愛が欲しい一番星と愛を知りたい転生者 (だんご大家族)
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プロローグ 愛を知った転生者のスレ立て
転生者専用掲示板  無題 【掲示板回 前編】


久し振りに妄想が止まらなくなり、プロットを掲示板形式の練習がてら書き出してみました。
後編を投稿し終わった後に本編を書くかは不明ですが。


やっぱご都合主義だろうとなんだろうとハッピーエンドは良いよね
原作もハッピーエンドで終われ(懇願)


1:名無しの転生者

 

 

 

2:名無しの転生者

 お?

 

3:名無しの転生者

 ご新規さんか?

 

4:名無しの転生者

 すまない。

 転生してから二十年と少し生きて初めてこのシステムに気付いて作ってしまった。

 

5:名無しの転生者

 ええんやで

 

6:名無しの転生者

 二十年ってだいぶ経ってるやん

 ひとまずイッチってわかりやすいように名前付けて

 

7:名無しの転生者

 転生先や転生特典のコテハンだとわかりやすくてヨシッ

 

8:食戟の食義極めた料理人

 これでいいだろうか。

  

9:名無しの転生者

 食戟のソーマの世界でトリコの特典か。

 というか名前w

 

10:名無しの転生者

 二十年経っても厨二病が治ってないの草

 食義極めたはすっごいけど

 

11:食戟の料理人

 ……こっちにする。

 まあ、食戟も料理人もほぼやってないんだが。

 

12:名無しの転生者

 流石に恥ずかしかったか

 って、やってないのかよ

 

13:名無しの転生者

 じゃあ、なにやってんだよ

 ニート?

 

14:名無しの転生者

 呼んだ?

 

15:名無しの転生者

 呼んでねえ、帰れ

 

16:名無しの転生者

 こどオジだから家にいますが?

 

17:食戟の料理人

 薙切の財布と祖父通して権力使える普通の主夫。

 一応、嫁のマネージャーもやってる。

 

18:名無しの転生者

 ならヨシ

 って、は?

 

19:名無しの転生者

 は?

 

20:名無しの転生者

 ふぁ!?

 

21:名無しの転生者

 なんじゃそりゃ!?

 

22:名無しの転生者

 というか、しれっと嫁持ち宣言してるし

 なんだこいつ!? 勝ち組かよ!

 

23:名無しの料理人

 権力持った奴が普通の主夫なわけあるか

 

24:名無しの転生者

 世間一般とズレてても普通の主夫と名乗りたい。

 ダメ?

 

25:名無しの転生者

 ダメです

 

26:名無しの転生者

 ダメです

 

27:名無しの転生者

 ダメです

 

28:名無しの転生者

 変身ッ!

 

29:名無しの転生者

 この一体かん……最後ォ!

 とりまイッチ、自己紹介よろしく

 

30:食戟の料理人

 しょぼん(´・ω・`)

 自己紹介は大丈夫なのか?身バレとか。

 

31:名無しの転生者

 へーきへーき

 

32:名無しの転生者

 問題ない

 転生者は世界に一人ずつらしいからな

 同じ原作でも異なる世界に転生するみたいだし

 

33:食戟の料理人

 そうか? まあいいか。名前はイッチでいい。現在22歳。

 職業はさっきも書いたが、主夫をしながら嫁のマネージャーをしている。

 一応、別口で収入も得ているのでニートではない。

 転生特典は、

 トリコ世界の食材等を生み出せる。

 トリコ世界基準の身体能力への成長及び料理人としての才能。

 

34:名無しの転生者

 割と強めのチートやんけ!

 

35:名無しの転生者

 ある意味テンプレ

 

36:名無しの転生者

 普通の主夫とは

 

37:名無しの転生者

 ソーマ原作に女優系のキャラって登場してたっけ?

 

38:名無しの転生者

 いないと思う

 

39:食戟の料理人

 嫁は原作には出てない。

 というより、嫁や身内はほぼ関わってない上に原作の数年前だからな。

 

40:名無しの転生者

 食戟の世界に転生とはウゴゴゴ

 

41:食戟の料理人

 箇条書きで今までをざっと書き出してみた。

 ・赤子で転生、直後に捨てられる。母親はどうやら薙切えりなの母親の姉。

 ・施設で育ち、数年後そこで嫁と出会う。餌付けしたりして懐かれた。

 ・さらに数年後、嫁がアイドルにスカウトされる。自分と一緒じゃなきゃ嫌だ、なんて条件を嫁がスカウトした社長に出したら、食事の準備といった裏方として雇われた?

 ・嫁が地下アイドルから地道に頑張ってる間、マネージャー業も兼任するようになった。年齢上、社長……斎藤壱護氏の身内として手伝いという体でだが。

 ・何故か嫁のグループメンバーにも料理を作るようになり、未成年でグループの料理人になった。解せぬ。

 

42:名無しの転生者

 ここまでは普通、じゃない!

 

43:名無しの転生者

 さらっと書いてるけど、拾われてなかったらイッチの人生詰んでね?

 

44:名無しの転生者

 いや食材を無条件で生み出せるから大丈夫だろ

 

45:名無しの転生者

 アイドルグループあったっけ?

 イッチ、嫁ちゃんのグループってなんて名前?

 

46:名無しの転生者

 一応、権力使える理由が出てきたな

 そこまでの道筋はまったく見えんけど

 

47:名無しの転生者

 あれ、斎藤壱護社長って……

 

48:名無しの転生者

 ・嫁が16歳の誕生日に起きた事件とかなんやらがあって、紆余曲折の結果子づくりした。

 ・一発で命中して妊娠。出産のために社長たちと話し合い、事実を隠して出産するために嫁のアイドル活動休止。

 ・嫁の状況に、自分の立場に悩み、覚悟を決めて薙切総帥の祖父に会いに行き、力づくで後見人と財布、権力を手に入れる。

 ・嫁の許に戻ったら男女の双子を出産していた。くっそ可愛いかった。

 

 グループ名? 『B小町』

 

49:名無しの転生者

 力づくっt

 ちょまっBこま!? しかも双子の父親! そもそも原作ちゃうやん!

 

50:名無しの転生者

 祖父って仙左衛門だよね。あの魔王に力づくって……

 

51:名無しの転生者

 そういうことか

 イッチ、書き出し中かもしんないがちょいストップ

 

52:食戟の料理人

 どうした?

 

53:名無しの転生者

 イッチの転生先、食戟のソーマじゃないわ

 

54:食戟の料理人

 そうなのか? でも薙切や遠月学園もあるけど。

 

55:名無しの転生者

 正確には食戟のソーマと推しの子のクロスオーバー世界だわ

 

56:名無しの転生者

 多分イッチ、推しの子知らないんだろうな

 かぐや様は告らせたいって漫画は?

 

57:食戟の料理人

 知らない。

 

58:名無しの転生者

 イッチ、意外と有名どころ読まないタイプか?

 

59:名無しの転生者

 そこは後で議論すればいい

 イッチ、嫁ちゃんの名前は星野アイか? 歳は?

 

60:食戟の料理人

 そうだけど、嫁……バレたし名前でいいか。アイの歳は言わないとダメか?

 

61:名無しの転生者

 真面目な話だ。言ってくれ

 

62:名無しの転生者

 間に合わないかもしれないしな

 

63:名無しの転生者

 ダイジョーブだイッチ。ここのメンツはハッピーエンド派がほとんどだ

 

64:食戟の料理人

 ……? 今は19だ。あと一ヶ月ほどで20になるが。

 

65:名無しの転生者

 ヨシッ!

 

66:名無しの転生者

 セーフ!

 

67:名無しの転生者

 これは勝ち申したわ

 

68:名無しの転生者

 そうか。もう一つ。

 アイの20歳の誕生日の前後でドーム公演が開催されるか?

 

69:食戟の料理人

 ああ。アイの誕生日がドーム公演の日だ。

 

70:名無しの転生者

 わかった

 よく聞けイッチ

 

71:名無しの転生者

 星野アイは原作で、ドーム公演の当日にストーカーに刺殺されるんだ

 

72:食戟の料理人

 

 

 

73:食戟の料理人

 

 ――は?

 

74:名無しの転生者

 うん?

 

75:名無しの転生者

 あれ、スレが

 

76:名無しの転生者

 重い……?

 

77:食戟の料理人

 

 ――今なんつった、ぁあッ!?

 

78:名無しの転生者

 

 

79:転生者掲示板 運営神

 エラー

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転生者専用掲示板 【推しの子】情報求む【掲示板回 後編】

掲示板でのオチの書き方に迷いに迷って、結局変なところで切りました。これで掲示板回は終了にします。掲示板って思ったより難しいデスね。

本編は書けたら書きます。
……本編よりも後の話のネタばっか浮かんでくるんだよなぁ


1:推しの主夫

 

 

2:名無しのライブ参加者

 またご新規か

 

3:名無しのライブ参加者

 最近多いな推しの子転生

 

4:名無しのライブ参加者

 多いって言ってもスレ落ちのイッチから数えて三人目だけどな

 

5:名無しのライブ参加者

 いや待て、この推しの主夫ってコテハン……まさかっ

 

6:名無しのライブ参加者

 食戟のソーマに転生したと思ってたらクロスオーバー世界だった推しの子転生の厨二病イッチ!

 

7:推しの主夫

 違う! いや違わないが! 厨二病ではない!

 ああもうそうだよ、原作勘違いしていた元コテハン「食戟の食義極めた料理人」もしくは「食戟の料理人」のスレ主だ。……自分で書いてて頭抱えたくなった。

 

8:名無しのライブ参加者

 草

 

9:名無しのライブ参加者

 久しぶりイッチ

 急にスレが落ちたから心配してたんだぞ

 

10:名無しのライブ参加者

 あん時何があったんだろうな

 

11:名無しのライブ参加者

 イッチがキレたあたりで急にスレが重くなって強制的に書き込めなくなったんだよな

 

12:名無しのライブ参加者

 事情知らないワイ、ちょっと過去ログ漁ってくる

 

13:推しの料理人

 その事なんだが……すまない、あれは自分のせいだ

 

14:名無しのライブ参加者

 ん?

 

15:名無しのライブ参加者

 どゆこと?

 

16:推しの料理人

 スレが落ちた後、掲示板を運営している神から警告のメール?を貰ったんだ。

 感情が昂りすぎて思考がそのままスレに書き込まれたらしい。

 

17:名無しのライブ参加者

 あー、それか

 

18:名無しのライブ参加者

 時々あるよな、ここの掲示板

 

19:名無しのライブ参加者

 どゆこと? ワイ初心者。教えてクレメンス

 

20:名無しのライブ参加者

 入力方法がキーボードみたいに打ち込むタイプと思考を送るタイプの二種類あるんだよ、ここの掲示板

 感情が昂りすぎるとイッチがやっちまったように勝手に入力方法が切り替わって思ってることを書き込んじまうんだ

 

21:名無しのライブ参加者

 はえーサンガツ

 

22:名無しのライブ参加者

 でも無意識で思考が書き込まれることはあっても、スレ落ちなんて初めてだぞ

 なんでなん?

 

23:推しの料理人

 思考と一緒に『食圧』も無意識に出してたらしい。

 それでスレに負荷が掛かってあの結果、というのが神からのメールに書いてあった。

 

 一応、『食圧』について説明。

 トリコに登場した、食材を脅して力で制圧する技術。主に敵役が使っていた。

 

24:名無しのライブ参加者

 あーなるほど……じゃねーよ!

 

25:名無しのライブ参加者

 掲示板になにやってんだイッチぃ! ……笑い殺す気かっ

 

26:名無しのライブ参加者

 え、イッチの転生先って推しの子だよね?

 グルメ界とかじゃなくて

 

27:名無しのライブ参加者

 平和な世界でなんで食圧なんて覚えてるんですかねー!?

 

28:推しの料理人

 グルメ食材食べて、食義覚えて、鍛えた。食圧はブチギレた拍子にできた。

 

29:名無しのライブ参加者

 トリコ世界転生の美食家ワイ、食義習得の中級コースで苦戦中(イッチの聞いて発狂)

 

30:名無しのライブ参加者

 食林寺本堂所属のワイ、自分の半分も生きてないイッチに先を越されて心が無事折れる

 

31:名無しのライブ参加者

 美食會の幹部転生のワイ、任務中に声を上げて上司にぶん殴られる

 

32:名無しのライブ参加者

 謝罪のはずなのに被害者が増えるの草

 

33:名無しのライブ参加者

 実際にトリコの世界に転生してる奴らより強いは驚き通り越して笑いしかでてこん

 

34:推しの料理人

 そんなことよりだ。

 こちらでは一ヶ月が経過して今日はドーム公演当日なんだが。

 

35:名無しのライブ参加者

 流してやるな……は!?

 

36:名無しのライブ参加者

 流せ流せ! 今はこっちが最優先だ!

 

37:名無しのライブ参加者

 今どこだ! ストーカーは!? アイは無事なのか?

 

38:推しの料理人

 アイは無事だ。

 今は家族全員、社長の車に乗ってドームに移動中。

 だから今の内に聞いておきたい。ストーカーは、どこでアイを狙ってるんだ?

 

39:名無しのライブ参加者

 イッチ漏れてる、感情漏れてるから

 無事ならヨシっ! ……ん?

 

40:名無しのライブ参加者

 あれ……?

 

41:名無しのライブ参加者

 イッチ、今どこから書き込んでるって?

 

42:推しの料理人

 移動中の社長の車内から。

 

43:名無しのライブ参加者

 ストーカーいないじゃん!

 

44:名無しのライブ参加者

 家に誰か来なかった?

 

45:推しの料理人

 家に? 社長達が迎えに来る前に配達員が来たな、姿は見てないけど。

 

46:名無しのライブ参加者

 そいつがストーカーだ。そこんとこ詳しく

 

47:推しの料理人

 そうなのか?

 ……配達員が来たのは社長が来る十分くらい前だった。

 アイに子供達の準備を任せて自分が扉越しに対応したが、配達員の声が男だったから荷物を玄関前に置いてもらうか、指名してる女性配達員の名前を出して再配送を頼んだんだ。

 そうしたらブツブツ小声で何か呟いてたから、怪しいと思いつつもそうした対応をしてもらってる理由を伝えると、余計狼狽えたような雰囲気を出して、そのまま扉から離れて行ってしまったみたいなんだ。

 人気が無くなってから通路に出たが隠れてる様子もなく、結局社長が来るまで何も起こらなかったし他の誰かが訪ねてくることもなかった。

 

48:名無しのライブ参加者

 うーん? どゆこと?

 

49:名無しのライブ参加者

 十中八九その配達員がストーカーだと思うけど……

 

50:名無しのライブ参加者

 原因は恐らく、アイと男性配達員を会わせない理由を聞いたからだろうな

 イッチ、理由を聞いても?

 

51:推しの料理人

 あまり人に話す事じゃないんだが……まあ原作も同じなんだろうし問題ないか。

 アイは、軽度の男性恐怖症なんだ。

 

52:名無しのライブ参加者

 は?

 

53:推しの料理人

 持ち前の嘘で仕事してる時は問題ないがオフだと一人で会うのも厳しいからな、それ故の処置だ。

 例外は自分、社長、息子とあと数人ぐらいか。

 

54:名無しのライブ参加者

 MATTE!

 

55:名無しのライブ参加者

 理解が追い付かない!

 アイが男性恐怖症!? 原作にそんな描写ねーよ!?

 

56:名無しのライブ参加者

 イッチ詳しく!

 

57:推しの料理人

 悪いがドームに到着した。

 打ち合わせ等あるからしばらくスレから離れる。

 

58:名無しのライブ参加者

 MATTE! ホントにMATTE!

 

59:名無しのライブ参加者

 せめて原因だけ話してってくれー!

 

60:名無しのライブ参加者

 うぉあぁ……イッチのせいで嫌な妄想が脳を駆け巡るぅ

 

61:名無しのライブ参加者

 興奮と絶望で脳汁が止まらねぇウェヘヘヘ

 

62:名無しのライブ参加者

 なぁんで餌ばっか与えて放置するんですかねぇ!

 

63:名無しのライブ参加者

 過去ログから戻ってきたんでイッチの情報を整理がてら上げてみる

 

 イッチ 年齢はアイの2歳上

 ・転生特典は『トリコ』の食材と身体能力、料理技術

 ・転生先は食戟のソーマと推しの子のクロスオーバー世界(イッチは『推しの子』を知らない)

 ・スペックは食義を身に着けてることからクソ高の可能性極大

 ・薙切家に生まれるが捨てられる。母親は薙切仙左衛門の娘、薙切えりなの母の姉

 ・アイと出会ったのは施設。(多分)パーフェクトコミュニケーション成功させて懐かれる

 ・スカウトされた時に裏方として事務所に所属。しばらくしてマネージャーも兼任する

 ・アイが16歳の時に何かが起きて、子づくりイベ発生

 ・出産前に薙切家にカチコミかけて権力ゲット

 ・アイが双子を出産。中身は不明

 ・ドーム公演当日にストーカーに会わずドーム到着 ←今ココ

 ・アイが男性恐怖症だと原作設定だと認識して暴露。ワイらの脳が壊される

 

 長文スマソ

 うーん、これはイッチの説明不足ですわ(呆れ

 

64:名無しのライブ参加者

 長文サンクス

 

65:名無しのライブ参加者

 候補は原作よりも酷い虐待という可能性と16歳の出来事の二つかな

 

66:名無しのライブ参加者

 いやどう考えても16歳ん時でしょ

 

67:名無しのライブ参加者

 同上

 

68:名無しのライブ参加者

 男性恐怖症ってことは男絡みだろうけど、やっぱ鬱展開やろか

 

69:名無しのライブ参加者

 それだったら流石のアイも子づくりしようと思わんやろ

 

70:名無しのライブ参加者

 あのクソ高スペックのイッチがいる以上鬱はないに一票

 

71:推しの料理人

 ああ、そうそう

 

72:名無しのライブ参加者

 !!

 

73:名無しのライブ参加者

 イッチ!

 

74:名無しのライブ参加者

 イッチ! 色々聞きたいんだけど!?

 

75:推しの料理人

 せっかくの機会だから配信機能ってものを使ってみようと思う。

 遠くて観づらいかもしれないが、よかったら観ていってほしい。

 これ以降は終わるまで反応はできない。じゃあ、楽しんでいってくれ。

 

76:名無しのライブ参加者

 マジで!?

 

77:名無しのライブ参加者

 原作で実現しなかったドーム公演が見れるってマ!?

 

78:名無しのライブ参加者

 ええい!イッチへの質問なんて邪魔だ! ぺっ!

 

79:名無しのライブ参加者

 早くしてくれ! 待ちきれなくて疑問どころか服全部捨てちまったぞ!

 

80:名無しのライブ参加者

 変態は出禁よー

 

81:名無しのライブ参加者

 現代転生とは思えないスペック

 情報を中途半端にしか教えず、(無意識に)俺たちを惑わす不可解(ミステリアス)な言動

 しまいにゃ飴をぶらさげ、誰もを興奮させていく状況(エリア)に持っていく

 

 ……つまりイッチは、スレ民(俺たち)の推しの子だった?

 

82:名無しのライブ参加者

 あるある……いやねーよw

 

83:名無しのライブ参加者

 なんだよその考察……推せるわ

 

84:名無しのライブ参加者

 いかん、納得しかけたぞ

 

85:名無しのライブ参加者

 お前らっ、始まるぞ!

 

86:名無しのライブ参加者

 うおおおおおおっ

 

87:名無しのライブ参加者

 誰もが見たかったものが目の前に!

 

88:名無しのライブ参加者

 祝え! いや、もはや言葉は不要。ただこの瞬間を味わいたいっ! スゥー、ンハァァ!!

 

89:名無しのライブ参加者

 祝福の鬼は帰れ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

444:推しの料理人【配信中】

 ――――ん

 

445:名無しのライブ参加者

 うおおおおアイ―!!

 

446:名無しのライブ参加者

 伝われ俺のオタ芸の想いぃいい!!

 

447:名無しのライブ参加者

 うおお……ちょっと待て、イッチが反応してる!?

 

448:名無しのライブ参加者

 どうしたイッチ!

 

449:推しの料理人【配信中】

 ――久しぶりだぞ、ここまで嫌な直観は。なんだ、誰だ……?

 

450:名無しのライブ参加者

 イッチ……?

 

451:名無しのライブ参加者

 多分、無意識に呟いてるんだ

 それが思考式として勝手にスレに書き込まれてるんだろう

 

452:推しの料理人【配信中】

 ――駄目だ、放置していい直観じゃない

 アクア。藍久愛海。

 

 アイ―! ……なに、父さん?

 

453:名無しのライブ参加者

 直観まで持ってのか……ってアクア君!

 

454:名無しのライブ参加者

 両手にサイリウム持って、これは完全に中身センセですわ

 

455:推しの料理人【配信中】

 知り合いが来てるみたいでね、会ってくるからお父さんは少し席を外すよ。

 瑠美衣と一緒にお母さんを応援しててくれるか?

 

 え、うん。わかった。

 

 良い子だ。何かあったら部屋を出ずに壱護さんかミヤコさんに連絡するんだぞ。

 ――場所的に壱護さんたちを呼んでも問題はないな

 じゃあ、すぐに戻ってくるから瑠美衣も……って、聞こえてないなあの子は。アクア、すまんが瑠美衣の面倒も頼んだ。

 

 仕方ないな……

 

456:名無しのライブ参加者

 双子は原作通りみたいやな

 

457:名無しのライブ参加者

 あ

 

458:名無しのライブ参加者

 待て、待て待て!

 

459:名無しのライブ参加者

 イッチ待って! 戻ってこい!

 

460:名無しのライブ参加者

 配信がイッチを追いかけない!? なんで!?

 

461:名無しのライブ参加者

 配信時限定だが、カメラ視点を自由に固定させられるんだ

 だからアクアの周りに固定させたんだろう

 

462:名無しのライブ参加者

 アクアー!今すぐ親父さん連れ戻せー!

 

463:名無しのライブ参加者

 無理だ。アクア君に俺たちのスレは見えるはずがない

 

464:名無しのライブ参加者

 どうすんだよ。イッチどう考えてもやばいって

 

465:名無しのライブ参加者

 ……アクアが疑問を抱いて探しに行ってくれることに賭けるしかない

 

466:名無しのライブ参加者

 俺たちにはどうすることもできないってことか

 

467:名無しのライブ参加者

 早く気付いてくれアクア!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

541:名無しのライブ参加者

 ライブが終わっちまった……

 

542:名無しのライブ参加者

 そこまで時間は経ってないけどアンコールまでがっつり応援してたねアクア君とルビーちゃん

 

543:名無しのライブ参加者

 最後まで疑問を抱かないアクアセンセ……これはいけませんわ

 

544:名無しのライブ参加者

 イッチのことがなければ俺たちもアクアたちと同じ側だったのにな……

 

545:名無しのライブ参加者

 イッチのことが気になりすぎて集中できねーって

 

546:名無しのライブ参加者

あれから一度も戻ってきてない……

 

547:名無しのライブ参加者

 あとはもう今やってるトークだけ

 

548:推しの料理人【配信中】

 終わっちゃった~。終わらないで~!私の桃源郷~

 

 ずっと叫びっぱなしだったもんなお前。

 

549:名無しのライブ参加者

 ルビーちゃん!

 

550:推しの料理人【配信中】

 推しが全力ならファンも全力で応援するのは当たり前でしょ!

 は~、喉乾いたぁ。パパー、ジュースちょうだーい。

 

551:名無しのライブ参加者

 !!

 

552:名無しのライブ参加者

 ルビーちゃんナイス!

 

553:名無しのライブ参加者

 これでアクアも……!

 

554:推しの料理人【配信中】

 ……あれ、パパ?

 お兄ちゃん、パパは?

 

 父さんなら知り合いと会ってくるって……待て、会ってくるって、いつ言った?

 何曲目の時だ? …………あれから何分経った!?

 

555:名無しのライブ参加者

 気づいた!

 

556:名無しのライブ参加者

 慌ててアクア君の目が時計に向けられてる

 実際、何分経ってる?

 

557:名無しのライブ参加者

 配信時間的に、だいたい三十分~四十五分ぐらい前だ

 

558:推しの料理人【配信中】

 父さんが人と会うだけで僕たちを長時間放置するわけない。

 話し込むほど親しい知り合い? そんな知り合いはいないはず。

 祖父? だったら部屋に連れてくるはずだ。

 思い出せ、父さんは何て言って部屋を出て行った?

 壱護さんとミヤコさんに連絡? つまり二人に会いに行ったわけじゃない。

 何故、自分に連絡するよう言わなかった?

 電話に出られない? 出られないほどの相手? 通話する暇もない? 或いは……僕たちに知られたくない?

 

559:名無しのライブ参加者

 唐突に推理始めるの草

 でも推しの子のジャンルってサスペンスだからヨシっ

 

560:名無しのライブ参加者

 判断から行動までが遅い(パシーン

 

561:名無しのライブ参加者

 原作幼少アクアもこんな感じだよね、致命的になってから動き出すとこ

 

562:名無しのライブ参加者

 アクアセンセーの悪口はやめたれ

 

563:名無しのライブ参加者

 イッチの環境がどうだったかは知らんけど、原作より幸せだったんやろ

 ストーカーも現れてないし忘れててもしゃーない。俺なら父ちゃんおっせーなーで済ませる

 

564:推しの料理人【配信中】

 お兄ちゃん……? ブツブツ言ってどうしたの? キモイよ?

 

 ぁ……いや、確かに父さんの戻りが遅いと思ってな。

 知り合いと会ってすぐ戻るって言ってたけど、だいぶ時間かかってるし話し込んでるのかもしれない。飲み物ならそこの保冷バッグに入ってるから好きなの選びなよ。

 

 ふーん、まいっか。私リンゴジュース! お兄ちゃんは何飲む? けっこー種類あるよ。

 

 なんでもいい。それと僕はトイレ行ってくるから、この部屋から出ないでくれるか? 二人とも出たら父さんとすれ違いになった時困るし。

 

 え、うん。それはいいけど……

 

 じゃあ留守番任せた。

 

565:名無しのライブ参加者

 部屋を出ていくアクア君

 

566:名無しのライブ参加者

 配信も追っかけるのはナイス

 

567:名無しのライブ参加者

 これなら気になって夜しか眠れない、なんてことはなくなったな

 

568:名無しのライブ参加者

 でも、どこに向かうつもりなんだ?

 イッチの場所なんてわかんないやろ?

 

569:名無しのライブ参加者

 ミヤコさんに電話して部屋に来てもらうようにしてる

 

570:名無しのライブ参加者

 ところでイッチが直観で感じた相手って誰やろ?

 

571:名無しのライブ参加者

 推しの子的には、やっぱカミキヒカルじゃねーの?

 原作で一番黒幕説高いし

 

572:名無しのライブ参加者

 実際のとこどうなん?

 ワイが転生したの、確定する前だったし

 

573:名無しのライブ参加者

 完結まで知ってるスレ民は今んとこ、このサーバーにはいなかった気がする

 それに転生者ごとの世界で黒幕や過去設定が同一かどうかは不明だから、イッチから聞かないとわからないとしか答えられん

 

574:名無しのライブ参加者

 そうなん?

 

575:名無しのライブ参加者

 シンフォギアに転生したネキがいたが主人公の過去も少し変わってた、って事例が実際にあったしな

 

576:名無しのライブ参加者

 待て待て、横にズレてるぞオマイラ

 今はイッチの、というかアクアの配信に戻れ

 

577:名無しのライブ参加者

 アクア君は今は……

 

578:名無しのライブ参加者

 関係者専用の通路に入っていったな

 

579:名無しのライブ参加者

 あれ、なんで誰もアクアくんに気付いてないんだ?

 スタッフどころか何十人もいる観客も気付いてないぞ

 

580:名無しのライブ参加者

 疫病神のせいとか?

 

581:名無しのライブ参加者

 ありそう

 あ、電話が……なんだ、斎藤社長か

 

582:名無しのライブ参加者

 疫病神……いや、まさかな

 ちょっと聞いてみるか

 

583:名無しのライブ参加者

 アイがスマホぶんどったw

 相変わらず社長の扱いよ

 

584:名無しのライブ参加者

 あ、アクア君も手を振り返した

 かわいい

 

585:名無しのライブ参加者

 ……ん? なにか見つけた?

 

586:名無しのライブ参加者

 配信も遅れてアクアの視線を追って……は?

 

587:名無しのライブ参加者

 え

 

588:名無しのライブ参加者

 なんで?

 

589:名無しのライブ参加者

 は? ……は?

 

590:名無しのライブ参加者

 嘘、だろ

 

591:名無しのライブ参加者

 こんなことってあるかよ

 散々強キャラ感出てたイッチが……

 

592:推しの主夫【配信中】

 あ、ああああああ!――――父さんッ!!

 



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記録① 愛が欲しい少女と愛が知りたい転生者
一話


??:転生者掲示板 運営神
 申請を受理。・・・申請中・・・申請中・・・
 転生者の申請を許可します。



 転生者・■■■■の記録を再生します。


『ごめんね……ごめんね■■■。なにもできないお母さんを許さないで』

 

 ああ、またか。

 親との最後の記憶を自分は何度も夢として思い出す。怒りや悲しみといった感情が沸き上がることなく、視界から離れ去っていく今世の母親の後ろ姿を、意識が保てなくなるまでただジッと見つめる。

 

 前世はかなりクソだった。自分を生んだ母親は、息子に関心を持つことなく持病であっさり逝った。父親と後妻、連れ子には様々な虐待(ネグレクト)されるわ、後から生まれた子どもの世話や家事全般を全てさせられるわ、奴隷でももう少し待遇がいいのでは? と思うぐらいの扱いだった。少ない自由時間で楽しめた漫画だけが自分の心の拠り所だった。

 

 死後、「特典を与え転生させる」と神様とやらに聞かされた時は期待したものだ。

 転生特典は抜きにして、来世は優しい両親(人たち)の許に生まれ、幸せになれますように、と。

 結果は……、まあうん、優しい人の許には生まれることはできた。厄介な血筋でなければ、と付いてしまうオチだったが。

 

 薙切ってなんやねん。『食戟のソーマ』世界の中でもトップクラスの泥沼一族じゃねーか。

 父親は情は深いが、料理界を牛耳る魔王で食に関しては身内だろうと切り捨てられる少数精鋭主義者。

 姉妹は神の舌を持ち海外で活躍している逸材。情はあるだろうが勘違いさせるような言動をしそう。

 兄弟は……まあ、まともかもしれないが実際はどうやら。

 姉妹の婿は、時期や年齢的に会ってはいないだろう。会ってたら多分母親はもっと堕ちてそう。

 そんな家族に囲まれた母親は原因は不明だが心が折れて生まれたばかりの我が子を捨て蒸発、自分も幸せ──愛を知ることはなくなった。

 

 その後、自分は捨てられている所を発見され無事に施設で育てられた。多少不自由はあったが、クソすぎる人生を一度経験した身だ。二週目、施設での生活は快適と言ってもいいだろう。同じ境遇の子どもたちには何故か歳上歳下関係なく兄貴分として慕われたし、自分からやることにした料理や家事は案外楽しかった。前世よりも感情が表に出るようになったし良いこと尽くしだ。

 

 だけど──どうしても愛だけはわからなかった。

 言葉としてだけならわかる。意味も、種類も。調べて出てくることはだいたい理解した。

 理解しただけで、そう想えることはないが。

 いざ自分が言葉にしようとすれば、なんの感情も浮かぶことなく、ただ単語というだけの愛しか出てこない。

 愛だけは、自分は前世の自分に戻ってしまう。

 だから、自分は諦めた。愛を知ることを。誰かに愛を伝えることを。

 

 それから施設に入って十年ぐらい経った頃だろうか、また一人施設に入ってきた。

 自分より歳下の少女だ。なんでも親が盗みで捕まり、一時的に入ることになったそうだ。

 よくある話だ。いつも通りにすればいい、そう思っていた。

 

 この少女との出会いが、今世の人生を変えると思っていなかった、この頃までは。

 

『……はじめまして! 私は──』

 

 

 

 

 ★★★★

 

 

 

 

「──」

 

 目が覚めた。ああ、今日も今日とて変わらない夢だった。

 視界に広がる妹分の顔を見て、意識を覚醒させる。

 まだまだ夢の世界に迷い込んでる妹分を起こさないように、ベッドから離れ身支度を済ませリビングでいつもの日課をこなすために胡坐を組み、

 

「たいまつくし。──合掌」

 

 鉢に生えたつくしを十本(・・)生み出し、合掌と共に食禅を始める。

 つくしの先端に火が灯るのを見つめながら、改めて自分の転生特典を振り返った。

 

 今世の自分──名桐悠が神様とやらに与えられた特典は二つ。

 一つは漫画『トリコ』世界の物品を生み出せる能力。初めの頃は食材だけかと思っていたが、目の前に置かれた修行用のたいまつくしのような食べられない食材や包丁といった物品でも可能だった。まだ出せない食材もあったが、差し引いてもお釣りがでるほどだ。ちなみに自分で生み出した物なら消すことも可能である。

 

 もう一つは『トリコ』世界基準の身体能力への成長と料理人としての才能。流石に現代日本で主人公クラスの身体能力はいらないが鍛えておいて損はないので、体を動かせるようになった頃からほどほどに鍛えている。

 そして驚いたことに料理人としての才能というものは、自分の想像以上のものだった。

 文面? からして自分に料理人としての才能が与えられた、ぐらいの能力だと思っていたのだが、実際は『トリコ(・・・)世界基準(・・・・)の才能を自分に与えたのだ。包丁を使えばミリ単位で切り方を調整できるし、調理も作業時間、火力、水温の調節が手に取るようにわかってしまう。

 

 さて、この二つの特典と原作知識が組み合わさるとどうなるか。

 

「…………ふぅ」

 

 三十分ほどの食禅を終え、たいまつくしを消してキッチンに立つ。時計はそろそろ妹分が起きてくる時間を指している。食材を冷蔵庫と能力から取り出して、

 

「ふっ──!」

 

 一息で切り終えフライパンや鍋に放り込んで調理する。

 

 例えば、グルメ食材による食材と身体能力の成長で、現代日本では化け物クラスの肉体強化。

 例えば、原作の修行法、食義の習得と修行に必要な食材や道具で、現代日本では再現できない速度や精密な調理技術の獲得。

 例えば、通常の人間のレベルアップが足し算なら、自分のレベルアップは掛け算。

 

 そんなことを十年近く続けた結果、おかげさまで自分の肉体や調理技術は現代人間の限界を超えてしまった。

 おかげで健康や怪我を気にすることはなくなったが加減がし辛くなった。初めの頃は玉子やドアノブなど軽く握っただけで割って苦労したし。加えて何が起こるか分からないので自分はそこまで強く感情を出さないようにしている。ここ数年は食義だけ日課としてこなし加減するための集中力や最低限の力で普段通りの動きができるようにした。

 おかげで器用さが増し刺繍みたいな細かい作業も難なくこなせるようになったのはありがたかった。

 

「ふぁ……おあよー……」

 

 自分の能力を改めて振り返っていると、パジャマ姿の妹分が掛け布団をズリズリと足に引っ掛けて起きてきた。顔は洗ってはいるが眠気は取れてないらしい。というか布団を引っ掛けてよくコケなかったものだ。

 

「ああ、動くな動くな。コケるぞ」

「んあー……」

 

 コンロの火を消し料理を器によそい、妹分に引っ掛かってる布団を抜き取ってベッドに放り投げる。 

 14歳になっても寝起きの言動は幼いままだ。

 

「朝食を並べるから座ってな、机にホットミルク置いてあるから火傷しないように」

「あーい……ぐぅ」

「寝るな寝るな」

 

 朝食を取りに背を向ける。

 ああ、そうだ忘れてた。

 

「おはよう、アイ」

「……えへへ、おあよー、ハルカ」

 

 振り返って挨拶する自分に。

 妹分──星野アイは、いつも挨拶されるのが嬉しいのか笑って返事をする。

 

 一番星にも負けない彼女の笑顔。

 だけど──ああ、また今日も今日とて変わらない。

 

 

 自分は──君への愛がわからない。



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二話

 数年前。私――星野アイが彼に初めて会ったのは、お母さんがお店の物を盗んで捕まったあと施設に入って自己紹介した時だった。

 

「名桐悠だ」

 

 一番最後に挨拶した彼が言ったのはたったそれだけ。

 他の子は名前だけじゃなくて「よろしくね」とか「まーちゃんって呼んで」とか、色々言ってきたり、怖がったり恥ずかしがったりしていたのに、彼はお星さまの見えない真っ暗な夜空みたいな目で私をジッと見つめているだけ。名前は他の子と同じで覚えられなかったけど、彼のことは少しだけ気になった。

 

 気になる相手、それが他の人より一歩抜き出た相手になったのはすぐ後の夜ご飯の時だった。

 私が施設に入った日の夜ご飯は彼が作ったものだった。なんでも毎日、三食の中で必ず一食だけ皆のご飯を作っているらしい。

 

 メニューはハンバーグにオムレツ、サラダとスープ。それとパン。

 

 もっと小さい頃に、まだお母さんに叩かれることのなかった頃にしか食べたことがなかった料理。それが目の前に置かれていた。

 いつも食べるのはお母さんが食べた残り物で、どれも冷たいものだった。それに最近はご飯に入ったガラスを食べてしまい怪我をして、食事が少し怖くなっていた。

 なのに、私は気付けばハンバーグを頬張っていた。

 

 すごく、すっごく美味しかった。

 ハンバーグは柔らかくて嚙むたびに熱いけど美味しい肉汁が溢れてくる。

 オムレツはふわふわトロトロで、少し甘い。

 スープはずっと飲んでいたいし、サラダはシャキシャキでずっと噛んでる音を聞いていたかった。

 どれもこれも味わったことのない初めての料理だった。

 

 夢中で食べていると、不意に誰かが私の頭を撫でていた。

 見上げると、彼だった。特に何も言わなかったから、私はまた食べるのに集中する。彼は食べ終わるまでずっとそうしていた。

 変な人と思った。でも気付いていた。彼が小さく微笑んでいたことを。

 

 

 ただ、それから彼は私に積極的に関わろうとしなかった。私も自分から声を掛けようとはしなかった。どうせすぐにお母さんが迎えに来て、彼とはお別れすると思っていたから。だからいつも通り嘘をついて過ごす。

 だけど――

 

 だけど、お母さんは私を迎えには来てくれなかった。

 一週間が過ぎて、二週間が過ぎて、一ヶ月が過ぎても、ずっとお母さんは迎えには来てくれなかった。

 どうして? どうして? どうして?

 それから少し経ったある日、私は休憩している職員さんたちの話をたまたま聞いてしまった。

 

「アイちゃんのお母さん、どうしたのかしら?」

「出所したのは警察の方から連絡はあったのよね」

「ええ。でももらった住所の連絡先はもちろん、携帯電話にも掛けたのに通じなかったんです」

「警察に連絡は?」

「もちろんしました。けど家はもぬけの空だったという連絡だけでした。それ以降は何も……」

「……そう。可哀そうだけど、あの子――」

 

 職員さんの言葉に、私はその場から逃げ出した。

 職員さんから、部屋から、施設から。

 

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ! 嘘だ!!

 

 私も嘘つきだけど、職員さんはもっと噓つきだ。お母さんが私を置いてどこかへ行くはずない。だって、お母さんは私を愛してくれているんだ。私もお母さんを愛してる。だから絶対、迎えに来てくれるんだ。

 走りながら必死に、私は自分に言い聞かせた。だけど、どんなに叫んでも私の耳にはガラスを引っ搔いた嫌な音が耳に残るように、職員さんの言葉が繰り返し聞こえてくる。

 

 ――あの子、捨てられたんでしょうね。

 

 

 

 

 ★★★★

 

 

 

 

 滅茶苦茶に走り回ってる間のことを、私は覚えていない。とにかく施設から離れたくて、もしくはお母さんが帰っているかもしれない家に戻りたかったのかもしれない。でも、元の家がどこにあるかなんてわからない私が走り続けて、最終的に立ち止まったのは誰もいない、名前もわからない公園だった。

 胸がすごく苦しくて私はその場に崩れ座り込んだ。大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返す。汗がポタポタと流れ落ちるのを見て休憩していると、周りの地面にもポツポツと水が落ちてきた。誰かいるのかと顔を上げたけど、

 

「……雨」

 

 ただの雨だった。そういえば職員さんが今日は夕方ぐらいから雨だって言っていた気がした。

 動かないと、と思ったけど体は動いてくれなかった。屋根のあるベンチが公園の中にあるのに、その少しさえ歩けそうになかった。

 そうこうしている内に雨は強くなって私の体にどんどん落ちてくる。でも私は一歩も動けなかった。動きたくなかった。

 今ならハッキリとできるかもしれない。私は口を開いた。

 

「私は、お母さんに……、す、捨てられた」

 

 雨音がうるさいのに、自分の言葉はしっかりと聞き取れた。胸にもストンと落ちて、ナニかが冷めた気がした。

 

「私は、お母さんに……愛されて……いたのかなぁ」

 

 冷めると同時に何もかもどうでもよくなっていった。

 いつもは言わないこともするするでてきた。

 

 嫌だなぁ、すごく嫌だ。

 捨てられるのが嫌だ。

 愛されなくなるのが嫌だ。

 なにより――

 

「独りは……嫌だよぉ

 

 

 

「そうか」

 

 

 

 私の独り言に誰かが答えた。グイっとお腹から上に持ち上げられる。

 

「…………え?」

「話は後で聞く。今は大人しくしろ」

「……ねぎり、くん?」

「名桐だ」

 

 見上げると、彼が私を片腕で持ち上げていた。そのまま屋根のあるベンチまで連れて行く。ベンチに私を下ろすと差していた傘を立て掛けて背負っていたリュックからタオルを取り出し、少し乱暴に私の頭や顔を拭いてきた。

 

「わっ、むぐ」

「我慢しろ」

 

 拭き終わると、さっきより大きいタオルを取り出して私に羽織らせる。

 

「流石に外で着替えさせる歳でもないからな。帰るまではそれ羽織って我慢してくれ」

「う、うん……」

「これは温めた雲苺ミルク。加熱しただけで冷ます時間がなかったから熱い。気を付けて飲むんだぞ」

 

 隣に座り、今度は水筒を出してコップに注いで渡してくれる。聞いたことのない飲み物だったけど私は言われるままフゥフゥ冷ましてホットミルクを飲んだ。

 

 瞬間、衝撃が走る。私の中でイチゴの被り物を頭に付けた牛が走っていく、そんなイメージが浮かんだ。

 イチゴ味のミルクは優しい甘さでイチゴを直接食べているみたい。飲んだ後に牛乳の濃厚な味が口の中に残らなくてあっさりしている。それがまた飲みたい欲求を増す。

 私は思わず一息にホットミルクを飲み干す。喉からお腹に伝わる熱い感覚。けれど優しくて、あったかくて、それから、

 

「……美味しい」

「そうか」

「美味しい、よぉ……ぐすっ」

「あと三杯くらいは入ってるはずだ。飲むか?」

「ひくっ、……んく、飲むぅ」

 

 お代わりしたホットミルクを飲みながら、私は胸の奥が熱くなって、目と鼻も熱くなっていき、とうとう我慢できなくなって泣いた。

 お母さんの前で泣けば叩かれるから泣くことはなくなったけど、今だけは我慢できずボロボロと涙が溢れだした。涙が止まらなくて、気づけばいつも言えなかった気持ちを大声で叫んでいた。

 彼は静かに私の頭を撫でてくる。初めての夜ご飯の時と同じように。

 

 

「待ってた! ずっと待ってた!」

「だろうな」

 

「なんで迎えに来てくれないの!? 愛してるって言ってたのに!」

「なんでだろうな」

 

「どうして愛してくれないの!? 愛されたい! 愛してほしいよぉ!!」

「俺は知りたいな、愛」

 

「なんでめざし君はこんなに冷たいのぉ!? ミルクはこんなにあったかいのにぃ!!」

「ごめんな。あと名桐な」

おがわりぃっ!

