記憶の壊れた刃 (なよ竹)
しおりを挟む

ウルキオラ・オファー

 気付けば、仰向けのまま夜空を見上げていた。

 星はなく、黒一色の空には、唯一の光源といってもいい月が浮かんでいる。

 

「んにゃ?」

 

 パチクリと目を瞬かせた『彼女』は、上半身を起こす。

 白い砂漠がどこまでも広がり、夜空との対比でその穢れのない色が際立っている。それを馬鹿にするように、あちこちに大量の血の池がへばりついていた。砂の地面も吸いきれないほどだ。

 『彼女』はゆっくりと立ち上がる。

 あまり視点の変化がなかったのは、彼女が小柄な体躯だったからか。

 周囲を見回せば、『彼女』を中心として赤いカーペットが広がっているのがわかる。なにかの残骸や肉も含まれ、乾いているはずの風がむせるような血の匂いを運んできた。

 

「......おなか、すいた」

 

 鈴が転がるような声音が物寂しい世界に響き、そして消えていく。

 殺風景を敷きつめたような常闇の場所で、『彼女』は茫洋とした大きな眼を漂わせた。遠巻きに見ているなにか巨大な、そして不気味な仮面を付けた生物がいる。それが『彼女』の目には脅威には映らず、近寄ろうかと足をそちらに踏み出すも、仮面の生物はそれを視た途端に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。 

 『彼女』は首をかしげる。なぜ、逃げるのかと。

 口元に違和感を感じ、それこそ春風に吹かれただけで折れそうな細腕で拭ってみる。

 腕は血で汚れた。『彼女』の血ではなく、返り血か、はたまた......喰べたからか。

 

「おなか、すいた......? あれ、すいてない?」

 

 腹をぽんぽん叩いてみても膨らんだ感触はないが、ひどい飢餓は感じなかった。

 お腹が空いたと口から出たのは、おそらく言いなれていたための口癖なのだろう。自分はどれほど食いしん坊なのかと『彼女』は思い出そうとし、しかし柳眉をひそめる。

 

「んー? いつごはん食べたっけ?」

 

 記憶を辿ろうとしても行き当たらない。 

 『彼女』の記憶は、ついさっき目を覚ましたところから始まり、それ以前は真っ黒だ。......いや、もやがかかっているだけだ。

 

(ホロウ )? ......お菓子、バラガン、おやつ? あっ、私の名前は覚えてる!」

 

 嬉しそうに『彼女』は笑った。ただそれだけで当たり前の情報も、『彼女』にとっては万金にも値する。

 にこにことして、『彼女』は歩き出す。赤い水溜りに足が入っても気にせず、とりあえずといったように移動を開始した。

 視線の先には、塵ほどにしか見えないが、たしかに建造物が存在した。

 

 ーーどれほど、歩いただろうか。

 

 『彼女』は途中から飽きが来始めて、けれどもう眼前に迫った巨大な城を前にしてやめようとは思えなくなった。遠近感が狂いそうなほど巨大な城だ。その無機質さに『彼女』は引いた。

 

「うわー、ムダにでっかーい」

 

 見たところ、入り口はない。この周辺には仮面を被った怪生物ーー知識からは(ホロウ )と呼ばれるらしい生物が近寄らないようだ。デカい図体をして意外と繊細だと『彼女』は思った。

 ぶらぶらと周辺を歩いて、そして誰かが見ていることも気づいている。

 

「だれ?」

「気づいていたか」

 

 『彼女』の背後には、角が生えた仮面の名残を左頭部に被った、痩身で真っ白な肌をした黒髪の男。

 左胸に『4』の刻印がある。『彼女』はかろうじて、過去の知識からその数字は野球のトップバッターのナンバーだと思った。

 

「貴方はだれ? (ホロウ )?」

「いや、違う。破面(アランカル )だ」

 

 ひどく無機質な雰囲気の男だ。無邪気と無垢を兼ね備える『彼女』と対比してみれば、それが自然と際立つ。

 

「アランカルさんの家がここなのかな」

「この城の主は藍染様だ。俺の名はウルキオラ・シファー。藍染様からの命令で、お前に付いてきてもらいたい」

「断ったらどうするのかな?」

「それならば仕方ない。--力づくで愛染様の御前に連れていくだけだ」

「うわーお」

 

 本気と書いてマジな目だ。そもそも固そうな雰囲気から、嘘などは言わないだろう。

 試しに逃げるそぶりをして霊圧を足に集め(呼吸をするように自然にできた)、脚を曲げる。

 ウルキオラは無言のまま直立体勢で臨戦態勢に移行した。

 --強いなぁ、この人。

 彼我の戦闘能力の差をかんがみて、逃げることはやめた。勝率は五分もない。

 

「でもさ、なんで私なの? 強そうな人? は、けっこう一杯いたよ」

最下級大虚(ギリアン )中級大虚(アジューカス )を、お前のような最上級大虚(ヴァストローデ )と一緒にするな。警戒することは仕方ないが、お前にも悪い話ではない。この虚夜宮(ラス・ノーチェス )にいる多くの破面(アランカル )でも、お前のような存在は至極稀だ」

「......頭がついていかないよ」

「俺に付いて来れば悪いことにはならない。それは保証しよう。それもお前の態度次第になるが」

 

 石像を相手にしているような錯覚を受けながら、『彼女』は頭を悩ませる。

 

「さっきから出てくる破面(アランカル )って、なんのこと」

(ホロウ )としての種族の限界を突破した者だ」

「......この調子になると、私もそれになれってことかな」

「藍染様はそれについては仰られていなかったが、俺の予想ではそうなる。今以上の力をお前が得ることにもつながるぞ」

「別にそういうのは欲しくないんだけどなー」

 

 とはいえ、ここを去ろうとすればアテのない旅になる。さらにウルキオラも逃がしてはくれないだろうし、現段階であまり知識もない『彼女』には頷くことへのメリットのほうが多い。

 警戒している。けれどウルキオラは嘘など言ってないと分かる。その藍染某とはわからないが、この城を見た時からなにかピンとくるものがあるのだ。記憶がないのでそそられる。

 それになんとなく自意識が緩い。死ぬことに対してあまり恐怖を感じないのだ。敵の本陣営で袋叩きに会うのも、それもまた運命の一つなのだと思った。

 敵としているより、とりあえず味方からのほうがいいだろう。

 これからどうなるかは、まだわからないが。

 

「まあ、いいや。ウルキオラさんも私を連れてこないと怒られるんだよね。それに、キミの物言いからだと、私はひどい目にあうために連れていくわけじゃないんでしょ?」

「敵対者ならこの場ですぐさま残滅している」

「ふぅん、そう。わかった、付いてく」

「そうか。......名前は?」

「え?」

「お前の名だ。知っておかなければ、これから(・・・・ )不便になる」

 

 ああ、と頷き、『彼女』がはにかむ。

 唯一、鮮明に残っていた記憶に刻まれた名を、口にした。

 

 

 

「ニルフィネス・リーセグリンガー! ニルフィって呼んでね、ウルキオラさん!」

 

 

 




サブタイトルは間違ってないはず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

破面に出世です

 ニルフィはきょろきょろと周囲を見回しながら、さっさと先に行ってしまうウルキオラの背を追っていた。いくら興味深い場所でも、こんな巨大な場所ではぐれたら大変だ。

 床は黒く、壁は異様に白い。ロクな光源がないはずなのに外よりも明るいとはどういうことか。

 途中で牛のような骨を被った破面(アランカル )が、大量の髑髏頭を引き連れて通り過ぎた。それでも霊圧を探れば一人のようで、牛頭が本体みたいなのだろう。面白そうな能力だった。今度頼めば無限分裂でもしてくれるだろうか。

 

「うろちょろするな。これ以上藍染様の命令の妨げをするのなら、勝手に連れていくぞ」

「だってすごいんだよね。まったく現実味がないっていうかさ。というか、無駄に大きすぎないかな? ここつくった人は、家が大きすぎれば逆に不便だっていうことを知らなかったのかもしれないけどさ。勿体ないねー」

「......騒々しい奴だ」

「ウルキオラさんは何か思わないの?」

「特にはな」

 

 ずんずんと先に進んでいくウルキオラを見て、ニルフィは小さくため息を吐くと、黒髪をなびかせながらトコトコ付いていく。

 あまりにも無感情すぎるとニルフィは思った。もしこの城があばら家のような場所でも、彼は不満一つ漏らさないだろう。もし破面(アランカル )になる弊害としてウルキオラのような機械じみた性格になるのなら、ニルフィは遠慮したい。

 道を何度も曲がって上って下って、どれほど歩いたのだろう。ここの住人達はちゃんと地図なしで歩けるのかと心配になる。

 

「私たちはその藍染さんのトコに向かってるんでしょ?」

「ああ、そうだ」

「どういう人なのかな」

 

 ウルキオラは表情を変えずに口だけを別の生き物のように動かす。

 

「この虚夜宮(ラス・ノーチェス )の頂点であり、さらに死神でもある方だ」

「死神......? なにそれ」

「そこから説明が必要か」

 

 馬鹿にされたような気がして、ニルフィはむっとしながらウルキオラに詰め寄る。ウルキオラは鬱陶しそうにニルフィの顔面を掴んで引きはがした。

 

(ホロウ )を狩ることを前提とした存在だ」

「え、でもそれって」

「もちろん、俺たちの敵になる。だが藍染様は違う。今は反旗を(ひるがえ )し、近々死神たちとは大規模な戦いを起こすつもりだ」

「それって......二股してた悪女役みたいだね」

「例えは分からんが、お前の語彙力が少ないことだけは理解できた」

 

 いつの間にか足は止まっていた。ニルフィの目の前にある扉が、目的地であることを主張している。

 一拍置き、ウルキオラが足を踏み出した。彼の白い死覇装のすそをニルフィが握った。

 

「なんだ」

「一応聞いておくけど、その藍染って人、強いの? えっと、たとえばここの人たちを総動員して立ち向かわせてみたりとかしたら」

 

 ウルキオラは躊躇なく答える。

 

「藍染様が勝つだろう」

 

 絶対的な自信に裏付けされた言葉に、ニルフィは反論しなかった。自分よりも先に藍染と出会っている人物の言葉に間違いはないと悟ったからだ。

 ウルキオラがニルフィの目をのぞき込む。

 

「ニルフィネス、わかっていると思うが、お前は......」

「ニルフィ」

「......なんだと?」

「私のことはニルフィって呼んでって言ったよね。それにニルフィネスって仰々しいし長いと思わない? 効率重視したら愛称のほうがよっぽどいいと思うんだ。だからさ、ハイ、復唱」

「......」

 

 深淵のようなウルキオラの黒い目は、しばらく金色の目を見返していたが、彼は目を一度閉じて言った。

 

「リーセグリンガー、わかっていると思うが......」

「なんか離れた!?」

「うるさい奴だな。とにかく聞け。藍染様の前では粗相がないようにしろ。あの方はそれほど甘くはない。少なくとも、いま俺と接しているような態度はやめろ」

「それってウルキオラさんが甘いってこと?」

「なにも思わないだけだ」

 

 話はこれで終わりとばかりにウルキオラが扉を潜る。

 ふむ、と扉の前で一瞬立ち止まったニルフィも、すぐに入った。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス )のトップにして、死神を敵に回した人物。

 顔の想像は出来ない。ベタに強面かもしれないし、聖人のような顔して中身は獣同然かもしれない。

 最上級大虚(ヴァストローデ)らしいニルフィをわざわざ招いたのは、ウルキオラの物言いから部下になれ的なことを言うためだろう。そんな雇い人になる人物がアレな人だったら、いくら暇つぶしが目的とはいえ、隙を見て逃げる腹積もりだ。

 

 そんな不安なものは、すぐに吹き飛んだのだが。

 

 室内に入った瞬間から重圧が、ニルフィの矮躯を押し潰そうと襲い掛かって来た。 

 発生源は三つ。

 広大な室内の奥、その右側に立つ糸目の男だ。立ち方からして飄々とした雰囲気を醸し出し、蛇を連想させるような気配もする。張り付いたような笑みがこれ以上ないほどに嘘くさい。

 左側に立つのは褐色の肌とドレッドヘアーが特徴の男だった。目隠しをしており、凛とした佇まいが薄暗闇の中で浮かび上がる。実直かつ生真面目な性格だと思う。

 そして問題が、中央の柱のはるか高みに座っている男だ。

 一目で、ニルフィは彼が藍染という人物だと悟る。

 うしろに髪を流して流麗な風貌なのが遠くからでもわかった。穏やかな海を連想させてくれるようだ。

 特徴的なのはその双眸だ。目は人格を表すとも言われているが、この男に至ってはそれゆえに何を考えているのか分からなくさせる。光沢のない黒が凝縮したようで、見つめ続けると深みにはまってしまいそうだ。そして、そこに自分が映っているのかと疑問に思う。

 得体のしれないものだけで体を構築され、運よく人の形に収まっただけにしか見えなかった。

 

「件の最上級大虚(ヴァストローデ )を連れてきました」

 

 ウルキオラの声でニルフィはハッと我に返る。どれほど藍染を見ていたのだろう。ほとんど一瞬とはいえ、あの呆けていた時間に襲われればひとたまりもなかった。

 あの目は変だ。ウルキオラの感情がないことに起因するわけでもなく、無価値で無感動に風景も生き物も一緒くたに観察する目だ。揺れ動くことなく、驚愕という感情すら浮かばないのではないのだろうか。

 

「ご苦労、ウルキオラ。--さて、よく来てくれたね、ニルフィネス・リーセグリンガー」

「あははは、どうも、改めましてニルフィネス・リーセグリンガーです。名を呼ぶときは、どうかニルフィ、と。以後お見知りおきを~」

 

 礼節なんて記憶から薄れているので、かなり緩い挨拶になってしまった。けれど藍染からはお咎めもなく、目隠し男は口元にかすかな満足げな笑みを浮かべている。セーフらしい。

 まだ未定ではあるが、一応上司になる相手だ。粗相を働いて外にほっぽりだされるならまだいいが、堪忍袋の緒をぶちぎって消されそうになるのは勘弁である。いくら最上級大虚(ヴァストローデ )でも、魂の限界を超えた破面(アランカル )相手にどれだけ持つかも心配だった。

 

「こちらこそよろしく、ニルフィ。さて、君はもう予想しているかもしれないが、私から提案があるんだ」

 

 涼やかな声が続く。

 

「君には私の陣営に入ってもらいたいんだ。もちろん、タダとは言わない」

 

 表面上はお願いでありながら、威圧感が言葉の端々に増していった。

 

「これを受けてくれるのなら、君は破面(アランカル )になれることを保証しよう。今の力さえかすむほど、新たな力を得られる。このまま時を過ごしても君はこれ以上の成長は望めない壁に当たっているんだ。それを取り払い、新たなる高みにまで上り詰めることだって可能だ」

 

 そこらへんにはニルフィはあまり欲を見いだせなかった。力を得ても、結局のところ兵器扱いなのは変わりない。

 

「ありがたき幸せ」

「浮薄な嘘はやめたまえ。骨まで透けて見えてしまう」

 

 おどけるように一礼したニルフィに向かって声が投げかけられた。上げられたニルフィの顔には苦笑が張り付いている。

 

「ま、そうですね。私としては力云々とかは、あって困るものではないですけど、なくてもいいんです。むしろ、記憶の方が大事ですね。思い出せないんですよ」

「ほぉ?」

 

 はじめて藍染の目に興味らしい光が宿った。

 しかし錯覚のようにニルフィが見返すうちに消え去る。

 

「ここに来たのも、このお城になにかピンと来たからなの......なんです」

「ふむ、なら空腹は耐えられるようになったのかい?」

「ええ、そうですね。......貴方は私の過去を知っているんですか?」

「さあ、どうだろうね。私はこの目で数多の(ホロウ )を見てきた。君のような仮面の(ホロウ )

も記憶に残っているかもしれない」

 

 嘘だ。そう言及しても、おそらく藍染は答えてくれない。

 いろいろ考えてみればおかしい点もある。ウルキオラを遣わせるような準備のよさや、そもそもタイミングを見計らったようにニルフィの目覚めと同時の出来事。

 この場の会話すらも手の平の上だと覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 

「そうですか」

「ここでは飢えに困ることはないと言っておこう。現世からも、君の希望のものがあれば取り寄せてもいい」

「......新人に好待遇ですね」

「君を引き入れられるのなら代えがたい値がつく」

 

 そこまで買いかぶられてもニルフィには困る。

 彼女は記憶がないのだ。実力にはいまだにピンと来ていない。

 ニルフィが無言のままうつむきがちになる。

 

「それでいい。これからゆっくり、自分を探して行けばいいさ」

 

 ふらふらとニルフィが頷く。

 藍染は立ち上がった。

 

「では、行こうか」

「行くって、どこに?」

「ああ、それはーーーー君の破面化のためだ。その実力を、これからは存分に振るってくれ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逃走かつ闘争

 獲物が、馬鹿なエサがやって来た。

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣の住人達は皆そう思った。十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の集うこの場所には、下手な2ケタを寄せ付けない実力者が多い。そういったものが己の力を糧とし、しのぎを削り合うのだ。

 周囲のものを下し、切磋琢磨し、かつての栄光に返り咲かんことを夢見て。

 逆に言えば、そんな肉体言語上等な場所に足を踏み入れれば、どうなっても保証しかねないということだ。

 今しがた逃げている、迷い猫のようにやって来た少女すらも。

 

「うひゃあっ!?」

 

 寂れた廊下を駆ける少女の背後で爆砕音。さっきまで少女が立っていた床が、幅広の大剣(クレイモア)でごっそりと削り取られている。

 住人達は遠巻きに、その逃走劇を観戦していた。

 

「......逃げるな」

「やだよ! 死にたくないもん!」

「......平気だ。戦えば生き残れる」

「どこが平気なのか問い詰めたいね!」

 

 住人達が知っているのは追跡者のほうだ。

 破面・No.101、グリーゼ・ビスティー。(いわお)のような寡黙な大男だ。巨躯といえば破面・No.10(アランカル・ディエス)ヤミー・リヤルゴが思い浮かぶが、こちらは人としての範囲に収まるほどだった。

 それでも、ワイヤーを束ねたような筋肉の鎧や、口元を隠した昆虫のアギトのような仮面が、彼の威圧感をこれ以上ないほどに引き立てている。

 住人たちでさえおいそれと襲い掛かれない人物だった。

 

「ひうっ! あ、あぶない。さっきのは危なかったよ!」

 

 そしてひょいひょいとグリーゼの斬撃を避けていく獲物のほうは、住人達でも知らぬ小さな存在。その珍しい容姿が記憶にないことから、新人なのだろう。

 腰辺りまで流れる鴉の濡れ羽色の髪は、彼女が一歩床を蹴るたびに跳ねまわった。無垢と無邪気の光を凝縮させたような金色の双眸がせわしなく動く。柔らかそうな真珠色の肌や、細見に加えて華奢な体躯から、とても荒事に向いているようには見えない。

 仮面の名残は、耳の上から髪を掻き分けて後頭部にまで沿うように伸びる大きな角だ。

 細身の斬魄刀は柄が右上になるように腰の後ろにひっかけられていた。

 これでも珍しい容姿なのだが、ここまではまだ、いい。

 気になるのは、少女の姿が幼い少女のそれということだ。男型なら若くとも青年のような姿で、女型でも同じくらいなのが普通である。

 しかし当の少女は、現世のものと比べれば、12、3歳ほどにしか見えない。

 腹部で開いたパーカーのような死覇装が包み込む肢体は、まだ膨らみかけで、ひどく背徳的な色香を漂わせている。けれど破面(アランカル)にしては異様なほど幼い。

 破面・No.1(アランカル・プリメーラ)のコヨーテ・スタークの従属官(フラシオン)リリネット・ジンジャーバックと同じくらいの幼さではあるが、あれは特殊な例であるため参考にはならないだろう。

 

「うわっ、ヤバっ」

 

 少女の脳天めがけて大剣が振り下ろされた。

 

 響転(ソニード)

 

 小さな影が掻き消える。

 一瞬のこととはいえ、住人達はその姿を見失った。けれど少女は少し前方に現れると、すぐに逃走を続行。グリーゼもそのままあとを追った。

 そこでようやく、住人達は疑問を抱く。

 なぜ、グリーゼが少女を追っているのかと。

 怒らせたのかと思えば、グリーゼの表情は冷静だ。彼はこれといって同族に襲いかかる危険な性格ではなく、それが不思議に思う原因だった。

 

「なんで追ってくるの!? 私はニルフィネス・リーセグリンガー! きっと人違いだと思うな!」

「......本気で俺と戦え。そうすれば用は済む」

「やだよ、そんなの。勝てるワケないもん」

「……勝てたのなら、俺はお前の配下になろう」

「いらないよ! キミみたいな大きい人なんて養っていけない!」

 

 たしかに、このニルフィネスという少女は客観的にグリーゼに勝てそうではない。容姿もそうだが、十刃(エスパーダ)のような覇気もなく、纏う霊圧も煙のように不安定だ。

 

「......戦えば、すべて分かることだ」

「死にたくないから却下!」

「......あくまでしらばっくれるか」

 

 グリーゼはふいに連撃を止めた。

 怪訝そうに立ち止まった少女が見守る中、グリーゼが大剣を床に突き刺す。

 そして紡ぐ。

 

 

 

「踏み(にじ)れ『蟻殻将軍(オルミガ・ヘネラル)』」

 

 

 

 霊圧の波が、崩れかかった柱を吹き飛ばした。

 

 

 --------

 

 

 晴れて破面(アランカル)となったニルフィは、思わせぶりな笑みを浮かべる藍染から、自由に行動していいという許可をもらった。

 ならばとウルキオラの背を追ってニルフィが付いていくと、

 

「どうしてお前が来る」

 

 彼の自宮の前でつまみだされる。首根っこを掴まれてひょいっと。

 この虚夜宮(ラス・ノーチェス)には娯楽の類が少ないらしい。ニルフィとしても天蓋の青空を眺めているだけで楽しいのだが、事前に藍染から面白い遊び場があると言われていたのを思い出す。

 そうしてワクワクしながら入って行ったのだ。

 

 そこが3ケタ(トレス・シフラス)の巣などとは知らずに。

 

 いたのはやる気、じゃなくて殺る気満々な先輩方。出会うたびに彼らが襲い掛かって来たのには驚いた。情けない悲鳴を上げながら背を向けるほど驚いた。

 --違う。たしかに遊びだろうけど、私はここに遊び心を見いだせないよ......。

 逃げまくっているうちに追跡者は一人となる。彼はグリーゼ・ビスティーと名乗り、ニルフィを追っていたほかの破面(アランカル)を一蹴し、自身も加わったのだ。

 

「......本気で俺と戦え。そうすれば用は済む」

「やだよ、そんなの。勝てるワケないもん」

「……勝てたのなら、俺はお前の配下になろう」

「いらないよ! キミみたいな大きい人なんて養っていけない!」

 

 ニルフィは見ていた。仮にも元十刃(エスパーダ)の数人が、グリーゼの一太刀で沈められたのを。自分もああはなりたくない。

 

「......戦えば、すべて分かることだ」

「死にたくないから却下!」

 

 そもそも自分の正確な実力をニルフィは量り兼ねている。ここの住人達と比べて霊圧が勝っているのは、探査回路(ペスキス)によってわかっていた。けれど当初の彼女の予定では、こまめに自分の力に慣れていき、あとは実力相応にのんびり生きていくつもりだったのだ。

 

「......あくまでしらばっくれるか」

 

 なにやら勘違いしているらしいグリーゼが、ふいに斬撃を止め、得物を床に突き刺す。

 --諦めてくれた? 

 ほのかな希望は、吹き荒れた霊圧によって砕かれた。

 

「踏み(にじ)れ『蟻殻将軍(オルミガ・ヘネラル)』」

「うわーーッ!?」

 

 霊圧の奔流で、ニルフィの死覇装がはためく。

 

「私なんかに使うのか......」

 

 なにをしたのか分かる。だからニルフィのほおは引きつった。

 帰刃(レスレクシオン)。帰刃する事により破面としての肉体に虚本来の肉体と攻撃能力を回帰させ、破面(アランカル)の【真の姿】と【能力】を解放し、戦闘能力は数倍にまで引き上げられる。

 

「グリーゼさん、そのぅ......ぶっちゃけ、土下座何回で許してくれる?」

「......それよりもやる気になったか?」

「なってたら土下座なんてしないよ!」

 

 視界が晴れ、ニルフィの探査回路(ペスキス)にも巨大な霊圧が眼前で引っかかった。

 そこにいたのは、おそらくグリーゼだ。

 たとえ重騎士じみた装甲を纏っていようと、目の前にいるだけで剣圧によって切り裂かれそうな圧力を放っていようと、グリーゼなのだ。

 彼の大虚(メノスグランデ)の姿は、(あり)をモチーフにしている。

 これだけならばあまり脅威ではないかもしれない。誰があんな生物にやられるかと、鼻で笑うかもしれない。

 しかし。しかしだ。人間も含め、すべての生物を同サイズにして戦わせた場合、その勝者に蟻という候補が必ず上がることも忘れてはいけない。

 

「それにしてもスゴいカッコいいね。こんな状況っていうか、私が相手じゃなければファンになっちゃいそうだよ。本当にそう思う」

「......光栄だ」

 

 頭部すらも騎士じみた仮面に覆われているグリーゼがかすかに頭を下げた。

 

「だから、さ。見逃してほしいなぁ~って」

「......なぜだ? お前ほどの強き存在が戦いを回避する理由が分からん。見たところ、お前は最上級大虚(ヴァストローデ)だな。新しい十刃(エスパーダ)ではないか?」

「それこそ買いかぶりだよ。だってさ、私って藍染様にまだ数字貰ってないんだよ」

「......なに?」

「戦力として期待されてないんじゃないかな。だからグリーゼさんの勘違いじゃないの? たしかに私は最上級大虚(ヴァストローデ)だよ。でも自分が君や藍染様が思うように、強いなんて思えないんだ」

「......かつてのネリエルと違い、単純に戦いたくないだけか」

 

 口では言いつつも、グリーゼは剣を降ろさない。

 

「......だが、俺が認めよう。お前は強いとな」

 

 ニルフィが片眉を上げ、続きを待つ。

 

「現にここの住人の攻撃を一度も受けていないな? 鋼皮(イエロ)で受けることすらせず、一度もだ。先の響転(ソニード)の練度は、俺が見た中で最高だったと評そう」

「そんなの、ただの小手先だよ。だってーー」

 

 ニルフィの眼前に突如として肉厚の刃が迫る。

 息を飲んでニルフィが背後に大きくトンボ返りした。

 剣は床に叩き付けられる直前に停止し、切っ先をニルフィに向ける。先端に霊圧が集束。

 

 虚弾(バラ)

 

 霊圧の奔流がニルフィを襲う。少女はグリーゼを中心とするように時計回りで疾走していく。それを追うように虚弾(バラ)が連続で放たれ、一瞬前までニルフィがいた場所を穿つ。流れ弾が遠くにいた住人達にも襲い掛かり、彼らは慌てて回避した。

 ニルフィが半円ほど移動したとき、グリーゼが切っ先に霊圧を収束させながら、柄を握る手をひねる。

 

 虚閃(セロ)

 

 極太の閃光が空気を焦がす。

 

「問答無用かぁ」

 

 気の抜けた声をポツリと漏らし、ニルフィはそれも回避した。真っ直ぐに飛ぶと分かっていたので、避けるのは容易い。

 が、

 

 響転(ソニード)

 

 直後、ニルフィの背後にグリーゼが出現した。彼女の首筋めがけて剣が突き出される。ニルフィがその場で跳躍。その間に体を半回転させ、そっ......と大剣の腹の上に右足を乗せた。

 そして左脚の先がグリーゼの顔面に向けられる。

 

 虚閃(セロ)

 

 放たれた霊圧の塊がグリーゼを吹き飛ばし、ニルフィは羽のように床に着地した。しかし顔色はすぐれない。

 

「無傷って……」

「......やればできるな。久しぶりに傷がついた。」

 

 グリーゼが煙の中からゆっくりと現れて悠々と剣を肩に担ぐ。彼の言う傷も、鎧の表面に髪の毛の先ほどの跡しか残っておらず、実質的に無傷だろう。

 

「......俺にはあまり派手な特殊能力が無くてな。ポテンシャルだけならそこそこあると自負している」

 

 堅実ゆえに、崩すのが難しい。

 

「......そろそろ、戦い方というものを思い出してきたか?」

「まぁ、そうだね。思ったよりグリーゼさんとは戦えそうだよ」

 

 ニルフィは手を握ったり開いたりして、深く頷く。

 凛とした表情になり、グリーゼを見つめた。

 

「......おお、そうか。これでやっと、本気の戦いができるというわけか。ここには戦いしか楽しみがなくてな。より強者との戦闘が俺はなによりも好きだ」

 

 嬉しそうに笑うとグリーゼは剣に霊圧を纏わせる。空気が鳴動し、塵がその場を引いていく。

 先ほどまでは様子見。ここからだと、気を張っていく。

 

「......来い」

「わかった。行かせてもらうよ。これが私の本気の」

 

 ニルフィが掲げた右手にまばゆいばかりの霊圧が込められ、

 

「--なんて言うわけないでしょッ!!」

 

 振り下ろす。

 

 幻光閃(セロ・エスペヒスモ)

 

 攻撃ではない。音もしない。

 しかし、無駄にキラッキラで気持ち悪くなるぐらい様々な色の光が乱舞し、周囲一帯を染め上げた。野次馬を含め、グリーゼの視界は完全に潰されるほど、その光量はすさまじい。

 

「人は言ったのさ。--逃げるが勝ちってね!」

 

 捨て台詞を残し、ニルフィの気配が消える。

 光の爆発はそれでもしばらくは続き、それが消えた後に残ったのは、あきれ顔のグリーゼだった。

 

 

 ----------

 

 

 グリーゼを出し抜いたニルフィは、ふらふらと崩れた廊下を進んでいく。

 あの戦いは茶番に成り下がったが、それでいいと彼女は思う。食事でもない限り命を奪うのは面倒だからだ。

 

「あれ、これって傲慢かな」

 

 ニルフィは頬を掻く。自分は今、面倒だから殺さないと思ったのだ。それは上からの強者の思考であり、忘れないようにしていた卑屈さは微塵もない。自然にそう考えてしまった己を恥じる。

 

「ん~」

 

 なんとなく、ニルフィは細くて脆そうな右手の人差し指を、壁に向けた。

 

 虚閃(セロ)

 

 グリーゼが使ったような轟音はなく、無音のまま放たれる閃光。けれどその威力は巨大は壁に穴を開け、遠くに見える塔を根元から粉砕した。やっちまったと思うものの、これでも抑えて撃ったのだ。

 

「ホント、中級大虚(アジューカス)までの私って何してたんだろ」

 

 なんとも、強い弱いの位置づけがあいまいになる。

 

十刃(エスパーダ)の人に会いに行こうかなぁ」

 

 探してみれば、記憶にしろ力にしろ、なにかが見つかるかもしれない。

 彼らはニルフィと同じように最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になった者もいるらしい。......いや、いるのだ。ウルキオラもそんなことを言っていた。先に彼から詳しく話を聴けば良かったかもしれない。

 

「そうなったら善は急げ~......って、あれ?」

 

 そこでニルフィは気づく。いまだに3ケタ(トレス・シフラス)の巣から脱出できていないことに。それと自分が極度の方向音痴だということが、知りたくもなかったけど思い出せた。

 

「............」

 

 グリーゼから逃げる時、来た方向とは逆に響転(ソニード)を連発して、さらに奥深くまで来てしまったことに思い至った。

 疲れていたのだろう。主に精神面で。藍染と相対した時のプレッシャーは知らずにニルフィを緊張させ、彼の悪意のある助言でこんな場所に来てしまった。そしていきなり一方的に襲われ続け、止めてと言っても聞かれない。

 気弱になっていたのだ。

 その場でしゃがみこみ、体を自分の腕で抱くようにした。

 しばらくフルフルと震えていたニルフィの大きな眼に、ぶわっと厚い涙の層ができる。

 

「--むおっ!? どうしたのかね、お嬢さん(ニーニャ)よ。静けさを湛えた湖面に映る月のような貴女は、このような血なまぐさく見苦しい場所は似合いませんぞ。しかし、吾輩としても、可憐なる(つぼみ)が涙で濡れてしまうのは忍びない。繊細なる硝子(ガラス)の心を削った傷が軽くなるというならば、(いや)しい吾輩にでも、その苦しみを分けさせてはくれないだろうか」

 

 そんなときだった。ニルフィがとある紳士と出会ったのは。




主人公の前に紳士さんがログインしました。


オリジナル技

幻光閃(セロ・エスペヒスモ)

霊圧のエネルギーを全て光エネルギーに強引に変化させた技。無駄なエネルギーを割かないので、無駄に効果時間も長い。主人公がその気になれば一日中は残る、非常に迷惑極まりない目くらましである。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

暴走紳士と親切な九番さん

 ラテン系ダンサーのような男性で、額に仮面の名残があり、着ている装束の腕部にはエルビス・プレスリーやボン・ジョヴィのステージ衣装の如きネイティブ・アメリカン・ファッション風のフリンジがある。

 彼はドルドーニ・アレッサンドロ・デル・ソカッチオと名乗った。ニルフィはその長い名前のせいで、ドン・パニーニ・アレキサンダー・デブ・スコッチという、食べ物と別人の融合した驚異の名前として覚えてしまう。

 そんなことを知らずにドルドーニは快くニルフィをエスコートし、外への出口へと案内していた。

 ニルフィは涙をぬぐってつっかえながら、自分の成り行きをドルドーニに話す。

 

「ふむ、それでこの場所に。藍染殿も人が悪い」

「それは、大丈夫。私もよく知らずに入っただけ、だからさ。でも、いきなり色んな人に襲われて、逃げてたら、グリーゼさんがいたの」

「ほお、我が同志(カマラーダ)ではないか。忠義を大切にする男だ」

「そ、その人が......えぐっ......大きなモノを振り回しながら、迫ってきて......強引に、(戦いを)シてきてっ」

「大きなモノを振り回しながら強引に!?」

「何度も、止めてって言ったのに、聞いてくれなくて......。でも、あの人だけ楽しんで、私は痛いのが嫌い、なのにっ。最後なんて、思いっきり突いてきて、ドパーッて、(虚弾(バラ)とか虚閃(セロ)を)何度も出してきて!」

「何度も突いたり出したり......だとぅ!?」

 

 ニルフィは俯きがちに歩いているため、とんでもない衝撃を受けて固まるドルドーニに気づいていない。何か致命的な会話の齟齬(そご)が二人の間にあるが、それを指摘できる者はいなかった。

 

「それで、怖くて逃げてたら迷ってたの。オジさんに会ってなかったらって思うと......」

 

 ほっとしたようにニルフィが顔を上げ、ドルドーニに笑いかける。

 ドルドーニからしてみれば、そのなんのことはない笑顔でさえも、無理をして弱弱しく作っているように見えた。......あくまで彼の主観だが。

 

お嬢さん(ニーニャ)、とても辛かったんではないかね?」

「平気だよ。命があるのなら儲けものだしね。でも、助けてくれたのがオジさんでよかった! キミみたいな紳士さんじゃなかったら、私、また襲われてたかもしれないし」

「くぅ! その無垢なる微笑みを見ていると、なぜか目頭が熱い......!」

 

 うんうんと頷くドルドーニに、そういえばとニルフィが訊いた。

 

「気を悪くしたら謝るけど、オジさんは十刃(エスパーダ)だったんだよね?」

「む、そうだが、それがどうかしたのかね」

「強さって、なんだと思う?」

 

 ふむ、と顎に右手を添えたドルドーニは、期待の込められた金色の瞳から視線を一度はずす。

 

「これは難しい質問だ」

「えっと、いきなりでごめんね。答えなんて決まってない問いなんだって分かってるんだけど」

「それは様々な答えがあるからこそではないかね。吾輩としても嫌いじゃない。......では、吾輩が答えを言う前に、少し身の上話から始めよう」

 

 ニルフィは緩やかな下り坂になった通路を歩きながら耳を傾けた。

 

「ーー吾輩は、今でさえ十刃(エスパーダ)に戻りたいと思っている」

 

 その告白に、ニルフィは僅かに目を見開く。

 

「失礼なこと言うけど、それってさ、藍染様は......」

「そう、藍染殿はきっとその十刃(エスパーダ)でさえ、戦いの道具程度にも思っていないだろう。それが最も忠実な下僕だとしてもだ」

 

 ドルドーニは廊下の奥の暗闇を見つめ、過去の記憶を辿っていった。

 

「解っていたことだ。崩玉が手に入れば、それ以前の十刃(エスパーダ)は用済みになることは。しかしそれでも残った者もいた。それが吾輩ではなかったことに、この3ケタ(トレス・シフラス)の巣にやって来てから、ようやく理解できるようになったのだ」

 

 背の低いニルフィは、ドルドーニの拳が音を立てそうなほどに強く握られているのを、横目で見ている。けれどわざわざ口に出したりなどしない。ドルドーニこそ、それが一番よく理解しているだろうから。

 

「だが、一度高みに立った者は、その眺めを忘れられぬものなのだよ。あの場所はたまらなく心地よかった。形はなくとも、甘美なる蜜を舐めるような、そんな場所だ」

 

 パチクリと目を瞬かせる少女に、ドルドーニが微かに笑う。

 

お嬢さん(ニーニャ)には少し分かりずらかったかね?」

「う~ん、ちょっとだけ」

「では、ここで吾輩の答えだ。力とは、象徴ではないかと思っている。もしかしたら他にもっと当てはまる言葉があっただろう。だが、ここでは象徴と表そうではないか」

「象徴?」

「そうだ。吾輩の力は衰えた。それゆえにここにいる。しかし、それを大切にすることに意味があるのではないかね? そのために、敵を斬ることを迷わず、止めを刺すことに躊躇ってはいけない。チョコラテのような甘さなど、どこかに置いていったほうがいいのだ」

 

 所々で大袈裟なジェスチャーを挟みながら、ドルドーニが締めくくる。軽い態度ではあるが、彼はニルフィがこの虚夜宮(ラス・ノーチェス)に来るだいぶ以前から、仮面を割ってここにいたのだろう。

 味わった苦渋や、舐めさせられた辛酸はニルフィには想像できない。

 とても重い言葉だった。

 歩くうちに出口がニルフィの目に映る。真っ直ぐな道なのですぐに出られそうだが、二人の脚は自然とゆっくりになっていた。短い交流でもお互いに別れを惜しんでいるのかもしれない。

 

「吾輩の答えは、役に立ったかね?」

「うん、ありがとう。オジさんの言葉、身に刻んでおくよ」

 

 広がるように流れる黒髪を揺らしながらニルフィが頭を下げる。

 

お嬢さん(ニーニャ)、顔を上げたまえ。あくまでこれは一つの例だ。答えは、君が見つけるものなのだよ」

「......見つけられるかな?」

「勿論だとも! 吾輩の剣に懸けて、誓おうではないか!」

「優しいね、オジさんは」

「なんてことはない。吾輩は本心しか口にしないのだよ」

 

 辿り着いた出口の前でニルフィは一度立ち止まり、そして軽い足取りで境目を潜り抜けた。

 

「オジさんは来ないの?」

「ああ、少し用事ができてしまってね」

「そっか、じゃあね、オジさん。きっとまた会うと思うけど!」

「吾輩もそんな気がするよ、帰りも気を付けたまえ、お嬢さん(ニーニャ)

 

 気障ったらしく大仰な仕草で一礼するドルドーニ。彼を面白そうに見つめたニルフィは、手を振って去って行った。

 ......しばらくそのままの体勢でいたドルドーニは、ポツリと呟く。

 

「......行ったか」

 

 特徴的な霊圧も探査回路(ペスキス)には引っかからない。

 それを確認したドルドーニは、片膝を付き、胸を押さえる。スポットライトでも浴びれば最高だろう。

 

「--くおぉおおぉぉぉ! なんと健気なのだ、あの小さな天使(ペケーニャ・アンヘル)は! 幼き肢体を汚されながらも、吾輩にあのような可憐な微笑み(アモロッソ・ソンリッサ)を向けてくれるなど! (フロール)か? 姫君(プリンセッサ)か? ああ、あのお嬢さん(ニーニャ)を今後どのようにお呼びすればいいのか......!」

 

 バッと手を差し延ばすも、そこにはもちろん誰もいない。一人劇場を続けるようにドルドーニは、さらに熱く、さらに激しくポージングを迸らせる。

 力の質問をしたのも、哀しき復讐のためなのだろう。彼の勘違いで、頭の中のニルフィは更に美化されるようだ。どの方向での勘違いかは、ドルドーニの名誉のために言及しないでおこう。

 

()くも心奪われるとはこのようなことか! あのような無防備にすぎる姿を衆目に晒し続けていると思うと、この身が(うず)いて止まん! ぐぅッ! 駄目だ吾輩! 彼女をそのような目で見てしまっては、襲い掛かったというケダモノと同じ......ッ! む、忘れていた!」

 

 当初の予定を思い出したドルドーニは、憤怒に顔を染めると、その場から響転(ソニード)で姿を消す。あのような可憐な少女に復讐など似合わない。

 行き先は決まっている。かつて良い盟友であったはずの男へと制裁をするのだ。残念である。あの寡黙な男の趣味がアレであり、ムッツリな野郎だったと思うのは。

 --ふむ、それにしても、不思議な少女だった。

 連続で響転(ソニード)を使いながら、その移動中にドルドーニは思考を別に裂く。

 思い浮かべれば、黒髪の少女の容姿はありありと描けた。

 何よりも特徴的だったのは、その霊圧だろう。それは本来、所有者の力量を表すものながら、ニルフィの持つ霊圧は言ってはなんだが不自然すぎる。絶えず質や形を変化させて、相手に力量を読み取らせないのだ。それだけ操作に優れているということだろうか。

 ニルフィが虚閃(セロ)を放った場面を目撃していなければ、不自然なだけで済ませただろうに。

 

「力を知りたい、か」

 

 そんな彼女の知りたがっていたことを思い出し、ドルドーニは口の端を吊り上げる。

 

「む、いたな、匹夫めが!」

 

 大量の太い柱のある部屋でグリーゼを発見したドルドーニは、その背中に問答無用で仮面のライダーばりの蹴りを右足で放つ。

 しかし直前で気付かれ、グリーゼは大剣の腹でそれを受け止めた。

 

「......ドルドーニか。何の用だ?」

「何の用、だと? 貴様がそれを言うか!」

 

 空中で受け止められたドルドーニは、回転しながら左足を振り下ろす。それに反応したグリーゼが大剣で迎え撃った。

 互いに弾かれるように飛びのき、各々が柱を足場として着地する。

 

「......だから、何の用だ? お前らしくもない」

「ええい、しらばっくれる気か! 同志(カマラーダ)、いや、犯罪者(クリミナル)よ!」

 

 響転(ソニード)を併用した後ろ回し蹴りの二連撃。それらを弾くとグリーゼは切っ先をドルドーニに向けるも、強烈な蹴りが剣の腹を叩き、閃光を天井に放たせる。

 少なくない瓦礫(がれき)が降ってくる中、ドルドーニがビシッと両手の人差し指をグリーゼに突き付けた。

 

「じ、か、く、あるのかね!? 貴様にはがっかりだ! まさか盟友と信じて疑わなかった存在が、ただのムッツリー二だったとはね!」

「......待て、なぜそうなる」

「己を満たすためだけに、儚き蕾の中を蹂躙しつくすとは、同じ(オンブレ)の風上にも置けん」

「......蕾? 本当になんのことだ」

 

 グリーゼの状況は自業自得なのか、とばっちりなのか判断に困るところだ。

 あらゆる方向から襲い掛かってくる豪脚を、弾き、いなし、防ぐ。ドルドーニの攻撃は苛烈を極めていく。

 

「ニルフィネス嬢のことだ! 忘れたとは言わさんよ!」

「......ああ、あの少女のことか。なかなか良かったぞ。逃がしてしまったが、もう少し時間を掛ければ、更に楽しめただろうに」

「--どうやら、貴様への贈り物(レガーロ)は、説得の言葉よりも滅びがいいようだ」

 

 目を細めたドルドーニが離脱し、少し離れた場所に突き立った柱に降り立つ。

 左手を斬魄刀の柄に添え、わずかに刀身を覗かせた。

 

 

(まわ)れ『暴風男爵(ヒラルダ)』」

 

 

 風が空気を切り裂きながら渦巻き、破裂するように消え去る。

 ドルドーニには、脚部に竜巻を模った鎧と、肩の部分に猛獣の角のような鎧が形成された。

 

「ゆくぞ、暴風男爵(ヒラルダ)

 

 ドルドーニの脚部の鎧の足首部分から伸びた煙突状の突起から、先端部が蛇のような形をした竜巻が生み出され、グリーゼへと鎌首をもたげる。

 

「......む、なにがなんだか分からんが、戦うのなら尚善し。踏み躙れ『蟻殻将軍(オルミガ・ヘネラル)』」

 

 装甲を纏ったグリーゼに向けて、蹴撃と合わせて撃ちだされた竜巻が牙を剥く。

 それがこの戦いの狼煙(のろし)だった。

 

 

 本日の破面(アランカル)による虚夜宮(ラス・ノーチェス)の被害、3ケタ(トレス・シフラス)の巣の一部の崩壊を追加。

 

 

 ----------

 

 

 そんなことが起こっているとは露知らず、ニルフィはふらりふらりと階段を上っていく。

 

「......迷った」

 

 彼女の頬を、一筋の汗が伝った。

 

「あれ? ホントになんで? ウルキオラさんのトコに行こうとしたのに、まったく見覚えのない場所に来ちゃったよ」

 

 とりあえずこの長い長い階段を昇れば、高い所から見晴らし良く探せるだろう。そう当たりを付けて、ニルフィは足を動かし続けた。

 

「よしっ、とうちゃーく!」

 

 飛び出たのは予想通り高い所だ。しかし出口から繋がるように、橋のような通路が一際高い建物へと続いている。その屋根はさらに高い所にまで伸びているようで、そこまで登ればさすがにウルキオラの場所も分かるだろう。そう思い、上空を見上げながらニルフィは通路を歩き始めた。

 

「--僕ラニ何カ用カイ?」

「もしかしてキミは、十刃(エスパーダ)の誰かかな」

 

 背後に突如として現れた人物に驚くことなく、ニルフィは振り返って尋ねる。

 八つの小さな穴が開いた縦長の仮面を着けており、ヒラヒラした貴族のような服を着ていた。

 

「オレに何か用かと訊いたんだが」

「訊コエナカッタカナ?」

「ああ、ごめん。私はニルフィネス・リーセグリンガー。どうかニルフィって呼んでね。それとキミに用って話だけど、そうじゃないの。ウルキオラさんの場所に行きたいんだけど迷っちゃって、この宮の屋根から見下ろして探そうと思ってさ」

「なるほど。あのガキの場所か。ここからだとかなり遠いぞ」

「え、そうなの!? 3ケタ(トレス・シフラス)の巣からやっと出られたのに!」

「ソコマデ行ッタノカ。......マア、イイカ」

「オレの宮に古いが地図があったはずだ。それをやるから持っていけばいい。ついて来い」

 

 仮面男は響転(ソニード)で宮の扉の前まで移動する。ニルフィもそれに倣うと、同時に扉が開かれた。

 明かりはなく、とても暗い場所だ。

 どこでも光のあった虚夜宮(ラス・ノーチェス)の中で異様な光景に見える。

 

「ドウダイ? オカシク思ウダロウ?」

「オレはどうも陽の光ってのが苦手でな。陽が届かないように、この宮は閉鎖しているんだ。悪いな」

「大丈夫だよ、私は夜目が効くし」

「ソウ、ナラ良カッタ」

「ああ、そうだ、まだ名乗ってなかったな」

「仮面ヲ取ッテ、挨拶スルヨ」

 

 部屋の中央に立った男はニルフィに見えるように仮面をはずす。

 その姿を見て、ニルフィは絶句した。

 破面(アランカル)とは、個体差はあれど人の形を保っていると思っていたのだ。

 しかし、彼はどうか。

 首から上が薄紅色の液体で満たされた透明なカプセル状でその中に虚を思わせるボール大の頭が2つ浮いており、上側の顔は右目付近、下側の顔は左頬の近くに『9』の刻印がある。

 

「僕ラガ、第9十刃(ヌペーノ・エスパーダ)

「アーロニーロ・アルルエリだ」

 

 声が交互に聞こえるのは、声の主が二人いたからだった。

 

「やっぱ驚いてやがるな」

「えっと、ごめんね」

「顔ノ事ナラ、黙ッテナヨ。僕ラコノ顔ノ感想ナラ」

「疾うの昔に聞き飽きてる」

「でもすごいカッコイイよね、その姿」

「ハアッ!?」

 

 ニルフィの感想に二つのうち一つの球体が驚愕の声を上げる。声を出さないだけで、もう一つの球体も驚いているだろう。ニルフィが言ったような感想は初めてだ。

 

「俺は十刃(エスパーダ)で唯一の下級大虚(ギリアン)だ。第一期(エスパーダ)の生き残りでもある。だがな、未完成の崩玉でさらに下級大虚(ギリアン)のせいで完全な人間形態じゃない。醜いだろ?」

「--なんで? 私はカッコいいと思うよ。特にそのカプセルの形とか、キミたちの顔とか」

「馬鹿ニシテルノカイ?」

「どうして本人を前にして、それも十刃(エスパーダ)の人に面と向かって言わないといけないのさ。素直な称賛ってやつだよ。それにしても中身の赤い液体ってどうなってるの?」

 

 興味深々といった様子で近づきながらまじまじとニルフィはアーロニーロを見つめる。それにたじろぐようにアーロニーロはわずかに身をのけぞらせた。

 

「なんだ、お前は」

「ニルフィだけど」

「......怖ガラナイノカ? 忌避シナイノカ?」

「全然」

 

 即答したニルフィにアーロニーロはため息をつくように肩を落とすと、右手で左手にはめられた手袋を取り外す。

 その下の左手は絡み合いながら手の形を形成した無数の触手であり、肉食植物のような口も蠢いている。

 

「これが、オレの能力の喰虚(グロトネリア)だ。死した(ホロウ)を喰らって、その能力と霊圧を我がものとする能力(チカラ)。オレがここまで十刃(エスパーダ)に残ったのは、オレが唯一無限に進化する破面(アランカル)だからだーーって、オイ」

「なーに?」

「ドウシテ勝手ニ僕ノ手を触ッテイル」

「結構弾力あるね。意外と滑り気はないんだ」

「............」

 

 アーロニーロが手の口でニルフィの細腕を噛みつく仕草をすると、彼女は楽しそうに腕を引く。

 それがアーロニーロには不可解だった。

 

「なぜだ?」

「そうだね、それってキミの能力なんでしょ。なんていうか、私には興味しかないんだ。それがキミの個性なんだって思ってるんだけど......それに、キミには敵意なんかが感じられないから。それだけの説明じゃ、ダメ?」

 

 左手に手袋を戻したアーロニーロは無言のまま壁際に移動し、そこに収容された紙を取り出す。

 巻かれた分厚いそれをニルフィに投げ渡すと、追い払うように手を振った。

 

「ありがとう、アーロニーロさん。でも私たちって初対面だよね? なんでここまで良くしてくれるの?」

「藍染サマカラハ君ニヨクシテオケッテ言ッテタカラ」

「あの人が?」

「珍しい奴だと言ってたが、まさにその通りだったな」

「えへへへ、ありがとう」

 

 皮肉だとは思わずに照れくさそうにニルフィは頭を掻く。首をひねるようにしたあと、アーロニーロが言った。

 

「さっさと行け。この宮にいても面白いことはなにもないぞ」

「あ、それでさ、一つだけ質問したいの。答えを聞かせてくれたらすぐに出ていくから」

「......何カナ」

「キミにとって、力ってどういう物なの?」

 

 カプセルの中の二つの球体が互いに目を合わせる。

 

「どういうことだ」

「つまり、キミは十刃(エスパーダ)なんだよね? 下級大虚(ギリアン)だからっていっても、その辺の人になんか負けないくらい強くて、それで力があるんでしょ? それがどういうものなのか私は知りたいんだ」

「知ッテドウスル」

「私の正体を見つける手掛かりにする。それだけ」

 

 アーロニーロはしばらくじっとしていたが、刀を抜き放つと言葉を紡ぐ。

 

 

 

「喰い尽くせ『喰虚(グロトネリア)』」

 

 

 

 メキリ、と音がして、ズルリ、と這うものがある。

 質量を爆発的に増大させたアーロニーロは、その姿をニルフィに見せた。下半身が巨大な蛸のような姿に変わり、(ホロウ)であろう顔が苦しげに蠢いている。

 

「これは、今までオレが喰らった33650体にも及ぶ(ホロウ)の能力を全て同時に発現できるようになる」

 

 誇るかのように、アーロニーロは両腕を広げた。

 

「僕ニトッテ、(チカラ)トハ、歴史ダ」

「途中で果てることもなく、この力が強化されていく分だけ、オレがいたという証拠なんだ」

「コノ大軍勢ヲ見テホシイ。ココマデニナルノニ、ドレホドノ時間ヲ要シタカ解ルカ?」

「確かにこれはオレが研鑽した結果の技術でもなければ、努力などいった報酬じゃあないぜ。けどな、力を奪おうと、喰らおうと、オレがそこにいた。それだけは揺るぎない事実だ!」

 

 吼える。アーロニーロの誇りが込められた叫びだ。

 見上げていたニルフィは、その姿を見て、笑う。とても嬉しそうであり、待ち望んでいたようでもあった。

 

「そう......それがキミの答えなんだ」

 

 元の姿に戻ったアーロニーロは深く頷く。

 

「うん、ありがとう。参考になったよ」

「ソレハ良カッタ」

「また遊びに来るね」

「もう来んじゃねえよ、貧乳のクソガキ」

「あ、ひどい! ていうか、仕方ないじゃん、こんなに子供っぽい姿なんだから! それに少しはあるよ!」

「エ? ドコ? ......アー」

「無きにしも非ず、か」

「覚えててよアーロニーロさん! 絶対にここに戻ってきたときは、ナイスなバディになってくるんだからさ!」

「......さっさと行け」

 

 ニルフィが響転(ソニード)で姿を消す。その直前に舌を出していたのは愛嬌だろう。

 

「なんだったんだか、アイツは」

 

 不可思議な少女のことを考え、アーロニーロはやれやれと首を振った。

 特に悪い気がしていなかったのが腑に落ちないだけだが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

老人と同世代って思うと複雑だよね

 アーロニーロから貰った地図を手に、ニルフィは空中を駆けている。地図の方向通りに彼女は従っていた。

 この時のアーロニーロの間違いは、彼がニルフィに付き添わなかったことだろう。もしくは、地図の正しい使い方を教えなかったことだ。

 その手に持っている地図の持ち方が逆とも知らずに、ウルキオラの宮があるであろう方向に高速移動中だった。

 

「うんうん、なるほど。......合ってるね、さすがアーロニーロさん」

 

 いや合ってないから。そうツッコミを入れるものはこの場にはいない。

 探査回路(ペスキス)も普段ウルキオラは霊圧を抑えているので、あまり頼りにはならなかった。

 巨大な誰かの宮が見えてきたとき、ニルフィは適当な塔の上に着地する。地図とにらめっこし、その方向にウルキオラはいないと思うことなく、目的地を見定めた。

 

 虚閃(セロ)

 

 直後、閃光がニルフィめがけて放たれる。

 

「うわっ!?」

 

 何人かがあとを追ってきているのは知っていたが、まさか攻撃してくるとは思わなかった。避けなくともいい威力に惑わされ、ニルフィの回避行動はギリギリまで遅れる。

 

「待て、チビ助」

 

 ニルフィと同じ高高度に浮かぶのは、虚ろな表情をした巨漢。顎に仮面の残骸がある。異様に長く大きな腕をしていた。

 そちらには目も向けず、ニルフィはプルプルと体を震わせながら、手の中の物を見つめている。

 巨漢がゆっくりとした口調で言った。ニルフィの手にある地図の成れの果てのことには気づいていないようだ。

 

「バラガン様がお前に会いたがテルヨ。早く来るイイネ」

「......が」

「うん?」

「アーロニーロさんの地図が!」

 

 巨漢が気づいたときには、ニルフィはその頭頂部の上に姿を現す。その男、破面・No.25チーノン・ポウは訳も分からないまま目を見開くばかりだ。

 

「なにがーーゴポォッ!?」

 

 その頭頂部に、小さな拳が振り下ろされた。

 

 虚弾(バラ)

 

 弾丸として放たなくとも拳に霊圧を纏わせた、虚閃(セロ)の二十倍もの速度を持つ打撃。

 ポウには一撃に思えたかもしれないが、実際には両手を使って八発は殴られている。

 頭部が首に陥没させられながら、ポウが眼下の地面に墜落した。その衝撃で白砂が噴水のように吹き上がる。

 それを冷たく見下ろしていたニルフィはハッと我に返った。

 

「......あ、やっちゃった!」

 

 思わず殴り落としたことに少女は口元を手で覆う。その隙間から灰になった紙の欠片がこぼれた。

 自分の致命的な方向音痴を自覚しているニルフィには死活問題であり、命綱である地図を燃やされるのは、殺されることと同意義なのだ。やりすぎかと思うかもしれないが、地図を持っていても迷う特性は筋金入りだった。

 パンパンと、この場には不釣り合いな拍手。

 

「これは驚きだ! まさかあそこまで躊躇いなく攻撃態勢に入るとは思わなかった」

 

 顔の殆どを仮面の名残で覆われた長髪の男だ。 

 その余裕のある物言いにニルフィがむっとする。

 

「私を試したの?」

正解(エサクタ)! バラガン陛下は君にご執心のようなのでね。今のは挨拶代わりさ」

「さっきの人って仲間なんでしょ。殴り倒した私が言うのもなんだけど、心配してあげたら?」

「平気だ。ポウはバラガン陛下の従属官(フラシオン)の中でも、腕力やタフネスは群を抜いている。ポウ! いつまで寝ているつもりだ! このお嬢さんを陛下の御前へと案内するぞ! ......ポウ?」

 

 長髪男がいぶかしげに砂煙をあげる地面を見下ろす。

 風が吹き、そういった煙幕は消え去った。

 クレーターの中心で仰向けに倒れているポウは、潰れて息のあるカエルのように痙攣している。

 

「あ、そうだ。あの人の急所に一発ずつ拳を打ち込んで霊圧を乱したから、すぐには起き上がれないと思うよ。ダメージはそんなにないから治療すればすぐに治ると思うな」

「......ふむ、どうやら俺たちは君の実力を量り兼ねていたようだ」

「そういうキミもそんなに霊圧がないね。隠し玉?」

「まあ、そんなところさ」

 

 右手に付いた刃を長髪男が吹くと、どこからか大型の(ホロウ)が現れて、ポウを運んでいった。

 

「いや、なに。悪かったね。俺はバラガン陛下の従属官(フラシオン)、フィンドール・キャリアスだ」

「さっきから陛下陛下って、ここのラスボスって藍染様じゃないの?」

「我らにとってはあの男ではなく、バラガン様が主人であり神だ。そこを間違えないようにしてほしい」

「ふぅん、そっか」

 

 フィンドールと会話をしながら、先程から引っかかっているバラガンの名に考えを巡らす。

 

「もしかして、そのバラガンさんって私と知り合い?」

「面白いことを言う。陛下は君に何度も傘下に入るように仰られていたのに、それを無下にしてきたのはどこの誰なのだろう」

「そうなの?」

「その通りさ。今じゃ破面・No.2(アランカル・セグンダ)ではあるのだがね」

「............」

 

 そういえばと、記憶の片隅に積もる埃のような手ごたえがあった。この虚夜宮(ラス・ノーチェス)には一度、ニルフィは来たことがあるのかもしれない。その時は天井なんてなかったし、多くのエサ......訂正して大虚(メノスグランデ)がたくさんいたのだ。エサの保管庫みたいに思ってたかも。

 

「流石の陛下も君のようなじゃじゃ馬は扱いきれないと、諦められたのだがね」

「質問、いいかな?」

「ああ、どうぞ」

「そのバラガンさんって、最上級大虚(ヴァストローデ)?」

正解(エサクタ)! 我ら陣営では、いや、あのような人に勝てる存在はいない」

「そっか。そんな偉大な人が、私みたいなニューピーに会いたがってると。断ればどうする?」

「力ずくになってしまうな」

 

 フィンドールは肩をすくめた。

 十刃(エスパーダ)に会ういい機会かもしれない。同じアーロニーロも藍染からはいいようにしてほしいと言われていたので、会いに行ってもさすがにひどいことはされないだろうという、計算からも来る。

 ニルフィの過去についても何か知っているかもしれない。

 それに、十刃(エスパーダ)で二番目の人に、あの質問をするのもいいだろう。

 

「分かった、付いてくよ」

「そうか、それはよかった」

「代わりにさ、さっきのポウって人が台無しにしてくれた地図の代わりがほしいんだけど」

「いいだろう。すぐに下の者に手配するよ。そうと決まれば行こうか、陛下も首を長くして待ってるだろうしね」

 

 頷くと、二人は響転(ソニード)を使ってその場から消えた。

 

 

 ----------

 

 

 バラガン・ルイゼンバーンは、大帝の二つ名を持つ豪胆な態度の老人である。『虚圏の神』を自称し、さらに、かつての『虚圏の王』であるため、従属官(フラシオン)達との間には絶対的な上下関係が存在し、陛下と呼ばれているのだ。

 

「意外と素直に来たのだな」

 

 そんな彼は、自分の宮の玉座へと続く道をゆっくりと歩いて行く。

 藍染から面白そうに与えられた情報では、かつて傘下へと何度も勧誘しながら、しかしなびくことがなかった存在が破面(アランカル)になったというのだ。

 あの狂犬のような存在がどうなったのか楽しみだ。

 時にはかつての虚夜宮(ラス・ノーチェス)に現れてバラガンの配下を踊り食いし、時には勧誘の旨を伝えにいった配下が貪られた。さすがに会話も出来なければバラガンでも御せない。しばらくして、バラガンは勧誘をあきらめた。

 藍染が虚夜宮(ラス・ノーチェス)を制圧してからはぱったりと姿を現すことがなくなり、バラガンは死んだものと思っていた。しかし違った。生きていたのだ。

 それが単に、エサのある虚夜宮(ラス・ノーチェス)の場所が分からなくなり、延々と辺境を彷徨っていたなどとは思いもしないだろうが。

 今さらどうしようなどという狭量はバラガンにはない。破面(アランカル)となり、その人と成りがどのようになったのかを見てみたくなったのだ。

 かつての意趣返しと戯れにポウを差し向けてみれば、返り討ちにされたらしい。しかしポウは死んでいなかった。かつてのあの化け物なら、ポウは消滅なりさせられていた。

 

「さて、楽しみだ」

 

 そう言って、配下の者に扉を開けさせると、玉座の間にバラガンが入る。

 彼の玉座は一段と高い所に設置され、他のものを見下ろせるようになっているのだ。

 いつもここは配下が静かに控えている。しかし今回ばかりは違ったようだ。

 

()ってやる、()ってやる!! ()ってやるぜえ~~~~~!!」

()ってやる、()ってやる!! ()ってやるぅ~~~~~~!!」

 

 何かいた。

 小さな存在は腰だめにした腕をぶんぶんと精いっぱい振りながら、バラガンの配下であるアビラマ・レッダーと張り合っている。アビラマが暑苦しいのに対し、少女の叫びは子犬の威嚇ほども怖くない。

 

「ハッハァッ! それにしてもいい叫びじゃねえかチビ助! ここまで(たか)ぶったのは久しぶりだ!」

「ふふん、肺活量は自慢なんだよ。私にチビなんて言うアビラマさんには負けないさ」

「オゥ! 言ってくれんじゃねえか!」

 

 バラガンの見覚えのない小さすぎる影は、今度は別方向に駆けていく。

 そこにいるのは頭部にカチューシャ状の仮面の残骸を残し、紫色のエキゾチックな髪をした、厳つい容姿をしたオカマ。バラガンでさえ、実力を知っていなかったら絶対に拾っていない濃い存在だ。

 

「どうだった、シャルロッテさん!」

「あ、らぁ~ん、ニルフィちゃん。女の子があんなにはしたなく叫んじゃ、ダ・メ・ヨ」

 

 バチコーン! という擬音がしそうな凄まじいウインクをかましながら、むさいオカマもとい、シャルロッテ・クールホーンが屈みこむ。少女と目線を合わせるにはそうしないといけない。

 

「シャルロッテさんみたいに優雅にしてないといけないってこと?」

「そうよ、分かってるじゃない! 最近の男どもなんて、私の美しさを一片も理解できなくてね~。ホント、ニルフィちゃんのことを見習ってほしいものだわぁ」

「顔が悪くなっちゃうから、そんな顔しないで」

「もう! 優しいんだから!」

「あははは~」

 

 このニルフィという少女は一言も、シャルロッテのことを『可愛い』顔とは言っていない。無垢な表情ながらえぐい一面を笑顔のまま見せている。

 シャルロッテもやんやと担がれて悪い気はしていないようだ。

 

「......どういうことだ、これは」

「へ、陛下! 申し訳御座いません!」

 

 玉座のそばにいつも控えさせている二人の側近は、慌てて膝をついた。

 

「ニルフィネス・リーセグリンガーを確かに連れてきました。ですが、ここに連れて来た時、ポウを倒したという報告からアビラマが突っかかりまして。そして彼の叫ぶ儀式(笑)にあの少女が初めて付き合ったことから意気投合。擁護していたシャルロッテも、ニルフィネスが煽りに煽って、こちらも意気投合し......」

「お前たちでは収束が付かなくなったということか」

「誠に、誠に申し訳ございません!」

 

 二人の側近たちの服はボロボロで、止める努力はしたのだろう。

 それには言及せずに、バラガンが大きく咳払いをした。

 騒ぎまくっていたアビラマとシャルロッテは一瞬だけ固まり、すぐに自分の持ち場に響転(ソニード)を使ってまで移動。その直前に少女の耳元で何かを囁く。おそらく助言だろう。

 ドカリと玉座に座り込んだバラガンは、ぽけっと突っ立つ少女を見下ろす。

 

「貴様が、あの化け物だとはな。とても信じられん」

「お初にお目にかかります、バラガンへーか。ニルフィネス・リーセグリンガーです」

「初めて会うわけでもないだろう」

「いえいえ、私には最上級大虚(ヴァストローデ)になるまでの記憶がなくなっているので。そしてこうやってキミに会うことも初めてだと思うの」

 

 ほおにかかった濡れ羽色の髪を後ろに流すように礼をしながら、ニルフィが言った。

 その言葉にバラガンの従属官(フラシオン)達は様々な反応を見せる。

 驚愕、好奇、興味、恐怖。最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になったことに反応を見せた。

 

「新しい十刃(エスパーダ)か?」

「ちがうよ。だって数字もまだもらってないし」

 

 外周はいぶかしげにニルフィを見るも、バラガンはあえて無視する。

 

「そうか、しかし(わし)の勧誘は受けなかったいうのに、ボスのは受けたとはのう」

「さあ、どうだろうね? 中級大虚(アジューカス)までの私には理性がなかっただけかもしれない。最上級大虚(ヴァストローデ)になってからなのさ、ハッキリ自我を認識できるのは。それについて何か?」

「貴様は昔、我が配下を何体も喰らっているのだ」

「それは、えっと」

 

 気まずそうにニルフィは目を逸らし、過去を辿った。少しだけ思い出せそうだ。バラガンなんたらと言っていた(ホロウ)をお菓子感覚でパクつき、バラガンのことはお菓子をくれる人と認識していたようだ。

 これをそのまま言ってはダメだ。

 

「......おいしかったです?」

 

 言ってから、ニルフィは逃げ出したくなった。バラガンだって自分の配下をお菓子代わりに喰われ、さらに感想まで聞かされてはたまったものではないだろう。

 しかし予想に反し、呆れたため息が返って来た。

 

「やはり、その姿になっても変わっておらんな」

 

 ニルフィは一歩前に出た。

 

「バラガンさんは、私の過去を知ってるの?」

「ああ、知っておる。おそらく今の貴様よりはな」

「教えてくれるかな?」

「見返りもなくやれんのぉ。どうだ、ニルフィネス。この際、儂の傘下に入らんか? 下につけとは言わん。必要なのは力だ」

「......私の間違いじゃなければ、それは藍染様を引き摺り下ろすってことかな」

「頭の回転が早いな」

 

 ニルフィは笑顔の奥で考える。

 バラガンの重厚な自信は、おそらく彼の能力によるものだ。それでも藍染に勝つには心もとないのだろう。ニルフィが入ったからといって変わるとも思えないが、バラガンは見たこともない今の彼女の力に自信を見出している。

 だが、

 

「ごめんね。それだと私は受けられないよ」

 

 少しだけ悲しげにニルフィが呟く。

 

「あの人には勝てない。それだけは確かさ」

「お前が儂からの頼みを断るには、それ以上の相応の理由があるのであろうな?」

 

 バラガンが肘掛に乗せた指で先端を叩くと、はめられていた髑髏が割れる。この玉座の間に集まっていた彼の配下が霊圧を高め、空気が鳴動していく。アビラマとシャルロッテは乗り気ではないようだが、この二人がいようがいまいが数の上では大差ない。

 ニルフィは本当のことを言おうかと思うものの、それでバラガンは納得するか微妙だ。

 適当に流そうと思う。

 ポッと白い頬を染め、ニルフィがもじもじしながら答えた。

 

「だって、私の体は全部、藍染様の物なんだ。こうして破面(アランカル)化をするときに、その、いろんなところを(いじ)られて、さ。まさか藍染様があんな趣味でーー言わせないでよ、もう」

『なに!? なにがあったの!?』

「散々(もてあそ)ばれて、あの東仙って人がいないと、壊れそうだったの。私ってほら、未熟な体でしょ? 一杯乱暴されるとーーもう、なに言わせてるのさ」

『なに!? 本当にナニがあったの!?』

 

 外野が騒ぎ立てるのを手で制してバラガンは厳かに口を開く。

 

「つまり、断ると」

「そうだね。さっきのは悪ふざけだよ......半分」

『半分、だと!? 藍染様はこんな小さな子になにを!』

「ええい、黙っとれ馬鹿ども! 騒ぐ奴はここから出ていけ!」

 

 やはり、このニルフィといるとどうもバラガンの調子は狂う。今も、昔も、変わらない。

 勧誘の件はもしくは、といったぐらいの提案だ。断られるのも見越していた。

 

「儂からはこれ以上ないぞ」

「そっか、じゃあ一つ訊いてもいいかな」

「昔話なぞ話すこともないわ」

「ううん、違うの。これはアーロニーロさんとか、強い人に会ったら訊こうと思ってるんだけどね」

 

 パーカーのような死覇装のフードを揺らめかせ、ニルフィがバラガンの前に現れる。

 それにバラガンの側近二人は動きかけるも、主の静止でしぶしぶ腰を落とした。

 少女は笑う。

 

「バラガンさんにとって、力ってなに?」

 

 それをバラガンが哄笑する。

 

「ハッ! 小娘、それを儂に問うか。決まっておるわ。力とは儂の『老い』こそが、この世界で絶対唯一よ」

「......無駄に歳くってるってこと?」

「違うわ馬鹿者」

 

 嗤った。それを見たニルフィは背筋が凍るのを感じ、姿をその場からかき消す。

 

「ほお、今のを避けたか」

「なに、さっきの」

 

 ニルフィがバラガンのいる玉座より少し低い位置から見た。さっきまでニルフィがいた床が、塵へと還る。

 バラガンは『老い』と言った。ならばこれは、時間が経ち風化してそうなったのだと分かる。

 あれをまともに食らっていれば、ニルフィは骨と化し、さらに消え失せるだろう。改めて、昔の自分はよくこんな化け物にちょっかいを出せたと、変なところで感心する。

 

「ああ、小さい小さい。死神も人間も(ホロウ)破面(アランカル)もそれぞれの違いも(いさか)いも! 意志も自由も鳥獣も草木も月も星も太陽も! この力の前にはすべて取るに足らぬことよ」

 

 自らの力を部下に改めて宣言するように、バラガンは声高らかに謳った。

 

「だからこそ、この力以外の事柄は、すべて等しく小さきこと」

 

 バラガンがゆっくりと指をニルフィへと向ける。彼は破面(アランカル)となり、人と姿は変わらない。それでもニルフィはその指を骨だけのような節くれた姿として幻視した。

 

「拮抗する力の中に、平等は生まれぬ。儂のこの()には、貴様の命も蟻の命も、等しく同じに映っているぞ。それを努々(ゆめゆめ)忘れることでない」

 

 どこかでこの人物のことを侮っていたかもしれないとニルフィは思い、自分を(いまし)める。それで足元をすくわれて命を刈り取られればおしまいだ。

 ようやくニルフィはハッキリとバラガンを思い出す。

 あの骸骨の大帝の姿を。

 

「そう、ありがとう。キミの答えはよくわかったよ」

「下々の望みを叶えるのも王の仕事だ」

「それだったら過去のこと教えてくれても......」

「なにか言ったか?」

「なーんでも」

 

 フィンドールがニルフィのそばにやってくる。頃合いを見計らっていた彼は、ニルフィの手に新しい新品の地図を握らせた。

 礼を言うと、ニルフィはバラガンに背を向ける。

 

「行くがよい、小娘。縁があればまた会うだろう」

「縁なんて誰にでもあるよ。会うはずのない人にだって繋がってるんだからさ。私の記憶はないけどさ、こうしてキミと会うのは、なんか懐かしい気がする」

「言いよるわ、小娘が」

 

 あと一つ、と響転(ソニード)を使う直前に、肩越しにニルフィは振り返った。

 

「その絶対の『力』に、キミ自身は逆らえるのかな?」

「どうであろうな」

 

 王としての姿を崩さないバラガンを見て、ニルフィは小さく笑うと、今度こそ姿を消す。

 失礼だと分かりつつも、フィンドールがバラガンの前で小さく零した。

 

「それにしても、不思議な少女でしたね」

「不思議、か。それだけで済めばよいがの」

 

 バラガンは集まった配下たちを見下ろす。かつてバラガンの配下として早くから仕えていたものほど、ニルフィが去ってから荒い呼吸を繰り返して、普段は見せることもない動揺を表に出していた。中には気絶しているものもおり、ニルフィが過去に残した傷跡は深い。

 ニルフィの正体が『アレ』だと理解したことで、ただそれだけでこのザマだ。

 

「ーーしかし、ああして言葉を交わらせると、冗談も言えるとはな。昔はあのような可愛げがあるなど、思いもしなかったわ」

「......僭越(せんえつ)ながら、陛下。あの少女にそこまで力がおありでしょうか? 見たところ霊圧もかなり不安定。とても戦いに向いているとは思えません。俺ごときでもその気になれば」

「逆に喰われるだろうな」

「それは」

「馬鹿者。あれは見かけだけだ。それで舐めてかかった痴れ者の末路を、そこで気絶しておる者にでも聞け。儂には分かる。見間違うはずもない。間違いなく『アレ』だ。こうしているが、最後に我が配下に引き入れられなかったのは痛いぞ」

 

 ここまでバラガンが評価するのは珍しい。

 フィンドールは興味が湧くものの、バラガンが直々にニルフィへの観察以上の干渉を禁じるとの命令を下した手前だ。諦めるしかないだろう。

 配下たちを戻し、一人玉座に座るバラガンは、誰もいなくなった空間を見つめた。

 

「さて、はて。今度は誰が『アレ』の犠牲になるのやら」

 

 記憶がないと言った、黙っていれば深窓の令嬢のような少女。

 彼女の記憶が戻った時にどうなるのかを想像し、バラガン呵々(かか)と嗤った。

 もしかしたら、この『老い』の力で、消滅させてやる未来を想像して。

 

 

 

 

 道中、ニルフィは背中に寒いものを感じたとかいないとか。




次回は三番さんのところに迷い込みます。
ガールズ・ラブのタグが力を発揮する時かもしれない......。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

社畜への道

お気に入り登録、評価共々ありがとうございます。ちょろっとランキングにも載ってました。皆さんのおかげです。


 あまりにも巨大すぎる構造物である虚夜宮(ラス・ノーチェス)、その中にはこれもまた巨大な構造物がいくつも存在し、影では藍染でさえすべて把握しているのか怪しいと囁かれているほどだ。

 偽りの青空の下、それぞれの十刃(エスパーダ)は与えられた宮殿でその日々を過ごす。

 力に磨きを掛ける者。怠惰を貪る者。趣味嗜好に没頭する者。

 個性豊かであることが自然となった十刃(エスパーダ)であるため、その過ごし方も十通りとなる。

 その中の一つ、第3宮(トレス・パラシオ)。その名前のとおり、第3十刃(トレス・エスパーダ)を主とする宮殿だ。

 宮の中ほどから外に飛び出した、広場といって差し支えない場所に人影があった。

 現在の破面・No.3(アランカル・トレス)であるティア・ハリベルは、宮の屋上で腕組みをしながら立っている。

 金色の髪と褐色の肌が特徴的な女性の破面(アランカル)だ。腹部から胸の下までもが露わになった白い死覇装から覗く腰や腹部はすらりと引き締まり、顔の下半分がファスナーで隠れてはいるが、真っ直ぐに前を見つめるその翡翠色の両眼には強靭な意志が宿っている。 

 気高く、美しい女性だった。

 気まぐれで風に当たってこようと思い、ハリベルは外に出てきている。特に変わり映え無い風景。それは理解しており、この城に来てから何度も見ている光景だ。

 つまらない、とは思わない。彼女自身気にしていないだけでもある。あるがままだと認識しているし、ハリベルにとって生きているうえで最も重要なことは他にあるのだ。

 なので、こうして外に出ているのは物思いにふけっているからかもしれない。

 

「......これは」

 

 探査回路(ペスキス)に引っかかった霊圧にハリベルが意識を浮上させた。

 覚えのない霊圧だ。それが凄まじい速さで一直線に、螺旋状に回転しながら宮に迫ってくる。どこかの十刃(エスパーダ)の襲撃かと思ったが、この時期に来るような馬鹿はさすがにいないはずだ。それに十刃(エスパーダ)同士で会うのも藍染の召集以外ではあまりない。

 そうしている間に謎の物体はハリベルに向かってきた。

 しかし、すぐに様子がおかしくなる。

 物体は途中で力尽きたようにひゅるひゅると情けなく、空気を吐き出し終わりそうな風船のように飛んできた。ハリベルが右手を伸ばしてガシッと軽く掴めたほどだ。

 少女だった。跳ねまわった鴉の羽のような髪が目に入り、次にその小柄な体躯がぶらりと垂れ下がる。腹部で開いたパーカーのような珍しい死覇装を着ていた。

 アイアンクローをする形で少女を掴んだハリベルは首をかしげる。

 

「どうした。藍染様からの遣いか何かか?」

 

 そう問うも、少女は答えない。

 そこでようやくハリベルは少女がぐるぐると目をまわしていることに気づいて床に降ろす。座ることも出来ずに少女は倒れ、手から新品の地図がこぼれ落ちた。

 

「.........ぃ」

 

 蚊の鳴くような声だ。

 ハリベルは膝をついて耳を少女の口元に寄せた。

 

「おなかすいたよぉ......」

 

 非常にひもじそうな声音がなんとか聞き取れる。

 どうすればいいか迷うものの、ハリベルはこの少女が藍染の言っていた新人だと思い至った。まさかこの広大な虚夜宮(ラス・ノーチェス)で、教えられたその日に出会うとは不思議なものだ。

 藍染からは良くしてくれと言われている。

 こうして空腹で目をまわさせてしまっている以上、そして同じ女型の破面(アランカル)として見捨てられない。

 仕方なく少女をお姫様抱っこで抱えたハリベルは、自分の宮へと入っていった。

 

 

 ----------

 

 

「おいしい、おいしいよぉ!」

「泣くほど喜ぶとは思っていなかった」

 

 少女が持てば一抱えはあるパンにかじりつく姿を、ハリベルは膝の上に乗せながら眺めている。

 宮にあるハリベルの私室で、小さなテーブルを二人は前にしていた。ハリベル個人の部屋なので、椅子は一つしかなく、持ってこさせるほどでもないとニルフィを膝にのせている。

 少女はニルフィネス・リーセグリンガーと名乗った。是非とも、と言うので、ハリベルは少女のことをニルフィと呼んでいる。

 そのニルフィは、ハリベルが下に用意させた現世の食物を口にしていた。(ホロウ)を食べることを忌避するハリベルはもしかしたらそれを用意しないと慌てたが、ニルフィは腹が膨らめばなんでもいいらしい。ペットを初めて飼ったような姿だと、ハリベルの部下は密かに思った。

 

「食うのは構わないが、口を拭け」

「モフッモフッ」

「どうせならこれも食え。余るようにあるからな」

「ハムッハムッ」

「酒というのもある。私の従属官(フラシオン)もこれは好物なんだ」

「コクッコクッ」

 

 食べる速度はそれほど速くない。小さな口に詰め込める量は限りがあり、リスのように膨らませてもさして変わりなかった。テーブルの上の皿にはまだ菓子類などが山ほど残っている。

 

「ーーンクッ......。ふぅ、ありがとうハリベルさん。死ぬかと思ったよ」

「構わない。それにしても、これくらいでいいのか?」

 

 ニルフィはとてもおいしそうに食べていた。同じものを口にしたハリベルでさえ、ニルフィの食べているものだけが特別に作られたのではないかと思うほど。それでもさして広くないテーブルに乗せられた食べ物だけで、ニルフィは満足したようだ。

 自分の従属官(フラシオン)達が食べるとしたら何枚も皿が積み重なる様子を見ているので、ハリベルはニルフィのどこか体調が悪いのかと心配した。

 

「うん、もう平気。この体になると、直接食べる量が少なくても大丈夫みたい。とりあえず、これで十分満足なんだ。それにスゴクおいしかったしね」

 

 照れくさそうにニルフィが笑う。

 

「こんなにおいしいのって初めて食べたから、私には新鮮だった。初めて破面(アランカル)になってよかったって思うよ。(ホロウ)を食べるより、こっちのほうが好きかもしれない」

 

 一段落したところで、ハリベルがニルフィの落とした地図を差し出す。

 

「これはお前の物で間違いないな?」

「うん。最初はアーロニーロさんの所で貰ったんだけどさ、いろいろあって燃えちゃってね。少し前にバラガンさんの所でコレを用意してもらったんだ」

「あの二人の所に行ったのか」

「そうだよ。私って方向音痴でね。ウルキオラさんの所に行きたいんだけど、地図を見ても別の所に辿り着くの」

「......それは、逆に持っていたからかじゃないか?」

「え、嘘!? って、あぁ! ホントだ!」

 

 今頃気付いたらしいニルフィに、ハリベルが珍しく呆れのため息を吐いた。

 なんというか、拍子抜けなのだ。あの藍染が注目している割には。

 同じ女型の破面(アランカル)ということで最初はどんな人物かと考えたものだ。良い方向にも、悪い方向にも。ネリエルのような人物だったら好ましいとまで思って出会ってみれば、コレ(・・)なのだ。反りの合わない破面・No.8(アランカル・オクターバ)ザエルアポロのような性格ではないだけマシだが、空振りもいいところだった。

 

「どうしたの、ハリベルさん?」

「いや、考え事をしていただけだ」

 

 小首を傾げながらクッキーを頬張るニルフィに、ハリベルは安心させるように目を合わせる。

 

「私、分かるよ。ハリベルさんがなに考えてるのか。全然さ、私って強そうじゃないでしょ?」

「ああ、正直に言えばそうなる。探査回路(ペスキス)で感じ取れる霊圧も不安定で、強さには連想しない。お前と戦うのならばその不自然な霊圧にしか、誰だって注意しないだろう」

「だよねー。最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になってもこんなモンだよ」

最上級大虚(ヴァストローデ)だと?」

「そうだよ。昨日の今日で藍染様からスカウトされてね、私でもよく分かんないけど番号も貰わないまま自由行動をしてるの」

 

 事もなげに言っているが、ハリベルはニルフィのことを警戒しなければならない。

 最上級大虚(ヴァストローデ)から破面(アランカル)になるものは、例によって強力な個体となる。バラガン然り、ハリベル自身でさえ元は最上級大虚(ヴァストローデ)だった。

 そもそも容姿は強さに起因しないのだ。ハリベルだって格下の巨漢を殴り倒せる自信もある。

 霊圧の不安定ささえ戦闘能力として意味があるように思えてしまった。ニルフィを構成しているものが、よく考えれば出来すぎているのだ。相手の油断を知らずのうちに誘うような、そんな疑似餌のように。

 

「バラガンさんが言うにはさ、昔の私ってもう悪鬼羅刹みたいだったんだって。嘘を言ってるようには見えないけど、今の私を考えると、ね」

 

 暗い影が落とされるように、事実を受け止める。

 

「それに......」

 

 ニルフィは体を前後に揺らして、柔らかさとボリュームのある二つのたわわなそれに頭をうずめた。

 そしてニルフィはカップをソーサーに置くと、さわさわと自分の胸辺りを撫でまわし、ガクッとうなだれる。

 

「こんな姿にはなりたくなかったよ」

 

 なんと言っていいか分からず、ハリベルは微妙な顔をして黙ったままだ。

 ニルフィは溜まった鬱憤を晴らすように、見かけに比例した幼い様子でブンブンと腕を振り回す。

 

「だいたいさ、私だってもう少し威圧感のある姿が良かったんだよね。もしくはハリベルさんみたいに凛々しくて、綺麗で、グラマラスでさ! アーロニーロさんには貧乳って言われるし、ウルキオラさんなんて絶対に私のことネコか何かだって勘違いしてるよ!」

 

 聞けば、ウルキオラに宮を追い出されて3ケタ(トレス・シフラス)の巣に向かったそうだ。そこから二人の十刃(エスパーダ)と出会い、こうしてハリベルと会っているという。

 ハリベル自身はあまり話す方ではない。

 小さな破面(アランカル)の冒険譚を聞きながら、ゆっくりと時間が流れていく。退屈しないのはニルフィの懸命な説明が微笑ましいからか。

 

「でね、その紳士のオジさん、えと、ドン・パニーニって人でね、すっごく優しい人だったの」

「ドン・パニーニ......? そんな名の十刃(エスパーダ)がいたのか」

 

 おいしそうな名前の人物だと、かつて同僚でもあった男を別人に置き換えて、ハリベルは思い浮かべた。

 

「うん、それでね。その人に訊いて......。あ、そういえばハリベルさんにはまだ訊いてなかった」

 

 とても重要なことだ。知っておきたい、そんな焦燥も交えて。

 

「これは私が出会った強い人たちに訊いてるんだけどね。ハリベルさんにとって、力ってなにかな」

「どうしてそれを知ろうとする」

「......私はさ、自分で弱い弱いって言いながら、分かってるんだ。ホントは力を持っているって。でも記憶がないから今までどうやってこの力を使ってたか知らないし、ふとした拍子で思わず暴力を振るうことだってあったの」

「お前が言うのなら、それは不可抗力ではないのか?」

「そうかもしれない。だけどさ、ポウって人がちょっかい掛けてきたとき、無意識でその人を殴って、それで昏倒させてた。......無意識にだよ。襲われたことにビックリするんじゃなくて、怖がったり怒ったりする前に、無意識で襲い掛かってたの。それで分かっちゃったんだ。ああ、私はバケモノなんだなって」

 

 ハリベルはニルフィの小さな体が震えていることに気が付いた。

 

「気にしないようにしてたんだけど、私は何人も(・・・)同じヒトだった存在を、食べて、食べて、食べて! ......最上級大虚(ヴァストローデ)になったの。それで力を付けて、前の私はそんなこと気にしないでまた食べてた。それで強くなっていったの」

 

 (ホロウ)には栄養ともなりえない、ただの趣味嗜好である先の食事を、ニルフィは好きだと言った。つけ加えるならば、ただそれだけで生きていきたいと渇望するほどに。

 それに、記憶がない。

 それならばこの少女は、突然凶悪な暴力を手に入れてしまい、どうしていいか不安になっているのだろう。

 

3ケタ(トレス・シフラス)の巣にいる時も、グリーゼさんとかオジさんはともかく、他の襲って来た人たちのことを殺そうとしちゃったときもあるの。首を()ねればいいなとか、四肢をもげば面白そうとか、そういうのが頭に浮かんでくるから、怖くなってずっと逃げてた」

 

 少女は体を細腕で抱き、しかし震えはひどくなっていって。

 

「バラガンさんの所にいる時も、誰も私に危害を加えなかったのに、私の中の誰かさんはシャルロッテさんたちを殺せってうるさかった」

 

 おそるおそる肩越しに、ニルフィは金色の目をハリベルの顔に向けた。

 ちかちかとくすぶるように、その目の奥に欲求とも取れる光が瞬いている。

 

「今だって、ご飯を食べさせてくれたハリベルさんのこと、殺せって言ってる」

 

 吐息のように、切なさそうにニルフィは零す。

 好印象を持った大切な人に限って、ニルフィの中の暴虐性は激しいのだ。

 

「ただ普通に生きようって思ってた。だけど、私はーーホントは生きてちゃダメなの?」

  

 ただの破面(アランカル)ならば気にもしないことで、少女が押し潰されようとしていた。

 そんなニルフィを、ハリベルはそっと抱きしめる。

 震えが少しだけ、ほんの少しだけ収まったようにハリベルには思えた。

 

「強さというのは、犠牲という(いしずえ)の上に成り立っている。少なくとも私はそう思う」

「ふぇ?」

 

 先に答えを出した三人とは毛色の違う言葉だ。ニルフィが首をかしげ、興味を持つ。

 ハリベルは少女の頭を優しく、硝子細工を扱うように撫でながら、ゆっくりと続けた。

 

最上級大虚(ヴァストローデ)へと至るためには、最下級大虚(ギリアン)から中級大虚(アジューカス)に進化するよりもより多くの(ホロウ)を喰わねばならない。いや、最上級大虚(ヴァストローデ)に限らず、目に見える力を手に入れるには喰らうことしかないんだ。ここまではいいな?」

「......うん」

 

 何を今さら、とでもいうような視線に、ハリベルはあるかなきかの微笑みを返す。

 

「たしかに、我々は元はヒトだ。その記憶が霧のように曖昧なものと化しても、それは変わらぬ事実。そして(ホロウ)となり、進化を繰り返すごとに理性を取り戻した。そのせいでお前は悩んでいるのだな」

「そうなるかも」

「その過程の中で、私は他の大虚(メノスグランデ)を喰らう犠牲を強いて自身が強化することを望まずにいた」

「どれくらい、そうしてた?」

「さあ、どうだろう。時間は曖昧だ。私の従属官(フラシオン)をしてくれている仲間も、その時に出会ったことだけは覚えている」

 

 自嘲が、空気に混ざる。

 

「あの時の私は慢心していた。見逃した相手が、破面(アランカル)となって私の命を奪いに来たんだ」

「......最上級大虚(ヴァストローデ)でも?」

「そうだ。その時に藍染様に命を拾われた。力を得れば犠牲を生むことは無い、そう仰ったあの方の下に私は付いたんだ」

「そっか」

「私はあまり口が上手くはない。これは受け売りとなるが、理性を得た者が戦うには理由が必要となる。いや、必要とせねばならない。本能のみで戦うのは戦士ではなくただの獣だということだ」

「それが、今の私なんだ。ショックだよ」

「そうではない。我々は特に、犠牲がなければ強くなれない種族だ。この力は、背負っている命は、そのたびに重くなっていく。だからそれらが消えることがなくとも、犠牲の上で獲得した自らの力となる。だからーー怖がるな」

 

 らしくもなく長広舌になったことにハリベルは襟で顔を隠す。

 前の第3十刃(トレス・エスパーダ)ならば、もっと上手く話せたはずであり、武芸一筋の自分をここまで呪ったことはない。

 しかしニルフィは非難もせず、ただ微かに頷いていた。

 

「そう、そんな風に考えられるんだ......」

 

 だんだんと尻すぼみになっていく言葉が途切れると、糸の切れた人形のようにコトリとニルフィの体から力が抜けた。......おそらく、空腹が満たされて、今さらながら疲労の波が緩やかに彼女の意識を覆っていったのだろう。

 少しばかり困ったようにハリベルが肩をすくめると、彼女はニルフィを抱き上げながらそっと立ち上がった。

 

 

 ----------

 

 

 鍛錬、と呼べば聞こえはいいが、彼女らのしてきたことは過剰にすぎる内輪もめ以外の何物でもない。

 ずかずかとあまり品のない歩き方で廊下を進む、オッドアイで左目の周りに隈模様があり、額に角のような仮面の名残が付いている女。エミルー・アパッチは、同僚にやられた左腕の傷をしきりにさする。

 

「クソ、痛ってぇ! てめえはゴリラ並に馬鹿力が過ぎんだよ、ミラ・ローズ!」

「あァん? こちとらお前の不意打ち虚閃(セロ)で右足が痛いったら......」

 

 不満たらたらに、高身長かつ筋肉質で、かなり露出の高い服を着ている女がギロリと獅子のようにアパッチを睨みつけた。アパッチと同じく、ハリベルの従属官(フラシオン)の一人、フランチェスカ・ミラ・ローズである。

 

「あら、私の記憶ではお二人はそんな傷なんて翌日で治っているはずでしてよ。まぁ、同時に昨日のことなどさっぱり忘れてるでしょうけど」

「「スンスン、てめえ!」」

 

 アパッチとミラ・ローズは残る一人の従属官(フラシオン)、シィアン・スンスンに噛みついた。

 長髪で、アオザイの様な袖の長い服を着ている女だ。彼女は口元を袖で隠しながらさらりと流す。ちなみに、彼女はわき腹にドロップキックを喰らっており不機嫌だ。

 

「それにしても、ハリベル様は何処に。この時間では珍しく私室におられるとか」

「そういう時だってあるよ。なんせ、これから死神どもとやり合おうって時期だ。あたしらじゃ及ばないほど大変な仕事だってあるさ」

「まあ、戦いとなったらその分あたしらがちゃっちゃと片してやろうぜ」

「そうさね。今からでも腕が鳴る」

「......悲しきほどに脳筋、ですわね」

「「聞こえてんぞ、スンスンおらぁ!」」

 

 いがみ合いながらでも彼女らが気ままに暴れようとしないのは、ひとえに主であるハリベルのためだ。

 何よりも優先すべき事柄であり、それにためらいはない。ハリベルが侮辱されたらその侮辱した相手を潰すし、もし捨てられそうになってもどこまでも付いていく。

 まだ彼女たちが中級大虚(アジューカス)である時に拾われてから、ハリベルには尽きることがない恩義を受けているのだ。そうそう他の従属官(フラシオン)に忠誠心では負けはしない。

 

「おっ、着いたか。ハリベル様ー、アパッチです!」

「ああ、入ってくれ」

 

 許可をもらい、三人はハリベルの部屋へと普段は見られないかしこまった態度で入っていく。

 敬愛してやまない、主君がいるから。

 そして三人が三人とも、絶句した。

 

「ハ、ハリベル様......?」

 

 だれが、彼女の名を呼んだのだろうか。それすら分からぬほど三人は動揺していた。

 ハリベルは寝台の上に頬づえをつきながら寝っ転がっていた。それはまだいい。ハリベルは主であり、そのままでも無礼ではないからだ。

 ただ一つ、原因があるとすれば。

 

「その......少女は?」

「ああ、コレか。ニルフィネス・リーセグリンガー。最近、新しく入った破面(アランカル)だ。お前たちも仲良くしてやってくれ」

 

 違う。そうではないのだ。

 そのニルフィネスという小柄な少女は、ハリベルと一緒に寝台で寝ていた。

 三人が訊きたいのは、なぜ新人の少女にハリベルが添寝をしているのかとか、それがかつて一度もしたことがない自分じゃないのかとか。そんな由々しき事態に対してだ。ちなみに、少女は熟睡しながらハリベルに抱き着き、豊かな胸元に顔をうずめている。とても気持ちよさそうな可愛らしい寝息が漂う。

 

 ギリィッ!!

 

 三人の奥歯が砕けんばかりに噛み締められる。

 

「ハリベル様、そのガキを寄越してください。これからさっそく仲良くして(殺って)きますから」

「アパッチ、馬鹿言うんじゃないよ。ここはあたしが仲良くして(ぶっつぶして)きますから」

「あらあら、お二人ともはしたない。こういう可愛らしい娘は愛でる(シメル)に限るのに」

「--殺気!?」

 

 ただならぬ空気を感じてニルフィが飛び起きた。

 それとなく至福な夢から醒めれば、眼前には凶悪そうな顔をした女が三人迫っている。小心者の彼女に驚くなというほうが無理だ。

 ささっとニルフィがハリベルの背後に隠れ、フルフルと震える。ヒシッとニルフィがハリベルの背中に抱き着くのを見て、獣たちは更に興奮するようにヒートアップしてきた。

 

「お前たち、ニルフィが怖がっているだろう」

 

 ハリベルは起き上がると背中からニルフィを引きはがし、あぐらをかくようにした足の中に少女をぬいぐるみのように収めた。意識しているのか曖昧だが、優しく頭を撫でることも忘れていない。

 ハリベルがこの場にいなかったら、ニルフィはたちまち襲われていただろう。

 ほおを引くつかせたアパッチがずいっと顔をニルフィに近づける。

 

「よぉ、おチビ。これからあたしらと楽しい楽しいお遊びをしねえか? 天にも昇りそうなほど楽しませてやっからよ」

「い、いやだ! それにハリベルさんとご飯食べたばっかだもん。しばらく運動したくないかなっ」

「あァ!? ハリベル様とご飯? てめえ今、一緒にご飯って言ったな、アァ?」

「ひぐっ......。とってもおいしかったよ。ハリベルさん、あ~んしてくれたし」

「あはははは! やっぱあたしらと遊ぼうや。ガキってのは外で遊ぶもんだって相場が決まってるんだよ」

「そんな相場の株価なんて急激に落ち込んじゃえ!」

 

 話すたびにドツボにはまっていた。殺気の濃度も窒息してしまいそうなほどだ。

 逃げられない。そう悟ったニルフィは、礼儀に反すると分かりつつも、命惜しさにやることを決める。

 

「ハリベルさん、ありがと。ご飯おいしかったし、キミのおかげで心が軽くなったよ」

 

 冷静な女性の、わずかに驚いた気配。

 それに満足したニルフィが立ち上がると、ぎゅっとハリベルを抱きしめる。ぎこちなく、ハリベルも少女の細い胴へと腕をまわす。

 外野から獣の咆哮のようなものが空気を震わすも、あえて無視。

 困ったような顔をするハリベルにニルフィはいたずらっぽくウインクした。

 そのまま右手を掲げ、振り下ろす。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 白い光が部屋を支配し、今度はなぜかファンファーレにも似た音が一緒に響いた。

 

「じゃあね! 時間があったらまた来るよ!」

 

 声が流れ、気配は緩やかに消えていく。

 同時に、光の幕がゆっくりと晴れていった。

 

「クソッ、あの餓鬼を逃がしちまっ、た......」

 

 ミラ・ローズはしばしばする目をこすりながらニルフィの姿を探そうとした。しかし、眼前の光景に声を失う。それは残った誰しも同じだった。

 部屋を覆うようにして、薄く小さな桃色の花弁が踊るように舞っている。品種は桜だろうか。それが際限なく降り注ぎ、けして下品とは感じさせないように優雅にくるくると回りながら落ちていく。頬に当たると柔らかく軽い感触が伝わり、これがただの映像なのではないと如実に伝えてくる。

 粗野なところが目立つアパッチやミラ・ローズも毒気を抜かれたかのように立ち尽くし、この光景に見入っていた。スンスンも軽く腕を広げ、花弁のシャワーを一身に受けている。

 ハリベルが一枚をつまむと、花弁は彼女の手の中で霊子の光を散らしながら、儚く空気に溶けた。

 ただの景色だ。そう割り切るには、この光景はあまりにも幻想的すぎた。

 

「これがせめてもの礼のつもりか......」

 

 硝子の繊細な小道具が割れたような、シャンと澄んだ音と共に、花弁の群れは霊子となって散っていく。

 ハリベルが可笑しげに目を細め、桜の仄かな香りの残滓を吸い込んだ。

 

「戦わずとも、道があるかもしれないな」

 

 

 ----------

 

 

 そこは虚夜宮(ラス・ノーチェス)の内部にしては異質な部屋だった。

 光が入り込まない暗闇の中では、壁にいくつもの機械類が埋め込まれており、黒い空間の中でポツポツと光を浮かび上がらせる。

 時折明滅を繰り返し、盤石にある丸い画面が切り替わっていた。

 そこをのぞき込むように、二人。

 

「なんや、ここでも何もないんかい」

 

 そのうちの一人、市丸ギンが肩の力を抜く。表情は曖昧なものだ。彼の狐のような細目からは感情が伺えない、拍子抜けしているようであり、失望を含んでいるようであり、はたまた単純に楽しんでいるようだった。

 ギンの胸の内に生まれた感情は、彼にしか分からない。

 

「一応は予期していたことだ。それに相手も分かっているのだろう。戦いとなれば厄介ということをな」

 

 もう一人、東仙要は常時と変わらない声色で答えた。盲目の彼が視えている(・・・・・)かは不明だが、東仙もまた画面に顔を向け、終始腕組みを解かずに静観していた。

 

「せやけどボク、もう何もないんちゃう思うんやけど。あのコ、本気で戦う気ィないみたいやし」

「内に秘める暴虐性は見えるのだが......。やはり、穏便な手段では駄目か」

 

 画面の中では、ニルフィは響転(ソニード)を使いながらウルキオラのいる宮に移動中だ。

 東仙たちの当初の予定より、あまりにも何もなさすぎた。

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣ではほとんど戦闘らしい戦闘もせずに切り抜け、出会った十刃(エスパーダ)とは陰険どころかむしろ好印象寄りの評価で送り出された。

 荒くれ者の集う虚夜宮(ラス・ノーチェス)を舐めてるのかと思うほど、ニルフィは戦っていない。

 

「このままでいいんちゃいます? ニルフィちゃんはやる気もないし、無理に立てて噛みつかれるのは御免やで」

「だが本質は(ホロウ)であることに変わりない。彼女も戦いの因果からは逃れられないさ。実力者と戦わせて失われた記憶を喚起させる。その方法が手荒になっても仕方がない」

「ホントにこのコが十刃(エスパーダ)並なんて、思えへんなぁ」

「戦闘方法は能力寄りだ。その力は藍染様と似た素養を得ている」

「うひゃあ、隊長とやなんて、悪質やねぇ」

 

 ハリベルの宮で見せた桜の幻影。五感を見事に(あざむ)くそれは、戦いに応用されれば厄介極まりないだろう。......そうなればどんな戦闘となるのか見極めるためにこの二人がここにいるのだが。

 

「......あら、そういえば東仙サンは、ニルフィちゃんの中級大虚(アジューカス)の姿、知ってはるん?」

「そういえばお前は見たことがなかったな。以前、藍染様と共に捕獲に乗り出したんだ。今でこそあの姿だが、初めは私も信じられなかった。狐につままれるとは、まさにあのようなことを言うのだな」

「はぁ......?」

「彼女の本質はあの幻影ではない。アレはあくまでーーーー」

 

 そこまで言おうとしたところで、部屋の扉が音もなく横にスライドした。

 廊下の明かりが差し込み、扉を開けた人物の影が二人の足もとまで伸びる。

 

「準備が整いました」

「あら、ウルキオラクン......?」

 

 与えられた宮にいるはずのウルキオラがさも当たり前のようにいた。

 首をかしげたギンが画面を再度のぞき込んだ。ニルフィは嬉々として空中を駆けており、ウルキオラがいないと分かればどのような切ない顔をするのだろう。部外者のギンでさえ気の毒に思う。

 

「ニルフィちゃん、君のこと探してるみたいやけど。宮にいなくていいん?」

「リーセグリンガーが目指しているのは第4宮(クアトロ・パラシオ)じゃない」

「なんやて?」

 

 では、どこにニルフィは向かっているのか。

 画面の中では、知識のある者ならばすぐに理解できる場所が映った。

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)

 

 

 破面・No.7(アランカル・セプティマ)ゾマリ・ルルーを主とする宮殿だ。

 これだけならばニルフィの方向音痴が再発したと思えるが、しかし地図の通りに彼女は進んでいる。

 ウルキオラがギンの疑問を解いた。

 

「藍染様は当初、リーセグリンガーを第0十刃(セロ・エスパーダ)に据えようとした。しかし予定していたものと違いーー記憶を失っていたんだ。俺たち(アランカル)にとって記憶とは経験。どこまで奴が戦えるかを見極めるのが、今までの期間だ」

 

 マシンガンを携えた一般人と、ナイフを手にした歴戦の兵士が戦えばどうなるか。

 状況にもよるが、運の要素も作用するだろう。

 力の使い方を忘れているかもしれないニルフィがまさに前者であり、本気のヤミーと戦えば偶然の一撃で命を落とすかもしれなかった。

 マシンガンを使える兵士に戻すのが目的なのだ。

 

「しかしリーセグリンガーを相手にするには、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)ではそもそも足止めすら望めない。妥協策として、釣り合っているような実力者を当ててやることしか、戦いを実現できない。生かさず殺さず。強引に記憶を呼び覚ます方法に刺激は必要だろう」

「なんや、君、あのコと仲良かったみたいやけど」

「アレが勝手にまとわりつくだけだ。俺には塵にしか見えん」

「その割には今もあのコ、子犬みたいに付いて行こうとしてはるけどね」

「............」

 

 何も言わずに背を向けたウルキオラをギンが呼び止めた。

 

「なら、一緒に見ていかへん? 心配やろ?」

「俺には関係のないことだ。アレが死んだのならば、ただの塵だったというだけだ」

 

 それ以上は話さず、報告だけを済ましてウルキオラは去ってしまう。

 面白そうな玩具が無くなってしまったかのようにギンは落胆し、宮を目前にしたニルフィの映る画面を見た。心にもないことを、あからさまに吐き出す。

 

「まったく、そないな熱血みたいな方法でニルフィちゃんの記憶が戻るんか、心配やわぁ」

 

 他者へ力を振るう怪物ならば、最も慣れ親しんだ行動で目を覚ますかもしれない。

 転機となるか、終点となるか、はたまた茶番へとなり下げるか。全て、少女の出す手によって、決まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? なんか寒気がするよ?」

 

 ぶるっと、ニルフィは身を震わせたらしい。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

殺す理由「ついカッとなってやった」

「......あれ?」

 

 ニルフィは地図と眼前の巨大な建造物へと交互に視線を上下させ、可愛らしく小首を傾げた。

 第4宮(クアトロ・パラシオ)に辿り着いているはずなのに、最後に見た時とは全貌が大きく違っていた。

 

「はめられた、かな」

 

 しらけた顔をしてニルフィは地図を背後に放り投げた。直後にポイ捨てはダメだと思い、虚閃(セロ)で消し飛ばす。偽物に価値などはない。

 フィンドールの嫌がらせかと思ったがバラガンが許すはずもなく、おそらく合意の上なのだろう。アーロニーロも最初から一枚は噛んでいたかもしれない。自分の方向音痴を利用されるのはいい気分ではなかった。

 

「まったくさ、いい歳した大人がこんなちっちゃな女の子を揃っていじめるものなのかな。あとで宮の壁に落書きしてやる」

 

 小心者ゆえのしょぼい仕返しだ。

 

「......はぁ、入ろうか。これだけ前フリされちゃったら、ね」

 

 宮の扉は鍵が掛かっておらず、特に出迎えもなく足を踏み入れた。

 壁の取り払われた広すぎるホールには何もなく、中央付近では四本の極太な柱が天井を支えていた。

 カツン......と、軽いはずの足音が木霊(こだま)する。

 

「だれかいませんかー?」

 

 呼びかけも反響するだけでニルフィに返って来た。

 

「留守かな」

 

 十刃(エスパーダ)は自由人が多い。そのため、予定があっても宮の外をぶらついていることも。

 従属官(フラシオン)一人いない空間の中央にニルフィがたどり着いた。何もない無音の世界。瞑想などには最適かもしれない。......ニルフィは神など信じない主義であり、祈ってる暇があれば楽しいことをしている。

 四方の柱に誰かが隠れている気配はーーあった。

 

「そこにいるよね。勝手に入って来たのは謝るけど、仕方なかったの。話くらいなら聞いてくれるかな」

「気づきましたか。ただの日和見(ひよりみ)破面(アランカル)ではない様子だ」

「日和見で悪かったね」

 

 音もなく静かにニルフィの前に男が現れた。坊主で頭部には棘のような仮面の名残があり、首には首飾り、耳には仮面が変化した髑髏のピアスをしている黒人風の男だ。

 厳かな雰囲気を纏う彼は、うしろで手を組みながらニルフィを無遠慮に観察する。

 ニルフィにはあまり好きではない目をしていた。

 

「おっと、失礼。私は第7十刃(セプティマ・エスパーダ)、ゾマリ・ルルー。さあ、貴女も名乗りなさい」

「......ニルフィネス・リーセグリンガー」

 

 ゾマリの言葉遣いは破面(アランカル)にしては丁寧だが、言葉の端々からどことなくニルフィを見下しているように思える。自らの実力からの自信なのだろうか。あまり仲良くなれそうにない。

 その直感は、ゾマリが斬魄刀の柄に手をやったことで確信に変わる。

 

「おや、どうされました。そのように警戒して」

「キミがどうしたのさ。出合い頭でいきなり殺気を向けられたら誰だって警戒するのは当たり前。そんなこともわからずに柄に手をかけたのかな? 口調と頭は比例しないね」

「挑発のおつもりですか。しかし貴女のような舌足らずな甘声では、幼稚きわまる甘言ですよ」

「その割には今、一瞬だけ霊圧が乱れたね。なに? こんな子供の指摘すら聞き流せないのかな、ゾマリさんは?」

 

 相手の隙を作ろうと舌に毒を含ませながらニルフィは喋った。一応とはいえ効果はある。このまま我を忘れて激昂してくれれば楽に逃げおおせられるが、ゾマリは静かに殺気を隠さずにしてくるだけだ。

 

「......ま、この際には些事だったね。それよりゾマリさんが私に刀を向ける理由は?」

「とぼけないでいただきたい。既に藍染様からは(うけたまわ)っている。今日破面(アランカル)となった最上級大虚(ヴァストローデ)、つまり貴女が私の後任になると」

「ナニソレ知ラナイヨ」

「ウルキオラ・シファー、アーロニーロ・アルルエリ、バラガン・ルイゼンバーン。他の三人の十刃(エスパーダ)からの確認も取れている。そしてご存じだろうか。ここ(ラス・ノーチェス)では、数字と命は奪う物であると」

 

 後半はニルフィの耳には届いていなかった。ウルキオラたちの株価がニルフィの中で大暴落だ。少しでもいい人と思ってしまったことを人生の恥とするしかない。

 

「とはいえ、私もみすみすこの座を明け渡すつもりはない」

「言っておくけど、私は数字なんて興味ないよ。だって私はこのままのんびり人生を生きて......」

「藍染様からの言伝だ。十刃(エスパーダ)とならなければ君に帰る場所はない、とな」

「ちくしょー!」

 

 このまま知らん顔で逃げたら、あのオサレ隊長に何をされるか分かったものではない。

 穏便に済ませたいとニルフィはこの時切実に願った。

 

「何にせよ、私には一つ分かったことがある」

「--?」

 

 ニルフィは疑問を胸に、かすかに息を吸った時、

 

「--貴女はいささか、戦いというものを舐めておいでのようだ」

「ッ!」

 

 背後から振り下ろされた斬魄刀にニルフィが気づく。ゾマリは眼前にいるのに、なぜ? そう思うよりも前に振り返りながら背後へと跳躍。濡れたような黒髪が少しだけ削られた。シャルロッテならば即座にキレていた。惜しむ気持ちを抑え、ニルフィは右手を貫手に。

 

 虚弾(バラ)

 

 咄嗟にゾマリが斬魄刀を盾にしようと持ち上げる。しかし間に合わない。手の形をした瞬速の槍がゾマリの胸に吸い込まれ、鋼皮(イエロ)を食い破り、背に穴を開けた。

 仕留めた。ニルフィは殺しをしたことを嘆く前に、そう連想する。そして彼女の横顔に蹴りが叩き込まれたのは同時だった。小さな体が弾丸のように吹き飛び、一つの柱にめり込むように激突した。

 ニルフィは瓦礫から這い出し、何事もなかったかのように立ち上がる。金色の目には興味と、(くすぶ)る荒々しい光が強まってきた濁りが混在していた。

 

「なんだろう、さっきの。ゾマリさんが二人もいたみたいだけど」

 

 そんなことはない。現にニルフィが視界に収めるゾマリは一人だし、探査回路(ペスキス)にも乱入者のような存在は引っかからなかった。ゾマリの服にはニルフィの貫手のあとも彼自身の血も付着していない。

 

双児響転(ヘメロス・ソニード)

 

 ゾマリの姿がぶれると、その輪郭が消えないうちのもう一人のゾマリが別方向に立っている。

 

「私の響転(ソニード)十刃(エスパーダ)最速でして。それに少しばかりステップを加えて仕上げた、擬似的な分身のようなもの。まあ、手品の類のお遊びです」

「へぇ、双児(へメロス)かぁ」

「手品とは相手を驚かせるためのものですから、目で追えず驚いたからといって、そう()じることはありませんよ」

 

 感心するニルフィの両脇に、斬魄刀を振り抜こうとする二人のゾマリが立っていた。軽くホラーだ。ニルフィは右のゾマリの斬撃を限界まで硬くした鋼皮(イエロ)の右手で防ぐ。左のゾマリを虚閃(セロ)で消し飛ばすと、手刀の形にした左手で裏拳を放った。

 

 虚弾(バラ)

 

 その手刀はゾマリの首元へ。しかし背後からの殺気を感じ、追撃を断念しながら響転(ソニード)で躱す。標的を失った刀の切っ先はゾマリを貫いた。その刀を持つのもまたゾマリであり、ある種の異様な光景が出来上がった。

 再び二振りの刀が死角からニルフィを襲う。首元と、右足のふくらはぎ。先に迫った首への斬撃を屈んで避け、もう一本を裏拳の手刀で対抗。互いに触れ合った瞬間、霊圧が爆発する。そこを中心として衝撃波が巻き起こり、床がへこみながら砕かれた。

 ニルフィが開いた右手を掲げ、振り下ろす。

 

 幻光閃(ソロ・エスベヒスモ)

 

 様々な光が乱舞する空間から離脱して空中を飛び、ニルフィが眼下を見下ろした。

 

「気を抜くとは暢気なものだ」

 

 ゾマリの大上段からの剣戟。空気を裂くような一撃。

 ニルフィは腰の後ろに掛けてあった己の斬魄刀を逆手で抜き放ち、居合として放った。

 ぶつかり合う霊圧で空気が悲鳴を上げた。しかし二人の剣舞はこれで終わらない。ゾマリが双児響転(へメロス・ソニード)を使用してあらゆる方向からニルフィを斬らんと剣を振るった。次々と現れる残像をニルフィが一切の停滞なく切り伏せていく。流れるように体を動かし、軽やかに跳ねる。そのたびにはじける火花や床のから顔を出す残骸が多くなっていった。

 

「守りに徹するだけでは勝てませんよ」

「............」

「勝たせるつもりなど、毛頭ありませんが」

 

 五人のゾマリが瞬時にニルフィを取り囲んだ。逃げようにも、逃げ場は潰されている。

 予備動作なくゾマリの斬魄刀が少女の服を裂き、柔肌に埋め込まれ、貫通した。

 

「くぁっ......!?」

 

 心臓と内臓をかき回されたニルフィは苦悶に顔を歪ませーー消える。

 ありえない出来事にゾマリは目を見開いた。

 

「だーいせーいこーう! ......なんてね」

 

 無防備なゾマリの背中をトンと指先で押したのは、小悪魔のような表情のニルフィ。

 ゾマリからの横なぎの剣を見て、ニルフィが背後にとんぼ返りした。軽やかに空中で着地する。

 

「......今のは、いったいなんの技でしょうか」

「なんの技って、ゾマリさんがさんざん見せてくれたでしょ? そんなことも見て分からなかった? 私がちょっとマネ(・・)しただけだけどね」

「これは十刃(エスパーダ)最速である私にしか」

「さあ、どうだろうね。ゾマリさんの言うようにコレは手品みたいなものだよ。でもキミは手品師失格。どうして手品師が同じマジックをしないのかって理由は、単純にタネをわからせないため。その点、キミは目立ちたがり屋さんだ」

 

 ニルフィが髪を背後に流しながら笑いを隠そうともしない。右手で逆手に持った彼女の斬魄刀の刀身は不思議な色合いをしている。光の反射によって、さまざまな色に変化するように見えるのだ。

 それを杖のように振りながら、茶化すように口を開いた。

 

「手品とは相手を驚かせるためのものですから、目で追えず驚いたからといって、そう()じることはありませんよ」

 

 不思議なことに、ニルフィの喉から出た声はゾマリのもので、先程話した言葉を違えずに抑揚も一緒であった。そこまではさすがにゾマリ本人は気付かなかったが。

 ゆるやかに変化が起こっているのには、少しだけ感じられたのは僥倖か。そうでなければ彼は十刃(エスパーダ)ではない。

 噛み合わせが悪くなった歯車のような音が、ニルフィの霊圧から漏れていく。

 

「何度も見せてくれたら私だって理解できるよ。ステップのコツ、筋肉の動かし方、霊圧の操作方法。ぜーんぶ、見せてもらったからさ」

 

 三人のニルフィがゾマリの周囲をくるくるとスキップをして回っていた。

 ゾマリがそれを不快そうに剣を振るうことで追い払う。

 見ただけでできた? ありえない。双児響転(ヘメロス・ソニード)は長い年数を掛けて、自分にしか扱えないようにした技術であり、それが観察のみで再現可能? そんなこと、他の十刃(エスパーダ)にだって不可能である。

 そしてニルフィが双児響転(ヘメロス・ソニード)を扱えるということは、彼女は十刃(エスパーダ)響転(ソニード)だけにしろ勝っているということだ。

 

「それでね、見ててよ。これが私が自分でアレンジを加えた双児響転(ヘメロス・ソニード)

 

 ゾマリより少し離れた場所にいたニルフィの姿がブレた。すると二人に。しかしブレは止まらず、四人、八人、十六人と増殖するように数を増していく。もはや双児響転(ヘメロス・ソニード)だとしても物理的に不可能な人数にまでなっていた。

 もはや、群れだ。

 

 虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)

 

 虚と幻の混じり合った姿。

 

「これは......!」

「だいたいが私の幻影だから、ホントはここまでじゃないんだけどね」

 

 数で囲んでいたはずのゾマリが、今度は群れに包囲されている。

 

「加減した幻影じゃあ、ゾマリさんを殺すことなんて出来やしないよ。数の無駄ってやつかな」

「見せかけというわけですか。片腹痛い」

「そうかも。では、コレの怖さを知らないゾマリさんに問題です。デデン! この三百人ちょっとの私の中に、ゾマリさんの首を()ねられる私の本来の分身は何人いるでしょーか。私本人も含めてね」

 

 ケラケラケラケラ。ニルフィたちが一斉に笑い出した。楽しげに、愉しげに。もはや狂気までも感じさせそうなのは、同じ少女が幾人もいるというだけではない。少女は口の端を裂けそうなほど吊り上げて笑っているからだ。

 無垢な光は眼から失われた。

 残った無邪気は別の色を持ち、澄んだ金色の双眸を濁りらせて少女の心を蝕み、嗤い続ける。

 凄惨。その一言に尽きた。

 

「五体、でしょうか」

「ぶぶー、はずれー。正解は十二人でしたー。この刀で手足を切り落とせるから、よく覚えといてね」

 

 その数に驚くよりも先に、ゾマリはこの大群の意味を理解できた。出来てしまった。

 殺傷能力のある分身が、同じ姿をした何人ものニルフィの中に紛れている。幻影にはさほど力がないとはいえ、気を抜けばその隙に即座に凶器が襲い掛かってくるだろう。精神的に責めたてるのだ。

 そんなゾマリを見て、堪え切れないというようにニルフィたちが腹を抱えるほど大爆笑する。ここに来る前の彼女からは想像できないほどに不敵な態度だ。もはや別人にしか見えない。

 

「ク、クフッ、アッハハハハハハハハハ! なにその顔、さっきまでの自信はどこいったの? もっと頑張ってくれないと私が楽しめないじゃん。遊ぼうよ、もっと、もっと、さぁ。空腹にしてよ、十刃(エスパーダ)さん。斬って解体して食べやすくしてあげるうちに、ね」

 

 ニルフィたちが笑いながらゾマリへと接近した。それを五人に増えたゾマリが迎撃し、時折虚閃(セロ)を使って偽ニルフィたちを消し飛ばしていく。それでも少女の群れから楽しげな笑みを消すことは出来ない。気の弱いものならば狂いそうな光景だ。

 少しずつ、ゾマリの分身が消えていく。性能は良くとも、単純な数の暴力には耐えられなかったようだ。

 ゾマリの体をじわじわといたぶるように、変色する斬魄刀が振るわれ続けた。

 

「舐めるな!」

 

 (かつ)。それは音でありながら物理的な密度があった。ニルフィたちがひるむ。

 ゾマリが立ち直るように斬魄刀を構えなおした。分身を最大まで増やし、再度のニルフィの強襲を迎撃しようとする。

 

「あはっ」

 

 掛かった。そう、幼い笑い声には含まれていた。

 数いる幻影たちの外に、空気からにじみ出るようにしてニルフィの分身たちが現れる。その数は十二。最初から、幻影の群れには決定打を持つ存在はいなかったのだ。

 両手を銃の形にして、彼女らは幻影の包囲網の中心へと腕を向けて現れ、霊圧を瞬時に溜めた。

 刀で戦うような発言はブラフ。虚言に惑わされたほうが悪い。最初からニルフィの頭には、相手を殺すためのビジョンしかない。

 

 重光虚閃軍(セロ・インフィニート)

 

 頭の大きさほどまで圧縮した虚閃(セロ)の弾丸。それが無数に、あらゆる方向からゾマリへと弾幕として殺到した。幻像も巻き込みながら逃げ場を作らない回避など望めない計算もされている。ゾマリの分身はもう最大数であり、新しく作れない。

 顔を歪ませたゾマリを虚閃(セロ)の光条が呑み込み、音もなく破壊をまき散らす。

 その余波は百メートル規模の柱を徐々に朽ちさせていった。瓦礫になることも叶わずに、塵としてどこかへと流されたようだ。

 

「あーあ、肉くらい残すの忘れちゃった」

 

 斬魄刀を鞘に戻しながら残念そうにニルフィが零す。

 心底つまらなさそうに、足もとに転がって来た小石を蹴り飛ばした。

 

「--舐めるなと、言ったはずだ」

 

 その声は唐突に、石材が溶けたことで噴き出し続けている煙の中央から届いた。

 

 

「鎮まれ『呪眼僧伽(ブルヘリア)』」

 

 

 クレーターの中央に鎮座していたのは、白くて丸い球体だ。まんま南瓜のように見える。その頂点の部分からまず左手が突き出し、次に右手、そして頭部から胴体にかけて現れた。

 これがゾマリの帰刃(レスレクシオン)なのだろう。全身が白いスーツに包まれ、頭部が顔の正面以外髑髏の仮面で覆われている。目元にも仮面紋が浮かび上がり、下半身が幾つもの人面を持つ巨大な南瓜の様に変化していた。かなり気味の悪さが際立っている。

 しかしタイミングが遅かったのか、所々肉が焦げているようだった。

 あの集中砲火に耐えたことにニルフィが驚くよりも先に、嬉しそうに顔をほころばせた。

 

「あぁ、よかった、生きてたんだね。せっかくのご飯がパァになるところだったよ」

「......はっ、はっ......ぐぅ、おのれ......!」

「キミは(おご)ってたんだよ。きっと、最初は私のことを同格に考えて振る舞ってるって思ってたかもしれないけど、それが上から目線の行動なのにね。あ、でも今は私が上から見てるや」

「......成程。貴女のそれ自体も、すでに傲りであるとは......気付いていない、ようですね」

「また手品?」

「いえ、その傲岸不遜たる貴女の醜悪に尽きる内面を、直々にすり潰して差し上げましょう」

 

 ゾマリの全身の目が黒くなっていった瞬間、ニルフィは咄嗟に響転(ソニード)でその場を離脱した。虚閃(セロ)をゾマリが放ってきても相殺する心づもりが、本能に従ってねじ伏せられ、回避を選択したのだ。

 なにかが、起こった。

 とても静かな変化なのか、攻撃でもないそれはどこかに破壊痕を残すこともない。

 ニルフィが探査回路(ペスキス)で探るも、その痕跡は見つからなかった。

 そして、ニルフィの右手が別の生物のように彼女の首元へと突き出された。少しだけ目を見開いてニルフィが自分の首を絞める己の右手を見つめる。華のような文様が手の甲に浮かんでいた。

 

「その右手は、既に私の物となりました」

 

 背後に現れたニルフィへとゾマリが振り返りながら、勝ち誇ったように告げた。

 

「なに、これ......?」

「全てのものには『支配権』があります。部下は上官の支配下にあり、民衆は王の支配下にあり、雲は風の支配下にあり、月光は太陽に支配下にある」

「............」

「我が『呪眼僧伽(ブルヘリア)』の能力は、その目で見つめたものの『支配権』を奪う能力」

 

 (アモール)

 

「これが、私の力です」

「まさか」

「私は貴女をもうすでに見ている」

 

 ゾマリの複数の目が黒く染まると同時に、ニルフィの体に同じ数だけ文様が刻まれる。

 見るだけならば、光と同じ速度を実現する。つまり遮蔽物のない場所で使われると実質回避不可能なのだ。

 左太もも、わき腹、左肩、右足の甲、胸。そして、頭。体への指示を出す部位が掌握されると、肉体のすべての支配権を奪われるのが特徴だ。

 ニルフィから表情が抜け落ち、だらりと体から力が抜ける。

 

「どうやら傲っていたのは貴女のようだ。たしかに力はある。しかしそれだけだった。内なる狂暴性に踊らされ、呆れるほどの隙を晒した」

 

 語り掛ける間にゾマリは体の節々の痛みに眉をしかめる。重光虚閃軍(セロ・インフィニート)で受けた傷跡は見た目よりもひどい。振動も含まれおり、体を内面からも破壊して塵にする、凶悪に尽きる攻撃だった。

 こうして支配権を握っても、苛立ちが募る。

 

「この傷の恨みは、貴女にむごい醜態と痴態を晒させることで消しましょう。そのあとは私直々に首を刎ね、死を与える」

 

 歯をむき出しにして、ゾマリが宣告。

 その視線の先でニルフィがゆっくりと右手を持ち上がり、自分の死覇装に手を掛け、肌を覗かせてた。白く、歳不相応に艶めかしいうなじが露わになる。服がはだけて小さな肩が見え、そこを濡れたような黒髪が流れた。人形のようだとは、使い古された表現ではあるが、今の少女にはとても当てはまる。

 そうして彼女はーー消えた。

 

「ねぇ、良い夢は見れたかな?」

 

 ゾマリの耳元で、失望がにじみ出ている幼い声で囁かれた。

 バッと振り返るも、声の主の姿はどこにもない。せわしなく首をまわしながらゾマリが叫ぶ。

 

「どこだ!」

「そんなのどこだっていいじゃん」

 

 (アモール)が無差別に放たれ、壁や床や天井に文様が浮かび上がる。しかしニルフィの姿を捕えることは出来なかった。恐慌をゾマリは覚えた。

 

「ぐ......くそォッ! 私の愛をッ。受けろ! 受けろ! 受けろオオオオオ!!」

「ああ、まったくね。いい破面(アランカル)の大人なんて、ここにはハリベルさんしかいないみたい」

 

 ゾマリの声だけが虚しく反響し、ニルフィの声があらゆる方向から聞こえてくる。

 

「少しは思い出してきたかな、昔のこと。それにバラガンさんのいたころの虚夜宮(ラス・ノーチェス)の姿も思い出した。バラガンさんの部下さんは怒ってたね。うん、私は前に藍染様と、東仙さんにも会ってたみたいだね。......ああ、これは使えるかな、実験には面白そう」

「なぜだ! 貴様は(アモール)を一身に受けたはずだ!」

「あれってもちろん偽物だよ。というか、気づかなかった? キミが最初に私を蹴った瞬間から、もう偽物にすり替わってたんだよ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その事実にゾマリは何も言葉を返せないでいた。今までの戦いが人形相手の茶番とは、夢を見せられていたようで現実味などあるはずもない。

 

「ねえ、自称手品師さん。もうネタは切れたの?」

「ぐ......ぅう!」

「そっか、残念。響転(ソニード)の応用ぐらいしか学べることはなかったよ。じゃあ今度はゾマリさんが実験体になってね。安心して、ただ耐えてくれればいいからさ」

「なんだ! なにをするつもりだッ!」

「真似だよ。記憶通りなら、これも使えるはずだから」

 

 からかうような口調から一変し、寂れた空間に流れるのは悲しげな旋律。

 聞く者が聞けば、その危険性で身がすくむほどの。

 

(にじ)み出す混濁(こんだく)の紋章。不遜なる狂気の器。湧き上がり・否定し・痺れ・瞬き・眠りを妨げる。爬行(はこう)する鉄の王女。絶えず自壊する泥の人形。結合せよ。反発せよ。地に満ち己の無力を知れ。ーー破道の九十』

 

 

 

 黒棺

 

 

 光さえ奪い取るような闇色の牢がゾマリを幽閉した。彼の叫びも、悲鳴も、重力の奔流によってかき消された。

 

「オサレだよね、この技」

 

 ニルフィが指を鳴らす。黒棺は崩れるように溶け、中からは全身から血を噴き出すゾマリが吐き出される。

 守胚姿勢(エル・エンブリオン)という下半身に入って行なう防御をする暇もなかった。もちろん、ニルフィが与えなかったからだ。過去の藍染も、そんなことはしなかったから。

 いつの間にか、ニルフィがゾマリの眼前にいた。

 恐怖で反射的に(アモール)を使おうとしたゾマリは悲鳴を上げる。両目も含めて全身の目がすべて切り刻まれたからだ。もはや(アモール)は使えない。

 

「アッハハハハハハ! ホントに最初の威勢はどこいったのさ! ねえ、答えてよ、十刃(エスパーダ)さん」

「じ、慈悲を......」

「慈悲。慈悲かぁ......。そっか」

 

 苦しみ悶えるゾマリを見ているうちにニルフィは醒めていき、落ち着きを取り戻していく。

 一度、手の平へと視線を落とし、そして傷つき死にかけたゾマリを見た。

 光を取り戻したはずのニルフィの目に、悲哀がよぎる。やってしまった。これが自分の本性だ。獣。ハリベルの言っていた言葉が頭に浮かんだ。

 乾いた笑いが、ニルフィの体を震わす。

 

「ダメだったよ......私、変わることなんて、できないよ」

 

 独り言だ。

 

「でも、壊したのがキミでよかった」

 

 安心だ。何しろ、相手は出会ったばかりの他人なのだから。これからあるはずもないのだが、目の前にいたのがハリベルやウルキオラだったらニルフィには耐えられなかっただろうから。ゆえに、心を痛める必要はない。

 

「私が戦った理由なんて、高尚なものじゃない。ただ殺されるのが怖かったから、生きるためにキミを殺そうとする。保身のために刀を血で濡らすし、食べるために肉を食いちぎる」

 

 悲しげにニルフィが斬魄刀を右の逆手で抜いて、ゆらりゆらりと身体を揺らしながらゾマリへと近づいていく。

 隠すこともしない霊圧にゾマリは反応した。

 

「く、来るなァ! 我等は同志のはずだ! 仮面を砕き、力を手に入れた眷属であるはずだ! それに、貴様は私欲のために刃を向けるというのか!? 忌避も、躊躇も、悲壮もなく! 私を殺すのならば貴様はケダモノと同意義なのだ! 違う? それはただ思い上がっているからに過ぎない! 畜生へと身を堕としたくなくばーー」

 

 言葉は続かなかった。

 ニルフィの斬魄刀がゆっくりとゾマリの首に添えられていた。口の端をわななかせながらゾマリが潰された目でニルフィを射殺さんばかりに睨む。

 

「貴様のことを、藍染様は許さぬぞ」

「そう? 藍染様が関心を持つのはキミみたいな弱者なんかじゃないと思うよ」

「藍染様が、いや、神が我らを創造なされたのだ! そのうちの一人である私を斬るだと? このクズにも劣る売女めがなにを」

 

 刀が薙ぐように頭部を斬り飛ばした。

 

「ごめんね。ーーうるさかったから斬っちゃった」

 

 回転しながら落ちてくる物言わぬ首をニルフィが左手で掴んで抱える。血が服に付くことも躊躇わず、そっと抱きしめた。聖女のようにニルフィが微笑みを浮かべた。

 

「キミは気にしなくていいんだよ。だって藍染様が関心を持つのは強い人だけ。だからこんなところで死ぬような弱者になんて見向きもしないからさ。失望も嘲笑もされる価値はキミにないから、安心して寝ててよ」

 

 刀を仕舞い、崩壊していくゾマリの肉体を見る。

 

「さて、早く食べないとなくなっちゃう。十刃(エスパーダ)になる人ほど美味しいものはないんじゃないかな? クッキーよりはおいしくないだろうけど、さ」

 

 気を紛らわすように呟いて、ニルフィは口を引き結ぶ。

 そうしないと(よだれ)が零れてしまいそうだったから。




「だっておいしそうだったから」






オリジナル技

虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)

ニルフィの無数の幻影に双児響転(ヘメロス・ソニード)を紛れ込ませた技。面で制圧するためであり、ルドボーンさん涙目の即席軍隊。補充も可能。幻影はかなりリアリティが追及されており、服の着脱すらも可能。

重光虚閃軍(セロ・インフィニート)

虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)から使える虚閃(セロ)のマシンガン。銃のように一発ずつ連射ではなく、複数の核を一人ずつが展開しての集中火砲。なので指を銃の形にするのは本人のノリ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ピカピカの新十刃

 新しい十刃(エスパーダ)が生まれた。

 その藍染からの簡素な報せだけで十刃(エスパーダ)たちはとある広大な広間へと集められ、野次馬などは自由に足を運び、かなりの人数がそこにはいた。彼らは中央を円を描くように囲み、端の闇に紛れるように存在している。

 彼らは見ていた。その新しい十刃(エスパーダ)の実力を。......正確には、見ようとしたのが正しいのだが。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 薄暗い黒を消し飛ばすように、やけにカラフルな光が景色を染め上げ、視覚という五感の一つを完全に潰す。

 気に入らないから。自分のほうが十刃(エスパーダ)に相応しいから。ただ殺したいから。

 そういった理由で挑戦した九人の破面(アランカル)も、目を完全に使い物にならなくさせられた。戦いに特化した彼らが動揺から持ち直すには、一秒さえあれば十分すぎるほどの時間だ。

 そして捕食者が命をからめとるのには、たったの一瞬さえあれば余裕でもある。

 

 虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)

 

 九人の背後に、九人の小さな人影が生まれた。

 それらの影は予備動作なしの貫手を右手でつくり、突き出す。

 鋼皮(イエロ)を食い破り、肉を裂き、骨を潰し、そしてその下の心臓を破裂させた。

 光が噴き出したのは一瞬のこと。集まっていた破面(アランカル)たちはすぐに平静を取り戻し、なにが起こったのかを見定める。

 目で捉えられたは、心臓があるであろう部位から血を噴水のように噴き出す九人の挑戦者たちの姿。彼らは足の力を失うように床に崩れ落ちた。

 最後に立っていたのは一つの小さな存在だけ。己の手の内を晒さず、しかし結果を作り出している。

 上段にある身の丈を越した椅子に座っていた藍染が微笑を浮かべる。

 

「他に『彼女』に挑戦する者はいるかな? 私としても頻繁に十刃(エスパーダ)の座が変動をするのは好ましくないと思っている。『彼女』が十刃(エスパーダ)に相応しくないと思う者がいれば、自らの力でその座を奪ってほしい」

 

 返ってくるのは沈黙のみ。これで認めたわけではないものもいるだろう。しかし異議を唱えるものはいない。

 十刃(エスパーダ)たちも特に何も言わなかった。

 この場にいるのは九人のみ。いないのは第7十刃(セプティマ・エスパーダ)......『元』第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ゾマリ・ルルーだ。彼は『彼女』に挑み、そして返り討ちにされていた。その事に憤る者はいない。少しばかりの悲哀、脆弱さを嘲笑う空気、無感情。そういった反応はしても、生き死にを掛けて命を失うのは当たり前である。

 訂正するのなら、この場には新入りを含めて十刃(エスパーダ)が揃ったということだ。

 

「では、ニルフィネス・リーセグリンガーを第7十刃(セプティマ・エスパーダ)として認めよう」

「え? あ、はいっ、頑張ります!」

「これで君は皆に認められたばずだ。新たな十刃(エスパーダ)として相応しいとね」

「藍染さまの期待に応えられるようにします!」

 

 気持ち悪そうに手にべちゃりと付着した血を払っていたニルフィが、慌てて一礼する。

 破面(アランカル)にしてはかなり幼い姿だ。春風が吹いただけで飛ばされそうなほど、小柄な少女は儚げで華奢な肩をしていた。水に濡れたような光沢を持つ腰までの流麗な髪が色香を漂わせ、伏目がちの黄金色の双眸が無邪気かつ無垢な光を宿しているのが分かる。

 仮面の名残であろう大きな角が、耳の上から髪を掻き分けて後頭部にまで沿うように伸びていた。

 腹部で開いたパーカーのようなフードから所々覗く真珠色の肌は、傷を付けることなどおこがましいにもほどがある。

 

 だからこそ、今しがた死んだ破面(アランカル)たちは挑んだのだが。

 

 彼らはニルフィがこの広間へとやって来た時から憤りを感じた者たちだ。

 十刃(エスパーダ)となったのが、よりにもよってこんな少女? なぜ自分ではない。今でさえ挑めば楽に(くび)り殺して自らが十刃(エスパーダ)として咲くことができるというのに、と。侮りと傲りが感情を支配し、あらゆる要素に惑わされて命が消えてしまったのだ。

 戦いの結果を外から見届けたバラガンは、あの九人と一緒に挑もうとした配下の血気盛んな若い破面(アランカル)へと言葉を掛けた。

 

「言ったじゃろう、あの馬鹿どもと一緒になりたくなくば、見ていろとな。我が配下であるのならば犬死(・・)は許さん。貴様のような愚者を儂はいくらでも見ておる」

 

 その破面(アランカル)は悔しそうな顔をすると、元いた場所へと戻っていく。その態度は本来ならば不敬であるが、バラガンが咎めることはしなかった。

 あの少女を初見で警戒しろというのが無理な話だ。バラガンでさえ、最初は油断をして痛い目を見ていたのだから配下の若者に強くは言えない。油断は戦いの中で最も忌むべきものなのだ。それを無意識に相手に刻み込むことに関しては、ニルフィほどのものはいないだろう。

 それにゾマリが掛かったのか、それとも単純な実力差か。

 どちらもだろう、というのがバラガンの予想で、それはたしかに当たっている。

 

「えっと、その、よろしくお願いします!」

 

 ペコリ、と少女が先ほどの虐殺などなかったかのようにお辞儀した。

 

「改めて、私はニルフィネス・リーセグリンガー。どうかニルフィって呼んでね。ここではのんびり暮らしたいから、みんな仲良くしてね」

 

 天真爛漫な笑顔のまま、手にくっついた血を霊圧で弾いて汚れを落とす。

 背中を虫が這いまわるような錯覚をニルフィの過去を知っているものたちは受けた。

 

 ああ、コレは昔のまま、バケモノとして生きているのだと。

 

 ニルフィが藍染に呼ばれてここに入って来た時から、覚えのある特徴的な霊圧に身を震わせた。

 久方ぶりに思い出した感情だった。これは恐怖だ。忘れもしない、絶対的な畏怖。

 なぜここにいる。あのバケモノが。ありえない。死にたくない。喰われたくない。

 姿形がいくら可憐で小さな花だとしても、彼らはもう騙されることなどしない。運よく生き残り、そしてその惨状を眼前でありありと見せられ、心を砕かれたのだから。

 彼女の容姿を前にして、挑戦者が九人だけなのはあまりにも少なすぎた。

 少し前にウルキオラが第4十刃(クアトロ・エスパーダ)になった時も同様に挑戦がありはした。結果はウルキオラがこの場にいることで推して知るべし。そのことに警戒もしていたが、それを忘れさせるほどの人畜無害な容姿に釣られてしまったのだ。怯えを周囲に悟らせないようにするものとは違い、ただ単純に『アレ』に対して無知だったから。

 彼らが共通に思ったことは単純にーー勝てない。それだけだ。

 

「おめでとう、ニルフィ、これで第7宮(セプティマ・パラシオ)は君のものとなる。世話のための下官はすぐに手配するが、君はまだこの虚夜宮(ラス・ノーチェス)に来たばかりだ。分からないことも多いだろう」

「だ、大丈夫です......」

「遠慮する必要はない。君は十刃(エスパーダ)となったのだからね。従属官(フラシオン)を付けることを(すす)めるが、何人ほど必要かな?」

「二人、くらいは必要になると思います。いきなり多くても纏められないので」

「そうか。--では、この場に彼女の下に従属官(フラシオン)として就く者はいるかい」

「え?」

 

 そんな酔狂な人物がいるのかとニルフィの口から声が漏れる。彼女は自分の姿をよく理解していた。そのため、こんな弱そうなヤツの下になろうとする人物がいるはずもないと思ったのだ。

 

「......俺がなろう」

 

 いた。それも見覚えのある巌のような大男だ。

 破面・No.101グリーゼ・ビスティー。彼が影から踏み出すように現れたことで、周囲の従属官(フラシオン)や他の2ケタの破面(アランカル)たちは少なからず驚きの気配を出す。プライドの高い元十刃(エスパーダ)従属官(フラシオン)となること以外にも、どよめきには理由があったようだが、新参のニルフィには知りえないことだ。

 藍染がグリーゼに訊く。

 

「いいのかい、グリーゼ?」

「......名を覚えて頂けていたことに至極恐縮」

「君のような人材が彼女の従属官(フラシオン)となるのは驚きだ。しかし決めたのなら仕方がない。彼女の元で力を振るってくれ」

 

 言葉ほど驚いているようには見えない藍染が頷く。それを許可と取ったグリーゼがニルフィの元へと歩み寄った。ビクリ、とニルフィが体を強張らせるも、グリーゼは目礼をするだけで特になにかすることはなかった。

 

「他に望む者はいるかな?」

 

 藍染が目を眼下に奔らせた。

 そこに、一人の紳士が足を踏み出す。整えられた(ひげ)をしごきながら、おろおろしているニルフィを見据える。

 

「ふむ、これも何かの縁であろう。驚きもある。しかし! 麗しきお嬢さん(ニーニョ)騎士(ヒネーテ)となるのも、吾輩、やぶさかではなくーー」

「はいはい、どいて! アタシ、アタシがその子の従属官(フラシオン)になります!」

「へぶらっ!?」

 

 意気揚々と前口上を述べていたドルドーニは、背後からの突然の蹴りで吹き飛ばされた。

 ドルドーニが床に倒れ込んだまま必死の形相をし、その人物へと向けて指を突き付ける。

 

「き、君ぃ! なにかね! 吾輩の高貴かつ優雅なる登場を蹴り一つで潰すとは!」

「これは早い者勝ちですよ? 競争相手は蹴落としたっていいんじゃないかしら。それを言うなら、あなたは蹴り一つで蹴落とされたってことになるわよ」

「むぐぅっ!」

「それにレディーファーストが紳士の心情ですよ。あれ? ここにいる紳士さんは、私に従属官(フラシオン)になる権利さえ譲ってくれないのかなぁ?」

「ぐ、ぅおおおぅっ、久しぶりの再会ながら、君はまったく変わっておらんようだ」

「お互い様、でしょ?」

 

 クスリ、と笑って、その女が肩ほどまで伸ばした朱色の髪をかき上げる。

 彼女を見て、広間にさらに動揺が生まれた。

 破面・No.110アネット・クラヴェラ。怜悧(れいり)な美貌をした女型の破面(アランカル)だ。お淑やかな容貌に似合うような、ロングタイプのワンピースじみた死覇装を着ており、腰あたりまでの大胆なスリットからは妖しい色香の漂う太ももが覗く。

 その中の秘境を一目見ようとドルドーニが首を伸ばし、その顔面がアネットの鋭い蹴りが炸裂した。

 

「ふぐぉっ!? は、鼻が! 花のように散る!」

「ま、いいですよね。どうせどっちも十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)なんですし、男と女だったら彼女にとっても女のほうがお得ですよ。ねぇ?」

「う、うむ......。それでいいだろう。だからこのまま頭を踏みつけないでほしい。幼さへの誘惑を振りきったと思ったら、別の性癖に目覚めそうなのだ......!」

「決まりね」

 

 アネットがニルフィへと向き直り、少女へと歩み寄る。

 二人のやりとりに引いていたニルフィは体を固まらせるも、彼女の前へとやって来たアネットはそっと目線を合わせ、優しい表情となった。

 

「アタシはアネット・クラヴェラ。よろしくね、ニルフィちゃん」

「う、うん。よろしく」

十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)なんだけど、それでも従属官(フラシオン)として認めてくれる?」

「地位とかそんなの、私はよくわかんないからさ。アネットさんも敬語なんて使わなくてもいいんだよ?」

「ありがとう! 優しいわね!」

 

 警戒を解いたニルフィはアネットに抱きしめられた。熾烈なのはあくまでもアネットの一面だけなのだろう。とても優しく、大切なものを抱くような抱擁だ。 

 ただし他の実力者以外たちの顔色は優れない。十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の変り種であるアネットは、唯一自分から十刃(エスパーダ)の座を降りた存在なのだ。3ケタ(トレス・シフラス)の巣でもあまり目撃されない彼女がどうして表に現れたのかと、一様に猜疑的な視線を送り、そして考察する。

 

「スーハースーハー、きゃーっ、髪もすごい良い匂い! お肌もこんなにすべすべでプニプニ~、これは天国のもち肌か! 涙目の顔も可愛くて、もうベッドの中で可愛がりたいよぉ! ク、クッヘヘヘヘ、たまらんなぁ、たまらんねぇ、この慎ましやかな胸もさぁ。こんな小っちゃくて可愛い娘と一緒にいるなんてもうーー役得」

 

 鼻息荒くだらしない笑顔のまま抱きしめている幼女をまさぐっている姿を見ると、すぐにでも考えることをやめてしまいたくなるのだが。

 ニルフィは泣くのを堪えながらドルドーニへと視線を送るが、紳士は胸を押さえながら何かを抑えるのに必死のようだ。内なる衝動とかそういったものと。これをアウトかセーフで表すならば、チェンジ! と声高に叫ぶところなのに。

 もう従属官(フラシオン)にすると宣言した手前、撤回するのもはばかられた。その時にアネットに何されるか分かったもんじゃない。純粋に身の危険で怖いのだ。

 

「決まったようだね」

 

 言葉を失うような光景を前にしても、藍染のスルースキルは高かったらしい。

 

「グリーゼ・ビスティー、アネット・クラヴェラ。両者を従属官(フラシオン)として、ニルフィは第7十刃(セプティマ・エスパーダ)となる。これでいいかな?」

「い、嫌............いえ、いいです。はい」

「それはよかった。では、ここで解散しよう。集まってくれてありがとう。あとは自由に戻ってくれて構わないよ」

 

 愛染が去り、破面(アランカル)たちも各々に広間を出ていった。

 眼帯を付けた非常に長身の男が去り際にニルフィを睨んだが、件の少女はいまだにアネットに弄ばれており、気付いてすらいないようだ。

 グリーゼがそれを見かねてアネットを引きはがす。

 

「なによう、グリーゼ! まだ可愛がっている途中なのに!」

「......主も困っているようだ。それにまだ、正式な自己紹介すらしていないだろう」

「あ、そうでしたね。では改めて、と」

 

 アネットは名残惜しそうに立ち上がった。ニルフィとしては解放されて万々歳である。

 キワモノ二人の従属官(フラシオン)がニルフィへと向き直った。

 その立ち振る舞いは、さすがは元十刃(エスパーダ)といったところか。風格の漂う霊圧が、ただの無意識で空気を振動させるようだ。

 

「......グリーゼ・ビスティーだ」

「えっと、その、さ。グリーゼさんはなんで私の従属官(フラシオン)なんかに立候補したの? 私は主としても、あんまり褒められた性格じゃないんだよ。それに前にキミは私の配下になるとか訳わかんないこと言ってたけど、それもキミに勝ってからでしょ?」

「......先の戦いを見た。見事な手際と評そう。本気とはほど遠いだろうが、あれで十分だ」

「そっか」

「......時間があれば手合せ願いたい」

「初めての命令が『襲い掛かってこないで』になりそうだね」

 

 戦いに独自の固執があるだけで、グリーゼの人柄は真っ当な部類に入るのだろう。

 まともな部下を思わぬところから手に入れられて、ニルフィは付いていたかもしれない。

 そしてニルフィは、どう考えても真っ当ではなさそうなほうの従属官(フラシオン)へと顔を向けた。嬉々として、アネットが胸を張る。

 

「もう一度言うけど、アタシはアネット・クラヴェラ。好きなものは可愛いもの。嫌いなものは筋肉ダルマよ」

 

 じろり、とアネットが隣の筋骨隆々な大男を見た。

 美人の怖い顔は迫力のあるものだが、グリーゼは熊のようにのっそりとどこ吹く風だ。

 

「え、それじゃあ、なんで私の従属官(フラシオン)に?」

「もちろんニルフィ、貴女が可愛いからに決まってるでしょ!」

「わわっ!?」

「アタシはね、地位とかそういうのには無頓着なんですよ。それで自由にここで生きてきたワケなんです。貴女の下に付こうと思ったのも、言いようによっては暇つぶしみたいな。あ、でも忠誠はちゃんと誓うわよ。それを骨の髄まで教えてアゲル!」

「だ、ダメだって! ひうっ、ふ、服の中に手がぁ......!」

「一目惚れよ一目惚れ。こんな可愛い子になら、身を尽くしてもいいかなって。あ、信用してない? なら教えてあげますよ、どれだけ本気かってのを! 貴女のカラダに、ね」

「や、やめてぇ! そこダメ、あぅっ、ダメだって! グリーゼさん助けてぇ!」

「......承知」

「ちぃっ、この筋肉ダルマ! いまイイとこなのに!」

 

 早くも騒がしい第7十刃(セプティマ・エスパーダ)の主従たち。

 それを見ていたバラガンはやれやれと首を振り、せっかくなのだからと祝い事の一つでも言ってやろうと足を踏み出した。

 

『む......』

 

 同じタイミングで、同じ動作をした者が他にもおり、彼らは眼を細める。

 バラガンの右側のハリベルも、左側のアーロニーロも、ニルフィの元へと歩いて行こうとしたところだった。

 ならば一緒に行けばいいのだが、プライドの高い十刃(エスパーダ)である彼らはそれを許さなかった。

 なんか小っ恥ずかしいとか、らしくないという意識がそうさせたのか。何気なく話しかけて思い出したように褒めてやるつもりが、それが三人ともなれば褒めるために意図的に近づいたように見られるかもしれない。

 難儀なものだ。

 

 どっか行け。

 貴様こそ。

 邪魔。

 

 類見ない視線の牽制だった。霊圧が剣のように尖り、彼らの従属官(フラシオン)たちが身をすくませたほどだ。

 彼らは先にニルフィへと近づこうとさらに足を踏み出し、

 

「リーセグリンガー、どうやら無事に終わったようだな」

 

 思わぬ伏兵に撃沈された。

 

「あっ、ウルキオラさん」

「聞いたぞ。俺の宮に来るはずが、まったく別の所に辿り着いたらしいな」

「白々しいね。知ってるんだよ、キミも加担してたってことくらいさ。そのせいでこんな十刃(エスパーダ)にまでなっちゃって......」

「藍染様の計画だ。不満を言うな」

 

 ニルフィたちの背後ではアネットとグリーゼが言い争っており、これからが心配になる。

 

「でも、いいのかな」

「なにがだ?」

「私なんかが十刃(エスパーダ)になっちゃってさ。別に7の番号にはこだわりなんてないし、もしかしたらあの二人のことを率いることもおこがましいかもしれないんだよ」

「決めたのは奴らだろう。それを疑うこと自体が奴らへの裏切りだ。それを知っておけ」

「......そうなの?」

「喋りすぎたな。あとは自分で考えろ。お前の頭では理解までには及ばないだろうが」

「むっか、今度ウルキオラさんの宮の壁に落書きしてやるからね!」

「哀れなほど小さいな」

 

 背を向けたウルキオラは一度も振り返らず、入り口の扉を潜っていった。

 それに続いてバラガン、ハリベル、アーロニーロと、ニルフィも話しておきたかった人物たちがなぜか悔しげな空気を纏わせて出ていった。あとで挨拶参りに行こうと決心する。

 

「だいたいね、可愛い存在がなんでこの世にいてくれるか分かる? 愛でるためよ! 触りまくった手の感触思い出しながらご飯十杯はいけます!」

「......俺には理解できない性癖だ」

「性癖言うな! 志向と言え!」

「......葬討部隊(エクセキアス)に犯罪取り締まりの業務があれば、即座に捕まるな」

「ハッ、バレないようにヤるからいいのよ」

「......いっそ清々しいな」

 

 なぜか新参の自分のためになってくれた従属官(フラシオン)二人の騒ぎをBGMに、ニルフィが自分の両手を見下ろした。

 

十刃(エスパーダ)、かぁ」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)に来たばかりの時には関係のない話だと思っていた。

 けれど、十刃(エスパーダ)となった。手を血で汚して。命を喰らって。そうして犠牲の上に成り立つ。

 それ以前だって、生きるための力を手に入れるために数えるのもバカらしい魂を喰らってきた。

 

「ぼちぼち、やってこっかな」

 

 死なないように。楽しんで生きるために。時間はまだある。

 自分の中で答えを見つけるのは、のんびりやっていけばいいだろう。




RoNRoNさん作
{IMG7941}

 プロフィール
 
 ニルフィネス・リーセグリンガー
 
 性別・女 

 身長・130cm

 性格・臆病(チキン)(たまに手がつけられないほど狂暴)

 好きなこと・食べること、お昼寝、イタズラ

 苦手なこと・説教、戦闘

 元最上級大虚(ヴァストローデ)の少女で、見かけだけならば人畜無害かつ戦闘力皆無な、とても弱弱しい容姿。
 可愛らしいという言葉が具現化したような姿を本人は気に入っていないが、流麗な黒髪は自分でも好き。怒った顔をしても蚊よりも怖くない。ただし霊圧が殺傷レベルを持つため注意。
 思考回路は子供と一緒だが、頭の回転はかなり早い。極度の方向音痴はそれでもカバーしきれないようだ。
 
 戦闘能力は高いが、記憶が無くなっているために今の本人も全容を捉えていない。
 技の模倣は能力ではなく個人的な技術によるもの。再現をするために必要なので、記憶力はかなりいい。ただし『視認』できないと形として表せず、さらに相手だけの固有の技(他人には絶対再現不可能の技)は通常の状態では模倣できない。
 響転(ソニード)が得意で十刃(エスパーダ)最速である。
 全体の戦闘能力を簡単に言えば、はぐれなメタルを超実戦的かつ強力に昇華させたような存在と考えてもらいたい。

 豆腐メンタルではあるが、戦闘となれば性格が豹変。あくまで内に隠れた暴虐性が表に出ただけであるため、二重人格というわけではない。どっちの性格も彼女の顔である。









帰刃(レスレクシオン)・『???』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

断れない性格なので

 ーーこうして少年は、数々の困難を掻い潜り、無事に少女の元へと万病を治す薬を持ち帰ったのです。

 

 その時にはもう、少女の体はほとんどが石になっていました。

 

 少年が少女の手を握ると、その冷たさが伝わります。

 

 一縷(いちる)の希望をかけて、ほとんど動かない口にゆっくりと薬を流し込ました。

 

 すると、なんということでしょう。

 

 少女の体は温かさを取り戻し、以前のように笑えるようになったではありませんか。

 

 病は影もなく治りました。

 

 二人はとても喜び、互いを抱きしめ合います。

 

 めでたし、めでたし。

 

 

 ----------

 

 

 本が静かに閉じられる。

 大団円のハッピーエンド。機転という名のご都合主義で危機を退(しりぞ)け、食傷気味にありきたりな物語。なんのひねりもない、そんな他愛ないもの。

 椅子に座ったアネットの膝の上で、現世から取り寄せた絵本を読み聞かせてもらっていたニルフィ。少女は従属官(フラシオン)に尋ねた。

 

「ねえ、アネット。この人たち、このあとどうなったの?」

 

 従属官(フラシオン)だからという理由で、アネットはさん付けされるのを拒んだ。グリーゼも同様で、他の十刃(エスパーダ)の知り合いもバラガンを除けばOKが出ている。まあ、バラガンに関してはニルフィがさんを付けないといけない気がしたからだが。

 

「そこまでは書いてないわね。幸せに暮らしたとかじゃないですか」

 

 アネットが答える。

 登場人物の中で、主人公はただ『少年』とだけしか呼ばれていない。これも名前を呼ばれず『少女』とだけ書かれた女の子が体が石になる病に罹り、『少年』がそれを治すための薬を手に入れる物語だ。

 ドラゴンを出し抜いたとか、鬼を斬ったとか、そういう部分にニルフィの関心はない。

 

「どうして、この男の子は自分から危機に飛び込んでいったの?」

「そうしないと女の子を助けられないからですよ。大切な人のために命張るって、ロマンでしょ」

「大切って、どんなふうに?」

「えぇっと、それは......」

 

 視線を逸らしながらアネットが言いよどむ。

 『少女』はただ『少女』としか呼ばれず、『少年』にとって恋人だったのか肉親だったかのかまでは、この絵本には記されていない。

 恋愛。友愛。親愛。そのほかのどれのために『少年』が動いたのか、はっきりしていないのだ。夢のない言い方では、報酬として大金を貰えるからだとか、そういった理由でもあるかもしれない。

 さすがにそこまでアネットはストレートに言わず、多少ぼかす。

 

「きっと、失いたくないぐらい大切だと思います」

 

 アネットは仮面の名残である、朱色の髪が流れる頭の横から目立たないように見え隠れする羽飾りをいじった。本当は別のことを言おうとした。けれどそれを言っても何も変わらないと、無難と思える受け答えをしたのだ。

 

「大切、かぁ」

 

 そこまで、『少女』は『少年』にとって、自分の命よりも重い価値があったということか。

 ニルフィとしてはありえないと考える。命があってのもうけものだし、自らの能力も確実に生存するためのものに特化しているからだ。理解は出来ないはずだ。それでも胸にもやもやとする、しっくりこないものが居座った。

 

「さて、次はどの本を読みますか?」

「んーっとね」

 

 ニルフィは自分の部屋に届けられた巨大な箱の中を漁っていく。すべて現世のものだ。中には小説やおもちゃなどが雑多に詰められていた。

 娯楽がないなら取り寄せればいいじゃない。そんな考えから、ニルフィは現世のものを藍染から貰っていた。普通の破面(アランカル)ならばこういった道徳を学ぶものなど邪道以外の何物でもないが、ことニルフィに関してはそれが当てはまらない。

 便利だし、楽しめる。それだけあれば彼女にとっては十分だった。

 

「この本はさっき読んじゃったし、あ、この『人生ゲーム~揺りかごから墓場まで~』って面白そう......あれ? こんなの頼んだっけ?」

 

 ニルフィが箱の中から服を取り出した。

 サイズは小さく、ニルフィにはぴったりだろう。黒のワンピース、フリルの付いた白いエプロンを組み合わせたエプロンドレスに、同じく白いフリルの付いた猫の耳を模したカチューシャ。

 堪え切れないと言った様子のイイ笑顔でアネットが言った。

 

「それは現世では『猫耳メイド』なる服ですよ、アタシが頼んだの。かしずかせてあげるのもそそるわね。ささ、着ちゃって着ちゃって」

「......この薄くて体にフィットしそうなのは?」

「それも現世の、『スク水』なるものですよ。その背徳感で今からでも興奮しているわ。オプションでランドセルなるものもあります。ささ、着なさいな」

「......着たらどうするの?」

「それはもう舐めまわすようにというか実際に舐めまくって可愛がってあげた後にベッドに抱えていって布団にもぐりこんでたっぷりドップリ他人水入らずなほどにあーんなことやこーんなことして足腰立たなくさせるわね。それがなにか?」

 

 エマージェンシーコール。緊急事態ともいう。ニルフィの頭の中で警報を壊れそうなほどに鳴らす。

 アネットの言っていることは少しも理解できない。けれど身の危険を、あろうことかなぜか自分の従属官(フラシオン)からびしばしと伝わってくる。

 

 虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)

 

 即座にニルフィは部屋を埋め尽くす数に増えた。文字通りの人海戦術で、アネットを押し流すように大量の実体を持った幻影が、勢いよく地面に投げつけたスーパーボールのごとく部屋中を飛び回る。

 そっ......と、ニルフィが姿を消したまま部屋を出た。

 

「わっふ!? さてはアタシをかわい死にさせるつもりだな! 柔らかいお腹、マシュマロほっぺ、くりくりの大きな眼! あぁもう、抱きしめ心地も最高。アタシの天使(アンヘル)が天国に連れて来てくれたみたい!」

 

 半狂乱のアネットの声がニルフィの背中に届く。いまだに、あの従属官(フラシオン)がなにを考えているのかニルフィにはわからない。少女が可愛かったから。それだけしか理由を言わないが、他にも隠し事をしているらしいのはなんとなく察している。

 決まってそんなとき、アネットのいつもの天真爛漫な笑顔に悲哀が含まれるのだ。

 自分に執着している理由もそれが関係しているのかもしれない。

 といっても、あの状態のアネットが素に戻るまで時間を潰そうと、ニルフィは自分の宮を飛び出した。

 

 

 ----------

 

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)のどことも知れぬ廊下をてってけと歩く小さな影。

 終わりの見えない廊下に徒労感を募らせながら、ニルフィは不安そうに周囲を見回していた。

 端的に、迷った。

 他の破面(アランカル)も見当たらず、ニルフィの軽い足音だけが寂しい通路に反響する。

 

「だれか~」

 

 呼んでも返事があるはずがない。

 どうして宮を飛び出してきてしまったのか。アネットのセクハラから逃げるためとはいえ、第7宮(セプティマ・パラシオ)の中でも隠れる場所はいっぱいある。

 アネットの温かい優しさが、すぐに恋しくなった。あの従属官(フラシオン)も暴走さえしなければ、ニルフィにとっては良き姉のような存在なのだ。グリーゼも寡黙で怖かったが、話してみるとただ口下手なだけで、必要なことを言う前に口を閉ざすから誤解されやすいだけで。

 

「............」

 

 ニルフィがふいに立ち止まった。

 心細さと寂しさで、目に厚い涙の層ができる。すぐにでもこぼれてしまいそうだ。

 強さなどではどうにもできないことだってある。

 

 カツン......。

 

 背後からの靴音に、アネットかグリーゼが迎えにきてくれたのかと、それはもうパァッと顔を輝かせてニルフィが振り返る。

 そして凍結させられたように固まった。

 そこにいたのは全くの別人で、さらには危険な雰囲気を纏わせていたからだ。

 襟の後ろが大きく丸く伸びている長身で長い黒髪の男。左目の眼帯の隣には、ぎらつく眼光を宿した三白眼。見た目からして凶悪そうな人相をしている。

 そんな男が目を細めながら威圧的にニルフィを見下ろしているのだ。ビビるなというほうがどうかしている。

 

「アァ? うぜえガキかと思えば、新しい十刃(エスパーダ)サマじゃねえかよ」

 

 霊圧を高圧的に発散しながら、男はニルフィへと顔を近づけた。怯えながらニルフィは壁際まで追い詰められ、男が壁に右手を突いて彼女が逃げられないようにしたことで、小さな体を震わせる。

 男の背後にいた右目に眼帯を付けた従属官(フラシオン)が見かね、男をいさめた。

 

「ノイトラ様、絵面的に完全に犯罪者です」

「テメエは黙ってろ! テスラ!」

 

 テスラを一蹴したノイトラと呼ばれた男は、蛇を思わせる一睨みでニルフィの顔を舐めまわすように眺める。

 

「ゾマリの野郎を殺ったってのが、テメエみてぇなヤツだとわよ。笑わせてくれんじゃねェかよ、オイ。貧相な体で精いっぱいの色仕掛けして、油断したトコをチョイ、か?」

「............」

「ハッ、だんまりかよ」

 

 怯えたまま活路を見出そうとするニルフィ。

 ノイトラを見るのは初めてだが、その視線に含まれた棘は、以前の第7十刃(セプティマ・エスパーダ)に正式に認められた際に感じたものだ。友好的ではない。隙さえあれば、容赦なく潰す算段を持った視線。

 

「わ、私に、なにか用なの?」

「丁度いいから顔を拝もうと思っただけだ。別に取って食いやしねえよ。それともなんだ? 襲われるとでも思ったか?」

「......うん。そう言うなら、殺気を抑えてよ、ノイトラさん」

「つれねェやつだな」

 

 斬魄刀らしいものをノイトラは所持していない。隠している気配も同じくなかった。けれど油断したら、目の前の男から虚閃(セロ)なり拳なりが、ニルフィの顔めがけて飛んできそうだ。

 

「気に入らなかった? 私が十刃(エスパーダ)になったこと」

「気に入らねえ、だと? そりゃそうだろうな。ゾマリの野郎が死んだことには何も言わねえ。けどな......メスが調子に乗るなよ」

「乗ってないよ」

「それが調子こいてんだって言ってんだ。まァ、藍染サマからはやんちゃは止められてるからな。ここでなにかしようってわけじゃねえ。けどなーー背中には気を付けとけよ。どっかのバカみてえに、頭がパカッとイッちまいたくなけりゃあ、なァ」

「......ッ!」

 

 いままでの威嚇のようなものとは段違いの霊圧が、ニルフィの矮躯に叩き付けるように生まれた。

 思わず攻撃をしそうになる。しかしニルフィが先手を取れば、ノイトラはそれを理由に嬉々として殺しに掛かってくるだろう。

 何も出来ず、ただプレッシャーに晒されるのかとニルフィが身を強張らせた。

 そんな時だった。通路の奥から誰かが歩いてやって来たのは。

 

