言った。

 

『なんせ私の仕事は、誰かに幸福を届けることなんだから……!』

 

 それが、幸平の見た彼女の最後の顔だった。気が付けば、幸平はさっきのように山の頂に立っていた。さっきと違うのは、そこには(そら)の姿がないことだけだった。幸平は空を見上げながら小さな声で、

 

「ありがとう……」

 

と、口にした……。

 

 

 

 あれからさらに時が経った。

 幸平はあの後も様々な経験を積みながら人生を歩んでいき、会社を定年退職しては残りの人生を悠々自適に暮らしていった。だが、そんな生活もいつかは終わりが来るもので、とうとう幸平は病に倒れた。

 ベッドであとは死を待つだけの彼。そんな彼の耳に、かつて聞いたことがあるような生意気な少女の声が聞こえた。

 

『おじさん、具合どう?』

 

「言い訳あるか……、死神の幻聴が耳に入ってるんだぞ?」

 

『ひっどい!私ちゃんと天使なんですけど!?』

 

「そうだったな……、幸せを運ぶのが君の仕事だったな……」

 

 それを聞いて、(そら)は笑顔を見せた。

 

『ねえねえ!おじさんの人生、あのあとどうなったのさ?』

 

「良くも悪くもだ……。でもまあ……、いい人生だったよ……」

 

『よかったよかった!じゃあ、そろそろ行こうか幸平!』

 

「あぁ……、また二人で登っていこう……(そら)!」

 

『うん、また二人で。今度は私が支えてあげるんだから!』

 

「あぁ……、頼んだよ……」

 

 幸平のまぶたがゆっくりと閉じた。いや、幸平は(そら)と登っていったのだ。

 

 世界で一番高いとこの、さらに上を目指して……。

 

 

[完]




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