「はいはい。これで最後だ」

もっどおがわりするぅっ!

「代わりにレモモンを使ったホットレモネードを飲みな」

「飲むぅ……酸っぱいレモン味と甘い桃味があったかくて美味しいよぉっ!!」

 

 優しい言葉は言ってくれなかったけど彼は私の泣き言を全部聞いてくれた。最後の方は何言ってるのか私自身でもわからなかったけど、好きなだけぶちまけたら胸の中で冷たくなったナニかはいつの間にかあったかくなっていた。

 あとレモネードも美味しかった。

 

 

 

 

 ★★☆☆

 

 

 

 

 差し出してくれた飲み物を飲み切り、私が泣き止んだ頃、雨もやんでいた。彼はリュックを胸に背負い私をおんぶして公園を出た。

 どうして迎えにこれたのか聞いたら、施設を飛び出すのが見えて追いかけてきたらしい。ミルクやレモネードを準備して遅れたから、見つけるのに手間取ったみたいだけど。

 見つからなかったらどうしたの、と聞くと、見つけるまで探してた、と返された。

 嬉しくて、首に回した腕に力が入った。

 

 

 ゆらゆらと揺れながら、私は彼にもう一つ聞いた。

 

「ねえなざし君」

「名桐な」

「さっき言った、愛を知りたいって、何?」

「言葉通りの意味だ」

 

 彼は隠すことなく、本当に何一つ隠すことなく答えてくれた。

 前世の記憶があること。前世では私と同じ――後で詳しく聞いたら、私がお母さんにされたよりも酷かった――扱いだったこと。生まれかわったら、赤ちゃんの時に今の彼を生んだお母さんに捨てられたこと。それからずっと愛がわからなくて知りたいことを。

 

「愛っていう意味自体はわかるんだけどな。理解できないんだ」

「意味はわかるの?」

「友愛、家族愛、情愛……種類はあれど、愛ってのは見返りを求めない感情らしい」

「見返り?」

「愛してあげたんだから君も私になにか返してよ、お金とか」

「その愛はなんか嫌……」

「だろうな。曰く、愛は一方通行。とにかく与えるだけってのが愛、らしい。だが自分はそれがわからない。これが愛なんだって自分の中で理解できない」

 

 だから知りたいんだ、と彼は言った。

 

 そこまで聞いて、私は彼のことが少しわかった気がした。

 施設で暮らしている間、私から見て、彼はいつも施設の子たちや職員さんに対して、ほぼ同じ態度で接していた。例えるなら、定規で真っ直ぐに引いた線に誰もが立っている。そこに一番も二番もない、誰もが彼にとって一番でありドベチンなんだ。

 私もそうだ。誰からも愛されたいと思われるように嘘をついている。やり方は違うけど、きっと最初は同じなんだ。

 

「なんだか似てるね、私たち」

「そうか? 自分は嘘はつかないが」

「……気付いていたの?」

「気付いたというか、前世はお前さんほどじゃないが、我慢するため、誤魔化すために嘘をついていたからな。なんとなく嘘ついてるなとは感じていた」

「前世だけどやっぱり似てるじゃん!」

「そうか? そうなのか……まあ、君の嘘よりはバレやすいものだったが」

 

 彼はそう言うと少しの間静かになった。

 私も黙って背中で揺られる。

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 赤ちゃんがよく使ってる、ゆらゆら揺れるベッドってこんな感じなのかなぁ、なんてどうでもいいことをうつらうつらと考えていると、

 

「……そうだな」

 

 彼は呟いた。

 

「これはあくまで提案だ。断ってくれてもいい」

「なーに?」

「愛が欲しい女の子と愛が知りたい転生者。試しに家族になって一緒に愛を探してみないか?」

「……? ……え?」

 

 彼の言葉を少しだけ理解できなかった。ゆっくり頭の中で繰り返して、ようやく理解できた。理解して、心が震えた。

 

「正直、関係はなんでもいい、義兄妹(きょうだい)でも友人でも家族でも」

「……」

「嫌ならいつでもやめてもいいし、誰か愛したいって人を見つけたと思ったのなら協力もする」

「それは、でも、そんな嘘……」

「関係は嘘でも、その中で芽生えた愛は嘘ではないと思うがな、多分。めいびー」

「そこははっきりとしようよ。でも……でも、名桐(・・)君と私は他人だし……」

「血が繋がった相手で駄目だったんだ。だったら他人で試しても悪くないだろう。そもそも親子の上下は繋がっていても夫婦の横は他人だしな」

「でも……えっと、えっと……」

 

 反論、なにか反論したかった。嘘でもいい、とにかく何か言わなければ、と。

 だけど、私は戸惑う声を上げるだけで、言葉を出すことができなかった。

 

「……言っただろ。断ってもいいって」

「あ……」

 

 顔は見えないが、それでもどんな表情を浮かべているか想像できた。

 

「悪かったな、混乱させることを言って。今のは忘れ」

「ち、違う!」

 

 なかったことにしようとする彼の言葉を遮って、私は叫んでしまった。

 叫んで、叫んだあとは、声が震えないように小さな声で、

 

「……いいの?」

「こちらが提案した側だが?」

「嘘つきだから、ずっと見つからないかもしれないよ?」

「その時はその時だ」

「誰かに愛されたら、名桐君を捨てちゃうかもしれないよ?」

「少なくとも君が愛を見つけたのなら、自分は祝うだろうな」

 

 その言葉が嘘だってことはすぐにわかった。

 ああ、駄目だ。やっぱりこの人は私と似ている。

 私は誰かを愛したい。誰かに愛されたい。心の底から愛してるって言ってみたい。

 彼も誰かに愛されたかったんだ。誰かを愛してあげたかったんだ。

 

 それにもう、私が限界だった。

 お母さんに捨てられて、愛されていないって受け止めてすぐに言われたこの提案は、私にとってガラスが入った白米と同じものだった。

 口に入れて(受け入れて)ガラスを食べて(裏切られて)私が独りになるか、白米を食べて(家族になって)愛を見つけられるか。

 どこかで聞いた、ろしあんるーれっと。アタリを引くかハズレを引くか。

 私は答えるために口を開いた。

 

「……ねぇ」

「なんだ?」

「名前、もう一度教えて」

「名桐悠。名桐でも悠でも兄でも好きなように」

「家族は苗字で呼ばないでしょ。……私のことは名前で呼んで」

「わかった――アイ」

 

「――ハルカ」

「なんだ? アイ」

「愛してるって言って」

「……今の自分が言っても嘘にしかならないぞ」

「嘘でもいいから言って」

 

 

「……愛してるよ、アイ」

「私も」

 

 いつかきっと。

 私も言えるようになりたい。

 家族としてなのか、友だちとしてなのか、あるいは男と女としてなのかはまだわからないけど。

 

「……あなたを、愛したい」

 

 これは決して嘘じゃない、本当の気持ちだから。



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三話

 二年前、隣に座りスターバーゴー(スタバ)で買った新作のフラペチーノを飲むアイに、家族にならないかと誘ってから約四年後ぐらいのある晴れた日。

 自分はアイに「会ってほしい人がいるんだ」と言われ、特に疑うこともないままアイに連れられてフードコートの一角で件の人物と向き合って対面していた。

 

 ……まあ、流石に特に疑うこともなくってのは嘘だが。

 突然、会ってほしい人がいるって聞かされた時は動揺した。早いな、と驚く気持ちにこんなあっさり見つけるのか、という少しばかりの嫉妬を混ぜ込んで。

 

 自分はといえば相変わらず愛がどんなものかまったくわからずに過ごしている。

 あの一件から自分に甘えてくるようになったアイと他より少しばかり贔屓目に接したり、家族だからと自分の最大の秘密である転生特典を教え、時々グルメ食材を二人で内緒に楽しんだりしているが、愛のあの字もわからなかった。

 

 ……いい加減現実に戻ろう。

 どうでもいい話を頭の隅に追いやり、改めて目の前に座る人物に視線を向ける。

 金髪にサングラスをかけた年上の男性。イケメンというよりチャラい。

 やはり、そういう相手ではなさそう、というのが第一印象だった。

 

「どうした? 突然頭を押さえて」

「いえ、大丈夫です。お気になさらず」

「!?」

 

 隣でアイが信じられないモノを見たような表情を浮かべている。そういえばアイの前で敬語で話したのは初めての気がする。失礼な、虐待されていた前世はだいたい敬語だったんだ。嫌な思い出しかないから使いたくないが。

 

「そうか? じゃあ改めて自己紹介だ。俺は苺プロダクションという事務所の社長をやっている斎藤壱護ってもんだ」

「アイと同じ施設育ちの名桐悠です。はじめまして」

「それと私の家族!」

 

 そうだな、と頭を撫でる。

 斎藤さんは難しい顔で「なきり……?」と苗字を気にしている。

 

「お前さん、なきりって……あの料理界の薙切か?」

「薙切をご存じで?」

「料理界を牛耳ってる上に影響力は芸能界にも及んでいる一族なんだ。小さな事務所とはいえ社長(アタマ)張ってんだ、知らないわけないだろう」

「そうですか。そうですね……残念ながら自分の名桐はこう書きます」

 

 テーブルに備え付きの紙ナフキンに苗字を書き込み見せる。

 

「名桐……そうか、勘違いして悪かったな」

「いえ、別段勘違いでもないですし」

「は?」

「なんでもありません。それで斎藤さんはアイとどういう関係で?」

「聞いてないのか?」

「ええ。会ってほしい人がいる、とだけ」

 

 今度は斎藤さんが頭を押さえる。

 

「ああ……うん、よくそれだけで俺と会おうと思ったな」

「問題ないだろうと直観で感じましたので」

「そうか……たぶん、直感だが君も相当な変わり者だな」

 

 自覚してます。

 

「数日ほど前に、星野さんをスカウトしたんだ。アイドルにならないか、と」

「でも断ったんだ」

 

 ズズゥとストローでクリームだけを吸ってアイが続きを言う。

 

「だってアイドルって歌って踊って、ファンに愛してるって言うんでしょ? 愛がわからない嘘つきの私がアイドルなんてできっこないよ」

 

 でも、と。

 

「佐藤社長が言ったの。嘘の愛でも本物になるかもしれないって」

「斎藤な」

「それを聞いて、ちょっと迷ったけど、なってもいいかなって思ってるの。私の嘘でできた愛が本物になれるか試したいんだ」

「……そうか」

「それでね。ハルカはもちろん手伝ってくれるよね」

「もちろん。そう約束したからな」

 

 アイの言葉に自分は即答する。

 今日ここへ連れてきたのはそれを伝えたかったのだろう。それと別れの挨拶も兼ねて。

 施設に住みながらアイドルはできないと思う。多分、斎藤さんがアイを引き取ることになる。そうなればアイドルになる以上頻繁に会うことは難しいだろう。

 

 

 ――キュッ

 

 

 ……。

 ……? なんだ、今の? ……イタい?

 一瞬だけ感じた痛みに自分は内心で首を傾げる。

 そんなことを考えている横で、アイはトンッとフラペチーノのカップをテーブルに置いて、だからと前置いて、

 

「スカウトは私とハルカの二人にしてほしいなっ」

 

 見るものを魅了する瞳の輝きを強め、アイはスカウトを受け入れ――ん?

 受け入れた――というよりお願いした。

 アイと自分を……アイドルに?

 

「……は?」 「はい……?」

 

 ほらみろ、斎藤さんも驚いてサングラスがズレて点になった目が見えている。自分もそんな目をしているんだろう。

 

「「はあっ!?」」

 

 二人分の驚く声がフードコートに響き広がる。

 声を上げて驚くなど転生してから……いや、前世含めても初めての経験だった。

 

 ――だから、自分は忘れた。

 先ほど感じた、胸を締め付けるような一瞬の痛みを。

 

 自分がその痛みを再び味わうのは――もう少し先のことだった。

 

 

 

 

  ★★★

 

 

 

 

 あの時は大変だったな、と食材を炒めながら振り返る。時計は11時を過ぎていた。

 

 アイのお願いは、斎藤さん……壱護さんだけじゃなく自分も反対する側だった。

 壱護さんの目から見て、名桐悠はルックスは良くても、アイドルや俳優として光るものが感じられない、という評価をもらった。

 

 自分の見た目は、簡単に表せば薙切えりなに近い。そのため顔はいいんじゃないか、とは自分も思ってる。まあそれだけだ。歌は平凡。踊りはできるが、身体能力に物言わせた人の動きをコピーするだけの機械のような動き。愛想も振りまく気もない。なにより人前に出たくない。

 

 二人じゃなきゃスカウト受けない! と我が儘を言うアイを壱護さんと二人であの手この手と説得して、どうにか自分のアイドル化は免れた。

 ホッと一息つく間もなく「でもハルカと一緒じゃなきゃやだ」なんて言うのだ。壱護さんと二人でまた頭を抱えたよ。

 

 調理を終えた料理をランチジャーに詰めて、鞄に他の荷物と共にしまう。身支度を済ませ時計を確認して部屋を出る。

 

 アイドルにならない以上、壱護さんにとって自分は無価値な存在。ハンバーグを彩るコーンや人参みたいな付属品、いやそれ以下だ。どうにか切り捨てたかったことだろう。

 だが、アイは我が儘で頑固だ。こうと決めたらテコでも曲げようとしない。二人でアイドルになることを諦めさせたのだって奇跡、とはいわないが運がよかったのだ。一度ハードルを下げた以上、最低でも一緒という部分が叶わない限りスカウトに応じなかっただろう。

 

 結局、主に自分と壱護さんでアイやそれぞれの妥協点を出し合い、時々アイが要望を差し込んで(駄々をこねて)、最終的には一護さんがほぼ折れる形でスカウトを成立させたのだった。

 大きくまとめると、

 

 ・戸籍上は壱護さんがアイの親になり、自分は後見人として、二人を施設から引き取る。

 ・学生の間は自分は手伝いという体で事務所で裏方として働くこと。

 ・高校卒業後は内容はなんであれ苺プロダクションに利益を与える職種に就くこと。

 

 こんな感じだが……正直、壱護さん思ったより良い人なのでは、と思わずにはいられなかった。

 一番難しいだろう三つ目でさえ、引き取られて初めての夕食を作った際に「お前、ウチの専属料理人にならないか?」なんて真顔で言ってきたのだ。隣で奥さんのミヤコさんも頷いてたし。

 加えて、施設通いでもよかった自分のために、わざわざ壱護さんの住むマンションの一室から少し離れた部屋を別で借りてくれたのだ。たぶん、アイを逃がさないようにするための投資だろうが、それでも感謝しかない。

 

 ……壱護さんたちと暮らしてるアイが週に数日は自分の部屋で過ごしているのには二人、あるいは三人で頭を悩ましているが。

 

 そんなこんな、生活が一変した頃を振り返っている間に事務所に到着した。時刻はちょうど正午を指している。今日のスケジュールだとアイは所属するグループ『B小町』のメンバーとレッスン中なので、近場で契約している稽古場にいるだろう。そちらへ足を向ける。

 

 

 食戟のソーマの世界に転生し、メインヒロインに関係のある一族に生まれた自分。

 だが現実は原作関連に一切関係ない場所で、原作に関わることなく、普通……とは言いにくいが平和に生活する毎日。

 愛はまだわからないが、この生活は悪くないと思ってる。

 だから――このままで。

 誰に願えば叶うだろうか。わからないから自分を転生させた神様とやらに願いながら、自分は稽古場の扉を開けた。

 

 ――どうか、この幸せがずっと続きますように。



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à la carte

サブタイトル格好つけてますが、ただの幕間……というより短編集? です。

料理食べてるだけの短編を書きたかったのに、どうしてこうなった?


 

〈初めてのグルメ食材〉

 

 

 家族になって数日後。

 悠とアイは先日偶然辿り着いた公園のブランコに乗っていた。

 

「ねぇねぇ、ハルカ」

「どうした?」

「さっき話してくれたてんせーとくてん? で出せる食べ物ってどんなものがあるの?」

「色々だ。そうだな……」

 

 少し考えたハルカは掌を上に向けて差し出し、

 

「パープルバナナ」

 

 そう呟いた。

 途端に掌に苦々しい見た目のバナナが一房現れた。

 

「わっ、本当に出た! ……でもなんか美味しくなさそう。変な色してるし」

「自分もそう思う。だが……」

「あ……」

 

 一本もいで皮を剝き果実を半分ちぎり、悠は頬張る。残りの半分をアイに差し出す。

 差し出されたバナナを受け取ったアイは恐る恐る口に入れた。

 

 

「……もぐ、……ぅん!?」

「変な色だが美味いだろ」

「もぐもぐ!(コクコク) ……普通のバナナよりすっごく甘い! 変な色なのに!」

「だろう」

 

 パープルバナナを掌から消す。

 ただ、二人して変な色と言い過ぎである。変な色ではあるが。

 

「他にどんな食べ物があるの!? 食べたい!」

「残念ながら今日はこれだけだ」

「えー! けちー!」

「もうすぐ夕飯だからな。それにグルメ食材ばかり食べてると、普通の食材が美味しく感じなくなってしまうぞ」

「美味しい物ばかり食べちゃダメなの?」

「ダメではないが。こういうのは時々……一日一食ぐらいが一番美味しく感じるだろうからな」

 

 とにもかくにも、これが星野アイが初めてグルメ食材を食べた日だった。

 なお、雲苺ミルクとレモモンのレモネードは気付いていないのでノーカン。

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

〈嫌いなモノ〉

 

 

「そういえば、アイ」

「なーに?」

「アレルギーや嫌いな食材はあるか?」

「あれるぎー?」

「……」

 

 これは困った、と悠は顔に出さずに呟いた。

 

「アレルギーってのは、特定の物を食べたら体が痒くなったり、息がしづらくなったり、最悪死んでしまうかもしれない。そんな病気? うんまあ、病気だ」

「そんな病気があるんだ! 知らなかったな~」

 

 違う。

 アレルギーは生理機能の一つである免疫反応が、特定の抗原にだけ過剰反応を起こしてしまうものであり、病気ではない。

 だが、悠の間違いを訂正してくれる相手はこの場にいない。

 なので悠とアイにとってアレルギーは病気だと分類されてしまった。

 

「う~ん、お母さんと暮らしてた頃はそんなこと起きたことなかった、かな」

「そうか」

「うん。お母さんの機嫌が悪い時はいつも叩かれてた後にご飯を食べたり、食べさせてもらえなかったから、痒い時はなかったな~。あ、お腹蹴られて吐きそうになりながら我慢して食べたことはあったよ!」

「……」

 

 ……。

 瞳を黒く輝かせて話す少女と無表情ながらも瞳が死んでいく少年。

 

「だよな、メシ与えながら蹴るなって話だよまったく。吐いたらまた蹴り飛ばしてくるわ、掃除しとけって汚い水とモップをぶちまけてくるわ、その日から数日は残飯しか食事として出してこないわ。そんなもん食って生き延びた()がアレルギーなんか掛かるわけないな。ああ、もしかして食事関係の虐待って実はアレルギー対策にいいのかもしれないな今世で試してみたくもねぇし死ぬまでやりたくねぇけどなハハッ!」

「……。……っ、うん! そうだね!!」

 

 ハハハ、えへへ。

 ハハハハ! えへへへ!

 

 かたや、アイの当時の食事の話を聞いて前世の食事関係の記憶を引き出してしまい、アイが聞いたことない長文を死んだ魚のような濁った瞳で捲し立てる悠。しまいにゃ笑い出す始末。

 

 かたや、光をまったく反射しない真っ黒なのに死んだ魚のように瞳を濁らせいきなり飛び出た悠の素を見てしまい言葉を失うアイ。言いそうになった本音の言葉を飲み込むと、星の瞳を黒く染め輝かせて、嘘の笑みを浮かべ二人で笑い出す。

 

 ……。

 何だこの負の空間。

 絶対、小学生たちが出していい空気じゃないぞ。クッソ重ぇ。

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

〈嫌いなモノ その2〉

 

 

「……大丈夫? 元の悠に戻った?」

「大丈夫じゃない。が、前世を思い出す方がキツい。なので話を戻そう」

「うん。……なんの話をしてたっけ?」

「アレルギーと嫌いな食材があるか、だったな。嫌いな食材はあるか?」

「嫌いな食べ物はないかな~」

 

 あ、でも。

 そう言葉を続けるアイ。

 

「嫌いじゃないけど、白いご飯は苦手かな」

「白いご飯……ただの白米が?」

 

 アイの言葉に疑問を抱く。

 炊き加減で好き嫌いがあるのか、と悠が考えていると、

 

「ご飯の中にガラスの欠片が入ってたことがあってね、間違えて食べちゃったんだ」

「…………おうふ

 

 予想の斜め上からの一撃が悠のボディーに突き刺さる。

 

「血が出てすごく痛かった。でも泣いたり声を上げたらお母さんに叩かれちゃうから我慢してたの。そしたら急にお母さんに叩かれて、どうしてって思ってたら服を血で汚くしちゃってたんだって」

「……」

「だから、ご飯は食べられないわけじゃないけど、苦手なんだ」

「……ごふっ」

 

 嘘でできた笑みで締めくくられたアイの言葉に、悠は崩れ落ちた。

 何故か。この数日の食事の中に白米は何度か出されてる。それを悠は何も気づかずにアイに配膳してたのだ。

 

「大丈夫? ハルカ」

「あ、アイ……すまない」

「え? ……あ、ご飯出てたこと? 気にしないで! ゆっくりガラスが入ってないか探しながら食べれば問題ないし!」

「……じょ」

「うん?」

「上等だ! やってやろうじゃねぇか!」

「ひゃっ!?」

 

 プチンと何かがキレた悠は立ち上がり叫ぶ。

 驚いたアイに、ビシィッと指を突き付け、

 

「アイ!」

「は、はい!」

「自分は絶対に、アイが普通に白米を食べられるようにしてみせる!」

「はい! ……はい?」

「そうだな、準備段階から……手間か? いや、これぐらいなんとでも……(ブツブツ」

 

 一方的に宣言する。

 ブツブツと呟いて立ち去っていく悠を見て、

 

「……ハルカって絶対に変だ。でも」

 

 変なことに必死になるとこがきゃわ~、かも。

 クスクスと嘘のない笑みを浮かべ、トテトテと追いかけるのだった。

 

 

 

 

 後日談というかその数時間後。

 炊く前の白米を色の付いた布巾の上に一粒ずつ並べて、

 

「炊く前の米見れば、ガラスが入ってるかどうか心配することはないんじゃないか?」

「……えー」

 

 わざわざ確認させてきたのには、素で引いてしまうアイなのだった。

 

 

 

 後日談その2というか今回の結果(オチ)

 

「ハルカ、ご飯おかわり!」

「ああ。好きなだけ食え。米もおかずもまだあるからな」

「うん!」

「 ヤ メ ロ 」

 

 無事に白米を(条件付きで)普通に食べられるようになったアイ。

 数年掛かって達成できた目標に表情少なくご満悦の悠。

 

 そして、目の前のアイドルが情けない理由で終わってしまわないか、気が気でない壱護。

 説得を諦めるまで、社長の苦労は続くのであった。

 頑張れ、佐藤社長!

 貴方の苦労はきっと報われるはず! 多分。めいびー。



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記録② 偽りの笑顔で輝く一番星と焼き焦がされても手を伸ばす引き立て役
一話


8/24 各サブタイトルを変更


 

「部屋でアイと一緒に寝る回数を減らしたいんだが、同じ女性として何か良い案はないか? ミヤコさん」

「無理ね、諦めなさい」

 

 斎藤家のキッチンで夕食を作りながらミヤコさんに聞く。

 わかってはいたがノータイムで一蹴される。もう少し悩んで答えてくれませんかねぇ?

 

「アイさんと貴方が家族になった経緯は聞いたけど、第三者からしたら、弱ってるところにつけこんで歳下の女の子を誑し込んだようにしか聞こえないわ」

「耳が痛いな」

「だいたい貴方たち、本当に14歳と16歳なのかしら。小学生でそんな考えに至るなんて、精神年齢高すぎない?」

「虐待から心を自衛するために精神だけ急成長するってあると思うんだよな。自分の場合、生まれてすぐに自我が芽生えてたから実母に捨てられた時の記憶も残ってるし。その影響で周りより早く精神面が育ったんだと思う」

「サラッと初耳の重い話ぶち込んでこないでちょうだい。夕飯の前にお腹いっぱいになりそうよ……」

「それはすまない」

 

 夕飯の量を減らすか? と聞く。

 減らさずにアレを追加でちょうだい、と返される。

 

 調理する手を止めて、ミヤコさんの視線から隠して小鉢にキューティクルベリーを生み出しミヤコさんの前に置く。キューティクルベリーに手を伸ばすミヤコさんを横目に調理に戻る。

 キューティクルベリーは食べると髪を艶々にする美容に良いグルメ食材の一つで、以前アイと二人でグルメ食材をこっそり食べている所をミヤコさんに見つかり、自分の能力がバレそうになったことがあった。

 なんとか誤魔化したが、それ以来時々こうして美容に関係する食材を要求されるようになった。どこから調達しているのか怪しまれているが、効果が出ているので今のところ内緒にしてくれている。

 

「今まで食べてたイチゴは何だったのかってぐらい美味しいわねこれ。おまけにしっかり効果が出てるし。本当にこれどこで買っているのかしら」

「そこは企業秘密で」

「わかっているわ。その代わり」

「他に美容の良いものを見つけたら優先的に」

 

 ならよし、とミヤコさんは書類に目を通しながらキューティクルベリーを食べる。

 次は何を渡すか。美容に良いグルメ食材は何があっただろう。完美牛やもち肌もやしなら調理した後の状態なら大丈夫か?どっちも名前しか知らないけど。

 

 ガチャリとリビングの扉が開く。

 

「ハ~ル~カ~!」

「おっと……」

 

 帰宅したアイが飛び込むように抱き着いてくる。料理をよそった皿を両手に乗せていたので、くるりと一回転し受け止める。当然、料理は1ミリもこぼさない。

 

「ただいまハルカ! 今日も疲れたよ~」

「おかえりアイ。だけど料理を持ってる時は抱き着かないよう言ったはずだが?」

「えへへ~」

「聞け」

「ぶみゅ」

 

 テーブルに料理を並べ抱き着いているアイの両頬を指で挟む。叩くのは昔を思い出してしまうと互いに理解してるので絶対にやらない。

 

「……お前らの距離感がバグってんのはいつものことだがよ、あんまアイドルがしちゃいけない顔させんのはやめてくれ」

「ああ、壱護さん。おかえりなさい」

「はぁ……おう、ただいま」

 

 一緒に帰宅した壱護さんが溜息を吐いている。

 まあ、いつものことだから問題ないだろう。アイを変顔させていた指を離して引き剝がし、

 

「二人とも、手を洗ってこい。食事にしよう」

 

 

 

 

 ★★★☆

 

 

 

 

 斎藤家にアイが引き取られ、自分が一部屋を貸し与えられてから約二年。

 地下アイドルから始まったアイのB小町としての活動も少しずつだが増えていき、段々と忙しくなっていった。大手事務所に比べれば大したことない活動ばかりらしいが壱護さん曰く、アイドルとしての成長速度は大手と大差はなく、中小の事務所ではかなり早いみたいだ。

 

 そんな中、自分は高校に進級したことで正式にバイト扱いで苺プロダクションに籍を置くことになった。主な役職は裏方や事務作業、それとアイの食事係(・・・・・・)。将来的にはアイのマネージャーもさせようと計画しているらしい。

 あとは役職ではないが、斎藤家の食事も自分とアイ、壱護さんとミヤコさんが揃った時は自分が作っている。今日みたいに。

 

 ちなみに夕飯の献立は、安く買えた牛肉を使った青椒肉絲(チンジャオロース)にわかめとかきたまの中華スープ。ピリ辛のきゅうりと大根の漬物に白米の中華料理。壱護さんの席には缶ビールを忘れない。

 

「相変わらず美味そうだな。いただくぜ」

「「いただきます」」

「どうぞ、いただきます」

 

 一家の主たる壱護さんの挨拶で夕飯が始まる。

 別に壱護さんが亭主関白だから、ではないが、気付いたら斎藤家で食べる時はこれが普通になってた。

 

「うまうま~」

「それはなにより。……頬に米が付いてるぞ」

「とって」

「はいはい」

 

 隣で青椒牛肉絲と一緒に白米を頬張っているアイの頬に付いた米粒を取って食べる。

 アイが白米に軽いトラウマを持っていることは前に聞いていた。なんだ、ガラスが混じった米を食べるって。アレルギーとかで食べられないのを無理やり食べさせられた、ならわかるが、ガラスが混ざった食事なんて、と初めて聞いた時は耳を疑った。その前に普通に食事に出していた自分に対して死にたくなったが。

 トラウマの理由を聞いて、数年は食べられるよう工夫に努め……現在はどうにか自分が炊いた白米だけは普通に食べられるようになってくれた。白米は色んなおかずに合うんだ、食べられないのは食事の楽しみが減るというものだ。

 

「おかわり!」

「ああ。二人はどうする?」

「俺はいい。残りは酒のつまみにさせてもらう」

「私もいらないわ」

 

 返事をもらい、自分とアイのおかわりを茶碗によそい、席に戻る。

 

 『トリコ』世界の肉体に成長中の自分が大食らいなのは当然だが、アイも年々と食事の量が増えている。壱護さんたちの前では普通の量に留めているが、あとで追加で食べておかないと自分はともかくアイがこっそり夜食を食べて怒られてしまう。

 そろそろアイにも食義を習ってもらうか? しかし食義の修行はかなり地味だ。アイが途中で投げ出してしまいそうである。

 

「ごちそうさま!」

 

 そうこう考えている間に食事が終わる。

 食器を片付け、そろそろ部屋に戻るかと考えていると、

 

「ちょっといいか悠」

 

 壱護さんに呼び止められる。

 リビングには壱護さん以外いない。アイは一足先に自分の部屋へ戻り、ミヤコさんは入浴中だ。

 近くに腰掛ける。

 

「お前さん、少しの間だがミヤコの下でマネージャー業を手伝ってくれないか」

「かまわない。進級と卒業のための出席日数だけは確保させてほしい」

「今回はそこまで長期間じゃないから安心しろ。今はミヤコだけでもなんとかなってるが、これから先忙しくなるのは間違いないからな。今から少しずつ手伝って覚えてもらいたい」

「……壱護さんの顔を見る限り、それだけじゃなさそうだな」

「なんでわかるんだよ。それも直感って奴か?」

「いや、顔色から予想を立てただけだ」

 

 前世では察しが悪いだけで殴られたからな。アイみたいに嘘が得意な相手じゃわかりにくいし、壱護さんみたいに営業で鍛えた相手も判断がしにくい。今回は自宅だからか気を緩めていたから壱護さん相手でも気付けた。

 

「お前の処世術どうなってんだ。……覚えてるか? B小町の方針のことを」

「……ああ」

 

 それだけでなんとなく理由が察することができた。

 基本的に自分はアイドル活動について、壱護さんの方針に疑問や意見を出すことは余程のことがない限りしない。

 しかし一度だけ壱護さんの活動方針に意見を出したことがあった。

 

 それがB小町のグループ人数と人気の出し方についてだ。

 当時、壱護さんはアイを含めた結成メンバー4人に何人か追加して、多人数のグループにしようとしていた。しかし壱護さんはグループの人数を増やしても、その全てをアイの引き立て役にしてB小町の人気を上げようと計画していた。

 アイにアイドルとしての天性の才能があるのは聞いていた。だが、だからといってアイの踏み台にして他メンバーを使い潰すのは間違っているとアイドルに興味ない自分でも理解できた。それじゃあグループである意味がないし、何よりそんな扱い方が、自分を奴隷の如く扱い血の繋がった息子を愛した前世の継母の姿と重なって見えてしまった。

 結果としてB小町のメンバーは現在も結成時の4人で、それぞれの個性を伸ばす方針に切り替えて活動している。

 

「急に事務所で直訴してきた時は驚いたがな」

「あのままだとアイを対象にいじめが起きる可能性があったからな。活動方針に口出すなとか言われて、後見人外されて施設に戻されるかも、とは思っていたが言わずにはいられなかった」

「……話を聞かないとぶん殴ってでも聞かせるって圧出されてたら、誰だって聞くだろうよ」

「……出してねぇよ?」

「目を見て話せ。目を」

 

 ……。

 いや、まあ。威圧して意見出したのは悪いと思ってるヨ。

 

「まあ今更の話は置いといてだ。……メンバー間で溝が出来てるみたいだ」

「……軋轢が生まれるのは防いでいたよな?」

「目の前で起きることはな。だが隠してるものは無理だ」

「それを何とかしろと?」

「社長って立場じゃできないことでも、同年代、バイトのお前ならって」

「……」

「圧は掛けんなよ?」

「掛けるか。自分を何だと思ってる」

「……何とも思ってないぞ?」

「目を見てもう一回言え」

 

 まあ十中八九、溝はアイとの間だ。修復しないとアイが悲しむだろう。

 いくつか聞いておき、自分は壱護さんの頼みを引き受けた。

 

 どうせ、自分が取れる方法なんて一つしかないのだから。

 何を作るか考えながら、自分は斎藤家を後にし部屋に戻るのだった。



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二話

「――というわけで、今から食事会を始める。はい拍手」

 

 二週間後。自分の部屋に集められたB小町四人の前でそう宣言した。

 パチパチパチ、と手を叩いてくれたのは二人だけ。後の二人はジトっとした視線をこちらに向けていたり、スマホを見ている。

 

 あれから壱護さんの頼み通りミヤコさんの下でマネージャー業を手伝い、四人全員の予定が取れる日を狙い、自分の部屋へ連れてきた。四人が座って囲んでいる机の上にはホットプレートが置いてあり、キッチンには仕込んでおいたタネがいくつも準備してある。

 

「つまり、あたしたちはアンタにた、食べられるってこと?」

「いかがわしいことを言うな。恋愛初心者め。言い回しだけで耳が赤くなってるぞ」

「なっ……そっ、そうよ! アイドルなんだからアンタみたいに四六時中イチャコラしてる恋愛上級者じゃないし!」

「残念だったな。恋愛のレの字も知らない恋愛ド素人だ自分は」

「……それ自分で言ってて虚しくならない?」

 

 最年長で一応グループのリーダーとなっている、ミネこと高峰。

 クール系キャラで売っているが割りと素が出やすい。あと色恋に興味はあるが耐性はかなり低い。

 

「ウチは別にどっちでもいいけど。それより名桐。これテイクアウトってできる? 弟たちに持って帰りたいんだけど」

「可能だ。調理前でも後でも構わないが、嵩張るので調理後をオススメする」

「ならお願い」

 

 言うだけ言って携帯に視線を落とす、ナベこと渡邊。

 プロフィールから三人兄妹の長女であり、母親の負担を減らすためにスカウトを受けたらしい。ちなみに携帯で見てるのは近隣のスーパーのセール情報だったりする。

 

「お兄さん、今日は何作ってきたんだろ~」

「鉄板ときたら定番物だ」

「……丸焼きたこせん?」

「なんでだ。調理機材買ってくれ。そうしたら作ってやる」

「そこはほら~、お兄さんの筋力で」

「無茶を言うな。……多分できるが

 

 色気より食気で壱護さんのスカウトを受けた、ニノ。

 普段からアイの弁当を持っていくたびに一口ねだりにくる困った子だ。あと、丸焼きたこせんではない。

 

「丸焼きたこせんって何? ハルカ」

「タコを丸々一匹プレスして作る煎餅だ。自分も食べたことはないが」

「作れない?」

「作れない。……こともないが」

「……わくわく」

「……わかった。今度、どうにか作ってみる」

「お兄さ~ん」

「ニノの分も作る」

「えへへ、やったねニノちゃん!」

「そうだね~」

 

 最後にたこせんを食べてみたいとねだってきたアイ。

 作り方はだいたいわかるが一度レシピを確認してみるか。そもそも家のキッチンで作れるのか? アレ。

 

 以上四人がB小町結成時から変わらないメンバーだ。

 四人とそれぞれ会話しながらも――その実、メンバー間ではほとんど会話らしい会話はないが――タネと具材を持ってくる。

 

 油を引いたプレートの端に豚肉を並べ、中央に千切りにしたキャベツ、青ネギ、紅ショウガ、天かす、少量の鰹節を卵と混ぜた擦り下ろした長芋の中に入れ混ぜ合わせたタネを注ぐ。

 片面が焼けるタイミングで別で焼いた豚肉をタネの上に並べて、

 

「よっと」

 

 ヘラでひっくり返す。

 返した拍子に焼けた面がぐちゃっとしたり中身が飛び出るなんてミスは犯さない。

 

「お~」

「話には聞いてたけど、本当に料理が上手いのねアンタ」

「まあ、人に誇れるような特技はこれしかないからな」

「嘘でしょ」 「嘘ね」 「嘘ですね~」 「嘘だー」

「なんでだ?」

 

 仲が悪くなってるんだろ? 何故そこで意見が重なる。

 首を傾げながらマヨネーズと少しはちみつを混ぜたからしを回しかけ、次にかけた今回のために調合した自家製ソースと共に全体に塗る。最後に青のり、は明日がオフとはいえ女性が相手なので鰹節だけ散らしてお好み焼きの完成だ。

 四等分に切りわける。

 

「完成だ。熱いうちにどうぞ。青のりは個々の自由でかけてくれ」

「いただきまーす!」

「いただきます~」

「いただきます」

「い、いただきます」

 

 早速アイが青のりを振りかけて頬張り、熱さに口をハフハフさせている。すぐに顔が緩み、美味しいという表情が浮かんできた。

 ニノは切り分けたお好み焼きを更に小分けにしてから綺麗な所作で食べ始める。熱いはずなのに次々と口に消えていく。お前はピンクの悪魔か。もう次を作らないと待ちが出来てしまう。

 ナベはあまり表情の変化はなかったが、口に入れたあと小さな声で「うまっ……」と聞こえたのは聞き逃さなかった。そうか、好きなだけ持って帰れよ。

 最後に食べたのはミネ。ある程度冷ましたお好み焼きを恐る恐る口にする。

 

「……美味しい」

 

 何度か咀嚼したあと、驚きと共に口にした一言。同時にヘラを動かす速度が早くなった。

 

「アイがお弁当食べる時、美味しい美味しいって鬱陶しいぐらい言ってたけど、本当に美味しいわね」

「そいつはなにより」

 

 ミネの感想を聞きながら、次のお好み焼きを作り始める。次は安くて小振りだがエビやホタテで作るシーフードだ。

 

「多分、だけど。これ、小麦粉じゃなくて長芋で作ってる? しかも水を使わずに」

「両方とも正解だ。小麦粉で作るよりカロリーが抑えられる。水も長芋から水分が出て水っぽくなりやすいから使ってない。だから素材の味が薄まらない」

「へえ……今度作ってみるか」

 

 グループの中で一番料理経験があると予想していたが、案の定ナベは材料の一つをあっさり言い当てた。加えて水を使っていないことも。

 料理に使った食材や調味料を食べただけで言い当てるのはグルメ漫画ではよくあることだ。自分が転生したこの世界もその例に洩れず実際、料理に詳しくない壱護さんでも簡単な調味料の一つ二つなら言い当てたことがある。

 

 こういうところがあるから、この世界は『食戟のソーマ』なんだなって時々思い知らされる。

 まあだからといって実害があるわけでもないので気にするものではないが。

 そんな事より食い盛り二人が早く早くと催促している。シーフードのお好み焼きを作り終え、すぐに新しい物を作り始めるのだった。

 次はもんじゃ焼きだぞー。

 

「「わーい!」」

「初めて食べる……どんな味なんだろ」

「か、カロリー……」

 

 粉物でカロリーを気にするな。

 

 

 

 

  ★★★☆

 

 

 

 

「――で?」

 

 満足いくまで食べた後、ナベが自分に聞いた。

 ちなみにアイとニノはまだ食べてて、ミネはカロリーを気にしながらも食べようか迷ってる。

 

「で、とは?」

「ただ食事会をしたわけじゃないんでしょ。ウチらを集めて何がしたいの?」

「……まあ、気付くだろうな」

 

 出来上がったミックスお好み焼きを三等分に切り分け、ナベ以外の3人の前に寄せる。

 

「単刀直入に言う。――お前ら全員、腹ん中に溜めてる不満とか願いとか、そういうの全部吐き出せ」

「……アンタ」

 

 食べようか迷っているミネはその手を止め、自分を睨んでくる。

 アイは嘘の仮面を張り付けてお好み焼きを頬張って首を傾げ、ニノはピタリと動きを止める。

 一方、ナベはわかっていたかのように溜息をこぼした。

 

「急に食事会なんて怪しいと思ってたけど……そういうのは個別にこっそりやるもんじゃない? もしくはこの子がいないところでとか」

「なんでわざわざ個別に他人の愚痴を聞かなければならないんだ。聞くなら本人で、一纏めにだろう」

「……名桐、アンタ、もしかしてアイのこと嫌いなの?」

「っ」

「何言ってるんだ、好きに決まってるだろう」

「っ、むぐ!? んー! んー!」

「あー、水飲めアイ。だから言ってるだろう、口いっぱいに物を詰め込むなって」

 

 喉に詰まらせたアイに水が入ったコップを渡し、背を優しく叩く。美味しいって言って食べてくれるのは嬉しいが、喉に詰まらせるまで食べるな。

 水を飲み干し落ち着いたアイが自分に詰め寄ってくる。

 

「ごほっ、ごほっ……今の! 今のもう一回言ってハルカ!」

「真面目な話だから後でな。……で?」

「ぶー!」

「……アイの前で、アイへの不満を言えっていうの? アンタ、この子の家族なんでしょ。傷つけたいの?」

「それはアイが傷つくとわかるほど不満を抱いているって自白でいいな」

「っ、話題をそらすな! ウチはアンタが」

「傷つけたいなんて微塵も思うわけないだろうが」

 

 ナベの言葉を遮り断言する。

 

「アイが傷つかない方法があるなら選んでいる。ないから全員平等に傷つく短絡的な方法を取っているんだ」

「……」

「それともなんだ、個別に注意しました。『皆これから仲良くやってくれ』なんて単純な解決方法でお前らの不満が消えるのか? そんなわけないだろう。むしろ余計に拗れるってことぐらい、普通を知らない自分でもわかる」

「それは……」

 

 自分は学校の教師でもなければ上司でもない。あくまでB小町アイの身内で所属事務所のバイトでマネージャー見習いだ。転生前の人生分年齢を重ねていると言ってもアドバイスなんて出来る人生経験を送っていたわけでもない。

 

「自分がこの二週間でわかったことは二つ」

 

 一つは壱護さんの予想通り、メンバー内で溝が出来ていること。それは主にアイに対しての負の感情だろうと感じた。ナニか、まではわからなかったが。

 二つ目と指を立てる。

 これは一つ目以上に直観じみた予想だった。

 

「お前ら全員、アイに焼かれてるだろ。簡単に言えばファン」

「「「……っ」」」

「……え?」

 

 息を呑むのが聞こえた。当たりかよ。

 隣でアイも驚いている。

 まあ驚くのも仕方ないだろう。散々、自分(アイ)への不満がどうこう負の感情がどうこう、なんて告げられた直後に「こいつら全員自分のファン」なんて言われたのだから。

 

「え、え……本当?」

「っ、そんなのアンタの――」

「先に言っておくが、自分は多少の嘘は見抜けるし、アイはそれ以上に嘘がわかる」

「もう、そう……」

「施設育ちを舐めるな。相手から向けられる感情の機微には敏いんだ」

「っ……!」

 

 誰もが無言になり部屋を包み込む。

 食事中は多少暖かい空間だったが、今は冷蔵庫のように冷たい。

 無言が続き、もう誰も喋らないかと諦めた時だった。

 

 誰かの溜息が聞こえた。

 

「そこまで言われたらもう隠せませんね~」

「……ニノ?」

 

 やれやれと肩をすくめる。

 口を開いたのは、食事以外で一番口数が少なかったニノだった。



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三話

 口元をティッシュで拭いながらニノは言う。

 

「まあ、お兄さんが吐き出せって言ったんです。だったらもう隠す必要なんてないですよね~」

「に……ニノ?」

「ええはい。わたくし、アイちゃんが――大嫌いです

 

 ドロリと。

 ニノの雰囲気が変わった。誰に対してものんびりとした雰囲気で接してきたのが嘘みたいに。

 光のない瞳でこちらを、アイを射抜く。

 視線を向けられたわけでもないのに、視界の端でミネとナベが少し震えている。無理もない、ミネは歳下、ナベにとっては同い年であるのんびり少女が急に危ない雰囲気を出し始めたのだ。

 だが我慢してくれ。自分の隣に座っているアイは震える手を必死に抑えながらニノの視線を真正面から受け止めているのだから。

 

「初めて会った時から気付いていました。ああ、この子はわたくしと違うと。この芸能界(せかい)で一番になれる才能(かがやき)があるって」

 

「数日掛けて必死に覚えたことを、あなたは一日も経たずに覚えてしまった。わたくしたちができないことを、あなたは平然とこなしてしまう」

 

「頑張って、頑張って……頑張って頑張って頑張ってっ、どんなに頑張っても、あなたには手が届かない」

 

「最初のライブ、当然のようにあなたはセンター。わたくしはバックダンサー。あなたの引き立て役」

 

「社長の考えはすぐにわかりました。わたくしたちを踏み台にしてB小町を売り込むと。それでいいか、とその時のわたくしは思っていました」

 

「でも、すぐに社長は方針を変えて、わたくしたちを個別に売り込み始めた。結果はご存じの通り、少しずつですがあなた以外も人気が出てきました」

 

「だけどこれっぽっちも嬉しくありませんでした。なんですかそれ。どうしてやり方を変えたんですか。どうしてあのまま引き立て役に甘んじさせてくれなかったんですか。どうして、どうしてどうしてどうして!」

 

「もう頭の中はぐちゃぐちゃの感情でいっぱいでした。でも、そんなぐちゃぐちゃの中でも変わらないものがありました」

 

「アイちゃん……わたくしはあなたが大嫌い」

 

「輝きでわたくしを焦がすあなたが嫌い」

 

「贔屓を受けるあなたが嫌い」

 

「全ての中心にいるあなたが嫌い」

 

「妬ましい! 憎らしい!! あなたと一緒のグループになんかなりたくなかったっ!!」

 

 

 

 荒い息を吐きながらニノは顔を俯かせる。

 いつもの姿からは想像できない彼女の告白に、三人は何も言えなかった。

 誰も言葉を出せない中、ニノは顔を俯かせて隠し、言葉を続けた。

 だけど、と。

 

「だけど……ええ、本当に。お兄さんの口から暴露されたのは気に食わないけど」

 

「わたくしはB小町のアイに、どうしようもなく焼き焦がされてしまったファンですよ」

 

「おかしいですよね。散々、嫌いだって感情を吐き出したのにファンだなんて」

 

「でも、わたくしは自分の中にある相反する感情を悪くないと思ってるんです」

 

「きっかけは通しの練習で初めてアイちゃんのパフォーマンスを見て。わたくしは不覚にも魅入ってしまいました」

 

「別にすごく上手いからじゃないですよ? ダンスはミネちゃん。歌はナベちゃんの方がきっと上手い。負けるつもりはありませんが」

 

「けれど、アイちゃんは違う。上手いや下手ではありません」

 

「アイちゃんの一挙一動全ての動きがわたくしの目を離させず、耳をふさがせず――脳を焼き焦がしました」

 

「焼き焦がされながら胸の内は叫ぶのです。ああ、この子は。この子はわたくしの手が届かない夜空に輝く一番星――推しの子だと」

 

「同時に嫉妬も芽生えました。これはまあ先程も言ったことです」

 

「相反する気持ちに最初は戸惑いました」

 

「でも、それもいつしかどうでもよくなりました」

 

「だってそうでしょう? アイちゃんを嫌いでも、誰よりも近く、早く、推しの子を見られるのですから」

 

「それからのわたくしは、アイちゃんを嫌いな感情でファンという気持ちに蓋をして、ずっとアイちゃんを見ていました。練習を、ライブを、活動の全てを、ずっと一番近くで見てきました」

 

「アイちゃんは嫌いです。大嫌いです。この気持ちは嘘じゃありません」

 

「だけど、だけれども」

 

「アイちゃん……わたくしはあなたが(あなたをわたくしは推し)大嫌い(ています)

 

輝きでわたくしを(あなたの輝きでもっ)焦がすあなたが嫌い(とわたくしを焼き焦がして!)