「なんだノイトラ。てめえにガキをいたぶって喜ぶ趣味があったなんて、初耳だぜ」

 

 馬鹿にするような物言いに、ノイトラが顔の不快さを隠そうともせずにそちらを見やる。

 ニルフィも、やって来た人物の顔を、涙のにじむ視界に収めた。

 右顎を象った仮面の名残を着けた、端正な顔立ちに水浅葱色のリーゼント風の髪をした不良風の男。ショートジャケット風の死覇装を着ており、腹部にある孔が覗いていた。

 

「アァ? 随分上からな物言いだなァ、グリムジョー」

「知るかよ。それより俺は、ガキをいたぶって楽しいのかって訊いてんだ。こんな辛気臭ぇ場所で雑魚みてぇに振る舞ってんのが目障りなんだよ」

「チッ、王子サマ気取りってか?」

 

 どうやらこの二人は仲がひどく悪いようで、顔を合わせただけで殺気を飛ばした。

 ノイトラが興醒めというように舌打ちし、ニルフィから離れた。最後に一度だけ見下ろすと、弧を描く笑みをさらに深めるように顔を歪ませる。

 

「せいぜい、気を付けろよ」

「............」

 

 押し黙るニルフィを鼻で笑うと、ノイトラが興味をなくしたかのように足を踏み出した。

 

「戻るぞ、テスラ」

「ハッ」

 

 背を向けて通路を行ってしまったノイトラをテスラが追っていった。

 重圧から解放されたことにニルフィはほっとするものの、新しくやって来たのがグリムジョーというまさにヤンキーな男であることに、恐る恐る彼の顔を見上げる。

 ニルフィが十刃(エスパーダ)であることに多少の警戒はあれど、グリムジョーの目には敵意などはなかった。

 思わず、口をついて言葉が出た。

 

「あ、あの! ありがとうございます、助けてくれて」

「勘違いすんなよ。俺はあの野郎が気に入らなかったからやっただけだ。お前のことはどうでもいい」

「でもっ、あのままだったらノイトラさんに何されてたか......」

「お前も十刃(エスパーダ)なんだろ。気に入らねえなら気に入らねえって、ちゃんと言葉で言いやがれ。でないと、アイツを付け上がらせるだけだ」

 

 無愛想な物言いながら、ちゃんと忠告をしてくれた。根はいいというか、曲げたりはしない性根なのだろう。グリムジョーの言葉に偽りはない。

 

「私、ニルフィネス・リーセグリンガー。最近、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)になったの。よろしくね、グリムジョーさん」

 

 グリムジョーはしばらく何とも言えない様子で顔をしかめていた。

 邪気のないニルフィの笑顔。それがなにか調子を狂わせてくるようだ。なぜ自分になんの警戒もなくそんな表情ができるのかと訊きたいくらいの、それほど無邪気な、グリムジョーが初めて向けられた笑顔だ。

 しかし、ついに口を開く。

 

「......グリムジョー。グリムジョー・ジャガージャック。第6十刃(セスタ・エスパーダ)だ」

 

 なぜ、自分も名乗り返したのか。それはグリムジョーにもわからないことだ。

 金色の双眸を、この時だけは直視できなかった。

 

第6十刃(セスタ)? キミとお隣なんだ。すごい偶然だね」

「かもな。それよりニルフィネス。てめえはこんなトコで何してやがった? ガキが来る場所じゃねえぞ」

「......今度から私のことはニルフィって呼んでね。ま、それはともかく、迷っちゃったの。適当にぷらぷらしてたらノイトラさんに捕まって、それでグリムジョーさんが来てくれた」

「帰れんのか?」

「んー、無理かも。オジさん、あ、3ケタ(トレス・シフラス)の巣にいる人とか、ハリベルさんの所で道を教えてもらおうと思ったんだけど、そもそもそこに辿り着けるかどうかもわかんなくなっちゃったの。遭難だね」

 

 グリムジョーにはなぜニルフィが楽しそうに話すのか理解できない。頭の中に花畑でもあるのだろうか。いや、そうに違いない。でなければ、自分の目を見ながら真っ直ぐに話しかけてくるなど、とても正気とは思えないからだ。

 破面(アランカル)たちに恐れられているのはグリムジョーも理解している。

 それは十刃(エスパーダ)全員にいえることであり、彼らが顔を突き合わせれば殺伐な空気を醸し出すことになるだけだ。

 ニルフィのようにここまで無警戒に笑顔を向けてくるものなどいない。

 だからこそ、グリムジョーは戸惑っていた。それを押し殺すように、少女に背を向ける。

 

「......チッ、付いて来い」

「え?」

 

 きょとんとしたニルフィの顔に苛立ちが生まれた。それは単にムカついたとかではなく、わざわざ自分の口から言うことへのらしくなさを隠すためのものだったのかもしれない。

 それをグリムジョーが素直に認めるはずもないのだが。

 

「いいか? 俺は第6宮(セスタ・パラシオ)に戻るつもりだ。このまま知らねえフリして、ここでうろちょろされてんのは目覚めが悪い。ついでだ、ついで」

 

 呆けたような表情のままニルフィが遠ざかっていくグリムジョーの背中を見つめていた。

 

「さっさとしろ」

「う、うんっ」

 

 怖い人かと思えば、さっきのノイトラとはまったく違う。

 歩幅の違うニルフィが懸命に小走りに追ってきているのを見て、グリムジョーが少し歩を緩めてくれたりした。ぶっきらぼうな言葉で勘違いしてしまうが、ニルフィに対しては悪意などがないことが分かる。

 

「............」

「............」

 

 廊下に響くのは無機質な靴の音だけ。

 手の寂しさからニルフィがそっとグリムジョーの死覇装の袖を軽く掴んでも、彼は何も言わなかった。

 愛想がないように振る舞う背の高い青年。俯きがちに健気にそのあとを追う少女。

 なにも知らない第三者がこの光景を見れば、兄弟か、はたまた親子にでも見えてしまうかもしれない。

 グリムジョーのやっていることを見れば、彼を知るものなら『ありえない』と口を揃えるはずだ。言われなくとも、グリムジョーだって理解している。柄にもないことをしていると。

 ニルフィの目には、純粋な好意。子供特有の、少しとはいえ優しくされたからといった理由で生まれた穢れのない感情は、ねじまがった根性の持ち主でなければ拒みがたい。

 何を言いたいかといえば。

 かなり直情的な性格のグリムジョーでは邪険にできなかった。それだけである。

 グリムジョーの隣を歩きながらニルフィが彼の顔を見上げた。そのことに気づいているはずだが、グリムジョーは何も言わなかった。

 開けた場所に出ると、ニルフィの探査回路(エスキス)に覚えのある霊圧が引っかかる。

 

「ニルフィ、大丈夫でしたか!?」

 

 響転(ソニード)で移動していたアネットがすぐにニルフィの前に現れた。怜悧な美貌を焦燥に染め、そっと主を抱きしめる。いつものいやらしさなどはない、ただ優しさだけの抱擁だった。

 

「あぁ、たしかに本物の匂いがする」

 

 変態的な言葉は口から出たが。

 

「霊圧が大きく揺らいだのを感じたから、ホントに心配したわよ」

「ごめんね、アネット。勝手に外に出ちゃダメだって約束破っちゃった」

「......いいんですよ、アタシも大人げなかったので。ただ貴女が無事でいてくれたことが、なによりも安心できますから」

 

 ホッとした微笑を浮かべるアネットが顔を上げ、隣にいるグリムジョーを見た。

 顔見知りなのか、口を開く様子に戸惑いはない。

 

「ありがとう、グリムジョー。まさか貴方がこの子を連れてくるなんて。見ての通りすごい無防備でね。襲われたりしてないか、まあ普通なら襲った馬鹿が死ぬでしょうけど、なにかあったりとかって思ったら心配でした。もしかして貴方、ロリコンじゃないの?」

「まて、最後おかしいだろ! 礼のためにやったわけじゃねえけどな。繋がってねえだろ、それまでの言葉とよ!」

 

 顔をしかめながらグリムジョーがアネットを睨みつけた。

 

「でも、珍しいわね、グリムジョーがわざわざ連れて来てくれたなんて」

「それがどうした。何しようが俺の勝手だ」

「ニルフィ、変なことされなかった? 言うなって釘刺されてるだけで、怪しいイタズラとか身におぼえない?」

「俺をなんだと思ってやがる」

「だってホントに珍しいからよ。ていうか、この子の霊圧乱れた時になんかされてたのは事実なんでしょ。ニルフィはね、イヤなことされてもイヤな顔できないイイ娘なのよ。そんなことも分からずにむやみにセクハラする輩は、この世に存在する価値なんてないわ」

「その理論でいきゃあ、真っ先に死ぬのはてめえだな」

 

 その苦い顔は、苦手な相手を前にしたようなものだ。しかしこれが彼らの挨拶のようなものなのだろう。どちらかといえば短気なグリムジョーは呆れたように受け答えしている。

 長い付き合いなのだろうか。

 そのことを考えると、ニルフィはなにか面白くない感情が胸の中に渦巻いた。その名前を彼女はまだ知らない。

 

「アネットは、グリムジョーさんの知り合い?」

「ええ、そうですよ。アタシが十刃(エスパーダ)にいた最後の期間に、同僚として知り合ってました。面白い人ですよ」

「てめえにとってな」

「ふぅん」

「ニルフィ? どうしたのよ、拗ねちゃって」

「なんでもないよー」

「ならこの膨らんだ頬はなんですかー?」

 

 風船のようになっていた頬が、アネットに挟まれてしぼんでいく。

 観念したかのように、消え入りそうな声で呟いた。

 

「......私より、二人とも仲良さそうだから」

 

 アネットはその答えに微かに目を見開いた。

 子供っぽいニルフィの仕草に苦笑し、優しく頭を撫でる。硝子細工でも扱うような手つきだ。

 言い聞かせるように感情を染み込ませていく。

 

「心配しなくても、貴女のことを邪険になんてしませんよ。それに、一人になんてさせませんしね。一人は、悲しいものですから」

  

 静かに紡がれた言葉にグリムジョーは舌打ちし、さっさとこの場を去るために響転(ソニード)を使おうとした。

 咄嗟に声を大きくしてニルフィが呼び止める。

 

「グリムジョーさん!」

「......なんだ、チビ」

「ーーありがとうね」

 

 喉に骨がつっかえたような顔をしたグリムジョー。苛立たしげに頭を掻き、深いため息。

 

「今度から迷うな」

 

 それだけ言い残して響転(ソニード)を使った。 

 ニルフィはしばらく青年のいた場所を見つめていたが、一度頷くとくるりと体を反転させた。静かに死覇装の裾が舞い、落ち着く。

 

「私たちも帰ろっか」

「ええ、そうしましょう」

「............」

「今度第6宮(セスタ・パラシオ)に遊びに行きましょうか」

「ホント!?」

「ええ、きっと(主にアタシが)楽しめると思うわ」

 

 グリムジョーの知らぬところでは、とても小規模で派手さのない、しかし彼にとって面倒極まりない計画が進んでいた。

 --そういえば、訊きそびれちゃったなぁ。

 強い存在と会えば必ずしようと思っている質問。それを今さらながら思い出し、しかしニルフィはまた会う時に訊けばいいかと考え直す。

 グリムジョーならば、きっと何かを掴ませてくれる気がした。

 それだけの予感を胸に、ニルフィは手の中に残る温もりを忘れぬように握りしめる。




豹王さんがログインされた瞬間ロックオンされました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動き出す関係

 第6宮(セスタ・パラシオ)

 その宮の主、グリムジョー・ジャガージャックの姿はその最上階にあった。

 長短さまざまな太い柱が乱立する広間だ。そのうちの一本の上に腰掛けていたグリムジョーは、階下からの振動に舌打ちをする。

 別の柱の上に(たたず)むのは、左目から頭部にかけて横長の鎧のような仮面の名残を着けた辮髪で長身の男性。グリムジョーの従属官(フラシオン)破面・No.11(アランカル・ウンデシーモ)シャウロン・クーファンが口を開いた。

 

「どうやら、ディ・ロイとナキームが抜かれたようだな。霊圧が弱まった」

「わざわざ言わなくたって分かってる」

 

 噛みつくようにグリムジョーが返す。苛立ちを隠さないその顔は、元が整っているだけにだいぶ迫力があった。

 慇懃無礼な従属官(フラシオン)はそれを見て、自身も呆れの色を隠さない。

 

「グリムジョー、それほどまでに嫌ならば、この宮を離れて別の所を散策してきたらどうだ」

「俺に逃げろだと? 知った口を利くんじゃねえ」

「なにも逃げろとまでは言っていないだろう。あくまで彼女らは客人だ。貴様が会うのが嫌というのなら、こちらで普通に出迎えるものを」

「俺が気に入らねえのは、アイツらが我が物顔で俺の宮に入って来てることだ」

「とてもそうは見えんがな」

「なんだと?」

 

 そこまで言ったとき、階下のさらに激しい振動でグリムジョーが口をつぐんだ。

 霊圧の高まりが物理的な力をもって宮を微動させている。

 

 

()きろ『火山獣(ボルカニカ)』」

「突き砕け『蒼角王子(デルトロ)』」

 

 

 全力で追い返すように言ってある、破面・No.13(アランカル・トレッセ)エドラド・リオネスと、破面・No.15(アランカル・クインセ)イールフォルト・グランツが、斬魄刀を解放したようだ。

 そして数合の爆砕音。

 結果は、彼ら二人の霊圧が急激にしぼんでいくことで、見なくとも察せる。

 盛大な舌打ちを聴き、シャウロンは肩をすくめた。

 

「お転婆な姫君に会うのがそんなに苦手か」

「あぁ? 俺がどこのどいつのなにを苦手だって......」

「姫君を前にした貴様はなかなかの見物だったぞ。それを分かって、先程から我々(フラシオン)は気の抜けた防衛をしているというワケだ。彼女らに本気で掛かっていったわけがないだろう」

「てめえら、覚えてろよ」

「だが、彼女の純粋な好意は本物だ。ひとえに貴様のお人よしが招いた結果。悔いるのならば、少し前の自分の行動を悔いろ」

「--クソッ」

 

 だんだんと近づいてくる霊圧が二つ。

 どちらもグリムジョーにとっては苦手な存在だ。

 昔から知っている方は......認めたくはないが、たしかに相対したくはない。害という存在ではないのだ。けれども、あのペースに乗せられるとすぐには抜け出せなくなる。

 そしてもう一つの、最近知り合った小さな霊圧。

 グリムジョーですらよく分からないが、とにかく相手をするのが苦手なのだ。どう接すればいいのか知らないし、あの感情豊かな表情に自分がどう反応したらいいのか戸惑う。

 あの時、関わらなければよかったかもしれない。迷っていたのなら、そのままほっとけばよかったかもしれない。

 けれども同じ時間を十回繰り返せたのなら、グリムジョーはその十回とも『彼女』を助けただろう。

 それを自分で確かめるあたり、もう末期かもしれない。

 

「だからそこまで嫌がるのなら、あとは我々に任せればいいと前から言っていたはずだ。貴様のいない間、我々が適当にもてなして、適当に帰らせると」

「何度も言ってるだろうが。んなこと出来るか。この俺がネズミみてえにコソコソと」

「......もしやと思うが、あの姫君がいるからかな? アネット嬢だけならば、以前は問答無用に姿をくらましていたくせにな。我々としても、姫君の悲哀で涙に濡れる顔を見なくて、とても助かってるが」

「くだらねえ勘違いすんな! そんなんじゃねえ!」

 

 今の表情こそが何よりの証拠だと指摘しようとしたシャウロンが、ふいに扉のほうへと顔を向けた。

 重厚な造りであるはずのそれが、遠慮のなく開け放たれる。

 隙間からは二人分の人影が見えた。

 

「来ましたよー、グリムジョー」

「えと、ごめんください......」

 

 元気がいいのは、ここまでグリムジョーの従属官(フラシオン)たちをなぎ倒してきたアネット。曲がりなりにも元十刃(エスパーダ)の実力は伊達ではないらしい。

 愉しくて仕方がないといった表情のアネットが、自分の主であるニルフィを抱えながら部屋へと入ってきた。

 

「帰りやがれ」

「ちょっとくらいいいじゃない。アタシたちと貴方の仲でしょう?」

「どんな仲だ。てめえらと仲良しこよしするつもりなんざ、こっちはハナからねえんだよ」

「ご、ごめんね、グリムジョーさん。私、アネットに何度もやめようって言ったんだけど」

「......そう思うなら、自分の下のヤツの手綱くらい握ってやがれ」

 

 非常に申し訳なさそうな顔のニルフィから視線を逸らしながらグリムジョーが言った。

 悪意があるのなら、グリムジョーもそれ相応の態度で臨むことが出来る。

 しかし今はどうだ。悪意がないと分かっていれば、本気で怒ることさえできない。

 

「そういうの、まだ勝手が分からなくって」

「あら、この際ですし、グリムジョーからアタシの手綱の握り方を教えてもらえばいいんじゃないですか? 仮にも先輩だからね」

「俺には未だにてめえの扱い方すら分からねえよ。取扱い説明書よこせ」

「ないわよ、そんなイージーモードを強要するブツなんて。ま、手取り足取り相手してあげて。ニルフィも、アタシやグリーゼとだけしか交流を持たないのはかわいそうですし」

「まて、なんで俺が......!」

「グリムジョーさんは......イヤ?」

「............」

 

 どうすればいいのか分からなくなり、硬直してしまっているグリムジョーを置いて、アネットはシャウロンの隣へとやって来た。

 

「ディ・ロイたちも大根役者ね。呆気なくここまで辿り着けましたよ」

「至極、恐縮。こちらとしても、なにも無い日々を退屈していたところですから。グリムジョーにもいい刺激となるでしょう」

 

 (うやうや)しい動作でシャウロンが答えた。

 

「なんにせよ、あの姫君の存在は希少だ」

 

 年長者二人が見守る先で、少女と青年のぎこちなく、それでどことなく微笑ましいやりとりをしていた。

 とても十刃(エスパーダ)同士の交流とは思えない。

 

「こちらの主はそれとなく焦りを持っていたのでね」

「アタシは彼の『王』になるって思想は否定しませんよ」

「グリムジョーにとっては思想に過ぎないわけがない。決戦の時も近い。かつてこの地で無為に過ごした日々と比べれば、まさに矢の如し。それでも時が我々には足りないのだ」

 

 グリムジョーの力を得る理由は、『王』になるため。

 それもバラガンのような王の在り方ではない。孤高の王だ。

 アネットも成り行きでグリムジョーとシャウロンたちが出会った時のことを耳にしており、少しばかりは理解しているつもりだ。

 まだグリムジョーが『王』であろうとしていることを。そしてそれが達成される前に、すべての決着がつくかもしれないことを。

 

「焦燥により足もとを(すく)われることを危惧していたが、あのように姫君が彼の肩の力を抜いていただければ、少なからずは安心できる」

「ガッチガチに固まってるけど」

「見間違いでしょう」

「それもそうね」

 

 ニルフィを無碍(むげ)にもできずに、無愛想を装いながらも話を聞いているグリムジョー。

 従者二人はそのやり取りを見て、口の端を吊り上げた。

 これは愉悦だ。内心困り果てているグリムジョーを、麻婆豆腐でも食いながら見ていたい。

 

「それでねっ、今日はグリーゼに剣術を教えてもらってたの!」

「てめえの戦い方は闇討ち奇襲だろうが。いずれ怪我するぞ」

「真っ当な戦い方ってやってみたくなってね。でもやっぱり途中でやめちゃった」

「だろうな」

「そもそも刀で大剣の剣術を習おうとしたことが間違いって気付いたから」

「そっからか」

 

 ニルフィたちの会話を聞きながら、アネットがシャウロンに顔を向ける。

 

「そっちにも情報来てるでしょ?」

「ええ、なんでも現世の死神の実力調査でしたか」

「ウルキオラだけが行くはずだったみたいですけど、ヤミーの筋肉達磨もセットでニルフィも行くことになりました」

「おや、こう言ってはなんですが、調査だけならば第4十刃(クアトロ・エスパーダ)一人でも十分だと思うのですが。いくら注目枠だとしても、十刃(エスパーダ)三人とは過剰では?」

「ヤミーは単に暇だから。ニルフィが行くのはもう一つ、彼女の戦闘経験の向上が目的みたい」

 

 新しい第7十刃(セプティマ・エスパーダ)に不足しているのは、記憶が失われたことによる戦闘経験の欠落だ。ゾマリとの戦闘はほとんど本能的なものだったが、今のままでは力に不安があった。

 アネットやグリーゼが模擬戦をしているが、従属官(フラシオン)に甘さを残しているために、ニルフィは彼らと本気を出して戦うことを拒んでいた。

 適当な2ケタや十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)でも、ニルフィの実力を引き出せない。

 かといって今の時期に十刃(エスパーダ)と戦わせるわけにもいかず、結果的に外部の敵対勢力にぶつけるのが効率としていいわけだ。

 

「......ふむ、私としては、貴女は反対するかと思ったのですが」

「リスクとリターンを考えての結果よ。主を危険な目になんてホントは合わせたくないわ。大切なものが傷つけられるなんて、もう懲り懲りだし」

「難儀なものだ」

 

 姫君に髪の毛一つでも傷をつけて帰ってくれば、ウルキオラもただではおかないだろう。

 隣の女性の霊圧が炎のように揺らめくのをあえて無視し、シャウロンが肩をすくめる。

 

「しかし現世には、戦えるほどの霊圧を持つ人間がおよそ三人ほどだけ。たしか『黒崎一護』でしたか。三人のうち彼だけが脅威でしょう」

「さあね。藍染さまはそう言ってたけど、アタシの勘がそれだけじゃないって囁いてる」

「............ああ、女の勘というものですね」

「いまアンタ、アタシの性別忘れかけてた?」

「コホン、ともかく、貴女が言うのならその通りしょうな」

 

 おそらく今の十刃(エスパーダ)とも渡り合える実力を持つであろう女の言葉に、シャウロンはたしかに同意した。グリムジョーの陣営で唯一頭脳の役割を果たす彼も、それとなく予期していたことだ。

 

「身分からしてみれば私は貴女よりも下だ。しかし従属官(フラシオン)として長い間、主の傍にいた者からの言葉です」

 

 だからといって、なにかが変わる訳では無くて、

 

「ーー己が主をあともう少しだけ、信頼なさってはいかがでしょうか」

 

 プライドの高い十刃(エスパーダ)たちは、過去にも今にも下の存在から心配されることを嫌う。

 それは自らが絶対だと思っている力を侮辱されかねない行為。だからこそ従属官(フラシオン)は必要以上に言わずに後ろを付いてくる。

 ニルフィは決して、下からの言葉を無碍にはしないだろう。信頼しているからだ。

 けれど今のアネットでは、その信頼関係が絶対のものとは言えないだろう。

 

「ご忠告、ありがとうございます。なにせ従属官(フラシオン)になるのは初めてですしね。今まで無茶する側にいたものですから」

 

 頭の横に付いた羽飾りのような仮面を弄り、バツが悪そうにアネットがそっぽを向く。

 そうすぐに踏ん切りは付かないが、他者の言葉でもやもやする気持ちを納得することが出来たかもしれない。

 

「大切だからこそ、ね」

 

 グリムジョーと話し続けていたニルフィの視線が、少し離れた場所にいるアネットに投げかけられた。

 それにアネットは、自然に笑い返すことができたはずだ。

 

 

 ----------

 

 

 時間は少し経って、ニルフィは別の場所に移動していた。

 第10宮(ディエス・パラシオ)のとある広間。

 現在のその宮の主がいるには相応しくない、活気に満ち溢れた声が響いた。

 

「ほら、いけっ!」

「アン!」

 

 ニルフィが投げたフリスビーを追って、小さな犬のような(ホロウ)が駆け出す。

 ほどなくして見事なジャンプでのキャッチ。

 千切れそうなほど尻尾を振りながら戻り、転がるようにニルフィの胸に飛び込んだ。

 

「あははっ、イイ子イイ子」

「キャン、キャンッ!」

 

 舌で少女の頬を舐める子犬。くすっぐたそうにニルフィは身じろぎし、けれどそれ以上に嬉しそうに子犬を撫でまわす。とても微笑ましい光景だろう。

 子犬の名は、クッカプーロ。破面・No.35にして従属官(フラシオン)という立場を与えられてこそいるが、戦闘能力は皆無であり、小さい虚のように霊子に満ちた虚圏(ウェコムンド)では呼吸だけで栄養を賄え、食事を必要としない。

 そんなか弱い存在が、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)で生きていけるのか。

 答えはイエスだ。クッカプーロの主の存在が最もな理由である。

 

「ぐはあぁ~、食った食った」

 

 ニルフィではとても抱えられないような大きさのどんぶりが、重厚な音と共に床に置かれた。その振動が少し離れていたニルフィにも伝わった。中身が入っていたらどれほどの重量だったのだろうか。

 

「うわ、早いね。ちゃんと味わって食べたの?」

「こういうのは腹が膨れりゃいいんだよ。味なんざ不味くなきゃあ、それでいい。グズグズ言ってるヒマあんなら、そのクソ犬と遊んでやがれ」

 

 下顎骨を象った仮面の名残を着け、辮髪をしている色黒の巨漢で濁赤色の眉をしており、頭部には角のように突き出た部分がある。そして何よりも特徴的なのは、その巨躯。ヒトとしてならばありえないほど、彼は巨大だった。

 破面・No.10(アランカル・ディエス)ヤミー・リヤルゴ。アーロニーロと同じ、第一期十刃(エスパーダ)の生き残りである。

 ヤミーは新しい皿を下官から受け取り、乗せられたこれもまた巨大な料理を口に運びながら、ニルフィが自分の従属官(フラシオン)と戯たわむれる光景をつまらなさそうに見ていた。

 

「......驚いたな。お前が人を招き入れるなど」

「あのクソ犬の相手を黙ってしてくれんなら、願ったり叶ったりだ」

「......変わらんな」

「変わってどうする。こちとら、テメエのせいでまだ本調子じゃねえんだぞ」

 

 壁際にいるヤミーの隣には、腕組みをしながら少女と子犬の戯れを静観しているグリーゼの姿。

 子犬がいるということでニルフィが挨拶がてら、第10宮(ディエス・パラシオ)に突撃したのが事のはじまりだ。

 幸いにも、グリーゼはヤミーと面識がある。いくら粗野かつ粗暴な性格でも、機嫌さえ損ねなければ理由なく力を振るわないことも知っていた。邪魔さえしなければ爆発しない爆弾のようなものである。

 その点、アネットのようなタイプとは相性が悪い。あえなく彼女は留守番だ。

 

「てめえがあのガキの下にいるなんてな」

「......十分な力があると判断した。それだけで、我が主となるのに理由ともなる。気付かないものが多いだろうがな」

「硬えなぁ。俺にとっちゃあ、ありゃゴミだぞ」

「......主の侮辱をするな。そして探査回路(ペスキス)を鍛えろと他の者に言われないか? あの霊圧の操作能力は、おそらく歴代の十刃(エスパーダ)にも同じことは出来まい」

「強ささえありゃあ、俺には関係ねえよ」

 

 男たちがそんな会話をしているとは知らず、ニルフィはひとしきりクッカプーロをモフった。毛並みがよく整っており、触るだけでも至福。小さな命があるという微かな温かさが心を和ませてくれた。

 子犬は遊び疲れたのか、ニルフィの腕の中でうとうとし始める。

 それを見ているとニルフィも意識が飛びそうだったが、辛うじてそれに耐えた。

 

「そういえばヤミーさ~ん」

「あん?」

 

 空になった皿をその辺に投げ捨てたヤミーが、じろりとニルフィを見下ろした。

 少女は立っているというのに、座っている大男の方がまだ高い。

 

「突然だけどさ、キミにとって強さってなに?」

「強さだぁ? んなもん、決まってるだろ。最強かどうかってことだ」

「最強かどうか?」

「俺が最強だ。それだけあれば、それでいいんだよ。てめえも含めて、俺以外の十刃(エスパーダ)は全部ゴミだ」

 

 当たり前のことを話すかのように、新しい食料を手でつかんだ大男は言った。

 第10十刃(ディエス・エスパーダ)であるはずのヤミーがここまで豪語できるのは、第10十刃(ディエス・エスパーダ)であると同時に第0十刃(セロ・エスパーダ)の称号を得ているからである。

 十刃(エスパーダ)は、1から10までの数字で出来ているのではない。

 0から9だ。

 その点で言うと、ヤミーは十刃(エスパーダ)の中で最も強いということになる。

 ニルフィとしてはあのバラガンの『老い』こそが滅茶苦茶だと思うのだが、ヤミーはそれ以上の能力でもあるのかと考えてしまう。見たところ直接攻撃系。相性が最悪だ。

 まあ、十刃(エスパーダ)の順位は戦闘能力ではなく、殺戮能力という点で評価されるものだ。

 あくまでその点で、ヤミーはバラガンを凌駕しているのだろう。

 

「俺が最強系なのか~」

「なんだよ、チビ。文句でもあんのか?」

「ううん、なんにも。私は訊いただけだから、口を挟むのは失礼だしね。......でも、今のヤミーさんって、もしかして本調子じゃない?」

「あぁ、そうだ。そこらのゴミの頭を潰せば、いつもなら股まで裂けるんだがなぁ。今じゃただ頭を叩き潰すだけだ」

 

 実際に試したことがあるのだろうか。

 訊こうとして、やめた。答えなんて分かりきっているからだ。

 

「それじゃ、準備もあるし私はこれで行くね。クッカプーロと遊ぶためにまた来るよ」

「ああ、来い来い。このクソ犬が俺にまとわりつかねえように、ガキらしくたっぷり遊んでやがれ。俺の居ねえとこでな」

 

 追い出すような仕草して、ヤミーはまた食事に没頭した。

 ニルフィは彼の体にほんの少しずつ霊力が戻ってきているのを感じながら宮を出る。ヤミーとは現世に向かう時に一緒に行く同胞だ。人となりはわかったし、情報としては十分かもしれない。

 第10宮(ディエス・パラシオ)を背後に自分の宮へと戻る。

 空中を進みつつ、ニルフィは寡黙な従属官(フラシオン)に、なんとなく訊いた。

 

「グリーゼさんにとってさ、力ってなに? 今まで聞いてなかったんだけど」

「......力、か」

 

 フ......と、グリーゼが微かに笑ったような気がした。

 

「......無ければよかったもの、だろうな」

「無ければよかった?」

 

 ニルフィは金色の目を瞬かせた。今までのどの答えとも違う、前提からして別であるグリーゼの言葉に興味が湧く。

 

「私が言っても説得力ないだろうけど、グリーゼさんはすごく強いよ? 3ケタ(トレス・シフラス)の巣で初めて会った時だって、戦えって言いながら全然本気なんか出してなかったくらいだし」

 

 その状態のまま他の十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)を一蹴したのだ。

 本能的に理解していたからこそ、ニルフィはほとんど反撃せずに逃げに徹していた。

 

「......称賛の言葉は素直に嬉しい。だがしかし、俺は長いこと見てきた。(こころざし)半ばで散る者、無様に命を乞う者、生にしがみつこうとする者たちを」

 

 きっと、バラガンがこの虚夜宮(ラス・ノーチェス)を藍染に明け渡してから続く、そういった負の連鎖をグリーゼは目にしてきたのだろう。

 

「......血で血を洗い、さらに血で化粧をする。それを愚かしいと思ったことはないが、我々(アランカル)に力がなければ、もしかしたら必要のない命まで果てることはなかったはずだと考えてしまう」

「でもグリーゼは今まで生きてきたんでしょ?」

「......そうだ。なまじ力があったためにな。十刃(エスパーダ)の座を奪われたときも、命が助かってしまった。ーーようやく死ねると、思ったのにな」

「後悔してるの?」

「......直球だな。だが認めよう。悔いを残していると」

 

 グリーゼはニルフィの頭を包めそうなほど大きな手で拳を作った。(きし)みの音が、ニルフィの耳に届く。

 

「......疲れていたんだ、このまま生きることに。お前ならば俺を殺せるんじゃないかと思っていたんだがな」

「そんなの、最初から今まで思ったことないよ。それにこれからもキミの命を私は奪おうとしない」

「......わざわざ言うあたり、面白い奴だ」

「そうかな」

「......ああ、そうだ。だからこそアネットはお前を選び、そして俺も同じだ」

 

 言葉を切り、息を吸う。

 

「......主よ、覚えておけ。我々は常に孤独だ。それを受け入れてくれる存在を欲す、小さな弱者でもある。力があるがゆえにな。死神も、ただの魂魄でさえも、元来の虚しさを抱えている我々にはないものを持っている。それが俺には、ひどく羨ましく思う」

 

 今でこそ(ホロウ)破面(アランカル)として群れているが、それも藍染の統合の結果でしかない。普通ならば、出合い頭に命を奪う関係であり、今は単なる偽りの馴れ合いだ。 

 ニルフィはしばらく無言で飛んでいた。

 ふいに、笑顔になる。いい名案を思い付いたような、そんな顔。

 

「ーーじゃあ安心してよ! 私がいる限り、キミを一人になんかしないよ。ゼッタイに孤独なんて思わせないし、それに一人でいたってつまんないでしょ。それが主として、私ができる報酬だから」

 

 本心からの純粋な光を持った言葉だ。

 幾度の考察を重ねた結論でもなければ、神からの助言でもない。

 ただ少女の言葉であることに意味があるのだ。

 

「......そうか。なら、俺も安心できる」

 

 ニルフィを主として悔いはない。それだけを思い、グリーゼが深く頷いた。

 

「......アネットの奴にも聞かせてやれ。泣いて喜ぶぞ」

「うんっ、仲間外れなんかにしないよ!」

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)を目指しながら、二人の主従は偽りの青空の下を飛んでいく。

 しかし、交わす言葉に決して嘘など含まれない。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 その数時間後、第4十刃(クアトロ・エスパーダ)ウルキオラ・シファー、第10十刃(ディエス・エスパーダ)ヤミー・リヤルゴ、ならびに第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー。

 その三名が虚圏(ウェコムンド)に開いた黒腔(ガルガンタ)へと足を踏み入れ、姿を消した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

止めどなく

 (くら)くて、(くら)い。そんな場所。

 そこは霊子の乱気流が荒れ狂い、落ちればどこか人知の至らぬ場所に飛ばされる。

 黒を凝縮させたようなその最奥からにじみ出るように白が三つ。ウルキオラ、ヤミー、そしてニルフィという十刃(エスパーダ)たちだ。

 先頭を歩くのはウルキオラ。それ自体が発光するような、そして彼の性格を表すような無駄のない整いすぎた霊子の足場を進んでいく。霊圧の操作が雑なヤミーは、足場を作らずにその後ろを歩いていた。

 そしてニルフィといえば、一見なにも無い場所に立っているように見えるだろう。しかし本当は拳一つ分の丸い足場を次々と作っている。その上を野兎のように跳ねながら移動していた。コストはほとんど掛からない、しかし緻密な操作が必要な業である。

 

「ねえ、ウルキオラさん」

「なんだ」

「おなかすいたー」

 

 ウルキオラは懐から小さな包みを取り出す。包装からして高級そうな、そしてそれ相応の飴玉が入っている。アネットから無理やり渡されたものであり、曰く『ニルフィに持たせると勝手に食べるから』と、ウルキオラに管理を投げ出したのだ。

 一つ取り出し、ニルフィに向けて放り投げた。

 

「わ、ブドウ味」

「現世にはもうすぐ着く。あとはそれで我慢しておけ」

 

 口に飴玉を放り込んだニルフィは、その言葉で少し眉を下げた。

 

「でも、ホントに行くの? 噂で聞いたんだよ。現世って怖いとこだって。それに私たちの行く日本って、頭があんぱんの未来から来たサイボーグとか、次元の空間を超越した青いタヌキがいるんだってさ」

「問題ない」

「そうなの?」

「問題があるのはお前の頭だけだ」

「あ、ひどい」

 

 サイボーグとかが本当にいれば藍染も何かしら言ってくるはずだ。

 ヤミーがくだらなさそうに鼻を鳴らす。

 

「そんなくだらねえ野郎共も一緒くたに潰しちまえばいいだろうが。暇も一緒に潰せられんなら、俺は文句ねえけどな」

「じゃあ最初から最後までヤミーさんの影に隠れてよっか」

「リーセグリンガー、忘れたのならもう一度言う。お前をわざわざ現世に連れていく目的は......」

「うー、はいはい、分かってるって。ウルキオラさんは私のお母さんか何かなの? 私、説教は嫌いっ」

「それが嫌ならもう少し、いや、もっとちゃんとしていろ」

 

 ちゃんとしていろと言われても、ニルフィの精神は外見に比例しているため、十と少しを数えたくらいの少女らしい考えをしている。子供に大人の真似をしろと言うほうが無理なのだ。

 無理やり話題を逸らそうとする。

 

「でもさ、私たちっていきなり三人で現世に行くんでしょ? 何者だって言われたら、なんとかトリオって答えておく?」

「勝手にしろ」

「じゃあ三バカでいこっか」

「数あるチョイスの中からなぜそれを選んだ」

 

 言いあっているうちに空間内に光が差す。黒腔(ガルガンダ)の口が開いた。

 その明るさは闇に住んでいた身としては染みるものだ。虚夜宮(ラス・ノーチェス)にも青空があるとはいえ、あれはどこまでいっても偽物。自然の温かさが隙間から漏れるようで、ニルフィは引き寄せられるようにそこへ近づく。

 

「日の光って、こんなにあったかいんだね」

 

 澄み切った青天に掛かる薄い雲の筋の向こうに、白い光をさんさんと巡らせる太陽がそびえていた。

 無機質でしかない虚圏(ウェコムンド)ではまず目にすることがない命が、ただそれだけで感じられる。流れ込む空気に、土や、木や、水や、生物の匂いが混ざり合っていた。生きている。その実感が、破面(アランカル)となってから初めて感じられたのだ。

 記憶は長い時の流れに晒された。そして今でさえ虫食いの状態。だからこそ、初めて(・・・)見る光景すべてにニルフィの心が惜しげもなく歓喜の声を上げる。

 黒腔(ガルガンダ)から飛び出した。かなりの上空らしい。しかし吹きすさぶ風はニルフィにはなんの障害にもならなかった。

 緑が彼方まで広がっていた。小さな鳥が群れとなり、少女の遥か足元を通り過ぎる。聡い獣の視線がおぼろげに感じられる。

 

「来て、よかった......かな?」

 

 乱れる黒髪を抑えながら、ニルフィが呟いた。

 なぜこうも嬉しいのだろう。かつてない景色を目に収めたからか? 命の息吹を肌で感じられたからか? 

 どれにしろ、身を震わせるには十分な衝撃が込められている。

 

「かぁ、面付いてた頃に何度か来たが、相変わらずこっちはつまんねえ(ところ)だなあ、オイ」

 

 あくび交じりにのたまったヤミーの顔を、ニルフィは全力で殴りたくなった。ムキになって否定する。

 

「全然つまんなくなんかないよ」

「そうか? あんま意味のない場所にしか思えねえけどな」

 

 意味のない場所。その意味を考えようとして、ニルフィは眼下のある一部に目を止めた。

 灰色の、もしくは鉄色の街。それだけ言えば無機質に聞こえるかもしれない。しかしそこに住む人間の静かな活気が、これほど遠くに居ても感じられる。

 たしかに生きているだけなのは無意味なのかもしれない。しかし時折、満たされるような感情がそこかしこで、絶えることなく伝わってきた。あくまで(ホロウ)の基準というだけで、人間たちは彼らにとって充実した生活を営んでいる者が多いのだろう。

 ーー私も、あの中で暮らしたことがあるんだ。

 そう思うと、一抹の寂しさ。

 彼らの感じる『愛』や『繋がり』とは、どんなものなのだろうか。ニルフィは自分が破面(アランカル)であるからこそ知りえないことだと諦めた。

 

「さっさとしろ、お前たち。下りるぞ」

「......はーい」

 

 感傷に浸るのもこれっきりか。もしかしたらまた現世に来るかもしれない。今度、藍染にこちらへ来れるように頼んでみよう。

 

「ウルキオラさんは、こういう光景ってどう思う?」

「どういう意味だ」

「どうって......」

 

 無感動かつ機械的。そんな返答にニルフィは口を閉ざす。

 

「俺にはこの光景のどこが綺麗で、どこが心に響き、どこが素晴らしいのかが分からない」

 

 空虚に、そしてどこか諦観の念が含まれていたのかもしれない言葉。

 おそらく、それはニルフィの気のせいだ。これ以上ウルキオラに尋ねても、今はまだ収穫は何もないだろう。

 

「行くぞ」

 

 ウルキオラは霊子の足場を消失させ、地面へと落ちていった。スタイリッシュに直立体勢だ。ヤミーも自由落下を始めた。惜しむようにニルフィは周囲の光景を目に焼き付け、森の中へと飛び込んでいく。

 地面が急速に近づいてきた。

 その時のことを、ニルフィはこう評した。

 

「......爆発。えっと、そうだね。爆発。それが一番正しい表現だろうね。きっと少し全力を込めてたんだと思う。仮にも最上級大虚(ヴァストローデ)の私が、加減も知らずに超上空からブレーキもなしに落ちていったから。ましてや、破面(アランカル)になった私の霊圧って少ないワケないでしょ。けど臆病だった。地面に激突する寸前に、その私が思わずちょっと全力で叩きつけちゃったよ。

 

 うん。木っ端微塵だったさ。何がって?

 

 ウルキオラさんとヤミーさんがいた地面だよ」

 

 ブレーキ代わりに圧縮して圧縮した虚閃(セロ)を地面に放ち勢いを殺したニルフィ。

 ちょうど、ウルキオラとヤミーがいた間をそれは通り抜けた。ただでさえ二人の落下で生まれていたクレーターが、さらに深くえぐられるようになっている。そこから生まれた暴風が上空へと巻き上がり、たまたまあった雲を散らした。もし最初に地面が器状になっていなかったら。きっと発生したインパクトが山をハゲにしていたはずだ。

 

「このチビ助ェ!! いきなり何しやがる! 殺すつもりか!」

「むみゃぁ~~~~」

 

 未だ冷めやまぬ土煙の中から巨大な何かが飛び出す。

 自分が作った衝撃波でぐるぐると目をまわしているニルフィを、ヤミーが掴み上げていた。ヤミーにしろ、怒るのさえもはや忘れている状況だ。到着してほっと一息ついたらの虚閃(セロ)である。

 

「そこまでにしておけ。これだけ騒げば、標的も情報通りならここにやってくるはずだ」

 

 土埃を払いつつ、ウルキオラもクレーターの外へと上がって来た。

 霊子が薄くて息もしずらい。空気に混じった不純物の存在が、虚圏(ウェコムンド)にいたからこそありありと分かる。

 しかしそこからも命の存在を感じられ、整った自然環境であることが伺えた。

 

「しっかしこのクソチビが......あン?」

 

 ヤミーが不満たらたらに周囲を見回した。三人の着地地点にちらほらと人間が集っており、顔に浮かべているのは好奇心や興味といった感情。

 いきなり山頂付近ではじけ飛んだ地面に引き寄せられたのだろう。

 彼らは破面(アランカル)たちの姿を視認できない。まあ、もし視認できても、クレーターから出てきたのが奇妙な服を着た青年と巨漢と幼女という、いまいち主旨の理解できない存在に首をかしげるだろうが。

 

「見せモンじゃねえぞ、てめえら」

「俺たちの姿を見ているワケじゃないだろう」

「それでもイラつくんだよ、アホ面を晒してしゃあしゃあと見られんのはな。吸うぞオラ」

「まて、魂吸(ゴンズイ)をするならリーセグリンガーにやらせろ」

「なんでだよ」

「コイツには些細なことでも経験させておいたほうがいい。藍染様からの指示でもある。現世にコイツを連れてきた目的を忘れたか?」

 

 舌打ちをするも、ヤミーはニルフィの柔らかい頬を手加減して指でビシンッとひっぱたく。

 

「ふぶぅッ!?」

 

 手加減しているとはいえ、彼女にとって大威力なのには変わりない。

 頬を撫でさすりながら抗議の顔をするニルフィにウルキオラが視線を合わせる。

 

「ひ、ひどいよっ。なにするのさ」

「リーセグリンガー、聞け。これからお前に魂吸(ゴンズイ)をやってもらう。加減はしなくていい」

魂吸(ゴンズイ)? 私が? 出来るかな、そんなの」

「ああ、やれ」

 

 魂吸(ゴンズイ)とは、(ホロウ)が魂魄を食べることを指し、また上位の存在となればただ吸い込むだけで弱い魂魄を喰らうことができるものだ。

 怪訝そうな顔のニルフィは、すっかり土煙の晴れた地面の上に降り立つ。

 気配を探れば、この山に近づいてくる人間がそこそこ。周囲一帯の人間が騒がしく動いているのも分かる。ニルフィの好んだ日常の活気ではない。心の奥でつまらなく思う。

 それを表に出さずに、ニルフィは一度息を吐き出し、そして軽く吸う動作をした。

 

 魂吸(ゴンズイ)

 

 空気が(きし)みと悲鳴を上げる。変化は静かに劇的に。目に見えるものでは、山頂付近にやって来た人間たちから半透明の物体が浮かび上がり、それが体から引きはがされる。

 

「ご、ァ......!?」

「げぇッ!」

「ひヴぃッ」

 

 断末魔とも呼べないような声を漏らして命が刈り取られた。

 周囲の数いた人間たちが一斉にかしずくように膝を突き、倒れ込む。彼らの魂魄はニルフィの小さな口の中に滑り込み、捕食を完了させていた。

 しかし彼女の食事は未だに止まらない。いや、歯止めが効かないように思える。

 上空には既に、数えるのもバカらしいほどの魂魄の群れ。町の一部を全滅させたことにも繋がる結果だ。数は優に千を超え、留まる事を知らずに母体から離れた魂魄が集結した。

 空を覆い隠すようなそれらがニルフィへと向かっていき、彼女の口内に滑り込み、ガリガリと嫌な音を立てながら削られて腹に収まっていく。

 不運だった。犠牲者となった人間はそれだけの要因で理不尽を突き付けられた。

 ニルフィはたしかに人間の営みに興味があったが、あくまで日常生活の中のことだ。好奇心や恐怖心に踊らされてしばらく冷めやまなくなった魂には興味がない。

 

「けほっ」

 

 全ての魂魄を食べきり、ニルフィが腹に手を添える。

 なんの感慨もなく、犠牲者たちに慰めにもならない一言。

 

「うん、おいしくない!」

「当たり前だ。そんな薄い魂が美味いわけがないだろう」

 

 口直しに一つ飴玉をニルフィに投げやってウルキオラが言った。そして視線を少しずらす。

 

「しかし驚いた。案外近くに、取りこぼしがあるようだな」

「え?」

 

 目を瞬かせながらニルフィもそちらを見る。

 一人の少女が木陰で倒れ込んでおり、今にも崩れ落ちそうな魂の脈動が彼女の命を繋いでいた。

 ボーイッシュな風貌の、白い道着を着込んでいる。彼女の周囲には同じ道着を着た人間が転がっているので、弱弱しい動きが際立っていた。表に出ているかどうかにしろ、魂魄の力が他の人間よりも強いのだろう。

 ご愁傷様としかニルフィは言えない。道着を着た少女の元へと、ヤミーが近づいて行ったからだ。

 

「ウルキオラ! こいつか!?」

「馬鹿か。お前が近づいただけで魂が壊れかかっているだろう。ゴミの方だ」

「......ちっ、んじゃあ、生き残ったのはたまたまってか。くだらねえ。ニルフィ、もっとちゃんと吸い上げろよ」

「そんな卑猥な......」

 

 道着の少女は焦点の合わない目で、ヤミーがいるであろう場所を見つめている。

 ニルフィの耳には(ホロウ)と比べればおそろしく弱い魂が折れていく音が聞こえていた。苦しそうだ。これならば先の魂吸(ゴンズイ)をもう少し手加減なく(・・・・・)やっていれば、一思いに死ねただろうに。

 

「そうかよ」

 

 興味を失くしたヤミーが左足を振り上げた。彼にとって、暇つぶしにもならない獲物はゴミでしかない。

 空き缶を蹴とばすような気安さで、命をも蹴り潰す。搾取する側であるのは破面(アランカル)だから。

 ......この世に運があるのならば。あの少女には宿っていたのだろう。ニルフィの魂吸(ゴンズイ)から生き残ったことが、命を長らえさせた。たった数分ではなく、これからの命を育むために。

 

ラッキー(スエルテ)、ってね」

 

 静観していたニルフィが零す。

 少女の命を奪うはずだったヤミーの蹴りが、漆黒の右腕によって止められた。

 

「あァ? なんだぁ?」

 

 ヤミーが足をどけると、右腕を異形に変形させた浅黒い肌の体格の良い男が見える。

 

「おぉい、ウルキオラ! もしかしてコイツかぁ?」

「ヤミー、お前、もうちょっと探査回路(ペスキス)を鍛えて自分で判断できるようになれ。そいつも、(ゴミ)だ」

「ハッ、そうかい!」

 

 二人がそんなやりとりをしている間に、新手の茶髪で巨乳の少女が取りこぼしの少女を抱えて離脱しようとしていた。

 

「......井上、話した通り、有沢を連れて下がってくれ」

「うん、無理しないでね......茶渡くん」

 

 黒い右腕を持つ人間が、破面(アランカル)たちの視界から二人の少女を隠すように立ち塞がる。ウルキオラは何もせずに見ているだけ。ヤミーは歯をむき出しにして異能者と相対。

 

「ねえねえ、どこ行くの?」

 

 そしてニルフィは、去ろうとする二人の少女の前に笑顔で姿を現した。人間には目で追えなかっただろう。道着の少女に肩を貸していた茶髪の少女が息を飲んで立ち止まる。

 

「井上!」

「おいおい、いきなり背中見せんのかよ」

「ッ! 茶渡くん!」

 

 ヤミーが茶渡という異能者を足止め、いや、仕留めたようだ。黒い右腕は無残に破壊され、あれでは再生などとても望めそうにない。茶渡も気絶して地面の上に倒れ伏す。

 井上と呼ばれた少女は囲まれたことを歯噛みした。

 しかし、

 

双天帰盾(そうてんきしゅん)!」

 

 ヘアピンから飛んだ二つの羽のような物が井上から離れた。攻撃かと、ニルフィは警戒する。しかし二つの物体は茶渡のほうへと飛んでいき、楕円形の盾で覆って内部を光で満たす。

 見たところ治癒の効果だろう。しかしあの怪我では意味がないとニルフィが思った時、ありえない現象が発生した。

 散り散りになった右腕が寄り集まって、元の形に戻ろうとしているではないか。

 --模倣は......無理か。

 いつもの癖で、面白そうな技ならば真似できるかとニルフィは解析をして、そしてすぐに諦める。アレはただの回復能力ではない。時間回帰や空間回帰の能力に似ているが、それも違う。ただただ異質で、井上特有の能力であることしか理解できなかった。

 

「ウルキオラさん! コレ、凄い珍しい能力だよ! 藍染様の所に連れてかない?」

「必要ない。それも(ゴミ)だ」

 

 にべもなくウルキオラが言い切った。

 ニルフィは警戒を解いてない井上に好奇心で構成されたような金の双眸を向ける。

 

「初めましてお姉さん。私はニルフィネス・リーセグリンガー。ニルフィでいいよ。それでお姉さんの名前を教えてくれるかな?」

「......井上、織姫」

「オリヒメさんかぁ。いい名前だね」

「あなた達は何者なの? どうして、こんなことをしたの?」

 

 織姫は苦しげにニルフィに問いかけた。恐怖と苦悩。魂がそれらに覆われてきている。

 それはそうだろう。いきなり同族である人間が予兆もなく魂を喰われ、その光景を目の前で見てきたのだから。

 ニルフィは形のいい顎に手を当て、

 

「どうして、どうしてかぁ。う~ん、そうだね。あ、一分くらい待ってよ。それっぽい理由を今から考えるからさ」

「......ッ!」

「キミは命が失われる時、それにいちいち理由を付けるのかな? 理由がないと死んだらダメなの? 私はそうは思わないよ。だって、キミの背負ってるその、アリサワさんだっけ? 彼女もたまたまここに居たから死にかけてるだけだし」

「そんなのって」

「それと私たちが何者かって質問に答えるのなら......」

「そこまでにしておけ、リーセグリンガー」

 

 静止の声に、ニルフィは分かりやすく頬を膨らませた。実質的に初めて見る人間と話をするのが興味深かったし、これから他にも訊きたいことを訊こうとしたところだ。織姫も答えておかないといけないと思っているからそれに越したことはない。

 しかしウルキオラには全て時間の無駄にしか見えなかったようだ。

 

「はぁ、分かったよ。じゃあオリヒメさんに質問するね。--キミの知り合いに、この町に住んでいる死神はいるかな?」

「なんで、黒崎君を」

「あ、ビンゴみたいだね。それで続けて質問。そのクロサキさんって、今こっちに近づいてきている霊圧の持ち主のことなのかなぁ?」

 

 隠し事などに織姫は向いていないようだ。なにも言わずとも、その表情だけで答えが分かってしまう。

 そうと決まればニルフィはウルキオラに提案した。

 

「ウルキオラさん。これでクロサキさんは近づいてきてるってことでいいでしょ。オリヒメさんたちを解放しようよ、別にあとはいらないから」

「このくだらん騒ぎで釣れたのは驚きだが、まあいい。勝手にしろ」

「いいのかよ、ウルキオラ?」

「構わん、元から殺すのは一人で十分だったんだ。女、とっととこの場から消えろ。そしてリーセグリンガーに感謝しておけ」

 

 何を言われたか分からないように織姫は口元を震わせ、辛うじて言葉を絞り出すことが出来た。

 

「あなた達は、黒崎君をどうするつもりなの?」

「殺すに決まってんだろうが」

 

 ヤミーが当たり前のように答え、歯をむき出しにして笑う。力を振るうことに快感を持つ、そんな醜悪な内面が表に出たかのようだ。

 織姫は身を強張らせた。

 

「期待しているところ悪いがヤミー。黒崎一護の相手をするのはお前じゃなく、リーセグリンガーだぞ」

「なんだと!? 訊いてねえぞ!」

「藍染様もこっちに来る前に仰られていただろう。主だった戦闘は全てリーセグリンガーに任せるとな」

「私に全てって、他にも戦う人がいるってことだよね。......ま、その時にはヤミーさんに譲るよ」

 

 肩をすくめたニルフィは、織姫が構えをいまだに解かないことに気が付いた。

 むしろ、力を解放する寸前のように霊圧の高まりが感じられる。先にニルフィが釘を刺す。

 

「止めておいた方がいいよ。せっかくキミは、自分の命と大切な友人を助けられるんだよ。それにサドさんも連れてってくれて構わない。ね?」

 

 普通に考えて、ここは退くのが賢明な判断だ。なにも危険に身を晒さなくても良い。ニルフィたちは本気で見逃すつもりだし、それを織姫も分かっていないはずがないのだ。

 そこでふと、ニルフィの頭にとある絵本の一ページが浮かび上がる。

 危険を(かえり)みずに危険を冒し、『少女』を救った『少年』の姿。

 

「あたしは、黒崎くんに頼らずに、少しでも黒崎くんを安心させなくちゃいけない」

 

 自らに言い聞かせるように織姫が深く息を吸う。

 

「あたしにできることは、きっとそれぐらいだから」

 

 織姫の周囲で空気が渦巻き、積もっていた土クズが円を描くように周回し始める。

 

「守らないと、いけないから。私はーー拒絶する!」

 

 それは矢のように、丸い盾を帯びた弾丸がニルフィ目がけて放たれた。

 物質の結合を解く、当たれば対象を真っ二つにする、織姫の唯一の攻撃手段。生身で防ぐことなど不可能だ。

 ......条件として、当たらないと意味がない(・・・・・・・・・・)のだが。

 

「うわ~、やられたよ~......なんてね」

 

 胸元に孤天斬盾(こてんざんしゅん)を受けたニルフィは悲鳴を上げた。織姫の背後で、偽りの悲鳴を上げた。

  孤天斬盾(こてんざんしゅん)が仕留めたのは、ただの幻影でしかない。こういった直線的な攻撃はニルフィとは相性が悪いのだ。そもそも、あの程度の攻撃ならば避けなくてもよかったとニルフィは思う。

 そして掴み取っていた椿という黒い羽のようなソレを握り潰した。

 織姫の焦燥が濃くなり、ニルフィの霊圧を浴びてそれが恐怖へと変わる。

 ギシリ、と歯車が狂ったような音が響いた。

 

「残念。そんな無駄なことしなければ、生き残ったはずなのにね。私には理解できない行動だったよ」

 

 さて、と言いつつ、ニルフィは手刀を織姫の背中に、心臓があるであろう場所に狙いを付けた。

 

「じゃあね」

 

 牙を剥いたなら、その牙を砕くだけに留まらず、心臓もことごとく奪い取る。それがニルフィのやり方だ。

 こうして哀れにも、一人の少女の命が特に意味もなく散らされた。

 散らされた、はずだった。

 

「ん?」

 

 ニルフィの手刀と織姫の背中の間に、巨大な斬魄刀が差し込まれていた。それが振るわれたことでニルフィは咄嗟に飛びのく。

 

「......黒崎くん」

「悪い。遅くなった、井上」

 

 違う、と否定して織姫が首を弱弱しく横に振る。

 

「ごめん、ごめんね、黒崎くん......。あたしが、あたしがもっと強かったら......」

「謝んねーでくれ、井上。心配すんな」

 

 彼らの間にどんなつながりがあるのか、ニルフィは知らない。この場面をもっと見ていたいという欲求に駆られながらも気を緩めることなどしない。

 黒崎一護の斬魄刀の切っ先が、自分に向けられているから。

 霊圧が破裂した。そんな表現が当てはまるように、黒崎一護は斬魄刀を解放する。

 

 卍解

 

 黒が閃いた。 

 

「............あれ?」

 

 ニルフィの右肩から左わき腹にかけて生まれた斬線から、噴水のように面白いほど血が吹き出る。

 ドバドバと、ドバドバと。止まることなど知らないように。




主人公が原作主人公と邂逅しました。
その瞬間、斬られました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嘘と舌

評価、お気に入り登録、ありがとうございます。
おかげさまで1000ptの大盤に乗ることが出来ました。
これはひとえに読者の皆様のおかげです。


 とにかく無我夢中であった。

 突然、多くの命が失われて人間が肉人形になった。異質で不可解な霊圧が肌で感じられた。

 そうして黒崎一護の日常は崩れて落ちる。今までの(ホロウ)の被害でさえここまで大規模なものではなく、記憶に新しい尸魂界(ソウル・ソサエティ)での戦いではここまでの命が散ったことはなかった。

 甘かったのだ。何もかもが。本当の戦場など、今の今まで経験したことはなかった。

 命が奪われるのは当たり前のことなのだ。

 目的地の山には、既にもう仲間であり友人である二人の霊圧が感じられる。......感じられていた。

 今では中学時代からの親友のものが消え去り、もう一人の少女の霊圧は吹き消される直前の蝋燭のように不規則に揺らめいている。

 失われる痛みは、一護本人は幾度も体験し、だからといって再びあの苦痛を味わうことなどしたくない。

 自分が、守らなくてはいけないのだ。もう手放したくはなかったから。

 焦燥が身を蝕み、得体の知れないものを相手にし、加減という言葉を彼から奪い去っていった。

 そして、斬った。

 小さな体から溢れる血を見ながら少女は目を見開く。

 

「--え?」

 

 呆けた表情は、次の瞬間には歪められた。

 

「......ぅ、あああああぁああぁぁあああぁああッ!? い、痛い!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い! いたいよぉ!」

 

 地面へと身を投げ出し、必死に傷口を脆そうな手で押さえながらうずくまる。白い死覇装が赤い液体でじわじわと汚れていった。彼女の周囲に池が形成されるのに、それほど時間は必要なかった。

 金色の綺麗な瞳からは涙がとめどなく溢れる。口元に手を寄せ、声が出ぬよう、痛みに耐えるように袖を噛んだ。

 弱弱しく肢体を震わせ、あるいは痙攣させて。

 

「ッ! う、くっ......! あぁ......ッ」

 

 それでも苦痛は和らがないようで。

 這うように一護から離れようとする様は、幼くあどけない容姿と合わさり、一層悲痛さを助長させた。

 鈴の転がるような声は今は涙に濡れている。落ちた雫が血に混ざり合う。

 

「やだ......やだよぉ......。死にたく、ないよ......ッ」

 

 人間と変わらぬように思える錆び臭さが、そこから漂った。

 

「......ッ!」

 

 それを見て、一護が歯を噛み締める。 

 よくよく見れば、自分の妹たちとそれほど歳の離れていないような姿をしていた。そんな少女が苦痛に顔を歪ませて、抉られた傷口から血を垂れ流している。そんな少女を自分が斬った。

 もしかしたら見ないようにしていただけかもしれない。

 斬ろうとした瞬間に、自己嫌悪で刀を振るう手を止めてしまいそうになったはずだから。

 

「斬ろうとした瞬間に躊躇ったな? そのまま斬っていれば胴を真っ二つにしたものを。そのせいでソイツは死にかけの体を晒している」

 

 こちらも白い死覇装を着た青年、ウルキオラが冷めた口調でそう言った。

 隣の大男も冷めた目をしている。少女の醜態など興味がないように右肩を動かしていた。

 そのどちらも、いま血を流している少女に対して何の反応も見せない。

 

「おい! 助けなくていいのかよ!」

 

 ウルキオラが首を傾げながら訊き返す。

 

「斬った本人が言うのは滑稽だな。それよりもなんだ。ソイツの容姿に惑わされて情けを掛けたつもりじゃないな? だとすれば期待外れも甚だしい」

「何言ってんだ! 仲間じゃねえのか!?」

「お前こそ何を言っている。元から--そこには何も転がっていないぞ」

 

 突然のことだ。 

 むせるような血の匂いも。不規則に変質する特徴的な霊圧の気配も。荒れた細々しい息遣いも。 

 突然、消えた。

 一護が目をそこに向ける。何もない。あの大量の血液も、這って擦れた地面の跡も。

 なにより、あの小さな少女の姿がそこになかった。

 

 

 

「あぁ、痛い痛い。もう死にそうなほど痛い。ーー笑いすぎて、お腹がよじれちゃうよ」

 

 

 

 代わりに、抑えなど知らないような、それでいて品を下げない笑い声がからころと広場に響いた。

 

 

 ----------

 

 

 ヤミーが鬱陶しそうに右肩に座っていた小さな少女を追い払う。

 

「おら、ニルフィ。さっさと降りやがれ。さっきから五月蠅くてかなわねえ」

「いやぁ、だってホントに面白かったからさ。見た? あの呆然とした顔。ここまで簡単に引っかかってくれるなんて、もう、面白すぎだよ。ねえ、ヤミーさんもそう思うでしょ、ね?」

「あーあー、よぉく分かったぜ。てめえの性根がねじ曲がってるってな」

 

 軽やかに、ニルフィがヤミーの肩から降り立つ。その身に毛ほどの傷を負っていなければ、パーカーのような死覇装にもほつれ一つ見当たらない。彼女のどこにも赤色など存在しなかった。

 クスクスと笑いを堪えながらニルフィは一護に尋ねる。

 

「ねえねえ、ホントに私が斬られたと思ったの? あんな不意打ちでもない直情的な攻撃で? もしかして、キミの渾身の演技でもなくって、本心から騙されてたとかじゃないよね」

 

 小馬鹿にした様子もなく、かといって嘲りや憐憫も含まれていない。ただ面白かったから大笑いしちゃっただけ。そんな子供らしい様子をニルフィはしていた。

 それがとにかく不可解だ。

 

「お前、なんで......」

「なんで......なんで、か。もしかして、なんでこうしてピンピン立ってて、面白おかしい場面に笑って、普通に話しているのか? って、訊きたいのかな。それとも心配してくれたの? コレ(・・)のことを、さ」

 

 ニルフィが何かを抱えるようにすると、その抱擁の中にもう一人の少女が現れた。

 体の前面に痛々しい裂傷を負っているニルフィだ。血が垂れ流されたまま、死にかけた様子を見せている。人形は泣き喚く力も失っていた。しばらくして、光の粒子となって空気に溶ける。

 そこでようやく、一護は気づいたのだろう。

 すべてが嘘の事象に自分が踊らされていたのだと。血も、肉も、匂いも、斬った感触も。全てが幻想に過ぎなかったのだと。

 

「私がケガしちゃうとアネットさんが凄く怒るんだ。それはもう、この街なんて滅んじゃうくらいに、ね。だからケガするわけにはいかなかったの」

「よく言うな。ましてや感謝してもらおうと戯言を抜かすとは。相手が一人芝居をしている間に、ヤミーの肩で爆笑していたというのにな」

「あ、それは言わない約束だよ」

 

 ウルキオラの指摘にニルフィは肩をすくめる。

 

「でも、そうだね。あえて言うなら」

 

 幻影は、あくまで小手先。前任の第7十刃(セプティマ・エスパーダ)の言を借りるならば、手品の類の誇るほどのないものである。たかだかそれに引っかかって動揺するなど底が知れた。

 

「キミは、誰も守れないほど弱いね」

「なんだと?」

「え、しらばっくれるの? そこで転がってるサドさんも重傷なんだよ。それに、オリヒメさんを助けられたのはタイミングが良かったからだって思ってるの? あれって、わざと私が待っててあげたのに、ね。本当なら二人は今頃、私が殺してるよ」

「てめえ......!」

 

 分かったような口を利く少女に対して、怒りという感情を持った。既に術中に嵌っているとは認識すらしていないだろう。

 先手を取ったことでニルフィに対する若干の侮り。彼女の儚げな容姿と不安定な霊圧から未だに強さを見誤る。そしてよく回り始める口から流れる、小馬鹿にでもしたような言葉への憤怒。

 何もかもが太刀筋を鈍らせ、ニルフィの有利にしか働かない一連の劇だ。

 一護が黒い刀を構える。

 

「一つだけ、訊きたい」

「なにかな」

「この町の人たちを殺したのも、それに茶渡の腕をやったのも、全部お前なのか?」

「ん、そうだよ」

 

 事もなげにニルフィが答えた。

 少なくとも茶渡をやったのは自分だと、その権利を主張しようとしたヤミーをウルキオラが手で制す。

 

「黙って見ていろ。全て、アイツの挑発だ」

「俺まで挑発されてやがるが」

探査回路(ペスキス)の他に忍耐も鍛えておけ」

 

 ニルフィは言われなくとも一護と戦うつもりになっているらしい。それは普段の臆病な態度ではあまり考えられないこと。常にある卑屈さが鳴りを潜めているとウルキオラはいち早く気づいていた。

 --遊ぶ目になっているな。

 歯車の噛み合わさりが悪くなったような霊圧の軋みがニルフィから発せられた。

 金の双眸は無邪気な光を残しながら濁っていき、ギロチンを思わせる色合いが強くなる。口の端が吊り上がり、あどけない顔が凄惨なものとなった。

 

「リーセグリンガー、お前がやる気になったのは構わん。だが、『オレンジ色の髪』と『黒い卍解』から、そいつが黒崎一護であることに疑いはない。俺たちの第一任務はその死神の調査だ」

「うん、はいはい、できるだけ殺さないように甚振るんだよね」

「......ああ、それだけ守って勝手にしろ」

「はーい、らじゃー」

 

 道化のようにおどけた態度で敬礼し、ニルフィは一護と向き合う。

 

「じゃあやろっか、クロサキさん。この三人の中で最弱な私を倒せないと、これからの戦いだと瞬殺されちゃうよ」

「なら、俺はお前に勝てばいいだけだ」

「そう、勝てばいい。勝てれば、ね」

 

 ニルフィが、とん......と、その場で軽くジャンプする。瞬間、その姿が掻き消えた。これ見よがしに大きくなった霊圧。その発生源はーー少し離れた場所にいた、織姫の背後。先の続きをするように手刀が織姫の心臓に狙いを付けていた。

 

「ーーてめえ!」

 

 一護がそれに追いすがり、霊圧を纏わせた刀を振り下ろす。

 しかし、

 

「黒崎、くん......」

「......ッ!」

 

 ニルフィが織姫を引き寄せて盾にしたことで、織姫の顔の前で刃が止められた。

 

「残念。オリヒメさんごと斬ってれば、私の本体も斬れたのにね」

 

 拍子抜けしたように。ニルフィは織姫を抱えたまま響転(ソニード)を使い、かなり離れた場所に姿を現した。有沢という少女も一緒だ。まだ木々が生えているのを見ると、山の下のほうなのかもしれない。

 

「さて、オリヒメさんはもう逃げていいよ」

「どういうこと?」

「いやぁ、クロサキさんの甘さがどれくらいか分かったからさ。キミがいると彼は本気を出せないんだ。なんていうか、キミはクロサキさんに必要とされたいんだよね?」

「......あたしは」

「うん、わかってる。だからこそ言っておくよ。--キミはクロサキさんの邪魔になってる」

 

 織姫は苦しげな顔をして俯いた。力が足りない。それは元から分かっていることだ。それでも自分は何か役に立てるのではないかと考え、そして今の状況に繋がっている。

 ニルフィは響転(ソニード)を使って一瞬姿を消すと、茶渡を引きずるように再び織姫の前に現れた。

 幼い容姿の破面(アランカル)は急速に接近してくる粗い霊圧を感じ取る。あまり時間がないことを理解し、早口で話す。

 

「それでも、私が見た限りだとキミの能力は伸びるよ」

「え?」

「必要とされたいなら、もっと力を付けてからにしてね。焦ってると死んじゃうよ」

 

 なぜ助言をしたのか、ニルフィにも分からない。このまま戦いの余波で織姫が死んでも赤の他人であるニルフィには関係ないからだ。せめて言うならば、面白そうだったから。ニルフィの興味がそそられるモノを織姫が持っていたからこそ、ここで死なせるには惜しいと思ったのだ。

 

「じゃあね、またいつかお話ししよ」

 

 ニルフィはその場を響転(ソニード)で後にし、移動途中だった一護の前に現れた。

 彼はこの山の至る所に現れた、ニルフィの作った偽りの織姫の霊圧を辿って飛び回っていたところだ。

 

「ッ! お前か、井上たちをどこにやった」

「どこに? んー、そうだね。もしかしたら天国とか?」

 

 リアクションは斬撃で返された。荒々しい、力任せの刃だ。

 破面(アランカル)は元から高い基本ポテンシャルを持っており、死神と違って技術を磨いていくような存在は珍しい。己の身体能力に物を言わせた戦い方が主である。その点、この一護も同じだ。

 ニルフィには筋力という点で難があるものの、高い身体能力を持ち合わせている。

 彼女が欲しいのは技術だ。それを見て、理解して、己がモノとする。一護の戦い方は、ニルフィにとってなんの価値もない。

 

「......ウルキオラさんの命令だし、ね」

 

 意味がないからといって、無意味に殺すのも(はばか)られる。

 絶え間なく放たれる斬撃を掻い潜りながら、少女が呟いた。

 

 

 ----------

 

 

 ニルフィの誘導によって、戦闘区域は再び禿げた山頂付近へと戻る。移動に邪魔な木が生えておらず見通しのいい場所だ。

 そこではある種の異様な光景が出来上がっていた。

 血の海だ。一対一の戦いでは決して見られないような量の血があらゆるところに飛び散り、水たまりが池となり、さらには海と化そうとしている。むせかえるような鉄錆び臭ささが風だけではなくならずに留まっていた。

 一歩踏み込むたびに血の雫が跳ねる。刀を振り回すたびに黒い死覇装に血がしみこむ。

 それらは全て、幻影にして幻覚。あってないようなものなのだ。

 しかし。しかしだ。そんなことは一護の慰めにもならなかった。

 

「アッハハハハハハ、いまのは残念でしーーガッ!?」

「うわぁ、派手にやっちゃったアグッ!!」

「とりゃ~......ギィッ!?」

 

 それもこれもすべて、こうやって全方位から向かってくるニルフィの精巧な分身のためだ。

 あえて一護でも目で追える速度で彼女らは突撃してきて、わざと一護に斬らせるようにしている。避けるのは悪手だ。一度攻撃を回避しようとして、分身とは思えぬ機動力で左腕を切り裂かれた。

 一護の選択肢は二つ。斬り続けるか、死ぬかだ。

 

「クソッ、なんだよ......! なんなんだよ!」

 

 もうやめろ! 口にしないだけで心の中で叫ぶ。

 ニルフィの作り出した幻影は、あまりにもリアリティがありすぎた。斬れば血を噴き出すし断末魔を上げる。そのたびに顔は悲痛なものとなり、一護の網膜に焼き付いた。

 容姿は幼い少女そのもの。一護の生来の性格や、妹の存在が頭を離れず、太刀筋は鈍る一方である。

 割り切ることの出来ない一護の精神は、分身を斬るたびに同じだけの傷を残す。

 攻めているように見えて、追い詰められているのは一護のほうだ。そう長い時間を掛けないうちに、彼の心は折れるだろう。

 

「うん、甘い甘い。もし私がオジさんだったら、チョコラテのように甘いのだよ! って言うね」

 

 分身だけけしかけて姿を現さないニルフィの声。

 無限に湧き出しているのではないかと思うほどの幻影の群れを斬り続けながら、一護が叫ぶ。

 

「こんなことして何の意味があるんだよ!」

「ないよ、そんなの。逆にキミにはあると思うけど? サドさんたちの仇とかぁ、命が惜しくて私を切り刻もうとかぁ」

 

 舌足らずな声から、本人が首をかしげているのまで頭に浮かぶ。何も考えていないのも連想させられた。どんな言葉を掛けても、一護ではその心に届けられるはずもないのだから。

 何人かのニルフィの分身が銃の形にした手を一護に向けた。

 

「ばーん」

 

 重光虚弾軍(バラ・インフィニート)

 

 視界を覆い尽くすような弾丸の群れが、死神を囲った。逃げ場はない。歯を噛み締めて、一護は刀を横なぎに振るう。

 黒が弾けた。

 

 月牙天衝

 

 自らの霊力を刀に喰わせて、刃先から超高密度の霊圧を放出し、斬撃を巨大化させて飛ばす斬月の能力であり唯一の技。

 それは虚弾(バラ)の壁を食いちぎって散らす。霊子の欠片が空中で消えぬうちに、特徴的な霊圧へと向けて再度の月牙天衝。あまり時間は掛けられなかった。短期決戦を元から望んでいたが、この戦いをすぐにでも終わらせるために全力を以て放つ。

 手ごたえからして、黒い斬撃は間違いなく不安定な霊圧を捉えたはずだ。

 

「残念、はずれ」

 

 それらも、すべて偽りの結果。

 ニルフィはずっと一護の傍にいた。彼女はピースサインを右手で作り、指先を一護の目の先に添える。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 視覚や眼球という器官を焼き切るような光量が一護に襲い掛かった。その痛覚とは関係のない苦痛によって、一護は咆哮を上げる。

 技ともいえないような足払いで死神は地面に転がされた。

 ニルフィは確信している。もう一護の目はこれから一生使い物にならないと。

 --まあ、オリヒメさんに治してもらえるだろうけど。

 少なくともこの戦いでは回復しないということだ。

 

「ク、クソ、眼が......!」

「むしろ感謝してほしいくらいだけどね。キミは私の見た目に、さっきまで油断してたんだよ」

 

 ならば見えないようにすれば、もっと力を引き出してくれるのではないか。

 ニルフィとしては一護に本気を出すように促しているつもりなのだ。

 

「それよりも失望したよ。なんで命がけで戦わないの? ううん、命は懸けてるんだろうけど、全力じゃない。むしろオリヒメさんのほうが頑張ってた」

 

 虚言を交えてあえて挑発したし、全力を出し切れるようにお膳立てまでしてやった。霊圧の振れ幅が尋常ではないが、高ければ十刃(エスパーダ)にも匹敵しそうなのだ。ニルフィのような無意識の操作ではないので、わざわざ引き出させなければならない。

 それでも、一護はニルフィの望んだ結果を出してくれなかった。

 以前に読んだ、『少年』と『少女』の本について何かを知るきっかけを作ってくれるかと思ったが、期待外れもいいとこだ。

 一護にとって、織姫や茶渡たちはその程度でしかなかったのだろうか。

 答えを欲しているのに見つからない。その苛立ちが(くすぶ)り、ニルフィの手を腰の後ろの斬魄刀に掛けさせようとしている。

 

「ねえ、目の前に仇がいるんだから、殺すつもりで掛かって来てよ。あ、今は目が見えないんだったね」

「うるせえッ!」

 

 荒削りの斬撃が上段から振り下ろされて空気を裂く。ニルフィは手の平で柄をかちあげる。同時に肘を腹部へと突き刺した。

 崩れ落ちる一護を見ながら、静観していたウルキオラに尋ねた。

 

「どうするの? もう私もクロサキさんから知りたいことはなにもないよ」

「藍染様が目を付けたというが、まさかこの程度とはな」

「ヤミーさんは代わる?」

「そんなゴミみてえなヤツ潰して、なにがおもしれえんだよ」

「そっか」

 

 一護に足りないのは、実力ではなく覚悟だ。

 今ならば霊圧がかなり高まっているというのに、なにかを抑えるために集中力を欠いている。勝つためにはどんな手段でも使えばいいのに。そうニルフィは思う。

 今のままではどんな幸運が起きても勝利など掴むことは叶わないのに。

 そこでふと、覚えのある霊圧が近づいてきた。

 

「黒崎くん!」

「井上......? 井上なのか!?」

 

 織姫だ。一護は光を映さなくなった目をそちらに向ける。

 息を切らして、それでも足を止めることはなく、来るなと叫ばれてもついには一護の元へとたどり着く。

 

「ん、ちょうどいいね。クロサキさんにとって、オリヒメさんはとっても大切な人みたいだし」

 

 不穏な空気がニルフィから発せられた。それは猫がネズミを甚振るようなものとは違い、無邪気であるがゆえに残忍な子供特有の雰囲気であった。

 感動の再会。大切な存在。

 それらをぶち壊したら、一護は答えを教えてくれるのだろうか?

 

「......偽善的かつ独善的で結構だよ」

 

 一度ならず二度逃がした織姫を、今ここで消すのに躊躇いはない。惜しいとは思っても、掛け金はもう払っている。

 このシチュエーションを悲劇に変えるならば、いったいどうすれば上手くいくだろうか。

 

「ま、過程はどうでもいっか」

 

 虚閃(セロ)を弱い威力に設定し、一護も織姫も巻き込むようにし、さらに一護だけが生き残るようにする。

 期待を胸に、ニルフィは無造作に二人へと手を向けた。

 

 虚閃(セロ)

 

 霊子の奔流が音もなくすべてを巻き込んだ。

 ......巻き込んだはずだ。土煙も巻き起こっている。それにしては手ごたえがない。そのことにニルフィは小首を傾げ、すぐに理解する。

 ニルフィと人間の間に、いつの間にか血のような色合いの盾が出現していた。 

 紡がれる言葉は、静かでそれとなく気怠げ。

 

「ーー()け」

 

 紅姫

 

 その盾から噴き出すのはこれもまた朱色の幾本もの槍。溢れだすような槍の速度を見誤り、ニルフィは一つの槍を腕で防いだ。死覇装と鋼皮(イエロ)を切り裂いて、繊細な白い肌に一本の赤い線が生まれた。赤い槍はたしかにニルフィに傷をつけた。

 ウルキオラたちのいる場所へと宙返りをしながら飛びのく。

 目を細めるニルフィの視線の先で、盾は硝子(ガラス)のように砕け散った。

 

「どぉーーもぉーー、黒崎サン、井上サン。遅くなっちゃってスイマセーーン」

 

 ここが命のやりとりをする場とは理解していないような、呑気な間延びした声だ。目深に被った帽子と下駄、さらには甚平という現代において胡散臭さ全開の格好。しかしその立ち振る舞いに隙は見いだせない。

 隣には褐色の肌をしたネコ科の動物を連想させるような美しい女性。視線だけで破面(アランカル)たちを牽制している。

 そんな二人が、死神と異能者の少女を護るようにして立っていた。




ニルフィ「斬られたと思った? 引っかかったなっ(ドヤァ!)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少しだけ頑張ろうと思います

 二人の闖入者相手の登場に、不服そうな顔でニルフィが唇を尖らせる。

 

「邪魔、しないでほしかったな」

「いやぁ、スミマセンねぇ。アタシらもこの人たちに死なれるのは困るんですよ。ですから、お引き取りなさってくれやしませんかね?」

 

 飄々とした態度を崩さず、帽子の男がへらへら笑いながら言った。

 なんとなく釈然としない気持ちのままニルフィは右手で指を鳴らす。そうすると周囲に溢れていた血の海や肉片がなくなり、あとに残ったのは破壊痕の痛々しい、かつては林のあった山頂だった。

 どうするか確認するために、ニルフィがウルキオラに目を向ける。

 

「ウルキオラさん、指示は?」

「情報通りならこいつらは浦原喜助(うらはらきすけ)四楓院夜一(しほういんよるいち)だ。本当ならお前の相手をさせる奴らなんだが......」

「ここでまたお預けってことはねえよな? 止められても俺は行くぜ」

 

 人間の頭よりも大きい拳を鳴らしながら、ヤミーが一歩踏み出す。荒々しい霊圧が彼から発せられた。爆発する直前の爆弾を連想させ、無理にでも止めればそれこそ歯止めが効かなくなるだろう。

 

「そう言うと思った。ならリーセグリンガーも混ぜてやれ。それで妥協しろ」

「あァ? あんな奴ら、俺一人で十分だぞ」

「あの二人の危険度は黒崎一護よりも上だ。ともかく、お前の邪魔だけはさせない。出来るな? リーセグリンガー」

「合わせることならね。よろしく、ヤミーさん」

「チッ」

 

 不承不承といった雰囲気でヤミーが視線を逸らす。口ではウルキオラに勝てないと分かっているので、これ以上の駄々はこねない。

 戦えるのなら、それで良かったから。

 ニルフィはヤミーとの共闘の難易度の高さに内心ため息を吐きつつも、熱くなっている体を冷ますためにもう少し戦いに付き合おうとする。一護との戦いは拍子抜けもいいほどの不完全燃焼。渋々とはいえ、嫌とは思わない。

 

「......ん」

 

 左腕の刺すような痛みに眉をひそめた。浦原の紅姫から貰った槍で、二の腕の部分の死覇装が切り裂かれて、そこから血の流れる赤い線が見える。骨に届いてないとはいえ、決して浅くはない。

 ニルフィは傷口にそっと可憐な小さな舌を這わせた。ぴちゃりと背徳的にも感じられる水音が響くと、傷はたちまち塞がっていく。乾いた血も舐めとれば、怪我の証拠は破れた死覇装だけとなった。

 その光景を浦原は興味深そうに見ている。

 

「自己回復能力......おっかしいですねぇ、破面(アランカル)大虚(メノスグランデ)の時に持っていた超速再生の能力を失っているはずですが」

「超速再生ならこんな面倒な真似はしないよ。それに、あくまで応急処置程度だしね」

 

 生き残るために特化した能力。それがニルフィの元来の力である。殺傷能力はほとんど後付けのようなもので、自身の生存確率を少しでも上げるために進化していたのだ。その方法は他の破面(アランカル)たちとは異なった部類に入る。

 

「喜助、そうまじまじと見てやるな。おぬしが変態に見えてしまう」

「あっれぇ? 夜一サンはアタシの味方っスよね?」

「よせ、近寄るな。わしはあ奴らに、おぬしのような変態の仲間と思われとうない」

「ひ、ひどい......」

 

 浦原から貰った薬で一護たちを治療していた夜一が戻ってきた。

 二人のやりとりは日常風景でありがちなものだが、しかしここは戦場だ。軽口を叩きあいながらも一瞬の気のゆるみもしていない。

 単純な強さだけでなく、巧さや技量という点で目ぼしい。そうニルフィはあたりを付けた。

 特に夜一という女性。彼女は浦原とは違って刀を持っておらず、暗器の類も使いそうにない。ならばおのずと、夜一の戦闘方法は徒手空拳であろう。

 それは技の塊だ。特殊な異能も、圧倒的な霊力も必要ない。ニルフィにとってそのすべてが模倣の対象となる。

 今でさえ、夜一の重心の取り方や、何気ない足運びを目で追っていた。

 

「長ったらしい話は俺の性に合わねえんだよな。とっととやっちまうぞ、チビ」

「ん、お先にどうぞ」

「おうよ」

 

 ヤミーが無造作に、浦原と夜一の元へと歩み寄っていく。

 間合いに入るのに数秒とかからない。

 

「現世にいるのは次から次へとジャマくせえ連中だと思ってたトコだ。割って入るってことは......てめえらから殺してくれって意味で、良いんだよなァ!?」

 

 叫びと共に、頭上で掴みあった両腕がハンマーのように闖入者たちへと振り下ろされた。

 前に出たのは夜一。腕の形をした鉄槌が当たる直前、ヤミーの木の幹のような二の腕に手を添える。その瞬間、手品のようにヤミーの巨体を半ば回転させながら宙に浮きあがらせた。

 しかし最後までさせず、ニルフィが夜一の背後に響転(ソニード)で姿を現す。その気配に夜一が舌打ち。ヤミーを転がそうとするのを断念し、左足で後ろ回し蹴りを小さな破面(アランカル)に叩き付ける。その脚をニルフィは絡め取るように抱く。はずされるのに一瞬の隙。その隙のあいだにヤミーが空中で地面に手を叩き付けることで体勢を整えた。

 

「ーーらぁッ!」

 

 起き上がりざまの裏拳がニルフィごと夜一を襲った。

 そこへ裏拳を防ぐように赤い盾が展開される。浦原だ。腕と盾が接触した直後、衝撃によって地面がへこむ。土の欠片が跳ねあがり、生き残っていた雑草がはじけ飛んだ。

 ニルフィは右手の指を夜一の眼前に突き付ける。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 ニルフィの技の中で最速のものだ。文字通りの光の速度。放った瞬間ならば避けるのは不可能である。

 放てれば、の条件が大切だが。

 夜一はニルフィに防がれていた左足を軸に体を回転させ、右足を今度こそ少女の鳩尾に食らわせる。ニルフィは躱しきれずに弾丸のように吹き飛んだ。

 空中にありながら、ニルフィの体からあらゆる光を(はら)む色が爆発した。

 

 虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)

 

 光の乱舞が一瞬で終われば、浦原と夜一を囲むように無数のニルフィが出現している。

 

「これは......」

 

 夜一が面倒そうに周囲を睥睨(へいげい)した。けらけらと笑う同じ容姿をした少女たち。ある意味で趣味の悪いことだ。

 

「よそ見してんじゃ、ねえよッ!」

 

 巨大な手でヤミーが夜一に掴みかかった。

 その手の上に、いつの間にか夜一の姿がある。彼女は飛び跳ねるとヤミーの横面に、左足で回し蹴りを叩き付けた。

 

「ぶ......ッ!?」

 

 衝撃で空気が震える。ヤミーが倒れ込まないうちに死角からニルフィが接近。地面に降り立った夜一の無防備な背中に襲い掛かった。

 

「アタシを忘れちゃ困りますよ」

 

 紅の斬撃が分身体を切り裂く。数多(あまた)にいるニルフィの幻影が二人に突撃していき、地響きを立てて倒れたヤミーに追撃を許さない。

 

「ヤミーさん、生きてる?」

「クソッ、クソッ、あいつら! 殺してやる!」

 

 タフさは見かけどおりのようだ。すぐさま立ち上がり、ニルフィの分身たちと大立ち回りを繰り広げている二人を射殺さんばかりに睨みつける。

 

「相性が悪いんだよ。ヤミーさんは怪獣みたいに暴れるのが本業なのに、さ。私が最後までやろっか?」

「黙ってろ、ニルフィ! あいつらは俺がやる!」

「そう? でもごめんね。獲物は私が奪おうと思うの」

 

 にこにこと笑いながらニルフィは指を鳴らした。

 途端、浦原たちを取り囲んでいたニルフィの幻影たちが霊子をまき散らしながら爆発する。余波だけで遠くに合った木々をなぎ倒すような威力だ。

 

「てめえ!」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。まだあの人たち、生きてるからさ」

 

 土煙が晴れた。未だに立っている二つの人影がある。

 浦原が帽子を押さえながら刀を突きつけており、後ろの夜一も無事なようだ。ただの虚閃(セロ)ならば完璧に防げただろうが、全方位からの攻撃で多少の手傷を負っている。

 しかし、ニルフィの予想よりもまったくダメージを与えられていない。

 

「いやぁ、すごいっスね。正直焦りましたよ」

「その割には服がちょっと焦げてるくらいだけどね」

「まさか。これは続ければきついっスよ」

 

 言葉ほど動揺しているようには見えなかった。のらりくらり。そうやってニルフィの探りから躱していってる。

 浦原の手札が見定められないことに警戒した。夜一は格闘術のようなものとシンプルだが、この浦原という男の戦い方が考えられないのだ。

 ふらふらと実態を掴ませず、相手の隙に滑り込むような。ニルフィの戦い方と共通点が多い。まさか相対するとここまでやり辛いとは思えなかった。

 爆発から、一旦仕切りなおす空気となる。

 

「やり辛いこと(かな)わん」

「そうかなぁ?」

「そこのデカブツだけならば、軽くあしらえたんじゃがな。破面(アランカル)にしろ、元が(ホロウ)である存在が共闘のような真似ごとをするとはの」

「真似が私の専売特許だからね。特保は誰にも渡さないよ」

 

 夜一が嘆息し、服に付いた(ほこり)を払った。ニルフィとしてもヤミーがやられるのはまずいと分かっている。

 彼が簡単に殺されるとは思っていない。ただ、彼に斬魄刀を解放されると、ここら一帯が荒野になりそうな気がするのだ。そんな戦いでは学べることも学べなくなる。

 ちらりとニルフィがウルキオラを見やった。

 彼はまだこの戦いを止めるつもりはないようで、傍観に徹していた。ウルキオラのことだ。戦力調査の一環として、この戦闘を気の済むまで眺めているのだろう。

 

「じゃあ、ヤミーさんはあの下駄の人ね。私はあの女の人と戦うよ」

「オイ、ニルフィ。てめえ調子乗ってんじゃねえぞ。勝手に仕切りやがって」

「ヤミーさん。自分でも分かってるんでしょ? キミはいま本調子の半分以下の力しかないし、その体で相性の悪い相手と当たったら踵落とし食らっちゃうよ」

 

 今はまだ時期が悪い。そう伝えようとしても、ニルフィの幼い知識のボキャブラリーでは駄目なようだ。

 ヤミーは一層低い声で怒鳴り散らす。それにニルフィは微かに眉を寄せながら対応した。

 

「だからって納得できるワケねえだろうが!」

「キミが納得するしないの問題じゃないの。ここで戦うには、何もかも足りないのさ」

「俺に大人しく見てろだぁ? なら勝手に乱入しても文句はねえよな?」

「もう私一人で戦うよ」

「てめえ、いい加減に......」

 

 浦原たちと戦う前に、ニルフィを潰そうとヤミーが拳に力を込めた。

 仲間割れならば結構と浦原は事態を見守る。

 殺気に晒されているであろうニルフィは、首をかしげさせながらヤミーの顔を、怒りに染まった両目を見据えた。

 たったの一言。

 

ヤミー(・・・)

「......ッ!」

 

 さんを付けずに、ニルフィが巨漢の名を呼んだ。それだけでヤミーは押し黙る。

 

「これは余興だよ? ホントの戦いはこれからあるの。ここで潰されて、それに参加できなかったらもっと鬱憤が溜まるでしょ? だから、さ。ここは私に任せてよ」

 

 口調も、抑揚も。身に纏う霊圧も変化がない。今までの話し方とはなんら変わることのない。

 凄惨な表情がどこにいったのか穏やかな表情をするだけで、怒りの権化の言葉を奪う。なにを言い返しても無駄なような、すべてを無意味に思わせる微笑み。

 

「......あーあー、分かった、分かった。クソッ、見てりゃあいいんだろ、見てりゃあよ」

「うん、ありがと」

「今度こそてめえの戦いを俺に譲れ。それで手打ちだ」

「あははは、それでいいよ」

 

 興が削がれたようにヤミーは舌打ちと共に頭を掻き、ウルキオラのいる場所へと戻っていった。

 浦原と夜一にニルフィが向き直る。成人の姿をした二人と相対すると、少女の幼さが一層際立った。

 

「一人とは、随分と大きく出たの」

「ヤミーさんはこっちにとっても大切な戦力だからね。こんな余興で降りられたら、もし腕を失くされたりでもしただけで大損害なの」

 

 それより、とニルフィが夜一を見据える。

 

「キミの使ってたあの格闘術。なんて名前?」

白打(はくだ)じゃ。それを知ってどうする」

「だってさ、不便でしょ? --これから自分が覚える技術の名前を知らないなんて」

 

 十刃(エスパーダ)最速による響転(ソニード)での踏み込み。その速度が乗った手刀が夜一の首に噛みつこうとする。

 しかし『瞬神』夜一にとっては甘い攻撃。難なくいなし、カウンターで肘をわき腹に、腹部へ手刀をねじ込んだ。

 防御に霊力をまわしていたニルフィは腕を交差して耐えきる。ドン、と鈍くて重い音が響いた。

 ニルフィが跳ぶと、夜一の肩を狙って左回し蹴り。

 夜一がそれを受け止め、反撃に転じようとしたとき、

 

「ちぃっ!」

 

 接触していた左足を軸にしてニルフィが右足を夜一の鳩尾へと突き込む。威力はあまりない。それを弾いて夜一は少し距離を取った。

 夜一が驚いたのは今ニルフィが使った技が、この戦いで夜一が最初に少女に使用した技だからだ。

 長い年月を掛けて研鑽した技が、一度の体験だけで完全に模倣された。

 

「あ、はずしちゃったか。まあ、どういう技か知ってるもんね」

 

 結果には頓着せずにニルフィが苦笑紛れに首を振る。

 ......そして突拍子もなく、再度の響転(ソニード)で夜一の眼前に現れた。

 

「技はこれだけってことはないでしょ?」

「ほざけ」

 

 容赦のない蹴りが少女の肩に入った。

 しかしそれは幻影で、本体は夜一のすぐ背後に。ヤミーを蹴り飛ばした時と同じような、左回し蹴りが瞬神の頭部を襲った。当たれば首がもげる、死神鎌のような蹴りだった。

 夜一は咄嗟に屈んで避ける。その上を華奢な足が風を抉った。夜一は両手を地面に突き、全身のバネを引き絞って後方へとドロップキック。両足はニルフィのわき腹に突き刺さり、彼女を地へ落とした。

 それすらも痛打に感じていないかのようにニルフィがすぐさま飛び起きる。

 そしてほぼ一方的にニルフィが(なぶ)られる状況が再開された。

 殴打の余波で土が剥がれ、蹴りの風が唸りを上げる。

 何もしなければ倒される。夜一は迎え撃つしかない。全身を凶器として、腕を、脚を、叩き込む。

 これは格闘の間合いであり、浦原も加勢するに出来ない状況だった。

 少女がすぐに倒れないのは他にも理由がある。

 ニルフィは現在、ほとんどの霊力を鋼皮(イエロ)に注ぎ込んでいるのだ。どちらかといえば耐久力が見かけどおりの脆弱なニルフィだが、その霊力は最上級大虚(ヴァストローデ)のもの。そこからの全力防御は簡単には崩せない。

 攻撃力が極端に弱くなるのがダメだが、相手に手傷を負わせるだけならば十分だ。

 

「とりゃあ!」

 

 可愛らしい掛け声と一緒に、夜一の使った技を真似て使う。裏拳から、その勢いを殺さずに回し蹴りに繋げる技。それに夜一は対処する。

 ここでも悪循環が働いていた。なにが来るのか分かっている夜一は、最善の対処法でニルフィの攻撃を防ぐ。それは相手に夜一の攻撃の攻略法を教えているのと同意義で、時間を掛ければ掛けるほど追いつめられるのは夜一だ。

 夜一はそれを嫌って突き放そうとするも、ニルフィに元来の回避能力に硬い防御が合わさったことで上手くいかない。

 とにかく、しつこいのだ。

 腹をくくり、夜一が空気を裂くような裂帛の声を響かせる。

 突き。掌底。熊手。半月蹴り。踵落とし。足払い。吊柿。投げ技。

 あらゆる技を一連の動作に昇華させ、夜一はこの戦いにケリを付けようとした。

 

「喜助ッ!!」

 

 投げ飛ばされて宙に体を晒したニルフィへと紅の斬撃が飛ばされる。その数、四。

 ニルフィは空中で回転しながら足に霊圧を込め、それらを叩き落とした。

 皮肉にも、その技は夜一がニルフィに対して使った技だ。

 

「うん、なるほど。使いやすいね。というより、使う人が巧いからなのかな?」

 

 ニルフィは満足そうに深く頷く。

 尸魂界(ソウルソサエティ)を探しても、この夜一ほどの白打の使い手はいない。これもまた皮肉だ。ニルフィは最高の使い手から白打を学んだようなものなのだから。

 

「あちゃー、夜一サン。さっきの方と違って、今度はもの凄い相性の悪い方に当たりましたねぇ」

「なにを呑気にしておる! さっさと片を付けるぞ!」

「これが呑気に見えますか?」

 

 夜一とニルフィが戦っている間に、浦原は何もしていなかったわけではない。

 ただ、恐ろしいまでに数の多いニルフィの幻影に手を焼いていたのだ。下手に刺激すれば爆発するような地雷まで混ざっている。夜一に被害が行かないよう、それらの処理に追われていた。

 二人は未だに本気を出してはいない。理由は戦闘区域に織姫たちが居て、巻き込む可能性があるからだ。

 このままではジリ貧だと、冷静さの中に焦りが紛れ込む。

 

「ヨルイチさん、だよね? まだやるの?」

「抜かせ。おぬしに見せた技は初歩の初歩。底など見せたつもりはない」

「でも、手足は限界でしょ? 一杯私のこと殴ったり蹴ったりしたからね。硬かったでしょ」

 

 夜一の奥の手には最高戦闘技術として、高濃度に圧縮した鬼道を身に纏い戦う瞬閧(しゅんこう)というものがある。これは白打と鬼道の合わせ技と言えるものだ。

 まともな使い手は夜一しかいないとはいえ、織姫や茶渡の能力とは違い、どこまでいっても極めれば誰にでも可能な技術。それをニルフィに盗まれることへの懸念があった。そして周囲を巻き込まないためにも、手札を出すのを渋った結果だ。

 瞬閧(しゅんこう)なしの生身で鋼鉄よりも硬い物体を殴り続ければ、衝撃は骨に響き、皮や筋肉は千切れかかる。

 物事を観察するのに優れたニルフィの目はそれらを見通していた。

 

「まだ出し渋ってる技がいっぱいあるよね? それもとびっきりのが! それを私に見せてよ!」

「はて、なんのことやら」

 

 どうにかしてニルフィは夜一から技を引き出そうとする。けれど戦いの最中でも流されており、上手くはいかない。

 理由は、今の状況だけでは夜一たちは本気を出さないからだ。 

 それならば、どうすればもっと力を見せてくれるのだろうか。

 無邪気な笑顔のままニルフィは頭の中で計算し、そして単純な答えに辿り着く。

 --もっと危機的な状況にしちゃえばいいんだ!

 これは名案だ。

 

「よしっ、決めた! ヨルイチさんが本気になれるように、私、頑張るからさ」

 

 ただでさえ不可解な霊圧の質がさらに変化していくことに、夜一は眼を細める。全ての分身を片付けた浦原はその隣に立ち、なにがあっても対応できるように構えた。

 ニルフィはパーカー風の死覇装に付いたフードを目深に被る。アネットの趣味で長い垂れ耳......可愛らしいウサギの耳を模した布地が背中まで垂れ流されるように縫い付けられていたが、今はそんなことなど些事だ。

 

「いくよ」

 

 楽しげな金色の目が、ちろちろと覗いた。前かがみとなって、その目元もすぐに隠れてしまう。

 そして、発動する。

 

 無貌姫(カーラ・ナーダ)

 

 何かを、しようとした。

 それが何かを浦原と夜一は予想できなかったし、それを知る前にこの戦いは止められてしまったからだ。

 

「まて、そこまでにしろ」

 

 ひどく淡々とした無機質な声で、先程まで傍観者だった破面(アランカル)が制止させる。

 

「......ウルキオラさん。まだあの人たち、力を隠してるんだよ。見ておかなくていいの?」

「俺はそこまでにしろと言ったはずだ。聞こえなかったわけではないだろう」

「そ、それはそうだけどさっ。こっからでしょ!?」

「お前はこの侵攻の目的を忘れているな。まず一つは『現世にいる死神の実力の調査』。そしてもう一つは『ニルフィネス・リーセグリンガーの実戦経験の向上』だ。いまお前が使おうとした技は、それを度外視した遊戯(・・)でしかない。これで二つの目的を果たしたと判断した」

「えっ......と。これから真面目にやるからって言えば?」

「無駄だ。任務は完了した。退くぞ」

 

 有無を言わせぬ口調でウルキオラは言った。

 ウルキオラは指をなにも無い空間に添え、するとそれだけで黒腔(ガルガンダ)が開く。

 

「そっか」

 

 潮時であると判断し、ニルフィは呆気なく思うものの、納得をする。狂暴性を表すような光は消えていき、無邪気で無垢な色が代わりに金色の瞳に取り戻された。

 フードを外すと、小さな口を精いっぱい開いて息を吸った。

 魂吸(ゴンズイ)ではない。周囲に漂っている霊子を根こそぎ奪い取っていき、山にはほとんど霊子が残らなくなった。

 

「しょーこいんめつ」

 

 ニルフィは霊子を飲み込むと、開いた空間へと歩いて行く。これでニルフィたちの戦った痕跡である霊子は無くなり、そう簡単に今後の対策を取らせないようにする。

 

「......逃げる気か?」

 

 夜一からの挑発にニルフィは肩をすくめながら答えた。

 

「そうだよー、逃げるよー。ま、このままキミたち二人がかりで、足手まといの人たち二人のお守りをしながら私と戦うなんて、どっちに利があるか判ってないはずないよね」

 

 憮然としながら夜一は答えない。

 代わりに、感情の荒れ方が表に出たような声がニルフィの耳に届く。

 

「オイ、待て!」

「ん、なにかな、クロサキさん。って言っても、なにが言いたいか分かるんだけどね」

 

 この結果では納得できるはずもないだろう。ならばここでニルフィが暴れまわってしまえば明確な勝敗が付くだろうが、それすらも一護を納得させることは出来ない。

 勝たなければ、倒さなければ意味がないのだ。

 口を開きかけたニルフィを遮るように、ウルキオラが言った。

 

「--黙れ」

 

 空気が鉛ような重さを得る。

 

「貴様に関しての任務は接触の瞬間から済んでいた。最初にリーセグリンガーの幻影を見抜けなかったな? それだけで底が知れるというのに、終始遊ばれたまま退場するとは、醜態極まる」

 

 針のように現実を突きつけた。

 

「差し当たっての任務は終えた。藍染様には報告しておく。貴方が目をつけた死神もどき(・・・)はーー殺すに足りぬ、(ゴミ)でしたとな」

 

 言い返す言葉が見つからないのか、一護は膝を突いたまま俯いていた。

 気の毒に思いながらもニルフィは視線をはずし、黒腔(ガルガンダ)の中へと足を踏み入れる。

 

「バイバイ」

 

 いずれまた会うかもしれないと思い、手を振った。そこに悔恨も愉悦もなく、空気のように軽い気持ちしか入っていない。

 黒腔(ガルガンダ)が口を閉じた。




ニルフィ は あたらしい わざ はくだ を おぼえた !
ニルフィ は あたらしい わざ ほほう を おぼえた !


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なんでもするから!

お気に入り件数が1000件を突破しました。これで本当の大盤に乗ることができた、ということになります。

読者の皆様に感謝を。


 大浴場の片隅でニルフィは縮こまりながら湯に浸かっていた。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)に帰還してあとは報告を残すのみなのだが、他の十刃(エスパーダ)破面(アランカル)の召集を待つために、少しだけ自由な時間が出来たのだ。

 浴場は第七宮(セプティマ・パラシオ)に元からあったものなのか、それともアネットがニルフィのために作らせたものかは定かではない。

 濡れた流麗な黒髪は頭の上で纏められ、仄かに朱の差すうなじが幼い見かけ不相応に色っぽい。死覇装を脱いで露わになった肢体は乳白色の湯に隠れてしまっているが、それがどこか見る者に倒錯的な欲情を煽る。

 そんな少女が小動物を彷彿させるように震えているのにはワケがあった。

 

「............」

「............」

 

 ニルフィを腕の中に抱きながら、アネットが朱色の髪を後頭部で()って湯に浸かっている。

 普段の溌剌(はつらつ)とした雰囲気は無く、ただほんの少し、憂いを帯びた表情を浮かべるだけで、男を狂わせるような蠱惑的な妖しさを纏う。ニルフィとは違い、成熟した女としての肢体を持て余しているような様は、同性だとしても頬を染めてしまう。ニルフィが、そうだったのだから。

 いつもは非常に残念な美人だが、それが鳴りを潜めただけで別人のようだ。

 

 だから、いつもとは違うのだと暗に告げているだろう。

 

 (あるじ)の体を洗ってやる時もただ優しく、慈しむような手つきで終始接した。

 これが普段であれば、

 

『うへへへっ、観念するんだな。オレをケダモノと知ってて誘ったお前が悪いんだぜ!』

 

 みたいなことをのたまいながら、四の五の言葉もなくニルフィを襲っているはずだ。そうされるよりも、なすがままにされていたニルフィは恐怖を感じていた。

 今だってそうだ。腕の中のほっそりとした存在をいやらしく撫でまわすでもなく、無言のままそっと抱いている。一度盗み見たアネットの顔を思い出すと、尋ねようにも躊躇われた。

 こうなった理由は、極めて単純な理由。 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)に戻らなくとも、出口となった黒腔(ガルガンダ)の前でアネットは従者のように、居るべきものとして佇んでいた。そこまではにこやかだったのをニルフィは覚えている。

 しかし、ニルフィの姿を見た途端、顔に暗雲を立ち込めさせた。

 死覇装の状態を確認したからだ。

 紅姫の槍で裂けた腕は完治しているし、夜一の通らせた(・・・・)打撃による(あざ)も見えていない。しかし土埃で汚れた死覇装の傷み具合を見ればおのずと察せるのだ。傷の完治は出来ても、死覇装の大きな裂傷までは隠せない。

 ウルキオラとの会話もそこそこに、二人は体の汚れを落とすために宮に戻った。

 死覇装を脱げば真珠色の肌に(あざ)も残っていたため、さらにアネットは目を細めることになるが。

 ここまで、事務的な会話しかしてないのだ。

 ニルフィにはそれが一番不安で、なにより心細かった。もしかしたら失望されたのかもしれない。主人であるというのに、任務は成功してもこんな情けない姿で帰って来たのだから。

 

「......アタシは、怒ってなんかないですよ」

 

 ざわついた心を察したかのようにアネットが口を開く。

 

「もしかしたら怪我をして帰ってくるかもしれないなぁ、とか、泣きながら帰ってくるかもしれないなぁ、なんて。そんなこと考えてましたし」

「泣きながらなんて、しないよ」

「でも、怪我をして帰って来た」

 

 あれほど怪我をしない約束をしたのに、返す言葉もない。

 アネットが深くため息を吐く。ニルフィは胴に回された腕に、少し力が入ったのを感じた。

 

「あぁ、もう。これだとどっちが大人げないのかって。分かってたわよ、貴女がただで戻ってこないってのは」

「私だって気を付けてたんだよっ。でも相手の人が強くって、模倣(コピー)するのに自分で体感しておかないとって思って、さ。仕方なかったの」

「ええ、そうね。貴女の判断が一番だったのよね。でもそれで納得しきれないアタシもいるの」

「大丈夫だよ。帰刃(レスレクシオン)だってあるし、ウルキオラさんだっていたんだよ。それにこれからも、アネットも、グリーゼもいるから、私は安心できるしさ」

「......そうね。そうよね」

 

 黒髪に指を絡めるようにアネットがニルフィの頭を撫でる。虚夜宮(ラス・ノーチェス)に帰還してから初めて撫でられた。そのことが嬉しく、ニルフィは気持ちよさそうに目を細めた。

 ニルフィはいまの日常が楽しい。だから、こうでなくてはいけないのだ。

 日常を壊す要素など、彼女にとって恐怖の対象でしかない。遠からず始まる戦いが終わっても、こうして生きていきたかった。

 思い出した数少ない記憶には、必ず孤独があったから。

 

「ふふ、懐かしいですね。そういう、アタシがいるから安心できるって言葉を聞くなんて」

破面(アランカル)のほとんどの人は自分の力だけを信じてるからね。誰が言ってたの?」

「アタシの、従属官(フラシオン)だった子です」

「その人は......」

 

 名を訊こうとしてニルフィは口をつぐむ。アネットの声音に、時折含まれる悲哀が(にじ)んでいたからだ。 

 思えば、一緒にいたいと言いながら、ニルフィはアネットたちのことを何も知らない。

 元から寡黙なグリーゼも、このアネットも、過去のことには自分から口にしないのだ。

 ニルフィの髪から小さな水滴が垂れた。それは水面に小規模な波紋を作り、胸元に当たる。その揺れでさえ、踏み込むかどうかの心を震わせた。

 

「ま、暗い話はなしなしっ。こんなあったかいお風呂に入ってるんだし、もう少し堪能しないとね」

 

 葛藤しているうちに見えたかもしれない本心が影をひそめる。

 いつも通りに明るくなった声と一緒に、無理矢理流された。

 それを止めるための勇気は、まだニルフィにはない。臆病だっていい。それでも、この日々が続くならば、どんなことでもしよう。

 

 

 ----------

 

 

 アネットがいつもの調子を取り戻してしまったため、それから盛大にセクハラをされまくったニルフィ。

 体の火照りは風呂上りだけが理由ではない。

 

「顔が赤いな。体の調子でも悪いのか?」

「な、なんでもないよっ......」

 

 戦い方がアレなくせして、嘘はとても下手なようだ。

 ウルキオラはそうか、とだけ頷いて言及はしなかった。

 長い耳の布地が縫い付けられたフードを弄りながら、ニルフィは新しい死覇装の調子を確かめる。壊れる前と同じものなので違和感はなかった。いきなりイメチェンするほどニルフィは剛毅ではない。

 そうしているうちに扉が開かれ、まずウルキオラが、次にヤミーが入っていき、最後にニルフィが玉座の間に足を踏み入れた。

 それを知っているかのように扉がひとりでに廊下の光を閉ざす。

 薄暗い空間だ。以前来た時と変わらず、そこに立つだけで気味の悪さを肌で感じる。

 影に潜むようにひっそりと、あるいは豪胆に。先に来ていた破面(アランカル)の気配が漂ってきた。

 それ以上に、高みにある玉座に腰をおろした藍染が、彼らの存在を塗りつぶしていくようだ。

 ウルキオラが藍染を見上げる。その後ろでニルフィとヤミーは膝を突いた。そうしなくてはいけない。本能が体を地に近づけさせる。

 

「--只今(ただいま)、戻りました。藍染様」

 

 平坦な、判の押されたような声。

 

「おかえり、ウルキオラ、ヤミー、ニルフィ」

 

 返されるのは夜明けの前の海のような鷹揚さを持つ。

 

「さあ、成果を聞かせてくれ。我等、同胞の前でーー」

 

 少しの緊張の糸が引き伸ばされる。少なくとも、藍染だけは平静な雰囲気を崩さない。それが彼の内心の表れでもあるからだ。

 

「さあ、見せてくれ、ウルキオラ。君が現世で見たもの、感じたことのーー」

 

 一息。

 

「すべてを」

 

 応えは、肯定。

 

「......はい」

 

 色素がないようなウルキオラの左手が、己の左の眼球を無造作に掴み取る。目の中に指を滑り込ませ、抉り出したのだ。

 パーツのごとく目玉が指の中に納まっている。そして空洞となった眼窩に繋がる細い粘性の糸が尾を引いた。球体の臓器は躊躇いなく、体から離れる。

 そのことに対する驚きは、ない。藍染はもとより、ヤミーも、集まった破面(アランカル)たちも、そしてニルフィも。こうなることが分かっていたかのように動揺の色など見せなかった。

 --うわぁ、痛そう......。 

 動揺はなくとも、見てるだけで左目が幻痛を感じるようだとニルフィは思う。

 ウルキオラは左手を真っ直ぐに前方へ伸ばした。眼球が握られており、衆目が丸い物体に集まる。

 握る手に力が込められた。普通ならそれはやってはいけない行為だ。万が一にしろ、奇跡のような出来事があればその抉り取った目を戻して左目の視力が回復するだろうから。そのまま力を入れてしまっては、戻すためのパーツがこの世から消える。

 しかしやはり、これもなんの躊躇もなく行われた。

 眼球がウルキオラ自身によって握りつぶされたのだ。

 肉の潰れた生々しい音ではなく、なぜか鈴の鳴るような音がしたかと思うと、先程まで生体器官であったはずの物体が砕け散る。

 眼球は無数の欠片となって霧散した。それは広間を覆うように広がり、ウルキオラの『記憶』が共有されることとなる。

 すべて現世での出来事であり、それらが破面(アランカル)たちの脳裏に鮮明に浮かび上がった。より明確にするために、彼らは眼を閉じた。藍染も軽く頬杖をつくようにこめかみに手を当て、しばらく広間には本当の意味での沈黙が支配する。

 

「--成程(なるほど)

 

 最後に、負傷しながら己の無力さに(こうべ)を垂れた死神の姿が映り、『記憶』は途切れた。

 藍染は軽く頷くと、ゆっくりと目を開けた。ウルキオラの報告が終わり、それを咎めるような雰囲気でもない。ただ納得がいった。それだけである。

 

「それで、彼を『この程度では殺す価値なし』と判断したという訳か」

「はい。“我々の妨げになるようなら殺せ”との御命令でしたので、それにーー」

 

 自らの考察を交えながら続けようとしたウルキオラは、嘲笑が含まれた声で遮られる。

 

「ハッ、微温(ぬり)ィな」

 

 ニルフィがそちらに目をやると、グリムジョーが少し離れた石材の上で胡坐(あぐら)をかいていた。彼の従属官(フラシオン)たちも一緒であり、もちろんニルフィは全員と面識がある。

 予想できたことだ。ニルフィは彼らの性格を知っており、この燃えきらない(・・・・・・)結果は不快であろう。

 

「こんな奴等、俺なら最初の一撃で殺してるぜ」

「......グリムジョー」

「理屈がどうだろうが、『殺せ』って一言が命令に入ってんなら、殺したほうがいいに決まってんだろうが! あ!?」

 

 傍らに立っていたシャウロンも頷く。

 

「......同感だな。いずれにしろ敵だ。殺す価値はなくとも、生かす価値など更に無い」

 

 ニルフィは『なんだかシャウロンの言い方のほうが賢そうだなぁ』と頭の中で考えていたが、突如、グリムジョーの矛先が彼女に向いた。思考を読んだわけではなさそうだが。

 

「大体、ニルフィ!」

「ふぇ?」

 

 青年の視線に今まで見たことのない色が浮かんでいるのを見て、ニルフィが情けない声を出す。

 

「テメー、なんで最後は殺そうとしなかった?」

 

 言われた意味が分からずに小首を傾げる。それを苛立たしげにグリムジョーが見た。

 

「俺なら最初の一撃で殺してるぜ。訓練だか経験だか分かんねえが、すぐに相手を殺さなかったのは、まだいい。けどな、もう一度言うぜ? どうして最後は仕留めようとしなかった。人間の女も、死神も、増援の奴等も。テメーはわざと殺さなかったな?」

 

 むしろ、蒲原喜助と四楓院夜一相手には、最後は狩猟かなにかと勘違いしていたような節さえある。

 それが、グリムジョーには気に入らない。

 彼は非常に好戦的で、障害となる(もしくはその可能性のある)者は、強弱を問わず抹殺すべきとの考えの持ち主である。

 彼にとって戦いとは命のやりとりであり、結果は死んだか死んでいないか、敗者か勝者かが決定づけられていなければならないのだ。

 グリムジョーの剣幕に身をすくませながらニルフィが答える。

 

「それは、さ。クロサキさんならともかく、増援のウラハラさんとヨルイチさんは強かったんだよ。それに、まだお互い本気じゃなかったし、仕留められる距離が掴めなかった。だから......」

無貌姫(カーラ・ナーダ)を使おうとしてそのセリフが口から出るなんてな。元から殺るつもりはなかったってハッキリ言いやがれ。反吐が出る」

「あ......うぅ」

 

 鋭い眼光に射すくめられてニルフィは俯いた。それなりに仲が良いと思っていた青年からの辛辣な言葉に、目尻に涙が溜まり始めた。

 

「離せ筋肉達磨! もう頭にきた! あの子を泣かせやがったネコ科野郎の顔面に、マタタビを投げつけてやるだけだから!」

「......止せ。俺の視力が一時的に落ちただけかもしれないが、手に持っているのが斬魄刀にしか見えない」

 

 騒がしい外野も視界に入らない。

 反論は出来なかった。たしかにグリムジョーの言う通り、あの時の自分はネズミを甚振る猫のような立場にいると思っていたし、その通りの行動をしていたのだ。浦原たちは分からないが、一護と織姫を殺す機会などいくらでもあった。

 今まではたまたまグリムジョーの気に入らない行動をしてなかっただけで、一歩外れればここまで脆い。

 嫌われた? それは嫌だ。離れたくない。もし今からでも現世に行って殺しなおせば、グリムジョーは許してくれるだろうか。

 それならばすぐにでも行きたい。もはや重要ではない対象を消しても問題にはならないはずだから。

 幼さとは別の昏い光が心に渦巻いていく。

 グリムジョーはヤミーにも目を向ける。

 

「大体、ヤミー! テメーはボコボコにやられてんじゃねえか! それで『殺す価値なし』とか言っても、『殺せませんでした』にしか聞こえねーよ!」

「......てめえ、グリムジョー。今の視てなかったのかよ。俺がやられたのは黒い女だけだ。このガキじゃねえ」

「わかんねえ奴だな。ニルフィに尻拭いされてたようにしか見えねえぞ。俺ならその女も一撃で殺すっつッてんだよ!」

「なんだと?」

 

 ヤミーがその巨体を起き上がらせ、霊圧を大きく揺らがせた。

 それに対して、挑発的にグリムジョーも抑えていた霊圧を漏れさせる。

 十刃(エスパーダ)同士の戦いがあろうことがこの場で勃発するのかと、報告の一瞬前とは違う緊張が空気を包んだ。

 その空気を断つように、ウルキオラが間に割って入る。

 

「グリムジョー。我々にとって問題なのは、今のこいつじゃないってことはわかるか?」

「......あ?」

 

 苛立ちを隠さずにグリムジョーは訊き返す。冷静というよりも無機質な態度のウルキオラのことが気に入らないのだ。

 

「藍染様が警戒されているのは現在のこいつではなく、こいつの成長率だ。確かに、こいつの潜在能力は相当なものだった」

 

 一度言葉を切り、時間を置く。グリムジョーがなにも言わないことを確認したウルキオラは、すぐに話し出した。

 

「だが、それはその大きさに不釣り合いなほど不安定で、このまま放っておけば自滅する可能性も、こちらの手駒にできる可能性もあると俺は踏んだ。だから、殺さずに帰って来たんだ」

 

 落ちくぼんだ眼窩がグリムジョーを捉える。

 グリムジョーは顔を少し俯かせ、しかし次に顔を上げた時には苦々しく、怒りを抑えるような表情であった。

 

「......それが微温ィって言ってんだよ!」

 

 圧力だけで、空気が押し返される。

 

「そいつが、てめえの予想以上にデカくなって、俺らに盾突いたらてめえはどうするってんだよ!?」

「その時は俺が始末するさ」

 

 間髪置かずに返された『答え』に、今度こそグリムジョーは押し黙った。

 たしかにウルキオラは言葉通りに、もしあの死神が刃を向けてきたのなら、躊躇いなく殺そうとするだろう。嘘でもなく、有言実行を体現でもするように。ウルキオラの発言で、グリムジョーの提示した問題はあっさりと解決したようなものだ。

 納得は出来ない。しかしそれを形にするだけの材料はなかった。

 

「それで文句はないだろう?」

 

 いや、ないはずがない。しかし否定するのはこの場では難しい。

 ウルキオラが片付けるというのならば、それこそが最も効率のいいことなのだから。

 ついでというように、ウルキオラはいじけるように俯いたままのニルフィの頭に手を乗せた。

 

「そして、リーセグリンガーはあくまで俺の指示に終始従っていただけだ。最後こそ『遊戯』をしようとしたが、それも俺が任務をすべて完了したと考えてからだった。こいつに非はない。その責任も、俺が取ろう」

 

 それでいいな? 

 これでこの話は終わりだと、言外に告げる。

 

「そうだな、それで構わないよ。君の好きにするといい、ウルキオラ」

有難(ありがと)うございます」

 

 藍染が認めた。ただそれだけのことで、虚夜宮(ラス・ノーチェス)において異議を唱える者はいなくなった。

 納得するしないの話ではなく、決まってしまえば十刃(エスパーダ)であろうと覆せない。

 それが藍染の言葉の重みである。

 一礼をするウルキオラを睨みつけながら、グリムジョーは心の中で煙を上げてくる(くすぶ)りをどうしようかと考えた。

 

 

 ----------

 

 

 宮殿の廊下を走りながら、ニルフィは複数の人影を追いかける。

 

「まってよっ、グリムジョーさん!」

「............」

「あのさ、まってってば! お願いだから!」

「............」

「ね、ねぇ......ま、ってよ......グリムジョーさん......」

 

 足音がだんだんと弱くなっていき、しまいには声は水が満杯になったコップを揺らすようなものだった。

 視線を送らなくとも、しゅん......とうな垂れるニルフィの姿が、第6十刃(セスタ・エスパーダ)の主従たちの脳裏にありありと映ってしまう。なんともいたたまれない。従属官(フラシオン)たちの中には後ろ髪を引かれるように、一瞬にしろ立ち止まってしまう者もいたほどだ。

 呆れた表情のシャウロンがグリムジョーに尋ねる。

 

「いいのか? 姫君が泣いてしまう五秒前のように思えるが」

「勝手に泣かせとけ。だからあいつはいつまで経ってもガキなんだよ」

「アネット嬢にあとで何を言われるか分かったものでもないだろう。それに、これは分かっているはずだ。こんなことはくだらない意地だと、な」

 

 グリムジョーは奥歯を噛み締めた。ウルキオラが言った通り、ニルフィは現世で指示に従って行動したに過ぎない。指揮官的な役割はウルキオラが担っており、少女は間違った行動などしていないのだ。

 さっきも、とばっちりを受けてしまっただけにすぎない。

 それを謝れとは言わない。しかし話をするぐらいなら別にいいだろう。このままでは豆腐メンタルなニルフィが泣き出し、面倒な大事に発展してしまう。

 

「......チッ」

 

 あえて聞かせるように舌打ちして、グリムジョーは振り返った。

 

「ーーあ」

 

 たったそれだけの行動で、涙は散り、小さな少女の顔に喜色が広がる。ありきたりな表現で向日葵(ひまわり)のようなという言葉があるが、それもさして誇張というほどでもなかった。

 見る物にブンブンと尻尾を振っている子犬のようなビジョンを思い浮かばせながら、ニルフィがグリムジョーの元へと駆け寄った。

 

「グリムジョーさん!」

「聞こえてるから、もう名前呼ぶなよ。それと面倒だから、もう『さん』なんて付けんな」

 

 まだ涙の雫が見えるものの、ニルフィの表情は晴れ晴れとしている。切り替えの速さは子供ゆえか。グリムジョーとしては、さっきまでの泣きそうな表情をしていてほしかった。

 言葉の刃を受けても、ニルフィの顔に一切の影はないのだから。

 グリムジョーの苦手な表情だ。むしろ、さらに苦手となった笑顔である。

 敵意など無い、ただ純粋な好意の塊。辛辣なことを言った相手に対しては浮かべるはずもないものだ。だが、ニルフィは声を掛けられただけで嬉しそうにして、曇りのない金色の双眸を輝かせる。

 それが居心地悪く、しかしどうしてか満更でもないように思っている自分がいた。

 

「えっとね、その......」

 

 慌てて後を追って来たためか、自分の中で言葉のまとまりがつかないようだ。

 催促することもなく、グリムジョーは黙ったまま続きを待つ。

 

「グリムジョー......は、私のこと、嫌いになったの?」

「あァ?」

 

 何が言いたいのかとグリムジョーが首をかしげる。十中八九、さっきの広間での出来事に関してだと思っており、的の外れた質問に疑問を抱いた。

 ニルフィはグリムジョーの反応を勘違いしたように立て続けに言った。

 

「私、今度......もしあったらなんだけど、ちゃんと相手の人をゼッタイに殺すからさっ。戦いで遊んだりなんてしないよ。今からでも現世に行ってちゃんと後片付けもする。ちゃんとグリムジョーの言うことだって聞くし、それに私、なんでもする!」

「おい?」

「だからーー」

 

 相変わらず、笑顔だ。

 しかしその笑みが焦燥に駆られたものであることに、グリムジョーはやっと気が付く。

 

「ーー行かないでよ」

 

 ニルフィは怖がっているのだ。グリムジョーが離れていってしまうことに。

 声の震えは怯えが見え隠れしているから。目に溜まる涙は失うことへの恐怖から。

 子供としての価値観はニルフィの中にある。信頼している人物がいなくなってしまうことが不安でしかないのだ。グリムジョーが広場で言い放った言葉で、ニルフィは嫌われてしまったと考えた。

 心細さが少女の体を削っていき、遂には心まで蝕もうとしている。

 

「............」

 

 グリムジョーはしばらく何も言わずにニルフィを見下ろし、少女もそれ以上は口を開かなかった。彼の従属官(フラシオン)は黙って二人のやりとりを見ている。自分たちが口を挟むことではない。それを理解していたから。

 深いため息がグリムジョーから漏れた。

 

「くだらねえ」

 

 その一言で、ニルフィは肩を震わせる。

 

「てめえがそんなことしなくても、俺はハナから嫌ってなんかねえよ」

「......え?」

 

 下げようとしていた視線を無理やり持ち上げて青年の顔を見上げた。それは呆れているような、手のかかる妹でも相手にするような、そんな表情。剣呑さは無く、ただただ言葉通りにくだらなさそうだった。

 

「てめえのやったことが気に入らなかった。さっきのはそれだけだ。元から俺は他の奴らが気に入らねえんだ。最初から、てめえのこともな」

 

 硬くてごつごつした手がニルフィの頭に置かれた。ぎこちなく、乱暴に黒い髪をかき混ぜるように撫でる。

 

「だからな。何も変わってねえんだよ。気に入らなかっただけで、好きも嫌いもねえ。元からてめえとの距離なんて、なんも変わっちゃいないんだ」

 

 染み込ませるようにグリムジョーは言い切った。目を横に逸らしたのは、らしくなさを自覚したからか。

 呆けたようにニルフィは細く息を吸い込み、そして浅く吐く。

 途端、目にぶわっと再度の涙が溜まったことにグリムジョーがぎょっとする。

 

「うおッ!? どうした、俺の言い方が悪かったってのか!?」

「だって、だって......ホントに嫌われちゃったと思ってたからぁ!」

「泣くなよ、おい! ならいいじゃねえか!」

「うっ......うぇええええええええええええええんっ!!」

「ッ!? おいシャウロン! なんとかしろ!」

「一発芸を見せてはどうか」

「んなこと出来るかッ!」

 

 泣き止めと言うグリムジョーの言葉も虚しく、ニルフィはわき目も振らずにぽろぽろと大粒の涙を頬に伝わせる。

 通路に響く泣き声はよく通り、それに連られてやってくる者たちが影から姿を現した。

 まずアネットとグリーゼが駆け寄る。

 

「ああっ、やっぱりグリムジョーが泣かせてる。しかも怪しい男どもに囲まれてるこの構図! きっと集団痴漢なんてされたんですよ!」

「失せろ煩悩女! これ以上ややこしくすんな!」

「......そうして事態をうやむやにするつもりか」

「だからやってねえんだよ!」

 

 面倒くさい面々の登場にグリムジョーがキレ気味に叫んだ。

 しかしニルフィの泣き声は疑似餌のごとく、普通なら集まらないものたちを引き寄せているようだった。

 

「コレハヒドイ。オ姫様ヲ泣カセテシマウダナンテ」

第6十刃(セスタ・エスパーダ)でも子守りは無理らしいな」

 

 アーロニーロが肩をすくめながら靴音を響かせて現れた。

 

「ニルフィ、なぜそこまで泣く。お前を悲しませる元凶は私が斬って捨ててやるぞ」

 

 ハリベルが三人の従属官(フラシオン)を伴って、目に静かな怒りを秘めながら歩み寄る。

 

「なんじゃ、小娘がはしたなく泣きおってからに、五月蠅くてかなわん。お前たち、どうにかして泣き止ませろ」

  

 バラガンが憮然としたまま配下に指示して、流れ続ける涙を止めようとした。

 集まったのはそうそうたる面々。

 三人寄れば文殊の知恵という(ことわざ)もある。だが子守りスキルなどほとんどのメンバーが皆無であり、泣き続けるニルフィを前にあたふたとし始めた。泣き止ませようにも、どうしたらいいのか分からないのだ。

 さながら戦争のように、大人の破面(アランカル)たちはあれやこれやと様々な手を使う。十刃(エスパーダ)だろうが従属官(フラシオン)だろうが関係なく、ある意味で珍しすぎる光景が通路で展開された。

 ニルフィの鈴が転がるような泣き声は、それからしばらく響き続けたらしい。




お風呂シーンのハプニングを書こうとしたら、力尽きてしまった......。色気って難しい。
オラに力(知恵)を分けてくれ~。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

願いはエクスプロージョン

 自分は、たった三つの色しか見たことがなかった。

 墨を落としたかのような夜空。色素など抜けきったような白い生物と、どこまでも果てなく続く白砂の砂漠。そして白い生物の断面から流れる血だ。

 それらを見ることを繰り返すサイクルの中で、どれほど命を散らしたか。

 (ホロウ)の残骸を踏みつぶし、新しい獲物を探し回る。エサが一杯いた場所は忘れた。ずっと変わり映えのない景色を眺めながら、辺境を彷徨って殺した獲物をかじっていた。

 ずっと、食べることしか考えていなかった気がする。

 言葉を話す存在のことも、なにを言っているか頭で理解できてもそれに答えるくらいならと、時間も惜しくて食らいつく。

 いつからか獲物は自分の姿を見るだけで逃げていった。

 そうなれば場所を変え、自分の容姿すらも疑似餌に、新しい獲物がやってくるのを待つ毎日。

 単純で、機械にでもなったかのようだ。

 遊びと称して獲物を甚振ったことがあった。しかし心の底から楽しめない。弱者を統率したこともあった。しかし本当は謀反を企てていたらしく、自分も未練はなかったので不意打ちで残滅した。

 楽しみなど、なかった。

 これからもないと思っていた。

 凝り固まったような日々を過ごすうちに、肥大しきった孤独が胸の中に居座る。

 はじめて信じてもいなかった神に祈った。 

 この退屈が晴れますように、と。

 

 

 ----------

 

 

 ゆっくりと意識が浮上する。

 しかし肌触りのよい毛布に宿ったほのかな温かさに、(まぶた)が再び閉じてしまいそうになった。

 

「ん、にゅ......」

 

 特に意味のない言葉が口から漏れる。

 ふかふかで、もふもふな枕。日光の下で干したばかりのようなクッションが憎い。

 おいでおいでと招いてくる誘惑の睡魔の手を振り払うように、ニルフィは体を起こし、眼をこすりながら欠伸(あくび)を噛み殺した。そうすると鴉の濡れ羽色の髪が、肩から小川のせせらぎのように流れ落ちる。

 広いが薄暗い室内だ。第7宮(セプティマ・パラシオ)の一室にある、ニルフィの寝所である。

 破面(アランカル)は睡眠をほとんど必要としない。理由というのも、手段はどうであれ、霊子の吸収のみで肉体を構成することができ、人間のような欲求は生きる上で必要ないからだ。一部の十刃(エスパーダ)はニルフィも含めて現世の食べ物を口にするが、それもあくまで例外なのだ。

 それでもニルフィは定期的な睡眠を取る。

 では、なぜ寝所などというものが、あるいは睡眠というものがニルフィに必要なのか。

 ウルキオラの考察では記憶の整理のためらしい。

 というのも、ニルフィは普段の生活の中でその観察眼が災いし、とりたてて意味のないものまで記憶してしまう。それを続けていくと次第に脳の処理能力が追い付かなくなり、オーバーヒートしてしまうからだ。ここからは人間と変わらないだろう。記憶の容量ははるかに多いとはいえ、限界はもちろん存在する。

 その記憶の整理は睡眠を取る時が一番効率が良く、本人の意思に関わらず体は強制的に睡眠を欲するのだ。

 

「............」

 

 寝ぼけ眼のまま周囲をおもむろに見渡した。

 天蓋付のベッドの脇に置かれたイスには、朱色の髪の従属官(フラシオン)は座っていない。扉の近くの定位置にいつも背を預けている巨漢もいなかった。

 ちょっとだけ心細さを感じつつ、ニルフィはベッドから飛び降りた。

 その姿はいつもの死覇装ではなく、ほっそりとした肢体を浮き上がらせるような淡青色のネグリジェ。もちろんアネットの見繕ったものだ。初めてニルフィがこれを着た時、なぜかアネットは鼻頭を押さえながら上を向いていたが。

 裸足のまま床を歩いて行き、ひんやりとした石材の感触で次第に目が覚めていく。

 たしか、ニルフィが大泣きしてしまい、それをあやすために一か所に十刃(エスパーダ)の半分が集まったのだ。長いこと泣いていたと思う。ゆっくりとニルフィは泣き疲れ、アネットの胸の中で穏やかな寝息を立てはじめた。

 ニルフィはおぼろげにしか覚えていないが、それまでの様は苛烈を極め、三つの通路がなぜか消滅したらしい。東仙は大層ご立腹だとか。

 探査回路(ペスキス)を使って宮中の霊圧を探る。下官の霊圧が料理のためかせわしなく動いており、ちょうどいいタイミングで起きたと思った。

 従属官(フラシオン)は二人とも宮にいるようだ。

 ニルフィは近い場所にあるアネットの部屋に行こうと、ふらふら廊下を歩き出した。

 

「嫌われて、ないよね?」

 

 思い出すのはグリムジョーの言葉。もしかしたら寝る前の出来事のいい部分がすべて夢だったのではないかと嫌な予感がして、無意識のうちに奥歯を噛み締めた。もちろん、そんなはずはない。夢と現実の区別はできる。だから、怖がる必要もないのだ。

 ふと、前方から探していた女性破面(アランカル)がやって来た。

 

「ニルフィ? 珍しいわね、もう目が覚めてるだなんて。起きてたのなら呼び鈴を使ってくれたらいいのに」

「今日はなんだか自分で起きれてね。それに、わざわざキミたちを呼ぶほどじゃないと思ったから」

 

 アネットが困った顔で息を吐き出す。おそらく、ニルフィの主人としての自覚に対してだろう。呼び鈴を使わずに自分から従者を探しに行く王様などいないのだ。

 だがニルフィは、アネットやグリーゼと完全な主従関係になりたいわけではない。

 こんな自分と一緒にいてくれるだけで、彼女にとって十分なことだったから。寂しくなければそれでいいのだ。

 アネットはひょいとニルフィを抱き上げ、鼻先が触れ合いそうなほど顔を近づけた。

 

「......うん、もう涙は止まったみたいですね」

 

 少し赤みの残るニルフィの目が瞬かれる。

 

「心配掛けちゃった」

「いいわよ、謝らなくて。もう泣かないって約束してくれたらね」

「ん~、また泣きそう」

「ニルフィが泣いちゃったら、アタシも悲しいんですからね」

「......そっか。じゃあゼッタイに泣かないよ。私はアネットに悲しんでほしくなんかないもん」

「よく出来ました」

 

 互いの額と額が軽く触れ合う。それがくすぐったくて、ニルフィはかすかに笑いながら身じろぎした。アネットは少女を包み込むように抱いたまま、しばらく腕に力を込めて、その温かさがニルフィに伝わった。

 

「......アネット?」

 

 突然、パッとアネットが顔を離す。

 

「それじゃ、もう少しでご飯も出来ますし、お風呂に入りましょうか。グリーゼを待たせるのも悪いですしね」

「うん」

 

 身を預けられる温かさを名残惜しいと思いながら、ニルフィは頷いた。

 泣くのはもう十分かもしれない。アネットが悲しむと、自分も更に悲しくなるだろうから。

 

 

 ----------

 

 

 なんとなく。そう、なんとなくだ。立ち上る湯気のあとを追って遥か高い場所にある天井を見上げた時、ふいにニルフィの頭の中に思い浮かんだことだ。

 最近、色々な人と交流を重ねたことで、分かったことがある。

 

 自分への扱いが、完全に子供に対してのものなのだ。

 

 たしかにすぐ泣きそうになるし道に迷う。もちろん、お菓子を貰えるのは嬉しいし、頭を撫でてもらえるのは気持ちよくて好きである。

 しかし子供だから。

 そんな理由で一線を引かれているような気がするのだ。

 破面(アランカル)の容姿に年齢はそれほど関係ないとはいえ、誰もニルフィのことを『大人』とは評さないだろう。......だからといって。納得するかどうかは別の問題である。

 思い出すのはアネットとグリムジョーのやりとり。彼らは互いの気心が知れたように会話をして、むしろそれが挨拶のように接する、他人から見てもかなり親しい部類に入る関係だ。

 しかし二人がニルフィと接すると、会話一つ取ってもささやかな気遣いを察せられる。

 それが面白くない。言葉に上手くできないが、面白くないのだ。

 そんな背伸びしたい盛りの考えが子供である証拠なのだが、ニルフィは割と本気で考えているため、まあ、いいだろう。

 先に洗ってもらったニルフィは大浴場の端に浸かりながら、体を洗っているアネットを待っていた。

 ふいに、平皿のような己の胸を見下ろしたあと、アネットに再び目をやる。

 

「............」

 

 裏返したお椀のような......いや、大きさからいえばどんぶりだろうか。アネットが髪に手を入れるその都度、胸は二の腕に押し付けられて、むゆんと形状を変える。湯を流そうと手桶を持った彼女が肘を曲げれば、前腕に乗って下から持ち上げられ、重たそうに揺れ動く。今また胸に散った泡を落とそうと爪の先でしだけば、彼女の指の間から、弾けそうな水気を纏ってまろびでる。

 ニルフィが同じように二の腕を寄せ合ってみるも、なぜか胸には虚しさだけが集まった。

 視線に気づいたのだろう。アネットが振り返った。そんな些細な動作でも、揺れた。

 

「--? どうしました?」

 

 ジト目になっていたかもしれない。ニルフィは口元まで湯に浸かった。

 

「ポボフゴバポポー」

 

 おそらく、なんでもないよー、などと言ったのだろう。不服にまみれた声は泡となり、形を作らなかった。

 その間にも、アネットのすらりと伸びた肢体や、折れそうなほどに細い腰を、自分自身でも気付かぬ羨望の眼差しで見ていた。

 子供扱いされるのは、自分の容姿が子供のそれだからだとニルフィは決めつけた。

 グリムジョーがアネットと気軽に話しているのは、彼女が容姿の年齢的にそう離れたものではないから。

 考えてみれば、第5十刃(クイント・エスパーダ)のノイトラだって、メスがオスの上に立つのが気に入らないと言いながら、第3十刃(トレス・エスパーダ)であるハリベルには露骨なちょっかいを出していないではないか。ハリベルは間違いなく美人の部類に入るだろう。

 だからきっと、アネットの言葉を借りるならば、ノイトラはむっつりさんなのだ。自分も大人の容姿になれば変に絡まれることもないかもしれない。

 ノイトラが聞けば激昂しそうなことを考えながら、そうかそうかとニルフィは納得する。

 大人というものになれば問題はすべて解決するのだ。

 死覇装に着替えてから食事を済ませ、ニルフィはグリーゼの部屋を訪ねた。

 

「でね、どうすればアネットやハリベルみたいに、ボンッキュッボンッてなれるの? もしかして、お菓子ばっかり食べてたのが間違ってたのかな?」

「......少なくとも、その相談に俺を選んだことが、人選ミスと言う名の間違いに思えるが」

 

 手入れをしていた大剣を壁に立てかけながら、グリーゼはため息を吐く。

 

「......そもそもなぜ俺だ? そういったことはアネットのほうが向いているだろう。もしくは邪道にしろ、バラガン殿の従属官(フラシオン)であるシャルロッテ・クールホーンもだ」

 

 男であるグリーゼよりも、ニルフィの望む『大人の女性になりたい』ということでアドバイス出来そうな人物はいる。だからこそ、なぜ武芸一辺倒のグリーゼに尋ねに来たのかが分からない。

 部屋に置いてある最低限の家具のから一抱えもある丸いクッションを取り出し、ニルフィに放る。危なげなくそれを抱きかかえたニルフィは床において腰掛け、グリーゼも互いに向き合うように床に座った。

 かすかに俯きながら、ニルフィは囁く。

 

「だって、さ。こんな話をマジメに聞いてくれる人って、グリーゼしか居ないんだもん」

 

 子供だから。この場合もそんな理由で流されてしまうだろう。一時の気持ちの高ぶりと断じ、あとはうやむやにされてしまうはずだ。

 グリーゼはそれができるほど器用ではなかった。ただそれだけだ。そのことを伝えようとし、ニルフィの表情を見て口を閉ざす。少し悲しげな顔をされただけで止めてしまうのは、やはり彼が主人に対して甘いからか、はたまたこれが不器用の所以(ゆえん)か。

 

「私ね、大人になれれば、みんなに子供扱いされないって思ったの。それに......」

 

 初めて声に心の羨望を混ぜ、

 

「みんなと同じ場所に立てると思ったから」

 

 誰に言われるまでもない彼女への気遣いは安寧と一緒に、その節、痛みを与えていたのかもしれない。

 しかしそれは、ニルフィが大人になったとして解決する問題なのか。グリーゼはそう思うものの、やはり彼は不器用ゆえに押し黙るしかなかった。

 

「普通の人間みたいな方法じゃ、ダメなのは知ってる」

 

 (ホロウ)は肉体は霊子で構成させており、人間のようにカルシウムやタンパク質を摂取したところで成長は望めない。これが破面(アランカル)の一部が道楽にしか現世の食物を口にしない理由だ。そんなヒマがあれば、(プラス)や他の(ホロウ)破面(アランカル)を喰らっている。

 

「......俺は破面(アランカル)になってからかなり長い年月を過ごしてきた。だがこの姿からほとんど変化したことはないぞ」

 

 破面(アランカル)は仮面を割った時点で容姿が確定していた。魂魄や死神のように、数百年の時が経ってもそれほど変化しないのだ。これから時間を掛けて、ニルフィの容姿が幼女から少女に、あるいは女性のものへと成長する保証はない。

 

「......藍染様でも無理かもしれないな」

 

 むしろ、出来たのならばたしかに神だ。それに彼も忙しいだろう。藍染の元へ鬼道を習いに行くこともあるニルフィだが、願いが願いなだけに難しいのではと思ってしまう。

 確かめるだけ、不可能という文字が鮮明になってきたかのようだ。

 グリーゼは再度、ため息を吐いた。

 

「......その姿でも需要はあるんじゃないか?」

「私のニーズに(かな)ってない需要なんかヤダ!」

 

 一刀両断された。

 普通の成長が無理となると、あとはーーとある十刃(エスパーダ)の顔が二人の頭に思い浮かんだ。

 

 

 ----------

 

 

「大人になれる薬? 無いよ、そんなもの」

 

 その男は肩をすくめながら言い切った。

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)ザエルアポロ・グランツ。仮面の名残である眼鏡を掛けたピンク色の髪の男性で、虚圏(ウェコムンド)内では、“最高の研究者”や、“あらゆる霊性兵器開発のスペシャリスト”として知られているマッドサイエンティスト。その技術力は非常に高く、彼の従属官(フラシオン)だけ彼の手によって改造された多数の実験体をベースとしているほどだ。

 クッカプーロと遊ぶために第10宮(ディエス・パラシオ)に行く。アネットにはそう伝え、しかし別の場所にある第8宮(オクターバ・パラシオ)へとニルフィとグリーゼは向かったのだ。

 

「そ、そんなぁ......」

 

 情けない表情でニルフィがうなだれる。壁に寄りかかっていたグリーゼは無表情に二人のやりとりを見ていた。

 ホールのような大きさの研究室には実験器具がひしめいている。駆動音がBGMとなり、壁を覆うような試験管やフラスコに入ったあらゆる色の薬剤が、部屋にらしさを与えていた。

 この宮の持ち主にしてみたらまだ軽いほう(・・・・・・)らしい。しかし子供感覚では、これほどの物が取り揃えられているのなら、『大人になれる』という夢の薬もありそうだと思ったのだ。

 

「僕は忙しいんだ。子供の遊びに付き合ってあげられる他の奴等ほど時間はないんでね。その貴重な時間を僕から奪おうというのかい? その分だけ科学の発展が遅れるんだよ」

 

 ザエルアポロはスポイトから一滴、水色の液体の入っているフラスコに落とした。すると液体は黄色を経て、なぜか漆黒に変わった。いつもならニルフィが目を輝かせる光景も、落胆している彼女にとっては些事となる。

 

「そもそも、動物の成長がなぜゆっくりか分かるかい? 急速成長では肉体が耐えられないからだ。クローンとして一日で人間をホムンクルスのように作っても、せいぜい寿命は一年もない」

「でも、帰刃(レスレクシオン)だと、大きくなるよ?」

「ああ、お姫様。あれは変化であって成長ではない。()いて言うなら、大虚(メノスグランデ)から最上級大虚(ヴァストローデ)に至るまでの道のりも、進化であって成長ではない。そんなことも分からないのかな?」

 

 馬鹿にした物言いながら、間違った認識をしているのが気に入らないからか、とても丁寧に分かりやすい説明をしてくれた。

 ザエルアポロの手はその間も止まらず、作業が終わった時にはフラスコの中身が、なぜか小指ほどの球体に代わっている。保存も終え、冷めた目でザエルアポロはニルフィを見下ろす。

 

「あとは君を改造するという手もあるが、それだと他の十刃(エスパーダ)の連中になんて言われるか分かったものでもない。こっちから願い下げさ。悪くも思わないが、帰りたまえ」

 

 それでも諦めきれず、ニルフィは必死に手を握りしめて訴えた。明日だけでもいい。体だけでも大人になって、皆と同じ視点になりたい、と。面倒くさそうなザエルアポロとのにらめっこはしばらく続いたが、彼はうるさいハエを追い払うかのようにシッシッと手を振っただけだった。

 

「粘ってもムダだ、さっさと帰りたまえ」

「そっか......」

 

 ニルフィは桜色の唇を尖らせて、肩を落とす。

 

「ザエルアポロさんなら作れると思ったんだけど、やっぱり不可能もあるんだね」

 

 背を向けた男の目元が、一瞬だけ引きつった。

 

「藍染様でも無理そうだから、もしかしたら、って思ったんだけど。やっぱり破面(アランカル)が成長するのって、科学の力でも無理だったんだね」

 

 ザエルアポロの目には面倒くさそうな色は既になく、傍目には何を考えているのか分からない。

 

「ごめんなさい、いきなり押しかけちゃって。ついでに無理難題も押し付けちゃったみたいだね」

「まて」

 

 部屋を出ていこうとしたニルフィに声が投げかけられた。

 

「それは、僕に対する挑発行為か何かかな?」

「え? ううん、違うよ」

 

 ただの無意識な高レベル煽りスキルだ。

 ニルフィの顔には純粋な落胆があり、それを怒るに怒れなくさせる。きっと、ザエルアポロなら可能だと、心の底から信じていたのだろう。彼女の言葉は、いたずらにザエルアポロの科学者としての自尊心に刃で切りつけたようなものだ。

 ザエルアポロの実験は、今まで畏怖と蔑視に晒されたものである。しかし少女が寄せたのは期待。彼女に応えられなかったからといって思う所はない。けれど、期待されていながら『出来ない』と思われるのは、彼にとってプライドに唾を飛ばされるようなものだった。

 努めて冷静な声で、ザエルアポロは自分の道具を呼ぶ。

 

「ーーロカ。2番格納庫の奥にある、瓶詰の黄色いアレを持って来い」

  

 なにがなんだか分からずに立ち尽くしているニルフィの前にザエルアポロが来る。

 

「君は勘違いしてるんじゃないかな。肉体を大人にさせる? 生命の研究をしている僕にとっては初歩に過ぎないことだ」

 

 その程度など簡単にできる。暗に、そう伝えた。

 

「これから君に与えるのは、ある研究の失敗作だ。......おっと、そんな顔をしないでくれ。君の望む最低限のことを満たしているし、なによりソレは、僕自身のために作ったものだからね」

 

 気に入らなかった。よく理解もせずに、自分の研究能力が肉体の成長すら不可能だと思われるのは。

 リスクとリターンを鑑みて、丁度いいものがある。

 ニルフィの目に少しだけ希望が宿った。

 

「僕はね、かなり以前、自分の肉体を半分に分けるという行為をした。しかし実験は失敗だ。片割れはカスだったし、器を半分に分けただけでも力は一割も残らなかったからさ。なぜか分かるかい?」

「えっと......器の中身が全部こぼれちゃったから?」

「はっ、頭はそこらの愚図よりも回るようだ。たしかにそうさ。最も重要な中身も流れ出ていってしまった」

「それとどう関係あるの?」

「そう急かさないでくれ。話はこれからだ。器は半分に割れたが、傾ければある程度の中身は受け止められるだろう? しかしそれでも高が知れている。ここで君に与えるものについてだ」

 

 研究者が右顔半分が髑髏の仮面で覆われた女性が持ってきた瓶を受けとる。

 中には黄色い飴玉のようなものが敷き詰められていた。ザエルアポロはその中から一つ取り出すと、ニルフィに与える。

 

「僕は器が半分に割れたなら、補完すればいいじゃないかと単純に考えたわけだ。元は僕だったからね。しかし失敗して、この駄作を僕は薬と呼びたくなかった。それだけだ」

 

 頭に『?』マークを浮かべるニルフィに朗々と語った。

 

「これを食べれば確かに肉体は全盛期に戻った。しかし器が戻っただけで、中身は空っぽさ。おまけにその効果も半日というくだらなさ。破面(アランカル)で散々実験しても、肉体の年齢が全盛期になるだけの、張りぼてだよ。そうだね......君にとってはシンデレラの魔法のようなものさ」

「すごい!」

「駄作で喜ばれても嬉しくないよ」

「でもすごいよ! 私、失礼なこと言っちゃった!」

「これで分かっただろう? こんなことは僕にとって訳ないと」

 

 そこまで喋り倒したザエルアポロは眼鏡のような仮面の名残を指で押し上げる。彼が気づいているか分からないが、その顔はどことなく満足げだった。

 しかしそばにやって来たグリーゼを見て不愉快そうになる。

 

「なにか文句でもあるのかい?」

「......毒や、危険な物は含まれていないのか?」

「あるわけないだろう。これは元は、僕が自分のために作った薬なんだ。毒は毒で、薬は薬だ。どっちも混ざっては効果が現れるはずもない」

「......危険では、ないんだな」

「当たり前だろう。本当ならこんな舐めた口を効いてくれたお姫様は毒りんごで眠ってもらうべきだが、そのままこの程度のものを作れないと思われては不快だ。いつもなら蟲でも入れるが、それもしていないと誓おう」

 

 嘘は言っていないのだろう。ニルフィの認識を改めさせるためだけに、ザエルアポロは最低ランクの物を与えて、それでもこの程度は可能だと教えてやりたいのだ。

 いつもは冷静沈着なはずだが、どうやらニルフィの煽りが心の底から気に入らなかったようだ。

 

「ほら、これで話は終わりだ。さっさと帰ってくれ。まったく、無駄な時間を取られた」

 

 半日しか持たないけれど、大人になれる薬丸。ニルフィは金色の目を見開いて、手に持った黄色い飴玉を見つめた。

 

「ありがとう! ザエルアポロさん!」

「......フン、出来るなら、二度と来ないでくれ」

 

 ニルフィは飴玉を大切そうに握りながら、グリーゼと一緒に宮を出た。

 そして移動し、グリムジョーのいる第6宮(セスタ・パラシオ)の前までたどり着く。

 

「......主よ。まさか本当にそれを使うんじゃないだろうな?」

「使う! 早く大人になってみたい!」

「......やはり駄目だ。さすがに怪しげなものを、俺の目の前で見ながら食べられてはたまらない」

「あっ!」

 

 グリーゼは恨まれてもいいと、飴玉をむしり取って握りつぶした。細かな欠片となって黄色い破片は砂漠に散っていく。

 名残惜しそうに見ていたニルフィは嘆息した。

 

「つまーんない」

「......ザエルアポロには悪いが、他の奴等も食べるなとお前に忠告したはずだ」

 

 ザエルアポロからお菓子を貰っても食べるな。ニルフィは理由をあまり知らなかったが、口酸っぱく言われていたのだ。禁止されてしまうのではないかと予想していただけに、ニルフィは唇を尖らせる。

 いじけたようにニルフィは宮に入っていき、グリーゼは嘆息しながらそのあとを追う。

 待っていたかのようにシャウロンが扉の前に立っていた。

 

「おや、姫君と......グリーゼ殿ですか」

「......押しかけてすまない」

「いえいえ。それよりも貴方にお話しておきたいことが......。ああ、グリムジョーは上の階にいますよ。ニルフィネス様は先に行かれてください」

「うん、わかった!」

 

 すぐにニルフィは駆け出して行き、階段を上って行った。

 まるで、グリーゼとこのまま一緒に居ては、気付かれてしまうからとでも言いたげに。

 ............ここで、グリーゼは疑問を抱くべきだった。あれほど大人になろうとしていたニルフィが、魔法のような飴玉をあれほどあっさりと諦めたのか、と。

 そして気づくべきだった。

 ニルフィのポケットにもう一つ、ザエルアポロの所から勝手に拝借した黄色い飴玉が入っていたと。

 子供は得てして頑固であり、一つのことに集中したら視野が狭くなる。それが今の彼女の状態だ。なまじ行動力があるだけに手に負えない。

 コレは奪われると予想していた。だから何個かの予防策を張っていたのだ。

 無邪気に、無垢に。貪欲に、強欲に。子供特有の感情で。

 てってけと階段を上りきり、グリムジョーの元へと走っていく。

 

「グリムジョー!」

「......てめえか。昨日の今日で何の用だ?」

「見て、コレ!」

「飴、か? はっ、てめえみてェなガキにはお似合いだな」

「ん、今からでもそんなセリフを言えないようにするからね」

「あァ? 出来るもんならやってみろよ」

 

 こうして、ニルフィは躊躇いなく飴玉を口に放り込んだ。

 

「この、ザエルアポロサンの(・・・・・・・・・)作った飴玉で!」

「......あ?」

 

 グリムジョーが止めようとしたときには既に遅かった。

 コクン、とニルフィが球体上のナニカを飲み込み、ドヤ顔となってグリムジョーを見る。

 

「............」

「............」

「あれ? おっかしいなぁ。これで私も大人になれるはずーー」

 

 

 バゴォオオオオオオオンッ!!