 

贔屓を受ける(あなたが贔屓をさ)あなたが嫌い(れるのは当然のこと!)

 

全ての中心に(あなたが中心じゃない)いるあなたが嫌い(世界なんて考えられない!)

 

妬ましい!(手が届かなく当然!) 憎らしい!!(あなたは完璧で究極のアイドル!) あなたと一緒のグループになんかなりたくなかったっ!!(で本当に良かったっ!!)

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

「……これがわたくしの全てです。満足しましたか?」

 

 荒い息を整えてニノは笑顔を張り付ける。

 光のない瞳にドロリとしたナニかを浮かべて、叫びすぎて赤くなった頬を口と共に三日月みたいに緩ませて。

 笑顔というか、狂気の笑みと言うべきか。

 

 いつもの姿からは、絶対想像できない彼女の告白に、

 

「「「こっわ……」」」

 

 自分とミネとナベは声をそろえて恐怖した。

 

…………はえー

 

 クソ重感情をぶつけられた当の本人のアイは固まっていた。見る者を虜にする星の光を宿す瞳も今はまったく輝いていない。ぐるぐると渦を巻いて混乱の真っ最中だ。

 その場に合わせた嘘を即座に言えるアイもコレには対応できないか。少しそっとしておこう。

 

 ナニこれ、怖い怖い。

 アイに対する負の感情も大概だったが、こいつそれ以上に、アイという推しに対する感情がメーター振り切ってるじゃねぇか。え、これずっと隠し続けてきたの? 自分はともかくとしてアイの前で!? 二年間ずっと!?

 生まれて、いや前世まで遡ってもニノみたいなタイプはいなかった。澄ました顔で腹に一物抱えるならわかるが、澄ました顔の裏で悪感情と好感情の二つをごちゃ混ぜにして、かつそれを隠すなんてどうやればいいんだ。下手すればアイと同等の嘘つきの才能があるぞ。

 いや、しかし。これが本物のドルオタという生き物なのか。自分は生まれて初めてドルオタというモノが何なのか知った気がする。知りたくなかった。

 

「怖いとはなんですか! 全て曝け出したというのに、言うに事欠いて怖い!? 失礼ではありませんか!?」

「怖い! 怖いわよニノ! ドルオタはキモイって思ってたけど考えを改めるわ! ドルオタは怖い!」

「わたくしをそこらへんの小汚いオタクと一緒にしないでください!」

「そもそもその喋り方はなんなの!? いつもの間延び口調はどうしたの!?」

「こちらが素です。わたくし、これでも良家の娘ですので。いつもの口調は身バレ防止の変装みたいなものなんです~」

「……うわ、見て鳥肌すっごい」

「こっわ……」

「ミネちゃん!? ナベちゃんも静かに離れないでくれません!?」

 

 恐怖で自分で自分の腕を抱き締めるミネ。

 そっとニノから距離を取るナベ。

 

 いや待て。ニノでこれということは、まさかこいつらも……

 

「…………」

「……どうしてウチとミネを見て引いてんの? 名桐。ないから。アイへ向ける感情はあっても、ニノみたいな頭沸いた感情なんか持ってないから」

「……ウソダー」

「こ、こいつ……。いや、もういい。ミネ」

「なっ……なに!?」

「ここまでクッソ気持ち悪い感情をニノが吐いたんだ。ウチたちがアイに向けてる気持ちが大したことないって証明するためにゲロれ」

「女子が言っていい言葉じゃない!?」

「気持ち悪くありません! 推しと嫌いな相手に向ける当然の感情です!」

「ひぇっ! ……で、でも……」

「このまま黙ってたら、アンタ……ニノと同類と思われるよ」

「耳の穴かっぽじってよく聞きなさいアイ!」

「え、あ、う、うん!?」

 

 ニノと同類は嫌だったのか、迷っていた素振りを即座に捨て、ビシッと指をアイに突き付けるミネ。もうクールキャラは無理だろ、ポンコツキャラだろこいつ。

 そこでようやく固まっていたアイも再起動を果たした。

 

 

 まあ、やはりというかミネとナベのアイに向けて思っていたことはニノとは比べ物にならない、いや、ごく普通の、どこにでもいる中高生の女子として当たり前でありふれた感情だった。

 

 妬み、嫉妬、不満、憎悪、絶望。

 程度はあれど、ミネとナベはアイに向けてた感情を話した。

 

 同時にアイのアイドルとしての姿に魅了されていたことも。

 興奮、期待、憧憬、信仰、希望。

 自分はもちろんだが、アイは今度はしっかりとミネとナベの感情を聞いた。聞いて、少し衝撃を受けているみたいだ。

 

「ハァ……アンタが吐き出せって言ったものはこれで全部よ。どう、満足した?」

「ああ。……じゃあ最後だ」

「最後って、これ以上何もないわよ」

「いるだろ? ――なあ、アイ」

 

 話を聞き終えた自分は、最後の一人であるアイへ視線を向ける。

 三人もああそういう、とアイの方を向く。

 

「……私?」

「ああ。三人の気持ちは聞いたんだ。あとはアイ、お前だけだ」

「で、でも……」

 

 アイは自分を見つめる三人を見渡し、戸惑うように俯く。

 

「大丈夫だ。ゆっくりでもいい。支離滅裂でもいい。アイが三人に思ったことを好きなように言えばいい」

「ハルカ……でも、私、嘘つきだし……言いたくなくても嘘になっちゃうかもしれない……今は、本当のことを話してくれた今だけは、嘘は言いたくないよ」

「今のアイの嘘なら、自分でもはっきりと見抜ける」

「ハルカ……」

「大丈夫」

 

 

「やっぱこいつアイにだけ甘いわね。これで恋愛ド素人ってどんな素人よ」

「家族っていうけど、実際血は繋がってなさそう」

「お兄さん……弱気なアイちゃんの瞳を独占するとは……ああ、ズルいですね! ああああーー!」

「ニノはもう隠さなくなったし……」

「この子の大嫌い発言が今日一番の大嘘ね」

 

 

 真正面からアイを見つめ返す。

 不安げに揺れていたアイの瞳は次第に定まっていき、一度目を閉じて深呼吸。再び開かれた瞳はいつものように星の輝きを宿していた。

 

「ミネちゃん、ナベちゃん、……、えと、ニノちゃん」

「アイちゃん!? どうしてわたくしを呼ぶのを躊躇ったんですか!?」

「……そんなことないよ?」

「見え見えの嘘……! くっ、やっぱりアイちゃんは嫌いです!」

「……アイ」

「えへへ。……ニノちゃん」

「なんですか?」

「メンゴ☆」

え今メンゴ☆で謝った?アイちゃんがわたくしに?待て待ちなさいニノ思い出しなさいアイちゃんがメンゴ☆と謝った相手はお兄さん含めて誰もいないつまり推しの子の初メンゴ☆相手がわたくし?(早口) ――ぷしゅう!」

 

 そこで人に合わせた嘘をつくな。ニノがオタク顔負けの超早口でぶっ倒れたぞ。やっぱりこいつの嫌い発言は嘘だろ。見抜けなかったが。

 閑話休題。

 

 今度こそ、アイは自分の気持ちを三人に話した。真っ直ぐ三人を見つめる瞳に星の輝きはない。

 

「初めに言うとね。私は皆に悪い感情は持ってないの。これはホントに本当」

 

「嫌いだって思われてるのは知ってるけど、私は皆のこと嫌いじゃないんだ」

 

「信じてもらえないだろうけど、私は皆と仲良くなりたい」

 

「ずっと、ずっと前から。苺プロに入ってB小町ができた時から変わらない私の本心」

 

「でも、言えなかった」

 

「私は嘘つきだから。言いたくなくても無意識に嘘をつくから。だから言えなかった」

 

「口にしたら、なんて言っちゃうかわからなかったから」

 

「……それでも」

 

「それでもいいのなら、皆」

 

「私に言いたいことは全部言って」

 

「馬鹿だなって思ったら、私のこと思いっきり馬鹿にして。佐藤社長みたいにこのクソアイドル! みたいに」

 

「私が間違っていたら、私のこと思いっきり怒って。何やってんだ! みたいに」

 

「遠慮なんてしないでほしい」

 

「叩かれるのとかは、ちょっと嫌だけど」

 

「さっきのニノちゃんみたいな早口トークは誰かが一緒に聞いてほしいけど」

 

「えっと、つまりね」

 

「普通を知らないから、どんなのが普通かわからないけど」

 

 

 

「私は皆と仲良くしたい。馬鹿なことも怒られることもしたい」

 

「ちゃんと皆と、普通の女の子みたいなことをしてみたいです」

 

 

 



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四話

 ニノの暴露に、全員が絶句したように。

 ミネとナベの告白に、アイが衝撃を受けたように。

 アイの願いに、三人はショックを隠せずに言葉を失っていた。

 きっと三人から見ていたアイの理想像とは大きく離れたものだったのかしれない。

 

 以前、壱護さんは言った。

 

『過去の俺を含め「アイ」を見た奴らからは、「アイ」は誰にも縋らず、奔放で、強くて、後悔なんて一度もせず、完璧で究極な、手なんか届かない遥か頂に浮かんでいる一番星になるアイドル。それが一度でも「アイ」を見てしまったファンの理想の形の「アイ」だ』

 

 確かにアイは嘘が得意だ。その場に合わせた嘘を、相手が求める自分という嘘を、ずっと演じてきた。

 だからこそのアイの評価が壱護さんの言葉だ。

 

 だからといって、アイは嘘が好きなわけではない。むしろアイは――嘘が嫌いだ。

 アイを嫌いなニノが、それでもアイを推すのと一緒のこと。

 それでもアイは嘘をつき続ける。自分の願いのために。誰もが求める『アイ』を演じ続け、心の内を曝け出すことはしなかった。

 

 そんなアイの本当の気持ちを知ってしまったのだ。

 三人はもう、アイを『アイ』だけで見ることはできなくなってしまったことだろう。

 

 何も言えないでいる四人をそのままに、立ち上がる。さあ、これが本当の最後だ。

 ホットプレートをキッチンに置きテーブルの上を軽く片付け、最後の準備を始める。コンロでずっと温度を維持していた寸胴鍋の火を止めて中身を皿によそい四人の前に並べた。

 

「……透明なスープ?」

「今日の食事会の最後の品だ。飲んでみてくれ」

「飲めって、ただのお湯なんじゃ……っ!!」

 

 これ幸いと話題を自分が出した料理に変えてミネが聞く。

 一見、加熱させたお湯が入っただけのスープ皿。しかし見えていないだけでそこには確かに料理が存在している。すぐには気付けなかった三人だったが、漂いはじめた匂いでそれが真実だと気付く。

 

「なに、これ……! スープ、よね……!」

「この匂い……肉も魚も野菜も感じられる。いったいどんだけの出汁が凝縮されてるの?」

「コンソメスープ……? いえ、だとしてもこの透明度はどうやって……!」

「……ハルカ。このスープはもしかして?」

 

 涎が垂れそうになりながらアイが聞いてくる。アイにも出したことがなかった料理だからな、気になって仕方がないのだろう。恐らくグルメ食材で作ったんじゃないかと思っているんだろうが、残念ながらハズレだ。この料理にグルメ食材は一切使っておらず、この世界のスーパーで買った物ばかりだ。

 言葉にはせず、否定を込めて自分はただ首を横に振る。

 

前世(むかし)から、いつか作ってみたいと願い、何年も試行錯誤して作り続けてきた完璧で究極のスープ。……その未完成品だ」

 

 完成品の名前はセンチュリースープ。

 全ての灰汁を一滴残らず取り除くことで一見すると何もないように見えるほど澄み切り、オーロラが立ち昇るほどに無数の食材の旨味が凝縮されているコンソメ(完成された)と呼ぶべきスープ。極めて濃厚な味でありながら喉越しはしつこくなく、飲むと美味しすぎて顔がにやけてしまう、そんな作中屈指の料理。

 

 『トリコ』に登場する料理の中で食べてみたいリストの上位に挙げられるスープ。

 自分に宿る転生特典を把握した瞬間、自分の手で作ってみせると決意したスープ。

 『トリコ』であれば人生のフルコース。この世界なら必殺料理(スペシャリテ)と呼ぶべき品。

 その現時点での成果が四人の前に並べたスープだ。

 

「これで未完成!? 嘘でしょ!」

 

 驚かれるが、本物を知っている以上これはまだ未完成なんだ。

 

「お前たちと一緒だ」

「は?」

「このスープはまだ完成されてない。お前たちと同じように」

 

 まだまだ試していない食材、調理法、調理技術はたくさんある。

 それはきっとB小町四人にも言えるんじゃないだろうか。

 今のままでもきっとB小町は高みにいけるはず。だけどもし、高みより先、ニノが言ったような手が届かない夜空に輝く一番星を掴みたいのなら、方法はきっとまだあるんじゃないかと思う。

 

「なんて、偉そうに言える立場じゃないけどな」

 

 愛がわからない自分が他人に対してできるのは料理だけ。

 料理に自分の思いを込めた、なんて言う気はない。結局言葉にしなければ伝わらないのだから。

 お前たちが少しでも会話できるように。そのきっかけぐらいにはなればいいとは思っている。

 

「投げっぱなしだが後はお前たちの判断に任せるよ。どうか後悔のない選択を」

 

 自分にはこれ以上何もできない。

 曝け出した思いにどう応えるのか、最後の選択は他人に委ねず自分で決めてほしい。

 関係が続くのか、崩壊するのか、どうあっても自分はそれを支えよう。

 キッチンに置いた材料を抱え、何かあれば連絡するよう伝え部屋を出るのだった。

 

 

 

 

  ★★★☆

 

 

 

 

 その後、帰宅するという連絡を貰うまで自分は斎藤宅で持ち帰り用のお好み焼きを焼き続けた。斎藤宅には壱護さんとミヤコさんが当然いたが、自分は当たり障りのない返答だけ返し、二人もそれ以上は何も聞かないでくれた。

 あの後四人だけとなった部屋で起こったことを自分は知らない。どうなったのか聞く気もないし聞こうともしない。彼女たちも話す気はないのだろう、タクシーで送る時に料理の感想や感謝だけ言って帰っていった。

 出て行った時と変わらない部屋で一人残って自分を待っていたアイも何も言わずに、部屋に戻った自分に抱き着き、寝るまでずっと自分の胸に顔を埋めていた。

 敢えて何か違う点を挙げるのなら、センチュリースープ(仮)の入った寸胴鍋が空になっていたぐらいか。

 

 一夜明けて、大して変わらない一日を過ごした翌日。

 事務仕事があるためアイの弁当を作り、いつもより早めに事務所を訪れた自分を待っていたのは、何故か「何やったんだこいつ」といったスタッフの視線と、

 

「喜べ、お前さんに追加の仕事だ」

 

 頑張れよ、と笑いを堪える壱護さんから渡された一枚の紙。

 手書きで書かれた紙には『名桐悠をアイだけじゃなくてB小町の食事係に希望します!』と書かれていた。壱護さんが書いた筆跡じゃないし、紙も適当な紙を裏紙にしたものだ。

 どこからどう見ても、筆跡的にアイが書いたものだった。

 

「これは……?」

「レッスン始める前にB小町全員で直談判してきてな、おもしろ……ゲフン、あいつらのモチベーションを維持できるのなら安いと判断して許可を出した」

「隠せてないぞ。面白いって言ったな社長」

「隠す気ないからな。というわけで今日から悠の職務は、事務作業兼裏方兼マネージャー見習い兼B小町専属料理人だ。もちろん食費は経費で落として構わん、頑張れ」

「多いわ。まあ別に構わないが。以前、冗談で言った時と同じことを聞くが……アイにだけ弁当を用意するならともかく、こういう仕事として料理をするのは調理師免許が必要なのでは?」

「いや、俺も今回は冗談じゃないから調べてみたが、必要なのは飲食店だけで、実際に働く場合も免許はいらないみたいだ」

 

 手渡された資料を見ると確かに説明通りの記載があった。

 料理人として働いたり飲食店を経営するには調理師免許が必須だと思っていたが、実際には調理の仕事や飲食店の経営に調理師免許は必要ではない。調理師を置くように努めなければならない、と規則はあるみたいだが努力義務という強制ではないらしい。マジか。

 

「それよりも、B小町全員で?」

「ああ、それに関しては俺も驚いた。今まで意見なんて一人でコソコソ言いに来ていたってのに今日は全員揃って来た。確かに悠に任せたのは俺の判断だが、一体何やってあいつらを変えたんだ? 一昨日は聞かなかったが、もう話してくれてもいいだろう」

「……セッティングしてもらった食事会でお好み焼きともんじゃ焼きを大量に食わせて」

「おい」

「アイに対して思ってること全部アイの前で吐き出させて」

おい

「アイにも他三人に思ってることを吐き出させて」

おい?

「最後の料理出して放置した。後は知っての通り家でお好み焼きともんじゃ焼き焼いて終わるのを待ってたから何があったかは知らない」

「おい!?」

 

 壱護さんが自分の胸倉を掴んで揺らす。やめてくれ。弁当が端に寄ってしまう。

 行き当たりばったりじゃねーか! と叫ばれるが、良しとしてほしい。

 ハハハ、と棒読み染みた自分の笑いと壱護さんのツッコミが事務所に響くが、スタッフはいつものことと無視して作業を進めている。

 そんなことをしていると、

 

「ああ、まだ社長に捕まっていたんですね名桐さん」

 

 事務所に戻ってきたミヤコさんが自分を見つけて呼ぶ。ほら行ってこい見習い、と事務所から叩き出されミヤコさんと廊下に出ると、アイやミネ、ナベとニノが付いてきていた。

 ……? なんだ、アレ。

 

「遅いよハルカ~。お腹すいた~」

「壱護さんに捕まってた、すまない。それより、だ」

「それよりも社長から聞いたんでしょ。早く用意してよ」

 

 自分の疑問を口にする前にナベに手を差し出される。

 

「……自分がお前たちの専属料理人の話を聞いたのはたった今だ。今持ってる弁当も自分とアイの分だけでお前たちの分なんかあるわけないだろ」

「アンタの分をウチらに渡せばいいでしょ。アンタの弁当、ウチら三人分になるぐらいなんだから」

「うんうん」

「ふふ……」

「……」

 

 いきなりなんなんだ?

 急にB小町専属の料理人になったと思ったら、当のB小町に弁当をたかられているんだが。ミヤコさんは苦笑いを浮かべるだけで見守るだけ。アイは一歩引いたところでニコニコ笑って自分とB小町を見ている。意味がわからない。

 意味はわからないが、

 

「……わかった」

 

 溜め息と共に鞄からアイと自分の弁当を取り出す。ナベが両方を受け取り、アイの弁当をアイに渡すと、三人で休憩室に向かっていった。

 ミネとナベは自分の弁当の大きさについて話しながら、アイは楽しそうに二人の後を付いて行く。

 会話はないしアイの笑顔もいつもと変わらないアイドルの笑み。

 だけど何故だろうか。どこかつっかえが取れたような、硬い空気が柔らかくなったような、そんな感じがした。

 

「あらあら。保護者様は家族の様子が気になる様子ですね」

「……確かにお前たちの溝がどうなったかは気になる。だが同時にお前の変化も気になってるんだが?」

 

 なあニノ、とアイたちを追わず自分を見てクスクス笑っているニノを見る。

 ニノはのんびりした口調、ツーサイドアップにした髪といった可愛い系のキャラで売っていた。なのに今のニノは丁寧(?)な敬語口調、束ねていた髪を下ろしストレートにしており、大人びたキャラになっていた。

 ……先日、中身を聞いていなければ騙されていた。

 

「隠していた素のわたくしに戻っただけです。そうですよね、ミヤコさん」

「……ええ」

 

 そう言ってミヤコさんが渡してきたのは、ニノのプロフィール――それも公に出しているものでなく本名などを記載しているものだ。手渡したミヤコさんが頷いたので書類に目を通す。後ろにもう一枚あったのでそれを見て、

 

「ああ……そういう生まれか、お前」

 

 気付けば、呟いていた。

 本当に参った。なるほど確かに、この経歴なら嘘というか感情を隠すのが上手いのも頷ける。アイが天性の嘘つきなら、ニノは人工の嘘つきだ。

 

 平安時代に創業したと伝えられ今もなお人気を誇る老舗の和菓子屋『にしき』。特に人気なのが味はもちろん、芸術と言わしめる美しさと技巧で作られる練り切りで、品によっては店舗、ネット共に三十分もせずに完売してしまうとか。

 加えて現当主の界隈での影響力も高く、国内だけなら料理界を牛耳る、自分と血の繋がりがあるだけの祖父、薙切仙左衛門に引けを取らないらしい。

 由緒正しき『にしき』の現当主の孫娘こそ、目の前に立つクソ面倒くさいアイのファン、B小町のニノだった。

 本名? 自分にとってはどうでもいい。こいつはニノ、アイのファンで同期メンバー。それで十分だ。

 そんな格式高い家に生まれた存在だ、定期的にパーティとかに参加したのだろう。そこで感情のコントロールや嘘つきは覚えていき、今のニノが出来たのだと思う。こんな形で活かされるとは誰も予想できるものではないが。

 

「いや、納得しかけたが、なんでドが付く良家のお前がこんな中小事務所でアイドルやっているんだ」

「元々、料理以外のことを一度は体験しておく、というのが我が家の決まり事でしたので。たまたま社長のスカウトを受けたのと、アイドルに興味もありましたので、その場の勢いでそのまま契約したのです。今では当時の自分自身を怒鳴りつけてから褒めてあげたい気持ちでいっぱいです」

「自分はスカウトを受けた理由は食気だと聞いたがな」

 

 ちらりとミヤコさんへ視線を向けると、ミヤコさんもミヤコさんで、

 

「私だってずっとそう聞かされてたわよ」

 

 困った様子で頭を押さえていた。

 つまり全てを知っていたのは壱護さんだけというわけか。

 

「それも本当ですよ。アイドルになれば食べたことのない料理を食べれると思ってましたので」

「なんでそこは年相応なんだ。海千山千(うみせんやません)の大人を相手にしていたんだろう。それに料理だって良いもん食ってるだろ」

「いいではありませんか。わたくしとてまだ16になったばかり、夢ぐらい見てもいいでしょう? パーティには参加していましたけど、料理なんて食べる余裕ありません。食べられるのなんて茶会と試作会で出される菓子類だけです」

 

 それに、とニノはポケットから扇子を取り出し口元を隠し言葉を続けた。

 

「お兄さんもわたくしと変わりません。そうでしょう? 名桐悠さん――否、薙切(・・)悠さん」

「……」

 

 ニノの隣に立つミヤコさんは驚いていないが、自分の反応を見て「やっぱりそうなのね」といった表情を浮かべている。

 まあ、間違いじゃない。薙切から飛び出した母に捨てられ、薙切から認知されていなくても、この体に流れる血は薙切なのだから。

 それでも自分は否定するが。

 

「……以前、ある催しで仙左衛門様に連れられるお孫さんを見たことがありました。お兄さんにそっくりな、多分、性別を変えたら姉妹と見られてもおかしくない、そんな子を」

「……自分の母は薙切を捨て、自分を捨てた。なら自分は薙切じゃない。その孫も自分とは関係ない。似ているだけの赤の他人だ」

やはり真那様ではない。なら彼の母は姉の……ええ。わたくしも存じています。お兄さんはアイちゃんの家族で、苺プロのアルバイト兼わたくしたちの専属料理人。お孫さんも似ていると思っただけ。それで何も問題ありません」

「……」

「――と、言いたいのですが」

 

 スッと目を細める。

 

「最近、薙切の方で動きがあるとお祖父様から連絡がありました。何かを探している様子で、それとなくお祖父様も聞かれたそうです」

「……」

「このことを知っているのはミヤコさんだけ。それ以上はわたくしも口を閉ざします」

「……そうか」

「ええ。どうか……アイちゃんを悲しませないでくださいね」

「ああ」

「……いえ、いっそ悲しませるのもありですね。推しが悲しみを隠して浮かべる笑顔。……ああ、想像しただけで脳が震えるっ」

 

 ふふふ、ふへへへへ、と扇子で口元を隠してニノは気持ち悪く笑う。

 全部吐き出せと言ったのは自分だが、コイツに関しては壱護さんの言う通り行き当たりばったりだったかもしれないと後悔しそうだ。

 ミヤコさんも嫌そうな顔を隠そうともせずニノから距離を取り始めている。

 

「悠。ニノさんのことだけど……」

「自分が吐き出せって言った、本当に申し訳ない。諦めて慣れてほしい」

「こんなの慣れたくないわよ……ああ、どうして弱小事務所にこんな食い付きがいのあるネタがいくつも揃うのよぉ。知りたくなかったぁ……」

「次の美容系食材は誠心誠意用意させていただきますっ」

「ハァ……それを楽しみに頑張るしかないわねぇ……」

 

 本当に申し訳ありませんでした。

 

 ……だけど、そうか。薙切が何かを探している、か。

 何を探しているかは知らない。

 無関係の何かかもしれない。

 行方を眩ませた母親……己の娘かもしれない。

 或いは消えた娘が残したと判明した名桐悠(薙切■■■)かもしれない。

 目的の何かを見つけた時、彼はどうするのだろうか。探すだけか、無理矢理自分の膝元に連れ出すか。もし目的が自分だった場合、その時()は抗えるだろうか。また大人の奔流に抗え切れずに……

 

 

「――ハルカ!」

 

 

 弱い気持ちになりかけた時、廊下の先からアイが自分を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、休憩室の入り口前でアイが手を振っている。後ろにはミネとナベも待っている。

 

 ああ、そうだ。だからどうした。

 薙切だろうが食の魔王だろうが関係ない。ここが、アイが願う限り自分のいる場所はここだ。

 誰だろうと何だろうと、抗ってみせよう。

 まだ愛はわからないが、これも一つの愛なのかもしれない。

 

 決意を新たに自分はアイに手を振り返した。

 

 

 

 

 なお、当然の如く昼食は食べられず、今日はずっと事務仕事のためグルメ食材も出せずに空腹のまま仕事をこなし、夕食まで腹を鳴らして過ごすのだった。

 おのれB小町(アイ除く)め。今度、試作名『紅丹朱緋(要は超激辛旨)の麻婆豆腐』を食わせてやる、と心に誓った。



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à la carte La carte2

 

 

〈センチュリースープ(仮)〉

 

 

 悠が部屋を出て行った後。

 

「…………」

 

 無言が部屋に満ちていた。誰も口を閉じている。視線は目の前のスープに釘付けだったが。

 一番に動いたのは食気でスカウトを受けたニノ。ゆっくりとスプーンを掴み、

 

「ま、待って!」

 

 アイの声でビクッと動きを止めた。

 

「な、なんですか? アイちゃん」

「……スープを飲む前に一つだけ、いいかな?」

 

 まだ何か言いたいことがあったのだろうか。

 ニノだけでなくミネとナベもアイに目を向ける。

 

「スープを飲む時は、覚悟して飲んで」

「はい?」

「その、ハルカの料理って時々、なんていうか凄いのが混じってて」

 

 グルメ食材のことは悠とアイだけの秘密。

 なのでアイは抽象的にしか言えなかったが、

 

「このスープもきっと凄いから……」

「凄い……」

「ぐ、具体的には……?」

「……さっきのニノちゃんの告白より、インパクトが凄いッ」

「「……っ」」

「だからなんでわたくしの告白と比べるんです!? ミネちゃんとナベちゃんも恐ろしい物と比べたみたいに息を呑まないでくれません!?」

 

 アイの例えは正確に伝わったのか、ミネとナベは絶句しゴクリと息を呑む。ニノだけは納得がいかないと文句を言うが、三人は意に返さない。だってそれだけの衝撃だったし。

 ひとしきりニノが騒ぎ、落ち着いて改めて、

 

「じゃあ、飲むわよ」

 

 ミネの一言に三人が頷いた。

 いただきます、と唱和してスプーンを手に取り、スープを掬う。濃厚な匂いがなければただのお湯にしか見えないスープ。それを口に含んだ。

 

 瞬間――口の中が爆発した。否、爆発したような衝撃を舌が文字通り味わった(・・・・)のだ。

 肉、魚、野菜、ありとあらゆる旨みが口の中に広がっていく。行儀が悪かろうがずっと口に含んでいたい、そんな気持ちになってしまうほどの美味しさに体中にビリビリと伝わっていく。

 

 

「な、なに、これぇ……」

 

 ミネは酔っぱらってしまったような、赤らめた顔でふにゃふにゃとした様相で呟く。

 

「んくっ……はぁ、はぁ……、ヤバい、美味しすぎて腰抜けるってどういうこと……!?」

 

 胸を押さえ、倒れないように押さえていない片腕で自分を支えるナベ。その腕もプルプルと震えている。

 

「――――」

 

 一口飲んだ姿勢で言葉も出ずに固まってしまってるニノ。

 

「か、覚悟してたしグルメ食材よりはマシだけど……美味しすぎだよハルカぁ」

 

 この中で唯一グルメ食材を何年も食べてきて、美味しい食事への耐性が付いていたアイでも今回の衝撃が強かったようだ。それでもグルメ食材を調理した料理に比べればまだ何とかなるようで、ゆっくりと一口二口とスープを飲んではにへら、と笑う。

 三人もそれぞれ大変なことになっているが、一分ほど経つとスプーンを持つ手の動きが再開される。

 四人全員が飲み切ると、

 

「ふ、ふへへ……」

「く、はー……ははっ……」

「ふふ、ふふふふ……」

「えへへ……えへへへへ」

 

 一息ついて笑い出した。部屋中に響くほど大きい笑い声。

 活動中にアイドルとして見せる笑みでもなく、嘘でできた作られた笑みでもない。心の底からの笑みを浮かべている。

 ミネが。ナベが。ニノが。そして、アイが。

 笑って、笑って、ひとしきり笑いあって――

 

「「「「おかわり!!」」」」

 

 全員、同時に叫んだ。

 しかし、おかわりをよそってくれる給仕(ハルカ)はいない。

 

「…………」

 

 全員、無言。

 ナベとミネが立ち上がり、キッチンから寸胴鍋を中身をこぼさないよう持ってくる。

 アイが皿をシンクに片付け、食器棚から深く大きい皿を新たに四皿テーブルに並べる。

 ニノが並べられた皿にスープをよそう。きっちり四等分……おっと、少し残ってしまったようだ。

 ポツリとニノが呟いた。

 

「おたま三杯分……」

 

 再び全員、無言。

 スープが冷めてしまう。即座に理解した四人は一糸乱れず、

 

「「「「じゃん・けん・ぽんっ!!」」」」

 

 腕を突き出した。さて勝敗は……、

 

「「「よっしゃー!!」」」

「チョキ……アイドルのチョキが負けた……」

 

 アイドルに相応しくない雄たけびをあげるミネ、ナベ、ニノ。

 アイドルを意識した結果負けて膝をつくアイ。

 

 多めによそわれたスープを満喫する三人。

 多めによそわれなかったスープを、それでも満喫してしまったアイ。

 

 飲み終わり、全員でごちそうさまと手を合わせて、

 

「いいもん! 今度ハルカに作ってもらうもん!」

 

 アイが盛大に火種に着火させた。

 なんですってー! ズルいわよアイ! とぐわんぐわん揺らすミネとナベ。

 えへへへ……あ待って、気持ち悪い……と笑いつつも次第に顔を青くさせるアイ。

 が、我慢ですアイちゃん! ……推しの嘔吐は、流石にイケ、ないわね……とよろしくない発想に至るクソ重ファンもといニノ。

 流石にドン引かれ、アイを隠すように守るミネとナベ。慌てて弁解するニノ。

 

 

 たった一杯のスープ。たった一度笑いあっただけなのに。

 四人の溝は消えてはいないが、それでも確実に薄くなっていた。

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

〈お昼ごはん〉

 

 

「今日は何かな~」

 

 休憩室に備え付きのテーブルにお弁当を置いて椅子に座るアイ。ミネたち三人も向かいの椅子に座る。

 お弁当を取られ、何も食べる物がない悠もアイの隣に腰を下ろした。

 

「……なあ、コンビニで飯買いに行きたいんだが」

「ダメでーす」

「ダメよ」

「解説役なんだから、ここにいなさい」

「ふふふ……残念、回り込まれた。ですねお兄さん」

「なんでそこで息揃えるんだ。アイはともかく、仲良くなり過ぎだろう」

 

「全然? あたし、まだアイのこと好きじゃないし」

「アンタの目腐ってんの? アイのことなんて、末の子程度にしか扱ってないわ」

「相も変わらずアイちゃんは嫌いですよ~」

「そう見える? えへへ~」

 

「……、…………」

 

 口を開きかけたが、悠はもう何も言うまいと心に決めた。

 これが彼女たちの線引きというか割り切った結果なのだろう。

 それに、ニノを除いて誰も嫌い、なんて言ってないのだ。つまりはそういうことなのだろう。

 悠は溜息を吐き出し、言われた通りお弁当の中身を紹介した。

 

「まず汁物。大根と豆腐の味噌汁」

 

 拍子切りにした大根とさいの目切りにした豆腐を入れ細ネギを散らした白味噌の味噌汁。スープジャーに入れて持ってきているのでまだまだ温かい。アイはそのままスープジャーから飲み、悠の分を分けている三人は休憩室に常備してある紙コップに移して飲む。

 

「次におかず。だし巻き卵に余り野菜を入れたポテサラとレタスのサラダ。夕食で余ったアスパラと人参の端をバラ肉で巻いたアスパラベーコンもどき。あとは冷凍のきんぴらごぼう」

 

 綺麗に巻かれただし巻き卵はアツアツフワフワで薄めだがしっかりと味が付いている。アスパラと人参のバラ肉巻きは焼肉のタレで味を付けてありご飯との相性は抜群。付け合わせのポテサラも箸休めの役割を果たしてくれる。

 

「冷凍食品とは、お兄さんにしては手抜きでは?」

「手抜きは一般家庭に必要な技術だ。憶えとけお嬢様」

「ニノ、アンタはウチにもケンカを売ったわ。今度弁当の中身全部冷凍食品にして作ってきてあげるわ。首洗って待ってろ」

「飛び火が物騒!?」

 

 最後、これが今日のメイン。

 ご飯が入った容器を開けた途端、誰もが驚きの声をあげた。

 

「なにこれ!? イクラ!?」

「まさか、きゃ、キャビア……!?」

「黒くてキレー」

 

 容器の中には白米の上にイクラのような粒上の黒緑のナニかがたっぷりと乗せられていた。

 

「以前アイがイクラを食べたいと言っていたが、スーパーでもなかなか安く売ってたりタイムセールで値引きもされなくてな。仕方ないからそれっぽいものを海苔で作ってみた」

 

 さも理由を付けて自分で作ったように言っているがこの男。実際は『食戟のソーマ』原作で主人公が作った進化系のり弁を料理スキルに物言わせて再現してみただけだ。

 

「海苔でって、こんなのどうやって……」

「駄菓子にあっただろ。イクラみたいな球状のお菓子作るやつ。あれを参考にして作ってみた」

「ああ、あったわねそんな駄菓子。弟に買ってあげたことあったわ」

 

 反応したのはナベ。ミネも思い当たる節があるのか、

 

「あー、あの混ぜれば混ぜるほどってお菓子のシリーズね。あたしも覚えてる」

 

 と呟いていた。

 アイとニノは揃って首を傾げている。ついでにニノはアイとお揃いだったことに密かに興奮していた。お前さんアイ関係なら何にでも興奮するのな。

 

「上手く作れたから昼の弁当に持ってきてアイと二人で食べてみようと思ったんだが」

「いただきまーす」

「……うまっ、なにこれ海苔の佃煮より触感も白米との相性もいいじゃん」

「これは……っ、凄いですね。初めて食べました。上流階級の料理人では想像すらできないでしょうね」

「うま~(がつがつ)」

「聞けよ。はあ……そんなに勢いよくがっつくな。アイドルとしてはどうでもいいが、頬に米と海苔が付いている」

 

 アイの頬に付いた米粒と粒上の海苔を取って悠も一粒ずつだが食べる。一粒だが上手い具合に海苔のうまじょっぱさを閉じ込めることに成功していたので「まあいいか」と満足した様子で呟いていた。

 それをジトっとした見つめる視線が二つ。ドロリとした光のない瞳で睨む視線が一つ。

 反応するのも面倒な悠は食事が終わるまで三つの視線から目をそらし、アイだけを見つめるのだった。

 

 その後、事務仕事の合間に間食を取ろうとするたびに邪魔をされ、何も食べられず事務所内に腹の音を鳴らしながら仕事をする悠の姿があったそうな。途中で見かねたスタッフからお菓子を貰ったがことごとくをB小町に奪われていたのには、スタッフも朝とは違った視線を送るのであった。

 

 ――ぐぅ~。

 

「……腹へったなぁ」

 

 ドンマイ☆

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

〈ミヤコさんへのご褒美〉

 

 

 ある日の斎藤家。

 テーブルを挟んで悠とミヤコが向かい合って座っていた。

 

「というわけで約束通り美容に良い食材を用意した」

 

 ドン! と悠がミヤコの座る前に並べる――というより広げた食材。

 きゅうりにナス、大根にキャベツ、トマトに小さなかぼちゃ。その他色々と、それはもう何十種類もの野菜がテーブルの上に所狭しと並べられていた。

 

「…………」

「…………」

「なに、これ」

「野菜」

「それは見たらわかるわよ……」

 

 悠の返答にミヤコは頭を抱える。

 久しぶりの、ほんっっっとうに久しぶりの一日完全オフの日。ミヤコは絶対何もしないと心に決めていた。スマホの電源も落とし、書類は全部自室に叩き込んで鍵をかけた。美容院とか行きたかったが、それは今度だ。……今度がいつになる事から全力で目をそらして。

 

 そうやって部屋で寛ぐミヤコの前に現れたのが目の前の悩みの種の一つもとい一人。

 夫の壱護がアイドルとしてスカウトし養子として引き取ったアイのおまけみたいに連れてきた少年。その実なかなかに優秀で家事に事務作業、最近では自分の下でマネージャー業までそつなくこなす。正直、今日一日休みが取れたのは悠の存在が少なからずあった。

 特に家事に関しては頭が上がらない。朝夕と、理由がなければほぼ毎日彼が作ってくれるのだ。事務所に籠らなければならない時はスタッフ全員に夜食まで用意してくれる。

 

 それだけなら特に問題はなかった。しかし、悠は存在自体が問題だった。

 一つは事務所一番の人気アイドルのアイに最も近い異性という点。一般人としてのアイであれば特に問題はなかった。だが、アイは徐々に注目され始めているアイドル。これが世間にバレれば大炎上は確実でファンだけでなく今現在契約を交わしている企業からも干され、良くて事務所が閉鎖程度、最悪それに借金まで上乗せされるだろう。

 

 もう一つは最近知った、というか知ってしまった、知りたくなかった真実。

 B小町所属のニノの正体を知った後におまけとばかりに聞いてしまった。聞きたくなかった。

 名桐悠の実母が日本料理界を牛耳る薙切仙左衛門の娘だということ。

 つまり名桐悠は食の魔王とも呼ばれる存在の孫なのだ。しかもニノの正体はともかく悠の正体は壱護にも知らせておらず、知っているのはニノとミヤコ、それと悠自身が伝えたというアイだけ。

 何度でも言いたい。ほんっっとうに知りたくなかった。

 

 意識を戻し、ミヤコは目の前の光景を見つめなおす。

 

「……約束ってことはあれよね? 美容に良い食材ってことよね?」

「ああ」

「それが野菜(コレ)?」

「ああ。とは言っても食物繊維がどうたらみたいな話じゃない」

 

 言うと悠は無造作に大根を手に取り、手元に置いていた包丁を握りピッと振るう。途端に葉の部分にあたる頭が切れ、皮もスルリと剥けた。

 

「またアニメみたいな技術を覚えてる……」

「なんかやってみたらできたので」

 

 輪切りで切り落としフォークを置いた皿に乗せる。それをミヤコの前に押し出し、

 

「ただ食べる前に一つだけ」

 

 一言続けて戻した。

 

「この野菜は全て栄養価が高すぎて問題点が一つあるんだ」

「栄養価が高いのは良いことでは?」

「良いことなんだが、だからこそ普通ではありえない問題が出る」

「……聞きましょう」

「消化が早すぎて、すぐトイ……確か、花摘みだったか? に行きたくなってしまうんだ」

「花摘みって、流石にそんなに早くは」

 

 隠語を理解したミヤコの否定に悠は首を振る。

 

「早いんだ。そこだけ気を付けて食べてほしい」

「……わかったわ」

 

 悠の言葉に頷くミヤコ。

 それを聞いて今度こそ大根の輪切りが乗った皿をミヤコの前に押した。

 

「いただきます」

 

 そのままで、と思ったが、こと料理に関して悠は決して妥協して提供することはない。フォークで大根を突き刺し、一口大に切って口に運ぶ。

 嚙んだ瞬間、まるで肉汁がしたたる肉を食べたかのように大根から瑞々しい旨味があふれてきて、ミヤコは思わず口元を押さえた。

 

(え、大根って生でもこんなに美味しかったかしら!? それに噛むほどにあふれてくる水分が……待って、水分っていうよりうどんやおでんのような出汁よこれ! あっさりとして、けれど優しい味……!)

 

 生で食べているはずなのに既に調理されたかのような味わいにミヤコは驚く。切り残していた残りもすぐに食べてしまった。

 

「こんな大根がこの世にあったなんて……おかわり貰えるかしら!?」

「たくさんあるんだ。まずは色々食べて、それから好きな物を選べばいい」

「そ、そうね。それじゃあ次をお願い」

 

 ミヤコの催促に悠が手に取ったのはきゅうり。両の先端を切り捨てそのまま皿に置いた。

 マルのままなんてと普段なら思うところだが、先程の大根の影響かミヤコは躊躇う素振りすら見せずきゅうりにかじりついた。

 

(このきゅうりも……噛んでも噛んでもカリッとした歯ごたえがまったく消えないわ! それに味付けもしていないのに初めから塩がかかっているみたいな程よいしょっぱさと旨味……たまらない!)

 

 カリカリカリときゅうりを食べ進めていくミヤコを見て悠は次の野菜を準備していく。ついでにこっそり悠も近くの野菜を食べる。

 

(本当に美味いよなベジタブルスカイ産の野菜は……正式名称を知らないのに生み出せるのがわかったのも儲けものだ)

 

 悠の言葉通り、テーブルに並べられた野菜は全てグルメ食材で、作中ではこの野菜を食べてベジタリアンになってしまった人がいると言及されるほど。

 

 各々の野菜の名称は知らなかったし、生み出した食材の中には悠が漫画で見たことがなかった野菜もあった。この事から、生み出せる物は正式な名前や形を知らなくても、『ベジタブルスカイの野菜』等といったある程度抽象的な表現でも大丈夫なことがわかった。

 

(麻薬系の違法食材や一部例外(・・)はあるが捕獲レベルの高すぎる食材は生み出せないが、制限が思った以上に緩いのが知れたのはよかった。これでアイにもっと色々食べさせてやれる)

 

 ――そのお礼も兼ねて今日は満足するまでミヤコさんに食べさせるか。

 なんて考えながら、悠は食材の説明と切り分けに戻るのだった。

 

 

 

 

 後日談というか今回の結果(オチ)

 

「……」 「……」

「……」 「――」

 

「社長。この案件なのですが……社長?」

「え? ……あ、ああ! そいつは通してくれ。それと」

「アイさんのスケジュール調整ならこちらに。名桐くん、頼んでいた書類は?」

「出来ています。先方へ送る資料も出来たので時間が空いた時に確認お願いします」

「早くて助かるわ、ありがとう」

 

 テキパキと仕事をこなすミヤコ。

 その様子に思わず魅入ってしまっている壱護とB小町の四人。いや、それだけではない。スタッフも今日は朝からミヤコとすれ違うたびに振り返り、仕事中もチラチラとミヤコを盗み見ているのだ。

 それもそのはず。一日休んだだけのミヤコが凄く綺麗になっているのだ。外見では特に変わった様子はない。なんていうか内側から輝いている。それがミヤコを見た全員の感想だった。今日は事務所で作業しているだけだが、外に出たら間違いなくナンパやスカウトされてしまうだろう。

 特に夫である壱護なんて朝からずっとミヤコを目で追いかけてしまっているのだ。

 

 B小町メンバーもそうだ。ただ、驚きはそれほど大きくはない。アイは昨日の内に悠との会話で聞いており、

 

『グルメ食材なら仕方ないね! 当然食べさせてくれるよね! ……ね?』

 

 と納得と催促していた。

 他の三人も驚いてはいたが、どちらかといえば、

 

「まーたアイツが料理でやらかしたか」

 

 程度のものだ。

 ただしミヤコがああなってしまった原因である悠に関しては、ミヤコに食べさせたであろう料理を絶対に作ってもらうと、標的を目の前にした肉食獣の顔でロックオンしていたが。

 

「おい悠」

「なにか?」

「昨日、休暇取っていたミヤコに会ってたんだよな」

「ああ」

「な、何をしてたんだ……?」

「何って」

「ま、まさかだとは思うが……ミヤコ相手に若いツバメでもしてたんじゃないだろうな……っ!」

「若いツバメ? ……ああ、そういう隠語か。それは自分よりもミヤコさん相手に失礼だろう」

 

 ミヤコがその場を離れると、不安になって問い詰めてきた壱護。胸元を掴まれ揺すられながら隠語に首を傾げるもすぐに理解し答える。

 ちなみに若いツバメとは年上の女性の愛人となっている若い男を指す俗語だ。確かにミヤコの方が年上だが悠を若いツバメと指すほどミヤコと歳が離れているわけではない。

 

 その後、誤解を解く悠とミヤコに疑いの目を向ける壱護に軽蔑の視線を送る三人。

 年下の少女からの視線と、

 

「今までも綺麗だったのが更に綺麗になった途端、不安になってる自分がいるんだよぉ!」

 

 都合の良い自分の感情に、壱護は床に崩れ落ちる。

 悠は愛がわからないなりに壱護を励まし、その後ろから壱護を煽るミネたち。

 そして、部屋に戻って視界に入った夫としゃがみこんで溜息を吐いている部下、調子に乗って煽っているアイドルを見て、ミヤコは仕方ないわね、といった風に笑うのだった。



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少女たちの幕間 それは特別でもない日常の
Memory interlude 一話


本編の筆の進みが遅いので箸休め的な感じな章です。
アニメによくある主要人物が集まって過去を振り返る総集編みたいなノリでB小町が駄弁って振り返って、みたいな感じで書いてみました。

(内容を読んで)……そんな書き方ではないなー


あ、原作interlude全四話は良かったです


【B小町】凄い勢いで駆け上がるアイドルグループ【大型劇場公演おめでとう!】

 

 

1:名無しのB小町ファン

このスレはB小町のライブの成功やメンバーについて語っていくスレになります。アンチは専用スレにどぞ。純粋にB小町について語り合いましょう

 

2:名無しのB小町ファン

スレ立ておつ

 

3:名無しのB小町ファン

改めてB小町、大型ライブ成功おめ!

 

4:名無しのB小町ファン

なおドームではなく千人規模のコンサートホールの模様

 

5:名無しのB小町ファン

千人規模は地下アイドルからならだいぶ大出世じゃね?

 

6:名無しのB小町ファン

大きい事務所ならともかく苺プロなんて誰も聞いたことない弱小事務所スタートのグループやぞ。大出世も大出世や

 

7:名無しのB小町ファン

この調子でいけば数年以内にドームライブいけるのでは

 

8:名無しのB小町ファン

イケるイケる

 

9:名無しのB小町ファン

イケる……けど、最近の傾向的に個々の仕事をするんじゃね

 

10:名無しのB小町ファン

ありそう

 

11:名無しのB小町ファン

事務所の方針かは知らんけど、最近はメンバーそれぞれのファンを単体の仕事で増やしてライブでドン! と大炎上させてるからなー良い方向に

 

12:名無しのB小町ファン

B小町ファン半年のワイ、昔のことしらん。教えてクレメンス

 

13:名無しのB小町ファン

B小町ビギナーだ! テメーラ囲め囲め!

 

14:名無しのB小町ファン

優しく、丁寧に

 

15:名無しのB小町ファン

じっくり、ねっとり

 

16:名無しのB小町ファン

B小町をお教えしよう

 

17:名無しのB小町ファン

こいつら練習してるだろ

 

18:名無しのB小町ファン

古参ファンのたしなみだ!

 

19:名無しのB小町ファン

えぇ……

 

20:名無しのB小町ファン

といってもそこまで歴史があるグループじゃない

B小町の発足は約二、三年前。どこにでもいる普通の地下アイドルグループだ

 

21:名無しのB小町ファン

当時はファンのワイらでもわかるほどアイ贔屓のグループだったんだよなー

ただの中学生グループの中でひときわ目を引くアイを中心とした、踊りや歌だった

 

22:名無しのB小町ファン

そうそう、アイ以外のメンバは―引き立て役Bなんて言われてたし

 

23:名無しのB小町ファン

は? B小町の一番はナベだろ

 

24:名無しのB小町ファン

ミネ推しのワイ、久しぶりにキレる。屋上いこーぜ?

 

25:名無しのB小町ファン

もちつけおまいら

 

デビュー当初はそうだったがすぐに路線変更して全員が目立つようになった

まあセンターの多さはアイだけど

そして一番の変化、いやB小町の転換期はおまいらも知っての通り一年ぐらい前のニノのイメチェン&アイ推し事変だ

 

26:名無しのB小町ファン

あれは心底驚いた

 

27:名無しのB小町ファン

ショックでニノのファンやめたわ

そのあとで脳が焼けてまたファンになったけど

 

28:名無しのB小町ファン

可愛いキャラだったのが急に大人びた和風美人にイメチェンしたもんな

アイ推しだけど、あの流し目にはドキッとした

 

29:名無しのB小町ファン

なお中身は俺たちドルオタ以上のアイ推し……アイオタクだったが

 

30:名無しのB小町ファン

トーク中にアイにウィンクされた途端呻いて「はぅっ! ……アイちゃんのウィンクがわたくしの心肺を停止させてきました。最高!」なんてハァハァ言いながら恍惚な笑顔を浮かべるんだぜ

エロく感じるよりも先にドン引きしたわ

 

31:名無しのB小町ファン

なのに司会者に「アイさんのことが大好きなんですね」って言われたら「いえ、嫌いですが?」なんて真顔で返すし。

「ファンを魅了どころか奪っていくんです。同じアイドルとして妬ましくないわけありませんわ。まあアイちゃんなら当然ですけど。もっと奪え♪」

あの子何なん? 反転アンチもびっくりの推し方だわ

 

32:名無しのB小町ファン

アイもアイでそんなニノ見て嬉しそうにしてるし

「じゃあ奪っちゃうね。ニノちゃんも奪っていい?」

「何言ってるんですか……奪われてますぅ

ミネとナベも引いてたし

B小町って実は変な奴ばっか?

 

33:名無しのB小町ファン

あ?

 

34:名無しのB小町ファン

叩け叩け! B小町を侮辱する奴は引きずり回せ!

 

35:名無しのB小町ファン

てやんでい! てやんでい!

 

36:名無しのB小町ファン

はいはい戻れ戻れ

イメチェン事変前後でニノだけじゃなくてミネもナベも変わったよな

 

37:名無しのB小町ファン

あー確かに

憑き物が取れたっていうかサッパリしたっていうか

というか全員スッゲー綺麗になったし

 

38:名無しのB小町ファン

ダンスも歌も勢いが出てきたよな

特に新曲の二人が向かい合わせで歌うシーン

あそこの互いに互いを睨みつけてキレ叫ぶように歌うのが痺れた

 

39:名無しのB小町ファン

わかる

激しいダンスも前以上にキレッキレで最初から最後まで踊ってるし、体力面でも成長してるの感じる

 

40:名無しのB小町ファン

それなら踊りだけじゃないだろ

所作っていうの? ワイは無駄のないそこに興奮してる

 

41:名無しのB小町ファン

それを言ったらやっぱアイだろ

前々から目を離せなかったけど、最近はかなりもっとだ

 

42:名無しのB小町ファン

上に同じく

目だけじゃなく胸も頭もアイに焼かれたわ

 

43:名無しのB小町ファン

ワイ今のB小町全員好き。死んでも推し続けるわ

 

 

以降、メンバーの好きなとこが延々と挙げられている

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

「――とまあ、現時点のあたしたちの評価は、グループ・個人両方とも良好って感じね」

「そのほとんどがアイに魅了されたオタクとニノの推し方に対する変態的意見だったけど。リーダー的にどうよ?」

「き、気にしてないわ! アイには劣るけどあたしにだって固定のファンはいるし。……変態(ニノ)に負けてるのは納得いかないけど」

「あのミネちゃん? わたくしの名前を呼ぶとき、そこはかとなく良くない感じがするのですが。小説等で変態と書いてニノと読ませるみたいな感じで」

「ソンナコトナイワヨー」

 

 ある日の午後。

 アイたちB小町の四人は悠が住む部屋のリビングでまったり寛ぎながらSNSや掲示板でエゴサしながら雑談に花を咲かせていた。

 家主である悠は現在部屋にいない。ミヤコの下でマネージャーの下積み活動兼男除けの護衛として走り回っている。今年で高校を卒業し大学へ進学しない悠はそのまま苺プロに就職することがほぼ決定しているので段々と社長である壱護に酷使され始めていた。当の本人は表情一つ変えずこなしていたが。

 

「げっ、ミヤコさんまた勝手に撮られてる」

 

 SNSに投稿されてる画像を見てミネが声を上げる。

 アイたちが覗き込むと、確かにミヤコが写っていた。ただしミヤコの視線は明後日の方向を向いており盗撮に近い写真だったが。

 

「またー? むー、最近ミサトさん多くない?」

「仕方ないでしょ。一度だけとはいえテレビに出ちゃったんだから。あとミヤコさんね」

 

 グルメ食材であるベジタブルスカイの野菜を食べてからミヤコは美しくなった。以前から綺麗だったがグルメ食材を食べてからのミヤコは一段どころか十段ぐらい飛び越して綺麗になっていた。

 そのおかげか、或いはそのせいか、先方との話し合いやB小町と共に現場に向かうと、必ず一回はスカウトもしくは引き抜きの誘いを受ける。そういった場合ミヤコは断るのだが、ナベが言ったテレビ出演はB小町に割く時間を増やす代わりに出ないかと持ち掛けられたのだ。壱護も悩んだが結局B小町の知名度を上げるため止む無く取り引きに応じ、予定通りB小町の知名度を上げることに成功した。ミヤコへ出演やグラビアの依頼も増えたが。

 

「そのおかげで社長の奇行が増えましたけど」

「奇行って言っても悩んだり変な妄想して壁に頭突きかます程度でしょ? むしろ名桐に被害がいってない?」

「いってる。最近、私よりもハルカの方が帰るのが遅い時が多いんだよね」

「……アイ。アンタ、名桐と一緒に暮らしてんの?」

「ううん、ハルカの部屋には(・・)住んでないよ」

「……。……マスコミには十分気を付けなさい」

 

 嘘ではないが怪しい言い方にナベは迷ったが、結局注意だけに留め、アイの後ろに回り髪を弄り始めた。瞬間、ニノの目が細くなり、ナベが編み込みながら溜め息を吐く。睨むならアンタもやってもらえ、と言いたかった。たぶん、笑顔で「やだ♪」と返されるだろう。その後に喜ぶニノの姿が想像できる。

 

 そういえば、とアイの髪を三つ編みにしながら、

 

「この前も美容に良い物見つけったって言ってなかった? 仕事があったから知らないんだけど、どうだったの?」

「あー……アレかぁ」

「アレですね」

「アレは大変だったね」

 

 問いかけた質問にアイたちは言葉を濁す。

 

「……この前の野菜よりヤバい物だったわけ?」

「ヤバい物じゃなかったよ。ただ……」

「ただ?」

「……ミサトさん、とってもエッチだった」

「…………はい?」

 

 ナベの気の抜けたような声を聞きながら、ミネとニノは思い出す。

 

 その日、新しい美容品を試してみないかと悠に誘われミヤコは当然ながら、入っている仕事まで時間が空いていたナベを除く三人は斎藤家にお邪魔していた。

 家に悠が水を張ったタライに入れて持ってきたのは見た事のない魚。それを悠は『メラニングラミー』と呼んでいた。曰く、肌の黒ずみを吸い取り美白にしてくれるドクターフィッシュの一種らしい。後日、ミネがネットで調べたがそんな魚は調べても一切出てこなかったが。

 

 魚の説明をした後、浴槽にお湯を張り、ミヤコが入った湯舟にメラニングラミーを入れて結果を待つ。ただ、悠の予定では水着を着てもらいメラニングラミーを悠自身で入れる、といった感じだったが、それに待ったを掛けたのは女性陣。

 

 今すぐに着れる水着はないし、あったとしても恥ずかしい。とミヤコ。

 

 邪な感情を持っていなくても流石に駄目でしょう。とミネとニノ。

 

 何でかわからないけどそれは駄目。駄目ったら駄目。と星の瞳を黒く染めたアイ。

 

 女性陣の説得により、悠は、なら頼むとタライを三人に渡しリビングで待機することが決まった。

 そしてミヤコが湯船に浸かり、アイが魚を投入。ミネとニノは浴室では狭いため開けっ放しの入り口から見守っている。

 というわけで実験開始。

 

 …………。

 結果だけ言ってしまえば、メラニングラミーは確かに説明通りの動きを見せた。普段見えないところに黒ずみがあったが綺麗さっぱり消えたらしい。

 後日、大喜びしたミヤコが悠を抱き締め、それを見てしまった壱護に雑務を押し付けられていたが。

 

 ただ、実験している間が問題だった。

 この世界にもドクターフィッシュは存在しており、角質を食べられている時は少しくすぐったく感じる。メラニングラミーは本来この世界には存在しない謂わばグルメ食材ならぬグルメ生物。対象者の黒ずみを吸い取る行為に原作では特に描写はなかった。悠も特に問題ないと判断し誘ったのだが、

 

『ん……っ、ふっ、……ぅんっ……』

 

 実際はそこに問題があった。

 メラニングラミーに吸われ、きゅぽんと離れるたびにミヤコはどこかくすぐったい鼻にかかる声を閉じた口から漏らしていた。

 後で女性だけで会話した時に聞いたが、吸われるのと離れる時が気持ちよかったらしく思わず声を出しそうになっていたのを我慢していたのだとか。我慢できずに漏れてしまっていたが。

 どうやらグルメ生物はこの世界では刺激が強いようだ。まあ、例外ではあるがグルメ食材である野菜を食べただけで美しさがレベルアップしたのだ。グルメ生物も例に洩れなかったようだ。

 

 同性とはいえ初めて見る煽情的な姿に目の前でメラニングラミーを投げ込んでいたアイはもちろん、様子を見ていたミネとニノも魅入ってしまいゴクリと息を呑んでいた。

 

 タライに入れたメラニングラミー全てで吸わせ終え、ミヤコが一人で湯船から上がれると判断したアイたちは逃げるようにリビングへ戻った。

 

『お疲れ。どうだった?』

 

 何も知らない悠の質問にアイたちは顔を見合わせ、

 

『『『これは禁止!』』』

 

 そう宣言するのだった。



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Memory interlude 二話

「――とまあ、こんな感じですね。見てないナベちゃんには悪いですけど、アレは満場一致で禁止になりました」

「……逆に余計に興味が沸いちゃったんだけど。そのメラニン何とか? 今度名桐に頼んでみるか……」

「や、やめときなさいナベ。アレは本当に刺激が凄いから……」

「まあ、ウブなミネには刺激が強かったんでしょ。ウチはそういうの問題ないし」

「う、ウブなネンエじゃないわよ!」

「誰もそこまで言ってないわウブなネンネ。ピヨピヨ言っててウケる」

「言ってるじゃない! しかも微妙に増えてるし!」

 

 むがー! と怒るミネと軽くあしらうナベをよそに、アイがニノが聞いた。

 

「ニノちゃん、ウブなネンネってどういう意味?」

「……アイちゃん。世の中には知らなくていいことがあるんです。どうかもうしばらくは綺麗なままのアイちゃんでいてくださいな」

「……駄目?」

 

 上目遣いの頼み事にズドンと心臓を殴られるニノ。

 

んぐぉっ……だ、駄目です。それでも聞きたいのであれば十分程わたくしがアイちゃんに向けている気持ちを」

「あ、じゃあいいや」

「納得してくれてよかったです……ふぅー、あっぶなかった。今のはご飯三杯はイケる表情でした。ごちそうさまです」

「? ……おそまつさま?」

ぐぉおっ……おそまつさま。お粗末様!? お粗末様という言葉がここまで官能的に聞こえるなんて……これはもう結婚? 結婚なのでは? わたくしが夫アイちゃんが新妻ただいまおかえりなさいお風呂ごはんアイちゃん……お、ぉぉ、脳にありもしない情景が生まれ溢れる……! ただのイメージなのに体全体が興奮で痺れる……! ああいけないこのままでは飛ぶ……意識が三途の川を飛び越えてその先でアイちゃんの布教活動をしてしまう……! それもアリですね。アイちゃん、ちょっとわたくし閻魔様に布教活動してきます」

「うん、何がアリかは聞かないし閻魔様がどうとかも知らないけど、今日はこれ以上近づかないでね」

 

 目の前で繰り広げられる一人百面相にアイは瞳から光を消しつつ真顔で距離を取る。

 スススとまだ言い争ってたミネとナベの間に挟まる。一瞬何事かとアイを見た二人だったが、すぐにニノが原因だと理解しニノから隠すように視線の前に立った。

 スッとミネはケータイを取り出す。

 

「ナベ、変態って110番で大丈夫だっけ?」

「頭の病気ってことで119番でもいいんじゃない。知らないけど」

「ミネちゃんナベちゃん!?」

「冗談よ。ほら、アイ。こっちに座りなさい」

「わーい」

 

 隠れてるアイを隣に座らせる。ナベは逆にニノの隣に腰を下ろした。

 

「席替えは構いませんけど近くありません? ナベちゃん」

「即座に取り押さえられるしちょうどいいでしょ」

「あら、ナベちゃんにわたくしが取り押さえられるとでも? これでもわたくし実家で護身術程度は嗜んでいたんですから」

「最近、ヤンチャな弟たちや幼馴染相手に大人しくさせるために練習台にしてるのよね。『見た目変わんねーのにゴリラかよ』ってよく言われんのよ。お礼に片手でよくこめかみ握りつぶしてるんだけど。名桐からも『これならニノ相手でも問題なさそうだな』って太鼓判押されてるし。受けてみる?」

「謹んで遠慮させていただきたいので大人しくしてます」

「よろしい」

 

 大人しくなったニノを見て、ナベも本来の距離に戻る。

 

「まったくもう……ところでアンタたち。名桐からの課題、どれだけ()った? 一応あたしは二十分」

 

 ニノが諦めたのを確認してミネもケータイをテーブルに置き話題を変える。ただし不満そうな表情を浮かべて。振られた話題はミネだけでなくナベとニノも苦虫を潰したような表情を浮かべている。

 

「ウチは十五分」

「わたくしは三十分です」

 

 三人の視線がアイへ向く。

 

「一時間! ……ハルカのサポートありでだけど」

「一人だと?」

「二十分♪」

「ふむ……三十分ね」

「お揃いですねアイちゃん♪ ふふ、ふへへ……アイちゃんとお揃いです」

「うぅ……なんでニノちゃん関係はバレるんだろ」

 

 一年前を契機にアイへの感情を隠さなくなったニノ。場と人に合わせた嘘を得意とするアイでも、ニノの重たい発言は対応が難しいのかニノ相手に嘘をついてもバレることがしばしば起きていた。アイ本人は内心嬉しく思っていたが。

 

「にしても、一年経ってもアイでさえ三十分が限界ってホント難しいわ食禅って。アイ、名桐は今どんだけできるの?」

「ハルカは確か……」

 

 うーん、と悩み、指折り数えて、

 

「この前皆で食禅した夜に家で二十本を二時間続けてたかな」

 

 正確には計っていないが、だいたいの時間を答える。

 予想以上の答えに三人は呆れた表情を浮かべ、それぞれ食禅をやることになった過去を思い出していた。

 

 

 

 

  ★★☆☆

 

 

 

 

 それはB小町全員がベジタブルスカイの野菜を食べた数日後。一人一人日を改めて食べたので惨事を起こすことなく満足のいく結果になってるのを互いに確認しあっていた。

 本来、ベジタブルスカイ産の野菜が美容に良いなんて効果は存在しない。単純に栄養価が高く、また体に負担がかからない程早く消化され体に溜まっていた老廃物と共に出ていく。だから美しくなったのだろう。

 

 ひとしきりワイワイやっているのを見続け、悠が手を叩いて視線を集めた。

 

「満足したか。なら今度は楽しくない修行の時間だ」

 

 稽古場に持ち込んだホワイトボードに大きく『食義』と書いて、

 

「今日からお前たち全員に食義の修行を行ってもらう」

 

 そう宣言した。

 

「えー」

 

 悠がやっているのを見たことがあるアイは不満そうに呟く。ミネたち三人は聞いたことがない単語に首を傾げている。

 ニノが手を挙げた。

 

「はい、お兄さん。食義とは? 名前からして食事などに関連がありそうですが……」

「食義とは本来は食に対する礼儀と作法といった精神面の構え、捉え方のことだ。そうだな……食に感謝するというのは命に感謝するということ。つまり万物への感謝と敬意を常に心の中心に持つのが食義の基本だ」

 

 早い話が宗教でよくある祈りが想像しやすい、と簡単にだが悠は例えた。

 

「食義、食義……聞いたことありませんね」

「名桐。アンタいつから宗教家になったの?」

「なってはいない。それに自分がお前たちに覚えてもらいたいのは本来は副次的な効果の方だ」

 

 なにも悠は食に感謝してほしくて食義を覚えてもらおうとは思ってない。

 目的は食義の精神面ではなく技術面だ。

 原作では食義により食への感謝を繰り返すことで目の前の対象物に対する集中力が増し、集中力の向上により動作の素早さと正確性を高めていた。実際に最低限の力と所作で技を繰り出し、それまで出していた技の何倍もの威力を生み出すことができていた。

 

 悠が目を付けたのもここだ。アイドルは歌と踊りがメインだ。一曲は数分でもライブで何曲も歌えば数十分、一時間と増えていく。休憩を挟むだろうがそれでもほぼぶっ通しで歌い踊るのだ。だからこその食義。少しでも食義を覚えてもらい、負担を軽減できればと悠は考えていた。

 考えたことを説明すると、懐疑的な視線が返ってきた。まあそうだろうな、と悠は呟き準備していた物をホワイトボードの前に並べる。

 簡素なテーブル二脚とその上に並べたまな板、包丁、キャベツ。

 

「なんでここでキャベツ……」

「この中で一番調理経験があるのは……ナベだったか? それともニノ?」

「ナベちゃんですね。菓子類であればわたくしですが、目の前の状況なら違うでしょうし」

「そうか。ナベ、千切りをしたことは?」

「は? 千切り? 弟たちがハンバーグ好きだから添え物でよくやるけど……」

「四分の一にカットしたキャベツの千切りをナベ。丸々一個の千切りを自分がするとして、どっちが早く出来ると思う?」

「……いくら料理が得意な名桐でも、四分の一ならウチが早く切り終わる」

「ならやってみよう」

 

 トントンと机を叩きナベを呼ぶ。

 これで何がわかるのか、まったくわからないナベは渋々テーブルの前に立つ。軽く包丁を握り感触を確かめ、頷いた。それを見た悠も同様にテーブルの前に立ち包丁を手に取る。

 

「アイ。合図を頼む」

「はーい。じゃあ行くよー。よーいドン!」

 

 掛け声とともに悠とナベが切り始める。

 シャッシャッシャッと淀みなくキャベツを千切りにしていくナベ。日頃から家族の食事を作ってるだけあって慣れた手つきだ。同年代相手なら十分早い方であろう。

 ただまあ、

 

「うっそぉ……」

「あらまあ」

「…………いやわかってたけどさ」

 

 チート染みた身体能力に食義を覚えている悠に勝てるわけがなかった。

 シャシャシャと手元が早すぎて見えない程切っていき、ナベが四分の一にカットされたキャベツを半分まで切ったところで丸々一個の千切りを終えてしまった。

 ミネとニノは驚きで開いた口が塞がらず、ニノは予想できていた結果に溜め息を吐きつつも、その速度に驚いていた。唯一アイだけは食義のことを知っていたため驚いてはいなかった。

 

「こんな感じで集中力が増し、動作の素早さと正確性を最低限の力で出せるようになる。というわけだ」

「……流石に最低限はないでしょ」

「今のはわりかし(・・・・)最低限と言ったところか。少し本気でやると」

 

 こんな感じだ、と隅に置いてあったビニール袋から新しいキャベツ一玉とボウルを取り出しキャベツを上へ投げる。落下するキャベツに向かって包丁を一閃しただけに四人には見えた。なのにボウルに落ちた時には千切りになっていた。

 

「名桐……アンタ、実はアニメのキャラじゃないの? 人間やめてるでしょ」

「それは自分でも同感だ。さて、ある程度実演をしたことだ、早速始めよう」

「いや、流石に無理でしょ……」

「なにもここまでやれ、とは言わない。数曲メドレーしても軽い疲労感が出る程度まで成長できればいいんだ」

「まあ、それなら……激しい運動をせずに体力がついたって考えれば……」

「それに食義をマスターした恩恵は凄いが、ほぼ不可能だからな。技術的にも肉体的にも、何より試練ができないし……

「マスターすると何か良いことでもあるんですか?」

「どれだけ食べても食べた分だけエネルギーとして体に溜めておける。だから脂肪とかにならな、い……」

 

 記憶を頼りに思い出していると、目の前に三人が詰め寄っていた。意識が逸れていたとはいえ見えなかった。ミネたちはジッと悠を見つめ、

 

「は、ず?」

「やるわよ」

「やる」

「やります」

 

 さっきまでの反応が嘘みたいにやる気に満ち溢れている。

 何故だ? と首を傾げる悠だったが、まあいいかと思い準備を始める。

 

「脂肪にならないってことは太らないってことよね! 気にせず好きなだけ食べれる……!」

「アイドルとして我慢してた分、いっぱい食える……!」

「まったくもう、お兄さんったらやる気にさせるのが上手いんですから……絶対習得します」

 

 準備している後ろで、小声だが欲望が駄々洩れの三人を見てアイは、

 

「……多分無理だと思うけど……ま、いっか!」

 

 結果は見えていたが、考えることはやめるのだった。

 実際その後、基礎の基礎である食禅で苦労するのは言わなくてもいいことであるし、食義の修行をこなしたおかげで、踊りのキレがよくなるのはファンの感想で知ることになるのだった。

 

 また、悠は忘れていたが、確かに食義を極めることで習得できる奥義『食没』は食べた分だけエネルギーとして体内にチャージされる。しかし、チャージした分だけ体重は増えていくので、例え覚えても女性にとっては絶望の結果になってしまう。そう考えると食義を極められないのはある意味よかったとも言えるだろう。

 そんなことは露知らず、体重を気にして好きなだけ食べられない乙女たち(若干一名除くが)は絶対にマスターしてやると息巻いて、今日も食禅に挑むのだった。

 

「「「目指せ! 食義マスター!!」」」



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Memory interlude 三話

「――意気込んだは良いものの、未だに初歩から進んでないっていうね」

 

 難易度高すぎよ、とミネは溜息と共に愚痴をこぼす。

 

「それでも実際に効果が出ている以上、妥協はできないけど」

「そうなのよね。ファンからも細かいとこの所作も好評みたいだし、何より数曲続けてもバテなくなったのはありがたいわ」

「時間帯によっては帰ってから夕飯とか作らなきゃいけない時もあるけど、食義の修行のおかげで調理の方もだいぶ早くできるようになったし」

 

 ホント食義様々よ、とナベも頷いてジュースを飲む。持ち込んだ物ではなく冷蔵庫に仕舞っていた物を勝手に出して飲んでいたが文句を言う人物は誰もいない。

 

「そういえばナベはよく家事するんだったわね。名桐みたいにアニメみたいな調理ができるようになったの?」

「あんなのはほぼ無理。今は精々、初回にやった千切りキャベツで勝てるぐらいよ。それに家でやったら絶対弟たちが真似して取り返しのつかないことになりそうだし」

「あー……小六と中学生だっけ。カッコつけて真似しそうだわ」

 

 まあホントはウチもこっそりやっちゃったけど、と胸の中でだけ返す。実は誰もいない時にこっそりやっていたりする。

 弟たちと幼馴染の男子という環境で育ってきたナベにとって、そういったアニメや漫画は一通り網羅している。なので男子が憧れるモノにナベも多少心を揺れ動かされてしまうのだ。

 

「でも、もう少し覚えやすい方法はないのかしら?」

「あ、私も座禅に飽きちゃってハルカに聞いたことあるよ。他の修行方法はないのって」

「どうだった?」

「うーんとね、んんっ……」

 

 アイは喉を鳴らし調整してから、悠の口調を真似て言う。

 

「『あるにはあるがオススメしないぞ。合掌、一礼を正しいフォームでしないと針で刺される修行。一メートルの箸で豆を掴むか、滑りやすい箸で白魚そ……白魚を掴んで食べる修行。どれも根気と集中がいるものばかりだ。ミネ辺りは間違いなくキレ散らかすだろうな。やってられっかぁ!! みたいな感じで』……って言ってた」

「なんでアタシを出した!?」

「あー、言いそう言いそう。地味に上手いじゃん名桐の奴」

「感想がそこか! アタシが言うわけないでしょ!?」

「言うね。花京院の魂を賭けるわ」

「言いますね。ならわたくしはオインゴボインゴ兄弟の魂でも賭けますか」

「即答!? しかもアンタたちジョジョ読んでるのね……ナベはともかくニノは意外だわ」

「う~ん……? じゃあ私は佐藤社長の魂でも賭けよっと」

「この子は読んでなかったか……いや、まあ、流石にアイはジョジョなんて読まないわ――」

「読んでるよジョジョ。ほらそこに並んでる」

「よ、ね……」

 

 アイが指差す方向。並んでいる本棚には種類ごとに本が並べられており、真ん中の本棚にネタにされていた漫画が収まっていた。

 

「……ご丁寧に第六部まで全部揃っているじゃあないの」

「私じゃなくてハルカが買ったものばかりだけどね」

「そういえばこの部屋、名桐の部屋だったわ。何度も入り浸ってるし、アイだけで名桐がいなくても平気で入ってるから忘れてた」

「にしては……アイちゃんの私物が多い気がします」

「「「…………」」」

 

 

「ねえアイ……実際のとこ、名桐とはどうなの?」

 

 ミネはナベとニノと視線を合わせててから、今まで気になっていたことを口にした。悠はおらず、時間にも余裕がある。だからこの際、ハッキリとアイの口から聞いておこうと思ったのだ。

 きょとんとした表情でアイは言葉を返す。

 

「どうって?」

「家族ってのは前に聞いたわ。名桐からも妹分だって聞いてる。だけど、血が繋がった兄妹ってわけじゃないんでしょ?」

「…………え、と

「正直な話、アタシはアンタと名桐が付き合ってると思ってる。そういう距離感してるし」

 

 ミネの言葉にナベも頷き、ニノは珍しいことに興奮することなく懐から取り出した扇子で口元を隠して流し目めいた視線だけ向けている。キョロキョロと視線を彷徨わせ、逃げ場がないと判断したアイは俯くように手元を見つめた。

 どうしようか迷った。助け舟を出してくれる相手(ハルカ)は今はいない。

 迷って、迷って――時計の秒針が二、三周するぐらい迷って、口を開いた。

 

「私とハルカは……家族、だよ。愛が欲しい私と愛が知りたい彼が、愛を見つけるための関係」

「……なによそれ」

「えっとね……」

 

 アイは無意識にこぼれそうになる嘘を必死に抑え、ゆっくりとこれまでの半生を三人に語った。

 母親と暮らしていた時のことを。母親が捕まり施設で悠と出会ったことを。雨の中、悠に吐き出した気持ちを。悠の提案を受けて家族になったことを。そして、この際だとアイドルになった理由も。

 その間、三人は顔色や表情を変えながらも言葉を挟まずにアイの話に耳を傾けていた。

 

「――これが私。愛が欲しくて、愛してほしくてアイドルになった星野(・・)アイの全部。そんな私を支えてくれたのがハルカ。だからハルカと私は、他の人から見て偽物の関係かもしれないけど」

 

 家族なんだ。

 そう締めくくる。

 最後まで聞いていた三人は、

 

『『『クッソ重かった……』』』

 

 各々、組んだ腕やクッション、扇子で顔を隠し視線を逸らしてまったく同じことを考えていた。

 

(ああ~……聞かなきゃよかった。数分前のアタシのアホォ……もうアイに嫉妬すら湧けないじゃない)

 

 ミネは内心で頭をポカポカと殴っていた。

 

(嘘で塗り固めて誰からも好かれるようにしていたってこと、か。……無理ね、これまでのアイを思い出してもどれも嘘だと気付けない。多分、その場その場に合わせた適切な嘘を瞬時に理解してついているんだ。誰にも嫌われることがないように……そんな芸当ウチには到底真似できない。はぁ……野菜や食義で手が届きそうかと思ったけど、それはまだもう少し先か。もっと引き出し増やさないと)

 

 ナベは目標がまだ届かないことに胸の内だけで溜め息を吐いた。

 そしてニノは、

 

(今のアイちゃんを形作ったのは幼少期の母子家庭。アイちゃんは言いませんでしたが間違いなく虐待はあったのでしょう。お祖父様に頼んで母親を探してもらいますか。ええそれがいいでしょう、一発ぶん殴らないと気が収まりません。しかし育児放棄があったからこそ幸運にも理解者たるお兄さんに会えた、とも言えるべきでしょうか。……母親と言えば、お兄さんの母君。アイさんとお兄さんが暮らしていた施設は同じ。アイちゃんがスカウトを受けたのは渋谷。足が限られている以上、施設から渋谷は近いということ。お兄さんは生まれてすぐ捨てられたと言っていました。ならお兄さんの出身地は東京。ではお兄さんが生まれるまで母君……未那さまは東京に身を隠していた? 遠月を退学(・・)してから出産、そして蒸発まで約一年近くもの間、あの薙切から逃げられる? ――ありえません。未那さまは当時16か17です(・・・・・・・)。単独で逃げ切れるとは到底思えない。ならば手を貸した者がいるのは必定。でも誰が……? 父君? 可能性はありますが未那さまの出産年齢を考えると共にいないとおかしいですし……)

 

 アイの母親から思考がズレていき悠の母親のことを考えていた。

 が、ハッと話が関係ないことに流れていることに気付き、思考を元に戻した。

 

(ああ、いけない、今はアイちゃんのことでした。……実際のところ、このままであればアイちゃんとお兄さんが目的を達するのは難しいもしくは時間がかかるでしょうね)

 

 短い時間だがアイと悠を見てきたニノにとって二人の関係は、なあなあ(・・・・)と言ったことろだ。戻りはしないが進みもしない。互いに今の関係が崩れてしまわないようこのままでいいと無意識に考えてしまっているからだろう。

 だからこれ以上進展するすることがない。

 愛されはするだろうが愛せることはない。愛を知ることはできない。――このままであれば。

 

 ならどうするのか。

 多分、壱護であれば社長として時間が解決するだろうと放置するとニノは考えている。

 

(しかしそれは停滞するでしょうね。アイドルとしても、女の子としても)

 

 きっと遅かれ早かれアイなら気付くだろう。その時になってどう行動するか、ニノも予想できないが、アイの性格と今の(・・)悠との関係上、あまりよくない未来もありえてしまう。流石に最悪の予想が現実になってしまった場合、アイはともかく悠が母親の二の舞になりかねない。悠には思いの外世話になっているのだ、それだけは避けなければいけない。

 ならばどうするか。

 

(荒療治ですが相手をお兄さんに誘導して……ふふ、我ながら馬鹿げた考えですね。アイちゃんがどう動くか分からない上に確率的な問題もあるというのに。万が一B小町が終わってしまった場合どうしましょうか。わたくしを生贄にしてお祖父様に苺プロの保護を頼んでみますか。お兄さんなら問題なく貢献できるでしょうし。……ああそれにしても、推しの子が愛に悩む――イイですね! ……いけない、ちょっと感情が漏れ出してる。最近蓋が緩くなってますね、補強しないと)

 

 流石に負の感情は出しちゃ駄目ですと、感情の蓋の補強をする。

 

 個人的にニノはアイドルの恋愛は良いと思ってる。自分もアイドルだからというのもあるが、一番の理由は「ニノ自身が自由な恋愛をできるかわからない」からである。今はアイドルをやっているが、実際のニノは先祖代々続いている由緒ある良家のお嬢様だ。影響力も強い一族であるため、年齢が一桁の頃から同じ由緒ある家から見合い話が舞い込んだりすることが多かった。

 いつかは家の都合で好きでもない相手に嫁ぐかもしれない。ニノ自身もそれは受け入れていた。しかし、受け入れてはいても憧れだけは止められない。

 だから壱護のスカウトを受けたのだ。食気も理由の一つ。家の決まり事だって間違っていない。

 でも、本当は自由が欲しかったのだ。

 

 だけど、それ以上にニノは今の時間が大事になっていた。

 苺プロが大事だ。B小町が大事だ。何より一生賭けても推せると焦がされた――アイが嫌いだけど大事なのだ。

 自分の未来の自由を賭けても良いぐらいに。

 

(ミネちゃんとナベちゃんはきっと激怒するかもしれませんが――推しの幸せを願うのはファンとして当然のことですからね)

 

 グループのメンバーとして、魅了された一ファンとして、そして願いは違えど目標を持つ同じ独りの女の子として。

 誰か(推し)にとって最悪(最高)の結果に辿り着くことを願って、ニノは起爆剤に手を出した。



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Memory interlude 四話

一方その頃。

 

「ほらどうした悠~。社長の酒が飲めないってのか~?」

「未成年に酒を勧めるな。そもそも酒を飲んでないし酔ってないだろ」

「ちっ、ノリの悪い奴め。上司との飲み会っつったらアルハラだろ」

「それやったら壱護さんが捕まるだろ。B小町とミヤコさんを路頭に迷わす気か」

「……そこでアイを出さない辺り、お前さんらしいな」

 