 

 

 グリムジョーの眼前で、ニルフィが閃光と共に爆発した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

トランスフォームと主従たち

 これは、のちにザエルアポロが語ったことだ。

 

「そうだね、あの薬とも呼べない代物に名を付けるとしたら、『完成促進薬』なんて安易なもので十分だ」

 

 彼は眼鏡を中指で押し上げながら、肩をすくめる。

 

「不完全なものを形だけ完全にする。それだけに終始してしまう駄作。まァ、もちろんそうなるだろう、魂にまで影響を及ぼすのはただの薬に無理だってことさ。......どういう意味かって? 言っただろう、不完全を形だけでも完全にする、と。聞こえてなかったのかい?」

 

 だからそれがどういう意味なのかと問えば、ザエルアポロはそんなことも分からないのかとも言いたげに、鼻で笑う。

 

「つまりね、完全であるものには元から作用しないのさ。あの飴玉をそこらの奴の口に入れてみるといい。そうすると、なにも起こらないからね。不完全である者が服用した時にだけ効果を表すのさ。そうすると、ソイツの完全な、つまり全盛期であったはず(・・・・・・・・・)の姿へと強制的に引き戻す」

 

 つまり不完全であることが変化に必要な条件ということらしい。

 そして割れた器をもともとあった形に戻す。けれども肝心な『中身』は満たされないため、言葉通りの形だけになるのだろう。

 破面(アランカル)は仮面を割った時点でほとんどが完成体であり、該当するものはごくわずかだ。該当者は非常に珍しいようだった。

 それだけのいわゆる被験体をなぜ簡単に帰したのかと訊けば、

 

「僕は一目見た時から『彼女』が未だに不完全な体だと思った。だからもっと別の薬じゃなくて、研究成果の一つにでも加えられるのならと思い、あの飴玉を与えただけだ。クソッ、あの時の僕はどうかしていた。貴重なサンプルが目の前にあったというのに、いつもなら聞き流す戯言を真に受け、蟲なり毒なり入れていたものを、ね。今でも悔やむよ。あの白い腹にメスを入れて『ピー(自主規制音)』を引きずり出して、『ピー』して『ピー』した後は、刺激に対してどのような反応をするのか『ピー』に『ピー』をブチ込んで『ピー』から『ピー』を弄りまわし、『ピー』『ピー』『ピー』してやったはずなのに!! バラガン様が目に掛けてやってなければ、藍染様の許可さえ下りていたら! まったく、『ピー』にいろんな管を『ピー』して『ピー』してやれば僕の研究がはかどって、なによりあの可愛らしい顔が歪んで『ピー』すればさぞ『ピー』『ピー』『ピー』ーーーー」

 

 以下、自主規制用語のオンパレードの為、削除しました。

 

 

 ----------

 

 

 グリムジョーは立ち尽くしていた。

 第6宮(セスタ・パラシオ)を揺らすには十分な爆発が眼前で、それも顔見知り......それ以上に親しくはないと自分に言い聞かせている少女から生まれたのだ。

 

「なん......だと......!?」

 

 霊子の煙によって視界が遮られ、さっきまで話していた少女、ニルフィの安否は分からない。

 

「おい、ニルフィ!」

 

 彼にしては珍しく戦いでもないのに焦った声が喉から出た。それに気づくこともなく、呼びかけ続ける。

 いきなり顔見知りが爆発した。それだけで常人ならば声も出ないまま呆然としていただろう。しかしグリムジョーは煙の奥を睨みつけ、叫ぶように少女の名を呼んだ。

 ザエルアポロ印のキャンディ。ただそれだけでこの突発的な出来事が説明できるような、狂気の産物だ。

 なぜそれをニルフィが持っていたのか。あれほど口酸っぱく、耳にタコができるほど十刃(エスパーダ)の連中が忠告したのに、なぜ食べたのか。

 そんなのはあとだ。

 グリーゼや従属官(フラシオン)たちはもうすぐこの部屋に来る。

 今はニルフィの無事を確認しなければならない。

 

「チッ、くだらねェことしやがって!」

 

 グリムジョーは煙の中に足を踏み入れた。

 しかし足もとに違和感。視線を下げれば、なにか薄いものを踏んだようだ。

 

「............」

 

 白い死覇装の切れ端だった。それが誰のものかなど、教えられなくとも分かる。

 煙を掻き分けながら前に進もうとするグリムジョーだが、すぐに鬱陶しくなり、霊圧を放出して煙幕を吹き飛ばす。

 その何気ない行動を彼はすぐに後悔することとなった。

 視界を遮るものがなくなり、景色はクリアになる。そしてモロにグリムジョーの視覚にその光景は飛び込んできた。

 

「ーーーー?」

 

 煙の最中に居たのは、床にへたり込むようにして不思議そうに小首を傾げた、女性(・・)。いや、もしかしたら少女(・・)かもしれない。外見的な区別からはそのように判断が困るような、大人にも子供にも成りきれていない存在だった。

 涼やかな白い体には丸みを帯び、しかしそれが華奢な体躯を一層儚げにさせている。鴉の濡れ羽のような腰までありそうな髪と対比するように、金色の双眸は無垢な光を放つ。さらに形の良さげな双丘が腕に挟まれて、これ以上ないほど自己主張していた。

 幼さと女性らしさが合わさったアンバランスな色香が倒錯的だった。

 なぜこうもグリムジョーがわかるかと言えば、それはひとえに、女が一糸まとわぬ裸体を晒していたからだろう。

 グリムジョーはまず顔を天井に向けて目頭を押さえる。そうすること十秒。そしてまず右を見て、左を見て、正面に。よく見知った幼女の姿はなく、代わりにその幼女が成長したかのような容姿の女が目の前にいた。

 

『これで私も大人になれるはずーー』

 

 ニルフィが爆発する直前に言ったセリフが頭に思い浮かんだ。

 ザエルアポロ印の怪しげな飴玉。ニルフィの言葉。そこから得られる答えは言わずもがな。

 

「てめえ、ニルフィ......か?」

 

 特徴的な耳の上から生え、髪を掻き分けるように後頭部にまで沿って伸びた角のような仮面の名残。それが何よりも証拠として機能する。

 しかしニルフィと思われる少女は目をパチクリとするだけで、不思議そうにグリムジョーを見つめていた。

 裸体の美しい少女がいるからとグリムジョーに劣情の類は湧かない。その要因は、もしかしたら少女の正体を知っているからかもしれないが。

 聞こえていなかったのかとグリムジョーが顔を寄せる。

 

「いいか? てめえは、ニルフィか?」

「--?」

 

 区切りながら、再度の質問。けれど少女は可愛らしく小首をかしげるだけだ。

 そこに違和感を感じるが、今の少女の姿を思い出し、グリムジョーは気まずげに己の一張羅である上着を脱いで彼女に被せた。

 少女はされるがままといったように受け取った上着を肩に掛けられる。好奇心の旺盛な犬のように、スンスンと死覇装の匂いを嗅いだ。

 ここまで一言も喋っていない。

 

「おい、声は聞こえてるな。なら何か喋ってみろ」

「----」

 

 反応はない。グリムジョーの声は確かに聞こえているようだが、その意味を理解できていないかのようだ。

 深く考えることは苦手だ。そうしている暇があれば殴りに行く。だからこうしてくだらない問答をするのは性に合わない。

 これはあの馬鹿(ニルフィ)だ。直感でそう結論付ける。

 なぜ馬鹿が馬鹿馬鹿しいことをしたのか疑問だが、それはやはり馬鹿だからだ。

 

「何やってんだよ、お前は」

 

 コレは何故、自分からハプニングを起こすのかと白い額を指で小突く。

 

「----ッ!」

「うおァッ!?」

 

 するとなぜか少女はパッと顔を輝かせ、飛び掛かるようにグリムジョーに抱き着いた。ーー彼の頭に。程よく膨らんだ二つのたわわな果実がぶち当たった。あの平皿がどうすればこうなるのかと場違いにも思ってしまう。

 しかし体重は、とても軽い。羽でも受け止めたのかと錯覚する。

 間が悪かった。それが誰にとってかというと、グリムジョーに他ならない。

 部屋の扉が蹴破られるように開かれた。

 

「おい、なにがあった!?」

 

 シャウロンが先頭に立ち、そして次にグリーゼ、奥にはグリムジョーの従属官(フラシオン)たちが集っていた。

 あの爆発だ。グリムジョーの心配はしてないが、ニルフィの身に何かあればアネットから制裁を受けるのは自分たちである。男として情けない? そう思うのならば激昂したアネットの前に放り出してやろうではないか。熾烈で苛烈で激烈。その怒りを一身に受ければ、灰が残れば運がいいほうだ。

 だからこうして急いでやって来た。

 しかしどうだろう。冗談でもなく死神の......ここで例に出すのは黒いフードを被り大鎌を振りかぶる髑髏面の方だが、その死神のキスを感じていたのに。

 それを退けるために来てみれば、なんのことはない。

 グリムジョーが裸体の女に抱き着かれているという、痴話もいい場面だったのだ。

 

「......遅かった、か」

 

 一目見て事情を理解したグリーゼが小さく呟く。そして右手で顔を覆い、あらぬ方向を向いた。

 しかし何も知らぬ第6十刃(セスタ・エスパーダ)従属官(フラシオン)たちがすぐに割り切れるはずもない。気まずげにシャウロンが視線を逸らしながら言った。

 

「グリムジョー......。貴様の趣味にとやかく言うつもりは無い。しかし姫君と仲が良いからといって、流石に容姿的に似たような者を侍らせるのは、いかがなものか」

「なに勘違いしてやがる! 早くコイツを引っぺがせ!」

 

 お母さん悲しいとでも言いたげに首を振るシャウロンにグリムジョーが叫ぶ。

 少女はグリムジョーに抱き着いたまま離れない。彼が少女の頭を掴んで押し返そうとする。接着剤が二人の間にあるように、あるいは磁石のように引きはがせないようだ。

 

「そう隠すこともないだろう。しかし今は姫君が来訪している手前。情緒教育に良くないことは、アネット嬢が許さぬと思うが。それより姫君はどこだ。ここに向かったはずだが」

「馬鹿かてめえ! こいつがニルフィなんだよ!」

「............」

 

 従属官(フラシオン)たちは何か可哀想なものを見る目になった。

 

「そこまで錯乱しているのか......」

「ぶっ殺すぞてめえらッ! そのムカつく顔やめやがれェッ」

 

 殺気が形となったような霊圧が吹き荒れた。自分はこの部下たちにどう思われているのかと。

 グリーゼが頭痛を堪えて仲介していなければ、宮の一角と従属官(フラシオン)の何人かが消滅させられていたかもしれない。

 

「......どうする? お前にも選択権があると判断するが」

「どうもこうもねェだろ。この馬鹿を今すぐ戻せ」

 

 この宮に応接間といった場所はない。適当な広い部屋を選んで一同は会していた。

 苛立ちが燻り止まぬといった様子のグリムジョー。彼は対面にいる石材に腰掛けたグリーゼを睨んだ。......その威圧の様子も、いまだに抱き着いてくるニルフィのせいで半減どころの騒ぎではない。

 彼女はローブのようなものを纏っている。男所帯に女物の服などあるはずもなく、下官に適当なものを用意させたのだ。これを着せるためにグリムジョーとニルフィを引きはがすのは重労働であった。

 

「......それは俺には無理な話だ」

「あァ?」

「......お前の言う通りなら、主が食したのはザエルアポロから貰った飴玉だろう。奴が言うには、効き目は半日で切れるらしい」

「あの野郎の言ったことを信じろってか」

「......それ以外に方法もあるまい。さすがにこの状態の主を連れまわすのも気が引ける」

 

 グリーゼはニルフィに目をやった。彼女は不思議そうに見返す。一度もその小さな口からは言葉を聞くことができないでいた。

 

「......副作用については何も言っていなかったんだがな」

 

 声が出ない。様子を見る限り、自分が誰なのかもわかっていないかもしれない。

 体は大人になったというのに、精神はもしかしたら更に幼くなってしまったのか。こうしてグリムジョーにくっついているのも、生まれたての雛のように刷り込みとして、最初に目にした彼を親か何かと思っているからだろう。

 もしかしたらこれがザエルアポロの意趣返しなのかもしれない。

 この状態のニルフィをアネットの前に持って行ったら、確実にあの朱色の髪の従属官(フラシオン)は怒り狂う。もしかしたらザエルアポロの宮に突撃をするだろう。女とは恐ろしい生き物なのだ。なぜノイトラがあそこまで正面切って女に反目できるのか、いまこの場に集まった男たちには理解に苦しむものだった。

 アネットの実力と性格を知っているだけに、下手に動けない。

 

「頭の足りない奴だと思ってたぜ。けどな、どうしてコイツはこんなバカなことをしやがった。理由が、くだらねェ理由があるだろ」

「......たしかに、くだらないかもしれない。が、主にとっては重要なことだった。どうにもできないと思ったからこそ俺は付き合った」

「コイツはなんて言ってたんだ?」

「......大人になりたい、と」

 

 グリムジョーがニルフィを見下ろす。たしかに肉体は成長し、柔らかさが服越しにも伝わるほどだ。二の腕に絡めば双丘が感じられ、肩に乗っかるようにすれば心地よい温かさがある。無垢で、さらに無防備。仮に襲われてもされるがままだろう。

 グリムジョーにとってはうっとおしいだけだが。

 しかしそれだけである。今のニルフィは精神が同じくらい退行してしまったようだ。

 だから、なにを言っても伝わらない。猫のようにじゃれつく少女を呆れの眼差しで見るしかなかった。

 

「こうなりゃあ、ザマねェだろうがよ」

 

 背伸びしたがりな様子は普段から気づいていた。

 それがまさか、ここまでやるとは思いもしなかったが。

 

「......主は自らと他者の距離が開くことを嫌う。それは知っているな?」

 

 現世での調査から帰ってからの報告が気に入らなかったグリムジョー。その辛辣な言葉を聞いてニルフィは傷ついた。そして必死に追いかけ、嫌わないでほしいと懇願した、傷以上に痛ましい姿。

 あの言動はいっそ異常だった。ニルフィの表情は普段とも、戦いの時のような表情とも違う。切羽詰まり崖に立たされたような表情をしていた。

 嫌わないでほしい。何でもする。

 もし藍染を倒せなどと無茶な要求をしても、躊躇いなく実行しようとしただろう。それだけの焦燥があった。

 

「......俺たちのやり取りを見て、主は自分が距離を置かれていると思ったようだ。その理由を自分の容姿に結び付けた。俺たちのような成体の姿になれば、それを解消できると考えたようだな」

 

 どちらともなく、ため息。

 体が大人になったからといって精神がそれに引っ張られていかなければ、ニルフィが変わったことにはならない。

 そこまで彼女は考えただろうか。おそらく、答えは否だ。

 手のかかる妹、あるいは娘。知り合いの破面(アランカル)からしたらニルフィはそんな存在だ。

 破壊衝動の多い存在である彼らにしてみれば滑稽極まりない感情だろう。個であることを定める彼らが、親愛などという、あるいはそれに類した感情を持つなど。

 幼く無垢な心を持つからこその関係。もしニルフィが破面(アランカル)として完全な心を持ってしまったら......、すべてが脆く崩れ去るかもしれない。

 そう考えれば、むしろこの状態になって良かったのか。

 

「ーーーー」

 

 そんなことも気付かずに、ニルフィはグリムジョーの背に抱き着きながら、興味深そうに二人のやりとりを見ていた。

 ただ肉体が成長したからといって、他の十刃(エスパーダ)たちの接し方が変わるはずもない。

 幼いままでいいのだ。葛藤も、苦悩も。この少女には似合わない。

 偽りの姿ではなくありのままであることこそ、一番必要なのだろう。

 子供ゆえに。

 

「てめえは、無理に変わろうとしなくていいんだよ」

「----?」

 

 理解できないと分かっていても、つい言葉を投げかけた。

 普通ならば最初から見捨てている。それでもグリムジョーが、他の破面(アランカル)たちがないがしろにしなかったのは、ニルフィだからだ。それ以上でもそれ以下でもなく、彼女だからこその繋がり。

 そこに理由なんて必要ない。意義を求めて彼らが出会ったわけではないからだ。

 

「話はこれでいいだろ。さっさとこいつをどっかの部屋に押し込むぞ」

「......ザエルアポロの所には行かないのか」

「今のコイツを連れて行くってのはどう考えても危険だろうが。それよりだったら下手に動かねえように、アネットが気付かない内に縛ってあと半日を待ってやる。それで戻らねえなら......」

「ーーへえ。さっきから押し込むとか、縛るとか、変な言葉が聞こえたのは気のせいですかぁ?」

 

 空気が凍った。ここにいるはずのない人物の声が、よく響いた。

 全員がゆっくりと扉の方へ首をまわす。目に入ったのは朱色の髪。そして笑顔。それも特大の、目が笑っていない恐怖を煽るものだ。いつの間にか佇んでいるアネット。彼女は片手にバスケットを下げながら、口調だけはほがらかに言った。

 

「探したわよ、グリーゼ」

「......そうか。ご苦労だったな」

「ええ、ホントに苦労したわよ。ニルフィがクッカプーロにあげるお菓子を忘れたから、第10宮(ディエス・パラシオ)に届けに行ったら、なぜかヤミーしかいなくってね。問い詰めても知らぬ存ぜぬ。探査回路(ペスキス)もあなた達が霊圧を抑えてたせいで役に立たなかったわ」

 

 ついさっきまでは、ね。アネットは口の端を吊り上げた。耳元まで裂けてしまいそうな凶悪な笑みだ。

 

「驚きましたよ。なぜかいきなりニルフィの霊圧が、この宮の方向から感じられたんですから」

 

 ニルフィが飴を飲み込んだ瞬間の爆発のことだ。あの爆発は彼女の霊圧が暴走したことで、被害を大きくしたのだろう。

 

「それで急いで来てみれば......」

 

 顔をもたげ、アネットがグリムジョーの背にくっついている少女を見やる。

 ただ見るだけで、その少女がニルフィだと一目で見抜いた。霊圧の質も同じであり、なによりアネットが気付かないはずもない。敬愛する主人の存在を。

 

 

 

「その子に何してやがるんですか、野郎ども」

 

 

 

 ドスの効いた、殺気の混じる低い声。纏う霊圧は陽炎のように揺れ動く。

 男たちの恐れていたことが起きた。もしかしなくとも、アネットは凄まじく怒っている。即座に殺りに来ないのはニルフィがいるからだろう。

 弁のたつシャウロンが怒りを抑えようと試みる。

 

「アネット嬢。我々は無実だ。姫君の姿は一時的なものに過ぎない。そのため、心配は無用だ」

「心配するなと? ニルフィがそんな状態なのに?」

「このようになったのは我々の責任ではないことを先に言っておく。怪しげな薬を飲んだために、彼女は......まぁ、少しばかり成長してしまった」

「少しどころか結構いろいろと成長してますよね」

 

 アネットの姿を見れば普段ならばニルフィがなにかしら反応する。しかし今は新しい顔ぶれに首をかしげているだけだ。普通ではなくなっているのは理解できた。呼びかけにも、一切の返事をしないのだから。

 そのニルフィがくっついている男にアネットの視線が行くのは因果である。

 

「グリムジョー?」

「なんだ」

「なに侍らせてるのよ。もしかしてアレ? YESロリータNOタッチの戒律を守らなくて良くなったから、その子が大きくなったのを良いことに体にベタベタ触ってるんじゃないの? アンタみたいなのがいるから、愛でるだけのアタシたちが肩身狭い思いをしなくちゃいけないのよ!!」

「知るかよ! 代わりたきゃ代わりやがれ!」

 

 勝手にキレたアネットにグリムジョーがキレ気味に返す。

 

「ふん、アタシはですね、貴方たちが羨まーーけしからーー代わってほしいけども!」

「......アネット。この場面でも欲望に忠実なお前に、敬意を示したいぐらいだ」

「うるさい! いかがわしいことしてた野郎どもが! ニルフィが抵抗できないのを良いことに、部屋に監禁していかがわしいことに励もうとした癖に!」

「......話は最後まで聞け」

 

 怒りとピンク色な欲望の占めている頭に、グリーゼの言葉など届いていないだろう。

 

「それにどうして貴方が付いていながら、こんな不祥事を起こしてるんですか。何のためにアタシたちが保護者として同伴してるのか忘れた訳じゃありませんよね? 拾い食いさせない、悪い大人に付いて行かせない、迷わないように、って」

「......これ以上言い訳をしても見苦しいだけだな」

「グリーゼ殿。我々のために気を強く持ってほしい。とばっちりを受けるのは御免なのでね」

 

 かなり潔く首を差し出したグリーゼをシャウロンが止めようとした。この巨漢は気づいてるだろうか。差し出す首の隣に、第6十刃(セスタ・エスパーダ)主従のものまであるのを。

 しかし次のアネットの質問で、退路が断たれた。

 

「一つ、教えて頂戴」

「なんでしょうか」

「いかがわしいことしてないって言うのなら、ニルフィの死覇装はどうしたのよ? ねぇ、もしかして見たの? それと誰が着替えさせたんですか、そのローブに」

 

 誰が最初というワケでもなく、アネットから視線が逸らされた。アネットの殺気が倍に増しているのだけが理由ではないのは確かだ。

 なるほど、へぇ……とアネットは深く頷き、

 

「いい? これからアタシはアンタ達を殴る。けど、アタシはアンタ達が憎くて殴るわけじゃない! --殴りたいから殴るのよ!!」

 

 それからしばらく、二人の十刃(エスパーダ)の主従たちのいる部屋では爆砕音が響いた。そしてそれ以上に、無数の鈍くて重い打撃音が下官たちの耳に届いたという。

 煙が噴き出す部屋から出てきたのは、猫のように丸まるニルフィを抱きかかえたほくほく顏のアネットで、どちらも無傷だったらしい。

 幸運にも、ザエルアポロの予測通り、ニルフィの姿は半日で戻った。

 成長している姿の間の記憶は無くなっていたようだ。正気に戻ったニルフィは、なぜかアネットの肌がつやつやしているのが気になった。身体が火照ること以外には、特に後遺症などはないようだ。

 元に戻ったニルフィは、アネットからありがたい説教を聞かせられて懲りたらしい。

 ただ、それよりも、

 

「無理に変わろうとしなくても、いいかな、って」

 

 ニルフィは気恥ずかしそうにはにかんだ。

 

 

 ----------

 

 

 グリムジョーは鈍く痛むわき腹に舌打ちを零した。

 

「クソッ、あの煩悩女が......ッ」

 

 あの細身の体のどこから出るのか、凄まじく重いボディブローを一発喰らってしまった。それなりの力で回避をしようとした。けれどこのザマだ。朱色の髪の女に、そして自分の力量を疑ってしまうのが苛立たしい。

 

「............チッ」

 

 再度の舌打ち。今度は大きく。

 そもそもアネットは自分から十刃(エスパーダ)を降りていなければ、今でもその座に居たであろう実力を持っている。あれが十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)という立場なのだから、笑い話もいいところだ。

 その身分に甘んじる姿を見た時の苛立ちは今でも覚えている。お前はそんな所に収まっていい器じゃないはずだ。何度、この言葉が喉元から出かかったか。

 それにさっきまで宮にいたグリーゼも。

 並の破面(アランカル)ならば一発でノックアウトしそうな殴打を甘んじて無数に受けながら、二秒ぐらい床に倒れていただけで、ニルフィが自分の宮に戻ると知ると平然としながら立ち去って行った。タフとかそういう次元ではない。彼も彼で従属官(フラシオン)としては規格外である。

 グリーゼは自分の座を明け渡すとき、本気で戦ったのか? ふと、そんな疑問が時折あり、くだらないと答えを出すことはない。

 けれどあの二人とはそれなりに面識がある。だからもどかしい。なぜ、お前たちみたいな実力を持った奴が、下にいるのか。

 そしてどうして、時々満たされているような表情を浮かべるのか。

 ニルフィのことをグリムジョーが苦手とするのは、彼女の主人としての在り方がよく分からないというのもある。

 退化したからとはいえ、元が下級大虚(ギリアン)であるグリムジョーの従属官(フラシオン)たちは、やっと回復したところだ。

 

 ーーこれでいけるのか?

 

 もう少しで自分がやろうとしていることに、疑問が付きまとう。

 グリムジョーの従属官(フラシオン)たちは数の上ではアネットたちより多いが、いざ戦えば確実に負ける。力がない。その事実が、これからの選択肢でどう動くのか。

 これは成功するしないの話ではない。ただグリムジョーの個人的な感情で、いわゆる独断の行動だ。

 それに自分をここまで慕ってきた者たちを巻き込んでいいのだろうか? 普段なら、そもそもシャウロンたちは勝手に付いてきて、そしてグリムジョーも勝手にしろと何も言わない。

 そのまま死ぬのなら自業自得だ。そう割り切ったし、従属官(フラシオン)たちも心得ている。

 けれど、

 

 --これでいいのか?

 

 甘ったれた考えが浮かんでは消える。

 それなりに長い時間をシャウロンたちと共に過ごした。それが欠ければどうなるのだろう。

 

「くだらねェ」

 

 グリムジョーは『王』だ。それを疑ったことはない。藍染には形だけ従っているつもりである。

 自分はバラガンとは違う『王』だ。

 孤高となるのならば、甘んじて受けよう。

 それでも心のどこかで、ニルフィたちのような関係が築けたのではないかと......。

 

「ここにいたのか」

 

 思考が中断された。むしろそれでよかったと、グリムジョーは思う。

 宮の屋上で仰向けに寝っ転がり、偽りの青空を眺めていたグリムジョーは視線をずらす。

 

「なんだ、シャウロン。もう寝てなくていいのかよ」

「これでも誇りはある身だ。さすがに女に殴られて昏倒したままでは、恰好が付かないだろう」

 

 アネットは手加減していたのか、とにかく痛めつけるだけに制裁を終えた。

 特に後遺症もなくシャウロンたちは動けるまでに回復したようだ。あと少しすれば戦闘も全力で可能になるだろう。......ボッコボコにされた(あざ)が痛々しいのは気のせいだ。

 

「貴様らしくもなく、気付くのが遅かったな。らしくも無く黄昏ていたか?」

「てめえは茶化しに来たのかよ」

「それでも良かったのだがな。とにかく、我々は回復した。さほど時間もなく出発できるだろう。アネット嬢が居なくとも、予定調和ではあったが」

 

 グリムジョーの横まで来たシャウロンは、立ったまま砂漠の地平線を眺める。

 

「姫君への挨拶はしなかったようだが、良かったのか」

「あァ、アイツは関係ない。それをするだけ義理もねェだろ。むしろ俺が義理立てしてもらうぐらいだ」

「......そうか」

「なんだよ」

「もう一度確認するが、良いんだな? 一気に立場が危うくなる可能性がある。不測の事態が起こるかもしれない。つまらぬ......いや、他者から見ては無意味な行為だぞ」

「それに着いて来るてめえらも大概だろうが。他の奴等に見られるようなヘマはするんじゃねえぞ」

「......ああ、見られは(・・・・)しないさ」

 

 含みを持たせてシャウロンが肯定する。

 現世への独断進軍。これからグリムジョーが行おうとしていることだ。もちろん藍染のためを思ってではない。ただ気に入らなかったからだ。あの死神の少年が生きているのも、先に現世に行った面々が誰も仕留めなかったのも。

 彼の気質が、認めようとはしなかったのだ。

 

「ディ・ロイも連れていくことにした。アネット嬢からの拳でダメージが最も大きかったのは奴だが、懇願する始末でな」

「......そうかよ。勝手にしろ。それと、わざわざ俺に言わなくていい」

「ところで、いまからでも時間はある。姫君へ何か伝えておけばどうだ? そうすればいじけることもしないだろう」

「お前なぁ」

 

 グリムジョーは半身を起こし、不機嫌そうな顔をシャウロンに向ける。

 

「今まで思ってたんだけどよ、どうして何度も何度もニルフィのことを言葉に混ぜやがる」

 

 皮肉屋な気質のあるシャウロンだが、ここ最近はよくニルフィのことを口にしていた。それもグリムジョーに絡ませるように。それが不可解だ。

 何のことはないと、シャウロンが肩をすくめる。

 

「貴様は不器用極まるからな。彼女を気に掛けても行動に移せないだろう。それをけしかけてるだけだ」

「てめえ......ッ」

「私としては嬉しいことだ。貴様が他人を気に掛ける姿を、見ることができるからな」

 

 静かな口調でシャウロンが言った。それは諦観を含んでいるようであり、もしかしたら羨望があるかもしれなかった。前者は主人に、後者は少女に。手に入れられなかったものを見れた。そんな表情だ。

 

「この世に完全なものは存在しない。藍染様も例外ではないだろう」

 

 そして、と続けて、

 

「貴様が『王』となっても、例に漏れることはない」

 

 ここに来て初めてシャウロンがグリムジョーと目を合わせた。グリムジョーにはその内心を知ることは出来ない。

 先に視線をはずしたのはシャウロンだ。認めたくはないが、あと少しそれが遅ければ、先に目を逸らしたのはグリムジョーだったかもしれない。

 

「我々は従者だ。精々、使い潰せばいい。その時の後悔が、貴様が本当の『王』になった姿を見れなかったこと、などとならなければいいが」

 

 らしくもないのは、どちらだろう。

 グリムジョーが獰猛に笑う。虚勢ではない。心の揺らぎが収まり、さっきまで弱さを吹き飛ばすように。

 

「言ってやがれ。てめえの言葉が戯言だって証明してやる」

 

 シャウロンは深く、噛み締めるように頷くだけで、なにも言わなかった。

 迷いは断った。グリムジョーは立ち上がる。

 

 

 

 それから少し経ち、第6十刃(セスタ・エスパーダ)の主従たちは虚夜宮(ラス・ノーチェス)から姿を消した。

 

 

 




『没シーン』(間が空いたお詫びにネタシーン。話の余韻を残したいならUターン推奨)

 アネットが鼻唄交じりに廊下を進んでいく。
 これからニルフィの部屋に行くところだ。ただ彼女の近くにいるだけで、アネットは幸せだった。
 
「ニルフィ、入りますよー?」

 返事はない。寝ているのだろうか。それを(いぶか)しく思いながら、アネットはニルフィの部屋に足を踏み入れる。
 
「ーーそれでね、私はずっとこうだから......」

 椅子に可愛らしく腰掛けたニルフィの背中が見えた。膝の上に置いた何かとままごとのように会話しているらしい。アネットのことにも気付かず、熱心に話しかけている。なんだろうか、この可愛い生物は。
 アネットはそっ......と近寄る。話し相手はお気に入りのウサギのぬいぐるみ『チャッピー』だろうか、はたまた怪しげな魚類抱き枕かつ目覚まし時計の『マグロさん』なる際物だろうか。
 微笑ましく思いながら、アネットが背後から覗き見て、

 --牛乳パック、だと......!?

 予想の斜め上どころか背後を取られたような答えに唖然とした。
 ニルフィが持っているのはどう見ても、現世の食物の一つである、紙パックに入った牛乳(500ml)だった。銘柄が『おしい牛乳』なのは余計か。

「わわっ、アネット!? 居たんなら呼んでよ。びっくりしたー」
「むしろアタシのほうがびっくりなんですけどね」

 なぜに牛乳。背に寒いものが滑った感覚を味わう。
 
「あのぉ、どうして牛乳なんて持ってきてるの? 飲むのならコップを用意してあげるのに」

 するとニルフィは恥ずかしそうに俯き、モゴモゴと口ごもってしまう。コップを忘れたとかそういう理由ではないだろう。
 
「えと、その......」

 金色の眼を伏せ、つっかえながら、ニルフィが語りだす。

「どうしたら、大きくなれるのかって、前にバラガンさんに相談してね。それで、助言をもらったの」
「それが牛乳ですか? 失礼なこと言わせてもらうけど、アタシたちが牛乳を飲んだからって成長はしないわよ」
「そ、それは私も分かってる。でも忙しそうだったバラガンさんが、さ」

 ニルフィはそっと、紙パックを撫でる。

「牛乳に相談しろってだけ、言ってね。だからさっきからずっと、この牛乳にどうしたら私の背は高くなるのかって、相談してたの。けどね、ちっとも私の背が伸びないの」

 ーーでも、中身を飲んじゃったら相談できないでしょ?
 そこまで言い終わり、秘密にしておこうと思っていたニルフィは赤面した。
 
 なんなんだろう、この可愛い生物は。

 アネットはとりあえず、ニルフィをぎゅっと抱きしめた。



(書き終わってなんだこりゃと思ったのは秘密)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閉幕を下ろすのは

更新期間が開いてしまい、大変申し訳ございませんでした。
言い訳をするならばこちらのパソコンがクラッシュ寸前で修理に出しており、データが無に帰した状態で戻って来たのが悪いんです(泣)


 限定解除。

 それをした途端、シャウロンは相対していた死神、護廷十三隊十番隊隊長である日番谷冬獅郎の霊圧が跳ねあがったのを感じた。日番谷だけではない。他の場所からも二つ、先程までとは比べ物にならない霊圧が空へと吹き上がる。

 光の帯が夜闇を切り裂いた。

 帰刃(レスレクシオン)五鋏蟲(ティヘレタ)』を発動させていたシャウロンは、唐突に己の右腕に違和感を感じる。

 

「な......何だと!?」

 

 鋭く伸びた爪を持つ手が凍り付かされ、砕け散っている。

 先ほどまでの日番谷の全力では傷つかなかった強靱な爪が破壊されたことに目を見開く。

 ーーなぜだ? 

 現世に侵攻した第6十刃(セスタ・エスパーダ)主従。先のニルフィたちの出現を危惧したことによる尸魂界(ソウルソサエティ)の援軍もろとも、空座町にいる霊圧保持者を皆殺しにするつもりだった。

 ディ・ロイとエドラドは返り討ちにされたようだが、シャウロンは日番谷を、イールフォルトとナキームはそれぞれの副隊長相手によく立ち回っていたはずなのに。

 

「--限定解除」

 

 霊圧の上昇により濃くなった冷気を振り払いながら、小柄な少年のような外見の死神は言った。

 

「俺たち護廷十三隊の隊長・副隊長は、現世の霊なるものに不要な影響を及ぼさぬよう、現世に来る際はそれぞれの隊章を模した限定霊印を体の一部に打ち込む。そうすると、霊圧を極端に制限される」

 

 ここまでの説明でシャウロンは理解した。

 つまり、隊長格相手に勝率のある戦いをできていたのは、相手が本来の力を抑えていたからで。

 

「その限定率は80パーセント。つまり限定解除した俺たちの力はーー五倍だ」

「......成程」

 

 タネが割れるとシャウロンは屈辱を味わう。それと同時に納得もした。

 所詮、自分たちは最下級大虚(ギリアン)。そんな自分たちで護廷十三隊の隊長格を殺せるのなら、藍染はそもそも十刃(エスパーダ)など作らなかっただろう。だから、これは危惧していながらも予想できたこと。

 相手の霊圧が二倍までなら良かった。しかし五倍となれば、今度は逆にシャウロンが追い詰められる側だ。

 

「終わりだぜ。シャウロン・クーファン」

 

 日番谷が刀を構える。限定解除前から卍解『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』を解放していた。霊圧が膨れ上がったその一撃を、さっきまでの前哨戦(・・・)のように受け止められる自信は、シャウロンにはない。

 シャウロンは奥歯を噛み締めた。視界の端ではナキームが、十番隊の副隊長である女の死神に背を斬られている。イールフォルトの霊圧も大きく乱れた。もはや、彼らでは勝利を掴むことすら叶わない。

 

「それでも、私は死ぬわけにいかない」

 

 噛み締めるように呟く。

 そしてシャウロンは声の限りに叫んだ。

 

「ーー退け!! 一時撤退だ!!」

 

 けれど心のどこかで分かっている。この場で、自分たちは死ぬのだと。

 手負いとなった最下級大虚(ギリアン)では力を吹き返した死神から逃げられない。

 それでも、シャウロンは空へと逃げる。

 --まだだッ。ここで、ここでは! 死ぬわけにはいかない!

 たとえ叶わないとしても、己を奮い立たせる。

 

「逃がすかよ」

 

 気づけば、全力で逃げていると思ったのに、すぐ背後に日番谷の斬魄刀が迫っていた。死があと一メートルもしないうちに届く。 

 振り返りながらシャウロンは諦めた。もう、生き長らえないと。

 シャウロンは生に固執しているのではない。自分たちの王が、『王』であることを見るために生きるのだ。そのために何もかも捧げた。だから死に対しての恐怖はない。悔しさだけが残る。

 ーーグリムジョーは......生きるか。

 たとえ自分たちが死んでも、主であるグリムジョーは生きて虚夜宮(ラス・ノーチェス)に戻るだろう。

 --保険は掛けておきましたが。

 この侵攻を、ニルフィの成長事件の際に第6宮(セスタ・パラシオ)にやって来たグリーゼにだけ教えている。それを伝ってニルフィにも届くだろう。グリムジョーは望まないはずだと思いながら、できれば彼女にグリムジョーが『処分』などされないよう、そんな旨を託してきた。

 だから、あとのことは心配ない。

 

「......無念」

 

 斬魄刀が喉元に届く直前、シャウロンは眼を閉じた。死を受け入れるように。

 

 

 

 

「まったく、男ってこういうのカッチョイイ~、なんて思ってるんですかね?」

 

 

 

 

 覚悟とか、信念とか。そんなものをぶち壊すかのように女の声が割って入る。

 シャウロンは眼を見開く。それは日番谷も同じだった。日番谷の斬魄刀がシャウロンの喉元の前で止められている。

 いくつもの薄く細い板を重ね合わせたような扇だった。鉄扇という武器にカテゴライズされるその特徴的な斬魄刀の持ち主を、シャウロンは知っている。すぐ右前の空中に立つように、女は左手に持つ鉄扇で必殺の刃を受け止めていた。

 朱色の髪が夜風になびいている。アネットだ。

 シャウロンが疑問を口にする前にアネットが鉄扇をひねる。

 

「遠慮はいらないかしら?」

 

 そこを起点として紅蓮が吹きすさぶ。

 

 炎翼舞(ラ・プルーマ)

 

 その熱気に押されてか、日番谷が死神の高速移動法『瞬歩』を使ってまで距離を取る。

 アネットはちらりと別方向を見やった。ナキームが死神の斬魄刀の能力であろう灰に身を包まれそうになっている。その様子に目を細め、身に纏う炎を凄まじい速さで灰に叩き付け、押し返す。その隙にナキームは離脱する。

 警戒した死神の二人が合流し、アネットの出方を伺う。

 

「なぜ、ここまでやって来た」

 

 かすれた声でシャウロンが問うた。アネットは火炎をコートのように纏いながら肩をすくめる。

 

「どうしても何も、アタシのご主人サマからの命令よ。あ、お願いかしら? まあどっちでもいいけど、あの馬鹿(グリムジョー)を連れ戻しに東仙の代わりにやって来たんです。どうせ負けてるだろうし救助も兼ねて、ソッコーで」

「......そこまでは、頼まなかったはずだ」

「前にあなた、言いましたよね? 自分の主人を少しは信頼しろって。じゃあ他人の主人にまで目を向けなくてもいいってわけじゃないでしょう」

「まさか」

「アタシの主人を見くびってたみたいですね。あなたたちを見捨てるなんて選択肢を取るような娘じゃないわよ」

 

 アネットの主人にとって、今までの交流はたかが馴れ合いだと割り切れるものではなかった。

 すべてを知ったうえで必要最低限の行動だけをするはずがないと、なぜ気付かなかった?

 

「ならば......アネット嬢。貴女の他にも来ているのは」

「そう。グリーゼも来てるし、もちろん自分も行くってきかなかった子も、ね」

 

 イールフォルトがいたであろう方向に閃光が奔った。

 

 

 ----------

 

 

 阿散井恋次は護廷十三隊六番隊副隊長である。赤髪で眉毛から額、首から上半身にかけて大仰な刺青を入れている強面の男だった。限定解除によって本来の力を取り戻し、対戦相手のイールフォルト・グランツにとどめを刺そうとしていた。

 彼の卍解は『狒狒王蛇尾丸(ひひおうざびまる)』。斬魄刀が巨大な蛇の骨の様な形状に変化し、恋次自身は狒狒の骨と毛皮を身に纏うものだ。

 撤退の合図を待っていたかのようにイールフォルトが後退する。しかし、無駄だ。

 狒狒王蛇尾丸の口元に霊圧を集中させる。

 

 狒骨大砲(ひこつたいほう)

 

 遠ざかる破面(アランカル)の背へと、狒狒王蛇尾丸の口からレーザーのように巨大な霊圧の砲弾が発射された。

 その光線はイールフォルトを消し飛ばそうとした......が。

 

 甲霊剣(インモルタル)

 

 突如として間に割って入って来た人物に光線が蹴散らされる。

 

「なに!?」

 

 思わず恋次は声を上げた。消耗しているとはいえ、己の全力の霊子を叩き込んだ一撃だった。それをいともたやすく、あろうことが剣で切り裂く(・・・・・・)なんて芸当を見せられるとは思ってもいなかった。

 霧散した狒骨大砲のあとに残ったのは、それを真正面から叩ききった人物のみ。 

 

「......無駄のありすぎる攻撃だな」

 

 鋼鉄のワイヤーを束ねたような筋肉が白い死覇装越しからわかる偉丈夫。蟲の顎のような仮面を持つ破面(アランカル)だ。彼は己の斬魄刀であろう幅広の大剣を持ち直す。刀身に纏わせていた霊子が儚く散った。

 イールフォルトがその男に訊く。

 

「どういうつもりだ、兄弟? どうしてお前がここにいる?」

「......主の『お願い』だ。説明はそれだけでいいな?」

「なるほど、あのお姫様か。情報を流したのはシャウロンあたりだが......助かった。礼を言うよ」

「......主に言ってやれ。俺だけならば、お前たちを見殺しにしていたところだ」

 

 大剣の持ち主が恋次を見る。

 --クソッ、あいつ強えぞ......!

 イールフォルトがかすむような霊圧はもちろん、その所作だけでも隙が無い。

 

「......死神、名は? いや、自分から名乗るのが礼儀だったな。俺はグリーゼ・ビスティーだ」

「答える必要なんかねえな。それより、てめえが十刃(エスパーダ)か? このタイミングで仲間のピンチに急いで駆け付けたってわけかよ」

「......俺はただの一従属官(フラシオン)だ。このイールフォルトと同じな」

「てめえが従属官(フラシオン)、だと?」

 

 同じ格だと言われても、イールフォルトとグリーゼでは天と地ほどの霊圧に差がある。

 

「......憶測などは勝手にそちらでやってくれ。............赤カブよ」

「名乗んなかったからって勝手に命名するんじゃねえよ!」

「......ム、すまない。............紅のパイナップルよ」

「赤カブがダサかったから抗議したんじゃねえ! むしろさらにダサくなってんだろうが!」

「......そうか、ならーー」

「俺は阿散井恋次だ!」

 

 恋次はさらにこのグリーゼという男がわからなくなった。のっそりした熊のようであり、どこかとぼけた様子がある。グリーゼは恋次の名を聞いて頷くと、背を翻した。

 

「......夜分、こちらのが失礼したな阿散井恋次。これで俺たちは帰らせてもらう」

「なに? 待てよ!」

 

 何事もなかったかのように去ろうとするグリーゼを見て、恋次は叫んだ。恋次の消耗は激しく、このまま戦闘が始まらないことがなによりも重要なのである。しかし呼び止める。

 自分の存在が無視されたような、そんな憤りを感じて。

 

「......なんだ」

「ここまでしやがって何もしねえで帰るだと? こちとらハイそうですかって見逃すわけにはいかねえんだよ。せめてそいつ(イールフォルト)だけは仕留めさせてもらうぜ」

「......止めておけ。霊圧が不安定だ。今のお前は......そう、水分を失ったパイナップル同様だ」

「その例えがムカツクが、人の戦いに割って入るヤツには分からねえだろ」

「......分かっている上での行動だ。それに、こちらもスケジュールがみっちりでな。主の睡眠時間をこのようなつまらぬこと(・・・・・・)で削りたくない」

 

 グリーゼが威圧的に霊圧を解放する。空気が密度を持ったように恋次の体を潰し、ちょっとの衝撃でたたらを踏みそうになる。

 だが、恋次は好戦的な目をグリーゼに向けた。恋次の戦いをつまらぬことだとグリーゼは言ったからだ。

 それは許せるものではない。

 

「てめえの後ろにいるヤツのせいで腹貫かれたやつがいるんだよ」

「......そうか。謝罪しよう。それはこちらの総意ではないと知ってくれ」

 

 狒狒王蛇尾丸を操り、グリーゼへと突進させる。重量と速度の乗った一撃。イールフォルトの帰刃した姿をも倒せると自負できる。

 しかしそれは相手が格上でなければの話だ。

 巨大な蛇の頭部を大剣の腹で受け止めたグリーゼが首をゴキリと鳴らす。

 

「......なにか失礼でもあったか? 何をすれば貴様は納得してくれるんだ。菓子折りが目的か?」

「戦いだよ!」

 

 狒狒王蛇尾丸による重い連撃を受け止めながら、グリーゼはため息を吐く。それは心底困った人間がするものと同じだった。

 

「......あまり殺すなと言われていたが、仕方ない。あまり(・・・)だ。必要と判断した」

 

 呟くと、大剣で蛇の頭部を大きく上へと弾いた。その衝撃は凄まじく、数多の狒狒王蛇尾丸の関節がはずれる。

 

「......阿散井恋次。斬撃というのは極めればどうなるか、知っているか?」

「鉄をも斬れるんじゃねえのか」

「......そうだな」

 

 死神にも鉄を斬れそうな人材はいる。グリーゼが言ったことはさして珍しいことではない。

 会話をしながらも恋次は次の一撃にすべてを賭けた。

 

 狒牙絶咬(ひがぜっこう)

 

 節の途切れた蛇尾丸の刀身を一斉に相手に突き立てる、刀身を折られた時の非常用の技。非常用とはいえ、切り札の一つである。

 グリーゼに数十の骨のような巨大な刀身が迫る。

 それさえも些事であるかのようにグリーゼは大剣を肩に担ぐようにして構えた。距離は二十メートル以上。そこから移動し、恋次に直接斬撃を叩き込むよりも先に、全方位からの狒牙絶咬(ひがぜっこう)が当たる。いかに強かろうが鋼皮(イエロ)を貫ける威力があった。

 しかしなぜか、もうすでにグリーゼは大剣を振り抜いた体勢になっている。

 

「......だが、それも過程の一つだ。そこから先の斬撃というのはーー」

 

 あまりにもその剣戟は、速すぎた。

 

「--()ぶ」

 

 駆霊剣(ウォラーレ)

 

 骨の刀身を掻い潜った不可視の斬撃が、恋次の左肩を斬り飛ばした。

 

 

 ----------

 

 

 十番隊副隊長にして、胸元を大きく開いた死覇装に身を包む美女。彼女の名は松本乱菊。

 隊長である日番谷と共に、彼女は一人の女型の破面(アランカル)と対峙していた。

 

「ちょっと、隊長」

「なんだよ」

「あの炎、なんかめっちゃヤバいですよ。総隊長とは別方向でなんか危ないです」

「どういう意味だ?」

 

 乱菊は自分の斬魄刀を日番谷に見せる。刀身の至る所が黒く欠けており、ボロボロになった斬魄刀だ。ナキームという肥満体の破面(アランカル)を仕留める寸前で始解の『灰猫』が炎に邪魔され、ぶつけあっていたら違和感を感じて慌てて通常の状態に戻したのだ。

 そうしたら、こうなっていた。

 どうやら灰猫が本物の灰にされてしまったようだ。今それができるのは護廷十三隊の総隊長だけであるが、灰猫とぶつかりあった炎はそこまでの火力はなかったように思える。あの女の破面(アランカル)が操る炎には裏があるはずだ。

 このままではせっかく倒せそうだった最初にいた破面(アランカル)たちに手を出せない。シャウロンとナキームは女の後ろにいる。

 

「何者だ?」

 

 日番谷の問いに、女が嬉しそうに答えた。

 

「アタシは現第7十刃(セプティマ・エスパーダ)、第一の従者であるアネット・クラヴェル。よろしく、死神の隊長さん」

「アネット嬢。たしか最初に従属官(フラシオン)になったのはグリーゼ殿のはずでは」

「はいそこー、黙ってないとアタシも無言のまま殴りますよー? こういうのはノリが肝心なんですよ」

 

 アネットと名乗った女は、なんというか、とても残念そうな人柄だ。

 艶やかに月光を反射する朱色の髪。スタイルの良い体を包むチャイナ服のような白い死覇装の右側には腰辺りまでの深いスリットが入っており、そこから清楚なはずの白が妖しい色香を湛える美脚を晒している。ここまでの美女はそういない。けれど口を開けば残念さがひどい。

 

「その霊圧で十刃(エスパーダ)じゃないのか」

「アタシが? まさか。自己紹介したように、ただの従者よ。だからここにいるんだけどね、うしろの二人を殺させないために」

「それは出来ない相談だな。そいつらを仕留めてお前たちの戦力を裂くチャンスだ。みすみす逃すわけねえだろ」

「フフッ、戦力を裂くチャンス、ね」

 

 思わせぶりに微笑むアネット。その表情には全力の隊長・副隊長の二人と相対してなお、余裕がある。

 --といっても、まずいわね。

 乱菊はちらりと日番谷の『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』を見る。まだ若い日番谷では卍解を完璧に使いこなせず、制限時間が付いている。それを表す十二枚の氷の花弁は、あと二枚もない。

 やるならば短期決戦。あるいは見逃すしかない。

 乱菊が口を開いた。

 

「あんたの言った通りなら、あたし達がうしろの奴等を斬りに掛かれば手負いの二人を守りながら戦うわけでしょ。けど見たところーーこの近くにその主人の霊圧なんか感じない。強いといっても同じ従属官(フラシオン)ってやつでしょ? あたし達二人を相手にするんじゃ、あんたの目的なんて潰せるわよ」

 

 至極当たり前のことである。乱菊と日番谷は手負いとはいえ、まだ全力で戦える。数の上でも総力的にも、また状況的にも乱菊は勝っていると思った。

 そんな乱菊の言葉に対し、アネットはすぐに答えた。

 

「アタシの主人がここにいない理由は簡単よ。ちょっと馬鹿を連れ戻しに行ってるだけだから。それにあなたたちを侮ってるワケじゃないですよ」

 

 理には適っている。侮っていないというのも、あながちウソではないのだろう。

 しかし。

 むこうがこちらの力量を正確に見切っているのなら、ますます腑に落ちない。

 アネットが自分の主人を待たずに一人で姿を現し、立ち塞がった理由。

 乱菊はまっすぐに視線の先の女性ーーアネットを見つめる。

 理知的なその表情が、一瞬、思慮遠謀を企む策略家のようにさえ思えた。

 

「じゃあどうしてーー」

 

 乱菊は尋ねた。

 その、変わらぬ微笑みを浮かべる女の破面(アランカル)に向かって。

 

「どうして、あんたはわざわざあたし達の前に姿を現したの?」

「それはもう、察しておられるでしょう?」

 

 アネットの浮かべていた微笑が、ほんのわずかに喜色を増した。

 乱菊の心の中で警告音が鳴り響く。日番谷も同様に構えを取る。

 --まさか、この破面(アランカル)......!

 そんな乱菊の警戒を涼しい顔で真正面から受け止めて。

 そして、アネットが言った。

 

「主人なんかに頼らずにアタシが一人で出てきた理由はただ一つ。......一人で二人の死神を相手にし、アタシの主人にむんむんに褒めてもらうためよ!」

「............」

「............」

「......?」

 

 一瞬。

 相手がなにを言ったのか理解できなかった。

 アネットの後ろの破面(アランカル)たちが重いため息を吐いたのが印象的だった。

 

「......ごめん、今、なんて?」

「聞こえませんでしたか?」

 

 と、アネットは変わらずの毅然とした態度で繰り返す。

 キリッ、という擬音が聞こえたような気がした。

 

「あなたたち二人を一人で相手にし、アタシの主人にむんむんにお褒めの言葉を貰うため。そしてナデナデしてもらうためよ!」

 

 近くに熱源があるというのに、夜風がひどく寒々しい。

 

「そ、そう......ナデナデ、ね......」

 

 もしかしたらその『褒め』とか『ナデナデ』とかは、破面(アランカル)特有の隠語で、アネットの将来とか出世とかに多大な影響を及ぼす事柄なのかもしれない。

 そう思わなければ、なにもかも投げ出したくなってしまうからだ。

 

「......何をしている、アネット。こっちが時間オーバーで怒鳴られると思ったんだがな」

 

 アネットのすぐそばに一人の巨漢が現れる。その隣には手負いの破面(アランカル)。おそらく、恋次と戦っていた敵だ。

 --って、いつの間にか恋次(あいつ)の霊圧が消えてる!?

 そして敵の戦力が増えた。あの巨漢もアネットと同等の力があるように思える。このまま戦えば負けるのは死神のほうだ。

 

「あらら、ちょっと時間が経ってますね。さっさとグリムジョーを回収して帰りましょうか」

「......どうやら向こうも終わりそうだ。虚圏(ウェコムンド)で合流するぞ」

「アタシたちが『説得』に行かなくてもいいみたいね」

 

 巨漢が空中に指を添える。すると空間が口を開き、黒腔(ガルガンダ)が姿を現した。

 日番谷が挑発する。

 

「逃げんのか?」

「安い挑発には乗りませんよ。それに、買いたたかれるのはあなたのほうですし。......まあ、今夜はお騒がせしたわね。でもヤンキー連中ってそんなもんだから、大目に見といて」

 

 炎を消したアネットはもう興味がないというように黒腔内へと入っていった。他の破面(アランカル)たちも同様だ。

 その背が消えていくことを、乱菊は最後まで止められなかった。

 

 

 ----------

 

 

 空座町住宅街上空。そこでは衝突音が絶えることなく響いていた。

 グリムジョーは四肢を武器に、卍解を解放した黒崎一護と激突を繰り返している。そこから撒き散らされる衝撃波が空気を鳴動させるようだ。

 しかしグリムジョーの顔色は優れない。それは自身が劣勢になっているからではなく、むしろ一護に対して手ごたえを感じないことの方が大きい。

 踵落として一護を上空から叩き落としたグリムジョーは、アスファルトにできたクレーターに向けて叫ぶ。

 

「......ちっ、こんなモンが卍解かよ。ガッカリさせんじゃねえよ死神! 卍解になってマトモになったのはスピードだけか! あァ!?」

 

 あまりにも気に入らない。軽すぎる斬撃ではグリムジョーの鋼皮(イエロ)を貫通できず、防御もおろそか。これが本当に脅威にまで成長するのかと疑問を持つほどだ。

 しかし霊圧の高まりを感じ、グリムジョーは眼下の土煙を見やる。

 土気色の煙の中に黒が混じり、その比率を大きくしていく。終いには霊圧だけで濃い煙幕が晴れた。

 そこにいたのはやはり一護。しかし彼の『天鎖斬月』には、漆黒の霊圧がまとわりついていた。

 --なんだ? ニルフィに使ってたヤツと同じだが......違うな。

 霊圧の密度が先ほどと段違いだ。面白い。そう思い、グリムジョーはあえて避けずに防御に移行する。

 一護が刀を振り上げた。

 

 月牙天衝

 

 黒い斬撃だ。それがグリムジョーに向かって放たれ、両腕を交差したグリムジョーと衝突。ズン、と腹に来る衝撃音と共に爆発する。

 

「なんだ、今のは?」

 

 軽い口調でグリムジョーが言った。

 しかし、その左肩から右わき腹にかけて大きな裂傷を負い、この戦いで初めて血を流す。

 笑みが口元にできるのを自覚した。

 

「そんな技使えんなら最初から使えよ」

「ガッカリせずに済みそうか? 破面(アランカル)

 

 一護は息を乱しながらも虚勢を張る。

 

「ははははははははははっ!! 上等じゃねえか死神! これでようやく、殺し甲斐が出てくるってモンだぜ!」

 

 気持ちの高ぶりを抑えられない。

 だがどういうわけか一護は顔を抑えたままその場から動こうとはしなかった。それに業を煮やしたグリムジョーは己の斬魄刀を引き抜こうとする。

 

「オイ、ボサッとしてんなよ死神。次はこっちの番だぜ」

 

 いざグリムジョーが斬魄刀を引き抜こうとしたとき、その右手を小さな手が抑えた。

 

「そこまでだよ、グリムジョー」

「......何の用だ、ニルフィ」

 

 ここまで接近されていたのにまったく気が付かなかった。グリムジョーの睨むような視線をニルフィは流し、その金色の眼で彼の傷跡を見る。

 

「それやったの、クロサキさんかな?」

 

 ギチリ、とニルフィの霊圧が軋みを上げる。表情に変化はない。むしろ穏やかであり、それは凍るような殺気とは無縁のようであった。

 グリムジョーが呆れのため息を吐く。

 

「お前が来たってことは、俺たちのことを止めるためだろ。てめえが暴れちゃ意味ねえだろうが。それとこんなモンはかすり傷だ」

「グリムジョーがそう言うのなら、別にいいんだけどさ」

「納得したぜ。シャウロンがてめえらにチクりやがったな」

「怒らないであげて。東仙さんの代わりに私がここに来たのは自分の勝手だから。シャウロンは、助けてほしいなんて一言も言ってなかったよ。それに他のみんなも。私が無理言って自分で来たの」

 

 それに、とニルフィは続け、

 

「藍染様は怒ってるんじゃないかな」

 

 急速に熱がさめるような感覚を覚えながらグリムジョーが舌打ちする。

 

「ディ・ロイとエドラドは死んじゃったよ? こんなの、もういいじゃん。帰ろうよグリムジョー」

 

 ニルフィが黒腔(ガルガンダ)を開く。グリムジョーがそれに従わなかったとしても、アネットやグリーゼの霊圧も感じる今、ニルフィは有無も言わさずにグリムジョーを連れ帰させるだろう。

 勝手な行動をしたニルフィにそれほど怒りはない。

 彼女ならば、自分のやろうとしたことを止めると確信していた。だから言わなかったし、当たり前のことをしただけだと思える。

 それにディ・ロイとエドラドの死。それをなぜニルフィは、主であるグリムジョーよりも悲しむことができるのか。彼らの名を呼んだ時の彼女は無表情に近かった。

 グリムジョーが背を向けた時、下から声が聴こえた。

 

「ま、待て! どこ行くんだよ!」

「ウルセーな、帰んだよ虚圏(ウェコムンド)へな」

「ふざけんな! 勝手に攻めて来といて勝手に帰るだ!? 冗談じゃねえぞ! 下りてこいよ! まだ勝負は、ついてねえだろ!」

「......まだ勝負は、ついてねえだと? ふざけんな。勝負がつかなくて命拾ったのは、てめえのほうだぜ死神」

 

 一護は力量差を理解できないまで無能なのか。それが苛立ちを燻らせる。

 

「さっきの技はテメーの体にもダメージを与えるってことは、今のテメエを見りゃわかる。撃ててあと2・3発ってとこだろう」

 

 仮にあの黒い斬撃を無限に撃てようとも、解放状態のグリムジョーは倒せない。

 

「俺の名を、忘れんじゃねえぞ。そして二度と聞かねえことを祈れ」

 

 歯をむき出しにして獰猛に笑う。

 

「グリムジョー・ジャガージャック。この名を次に聞く時が、てめえの最後だ、死神」

 

 黒腔(ガルガンダ)がその口を閉じた。




『原作との変更点』
東仙よりニルフィが行ったほうが、グリムジョーはごねない。




オリジナル技

炎翼舞(ラ・プルーマ)

アネットの能力によって生み出された炎。触れた物体を問答無用で灰に帰すが、それは能力によるものであり山本総隊長と比べて火力頼りではない。基本的に意のままに操れるが燃費が悪く、焼き芋を作ったり湯を沸かそうとしても芋やヤカンが灰になる。

甲霊剣(インモルタル)

グリーゼの使う技。霊子を一部に集束させてその物体の耐久力や鋭さを向上させる。意外とデリケートで、霊子の操作が巧くないとむしろ使わない方がマシな結果になる。

駆霊剣(ウォラーレ)

グリーゼの使う技。飛ぶ斬撃であり、黒い月牙天衝と比べて威力は落ちるが剣を振るう限り連射が可能。極めた翔ぶ斬撃を元に少しの霊子を纏わせているだけで、燃費のいいエコな技である。
グリーゼの使う技はどれも習得は難しいが極めれば誰でもできるので、ニルフィも教えられる限りはすべて使いこなせる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

血心ラプソディ

 ニルフィたちは玉座のある間へとやってきている。そこで、今回のグリムジョーの無断侵攻の裁量を決める。

 中央にはグリムジョーとその従属官(フラシオン)たち。そして東仙要がいた。

 壁際にニルフィがおり、その少し後ろの両脇にアネットとグリーゼが控えている。

 上方に据えられた玉座に腰掛ける藍染が言った。

 

「--おかえり、グリムジョー」

 

 ここまで不安になるおかえりは世界を探してもそうないだろうとニルフィは思う。誰の目から見てもそわそわと落着きない様子で事の成り行きを見ていた。

 グリムジョーは何も言わない。それを見かねた東仙が口を開く。

 

「......どうした。謝罪の言葉があるだろう、グリムジョー」

「別に」

「貴様......」

 

 眉をしかめた東仙に藍染が声を掛ける。

 

「いいんだ、要。私は何も怒ってなどいないよ」

「藍染様?」

「グリムジョーの今回の行動は、御しがたいほどの忠誠心の表れだと私は思っている。違うかい? グリムジョー」

 

 グリムジョーは一息間を置き、

 

「そうです」

 

 彼の襟首を東仙が乱暴に掴んだことで、ニルフィは不穏な空気を感じ取る。

 そして疑問を抱く。なぜ、藍染はわざわざ東仙を(・・・)挑発するような言葉を選ぶのだろうか、と。

 ニルフィは横合いから口を出した。

 

「でもさ、東仙さん。結果論になっちゃうけど、グリムジョーは現世にいる死神の数人に傷を与えたよ? 副隊長格が二人、それに隊長格が一人。それなりの打撃だったんじゃないかな」

「ニルフィネス、貴様も分かっているはずだ。最低でも瀕死の傷を与えなければ死神には回道という鬼道がある。時が多少なりとも経てば、相手には何の痛みもない」

「じゃあ、今からでも行く? この短時間だと向こうもみすみす尸魂界(ソウルソサエティ)に帰ってないだろうし、確実に仕留められるよ」

「それは許可できない」

「どうして?」

「藍染様の意志に反するからだ」

 

 ニルフィは藍染を見上げる。彼は内心を伺い知れない微笑を湛えたまま、肯定も否定もしなかった。

 東仙が声を張り上げるように進言する。

 

「藍染様! この者の処刑の許可を!」

 

 その言葉にニルフィは柳眉をひそめた。ほんのかすかに感じられらるだけだった不穏な空気が、形あるものとして目の前に現れたような、そんな感覚だ。シャウロンたちもそれに警戒する。

 

「東仙さん、本気なの? 大切な時期なのにグリムジョーにそんなことしたら、せっかく埋まってた十刃(エスパーダ)の席に穴が開いちゃうよ。今の十刃(エスパーダ)虚夜宮(ラス・ノーチェス)での最高戦力だと思うけど」

「だからこそだ。今後このようなことが無いよう、見せしめにしなければならない」

 

 逆に平然としているのはグリムジョーで、口の端を吊り上げながら東仙を横目で見た。

 

「私情だな。てめえが俺を気に喰わねえだけじゃねえか。統括官様がそんなことでいいのかよ?」

「私は調和を乱す者を許すべきではないと考える。それだけだ」

「組織のためか?」

「藍染様のためだ」

 

 グリムジョーは鼻で笑う。

 (ホロウ)に規則など必要ない。それを無理やり矯正して調和を乱しているのは、お前だとでもいうように。

 

「はっ、大義を掲げるのが上手なこった」

「そうだ、大義だ。貴様の行いにはそれがない」

 

 東仙が己の斬魄刀の柄を握りこむ。その様子がニルフィにもはっきりと見えた。

 --まさか。

 いや、そんなはずはないとニルフィは考える。東仙は自分で許可を求めていながら、それを待つことなく柄に手を掛けた。そんなものは大義ではなく独善に堕ちている行為。藍染は許可を出していないのだから。

 東仙の独白が続く。

 

「大義無き正義は殺戮に過ぎない。だが、大義の下の殺戮はーー」

 

 東仙が刀を引き抜き、一閃した。

 グリムジョーの左腕が肩の辺りから斬り飛ばされる。

 

「--正義だ」

「ァああああああああああああ!!」

「グリムジョー!」

 

 油断していた。まさか本当に東仙が刀を引き抜くとは、ニルフィも、そしてグリムジョーも思っていなかった。

 ニルフィから見た東仙要という男は、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)でも理性的な性格をしている人物であり、藍染への忠誠心も折り紙付き。しかし本当は違う。忠誠も、忠義も、藍染に対して向けられるそれらが欠落していた。

 

「破道の五十四」

 

 廃炎

 

 東仙から放たれた霊子の塊が、床に落ちたグリムジョーの左腕を灰にする。

 残していたのなら、くっつければ治っていたかもしれないのに。

 

「そして従者も同じだ。主人を止めることもせず、正義無き殺戮に手を染めようなど、万死に値する」

 

 東仙が刀を閃かせる。

 力量ゆえに警戒心というものを持っていたシャウロンたちだが、グリムジョーが腕を斬られたことに動揺し、その凶刃を避けられなかった。

 イールフォルトとナキームが胴体から血を吹き出し、膝から崩れ落ちる。

 唯一シャウロンだけ、急所を斬られながらも意地とでもいうように踏みとどまった。

 

「なんでッ......!」

 

 我に返ったニルフィは霊圧を体に纏い、東仙を殺してでも止めようと動き出そうとする。

 しかし背後から伸びた手によって両腕を後ろに回され、無理やり膝を突かされた。

 

「ッ!? どうして! アネット! グリーゼ!」

「......すまない、主よ。だがここで、東仙を殺しに掛かるな」

 

 ニルフィの右腕を拘束していたグリーゼが押し殺したような声で言う。

 最後の望みを掛けて、ニルフィは震えながら左を後ろ眼で見る。アネットは顔を合わせてくれなかった。

 膂力という点で勝っている二人に拘束されたニルフィは、ただ見ていることしか出来ない。それでも。なぜ、仲間をみすみす見殺しにしなければならないのか。

 肩がはずれてもいい。あの光景を止められるなら、どうなっても良かった。

 しかし。

 

「ぅ、あ......」

 

 シャウロンと目が合う。仮面に覆われていない右目が、真っ直ぐにニルフィを見据えていた。だから、分かってしまった。

 

『来るな』

 

 言葉は無くともそう言っていることに。

 一瞬あとにシャウロンは心臓を貫かれ、床へ倒れ伏す。

 

「シャウ、ロン」

「--くそッ!! くそッ! くそッ! くそッ!!」

 

 殺意の眼光をぎらつかせるグリムジョーの叫びにニルフィの声はかき消された。グリムジョーはシャウロンたちを見て、ギシリと歯を食いしばる。

 

「てめえ......! --殺す!!」

 

 グリムジョーは残った右腕で斬魄刀に手を添えようとした。

 

「止めろ、グリムジョー」

 

 上から降ってきた藍染の声に、まるで体に超重量のおもりを付けたように身動きを取れなくなった。

 

「ニルフィも同じだ」

 

 霊圧を軋ませていたニルフィは力なく藍染を見上げる。

 藍染は少しばかりの厳しさを含んだ表情で言った。

 

「君たちがそこで要を攻撃すれば、ーー私は君たちを許すわけにはいかなくなる」

 

 逆らえば待っているのは死だ。それを明確に二人の十刃(エスパーダ)に刻み付ける。ここでは感情を押し殺すしかなかった。

 肩を上下させるグリムジョーは、シャウロンたちの死体を一瞥する。斬魄刀で斬られたことにより死体は霊子へと戻っていき、彼らの存在を示すものは残らなかった。グリムジョーが何を思ったかなどニルフィには知りえない。しかし彼は奥歯を砕けんばかりに噛み締めると、舌打ちを残して部屋を出ていった。

 

「グリムジョー!」

 

 拘束が弱まったのを機に、従属官(フラシオン)の腕を振り払ったニルフィは、その背を追う。

 

「アネットとグリーゼはこの場に残ってくれ。話しておきたいことがある」

 

 藍染のそんな言葉を聞くこともなく、床に点々と残る血の跡を辿って行った。

 

 

 ----------

 

 

 どんな道順だったのかニルフィは覚えていない。気づいたらその場にいたし、疑問を持つこともなかった。 

 砂漠の上に建てられた適当な塔の上にいる。

 ニルフィは塔の端に腰掛けたグリムジョーに呼びかける。彼女が泣いた、あの日のように。

 

「グリムジョー」

 

 けれどグリムジョーは振り返らず、彼に付き従う従属官(フラシオン)の背中も見えなくて。たった一つの背にニルフィが近寄った。

 

「--失せろ」

 

 拒絶の意志に足がすくむ。このまま近づけば、押し固められたような声が怒りに荒れ狂うだろうか。それは当たり前のように怖い。背が凍りそうだ。

 グリムジョーの左腕があった場所からは、ぽたぽたと血が垂れ落ち、水たまりを作っていた。痛々しい傷を見たくはない。

 それでも、

 

「ねえ、グリムジョー」

 

 足を踏み出す。肌を痺れさせるような霊圧の威嚇が強まった。

 

「......ごめんね」

 

 少しして、肩越しにグリムジョーが振り返る。

 

「なんて顔してやがる」

「え?」

 

 ニルフィは頬に手をやった。流れる涙は無いし、視界もぐちゃぐちゃになっていない。いつもこんなに悲しい時は目に溜まる涙が、今日に限って出て来なかった。

 強張っていた頬を無理やり動かして、笑う。

 

「私、だいじょうぶだよ。泣いてなんかないもん。泣かないって、約束してるから」

「泣かねえのか?」

「......うん。でも、悲しいよ? だけどなんだか涙が出ないの。それで......わかんない」

「俺も分かんねえよ」

 

 グリムジョーが前を見た。飾り気のない巨大なだけの塔が白い砂漠に乱立している。塔の壁まで白いものだから無機質極まりない。

 

「けどな、言っておくが、『自分のせいでこんな結果になった』なんてくだらねえことは考えるな」

「どうして?」

「どうせお前らが来なけりゃ、あいつらは現世で死んでた。遅いか早いかの違いでしかなかったんだ」

「でも......」

「てめえは関係ない。言ったのはてめえのはずだ。シャウロンは命欲しさに教えたわけじゃねえってな。他のやつらも同じだ」

 

 たしかに、そうだ。しかし屁理屈のようにも聞こえる。グリムジョーが言ったことも、そして自分の考えることも。もしかしたら他に選択肢があったのではないか? そんな気がしてならない。

 

「あいつらは俺に勝手に付いてきた。最初から、ずっとな。生きようが死のうが勝手にしてろって言ってやったぜ」

 

 最下級大虚(ギリアン)であるシャウロンたちが今まで一人も欠けてこなかったのは、奇跡に近いことだろう。常に決まっていたのはグリムジョーだけが生き残ることだけ。そしてついにーー独りとなった。

 孤高の王だ。民も、臣下も、何も無い『王』になった。変わったといえばそれだけのこと。

 しかしグリムジョーの言葉の端々に苦々しさがあると思ったのは、ニルフィの気のせいだろうか。

 

「私は悲しいよ」

「なんでだよ。てめえの部下でもねえってのに、どうしてお前は悲しいって言える」

「いっぱい遊んでくれたし、根が良い人たちだったから」

「嫌々やってたかもしれねえぞ」

「......じゃあ、時々見せてくれた笑顔も。あれも全部嘘だったの?」

「そうだと言ったらどうする」

「それこそ嘘だって思う」

 

 一歩一歩、ニルフィがグリムジョーに近づく。

 年単位の日々を感じる破面(アランカル)にしてみれば、ニルフィとシャウロンたちとの交流の時間など、ごく微々たるものだ。それでも他人という括りにすることはできない。

 

「みんな、乱暴なところはあったけど、私のことを傷つけた人なんて、いなかったから」

 

 反論の言葉は飛んでこなかった。くだらない判断要素かもしれないが、ニルフィにとってはそれだけで十分である。

 少しばかり疲れたような声で、グリムジョーが言った。

 

「......俺にどうしろってんだよ」

 

 馬鹿馬鹿しいとでもいうようにグリムジョーが立ち上がろうとする。それをニルフィが押しとどめた。

 

「まってよ、傷が」

「黙ってりゃあ治る」

「すぐじゃないでしょ。こんなに血を流して。......じっとしてて」

 

 グリムジョーの右腕。肩の近くから無くなり、血を滴らせながら滑らかな断面をさらしている。

 腕が残っていれば無理やりくっつけられたかもしれないが、東仙に灰にされてしまったためにそれも出来ない。超速再生を失った破面(アランカル)では新しく腕を生やすことは出来ないのだ。

 だからニルフィができるのは血を止める応急処置だけ。

 ニルフィは四つん這いになり、傷口に顔を寄せる。床に広がっていた血が彼女の死覇装を汚す。しかしそんなことには頓着せず、ニルフィは傷口に小さな赤い舌をそっと這わせた。

 

「--ッ!? なにしやがるッ」

「止血、かな。傷を塞ぐことくらいは私にもできるから、ね」

 

 伏目がちなニルフィがそう言うと、グリムジョーはそれ以上なにも言わなかった。彼の死覇装の裾を掴んでいた細い手など、いつでも振り払えただろうに。

 ニルフィが傷口をなぞるように舐める。

 

「ん......ふ、ぁ......」

 

 必死に舌を動かし続けた。口の中に血が溜まれば白い喉を上下させ飲み下す。ぴちゃり、ぴちゃり。その気はなくとも淫猥な水音や、懸命に奉仕するような姿から、ニルフィの姿はいつもに増して背徳的な色香を漂わせる。

 いつしか流れる血は止まっていた。

 ニルフィは唇についた血の玉を舌で掬い取ると、自分の死覇装の袖でグリムジョーの腕の断面を拭う。

 すると傷口は嘘のように消えていた。

 

「どう、かな? まだ痛む?」

「いや」

「よかった」

 

 顔をほころばせるニルフィ。彼女の表情を気まずげに見返したグリムジョーは顔を逸らす。

 気にした様子もなく、ニルフィは身軽な動作でグリムジョーと背中を合わせるように座った。

 

「一つだけ、お願いしてもいいかな。あとちょっとだけでいいから、そばに居てほしいの。なんだか......眠くなってきちゃって」

 

 今日は色々とありすぎた。もう限界だった。

 たとえ表向きは気丈にしていようとも、少女の頭には、いや、心にはすぐに受け止められるだけの強さは無いようだ。見かけ相応の脆さで崩れかかっている。

 グリムジョーが何か言ったようだが、急にノイズが掛かったように聞き取れない。

 --あぁ、全部夢だったらいいのに......。

 意識が闇に落ちるのに、そう時間は掛からなかった。

 

 

 ----------

 

 

 ーーこれは、記憶だ。

 大勢の(ホロウ)に囲まれていた。それはまさに大群にして大軍と称していい。

 最近やって来た『自分』の暴虐に対して、ここら周辺の(ホロウ)たちが決起したようだ。普段は群れないはずの(ホロウ)たちが共通の敵を前にして協力しあうとは、なかなかに皮肉が効いている。

 しかし『自分』に焦りはない。腹を満たせるエサがやってきたことに対する万来の喜び、そして......一抹(いちまつ)の寂しさがあるだけだ。

 向けられる視線は敵意に満ちており、友好的なものなどあるはずもない。

 それがなぜか悲しい。

 

 『自分』は、自分から彼らを攻撃したことなど、一度もないというのに。

 

 『自分』の容姿を甘く見て襲い掛かって来た(ホロウ)は容赦なく捕食する。その強さを見て力試しにやって来た(ホロウ)も食いちぎる。敵意を持って傷つけにくる相手は殺し続けた。だからエサに困ることはない。

 しかし。

 『自分』は仲間というものが欲しかった。

 髑髏の大帝はそれを与えてくれそうだったが、上下関係があることで『自分』の望んだことではないと無視することになる。『自分』はただ、対等に接してくれる存在が欲しかっただけだ。とにかく飢えていたのだろう。腹が満たされるだけではさらに空腹がひどくなるばかりだ。

 しかしそんな存在は現れない。

 話しかければ逆に襲い掛かられ、仲間にしてほしいと申し出てもメスということで狙われることとなる。

 もしこの時、3の数字を冠することになる女の最上級大虚(ヴァストローデ)と出会っていれば、『自分』の運命は変わっていたかもしれない。それもないものねだりでしかないが。 

 一時期は自分から強引に(ホロウ)を仲間に引き入れたこともある。しかしある程度数が増えると反旗を翻そうとしていた。それに絶望し、はじめて(ホロウ)を泣きながら殺し尽くした。

 そこで諦めたのならば、司る死の形に”孤独”を持つ男と同じ道を進んでいただろう。

 しかし諦めない。

 どれだけ裏切られようと、命を奪われかけようと、仲間を得られるまで生き続ける。

 そしてこの日も、『自分』は(ホロウ)を喰らう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それでも話は独歩する

 天蓋付きのベッドの下でニルフィが目を覚ます。

 

「ん......」

 

 薄暗い室内を見回し、いまだにぼーっとする頭を働かせる。

 

「そっか、夢じゃないんだ」

 

 忘れたい出来事は眠ったことにより、更に鮮明に記憶に焼き付いた。シャウロンたちはもういない。あの後にあったグリムジョーとのやりとりも、舌先に残る血の味が現実だったと教えてくれる。

 意識が落ちたあとにどうなったのだろうか。

 服は寝巻き用のネグリジェに変わっており、場所も第7宮(セプティマ・パラシオ)だ。きっとアネットが連れて来てくれたのだろう。

 --気まずい、かな。

 シャウロンたちが斬られた時、ニルフィの従属官(フラシオン)は主人を強引に止めた。それは間違っていない行為だ。もしニルフィが東仙に本気で襲い掛かっていたら、藍染からは何らかのペナルティを与えられていただろう。アネットとグリーゼは従者として何も間違ったことはしていない。

 しかし理論と感情は別物である。それにニルフィを拘束していた時のアネットの表情は、ひどく苦渋に満ちていた。アネットの内心を理解しているからこそ今は顔を合わせたくない。臆病かもしれないが、このもやもやした気持ちをどうしたらいいか、ニルフィにもわからないのだ。

 

「気分転換でもしよっかな」

 

 寝台を降りたニルフィはネグリジェを脱ぎ捨てると、そばに置かれていた死覇装に着替える。

 宮の霊圧を探知。アネットたちはそれぞれの部屋にいるようだ。

 ニルフィはその近くを通らないように厨房に行く。リンゴを何個かくすねると下官に一言伝え、砂漠へと足を踏み出した。

 迷いたくはないので宮が必ず視界に入る場所にまでしか行かない。

 

「............」

 

 何も考えることもなくトコトコ進んでいく。

 思い出したようにリンゴを一口、そのままかじる。シャキッと小気味いい音がした。ちょうどいい酸味のある甘さが口の中で広がり、果汁が喉を潤したことで頬が緩む。

 固まっていた顔がいつも通りになった気がした。

 

「ん、おいしい」

 

 リスが食べるような様子でリンゴを頬張りながら、適当な塔の上にまで駆け上がる。それなりに広い屋上の中央にやってくると糸が切れたように座り込んだ。

 胸の中で虚しさが込み上げてきた。

 喪失というものはここまでのものかと自分でも驚く。

 でも、涙は出ない。虚夜宮(ラス・ノーチェス)にやって来た頃はよく目に涙が溜まったというのに、枯れてしまったように出てこないのだ。シャウロンたちの死がとても悲しいのになぜだろう。それは自分が薄情だからではないのかと思うと、ニルフィはやるせない気持ちになった。

 

「--おっとォ、先客ってのは珍しいな」

 

 背後からの声に振り返る。

 そこにいたのは下顎骨のような仮面の名残を首飾りのように着けた黒髪の男。思考にふけっていたとはいえ、ニルフィはこの男が屋上にたどり着くまでに気配を感じなかった。

 警戒心が湧かなかったのは、男の漂わせる気怠さと、それとない哀愁のせいだろうか。

 

「お兄さんは?」

「お兄さん、ね。嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 

 欠伸交じりに答える男はニルフィの近くへと歩いてくる。

 

「スターク。コヨーテ・スタークだ」

「私はニルフィネス・リーセグリンガー。よろしくね、スタークさん」

「ああ、こっちこそな」

 

 スタークの名はニルフィも知っている。

 第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)コヨーテ・スターク。

 ニルフィは初めてこの男の姿を目にした。

 平常時では実質的に十刃(エスパーダ)の中で最も強い存在である。見かけでそうは見えないが、ならば幼女の姿のニルフィが十刃(エスパーダ)ということもおかしな話になってしまうだろう。

 

「先客って......もしかしてここってスタークさんの場所だった? ごめんね、知らなかったよ」

「いいさ。別に名前書いてたわけじゃないしな。たまに外に出れば、よくここに来るんだよ。......あ、隣いいか? いつもここで昼寝しててな」

 

 了承したニルフィの隣にスタークは仰向けに寝っ転がる。

 

「たしかに、良い場所だね」

「そうだろ」

 

 それだけ言うと、スタークは目を閉じる。

 無防備極まりない姿だが、彼をどうこうしようとなどニルフィは考えていない。

 ニルフィは静かに風景を眺めていた。

 とても静かである。こんな辺鄙な場所には普通なら破面(アランカル)は近寄らない。だから余計なしがらみもなく昼寝などできる。

 ささやかな風が頬を撫でた。偽りの晴天から注がれる日光がやさしい。

 会話もなく、無言の時間がゆっくりと流れる。

 --私が変、なのかな?

 この世界では命は散るためにあると言っても過言ではない。しかしニルフィは、アネットたちのようにドライになれる気がしなかった。なんの面識もない破面(アランカル)を殺すことにためらいがないのは、十刃(エスパーダ)の就任の時に証明して見せている。

 --ああ、これってエゴなんだ。

 ニルフィの今の気持ちは、大切なおもちゃが壊れた時に感じるものと同じ。子供の感情。

 みっともなく未練たらたらと引きずっていく。

 フードに入れていたリンゴを取り出して食べ、それが三個に増え、芯はまとめて虚閃(セロ)で燃やし尽くす。そしてしばらくぽーっと空を見つめてから、ニルフィが口を開いた。

 

「起きてる? スタークさん?」

「......ああ」

 

 眠ったわけではないようだ。適当な話題をふっかけてみる。

 

「スタークさんのこと、虚夜宮(ラス・ノーチェス)だとあんまり見ないけど、ずっと自分の宮にいるの?」

「ああ。外に出ても、大体はここに来るな」

「任務とかは?」

「ここ最近はあんま無いな。ウルキオラって奴が来てからだと特に」

「そうなんだ。......あ、そういえばアネットが言ってた。仕事勤めの人を『社畜』なんて呼ぶみたいだけど、家に引きこもってる人は『家畜』って呼ぶのはホントなの?」

「......嬢ちゃん。その言葉は、不特定多数の大人の心を粗いナイフで抉るようなモンだ。誰にも言っちゃだめだぞ」

「はーい」

 

 胸を押さえながらかろうじて言い切るスターク。彼のトラウマを刺激したことにニルフィは気づいていない。なんとも末恐ろしい幼女だ。無意識に相手を再起不能にさせようとしている。

 強引にスタークが話題を変える。

 

「それより、嬢ちゃんはこんな辺鄙なトコに何の用だ? なんの面白みもないトコだぞ」

「ちょっと、ね。顔合わせるのが気まずいから逃げてきちゃった」

「俺もだ。ウチの宮にもうるさい奴がいてな」

「似た者同士だね」

「......嬢ちゃんよりはちょっとばかしランクが下がるかな」

 

 内情的に重いのはニルフィのほうだ。無職の男が言われるようなことを、ニルフィと容姿的な幼さが近い少女から言われて逃げてきたとは、なんとも情けない。

 彼らが出会ったのは偶然か、はたまた必然か。

 

「でも、スタークさんはその従属官(フラシオン)さんのこと、嫌ってないでしょ」

「どうしてそう思う?」

「ホントに疎んでたらもっと嫌な顔するから」

「生憎、俺って低血圧なもんでね。表情に出すのも億劫なんだわ」

 

 しかし口で言うほどスタークの雰囲気は悪くない。本心では大切な存在なのだろう。

 

「嬢ちゃんは......」

「え?」

「嬢ちゃんは、どうしたんだよ。さっきから物憂げな顔しちゃって」

「顔に出てた、かな?」

「ああ」

 

 スタークが言うからには、そうなのだろう。グリムジョーがそばに居れば湿気た顔をするなとでも言うだろうか。同じように、彼の従属官(フラシオン)たちも。そこまで考えたところでニルフィは、現実を思い出すと内心でため息を吐く。

 今度は、自分でも情けない表情をしていると感じられた。

 

「これって独り言なんだけど、ね。うるさくて寝られなかったら言ってね」

「俺でいいなら愚痴でも聞いてやるさ」

 

 ほとんど会話もしたことのない相手。けれど今はだれでもいいから、聞いてみたいことがあった。

 

「仲間が殺されて悲しいって思うのは、おかしいのかな?」

 

 相手からしてみればなに言ってんだと思われる質問かもしれない。死神ならともかく、破壊衝動に身を任せる(ホロウ)から進化した破面(アランカル)が、そもそも『悲しみ』なんて感情を持つのがおかしい。それを自覚した上での質問だった。

 スタークは薄く目を開く。しばらく青空を眺めていたと思うと、ゆっくりと視線をニルフィへと移した。

 

「いや......、どうだろうな。少なくとも俺は、嬢ちゃんの言ったことが変だとは思わないぜ」

「どうして?」

「どう、つっても。あれだ。俺にもなんとなく。ああ、なんとなくだ。理解できるからな」

「なんとなく?」

「......いや、違うな。ちゃんと知ってる感情だ」

 

 要領を得ないスタークの言葉にニルフィは安堵の息を漏らす。

 

「変だって言われちゃったら、こんな感情、捨てなくちゃいけなかったかも」

「大げさだな」

「ううん、大げさでもなんでもないよ」

 

 それを聞いてスタークが難しい顔となる。

 

「嬢ちゃんは難しく考えすぎじゃないか?」

「そうかな。でも、私が変わらないと、私のまわりから全部なくなっちゃいそうなの」

「死んじまうってのは仕方ないことだろ。どんなに嫌がっても、覆せない。それよりだったらそばに死ににくいやつを置いといたほうが、まだいいと思うんだがな」

「死んじゃう人は見捨てろってこと? そんなのは私が嫌だ。だったらもっと力をつけて、頭もよくなって、解決できるようになんだってする。見てるだけなんて、耐えられない」

「それは......」

 

 スタークは言葉を切ると、しばらく黙り込む。虚空をにらむような目は遠くを、記憶を探るように見ていた。おそらく、否定の言葉を探しているのだろう。

 しかしスタークは、ため息と共に別の言葉を口にした。

 

「ーー俺は、見てるだけだったな」

 

 声には寂寥が含まれる。『孤独』を死の形に司る十刃(エスパーダ)。彼は力なく首を横に振る。

 

「嬢ちゃんにはなんか偉そうに言っちまったな。そうだ。俺は嬢ちゃんみたいに頑張ろうなんて、思ったこともなかったよ。妥協に走っただけで満足した野郎だ」

 

 スタークが身を起こす。手袋に包まれた手で顔を覆いながら、その隙間からニルフィの瞳を見据える。どこか眩しそうに目を細めていた。

 

「嬢ちゃんは幸せ者だよ。ようやく得られた仲間ってやつに満足するんじゃなく、価値を見出してる」

「どうかな。私はスタークさんが昔、なにがあったのかなんて知らない。勝手なこと言って困らせちゃった?」

「いいや。けど言えるのは、感情ってモンが俺らの中にあるってことだ。寝たいから寝る。食いたいから食う。ただの虚(ホロウ)と違ってくだらない動作ひとつ取っても、感情ってやつが纏わりつく。何をどう思おうが、そりゃ自分の勝手だ」

 

 問題なのは自分がどう思うかで、他人の言葉など判断材料にしないほうがいい。

 ニルフィが大切だと思えば、それは大切なものなのだ。だからおかしくとも何ともない。自分の考えたことに従おうとするのは当たり前のことなのだ。

 

「なんか説教臭くなっちまったな」

「ううん、なんとなく整理はつきそう」

 

 あとはこの感情をどの方向に持っていくかだ。そしてもう決めた。 

 もう何も失わないくらいに強くなる。

 他人のためではない。自分のためだ。守るために強くなることと同意義で、プライドの高い破面(アランカル)たちからしてみればうっとおしいものだろう。

 それでもだ。

 元からエゴでしかない動機であるならば、そのエゴを貫き通そうと思う。

 

「さて、と。俺はそろそろ戻るよ」

「ありがとね、話に付き合ってくれて」

「そう大層なコトしたつもりないさ。......ああ、時間があればいつでも俺の宮に来ていいぞ。嬢ちゃんに興味のあるやつがいるんでね」

 

 立ち上がったスタークは伸びをすると、響転(ソニード)だろう、それを音もなく使ってその場から姿を消した。

 性急すぎやしないかと思ったニルフィだが、すぐにその理由に気づく。

 入れ替わるようにアネットが塔の上に姿を現す。表情からは焦りが見て取れた。

 

「--ニルフィ」

「あぅ......あ、アネット」

 

 気付けば、宮を飛び出してかなりの時間が経っていた。いつまで経っても戻らないニルフィを心配して探しに来たのだろう。アネットの髪は少しばかり乱れていた。

 しかしアネットはニルフィの少し手前で立ち止まり、悔いるような、言葉にしがたいといった表情となる。

 見つけたはいいが、どう話しかけていいかわからないのだろう。昨日の今日だ。咄嗟のことだったとはいえ、ニルフィにとって最善のことではない。

 けれど、

 

「アネット」

「......えぇっと、その」

「大丈夫だよ」

 

 嫌いになるつもりはない。こうして探しに来てくれたのも、アネットにとってニルフィは大切な存在だからだ。

 アネットの目の前まで来たニルフィは、従属官(フラシオン)に目線を合わせてもらえるように膝を突かせる。アネットの背に腕をまわして抱きしめた。

 

「大丈夫だよ。私、強くなるから。だから、そんな顔しないで」

 

 自分からアネットを抱きしめたのは、はじめてだったかもしれない。

 

 

 ----------

 

 

 市丸ギンはとある破面(アランカル)のもとへと足を運んでいた。

 

「こんなトコまでわざわざ何の用かなぁ? 死神さんは?」

「いい報せを持ってきたんや。そう警戒せんといて、ルピくん」

 

 破面(アランカル)の名はルピ・アンテノール。左側頭部に仮面の名残が付いている、中性的な容姿の小柄な少年のような風貌をしていた。

 そんな彼は警戒心を隠そうともせずに、さっきまで座っていたというのにわざわざ立ち上がって構えるなど、ギンを信用していないことがわかる。

 むしろそれでもいいと、ギンは飄々とした態度を崩すこともない。

 

「ボクに? 君がそう言うとなんか不吉な気がしてならないんだけど」

「まぁまぁ、そうツンケンせんといて。ルピくんも聞いてはるやろ? グリムジョーくんが十刃(エスパーダ)落とされたって話」

「......まあね」

 

 グリムジョー・ジャガージャックの十刃(エスパーダ)落ちの話は、瞬く間に虚夜宮(ラス・ノーチェス)に広がっていた。現世に独断専行で侵攻したことの罰則が理由となっている。実際には東仙がグリムジョーの腕を斬ったことで戦闘能力が激減したためだ。

 それはともかく、十刃(エスパーダ)の座が空いたことが虚夜宮(ラス・ノーチェス)の空気をざわめかせていた。

 宮殿のあちこちで破面(アランカル)たちが情報を交換し、たまに私闘を繰り広げながら、この話題を知らぬものはいなくなった。

 元第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ゾマリ・ルルーが、ニルフィネス・リーセグリンガーに返り討ちにされてからさほど時間も経っていない。ニルフィの十刃(エスパーダ)就任の際に藍染が容易く十刃(エスパーダ)の更新をしないと公言しており、そのこともあって次に誰が据えられるか話が広がっていた。

 

「隊長から伝言や。次の第6十刃(セスタ・エスパーダ)は君みたいやで」

 

 その言葉にルピは目の色を変えた。

 

「そうか! あの人もついにボクの力を認めてくれたって訳だね!」

「そうみたいやね。数字はあとで渡されるみたいやし、ボクがここに来たのはこれを伝えるためだけや」

 

 ギンの言葉をもはやルピは聞いていないようだ。

 それもそうだろう。この場では十刃(エスパーダ)とはそれだけの価値のある称号だ。自らの力が証明された(あかし)。力を何よりも重んずる破面(アランカル)にとって、これほどらしい地位は無い。中にはホントは興味ないという少女もいるが、あくまでごく一部の意見でしかない。

 

「喜んでるトコ悪いんやけど、君にひとつ忠告せなあかん」

 

 水を差されてルピは眉をひそめる。早く言えとでも言うようにギンを睨んだ。

 これから十刃(エスパーダ)となる存在を前にしてもギンは飄々とした笑みを崩さず、カパリと口を開けた。

 

「ニルフィ……、ニルちゃんにちょっかい掛けるのは止めとき」

「はぁ?」

 

 訳が分からないとでもいうように、ルピの表情の不快の度合いが大きくなる。

 

「なんでボクがあの子供に遠慮しないといけないんだよ。あいつはNO.7(セプティマ)。ボクはNO.6(セスタ)。格が上のはずだろ?」

「遠慮じゃあらへん。ただ、ちょっかい掛けるのは止めとき言うてんの。あの娘とキミは、相性悪う思うんや」

「ハッ、そんなことか。何度か見たことあるけど、ただのガキだったよ。他の十刃(エスパーダ)に取り入って媚びてる雑魚だ。ゾマリが死んだのも油断してただけだろ?」

 

 ギンは内心でため息を吐く。

 --ああ、アカンわ。

 --この子、ニルちゃんのこと完全に舐めきっとる。

 ルピの気性から穿った見方しか出来ないのが原因だろう。彼の言ったことには多大な語弊がある。

 十刃(エスパーダ)との交流はただ仲良くしたいだけ。道に迷ったとき以外、ニルフィは一度も彼らに庇護を求めたことなどない。むしろ他の十刃(エスパーダ)のほうから構いに行っている節があるのは、ギンでも驚いていることだ。

 そしてゾマリが死んだこと。たしかにゾマリは油断していただろう。しかしその油断を突いたからといって、仮にも十刃(エスパーダ)を無傷で倒すのは難しい。しかしニルフィはそれを成し遂げている。

 --まァ、実際にあの娘が戦ってるトコ見ても信じられへんよなぁ。

 --いや、もしかしたら見たからこそ信じたくないんやろうな。

 現実を見ないようにしているのかもしれない。あの脆弱にしか見えない存在に自分が負けていることが許せないから。

 ニルフィの十刃(エスパーダ)就任後、耐えきれなくなり襲い掛かった破面(アランカル)もいた。......まあ、その輩はアネットとグリーゼによって影で消されており、それをニルフィは知らないのだが。

 

「キミがそう思うんなら別にいいんやけど」

「なんだよ、その言い方」

「なんでもあらへん。ボクもはなから忠告聞いてくれる思うてへんし」

 

 ルピの十刃(エスパーダ)入りは、おそらく一時的なものになるであろう。

 これからの任務の内容と少しの事情さえ知っていれば、おのずと未来は推し量れる。それを知っているギンからしてみれば、ルピは道化にしか見えなかった。

 あくまでのらりくらりと、ギンは必要以上のことは言わない。

 

「あ、もしかして君もあの子にほだされてるクチ? 心配してわざわざ言いに来たの?」

「あんな可愛いコからのお願いなら喜んで引き受けたんやけどね。生憎、お願いしてきたのは隊長なんや」

「そ。でも君の警告ってあれだろ。そのニルフィネスってやつに変なことしたら、いま従属官(フラシオン)やってる二人が黙ってないから、とか? やっぱりアイツは強い奴の影に隠れてるだけだろ」

 

 ギンは静かに首を横に振る。

 

「一番危ないんはニルちゃんや」

「なんでだよ」

「あの娘は優しすぎるんや。だからキミとは相性が悪い言うてんの」

「ますます訳わかんないんだけど?」

 

 口で言ったところでルピには理解できないことだろう。

 ニルフィには地雷がある。あるいは逆鱗と呼べるものが。

 それに触れてしまった東仙は、あの時、藍染が止めていなければタダでは済まなかったことが察せられる。

 ギンにとって共感できる感情であった。だからこそ分かるのだ。ひとたび抑えを失えば、どんなことでも決行すると。

 --ま、忠告なんて元から無理やったな。

 ルピは必ず地雷を踏み抜くだろう確信がギンにはあった。

 

「ふん、これでくだらない話は終わり?」

「そうやな。思ったより立ち話しすぎてもうた。あと、宮のほうはもう空いてはるから、要望とかは無理なモンでもない限り下官に言うといて」

「せっかくのいい気分が台無しだよ」

 

 歩き去っていくルピの背を見ながら、ギンは一瞬だけその笑みを濃くした。

 --さてはて、どうなるやろうね。

 彼も身をひるがえし、人知れず邂逅の場となった空間に静寂が戻った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

私の戦闘能力は53万を跳び越した

総合評価ポイントが1500ptとなりました。
評価、お気に入り登録をしてくださった方々、この小説を読んでくださる読者様に感謝を。


 第二宮(セグンダ・パラシオ)前の砂漠に無数の激突音が響く。 

 それは四対一という、現実には無謀にすぎた戦いでもある。しかしそれは五人の力量が拮抗していた場合のみ。一の存在はたしかに四倍の人数と渡り合っていた。

 ひときわ激しい爆発に煙幕が立上った。

 ニルフィは探査回路(ペスキス)を使って周囲の気配を探る。

 煙幕の向こうから叫び声が聞こえたのはその時だ。

 

「ズェアアアアアァァァアアアア!!」

 

 跳躍の気配。

 

「必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ラブリー・キューティー・パラディック・アクアティック・ダイナミック・ダメンディック・ロマンティック・サンダー・パンチ!!」

 

 クソ長い技名とともに、上方から砂煙を吹き飛ばし現れたのは--オカマ。

 帰刃(レスレクシオン)宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』を発動させているシャルロッテが、その筋骨隆々な肉体を前面に押し出すようなバレリーナのような姿に変わっている。

 股間に意味深すぎる膨らみを持つシャルロッテ。

 彼は両手を(かなづち)のように組んで、縦に回転しながら降ってきた。

 さながら回転鉄球の一撃をニルフィは冷静に受け流す。彼女の細い四肢を包むのは霊子の鎧。甲霊剣(インモルタル)の応用で、鋼皮(イエロ)とはまた別の攻性結界のように、それは剣の形を取っている。

 シャルロッテは技が避けられると見るや、空中で身をひねり、強引に拳の軌道を変える。

 それをニルフィはあえて真正面から受けた。

 わざとシャルロッテの一撃に乗り、ニルフィが煙幕を離脱する。

 空中にいるニルフィへと向かう影が一つ。

 ジオ=ヴェガ。拳法着のような服を着ており、髪を三つ編みにした中性的な顔立ちの少年。彼もまた帰刃(レスレクシオン)虎牙迅風(ティグレストーク)』を発動させていた。

 

「ガキだからって容赦しねェぞ!」

 

 ジオ=ヴェガが両手首に生えた刃で連撃を繰り出す。それをニルフィは空中に足場を創り、迎え撃った。

 霊子の剣と牙のような刃がぶつかるたびに衝撃波がまき散らされる。すくいあげるような一撃はジオ=ヴェガの胴を狙った。だが、外れた。かわされたのだ。ジオ=ヴェガが、全身から霊圧を放ちながら下がる。その霊圧が、甲霊剣(インモルタル)の霊子を弾き飛ばすのだ。 

 振り上げきったところで、ジオ=ヴェガが今度は踏み込んでくる。狙いは、ニルフィの顔。左の牙が重圧を備えて迫ってくる。ニルフィはそれを見る。こちらの左手が動く。ジオ=ヴェガの拳を掴もうとする。わずかに間に合わない。だが、腕を掴んだ。牙はニルフィの頬を浅く裂く。

 しかし、拳は止まった。

 だが、そこまでだ。じっとしていれば今度は膝が襲ってくる。ニルフィは離れ、ジオ=ヴェガも離れた。

 足が砂漠に着く。それと同時にニルフィたちは並行して砂漠の上を駆ける。

 ニルフィが左手を凪いだ。

 

 駆霊剣(ウォラーレ)

 

 直進した斬撃は、無為の空を裂いて駆け抜けていく。

 気配は上にあった。

 ジオ=ヴェガが空中で身をひねる。膝を立て、落下してくる。

 

「......ッ!」

 

 迎撃......ではなくニルフィは回避を選んだ。最速の響転(ソニード)。この響転(ソニード)に関しても改良が必要と思いながら、辛うじて避ける。

 直後、ニルフィのいた空間を高圧水流のカッターが切り裂いた。あのままでは胴体を断ち切られる。ジオ=ヴェガの追撃をいなしながらニルフィは横目で下手人を確認する。

 フィンドールだ。帰刃(レスレクシオン)蟄刀流断(ピンサグーダ)』を発動させた彼も追撃に参加。左右非対称のハサミでニルフィを追い立てる。

 

「ちぃッ! こいつ、ちょこまかと!」

「焦るなジオ=ヴェガ。その隙に付け込まれるぞ」

「冷静に、だろ!?」

正解(エサクタ)! そう、冷静さが大切だ! そのままエサクりまくってくれ!」

「なんかお前のほうが焦ってねえか!?」

 

 実力派の従属官(フラシオン)の猛攻を、ニルフィは躱す、いなす、受け止める。時折、死覇装が切り裂かれるが、ほとんどの攻撃を紙一重で回避している。

 フィンドールたちは最初は帰刃(レスレクシオン)を使っていなかった。しかし一撃も当てられないことに業を煮やし、今ではなんとか切っ先をかすめるほどとなっている。

 

「ここだ!」

  

 ついにフィンドールが大きく踏み込む。巨大なハサミを開いて、その範囲にニルフィを収めた。

 少女の背後にジオ=ヴェガが回り込み、両の刃を小さな背に突き立てる。

 

「クソッまたか!」

 

 切っ先が触れるや否や、突如としてニルフィの体が光と化し、爆発した。いつの間にか偽物と入れ替わっていたようだ。

 

「見つけたわよニルちゃんッ!」

 

 すこし離れた場所で、シャルロッテが爆走しながら、砂漠の上を滑るように駆けるニルフィへと突っ込んでいく。

 それを見たニルフィが虚弾(バラ)を乱射。シャルロッテがカッと目を見開く。

 

「必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ファイナル・ホーリー・ワンダフル・プリティ・スーパー・マグナム・セクシー・セクシー・グラマラスーー」

 

 シャルロッテが迫りくる霊子の弾丸を見ながら、左胸の前に両手でハートマークを作り、

 

「--虚閃(セロ)!」

「ただの虚閃(セロ)じゃん!?」

 

 律儀にツッコミを入れた少女へとピンクの奔流を放たれた。

 爆発が交差する。

 次の瞬間、爆煙を裂いてニルフィが躍りかかった。金色の瞳がシャルロッテを突き刺す。

 左拳。

 シャルロッテがすんでで避ける。彼の体を突風が揺する。ひるむことなく彼は拳を振り上げる。だが、ニルフィは突進の勢いのままにシャルロッテの横を抜ける。撫でるように筋肉質な足に手を添えた。すると手品のようにシャルロッテの体が反転し、砂へと頭から突っ込んだ。

 そのままニルフィはフィンドールたちと肉薄。

 フィンドールが右のハサミを突き出す。重力を無視したように舞ったニルフィがフィンドールの右手首に乗り、掴む。そこを支点に横に回転。回し蹴りを彼の頭部へと叩き込んだ。

 そこへすかさずジオ=ヴェガが襲い掛かり、刃と手刀が衝突する。

 拮抗。鍔迫り合いとなった時、上空から雄叫びが降りかかった。

 

「どいてろジオ=ヴェガ!」

 

 鋼鉄のような硬度の巨大な羽根と共に。

 

 餓翼連砲(デボラル・プルーマ)

 

 ジオ=ヴェガがギリギリまでニルフィをその場に押しとどめ、ついに離脱する。

 羽根の雨が広範囲に降りかかり砂を吹きあげた。

 帰刃(レスレクシオン)空戦鷲(アギラ)』。ガルーダを思わせる鳥人の姿に変わったアビラマが、晴天をバックに空中に浮かんでいる。

 アビラマは白い煙を見ながら叫ぶ。

 

「やったか!?」

「おい馬鹿! そのセリフは......!」

「--ふぅ、ビックリした」

 

 霊圧によって煙が吹き飛ばされる。砂漠に突き刺さった羽根の間から無傷のニルフィがゆっくりと出てきた。自分に降りかかるものだけの軌道を、素手でずらしている。

 アビラマとジオ=ヴェガが頬を引きつらせた。

 

「マジかよ、オイ」

「つーかアビラマ。てめえ奇襲のクセに攻撃前に大声出すなよ」

「あァん!? んなこと卑怯じゃねえかよ!」

「知るか! そもそも四対一の時点で卑怯だろうが。それとてめえは空から一方的に攻撃するだけだろ」

「んだとオラァ! その挑発乗ってやるよ! 羽根飛ばすだけが俺の能じゃねえんだよォ!」

「あ、ちょっ待て、行くな馬鹿ァッ!!」

 

 逆ギレして制空権という優位を捨てたアビラマが滑空体勢に入る。

 そして奇声を上げながら幼女に襲い掛かった男が、首と腹に肘を入れられ、無様に砂漠に突っ込んだ。

 

「............」

「来ないのかな、ジオ=ヴェガさん」

 

 一人となったジオ=ヴェガは無表情のまま周囲を見渡す。フィンドールとシャルロッテは起き上がってきている。アビラマ? そんなの知らん。しかし二人が来るまで、単独でこの少女と戦うしかない。

 もはや当初あったニルフィに対しての侮りは微塵もない。

 

「くそおおおおおおおおッ!」

 

 どこか悲哀を感じさせる雄叫びを上げ、ジオ=ヴェガがニルフィに特攻した。

 

 

 ----------

 

 

 これは鍛錬だ。

 少なくない命のやりとりが行われようと、ニルフィにとっては鍛錬であった。

 それも実戦に勝る訓練はないという言葉を体現している。もしニルフィを倒せたらもれなく十刃(エスパーダ)にしてやるぜ、などと冗談か本気か分からない褒美を据え、両者ともに頑張っていた。

 空中に投げ飛ばされたジオ=ヴェガを見ながらアネットが嘆息。最初、ニルフィは押されているかと思ったが、早くも相手の動きに慣れてきたようだ。

 

「あらら、ジオ=ヴェガもやられましたねぇ」

「この負けもあ奴らにとって刺激になるじゃろうなぁ」

 

 宮の屋上に置かれた玉座に座るバラガンが言った。

 下でのニルフィとバラガンの従属官(フラシオン)たちの戦いは、双方の同意を得たものだ。ニルフィは修練として。従属官(フラシオン)たちはバラガンに、最近平和ボケしているだろうとけしかけられた。

 バラガンのことだから門前払いされるだろうと思っていたが、予想以上にとんとん拍子で進んだことで拍子抜けだ。

 玉座の隣に立つアネットは肩をすくめる。

 

「あなたから許可が出るとは思ってなかったけど、ただの道楽のつもりかしら? どういう風の吹き回しよ」

「余興としては十分じゃあないか? これが現実だ。あ奴らが儂に捧げるのは、敵の血で染めた道だけでいい。それを身に染みさせるにはいい機会だ」

「身に染みるほど痛い思いさせても?」

「当たり前じゃろうて」

 

 フィンドールとシャルロッテが幻光閃(セロ・エスベヒスモ)虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)に攪乱されているのを眺めながら、話は続く。

 

「しっかし、あの小娘。最初会った時とはちっとばかし変わったように見えるんだがのぅ」

「まさか。バストもウエストもヒップも、最初と同じく絶妙なロリ体型を維持してるわよ。まさに芸術!」

「......たとえ十刃(エスパーダ)を降りても貴様は変わらんな」

 

 呆れが消え、金剛石のごとく重くなる。

 

「なあーー元NO.1(プリメーラ)?」

 

 頬杖を突きながらバラガンがギロリとアネットを見上げる。大帝の覇気のある視線に晒されながら、アネットの表情は微塵も動かない。最初に出会ってからもそうだ。彼女に畏怖を求めるのが間違いだった。

 妖しげな色香を漂わせる微笑を浮かべたまま、アネットは口を開く。

 

「ご生憎様だけど、今のアタシはただの従属官(フラシオン)よ。それに過去の栄光にしがみつくつもりなんかないわ」

「そうかのう。儂には貴様が栄光じゃなく、遺恨にしがみついているように見えるんじゃが」

「そりゃそうよ。だってアタシたちは亡霊なんだし」

「答えんか」

「必要性なんか感じませんね」

 

 バラガンの背後に控えるポウとニルゲの二人は、いつ主人が怒りださないかとハラハラしていた。アネットの遠慮のない物言いは無礼そのもの。いくら十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)であるとはいえ、あまりにも言葉が過ぎる。

 しかしバラガンは慣れたやり取りとでもいうように、気にした様子もない。

 

「まぁいい。いずれ答えは表に出る」

 

 右目付近や左頬などにある傷をなぞりながら、バラガンが予言めいたことを口にした。

 

「あとは小娘がどう進むかだ。それを認めこそすれ、妨げるつもりなんか毛頭ないわ。どう化けたところで今さら驚きはせん」

「端的に言うと?」

「あの小娘にも興味が湧いた」

「あら陛下。ご自分のお歳を考えたらどうですか? たしかにあそこまで可愛いコはそういないけど、体に興味があるなんて......」

「貴様の頭は一から変わってほしいのう」

「それだともうアタシの形をした別の生物ですね」

  

 ここまでいくとむしろ清々しい。アネットの人間時代の死因が煩悩関係だと言われても納得してしまう。むしろそれ以外ありえないのではないのだろうか。

 

「くだらん話はもういい。しかしなんじゃ。ここ最近、小娘はハリベルの宮に行ったらしいじゃないか。影で何かやっておるのか?」

「裏なんてないわ。ただ実戦経験を積ませておきたいみたい。これもニルフィが言いだしたことだし、ハリベルのトコの前は3ケタの巣(トレス・シフラス)に入り浸ってたわよ」

 

 グリムジョーの十刃(エスパーダ)落ちが決まった時から、ニルフィはこういったことを続けるようになった。

 自身の模倣能力を最大限まで生かし、貪欲に力を付けていく。アーロニーロの喰虚(グロトネリア)ほど即効性のない。しかし徐々に膨大な技術の取捨選択をして最適化し、あらゆる技を飲み込んでいく。

 特に十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)たちとの戦いはニルフィにとってかなり有意義なものだった。後代の破面(アランカル)と違って基本スペックが劣っていることの多い彼らは、それを埋め合わせるように技術という点を特化させていることもままある。

 そういった者は格好の模倣対象(エサ)だ。

 

「貴様は鍛えてやらんのか?」

「無理ね、そもそもあのコ相手だと無意識に手を抜いちゃうから。大体はグリーゼがなんとかしてくれるけど、彼だけだとパターンに限界もあるし」

 

 アネットではニルフィに甘すぎて訓練にならない。一番身近なのにかなりの弊害だ。しかし鉄扇などというピーキーな斬魄刀や能力型という点から、たとえ本気でやってもニルフィが学べることはあまりなかっただろう。

 強敵と戦うことではなく技術を磨くことを優先するならなおさらだ。

 

「ま、あの子が変わったっていうのなら、何がとは言わないけどたしかに変わったんじゃないかしら」

「その割には喜色のない表情を浮かべとるのう」

「......戦いなんて、させないほうがいいですし。あんなに嫌ってたのに、あの子が自分から進んでそういった道を歩いていくのは、正直複雑なのよ」

「カッ、従者はただ主の背を追うだけでよい。止めようなどという愚行は侮蔑でしかないわ。くだらんことを考えとる暇があるのなら、たとえ一匙(ひとさじ)でも身を捧げていろ。それがあるべき姿だ」

 

 グリムジョーとはまた違う、すべてを束ねようとする『王』の言葉にアネットは苦笑した。

 

「重いわね」

「軽い言葉なぞ吐かんわ」

 

 戦闘音が止んだ。

 見てみると、どうやらフィンドールたちはリタイアしたようだ。

 『あ、アビラマが襲い掛かった』と思えば、ニルフィのドルドーニ直伝である足技がアビラマの首に叩き込まれ、今度こそ沈黙する。もはや帰刃(レスレクシオン)も解けており、勝敗は決した。

 ニルフィはそそくさと彼らを介抱していく。

 彼女の体には、さほど深い傷を負っていなかった。

 分身による多方面の同時制圧。

 瞬速と格闘技を組み合わせたトリッキーな戦闘スタイル。

 鬼道などを含めた手数の多さ。

 ニルフィの長所を挙げればこのようになるだろう。しかし、それでもまだ完ぺきではない。スタークが使う無数の虚閃(セロ)による集中砲火『無限装弾虚閃(セロ・メトラジェッタ)』などの一点突破に特化した技を許せば、意外にも脆い。

 --といっても戦い方しだいだし。

 --それに前に現世で見た小さな隊長さんくらいなら、問題ないかしら?

 --さすがに藍染クラスは分が悪すぎだけど。

 ひいき目もなく客観的に分析するアネット。その時の彼女の表情はひどく冷めきっており、それが怜悧な美貌を最大限にまで冴えさせていた。いつもそんな顔していればいいのにとバラガンが思ったのを、アネットは知らない。

 

「やはりあ奴ら、なまっておるな。もうちっとばかし粘れば及第点は与えられたんじゃが」

「数が有利だっただけでいきなり連携なんて取れないわよ。アビラマがもうちょっと頑張ってくれれば、もっとニルフィに有効打を与えられたはずね」

「やはりアビラマか」

「そうね」

 

 ボロクソに言われているアビラマがかわいそうだ。目指せ十刃(エスパーダ)はまだ遠い。

 そういえば、とアネットが思い出したように話題を変える。

 

「新しい第6十刃(セスタ・エスパーダ)のこと、知ってますか?」

「ああ、あの小童(こわっぱ)のことか。ボスも人が悪い。実力が多少なりともある者を選ぶのなら、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)や埋もれた刃がいるじゃろうに。十中八九、遠くないうちに何かしでかすんじゃあないか」

 

 ルピ・アンテノール。記憶を探ってみれば、該当する少年のような破面(アランカル)が思い浮かぶ。

 アネットからして特に思う所のない存在だ。

 しかしニルフィからはどう見えるのだろうか。ルピのひねくれた性格を知っているだけに、ニルフィと合わせるとロクなことが無さそうだと勘が告げる。

 アネットの主人は敵と見なした相手をとことん嫌うのだ。それはもう、関係修復など見込めないほど。

 

 

 

 少し前の出来事だ。

 ヤミーのところから借り受けてきたクッカプーロとニルフィが、第7宮(セプティマ・パラシオ)でたわむれていた。それを少し離れていたところから微笑ましくアネットが見守る。

 黒い髪をなびかせながら、ニルフィは楽しげに子犬とじゃれあう。

 そんなとき東仙がなんらかの報せを持ってニルフィの宮を訪れたことがある。

 

「ニルフィネス。藍染様からの伝言だ」

「........................なに?」

 

 話しかけられた途端、あんなにも輝いていた金色の瞳に影が差し、それに留まらず腐敗した泥沼のように濁った。さらに盛大な舌打ちが響く。舌打ちだ。あのニルフィが、下品にも舌打ちをしたのだ。

 もはやグレまくりなニルフィが軽蔑の視線を東仙に向ける。遠くから見ていたアネットはその視線に......なぜかいつも以上に興奮したが、まあそれはともかくとして、これがまだ序の口だと悟る。

 

「何の用かな? 許可どころかデリカシーの欠片もなく私の宮に入ってきて、さ」

 

 棘を隠そうともせずに言葉を投げかける。

 

「最初に言ったはずだ。藍染様からの伝言だと」

「そう」

 

 無言。何も話すことがないとでもいうように、ニルフィはクッカプーロとのたわむれを再開する。話すのならさっさと話せ。小さな背はそう物語っていた。

 これほど取り付く島もない態度を取るのはおそらく初めてだ。ドライな幼女というのもなかなか趣があるとアネットは思った。

 普段の温和さが鳴りを潜め、氷のような空気を纏う。なぜかその冷徹な表情にもアネットは胸がキュンと鳴るが、またもやそれはともかくとして、傍観に徹する。

 --余計なことしたらアタシも怒られちゃうかもしれないし......。

 しかしここで余計なことをしたのは東仙だった。さっさと報告を済ませて、速急にこの宮を出ていくのが正解だったのに。

 

「ニルフィネス」

 

 東仙が呼びかける。

 

「私は間違ったことをしたとは思っていない」

 

 その言葉を聞いたとき、ニルフィの手が止まった。彼女の表情は黒髪に隠れてうかがえない。しかし腕の中のクッカプーロがガタガタブルブルと震えはじめた。

 

「間違ったこと?」

「グリムジョーたちはこの虚夜宮(ラス・ノーチェス)の調和を乱す存在だと考えた。規律を全うするために私は刀を抜いたに過ぎない」

「......へぇ、そっかぁ。調和、規律、ねえ」

「言いたいことでもあるのか?」

「当たり前じゃん。そもそも私たちは破面(アランカル)である以前に(ホロウ)だよ? 自分勝手にしか生きられない存在なのさ。それを無理やり暴力で並べ立てるのが調和っていうのなら......今ここでキミの人格とプライドをへし折って、床を舐めてもらっても、それも調和ってことになるのかなぁ?」

 

 ぐるん、と擬音がつきそうな動作でニルフィが東仙を見る。盲目の死神は苦々しい顔をしていた。

 

「東仙さんは、グリムジョーのどこが気に入らないの?」

「以前からその兆候があったが、決まり付けは藍染様の意志に反し、許可なく現世へ侵攻したことだ」

「あははは、藍染様の許可も待たずに刀を抜いた人の言葉はやっぱ違うなぁ。あれだね。飼い主から『待て』って言われても、いきなり目の前のエサにがっつく(しつけ)のない犬と同じだよ」

 

 けらけらけら。

 ここまで楽しそうでない笑い方もないだろう。

 

「減らず口を叩けるようになったのは結構だ。だが、貴様も現状を揺るがすような行動をしたのなら、断罪対象となるのを忘れるな」

「キミが? (ホロウ)だった私に始解の『清虫(すずむし)』どころか、卍解の『清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)』を使っても仕留めてくれなかった、キミが?」

「......ッ! 貴様、記憶が......」

「今はどうでもいいよ、そんなの。でも言っておくよ。私を断罪するなら精いっぱい抵抗してーー殺してやる。私から大切なものを奪った報いを受けさせるよ」

 

 もはやニルフィは東仙のことなど赦しはしない。相手が赦してもらおうと考えていなくとも、ニルフィから歩み寄ることはなくなった。たとえどれほどのお菓子をくれようが、成り行きで優しくされようが、心を開く前に相手の首を闇から狙う。

 今でさえ、東仙に藍染という後ろ盾がなければ、ブレーキなどなくなったような殺気が形となって暴威を振るうだろう。

 

 

 

 アネットが腕で身を抱きながら震える。

 

「ああ、なんだかイイ意味でゾクゾクしてきちゃった!」

「ーーもうよい。小娘のところに行ってやれ。まったく、貴様がなぜそう考えたか、推し量れるようなったのが複雑じゃのう......」

「フフッ、それだけ長い付き合いってことですよ」

「腐れ縁の間違いだろう。儂は中へ戻る。これは小娘に渡しておけ。退屈をしのがせてもらった礼じゃ」

「ありがとう。二ルフィも喜ぶわ」

 

 諦めの境地に差し掛かったバラガン。彼は懐から最高級のお菓子の小袋を取り出すと、アネットに放り投げる。仰々しく受け取ったアネットは、一礼するとすぐさま宮の屋上を飛び下りた。

 どれほど歪んでいこうと、愛してやまない主人の元へと行くために。

 

 

 グリムジョーの現世侵攻から半月ほど経った、とある日の出来事。




ニルフィの生態

日ごろから東仙の首の真後ろを、虎視眈々と狙い続けるようになったよ!

好きと嫌いが異常なほど両極端だ!

愛玩動物にしたいなら、イイ人を演じて餌付けを欠かさないようにしよう!

間違って怒らせる可能性があればこちらのメールアドレスから会員登録をして葬儀一式や自分が入るお墓などなど現在一括セールキャンペーンやってるので遺言したためながら予算に無理のない範囲でご予約してください(真顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思考の迷路

 そこは、虚夜宮(ラス・ノーチェス)のどことも知れぬ、ただ広い空間であった。

 その中央で高速の手陣を切り始めたニルフィが、霊圧を複雑に編み込む。

 矮躯から放たれる霊圧が彼女の艶やかな黒髪を持ち上げた。

 紡ぐ。

 

「縛道の六十三」

 

 鎖条鎖縛(さじょうさばく)

 

 空中から出現した霊子の鎖が、模擬相手となる人形へと襲いかかり、生きた蛇のように相手の全身を幾重にも締め付ける。人形は至って特徴もない関節がむき出しのものだが、なぜか顔には東仙の絵が貼り付けてあった。

 ニルフィの歌うような詠唱は終わらない。

 

鉄砂(てっさ)の壁 僧形(そうぎょう)の塔 灼鉄熒熒(しゃくてつけいけい) 湛然(たんぜん)として終に音無し。--縛道の七十五」

 

 五柱鉄貫(ごちゅうてっかん)

 

 詠唱の終了とともに地面に腕を叩き付けると、地面が五ケ所割れ砕け、人形の真上に光り輝く紋章が浮かび上がる。そこから地面に向けて五本の光柱が延び、人形の体を突き刺すような形で全身の動きを封じ込めた。

 それに重ねるように、詠唱破棄で縛道の六十一、『六杖光牢(りくじょうこうろう)』を放ち、人形の体をさらに鬼道で締め付ける。

 ここまでで、三重の封印が施された。

 ニルフィは床に突いていた手を前面に差し出し、短く、そして気の籠った言葉を吐き出す。

 

「ーー縛道の八十一」

 

 断空(だんくう)

 

 ただの詠唱破棄ではない。扱いが難しい八十番台の鬼道を、都合六回詠唱したのと同じ効果を発揮させる。

 八十九番以下の破道を完全に防ぐ、特殊な壁を生み出す縛道、『断空』。その壁を六枚生み出すことで、ニルフィは眼前の人形の周りに立方体の結界を造り出したのだ。

 本来は防御に使う『断空』を、疑似詠唱という形で封印に使うという裏技。

 東仙人形は微動だにすることもできずに拘束させられた。

 

「ふぅ......これでヨシッ、と」

 

 しばらく経っても崩壊したり不安定にならないことを確認してから、鬼道をすべて解く。

 ザエルアポロ作のめちゃくちゃ頑丈なだけの人形が絶妙なバランスで床に足をつける。東仙人形に近づいたニルフィがその股間を蹴りあげた。推定100キロは下らない人形が、ズンッ、と腹に来る音と一緒にわずかに浮き上がり、ついに人形は床にぶっ倒れた。ドルドーニあたりが見たら顔面蒼白になりそうな光景だ。

 思わず見とれそうなほど晴れ晴れとした表情のニルフィが、壁際で見ていた市丸に近寄った。

 

「市丸さん! さっきのも上手くいったよ!」

「いやあ、凄いわぁ。ボク、もう鬼道の腕じゃニルちゃんに敵わんわ。もし死神だったらすぐにでも副隊長になれるで」

 

 監督役を務めていた市丸ギンが肩をすくめてみせる。

 その顔は感心しているようであり、あるいは呆れているようにも見える。

 視認しただけで模倣できる構築力。本来ならば死神が百年単位で研鑽する技を、ニルフィは一度の経験だけで八割を成功させ、二度目で十全に扱えるようになるのだ。修行舐めてんのかと言いたくなる能力であった。

 さっきまで居た藍染も自分の仕事に戻っている。彼がいくつかの鬼道をニルフィに見せ、彼女はここで確認も兼ねて真似する。以前は市丸か東仙のどちらかが監督役を務めていた。しかしニルフィは東仙といざこざを起こしそうだという理由の為、鬼道の鍛錬の際は市丸が見ていることになるのだ。

 

「ん、でも私のはズルしてるようなものだからね。それに藍染様ほど使える人ってそういないだろうし、そんなに誇れることでもないよ」

「過程よりも結果やろ。死神にも鬼道がてんで駄目ってのもおるし、でもキミは出来とる。十年経ってないのにこんなに使えるんなら、胸張っとき」

「......張るほど胸、ないんだけどね」

「そないな悲壮な顔せんといて。きっと成長するやろうし、うん」

 

 ニルフィはぺたぺたと胸回りに触れた。大きくなっているような実感はない。武芸の実力が成長しているのに悲しいまでに無反応である。

 俯きがちのニルフィの顔の近くに、ヒョイと何かが差し出された。それを見て少女が顔を輝かせた。

 

「干し柿!」

「食べとき。キミに悲しい顔なんて似合わんよ」

 

 嬉しそうに受け取ったニルフィがおいしそうに干し柿を口に運ぶ。その様はまるでリスのよう。尻尾があればブンブンと元気よく振られていただろう。

 そしてちゃっかりニルフィの餌付けを成功させている市丸であった。

 

「市丸さんは干し柿大好きなんだよね?」

「ギンでええよ。キミみたいなめんこい娘から他人行儀なんて辛いわぁ。......まぁ、そうやな。子供の頃からよく食べてたわ。尸魂界(ソウル・ソサエティ)から出てきても、こればっかりは捨てられへんかった」

「市......ギンはなにか後悔でもあるの?」

「なんでそう思ったんや?」

「他にも捨てたものがあるんでしょ? もしかしたら、仕方なく捨ててきちゃったものがあるんじゃないかなって」

「ボクはそないなこと何も言ってへんよ」

「......う~ん、なんていうか。--雰囲気で?」

 

 コテン、と首をかしげるニルフィ。彼女もよくわかっていないようで、少しだけ眉を寄せていた。

 市丸は表情を変えることもなく、いつもの飄々とした笑みのまま右手で額を叩く。

 

「やっぱりニルちゃんには敵わんわ。キミに隠し事なんて出来へんわな」

「あっ、ゴメンね。私ってよくズカズカ言っちゃうから」

「責めてへんよ。ただ、置いてきたモンがあるだけやから」

 

 冗談かどうかニルフィは答えを知らない。しかし嘘ではないのだろうと思った。

 そういった考えをうやむやにするかのように、飄々としたままの口調が語る。

 

「あらら、ボクの悪い癖やな。可愛いコの前だとついつい口が滑る滑る」

「お世辞上手だね」

「本心をお世辞とは言わへんよ」

 

 二人は小さく笑いあった。

 なんとも、歯が浮くようなセリフを恥ずかしげもなく言えるようだ。それが彼の飄々とした態度を作る石組みなのだろう。相手を決して不快にさせることはしない。護廷十三隊にいた時もこんな様子なら、さぞ好青年として女性隊士にモテたはずだ。

 だから、聞いてみる。

 

「ねえ、ギン。ギンはさ、好きな人っているの?」

「どうしたんや急に?」

「あのねっ、私ね、このまえクッカプーロと廊下で遊んでたら藍染様と会ったの。それで突然さ、『君はその破面(アランカル)のことが好きか?』って聞かれて、『うん』って答えたの。それから......」

「それから?」

「今度はアネットのことが好きか? とか、グリムジョーのことが好きか? って訊かれて。それで全部『うん』って言ったんだけど。最後にね、『君が一番好きな相手は誰かな?』って訊かれて......。それがわかんなくて、ずっと悩んでる」

 

 ニルフィは大抵の相手を好ましいと思っている。嫌なことをされない限り、さらにお菓子をくれたり頭を撫でてくれる相手は特に好きだ。東仙は嫌いで、ノイトラは怖い人と認識しているが、それもごく少数の例である。

 多くの相手のことを『好き』と思っているが、その違いや大きさが量り兼ねていた。

 

「もちろんグリーゼのことも大好きだし、シャウロンたちのことも好きだったんだよ。だけど一番は誰かって言われたら、頭の中がごちゃごちゃってなって」

 

 ニルフィにとって今までの世界は、『好き』な相手か『嫌い』な相手だけで出来ていた。しかしそれをさらに細かくするようになると、途端、自分のことなのに整理がつかなくなる。

 

「誰かに相談したん?」

「ううん。ギンが初めて。でも現世の雑誌でそういうことを書いてるのがあったから見てみたんだけど」

 

 ニルフィが懐からその雑誌を取り出した。何度もページをめくっていたからか、最近発行されたばかりなのにくたびれている。『LIKE or LOVE』。そんな題名が表紙を飾っていた。

 この本に書いてある『好き』とは、親愛か恋愛の二つだった。

 親愛についてはなんとなく理解できた。シャウロンたちに向けていたのはおそらくコレだからだ。

 しかし、恋愛。それがよく分からない。誰にでも向けていい親愛とは違い、恋愛とは主に異性間(例外含む)で交わされる物らしい。しかしアネットは普段の言動から同性オッケー(ニルフィの主観含む)な感じだ。めっちゃ複雑なのだ。

 言葉では理解できない。そして虚夜宮(ラス・ノーチェス)に例となる破面(アランカル)はいない。

 だから可能性のある死神として市丸を選んだ。藍染と東仙という選択肢はニルフィの頭にはたから存在していなかったが。

 

「なるほど。ニルちゃんもそういうお年頃なんやね」

「私が知りたいのはこの恋愛の『好き』についてなの。この場所じゃ、ギン以外に知ってそうな人がいないから」

「案外、アネットちゃんも知ってるかもしれんよ? それにクールホーンくんとか、ボクみたいな胡散臭い男よりももっとタメになりそうな人がおりそうなんやけど」

「そうすると一晩で虚夜宮(ラス・ノーチェス)に広がっちゃうから」

「......ああ、なーるほど」

 

 女とは、得てして噂好きである。

 

「そうやねぇ......。ボクもあんまり分かっとらんよ。仲良い女のコはそれなりに居たんやけど、それ以上なるゆうとなぁ......」

「ウソっぽーい!」

「アハハハ、ホントや、ホント」

 

 確かめる術はニルフィにない。だからいともたやすく市丸にあしらわれてしまった。

 ぶーたれるニルフィに視線を合わせるように、市丸が膝を突く。

 

「ニルちゃん。キミが一番当てはまる思う人は誰や?」

 

 その質問にニルフィは頭を悩ませる。

 なんというか、それっぽい人があまり思い浮かばない。

 アネットは姉のようで、グリーゼはなんというか、母親とか父親のような存在である。バラガンはお祖父ちゃん、クッカプーロはペット。誰もかれも、親愛と思える存在ばかりだ。

 グリムジョーは......なんだろうか? 他のみんなももしかしたら違うかもしれない。これは、きっと......。

 

 --ボフンッ!!

 

 混乱しすぎたニルフィの頭から煙が噴き出す。市丸が彼女の頬を叩いて現実に戻していなければオーバーヒートしていただろう。

 ニルフィの頭を撫でながら、たしかな苦笑を口の端に刻んだ市丸が言った。

 

「隊長に他に何言われたんかわからんけど、キミにとって大切なんは、そないな位置づけやあらへんやろ?」

「あ......」

「一番大切なんは、キミがただ、他の皆を『好き』って思うことや。その相手が危なくなれば、誰だろうとキミは助けようとする。それでいいんや。今までキミは、『好き』にランクなんてつけておらへんかったしね」

 

 やっと、しっくりこなかった理由がわかった。

 ニルフィは藍染の言葉で無理やり好意のレベルを考えていたのだ。そんなのは性に合わないというのに。

 市丸が言った通り、『好き』という感情については無理やり考えなくてもいいのかもしれない。むしろ大切にして(はぐく)んでいく方が何倍もマシだ。

 胸のもやもやが取れ、心なしかすっきりした。

 

「そっか! ありがとね、ギン!」

「ええよええよ、ただテキトーに言っただけやし」

 

 金色の眼を輝かせながらニルフィは拳を握る。

 

「私、もっと頑張って強くなって、皆を守れるようになるよっ。もちろん、ギンのこともね!」

「あらら、イケメンやな。女のコに守ってもらうボクは情けないわぁ。......まあ、悩みが取れたっちゅうなら、ボクでも相談に乗った甲斐があったってモンや」

 

 そこでニルフィは気配を感じて扉の方を見る。向かえとしてグリーゼが来たらしい。キリのいいところで終わったようだ。

 

「ーーもう行くね。相談に乗ってくれてありがとう」

「気ィ付けてや。最近は物騒になっとるからなぁ」

 

 『おもろいコト聞いてもうた』。去り際の市丸の言葉はニルフィには届かなかった。

 ニルフィはさして『好き』について考えることなく、今後を思って嬉しそうに顔をほころばせる。

 この場でもっとその『好き』について理解を深めていたのなら、これからしばらくしての出来事もちょっとは進路が変わっていたかもしれない。ニルフィは普通とは違う。あまりにも愚直すぎたことが今後の災いとなるのを、まだ誰も知らない。

 

 

 ----------

 

 

 そんなとき、一時的に話題に上がっていたグリムジョーは。3ケタの巣(トレス・シフラス)のとある通路を歩いていた。

 特にアテがあるわけでもなく、ただ単にほっつき歩いていただけである。

 目的などはなかった。しかしある人物の姿を見かけたことで、気まぐれのように話しかけた。

 

「ーーおい、オッサン」

「吾輩はオッサンなどという名ではない! ......っと、おやおや、誰かと思えば青年(ホーベン)ではないかね。噂はかねがね聞いておるよ」

 

 ドルドーニは髭をしごきながら一度だけグリムジョーの左腕を見る。正確には左腕があった場所を、だ。

 その隻腕ゆえに十刃(エスパーダ)からグリムジョーが落とされたのは周知の事実だ。

 

「しかし珍しいこともあるものだ。君から吾輩に声を掛けて来るとは......。吾輩が十刃(エスパーダ)であったころは、いくら吾輩が話しかけても礼儀ともども無視されていたが。フム、こうして建前だけとはいえ同じ立場に立ったからこそ言えるものが......」

「別にくだらねえ話をしに来たんじゃねえよ」

「分かっておる。分かっておるとも。十刃(エスパーダ)であったころの吾輩の輝きは、まさしく太陽のごとき。直視することすら難しかっただろう。貶すつもりなどないが、自身どころか青年(ホーベン)も堕ちた今、吾輩たちはこうして腹を割って話せるようになった。ーー違うかね?」

 

 --ウゼェ......!

 グリムジョーは必死に拳の形を作りそうな右手の力を抜く。今にもドルドーニに殴り掛かってしまいそうだった。ドルドーニの戦士としての在り方は認めているが、普段のこの言動が気に食わない。

 無視していたのも、単に構うのが面倒だっただけだ。

 

「そんなのはどうでもいいんだよ。聞きたいことがある」

「フム、なにかね?」

「この近くで、てめえらとニルフィが戦っていたってのは本当か?」

 

 もう一度フム、と鼻で息を吐いたドルドーニが、髭をしごくのを止めた。

 おもむろに息を吸い、

 

「--事実だ」

 

 グリムジョーは自分が苦い顔となるのを自覚した。それは正面にいるドルドーニが一番分かっているだろう。おそらく、その理由も。わかっていながらドルドーニがわざわざ尋ねる。

 

「しかし青年(ホーベン)の訊き方も遠回しなものだ。久しく会っていなかった吾輩に訊くよりも、お嬢さん(ニーニャ)の元へ行ったほうが早かっただろうに」

「あいつは関係ねえよ」

「そうかね。ならばなぜ質問などした」

「............」

「こうした問答をするのは無意味だったかな。それよりだったら早く、お嬢さん(ニーニャ)に会いに行きたまえ。聞けば、ある日を境にぱったりと会わなくなっているらしいではないか。心配しておったぞ」

 

 たしかに会うのが正解なのだろう。

 こんな馬鹿げたことなんて止めろと、直接言わなければならない。他の誰でもないグリムジョーが。

 あの時ニルフィは、『自分の存在がシャウロンたちを殺した』ということを否定した。しかし本心からそう思っていたのならば、こうして実力を付けるための行動など起こさなかったはずだ。

 火種は払う。しかし自分から火は付けない。それがニルフィの信条だ。

 しかしグリムジョーが起こした現世への無断侵攻を機会に、ニルフィは自分から争いに身を投じる腹積もりでいる。

 そのせいで一人の少女を変質させてしまったのだ。

 自分自身のことがここまで気に入らなくなったのはいつぶりだろう。

 

「あいつは、オッサンたちと戦ったんだろ? それも自分から?」

「だからオッサンではないと......まぁよい。青年(ホーベン)の問いに答えるのならすべて肯定を返そう。

ニルフィネス嬢は自分からここへとやってきて、鍛えてほしいと我々に頼んだのだ」

「全員が全員、頷いたワケじゃねえだろ」

「そうだとも。しかしそういった輩をお嬢さん(ニーニャ)はことごとく挑発し、強引に自分に攻撃を仕掛けさせた。十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)数名を同時に相手取り、虚夜宮(ラス・ノーチェス)の壁に穴が開いてしまったよ」

 

 落ちた存在とはいえ、個々の実力は数字も持ち(ヌメロス)はもとより、従属官(フラシオン)たちをしのぐ。

 だが、

 

「結果として我々は敗北した。最初こそお嬢さん(ニーニャ)を追い詰めていたのだがね。時間を掛ければ掛けるほど、刃は届くことが無く、終いには翻弄され続けた。......刀剣解放すら使わずにだ」

 

 聞けば、ドルドーニたちは全員が帰刃(レスレクシオン)を使ったらしい。破面・No.105、チルッチ・サンダーウィッチは『車輪鉄燕(ゴロンドリーナ)』を。破面・No.107、ガンテンバイン・モスケーダは『龍拳(ドラグラ)』を。他の者たちも例に漏れない。

 かくいうドルドーニも『暴風男爵(ヒラルダ)』を解放し、即席の連携をこなしていた。

 

「いくらアイツでもそんなコト出来んのかよ?」

「出来たのだ。吾輩たちは現に、それを見ている」

 

 戦士としての貌を覗かせたドルドーニに、グリムジョーはそれ以上なにも言えなくなった。

 

「たしかに吾輩たちはアネット嬢たちやピカロのような、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)での規格外ほどの力はない。しかしだ。再び己の無力さを噛み締めさせられたよ」

「そうか」

 

 いつもに増してこの場所がピリピリしていると思えば、ニルフィが原因だったらしい。十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)たちは思い思いに自身の修練に力を入れていた。

 ドルドーニが肩をすくめさせながらため息を吐く。

 

「しかし、困ったものだ」

「なにがだよ」

 

 苦痛にさいなまされるドルドーニを疑問に思い、グリムジョーが尋ねた。

 しかしすぐにそれを後悔することになる。

 

「此度の戦いにより、ニルフィネス嬢は吾輩のハートをさらに射止めたのだ! 普段は見せられない戦女神のごとき凛々しい表情はかくも宝石のようだった。動くたびに見え隠れするうなじや肌の白さが、なんともいえぬ色香を漂わせていたのだよ」

「もうその口を閉じろ」

「そうっ、口だ! 正確に言えばあの柔らかくも可憐な唇なのだ! 鬼道だったか? 言葉を紡ぐ際の動きがなんとも艶めかしい。そして時折チロリと覗く舌先がまたなんとも吾輩のリピドーを刺激する! しかし吾輩が一番興奮したのは脚だった! あの精巧なガラス細工のような脚から繰り出される蹴りが、このいやしい身を揺する時、吾輩の中のケダモノが一気にーーーー!」

「......おい、アネットがいるぞ」

「--むぉう!? ち、違うのだ! 吾輩は別にいやらしい意味合いで話していたのではなく!!」

「嘘だよ。あいつはいねェから、そんなみじめな姿見せんじゃねえよ」

 

 大袈裟なジェスチャーで長々と語ったかと思えば、アネットの影がちらつくと猟師に狙われた小鹿のごとく怯えはじめた変態紳士。手の施しようがないとはこのことだろう。普段から戦闘時のような雰囲気があれば、十刃(エスパーダ)時代に失敗した、女破面(アランカル)従属官(フラシオン)を引き入れることも出来ただろうに。

 ドルドーニを見ていると何もかも馬鹿馬鹿しくなる。グリムジョーは意気を削がれたように頭を乱暴に掻く。

 

「もういい。知りたいことは聞けたからよ。壁相手にいくらでも言ってろ」

「それだと吾輩が単なる不審者ではないかね?」

「そうなんだよ」

 

 グリムジョーはさっさとこの場を離れようと体の向きを変えようとする。

 それを引きとめるようにドルドーニが声を掛けた。

 

青年(ホーベン)はこれからどうするつもりかね?」

「......どうもこうもねェよ。あいつがこれから何しようが、俺には関係ねえことだ」

「吾輩が聞いたのは他の誰でもない青年(ホーベン)のことだ」

「俺の?」

(しか)り。お嬢さん(ニーニャ)青年(ホーベン)の間で何があったかなど吾輩の存じぬところだ。されど、ここで大切なのは青年(ホーベン)がなにをしたいかだ」

 

 自分が何をしたいのか。

 そう訊かれると、グリムジョーはとっさに答えることができなかった。

 ドルドーニはそれ以上追及する訳でもなく、今度は自分から身を(ひるがえ)す。

 

「先達者として助言するならば、理由を考えてから行動するといい。時間は有限だ。しかしまったく無いというわけではない。青年(ホーベン)がその答えに辿り着くよう、祈っておるよ」

 

 去っていく背を見ながらグリムジョーが悪態を突く。

 

「喋りたいだけ喋って、最後にはワケ分かんねえのを残していくんじゃねえよ」

 

 ドルドーニの言葉で余計分からなくなる。苛立ちに反応して霊圧が揺らめく。

 しかし時間は多少なりともあるとドルドーニは言った。

 

「くそ......ッ!」

 

 あの変態紳士の言葉に従うのは癪だが、今回ばかりは素直に聞き入れよう。

 グリムジョーは無人の通路を歩きながら、自分の中でごっちゃになっていた感情を整理しはじめた。

 最後に見た少女の顔が頭の隅でちらつく。

 ひとつ分かったことといえば、あんな顔は二度と見たくないということだ。

 なら、自分はどうするべきか。

 

「--青年(ホーベン)よ!」

「まだ何かあんのかよ」

「絶対にだ! 絶対にさっきの吾輩の変た......ちょっと本能全開にしすぎた言葉をアネット嬢にチクるのではないぞ! いいか? これは振りではない!」

「いいからさっさと失せやがれ!」

 

 ......本当に、こんな変態紳士の言葉に従うのは癪だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

LIKE or LOVE

 第一宮(プリメーラ・パラシオ)のとある一室。

 そわそわと落着きなく同じ場所を行き来する少女を見かね、スタークがクッションの上に寝っ転がりながら声を掛ける。

 

「おい、ちょっと落ち着いたらどうだ?」

「お、落ち着いてるし! あたしってばいつも通りだし!」

 

 言葉とは裏腹に少女はせわしくなく身じろぎする。

 彼女の名はリリネット・ジンジャーバック。スタークの従属官(フラシオン)にして、頭部と顔の左半分を覆うように仮面の名残がある少女だ。

 

「そんな事してても、あちらさんが来る時間が早くなるわけじゃないだろ」

「......だってさー」

「言いたいことは分かる。だからとりあえず落ち着け。その元気はあとに回した方がいいだろ」

 

 スタークの言葉にリリネットがバツが悪そうに俯く。

 最近友達となった少女と会うのが待ち遠しいのだろう。邂逅してからすでに何度か会っているが、いつの間にか楽しみとなっている。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)では娯楽が極端に少なく、そこで溜まったストレスを発散する方法も限られてくる。戦闘で鬱憤を晴らす輩もいた。しかし虚閃(セロ)も満足に撃てないリリネットでは逆に殺されてしまう。今まで作りたくとも作れなかった友人とも呼べる存在が、リリネットにとってはかかせないものとなっていた。

 

「遊ぶのが楽しいっていうか、一緒にいられるだけであたしは嬉しいんだよね。今まであいつみたいなヤツっていなかったじゃん? ただ同じところにいるよりも近いって感じられるのが、なんていうか、新鮮だから」

 

 リリネットはただの従属官(フラシオン)ではない。厳密には、その括りに当てはまらないだろう。

 通常なら斬魄刀となるべき虚の破面化現象において、あえて刀ではなく人型をとっているため、正確には第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)である。どちらも同じで、半身としての存在なのだ。よって、スタークの抱える死の形である『孤独』も、リリネットは胸に秘めていた。

 だからこそだろう。とある十刃(エスパーダ)の少女の存在は、長い時の中で待ち望んだものであるのは。

 

「ま、否定はしないけどな」

「でしょ」

 

 得心がいったようにリリネットが口の端を吊り上げる。

 

「なんていうかな、同族意識? あいつとあたしたちって、なんだか似てるような気もして、それが一番気になるんだよね」

「似てるだけでホントは違うさ」

「どうしてそう思うの?」

「俺たちと同じだったら、俺たちと同じようになってただろ」

 

 スタークは、あるいはリリネットは、(ホロウ)時代、孤独ゆえに自らの体を半分に分けた。

 しかしあの少女はそれをしなかった。別の方法を見つけたのか、あるいは孤独を紛らわせることが出来たのか。

 --感謝こそするが、踏み込みはしないけどな。

 欠伸を噛み殺しながらスタークは頭の隅で考えた。

 言ってはなんだが、幸運だった。もしスタークたちと同じようになっていたら、こんな交流など自分からしに来ないだろう。いくらスタークが最初に言ったからといってもだ。

 

「--っと、おいでなすったか」

「ホント!?」

 

 探査回路(ペスキス)に反応が出たことでふいに言葉が漏れ出る。それを聴きつけたリリネットが顔を輝かせた。

 

「もう部屋の前だ」

「はぁ!? なんで宮に入った瞬間から教えてくれなかったのさ!?」

「いいじゃねえかよ。俺が教える前に自分で気付いてくれ」

 

 扉がノックされる。スタークに文句を言う暇さえ惜しむように、リリネットが返事をしながら扉へと駆けていく。壁を隔てて待っていた人物に早く会いたいがために。

 そして扉が開かれ、

 

「ニルーー」

「ロリータモンスター。略してロリモン! ちゃっちゃと調教し(しつけ)お持ち帰り(ゲット)だぜ!」

「ぎゃー!?」

 

 隙間から飛び出るようにして現れた朱色の髪の女に拘束された。

 

「ちょっ、やめっ! なんでグリーゼじゃなくてあんたが来てるのさ!?」

「あらあら、元はといえばこの宮はアタシのものよ? 売物件がどうなってるか気まぐれに見に来るのは当たり前でしょ。それに代金なんて貰ってないし、お代はあなたの体でいいですよ?」

「服に手ぇ入れんな! それにあたしは売り物じゃない!」

「あ、そうでした。公共の品ですし優しく扱ってあげますよ」

「その優しくのニュアンスがおかしく聞こえるのはあたしがおかしいから!?」

 

 アネットがフフフと妖しく笑いながら流す。

 ずっと昔、はじめて会った瞬間から彼女はリリネットの天敵となっていた。何しろ目の前にいるだけで身の危険がビシバシ伝わるのだ。気を抜けば、色々な意味で食べられてしまうだろう。

 あわや魔の手に染められそうだったリリネットを救うような声が後方から届く。

 

「ねえアネット。リリネットが困ってるでしょ?」

「あらら、ちょっとからかいすぎたわね」

 

 拘束を解かれたリリネットにとってその少女は菩薩かなにかに見えただろう。

 会うのを待ちわびていた少女、ニルフィが少しだけ申し訳なさそうに笑った。

 

「ごめんねリリネット。アネットったら久しぶりにキミに会えるって興奮してたんだ」

「興奮の仕方が乗る路線からして間違ってる気がするけど......。ありがとう、ニルフィ」

 

 自分より少しだけ身長の低い少女に、リリネットが礼を言う。

 華奢で儚げな容姿に、よく自慢しているらしい艶やかな濡れ羽色の黒髪。無垢と無邪気の光が詰まったような金色の瞳が優しげに細められた。このような姿でも十刃(エスパーダ)の一人だ。しかし彼女たちの関係に、そんな肩書など必要ない。

 これから何をして遊ぶか相談し始めた少女たちをスタークが眺める。

 いつの間にか横にやって来たアネットがクッションを一つ置き、断ってから腰をおろした。

 

「あんたも相変わらずだな」

「表に出てきてからよく言われますよ、それ。まったく、一度隠居しただけで人格が変わるとでも思ってるんですかね」

「そうなったらそうなったで不気味だ。変わらんほうがいい時もあるってことか」

「そういうことよ」

 

 スタークはだらけきった姿勢のままアネットを横目で見る。

 

「懐かしいからってココに来たわけじゃあないんだろ?」

「そう、ね。ちょっと忘れ物をしたからそれを取りに。だけどもっと重要な事案がアタシにはあるのよ」

「なんだ?」

「この目で幼女二人がいちゃいちゃする光景を脳内に保管するためよ!」

「......言いたいことはなんとなくわかるが、それだとあんたが幼女を付け狙う犯罪者の発言だよな」

 

 アネットは豊かな胸を張って、

 

「そっちの意味もあるからまったく問題なし!」

 

 言い切った。

 スタークは小さくため息を吐いて、

 

「グリーゼの旦那が代わりにいれば、頭を痛めないで済むんだがな」

「あんな堅物と一緒にしないでほしいわね。この前ニルフィに襲い掛かったらめっちゃ痛いデコピンで撃退してきたのよ。バゴーンッ!! ってね。そのあと10時間も延々と小言小言。あのときの床の冷たさは忘れられないわ!」

「......なあ、グリーゼの旦那の行動がまったく間違ってないように思えんのは、気のせいか?」

「常識すらもアタシの敵になったみたいですね」

 

 悔しそうに歯噛みするアネット。彼女には自業自得という言葉を贈りたい。

 というよりも、アネットが日の下を歩けるのは、何気のブレーキ役のグリーゼのおかげだったりする。存在がもはやアウトゾーンにいるアネットが大切な一線を踏み越えないのはまぐれではない。

 そうでなければ今頃アネットは、目に横線どころか、全身にモザイク加工処理をされて生きているだろう。

 さっそく追いかけっこを始めた少女たちを見ながらも会話は続く。

 

「あいつらもああいう風に可愛いところがあるのは認めるぜ。でも聞けば、他の奴等に食指は動いてないみたいだな」

「アタシが可愛いと感じる条件はまずアタシより体が小さいことからよ。デカい男が可愛い真似してもキモいだけでしょ」

「ブレないな、あんた」

「自慢じゃないけど、この世界にいない大勢からもよく言われてる気がするわ」

「たしかに自慢にならない。人としてほぼ終わってるんじゃないか?」

 

 そう言ってスタークは再び正面に視線を戻す。相変わらずリリネットは必死にニルフィを追い、どことなく晴れやかな表情をしていた。

 それを向けている少女を見る。

 特に深い意味もなく思ったことを口にした。

 

「まあ、あんたの主人の可愛らしさってのは否定しないな。時々背伸びする態度がいいのか?」

 

 そう言うとアネットは鼻で笑い、

 

「わかってませんね、あなたは。あの娘の良さはあの穢れを知らぬ幼い瞳ですよ。あれが大人の階段を一歩一歩上がっていく過程を、アタシは余すことなく眺め続けていたいわ」

「あんたはすこし親父臭い思考が強すぎんじゃないか? あいつはあのままが良いんだろ。あんたの言ったみたいな淫らな意味で無理に大人になる必要はない」

 

 スタークがそう断じると、アネットが即座に反論する。

 

「あなたこそ自分の趣味を押し付けているだけでしょ。少年だろうと少女だろうと、いずれは大人になっていくものよ。アタシはなぜかロリコンだと周囲に誤解されがちだけど、それは違います。ハリベルの凛とした風貌と時々の天然発言だけでアタシは十分に身悶えることができるから。子供だろうと大人だろうと、その者に合った相応の可愛らしさがあればそれでいいのよ。つまりなにが言いたいかというとーー」

 

 言葉を切り、アネットはきっぱりと言った。

 

「あの娘は可愛いってことね」

「まあ否定しないが」

 

 複雑な軌道を描きながら会話は本来の着陸点に落ちた。

 ちょうど一段落したときに、リリネットたちが部屋を出ていこうとする。追いかけっこをもっと広い場所でするためだろう。

 

「ちょっと遠くに行ってくるね」

「転ばないように気を付けなさいよ。それと外に出ないでね」

「うん。いこ、リリネット」

響転(ソニード)はなしだから!」

 

 騒がしく部屋を去る二人を微笑ましく見送るアネットにスタークが尋ねる。 

 この女破面(アランカル)は現世のパパラッチもかくやというしつこさで付いていきそうな気がしたからだ。

 その問いにアネットは苦笑気味に返す。

 

「いまはあの娘たちの時間だからですよ。アタシが入っていくのは野暮ってものでしょう? ホントは楽しんでくれればいいだけだから」

 

 変態的な行動が目立つが、彼女も彼女なりに二人を大切に思っているのだろう。

 

「それに、友達ができて嬉しいのはリリネットだけじゃないわ」

「そう言ってもらえると助かる。おたくの嬢ちゃんに色々構ってもらってるだけって思わなくても済むからな。......そういや見てて思ったんだが、仲良くなる早さってあれが普通なのか?」

 

 まだリリネットとニルフィは出会って数日でしかない。それから数度ほど顔を合わせ、人間のような表現で今では親友のような間柄だ。子供ならば普通と言えばそこまでなのだが。

 

「純粋な相手ならとにかく懐くんですよ。それにリリネットほどそういう破面(アランカル)って、ここにはいないでしょ」

「ああ、成程」

「その点、グリムジョーもなにげに満たしてますから。真っ直ぐっていうところだけは、ね」

 

 純粋なものは同じ、あるいは似たようなものに惹かれる。似た境遇であるがゆえに、二人は誰よりも似通っているのだ。

 さっきまでスタークとリリネットが話していたことが、ここでも当てはまった。

 --ただなぁ。

 --純粋すぎってのもどうなんだか。

 たとえるなら真っ白な紙だ。どんな色にも染まるし、手順を踏めば形すら変わる。

 それが裏目に出なければいいとスタークは思った。

 

 

 ----------

 

 

「ハッ......ハッ......! お、追い詰めた......!」

 

 追走劇はそろそろ終わりを迎えようとしていた。

 リリネットは一つの部屋の前で膝に手を突き、少しでも疲労を回復させようとする。

 

「--うん、よっし!」

 

 破面(アランカル)としての体力の多さのおかげですぐに息は整った。裏を返せば弱小とはいえ破面(アランカル)級の体力を一時的に使い切るような激しい鬼ごっこであることを示している。

 どこまでも追い掛け回し、ついに鬼役のリリネットは、ニルフィをとある部屋に押し込めることができたのだ。

 もう相手に逃げ場はない。今は少しでも体調を整え、万全を喫したほうがいい。

 

「なんかすごい遠くに来ちゃったなぁ」

 

 周囲を見回せば下官一人通らない閑散とした廊下が延びている。もといた部屋からもだいぶ離れていた。

 遊びを邪魔されないからそれでいいのだが。

 

「早く捕まえてやんないと」

 

 扉に手を掛けながら、ふと思う。

 もうすぐこんな楽しい時間が消えてしまうのだと、その事実が胸を冷ました。

 死神との大規模な戦争になるらしい。いかに死にそうにない十刃(エスパーダ)といえども、何人かが欠けることはけして低い確率ではなかった。その中にニルフィがいたらと思うと途端にやるせない。

 それは嫌だ。けれど好転させるほど、リリネットに力はなかった。

 ニルフィが背負っているものは、こんなちっぽけな自分では支えられそうにないほど重い。 

 

「......なに暗いこと考えてんだか」

 

 どうしようもないなら、せめて、せめてリリネットでもできることをすればいいのだ。

 寿命に比べてひどく短い交流の時間でも。

 あまりにも足りなさ過ぎた時間でも。

 楽しい思い出を残したい。

 

「ニルフィ~? いるんでしょ?」

 

 踏ん切りを付かせるようにわざと大きな声を出す。

 心が軽くなった......気がした。いまはそれくらいでいいだろう。

 リリネットは今度こそ手に力を込め、扉を押す。

 

「あれ?」

 

 覚えのない部屋だ。

 面積だけは無駄に広い宮に似つかわしくないほどこじんまりとしている。明かりすらついていない。廊下から漏れる光がリリネットの影と共に室内に入る。

 座るための椅子、二人だけが使えそうなテーブル、奥の方には休むためだけに置かれたであろうベッドだけが置いてあった。ほとんど(ほこり)もなく少し冷たい空気が肌を強張らせる。

 しかし肝心のニルフィの姿がない。見間違いか? しかしちゃんと入っていくところは見たし、出ていったならいくら幻影が使えようと扉の音で気が付く。

 おそるおそるリリネットが部屋の中央へと歩いて行く。

 

「どこにいんの、ニルフィ?」

「--ここだよ」

「うわ!? ビックリしたッ」

 

 いつのまにか背後にニルフィはいた。開かれた扉の前でニコニコ微笑みながら立っている。

 問題は場所取りだろう。ニルフィはすぐにでも逃げられる位置だ。

 

「あーやられた。まだ遊ぶ?」

「ううん。これは私の負けでいいよ」

 

 潔く白旗を上げたニルフィ。彼女は相変わらず天使のような表情で......扉を後ろ手で閉めた。

 室内が闇に包まれる。

 

「ちょっ、なにしてんの!?」

「扉を閉めただけだよ」

「--ッ!」

 

 気付けば顔が触れ合いそうな距離にニルフィが近づいている。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)

 

 ニルフィの手に淡い光が生まれた。目くらましに使えるそれは意図したものなのか、部屋の隅まで明るくするほどの光量もない。互いの姿を浮き上がらせるだけで空中に留まる。

 

「私ね、リリネットに訊きたいことがあるんだ」

「......なに?」

 

 突然ニルフィが行動することは今までに何度かあった。それを思い出し平静を取り戻したリリネットがニルフィの顔を見る。黒髪の少女は少しだけの怯えを目に宿している。

 

「リリネットは。......リリネットは、私のこと、好きでいてくれる?」

 

 かすかにリリネットは目を見開く。頭を掻きながら一度、目を逸らした。

 答えは決まっていた。友人として、仲間として、ここまで好ましい相手を知らない。

 だからこの行動はストレートすぎる質問に対する照れ隠しだ。けれどぼかしていても始まらないと思い、言った。

 

「好き、だけど」

「そっか」

 

 あからさまにホッとしたようなニルフィが肩から力を抜いた。

 

「じゃあ私たちは両想いってコトだね!」

「そうーーーーんん?」

 

 喜色に満ちたニルフィの言葉に違和感を覚える。

 しかししっかりと認識する間もなく、ニルフィが再び距離を詰めた。思わずリリネットは後ずさる。もちろんニルフィが自分に危害を加えることはないと信じている。だが、爛々と光る金の双眸の力に、足が勝手に動いただけだ。

 

「わわっ!?」

 

 リリネットは下がりすぎて足がベッドの縁にぶつかり、背中から布団の上へと倒れ込む。

 仰向けの体勢からすぐに起き上がろうとした。そしてすぐに体が固まる。

 互いの息遣いが感じられそうな距離にニルフィの顔があった。

 

「ニ、ニルフィ?」

「私ね、ギンと話してから色々と考えたんだ。それでこう思ったの。順番を作るより、もっと皆と仲良くなったほうが有意義なんじゃないかって!」

「順番? ちょっと、なに言ってんの」

「リリネットは気にしなくていいことだよ。本題はここからだからさ」

 

 楽しげな笑顔のニルフィがリリネットにしな垂れかかるようにして身を任せる。柔らかな肌が触れ合う。そこから互いの体温が交わる感覚がある。ニルフィの体重が軽いせいか息苦しさはなかった。

 --え? え?

 --ホントになんなの?

 せっかく取り戻した冷静さがどこかに吹き飛んだ。そのせいでニルフィがリリネットの脚に己の脚を絡めるようにし、優しく逃げられないようにしているのにも気が付かないほど。

 

「それでね、どうやればもっと仲良くなれるのかなぁって考えてね。自分だけだと思いつかないから、現世の雑誌で調べたの。『好き』ってことについて書いてるやつでさ。ーーキスって行為をすればいいって書いてあったの」

「............」

 

 --はぁ!? 

 心の中であらん限りに叫ぶ。なぜ心の中かというと、現実ではそれどころではないからだ。

 ニルフィの熱い吐息が首筋に掛かるたびに背が痺れる。高鳴る心臓の鼓動が接している胸を通って伝わっていると思うと、えもいえぬ羞恥心が顔を赤くさせた。さきほどからリリネットは浅い呼吸を繰り返すだけだ。

 そもそも、ニルフィは思い違いをしている。

 彼女の言った行為は恋人同士でするようなものだと、リリネットでさえ知識にあるからだ。

 だが、

 

「リリネットは私のこと好きなんでしょ? だからこういうのもしていいんじゃないの? 私、リリネットともっと仲良くなりたいからさ」

 

 ニルフィは何も区別がつかないのだ。そして理解すらできていない。

 おそらく彼女の言う『好き』とは、破面(アランカル)になってから初めて得た感情である。あるいはそれがどういったものであるか深く考えていない。甘美であるがゆえに酔いしれていた。

 だから何もかもがごちゃごちゃと形を成さずに凝り集まる。『好き』という形をした別のものになっているとすら気づいていない。

 現に今でさえニルフィは顔を上気させることもなく、いつものように笑っている。

 最初に出会ってから変わらない顔をしている。

 

「誰かに、もうしてんの......?」

「ううん、リリネットが初めてになるよ。なんだかね、リリネットの『好き』は他の誰よりも近い気がするの。もしかしたらキミのことが一番好きってことになるのかな? だからもっともっともっと仲良くなって、ずっと一緒にいたいのさ!」

 

 ギシリ、とニルフィの霊圧が軋んだ。すぐそばで聴いたから分かる。

 

 ーーーーそれはまるで、仮面が剥がれるかのような音だった。

 

 だからさ、と、

 

「大好きだよ、リリネット」

 

 本人の知らぬところで歪んだ愛情が表へと現れる。

 互いの距離がゼロへと更に近づいた。

 弱弱しくリリネットが言葉を漏らす。

 

「ダメ、だって......ニルフィ」

「大丈夫だよ。大丈夫だから......」

 

 それはニルフィ自身に言い聞かせるようだった。

 

「ん......くちゅ......」

「んぅ......」

 

 二人の薄桃色の唇が重なる。ニルフィの両手によって頭を固定され、いや、そんなことをされなくとも抵抗できなかったかもしれない。

 ニルフィの舌が固く閉じられたリリネットの唇をこじ開ける。艶めかしく動き、リリネットの舌を絡ませるようになぞった。かと思えば上顎をくすぐり、リリネットが上ずった悲鳴を上げる。時折酸素を求めて口を開け、短く荒い呼吸を少しだけ繰り返して、何度も貪るように口づけを交わす。

 零れ落ちる唾液が顎を伝い首筋をくすぐったが、もはやそれすら気にすることができなかった。

 どれくらい経っただろうか。もしかしたら一分もなかったかもしれない。

 満足したようにニルフィが顔を離す。淫靡な唾液の糸が二人を繋げた。

 

「これで、いいよね?」

 

 期待に瞳を輝かせるニルフィ。

 それにリリネットは何かを言おうとする。しかし頭は真っ白で、口の端から漏れるのもただの音でしかない。

 現実が受け止められずにリリネットは自衛として気絶した。

 

 

 ----------

 

 

 パコーン! と小気味いい音が部屋に響く。

 

「--? --?」

 

 どうしてか分からずにニルフィがチョップされた頭を押さえる。

 困惑はもっともだ。今までニルフィに痛いことをしなかったアネットが、ちょっとした体罰を食らわせたのだから。

 珍しく頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたアネットが腰に手を当てた。

 

「いい? そういうのは間違ってるのよ」

「なんで?」

「なんでって......そもそも同意さえ貰ってないでしょ」

 

 アネットが視線を横にずらす。そこではリリネットが目をまわしながら気絶しており、スタークもあきれ果てた顔で立っていた。

 

「そう怒んないでやってくれ。嬢ちゃんもよく分からずにやったんだろ?」

「ダメですね。こればっかりはちゃんと教え込まないと。それにリリネットがどう思ったかが大切なのよ」

「いつになく厳しいな」

「そりゃそうよ。この娘がキス魔にでもなったら堪らないわ」

「わ、私はキス魔になんてならないよ。好きな人たちにしかしないから」

「それがキス魔って言ってるんですよ」

 

 もう一度、ニルフィの頭頂部にチョップが降って来た。ちょっと痛い。普段はあんなに優しかったアネットがやったと思うと、ニルフィは泣きそうになる。

 主人のその様子を見てグッ......と堪えたアネットだが、いつものように流されずに鋼の意志を持って相対する。普段の彼女を知る者が見れば、『明日は王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)が降ってくるな......』と思うだろう。実際スタークもそんな失礼なことを考えていた。明日は宮に籠り続けよう。

 いじけるニルフィの前にアネットが屈む。

 

「ねえ、ニルフィ」

「............」

「アタシも頭ごなしに叱ってる訳じゃないの。グリムジョーとかにしてたらそいつらをアタシがブッ飛ばせば解決するけど、問題はリリネットにしたってことよ」

「どうして? リリネットは、私のこと好きだって言ってくれたんだよ? それも嘘だったの?」

「そんなことは言いません。ただね、嫌がっているお友達に無理やりするってのはどうかと思うの」

 

 まだ頭に『?』を浮かべるニルフィの頭に優しく手を置く。

 

「あなたのしたことは、ホントはずっと深い意味があって大切なことなの。嫌がっている相手にそれをしたら......奪うってことと同意義なのよ」

 

 自分の雲行きが怪しくなってきたことにニルフィが不安そうに眉をよせた。

 

「普通なら、嫌われるってこともあるのよ」

「え?」

 

 ニルフィの顔が恐怖に染まる。とんでもないことを仕出かしたことに、やっと気づいたようだ。

 心がしぼんでいくような錯覚を受ける。氷水が直接背に流されたのだろうか。

 

「ち、ちが、私、そんなつもりじゃ......!」

「分かってるわ。だからね、ちゃんと謝りなさい」

「謝って、済むことなの?」

 

 大切なものを奪われる痛みはニルフィもよく知っている。つい最近、奪われたばかりだから。それをやった相手を今でさえ心底憎んでいく。 

 それを同じものをリリネットから向けられれば、耐えることすらできそうにない。

 

「だからよ。あなたと東仙の場合は平行線だから。どっちも自分から歩み寄ろうなんてしなかったでしょ? だから今はニルフィが自分から距離を縮めて、謝りなさい」

「それで、ダメだったら?」

「その時はアタシがたっぷり慰めてあげるわ! キスの相手にもね!」

「それ言いたかっただけじゃないか?」

「外野、黙れ(シャラップ)

 

 ニルフィは考える。

 好きという感情に自分はあまりにも有頂天になりすぎていた。それがなんなのか深く考えることもせず、持て余すだけ持て余して、結果、爆発した。

 もっと知ろうとしていればこんなことにはならなかったかもしれない。

 しかし今はそういった後悔が必要なのではない。

 もう少しでリリネットが目を覚ます。ニルフィの超感覚がそれを如実に伝えた。

 正直、顔を合わせるのも気まずい。もう逃げたいくらいだ。

 けれど、まだニルフィにはリリネットと仲良しでいたいという思いが残っている。勝手すぎて笑ってしまう。どの口が言ってるのだろう。

 それでもだ。

 ニルフィはリリネットのことが好きだ。今はまだどういった種類のそれかは分からないが、大きさくらいなら把握できる。捨てたくないほど大切で価値があることも。 

 薄くリリネットが目を開けた。

 ニルフィはおずおずと、しかし、しっかりした声で、

 

「------」




深夜のテンションがあれば、何でもできるッ!!

1、2、3、ヒャッハアアアアアアアアァァァァァァッ!!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思惑なんて黒いもの

 藍染からの招集を受けたニルフィが、集められる部屋を目指してトコトコ歩く。渦巻き模様の棒付きキャンディを片手に、廊下をちびちび進む。

 その後ろをグリーゼが付き添い、主人が三回に二回は間違える道順を正す。

 

「やっと今日が来たよ。待ちくたびれちゃった」

「......ひと月が長かったか?」

「ーーうん。長かった。この日のために私は強くなろうとしてたからね」

 

 渦巻きキャンディを舐めながらニルフィの目には待ち焦がれる色があった。その間だけ見せた表情は、恋にいじらしさを感じる乙女のようであり、あるいは獰猛な猟犬のような鋭さを見せている。

 少女が道を進みながらくるくると回る。艶やかな黒髪が祝福するように舞った。

 

「今日だけ。私は今日だけのために、ここ一か月ずっとみんなと戦ってたからね。......ま、軸のウルキオラは失敗しないから、私は私で頑張るけど」

「......無理をして目的を見失うな」

「うん、わかってるさ。そういえばグリーゼってこの前、死神さんと戦ったんだよね。どうだった?」

 

 クルリと振り返り、後ろ歩きしながら己の従者を見上げる。

 グリーゼはフム、と息を吐き、自分の考察を交えながら話す。

 

「......俺が戦ったのは副隊長格の死神だったらしい。しかし卍解を習得していたな。副隊長でも実力は上だろう。ーーが、十刃(エスパーダ)に比肩するかと問うならば、否だ。隊長格とどの程度力量が開いているか不明だがな」

「グリーゼはその人を倒したの?」

「......殺しはしなかった」

「ああ、ちゃんと約束守ってくれたんだ」

 

 その時の報告は忙しくて聞いていなかったため、なるほどと納得する。

 あまり殺傷をしないようにニルフィは従属官(フラシオン)に言い含めてあった。彼らが暴れればシャウロンの起こした被害などつむじ風もいいところになる。救援係が火種を大きくしてどうする、というのがニルフィの弁だった。

 

「他には?」

「......残留した霊子からの推測だ。エドラドを倒した相手も、おそらく卍解を使ったはずだ。だがアネットのほうにも姿を見せなかったのを考えると、よくて相討ち。あの時現世にいた死神で卍解を習得していたのが少なくとも三人いた。だが脅威に成りえるのは隊長格だったという一人だろう」

「あー、たしかアネットもそんなこと言ってたね。『褒めて褒めてっ!』って抱き着いてきたから覚えてるよ」

「......十刃(エスパーダ)と比べての判断というだけで、従属官(フラシオン)ならば倒せる力があるとみていい」

「ふぅん。そう、なんだ」

 

 ニルフィの中で大体の死神の強さが分かった気がした。藍染が警戒しているのは死神全体ではなく、おそらく特定のごく少数の死神だろう。その時に十刃(エスパーダ)が必要になるのかもしれない。

 相手が弱いとは思わない。

 しかし従属官(フラシオン)を倒せるレベルならば、こちらの被害も覚悟しなければいけないだろう。

 

「......なに、こちらもただで殺される奴などいない。(あるじ)はドンと構えておけ」

「そんなに威圧感のない容姿だけどね」

「......俺たちが後ろから盛大に殺気を振りまくさ。(あるじ)が『怖いか?』と相手に聞けば、相手は否が応でも頷くだろう」

 

 その光景を想像し、ニルフィは噴き出した。たしかに自分がその相手なら即座に怖いと言う自信がある。

 ただ、その冗談のおかげで少し心が軽くなった。

 

「まぁ、そうだね。こんな言い方ってヒドイけど、たしかにただで死んでくれる人って、ここにはいないよ」

「......ああ」

 

 ニルフィは小さくなってきた渦巻きキャンディを噛み砕く。口の中に甘さが広がるのを感じながら棒を虚弾(バラ)で焼却する。力とは、使い方次第で結構便利な代物だ。

 --そういえば、皆はこの戦いが終わったら......。

 --どうするんだろう?

 藍染の計画が仮に成功した時、破面(アランカル)は今後、どうやって生きていくのだろうか。

 そんな疑問が、ふとニルフィの頭に浮かんだ。

 バラガンは虚圏(ウェコムンド)の王の位を返してもらえるだろうか。スタークたちはまた孤独にならないだろうか。ハリベルは忠誠心の高さゆえに藍染に付いて行くのだろうか。

 他の面々のことが頭に思い浮かぶ。

 そして結論は、その時になってみなければ分からないということだ。

 

「このままが、いいなぁ」

 

 自分の願いが口からこぼれる。

 単なる我が儘。叶わないような願望。絶対に変わるというのに、今というものがいつまでも続くことを望むのは、果たして無意味なことなのか。 

 

「......全ての戦いが終わっても、主は一人にはならないさ」

 

 かすかに驚きを顔に滲ませ、ニルフィがグリーゼを見上げた。

 一番怖かった未来を否定してくれたからだ。

 

「ほんとうに?」

「......ああ、本当だ。勝とうが負けようが、その未来だけは保証する」

「キミも、アネットも、グリムジョーも、リリネットも、ハリベルも、アーロニーロも、バラガンさんも、スタークさんも、えっと、他にも......みんな一緒?」

「......願いというのは欲張るようなものじゃない」

「う、うん。分かってるよ、それくらい」

「......だが欲張るからこその夢だろう。自分の力でそれを掴むために、強くなったんじゃないのか?」

 

 たしかにグリーゼの言う通りだ。もう好きな人たちが死んで欲しくないから鍛錬に力を注いだ。時には盛大に血を流すようなこともあったし、新技を使おうとしてそばを歩いていた東仙に誤射したこともある。

 ほんの少しの自信は付いた。

 

「ありがとうね、グリーゼ」

「......考えて結論を出したのは主だ。俺は適当なことをのたまっただけだ」

 

 自分には出来すぎた従者だとニルフィは思う。

 そうしているうちに目的の部屋に辿り着いた。天井ほどまでありそうな、無駄に高くて大きい扉だ。

 

「......俺はそこら辺を散策している。終わったなら呼んでくれ」

「うん、ありがと」

 

 扉がひとりでに道を開けた。

 主従は頷くと、それぞれ進むべき方向に足を踏み出す。

 ニルフィは入ってすぐの階段を下りながら、隣の相手の表情を見ることすら難しい暗闇に眼を凝らした。中央には藍染が立っており、人の形をしたような石像に結界を施している。

 

「来たね、ニルフィ」

「遅れちゃった?」

「少し早いくらいさ。もう少しだけ待っていてくれ」

 

 藍染を囲むようにあらゆる形の四角に切り取られた石材が置かれていた。ニルフィはまず最初にグリムジョーを探すと、予想通り後ろの高い所を陣取っている。そこに行こうかと思ったが、ふと視線を感じてそちらを見る。

 見覚えのない破面(アランカル)がいる。十刃(エスパーダ)ではない。その従属官(フラシオン)もここへは入ってこれないから、そうでもないのだろう。

 中性的な少年の容姿をしている。じろじろとニルフィのことを無遠慮に眺め回してくる。軽く会釈するとそれを無視してその男はそっぽ向いた。

 その反応に若干傷つきながら、ニルフィは適当な高い位置にある石材を選んで腰かけた。

 来ていないのはウルキオラとヤミーだ。

 足をブラブラさせながら待っていると、近い所にいたハリベルが声を掛けてきた。

 

「久しいな」

「うん、そうだね。最後に会ったのって三週間くらい前だっけ?」

「噂は聞いているが......。遠慮せずとも、いつでも私の宮に来ていいんだぞ。修練にならばいくらでも付き合ってやる」

「えっと、この前だっていきなり押しかけちゃったから」

「だから遠慮はいらない。私でいいのなら力になるさ」

 

 なんだろう、このイケメン。

 

「あはは、ありがと。じゃあ今度行かせてもらうね」

 

 ハリベルが目元を緩ませる。

 

「最初は驚いた。いきなりアヨンと戦わせてほしいとはな」

 

 アネット経由の情報で、ニルフィはアヨンの存在を知った。ハリベルの従属官(フラシオン)たちの左腕を使って現れる怪物は、それ単体で並の従属官(フラシオン)を凌ぎ、むしろペットと称されながら飼い主よりも強すぎた力があった。それがアヨンだ。

 技術もへったくれもないバケモノだったが、あれはあれで圧倒的な力に対抗する術を学べたのだから有意義だっただろう。

 

「おかげで私も多少強くなれたかもしれないね」

「多少、か」

 

 ハリベルが呆れた口調で続けようした時、扉が再び開かれる。

 ウルキオラとヤミーがそこに立っていた。

 

「......来たね、ウルキオラ、ヤミー。--今、終わるところだ」

 

 そう言った藍染が目の前の結界の上に『崩玉』を置く。崩玉によって破面(アランカル)となったニルフィだが、いつ見てもそれはうす気味悪い気配を発していると思う。

 まるで、この世にあってはいけないような。 

 ウルキオラが階段を下りながら藍染に訊いた。

 

「崩玉の覚醒状態は?」

「五割だ。予定通りだよ。尸魂界にとってはね(・・・・・・・・・)

 

 突如として崩玉から超高密度の霊圧が立ち上る。

 

「当然だ。崩玉を直接手にした者でなければ判るはずもない。そして恐らく、崩玉を開発して()ぐに封印し、そのまま一度として封を解かなかった蒲原喜助すらも知るまい」

 

 なんだか結構重要なことを口にした藍染だが、彼はあろうことが、崩玉へと己の指を寄せる。

 崩玉は黒い糸のようなものを藍染の指に触れさせる。

 

「封印から解かれて睡眠状態にある崩玉は、隊長格に倍する霊圧を持つ者と一時的に融合することでーー」

 

 部屋を異常なまでに高められた霊圧が震わせた。

 発生源は崩玉。十刃(エスパーダ)たちもわずかながら反応を見せるほど。

 

「--ほんの一瞬、完全覚醒状態と同等の能力を発揮するということをね」

 

 結界が破裂する。

 人型の石像は表面から崩れ、中から新たな破面(アランカル)を生み出した。服を着ていない、そばかすのある金髪の少年だ。

 藍染がその少年の容姿をした破面(アランカル)に尋ねる。

 

「......名を、聞かせてくれるかい。新たなる同胞よ」

 

 少年はたどたどしく、けれどもしっかりとした言葉を発した。

 

「......ワンダーワイス......。......ワンダーワイス・......マルジェラ......」

 

 見たところ、それほど強そうではない。そして破面(アランカル)となってからの記憶も新しいニルフィは、ワンダーワイスの知能がさほど高くないことに気づく。

 悪戯小僧(ピカロ)、という破面(アランカル)がかつていた。バラガンが暇つぶしに傘下に収めた、群にして個、個にして群という異例な存在だ。そのピカロたちもかつて十刃(エスパーダ)であったらしいが、他の破面(アランカル)以上に集団生活が出来ないため落とされたらしい。

 知能が低すぎては十刃(エスパーダ)にならないとしてもそういった弊害がある。

 目ぼしいのは霊圧が普通より高い所か。まあ、ニルフィのように相手を惑わしている可能性もあるため、実力は一概に言えないだろう。

 よく理解は出来ないが、満足そうな藍染の顔を見ると、儀式は成功のようだ。

 ワンダーワイスは下官たちに連れていかれ、それを見送った藍染がウルキオラに言った。

 

「ーー一か月前に話した指令を憶えているね、ウルキオラ?」

「......はい」

「実行に移ってくれ。決定権を与えよう。好きな者を連れていくといい」

「......了解しました」

「ああ、それと」

 

 いま思い出したかのように藍染が付け足す。それを聞き、ニルフィは自分の口の端に笑みが刻んだのを感じる。

 

「ニルフィ、君は行くだろう?」

「うん」

「頑張ってほしい」

 

 無駄な言葉など並べ立てない。ニルフィにとって必要なのは、藍染が許可を出した、それだけの事実だ。

 藍染は続けて視線を別の方向へと向ける。

 その先のグリムジョーはさっきのニルフィの反応に難しい顔をしていた。藍染は構わず、訊く。

 

「君も一緒に行くかい? グリムジョー」

 

 グリムジョーは考えるように虚空を睨み、そしてさほど時間を掛けずに頷いた。

 

「......ああ」

「そうか。君も、頑張ってくれ」

 

 これで話は終わりとでもいうように藍染は部屋を去る。

 十刃(エスパーダ)たちも各々動き出し、渦はゆっくりと大きく回りだすこととなる。

 

 

 ----------

 

 

 この一か月、ニルフィはグリムジョーの顔すら見ていなかった。

 少しでも話したい。あの声が聴きたい。そう思うものの、グリムジョーは話しかける間もなく部屋を出ていってしまう。彼のあとを追ってニルフィもすぐに扉を潜った。

 しかし立ち塞がるようにして現れた破面(アランカル)がいたことで、足を止める。

 新しい第6十刃(セスタ・エスパーダ)となったルピ・アンテノールがこの男だ。さきほど彼も自分から今回の任務に志願したので覚えている。

 それに関しては何も思わない。ニルフィにとって大切なのはグリムジョー個人であり、称号なぞオマケでしかないからだ。新しく誰が据えられようと、さほど重要なことではなかった。

 

「ルピさん、だよね。私になにか用かな」

「それならキミがニルフィネス?」

「そうだよ。どうせならニルフィって呼んでよ」

「ふぅん」

 

 ルピはニルフィのことを無遠慮に観察してくる。少女は嫌な顔一つせず、ただ相手の意図を測り兼ねていた。

 すこし視線をずらすとグリムジョーの姿はもう無い。

 まもなくして、口を開いたのはルピのほうだった。

 

「キミみたいな奴にグリーゼたちはゴマ擦ってるのかぁ。昔の十刃(エスパーダ)もいまじゃ乞食なみに惨めじゃん」

 

 ニルフィは聞き間違いかと思って相手の顔を伺う。そしてルピの顔に張り付く嘲りは見間違いようもない。

 少女はかすかに柳眉を寄せる。

 

「グリーゼやアネットはそんなんじゃないよ」

「どぉかな。もしかしたらキミの『7』の数字だけにしか興味ないんじゃない? あとで簡単に奪えるようにって。うわぁ、そう考えると狡いなぁ」

「そんなことないよ。だから、それ以上あの二人の顔に泥を塗るような言葉、言わないで」

「なぁに必死になってんのさ。もしかしてあいつらの庇護が無くなるのが怖いの? あいつらも同じくらい必死に媚びてたりしてね。......あ・ごめーん。キミも同じくらい他の十刃(エスパーダ)に媚びてたねぇ」

 

 ニルフィは悟られないように奥歯を噛み締めた。アネットとグリーゼが侮辱されたことが我慢ならない。しかしここで怒ってはルピの思う壺だと、血が滲むのにも頓着せず両手を握りしめ、耐える。

 

「私のことはいくらでも悪口言って構わないよ。......でも。でも、あの二人を(けな)すことなんかしないで」

 

 毅然としてルピを見上げた。

 それを面白くなさそうにしたルピだが、すぐに口元に酷薄そうな笑みを浮かべ、どこまでも純粋な少女を傷つける。

 

「そういえばグリムジョーとも仲良かっただろ。ひょっとしてさっきも追いかけようとしてた?」

「......それがどうしたの?」

 

 とうとうグリムジョーまで引き合いに出されたことで、ニルフィは目を細める。

 途端、ルピが哄笑した。

 

「どうやって取り入ってるんだい。もしかしてその身体を売って、犬みたいに腰振ってるの? それにアイツが食いついた? アハハハハッ、もしそうなら傑作だ! アイツってば性格どころか頭も獣同然ってことだからね。だから何も考えずに現世に行って、腕なんか斬られちゃうんだ。あぁ、まったく。--馬鹿すぎて笑える」

 

 腹の奥がだんだんと冷えていくようだ。今すぐにでも、こんなくだらないことをのたまう相手の口を引き裂きたい。大切な人を貶められるのが、ニルフィは悔しくて、そして悲しかった。自分から挑発しようとしても、その手合いに慣れた相手からはもっとひどい言葉を貰ってしまう。

 今すぐにここを離れようとニルフィは思った。

 体を反転させ、グリーゼを探そうと一歩踏み出そうとし、

 

「特にさぁ、アイツの従属官(フラシオン)だった奴らがひどいよ」

 

 ニルフィの脚が止まった。

 

「ただでさえ最下級大虚(ギリアン)ってだけでも他の奴等よりカスなのに、みっともなく獣君にくっつきまわってさぁ。見苦しいのなんのって。けっこう前からいた奴等だけど、やっと死んでくれてーー清々(せいせい)したよ」

 

 もう、限界だった。幼い精神ではもはや我慢などできない。

 右手に霊子の剣を出現させ、相手の喉笛を狙った正確無比な一撃を放つ。その速度に驚いた様子のルピ。すぐに彼も右手を鉤爪のようにして伸ばす。

 空気が弾けた。

 肉を切断する、あるいは抉るような音は響かなかった。

 それもそのはずだ。ニルフィの甲霊剣(インモルタル)は大剣の刃によって止められ、ルピの右手は横合いから掴まれたことで勢いを失っていた。

 

「......そこまでだ」

「グリーゼ?」

「......出過ぎた真似だったか?」

「ううん。......ごめんなさい」

 

 一瞬にも満たない間に止めに入った従属官(フラシオン)。その姿を見てニルフィの赤く染まっていた視界がもとに戻っていく。みっともないところを見せてしまったのが恥ずかしかった。

 しかしルピは止めるつもりはないようだ。

 それをグリーゼが咎める。

 

「......そこまでだと、言ったはずだが?」

「ちっ、放せよ。ボクはNO.6(セスタ)だぞ」

「......だからどうした」

「はぁ?」

「......十刃(エスパーダ)だから多少なりとも敬えなどと言うつもりか、ルピ・アンテノール。その台詞(せりふ)は今の十刃(エスパーダ)でも貴様しか口にしないことだ。そして俺が敬意を示すのは、俺より強い相手だけだぞ」

 

 ルピの目元が引きつった。グリーゼが完全に格下を相手にするような態度を取っているからだろう。

 そんな相手のことなど気にせず、グリーゼは大剣を背に戻す。そこでニルフィは気づいたが、グリーゼは彼女を背に庇うような立ち位置を守っている。

 

「......こちらの(あるじ)にくだらん戯言(ざれごと)を吹き込まないでもらおうか」

「昔と違って本当に従者って感じだな」

「......従者が主人のように振る舞っては滑稽だろう」

「キミはその主人の座でも狙ってるのか? そうでもなきゃ、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)従属官(フラシオン)の真似事なんて、ねぇ」

 

 ルピの言葉で疑心暗鬼になりそうなニルフィは、怯えた目でグリーゼを見上げる。彼に裏切られたら立ち直れないかもしれない。怖い。けれど無意識にグリーゼの死覇装の裾を握っていた。

 それにグリーゼは背中越しに振り返る。苦笑をわずかに滲ませるように肩をすくめた。

 

「......つまらん上にくだらない問いだ。俺もアネットも十刃(エスパーダ)の地位に未練はない。ただ従うと決めただけだ」

 

 そして、

 

「......仮に数字を得るならば、もっと簡単な方法がある」

「なんだよ。それってどういう」

「--ルピ・アンテノール。俺がいまここで貴様を叩き潰せば、NO.6(セスタ)の座は容易(たやす)く手に入るということだ」

 

 重力が急激に増した錯覚。

 グリーゼがどんな表情を浮かべているのか、背後のニルフィでは知りえない。しかし正面に立つルピは冷や汗を流し、懸命に重圧に耐えていた。

 数秒もすると空気がもとに戻った。とぼけたように、グリーゼはもう一度肩をすくめる。

 

「......冗談だ。普通に考えて従属官(フラシオン)十刃(エスパーダ)に勝てる訳がないだろう。なぁ?」

 

 ルピに対して興味を失ったように、グリーゼがニルフィを見下ろす。

 

「......無駄話をし過ぎた。予定も押しているなら、一度宮に戻るか?」

「うん。そうだね。ばいばい、ルピさん」

 

 去り際、ルピは忌々しそうにニルフィを睨んでいた。睨みたいのはこちらだとニルフィは心中で毒づく。思い出しただけでどす黒い感情が胸を支配する。

 しばらく歩いた頃、ようやく落ち着いてきた。

 それを見計らったかのようにグリーゼが新しい飴をくれる。チュッ◯チャプスを口に放り込み、ゆっくりと息を吐く。カシス&レモン味だ。

 

「ごめん」

「......なぜ謝る?」

「だって、もう少しで私がルピさんのことを殺しかけた(・・・・・)から。そうなったらキミたちにも迷惑が掛かるでしょ?」

「......事前に止めたからいいだろう。最初からあの場にはいなかったが、主がなにを言われたかは大体の想像がつく。仕方のないことだ」

「あはは、慰められちゃった。でも付いてきてくれたのがグリーゼで良かったよ」

「......アネットならキレて暴れていただろうな」

 

 グリーゼと同じような止め方をしても、アネットはそれに加えて掴んでいたルピの腕を灰にするぐらいはしていた気がする。冗談に思えないのが彼女の怖い所だった。

 ひとしきり笑うと、ニルフィは俯いた。

 

「ねえ、グリーゼ」

「......なんだ?」

「--ううん。やっぱり、なんでもない」

 

 訊こうとして、止めた。『キミは裏切らないよね?』、なんて。そんな質問をしてしまえば、今度はニルフィがグリーゼのことを侮辱する行為となる。

 グリーゼだけでなく、他の知り合った面々も大切だから信じている。

 これが揺るがないからこそこの一か月を過ごしてきた。

 

「でもね、キミのことは頼りにしてるよ」

「......身に余る光栄だな」

 

 少しばかりおどけた様子でグリーゼは仰々しく一礼する。

 それを見て楽しげに笑うニルフィはーーーーどうやってルピを殺そうかと心の裏側で考えていた。

 

 

 ----------

 

 

 以前の現世の侵攻の時のように、それからしばらくして虚夜宮(ラス・ノーチェス)から姿を消した破面(アランカル)たちがいた。彼らは現世へと向けて歩を進める。

 

 第6十刃(セスタ・エスパーダ)ルピ・アンテノール。

 十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)グリムジョー・ジャガージャック。

 ワンダーワイス・マルジェラ。

 従属官(フラシオン)グリーゼ・ビスティー。

 そしてその主人、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー。

 

 思惑が交差する。されど止まることはない。

 着実にあらゆる魔の手は伸びていた。




黒ニルフィ、(あらわ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

重さと価値は比例しないらしいよ

 待ち合わせ場所となった広間にニルフィがグリーゼを引き連れてやって来た。

 集合時間まではまだ時間はあるが、他の面々はすでに集合している。ルピ、ワンダーワイス、グリムジョー。それにいまやって来た二人を含めた五人が、現世へと行くこととなっている(・・・・・)

 

「グリムジョー」

「なんだよ」

 

 トテトテと駆け寄ってきたニルフィを呆れたようにグリムジョーが見下ろす。久しく会っていないとはいえ、その態度は今までと変わらないように見えた。

 鋭さのある視線に堪えた様子もなく、ニルフィが胸の前で両手を握る。

 

「私、頑張るよ。ちゃんと戦ってちゃんと勝って、それで、負けたりなんかしない。殺せそうだったら殺すし、キミの満足できる結果を残すよ」

「......そうか」

 

 グリムジョーの顔の苦さが増した。それがどうしてかニルフィにはわからない。別に褒めてもらいたくてこの任務を成功させるわけではないが、グリムジョーの反応の意味がニルフィには察せなかった。

 何気なく隻腕に目をやる。なにかを耐えるように握りしめられている。

 自分はなにかの粗相をしただろうか?

 青年の顔色を窺うように下からのぞき込んでも、目を逸らされた。

 

「集まったんなら早く行こうよぉ。どうせ五分も十分も変わらないだろ?」

 

 痺れを切らしたルピが空間を叩き、黒腔(ガルガンダ)を出現させる。虚圏(ウェコムンド)にも劣らぬ霊子がそこから噴き出した。

 待つことすら面倒とでもいうようにルピが空間の割れ目へと入って行ってしまう。ワンダーワイスも体を揺らしながら歩いて行き、危なっかしい彼を追ってニルフィに断ってからグリーゼも闇の奥へ消えた。もしかしたらグリーゼは気を遣ってくれたのかもしれない。

 亀裂の前には少女と青年がいる。

 いざ入ろうとする前に、グリムジョーが言った。

 

「なぁ、てめえはどうして修練の真似事なんてやってたんだ?」

「え?」

「今まで......いや、あの時(・・・)までそんなことやってなかっただろ。なんであんな事してたんだよ」

 

 グリムジョーの言葉を噛み砕き、そしてニルフィは意味すら理解する。それに要した時間は一秒にも満たない。現実の時間では即座ともいえる速さで答えた。

 影一つない笑顔で、言った。

 

「もちろん、キミのためだよ」

「......ッ!」

 

 グリムジョーが奥歯を砕かんばかりに噛み締める。

 それを見て、ニルフィが慌てて言い募った。

 

「だ、大丈夫だって! ちゃんと私だって戦えるよ? 何度も何度も何度も何度も、ずっと戦って経験積んだし、技術だって最初の頃よりもぐんと上手くなったから。たった一か月だっていっても質に気を付けたし、ひどい怪我した時もあったけど、諦めたりなんてしなかった。殺せって言うなら殺しに行けるし、キミのためなら私はなんでもしてあげられるーー」

 

 焦燥によって止まらなくなりそうな言葉の羅列が押しとどめられた。

 グリムジョーがニルフィの頭を乱暴に撫でる。それ以上、ニルフィは何も言えなかった。

 

「これが終わったんなら、もうそんなこと、言うんじゃねェよ」

「----?」

 

 一言ずつ区切るように染み込ませるような声音。

 どういう意味かを尋ねる前に、グリムジョーは足早に黒腔(ガルガンダ)の中へと歩いて行ってしまう。

 

「............」

 

 なにがいけなかったのだろう。グリムジョーにとって悪い部分は無かったはずだ。話したことはすべて本心だし、心に仕舞う思いはそれ以上の強さを秘めている。グリムジョーのためになら何だって捧げられるという意思を、彼が気付かなかったはずがない。

 

「まだ足りないのかな?」

 

 悩んでいるうちに亀裂が閉じようとする。

 慌ててニルフィはその間に滑り込み、先に行った面々を追いかけた。拳ほどの簡易すぎる足場を次々と造りだす。野兎のようにその上を飛び跳ねていき、幸いにもすぐに追いつく。

 グリムジョーを問い詰めようかと思ったが彼の表情を見て止めておく。考えるような表情で歩いていたから。

 そしてそうするよりも前に、最初に先頭を進んでいたルピがニルフィの隣にやって来た。

 

「なぁに話してたの? 愛の誓い?」

「べつに」

「うわ、つれないなぁ。ほらほら、ボクに媚びてみなよ。それで今までのことを水に流してあげるよ」

 

 ルピが服に隠れた『6』の数字を見えるようにする。

 隠す気もなくニルフィが軽蔑の視線をルピに投げかける。

 

「媚びてなんかないし、なによりキミとは仲良くなりたくない。私は、私の大切な人を馬鹿にする相手が嫌いだから」

「なにそれ。むしろその大切な人がキミのこと馬鹿にしてるかもよ?」

「それならそれでいいよ。私のことをいくら貶しても、それでみんなに害がないなら別にいいからさ」

 

 とことん自分に無頓着なニルフィは頬に掛かった黒髪を後ろに流す。

 他人を優先するあまり、彼女はあまりにも空虚だった。自分の体にすら価値を見いだせていないだろう。むしろただの有能な道具として見ている節すらある。

 だから気が付かない。普通なら見えることも、ニルフィには目の前にあるのに理解すら困難であることを。

 

「ああ、くっだらない」

「キミが勝手に価値を付けないでほしいな」

「いや、ホントにくっだらないよ。ゾマリも大概だったけど、キミの『愛』ってのも重すぎる。第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ってこんなんばっかなのかなぁ、まったく」

 

 ルピが首を振りながら言った。

 重い? それはどういうことだろう。ニルフィはただみんなと仲良くなりたいだけだ。そこに差なんて無いし、相手が望むのなら自分の肢体ですら捧げるつもりだった。さっきのグリムジョーに言ったように。

 自分から離れないでいてくれるのなら、文字通りなんでもするつもりだ。

 それを聞くと、ルピが嘲りを込めて口の端を吊り上げる。

 

「それが重いって言ってんだよ馬鹿。でもなるほどねぇ。グリムジョーが未練がましくキミを手放さないのは、そのなんでもするって言葉に(すが)ってるからなのかなぁ? もしそうならクソ変態じゃん。家畜小屋にいったほうがいいんじゃない? そのほうが生産的だろ」

「......黙れ」

「ん?」

「もうそれ以上、くだらない言葉を吐かないで。耳障り」

「言わせてんのはキミだろ」

「言葉を並べてるのはキミだけどね」

 

 太陽のような色でありながらどす黒く濁ったような瞳でルピを射抜く。

 面白くなさそうに鼻を鳴らしたルピは、すぐに前に進んでいった。

 ニルフィはドロドロとした心を落ち着けながら思考を巡らせる。あのルピの余計な言葉のせいで、胸の中に棘が刺さったようなむずがゆい感覚がある。

 望んだものを得られるのがなによりも大切なことではないのだろうか。

 それをニルフィが与える側となり、どちらも幸せになる。......なにかその考えに違和感があった気がするが、それを知る前に黒腔(ガルガンダ)が再び裂けた。

 記憶に鮮明に残っていた空気がニルフィの頬を撫でた。

 その穴の前でニルフィはグリムジョーの隣に立ち、彼の顔を見上げる。目は合わせてくれない。どうやら答えを得るのは時間が掛かりそうだ。

 

「......死神か」

 

 グリーゼが地上を見下ろしながら呟く。 

 そこでニルフィは気づいたが、どうやら以前出た時のような上空ではなく、すぐ下に森が広がっているようだった。

 そして人間ではありえない霊圧の高い存在が数人。

 どうやらドンピシャな場所に出てきたらしい。

 

「へえ、あれぐらいの霊圧の奴なんて虚夜宮(ラス・ノーチェス)にもいるけどねぇ。けどアレが6番さんの言ってた『尸魂界(ソウル・ソサエティ)からの援軍』じゃないの? ね?」

 

 確認するようにグリムジョーを見たルピだが、すぐに笑いながら言い直した。

 

「ア・ごめーん。“元”6番さんだっけ」

 

 ニルフィがその物言いに眉をひそめた。

 しかしグリムジョーが顔色ひとつ変えなかったため口を閉ざす。

 

「あの中には居ねえよ。俺が殺してえヤローはな」

「あっ、グリムジョー!?」

 

 言うが早いか、グリムジョーは即座にある方角を目指して空気を蹴った。

 追うかどうか迷ったニルフィだが、グリーゼが目で静止してきたためにかろうじて踏みとどまる。自分の目的のためにはここを離れる訳にはいかない。

 名残惜しそうに幼い顔を悲しみに染める。

 そして上げかけていた腕を下ろしかけたときーーーー凶刃がその細首に迫った。

 

 

 ----------

 

 

 黒腔(ガルガンダ)が突如として虚空に現れたことに、現世にやってきていた死神たちは動揺を隠せなかった。

 十一番隊第五席、綾瀬川弓親(あやせがわゆみちか)が目を見開く。

 

破面(アランカル)......!? そんな、早すぎないかいくらなんでも......!?」

 

 藍染が本格的に動き出すのにはまだ時間があるはずだ。

 日番谷は亀裂の中にいる人数を数え、そして考える。

 --五人......。

 --仮に十刃(エスパーダ)でもまだ半分。

 --斥候か?

 考えていても始まらない。

 

「確かに早すぎるが......。理由を考えているヒマはなさそうだぜ」

 

 むこうは日番谷たちを認識すると、各々が反応を見せる。すぐに立ち去らない所を見るとここで交戦するつもりだろうか。しかしすぐに行動はせず、なにやら話している。

 その隙に日番谷が周囲に指示を出す。

 

「松本は尸魂界(ソウル・ソサエティ)に連絡を入れろ。綾瀬川と班目は......」

「すぐに()るんでしょう? 準備万端っすよ」

「ああ、それでいい」

 

 死神の姿となった十一番隊第三席、班目一角(まだらめいっかく)が好戦的に三白眼をぎらつかせた。

 同じく日番谷と弓親も死神としての姿を晒し、それぞれが始解を済ませる。

 まだ破面(アランカル)たちは戦闘態勢に入っていない。

 右から、童女の姿をした破面(アランカル)、そして不良風の青年と中性的な男となり、次には大剣を背に引っさげた少年と偉丈夫だ。

 偉丈夫には覚えがある。なんだか残念さがひどい美女と一緒に、シャウロンたちの討伐を邪魔されたのだ。しかしあの美女と同等、もしくは阿散井恋次を一撃で戦闘不能にした手腕から、実力的には上の存在かもしれない。

 --つってもな......。

 日番谷は一番右へと視線を動かす。

 黒崎一護と交戦したらしい少女がその先にいる。

 幻影と光による攪乱(かくらん)で場を引っ掻き回すらしい。能力の厄介さでいえばこちらが上だ。相手の容姿に何も思わないわけではないが、一番最初に仕留めたほうがいいだろうと判断する。

 ここまで一秒。

 不良風の破面(アランカル)はどこかへと行ってしまった。それを止める余裕はない。これで数が同じになったことを先に喜ばねば。

 手早くほかの面々に指示し、構える。

 日番谷は飛び立ち、すぐさま肉薄。相手はこちらへ目を向けてすらいない。

 他の破面(アランカル)は一角たちが止めるだろう。

 好機として斬魄刀を突き出す。射し込めれば、あとは凍らせてどうとでもできる自信があった。

 その距離があと十センチになった時ーーーー壁が現れた。

 正確には幅広の大剣の腹。

 顔の下半分を蟲の(あぎと)を模した仮面に覆われた男が、少女の背から腕を回して日番谷の斬魄刀を受け止めていた。

 その偉丈夫の足止めとして向かっていった一角。彼が下の地面に墜落した音が耳に届く。

 

「そう上手くいくとは思ってなかったけどな。--十番隊隊長、日番谷冬獅郎だ」

「......名乗るのなら斬りかかる前に名乗れ」

 

 まるで枝きれのように大剣が振り回された。

 弾かれるようにして日番谷は距離を取り、わずかな間のにらみ合いとなる。

 グリーゼ、と以前呼ばれていた破面(アランカル)だ。先ほどまで少女とは反対の方向にいたというのに、彼女が襲われたとみるや真っ先に動き、そして守った。まるで騎士のように少女の後ろで控えている。

 従属官(フラシオン)というのが本当ならーーあの少女、ニルフィネスとグリーゼは主従関係になるのだろう。

 幸い一角は斬魄刀越しに叩き落されただけのようで、すぐに戦線に復帰した。

 

「大丈夫かい、一角?」

「ああ、問題ないぜ」

 

 藤孔雀(ふじくじゃく)を手にした弓親に一角が頷く。

 

「どぉする? 一人に相手一人付けるの?」

「......さあな。(あるじ)はどうする」

「適当でいいんじゃない? あの人たちが自分から相手したい人いるみたいだし。危ないから、ワンダーワイス、だよね? 一緒に少し遠くで見てるよ。私の相手の人はグリーゼがやっちゃって」

「......承知」

 

 破面(アランカル)たちが空間の裂け目から出ると、黒腔(ガルガンダ)がゆっくりと閉じた。

 

「おいで、ワンダーワイス」

「マー......アウー......」

「なんだよソイツ。ボクが話しかけても何も反応しなかったくせにさぁ」

 

 金髪の少年の姿をした破面(アランカル)がニルフィネスの言うことを素直に訊いたことに、中性的な男は不服そうだった。

 その鬱憤を晴らすためのように、自分の前に現れた一角と弓親を見据える。

 弓親が尋ねた。

 

「君も、十刃(エスパーダ)か?」

「そーだよ。名前はルピ。階級はNO.6(セスタ)

 

 破面(アランカル)、ルピは腰辺りの服をずらし、『6』の数字を見せつける。

 一方、日番谷と、合流した乱菊はうかつに動けなかった。大剣を携えた巨漢が背後の子供たちを守るようにして立ちはだかったからだ。

 --俺たちが悪者みたいじゃねえかよ。

 構図的には間違っていないだろう。

 しかし、しばらく睨み合いが続いたまま事態は進展しない。グリーゼの背後で子供たちが飛んでいる蜻蛉(とんぼ)を捕まえようと躍起になっているのが、なんとも戦場とは思えない空気を醸し出していた。

 

「攻めてこねえのかよ?」

「......その台詞をそのまま返そう。こちらは侵略者なんだろう? その排除に動かなくていいのか?」

「簡単に言うなよ。この前の奴らとお前の実力が一緒なんて思ってねえからな」

「......だが、そちらが攻撃しない限り、こちらから攻撃する意味はないぞ」

「どういう意味だ」

「......言葉は銀。沈黙は金。俺からは特に言うことが無いな」

 

 このまま睨み合いを続けてもいい。しかし少しでも相手の底を見極めるのがいいだろう。

 己の副官に呼びかける。

 

「松本」

「なんですか?」

「援護しろ」

 

 返事を聞く間もなく日番谷がグリーゼとの距離を縮めた。それを困ったような顔で見たグリーゼが、仕方なくとでもいうように大剣を動かす。

 だが、

 

(うな)れ『灰猫』」

 

 突如として下方から襲い掛かって来た灰の奔流に片眉を上げる。

 乱菊の始解である。あの灰に触れれば、その部位を切り裂くことができるのだ。

 

 甲霊剣(インモルタル)

 

 霊子の刃を構成させた大剣が灰へと振り下ろされる。斬撃ではない。剣風が暴風のように荒れ狂い、灰を散らす。

 その結果に日番谷は内心驚くものの、隙を晒した相手を待つつもりもない。コンビネーションは完璧。相手が大剣を振り下ろしたタイミングを見計らい、今度は猛烈な冷気をグリーゼに放つ。 

 振り払おうとしたグリーゼだがもう遅い。

 

「......氷か」

 

 秒刻みに氷の像と化し、遂には固まってしまった。直接攻撃系と『氷輪丸』はそれなりに相性がいいのだ。すでに限定解除も済ませている。卍解ではないとはいえ、十分な威力を込めたと日番谷も思っている。

 ワンダーワイスと蜻蛉の見せ合いっこをしているニルフィネス。彼女に対して日番谷が言った。

 

「どうする。お前も戦うのか?」

「--? どうしてかな。私が戦う必要性なんて、これっぽっちも感じてないんだけどな」

「なんだと」

「私はね、キミたちの相手をグリーゼがするように言ったんだよ」

 

 ビキリ、と音を立てて氷像にヒビが入る。それはだんだんと大きくなっていき、10センチほども厚みがあったはずの氷の層が剥がれていく。

 半ば予想していた。しかしさすがに、従属官(フラシオン)レベルが無傷で出てくるとは思っていなかった。

 

「ねえ、なんですぐに抜け出さなかったの?」

「......空中に浮かぶ大男の氷像というのも、なかなかユーモアがあるように思わないか?」

「全然」

「............そうか」

 

 素で返されたことで若干グリーゼが落ち込んだ。体を張った芸がウケないと堪えるのはどの世界でも一緒のようだ。

 破裂音がしたことで日番谷はそちらを見た。

 弓親がルピと戦っており、そしてどうやら押されているようだ。額から血を流している。

 

「だーからァ、一対一じゃ勝ち目ナイって言ってんじゃーん。わかんないの?」

「......うるさいッ」

 

 ルピが傍観を決め込んでいる一角を促す。

 

「キミからも何か言ってやんなよ。そろそろホントに殺しちゃうよ?」

「二対一は趣味じゃねえ」

「あァっそ! めんどくさァ」

 

 彼にとって歯ごたえがないものはつまらないのだろう。

 呆れた物言いのルピは、ある意味で拮抗となっている日番谷たちに目を付け、グリーゼに提案した。

 

「グリーゼ! そっちの子たちもボクに譲ってよ! こいつらウダウダめんどいからさ、一気に四対一でやろーよ。--ボクが解放して、まとめて相手してあげるからさ」

 

 そうしてルピは、左わきに挟まれた鞘から、己の斬魄刀を引き抜く。グリーゼは主人に意見を伺い、是と返ってきたことで傍観に徹することにした。

 それよりも、日番谷はルピの行動に頭の中の警報が大音量で鳴るのが感じらた。

 斬魄刀解放。

 かつて、シャウロン・クーファンも使った奥の手である。ルピの動きからシャウロンのような最下級大虚(ギリアン)より上の存在だとわかる。なにより十刃(エスパーダ)だ。それが解放をおこなったら、勝てる保証はあまり無い。

 

「させるか!」

 

 覚悟を決め、解放させるのを止めようとする。

 出し惜しみは無しだ。

 

「ーー卍解」

 

 大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)

 

 日番谷の体に氷で構成された、竜のような羽と尾が生まれた。速度が一気に加速する。

 しかし間に合わない。

 

(くび)れ『蔦嬢(トレパドーラ)』」

 

 ルピから噴き出した霊子の奔流が日番谷の視界を遮った。攻撃方法を変えるために斬魄刀の構えを直そうとする。その時、煙幕を貫いて木の幹のような物体が現れる。

 かろうじて、それを羽で防御する。すぐに勢いは止められずに背後へ強引に後退させられるが、止められないほどではない。

 

「......どうした、こんなもんか? 解放状態のてめえの攻撃ってのは」

「ハハッ! よく防いだね!」

 

 煙の奥のルピの声は挑発されたにも関わらず明るい。

 

「......でも正直止められるとは思ってなかったな。ちょっとショックだよ。意外とやるもんだね、隊長クラスってのは」

 

 シルエットが浮かび、そして晴れていく。

 歪んだ口元がその隙間から覗いた。

 

「でもさ、もし今の攻撃がーー八倍になったらどうかなァ?」

 

 そこにあったルピの姿は、上半身が鎧のようなものに覆われ、背中に八本の触手が生えた円盤が形成されていた。

 その異形とも呼べる姿に動揺を隠せなかった日番谷。殺到した残り七本もの触手が体を打ち据え、日番谷の体は森の中へと墜落していった。

 

 

 ----------

 

 

「ほら、これが飴玉。あーんして」

「......うー」

 

 素直に口を開けたワンダーワイスに飴を与え、自分も小袋から取り出したものを口に含む。蜜柑味だ。柑橘類の爽やかな香りが鼻を通り抜けるようだった。

 ちらりと、戦闘区域に目をやる。

 最初に自分に斬りかかって来た少年が落ちていくところだ。

 

「言ったろ? 四対一でいこうよ・ってさ。......ア・ごめーん。四対八、だっけ」

 

 自らの力に悦に入ったルピが触手と共にそう言い放った。

 どうやらあの触手は限界はあれど伸び縮みし、しなやかな強靱さがあるようだ。けれどなんというか。ニルフィはアーロニーロも同じような技が使えることを思い出す。たしか彼の場合は八本どころが数百は一度に操れると自慢していた。解放すれば三万の(ホロウ)の力を使えるという宣伝文句は伊達ではない。

 ニルフィはグリムジョーの行ってしまった方向を見やる。

 情けないとは思うものの、眉が下がってしまうのは止められなかった。

 グリムジョーは向こうで黒崎一護と交戦しているようだ。そして霊圧の揺れ方からして、戦闘での高揚と一緒にケガをしていることも知れる。一護の異常な霊圧の高まりの結果だろう。

 

「......大丈夫、かな?」

 

 こんな心配をしてはグリムジョーに失礼だ。そう思っても、グリムジョーが傷ついていることがどうしようもなく悲しかった。

 そしてそれをやった相手に、怨恨にも似た殺意を覚える。

 

「っと、冷静に冷静に」

 

 ニルフィは首を振って邪念を振り払う。ここは戦場だ。一時の気の乱れで、容易く首が飛んでしまうかもしれない。

 ......それもまあ、護衛者(ボディーガード)顔負けの完璧さで守ってくれるグリーゼがいるから大丈夫に思えるが。

 

「......(あるじ)

「うん、わかってる。自分の感情だけであっちに行ったりしないよ」

 

 安心させるように微笑む。それを見て、グリーゼは言葉を連ねなかった。

 

「マー」

「どうしたの、ワンダーワイス?」

 

 ワンダーワイスの頭を撫でながらニルフィが優しく尋ねる。彼はニルフィに懐いてくれたようで、戦っている場所に入っていくなとか、そういった忠告に頷いて素直に守ってくれていた。

 

「......ウ~、ラー......」

「おー? うー?」

「イアー。......クゥオー」

「みゅー、みゃ~」

 

 子供同士にしかわからない謎の会話をし始める。

 事前に藍染から、ワンダーワイスは知能などそういったものが欠落していると教えられていた。どうすればそうなるのか分からないが、どうやらワンダーワイスは藍染からしてみればとっておきらしい。もしかしたら言動はこうでも最上級大虚(ヴァストローデ)かもしれない。

 とはいえ、ニルフィにとって精神年齢が自分よりも下の存在と出会うのは初めてだった。

 背伸びしたがりと笑われてもいい。ちょっとだけ姉の真似事をして、ワンダーワイスの世話をしていた。

 それを片手間に戦況を確認する。

 ルピが背中の円盤を回転させて、触手を竜巻のように振り回していた。それによって残った三人の死神たちは押されているようだ。まだ戦えそうだが、その結果にニルフィはがっかりする。

 

「なんだ、話んなんないね。キミたちホントに護廷十三隊の席官? つまーん、ないっ!」

 

 そして一方的な甚振りが再開された。......ように見えて、それは違うとニルフィは森の中へと目を向けた。

 空気中の霊子がだんだんとある一点から塗り替えられていく。

 それは奇しくも、否、必然的に日番谷が落とされた地点からだ。ルピは初撃で仕留めたと思っているようだが、優秀な探査回路(ペスキス)を持つニルフィはまだ日番谷が行動可能だと分かる。

 そしてやりたいことも、おそらく予想通りだ。

 

「あはっ」

 

 ニルフィの口から楽しげな笑い声がひとつ漏れた。

 それに気づいたグリーゼは黙認し、ワンダーワイスは不思議そうに少女の目をのぞき込む。

 戦況はそこで急展開を迎えたようだ。

 三人の死神が触手によってついに捕えられた。

 ルピは乱菊という女の死神を目の前に持ってきて、まさに悦に入ったネコなで声で話しかける。

 

「おねーさんさァ、やーらしい体してるよねぇ。いーなあ、セクシぃだなあ。......ボクの同僚なんてあんなぺったんこなのに」

「余計なお世話だよっ」

「......たとえ成長の見込みが砂粒ほどなくとも、その言葉は失礼というものだぞ、ルピ・アンテノール」

「せ、成長するもん! アネットやハリベルみたいになるもん! グリーゼの馬鹿!」

 

 泣き声に近い言葉を発する外野を無視し、ルピが乱菊を捕えている触手を思わせぶりに近づかせる。

 

「ああ、もう。死神さんのこと」

 

 触手の先端から、万遍なく鋭い棘が生えた。

 

「穴だらけに、しちゃおっかなぁ~~~~」

 

 待ったを掛ける暇もなく凶器が乱菊へと振るわれーーーーその触手が紅の斬撃によって半ばから断ち切られた。

 空気からにじみ出るようにして彼は現れる。

 現れたのは着流しに下駄、目深に被った帽子と、それとなく胡散臭さを上長させるアイテムを身に着けた男。

 

「いやァ~~~~、間に合った間に合った。危なかったっスねえ~~~~」

「----。......誰だよ、キミ」

 

 興が削がれたことでルピが不機嫌そうに男を睨む。

 しかしニルフィはその男のことを知っていた。そしてその登場にかすかに笑みを零す。

 飄々とした様子で、男が軽く頭を下げる。それとなくフレンドリー、しかし右手に斬魄刀を持っていなければなお良し。

 

「あ、こりゃどーも。ご挨拶が遅れちゃいまして。--蒲原喜助(うらはらきすけ)。浦原商店でしがない駄菓子屋の店主やってます。よろしければ以後、お見知りおきを」




古来よりアカシックレコードには、『胸は揉むと大きくなる』と記されているという。
(by神)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

インベーダーゲーム

お気に入り件数が1500件を突破しました。
評価していただいた方もありがとうございます。

この小説を読んでくださる皆様に感謝を。


 浦原が名乗った時、その背後に右手を伸ばしたワンダーワイスが現れた。

 それにいち早く気づいた浦原は紅姫を振るう。紅の衝撃が少年の右腕を弾き飛ばし、彼らの距離を開ける。

 ワンダーワイスが楽しげに声を出す。

 

「アハ!」

「……へえ、随分変わったヒトがいるじゃないスか」

「アーーーーーー」

「ッ!」

 

 左腕を引き絞ったワンダーワイス。それに警戒を示した浦原は斬魄刀を振るい、ギリギリで同じような威力の攻撃をして対処する。そう。もうすでに攻撃が行われたあとだ。初見で虚弾(バラ)の速度を見切れるのはかなり困難なことである。

 服のところどころにほつれを作った浦原が空中を掛ける。

 今度は自分が距離を取ったことで浦原が冷や汗が首の裏を伝う。

 

「ふぅ~~、いやァ、ビックリしーー」

 

 その首を狙うような手刀が音もなく空気を薙いだ。

 帽子を被ったまま頭部が舞う。下手人のニルフィはその結果になんの反応も示さず、すぐに見当違いの方向に目をやった。

 そこに、さっき首を飛ばしてやった浦原が立っている。

 

「それ、どんな手品?」

「いやいや、いきなりでビックリして心臓止まるかと思いましたよ。君みたいな可愛いお嬢さんとの久方ぶりの再会だから、嬉しいんスけどねえ。まさかいきなり首を狙われるとは......」

「ごめんなさい。不審者かと思っちゃった。ワンダーワイスに近づくから殺そうとしちゃったよ。それはともかく久しぶりだね、ウラハラさん」

「そうッスね。笑顔で言われても物騒さは変わらないんスけども」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべながら、浦原は内心でため息を吐く。

 まさか登場して秒読みで奥の手の一つを使うとは思っていなかった。保険程度の認識とはいえ、身代わりを作る『携帯用義骸』を見せたのは痛い。そうしなければ凌げなかった、という理由もあるが、慰めにはならないだろう。 

 予想以上に、少女は速くなりすぎて(・・・・・)いる。

 

「私のパチモンみたいな能力だね」

「能力ってほどじゃないっスよ。それに真似が得意なあなたにパチモン呼ばわりされるなんて……」

「それもそっか」

 

 にっこりと可憐に微笑む少女。ついさっき人を殺そうとしたとは思えない。

 --これは困った困った。

 それとはなしに、浦原は死神たちのほうを見やる。さきほどの自分の攻撃で触手からは抜け出せたようだ。しかしこれ以上の助太刀は、少女が許してくれないだろう。

 とはいえ、ニルフィネスという少女を足止めできるのなら願ったり叶ったりだ。少年はもう自分から興味を失ったのか、鳥を追いかけている。偉丈夫の破面(アランカル)は待機と言われ、腕組みをしたまま目を瞑っている。

 

「ねえ、ウラハラさん。ヨルイチさんはいないの?」

「ご生憎、予定が立て込んでるんスよ」

「そう、残念。また稽古(・・)つけてもらいたかったんだけどなぁ。この一か月間、ずっと私も遊んでたわけじゃないんだけどね」

「またまたぁ、子供というのはそこまで訓練一辺倒にはなりませんよ」

「む、なんかウラハラさんが信じてない。グリーゼからも言ってやってよ。今日まで私がどんなに頑張ってたかさ」

 

 グリーゼと呼ばれた男が閉じていた目をゆっくりと開いた。

 

「……ああ、よく見てきたさ」

「ほら見てよ。頑張ってるって証拠、あるでしょ?」

「……我が主人の努力は並大抵ではなかったぞ。時には一日に牛乳を一パック飲み干し、さらにタンパク質を取るためによく食べ、よく寝た。まさに健康優良児だ。たとえ目標であった豊満な体に一ミリたりとも近づけなくとも、我が(あるじ)は一日たりとも欠かさずーー」

「グリーゼ。グリーゼ? そっちの努力じゃないよ! そ、それに、ちょっとは成長したもん! せ、成長したんだからね!」

「あなたがたも、なんか大変そうっスね」

「そんな目で私を見ないでぇッ」

 

 若干、生暖かい視線を送ってしまった。

 落ち込んで手足を空中の足場に突けていた少女は、ふいに起き上がる。

 

「…………まあ、ホントに私も遊んでたわけじゃ、ないんだよ?」

 

 空気が変わった。気配を感じた遠くの鳥たちが飛び立つ。

 どうやら、話での時間稼ぎはここまでらしい。

 

「私って、強い死神さんと戦ったことがないからさ。キミたちがどれだけ強いのか、よく分かんないんだよね。でもウラハラさんとヨルイチさんはその中でも強いほうでしょ? これが通用すれば、私はほとんどの死神に勝てるのかな?」

「買いかぶりっスよ」

 

 本音を言えば、勘弁してもらいたい。最初に現世に現れたときの実力はよく分かっている。夜一の技術を完全に模倣し、それ以外にも厄介な技が盛り沢山。

 その時に思ったことが一つ。

 --底が見えない。 

 さっきだってそうだ。浦原が手刀に気づけたのはまぐれである。それを気取られないようにしなければ、こちらの打つ手が少なくなるだろう。

 

「あ、そういえば」

 

 思い出したように少女が浦原に尋ねた。

 

「ウラハラさんは、この前の夜……。私たちの誰かと交戦した?」

「--? いえ、してませんが」

「そう。ありがと。ウラハラさんじゃなくてよかった」

 

 質問の意図は量り兼ねたが、これからの戦いにとっては雑念だ。

 --さて、どう動くんスかね?

 --白打?

 --斬術?

 --それとも……。

 答えは、眼前に。

 目の前の景色に別の映像を差し込まれたようだ。

 一瞬あとには浦原の眼球に触れるか触れないかの位置に霊子の刃が迫っている。少女が予備動作なく、まさしく出現したかのように、そこにいた。

 

「……ッ!」

 

 辛うじて浦原が首を曲げる。こめかみあたりの髪が何本か持ってかれた。

 風圧によって吹き飛ばされかけた帽子を手で押さえ、牽制の赤い斬撃を横なぎに振るう。そして少女も刃の軌道を変え、同じように腕を薙いだ。

 

 剃刀紅姫(かみそりべにひめ)

 

 駆霊剣(ウォラーレ)

 

 結果は相殺。

 煙が立ち込めるのも待たずして、浦原がその向こうへとそらに追撃をこなす。

 

 切り裂き紅姫(きりさきべにひめ)

 

 浦原の斬魄刀から無数の刃が連続で発射され、煙幕を晴らす。

 少女の姿はーーない。

 横? 上? 下? 

 思考をねじ伏せ、浦原は直感的に背後に紅の刃を奔らせた。

 

「なんでわかったの?」

「勘ですよ」

 

 浦原の耳に声が届いたときには、もう少女の姿は消えている。霊圧の探知も役に立たない。ついさっきまで眼前に居たというのに、少女は何の障害物もない空中で姿をくらましている。

 厄介すぎる。なにより、確実に自分が後手に回されてしまう。一護のようなタイプでは終始翻弄されるだろう。

 

「さっきの身代わり人形使ったら?」

「いやァ、けっこー扱い難しいんスよ、コレ。多分、アタシ以外の人に渡しても使いこなせないっス」

「動かせないの?」

「そこまではまだ改良してないんスよ」

「ふぅん。じゃあザエルアポロさんに持ってこうと思うから、一つ頂戴?」

「お断りさせてもらいますよ」

「ケチ」

 

 ピッ、と音を立てて、浦原の羽織の端がちぎれ飛ぶ。彼が回避をしていなければ、内臓ごと持っていかれただろう。

 上下すらも勘定に入れて、あらゆる方向から少女の攻撃が飛んでくる。

 浦原は、今の準備だけでは少女を倒せないと気づいていた。

 そしてまだ血があからさまに飛んでいないのは、少女が様子見のように......、あるいは、なにかを待っているかのように時間を稼いでいるからだ。

 それこそ浦原の望んだことだ。しかしこのままではラチがあかない。

 あえて大ぶりの技を放つ。隙を作り、誘い込む。相手もそれを理解しながら浦原の前に現れた。

 細い手足に霊圧を纏わせて次々と白打の技を使ってくる。熾烈だ。とにかく速い。これは浦原にも覚えがある。夜一が好んで使う型と一緒だ。刀と腕がぶつかり合うたびに、硬質な音がまき散らされる。

 最後に来るのは下段からの突き上げ。

 体がそう覚えていたからこそ、浦原は反応してしまった。

 

「シッ!」

 

 少女は膝を曲げた状態で、両手を足場に突く。型にはない動きに浦原の目測が誤った。そのまま少女は体の上下を逆にして回転し、跳ね跳ぶ。まるでミキサーの刃のようだ。

 予定していなかったことだが、これは想定内。予想外が来るのには警戒していた。

 

 血霞(ちがすみ)の盾

 

 斬魄刀の鞘から血が噴き出して壁を創る。

 そこに少女の脚がぶつかった。しかし少女はそれに頓着せず、白打にはない動きで蹴りを連続して叩き込んだ。

 わざわざ破壊されるまで待つつもりもない。

 

 切り裂き紅姫(きりさきべにひめ)

 

 盾から飛び出した血の槍の群れを前に、少女が飛びずさる。

 

「白打、じゃないっスね?」

「ピンポーン。体術を使う人は虚圏(ウェコムンド)にもいるよ。これはオジさんの技だね」

 

 ほがらかに笑いながら少女は肩をすくめた。

 なるほど。やりにくい。型にはまらないのが良い方向に伸びているようだ。浦原にとっては面倒極まりないとしても、たしかに少女は以前会った時よりも格段に強くなっているのが、些細な動きから察せる。

 相手が様子見をしているうちに、ここからはそろそろ本腰を入れないといけないかもしれない。 

 そんな時、触手で死神たちを捕まえていた破面(アランカル)が少女に声を掛ける。

 

「おぉい、ニルフィネス。まだソイツ殺せないの? こっちはこっちで続きするけど?」

「勝手にやってればいいじゃん」

「そーお? まっ、しょーがない。こっちはこっちで続きしよっか。おねーさん達!」

「いちいち言わないと何も出来ないの?」

 

 男をすげなくあしらう少女は攻撃の手を止め、そちらを向いた。

 その横顔に凄惨な笑みが張り付いていたと思うのは、浦原の気のせいだろうか。

 視線の先で男は乱菊に卑屈そうな笑みを見せる。

 

「ホント、あいつ話んなんないよね。せっかく、あのゲタ男が助けてくれてもスーグ捕まっちゃうんだもんね。ま、しょーがないか。八対三じゃ逃げ場ないしねー」

 

 男は余裕ありげだ。しかし浦原がそちらへ助けに入らなかったのは、死神たちにも考えがあることを見通してだ。

 --そうなると、こちらのお嬢さんは気づいていないはずじゃないんですが。

 裏を執拗に読むほどがちょうどいい。浦原はいつでも動けるように体勢を直し、事態を見守る。

 触手に胴を捕えられながら、乱菊が冷たく言い放つ。

 

「……あんたさ。ずーっと思ってたけど、あっちの女の子の言う通り、随分お喋りなのね」

「それがなにさ?」

 

 少女を引き合いに出されて男の機嫌が目に見えて悪くなる。

 

「あたし、お喋りな男ってキライなのよね。ーーなんか、気持ち悪くって」

 

 怒りで白くなった半眼。堪え切れない、男の負の感情。

 

「......おねーさんさ。キミ、いまボクに捕まってるってコト忘れてるでしょ? キミがいま生きているのはボクの気まぐれ」

 

 死神を捕まえていない残り五本の触手が鎌首をもたげ、

 

「ボクの機嫌を損ねたら、すぐに串刺しにーー」

 

 凍り付いた。

 動かそうともびくともしない。触手の長さはもはや十メートルを超えているが、そのすべてが分厚い氷におおわれて身動きできなくなっている。

 余裕などどこぞへ吹き飛んだだろう。

 

「----な……なんだよ、これ!?」

 

 ああ、と。浦原は納得する。あの男の破面(アランカル)は演技でもなく、このあからさまな仕掛けに気づいていなかったのだろう。いま浮かべている驚愕の表情までもが演技であればたいしたものなのだが、その様子もない。

 日番谷冬獅郎が戦線に復帰した。冷気を引き連れ、すでに準備は済ませたようだ。

 その間に捕まっていた死神たちは範囲から逃れる。

 

「一度攻撃を加えた相手に対して、気を抜きすぎなんだよお前は。『残心』て言葉、知らねえのか?」

「お前、まだ生きてたのか……」

「氷輪丸は氷雪系最強。砕かれても水さえあれば何度でも蘇るさ」

「くそ……ッ!」

()せ」

 

 即座に触手を切り離して新しいものを生やした男。それを日番谷が押しとどめる。

 

「もうお前に勝ち目はねえ。仕込む時間は山ほどあった。お前は、俺に時間を与えすぎたんだ。お前の武器が八本の腕なら、俺の武器は」

 

 この大気に()る、すべての水。

 男が絶句する。木の幹ほどもある太さの氷柱が、自らを取り囲むように突如として大量に現れているのを見て。

 

「なんだよコレ! 十刃(エスパーダ)のボクがッ! こんな奴に!」

「戦いでモノを言うのは、勝ったやつだけだ」

「--クソッ! クソッ! クソォォオオオオオオオオオ!!」

 

 背中の円盤を高速回転させ、迫りくる氷柱を半ばから折るようだ。それは最後の抵抗。窮鼠は猫をも噛む。

 危機に陥ったからだろうか。男の慢心が取り払われ、先程まで見せていた速度を上回る回転数で迎撃しようとする。これならば、第二波ほどまでは凌げただろう。

 しかし、

 

「......なっ!?」

 

 男の口から呆気ない声が漏れた。 

 回転に体が付いていかなかったのだろうか。浦原にはわからなかった。けれど男は突然、体勢をぐらりと崩し、氷の波へと飲み込まれることとなる。

 

 千年氷牢(せんねんひょうろう)

 

 最後の隙間に、男の目が見えた。

 

「クソがぁぁあああああああああ!!」

 

 凄まじい憎悪が込められた叫びが、氷の牢獄の完成と共に途絶える。

 明確な勝敗が決まった一瞬。誰もが、息を飲んだ。......はずだった。

 

「--あ~ぁ、ルピさんったら、やられちゃったよ。なんで獲物が目の前にいるのに、もっと甚振らないで焦らしてたのかな。それだったらもう三人殺せてたのに、ね。藍染様に怒られちゃうよ」

 

 言葉通りならば呆れを浮かべているはずだ。

 けれど少女の無表情に近い顔には、わずかな、ほんのわずかな喜色が込められているのに浦原は気づく。

 目の前にいる少女ではない。死神たちのちょうど中央に、同じ姿の少女は立っていた。

 --ッ! 

 --いつの間に!?

 目は離さなかったはずだ。男がやられる以前より、浦原は少女から視線を逸らさないように気を付けていた。それが今できる幻影対策だったから。

 それなのに、少女は当たり前のように浦原の前に偽物を置く。

 精緻な幻影が霊子の欠片となって散っていく向こうで、少女は大仰なしぐさで可愛らしく一礼。

 

「私は第7十刃(セプティマ・エスパーダ)のニルフィネス・リーセグリンガー。ニルフィって呼んでね。さっきのルピさんより階級は一つだけ下だよ。キミたちならもっと早く私を倒せるかもしれないよ」

 

 いつ現れたのかも分からない少女の存在に、死神たちが警戒し、すぐには攻撃を仕掛けない。

 あの語りを終わらせてはいけない。そう本能が答えをはじき出し、浦原は追撃を開始しようとする。

 

「……すまんな。こちらの(あるじ)からの命令だ」

「――――!」

 

 今まで傍観に徹していた偉丈夫が立ちはだかる。浦原は歩を止めた。このまま抜けるには、拙い。

 殺気立つ最中で、ニルフィが微笑みながら唄うように言った。

 

「私が今日現世に来たのは三つの目的があるから。一つはついさっき達成したの。それともう一つは、このままだと十割の確率で成功するよ。それでね、最後の目的の達成のためには、死神さんたちの協力が必要なんだ」

 

 ギチギチギチギチギチギチギチギチ……!

 ニルフィの霊圧が軋んでいく。それに比例するように、濁っていく黄金の眼光が死神を射抜く。

 

「ディ・ロイとエドラドと戦った人は、ここにいるかな?」

 

 遊びの時間はもう終わり。

 

 

 ----------

 

 

 これからどうするかを考える日番谷は、それを頭の片隅に押し込めて、ニルフィの動きを注視する。

 ニルフィは自分の質問に反応した死神が一人いることに気づく。

 パチンコ玉みたいな坊主頭で菊池槍(穂先が片刃の短刀状の槍)を肩に担いだ男だ。彼に向き直る。

 

「キミは?」

「十一番隊第三席、班目一角(まだらめいっかく)だ。エドラドって奴となら、俺が戦ったぜ」

「勝ったの?」

「ああ、愉しかったよ」

 

 全身から好戦的な空気を発している一角。ニルフィはざっと一角を観察した。

 

「ねえ、イッカクさん。卍解使ってよ」

「あァ?」

「使えない訳じゃないでしょ? 通常状態ならともかく、帰刃(レスレクシオン)の『火山獣(ボルカニカ)』を発動させたエドラドに勝っている要素が、始解状態のキミにはないんだもん。そんなんじゃあの人は倒せないよ?」

「……俺がそんなの使えるワケねえじゃねえかよ」

「なんで?」

「そっちこそなんだよ。やりあうってんならガキだからってこっちは容赦しねえけどよ、万が一にでも使えるなら使わねえうちにブッ殺しに来りゃいいだろうがよ」

 

 卍解の有無について気になるが、たしかに、一角の言っていることは正論だ。

 しかしニルフィが望むのはそういうことじゃないようだ。

 

「倒した、--倒した相手に言い訳を許すの? 怪我がひどくて動けなかった。出血がひどかったから集中力が乱れた。自分の力を出し渋っていたから弱くなってた。そしてそれは相手が悪かったからだって」

 

 一歩、ニルフィが踏み出す。

 

「そんな、そんな言い訳なんてないよ。私はキミに言い訳なんかあげないで情けをあげる。言い訳無用に叩き潰して、再起不能か死の字を与えて、プライドをずたずたに引き裂く。--そういう情けだよ」

 

 一角が鼻で笑った。

 

最初(ハナ)から言い訳なんてするつもりねえよ。戦って、楽しんで、死ねたらそれで本望だ」

「戦えたらキミは楽しいんだ」

「そうだよ。......俺と()るんだろ? 仇討ちだか何だか知らねえが、付き合ってやるよ」

 

 じっと一角を見つめるニルフィ。

 けれど少女はすぐに破顔し、両手を広げる。

 

「わかった。じゃあ、やろうか」

 

 一角が斬魄刀を構え、飛び掛かろうとした。さっきまでニルフィは接近戦しかしてこなかったからだろう。そういった先入観、あるいは手札の底の視えなさから短期決戦を決め込んだのか。

 わざわざニルフィがそれに乗ってやる理由もない。素早く両手で手陣を切る。

 

「縛道の六十三」

 

 鎖条鎖縛(さじょうさばく)

 

 太い霊圧の鎖が蛇のように一角に絡みついた。

 日番谷はそれに瞠目する。

 

「鬼道だと!?」

 

 ニルフィはさらに縛道の六十一『六杖光牢(りくじょうこうろう)』を重ね掛けし、一角の動きを確実に封じ込めた。もがく一角だが、あの拘束は死神の腕力だけではどうにもならない。

 援護をするしかないだろう。日番谷はルピが仕留められなかった場合に用意していた水を操る。

 

 群鳥氷柱(ぐんちょうつらら)

 

 作り上げた大量の氷柱をニルフィへと放つ。

 

「邪魔」

 

 重光虚閃軍(セロ・インフィニート)

 

 少女は面白くなさそうに腕を払う。すると虚閃(セロ)の乱発によってすぐさまそれらを一掃した。集中砲火の余波を喰らって日番谷を含めた死神たちは意図せず距離を置く。

 無表情から笑顔に戻ったニルフィが、禿頭の死神へと近寄る。

 

「戦えないまま殺してあげるよ」

「グッ......オォッ!」

 

 叫ぶ一角を見て檻の中の珍獣を楽しむ子供のようにニルフィは顔を輝かせた。

 

「ーー破道の九十」

 

 黒棺(くろひつぎ)

 

 拘束されたままの一角は黒い棺桶に飲み込まれていく。叫びも、その姿も、日番谷たちの意識では捉えられなくなった。あの棺桶の中では暴虐が荒れているのだろう。

 

「さて、とりあえず今はこれで終わり。戦いすらできずに再起不能だよ」

 

 手を払いながら少女が言った背後で、解放された一角が糸の切れた人形のように地面へと落下していく。血が尾を引いた。

 

「一角!」

「おい、待て!」

 

 それを追った弓親に日番谷が静止を掛けた。何が起こったのか目で追えなかったのもある。けれどそれ以上に、相手に隙を見せるようなことをしてしまえば......。

 日番谷の危惧通り、弓親のすぐ横にニルフィが現れる。咄嗟に藤孔雀で薙ぎ払う弓親。

 ゆっくりと動かした小さな手をその刃に添えて軌道を逸らし、少女はまず顔に正拳を一発食らわせる。弓親の身体が強張るタイミングで次の攻撃。掌底。熊手。肘打ち。手刀。拳槌。膝蹴り。目潰し。回し蹴り。関節砕き。その他無数。

 数秒にも満たない間に死神の身体をスクラップにする勢いでのラッシュ。

 とどめの蹴りが炸裂しようとする寸前、

 

「唸れ『灰猫』」

 

 ニルフィの矮躯に灰が襲い掛かる。

 

「……」

 

 無言のままニルフィは気絶した弓親を盾にした。乱菊が舌打ちし、灰を二人から逸らす。

 その瞬間、ニルフィが弓親の身体を乱菊に向かって思いっきり蹴り飛ばす。軌道的には上から下へ。このままでは弓親が地面に激突すると判断した乱菊が、攻撃を断念して受け止める。

 そのまま二人は勢いのままもみくちゃになり、かろうじて木のすぐ上で止まった。

 

「なんでよそ見してるの?」

「!?」

 

 そのすぐ横で、不思議そうにニルフィが乱菊を見上げている。細腕には霊子の剣が構成され、金色の眼は乱菊を見ているようで、本当はその喉元を狙っていた。

 

「さ、せるかァ!」

 

 冷気を纏いながら日番谷が飛来。あえて大声を出し注意を引き、そしてそれは成功した。

 斬魄刀と霊子の剣が真正面からぶつかりあう。

 

「邪魔しないでって言ってるでしょ。あのイッカクさんを連れて帰って私は壊さないといけないの」

「みすみす渡すわけねえだろッ」

「こっちはもう五……二人も殺されてるんだよ? 仲間が殺されないって都合よすぎない?」

「ふざけんな!」

 

 氷の尾がニルフィに迫る。それを彼女は脆そうな細指で側面を叩き、

 

「縛道の八」

 

 (せき)

 

 空気が軽く破裂するように霊圧が散る。すると尾は目標を失ってニルフィのすぐ横を通り、空気を削り取る。

 その技量に舌を巻くしかない。

 だがさっき、ニルフィは一角を連れ帰ると言った。ならば一角はまだ生きているのだろう。それがたとえ、生死の境目で彷徨っていようと。

 --クソッ!

 --コレ(・・)がさっきのやつより弱いって嘘だろ!

 今の戦力だけでは倒しきれない。

 

「敵が目の前にいるのに考え事なんて、すごい余裕だね」

 

 気付けば、ニルフィは日番谷の間合いに堂々と足を踏み入れている。どころか、もう一メートルも距離がないほど接近を許していた。刀を振るうには適さない距離。そして氷を扱えば自分も巻き込む。そんな、微妙な間合いをニルフィは展開していた。

 --これしかねえかッ。

 予備の水分のほとんどを操る。ニルフィがそれに気づき、呆れた視線を投げかけた。

 

「捨て身の攻撃? まだワンダーワイスに、グリーゼも残ってるのにね」

「いまはてめえを倒すのが先決だ」

「倒せたら、とか。そういう予想を出ないことを信じてるんだね」

「予想から現実にしてやるよ」

「無理だね。--もう終わったから」

 

 いつの間にか、ニルフィは日番谷の背後に立っていた。音も気配もない。しかし日番谷は直感的に背後に居る(・・)と察し、千年氷牢(せんねんひょうろう)を形成させようとする。

 ......だが、体が動かない。振り返ってから体が思うように動かなくなった。拘束されているわけでもなければ疲労によるものでもない。一瞬の間だけ、日番谷の思考は停止した。

 刹那、音が遅れてやってくる。発生源は己の四肢の骨。砕け散っていたからこそ、手

足はただの肉袋と化し、もはや動かすことさえできない。止めとばかりにニルフィの足が日番谷の腹に突き刺さる。比喩表現でもないのは、少女の足が槍のように日番谷の腹を突き破っているからだ。

 

「ぐっ、が......!?」

 

 霊子の足場に倒れ込んだ。

 壊滅だ。先遣隊はすでにこの少女に勝てる戦力ではなくなっている。乱菊はまだ戦えるだろうが、返り討ちに遭うのは目に見えていた。仮にもこの少女を倒せたとしても、まだ二人の破面(アランカル)が残っていた。浦原も、グリーゼという男がこの戦闘区域への侵入を(はば)んでいるため、これ以上の援護は期待できそうにない。

 

「ねえ、どうして? あっさり降参宣言なんてディ・ロイとエドラドを殺したキミたち死神が言わないよね? 刀を振る腕がなくなったくらいでリタイアなの? まだ手足は体にくっついたままにしてあげてるじゃん! それがなくなったら噛み付いてでも戦いなよ! ねぇ! 私はそういうつもりで今まで皆と戦ってきたんだよッ。こんなに肩透かしを味わうなんて虚圏(ウェコムンド)でも早々(そうそう)なかったのにさ!! ............ルピさんじゃないけど、想像以上に想像以下だったから、私、白けちゃった」

 

 ニルフィが一気にまくしたてた。しかし最後は落胆にまみれた声だ。呟いた少女の身体は、だんだんと小さくなっていくようで。

 

「これじゃあ、何のために強くなったのか、わからないよ」

 

 その時、空が割れる。光がそこから降り注ぐ。

 

反膜(ネガシオン)......!」

 

 破面(アランカル)以外の誰かが呻いた。

 

「あ~、任務完了か~」

 

 光はニルフィ以外にも、他の破面(アランカル)たちを包んでいく。もはや浦原以外に興味がなくなったようにニルフィがある一点を見つめた。

 そこには光が降り注ぐ氷の牢獄がある。反膜(ネガシオン)とは、対象が光に包まれたが最後、光の内と外は干渉不可能な完全に隔絶された世界となるものだ。それによって異物である氷は破片となっていき、崩れていた。

 ルピが氷の中から姿を現す。生きている。こちらからは背しか見えないが、屈辱や憤怒といった黒すぎる感情が可視化されたようだった。

 背中越しにルピが振り返る。下手人の日番谷に一瞬だけ目を止めるが、すぐに別の所へと視線を移した。

 見ているのはーーニルフィだろうか?

 件のニルフィは日番谷を見やる。

 

「ばいばい」

 

 なにも込められていない言葉を残し、少女は現世から去っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リカバリーとデストロイ、あるいはただの暴虐

 この虚夜宮(ラス・ノーチェス)に初めて人間が足を踏み入れた。

 名前は井上織姫。特異な能力と彼女の気質から、進んで数奇な人生のレールを歩むことになった少女だ。学生服のまま何も持たず、数人の破面(アランカル)に囲まれるようにして廊下を歩いて行く。無機質な廊下こそが彼女の進む道を示しているようだった。

 織姫は俯きがちだった視線を周囲に奔らせる。

 一番近くには織姫のまわりをぴょんぴょんと跳ねまわる幼女がいた。とても楽しげだ。敵意などは以前と違って感じられず、むしろ今は歓迎しているかのようである。

 頭にとある絵本の一場面が思い浮かんだ。『おむすびころりん』。老人がある穴へと握り飯を落としてしまった。けれど穴の住人であったネズミたちはその握り飯を喜び、老人を歓迎する踊りをしたという。ニルフィネスという少女は踊ってはいないが、まさにそのネズミのような無垢な喜びを体現していた。

 

「ん? どーしたの?」

 

 織姫の視線に気づいた少女が立ち止まって見上げて来る。

 答えあぐねていると、先頭を歩いていた頭に鎧の一部のような仮面を付けた青年が言った。

 

「リーセグリンガー。さっきからちょろちょろとソイツの周りを飛び回るな。女の歩みの邪魔だ」

「あ、あたしは別に......」

「女。お前には言ってない。そしてリーセグリンガーをあまり甘やかすな。いつまでたっても餓鬼のままになる」

 

 別に邪魔というほどでもなかったが、男の言葉に少女は唇を尖らせてそっぽを向いた。

 けれど織姫には悪いと思ったのか、子供らしく素直に謝る。

 

「ごめんなさい。ちょっと邪魔だったよね」

「そういうことって、ないんだけど......。えっと、ニルフィネス、ちゃん?」

「ニルフィでいいよ。ちゃん付けするなら、ニルちゃんがいいなぁ。ニルフィちゃんだと語呂が悪いしね」

 

 織姫は曖昧に頷く。まだ最初の邂逅との落差が掴めないのだ。

 あの時、織姫はニルフィに殺されそうになった。その下手人になるかもしれなかった少女が目の前でくるくる回っているのを見るとは思っていなかった。久しぶりだねオリヒメさん。そう言って、ついさっき友達に会うような気軽さで織姫に抱き着いてきた。織姫は小さな体を抱き留めながら、ただ戸惑うことしかできない。

 なんとはなしに目が流れる。自分をここへと連れてきた青年の背中に目が留まった。

 

「あの人がね、ウルキオラさん。私をここに連れて来てくれたのもあの人なの。そういえば、いっつも誰かを連れてきてるよね。仕事なの?」

「余計なお世話だ」

 

 ウルキオラは振り返らずに言った。

 平坦な枠に嵌まったような声。織姫を連れに来た時も、護衛の死神たちを死の間際に追いやった時も、こんな声だった。

 尸魂界(ソウル・ソサエティ)から断界を通って現世に向かう途中、ウルキオラは現れた。

 

『......そうだ女。お前に話がある』

 

 護衛として付いていた死神の左半身を吹き飛ばしながら、事もなげに言った。

 続けてもう一人の身体を吹き飛ばし、二人の身体を再生させている最中の織姫を見る。

 

『俺と来い、女』

 

 続けられた言葉に、織姫は逆らえなかった。

 

『言葉は「はい」だ。それ以外を喋れば殺す。「お前を」じゃない。--「お前の仲間を」だ』

 

 大人しく織姫が従っているだけだからか、今のところ何もされていない。ただついて来いとだけ言われてやって来た。

 けれど、一つの視線が気になる。

 少し後方を歩いている中性的な男の破面(アランカル)。死覇装の所々は凍り付き、あるいは裾が千切れ、包帯すら巻いている。不良風の青年もケガをしているようだが、そちらと違って後ろの男はさっきから澱んだ視線を向けてきていた。

 自分だけならまだ分かる。しかし隣をちょこちょこ歩くニルフィにさえ、むしろ強く睨みつけている。

 親の仇を見る目が生易しいと思えるほどだ。

 しばらく歩いていると、彼との距離が近く、先頭とは離れていく気がする。ニルフィが歩調を変えて、それに織姫が釣られたせいだ。

 ニルフィが男に嬉々とした様子で尋ねた。

 

「ねえねえ、ルピさん。なんでそんなにケガしちゃったの? ていうか、なんであんなに簡単にやられちゃったの? キミの言ってた弱い死神さんたちにさ。もし道化を目指してるのなら私も手伝ってあげるよ?」

 

 目を剥いたルピが右手でニルフィの襟首を持ち上げる。身長差からニルフィの足が床から離れてしまった。

 見ていればよかった。けれど思わず、織姫が止めに入る。

 

「--ッ! 離してあげてくださいっ」

「お前は黙ってろ!」

「だからって、こんな小さい子に」

「うるさい!」

 

 血を吐くように叫び、ルピは少女を今にも喉笛を噛み千切らんばかりに睨んだ。

 

「......どうしたの、ルピさん? 喉が苦しいよ。私、自分があっさりやられたからって、八つ当たりはよくないと思う」

「お前がッ。お前なんだろうが!」

「なにがー?」

 

 とぼけた様子のまま、ニルフィは器用に首をかしげて見せる。

 声にならない叫びをあげてルピが拳をその顔に振りかぶった。だが、吹き飛んだのはルピのほうだ。ニルフィが空中で体を捻り、ルピの横っ面に杭打機もかくやという勢いで蹴りを叩き込んだ。ルピは壁に叩き付けられて弾かれる。

 

「聞いただけなのに、ね。正当防衛だよね? 行こう、オリヒメさん」

「え、でも」

「いいからいいから。死んじゃいないし、あとからついてくるよ。現世でも殺されるはずだったのにしぶとく生き残っちゃったし、ゴキブリ並さ。こんなチビ助な私に蹴り飛ばされても、腐っても十刃(エスパーダ)(笑)なんだからさ?」

 

 強引に織姫の手を取ったニルフィが先を行ってしまった者たちの背を追う。

 二人の背後で、獣のような叫び声が届いた。

 

「ん、ここだね」

 

 時間の間隔が狂ったせいで、どれほど歩いたかわからない。ついに織姫は目的地に着いたようだ。

 織姫の横に立つニルフィに、顔の下半分を仮面で覆われた長身の男が耳打ちする。

 

「......(あるじ)。はしゃぐのは分かるが、少し抑えてほしい。流れ弾がそちらの少女に行っては怒られるのはお前だ」

「気を付けてるよ?」

「......人間が我々のように丈夫だと思うな」

「あ、そういえばそうだったね。クッカプーロみたいな?」

「......もうそれでいい」

 

 誰も、先程すさまじい威力で蹴り飛ばされたルピを心配する者はいない。それを見て織姫は、ここは死神の世界とはやはり違うのだと実感した。

 そうしているうちにルピがやって来た。髪が乱れ、まさに幽鬼のようにニルフィを睨みつけている。もはや眼光だけで殺意が届きそうだったが、当のニルフィは我知らずというようににこにこしている。

 二人の確執は織姫には知りえないことだ。 

 わかったことといえば、ニルフィは幼い見かけに反し、やはり(ホロウ)なのだということだろうか。

 考えているうちに扉が開き、促されて織姫も中へと入る。

 一歩、一歩と進むうちに、後戻りできないのだなと実感が湧くようだ。薄暗い巨大な部屋の全貌が見え始め、そして高い壁の上に置かれた石造りの椅子に腰かける男が、織姫を見下ろした。

 

「--ようこそ、我等の城『虚夜宮(ラス・ノーチェス)』へ」

 

 藍染惣右介(あいぜんそうすけ)。死神でありながら死神を裏切り、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)の主である男。

 体が強張ってしまうのを耐え、屈さないように見上げるだけで精いっぱいだ。

 

「......井上織姫......と言ったね」

「......はい」

 

 重圧が織姫を襲う。空気がチリつくような鋭さがありながら鉛の海に沈められたような感覚が織姫を蝕む。

 体中の力が吸い出されるような、感じたこともないものだ。

 ただの人間でしかない少女の体はそれだけで砕けそうだった。

 

「早速で悪いが、織姫。君の能力(チカラ)を見せてくれるかい」

「は、い......」

 

 幸いと言ってどうなのか、織姫は重圧から一瞬で解放された。

 観察するような藍染の目はどことなく愉悦に浸っているように見える。

 ほかの破面(アランカル)たちは立っていながらさして興味なさそうに状況を眺めていた。けれど唯一、悪意を持っている者に藍染が目を動かす。

 

「どうやら君を連れてきたことに、納得していない者も居るようだからね。......そうだね? ルピ」

 

 頬に青あざを作ったルピは、亡者のように低く押し殺された声で返す。

 

「......当たり前じゃないですか。ボクらの戦いが全部......こんな女、一匹連れ出すための目くらましだったなんて......。そんなの、納得できる訳ない」

「知らなかったのかい? 任務の詳細はニルフィに教えさせるように言っていたんだが」

「......!?」

 

 体の節々を震わせながらルピはニルフィを睨む。もはや血の涙さえ流せそうだった。藍染がいなければすぐに襲い掛かっていただろう。

 当のニルフィは知らん顔してそっぽ向いている。

 それを上から見ていれば何があったかなど分かるはずだろう。しかし藍染は答えを聞くことなく、ルピに建前だけの、本心は一かけらほども入っていない言葉を投げかけた。ルピの神経を逆なですることすら分かっているだろうに。

 

「済まない。君が、そんなにやられるとは予想外でね」

「............!」

 

 歯を噛み締めてルピが屈辱に耐える。

 涼しげな顔のまま藍染が続けた。

 

「さて、そうだな。織姫。君の能力(チカラ)を端的に示すためにーー」

 

 すべては当てつけでしかない。

 

「グリムジョーの左腕を治してやってくれ」

 

 普通ならば不可能な藍染の提案。ザエルアポロでさえ代用品を用意しなければ可能の言葉を掴むことすらできないそれは、今のルピには最高の鬱憤の晴らすモノとなる。

 溢れる言葉を押しとどめることなく、声高く吐き出した。

 

「バカな! そりゃ無茶だよ藍染様! グリムジョー!? あいつの左腕は東仙統括官に灰にされた! 消えたものをどうやって治すってんだ!! 神じゃあるまいし!!」

「ルピさん。黙って見てなよ」

「ッ! また、お前だ! お前が邪魔する! そのせいでッ」

「お口チャックすらできないの? 藍染様はオリヒメさんに、やれって言ったんだよ。それの邪魔をしているのは、いまキミだけだ」

 

 目を引きつらせて押し黙ったルピを放り、ニルフィが織姫のそばまでやってくる。

 小さな少女が見上げる。(すが)るような目を、懇願するような震えた声を、織姫に知らせた。

 

「お願い。治してあげて」

 

 織姫は頷く。

 たとえ他人にどれほど否定されようと、織姫に拒否権はない。

 だからニルフィに頼まれようと、どれほどの想いを押し付けられようと、織姫はやるしかなかった。

 グリムジョーの傍に織姫が歩み寄る。失われた左腕のある場所に、織姫が両手を添えた。

 

 双天帰盾(そうてんきしゅん)

 

 結界がそこを包み、

 

「私はーー拒絶する」

 

 グリムジョーは(いぶか)しげな顔でその部分を見つめる。常識的に、何の用意もなく再生させることなどできない。それでも黙ったままなのは、僅かな可能性というものを待つからか。

 そして織姫はその小さな可能性すら手繰り寄せられる。

 ルピが叫んだ。

 

「おい! 聞いてんのか、女! 命惜しさのパフォーマンスならやめとけよ! できなかったらお前を殺すぞ! その能力(チカラ)ってのがニセモノなら、お前みたいな奴を生かしとく理由なんか.....」

 

 声からは次第に力が失われていった。

 骨が生まれた。肉が張り付いた。パーツが組みあがっていく。

 

「ない......ん......」

 

 完全に再生させられた腕が、完成した。

 その異常な光景にグリムジョーさえも目を見開く。己の左腕を握り、そして開き、それを繰り返す。動きにぎこちなさはない。慣れ親しんだように動いている。

 これで良かったのか。織姫がそう思いながら下がっている間にも、ルピは困惑やぶつけられない怒りに振り回されているようだ。

 

「な、なんで......。回復とか、そんなレベルの話じゃないぞ......。一体何をしたんだ、女......!?」

 

 その様が愉快なのか、藍染は口の端に笑みを刻みながら口を開く。

 

「解らないのかい。ウルキオラは、これを『時間回帰』、もしくは『空間回帰』と見た。そうだね?」

「はい」

 

 ウルキオラが肯定したことにルピが口を震わせる。

 現実を受け入れたくないように、辛うじて声を出す。人間がそんな高度なチカラを持つはずがないと。

 しかし藍染は現実を突きつけた。

 

「これは、『事象の拒絶』だよ」

 

 織姫の能力は対象に起こったあらゆる事象を限定し・拒絶し・否定する。何事も、起こる前の状態に帰すことのできる能力。

 それは『時間回帰』や『時空回帰』よりも更に上。神の定めた事象の地平を易々と踏み越える。

 

「これはーー神の領域を侵す能力(チカラ)だよ」

 

 それこそが織姫がこの場所へと連れてこられた理由なのだろう。

 ルピはもはや何も言えなかった。たとえどれほどの否定の語彙を並べ立てたところで、目の前にある答えを塗りつぶすことなど不可能であると知らしめられたから。

 そこで、織姫は腕の調子を確かめていたグリムジョーに声を掛けられた。

 

「......おい、女。もう一か所、治せ」

 

 示された右わき腹の後ろにも、皮膚どころか肉を削ったような傷の痕がある。織姫はそこも再生させてみると、『6』の数字が現れた。霊圧がグリムジョーの全身を駆け巡る。軋ませるように左拳を握る。

 ルピがその姿を見て、押し殺すように言った。

 

「何のつもりだよ、グリムジョー」

「......あァ?」

 

 獲物を狙う、まさしく豹のような眼光となり、牙を見せつけるようにして凄惨な笑みを青年が浮かべた。

 一触即発。

 そうなるかと思いきや、グリムジョーは霊圧を消し、胸に飛び込んできた小さな少女を受け止める。

 

「グリムジョー! よかった。治った! やっと、治ったんだね! うれしい、私うれしいよ!」

 

 歓喜に打ち震える声だ。ニルフィは屈託のない満面の笑顔でグリムジョーに抱き着く。グリムジョーは抱きしめ返すことも少女の言葉に同意することもせず、ただニルフィの好きなようにさせているようだった。どう接すればいいのかわからない。グリムジョーの顔にはわずかにそんな困惑があったと思うのは......織姫の気のせいだろうか。

 これが絵本の物語のワンシーンなら、あとはめでたしめでたしと終わる場面だ。

 けれど何もかもぶち壊すように声が引き裂いた。

 

「ーーふざけんな! なんでお前が『6』なんだよ! NO.6(セスタ)は、NO.6(セスタ)はボクのはずだ!」

 

 その声に反応したのは、グリムジョーでも、藍染でもなく、ニルフィだった。

 グリムジョーから飛び降りるとニルフィは不思議そうな顔で藍染に尋ねる。

 

「ねえ、藍染様。グリムジョーの腕がもう元通りだから、またグリムジョーは十刃(エスパーダ)になるんだよね?」

「ああ、そうだ」

「もうルピさんは十刃(エスパーダ)じゃないんでしょ? あとは順当に十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)になる。それが決まり、だよね?」 

 

 ルピの見ている先で、藍染はそちらに目をやることなくたしかに頷いた。織姫は事態の奥深くが見えないが、今はルピの地位の話をしているのだろうとは察せた。

 

「へえ、そっか。そうなんだ」

 

 子供が納得するように幼女は繰り返す。

 

「ねえ藍染様。お願いが、あるの」

 

 子供らしからぬ、熱に浮かされたような表情で、ニルフィは藍染に『お願い』をした。

 続けられた言葉にグリムジョーは悔いるように奥歯を噛み締め、治された手を握って血を滲ませた。

 

 

 ----------

 

 

 ルピは真正面に立つ少女を見ているだけで、怒りで我を忘れそうになってしまう。

 場所は先ほどの玉座の間からはさほど離れていない部屋だ。いや、部屋というよりも広場か。500メートル四方もある正方形の空間で、家具や石材も無く、ただ頑丈さだけが取り柄の闘技場として存在する場所だった。

 口火を切ったのは、ニルフィだ。

 

「どうしたのルピさん? また返り咲けるチャンスが転がり込んだんだし、もっと嬉しそうな顔しないの?」

 

 ニルフィが藍染にせがんだお願いは一つ。

 元から6番の数合わせのために入れられたのが可哀想だから、自分の7番の数字を掛けさせて戦いたい。

 二つ返事で藍染は了承した。

 

「ホントにどうしたの? もうヒツガヤさんに無様にやられちゃった傷はオリヒメさんに治してもらったでしょ? まだ痛むのかな、不名誉の傷は」

「......てめえが」

「え?」

「てめえが! あの時! 邪魔したんだろうが!!」

 

 叫び、ルピは獣の手のように曲げた右手でニルフィの顔をえぐろうとする。木の葉のようにふわりと避けたニルフィが困惑した顔で訊いた。

 

「わ、私? なにもしてないよ?」

  

 柳眉を不安そうに寄せ、無垢な目に困惑を滲ませる。

 その様は冤罪を突き付けられたいたいけな少女のもの。けれどその姿はルピにとって怒りを助長させるものでしかない。

 日番谷の千年氷牢を受けた時だ。ルピは触手を回転させて氷柱を薙ぎ払う腹積もりでいた。

 だが、いざ間合いに氷柱が迫ろうとした瞬間、

 

「......破道のー」

 

 ルピにしか聴こえなかったであろう、少女の囁き声が。

 

 (しょう)

 

 体の各所に霊圧の塊が一瞬のうちに叩き込まれた。すべて急所や関節といった要所ばかり。致命傷にはほど遠いものだったが、ルピの身体のバランスを崩すのには十分すぎた死角からの妨害。そしてルピは氷に成すすべを無くされて飲み込まれた。

 それを問うと、

 

「え~? ホントに私の声だったの? たしかに鬼道は使えるけどさ、私以外にも隠れていた死神がいたんじゃないの?」

「--ッ! --ッ!」

 

 もはや声にならない叫び声をあげてルピが打撃を繰り出す。

 ニルフィは苦も無くそれらを避け続けた。

 

「てめえの声だったんだよッ。どういう手品使って隠れてたのか知らねえけどな!」

「口調変わってるよ? それに確証もなしに犯人扱いは止めてほしいなぁ。だから世の中から冤罪がなくならないんだよ」

 

 ルピが斬魄刀を抜き放つ。狙いはニルフィの喉笛。ニルフィは突き出された斬魄刀の腹を撫でるように触れる。軌道のずれた刃が空を切った。

 

「あああああああああああああッ!! 殺す、殺してやる!」

「口動かさないで手を動かしなよ。そう吠えてると、弱く見えるよ。なんてね、藍染様のマネ~」

「------ッ!」

 

 とぼけた様子で怒りが破裂するほどに膨れ上がる。

 すべてがニルフィのせいだ。もはや十刃(エスパーダ)としてのプライドや優越感は失われたのだから、たとえ因果とかそういうものが間違っていようと、今のルピを確立させているのはそれだけだ。 

 そもそも、最初に姿を見た時から気に食わなかった。

 理由は......そうだ。思い出す。仲良しこよしをしよう、などと宣言したことがルピの琴線に触れたのだ。それに苛立った。ルピがなによりも嫌う行為をニルフィは嬉々としてやる。仲間同士の馴れ合いなぞ、反吐が出るだけだと言うのに。

 十刃(エスパーダ)の称号にある奴らがほだされているのも気に入らなかった。十刃(エスパーダ)がそういうことをしているのが、ニルフィが先導しているのが、彼の苛立ちをさらに加速させる。さらにワンダーワイスが破面(アランカル)になった時だ。あの時やって来たニルフィの顔が、壊しつくしてしまいたくなるほどの負の感情を振るい立たせる。

 そして何よりもーー弱い。

 そうとしか思えなかった。強者特有の威圧感がまるでない。幻影は多少操るのだろうがその身にまとう霊圧など砂漠にいる(ホロウ)以下だ。

 グリムジョーを見た時の、笑顔。ルピがなによりも嫌悪する表情だった。

 

「--だから! てめえは! この場所に! いらないんだよ!!」

 

 人体を破壊させるためだけにルピが足を振るう。

 

「......へえ」

 

 ニルフィが踏み込んだ。目測を誤った蹴りは本来の威力には到底及ばない。ニルフィはルピの足を難なく受け止め、引き離される前にねじる。足払いを掛ける。ルピの身体が空中に浮き、さらに回転させられ、床にうつ伏せで叩き付けられた。左腕をニルフィにねじ上げられて拘束される。

 

「奇遇だね。私も、ルピさんは虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいらない存在だとずっと思ってたんだ」

 

 冷笑したニルフィがルピを拘束したまま右足でルピの頭を踏みつける。ぐりぐりと、プライドごと甚振るように。ホットパンツから伸びる白く繊細な足をゆっくりと動かしながらニルフィは言った。

 

「この戦いはね、キミの数字取りのチャンスだけど、もちろん私にもメリットがあるんだ。あ、痛めつけることだけじゃないよ? ルピさんにね、言ってもらいたいことがあるの。今までの私の大切な人たちを侮辱する言葉を取り消す、ってね」

「ぐっ、ぉ......言う、かよ」

「言ってよ。怒ってるんだよ、これでも私はさ。まあ、現世で死んでくれなかったのは残念無念だけど、このほうがよかったのかな? こうやって公式でキミを痛めつけることができるから、さ。向こうで死んでたらキミにこういう屈辱を感じさせられなかったし」

 

 けらけらと笑ってニルフィは腕の力を強める。ビキリ、と嫌な音がルピの肩から響いた。

 

「ほら、言わないと肩が砕けちゃうよ?」

「馬鹿、かよお前。ボクがお前なんかに言うワケ、ないだろ。あんな、骨の抜けた、クズたちになら......なおさらな」

「............」

「ボクは言わないぞ? お前の、悔しそうな顔、臨むまでさ......!」

 

 無言のまま見下ろすニルフィ。表情と呼べるものが張り付いてない空っぽの顔だ。

 わずかに拘束の手が緩んだのをルピは見逃さなかった。肩から骨の粉砕された音が出ようが、強引にニルフィの腕を振りほどいて距離を取る。

 斬魄刀を抜きながら声を出す。

 

(くび)れ『蔦嬢(トレパドーラ)』」

 

 刀剣解放の状態となり肩も治ったルピが、触手を揺らめかせながら歯を食いしばった。

 

「それにボクはこんなところで死ぬつもりなんかない! また十刃(エスパーダ)になって、ボクの力を他の奴らに知らしめてやる。そのためにーーキミが泣き叫ぶまで、甚振ってやるさ!!」

 

 八本の大木の幹のような触手がニルフィに殺到した。

 

 蝕槍(ランサ・テンタクーロ)

 

 響転(ソニード)で回避したニルフィを追うように触手が伸びる。

 それを見越していたようにニルフィは最初の一本を身を捻って躱し、次の二本の束を風に舞う木の葉のようにいなす。反撃もすることなく、ニルフィはただ避けることに専念する。

 ルピの喉から哄笑が漏れた。

 

「は、ハハハハハッ! 避けるだけじゃんかよ! それじゃあボクのことは倒せないぞ!?」

 

 鉄の処女(イエロ・ビルヘン)

 

 それぞれの触手の先端に鋭い棘が万遍なく生えた。一本が届いたと思えばもう次の一本が放たれ、あるいは数本同時に少女へとおそいかかる。それでもニルフィは避けるだけだ。

 避けて、避けて、避けて......それで。

 

「はは、は......?」

 

 --いつになったら仕留められるんだ? 

 ルピの頭にふと、そんな疑問が湧くほどの時間が過ぎた。

 触手の攻撃範囲からニルフィは一歩も出ていない。響転(ソニード)も幻影も使わずに、足さばきと軽やかな身のこなしだけで躱し続けていた。それなのに一度も当たっていない。鋼皮(イエロ)に当たった感触すら伝わらなかった。

 異常だ。

 ようやくニルフィに対して心の底からの危機感を覚える。それは今までわざと目を逸らし、胸の奥に押し込めていたものだとは気付けなかった。

 ルピの背に冷や汗が流れ始める。触手を一旦引かせると、息一つ乱していないニルフィが、さっきまで戦いすらなかったかのように佇んでいる。本当に、さっきまでのことが戦いにすらなっていないとでも言いたげに。

 

「なん、だよ......お前。なんで何もしてこないんだよ!?」

「やってるよ。ちゃんと避けてあげてるじゃん。あれで終わりって訳じゃないよね? アーロニーロさんならもっと嫌らしい策を使って私のことを追い詰めるよ?」

 

 なんてね、と少女が肩をすくめ、

 

「ルピさん。これからキミの人格とかプライドとかへし折ってあげる。ホントは東仙さんにやろうと思ったんだけど、予行演習としてはちょうどいいかもね、うん。キミが泣いて床を舐めながら『今までの言葉を取り消します』って宣言するように、私はキミの心を砂よりも細かく砕いてあげるよ」

 

 一歩ニルフィが前に踏み出す。無意識に、ルピは一歩下がった。

 見てしまった。少女の目を。金色だというのに、さっきまでルピが抱えていた負の感情すら生ぬるく感じてしまうほど、(よど)み切ったもの。コレが同じ生き物なのだとはどうしても信じられなかった。

 

「必要なのは、そうだね。痛みだ。ルピさんにはこれから発狂すら許されないような苦痛を与えてあげる」

「......く、来るな」

「私たち破面(アランカル)って丈夫だけどさ、それって魂が固いからなんだって、ザエルアポロさんが言ってたの。でもそれを粉々にすれば......あははは、想像できる? 目覚めたまま脳みそをナイフでめった刺しされる苦痛って?」

「ーー来るなッつってんだろ!」

 

 身を守るように触手を回転させる。唸るような音と共に極太の触手は風を切り、その手前でニルフィが足を止めた。

 恐怖が滲み始めたルピの顔。それを見てニルフィが嗤う。

 

「クフッ、アッハハハハ......アハぁ。いま、私のことを怖いって思った? 思ったんだよね? 一日前まで見下していた相手を怖がって、さ」

 

 けらけらからからふふふのふ。

 無邪気でありながらねじまがった心にすり替わり、少女の姿をした所謂バケモノは高い声で笑い声を響かせる。

 ああ、愉快だと。滑稽すぎて笑い死にさせるつもりかと。相手に万言の侮蔑の感情を向けながら、狂ったスピーカーのように身を震わせた。

 

「だからって、赦したりするつもりなんか無いんだけど。......さあさあさあさあ、解体ショーのはじまりはじまり」

 

 酷薄な笑みを張り付けたままニルフィがフードを目深に被った。

 剥き出しの小さな八重歯がそこから見える。

 

 無貌姫(カーラ・ナーダ)

 

 消えた。少女の姿が、ルピの目の前から消えた。響転(ソニード)ではない。文字通り、姿も霊圧も最初からなかったかのように消え失せた。

 ルピは知らない。

 それが少女を『何者でも無くす』ことで得られる完全な隠形の極致だということを。

 

「どこだァッ!」

 

 触手の回転数を上げながらルピが叫ぶ。危険だ。アレを自分に近づけさせたらダメだ。本能が警告を発し、触手の壁で身を守る。

 だが、

 

「ぁ......?」

 

 右腕に違和感がありそこに目を向けた。

 切り刻まれ、血が噴出している。それだけならばまだいい。だが無残な見た目以上に、神経だけをずたずたに斬られたことで苦痛の咆哮を上げる。

 どこからともなく声が届いた。

 

「ザエルアポロさんからは人体の構造について教えてもらったんだ。いっぱいね」

 

 その声の方向に触手を突き出す。空振り。

 

「特に拷問の方法が勉強になったよ。傷口に作った薬を滲ませるだけで、もう軽い拷問になるんだもん」

 

 あらゆる場所に触手を振り回すが、小さな少女の身体をついぞ捕えることはできなかった。

 ピッ、とルピの左足に紅の線が奔る。瞬く間に肉が削がれて神経が引きずり出された。驚くほど綺麗な手際だった。崩れ落ちそうな体をルピはなんとか踏ん張らせる。 

 

「くそ、がぁ......ッ!」

「言いたくなった?」

「黙れ、黙れ黙れ黙れェ! ボクを、コケにしやがって......ッ」

「--そっか。まだそんなに吠えられるんだ。もっと痛めつけて、壊してあげるよ」

 

 宣言と共に、そして下手人の姿すら現れることなく、ルピの右足が切り刻まれた。

 ......。

 ............。

 ........................。

 しばらくして、削れた部屋の床にゴシャリと落下したモノがあった。血の水たまりが盛大に跳ねる。

 刀剣解放の状態もすでに解けていた。四肢は綿密でありながら好き勝手に破壊され尽くし、胴体にくっついているだけと表現したほうがよかっただろう。それはさっきまでのこと。立つための足はルピの胴よりも少し離れた場所に転がっていた。

 

「............ぅ」

 

 最初は四肢だけを狙った攻撃は次第に胴へと及ぶ。腹からは出てはいけないものが溢れ、中性的であったはずの顔はもはや判別がつかない。皮が付いている部分が珍しいほどだった。血が刻一刻と全身から流れ出している。

 

「ぁ、ぁ............」

 

 それでも、ルピは生きている。生かされている。 

 ザエルアポロの技術と、グリーゼの剣捌(けんさば)きと、拙い死神の回道。そして他ならぬニルフィの手によって。

 痙攣する肉塊の手前の空間に墨を垂らしたかのようにニルフィが現れた。ウサ耳の余分な生地が付いたフードを下ろし、右足でルピの頭を無造作に踏みつける。満面の笑顔でさっきまで解体していた家畜に声を投げかけた。

 

「ねえルピさん。言ってよ。今までの発言を撤回します、ってさ」

 

 ルピが震えた。喉と肺だけは声を出すためだけに無事である。だが悪態をつくことはできない。もう殺してほしかった。傷と薬の生み出す常識を逸した痛覚が脳を破裂させそうだ。許しを請え。もう解放させてほしい。砕かれた自尊心から、そんなみじめな声がさっきから響いている。

 何が何だかわからなかった。何をしてくるのかわからなかった。何を考えているのかわからなかった。何をされるのかわからなかった。冷たい氷のようにルピの全身を凍えさせていた。

 何度も何度もルピは抵抗したのだ。

 虚閃(セロ)を撃った。部屋を破壊しようとした。逃げようとした。自殺しようとした。

 そのどれもが阻止されて徒労に帰す。

 少女はただ行動していただけだ。あらゆる手を使い、今までの発言を撤回させるために。

 なにがそこまで彼女を駆り立てているのかわからない。だがルピはそれを考察することすら放棄し、喉を震わせる。

 

「わ、かった......」

「なぁに? わかった、だけじゃ私はわからないよ」

「て......て、っかいする......。あやま、る、から......」

 

 もう楽にさせてくれ。

 プライドもなにもかも捨て去った懇願。

 それを聞き、ニルフィはにっこりと笑う。

 

「うん。ちゃんと聞いたよ。ありがとうね、ちゃんと謝ってくれてさ。怪我を少し治すね」

 

 ルピの頭から足がどけられた。ニルフィがその足でルピの胴を引っ掛け、仰向けにさせる。体を温かな光が包み、応急処置程度でしかないとはいえ、他とは違い練度の低い回道がルピを癒す。

 わずかばかり体の感覚が戻った気がした。

 予想では殺されると思っていた。けれどニルフィは雑にだがルピの身体に処置を施していく。

 呼吸がだいぶ楽になった。助けられたことに、ルピは困惑の声を出す。

 

「......ボクを、殺さ......ないのかよ」

「え?」

「なんで、こんなコト......すんだよ。......見捨てられないとか、かよ......」

 

 ルピの言葉にニルフィは困ったように笑顔となる。

 そしてしゃがみこみ、

 

「えいっ」

 

 細腕を回復させているルピの腹に突き込んだ。

 絶叫するルピ。その叫びの合間を縫うように、ニルフィが笑顔のまま言った。

 

「殺すつもりだよ? キミにはもっともっと廃人になるくらい痛みを与えてから、ね」

 

 なぜだ、と。ちゃんと言ったはずだと、ショートしそうな頭の隅にそんな言葉が思い浮かんだ。視線にも現れていたのだろうか。ニルフィができの悪い子供に教えつけるように答える。

 

「べつにさ、誰もキミが言葉を撤回したからってそれで全部水に流すなんて、言ってないよ?」

 

 ずぶずぶと肉に手が埋め込まれていく。臓腑を掻き分け、背骨を掴んでシェイクした。

 失神したかと思えば痛みで現実に引き戻され、また失神させられる。その感覚がだんだんと短くなっていき、逆に痛みだけはさらにクリアになる。ルピの喉からは意味のない空気だけが吐き出された。

 

「東仙さんにやれたらどんなに最高なんだろうね? ......あれ? 気絶しないでよ」

 

 ニルフィの口の端が吊り上げられた。

 

「どんなに泣いて赦しを乞うても、私はゼッタイに赦したりなんかしない」

 

 叫び声がすぐに収まることはなかった。




主人公は隠れS気質。





......最近になって艦これをやり始めました。知り合いに誘われて新しいサーバーにイン。でもレベルがまだ8の弱小提督です、はい。
建築のやり方がわからずに資材をめっちゃ投入した結果当たった霧島さんとがんばりま
す。ちなみに二度目は球磨さんでした。アドバイスなどがあれば上から目線で構いませんのでこの卑しい新米に教えてください。
でも課金はゼッタイにしないよヒャッホー!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とりあえずやってみた

 第6宮(セスタ・パラシオ)の最上階にある部屋で背を床に預けていたグリムジョーが目を開ける。

 どうやら久しぶりに眠っていたらしい。また自分の物となった宮の天井は、相変わらず何も変わっていなかった。昔もこういうことがたまにあった。それからの癖で、グリムジョーは自分の従属官(フラシオン)たちがどこにいるのかを探すために無意識に探査回路(ペスキス)を広げようとし……止める。

 下官以外はもう誰もいない。グリムジョーだけだ。認めたくもない女々しさに顔を不機嫌に歪ませながら身を起こした。

 首を鳴らしながら部屋を出て、これといったアテもなく廊下を歩く。

 足音はひとつだけ。いつもなら宮を歩くときならば誰かしらグリムジョーのあとを追っていた。不機嫌なままの彼を(いさ)める小言のうるさい男は隣にいない。

 寂寥を覚えるガラではないはずだ。

 新しい従属官(フラシオン)を指名するつもりがないのも、そういった理由ではない。

 

「…………」

 

 ふと、気配を感じて、まっすぐ進むはずだった廊下を右に曲がる。

 しばらく進むと霊圧も明瞭になっていき、視界に朱色の髪が映る。分厚い扉の横の壁に背をもたれかからせ、形の良さげな胸を強調するように軽く腕組みをしながら、静かに目を閉じていた。このように黙っていれば知的な美貌の女が、グリムジョーの足音を耳にして薄く目を開ける。

 

「勝手に入ってきてるわよ」

「好き勝手に潜り込んでんじゃねえよ」

「仕方ないじゃない、出迎えもないし、あなただって一番上のほうから降りてこなかったんだから。それに帰れとも言われてませんでしたし? もしかして寝てたんですか?」

「うるせえ。なんの用だ」

 

 アネットは非難するような眼差しをグリムジョーに向ける。けれど口調だけは祝福するように、冷たく言った。

 

「とりあえず、第6十刃(セスタ・エスパーダ)復帰おめでとうございます。現世でもあんたが黒崎一護とかいう、ストロベリーなのにオレンジの髪の死神にやられたって聞いただけですし。任務成功も兼ねて、重ね重ね」

「てめえの耳は根も葉もねェことを集めるクセがあったのか? 俺はアイツにやれたつもりなんざ、これっぽっちもねえんだがな」

「そういうのはどうでもいいのよ。アタシはあなたのご機嫌うかがいのためにここに来たわけじゃないから」

 

 いつになくその口調は刺々しかった。

 

「……止めなかったわね? あの娘がルピのことを殺そうとした時に」

 

 グリムジョーは苦虫をかき集めて鍋で煮込んだものを丸のみしたような顔となる。

 あの少女がルピ・アンテノールの処刑をするだろうことは理解できていた。彼女の慈悲は、彼女が大切な人だと認めた相手にしか与えられない。だからこそ、彼女の十刃(エスパーダ)就任の時に難癖を付けてきた輩を、ためらいなく殺すことができた。

 しかしアネットが怒りを抱いているのは、そこについてではない。

 

「まさかあそこまでやるとは思っていなかった、なんて、言い訳するつもりなら。アタシはあなたのことを許さないわよ」

「許されるつもりなんざねえよ」

 

 キッ、とアネットが鋭い目つきでグリムジョーに詰め寄った。

 

「許されるつもりはない? それは、それはわざと見ないフリを続けるつもりだから言ってるんですか?」

「てめえに何が……」

「わかるわよ。だって、アタシはあの娘の保護者だから」

 

 ルピの処刑について、誰が見たとしてもやりすぎ(・・・・)であったと思うはずだ。体のパーツは指の第一関節にまで及ぶほど解体させられて綺麗に並べ立てられ、緻密に腑分けされた肉塊は血の水たまりに放置させられていた。検分しに来たザエルアポロでさえ「ここまでやるのかい?」と思わず口走ったほどである。

 長い時間を掛け、やっと拷問から解放された時でさえ、ルピは生きていたのだ。もう人としての原型を保たずに、だ。狂った者にさえ正気を疑われる所業だったのは間違いない。

 グリムジョーだって覚えてる。

 あの部屋の前でグリーゼと共に長い時間を待ち、ついに扉が開かれた時のことを。

 

『終わったよグリーゼ。……と、グリムジョー? あはは、キミも待っててくれたんだっ』

 

 弾んだ声でニルフィは喜んだ。そしてグリムジョーは一瞬とはいえ、言葉を失った。

 全身を返り血で汚しながらニルフィは、いつものように笑っていたから。シャウロンたちと一緒になっていたときや、お菓子を貰ったとき、そしてグリムジョーの隣で微笑んでいるときと同じ様子で、全身を赤く染めていた。

 そして手に持っていた、ずいぶんと体積の小さくなったルピを掲げる。

 

『これでもう、キミの悪口を言うヒトはいないよ!』

 

 アネットとしても想定外の出来事だっただろう。

 

「いい? アタシはね、ニルフィがやりたいようにやらせるつもりだけど、限度ってものがあるわ。このままあなたが曖昧な態度を取ってるとそんなものが無くなってくる。……そのせいで、きっとこれから、矛盾に悩んで答えを見つけられなくて壊れちゃうのよ。ーーアタシみたいに、ね」

 

 目を伏せるアネットに、グリムジョーは押し黙る。

 

「そんなのはアタシもグリーゼも望んでいませんし。それに、そんなことのためにあの娘に強くなってもらったんじゃないの。だから、ちゃんとあの娘のことを見てあげて」

 

 聞き終わり、深く深くため息を吐くグリムジョー。頭を乱暴に掻く様をアネットは何も言わずに見ていた。 

 グリムジョーは少し間を置いて、最後に一つ、今まで疑問であったことを尋ねる。

 

「なあ。なんであいつは、俺にあんな構おうとするんだ?」

 

 少し目を見開いたアネットは、なにを今さらと言いたげに、この場に来てから初めて口の端を吊り上げた。

 

「この城で、本当の意味で最初に助けてくれたのがあなただったからよ」

「……」

 

 それ以上は言葉を交わさずにグリムジョーがそばの扉に手を掛けた。室内というよりもホールといった内装の場所に出る。この宮で最も広い部屋といえるだろう。

 ディ・ロイたちがなにかあればこの部屋で騒いでいた。宴、だとかはしゃいでいたのを覚えている。くだらないと一蹴するグリムジョーを無理やり引っ張ってきて、それでも抵抗すればシャウロンの正論武装で言いくるめられてしまった。もう、一度も入るはずのなかった部屋は、使い手が消えてしまったからかひどく空虚だった。

 けれど今は違う。

 ホールの中央にぽつねんと立つ少女の小さな背が見えた。

 扉が開いたことに気づいて振り返る。

 

「ん、おはようグリムジョー。勝手に入ってきてるよ」

「てめえら、ここが自分の家だとか勘違いしてねえか?」

「家かぁ。あはは、そうかもね。もしかしたらホントにもうひとつの家かもしれないって思ってたかも。……家族は随分減っちゃったけど」

「減ったところでお前には十分他の奴らがいるだろ」

「それでも空いた穴は埋められないんだ。ううん、埋めたくなんてない。そんなことして忘れそうになるのが怖いから。歪ませられたくもないし、そうしようとした人は誰だろうとバツ(・・)を受けてもらわなきゃね」

 

 数時間前には血みどろになっていた右手を見下ろしながらニルフィが自嘲気味に呟く。口元を引き絞ったのは、悲哀のためか、あるいは憤怒のためか。

 けれどグリムジョーの目を見るときには天使のような微笑みを(たた)えている。人懐っこい子犬のように青年の元まで駆け寄り、無邪気で無防備な姿を晒した。擦り寄らんばかりの様子である。たとえグリムジョーが拳を振るおうとも、避けようとすらしないだろう。

 グリムジョーが言葉を選びかねている間に、突然ニルフィが悲しげな顔となる。

 

「……どうした?」

「あ、あの、ごめんね。現世で私、死神の一人も、その、殺せなくって帰ってきて。色々あってあいつを殺……ううん、言い訳しちゃダメだね。とりあえず戦線復帰させない程度に痛めつけてきたけど、グリムジョーの望んでた結果にできなかったの……。頑張るって言いながら、それすらできなくて」

 

 怯えるように体を震わせながら、顔色を伺うようにグリムジョーを見上げた。眉を顰めた彼を勘違いしてさらに言い募る。

 

「あ、あの! 私はもっと戦えるんだ! 前みたいに幻影使わないで、響転(ソニード)と白打だけで完封できるようになったし。ホントなら、もっと、戦えるの……。だからまた、チャンスをくれない、かな? どんな手を使っても殺すからさ、ルピさんみたいにッ。そ、それまで私のこと、好きに使っていいから。ただの慰み物でも、キミがそばに居てくれるなら……満足だから」

 

 嗚呼(ああ)嗚呼(ああ)。ここまで少女の口から言わせてしまうのか。尊厳さえ捨て去った奴隷のような言葉を使わせたことの原因が自分であることに、かつてないほどの苛立ちが胸の奥で(くすぶ)る。

 (すが)るような目をしたニルフィを見ていると、それが止まらない。知らずに溜め込んできた今までの鬱憤が全てぶり返してきたようだ。ほんの数瞬、下劣な(くら)い感情に身を任せて、この小さな少女にぶつけたい衝動に駆られる。

 だが、それをしてどうなるのか。むしろニルフィは涙を流そうとも何もかも受け入れようとするだろう。多数の者が望む比類ないほど甘く熱いモノで何もかも融かしてしまう。そうなればグリムジョーも後戻りできない。

 

「もう、いいんだよ」

「え?」

 

 グリムジョーがニルフィの頭に手を置く。不器用で、少し乱暴な手つきだった。そのままニルフィが本心を探るような目でグリムジョーを見つめる。

 

「行く前に言っただろ。もうそんなこと言うなってな。俺は、お前に無理やり何かを求めてるわけじゃねえんだ」

「そ、それって、私はいらない、ってこと? そんなのやだ!」

「最後まで聞け。いちいち相手の言ってることに反応すんな。自分で考えて、自分で行動しやがれ。それぐらいできるだろ」

「してるよ、そのくらい」

「俺から見りゃあただのイエスマンだぜ」

 

 不安そうな顔のままニルフィが頭を振る。

 

「でも! 何かしないとグリムジョーが、みんなが! 私から離れていっちゃって……」

 

 グリムジョーが屈んで視線を合わせる。そして初めて気づいた。この少女は、自分が思ったよりもずっとずっと小さな存在だったと。

 

「お前が望むってんなら、俺はどこにも行きやしねえよ。言っただろ。付いてくるなら勝手にしろってな。追い出そうとして帰らなかったのは今更だ。そんな貢ぐマネなんかしなくたって、お前が満足できるまで一緒にいてやる」

 

 償いとか落とし前とか、そういった良い意味も悪い意味も兼ねた言葉で表せる。けれどこれが最善の方法だった。今まで一面しか見れていなかったニルフィに、本当に大切なことを気づけさせるきっかけになるだろうから。

 

「……嘘だ」

 

 しかしニルフィは一歩下がると、疑心にまみれた視線でグリムジョーを穿つように見る。

 

「嘘……。そんな簡単に、手に入るものじゃないもん」

「手に入るんだよ。てめえは、ただやり方が回りくどかっただけだ」

「ち、ちがう。私の望んだものが、こんな簡単に手に入るはずがない。だって……だって!」

 

 少女はなにもかも否定するように髪を振り乱す。

 

「私が生まれてからずっと! 気が狂いそうなほど長いあいだ独りぼっちだった時間は何なの!? 信用できると思ったヒトが何度も裏切ったから、何度も食べてきたんだよ!? それでも、一緒にいるにはなんでもしてあげることが一番だって気づいてから、たとえ嘘でも、どんなことされても私は我慢してきたし……。それなのにっ。キミは見返りなんて求めないで一緒に居て、くれるなんて。ーー信じられるわけないじゃん!!」

「…………」

 

 なにもニルフィの一部の歪んだ思考回路は、破面(アランカル)となってから生まれたものではない。

 もはや固定概念が(ホロウ)の時に確立してしまっていたのだ。それゆえに、代償のない幸福など得られないと考えている。無理矢理にでも犠牲を作って安寧を得ようとしていた。

 ニルフィは誰にも会えなかったのだろう。逆に、グリムジョー、そしてハリベルは運が良かっただけだ。信用に値すると判断した仲間が見つかった。けれどニルフィは、いつも孤独の渦中にいたのだ。

 

「信じる信じないはてめえで勝手に考えてろ。付いてこようがこまいが、俺は一度も強制したりしねえよ」

 

 今まで勝手に付いてきた従属官(フラシオン)たちがいたのだ。今更、手のかかる妹のような少女が後ろをついてきたところで何が変わるのか。それに他の十刃(エスパーダ)たちだってそうだ。心の底からニルフィに何かをしてほしいと望んだりはしない。

 それは別に邪険にしているわけではないのだ。ニルフィが等価交換として考える代物が、本当は身近にあっただけで。

 けれど一朝一夕で根本的な考えを変えられるはずもなかった。

 

「……わかんない。わかんないよ。キミが離れて行っちゃわない確証なんて、無いのに。一緒にいられるのは、すごい嬉しいんだよ? だけど、繋がりが無くなったままだと、いつかキミが消えたら」

「消えねえしそん時は俺が死んだ時ぐらいだ。……今はまだ答えを出さなくていい。その空っぽの頭でよく考えろ」

 

 力なく頷いたニルフィは深く俯く。頭痛を耐えるように顔をしかめ、右手で顔を覆った。

 

「……ごめんね。今日はちょっと、すぐに帰るよ」

 

 おぼつかない足取りで扉の方へと歩いていく少女の姿は、とても脆そうだった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 リリネットにとって、ニルフィネス・リーセグリンガーという少女とは、一番の親友である。……親友の、はずだ。前置きで言わせてもらうと悪印象の類などはまったくない。けれど最近、一緒にいることで困ったことがあるのだ。

 以前リリネットはその親友に唇を奪われたことがあった。まあ誰に捧げようとも考えていなかったが、常識人としての意識が自衛として気絶し、起きてからニルフィに謝罪された。気まずさはあれど罰せようとは思わなかった。捨てられる五秒前の子猫のような目で見られれば、根が優しいリリネットでは無碍に扱えるはずもない。

 あのキスは過剰なスキンシップとして処理する。きっと現世でだって、人間はよくあんなことをしているはずだと。自己の正当化を謀り、とにかくそのときはニルフィを許し、良き友人のままであろうとしたのだ。

 問題はそのあとだった。それから何度か会うたびに、それが浮き彫りとなっていく。ーー近い。心理的どころか物理的にもニルフィはグイグイと距離を縮めてきた。許したことでさらに懐かれてしまったらしい。それでも近すぎやしないだろうかと何度も思った。鼻先が触れ合うことも度々有り、何度も強く抱きしめられた。あの自分よりも体温の高い肌が感じられるたびにリリネットの心臓の高鳴りは収まらない。

 自然、リリネットはニルフィの些細な動作ひとつを目で追ってしまうまでになった。

 これは友達としていいのかともんもんと考えながら、リリネットは第1宮(プリメーラ・パラシオ)の廊下を歩いていた。

 スタークのところにはアネットが来ている。大人の話だからと追い出され、一緒に来ているらしいニルフィを探し回っているのだ。

 曲がり角にさしかかろうとしていると、

 

「にゃーん」

「……猫?」

 

 壁の向こうからひょっこりと顔を覗かせた子猫の破面(アランカル)がいたことで足を止める。

 

「どっから入ってきたの? ここだからよかったけど、他の十刃(エスパーダ)のトコ行ってたら危な……一部からニルフィのところに送られそうだけど、とにかく危ないんだけど」

「んにゃーん」

「って、言ってもわからないか」

 

 クッカプーロ以外の小動物の破面(アランカル)は初めて見た。

 子猫は人を怖がらないようで、短い足を一生懸命動かしてリリネットの元へと近寄る。そしてリリネットの脚にすりすりと小柄な体をこすりつけた。

 

「ちょっ、くすぐったいって」

「にゃふん」

「……カワイイ」

 

 しゃがんだリリネットは子猫の体を撫でようとした。しかし子猫はその手をすり抜け、リリネットの胸元に飛びかかった。

 

「うわぁっ!?」

 

 子猫に、子猫に押し倒された。いくら自分が弱いとはいえ小動物に負けたことが情けないとリリネットは思う。

 しかしそんな彼女を知らぬとばかりに子猫は彼女の右耳を舐め始めた。ざらりとした舌が耳の中を弄び、その感覚で腰を浮かせる。

 

「ちょっ、やめ……舐めるのはニルフィだけ……ぁ、やーーやめろ猫公!!」

「ぎにゃふん!?」

 

 リリネットのチョップは見事に子猫の頭を捉えた。目がバッテンになった子猫の姿にノイズが奔り初め……姿が消える。体にかかる重さが少し増えた。そして子猫の代わりに、リリネットの耳に舌を這わせているフードをかぶった黒髪の少女が、愛想笑いでおどけた。

 

「え、えへへ。解けちゃった……にゃん」

「わああああああああっ!?」

 

 叫んだリリネットがニルフィを押し返す。コロコロ背後に転がっていく十刃(エスパーダ)の少女に震える指を突きつけた。

 

「ニ、ニニニニルフィ!? なに? え? ど、どうして」

「いたたた……。どうして突き飛ばすの。キミを舐めていいのは私だけなんでしょ?」

「そっ、それはあの、そう! ニルフィだけで十分って意味で……」

「私がいないと不足してるって意味でもあるんだよね」

「あ、そうか……って、よくあるか! てゆーか、さっきの猫は!?」

 

 ああそれか、とニルフィはフードを取りながら頷く。

 

無貌姫(カーラ・ナーダ)の応用、かな」

「でもあれって、前に見せてもらったけど消えるだけでしょ」

「だけってひどいなぁ。キミの首に甘噛みするまで、キミってば少しも気がつかなかったじゃん。あの時のリリネットの悲鳴ったらかわい……」

「それはもういいから!」

 

 湯気が出そうなほど赤面するリリネットを見て、ニルフィがくすくすと笑う。そしてあっさりと白状した。

 

「私の無貌姫(カーラ・ナーダ)って、つまるところ『何者でも無くなる』ことに特化してるの。自分の宮にいるウルキオラさんの前でブレイクダンスしててもまるで気づかれなかった優れもの」

「無視されてたんじゃない?」

「姿見せてる時にやったら、顔掴まれて外に放り出されちゃった」

「あ、そう」

「でね。『何者でも無くなる』ことを拡大誇張して、逆説的に、だからこそ『何者にでもなれる』ように改良したの。……なんて、偉そうに言ってるけど、自分だけの能力なのにまだ使いこなせないんだ。さっきの子猫の時だってあっさり解けちゃったから」

 

 さして威力のないリリネットのチョップ一発で解けてしまう変身だ。いくら霊圧や体重に至るまでなにもかも変化できても、それは所詮ハリボテでしかない。けれど隠業としては十分すぎるほどだろう。驚きを通り越してもはや呆れる。けれどニルフィはさほど頓着していないようで、笑いながらリリネットの耳元で囁いた。

 

「でも猫舌で舐められるの、気持ちよかったでしょ」

「ッ、~~~~~~~~!!」

 

 羞恥で顔から火が出そうだ。あの痴態を友人に見られるなど、軽く死ねる。

 だからムキになって否定した。

 

「そんなことなかったし。ただ、いきなりで驚いただけだから。気持ちよかったなんて一度たりとも思ってませんよーだ!」

 

 目の前の少女より、ほんの少しだけ高い身長と精神年齢から来るプライド。それが難しく考えることなくリリネットの口から出た。

 返答を待つためにニルフィを観察すると、リリネットはあることに気づいた。

 ーー疲れてるのかな?

 少し憔悴(しょうすい)した様子のニルフィが、

 

「へえ?」

 

 冷ややかに目を細める。

 

「私、嘘をつかれるのは嫌なんだ。ほら、正直に言ってよ。さっきも、この前も、『途中で止められたのが名残惜しかったです』って、さ」

 

 ずいっとニルフィが顔を寄せてきたことでリリネットは思わず後退した。繰り返せば当然リリネットの背は壁に当たり、これ以上下がることを認めない。

 

「そ、そんな恥ずかしい台詞(せりふ)言えるわけないじゃん! それに、あたしはそんなのじゃないから」

「ホントかな~?」

「ホントだって!」

「そんな必死なところも可愛いよ。でも、ね」

 

 こらえきれないように嗜虐的な笑みを浮かべたニルフィが、キスができそうな位置まで顔を寄せる。シャンプー。あるいはお菓子の甘い香りが、危険な花を連想させる。

 

「言ってなかったけどさ。キミは気づいてなかっただろうけど、あのキスをしたとき、キミってば最後のほうーー(よろこ)んで()いてたんだよ?」

 

 思考が止まった。

 

「……え? ウ、ソ……」

 

 正直言って、あの時の記憶はほとんど覚えていない。ただただ驚愕が内心を占め、とても記憶できそうな状況ではなかった。それでも、もしかしたら、などという考えが不埒にも頭の隅をかすめる。

 

「私はキミに嘘なんてついたことないし、これからもずっとそうだよ。今だって、ホントは期待してるんだよね?」

「そんな、こと……んぁっ!?」

 

 ニルフィの細指が、リリネットの鳩尾(みぞおち)から下腹部にかけて流れる薄い筋をツーッとなぞる。

 

「私はあの時からね、キミがよろこんでくれそうなことをしてきたんだよ。それなのに本心を隠して私に嘘つくなんて、いただけないなぁ」

 

 そのまま右の指でリリネットの唇にそっと触れた。あのキスの時から、ニルフィが頑なに触れようとしなかった場所。右手の二本の指を押し付けてニルフィが冷笑する。

 

「ーーほら、舐めなよ」

「……え?」

「嘘なんてついちゃう悪いリリネットに罰。さっき私は子猫を演じてたし、キミは子犬みたいにやればいいんじゃないかな。私が満足したら『気持ちよかったです』なんて、言っても言わなくてもいいから」

 

 リリネットは逃げられなかった。ニルフィが左腕でリリネットの腰を抱き、互いの体を密着させている。いまにルフィから逃げようとしたら、なにをされるかわかったものではない。押し切られていることを自覚しながら、せめてもの抵抗を示す。

 

「ま、待って。誰か、通るかもしれないから。下官もけっこう居て……」

「恥ずかしいの? でもダメ。見られたくないなら早く私を満足させたほうがいいよ?」

 

 短い呼吸を繰り返していたリリネットは、一度強く目をつむり、決意を固めようとする。これはまだセーフだ。ただの、まあ、ただのという枠組みにまだ入るのか疑問だが、人間もよくやっているはずの過剰なスキンシップの一環のはずだ。

 それに、

 

「…………」

 

 焦燥に染められたニルフィの目が、放っておけなかった理由の一つだ。

 いざ口を開きかけたとき、まどろっこしくなったのか指が強引に挿れられた。リリネットは目を見開く。反射的に閉じかけた唇を割って、口腔にねじ込まれる。さしたる抵抗はできなかった。すくんだ舌を指で挟まれ、リリネットはようやくのどの奥からくぐもった悲鳴を漏らす。

 

「ほら、自分からやってよ」

 

 冷たく言われ、リリネットはおそるおそる、指に舌を這わせた。歯を当ててしまわないように、そして音を立てないように注意しながら、ゆっくりと舌で舐める。柔肉を、舌先でつつくたび、包み込むように舐めるたび、ニルフィが肩を震わせる。何かに耐えるように眉をひそめ、潤んだ瞳でニルフィはリリネットを見入っていた。誰かがこの通路を通れば言い訳などできない状態だ。しかし本人の知らぬところで、リリネットは罪悪感と背徳感で、背を痺れさせている。

 されるままだったニルフィが突然指を動かし、今度はリリネットの舌をこねくりまわす。時には挟み、時には引っ張り、飲み込むことができなかったリリネットの唾液が顎へと伝う。

 

「ぁ……」

 

 ゆっくりと指が引き抜かれた。思わず、切なげな声が喉から溢れるのをリリネットは自覚した。唾液にまみれていやらしく光る指をこれみよがしにニルフィがゆっくりと舐め、得も言えぬ羞恥心でリリネットの顔がこれ以上ないほど赤くなった。

 

「ね、言ったでしょ?」

 

 否定の言葉が思いつかない。

 耳元で囁かれながら、弱々しく頭を横に振るだけだ。

 

「私、もう満足しちゃったんだ」

「…………」

「あ、もしね。これ以上が欲しかったら、『途中で止められたのが名残惜しかったです』って言いなよ。それなら私ももう少し付き合ってあげるよ。ーーだって、友達だからさ」

「…………す」

「え? なにかな、聞こえないよ」

「途中で止められたのが、名残、惜しかったです……」

「あはは、そっかぁ」

 

 切羽詰まった、余裕のないニルフィの顔。待って、と言う間もなく、リリネットは乱暴に唇を奪われた。

 ニルフィがリリネットを貪る。腰に回されたニルフィの腕はリリネットに怪我をさせないように注意が払われていたが、それでも、リリネットのささやかな抵抗を押さえつける。

 

「はっ、はぁっ、はぁっ……。ん、ふ……っ」

「ぁ、んっ……」

 

 混じりあった吐息とこぼれ出る嬌声が、互いに目を閉じてその感覚に集中する二人の意図しない欲求を駆り立てる。舌を絡ませ、唾液を飲み干し、何度も何度も。

 荒い呼吸を繰り返し、わざと音を立ててニルフィはただリリネットの唇を貪った。押さえつけられ、ふるふると震えていた。リリネットの腕から力が抜けていく。どれだけ貪っても、興奮は治まらない。それどころか、さらにエスカレートしていく。もっと、もっとと。動物的な欲求が頭の中を埋め尽くしていく。

 以前のキスよりも長いあいだやっていた気がする。そしてふいに、ニルフィが顔を離した。荒い息遣いに艶やかな吐息が混ざる。

 

「はぁっ、あ、んっ……」

 

 酸素を求め、だらしなく開いたリリネットの口から最早どちらのものかも分からないほど混ざり合った唾液が糸を引いて、こぼれ落ちた。

 押し付けるように密着させていた身体を少しだけ離して、ニルフィはリリネットの身体を撫でるように手を滑らせる。くすぐったさで、熱を持った体が身震いした。

 

「嫌だったかな?」

「……嫌なんかじゃ、なかった、けど」

「私のこと、嫌いになったかな?」

「はぁっ、はぁっ……。嫌いになんて、なるはず、ないじゃん。それに」

 

 リリネットが力の入らない身体を無理やり動かして、ニルフィに寄りかかる。黒髪の少女は悲しげな顔をしていた。それに聞かせるために、熱くなった喉を震わせる。

 

「どうしてあんたがこんなことしたか、わかってるから。こんなことしなくても、あたしたちは友達だからさ。……ずっと一緒にいられるんだよ。だから、無理やり心を殺して、こんなこと、しないで」

「……グリムジョーと、同じこと言うんだね」

「言うに決まってんじゃん。あんたが、そんな苦しそうな顔してるならさ」

「そうかな?」

「そうだよ。どんだけ時間あるかわかんないけど。少しずつでいいから、これから、あたしたちのことをーー信じて。見返りのない仲間ってやつをさ」

「…………」

 

 ニルフィは唇を尖らせてそっぽを向く。

 

「調子いいこと言うんだね」

「仲間で友達だし」

「……そっか。信じきれてなかったのって、私だったんだね」

 

 優しくリリネットを抱擁する。

 

「少しぐらい、信じてもいいかな」

 

 まだ完全にとは言い難いが、それでもやっと、ニルフィは違和感というものを形として捉えられた。それを取り除くかどうかはニルフィ次第だ。見失っていた目的と手段を見つけられるかどうかも、彼女次第。

 肩の力の抜けたリリネットの頬に軽く口づけをすると同時に呟く。

 

「私もこういうの、ただの作業としてやってたわけじゃないんだよ」

「ーーえ? それってどういう」

 

 ニルフィはくるりと身を翻し、

 

「……さて、と。なんかスッキリしたしアネットたちのところに戻ろうっと」

「待って! まだあたし力が抜けたままで……」

「それは、もう一度したいってこと?」

「ぁ、う。~~~~! もうからかうな!」

 

 何かが多少変わっても、リリネットはこの黒髪の少女に終始翻弄されることは変化しないらしかった。 

 リリネットは唇に指を這わせ、まだ感じられる温かさを振り払おうとした。




ニルリリ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あなたが好きだから

 目が覚めれば見慣れた天蓋がある。ぼーっとした表情のままのニルフィがゆっくりと起き上がり、目をこすりながら可愛らしくあくびをした。小さな口からは八重歯が覗く。

 

「みゅう……」

 

 頭をふらふらと揺らしながら(もや)のかかった頭で考えた。

 最近、ニルフィの睡眠間隔が短くなってきている。そしてよく眠るようにもなった。寝ることを我慢し続ければ電源が切れたロボットのように、突然眠りの世界に突入することだってある。それだけ抗えないものだ。

 眠る前にはたしか……リリネットに思いっきり抱きついたところで記憶が途切れていた。そこからアネットに回収させられたか。

 

「ん~……! よく寝すぎたぁー」

 

 呂律(ろれつ)の回らない声だ。ニルフィは寝起きというものに弱かった。

 

「あぁ、おフロ入ろっかな」

 

 下官に世話を見てもらえばいいのだろうが、以前そうした時アネットがものすごく不機嫌になったのだ。だから風呂に入るときはアネットと一緒にと思っている。

 ネグリジェを脱ぎ捨て、適当に死覇装を羽織る。はだけているがどうせあとでまた脱ぐのだと、時間を惜しんで寝室を出た。アネットの霊圧は宮の内部を移動中だ。用事がないときはいつもそこにいるから、彼女の部屋で待ってたほうが早い。

 ニルフィはいまだに寝ぼけ眼のままあっちへふらふらこっちへふらふら、非常に危なっかしい足取りでアネットの部屋を目指し、ようやく覚えた道順で迷うこともせずにたどり着く。

 まだアネットは来ていない。

 一応ノックをしてその扉を開けた。

 

「......よし、間違ってなかった」

 

 満足そうに頷いた少女は部屋の中へと入る。あまりここへはやって来たことはない。アネットのことは大好きだが、この部屋はあまりニルフィにとっては心休まる場所ではなかった。最初に訪れた時から感じていたことだ。

 多数の者はアネットの性格から、タンスいっぱいのニルフィ用の可愛らしい服を溜め込んでいるとか、派手な内装を凝らしていると予想するだろう。けれどそれはまったくの間違いである。

 

 ひどく殺風景なのだ。

 

 狭い正方形の部屋には家具は一人用のテーブルと椅子だけしかない。ウルキオラの宮もこんなものだが、あそこは椅子一つだけでも広大な空間があった。むしろ狭いこちらの部屋のほうが空虚に思える。それは使用者の性格からしたギャップも理由だろう。

 あとで聞いた話だが、ニルフィがリリネットと初めてキスを交わした部屋が、もともとアネットの部屋だったらしい。第1宮(プリメーラ・パラシオ)の奥深くにあったあの暗くて物寂しい部屋だ。

 

「ーー本?」

 

 けれど今日はテーブルの上に置かれているものがある。物珍しさでニルフィが覗き込んだ。

 古い、今にも風化してしまいそうな革表紙の本だった。表紙は擦れて題名は読めない。以前は無かったはずだが、たしかリリネットとキスをした日にアネットがニルフィに付いてきたのは、宮に忘れたものを取りに来たと言っていたのを思い出す。これが、そうなのだろうか。アネットが十刃(エスパーダ)であったころに取り寄せたか。

 子供特有の興味心が顔を出す。見かけだけ淑女然としたアネットが彼女自身のために得たであろう本とは、どういったものなのだろう。 

 ニルフィは表紙に手を掛けてめくってみた。

 破かないように細心の注意を払い、ぱらぱらと流し読みをしていく。道順以外の記憶力になら自信がある。一秒に一枚をめくっていくペースでも、ニルフィは本の内容を頭で理解できた。

 なんのことはない、ただの恋愛小説だ。数百年前の現世でもこういったものが世に流れていたのだろう。

 一人の女の主人公が、幼馴染二人に恋心を寄せられる話だ。ただ、その幼馴染は少年と少女。つまり異性か同性かということ。そこ以外は取り立てて変わった様子もなく、もう少しで主人公がどちらを選ぶかというところになり......。

 

「ーーニルフィ? なにしてるんですか?」

「わ!?」

 

 いつのまにか扉を開けていたアネットの声で我に返る。

 

「え、と。その、おフロ入りたくてアネットのこと待ってたんだけど、暇だったから、つい」

「ああ、いいのよ。別に怒ってるわけじゃないから」

「ごめんなさい」

「だからいいって言ってるでしょ。見られて困るものなんて、この部屋に隠せるはずないじゃない。隠し事なんて胸の内にしかやりませんし」

 

 ニルフィのそばに寄るアネットが、閉じられた本の表紙を撫でる。

 

「もうだいぶ前に手に入れたものでね。現世じゃもう出回ってないと思うわ。それくらい、古い本なの。中身も古臭かったでしょ」

「......よく、わかんなかった」

「ふふ、まだ理解できなくてもいいんですよ」

 

 理解できないことといえば、まだニルフィはアネットやグリーゼについて深く知らない。表面を撫でるような情報しか聞いたことがなかった。

 いや、原因はわかっている。深く知ろうとしなかったのは怖かったからだ。

 なにかを知ったからといってこの関係が脆く壊れるとは思っていない。しかし、直接聞こうとして顔を上げても、小首をかしげるアネットの顔を見ると途端勇気がなくなってしまう。

 だから誤魔化すことしかできない。

 

「早くおフロ入りたい」

「あらら、そういえばそうでした。......でもこぉんな服をはだけさせちゃって、誘ってるの? どうせお風呂に入るんだし、今からでも濡れてく?」

「濡れ......? なんで濡れちゃうの?」

「フフッ、それを今からよがり狂うまであなたの体に教え込んであげ......ちっ、グリーゼがプレッシャー掛けてきたわね。どんな地獄耳なのかしら。ごめんなさいね、今度教えてあげるわ」

 

 優しげな表情でアネットがニルフィを抱き抱える。

 疑問が(つの)れば(つの)るほど、アネットのいつもの表情が嘘くさく見えてしまうのは気のせいだろうか。

 もやもやした気持ちのままニルフィは風呂場へと抱えて行かれた。

 

「............」

 

 身体を洗い終わりアネットと共に湯船に浸かっている。アネットの膝の上に抱えられたまま、ぼーっと湯気のあとを目でおっていた。抱きしめてくれる腕が心地よかった。

 そしてついに膨れ上がっていた疑問を我慢できなくなった。

 

「ねえ、アネット」

「どうしたんですか?」

「......ラティア・ツーベルグ」

 

 ニルフィがその名を口にしたとき、アネットがスッと目を細める。

 

「誰から訊いたのかしら。まさかグリーゼってワケじゃないでしょ」

「アーロニーロから。この前の鬼道の練習の時に、ね。でもアーロニーロのことを怒らないであげて。ずっと虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいたって理由だけでなにか知ってると思ったから、私がずっとしつこく訊き続けたの。私が十刃(エスパーダ)になってから、ずっと」

「へえ」

 

 しばらく考えるように沈黙していたアネットは冷たい口調のままニルフィの肢体を撫でる。

 

「ニルフィ? ヒトって知られたくないことがいっぱいあるのよ? そこにわざわざ土足で踏み込むなんて、好奇心は猫をも殺すって言葉を知らないのかしら。それとも本当に猫になりたいの?」

「ぁ......」

 

 アネットの右手がニルフィの右膝からだんだんと上に滑っていく。

 脚の付け根まで来ると際どい部分を焦らすように撫でまわし、よくわからない感覚にニルフィは吐息を吐くように声を漏らし、身をよじった。

 

「どこまで訊いたのかしら。場合によってはあの試験管野郎の頭を破裂させるわよ」

「ん......ラティアさんっていう、アネットの従属官(フラシオン)がいたこと。それで、その人が、ぅあ、死んじゃった日に、キミが十刃(エスパーダ)を降りたってこと、くらい」

「他には聞かなかったの?」

「あとは本人に訊けって、アーロニーロさんが」

 

 少し前にとうとう折れたアーロニーロが条件を出した。すなわち、憶測にしかならないことは話さないと。それが彼なりの誠意なのだろう。アネットに対しても、ニルフィに対しても。

 少ししか情報を引き出せなかったが、アネットが十刃(エスパーダ)を降りたきっかけはラティアという破面(アランカル)が関係しているというのはわかる。断言はしなかったが無関係ではないだろう。

 愛撫する手を止めたアネットがニルフィの耳元で囁く。

 

「どうしていまアタシに、そんなことを訊くんですか? アーロニーロから教えてもらってからそれなりに時間が経ってるわよ」

「ホントなら、アネットが自分から私に話してくれるまで待つつもりだったよ。きっと話してくれるって疑いもなく信じてた。アーロニーロから聞いたことも、ずっと胸に締まっておくつもりだったんだ」

「じゃあ、どうして?」

「アーロニーロが最後に言ったんだ」

 

 『ーーお前とアイツは似ていたよ』。何気なく付け加えた一言が、ニルフィのなかで大きなしこりとなっていた。

 少女は酸素を求めるような短い呼吸を押しとどめ、か細い声で言う。

 

「それで、思ったの。キミが私と一緒に居てくれるのは、私とラティアさんを重ねてるだけだからじゃないのかって」

 

 そこまで考えたときの感情はいまだに整理できていない。

 自分と他人を重ねているだけでも一緒に居てくれるのならすごく嬉しい。けれどその中に、なぜか空虚な悲しみがあった。他人に目を向けすぎていた弊害だ。ニルフィは自分のこととなると、途端に頭がうまく回らなくなる。

 言葉に表現できないが、アネットの目を自分だけに強引に向けさせるのは、なぜかやってはいけない気がする。

 それは大切な人を侮蔑してはいけないのと同じ気がした。

 後悔とやるせなさで震えるニルフィ。アネットはため息を吐き、皮肉そうに口の端を吊り上げる。少女に投げかけたのは、肯定でも否定でも侮蔑の言葉でもなく、過去を懐かしむような声だった。

 

「ラティア、ね。なんだか久しぶりに聞いたわ」

 

 ぽたり、とアネットの朱色の髪の先から水滴が落ち、水面に波紋をつくる。

 

「すごく、弱い娘だった。とてもじゃないけどNO.1(プリメーラ)従属官(フラシオン)なんて思えないほどにね。ーー小さなリスの(ホロウ)に吹き飛ばされるくらい弱かったわ」

「リスに!?」

「あ、違いました。ーー蝶蝶(ちょうちょ)と戦って吹き飛ばされたんでした」

蝶蝶(ちょうちょ)!?」

 

 あのふわふわと飛ぶ羽の生えた虫相手にどうやったら吹き飛ばされるのだろうか。吹き飛ばされるまでのシチュエーションすら謎だ。そしてなぜ戦闘になった。

 

「昔の虚夜宮(ラス・ノーチェス)って今ほど安定してなかったんですよ。それで用事だとか任務だとかで、十刃(エスパーダ)でも人手が必要だったの。ここに来て番号貰ったばかりのアタシは、適当に従属官(フラシオン)を選んで、それでラティアがたまたま従属官(フラシオン)になったのよ」

 

 フッ、とアネットが遠くを見て、

 

「黒歴史だけど、ウルキオラ並みに昔はスカしてたアタシはいろんなことに無頓着でした。だけど、それでもなお、現世でいえば女子高生くらいの姿をした美少女を手元に置くとは、アタシのフェチズムの片鱗は数百年前からあったみたいね」

 

 色々台無しである。

 

「どういう人だったの?」

「金髪の小さなポニーテールが可愛くて、人一倍元気な娘だったわ。最初はうるさくて何度殺そうと思ったか。弱いくせにアタシの心配をして指図するの。まるで天真爛漫って言葉がヒトになったみたい。......こんな世界に生まれること自体が間違ってたって思うほどにね」

 

 濡れたニルフィの髪に指を絡めるようにアネットが少女の頭を撫でた。

 アネットの目はラティアのことを話すと楽しそうに輝く。それを見上げながら、黙ってニルフィは話の続きを待つ。

 

「何年経ってからだったかしら。代わり映えのない生活だったけど、ラティアが隣にいることが当たり前になってたわ。あの娘のおかげで気取ってたアタシは居なくなって、今のアタシがいるわけですけど。それからまた何年も経ってアタシは気づいた。ラティアに惹かれてるってことをね」

 

 甘美な蜜を味わうようにアネットが目を閉じる。

 

「優しくされたことなんてなかったからかしら。無鉄砲なアタシをいつも心配してくれるあの娘に、いま思ってもチョロイほど傾倒しちゃった。ーー()いてる?」

「......うん。ちょっと、ううん、すごく羨ましい」

「フフ、素直な娘は好きよ」

「ふん、続きは?」

「そうね。向こうも立場とかを気にしない性格だったし、なあなあで受け入れてくれたわ。外野がどう言おうと、冷やかしてこようと、逆に熱いを通り越して灰にさせてやった。それだけアタシにとって、彼女は好きな相手になってた。ニルフィが部屋で読んだ本もその時に手に入れましたっけ」

 

 恋とかそういう感情が欠落しているのはニルフィも経験がある。だから今までの暴走がその原因となった。そうなると必ずアネットが忠言してくれたのは、彼女も同じ道を進んだことがあるからなのか。

 

「愛してたの?」

「もちろんよ。友愛も親愛も情愛も恋愛も性愛もすべて、その時に覚えたんだから」

 

 歪んでる、とはニルフィには言えなかった。どちらかといえばニルフィだって似ている。少女はその対象が多いだけで、女はただ一人にすべてを捧げた。それだけの違いでしかない。

 ぎゅっと、アネットがニルフィを包む腕に力を込めた。

 

「でも、綺麗でありながら(ただ)れた時間は続かなかった」

 

 ニルフィを抱きながらアネットは腕を上げ、湯を(すく)った手を開く。トパトパと湯は水面に落ちていった。

 

「さっきも言ったみたいに、昔の虚夜宮(ラス・ノーチェス)は今ほど安定してなかったんですよ。藍染の統治もまだ完璧じゃなかったの。小競り合いなんて日常茶飯事だったけど、禁止されていた十刃(エスパーダ)の私闘がたまたま起こった。......間が悪かった。それだけかしらね」

 

 朱色の双眸が光を帯びた。

 

「たまたまアタシたちが近くにいるときに戦いが始まったの。ラティアは、弱かったあの娘は、開始早々の余波で死んだわ。ハハハ、いつからだったかしら。あの娘は弱いけど死ぬはずがないって錯覚してたのは。アタシはしばらく呆然としてたわよ。居なくなったあの娘の腕だけを抱えて、それで名前を呼び続けて」

「......アネットは、それからどうしたの」

「原因になった十刃(エスパーダ)が目に入った瞬間、マジギレしちゃいました。もう殺すことしか考えられなかった。どっちがラティアを殺したとか、もうどうでも良かった。その時のNO.3(トレス)NO.8(オクターバ)を真正面から焼いて、そいつらの従属官(フラシオン)も合わせて八人くらいを消したわね。......気が晴れることなんて、なかったのに」

 

 そこからは当たり前のようにトントン拍子に進んだ。

 

十刃(エスパーダ)二人とその従属官(フラシオン)八人殺した罰。それと虚夜宮(ラス・ノーチェス)の大部分を灰にした罰ってことで、アタシは自主的に十刃(エスパーダ)を降りた」

「アネットは悪くないよ。悪いのはーー」

「ありがとう。そう言ってくれるだけで嬉しいわ。でも罰が無かったとしても、ラティアが居なくなったアタシには十刃(エスパーダ)を続けるつもりなんてなかった」

 

 途中途中におどけた様子で語り続ける。それでも声が、抱きしめてくれる腕が、かすかに震えていることにニルフィは気づく。

 大切な者が居なくなってしまって、どれだけ辛かったのだろう。ニルフィは、シャウロンたちが死んでもまだアネットたちがいた。代わりではなく心の拠り所がまだあったのだ。けれどすべての愛を一人に捧げていたアネットは、すべてを失ったことでどれだけ苦しんだのだろう。

 

「ああ、そうだ。覚えてる? あなたが初めて3ケタ(トレス・シフラス)の巣にやってきたときのこと。グリーゼに追いかけられてたでしょ」

「あっ、見てたんだね。どうせなら助けて欲しかったよ」

 

 グリーゼとのチェイスを観戦する視線がいくつかあったことに気づいていたが、その中にアネットもいたことには素直に驚く。

 

「そこで初めて、アタシはあなたのことを知った。似てるって思いましたよ。髪の色も身長も声も肌もなにもかも違うのに、似てると思った。ほかでもないラティアに」

 

 だから、アネットはニルフィの従属官(フラシオン)になったのだろうか。

 それだけは改めて訊きたくなかった。今の関係が壊れてしまうのが怖いと本能が叫んでいる。

 ......けれどそれはただの思い込みで。

 

「でもね、ニルフィ。あなたはあなたよ。どれだけラティアに似ていても、あの娘がもうどこにもいないのは理解できてる。アタシはあなたをラティアとして見たことなんて一度も無い。それだけは覚えておいて欲しいの」

 

 弱々しくアネットを見返す。

 

「......ホントに?」

「当たり前でしょ。......ラティアの他にも、アタシのことを好きだと言ってくれる相手がいるのに、それを他人に見立てるなんてことはしたくないのよ」

「私を、私として見てくれるの?」

「大切なあなたが望むなら、どれだけ愛してあげてもいいですよ。それがどんな形であれ、ね」

「............」

 

 ニルフィは体の向きを変え、アネットと鼻のふれあいそうな距離で向き合う。真っ直ぐ見つめ合い、それぞれの金と朱の瞳が熱を帯びる。

 

「私は大好きだよ、アネットのこと。キミが私を好きでいてくれるのなら、私もずっとキミを愛してあげる」

「ありがとう。それだけで十分よ」

 

 互いに額を触れ合わせた二人は小さく笑いあい、腰に腕をまわして顔を近づけ、そしてーーーー。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 それなりの時間のあと風呂から出て、ふらふらと頭を揺らめかせるニルフィを代えたシーツの上に寝かしつける。

 疲れてしまったからだろう。二ルフィを疲れさせてしまったアネットにも責任があるが、寝室に戻ってきたニルフィに再び睡魔が襲ってきたようだ。最近の睡眠時間は不安定になっている。寝落ちすることも珍しくなくなり、うとうとしてきたらとりあえず寝室に連れて行くのだ。

 

「ねたくな~い......」

「辛くなるのはニルフィですよ」

 

 布団をかけ直してあげたアネットがニルフィをなだめる。

 

「ねたくないよぉ」

「そう言いながら睡魔には勝てないんですから、無理しないでください」

「みゅうぅ......」

 

 必死に睡魔と闘っているようだが、少女の目には(もや)がかかってきていた。これは落ちるのも時間の問題だ。

 

「ねたく、ないの」

「どうしてそんなに抵抗してるのよ。ほら、次起きるまでアタシがそばに居てあげるから。安心しなさい」

「......こわいの」

「怖い?」

 

 アネットが聞き返す。

 呂律(ろれつ)の怪しい舌でニルフィが言った。

 

「めがさめたら、また砂漠のまんなかだと思うと、こわいの。これが夢なんじゃ、ないかって。ぜんぶ無くなるのが、こわいの。だがら......ねたくないよぅ」

 

 触り心地の良い黒髪を撫でたアネットは、苦笑気味に嘆息する。

 アネットは腕を伸ばして少女の小さな手を握った。

 

「ほら。これで、アタシはずっと一緒に居るわよ。だから、ね? いまは寝なさい。あなたが起きてもちゃんと隣に居てあげるから」

 

 見えているかも怪しいが、ニルフィはわずかに頷いて(まぶた)を閉じた。

 離すものかというように固く握られた少女の手を包み、虚空を見上げながらアネットが小さく零す。

 

「怖い、か。アタシも............あぁ、怖いなぁ」

 

 その呟きは部屋の薄闇に紛れて消えた。




『冬休みの宿題』

あからさまに書いた百合じゃなくともエロく見えるのはなぜか。三十文字以内で答えよ。





今年最後の更新です。
読者の皆様、いいお年を。
来年もこの稚拙な作品に目を通していただければうれしいです。作者も花咲爺さんレベルで百合の花を咲き誇らせていきたいと思います。では、アディオス!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間話 寝物語

読者の皆様、あまけしておでめとう。

読者の方々が律儀に冬休みの宿題を解いてくれたので、ご褒美に本編とは関係ない、お年玉感覚で入れてみるお話。

……ギャグ強めであいにく百合は無いけどなァ!!


 グリムジョーは不機嫌さを隠すことなく自分の宮にやってきた女破面(アランカル)二人を睨んでいた。昼寝をしようと思っていたら、ニルフィとアネットが門を叩いたのだ。そのまま無視していると主にアネットに何をされるかわからないので入れてやったが、昼寝をしようとしている自分の横にいてほしくなかった。

 

「なあ」

「どうしたんですか? なにかご不満でも? こんな美女美幼女が隣にいてまさか不服なんてことはないでしょうね」

「内面がお淑やかなら完璧だろうな。……んなことより、本くらいてめえらの宮で読んでろよ」

「気分的にここがいいなぁ、なんて思って」

「ふざけんな」

 

 強引に連れてこられたのだろう。ニルフィが申し訳なさそうに、アネットに抱えられたまま謝る。

 

「ごめんね、グリムジョー。あの、静かにしてるから、その……」

「ああ、もういい。うるさくすんなよ。特にそこの煩悩女」

「はぁ? アタシのことを煩悩呼ばわりなんて、器が小さいわね。アタシはまだ一割も力を出してないというのに」

「力出し切らないうちに野垂れ死ね」

 

 グリムジョーは寝返りを打って二人から背を背けた。

 静かになど期待できない。アネットはニルフィに絵本の読み聞かせをするとかで、彼女のそばにある袋からはいくつもの絵本が入れられていた。そんなものすぐ隣でするなと言ってもアネットの性格からして聞き入れるはずもない。グリムジョーだけ場所を帰るのもなんだか負けた気がするので、意地でもやろうとは思わなかった。

 ニルフィを抱くようにして座り、さっそくアネットが一冊の本を取り出した。

 

「えーと、『マッチ売りの少女』ね。これでいいかしら」

「うん、おねがい」

 

 つまらなさそうな話だ。聞き流せば子守唄のように眠ることを促進させるかも知れない。

 グリムジョーは目を閉じ、適当に聞き流そうとした。

 

「ーーあるところに、ブツがさばけず困っている売人がおりました」

「おい待てコラ」

 

 身を起こしたグリムジョーがツッコミを入れる。

 

「それちゃんと童話なんだろうな」

「マッチ売りの少女知らないって、あなたもしかしてモグリね? 当たり前じゃない。現世の子供なんてみんなこれ聞いて育ってますよ」

「……嘘だろ?」

「ホントですよ。文句は最後まで聞いてから言ってくださいな」

 

 舌打ちをしたグリムジョーは再び背を向けて寝っ転がった。色々言いたいことはあったが、それはアネットが言ったように最後まで聞いてからだ。

 

「では続けますよ。ーーそこは治安のいい街でした。わざわざみすぼらしい格好をした、しかし着ているのが絶世の美少女という、もう狙ってるのかというほど妖しくも怪しい者の売るモノには、誰も手を付けません。なにも売れずに帰ってしまうとキズモノ(意味深)にされてしまいます。彼女は裏で生きる人間ではなく、ただの養う家族が多い、不幸少女だっただけなのです」

 

 ここまででどれだけツッコミを入れればいい箇所があっただろうか。

 背中越しに振り返るが、アネットは真面目な表情で読みすすめている。原作を知らないグリムジョーに指摘できるところはなかった。けれどおかしいと思うのは間違いないだろう。

 

「困り果てた売人少女は一時の気の迷いから商品であるブツに手をつけました。売人少女がブツを燃やすと煙が出て、幻覚をともなう強烈な多幸感を得ました。ですが煙は短い間しか生まれません。少女は取りつかれたように次々とブツを燃やしていきます」

「…………」

「そしてついに少女は昇天するような顔で言いました。『神様が、神様が見えるよぉ!』と」

「どう考えてもおかしいだろうがッ!! 他のやつをそいつに読ませやがれ!」

 

 子供には教育上まったくよくない童話である。物は言いようだった。

 話を妨害されたアネットは不服そうに言った。

 

「なんですか、わがままですね」

「てめえが自由すぎんのが原因だよ」

「せっかくグリーゼの目がないところでニルフィをいやらしく洗の……ちょっと見識を広げさせようとしただけなのに」

「不穏な言葉を使うなよ」

 

 これは駄目だとグリムジョーは思った。アネットの腕の中のニルフィが、このままではアレな方向に育ってしまう。ただでさえいつも無防備で、十刃(エスパーダ)たちもそれなりに注意を掛けようと少しだけ話し合ったことがあるほどだ。

 ニルフィを気に掛ける、というわけではない。この場にグリムジョーが残るのは意地のためだ。

 そう自分で納得し、グリムジョーはゆっくりと目を閉じる。

 

「あ、これは面白そうね。『人魚姫』ですって。まあニルフィは人魚にならなくても絶世の可愛さがあるけど」

「どういう話なの?」

 

 アネットが軽やかに微笑む。

 

「ふふ、じゃあ読みましょうか。コホン。ーーある日人魚姫は、溺れていた人間の男を助けました。姫はその男に恋をしてしまい、もう一度逢いたくて仕方ありません。そこで海の魔女にお願いしたのです。ロマンチックに『わたしを人間に……いえ、それよりも手っ取り早い方法があるわね。お願いします、地上を海に沈めてください! あの人だけまた助けて、彼のことを好きな女を事故死として失踪させられるわ!』と」

「ロマンチックじゃねえだろ。ただのバイオレンスだろ」

 

 なんだその人魚姫は。ヤンデレにもほどがないだろうか。

 

「さっきからなんなのよあなた。アタシの語り部にいちゃもんばかり」

「まさにブーイングものだからに決まってんだろうが!」

 

 グリムジョーが耐え切れずに叫んだ。無視することもできず、聞き流せる内容ではとても無かった。

 新しい本を取り出したアネットが肩をすくめる。

 

「じゃあ、これね。『超究極絶炎神聖剣ギガスパイダーローリングスラッシュ伝説』」

「却下だ」

「わがままね。ニルフィ、どれがいい?」

「……ん~、これ……」

「群像劇ものね。さすがニルフィ、見る目があるわ」

 

 ニルフィの見る目が信用できないグリムジョーは、警戒しながら耳を澄ませた。

 

「ある農村で、モンスター退治に出かけたAさんとBさんが洞窟に向かうと、Cさんが洞窟の前に立っていたのです。Cさんはなにか怯えた様子で洞窟を見ていました」

 

 意外にも普通だ。初っ端かたぶっ飛ばしていくかと警戒していたグリムジョーは肩透かしの気分を味わう。

 そうしているうちにも物語は淡々と進んでいく。

 

「洞窟を覗いてみると、大きな熊のモンスターがDさんを引きずっているのです。その先には、EさんとFさんがいました。それを見たBさんとCさんはEさんとFさんに走り寄り、AさんはDさんとEさんとFさんをCさんのところに。応援に駆けつけたGさんとHさんとIさんが熊にむけてジェットストリームアタッーー」

「多すぎんだろうがァ!! わかるわけねえだろ!」

「……そうして、Vさんは死んでいたのです」

「誰だよ! 出てなかっただろうが!」

「唯一の目撃者であるアビラマさんは、今でも眠れないそうです」

「なんでそいつだけ名前あんだよ! ただAでいいだろうが!」

 

 絵本をぱたんと閉じたアネットは抗議の視線をグリムジョーに向けた。

 

「いちいちうるさいわね。あなた大雑把な性格なのに細すぎるのよ。洗脳がうまくいかないじゃない」

「隠す気も無くなってるじゃねえかよ」

「いいでしょ、これくらい。もうニルフィは寝ちゃったんだし」

「あ?」

 

 いやに静かだと思えば、ニルフィはすやすやと寝息をたてている。つまらなかったというよりも睡魔に勝てなかったような穏やかな寝顔だ。

 それを見てグリムジョーは自然に声のトーンを落とした。

 

「寝てるじゃねえか」

「見ればわかるでしょ。最近、無理して眠らないようになってきて、それでね。あなたの近くならリラックスできるんじゃないかと思って」

「どういう意味だ」

「知らなくて結構です。これでも妬いてるんだから」

 

 なぜアネットから責めるような眼差しをされるのかわからない。なんだか理不尽だ。抗議する権利ならグリムジョーのほうがあるはずだった。だが抗議しても、アネットは涼やかな顔で流すだろう。

 その場にそっとニルフィを寝かせるとアネットもその隣に寝っ転がる。ニルフィを挟み、川の字で三人は横になっていた。アネットが身を寄せたせいか、寝ぼけたニルフィがグリムジョーの背にコアラのようにひしっとくっついた。

 

「ここで眠んな」

「あらあら、もしかして添い寝がお望みですか? あなた相手なら考えないこともないわよ」

「いらねえよそんなの。てめえらの宮にある大層なトコで寝やがれ」

「たまにはいいでしょ、たまには。……この子はいつも一人で寝てるから。一人で寝かせたくないの」

「…………」

 

 なんとも面倒くさくなったよグリムジョーは思った。

 過保護すぎる保護者になったアネットは昔とは大違いだ。

 グリムジョーとアネットが初めて邂逅したのは、彼女が十刃(エスパーダ)になって間もない頃だった気がする。バラガンが大帝とするなら、かつてのアネットは、まさしく女帝だっただろう。後に従属官(フラシオン)であったラティアのおかげで現在のようになるが、そのときは今とは別人のような性格だった。

 傲岸不遜で他人をゴミとしか見ていない暴君。宮殿において彼女はまさに荒れ狂う台風のようだった。

 そんな危険な女とNo.12(アランカル・ドセ)であったグリムジョーが戦ったことがある。理由は忘れたが、目があったとかそれくらいのくだらないものだろう。

 …………結果は、アネットに炎を使わせることもなく、肉弾戦でグリムジョーが敗北した。フルコンボでフルボッコだった。以前のニルフィが一時的に大人になった時の制裁の比ではないほど、グリムジョーは徹底的に痛めつけられたのだ。

 

『クズはクズらしく底辺を彷徨(さまよ)ってろ。ゴミがアタシを見上げるな』

 

 絶対零度の声音でアネットは吐き捨て、去っていった。

 その時の屈辱を思い出したように話してみると、

 

「え? 言ってましたっけ? ていうか、誰ですかソレ?」

「てめえだよ」

 

 屈辱をバネにグリムジョーはとうとう十刃(エスパーダ)となったが、その時にはもうアネットは丸くなっており、戦いを挑んでも面白半分に流された。そして本気の戦いが実現することもなく、アネットは十刃(エスパーダ)を去った。

 

「でも、もう戦えませんよ、あなたとは」

 

 前よりも戦うことができない理由である二人の間の小さな少女。

 ニルフィの頬に掛かった黒髪を払いつつ、アネットが言った。

 

「あなたもそうでしょう?」

「…………チッ」

 

 グリムジョーは舌打ちをするだけで答えない。しかしそれこそが、否定ではなく肯定であることを如実に表している。

 

「こんな茶番な時間が続くと思ってんのか」

「思う、っていうより、願ってるわ。生きていられるならずっとそうなればいいって、ね」

 

 か細い呟きを聞き、そして今度こそグリムジョーはそれを聞き流し、目を閉じた。それ以上アネットもなにか言うことはない。

 変わったのはグリムジョーも例外ではないかもしれない。

 けれどそれを認めるのはなぜか(しゃく)であり、アネットの生き様を知っていると、背中越しの少女を受け入れるように思えて躊躇う。

 『今』が変わらなければいい。

 そう思うのは、『今』が幸せな者に限り、もしかしたらグリムジョーもそこに入るのかもしれなかった。




ここにある壁を殴り壊してもいいんだぜ?

『壁』


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間話 ハロウィン・オブ・マスク

二人の距離はこれくらいがちょうどいい。


「トリック・オア・トリート! お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」

「……あ?」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)を散策していたグリムジョーの前に、随分と可愛らしい前口上をしながら躍り出る大虚(メノス)

 正確には大虚(メノス)の仮装をしていたニルフィだった。

 その小さな体を隠すように黒い布を被り、顔にはデフォルメされた長い鼻の仮面をつけている。

 

「なにしてんだ、ニルフィ」

「ハッピーハロウィン! 今日私はお菓子を貰いに歩いてまわってるんだ。十刃(エスパーダ)はキミが初めてだけど、ほら、こんなに!」

 

 ニルフィが担いでいた大袋の口を開ける。

 そこにはたしかに、いっぱいに詰まったお菓子が見える。

 

 そこでようやっと、グリムジョーはハロウィンがどんなものか理解した。

 仮装している相手にお菓子をあげるもの。

 まあ、そんなところだろう。

 廊下を歩いていればお菓子をどうするか話している下官もおり、なにをしていたのかと思えば、この少女のために用意していたとなれば納得だ。

 

「つうか、なんだその格好」

「ん、ザエルアポロさんが作ってくれたの」

 

 ウィーンガチャン、ウィーンガチャン。

 独特な機械音を出しながら大虚(メノス)の口が開き、そこからポポポポっとシャボン玉のような虚閃(セロ)が飛び出していく。おどろおどろしい叫び声も一緒だ。無駄に凝った装備である。

 

「どう、似合う?」

「誰が着ても一緒だろうが」

「ひどいなぁ。アネットがいたら、もうちょっと気の利いたこと言えって零してるよ」

「ガキに気ぃ利かすワケねえだろ」

 

 鼻で笑い、ニルフィの隣を通り過ぎようとするグリムジョー。

 しかし彼の腕に、少女がぶら下がるようにしがみついた。

 

「トリック・オア・トリート! グリムジョー、お菓子ちょうだい!」

「…………」

 

 グリムジョーが無言のままズボンのポケットを探る。

 しかし、不良である彼が常日頃からお菓子を常備しているほど、現実は甘くない。

 

 実際には用意するように話が広まっていたものの、ここまでグリムジョーが忘れていただけなのだが。

 

「……で、イタズラってのはなにすんだ?」

「えっ?」

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねていたニルフィの動きが止まった。

 

「ん、むむぅ」

 

 そして唸りながら頭を悩ませる。

 どうやらお菓子は必ずもらえるものと考えて、肝心のイタズラのほうは頭になかったらしい。

 少しして、ニルフィは両手を上げ、一拍置いてから宣言した。

 

「グリムジョーの、リーゼントを! アフロにします!」

「やったらぶっ殺すぞ」

 

 まったくもってロクでもないイタズラだ。

 

「ええ!? そんな覚悟もなくお菓子を持ってなかったグリムジョーにびっくりだよ!」

「俺はヒトのことを自然にアフロにしようとするお前にびっくりだ」

 

 仮面を脱いで素顔を見せ、ニルフィがブーイングするのもスルーし、最近多くなったため息をグリムジョーが吐き出す。

 

「大体、俺が菓子なんか持ってるワケねえだろ」

「そんなことないよ」

「なんでだ」

「だって、グリムジョーは優しいもん」

 

 前後とは関係のない答え。しかしその真っ直ぐすぎる金色の瞳に、途端に居心地が悪くなったグリムジョーが顔を逸らす。

 こういうのが多くなったものの、やはり慣れることはない。

 

「くだらねえ。俺は優しいつもりなんかねえし、そういうのはハリベルとかに言ってやれ。……なんだ、その目」

「グリムジョーってあれだよね。シャウロンたちがピンチになってれば、なんだかんだ文句言いながら助けてあげる系のヒトだよね」

「うるせえ」

 

 やや強めに、ニルフィの白い額にデコピンを放つ。

 痛かったはずだが、それだけでは彼女の笑顔を吹き飛ばすことはできないようだ。

 それどころか、ニルフィはこんなことまで言う。

 

「私がピンチの時も、なんだかんだ文句言いながら助けてくれるんでしょ?」

 

 グリムジョーが舌打ちする。

 

「そういうのはアネットとかの仕事だろうが」

「うん、そうだね。だけどそれと同じで、私が危なくなったらキミも助けてくれる。そうでしょ?」

 

 グリムジョーの眉根に皺が寄った。

 

「おこがましいかもしれない。傲慢かもしれない。けど、キミは……私を、救ってくれる。救えなくとも、助けようとはしてくれるだろうね」

 

 どこか確信を持った少女の言葉を否定しようとし、それができないことに苛立ちが募る。

 グリムジョーは基本的に嘘を嫌う。

 だからだろう。

 その言葉を、ある程度認めてしまっているのは。

 

「そうじゃ、ないの?」

 

 ニルフィの素顔に不安がよぎる。

 さっきまでの自信はなんだったのか。

 そう言いたいほど、どこか寂しげだった。

 

「……かもしれねえな」

 

 だが、とグリムジョーが釘を刺すように続ける。

 

「俺が助けてやるのは、てめえに借りがあるからだ。それ以上でもそれ以下でもねえ。わかったな?」

「……あ」

 

 ニルフィは一瞬だけ呆けたように目を見開き、

 

「ーーうん!」

 

 なにもかもわかってる。

 そうとでも言うように微笑むニルフィ。

 心なしかその笑顔は、いつもよりもずっと嬉しそうなものだった。

 

 思ったほど、満更でもない。

 グリムジョーの肩から少し力が抜ける。

 

「じゃあ、私は行くね。まだ貰ってないヒトもいるし」

「菓子はいいのか?」

 

 そう問うと、ニルフィは肩をすくめる。

 

「うん。キミからは十分、貰えたからね」

 

 はにかんだニルフィが大袋の口を締め、大虚(メノス)の仮面を右手に持つ。

 

「…………」

 

 仮面を被る直前、なにを思ったのかそれをせず、笑顔のままグリムジョーの腰に腕を回して抱きついた。

 小さく、柔らかく、脆い。

 引き剥がすのにも逡巡するほどだ。いつもならば気安く触れさせる手も、少女の背中に当たりそうになると思わず引っ込め、大きな手は中空を彷徨う。

 しばらくそうさせていると、満足したのかニルフィが離れた。

 

「じゃあね!」

 

 今度こそ仮面を被り、悪戯っぽく笑った顔が隠れた。

 さながら兎のように跳ねながら、ニルフィが廊下を駆けていく。

 

「ーーーー」

 

 狐につままれたような顔でグリムジョーはそれを見送った。菓子とも違う甘い匂いが、グリムジョーの鼻腔をくすぐる。

 少女の姿が廊下の角に消えたあとも、アネットがいればからかうであろう時間はそうしていただろう。

 

 我に返ったグリムジョーは舌打ちし、ニルフィは去った方向とは反対側へと歩いていく。

 どうにもニルフィの前では調子が狂う。

 だから、それだけだ。さっきも言ったように、それ以上でもそれ以下でもない。

 自分で自分を納得させながら、グリムジョーは長いこと歩き続けた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 その後、ニルフィが十刃(エスパーダ)を訪ね回ったものの、ちゃんと用意できていたのは従属官(フラシオン)までであった。

 ニルフィがハロウィンを楽しみにしてるという話は広がっていたが、肝心の十刃(エスパーダ)まで届いていなかったという。

 スタークは謝り、バラガンは部下を叱りつけ、ハリベルは申し訳なさそうに、ウルキオラは無言のまま、ノイトラはスルーされ、ザエルアポロは衣装のせいで準備できず、アーロニーロは硬直し、ヤミーは自分で食っていた。

 

 この時から十刃(エスパーダ)のほとんどは、いついかなる時でもあげられるよう、懐にニルフィ用のお菓子を忍ばせるようになったという。




お菓子より甘いものは世の中いっぱいあるんよ( •̀∀•́ )フンハフンハ!