 当たり前だ、と悠はグラスを傾ける。中身はワイン――ではなく、能力で出した『水晶コーラ』というグルメ食材から作られた清涼飲料。

 夕方、外回りを終え事務所へ戻ってきた悠を壱護が飲みに誘った。当然ながら悠は未成年なのでそういった店に行くのは憚られるので、こうして斎藤家で飲んでいた。ちなみに悠が言った通り壱護も酔っているように見えるが実際はフリだけで飲んでるのは悠と同じ水晶コーラだったりする。

 

「にしてもコーラなんて滅多に飲まないが、最近の新商品は凄いな。炭酸の泡が煌びやかに輝いて、まるで水晶のようだ。味も上等なシャンパンみたいだしよ」

「気に入ってもらえて何よりだ。……つまみは?」

「おう、もらう」

 

 そういえば壱護さんにはグルメ食材出したことがなかったな、と思いながらキッチンで『マヨネーイカ』のあたりめを生み出し、疑問を持たれない程度まで切り分けテーブルに置いた。

 

「あたりめか。悠にしちゃ珍しいつまみを出すな」

「値段が張るからな。まだアイが好きなアイスやB小町メンバーが部屋に来て勝手に食う菓子の方が安く済む」

「休憩所代わりに使われてんな、お前の部屋」

「もう慣れた」

 

 苦笑と共に壱護はあたりめを一つ摘み口に放り込む。噛むたびにイカの味だけでなくたらこマヨネーズ味が染み出してきたことに驚く。

 

「……このあたりめたらこマヨの味がしたぞ!? なんだこりゃ!」

「美容系の食材を買ってる店が試作したあたりめだ。なんでも味に飽きがこないよう段階的に味が変わる乾物を作ろうとしたらしく、噛んでると様々な味のマヨネーズが楽しめるらしい」

「はー、面白いことを考えてる奴もいるもんだな。……おっ、今度はからしマヨか。ピリッとしたからしが良いアクセントになってやがる。まるでアレだな。何年か前に映画でお菓子の工場で作られたフルコースを味わえるガムに似てる」

「ああ、アレか。マヨネーズ系だけだから似てるとは言い難いが……まあ表現としてはあんな感じだな」

 

 悠の誤魔化すための嘘に驚きつつも楽しんで噛み続け、最後に水晶コーラで締める。気に入ったのか壱護は上機嫌で次のあたりめに手を伸ばす。

 

「それで?」

「ん?」

「急に呑みに誘った理由は? またミヤコさんのことでも聞きたいのか?」

「そ、それはまあ聞きたいが……俺が付いて行けてない現場とかどうだ?」

「モテる……とは違うが現場先の末端は見惚れたり、話しかけようとする奴はいたな」

 

 単純に下心だけの相手なら問題はなかった。

 問題は上の人間。プロデューサーやディレクターといった役職持ちだった。

 

「涼しい顔浮かべて腹ん中で企んでる相手なら楽なんだが、一番厄介なのが権力(ちから)に物言わせてストレートに言ってくる相手だ。以前雑誌のモデル仕事を斡旋してくれた鏑木プロデューサーは良かったな、美貌に目を奪われたのは一瞬。すぐに頭の中で繋がりを持つことで得られる利益を考え始めてたよ」

「ああ、あの拝金主義か」

「逆に数日前の仕事の若いADは駄目だ。親のコネで入ってたみたいだが、親の権力使ってミヤコさんを誘ってやがった」

「……そいつ、どうした」

「目で脅して引き剥がし、ミヤコさんに渡してたボイスレコーダー付きで相手側に苦情入れた。ディレクターはまともな人間だったおかげでそいつは下っ端まで降格。最後は全員の前で逆ギレして飛びかかってきたからノシて終了。流石に親も庇いきれなかったらしく今は自宅謹慎中らしい。ディレクターとの話し合いでB小町の枠を増やす代わりに内密で処理することになった」

「だから話していなかったんだな」

「ミヤコさんも忙しそうにしている壱護さんにどうでもいいストレスを溜めさせなくて黙ることにしたそうだ。……すまなかった」

「謝るこたぁねぇよ。社長としては報告してほしかったが、一人の男としては感謝してる。ありがとな、ミヤコを守ってくれて」

「あそこまで美人になった原因は自分にあるからな。……綺麗になってから焦ってるのはどうかと思うが」

 

 悠の言葉にうっ、と詰まらせる壱護。目を逸らしてチビチビとグラスを傾ける。

 

 壱護自身もわかってはいるのだ。恋だ愛だといって結婚したわけじゃない。出会いはたまたま。居場所を失いかけていたように見えたミヤコを拾い上げただけ。思いの外仕事の覚えが早く、助かっていた。なにより自分と同じように(・・・・・・・・)裏から見える輝きに魅了されていた。

 手放したくなかった。別に恋でも、ましてや愛でもない。

 仕事ができる優秀な部下として。同じモノに惹かれた同志として。

 結婚という形ではあるが、それでも彼女のことは仕事のパートナーとしてしか見ていなかった。

 

 見ていなかった――はずなのだ。

 ちょっと……いや、ちょっとどころではない。魔法を掛けられたシンデレラの如く綺麗になった途端このザマだ。

 綺麗にした原因である悠に突っかかったり、他の事務所にスカウトを受けて自分の元から離れるんじゃないかと疑心暗鬼に陥ったり、

 

「自分で自分が嫌になりそうだ……」

「そうか」

「……すまなかった悠。かなりの量、八つ当たり気味に仕事を回していたのに愚痴一つこぼさずこなしてくれて」

「あれぐらいの量は普通だろ。壱護さんがやってる量に比べれば」

「いや、ちょっとお前んとこに混ぜて減ってた」

「……だとしても、壱護さんは社長の癖にフットワーク軽すぎる。B小町しかいないとはいえ現場まで行く代表取締役なんてアンタ以外見たことねーよ」

 

 マネージャーと共に現場に行ったかと思えば営業を掛け、その足で契約を結んでくる。とても社長とは思えなかった。

 まあ、悠にしたら、それが壱護さんらしいと思えるのだが。

 だから文句を言う気も怒る気もない。単純に前世の方が過酷だったからでもあるが、それを口に出すことはない。

 

「それに良いんじゃないか? 仕事のパートナーから始まる愛ってのも」

「へっ、悠に愛を説かれるとはな……」

「いや、自分はわからない。小説や漫画にありそうな言葉を出しただけだ」

「おい」

「壱護さんも知ってるだろ。自分は愛がわからない」

 

 悠は自嘲気味に言い、音を立てずにグラスを置く。

 それに合わせて壱護も水晶コーラを飲み干しテーブルに置いた。あたりめは口に放り込んだが。

 

「確か、愛を知りたいからアイと家族になったんだったか」

「ああ。けど、あれからもうすぐ十年ぐらい経つってのに、愛というものがわからない……感じられないんだ」

「アイのことはどう思ってるんだ? 愛がわからなくても好きとか嫌いは判別できるだろ」

「それはもちろん好き……なんだろうな。少なくとも家族、もしくは大事な妹分だとは思ってる」

……あまり感情を表に出さないから判断が難しいな。なんかないのか? アイを見て胸がドキドキしたとか、ファンに応援されてるアイを見て胸が締め付けられるとか……」

 

 ――あークソッ、漫画みたいな例えしか言えねぇ! 良い歳した大人が心はガキってか!?

 自分で言ってて頭を抱えたくなってきた壱護は内心で叫ぶ。叫んで、後悔する。

 

(だいたい、俺が恋や愛を教えようとしてどうする……俺はこいつらから愛を奪ってる側だぞ)

 

 愛を知ってしまえばアイと悠は間違いなくデキる(・・・)。しかしアイはアイドルだ。グループとしても個人としても、地下アイドル出身とは思えない知名度と人気を誇る。今でさえそうなのだ、これから先間違いなく大手に匹敵、いやそれすらも飛び越えアイドルの頂点にも届きうると確信している。だから是が非でもスカウトしたのだ。悠というおまけで失う損失も回収できると思っていたから受け入れたのだ。実際はおまけなんて言えないほど、家事に事務仕事に優秀な超優良人材で損失どころか利益は上乗せだったのだが。

 

 そんなアイの恋愛報道なんてされてみろ、大炎上だ。いや、大炎上で済めば安い。最悪、事務所そのものが爆風で塵も残らず吹き飛ぶ。社長として恋愛なんて絶対に許してはいけない。

 許してはいけない――はずなのだ。

 

(……ハッ、ガキの恋愛の邪魔しかしてない奴が、よりにもよって邪魔してるガキに相談してるたぁ……最低なんてもんじゃないな)

 

 自分自身に反吐が出る。

 胸の内で吐き捨て自嘲の笑みを浮かべる。サングラスで隠した視線は悠から逸らして。

 

 一方、質問されていた悠は壱護の方を見ずに考え込んでいた。

 

「胸がドキドキ……締め付けられる……」

 

 例えの言葉を繰り返す。

 昔一度だけあった気がするのだ。だけど悠は思い出せなかった。

 いつ? どこで? どうして? 記憶に自問したが、自答は返すことができない。

 ああ、でも。

 

「ドキドキ……胸の高鳴り、か」

 

 わからない。わからない。

 

「締め付けられる……胸の痛み、か?」

 

 それらを感じられれば、それが愛なのだろうか。

 わからなかった。それでも知りたい。

 高鳴りでも痛みでも、どちらでもいい。

 

「ああ、感じてみたいな」

 

 壱護に言うわけでもなく、窓から見える夕日を眺めながらただ呟く。

過去に一度だけ感じたイタみを、思い出すことないまま。

 

 

 

 

  ★★★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★★

 

 

 

 

 それから、会話らしい会話のないまま悠は斎藤家から出て行った。

 壱護はそのまま何をすることなく悠が置いて行った水晶コーラを飲み干し座り込んでいた。

 

「ただいま戻りました……壱護?」

 

 夜になり帰宅してリビングに入ってきたミヤコは明かりが点いていないことに首を傾げながら壱護を呼ぶ。

 パチンと明かりを点けると、部屋には座ったまま呆けている壱護の姿があった。

 

「ちょっとどうしたの?」

「ミヤコ……」

 

 顔だけ向けた壱護は手招きする。

 訳が分からないままミヤコは手招きする壱護の隣に向かい合って座る。

 座ったのを見た壱護はゆっくりとミヤコの方へ体を倒し、ミヤコの胸に顔をうずめ抱き締めた。

 

「ちょっ、ちょっと!?」

「すまん……」

「壱護……?」

 

 普段からは信じられない程弱ってるような壱護に、最初は驚いたミヤコも冷静さを取り戻し、ゆっくりと壱護の背に腕を回し抱き締め返す。

 

「もう、どうしたんですか?」

「……すまん。今はこうさせてくれ」

「理由は言わないんですね」

「……すまん」

「まったく……」

 

 仕方のない人、と苦笑と共に背中に回していた手を壱護の頭に乗せて優しく撫でる。

 壱護は何も言わないが、それでもミヤコはただ受け入れ、壱護がそのまま寝入ってしまうまで優しく、まるで母親のように抱き締め撫でるのだった。

 その後、寝入ってしまった壱護が重くて動けなくなってしまい、聞こえないのを言いことに暴言を浴びせてそのまま床で寝てしまった。朝になって先に起きたミヤコが頬を赤く染めてビンタを見舞うのはご愛嬌と言うべきか。

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

「ただいま……?」

 

 部屋に帰宅すると、部屋に明りが灯っていなかった。疑問を覚えリビングに入ると、アイがベランダの引き戸を開け、面台(戸が滑るレールが設置された場所)に座り空を見上げていた。

 荷物を置きアイに近付く。いつもであれば気付けばすぐに突撃してくるのだが、今日は自分の存在に気付いていないのか夜空をジッと見つめていた。

 

「アイ?」

「……あ、ハルカ。おかえり~」

「ああ、ただいま。ずっと空を見ていたのか?」

「うん」

 

 ペシペシとアイは自分の隣を叩く。座れと言っているのだろう。

 ちょっと待ってろと返し、水晶コーラを生み出してコップに注ぎ、アイの元へ戻る。アイがズレて空いた面台に自分が座り、持ってきたコップを渡す。

 

「ありがと。これは?」

「水晶コーラというグルメ食材で作られたコーラだ。壱護さんにも好評だった」

「えー佐藤社長が先に飲んだのー?。コクコク……はわ~、コーラっていうよりクリスマスで飲んだシャンパンに似てるね。甘いけど後味がコーラより凄くスッキリして美味しい!」

「それはよかった」

 

 アイの感想を聞いて、自分も水晶コーラを飲む。

 

「知ってると思うけど、少し先だがアイとミネはワークショップに参加するために来週から少しずつ仕事が減ってくる。仕事がない日は基本的に普通に過ごすが、もしかしたら突発的に壱護さんが仕事を持ってくるかもしれない。そこだけは注意してくれ」

「はーい」

「ワークショップの間はナベとニノは個別に仕事が入っているから二人に用事がある時は自分か壱護さん、ミヤコさんに聞いてくれ。あとは……ワークショップを行う劇団の名前は憶えているか?」

「えーっと……ラララライ!」

「惜しい。ララライだ。それだと体操になる」

「そうそう。確か以前モデル仕事をくれた鏑木さんっていうプロデューサーの紹介だったっけ?」

「珍しいな。ああ、あの人の紹介だから問題はないだろう」

「そうなんだ! ……お弁当はどうするの?」

「一応昼食は持参すると伝えてあるからいつも通り自分が作る。ただ、夕飯はもしかしたらララライの人から誘われるかもしれないから、どちらで食べるかはナベと相談して決めてくれ」

「はーい」

 

 これからの予定を確認して、今度は今日あったことを夜空に浮かぶ星々を眺めながら話し合う。

 話している合間に横目でアイを見るが、特に変わった様子は見られない。何かあったかと思ったが、ただの杞憂だったらしい。

 

「――ハルカ」

 

 会話中ずっと空を見上げていたアイだったが、もう一度自分の名前を呼んだ時に視線をこちらへ向けた。夜空に輝いている星のような瞳を見つめ返す。

 

 胸の高鳴り……しない。

 

 胸に痛みも……感じない。

 

 ああ、何も感じない。

 

「私ね、欲しいものができたんだ」

 

 自分の胸の内を知らないアイはそのまま話す。

 だから自分も隠したまま、いつも通りの自分で応える。

 

「そうか。何が欲しいんだ?」

「今は内緒。16歳の誕生日になったら教えるけど、その時になったらハルカに手伝ってほしいんだ」

「誕生日か……協力するのはもちろん構わないが、なんだか凄いものを要求してきそうだな」

「うん。きっとハルカもビックリすると思う。……もしかしたら怒るかも?」

「……それはちょっと不安になりそうだ。今から気合入れておかないと」

 

 なんだ? 相当の事じゃないと驚きも怒りもしないと思うが……。直観も反応しないのなら危険なことではないだろう。

 首を傾げる自分を見て笑うアイはまた夜空を見上げる。

 

「えへへ……楽しみだなぁ。誕生日が待ち遠しくてたまらない」

「…………」

「雑誌か何かでイベントは準備している時が一番楽しいって言ってたけど、ホントだね! すっごくワクワクしてる!」

「……そうか」

 

 楽しそうに笑うアイを見て、自分も薄く笑みを浮かべる。面台から立ち上がり、

 

「さ、そろそろ部屋に戻ろう。夕食のリクエストはあるか?」

「なんでも!」

「なら今日は……グルメ食材で作ろうか」

「ホント!? わーい!」

 

 アイと共に部屋に戻る。

 何を手伝わさせられるのだろうか。安請け合いしすぎたか、と思ったが、上機嫌のアイを見つめ、まあいいかと思考を放り投げた。悩むのは欲しいものを聞いてからでも遅くはないだろうし、今はそれよりも。

 

「それじゃあ今晩は――」

 

 目を輝かせて期待されている夕飯の準備の方が大切だ。




 次章前半の構成が纏まらないので、次の投稿は日が空くと思います。後半はプロットだけは出来てるんだけどなー。
 ストックが貯まり次第投稿します。


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記録③ 愛を願う孤たちと縋り付く嘗ての残照
一話


 ある程度のストック(全部書きかけ)ができたので投稿再開します。
 投稿頻度は以前と変わらないと思いますが。

 ついでにお気に入り登録数1200人突破、本当にありがとうございます。


 章タイトルが気に入らないので、思いつき次第変更すると思います。


 10/28 章タイトルを変更


 アイとミネが何度目かのワークショップに参加しているある日。

 

「アイとミネの迎え、ですか?」

『ええ。ナベさんの現場が終わってから私が迎えに行く予定だったのだけど、こちらが長引いてしまって間に合いそうにないんです。壱護もニノさんの付き添いで今日はいないし、他に動ける人間が悠さんしかいないの』

 

 学校から帰宅後、仕事着に着替え事務所で書類仕事をしていた自分に掛かってきたミヤコさんからの電話。通話の奥からガヤガヤと言い争う声が聞こえてくるが、確かニノはしばらく声優関連の仕事だったか。B小町としてでなくナベ個人の出演なので盛り上がりはグループよりは小さいがPVに挙げられたセリフは悪くない評判だった。アイと見てみるかと話していたら「絶対見んな。B小町は視聴禁止だ」なんて禁止令を出されたが、自分とアイを除いた二人もこっそり見る予定らしい。

 

「迎えは構いませんが足はどうするんですか? 社用車は出払ってますし、そもそも自分はまだ無免許だ」

『一応、こちらが終わり次第ララライに向かいますが、そちらの状況次第でこちらに一度連絡をください。間に合わないならタクシーを呼んで事務所に戻ってください。……免許、まだ取れないのよね』

「年明けからいくらでも休める、そこまで待ってくれ。──わかりました、今から向かいます。そちらも何かあれば連絡ください」

『お願いね』

 

 通話を切り、今やっている書類をキリのいいところまで書き上げ終わらせる。身支度を済ませ自分と同じように事務所内で作業しているスタッフに迎えの件を話してから外に出た。帰宅する人が増える中、隙間を縫うように移動していき交通機関に乗る。

 

 流れる景色を見ながらB小町の現況を思い返してみた。

 大型ライブが成功してから、B小町は苺プロと共に大きく飛躍し始めている。苺プロは未だ所属グループが一つ、アイドルが四人だけだが評価を受けてそこそこ有名になった。社長たる壱護さんが直接スカウトしていたが、今は募集はないのか、またはB小町のメンバー加入したい等々、電話が掛かってくることがある。かつての壱護さんなら面接はあるものの即刻加入させていたかもしれないが、

 

『しばらくは新規グループ立ち上げも追加メンバーもなしだ。B小町がドーム公演に登り詰めるまで苺プロ全員で支えるぞ!』

 

 そうスタッフの前で宣言していた。

 とはいえ何もかもB小町一辺倒というわけでなく、新規の企画を持っていけば検討や時期を見てスタッフに任せようとしているのは何度か見たことがあった。特にミヤコさんが何度か企画を持って壱護さんと話し合いをしていたのは記憶に新しい。

 

 そんな苺プロ全員に支えられておるB小町は現在、グループの仕事を減らし個々の仕事や活動を中心にしていた。

 

 アイとミネは鏑木プロデューサーに誘われ、あれよあれよという間に決まった劇団ララライ主催のワークショップに参加。事前情報や初日の帰りに二人から聞いたが主に演劇がメインだったらしい。あと、本来はアイ一人だけ誘われたみたいだが、壱護さんがバーターでミネも捻じ込んだと聞いた。それを聞いたミネは「バーターねぇ……上等よっ!!」と気炎を揚げていたが。

 

 ナベは先にも挙げた通り新規放送されるアニメの声優。役としては途中退場することが決まっているヒロインの一人。だがニノは「色々試したいこともあるし、アイほどじゃないにしろ現場の空気搔っ攫ってくる」と意気込んでいた。

 

 ニノは深夜ラジオ番組の収録。確かアイドルグループから一人ずつ呼んでとにかく色々なことを話す炎上しそうなラジオだったはず。一歩間違えばラジオ番組ではなくグループが炎上しそうな仕事だがニノはむしろ楽しそうに「アイちゃんで盛り上がって……いえ、炎上させてきますね!」と言って「アイじゃなくてお前が炎上しろ!」と全員に返されたのは不覚にも笑ってしまった。

 

 ……。

 何があったかは知らないが三人ともやる気十分な様子である。

 アイもアイで、ワークショップに参加する前はワークショップに参加する意味があるのか、などと疑問を漏らしていたが、初日が終わり帰宅してからは「すごい参考になった」とこちらも次回以降の参加に意欲的だった。

 あくまで個人的な意見だが、アイの嘘で出来た仮面と演劇の役というのはとても似ていると思う。だからアイも役作り等の経験が嘘に魅せ方に活かせると思ったのだろう。

 

 そこまで考えていると最寄りに到着した。

 思考を切り上げワークショップの会場に向かうのだった。

 

 

 

 

  ★★☆☆

 

 

 

 

 会場に到着したが携帯に連絡はなくロビーで待っている姿もなかった。受付に聞けば、ワークショップも長引いているらしくまだ終わってないようだった。

 自分が来ていることを後からでも気付けるようメールを送っておき、ミヤコさんに電話を掛ける。どうやらあちらは終わったようなので、こちらの状況を話しタクシーではなくミヤコさんを待つことになった。

 ロビーに備え付けの椅子に座り雑誌を読んでいると、ふと視線を感じた。

 

「……」

 

 雑誌から目を上げると、向かいの椅子に座り自分を眺めている少年がいた。見た目的にアイと同じくらい……やや下ぐらいの歳か。その整った顔と金髪は見覚えがあった。

 

「確か……ララライ所属の」

「お久しぶりです、と言うべきでしょうか」

 

 それとも初めまして? と聞かれるが、多分後者だろうと自分は思った。自分と彼は顔合わせの際にその場にいた程度の関係で話したこともなければ自己紹介をしたこともなかった。

 

「初めまして、で大丈夫でしょう。苺プロ所属、マネージャー見習いの名桐(なぎり)です」

「僕の方が歳下ですし普段通りで大丈夫ですよ。劇団ララライ所属のカミキヒカルです」

 

 ほぼ初対面とも呼べる相手。

 なのにどうしてでだろうか。前にも会ったことがあるような、誰かと似ているような。そんな気がした。

 

「今日の迎えはあの綺麗なマネージャーさんじゃないんですね」

「ああ、他の現場が長引いたみたいだ。とはいえ、こちらも長引いているから迎えには来る予定だが」

「そうなんですね」

 

 にこやかに話を続けるカミキ君。

 

「ところで君はどうしてここに? もうワークショップは終わったのか?」

「ええ。後は片付けがほとんどなので早めに抜けてきちゃいました」

「それはいけないな」

「はい。でも、そのおかげで誰の邪魔も入らずあなたに会えましたから。以前から話してみたいと思っていたんです。アイさんがよく話題に出すあなたと」

「話題に出されているのか……」

 

 ミネが付いているから大丈夫だとは思うが、炎上に繋がるネタをポロリと口にしていないだろうか心配である。それに気付ける人間は少ないだろうが、目の前の少年は──自分やアイと同じくズレている(・・・・・)側だ。ナニがと聞かれれば知らんと返すぐらいに漠然とした判断だが。

 

「ええ。グループ全員を助けてもらっているとか、マネージャー候補に加えB小町専属料理人で料理が美味しいとか。高峰さん共々信頼できる相手と聞いてます」

「……そうか」

 

 それからしばらくの間、主にカミキ君が話題を出し自分が答えるといった会話を続ける。体感で三十分ほど繰り返していると、扉越しに人の気配が増えた。

 

「どうやら片付けも終わったみたいですね」

 

 徐々に聞こえてくる足音にカミキ君も気付いた様子で会話を切って扉に視線を向ける。ちょうど扉が開かれ劇団員と一緒にアイとミネが出てくる。

 

「そうだな。時間を潰すにはちょうど良い会話だった。ありがとうカミキ君」

「こちらこそ。中々有意義な時間でした」

 

 世辞気味に言って立ち上がる自分に、

 

「ああそうだ、最後に一つ聞いてもいいですか?」

 

 座ったままカミキ君は自分を見上げて質問をした。こちらを見上げる瞳を見て、自分はさっき感じた誰かに思い至った。

 まるで闇に塗り潰されたような星の輝きでこちらを見上げる瞳は──アイに酷く似ていた。

 

「構わない。何か?」

「あなたにとって──命の価値とはなんですか?」

「……」

 

 命の価値、か──

 

「それは自分のか? それとも誰か他人のか?」

ああ、あなたはそれを聞いてくれるんですね……今回は(・・・)自分の命の価値で」

ないよ(・・・)

 

 カミキ君の選択に自分は即答した。

 ……というか今回はって、次の機会を作らないでほしい。こんなくだらない質問なんかに(・・・・・・・・・・・)いちいち答えたくないんだが。

 

「自分の命に価値なんてない。他人からの価値が付与されて初めて自分の命に価値が付くと思う。それまでは自分で自分の命に一ミリも価値なんて付けられない」

 

 価値なんてものは他人から評価されて初めて付くものだ。一番わかりやすい例を挙げるなら歴史に名を遺した偉人だろう。彼ら彼女は事の良し悪し関係なく何かを成し遂げた、或いはきっかけを生み出したことを評価され認められたからこそ、その人生に、命に価値が付けられたのだ。誰にでもできることしかやってきていない自分に価値なんて付けられない。

 そもそも、俺みたいな(・・・・・)命に価値なんてあるわけないだろ。

 

「では今のあなたの命の価値は?」

「さてな。誰にもそんな事聞いたことがないからわからないが……まあ、ゼロに近いだろう」

 

 ゼロだ、とは流石に言えなかった。

 それはきっと自分ではなく、アイや壱護さんに対しての侮辱になると思った。

 

「……なるほど」

「答えになったかはわからないが、自分はこれで」

「はい。急な質問に答えてくれて、ありがとうございました」

 

 感謝を述べるカミキ君に目礼して、アイとミネの元へ近づいていく。二人も気付いて手を振ってくる。

 最後の質問は忘れ、自分はマネージャーとしての表情を浮かべた。

 

 

 だから、気付かなかった。聞こえなかった。

 座ったままこちらを見ていたカミキ君の小さな呟きを。

 爛々と瞳を輝かせ、手で隠した口元を三日月に歪め。

 自分にとって的外れな考えを。歪曲させた自分の意見の解釈を。

 その結果どうなったのか知ることになるのはずっと、ずっと先の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、あなたもそうなんですね。あなたも自分の命に価値はないと言うんですね」

「ああ、よかった。僕は間違っていなかった」

「僕の命に価値はないけど、他人の命を付与されることで――ボクの命に価値が生まれるんですね」

「ああ、それはなんて重たそうで――幸福なことなんだろうか」

「ありがとう名桐さん……いえ、ハルカさん。あなたのおかげで迷いは晴れました」

「だから――いつかあなたとこの悦びを分かち合いたい」

「待っててください。いつか必ず」

 

 

「アイさんという価値ある命の重みを――感じさせてあげますから



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二話

「──あっ、こっちこっち!」

 

 待ち合わせのカフェで待っていた私──星野アイ──は待ち合わせ相手がお店に入ってくるのを見て手を振って呼びかける。彼女は店員さんに何かを話して、私の座ってるボックス席に近づくと、

 

「周りに他のお客がいなくても、ブンブン手を振ってはいけませんよアイちゃん」

「ぶしゅっ」

 

 私のほっぺを両方から突いてタコチューにしてくる。前からそうだけど、ハルカやミネちゃん、ナベちゃんが私に注意する時はいつもほっぺを(つつ)いてくる。叩かれるよりは全然マシだけど、なんで皆突いてくるんだろう? 今度聞いてみようかな。

 突かれて潰れている私の顔を見て、彼女──ニノちゃんはふふっと笑って向かい側に座った。

 

「こうして直接顔を合わせるのは久しぶりですね。相変わらず人を魅了させる可愛い顔で興奮します(ムカつきます)

「前から思ってたんだけど、ニノちゃんのそれってどう言ってるの? ムカつくって言ってるのに、興奮するって聞こえもするんだけど……」

「本音と建前を口と頭で同時に話してたらいつからか自然と。何年も大人のそういった会話を聞き続ければアイちゃんも言えるようになりますよ?」

 

 やってみます? とニノちゃん。

 やだ♪ と私は一瞬感じた寒気を嘘で隠して即答した。だって誘ってきたニノちゃんの瞳が、前世を思い出して目が死んだ魚みたいになったハルカみたいになっていたから。

 

「賢明です。推しの百面相はとても見たいですが、流石のわたくしも老獪共の坩堝にアイちゃんを連れて行く気はありません」

「ろうかい? るつぼ?」

「……小さな会場でたくさんのファンに囲まれてるとイメージしてください。ファンがずる賢い大人という老獪で会場が坩堝。ファンはどうにか私たちと関係を持とうとあの手この手と近づいてきます。ちなみにファンにアイちゃんの嘘はまったく通用してないと思ってください」

「……それは、怖いね」

「ええ。ですのでアイちゃんはまだそんな場所に行かないでくださいね」

「はーい」

「良いお返事です。そんなお返事がわたくしに向けられてるなんて……ああ、興奮で鼻血が出そうです♪」

「うん、私から誘ったけど帰りたくなったな~」

 

 少しは慣れたけど、相変わらずニノちゃんの私に対する推しはけっこー重い。ちょっと前までニノちゃんが出演していたラジオ番組で私に対する思いとかを一緒に出演していた他のグループの子と色々話していたけど、一人だけいたニノちゃんに負けず劣らずの激重ファンの子を除いて全員ドン引きしてた。なんなら試しにエゴサしたら視聴者もほとんどドン引きしてたし。

 ただ一部のニノちゃんの固定ファンは、

『アイを語らないニノはニノじゃない』

『気持ち悪いぐらいアイを語るニノちゃんこそ俺たちのニノちゃんだ』

『俺たちだとアイに言えないこともニノが代弁してくれる』

『ニノを通して出る発言が俺たちの想いだ。アイちゃんサイコー!』

 ニノちゃんのクソ重感情が出るたびに私のファンと共に評価していく。

 ……なんだろう。嬉しいんだけど、嬉しくない。

 

「アイちゃんもどうでした? ワークショップの方は」

「あ、うん。参加する意味ないかな~、なんて思ってたけどね──」

 

 ちょっとまで参加していたワークショップで体験したことを途中で頼んでいたキャラメリゼ? した四段プリンとニノちゃんが頼んでいたエスプレッソクリームが乗った抹茶ガトーショコラ。それと二人分の紅茶が届いてから、お昼前からおやつを楽しみながらニノちゃんに聞いてもらった。

 演劇のこと、私以上に技術を覚えようとするミネちゃんのこと、ワークショップで出会った私みたいだけど私とは方向がズレている変わった子のこと。

 ニノちゃんは相槌を打ったり時々質問したりしながらずっと聞いてくれた。

 

 それはそれとして、今食べているプリン。表面がパリパリして固まってるみたいなのに口に入れると普通のプリンみたいにプルプルしてて面白美味しい。カラメルも別の容器に入ってるから、好きな量を掛けて食べられるのも色んな食べ方が出来て楽しい。

 ハルカに話したら作ってくれるかな? 何年か前にテレビで見たバケツプリンを作ってもらったけど、あれは量が多すぎて失敗だったな~。「まあ、山よりマシか」って言って食べきっていたけど、山ってなんだったんだろう。でも、これならハルカと一緒に作れるかも。

 ニノちゃんが食べている抹茶ガトーショコラも美味しそうだったけど、一口貰うことはしなかった。前にそれをやったらニノちゃん鼻と口から血を流してぶっ倒れたから。ニノちゃんは「愛が溢れただけですので。むしろ絶好調です♪」なんて言ってたけど。

 

 なんて、デザートを食べ終わるぐらいに話し終わり、私は紅茶を飲んでから本題を口にした。

 

「それでニノちゃん。お願いしていた物は?」

「一応持ってきましたよ」

 

 ポシェットから私が用意して欲しいと頼んでいた物を取り出す。

 差し出されたそれを受け取ろうと手を伸ばしたけど、掴む前にニノちゃんが私から遠ざけた。

 

「用意はしましたが……渡すとは言っていません」

「……どうして?」

 

 首を傾げる。

 

「だってニノちゃんが教えてくれたんだよ? ──私だけの家族を作ればいいって

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

 それはハルカの部屋で、集まってダラダラ過ごしていた何時かの会話。

 ミネちゃんとナベちゃんが帰ったあと、大事な話があると言って残ったニノちゃんとした会話がきっかけ。

 

『回りくどい話はアイちゃんは好きではないでしょうし単刀直入に言います』

 

『今の状態でアイちゃんが愛を手にするのは無理或いは時間が掛かり過ぎます』

 

『何故? アイちゃんもお兄さんも無意識ですが現状に満足しています』

 

『そんなことはない? ええ、その通りです。アイちゃんならわたくしが指摘しなくとも早晩(そうばん)気付くでしょう』

 

『……早晩(そのうちに)気付くでしょう。そして、お兄さんがこの関係を壊さないようにしていることも』

 

『アイちゃんのことです、気付いたら別の方法を探すはずです。お兄さんに相談するかしないかは関係なく』

 

『それは構いません。でも、もし思いついた方法がお兄さんを傷付ける(・・・・)ものであれば、それは何としてでも止めなくてはなりません』

 

『ありえない? 否、否です。ありえないことがありえない。先程のお兄さんとの会話を聞いては猶更』

 

『わたくしが今伝えたからこそありえないと断言できるようになりました。しかし、もしそれをアイちゃんだけで考え、実行してしまっていたら……』

 

『間違いなくお兄さんは──壊れます。愛を求めている心が壊れてしまう』

 

『それは、駄目です。だからわたくしは今、ここで指摘させてもらいました』

 

『今のままでは、アイちゃんは愛は手に入りません。お兄さんは愛を知ることはできません』

 

『……』

 

『……っ、……』

 

『……ええ。ごめんなさいアイちゃん。泣かせる気は……いえ、予想はしていました。でも泣かせちゃって、ごめんなさい』

 

『だからアイちゃん。散々言ってきたけど、これからわたくしは、お兄さんよりも更に運任せで最低な愛の見つけ方を提案します』

 

『もしバレたらB小町は解散するかもしれない。苺プロも潰れるかもしれない。ミネちゃんとナベちゃんから一生軽蔑されるかもしれない』

 

『そんな提案を……聞いてくれますか?』

 

『……』

 

『……アイちゃん。家族を──作りませんか?』

 

『お兄さんとの偽りから始める本物の家族と共に──星野アイから生まれる、星野アイだけの本物の家族を』

 

『あなたの(ここ)に宿して──愛してみませんか?』

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

「私は誰かを愛したい。誰かに愛されたい。愛する相手が欲しい。愛してくれる相手が欲しい。心の底から愛してるって言ってみたい。ニノちゃんの提案を聞いて……想像しちゃった。私の、私だけの家族が出来たら、愛してるって言えるかもって思っちゃった。だから、ニノちゃんの提案に乗ったんだよ」

「ええ、そうですね」

「ハルカも協力してくれるって言ってくれた。だからバカな頭で精一杯考えて、一番良い方法を考えて。ニノちゃんにそれを──睡眠薬(・・・)を用意してほしいってお願いしたんだよ」

「ええ。ちゃんと一人で準備せずにわたくしに相談してくれてよかったです。だから用意()しました」

「だったら……どうして?」

「どうしても何も──バカなあなたを叱るために決まっているでしょう!」

 

 興奮して叫ぶことはあった。注意されることもあった。思いの告白は別として。

 だけど、ニノちゃんが本気で怒鳴ることなんて、多分メンバーとして顔を合わせてからの関係で初めてだった。もちろんお店に響かないように小声で怒鳴っていたけど。

 

「睡眠薬でお兄さんを眠らせてる間に作っても、きっとお兄さんは仕方ないといった様子で受け入れるでしょう。ですが! それはお兄さんだけであって子どもは別です! 子どもが生まれ育ち、自分の出生を知った時どう思うか、そこは考えましたか?」

「え? ……えっと」

「スゥ──()は望まれて生まれたのかな

「……ぁ」

お父さんは誰なんだろう。どこにいるんだろう

「……あ、ぁあ……それ、は……」

 

 声を幼くして演技をするニノちゃんの言葉が私の記憶に突き刺さる。ニノちゃんの視線の、瞳の奥に見えた幻に、私はそこでようやく自分の過ちに気付いた。

 そうだ。それは、私だ。お父さんが誰かわからず、望まれたかどうかもわからない生まれの私だ。

 

「い、嫌だ……私と同じ思いを、味わってほしくない……」

「だったらこんな物を使っていいんですか?」

「だ、ダメ……睡眠薬は使わない。使っちゃ、ダメ……!」

 

 震える体を抱き締め、力なく首を振る。

 そんな私を見て、ニノちゃんは怒った表情を消し、一息ついて、いつもの表情に戻っていた。

 

「……ごめんなさいアイちゃん。また、怖がらせてしまいました」

「……うぅん。やっぱり私バカだよね。ごめんなさいニノちゃん。ちゃんと叱ってくれて、ありがとう」

「お願いされましたから」

「お願い?」

「間違ってたら叱ってほしい。普通の女の子みたいなことをしたいって」

「あ……うん」

「まあ? こんな計画が普通の女の子としては間違っているんですけどね」

「……そうだね。えへへ」

 

 わざとらしいニノちゃんの言葉に思わず笑ってしまった。

 カップに残った紅茶を飲み干して落ち着く。

 

「さて。そろそろ場所を変えて、改めて計画を煮詰めましょう」

「うん!」

 

 変装用の帽子や眼鏡を掛け直して、ニノちゃんと二人で外に出る。

 そうだ、とニノちゃんの前で振り返り、

 

「ありがとっ、ニノちゃん! 大好きっ!

 

 嘘で出来た、それでも私の精一杯の気持ちを込めた笑顔で言う。

 きょとんとした表情を浮かべたニノちゃんは、少しして力の抜けたような笑い顔を浮かべると、

 

「推しの120パースマイル。それも普段のアイちゃんなら絶対言わないであろう好き……好きッ。ああ……それだけで心が満ちていく……なんて甘美な言葉なんでしょう。ああそうか──ここが桃源郷だったんですね」

 

 けひゅっ! って変な声をあげて地面に崩れ落ちた。

 

 …………1カメ。

 ……2カメ。

 や、ネタに走ってる場合じゃなかった……やっべ、どーしよ☆

 

 

 その後、どうにかこうにかニノちゃんをはたき起こして、予定通り(?)に街に繰り出すのだった。

 でも、ニノちゃんの対抗策覚えたゾ~♪



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三話

 最後のワークショップからおよそ二ヶ月と少し。

 アイとミネにとってワークショップで得た経験は得難いものだったようで、ステージで魅せる動きに組み込まれファンからの評価は上々になっている。参加しなかったナベとニノも宣言通りそれぞれの分野で爪痕を残したようでアイとミネに劣らない評価を受けていた。

 

 その勢いのままB小町は前回のコンサートホールよりも規模が大きい地方ドームでのライブに挑み、大盛況で幕を閉じることができ、人気や知名度は右肩上がりで伸びている。

 取材やモデルの撮影なども増えてきており、それらを壱護さんはアイたちに負担が掛かり過ぎないよう絶妙な匙加減で捌いていた。本来、仕事を貰ってくるのはマネージャーのミヤコさんや営業担当のはずなのだが、ここ最近の仕事は八・九割を壱護さんが持ってきている。精力的すぎる。というか働き過ぎだ。

 現にミヤコさんが一度ぶちギレて、

 

『いい加減にしなさい! 詰め込み過ぎよ壱護! 他の人を休ませておいてあなた前回の休みはいつ取ったの!?』

『休み? あー……』

『……』

『まあ、そんな些細なことは後回しだ。見ろ、ミヤコ。今度の仕事は──』

『全員ッ、この■■■■(ピー)を方法問わずに捕まえなさいッ!!』

『『いっ、イエスマムッ!!』』

『うわっ、なんだぁお前ら、はぁらせコラ!』

『おろなぁん、押っさえろぉ!』

『シメサバア!』

 

 その場にいた全員に命令して壱護さんを拘束し始めた。

 ちなみに心底どうでもいい話だが、この時スタッフが言ったよくわからない一言が妙に頭に残ってしまい、その日の夕飯の一品に〆サバを追加してしまった。メインはカレーだったのに。

 

『抵抗しても無駄だ社長!』

『はやらせこら! はーらせコラ! 仕事が俺をまんだぁコラ!』

『ここまま抵抗するとはね……仕方ないわ』

 

 パチンと指を鳴らすミヤコさん。

 それに合わせて拘束を振りほどこうとする壱護さんの前に立ったのはナベだった。片手を出して指をゴキゴキ鳴らして、背中に隠した反対の手には殴り書きされた切れ端を持っていた。あれはなんだったんだろうか。台本?

 

『なんだお前!?』

『しめるん! わっとしろ!』

『スタッフに勝てるわけないだろ!』

『ばかやろ俺は勝つぞ! どけオラ……どオラ!』

『繰り出すぞ! 寝ろ焼きそばパン!』

『やはりヤバギャースッ!!』

 

 喋っている間に壱護さんの顔面を掴み、ギリギリギリィとナベのアイアンクローで締め上げる。

 悲鳴を上げた壱護さんはバタバタと抵抗していたがしばらくして脱力するように意識を失い、事務所での一件は終わった。

 後に残ったのは何人かで気絶した壱護さんを運ぶスタッフと称賛されドヤ顔でガッツポーズをするナベ。そして後方でやれやれと溜息を吐いているミヤコさんだけ。

 ついでに壱護さんは帰宅後、ベッドに縛り付けられ翌々日まで休息を取らされたのだった。なお、その時の看病は自分と満更でもない様子のミヤコさんがしていた。

 閑話休題……

 

『何……この、ナニ?』

『さあ……』『知らなーい』

『……名桐、元ネタ』

『知るわけないだろ……あるのか?』

『それこそあたしが知るわけないでしょ……』

 

 なお、置いてけぼりのマネージャーとアイドルが三人。ノリがわからず事務所の隅で関わらないようにしていた。

 閑話休題ッ。

 

 

 こんな感じでドタバタと忙しい(?)日々を送り、今日も一日が終わり自分とアイは部屋に帰宅する。

 そういえばもう気にしなくなってしまったが、アイはほぼ毎日自分の家に帰宅している。食事は二人の時は自分の部屋、四人なら斎藤宅と以前から変わらないが、私物はだいたい斎藤宅から持ってきているし寝るのも入浴するのも最近はほぼ自分の部屋だ。昔はどうにか別々に寝るための相談をミヤコさんに相談していたし壱護さんも時々注意はしていたのだが、いつの間にか自分も壱護さんも今の状況を受け入れてしまっていた。

 まあ、特に何があるわけでもないので今更どうということでもないのだが。

 

「ただいま。おかえりアイ」

「おかえり。ただいまハルカ」

 

 同時に帰宅したので互いに挨拶を返す。

 今日は壱護さんとミヤコさんは遅くなると連絡されていたので、アイと二人で食事を済ませ、もろもろの準備を済ませて寝るだけとなる。

 アイはカーペットの上でゴロゴロと転がって落ち着きがない。そんなアイを視界の端に捉えながら自分は明日のために、未だ未完成のセンチュリースープ(仮)やごちそうの準備を進める。

 ちらりと壁に掛けたカレンダーを見る。明日の日付に赤ペンで大きく花丸が描かれていた。

 

 明日はそう──アイの16歳の誕生日。

 そして、以前お願いされた『欲しいもの』の入手を協力する日だ。

 いったい何が欲しいのだろうか。あれから一度も話題にも出さず、いつの間にかB小町に根回しを済ませており、明日は自分とアイは完全オフの日になっている。唯一、協力しているらしいニノも、

 

「お兄さんにしかできないことですよ」

 

 それ以外口に出さず黙秘を貫いている。

 大変なことだったり危険なもの……ではないはずだ。自分の直観が危険を知らせていないので、それは間違いない。

 

 ちなみに、自分の直観は『トリコ』に出てくる直観とは少しだけ違う。

 原作の直観は相手と対峙した際に瞬間的に最善手が頭に浮かぶこと。天性のものではなく、膨大な訓練と経験により産み出されたものだ。

 自分の直観は自分の命に迫る危険……特に他者からの害悪を勘という形で感じ取ることができる。危険と対峙した場合は瞬間的に回避行動を取れるのは似ていると言っていいかもしれない。

 

 そもそもの話、この直観は前世で習得したもので転生特典ではない。

 記憶の始まりから、多分(・・)死ぬまでずっとロクなことがなかったのだ。きっと■■■■の前世の肉体や脳が■■■■を生かすために自己進化でもしてくれたのだろう。人間の脳には解明しきれない部分が無数に存在している。視覚を失った人間の聴覚が鋭くなるように、虐待された経験を元に危険予知を、というのも決して不可能ではない……かもしれない。転生した身からすればありえないと一蹴できないのがまた恐ろしい。

 

 

 そういえば、とかき回すスープの透明な波を眺めながらふと気になった。

 前世の自分は──いったい、いつ、どこで、どんな死に方をしたんだろうか。

 記憶は残っているが、ところどころ穴あきの状態なのだ。

 特に前世の名前。末期の数年間。死亡した経緯。そこらへんはページを破り捨てた本のように記憶から抜け落ちていた。

 まあ、覚えていないのならそれでいい。

 それよりも、

 

「なあ、アイ」

「ん~?」

「そろそろ教えてくれないか? 前に言っていた欲しいもののこと」

 

 今の自分にとっては、そちらの方が大事だ。

 転がるのをやめたアイは立ち上がり、隣に並ぶ。

 

「まだ誕生日じゃないよ~?」

「誤差ってことにしてくれないか? それに早めに知れば明日施設に行った帰りにでも探せるし」

「どうしよっかな~。ちょっとまだ早い気もするけど……」

「……?」

 

 自分が首を傾げている間に、アイが一人でうんうん唸りながら迷っている。

 鍋に蓋をして火を止めた頃に考えが纏まったのか、アイはうんと頷いた。

 

「わかった。教えてあげる、私の──欲しいもの」

「ああ」

「でも、その前に……明日で私は16歳になるよね?」

「そうだな」

「女の子の16歳ってさ、法律で結婚していいって決められている年齢だよね。男の子の18歳と同じで」

「……あ、ああ」

 

 思いがけない話題に自分は戸惑いながらも肯定の返事を返す。

 

 不意に。

 聞こえるはずのないナニかが聞こえた気がした。

 

「それってさ。16歳になったらそういうこと(・・・・・・)をしてもいいって、法律が許してるってことだよね?」

「なにを……言って……?」

 

 かいてもいない汗が背中を伝う。

 ナニかが、いや違うわかっているはずだ。直観が自分の中で鳴り響く。

 

「法律も問題なし。年齢もちゃんと届いた。ハルカも協力してくれるって言った」

「……っ」

 

 なんで、どうして。

 どうしてアイの言葉に対して直観が反応するんだ。

 さっきの説明がフラグだったとか、笑えもしない前フリだ。

 もっとも、笑うことすらできないでいたが。

 

「だったら、いいよね?」

「……待っ、アイ……!」

「私の欲しいものはね、ハルカ」

 

 わからない。分からない。判らない。ワカラナイ!