ホントならばこの後、グリムジョーVS“会”の刺客たち、現地調達組の受難、他十刃(エスパーダ)たちとのやりとり、などなど書きたかったのですが、ホントにこれくらいがちょうどいいかと思いました。
冗長よりもさっぱりと、お菓子のように噛みしめられる感じで。

ここに『壁』置いときますんで、殴りたければ好きに殴っても構いません(真顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アレはアレな風に見えて凄いアレなんですよ

 井上織姫は虚夜宮(ラス・ノーチェス)のどことも知れぬ場所に軟禁させられていた。

 扉ほどの大きさの唯一の窓からは三日月が見える。おそらく、外壁の部屋だろうとだけは察せた。

 部屋は自宅のアパートよりも広いが、これといって部屋割りをされているわけではなく吹き抜けである。家具もカーペットとベッド代わりになりそうな巨大なソファ。そしていくつかのクッション。これだけだ。殺風景すぎていた。

 だが囚われの身としてはかなり優遇されているだろう。拘束をさせられていないだけマシといえた。

 ーーここで大人しくしてろって言われたけど……。

 ーーなんにもすることないなぁ。

 やることがないからこそ、ぼーっと頭を思考の海に沈める。

 グリムジョーの腕を治し、そしてニルフィがその後、ルピと戦ったらしい。結果は知らない。その前にウルキオラにお前には関係ないことだと強引にこの部屋に連れてこられたから。けれどなぜか織姫には、おそらくニルフィは負けてないという確信があった。思いが強かっただけかもしれないが。

 最初の邂逅では、得体の知れない相手という印象が強かった。何を考えて行動するのかが子供のようなのに予想できないのだ。けれど、グリムジョーの腕が治った時に見せた、泣きそうなほど喜んでいた顔は、やはり彼女が子供だったのだと思わせた。

 しかしだ。破面(アランカル)たちの傷を治すことで戦いの渦が大きくなると思うと、傷ついた仲間の顔が脳裏を掠める。

 ーーううん、でも。

 ーー今はどんなことをしても、あたしに利用価値があると思わせなくちゃいけない。

 自分にできることは、自分という存在があることで起こるであろうタイムラグ。そして死神たちの準備が整うまでの時間稼ぎだ。

 そんなとき、扉がゆっくりと開かれる。

 

「やっほー、オリヒメさん」

「ニル、ちゃん?」

 

 ひょっこり顔をのぞかせたのは、器用に頭の上に紙製の箱を乗せたニルフィだった。

 

「お腹空いたでしょ。まだキミのご飯ができるまで時間があるから、差し入れ持ってきたよ」

 

 箱を落とさずにぴょんと部屋の中へと入ってくる。その後ろからワゴンを押してテーブルを背負った長身の男、グリーゼが音もなく続く。

 寡黙な男はせわしなく動き、何をするのかと思えば、せっせと茶会の準備を始めた。グリーゼは仮備えのテーブルを置き、その上にきっちり、二人分の菓子やら紅茶やらを出していくのだ。

 テーブルを整える間、グリーゼには彼なりの並々ならぬこだわりでもあるのか、カップやら皿やらの配置を不機嫌そうに眺め、何度も微妙に直したりした。一ミリのずれも見逃さず、彼の好みに皿やカップを配置していく。

 それでもごく短い時間で支度を終えると、グリーゼは満足そうに大きく頷いた。最後に椅子を引いて少女たちに座るように促す。

 

「す、すみません」

 

 思わず断りを入れながら織姫はそこに座る。ニルフィも礼を言って腰掛けた。

 それぞれのカップに湯気の立つ紅茶が注がれる。

 

「こうしてゆっくり話すのは初めてだね。時間的に今まで無理だったけど」

「そうだね」

「あ、毒とかは入ってないよ。ちゃんとザエルアポロさんが一度も触らないように運んできたから」

 

 ザエルアポロという人物がどういうものなのか知らないが、ニルフィは喜々として皿から一枚のクッキーをつまみ、おいしそうに咀嚼した。釣られるように織姫も一枚を口に運び、空腹も手伝ってとても美味に感じる。ついでに紅茶もおいしい。あの偉丈夫が淹れたものだとは失礼ながらとても思えない。

 一息つき、それを見計らったようにニルフィが口を開く。

 

「私ね、感謝してるんだ。オリヒメさんには、さ」

「感謝?」

「そうだよ。だってキミは、グリムジョーの腕を治してくれた。それが強制であったとか仕方なくとかそういった事情があっただろうけど、治してくれた事実には変わりないんだよ。それを私は感謝してるの」

 

 腕を治したばかりのグリムジョーに抱きついた時の表情は、たしかな本心からだったのだろう。

 

「だから、ありがとうって伝えに来たの。私じゃあグリムジョーを助けてあげられなかった。それどころか、私があの人を……追い詰めてたんだろうね。実感は湧かないけど、なんとなく気付けるようになったかな」

「でも、よかったの?」

「なにが?」

「腕が治れば、あの人はまた戦おうとするんでしょ。それは、ニルちゃんが望んでたことなのかなって」

 

 ニルフィは肩をすくめながら苦笑する。

 

「ホントは優しいけど、グリムジョーから戦いを取り上げちゃったらダメだからね。まあ、……口でどう言っていても、私たちは戦ってしまう種族なんだよ」

「それだけだと単なる危険人物じゃない?」

「……オリヒメさんのシュートさ加減は芸術的だと思うよ」

 

 幼女に呆れられてしまった。

 

「でもそうだね。たしかに戦うだけの生物だよ。グリムジョーに限らず、私も、他のみんなも。でも戦わないとここじゃ生きていけないんだ。人間だって、そうでしょ? 命を掛けないだけで似たようなことを日常茶飯事で繰り広げてるんだって聞いたよ」

「…………」

 

 逃げてばかりでは生きられない。織姫はそれをよくわかっている。だから反論はできなかった。

 

「でもさ、私は人間の世界に憧れてるんだ」

「え?」

 

 織姫は思わず聞き返す。冗談を言っているような雰囲気もなく、ニルフィは子供が空想を語る時のように晴れ晴れとした顔で今まで思い描いていたであろう夢を紡ぐ。

 

「遊園地とか水族館とか楽しい場所がいっぱいあってぇ。学校だとずっと友達と一緒にいれる。休みの日は一日ずっと好きなように過ごせるんだよね。それでなにより……誰かが死ぬことなんて、身近なことじゃない」

「あなたは、平和に憧れてるのかな」

「ん、そうだね。平和……、そう、平和だ。私の大切な人が誰も傷つかない平和な世界に、私は憧れてるの。おかしい?」

「ううん。おかしくなんて、ないよ。あたしもずっと憧れてるし、それにずっと続けばいいやって思ってたから。だからニルちゃんの言ったことは、おかしくなんてないよ」

「そっか。あははは、キミには否定されないって最初からわかってて言ったんだけどね」

 

 でも、とニルフィは金色の双眸で織姫を射抜くように見つめた。

 

「だから私は、私の仲間のために戦うよ。そのためにキミの大切な仲間を手にかけることがあっても躊躇なんてしない。これが言いたかったの」

 

 恩はある。けれどそれをどういった形で返すかは自分の自由にする。

 それがニルフィの答えだ。

 たとえ織姫が反抗しようとしても、その時は容赦なくねじ伏せるだろう。

 うつむいたままカップの紅茶に映る自分の顔を見ていた織姫だが、ニルフィの発言に少しだけひっかかりを覚えた。

 

「仲間、っていうのは。誰のことを指してるの?」

 

 ニルフィたちが戦うのは死神たち。織姫は死神側に属するだろうが、どちらかといえば大切な仲間とは、一護たちを示すものだ。そこをピンポイントで言ったのがなぜか気になる。死神ではなく、一護たちを指したことに。

 紅茶のおかわりをグリーゼに注いでもらったニルフィが言った。

 

「もちろん、クロサキさんたちだよ」

「他の、死神の人たちは?」

「そうだね。キミの能力を危惧してここに来ると思う。だけどそうじゃないんだ。クロサキさんたちはーー虚夜宮(ラス・ノーチェス)にやって来る。キミが仲間だから。それ以外に、あの人たちはなんの理由もないよ」

 

 その時だった。広大な虚夜宮を空間ごと揺らすような大きな振動があったのは。

 予想していたかのようにグリーゼがテーブルを持ち上げ、揺れによって茶がこぼれないようにする。わずかに目を閉じたあと、ボソリと呟いた。

 

「……22号地底路あたりに侵入者がーー三人だ」

 

 三人。その数に、織姫は胸の内がちりついた。

 

「どうして?」

「私もそうするだろうから。こうなるだろうってわかってたさ」

 

 誰にでも向けられたでもない織姫のつぶやきに、ニルフィが微笑みながら答える。

 戦いの狼煙(のろし)はもう上がっているのだ。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 その廊下を横切ろうなどという不届き者はいなかった。至って変哲もない、この宮殿にならばいくらでもあるであろう代わり映えのない廊下だ。あろうことが怖いもの知らずの破面(アランカル)たちはそこを畏怖している。廊下自体にではなく、ある部屋を目指していく十人もの集団がいるから。ただ一歩踏み出すだけで空気の重さが倍加する。

 そして集められた目的は自ずと察せる。さきほどの宮を揺さぶるような空間の割断(かつだん)。それのせいだと。

 靴音を響かせながら、奇しくも到着は同時のようだ。

 彼らは仲良く歩くというより互いを牽制するような雰囲気を撒き散らす。

 誰が最初というわけでもなく言葉が発せられた。

 

「侵入者らしいよ」

「侵入者ァ!?」

 

 部屋へと入る。彼らが進む先には長く硬質なテーブルがあった。この会合の主催する者の座る一辺を除き、背もたれの高い椅子がちょうど十個。

 少女が椅子に飛び乗ると、細長い足をぶらぶらさせる。

 

「22号地底路が崩壊したんだって……聞いたんだけど、さ。アイスリンガーさんとデモウラさんがやれたみたいだね」

 

 豪胆でありながら衰えを感じさせない老体が腰掛けた。

 

「22号ォ!? また随分遠くに侵入したもんじゃな!!」

 

 眼鏡を掛けた美青年が関心を薄そうにして同意した。

 

「全くだね。一気に玉座の間にでも侵入してくれたら面白くなったんだけど」

 

 褐色の肌を持つ美女が静かに椅子へと身体をもたれかからせる。

 

 後付けの仮面の奥から水音を響かせながら長身の破面(アランカル)もそれに続いた。

 

 腰から下げた鎖のようなチェーンを響かせながら眼帯の男が楽しそうに嗤う。

 

「ヒャッハァ! そりゃいい!」

「……ウルセーなあ。こっちは寝みーんだ。()けえ声出すなよ……」

 

 それに気だるげそうにため息を吐く無精ひげを生やした男。

 

 山のような、という表現を形とするかのような大男の椅子が軋む。

 

 不良風の青年が無遠慮に椅子へと身体を落とした。

 

 無表情を変えない青年が音も無く座すと、すぐに目を閉じる。

 

 椅子に座るという一動作のみで個性の別れる彼らは、各々の席で自分たちの主人一人が訪れるのを待つ。

 

 第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)コヨーテ・スターク

 

 第2十刃(セグンダ・エスパーダ)バラガン・ルイゼンバーン

 

 第3十刃(トレス・エスパーダ)ティア・ハリベル

 

 第4十刃(クアトロ・エスパーダ)ウルキオラ・シファー

 

 第5十刃(クイント・エスパーダ)ノイトラ・ジルガ

 

 第6十刃(セスタ・エスパーダ)グリムジョー・ジャガージャック

 

 第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー

 

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)ザエルアポロ・グランツ

 

 第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)アーロニーロ・アルルエリ

 

 第10十刃(ディエス・エスパーダ)ヤミー・リヤルゴ

 

 彼らは十刃(エスパーダ)と呼ばれる、殺傷能力が飛び抜けて優れているといういかにも物騒な選考基準を満たしたモノたちだ。それはこの宮で一部の例外を除き、戦闘能力が格段に優れているということ。

 最近こそ何人かが揃うことはよくあったが、全員が一堂に会すことはあまりない。しかし、だからどうしたのか。そう言わんばかりの態度で、普段のような軽口を叩く。

 ニルフィの左右にはグリムジョーとザエルアポロ。正面にはスタークがいる。スタークはテーブルに両肘を付いて組んだ手に顎を乗せ、もうすぐ会議が始まるのにうつらうつらと(まぶた)が閉じてしまいそうだ。これが1番の男。選定基準が実力のみで数字が決められるのを表しているようだ。

 しかし唐突に緩んだ空気が消え去る。

 彼らの主人が配下の死神二人を率いて姿を現したからだ。

 

「お早う、十刃(エスパーダ)諸君。敵襲だ」

 

 いつものような達観したかのような平坦な声が危機感を伝えない。

 そして続けられた言葉も防衛の配置やそういったものではなく、

 

()ずは紅茶でも、淹れようか」

 

 なのだから無駄に自信有りすぎだろと誰だってそう思うはずだ。

 だが、たしかにそれだけの自信を保てる力が彼らにはあった。むしろそれだけでも足りないだけの力が。

 床からせり上がった椅子に腰掛けた藍染惣右介の少し背後に、二人の死神が待機する。

 ゴーグルを被った盲目の死神に、ニルフィは子供がしちゃいけないような凄まじい視線を送ったあと、給仕の破面(アランカル)が置いていった湯気の立つカップに目を向ける。

 ーーあれ?

 なぜか紅茶にしては、ドス黒い。そして独特な香ばしい匂い。他の十刃(エスパーダ)たちは全員琥珀色の液体の入ったカップがあるというのに、ニルフィだけ確実に故意のようなものが配られた。

 ニルフィにだけ傍には小瓶に入ったガムシロップとミルクがあるが、ブラックコーヒーが渡された。

 

「全員に、行き渡ったかな?」

 

 藍染がいけしゃあしゃあとのたまう。

 思わず抗議するような目でニルフィが見るが、藍染はかすかに笑みを濃くするだけだ。思えばこの紅茶だけでも不親切ではないだろうか。ヤミーの巨体からはこのカップだと一滴ぐらいにしかならないし、アーロニーロはそもそも仮面のせいで飲めない。彼は衆目で口のある手袋を外すのを嫌がるので(ニルフィにだけはよく見せてくれるが)ちょっとした嫌がらせだろうに。

 鼻を鳴らしてニルフィがカップを手にとった。なにも入れてない、ブラックを。

 子供と思って見くびるなとおもむろに一口飲み込み、

 

「……………………にがぁい」

 

 舌を出しながらうめくハメになってしまった。所詮、お子様である。

 そんな身悶えする少女の前にテーブルを滑ってお菓子の入った小袋が七つ集まった。他の十刃(エスパーダ)たちが見かねて放ってくれたようだ。彼らはこの頃、ニルフィ用に懐によくお菓子の小袋を忍ばせるようになっていた。単なる気まぐれだ。しかし予期せぬほぼ全員が同じ行動をしたことで、袋をニルフィにあげた七人は一斉にその他の相手に視線を鋭くする。

 それを面白くなさそうに眺めるノイトラ。嬉しそうに礼を言うあんな小娘一人に、なにを骨抜きになっているのかと眉をしかめる。くだらない。そう結論付け、自分の他にも唯一お菓子をニルフィにあげなかったヤミーを何気なく見た。

 

「んん? ここで渡すのかよ」

 

 他の十刃(エスパーダ)の行動に釣られるように、ヤミーはどこから取り出したのか何かの長い植物の茎をニルフィのほうまで滑らせる。(かじ)れとでも言うのだろうか。沖縄産さとうきびだった。

 これでヤミーもニルフィに甘いものを与えたことになる。

 全員の視線がただ一人なにも出さなかったノイトラに突き刺さった。

 なぜかわからぬが、空気とはこれほど痛いものなのかとノイトラは思い知らされる。

 

「……ケッ」

 

 ノイトラがニルフィにくれてやれるのは、どうやら悪態だけのようだ。ようやくテスラがしつこく羊羹(ようかん)の小袋を渡そうとしてきた理由がわかった気がした。

 見計らったように藍染が切り出す。

 

「……さて、飲みながら聞いてくれ。(かなめ)、映像を」

「はい」

 

 指示された東仙が壁の取っ手を動かすと、長テーブルの中央の仕掛けからひとつの映像が空中に浮かび上がる。

 

「侵入者は三名」

 

 一人ひとりの顔が鮮明に拡大された。

 

石田雨竜(いしだうりゅう)

 

 優等生然とした眼鏡を掛けた少年。破面(アランカル)の死覇装と違う白いスーツのような服を着込み、肩掛けの布の色も白い。死神でもなく、ましてや一般人ではないのも自明の理だ。

 

茶渡泰虎(さどやすとら)

 

 三人は同い年のはずだが、茶渡はふたまわりも年上に見える。長身の体躯に褐色の肌、長袖の黒いシャツは彼の筋肉によって盛り上がっていた。

 ーーあ、やっぱり腕治ってる。

 予想通りというべきか、ヤミーに破壊された茶渡の腕は織姫に修復されたのだろうとニルフィは当たりをつけた。

 

黒崎一護(くろさきいちご)

 

 最後に拡大されたのはオレンジ色の髪を持つ死神の少年だ。姿だけ見れば以前とはまったく変わりない。

 けれど織姫のいるであろう虚夜宮(ラス・ノーチェス)の壁を見据え、砂を吹き飛ばすかのように砂漠の上を一心不乱に駆けていた。

 

「ーーッ!!」

 

 それに最も大きな反応を見せるグリムジョー。彼らの確執は二度にも及ぶものだとニルフィもわかっているので、彼女は映像の上から侵入者三人の体捌きや重心の位置、そういったものを見て戦闘能力を黙って推し量る。

 

「……こいつが」「敵ナノ?」

「何じゃい。敵襲じゃなどと言うからどんな奴かと思ったら、まだ餓鬼じゃアないか」

「ソソられないなァ、全然」

 

 疑問。落胆。砂粒ほどの関心を消す。もとから無反応。

 各々の反応を示す、けれど危機感を抱くことはなかった十刃(エスパーダ)を藍染がいさめる。

 

「侮りは禁物だよ。彼らはかつて『旅禍(りょか)』と呼ばれ、たった四人で尸魂界(ソウル・ソサエティ)に乗り込み、護廷十三隊に戦いを挑んだ人間たちだ」

「四人? 一人足りないけど、その人は来てないのかな」

「井上織姫だ」

「ああ、なるほど」

 

 ニルフィのふとした疑問にウルキオラが答えた。

 それを聞いたノイトラが画面の人間たちに嘲笑を向ける。

 

「仲間を助けに来たってワケかよ。良いんじゃねえのォ、弱そうだけどな」

「聞こえなかったのか? 藍染様は侮るなと仰ったはずだ」

「別に、そういうイミで言ったんじゃねーよ。3番のくせしてカリカリすんなよ、ビビってんのか?」

「…………」

 

 釘を刺したハリベルにノイトラが噛み付いた。

 そんな会議であっても勝手に発言とかをする十刃(エスパーダ)たちの喧騒を聞きながら、ニルフィは初めて見る石田雨竜のだいたいの戦力も測り終わる。体つきや動きからして中距離から遠距離の攻撃を主体とする異能者。そしてその実力は単体で十刃(エスパーダ)を相手にするには及ばないものだった。

 ガムシロップとミルクをいっぱい入れてかき混ぜたコーヒーを(すす)っていると、隣から一瞬だけ視線を感じた。

 横目で見ると、グリムジョーは難しい顔をしながら画面の三人……ではなく、おそらく一護だけを睨んでいる。

 彼ならば静止を振り切り、すぐにでも会議を抜け出して一護を殺しに行くかと思った。けれどそうはならなくて、椅子から体を起こす予兆も無い。

 

「行かないの?」

「……ああ」

 

 ニルフィの疑問に少女を見ることなくグリムジョーは淡白な答えを返した。

 喧騒を打ち消すように藍染が締めくくろうとする。

 

十刃(エスパーダ)諸君。見ての通り敵は三名だ。侮りは不要だが騒ぎ立てる必要もない。各人、自宮に戻り、平時と同じく行動してくれ」

 

 十刃(エスパーダ)たちを見回し、

 

(おご)らず、(はや)らず、ただ座して敵を待てばいい」

 

 宣言する。

 

(おそ)れるな。たとえ何が起ころうとも私と共に歩む限り、我らの前にーー敵はない」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣の一角において、ドルドーニが侵入者の一人を蹴り飛ばした。

 侵入者、黒崎一護は防御を弾き飛ばす勢いの蹴りを防げず、破砕音を響かせながら壁に激突する。着地したドルドーニは呆れた表情のまま鼻から息を吐き出し、やれやれと肩をすくめた。

 

「反応は鈍い。防御は脆い。足場の変化にすら対応できん」

 

 そしてポージングを決めながら両の指を壁に埋まったままの一護に突きつける。

 

「やってられんよ! まるで子供の戦いじゃアないかね! えェ!? 以前お嬢さん(ニーニャ)と戦ってからなにも進歩してないのなら、吾輩の期待を返してくれたまえ!」

 

 死神からの反応はない。だがドルドーニは言葉を続ける。まだ息はあるだろうし戦えるだろうから。

 

「ば・ん・か・い。し給えよぼうや(ニーニョ)。悪いことは言わん。今のままのぼうや(ニーニョ)じゃ何をやっても吾輩には勝てんよ。ここのところ多少パワーアップした吾輩なら、なおさらだ」

 

 起き上がりながら一護は言った。

 

「……やだね」

「何故?」

「『十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)』ってのは、要するに十刃(エスパーダ)じゃねえんだろ」

「…………。……そうだが」

 

 眉をひそめながらドルドーニが促した。

 

「こっちは十刃(エスパーダ)全員倒さなきゃいけねーんだ。十刃(エスパーダ)でもねえ連中にイチイチ卍解なんかーー使ってらんねえんだよ!!」

 

 肉薄した一護の斬魄刀とドルドーニの右足がせめぎ合う。鋼皮(イエロ)によって硬化した脚は完全に刃を受け止め、片足立ちでありながら体重の乗った一護の斬撃を完全に受け止めていた。

 その体勢のまま、ふむ、とドルドーニは頷き、

 

「なるほど。ぼうや(ニーニョ)の気持ちは良くわかった。それでは吾輩からも一言言わせてもらう。ーー舐めるな」

 

 ドルドーニが彼の斬魄刀に手を掛けたことで、警戒した一護が背後へ跳躍する。破面(アランカル)は柄を引いて刀の刃をわずかに覗かせた。

 

(まわ)れ『暴風男爵(ヒラルダ)』」

 

 ドルドーニは中心として風が渦巻くと、それはさながら竜巻のように彼を中心として噴き上がる。さきほどまでの戦闘の余波から落ちていた壁の欠片が遥か天井まで舞い上がった。

 

「何をしている。構えたまえ」

 

 風によって体勢の崩れた一護にわざわざ忠告しながら、死神の脇腹めがけて鳥の頭を(かたど)ったモノを蹴りと共に放つ。再び吹き飛ばされた一護を追撃。ドルドーニの脚部を覆う煙突のような装甲から吹き出る嵐が一護を床に叩きつけた。

 

「我輩たちは君たちを侮るなと言われている。それなのに格下であるぼうや(ニーニョ)が出し惜しみをするとは、無謀に過ぎるよ」

「……それでも、倒してやる」

 

 立ち上がる一護へとさらに一撃。

 

「吾輩は少し前に一度、負けているのだよ。吾輩だけではない。この3ケタ(トレス・シフラス)の住人たちの多くは、あるたった一人に敗北した。想像できるかね。いまぼうや(ニーニョ)を苦戦させている吾輩のような者を、一度に多数相手取れる者がいるのを」

 

 話の合間にも蹴りを緩めず、回転する風の鳥が一護を襲い続けた。防御のみとなる一護。守りごと破壊するかのような一際強烈な足技が彼の腹部に突き刺さり、最初と同じように壁にめり込まされた。

 服についた塵を払いながらドルドーニは語る。

 

お嬢さん(ニーニャ)……ニルフィネス嬢だ。だが、彼女はぼうや(ニーニョ)と違ったぞ。ぼうや(ニーニョ)よりも確実に強いだろう彼女は、我輩たち相手に持てる技術すべてを惜しみなく使った。使ってくれたのだ。それだけでどちらが(とうと)いのかわかるだろう」

 

 それだけで元十刃(エスパーダ)たちは救われた。修練とはいえどちらも命懸けだ。もしかしたらニルフィは技術なしでもドルドーニたちを負かすことができたかもしれない。だが、しなかった。

 プライドを踏みにじられた、とはあまり思わず、どこかヤケだった者もまた力を求めるようになった。

 

「力がありながら何故振るわぬ。勝てぬ相手に全力を出さぬなど、ただ無様なだけだ」

 

 (くちばし)が一護を突き上げる。ドルドーニは溜めの構えをした。

 

 双鳥脚(アベ・メジーソス)

 

 無数の蹴りを放ち、そこから生まれた嘴が一護を穿っていく。

 

「さあ! さあさあ!! 卍解したまえぼうや(ニーニョ)! 死んでしまうぞ!?」

 

 語りながらも脚を止めることなく、

 

「吾輩相手に霊力をっ、温存しようなどと! そういう考えがチョコラテのように甘いと……なぜ解らんかね!?」

 

 止めとばかりに蹴り上げ、嘴が腹部に叩き込まれた一護がくの字に体を折り曲げる。それでもなお一護が卍解を使う素振りを見せなかった。

 

「げほっ……げほっ」

「……聞き分けがないな、ぼうや(ニーニョ)。卍解したまえ。吾輩はぼうや(ニーニョ)の全力が見たいのだよ」

 

 そこでようやく一護が斬魄刀を握る右手をあげた。

 しかし口から出たのは改号ではなく、

 

「……月牙(げつが)天衝(てんしょう)!!」

 

 霊圧を斬撃として飛ばす技はドルドーニの矛である嘴を消し飛ばした。

 

「ほう」

 

 その威力に感心するドルドーニは、背後に移動した一護の斬撃を受け止める。

 斬魄刀に一護が霊圧を込める。

 

「月牙ーー」

「舐めるなと、言ったはずだぼうや(ニーニョ)!」

「くそっ」

「聞き分けのない子には、お仕置きだよ」

 

 技を不発にさせた一護へ向けて両手の人差し指、小指を合わせた手を向けた。

 

 虚閃(セロ)

 

 防御もできない一護を飲み込もうとした破壊の光線。しかしこれは意外な乱入者に止められることとなる。ドルドーニが戦闘力はないと判断し、今の今まで放置していた、侵入者とともにやって来た子供の破面(アランカル)

 戦闘者二人が見ている中で、その体をもって虚閃(セロ)を受け止めていたネルと呼ばれている少女。

 彼女はあろうことが虚閃(セロ)を飲み込んだ。

 

「うう……、うう~~~~……ぶぁっ!!」

 

 そして吐き出す。ドルドーニの霊圧の塊をそのまま持ち主に跳ね返したのだ。

 まともに自分の虚閃(セロ)を受けたドルドーニは、額から血を流しながらネルを虚弾(バラ)で弾き飛ばす。今度はネルも飲み込めずにまともに受けて一護の後方に吹っ飛んでいった。

 それに一護が叫ぶ。

 

「ネル!」

「フン、お嬢ちゃん(ベベ)が何者か知らんが、大したものだ。解放状態の吾輩の虚閃(セロ)を弾き返すとは。だが、少々おいたが過ぎるんじゃないかね? ーー失せたまえ!!」

 

 見逃してやっていたが戦いに横槍を入れるのならば殺されても文句は言えない。

 倒れ込んだネルに向けてドルドーニが風の嘴で貫こうと、脚を振った。

 そのドルドーニの行為が、ついに彼の目的を果たすこととなる。

 黒が現れた。ついに卍解を使った一護がネルを抱き抱えながら、嘴ごと遠くのドルドーニの肩を斬る。それでもドルドーニは自分の口に笑みが浮かぶのを自覚した。

 

「……そんなに見たけりゃ見せてやるよ。待たせたなオッサン。こいつが俺の卍解だぜ」

成程(なるほど)。待ち侘びたよ、ぼうや(ニーニョ)

 

 一護が腕の中のネルの小さすぎる体を抱き寄せる。

 

「悪い、ネル。俺がつまんねえ意地張ったせいで、痛い思いさせちまった。十刃(エスパーダ)の連中とやり合うためには、それ以外の奴に卍解するようじゃダメだと、そう、自分で決めて虚圏(ウェコムンド)へ来たんだ。ーーくだらねえ」

「そうかね?」

 

 戦いのために自らを律する。それは強さを求める者には必要なことだ。それ自体はドルドーニにも素晴らしいことだと思っている。最初は否定するような物言いをしたが、半分以上は一護に対する煽りであった。

 

「仲間にケガさせてまで貫くほどじゃねえよ」

「強さが目的ではないということか? 仲間を守ることが目的であり、強さは手段に過ぎぬと? 優しいなぼうや(ニーニョ)。聖女を思わせるよ」

 

 だが、

 

「まだ上があるだろう」

 

 風の嘴を再生させながらドルドーニが言った。

 

「知っているぞ。(ホロウ)化と言う。ぼうや(ニーニョ)たちの現世での戦闘記録はすべてこちらに届いている。ぼうや(ニーニョ)には(ホロウ)に近づいて爆発的に戦力を上げる術があるはずだ」

 

 単鳥嘴脚(エル・ウノ・ピコテアル)

 

 蹴りに繋がる嵐が床を削りながら一護に肉薄する。

 

「それを出し給え!!」

 

 巨大な嘴を黒化した斬魄刀で受け止める一護。返す刀で嘴を切断する。

 

「成程! 大した霊圧だ! だが、言ったはずだ! 吾輩はぼうや(ニーニョ)の全力が見たいと!」

 

 嘴を受け止め続ける一護の周囲に風が撒き散らされた。戦闘によって生まれた砂塵がちょうどいい目くらましとなる。そこに紛れ込んだドルドーニは霊圧を抑えて一護に接近。しかし本人に攻撃をしては咄嗟に防御されるだろう。

 ならば別の弱点。一護の抱える幼子をあえて狙い、手刀を振り下ろした。

 だが一護がそれに気づいて大きく飛び退く。手刀はネルの頬を浅く斬るだけに留まる。

 

「フン。どうした、怒っているのかねぼうや(ニーニョ)

「てめえ……!」

「何を怒ることがある? ぼうや(ニーニョ)の目的が『仲間を守ること』ならば、吾輩の目的は『全力のぼうや(ニーニョ)を倒すこと』。そのために吾輩が狙うのは、ぼうや(ニーニョ)ではなくそのお嬢ちゃん(ベベ)一人。それだけのことだ」

「恥は、無えのかよあんたは!」

 

 そんなのは決まっている。普通はこのようなことはしないし、今でさえ屈辱を押し殺すのに苦労するほどだ。

 だがそんなものは今だからこそ些事に等しい。

 

「あるとも! 吾輩の恥は! ーー本気のぼうや(ニーニョ)と戦えぬことだ!!」

 

 脚鎧の煙突状の部分から生まれる風の柱から、嘴を得た風の塊が無数に飛び出した。これがドルドーニにできる、次はないことを示すものだ。

 普段こそドルドーニは、アレな風に見えて、アレでも十刃(エスパーダ)の在任期間が十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の中でも最長というアレである(朱色の従属官(フラシオン)談)。そしてそれだけの実力と、意義を貫き通す意志があった。

 全力で戦われない。武人としてはこれ以上ない屈辱。それならば、他の恥など無きに等しいとドルドーニは思っていた。

 

「……わかった」

 

 ネルを下ろして退避させた一護が静かにドルドーニを睨む。

 

「悪いが、見せてやれるのは一瞬だ」

「ほう。ならば吾輩は一瞬とは言わず、さらに長く見せてもらえるようにしようではないか」

「……そうか。それならいい」

 

 一護が刀を持たない左手で顔を覆うようにし、引き裂くように腕を下ろす。

 彼の顔を仮面が包んでいた。

 瞬間、さきほどの比とするのもおこがましいほどの凄まじい霊圧がドルドーニに襲いかかる。禍々しいまでの黒い霊圧だ。押しつぶされるのではないかと錯覚するほどだ。

 それにドルドーニは恐怖を感じるでもなく、ただ歓喜の声を上げる。

 

「……ふ、ふはははははははははははは!! 素晴らしい。素晴らしい霊圧だ! こんな素晴らしい敵と戦えるとは! 感慨無量だよぼうや(ニーニョ)! さあ! 今こそ吾輩の力のすべてを! ()み交わそうではないか、ぼうや(ニーニョ)!!」

 

 風を纏いながらドルドーニが叫んだ時だった。

 黒が迫っている。もはや眼前だ。そこまで反応が追いつかなかった。敗北。その言葉が頭を掠める。時間が、ひどくゆっくりと流れているようだ。防御する術をドルドーニは持たなかった。黒い斬撃が今にもドルドーニを斬ろうと霊圧を荒らし、牙を剥く。

 だが、

 

「ーーッ、オオオオオオオォォォォッ!!」

 

 ドルドーニは動いた。体を強引に意志だけで動かし、全身の筋肉が悲鳴を上げるのさえ無視し、全力でその黒い線をいなす。黒い斬撃はドルドーニの側面をかじるだけで通り過ぎる。背後の壁全面にヒビが入った音が届く。

 避けられるはずのなかったものをドルドーニは躱した。

 これよりも速い者を、ドルドーニは知っていたから。

 

「まだ終わっとらんぞ!!」

 

 一護は避けられるとは思っていなかったようだ。ほんのわずかに、目を見開いているのが仮面の奥であってもわかった。

 もはや狂嵐と化したドルドーニが懐に飛び込む。一護と視線が衝突する。回し蹴り。同時に黒い刃が体に迫る。だがかまわない。迷うことなく脚に力を込め、かつてないほどと称していい威力を乗せ、振るう。衝撃波が巻き起こり、視界を白く塗りつぶした。一護は眼前にいないことだけはわかる。

 どこから来ても迎え撃てる心構えを。そう考えながら、どこから来るか考える。思考は冴え渡っていた。爆発。それが気になる。姿を消すにはいい煙幕だ。だが、霊圧の流れを完全に消すには抑えるだけでは駄目だ。霊圧そのものを消しておかなければならない。それでいてなお、ドルドーニに接近するタイミングを狙える位置とは……?

 上。爆発。利用。飛んだ。

 思考は単語で奔り、そして動いた。

 上。やはりいた。ほぼ自由落下の形。だが、また視線が合う。まさしく(ホロウ)のものである仮面が獰猛に歯をむき出しにしている。霊圧が周囲を圧した。黒が刀にまとわりついた。ドルドーニは右足にすべてを凝縮する。

 決める。ここで決める。一瞬でそう決めた。迷いはない。躊躇もない。体は自然に動き、上空にいる死神に対する構えをさせてくれた。

 

 単鳥嘴脚(エル・ウノ・ピコテアル)

 

 振り上げ。振り下ろし。すべては同時。

 二人を中心として巨大なホールを揺さぶるような爆発が起きた。それだけ、込められた霊圧が膨大だった。

 煙幕の中で、片方が立ち、片方が崩れ落ちる。視界が晴れ、この戦いの結果を端的に示した。

 倒れたのは……ドルドーニだった。

 左の肩口から腹部に掛けて大きな裂傷が生まれている。彼の無念を表すかのように血が弱々しく伝う。

 ーー負けた、のか。吾輩は。

 ーーあと少し、だったのだが……。

 悔恨と相対するような歓喜と満足さが心地よい。

 

「一瞬、ってはならなかったな。けどやっぱ強かったよ、オッサン」

 

 ドルドーニの攻撃はわずかに届かなかった。しかしその余波だけで一護は額から血を流し、爆発によって吹き飛んだ死覇装の一部から傷ついた肌が覗く。

 それでも届かなかったことに変わりない。勝者は死神で、敗者は破面(アランカル)

 たった、それだけ。




ドルドーニさんが頑張りました。尺の都合上、原作からの後付けは短くなってしまいましたが、BLEACH原作では見られなくなった拮抗した戦いをこれからも書いていきたいと思います。

けれど。

ーーオッサンのセリフに必ずルビ振らないといけなくてメンドくさいです!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

軍VS神速

総合評価が2000ptを超えました。
お気に入り登録、評価ポイント投票をしていただき、誠にありがとうございます。小説を書く上でとてもはげみになりました。
読者の皆さまに感謝を。


 あれからネルという少女のゲ……唾液の回復効果によって介抱され、そしてとある目的のためにわざと斬りかかるふりをし、再び袈裟斬りにされた。甘さを捨てろという助言を(げき)として飛ばしたことから、あとはなるだけなるようにする。そこまでは、まあいい。全力で戦ってくれた礼として一護をさっさと先に行かせることに成功したのだ。

 だが予想通りと言うべきか、ドルドーニの背後の通路に一護たちが姿を消したあと、ドルドーニの目の前にニルフィが姿を現す。右手のさとうきびをはむはむと(かじ)り、フードの中にはいくつものお菓子の小袋が入ってあった。

 

「……ふむ、やはりお嬢さん(ニーニャ)か」

「気づいてた?」

「いや、まったく気配も感じられなかった。だがしかし、居るとは思っていた。恥ずかしいところを見せてしまったようだ」

「全然。かっこよかったと思うよ」

 

 素直な賞賛を少女がする。なんだか褒められたのはおそろしく久しぶりなので、髭をしごきながら胸を張る。

 

「う、うむ。そうであろう。あ~、お嬢さん(ニーニャ)がそう思ってくれるのならば、報奨としてその手に持っているさとうきびを頂ければと……」

「ーー? ごめんね、コレ一本だけしか無いの」

「吾輩としてはそれが褒美で……」

「え? あ、ごめん。もう燃やしちゃったよ。でもゴミの処理を進んで引き受けてくれるなんて、オジさんはやっぱり紳士だね!」

「う、うむ! そ、そうだ! 吾輩はなにも不埒な考えなどしておらんぞ!」

 

 ドルドーニは後悔した。一瞬でも浮かんでしまった人として終わった思考が、ニルフィの純粋な賞賛の瞳によってズタボロにされていく。一護につけられた傷がかすり傷に思える程だった。これでは浄化されて死んでしまう。

 そんなことを気にせずにニルフィが言った。

 

「止めようかなって思ったんだけど、オジさんがすごく楽しそうだったから」

「気遣い感謝する。おかげで、吾輩は十分満足できた。もう少し戦えればと思いはしたがね」

「でもオジさんはすごく頑張ったと思うよ。私だって最初、クロサキさんの初撃でやられちゃったと思ったんだもん。……けど、私がクロサキさんを追わないのは、私なりのオジさんへの誠意ってところかな」

「それは助かるものだ」

 

 子供が不承不承にも納得するようにニルフィが一護の去っていった通路を見やる。

 憎悪にも似た感情を乗せた少女の目は澱んでいたが、ドルドーニが一護を先に進ませたことをわざわざ汚すつもりもなく、この場では手を下さないつもりだ。ニルフィが本気で一護と戦いに行こうとすればドルドーニに止める手立てはない。だからこそ、感謝もしているのだが。

 

「でもさ。初対面なのにそこまで義理立てする必要はあるの?」

「彼は本気を見せてくれた。甘さは捨てきれないようだが、理由はそれだけで十分じゃないかね」

「ふぅん、私にはちょっと理解できないけど……。でもさっきからコソコソこっちを伺ってるキミたちが無粋なのはわかったよ」

 

 少女の言葉に呼応するかのように、ブン、と響転(ソニード)によって姿を現す者たちがいた。

 一糸乱れぬおよそ二十の足音を率いるのは、人型だが仮面は全く割れておらず、牛のような動物の頭蓋骨をそのまま象った仮面を着用している破面(アランカル)。背後にはこれもまた破面(アランカル)としては異質な、人間の髑髏を模した同じ仮面を持つ、すべてにおいて特徴が一致している者たち。

 先頭の牛の頭を持った男が恭しい態度で一礼する。

 

「お初にお目にかかります、ニルフィネス様。私の名はルドボーン・チェルートと申します。藍染様より葬討部隊(エクセキアス)を任されている者です」

「初めて、ってワケでもないと思うよ。私が最初に虚夜宮(ラス・ノーチェス)に来たとき、見たことがあるから」

 

 ルドボーンの背後のしゃれこうべたちは不気味な沈黙を保ったままだ。意思と呼べるものは希薄で、現れてからは静かに霊圧を発散している。 

 ドルドーニは己の折れた刀を手に、ニルフィを背に庇うようにして、一歩前に出た。

 

「……ようこそ、葬討部隊(エクセキアス)諸君。いやーー小僧共(ホベンスエロ)。いまさらこの場になんの用かね」

「負傷した侵入者を追討せよとの命令です」

「誰のかね?」

「申せません」

「ここを通りたいかね?」

「貴方は剣も折れ、刀剣解放もままならぬ状態。だというのに、そのような御体で、我々と戦えるなどと思われるのですか」

 

 仮面に覆われているせいでルドボーンの表情は見えない。しかし言っていることは痛いほど的を射たものだった。ドルドーニのコンディションは最悪と言ってもいい。限界以上に酷使した体で、間髪入れずに戦わなければならないのだから。

 しかし一護を先に進ませるためには彼らの前に立ち塞がる腹積もりだ。

 ドルドーニは歯をむき出しにして獰猛な笑みを浮かべ、欠けた刀を悠然と構える。

 

お嬢さん(ニーニャ)。これは傍から見れば路上の小石ほどの価値もない戦いだ。しかしその小石も我輩にとっては宝石(テソロ)と釣り合うものなのだよ。だから心配は無用だ。お嬢さん(ニーニャ)はここから去ってーー」

「ねえねえルドボーンさん。ちょっと聞いてもいいかなぁ?」

「はい。なんなりとお申し付けください」

「ちょっと待てーーい! いま我輩、イイこと言ったな!? それをぶった切ってスルーとはあんまりではないかねッ」

 

 かっこいい散り際を麗しい少女に見せて満足の内に玉砕するつもりだった。しかし当の少女に気にかけられていないとは、これではあんまりではないか。

 しかし、次にニルフィが言った言葉で思考が停止した。

 

「提案なんだけど、オジさんを私の従属官(フラシオン)にするから、クロサキさんに敗れたことでの処刑も無しにしてほしいんだ」

 

 片眉を上げたドルドーニを見上げ、ニルフィは苦笑しながら肩をすくめる。苦笑というよりも皮肉げな笑みと表したほうがいいだろうか。何にせよ、とても似つかわしくない表情だった。

 

「ごめんね。オジさんの言いたいことだってわかってるし、どうしたらキミのためになるのか理解してる。ここは私が干渉せずにオジさんの好きにさせたほうがいいんだって。だけどね、それは私が望んでることじゃないんだ」

 

 ここでドルドーニがニルフィの従者となれば、彼は『敗北』という名の罪によって処刑はされなくなるだろう。ルドボーンがどのような目的を持っていようと、正式に第7十刃(セプティマ・エスパーダ)の従者となれば手を出せず、この場ではこれ以上の血は流れない。

 

「私のわがまま、聞いてくれる?」

 

 これはきっと最初に出会った時の恩返しではない。恩を返したいのなら、本当はこんなことをしなかった。

 

お嬢さん(ニーニャ)よ、それは本心かね」

「うん」

「ふむ……」

 

 ドルドーニは目を閉じて深く息を吐いた。

 

淑女(ダーマ)のわがままを叶えるのも紳士としての務めかもしれんな」

「ごめんね、わがままで」

「知っておったさ。その点も含めて君の魅力なのだろう。麗しい姫君にこのような卑しい身を気にかけてもらえるなど、いやはや、光栄でしかない」

 

 この場での足止めを放棄することに繋がるのをニルフィは理解している。もとから関係ないとはいえ、それをドルドーニ本人に求めたのだ。

 だが、こう話している間にも一護は先に進んでいるだろうし、葬討部隊(エクセキアス)相手ならば遅れをとらないだろうと、ドルドーニは無理やり納得する。先の戦いでなんとか凌げたのはニルフィのおかげでもあるから。

 肩の力を抜いたドルドーニに、ニルフィがほっと一息つく。

 しかしそこに異議を唱えた者がいた。

 

「お言葉ですが、それは認められません」

「む、なぜかね。もしや吾輩が羨ましくてちょっとしたひがみを」

「ちがいます」

 

 ルドボーンがおもむろに頭を横に振りながら言う。

 

従属官(フラシオン)を正式に認められるのは藍染様ただお一人。十刃(エスパーダ)であろうともニルフィネス様の独断では不可能です。よって、ドルドーニ様の身分は十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)のみとなります」

 

 ニルフィのドルドーニに対する支配権は無い。

 だからといって、はいそうですかとニルフィは見捨てるような真似はしない。

 

「ねえ、キミは誰の命令でここに来てるの?」

「申せません」

十刃(エスパーダ)でも?」

「その通りです。我々は口止めされているゆえ、ニルフィネス様のお望みする解答はお教えできません」

 

 普通ならば他の十刃(エスパーダ)がルドボーンに命令したと考えられるだろう。しかし十刃(エスパーダ)に序列はあっても、それが階級の強さを表すわけではない。ただ強いというだけで権力的には横並びなのである。

 ここでニルフィが関係のない用事を押し付ければルドボーンは了承するだろう。しかし先に命令された事柄に優先権があり、権威だけでは止められない。 

 ゆっくりと、確かめるようにニルフィが尋ねた。

 

「ーーねえ。なんでクロサキさんを追わないの?」

「…………」

「キミは最初、クロサキさんを追討するつもりで来たんだよね? でも今のキミはまるで、オジさんを殺すことだけを優先しているように見えるんだけど」

 

 思えば、たしかにそうだ。さっさと侵入者を追うために行動を起こせばいい。ニルフィがいるせいで先行きが見えないドルドーニの処遇をここで決めるよりだったら後に回して、今は一護たちを追ったほうがはるかに効率的だった。

 だが実際にルドボーンは、ドルドーニとニルフィのやり取りを律儀に待ち、そして未だに去ることはない。もはや一護たちが眼中にないかのようだ。

 

「それを確かめてどうなさるおつもりですか」

「抵抗、しようかなって思ってるよ」

「貴方をお連れするようにも言われております。こちらへ来ていただくことは……」

従属官(フラシオン)にできないなら、オジさんの無事が確保されてからね」

「吾輩も守られてばかりでは心苦しい。これでぼうや(ニーニョ)を行かせる時間が稼げるのならば、一石二鳥だよ」

「……左様でございますか」

 

 ルドボーンの指が鳴らされる。すると沈黙を保っていたしゃれこうべ達が一斉に斬魄刀を抜く。鞘走りの音と共に、二十の刃にはドルドーニとニルフィが映ることとなる。そしてルドボーン自身も刀を手にした。

 しかしいくら数が多いからといって、情けないことになるが、手負いのドルドーニは倒せてもニルフィには軽くあしらえてしまうだろう。それでもなお、この戦いは失敗することが分かっているだろうに、ルドボーンは引くつもりはないようだ。

 ドルドーニは小さく呟く。

 

「なにを考えている?」

「ニルフィネス様の乱入は予期されていたことです。そして命令にも、できるのならば彼女の捕縛(・・)も含められていた。我々は葬討部隊(エクセキアス)です。どのような形であれ、命令を遂行する義務があります」

 

 そこでドルドーニは気づいた。探査回路(ペスキス)の範囲を拡大させた時だ。

 この場にいる、葬討部隊(エクセキアス)たちが霊圧を垂れ流してホールを覆っていることで、また質という点も含めた二重のカモフラージュにより、発見が遅れた。

 

「ニルフィネス様は先程からお気づきになられていたようですね」

「正直、予想以上かな」

 

 ニルフィが静かにつぶやいた時だ。

 このホールには出入り口となる穴がいくつもある。その全てから、それらは姿を現した。細部に至るまでまったく同じ容姿を持つ髑髏頭の集団。際限なくしゃれこうべが湧き出し、探知できる範囲内でもさらに増加中のようだった。髑髏の行進による足音が頑丈なはずの床を揺らした。

 そこでルドボーンが逆手に持った自身の斬魄刀を突き出す。

 

()い上がれ『髑髏樹(アルボラ)』」

 

 刀剣解放。それによりルドボーンは、右半身が木の幹のようなもので覆われ、下半身が樹の根のように変化する。刀も尖った枝のようなものに変化し、さらに背中には左右対称に先端に髑髏がついた枝を生やす。

 髑髏の実が落ちると、即座に髑髏兵団(カラベラス)として葬討部隊(エクセキアス)の兵士同様、統一の姿となった。

 

「私の力は、十刃(エスパーダ)である貴方には及びもしない、塵芥のようなものです。しかし塵といえどもいずれは山と化す。それでもなお、天の存在である貴方にとっては遥か足元のことだ」

 

 だが、とルドボーンは牛の頭蓋のような仮面をドルドーニへと向け、くぼんだ眼窩の奥から静かに見据えた。

 

「傷を受け、地に堕ちた存在を埋めるには十分だと思いませんか?」

 

 ルドボーンが朗々と語る間にも髑髏兵団(カラベラス)は出現し続け、数えるのも馬鹿らしいほど集まる。

 これこそが『髑髏樹(アルボラ)』の能力だ。枝の先端の髑髏の身から、自身の劣化版を無限に創り出す。

 そう、無限にだ。一度に創造できる数には限りがあれど、それを何度も繰り返せばいずれは軍となる。

 

「地に堕ちた者を助けるにはおのずと降りてくることになるでしょう。そうなれば我々の手の届くところともなるはずです」

 

 危険だ、とドルドーニは思った。これはどう見ても、百や二百で済むような数ではないからだ。もはや三ケタを優に超えているように見える。ホールに姿を現さなくとも、鏡像のような彼らは出入り口を塞ぐようにして密集するほどだ。

 一人一人は弱者であろうと、その膨大な数ゆえに侮ることができない者たち。

 ルドボーンはこの城で唯一、数という凶器で相手を圧殺することが可能な存在だ。

 

「ニルフィネス様。いくら貴方といえど、手負いの者を守りながら……およそ三千の統制された軍をさばききれるのでしょうか?」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)の入口で他の主従の到着を待っていたアネットは半眼となった。

 引率として行かせていたグリーゼが帰ってきたのはいい。けれどニルフィの姿が彼の近くにはなかったのだ。

 

「ニルフィはどこ行ったの?」

「……ついさっき出て行った。3ケタ(トレス・シフラス)の巣だ。ドルドーニと侵入者が交戦したのを観ておきたいと言っていたんでな。先に帰ってお前に教えておけ、とも伝えられたぞ」

「はあ!? 待機とかじゃないの?」

 

 帰ってきてからすぐ出ていくとは、なんともせわしないことだ。

 

「……藍染は『自宮に戻ってから』、『平時と同じく行動しろ』としか言わなかったようだ。だからこの宮の床を踏んだ瞬間に霊圧を辿って出て行った。平時と同じく興味のあるところに勝手に行くとな。霊圧を辿るのなら迷いはしないだろう」

「あの変態紳士のトコに置いてくるわけですか? それじゃあニルフィが汚されちゃったらどうするのよ!」

「……戦闘云々(うんぬん)の前に、そのセリフが出てくるお前の頭をどうすればいいんだろうな。それに、あれは単なるヘタレだ。そうでなくとも世界があいつに戦闘以外でイイところを見させないだろう」

 

 冷静に返しながらグリーゼはアネットの横を通り過ぎ、宮の中へと入ろうとした。

 それをアネットが呼び止める。

 

「待ちなさい。迎えとかはいいのかしら」

「……ドルドーニが受けるだろう」

「あれ、ドルドーニが勝ったんですか」

「……すぐにやられなかったようだが、負けたようだ。死にはしなかったはずだろう」

 

 ニルフィが途中で参戦したとは言っていない。であれば、あえて殺されなかったのか。侵入者はとことん甘いようだ。霊圧のざわめきは外壁周辺で未だに起こっており、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)たちは各自で迎撃しているのだろう。

 最も早く決着がついたのがたまたまドルドーニの場所だっただけだ。霊圧を探ればチルッチとガンテンバインが今も戦っている。どことなく懐かしい霊圧も紛れているのはどうしてだろう。

 しかしそんなことは今のアネットには些細なことだ。

 

「なんだか最近すごい数が増えた葬討部隊(エクセキアス)が、どっかに集まっていってるみたいなんですけど」

 

 個々としては微弱ながら、水面の波紋が一点に集中するような感覚を探査回路(ペスキス)が伝えてくる。それは広大な虚夜宮(ラス・ノーチェス)に散らばっていたものであった。宮殿を網羅するような数が集結していってるのだろう。

 その中央に、なぜかニルフィとドルドーニの霊圧が紛れている。

 

「予定がだいぶ狂ってるわね」

「……違いない」

「勝手なことしてくれるじゃない」

「……予想の範囲内だ」

 

 主語のないやり取り。それでも二人は問題なく会話し、これからどうするかを決める。

 

「あなたが大丈夫だって放置したのならアタシはなにも言わない。けど、これ以上予定が狂うことがあれば、アタシが行くわよ」

「……助太刀はいらないのか」

「もちろん。あなたは露払いだけしといて。ずっと前から決めてたことでしょ」

「……今なら選択を変えられる。考え直す気はないのか? 俺ならば案外簡単に……」

「いりませんよ。……ええ、いらないわ。アタシは、アタシのやることだけをこなす。物語が本当にあるのなら、他の登場人物なんてお呼びじゃありません。そのためにあなたの力が必要だから」

「……そうか」

 

 これ以上の説得は無意味だと感じたのか、グリーゼは頷くだけで言葉を続けなかった。

 そのまま背を見せるグリーゼに、最後、アネットが言う。

 

「アタシは、後悔なんてしないわよ」

 

 一度足を止めただけで、グリーゼは返事を返すこともなく、上の階へと続く階段を登っていった。鞘もなく革ベルトだけで吊っただけの大剣の刃が鈍く光を反射した。 

 ゆっくりと息を吐いたアネットは、いま現在もっとも大きな渦中があるであろう方向を見やる。

 

「あとはあのお人好しちゃんがどこまで頑張るか、ですか」

 

 伸びをし、自分も準備をするために宮の奥へと姿を消した。

 その様は主人が軍に囲まれていることを脅威として認識していないようである。それは信頼なのか。あるいはどうでもいいのか。すべては二人の従者だけが知るところだ。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ニルフィはゆっくりと周囲を見回した。どこを見ても量産型のような髑髏頭が囲んでおり、抜け道といえばさきほど一護が去っていった場所だけだ。ほかの通路にはこれもまたホールにいる兵士を超える数が待機していた。なにかしらの罠があるのなら行かない方が賢いだろう。

 しかし少女は無言。

 奇怪な状況の中で、怯えることも警戒することもなく、その場に立っている。

 かすかに重心を落としたニルフィをルドボーンが牽制する。

 

「忠告しておきますが、重光軍(インフィニート)系統の技はあまりお勧めできません。たしかに我々を一掃できますが、そうすると、同時にこの部屋を余波だけで崩壊に持ち込むでしょう」

 

 部屋が崩壊すれば、ニルフィはともかく手負いのドルドーニは助からない。

 そしてこの密集具合を考えて、光や幻影の攪乱(かくらん)もあまり意味を成さないだろう。彼らは二人を取り囲んでいる。刀を手に、殺意さえ向けているだろう。

 その状況からシュミレーション。

 一斉に、取り囲んだ状態から襲いかかる。同士打ちを恐れない全方位突貫は、ニルフィが一部を防いでいるうちに、多方向からすべての刃がドルドーニを討つ。下手に攻勢に出ればニルフィの身さえ危ない。

 そもそも十刃(エスパーダ)になる者たちは他者を守ることを苦手とする。

 なるほど。ニルフィの長所のほとんどを潰してくるものだ。

 それをドルドーニも悟ったのだろう。このままではニルフィを巻き込むことを彼はよしとしない。だから一歩、少女を庇うようにして踏み出した。

 

お嬢さん(ニーニャ)よ、やはりここは吾輩が残るべきだろう。従者の申し出は嬉しかったが、なに、元からここで果てるつもりだったのだ。思ったほど未練はないさ」

「ねえ、オジさん」

「なにかね」

 

 ドルドーニを見上げたニルフィがにっこりと一言。

 

「早々とあきらめないでよ、ふにゃちんヤローが」

「…………。ーーッ!? ちょっとまてェーーーーい! なにかね、いまの下品な言葉は!?」

「え? 早々とあきらめるなってところ?」

「その後だ! 吾輩は、ふ、ふにゃチンなどでは無い! そして淑女がそんな言葉を使ってはいかんぞ!?」

「だって、グリムジョーが教えてくれたんだよ。気弱な相手に使う言葉だって」

「だからといってそんなもの……」

「それと、オジさんにだけ使えってさ」

「いつぞやの仕返しか! 恨むぞ青年(ホーベン)!! そしてなぜかお嬢さん(ニーニャ)の意図せぬ罵倒に興奮してしまったではないか!」

 

 なぜドルドーニが拒否するのか分からずニルフィは首をかしげるが、自分たちを囲む兵士たちが踏み出したことで表情を引き締める。

 

「でもさ。私はもとから逃げるつもりなんてさらさらないよ」

 

 身軽になるために、フードの中に入っている小袋をドルドーニに押し付けた。

 

「逃げるために力を使うことはもう終わり。だって、そのためにキミたちと戦って、修行してたんだから」

 

 数でも戦略的にもすべて後手になっている。鬼道も限界がある。強力な技は余波だけでドルドーニを殺しかねない。普通に考えればこれは詰みだろう。

 

「ルドボーンさん」

「いかがなさいましたか。我々としても貴方と矛を交えることは控えたい。ゆえに、この場は見なかったことに(・・・・・・・・)していただきたく思います」

「あははは、そうだね。これは私も詰みだと思うよ。幻影も光も範囲攻撃もぜんぶ無駄になっちゃうし。キミの能力は創造主なんて自称できるくらいにはすごいよ」

 

 けれど。

 

「キミは、正確に十刃(エスパーダ)の実力を理解できてるのかな」

「……と、言いますと?」

「天の存在だ。自分では届かない。そう言ってるけど、今の有利にすぎる状況なら、ひょっとしたらくらいには倒せるかも、なんて思ってるんじゃないの?」

 

 ルドボーンは答えない。彼とはほとんど交流がなかったために、ニルフィは彼の内心を知ることはできなかった。たとえルドボーンが肯定していようと否定していようと、ニルフィにとってはもはや関係ない。

 

「オジさんはそこを動かないで」

「む、なぜかね」

「間違って首を跳ね飛ばしたら、笑い話にもならないからさ」

 

 ほがらかでありながら物騒な物言いにドルドーニが押し黙る。

 安心させるようにニルフィが柔らかな笑みを浮かべた。

 

「だいじょうぶだよ。無茶なんてしないし、正当防衛だって言い張ればいいからさ」

 

 この作戦を考えた者は十分な用意をした。

 しかし実質のところ、ニルフィのことを甘く見ていたのではないだろうか。忘れていたのか、あるいはこの数の暴力を相手には無意味だとハナから決めつけていたのか。

 

「じゃあ、いくよ?」

 

 ニルフィが体を揺らめかせた。そしてトンッと軽くその場で跳ぶ。

 仮に攻撃に移行するならばそれは隙となる。そうでなくとも圧倒的物量で潰すことに違いはないだろう。

 それにいち早く気づいたルドボーンが一斉攻撃の合図をしようとする。その間、実に一秒未満。一対三千のある意味絶望的な戦いの狼煙(のろし)が上がろうとする。

 しかし、それは指を鳴らすのか、はたまた号令で始まるのか。

 それをニルフィとドルドーニは知ることはなかった。

 

 

 

 その時にはすでに、少女が戦いを終わらせていたから。

 

 

 

 少女の体がブレた。それも一瞬のこと。同時に、遅れて鈍い音がいくつも重なり合い、空気が破裂したかのような衝撃が部屋に轟く。ゴシャッ、と。発生源は数多(あまた)の兵士たちの肉体からだった。

 ルドボーンを除いたホールにいた彼らは一人の例外もなくわずかに空中に浮いた。そして一斉に刀を落とし、つられるようにして床に崩れ落ちる。一瞬のあと、ホールを蹂躙するように乱気流が発生し、空虚な亡骸を端にまで積み重ねられた。

 それはまるで手品のような出来事だった。

 この場で立っているのはニルフィとドルドーニ、そして故意に残したルドボーンだ。

 

「ーーはい、終了」

 

 同じ場所に立つ少女の声。ドルドーニとあえて残されたルドボーンが我に帰った。

 

「な、なにが……ッ!?」

 

 待機させていた兵士を呼ぶのも忘れてルドボーンが周囲を見回す。彼の忠実な兵士たちは誰ひとりとして立ち上がることはなかった。それもそうだ。ついさっきまで存命していたものが、たったの一瞬で全員が首を含んだ急所を破壊されたのだから。

 

「まあ、これは完全に力技だけどね。幻惑、鬼道も含めた殲滅(せんめつ)技。それとあと一つ、私の強みはあるんだよ」

「……まさか」

 

 ルドボーンは今の今まで失念していたはずだ。

 すなわち、十刃(エスパーダ)最速。

 膨大な数との戦闘ではあまり役に立ちそうにない称号。しかしこの場のありえない現象は、その称号ひとつで説明できる。

 ニルフィはただ、響転(ソニード)と対人戦に特化した格闘術を使っただけだ。それを使って丁寧にひとりひとりの兵士の首を砕いてまわった。

 ただそれが、わずか一瞬の間に満たないあいだに終わったことだ。その速度についていけなかった空気が乱気流となって荒れ狂うほど。

 

 響舞(カリマ)

 

 基本的な響転(ソニード)は高速移動中に攻撃はできない。一度停止し、それから実際の攻撃に移行する。あまりに速くとも急ブレーキが必要なそれらのデメリットを、死神の歩法も合わせて排除し、そして創り出したニルフィ専用の技だ。

 ルドボーンとその背後の命令者は見誤っていた。ニルフィの速度は、常識で説明できるものではなくなっている。数による時間稼ぎは最初から望めなかったのだ。

 

「これは、凄まじいな……」

 

 こころなしか顔を引きつらせているドルドーニが小さく呟いた。 

 それを聞くこともなく、ニルフィはルドボーンに尋ねる。

 

「まだやるつもりかな、キミは?」

 

 このまま戦っても両者のどちらが生き残るかなど、誰の目にも明らかだろう。たとえあと千の兵を使われたところで、先の五百のものと同じ末路を辿る。

 長所を本当の意味で潰されたのはルドボーンのほうだったのだ。

 予期せぬ身内争いは、少女の勝利で幕を閉じた。




『作者のやってみたかったこと』
ーールドボーンさんが本気(ガチ)で能力を使ってきた場合。
公式でも無限に兵隊をつくれるって言ってたので、なにげにラスボス系能力持ってる人を活用してみました。でも速さには勝てなかったよ。



オリジナル技

響舞(カリマ)
 
ニルフィの異常な速さから派生した技。響転(ソニード)を使ったまま攻撃できるザ・先手必勝の歩法。
響転(ソニード)ってせっかく速いのに、攻撃時になぜか一旦停止することに疑問を持った作し……ニルフィが改良した結果できた。虚楼響転(オブスクーロ・ソニード)は途中でステップを、こちらは一切止まらないように使い分ける。
十刃(エスパーダ)最速(ガチ)はこれで不動のものになりました。これで済まぬ隊長も怖くない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

逆鱗は何処にあるか

評価ポイントの平均を表すメーター(?)っぽいのが初めて赤くなっておりました。
ハーメルン様で地道に投稿をしていく上での目標の一つでしたので、達成できて嬉しいです。
恒例となりましたが、このような作品に評価ポイントを投票していただきありがとうございます。
読者の皆様に感謝を。


 暗闇の中でもまた、ひとつの戦いが終結していた。

 

「まァ、油断しなけりゃこんなモンか。いくら強くなったつっても、オレには届いてねえしな」

 

 アーロニーロ・アルルエリ。彼は能力の一つによって姿を変えており、いまはとある死神の青年の姿となっている。

 志波海燕(しば かいえん)という名の死神であるが、とある(ホロウ)に肉体を乗っ取られた彼をさらにその経験や記憶ごとアーロニーロが捕食し、喰虚(グロトネリア)の能力によって発現させている。それによって海燕の始解『捩花(ねじばな)』を使うことも可能であった。

 今のアーロニーロの手にもその三又の槍が握られている。

 

「悪く思うなよ。こっちにもこっちの事情があるんだよ。具体的には、オレが少しでも怪我しちまうとチビが騒ぐんでな。ああ、愛されてるってのは辛いなぁ。だからソッコーで終わらせたことは大目に見てくれ」

 

 アーロニーロが語りかけているのは、捩花の刃に腹部を貫かれて頭上にぶら下がっている女の死神。強い意志の光が宿っていた目は虚ろな眼差しで、なにも映していない。

 彼女については海燕の知識から理解している。

 朽木ルキアという死神だ。海燕のことは、上級貴族の養女という身分と、その優遇措置ゆえに周りの疎外感を抱いていたルキアの心の支えになっていたことで慕っていたらしい。そして(ホロウ)に体を乗っ取られた海燕をその手で殺した。 

 ほぼ海燕本人となったアーロニーロを前にして動揺したところを仕掛ける。隙も与えずに相手の心の傷を言葉でえぐっていき、そして動きが止まったところをチョイ、だ。なんの面白みもない戦いだった。 

 けれど油断していれば負けていたかもしれない。それだけこのルキアという死神は、昔よりも成長していた。 

 しかし変わったのは彼女だけではない。

 アーロニーロは慢心や油断で痛いほど痛い目を見ることを、小さな少女から教え込まれていた。たとえ一年にも満たない時間であり、そして地力はさほど変化していなくとも、戦い方を変えるだけで驚くほど楽に戦闘が運ぶ。

 ーーアイツには一応、感謝しとくか?

 ーー今度、ほかの奴らよりもデカイ菓子の大袋でも与えたほうがいいな。

 頭ではそんなことを考えつつ、槍を横薙ぎに振るう。

 ヒトの形をしただけの人形のようにルキアは床を転がっていく。

 

「特別戦いを楽しみたいってワケでもないしな。前と違って、簡単にケガしてられなくなったんだよ」

 

 誰にむけるとも違う、独り言。

 影響を受けた大きさに苦笑する。甘くなったつもりはない。けれど、実際のところ緩んできているとは自覚している。要は認めたくないだけかもしれない。

 

「で、久しぶり(・・・・)じゃねえかよオイ。先輩に挨拶も無しか?」

「生憎、(けい)のことは存じぬ。他者の姿を騙る醜悪なもののけ風情としかな」

 

 アーロニーロが振り返ると、そこには、痩躯で、肩にかかる程度の長さの黒髪をもつ白皙の中性的な容姿の男が立っていた。隊長格を示すように白い袖のない羽織を着ている。

 六番隊隊長、朽木白哉(くちきびゃくや)

 予想よりも早い到着にアーロニーロが眉を上げた。

 

「随分と早い到着だな。藍染様は援軍が来るにしても、まとめて何人か向かってくるって予想してたってのに」

黒腔(ガルガンダ)の安定にはまだ時間がかかるはずだった。しかし、今の虚圏(ウェコムンド)の危険性は想定以上。それでは先に向かった者たちの負担が大きくなる。ゆえに、代表して私が先行してやって来たまでのこと」

「おーおー、それで真っ先に、危なくなってる養女のトコに飛んできたってか。さすがは権力使ってまで危険から遠ざけてただけの溺愛ぶりだな」

 

 海燕と白哉の交流はさほど深くはなかった。養女として迎え入れたルキアをほぼ放任主義で貫き、そのため直接的な対面はほぼないに等しいと記憶してある。

 だから死神の真似をするのも効果はない。

 海燕の顔のまま素を出し、アーロニーロは軽薄に笑った。

 

「で? いま虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいる隊長格はお前だけってワケか。なかなか無用心すぎやしないか」

「どういう意味だ」

「お前ら死神が想像してるよりずっと、こっちの戦力は上だぜ?」

 

 たった一人のチビのおかげでな。

 そこまでは言うこともなく、そしてわざわざ教えるつもりもなく、アーロニーロは右手の親指で胸を叩く。

 

「オレは第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)アーロニーロ・アルルエリ。お前は?」

「答えるまでもない。私の正体はただ一つ。ーー(けい)等の敵だ」

「そうかい朽木白哉。つれないトコはぜんっぜん変わってねえな」

 

 そんなことはどうでもいいとばかりに、白哉が部屋の端に転がっているルキアに目をやる。

 

「一つ問いたい。あれ(・・)と戦ったのは、(けい)か」

「答えなくてもわかってんだろ」

「そうか」

 

 白哉が斬魄刀を持ち上げた。

 ーーこりゃあ……。

 ーー参ったな。

 内心で深く息を吐くアーロニーロ。朽木白哉についての情報ならば、海燕の記憶などによって把握している。

 アーロニーロの一番変わったところは、互いの戦力差を本当に(・・・)理解することであった。それを元に作戦を立てて攻略していく。パズルのようなそれは存外、アーロニーロに合った戦い方でもある。もとは修練時にニルフィになめてかかり、痛い目を見たからこその反省点。

 それゆえに、勝率なども、無意識のなかで計算できる。

 

「もしかしても怒ってる?」

(けい)には関係のないことだ。だが案ずるな。貴様が敗北するのはその(おご)りのためではない。ただ単純に、格の差だ」

「まさに強者のセリフだな。大きくなって大きく出たもんだ」

 

 今ならまだいい。しかしもっとも厄介なのが白哉の斬魄刀の能力で、それこそが彼を隊長格に押し上げたものであるとわかってしまう。卍解『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』。これがキツイ。乾いた笑いが出そうだ。

 だが、

 

「それにしてもよ、ーー勝てないって誰が決めたんだ?」

 

 最初から負けるつもりで戦うはずもない。

 槍を独特な高い構えで持ち直し、片手首を主軸に回転させる。風がそれに巻き込まれた。白い死覇装が、アーロニーロの戦意を表すかのように舞い上がる。

 退()くという考えは頭にない。以前ならば多少の臆病さは持ち合わせていたが、いまは撤退することなど、それこそ……。

 ーーああ、クソ。

 ーーまたアイツのことが頭に浮かびやがる。

 雑念を消してアーロニーロが前方を見据えた。

 刃の先を白夜に突きつける。

 

「いくぜ」

 

 踏み出す。それは白哉も同時だった。首を狙ったアーロニーロの槍は、(みね)に手を添えた白哉の刀に防がれる。

 さらにアーロニーロは体を回転させながら風車のごとく刃を奔らせた。

 金属のぶつかり合う音が幾重にもこだます。

 舞うように槍術を繰り出すアーロニーロ。それをことごとく白哉はいなす。

 しかし防戦一方となっているのは白哉だ。リーチも威力も、アーロニーロが勝っている。刀でいなすのにも限界があるだろう。

 槍が振るわれ、薙ぎ、突き出される。一度の停滞もなく回避にのみ専念する白哉を追いすがる。変幻自在な技の数々に、槍の相手などさほど経験はないであろう白哉が目を細めた。

 遠心力の乗った攻撃を嫌って白哉が上へ飛んだ。それを追う。自分ではなく、刃が。手の中で柄が回転する。即座に方向を変換して白哉に牙を剥く。

 それを瞬歩で大きく後方に跳ぶことで白哉が回避した。

 

「散れ『千本桜(せんぼんざくら)』」

 

 能力解放と共に刀身が目に見えないほど無数の刃に分裂する。それにより対象を、いまはアーロニーロを刻むのだろう。

 だが、知識から予想していた攻撃だ。

 アーロニーロは即座に槍を振り上げ、振り下ろす。巻き上げられたのは水。これこそが『捩花』の能力だ。水は瞬時に波濤(はとう)となり、自分に迫るであろう極小の刃の群れを押し流した。

 さらに接近する。斬魄刀をもとの刀に戻した白哉に槍を打ち据える。これも頭上で防がれた。だが、次。再び波濤が生まれ、死神を圧殺・両断する。

 

「破道の八十一」

 

 断空(だんくう)

 

 鬼道によって生まれた壁に阻まれた結果にーー笑う。予想通りだ。どう止めるのか、知識から引き出せるゆえの戦略が組める。

 壁に激突して散った波濤を目くらましとして白哉の背後を取る。

 そして鮮血が床を汚す。

 

「チッ、いまのを避けんのかよ」

 

 離れた場所に白哉が立っている。さっきの攻撃で仕留めるつもりだったが、槍がえぐったのは左腕の肉だ。心臓からはほど遠い。そしてアーロニーロも、薄く脇腹を切られている。

 

「で、どうだい。格下相手に傷つけられんのは」

「その姿は紛い物ではないな」

「そりゃそうだ。そうじゃなきゃ、そこに転がってるソイツを楽に倒せなかったよ」

「…………」

 

 軽口は叩けるが、アーロニーロとしては先の一撃で倒すつもりだったのだ。

 姿を惑わすだけの相手と思う油断。槍の一撃はそれまで吹き飛ばしてしまった。

 ーークソッ、ついてねえな。

 アーロニーロの見ている先で、白哉が逆手に持った斬魄刀を離し、地面に向かって落とす。

 

「ーー卍解」

 

 『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 刀は地面に吸い込まれるように消え、同時に足元から巨大な千本の刀身が現れる。直後それらが一斉に舞い散り、始解時を遙かに上回る数の刃と化す。暗闇の中で光を反射する様は、まさしく桜のようだった。

 桜色の濁流とも捉えられるその無数の刃を縦横無尽に操る事で、攻防一体・死角皆無の完全なる全方位攻撃が可能となる。それこそが『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』の恐ろしいところだった。

 ゆっくりとアーロニーロは周囲を見回した。 

 囲まれ、包まれている。これに耐えられる十刃(エスパーダ)がいかほどいようか。

 最初から分の悪い戦いだったのだ。

 

「姿を騙るだけのもののけではないようだ。それならば、こちらも相応の力を使わせてもらう」

 

 細長くアーロニーロが息を吐く。肩から力を抜き、槍を下げた。

 

「ハッ」

 

 そして笑う。絶望や無力感など、それこそ最初から皆無だった。

 逃げる? それは嫌だ。

 助けを乞う? 論外である。

 そんな惨めな姿をある一人に見せるくらいならば。

 

「ーー喰い尽くせ」

 

 『喰虚(グロトネリア)

 

 アーロニーロの姿が膨れ上がった。下半身が巨大な蛸のような姿と変わる。表面が不気味にうごめき、側面についた巨大にすぎる口から大気を震わせる咆哮が響いた。

 今まで喰らった(ホロウ)三万三千六百五十の顕現。それがこの能力である。

 

「お前の使う刃は数億だったか。けどよ、たった一枚で(ホロウ)が殺せるワケじゃねえんだろ?」

 

 数の上では数字ほどの不利ではない。そうやって自分を奮い立たせ、アーロニーロが叫ぶ。

 

「あんま図に乗んないほうがいいぜ、死神? 慢心ってのは必ず身を滅ぼすんだよ!!」

 

 喰虚(グロトネリア)のあらゆる表面から(ホロウ)の顔が生まれた。

 

 虚閃(セロ)

 

 数百を超える極太の光線が包囲してくる刃の花弁を押し戻す。

 それは分厚い包囲網が穿ち、外の闇をアーロニーロの目に焼き付ける。

 喰らった獲物の能力、霊圧を我がものとするからこそできた。絶え間なく虚閃(セロ)を放ちながらどこか冷静な思考がある。

 ーーったく、誰でもいいから頼むぜ。

 そしてべつの行動に一瞬だけ頭を割く。この戦いには関係のない布石だ。あとは誰かがやってくれるはずだと、心の中で願った。

 掲げられた槍が、突き出される。その先には死神がいる。ならば倒そう。倒さなくてはならない。

 自身も凶暴に笑いながら咆吼し、進む。

 無謀で絶望的で最悪の戦い。万と億の戦いだ。

 それでもなお、前へ、前へと手を伸ばした。ただ一つの与えられた言葉を守るために。

 やがて、その姿は花弁の中に埋もれていった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 3ケタ(トレス・シフラス)の巣から脱出し、第7宮(セプティマ・エスパーダ)へと向かっていたニルフィとドルドーニ。霊圧を探知しながらの移動であったが、気になっていた戦いのうち二つが終わったことにニルフィは気づいた。

 

「あ、チルッチさんとガンテンバインさんのほうは逃げられちゃったみたいだね。痛み分けかも」

「ううむ、黒星をあげたのは吾輩だけか。いや、負けて欲しかったというわけではないのだが、釈然とせんな」

「オジさんは相手が悪かっただけだよ。侵入者のなかで一番強かったのがクロサキさんみたいだからね。すごく頑張ったと思うよ」

「…………」

「どうしたのオジさん?」

「……む、いや、なんでもない。それよりも、回道というもので少しばかり楽になったが、吾輩の傷はさっさと癒しておきたいのでな。休める場所に早く向かおうではないか」

 

 一瞬だけドルドーニが立ち止まったのだ。

 取り繕うような言い方にニルフィは首をかしげる。

 

「なにかね」

「オジさん、嘘ついてる。……ううん、嘘っていうより、隠し事かな」

 

 目に浮かんだわずかばかりの動揺さえ押し殺し、ドルドーニが安心させるように笑みを浮かべた。

 

「心配のないことだ」

「ねえ、なにを隠してるの?」

 

 再度、ニルフィが訊く。さっきまでなかったドルドーニの不審な様子。それは足を止めた瞬間なにかに気づいたようであり、実際にそうなのだろう。しかしニルフィはドルドーニよりも探査回路(ペスキス)が優れていた。だからその時、ドルドーニ自身が動揺するような出来事はなかったと言い切れる。

 しかし今、アーロニーロが何者かと戦闘を再開し、そして裏付けもなくニルフィが訊いた。

 

「……アーロニーロの『認識同期』でなにか伝わったの?」

 

 アーロニーロの能力の一つである『認識同期』なら、情報を同胞の頭に直接報せることができる。

 ゆえに、ドルドーニが情報を受け取ったのであろう様子も説明がついた。アーロニーロが帰刃(レスレクシオン)を使ったタイミングとも一致していたから。

 

「あ~、うむ。そんなところだ。しかしさほど重要でもない情報だったのだよ」

「どういうのかな」

「もとの侵入者の一人、朽木ルキアという死神を第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)が討ち取ったとな。そして、虚圏(ウェコムンド)に最初の侵入者以外の者が紛れ込んだらしい。その警戒にあたれという報せだ」

「そっか。嘘はついてないね。じゃあ今度は、言ってないことも教えてよ」

 

 見るからにドルドーニの顔色が悪くなる。この実直な紳士は、よくもわるくも隠し事には向かなかった。

 なにより、それだけの情報をなぜアーロニーロがニルフィにも教えなかったのか。

 嫌な予感で背筋が凍るようだった。

 

「…………」

 

 ドルドーニは押し黙ったままだ。

 

「もういいよ。オジさんは私の宮に向かって。これだけ近くに来たら追っ手がいてもグリーゼたちが出てくれる。私はアーロニーロのトコに行くよ」

「待ちたまえ、お嬢さん(ニーニャ)

「どうして?」

「どうしてもだ」

 

 不安そうにニルフィが眉を下げた。

 ドルドーニが進路を阻むようにして動いたからだ。そしてついに隠すことなく、さきほどまで濁していたことを話す。

 

「たしかに、第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)が戦っている相手は隊長格の死神だ。そして、劣勢に追い込まれるであろう(むね)も伝えられた」

「なら、どうして!? 早く助けに行かないとアーロニーロが!」

「もう一つ伝えられていたからだよ」

 

 鋭い目つきのままドルドーニが静かに言った。

 

「何者も、ニルフィネス・リーセグリンガーを第9宮(ヌベーノ・パラシオ)周辺に近づけるな、と」

 

 顔つきを厳しくさせたのはドルドーニだけではない。

 

「そんなの、おかしいよ。どうして、どうして私だけ……!?」

「わからんかね」

「わかんないよ! こんなときのために、私は力をつけたのにッ」

 

 大切な仲間が少しでも傷つけられるだけでその相手を殺そうとする少女だ。頭の中は焦燥と悲哀で占められている。目の前にいるのがただの木偶(でく)であればすぐさま壊してでも先に進もうとしただろう。

 それを吹き飛ばすつもりでドルドーニが声を張る。

 

お嬢さん(ニーニャ)に伝えなかったのは、仮に教えれば必ず行くだろうからだ。……それは当たり前のことであったな。だからこそ、第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)お嬢さん(ニーニャ)の身を案じ、そしてそれが自らのためになると判断したのだよ。助けの言葉などただの一つも無かったというのにだ!」

 

 それだけ危険ということだろうか。いかにニルフィといえども万が一はある。

 しかしそれがアーロニーロの拒絶のように感じられて虚しさがこみ上げた。

 けれど、

 

「ーーそんなことで私が止まる理由なんかにならないッ!」

 

 ニルフィが足を踏み出した。

 敵が強い? 来るなと言われた? たったそれだけの理由で立ち止まる安い覚悟なら、そもそもドルドーニを助けはしなかった。

 それは彼にもわかっているはずだ。

 

「どう言われようと、もう私は行くよ」

「本当に止まるつもりはないのかね?」

「……目の前で大切な相手を守れなかったヒトを、知ってるから。でもね、同じ後悔をするなら、それから目を逸らしたまま生き続けるなんかよりもマシだよ」

 

 ドルドーニはそれ以上なにも言わなかった。

 少女はすぐさま響転(ソニード)を使って姿をかき消し、砂漠の宙を駆ける。

 その速度は並みの破面(アランカル)では気配にすら捉えられないものだった。しかしそれでも、ニルフィには限界速度がひどく遅く感じた。

 ーーだいじょうぶ。

 ーーゼッタイにアーロニーロが負けるはずなんかないもん。

 ーーだから……。

 時間の感覚が曖昧だ。ただ一心不乱にアーロニーロの霊圧のあるであろう場所を目指す。

 そして、とうとう宮が見えた。巨大な塔の形をした、鬼道の練習などのために何度も足を運んだ親しみのある場所だ。

 

「はやく! はやくッ」

 

 あともう少しで到着する。助けられることが可能になる。わずかに、ニルフィの心が緩んだ。

 その時だった。

 

 吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 見る。宮の最上階が内側から破裂したかのように吹き飛んだ。

 

 オオオオオォオォォォォォォ…………ッ!!

 

 内部が晒される。すさまじく巨大な存在が偽りの青空の下で雄叫びをあげている。

 それはアーロニーロの喰虚(グロトネリア)が解放された姿であり、そして巨大であるからこそその惨状が余すところなくニルフィの目に飛び込んできた。

 

「あ、ぁあ…………」

 

 絶望の込められた声にならない音が喉から出た。

 喰虚(グロトネリア)の全身が切り裂かれており、血が噴水、あるいは滝のように流れていた。それは赤い洪水かと見間違えるほどだ。溢れた血が宮の壁をつたって遥か下に垂れていく。 

 雄叫びかと思ったものは断末魔だった。天敵ともいえる日光の下に(さら)され、そして戦闘の続行など到底不可能な傷によるダメージによって、だんだんと細くなっていった。

 死神らしい霊圧は健在。勝敗はすでに決したようだ。

 

「ーーーーッ!」

 

 ニルフィがソレ(・・)に気づいたのは単なるまぐれだ。神というものが本当にいるのならば、偶然をよそおった必然のはずである。

 視界の端を落下していくソレを見た瞬間、少女は飛び出し、腕にあまるソレを抱き抱えた。

 させぬとばかり、死神が追撃を仕掛けてくる気配がある。そちらへ向かって幻光閃(セロ・エスベヒスモ)を放って十数秒の足止めを仕掛ける。その間にニルフィは砂漠へと降り立ちながら素早く手陣を切った。

 

「縛道の七十三」

 

 倒山晶(とうざんしょう)

 

 四角すいを逆さにした形で、周囲から中が見えない霊圧の結界を出現させる。

 そこでようやく、少女が腕に抱えていたモノをゆっくりと結界の床に置いた。

 切り裂かれてちぎれたのだろうか。ソレは、上半身だけとなったアーロニーロの変わり果てた姿だった。死覇装はボロ切れと化して触手が無理やりヒト型をとったような姿をさらけ出す。絶え間なく小さな噴水のように血が噴き出していた。

 首から上の薄紅色の液体で満たされたカプセルには無数のヒビが無念を表すかのように目を引く。

 すぐそばにニルフィがかがみ込んだ。

 

「……なんで、来やがった……」

「まって、だいじょうぶ、大丈夫だから!」

 

 過呼吸でも起こしそうなほどニルフィの呼吸は薄く早い。手に暖かな光を宿して、回道のチカラで仲間の傷を癒そうとする。だが、小さな手を胴に触れる寸前で止めた。

 どこから癒せばいいのかわからないほどアーロニーロの体は破壊し尽くされていた。

 抱えてきたためにニルフィの死覇装の前面は隙なく赤くなるほどで、無事な部分を探すほうが難しく、素人目にも致命傷という言葉が頭に浮かぶ。

 

「ぅ、あ…………」

 

 視界がぐちゃぐちゃになってわけもなく手がガタガタと震える。

 そのまま手をあてもなく傷口に添えようとして……、異形の右腕にそっと押さえられた。力なく、ニルフィの手が下ろされる。

 

「自分ノコトクライ、自分ガヨク分カッテルヨ」

「だ、だいじょうぶだって! オリヒメさんならきっと治してくれる! だからそれまで」

「俺が持たないって、ことくらい……わかってんだろ?」

 

 ポツリ、とうつむいていたニルフィが呟いた。

 

「苦しくないの?」

「ッ! 苦シイ。苦シイヨ」

「けどみっともなく泣き叫べるワケねえだろ」

 

 弱々しく持ち上げられたアーロニーロの右手のひとさし指が少女の目尻を軽くはじく。水滴が宙に跳ねた。そこでようやくニルフィは、枯れていたと思っていたのに、自分の大きな眼に厚い涙の層ができていることに気づく。

 

「泣き虫のお前が、こんな我慢してるってのによ」

 

 蚊の鳴くような声でニルフィが訊いた。

 

「なんで……なんで、最初から呼んでくれなかったの」

 

 自分がすぐそばにいればここまで傷つかなかった。

 今にも泣き出しそうな少女の声に、アーロニーロがヒビの入ったカプセルの奥から遠くを見る。

 

「なんで、か……。なんでなんだろうな……。……いや、わかってんだよ、理由(ワケ)なんてよ」

 

 なあ、とアーロニーロが聞き返す。

 

「最初に会ったときのこと、覚えてるか?」

「うん、おぼえてる」

「その時、お前は俺に言って……」

「ダカラ、ダヨ。コンナ、カッコ悪イ姿ヲ見ラレタクナカッタ。ツマラナイ、意地ダッタ」

「私が、縛ってたの?」

 

 最初に二人が出会ったとき、ニルフィはアーロニーロのことを『かっこいい』と評したことがある。それをアーロニーロは一瞬たりとも忘れたことはなかった。だからだ。彼はニルフィにとって『かっこいい』人物であろうとしてくれた。

 逃げも負けもしない、そんなヒトに。

 少女に否はないんだと否定する。

 

「お前が、はじめてだった。オレを見て心の底から笑いかけてくれるヤツは。今だって、こんな、バケモノを前にしてるってのに、悲しんでる、だけ、で……」

 

 声をすぼませていく。

 ニルフィが小さく柔らかい両手で異形の右手を包んだ。血で汚れることも(いと)わず、絶対に放すものかと握りしめる。

 命の欠片が手の中からこぼれ落ちていくことを感じながらハッキリと言い切る。

 

「キミは、バケモノなんかじゃないよ」

 

 自尊心を守るためだった、などという建前はニルフィにとって無いものに等しかった。

 少女を気遣ってくれたのならばそれは優しさゆえだ。ちゃんと心があったから、ニルフィを大切に扱おうとしてくれた。だからバケモノじゃない。誰が否定しようともニルフィが認める。

 

「……ッ。お前は、本当にお人好しだなァ」

「約束シテヨ」

「生きてくれ。お前は、まだこっちに来んなよ。からだ張ってやった意味、ねえだろうが。なぁ……ニルフィ?」

 

 (すが)るようにして、二つの球体状の頭がニルフィを見据えた。

 

「オレは」

「僕ハ」

「ーーお前の仲間でいれたか?」

 

 何度もニルフィは頷く。けっして泣くまいと、最後に見せてやれるのが笑顔であるべきだと思いながら、今にも崩れそうな微笑みながら頷いた。

 アーロニーロも孤独だったのだ。その異形ゆえに忌避され続けていた。

 彼が心を開いてくれたのはニルフィが仲間として接して、知らずのうちに孤独を癒したから。まったく違う境遇でも、本当のところは似た者同士だったのかもしれない。

 

「……アーロニーロ?」

 

 蝋燭(ろうそく)の灯火が消えてしまうように包んでいた手が滑り落ちる。

 頭部のカプセルが静かに割れ、流れ落ちた赤い液体のなかに二つの物言わぬ頭が転がった。皮肉交じりの軽口も、それとなく気にかけてくれるうれしい言葉さえ、もうニルフィは聞くことができない。

 十刃(エスパーダ)、残り九名。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 音もなくニルフィが第9宮(ヌベーノ・パラシオ)の最上階に姿を現した。

 表情の抜け落ちた顔のまま、ゆっくりと周囲を見回す。まず足もとにはニルフィに与えるつもりであっただろう菓子の袋が破けて中身をぶちまけてた。端のほうにはアーロニーロが仕留めたであろう女の死神が寝かせられている。

 そしてその横に、(くだん)の隊長格である死神がいた。背には六の数字。おそらく朽木白哉だろう。

 言葉では表現できない感情が胸の内であばれるが、不思議とそれを吐き出すことはなく、ただマグマかエンジンのようにぐるぐるとまわっていく。

けれど静かだ。口から出たのも、いつも以上に平坦な声だった。

 

「キミが、アーロニーロを殺したヒトなのかな?」

「答えずともわかっているだろう」

 

 おもむろに白哉は斬魄刀を引き抜いた。

 黒い死覇装の至るところが破け、負傷とも見える傷さえ負っている。どうやらアーロニーロはただでは負けなかったようだ。

 

「ねえ、訊いてもいいかな。大切な人を傷つけられたときに感じる感情って、なに?」

「……怒りだ」

「へえ、そっか。これが怒りかぁ。案外、激情ってほどでもないね」

「私には貴様が怒り狂っているかのように見えるが」

「さぁどうだろ。……よくわかんないや。もしかしたら悲しいだけかもしれないし、苦痛が辛いのかもしれないしね」

 

 ふと、ニルフィがとてもいい名案を思いついたかのように、ほれぼれしそうな微笑をたたえて両手を胸の前で組んだ。

 

「あ、そうだ! ビャクヤさん。提案なんだけどさ、これから戦わないで、黙って手足を折られてくれないかな? 私が飼ってあげる。誰にも殺されないオモチャにしてあげるよ?」

「是と返すつもりないことを理解しているだろう」

「それでもだよ。……これが私にできる最大の譲歩なんだけど、さ」

()せぬな」

「なにがー?」

「それは、これから刃を交えた結果、貴様が勝つことを前提としたものだ。十刃(エスパーダ)の実力というものがたかが(・・・)さきほどの相手程度(・・)ならば、7という貴様もさほど変わるまい」

「…………」

 

 少女が目を細めたとき、フッと白哉の姿が掻き消える。

 瞬歩だ。そして背後。白哉の斬魄刀がニルフィの背を切り裂く。しかしそれは残像だった。白哉のさらに背後を取ったニルフィが三人に分裂した。一人、二人と白哉はそれらを斬り捨てる。さらに側面を手刀で狙ってきた少女の顔面を貫いた。が、それも束の間のこと。さらに少女が四人へと増えて死神を取り囲む。

 霊子の刃をまとわせた右腕で、白哉の体を穿った。

 しかし、

 

「ッ!」

 

 ニルフィが目を見開く。貫いたのは白い隊長羽織だけだ。

 

 隠密歩法“四楓(しほう)”の(さん)空蝉(うつせみ)

 

 相手に自身を倒したと思い込ませるほどの残像を見せる瞬歩を繰り出した白哉。彼はニルフィの背後を再び取ろうとした瞬間移動中にーー吹き飛ばされた。いや、かろうじて右腕を防御にまわしたようだが、無数の蹴りを一度に受けたことで、その腕は使い物にならないほどスクラップにされている。

 

「それ以上、仲間を侮辱するような言葉を吐かないでよ。虫唾(むしず)が走る」

 

 無表情のままニルフィが蹴りを放った脚を下ろす。完全に後手でありながら、響舞(カリマ)を使用し、あろうことが瞬歩によって移動中の白哉に強烈な蹴りを叩き込んでいた。

 たしかに白哉の瞬歩は速い。破面(アランカル)たちの響転(ソニード)でも対抗できるものがどれほどいようか。

 しかしいくらニルフィは速いという情報があっても、この理不尽な速度は想定していなかっただろう。あるいは自分の瞬歩ならば対処できると思ったか。だからこその傲慢から生まれた油断。奇しくもアーロニーロの言い放った言葉が現実味を帯びてきた。

 あまりにも単純に、誰であろうと速さでニルフィに敵わないというだけで。

 利き腕を破壊された白哉が千本桜を展開する。それを重光虚弾軍(バラ・インフィニート)の弾幕で迎え撃ちながら白哉に肉薄。極小の刃が二人のあいだで壁となる。しかし瞬歩で距離を稼ごうとした白哉にまた蹴りが襲いかかった。迂回し、差を付けられても、それでは少女を引き剥がせない。

 まるで機械のように次々と打撃を死神に叩き込む。

 ニルフィを前にすれば誰でも勘違いするものだ。

 死神は彼女のことを数字の通り七番目に強いと思っていただろう。もしかしたら、というよりはたしかに通常時ならばその程度の力しか使わない自制心がある。だが、それはあくまで通常時に限った。

 

 第7十刃(セプティマ・エスパーダ)ニルフィネス・リーセグリンガー。

 (つかさど)る死の形は『依存』。

 彼女にとって心の()り所であるモノを破壊した場合にのみ、その凶悪な牙が剥かれる。

 

 破面(アランカル)化をした時点で第0十刃(セロ・エスパーダ)候補となっていた、所詮は『7』という数字も間に合せのものだ。その理由も当初は、力を十全に出し切ることができるか、また制御ができるかが不安であり、勝率は十割とはいかないと予想されていたから。

 しかしいまはその問題点は無い。

 逆鱗を撫でられたのならば、もはや抑えておく必要がないからだ。

 

「ーー卍解『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』」

 

 桜の大吹雪に囲まれながら、ニルフィは仲間の血で赤く染まったパーカーの死覇装を脱ぎ捨てる。

 彼女の上半身を覆うのは薄皮ほどしかない黒いインナーだ。

 両肩及び背の布が付いておらず、白い肌が剥き出しである。ほぼありのままの姿だ。首から鎖骨、それに肩にかけては稀代の芸術家が彫り上げた聖母の像のように美しくしいラインを描き、しなやかな細腕は氷の彫像のようだった。

 そして、それら無機質に感じるほどに美しい体の中ほどにある二つの控えめな隆起が妙にイキモノ臭さを漂わせ、生物としての劣情を否応なく煽るほど蠱惑的だ。

 右上腕には『7』の数字。左上腕には(ホロウ)としての証である孔がある。

 ゆっくりと息を吐き、目を閉じた。

 生きる、と約束した。けれど戦うなとは言われていない。ならば、戦って負けない限りならなにをしてもいいはずだ。

 仇の首を死者に捧げるくらいなら、この怒りという感情も収まるかもしれない。

 そうしてニルフィは虚無感を胸に仕舞い込みながら、ぎらつく金色の双眸で桜吹雪の奥にいる死神を射抜く。

 

 瞬鬨(しゅんこう)

 

 高濃度に圧縮した鬼道を両肩と背に纏い、それを炸裂させることで鬼道を己の手足へと叩き込んで戦う白打の最高術を発動させる。

 怪物として本性を十全に発露した少女。

 彼女は相変わらず無表情でありながら、たしかに泣きながら(わら)った。




主人公のリミッターが解除されました。

それと、っハンカチ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

霧中殺陣

お気に入り件数がついに2000件を突破しました。
ここまでの大盤に乗れたのはひとえに読者様のおかげです。
この小説を読んでいただき、誠にありがとうございます。


 廊下を歩いていたグリムジョーはふいに立ち止まり、虚空を睨みつける。

 アーロニーロが死んだ。それは、二度のうち最初の認識同期から予感はあった。なにしろ彼自身が劣勢を予想し、そしてニルフィについても語ってあったからだ。それを聞いたどこかの雑魚である破面(アランカル)の嘲笑する気配もあった。しかし、以前までなら同じようにしていたグリムジョーは、かすかに眉をしかめること以外をしなかった。

 そして二度目の認識同期。これが端的に事実を伝え、朽木白哉という死神のデータと、他にも隊長格の死神が虚夜宮(ラス・ノーチェス)へとやってくることも含んでいた。

 グリムジョーはさほどアーロニーロと交流したことはない。

 とはいえ出不精なアーロニーロが最近出歩くせいか、暇を持て余して散策しているグリムジョーと出くわすことも多かった。そんなときの会話の内容もとある少女についてだし、互いにそれなりの苦労をしているな、というどちらにしても不本意な終わり方で共感を覚えたのは、まあ、余計だろう。

 

「……勝手に死んでんじゃねえよ」

 

 聞こえるはずもないつぶやきが誰もいない通路に響いた。

 それがどういった意味があるのか、深くグリムジョーは考えない。十刃(エスパーダ)でありながらこんな早くにも脱落したことへの苛立ちか、もしくはただの気まぐれか。

 あの悪食の権化も変わったのだろう。

 でなければ、わざわざニルフィに対しての気遣いともいえる行動をした理由にはならない。以前までの彼ならならば少女を単なる食料にしか見れなかったはずだ。

 それが良かったのか悪かったのか。すべてはアーロニーロだけが答えを知っている。

 だからグリムジョーは口出ししない。

 アーロニーロが答えを見つけているのなら、それに反発するつもりもなかった。

 

「あのバカが」

 

 そして次の問題だ。

 ニルフィが霊圧を撒き散らしているのがここからでも分かる。あの空気のように頼りないはずの霊圧が壁のようにグリムジョーの体を押そうとしているのだ。それがどれだけ高密度かは、言わなくともわかるだろう。ディ・ロイあたりならば気絶しないまでも膝を突くほど。

 霊圧に触れたからこそ知った。

 これは怒りだ。表面こそ静かだが、深くなればなるほど殺気が凄まじい。

 かつてルピにむけていたものがほんのさざ波に思える。

 

「なにを廊下で突っ立っているんだ」

「……ウルキオラか」

 

 一定間隔で靴音を響かせながらやってくる無表情な男にグリムジョーは気づいていた。

 

「リーセグリンガーのことか」

「…………」

「おまえが四六時中あいつのことを考えているとは思っていない。今はただ、あいつの癇癪があるのに気づいたからだ」

「てめえ、喧嘩売ってんのか?」

 

 ものすごく不名誉な言われ方をした気がした。

 

「売ったつもりはない。並べ立てた言葉におまえが勝手に価値を付け、そして勝手に奪い取るも同然で買おうとしただけだ。おまえにしてはよく持った方だと思うぞ」

「てめえ……ッ!」

「変わったな」

「あァ?」

「年単位で以前のお前なら、いまの俺の言葉でその拳を振り抜いていた。だが、していない。これは変わったといえるはずだ」

 

 いまだに怒りは収まらない。だが、ウルキオラの言い方が気になった。いつもの淡々とした言葉だけならば流しただろうが、今のウルキオラはなにかに疑問を抱いているように思える。

 

「それは、リーセグリンガーの影響なのか?」

 

 あたかも自問するかのようにウルキオラが続けた。

 

第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)もそうだ。やつは情報から、他の破面(アランカル)であろうと食料としか見ていなかったはずだ。それなのになぜだ? 先の認識同期にも他人であるリーセグリンガーの安否を託した。ならば第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)ですら変わったんだろう。それもリーセグリンガーに出会った(さかい)からだ」

 

 言葉が途切れた。それでも頭の中でウルキオラは考えているようだった。

 グリムジョーは答えるわけでもなく言う。

 

「よく、喋るようになったな」

 

 その声に、ウルキオラが初めてグリムジョーの目を見た。

 

「これは、俺の変化といえるのか?」

「知らねえよ。自分で考えやがれ」

「……お前なら答えを知っていると思った。答えの一番近くにいるのがお前だと考えたからだ。だがこの考えもおかしい。俺はなにを根拠に、お前が答えの一番近くにいると考えたんだ」

 

 相も変わらず淡々とした口調が疑問に彩られた。

 だがグリムジョーにわざわざこの大きな赤ん坊(・・・・・・)の面倒を見る義務など無い。

 

「知るかよ」

 

 切り捨て、己の失態に舌打ちをする。

 ウルキオラが進路上にわざわざ立ちふさがったからだ。いつもならば用事がない限り素通りを許すのに、はじめて私用でウルキオラが足止めをしてきた。

 

「もしかしてだが」

「…………」

「定期的にリーセグリンガーから与えられた駄菓子を口にしたからなのか?」

「どうすりゃその考えになんだよ」

 

 もはやウルキオラは思考の迷路にはまっている。普段ならば考えられないほど内心では混乱しているのだろうか。

 そうしているうちにも、ニルフィの霊圧がさらに高まった。

 ふと、ウルキオラがガラス玉のような目を、戦いが起こっているであろう方向へと動かす。

 

「俺はいま、戦いに介入するべきかと考えた」

「勝手にしてろ」

「だが、なぜだ? 他の奴らが戦っていてもこうは思わなかった」

 

 虚無を司る十刃(エスパーダ)。彼は自覚しているかはわからないが、かすかに眉を寄せた。

 

「これを表す言葉は俺の中にはない。れっきとした形があるわけでもない」

 

 最後に、ひとつ。

 

「ーーこれが、心というものなのか?」

 

 独白を残してウルキオラはグリムジョーの横を通り過ぎた。

 なんとも調子が外される。苛立たしげに頭を掻いたグリムジョー。

 ーー動くな、こりゃあ。

 この戦いをきっかけにすべてが動こうとする。善も悪も一緒くたにごちゃまぜとなり、重ねた積み木を子供が無邪気に破壊したような、そんな結果になるだろう。

 グリムジョーは歩みを再開させる。

 一人だけの足音が廊下にこだました。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 落ちる。落ちる。

 朽木白哉は第9宮(ヌベーノ・パラシオ)の側面を桜吹雪をともないながら落下していた。砂漠を背に、男にしては長い黒髪が尾を引いた。

 戦闘区域を変えるために、まず白哉は塔から飛び降りた。敵しか目に止めていなかったニルフィはそれを追ってくる。それでいい。あのまま戦っていればルキアの体は挽き肉も同然になっていただろう。

 あとは目の前の戦いだった。

 壁を黒が伝う。

 弾丸を超えた速度で地面と垂直になっている足場を駆け抜ける少女の姿があった。視線が合う。少女が大きく跳んだ。そこへ白哉が刃を幾重にも殺到させる。だがニルフィは何もない空中を蹴り、飛ぶ。幾度も繰り返し、ジグザクな軌道を描く。三次元的な回避行動をとったニルフィを花弁が追いすがった。ニルフィは曲芸じみた動きで桜の中をくぐり抜け、数人に分裂。

 銃をかたどった指を突きつける。

 

 重光虚閃軍(セロ・インフィニート)

 

 量には量で。巨大な柱となった極光が放たれた。

 それを白哉が卍解を操作し、砕き、散らしていく。余剰の霊子が雪のようにはじけた。

 かなりの高さから落ちてきたのに地面がすぐそこだ。体勢を立て直そうと、白哉が攻撃の手を一瞬緩める。

 ニルフィの姿は白哉の真上に。

 

「シッ!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合の声。

 体を捻り、強引に回転したニルフィが手足を振るう。

 

 駆霊剣(ウォラーレ)

 

 四肢から霊子の刃を雨あられのように降らす。それを花弁でなぎ払い、いくつかの霊子でつくった足場を踏んで衝撃を殺す。

 上を見上げた。いない。声はうしろから。

 

「破道の九十一」

 

 千手皎天汰炮(せんじゅこうてんたいほう)

 

 ニルフィの背後から長細めの三角形の光の矢が、無数に白哉へ降り注ぐ。

 それも圧倒的な量の花弁で防ぎ、足を止めたニルフィに押し寄せさせる。為すすべもなくニルフィを飲み込んだ……が、手応えがない。

 乾いた拍手がどこからともなく響く。

 

「やっぱりすごいね。アーロニーロからデータも貰ってるけど、見るのと体感するのじゃ全然違うよ。ここまで攻防一体の強い卍解だから隊長格になれたんだろうね。もっと優れた使い手がいてくれたらその斬魄刀も報われてただろうけど」

「なにが言いたい」

「え? だって、そうでしょ。たしかにキミは自力でも優れてるけど、斬魄刀の(・・・・)強さにだけ過信してる。だから私にその腕を壊されちゃったんだよ。卍解がないと、キミはそんなものさ」

 

 いまだに右腕は動かない。

 そして油断していた、もしくは卍解ならば楽に倒せるだろうと予想していたのも、その一因だろう。なにしろ現世でニルフィは隊長格を一人、そして副隊長格に近いもの二人を秒殺しているといってもーー弱そうなのだ。もはや本能的に、コレは惰弱な生物だと認識してしまう。それだけの容姿と霊圧の不安定さがあった。

 だがそれを白哉は言い訳にするつもりはない。

 ようやくわかった。

 コレ(・・)は危険だと。ここで仕留めなければ、後々の禍根になるだろう、と。

 花弁を纏うように周囲に集めたとき、ニルフィが小首をかしげる。

 

「それに意味はあるのかな。なんで半径80から90センチよりも近くに寄せないの? もしかしてそれが、キミが自分の卍解に巻き込まれない場所なのかな。だったら私がそこに入っても余裕があるね」

 

 見抜かれるのが早い。

 ニルフィの言ったその領域こそが、この卍解の唯一の弱点といっていい。

 

「貴様が言ったとおりだ。私はそれを無傷圏と呼んでいる」

「無傷圏……?」

「千本桜の刃が絶対に通ることのない領域だ。それの意味することは、わかるな?」

「まあ、そうだね。間違って操作したりとか、ちょっと動いても回避できる安全地帯ってことか。でもそれって、私がそこに侵入したらどうしようもないよね。なんでわざわざ言ったのさ」

 

 毅然として白哉が返した。

 

「貴様にこの卍解は破れぬからだ」

 

 傲慢ともとれるその言葉をニルフィが肩をすくめてみせ、くだらないとばかりに言った。

 

「それはキミの卍解のハナシ。真正面から叩き潰そうだなんて、帰刃(レスレクシオン)を使わなきゃ思ってないよ」

「使えばいいはずだ」

「まさか。これを無傷でしのいだら考えてあげる」

 

 来る。その直感は正しかった。

 ニルフィの手足を蜃気楼のようなものが覆う。

 背からは白い煙、否、(きり)大瀑布(だいばくふ)のように吹き出す。

 瞬く間に少女の姿を隠し、周囲一帯を覆うような濃度になった。乾燥した砂漠の湿度が上昇する。すぐに、白哉の死覇装は湿り気を帯びるほどだ。

 移動は悪手。視界が潰されたまま行動しても、相手の思うツボである。

 上に霊圧があった。そこへ刃を噴き出させる。手応えなし。左、右、ふたたび上と、ニルフィは白哉の防御圏の外を縦横無尽に動き回っていた。いっそのこと全方位攻撃に移ろうかと思ったが、それでは守りが薄くなり、隙が生じる。

 白哉は瞑目(めいもく)する。

 花弁をドーム状に集めた。

 両の手を下げ、変化を待つかのように直立する。

 ニルフィが瞬鬨(しゅんこう)を発動させてから、その詳細な能力がいまだにわからない。

 もう一人の瞬鬨(しゅんこう)の使い手、四楓院夜一(しほういん よるいち)。彼女は、背中と肩にチャージした高濃度圧縮された鬼道を手や足の攻撃の延長線上に打ち出す、あるいは周囲に発散させるものだ。

 ならば、ニルフィは?

 

「む……」

 

 時間として、瞑目していたのはほんのわずかだ。だが、神速で進んでいく状況の中で、それはとてつもなく長く感じられた。

 白夜が目を開ける。

 ーーこの守りは、突破される。

 そしてすぐさま攻勢に移ろうとした。

 しかしそれは、一瞬ばかり遅かった。

 実態のつかめないナニカが固く閉ざされた刃の壁をすり抜けてきた。

 

 (ウーノ)

 

 下から突き上げるようなボディブローが白哉の腹を穿つ。背骨か内蔵が背後へ弾けとんだ錯覚がした。

 

「ぐ……ッ!」

 

 再び、壁を突破するいくつもの気配。

 

 (ドス)

 

 無数の打撃が、先のボディブローで軽く浮いた白哉の肉体に襲いかかる。衝撃が骨の芯に届くほどのものだ。かろうじて、頭部を左腕で庇う。

 間を置かずに上から特大の殺気が降りかかった。

 

 100(シエントス)

 

 トドメの一撃が白哉の首の骨を狙っていた。

 肉体のダメージを無視して白哉が瞬歩を使い、その攻撃から逃れる。

 直後、霧が吹き飛ばされ、視界がわずかにクリアとなった。

 そして見た。不可視の打撃がさっきまで白哉の立っていた場所にクレーターを作っている。砂は波打ち、空気が波紋を描く。

 

「あっ、避けられた」

 

 拍子抜けしたつぶやきが鼓膜を震わせた。

 

「ガンテンバインさんの高速パンチだったんだけどなぁ」

 

 声が追ってくる。

 

「これはどうかな」

 

 最悪な視界の中で少女が突きを入れる。

 槍のような一撃は物理法則を無視したかのように、離れている白哉を捉えた。

 左足のどこかの骨と肉がシェイク。

 この霧の範囲内から抜け出そうと白哉は連続して瞬歩をしたが、ニルフィが追いすがるためか、霧は際限なく死神を追う。さっきまで白哉がニルフィにおこなっていたことの仕返しである。

 

「……霧か」

 

 ようやく、ニルフィの瞬鬨(しゅんこう)の効果がわかった。

 霧が媒介となっているのだ。伝えるのは拳打や足技の振動(・・)。それが霧を伝って白哉へと届かせていた。

 骨身へ染みるような感覚や砂漠に波を生んだことから、ほぼ間違いない。

 物理的でありながら壁をもってしても防げない攻撃だった。かなり相性が悪い。いや、だからこそか。

 

 男爵蹴脚術(バロン・プンタピエス)

 

 上段・中断・下段の三種の蹴りが、どこからともなく襲いかかってきた。

 あばらが砕かれる。膝はつかない。その膝も、いつ砕かれるかわかったものではなかった。

 

「ねえ、考えてくれた?」

 

 霧が意図的に晴らされた。

 驚くほど近くにニルフィが立っている。

 なかば反射的に仕掛けるが、その極小の刃をことごとく虚弾(バラ)で撃ち落としていく。

 

「ここで大人しく達磨(だるま)さんになって、生きながらえようよ」

「断る」

「そうかな、べつに悪い条件じゃないと思うよ。ビャクヤさんが執着してた、あのルキアさんって死神。もう死んじゃってるけどオリヒメさんに頼めばひょっとしたらってことも起こるかも」

「……それでもだ」

「返事に間があったね。これだけはわかるよ、キミの気持ち。すぐに消えてなくならないからオリヒメさんならもしかしたらって思っちゃう」

 

 むしろ穏やかな表情でニルフィが語った。

 

「大好きなヒトが死んじゃったら悲しいもんね。生き返るなら生き返ってほしいよ?」

 

 霧によって少女の髪は濡れ、幼さに似合わぬ色っぽさがあった。薄手のインナーもより体に張り付き、へその陰影や控えめな胸の立体感が増している。ただそこにいるだけでなにもかも狂わせるようだ。

 

「キミがホントにルキアさんを愛してるかはわからないけど、このままプライドを捨てて私に懇願してくれればすぐにでも実現するのさ。……それで、どうかな。キミは頷いてくれる?」

 

 圧倒的な力を見せつけてからの甘い言葉。

 誰であろうと、気の迷いで一瞬でもすがりつきたくなるようなものだ。

 一方的な押しつけでありながら、それを選択させることでまるで自分の意志のように感じ、そしてニルフィ自身が願っているかのように思えてしまう。

 

「…………」

 

 だが、それでもだ。

 長い沈黙の末、白哉は口を開いた。

 

「貴様の誘いという名の悪辣(あくらつ)な考えに乗るつもりはさらさら無い」

 

 ニルフィの目をはっきりと見て理解できる。これはただの悪質な問答でしかないと。たとえ白哉が頷いても、ルキアが生き返るかもしれないのは本当だろうが、その後の彼女の身の保証などまったくしていない。アーロニーロを殺した白哉を赦すつもりもないからだ。無様に手足を折られた白哉の前で、生き返ったルキアを拷問にでもかけるだろう。 

 金色でありながら、それだけ少女の目はドス黒かった。

 そしてそんな相手に、死神が屈してはならないことだ。

 千本桜を操りながら白哉がニルフィを睨む。

 

「私の誇りにこれ以上手をかけさせるつもりは無い。貴様はここで、消す」

 

 その答えを予想していたようで、なんら落胆もなくニルフィが笑った。

 

「どっちも悪役だってことを忘れないでね。キミがいくら正義を掲げようが、虚しくて押し付けがましい自己満足なだけだから、さ」

 

 笑みが姿ごと消える。霧がたちこめた。

 一撃は、つながれて、連撃に。威力も相まって、もはや災害と遜色ない暴力の嵐だ。

 そのどれにでも隠し様のない殺意がにじみ出ていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ニルフィは駆ける。地であろうと宙であろうと、神速と化して

 花弁に捕らえられる蝶ではない。イタチなどの捕食者としてだ。

 視線の先にはもはや殺すことを確定している死神がいた。もう満身創痍で、立っているのが不思議である。

 それに苛立ちはない。なにしろ、ずっと耐えるのならずっと甚振り続けられるから。

 

「…………」

 

 けれどニルフィの心が晴れることはないだろう。白哉を殺してもアーロニーロが戻ってくるわけではない。

 アーロニーロがニルフィになにを望み、なにを託してくれたのか。

 それがわからないニルフィではなかった。

 だが、それでも。子供じみた言い訳が頭を支配する。このまま白哉を殺さないままでは、気が狂うような感情があった。白哉は奪ったのだ。ニルフィがもっとも失いたくないものを。

 ーーなんで、居なくなっちゃうの? 

 ーーなんで、奪っていくの?

 ニルフィはただ、みんなと一緒に生きていきたいだけなのに。

 それを邪魔するのならば、

 

「ーー潰してやる」

 

 あらゆる負の感情を込めたつぶやきが戦闘の騒音のなかに消えた。

 身を捻り、掌底を放つ。当たり前だがそれは白哉に届くようなリーチはなかった。

 しかし霧がそれを伝えてくれる。圧倒的な攻撃力こそないものの、相手を(なぶ)り殺しにできるという点では、これほどらしいものもない。

 今でさえ、数多(あまた)の衝撃によって死神の内臓が破裂しようとしていた。

 白哉の声が遠くから届く。それに合わせ、ニルフィも言葉を紡いだ。

 

「破道の四」

「破道の四」

 

 白雷(びゃくらい)

 

 白雷(びゃくらい)

 

 白い線が衝突して相殺した。相殺させた。他でもないニルフィが。

 絶え間なく槍のように突き出される刃の群れ。それをふわりふわりと回避しながら、この戦いにどこか虚しさを感じていた。

 アーロニーロは生き返らない。

 もはや大団円などは叶わないのだ。それもシャウロンたちが死んでからわかっていたことだ。隊長格をここまで簡単にあしらえる力があるというのに、大事なときに大切なモノを守ることができなかった。身が震えて歯の根が噛み合わないような、そんな気持ち悪い感覚がある。 

 ーー鬼道の練習に付き合ってくれるって約束してたっけ。

 ーー二人で一緒にお菓子食べたりとか。

 ーーたまに遊びにつきあってくれたし。

 ぽつぽつと思考が離れていく。もはや手にすることができない時間が頭に浮かんでは消えていった。

 ーーねえ、アーロニーロ。

 ーーどうしたら、キミは喜んでくれるの?

 仇討ちなど望んではいなかったであろう仲間のことを想い続けているうちに、ニルフィの探査回路(ペスキス)破面(アランカル)ではない霊圧が引っかかった。

 白哉とは違う死神のものだ。グリムジョーの独断である現世侵攻を止めに行った時、わずかばかりの覚えがあるものだった。阿散井恋次(あばらいれんじ)、だったか。容姿は知らないが霊圧だけはグリーゼに斬られた死神のものだとわかった。

 この戦いに乱入するつもりだろうか。

 たしかに恋次の上司にあたる白哉が卍解を解放したまま、一方的な攻撃で霊圧を大きく揺らしているのだ。援軍としてやって来るのも不思議ではない。

 さほど注意を払う相手ではなかった。

 しかし邪魔をされるとなれば話は別だ。このまま白哉を逃がすつもりもない。

 ニルフィは霧の範囲を広げる。不埒(ふらち)(やから)が領域に踏み入れた瞬間、首を破壊してやるつもりだった。あるいは手足や金的などを潰し、ルキアをここに連れてきて『助けるならどっち?』ゲームのようなことをしてみるか。

 (よど)んだ空気が殺気となる。

 そしてふいに、千本桜の刃に大きな動きがあった。

 

「……へぇ?」

 

 道ができていた。刃の壁に囲まれた、白い砂がレッドカーペットの代わりに敷かれたような道だ。

 もちろん遮蔽物もなく、ニルフィの先には白哉が立っている。

 

「まあ、間違ってない戦い方だと思うよ。このままだとキミはジリ貧で死んじゃうし、なにより、いま近づいてきている部下さんを殺すことを邪魔できるもんね」

 

 白哉の姿は普段と変わりないように思える。

 しかしそれは外面だけで、死覇装の下の肉体はひしゃげており、左腕はかろうじて動かせるかというところだ。

 短期決戦。これしか、白哉に取れる策はなかったのだろう。

 それを表すかのように、壁は白哉の元へと一点に集まっていく。

 

「……いまこの場に来ようとしている者は、いくら止めようとも介入してくるだろう。それを望まないのは、貴様も同じはずだ」

「たしかに、そこだけは気が合うね」

 

 道は開けた。そこを狙うほかはない。

 エサがぶら下げられた罠だと声高に言っているのと同じことだが、問題はなかった。

 ーー来る方向がわかっていれば、ってところかな?

 このまま霧の中で殺すことをしてもいいがそれでは芸もないだろう。

 そもそもこの戦いはどちらに転んでもおかしくはなかった。耐久力が十刃(エスパーダ)でも最弱のニルフィでは、一撃でも食らえば負けるのだ。

 殺すのならば、この手で、(むご)たらしく確実に。

 

「じゃあ、いくよ」

 

 あえて、誘いに乗る。

 そして死神に完全な敗北の二文字を刻もう。

 正面から真っ直ぐに、狩る。

 ニルフィは前かがみとなりーー消えた。

 

 

 

 このままでは敗北となることを白哉は理解していた。

 慢心は捨てた。傲慢も捨てた。

 それでも届かない。想定以上の強さだった、という言い訳はできてもそれで命を守れるわけではない。

 最後の、最後の一撃にすべてを賭けた。

 

 終景(しゅうけい)白帝剣(はくていけん)

 

 千本桜景巌の全ての刃を圧し固め、一振りの刀となったものを左腕で掴む。

 すると霊圧が牙を剥く鳥獣に変化するようだった。

 それを見たニルフィが前かがみになるような姿勢を取ると、消える。否、白哉へと凄まじい速さで間合いを詰めた。やはり速い。やはり目で追えない。

 それでもいい。

 踏み込む。

 白帝剣を振り抜き、下から上へと白い斬線を奔らせた。

 そこから吹き出した閃光が前方すべてを飲み込み、塵へと帰す。炸裂した光が縦横無尽に破壊を撒き散らした。

 たとえどれほどの防壁を張ろうが防ぐことなど敵わない威力。

 それは一瞬の合間に起きたことだった。

 そしてその一瞬のうちに、すでにニルフィが白哉の背後を取っている。

 避けられた。まともに戦うのではなく、ニルフィはただ白哉を殺すためだけに動いていた。

 霊子の刃に覆われた手刀が裏拳のように振るわれる。

 

「ーーなッ!?」

 

 声をあげたのは、ニルフィのほうだった。

 白哉は動かないであろう右腕を強引に背後へと振り抜いている。それ自体にニルフィを止める力はない。しかし、その手に握っていた千本桜の刃が少女の喉元に食らいつこうと飛来させたのだ。

 完全に意表をついた、白哉にできる最速の一撃。

 ニルフィは自分から飛び込んだようなものだ。いくら速かろうと、そして体術に才能を出してあろうと、不安定な体勢からの響転(ソニード)は難しい。

 ほぼゼロ距離の攻撃から、とっさに身を引こうとする。

 

「……ッ、あ」

 

 数枚の刃が少女の(のど)を引きちぎった。金色の瞳が大きく揺らぐ。

 壊れた水道管のように、ニルフィの細い首から赤い液体が勢いよく噴出した。

 血しぶきが降りかかったのは、白哉と当事者の少女……そして、白帝剣(はくていけん)を放った方向に立っている、もう一人のニルフィだった。

 

 

 

 幻像の血で顔を濡らしながらニルフィは“溜め”をつくる。

 白哉が目を見開きながらそれに気づいた。

 だがもう遅い。完全な、ニルフィの間合いだ。

 左足を踏み込む。

 浅く。

 鋭く。

 重く。

 そして(よど)みのない流れの中に。瞬鬨(しゅんこう)の力をその一点にまで凝縮させる。

 力の限り踏みしめる足から、一時的に増した体重を拳に込める。

 余すことなく渾身の威力を込めた衝撃が、白哉の鳩尾(みぞおち)から全身に“浸透”した。

 変化は、劇的に。

 赤い液体の詰まった風船を破裂させたかのように、白哉の全身から血が噴き出した。

 塔をも崩す破壊力が人体のなかで暴れまわった結果だった。内臓は破裂し、肉はミンチになる。ニルフィの瞬鬨(しゅんこう)による攻撃で無事に済んだのは表面だけだった。

 

「色々壊しちゃっただろうけど、ヒトの形のまま死ねてよかったね」

 

 血を一身に浴びながらニルフィが言った。

 首から血を溢れさせているニルフィが消えていく。本体のニルフィも一瞬前までそこにいたのだ。しかし、白哉がニルフィの動きを予想していたように、ニルフィもまた死神の動きを察していた。

 なにしろ大切なモノを傷つけられたのは白哉も同じだから。

 破壊された右腕を使ってなにかをするくらい、ニルフィにも考えつく。

 そして決めていた。正面から、狩ると。

 

「仇討ちって……虚しいや」

 

 やっぱりアーロニーロが生き返るわけでもなく、達成感も皆無だ。

 ドロドロとした殺気が嘘のように消えて体を崩れ落としてしまいそうな脱力感がニルフィを襲った。

 そしてそれは、

 

「ーーえ?」

 

 紛れもない隙であった。

 下ろしかけた右腕を白哉の右手がつかむ。そんなはずはない。なにより、もう白哉の体は表面だけしか人の形をしていないはずなのに。

 白哉の手を振り払うよりも先に、彼の視力が残っているかもわからない目を見上げた。

 肉体が死を迎えようとしているのに光は死んでいなかった。自身の霊圧で強引に動いているようなものだ。

 

「ーーーーーー」

 

 白哉がなにかを言った。

 肺を破裂させられてまともに喋れるハズがない。しかしニルフィには、なぜか『ようやく捉えた』と言ったように思えた。

 白哉の左手から白帝剣(はくていけん)が落ちる。ちょうど二人の間に突き刺さった。

 ニルフィの失敗は二つ。

 明確な失敗は戦いの最中で気を抜いてしまったこと。

 そしてもう一つは、白哉の覚悟を侮ってしまったことだ。

 白帝剣(はくていけん)の端がブレる。それはバラけようとしている前兆。白帝剣(はくていけん)は『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』のすべての刃(・・・・・)が集められて造ったものだ。

 それが一気に解放された場合、どうなるか?

 

「ッ!!」

 

 即座に響転(ソニード)でこの場を離れようとしたニルフィ。

 しかし足元が突如として崩れた。

 

「…………ぁ」

 

 幻影の喉元を切り裂いた数枚の刃が砂の中を移動したのに気付かなかった。

 体が横に落ちようとする。それに耐えるために一瞬だけ体が硬直した。

 その一瞬こそが戦いの中で一番の隙となった。

 洪水のように溢れかえった刃の海にニルフィは飲み込まれた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「霧が、消えた?」

 

 阿散井恋次(あばらいれんじ)は急に晴れた視界に戸惑いを隠せない。

 白哉の戦っている霊圧を感じてやって来たが、途中から霧のせいで足止めを受けていたのだ。しかしそれが突然消えた。薄れていくのではなく、まるで幻であったかのように急に消え失せた。

 

「ッ、隊長!」

 

 怪しげな霧が無くなったのなら立ち止まる理由もない。

 

「ま、待つでヤンス! ペッシェたちを探すのはどうするでヤンスか!?」

「今は隊長と合流するほうが先だ。あの人がこれからどうするか聞いてからでも遅くねえよ。……いや、お前って破面(アランカル)だし、ここで待ってろ」

「こんな怖いところに置いていかないでほしいでヤンス! それに、その隊長がもしかしたらペッシェかもしれないでヤンス!」

「ねえよそんな可能性ッ」

 

 恋次のあとを付いていくのは、(ホロウ)そのものの姿をしており、水玉模様の服を着ている巨大な二頭身の破面(アランカル)。名はドンドチャッカ・ビルスタン。一護たちが虚夜宮(ラス・ノーチェス)に侵入する直前に出会い、そのままなし崩し的に行動を共にしている。他にも二人の仲間がいるが、それを探して彼もここにいた。

 

「オラ、さっさと行くぞ」

「ほ、本当に行くでヤンスか……? 嫌な予感がビンッビンにするでヤンス!」

「なにいまさらビビッてんだよ。付いてこねえならそこらへんで隠れてろ」

「その隊長は知らないでヤンス。けど、けど。戦ってる相手みたいなヤツは……知ってるでヤンス。アレはきっと……って、置いてかないでほしいでヤンス~!」

「話長いんだよボケ!」

 

 やたらと騒がしい二人組は砂漠の上を駆けていく。

 そんななかで、恋次は違和感を感じた。

 ーー隊長の霊圧が、無えだと?

 おおよその場所の目星はついている。しかし霊圧が感じられないとなれば、相手を片付けてすぐに移動してしまったのか。だとすれば困る。ただでさえ同行者がこうなのだ。心もとないにもほどがあるだろう。

 

「こりゃ、スゲエな。さすが隊長だ」

 

 戦場となった場所は凄惨たる有様だった。まるで巨大な獣が数十頭も暴れまわったかのような削れ方をしている。恋次ではここまでの光景を作り出すことはできない。

 

「恋次!」

「くだらねえ事言ったら蹴り倒すぞ」

「違うでヤンス! あれを見るでヤンス」

 

 ドンドチャッカの指差す方向を見やる。さして離れてもいない。

 近づいてみると、仰向けに倒れている少女がいた。全身に切り裂かれたような傷がある。薄手の布もボロボロになっており、血でかろうじて肌に張り付いているようなものだった。

 傷ついてなお可愛らしく整った顔立ちを見せる黒髪の少女。

 今こそ眠るように倒れているが、頭の両側に付いた角のような仮面の名残から、警戒指定されている破面(アランカル)だということがわかる。隊長格を一人、副隊長級を二人、いとも簡単に倒すことからもう少し怪物じみていると思っていたが、今はただの傷ついた幼女でしかない。

 

「……ぅ、…………ぁ」

 

 細指が少し動いた。生きている。弱々しい呼吸音が二人の耳に届いた。

 

「こいつがニルフィネス、だよな?」

 

 情報通りの容姿からそう推測する。

 そして恋次の頭の隅に思い浮かぶのは、殺せるのならば殺せという指令でもあった。死神を死の淵に追いやるほどだからだ。危険性も考慮してついでという現実的ではない命令でもあったが、弱っている少女ではロクな抵抗もできないだろう。

 白哉が仕留めそこねたとは思えない。しかし少女は虫の息であれ、こうして生きている。

 

「れ、恋次?」

 

 斬魄刀の柄を握り直したのを横から見たドンドチャッカが困惑気味に名を呼んだ。

 

「……わかってる」

 

 だが、止まるつもりはない。この少女が日番谷たちを完封できるほどの実力があるのを知っていた。このまま待っても死にそうだが、仮に見逃したところで万が一にも生きながらえれば、大きな脅威となるだろう。

 ーーああ、クソ。

 ーー気が進まねえな。

 かといって、恋次が冷血漢なのかといえば否だろう。

 たとえそういったことを狙ったかのような(・・・・・・・・)容姿だとしても、まんま子供を手にかけるのは気が引けるのだ。たとえ仲間が殺されかけようともそれには変わりない。根はいい死神である恋次ならばなおさらだ。

 つくづく嫌な仕事だと思う。

 脅威を消すと考えても他にやりようがあれば、と。

 斬魄刀を始解の状態にして振り上げた。

 これ以上苦しませないようにするのだと自分を納得させて、振り下ろす。

 

「ーーあ?」

 

 肉を断つ音は聞こえなかった。始解の『蛇尾丸(ざびまる)』が受け止められていたからだ。

 少女に、ではない。さっきまで気配すら感じなかった朱色の髪の(・・・・・)女が、恋次と少女の間に入り、片膝を突いた体勢のまま右手の二本の指で(きっさき)をつまんでいる。

 それがおかしい。たかがそんな軽い仕草で受け止められるような柔な斬撃を放たなかった。

 

「あ、あ、アワワワワワ、ワワワワワ……ッ!!」

 

 恋次の背後でドンドチャッカが恐怖に支配された声を出して尻餅をついた。後ずさろうとしても手が虚しく空を切っている。

 その理由はわからない。だが、これから知る事になるのは理解できた。

 女が俯きがちのまま口を開く。

 

「……いま、この娘を殺そうとしたわね?」

 

 身を灰にされるような殺気が恋次を襲った。勘に従って大きく飛び退いたのが唯一の幸運だった。

 あと一瞬でも遅れていれば手に持った斬魄刀と同じように、体の上半分を消滅させられて、いや、本物の灰にされていただろうから。

 炎が一面を支配した。

 それも情報通り。この女、アネットのことは知らされている。以前、自分の腕を斬り飛ばしたグリーゼと同じ従属官(フラシオン)だと。

 思わぬ地雷を踏んでしまったことに、そして重力が倍加したかのような圧力に、ドッと全身から汗が噴き出した。

 ーー聞いてねえぞ!?

 ーーホントにコイツが従属官(フラシオン)ってレベルなのかよ!?

 少女を優しく抱き上げたアネットが、その傷だらけな矮躯を見やる。切れ長のルビーのような目を細め、己の白い手で少女の顔についた血を拭う。

 

「そうね。アーロニーロが死んでから嫌な予感がしてたんですよ。この娘なら、自分から危険に突っ込んでいっちゃうし、技術は得ても殺すことなんて最近あんまりしてないから勘も鈍ってるかも、って。それに、これはあなたがやったワケじゃないってのは頭では理解できてるのよ」

 

 一歩、女が右足を踏み出す。出した脚の周辺の白砂が灰となって舞い上がり、羽のようにアネットの周囲をまわる。

 

「まあ、こういう時は『なんでこんなことを?』とか、『仲間を傷つけないで』とか言うのが主流なんでしょうけどね。ああ、ダメ。そういった気の利いたこと、いまのアタシじゃ言う余裕もありませんね」

 

 とばっちり? 単なる間の悪いさ? 

 そんなものなど、女には関係なかった。行き場のない怒りのまま暴れるだけの力があったからだ。

 女は口にする。

 

「とりあえずーー殺す」

 

 死刑宣告を。




後日、部分的に修正する可能性があります。


侵入者が戦ってる時の十刃(エスパーダ)さんたちの反応。

「うわー、メンドい。他の奴らで勝手にやってろよ……」

ニルフィが倒れた時の十刃(エスパーダ)さんたちの反応。

「…………よし、動くか」

虚圏(ウェコムンド)攻略難易度が跳ね上がりました。





『ニルフィの瞬閧(しゅんこう)について概要』

 夜一さんの瞬閧(しゅんこう)は鬼道をチャージしてブッ放つタイプ。なんとなく雷をかめ〇め波みたいな感じで撃ってるように見えました。瞬閧(しゅんこう)使ってるヒトがほとんどいないので、ほぼ作者のオリジナル要素。
 ニルフィの瞬閧(しゅんこう)の能力は『浸透』のようなもの。霧を媒介にして、打撃の際に起こる衝撃と振動を相手に伝える感じです。破壊力は夜一さんに及びませんが、霧の範囲内ならどこでも防御不能な攻撃を仕掛けられる理不尽仕様。
 表面だけ硬くても打撃が浸透してくるので、物理的に霧を空間内に入れないことだけが対応策である。
 最硬と自称してるノイトラさんでも、

「俺が、最きょグェッフォ!?」

 などと普通に腹パンが可能。



 ……活動報告をチョロッと更新しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十人十色

総合評価ポイントが2500pt越えにまで至りました。
お気に入り登録してくださった方、評価ポイントを付けてくださった方、誠にありがとうございます。頑張ってまだ遠い完結に持っていく所存です。
読者の皆様に感謝を。


「ーーと、まぁ、怒りのせいで天井知らずのハイパーインフレ状態になったアタシが、スーパーハイな展開で赤カブを灰にして、幼女をめでたく救出しましたとさ。めでたしめでたし……ってなれば良かったんだけど」

 

 先ほどまでの周囲の空気が歪むような怒りはどこへやら、やや道化じみた口上で肩をすくめるアネット。

 彼女は自分の(あるじ)をお姫様抱っこしながら炎を消し去った。

 その様子に恋次は肩透かしを食らった気分となる。

 しかし、そうではないのだろうと刀の柄を握り直した。

 この女の実力は訊いている。そして見た。始解の斬魄刀でさえ問答無用に灰へと帰す能力は、非常に脅威だ。それをもってなお飄々とした口調を崩さないのは、彼女が食わせ者だからだろう。

 

「いいですよ。この場は見逃してあげるわ。こっちは早くこの娘の治療をしないといけないし、あなたが手を下したワケじゃないものね」

「……見逃す、だと?」

 

 心外だとばかりアネットが大きく肩をすくめさせる。

 

「あら、信じられないんですか? これでもアタシは演技に自信があるだけで、素で嘘を吐くのは苦手なんですよねー」

「ッ、お前らが出てくるのは、俺たちの迎撃のためだと思ってたんだがな。違うのかよ」

「さあ、どうかしら。ここで戦い始めたらニルフィにダメージがいっちゃうし、アタシはこの娘にまだ生きててもらいたいの。それにーー」

 

 言葉を切ったアネットが、抱えている少女の首筋を伝う血をこれもまた赤い舌で舐めとった。

 (なまめ)かしく、見せつけるように。お前に興味など欠片もなくなっていると言っているようだった。

 

「アタシが手を下さなくても、ここにいるとあなた、ホントに死ぬわよ?」

「…………」

 

 それが忠告などではないことは恋次にも察せる。

 なにしろ、アネットの目は内包する怒りに反してひどく冷ややかだったからだ。ここで恋次を見逃すのも、わざわざ自分が手を下すまでもないと考えているからだろう。

 刀身が半ばから消え失せた斬魄刀が重くなった気がした。

 

「それに、アタシが暴れないことに意味があるの」

 

 ニルフィの霊圧が極端に小さくなってしまった今、生死の判定が難しい。しかしここでアネットがキレて(・・・)しまわなければ生きていると知らせることにも繋がる。

 たとえ彼女がどれほど怒りを内包しようが、かろうじてそれを行動できる理性の糸は残っていた。

 

「というか、もう仇討ちしてやる部位が残ってるワケじゃなかったんですよねぇ。見るに堪えないってまさにああいう姿を指す言葉というか、侵入者の末路を体現してたというか」

「……なに、言ってやがる」

「ナニも何も、あなたのところの隊長さんですよ。あっちで血だるまになって転がってるわよ。生きてるとは思えないけど」

「なッ……!?」

 

 そんなハズはない。言葉にするよりも先に頭に思い浮かんだ否定であった。

 あの隊長が負けるような姿など想像できなかった。少なくとも相討ちという事実があっても何の慰めにもならない。

 

「あの人がやられるハズがねえ。デタラメ言ってんじゃねえぞ」

「信じる信じないは勝手にやってやがれって感じですね。で、どうしますか? その折れた刀でアタシに斬りかかってくるの? グリーゼじゃないけど、戦うのなら無駄なく秒殺してやるわよ」

 

 殺気が形となったかのように、アネットの周囲の砂が弾けてさらに粉となっていく。

 考える暇もなかった。他方からの助力が期待できない今、自分の力だけが頼りなのだ。

 ーーやるか?

 ーーけど、あの炎をどうする?

 ーーそれよりも先に、俺は勝てるのか……?

 後ろ向きな考えに思い至り、奥歯を砕くように噛み締めて振り払う。腹をくくるしかないか。そう思ったとき、新しく姿を現した破面(アランカル)がいた。

 

「なにをしているんだ、アネット」

「あら、ハリベル。奇遇ね」

「とぼけるな。まさかとは思っていたが、今まさにニルフィのことを忘れて()りはじめようとしていただろう。その娘のために怒りを覚えても、なにを優先すべきかはわかるはずだ」

「そりゃそうですけども」

「お前は思っているほど平静を保てていない。ーーここは私が引き受けさせてもらう」

 

 褐色の肌をした女の破面(アランカル)だ。教えられなくとも、このハリベルという女が十刃(エスパーダ)であることに疑いを持つことはなかった。

 そして、ハリベルは周囲を見回す。

 

「居るな? ルドボーン」

 

 即座にアネットとハリベルの前に膝をついて現れたのは、牛の頭蓋骨を被ったかのような男だった。

 

「誰の指示なのかは聞かない。貴様らがここへやって来た本当の理由がニルフィの回収だろうが、な。だが言っておく。この周辺から葬討部隊(エクセキアス)を引かせろ。ーーこれ以上ニルフィを付け狙うネズミのような真似は許さん」

「……御意に」

「わざわざそんなことしなくても、近寄ってきたらアタシがどうにかするつもりだったんだけど」

「その時間も惜しいだろう。早くニルフィを連れて行け」

 

 苦笑気味に頭を振ったアネットが響転(ソニード)でこの場を去ろうとした。

 最後に、ハリベルの言葉が残される。

 

「ーー最善が最良だとは限らないぞ」

「…………」

 

 答えることもなく、アネットが少女と一緒に姿を消す。

 ルドボーンもいつの間にか居なくなっており、この場には改めて新手の破面(アランカル)が残ることとなった。

 

「貴様が侵入者の一人か?」

「見りゃわかんだろ。そういうテメエは十刃(エスパーダ)だよな。これで従属官(フラシオン)だってんなら、冗談もいいところだぜ」

「アレは特異なだけだ。私は十刃(エスパーダ)なのは本当のことだがな。おかげで、この戦いに邪魔が入ることもない」

 

 ハリベルは背に下げられていた斬魄刀を抜き放つ。剣の形であったが、真ん中が空洞になっている巨大な段平のような形状をしていた。

 戦いの回避という選択肢は元からないらしい。

 舌打ちをした恋次は己の霊圧を高めていき、

 

「卍解『狒狒王蛇尾丸(ひひおうざびまる)』」

 

 最大の対抗策で打って出た。

 巨大な骨のような蛇のとぐろに囲まれながら、恋次がふとした疑問を口にした。

 

破面(アランカル)ってのは、こうも仲間の危機に現れるようなもんなのか? (ホロウ)の姿からは想像もできねえんだがよ」 

「仲間ならば当然のことだ。……しかし本当の意味で仲間という概念を作ったのは、他ならぬニルフィだったというだけだ。ただ一人のおかげで変化が生まれた。これだけでは不満か?」

「いいや? そこだけはなんか共感できるな」

 

 そうか、とハリベルが静かに目を伏せ、そして再び視線が上げられると斬魄刀を構える。

 

「ならば、深くは語る必要もない。私は同胞の頼みを守ってやることができなかった。だから、私はここにいる。せめて犠牲が無駄ではなかったのだと証明するために」

 

 怒りとはまた違った、剣の(むしろ)を思わせる威圧感が女から放たれた。

 

「ーー討たせてもらう」

 

 相手の事情など恋次が知るよしもない。そんな時間が残っているはずもなかった。

 砂漠の中心で、霊圧が撒き散らされる。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「お、おい。お前がいけよ」

不正解(ノ・エス・エサクト)。ここでお前が口にするのは『俺に任せてあとは見ていろ』、だろう? 大丈夫だ、骨は拾って……そもそも残ってればいいな」

「てめえ……!」

「シッ。陛下に聞こえてしまうぞ」

「あとで覚えてろよ」

 

 ジオ=ヴェガとフィンドール。

 バラガンの従属官(フラシオン)である彼らは、ホールの上の玉座に腰を据えた自分たちの主人をちらりと見上げた。

 とてもとても不機嫌そうだ。左手の指で肘掛を叩き、霊圧が不穏なオーラとなって放出されている。普段ならばここまで感情を(あら)わにするバラガンも珍しい。しかしそれをまじまじと見つめるには、かなりの勇気が必要だった。

 

「……やっぱり、あのチビのことだよな?」

 

 ジオ=ヴェガの言うとおり、この宮まで届くほど荒ぶっていたニルフィの霊圧が急激に弱まった瞬間から、ああなのだ。

 

正解(エサクタ)。陛下は彼女を一定以上は認めているからな。お気に入りのモノを傷つけられて怒りを覚えない者は、そもそも気に入ってすらいないものだ」

 

 もう一度、二人は玉座を見上げた。

 “お爺ちゃんマジ(おこ)”な状態のバラガンにひと睨みされてすぐに視線を逸らす。

 やたらとこの空間はピリピリしている。自由にくつろいではいるが、無断でホールを出るのがためらわれるほどだ。ふたりの他にもバラガンの配下たちは多くいた。

 そういえばついさっき葬討部隊(エクセキアス)がなにやら戻ってきて報告し、さらに機嫌が悪くなっていたのだ。なにやらそばにいるポウやニルゲになだめられていた。

 

「そういや、陛下とあのチビってかなり前からいたんだよな。それで敵対とかしてたっていう」

「たしかにそうだな。最後の方は自然災害のようなものとして割り切ってはいたが、実力自体はたしかに認めていたんだろう。不適切な言葉になるかもしれないが旧友のようなものだ。陛下にとってかつての知己は、もはや片手の数ほどもいなくなっている」

 

 ジオ=ヴェガたちはバラガンの元々の配下の中では若輩か中堅といったところである。

 昔から仕えたまま今も生きている者はほとんどいない。

 いくらかの最上級大虚(ヴァストローデ)を配下にしていたが、当時の『剣八』に倒されていたり、藍染たちが虚夜宮(ラス・ノーチェス)を乗っ取りに来た時に最後まで抵抗したのが彼らで、結果は、今を見ればわかるというものだ。

 ザエルアポロだけが生き残っているが、今ではさほど交流もなかった。

 二人も含めて主だった従属官(フラシオン)たちは繰り上がりで選ばれたに過ぎない。 

 傲岸不遜な大帝も懐かしみを覚えているということか。

 

「それに陛下ご自身は自覚していないようだが……」

 

 言葉を切り、フィンドールは仮面に覆われて外からは見えない目を細めたように思えた。

 

第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)の言葉になにか思うところがあったのかもしれないな」

 

 アーロニーロの認識同期はジオ=ヴェガも受け取った。たしかに心が動いたのも事実だが、それがバラガンも同じだったとはあまり想像できないでいる。

 

「なら、俺らはこんなトコにいていいのかよ」

「……言いたいことはわかる。だが」

 

 ちょうどハリベルの霊圧が探査回路(ペスキス)に反応した。

 

「今から我々が行ったところで残っている(・・・・・)かどうかもわかったものではない。それに我々は現世に侵攻するための兵だ」

「だからって、俺らはじっとしてていいのかって訊いてんだよ」

「そう、だな」

 

 口ではどう言おうともフィンドールも含め、ここにいる多くの者はニルフィに情の沸いたものたちだ。

 

「ははは……。変化というのは、ここまでのものか」

 

 破面(アランカル)が情などとは笑い話もいいところだろう。しかしニルフィが与えてくれたのは変化だ。同じ時間を百年単位で繰り返す退屈を忘れさせてくれた。変化とは、久しく味わったことのないものだった。

 バラガンでさえ、虚夜宮(ラス・ノーチェス)の真の主人であった頃も、その退屈のせいで自分の軍を半分に分けて戦わせようとしたのだ。だからだろう。いつも変化を与えてくれる貴重な存在として手厚く世話を焼いたこともあるのは。

 

「やれやれ、俺も自分で思っているほど感情を支配できていないらしい」

「そりゃそうだろうな。あのチビの見せてくれた箱から箱に移動する瞬間移動マジック見てめっちゃ興奮してたもんな」

「いや、俺はそれ自体にもそれなりに興奮していたが、バニーガール風の衣装を着ていた彼女に興奮していたんだ」

「訊かなけりゃよかった」

 

 しかし、と肩を落とすフィンドール。

 彼はやや力のない動作で首を振った。

 

「どうすることが正解なのかわかっているというのに、ままならないものだ」

 

 ちらりと視線をはずしてみる。

 奥の壁際ではシャルロッテが凄まじい形相で腕組みをして、全身から血管を浮き上がらせている。あまりの禍々しい姿に周囲には誰も近寄らない。教えてもらわなくともブチギレているのだろう。ニルフィとこの宮で一番仲がいいのは彼だった。

 さらに視線を移せば、高速で貧乏揺すりをしているアビラマが目に入った。周囲の仲間が諫めなければ、先走って宮を飛び出しそうだ。

 

「我々は軽々しく動くことはできない。第3十刃(トレス・エスパーダ)もそれは覚悟の上だ。それでも、それでもだ。彼女らが動いたことを誰が責められると思う?」

 

 その言葉にジオ=ヴェガは何も言わないまま肯定を返す。

 

「へっ、陛下! その、どちらに?」

「散歩に決まっておろう」

「お言葉ですがたかだか散歩のために滅亡の斧(グラン・カイーダ)を持ち出されては困ります! どうか、どうかお願いですからお気をたしかに!」

「ハリベルの小娘だけに獲物を取れるのも癪なのでな。ちぃっとばかし、道端の虫を踏み潰しに行くだけじゃ」

「後生です! 後生ですからどうかぁ!!」

 

 そろそろ自分たちもバラガンを静めに行かなければならないだろう。

 二人は顔を見合わせると、いまやるべきことを行動しはじめた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 第8宮(オクターバ・パラシオ)の地下深く。

 さらにその最奥で、ザエルアポロは自分が着用するわけではないサイズの装甲や機器の調整をしており、整頓されていながら装備の多さで雑多に見える研究にいた。

 ふいに、作業の手を止める。

 いま気づいたとばかりにザエルアポロが振り返ると、入口のそばに膝を突いたルドボーンが控えていた。

 

「その様子だと、捕縛は失敗した、という所かな?」

「ハッ、我々の力及ばず、そして最低限の出来事として処理するには……」

「口上はそれはもういい」

 

 うるさそうに手を払うザエルアポロ。

 

「君への言及はあとにするとして、事態の詳細を聞こうか」

 

 そしてルドボーンは語りだす。

 最初の侵入者以外にも隊長格の死神が現れ、アーロニーロと交戦をしたこと。そしてその死神と戦ったことでニルフィが相討ちに持ち込まれて倒れたことなどだ。

 どさくさにまぎれて回収するようにも命令していたが、ルドボーンたちの愚鈍さのせいで横槍を入れられたとも考えた。まさかハリベルが出張ってくるとは予想していなかったとはいえ、大きなチャンスを逃したことには変わりない。

 ーー元から期待していなかったとはいえ、やはりこの程度か。

 出来の悪い生徒が、やはり出来の悪い結果しか残せなかったことを確認した教師のように、ザエルアポロがため息を吐く。

 

「まぁ、いい。たかが数十人だけ(・・・・・)葬討部隊(エクセキアス)を動かす許可を出しただけで、上手く事が運ぶとは僕も思っていないよ。それに、無闇に対象と交戦をしたワケではないんだろう?」

「…………」

「ともかく情報はわかった。あとはもう下がっていいよ」

 

 深く一礼したルドボーンが去っていくのを見送ることもせず、ザエルアポロがさっきまで手を付けていたいくつもの装備や機器を一瞥する。

 探査回路(ペスキス)の範囲を広げてみればざわめきがひどい。

 これがたった一人の少女が倒れたことでおこっているのだから、なかなかに滑稽だろう。

 

「しかし、そうか。もっとも可能性が小さかったが運というのも侮れないな。ヤミーではないが、幸運(スエルテ)と叫んでおきたいくらいだ」

 

 形のいい顎に手を添え、思考をめぐらす。

 ーー十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の回収すらできなかったが、まあいい。奴らの価値は低い。

 ーーそれにしてもこの混乱はうってつけだ。

 ーー許可を貰っているとはいえ、他の奴らの邪魔が入っては興冷めだからね。

 前々から準備をしていた物がついに日の目を見ることになるだろう。

 ーーけれどやっぱり、アイツ等はわざわざ蟲蔵に主人を運んでこないか。

 ニルフィの治療にはロカが当たることになるだろう。しかしザエルアポロの指示で不穏な行動を見せてしまえば、即座に灰にされるか首が飛んでいくので、役に立ちそうにない。

 手は打っていた。

 それでも、壁はかならず一枚は残ってしまう。

 話は通していてもスムーズに進む可能性のほうが低かった。

 これでは自分から宮を出向かなければいけないことになる。ザエルアポロの純粋な戦闘能力は十刃(エスパーダ)の中でも高くなかった。宮の中での戦闘こそが本領を発揮できるのである。

 

「ルミーナ、ベローナ」

 

 手を叩き、共にボールのような体型をした二人の男を呼び寄せる。カエルのように跳ねながらやって来たのは改造従属官(フラシオン)であることを表すような異形であった。

 

「ザエル、アポロ様! ザエル、アポロ様!」

「お呼びです、カ!?」

「これから研究材料(ニルフィ)の回収に行くぞ。すぐの他の奴らも呼んで準備をしろ。あまり時間を欠けるようなら肉壁にして作り直すこともないと思え」

「えェ!?」

 

 従属官(フラシオン)たちが素っ頓狂な声を上げた。

 それは最後の消滅宣言にではなく、前半の部分に。拒否を示すかのように冷や汗を流しながら。

 

「そ、ソれは……」

「なんだい? 僕の言ったことが理解できないくらい、君のことを低脳に造ったつもりはないんだけどね。今さら障害にいる奴で怯えたわけでもあるまいし。……ああ、まさかとは思うが、彼女に情なんてものを覚えてるんじゃないだろうね?」

 

 冷ややかな目で睨まれたルミーナは震えながら萎縮した。それが何よりも答えだというのをわかっていながら、ザエルアポロはさらに言葉を投げかける。

 

「さあ、答えてくれ。簡単だろう。イエスかノーのどちらかを口にすればいいんだから」

 

 いまだに狼狽(うろた)えている二人に苛立ちを覚えながら、答え次第では廃棄も考えるザエルアポロ。

 それを感じても、ルミーナとベローナはそんな主人に思わずといった様子で尋ねた。

 

「ほ、ホントに? ニルフィ、頭いい。殺す、虐めるしなくても、使える!」

「ダカラ、そんなことしなくても、ダイジョウブ」

 

 なおもたどたどしく身振り手振りで必死に言葉を連ねる二人。

 

「ザ、ザエル、アポロ、様は。それで、イイノ!? ニルフィ、虐める、イイノ!?」

「ニルフィ、ザエルアポロ様のコト、信じてる! ザエルアポロ様、ニルフィのこと、気に、入ってた! ベローナたちに、ニルフィ、優しくしてくれた! 怖がら、なかった!」

「…………」

 

 ニルフィは飴玉騒動のあとも、アネットに隠れてちょくちょく第8宮(オクターバ・パラシオ)に足を運んでいた。彼女いわく知識を得るためらしい。その宣言に違わず、ニルフィはスポンジのごとくいくつもの知識を短期間で取り込んでいった。

 思えば、片手間で教えていただけのはずが、ザエルアポロは直々に指導してやっていたものだ。

 薬に関しての研究も手伝わせたことがある。

 ニルフィの人徳ゆえか、すぐに異形の従属官(フラシオン)たちとも打ち解けた。ザエルアポロの指示ならば何でもやるような彼らでも、ニルフィが実験の材料になることを見過ごすのは耐えられなくなるほどだった。

 

「……たしかにそうかもしれないね」

 

 考え込むかのように眼鏡を押し上げる。

 

「よくよく思い返してみれば僕も彼女にはそれなりの思い入れがある。必要が無くなるのを分かっていながら、なぜ僕は手づから知識を与えていたいたんだろう。精神学は専門外なんだが……難しいものだね」

 

 改めてさっきまで調整していた装備を見回し、ザエルアポロは肩から力を抜いた。

 さらに困ったかのように笑いながらルミーナたちを見る。初めて見せたような笑みだった。

 それを見てホッとしたかのように息をつく異形の二人。

 そして、

 

「ーーだけど、それだけだ」

 

 ザエルアポロはいつの間にか手に持っていた筒のようなボタンを押す。

 その瞬間、ルミーナとベローナ、主人にとって必要のないモノとして認識された二人が無残に破裂した。血を撒き散らすこともできずに風船のようにあっけない処分だった。

 

「……僕を糾弾してもいいし、非難するのも構わないよ」

 

 靴音を響かせながらザエルアポロが扉へと歩き出す。

 その途中に散らばっていたルミーナたちの残骸を、なんの感慨もなく踏んでいく。

 

「たしかに彼女は科学者や研究者として、僕を尊敬してくれていただろう。彼女が僕に向けてくれていた感情は実に心地よかった。出来るならばむしろ、本当に助手にしておきたいくらいだったよ。それは決して嘘ではない」

 

 けれど考えて欲しい。

 次の言葉へと続けるなかで、そうザエルアポロが言った。

 右手でまた眼鏡を押し上げるようにして顔を隠し、手が下げられたあとには酷薄な笑みが浮かんでいた。

 

「僕は完全な命を生み出すために、己の体を割くようなマネをする男だよ。(カス)を蟲箱にするし部下はためらいなく殺すことができる。そんな僕が彼女を切り捨てる算段を整えないとなぜ信じられたんだーー?」

 

 多くの者が変わっていく中で、彼は、少なくともザエルアポロは変化を受け入れなかった一人であった。

 それを悲しむことができる人物はこの場にはいない。

 

「……それで、これを聞いてなお僕に直談判したい奴はいるのかな」

 

 扉の前でザエルアポロが振り返った。見えないだけで控えている従属官(フラシオン)たちの視線が、ルミーナたちの残骸とザエルアポロを行ったり来たりしている。

 十秒も待っても出てくる者はいなかった。

 

「なにをしている。ーーさっさと準備をしろ!!」

 

 叫びが恐怖を生む。

 それに突き動かされるようにして慌ただしく這い出してきた異形たちに興味を示すことなく、扉に手を掛けた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 変わる者。変わろうとする者。そして変わらぬ者。

 その中心にいる少女が倒れたことで、元ある歯車が段々と狂い始めていった。

 それがどのような結果を生むのか、まだ誰も知ることはない。




ハリベル「ーーここは私が引き受けさせてもらう(キリッ)」

 ハリベルに置いてかれた従属官(フラシオン)たちの会話。

アパッチ「やべえ! ハリベル様が速え!? つーか、もう見えねえじゃん!」
ミラ・ローズ「あのおチビの霊圧が消えかかった瞬間、あたしらの前からも響転(ソニード)でハリベル様が一番で消えたからね」
スンスン「落ち着けと仰られてましたけど、一番そわそわしていたのはハリベル様でしたのに」

 心配のし過ぎでいの一番に飛び出した第3十刃(トレス・エスパーダ)
 ニルフィの怪我で何気に一番焦っていたのはハリベルだったそうな。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

防衛ではなく殲滅ですよ

 黒崎一護はたどり着いたその一室で足を止めていた。

 さして特徴のない部屋であったが、唯一、高い天井までに届きそうな階段がそびえ立っている。

 そこを等間隔の足音を響かせながら降りてくる青年がいた。

 

「ウルキオラ……!」

「俺の名を(おぼ)えているのか。お前に名乗った(おぼ)えはないんだがな」

 

 口ではそう言うものの、さして疑問を持っているように思えない。以前と変わらないように無機質な印象を受ける破面(アランカル)だ。

 

「まあ良い。朽木ルキアは死んだ」

「ーー! なん……だと……!?」

 

 彼からもたらされた情報は驚くのに十分だった。

 

「正確には第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)に討ち取られた。全身を切り刻まれ、槍で体を貫かれた。生きてはいまい」

「適当なこと言うなよ。ルキアの霊圧が小さくなってから時間は経ってないぞ。戦ってもいねえてめえがそんな事……」

「認識同期。第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)の能力の一つであり、奴の役目の一つでもあった能力だ。奴は自分の戦った敵のあらゆる情報を瞬時に、すべての同胞に伝えることができる。……なにも吉報ばかりではなかったが」

 

 最後の言葉だけ、今までの淡白なものとは色合いが違っていたが、それに一護が気づくことはなかった。

 感情が(たか)ぶる。すぐさま否定の言葉を吐きたい。しかし、それすらも強引に理性で押さえつけて、一護は部屋の脇にある扉へと歩き出す。

 

「どこへ行く」

「ルキアを助けに行く」

「死んだと言ったはずだ」

「信じねえ」

 

 言い切った一護を、ウルキオラが切り捨てた。

 

狷介(けんかい)だな。朽木ルキアだけではない。お前の他の仲間もロクに勝つこともできないまま次第に死んでいくだろう。十刃(エスパーダ)も腰を上げ、他の破面(アランカル)たちも動き出した。……そして、援軍としてやって来た朽木白哉も倒れた」

「なッ……あいつが!?」

「リーセグリンガーと戦闘した霊圧は感じただろう」

 

 たしかに、一護は白哉とニルフィが交戦をした際の霊圧を感じ取っている。それからパッタリと両者の霊圧が消えてから嫌な予感というものがしていた。

 白哉は強い。かつて尸魂界(ソウル・ソサエティ)で戦い、ほぼ相討ちに近い形で辛くも一護が勝利できた相手だ。勝敗には運の要素も関わっていただろうし、そんな強者がもう倒されているのが信じられない。

 ならばなおさら早く行かなければならなかった。

 ふたたび歩き出そうとした一護の背に声が投げかけられる。

 

「俺を殺しに行かなくてもいいのか?」

「……てめえと戦う理由は()え。てめえは敵だが……、てめえ自身はまだ誰も俺の仲間を傷付けてねえからだ!」

「ーーそうか。虚圏(ウェコムンド)に井上織姫を連行したのが、俺だと言ってもか」

 

 気づけば、一護は斬魄刀を抜いてウルキオラに斬りかかっていた。それをウルキオラが右腕で受け止めてつばぜり合いとなる。

 霧のように見えなくなっていた答えがわかった。

 

「やっぱり井上は、自分の意志で虚圏(ウェコムンド)に行ったんじゃなかったんだな……!」

 

 ギシギシと歪な音の中でウルキオラが言った。

 

「意外だな。助けに来た仲間といえど、少しは疑心があったらしい」

「わかってんのか!? てめえのせいで! 井上は裏切り者呼ばわりされてんだぞ!」

「だろうな。そうなっていなければ、こちらの計算ミスということになる」

「てめえ……!」

「俺と戦う、理由はできたか?」

 

 ひときわ強い衝撃と共に二人が距離を取る。

 今まで部屋の隅で丸くなっていた少女、ネルに一護が離れていろと忠告した。

 

「い、一護」

「どうやらこいつは、俺をこのまま通す気はなさそうだ」

 

 その声に反応したのはウルキオラだ。無駄話を嫌いそうな性格だと思っていただけにそれは意外だった。そして開かれた口から出た言葉も、予想していた毒舌とは違うものだった。

 

「こちらも二人倒されている。だから、俺はここまでやって来た。俺は通す気がないんじゃない。ーー危険因子の一つであるお前を排除するだけだ」

 

 ウルキオラが霊圧を纏う。命令だからではなく、仲間が倒れたから動いた。ウルキオラ自身はそれを自覚しないままだった。

 だからといって一護も引くわけにはいかない。

 ドルドーニとの戦いのように、全力で倒す。

 卍解と一緒に(ホロウ)の仮面を引き出して跳躍した。黒い霊圧を引き連れながら斬魄刀をウルキオラに振り下ろす。

 黒い爆発からこの戦いが始まった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「持ち運びできる器具だけでは、彼女の治療の処置はこれで精一杯です」

 

 申し訳なさそうに一礼したのは、顔の右半分が髑髏状の仮面で覆われた黒髪の若い女だった。セーターと薄手のワンピースが合わさったような服は雑用として働く破面(アランカル)の身分を表しており、このロカ・パラミアも治療係として割り当てられたものであった。

 天蓋付きのベッド脇に腰を下ろしていたアネットはそれを手で制す。

 

「べつにいいわよ。あなたがいないとこの娘は死ぬしかなかったから」

 

 アネットは視線を死んだように眠っているニルフィへと移した。

 この大きな寝台と比べればひどく小さな存在だった。身が削られてそれも顕著になる。触れることさえ躊躇われる傷は全身にも及んで包帯が隠していた。ほんのかすかな胸の上下がなければ、死んでしまっていると思うのも仕方ない。

 そして何よりも少女を小さく見せている要因があった。

 囁くようにアネットが言った。

 

「また、伸びればいいわね」

 

 黒髪が今では肩よりも少し下からバッサリと無くなっている。幼い見かけにコンプレックスを抱いているニルフィだが、(からす)の濡れ羽色の長くなびいていた髪だけはよく自慢していた。それが、今ではセミロングがいいところだ。

 

「……他の持ってこれる器具だけでは峠も越せないということか?」

「本当ならば治療室まで運んで回復まで持っていくことが最善です。応急手当だけでは、時間の猶予を増やすだけに留まるかと思います」

「……それができれば苦労はない。だが巨大な器具まで持ってくるにしても限界がある」

 

 今まで黙ったまま治療を見ていたグリーゼが首を振る。

 ニルフィのダメージは思ったよりも大きすぎる。響転(ソニード)の移動にも耐えれず、アネットは近場でもっとも安心できる自分たちの宮に帰ってきた。そこまでの短距離移動だけでもニルフィは傷を広げていたために、比較的近いとはいえ、治療室まで運ぶにしても寿命を縮める。

 治療道具を持って駆けつけたロカに二人が気づき、ほぼ拉致の手際で時間を短縮させたのは余談だろう。

 

「このまま時間が過ぎてしまえば、ニルフィネス様の命は刻一刻と減っていくはずです」

 

 出来るかぎり事務的にロカが告げた。

 

「ですが」

 

 言葉を切り、ロカは眠っているニルフィに目を向ける。

 これでもニルフィの交流は深い。

 ニルフィがある日を(さかい)に命のやり取りと変わらない鍛錬を繰り返したことで、ほぼ毎日負傷、あるいはそれに近い怪我をして治療室にやって来た。それに担当を任されたのはロカだ。人懐っこいニルフィの性格もあり自然と会話も増え、少女がザエルアポロの研究室にまで勉強しに来た時も世話をさせてもらった。

 ロカはザエルアポロに創られた破面(アランカル)だ。その主人はロカを誰かと接触させることをよく思っていなかったが、なぜかニルフィとのふれあいだけは禁じなかった。

 

「ーー井上織姫様の力ならば、あの方をこの場へ連れて来れたのならば、それがもっともニルフィネス様の負担が小さくなるでしょう」

 

 従者たちは各々の反応を見せる。

 

「……たしかに、無から左腕を作り出せるのなら大それた器具もなしに可能だろうな」

 

 力の一端を目にしたことがあるグリーゼが頷いた。

 

「でも天挺空羅(てんていくうら)とかいう鬼道も無いし、アーロニーロの使ってた認識同期みたいな便利な通信手段もありませんからね。他の助力があるかもしれないけど、待ってるだけならアタシたちで行動を起こさないといけないわよ」

 

 たしかにアネットの言っていることももっともだ。

 それこそが、ロカがザエルアポロから出された指示だった。ロカだけではニルフィをこの場から動かすこともできない。不穏な動きを見せてしまえば、一秒後には顔見知りとはいえ首が切断されるか灰にされてしまう。

 そしてそんな二人をザエルアポロはそろって相手にするつもりはない。

 アネットかグリーゼのどちらかが宮を離れている間にザエルアポロは動き、他からの横槍が入れられないうちに“回収”を済ませる腹積もりだった。

 これは自分によくしてくれた彼らに対する裏切りだろう。

 ーーそれでも、私は『道具』ですから。

 ならば主人の命令には絶対でなければならない。

 

「…………」

 

 以前ニルフィに『道具』であることを疑問に持たれた。

 

『なんで自分のことを道具だって言うの?』

『それは……、私が道具として造られたからです』

『道具? だからなんで? ロカさんはロカさんでしょ。道具は自分で考えて動いたりしないし、いまのキミみたいに困惑なんて感情はないと思うよ』

『私には……“目的”や“目標”といったものはありませんから』

 

 自意識が薄いことを理由にしてロカはその問いから逃げかけた。

 うつむくロカをしばらくじっと見つめながらリンゴを食べていたニルフィが、おもむろにフードに入れてあったもうひとつのリンゴを取り出す。

 

『コレがナニか知ってる?』

『現世の果物……です』

『味は?』

『知識にあります』

『それがどういうものか知ってるの?』

『……いえ、食べるということをしたことがないので』

『じゃあ食べてみなよおいしいから。そもそもキミってば、おいしいって言葉は知っててもそれを体験したことなんてないんでしょ』

 

 目をキラキラさせながらロカがリンゴを食べるのを待っているニルフィ。

 それに根負けしてロカはリンゴの端にかじりつく。

 

『どう?』

『……よく、わかりません』

『おいしくなかった?』

『初めて、なので。これが甘さというもので、それでこれが、おいしいということなのでしょうか』

 

 知識にはあっても味わうという行為は新鮮だった。そして赤い果実を食べることは不思議と抵抗もない。

 もう一度確かめるようにリンゴをかじったロカにニルフィが笑いかけた。

 

『キミは知らないだけなんだよ。与えられた自分の世界しか知らないから、自分の目標とかになることが見えてないから道具だって思ってしまうんだ。……いまはまだ分からなくてもいいよ。でも私が教えてあげる。ロカさんには助けてもらってばかりだからさ、今度は私がキミをーー助けたいんだ』

 

 打算も悪意もない笑顔。それにロカは惹かれた。そしてこれが情というものなのだとロカは理解できた。

 それこそがザエルアポロが狙っていたことでもあるのだろう、と。

 選択肢はたったひとつだ。このままではニルフィが危ない。ならば織姫を頼るほかなく、そしてその時間も足りない今となっては従属官(フラシオン)の枠を飛び出た二人に彼女を連れてきてもらわなくてはならなかった。命令以上にロカの心がそうさせていた。

 

「お二人のどちらかに、井上織姫様をお連れしていただきたいのです」

「まあどっちにしろそうなるわよね、確実性を増やすためには。それで……あなたが頭を下げる理由って、どんなのですか?」

「仮にそうしたところでしばらくすればザエルアポロがこの宮にやって来ます。それに対抗するための戦力が二分となり、そうするようにも命令されていました。私がやって来たのもそのためです」

 

 顔を上げなくてもこれだけはわかる。 

 殺気がロカのうなじあたりを舐めていた。

 

「そりゃあ、あなたがザエルアポロのトコの破面(アランカル)だってわかってたし、さっきまでの治療の時も幼女に変なことしないか見張ってましたけど。だからってわざわざ言うことはないんじゃないかしら。殺されないかと思った? アタシとか、グリーゼとか、それにあの変態眼鏡に」

 

 ろくに戦闘をしたことがないロカではこの場で抵抗もできずに殺されるだろう。いくら特殊な『能力』があってもこの二人とまともにぶつかって勝てるなどとは考えられない。

 震える口元を引き締め、ロカが言った。

 

「身勝手な物言いだと自覚しています。ですが……、ですが、ニルフィネス様が完治されることが、いまの私の願いです」

 

 初めて本心を言葉にした気がする。

 しばらくして、声がかかった。

 

「顔、上げなさい」

 

 わずかに逡巡したロカだが、すぐにアネットの催促に従った。

 

「言いたいことは理解できたけど、それが本心かどうかなんてアタシたちには判断できないわ。酷な話だけどね。そうやってホイホイ調子のイイ事言われて信じるヤツだったら、そもそもアタシは十刃(エスパーダ)を降りてないわけだし」

 

 でも、とアネットは続ける。

 

「ニルフィだったら、あなたのことを信じちゃうんでしょうね」

 

 皮肉な笑みがアネットの内心を表していた。グリーゼも異論はないのか、特になにも言わなかった。

 ニルフィの頬をそっと撫でるアネットの表情はひどく冷めている。

 

「アタシたちにもまだやることがありますし、こういう些細な(・・・)邪魔はただ面倒なだけ。時間もあんまり無いわね。そうするとロカが下手に宮に残ってたり、変にこっちの情報を流されると困るから……」

「織姫様の場所まで同行する、ということですか」

「そうなるわね。じゃあ、この宮に残る方だけどーー」

 

 三人はこれからの簡潔な予定をまとめ、少女の眠る部屋から姿を消した。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 一護の斬撃を右腕で受け止めたウルキオラ。彼は予想以上の衝撃に後方へ飛ばされ、いくつもの柱に叩きつけられると一護には見えた……が。

 

「なッ!?」

 

 響転(ソニード)

 

 みずからの超回復にものを言わせ、不自然な体勢からの高速移動を可能にした。転移場所はすぐ頭上。突きつけられたウルキオラの指先に霊圧が収束した。そして放たれる。

 

 虚閃(セロ)

 

 それに月牙天衝(げつがてんしょう)を叩き込んで相殺に持ち込んだ。

 一護の立つ場所を中心としてドーナツ状に床が削れ、立ち上がった煙幕が視界を隠す。

 ほとんど本能によって右からの手刀を受け止めた。煙の向こうからガラス玉のような目が現れ、再度つばぜり合いとなった。

 

「……もう少し、マシな攻撃が来ると予想していたが」

「抜かせッ!」

 

 手刀を振りほどき、斬魄刀に黒い霊圧をまとわせた。光を一切反射しない、ただただ黒の塊を集める。それによって立っているだけでも床が剥がれていく。

 ーー仮面のまま出来る、最後の一発ってトコか。

 頭の隅にそんな考えが浮かんだのをねじ伏せる。いまは目の前の敵だ。ドルドーニに避けられたのならば、あの戦いよりもさらなる集中力が必要になった。いや、この場合は威力か。ウルキオラは避けるまでもないというように前方にたたずんでいた。

 

 月牙天衝(げつがてんしょう)

 

 広間の一角を黒に染め上げる霊圧を放出した。

 それをウルキオラは右腕で受け止める。その背後を月牙天衝(げつがてんしょう)の衝撃波が通過して破壊を撒き散らしていく。だがウルキオラは受け止めており、威圧的な音を上げる黒の塊を押しとどめてなお、表情を変えることはない。

 その拮抗にも変化が訪れた。

 ついにウルキオラが今まで使わなかった左腕を持ち上げて斬撃を掴むようにして止める。

 一護はそれだけで止まるような霊圧を込めたつもりはない。

 だが、

 

「無駄だ」

 

 ふいにウルキオラが両腕に霊圧を込めた。

 

 虚弾(バラ)

 

 軽く腕を出す程度でかなりの威力のあるウルキオラの虚弾(バラ)。それがゼロ距離でマシンガンのように連射され、黒の塊を凄まじい勢いで削り取っていく。

 ついには腕自体にもさらに力を込め、文字通り斬撃を圧縮して破壊した。

 

「…………ッ!?」

 

 その光景を、剥がれていく(ホロウ)の仮面の奥から驚愕の目で一護が見ていた。

 

「……まさか両手を使うことになるとは思ってもいなかった。それだけ、お前はあの時から成長を遂げていたということか。少し驚いた」

 

 袖が消えたことでウルキオラの両の前腕が見える。腕は無傷でもなかったが、負傷しているわけでもなく、(ほこり)でも払う動作で両の手を鳴らすと元通りとなっていた。

 

「それで、今のが全力か?」

 

 答えることができない一護を見て、最初よりも興味をなくした声でウルキオラは納得した。

 

「どうやらそうらしいな。修練を重ねてきたはずだが、どうやら俺はお前を買いかぶっていたらしい。お前の進化は俺の目論見には届かなかった。ーーここまでだ」

 

 声は背後から聞こえた。同時に、そしてそれ以前に、一護の視界からウルキオラは消えている。

 攻撃は技とも言えないような腕のひと振り。

 たったそれだけ吹き飛ばされた一護は壁を貫通していき外へと吐き出された。

 ほんの一瞬だけなにかに気づいたように明後日(あさって)の方向を見た

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ハリベルは斬魄刀を振るって血糊(ちのり)を払う。

 その背後では倒れ伏した死神が斬魄刀を握り締め、さっきまで戦いの渦中にいたことを表すように荒れた砂漠に血を染みさせていく。 

 明確な勝敗のわかれた戦いの結末は存外に呆気ないもので、

 

「死神すらも死からは(のが)れられないということか」

 

 斬魄刀を背に下げた鞘に戻し、戦いの熱を発散させるように呟いた。

 これで五人の侵入者のうち二人……、そしてニルフィと戦ったらしい者も含めて三人、討ち取ったということだ。 今さら話し合いなど叶わない。最初に手を出したのが虚圏側(こちらがわ)とはいえ、やはり解決には戦闘、それも勝利という結末で終わらさなくてはいけないようだ。

 ーー私からニルフィにしてやれることは無いからな。

 十刃(エスパーダ)上位とはいえ自分は所詮剣しか能がない。関係といっても親しいが仲間という枠組みまでだ。ニルフィがこれから進んでいく道を決める資格など、持ってるはずもなかった。

 そのことが歯がゆい。

 止めることは簡単でも運命が見逃してくれるはずもない。

 

「ーーーーぁ……!」

 

 声が聞こえた方向を見やる。

 

「ハリベルさまぁー! 置いてかないでくだ……んだおらァ! 押すんじゃねえよミラ・ローズ!」

「それだったら真っ直ぐ走りなアパッチ! こっちはアンタの巻き上げた砂が服に掛かってんだよ!」

「およしなさいな二人共。言動も服も見苦しいのはいつものことでしてよ」

「「表出ろやスンスンおらァ!!」」

「これ以上ないほど表でしてよ」

 

 騒がしい従属官(フラシオン)三人がすぐそこまでやって来ている。悩めば悩むほど凝り固まっていく思考をほぐすためにも、肉親ともいえる仲間がいたことで気がほぐれた。

 意図していたわけではないだろう。

 それはただ相手の幸運だった。

 

「ーーーーッ!」

 

 ハリベルが目を見開いて死神の死体へと振り向く。死神に変化はない。しかし探査回路(ペスキス)に引っかかった霊圧の持ち主が姿を現したのはーー砂の中から。

 

「ぶはああああ! 恋次ぃぃいいいいい!!」

 

 飛び出してきたのは、巨大な顔面を持つナニカだった。姿はまさしく(ホロウ)そのもの。戦いが始まってから敵意無しとして見逃していたはずの相手だ。

 そしてその霊圧が、ハリベルの記憶の一端を刺激した。ーーそこから連想した緑髪の女のことも。

 一瞬にも満たないわずかな隙。

 その中でソレは顔面だけ砂から突き出し、あろうことが大口を開けて死神を飲み込む。

 元から戦うつもりはないらしいソレはハリベルを見ることもせずに砂の中へと潜っていく。

 

 波蒼砲(オーラ・アズール)

 

 斬魄刀の空洞に霊圧を溜め、砂の中へと撃ち放つ。

 砂漠を大きく穿った霊圧の塊だがそれによって威力を殺されたのと、悲鳴を上げる巨大な面の怪物が予想以上の速さで深く潜ったことで取り逃がしてしまった。

 ーーいや、問題はない。

 ーー死神は確実に仕留めている。

 ーー回収されたからといって、復活させることもできないはずだ。

 それでもハリベルは自分が開けた巨大な穴を見下ろした。

 ーーあの霊圧は、たしかに“彼女”が引き連れていたはずの……。

 刻み込まれた『3』の数字を意識しつつ、飛ぶようにしてやって来た従属官(フラシオン)に向き直る。

 

「ハ、ハリベル様!? さっきのあのデカブツは……」

「見逃して問題ない。死神のほうは仕留めている。私の予想が当たっているなら、アレにはどうすることもできないだろう」

 

 冷静なハリベルの様子を見て三人娘たちは落ち着きを取り戻したようだ。

 ミラ・ローズがもうひとつの懸念を口にする。

 

「それで……、あのチビはどうしました?」

「…………」

 

 押し黙ったハリベルを見て、差はあれど従属官(フラシオン)たちは不安そうな顔つきとなった。

 ーーいつのまにか受け入れているみたいだな。

 幼女の挑発に本気で乗ってアヨンを解き放った頃の三人を思い出しながら、思考を割いていく。

 ニルフィはノイトラの鋼皮(イエロ)を模倣しているワケではなかった。十刃(エスパーダ)の中でもっとも打たれ弱い彼女があの密度の攻撃に負傷だけで済んだとは思えない。そしてハリベルが見たところ、あの時点でもかなり危なかった。

 

「十分な治療が必要だと思う以外は、な。もうしばらくすれば、私たちが手を出すこともできなくなる。信じるしかないさ」

 

 言葉を切り、ハリベルは鋭い目つきで第7宮(セプティマ・パラシオ)があるであろう場所を見た。

 その付近で戦いの予兆を感じ取ったが、それははたして、間違いではなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)の南側には巨大な塔が森のように乱立している区域がある。

 各宮の近くにもある予備の物品がたくわえられた場所で、家具などを“うっかり”壊しても、新しく運び込む距離を短縮させるためにつくられていた。

 しかしこの時、そんな場所の中央の砂が大きくへこんでいく。ボコリ、と。へこんだ中心から筒状の物体が現れていき、側面にあった扉が開かれると、わらわらと鎧のように装甲を来た異型の破面(アランカル)たちが転がりでた。

 

「ふん、乗り心地の悪さはまだ改良の余地があるね」

 

 最後に出てきたザエルアポロがそうぼやくと眼鏡を押し上げる。

 第8宮(オクターバ・パラシオ)からここまで通らせた道を、鉄道よろしく筒状の物体に乗ってやってきたのだ。砂漠を歩いて進行するのがスマートではないと考えたりもしたが、そもそも、この目立つ従属官(フラシオン)たちを引き連れて他の十刃(エスパーダ)に絡まれないためだった。

 ーーあまり時間は掛けてられないか。

 ロカからの通信ではすぐ先ほどグリーゼが一緒に織姫の場所に向かったらしい。

 ーーこれはまあ、予想通りだろうね。

 アネットが重体のニルフィを放って宮を離れるとは考えにくかった。そのための対策はしてある。

 従属官(フラシオン)たちの着込んだ装甲はアネットの獄炎を防ぐ効果があった。バラガンの『老い』の呪いにも劣らない凶悪さを誇る炎を彼らが灰にされながら(・・・・・・・)止めている間に、ザエルアポロが己の能力でアネットを仕留める腹積もりだ。

 防ぐとはいえ、装甲は数秒間灰にされないことしか実現できなかった。

 こうして数多くの連れてきた従属官(フラシオン)たちはいわば捨て駒。そうでもしないと、あの女との戦いで勝機を見出すことなどできない。 

 ーーこいつらがいくら死んだところで、あれほどの被検体が手に入るのなら安いものだ。

 ーーだからこそ、アネット共々(いじく)り甲斐がある。

 自分を毛嫌いする澄ました女の顔が泣き叫ぶように歪むのを想像して気分がよくなりながら、ザエルアポロは最初の一歩を踏み出した。

 

「……悪いがここは通行止めだ。説得は最初から無駄だと判断するが、ここから退(しりぞ)けと最終通告をしておく」

「ッ!?」

 

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)主従が声のした方向を振り返る。

 彼らが出ていきた場所のすぐ背後に、手頃な石材に腰掛けてなにかの雑誌を読んでいるグリーゼがいた。大剣はそばに突き立てて、グリーゼ自身は最初からそこにいたかのように自然体であった。

 

「どうして君がここにいるんだい」

「……それは俺が残っているための疑問か? それとも、お前たちがモグラのように出てきた場所にピンポイントでいることにか?」

「ロカの通信では…………」

 

 ロカが虚言をザエルアポロへ伝えたことにすぐに思い当たる。

 おそらく織姫のところに行ったのはアネットで、自分たちが出てくる場所を教えたのも含め、なにもかも洗いざらいに吐いたのだろう。いくら痛めつけられたところで本当に忠誠心があったのならロカは話すこともしなかっただろう。

 それはあの道具でしかないはずの彼女が、自分の意志で謀反をしたということで。

 

「…………」

 

 純粋な疑問。

 いまのザエルアポロの顔は、安物の消しゴムを使用したとき、余計に紙が汚れるのを見た子供のようだ。

 そして、原因が“道具”にあると解った瞬間、その感情は驚嘆から苛立ちへと変化する。

 ーー僕は、わずかでも歯向かうなと命令したはずだ。

 ーー事前に、解体する、と宣言してやったはずだ。

 しかし、この心の荒れ方は。

 

「予想しなかったワケじゃない。むしろ、ニルフィの影響を考慮した上で交流させていたが……、実際に体験するまで、これほど苛立つものとは思わなかったよ。ーー道具が(・・・)僕に逆らうなんて(・・・・・・・・)!!」

 

 ザエルアポロは苛立ちと恍惚を混ぜ合わせた笑みを浮かべ、鬼気に満ちた吐息をゆっくりと吐き漏らす。

 危険な空気を察したのか、グリーゼは閉じた雑誌をかたわらに置き、おもむろに立ち上がった。

 そして、

 

「なぁんてね」

 

 一瞬後には、普段通りの冷静な科学者の顔つきへと戻っていた。

 

「君が残っていたことだけは予想外だったけど、ロカが君らを取るだろうことも、残った最後の壁がこの場(・・・)へやってくることも、全部予定通りなのさッ」

 

 ザエルアポロが指を鳴らす。

 するとここら一帯の塔から、事前に埋め込まれていたザエルアポロの造っていた機械から、特殊な霊圧の波が生まれる。その霊圧は満遍なく空気に満ちていった。

 それにいち早く気づいたグリーゼが周囲を見渡す。

 

「……成程(なるほど)。宮の外で俺たちのどちらかを相手にする自信は、これが原因か」

「察しがいいね。ロカには知らせていない情報さ。あいつは知らないだろうね。自分が、君たちをみすみす死地に送り込んだことなんて」

 

 ロカが最初に意図せぬニルフィとの邂逅をした時から、少なからず少女に影響を受けていた。それはザエルアポロにとって良いとは思えぬ方向にロカを変えるだろうという予想があった。

 ならばまだニルフィへの関心が弱いうちに芽を摘むより、助けたいと思うほど仲を深めておいて潰すほうが面白いと、ザエルアポロはその時考えている。自分のせいで『7』の主従たちが壊れていく様を見せていけば、ロカに生まれた感情も壊して本当の“道具”にできるだろうと。

 ザエルアポロは饒舌になっていく。

 

「元からどちらが残ってようと、ここでは君たちは思うように霊圧を使えない。アネットの炎はもとより、駆霊剣(ウォラーレ)も、甲霊剣(インモルタル)も、何より君が僕の数字を受け継ぐに足りえた『能力』もね。手間が掛かったよ」

「……『能力』というほどでもないだろう。死神だろうが破面(アランカル)だろうが、少なからず持っているチカラだ」

「君の場合は異常に発達しすぎてもはや別次元なんだ。それを自覚したらどうだい?」

 

 帰刃(レスレクシオン)状態だったとはいえ、グリーゼはニルフィの虚閃(セロ)を真正面から受けてほぼ無傷だった。それ自体が異常なのだ。ニルフィがバラガンの従属官(フラシオン)たちとの鍛錬で虚閃(セロ)を使わなかったのはそれ一撃で戦闘不能どころか殺してしまうためで、ザエルアポロでさえまともに受けてはただで済まない。

 

「……その労力をべつに向けたらどうだ」

「僕が動くのは研究心を満たすか、保身のためだけさ。しかし幸運だ。君たち主従は三人とも研究材料としての価値は、侵入者なんかよりもずっと価値がある。面倒なほう(・・・・・)が残ったとはいえ、ね」

 

 アネットとグリーゼの戦闘スタイルは対極に位置する。

 アネットは能力を主軸にしたもので、グリーゼは能力をサブとした肉弾戦を得意とする。サブを使えなくしたところで、まだグリーゼには主軸の肉弾戦ができた。しかしこれは問題ない。グリーゼが『能力』は使えない現在、クローンを作り出す能力や人形芝居(テアトロ・デ・ティテレ)があれば、こういった蛮人じみた(やから)は簡単に倒せると考えている。

 しかし、グリーゼは次を促すだけだった。

 

「……それで?」

「なに?」

「……口上はもういいのかという確認だ。お前も他の十刃(エスパーダ)が来ないうちに決着をつけたいんだろう。ならばこうしている時間さえ、無駄だ」

「君なら僕の帰刃(レスレクシオン)の能力は理解しているはずだよ。それに……、僕は君たちの手伝い(・・・)をしたいんだ。本当なら敵対するつもりもない」

 

 ザエルアポロは自分の胸に手を当てる。そのさまは純粋に、言葉通りの内心を表すようだった。

 

「君たちがこれからやろうとすることは理解している。いや、当事者ではないから、しているつもりかな。けれど時間はあまり残っていないだろう。どうせ結果は変わりないんだ。もし彼女に情があるだけなら、僕が代わりに終わらせてあげるよ?」

 

 しかし、不利を悟っているはずのグリーゼはその申し出を、大剣の柄を右手で握ることで拒否した。

 

「……くだらん上に、無駄と判断する言葉だ」

「それは、なぜだい?」

「……結果は変わらなくとも結末は変わる。いや、変えるしかない。俺たちがそう決めた」

 

 鉄板かと見間違える巨大な剣をグリーゼが軽く横薙ぎに振るう。

 すると次に手にしていた長大な青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を構えた。

 

「……コレが使えるのなら、俺自身がお前になにかしら影響を貰ったわけじゃないな。それなら十分だ。邪魔をするというのなら、お前を排除する」

 

 その言葉に、ザエルアポロが失笑する。

 

「ーーハッ。ヤミーと戦ってわざと負けた奴のセリフとは思えないよ」

「……全力で戦って負けたつもりだが?」

「余力を残してヤミーを僕たちと同じサイズにまで縮めたというのにかい。僕は君の全力というものに興味がある。それをこの戦いで見せてくれるのなら、これが終わってからの実験が楽になるよ」

「……全力を出させない環境でよく言う。だがーー」

 

 突如(とつじょ)グリーゼが偃月刀を豪快に振るった。

 霊子が使えなくとも、研ぎ澄まされたグリーゼの斬撃は()ぶ。それを知っているザエルアポロは腕を交差させて防御の構えを取った。

 だが、

 

「ぐっ、ぉおおおおおおお!?」

 

 壁が迫ってきた。

 従属官(フラシオン)共々、見えない壁に激突したかのようにして、ある者は塔の壁に叩きつけられ、ある者は遥か後方へと吹き飛ばされた。

 

「……状況から判断して、出し惜しみは無駄なことだと判断した」

 

 ぶち当たった壁から身を起こしたザエルアポロが浮かべる表情は、怒りや屈辱を抑え、喜色に染まっている。

 ーーこれは……、技でもなんでもない。

 ーーただの、ただの(・・・)風圧だけでッ。

 再度、構えを見せたグリーゼに予想以上の研究品としての価値を見出した。

 

「ここまでとはね。面白いよ。ーーできるなら、このまま完品に近い状態で死んでくれ」

 

 ザエルアポロが鞘から斬魄刀を引き抜き、恍惚とした表情のままーー手にした刀を自分の口腔に差し込んだ。

 

 

 

(すす)れ『邪淫妃(フォルニカラス)』」

 

 

 




NGシーン

「……悪いがここは通行止めだ。説得は最初から無駄だと判断するが、ここから退(しりぞ)けと最終通告をしておく」
「ッ!?」

 第8十刃(オクターバ・エスパーダ)主従が声のした方向を振り返る。
 彼らが出てきた場所のすぐ背後に、手頃な石材に腰掛けて『幼女パラダイス』という雑誌を読んでいるグリーゼが…………。

「ちょっと待て」

 思わず、ザエルアポロが素でツッコミを入れる。

「……なんだ? 急いでいるんじゃないのか?」
「もちろんそうだ。ーーけどなんだその本は! 僕を馬鹿にしているのか!?」
「……持ってくる直前でアネットにすり替えられただけだ。そう声を荒げるな」

 そう言いながら、グリーゼはぺらぺらとページをめくっていく。

「……そういえば知っているか?」
「何がだい?」
「……現世の全ネット上の児童ポルノの四十パーセントは日本製らしい。そして日本という国の人口は世界人口の約ニパーセント。この論からいけば、ーー日本人の児童ポルノ度は世界標準の約二十倍となる。潜在指数はそれを遥かに超えるだろう」
「まさか……!」
「……そうだ。侵入者の人間三人もその可能性がある。俺の予想ではーーあの眼鏡の白い男だ」


「む、どうした雨竜? 変な汗がだらだらと……」
「いや、凄まじく不本意なことを遥か遠くで言われているような気がしてね」


 このシーンをマジで入れようとしてしまった作者は疲れてます。もちろん、読者の皆様がそういった潜在的な方だとは微塵も思っておりません(まっすぐな目で)。
 次回更新は少し間が開く予定となりますので、何卒(なにとぞ)ご容赦ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7十刃の従属官

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の廊下の壁には『廊下で響転(ソニード)はやめましょう』という張り紙が貼られてある。

 これは昔の虚夜宮(ラス・ノーチェス)のいかれた広さに響転(ソニード)という移動法が重用され、多くの破面(アランカル)が起こした事故が原因だった。ーーとにかくぶつかるのだ。砂漠の上ならともかく廊下となると一定の狭さがあり、曲がり角から出てきた相手とごっつんこというのも珍しくない。

 建築のために駆り出された雑務係ならまだいいが、十刃(エスパーダ)と乙女ゲーのようなシチュエーションで出会ってしまえば、もはやダンプカーに()ねられるよりも死亡率が上がってしまう。

 そんなこともあって一定間隔で藍染直筆の紙があるのだが、

 

「ーー知るかそんなモンッ!!」

 

 ロカをお姫様抱っこしながら廊下を駆けるアネットには関係ないようだ。

 

「アレよ、アタシは現世でいう救急車のサイレンと同じ存在なの! だったら信号無視しようが関係ねー!」

「ああっ、また()かれた人が……!」

 

 縮こまっていたロカは、また一人、接触した瞬間に来た道を(吹き飛ばされながら)逆戻りしていく者を見ていた。

 アネットは暴走車両だ。彼女の姿を見たならば道の端に避ける者もいたが、曲がり角に運悪くいたものは容赦なく弾き飛ばす。しかし一度も止まらないおかげで速い。速すぎる。ロカはさらにアネットの腕の中で身を縮こまらせていた。

 

「そっ、それより本当に良かったんですか?」

「ん? なにがですか」

「グリーゼ様のことです。いえ、お(ちから)に疑いはありませんけど、ザエルアポロ様の相手となるのは……」

 

 今更ながらの後悔でロカが顔を曇らせた。

 アネットはその様子を見て、対照的に気楽に口を開く。

 

「アタシたちのどっちかが行ったところで変わりなかったと思うわよ。それに、素の状態だとアタシよりグリーゼのほうが強い……いやいや、アタシの調子が悪い時だけそうでしょうけど、とにかくどっちもどっちなの」

 

 それがいまだに信じきれていないロカの顔は難しいままだ。

 

「ですが、グリーゼ様は」

「直接攻撃タイプの脳筋、というより武芸一辺倒なヒト。そう言いたいんでしょ?」

「そ、それは……」

「いいんですよ気にしなくて、アイツも自覚してることだしね。主人がいないとなにも出来ない泥人形よ。前の主人(・・・・)に『戦いを楽しんでみろ』って言われたからそういうポーズだけ取ってるっていう、ともかく、ゴツイ人形だって思ってればいいわ」

「人形、ですか」

 

 その言葉にロカは反応しかけるが、アネットがたいして気にしていない様子で言った。

 

「きっと今も、淡々と小手先が通用しない理不尽パワーで暴れてるんじゃないですかね?」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 塔の乱立している区域では異様な光景が繰り広げられていた。

 こちらも帰刃(レスレクシオン)蟻殻将軍(オルミガ・ヘネラル)』を発動させて全身甲冑の騎士のような姿となったグリーゼを中心とし、ほとんど同じ姿の偽物たちが彼を囲んでいる。それはザエルアポロが対象のクローンを生み出す能力によるものだった。

 この能力によって創り出された偽物の実力は、対象と変わりがないはずであるが。

 ーーやっぱり幾分かグレードダウンしてるね……。

 首から下が触手に覆われ、ドレスを着た様な姿になり、背中には四本の細長い羽根が生えた姿のザエルアポロは包囲の外からそう判断した。

 本物の霊圧が大きすぎた場合は周囲の霊子から供給が足りなくなり、本物よりも性能が劣化する。しかし下手をすればザエルアポロ本人よりも強い存在ができることから、こうなる場合はひどく珍しく、そしてーー面倒なことになる。

 

「やれ」

 

 ザエルアポロが指を鳴らした。 

 すると偽騎士たちが大剣を構え、グリーゼに殺到する。

 

「…………」

 

 グリーゼが青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を持ち上げた。左からの大剣の腹を長い柄で弾く。そして右の騎士の首を刃で狙い、それが同じように弾かれると見るや、即座に偃月刀の軌道を変えて偽騎士の腰を切断した。その勢いのまま左で振り上げられた大剣を足さばきで避け、カウンターで首を飛ばす。

 しかし二体を倒したところでまだまだ偽物はいた。

 ため息を吐くような仕草をしたグリーゼが偃月刀を回転させる。

 

 虚栄たる武術(トド・デル・アルマ)

 

 そして次の瞬間手にしていたのは二本の長剣であった。

 グリーゼがギリッと全身を引き絞り、攻勢へと入った。

 腕が振るわれるたびに偽物の腕や足が飛び交う。しかし全体数として見ればその数は少ない。それは偽物がかろうじて致死の攻撃を耐えた証拠であり、ほとんどの偽物は一撃で急所を貫かれていた。

 次々と、淡々と、まるで機械のようにグリーゼが偽物を(ほふ)っていく。 

 けしてグリーゼも無傷ではないが、偽物の攻撃では鎧の奥の肉体まで剣が通っていなかった。

 それらの一方的過ぎる戦いをザエルアポロは苛立ちを隠すことなく見ていた。

 ーークソッ、これだから脳筋というのは力尽くで小手先を潰していく!

 『虚栄たる武術(トド・デル・アルマ)』は斬魄刀の形を変化させ、それを十全に扱うことができる能力だ。だがこれ自体は戦いの戦局を左右する力はない。

 すべては、異常な基本ポテンシャルを持つグリーゼの実力だ。

 

「研究対象としては有用だが……。仕留めるにはもう一つあいつの『能力』を使えるようにするか? だがクローンも同じ力を使えたとしても、今度はいつまでも終わらなくなるどころか一瞬で片をつけられる、か」

 

 これは計算外とも言おうか。

 グリーゼは虚夜宮(ラス・ノーチェス)において全力で戦った記録がない。

 予想はできていたが、予想以上に戦えていた。本来ならクローンだけでザエルアポロは勝てたはずだ。

 

「……どうした。お前が物知り顔で完封できるのは、能力頼りの相手だけが」

「笑わせないでくれ。力だけの野蛮人を仕留めることならいくらでも手はある」

 

 数十体もの偽物が転がる空間でただ一人立っているグリーゼを睨む。

 そうしながらも奥にある第7宮(セプティマ・パラシオ)内部の様子をうかがおうとした。そこに地下から送り込んだ他の従属官(フラシオン)たちが侵入している。

 こうしてグリーゼをここに留めておけるのならば、いまの内にニルフィを運び出せるはずだ。

 

「……悪いが、別働隊がいても意味がないと思うぞ」

「なに?」

 

 意図を勘づいているらしいグリーゼの言葉に、ザエルアポロの眉がわずかにしかめられた。

 

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)内部ーー寝室付近の廊下。

 改造従属官(フラシオン)にして巨大な体を持つメダゼピが頭から床に倒れ込む。巨体にはいくつもの打撃跡が残っており、興奮した猿のように従属官(フラシオン)たちが大声を出した。

 

「メダゼピ! メダゼピ!」

「メダゼピやられたっ!」

 

 いましがた巨人のような破面(アランカル)を沈めた相手が一歩前に出る。

 それを見て後続の異形たちは後ずさった。

 

「淑女の寝込みを襲うとは十刃(エスパーダ)も落ちたものだ。そのような狼藉は吾輩が許さんよ」

 

 片足立ちのまま蹴りを放った足を引き絞り、治療を終えたドルドーニが彼らの前に立ちふさがった。

 その周囲にはメダゼピのように倒された破面(アランカル)たちが転がっており、さっきまで何人もが飛びかかって同じ数だけ床とキスさせられているようだ。

 いくら改造を受けていても十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)には敵わない。

 しかし、一撃も攻撃を受けていないはずなのに、キリッとしているドルドーニの顔は見事にボッコボコになっていた。

 

「吾輩でさえお嬢さん(ニーニャ)の天使を超えるハズの寝顔を見ることが許されなかったのだ! それをこんな大勢に見せるだと!? そして持ち上げて肌に触れるだと!? ーーそんなこと、吾輩を差し置いて何があろうと絶対に許さんぞ!!」

 

 それは魂からの叫びだった。

 ニルフィの寝顔を見ようと寝室に忍び込んだところを、出かける直前になって気づいて激怒したアネットにリンチされ叩き出された、哀れな男の私情を多分に挟み込んだ絶叫である。

 グリーゼは良かったのになぜ自分はダメなのか?

 それは下心の有無だと気づいていない変態紳士が服の(えり)を正した。

 

「何はともあれ、眠られているお嬢さん(ニーニャ)に吾輩は助けられた。ならば今度は吾輩が助ける番だろう。しかし……」

 

 トンとドルドーニが両足を床に付ける。

 脚全体の筋肉をバネのように縮め、静かな闘志をたぎらせた。

 裂帛(れっぱく)の気合の声と共に、叫ぶ。

 

「ーー淑女を魔の手から救うことに、そもそも理由など要らんのだッ!」

 

 かつて十刃(エスパーダ)であった男が跳躍する。

 猛禽類を思わせるようにして、ドルドーニが異形の群れの中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 そして再び塔のある場所に視点が戻る。

 ザエルアポロはグリーゼを模したであろう小さな人形を手に、苦々しい顔つきで手元を見ていた。

 マトリョーシカのように割れた腹の中から、カラフルな粒をいくつか取り出す。

 そして臓器の名前の書かれたそれらを握力で潰そうとする。

 仮に破壊できればグリーゼの同じ部位も潰せるはずなのだが、その粒は金属もかくやというほどに硬くなっており、これらを破壊する力があれば直接グリーゼを攻撃したほうが早い。遠隔破壊できる霊圧をオーバーしている証拠だった。

 

「ーー馬鹿な」

 

 仕留められる予定だった(・・・・・)能力が意味を成さなかったことに、科学者の口から声がこぼれた。

 それを見て不審げに、能力を使われた自覚すらなさそうに、グリーゼがザエルアポロに訊いた。

 

「……それで、十六分の一スケールの俺に何がしたかったんだ?」

「どうして効かないんだ! コレなら、今までのお前の霊圧なら、問題なく発動したはずだ……!」

「……そこまでは俺も保証できない。お前にドヤ顔をさせてやれなくて豆ほどの申し訳なさがあるが、こちらにも退けない理由がある。それに俺は主人を守るためなら手心を加えるつもりもないさ」

 

 斧槍(ハルバード)となった斬魄刀の(きっさき)がザエルアポロに向けられる。

 なかば反射的にザエルアポロが虚閃(セロ)を撃つ。

 それをグリーゼが苦もなく武器で両断した。

 

「……それで、これで終わりか?」

 

 無感動な言葉を聞いたザエルアポロは奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。

 怒りと絶望が湧き上がる。

 他にも手は打っているのだ。クローンの返り血には劇薬が含んであったし、周囲には無色無臭の毒霧を展開させてある。しかし効いているようには見えない。地雷も仕込んであったがそれも鎧を破壊するには至らなかった。

 ザエルアポロが魔法使いでもなく生粋の科学者である以上、“投与”しなければなにも起こらない。

 ニルフィは何度も第8宮(オクターバ・パラシオ)を訪れた。その際にグリーゼがいなければ蟲の一匹くらい付けられただろうに、どちらの体内にも事前に手を打っていない。そもそも会ってすらいないアネットにもだ。

 だがそれでも、ザエルアポロはこの準備で対応できると考えていた。

 しかし結果はどうだ。

 ザエルアポロの切り札を小手先にも満たないものとでも言うようにして、グリーゼが仁王立ちしている。

 

「どうしてだ」

「?」

「お前たちはなにが目的なんだ? こんな、デタラメな力があるのに。戦いの前にも言ったが、結末をどうしようが結果を変えるつもりがないんだろう?」

 

 べつに言葉を並べて時間稼ぎをするつもりではない。

 この理不尽を少しでも理解するために、純粋な疑問を提示したに過ぎなかった。

 

「君は今、いったい何のためにニルフィを守ってるんだい? それはこれからーー意味がなくなるはずだ」

 

 その問いにグリーゼが即答した。

 

「……意味ならある」

「それは?」

「答える必要性は無いと判断した」

 

 皮肉そうにザエルアポロが吊り上り気味に笑う。

 

「僕は自分が悪役なんて思ってはいないよ。いくら悪役ぶったところで、他人をクズにしか見ることができない悪人であることは隠せないからね。だってそれは、今更(いまさら)なことだからだ」

 

 それは独り言に近い。

 

「ああ……、そうか。僕は汚れ役を買いたいんだ。いくら恨まれようとも、すべては『それがザエルアポロ・グランツだから』って理由だけで片付けられる。コレは僕なりのニルフィに対する誠意のあらわれだよ。結果や結末なんてともかく、こうすることが“君たち”を壊さないと結論を出したからだ」

 

 歪んではいたが、これが小さな変化を得たザエルアポロなりの好意(・・)だったのかもしれない。

 

「……お前がどう言おうと、ここで見逃せばこれからも邪魔をする不確定要素だと判断した。ーー排除する」

 

 それがこれからどういったことが起こるかを続ける前に、グリーゼが斧槍(ハルバード)を振り上げた。

 

「……残念だが、お前はその答えを見ることは無い。これで終わりだ」

「誰が、誰が終わりなんて決めた?」

「ーー終わらせる者の方だ」

 

 その一撃によって巻き起こった衝撃波が周囲の塔を大きく軋ませた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 軽いノックの音が誰も通らない廊下に響く。

 しかしそれは語弊があるだろう。歩いていないというだけで、これといって変哲もない壁を前にして二人の女が立っていた。

 

「開かないわよ?」

「ですが破面(アランカル)にしか扉の操作はできないはずです。……もしかしたら、もう先に誰かが中に入って鍵をかけているとしか」

「ふぅん」

 

 ある意味で対照的な二人だった。

 片や扇情的な肢体からドロドロとした肉欲を抱かせる朱色の髪の女。

 片や清楚で健康的な色香のある感情の薄い黒髪の女。

 アネットとロカだ。彼女らは織姫が監禁されているはずの場所まで来ていたが、どういうわけか扉が開かなかった。

 想定していなかったことにロカが戸惑う中、アネットが目を閉じる。探査回路(ペスキス)を使ったのだろうとロカは思った。そしてゆっくりと目を開いたアネットがため息を吐く。

 その行為に隣に立つロカは思わず身を引いた。

 ため息の仕方にもいろいろな種類がある。失敗して絶望したときや、呆れて思わずしてしまうもの。

 そしてアネットがしたのは、苛立ちを隠しもしない不穏な未来を想像させるものだ。同じことをザエルアポロがすると、大抵いつもよりも残虐な罰が与えられる。

 

「ちょっと離れてなさい。加減って苦手なのよ」

 

 言うが早いか、アネットが両手を扉に押し付けた。

 

「……まったく馬鹿で面倒なことしてるなんて、ねぇ。こっちには時間が無いっていうのにさぁ」

 

 飄々(ひょうひょう)とした様子を消して声にさえ苛立ちを隠すことが無い。 

 アネットの両手から侵食していくように壁が灰になっていく。ボロボロ崩れ落ちたものが山のように重なり、どう見ても扉以上の大穴を瞬く間につくった。

 そのままなにも言わずに進んでいってしまうアネットを追ったロカが見たのは、室内で二人の破面(アランカル)から暴行を加えられている織姫の姿だった。暴行をしているのは、たしか自称藍染の側近である、ロリ・アイヴァーンとメノリ・マリアだ。もっとも、主に暴力を振るっていたのはロリのほうらしいが。

 

「…………あ、アネット…………!? なんであんたが!?」

「あ~、そういうのいいんで、とりあえずすぐに織姫って娘をよこしてくれないかしら」

 

 アネットの姿を見た二人が顔を険しくする。

 

「くそ……ッ」

「な、何よ! あんたこそ何しにこんなとこーー」

 

 (わめ)くロリを無視してアネットが拘束されている織姫に近寄り、

 

「早くこの娘をよこしてくれないかしら。ニルフィが瀕死なのよね。だから、早く放してあげなさい」

 

 その言葉に、顔に痛々しい打撲跡を張り付けた織姫がかすかに反応した。

 

「なによッ。あのチビのことなんてどうだっていいでしょ? 負けたならもう藍染様には必要ない駒じゃん!」

 

 変わらぬことを言うアネットにロリが顔をしかめた。

 腕を掴んでいた織姫をメノリに押し付けたロリが、朱色の従属官(フラシオン)に噛み付いた。自分より格上であるはずの十刃(エスパーダ)に対しても高圧的な態度が目立つロリのことだ。こういった怖いもの知らずの態度も頷ける。

 そして、多くの破面(アランカル)と違いロリはニルフィのことを(こころよ)く思っていないのをロカは知っていた。

 ニルフィは鬼道の手ほどきを藍染直々に教えてもらっている。そしていつも気軽な態度で接せることから、嫉妬深いロリから顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。そして織姫の受け渡しを拒否するのも嫌がらせをかねてだろう。

 

「……これ以上グダグダ言うつもりは無いわよ。さっさとその人間をーーよこせ」

「ッ! 勝手なこと言わないでくれない!? それにーー」

 

 言い募ろうとしたロリが口をつぐんだ。

 アネットがまたため息をついていた。頭を掻き、心底面倒臭そうに思っていながら、内心のくすぶりだけで爆弾を思わせた。

 

「アタシはさ、『よこせ』って言ったんだけど」

 

 かつて十刃(エスパーダ)であった頃のアネットは、ヤミー以上に理不尽な暴力の権化であったらしい。

 

「あ~、ったく、もうメンドーすぎ。『貸してください』とか、『よこしなさい』じゃなくって、アタシが『よこせ』って言ったの。ならピーピーさえずってないでさっさとこっちに渡しなさいよ。カスのくせにさぁ、態度が生意気なんだけど」

「なッ」

 

 ロリがなにか言う前に、アネットはその場から姿を消していた。

 響転(ソニード)だ。

 そう誰もが認識できた瞬間、ただメノリだけは違っただろう。彼女のすぐ目の前にアネットがいた。そしてアネットが無造作に手を横薙ぎにする。そうするだけで途中にあったメノリの首が鋼皮(イエロ)もろとも灰と化し、頭部のパーツだけが宙を舞った。

 首のなくなった体から織姫を引き剥がしたアネットがさっさと大穴のほうへと歩いていく。首にも死体にも一度も目を向けることはなかった。

 

「なっ、メ、メノリ! あんた……ッ!」

「ああ、そういえば織姫って名前だっけ。自分に能力って使えるかしら。顔治させる時間くらいはあげるから、さっさと治しなさい。それで」

「待て! 待てってば!!」

「……なに?」

 

 うるさそうにアネットが振り返る。

 やはりメノリの死体に目を向けることもなく、ルビーのような双眸にはロリの存在が空気と変わりない価値しかないように写っていた。空気がうるさい音を出している。その程度の認識で、アネットがロリを見ていた。

 

「よくも……メノリをッ」

「メノ……? ああ、ソレのことね。で?」

 

 その時にはもうアネットは興味を失くしたとばかりに、ふらつく織姫の背を押して外に出ようとしている。

 屈辱と怒りがロリを支配したように見えた。いや、まさしくそうだ。ロリはさっきまでの残忍な表情を失くしてわめきたてる。

 

「こんなことして、藍染様が黙っちゃいないわよ……!」

 

 それでもアネットの関心を取り戻すことも出来ず、怒りに打ち震えていたロリが斬魄刀を引き抜いた。

 

(どく)せ『百刺毒娼(エスコロペンドラ)』」

 

 斬魄刀解放をしたことでようやくアネットがロリを見やる。

 その顔はどこまでも苛立たしげで、放っておいた羽虫が雑音を響かせる害虫だったと解ったような表情をしていた。

 

「アネット様……」

「ロカはその娘を連れて下がってて。……いるのよね、自分のカスみたいな実力を理解できないダニって。相手の強さを理解して向かってきた昔のグリムジョーのほうが何倍もマシ」

 

 解放したロリは、胴体や頭にムカデの脚のような装甲が形成され、両腕が無数の刃を持つ巨大なムカデの胴体の様な形状に変わっていた。刃の部分が床を剃ると、その部分が毒によって溶けている。

 

「殺してやるッ!!」

 

 絶叫したロリがリーチの伸びた両腕を交差するように振り抜くと、アネットの背後にある大穴の両脇を毒のついた腕が叩きつけられる。

 間にあったアネットなど体を横三つに分けられているはずだが、

 

「…………え?」

 

 呆気ない声を出したのはロリのほうだった。

 アネットはやはりその場で不動のまま。だというのに、死覇装にはどこも溶けた様子もない。

 

「あ、ぁ、あ…………ッ!」

 

 逆にロリのムカデのような腕は半ばから無くなっていた。アネットの体に触れた場所から灰にされ、壁にぶち当たったのはそのさらに外側の部分だ。

 そこでようやく、ロリは恐怖を覚えたように後ずさる。

 

 炎翼舞(ラ・プルーマ)

 

 獄炎を高級なコートのように纏ったアネットが一歩一歩ロリへと近寄る。そのたびに靴の周囲の床がドーナツ状に崩れていき、室内を灰が雪のように舞う。

 

「アンタみたいなゴミは十刃(エスパーダ)になった瞬間からいくらでも見てきたわ。でもゴミってのはどんな時でも出てくるものね。そういう時はぜんぶ同じように処分してきた」

 

 攻撃されたというのに、アネットはやはり変わらずロリを命あるものとして見ることはなかった。

 右手の指をトンとロリの首に当てる。

 

「ゴミはゴミ箱に。いい言葉ね。でもアタシにとっては無駄な言葉。ーーどうせゴミなんて焼却処分するんだし」

 

 突然、ロリの体が燃え上がった。悲鳴一つあげることも許さずにゴミを燃やすよう無慈悲にも一瞬で灰にした。

 この部屋にロリ・アイヴァーンという破面(アランカル)がいた証拠を示すものは、積もった灰色の小山だけだ。

 ついでの用事を思い出したように、アネットが右手をさっとメノリの死体に向けた。 

 ゴミがあったから燃やす。それくらいの認識の自然な動作だった。

 

「……なんのつもり?」

 

 しかしそれを止めたのは意外にも織姫だった。

 無言のままアネットの右腕を抑え、炎が出されないことを確認してから死体の前にしゃがみこむ。そして回復の為の結界を張ると、頭と胴体が自然にくっつき、さらに無くなった首までも生み出された。

 ロカが目を見張る。それはたしかに、死を遠ざけたことからニルフィを全治させることも可能なように思えた。

 そのままロリだったものの場所まで駆けようとした織姫の首をアネットが掴む。

 

「べつにいいでしょ? コレとかはあなたを殴った相手なんだけど。なら死んだことに清々すればいい」

「…………ッ!」

「こっちには一秒でも早く治してもらいたい娘がいるの。理解できた?」

 

 首が離されると、しばらくむせていた織姫は、やはり変わらずにロリを復活させた。

 強引な手段を織姫にするつもりがないアネットが肩をすくめる。そして黙って事態を静観することしかできなかったロカに訊いた。

 

「理解できる? あの娘の考えていること」

「……私には、あまり」

「おかしいことじゃないわよ」

 

 アネットは大穴をくぐり抜けて背後に声を投げかける。

 

「さっさと来ないとアンタの仲間も同じようにするわよ。砂漠の風で灰が散ったら、アンタは無から仲間を創れるワケ?」

 

 それが冗談でもなくアネットにして最大の譲歩だということが、感情に疎いロカにも解った。




姉ットさんの過去編を書いてたらもう七話くらいに膨れ上がった件。

オリジナル十刃(変態ども)が生まれるなどしてもう収拾がつかないよラスカル。
というか姉ットさんに負けず劣らずなキャラの濃さで切り捨てがたい。

これを削って一話にまとめるのか……。気が狂いそうだぜ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

舞台開始の五秒前

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)外周部、その近辺。

 壁に沿うようにして駆けている二人の人影があった。

 ひとりは破面(アランカル)の死覇装とは違う白いスーツを身にまとった少年。

 手入れされた眼鏡などから几帳面な性格だとうかがえるのは、石田雨竜(いしだうりゅう)という滅却師(クインシー)である。彼も一護と同じく織姫の奪還をしにきた侵入者であった。

 そしてもうひとりはアリもしくはクワガタムシを模した仮面をつけている細身の男。

 灰色の身体で各所にプロテクターを着けており、見た目は(ホロウ)そのものの姿で、褌を穿いている。名はペッシェ・ガティーシェ。成り行きで雨竜たちと行動をともにし、はぐれた仲間の二人を探していた。

 言葉を交わさずにしばらく走り続けていた二人だが、ペッシェが重々しく口を開く。

 

「しかし……一護よ」

「雨竜だ。いきなり大暴投してきたな」

「ムウッ!? では雨竜らしき眼鏡よ。貴様は……本当にその織姫という人間の場所にまでたどり着けると思っているのか?」

 

 色々とツッコミを入れたい衝動を抑えた雨竜が顔を曇らせた。

 

「目的を達しなければ、どうして虚夜宮(ここ)までやって来たか解らないじゃないか。それに井上さんは自分の意志で相手側に行ったんじゃないと睨んでいる」

 

 それ以上雨竜はなにも言わなかった。オレンジ色の髪の死神代行に思考が毒されていると感じながら、引くに引けない状況なのだ。

 

「それだったら君のほうこそ危ないんじゃないか?」

「そ、そんなことは解っている! だがダメなのだ! これ以上ネルを虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいさせては」

「どういう意味だい」

「それはネルに興味を持ったという認識で間違いないな? この幼女趣味めッ。やはり眼鏡男は変態と相場が決まっているようだな!」

「どうすればその認識になるんだ! ただ目が悪い人に謝れ!」

 

 雨竜は走る速度を緩めた。周囲には破面(アランカル)らしき霊圧もあらず、せめて何も無いうちに体力の消耗を和らげようとする。それはペッシェも察したようで特になにも言わずに従った。

 そうしなければ全力の戦いなど何度もこなせない。

 雨竜の白いスーツは所々切り裂かれており、血の跡だとわかる赤色がよく目立つようになっていた。3ケタ(トレス・シフラス)の巣で戦った十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)チルッチ・サンダーウィッチによって与えられた傷だ。倒すには手が掛かると判断し、二人は隙を突いて離脱している。

 

「あれで、十刃(エスパーダ)じゃないのか」

 

 チルッチは自分は子供に負けていると語っていたが、十分な強さがあったように思えた。

 

「ペッシェ。君は虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいた期間があるはずだ。十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の中で、彼女はどれくらい強かったのかわかるか?」

 

 戦闘していた場所を離れるのに必死で訊いていなかった質問をする。

 答えることに迷った様子のペッシェ。しかし情報が無ければ簡単な判断ミスさえすると説き伏せれば、しぶしぶといった様子で、ネルには教えることがないようにという条件で語りだす。

 

「あのゴスロリ女だが、私の記憶が正しければ過去の十刃(エスパーダ)の中では飛び抜けた部分は無かった……ハズだ。いまは死んでいるが過去に生きていた十刃(エスパーダ)には、もっと厄介な能力の持ち主もいた。死の形が『疫病』であった女など……うむ、思い出したくもない」

「僕が欲しいのは今の破面(アランカル)たちの情報だ」

「せっかちな奴だな。早漏れは嫌われるぞ、雨竜よ」

 

 破面(アランカル)と戦うよりも、なぜかペッシェとの会話でストレスマッハしているのは気のせいではないだろう。

 

「しかし言っておくなら十刃(エスパーダ)はもとより、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)にも規格外がいる」

 

 ペッシェが記憶を探るように仮面の奥の目を細めた。

 

「まずグリーゼ・ビスティーという男だ。しかし本人が寡黙すぎて詳細はよく解らん」

「じゃあどうして規格外だってわかるんだ」

辻斬(つじぎ)りだ」

「辻斬り?」

「奴は事情から空席になった十刃(エスパーダ)の座に戦わずして据えられた。それをよく思わない者たちを片っ端から殺していき、ついには十刃(エスパーダ)を何人か返り討ちにしたのだ。能力型など抵抗する間もなく葬られている。しまいには『……あれらが十刃(エスパーダ)だとは気づいていなかった』とまで言う始末」

 

 現世で対峙したらしい恋次から名は聞いていたが、予想以上に力のある破面(アランカル)だったようだ。

 そして次に聞く名も知っているものだ。

 

「そしてアネット・クラヴェラ。これはアレだ。とにかくヤバい女とだけ覚えておけばいい」

「ものすごいアバウトになったな」

「他人を殺したところでゴミ掃除と変わらないと本気で思っているイカレた感覚の女、と言えば理解できるはずだ。とりあえずこの二人が危険だ。それも、どちらも第7十刃(セプティマ・エスパーダ)の下に就いているらしいが……」

 

 ところで、と今度はペッシェが雨竜に話題を振る。

 

「今までかいつまんで貴様達の現世での情報を耳にした。そこで訊いておきたいことがある。ーー第7十刃(セプティマ・エスパーダ)の幼女はどんな名を名乗っていた?」

 

 君が幼女と口にすると犯罪臭がする。

 そう言おうとしたした雨竜だが、ペッシェの真剣具合が違うことに気づき、ロクでもない答えが返ってくると予想しながらも素直に答えた。

 

「ニルフィネス・リーセグリンガーと名乗ったそうだけど。ああ、そういえばあのチルッチという破面(アランカル)もその名前を口にしていたね。それがどうした?」

「ウム、そうか……」

 

 仮面越しでも難しい顔をしていると解るペッシェが腕組みをしながら足を止めた。

 そんなにも名が重要だったのか? 雨竜がペッシェの顔を覗き込む。

 

「もう一回訊くけど、それがどうしたんだ?」

「いや、まさか……。まあいい。話しても困ることではないか。では雨竜よ、あの幼女について語り合おう」

「同志に語りかけるみたいにしないでくれ」

 

 また歩き出した雨竜はペッシェの話に耳を傾けた。

 ペッシェは虚圏(ウェコムンド)(ホロウ)たちの生き方は三つあると言った。ひとつは一匹狼として、もうひとつは四、五体くらいのグループとして。それらは基本的にアテもなく放浪して生きていく、と。

 最後に、コロニーについて説明があった。

 大勢の(ホロウ)たちが寄り集まって住み、他のコロニーと小競り合いをしている場所らしい。力のある中級大虚(アジューカス)がトップにいることも珍しくないとも付け加えられた。

 (ホロウ)だとしてもそういったコミュニティが形成されているのだと雨竜は初めて知った。

 

虚圏(ウェコムンド)でも噂などが広がるのはそのためだ。情報を知る者が多くなれば、必然的に拡散する。我々が無限追跡ごっこをしている間にも、しているからこそか、いろいろな情報を耳にした」

 

 その中のひとつには、力のある(ホロウ)の情報が混ざっていることも少なくない。

 

「多くの場合、コロニーというものは弱者の集団だ。強者の情報に敏感になるのも自然な流れだった。そしてこの世界での強者とは、多くの(ホロウ)を喰らった者を指す。そこまで大規模な行動をしたものの名が広まるのもまた、自然な流れだろう」

「それは同意できるよ。人間も、いまは情報戦が物を言うからね」

「やはり、貴様の眼鏡(ナニ)は見掛け倒しではないようだな」

「いちいちナニなんて言わないでくれ! 僕が(変態)の仲間に思われそうだ!」

「ち、違う……のか?」

「なんだそのカルチャーショック受けた顔は! 僕はノーマルだ!!」

 

 疲れを癒すはずなのに余計疲れた気がする。雨竜はずれた眼鏡を押し上げて続きを促した。

 

「ではそういうことにしておこう」

「君は……ッ! 殴られても文句は言えないぞ!?」

「お、落ち着け。それでだな、最上級大虚(ヴァストローデ)ともなれば存在が知られてないほうがおかしいのだ。第2十刃(セグンダ・エスパーダ)であるバラガン様の名はもとより、活発に活動していたアネットの名も、もちろん知られている。だからおかしいのだ」

「どういう意味だ?」

 

 雨竜の問いに、いくらか重くなった声の調子でペッシェが言った。

 

最上級大虚(ヴァストローデ)クラスであるはずなのだがな」

 

 続けられたのは奇妙な言葉で、

 

 

「ーーニルフィネス・リーセグリンガーの名など、私は聞いたこともない」

 

 

 ただの聞き間違いじゃないかと雨竜が追求する。

 

「それこそまさかだ。臆病かもしれないが、我々は危機に対して敏感だ。そこだけは断言できる」

「…………」

 

 雨竜は深く考え込む。

 戦ったチルッチはおそらく中級大虚(アジューカス)クラスだ。押されはしたが、終始一方的な戦いはされなかった。少なくとも死神の副官クラスを瞬殺したニルフィネスが最上級大虚(ヴァストローデ)であることに疑いはない。

 だが、なぜ名が知られていない? 

 むしろペッシェの話し方は、存在自体があったのかも怪しいといった様子だった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ボコリ、と音を立てて壁にめり込んでいた二人は床に降りる。節々の痛みに顔をしかめながら死覇装からほこりを払い、顔を見合わせ、幸せが逃げると言われているため息を吐いた。

 片や下顎のない犬の被り物のような仮面をつけた青年。

 片や蛇のウロコのような仮面片で額が覆われたダウナーな雰囲気の優男。

 どちらも、暴走特急アネットの餌食にされた数字持ち(ヌメロス)破面(アランカル)である。ぶつかる瞬間に虚弾(バラ)で弾かれたため女の柔肌を感じる間もなく壁にキスさせられていた。

 

「あぁ、クッソ、誰だよレディファーストなんて言葉作ったヤツ。必要ねえじゃん。むしろ男である俺らのほうが守られるべきじゃねえの?」

「不甲斐ない。オレも含めて、不甲斐ないな」

 

 不満に吠えるような犬頭の抗議を流したいくらか冷静な蛇男が、頭痛をこらえるように頭を振る。

 

「どうせあの嬢ちゃん絡みだろう。アーロニーロの敵討ちしてケガをしたんじゃないかと思うんだが」

「ケッ、それでアレが簡単にくたばるはずねえよ。俺が文句言いてえのはな、そのとばっちりでこっちまで火の粉が飛んでくることだよ。いましがたその火の粉にブッ飛ばされたけどな!」

 

 悪態をつく犬頭にやれやれといった様子で蛇男が肩をすくめた。

 特定の十刃(エスパーダ)の部下になることもなく過ごしている犬頭と蛇男。実力が自称“中の上”である彼らは、実はニルフィと繋がりがある。それも昔いたコロニーを(ホロウ)であったニルフィに壊滅させられているという血みどろなものだったが。

 

「あれで火の粉なら可愛いもんだよ」

「藍染がショルダータックルしてきたら火炎放射並ってか。たしかに可愛いもんだな。打撲程度で済んだことで、幸運の女神に乾杯かよちくしょう」

「うまい(たと)えだな」

「自分で言うのもなんだけど全然うまくねえし。それに気遣いでヨイショしてくれる優しさが痛いぜ」

 

 やはり不満たらたらな様子の犬頭。

 口が悪いのは勘違いされやすい彼の気質だと理解している蛇男が、やはり声に隆起を見せることなく淡々と犬頭に言葉を返す。

 

「なら実際文句言ってくるか? そうすればアネットかグリーゼが出てきてオマエは地獄行きだよ。焼却処分か首チョンパって選択肢があるだけマシだと思え」

「バッカ、お前。そういう時は『ここはオレに任せとけ』だろ」

「腐れ縁の身から出た錆でオレは人生を棒に振るつもりはない。仮面が割れてから、つまらない死に方だけはゼッタイにしないと決めてるんだ」

 

 蛇男はどこまで本気なのか解らない言葉を吐くと、最後に袖の汚れを払う。

 

「所詮オレらは舞台裏の登場人物。つまらない死に方をしない代わりに、パッとした幕切れが臨めればいいほうだよ」

 

 それに対して不服そうに犬頭が言った。

 

「なんだアレか? 俺たち二人がたまたまバケモノだったチビから生き残ったからって、自分だけが特別だと思ってるのかよ?」

「自分が特別だと思うのは古い。まして平凡だと思うのはもっと古いことだ」

 

 まあともかく、と蛇男が曲がりのない光の宿った目で犬頭を見た。

 

「最初に覚えた漢字が『女湯』の高度な破面(アランカル)であるオレには関係ないことだがな」

「……ある意味高度すぎるな」

 

 頬が引きつった犬頭がかろうじて言葉を吐いた。

 この話題を引きずれば取り返しのつかないことになりそうなので、わざとらしく犬頭は思いついた話題を適当に振る。

 

「ーーで、あのチビか。あいつが倒れてから虚夜宮(ここ)も荒れてきてる。空気を吸ってるだけでのどが痛くなりそうだぜ」

「それだけ愛されてるんだろう」

「愛? 愛だと? ゾマリの野郎じゃねえんだからさ。だぁれもあのチビがどういう奴か知りもしない。虚夜宮(ラス・ノーチェス)に入れば外からの情報がまったく入ってこないからつっても、上辺だけ見てあのチビをみんな評価してやがる」

「気に入らないのか? お前が昔の禍根を気にするようなタマではないと思っていたが」

「そりゃもちろんコロニーの件はどうでもいいよ。こうしてお前と一緒にいるのもたまたまの流れだしよ」

 

 くだらないくだらないと繰り返しながらも犬頭が口をへの字に曲げた。

 仮面の奥の目は寂寥で大きく揺れている。それはバラガンでさえ深くは知らないだろうから。そして十刃(エスパーダ)を含めてニルフィに親愛を抱いている彼らが、以前の自分たちと重なることがどうしようもないまでにやるせなかった。

 アレがどういうモノかネタばらしも禁止されている。

 取り返しのつかないことになるのに、そう時間はかからないだろう。

 

「あのチビも哀れなもんだぜ。自分がどういう奴か知ってても、記憶が無いから肝心なことが理性じゃ解ってない」

「でもここで生きるくらいならべつにいいいだろ? 破面たち(オレら)って記憶があっても身分証誰も持ってないぞ」

「頼む、少し黙っててくれお前」

 

 犬頭の切実な願いを吐き、

 

「ともかくさ、あのチビは面倒事の塊みたいなもんなんだよ。望む望まないに関わらずなにもかも巻き込んでいく。俺はそれに引き込まれたくないって言ってんだ」

「たしかに、末端の雑用係もじっとしてないだろうな」

「……あ? なんで雑用係の奴らが出てくんだよ。役にたたないだろ」

「それでも嬢ちゃんのことがあいつらは大好きなのさ。上にも下にも囚われない。大切なのは、昔がどうだろうと今がどうだかだ」

 

 それだけで話が終われば犬頭的にはよかったのだが、懐を探った蛇男が、嫌な予感を当てるかのように何枚かの写真(のようなモノ)を取り出す。

 

「……なんだコレ」

「見れば解るだろう」

「解らねえから訊いてんだよ馬鹿! 知らねえぞ、ホントになんだよコレ!?」

 

 キレ気味に犬頭が叫んだ。

 写真には同じ人物の日常の何気ない様子が写っていた。ニルフィだ。そのどれにも共通することは、アングルのせいもあるだろうが一枚もカメラ目線ではないこと。それに気づくと写真がやたらと犯罪臭のする物体に見えてきた。

 蛇男がわずかに口の端を吊り上げながら言った。

 

「これといって名前がつかないから適当に“会”とだけ呼ばれてるんだがな。ああ、属しているヤツらは自称だが“会員”と名乗るのが通例だ」

「うっわ、なんだその……、もう、ダメそうな集団だって勘だけで解りそうなの」

 

 蛇男は常識があると自覚している犬頭が、仮面に覆われていない口元をうわぁという形に変えながら言った。

 しかしそれで止まらないのが蛇男という破面(アランカル)だ。

 まるで演説でもするかのように、無駄のない無駄な動きでジェスチャーを加えながら腕を振り回す。

 

「馬鹿にしないほうがいいぞ。多さだけで言えば、虚夜宮(ラス・ノーチェス)の勢力図を塗り替えられる数は在籍している。ーーそして随時募集中だ」

「その元気をもっと有意義に使って欲しいな俺は!!」

 

 聞きたくない。けれど構わずに蛇男が語りだす。

 

「なんだったか、『プサリス・ゾイフィオ』という偽名の誰かが最初に広めたらしい。途中でパッタリと消息がつかめなくなってから『カングレッホ』というものが後を継いで、最初は危なっかしい少女を見守ることから、だんだんとエスカレートしていった結果が……これだ」

「脱線どころか入るレール自体が間違ってるよな」

「それだけヒトを惑わす少女だから仕方ないだろう。それに危惧したオレは試しに潜ったんだがーーいつのまにかハマってたんだ」

「いいからもう死んでこいよお前!!」

 

 犬頭の叫び声が廊下に虚しく響いた。

 ちなみにプサリスとゾイフィオはギリシャ語で(はさみ)と蟲。

 カングレッホはスペイン語で(かに)という意味だ。

 もはや世も末な状態であった虚夜宮(ラス・ノーチェス)内部であるが、だからこそその中心となっていた少女の行動ひとつで大きく変わるのだろう。ましてやそれが傷ついて倒れたなど、蜂の巣に石ころを投げて挑発するかのようなものだ。

 

「つっても、いつまでその連中も嬢ちゃんを庇いきれるかね」

 

 気だるげに写真を仕舞い込みながら、蛇男が虚空へ向かって言った。

 

 

 

 

「ーーアレはそう夢のある代物(ヤツ)じゃあ無いってのに」

 

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 第7宮(セプティマ・パラシオ)近辺、第8宮(オクターバ・パラシオ)方向の石材が乱立する砂漠。

 

 そこを重い足取りで進んでいくザエルアポロが、手近にいたという理由だけで自分の従属官(フラシオン)を掴んで動けないようにし、大口を開けて(むさぼ)った。すると気味の悪い咀嚼音と共に傷だらけの体が癒えていく。肩から腰にかけての裂傷も同じく消えて行き、ぎこちない歩き方も正常に戻っていった。

 ちぎれた翼のような触手なども同様に再生していき、血と肉が満ちていく。

 

「ハァ……ッ。ハァ……ッ。ハァーーーー…………」

 

 そして呼吸を整えたことで、ザエルアポロは冷静になった心が怒りで打ち震えるのを感じた。

 

「クソッ!!」

 

 叫び、回復薬として使った従属官(フラシオン)の成れの果てを踏み潰す。それを見て周囲に残った十数体の異形たちは身をすくませるが、ザエルアポロの視界に入ることはなかった。

 結果的に、ザエルアポロは生き延びた。 

 それもそのはずだ。これは科学の成果とか運の要素とか以前に、グリーゼがザエルアポロのことを殺すつもりがなかったから。主人の言ったことをバカ正直に間に受けるあの男は、おそらくニルフィから仲間を殺さないように頼まれているのだろう。強烈な一撃で塔の区域ギリギリまで撥ねられ、棍棒に変えた斬魄刀によって数キロメートル離れたこの場所まで従属官(フラシオン)もろともふきとばしただけだった。

 ザエルアポロは内心で渦巻く怒りの理由を整理できない。コケにされたことへの屈辱、自分の小手先が一切通用しなかったことへの絶望。そこまでは解るが、あとは言葉が見つからなかった。

 

「クソがッ。まだだ、まだ準備さえあればいくらでもくつがえせる。失った霊圧も宮に戻ればいい。けど時間は……もうないか」

 

 苛立たしげに石材の間を歩いていく。

 ザエルアポロの行動は他の十刃(エスパーダ)にも知られているはずだ。貴重な自由を使い切ってしまった。また、バラガンあたりが出てきては面倒なことになるだろう。藍染は絶対に邪魔してこないのが不幸中の幸いだが、もはや形振(なりふ)りかまっているヒマはない。

 あそこまで貴重な研究材料をフイにするつもりなどなかった。

 ニルフィはザエルアポロにとって欲してやまない結果を与えてくれるであろう特性がある。みすみす目の前にある極上の獲物を見逃す性格ではない。

 ここまでのリスクを払ったからには、途中で降りることなどもとから出来なかった。

 

「ああ、そうさ。もう穏便にやらなくてもいいのなら、爆弾だろうが地雷だろうが薬だろうが、こそこそ使わなくとも奪掠はできる。多少被検体が傷ついても、それこそあとでどうとでもーー」

「生憎だけど、幼女にイタズラしようなんて、藍染()が許してもアタシを差し置いてなんて許さねーですよ」

「ッ!!」

 

 声のした方向を振り返ると、適当な石材の上に脚を組みながら朱色の女が座っていた。

 

「アネットか……!」

「そうよ。いいリアクションありがとう。けど男の呆けた顔なんて嬉しくないわね、カワイイ娘がやると見方によってはアh……コホンッ。あれれ、なぜかいきなり(せき)が」

 

 いったいどんな単語を口にしようとしたのか。

 ふざけたことをのたまいそうになるアネットを、彼女の妖艶な色香を漂わせる白い太ももにさえ目もくれず、ザエルアポロが睨んだ。

 

「僕としては……君の行動が一番予想外だった」

「さあね、どうしてかしら」

「考える時間も惜しい。だから単刀直入に言わせてもらうよ。ーー僕と取引をしないか?」

「……へぇ?」

 

 興味を示したアネットが目線だけで促してくる。

 

「ニルフィを研究しつくしても殺すつもりはない。たったひとつだけ知りたいことがあるんだ。そのあとになら君に返すことだって約束するさ。……まあ、今までみたいに感情を表に出すことができなくなってるかもしれないが」

「それにアタシが頷くとでも?」

「ああ、本気で思ってるよ。なにしろそれだけでもう君の目的は果たしている(・・・・・・)だろう。断言するが、君にとって不利になりえる条件は一切無いはずだ」

 

 しばらく足をぶらぶらさせていたアネットだが、

 

「却下」

 

 短く、そしてこれ以上意思を変えるつもりがないことを示した。

 

「グリーゼも同じことを言っていたよ」

「それなら珍しく意見が一致したんじゃないでしょうかね」

 

 癪だけども、とアネットが付け加えた。

 

「これからあなたは邪魔するだろうし、存在がアタシにとって邪魔になってるの。グリーゼと違って見逃すつもりなんてさらさらないわ。害虫駆除は、とことんやる性格ですから」

 

 アネットが石材から軽やかに飛び降りる。

 帰刃(レスレクシオン)状態とはいえ、いまだにザエルアポロの霊圧までは半分も回復しきれていない。そうでなくとも、まともにこの女とやりあっては勝率がゼロから変わることもないだろう。また、仕込みなどはほとんどあの塔の区域にしか集中させていない。

 ーーだが、これはチャンスでもある。

 ーーどうせ手元の賭け金をすべて投げた僕がやることはひとつだけ、か。

 思念だけで通信できる蟲でザエルアポロは部下たちに命令を下し、続けられる言葉を待つ間もなく起死回生の一手を打った。

 

「邪魔」

 

 捨て身の特攻を仕掛けてきた異形たちをアネットが灰にしていく。

 だが装甲によってわずかに存命時間が増したザコたちに涼しい顔をしながら苛立っているのが解った。

 さらに周囲の岩にあらかじめ(・・・・・)仕込んでいた爆弾を起動させて岩のつぶてを殺到させる。

 今のザエルアポロにとってはそれで十分だ。

 大ぶりな攻撃を放つアネットの隙を突き、砂の中をミミズのごとく突き進ませていた翼のような触手で、即座に彼女の体を複雑に絡め取る。

 その瞬間、触手よりも先にザエルアポロは自分が獄炎の波に飲み込まれながら、賭けに勝ったことを悟って哄笑した。

 

 受胎告知(ガブリエール)

 

 それは、ザエルアポロ自身が最も自慢している能力であり、本人曰く『敵に自身を孕ませる能力』。

 肉体の大半が損失したとしても、敵の(へそ)から体内に侵入して卵を産み付け、体内から相手の全てを吸い尽くして死に至らしめ、自らの肉体を復活させる。

 

「?」

 

 よく解っていないという様子のアネットを縛る茎の途中。そこに切れ目が入って細長い歯が整然と並んだ口となった。

 こうなってもまだザエルアポロの意識は消えてない。

 灰となった本体のあとを続くように、不気味な口から奇声じみた笑い声が上がった。

 

「クッハハハハハハハハハハ!! まさか、まさかこんなにも簡単にいくとは思わなかったよッ」

 

 うるさそうに眉をしかめたアネットが吐き捨てる。

 

「何ですか、コレ? あいにく触手プレイされる趣味なんてアタシには無い……、あ、ニルフィがされてるところを見るのはアリね。相手はあなた以外限定だけど」

「そう余裕ぶってられるのも今のうちだ。いかに君がこの受胎告知(ガブリエール)とは別の『不死』を体現させていようが、霊圧を喰い尽くされては不可能だろう。僕の前に、死という終焉は存在しない。僕は殺されようと完全な死の前に(よみがえ)…………なぜだ?」

 

 そこまで喋ったところで、ザエルアポロは疑問を口にした。

 もうすでにアネットに侵入させた卵は孵化していいはずだ。

 無様に女の腹は膨れて口から新たな自分が誕生する。そのシナリオがちっとも進まない。

 そうしているうちに、ブチブチと、まるで炎さえ必要ないとでも言うように、アネットが腕力だけで鋼鉄以上の硬度があるはずの拘束を引き裂いた。

 触手であるザエルアポロも半ばからちぎれて砂の上に落ちる。

 

「茶番に付き合ってあげられるほどアタシも暇じゃないんですよね」

 

 たしかにアネットの服の腰あたりは破け、狡猾な猫のように妖しい媚態を感じさせる臍がちらつく。

 ならば、

 

「ま、待て。どうしてだ!? たしかに卵は植え付けたはずだ!」

「……簡単なことよ。アタシがアンタごときに戦闘シーンなんて必要ないくらい格上だから、ってトコ? 余分なのよね、アンタみたいな存在って。横から出てきて黒幕気取ろうなんて虫が良すぎ」

 

 女性がゆっくりと歩く。

 その真紅の瞳を爛々と輝かせながら。

 

「アンタの間違いはふたつあるわ。まあ、ひとつは、先に言っておくけどね。アンタ、アタシみたいなイイ女に逆らおうとしてる時点で終わってるのよ。何しろイイ女は、惚れた相手にしか負けないからイイ女なんだもの」

 

 本来ならば燃えることのない虚圏(ウェコムンド)の砂が灰として崩れていく。

 

「あとひとつは……自分で考えなさい。でもニルフィを襲おうとしてる時点で、アンタには一生答えが見つからないわよクソ科学者」

「やめろ! こんな、こんな馬鹿な! 力尽くで僕のチカラを破るだと!? ッ! それ以上近づくな!」

「大丈夫よ。考える時間はいくらでもあるわ。どうせアンタは地獄行きだろうし、クシャナーダに殺され続けながら考察してるのがお似合いね」

「まだだ、話を聞いてくれ!! これでも僕は彼女(ニルフィ)のことを考えてーー」

 

 さようなら(アディオス)

 アネットが未練なく吐き捨てた直後、虚夜宮(ラス・ノーチェス)のどこからでも見える極太の火柱が周囲一帯を包んだ。それによって地下を逃げていた触手の断片ごと焼滅させられることとなる。

 

 十刃(エスパーダ)、残り八名。

 

 巨大なクレーターから這い出したアネットが、ふと腹をさすった。

 あろうことが彼女は炎をまとわせた右手を、肌のさらされている部分に躊躇なく突き込む。無造作に探る動作を何度か繰り返すと、やはり突き込んだ時と同様に、再び躊躇なく引き抜いた。

 

「…………」

 

 大豆ほどの球体がアネットの右手の中でボロリと崩れ落ちた。

 そしていじくりまわした腹だが、どういうわけか傷ひとつ付いていない。

 

「やっべー、やっちまいましたねやだー」

 

 棒読み口調で背後を振り返った彼女は、半径がキロ単位になりそうなポッカリと大口を開けた灰の降り積もるクレーターを前に、逃げるようにして第7宮(セプティマ・パラシオ)の方向へと響転(ソニード)を繰り出した。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 アネットが宮に戻った頃にはニルフィの治療は終わっていたようだ。

 ベッドの上で眠るニルフィの体は、あれほど痛々しかったのが嘘のように滑らかな真珠色の肌を見せている。しかし意識はいまだに戻らないようで、少女は泥のように眠っていた。

 

「……戻ったのか」

「どこかの誰かさんが手加減したせいですけどね。わざわざアタシが簡単にトドメを刺しに行っておりましたよ」

 

 椅子に座ってのんびり雑誌を読んでいるグリーゼにアネットが皮肉を飛ばした。

 

「……その割にはかなり派手にやったように思えたのは俺の気のせいか。自分の力に自信が持てなくなってくるというのも、なかなかに不安が煽られる」

「ぐっ、べつにいいでしょ。アタシの辞書に加減なんて言葉は無いのよ」

「……おまけに家事や料理もな」

「う、うるさいうるさいうるさい!! 大体そういうのは下のに任せとけばいいのよ。ちょっとくらいアタシより家事ができるからって天狗にならないでもらいたいわね、鼻折りますよコノヤロー」

 

 口では勝てない。それを認めることもせず戦略的撤退を選んだアネットが周囲を見回した。

 

「そんなことより、あの織姫って娘はどこに行ったんですか?」

「……そんなこと?」

「蒸し返さないで頂戴。ともかく、アタシが訊きたいのは人間がどこに行ったかってこと。お礼の一言でも言おうと思って」

「……さっきまで居たグリムジョーがすぐどこかに連れて行ったぞ」

「グリムジョーが?」

 

 またどんな理由で、と訊きかけてアネットは口をつぐむ。もう少しで、なぜあっさり出て行ったのかを知ろうと思ってしまうところだった。どうしてだろう。自分はいま、否定の言葉が欲しかったのか?

 

「ふん、去り際にどうせ『勝手にやってやがれ』ってカッコつけて言い捨てたんでしょ」

「……俺にはな。お前には『馬鹿』と言い残した。そのあとに一言ではダメだと思ったのか、『救いようのない馬鹿』と称してたぞ」

「あの猫……! デカい顔するようになりやがりましたね」

 

 憮然とした表情となったアネットがベッド脇の椅子を引っ張って腰を下ろす。

 

「じゃあ、他の二人は予定通り?」

 

 アネットの問いに、グリーゼが頷くことで肯定を返した。

 なんのことはない。ドルドーニが護衛代わりにロカを救護室まで届けたかを確認しただけだ。しかしすぐには帰ってこないのは、響転(ソニード)をロクに使わない移動だからだ。アネットがしたようにロカをお姫様抱っこすることはドルドーニに禁じてある。

 そしてこの宮には、下官のひとりさえいなくなった。

 いるのはアネットとグリーゼ、そしてニルフィの三人だけだ。

 

「……ドルドーニは察している様子だったが……、なにも言わなかった。グリムジョーも同じだ。だが俺は違う。すこし前にも尋ねたがもう一度訊こう。配役を変えるチャンスはこれで最後だ。心変わりはないか?」

 

 アネットはすぐには答えない。眠る少女の肌を手になじませるように肩から首、そして顔を順に撫でていき、そして触り心地のいい髪へと流れていく。すべてが戻っている中で唯一セミロングのままにさせていた黒髪が、わずかなランプの灯りを星のように散らした。

 

「ア……ネッ…………ト」

 

 寝言だろうか。ニルフィの口から、恋しそうに女の名で求められた。

 くすりと笑ったアネットが言う。

 

「やっべー、このシチュで名前呼んでくれるってもう『俺の嫁宣言』と受け取ってオッケー? いやいや、否定する言葉はゼッタイに認めないですし、これはもう二身合体せざるをえねー!!」

 

 ガッ、とニルフィの服に手を掛けたアネットの腕を、ガッ、とグリーゼが万力のようなパワーで掴んだ。

 しばらくギリギリと音を立てながら拮抗していた二人だが、アネットが鼻を鳴らして腕を引いたことで落ち着いた。

 

「あなたさえいなければ、今頃ニルフィはアタシ無しじゃ生きられないカラダになってたんですけどね」

「……ロクでもない未来だと判断する。だが俺が居なかったところで、お前は本当のところ(あるじ)を汚すつもりなどハナから無かったかのように思うんだが」

「それこそまさか」

 

 おどけたように肩をすくめてみせたアネットが苦笑する。

 

「忘れられない想い出作り? そんなトコよ」

「…………」

 

 間違ったことは言っていない。本心が歪むことなど自分に限ってないと自覚している上に、今もこうしてブレた様子を見せないことが何よりの証拠であった。そしてこれから証明される。徹底的に邪魔となるモノを消した独壇場で、なにもかも。

 舞台は整った。それならば最後まで成し遂げるつもりだ。

 そうでなければーー報酬に釣り合わない。

 

「それと質問の答えだけど、アタシは変わるつもりなんてないわね」

「……だが」

「大丈夫ですよ。しくじることなんて万が一にもありませんし、あなたは予定通り舞台に上がってこようとするクズを一掃してくださいな。それくらい余裕でしょ? でしょ?」

「……それが、お前の答えなのか」

「最良であっても最善でなくて結構。これはアタシの自己満足の塊で、マジパネェくらいの覚悟の上よ」

 

 難しい顔をするグリーゼだがそれ以上質問をすることもなく、無造作に雑誌をそばに投げる。

 立ち上がった長身の男は背中に大剣を吊り下げるとドアのほうへと歩いていった。

 

「……無理はするな」

「不器用な気遣いどうもです。そうはできないって理解してるくせにね」

「……お前は」

「なに?」

「………………いや、もうなにも言うつもりはない。余計な言葉だ」

「なによ、気になるんだけど」

 

 アネットの耳に、ため息が聞こえた。呆れた、日常ではいつも耳にした、影の苦労人からのため息。

 

「……仮面は被り続けるものじゃない」

 

 視線をグリーゼの背へと向ける。

 しかし男の姿はもはや部屋には無く、アネットの視線だけが宙をさまよった。

 

「それくらい、言われなくたって解ってるわよ」

 

 椅子の上で伸びをしたアネットがそうぼやき、眠る少女の顔を見つめる。

 無垢で無邪気で、女のなかでもっとも大切だった従者と面影が重なる寝顔だった。

 今しばらく時間はあるだろう。

 薄暗闇のなかでアネットは静かに目を閉じた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紅従者のむかしばなし

 ーーむかしむかしのおはなしです。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)というお城に、紅色のヤベェくらいに危険な女がやって来ました。彼女を表すのならば、天上天下唯我独尊、そんな言葉が似合うような孤高の暴君です。力が無いものが目を合わせただけでその命は気まぐれに灰にされること数知れず。仮にそれが強者であろうと変わらぬ末路を辿りました。

 それは(ホロウ)時代と変わらぬルーチンワーク。たとえ仮面が割れて傾国の美女としての容姿を手に入れようが、弱者は(ほふ)り、強者を潰す。

 心のどこかでつまらないと思う日常は続いていきます。

 ですが、唯一の変化を得たといえるとすれば……、それこそ最初で最後であり、安物の劇場でありがちな話でありながら、暴君にとってはようやく“幸福”を噛み締められるものでした。

 ーーむかしむかしのおはなしです。

 これは、未来で従者となる暴君と、過去に従者であった少女のはなし。

 

 

 

 まるで雛鳥のようにその少女はうしろを付いて回ってきた。

 しかし女ーーアネットにとって鬱陶しいことこの上なく、しかしピーピー鳴く声は、やはりこの時もしつこいほど自分の名を繰り返す。

 

「アネット様! ちょっ、まってくださいアネット様! 聴こえてますよね、無視とかよくないですよね? ね? ヘイッ、聴こえてますかアネットさーーぼふぁ!?」

「うるさい馬鹿」

 

 この時は腰まである紅の長髪を払いながらアネットが振り返った。

 少し離れた場所には、彼女の裏拳でぶっとばされた金髪の少女が涙目で転がっている。少女は小さな金髪をまさしく尻尾のように振りながらガバッと立ち上がった。

 

「ひ、ひどくないですか!? あなたの血は何味ですか!? アネット様にしかぶたれたことないのに!」

「ならいいじゃないの。叩けばもっとマシになると常日頃から思ってるけど、もうこの際ぶっ壊れてしまってもかまわないわよ、この粗大ゴミ」

「そんなご無体な。しかも叩けば治るって、やっぱジュネレーションギャップですよねー」

「どうしてやろうかしらコイツ」

 

 ため息を吐きたい衝動をこらえ、アネットが少女を見据える。

 そして己の唯一の従者の名を呼んだ。

 

「……ラティア」

「はいっ、なんですか」

 

 ラティアは澄み切った笑顔で返事をする。

 

「アタシ言ったわよね、宮で大人しくしてろって。その空っぽの頭で理解できるよう何度も。なのに、ど・う・し・て、こんなトコまでアタシを追っかけにきたワケ?」

「それはもう、わたしがアネット様の従者だからですよ。それなのにこの生活スタートからの命令が犬にするように“待て”だけなんて……。少しは従者っぽいことしたいんです!」

「で、本音は何よ」

「テヘッ、宮でぐうたら昼寝だけってのも飽きてーーぼっふぅ!?」

 

 蹴りで吹き飛んでいったラティアを心配する素振りすらみせず、アネットは靴音を響かせながら先に進んでいく。

 自分が適当に選んだ従者はバカだった。二言で表すならバカでアホだ。

 しかもクソ弱い。ためしに犬のクッカプーロと戦わせてみたが、アネットが一瞬目を離した隙に敗北を喫しており、うつぶせに倒れてボロボロなラティアの頭の上で子犬が勝利の雄叫びを上げる図が出来上がった。むしろ頭でさえ劣ってるのではないかと思った。

 だというのに、ラティア本人の性格は歪みがないくらいに非常にポジティブ。

 得体の知れない眩しいもののように思えて、ひねくれまくっていたアネットにとって何よりその性格こそが苦手だったのだ。

 

()たたた……。いきなり蹴るなんてドイヒーですよもう」

「殺すつもりでやったんだけどしぶといわね」

「パワハラ、パワハラですよ。あのおしゃれ隊長見た時から予感してましたけどブラックすぎますもんね。でもわたしは屈しない! そんなパワフル・ハラスメントに健気に(あらが)うのが真の従者というものでーー」

 

 気が極端に短い部類であるアネットはそのよくまわる舌に案の定キレた。

 右手でラティアの首を掴んで強引に引き寄せる。苛立たしさを隠すことなく犬歯をむき出しにして、至近距離から獰猛に威嚇した。

 

「いい? アタシがアンタを選んだのはただの気まぐれ。これから殺そうが陵辱しようが、それすらもアタシの気まぐれになるってことを忘れない方がいいわよ。解ったのなら、その足りない頭でよく考えろ」

 

 苦しげに顔を歪ますラティアがギブアップとでもいうように主人の腕をぺちぺち叩いた。解放してやるとその場に崩れ落ちて少女がむせこむ。その姿を見て多少溜飲は下がった。最後に一瞥(いちべつ)し、アネットが再び背を向けて歩き始めた。

 暴君の歩みを遮る愚者などいないはずだが、

 

「……なんで付いてくるのよ」

 

 そのうしろにはラティアが当たり前のように追従している。

 従者は苦笑いしながら言った。

 

「いや、そのぅ、わたしってアネット様の従者ですし。戦いもからっきしで、多少響転(ソニード)が使えるくらいです。それなら、危なっかしい主人を止められるブレーキ役になれればなぁって」

「それって侮辱かしら? アタシのどこが危なっかしいのよ」

「さっきだって、グリムジョーと殴り合ってたとか……。そんなの、危ないですよ」

「あんなカスにやられたりなんかしないわ」

 

 アネットの憮然とした物言いに、ラティアが早口でまくしたてる。

 

「でも、無鉄砲すぎるんです! わたしはこれでもあなたより前からココに居ました。自分は大丈夫だ。俺強いから。そう言って死にに行った仲間のことは多く見ています」

 

 自分はそんな安っぽい奴らとは違う。ハッキリ言ってやろうとラティアの顔を見やり、自然と視線を少し下げた。少女の首にはくっきりと締めた跡が残っている。当たり前だ、息をさせないくらい強くやったから。

 それなのに気にした様子もなくラティアはアネットの心配ばかりしてくる。

 しかも笑顔で。

 そこだけが、理解できなかった。

 空白に被せるようにしてラティアが言う。

 

「前に、仲の良かったヒトが死んでるんです。わたしはそのヒトが死ぬとは思ってませんでした。それくらい強かったのに、でも死んじゃって」

 

 情けなさそうに少女が眉を下げた。しかし声がブレることはない。

 

「わたしは自分の命なんて惜しくはありません。そりゃあ、痛いのは嫌ですし、怪我はしたくないですけど。それでも盾にされることに文句も言いません。だけどせめて、せめてあなたを“止める”ための選択肢を言う従者として置かせてください。……お願いですから」

 

 ここでラティアを殺すのは容易い。言葉が過ぎると、炎を通路一杯に叩き込めば、いくら運がいいだけの少女でもすぐさま灰となる。

 けれどこの純粋という物質だけで創られたような塊のか弱い生物を消した時、アネットは理由も知らぬ敗北感を得ることになるだろう。

 そして他の従属官(フラシオン)を見つけるのが面倒とか、丁度いいサンドバックが消えるだとか、そんな理由がアネットの頭のなかで渦巻き始めた時点で、自分はこの少女をまだ殺す気になっていないと悟る。 

 ーーったく、醒めたわね。

 本心とは違う言葉で毒づきながら、アネットが小さく吐き捨てた。

 

「……勝手にしろ」

 

 顔を輝かせた少女を直視することなくアネットは歩き始める。

 この時からだっただろう。

 孤高の暴君の背を、なんの力もないはずの従者が追う姿が見られるようになったのは。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「見てくださいアネット様! どうです、似合いますか。無断でアネット様の服を拝借して着てみました! さすがにあなたほどのないすばでぃではないのでちょいアレですけど、これでペアルックの仲いい主従に見えませんかね!?」

「脱げ」

 

 目の前に現れたアホの子にアネットが即答した。

 

「ぬ、脱げだなんて、こんな公共の場所で……」

「顔赤らめるな。だったら宮に戻って着替えて来い。そうでなくても、隣に立って欲しくないってのに」

 

 ペアルックという言葉に天啓でも受けたような眼帯優男がどこかに走り去っていく。それ以外には誰もいないが、こんな場面を他の誰かに見られたら本当にペアルックだと思われるだろう。そうなれば、ソイツを殺すしかない。

 しかしラティアは最近、こういったことを繰り返す。

 なんとかしてひねくれたアネットとコミュニケーションを取りたいのだろう。それを知っているからこそ、アネットは素っ気ない態度をとり続けている。

 仲良しこよしなど必要ない。

 主人と道具。それだけの関係が築ければいいとアネットは考えていた。

 それなのに、時折この天下の往来を闊歩(かっぽ)するトラブルメーカーが今度はなにをするのかと思うときがある。面倒だと感じながら、この退屈に刺激を与えてくれる存在として見ていた。

 だが意地でも認めたくはない。ーーラティアが隣にいないときの退屈はいつもより重いなど。

 

「ねーねーアネット様、聞いてますか?」

「ん、そうね。たしかアタシがアンタをぶっ飛ばしてもいいって話だったかしら。でも困るわね。頭叩いて今さらアンタの頭が正常になるって」

「いやそんな物騒なヤツじゃないですよ!? ただほら、前にも言いましたけどわたし今日、ネリエル様に誘われて夜ご飯を一緒にするんです。それを先に報告しておこうかなって思って」

「…………」

 

 それを聞いて、言葉にすることのできないなぜか面白くない感情が胸に浮かんだ。

 アネットが柳眉をひそめる。

 

「……行かなくてもいいわよ」

「えー、どうしてですか。だいじょうぶですよ、ネリエル様は人格者ですし別に毒入れられたりなんてされません。それにドンドチャッカのつくる料理はおいしいんですよ」

「主人はアタシでしょ。それにご飯なんて、第1宮(プリメーラ・パラシオ)でだって食べられるし」

「けど、前に行った時は勝手にしろって二つ返事でーー」

 

 そこではたと気づいたようにラティアが目を見開いた。それからラティアのくせに訳知り顔でにんまりと笑い、どことなく嬉しそうな顔をして主人の顔を見上げる。

 

「もしかして、()ねてるんですか?」

「…………ッ」

 

 アネットは目元がヒクつくのを自覚した。

 

「~~~~!」

 

 言葉が喉の奥から飛び出そうとするのに突っかかり、何度か無意味に口を開閉させるだけで終わってしまう。それを繰り返したあとにゆっくりと深呼吸し、やや上ずった声で答えてやった。

 

「ーーそんなんじゃないわよこの自信過剰従者がッ!!」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 グズグズと涙する少女がアネットの豊かな胸に飛び込んできた。

 

「あーもう、泣くな馬鹿。服が汚れるでしょうが」

「だって、だってぇ」

 

 十刃(エスパーダ)の席を賭けた戦いのあとに残ったのは、大部分が灰になった闘技場と、これもまた火葬されたようなどこかに転がっている相手の骨だけ。

 結果を見ればアネットの圧勝だ。終わった時はロクな怪我もない姿で平然としている。だがしかし、傲慢と慢心のせいで手痛い反撃をされたことも事実で、それによってアネットが倒されてしまったと勘違いしたラティアが子供のように泣いてしまった。

 心配してしつこいくらいに体を触って無事を確かめてくる。

 それが歯がゆいような、こそばゆいような、持て余すような感覚。ひねくれ者には毒のように思えてしまう。

 いまだにえぐえぐと抱きついてくるラティアを引き剥がすと、アネットはフンと鼻を鳴らした。

 

「惜しかったわね」

「え?」

「アタシが死んでればアンタは晴れてまた自由の身でしょ。これで暴力振るわれたりゴマ擦らなくてもよくなる生活に逆戻りできたはずだけど……。だから、残念ね」

「…………」

 

 本当は言う必要もなかった。言いたくもなかった。ラティアを突き放すために、無意識のうちに口にした言葉だ。

 しばらく無言のまま押し黙ったままのラティアだが、ついに顔を上げる。

 感情豊かな彼女には似合わない、初めて見る能面のような無表情だった。

 

「それ、本気で言ってるんですか? ブラックジョークとか、ドッキリとかじゃなくて、本気(ガチ)で?」

「……そ、そりゃあそうよ。死んでも死にきれないカラダだけど、アタシは生きていないほうがいい。アンタだって、本心じゃそう思ってるんでしょ」

 

 引くに引けなくなってしまいアネットが返す。

 しかしラティアはさっきまでも涙がどこへやら、ひどく冷めた表情をして頷きながら『そうなんですか、そう思ってるんですか、へぇ~』と繰り返しており、表面こそ憮然としながらもアネットは内心であたふたと慌て始めた。

 本意の言葉ではなかったと撤回したい。すぐに謝罪の言葉を吐きたかった。

 しかし、ひねくれまくった性格と見栄以外の何物でもないプライドが喉の奥で邪魔をして、声らしい声を上げられずにいる。

 ウ~っと唸ったラティアが額をぶつけてきた。鎖骨にぶち当たったたいして痛くない頭突きをアネットは甘んじて受ける。そしてラティアは軽い体重をもたれかからせてきた。

 

「そんなこと、言わないでください。自分は死んでもいいとか、不謹慎すぎますよ」

「……皮肉で言ったつもりだったんだけど。アンタを侮辱する言葉も聞こえなかったのかしら? でもどうせ、アタシが本当に死んだところで喜ぶ奴しかいないわ」

 

 弱々しく駄々をこねるように少女が首を振る。

 

「わたしは悲しいですよ」

「まさか」

「泣きます。いいですか、天下の往来でいい歳した女の子が人目もはばからず大泣きするんですよ。そんなの見たいと思いますか?」

「嫌ね」

「じゃあ死なないでください」

 

 ラティアは頑なに、主人の死を拒む。

 理解できない。

 理解したくない。

 なぜこうまでしてラティアは自分勝手なアネットに死なないで欲しいと願えるのだろう。嘘を吐けるほど器用ではない少女は今もまた、放すものかとアネットを抱き続けた。見返りも何もない純粋な好意。それがアネットにとって何よりも苦痛だった。

 

「……アタシは、アンタを殺すかもしれない」

「しませんよ」

「するわよ」

「じゃあどうして、そんな苦しそうな顔をするんですか?」

 

 言葉に詰まる。一瞬の空白。噛み締めるようにしてラティアが言った。

 

「わたしはあなたの傍にいても消えませんから。だからーー怖がらなくてもいいんですよ」

 

 アネットがわざわざ目に見えるように暴力を振るうのは、他人を自分に近づけないため。

 彼女の炎は無差別になにもかも灰塵(かいじん)に変える。そこに強弱など関係ない。わずかでも好ましいと思った相手だろうが、ふとした拍子だけで殺してしまいかねない。だからアネットは他者と触れ合おうとしなかった。少しでも好意を持った相手を自分のチカラで消してしまわないように。

 

「怖がってなんか、ないわよ」

「ええ、解ってます」

「……アンタがそんな言葉を言ってくれるのは、前に言ってた仲のよかった相手にアタシを重ねてるから?」

「前まではそうでした。でも何時からか、なんてことは解りませんが、わたしはアネット様(あなた)アネット様(あなた)として見てます。……それくらい、知っていたでしょう?」

 

 弱くなってしまったと、アネットは思った。

 ーーまあ、でも。これでいいか。

 ようやく憧れていた弱さを手に入れることができたから。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 巨大なソファの上に二人はゆったりと腰掛けている。アネットは身をラティアにもたれかからせ、無防備に甘えるようにして従者の肩に頭を乗せていた。たまにラティアが主人の髪を手櫛で()き、それを受け入れて気持ちよさそうにアネットが目を細める。

 

「ふふ、そんなこともあったわねぇ」

「ですねー」

 

 ふと思い出した昔話で談笑しながらのんびりとした時間が過ぎていった。

 財宝や美食といったものなんかより、アネットにとってはこういった時間こそが至宝そのものである。それを何かに代えるつもりはない。どれだけのモノが積まれようが、この一秒の“幸福”にさえ釣り合わないだろうから。

 密着している側の手を重ねて指を絡ませる。それを相手もかすかに笑みを漏らしながら応え、互いの温かさで手を馴染ませた。

 

「思い返してみればいい思い出ですよ」

「アタシにとっては忘れたいの間違いなんだけど。あんな生産的じゃない時間を過ごしてたと思うと、今のほうが断然いいわね」

「わたしと過ごしてた時間も含めて?」

「……まあ、悪くはなかったかも」

 

 満ち足りた表情でアネットは過去を懐かしむ。

 このまま腐って腐って(ただ)れていくのもいいかもしれない。いや、もうこの甘さを味わった時点でそれ以外の選択なんてしたくない。この幸せを守るためなら、むかしの自分だろうが殺せる。

 いまは温もりがあった。かけがえなの無い存在があった。

 自分を受け入れてくれる、少女がいた。

 

「最後の命令、してもいいかしら」

 

 己が従者として接する最後の会話。そしてこれからは対等に、いつまでも愛し合うために必要な言葉。

 

「ずっと、ずっと、この時間を終わらせないために…………一緒にいてほしい」

 

 ラティアは目を見開き、なにを言われたか理解すると、すぐに満面の笑みで答えた。

 

「はい、いつまでも!」

 

 幸せが似合わない者などこの世にはいない。

 

 

 

 だから。

 コレはなにかの間違いだ。

 ただ嫌にリアリティがあるだけの悪意に染め上げられた夢のはずだ。

 紅色の女が泣いていた。(むせ)び泣き、絶叫し、親と離れ離れになった子供のように心の拠り所を探す。

 

「ーーラティア!! どこ? どこにいるの? 返事、してよ。ねえッ! ラティア! ラティア!!」

 

 けれど想い人は見つからない。消えた。消えてしまった。

 女が宝のように抱きかかえた、右の細腕だけを残して。

 アネットは狂いそうだった。だが狂えるならばどれだけよかっただろう。なまじ破面(アランカル)として強固な精神を得てしまった彼女には、心を壊して逃げるという手段すら許されなかった。

 だから心の傷を少しでも吐き出そうと叫ぶ。

 喉が裂けて血が溢れた。どころか、心の痛みはわずかたりとも収まらない。むしろさらに苦しくなっていく。

 

 これが弱さの代償だった。

 

 あっけなく壊れてしまった幸せのあとに残されたのは、壊れかけの小さな存在。

 

「ぁ、……あぁ…………ぁ」

 

 よろよろとアネットが顔を上げると見覚えのある他の十刃(エスパーダ)がいる。戦っており、こちらに目も向けていない。だがアネットは悟った。アレらが、壊したのだと。取るにも足らないゴミのくせに、領分さえ自覚できないのだと。

 一瞬にして頭が()めて()めて()めた。

 百では足りず千にも万にも届く呪詛が己の内側で暴れまわる。

 それを舌に乗せ、斬魄刀である鉄扇を砕かんばかりの力を込めて振るう。

 

 

「ーー(けが)せ」

 

 

 そこからの記憶は途切れ、気づけば灰だけで彩られた雪国のような世界にアネットはぽつりと立ち尽くしていた。

 手の温もりは、いつの間にか消えていた。

 

 

 

 ーーむかしむかしおはなしです。

 暴君は初めての涙は、従者のために流されました。けれどその涙はありきたりな大団円のハッピーエンド、あるいは飽食された王道物語のように奇跡を呼ぶことはありません。どれだけ悲しかろうと、暴君にとって価値のないものでした。

 この時暴君は、ようやく弱さなど必要の無かったモノだと悟ります。

 “幸福”が消えて悲しいならば、つくらなければいいのだと気づきます。

 ーーむかしむかしのおはなしです。

 これは、未来で従者となる暴君と、過去に従者であった少女のはなし。

 

 

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 暗闇の中でアネットが目を見開いた。

 いまは従者である女が幼い主人を見下ろし、ため息。

 手のひらで顔を覆い天井を見上げた。

 焦がれるような色合いのせいで燃えているかのような双眸で、指の間からどこか遠くを見つめる。

 顔を覆っていた手を宙へと伸ばし、そしてなにかを取ろうと握る動作をして、空を切った。

 

「ーーラティア」

 

 ささやき声が闇に消える。




作者は各キャラを書くにあたり、サブキャラも含めてキャラシートを作成しております。原作キャラも今作において役割も変わりますので、彼ら彼女らも同じ感じでしょうか。

設定上のラティアさんの能力は物の弾みで生まれた『自分への不運を幸運に逆転する能力』でした。
弱いけども面倒な能力のため藍染さんも秘密裏に排除しようとしました。しかし三度ほど外的要因で邪魔され、五度ほど罠が故障し、ついに自身が出ようとしたら13キロさんの差し入れ饅頭を食べた直後に腹を下し、さらには調子が出ずに黒棺の詠唱で舌を噛んで悶絶しリタイア。結局のところ、『自身への不運を相手の不運に変える』能力だとようやく知ったため、事故で死ねば御の字とアネットさんに押し付けたりしてます。

この作品の藍染さんはシリアスシーンを除くと、なぜか影で貧乏くじを引かされてるキャラ設定になってました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

瓦解する現実

 もう何度も繰り返したように、目を開くと見慣れたベッドの天蓋が視界に広がっている。

 起き上がったニルフィは不思議そうに手を握ったり開いたりをして体の調子を確かめた。オールグリーン。白哉の捨て身の攻撃であれほどまでに傷つけられた身体が、今ではいつも以上に快調である。

 

「オリヒメさん、かな……?」

 

 ほとんど本能的に探査回路(ペスキス)を広げ、寝室にいない従者ふたりの霊圧を探る。

 しかし、

 

「……居ない?」

 

 アネットも、グリーゼも、ましてやドルドーニや下官ひとりさえ宮から消えてしまっていた。

 不安が心を支配する。

 まさかもう戦いが終わったのかと時間を確かめるが、自分が倒れたであろう時からあまり変わっていないことを考えると、あまり現実的ではない。下官がいないのは疑問だがアネットたちは出かけているのだろう。

 ベッドから飛び降りたところでニルフィはあることに気づいた。

 

「あれ、髪が短くなってる」

 

 肩より少し長い程度のセミロング。切り揃えられてはいるが、あの腰まである綺麗な長髪はコンプレックスだらけの自分の容姿で一番気に入っていただけに、惜しい気持ちを隠せない。

 それに惜しいというならば。

 アーロニーロが死んでしまった。

 それが何よりも悲しい。胸がきゅうと締まり、痛みを抑えるようにして手を添えた。

 舌舐めずりしたニルフィは、そばに畳まれてあった自分の死覇装に手を掛けて着替え始める。患者服のような薄い衣類を脱ぎ捨てると体の至るところに包帯が巻かれてあった。それらをはずし、着慣れたパーカーのような死覇装を着込んで服装を整える。

 

「…………」

 

 感じるのは、少しばかりの違和感。

 慣れた長髪が無いとむずむずとする。それを嫌い、部屋を探して見つけた赤いゴムでいっそのことポニーテールにして髪をまとめる。

 ほどなくしてニルフィは宮を飛び出した。

 大雑把に霊圧を探索すると、やはりまだ多くの破面(アランカル)たちが健在であることが解った。

 お隣さんであるザエルアポロのものは感じ取れないが、それはいつものことだ。宮に籠もっているはずの彼がそうそうやられることはないと知っているニルフィは、ようやく目当ての霊圧を見つけたことで関心を移した。

 ーーでも、かなり離れてるっていうか……外なのかな?

 なぜか、アネットとグリーゼの霊圧は虚夜宮(ラス・ノーチェス)の外壁付近から感じ取れた。

 行けばわかるだろう。そう思い直したニルフィが、すぐさま神速と化して目的の場所を目指した。

 

 歩けば数日もの距離を飛んでいると、ほどなくして響転(ソニード)を止める。

 もう壁は目の前まで来ており首を巡らしても端は見えなかった。

 

「こんなトコで何してるの、グリーゼ」

「……それより、その様子だと全快したようだな」

「うん、おかげさまでね。オリヒメさんを連れてきてくれたのってキミたちなんでしょ? あのままじゃ死んでたかもしれないし、ありがとうね」

 

 剣をかたわらに、壁に背を預けていたグリーゼが淡々と言った。

 

「……それはアネットに言ってやれ。あの人間を連れてきたのはあいつだからな」

「うん! でも、アネットってどこに居るの? 宮には下官のみんなも誰も居なかったし、心配したんだよ。オジさんもどっかに出てってるし、霊圧の残滓(ざんし)だけだけどロカさんとか、それにグリムジョーもいたと思ったんだけど」

「……そうか」

「私が寝てた間になにか大きなコトってあったかな。ほら、その、誰かが死んじゃった、とか」

 

 不安で眉を寄せるニルフィはグリーゼの言葉を待つ。

 

「……大丈夫だ。侵入者に倒されたと言えるのは、まだアーロニーロと(あるじ)だけだ」

「そっか」

 

 ニルフィはほっとしてため息を吐いた。

 もう、仲間が死ぬなんてこりごりだ。表面こそこうして明るく振舞っているニルフィだが、その内面は崩れ落ちてしまいそうなほど脆くなってしまっていた。

 今にも倒れ込んでしまいたいほど頭痛がひどい。

 仲間が居なくなった。その事実だけで、切り裂かれたことよりもずっと痛みがあった。

 

「それで、さ。アネットはどこにいるの?」

 

 わがままだと自覚している。しかしすぐにでも宮に戻って休みたかったし、そのためには二人にそばにいてもらわないと心が休まらないだろう。

 

「……あいつは“外”だ」

 

 グリーゼが壁を叩くと隣に扉が浮き上がって現れた。

 首でその奥を促しながら、従者の男は目を伏せる。

 

「……俺はここでやることがある。すまないが、会いたいというのならひとりで行かせることになるが」

「ううん。なら、すぐにアネットのこと連れてくるね。そうしたら、みんなで帰ろう?」

「…………ああ、そうだな」

 

 大きな手がニルフィの頭を不器用にそっと撫でた。

 いくらか嬉しそうな顔をしたニルフィは、外へと続く道を駆けていく。

 何も考えず、すべてを信じて、ずっとずっと。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 主人の消えた第8宮(オクターバ・パラシオ)に響くふたつの足音があった。

 白い肌に面妖な黒い化粧をした異相。そして白い羽織をなびかせるのは、護廷十三隊十二番隊隊長である(くろつち)マユリである。斜めうしろを歩かせている副官の(くろつち)ネムを引き連れ、彼は虚圏(ウェコムンド)の科学者の城を物色中だった。

 ニルフィの眠っている間に残りの死神たちの隊長は侵入している。

 あとは自由行動となり、他の隊長格が援軍として活動している中、マユリは自分の科学者としての好奇心に従って動いていた。

 

「フム、この宮の主人はなんとも不用心だネ。防衛機能を自分がいること前提に創ってあるとは。まったく、なんのための自立防衛機能なのやら。こんなのじゃネズミ一匹さえ逃してしまいそうだヨ」

 

 右手中指の不自然に長い爪を杖のように振りながらマユリは呆れのため息を吐く。

 二度。

 最初は見たこともない宮の主人にであり、次には自分より先行していった隊長格の青年に対してだ。

 

「まァ、さほど時間を置いてやってきたつもりは無いが……。まさかもう倒されているとは想定外だ。あの眼鏡が戦った女のレベル程度なら大丈夫だと思っていたんだがネ。アレが不甲斐ないのか……、噂の破面(アランカル)の童子の仕業か」

 

 淡々と独り言をつぶやきながらマユリは廊下を進んでいく。

 まるでメトロームのように響いていた靴音が止まったのはそれから少しばかり時間を置いてからだ。

 

「ネム、ここの壁を破壊しろ」

「はい、マユリ様」

 

 なんの変哲もない壁を壊せという命令に疑問を示すことなく、細身の女とは思えない腕力でネムが壁を殴り壊した。この瞬間、今日の虚夜宮(ラス・ノーチェス)の被害金額に日本円で表すと百数十万円が追加される。

 穿たれた大穴を覗き込むマユリは肩を落とした。

 

「やれやれ、ここもハズレか。とっととそれらしい研究材料のある部屋が出てきてもいいハズだがネ。……ん?」

 

 見たところ、いくつもの資料が積み重なっているだけの部屋にマユリがわずかな関心を示す。

 部屋へと足を踏み入れたマユリは手近な一枚の写真を取り上げた。

 黒髪の綺麗な少女がローアングルで写っていた。画質も良く、これが現世での先遣隊を追い詰めた破面(アランカル)なのだとすぐに理解する。なぜかバニーガール風の衣装であったり、写真のうしろにはプレミアム印があったりと色々とツッコミどころがあるが、それ以外にもマユリの興味を引くものが残っていた。

 

「成程。身内にも研究対象として見られていたようだネ」

 

 これら膨大な資料すべてに“ニルフィネス・リーセグリンガー”という少女に関する情報が記されてある。

 少しばかりマユリも興味を持っていただけに、こうしてまとめられているのならば後での資料作成が楽になるだろう。そう思い、多少の溜飲は下がった。

 

「なにをしているんだネ。毛色は違うが、これらは探していたモノに近い紙束だヨ。さっさとめぼしいものがないか探せ!」

「はい、マユリ様」

 

 理不尽極まりない前触れもない要求にも、やはりネムは淑々と従う。

 そしてマユリ自身も物色に加わって漁り始めた。

 近い部分には趣味程度に集められたらしい写真やら団扇(うちわ)やらしか無かったが、奥へと進んでいくにつれ、専門用語の羅列が(つづ)られたものが増えていった。当然マユリの興味もそちらへと向かい、動かす手も自然と早くなる。

 

「フム? これは……」

 

 無造作にそのうちのひとつを手に取る。

 それには、少女の過去を知る破面(アランカル)たちからの情報がまとめられていた。一枚一枚めくっていくたびに科学者としての笑みがマユリの口をニンマリと吊り上げた。さらに横にあった、少女の特性について簡易的にまとめられていたものに目を走らせていく。

 少女がただ強いだけの破面(アランカル)ではない。

 この時、死神のマッドサイエンティストの認識が変わった瞬間である。

 

「どうやら藍染はオモシロイものを探し当てたようじゃないかネ」

 

 そうしてマユリはいくつかの資料を選ぶと懐に仕舞い込んだ。

 

「おい、ネム」

「いかがなさいましたか」

「いかがしたのはお前のほうだヨ!」

 

 紙の山の影から現れたネムは、なぜかカラフルな半被(はっぴ)を羽織りながら手にメガホンを持ち、『幼女LOVE』と描かれた鉢巻(はちまき)を額に巻いていた。そしてそれに関連してそうな缶バッチなどがキラキラと眩しい。

 

「いえ、めぼしいものと言われましたので目に付いたモノを選びました。資料などはマユリ様が直々に選ばれると思い……。それと、半被(はっぴ)の裏側に名前を縫う場所があるのですが、恐れながら縫っていただけないでしょうか」

「私は忙しいんだ。まったく、少し時間さえあれば今度こそ『メス豚』とでも縫ってやるものを……。さっさとそれを置いて私の選んだモノを台車に詰め込みたまえ!」

「…………」

「解ったからその小道具も一緒に台車に入れて、さっさと動くことだネ!」

 

 欠陥品になってきたのかとぼやくマユリは、そそくさと動き始めたネムから視線をはずしてもう一度資料の束に目を落とす。

 

「やれやれ、いいように扱われたあとは壊れに壊れ、いまだに現実から逃げられてないとはネ。私でも同情を禁じえないヨ」

 

 そのつぶやきは、誰にも聞かれることなく掻き消えた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 晴天を描く天蓋から抜け出せば、外となる砂漠は常闇の世界を彼方(かなた)まで広げている。

 おぼつかない足取りで白砂を踏みしめたニルフィは、きょろきょろとあてもなく周囲を見回した。その顔は迷子の子供のように不安に染まっている。頭痛のせいで冷や汗は収まることなく、腹がよじれそうな吐き気もあり、今にも泣き出しそうなほど崩れていた。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)からはかなり離れた場所にまで来ており、地下まで広がっている通路の範囲をも超えそうだった。

 

「どこにいるの……? アネット……」

 

 うわ言のように繰り返しながら少女は進む。

 探査回路(ペスキス)の情報通りなら、ここら辺に必ずいるはずなのだ。

 どうしてこんな場所にアネットがいるのかとか、まだ虚夜宮(ラス・ノーチェス)での戦いは終わっていないとか、そんな疑問はニルフィの頭から消えていた。

 いまはただアネットに会いたい。自分が望む分だけいくらでも愛してくれる女の肌が恋しい。

 そうして彷徨(さまよ)っていると、気配を感じた方向に首を向ける。

 

「アネット?」

「ほかの誰かに見えたのかしら? もちろん、アタシよ」

 

 人を食ったような笑みを浮かべている従者の女を見てニルフィが安堵の息を吐いた。

 

「こんなトコでなにしてたの」

「ちょっと、ね。でもあなたはもう動いて大丈夫なの? 精神的にも疲れてるんだから、まだ少し宮で休んでたほうがよかったでしょ」

「あはは……。ひとりでいると、すごく不安になっちゃってさ。キミに会えたからそんなのは吹き飛んじゃったけどね」

「……そう」

 

 今度は困ったように笑うアネットがニルフィのそばまでやってきた。

 アネットは膝をつくと、右手でニルフィの頬にそっと触れる。夜風で冷たくなった肌が温かくなった気がした。

 

「髪、まとめたのね」

「うん」

 

 似合ってるかどうかわからない。けれどアネットの表情を見る限り、悪くはないのだろうと思った。

 アネットは指を黒髪に絡ませるようにして撫でると、ゆっくり下へと降りて行き、いつもよりも鮮明になったうなじから()らすように滑らせる。その一動作だけでニルフィの喉の奥から嬌声がこぼれた。さらに白魚(しらうお)のような指は鎖骨へと下り、ねぶるようにしてなぞっていった。

 少女の口から熱を孕んだ切なげな吐息が漏れ出す。

 

「フフッ、一回痛い目を見ても堪え性がないのは変わりないみたいですね」

「あぅ……」

 

 羞恥で顔を赤くしながらニルフィがアネットに抱きついた。

 それを面白がったアネットが再び手を動かそうとしたが、抱きしめた小さな少女が震えていることに気づいたのか、その背をぽんぽんと優しく叩く。

 ようやく少女のカラダを縛っていた緊張がほぐれ、押さえつけていた内心を吐露する。

 

「ーー私、怖かったんだ」

 

 嫌に鮮明な夢を見ていた。見たこともない(ホロウ)たちが延々と死んでいく夢だ。それを見ているうちに、ついには今の仲間たちの死体が現れたことでパニックに陥りそうだった。

 

「また誰かが死んだんじゃないかって、そんな嫌な妄想して。目が覚めたとき私のそばに誰も居なくって。それに気づいちゃったとき、ベッドの上で死にたくなったんだよ……? 寂しくって、寒くて、気が狂っちゃうかと思った」

 

 もう、この温もりを放したくない。

 いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも。

 ニルフィは従者を抱きしめる腕にさらに力を込めた。安心によってだろう。今まで自分を苛んでいた頭痛などが波のように引いていく。

 申し訳なさそうにアネットがニルフィの頭を撫でた。

 

「ごめんなさいね。あなたを一人にするつもりじゃなかったんだけど」

「ちがう、ちがうの。私はキミたちが一緒にいてくれるならそれだけで満足だから。謝ったりなんか、しないでよ。ずっと、ずっとずっと、キミが大好きだから」

 

 顔を上げる。紅玉(ルビー)のような双眸と目が合った。

 アネットの目が和らぎ、ニルフィの熱っぽい視線に気付いたのだろう、顔を寄せてくれる。

 そうしてニルフィはカラダのすべてを目の前の女に預けようとしーー。

 

 

 殺気。

 

 

 本能が世界を動かす。理性が認識できるようになれば、自分はさっきまでいた場所から十メートルも響転(ソニード)で離れていた。あまりの勢いを殺すために右腕を砂の中に突っ込み、数メートルもの(みぞ)を削っていた。

 それだけ、なり振り構わない強引な回避行動を無意識に取っている。

 

「ーーッ! ーーッ!?」

 

 知らずのうちに荒くなる息。

 それ以上に、疑問なのが。

 ニルフィはおそるおそる指で首元に触れた。

 傷のついた細首には本来ならば赤い血が付着しているはずだが、

 

「あらら、避けられちゃいましたね」

 

 少女の指についていた薄皮だったものの“灰”がボロリと落ちた。

 

「……どうして?」

 

 少女の視線の先では、冷めた表情をしたアネットが斬魄刀である鉄扇を手に、また自分を見返している光景があった。ポタリ、ポタリ。鉄扇の隠し刃の先端から赤い血が落ちていた。

 砂漠の夜風よりも寒々しい目つきがニルフィの胸をえぐる。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「クンクンクン、こっちだ! こっちからネルの匂いがするぞ!」

「君が匂いとか言うと犯罪臭がするよ」

 

 ペッシェがかさかさと変態的な動きで進んでいくのを雨竜が呆れ顔で追っていた、

 この(ホロウ)もどきが仲間であるネルの匂い、もとい霊圧を発見したことでだいたいの目的地は見えてきたところだ。こうして彼らは今もなお壁沿いに移動中である。

 

「しかし我々は幸運だぞ! ここまで来てまだ追っ手のひとりさえ見ていないのだからな」

「幸運、と言えればね」

「湿気た顔とは縁起が悪いぞ」

「いや、いくらなんでも静かすぎる。最後に破面(アランカル)同士らしい大きな衝突があってから、向こうの動きがまったく感じられないんだ」

 

 嵐の前の静けさ。そういった不穏な言葉が脳裏を掠め、慌てて頭を振る。

 

「いまは静かならそれに越したことはない。急いでネルちゃんを回収して、一護たちと合流しよう。それに僕の予想が正しいなら……」

「なんだ? 溜めをつくらずに早く話ーーうおおおおおおぉぉぉぉ!?」

 

 催促しかけたペッシェが突然、空中に突き上げられた。

 そしてモアイ像のごとく砂から突き出た巨大な顔を見て雨竜が声を上げた。

 

「君は……ドンドチャッカか!?」

「ぎゃああああ! 知らない眼鏡がオラの名前を知ってるでヤンス~! ストーカーがいるでヤンス~!!」

「いや、会ってるだろ!? 石田雨竜だ!」

「う、うん? た、たしかに知ってるでヤンス! 心細かったでヤンスよ~」

 

 砂から這い上がったドンドチャッカが仮面の目の穴から涙を流しながら雨竜に飛びかかる。

 それを慌てて回避した雨竜は、抗議の声を無視しながら、いまだに涙を流すドンドチャッカに訊いた。

 

「君はだれかと一緒に行動していたんじゃないのか?」

「恋次が、恋次が倒されてしまったでヤンス! そ、それでアテもなく逃げてたでヤンスが、ペッシェの霊圧を感じる前に別の死神と会ったんでヤンス。あのオバ……ウォッホン、お姉さんの死神に預けたでヤンス」

「死神に会ってよく殺されなかったな」

「その人は血を止めるためにやって来たと言ってたでヤンス。オラのかすり傷も治してくれたんでヤンスよ。…………おっと」

 

 ドンドチャッカが巨大な口を開き、そこから高校生とは思えない巨躯の青年を吐き出した。

 

「茶渡君! 君も一緒に行動してたのか?」

「ム、石田か。一緒に行動していたというよりは、卯ノ花隊長に傷を癒してもらっている時に、偶然出会っただけだ」

 

 悔やむように茶渡は頭を力なく振る。

 

破面(アランカル)、……十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)と戦ったが、ギリギリ引き分けに持ち込んだというのが正しい。俺の力不足だ」

「……いや、僕も同じようなものさ。完全に決着はつけてないよ」

 

 思えば、虚圏(ウェコムンド)に侵入して最初に交戦した破面(アランカル)たちとの戦いも予想以上に手間取った。アイスリンガーとデモウラという不完全な人型であった彼らだが、力量不足をものともせずに食いついてきた。

 ーー必要以上に戦うのは避けたほうがよさそうだね。

 そう結論付け、騒いでいるペッシェたちをよそに茶渡と情報を交換する。

 聞けば、その女の隊長は『四』の番号が刻まれた羽織を着ていたらしい。雨竜の記憶が正しければ、それは護廷十三隊でも回復役の死神が集う部隊だ。そしてその隊長が来ているとなれば、ほかの隊の隊長格も来ている可能性もある。

 ここで最善の行動はその隊長格の誰かと合流することだ。

 チルッチ以上の破面(アランカル)が出てくれば今度こそ全滅の危険性もある。ならば、態勢を立て直してから出直したほうがいいだろう。

 ーーけど、この二人が素直に頷くはずがないか。

 雨竜の視線の先では、復活したペッシェがリアクションを取る間もなくふっ飛ばされたことをドンドチャッカに抗議している光景があった。たとえ最善だと説明したところで、目と鼻の先にいるネルを見捨てるはずもないだろう。

 それを口にしても、

 

「当たり前だ! ネルを、妹を守らずしてなにが兄か!!」

「そうでヤンス。オラたちは“熱砂の怪力四兄弟”。いつでもどこでも一連結託でなければいけないでヤンス!」

「な、なにを兄者!? 我々の総称は“グレート・デザート・ブラザース+1”に決まったではないかッ」

「それはペッシェが勝手に思ってるだけでヤンスよ」

「なにを、もとはと言えば兄者が……」

「いや、ペッシェが……」

「まさか……」

「イヤイヤ……」

「ーーさっさと茶番は終わらせてくれないかい?」

「「すみませんでした」」

 

 ふたりの間に矢を突き立てた雨竜が強制的に口を閉ざさせる。

 

「それに、ネルちゃんを追うのは僕も賛成だ。ここまで来ているってことは彼女も独自に移動しているんだろう。ここを離れたら、この広大な城で次にいつ会えるか解ったもんじゃない」

「う、うむ。たしかにその通りだ」

「だからすぐに先に進もう。こうして話しているうちにも距離が開いてしまうかもしれない」

 

 おとなしく頷く(ホロウ)もどきたちも異論はない。

 

「茶渡君も、どうかな」

「異論はない」

 

 目的がようやくまとまったところで、四人は声を掛け合うこともなく動き出そうとする。

 だが、

 

「ん?」

 

 誰が発したのか定かでもない間の抜けた声。しかしそれこそが、全員の内心を代弁していた。

 ペッシェが困惑気味に足元を指差す。

 

「なあ、雨竜よ。さっきまで、ここに線などはなかったはずだ……」

「……ああ、そうだね」

 

 彼らが踏み込もうとした一歩先に“異常”がつくられている。

 簡単に言えば、線が引かれていた。なにかしらの塗料が塗られているわけではなく、砂が割れてできた物理的な境界だ。線は砂だけに留まらずに壁にも刻まれており、視線を上げてもその終わりが見えないほどだった。 

 音もなく消えた、否、斬られた物体の成れの果て。

 空気の変化を雨竜は感じ取った。

 そして次の瞬間には、自分も含めて全員が膝を突いていることに気が付く。空気の重さのせいで知らずのうちにそうなっていた。

 声が、上から投げかけられる。

 

「……ここからは通行止めだ。引き返したほうが賢明な判断だぞ、侵入者」

 

 雨竜たちと境界を挟んだ向こう側に長身の破面(アランカル)が立っている。大剣を背に下げ、蟲の顎のような仮面をつけた男。

 ペッシェがその男の名を呼んだ。

 

「なっ……! グ、グリーゼ様!?」

「……久しいな。ペッシェ・ガティーシェと、ドンドチャッカ・ビルスタンか」

 

 その声は懐かしさを(にじ)ませているわけでもなく、機械のように確認しているようだった。

 さらに淡々とグリーゼは言った。

 

「……侵入者といえど、俺はお前たちをすぐにどうこうするつもりもない」

「それが、信じられるとでも?」

「……ならばその線を踏み越えないことを願う。そこから先はどれほどの弱者であろうと不確定要素になりえる確率を持っている。悪いが、そうなればお前たちを潰さなければいけないだろう」

 

 体の軋みを無視するようにしてペッシェが立ち上がった。

 

「だが、この先に……この先にネルがいるのだ! それなのにいきなり立ち去れなどーー」

「……運が悪かった。それで諦めて欲しい。こちらにもこちらの事情というものがあるんだ、天秤にかけるのならばおのずと結果は見えている」

「ならばこの先でいったいなにが」

 

 その問いに、しばし目を伏せるグリーゼ。

 しかしすぐに大剣の柄に手をかけて抜き放つ。雨竜たちに向けるのは、完全な敵意だ。

 

 

「……ここから先で始まるくだらない茶番劇には、もう登場人物が出揃っている。ーー俺たちは、入れない」

 

 

 それ以上グリーゼは何も言わなかった。言外に、線を踏み越えた瞬間からは敵となる。

 どれほどグリーゼが強いのか解らないが、おそらくチルッチや茶渡と戦った破面(アランカル)よりは強いはずだ。

 運が悪かった。たしかにそうなのだろう。こんな広大な虚夜宮(ラス・ノーチェス)の一角だけに、あろうことが戦ってはいけない相手と目的地のひとつが重なっているのだから。

 この先でなにが起こっているのか雨竜にはわからない。だが、迂回する暇もない今となっては進むか撤退の選択肢だけしかなかった。

 

「雨竜よ」

 

 前を見据えたままペッシェが言った。

 

「ここで別れよう」

「なんだって?」

「貴様はまだ仲間を助けるという目的を果たしていないだろう。それを、忘れるんじゃない」

「君たちは……、どうするんだ?」

 

 その言葉に、ペッシェとドンドチャッカは顔を見合わせる。頷くふたりは、言葉を交わさずともすでに決意を固めていた。

 

「まあ、大丈夫だろう」

 

 ペッシェの足は震えていた。臆病なドンドチャッカも怯えを隠しきれていない。

 しかしどちらも、この場から後ろへと去るつもりもないであろうと思わせるようにして、つま先を線の向こうへとつけていた。守れずしてなにが兄か。その背は、そう語っているようだった。

 雨竜は呆れたように茶渡と目配せした。

 そして己の武器である銀嶺弧雀(ぎんれいこじゃく)を顕現させ、

 

「僕は自分を合理主義者だと思っているが……、旅の道連れを見捨てるほど、冷血ではないはずだよ」

「ーーそうか」

 

 線を、踏み越えた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 首筋にくっきりと刻まれた傷を感じて背筋がゾッとした。

 ニルフィは瞠目(どうもく)し、喉を震わせる。恐怖によって揺れ動く瞳でアネットを見続けた。

 そしてようやく発せた言葉は、

 

「ごめん、なさい……」

 

 自分が殺されかけたことにはまったく疑問を抱かず、体を縮こまらせながら謝罪しつづけた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……! な、なにか気に障ったかな? それなら、ちゃんと直すから。キミの言うとおりにするから。……オリヒメさんを連れてくるのが面倒だったなら、代価になるようなこと、なんでもするから……!」

 

 この時になってもニルフィを支配し続ける恐怖は、自分が死ぬことよりも誰かが傍から居なくなってしまうことだった。このままでは自分が見限られてしまう。必死になって、奴隷のごとく恥も外聞も捨てた言葉を口にする。

 そこには、アネットが自分に暴力といえるものを振るったことに抱く疑惑すらない。

 ニルフィは捨てられたくなかった。そのためだけに、ビクビクと怯えながらも下手に出る。

 

「正直、別にそういうのとかどうでもいいんですよね」

「え……?」

「ん~、なんて言いますか。ニルフィ、あなたは……」

 

 あっけからんといった様子で、アネットが言った。

 

「ーー用済みってコトですよ」

 

 意味がわからない。頭が追いつかない。自分が用済み? そんなはずはない。そんな“要らないモノ”にならないためにニルフィは今まで生きてきたから。

 それが顔に表れていたのだろう。冷めた表情のままアネットが説明した。

 

「あなたは強くなりすぎたの。今じゃ油断さえしなければ、ロクに怪我することもなく死神の隊長格でも殺せるでしょ? そしてこれからもまだ強くなれる。あなたを仲間にするときも藍染はそれを危惧してたのよ。すごいわね、自分に届くかもしれないってアイツに言わせたコト」

 

 耳を塞ぎたい。大声を狂ったように上げてアネットの言葉を遮らせたかった。

 

「それにおかしいと思わなかった? ただ強いだけの兵士が必要なら、アーロニーロに今までの十刃(エスパーダ)全部を喰わせれば簡単に出来上がる。本当に必要としているのは、藍染自身より弱い破面(アランカル)だけ……。だからそこに当てはまらなくなってきたあなたは用済みってワケなの」

「私は、謀反なんてしないよ」

「可能性があるだけで藍染は無視できないってだけです」

 

 頭痛がより一層ひどくなってくる。胃がよじれて、少しでも気を緩めれば無様に吐き出しそうだった。

 何よりもニルフィにとって辛いのは、語っている間のアネットの表情が変わらないことだ。優しかったハズの女は居なくなってしまった。

 それでも、ニルフィは一縷(いちる)の望みを抱く。

 

「でも、あの、私の傷を治すために動いてくれたんだよね……? さ、最初から殺すつもりなら、そんなことするはずないし……。だから」

「勘違いしてるようだから教えてあげるけど、死にかけを殺したってなんの面白みもないでしょ。要はそれだけ」

「嘘、だよね?」

「虚実を信じたいっていうなら勝手にしてほしいですね。……あなたのそういう所だけは嫌いだったわ。ヒトの顔色を伺って、仲間であり続ける幻想を追う姿がね」

 

 種明かしをしましょう、とアネットが鉄扇の刃の血糊を振り払う。

 探査回路(ペスキス)で巨大な城のなかの霊圧を探るニルフィに、アネットが冷ややかな視線を浴びせた。

 

「そうやって虚夜宮(ラス・ノーチェス)を見ても誰も来ないわよ。まあ仮にやって来ても、グリーゼが徹底的に潰すでしょうけど。それに十刃(エスパーダ)の連中だって見て見ぬふりをしてる」

「なんで……? だって、みんなは!」

「ーー仲間だから。そう言いたかったんですか? じゃあ訊きますけど、あなたを殺すかもしれないってことを、今までそいつらは一言でも口にしたことはありますか。それってずっと前から決まってたことなのに」

 

 記憶を辿ってもそんなことは誰も言わなかった。しかしかすかに感じていた違和感が、パズルの一ピースのようにカチリとはまった感覚。

 そして気づく。誰も、宮から動こうとしていない。もしかしたら迷っている者がいると考えるが、結局のところ、誰もニルフィを助けにやって来ない。

 

「どうして」

「?」

「どうして、アネットは私を殺そうとするの? 命令、なんだよね? それで仕方なくやってるんだよね!?」

「違うわよ」

 

 ひどくあっさりと、心の支えになるはずだった疑問が打ち砕かれた。そしてまともに立っていることすらできず、ニルフィがへたりこむ。痛い痛い痛い。頭に杭が打ち込まれたかのような衝撃のせいで頭が真っ白になる。

 そばにまで近づいたアネットがうなだれるニルフィを見下ろした。

 

「ラティアがね、生き返るかもしれないの」

 

 その声は色濃い感情に染まっているようで。

 

「まだ虚夜宮(ラス・ノーチェス)の奥に、あの娘の右腕が保管されてる。それを(いしずえ)にしてどこかに魂魄を引き寄せるのよ。あとは構成をちょちょいと弄れば、肉体を用意してハイ完成。……ま、藍染の協力がないとダメだから、こうして小間使いみたいなことに甘んじてるワケだけど」

「……や、めて……」

「グリムジョーも同じ条件を飲んだんじゃないかしら。ディ・ロイたちはともかく、シャウロンたちの死体もまだ残ってるものね。グリーゼは知らないけどニルフィをどっちが殺すかで揉めたりもしましたし、他の連中も、逆らえば死ぬって解ってるから流してる。彼らにも昔からの目的があるからね、売ることに多少の躊躇はあれど、最後は背を向ける。ちょっと付き合っただけのあなたを命に代えて守るヤツなんてーー誰もいない」

「やめてッ!!」

 

 耐えられずにニルフィが叫ぶ。

 自分を愛してくれたはずの紅色の女に答えを知りたくないと思いながらも、必死に言葉を投げかけてしまう。

 

「アネットは……、私のこと、愛してくれたでしょ? 好きだって、何度も言ってくれたし、ラティアさんとして見なかったって……! ……ぜんぶ、見せかけだったの?」

 

 ーーいやだ、嫌だ!!

 ーー訊きたくなんか、知りたくなんかないのに……!

 内側の悲鳴も虚しく自分の口は言い切ってしまう。

 夜風で少し乱れた髪を掻き上げるたアネットが気怠げに口を開いた。

 

「別にアタシはラティアと比べてどっちが好きなのか言ったワケじゃないでしょ?」

 

 それに、とニルフィの心を壊すのに十分な言葉を無情にも続ける。

 

「多少の趣味は入ってたけど甘い言葉を与えてちょっと深い関係になっただけで、あんなにもあっさり骨抜きになってくれるとは思わなかったわね」

 

 胸の奥でなにか大切なものが音を立てて崩れた。

 全部、全部ウソだった。今までの生活のすべてが嘘で(いろど)られていたのだ。

 脳裏に今までの光景が浮かんでくる。

 談笑したり、お菓子を一緒に食べたり、腕試しとして戦ったり、遊びに興じたり。楽しい、思い出だった。綺麗なはずの、思い出だった。すべての記憶には必ずニルフィの隣に誰かが居てくれた。

 それが今はどうだ。

 捨てられて、ひとりぼっち。

 各々の葛藤があろうと、少女を捨てたことに変わりなく結果的にニルフィはひとりだ。

 ただただ虚しかった。

 涙がポロポロと青白い頬を零れていくのを拭うことすらできず、歪んだ視界で呆然とアネットを見上げる。

 

「というわけで、なんでもしてくれるのならアタシたちのために死んでくれないかしら」

 

 子供が駄々をこねるように、いやだとニルフィが首を振った。

 

「どうしてかしら? あなたは死を怖がるような性格じゃないと思ってたんだけど」

「……し、死んだら、みんなといれないから……。死にたくなんて、ないよ……!」

 

 アネットが呆れの表情となった。

 

「けどあなたと一緒にいてくれるヒトなんて、ここには誰もいないはずよ?」

「…………ぁ」

 

 非情な現実を突きつけられたことで逃げることもできなくなった。意味を成さない声を漏らしながら肩を震わせ、力なくうつむく。

 そこで甘い声が少女の耳を打った。

 

「でもね、ニルフィ。ここで死んでくれるっていうのなら、本当の仲間っていうのになってあげてもいいわよ」

 

 どれだけ矛盾していようが、心が死にかけている少女にとってはやはりどこまでも甘い毒である。

 

「仲間、に……?」

「ええ、そうよ。ホントのところ、あなたに悪感情を抱いてるヒトって少ないし、それにあなたのおかげで願いが叶うんですもの。これからずっと一緒に居てあげてもいいのよ」

「ずっと、一緒なの?」

「ええ、ずっと、ずっと」

 

 もうなにも考えたくなかった。そこでアネットは言うのだ。これ以上辛くなるどころか、そうすればいまみたいな偽物の日常よりも幸せでいられると。

 よろよろと動いたニルフィは首をのけぞらせ、救いを待つ。

 目を閉じたからアネットがどんな顔をしているかは見えなかった。だが、もはやどうでもいい。このまま短絡的に楽になれば自分は苦しまずに済むのだ。身を預けることに躊躇いはなかった。

 刃が喉元に添えられる。動かないようにとアネットの片手がニルフィの頭に当てられた。皮肉にも、その手つきは少女が甘えた時に撫でてくれるような柔らかさがあった。

 そうして少女は今までのことを思い出していき、

 

 

「ーーーーーー」

 

 

 気が付けば、アネットの手を振り払って距離を取っている。

 

「……どういう風の吹き回しかしら」

 

 (いぶか)しげに目を細めるアネット。

 それにニルフィは弱々しく首を振りながら、いまにも泣き出しそうな顔を辛うじて笑みとして形作る。

 

「わ、私……、死ねないよ。死んだら、ダメなんだ」

「?」

 

 脳裏に浮かんだのは、異形を隠し続けた皮肉屋な男のうしろ姿。

 

「約束、したから」

 

 それは死の間際まで少女のために『かっこいい』人物であろうとしてくれた、そして仲間でいてくれた、大切なヒト。

 

「アーロニーロと、約束したんだ。生きろって、アーロニーロは言ってくれたんだ! 自分が消えちゃいそうだったのに、生きろって……私に!!」

 

 折れかけた心が音を立てて戻ろうとする。

 よろめきながら、たしかに砂を踏みしめてニルフィが立ち上がった。

 約束は守らねばならない。それが本当の仲間であった者の遺志であるならば、なおさらのこと。

 

「ぜんぶ、偽物だったかもしれない。打算とか、享楽とか、みんなにとってはその程度の思い出だったかもしれない。だけど、それでも……! 私にとって、価値のある、本物の思い出だった!!」

 

 まだ胸は裂けそうなほど苦しい。崩れ落ちそうなほど心が腐りかけている。

 それでも少女は、弱さをさらけ出しながらも立ち上がった。

 

「……そう。まったく」

 

 そのあとになにを続けようとしたのか。

 次の言葉を飲み込んだアネットは肩をすくめ、次の瞬間、烈火を纏う。

 

「結局、アタシのやることは変わりないワケね。……アンタの意志ごと、灰にすればいいってだけだから」

 

 なにが合図だったのかは当人以外には解らない。

 まるで示し合わせたように同時に踏み込み、激突により砂漠の表面が抉れ上がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あ、リバイヴなんて必要ないから

 ニルフィとアネット。彼女たちの最初の激突にはそれぞれ違う思惑があった。

 甲霊剣(インモルタル)の閃光の剣を腕にまとわせたニルフィは、自分が真正面からのパワーでアネットに勝てるとは思っていない。火力だけならばアネットはグリーゼをも(しの)ぐ。だからこそ最初の一撃はフェイントであり、そこから次への攻撃へと移り変えていくつもりだったのだ。

 しかし甘すぎる。

 アネットを、かつての暴君を正面にしていながら殺す気のない攻撃など、悪手以外の何物でもない。

 光刃と鉄扇が衝突した瞬間、それが明白になった。

 ーー流……せない!?

 あっさりとニルフィの腕は弾かれる。余波によって小柄な体が大きくぶれた。その姿は嵐に煽られる枯葉のようで、圧倒的な爆発力に成す術などなかった。

 炎が眼前に迫ってきたことで強引に身を捻り後方へ跳ぶ。

 

「……ッ!」

 

 服のお腹の部分が灰となりボロボロと砂の上に落ちた。少しでも遅れていればと思うと脚が震える。それを堪えて分身や幻影を生み出していき、砲台となる霊圧の塊をそれらすべての周囲に展開する。

 

 重光虚弾軍(バラ・インフィニート)

 

 アネットを中心として半径三メートルの位置から集中攻撃。幾本もの光の束が炎の壁を削らんと放たれるが、純粋な霊子の雨あられすらも灰となり余波によって散らされる。

 虚閃(セロ)としては撃たなかった。

 まだニルフィは迷っている。

 

「…………」

 

 覚悟は、できたハズだったのに。さっきとは別の苦しさが胸を締め付けた。

 ーー私は……ッ!

 噛み締めた奥歯がギシリと鳴った。このやり場のない感情をどうすればいいか解らなくなる。解らないまま、体だけは本能に従って強者を排除しようと勝手に動くのだ。

 通常の技を使うだけでは力不足。

 ならば、やることは簡単だ。

 フードを目深に被り、さらに膨大な霊圧を練り上げて複数の技を強引に融合させた。

 

 響舞(カリマ)

 

 瞬閧(しゅんこう)

 

 無貌姫(カーラ・ナーダ)

 

 ググッ、と重心を落としたニルフィがその場から掻き消えた。

 静謐(せいひつ)な超速移動。

 そして砂漠を包んだのは広範囲に渡る霧の海。朽木白哉を完封することが可能であった少女特有の空間(フィールド)であり、さらに存在を消すことで今まで以上の無音殺人(サイレント・キリング)が可能となる。

 ニルフィは霧の奥から縦横無尽に蹴りや殴打を撒き散らす。その手足に込められた霊圧が空気を破裂させ、その破壊力すべてが霧を伝播してアネットに襲いかかった。それは白哉に対して使ったようなじわじわと甚振るものではなく、たったそれだけでほとんどの戦いに終止符を打てる代物だ。 

 しかしそれで仕留められるならば、アネットはNO.1(プリメーラ)の称号を得ていなかっただろう。

 霧の中央から生まれた間欠泉のごとく空へと届く火柱。どれだけの特異性があろうと霧で炎に勝てるはずもなく、紅色の空白がミルク色の世界にできあがった。

 衝撃を伝えるための触媒が消えたことでニルフィの攻撃が無効化される。

 そのことに、ニルフィは眉をしかめる。できるならば先の攻撃で決着をつけたかったのだ。

 

「ハァ……。ちょろちょろチョロチョロ、(うるさ)いわね」

「ーーッ!?」

 

 自分を取り囲む霧をイライラと見たアネットがしたことは、震脚ともいえない軽い足踏み。

 だが背が粟立ったニルフィは本能的に空中へと跳んだ。その行動が命を救ったと気づいたのはすぐあとだった。そよ風のように足元すれすれを獄炎の薄い波が通り過ぎる。アネットを中心として波は広がっていき、しばらくして消え去ったあとに残ったのは白い砂漠ではなく、滅んだ世界を体現するような灰色の世界と化した光景である。

 あれをまともに食らっていれば両脚が消えていた。

 しかしニルフィに息つくヒマもない。

 アネットの視線がニルフィを捉えている。しかしそれは正確ではないだろう。視線がぶつかることもなく、アネットはニルフィがいるであろう(・・・・・・)場所に目をやっているだけだ。ニルフィが跳んだ時、とっさのことで砂を削るわずかな音まで消せなかったのだ。

 広範囲の空気を焦がす炎の奔流を身を捻ることで回避し、ニルフィは霊子の足場を踏み台にしてアネットの方向へと弾丸のように突き進む。わずか数瞬のこと。アネットは顔を上げたまま、少女を仕留めたかどうか確認できていない。ならばこれこそ好機。霧を引き連れ、無貌姫(カーラ・ナーダ)で姿を消したまま、アネットの背後を取った。

 鎧のごとく女を守る炎の間隙を縫うようにし、霊子を込めた蹴りを振り抜いた。

 背骨を狙った凶悪な一撃。しかし殺すことはしない、そんなーー腑抜けた手段がアネットに通用するはずもなかった。

 

「くぅッ!?」

 

 アネットの背に炎が(ほとばし)る。

 予想だにしなかった行動にニルフィの回避が遅れ、獄炎によって押し返さてしまう。

 辛うじて顔を腕で守った。だが肉体の表面が灰になる苦痛がニルフィを襲った。砂漠の上に転がったニルフィは悲鳴を上げる。

 涙で歪む視界の中で、炎の壁から腕が伸びたのが見えた。

 ガッ、と無造作に首を掴まれ、はずそうにも万力のような握力で喉が潰れそうになった。

 

「カ、ァ……ッ」

「もがきかたも道化みたいね……。このままポッキリ逝くってのも楽でーー!?」

 

 悪あがきのように、指に霊子の針を生み出すとそれらをアネットの腕に突き刺す。その途端、霊子の針が弾け飛び、内側からの破壊によってアネットの片腕が破裂した。

 舌打ちと一緒にはずれる拘束。そのまま砂漠に落ちかけたニルフィ。しかし眉をしかめているアネットによって、はるか後方へとボールのように蹴り飛ばされる。途切れかけた意識は、蹴られた箇所の激痛で皮肉にも繋げられた。

 砂の上で乞食(こじき)のように転がるニルフィのすぐそばにアネットがやって来た。

 

「甘い。まるで甘いですよ、ニルフィ。アタシの喉を狙うくらいじゃないと。こんな絶体絶命の状況でありながら、まだアタシを殺さずにすべて解決できると思ってるのかしら。そこまでバカだったとは思えないけど」

 

 そう言いながら、アネットは肘から消失した片腕に軽く力を込める。

 獄炎がそこから伸びるとあとには元通りの腕が残った。当然ながらアネットは超速再生を使えない。そもそもが、こんなデタラメな光景もまた彼女の能力ゆえである。

 

 “破壊”と“再生”

 

 それこそがアネットの炎のチカラだ。

 なにも炎によって燃やされた物体は本物の灰となったわけではない。炎と接触した瞬間に物体を構成する霊子はバラバラに分解されることで、それはコンピューターにたとえるならばデータを破損させゴミにさせるような行為に等しい。だからこそ灰に見えるものすべては、強制的にデリートされた意味のない情報そのものだ。ヒトであろうと無機物であろうと、そして純粋な霊子であろうと、すべては同一の存在と成り下がってしまう。

 “破壊”が分解であれば、“再生”は構成としてもいい。

 欠損部分を霊子で即座に組み立てることで、まるで何事も無かったかのように傷が消えていく。

 これこそがアネット・クラヴェラの、能力。

 

「ゲホッ……、ケホッ。……おかしいよ、そんなの」

 

 搾り出すようにニルフィがうめく。

 

「キミたちにとって邪魔なら、私は虚夜宮(ここ)から居なくなる、から。ホントはそれでいいんじゃないの? これから、ずっと、キミたちの邪魔なんてしないって誓うから……!」

「所詮は口約束でしょ。それにあなたが『殺し合いはヤダー』とか言うのは、アタシを殺したくないからって心の裏返しですか?」

「…………」

「それが自惚(うぬぼ)れだって、自覚はないのかしら?」

 

 ニルフィが得たのは生きることへの渇望であり、他者を、それも特に親しかった仲間を殺すことではない。少女には覚悟が無かった。まだ平和的な解決をすれば、またもとの日常が戻ってくると心のどこかで望んでいるのだ。

 ふらふらと立ち上がったニルフィは体に霊圧をまとわせる。

 割り切れない彼女の内心を表しているかのように、その霊子は無様(ぶざま)に揺らめいていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「そろそろドンパチやってる頃か……」

 

 十枚限定で発行され、血で血を洗う奪い合いの末に獲得したプレミア写真を懐に仕舞い込みながら、気の抜けた声で蛇男が呟いた。

 おそらくアネットは外で戦っているのだろう。そして、それは間違っていない。

 彼女は唯一、十刃(エスパーダ)でもないのに虚夜宮(ラス・ノーチェス)内での刀剣解放が禁止されているのだ。もし帰刃(レスレクシオン)を使用するのならば、天蓋をぶち破って屋根で戦ったところで被害はさほど変わらない。はるか以前の虚夜宮(ラス・ノーチェス)のように屋根のない城となるか、あるいは壁も含めて消えるかの違いしかないからだ。

 実際そうなったことがある。怒りを静めることができる少女は消えたあとであり、暴君のチカラはただ理不尽だったと刻みつけられた。

 

「女同士の戦いなんてローションの上だけでニャンニャンやってればいいのになァ」

「そりゃお前の多大な趣味が入ってるだろ」

 

 ムッツリな腐れ縁に呆れたようにして隣を歩く犬頭が返す。

 だが蛇男は肩をすくめるだけだ。

 

「まァ、平和で終われば万々歳って言いたいのさ。綺麗だとか醜いとか以前に、そもそも起こらなければイイんだよ」

「たしかに一理ある」

「だからな、ローションにまみれた美女と美幼女ってイイよなって話に繋がるワケでな」

「ヒュー、思わず舌打ちしたくなるほどバカが隣にいるぜ」

 

 一回こいつは死んだほうがいいんじゃないか。いや、俺が殺したほうが世間のためになるんじゃないのか? と犬頭が考え始めたところで、覚えのない霊圧が急速にこちらへと接近してくることに気づいた。

 

「おい」

「……ああ」

 

 ふたりは通路の影に身を隠し、その霊圧の主が通り過ぎるのを待った。

 爆走と評したほうがいいだろう。犬頭たちに気づいた様子もなく、自分たちを跳ね飛ばしたアネットにも迫る勢いでソイツは去っていった。

 

「ありゃ、ジャパニーズマフィアの親玉かよ」

 

 犬頭は悪態をつき、走り去っていく死神の背中を見送った。

 

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)外壁付近内部。

 グリーゼに対して石田たちが持てる手段は早期決着である。必要以上に長引かせてもデメリットしかなく、それは言われずとも誰でも理解していた。

 

 光の風(リヒト・ヴィント)

 

 立ちふさがる長身の破面(アランカル)へと銀嶺弧雀による無数の矢を一斉に放った。

 グリーゼは巨大な(こん)を手に次々と逸らしていく。迎え撃つのではなく、逸らす。矢の側面を撫でるようにして軌道をずらしているのだ。全弾をいなす技術はもはや狂気の域である。

 そこへ茶渡が一気に間合いを詰めた。両腕は異能の発現により変化しており、茶渡は黒い左腕、悪魔の左腕(ブラソ・イスキエルダ・デル・ディアブロ)をきつく握り締める。そして霊子を纏ったソレを振り抜いた。

 

 魔人の一撃(ラ・ムエルテ)

 

 剣を捨てた右手でその一撃をグリーゼが受け止める。生まれた余波によりグリーゼの背後で舞っていた塵が、口を開けた髑髏のような形になった。その一撃は並の破面(アランカル)であれば瞬殺も可能なほど。だが、彼らが戦っているのはその並の破面(アランカル)とはとても言えないバケモノである。

 グシャリ、と茶渡の鎧に包まれた左手が握力だけで握りつぶさた。

 反射的に茶渡は右手の巨人の右腕(ブラソ・デレチャ・デ・ヒガンテ)で殴りかかるが、それよりも先に、いつの間にか手甲(ガントレット)に包まれたグリーゼの拳が茶渡の顔面に叩き込まれる。

 水風船が破裂したような音。

 さながら大砲の弾のごとく、茶渡の巨体が踏み越えた線の向こう側に吹き飛んだ。

 

「……脆いな」

 

 彼にとって、人間の渾身の一撃などその程度しかなかったようだ。

 ーーあれは、武器が変わったのか!?

 雨竜は茶渡が倒されたのを尻目に見ながら冷や汗を流した。最初は大剣から(こん)。次は手甲(ガントレット)

 そして次はーー雨竜への当てつけなのか、グリーゼが構えたのは剛弓である。

 

「くっ……!」

 

 弓を引くのは同時。そして弦を放すのも同時だった。

 最初と同じように弓の雨で対抗しようとした雨竜。その連射数は最大で1200発の連射が可能である。しかし一瞬にして全弾を撃ち尽くすワケではない。雨竜とは違いたった一発、しかしグリーゼの放った超高密度の一本の矢を撃ち落とすことはできなかった。

 雨竜の肩を巨大な矢が貫通する。

 肩を押さえて激痛に歯を食いしばりながら、自分の矢が少しは当たったおかげで相手の矢の軌道がずれたことを幸運だと思った。でなければ、巨大な矢は自分の頭部を違いなく撃ち抜いている。

 ーー当たったのは、向こうも一緒のハズ……!

 最初と違い剣で叩き落とすことなどできなかっただろう。ならば、グリーゼにもいくらか矢が刺さったはずだと目で確かめた。だが現実は無情だ。

 

「クソッ……、最初から避ける必要も無かったのか……!」

 

 弓を構えたままのグリーゼは見るからに無傷である。

 

「……霊子の矢、か。珍しいな、今の時代に滅却師(クインシー)か」

「だったらどうしたんだ」

「……悪いが、先に殴り飛ばした人間より、どうやろうとお前では俺に勝てないと判断する」

 

 どういう意味かと口を開きかけた雨竜は瞠目する。

 グリーゼの左右にペッシェとドンドチャッカが接近していた。彼らはそれぞれ、霊子で構成された剣と鬼の金棒のような武器を手に、双方から攻撃によって派手な爆発を引き起こす。

 吹き上がる煙の中、ペッシェがどもり気味に声を張り上げた。

 

「フ、フッハハハハ! 我が刀である究極(ウルティマ)による会心の一撃(不意打ち)!! これで少なくともーーどうわっはぁぁぁ!?」

 

 ポージングを決めかけたペッシェが、脳天を潰しにかかってきた(つい)を辛うじて飛び避ける。

 

「……少なくとも、なんだ?」

「む、むぉうっ、そ、そのっ」

 

 武器で防御したらしく無傷のグリーゼに、ペッシェが顔を青ざめさせた。

 

「ーー不意打ちの無限の滑走(インフィナイト・スリック)!!」

 

 とっさに口から吐いた触れたものをぬるぬるにした液体は、巨大盾(タワーシールド)となった斬魄刀にいとも容易く防がれる。しかし、その隙にゴキブリのごとく脱出したペッシェがドンドチャッカと一緒に雨竜のそばへと退避した。

 

「カッコつければ倒せると思っていたがそうではないようだな!」

「全然攻撃が通らないでヤンス~!」

「…………ッ」

 

 予想以上にペッシェたちは戦えるようだが、グリーゼの戦闘能力はそれを軽く超えている。

 早くも倒された茶渡のことも心配だ。やはり時間を掛ければ掛けるだけ、どんどんこちらの不利になっていくだろう。これで相手が従属官(フラシオン)と名乗るのだからまさしくタチの悪い冗談だ。

 出し惜しみは悪手。そう確信した雨竜は厳しい表情でペッシェたちに質問する。

 

「ペッシェ。……あいつを何秒、足止めできる?」

「ゼロ秒だな」

「そこは嘘でも少しなら可能だと言って欲しかったよ」

 

 彼らの視線の先ではグリーゼが軍剣(サーベル)を手に佇んでいる。攻撃を仕掛けてこないのは、いま雨竜たちがぎりぎり線の外側にいるからだろう。しかしまた踏み越えれば、今度こそ刃が首を()ねにくるかもしれない。

 

「だが、雨竜よ。そう言うならばなにか秘密兵器っぽいモノでもあるのか?」

「それは……準備に時間が必要なんだ」

「信じてもいいのか?」

「…………」

「そう暗い顔をするな。それこそ、愚問だったな。我々に手を貸してくれる者を信じないのはまさしく侮辱だ」

 

 普段ネルには見せない真剣な表情で、ペッシェがドンドチャッカに顔を向けた。

 

「いくぞ兄者!」

「いつでもOKでヤンス!」

 

 次の瞬間、ペッシェがドンドチャッカの肩へと飛び乗りーー二人はそれぞれの前面に収束させた霊圧を共鳴させ、周囲の霊子を取り込みながら数倍にまで増幅させる。

 

「貴様に頼らずとも、コレで決めてくれる!」

 

 そして二人が同時に叫んだ。

 

 融合虚閃(セロ・シンクレティコ)

 

 刹那、圧縮された霊力が一気に放出され、通常とは比べ物にならない威力の虚閃(セロ)が放出される。

 グリーゼが軍剣(サーベル)を閃かせてソレを迎え撃った。

 彼の長身は閃光に飲み込まれて視界から一時的に消え去る。

 修練の末に生み出したペッシェたちだけが使用できる新たな虚閃(セロ)十刃(エスパーダ)にさえ通用するだろうと自負していた技の行方はーー。

 

「ば、馬鹿な……!?」

 

 しばらくして、煙幕のなかで未だに立っている影が見えたことでペッシェたちは狼狽えた。最高の切り札を切ってなお、グリーゼを倒すには至らなかったようだ。

 しかし、まだ切り札を持つ者はいる。

 

「ーーいや、十分だ」

 

 時間は稼げた。雨竜はグリーゼより少し離れた前方に現れながら、指に挟んだ銀筒を傾けようとしていた。

 それは、魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)を使って描いた滅却印(クインシーツァイヒェン)の陣に敵を閉じ込め、銀筒に集めた霊子を魂を切り裂くもの(ゼーレシュナイダー)に流し込むことで陣内で爆発を起こす技。

 準備に時間が掛かるために普段は使えないが、発動するならば現在雨竜の所持している武器の中で最大の攻撃力を発揮する。

 

 破芒陣(シュプレンガー)

 

 ペッシェたちの攻撃で怯んでいるのか煙幕の中から動かないグリーゼを中心とし、暴走に近い形で破壊の光が満たされた。 

 冗談でもなく、十刃(エスパーダ)であっても対策なしでは瀕死に追い込まれる威力だった。

 だからだろう。

 雨竜たち侵入者全員が勝利を疑わなかったのは。

 鳥が鳴いたような甲高い音がした。風を切る音だ。そちらへ目を向けるとペッシェたちが胴から血を噴き出して砂漠へと崩れ落ちていく。白い砂が赤く染まった。そこで、その赤には自分の全身に空いた風穴から流れた血も混じっていることに、雨竜は気づいた。

 弓を取り落としながら、雨竜が倒れこむ。

 

「……お前たちの危険性を見誤った。防衛から迎撃に変更する」

 

 死覇装からホコリを払いながら現れる、負傷すら負っていない巨大な細剣(レイピア)を手にしたグリーゼ。

 ーー無傷、だって……?

 現実は非情だ。雨竜たちの決死の攻撃はわずかたりとも届いていない。

 それこそありえなかった。いくらグリーゼが強かろうが、あれほどの攻撃を喰らって服も含めて無傷で済むはずがない。なにか、能力でも使わない限り。

 ーー失念していた!