 ここまで言われたら何を言われるかなんて想像ぐらいできる。でも、自分の体は、口は、何もすることができなかった。

 どうして俺の(・・)直観は痛いぐらいに止めようとするんだ!

 頼むアイ、待ってくれ。一呼吸だけでいい、落ち着く時間が欲しい。

 

 だけど、俺はアイを止めることができず、

 アイは俺の手をそっと自分の腹部に押し当て、

 

「私は家族が、愛の証が欲しいの。だから──私と子どもを作ってほしいんだ」

「────あ」

 

 

 バキリ

 

 

 その言葉を聞いた時、聞いてしまった時。

 俺は……俺のナニかが砕けた音も聞こえ、崩れ落ちるのだけは理解した。



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四話

「────あ」

 

 バキリ、と。

 雁字搦めの鎖が。或いは何十個もの南京錠が。或いは──

 なんて、例えなんていくらでも出てくるが、要は封をしていたナニかが壊れた音がした。

 壊れるキーワードは、

 

 ──子ども? もしくは子づくり。それとも……

 

 立っていられず床に崩れ落ちながら、遅々として迫る床を前に俺は呑気に考えていた。

 間違いなく穴だらけになっている記憶が原因だろうが、子どもか子づくりとなると……俺の前世は既婚者、子持ちだったのかね。あまり信じられることじゃないな。

 だって奴隷の如く扱われた人間だぞ? 褒められたことなんて一度もなく、叱られ、怒鳴られ、殴られ、蹴られ、押し付けられ。そんな人間が子どもを作ったとして、果たして上手く育てられたのだろうか。自分の身に受けたような育て方はしなかっただろうか。

 

 まあ、多分この後嫌でも思い出すんだろう。ハイハイ、さっさとしてくれ。なんとか受け流すからさ。

 ああ、そうだ。アイには謝らないと。せっかく欲しいものを言ってくれたのに倒れるなんて、絶対傷ついている。

 あれ、でも。

 

 なんて、謝ればいいんだろう。そもそも謝るのがただ──

 

 そこで時間がきた。膝をついた。

 瞬間、記憶の濁流が俺の意識を吞み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           ああ、そういうこと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──え?」

 

 アイの欲しいものを聞いた悠は膝が崩れるように折れ、自分の身体を支えきれずに床に崩れ落ちてしまう。

 

「は、ハルカ……?」

「……うっ、ぐぅ、ぁ……っ」

 

 返答はない。痛みをこらえるような呻き声が聞こえてくるだけ。

 なんで。どうして。グルグルとアイの思考を埋め尽くし、

 

「……ぁ」

 

 掴んでいた悠の手が震えていることに気付いて、我に返った。

 

「ハルカ! 大丈夫!? ハル……ッ!?」

 

 膝をついて悠の顔を覗き込む。彼の顔は青を通り越し蒼白になっていた。

 

「ど、どうしよう……どうすれば……な、なんで……どう……!?」

 

 アイは必死に今この状況を理解しようと思考を巡らせる。しかし、悠の十年近く共にいて初めて見る弱った姿に考えがまとまらない。

 

「だ、誰かに……」

 

 ようやく誰かに助けを求めようとケータイを取りに行くため立ち上がる。一歩目を踏み出した時、自分の手と服を引っ張る感覚にアイは振り返る。見ればお腹に触れさせていた悠の手が服を掴んでいた。また、アイ自身も悠の手首を握り締めていることを忘れていた。悠の手は震えながらもアイの服を強く握りしめており外せそうにない。

 

「……っ、よい……っ、しょっ!」

 

 悠の体に腕を回し抱き締めるような形でテーブルまで進む。力の抜けた男の体は酷く重く、倒れないよう一歩一歩慎重に進む。

 ケータイのあるところまで辿り着き、ケータイに手を伸ばした時、

 

「……ぅぐっ、あ……アイ……」

「っ、ハルカ!」

 

 崩れ落ちてから初めて悠がアイの名前を呼んだ。手を伸ばすのをやめて、アイは悠に向き直る。

 

「ハルカ大丈夫!?」

「ふ、ぅぅ……すぅ、はぁ……大丈夫、とは言い難いが、だいぶマシになった、はず……」

「待ってて、今誰か呼ぶから……!」

「呼ぶ、な……!」

 

 再度伸ばした手を、今度は悠に止められる。

 

「呼ぶな……呼ばなくていい……」

「で、でもっ!」

「頼む……」

「…………わ、わかった」

 

 悠の懇願にアイは伸ばした手を下ろす。

 のろのろと緩慢な動きで悠は動こうとし、それをアイが支える。座椅子にもたれ座り込み、悠は長く息を吐き出す。アイは隣に座り悠の手を握り締めジッと顔を見つめ続けた。たった数分の不調なのに悠の顔は青く瞳も揺れ視界がブレているように見える。

 

「アイ、コップを、出してくれないか?」

「私が使ってたのがあるからそれ使って」

「いや……」

「使って」

「……エアアクア」

 

 離れるのを嫌がったアイがテーブルに置いていた自分のコップを差し出す。悠は少し迷ったが、コップにグルメ食材の『エアアクア』を生み出して注いだ。悠がコップを取ろうとしたがアイが先にコップを掴み悠の口元に持ってくる。今度は迷うことなくアイの手の上からコップを掴みゆっくりとエアアクアを飲んでいく。

 

「ふぅ……ありがとうアイ」

「うぅん。……もう、大丈夫?」

「ああ、だいぶ落ち着いた……っぅ……」

 

 まだ痛むのか額を押さえる。

 

「ふぅぅ……ったく……」

「っ……ご、ごめんなさい……!」

「どうしてアイが謝る」

「だ、だって……私が……わたし、が……」

 

 言葉が続かず、アイは顔を俯かせる。無理もない、悠がこんなにも弱ってしまったのはアイが性行為をお願いした直後なのだ。

 しかし悠は繋いでいた手をギュッと握り返す。

 

「あれはアイのせいじゃない。確かにアイのお願いが引き金だったけど」

「っ~……」

「ああ、泣くな泣くな」

 

 上手い慰め方が見つからず片手を右往左往させていたが、明後日の方を向いて、

 

「……前世の忘れてた記憶を思い出したんだ」

「記憶……?」

「自分が死ぬ数年間。それと……」

「……」

「……」

「教えて?」

 

 真っ直ぐに視線を向けるアイに、悠はややあって告げた。

 

「前世の俺は既婚者だったこと。子どもがいたこと」

「…………そうなの?」

「言葉の意味通りとは言えないけどな」

 

 ハハっと乾いた笑みをこぼす。

 アイは深く聞きたそうにしていたが、

 

「その話はまた今度な」

「でも……」

「今はアイのお願いに答えたい」

「あ……」

 

 悠の言葉に思い出した。自分は人生を賭けたといっても過言でもないお願いを悠にしていたのだった。でも、一抹の不安はあった。悠はアイを優しく撫でてから、座椅子にもたれたままアイを自分の胸に引き寄せる。

 

「アイ──すまない」

「──」

 

 謝罪の言葉がアイの胸に灯っていた熱を奪う。

 それはかつて母親が自分を捨てた時に感じた冷たい感覚。

 

「返事は少し……いや、明日まで待ってくれないか」

 

 完全に冷え切る直前に耳朶に届いた言葉。それがギリギリのところで胸の熱を残した。

 

「明日?」

「アイの気持ちと前世の記憶。これを今すぐに消化するのはちょっと大変なんだ。だから明日の夜に答えさせてくれ。それまでにちゃんと全部整理しておくから」

「……」

 

 自分の頭を撫でる優しい手つきといつも眠る時に聞いていた悠の胸の鼓動に耳を澄ませ、アイは心が落ち着いていくのを感じる。

 

「……仕方ないなぁ」

 

 寂しそうに。呆れるように。

 アイは微笑んで、だけどほんの少しだけ自分に嘘をついて、お願いの延長を受け入れた。

 

「じゃあ、明日の夜ね。絶対だよ」

「ああ。絶対だ」

「明日も延長したら……ニノちゃんに私の魅力を語ってもらうから!」

「……それは嫌だな」

「それと」

「うん?」

「今日は一緒に寝て」

「はいはい。今日も一緒に寝ような」

「……えへへ」

 

 微笑んで、アイは握っていた悠の手を離し、代わりに背中に両腕を回す。

 どうか、明日は私にとって良い日になって──と、願いながら。



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五話

 驚愕の要求とそれによって偶然という他なく引き起きてしまった昨晩から一転、今日は朝から天候に恵まれた。雲一つない快晴に程よく冷たい秋風が日差しの熱を緩和してくれている。

 自分とアイは前々からの予定通り、壱護さんに引き取られるまで暮らしていた施設を訪れていた。施設を離れてからも自分は定期的に訪れていたが、いつからかアイもそれに付いて来ることが増え、ここ数年は忙しいかったが年に一回は必ず施設に顔を出していた。

 出迎えたのは自分の名付け親とも呼べる、施設の代表を務めている四條という老婦人。子どもには『ししょう』という苗字から師匠と呼ばせている。自分の名付けをするのは法律的に市長なのだが、コネか弱みか、あるいは別の何かか……とにかく理由は知らないが、この施設に引き取られた名前のない子どもは全員師匠が苗字と名前を決めて市長に送り付けて調書として届けさせているらしい。

 

 ちなみに『名桐悠』という名前は、『悠』は体の弱い男児にあえて女の名前を付けることで災いから退ける厄除けから。『名桐』は赤ん坊だった自分が「なきり、なきり」と喋っていたらしく──身に覚えがないが──それで面白がって『薙切』と付けたが市長の機転で『名桐』と変えたそうな。余計なことを、と師匠から愚痴られたのは覚えている。名前も覚えてない市長、そこだけは感謝してます。

 閑話休題。

 

 今日は平日の昼ということもあり、施設に残っているのは職員と教育施設に通っていない・通えない子どもたちだけなので施設に入って囲まれるなんて心配をしなくて済んだ。そのまま師匠の部屋で近状報告を済ませ、アイはこちらを遠巻きに眺めていた子どもたちと遊びに出て行った。

 

「それで? あなたは何を悩んでいるんですか?」

 

 部屋の外から人の気配がなくなってから、師匠が聞いてきた。

 

「……顔に出ていたか?」

「いいえ。ですが十年以上共に暮らしていた子どものことぐらいなら、気配でわかります」

「すごいな」

 

 師匠が用意してくれた紅茶で唇を湿らせ言葉を選ぶ。

 

「この部屋周りの床は誰が来ても気付けるよう、わざと軋むよう設計してあります。だから遠慮はいりませんよ悠」

「だから昔からここだけ軋むのか……じゃあ」

 

 師匠を信用して、自分は昨晩のことを話した。

 アイが愛を望んでいる理由。

 愛を知り愛が欲しい、愛してあげたいから子どもを望んだこと。

 その言葉を聞いて自分が少しだけ気分が悪くなってすぐに応えられなかったこと。

 アイの望みを先延ばしにしていること。

 

 流石に前世のことは話す気はないので少しだけ嘘をついたが、概ね事実だけを伝えた。

 普段、ほとんどのことに動じず平静な顔で対応している師匠も、自分の話を聞き終えた後には渋い顔を浮かべている。

 

「――話は以上だ。参考にするわけじゃないが師匠の意見を聞きたい」

「普段相談事をしない子どもの相談はいつも頭を悩ませる……それ以前に当時から職員はおろか私までも欺かれていたとは、どこかで子どもだと甘く見てしまっていたのかもしれませんね」

「先に言っておくが……」

「わかっています。あの子が悪意を以て嘘をついているのではない、ということぐらいは。悠だってそうだったんですから」

「アイや自分は例外だ。今いる子どもたちが同じだと思わないでくれ」

 

 わかってます、と紅茶に口を付ける。

 

「私の意見よりも、まずあなたです。悠はどうしたいのです」

「……自分はアイの願いは叶えたいと思っている」

「……」

「だけど、子どもが出来たとして愛を得られるかといえば、そうは思っていない」

 

 だってそうだろう? よく子どもは愛の結晶なんて例えられるが、じゃあなんでこの施設から親なしの子どもがいなくならないんだ。五十歩譲って両親が事故で亡くなったり、病気などで共に生活できなくなったと判断され施設に預けられるならわかる。だが、自分は理由はどうあれ捨てられ、アイは虐待の末に置いて行かれた。そんな理由なんか百歩どころか万歩譲っても認められない。

 

「それに怖いんだ。仮に子どもが運よく出来たとして、良い親になってあげられるか。自分もアイも親なんて知らない。自分たちが、子どもたちに同じ過ちを犯さないか……怖いんだ」

 

 子どもは親を見て育つ。虐待を受けて育った子どもが成長し自分が親になった時、同じことを生まれた子どもにする可能性がある、なんてネットに載っていた。

 もちろん、ネットの情報を鵜吞みにするつもりもないし、アイもそんなことするはずがない。自分も子どもに対して虐待をしたという記憶は思い出した記憶の中には一つも存在していない。

 だけど、それでも不安は拭えない。

 

「それで結局のところ結論は?」

「……悩んでいる」

「呆れた」

 

 肩をすくめ首を振って呟く師匠に自分は思わず睨みかけた。

 

「本当に変なところから悩んでいるんですね」

「変なところって……普通は違うのか?」

「普通……とは違うでしょうが、アイドルになったあの子の場合、まず考えるところは職業的なところだと思いますが?」

「それは……多分、大丈夫なはず」

 

 確かにアイドルに子持ちはマズいだろう。しかし、そこは一応考えている。

 後はニノに手伝ってもらう。今日までのニノの言動を改めて振り返ってみれば、アイに協力していたのは間違いない。それもアイがニノを無理矢理巻き込んだのではなくニノ本人の意思で。だったら最後まで付き合ってもらう。

 

「あとは年齢ですね。若いうちの出産は危険が伴います」

「そこも……大丈夫。さっきより保証できる」

 

 肉体面だけならグルメ食材でなんとかなるはずだ。

 

「その自信がどこからくるかは知りませんが……それなら余計に意見なんて必要ありませんね」

「なんでだ?」

「それぐらい自分で考えなさい。はぁ……まあ、嫌なことなら即座に拒絶するあなたが否定しないということはそういうことなんでしょう」

「……」

「迷うフリをするぐらいなら、閨に誘う文句でも考えなさい」

 

 

 

 

  ★★☆☆

 

 

 

 

 一方的に話し合いを終わらせる師匠。追い出される形で施設を後にする自分とアイ。しかも帰り際に、

 

「子どもができるまで敷居をまたぐことは許さないので」

 

 アイや職員に聞こえないよう追い打ちをかける始末。施設に戻ってここまで疲れたのは初めてだった。

 バスで街に繰り出し、昼食をアイの要望でマ〇クで済ませる。体に悪いがジャンクフードって奴はときたまどうしようもなく食べたくなるものだ。自分だってグルメ食材で作られたものではなく、この世界のジャンクフードは割りかし好きだし。

 二人で五千円ぐらいの量を食べ、その足で、ある店に向かい前々から予約した品物を購入しながら施設で言われた言葉を振り返る。

 

 まあ振り返るまでもなく気付いていたことだ。

 自分は今世では嫌なことは出来る限り拒絶するようにしている。だからアイが望んだ子づくりを聞いた時、自分は消極的ではあるが反対はしなかったのが自分の本心なのだろう。消極的なのは倫理観がどうより、思い出してしまった前世の記憶から生まれてしまった迷いだけ。たぶん、あの時記憶を思い出さなければ、昨日の内にヤッていたかもしれない。

 だって、アイに望まれたんだ(・・・・・・・・・)最後に誰(・・・・)が選ばれよ(・・・・・)うがそれまではアイの(・・・・・・・・・)願いは(・・・)叶えてやる(・・・・・)約束だからな(・・・・・・)

 ああ、でも駄目だ。不安要素を考えると、後からあとから出てきてしまう。

 

「……ハルカ?」

 

 無言だった自分にアイが変装用に被った帽子の奥から覗き込んでくる。

 

「やっぱり……昨日のお願いは迷惑だったかな」

「いいや。いや……実際、どうなんだろうな」

 

 もしかしたら、言葉では、思考では、アイを受け入れていても、これまでの環境下による無意識なもので拒否反応が出ているのかもしれない。

 それでも、

 

「でも、少なくても自分は君が大切だと思ってるのは嘘でも間違いでもない」

「ハルカ……」

「じゃなかったら、こんな贈り物をするわけないし」

 

 先ほど買った包装された包みをアイに手渡す。

 

「これって、さっき買ってた」

「本当は部屋に戻ってから渡すつもりだったけど、君の不安を拭えるのなら今渡すよ。誕生日おめでとうアイ」

「……開けていい?」

「今は見るだけ、な」

 

 アイの言葉に頷いて、道の端に寄り腰掛けられる場所にアイを座らせる。ラッピングを剥がしてフタを開けるアイの目に入ったのは一対のピアス。片方にはスタールビー。もう片方にはアクアマリンの宝石が装飾として付けられている。

 流石にピアス穴は開けられないしアイドルである以上動いて外れないか心配なので、穴を開けなくても付けられるノンホールタイプを選び、激しく動いても外れないよう留め具にバネを特注で追加してもらった。

 

「宝石の石言葉ってたくさんあってな、君に合いそうな物を一つに選べず、結果的に二種類石が使えるピアスになってしまった」

 

 ルビーは愛の象徴とも呼ぶ色であるため、愛情を意味する石言葉を多く付けられている。普通のではなくスタールビーにした理由は、初めて目にした時、光の反射が宝石の中に星の輝きを生み出しているように見えて、それがアイの瞳を連想したから。

 どうか、君が愛し愛されるようになってほしいと願いながら。

 

 アクアマリンは愛に関連した石言葉は少ないが、幸福という石言葉があり、店員にも幸せな家庭を願う人や円滑な人間関係を望む人にとてもおすすめ、と紹介された。斎藤夫婦やB小町メンバーとの関係は良好だが、過去の記憶からそんな幸せを失うことを恐れているだろうアイのために、もう片方の宝石はこれを選んだ。

 どうか、君の人生(これから)が幸福で満ち溢れてほしいと願いながら。

 

「……ねぇ」

 

 手の中のケースに収まったピアスをそっと撫でながらアイは呟く。

 

「私……えっと、あれ……どうしよう。言葉が、見つかんない……ああ、ダメ……言葉が、浮かんでは消えて……上手く、話せないよ……」

「大丈夫。時間はあるんだ、深呼吸してゆっくりと……」

 

 そこまで言って、自分は言葉を止めた。止めざるを得なかった。

 舌打ちは内心だけに留めた。言うべき言葉を呑み込んで口を開く。

 

「アイ。ケースをしまって、すぐに動けるように」

「え……?」

「招かれざる客だ。それも……すまない、狙いは自分のようだ」

 

 自分もアイも嘘や仕事の時はともかく、本来のパーソナルスペースは広い。特に自分の場合、限界突破している身体能力のおかげで敵意や視線、気配には気付きやすくなっている。危険かどうかも直観である程度察知できるが、今回はそこまで警鐘は鳴っていない。

 アイを背中に隠すように振り向くと、正面から黒服にサングラスを掛けた、いかにもな男女がこちらに向かって歩いてきていた。いや、よくよく周囲を観察すれば、黒服と同じ雰囲気を纏っている私服姿の奴らからも視線のような気配を感じる。いつの間にか自分とアイは抜け出せるとはいえ囲まれていた。

 今度こそ舌打ちを打つ。囲まれていることに気付かなかった自分の失態だ。自分の悩みばかりでアイの安全を少しでも疎かにしてしまった。

 

「失礼。名桐悠……で間違いないか?」

 

 とうとう声を掛けられたか、という気持ちと今更声を掛けてんじゃねぇよ、という気持ちがごちゃ混ぜになりながら揺れる感情を抑える。

 なんだよ。どうして昨日から絶妙なタイミングで邪魔が入る。

 

 

 

 ああ──面倒だ



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六話

 えー、推しの子最新話見ました。
 感想はともかく、母親関連の流れをどうしようかと思いましたが、このまま当初の設定のまま行くことにします。細かく言えば書き始めた125話前後くらいの情報で。名前とか影響の少ない設定は付け足していくと思いますが。
 詳細が気になる方は原作の方を雑誌かネットで読んでください。今なら1話から20話までタダで読めるんで。(ダイマ)


 まあ、初めからオリ展開とか伝えているし、旧B小町メンバーの設定なんか根本からまったく違うから是非も(しかた)ないよネ。


「違う……と言ったら、素直に回れ右して帰ってくれますか?」

「まさか。既に確認は取れている」

「でしょうね。──名桐悠です。そちらは?」

「我らは然る御方から君を探すよう命じられた。名前は好きに呼んで構わない」

「それでは黒服Aと。それで黒服Aは私に何の用でしょう? 黒服Aに話しかけられるなんて緊張してしまいますよ。あ、もしかして黒服Aはスカウトの類ですか? これでもある事務所に内定が決まってますので黒服Aの誘いには乗れません。黒服Aの次のスカウトに期待してますよ頑張れ黒服A負けるな黒服A。社会は厳しいぞ黒服A」

「っ……、花邑(はなむら)と、呼んでくれ」

「ああ失礼、黒ふ……花邑さん」

 

 最後にもう一度わざと名前を間違えてやると、息を呑むがすぐに変わらない対応で応じる。そこでキレて怒鳴るなり手を出すなりしてくれれば大事にして逃げ出したのに。

 それとアイ。後ろで「こんなに喋るハルカ初めて見た」とか呟かないで。意識を自分に誘導させたいから。

 とはいえ、流石にアイを後ろに隠したまま会話を続けるのはよくない。

 

「……へい、マイシスター」

「……なに? お兄ちゃん」

 

 普段絶対に言わないであろう突然のセリフに、それでも綺麗に合わせてくれるアイ。

 

「兄は少しこの黒服と楽しくない会話をしなくてはいけなくなった」

「借金でもしてたの? 地下労働施設に行っちゃうの? お兄ちゃんが行っちゃうのは嫌だな~」

「兄も嫌だ。だからこそ話し合いだ。そこでその間、近くのスタバで待っていてくれないか?」

「え……でも……」

 

 わずかに妹の演技からアイに戻る。

 

「大丈夫。兄も話を終えたらすぐに向かうから。この前話してくれたオススメカスタマイズを買って待っててくれ」

「……うん、わかった。早めに来てね?」

「ああ、約束だ」

 

 それでも嘘を突き通して、アイを行かせる。黒服たちもアイには用がないので目もくれず素通りさせる。

 ──と思った自分が愚かだった。

 

「──行け」

「はい」

 

 アイが人ごみに紛れると花邑さんが短い一言と顎をしゃくり、黒服の女の一人がスタバに向かおうとする。様子を見るだけか自分への対抗策として確保するか知らないが、

 

「手を出すなよ黒服B。じゃねぇと──潰すぞ

「ひっ……!?」

 

 アイは自分にとって泣き所であり──逆鱗だぞ。

 感情のままに圧を込めた一言に震え上がった黒服の女は怯えたままスタバの方へ向かっていった。

 花邑さんはサングラスのズレを直す。顔色は変わっていないが一筋の汗が流れている。

 

「部下を脅すのはやめてくれ。彼女には君の代わりに彼女の護衛をするよう指示しているんだ」

「誤解を招く指示を目の前で出す方が悪い」

 

 取り繕うことなく言葉を返す。

 やはりというかアイのことも調べてあるか。

 

「それはすまない。君としっかり話し合いをしたかったんだ。もちろん、彼女は……B小町アイは、君と会話する間、責任を以て警護する」

「……それで? 目立つ黒服を引き連れるだけじゃなく周りに私服の同僚を配備させて、食の魔王が自分になんの用だ?」

 

 要件を聞くと、後ろに引き連れた黒服どもが小声で騒ぐ。

 

 

「バレてる!? ガキのくせになぜわかったんだ!?」

「それ以上にご当主のことまで知っているだと!?」

「落ち着け、彼の近くには織崎(おりさき)家の娘がいる。彼女から聞いたんでしょう」

「それより静かに。対応は隊長に一任されているんです。我らは万が一の警戒を怠るな」

 

 

「そこまで知っているなら話は早い。薙切家現当主、薙切仙左衛門殿……信じられないかもしれないが、君のお祖父さんなんだ」

「……で?」

「君のことは何年も前から報告に挙がっていた。情報を何度も精査し、君が行方不明になっていた仙左衛門殿の愛娘、未那様の忘れ形見だと確証を得られたのが一、年と少し前。それからはずっと、我々は仙左衛門殿の命で君と接触できる機会を窺っていたんだ」

「……」

「どうだろう、仙左衛門殿と……お祖父さんと会ってはもらえないだろうか?」

 

 手を差し出される。

 いいえ、と言うのは簡単だ。アイを連れ出し黒服を撒いて逃げるのも簡単だ。

 だからこの際だ、と思った。差し出された手には触れず、自分は口を開く。

 

「質問が二つある」

「私がわかることであれば」

「一つ。どうして接触したのが今なんだ」

 

 黒服たちが所属しているのは日本料理界を牛耳っている家が組織する傘下だ。その影響力はかなりのもので、朧気になってきている原作の終盤では政府が相手でも懐柔と説得することを当主の一言で実行していた。そんな老獪が名前も付けられず棄てられていたとはいえ、何年も自分を放置していたのは何故だ。機会を窺っていたと言っていたが、その気になれば事務所や自宅、学校、果ては施設に面会を申し込むことはできたはず。

 

「確かに薙切家は日本でも有数の名家の一つだ。しかし、それでも手を出せない相手はごまんといる。悠くん関係で言うならばまず、君がいる事務所に所属しているグループB小町メンバーの藤乃様……ニノ様のご実家の織崎家」

 

 それは以前ニノ本人から直接聞いた。料理界では最古の家柄を誇る織崎家。原作では『東の紀ノ国。西の一色』と並び称され挙げられていた一色家も織崎家から見れば格下の名家らしい。何度も思うが、どうして名家のお嬢様が弱小事務所のスカウトを受けたんだ。そして壱護さん、よくそんなお嬢様をアイの踏み台にしようとしたな。

 

「彼女がいる苺プロダクションは間接的に織崎家の縄張りのようなものになっており、何度も君との接触を頼み込んだのだが最後まで許可が下りなかったんだ」

 

 つまり、互いに正体を知った時からニノが実家に働きかけて手を出させないようしてくれていたということか。

 今度、感謝しておくか。報酬にアイを要求したらアイアンクローをくれてやるが。

 

「なら事務所以外……施設はどうなんだ」

「施設はもっと難しい。とりわけ君が過ごした『未来の家』は四條家当主本人が直接運営している施設だ。迂闊に手を出しては一方的に被害を受けてしまうため、会話も見張りもできなかった」

「……」

 

 師匠、あなたの家があの魔王でさえ手が出せないなんて知らなかったんですが?

 だから市長が師匠の名付けをすんなり通しているのか。それぐらいなら安物だと……なら自分の苗字を変えたのって相当凄いことなのでは? 名前も知らない市長の株が上がった気がする。

 

 それにしても、と思う。自分が転生したのは本当に『食戟のソーマ』の世界なのだろうか。

 確かに薙切や遠月グループなどが存在しているため、間違ってはいないだろう。しかし、今の会話だけでも出てきた織崎家、四條家など原作には存在していない。自分が知らないだけで原作に登場していたり設定上では存在が仄めかされていた、だったのなら知らない理由付けに無理はない。

 

 それに原作原作と何度も言っているが──そもそも原作とは何だ?

 確かに同姓同名の人間がいる。同様の理念を掲げた組織が存在する。

 だが、記憶に残されている記録は全て、全て──漫画だ。

 創作物だ。大衆娯楽だ。誰かを楽しませるだけの消費物だ。

 

 ──違うだろ。

 

 この世界は現実だ。人も物も何もかも、原作(オリジナル)から派生した偽物(スピンオフ)じゃない。ちゃんと生きているんだ。

 だから、原作……いいや、『食戟のソーマ』とこの世界は違う存在だ。原作なんて道筋は存在しない。

 

 ああ、くそ。頭を振って閑話であろう考えを頭の隅に追いやる。こんないつでも考えられることなど考えてる場合ではなかった。

 自分は二つ、と次の質問に移った。

 

「魔王の娘……自分の母の行方は?」

「依然、行方不明だ」

 

 きっぱりと。

 初めから決められた回答を言うかのように、花邑さんは母親に対する質問に即答した。

 しかし、自分でも嘘だと見破れた。

 

「それはまだ調査中だからか? もしくは捜索を断念したからか? 或いは──」

「……」

「そもそも探す気などないから、か」

「ッ、ちが……」

 

 即座に否定しようとする。だが、それは悪手だ。

 

「前二つと違い反応したな。そういえば忘れ形見と言ってたなさっき。ああ、つまり薙切家では母は既に亡い者として扱っているか。身内であろうと容赦はしない、魔王の名は伊達ではないってことか」

「それは違う! 仙左衛門殿は確かに料理の対する評価は誰であろうと公平だが、家族の情に厚い方だ。決して未那様を……」

「それでも当主として判断を下したんだろう? だったらそれが答えだ」

「それは……!」

「それにニノから母、薙切未那について聞いたことがある」

「ッ……!」

 

 それはニノの正体を知ったあとの頃。

 興味本位で母のことを聞いたのだ。

 

『……未那様の情報は少なく、また、よい話を聞けませんでした。それでもいいですか? ……わかりました』

 

『お兄さんのお母様……薙切未那様は薙切仙左衛門様の長女に生まれました。兄に薙切宗衛様、妹に薙切真那様』

 

『薙切家に相応しい才覚を発揮し続け、現在も海外で躍進を続ける宗衛様。神の舌を持ち、幼少から国内外問わず味見役を依頼され評価されていた真那様』

 

『そして未那様は……何も。突出した才能も神の舌のような異能も何も持たない、ごく普通の女の子でした』

 

『普通の家でしたら……否、普通の家でも駄目ですね。優秀な兄と妹に挟まれ、周囲からの評価も低い』

 

『それでも未那様は奮起されたそうです。努力を重ねて小学生ながら料理コンクールで優勝もしたみたいです。……この方です』

 

『ええ、良いお顔です。その後、周囲の反対を押し切って遠月学園中等部に入学。高等部にも進学されました。……ですが』

 

『何かがあった。情報が見つからず、そう言うしかありませんが、結果的に未那様は遠月学園から行方を眩ませました。お兄さんが生まれ……遺棄されたのはそれから一年以内です』

 

『わかりません。遠月学園からの未那様の情報が抹消されているみたいで、記録はほぼ残されていないと調べた家の者が言ってました』

 

『ただ……二つだけ調べがついたことがあります』

 

『一つ。未那様が一度だけ食戟を……ああ、食戟とは……知っている? そうですか。食戟をした記録が残っていたそうです』

 

『勝敗は惨敗。その時の審査員の一人に……仙左衛門様が務めていたそうです』

 

『二つ。これはもう噂程度でしかありませんが……──』

 

 

「当時、母には蔑称(二つ名)が付けられていたらしいな──“薙切の出涸らし”と」

「何故それを……っ!?」

 

 花邑さんは思わず反応し、ハッとして口を抑える。どうやらニノが教えてくれた噂は本当だったのだと理解した。

 

「出涸らしってのは茶葉を何度も煎じたり煮出すなどで、味と香りが薄くなっていること。またはそうなったもの。……優秀な人間ばかり輩出している薙切でもどこかで才能が薄くなる。それが出涸らし(母だった)。そして母が生まれたことでリセットされたように再び優秀な妹が生まれてきた。……なるほど、言い得て妙な二つ名だ」

「貴様ァッ!」

 

 流石の忍耐を持つ花邑さんでも息子の自分が言った言葉は我慢できなかったようだ。胸倉を掴み上げられる。背後に立つ部下の黒服たちも驚いて止めようとしている。

 

「息子とはいえ、何も知らない貴様に何がわかるッ!? 未那様の苦悩も知らずに生まれてきた貴様がッ!!」

「隊長!」

「そうだ、あんたの言う通り、自分は母を知らない。生まれてすぐ捨てた母のことなんて……泣いてる顔しか覚えていない」

 

 目の前に迫る怒りを燃やす瞳を真正面から見つめ返す。

 自分の言葉に怒りが戸惑いに変わったのを見て、口を開いた。

 ごめんね。お母さんを許さないで、と。

 母が自分に伝えた最後の言葉を。

 

「母は誰も責めず、ただ自分が悪いとしか言わなかった。そうして自分を置いて去っていった」

「み、未那様……」

「知れそうな奴に聞いても情報が消されてるって言われるし。……なあ教えてくれ花邑さんよ。母は……お母さんは、何に悩み、何で喜ぶ、どんな人なんだ?」

「っ、……ぅぅ……っ!」

 

 自分の疑問に言葉を出せない花邑さん。掴まれていた胸倉も静かに離し顔をクシャクシャに歪ませ「すまなかった」と小さな声で謝ってくる。最初に見た、出来る大人の姿はどこにもない。嘘一つない、本心から母に対して後悔の念を抱いていた。よく見ればサングラスに隠れた目元や口元に小皺(こじわ)があり、目の前の黒服が想像より年上の男性だとわかった。もしかすれば花邑さんは母が薙切家にいる頃から仕えているのかもしれない。

 

「……祖父には会わない」

「……そうか」

「今すぐには、だが」

 

 顔を上げる花邑さん。

 さっきとは対照的に自分が手を差し出し、

 

「隊長」

 

 言葉を口にしようとして、阻止された。

 花邑さんを呼んだのは先程アイの後を付いて行った黒服の女で、

 

 ――――

 

 ……なんで今、直観が働く。嫌な方に、それも昨晩の比ではない。

 なんでだ。何が起きる……? いや、起きた?

 待て、たった今、直観が働く直前に、誰が来た?(・・・・・)

 

 アイの護衛を(・・・・・・)していた黒服(・・・・・・)が一人で戻ってきた?(・・・・・・・・・・)

 

 理解した瞬間、自分の耳に聞こえてくる会話。

 花邑さんの耳に顔を寄せ、こちらに聞こえないようにしている会話を。

 

「……何故戻ってきた。彼女はどうした」

「対象ですが……保護者と帰宅しました」

「……何を言っている。彼女の保護者はどちらも仕事で来られるわけない」

「しかし間違いなく保護者と名乗り、対象も認めました」

「……どちらだ」

「いえ、斎藤夫婦ではなく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              ──星野アイの母親だと」

 

 

 

 

「──は?」

 

 確かに、聞こえた。

 ガツンと頭を鈍器で殴られたような痛みが襲う。前世で義弟に金属バットで殴られたよりも痛い。昨日、記憶を思い出した時にも痛みはあったが、それ以上の痛み。しかし体は決して倒れることも蹲ることも許さない。

 

 

「──は?」

 

 

 痛みはどんどん増していき、遂には麻痺したように痛みが消えた。

 代わりに一言、声が聞こえた。

 

 ──ほら、どうする?

 

 

 

 

「────は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★★☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★★



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七話

「貴様、何を言っている。それは──」

 

 目の前の部下の言葉に花邑は意表を突かれる。

 今日のために招集したメンバー全員に情報は共有させてある。それは当然、名桐悠だけでなく関わりのある主要な人物全員のものをだ。特にB小町アイ、本名斎藤アイ、通称名星野アイの情報は綿密に調べ上げ、その上で対応は慎重にするよう、護衛役の彼女には確かに伝えたはず。

 にも関わらず帰宅した、と。それも数年前に娘を遺棄した母親だとわかっていながら。

 

「まさか貴様……ッ!」

 

 不意に嫌な予想が頭を過る。護衛として選んだのは身内のコネで所属した自分の地位を鼻にかけていた女性だった。エリート気質でやや傲慢のきらいがあり隊の中で叩き上げの人間と何度か衝突することもあった。しかし時間を掛けて育てあげ、最近はだいぶ落ち着いてきて評価もされ始めたからこそ護衛として抜擢されたのだ。

 なのに、

 

「ほしっ……護衛対象の情報は伝達したはずだ」

「読みました」

「ならば貴様が引き渡した相手がどんな相手だったかも書いてあっただろう……!」

「え? ……別に、血の繋がった母親ですよね。なら問題ないかと」

「貴様ァ……」

 

 何故戻ってきた。こういう時どう行動するかも教育したはずだ。護衛対象を連れていかれないようにする。それができなかったとしても尾行なりしながら、こちらに連絡を寄越せばよかった。

 あっけらかんと報告する部下に、花邑は感情のままそう声を荒げようとした。

 それよりも早く、

 

「なぁ……おい」

 

 彼女の肩に、悠が手を置いた。その顔は俯いていて表情がわからない。しかし、花邑は甚だしい寒気に体が震えそうになる。

 

「な……アンタ、何を勝手に私に──」

「もう一度、今度は自分にしっかり聞こえるよう話してくれないか? 誰が……誰と帰宅したって?」

「い、痛い! 離しなさい!」

「アイを、誰が連れて帰ったって?」

「は、悠君! おちつ──」

「離しなさいよ! は、母親よ母親! 何も問題ないでしょう!?」

「黙れ! 星野あゆみは親権を喪失して──」

 

 

「────そうか」

 

 

 バキャリ

 

 

 落ち着いた、酷く落ち着いた声と共に何かを砕いた音が聞こえた。え、と呟いた部下は次の瞬間、肩から生じた激痛に叫び声を上げる。そんな絶叫など聞こえないとばかりに、悠は握り砕いた(・・・・・)肩から手を離すと、花邑の方を向き、顔を上げる。

 悠の顔を見た花邑は思わず一歩引いてしまった。その顔は、その表情は、

 

(未那様……)

 

 まさに無と言うに相応しいものであり、それはあの時の最初で最後の食戟に敗れた時の未那に瓜二つだった。唯一違う点を挙げるなら、瞳は闇夜のように塗り潰され、奥に隠された何かが薄っすらと浮かびかけていることだろうか。

 悠の視線が一瞬逸れたかと思うと、パーカーのフードを深く被り顔を隠す。先程の叫び声で周囲から目が向けられているのを遅まきながら気付く。

 

「なぁ花邑」

「な……なにか」

 

 怒鳴られているわけでもない。だけど悠から発せられる重圧に必死で耐える。後ろではアスファルトにへたり込む部下たちの姿が見えなくとも感じられた。

 花邑は知る由もないし悠もアイのことで気付いていなかったが、悠は黒服に向けて食圧――原作では食材を力や威圧等、力で制圧する技術を無意識の内に発していたのだ。

 

「アンタ言ってたよな? アイの護衛だと。それはつまり、あいつのことを調べた上でそう指示を出したんよな」

「そ、そうだ。君の、人間関係は粗方調べた」

「だったらアイの経歴も知ってるはずだよな? 事務所は隠していないし」

 

 頷く。

 確かにB小町アイのプロフィールを苺プロダクションは隠しておらず、ファンの間でアイが施設育ちなのは周知の事実だ。流石にアイと母親の関係は書いていなかったが調べればすぐにわかった。わかっていたのだ。

 

「だったら……アイにとって母親がどういった相手かどうかぐらいわかっていたはずだろう? なのにテメェの部下はあっさり連れて行かせた」

「っ……」

「そこんとこどうなんだ、なぁ? 黙ってないで答えろよッ、なぁッ!?

 

 食圧が更に増し、体のあちこちから悲鳴が響く。

 

「ぐっ、言い訳にしか聞こえないが……、私は不足なく情報を共有した。だからっ、君との対話中は彼女に護衛を付けるよう判断したし……今のような状況下での対処法も、教育した……!」

その結果がこれか!? なんにも護衛できてねぇだろうがッ!」

「そうだ……私の怠慢だ。本当に申し訳、ない……!」

 

 重圧の中、花邑は軋む体で姿勢を正し、折れてしまいそうになりながらも深々と上体ごと頭を下げる。

 永遠にも感じられる時間の中、息を吐く音と共に食圧が消え今まで耐えてきた花邑も遂に膝をついた。ドッと噴き出る汗を拭うこともせず何度も息を吐く花邑の前に片膝をついた悠は、

 

「飲め」

 

 どこからともなく水の入ったペットボトルを差し出す。何も答えられないまま花邑はそれを受け取り呷り、

 

(な、なんだこの水は……ただの水のはずなのにまるで空気のように体に染み渡っていく! それにこの喉越し! これまで飲んだどんな飲み物より爽快だ!!)