 そこで雨竜は己の失策を悟った。

 彼はグリーゼのことを直接攻撃タイプの破面(アランカル)だと考えていた。だがそれは間違いなのだろう。どんな能力を使ったか解らないが、グリーゼが語ったとおり、雨竜では絶対に勝てないナニカがある。

 ここで倒れるわけにはいかない。

 だが質量を減らした体では起き上がることもままならなかった。

 破面(アランカル)が剣を振り上げたことで視界に影が差し、そこで雨竜の意識は途切れた。

 

 

 グリーゼは嘆息する。無謀に挑んできた地に倒れふした眼鏡に目をやり、そして、自分の剣を受け止めた刃こぼれの激しい刀を手にしたーー眼帯の男を見下ろす。

 

「……その羽織、隊長格と判断する」

 

 剣戟の衝突によって空気が、チリン、と眼帯の男の十一本に束ねられた髪の先端を飾る鈴を揺らした。

 

「……お前が探している相手はここには居ない。立ち去れ」

「いや、てめえのことも探してたんだよ。恋次を斬った奴がどういうのか知りたかったんだ」

「……男に探される趣味はない。最終警告だ、立ち去れ。必要ならばそこで転がっている人間を連れてな」

「ハッ、なら尚更引けねえな。てめえの剣を受け止めてるから解るぜ。ーーてめえが強え野郎だってことをなァッ」

 

 眼帯の男ーー十一番隊の隊長が喜色に染まった叫びと共にグリーゼの剣を弾き返す。長ドスに変えた斬魄刀でグリーゼが迎え撃ち、鍔迫り合いとなった。

 

更木剣八(ざらきけんぱち)だ」

 

 剣八は歯をむき出しにするようにして笑う。

 そして、これでもかというほど明確に、己の目的、欲望、存在意義ーーそうしたものを全てひっくるめた言葉を口にした。

 

「てめえを……ぶった斬りに来た」

 

 首をゴキリと鳴らしたグリーゼが簡潔に返す。

 

「……グリーゼ・ビスティーだ」

 

 剣八と違い、グリーゼには目的というものがなかった。

 何かを成し遂げたいという欲求も無ければ、野望すらなかった。

 さながら機械のごとく、言われたことを言われたままにこなす、そんな表現はやはり従者の鏡ではあった。

 だからこそーー。

 

「……仮に俺を斬り捨てたあとは、どうするつもりだ?」

「あ? そりゃあ」

 

 剣八が答えようとしたした時、壁の向こう側から空気を鳴動させるような霊圧が伝わる。足元の砂が逃げるようにして煽られていた。凄まじいという言葉ではとても足りないような暴君の覇気が、肌を痛いほど突き刺していく。

 それに死神も気付いたのだろう。

 獣そのものを体現するかのような歯をむき出しにする笑みを浮かべ、首をそちらへとしゃくる。

 

「向こうにも強そうな奴がいるじゃねえか。てめえを斬ったあとも、まだ楽しめそうだ」

「……そうか」

 

 さらに斬魄刀を変化させたグリーゼが手にしていたのは、穂先が一メートル以上もありそうな猛々(たけだけ)しいまでの豪槍。構え、戦闘狂に突きつける。

 

「……俺の倒れる理由は、どうやら無くなったようだ」

 

 脅威となる存在をこの先に進ませない。

 たとえ誰であろうが物語の筋書きを乱すのなら、あるいは邪魔しようなどと無粋な真似をするならば、機械的に破壊するのみ。

 

「ーー排除する」

 

 規格外と規格外の対戦カード。

 広大な城の一角で、戦いの火ぶたが切られた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 そこから少し時間が戻り、再び視点は虚夜宮(ラス・ノーチェス)の外へ。

 ニルフィの死覇装はところどころ消失している。肌が露出している部分も多くあった。常時霊圧を放出することで炎を一瞬だけ防ぎ、紙一重で回避しながら立ち回っているのが戦いに均衡をもたらしている。それもいつまで続くのだろうか。

 だが、自分は生きなければならないのだ。

 炎の間隙を縫うようにしてアネットに接近する。

 霊圧で炎をふき飛ばし、神速にものを言わせて間合いに入り、右手の甲霊剣(インモルタル)の刃を獄炎の隙間に突き込んだ。

 アネットの喉を切り裂こうと彼女の顔を見て、

 

「ッ~~~~!!」

 

 好きだと言ってくれたとき。優しく抱きとめてくれたとき。より深く愛してくれたとき。

 今までの思い出が頭にちらつき、朱色の髪を(かす)るだけに終わってしまう。

 逃げるようにしてニルフィは炎の壁から離脱した。

 右腕が腰のうしろに引っ掛けた斬魄刀の柄に当たった。悪魔が耳元で囁く。使えばいい、と。出し惜しみしてアネットを無力化しようなど最初から無理だったのだ。

 しかし聞くだけで恐ろしい言葉に従いたくなかった。たとえ解放をしたところで、アネットを倒せるか解らないと思考の逃げに徹した。

 

「逃げてるだけじゃ、本当に逃げることには繋がらないわよ」

 

 思考を読んだようにアネットが言った。

 

「それともアタシを確実に殺せることを考えてるってワケ?」

「……そんなこと!」

「じゃあさっさと死んでくださいよ」

 

 また頭痛がする。苦しくて悲しかった。暑さ以外の原因もあって気持ち悪い冷や汗が止まらない。

 今のニルフィは辛うじてアーロニーロとの約束を守るために立ち上がっている状態だ。それはあまりにも細い糸であり、本来ならば心が壊れていてもおかしくなかった。

 少女は迷い続けたまま炎を避け続けた。

 しかし唐突にアネットを守っていた炎が(うごめ)き、白哉がやったようにニルフィとの道をつくる。

 アネットが軽い動作で手を広げた。

 

「ほら」

「なに、してるの」

「裏切ったアタシのことが憎いんでしょ? だから、好きに壊しても構わないわよ。そのあとあなたは他の十刃(エスパーダ)が来る前に自由に逃げられる。凄いわね、一石二鳥でしょ」

「……嫌だ。嫌だよ、そんなこと、したくないよ」

「そういう可愛いセリフは刀に手をかけないで言ってほしいですね」

 

 おそるおそる、ニルフィは自分の右手を見下ろす。強く柄を握っている腕は今にも刀を抜きそうで、ニルフィは短い悲鳴をあげて慌てて放した。自分のカラダが自分のモノでないような恐怖がある。心の底で渦巻く殺意がはっきりと意識できてしまった。

 

「なんで」

 

 表面では殺したくないと言いつつも、ニルフィは本能からもアネットに殺意をぶつけていたようだ。

 これ以上アネットの言葉に耳を貸してはいけない。

 それでも内なる殺意は今にも爆発したさそうに、強制的に見たくもない現実を突きつけてくる。

 

「ま、そういうことよ。裏切ってるアタシを薄情に思ってるだろうけど、こうして泣きながら牙を剥いてるあなたも薄情ってコト。少しのきっかけさえあればアタシを殺せるから、なんて思うと怖いですねー。こんな娘と今まで一緒にいたなんて」

「…………」

「別にアタシを殺すことに心を痛めなくてもいいんですよ? こっちは最初から(・・・・)あなたに心を開いたことなんて、ただの一度も無かった」

 

 限界だった。ニルフィは歯をむき出しにして噛み締める。憎悪で歪んでいるのか大義名分を得たから(わら)っているのか、自分でもよく解らなかった。

 一時的に視界が暗転する。

 けれど聴覚だけは生々しい音を伝えてくる。

 それからゆっくりと視界は色を取り戻していき、

 

「……あ」

 

 血に汚れた自分の手を見下ろした。

 アネットを押し倒し、腹の上に馬乗りになっていた。ニルフィの右手はアネットの心臓に突き刺さり、左手はもうしゃべらせないようにするために無意識にやったのか、少し前に躊躇した喉を切り裂いていた。

 噴水のように吹き出した血がニルフィの顔を盛大に汚す。

 殺した。殺してしまった。自分はいとも簡単に好きだった相手の命を奪ったのだ。

 段々とアネットの目から光が失われていく。

 

「ひっ」

 

 紅色の目がひどく恐ろしいもののように見えて、言葉を知らない子供のように悲鳴が喉の奥から出る。今更ながらの自己満足な後悔が押し寄せてきた。

 そのままもがくようにして一歩でも死体から離れようとし、

 

「ーーはい残念」

 

 突然頭を掴まれて砂に押し付けられた。

 

「ッ!?」

 

 そのままニルフィは頭から砂漠に何度も叩きつけられてゴミのように投げられる。朦朧(もうろう)としてきた意識の中で、なんとか空中で身を捻って態勢を整えた。幸運にも叩きつけられたのが砂でダメージは多くなかったようだ。

 しかし今はそれどころではない。

 喉が裂かれ、穴の空いた心臓を空気に晒している女が、まるで何事も無かったかのように立っていた。

 

「どうして……」

「どうして? 殺そうとしておいてその言い草はないでしょ」

 

 切り裂いた喉が炎に包まれると完治した。さらに心臓のあった場所も同じように炎が揺らめくと、死覇装までも数分前と同じ状態に戻っている。

 ーーまさか、そこまで……。

 なぜアネットがわざとらしい隙を作っていたのがようやく解った。

 簡単なことだ。心臓を潰そうが、おそらく脳を破壊しようが、アネットはそれさえも再生してしまうのだ。それをわざわざ見せるためにニルフィに一度殺されたのだろう。

 これこそが、ザエルアポロの語った“不死”の正体である。死という概念がなければ、最初から死なないのだから。

 

「ただの余興ですよ。アタシを殺す殺せないで葛藤してるトコ悪いですけど、そもそもあなた程度がアタシの命を普通に奪えるワケがない。でも殺しにかかってきたのは素直に評価してあげるわ」

 

 憂いを帯びた瞳で暴君が見下した。

 

「でも、仲良しごっこなんて、もう終わりにしましょう」

 

 広げられた鉄扇を交差し、過去を再現するようにあらゆる感情に塗りつぶされた声で、紡ぐ。

 

 

「ーー(けが)せ『崩翼火帝(ペルディスィオン)』」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

万雷の喝采がなくとも幕は上がる

 今までの激動が嘘のように思えるほど、炎の領域が空中へと拡大していく。

 拡大。

 拡大。

 拡大。

 滅びの炎は大気中にその版図(はんと)を広げ、世界を紅色に染め上げていく。煌々と燃え盛る輝きが暗闇を払いのけ、虚圏(ウェコムンド)の砂漠に太陽を生み出した。

 ふと、空からゆらゆら降ってきた雪のようななにかのひとつが、ニルフィの頬に柔らかな綿のようなものがくっつく。

 反射的にぬぐい取ると、ソレの正体は灰であることが解った。あの炎はまさしく、大気の霊子ごと侵食して灰に変えていってるのだろう。

 これだけ近くに太陽があるのに熱さは感じない。

 ただ、死の形がたまたま炎のように見えるだけだ。

 そうしているうちに、虚夜宮(ラス・ノーチェス)よりも体積がありそうな炎が一瞬にして縮小する。

 中央に立っているのはやはりアネットだった。

 体を浮き上がらせるような締めつけのある白いドレスを纏い、少女であるニルフィにさえ劣情を抱かせそうな艶やかさがにじみ出ていた。所々に紅の羽を模した装飾が散らされ、腰辺りからは赤い翼がレースのように伸びている。

 そして質量を増大させた炎は、両腕を覆うロンググローブにとして形作っていた。

 

「ふぅ~……、この姿も久しぶりね」

 

 たしかに、アネットが最後に『崩翼火帝(ペルディスィオン)』を解放したのは、ラティアが殺された日だったはずだ。

 

「あ、まだ逃げてはいなかったみたいですね」

「……逃がそうなんて、思ってないくせに」

「まあ、そうですけど」

 

 アネットは手を握ったり開いたりして感触を確かめている。

 

「アタシは」

「……?」

「こーいう能力のせいで相手がすぐに死んじゃうから、あまりこの姿で戦ったことがないのよ。そもそも威力とかパワーとか関係ないし? 燃費も悪すぎるけど、バラガンにも負けない自信があるわよ。たとえば……効果範囲、とか」

 

 ニルフィとは非常に相性が悪いものだ。

 範囲攻撃というのは、制限の受けるフィールドにおいて効果を発揮する。紙装甲のニルフィが一撃でも喰らえば即アウトだ。いや、相性が悪いのはグリーゼが相手だった場合もだろう。それを考えると、やはり彼らは自分を殺すために近くに据えられたのだと納得してしまう。

 裏切られた。

 悲しい。

 裏切られた。

 苦しい。

 裏切られた。

 泣きたい。

 それらを抱くのはすべてが終わってからだ。

 そこで思考が停止する。終わるとはいつのことだろう。どうすれば終わることができるのだろう。

 生きるという覚悟だけでは解決することのできないものが、目の前でそびえている。

 

「あ、ぁ、あぁ……」

 

 金色の瞳が大きく揺れ動いた。

 この戦いは、自分が死ぬことだけでしか終局を迎えないのではないのだろうか。

 そう考える時間もアネットは与えてくれない。

 アネットは細長い腕を天に振り上げ、ニルフィに向けて薙ぐ。

 

 緋ノ御手(レ・マン・スカラティーヌ)

 

 とっさの判断でニルフィが横に転がった。それが正しいと解ったのは、背後を見たときのこと。

 砂漠どころか空間を漂っていた霊子に至るまで一気に灰になっている。ほんの数センチの幅でしかないが、空高くそびえる壁が作られてすぐに崩壊した。あのまま立っていたらニルフィは左右に半分になっていただろう。

 

「じゃあ、王様みたく狩り(ハンティング)に洒落込みますか。せいぜい、逃げて逃げて逃げて、アタシにその醜態を見せなさい」

 

 この時もやはり、アネットの両の瞳は冷め切っていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 その場所に織姫を抱えてやってきたグリムジョーは舌打ちをする。

 

「やっぱりそうかよ」

 

 砂漠の真ん中で、喉の下あたりに穴を開け、全身くまなく傷を負った一護が息絶えていた。

 ウルキオラがやったのは明らかだ。彼は、意識しているかどうかは別として、気に入った獲物には自分と同じ部位に穴を開ける癖がある。

 瞠目する織姫に治せとだけ言って投げ下ろす。

 何度も繰り返して言う暇がないのは、自分にはまだこれからやることがあるからだ。

 その場から離れた場所にグリムジョーが移動すると声が届く。

 

「……なにをしている? グリムジョー」

 

 響転(ソニード)を使ってウルキオラがグリムジョーの背後に現れた。

 ここにグリムジョーが来ることを見越していたのだろう。

 

「どうした、訊いているんだ。俺の倒した敵の傷をわざわざ治してなんのつもりだ」

 

 グリムジョーは睨みながら沈黙を続ける。

 

「答えないのか。……まあいい。ともかくあの女は、俺が藍染様から預けていただいたものだ。渡せ」

「断るぜ」

「ーーーー。なんだと?」

「てめえが最初からそのつもりなら、どうしてアネットが連れて行くのを黙って見てたんだよ。俺が気づいたくらいだ。最初(ハナ)から解ってたんだろ?」

 

 口をつぐんだのはウルキオラだった。

 そんなことはどうでもいいとばかりにグリムジョーが歯をむき出しにする。

 

「それと、このことも解ってるハズだ。ヒトの獲物に手ェ出すことが、どういう報いを受けるのかもな」

 

 霊圧を(ほとばし)らせて骨を鳴らしながら手を開くと、いつでも戦闘ができるように筋肉をしならせていき、ウルキオラのほうも表面の変化こそないがグリムジョーと同じようなものだろう。

 しかしウルキオラは据わった目をして相手を見返した。

 

「お前が本当にやるべきことは、この場所ではできないはずだが」

「そりゃあ誰が決めた」

「お前自身が決めると、俺は予想していた」

 

 ウルキオラがアネットの霊圧を感じる方向に顔を向ける。

 

「俺が、あの二人の戦いを止めに行くと言ったら……、お前はどうする?」

「勝手にしやがれ。どうせ、テメエは藍染から命令されて止められてんだろ。それくらいは解るぜ」

「解るなら話は早い。あくまでこれは仮定の話だ。その上でもう一度訊かせてもらうが、お前はどうする?」

 

 犬歯を見せ、グリムジョーが苛立ちの片鱗を覗かせた。

 

「答えは変えねえぞ。勝手にやらせときゃ、すべて終わってんだろ」

ニルフィ(あいつ)が悲しむことになってもか?」

「……ああ」

「そうか」

 

 淡々と確認を済ませたウルキオラが頷く。

 普段は手持ち無沙汰にしている両腕をだらりと下げ、わずかに低くなった声で言った。

 

「ーー期待はずれもいいところだ」

 

 言ってから、ウルキオラは目を見開いた。彼も意図して口にしたわけではないのだろう。グリムジョーでもそこまで察せるほど、大きな変化だった。

 

「テメエが俺に何を期待しようがどうでもいい。ちょうど、目の前にやることが出来ちまった」

「奇遇だな。俺もそう思っていた所だ」

 

 どうせ、話し合いなど最初から無理だったのだ。

 いや、ウルキオラに『止めに行くつもりだ』と言っていれば、こうはならなかったのではないか? そしてウルキオラも渋々ながら協力をしてくれたのではないか? 

 その思考自体、もはや意味のないものだ。

 初手を狙ったのは同時。

 ここでもまたひとつ、新しい戦いが幕を開けた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 剣を一合交えるごとに、砂漠に破壊がぶち撒けられた。

 並みの強者が割って入っても、即座にミンチにされてしまうことが想像に難くない、圧倒的な力のぶつかり合い。

 死神にもここまで戦える相手はそういないだろうと剣八は思う。

 かつて戦った(ホロウ)や死神などの中でも最上の実力をグリーゼは持っているのだろう。

 しかし、剣八の顔色は優れない。劣勢というわけでもなく、むしろそうならば彼は嬉々として戦っているだろう。

 不機嫌そうなのは単に、すかし(・・・)が多いためだ。

 もう一度言うが、グリーゼは強い。

 今でさえ、剣八の大上段からの斬撃を豪槍で、さながら闘牛士がマントを操るごとくいなし続けている。

 しかし最初の数合、そして剣八に二本の斬撃の傷をつけてから、ふらりふらりと避けるか、鉄壁の防御だけでいなしていた。

 傍目(はため)には、攻撃を仕掛け続けている剣八が圧倒的に優勢に見えるが、実際にグリーゼを斬れてはいなかった。

 それが不満だ。まどろっこしい。

 ついにこらえきれず、

 

「オイ、ちゃんと真面目に斬ってこいよ。最初の啖呵(たんか)はどうした!?」

 

 しかしグリーゼの返答はそっけない。

 

「……何故だ?」

「俺ぁ、こんなチャンバラをしに来たわけじゃねえ。つまんねェんだよ」

「……戦えるならそれだけで楽しいのではないか? これも、戦いだ。ならば楽しんでいるということにならないのか?」

十一番隊(おれら)なら、こんなのを戦いなんざ言わねェよ」

 

 こうして会話している間でも戦闘は続く。

 片方が攻撃を仕掛けているのに対し、片方は亀の甲羅に篭ったような守備をする。

 

「……難しいものだな」

 

 グリーゼが剣八の刀を弾き、自分から距離を取った。

 

「……三度だ」

「なに?」

「……三度、お前を斬った」

「なに寝ぼけたこと言ってやがんだ。どう見ても多いだろ」

 

 槍によって斬られたことで、剣八の死覇装には切断面がある。肉体にも裂傷があった。それも二回分だけで、本人の自覚も少ないがもう塞がりかけている。

 そう思って、すぐに考え直した。

 二回目のグリーゼの斬撃は剣八に届いただけで、傷にはならなかったことを。

 

「……お前は、黒崎一護が現れるまで敗北を喫したことがないらしい」

「よく知ってんな」

「……俺にはそれが不思議で仕方がない。情報に疑いは無いが、卍解も習得していなかった黒崎一護よりも強い存在と戦ったこともあるはずだ」

「んなこと言われても知らねェよ」

 

 負けたから、それだけだ。剣八の中ではそう自己完結している。

 尸魂界(ソウル・ソサエティ)に旅禍としてやって来た一護と戦って、たしかに自分は敗北した。次も戦えればいいと思うくらいには、面白い戦いだった。

 とはいえ、いい加減面倒になってきた。

 頭がよくはないと自覚している剣八も、グリーゼが自分をここに縫いとめていることは察している。

 眼帯を取るか?

 それでも、まだグリーゼの実力が測りかねていない。

 刀を持っていない手を下ろし、剣八はまだ本気での戦いをしないことに決めた。

 

 相手の実力を把握していない剣八と異なり、グリーゼは剣八の本来の実力を見破っていた。

 この虚夜宮(ラス・ノーチェス)でニルフィの実力を初見で見抜いたのは、藍染と、グリーゼだけである。

 だから疑問もない。

 目の前にいるこの死神が、比喩でもなく藍染に匹敵する霊圧を所持していることに。

 ーーなるほど、見えてきたな。

 グリーゼは破面(アランカル)の脳筋に多い、ただの力自慢ではない。卓越した“戦闘技術”と、冷静沈着な“頭脳”も併せ持つ、三本柱(トータルファイター)だ。

 ゆえに考える。

 相手が格下であるはずの黒崎一護に敗北した原因と、そこから導き出す鬼退治の方法を。

 まともに戦っても負けるつもりもないが、自分には他にもやるべきことがアネットに押し付けられていた。

 できるならば瞬殺が望ましい。

 ーー三度、たしかに三度斬った。

 

 初撃はそれなりの斬撃。剣八は反応が遅れて深い傷を負う。

 

 しかし二撃目、同じレベルの斬撃をギリギリの霊圧硬度で剣八は防いだのだ。しかも反応ができている。まさしく、ギリギリのレベルで。

 

 そして三撃目、今までよりも少しばかり霊圧を乗せた斬撃。

 斬れた。それもまた乗せたぶんだけの薄い傷であったし、もう塞がっている。そしてそれだけ、剣八の纏う霊圧が濃くなったのも見えていた。

 

 霊圧を無尽蔵に喰らう眼帯による手加減の他にも、剣八は本能(・・)で相手に合わせているようだ。

 剣八の霊圧察知能力はかぎりなく低い。

 だから斬られることで、肉体で実際に相手の強さを測ることで、自分の力もその段階にまで押し上げる。

 これこそが一護が剣八に勝てた理由だろう。

 一護が勝てたのは、瞬間的な成長による実力が剣八の本能が導き出した答え(・・)を上回っていたからだ。

 

「……皮肉なものだな」

 

 最初から全力ならば剣八は一護に勝っていた。

 負けたのはひとえに、戦いを楽しむために手加減をしていたから。

 だが、藍染と同レベルの霊圧を持つだけに危険なのは変わりがない。

 

 ーーここで潰す。

 

 アネットがいる場所まで通すつもりなど、グリーゼにはさらさら無かった。

 

 破面(アランカル)の変化に剣八は気づいた。

 槍から変化させて大剣を構え、見るからに攻勢に出るような姿勢を取ったからだ。

 

「ハッ、いいじゃねえか」

 

 やる気になってくれたのならば、剣八はこれ以上相手にどうこう言うつもりがなかった。本来の斬り合いが楽しめる。そう思い、刃こぼれの激しい己の斬魄刀を持ち上げる。

 

「…………」

 

 グリーゼが無言のまま先に間合いを詰めた。

 予備動作のない、無拍子。

 この時点で剣八はワンテンポ遅れた。

 破面(アランカル)の右脚が踏み込みのために砂漠を貫く。

 それはもはや踏み込みの領域を飛び越え、衝撃は指向性をもって、剣八の足元だけを見事に崩して足を潰す。

 体勢が崩された剣八は満足に刀を振るうことも出来なくなり、反撃の手段までもかき消されていた。

 さらに正体不明の脱力感が剣八を襲う。

 まるで、沼に全身を浸かったような違和感。

 指一つを動かすことすらこれで不可能になった。

 そして、次。グリーゼが瞬間的な霊圧の出力を異常なレベルまで跳ね上げる。

 剣八は、霊子に包まれて極限までに斬れ味のみを追求した大剣を、片方の目で見ることとなる。

 

 甲霊剣(インモルタル)

 

 並みの者では到底不可能な、鉄板のような大剣を居合腰で抜き放とうと、グリーゼが全身を(きし)ませた。

 抜刀術の利点は、間合いの読みにくさはもちろんのこと、受身の能動性を使用したものである。

 神速の抜刀術とはよく言ったものだが、居合い切りとは、実際には振り下ろしたほうが速いのだ。

 それでも。

 グリーゼのその一撃は。

 他者では及びも付かない神速と化した。

 

「ーーーーッ!!」

 

 大量の血が剣八から噴き出る。想定以上の威力であった斬撃に、肉体は耐えられなかった。

 はるか後方まで弾き飛ばされる剣八。

 だが、舌打ちをしたのはグリーゼである。

 

「……仕留め損なうとは、俺も実力が足りなかったか」

「いいや、初めてだぜ。……腕が吹っ飛ばされるってのはよォ」

 

 そう言った直後、剣八のそばに彼の刀が突き刺さった。それには異物がくっついていて、剣八にあるはずのものがなかった。

 刀を持っていた腕だ。それはそばにある刀を握り締めたままで、その執念は見る者に畏怖さえ覚えさせる。

 剣八は強引に体を動かして致命傷を避けていた。

 その代償は、肩と腕、それから脇腹にかけての大きな裂傷。

 今まで何度も傷を受けたことがあるが、まさか切断(・・)にまで及ぶものを持つとは予想だにしていない。

 だが剣八は笑った。

 

「……俺としてはもうこれで戦いを終えたい。死神ならば他にやることがあるだろう。この場から去るのなら、命の保証などできないぞ」

「ハハハハハハハハッ!! そりゃあーー本望だよ!!」

 

 刀を握ったままの利き腕を強引にはずす。残った方の腕で柄を握り、眼帯をえぐるようにはずした。

 まだ一本の腕がある。なくなれば、口で挟んで振るえばいい。剣八の頭には自分の命など勘定に入れていなかった。

 霊圧が自分の肉体に満ちる中、剣八は笑い続ける。

 この相手ならば、心置きなく戦える。それが最初から解っていたならばどれだけ良かっただろう。腕が斬り飛ばされたのが残念でならない。

 血はいまだに流れている。

 それがどうした。

 横っ腹からいまにも内蔵が飛び出しそうだ。

 それがどうした。

 相手は強すぎる。

 ならばいいじゃないか。

 

「あぁ、いいぜ、いいぜ! 楽しめそうじゃねえかよ!!」

 

 そんな剣八を見て、グリーゼは目の前に自分の斬魄刀を突き立てる。

 目は呆れたようでいて、別のなにかを見ているようだった。

 

「……そこまで戦いを楽しめるお前が羨ましいことだ」

 

 紡ぐ。

 

「踏み(にじ)れ『蟻殻将軍(オルミガ・ヘネラル)』」

 

 全身甲冑の騎士の姿となったグリーゼが、さらに巨大化した大剣を引き抜いた。

 有無を言わせぬ圧力がその全身から噴き出す。

 

「……時間があまり無いんだ。余計な手間を掛けさせるなよ、死神」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 右腕の肘から先が灰色になって散っていく。 

 傷による痛みとはまた別種の凄まじい苦しさに、ニルフィは悲鳴を上げることもできなかった。

 

「ア、ネット……」

「…………」

「アネット!」

「うるさいっ」

 

 必死に、名を呼ぶ。迷子の子供が親を求めるように。

 しかしアネットは聴きたくもなさそうにして炎でニルフィを追い払った。

 

「ッ、ぁ!」

 

 アネットが『崩翼火帝(ペルディスィオン)』を解放してから手足が欠損するのは、これが初めてではない。

 半分になった右腕に力を込めた。

 

 超速再生

 

 ウルキオラのものを模倣したチカラで元に戻す。

 

()ぅ……!」

 

 それでも代償がある。

 そもそもニルフィが通常の状態でノーリスクに技を模倣できるのは、最終的には誰でも扱えるものに限られていた。

 超速再生は魂魄レベルでの適性が必要で、それを強引に捻じ曲げて行使しているに過ぎない。回復するたびに、頭の中が真っ白になる痛みで、精神にかなり負担が掛かった。

 もうこのまま寝てしまいたい。

 夢だったのだと、思いたかった。

 起きたら今まで通りの日常が広がっているのだ。

 グリーゼがご飯を作ってくれて、アーロニーロが遊びに付き合ってくれて、グリムジョーが不器用に頭を撫でてくれる。ーーそしてアネットが優しく抱いてくれるのだ。

 最高ではないか。

 現実逃避をして泣きそうになった。

 ニルフィは子供でありながら十刃(エスパーダ)上位の実力がある。しかし裏を返せば、まだ子供なのだ。心がそれについてこない。

 ーー最初は、こんなハズじゃなかったのに。

 

「しぶとすぎるわね」

 

 辟易したようにアネットがぼやく。

 彼女が大ぶりな攻撃しかしてこないため、辛うじてニルフィは直撃を受けていない。ただし死覇装は用をなしておらず、ボロ切れを纏っているだけのような姿だ。

 

「……ねえ、アネ、ット。やめようよ、こんなの、やめようよ! もう、嫌なんだ!!」

「うるさいってーー言ってるでしょ!」

「……ッ!」

 

 アネットの怒りに呼応するように、地面から火柱がいくつも噴出した。

 

「やめて、どうなるのよ」

 

 炎から影になっているせいでアネットの浮かべてるであろう表情が、ニルフィには解らなかった。

 

「何も変わることなんてない。そんなのがアタシは許せないから、ただやってるだけなのよ」

 

 どんな顔をニルフィはしていただろう。泣き崩れそうで、ひどく情けないことだけは自分でもよく解った。

 当たり前になっていた日常を求めるのが間違っているのか?

 自分は、なにをするのが正解なのか?

 ふつふつと湧き出る疑問に、当然ながら正しい答えなどあるはずもない。

 アネットの答えはすべてを否定するもので、ニルフィは肯定をするだけ。すべてが平行線で交わらないように見えた。

 いまだに踏ん切りがつかないニルフィを(さげす)むように見たアネットが言った。

 

「それじゃあ、アタシがこの後、あなたを殺すことに反対してたリリネットを殺しに行く。なんて言えばやる気は出るかしら?」

「……え?」

 

 呆けた声が喉から零れた。

 

「あらら、反応したわね。まぁ、それでどうする?」

「なに、言ってるの?」

「言ったとおりよ。リリネットは終始反対してたみたいだってこと。他にも何人かそういうのがいるみたいだし、これってニルフィを殺したら反乱分子になりそうでしょ? 殺したって藍染は咎めたりしてこないわよ」

 

 自分を信じてくれるヒトがいる。

 それは最後の希望であり、絶望の片道切符だった。

 

「そんなこと、アネットはしないよね? キミは、そんなヒトじゃないよね?」

「勝手にヒトのことを決め付けないで欲しいわね。アタシが何人殺してきたか解ってるの? ああ、解ってないから訊いてきたのよね」

「……やめてよ。リリネットは、関係ないから、さ」

「関係ないってひどいわね。あなたの大切な友人でしょ。だからアタシは、仲間はずれは良くないって思ったのよ」

 

 アネットはせせら笑う。

 しかしニルフィの脳裏には、あの大切な少女の姿が浮かんだ。

 

「壊れるまで弄ぶのも面白そうね。あなたのモノだった娘を陵辱し尽くすのって、どんなに楽しいのかしら。それに、そうね。泣き叫ぶときの言葉は今からでも想像できるわ。あなたの名前ーー」

 

 炎に焼かれるのも関係なしに、ニルフィが霊子の刃を両手に顕現させてアネットに肉薄していた。

 それを容易くアネットが握りつぶす。幻影の偽物(フェイク)

 本物は背後を取っており、しかし、今までとは様子が違っていた。

 ニルフィが吼える。

 

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 少女の血が混じった霊圧が巨大化し、無数の砲門を造り上げた。十刃(エスパーダ)のみが使える最強の虚閃(セロ)、それを複数起動させたのだ。

 閃光が至近距離でアネットを飲み込んだ。それでも光線は勢いを止めず、はるか遠方まで届くと、月を壊すかのような爆発を引き起こした。

 だが、駄目だ。それでもアネットを殺せない。

 致命傷レベルのダメージを受けたはずなのに、煙幕から歩いて出てきたアネットには傷ひとつ残っていなかった。

 アネットがかすかに笑う。

 

「なんだ、やればできるじゃない」

 

 それを聞いて、憤怒と悲哀で顔を歪ませるニルフィ。

 殺したくない。でも殺さなければ、自分の大切な相手が(なぶ)られる。ニルフィはその矛盾によって苦しむしかなかった。

 

「愛し合った相手を奪われるのが我慢ならなかったのかしら。あらら、アタシも嫉妬しちゃいますね」

「やめ、て。やめて! リリネットだけは、なにもしないで! 私ならすぐに死ぬから! だから、リリネットだけは助けてよ!」

「さあ、どうしましょ。死んだらあの娘は守れませんよー?」

 

 もはや、子供の心では気持ちが抑えられない。

 いままで我慢していた感情を押し流すように、ポロポロ、ニルフィの頬を涙が転げ落ちていく。

 

「もうっ、やめてよ……! こんなの、間違ってる。だから、アネットーー」

「……前言撤回するわ。まだ甘いこと言うつもりなら、今度こそーー消す」

 

 吐き捨てるように言ったアネットが膨大な霊圧を振り撒いて、圧縮し、凝縮し、濃縮させていた炎を解放した。

 役者を包むように生まれるは摩天楼。

 舞い散るは不死鳥の翼。

 これこそ暴君が最強であることの代名詞となる、主君以外、何者をも存在できない楽園。

 

 聖域・灼熱天獄(レ・シエロ・プルガトリオ)

 

 ふと、ニルフィは己の肌に触れる。

 

「なんで……」

 

 灰になっている。炎が触れたわけでもないのに、全身が徐々に灰と化して崩れてきている。

 

「それじゃあ、茶番劇の閉幕の拍手を喝采でお願いしようかしら」

 

 おどけるように、孤高たる暴君が宣言した。




Q.どうして更新が遅かったの?
A.春って忙しいよね!!



ーーというのも大きな理由になりますが、他にももうひとつ。
詳細はWebで! ……じゃなくて、活動報告に載せてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真実の愛ってなに?

 グリーゼは足元の砂の感触が変わったことに気づいた。

 砂よりもさらに細かく、脆い物質。灰だ。

 どうやらアネットが大詰めに入ったらしい。能力によって遠方に、しかも建物内にあるモノまでも侵食していっている。過去の十刃(エスパーダ)に抵抗らしい抵抗もさせずに消滅させた、そのチカラが解放されたのだろう。

 

「……そろそろか」

 

 アネットたちの戦いの気配に気を取られすぎ、剣八の刃が鎧に到達、即破壊される。最初よりも格段に威力が上がっていた。脇腹あたりの部分に穴があいてしまったようだ。

 この鎧には特殊効果などない。そしてグリーゼには、他の二人のように再生能力など無かった。

 しかしすぐに高密度の霊子が密集して穴を塞いでしまう。

 斬っても斬っても、中身に到達できなければ終わりが見えない。しかし剣八は何度も狂ったように刀を振るいながら哄笑する。

 

「おいおい、どんな手品使ってんだよそりゃあ!?」

「単なるリサイクルだ」

 

 冗談とも取れる答えを返しながら、グリーゼは次の決め手の瞬間を探っていた。

 鎧の損傷はすぐに無くなるから無視してもいい。ここまでの連戦で、自分が消費した霊圧はほぼゼロ(・・・・)に等しい。

 アネットからこの場を預かり、たとえ百年後までだろうと全力戦闘がグリーゼには可能だった。

 破面(アランカル)が踏み込む。死神が距離感を誤り、わずかに鋒をブレさせた。グリーゼが手に持っているのは、現世のものを模倣した短機関銃。剣八が斬魄刀を振り抜くよりも先に、銃爪(ひきがね)を引く。

 秒間二十発も放たれる霊子の弾丸は、剣八を知る者ならば首をかしげるほど容易く彼に風穴を開けた。

 そのたびに片腕を失いながらも剣八の霊圧は上がっていき、その傍から消失も並行して現れていた。

 

 永久機関・飢蟲軍勢(エテルノ・アエテルヌム)

 

 これこそがグリーゼの強さの根本を担う能力である。

 正体は彼の能力で生み出した、ここら周囲一帯を覆う極小の兵士である“蟲”が、周囲の霊圧を変換することでグリーゼに蓄積させるというもの。周囲の霊子のみならず、戦闘で発生した余剰霊子、さらには物質や虚閃(セロ)などに至るまで(むさぼ)り喰らう代物だ。

 剣八を斬った瞬間も、これで彼の纏う霊圧を一瞬だけ消失させて防御力を無くさせ、逆にグリーゼは威力を増幅させていた。

 死神と破面(アランカル)の戦いは、すなわち霊圧の戦いだ。

 それをまともにさせられなければ、どのような強者も多少腕力のある人間と変わりない。

 長期戦向きだからこそ、グリーゼもこの場を守ることに異存はなかった。

 アネットにはそもそもこういったことは不向きどころの話ではないのだから。

 逆に言えば、自分が向こうでニルフィの相手をしても意味がないだろう。それはグリーゼにもわかっている。

 しかしそれでも配置の変更を促すと、

 

『それでもアタシにやらせてくださいよ。達成感とか、そういうの欲しいし? アタシがやることに意味があるのなら、やらない手はないでしょ』

 

 いつもの調子でさらりと告げた。

 結果的にニルフィがどうなろうと、グリーゼはその結果次第で淡々と動くだけ。……そのはずだ。

 しかし他にもっと手段があったのではないか?

 そう考えずにはいられない。

 もしこの場に他の破面(アランカル)、それも十刃(エスパーダ)がやって来たのなら、この茶番が台無しになっても構わないから素通りさせるのもいいのではないか?

 目先の安寧に目がくらむ。

 これは最初から正しい答えなどない問題だった。

 ーーまあ、仮にやって来たところで。

 ーー俺が叩き潰して舞台から蹴落とすことに変わりはない、か。

 複数の銃身が束ねられ、分間二千発、両手合わせて四千発が撃てる機関砲を構えながら、グリーゼは本人の意志も理解できぬまま、指に力を込める。

 ーー皆で宮に戻ろう、か。

 最後に会った時のニルフィの言葉を思い出した。

 いままでグリーゼはニルフィの命令という名のお願いを叶えてきた。

 お菓子が食べたいと言うならば、ケーキやクッキーを焼いたりして与えた。

 ホラー映画を見て寝れなくなったから一緒にいて欲しい。彼女が寝付くまで、そばにいてあげた。

 なんのことはない、日常。もはや取り返しのつかないものだ。

 これは命令でも指示でもない。

 この先にこそ、自分が望むものがあるはずなのだ。

 たとえそれがニルフィは望んでおらず、なにも知らないまま悲哀を抱くとしても。

 もはや最後のお願いは、グリーゼに叶えてやることはできなくとも。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 愛とはなにかと答えられる者はいるだろうか。

 別にフェミニスト気取りを吊し上げようとか、単なる冷やかしをしたいわけではない。

 果たして千差万別の意味合いがある言葉を、聞かれた相手はどう答えるのかを知りたいだけだ。

 友人としてのものもある。家族愛や恋愛といったもの。他にも屈折したものならば、独占したいとか傷つけたいといったものまであるだろう。

 すべて個人的なものばかり。

 それが悪いわけではない。むしろ、折り合いをつけたものに、例えば友愛に恋愛を重ねるとか、親愛に傷つけたい欲求をブチ込むのは間違っているだろうから。

 ニルフィネス・リーセグリンガーにとって、愛とは身近にあるものだ、というのが自論である。

 (一部は往生際が悪く認めないだろうが)十刃(エスパーダ)たちにさえ大切にされているという自覚はあった。まあ、孫に接するものだったり、妹や娘のような立ち位置であろうと、彼らから向けられる感情は温かいものだ。

 そんな彼らにも、ニルフィは愛情を持っていた。

 どういった種類のものかは、ニルフィには整理がつかない。

 ただ、親愛やそれに類するものだろうというのは、おぼろげながら思っている。今までが好きか嫌い、または無関心だけで分別してきた少女には難しいことだった。

 しかしそれ以上。親愛や家族愛よりも深いものを感じられる時が時折ある。

 全体というわけではなく、一個人にそういった焦がれる気持ちを持つことになった。

 お互いがお互いを好きだと、そう思っていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ほんの少し昔のこと。

 なんの取りとめもなく、些細で、当たり前だった日常の一部。

 巨大なソファに二人の主従が座っていた。贅沢に間を開けることもせず、主人である少女は従者である女に甘えるようにしてもたれかかり、女のほうも満更ではない様子だった。

 ニルフィとアネットは談笑に華を咲かせ、彼女らにとってこの味わう時間とは、至福のひとときでもあるのだろう。

 

「それでね、それでねっ。ギンが卍解を見せてくれたんだけど、伸びた刃が藍染様のひと(ふさ)だけ垂らしてた前髪を刈り取っちゃったんだ!」

「ああ、だから最近藍染が自室に引きこもって出てこないのね」

 

 もっぱら話題を出すのはニルフィだった。

 身振り手振りで一生懸命話すのを、いつもアネットが聞いてくれる。たまに黒髪を手櫛で()いてくれるのを黙って受け入れ、少女は気持ちよさそうに目を細めるのだ。

 優しく微笑んで隣にいてくれるアネットが大好きだった。

 しかしこの時は話のネタも尽き、足をぷらぷらさせながらニルフィは頭を捻る。

 会話によくできる話の間だ。

 そこでふと、ニルフィはアネットの顔を見上げた。

 

「ーー?」

 

 小首を傾げながらもアネットはニルフィの髪を柔らかく()く。どこかこそばゆく、くすぐったくて、気持ちよい。

 目をまどろませるようにしてニルフィが身をゆだねた。

 

「ねえ、アネット。アネットは、私のこと……好き?」

 

 うっすらと潤んだ金色の目が上目遣いにされたアネットは、

 

「ええ、それはもう好きよ。お持ち帰りして帰したくないくらい」

 

 真顔のまま余計なことも含めて正直に答える。少なくとも、嘘ではない答えだろう。

 

「いつから?」

「いつ、というと……。ん~、出会った瞬間かしらね」

「どんな風に?」

「まあ、そうね」

 

 しばらく頭を悩ませていたアネットはポンと手を叩く。

 そしてなにかを宣伝するかのように力強い口調で言った。

 

「ーー(まれ)に見る美幼女(ロリータモンスター)とのエンカウント……。これぞまさにG級との遭遇! 今こそ狩猟解禁の時! 狩人よ、立ち上がれ! つーか狩れ!! ……っていう啓示が頭にピコーンって浮かんだのよ。電波的にビビーッと」

 

 あ、ちなみにRH(ロリハン)でのハンターランクは最高レベルですよ。そう続けて本能に従うだけの女従者は満ち足りた顔をした。

 そういえば、グリーゼが守ってくれなければエンカウント数秒で狩られてただろうな、と腰周りをやたらいやらしく撫で回されているニルフィは思った。

 出会いは運命と言うらしい。しかし自分たちにはロマンチックの欠片もないだろう。

 もちろん額面通りに受け取ったつもりはない。

 アネットは基本的に嘘はつかない性格だ。本心をあえて言わないか、数ある虚言のなかに交えて話すだけ。そして自分は本当に大切にされていることをニルフィは知っている。

 だから嫌いになれない。なれるはずもない。

 アネットは、ニルフィをニルフィとして愛してくれているのだから。

 

「ま、そーいう感じで好きになったというかなんというか」

「そっか」

「あー、別にあれよ。アタシって惚れやすい性格だけど、一目惚れだけであなたに惹かれたワケじゃないっていうか……」

「ううん。わかってる。ちゃんと、わかってるんだ。……だから、ありがとう」

 

 バツが悪そうに離されたアネットの片手に自分の手を重ね、指を絡ませる。アネットはわずかに驚いたように眉を上げ、仕方がないとでもいうように苦笑した。

 猫がじゃれつくように、ニルフィがアネットの肩に頭をもたれかからせる。

 合わせた手を確かめるように握ったり開いたりし、最後に手のひらを強く重ね合わせると、互いの体温が感じられる。

 言葉を交えずともこうしてるだけでニルフィは幸せだった。頼りになる相手がいるから安心できる、などというのとはちょっと違う。

 包まれてる。

 それ以外にはうまく言葉にできない。しかしニルフィはそれに身を預けるのが好きだった。

 自分を受け入れてくれる相手が居るのはなんと心地いいことか。

 

「続けて言うのもあれだけど、アタシがあなたを好きになったのは決して一目惚れだけが理由じゃないわ」

 

 アネットが軽くニルフィを抱え上げ、自分と向き合わせるようにちょこんと膝の上に乗せた。目を瞬かせるニルフィ。らしくもない笑みを、アネットが見せた。

 

「一目惚れっていうのは、相手の中身を見ないで好きになったことを言うの。ただの夢見がちな行動ね。でも、あなたのことは最初から好きだったし、それから一緒に過ごすたびにすごく(いと)しくなった。何度だって、惚れ直したわ」

 

 ああ、とニルフィが納得した。

 いつも傲岸不遜な態度のアネット。その彼女が、こんな口説き文句のような言葉を口にするために、いまは少し照れている。目の前にニルフィがいればなおさらのことだろうし、頬のかすかな朱を隠せてない。

 それがまたニルフィにもたまらなく愛しい。

 互いの吐息が熱を帯びた気がした。

 

「キミみたいないいヒトに好きでいてもらえるなんて、私、嬉しい。だから私も、またキミのことを好きになってもいいのかな?」

「……言ったそばから惚れさせないでよ」

 

 アネットは唇を尖らせ、すぐにかすかな苦笑を浮かべる。

 悪戯(いたずら)っぽくはにかんだニルフィが、ひとしきりアネットにじゃれついた。

 そして視線を交わし、どちらともなく顔を近づけ、唇を触れ合わせる。

 やさしくて穏やかで、そして何処に行くあてもない口づけだった。

 

「ん……」

 

 びくりと細い肩を跳ねさせ、ニルフィが上目遣いで相手を凝視する。

 言葉にならない言葉を探すように、アネットの舌が少女の口内を執拗に探る。ニルフィの舌も無意識のうちにその動きに応えていた。

 部屋中に二人の舌が絡み合う艶かしい水音が響き渡り、二人はその音に誘われる様に更に激しく、濃厚に互いの唇と舌を絡ませ合った。

 少女の喉の奥から、悲鳴とも嬌声とも取れる短い鳴き声が漏れる。

 アネットがニルフィの頭を包むように抱いているのだから逃げられない。いや、それがないとしても、ニルフィが細かく痙攣する自分の手足をアネットの首や腰に絡めてるのだから、逃げるつもりもないのだろう。

 貪られながら悦楽を味わい、快楽に傾倒していく。

 ニルフィがひときわ強く鳴いた。そこでようやく、それぞれの顔が離れた。

 口元を細い銀の糸が繋ぎ、涙目になっているニルフィの姿はひどく倒錯的で、今度はこちらが悪戯っぽく笑うアネットの表情は妖艶である。

 

「アネッ、ト……アネット」

「どうしたんですか?」

「ずっと、こんな時間が続けばいい。だから、だからね。……ずぅっと、一緒にいてほしいんだ」

 

 アネットが見せた、素の驚きの表情。

 その理由をニルフィは知らない。いまは従者でむかしは主人であった女の過去を、ニルフィはすべて知っているわけではないのだ。

 まさか自分が聞くことになるとは思ってもみなかった。

 牙の抜けた暴君は、後にそう語ったという。

 それもまたニルフィの知らないことだ。

 このひと時だけ。

 アネットは寂しげに笑い、

 

「ええ……。いつまでも」

 

 幸せは言葉通り、永遠に続くと思っていた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 もう何度目になるかもわからない、灰の上を転がる感触。

 喉に灰が張り付いて(せき)が出た。血の混じった咳だった。

 大笑いしている自分の膝を無理やり動かして、炎の追撃からなんとか逃げる。片足がもう片方に突っかかる。また、ニルフィは灰の上を転がった。

 カラダが崩壊していくのを絶えず超速再生で修復しているせいで、脳が暴走するような苦痛に呻き続ける。

 聖域・灼熱天獄(レ・シエロ・プルガトリオ)

 それは自分と対象を炎の監獄に閉じ込めるような技で、内部のものすべてを灰にしてしまうものらしい。

 頭がそれ以上うまく働かない。

 足も動かず、倒れないように地面の上で座り込むようにするだけが精一杯だった。

 

「チッ、またはずしちゃいましたね」

 

 灰を踏みしめながらアネットがやってくる。

 

「ほら、立ち上がらないと逃げられないわよ。まあ、聖域(ここ)からは本当に逃げられないから、短い寿命を数秒長らえるだけなんですけど」

「……ッ、ハッ…………ハァッ…………」

「立ちなさいよ」

「……ッ」

 

 触発されたわけではないが、軋む関節を無理やり動かしてニルフィは体を持ち上げた。

 そして一瞬後に、座り込むようにして倒れてしまう。

 

「脆いわね」

 

 髪をうしろに払いながらアネットが肩をすくめる。

 

「今更アタシを殺せないとか言っても、それは単なる偽善でしかないわよ? あなたは昔、仲間だった相手を何人喰ってるのかしら。だから今更、ひとり増えたところでなにも変わり無いでしょ」

「……い」

「ーー?」

「うる、さい」

 

 ままならぬ体を震わせながらニルフィがアネットを睨む。それも言葉通りのものでもなく、ひどく弱々しかったが。

 

「わたしは……、望んで、みんなを殺したワケじゃ、ない……。殺したくなんて、ひとりになるなんて、嫌なのに……!」

 

 ひとり増える。たかがひとりといえども、ニルフィに消えない傷が残るのは明白だった。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)で過ごすうちに、消えかかっているはずの記憶が鮮明にフラッシュバックすることが増えてきた。見覚えのないはずの(ホロウ)たちの姿。それなりに楽しかった時間。そして彼らの死体の中央に、いつも自分が立っている。

 ニルフィが最上級大虚(ヴァストローデ)として虚夜宮(ラス・ノーチェス)に訪れる直前にあった血の海がある。自分が自分として目覚めた時に見た、最初の光景。

 予想はしていたが、やはりそれもニルフィがやったことだ。

 その時知らなかったのは、死体の彼らが以前までの仲間であったこと。

 

「でもひとりだったから虚夜宮(ここ)にたどり着いた。それは違うの?」

「…………」

「まあ、それでアタシたちが出会ったワケだけど」

 

 たしかに、そうだ。いつだって、そうだ。

 利用されるだけ利用されて、それで最後には“要らないモノ”として捨てられてきて、それで今みたいにみじめに泣いてる。ぼやけた記憶の中からそんな既視感を覚えた。

 捨てられないためになんだってしてきたのだ。犯されて(なぶ)られて壊されて使われて扱われて。

 辛いと思ったことはない。そうしていれば、みんなが自分と一緒にいてくれるから。

 自分は何者でもない。それでも、みんなの輪の中にいることが自分であるという確証にもなる。

 それでも捨てられるのだ。無情に、卑劣に、強引に。そのたびに殺してきた。愛する相手を何度も何度も殺す感覚がわかるのか。裏切られた絶望が、それでもまだ信じようとする辛さがわかるのか。

 そう思うと、ああ、やっぱり自分はひとりなんだと考える。

 十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)のヒトたちは揃って面倒見がよく、温かい気持ちになれた。 

 十刃(エスパーダ)たちは我が強かったが、それでも自分のことを考えてくれる安心があった。

 従者であり、特に大切な相手であったアネットのことはーー大好きだ。

 ニルフィは自嘲する。こんなときでも、大好きだった、なんて過去形で言うことができない。なんという道化、なんという阿呆だろうか。

 それでも。

 ニルフィはアネットのことを愛していた。

 持ち上がったニルフィの顔に、どんな表情があったのか彼女自身でもわからない。

 しかしそれを見たアネットは目を細め、一瞬だけ伏せ、前を向く。まっすぐ、紅色の瞳がニルフィを射抜いた。

 

 緋ノ御手(レ・マン・スカラティーノ)

 

 アネットの右腕が赤く染まる。

 振り抜かれた延長からずれるように本能的にニルフィが体を傾けた。へたりこんだまま、とてもそれだけで躱せるとは思わなかったが、ギリギリ直撃を免れたようだ。

 アネットが全身のバネを捻り、右腕をやや後方に引く。

 

「これで、最後よ」

 

 眼前のモノすべてが炸裂した。

 アネットが響転(ソニード)も使わずに踏み出した地面は、彼女の背後に放射状の衝撃を残した。

 速い。炎を百鬼夜行のように引き連れたアネットは姿が霞むようだ。

 本当の脅威は、その右腕。

 防ぐのは鬼道も鋼皮(イエロ)でも不可能。避けるのは体が追いつかない。

 アレは自分を貫く。

 そんな予感とともに、その様がゆっくりと見えていた。

 とうの昔に心が折れていたニルフィは、あれに殺されるのもいいかと頭の一部で思っている。

 こんなことは生まれて初めてだ。たとえ好きな相手であろうと、自分を殺しに来たのなら(ホロウ)であったときには躊躇わずに反撃していた。

 それでもなお、殺しあいたくない。

 アネットは自分を利用しないでくれた、利害関係などではない、美化してしまいたいほどに綺麗な相手で。

 そこでようやくニルフィは、本当のことに気づいた。

 ーーやっぱり私は、キミのことが……、一番(・・)、大好きだったんだね。

 アネットの姿を目に焼き付けながら、ニルフィは受け入れるようにして目を閉じた。

 そして貫手(ぬきて)は今までの膠着を無視するかのように、あっさりと胸を(えぐ)りーー貫通する。

 

 

 

 

 飛び散ったのは、紅い華のような鮮血だった。

 背中を突き破った腕は赤く妖しげに濡れている。

 

「ーーどう、して?」

 

 何度目になるかもわからない、少女の疑問の声。

 違うのは、その弱々しい問いに答えなど欲しくないということのみ。

 それでも現実はいつだって真実だけを伝えるものだ。

 この時は、そう。

 ニルフィの右腕。戦闘本能だけで動き、されど炎の槍の前ではとても結果を残せるはずもなかった細腕が、アネットの胸の中央を貫いていた。

 そしてアネットの右腕はわざと大きくはずされており、解放されたチカラがニルフィのはるか後方を消し飛ばすだけで、少女に新たな傷を創ることはなかった。

 そのまま数拍。

 アネットの口から血がごぼりと溢れる。

 

「ひっ……!」

 

 それがなにか恐ろしいものに見えて、ニルフィは反射的に右腕を引く。しかし体だけは言うことをきかないでその場に留まった。

 アネットはニルフィの肌に縋りつき、自分の胸に埋めるようにして抱きしめ、崩れ落ちる。

 傷としての穴が再生することもなかった。それどころか周囲を囲っていた炎が消えていき、アネットの帰刃(レスレクシオン)までもが解除されていく。

 それも必然のことだ。

 あらゆるものを破壊し、あらゆる傷を再生させる。完全という言葉を体現するするような能力にも欠点がある。どれにも、通常の何倍もする霊圧が消費されることだ。あれほど派手に大技や再生を連発すれば、生命維持にも支障をきたすレベルで消耗するのは当たり前だった。

 しかしアネットはそれも解っていたハズだ。

 いつだってニルフィを殺せる場面があったのに、ことごとく見逃している。殴ったり蹴ったりするときも、炎を纏わせていたら小さな体は容易く両断されていただろう。

 最後の攻撃だってそうだ。アネットは、自分の腕を不自然なまでに大きく逸らし、当たるはずもなかったニルフィの貫手(ぬきて)に飛び込んで。

 生き残ったのは少女で、命の灯火が消えかかっているのは従者の女で。

 

「……あ、ぁ……あーーあぁ、ああああああああああああああ!!」

 

 この結果は本来ならばありえない。

 しかしそれを改変するには、たったひとつの誤算があるだけでいい。

 

 これを起こしたのがすべて、アネットの意志であれば。

 

 自分は、なにをした? なにをしてしまった?

 少女の慟哭(どうこく)が灰の世界に虚しく響く。

 いつものように、泣き虫なニルフィをなだめるように抱きしめたアネットは、少女の耳元で震える声で呟いた。

 

 

「……ごめんね。約束、守れそうにないみたい」

 

 

 彼女が浮かべていた笑みは、約束を交わしたときのものと一緒だった。









歳の差のキスってセーフなのかアウトなのか……。純愛のつもりが、なぜか官能的になったし……。また都条例とバトることになりそうですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ブレイク・ハート

お気に入り件数が2500件を突破しました。

ここまで評価をいただき、ただただ感謝しております。諸事情により更新速度が遅れておりますが、モチベーションは高いままなので、いまだに稚拙な作品でございますが頑張って書いていこうと思います。

読者の皆様に感謝を。


 覚えのある霊圧が忽然として消えた。

 グリムジョーはそのことに目を見開き、一瞬であれど動きを止める。

 その隙をウルキオラならば逃さないはずだが、彼は指先に込めていた虚閃(セロ)の収束を中断し、斬魄刀を振るって鞘に収める。

 仮に攻撃されていようと、どうとでもなる自信があったグリムジョーはその行為に睨みを効かせた。

 

「……どういうつもりだ、てめえ」

「いや、思惑などこれといってない。ただ……そうだな。お前がなんの反応も見せていなければ、このまま殺すつもりだったと言っておくか」

「殺せるとでも思ってんのか?」

「さあな。だがお前が少なからず動揺を見せたことだけは事実だ」

「ーーッ!」

 

 そこまで大きな反応をウルキオラに見せたつもりはない。

 しかし、グリムジョーはこの茶番がどうなるのか結果を知っていた。知っていたからこそ、それでもなお感情が揺さぶられた自分に意味のわからない苛立ちを覚えていた。

 

 アネットがどういった選択を取ろうと、それは彼女の勝手。

 この動揺はそのことについてではない。

 ただハッキリすることといえば、もどかしさとも呼べる感情が生まれてしまったのは、彼女が命を投げ出したという結果に対してだろう。

 自分にとってはいけ好かない女というだけの存在のはず。それが、何故。

 

「待てよ、逃げるのか?」

「この戦いの勝敗など俺にとってはどうでもいい。やることができた。お前の相手をするのはこれで終わりだ」

 

 背を向けたウルキオラが響転(ソニード)で姿を消す。

 あとに残ったのは晴天の下でいくつもの破壊痕を残した砂漠と、破面(アランカル)の青年だけ。

 グリムジョーは苛立たしげに頭を掻き毟る。

 体には所々傷があれど深手ではない。そんなものを無視しながら、はるか遠くにある壁に目をやった。

 

 考えるのは嫌いだ。もとから頭を働かせるのは苦手だし、それを請け負っていたのは従属官(フラシオン)でもシャウロンだけだ。しかし的確にグリムジョー本人が見えていなかった痛いところを突く男は、この場にいることもない。

 

 グリムジョーの内心を占めるのは、九割の焦燥に似た苛立ち。そして一割の安堵。

 それは虚夜宮(ラス・ノーチェス)において、第7十刃(セプティマ・エスパーダ)主従の戦いの決着に勘づいた者たちの心情と同じものだ。

 

 なにもかもそれがわからない。

 だからグリムジョーは直感を信じ、なぜ自分がこんなにもくだらないことで頭を悩ませているのかを最後に考える。

 アネットとグリムジョーの違い。

 それだけ見ればあとは簡単だ。

 

「……割り切れてねえのは俺のほうだったのかよ」

 

 ーーあの女を甘く見てたな。

 アネットの我の強さを身をもって知っていたはずなのに、それを自分はいつから忘れていたのだろうか。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 なにか言わなければならない。

 自分を抱きしめてくれている女の従者に、なにかを言わなければならないのだ。

 けれどニルフィの喉に声が突っかかって、中途半端に開いた口が息をこぼし、舌の上で転がっていた言葉を出すことができない。

 

 最初から自分は置いてけぼりだ。

 真実なんて目の前にあるように見えて、その実真偽は不明のままである。それに右往左往させられていたと思えば、今度は失楽させるかのような出来事が目の前にあった。

 それでも疑問は当たり前のように持つ。

 

 いましがた自分がつくったアネットの傷には弱々しい炎が瞬いている。

 しかし、それだけだ。傷を治すだけの霊圧がアネットには残されていなかった。そして、時間も。

 

「うそ、だったの……?」

 

 ようやく口にできたものは、それと同じくらい儚くて。

 胸元に抱きしめられているニルフィには、アネットがどんな表情を浮かべてか細い息を吐いたのか見えなかった。

 

「ぜんぶ、ホントのことよ。……ホントのことで、だからこそ、アタシは……、あなたを殺せなかった」

 

 いままでバラバラだったピースが当てはまってくる。

 ニルフィにも理解できるようになってきた。

 一番の大きなきっかけは、東仙がグリムジョーの左腕を切り落とした時だろう。その際にニルフィは初めて順従な態度を止めて、死神たちに殺意を向けてしまった。自分の危険性を知らしめてしまった。

 状況次第で誰であろうと逆らう意志があることを、藍染に教えてしまったのだ。

 その時だろう、藍染がアネットとグリーゼに取引をもちかけたのは。ニルフィはその大事なことを気にすることはなかったのである。

 

 次の日、スタークと初めて出会ってからアネットが迎えに来てくれた。

 あの時彼女が浮かべていた迷いや躊躇の表情。それが消えたのはいつだ? 思い出せない。それだけずっと前から、アネットは決断していたのだろうか。

 

 それだけならまだしも、ニルフィは力を求めるようになった。

 もはや無視できるような戦力ではない。

 少女は強くなりすぎた。

 仲間を守りたいと思うがゆえに、失う領域まで進ませてしまうほどに。

 

 けれど、ニルフィはアネットから愛情がそそがれているのは当たり前のことだと思っていた。それが裏切られたと勝手に思っていただけで、本当はやっぱり当たり前のことで。

 それでもだ。

 ニルフィが求めていたのは、けしてこんな結末ではない。

 

「わたしを、殺してくれればよかったのに」

 

 痛い。痛い。痛い。

 いままでの底冷えするものとは違った痛さがニルフィを(さいな)む。

 こんなものから逃げたかっただけの言葉が辛くて、アネットが怒るわけでもなく、またほんのすこし抱きしめる力を強くしたことでもっと痛くなる。

 

「ラティアは、こんなことで生き返っても、ぜったいに……喜ばない。それにぜったいに……、もうアタシに笑いかけてくれなくなる。それでーーアタシは、大切なヒトを……ふたりも失う」

 

 アネットが血の混じった咳をした。それだけ命を吐き出しているようにニルフィは思える。

 力もなく震える腕でアネットが少女の頭をかき抱いた。

 言い聞かせるようにして、血を飲み下しながら囁く。

 

「いつも、仮面で顔を隠してたから。そのツケを払ったって、ところかしら……。こうでもしないと……、アタシの言葉は、あなたのこころにーー届かない」

 

 やたらと大仰だったアネットの態度。本心と嘘が混ざり合った言葉の数々。

 それは出会って最初からニルフィと距離をとっていたからだ。

 アネットは自分の領域に誰も入らせなかった。なぜならそこは、自分と、もうひとりの想い人との世界だから。独りになっても気が遠くなる年月が過ぎても、他者に見向きすることはなかった。

 また、それが崩れ始めたのもいつからだろうか。

 なんとなく。本当になんとなくでしかないが、自分が認められたのはアネットが覚悟を決めた日である気がした。

 

 それを無意識にニルフィも察していたのだろう。

 破面(アランカル)たちとの交流において大切にしていたのが距離感であり、アネットに認められるまでは近いようで遠い関係だった。

 

 でもいまは違う。

 自分を抱きしめてくれるアネットには、仮面もなければ遠かったはずの距離もない。

 普通の、愛情をそそぐ者と受け入れる者の関係があるだけだ。

 仲間として、心から信用できる相手として。

 

「ごめんね。……ごめんね。……アタシに、あなたを(まも)れるチカラが無くて。でも、あなたはアタシと、ちがうから。ずっと……、ずっと独りなんかじゃ、ないから。となりには、必ずだれかがいてくれる。いっしょに歩いてくれるヒトが……いてくれる、から」

 

 途切れ途切れにつぶやき続けられる合間に、アネットの喉からは笛の鳴るような息が聴こえる。次第に弱くなって消えていきそうな細さだった。

 それをアネットは強引に押さえつけている。

 

 ニルフィはもう止めて欲しかった。これ以上、自分の大好きなヒトが苦しむ必要なんてないのだから。

 しかし心が死ぬ寸前であろうと、ニルフィは聞くしかない。

 それが自分のするべきことだと少女は理解している。

 

「痛かったでしょ、辛かったでしょ、苦しかったでしょ」

 

 ニルフィの頭に浮かぶのはおぼろげな過去の記憶だ。

 使っては捨てられ、使っては捨てられ、それでも仲間が欲しくて白い砂漠をさまよい続けた自分のうしろ姿。

 

「何度も、何度も……これからも、こんなことが続くかもしれないけど……」

 

 これは証明だ。

 アネットは自分の命で、ニルフィに正当な理由を与えようとしている。

 少女は殺されかけようとも相手の命を奪いたくないと考えている。しかし(ホロウ)時代ではその呪縛のような矛盾に苦しんだ。それでは、この先も長くないだろう。

 

 だがいまは違う。

 昔のように周囲の仲間がすべて敵になるとは限らないのだ。それで全員を殺して孤独の身となる必要もない。

 ニルフィには見えていなかっただけで、心の拠り所ともいえる仲間はちゃんと残っている。苦しんだら頼ればいい。辛かったら願えばいい。もうニルフィは、与えるだけの存在ではない。

 

 自分の意思で自分の身を守るという、そんな当然のことをアネットが教える。

 

「あなたは、独りにならないから。だからーー生きて」

 

 アネットが少女と顔を合わせる。

 水気を含み、溢れそうな瞳で。

 頬に雫を流すまいとするのは、単なる大人の意地。アーロニーロのように、たとえ最後だろうとかっこつけたいから。

 子供であるニルフィは涙を流すことに我慢する必要はなかった。

 短くなった黒髪が撫でられる。

 

「せめて、この髪が伸びるまで、ね」

「自分勝手だよ……。私の、ことなんか、考えてなくて……、それで、ずるい」

「……そうね、ずるいわ。アタシは、まだ許してもらおうとしてるもの」

 

 迫る怜悧(れいり)な美貌を避けることは、ニルフィにはできなかった。

 重なる唇は、熱くて柔らかくて、血の味がした。

 

 

「だからね、ニルフィーー」

 

 

 耳元で囁かれるのは、少女を負の輪廻から救う言葉だ。

 もはやアネットの命の火は消えかかる寸前。

 幸せなようで誰よりも傷ついているニルフィが、苦しんで思い悩むことのない人生を進むことができる。

 なんの禍根も残さず、ただの少女として生きていけることになる言葉は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒャッ、ハァ」

 

 この光景をなにもかも侮蔑するような嘲笑によって塗りつぶされる。

 そこからはわずかな時間の出来事だった。

 

「ーーーーッ」

 

 なにが起こったのかニルフィには一片たりとも理解できなかった。

 朱色の女は奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。覆いかぶさるようにしてアネットがニルフィを抱きしめた。

 アネット越しに、凄まじい衝撃を受ける。

 悲しくありながら綺麗に終わる。そんな予感がしていたのに、これはまったく現実味のない出来事だ。

 自分はあと少しで、アネットに救われるのではなかったのだろうか。

 

「ノイ、トラ……ッ!」

「よォ、テメエらなにつまんねェ終わり方しようとしてんだよ」

 

 霊圧はなぜか感じなかった。

 しかし黒衣のマントを剥ぎ取るようにして姿を現したノイトラが肩に乗せているのは、真新しい血でてらてらと濡れている巨大な斬魄刀だった。

 

 アネットの背にまわした手には、惨たらしい裂傷の痕とドロリとした血の感触が残る。荒い息で激しく上下する感触。そして、ロクに動くことができないであろう消えかかった鼓動の音。

 そうしているうちに、ノイトラが巨大な斬魄刀を振り上げた気配。

 

 そこからは、ニルフィにとってまるで映像越しに見ているような光景だった。

 一瞬だけアネットと視線が交わる。(にじ)んだ感情が色濃くて、それがどんなものだったのか少女にはわからなかった。

 ただ、子供のように泣きそうに思えたアネットの目が記憶に焼き付く。

 そんな彼女に自分は、安心させることができたのか。

 なにかが、できたか?

 

 アネットが少女の小柄な肢体を突き飛ばす。

 刹那。

 巨大な獣に()ね飛ばされたように、アネットの体がニルフィの眼前から消え失せた。

 

「……アネット?」

 

 思ったよりも近くにアネットはうつぶせで倒れていた。朱色の髪が顔に掛かっているせいで表情が見えない。

 

「アネット?」

 

 素直にならない体を這わせてニルフィが近寄る。

 

「アネット」

 

 呼びかけても返事はない。

 軽く揺さぶってみても、反応らしいものはなかった。

 ただ、アネットの背に触れた手にはべっとりとした血が付着している。ふたつの、体が半ばまで断たれていそうな深いもの。

 自分たちだけしかいなかったはずの砂漠に哄笑が響き渡った。

 

「オイオイおいおい、まさかの元NO.1(プリメーラ)が呆気ねえモンじゃねェかよ、なァ?」

 

 ニルフィにはなぜここにノイトラがいるのか理解できない。

 弱りきった精神に依存する頭は、この状況についていかなかった。

 だから行動の優先順位も滅茶苦茶で、ノイトラのことを横目で見ても、すぐアネットを軽く揺すって起こそうとする。

 

「起きて。起きてよ。アネット。ねえ、なんて言ってくれるハズだったの? ねえーー」

 

 ノイトラの靴の先が脇腹に突き刺さる。そう思った時には、少女の小さな体がサッカーボールのように蹴飛ばされたときであった。

 痛くてこれ以上体が動かない気がした。

 だがニルフィは再び這うようにしてアネットのそばへと近づこうとする。

 

「……アネ、ット」

「ウゼェんだよ、テメエは」

 

 また蹴り飛ばされた。

 その方向はアネットが倒れている場所であり、ニルフィは蹴られたことに頓着することもなく、光の消えかかった瞳のまま揺すって起こそうとした。

 でも目を覚ましてくれない。回道を使っても傷が塞がる気配はなかった。

 背がかすかに上下もしていなければ、口元の髪が揺れる様子も見えない。

 ニルフィの手の中から暖かさがこぼれ落ちていく。

 

「ったく、テメエはとっとと死んどきゃ良かったのによ。確認程度で来てみりゃあ、そこのクソ女が勝手なマネしてるじゃねェか。命令なんざどうでもいいが、気に入らねェ女をふたりも消せるってのがオイシイなァ、おい」

 

 ノイトラがなにか言っている。

 それを聞きたくなくて、ニルフィは必死にアネットを起こそうと手を動かす。言葉がどういうものか理解した瞬間、自分は壊れてしまうだろうから。

 

「…………」

 

 面白くなさそうに見下ろしていたノイトラが少女の頭を鷲掴みにし、その握りつぶさんばかりの握力にニルフィからか細い悲鳴が上がる。

 

「おい、チビ。もっと他にもあるだろうがよ? キャンキャン犬みたいに吠えまくったり、オレになんか言いたいこととかねェのかよ、なァ?」

「やめ、て……。アネットが、まだ起きて、ないから」

「起こすってか? 面白れェセリフだ。テメエもわかってんだろ、あァ? コイツはもう駄目だってな。お前が殺しかけて、次にオレが殺してやった」

「……ちがう」

 

 この現実にニルフィは耐えられない。

 理不尽が暴力となって心を折ってくる。

 あともう少しで自分はアネットに救われるはずだったのに、なぜこんな展開になっているのか。視界に映るものすべてが灰色になっていく。

 

「前からテメエのことが気に入らなかったんだ。仲良しこよしで、ほかの十刃(エスパーダ)の奴らの牙を随分抜いちまってよ。あいつらにそんな趣味でもあったのか? まあ、いまはそんなことどうでもいいな。殺すんなら甚振る許可ももらってるしよ」

 

 ノイトラが力の抜けたアネットの体を容赦なく蹴り上げた。

 

「や、めて……ッ」

「……それがウゼぇつってんだよ!」

 

 脚にまとわりつくようにしてきたニルフィをすくい上げるように蹴り飛ばす。

 ボトリ、と落ちたニルフィはまた這うようにして、女を守るように小さな体で覆いかぶさる。

 

 彼にとってはニルフィもアネットのことも、ある女の破面(アランカル)と同じで目の敵にしていたのだ。十刃(エスパーダ)で『1』の数字が与えられた時のアネットは、ノイトラのことを常に格下としか見ていなかった。

 だから藍染の申し出はノイトラの望みを叶えるものである。

 

 圧倒的有利な状況のなかで、ノイトラの行動は傲慢そのものだ。

 ゆえに、躊躇もない。

 頭を掴んだままニルフィの首の向きを強引に変え、嫌がる少女を無視して仰向けに倒れたアネットの顔に無理やり近づける。

 

「よォく見とけよ。これが、テメエの招いたクソッタレな結果だってことをな」

 

 ニルフィは揺れ動く視界のなかで倒れ伏す女の顔を見て、そしてーーーー。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 この戦いが始まってから一番の手応えに剣八が笑うことはない。むしろ怒りさえ覚えているとでも言いたげな様子で、目の前のグリーゼを睨みつける。

 

「てめえ、なんのつもりだ!」

「…………」

 

 グリーゼの甲冑は真ん中から少し横にずれて、縦に大きく切り裂かれていた。その隙間から噴水のように血が溢れ出る。鎧はすぐさま修復するが、中身の肉体を治すわけでもなかった。

 

 剣八の刀を防ぐはずの大剣は横の壁に振るわれており、()ばされた斬撃が真一文に貫通している。さらに、霊子を貪る蟲をすべて壁の劣化にまわしていたため、強力な剣八の攻撃を弱らせることなくまともに喰らうことになった。

 

 使い物にならなくなった右目をヘルムの奥で強引に開く。

 

「……この戦いは俺の負けだ」

「あァ!?」

 

 まなじりを吊り上げて再度斬りかかってくる剣八。

 それを無視して破面(アランカル)響転(ソニード)で外に向かう。

 現在、考えうる限りでもっとも面倒なことになった。妨害がないと思っていたわけではない。むしろ必ずあるだろう。しかしどういった形で成されるかは当事者にしかわからないことだった。

 

 アネットがあえて大ぶりな攻撃をしていたのも、隠れ潜んでいる虫を駆除するためのもの。それをどういった形で防ごうともグリーゼの探知能力に引っかかる。

 万全だとは思っていない。

 しかしそれらすべての答えを知っているのは、

 

「……どういうつもりだ、藍染」

「それはこちらの言葉だ。君たちは、私との約定を忘れたわけではないだろう」

 

 月明かりの下、夜空を見上げていた藍染の視線がグリーゼに向けられる。

 その手には抜き身の斬魄刀が下げられていた。遠方にいるノイトラの首を刎ねるはずだった駆霊剣(ウォラーレ)を撃墜したのも、その刀なのだろう。

 

「……約定だと? 忘れるはずもない。だが、それを守るかどうかは俺たちが決めることだ」

「それは残念だ」

「……お前が、このことを予期していなかったはずがない」

「たしかに、君たちはこの件において最高の駒であると同時に、最大の障壁ともなりうることは最初から知っていたよ」

 

 藍染は薄く笑いながら答える。

 

「だから私がここにやって来た。手負いとはいえ、君の相手はギンや(かなめ)では荷が重すぎるからね」

 

 大剣から細剣(レイピア)に変えた斬魄刀で、グリーゼが死神の頭部を穿つ。

 点の攻撃を藍染は刀の腹で受けきった。

 

「……お前の霊圧はいまだに玉座の間にあるんだがな」

「聡い君ならばもう感づいているだろう。いつからか、自分が『藍染惣右介の行方』に違和感を持ち、それに危惧を覚えてわざわざ更木剣八を早期に下そうとした君ならば気づいたはずだ。ーーそれは錯覚だと」

 

 グリーゼが手を閃かせる。

 手に持っているのは小ぶりなナイフ。拮抗が無くなったことで藍染の刀を持つ手がわずかにブレた。グリーゼが踏み込む。その時にはもう、大剣で斜め下から死神を斬り上げる。

 半身になって躱す藍染。

 一拍の呼吸の間。

 そして次の瞬間、無数の剣戟の音が砂漠に響き渡る。

 

「……ザエルアポロをけしかけたのもお前か」

「いや。私はただ、彼を少しばかり導いてあげただけさ」

「…………」

 

 それだけでグリーゼには十分だった。

 なぜ第七宮(セプティマ・パラシオ)を密かに襲撃しようとしたザエルアポロが、三千もの葬討部隊(エクセキアス)を動かしたのか。

 簡単なことで、それはもとから科学者の命令ではなかったのだ。霊圧による違和感も、藍染の能力らしき幻でいくらでももみ消せる。

 

 そしてザエルアポロは知りすぎていたのだろう。

 ニルフィの過去やその特性を割り出していたはずであり、それが間違って言いふらされるのは藍染にとって都合の悪いことだった。

 しかし藍染はザエルアポロがニルフィに特別な感情を持っていることを知っており、それを利用して単独でグリーゼにぶつからせた。

 ザエルアポロが少なからず信用していたのは、あくまでもニルフィだけ。

 裏切るかも知れない(と思っている)他者を使うことなく、勝ち目の薄い戦いをさせられたのだ。

 グリーゼも、どうやらそのつゆ払いに利用されたようだった。

 

「彼も死後、自分の技術がニルフィを追い詰める一翼を担ったとは考えなかっただろう」

 

 そしておそらくノイトラは、地下から移動したはずだ。ザエルアポロが従属官(フラシオン)たちと乗っていたものを使ったのか。

 アネットとバラガンの能力の違いはいくつかあるが、そのひとつに侵食能力の有無がある。

 地下深くに潜っていた相手は狙わなければ殺せない。

 

 鍔迫り合いをする大剣を軋ませながら、グリーゼが藍染を睨みつける。

 

「……まさかお前がここまであの少女に執着するとは思いもしなかった」

「たしかに私は彼女のことを目にかけていた。君たちと騒ぎ、時折笑えないことを引き起こそうと、退屈はしない日々だった」

「…………」

「だが、それとこれとは別のことだ。私はこのために(ホロウ)であった彼女を破面(アランカル)として迎え入れたのだから。むしろ彼女は感謝してると思っているよ」

「……お前が語るべきことではない」

「少なくとも、私は君たちよりも彼女のことを知っているつもりだが」

 

 その言葉に、グリーゼは目を細める。これ以上語ったところで時間の無駄だと悟った。

 大剣の(きっさき)を藍染に突きつける。

 

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 十刃(エスパーダ)から降りたとはいえ、これを扱えるだけの技量は残っていた。

 しかしそれを藍染が破道の八十八“飛竜撃賊震天雷砲(ひりゅうげきぞくしんてんらいほう)”で相殺し、着弾地点から衝撃波が巻き起こる。

 

 砂煙の中からグリーゼが飛び出した。

 それを待ち構えていた藍染が素早く手を結ぶ。

 

(にじ)み出す混濁(こんだく)の紋章 不遜(ふそん)なる狂気の器 湧きあがり・否定し 痺れ・瞬き 眠りを妨げる 爬行(はこう)する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形 結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ。ーー破道の九十」

 

 黒棺(くろひつぎ)

 

 藍染による、完全詠唱の九十番代鬼道。

 手甲に覆われた手が死神に届く直前、黒い直方体状の重力の奔流でグリーゼを囲い、さながら巨大な獣の顎のように飲み込んだ。

 天高く伸びる黒は空を覆い隠し、壁自体が耐え切れなかったことで噴き出した余波が藍染の裾をはためかせる。

 

 詠唱破棄として本来の威力の3分の1以下であろうと、死神の隊長格を戦闘不能にさせるチカラ。

 それがたったひとりに完全な形で叩きつけられた。

 その結果は事実として視界に映ることになる。

 

 ーー漆黒の塔が、縦から真っ二つに割れた。

 

 ひび割れた壁から破面(アランカル)の両手が現れ、鬼道を強引に引き裂く。崩壊していく黒棺(くろひつぎ)がさらにバラバラになると、蟲たちが奇声を上げながら貪り喰い、その構成していたすべての霊子を甲冑の騎士に献上した。

 グリーゼが咆哮する。

 鎧がさらに強固になり、蟲じみた刺々しい形へと変質していった。

 そのことに、藍染はかすかに驚嘆したような表情をしている。

 

「そこまでか。どうやら、君のことを侮っていたらしい」

 

 砂漠を鳴動させるような霊圧を放出するグリーゼが大剣を構えた。

 

「……お前が舞台に上がる資格などありはしない。そこを退けーー死神」

「面白いことを言うものだ。君たちが彼女を救う選択肢のなかでもっとも最短だったことは、この私を殺すことだった。しかしそれをしなかったのは、君たちふたりでは私を殺し得ないことを察したからだろう。それがひとりで私に届くと思ったのかーー破面(アランカル)

 

 そしてここにきて、初めて藍染が酷薄に笑った。

 

「君たちが評した茶番はすでに終わっている。もうすでに、新しい幕は上がっているのさ」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 蟻地獄のように飛び出した巨大な容器の中から、ヤミーがその巨体を窮屈そうに出した。

 灰色だらけの砂漠に目当ての相手を見つけるものの、頭をボリボリと掻き、見るからに気乗りしない様子でしばらくその場にいた。

 

 それもそのはず、彼は藍染に命令されてなければこんな場所には来なかっただろう。

 いや、来ること自体は問題ない。しかしその命令の内容が、同じく受け取ったノイトラとは逆に、ヤミーにとってはあまり気持ちのいいものではなかったからだ。

 

 完全に直感で行動するヤミーにとって、最初に関心が持てなければよほどのことがない限り関心のないまま。そしてやりたくもないことであれば、最後までやろうとは思わない。

 遅れてやって来ることは前もって決められていたが、それよりもさらに遅くにヤミーはやって来た。

 起こりうる出来事を見なくても済むように。

 

 しかしヤミーに気づいたノイトラがジェスチャーでこっちに来いと言ってきた。そのことに苛立ちを感じつつ、巨体を揺らしながらそちらへ歩いていく。

 

「遅ェじゃねェかよ。このままとんずらこくのかと思ってたぜ」

「ウルセぇよ」

 

 ひどく、面倒だ。

 ノイトラのすぐ前まで近づいたヤミーは、さっきから聴こえていた異音の正体を目にする。

 

「……あ、ははは……、はは、……あは…………は、は…………ははは…………あ……はは、は」

 

 砂の上に座り込み、動かなくなった女の体をそっと抱きしめて、壊れたスピーカーのように乾ききって色のない笑い声を漏らし続ける少女。光の消えた金色の双眸から絶えず涙が流れ、空虚さを一層引き立てていた。

 これまで見てきた天真爛漫な姿などそこにはない。

 あるのはただ、弱りきった心を徹底的に(なぶ)られ、廃人のようになってしまったモノだけだった。

 

「まァ、何かするまでもなかったぜ。無理やり真実ってのを見せてやったら、すぐにぶっ壊れちまった」

 

 それなりに満足したのか、ノイトラの声にはどことなく飽きがある。

 しかしヤミーは鼻を鳴らすと、すぐに少女から背を向ける。

 

「あとはオマエがやっとけ。……くだらねえし、俺は帰る」

「オイオイ、オレがこのチビをこのままにしてた理由はちゃんとあるんだぜ、ヤミー。テメエもそれなりにコイツにご執心だっただろ? だからあとは好きに使っていいんだぜ、後始末をしてくれるってンならなァ」

「…………」

「そう怒るんじゃねェよ。オレぁ、まだコイツにゃ何もしてねェぜ?」

「いい加減にしろよ」

 

 ノイトラもかなりの長身であるが、それを軽く超える体躯のヤミーが怒りをあらわに眼帯の男を見下ろした。

 

「今頃キレんのかよ」

「ノイトラ、勘違いすんじゃねェぞ。十刃(エスパーダ)で最強なのはテメーじゃなくてこの俺だ。これ以上俺をおちょくるつもりなら、ぶっ殺す」

「ハッ、ならやってみるか?」

 

 下卑た笑みを好戦的なものにするノイトラ。それに盛大に眉をしかめ、ヤミーはこの場でこの男を殺そうかと考える。

 だが視線をずらし、魂が抜け切ったかのようなニルフィを見て、途端に怒りが別の感情に塗りつぶされた。

 喪失感などというものは、大男にとって初めて抱いた感情だ。

 

「好きにやってろ」

 

 気のせいかわずかに力のない声で返し、ヤミーはぶつけどころのない感情を砂漠に叩きつけた。

 

 砂の噴水を見上げながらノイトラは腑抜けたものだと考える。

 それもこれもすべて、うしろで廃人になってしまった少女のせいだ。彼女の姿がとある女の十刃(エスパーダ)のものと重なっていたように見えて、いつだって感情がささくれ立つ。

 

 巨大な斬魄刀の刃をニルフィの首に添える。

 少女は焦点の合わない瞳で、刃に映る自分の顔を見ていた。

 

「恨むんなら理不尽ってのを恨んどけ。テメエは、ここで終わりだ」

「…………」

「まァ、先に死んでった奴らが待ってるだろうぜ。オレは目の前から目障りなガキが消えりゃあそれでーー」

「ーー死んでないよ」

「……あァ?」

 

 ノイトラは一瞬、ニルフィ以外のだれかが言ったのかと思った。

 さっきまで心が死んでいた者とは思えないハッキリとした口調でニルフィが重ねて言う。

 

「だれも、死んでないよ」

「馬鹿かテメエ。頭イカれてんのか。アーロニーロは、テメエの目の前で死んでンじゃねェかよ」

「アハハ、そんなワケないじゃん。アーロニーロなら、ちゃんとそこにいるじゃん」

 

 緩慢な動作でニルフィがあらぬ方向を見やる。しかしノイトラにとっては、何も存在しない砂漠だけしか広がってないように思えた。

 

「うん。うん。やっぱり、皆そばにいてくれてたんだ。シャウロンもディ・ロイもイールフォルトもギゼルガもホーネストもティカもパウルもフォーディアもクシャナもバオもヘシミアもクルセルオもアリエッタもドラモウもリアもブレイスバーンもヒドもランジーもコルスエットもルウォンもビーもエスメラルドもポルトッコもグルセムも……」

 

 呪詛のように紡がれる名前の群れ。

 呼ばれるたびに、ガラス玉のようなニルフィの瞳がなにもない空間に向けられる。

 

「アハハッ、そうだよね。みんな、みんな、私を残して居なくなるわけないもん」

「なに、言ってやがる」

 

 先程までの優越感など吹き飛び、ノイトラは背に嫌な汗が浮かぶ。本能が警鐘を大音量で鳴らし続けた。

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち…………。

 歯車のかみ合わせが悪くなったかのような音が、嗤うニルフィの霊圧から響き渡る。

 

 異常に気づいたヤミーが振り返る気配。しかしノイトラには、それに構っている余裕すら無くなった。

 自分は何か、この少女について思い違いをしていたのではないか? それこそほかの十刃(エスパーダ)たちですら気付かなかった、その本質を。

 

 パキン……、と儚い音が耳を打つ。

 それはまるで、仮面が割れたかのような霊圧の断末魔で。

 

「私、みんなのこと、大好きなんだ。ホントのホントのホントのホントのホントに!! だぁいすきなんだ。もちろん、アネットのことも。……でもキミはダメだ。なんで、アネットにこんなことしちゃったの? 殺しちゃったら、ダメだよ。こんな、こんな!!」

 

 ぐるん、と音がつきそうな動作でニルフィが首をノイトラにめぐらせる。

 歪な少女の笑顔。怒りを笑みに無理やり変えたかのような、そんな代物。

 しかしそれは、眼帯の男が思っていたような種類のものではなくて。

 

「私がーー喰べる(・・・)ハズだったのに!!」

 

 気づいたときには、小さな手がノイトラの顔面を掴んでいた。

 

 掴み虚閃(アガラール・セロ)

 

 グリムジョーが使うような、相手の体の一部を鷲掴みにした状態で、零距離で虚閃(セロ)を放つという荒業。ニルフィが使えばただでさえ強力な技が、なにかの(かせ)がはずれたかのように威力が数段上がっている。

 首から上が消えた錯覚。

 鋼皮(イエロ)を全開にしたおかげでそれはまぬがれたが、はるか後方に吹き飛ばされて顔が滅茶苦茶にされた。眼帯がちぎれ飛び、左目にある(ホロウ)の孔が晒される。

 

「……ッ、チィッ! そういうことかよ!」

 

 すべて理解したわけではない。

 だがハッキリすることは、これさえも藍染の予定通りなのだろうということだ。

 

 そのことにノイトラの額に青筋が浮かぶ。

 怒りを主軸として、感情が破裂した。

 

「祈れ『聖哭螳蜋(サンタテレサ)』」

 

 膨大な霊圧が吹き荒れると、砂塵のなかに巨大な三日月のシルエットが浮かび上がる。

 頭に左右非対称の三日月のような角が生え、腕が節足動物のような装甲で覆われ四本に増え、その四本の腕に大鎌を持つ姿に変わり、腹部を囲む様に角のようなものがいくつも形成される。

 

 射殺さんばかりに、ニルフィを睨みつけた。

 眼前の少女は、狂ったように笑いながら絶えず涙を流し続けている。腕を掻きむしり、白い細腕から幾筋もの血が流れ、肉がむき出しになる。

 

「アハハ、そうだよね! みんなが死ぬはずなんかないもん! クヒヒッ、アハハッ、そうだよ、死んでなんかないんだ! やだなぁ、私ったら嫌な夢を見ちゃった。そんなはずないのにね! みんな、ここにいるもん! キハ、キハハハッ」

 

 ニルフィの豹変ぶりにノイトラは目を細めた。

 狂った少女の姿が、どうしてもニルフィネス・リーセグリンガーとは重ならなかったのである。

 そして、相変わらず焦点の合わない目と視線がぶつかった。すぐに、ニルフィの表情が抜け落ちる。

 

「でも、だめだ。キミのせいで悪い夢のままだ。ああ、そうだね。ぜんぶ、消さないと。いままでみたいに、消さないと……私は、独りだ」

 

 最後の言葉だけは、ひどく寂しげだった。少女が肩越しに振り返る。そこには、倒れたままの朱色の女がいた。

 ニルフィの手が斬魄刀に添えられる。

 涼やかな鞘走りの音が鳴り、逆手に持ったそれを優しく抱いた。

 

 

 

 

 

 

(こわ)せーー『無貌幻魔(イルシオン)』」

 

 

 

 

 

 

 




これは俗っぽい話となりますが、最近になるとお気に入り件数や評価の変動が少なくなっており(入れていただいた方々にはモチベーション維持などの励みになっております。誠にありがとうございます)、このまま話を進めていくのが正解なのか悩むことがあります。

このままでいいのか。皆様を満足させられてるのか。負けられないんだ。おっ、お前はあの時の!? 作者、都条例討伐。ヒィ、ャッハー!! 俺は……ひとりじゃないんだ(キリッ)

過去もあわせてこういった舞台裏もありまして、この回まで筆が進んでいなかったり。
それで一日寝て、答えを出しました。

よし、このまま進めて綺麗に終わらせてみせる、と。

まぁなにが言いたいかというと、更新をお待ちしてくださる皆様に、作者はちゃんと生きてます言いたかっただけですね、ハイ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

終わる者、立ち上がる者

評価ポイントが4500ptを突破しました。
お気に入り登録、評価をしてくださった皆様、誠にありがとうございます。
読者の皆様に感謝を。


 ヤミーの乗ってきた乗り物から、コロンと転がり出る毛玉がひとつ。

 クッカプーロだ。ヤミーに気づかれずにくっついてきたのだろう。

 

 なぜそうしたのかはクッカプーロにしかわからない。そこにどんな感情があるのかも、クッカプーロの胸のなかに仕舞われる。

 短い足を懸命に動かして蟻地獄のような坂を登りきり、クッカプーロは見た。

 光を反射することのない黒い球体を。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

(こわ)せ『無貌幻魔(イルシオン)』」

 

 少女が唱えた直後、その矮躯を黒い帯が包み込んだ。

 静かだった。

 ノイトラや他の十刃(エスパーダ)の時のような圧倒的な霊圧が放出されることもなく、そよ風ひとつ起こらない。むしろ、元から空気のようだったものが、さらに希薄になってしまったと言ってもいい。

 

 球体となった帯の頂点にヒビが走る。そしてまるで孵化するように、その球体は砕け散った。

 破片と一緒に、少女が音もなく砂漠に降り立つ。

 ーーなんだ、ありゃあ?

 構えていたノイトラはその異様な姿に内心首を傾げた。

 

 刀剣解放をしたニルフィの姿は、普段の死覇装ではなく、拘束具か革下着(レザーインナー)のような肢体を浮き立たせて締め上げるような背徳的な服装となっている。

 首にはチョーカーとも思えぬ無骨な首輪。

 仮面の名残であった角が消え、彼女自身の変化といえばそれくらいのものだ。

 

 問題は、その惜しげもなく晒された背中。

 そこに寄生するかのように、また腰あたりから体を分たれたように、上半身だけの怪物がへばりついていた。

 見てくれは骨と皮だけとも言おうか。ちょうどその頭部をニルフィの頭上に被さるように伸ばし、節くれた腕は地面について余るほど長く、また手も巨大な盾のように広がっている。

 さながら二人羽織のようにして、ニルフィを守るようにその奇獣は覆い被さっていた。

 奇獣の頭部からは巨大な角が後方に伸び、象徴(モチーフ)は山羊か、羊か、はたまたーー悪魔か。

 その奇獣にも無骨な首輪が付いており、鎖がニルフィの首輪と繋げている。

 

 ーー飾り、ってワケでもねェよな。

 その奇獣は自らの意思があるかのように、首をカクカクとせわしなく動かしている。対して、ニルフィは先の狂乱が嘘のように、魂が抜け落ちたかのような表情で微動だにしない。

 

 このような帰刃(レスレクシオン)は過去になかった。

 多くはノイトラのように自分の体を変化させるもので、そこは人型も獣型も千差万別だった。また、アーロニーロのように己の肉体を別生物に変えるようなものがあっても、あれらはあくまで本体が本人であるとハッキリしていた。

 だがこれはどうだ。

 奇獣のほうが、少女の肉体を操っているかのようではないか。

 

 しかし、少女が足を踏み出したことでノイトラの思考は中断した。少なくとも足だけはニルフィのものだ。彼女が動けることに不思議ではない。

 視線を上げる。視線が、底なし沼のような少女の瞳と交わった。

 

 そこでノイトラの本能が『次の瞬間に自分は死ぬ』という警鐘を響かせ、それが現実になるような光景が広がった。

 ニルフィの周囲に数十の霊子の砲門が現れ、そのすべてから破壊の奔流が溢れ出る。

 

 王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)

 

 その攻撃は虚圏(ウェコムンド)の空を駆け、それに合わせて空間がひしゃげていった。

 辛うじて響転(ソニード)で回避したノイトラだが、それだけで攻撃が止む気配がない。どころかノイトラを追尾してマシンガンのように連射され、ついには、十を超える王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)の直撃を受けてしまう。

 

「ガ、ァ……ッ!」

 

 ーーンだよ! 聞いてねェぞこんなの!!

 防御にまわした四本の腕は根元から消滅しており、帰刃(レスレクシオン)をしたばかりだというのに、ノイトラはすでに満身創痍だった。

 彼の掲げる歴代最硬の鋼皮(イエロ)というのは、自称であっても詐称ではない。限りなく事実だ。

 それが意味を成していないのが最大の誤算である。

 

 超速再生で腕を生やすヒマもなくニルフィが眼前に現れた。

 それに蹴りで対処しようとするノイトラ。

 しかし長い脚を振り上げることもできずにノイトラは盛大に吐血した。

 彼の腹には、いくつもの螺旋状の痕がある。もうすでに瞬閧(しゅんこう)による攻撃を受けたあとだと気づいたのは、脳に浸透する衝撃を顔面に受けてからだった。

 

「こ、のーーガキィイイイイイイイイ!!」

 

 背中から倒れそうになるのをプライドだけで防ぎ、瞬間的に再生させた四本の腕の貫手をニルフィの急所に叩き込んだ。

 それを甘んじて受けるようにする少女。

 消えないのなら幻影でもない。

 仕留めたと確信したノイトラは、その手応えに(まなじり)をわななかせる。

 

 わずかに後退させども、貫手がニルフィを傷つけることはなかった。

 なにしろその手応えは、彼女の鋼皮(イエロ)は以前までのような紙装甲ではなく、十刃(エスパーダ)最硬であるノイトラの模倣されたものということを伝えてきたからだ。

 

 コイツは遊んでいる。

 そのようにノイトラは感じた。

 

 いまこの瞬間まで、ニルフィは何度ノイトラを殺せる機会があったのか。

 それをあえて少女は見逃している。いつぞやのルピのように、いたぶり尽くし、徹底的にノイトラを潰すために。

 大きく飛びずさり、男が怨嗟の声を上げる。

 

「ッ、クソ、クソ、クソッ、クソがァッ!!」

 

 侮蔑、軽蔑、差別。それらがノイトラの頭の中から消えていき、最後に残ったのは三白眼に宿る明確な敵意だけだった。

 自分が、負ける? 今まで卑下してきたメス相手に? 

 

 奥の手でもあった残り二本の腕を生やし、計六本の腕に大鎌を握って振り回す。

 迫り来る刃をそよ風に揺れる木の葉のようにニルフィが躱していく。まるでノイトラの攻撃を、受ける価値すらないとでも言うように。

 逆に彼女の放つ霊子の刃は、さながらバターに差し込んだナイフのようにノイトラの鋼皮(イエロ)を切り裂いた。同時にノイトラの誇りやプライドもズタズタに引き裂くおまけ付きだ。

 

 六本の鎌を一斉に投げる。相手も霊子の刃を飛ばし、迎撃。

 ノイトラ、舌を突き出し虚閃(セロ)を撃つ。当たらない。ニルフィはノイトラのすぐ下にいた。気づくよりも先に少女の掌底がノイトラの顎を打ち、舌を噛み切らせる。

 

 男がすべての腕で掴みかかった。それを奇獣が受け止め、逆にノイトラのことをねじ伏せる。パワーが桁違いだった。腕をもがれ、息をつまらせた瞬間、ノイトラは巨大な両手に無造作に掴まれて砂漠に頭から叩きつけられた。

 

 起き上がろうとするノイトラを虫の標本のように霊子の刃が地面に縫い付ける。

 奇獣の細さに釣り合わぬ豪腕によって顔面が潰された。ニルフィの手が迫り、鼻をパーツのように顔からむしり取られた。最初に股間を踏み潰され、次第に上へと上がっていき、最後には顔面を奴隷のように蹴られる。

 

 こんなモノは戦いではない。

 自分は戦いのなかで死にたいのに、いや、それが相手も分かっているからこそこんなことをしているのか。

 

 そこで脳裏に浮かび上がったのは過去の光景。

 かつて敵視していた女の十刃(エスパーダ)をザエルアポロとの闇討で葬った、そのあとのことだ。

 他の十刃(エスパーダ)たちは何があったのかを勘づいていたのだろう。それは第1十刃(プリメーラ・エスパーダ)であったアネットも同じであった。葬った女となにかしらの交流があったのだと漠然に覚えている。

 その時、従属官(フラシオン)であった少女を連れた彼女とすれ違いざまに目が合った。

 どんな取り乱し方をするのか。怒りか? 悲しみか? 内心ほくそ笑みながら考えていたノイトラの思考は、次の瞬間停止する。

 

『ーーやっぱりアンタって、雑魚ね』

 

 そこにあったのは無関心だった。

 もはや格下どころか存在を認めることもない目をしていた。

 そんな目が、ノイトラ自身、見ようともしなかった事実を見ているようで、訳もわからぬ激情に支配されたノイトラはアネットを殺しにかかった。

 

 実際に、殺されかけたのはノイトラの方だ。

 死ななかったのはただ、アネットがノイトラに殺す価値を見出すことがなかっただけのこと。半殺しにしてそれで終わり。

 ボロ布のようになってしまった死覇装の奥に隠れていた体には、今でもその時の醜い傷跡が残っていた。

 

 まだ自分は道半ばなのである。それを強制的に終わらせられるのか? こんな、今まで卑下してきた子供に?

 

 そんなこと、許せるはずもない。

 自分は戦いのなかで死ぬのだ。こんな少女の玩具になって、子供のような無邪気さで破壊されるためにいるのではない。

 

 ノイトラの奇声じみた咆哮が喉からほとばしる。

 突貫。それしかない。いまのノイトラにとって、それだけが生き残る術だと疑いもなく信じられた。

 腹に突き刺さった刃を引き抜き、爆笑するかのように震えまくる脚を叱咤する。

 すべての腕の鎌を構え、さながら重戦車の装甲のごとき姿となりーー駆け出す。

 

 そして無様に顔から砂漠に突っ込んだ。

 

 突貫するための両足が膝の下から消え、少しばかり後方に転がっていた。生まれた激痛に歯を食いしばる。その歯も、蹴りを入れられたことで残っていたものも砕けた。

 

「ブッ……、ハァッ、ハァッ……」

 

 歯の破片の混じった血を口から吐き出す。

 ここでようやく、内蔵欠損のダメージがやって来た。最初の咳をきっかけに、おびただしい量の血がポンプのように口から流れ出す。ニルフィがノイトラの腹を無造作に蹴り上げる。辛うじて腹に原型を留めていた残りの内蔵が破裂し、死に際の蟲のようにノイトラがもがいた。

 

 ここまで、ニルフィは能力らしい能力を使ってすらいない。単純なチカラを見せつけることでの圧倒的な立場であることを印象づけているのだろう。

 見下ろす金色の目は、潰れた羽虫を映している。

 

「……の、ゃ……ろ……」

 

 ノイトラの右目が破裂する。激痛にのたうち回りながら、ノイトラは暗闇しか見ることができなくなった。

 自分は最初から勘違いをしていたのではないのだろうか。

 

 この少女はたしかに強い。それとまともに当たるのが面倒だからと心を壊してから潰す算段であった。しかしそれがどの程度まで強いのかを測りかねていたのだ。

 異常だ。

 素のチカラでここまでだということを、はたして、他の十刃(エスパーダ)は把握しているのか?

 

 そのせいでこんな、戦いの舞台にも上がれずに、自分は死ぬのだろうか?

 

「ガ、キーー」

 

 細くとも叫ぼうとした喉を引きちぎられる。

 笛のような音だけが、空気と一緒に新しく開いた穴から漏れ出していった。

 

 “絶望”がノイトラを支配する。

 

 ーーオレが、オレがこんな、こんな……!

 

 その時、ノイトラの腕が、勝手に動き出した。

 

「……ッ!」

 

 それらはノイトラの首へと達し、彼の意志とは関係なく爪を立ててえぐろうとしてきた。なにが起こっているのかがわからない。視界が潰されて、いつのまにか鼓膜も破裂させられ、舌も無残に噛みちぎったあとだったから。

 ただ分かることは。

 ニルフィはとことんノイトラに屈辱的な死を、すなわち『自殺』を強要していることだ。

 

 これでは戦士としてでも獣としてでもなく、ノイトラが今まで殺してきた凡百の敵のように消えてしまう。

 考えうる限りではもっとも選びたくもない死である。

 

 ーーなにが、なにが……。

 ーーこんな死に方でオレが終わるのか?

 ーー許さねェ! 許さねェぞこのガキ!

 ーー首、が……ッ。

 ーーやめろ、やめろ! やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめ

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ノイトラが自分の腕で自分の首を引きちぎり、操り手のいなくなった人形のように砂漠に倒れ伏す。

 右腕のひとつに握られた彼の頭部に浮かぶ表情は、おそらくこの世のすべてを憎むようなものだったのだろうが、生憎にもニルフィの解体を受け続けたせいで、もはや誰のものだったのかもわからなくなっていた。

 

 それを無表情のまま見下ろすニルフィ。

 背の奇獣が腕を伸ばし、ノイトラの遺骸を無造作に掴む。まず首を手に取ると奇獣が口に放り込み、数度ほど咀嚼したあとは、体のほうも一気に飲み込む。

 節くれた体が膨れることもなく、ノイトラがいたであろう痕跡は彼が撒き散らした血だけであった。

 

 ヤミーは戦いの一部始終を見ていた。

 なぜノイトラが自殺まがいのことをしたのか。そんなことは彼にとってどうでもよく、そしてこれからの行動を決めるために、(たたず)む少女に声を掛ける。

 

「おい、ニルフィ」

 

 そしてすぐに、少女が意識を取り戻すなりしていた場合のことを考えていなかったことに気づく。

 ヤミーはニルフィを殺すように藍染から命令されていた。

 ノイトラが死んだからといって、それは変わらない。ならばなぜ名を呼んでしまったのか。答えは、見つからない。

 

「なあ……。それが、オメエの答えかよ?」

 

 逆にニルフィは答えを出しているようで、ヤミーは声を重くする。

 ヤミーの右肩の切断面から勢いよく血が噴出した。少女の放った霊子の刃がこの結果を生み出したのだ。

 

 いまだにニルフィの金色の双眸は焦点が合っておらず、どこを見ているのかすらわからない。少なくとも、ヤミーの姿が目に入っていないことだけはたしかだ。

 彼女の意思があるとか関係ない。

 すでに少女は壊れきっているようだった。

 ーーああ、ああ、(いら)つかせてくれるぜ。

 自分を傷つけたことも含め、なによりもニルフィがここまで狂ってしまった現状に、ハラワタが煮えくり返るような怒りがふつふつと大男のなかで沸き出てくる。

 

 他の保護者面していた十刃(エスパーダ)破面(アランカル)はなにをしているのだろう。

 そんな八つ当たりじみた激情が浮かぶと同時に、思う。

 ーー俺も、何も出来てねえじゃねえかよ。

 難しく考えることは苦手だ。

 

 だからヤミーは、余計な命令とか要因を頭のなかから消して、彼らしく、己の直感に従うだけの行動に移る。

 どれだけ矛盾があろうと、理に適っていなかろうと、力尽くで、強引に、彼らしい選択で。

 

「仕方ねえ。仕方ねえからよ。せっかく寝まくって喰いまくって溜めに溜めた霊圧でよォ……。ーーオメエのことを無理やり正気に戻してやろうじゃねえかよ!!」

 

 ボコン、とヤミーの肉体が隆起した。筋肉が風船のように膨らんで上半身の死覇装を弾けさせる。

 (あらわ)になった左腕の上腕部には『10』の数字。

 彼はそのまま右腕で斬魄刀を一気に引き抜いた。

 

 

「ブチ切れろ『憤獣(イーラ)』」

 

 

 刀身が爆発を起こして爆風を噴き上げる。

 その爆風は『10』の数字の一部を徐々に削ぎ落としていき、ついには『0』へと変わった。

 第10十刃(ディエス・エスパーダ)から、第0十刃(セロ・エスパーダ)へと。

 

 それはあまりにも巨大にして強大だった。

 肉体も変化して、腰には赤い前垂れが出現し、下半身が計十六本の足を持つサソリの様な姿になり、尻尾の部分がハンマーの様な形状となっている。さらに頭部の角らしき隆起がより強く顕在化し、背骨に沿って柱に似た角が生え、下顎にあった仮面の名残が完全に定着していた。

 なによりもその大きさだ。

 もともと小山のようであったものが、本物の山へと変わったようである。

 

 大顎の隙間から蒸気する息を吐き出し、対比すれば豆粒ほどしかない少女を見下ろす。

 

「ぶっ叩きゃあ直るだろう、なァ?」

 

 そう言うとヤミーは巨塔のような右腕を振り下ろした。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「おーいおいおい。もうヤミーと()りあってるぜ、あの嬢ちゃん」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の屋上の一角を陣取って、蛇男が額に手をかざしながら砂漠の奥を見ていた。

 かなりの距離があるというのにヤミーの巨体だけはハッキリと見えており、霊圧も咆哮もこちらまで届いている有様だった。伊達に十刃(エスパーダ)最強の『0』の数字の持ち主をやってない。

 

「そりゃ別にいいけどよ。俺ら、ここで油売っててもいいのかよ」

 

 ニルフィとヤミーの戦いを見る価値もないとでもいうように、犬男のほうは早々と背を向けている。

 

「たしかに油は売るほどないんだ、オレだってすぐに行くさ」

「なら急げばいいだろ。下じゃあ、グリーゼと藍染が戦ってンじゃねえかよ。邪魔されないのも今のうちだろ」

「まあ、そうだな。グリーゼもそれがわかって藍染を止めてるだろうし。けど、めぼしいヤツらには声を掛けてやったんだ。あと数人が増えようが増えまいが、さして変わりもしないと思うけどな」

 

 どことなく焦りを帯びる犬頭に対し、蛇男のほうは能天気そうな声で返す。

 

「それにさ、あの嬢ちゃんはノイトラを遊び半分で殺せるっつーイカレた強さを持ってんだよ。昔のザエルアポロ並か、それ以上だろうな」

 

 かつてのザエルアポロは最上級大虚(ヴァストローデ)であり、初代にして元第0十刃(セロ・エスパーダ)でもあった。数十発の王虚の閃光(グラン・レイ・セロ)を撃てるのは当たり前であり、主人としていたバラガンでさえ止めるのが非常に難しい存在でもある。

 

 ハッキリ言って、帰刃(レスレクシオン)状態のヤミーを凌駕しているだろう。

 それと同等のニルフィが戦った場合、たとえヤミーであろうと勝機は薄くなる。

 

「ならなんで見てんだよ。結果のわかりきった戦いほどくだらねェもんはねェだろ。……それにオレらがやってることだって、本当は無意味なんだろ?」

「まあ、そうだな。ヤミーで止められないなら詰み確定だ。いや、もうすでに詰んでる状態だよ」

「ならなんで……」

「変わったって、思わないか?」

「はあ?」

 

 犬頭が胡散臭そうな顔で腐れ縁の破面(アランカル)を見やる。

 しかし蛇男は苦笑とも呆れともつかない表情を浮かべているだけだった。

 

「ノイトラは変わらなかった。他の奴らは変わった。ヤミーはちょっとばかし変わった。……だから俺は、この戦いを最後まで見るのさ。たったそれだけの要素で、あの嬢ちゃんと同じ舞台に上がれるかどうかを見極めるためにな」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 豪腕が砂漠に叩きつけられると同時に、虚圏(ウェコムンド)が震撼する。

 そのパワーは自然災害の地震に通じるものがある。衝撃波によって砂の噴水が空へと昇り、霊圧によって内側からはじけ飛ぶ。

 

「チィ、どこ行きやがった」

 

 巨体ゆえに細かい動作ができないヤミーが首を巡らせる。

 そしてすぐに、自分の周囲が霧に包まれていることに気づいた。

 

 瞬閧(しゅんこう)

 

 打撃の嵐。

 それらがヤミーの体に満遍なく襲い掛かり、次々と肉を打っていく。白哉とノイトラを容易く追い詰めた技によって倒れるかと思いきや、彼の分厚い筋肉と脂肪によって打撃の振動が通らずに無効化されていった。

 

「ぺちぺちぺちぺちウゼえんだよォ!!」

 

 ヤミーが咆哮する。

 霧が吹き飛び、その中からニルフィの姿が現れた。

 そこへ技術もなく、しかし力強さという点において十刃(エスパーダ)最高の威力を実現させる虚弾(バラ)を出す。拳とともに出現する高速の霊子の攻撃は、戦艦の一斉掃射のように連発された。

 

 攻撃がニルフィに当たった。

 しかし虚弾(バラ)を一発受けるとすぐに消え、次々と現れてはもぐらたたきのようにヤミーが潰していく。

 

「コマけえな、オイッ!」

 

 (らち)があかない。

 そう思ったヤミーは、尻尾の鎚で放つ虚弾(バラ)を砂漠に打ち込んだ。

 すると天地が逆転するかのように、周囲一帯の砂が空へと昇る。

 

 数十体いた幻影はかき消され、本物らしい一体をヤミーが視界に捉えた。

 

 虚閃(セロ)

 

 すかさずヤミーが口から閃光を放つ。巨砲ゆえに範囲も広く、空中を落下するニルフィを捉えた。

 だが、奇獣が首を前方に伸ばしてガパリと口を開く。

 

 重奏虚閃(セロ・ドーブル)

 

 ヤミーの虚閃(セロ)がすべて奇獣の口に吸い込まれた。

 

「なにィ!?」

 

 ニルフィの姿が掻き消えると、驚愕に目を剥くヤミーの眼前に現れ、奇獣の口から先ほどの虚閃(セロ)に自分の霊圧を上乗せしたものを吐き出させる。

 その攻撃を受け、ぐらりとヤミーの巨体が傾くかに思われた。

 しかしすぐに両目を見開き、両腕からの虚弾(バラ)でニルフィを追い払う。

 

「痛ェ……。痛たいぜえ、効いたぜえーーなァ!!」

 

 叫び、次々と拳を振るうヤミー。ニルフィは幻影と分身を使って躱していき、彼の苛立ちを煽っていく。

 しかしその戦闘被害はノイトラ戦との比ではなく、並みの破面(アランカル)が足を踏み入れたが最後、文字通り消滅させられる。

 

 ヤミーが大口を開け、ニルフィが手をかざした。

 

 虚閃(セロ)

 

 二人の十刃(エスパーダ)の放つ光線が激突する。

 ヤミーのものにも劣らぬ大きさのニルフィの虚閃(セロ)だが、ぶつかった瞬間にすぐさま優劣が分かれた。

 ーー俺が、押されてんのか!?

 少女の閃光は巨大な獣の顎のようにヤミーの虚閃(セロ)を食い破ってくる。

 さらに奇獣が腕を横に伸ばし、開いた二つの手に、黒い球体状の砲台を生み出す。

 

 黒虚閃(セロ・オスキュラス)

 

 すべてを飲み込む漆黒の光が放たれた。

 ヤミーは舌打ちすることさえ惜しみ、両腕に溢れ出る霊圧を凝縮させ、二つの黒い虚閃(セロ)を迎え撃とうとする。

 ぶつかればタダでは済まない。余波だけで、地形が変わる攻撃。

 そんなことはヤミーにもわかった。

 

 だからこそ。

 

 この激戦のなかで生まれる轟音において、その鳴き声が聴こえるはずがなかった。

 だが聴こえたのだ。

 それは鳴き声の主とよく遊んでいた目の前の少女も同じはず。

 だというのに、少女は攻撃を止めない。むしろさらに砲台を数十に増やし、なにもかも消し飛ばそうとする。

 

「……!」

 

 喉の奥にまでヤミーは言葉が出かかっていた。

 それを奥歯で噛み殺し、迎撃に使おうとした両腕を防御にまわして、自らの背後に衝撃を一片たりとも逃さぬ構えを取る。

 

「ーーッ、ラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 来た。

 自分の肉体の前面が消滅したのではないか。そんな風に思わせる衝撃はいったいどれほどぶりか……ヤミーは一瞬だけ意識が切れたのに気づいた。

 霊圧が(きし)む。全身が震える。衝撃が全身と意識を貫いていく。

 ヤミーは雄叫びを上げながらそれに耐えた。

 

 だが、退くわけにはいかない。

 彼のプライドと、これ以上少女が壊れぬようにするという無意識の意志が、ヤミーをその場に押しとどめた。

 

「……グッ、ガッ……! ァ……!」

 

 集中砲火を(しの)ぎ切ったヤミーは、崩れ落ちるのを腕で支えることで辛うじて防ぐ。

 

「キャン! キャン! キャン!」

「……なんでついて来てんだよ……、バカ犬が……」

 

 背後で心配そうに鳴き続ける子犬のクッカプーロ。

 ヤミーはうめきながら吐き捨て、荒れ果てた砂漠に降り立った少女を睨みつける。

 

「……おい、オメエ。なに、してんだよ」

「ーーーー」

「この、バカ犬が……。死ぬトコだったぜ」

「ーーーー」

「……ッ、ただ、死ぬのならどうでもいいけどよ。……てめえ、この俺様をよォ、この戦えねえ犬ごと……殺そうとしたよな?」

「ーーーー」

「ニルフィ。……オメエのことは、ちょっとは、認めてたんだぜ? けどな、けどな?」

 

 溜めに溜めた怒りが、ついに解放された。

 

「俺が認めたのはよォ、ーーいまのオメエみたいなヤツじゃねえんだよ!!」

 

 過剰であった筋肉が損傷部分まで回復させながら、余剰と言えるまでに膨れ上がる。

 それは留まることを知らず、ついには当初の帰刃(レスレクシオン)の二倍にまで体積を増やした。

 背中に巨大な二本の角が生え、再び二本足になり、四本角の鬼のような顔となった。

 怒りにより、際限なく強くなる。

 それこそが『憤獣(イーラ)』のチカラだ。

 

「これ以上、俺をムカつかせんじゃねえよ」

 

 ヤミーらしからぬ静かな口調であったが、それが彼の腹のなかにあるマグマのような怒りを際立たせる。

 

「…………」

 

 少女が口を動かした……気がした。

 声が小さすぎたのか、なにを言ったのかまでヤミーには聞こえなかった。ただ、ニルフィの顔は、何度か見た泣きそうな弱々しいものをしていたと思う。

 

 ニルフィが体を捻りながらヤミーの腹部に蹴りを放つ。

 そこまではいままで見せた体術と一緒。

 違うのは、少女の脚に風がまとわりついたことだ。

 

 『暴風男爵(ヒラルダ)』 単鳥嘴脚(エル・ウノ・ピコテアル)

 

 狂嵐の(くちばし)が、ヤミーの巨体を穿(うが)った。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 立ち上がらなければならない。

 視界の端で砂嵐が空へと巻き起こったのを見ながら、グリーゼは脚に力を込める。

 目の前の死神を倒すには剣が必要だったが、そばに落ちているそれをいくら右手で探そうが手に取ることができない。それは右手首から先が切り落とされているからだと気づいたのは、すぐあとのことだ。

 

 鎧の隙間から血が流れ続け、意識に(かすみ)が掛かる。

 

「もう、()めにしないか?」

 

 片手に斬魄刀を下げる藍染が言った。

 

「たとえここで君が私を倒したとしても、その体の君ではニルフィを止めることはできないだろう。もとより、更木剣八から深手を負わされていたんだ。たとえ話が現実になるより先に君は果てる。君ほどの人材を失うのもまた、私には惜しいんだ」

「…………」

「諦める、という選択肢は悪いものではない。その上で聞こう。私と一緒に来る気はないか?」

「……断る」

 

 グリーゼの答えを予期していたかのように、藍染は表情を変えない。

 

「これは勧誘ではない。命令だ。それでもかい?」

「……そうだからこそだ。命令は、(あるじ)たる者がすることだ。……俺は、お前のことを一度も主人と思ったことはない」

「さあ、どうだろう。私は上に立つ者であると自覚しているが」

「……ただの独りよがりだ。誰も、お前を見ていない。誰もな。東仙もゾマリも、見ていたのはお前の偶像に過ぎなかった」

 

 吐き捨て、グリーゼが左足を支えとして立ち上がる。甲冑に包まれていて外からは見えないが、少し前にその部位も切り落とされているせいで中身は空洞だった。

 

「……お前が下と思っている相手は誰も、お前のことを主人とは認めないだろうな。配下を軽んじる主人ほどくだらぬものはないからだ」

「それは君の持論だろう」

「……ならばなぜ、十刃(エスパーダ)たちがお前よりもニルフィに入れ込んだか分かるか?」

「ーーーー」

「……それがお前とあの少女の違いだ」

 

 しばらく押し黙っていた藍染は薄く笑っていた口を引き締め、グリーゼに尋ねた。

 

「なぜだ? 君は(ホロウ)だった時、ニルフィに会っているだろう。その時の主人とコロニーを彼女のせいで失っているはずだ。彼女が最初に3ケタ(トレス・シフラス)の巣に現れたときに剣を振るったのも、てっきり仇討ちのためかと思っていたけどね。それだというのになぜ、立ち上がるんだ?」

 

 たしかにそうだ。

 

 幼い少女の纏っていた霊圧は、覚えのあるものだった。その時の彼女が覚えていなかろうと、グリーゼが忘れるはずもないものだ。

 仇討ちはいつでもできた。 

 しかし最初に刀剣解放した時も、全力を出せば戦いの術を知らぬ少女を屠ることなど赤子の手を捻るよりも容易いことだ。その時だけじゃない。ニルフィの十刃(エスパーダ)就任の際に、藍染から従属官(フラシオン)になるように指示を出されており、さらにいつでも殺して構わないという許可まで貰っていた。

 

 だが出来なかった。

 

 その時の主人から仇討ちは無駄なことだ、と言われたからでもあったが、野心も欲求もないグリーゼには、殺意を抱くこともできないこともできずに手を下すことができなかった。

 それゆえに最初の邂逅の時点でわざと見逃してしている。

 

 しかし、それからはどうだ。

 

 少女が死のうが死なまいがどうでもよかったはずだというのに、こうしてグリーゼはあがこうとしている。

 命令されなければ動くこともない自分が、なぜ?

 そうやって自問し続けて、茶番を引き起こすアネットの言葉で、答えがわかった。

 

「……約束、してしまったんだ」

 

 いつだって、少女はグリーゼに命令したことはなかった。

 すべて、可愛らしいお願いや、約束の範疇だけで。

 

「……みんなで帰ると、……約束したんだ。だから俺は、帰るべき場所を守らなくてはならない。それが叶わぬ夢だろうとーー絶対に」

 

 脳裏に映る、三人で過ごした何気ない日常。

 

 もう、取り返しのつかないところまで来ているのかもしれない。

 ひょっとしたらこの行動もすべて無意味なのかもしれない。

 だが、それでも。

 これ以上ニルフィが傷つき、壊れていいという理由にはならないではないか。

 

 グリーゼが右手の甲冑の中に霊子の義手を作り、ひび割れた大剣の柄を強く握る。

 

 くだらないと言いたげに藍染が目を細める。

 

「叶わないなら諦めるのが賢明なはずだ。そして、妥協する必要がある」

「……諦める、か。それがいままで軽い気持ちでできたのが懐かしいな」

 

 グリーゼが雄叫びを上げながら前へ突き進む。

 周囲の物質すべて霊子に還元しながら、愚直なまでに、この先には掴むべき未来があるのだと信じるように。




原作でヤミーさんが負けたのはクッカプーロを庇ったため、という説に作者は一票。剣八さんがつまらない戦いだったと言ってたのも、戦いに無駄なことを持ち込んだから、とか。

活動報告を更新しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愚者の従者は剣を手に

 虚圏(ウェコムンド)の辺境にある、さほど規模は大きくないコロニーだった。

 いまを生きられればいい。

 それがコロニーにいる者たちの総意であり、自分たちからは他のコロニーを襲うこともせず、時折やって来る周辺の中規模コロニーの攻撃を撃退するくらいしか戦いはしない。

 

 そんな場所にも統べる者は当然存在する。

 昆虫じみたデザインの鎧を着込んだかのような姿のグリーゼも、『彼女』の前で膝を突いていた。

 

 コロニーの奥にある一室に作られた壁と同化している横に長い椅子に座ってくつろぐ、女の(ホロウ)がそれだった。

 姿は人間そのものだろう。顔は目の部分だけ鋭く切り抜いたようなのっぺらぼうの仮面に覆われており、額から伸びる二本の刃のような角が鬼を連想させた。体つきは均整の取れたスレンダーなもので、仮面の奥の顔も、怜悧(れいり)なものと思うのに難くない。

 

 彼女の名は、クシャナ。

 グリーゼの最初の主人の名だった。

 

 クシャナは切れ長の瞳を物憂げに伏せ、しばらくそうしていると、横の壁にくり抜かれた穴から見える満月を眺め始める。それもまたしばらく時間を置くと止め、色香のある所作でため息をつく。

 仮面さえなければ、絶世の、と枕詞(まくらことば)のつく若い娘の絵画としてなかなかに映えただろう。

 そしてクシャナは、ボソリと零した。

 

「ーーつまらん」

 

 その言葉にグリーゼが反応するよりも先に、ここにありはしない何かに当り散らすようにクシャナが叫ぶ。

 

「つまらんつまらんつまらん!! ーー退屈! (わらわ)は退屈じゃ! もう我慢できぬ!」

 

 ジタバタと子供のように椅子の上で手足を暴れさせる主人に、グリーゼは趣旨をハッキリさせようと尋ねた。

 

「……退屈、というのは?」

「五年? くらい前に、妾たちにねちねち小蝿のように攻めてきたコロニーがあったじゃろ。覚えとるかや?」

「……俺と(あるじ)の二人だけの単身突入で壊滅させた場所だな。(あるじ)がおちおち昼寝もできないとブチギレて、俺を引っ張って出陣したはずだ」

「そう、おぬしと潰した場所じゃ。いや、いまはどうでもいい。それからな、ぱったりと他のコロニーの攻撃が無くなっておる」

 

 はて、とグリーゼは内心首を傾げた。

 

「……それで良かったのではないのか? (あるじ)はそれから、自堕落に怠惰を貪る生活ができて満足だったと思うが」

「妾のことを惰性の権化のように言うな」

 

 ムスッとしながらクシャナがグリーゼを軽く睨む。

 正直に言うならば、怖さとは無縁だ。戦闘力こそここらの(ホロウ)では敵わない実力を持っているものの、小柄で痩せ型な体躯のせいで、大きさはグリーゼの半分もない。

 そしてクシャナとは中級大虚(アジューカス)時代から生きてきたが、グリーゼがあれやこれやと世話をして甘やかしまくってしまい、少しばかり我が儘で子供っぽい部分が残ってしまった。

 まあ、それが周囲のコロニーに舐められる原因でいままで攻められて来たのだが。

 

「たまにはな、攻めて来てもいいと言っておる」

「……なぜ?」

「いや、たしかに妾はあ奴らが邪魔じゃと言ったが、来るなとは一言も言っておらんぞ? いつも同じ料理のなかに、別の一品が混じる。するとどうじゃ、その一品がいかにも美味となるじゃろ」

「……そう言うのなら、そうなんだろう」

「でじゃ。昼寝続きの日々もいずれは飽きが来る。それを打破するために、小競り合いでもよいからと血がうずいてくるでありんす。だからどこでもいいから、妾たちのコロニーを襲撃して、そして返り討ちにしてやりたい」

 

 ここで合点がいった。どうやらこの小さな主人は、五年前に鬱陶しがっていた戦いがご所望らしい。

 しかしグリーゼにはその欲求を満たしてやることができない。

 

「……それは、あと数十年は不可能だろう」

「む? それはなぜじゃ」

「……その五年前に俺が、少し前にここら一帯のコロニーを潰したからだ」

「ーーは?」

「……(あるじ)は、他のコロニーが昼寝の邪魔だと言ったんだ。攻めてくるコロニーは俺たちで潰したものの他にもいくつかある。だから俺は、それらも一掃しておいた」

 

 グリーゼの言葉を聞き終えると、クシャナはワナワナと肩を震わせ始める。

 『た、た、た……』と唇のわななきのせいで言葉にならぬ声を喉から響かせていたが、一分ほどしてついに、椅子から立ち上がると同時に爆発する。

 

「たわけッ! な、なにをしとるんじゃおぬしは!?」

「……だから、周囲の敵になる相手を一掃したと」

「今時の正義の味方でさえ悪はキャッチ・アンド・リリースじゃぞ!? それを、よりにもよって潰した? しょ、正気かや、おぬし」

「……必要だと思い、つい」

「つい、じゃないわ阿呆! 驚きすぎて開いた口が塞がらぬ!」

 

 しばらくガミガミとグリーゼを叱り続けるクシャナ。

 沈まぬとはいえ動き続ける虚圏(ウェコムンド)の月がだいぶ位置を変えた頃になって、ようやく彼女の怒りはひとまず静まったらしい。

 呆れ果てたようにため息を吐くと、クシャナは椅子に疲れたように座り込む。

 

「それで、どうだったかや?」

「…………?」

「どういう気持ちでそやつらを掃除したと訊いておる。妾のために怒って? それとも、褒められたくてでもやったのかや?」

 

 グリーゼはすぐにクシャナが何を言いたいのか理解し、頷くと答える。

 

「……何も。ただ必要だと思ったから潰したまでだ」

 

 膝を突くグリーゼの頭上から深いため息が降ってくる。

 しばらくクシャナが喋らなかったのは、呆れて声も出ないということを体現していたからなのか。

 月が動いたかと思う頃になって、ようやく女主人が口を開く。

 

「せめてな。せめて、戦いを楽しむくらいのことはしてみよ」

 

 顔を上げると、どことなく寂しげな瞳と視線が交わった。

 

「おぬしはいつもそうじゃ。なにも欲さぬし、行動を起こしたところで目的はすべて妾絡みのことだけ。それなのに主人として持ち上げられている妾はこのカラダ以外なにも与えられぬが、それでもおぬしは欲さぬじゃろう?」

「……命令であればどのようなことでもするが」

「たわけ。そこは嘘でも頷くかするものじゃろう」

「……俺は、嘘をついたようだ」

「ーー。ああ、そうじゃな。おぬしはそういう奴じゃ」

 

 見えもしないクシャナの表情は、どこか悲しげだった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「げっ」

 

 黒腔(ガルガンダ)から出てきたところをグリーゼに待ち構えられていたクシャナは、乙女らしからぬ声を上げて首根っこを掴まれた。

 

「……また、現世に行っていたのか」

「い、いや。妾は、これが初めてで~」

「……俺どころかこのコロニーの全員が知っているぞ。もう何度も現世とこちらを行き来しているだろう。それを真似て下の者が死神に殺されないとは限らないんだ、止めはしないが控えて欲しい」

 

 クシャナがツンとそっぽを向く。顔が仮面で隠れているというのに唇を尖らせていることまでわかるとは、ここまで来るといっそ清々しい。

 

 ここ最近のクシャナはお忍びで現世に行くことが多い。

 周辺のコロニーが消えたことで自分が残って守る必要性も無くなり、さらには娯楽のベクトルも方向性を迷わせていた頃、彼女の興味は現世へと向いた。

 いくらお忍びとはいえ、毎回毎回死神に気づかれてもいるだろう。

 彼女ならばおいそれとやられはしないだろうが、それはグリーゼが楽観できる要素になりはしない。

 

「こんな辺鄙(へんぴ)な場所より面白いからの。ーーああ、そうじゃ! 海! 今日は海を見てきたんじゃ! 青くて、綺麗な、地平線まで続く海原をな。そこを貴様の体ほどもある小舟に乗って、人間が網を手に、何匹もの魚をーー」

 

 隠す気はもはやないのだろう。

 いままで溜めいていた言葉が吹っ切れたことと共に溢れ出し、クシャナは身振り手振りで目にしてきたことをグリーゼに語る。

 

 そんなに嬉しそうな顔をされてはグリーゼに止めることも出来るはずがない。

 仕方なく彼女を床に下ろした。

 ここまで明るく笑うクシャナは久しぶりだった。最近は虚圏(ウェコムンド)の王であるバラガンが死神に下されたとかで、やたらと空気がピリついていたのだ。

 

 ようやく一段落ついてすっきりした頃になってクシャナは目を白黒させ、グリーゼになにか言いたいことがあったんじゃないのかと尋ねる。

 

「……最近入ってきた新入りのことだ」

「ああ、久しぶりに仲間になったあ奴か。犬のと蛇のとに世話を任せておいたが、なにかやらかしたりでもしたのかや?」

「……いや、そういう訳じゃない。むしろこの場所に馴染んでいるくらいだ」

「では、なんじゃ?」

 

 言おうか言わまいか迷いつつ、結局、グリーゼは言うことに決めた。

 

「……厄介な芽にならない内に、刈り取ったほうが無難だと判断する」

 

 機嫌が良さそうだったクシャナが鼻白む。

 

「して、なぜそう思った」

「……以前から虚圏(ウェコムンド)ではいくつかのコロニーが内部で壊滅していることが噂になっていた。それらに共通するのは、ある(ホロウ)を迎え入れてからだということも」

「まあ、妾も知っておる。バラガン翁と戦ったこともあるとかなんとか、話題になっていたからの」

「……これは言わなかったことだが、以前潰したいくつかのコロニーのうちひとつは、俺がたどり着いた頃にはすでに崩壊していた」

 

 そのコロニーでは全員が捕食されていた。血と臓物が散乱し、時折戦う中で覚えた顔もいくつかあった。

 

 それからグリーゼは周辺を探索していたが、下手人の姿は見つからなかった。

 情報を集めるものの、その(ホロウ)らしき存在の情報はあやふやなものばかりで、名前どころか姿かたちさえ安定しない。

 そして唐突に現れたこのコロニーの新入り。

 関連付けるなというほうが無理だ。

 

「つまり、なんじゃ。妾の下に庇護を求めてきたそやつを、殺すべきだと?」

「……そこまでは言わない。だがこの場で戦えるのは、俺や(あるじ)を含めた数名だけだ。もしアレが牙を剥くことになれば、戦えない仲間たちは瞬く間に屠られるだろう。だからーー」

「そこまでじゃ」

 

 クシャナが有無を言わせぬ口調で遮った。

 

「この小さな領域は、誰のものか分かるかや?」

 

 砂に水を含ませるような口調で尋ねるクシャナに、ほどなくしてグリーゼが答える。

 

「……(あるじ)だ」

「そう、妾こそが頂点。あらゆる意味で弱いおぬしらが勝手に祭り上げ、いつのまにか城の主にまでなっていた、それが妾。異論は無かろう?」

「……ああ」

「これは責めているのではありんせん。妾もそれはわかっておったし、バラガン翁のように野心もなくアネットとかいう火の鳥ほど暴れたがりではない、そこらにいる者と同じ寂しがりの妾は、好きでおぬしたちのような戦いを忌避する者を受け入れた。グリーゼ、おぬしも含めてな」

 

 切れ長の双眸を細めさせることで、クシャナはさながらカミソリのような眼光を湛える。

 

「妾が自分に課した義務は、曲がりなりにも自分の意志で引き込んだ仲間を途中で放り投げないこと、ただそれだけじゃ。……妾は長く生きすぎた。足元にはいつも、力を手に入れるために喰らった奴らの死骸が積まれておる。寂しさを紛らわせたい、そのためだけに巻き込んだ力のない仲間にできるせめてもの贖罪じゃからの」

 

 そのことはグリーゼも知っていた。それでなお止めろと言ったグリーゼにクシャナは怒っているのだと思った。

 甘んじてそれを受け入れようとしたグリーゼを、クシャナが仮面からさらにキッと睨む。

 

「たわけ。妾がなぜこうして怒ったのか、分からんじゃろ?」

「……俺が(あるじ)の行動概念に口出しをしたからだと判断する」

「ーーッ! なにも、おぬしはなにも分かっとらん!」

 

 いつも我が儘を見せる時も、ここまでクシャナが口調を荒げたことはなかった。

 

「妾がなによりも許せないのは……! おぬしは、妾のことしか案じておらん! 戦えない仲間たちは瞬く間に屠られるだろう? こんな、こんな時だけ有象無象にしか思っていなかった者たちを『仲間』として、妾を守るためだけの理由として扱うな!」

「……ならば。……ならば、俺が全員を守りきって見せる」

「のう、グリーゼ。妾は、自意識過剰ではないと自負しておる。じゃがな、その口にした言葉の理由も、妾が悲しむから言ったに過ぎないんじゃろ?」

 

 沈黙こそが答えになったようだ。

 

 クシャナは泣きそうだった。

 どうすれば泣き止むのか過去の経験を記憶から引っ張り出し、道化のような滑稽な演技をする、体を動かさせて気分転換させる、仲間たちを集めて騒ぎ立てるといったものが思い浮かんでくる。

 そこに正解があろうとなかろうと、グリーゼは自分自身の考えで答えを出せない。

 

 グリーゼの行動原理に彼自身が介在することはない。  

 常に上の者にとってプラスになるような仕事しかせず、マイナスになるものを排除するだけのプログラムのようなものだ。

 だからわからない。自分の行動の何がクシャナにとってマイナスになったのか。

 

「……(あるじ)が必要ないと判断するならば、俺はそれに従うだけだ」

 

 答えに瀕した従者がやっと絞り出せたのは、彼自身、本当に知りたかった解答ではなかった。

 

「…………」

 

 俯いたままのクシャナが額をグリーゼの腹にぶつける。

 思えば、ここまで身長差がついたのはいつからだったか。

 

「のう、グリーゼ。もういいじゃろ。妾に、おぬしのことを見せてくりゃれ?」

 

 初めて、主人の命令をこなすことができなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 主人とややぎこちない関係となってから、それから幾ばくかして、(ホロウ)になってから初めてグリーゼが現世へと姿を現した。

 彼女の心を少しでも理解できればいい。それくらいの考えで、(いとま)を貰って虚圏(ウェコムンド)を離れた。

 クシャナの言っていた通り、晴天の下の海にはいくつもの小さな船が魚を取るために網を動かしている。

 白い砂漠に慣れた身としては、新鮮で綺麗だと素直に思えた。

 

 だが、それだけ。 

 クシャナの語っていたように心が軽くなるわけでもない。

 

 存在に勘づいたらしい死神が近づいてきた頃になり、グリーゼは落胆しながら虚圏(ウェコムンド)へと戻った。

 どうにかしてクシャナと以前までの関係を取り戻したい。

 そのことに頭を悩ませながらコロニーの前に降り立ったとき、なにかの手違いで別の場所に来てしまったのかと思った。

 

 蟻塚のような形の家は半ばから倒壊し、グリーゼが他のコロニーを壊滅させたときのようにいくつもの死骸が散らばっている。動く存在の気配もなく不気味な雰囲気であったが、この場所がグリーゼたちの家であることはすぐに気づいた。

 

 急かされるようにグリーゼは駆ける。

 中央にある吹き抜けの空間。

 そこが最も破壊痕のひどい場所であり、疑いもなくそこにクシャナがいるであろうと確信していた。

 

「む? おお、遅かったの、グリーゼ」

 

 巨大な瓦礫の影に背を預けて、グリーゼに左半身を向けるようにクシャナは座り込んでいた。

 この惨状に似合わぬほど軽い口調。

 それに安堵しながらグリーゼが歩調を緩めた時、月がわずかに動いたのか、影になっている部分が明るみに出た。

 

「……(あるじ)?」

「ああ……。こんな姿、見せたくはなかった。おぬしの忠告を、いつもの我が儘で聞かなかったせいじゃな」

 

 自嘲するように笑うたびに、クシャナの右肩から下にかけて喰いちぎられた断面から血が溢れ出す。

 

「……止血を……ッ」

「いや、……もう、いい。こっちに来てくりゃれ」

 

 命令だ。

 あくまで機械的にグリーゼは従い、クシャナのそばに膝を突くと、彼女の思ったよりも小さな手がグリーゼの顔あたりを触れる。

 (かすみ)の掛かった目がグリーゼの顔より少しずれた場所を捉えた。主人は、目が見えなくなっていた。

 

「……なにがあった?」

「さあ、の。……わからぬ。あの新入りが突然暴れだして、妾が止めに入った時には、戦えぬ者はすでにーー」

 

 駆けてきた廊下に転がっていたいくつもの死骸がグリーゼの脳裏に浮かぶ。

 

「なんとか、犬のと蛇のとだけは……逃がせた。おぬしならもっと上手くできたはずなんじゃがな。……妾には、それが精一杯じゃった」

「……なぜ、アレを殺さなかった? (あるじ)になら可能だったはずだ」

 

 クシャナの自嘲が深くなる。

 

「さて、な。……あ奴と妾は、どこか似てた。たとえ同胞を殺そうとも、それは変わらぬと思っておった。……心のどこかで、妾のように、仲間としての言葉で止まると思ってた」

 

 妾がたわけ者じゃったな。

 そう続けて無理に明るく笑うクシャナに、グリーゼはなにも返すことができない。

 

「……まだ、時間は経っていないはずだ。アレを追いかければ、俺が」

「おぬしは、最初からそうじゃ」

「?」

「妾のことだけを見ていたながら、内側までは目を向けてくれなかった」

 

 泣き出しそうなクシャナは最後の我が儘として、仇討ちのような真似をするなと言った。仲間であった者たちが進んで殺し合いをするのが見たくないとも。

 グリーゼはなにか胸のつっかえが生まれたのを感じる。

 それを形として表すには、その方法を男が知らなかっただけのこと。

 

「ああ。……寂しい。おぬしとは、もっと話をしたかった」

 

 片腕でグリーゼの手を握るクシャナ。

 

「おぬしは、妾が消えることを悲しんでくれるかや?」

「……俺は」

 

 同じだ。現世に行って綺麗な風景を見たときのように、なにも揺れ動かない。

 たとえこんな場面でも“感じること”のできない苦しみだけしか、残らない。

 

 だがクシャナは、彼を安心させるように穏やかに目を細めた。

 

「ーーおぬしはちゃんと悲しんでおる。なにしろ、泣いておるからの。それが妾には、この生の中でもっとも嬉しいことじゃ」

 

 最初の主人は、最後にそう言い残した。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「グリーゼって、ずっと前に私と会ったことあるっけ?」

 

 ある日ふと、ニルフィにそんなことを訊かれた。

 ちょうど彼女のおやつの時間だった。手作りのチーズケーキを切り分けて紅茶も淹れたあと、ニルフィがフォークを握る前に言ったことだ。

 

 グリーゼは少女の顔を見る。

 穢れのない、何色にも染まっていない無垢な表情。

 

「……いや、無い」

「そっか」

 

 表情を動かすこともなく答えると、ニルフィが素直に頷いてケーキを崩しにかかる。

 

「……記憶が戻ったのか?」

「ううん、ただ、ひょっとしたらって。キミは辺境の出だってこの前言ってたでしょ。だからよく辺境を移動してた私と接点があると思ったんだ。……グリーゼ?」

「……いや、なんでもない」

 

 グリーゼがはぐらかすとそれだけでニルフィは納得したのか、あとはおいしそうにチーズケーキを食べ始めた。

 しかし従者は主人に嘘をついた。

 本当ならば、過去にニルフィと出会ってる。名前も姿もなにもかも、いまのニルフィと共通点は皆無であるのだが、たしかにグリーゼは彼女のことを知っているのだ。

 

「……知りたくはないのか?」

「なにがかな?」

「……たしかに俺は辺境で生きてきた。些細な(・・・)情報でも、自分に繋がることは知りたくはないのか?」

 

 グリーゼの問いに、ニルフィは紅茶を飲み干してから答える。

 カップが下げられると、困ったような、いつだかに見た笑みが刻まれていた。

 

「私はさ、自分がどういう存在か少しは自覚してるつもりだよ。それでわかるんだ、私にはこの場所しか無いって。私、寂しいのは嫌いだからね。後悔もあるけど、ちゃんと満足もあるんだ」

 

 その顔にクシャナのものが重なる。

 あの最初の主人も同じで、長い時間のなかでの孤独に耐えられずに周囲を巻き込み後悔と充実を手に入れた。

 彼女たちの似た歩みをグリーゼは最初から目にしている。

 それに追い詰められる苦悩も。

 

「もう少し、もう少しなんだ。仲間がいるってことのホントの意味を、あとちょっとで理解できる気がする。そうすればさ、私は、誰も傷つけなくなれるんだ。私のせいで泣く人も、いなくなると思うんだ」

 

 いまにも崩れてしまいそうなほど不安定な笑顔のままニルフィが言った。

 長い月日を経て、ようやく少女は答えを出せそうなのだ。かつてのクシャナでは及ばなかった形の無い正解を掴み取れる可能性が顔を出した。

 

 ならば守るしかない。 

 この少女だけが、クシャナの残した遺産のようなものだから。

 ニルフィに彼女の面影を求めていることも否定できないが、なによりもこれ以上ニルフィが壊れてしまえば一生答えにたどり着けない気がする。

 答えが知りたかった。

 なぜあの時クシャナが怒ったのか、それを理解したかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 皮肉にもグリーゼは、やっと答えを見つけられたのだろう。

 アネットが身を(てい)した。ヤミーが止めるために力を振るう。そして、クシャナが怒った理由。 

 全部が全部、ちゃんと答えを見せていたではないか。

 

 ーー仲間だから。

 

 たったそれだけで十分な理由だった。

 集団の心理。突発的な心の波。利害関係の一致。

 いままでグリーゼは仲間というものを論理的にか捉えていなかった。

 

 仲間だから守る。仲間だから体を張れる。仲間だから、それだけ大切なのである。

 

 ニルフィたちと過ごすうちに抱えていた不快ではない不可思議な感覚は、すべてこれに起因していた。

 ただそれだけで覚悟が生まれる。

 これ以上、壊させまいと死に物狂いであがくことができる。

 すでにそれをニルフィでさえ理解していた。

 

 だから。

 こんな悲劇など、誰も望んでいないのならばーー。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 斬り伏せて崩れ落ちたグリーゼを見下ろし、藍染が斬魄刀の血糊を払う。

 結果のわかっていた戦いだった。

 

 更木剣八との戦いでグリーゼはすでに重傷を負っており、藍染との戦いでさらに傷は増え、もはや動けるほどの血も残っていなかったのだから。元からそうなるように仕向けたのも藍染であり、全快であればグリーゼは勝利の道をたぐり寄せることができた。

 それだけに残念だ。

 アネットもグリーゼも十分なチカラを有していながら、自らの意志に従って藍染に歯向かう。

 ーー意志、か。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)に来た頃は表面上だけといえど、藍染には順従であったグリーゼ。それが剣を手に反旗を翻した。それはつまり、彼もニルフィの影響を受けたことを表している。

 

 反逆者として処断した男に背を向け、ヤミーと戦っているであろうニルフィを見据えた。

 藍染は、彼女が策謀などで十刃(エスパーダ)の心を開いたのではないことを知っている。

 だから思う。

 グリーゼの指摘したニルフィと藍染の違いが、嫌に目に付く。

 

 だからかもしれない。

 藍染が意識を思考に持っていったのは、彼が戦いの終結が訪れたと判断したから。

 それが、彼らしからぬどうしようもないほどの隙だった。

 

「ーーなに!?」

 

 藍染の背後でグリーゼが立ち上がった。

 ありえない。もう彼は動けないはずだ。強制的な死を与えたはずだ。

 

 振り返る藍染の斬魄刀を握らぬ左腕が万力のような力で掴まれ、指先の鋭い爪が突き立てられた。

 視線が交錯する。

 甲冑の奥のグリーゼの目は光を失っていない。

 それと同じだけ強く光る霊子が大剣に纏い、空を突くように掲げられた刃が藍染へと振り下ろされる。

 

 衝撃。

 

 核爆弾でも落とされたような破壊の波が虚夜宮(ラス・ノーチェス)の壁を剥がした。

 

「…………」

 

 砂煙が晴れると、わずかに息を乱した藍染が立っていた。

 大剣の刃を右手の斬魄刀で防ぎ、袖あたりの布地が消し飛んでいる。

 

 少し離れた場所には自らの攻撃の余波で弾き飛ばされた従者の姿。砕けた大剣の破片が散らばり、鎧の隙間から止めどなく滝のように血が流れている。

 もう、騎士は動かない。

 あれが本当の最後の一撃。そして唯一、藍染に届いた一撃だった。

 

 斬魄刀を鞘に戻した。

 藍染が自分の左腕を見る。回道で治癒できるものだが、たしかに穴が開けられていた。

 藍染が自分の右腕を見る。至近距離の爆発によって火傷を含めたいくつかの傷がある。

 動揺を押し殺し、藍染はあらぬ方向に声を掛けた。

 

「ギン、なぜグリーゼを止めなかった?」

「いやぁ、隊長だけで対処できそうやったから。実際、どうにかなりましたやろ」

 

 内部からの霊圧を遮断して存在を消す黒い外套を剥ぎ取り、最初からこの場にいたギンが肩をすくめる。

 

「止める気はなかったと?」

「せやけど、藍染隊長。隊長も、最後のあの剣、避けようと思えば避けられたんちゃいます?」

「…………」

 

 自らの体に傷を作った相手を藍染が一瞥し、

 

「油断は、していなかったはずなんだがね」

 

 今度はギンが沈黙する番だった。

 彼の内面を伺うような視線を無視して、服の襟を正した藍染が宣言する。

 

「予定通り、これから現世への侵攻を開始する。我々は空座町(からくらちょう)()し去り、王鍵(おうけん)を創生し、尸魂界(ソウル・ソサエティ)を攻め落とす」

 

 藍染にとってはめぐるましく移り変わる舞台すらも、すべては予定調和にしか過ぎない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十番の主従

 砂漠の岩陰に寝かせた一護を包む結界を散らし、織姫は汗の浮いた額を拭う。

 

「やっと……治せた」

 

 一護の致命傷を完全に癒すことができ、あと少しすれば彼も目覚めることだろう。

 

 それを見計らったかのように少女の肩に手が置かれた。

 振り返ると、気だるげな雰囲気の男が織姫を見下ろしている。

 

「悪いね。ホントはこういう面倒なの、好きじゃねえんだけど。……あんたにゃニルフィを治してもらった礼もあるし、そこの少年を治すまで待ってたが、もういいだろ」

 

 異変を察したのだろうか。

 しばらく目を覚ますことはないと思っていた一護が飛び起きざまに斬魄刀を握り、突然現れた破面(アランカル)へと振りかぶる。

 

「待ーーッ」

「借りてくぜ」

 

 一護との視線が一瞬だけ交わるのを最後に、織姫の視界が唐突に切り替わる。

 

「おかえり、織姫」

 

 暗い空間に階段がひとつ。織姫は下に、死神を裏切った死神が上に。

 こういったことは慣れたつもりであったが、頭が追いつかずに織姫は階上の藍染を見上げることしかできない。

 

「どうした、随分と辛そうな顔をしているね。ーー笑いなさい」

 

 いつのまにか目の前にいた藍染が織姫の顎を持ち上げる。

 

「太陽が陰ると皆が悲しむだろう。君は笑って、少しの間ここで待っているだけでいい。ただ、ーー我々が空座町(からくらちょう)()して来るまで」

 

 言葉は理解できた。

 しかし虚圏(ウェコムンド)側が侵攻を開始するのはもう少し後になるはずだ。

 その予定が崩れ、今すぐにでも彼らが矛を手に取るならば。

 

「君の最後の仕事だ。私の腕を、もとの状態に戻すんだ」

 

 そこで織姫は藍染の両腕の様子に気づく。

 右腕はともかく、左腕には五つの穴が空いており、紫色に変色している。

 

「…………」

「どうした?」

 

 静かで、されど厳かな口調で藍染が促す。

 ここで織姫は自分の能力を使うべきではないかと思った。すなわち、藍染が持っているであろう崩玉を無に帰すために、事象を拒絶する能力を使用するのだと。

 

「忘れてはいけないのが、君は一人ではないということだ」

「……ッ!」

 

 脳裏に浮かんだのは命を散らされた一護の姿。そして次々と消えていく仲間たちの気配。

 それらが藍染の采配一つで現実になるのだと理解できてしまった。

 織姫は能力を使う。藍染の腕を治療するために。彼の左腕に違和感を覚えつつも、傷を癒して消した。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「う、うわ、うわあああああああああ!?」

 

 情けない悲鳴を上げながら砂漠を駆けるのは、四番隊の第八席、山田花太郎。

 到着と同時に姿を消した白哉を追いきれずに見失い、戦う術がない彼は、自分を追ってくる人型ですらない下級の破面(アランカル)に尻をつつかれて逃げ惑っていた。

 そんな死が形となったような恐怖の対象が自分の頭を喰いちぎろうと大口を開け、そのまま停止したところで悲鳴を上げたのだ。

 

「大丈夫ですか?」

「う、卯ノ花隊長! ありがとうございます!」

 

 四番隊隊長にして花太郎の上司である卯ノ花烈(うのはなれつ)が彼を助け起こした。そして破面(アランカル)を見てみれば、縛道の鎖で雁字搦めにされていたようだ。

 

「私はてっきり、朽木隊長と同行していたと思いましたが」

「いや、その、はぐれてしまいまして……。僕は瞬歩が使えないんで慌てて追いかけたんですけど、突然霧が立ち込めて方向もわからなくなって……。それで、それで、朽木隊長がこの周辺で消息を絶った情報だけを頼りに、逃げながら探してたん、でゅえすっ!」

 

 ちょっと回道に優れてるだけのただの平隊員である花太郎にとって、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)の侵入はハードすぎた。

 ダムが決壊したように目から溢れる涙を卯ノ花に同行していた副隊長の虎徹勇音(こてついさね)がハンカチで拭い、花太郎に目線を合わせて尋ねた。

 

「それじゃあ、あと探してない場所を見てまわれば……」

「で、でも、朽木隊長が倒されるなんて思ってなくて」

 

 このまま探す時間があるのか。

 そう続けようとした花太郎の頭に、突然声が響く。幻聴でもないのは上司である二人も同じように気づいた様子を見せたことで明白だ。

 

「……天挺空羅(てんていくうら)です」

 

 勇音の言葉に、卯の花が静かに頷く。

 天挺空羅(てんていくうら)は死神の鬼道であり、霊圧を通じて情報を伝えるというものだ。

 

『聞こえるかい? 侵入者諸君。これより我々は、現世へと侵攻を開始する』

「ええ!?」

 

 思わず花太郎が声を上げた。

 たしか情報では、井上織姫の能力で崩玉を覚醒させるまで侵攻はないと聞いていた。

 

『井上織姫は第五の塔に置いておく。助けたければ奪い返しに来るがいい。彼女は最早、用済みだ』

 

 藍染の声だけが淡々と続く。

 

『彼女の能力は素晴らしい。“事象の拒絶”は人間に許された能力の領域を遥かに凌駕するチカラだ。尸魂界(ソウル・ソサエティ)上層部はその能力の重要性を理解していた。だからこそ、彼女の拉致は尸魂界(ソウル・ソサエティ)に危機感を抱かせ、現世ではなく尸魂界(ソウル・ソサエティ)の守りを堅めさせる手段たり得た』

 

 そして藍染は織姫が、死神代行の黒崎一護を含む旅禍を虚圏(ウェコムンド)におびき寄せる餌となり、更にはそれに加勢した四人もの隊長を虚圏(ウェコムンド)に幽閉することにも成功したと語る。

 最後の意味がわからなかった花太郎だが、空間を探査した勇音の言葉に嫌でも理解しなければならない。

 

「ーー! 我々の通って来た四本の黒腔(ガルガンダ)が、すべて、閉鎖されました!」

「こ、こっちからは開けないんですか!?」

「不可能です」

 

 花太郎の言葉に卯ノ花が答える。

 

「現在、黒腔(ガルガンダ)の構造を解析できたのは浦原喜助ただ一人。こちらから彼に通信する手段がないかぎり、再び開くことはできないでしょう」

「その、通信手段というのは……?」

「ありません」

 

 信頼できる隊長だからこそ、その返答は無慈悲なものだった。

 

『そして現段階において、私の声が聞こえている者はどれほどいるか。半減しているのは、尸魂界(ソウル・ソサエティ)の戦力だけではない。足掻くといい。“彼女”の牙は、君たちをも容易く喰い破る』

 

 それを最後に、藍染からの声は途絶えた。

 花太郎は慌てる。慌てふためくことしかできない。

 

「たっ、大変ですよ隊長! どうするんですか!?」

「現世に関しては、すでに準備を終えている頃でしょう」

「準備……?」

「あなたは知らなくていいことです。言ったところで、理解はできないでしょうから」

「そうですか! ……あれ?」

 

 さりげなく卯ノ花の毒舌を貰った気がするが、すでに彼女は花太郎から背を向けていた。

 

「花太郎、まだ探し終えていない場所というのは?」

「え、えっと、あとはあっちの方角です」

「すぐに朽木隊長と合流しましょう。先の話に出ていた“彼女”という言葉にも懸念がありますし、これ以上戦力を分散させて各個撃破されては損害は大きなものとなります。私たちにできることは、限られた行動のなかで最善のものを選ぶことです」

「はい!」

 

 勇音と共に返事をした花太郎は、二人の女性を先導してまだ探していない方向へと駆け出す。

 そして最後に一度だけ、この巨大な建物が揺れる地震の原因があるであろう場所を見た。

 

 この原因であるあの壁の向こうでなにがあるのか、花太郎の想像では及びもつかない。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 それは本来ならば使えるはずがない技であった。

 ニルフィが模倣できるのは、あくまで極めた場合にのみ使用できるものだけ。白打、鬼道、歩法といった死神の技術も例外ではなく、少女はありとあらゆる技術をモノにした。

 だがしかし、努力の有無に関わらず再現できないものはニルフィにもある。

 それこそが他者固有の能力であり、技術次第ではどうにもならないチカラだった。

 

 『暴風男爵(ヒラルダ)』 双鳥脚(アベ・メジーソス)

 

 その中には、破面(アランカル)たちの帰刃(レスレクシオン)まで含まれているハズーーだった。

 

「チィッ!!」

 

 ヤミーは無数に叩き込まれる巨大な(くちばし)を交差させた腕で防ぎつつ、最初の一撃の単鳥嘴脚(エル・ウノ・ピコテアル)によって穿たれた腹から流れる血を筋肉を凝縮させることで止血する。

 ーーどういうコトだ、こりゃあ!?

 さほど記憶力に自信のないヤミーといえど、ニルフィが“103”の数字を持つ男の風を操る能力までも使うことはできないことを知っている。

 

 さらに言えば、ヤミーの鋼皮(イエロ)十刃(エスパーダ)でも指折りの硬さを誇り、だからこそ疑問が尽きない。

 瞬く間に(くちばし)がヤミーの腕を(ついば)む威力であることが、すでにおかしいのだ。

 『暴風男爵(ヒラルダ)』の持ち主であるドルドーニならばここまでヤミーに傷を付けられない。

 これはすでに、オリジナルを超えている(・・・・・・・・・・・)

 

 ヤミーが裂帛の声を上げ、盾にしていた両腕を一気に左右に振った。

 荒れる暴風。巻き上がる砂。視界を覆うそれらが消えると、ニルフィの姿も地上から消えていた。

 

 『車輪鉄燕(ゴロンドリーナ)』 断翼“散”(アラ・コルタドーラ“ディスペルシオン”)

 

 『空戦鷲(アギラ)』 餓翼連砲(デボラル・プルーマ)

 

 上空から、無数の羽が雨あられのごとくヤミーへと殺到する。

 今度は舌打ちする間も惜しみ、腕で顔を防御してその隙間から月を背後に佇むニルフィを見つけた。

 奇獣の腕が鳥類の翼に変化しており、そこから羽を矢のように一斉に放っている。

 

 “105”の数字を持つ十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の女と、バラガンの従属官(フラシオン)である男の刀剣解放の能力が合わさっているようで、鋼のように重い刃が振動しながらヤミーの肉をごっそりと削り取る。

 

「ン、のヤロオオオォォォォォオオオオ!!」

 

 巨体に似合わぬ速さで虚弾(バラ)を拳とともに放つ。放つ。放つ。羽とぶつかりあったヤミーの攻撃は徐々に押し上げていき、ついには彼を見下ろしていた少女をふき飛ばす。

 直後、ヤミーを囲うようにして桜の花びらのような刃が視界を掠めた。

 

 『千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)』 吭景(ごうけい)千本桜景厳(せんぼんざくらかげよし)

 

 十数億枚の刃がヤミーの巨体を球体上に包み、斬砕する。

 

「ーーッ!」

 

 全身から血を噴き出しながらもヤミーは膝をつくのを堪えた。

 

「……効かねえ、効かねえぜぇ。……そんなしょぼい攻撃じゃあよぉ、なあ、ニルフィ!」

 

 虚弾(バラ)でふき飛ばしたのは幻だったのは、いまだに無傷のまま立っている少女を見れば一目瞭然だ。

 ヤミーは口でこそ強がっているものの、実際には重体で、彼の体から溢れ出る血が赤い湖を作ろうとしているほどだった。

 しかし彼は守りきった。 

 自分の身を犠牲にしてまで、クッカプーロを守ったのだ。

 

「キャン! キャン!」

「チッ。……ウルセえぞクソ犬。ちょっと待ってろ、すぐにこのチビを大人しくさせてやっからよォ!」

 

 他の者であれば、ニルフィの使う能力について動揺したりでもするだろう。

 しかし彼女と戦っているのはヤミーだ。たとえどれほど奇妙なチカラを少女が持っていようが、彼にとってやるべきことは考えることではなく拳を振るうことだった。

 

 戦意を失うどころかヤミーはさらに(たけ)り、声を張る。

 

「どうしたよ、俺はまだ倒れてねえぞ! いまのオメエを見てると怒りが沸いて湧いて仕方ねえ! 加減できるうちに早いとこ終わらせねえとなぁ、ああ!?」

 

 両腕を固めてハンマーのようにするとヤミーがそれを思いっきり振り下ろす。

 直撃。

 込められていたエネルギーが解放され、砂が放射状に波打った。

 

 しかし腕が徐々に持ち上げられていく。下にいる奇獣がニルフィを守るようにヤミーの巨塔のような腕を防御し、さらには膂力の勝負に勝って押し上げていた。

 そこでヤミーが両腕についたピストンのような器官を作動させる。拳を打ち付けたまま更なる追撃を生み、空気の爆発する音を響かせた。結果はそれだけ。同威力の虚弾(バラ)を使ってニルフィが相殺したようだ。

 

 『憤獣(イーラ)

 

 奇獣の体が一瞬だけ膨れ上がると元に戻り、盛大な蒸気が立ち昇る。

 そして節くれた腕に力を込めるとーーヤミーの巨体が浮き上がり、ニルフィの背後に頭から叩きつけられた。

 起き上がりざまに黒い閃光がヤミーを飲み込む。

 

「が、あ……ッ。アアアアアアアァァァァァァ!!」

 

 ヤミーが愚直に拳を振るう。

 受け止められて虚閃(セロ)で顔を焼かれる。

 ヤミーが愚直に拳を振るう。

 霊子の刃で腕がなます切りにされた。

 ヤミーが愚直に拳を振るう。

 腹にできた巨大な穴から向こう側が見えるようになった。

 

 彼自身、何度拳を振り抜いたか数えることもできない。

 そのたびにヤミーの肉体がニルフィによって破壊されていき、血と肉で砂漠が赤く染まっていく。

 

 だがヤミーは倒れることだけは絶対にしなかった。

 

「……なんだよ、終わりかよ……ああ!?」

 

 攻撃の手を止めたニルフィにヤミーが血を吐き出しながら声を荒げた。

 

「俺はまだ、目も耳も手も足もちゃんとくっついてんだぜ! クソ犬も殺させねえ。オメエを黙らすまで倒れねえ。ーーおら、来いよ! いまの俺は手ごわいぜ!!」

 

 ヤミーはなぜ自分がここまでやっているのか、自分のことなのに理解できなかった。

 暴れるだけならばクッカプーロを見捨てればいいだけだ。いつも、いままでもそうしてきた。

 ハッキリとした理由まではわからない。怒りのままに行動していると、いつのまにか破壊だけしかない結果以外を求めていた。

 

 気に入らなかった。

 いつもいつも五月蝿いくらいに光を宿していた少女の瞳が、あそこまで人形然としていることに。そして大切だと公言して止まなかった仲間であるクッカプーロを、躊躇いなくこの戦いに巻き込むことにも。

 

 そしてニルフィは強い。ここまで本気のチカラを出しても、苛立たしいまでに届かない。

 『憤獣(イーラ)』の能力に任せて怒りを覚えて回復と強化を繰り返していきながらも、ただの一度も拳が届かない。

 ーーなにが自分は弱えだよ。

 出会った最初の頃から猫を被り、ずっとヤミーのことを下に見ていたのだろうか。

 

 ーーそりゃあ、違えか。

 ニルフィは悪意を持たなければロクに嘘をつかなければ、仲間の言葉ならばなにもかも信じてしまう。

 だから戦うこの時までは、ニルフィにとって十刃(エスパーダ)でもっとも強いのは公言しているヤミーにほかならなかった。

 ならば自分のほうが強いのだと証明せねばならない。

 そうしなければ、十刃(エスパーダ)最強であり続けることができないから。

 少女のために最強の称号を持ち続けなければいけないのだ。

 

 そして信じていた。

 たった一度だけでも届けば、こんなくだらない劇が終わるのだろうと。

 壊れ切った少女がもとに戻るのだろうと、なんの根拠もなく信じていた。

 

「だから俺がーーオメエを止めなきゃならねえんだよォ!!」

 

 右腕に込めるのは渾身の霊圧。

 無意識に放出されていく霊子が大気に風を生み、腕に台風の力そのものを凝縮させたような轟音を響かせる。

 振り抜かれる拳には予備動作とも呼べる間も存在せず、ヤミーの必殺の一撃は音速を突破した。

 ーー届く。

 誰が見てもそう予感させる拳撃は、

 

 『髑髏大帝(アロガンテ)』 衰滅空間(セネスセンシア)

 

 あらゆる事象や物体の劣化を促進さてそれらが接近する動きをスロー化させる、第2十刃(セグンダ・エスパーダ)バラガン・ルイゼンバーンの『老い』の能力によって止められた。

 

 『髑髏大帝(アロガンテ)』 死の息吹(レスピラ)

 

 奇獣の口から吐き出された触れたものを急速に朽ちさせる息が、ヤミーの右腕を一気に骨だけにする。咄嗟に動かした左腕も同様の末路を辿った。

 ヤミーの矛となり得る武器が、消えた。

 

 ーー俺は、俺、は……。

 まだ終わってない。まだ倒れるわけにはいかない。まだーーあの少女を助けられてないではないか。

 

「ク、ソ……」

 

 ヤミーが最後に見たのは、自分の眼前で紅蓮を身にまとったニルフィの姿だった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 地響きを立ててヤミーの巨体が崩れ落ちた。

 すぐそばの荒れた地面に降り立ったニルフィは首を真上にするほど見上げ、しばらくじっとそれを見つめていた。

 

 『喰虚(グロトネリア)

 

 それから視線をはずすと奇獣が全身の体積を膨らませ、巨大な肉塊じみた顎のようになると、ヤミーの遺骸を飲み込んでいく。茫洋(ぼうよう)とした表情のまま喰い始めようとするニルフィを止めるように、小さな小さな弱者の鳴き声がこだまする。

 

「キャンッ、キャンッ。キャウン!」

 

 ニルフィの近くまで駆け寄ってきたクッカプーロが威嚇するように吠える。

 やめろ、と。やめてくれ、と。

 ヤミーが最後の最後まで守ってくれたからだろう。あの激戦のなか、子犬のカラダには傷らしいものはひとつもついていなかった。

 

「…………」

 

 一瞬だけクッカプーロに視線を向けたニルフィだが、それを無視して奇獣に捕食をさせようとする。

 

「キャンッ、アウンッ! ……キャンッ」

 

 ガブリ、とクッカプーロがニルフィの脚に噛み付いた。

 

「…………」

「フーッ……、フーッ……」

 

 鋼皮(イエロ)を貫通するほどの力はなかった。それでも子供な無謀な行動を起こして大人に立ち向かうように、文字通り命を張って止めようとしていたのは確かだ。

 無表情のままニルフィが腕を掲げる。霊子が集まって刃を作り、あとは振り下ろすだけで子犬の首など容易く地面に転がるだろう。

 

「ーーーー」

「フーッ……、フーッ……」

 

 明確な死の匂いを感じながらもクッカプーロが牙を引く気配はない。

 ヒトががむしゃらに腕を振り回して最後の抵抗をするように、何度も顎に力を入れて、掴み取れるはずもない未来を手に入れようとしていた。

 

 振るおうか、振るまいか。

 ニルフィの腕は行くあてがなさそうに揺れ動き、

 

「ーーーー」

 

 途端に刃を消失させて細腕をただ下ろした。

 奇獣が元の姿に戻っていく。遺骸に新しい傷をつけることなく、クッカプーロを不思議そうに眺め回す。

 ニルフィが腰を曲げてぎこちない手つきでクッカプーロの頭を撫でると、口を離した子犬はさっきまでの威勢を消し、切なさそうに喉を鳴らし続ける。

 

 それを見たニルフィはよろめくように後ずさった。

 さらに頭痛を堪えるように頭の側面を抑えると、視界に映った異色のそれを触る。髪だ。髪がひと房だけ、濡れ羽色から色素が抜け落ちたかのように白くなっていることに気づいた。

 

「ーーーー」

 

 最後に一度だけクッカプーロを見下ろす。

 子犬はニルフィの目をじっと見据えていた。

 ニルフィは逃げるようにして、その場から姿を消す。

 

 

 十刃(エスパーダ)、残り六名。

 

 




RoNRoNさんからイラストをいただきました。ニルフィ帰刃(レスレクシオン)ver.ですね。


【挿絵表示】


まさにダーク系ヒロイン☆ 構想していたものがそのままイラストになったみたいで、考えた側としては非常に嬉しいですね。



作者「あの、原作主人公さん……。えっと、君のDEBANは、その、あと数話なかったり……」
苺「」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂嵐の前の静けさ

 いまでも覚えている、死神との戦いが始まるよりも以前の記憶。

 

 リリネットはニルフィに膝枕しながら久しぶりに目にする、星ひとつない夜空を見上げていた。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の屋上、その物陰に彼女たちはいたのだ。

 というのも、最近はニルフィの追っかけがなぜか多く、気が落ち着かないという理由でニルフィがここまでリリネットを連れてきた。追っかけの破面(アランカル)たちは今頃、ニルフィの生み出した高速で動き回る偽物を息も絶え絶えに駆け回ってることだろう。

 誰も屋上にはやって来ない。

 それもそのはずで、虚夜宮(ラス・ノーチェス)にいる期間よりも砂漠の下で過ごすことが多かった破面(アランカル)たちだ。室内よりも外の光景に見飽きた彼らが、わざわざこんな場所に姿を現すはずもなかった。

 

 まあ、黒髪の少女は遊び続けているうちに睡魔に負けてしまい、ここ一時間ほどずっと寝こけていたのだが。

 リリネットがニルフィの白い頬を突っつくと、上質な絹で作られた布でさえボロに思えるほど肌触りがよく、やみつきになりそうなほどぷにぷに柔らかなそれに心を奪われそうになる。

 髪だってそうだ。自慢してるだけに手入れも凝っていて、なにやら甘い香りのする一本一本がさらさらと手の中からこぼれ落ちる。

 リリネットなんかよりもよっぽど女の子らしいだろう。

 それはいい、それはいいのだが、さっきからずっと頭に浮かんでくる邪な想いがニルフィに対してひどく後ろめたかった。

 

「ん……」

「あ、起きた?」

 

 目をこすりながら唸るニルフィに言葉を掛けると、すぐに彼女は二度寝しようと頭を落とす。

 

「ほら、また寝るなって。そろそろあたし、足が痺れてきたんだけど」

「むう」

「むうじゃなくって」

「ふぎゅう……」

 

 不機嫌そうに唇を尖らせたニルフィがふらりと起き上がる。

 そのまま立ってくれると嬉しいのだが、ニルフィは滑るような身のこなしでリリネットの背に回り込むと柔らかくしな垂れかかり、相手の体を抱きしめ、リリネットの右肩に顎を乗せる。

 

 膝枕じゃなければいいのだろう。

 そう言いたげにするニルフィを引き剥がせない時点で、リリネットは負けてしまっている。

 ニルフィがリリネットの髪に顔をうずめてひとしきりじゃれつくのも、くすぐったいのを我慢して好きにさせてるのが良い証拠だ。

 

 しばらく無言の時間が過ぎた。

 ニルフィがリリネットの手に上から重ね、指をそれぞれ絡めてから動きを止めてしまった。果たして寝てしまったのかと思うものの、まあそれもいいかと内心でため息をつく。

 夜風以外には少女たちのかすかな呼吸の音が耳に入るくらいで、密室とはまた別の静けさのなかに身を任せる。

 いつまでも続けばいい。そう思わせるくらいには気持ちの良い場所だった。

 

「私って、どれくらい寝てたのかな?」

「一時間くらい。いつもより短いじゃん」

「まあ、長くてもその間はずっとリリネットが膝枕してくれてたんだろうけど。ああ、起きないでキミの膝枕で寝てればよかったなあ」

 

 無造作に、ニルフィの白魚のような指がリリネットの(もも)を撫でた。

 こんなことはニルフィにとってただのスキンシップだ。

 

 しかしリリネットは思わず横目で相手の顔に視線を向け、ニルフィが純粋に不思議そうな顔をしているのを見ると、恥じ入るようにすぐに目を背けた。

 速く鼓動を刻む自分の心臓に気づかれはしないかと、頬に差す朱を見られたくなかったから。

 

「けど、私もあんまり寝てられないんだよね。……死神さんたちとの戦争が、近いから」

「不安?」

「リリネットは?」

「まあ、あたしは……ちょっと、不安だけど」

「うーん、そうだね。でも大丈夫。私がみんなのことをゼッタイに守るから、ね」

「……十刃(エスパーダ)の他のやつらなら、大人しくニルフィに守られるとは思えないんだけど」

 

 むしろ、『お前は下がって見てろ』とでも言われるだろう。ものぐさなスタークでさえも仕方なく動きそうだ。

 そう考えながら気を紛らわそうとして、

 

「あはは、そうかもね。でもキミのことはちゃんと私が守ってあげる。だってキミは仲間で、それで大切なーー友達なんだもん」

 

 きっと、棘の付いた鉄球が胸に打ち込まれればこんな痛みと衝撃を受けるのだろうと思った。

 ーー友達……ね。

 その関係だけで以前までは満足できていたはずなのに、いつからだ? いつから自分は、親愛を寄せてくれるこの黒髪の少女に抱いてはいけない感情を持ってしまった?