 

 その美味しさに思わず、今の状況も我も忘れてペットボトル一本を飲み干してしまう。

 

「ぷはぁっ!」

「落ち着いたな」

「……はっ! す、すまない。あまりの美味さに……」

「そんなのはどうでもいい。ケータイをよこせ」

「な、なにを……どこへ連絡するつもりだ」

「いいから寄越せ」

 

 そう言うと花邑の胸元へ手を突っ込みケータイを奪う。手慣れた手つきで操作し、自分のケータイも取り出し何かを入力し終わると花邑のケータイを放り捨てる。

 

「落ち着いたらこちらから電話する。それまで関わってこようとするな」

「は……いや、しかし」

「 い い な ? 」

「ぐっ……わ、わかった」

 

 返事を聞くや、悠は駆け出す。その姿は人だかりがあるにも関わらず、すぐに消えてどこへ走ったか分からない。

 後に残ったのは何もできなかった己と肩を砕かれた痛みと重圧で気絶した護衛を任せていた部下。それぞれ立ち上がりかけている部下たちとそれらに近寄って支えている私服の部下たち。そして遠巻きにこちらに視線を送ったりこそこそと会話をしている一般人だけ。

 何も達成することができなかった花邑は、

 

「……未那様。あなたのご子息は……恐ろしいぐらいに成長されました」

 

 地べたに座り込みながらハハ、と乾いた笑いと場違いな呟きをこぼすしかできなかった。

 

 

 

 

  ★★★☆

 

 

 

 

 走る。走る。走る!

 

「わっ!?」

「きゃっ!」

「な、なんだ!? 風!?」

 

 人混みを身体能力を活かして針の穴を通すように駆け抜けていく。その間、アイがいないか全ての人間の顔を確認していくのを忘れない。

 

 アイ……アイ! どこだ、どこに行った!?

 

 叫びたくなるのを必死に堪え、一心不乱にアイを探す。黒服の女が戻ってきて、話を終えるまで時間を掛けたつもりはない。身体能力に物言わせて探せばすぐ見つかると思っていた、そんな少し前の自分をぶん殴りたい。こんなことならもう少し奴とお話(・・)しておけばよかった。

 それに昼間に比べ人が増えてきて判別が難しくなってきた。

 

「どうする。どうする……っ」

 

 普通であればそこらへんを歩いている人間に写真を見せて聞けばいい。だが、アイはアイドルであって普通じゃない。自分みたいな男が必死の形相で探していれば、質問された相手は自分とアイの関係を深読みしてくるはず。そうなればネット社会に広がり、炎上まっしぐらだ。

 

 壱護さんやミヤコさん、ミネたちB小町に協力してもらうのも無理だ。今日は全員仕事が入っており、しかも現場先からここまで車でも片道一時間以上掛かるほど離れている。直観が嫌な方へ働いている以上、間に合わない可能性が高い。

 

 警察は選択肢の中でもっともありえない。後出しでしか動けない上に事件性がなければ関わろうともしない。ましてやアイを連れ去ったのは親権を放棄したとはいえ実の母親だ。余計に拗れて母親の元に、なんてふざけた対応だって十二分にあり得る。

 

 考えろ考えろ考えろっ!

 闇雲に走り回っても見つかるかわからない。一度足を止め、路地裏に入る。荒い息を吐きながら自分に何ができるか考える。

 

 ケータイは電源を切られていた。仕事用のケータイは持ってきていない。

 発信機なんて物を付けるのは漫画の中だけだ。

 『トリコ』世界のアイテム……人を見つけるアイテムなんてあったか。

 グルメ食材……恵方巻、は無理だ。作る余裕もないしあれは食材じゃなく料理人の能力だ。

 

「……料理人の、能力……能力?」

 

 待てよ、と自分で考えた言葉を繰り返す。

 自分が転生する際に特典として与えられた能力はなんだ?

 

 一つ、『トリコ』世界の物品を生み出せる能力。

 

 一つ、『トリコ』世界基準の身体能力への成長と料理人としての才能。

 

「身体能力……料理人としての才能と同じ、あの世界(・・・・)基準の身(・・・・)体能力(・・・)……」

 

 瞬間、自分は路地裏の奥に向かって助走のために駆け出す。数歩目に踏み出した足で地面を強く踏み込み、

 

「っらぁっ!」

 

 跳び上がる。

 

「──……ハハ、マジか。ここまで跳べるのか」

 

 確か走り高跳びの世界記録は2mか3mだったか。それをたった今、自分が軽々と超えた。

 記録は、六階建てのビルの屋上に降り立つぐらい。何mかは知らない。だが、ここまで身体能力の恩恵をハッキリと実感できたのは調理技術の習熟速度以来だ。

 

「これなら……もしかすれば」

 

 一つだけ方法を思いついた。可能かどうかなんてわからないが、他に方法が思いつかない。迷ってる暇はなかった。

 ビルからビルへ跳び移り、街で一番高いビル……は、流石に諦めてそれでも高めのビルに着地する。

 

「20合おむすび……メロウコーラ……ゲラルドのケバブ……ホネナシサンマの塩焼き」

 

 頭に浮かんだ食材・料理を片っ端から生み出し、それを口に運ぶ。食材には申し訳ないが、味なんて気にしていられない。

 一心不乱に食べ、直観が十分だと判断したのを感じて食事をやめる。多分、一度に大量のグルメ食材を食べたのも初めてだ。

 

「……スゥー……フゥー……」

 

 何度も深呼吸を繰り返す。

 直観を頼りに最後に深く吸い込み、

 

 

 

「あああぁあああ■■■■ぁ■■■■■■■■■ッッッ!!!!」

 

 

 

 出せる声量限界、それを越えて絶叫する。それと同時に自分の絶叫が反響するのを絶対に聞き逃さないよう精神を発生と耳に集中させる。

 ギチリ、と脳が嫌な音を立てた気がした。

 同時に脳内で反響が明確なイメージとなって周囲を、街を、そこを行き交う人々を形作られていく。

 

 以前からよく『トリコ』世界基準と言っているが、では基準とは何かと考えたことがある。

 一般人なのか、一流の美食屋もしくは料理人なのか。それともほんの一握りの主要人物を含めた超一流の化け物なのか。

 自分はこの基準を、『トリコ』世界全ての人間が基準だと思っている。

 加減をすれば一般人クラス。全力を出せば超一流の化け物クラス。

 実際、以前にアレ(・・)も出来てしまったし。

 だからこそ、

 

 

「■■■■ぁ■■■■ぁあ■■■■ぁ■ッッッ!!!!」

 

 

 今、喉を潰しながら絶叫し、反響に耳を澄ましているのはその化け物クラスの主要人物の技。

 

 ──エコーロケーション・反響マップ──

 

 蝙蝠やクジラは超音波を出すことでその反響でどこに何があるか、物体の距離や方向、大きさなどを把握することができる。

 それを直観に任せて無理矢理実践したのだ。

 かなり集中力はいるが、長時間でなければそれほど苦労するでもないらしい描写だったが、

 

「■■■■■■■■■■■■ァ■ッ!!」

 

 痛い。痛い痛い痛いッ!

 絶叫で喉が痛い。街だけでなく何百何千といる人の反響の情報で頭が割れそうだ。

 やはり漫画の技なんて出来るようになったからといってやるもんじゃない。今すぐにやめたい。

 

「■■、■■■■■■■ッ■■■■──」

 

 でもやめない。やめられない。やめることなんてできない。

 マップの範囲をビル周辺から街へ更に広げ、それでも見つからず、なら一気に県内全域へ──

 

「────、── ──────ぁ」

 

 広げる前に……いた。繁華街から離れ閑散とした場所に立つボロいアパート。

 アイの姿を間違えるわけがない。知らない女に背負われているが、知らないアパートに入っていったが、間違いなくアイだ。

 場所もわかった。距離はあるが問題ない。

 エコーロケーションを解除して向かおうと駆け出し、

 

「――ッ゛、~~ぅごぇッ!」

 

 散々痛め続けていた喉が遂に臨界点を越えて、喉元をせり上がってきた何かを堪えきれずに足元に吐き出した。ビシャッと吐き捨てられたのは真っ赤を通り越してどす黒く変色した血だ。てっきりさっき食べた物を戻すと思ったがもう消化が済んだらしい。咳き込むたびにビルの屋上を血で染めていく。

 

「ゴボッ、ゲボッ……ッ、ぅおげっ、ぐ、ぞ……ぐ、ぅぐ……あ゛、だま゛も゛、が……よ゛!」

 

 喋るだけ激痛が走る喉とギチギチ頭を締め付けるような痛みに、立っていられず血溜まりに膝をついてしまう。それどころか鼻や耳からドロッとした物が垂れる気がして、触れればどちらからも血が垂れていた。

 

「~~ッ、が、ぐ、エ゛……エ゛ア゛、ア゛ク゛ア゛」

 

 頭上にエアアクアを生み出し、自分に向かって滝のように自分に降り注ぐ。血や汗を洗い流し、降り注ぐ流水から直接口に入れ、激痛が喉から訴えられても無理矢理飲み干しグルメ細胞による回復を促す。

 痛みが緩和し、ある程度まで回復したと感じ、生み出していたエアアクアを全て消して立ち上がる。

 

「……無事でいてくれ

 

 掠れた声で震える足に力を入れ、自分はビルから跳び下りた。後に残ったのはエアアクアで洗い流されなかった自分の血痕のみ。



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八話

 ようやく投稿できますが、ハッキリ言ってクソオブクソ展開です。なんでこんな展開になってんですかねぇ。頭悩ませ続けて知恵熱で寝込みましたよ。(自業自得

 私はただアイ生存の都合の良いハピエンを見たいから書いたんであって、鬱展開なんて1ミリたりとも望んじゃいないってのに……
 それもこれも全部いっちばん初めに変な設定ぶち込んだ作者が悪い! ……私だよちくしょう。



 11/30 タグに「原作改変」を追加しました。


 アイが目を覚ました時、そこは室内だった。

 まだ意識がはっきりしない寝ぼけ眼で見慣れない天井から視線を移す。パンパンに詰められたゴミ袋や無造作に捨てられている缶やカップ麺といったゴミだらけの狭い部屋。その真ん中に敷かれた敷布団の上にアイは寝かされている。

 どこだろ、と起きようと腕を動かそうとして、上手く動かせなかった。見れば、頭の上で両手首を縛られていた。

 少しボーッとしていたが、次第に意識がはっきりしていき、そしてアイは意識が途切れる前の記憶を思い出した。

 

 悠の指示でスタバに向かい、オススメのカスタムをして席に座って悠を待とうとした。そこで声を掛けられたのだ。

 

『見つけたわ。久しぶりね――アイ』

 

 かすかに聞き覚えがある声だった。

 変装しているので無視すればよかったのだが、誰か気になったアイは振り向いてしまった。

 自分に似た髪。自分に似た顔。自分に似た瞳の――

 

『お、母さん……?』

 

 だから、反応してしまった。

 答えてしまったら、もう誤魔化しが効かなかった。ニコッと嘘を張り付けた(・・・・・・・)笑みを浮かべて近寄ってきた。

 

 そこからは母親の独壇場だった。

 捲し立てるように一方的に会話し、店を連れ立って出て行こうとする。後から付いて来ていたのか、さっき悠に近寄ってきた黒服の女性が声を掛けてきたが母親には通用しない。かつての記憶も思い出してきてしまい、母親の言葉に頷くことしかできなかったアイは、母親に連れられ外に出た。

 すぐにタクシーを呼び止め母親は行き先を告げると、

 

『歩いて疲れたでしょう。ほら、お母さんの膝の上で休みなさい』

 

 力づくで膝の上に頭を寝かせ、口と鼻を何か布で塞がれて。しばらくすると瞼が重くなって。

 そこからの記憶はなく、今まさに記憶が繋がったところだった。

 

「あん? おい、もう目を覚ましてんぞ。ちゃんと嗅がせとけよ」

 

 軽薄そうな声。声のした方へ顔を向けると、見たこともない男が明後日の方に声を発していた。人の顔と名前が一致しないことが多いアイだが目の前の男は本当に記憶の底まで思い出しても見つからない。

 

「アンタが指定した容量でキチンと嗅がせたわよ。低級品でも掴まされたんじゃないの?」

「ちっ、つかえねーな」

 

 男と話している声だけはさっきも聞いてわかっていた。

 視線を向ければ、部屋の隅で母親がアイの財布を漁ってるのが見える。

 

「お母さん……どうして……」

「……」

 

 呟いた声が届いたのか、母親は財布から視線をアイへ移す。

 だがそれは一瞬だけだった。すぐに目は娘から財布へ戻り入っていた万札を躊躇いなく抜き取り、財布を捨てて数えだした。

 

(ああ……そっか。お母さんはもう、私なんかよりお金なんだ)

 

 タクシーに乗った時は家族に戻れるかもしれないと、また愛してくれるんじゃないかと心のどこかで期待していた。

 そんな淡い願いは目の前で目を輝かせて万札を数える母の姿で砕け散ってしまったが。

 

(あ~あ……、誕生日だからって、佐藤社長が普段よりたくさん渡してくれたお小遣い全部、財布に入れなきゃよかったな~)

 

 場違いな感想が浮かんでしまうアイ。

 そんなアイへ男が顔を近づけてくる。いつもはしないはずなのに、無意識に顔を背ける。

 

「にしても本当にあのB小町アイがテメェの娘だとはな。おい、本当に娘を好きにしていいんだな?」

「アンタが契約を守るんなら好きにしてちょうだい」

「へへっ、アイドルとは一度ヤッてみたかったが、まさかアイとヤれるなんてついてるぜ。OK、あんな契約安いんもんだ」

 

 下卑た笑みで舌なめずりする男の顔に、アイは本能が悲鳴を上げるが、

 

「えーっと……、ヤるって何をするのかな?」

 

 こんな時でも無意識に嘘の笑顔で男に尋ねる。

 いつもはこうすれば相手は答えてくれる。……いつもであれば。

 

「あ? 黙れ」

「え?」

 

 気付いた時にはパシンと乾いた音が聞こえた。頬が熱をもってジンジンと痛み出す。叩かれたと気付いたのはその後だった。しかし、気にする暇もなく男はアイの胸倉を掴み上げ、

 

「何ヘラヘラしてんだ、あ? 俺の顔が笑えたってか? アアッ!!?

「ひっ、ち、ちが……っ」

「だったら笑ってんじゃねぇよクソガキがッ! わかったか!? わかったなら返事をしろ! 返事ィッ!!」

 

 男性の顔を間近で見るのは悠で慣れているはずなのに。

 怒られるのも壱護から何度も叱られているはずなのに。

 怖かった。ただただ怖くて、真正面からの怒声にアイは震える声ではい、と答えるしかできなかった。

 ふん、と男は胸倉を掴んだまま布団に放り、

 

 ビリィッと力任せにアイが着ている服を引き千切った。

 

「……ぇ……」

 

 何をされたのか、思考が追い付かない。いや、理解はしている。服が引き千切られて下着が露わになってしまっている。だけど、頭ではわかっていてもアイは動けない。

 

「そうそう、その顔だ。その呆然としている顔とかが見たいんだよ俺は」

 

 ニヤついてアイを見下ろす男は近くの机に置いてあったデジカメを手に取ると、躊躇うことなく下着姿を露出させたアイに向かってシャッターを切った。

 シャッター音もフラッシュも何度も経験しているのに、反射的に顔を背けてしまう。

 

「イイね、もっと服をはだけさせてみるか」

 

 アイの下腹部に馬乗りのように跨ぐと、引き千切った服を更に破き、ブラをズラそうと手を伸ばす。

 

「っ……や、やだっ! いやっ、やだよぉ!」

「うおっ」

 

 言葉を失っていたアイは我に返り、男から抜け出そうと藻掻く。

 

「お母さん! お願い! 助けてお母さん!」

「……」

「愛してくれなくてもいい! だから今だけは助けてよぉ……!」

 

 興味を持たれていないとわかっていても、それでも助けを求めた。

 しかし、

 

「うっさいわねぇ……」

「お、かあさん……」

「だいたいアンタアイドルやってんだから、その体で仕事貰ってるんでしょ」

「貰ってない! そんなことしてないっ!」

「あーあー知らない知らない。さっさとあたしのために犯されなさいよ」

「そん、な……」

 

 助けを求めた手は、あっさりと払われた。

 手の中で数え終わった紙幣を全て自分の懐に仕舞い込んだ母親は今度は化粧品等を入れたコスメポーチを漁り始める。中身を見て一喜一憂している母親の姿を見て、今度こそバキリと何かが折れた気がした。アイはそれが母親との繋がりだったんじゃないかと沈む思考のなかで思い至った。

 

「茶番は終わったか? だったら……こっちを無視してんじゃねぇッ!!」

 

 また男の叫び声。それと何かを破壊する音。ゆるゆると顔を向ければ、男の手には金属バッドが握られ、デジカメが置いてあった机に金属バットを叩きつけ破壊していた。そして、その金属バッドを突き刺すように先端を振り落とした。

 叩きつけたのはアイの顔の真横。憤怒の形相を浮かべていた男だったが、アイの顔を見た途端、またすぐにニチャと顔を歪ませる。

 

「ハハッ、ヤるまえからその表情ってことはよほど母親に拒絶させられたのが効いたみたいだな」

 

 金属バッドを放り再びアイに向かってシャッターを切っていく。

 アイはもう顔を背けることもしない。ブラをズラされ、その拍子に胸を触られても反応もしない。

 

(もう、いいや……。嘘をついてたバチがいつか当たるって思ってたけど……そっか、今日だったんだ……)

 

 浴びせられるフラッシュの光とシャッター音から反射的に顔を背けることしかできないまま、アイはされるがままに撮られる。

 

 わかっていたことだった。

 昔から嘘をつくことだけが得意だった。敵を作らないように、誰からも好かれるように嘘をつき続けた。

 アイドルになってからもそれは変わらない。周囲の人間から、もっと大勢のファンたちに増えただけ。

 でも、いつかこの嘘が本物になってほしいと願ってた。

 

 

 ――負けないわよアイ!

 

 ――まったく……こっち来なアイ。

 

 ――くふふ……あらアイちゃん。見ましたね。

 

 

 楽しかった。嬉しかった。三人の前では嘘をあまりつかなくてもよかった。本当のことが言えた。ミネはクールを装った負けず嫌いで、ナベは口は悪いがなんだかんだ面倒見がよかった。ニノは時折おかしくなるが、最近はそれを見るのが怖くとも楽しくなっていた。

 

 

 ――ま、また何かやらかしたのかクソアイドル!? ……仕方ねぇな。

 

 ――どうしましたか? アイさん。

 

 

 いつも迷惑をかけていたのに、壱護はなんだかんだしっかり対応してくれる。ミヤコも壱護と同じように迷惑をかけていたのに、しっかりと意見を聞いて良いか悪いか応えてくれた。似たもの夫婦で、一応養子だったから、冗談でも一度ぐらい父や母と呼べばよかったかもしれない。

 

 そして――

 

「――あら、良いピアス。やっぱり貢がれてたんじゃない」

 

 不意に届いた母親の声。

 見れば、母親が手に取って見ているのは、ついさっき贈られた箱で、

 

 

 

 ――アイ。

 

 

 

 

 それは。

 それだけは!

 

 

「ダメぇええええええッ!!!」

 

 

 腹の底から叫び、今出せる全力で上半身を起こし、馬乗りになっていた男に頭突きを見舞う。突然のアイの行動に男は回避もアイの動きを止めることも出来ずに頭突きを胸にくらい、後方へもんどりうつ。

 それを見届けることなくアイは母親へ跳びかかった。母親もアイの行動と男が引っくり返ったことに驚いて固まっていた。

 

「ちょっ……なに……離れなさい、よっ!」

「んぐっ……!」

 

 縛られている両手で箱を掴み引っ張るアイに、驚きつつも母親は取られまいと抵抗しアイを振りほどく。振りほどかれた勢いでアイはベランダへ続く引き戸まで吹き飛ばされる。

 

「いきなりなによ、まったく……」

 

 悪態をつくが、すぐに箱の中からピアスが無くなってることに気付いた。吹き飛ばしたアイを見れば祈るように両手を握り合わせていて、母親はアイがピアスを取り返すために飛びかかったのだと理解した。

 同時に、財布や化粧品は目を向けずピアスだけを取り戻したということは、あのピアスは相当高価な物だと判断した。

 

「アイ、そのピアスを――」

 

 渡しなさいと言おうとした。

 その声は、

 

「やりやがったなクソガキャアッ!!」

 

 男の絶叫に搔き消されたが。

 男にとって女は都合の良い存在だ。そんな相手に頭突きをされただけでなくひっくり返されたのだ。怒りは先程までの比ではない。

 (うずくま)っているアイを視界に捉えるや、大股で近づき、その勢いのまま蹴る。

 蹴る。蹴る。蹴る。

 アイは痛みに呻いたり声を上げるが、決して握り合わせた両手だけは開かなかった。

 

「ちょっとやり過ぎよ! 死んじゃったらどうすんのよ!」

「ハァ……ハァ……るっせぇ。黙ってろババァ」

「バッ!?」

「ヤってから風俗にでも堕としてやろうと思ってたが気が変わった。舐めた真似するガキなんざ、ヤり壊してそこらの浮浪者に二束三文で売り付けてやらぁッ!」

 

 少し遠くなったような男と母親の声を聞きながら、アイは握り合わせた手を少しだけ緩めた。カーテンの隙間から僅かに漏れる光をピアスが反射して鈍く輝く。これだけはどんな目にあっても手放さない。ああ、でも。

 

「……けて」

 

 もうここから逃げることは諦めている。それでも、唇は小さく戦慄いた。アイに向かって近づいてきた男が、頭を掴んで押さえつけ、ズボンに手を伸ばしてくる。両手を握り合わせ、目を閉じながらアイは今はもう唯一の家族の名前を囁いた。

 

 

 

 

「助けて――ハルカ」

 

 

 

 

 その時だった。

 先程男が発していた怒号よりも凄まじい音が部屋に轟いた。次いで、何かが壁に叩きつけられるような音がする。

 アイは自分の体に誰も触れていないことに、恐る恐る目を開けた。夕日を背に、他の誰でもない自分自身だけを見つめる家族に、ふわりと自然と顔を緩めることができた。

 ――ああ、やっぱりあなたは、

 

「いつも私を見つけてくれる」

 

 

 

 

 辿り着いた古く安そうなアパートの一室の前で、自分は一呼吸吐いて拳を握り締め、ノックする(ぶん殴る)

 

「――二連釘パンチ(・・・・・・)

 

 打ち込んだ一撃が蝶番を壊して扉を外し、釘のように続けて打ち込まれた二撃目で扉をぶち壊し、奥の壁に叩きつけられる。ノックはしたのだ、挨拶もなく自分は部屋の中に土足のまま上がり込んだ。部屋はゴミだらけで、部屋の隅にはアイに似た年嵩の女。ベランダへ続く引き戸の近くには何かを押さえて自分に向かって叫んでいる男と。

 それと。

 服を引き裂かれ柔肌が露わになって、

 暗くて見ずらいが、けれど露出した肌が赤く腫れて、

 蹲っている……押さえつけられているアイの姿が、そこにはあった。

 

 

 

 

 

『――あら、とうとうバレちゃった』

 

 

 

 

 

 不意に前世の記憶がフラッシュバックする。

 違う。やめろ、キミとアイは違う。そう否定するが嫌でも記憶は引きずり出される。ブレる視界でアイの姿がぼやける。

 だけど、

 

 

 

 

「いつも私を見つけてくれる」

 

 

 

 

「――ぁぁ

 

 不意に聞こえた小さな囁き。その言葉がブレる視界を正常に引き戻していき、次第にアイの姿がハッキリとして――

 

 アイは……笑っていた。

 頬を殴られたのか赤く腫れていて痛むはずなのに、嬉しそうに微笑んでいた。

 

 ああ、君は信じてくれたのか? こんな目に合わせてしまった俺を。探すのに時間が掛かって、君がそんなになるまで追いつくことができなかった俺を。

 視界が少し滲むが無視してアイの元へゆっくりと近づく。途中、何か叫んでいる男が間に挟まってきたし横からアイに似た女も叫んでいる。だが、そんな声は耳に聞こえないし、何より邪魔だ。男が伸ばしてきた手を掴んで後ろへ放り投げる。女――恐らくアイの母親だろうか――は威圧を込めて睨みつけた。アイの元へ辿り着き、外の光を遮っているカーテンとアイの手首を縛っている紐を引き千切り、アイを抱き上げてカーテンで肌を隠す。汚いかもしれないが我慢してくれ。

 

「ハルカ……」

ごめん。ごめん、アイ……

「どうして謝るの?」

俺がアイを一人にさせたからこんなことになったんだ。あのまま話を聞いておけばよかったんだ……

「声がガラガラ。それに……泣いてるの?」

 

 アイの手が俺の頬に触れる。自分では気づかなかったが視界が滲んでいたのは泣いていたからだったようだ。

 

「……みたいだ

「……ハルカが泣いてるとこ初めて見たかも。きゃわ~」

こんな時まで嘘を……いやいい、少しだけ待っててくれ。すぐに終わらせるから

 

 アイが頷いたのを見て、俺は引き戸にアイをもたれさせる。

 涙を拭い、もう一度息を吐く。

 

 ――もう、いいよな。

 これまで何年も感情を抑えてきた。でも、ここ数日は感情を揺さぶられることが多すぎたし、トドメにこれだ。

 

 だから、これ以上もう――抑え込まなくてもいいよな

 

 

 

 

  ★★★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    



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九話

 唐突だが『トリコ』の世界にはノッキングという技術が存在する。

 細い針状の棒など多様に存在する道具を使うことで、生物の小脳にある運動を司る神経組織に刺激を与えて一時的に麻痺状態にすることだ。現実にも主に主に魚類を漁獲した後や捌く前に行う処理方法で、活〆や〆るという言い方で技術は存在している。

 

 序盤に登場し終盤まで出番があった技術ではあるが、終盤になるにつれてノッキング方法や効果のスケールが大きくなり、最終的に自分が受けたダメージを麻痺させて止めたり、地球の自転を一瞬だけだが止めたり、吐息でノッキングしたりと、もはやなんでもありなインフレを起こしていた。終盤途中で退場していなければ『もう全部あいつ一人でいいんじゃないか』と言われても仕方のない人物であり、ノッキング技術だった。

 いや、よく考えたら序盤からおかしかったわ。何でノッキングで体がデカくなるんだ。力を込めた腕が一回りも膨れるならパンプアップでもわからんでもないが、下半身はそのままで上半身だけデカくなるって怖いわ。あと、フグ鯨をノッキングする時もそうだ。指でやるのはいいがどうして指先が細くなるんだよ。初めて読んだ時も驚きや興奮よりも何で? と疑問を覚えたわ。

 

 まあ、あれやこれやぐだぐだと並べていたが、詰まるところ何が言いたいのかというと、

 

ノッキングってやっぱ(スゲ)ぇわ。アンタもそう思わないか?

「    」

なあ?

 

 ノッキングは公式チート技術ってことだ。

 同意を目の前の男に促すが、相変わらず男が何を言っているのか、そもそも喋っているのかすらわからない。たださっきまで俺に向けていた怒りは完全に消えて、涙や鼻水でべちゃべちゃになっている顔に浮かんでいるのは恐怖の感情だけ。視線が合っただけで震える始末だ。だから何だ?

 

そんなに怯えるなよ。さっきまであんなに怒鳴り散らしてただろ?

「   !   、  ……」

 

 な、と聞くが、ブンブンと首を横に振られ何かを叫ぶ。

 おっかしいな、何が男をここまで怯えさせているんだろうか。あっと、アンタも動くな動くな。……少し振り返ってみるか。

 

 アイの無事――あれを無事なんて正直言いたくないが――を確認した後、俺に罵声を浴びせ金属バッドを振り下ろした男の一撃を頭で(・・)受け止めて(・・・・・)、呆けたところをバッドを掴んで圧し折ってまず一発殴った。もちろん男が死なないよう手加減に手加減を重ねてだ。その時はまだギャンギャン吠えていた。バッドの代わりに腕を振りかぶってきたのでカウンターで、

 

二連(ネイル)ノッキング

 

 直観に従ってなんとなく試しに(・・・・・・・・)打ち込んでみたんだったか。感触的に成功して、男も後からきた衝撃と動かなくなってだらりと下がった腕に、また呆けていたな。その隙に同じ技を残りの腕と両足に叩き込み、男は立っていられずゴミ袋を背もたれにして倒れこんだ。

 前々から思ってたんだよ、釘パンチの奥まで浸透する打撃と神経を麻痺させるノッキングって相性良いんじゃないかって。初期設定は先に挙げたように小脳の神経組織に打ち込むとか言ってるけど、覚えている限り普通に肉体殴ってノッキングしてる描写もあったし。失敗しなくてよかったよかった――失敗してもよかったが。

 

 声は聞こえないが慌てふためている姿を見れば、何を言っているのかはだいたい想像がつく。だから何だ? って話なんだが。

 

 そこからは大したことはしていない。ただ少しの力で釘パンチを打ち込んだだけ。二連、三連と一発ごとに増やしてはいるが。今出せる限界の五連まで打ち込んだらもう一度二連からやり直す。

 打ち込まれた側からすれば、殴った後に同じ衝撃が自分の体の内側から発生するんだ。加えて少しでも動けるような仕草を見せれば即座にノッキングで体の自由を奪われ動けなくなる。自分の身に起きている理解の範疇を越えた現象に男は段々と表情を変えていき、最終的に今、目の前で見えている汚い顔になっていった。

 

 

 ……うん、首を傾げたら駄目だな。原因は俺にあるわ。

 ただまあ──だから何だ?

 

アイの服を引き千切ったんだろ? 腫れるぐらい殴ったんだろ? アイが涙の跡を残すぐらい泣かせたんだろ? 好き放題したんだろ?

 

 喋りながら直観が反応したデジカメを手に取り保存された写真を眺める。下着や肌が露出して、空虚な表情で涙を流すアイを写したデジカメを、

 

じゃあ──俺が好き放題やってもいいわけだよなあッ!!

 

 ぐしゃりと男の眼前で握り潰す。怯えた表情が更に深くなり男の顔は真っ青を通り越して真っ白になりかけていた。

 デジカメに非はないが撮った以上存在することを許さない。その場に捨てたかったがデータが修復されて誰か人の目に付く可能性が捨てきれないのでポケットに仕舞い込む。後日改めて完膚なきまでに粉々に砕いて処分する。

 さて、好き放題すると言ったが、どうしてやろうか。正直なところ、釘パンチのループだけで手を出す気はなくなった。そんな事よりもこんな汚い場所にこれ以上アイを滞在させておくほうが問題だ。さっさとアイを連れて帰りたい。

 少し考えて──いや、やっぱ、もう一撃くらいいいよな? ……なァ?

 

ふぅうう──十連(ネイル)ノッキング……!

 

 直観に任せて無理矢理十連まで増やした最後の一撃を男に叩き込む。ビギリと腕から嫌な音が聞こえ、聞こえないがたぶんそれ以上の叫喚と吐瀉物をゴミの山に撒き散らしてゴミ袋の中にめり込む男。ピクピクして動かなくなった男だが直観が生きていると判断したので、もうアイを害する心配がなくなった。よし、と呟いて、逃げないようにするだけで放置していたもう一人……アイの母親の前に立つ。

 

「な、なによ! なんなのよアンタはぁっ!?」

 

 部屋の隅に身を寄せて必死に俺から距離を取ろうとし震えながら虚勢を張る母親を見下ろし俺はただ一言返した。

 

家族だ

「か、かぞく? 家族!? あの子の家族は私だけよっ!!」

アンタは数年前に親権喪失の手続きを端金(はしたがね)で同意しサインと拇印まで押した。アイも今の養親との特別養子縁組が成立している。アンタとアイの間には血の繋がり以外の関係はお互いの気持ちしか残ってない

 

 俺とアイが壱護さんに引き取られる際、本当であれば二人とも後見人として引き取るつもりだったと、以前壱護さんが酔った勢いで漏らしたことがあった。師匠と何を話したかまでは聞けなかったが、司法が関わってくる面倒ごとは研修を除き、ほとんどを肩代わりされたこと、行方の分からなかった星野あゆみから親権喪失の同意書を金の力でもぎ取ってきたことで壱護さんも折れて、アイと養子縁組を結んだらしい。

 加えてアイの養子縁組は通常のものではなく特別養子縁組と呼ばれる、養子と実親との法的な親子関係を解消させ、養子と養親が実親子と同様の関係を構築できる制度だ。ただ、本来は6歳未満の子どもが対象のはずなのだが、師匠は当時12、3歳のアイが特例扱いで制度を適用できるようにしてきたようで、その時だけは少し恐ろしかったな、とは壱護さん談。ちなみにそれが元でミヤコさんと籍を入れたらしい。

 

そんな気持ちもアンタが今日ここで踏みにじったみたいだが

 

 部屋に転がるアイの財布と中身が散乱するコスメポーチを視界の端に収め、母親と同じ視線の高さまでしゃがむ。

 

「あ、アンタ……!」

 

 俺と視線を合わせた母親は何かを見つけたのか、怯えながら震える指を突き立てる。

 

「そ、その目……」

「……目?

「あの子と同じ、その目……! ッ、見るな! 見ないでちょうだいっ! あの子と同じその目でアタシを見るなァッ!!

 

 訳の分からないことを叫び、母親は頭を抱えてその場で蹲る。

 あの子……アイと同じ目? 何言ってんだ? 俺の目がアイのような綺麗な目をしてるわけないだろ。首を傾げながら俺は立ち上がりアイの元へ戻った。本当は罵詈雑言でも言ってやりたかったが、たぶんこれ以上何を言っても届かない気がした。

 

「……アイ。そろそろ帰ろう

「……」

それとも、母親に何か言いたいか?

 

 アイは少し悩んだ後、ふるふると首を横に振った。アイの意思を確認し、金を抜き取られた財布を拾い身分証が入っていることを見てアイに持たせて横抱き……お姫様抱っこでアイを抱きかかえる。コスメポーチと鞄はまた買い直せばいい。

 ブツブツと呟く母親の横を通り過ぎ玄関から部屋を、

 

「……待って」

 

 出る直前、アイが止めた。

 

「やっぱり……お母さんと話がしたい」

「……大丈夫か?

「平気、じゃないかも。でも……今話さないと、きっと後悔するから」

「……わかった

 

 踵を返し部屋に戻る。母親の手が届かない距離にアイを下ろす。

 アイは財布と握り締めていたピアスを俺に渡し、一歩だけ前に進んで膝をついた。

 

「……お母さん」

「……」

「お母さん」

「…………………………なによ」

 

 何も返さない母親にアイは何度も声をかけ、長い沈黙の後ようやく返事が返ってきた。

 

「少しだけ話がしたいの」

「アンタと話す事なんかないわ」

「どうして? 私のこと……嫌いだから?」

「だから……」

「……愛してないの?」

「ッ、ええそうよ! アンタなんか愛してるわけないじゃない!」

 

 我慢の限界だったのか、母親は顔を上げ叫び散らす。

 

「アタシから何もかも奪っていった奴なんか!」

「私がお母さんから奪った……?」

「アタシの自由を! 時間を! 幸せを! あの時好きだった男の意識でさえ──アンタは全部奪っていく!!」

「っ……」

「アンタが生まれてからアタシは不幸だらけよ! 返しなさいよ、アタシが取りこぼした全部!」

「……」

「愛せるわけないじゃない……。アンタなんか」

 

 消え入りそうな呟きを最後に母親は口を閉ざした。

 アイは母親の言葉に何も返さず、沈黙する。

 勝手な、と思い声を発する──

 

「でも……でもね? 私はお母さんのこと、嫌いじゃないよ」

 

 その前にアイが呟いた。

 

「叩かれるのは嫌だった。怒られるのも怖かった。捨てられて独りになった時は胸が冷たかった」

 

「でも、嫌いにはなれなかった」

 

「なんでだろうってずっと不思議だった。けど、お母さんに再会して、昔みたいに傷つけられて、やっと思い出せた」

 

「憶えてる? ちっちゃい頃、一度だけお母さんが私の誕生日にケーキを作ってくれたよね?」

 

「スポンジケーキにイチゴを挟んで生クリームを塗っただけのショートケーキ」

 

「生まれて初めてお母さんが作ってくれたケーキはとっても美味しかった」

 

「何より私を見てくれたお母さんの笑顔が優しかった」

 

「叩かれても、怒られても……きっと、また優しい笑顔を見せてくれるって思ってた」

 

「だから私は叩かれても、怒られても……平気だったんだって」

 

 何かの漫画で、どんなに贅を凝らした料理でも思い出に残った料理には敵わない、なんて描写があったのを不意に思い出しながら、後ろで聞いていた俺は思い出を話すアイを羨ましいと思ってしまった。

 だって俺には思い出の料理なんて何一つないのだから。

 

 アイの話が終わるまで黙っていた母親だったが、

 

「……だから何?」

 

 そう、短く切って捨てた。

 

「そんな昔のことなんてとっくに忘れたわよ」

「……そっか」

「それに今はもっと良い物を食べてるんでしょ」

「……うん。ハルカが……後ろの彼が美味しい物いっぱい作ってくれてる」

「あっそう」

 

 そこで会話は途切れる。

 互いに何も言わずまた無言が続き、それを俺がアイの肩に手を置いて終わらせた。アイは肩に置いた手にそっと触れるともう一度母親に視線を向けた。

 

「お母さん」

「……」

「私、行くね」

「……勝手にどこにでも行きなさいよ。もうアンタはアタシの子じゃないんだから」

「……うん」

 

 立ち上がろうとするアイに、ピアスと財布を渡しカーテンを被せて顔を隠し抱きかかえる。

 

「お母さん」

「っ、いい加減に──」

「私を産んでくれてありがとう──愛してる」

「っ……!」

 

 その言葉を最後に俺は部屋を出た。背後から待って、と聞こえた気がしたが、聞こえないフリをして俺は手すりから屋根へと上り、屋根から屋根へと駆け抜けていく。部屋に突撃した時は夕日が眩しかったが今は陽が沈み屋根の上は街灯も届かないので屋根を走っている所を見られる可能性は少ないだろう。

 それよりも、だ。

 

「あはは、すごいすごい! 漫画みたい!」

「──アイ

「なーに?」

もう、我慢しなくていい

「我慢なんかしてないよ?」

アイ

「……」

「……」

「……本当に、我慢……」

 

 嘘ではしゃいでいた姿を演じていたのはわかってた。仮面を外したアイは胸元を掴んで小さく呟く。

 

「……嘘。我慢してる。すっごいしてる」

だろうな

「なんでわかったの?」

今ばかりは何も隠せてない。ミネたちどころか壱護さんにもすぐにバレるくらいに

「そっか」

それに……」

「それに?」

愛してるって言ったからな

 

 それが決定打だった、と言い終わる前に胸元を掴んでいる手の力が強くなった。

 

「……言いたくなかった」

そうか

「ホントの言葉で、本物の愛を言いたかった……」

「……」

「っ、ひぐっ……言いたかったなぁ……!」

アイ……」

「私は、ぐすっ……どうして……ぅう、ぅぁああ……ッ!」

 

 顔を俺の服に埋めて、アイはしゃくり上げながら声を上げて泣いた。かつて、捨てられたと聞いてしまい飛び出したあの日のように。

 俺は慰めの言葉を何も掛けてやれず、ただただ走る速度を上げた。

 

 胸の内で、出していた答えにもう一度向き合いながら──



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十話

 これにてこの章は終了です。
 考えていることを上手く書ききれず、かつ一話で収めようとしてかなりの量になってしまい私自分でも消化不良ですが、これ以上にらめっこしてもラチがあかないのでこれで投稿します。



 ……もう二度とこんなクソ展開書くか。(なお、確定であと一回は書く必要がある模様)


12/13 十話が五、六話近く投稿されていたので削除しました。
なにがあった!?(重曹風味


「ふぅ……」

 

 心地良い湯に浸かりながら小さく吐息を吐く。なんとなしにこぼした息は思いの外浴室に響いた。全身を包む少し熱めのお湯は、今日起きた出来事の疲労を取ってくれているかのように気持ち良く包んでくれる。体は温まっても心はまだ冷たいままだが。

 

「はふぅ……」

 

 そして心を冷たくするもう一つの理由。

 自分の胸にもたれるように背中を預けるアイ。互いに隠すべきところはタオルを巻いてはいるが、それ以外は肌を晒している。まあ早い話が自分とアイは一緒に風呂に浸かっていた。

 

 

 どうしてこうなったのか。

 数十分ほど前、人目を忍び屋根から屋根へ跳び移りながら帰宅することができた。アイに被せていたカーテンを脱がせ、アイの目に映らないようベランダの隅に丸めて捨て、アイの治療をしようと思ったが、引き千切られて服として機能していない布切れを見て、

 

『……風呂沸かすから、着替えて──』

 

 先に風呂に入ってもらおうと準備をするため、立っていたアイを座らせ着替えを持ってこようとしたが、裾を掴まれて動けなくなった。アイはふるふると首を振りながら自分を見上げて、

 

『一緒に』

 

 ポツリと呟いた。

 いつものように一言二言曖昧に受け流せばよかったか。あるいは、

 

『自分もアレと同じ男なんだぞ』

 

 なんて言って警戒心を持つよう諫めるべきだったのか。

 だけど、正直言って今のアイを一人にはさせたくなくて、ただわかった、としか言えなかった。自動給湯器のスイッチを押して湯が張るまで何もせず、ただジッと肩を寄せ合って座っていた。

 

 お湯が溜まったと給湯器から音楽が流れ、自分とアイは無言で浴室に向かう。途中、脱衣所でアイが脱いだ布切れをカーテン同様後日捨てるため別に置き、タオルを巻いて浴室に入った。共に特に裸に恥ずかしいといった感情は浮かばず、軽く体を洗い流し湯船に浸かり、一緒に吐息を漏らした現在に至る。

 

「……痣のとこ、痛むか?」

 

 湯船に浸かって少し経ってから、自分が沈黙を破った。

 

「ほっぺは触らなければだいじょーぶ。腕やお腹は動く時にちょっと痛い」

「風呂から出たら冷やそうか。発熱用の冷却シートが確かあったはず」

 

 打撲に冷却シートが効果あるのかは知らないが、ないよりマシだろう。ビニール袋に氷水入れた物は嫌がりそうだし。

 

「ハルカは? さっき腕を気にしてたけど」

「よく見てるな。そうだな、少し痛い。自分も風呂から出たら貼っておこう」

 

 アイの言う通り、扉や男を殴った腕が今になって痛みを挙げていた。大丈夫だろうと直観に従ったが、どう考えても短時間に何度も釘パンチやノッキングを使ったのが原因だろう。何か食えば治ると思うが、今はどうしても食欲が湧いてこなかった。

 話題が終わり、また無言の時間を迎える。聞こえるのはシャワーヘッドから雫となって落ちる水の音。少しでも身じろぎをすれば湯舟を揺蕩う水面の音。そして自分とアイの二人分の息遣い。

 その沈黙を今度はアイが破った。

 

「ハルカ」

 

 パシャリと立ち上がり、振り返る。その勢いで体を隠していたタオルが外れ隠されていたものが露わになるが、アイは気にせず自分に覆いかぶさるように膝立ちで向き合う。

 

「アイ……?」

 

 何を、と言葉にするよりアイの動きの方が早かった。自分の頬を両手で掴まえ、

 

「ん……んぅ……」

「な、むぅ……!?」

 

 唇を重ねてきた。

 それはキスというより、ただ唇を押し付けているだけみたいで。

 驚きはしたが抵抗はできなかった。アイを離そうとすれば痛む箇所を触ってしまいそうだし、何より抵抗はアイを拒絶したと思われてしまいそうだったから。

 長い唇の重ね合いが終わり、アイの顔が離れ、でも至近距離で互いの顔だけを視界に映す。頬を掴んだ手はそのままだったが。

 

「……どうして」

「……アイ?」

「ハルカ……私を見て」

「……ああ、見てるよ」

「見てないっ」

「アイ?」

「……うぅん、違う。ハルカは見てくれてる。でも……私を見て、私を見てない」

「一体何を……言ってるんだ?」

「ハルカ……さっき助けに来てくれた時……そして今……その目は、私を見て──誰を見ているの?(・・・・・・・・)