 

 それから少しだけおかしくなりそうだった。

 弱いリリネットではニルフィの隣に立つことはできず、逆に隣に立てるであろうアネットにはどうしようもない(ひが)みを覚えてしまう。

 それが活発な少女のなかに一欠片の卑屈さが生まれてしまった。

 だが、

 

「けどさ……ニルフィ。もし、もしも、あたしがニルフィのそばに居られなくなったらーーんぅ!?」

「はぁ……。まったく、さ。たとえ話でもそんなこと言わないでよ」

 

 頬を膨らますニルフィが二本の指をリリネットの小さな口に突っ込んで無理やり口止めする。赤い舌を焦らすようにこねくりまわしながら、ニルフィがリリネットの耳元で囁いた。

 

「スタークさんだっているし、そうでなくても私がいる。キミが弱くても、ちゃんと守ってくれるヒトがいるんだよ。だから、ね?」

ふぁ()ふぁふぁひへっへ(はなしてって)! ふぁひゃっははら(わかったから)!」

「んー? なに言ってるのかわかんないなー」

ーーーーーー(わかってんだろ)!」

 

 側頭部をニルフィにぶつけて慌てて拘束を逃れる。背後を振り返りながらキッと睨みつけても、ニルフィは可愛らしく笑うだけだ。

 子供らしいだけのいつも浮かべる表情とは違う、リリネットだけに見せてくれる大人びたものだった。

 それを見るとリリネットは余計に辛くなってしまう。

 ニルフィはさっきの行為さえなんとも思っていないのに、リリネットだけは変な方向に意識してしまうのだから。

 自分の感情なんか知らずに揺るがすその笑顔が、今日はいつもより憎たらしかった。

 

「あはは、つまり、キミは居なくならないってことだね」

「なんかいい話で終わらそうとすんなって」

「うん。うん。そうだね。でもホントのことさ。キミに怪我をさせるヒトはゼッタイに許さないんだ。殺させるなんてもってのほかだよ? 頑張る。頑張るからさ。キミは私を受け入れてくれたんだもん。ゼッタイに……他のヤツになんか渡すもんか」

 

 うつむきがちに口にした最後の部分は掠れていて、なにを言ったのかリリネットには気付けなかった。

 しかしそれでも、ニルフィが他者に抱く感情は親愛だけなのは間違いない。けしてリリネットの抱くものと交錯することがないのが確かめられるたびに、心を押し殺すことも同じだけあった。

 

 理不尽にも、与えることしかしないニルフィから、本当に欲しいものを貰うことができないことに行くあてのない怒りを感じたこともある。

 なによりも、自分から欲しがろうとしないニルフィは見ていて痛々しかった。

 

「……ニルフィってさ、いつも他のヤツのためにしか動かないじゃん」

「あはは、まあね。それが一番、私のためでもあるからさ」

「本当に? ほら、なんかもっと欲しいものとかってないの?」

「ううん、ないよ」

「……本当に?」

 

 重ねて訊くと空気が変わる。

 真顔になったニルフィがリリネットの伸ばしていた脚をまたぐようにして前に出ると、鼻先が掠るような距離から湿り気を帯びた声で言った。

 

「ーーキミのことがね、全部欲しいかな」

「…………」

 

 数秒の沈黙のあと、ニルフィがちろりと舌を出して苦笑する。

 

「……あはは、なんてね。冗談だよ、冗談。うん、欲を出して言うならさ、おいしいお菓子を食べたいとか、寝る時間がいっぱい欲しいとかでーー」

「い、いいよ」

「……え?」

「あたしでいいなら、いいって言ってんの」

 

 目を逸らしながら搾り出すようにそう言うと、ニルフィが苦笑を深めた。

 

「あはは、だから冗談だってば」

「冗談って顔、してなかったじゃん」

「ーーーー」

 

 今度こそニルフィは口を閉じた。

 

 リリネットは知っている、この少女が本当は支配欲や独占欲の塊だということを。一緒に過ごす時間が増えるうちに気づいてしまった。ニルフィは普段からそれらを押し殺しながら他人と接していることに。

 彼女が仲間たちの関心以外には求めることがないことも、それがいつも暴走の引き金となっている。

 

「リリネットは、それ、仲間だから言ってるの?」

「ちがう、と思う。あたしは、あたしとして……その、言ったんだけど」

 

 辛そうで、焦がれるような色を持った金色の瞳が視界いっぱいに広がった。

 

「あ、あはは。……困るなぁ、そういうの。私だって我慢、してるんだよ? それに、ほら、キミに必要以上に求めちゃうとキミが傷つくかもしれないし、ね。それは私が望むことじゃないんだ」

「それで、ニルフィが楽になるなら……」

「……ホントに、いいの? キミは傷ついたりしない? こういうのってホントはすごく大切なことで、後悔なんてされたら私、どうしたらいいかわかんなくなっちゃうから、ね」

 

 小さく、たしかにリリネットが頷いた。

 口約束の同意。

 それがニルフィの意識の首輪を外す。

 

「そっか……。そうなんだ」

 

 この時間がどれほど長く続くかわからない焦燥が、二人の少女の胸で燃えている。

 

「全部、ちょうだい?」

 

 ニルフィがそのままリリネットの頭を掻き抱き、返事を待つこともせずに唇を奪う。

 

「ッ、ぁ……むん」

 

 奥に隠していた舌を恐る恐るニルフィに近づけると、すぐに絡め取られてしまった。

 散々弄ばれて敏感になっていたらしく、舌が溶かされてしまうような感覚とともに、リリネットが呼吸を整える暇も与えられずに蹂躙される。

 いままでは多少なりともリリネットへの優しさが混じっていたが、いまはただ、暴力的に彼女を求めてくる。

 

 リリネットは自分が押し倒されていたことにすぐには気付かなかった。

 それを知ったのは腰を浮かせようにも黒髪の少女にのしかかられ、脚もいつぞやのように絡められてるせいで、発散できない快楽が重く腹に残り始めた頃だ。

 背中のぞくぞくとした震えがさっきから止まらない。

 

「ふぁ、……ぁ、ぁう……っ、や、ぁ……っ」

 

 ニルフィを押し返そうとした腕も逆に押さえつけられ、力を失ったまま痙攣を続けるだけだ。

 その貪る、といった表現が似合うようなニルフィの責め立てに、理性の枷が無残に破壊されていく。

 リリネットの体のラインをなぞるように蠢く細指。互いのむき出しのお腹が触れ合い、異なる体温が感じられるだけで高まる興奮。弄ばれる舌のみならず、それらのせいでどこを刺激されて甘い悲鳴を上げてるのかさえわからない。

 

「は、ぅ……ッ。あ、ぁあ……!」

「はぁっ、はぁっ……。ん! ……っく、はぁっ、あ、んむ……!」

 

 リリネットの口の端からはどちらのとも知れぬ唾液が絶え間なく溢れ出し、ニルフィの舌がそれをぐちゃぐちゃにリリネットの口腔をかき回す。

 リリネットが拙く舌を動かすと、嬉しそうに目を細めるニルフィが優しくそれに応える。抑えることを忘れてしまったように少女たちの甘い声が暗闇に反響した。

 

 さらに幼い体に強引に女としての快楽を叩き込まれたことで、リリネットの視界が一瞬にして白く染まった。

 ようやく解放された時には、荒い息で激しく胸を上下させていた。

 

「あはっ」

 

 ニルフィが子供らしからぬ妖艶な笑みを浮かべたのが、薄く涙の滲んだ視界からでもわかった。

 二人は強く抱き合ったまま、お互いの熱い吐息を味わうようにして見つめ合いながら動こうとしなかった。

 

 しかしすぐに、衝動のままにもう一度、薄桃色の唇を交える。淫らな水音が静寂に響く。

 この時間が終わってしまうのが嫌だった。ここで終わってしまえば、また不安が顔を出してしまう。

 だから二人は怖さと情欲に突き動かされて獣のようにまぐわった。

 

 交錯することのない想いだと、もやの掛かった思考のなかでリリネットが考える。

 そして自分はずるいと思った。

 仮初(かりそめ)の愛情が欲しかったために、あくまで対等な立場からニルフィの心と体を求めている。それはニルフィも同じなのだと勝手な言い訳が自己嫌悪を加速させる。

 こんなことをし続けても自分たちの関係は友達のまま。

 それだけがどうしようもなく悲しくて、ニルフィとの関係を繋ぐ鎖であることを考えると、何にも変えることのできないものなのだと知ってしまう。

 

 キスだけで満足できなくなったらしいニルフィが銀色の糸を口に引きながら、抱き起こしたリリネットの首元に軽くーー噛み付く。

 

「に、ニルフィ……? 待っーーひぃ!」

 

 上ずった声でリリネットが悲鳴を上げる。

 ニルフィは答えず、荒い息だけを繰り返して、噛み付いたリリネットの首筋に舌を這わせた。

 

「あ、ぁっ……、ま、待って……っ。ニルフィ……!」

 

 歯を立て、舌を動かし、わざと痕が残るように吸って、リリネットが自分のモノであることを刻み付けるようにする。

 濡れた唾液が胸元に落ちる頃には、リリネットは静止の言葉の代わりに熱い吐息を繰り返していた。

 ぞわぞわとした快楽が這い上がり、視界は中空を彷徨う。

 だらしのなくなった自分の表情さえ取り繕う余力も残されていない。

 

「あっ、あ、あっ! はぁっ、あぁっ、あ……ッ!」

「んっ……リリネット……」

 

 ふいに、ニルフィが拘束を解いた。掴んでいた手が背に回って抱きしめられ、リリネットも無意識に彼女に抱きつく。

 包まれる安心感を得て、リリネットは快楽へ抵抗する術を放棄した。

 

 耳元にかかる吐息とともに聞こえる、愛してしまった少女の声。

 息を荒げてこそいるものの、いまこの状況とは不釣り合いなほどその声は落ち着いていて。

 

「ずっと一緒だよ。リリネット」

「……うん」

 

 ニルフィが満足そうに微笑むと、撫でるように手をリリネットの服の中に滑り込ませた。

 それ以上、言葉は必要なかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「どうした、リリネット」

 

 スタークが振り返ると、いましがた閉じた黒腔(ガルガンダ)のあった空間を見つめる少女の背中が見えた。

 現世へと向かうために黒腔(ガルガンダ)内を通ることになり、二人はそのなかで霊子の足場を作って立っている。

 

「スターク、あのさ。これで本当によかったのかな? あたし、あたしは……ッ」

 

 男を見上げる少女の目は、いまにも泣き出しそうなほど弱々しくて。

 

「……さあな。わかんねえよ」

 

 スタークにはそれを止めてやることができず、彼自身も困ったように眉を寄せる。

 アネットとグリーゼが(たお)れ、ヤミーも沈められた直後、スタークを含めた上位十刃(エスパーダ)たちが黒腔(ガルガンダ)のなかへと踏み込んだ。

 あの時点でどうすれば良かったのか。

 

 元凶であろう少し先を進む藍染を横目で見るものの、スターク自身、恩と感情の間で揺れ動く。 

 自分たち全員が動いても藍染がなにかしらの策で止めていただろう。そして藍染がスタークたちに語ったことがきっかけで、仕方なく手のひらの上で踊らされるしかない。

 

 ーーバラガンはこのままじゃ終わらねえだろうけどな。

 横目で大帝の後ろ姿を確認し、そしてこんな状況でも他力本願な自分が情けない。

 

『そんなのは私が嫌だ。だったらもっと力をつけて、頭もよくなって、解決できるようになんだってする。見てるだけなんて、耐えられない』

 

 最初にニルフィと出会ったときの言葉が頭を掠める。

 スタークは羨ましく思った。

 自分もこんなことを恥ずかしげもなく言えるようになりたいという、子供がヒーローを将来の夢にあげるような、そんな青臭い理想を抱くには十分な理由だった。

 

 

 ーーいや、違うか。

 羨ましがるのではなく、自分がそのヒーローのようにならなければならないのか。

 

 

 仮に運命と名付けるのならば、それに抵抗せずに流されるままに今までならば生きてきた。それにリリネットも巻き込んでいたが、彼女もそれに異論はないと思っていたからだ。

 しかしいま、リリネットが抗おうという意思を見せている。

 自分の半身でさえ、それを抱くことができていたのだ。

 

 わずかに口の端が吊り上がっていることを自覚した。

 それは自分を自嘲でもするためなのか、それとも仕方ないという呆れなのか。

 

「…………」

 

 少しだけ乱暴にリリネットの頭に手を乗せて、ぐりぐりと動かした。

 

「な、なにすんだよ!?」

「……いや、ちょっとな。俺も、お前らみたいになりてえなんて、らしくもないこと考えてたみたいだ」

 

 髪を掻き揚げるふりをして顔を隠し、邪魔くさい感情をため息とともに吐き出す。

 

 

「ーー()くか、ぼちぼちな」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 ハリベルは自分のうしろをついてくる、いつになく静かな従属官(フラシオン)たちの心情を痛いほど理解していた。

 

「お前たち。そんな心持ちでは勝てる戦いにも勝てないぞ」

「そっ、そりゃそうですけど!」

 

 我慢できなくなったようにアパッチが食い下がる。

 

「ハリベル様はいいんですか!? あのチビがどうなってるか、ハリベル様が一番よくわかってるはずだってのに……」

「やめな、アパッチ」

「ミラ・ローズ! お前のことは気に食わねえけど、お前もいまのあたしと同じなんだろ。これでいいなんて、お前はゼッテーそう思ってねえ!」

「アパッチ!」

「ーーいや、いいんだ」

 

 ハリベルが静かに二人を制した。

 

「私も、よくわかっている。その上で私はここに来たということだ」

「…………」

 

 バツが悪そうに俯くアパッチをハリベルは内心で羨ましく思う。

 良くも悪くも実直な彼女のように動くことができたなら、ハリベルとしてもきっと楽だっただろう。しかしハリベルは三人の従属官(フラシオン)を抱える主人であり、短絡的な行動はできなかった。

 むしろ死神との戦いで重体となったニルフィの元に駆けつけることも、かなりのグレーな行いだった。

 あれ以上、下手に動けば逆にニルフィの身の危険を増やすことになりかねない。

 

 藍染は語った。

 ニルフィはきっと、現世に向かうことになるだろうと。

 

 少女の刀剣解放がかなり不安定な状態だということに気づいていた十刃(エスパーダ)たち。

 もしニルフィがあのまま死神たちの総力にぶつかれば、どうなるのかがわからない。

 ヤミーまでも倒されたいま、殺すならともかく虚圏(ウェコムンド)でニルフィを止めることのほうが難しいと判断し、露払いのように駆り出されたわけだ。

 

 ーーそれにしても、変わったな。

 部下の三人娘は当初こそニルフィのことを認めていなかったが、力を認め合うにつれて同性の破面(アランカル)ということですっかり打ち解けた。

 むしろ心の底からニルフィの身を案じるほどに。

 身内以外に好感情を持つことがなかった彼女たちがだ。

 

 かつて藍染に助けられたからといって、アパッチたちはハリベルに付いてきたようなもので、忠誠心も藍染にはさほど向いていない。

 かといって、ハリベルが恩だけで現世侵攻に手を貸しているということもなく、ニルフィが餌に使われていることを快く思っていなかった。

 

 だからといって言い訳にしかならないことは、ハリベルが誰よりも理解していた。

 本当の正解ならば、すべてを投げ出して少女を助けに行くことだろう。

 

 口元を隠したまま黙っていたスンスンが、一歩前に踏み出た。

 

「ですが、このまま流されるままに、というわけではないのでしょう?」

「ああ」

 

 場合によっては、剣を向ける相手を変える必要がある。

 ハリベルは鋭い眼差しを藍染に向けた。

 

「……私にできること、か」

 

 十刃(エスパーダ)のなかでニルフィと手合わせした数は一番多い。

 それだけの間一緒にいるとニルフィが雛鳥のようにハリベルのあとを付いてきて、アネットがヤキモチを焼いていたことに苦笑していた記憶がある。

 妹分のような少女との、取り戻せなくなりつつある日常。

 悪意のせいで壊れてしまった少女の心。

 

 

 だからといって、何度もニルフィが傷ついていい理由にはならないではないか。

 

 

 自分の身を犠牲にする覚悟を胸に秘め、ハリベルが前を見据える。

 

 

「ーー()くぞ、彼女のためにも」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 バラガンは配下の作った霊子の道を歩きながら、手の中の紙細工とも呼べぬそれを見続けていた。

 銀色の折り紙を使った平べったい花だ。特別な手法も必要なく、子供でさえ手順を踏めば誰だって作れる、一見大帝には似つかわしくない代物だった。

 

 花はニルフィが折ったものだ。

 

 かつてバラガンが戯れにやらせたことのひとつで、自分の目に適うものを持って来いということを少女に言い渡していたはずだ。

 再び彼女がやって来るまで、なにを献上されるのか考えたものだ。

 きらびやかな宝石か。精緻な細工の金属器か。たとえ持ってこれなくとも、少女の優れた容姿だけで十分だと言うつもりであった。

 

 そして少女が手に握ってきたのが、この銅貨一枚にもなりそうもない折り紙だった。

 なぜ花なのかと問えば、綺麗だからとすぐに答えが返ってきた。宝石などよりも彼女の目には、現世ではそこらでいくらでも咲いている一輪の花だけでも美しいものに見えたらしい。

 

『花、か』

『うん。ホントはアイスの花なんて作りたかったんだけど、アイスの実からだと育たなかったんだ……。けどね、どうしても花を渡したかったから、すぐに枯れたりしないそれを持ってきたんだ!』

『……たとえ(わし)が力を使わなくとも、いずれ紙でできた花さえも朽ちて消える。そうなれば、どうするつもりだ?』

 

 意地の悪い質問だった。

 たとえ金属のものであろうとも、千年もすれば朽ちて風化する。それは紙ならばもとよりのことだ。

 しかし。いや、だからこそか。

 次の言葉で、少女はそれを知っていて銀色の花をバラガンに渡したのかもしれないと思った。

 

『ーーじゃあ、また作ってあげる!』

『なんじゃと?』

『また作ってあげるんだ、キミの手の中の花が消えちゃったら。何度でも、何度でもまた私が作ってあげる。そうすればずっと、花が無くなることはないから、ね』

 

 それを思い出し、バラガンはフ……と笑う。

 

「陛下、いかがなさいましたか?」

「ああ。ちと、小娘のことをな」

 

 控えていたフィンドールにそう返し、自分を囲むようにして歩く従属官(フラシオン)たちのことを考える。

 

 何度も従者たちの世代が変わってきた。

 ここにいる者たちは最も若く、出会ったばかりの頃などひよっ子もいいところだった。

 殉職して去る者は弱いからだと結論づけながら、気づけば虚圏(ウェコムンド)を統一する以前のメンバーなど周囲から居なくなっていて、いつも最後に残るのはバラガンだけだ。

 

 そしてフィンドールたちも、バラガンより先に死を迎えるのではないかと思うときがある。

 いままでは、そうだった。

 けれどそれは、いまは違うということだ。

 彼らもまた、色は違えどそれぞれ折り紙の花が渡されているから。それが無くなればまた、何度でも少女が花を作ってくれると約束したそれを。

 

 折り紙の花を(しわ)にならないようにそっと懐に仕舞い、配下たちに喝を入れる。

 

「なんじゃ、貴様ら。その腑抜けた顔は」

 

 少女と戦わせて少しは面構えがマシになったかと思ったが、そうでもないらしい。

 仕方ないという思いを押し込めるのは、あくまで傲慢な主人として振舞うためだ。

 

「ーー言え! 貴様らは誰の部下だ!」

「ハッ! 我々は“大帝”バラガン・ルイゼンバーン陛下の従属官(フラシオン)! あらゆる敵を討ち滅ぼし、必ず陛下の歩む道を敵の血で染めてみせます!」

「フン、命令するまでもないことじゃな」

 

 一糸乱れぬ従者たちの宣言に頷きつつも、今度は落ち着いた声音で言い聞かせる。

 

 

「ならば、我が名のもとに命じる。ーーこの戦いが終われば、必ず儂のもとに帰ってこい」

 

 

 従者たちの目を見開く気配。

 それを努めて無視して、あえて傲慢に吐き捨てる。

 

「よもや貴様ら、小娘のお守りを儂にさせるつもりではあるまいな?」

 

 膝をついて彼らが声を張り上げて返事をする姿に、ようやくバラガンは満足そうに頷いた。

 そして死神の背を睥睨し、言った。

 

 

「ーー()くぞ、終わらせに」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 十刃(エスパーダ)上位三名、及びその従属官(フラシオン)十名ーー出陣。

 

 




 ニート狼さん、胸の付いたイケメンさん、チート爺ちゃんたちが覚醒しました。
 破面(アランカル)さんたちの戦闘能力の推移。

 原作・通常モード

 死神さんたちが虚圏(ウェコムンド)突入時・界王拳3倍レベル

 現在・界王拳20倍レベル ←New!

 攻略難易度が以前言ったときのルナティックで最高だと、いつから錯覚していた?

 
 ーーーーーーーーーー


 裏側の世界


作者(以下“作”)「チッ、……見つかったか」
都条例(以下“都”)「なぜ我々がここにやって来たのか、言わなくとも分かっているな? 生死は問わないと、上から伝えられてるのでね」
作「ハッ、そりゃあな」
都「……言い残すことはあるか?」
作「背負っちまってた。ただ、それだけなんだ」
都「なに?」
作「期待とか、そういうのを。この肩にいくつも背負ってたんだよ。だから俺には、たとえここで果てようとも果たすべき義務があった」
都「世迷いごとを。これから貴様は闇に葬られる運命なんだぞ」
作「笑わせんな。闇ってのは、希望の光で簡単に晴れちまうのさ。朝日が夜を、終わらせるみたいにな」
都「ーーほざけ」
作「来いよてめえら! 深夜の(スーパーハイ)テンションの俺を倒せるってンなら、仕事はすぐに終わるんだぜ。まァ、無理だと思うけどなァアアアアアアア!!」



 ーーこれが(のち)聖戦(ジハード)である。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

無貌姫

総合評価ポイントが、ついに5000ptを超えさせて頂きました。
ここまでの大台に来るとは、当初は想像もしておりませんでした。
評価、お気に入り登録をして下さった皆様に、感謝を申し上げます。

それと投稿開始から一年経ってますね。ユニバーサリィッ(言ってみたかっただけ)


 虚夜宮(ラス・ノーチェス)内の塔のひとつの屋上に、その女はいた。

 ロカ・パラミア。

 彼女の周囲には目に見えぬほど細い糸が漂っており、それらは虚夜宮(ラス・ノーチェス)のどことも知れぬ場所へと伸びているようだった。

 

 この糸は反膜(ネガシオン)を変化させたものであり、『あらゆる物質と繋がり、霊力や情報を共有する』特性を持つ。

 どう考えても雑用係の破面(アランカル)としては破格の能力であるが、それはロカの生い立ちも関係していた。

 

 元々ロカは無数の魂魄を人為的に寄り合わせ、人工的に大虚(メノス)を造り上げるザエルアポロの実験台として生み出され、崩玉によって破面(アランカル)化する前は、純白の蜘蛛状の中級大虚(アジューカス)だった。

 その糸もまた、ザエルアポロの完全なる命の研究の副産物であり、糸の霊子供給を止める事で姿を消す事を始め、様々な特殊能力を発動することが出来た。

 もちろん、霊力や情報を共有するという方法での情報収集もだ。

 

 そしてロカが調べていたのは、ニルフィの帰刃(レスレクシオン)無貌幻魔(イルシオン)』についてだった。

 ザエルアポロの集めた資料があれば最初からそんなことをしなくても良かったのだが、集められた資料室は何者かに荒らされており、ニルフィの根本に関するものが抜き取られていたのだ。

 

 悔やんだところで仕方がない。

 突き動かされるように、ロカは情報を構築させていく。

 もし主人であったザエルアポロがいれば、調べたからといってどうなるとでも言っただろう。しかしロカは糸の操作を止めない。自分になにが出来るわけでもないが、情報が少しでもあれば、暴走状態のニルフィを止める手段が見つかるかもしれないからだ。

 

 ーーおかしい。 

 ロカは形の良い眉を寄せる。

 彼女は『無貌幻魔(イルシオン)』の異質性に、誰よりも早く気が付いていた。

 

 たしかにあの刀剣解放の能力は、ニルフィが無解放状態では使えなかった他者の帰刃(レスレクシオン)の再現まで可能にしてみせた。

 

 そこまではいい。

 やろうと思えば、破面(アランカル)という括りではロカだけに限定されるが、同じようなことが出来る。

 いまだに手探りな状態ではあるが、反膜(ネガシオン)の糸の能力の一つに、共有した情報をコピーし再現するというものがある。本家には劣るとはいえ、コピー元の戦闘経験まで再現可能という代物だ。

 まあ、ニルフィにねだられて糸で色々なことをしているうちに、偶然発見したものである。

 使いようによっては非常に強力であるものの、使えるというだけで、ロカ自身に戦闘経験は無く、藍染さえも知らないために埋もれた価値ではあるのだが。

 

 ともかくロカは、ニルフィと同じように他者固有の能力を使うことができるのだ。

 しかし再現率はよくて八割まで。

 威力となれば低くなり、数となれば少なくなる。

 これは技術などの問題ではなく、死神や(ホロウ)の本質が関係している。

 いかにニルフィといえども、ただの観察眼でそれ以上の数値を叩きだすことはできないのである。

 

 しかし現実は違う。

 ヤミーとの戦いでは彼の『憤獣(イーラ)』をコピーし、力比べでも勝利している。

 ドルドーニの『暴風男爵(ヒラルダ)』や朽木白哉の『千本桜景厳』も、オリジナルのものより強力であった。

 

 たとえ藍染でも同じようなことは無理だろう。

 ゆえに、普通ではない。

 だからこそ、まっとうな方法で使っているのではないことが明白だ。

 

 そして『無貌幻魔(イルシオン)』のデータのダウンロードがほぼ完了する。

 感情の薄いはずの彼女は顔に驚愕を貼り付け、体を震わせる。

 

「これは、まさか……」

 

 すぐにニルフィを止めなければならない。

 前例があるだけに、あの刀剣解放は毒でもあった。

 

 認識同期(にんしきどうき)

 

 アーロニーロとは違い全破面(アランカル)に伝達することはできないが、ニルフィとの繋がりの深そうな人物たちに限定することで能力の詳細を送った。

 そこまでの権限はロカには無い。

 しかし気づけば体が動いていた。そんな状態だった。

 ーー私は、私は……。

 これで良かったのか? そう自問する。あくまで情報を渡しただけで、具体的な作戦など何もない。

 ニルフィを止めるもっとも簡単な方法は時間切れ(・・・・)であるが、それでは手遅れなのだ。

 ただロカは、自分に向けてくれる屈託のない少女の笑顔をもう一度見ることを夢見たのである。

 

「これで良かったのか? そう悩んでいるように見受けられるが」

 

 ロカが振り返る。

 ここまで運んできてくれた男が、整えた髭を携えた口元に優しげな笑みを浮かべていた。

 

「吾輩は良かったと思っているぞ。二の足を踏んでいた者にも、これで発破を掛けたことだろう。……無論、そこには吾輩も含まれるがね」

 

 冗談めかした口調。

 それが目の前の女性(ロカ)を安心させるためだとは、すぐにわかった。

 

「……ですが、私が送った情報には、誰かを無責任に死なせてしまう可能性があります。いえ、確実にあるのでしょう。それを、なにも出来ない私が……」

「それは違う」

 

 やんわりとロカの言葉が否定される。

 

虚夜宮(ラス・ノーチェス)には、どう贔屓目に見ようと、結局は己のためにしか動けぬ者しかおらんのだ。たとえロカ嬢が情報を伝えぬとも、動く者は動く。彼らにとって己の身を心配されるということは、それこそ耐えられることなのだよ」

 

 さて、と男が、ドルドーニがロカに背を向ける。

 行くのだろう。

 本当ならば、最初から駆け出したかったはずだ。

 それでもこうしてロカが役目を終えるまで、彼は待ってくれていた。ロカが同胞たちに情報を伝えるまで。

 

「物語の幕が閉じる頃には、涙を流す女性が一人も居ないのが吾輩の好みなのだ。そのためならば、吾輩は喜んで観客席から舞台に上がり、希望だろうとなんだろうと伝えてみせよう!」

 

 ドルドーニが屋上を駆け、巨塔から飛び降りた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 砂漠の番人であるルヌガンガという破面(アランカル)には、虚夜宮(ラス・ノーチェス)周辺における警備の他に、もうひとつの仕事を藍染から任せられていた。

 このルヌガンガの特徴を挙げるなら、全身が砂で出来ており、基本的に水以外の攻撃に無敵というものがある。

 その特性を生かし、とある十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)虚夜宮(ラス・ノーチェス)の一角に監禁していたのだ。

 しかしそのルヌガンガも、現在は一護たち死神がやって来たことによって倒されてしまい、いままさに監禁対象が解き放たれようとしていた。

 

 破面NO.102、ピカロ。

 百人以上の子供の破面(アランカル)から成る、類を見ない“群にして個”の集団である。

 

 彼らは大半が10歳前後の少年少女だが、なかには人型でない者や第9十刃(ヌベーノ・エスパーダ)アーロニーロのような頭部をした者、動物型の者も存在しており、その姿に統一性は無い。個体ごとに個別の意識を持ち意識の共有もしているが、全体の頭の中身は子供と変わらなかった。

 それゆえに団体行動のしづらさという点で十刃(エスパーダ)から落とされており、こうして地下深くの密室に閉じ込められているのだが。

 

「暇だねー、地震も無くなっちゃったし」 「わたしは静かでこっちのほうがいいなぁ」

  「お腹減ったよ」  「お菓子は?」    「もう無くなっちゃった……」

 「Qrrrrr……」  「お姉、ちゃん、こない」     「それよりなにして遊ぶ?」

「鬼ごっこ」  「それもう飽きたよ」  「つまんないな」

 

 ピカロ以外にはなにもない空間だ。

 いや、実際にはいくらかの遊具があったはずなのだが、彼ら子供特有の遠慮のない残虐さで破壊されてしまっていたというべきか。普通の破面(アランカル)でさえ彼らのオモチャになれば、壊れて動かなくなるまで遊び倒してしまう。

 

 しかしそんな時、ヘッドフォンをしている少年のピカロが急に顔を上げた。

 

「そういえば、ルヌガンガがどっか行っちゃったね」

 

 その言葉にすぐに反応するピカロたち。

 探査回路(ペスキス)を発動させると、周囲を常に流動しているはずの砂の動きが止まっていた。

 

「えっ、それって外に出られるの!?」  「でも藍染さまは出ちゃいけないって」 「べつにいいじゃん」

 「そうそう、ここに居るの飽きた」  「でたいっ、でたいっ」  「Qrrrrr!」  

「やだよ、砂まみれになっちゃう」 「僕は行く」   「わたしも!」 「デタ、いデタ、い」

 

 しばらく好き勝手に言い合うピカロたちであったが、次第に外に出るという意見でまとまり始めていた。

 そんな時だった。

 砂の硬化した壁から湧き水が溢れるように、砂の塊がドボリと吐き出されたのは。

 

「ーーーー?」

 

 それに全員が気づき、同じタイミングでそれを注視する。

 視線を集めながらスライムのように砂は形を変え、さらに人型を取り、数秒もすれば色もついて少女の姿を取った。

 

「ニルフィのお姉ちゃんだ!」

 

 すでにそこにあったのは泥人形ではなく、瑞々しい肌の少女となっていた。

 途端に、ワッとピカロたちが駆け寄る。

 彼らにとってニルフィという少女は、お菓子を与えてくれる、ほんのちょっとだけ年上のお姉さんだった。つまり“いいヒト”である。ピカロにとって“いいヒト”とそれが以外で世界が分かれており、その括りとなればニルフィは懐くのに十分な相手だった。

 

「すごい、すごい!」  「さっきのどうやったの!?」    「ルヌガンガみたいだった!」

  「お姉ちゃん、私、いい子にしてたっ」 「オカシ、オカシ」  「ねえ、すぐに遊ぼ!」

 「髪白いね」  「かっこいい!」  「またホロウ波を撃とうよ!」 「とにかく遊ぼう!」

 

 服装もいつものものと違う。

 表情が抜け落ちている。

 さらにはニルフィの異様な現れ方にもさほど頓着せず、飼い主が現れたような子犬のようにピカロが黒髪の少女に群がった。

 いつもなら、お姉ちゃんと呼ばれたニルフィは得意げな顔で無い胸を反らし、大人たちから見れば微笑ましいレベルでお姉さんぶるのが普通だったのだ。

 しかし、この時は違ったというだけで。

 

「……あれ?」

 

 ピカロの一人が、ポルターガイスト現象に遭ったように宙に持ち上がる。

 ニルフィの背後の空間にノイズが奔り、ピカロを掴んだ痩躯の奇獣の姿があらわになった。

 

「あっ」

 

 誰が漏らしたのか。

 呆けた声が響いた時には、掴まれていた一人が無造作に奇獣の巨大化した口に放り込まれていた。

 

 すぐに飲み込まれて消えてしまうピカロの一人。

 なかば呆然としていたピカロが我に返り、顔に浮かべたのはーー笑顔。

 

「そっか、そういう遊びかぁ!」

 

 仲間の一人が喰われたことに対する怒りは一欠片もない。

 そして疑問も。

 もともと、ピカロはこのような破面(アランカル)であった。鬼ごっこも、隠れんぼも、おママゴトも、そして戦いさえもピカロにとっては遊びだった。

 

「うん、お姉ちゃんとはいつも鬼ごっことかしかやらないもんね! わかった! いっぱい、いっぱい、ーー遊んでよ!」

 

 事情も知らない。 

 しかし目を輝かせる彼らにとって、自分の致命傷までも面白いものでしかない。

 ピカロたちは斬魄刀を抜き、己の纏う空気をわずかに塗り替えた。

 

「お姉ちゃん相手だと、全力じゃなきゃ、ね?」

 

 命のやり取りを遊びとして捉え、出し惜しみをすることもなくピカロたちが帰刃(レスレクシオン)の解号を口にする。

 

 

「遊べ……」  「遊べ」   「遊べ!」  「あそ……べ……」

 

 「アソベ」   「遊べ」    「遊べッ」 「遊べ」

 

「あっそべーッ!」    「遊べ」   「あ、あそ、べ?」

 

   「遊べ」  「遊べ!」     「遊べ……」   「Aassobbee……」

 

 

 複数の子供たちが、一斉に口を開く。調子こそ違うものの、誰もが同じく“遊べ”という単語を口にしていた。

 だが、その後に紡がれた単語は、口調もタイミングも完璧に一致しており、まるで周囲の空間そのものが声を上げたかのようだった。

 

 

「「「「「「「「ーー『戯擬軍翅(ランゴスタ・ミグラトリア)』!!」」」」」」」」

 

 

 周囲に、冷たい風が吹き荒ぶ。

 それはニルフィの肩ほどまでの髪をバタつかせ、散らばった遊具の破片を巻き込みながら、風が密室に充満する。

 

 風切り音を響かせて、一斉にピカロたちの外見がわずかずつ変化しーー背中から、バッタやコオロギ、トンボを連想させる半透明の翅が生えた。

 外見そのものが別人に見えるというほどの変化ではないが、一人一人の霊圧が、先刻とは比べ物にならないほど上昇している。

 そして、巻き起こる風に乗って、奇獣が次々とピカロたちを喰らっていくなかで、子供型破面(アランカル)は部屋の各所に飛び広がった。

 

 さらに間を置かず、いくつもの虚閃(セロ)虚弾(バラ)をニルフィへと撃ち放つ。

 だが、ニルフィがノーモーションで霊子の砲台を作り出すのも同時だった。

 

 重光虚閃軍(セロ・インフィニート)

 

 圧倒的な閃光が周囲を薙ぎ払った。

 余波によって部屋が崩壊してき、穴という穴から砂が溢れ出してくる。

 それを嫌い、ニルフィが部屋の中央に降り立った時だ。

 

「ーーーー」

 

 ピッ、と彼女の周囲の地面に切れ込みが入る。

 それは絶え間なく数を増やし、さながらカマイタチが踊り狂うようだった。

 

「お姉ちゃん、まーだだよ!」

 

 ニルフィの虚閃(セロ)を受け、片腕を消滅させたピカロの一人が笑う。

 いや、一人だけではない。喰われた者を除き、たとえ致命傷を受けていようとピカロたちが笑い続ける。そこに恐怖が無いのは、彼らにとって戦いとはどこまでも遊びでしかないからだ。

 

 ピカロたちの翅から生まれる特殊な音波。

 それが攻撃に変換され、さらに最大威力を発揮できる位置関係が偶然にも果たされる。

 威力に換算するならば、それは朽木白哉の卍解『千本桜景厳』と同等であった。

 

 もはや視認できる風の刃がニルフィの矮躯を包み、圧倒的な破壊力をもたらす。

 

「……あれっ?」

 

 しばらくして、ピカロたちが首を傾げた。

 いつまで経ってもニルフィを破壊できた手応えがないからだ。

 示し合わせたように音波攻撃を弱めていき、破壊の繭の内部がどうなっているのかと確認しようとする。

 

 『邪淫妃(フォルニカラス)』 球体幕(テロン・バロン)

 

 そこにあったのは、触手のような羽が球体になったようにできた物体だった。

 羽が解けると、奇獣の腕が変化したそのなかからニルフィが傷一つない姿で現れる。

 

 ここでピカロたちは疑問に思った。

 それは自分たちの最大の攻撃が防がれたとか、そういった即物的なことではなく、子供らしく純粋な、遊んでいれば誰もが思うものだった。

 

「なんで、お姉ちゃんはそんなにつまらなそうなの?」

「ーーーー」

 

 ニルフィは答えない。

 ただ、仮面のような表情のまま、俯きがちに立っているだけだ。

 

 なぜだろう。ピカロたちは考える。

 いつも遊び相手になってくれる黒髪の少女は、常に笑顔で接してくれた。それがいまは無い。遊んでくれているはずなのに、どこまでも遊びには無関心そうだ。

 外で彼女になにがあったのか、ピカロには知りえないことだった。

 

 そこで、すぐに名案が思いついたと笑顔になる。

 

「うん、うん。じゃあ、もっと遊ぼうよ! お姉ちゃんには一杯笑顔をもらったからさ。今度は僕らが笑顔にしてあげる! いっぱい遊べば、お姉ちゃんも笑顔になるよね!」

 

 再び翅を振動させるピカロたち。

 少しでも考えれば、ニルフィには敵わないことがわかったはずだ。しかしそれをしないからこそ、ピカロは愚直にニルフィに突貫し、笑顔にするために遊び続ける。

 

 『聖哭螳蜋(サンタテレサ)

 

 『捩花(ねじばな)

 

 奇獣の腕が六本に増え、本来ならば大鎌が出るはずの手首から三又の槍がそれぞれ飛び出した。

 一瞬にして部屋に溢れる怒濤の大波。

 笑いながら突き進む子供たち。

 

 それから間もなくして、ピカロたちを幽閉するための部屋が完全に崩落し、砂漠のなかに埋もれて消えた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「彼女は仲間を狂気的に欲していた。すべての行動の根本には、それだけしか無かったんだ」

「はぁ……」

 

 黒腔(ガルガンダ)内部を歩くギンは、藍染のその言葉に生返事を返した。

 会話に参加していない東仙が睨んだような気がしたが、それも仕方のないことだ。

 この時までニルフィの過去についてはぐらかされていたギンは、この時になって、ようやくその断片でありそうな彼女の能力について藍染に訊いてみたのだ。しかし意外にもあっさりと返された答えがそれに関係の無さそうなものとなれば、ギンの呆けた声も頷ける。

 

「なに、君が知りたかったのは彼女の過去そのものだと思っていたんだ。違ったかい?」

「……ちゃいますよ。質問の答え、あまりにも的外れ思うたんで、仕方ないことですわ」

 

 それとなくニルフィの過去を詮索するなと言ったのは、他でもない藍染だ。

 いけしゃあしゃあと語るその口になにも思わないでもないが、調べた結末がザエルアポロの末路となれば、さずがにギンも藪蛇のような真似はしない。

 

 それに、こんなやり取りは日常茶飯事だ。いまさらどちらも改めるようにするつもりが無かった。

 

「時間も少しはある。そう急ぐことでもないだろうと思ったんだが」

 

 ギンは自分たちの進む先を見やる。

 暗闇の奥底から歩き続ければ、現世と繋がる白い光の入口が視界に映るのだ。ギンはそれを確認し、あとしばらくは歩き続けねばならないと推測した。

 

「さよですか。それで藍染隊長、話の続きお願いできます?」

「ああ、いいだろう。とはいえ、どこから語るべきか」

 

 藍染が前を向き、記憶を掘り起こすように光の奥を見つめた。

 

「彼女が仲間を欲すようになった切っ掛けは、私でもわからない。見つけた時にはすでにそう(・・)だった。だが、(ホロウ)であった彼女を観察するうちに、それはかつて、彼女があまりにも完璧な仲間と出会っていたからかもしれないと考えている」

 

 あくまで推測だが、と藍染が釘を刺す。

 

「そもそも私が彼女に目を付けたのは、彼女がもつ『魂魄の変質』という二つのうち一つの特性を持っていたからだ」

「変質?」

「そうだ。彼女は最初からあそこまでコミュニケーション能力が上等だった訳ではない。己の自己を確立させるために同胞を喰らうはずの(ホロウ)が、仲間に受け入れてもらうために自己というものを投げ捨てたんだ。そうやって彼女は、少しずつ仲間との距離感を掴み始めた」

 

 たしかにとギンが納得する。

 それとなく聞いた噂では、おそらく初期にバラガンと出会った頃のニルフィは獣同然だったらしい。そこからどうやって、あそこまでヤミーやグリムジョーという気難しい面々と親しい交流が出来るようになるのか、長いあいだの謎だったのだ。

 

「だが、それはあくまでも結果でしかない。彼女がニルフィネス・リーセグリンガーとなるまでの過程こそ、君が知りたかったことだろう」

 

 悠然とした笑みを貼りつけながら藍染がギンに振り返る。

 それに同じく胡散臭そうな笑みを返しながら、ギンが飄々と肩をすくめた。

 

「まあ、否定しまへんけど」

 

 目で続きを促すと、藍染が語りだす。

 

「私が観察し始めた頃は、まだ友好な関係を築く方法を彼女は知らなかった。しかし仲間がどうしても欲しい。そう考えた彼女は、手っ取り早く、自分そのものを相手に差し出した。武力だろうと体だろうと、もとから集団としてしか存在し得ない(ホロウ)たちに拒否する理由は無かったんだ」

 

 それを聞いてもギンは眉をしかめることはなかった。

 予想はしていた。

 ニルフィは常々相手に自分を即物的に求めさせたし、それを改めさせる出来事があっても、心に深く根付いたそれは簡単には変わらない。ニルフィは仲間のためにどのような奉仕さえ疑問も挟まず、ただ一心に受け入れる。

 数百年の地獄という名の天国を味わって、たったの一年にも満たぬ時間のなかでどれほど改変できるのか。

 

「とはいえ、彼女は誰にでも優しい。優しすぎた。そしてあくまで利害関係として結びついた糸がちぎれるのに、それほど時間が掛かることもない」

 

 その(ホロウ)たちはニルフィに“依存”し過ぎたのだろう。

 所有権の争いや、次第に消えてく遠慮という言葉。利害関係には一番持ち出してはいけない“欲”が生み出されたのだと、藍染は続けて語った。

 

「醜いものだ、あれは。真っ白な子供に、彼女が愛する相手を互いに殺せと命令するのだから。心の弱い彼女にそれが耐えられるはずもないというのに。ーーそこで私の注目したもうひとつの特性が表に現れた」

 

 記憶の保存。

 そう、藍染が言った。

 

「保存? ……あの子、記憶喪失ちゃいましたっけ?」

「ああ、たしかに間違ってはいない。しかし、保存の方法も色々あるということだ。記録として残す。思い出として残す。あるいは、美しいそれを美しいままに終わらせる、といった具合にだ」

「なるほど。それがニルちゃんやと」

「そうだ。しかし彼女はまだ仲間と一緒に居たい。だが、それをしても自分が辛くなるだけだ。だから、喰べた(・・・)。そうすれば血肉という仲間はいつまでも自分と一緒なのだから」

「…………」

 

 ギンがポリポリと頭を掻く。

 おそらくそれは、生きたまま喰べるということだと思い至った。

 アネットを傷つけたノイトラに言い放った『喰べるハズだったのに』という言葉が、そういう意味だったのかと気づいたのだ。あの時点で、ニルフィの美しい思い出は完全に壊されていた。そうなるのも自明の理ということか。

 

 ニルフィの暴走はそれに起因しているのだろう。

 そしてそれを知りながら藍染はニルフィに悲劇を押し付けたのか。

 

「けど藍染隊長。ニルちゃんが少しづつ変わっとった言うけど、それでも腰の落ち着ける場所は見つからんかったんやろか?」

 

 いまでは個人意識の高いはずの十刃(エスパーダ)と仲がいいほどなのだ。

 現在ほどでは無くとも、群れなくては生きていけない(ホロウ)たちが揃いも揃って地雷を踏み抜くような真似をするだろうか。ニルフィが出会った(ホロウ)のなかには、ハリベルやバラガンのような人格者や指導者だっていたはずだ。

 

 そこではたとギンが気づく。

 最初から言っていたではないか。藍染自身が、彼女を観察していたと。

 

「どこにでも不幸な行き違いはある。たとえ素晴らしい仲間が出来たとしても、不慮の事故の可能性はゼロにはならなければ、彼女が身も心も蹂躙されて狂うことになる環境に置かれるのも自然だろう」

 

 その言葉の裏でどれだけの(ホロウ)の被害があったのか。しかも一番悲惨なのは、どこまでも仲間と思っていた存在に壊されてきたニルフィだろう。

 ギンは何も言うことなく、藍染の話の続きを待っていた。

 

「仲間を喰べた時点で彼女の保存は完了していた。記憶さえ、もはや要らないものだったんだろう。だから彼女は魂魄を変質させることで、あとはそのときの“自分”を構成するすべてを白紙に戻したんだ」

「それが、記憶喪失の正体やと。自分が居た証拠をすべて喰べて(・・・)、悪い夢やったと記憶に蓋をする……」

「そうだ。彼女はその時点から不完全だった。完全になるには、それこそザエルアポロが作った薬によるハリボテでしか出来ないほどにね」

 

 だんだんとピースが埋まってきた。

 そこでギンが首を傾げる。

 

「せやけど、ニルちゃんの使っておった他の破面(アランカル)や死神の能力はどういうことですか?」

「それが『魂魄の変質』から派生した『無貌幻魔(イルシオン)』……、いや、『無貌姫(カーラ・ナーダ)』の本来の使い方だ」

 

 何者でもないことを定義として、何者にでも成ることが出来る能力。

 思えば、あれも解放前は不完全なものだった。

 

「あれは魂魄の一部を分離させ、他人の魂魄そのものにするんだ。自分には使えずとも、魂魄が同等ならば使えぬ道理もない。さらにはその魂魄を燃やす(・・・)ことでオリジナルを越えたチカラを生み出す」

「ひゃあ、山本総隊長の斬魄刀がパクられたら思うと、もう恐ろしいですわ。せやけど、それで(ホロウ)だったニルちゃんに東仙サンの卍解が効かなかったんちゅうワケや」

 

 声を出さずに笑いながらギンが東仙を横目で見る。

 盲目の死神は平然としているように見えるが、ギンの目にはその額に青筋が浮かぶほどの激情があるように思えた。シャウロンたちを東仙が手にかけてから、彼とニルフィの仲はそれはもう出会えば無差別に殺気を放つほど険悪であり、だからこそこの会話にも先程から入ろうとしていない。

 

 東仙の卍解である『清虫終式(すずむしついしき)閻魔蟋蟀(えんまこおろぎ)』は、能力解放と共に、斬魄刀『清虫』本体を握っている者以外の視覚、聴覚、嗅覚と霊圧感知能力の四つを封じる楕円形のドーム状の空間を形作るというものだ。

 しかしニルフィの能力が藍染の言った通りなら、彼女もまた東仙の魂魄をコピーすることで斬魄刀の魂もろとも同化し、自ら対象外になることが可能だったのだろう。

 

「…………」

 

 ギンは一拍置いてから、再度藍染に尋ねた。

 

「それで、ニルちゃんがそれを繰り返すと?」

「君もわかっているだろう。言葉にすれば強力そのものだが、それも限定的で、そもそも戦いを目的とした能力ではない。あくまで、自らが存在した証拠を喰べる(・・・)ためだけに特化した、シンデレラの魔法のようなものだ」

 

 藍染の笑みが深くなった。

 そして最初からニルフィの名を呼ばず、あくまで“彼女”としか称さなかった藍染が、彼女の名を口にする。

 

「あの能力を使い続けた場合、結果的に彼女が生き残るとしても、ニルフィネス・リーセグリンガーという人格はーー消滅する」

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 フルール・ブレイクバレット。

 ヴァヴァロ・ヴァヴァロ。

 レレ・ララ。

 プルチネルモ・フレスビー。

 フォネット・ベイ。

 

 その他いくつかの名の書かれた紙に目を通し、(くろつち)マユリは感嘆の息を吐く。

 これらすべてには、バラバラな外見的特徴や、性格、話し方に至るまで、やや空欄が目立つながらも事細かに書き込まれていた。

 

 書かれているのは、名前の数だけの(ホロウ)ではない。

 すべて一体の(ホロウ)についてだ。

 

「数が多くて困ってしまうヨ。……しかし、フム、たしかいまの名はーーニルフィネス・リーセグリンガーといったかネ。これなら拘束用寝台に書き込む名に困らなくて済むヨ」

 

 自称『女性に優しい』ということで有名なマユリの対象は幼い少女すらも適応するらしいが、どうやら少女を瓶詰めではなく実験体として厚遇するつもりらしい。もっとも、厚遇した結果が拘束用寝台であるのだが。

 

「しかし、そうか。現世での残留霊子から予想はしていたが、いまからでも気分が高揚してしまうネ」

 

 ネムの引く荷車に腰掛けながら、マユリがファイルを立ち所にめくっていく。

 

 ニルフィネスという少女が他者固有の能力まで使えるのは、その無色透明な何色にも染まる特殊な魂魄であるためだ。絶えず変質するそれは、例えるなら水か。

 

 しかし注目すべきはそこではない。

 

 魂魄とはもともと、自己を確立するにあたって最もたるアイデンティティとなる。

 それを切り離し続けるとどうなるか。

 自己という存在が維持できず、消えてしまうだろう。

 

 しかし少女の仲間の血肉と同化するという願望が可能にした。

 砕けたブロックを同じように組み立てなければ、まったくの別物が生まれるのと同じことである。

 ニルフィネスという少女は、喰らった他の(ホロウ)の魂魄で強引に代用し、それらを寄り集めることで新しい人格を生み出すという生態を持っていたのだ。

 かつての記憶が思い出されるのも、残りカスが影響していたか。しかも自己防衛として、あえて残った記憶を都合のいいように改変されているとも記述されている。

 

 フルール・ブレイクバレットからヴァヴァロ・ヴァヴァロに。

 そこからレレ・ララ、プルチネルモ・フレスビーに続き、フォネット・ベイに。

 さらに何度も人格を記憶と一緒に破棄しながら、ニルフィネス・リーセグリンガーへと生まれ変わった。

 

「変質する霊圧に興味はあるが……。ヤレヤレ、時間切れになったところでニルフィネスという人格には興味が無いから、私にはどうなろうと関係ないんだがネ。しかしその他大勢の価値の分からぬ者は、すでに動いている様子だ」

 

 主力たりえる破面(アランカル)たちが移動を開始している。

 少女を止めるなら、それでいい。

 だが、下手に傷を付けられると面倒だという思いがマユリにはあり、しかも自分で相手をするのも面倒である。

 

「流石に藍染クラスを相手に一人でやるのは遠慮したいネ。これは戦力を纏めたほうが無難かネ」

 

 マユリの視線の先、遥か前方に巨大な砂の間欠泉ともいうべきものがふき上がるのを見ながら、彼はそう呟いた。常備している霊圧計測器に出た数値に目を落とし、これからを決める判断が間違っていなかったことにマユリが頷く。

 

 いまでさえどれほどの魂魄を燃やしているのか。

 藍染に匹敵する霊圧が、すぐに肌でも感じられた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 砂漠の中心に少女が佇む。

 その背に纏わりついている奇獣が咆哮を上げ、動き出した破面(アランカル)たちに宣戦布告するように牙を見せた。

 少女は全身を血で汚しながらも、艶やかな黒髪に混じる数房の白い髪だけは綺麗なままだった。




伏線回収回のはずが、また伏線が生まれたでござるの巻。

更新の間が空いたのは、前回の都条例との激戦によって起こった大爆発により、音信不通にさせられーー。
違います、普通に腹の手術をしていたためです。
そこら辺は新しい活動報告にテキトーに書いときました。

……いや、しかし、一ヶ月空けてマイページを開くと、この小説が残ってるのを見て、うん。改めて都条例との死闘に勝ったってこと、実感できますね。
援軍、支援をしてくださった読者様、あの国家の犬畜生に勝てたのは皆様のおかげです。このまま百合の風潮が広がればいいですね。
お礼はなにもできませんが、誠に感謝しております(土下座)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

超弩級自然災害少女

 なにが起こっている?

 そう考えるのは当たり前であり、ヒールを響かせながら早足で廊下を進む彼女も、その例に漏れることはなかった。

 破面NO.105、チルッチ・サンダーウィッチ。

 ゴスロリを思わせる妙な服を着ている女で、左頭部に小型の飾りのような形をした仮面の名残がある十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)だ。

 

 チルッチは思考する。

 立て続けに侵入者たちはもとより、十刃(エスパーダ)たちの霊圧が消えて行き、つい先刻ではノイトラとヤミーのものが間を置かずに感じられなくなった。

 ニルフィが関係しているであろうことはわかる。

 その情報も、ロカという名も知らぬ破面(アランカル)がもたらしたものだ。

 

 信用するしないに関わらず、するしかないように思える。

 しかし確認をするために、他の破面(アランカル)をこうして探し回っているのだ。

 

 そしてちょうど、前方から誰かがやってきた。

 さては逃げたメガネの滅却師(クインシー)かと警戒するが、その特徴的なシルエットからすぐに肩の力を抜いた。

 

「なんだ、ガンテンバインじゃないの。それより、その肩に乗せてるのってなによ」

「……いや、さっき気絶してるのを見つけてな。ここじゃ見ないし、新参かと思ったんだが」

 

 “107”の数字を持つ十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)、ガンテンバイン・モスケーダ。

 オレンジ色のアフロヘアーで、額を覆った仮面の名残に星のマークをつけている男だ。

 

 そんな彼が肩に担いでいるのは、黄緑色の髪で眉間から鼻筋にかけて傷痕があり前歯がない、気絶している破面(アランカル)の少女だった。

 これがドルドーニであればなじっているチルッチだったが、破面(アランカル)でも屈指の常識人であるガンテンバインならば万が一のこともないと、興味を示すだけに留めた。

 

「それより、なにが起こってるのかあんたは知ってる?」

「俺もそれを知ろうとしててな。ニルフィの刀剣解放の情報、それから八番以下の十刃(エスパーダ)が死んだとか、たしか、治療係のヤツが認識同期で知らせてくれたぜ」

「ならあたしと同じね」

「他の十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の姿も消えちまってるから、ここには誰も居ないと思ってたところだ」

「一番騒ぐはずのドルドーニも居ないものね。まったく、なにが起こってんだか」

 

 苛立ちを隠そうともせずに、チルッチが親指の爪を噛む。

 

「お気に入りの服は汚れるし、せっかくの獲物は逃げていくし」

「お前も侵入者と戦ったのか」

「そう言うならあんたも? ていうか、その顔だと同じみたいね」

 

 メガネの滅却師(クインシー)と戦ったチルッチだったが、せっかく帰刃(レスレクシオン)を使ったにも関わらず、戦略的撤退をさせられてしまったのだ。

 ガンテンバインも同じらしく、互いに不完全燃焼らしい。

 

「まあ、やろうとしてることも一緒ってトコか」

「あんたと一番に会えてよかったわ。他の連中だと、もっとややこしいったら……」

「ん、むぁ……?」

 

 そこで破面(アランカル)の少女が目覚めたようだ。

 身じろぎをして、ガンテンバインのアフロに顔を埋め、そして叫ぶ。

 

「う、うわあああああ!? い、い、一護の髪が爆発してるっス!」

「おい、あまり暴れると……」

「ーー痛い!」

 

 もがいた拍子に少女は床に落ち、強打した尻を抑えながら涙目で二人を見上げた。

 

「一護じゃないっ? だ、だれっスかあんたたつは!」

「五月蝿いガキね、誰だっていいじゃない! そういうあんたは見たことないけど、名前なんてあるの?」

「ネルはネルっス! そういうオバさんは誰っスか!」

「お、オバ……ッ」

「落ち着けチルッチ! 子供の言葉なんだぞ」

 

 ガンテンバインになだめられ、たしかにそうだと思い直したチルッチは、大きく深呼吸する。

 自分は大人。相手は子供。段々と、心に平静を取り戻していく。

 これならば、たとえどんな馬鹿にされるようなことを言われたところで、ブチギレることはないだろうと思った。

 

「あたしはチルッチ・サンダーウィッチ。こっちはガンテンバイン・モスケーダ。元十刃(エスパーダ)よ、クソチビ」

「ええ~?」

「……なにさ、その疑わしそうな目は」

「そっちのアフロのおっちゃんはそうかもしれないっス。けど、あんたは……」

 

 そう言って、ネルは視線を落とし、そこに向けて指を差した。

 正確には、チルッチのその控えめな胸部装甲にだ。

 

「ボインボインじゃないっス。十刃(エスパーダ)の女のヒトたつは、もっとボインボインのズガンズガンのハズじゃないんスか?」

「ーーこンのクソガキィ!! ニルフィと同じこと言いやがってェ、クソがッ!!」

「悪気は無い、コイツに悪気は無いハズなんだよ!」

 

 ガンテンバインに抑えられていなければ、チルッチは独特な斬魄刀を使うこともなく、この無礼すぎる少女を蹴り殺していただろう。

 初対面の時のニルフィの煽り文句そのままだった。

 もし現十刃(エスパーダ)であるそのニルフィを引き合いに出したところで、幼い少女に勝ったとしても、試合に勝って勝負に負けた、そんな屈辱的な結果になってしまうだろう。

 

「そ、それよりだ。ネル、お前はなんでこんな虚夜宮(ラス・ノーチェス)の端っこで転がってたんだ?」

 

 慌てたガンテンバインが咄嗟に話題を転換する。

 

「ああっ、そうっス! ネルはさっきまで一護と一緒にいたんス。けど、どこかに吹き飛ばされて……。それで気づいたら、アフロのなかで……」

「一護って、黒崎一護か? なら、侵入者じゃねえか」

「あんたが手引きして連れてきたってこと?」

「うっ、そ、それはその……」

 

 縮こまるネルにはやむを得ない事情がありそうだった。

 しかしすぐに顔を上げ、気丈にも大きく声を張り上げる。

 

「でも、ネルは一護のところに行かなきゃいけないんス!」

 

 チルッチは滅却師(クインシー)との戦闘時、ペッシェとかいう蟻頭を見ている。

 ネルもきっとその仲間なのだろう。

 

「なあ、チルッチ。コイツはどうすりゃいいんだ?」

「あたしに聞かないでよ」

 

 しかし侵入者の殲滅が指示に出されているとはいえ、チルッチもガンテンバインも無抵抗な子供を殺すことを進んでやるような性格ではない。

 そもそも、藍染が虚圏(ウェコムンド)から去った現在、任務さえあやふやなものになった。

 ニルフィとはそれなりに交流を持った二人だ。

 あの少女の顔がちらついて、それに拍車を掛けていた。

 

「ドルドーニが居れば、なにも言わずに助けたんだろうけど……」

 

 肝心な時に居ない紳士に悪態をつく。

 

「それにさっきからなんなのよ。そこかしこから同じような霊圧だって感じるし」

 

 この異常事態が起こった虚夜宮(ラス・ノーチェス)に安全な場所などあるはずがない。

 さて、ネルの処遇をどうするべきか。

 

 そう二人が考えたとき、床の振動が足から伝わった。

 地震はさっきまで何度もあったが、しかし、今回のは震源が足元にあるような。

 

「ーーッ!」

 

 すぐに二人はその場を飛び退いた。ガンテンバインはネルを抱え、地面が破裂したような衝撃から守り切る。

 目を細めながら爆発の中心を確認しようとしたチルッチは、すぐにその中央に佇む少女の正体に気づく。

 

「……ニル、フィ?」

 

 チルッチの声に反応したように、生気のない動作でニルフィが首を女に向けた。

 いまだに気に入らない部分があるとはいえ、ニルフィとはそれなりに仲がいいと思っている。

 だからこそチルッチは、自分でもなにを言いたいのかよく分からないまま、ニルフィへと一歩踏み出した。

 

「待て!」

 

 わざわざ響転(ソニード)まで使ったのか、ガンテンバインがチルッチを押しのける。

 打撃音。

 正気に戻ったチルッチは、壁にめり込まされたガンテンバインを見て息を呑む。

 

 そしてすぐに、ニルフィの姿もまた異様なものだと気づかされた。

 血に染まった服。背に被さる奇獣。チルッチに向けて振り下ろされる長腕。

 

 龍哮拳(リュヒル・デル・ドラゴン)

 

 龍頭状の霊圧の塊が横合いから襲いかかってきたことで、ニルフィと一体化する奇獣は腕を下げ、即座に回避してみせた。

 すぐに壁から抜け出したガンテンバインが刀剣解放をしており、両腕と背中に丸いアルマジロのような鎧が形成される帰刃(レスレクシオン)龍拳(ドラグラ)』を発動させている。

 ネルはどこに置いたのかと探せば、後方で驚いた顔を晒していた。

 

「呆けてる暇はねえぞ! とにかく戦えるようにしろ!」

「……ッ!」

 

 本能的にチルッチが動き、斬魄刀を構えながら解号を口にする。

 

「掻っ斬れ『車輪鉄燕(ゴロンドリーナ)』」

 

 チルッチの両腕が鳥の前脚のように長大化し、頭には羽根飾りのようなものが、背中には刃を数枚重ねたような翼、長い尻尾が形成された。

 帰刃(レスレクシオン)を最初から使ってしまったが、もしニルフィと戦うならばそうでもしないと勝ち目がない。

 しかもそれはニルフィが未解放の状態でもだ。

 おそらく同じく刀剣解放をしているニルフィ相手に、どこまで通用するものか。

 

「ニルフィ! あんた、なんか言いなさいよ!」

「ーーーー」

 

 返答はない。

 ただし言葉としてであり、奇獣が巨大な手を構えて攻撃態勢を見せた。

 

 断翼(アラ・コルタドーラ)

 

 高速振動する翼の刃でチルッチが先手を取る。それを難なく避けられるのは想定内。その隙を埋めるためにガンテンバインが両手を組んでおり、間を置かずに次なる技を放つ。

 

 主よ我等を許し給え(ディオス・ルエゴ・ノス・ペルドーネ)

 

 龍の頭のように見える両拳から解放された破壊の閃光が、ニルフィと奇獣を飲み込む。

 

 断翼“散”(アラ・コルタドーラ“ディスペルシオン”)

 

 さらに追い打ちを掛けるようにチルッチが翼から刃を放った。そのあとを追うようにガンテンバインが地を滑るように駆け、無数の拳をニルフィに叩き込む。

 

 彼ら、というよりも、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)たちは一対複数の集団戦でニルフィと戦うことが多かった。それこそ、即席のコンビネーションが可能なくらいには。

 しかしそれも二人では限界がある。

 

「ぐ、お、オオオオオオッ!」

 

 ガンテンバインの動きが止まった。いや、違う。強制的に止められた。両腕を奇獣に掴まれ、どれだけ腕を引こうとしてもビクともしない。

 そこにニルフィ自身の拳がガンテンバインの腹部に添えられ、捻られる。

 なにが起こったのか、正確にはチルッチには見えなかった。

 しかし口から血を零して膝をつくガンテンバインが無事であるはずがない。

 

「ニルフィ!」

 

 チルッチが叫ぶ。

 そこにどんな意味があるのか、彼女自身でもわからなかった。

 

「なんで、なんでよ!」

 

 無数の虚弾(バラ)に貫かれながら、チルッチが叫ぶ。

 

 ここで仲間割れしている場合ではないのは、優しいはずのニルフィが誰よりもわかっているはずだ。

 外でなにがあったのか、やはりチルッチにはわからない。

 やはり情報通りだとしても、信じたくなかった。

 あのニルフィが仲間を仲間とも思わぬ破壊の権化になるなど。

 

 今度こそ、立ってられぬほど通路が揺れた。

 歪み、たわみ、外側から圧縮されたように粉砕される。

 砂だ。

 大量の砂が意志を得たようにのたうちまわり、チルッチとガンテンバインを飲み込もうと迫る。

 

「ルヌガンガの……ッ」

 

 どうする? 

 ガンテンバインを回収するか? 

 しかしその隙は?

 それとも一人だけ離脱?

 

 考えるうちに砂の波が迫った刹那、

 

「打ち伏せろ『牙鎧士(ベルーガ)』」

 

 チルッチの背後から飛び出した巨大な影が、霊圧を放出しながらニルフィに向けて突進する。

 砂のなかを強引に押し進むそれを奇獣が受け止めた。

 猪のような巨人の姿のその人物は、ノイトラの従属官(フラシオン)テスラ・リンドクルツである。

 

「いまのうちに彼を!」

 

 テスラの横槍によって砂の包囲が崩れた。

 どのみちこの場にいる面子ではニルフィの相手などできない。

 出会うのが早すぎたのだ。

 刀剣解放をすぐさま解除したチルッチがガンテンバインを抱え起こし、ついでに隅に転がっていたネルも回収する。

 

「あんたはーー」

「どうか、東にッ」

「……そう」

 

 右腕を奇獣に破壊されながらテスラが言い残し、その言葉に込められた言外の決意を悟ったチルッチは、これ以上なにも言わずに背を向けた。

 

「ま、待つっス! あのヒトは……」

「うっさい! あたしだって、あたしだってわかってるわよ!」

 

 三人がこの場を去っていく気配。

 それでいい、とテスラは思う。

 

「……ニルフィネス様」

 

 捻れた右腕を庇いながらテスラが語りかけようとする。

 しかし言葉が見つからない。

 こうなる原因をつくったのは、テスラの主人であるノイトラだ。そしてそのノイトラを殺したのもまた、ニルフィなのである。

 テスラは複雑な心中をまだ整理などできていない。

 探すため走り回っていたというのに、いざ見つけると声が掛けられなかった。

 

 だから、ニルフィの前に立ちふさがり、感情を乗せぬままに言った。

 

「ここを通すことは、できません」

 

 ついさっき逃がしたチルッチたち。

 あの二人ならば、もっと少女のためだけに言葉を掛けてやることができるはずだから。

 屈強な左腕に拳をつくり、前に進むために蹄で床を踏み砕く。

 口の隙間から蒸気のように熱い息を吐き、圧倒的な差をものともせずに殴りかかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「止めろ! なんとしてでも止めろ! ここから先へ進ませるな!」

 

 ルドボーンは葬討部隊(エクセキアス)を叱咤し、悪夢のような光景に仮面の奥から冷や汗を流した。

 彼の姿は『髑髏樹(アルボラ)』を解放して枯れ木のようである。

 しかし絶望的な状況に、内心が形となって表れたかのようだ。

 

 そもそも彼は、ニルフィに挑発を掛けるという藍染の案には反対だったのだ。

 辛いことの多い中間管理職にも優しく気遣ってくれる少女。ルドボーンはそんなニルフィを悪く思っておらず、3ケタ(トレス・シフラス)の巣において、内心ではすべて藍染が悪いのだと謝罪するくらいには、好ましい相手だと考えている。

 

 しかしどの道、ルドボーンはしがない中間管理職。

 断ることもできず、嫌々ながらに従っていた。

 だがどうだ、この窮地は。

 もしこうなると知っていたら、たとえ死のうとも反対していたに決まってる。

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)本宮の外。

 そこに葬討部隊(エクセキアス)二千体を配置していたルドボーンは、砂埃とともに地平を駆けてくる集団を目撃していた。

 ロカという破面(アランカル)から、ニルフィの帰刃(レスレクシオン)の情報も貰っている。

 だからこそ、ルドボーンは誰よりもこと(・・)の凶悪さが理解できていた。

 

 最前方の陣形のしゃれこうべたちが無造作に空に打ち上げられる。

 それがほぼ同時に、次々と起こっていき、暴虐の竜巻のように陣形を食い破っていく。

 いくらルドボーンが兵隊を補充しようが、もはや焼け石に水の行為だった。

 

 死神、ではない。

 これは軍と軍の戦いなのだから。

 

 ニルフィだ。

 いや、正確に言うならば。

 

髑髏樹(アルボラ)』 髑髏兵団(カラベラス)

 

 ルドボーン固有であるはずの能力が模倣され、ニルフィの劣化版ともいうべき存在の群れが虚夜宮(ラス・ノーチェス)のあちこちに散っているのだ。

 どれだけいるのか検討もつかない。

 この短時間にここまで増やせたのは、魂魄を使ったことによる強引な強化ゆえか。

 

 暴走してるかのように好き勝手に暴れまわる少女の姿をした骸骨兵は、飢饉の原因である(いなご)の群れのようだ。

 破面(アランカル)も死神も問わず、捕食されようとしている。

 

「ーーッ! ぐ、お……!」

 

 ルドボーンのもとまで到達した小柄な影。

 ソレの振るった長い腕を辛うじて刀で防御した。

 

 敵兵は異様な姿だった。

 本来ならば分離しているはずの奇獣が、少女の小さな肉体とほぼ一体化している。

 下顎のなくなった奇獣の頭蓋で顔の上半分を隠し、長い腕は手甲のようにほっそりとした少女と混じり合っていた。

 それが無数に攻めてきている。

 

 しかも、だ。

 『髑髏樹(アルボラ)』の能力というのが、自身の劣化版を無制限に(・・・・)生み出すというもの。

 もはや地力ではルドボーンと比べるべくもないニルフィが使用したことで、一体一体が数字持ち(ヌメロス)を凌駕する実力を持っていた。

 

 ーーあるいは、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)級か!?

 

 刀越しの手応えに、ルドボーンはあながち間違いでもないかもしれないと思う。

 なんとか偽ニルフィの爪を弾き返す。

 それを踏み越えるようにもう一体が飛び出し、また一体、また一体と増えていく敵兵に切り裂かれた。

 

 気付けばもう、ルドボーン以外立っていなかった。

 周囲に居るのは、三ケタを超える怪物だけ。

 誰も想像できたはずがない。

 まさかルドボーンが数と質量の戦いに敗れるなどと。

 

「……馬鹿な」

 

 なにが悪かったのか。

 呆然とつぶやきを残した男は、白い荒波に呑まれて消えた。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「縛道の六十三」

 

 鎖条鎖縛(さじょうさばく)

 

 卯ノ花の縛道によって身動きのできなくなった小さな骸骨兵。

 視線さえ向けるのが煩わしいように次々と縛道を使い、少女の姿をした骸骨兵たちを絡め取っていく。

 しかし手が足りない。

 右腕である勇音はすでに戦闘不能にさせられ、もとから戦力外の花太郎はその治療に追われている。

 回収した朽木白哉も織姫がいなければ使い物にならず、ここ数分、彼らを入れた結界を卯ノ花が防衛しているという光景が続いていた。

 

 卯ノ花の顔に焦りが帯びる。

 囲んでいる骸骨兵たちは総数四十。

 ここまで無力化したものも合わせれば五十を下らない。

 そのすべてが死神に例えれば副隊長以上の強さを持ち、突如現れたそれらによって、身動きができないまま泥仕合を見せている。

 

 よくよく見れば、卯ノ花の隊長羽織にいくつもの裂傷が入っていた。

 牙によるものだ。

 どうやら骸骨兵たちは、なにがなんでも卯ノ花たちを捕食したいらしい。

 

 刀を抜くか?

 そう卯ノ花は考えるものの、攻め手にまわれば結界は手薄になり、たちまち部下たちが貪られる。

 全力で一気に殲滅しようにも、今度は結界のほうが耐えられずに巻き込んでしまう。

 

 そこまで考えたとき、骸骨兵たちの包囲網の一角が吹き飛ばされた。

 卯ノ花は見た。

 爆音兵器のように霊圧を放出し続けるその男が、刃こぼれをしている斬魄刀を振り下ろしているのが。

 

「あ? 虫みてえにコイツらが集まってると思ったら、てめえかよ」

 

 卯ノ花の姿を見つけた剣八が口をへの字に曲げる。

 

「……助太刀、感謝します」

「チッ、たまたまだ。こんな中途半端に強ェ奴らに、なに手間取ってやがんだ!」

 

 向かってくる骸骨兵たちを次々と屠っていく剣八。

 片腕だけで刀を振るってるというのに、グリーゼとの戦闘で(たが)のはずれた霊圧によって、生きた竜巻のようだった。

 ほどなくして、撤退した数人を除けば骸骨兵を倒し終わった剣八が卯ノ花の前に立つ。

 

「……おい、治せ」

「それは構いませんが……。あなたがここまで深手を負うとは。そこまで強い相手だったのですか?」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らした剣八は、腰帯に突っ込んでいた斬られた片腕を卯ノ花に押し付ける。

 

「つまんねえ戦いだったぜ」

 

 そう言って、力尽きたように座り込んだ。

 珍しいことだが、剣八がここまで消耗しているのは卯ノ花も初めて見る。

 

「私ができるのは止血までです。失った血もすべて戻すことはできません。そして確実に腕をつけたいのなら、まず織姫さんを探すのが先決ですね」

「一護の野郎はなにしてんだ」

「他の方々との音沙汰はなしです。この襲撃の前に『天挺空羅(てんていくうら)』を使いましたが、何人かに繋がらず、それ以外の方々との応答はありません」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の危険性は予想以上だ。

 いや、見誤ったのは、これまで警戒していたニルフィネスという破面(アランカル)のことか。

 藍染が去り際に残した“彼女”がニルフィネスを指すのは明白だった。

 

 彼女がなにを思って同族さえも襲っているのかわからない。

 ただ、部外者の卯ノ花が理解できたのは。

 

「……ここからすぐに離れましょう。信用できる戦力との合流が必要です」

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)はもはや終わりだということ。

 剣八も大人しく従い、遠くの光景から視線をはがす。

 

 さきほどの襲撃とは比較にならない、万に届きそうな小さな骸骨兵たちが蠢いていたから。

 もはや本体であるニルフィを止めない限り、この災害は終わらないだろう。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「さて、さて。どうするべきか」

「逃げようぜ、な? 逃げたほうが身のためだろ? さっきチルッチのヤツだって言ってたじゃねえか、ここから離れろってよ」

 

 通路の中央で仁王立ちする蛇男に、しきりに犬頭の破面(アランカル)が撤退を提案する。

 しかし蛇男は頭を横に振った。

 

「オレが考えてるのは、どうすればあの幼女を倒せるかだ」

「……いや、無理だろ。その煩悩が詰め込まれる頭で考えてみろ。こいつら(・・・・)ならともかく、十刃(エスパーダ)もねえ数字持ち(ヌメロス)の俺らが、あんな、あんな化物なんかに敵うワケねェじゃんか」

「ああ、そういえば、それもそうだな」

 

 蛇男がたしかにと頷く。

 彼らの周囲にはニルフィを模したような骸骨兵たちが転がっていた。

 ある者は顔面を潰され、ある者は痙攣している。

 その数は十。

 うまく立ち回ればここまでできる二人も、本体であるニルフィに敵うとは思っていない。

 

 犬頭はホッとした様子で、もう一度逃げるように提案した。

 

「なら、いいだろ? 逃げようぜ、な?」

「ああ、そうだな。お前は逃げていいぞ」

「そうと決まれば……ってオイ。なんでだよ。てめえは逃げねえのかよ」

 

 本格的に頭がイカレたのか? 

 犬頭はすぐにそう思った。

 たとえ真面目な表情をしていようと、平然と阿呆なことをするのがこの腐れ縁なのだ。

 

「なんといっても、オレの座右の銘は“退かぬ媚びぬ省みぬ”だからな。あっ、あの嬢ちゃんが貸してくれた漫画から取ったんだがな、これがもう“お前はもう死んでいる”とどっちにするか迷ってて……」

「ーーなあ、オイ」

「…………。そうだなァ、オレだって逃げてえよ」

 

 犬頭の切実な声に、今度こそ蛇男が折れた。

 

「グリーゼも死んじまったし、その前にゃクシャナのお嬢だ。どっちも、あの嬢ちゃんのために、やられちまった」

「だろ? 俺らが残ったところで……」

「楽しそうだったよな、あの嬢ちゃん」

「あァ?」

(ホロウ)時代で仲間だったときも、破面(アランカル)としても、ついこの間までよ。ずっと、こうなるまでは笑ってたのによ」

 

 犬頭だってニルフィの暴走に会ったのが一度だけではない。

 ずっと昔、(ホロウ)のときに目撃していた。

 いや、ニルフィが覚えていないだけで、かなり仲が良かった部類に入る。犬頭も、蛇男も。

 

「だからよ、理屈抜きに思うんだ。泣かせたくねえって」

「……馬鹿だぜ。てめえも、あいつらも」

「助けたいって言えば馬鹿になるなら、オレは喜んで馬鹿になってやるよ」

 

 斬魄刀の柄に手を掛けた蛇男が前を見据える。

 廊下の光源がふつふつと途切れていき、偶然なのか、ちょうど二人の目の前まで薄暗い空間が迫った。

 

 ズルリ、ズルリ。

 なにかが這うような音が耳に届く。

 

「できることはもうやった。あとはオレらの自由だ」

 

 ロカの認識同期が送られる前、藍染が虚夜宮(ラス・ノーチェス)を去ってから、彼らは二人でニルフィに関しての警告を広げていた。

 テスラの動きが早かったのも、そのためだ。

 

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)の残存戦力は少ない。

 ニルフィを止める可能性を掴み取るまで集めるためには時間がなかった。

 だから一秒でも長く、足止めせねばならないのだ。

 

 一抹の後悔はある。

 暗闇の奥からやってきたニルフィが引きずる赤いそれが、あの好青年の姿だと気づいたから。

 

「もうさ、逃げたくねえんだよ。仲間が死んで、悲しんで、そんな光景に背を向けてよ」

 

 しかし、そう。自由なのだ。

 自我の強い破面(アランカル)たちは、自分の手で道を掴む。

 たとえそれが破滅への片道切符だとしても、後悔はないのだ。

 

 蛇男が口の端を裂くようにして笑う。

 

「退くなら退け! それくらいの時間なら稼いでやる。そのためなら、少しはカッコイイとこ、見せてやるぜ?」

 

 ひどく喉が渇いたように犬頭は口を開閉させる。

 そして乱暴に頭を掻き、悪態を吐きながら、蛇男の隣に立つのはすぐあとのことだ。

 

「あァ、クソが! クソ! てめえは救いようがねェ、その他大勢と同じでとんだお人好し野郎だよ! チクショウが! けどよ、俺がホントにムカついてんのはなァーーそんなお前を助けてやる、俺もお人好しだってことだよ!!」

 

 ニルフィとの距離は近い。

 彼女が投げ捨てたテスラの生死は不明だが、その有様を見て、笑えるほどに足がすくむ。

 蛇男が肩をすくめて提案した。

 

「とにかくお前が突っ込め! いつもオレたちが先輩だぜ、後輩にデカい面させんじゃねぇ!」

「まず俺かよ!?」

「当たり前だ。お前は下僕、前座、序の口、イーとか叫ぶ戦闘員だ。安心しろ、もしお前がやられてもオレが出て、なあにこの犬畜生などは我々のなかでもっとも下の者、とか言ってやる」

 

 冗談だ。

 わかりやすく、状況が状況なため笑えないそれも、一周回って爆笑ものだ。

 二人は笑い、ちょうど同じタイミングで顔を引き締める。

 ニルフィが明と暗の境界を踏み越えたのである。

 それぞれの刀剣解放をし、本能的に下がりそうになる足を前に動かすと、己を鼓舞するように吼えた。

 

 自他が認める、語るほどもない、結果の見え透いた戦いがまた幕を開けた。




裏話

これまでちょくちょく出てきた犬頭さんと蛇男さんは、この小説のプロット段階で、主人公の従属官(フラシオン)となるはずだった没キャラたちです。
本作では一般破面(アランカル)代表として書いてました。

そこ、リサイクル言うな。

……まあ、最初は『記憶の壊れた刃』もホントにほのぼの小説だったのですが、メリハリがないから戦闘入れて、そこからシリアス展開になり、戦闘力的についていけなくなったために没になったのです。アネットさんらがチートなのも、最初から考えてたわけじゃないんよ。

え? なぜほのぼのが鬱々になったのかって?

こっちが聞きてえよ(真顔)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女救出戦線

こそこそ……(投稿)


 ニルフィが目を開けると、そこはなにもない空間だった。

 どこまでも白く、終わりの見えない道だけが続いている。

 そしてなにもないというのも語弊があるのだろう。空間はゆっくりとボロボロに崩れていき、本当になにもない深淵のような黒い外側が覗くようになっていた。

 なにもないはずの空間が失われてきていたのだ。

 

「ーーーー」

 

 なぜここにいるかもわからない。

 記憶はなぜか虫食い状態で、頭に浮かぶどの場面にもだれかが一緒にいたのに、その顔はモヤがかかったように黒く塗りつぶされていた。

 思い出せるとすれば、

 

「……血?」

 

 この赤く染まった両手くらいのものだ。これが関わるシーンは鮮明に思い出せる。

 そしてなぜか血まみれの手からは自分のものではない血が溢れ出し、ボタボタと路上に落ちて赤い池を生んだ。血は止まらない。むしろ血が出れば出るほど自我がハッキリとしてくる。

 

 どうしてか、泣きたくなった。

 助けを求める声を上げようとしても、だれを呼ぼうとしているのかてんで頭に名前が浮かんでこない。

 

 ニルフィはついに諦め、道の先へと顔を向けた。

 背後の道は崩れるのが早くて進むことはできない。いずれはニルフィの立っている場所も崩れ、どことも知れぬ場所に堕ちるだろうことが察せた。

 なら、進むしかない。

 どこまで続いているのかわからないが、あの白い壁のように自分も落ちてはいけない気がした。

 

 少女は一歩、前に踏み出した。

 終わりのない旅がーー始まる。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 何ヶ月前の出来事だったか。

 ドルドーニ、ガンテンバイン、チルッチの三人は3ケタ(トレス・シフラス)の巣の床に疲労困憊になりながら伏し、唯一ピンピンとしているニルフィだけがしゃがみながら大人たちを指先で突っついていた。

 

「ねえ、もう終わりなの?」

「……ぐ、うっ。まだ、まだ……! ……体力が回復しない」

 

 起き上がりかけたドルドーニが再び床に突っ伏した。

 もう限界の限界まで霊圧を絞りまくり、その最後の攻撃さえいなされたのだ。息を吸うのも億劫なほどで、なぜあれほど動きまくっていたニルフィが汗一つかいてないのか不思議である。

 

「……おい、ニルフィ。なんで俺たちよりも響転(ソニード)使ってるのに平気なんだ」

「ガンテンバインさんたちより軽いからじゃないかな」

「お、覚えてなさいよ。それ女に重いって言ってるのと同じ、なんだから……!」

 

 残りの二人もなんとか口を動かせるくらいだ。

 いつもならば他にもメンバーがいるのだが都合がつかなかったりサボタージュされたりと、今日はこの三人しか集まらずにニルフィとの模擬戦をしたのである。

 結果はご覧のとおり。

 いつもより人数が多くてもできないことは、やはり数が少なくてはできるはずもない。

 

「チルッチさんは前に出すぎだったね。それを気にしてるせいでガンテンバインさんの機動力が落ちてたし、私が接近してくると、焦ってすぐに近距離攻撃と遠距離攻撃を変えちゃうからわかりやすかった。ガンテンバインさんももっと自分を前に出していいんだよ?」

『……うーい』

 

 毎度のニルフィの総評に二人は力なく返事をした。

 

「それでオジさんだけど」

「う、うむ」

「いつもより全体的によかったと思うよ。二人の攻撃の合間をちゃんと見極めてたし、隙を縫ったときの一撃は当たりそうになったから。私じゃなかったら決まってたね」

「そうか! それはなによりーー」

「でもね、それで調子に乗っちゃったのかな。どうして間合いに入った私のことを掴もうと手を伸ばしたんだろ。あそこは足技を使えばよかったし、狙うならせめて胸じゃなくて頭を狙ってほしかったな」

 

 仲間の二人が汚らわしいものを見るような目になり、慌ててドルドーニが弁解する。

 

「ち、違うのだよ! 蹴りをお嬢さん(ニーニャ)に当てることに躊躇してしまい、そして顔を傷つけるのにも躊躇ってしまった結果なのだ! 本当だぞ!? なんだその目は!」

「日頃のおこないの結果でしょ」

 

 にべもなくチルッチが切り落とした。

 ニルフィは苦笑しながらうなずく。

 

「それは嬉しいけど、私もちゃんと避けられるからさ、心配しないでよ」

「ううむ、すまない。吾輩の独りよがりだったか」

「でもいいんだ。そこがオジさんらしいしね。それに本当の戦いだったら躊躇しないでしょ?」

「……ああ、それは、うむ」

 

 ドルドーニはこれでも切り替えはできるタイプだ。

 考えたくもないが、もしそのような(・・・・・)事態になっても、年長として他の二人よりも躊躇することはなくなるだろうと自覚している。

 

「じゃあ、今日はこれで終わりにしよっか。明後日あたりにでもまた来るね」

 

 立ち上がるニルフィの姿を見て、ガンテンバインが悔しげに呟いた。

 

「……まるで勝てやしなかったぜ。神でさえもう少し公平なはずだ。自分が強いと思ったことはないが、それでも、無力なのは嫌なもんだなぁ」

「ガンテンバインさん」

「いや、いや、いや。(ひが)みじゃねえさ。むしろ清々しい。それもこれも、お前さんの人柄のおかげだろうよ。最近じゃマンネリしていた修練にも身が入るってもんだ」

 

 気怠げに体を起こしたガンテンバインが軽く笑った。

 

「ーーだけどよ、もう俺たちから学べるもんはなくなってるだろ。なあ、ニルフィ」

 

 天井を見上げていたドルドーニも、ふてくされるように寝転がっていたチルッチも。あえて口には出さなかっただけで同じ気持ちであった。

 

「それは……」

「すべてじゃねえが、いまの俺たちは出し切った状態だ。なんでも記憶できるお前には目新しいことはなくなってるだろう」

 

 技の類はおおよそニルフィに見せてしまっていた。すでにニルフィは攻略法を導き出してるし、今回の模擬戦ではすべてを察したかのように避けることに専念していた。最初の頃は隙をつくるために攻撃を交えていたというのにだ。

 そしてすでにニルフィはドルドーニたちの技も扱える。

 覚えるべきところは覚え、そして、模擬戦の経験もドルドーニたちが相手では微々たるものだろう。

 

 ここで3ケタ(トレス・シフラス)の巣を去れば彼らを傷つけるのではないだろうか。

 そんな懸念を抱いているのにも、大人である彼らは気づいていた。

 

「あー、もう! あたしたちの心配なんかいらないわよ。子供に心配されるほうがよっぽど惨めだわ」

「……チルッチさん」

「あんたがいなくたってこっちはこっちで頑張るから。見てなさいよ、今度会ったときは一矢報いてやるから」

 

 チルッチが拗ねたように言った。ニルフィに挑発されてこの模擬戦に参加するようになった彼女だが、なんだかんだで二人の仲は悪くなかった。

 ドルドーニも身を起こして少女に向き直る。

 

「まあ、心配せずともよい。これが一生の別れになるわけでもないのでからな。他のメンバーにはちゃんと言伝しておこう」

「そっか。ありがとね、オジさん」

「礼ならば吾輩を抱きしめてくれるだけでも……あ、いや、うむ、なんでもない。最近はなぜかよく葬討部隊(エクセキアス)が吾輩に睨みを効かせておるし手をつないだことがあると自慢したらその隊長が『夜道だけに気をつければいいと思わないことだ』とか言ってくるし捕まりたくない」

 

 後半のつぶやきはほとんど聞こえなかったが、ニルフィは力が抜けたように微笑んだ。

 やはり気を使わせてしまっていたのだろう。この少女は優しい。優しすぎるくらいに、自分を犠牲にしてしまう。

 

「あのさ」

 

 出口へと歩いていたニルフィが振り返る。

 

「ーー私はみんなのこと、大好きだよ」

「知ってる」

 

 三人のだれかが答えたかもしれないし、もしかしたら全員だったかもしれない。

 ニルフィが去ったあと、修繕が必要なほど崩れたホールに転がる十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)三人は、無言の時間をしばし過ごした。

 

「……自らの弱さをこれほど悔いたことはないな」

 

 ドルドーニの言葉は虚しく反響したようでいて、けして二人に否定されたわけではない。

 誰からともなく立ち上がり、軽く挨拶を交わしたあとは、落ちた者たちの住処へとどこともなく去っていく。修練に身を費やすか、疲れた身体を癒すか、それもまた各人の自由だった。

 

 最後まで残っていたドルドーニは斬魄刀の柄を撫でた。

 

「心から楽しいと思える、時間だったな」

 

 ニルフィの偽りのない言葉。

 それだけがやけに耳に残った。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「探したぜ、オッサン。なにしてんだよ」

「だからオッサンではないと……まあお兄さんという歳ではないこともたしかだが」

 

 砂漠で仁王立ちをしていたドルドーニが肩を落とし、隣に現れたグリムジョーを恨めしげに睨む。

 しかしこうしてグリムジョーが十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の男を見つけられたのも、挑発するようにドルドーニが霊圧を発散していたからだ。

 ニルフィを釣るためなのだろう。グリムジョーがここまで来る道中、骸骨兵どもに対する防衛線を張っていた十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)や有力な数字持ち(ヌメロス)の姿を見てきた。彼らは外野を片付け次第集まってくる手はずらしい。

 

 ここは最後の砦だ。

 あとはこの場で決着を付けるだけで済む。

 

「あー、しかしすまないな。吾輩たちでは力が足らん。それに技や動きはすべて見切られる。青年(ホーベン)、あるいは第4十刃(クアトロ・エスパーダ)くらいしか(かなめ)がいないのだ」

 

 うむうむ、と納得するようにうなずくドルドーニ。

 その仕草はすべて自然体で気負ったところは見られない。

 だからグリムジョーは言った。

 

「……オッサン、もう一度言うぞ。ここでなにしてんだ」

 

 ドルドーニの体が震えた。理性と葛藤がせめぎあい、弱さを見せまいと心の奥に押し込むように。

 そして深く息を吸い、なにかの感情をにじませながら言い切った。

 

「彼女を止める。それだけでは、いけないのかね」

 

 暴走している哀れな少女のため。

 実にドルドーニらしい理由で、それでありながら可能という言葉が見えぬほどの難しい仕事であった。

 

「死ぬぞ?」

 

 十刃(エスパーダ)が二人すでに殺されている。

 多少強くなったとはいえいまだにそのどちらにも敵わないドルドーニが出たとしても、そう結果が変わるとも思えない。心の壊れた少女が手加減してくれるなど、ドルドーニ自身も思ってるわけではないはずだ。

 

「……それでも。それでもだ」

 

 乾いた風が吹いた。

 言葉に詰まったのは喉の水分が消えたからだと、そういう理由などではないのだろう。

 

「戦えるのか?」

「ーーわからない。いや、わかっているが、わかりたくないというべきか」

「…………」

「それでも、やるのだ」

「できるのかよ?」

 

 そこでドルドーニがグリムジョーの顔を初めて見た。

 

「違う。ーーやるのだ。青年(ホーベン)は運がいい。まだ若いというのに知ることができる。この世はかなり恐ろしい出来で、逃げようとしようが微妙な希望がついて回って地獄に誘おうとしてるのだと」

「……? なんだそりゃ」

「悪い女と同じだ。駄目だと思いつつ、いけるかと思ってしまうのさ、この世は」

 

 らしくもない笑みだ。十刃(エスパーダ)である青年はそう思っただろうから。

 そして今日は、そのらしくもない笑みを浮かべる奴らが多い。

 

「あいつの止め方はわかってんのかよ」

「さて、な。殺さずに戦闘不能にさせることくらいか」

 

 『無貌幻魔(イルシオン)』の解析が終わればロカから認識同期で情報が入るはずだが、いまだに音沙汰はない。ドルドーニはそう締めくくり、これ以上の有効な手立てがないことを明かした。

 

お嬢さん(ニーニャ)は兵隊の向かっていない霊圧の持ち主を狙っているらしくてな。こうしてればいずれ、いや、もうすぐにでも現れるはずだ」

 

 エサという言葉の意味は比喩でもなかった。

 そしてエサは獲物の口に入り、最終的には食いちぎられる。やはりそこまでドルドーニが理解していないはずもないのだが、彼はそんなことをおくびにも出さなかった。

 

青年(ホーベン)はまだ、お嬢さん(ニーニャ)の戦いを見たことがないだろう。そして青年(ホーベン)自身の戦い方もまた、お嬢さん(ニーニャ)は見たことがないはずだ」

 

 ドルドーニの確認にグリムジョーがうなずく。

 そういえばあの少女とは一緒にいる期間が長かったが、ついぞそんな機会に恵まれることはなかった。まあ、語りはしないが勝てるビジョンも浮かんだことはなかったが。

 

「ならばいい。生憎にも吾輩のスタイルはお嬢さん(ニーニャ)に把握されているのでな。決定打などは必ず避けられてしまう。その点、青年(ホーベン)ならばこの虚夜宮(ラス・ノーチェス)でも数少ない、お嬢さん(ニーニャ)を止めることができる一人になるだろう」

 

 まるで美談にでも仕立て上げるかのようだ。

 ドルドーニに苛立ちを隠さずにグリムジョーが吐き捨てる。

 

「だったらあとは俺に任せりゃいいだろ。こんなもん一人で十分だ」

「彼女は強いぞ、強すぎるくらいに強い」

「俺も強いに決まってんだろ。むしろてめえが邪魔なんだよ」

「ほう? では訊くが、そこまでしてなぜ青年(ホーベン)は彼女を助けようとする?」

 

 助ける。まあ、そうなのだろう。危険を承知の上でグリムジョーはここにいるし、ただ戦うためにいるのではないのだから、案外的を射た質問だ。

 しかしグリムジョーは舌打ちをして、言い訳する子供のようにそっぽを向いた。

 

「あいつにはまだ借りがあるんだよ。それ以上でもそれ以下でもねえ」

 

 十月の末頃か。いつぞやと同じセリフだった。

 ここにアネットでもいれば爆笑でもしてるだろうし、現にドルドーニも笑っていた。

 

「フッ、実に青年(ホーベン)らしい答えだ」

「ほっとけ」

「よいのだ、そう恥ずかしがらずとも。すべて変わった。だれもがあの少女と出会い、そのほとんどが変わったのだ」

 

 嗚呼(ああ)、と皮肉げにドルドーニがこぼす。

 ともすれば泣き出しそうな声音だった。

 

「かくいう吾輩も善人ぶろうとしていながら、これまで他人のために戦ったことなどない。それが誰かを救うため。それも、大切な者のために力を使うなど……いままで、そんなこと、したこともなかった」

 

 最後あたりは言葉も詰まり、震えてしまっていた。

 ようやく誰かのために戦える。それだけ嬉しく思い、自分の偽善者ぶりに悲哀が湧いてくる。

 しかし偽善で結構だとドルドーニは割り切った。この世の中、正義を振りかざしていながら救えないことがなんと多いことか。あの少女を助けられるなら、偽善だろうが使ってみせる。

 

 珍しいものを見たようにグリムジョーが肩をすくめた。

 

「かなり入れ込んでんだな、あいつに」

「さて、な。言わせるな恥ずかしい」

 

 ニルフィは自分たちを見てくれた。強さでもない、破面(アランカル)という個人を。たとえそれがどんな理由であったとしても誰もが嬉しかったから、こうして彼女を救うために動いている。

 虚夜宮(ラス・ノーチェス)では強さだけがすべてだ。

 裏を返せばそれ以外のなにかが必要になることもなく、個を確立するために大虚(メノス)から進化したはずが、強者の人格も心も見られることはない。

 それがどれだけ虚しいことか。

 

 しかしニルフィだけは違った。

 あの幼い少女だけは他人の本質に触れ、だれも(かんが)みることのなかった心に接することができた。

 アーロニーロしかり、アネットしかり、自分の心の領域(テリトリー)を閉ざしていたはずの者が受け入れるほど、それはなによりも嬉しいことだった。少女はとても輝いて見えたことだろう。その光を、自分の身を犠牲にしてでも守りたいと思うほどに。

 優れた容姿。好ましい性格。それらでさえ、ドルドーニが助ける理由の一端でしかない。

 

 空気を変えるためにか、先輩とも言える紳士がおどけた調子で青年に尋ねる。

 

「ところで青年(ホーベン)お嬢さん(ニーニャ)のことをどう思っているのかね。よく一緒にいて、貸し借りだけの関係ではないだろう?」

「……どうもこうもねえよ」

「吾輩は好きか嫌いかで聞いてるのだ! ふざけるなよ貴様!!」

「はァ!? テメッ、俺にキレる権利ねえだろ!?」

 

 盛大に舌打ちするグリムジョーの表情から固さが消えた。

 知らないうちに強張っていた心をほぐされたことに気づき、やはりこの紳士は苦手だとグリムジョーは内心で毒づいた。

 

「ーーあいつとの時間は悪いもんじゃなかった」

 

 ドルドーニは驚いたように青年の横顔を確かめ、最後には苦笑する。

 

「なんだよ、文句あんのか」

「あるはずもないさ」

 

 もう少しグリムジョーと会話もしたい様子だったが、探査回路(ペスキス)の反応からそうもいかないようだ。

 

「あまり、人数は集まらなかったな」

 

 骸骨兵の掃討など、土台無理な話だった。あれらを駆逐するにはそれこそ十刃(エスパーダ)でなければ不可能で、この虚夜宮(ラス・ノーチェス)に残っているのはたったの二名なのだから。

 

「まあ贅沢は言うまい。吾輩がお嬢さん(ニーニャ)の足を止めをし、必ず隙をつくる。ーーなんとしてでもだ。そして青年(ホーベン)決めろ(・・・)

「相手ニルフィだろ。オッサンが頑張ってどれくらい足止めできんだよ」

「そうだな……」

 

 文字通りの全力を尽くすとすれば、

 

「まあ、多く見積もって六秒だな」

「嘘つくんじゃねえよ。右足、(すね)が折れてんだろ?」

「では五秒」

「あばら数本ヒビ入ってんのはどうだ?」

「……では、四秒だ」

「ニルフィの従属官(フラシオン)にしてもらうんじゃねえのか」

「そこは祝いたまえ」

 

 まあ、と数歩前に出たドルドーニが続ける。

 

「正直、ーー三秒。三秒だ。三秒ならば、お嬢さん(ニーニャ)を足止めして、隙をつくることができるのではないかね」

 

 腰に下げた斬魄刀の柄に手を添える。

 

「凄いだろう? まさか吾輩などが、三秒であの少女を救う道をつくれるのだから」

 

 予定通りというべきか、二人の前に血まみれのニルフィが響転(ソニード)で姿を現した。

 グリムジョーもドルドーニに止めろと言うことはできなかった。

 ならば、もう。

 

()くぞ、助けるために」

 

 言った瞬間だ。ドルドーニの左右に、ふたりが並んだ。

 アフロヘアーとゴスロリファッションの、特徴的な男女。どちらもくたびれ傷ついた死覇装姿だ。

 

「なぜ……」

「俺はーー、二秒弱がーー、限界だーー」

「ならあたしは四秒ってトコ? これでなんとか九秒弱ね。すごくない!? 修練しててこんなに持ったときないわよ」

 

 ドルドーニはあえてこのふたりを呼んでなかった。

 自分よりも霊圧を消費してるだろうし、とりわけニルフィとも仲が良かったメンバーだ。殺されてもいい。彼らには、そう思って欲しくなかった。

 しかしそれこそ、彼らにとってはいい迷惑である。

 

「……頼むぜ、グリムジョー・ジャガージャック。こっちは子供を保護者に届けたあとなんだ。……疲労困憊でロクに動けやしないぞ」

「不本意だけど手伝うわよ。あんたじゃなくて、あのチビのためにね」

「ーーーー」

 

 グリムジョーは珍しく呆気にとられたような表情をして彼らを見やる。

 自分より弱いくせに、自分よりも真っ直ぐに前を見ているではないか。

 

 ここに来るまであれほど内心で燻っていた苛立ちは不思議と消えていた。それもそうだ。うじうじ悩むより、こうして暴れてすべてを解決するために動くほうが性にあっている。

 

「ーーハッ」

 

 やっと、自分らしく笑えた気がした。

 

「仕方ねえから手伝わせてやる。足引っ張んじゃねえぞ」

「そちらこそヘマをするなよ青年(ホーベン)

「……あー、俺たちゃこう、やっぱ暴力でしか解決できねえのか」

「殴って止める。それしか方法がないならおあつらえ向きでしょ」

 

 チルッチの言葉に皆が笑った。

 そして全員は、ふいに笑いを止め、もはや姿も明確になった奇獣を背負う少女に向き直る。

 

 ーー『暴風男爵(ヒラルダ)

 ーー『車輪鉄燕(ゴロンドリーナ)

 ーー『龍拳(ドラグラ)

 

 かつて十刃(エスパーダ)であった三人は(ホロウ)としての本来とも呼べる姿へ変わる。

 グリムジョーもまた少女の空虚な眼窩に、獰猛に笑いながら真正面から見返した。

 

「ーーまだ寝ぼけてるつもりなら叩き起してやるぜ、ニルフィ!」

 

 叫び、指先に霊圧を溜めて刀の刃を引っ掻く。

 

「ーー(きし)れ『豹王(パンテラ)』」

 

 それが開戦の合図だった。

 奇しくも九秒で、この戦いの決着は付くこととなる。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 一秒。

 

 

 時計の秒針がそれだけの時間を刻むより先に、傷ついた身体に鞭打ってガンテンバインが動く。響転(ソニード)十刃(エスパーダ)に比べてけして速いわけではないが、巧い。ガンテンバインに反応した奇獣が致死レベルの拳を放つのを紙一重で回避する軌道を描き、ニルフィに肉薄。両手に込められた龍の霊圧をそのままに連打。かつてないほどのキレだ。冴えすぎて痛いほどの視界のなかで、ガンテンバインは自分の攻撃がニルフィに到達するのが見えた。

 

 響舞(カリマ)

 

 しかし届かない。到達したのに、届いていない。眉間、人中、心臓、鳩尾、肝臓、膵臓、その他いくつかの急所。まるで幻覚を見せられたかのように逆にガンテンバインは二十の打撃を返され、喉から滝のような血が溢れて両眼がグルンと裏返る。

 

 

 二秒。

 

 

 途切れかけた意識を拳士が無理やりつなぎ止めたのはその時だ。

 

「ぐっ、オオオオオオォォォォッ!!」

「ーーーー」

 

 興味を失ったかのように目を逸らしたニルフィが気づく。眼前には龍のアギト。それがなにがなんでも喰らいつかんとばかりに大口を開けていた。

 

 『大紅蓮氷輪丸(だいぐれんひょうりんまる)』 竜霰架(りゅうせんか)

 

 竜牙が空を切った。ニルフィの姿はガンテンバインの背後に。手刀がそのたくましい背中を浅く食い破り、刹那、そこを中心としてガンテンバインが十字架型の氷塊に閉じ込められた。

 しかしわずかでも動きを止めたニルフィに複数の羽刃が襲いかかったのは、その時だった。

 

 

 三秒。

 

 

 わかっていなかったわけではない。これは殺し合いだ。何度もやったことがある。しかし想像できるはずもなかった。まさか自分のような存在を大好きだと真っ直ぐに言ってくれた相手が殺しにかかってくるなど。

 だが、覚悟があるのとないのとでは違う。

 眼帯の優男がつくってくれたこのチャンスを、チルッチは逃すつもりはなかった。

 

 チルッチは見ていた。倒されるガンテンバインではなく、ずっと、ニルフィの姿を。それでも見えてしまった。ガンテンバインの目が、覚悟が、自分に託されたことに。一瞬一瞬のシーンが刻まれながら視界に映り、ガンテンバインが身を挺してつくった隙に合わせて翼を振るう。

 

 断翼(アラ・コルタドーラ)“散”(“ディスペルシオン”)

 

 これだけでニルフィに効くとは夢にも思ってない。だからーー捨てる(・・・)。刀剣解放の性質上、羽を排除すればもう二度と扱うことはできない。しかしそれがどうした。これがニルフィを助けることに繋がるならば、いくらでも身を削ろうではないか。

 

 断人(ラ・コルタドーラ)“剣士”(“グラディアトール”)

 

 翼を代償としたことによって得た、尾の部分から生み出す霊子の刃。

 チルッチの覚悟を体現した剣が振るわれた。

 

 

 四秒。

 

 

 刃羽をしのいだニルフィがわずかに動きを止める。それを意識の端で察したチルッチはまず第一の賭けに勝ったことを理解する。ニルフィはその優れた記憶力のせいで、未知のものを観察してしまうクセがあった。チルッチがこれまで見せたことがない技。それを観察するために無意識に足を止めたのだ。

 ーー激突。

 

 

 五秒。

 

 

 奇獣が腕を交差して受け止めている。無機質な金と赤の双眸がチルッチを見つめ返していた。

 

「あああああああああァッ!!」

 

 ただでさえ燃費の悪い帰刃(レスレクシオン)だというのに、その上、十刃(エスパーダ)最硬の鋼皮(イエロ)を突き破るつもりで霊子の剣を強化しているのだ。わずか数秒の出来事だというのにチルッチは顔から滝のような汗を流し、すでに己の限界へと達している。

 それでもチルッチの剣は止まらない。大気を撹拌させ、打ち砕き、蛇がのたくるようにニルフィをその場に止めようと剣筋を残す。

 己を叱咤して、前へ前へと突き進んだ。

 

「ーーーー」

 

 最初は剣を生んでいた尻尾だった。それから右翼、右前足、左翼と、破裂したかのように次々とふき飛ばされる。

 

 『蔦嬢(トレパドーラ)』 蝕槍(ランサ・テンタクーロ)

 

 奇獣の背中に八本もの触手が生えた円盤がいつのまにかできていた。先端に氷の槍をくっつけたような触手が伸び、いとも容易くチルッチのパーツをなぎ払う。

 そしてそのうちの一本がチルッチの腹を突き破った。

 

 

 六秒。

 

 

 無駄なあがきだとしても、ほんのわずか。ほんのわずかでもいいから時間を稼ぐためにチルッチは腹に力を込めて触手を抜けさせまいとした。

 自分はここで終わりだ。しかし無力感は不思議と湧かなかった。

 なぜなら次に繋がったと確信したからだ。

 

「……ドルドーニ!!」

「ーー応!!」

 

 チルッチの叫びに男が応えた。

 

 

 七秒。

 

 

 ドルドーニは自分が飛び出すと同時に、背後でより巨大な霊圧の波と圧力を感じた。自分たち十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)三人を簡単に凌駕する威圧感。それは、どう考えてもグリムジョーのものとしか思えない。ガンテンバインがやられ、チルッチが伏し、それを歯が砕けんばかりに睨むように見ていた彼の心情だった。

 

 すでに賭けは成立している。

 あとはドルドーニがニルフィの瞬足での回避を防ぐだけ。

 

 そしてグリムジョーに繋げるのがドルドーニの役目であり義務だ。

 それを果たすためにドルドーニが爆発させた霊圧は暴風へと変化し、体重の軽いニルフィを空へ舞い上げた。

 

 

 八秒。

 

 

 ニルフィはわずかに迷った。ここで大規模破壊攻撃ーー重光虚閃軍(セロ・インフィニート)黒虚閃(セロ・オスキュラス)ーーを使えば間違いなくドルドーニを圧殺できる。だが喰らうために動いているニルフィにとって、相手を消し飛ばすようなことはできるだけ避けたかった。

 そしてさらに後方にいる膨大な霊圧をまとったグリムジョー。これが無視できない。グリムジョーならばノイトラのものを模した鋼皮(イエロ)を食い破るはずだろうし、隙を突かれて一撃必殺の攻撃を受けた場合、あくまで防御力だけが向上しただけの貧弱なニルフィの体力では耐えられない可能性が高い。

 

 そして『無貌幻魔(イルシオン)』の無貌姫(カーラ・ナーダ)の本来のチカラである能力完全模倣。

 これが制約として最大二つまでしか同時に発現できないのだ。

 

 現在は『大紅蓮氷輪丸』と『蔦嬢(トレパドーラ)』で枠を使ってしまっていた。変えるためにはわずかな隙が生まれ、さらにガンテンバインとチルッチ、ドルドーニの波状攻撃によって変える暇がなく、この場では効率的な能力が選択できなかった。

 それと同時に機動力も殺されており、この戦いではじめて危機感を抱く。

 

 彼らはここまで計算していたのだろうか。

 このためだけに命を犠牲にしたのだろうか。

 

「はああああああぁぁぁぁッ!!」

 

 双鳥脚(アベ・メジーソス)

 

 体勢の崩れたニルフィに嵐と化した嘴が無数に放たれた。予想より、鋭く、重い。防御にまわした奇獣の腕が傷ついた。この異常な威力の増加。おそらくニルフィと同じで命ともいえる魂魄を強引に燃やしている。そこまでしてこの男は自分をここに留めたいのかと、わずかな苛立ちがこれまで無表情だったニルフィの顔に浮かんだ。

 

 もう取り返しのつかないところまで来ている。たとえ終わらせたところで、ニルフィの手は血に染まり、いるはずだった仲間が消えた世界しか残らない。

 ならばもう、壊すしかないじゃないか。壊して、ゼロに戻して、それで終わればいいじゃないか。

 

 瞬閧

 

 内部破壊の拳がドルドーニの心臓に突き刺さった。

 

 

 九秒。

 

 

「グリムジョー!!」

 

 ドルドーニが最後の叫びを上げた。

 はじめて、青年の名を呼んだ。

 その彼の両手はたしかにニルフィの突き出した腕を掴んでいる。

 

「ーーーー」

 

 ニルフィが目を見開いた。後方にいるかと思っていたグリムジョーがドルドーニの背後の影から現れたのだ。

 『豹王(パンテラ)』を発動させたグリムジョーの姿は右頬から仮面が消え、額に仮面が形成されている。顔つきも鋭い牙、猛獣の鬣を思わせる長髪、獣の様に尖った耳など、獣人の様に変化していた。

 ここまで飛び上がるために使ったであろう脚も豹のそれを思わせる形状に変わり、関節部には刃を、鞭のようにしなやかな尻尾も含め、まさに戦うためだけの身体となっていた。

 

 幻光閃(セロ・エスベヒスモ)による目潰し。ーー間に合わない。虚閃(セロ)の使用。ーー間に合わない。触手による盾。ーー防御不能。氷による盾。ーー防御不能。響転(ソニード)による回避。ーー不可能。

 

 それだけグリムジョーの刀剣解放の俊敏性は高かった。

 しかしニルフィもわかっていたのだ。茫然自失になっていながら戦闘センスの冴えは変わらず、だからこそ最初から本命であろうグリムジョーを警戒していた。それが時には躊躇いとなり、少女の動きに精彩を欠かせた。意識を逸らしたことなどない。だがしかし、こうして彼らの分の悪いはずだった賭けに負け、そのツケが目の前にある。

 

 この瞬間。この瞬間のためだけに、すでにグリムジョーは最大最高の技を繰り出していたのだから。

 

 豹王の爪(デスガロン)

 

 両の爪から創られた、空中に浮かんだ霊圧による十本の青い巨大な刃。

 それが巨大な獣のアギトのようになり、夢から醒めぬ少女の左右から襲いかかった。




作者は十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)の皆さんが好きですが文句ありますか(*´д`)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事ここに至ろうと、我々の辞書に諦めの文字はない

脇役を活躍することにかけて随一な藤田和日郎先生ってやっぱスゲェわと思う今日この頃。


 虚圏(ウェコムンド)にもはや無事な場所など無いのではないのか。そう思わせるような事態になっているのは少女の姿をした骸骨兵が原因だろう。

 それはこの第五の塔も例外ではなかった。

 

「き、来てる! そこまで来てるってロリ!」

「わかってるってば! ていうかメノリ、とっととソイツ捨てなさいよッ」

「そうだけどさぁ……!」

 

 織姫は情けない声を上げるメノリに担がれ、骸骨兵たちに占拠された塔を脱出している最中だった。ツインテールの破面(アランカル)ーーロリは帰刃(レスレクシオン)を発動しており、中距離からなぎ払う攻撃で、なんとか骸骨兵を近づけさせないようにするのに精一杯だ。それを織姫が一瞬しか持たない盾で援護し、メノリが虚閃(セロ)で怯ませる。危うい均衡だったが、なんとか三人は入口付近まで降りてこられた。

 しかし、なぜ破面(アランカル)の少女二人と織姫が協力する流れになったのか、当事者の彼女たちにもわからない。

 

 ロリたちが第五の塔にやって来たのは、藍染が織姫を用済みと宣言したことを機に、懲りることなく織姫に再び暴行しようと思ったためだ。

 しかし織姫のいる階層に辿りついたはいいものの、どこからか現れる骸骨兵たち。

 骸骨兵はルドボーンのそれよりも強かった。むしろ戦闘が得意ではないロリたちでは一体だけでも太刀打ちできないほどに。

 

 ロリたちは骸骨兵に倒され、喰われかけていたときに織姫に助けられたのだ。

 そして忌々しいことに、また傷を癒されたりもした。

 もはや織姫をどうこうする以前に、借りを作りたくなかったのと獲物を骸骨兵に奪われたくなかった、そしてここから生きて逃げるためには織姫のチカラが必要だったという理由もあり、彼女を担いで不本意な逃避行をすることになる。

 

 幸運だったのは骸骨兵たちの目的が喰らうためであったことだろう。

 いかにロリたちが数字持ち(ヌメロス)の端くれといえど、十刃落ち(プリバロン・エスパーダ)級の虚閃(セロ)を連発されていたらすでに消し炭になっている。それをしないのはやはり、できるだけ喰える状態で殺したいためだ。

 さらにはニルフィの普段は隠している嗜虐趣味までコピーされているのか、文字通りいたぶる程度の攻撃しかしてこないのが幸いしている。まあそれが彼女たちにとって幸せかどうかとしてだが。

 

「見えた、出口!」

「メノリ交代!」

 

 前方を走っていたロリが振り返りながら立ち止まり、その脇を織姫を抱えたメノリが駆け抜けていく。

 

 奇酸瀑布(ディリティリオ・ベネノ)

 

 ロリは霧状となった物質を溶かす毒を散布した。

 あくまでこれは足止めのためだ。それを突き破ってくるであろう前に逃げようとするが、突如として足を止めた骸骨兵たちの挙動に違和感を覚える。

 

「……なによ?」

 

 今更この程度の技で尻込みするような敵ではないと知っている。

 だからこそ、すぐになにか別の要因があるのではないかと警戒してしまう。

 

『――――』

 

 まるでエサに興味を失ったように、クルリと踵を返して去っていく骸骨兵たち。もしや本体(ニルフィ)と同じで虚を突いたいやらしい攻撃を仕掛けてくるのか。そう思って構えるものの、本当にロリたちを見逃したようだった。

 

「……ぁ」

 

 ドッと疲れが襲いかかってきたことで、刀剣解放を解除したロリは荒い息で肩を上下させる。

 もしこのまま障害物のない外に出れば。そしてそこで四方を囲まれていれば。……おそらく自分たちは成すすべなく喰われていたと、心のどこかで理解していたためだ。

 

「――ロリ、大丈夫なの!?」

「大丈夫じゃ……ない」

 

 心配して一人で戻ってきたメノリにぞんざいに返す。

 今日は厄日だ。

 アネットに文字通り灰にされて、そして生き返ったかと思えば今度は喰い殺される直前だった。

 それもこれもあの崩姫(プリンセッサ)と幼女に関わったのがすべての原因である。

 

「それよりアンタ、あの女は?」

「出口のそばに置いといたけど……」

「もうあんなのいいから逃げるわよ! アレに関わったら今度こそまた殺されて……それでまた生き返らされて、また殺される気がするもん! それでまた生き返らされて……ああ! いやよ、そんなの!」

「……そう、だね」

 

 ヒステリックに叫ぶロリにメノリも同意する。

 自分たちが織姫の近くで死ねば、必ず彼女はロリたちを再生させることだろう。

 死ぬというのはかなり精神にクるもので、一度ならともかく、一日に何度も生き返ることになると発狂する。そういった予感が一度生き返った少女たちにはあったのだ。

 

 いまだに恨みはあれど恐怖が打ち勝ち、やはりまともな命が惜しいと思わせた。

 話がまとまりかけたとき、二人は揃ってとある霊圧を感じとる。

 

「グリムジョー? それにドルドーニのも……かなり近いけど。そうだメノリ! あいつらの近くにいれば死ぬ確率が少なくなるわよ!」

「ど、どうだろ。ドルドーニならともかく、グリムジョーだと出会い頭に虚閃(セロ)で上半身吹き飛ばされたり、ロリは脚折られそうな気がするんだけど……」

「なにワケ分かんないこと言ってんの。藍染さまが帰ってくるまで、どんなことしてでも生き残んなきゃ……」

「……うん」

 

 自己主張の弱いメノリはとっとと前を行くロリを追いかけるしかない。

 

「……あれ?」

 

 ようやく出口を潜ると、近くに置いていた織姫の姿がなかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 行き場のない不安から来る胸騒ぎがしたため、走りにくい砂上を織姫が必死に駆けている。

 ほかの誰でもなく、偶然屋外にいて近くにいただけの彼女だからこそ、その戦いの一部始終を見て感じることができた。

 

「――待って!」

 

 織姫の悲痛な色に染まった叫びは、たしかに届いた。

 荒れたクレーターの中央。そこに悠然と立っている白い髪が何房も混じった髪になったいるニルフィのそばに、四人の破面(アランカル)が倒れふしていた。

 そのうちの一人である見覚えのある青年、グリムジョーの肉体の損傷は特にひどく、まるで無防備なままに機関銃の掃射でも食らったかのようだった。

 ニルフィはそんな彼の肩口に顔を近づけ、肉を()もうとしている。

 

「……ッ!」

 

 織姫は虚夜宮(ラス・ノーチェス)に連れてこられた初日、ニルフィとグリムジョーの関係はおおよそながら察している。

 あれほどグリムジョーの腕が治ったことに歓喜した少女が、いまでは彼を傷つけているのだ。

 グリムジョーだけではない。ほかの三人の破面(アランカル)もまた、ニルフィとはなんらかの好ましい関係であったはずなのに。

 

 奇獣が赤い両目をグルリと動かして織姫を見つけると、ニルフィもまた身体を織姫へと向ける。

 上げかけた悲鳴を抑えた自分を褒めたかった。

 ニルフィの瞳からは滂沱の涙が溢れている。それが口元に塗れている血を流し、首筋を伝って胸元を汚していた。それはまだいいくらいだ。グリムジョーの血を丁寧に舐め取ろうとすれば普通はこうなる。

 しかしなぜ立てるのかと思うような、不釣合いなほど大きな裂傷がニルフィの小さな体に刻まれており、それが臓腑まで見えそうな深さまで達している。痛々しいという言葉でさえ不足なほどに。

 そこで自分の傷に気づいたかのようにニルフィが能力を行使する。

 

「――――」

 

 超速再生。

 決死の覚悟、命の代償、そうして刻まれた傷が拍子抜けするほど跡形もなく消えてしまった。

 

「……あ」

 

 彼らのことはなにも知らないはずなのに、織姫は胸が締め付けられたようにビキリと痛む。

 

「ニル……ちゃん」

「――――」

 

 織姫にさして興味を示すことなく、またニルフィはグリムジョーに顔を寄せる。

 それを防いだのは半透明な逆三角形の盾だった。

 

 三天結盾(さんてんけっしゅん)

 

 ニルフィが盾に弾かれて尻餅をつく。

 そしてゆっくり、邪魔をした織姫に殺気混じりの視線が送られた。

 

 首が飛ぶビジョン。身体が破裂するビジョン。閃光で焼き殺されるビジョン。それらが幻覚となって織姫を襲うが、喉がカラカラになって喘ぐような息しかできなくなっても、ニルフィから目をそらすことだけはしなかった。

 

「……駄目、だよ。駄目だよ、そんな……そんな、辛いこと、したら」

 

 大切なものを捨てるということを理解しているからこその懇願だ。

 織姫は虚夜宮(ラス・ノーチェス)へ来るために、数多くのものを捨ててきている。友人も仲間も恋もなにもかも、だ。

 その辛さを彼女はよくわかっていた。

 それは身を引き裂かれるような痛みという表現さえ生易しい。

 

 果たして、織姫の部屋を訪れて仲間が傷つかない世界を無邪気に夢見たニルフィにそれが耐えられるだろうか?

 人形のような表情のまま涙を流している少女の痛ましい姿を見て見ぬ振りなど、織姫にはできるはずもない。

 

 盾が邪魔とばかりに奇獣が腕を振り上げる。

 ダメだ、あれ以上仲間思いの少女に冒涜的な行為をさせてはいけない。ただそう思った。

 

「――やめて!!」

 

 気付けば織姫は咄嗟にグリムジョーとニルフィの間に身体をすべり込ませ、両手を広げて青髪の青年を守るように立ちふさがった。

 落とされる拳。

 再び発現した盾など木っ端のように砕け、織姫ごとグリムジョーは叩き潰されてしまう、それだけ力のある攻撃。

 盾が割れた音を聴く瞬間、情けなくも織姫はギュッと目をつむってしまった。

 即死にあるかどうかもわからぬ痛みに備えて身体を硬直させること、一秒、二秒。

 しかし金属じみた音のあとに想像していた衝撃が襲ってくることはなかった。

 

 おそるおそる目を開けると、白い腕で逆手に掴んだ斬魄刀の刃が見えた。まるで彼女を守るかのように三天結盾(さんてんけっしゅん)に代わる盾となって奇獣の拳を受け止めている。

 しかし互いのあいだからは拮抗するような軋む音はなかった。

 

「……俺が止めてやるまでもなかったか。その寸止めが、おまえのこの女に対する借りを返すということなのか」

 

 ガラス玉のような眼窩がニルフィを貫く。

 

「――そうだな、リーセグリンガー?」

 

 その男を認識した瞬間、ニルフィはクレーターの外へと弧を描くように宙返りする。

 そして奇獣が大口を開け、虚圏(ウェコムンド)の端まで響き渡るような咆哮を上げた。

 

仲間(コピー)を呼んだつもりなら無駄だ。最後の一体はさっき始末してきたばかりだ」

 

 このような状況でさえ声音を変えず、色白の青年がクレーターを上がっていく。

 倒れたものたちを一瞥し、わずかに動きを止める挙動をすると、それが幻覚だったかのように機械的に足を動かして彼らに背を向ける。代わりに懐から取り出した小袋を織姫に投げ渡した。

 

「……女、それを持ってろ。渡さなければうるさい奴がいるんだ」

 

 クッキーの入った小袋を抱えた織姫が見守るなか、青年は砂坂を上りきり、威嚇する奇獣を背負ったニルフィと相対した。

 きっかけはわからない。

 ただ両者の姿が掻き消えると、幾重にも重なる衝突音の発生源がすさまじい速さで空を模した天蓋をそのまま突き破っていく。

 月明かりだけが頼りの空の下、絡み合うように接近していた二人は同極の磁石のように距離を取り、軽やかな身のこなしで屋上に着地した。

 

 青年の任務は虚夜宮(ラス・ノーチェス)の防衛だ。

 すでに死神たちの交戦意欲は低く、あちらはほぼ無視しても構わない。そして目下の問題であったがん細胞のような骸骨兵たちを処分すれば、次の対応優先順位となるのは――ニルフィだ。

 

 すでに虚夜宮(ラス・ノーチェス)にはいくつもの、少女を“止める”ために刻まれた傷跡が生々しく残っている。駆け回っていた青年は自然と目にすることも多くなり、そのたびになぜかグリムジョーなどの破面(アランカル)の顔が頭に浮かんだものだ。

 遠くにあるヤミーの戦闘痕を横目に、青年が口を開いた。

 

「本来ならばおまえが最初に戦うはずだったのは、ゾマリ・ルルーではなくあいつ(ヤミー)だった。その場合、あの男は気兼ねなくおまえを殺そうとしただろう。……だが初めて他人のために力を使った、あの馬鹿で間抜けで阿呆で、そしてどうしようもなく直情的にしか行動できなかったあいつは……どうだった?」

「――――」

「……無駄な問いかけだったな。その能力でどれだけ記憶を残せているんだか」

 

 迷いを振り払うように首を振り、改めて青年が尋ねる。

 

「止めるつもりはないんだな、リーセグリンガー?」

「――――」

 

 答えは意志として。

 

 『豹王(パンテラ)

 

 ニルフィと奇獣の姿がより獣じみたものに変貌したことで、そうか、と青年が目を瞑った。

 

 

「――(とざ)せ『黒翼大魔(ムルシエラゴ)』」

 

 

 黒い液体が舞い上がり、雨のように降り注ぐ。

 天蓋内では禁じられている特定番号以上の帰刃(レスレクシオン)

 それにより、天蓋をこのまま崩落させそうな霊圧の重さが虚夜宮(ラス・ノーチェス)を襲った。

 

「策でも数でもおまえを止めるのが不可能だったならば、あとはこうするしかないだろう」

 

 第4十刃(クアトロ・エスパーダ)ウルキオラ・シファー。

 彼の背中に巨大な漆黒の翼が形成され、仮面の名残が四本の角のついた兜のようになり、服もロングコート状のものに変わる。

 目元のより大きくなった仮面紋(エスティグマ)のせいで、そこから覗く彼の黒目は深淵のようだった。

 

「――単純な実力でケリをつける、ただそれだけだ」

 

 煌々と輝いている三日月を背後に控えさせ、ウルキオラがそう言った。

 この時まで胸に渦巻くナニカを知るために、彼もまた少女を止めようと霊子の槍を握る。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 現世、空座町。

 正確に言うならば、その町の座標につくられたレプリカの空座町上空。

 四方に突き刺さった“転界結柱”により住人たちは眠らされたまま尸魂界(ソウル・ソサエティ)に送られており、浦原喜助や護廷十三隊のおかげで彼らに被害の出ない戦闘空間が作り出され、その上空に浮かぶ者たちを見るものはいない。

 

 しかし移動させられたのは住民のみであり、空座町に跋扈(ばっこ)する(ホロウ)や地縛霊などはそのままだ。

 町のあちこちで彼らが自壊や破裂するなどの怪現象が起こっている理由もまた、上空に浮かぶものたちが原因でもある。

 それもそのはず、一同に会しているのは護廷十三隊の副隊長以上のクラス、あるいは破面(アランカル)でも指折りの十刃(エスパーダ)を含めた藍染惣右介たちなのだから。

 木っ端の霊魂など彼らの出している霊圧だけで押しつぶされるのだ。

 

「皆、下がっておれ」

 

 最初に一手を投じたのは一番隊隊長、また護廷十三隊総長である山本(やまもと)元柳斎(げんりゅうさい)重國(しげくに)

 彼は現存する斬魄刀でも最強と称される刀を、普段隠している鞘代わりの杖から抜き出した。

 すると元柳斎の背後に塔のごとき火柱が上がる。

 

「万象一切灰燼と為せ『流刃若火(りゅうじんじゃっか)』」

 

 炎を纏わせた刀身を一閃すると、龍のように流れた陽炎が再び炎へと戻り、藍染ら虚圏(ウェコムンド)側の死神たちを壁となって取り囲んだ。

 

 城郭炎上(じょうかくえんじょう)

 

 これにより、藍染はしばらく身動きの取れない状態になる。

 

「うおっ、あちっ」

 

 すぐそばに生まれた炎の壁からスタークが慌てて身を引いた。

 逆にいえば残った破面(アランカル)たちの反応はそれくらいのもので、バラガンもハリベルも、トップが隔離されたというのに動揺はない。

 ――ああ、藍染は自分たちに任せるのか。

 当初の予定がほんの少しだけ変わったくらいの認識であった。

 

「……さァて、どうしたモンかのォ。敵は山ほど、ボスはあのザマだ」

 

 憮然とするバラガンのハリベルが苦言を呈した。

 

「藍染様に口が過ぎるぞ、バラガン」

「お前は儂に口が過ぎるぞ、ハリベル。なんじゃ、前々から思っとったが、ニルフィがお前のところより儂のもとに来るのが気に入らんのか」

「貴様は菓子で釣っているだけだろう。しかし残念だろうな。その老体ではあの子と外で遊んでやることもままならないはずだ」

「失敬じゃな、儂は生涯現役だ。この前などあの小娘を肩車してやったわい」

 

 バラガンが指を鳴らすと、配下たちが空中に即席の玉座を作った。

 ドカっと座る主人の背後で、従属官(フラシオン)たちが口を真一文字に引き結んでいたのは、『あのあとちょっと腰痛めてませんでした?』という命知らずなことを言いそうになったから……かもしれない。

 

「……ともかくだ。ボスが身動き取れん以上、儂が指令を出させてもらう。文句は言わせんぞ」

「いいんじゃねえの――あ痛! なにすんだよリリネッ――痛い!」

 

 内野がやかましいのをバラガンは無視する。

 スタークは頼りなく、ハリベルも戦っている方が性に合っている。

 どちらにせよ、彼を除いた二人の十刃(エスパーダ)に指揮など向いていないのだ。

 

「ふむ」

 

 たしか視線の先にいる破面(アランカル)の出方を伺っている死神たちとの会話において、足元の重霊地は偽物とのことだった。尸魂界(ソウル・ソサエティ)で作成されたレプリカと入れ換えたと。

 藍染は尸魂界(ソウル・ソサエティ)まで侵攻して重霊地を手に入れれば良いと言っていたが、果たして、そんな面倒なことをする必要があるのだろうか。

 こちらにも時間がない(・・・・・)というのに。

 ならば入れ替えたという話の理屈として、四方にある柱を壊した場合はもとに戻るということ。

 

 腰を据えてからわずか数秒。

 バラガンの決断は早かった。

 

「ポウ、クールホーン、アビラマ、フィンドール! 東西南北、すべての柱を潰せ」

『ハッ、陛下の仰せのままに!!』

 

 重要な拠点にだれも配備していないのは考えずらく、凡百の兵隊を無駄死にさせるより従属官(フラシオン)たちに対処させたほうがいい。

 それにバラガンの配下たちとニルフィは関わりすぎた。

 できるかぎり、仲間の死は少なくしたかった。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「はいはいはいはァ~~~~~~い!! ちゅうも~~~~~~~~~~く!!」

 

 リズミカルに手拍子してからポーズを決め、南の塔へとやってきたエキゾチックなオカマが視界ダメージ必須なバチコーンという擬音のするウインクを飛ばす。

 

「バラガン陛下の第一の従属官(フラシオン)、シャルロッテ・クールホーンちゃんが来ましたよ~~~~っ」

「な、なんだコイツ……」

 

 九番隊副隊長の檜佐木修兵(ひさぎしゅうへい)はドン引きしていた。

 命懸けの戦いを予想していたのに、やってきたのはどう見てもイロモノ枠なオカマなのだ。

 そんなある意味正しい檜佐木のリアクションにシャルロッテは憤慨する。

 

「なによちょっと貴方! せめて美しいくらいの感想言いなさいよ!」

「その感想はべつの相手に言いてえな」

「アラやだっ、貴方よく見たら地味だけどイケメンじゃないっ。……でもダメね、なんかむっつり臭いわ。もしかしたら小さい女の子に性的な視線送ったりでも――」

「するわけねえだろ!」

 

 なぜ敵とこんなことを語らねばならぬのか。

 うんざりしながら檜佐木が斬魄刀の始解『風死』を顕現させる。

 しかし小さな女の子という言葉に反応したわけではないが、日番谷先遣隊を壊滅させたという警戒令の出されていた、件の少女らしい姿も戦場にないことにも気づいた。

 

「……あのニルフィネスって奴はどうした?」

 

 シャルロッテは一瞬だけ顔を暗くする。

 しかしそれが幻だったかのように、いまにも歌いだしそうなほど陽気な表情をつくってみせた。

 

「ニルちゃんはあたしのマブダチよ。残念だけど、死んでなんかいないわよ!」

 

 自分に言い聞かせるように、強く、強く、破面(アランカル)が拳を握った。

 

「あたしたちが今日ここで刀を抜くのも、あの子のためなのよ。あたしたちは変わったわ。いつまでも終わらぬ夜の世界から、まるで闇の天幕が失せて朝になるように! あの子はね、あたしたちをいつも照らしてくれる……そう、太陽なのよ! たとえなにがあろうと曇らせてはいけない、美しい輝きの!」

 

 大振りな斬魄刀を片手にシャルロッテがポージングを決める。

 

「そしてあたしは月! あの子のおかげでもっともっと輝ける存在なの! ……そこをどきなさい。あなたごときにかかずらってる場合じゃないのよ」

「いいだろう……なんて言うかと思ったか?」

「そう、罪深いわね。――月が直接お仕置きよ!!」

 

 シャルロッテ・クールホーンVS檜佐木修兵、開戦。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 西の柱。

 そこに着地したチーノン・ポウの巨体に、十一番隊第五席である綾瀬川弓親(あやせがわゆみちか)は眉をひそめた。

 

「これはまた随分と……美しくない敵だね」

 

 ポウの肉体は主立った従属官(フラシオン)よりも巨体の持ち主であり、両腕は異様に長く大きく、虚ろな顔立ちが不気味さを増長させている。

 当のポウといえばさほど反応することなく、自らも思ったことを口にした。

 

「その割には貴様の顔も随分と醜いものだな」

「……この借りは返す心づもりだったんだけどね。どうにも、この決戦に来てないみたいで拍子抜けだよ」

 

 弓親はいまだに腫れの引かぬ顔を包帯で隠していた。死覇装に隠れているが、カラダのほうも先日までは見れるものではなかった。

 日番谷先遣隊にいた彼はニルフィによって一度スクラップにされており、あとの引かぬその怪我を承知の上で防衛陣に加わらせてもらったのだ。

 すべてはここまで自分を醜くさせた少女を倒すために。

 

 残念に思っている彼の頭上からため息。

 なぜかポウがやれやれと首を振っていた。

 

「貴様のことは知っている。拍子抜けしたのはこちらのほうだ」

「どういう意味かな?」

「彼女に殴られたり蹴られたりされてからまずすること、それすなわち怒るでも悲しむでもない。――悦ばねばならぬのだ!!」

「…………は?」

 

 呆ける弓親を置いて、ポウが腕を振り回しながら力説する。

 

「あの時すごカタ! 殴られル、痛いけど気持チイイ! ワタシ、目覚めた、あの柔らかくてしなやかな手や御御足(おみあし)でしばかれるコト。すべて快感にナル! アレ、運命の日ダタ!!」

 

 いつもは隠している虚圏(ウェコムンド)の辺境出身ゆえの方言がダダ漏れである。

 しかしポウがここまで熱狂するのも理由があった。

 かつてニルフィが初めて虚夜宮(ラス・ノーチェス)にやってきた日、実は彼女が最初に攻撃した相手は他ならぬこのポウなのである。

 

 特殊な性癖に目覚めさせられ、また最初にやられたという誇りを持ち、間違ったベクトルでニルフィのファンとなるのにそれほど時間は掛からなかった。

 しかもなまじニルフィにサディストの適正があるのがいけない。

 模擬戦ではタフなポウの倒れぬギリギリのラインの打撃でしばきまわすなど、二人の相性は教育に悪すぎる方面でピッタリだったのである。

 

「……とりあえず、君はここで殺しとかないといけない存在なのはわかったよ」

「ゴホン。バラガン様の従属官(フラシオン)である限り、私に真の敗北はない」

 

 ポウはすべてを弓親に語ったつもりはない。

 この秘すべき考えは従属官(フラシオン)――バラガンも含めた第2十刃(セグンダ・エスパーダ)主従に共通するもので、言わずとも互いに理解していることだから。

 

 ニルフィは笑っているべきだ。

 泣かせてしまうのはなによりも避けねばならぬ事柄だ。

 退屈だと思わなくなったあの日常を、笑顔の絶えぬあの日々を。

 一抹の寂しさを背負っていた主人が求めていた、あの時間を。

 

「……我々は、陛下に捧げねばならぬだ」

 

 ポウのつぶやきは拳と刀の風きり音によってかき消された。

 チーノン・ポウVS綾瀬川弓親、開戦。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

「うおおおおおおおおおお!! ()ってやる()ってやる!! ()ってやるぜえ~~~~……ってオイ! なんでオメーも一緒にやらねーんだよ! ノリ悪ぃヤツだな!」

「前ブリなしにそういうことされて乗っかれるワケねえだろ」

 

 北の塔を守る十一番隊第三席、班目一角のもとへとやってきたのはアビラマ・レッダーだ。

 アビラマは戦闘前に自分の士気を鼓舞するため、相手を倒すという気持ちを込めて互いに絶叫しあうというのを仕来りとしている。

 しかしそれに乗っかったのは過去にも現在にも、ニルフィただ一人であるのが悲しい現状である。

 

「けどツイてるぜ、破面(アランカル)。どうにも俺たちゃ似たもの同士らしい」

「似てる? そりゃ冗談だろパチンコ玉。同じ方向のベクトルってだけで、進む先はまったく違うぜ」

 

 アビラマは腕組みをしながら空中で一角を見下ろし、先ほどとは打って変わって静かな口調で名乗った。

 

「バラガン陛下の従属官(フラシオン)、アビラマ・レッダーだ。名はなんだ死神」

「おう、十一番隊第三席、班目一角だ」

「ああ、ああ、知ってるぜ。てめえ、エドラド殺してニルフィにボコられたんだろ。それでその怪我ってワケか」

「心配しなくてもオレは問題なく戦えるぜ。オメェだけじゃねえ。ほかの破面(アランカル)相手だろうとな」

 

 一角もまた弓親と同じように全身に治療のあとがあった。

 リベンジも兼ねることで強引に決戦に参加し、そしていまに至るというわけだ。

 それを察せぬアビラマではない。

 これまで辛酸を舐めさせられたのは彼も同じなのだから。

 

「そういや、あのガキはどうした? もしかして向こうで隊長が斬っちまったのか?」

「オイオイオイ、そりゃアイツに対する侮辱かよ。強ェぞ、アイツは。たしかに泣き虫で弱虫で豆腐メンタルで寂しがり屋でチビでうっかりで方向音痴で能天気で楽天家で怖がりで腹ペコでサドで鬼畜で変態かもしれねえが……強ェぞ、アイツは。俺の友達(ダチ)は。俺たちで止められるかもわかんねえくらい、ずっとな」

 

 だから死んでいるはずがない。

 まだ終わったワケでもない。

 噛み締めるようにして言い切って、一拍。

 

「だがなぁ、ホント……ここにニルフィいなくて良かったなお前。あいつと会ってたらロクな死に方してねえぞ?」

 

 ニルフィがいまだにどれだけ覚えているかわからない。

 もしかしたら自分の顔さえ忘れているかもしれないと思うと、想像しただけで苦痛だった。

 しかしあの執念じみた仲間を害した相手に対する復讐心など、たとえ記憶がなくとも消えることはないだろう。

 

「ロクな死に方だと? そりゃおかしいな。オメェだったらロクでもなくない死に方させてくれるって聞こえたんだが」

「いや、間違ってねえよ。とっととお前を倒して終わらせる。俺が、俺たちが、ホントに戦うべき相手はお前じゃない」

「ああ? そりゃどういう――」

 

 言葉を待つことなく、破面(アランカル)の戦士が斬魄刀を引き抜いた。

 

「もう一度言うぜ、死神。悪ぃな。俺はとっととお前を殺させてもらう。楽しむ間もなく、だ」

「――――ッ!」

 

 唱える。

 

(いただき)を削れ『空戦鷲(アギラ)』」

 

 すぐさま一角はそれまで肩に乗せていた始解の『鬼灯丸(ほおずきまる)』の切っ先をアビラマへと向けた。

 アビラマが解号を口にすると、たちまち鳥神(ガルーダ)を思わせる姿へと変身したのだ。

 

「おいおいおい、随分とまァ、せっかちすぎるんじゃねえのか?」

「そりゃあ俺も戦いは好きだぜ。だけどな、俺にとってこの世にもっと大切なことは三つある。一つはバラガン陛下に御身を捧げること! 一つは戦いの儀式をすること! そしてもう一つは――仲間のため、友達(ダチ)のために剣を抜くことだよ!!」

 

 アビラマが風を巻き上げながら上空へ飛翔した。

 

「せいぜい吠えろよ班目一角。せめて俺の勝利に色をつけるためになァッ!!」

「ハッ、笑わせんな! この戦い、存分に楽しませてもらうぜ!」

 

 アビラマ・レッダーVS班目一角、開戦。

 

 

 ーーーーーーーーーー

 

 

 東へと向かったフィンドールは塔を守る死神にまずはこう尋ねた。

 

「最初に聞いておきたい。君は何席だ?」

「吉良イヅル。三番隊副隊長」

 

 左目を髪で隠している吉良の言葉に、そうかとフィンドールが鷹揚にうなずく。

 

「たしか三番隊といえばこちらの市丸ギンが所属していた部隊か。その上で訊きたいのだが――」

 

 金属音。吉良が振り抜いた刀を、フィンドールは予想していたとも言いたげにいとも容易く防いでみせる。

 静かながら怒気を含んだ声音で吉良が言った。

 

「その名を、僕の前で軽々しく口にしないことだ。死ぬにしても傷浅いままのほうがいいだろう?」

「これは失礼。君だけに名乗らせていたことも怒らせた原因かな? ならば名乗っておくが、バラガン陛下の従属官(フラシオン)兼“会”の実行部隊隊長を任される、フィンドール・キャリアスだ」

「……その“会”というのは知らないけどね」

「崇高なる素晴らしい組織さ」

 

 三度ほど斬り結ぶと相応の火花が散る。

 この数秒のうちにフィンドールの顔色は変わることなく、吉良は困惑を目に混じらせた。

 フィンドールが強引に距離を取らせ、警戒の色を強める。

 

「……従属官(フラシオン)とはいえ、思ったよりも弱すぎるね。だいたい死神の五席くらいの実力しかないように思うけど」

正解(エサクタ)。そう、これでも俺は頭脳労働専門でね。本来の戦い方はこういうのさ」

 

 呼虚笛(シルビード)

 

 両手に付いた刃をフィンドールが吹くと、空中に開いた黒腔(ガルガンダ)から大型の(ホロウ)たちが次々と現れた。

 数が多いというのはそれだけで厄介でもある。

 慎重ゆえに迂闊に攻められなくなった吉良を前に、再びフィンドールが質問した。

 

「名を口にしてはいけないのなら……まあ、仮にI氏と言おうか。長年一緒に仕事をし、信頼を置いていた相手。そのI氏と戦うことになった君の心境を聞かせて欲しい」

「……なぜそんなことを? まさか(ホロウ)の延長にいる君たちに、まともな仲間意識があるのか?」

正解(エサクタ)! 我々には通じる心がある。我々には交わす言葉がある。そこは死神となんら変わらないと思っているよ」

 

 その上で訊きたいんだ、とフィンドールが続けた。

 

「君はかつての仲間と刃を交えることになったこの時を、いったいどう思っているんだ?」

「どう、とは?」

「なんらかの感情の昂ぶりがあるのか、あるいは心の揺らぎさえないのか。なんでもいい。教えてくれ」

 

 純粋な疑問なのだろう。

 意外にも真摯なフィンドールにため息をつき、すでに答えを出している吉良は真っ直ぐに答えた。

 

「やらなければならない、だから、やるんだ。過去を悔やんだところで時間は戻らない。だったら現実を見て、解決のために努力するようにしているよ」

「なるほど、そうか……」

 

 フィンドールは己のなかで反芻すると、子供がはしゃいだ時のように笑みを浮かべた。

 

「どうやら俺は正解を選べていたようだな。生きることは困難な問題の連続だ! 少しでも多く正解を選択したものが生き残る! そして正しい道を選べていたのだと知った時こそ、嬉しいことなどないっ」

 

 (ホロウ)たちが咆哮する。フィンドールの激情に触れたかのように。

 吉良はこれまでの小手調べとは違う本物の命のやり取りをする気配を感じ、始解の『侘助(わびすけ)』を出しながら空中に立つ破面(アランカル)を見上げる。

 

「悪いけど、君たちの事情なんて僕にはわからない。知るつもりもない。そう勇んだところで死が辛くなるだけだよ」

「さきほどまでの正解(エサクタ)はどうした! まさか、まさかだ!」

 

 ありえないとばかりにフィンドールが哄笑した。

 

不正解(ノン・エス・エサクト)! 俺は君になんか殺されやしないさ。やらなければならない、だからこそやる。いい言葉だ。ならばその時まで俺の命は陛下のもの! 矢尽き刀折れようとも、君に敗北する理由などこの世にはない!!」

 

 フィンドールは吹っ切れたように吉良に斬魄刀を突きつける。

 彼のこれまでの迷いは消えていた。

 思い起こせば答えはすでに近くにあったのだ。

 覚悟として、意地として、愛情として。

 たとえ牙を交えようとも、救いたい、ただそれだけのために命さえ賭けられる。

 自分たちがやろうとしていることはソレなのだ。

 

 まずはこの牙で邪魔者を排除せねばならない。

 フィンドールは宙を駆け、斬魄刀を振るう。

 

 フィンドール・キャリアスVS吉良イヅル、開戦。




現世での対戦相手変更はバタフライエフェクト効果。
原作主人公さん行方不明なのもバタフライエフェクト効果。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

開戦

お気に入り件数がついに3000件を突破しました。
ここまで来れたのも皆様のおかげです。読者の方々に感謝を。


「――必殺! ビューティフル・シャルロッテ・クールホーン's・ミラクル・スウィート・ウルトラ・ファンキー・ファンタスティック・ドラマティック・ロマンティック・サディスティック・エロティック・エキゾチック・アスレチック・ギロチン・アタックゥ!!」

「ぐ、ぉ……!?」

 

 高空から落下するシャルロッテ。躱しきれないと檜佐木は判断すると、風死を盾にすることで敵の回転斬りを受け止める。しかし重すぎる一撃は容易に檜佐木の足場たる霊圧をガラスのように粉砕し、眼下の森へと流星のごとく落とされた。

 

「――シャァ!!」

「あぶねえッ」

 

 衝撃にうめくのも束の間、弧を描きながら迫る豪脚。それをいなしたと思えば、刀、拳、当身と、手を変え品を変えたシャルロッテの猛攻が続いてゆく。辛くも距離をとった檜佐木がすぐさま風死を振るうおうと、のたくる蛇のような変則的な動きを見切ったシャルロッテには当たらない。

 

「甘い、甘いわ! ニルちゃんの理不尽な動きに比べればなんのその! この新生シャルロッテ・クールホーンには当たらなァい!! フンッ」

 

 最後にはとうとう、縦に回転する風死の側面を蹴ることでしりぞける始末だ。

 檜佐木は次の一投をいつでも放てるように鎌を回転させながら、呆れ半分畏れ半分といった様子でシャルロッテに言った。

 

「正直、色物かと思って舐めてたぜ。従属官(フラシオン)ってのは皆オマエみたいなやつなのか?」

「あら言ったじゃない。新生……新星(ノーヴァ)、つまりは生まれ変わったと。あなたみたいな地味面が相手だったら、昔のあたしは慢心でやられたかもしれないわね……まあ一パーセントの確立でしょうけど」

 

 エキゾチックな紫の髪(地毛)をたなびかせながら自慢げに語るシャルロッテ。

 だが立ち振る舞いに隙はない。本人が言った通り、この戦いで慢心している様子がまったくなかった。

 

「……オマエら、余裕がないんだな」

 

 破面(アランカル)が眉を上げて反応する前に、檜佐木が鬼道を唱えるのが早かった。

 

「縛道の六十二」

 

 百歩欄干(ひゃっぽらんかん)

 

 いくつもの光の棒がシャルロッテの肉体をビルに食い止める。シャルロッテが己の筋力に物を言わせてビルの壁を破壊して拘束を脱すると、これだけかと挑発的な笑みをつくった。その眼前に、檜佐木が巻いていた腕輪を放ると、爆竹のようにはじけ飛ぶ。

 

「目くらましなんて小癪なッ」

 

 不埒な輩を掴もうとシャルロッテが腕を伸ばした。

 

「……ッ」

 

 そして唸るように喉を鳴らしたのもシャルロッテだった。引き戻した腕には、無数の裂傷が生まれている。

 

「この調子なら、新星ってのも前とはあんま変わんねぇんじゃないのか」

「……フッ、口が減らないのね。だからモテなさそうな顔してるのも納得しちゃう」

「悪いな、オマエに惚れられたくない一心でよ」

 

 軽口のたたき合いに、怒りに染まった顔も一瞬で、すぐにシャルロッテが余裕のある笑みで負傷した腕を揺らした。

 

「いいわ、わかった。つまりこうね。醜き者にはあたしの美しさは理解することすら困難……。そういうことね。オーケイ、わかったわ。それなら許すわ」

 

 太い指を檜佐木に突きつけて、

 

「美に対する感覚が鈍いことは罪ではないわ。むしろ――哀れみにさえ値する」

「なに?」

「つまり、こういうことなの。低劣な感性とともに生きることは苦痛でしかないわ。ならば、あなたのその生命(くつう)を終わらせることこそが、姿あるなかでなかでニルちゃんに並ぶ美しさの……」

「……最後のそれはどうなんだよ」

「いいから聞きなさいよドサンピン! ……つ・ま・り、醜いものを処刑する、それがあたしの使命なの」

 

 好き勝手言ってくれる。檜佐木の目はそう語っており、言葉として聞かずともシャルロッテが答えた。

 

「言ったでしょう、あたしは月だと。月光っていうのは醜さを暴き立てるものなのよ」

「いままでもずっとそう言って、相手を殺してきたのか」

「その新しい一人に、あなたがカウントされるってワケだけど」

 

 シャルロッテは他のメンバーの進展を探査回路(ペスキス)で感じ取り、そろそろ決着をつけようと斬魄刀を掲げる。敬愛すべき陛下に、これから勝利を捧げるかのように。

 

(きら)めけ『宮廷薔薇園ノ美女王(レイナ・デ・ロサス)』」

 

 

 ◆

 

 

 地に這いつくばるように倒れた(ホロウ)を見たフィンドールが感嘆の息を吐いた。

 

「やはり斬った対象の部位を重くする能力……か」

 

 吉良イヅルの斬魄刀『侘助』。それはフィンドールが言ったように、斬った対象の重さを倍にすることができる凶悪な能力だ。一度斬れば二倍、もう一度斬れば四倍と、そうしているうちに相手は身動きできぬまま独特な形状の刃に首を刈られるのである。

 

 だがしかし、あまりにも強力な能力ゆえか、刀身が伸びるわけでも飛ばせるギミックがあるわけではない。敵を斬りたければ本人の力量で振るわねばならないのがネックだった。

 特に、このような状況では。

 東の塔は遠目から見ると、全体が脈動しているように見えるだろう。しかしそれは間違いだと近づいてみればわかる。その表面で蠢いているのは硬い石質などではなく、無数の(ホロウ)の群れなのだから。

 たとえ一体、二体と吉良がまとめて屠っても、次の攻撃へ繋げさせまいと上空にいるフィンドールが虚閃(セロ)を放つ。

 

「縛道の三十九」

 

 円閘扇(えんこうせん)

 

 繰り出した円形の盾により事なきを得たが、この場にいる相手はフィンドールのみではない。こうしている内にもフィンドールの呼びだした(ホロウ)たちがかじるなり殴るなりして、どんどん塔が落とされていく。

 

「――よし、いいぞお前たち! このまま塔を破壊しろ! 報酬は俺の秘蔵コレクションだ!」

『オオーッ!!』

 

 頭の痛くなる指示だが(ホロウ)の士気は高い。このまま倒しても倒しても、恐れずに柱を破壊していくだろう。

 

「……大本を倒さないと駄目か」

 

 一般隊士たちは拠点の防衛のため、この結界内にはいない。より正確に言うならば、この戦いには耐えられないとして一部の例外を除いて連れてきていないのだ。そのため柱を傷つけずに(ホロウ)だけを仕留めるのはなかなかの骨だろう。

 目立った動きはないものの、(ホロウ)を次から次へと呼び出しているのはフィンドールだ。手下をけしかけて侘助の特性を知るや否や、己のチカラだけで解決しようとする愚は犯さず、すぐさま物量作戦に切り替えている。

 言葉を介す(ホロウ)はいずれも自分の力に過信しがちなため予想外だったが、この状況ならば吉良にとって有効なのは間違いない。

 塔を一瞥してから、フィンドールと同じ高さまで吉良が上がる。

 

「ほう、守るのは取りやめかな?」

「ここで君を倒したほうが早いことに気づいてね。下の(ホロウ)はあとでゆっくりと始末していくさ」

 

 フィンドールが笑みを深めた。

 

「対人戦ならば俺を倒せるように聞こえるが」

「君の言い方を真似るなら、それが一番の正解だろう」

 

 そう言って、吉良が侘助を構える。

 チッチッチ。舌を打ちながら、まるで嫌味な教師のようにフィンドールが指を振った。

 

不正解(ノン・エス・エサクト)。なにやら誤解しているようだな。たしかに正解への道のりが短くなるとはいえ……俺を倒すということが、果たしなく長い道のりであることを理解してないようだな」

 

 フィンドールが斬魄刀を指揮棒(タクト)のように動かしながら叫んだ。

 

水面(みなも)に刻め『蟄刀流断(ピンサグーダ)』」

 

 解放すると右半身が装甲で覆われ、両腕にはシオマネキを思わせる左右非対称のハサミが形成される。

 

「それが破面(アランカル)帰刃(レスレクシオン)か」

正解(エサクタ)。よくご存知だ」

 

 フィンドールがハサミの先端から虚閃(セロ)を連発する。吉良は高速移動で回避しながら、近づける機会をうかがった。

 

「正解不正解とそればかりだな」

「生きることは困難な問題の連続だ! 少しでも多く、正解を選択した者だけが生き残れる。ならば誰もが少しでも多くの正解を手にしたいと思うはずだ。違うか!?」

「だから君がその正解を与えてやってるのか? ――大層なご弁舌だな」

「むッ!?」

 

 開いていた間合いを吉良が瞬歩で詰める。いかに帰刃(レスレクシオン)という切り札を使ったとはいえ、死神に換算すればもとは第五席程度の霊圧しか感じないほどなのだ。隙を見てこうするのも吉良には容易いことだった。

 

 海王鋏(ティヘラス・ネプトゥネア)

 

 ハサミから縦横無尽に高圧水流が襲い掛かる。吉良はそれさえも一刀で切り伏せた。初動の早い虚弾(バラ)での牽制も、すでに意味を成さない。

 

「あまり悪あがきをするものじゃない」

 

 二歩も進めば互いがぶつかる。それだけの距離になり、身を縮めるように屈んだ吉良が、抜き身の抜刀術で破面(アランカル)の首を狙った。

 たとえ防がれても侘助ならば大きな隙を作れる。

 ならばあとは、どうとでも出来るというものだ。

 

「獲った――とでも思ったか?」

「――ッ!!」

 

 その直前、フィンドールは仮面をみずから割っていた。

 

 彫面(アフィナール)

 

 仮面を割ることで、みずからの戦闘能力を上昇させるフィンドールの能力だ。

 霊圧だけならば副隊長格をしのぎ、隊長格にも達するだろう。以前まではそれに振り回されて十分な実力が発揮できないでいたが、ニルフィのしごきに耐えた結果、短時間ならばその欠点を補えるようになっていた。

 

 まともに戦えば侘助には勝てない。能力が判明してからフィンドールはすぐさま理解した。

 だからこそ、この時このタイミングで意表を突ける本当の切り札。

 油断をした敵を仕留める絶好の機会を掴むことができた。

 巨大なハサミが、牙をむく。

 

 

 ◆

 

 

 もっとも早く決着がついたのは西の柱でのポウと弓親の戦闘だった。

 

「このナルシスト、なんかまだチカラを隠してるポイかったガ……。死んでしまってハ仕方ナイコト」

「だれが、死んだって……? 勝手なことを――」

 

 うめきながら弓親が起き上がろうとする。それをポウが大きな足で踏みつぶした。

 

「隠してるチカラ、見てみたイ。だけど時間ナイ。もう付き合えなイ」

 

 ポウは巨大な拳で崩れていく柱を眺めながら、動かなくなった弓親を蹴っ飛ばす。抵抗する力も残っていない。あまりにも淡々と進んだ戦いは、刀剣解放もせず当然のようにポウの勝利で終わった。

 

「転送された町が戻り始めたカ……」

 

 塔周辺のめくりあがったコンクリートが真新しい路上へと変わっていく。これは『転送回帰』という現象で、塔を中心として本物の空座町が戻り始めているのだ。

 しかし――。

 

「……ナニ!?」

 

 ある一定部分で変化が止まった。ポウの見ている先でも塔には肉芽のような物体が生まれて、ある種の生物のように再生していくではないか。

 

 

 ◆

 

 

「おいおいおい、こりゃどういうことだ!?」

 

 ポウとほぼ同じタイミングで北塔を破壊したアビラマが狼狽える。

 アビラマは考えるのが得意ではない。そのためフィンドールからは前もって塔の破壊のみに専念するように言い含められ、その後に約束通り一角と戦うつもりでいたのだ。

 結果は成功。一角の斬魄刀『鬼灯丸』では雨あられのような餓翼連砲(デボラル・プルーマ)を防ぐことができず、いとも簡単に柱は崩落する。その際に一角もろとも倒してしまい、思わず悪態をついていた時だ。ポウのいる西と同じように、柱が復活する兆しを見せて、レプリカの解除がほぼされずに終わった。

 

「思うようにいかなかったのが、そんなに不思議かい?」

「その羽織り……隊長格か!」

 

 上空に浮かんだアビラマと視線が合わせるように、長い白髪の優男が立っていた。

 アビラマは忘れているが、前もって与えられた情報のなかにもこの男の情報があり、名は浮竹十四郎(うきたけじゅうしろう)。護廷十三隊における十三番隊の長である。

 

「随分とせせこましい真似をしやがるじゃねえか」

「ハハ、そう言われても仕方ないな」

 

 朗らかに笑う浮竹の態度は、敵を前にしているものには思えない。

 

「といっても、この結界を作成したのは護廷十三隊じゃなくてね。すでに君たち破面(アランカル)と交戦して、その危険性を改めたらしいんだ。つまりは、予防策さ。ここら一帯は『転送回帰』を留めるための緊急性の棒が地面に埋まってて、塔にも再生能力を施してあるんだ」

「あ、ン? ならなんだ、ソイツはお前らが負けることも見越してたってワケかよ」

「そうなるだろうね。先生は不機嫌だったけど、この結果を見ると正解だったわけだ」

 

 フンと鼻を鳴らしたアビラマが眼光を鋭くする。

 浮竹の言い方どおりならば、柱だけでなくここら一帯の地面に至るまで、もろともに破壊し尽くさなければならないということだ。

 

「……小細工しやがって、面倒な野郎どもだな」

 

 面倒だが、やることに変わりはない。破壊すべき対象がここらの土地も増えたというだけだ。レプリカから本物の空座町に戻すこと。バラガンがアビアマに与えた命令はつまるところそれなのだから。

 

「だったらどいてろ。オレの邪魔、すんじゃねえよ」

「悪いが、それはできない」

 

 浮竹が腰に差した斬魄刀をスラリと抜いた。

 

「俺たちにも守るべきものがあるんだ。なにをそこまで急いているのか知らないが、知ったところで、それをさせないのが俺たちのすべき仕事だ」

 

 そして手首を捻り、

 

波悉(なみことごと)く我が盾となれ、雷悉(いかづちことごと)く我が刃となれ『双魚理(そうぎょのことわり)』」

 

 一刀であったはずの斬魄刀は、刀身が逆十手状へと変わると、柄どうしが縄で繋がれた二刀一対の刀に変化する。縄には五枚の札が下げられ、上空の気流に気ままに揺らされていた。

 

「なんだ、二刀流か」

「ん? ああ、二つになる斬魄刀は珍しいみたいだが、破面側(そっち)でもそうなのか?」

「さあな。二刀流ってのは珍しいが、こっちにゃ扇子とか斧があったからなァ」

「なるほど興味深いな。始解じゃなくても刀じゃない形状もあるのか」

 

 久方ぶりに会った友人のような穏やかな会話だ。

 それが維持されたまま、言葉が交わされる。

 

「オレにはやることがあるんでな。特別に見逃してやる。ここから去るってんなら、追いかけずにおいてやるよ」

「すまない……それは出来ないんだ。逆に、君がここから立ち退いてくれないか? そうすれば戦わずに済む。余計な血が流れることは、俺としても本意じゃない」

「馬鹿言うんじゃねえよ。そんなの、かっこ悪いじゃねえか」

「……かっこ悪い、か」

「ああ。尻尾巻いて逃げる姿なんざ、怖くてアイツには見せられねえ。……とんだバケモノでもよ、それが嫌だったからカッコちまったみたいでな。それを知っちまったらオレが逃げられるかってんだ」

「戦士のように勇ましいな、君は」

「戦士だからよ。まァ、ここで逃げたら陛下に殺されちまうのが怖いってのもあるがな」

「ハハ、そうなのか」

「そうなんだよ」

「…………」

「…………」

「最後だ、ここから去ってくれ」

「――断る!!」

 

 吼えたアビラマが胸に親指を刺すと、描かれた仮面紋(エスティグマ)をなぞるように抉っていく。

 

 噴血餓相(デボラル・エルプシオン)

 

 変化は顕著だった。大翼が二枚増えて四枚になり、また、装着している仮面がよりシャープな形状になり、模様も変わる。これがアビラマの、大空を舞う戦士としての姿だった。

 浮竹は目を細めながら、太陽を背にして飛翔するアビラマに言った。

 

「戦う術を持たない子供ならともかく、戦士として相手をするなら相応の結果を与えてしまうことになる。だけど、君には、待ってる誰かがいるんじゃないか?」

 

 動揺は一瞬。アビラマは鳥人らしくというべきか、けたたましい甲高い声で笑い飛ばした。

 

「おいおいおい、うぬぼれすぎだぜ死神ィ! どうしてまだ戦ってもねえのにオレが負ける話になってんだよ!? こちとら格上と()るのは慣れてんだ、ンなこと言ってる暇があるなら手前の心配でもしてやがれ!」

 

 そもそも目的を達さねば、また会えるのかすら判らないのだ。

 もはやアビラマの取る選択肢は目の前にある一つしかなかった。

 

「ああ、ああ、ああ。()ってやる、()ってやる、()ってやるぜ。友達(ダチ)のためなら、いくらでもよォ……!!」

 

 腰帯にある折り紙の造花を爪先でなぞると、立ちふさがる巨大な壁へと突貫した。

 

 ◆

 

 

 弾かれたようにバラガンが空を見上げた。快晴とは言えぬために視界にはたくさんの雲が映り、その上にある世界をけして見せることはない。

 

「……アビラマ。あの、たわけが」

 

 それ以上の言葉は喉奥でつぶれてしまい、声になることはなかった。

 

「陛下」

「よい」

 

 気遣うように声をかけてきた部下を制し、底冷えした王の意識を浮上させる。

 四柱での戦闘は破面(アランカル)に天秤が傾き、護衛を任された不甲斐ない盾たちのために死神の主力も動き出した。次に動くのは――自分たちだ。

 

「スターク、ハリベル」

 

 玉座に座したまま、同じ最上級大虚(ヴァストローデ)の仲間を呼ぶ。

 同僚たちは不満を言うことなくそれに応えた。

 

「……あいよ」

「そろそろだと思っていた頃だ」

 

 控えていた従属官(フラシオン)が一人もたたらを踏まなかったことが奇跡だ。大海のような彼らの霊圧が静かに重く鳴動し、腹のなかを緩やかに揺らしていく。

 

「つまらん小細工に、取るに足らん死神ども。貴様らがそんな有象無象に労力をかけるとは思っとらん。――潰せ。一匹の蟻も逃がすな」

 

 肩を落としたのはスタークだ。

 

「やっぱそうなっちまうか。……で、俺の相手はあんたらってとこかい?」

 

 彼の気怠そうな目線の先には、少年と美女のコンビが立ちふさがっている。少年の羽織の背には『十』の数字。十番隊の隊長と副隊長、日番谷冬獅郎と松本乱菊だ。

 

「なら、私はこちらか」

 

 ハリベルの前に現れたのは小柄な女だった。羽織に描かれた数字は『二』。彼女の名は、砕蜂(ソイフォン)。二番隊隊長にして隠密機動総司令官、隠密機動第一分隊“刑軍”総括軍団長と様々な肩書きがその小さな背に乗っている。

 

「……陛下」

「お前たちは他の従属官(フラシオン)の援護に行け。儂は……あそこの羽虫を落としておる」

 

 『八』の数字を女物の着物で隠した、派手な格好の男がいた。京楽春水(きょうらくしゅんすい)。一見して飄々とした性格のにじみ出た容姿だが、実力と気性ともに隊長を任せられるに足る死神だ。

 

「――ようやく、本番だ」

 

 戦いはまだ、スタートを切ったばかりだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。