「………………」

 

 ああ、そうか。

 あの時、アイの言葉で引き戻されたと思っていた。だけど、無意識にアイを見ながら、かつてのキミを見ていたのかもしれない。

 膝立ちのアイの背中に手を回し胸に引き寄せる。抵抗せず腕と胸の中に納まったアイを片手で抱きしめ、もう片方の手は自分の頬を掴む手に添えた。

 

「……前世の妻。或いは妻と思っていた相手を見てた、んだと思う」

 

 吐き出すように問い掛けに答えると、胸の中のアイがビクリと震えた。安心させるように抱き締める腕に力を入れる。添えていた手が動き、互いの指を絡め合い離さないよう握り締められる。

 そうして、自分は思い出してしまった前世をゆっくりと話し始めた。

 

 

 とは言ったが、それほど長い話でもないんだがな。

 アイにはどこまで話したか……学生の頃までだったか? ならその後から話そうか。

 高校卒業後、自分は父親の指示で、一人暮らしを始め、父が経営する会社に就職した。仕事内容は説明してもアイにはハテナしか浮かんでこなさそうだから、そうだな、誰よりも早く出社して誰よりも遅く退社しなければならない量の仕事を毎日こなしていた、ぐらいの感覚ならわかるか。──ああ、そうだな。ちょっと前の壱護さんを更にハードにしたみたいだと思ってくれていい。

 来る日も来る日も、日の出前から日付が変わる頃まで、こき使われる日々だったが……就職して実家から離れてからは虐待はピタリと止まって、社長の父親は少しだけだが継母と進学してまだ大学生だった義弟とは一切接触することがなかったんだ。でも、当時はそれだけで幸せだった。

 

 それから数年が経ち、ある日父親が自分を呼び出してこう言ったんだ。

 

『明日、貴様の見合いをする。準備をしておけ』

 

 それだけ言ってまた仕事へ戻す。……わけわかんないだろ? まあ、当然裏があったんだがな、当時の自分はそんなことに気付くことなく、いつも通り指示されたまま、見合いを嘘の仮面を被ってやり過ごして……一ヶ月も経たずに見合い相手と結婚した。

 ──それだけで結婚したの? はは、そうだよな。その反応が普通だよな。でも、自分は当時普通じゃなかった。結婚ってこんなあっさりなんだな、と普通じゃないことを普通だと思い込んで、彼女と結婚した。結婚式なんてやらなかったし、婚姻届けも自分が仕事の合間に出したらしい。しかも……二ヶ月後ぐらいには、

 

『■■の妊娠がわかった。我が家で面倒を見るので貴様は普段通りに生活していろ』

 

 なんて言われたもんだ。

 ──いつヤったの? ……彼女と結婚して同居を始めたその日だろうな。彼女が満足してくれるよう性行為に関する本を読んで予習していたのに、初めて二人で夕食を食べた後、気付いたら朝になっていて、自分と彼女は布団に入っていて、昨晩はどうだったのか、彼女に確認する暇もなく仕事に向かったんだっけ。

 後で気付け……胸をグリグリするのはやめてくれ、痛、くはないけど、ああ、悪かった悪かった。こんな時に余計なことは駄目だよな。

 

 仕事は相変わらず朝から晩まで、実家に戻った彼女と連絡はほぼ取れずの毎日を送り、月日は経過して次に彼女と会ったのは出産した後だった。初めて会った自分の子どもに何も感じなかったけど、それでも出来る限り愛せるようになろうと決意した。彼女も真摯に接してくれた。愛してくれていると思った。

 そこからがむしゃらに頑張ったよ。虐待ばかり受けてきて普通じゃなかったかもしれない。それでも普通の人間になろうと、普通の善き夫善き父親になろうとした。愛そうとした。幸せになろう(しよう)とした。

 

 

 

 まあ、その何もかもが嘘だったんだけどな。

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

「嘘……?」

 

 話の途中で風呂から上がり、ベッドに腰掛けたアイの髪を拭きながらアイのオウム返しに頷いた。

 

「そう、嘘。結婚も子どもも、自分に掛けた言葉全てがみーんな嘘」

 

 それを見てしまったのは、仕事を初めて定時で終わることができた日だった。

 二人を驚かそう、なんて安直な考えで帰宅を伝えなかった。こっそり家に帰ってまず気になったのは玄関に並べられた靴の数。彼女と子どもの靴しかないはずなのに、置かれていたのは男物と女物の靴が一足ずつ。次に気になったのは玄関にも小さくだが聞こえた彼女の声。訳がわからずに足音を殺して部屋に入ってみれば、

 

 

「義弟と彼女が体を重ねていたんだ」

 

 

 もしこの時、彼女が嫌がっていたのならまだ救いがあったのかもしれない。けど、彼女は嬉しそうに義弟を受け入れていた。

 何故、どうして。大学を卒業し、同じ会社に入社してすぐに自分より上の役職に就いていた義弟は本来まだ仕事のはず。彼女は自分の妻なのに義弟を受け入れているのか。思考が纏まらない間に荷物を落としていたんだろう、彼女と義弟がこちらに気付いて、

 

『──あら、とうとうバレちゃった』

 

 面白そうに嗤ったんだ。

 

 

「……なんで? どうして、だって、愛してるって……」

「事が全部終わった後、彼女が全て教えてくれたよ」

 

 

 義弟が在学中に交際を始めた女性……つまり彼女を妊娠させてしまったことが始まりだったらしい。義弟は有名な会社の御曹司、文武両道、社交性にも富んだ、と周囲から評価されるほど優秀な人間だった。自分に対する時は別にしてな。そんな義弟が在学中に交際している相手とはいえ妊娠させたのを知られれば義弟の評価に、ひいては一族や会社の傷になる。そう考えた義弟含め両親はある計画を思いつき実行した。

 

 

「それって……もしかして、ハルカに……」

「正解。妊娠が発覚してすぐさま見合いと称して自分に押し付け彼女を孕ませたよう仕向けた」

「え、え……でも、さっきその人とヤったって……」

「夕飯に睡眠薬を混ぜて、眠ってから服を脱がせてセックスしたと誤魔化したらしい。まったく気づかない自分もあれだけどな」

「ッ……! で、でも……こんなこと言いたくないけど、前世のハルカだって家族だったんだよね? 一族の傷ってものになるんじゃ……」

 

 

 残念ながら学生時代から既に義弟及び両親によって自分の評価は地の底に落ちていた。会社でも自分はコネで入社して毎日誰かに仕事を押し付けてサボっている社会不適合者、なんて言われているぐらいだったしな。傷が付くどころか、そんな愚息を、愚兄を見捨てない善き親善き弟と評判を上げていたんだ。

 

 

「そん、な……誰か、誰かいなかったの? ハルカの仕事を見てた人は」

「会社に誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰宅する自分に気付く奴なんて誰もいなかったよ。仕事場も誰も気付かない小部屋を与えられていてしな」

「……」

 

 

 話を戻そうか。

 そこから義弟と両親、そして彼女がどれだけ用意周到に計画していたのかは知らないが、あれよあれよと転落人生の始まりだ。

 まず自分と彼女の離婚。周囲から自分はDV……家庭内暴力をしていた最低な夫とされていた。それを義弟が自分に隠れて支え続け、いつしか二人に愛情が芽生え……なんて女性向けの恋愛小説みたいなのが筋書きだったみたいだ。悪役の自分の意見は何一つ信じてもらえず、離婚は成立し慰謝料を強制的に支払わされ、当然子どもの親権も取られ彼女に引き取られた。子どもも何年も滅多に会わなかった自分より、実親であり何度も会っていた義弟に前々から父親として懐いていると聞かされた。

 次に会社をクビになった。離婚という不祥事に被せて会社の金を横領したなんてありもしない罪をでっち上げられてな。流されている評判に相応しい不正に周囲は疑うことなく納得し、逮捕されないだけ肉親から最後の恩情だと、両親に同情の声をあげていた。これにも裏があったみたいだが。

 

 

「裏……」

「自分を産んだ母親が自分に残した莫大な遺産。それを得るために父親は十何年も掛けて代理人を懐柔して合法的に遺産を手に入れようとしてたらしい。それまでは自分を手の届くとこに置いていたみたいだが、まあ、クビにしたということは遺産を懐に収めることに成功して、自分が用済みなったということだろうな。彼女に聞かされるまでまったく気付かなかったよ」

 

 

 全てを失い、ボロアパートに移った自分は日雇いの仕事でその日暮らし。毎月、養育費を支払わせられて、支払いが足りない場合は勝手に借金にさせられて、最後はさっき言ったように彼女に事の真相を告げられて、何日か経ったある日に、名前も思い出せない自分の前世は、これまで生かしてくれた肉体と食べてきたモノにしか感謝できず死んだ。たぶん、自分が食義を習得できたのもきっとこの最期があったからなんだろうな。

 そこからはアイに以前話した通り、神様とやらのところで色々あって、転生して捨てられ、名桐悠という人間になったわけだ。

 

 

「あ、あぁ……」

「だから、なんて言うつもりはない。状況も真逆だ。けど、どうしても被ってしまったんだ。自分を助け出した時のアイと見てしまった彼女が……すまない」

「違う……ハルカは悪くない、前世のハルカも何一つ悪くない! 私も……私だって……その人と変わらない!」

「いや、アイと彼女は……」

「同じだよっ! ニノちゃんはハルカはって言ったけど、全然そんなことない! 私は……子どもだけじゃない、ハルカも傷つけるところだった!!」

「……どうしてそこでニノが……?」

 

 叫んだアイを抑え、話を聞くためにドライヤーで髪を乾かしながら動かないようにする。初めは抵抗していたアイも次第に抵抗しなくなり、ドライヤーを受けながらニノとの会話を話し始めた。

 それでようやくアイが子どもを作りたいと考え始めた原因を知った。確かにニノの考察はあながち間違っていない。荒療治としてはどうかと思うが、まあ、ニノなりにアイと自分を気遣ってくれたのだろう。だけど、どう考えても失敗した時にニノが全ての責任を取りそうな気がするので、流石に今回ばかりは仕方ないと許す気はない。ニノには試作第二弾の麻婆豆腐のいけに……、もとい実験体として沈んでもらうことにした。アイの手で食べさせれば喜んで食うだろう。天国と地獄を味わえ。

 

「……そうか。睡眠薬で自分が眠ってる間に、か……」

 

 髪を乾かし終え、ドライヤーを片付けながら自分は呟く。それは、確かに傷ついただろうな。実行され、その報告を聞かされた時に記憶も戻ったかもしれない。ただ、

 

「それでも、アイを責めたりはしなかっただろうなぁ」

「っ、どうして? 同じことをしようとしたんだよ!?」

「だってアイの願いは昔から変わってないから」

 

 彼女と違い、アイとはもう十年に届きそうなほど共に居る。顔を合わせ、会話した数も天と地ほどの差だ。だからこそ知っている、アイが心の底から望んでいることはただ一つだけだということを。

 

「君はずっと、愛そうと、愛されようと必死だった」

 

 それをずっと見てきたからこそ、もしアイが睡眠薬を使って子どもを()そうとしても、自分は受け入れていただろう。……他の男と作ろうとした場合はちょっとわからないし想像したくもないが。

 持ってきた冷却シートの吸着面を剥がし、冷たいぞ、と一言断ってアイの腹部の痣に貼り付ける。

 

「ん……ハルカは私に甘すぎると思う」

「かもな……頬にも貼るぞ……はい、しまいだ」

「ハルカも腕出して。私が貼る」

「助かる。なら、ここに頼む。……なあ、アイ」

「なぁに?」

「色々あったが──まだ、子どもは作りたいか?」

 

 問い掛けに、アイの冷却シートを貼る手が一瞬止まった。だけどすぐに腕に貼り付けると、

 

「……うん。作りたい」

 

 迷うことなく頷いた。

 

「それは、どうして?」

「私の家族が欲しいから。自分の子どもになら愛してるって言えるかもしれないから」

「家族にはなれるな。けど、愛してるって言えるかどうかはわからないぞ。自分は結局、子どもに愛してるって言えなかった」

「じゃあ今度こそ言おう? 前世の子どもに言えなかった分も、私と一緒に」

「言えなかったら子どもはどうするんだ? 言えなかったはいさよなら、で終わらせられないんだぞ」

「そんなことしない。そんなこと絶対しちゃいけないのは、捨てられた私とハルカが一番知ってるでしょ」

「じゃあどうする?」

「何年、何十年、子どもが離れるその時までずっと続けるよ。あ、なんならずっと一緒に暮らせばいいかも」

「独り立ちはさせてやれ」

 

 

「仮に子どもを作るとしよう。アイドルはどうするんだ?」

「続けるよ。まだ辞める気はないから」

「星野アイの幸せとB小町アイの幸せ、どちらも手放す気はない、と」

「うん。私は欲張りだから。手が届く幸せは何一つ零したくない」

 

 

「もしバレたらどうする? 炎上どころじゃ絶対に済まない」

斎藤(・・)社長は絶対怒るだろうなぁ。ミヤコ(・・・)さんもB小町のみんなも……うん、絶対カンカンに怒ると思う」

「それだけじゃない。苺プロで働いているスタッフ全員に迷惑が掛かる。苺プロは潰れ、全員が職を失うことだってありうる」

「……そうだよね。ニノちゃんも言ってた」

「それでも……それがわかっていても、何もかも犠牲になるかもしれないとわかっていても子どもを作りたいか?」

「うん、作りたい」

「そうか……」

 

 

「子どもを作るのは今すぐじゃないと駄目なのか?」

「ダメ。今すぐって決めたから」

「……出産は危険を伴う行為だ。成人でもそうなのに、未成年だとそのリスクはかなり跳ね上がると前世で読んだ」

「そうなんだ」

「子どもが死ぬんじゃない。アイが死ぬかもしれないんだ。その覚悟があるのか」

「ないよ」

「だったら……」

「だって、ハルカがそんなことさせないでしょ」

「っ……!」

 

 

「……最後に教えてくれ」

「うん」

「どうして、相手を自分に選んだんだ?」

 

 なんて最低な質問をしているんだろうか。それでも聞かずにはいられなかった。

 確かにアイにとって一番身近な男は贔屓目なく自分だ。でも、それでも自分じゃなくてもよかったんじゃないだろうか。もっと良い相手がいたんじゃないだろうか。ずっとそんな考えを浮かべてしまう。

 アイは少し間を置き、言葉を選ぶように口を開く。

 

「ハルカが大切だから」

「っ……」

「ニノちゃんは、私だけだったらハルカにも内緒で他の男の人とヤっていたかもしれないって言ってたけど、そんなことは絶対にありえない。あの時、お母さんと一緒にいた男の人に襲われて、怖かったけど改めて絶対にないって思えた」

 

 だって、と、アイは倒れるように自分の胸に体を預けてくる。

 

「この気持ちが恋なのか、愛なのかはまだわからないけど、今の私にとってハルカは、誰よりも大事な家族で、一番大切な人なんだから」

「一番、大切……」

「だから、こんなことをお願いするのはハルカだけなんだよ?」

 

 そう言って背中に手を回すアイ。

 何も返せなかった。呆然とアイの言葉が頭の中を駆け巡る中、ポツリと呟いてしまった。

 

「大切って」

「ん?」

「大切って……どれくらいなんだ?」

 

 アイはうーん、と少し悩み、

 

「私の命くらい?」

 

 疑問形ながら、ハッキリと言った。

 その言葉は自分の中でストンとあっさりと吸い込まれ、不思議なほど納得がいった。

 アイの例えにではなく──

 

 命……ああそうか。そうだったのか。

 冷静になってからずっと疑問だったのだ。自分の直観は、さっきブチギレた時に憶えてしまった(・・・・・・・)『トリコ』世界の直観と違い、自分に迫る危険を知らせるものだ。特に命の危機に迫ることならなおさら。

 そんな自分に対する危険しか反応しないはずの直観が、どうしてアイに対して反応したのだろうか。

 

「ああ……自分にとって君はもう、自分の命と同価値だったんだ」

 

 これが恋なのか、愛なのかは未だにわからない。

 それでも、星野アイは名桐悠にとってもう、なくてはならない大切な存在なんだ。

 前世で彼女に抱いていた思いが面白いほど簡単に塗り潰されてしまうほどに。

 

「そうなの?」

「ああ。自分もアイが大事で、一番大切なんだって今気付いたよ」

「そっか。両想いなんだ、私たち……えへ、えへへ」

 

 胸に顔を埋めながら、アイは笑う。

 なんという現金な奴なんだろうな自分は。自覚した途端、彼女の幻影は見えなくなり、アイの笑みだけで我慢できなくなりアイの体をそっと抱き締める。

 ああ、今になってようやく師匠の言葉がわかった。自分の選択は最初からズレていたんだ。

 アイに望まれたからじゃない。自分が望んでいるんだ。

 最後に誰を選ぼうと? 最初から最後まで自分だけを選んでほしいんだ。

 

「アイ」

「なーに?」

「子ども……作ろうか」

「……いいの?」

「ああ。だけど、子どもを作るのに一つだけ妥協してほしい」

「妥協?」

「今日のセックスで妊娠しなかったら、20歳(はたち)になるまで待ってほしい」

「……それは、やっぱり危険だから?」

「ああ。アイが自分を信頼してくれてるのは伝わった。けど、それでも、怖いんだ。アイが大切だって自覚したからこそ余計にアイを喪うかもしれないことに……」

「そっか……」

 

 大切だとわかった以上、アイの願いは叶えたい。だけど、同時に不安を覚えているのも事実だ。だから線引きにも近い妥協をアイに伝えた。

 少し迷ったアイだったが、自分の顔を見つめた後、妥協を受け入れてくれた。

 

「代わりにじゃないけど、一つ誓ってほしいな」

「ああ、何を誓えばいい?」

「……ハルカも私のことが大切なんだよね?」

「ああ、一番大切だ」

「それって、好きってことなんだよね? どんな好きかは関係なく」

「……そうだな。好きじゃなければ大切だなんて思わないだろうからな」

「なら……これから死ぬまでずっと私だけを好きでいるって……他の誰も好きにならないって誓える?」

 

 胸に顔を埋めてアイは聞く。その体は寒さ以外の理由で震えているのはすぐに察せた。

 

「……ああ、誓う。自分はこの先誰も好きにならない」

「じゃあ名桐悠の全部は、髪の毛のてっぺんから爪の先まで、命まで含めて全部私のもの」

「ああ」

「他の女の子に触ったら……うぅん、他の子と話してもダメだから」

 

 それは、無理じゃないかと思った。仕事とかでB小町の面々やミヤコさんと話す事だってある。いつもであれば少し迷った後にそう苦笑と共に言っていただろう。だけど、胸の中から見上げてきたアイの瞳を見て、

 

「……ああ、それも誓う」

 

 そう嘘をつく。

 俺の言葉が嘘だとアイはすぐに気付くだろう。それでもアイは俺の言葉に目を瞬かせ、にへらと笑った。俺の頬へ手を這わせる。俺もアイの頬へ手を添えた。

 

「なら私も誓う。星野アイの髪の毛のてっぺんから爪の先まで、命まで全部ハルカにあげる。……B小町アイはあげられないけど」

「いいよ、B小町アイはファンに譲る。けど、星野アイは全て自分のものだ。……星野アイも、もう他の男と口を利かないでくれるか?」

「うん。誓う」

 

 そう互いに嘘を吐き、互いの嘘を見抜きながら、互いを引き寄せ、

 

「ん……」

 

 唇を重ねた。今度は一方的に押し付けるだけじゃなくて、互いの想いを乗せた口付け。

 それはきっと祝福/呪いとして名桐悠と星野アイを繋げ、絡まり、雁字搦めに縛り付ける。

 

「……ありがとう」

 

 唇が離れた後に囁いた言葉は聞こえないフリをされて。

 もう一度口付けを交わし、順に重なり合い、ベッドに沈み、そして──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ★☆☆☆



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à la carte La carte3

 

 

〈麻婆〇〇〉

 

 

 夕食後、アイが入浴している間に洗い物を済ませている悠の元に、急に壱護から電話が掛かってきて、

 

『おーう、悠ぁ。なんか酒にあうツマミ作ってくれ。あ、辛い奴で頼むぜぇ』

 

 一方的に掛けてきて、一方的に切られた。

 しかもスピーカー越しの声音からして、しこたま飲んでいるようだ。絶対酒臭い。

 溜め息を吐きつつ、悠は仕方なく洗い物をさっさと片付け、キッチンに立ち、手早くオーダーされた品を作りはじめた。

 

 生姜と長葱をみじん切りにし、豆腐を四等分に切る。花椒(ホアジャオ)をすり潰し、鷹の爪を種ごとみじん切り。醬油に塩胡椒、砂糖を加えた合わせ調味料を作り、下準備は完了。

 加熱したフライパンに油を多めに加え生姜と長葱、花椒と鷹の爪を入れて香りが移るまで炒め、香りが立ってきたら合わせ調味料と豆板醤を加え、手早く絡めたら鶏がらスープの素を混ぜた水で割る。

 沸騰するまでの間に同時に火に掛けていた鍋の熱湯の中に四等分に切った豆腐を入れて茹で始める。

 煮立ってきたら小皿に少しよそい味見を、

 

「あれ~? ハルカ、また何か作ってるの?」

 

 する前に、入浴を終えたアイに見つかっちった。

 

「酔っぱらった壱護さんがオーダーしてきてな」

「またー? 佐藤社長、酔っぱらうといっつも頼むよね」

「ああ。この前なんか夜中に叩き起こされて作らされたから、まだ今日はマシだが……」

「──隙ありっ」

「あっ、おい待て! それは辛──」

 

 一瞬の隙を突いて、アイはよそっていた味見用の一口をチュルッと吞んでしまう。

 

「あふっ……んっ、うん、ピリ辛でおい、しい……?」

 

 味わって感想を言ってる途中で言葉が怪しくなり、

 

「ぴゃー!? がらい~っ!!?」

「ああ、やっぱり……」

 

 あまりの辛さに叫んでしまうのだった。酔っ払い壱護のために普段より辛めに作っていたのだ。さもありなん。

 悠もわかっていたので、コップに牛乳を注いでアイに手渡す。ひったくるように受け取った牛乳を一息に飲み干す涙目のアイ。可愛い。

 

「んくっ、んくっ、んくっ……ぷはぁ! ……ま、まだ舌がビリビリするぅ」

「確認せず盗み食いするアイが悪いからな。まったく……」

 

 もう一杯牛乳を用意しながら、もう一度小皿によそい味見をする。

 頷き、水溶き片栗粉を加えゆっくりと混ぜてとろみを付けたら完成。茹で終えた豆腐をお椀によそい、その上から麻婆あんかけを注ぎ入れて、

 

「完成、と。湯豆腐の麻婆あんかけ風ってところか」

「……それって麻婆豆腐じゃないの?」

 

 牛乳をちびちび飲みながらアイに突っ込まれる。

 二人分作り、ラップフィルムでフタをしながら、悠はだよな、と苦笑した。

 

「まあ、ツマミだったら麻婆豆腐より湯豆腐かなってことで」

「ふーん? んくっ」

「壱護さんに届けてくるけど、フライパンに残った麻婆は舐めるなよ」

「ぜっっったい舐めない」

 

 流石に懲りたのかブンブン首を振って悠を見送るアイ。ちなみにこの日のつまみ食い以降、ちょっぴり辛い物が苦手になってしまったアイちゃんなのだった。

 

 その後、斎藤宅にお邪魔して、案の定、酒の飲み過ぎの壱護に雷を落としているミヤコに見つかり、

 

「悠も悠で、頼まれたらって何でもかんでも作らない!」

 

 と、何故か壱護と二人してミヤコから説教を貰うのであった。

 なお自分と壱護用に用意していた二人分の湯豆腐は自分の分はミヤコに献上することとなり、

 

「あら、結構辛いけどいけるじゃない」

 

 と、ミヤコには好評。

 

「辛っ!? み、水! 水ゥッ!!」

 

 壱護は悲鳴を上げるのだった。

 よくいるよね、辛いの得意じゃないのに食べようとする人。いるいる。 

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

〈麻婆○○ その2〉

 

 

 これはほんの少しだけ先のお話。

 

 悠とアイからの報告や壱護とミヤコ、B小町の面々での話し合いが終わった後。

 B小町三人は悠の誘いで悠の部屋に来ていた。いや、正確にはニノだけ夕食に誘われて、ミネとナベの二人はついでのような感じか。

 リビングでテーブルで囲むB小町四人はキッチンから聞こえてくる調理の音をBGMに雑談に興じている。

 しばらく経つと、調理を終えた悠が料理を持ってくる。

 

「待たせたな」

 

 まずはアイ、ミネ、ナベの前に料理が並べられる。

 

「へー、今日は麻婆豆腐なのね」

「辛さは抑えめに作ってあるから、辛くしたければラー油と山椒を置いておくから好みで入れてくれ」

 

 麻婆豆腐とわかめスープを並べ、テーブルの真ん中にラー油と山椒の小瓶を置く。

 

「あの、お兄さん? わたくしの分は……」

「ニノの分は今から仕上げに掛かるから済まないが少し待ってくれ」

「は、はあ……」

 

 この時からニノは猛烈に嫌な予感に襲われていた。

 先に食べることを謝るアイたちに気にしてないと不安を隠しながら言葉を返す。

 そして、少しして悠が料理を持ってきた。

 

「待たせた。試作第二弾……紅丹朱緋(こうたんしゅひ)の麻婆豆腐だ」

「それはまた意味が掴めない名前の料理です、こ、と……なぁにこれぇ」

 

「……」 「……」

「……」

 

 目の前に置かれた料理を見て、思わず呟いてしまう。

 自分の料理を食べていたアイたちも、どんな料理なのか気になり視線を向けて、言葉を失っていた。

 ニノの前に置かれた皿によそわれていたのは三人と同じ麻婆豆腐だ。

 だが赤い。ただただかった。ルビーのように輝くとろみが付いたスープ。その上に浮かぶラー油が赤黒く赤一色のスープに色のアクセントを加えていた。そんなスープに浮かぶ真白い豆腐と最後に散らされたネギの緑が唯一の目の保養か。

 

(こうたんしゅひ……こうたん? しゅひ? ……否! 恐らく紅・丹・朱・緋、全部赤色の当て字ですか!)

 

 なんて、どうでもいいことを考えて現実逃避してしまうニノ。

 しかし、ニノの正面、アイの隣に同じ料理を持って腰を下ろした悠は逃がさない。ちなみにアイは少し横にズレて悠から距離を取った。

 

「さあ、食べようか? ニノ?」

「ぴぃっ!? い、いやいや、いやいやいやお兄さん? 何ですかこれ!?」

 

 普段絶対に上げない可愛い悲鳴を上げてしまう。

 

「見ての通り麻婆豆腐だが?」

「三人のと比べて赤すぎません!?」

「アイたちに出したのは花椒や唐辛子といった辛み成分を抑えて作った物だ。三人用に使わなかった分を自分とニノの分に加えた」

「え、えげつないわぁ……こほん、何故、わたくしにだけ?」

「お前、今回の件でもし苺プロが被害を被った場合、責任を全て背負う気だっただろう」

「──」

 

 悠の言葉にニノの表情が固まる。

 アイやミネ、ナベもどういうことかと首を傾げる。

 

「まあ、アイから話を聞いただけで立てた予想だが、その固まり具合は当たりのようだな」

「……はあ。どうしてこう、察しが良いんですかね? お兄さんは」

「お前さんが意見を出すだけで投げっぱなしにするとは思えなかったからな。ましてやアイのためであり、あんな突拍子もない提案だ。失敗した時の対処も考えたが……」

 

 手元のレンゲで麻婆豆腐を掬い、

 

「まあ、ニノ個人じゃ無理そうだからな。後は消去法だ」

 

 そう締めくくって口に入れた。

 もぐもぐと静かに咀嚼していたが、数秒と経たないうちに汗が顔中に浮かび上がる。

 それを見て、ぴぃっ!? とアイが悲鳴を上げて隣のナベの背中に隠れた。可愛いと四人の脳内が一時的に一致する。

 

「ふぅ……じゃあ、召し上がれ?」

「あの、今の話とこの麻婆豆腐がまったくこれっぽっちもわかりませんが? というかお兄さんの滝のような汗で全然話が入ってこなかったんですが……」

「自己犠牲はやめようね、という意味を込めたお仕置きだが? ああもちろん、人のこと言えないから自分も食べてるんだが」

「う……うぅ……」

「ふむ、無理か……」

 

 一口、二口と食べていた悠だったが、レンゲを動かせないニノを見て、

 

「アイ」

「な、なにかな?」

「しょうがないから、ニノに食べさせてあげて」

「ぴ!?」

「え? ……で、でも」

 

 悠が頼むが、躊躇するアイ。

 その様子を、アイと麻婆豆腐に視線を行ったり来たりさせるニノ。

 アイもニノと悠に視線を行ったり来たり。悠はそれ以上何も言わず微笑を浮かべるだけ。

 どちらもどうすることもできなかったので、

 

「はぁ……ニノ」

 

 ナベが助け舟を出した。

 

「名桐とアイが、あーんしてくれるならどっちがい──」

アイちゃんに決まってるでしょう!? ……あ」

「はい、じゃあ決まり。ほら、アイ。ニノがやってってさ」

「えーっと……じゃあ」

 

 ナベに促され、ようやっとアイも動き出し。

 誰も使っていなかったレンゲでニノの前に置かれた麻婆豆腐を掬い、

 

「あーん」

「──!!」

 

 ピシャーンとニノに雷が落ちる。

 

(アイちゃんのあーん。推しの子のあーん!? なんだかんだ仲良くなって数年だけど初めてのあーん! いえ、一回はわたくしのケーキを貰おうとアイちゃんの方がしてくれましたけど! ああ、ああ、あの時のアイちゃんの口を開けて待つ姿は脳内どころか魂に焼き付いています! まるで雛鳥が餌を待つかの姿……ああいけない! 思い出し過ぎて愛が噴き出しそうです! ……食べたい、アイちゃんのあーんなんてすぐにでも食い付きたい! この先一生ないかもしれないこの千載一遇のチャンスは是が非でも……! しかし、レンゲに乗ってるのはあのお兄さんでさえ汗が噴き出すほどの辛さ……ああ、でも、でも!!)

「あーん♪ ……──~~っ!?!?」

「に、ニノちゃん? 大丈夫?」

「………………ええ。辛いですが、その奥から旨味が溢れて、意外と、美味しいです、よ? というわけでアイちゃん、もっと食べさせて♪」

「…………あーん」

「あーん♪ ……こほっ、ああ、辛い(幸せ)♪」

 

 

 

 

 

 

「うわ、百面相してたと思ったら笑顔でイったわ……汗だらだらなのに笑顔でおかわりお願いしてるし」

「ニノならアイのあーんは絶対拒否らないはずだからな」

「……名桐、アンタもアンタで汗だらだらのまま愉悦染みた笑み浮かべてんじゃないわよ。ちょっとキモい」

「実は汗は出てるがそれほど辛く感じないんだよな。なんならもっと辛くしてもいい」

「えぇ……」

「今度は香味野菜や調味料じゃなく具材の方に改良を加えてみるか。くくく……」

「絶ッッッ対、アタシは呼ばないでよ。お願いだからっ」



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à la carte La carte4

〈ラーメン大好き ミヤコさん〉

 

 

 こそこそと、だけどウキウキな顔を隠せていないミヤコがブーツを履こうとした瞬間、

 

「……あれ~? ミサトさん、おでかけ?」

 

 なんて、聞こえちゃいけない声が聞こえてしまった。

 

「……」

「……」

 

 ギギギ、と顔をズラせば、あら不思議。

 片や、ウサギ柄のパジャマ姿な星野──公的には斎藤──アイちゃん。13歳。

 片や、コートまでしっかり着込んでいる斎藤ミヤコさん。2×歳。ちなみにアイちゃんの義母。

 寝ているはずのアイちゃんがいるではないか。耳をすませば水が流れる音が。

 

「あ、アイさん……寝てたんじゃ。あと、ミヤコです」

「ハルカの部屋でジュース飲みすぎちゃって……」

 

 どうやらお花を摘んでいたようで。

 なんで壱護だけじゃなくアイさんも寝ているか確認しなかったのよ私ィ! と内心頭を抱えてしまうミヤコ。そんな胸の内を隠してアイをベッドへ誘導しようと必死に言い訳を考え始める。

 寝ぼけまなこでぼやーんとしていたアイだったが、だんだんと意識がはっきりしていき、お目目がパッチリしてくると、

 

「ミサトさんミサトさん」

「ミヤコです」

「佐藤社長に『お化粧キメたミサトさんが夜中にウッキウキでお出掛けしてた』って言われるのと、私も連れて行くの──どっちがいーい?」

 

 楽しそうに、或いは悪そうにミヤコを脅迫した。

 

「え!? い、いえ、流石にアイさんを連れて行くのは……それに、そう、ただの散歩だから──」

「私知ってるんだ~♪ キッチンの戸棚の右下。保存食の奥に──」

「な、なんで知ってるの!? 誰もいない時に隠してたのに!?」

「それにいつもより薄めの化粧、汚れが落ちやすい服。いつもは緩くまとめてる髪がポニーテールに」

「わー! わかった、わかりました! 連れて行きます!」

「いぇい☆」

「で・す・がっ、社長を起こさないよう静かに、かつ手早く、そして寒いのでしっかり着込んでくること! いいですね?」

「はーい!」

 

 とてとて部屋へ消えていくアイを眺め、ミヤコは頭痛が痛いと言わんばかりにこめかみを抑えるのだった。

 ちなみに佐藤社長もとい斎藤社長な壱護さんは、まったく起きる気配なく、

 

「ドームライブぅ……すやぁ」

 

 なんとも良い夢を見ているようで。

 

 

 

 

「さむさむ……ミサトさん、まだ着かないの?」

「もう少しです。あとミヤコです」

 

 雲一つない夜空の中、ミヤコとアイは白い息を吐きながら歩いて目的地へ向かっていた。

 

「にしても、どうしてこんな夜に行こうとしたの? 歩いて着くならお昼とかでも……」

「屋台を出しているのが、だいたい夜十時ぐらいから深夜三時までなんですよ」

「そんな時間でお客さんって来るの?」

「世の中には皆が寝静まった頃に仕事が終わる人だったり、こんな時間までお酒を飲んでる酔っ払いがたくさんいるんです。そういう人が主に利用してると思いますよ」

「かぱかぱ瓶のお酒飲んでる佐藤社長みたいな?」

「……まあ似た者ですね。ああ、そこの曲がり角でやってるはずです」

 

 ミヤコが指差した公園の曲がり角。そこだけ街灯以外の光で明るくなっていた。鼻にも夜なのにお腹が空いてしまいそうな良い匂いが届いてきた。

 走りそうとするアイを抑えながら曲がり角を曲がると、公園の向かいに建つお店の駐車場に荷台部分が料理場となった軽トラが駐車しており、そこで老人が一人で切り盛りしていた。公園を囲う低いブロック塀や駐車場のパーキングブロックに座って何人かの客が食べていた。

 

「はえ~、これがミサトさんが食べようとしていた屋台のラーメン」

「ええ。前々から食べたかったんですけど機会がなくて。ホントは一人でのんびり食べたかったんだけど。あとミヤコです」

「意外だよね、ミサトさんってすっごく美容にうるさいのに、好きな食べ物がラーメンなんて。しかも真夜中に」

 

 実はそうなのだ。散々美容にうるさく、かつ給料の大半をヒアルロン酸注射等、美容治療のために注ぎ込んでいるミヤコの好物はラーメンだったりする。上京するまで、上京してすぐの頃は週に何度もラーメンを食べていたが、キャバクラやクラブで働き始め、自分磨きを始めた頃に禁煙ならぬ禁麺をしていたのだ。

 壱護さんに誘われて苺プロに入ってから禁麺は解除したが、美容のためにあまり食べないようにしていた。でも時々どうしようもなく食べたい時があるもので、

 

「今日はチートデイなので」

 

 こうしてボディビルダーみたいな言い訳を携えて食べているのだ。

 

「ラーメン二つください」

「あいよ。っと、めんこいお嬢ちゃんたちが来るのは珍しいのぉ」

 

 柔和な笑みを浮かべておじいちゃんが調理に取り掛かる。

 沸騰している鍋に細い縮れ麺を二玉入れ、茹でている間にどんぶりにかえしとうま味調味料を入れる。

 

「お嬢ちゃんたちは姉妹? それとも親子かな?」

「えぇっと……」

「ミサトさんはママかな」

「書類上はそうですが……それとアイさん、せめてママじゃなくてお母さんにしてちょうだい」

「ママぁ」

「うぐぅ……間違ってないけど、間違っていないんだけどぉ……」

「……それにお母さんはお母さんだけだから」

 

 世間話として少しばかり重めの返しだったが、おじいちゃんは「そうかそうか。仲良ぇのう」と笑みを深めるだけで何も聞かなかった。

 麺を茹でている鍋とは別の、もう一つの鍋のフタを開け、豚ガラや鶏ガラ、数種類の野菜が煮詰められたスープをかえしの入ったどんぶりに注ぐ。タイマーなどセットしていないのに長年の経験で茹で上がったと判断した麺を掬い、チャッチャとザルで湯切りしどんぶりによそう。その上にチャーシュー、メンマ、ナルト、ネギを乗せて、

 

「はい、お待ちどう」

 

 おじいちゃんが屋台を始めて三十年。変わらない味付けの醤油ラーメンの出来上がり。

 

「それと、めんこい二人にはサービス」

 

 最後に、本来は有料トッピングのゆで卵も縦に切って、おまけとばかりに乗せてくれた。

 

「ありがとうございます」

「ありがと、おじいちゃん!」

「なんのなんの。ああそうじゃ、イス出してあげるから暗いとこ行かずに屋台の近くで食べんさい」

 

「店長やっさしー!」

「俺らにも優しくしてくれよー!」

 

「そう言うならツケてる分今日払って貰おうかの~」

 

「うそうそ! 店長さいこー!」

「給料日に払いにきまーす! わはは!」

 

 常連客だろう、やや酔っぱらったスーツ姿のサラリーマンの声に対応しながら、おじいちゃんはパイプ椅子を出してくれる。ミヤコとアイはお礼を言ってラーメンを食べ始めた。その間も他のお客がちらほらと頼んでいく。

 

(色んなラーメンを食べてきたけど、屋台のラーメンって言ったら縮れ麺に醬油ベースよね)

 

 ミヤコは息を吹きかけ、ずるずると一息に麺を啜る。もちもちと縮れた細麺がスープとよく絡んでいる。他の店に比べて少し薄めだが、夜中に食べる分にはちょうどいい味付けだ。それに薄くとも肉や野菜の出汁がしっかり効いているので物足りないと感じることはない。

 

(それとこのメンマ、たぶん自家製ね。市販の味付けメンマはこんなに味が深くないわ)

 

 加えておまけしてくれたゆで卵も黄身がこぼれない程度に固まった半熟だ。また、白身が中まで色付いていて、しっかりと漬けてあるのが見ただけでわかる。

 

「ずるる……はぁ、うまうま」

「ふふ、アイさん。チャーシュー、私の分もどうぞ」

「いいの!? ありがとミヤコ(・・・)さん!」

「どういたしまして。それとミヤコです……ん?」

 

 チャーシューに喜ぶアイを見て、何か気になったが、ミヤコは気のせいと、ラーメンを食べるのを再開した。

 しっかりとスープまで飲み干した二人はぷはぁと満足げに寒暖差で白くなった吐息をこぼす。

 

「ごちそうさま。どうでしたかアイさん」

「とっても美味しかった。ごちそうさま! おじいちゃん」

「はい、お粗末様。スープまで飲み干してくれると冥利に尽きるのう」

「なんて言うのかな。ほっとする? 優しい? そんなスープだった!」

「そうかそうか」

「……これ、ハルカにお願いしたら作ってもらえるかな」

「無理だな。自分でも似た味は作れるが、この味と安心感は何十年も作ってきたこの人しか出せない」

「そっか~……あれ?」

 

 アイは疑問に首を傾げた。

 どうして独り言に答えを返す人がいるんだろう。男の声だったからミサトさんじゃないはず。

 振り返ると、

 

「ずるずる……うん、美味い。夜間の冷たさにラーメンの温かさ、そしてこの薄めだが出汁がしっかりとした優しいスープ。なるほど、こういうのを調和してるって言うんだろうな」

 

 なんと自分の部屋で寝ているはずの悠がラーメンを啜っているじゃないか。

 

「ハルカ!?」「悠さん!?」

「おやまあ、知り合いかい?」

「家族です。二人を迎えに来たついでに良い匂いでしたので」

 

 ごちそうさまでした、と空になったどんぶりを置く。洗いますね、と断りを入れて自分のとアイとミヤコが空にしたどんぶりを裏手の水道で洗う。

 おじいちゃんは悠の行動に驚くことなく「すまんのう」とお礼だけ言った。

 

「ど、どうして悠さんがここに?」

「夜中に二人の声が外から聞こえたので、心配になって後をつけてました」

「い、壱護には……」

「……夜間外出の許可を貰うために話しました。一応、後見人になってもらってから日が浅いので」

「ああ……終わった」

 

 帰ったあとのことに頭を抱えるミヤコ。

 実際、悠に起こされた壱護は現在、リビングで三人が帰ってくるのを待ってたりする。

 

「それじゃあ帰ろうか」

「うん。じゃあねおじいちゃん」

「ごちそうさまでした……」

「またおいで~」

 

 そんなこんなで帰宅する三人。

 当然待っていたのは、壱護によるお説教だった。

 まあ、お腹いっぱいになっておねむになってしまっていたアイちゃんには暖簾に腕押しであったが、ミヤコさんにはしっかり雷が落ちるのであったとさ。

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

〈泡沫の願い〉

 

 

 それを見かけたのは偶然だった。

 

 壱護さんがもぎ取ってきた地下アイドルとしては大きめの地方ライブの仕事に自分も裏方として参加していた。未成年、それどころか中学生の自分だったが落ち着いた雰囲気と仕事をこなす姿に苺プロ以外のスタッフから怪しまれることはなかったが。

 B小町はまだまだ地下アイドルから抜けきらないグループだったが、しかし、既に人気は出始めていて、ライブのチケットは早い段階で完売したらしい。

 事務所の作業や小さなライブの裏方なら何度かやっていたが今日のような大型は初めての体験だった。ファンの熱量は凄まじく人の熱気に充てられて、顔に出していないつもりだったが、壱護さんにも気付かれ休憩するよう言われ、自分は壱護さんの好意に甘え、会場の外に涼みに出た。

 火照った頬に夜風が気持ちいい。長く息を吐いて熱狂が届かない場所で休憩しようとして、移動しようとした時だった。

 

「……救急車?」

 

 会場の近くに駐車されている、白地に赤いラインの入ったワンボックスカーを見つけたのは。

 赤いランプは点灯しておらず、外で救急隊員らしき人物たちが談笑しているのを見るに、何かトラブルが起きて呼ばれたわけではなさそうだった。

 一体どうして? 何か起こるのか?

 もしかしたらアイたちに関係するかもしれないと思い、自分は休憩のために外していた身分証を首に掛け直して隊員に近づいた。

 

「お話し中すみません」

「おっと、どうした? 少年」

「現在ライブ中のアイドルが所属している事務所の者です」

 

 掛けられた身分証を掲げてみせる。自分がスタッフだとわかると姿勢を正し、丁寧に挨拶を返してくれた。

 何があったのかと聞けば、事故や要請があったわけではなく、九州で入院しているとある患者の願いを叶えるために送迎をしているみたいで。

 

「それがライブを見に来ることだった、と」

「最初に話が来たときは、どこのボンボンが、んな無茶をとは思ったけどな。わざわざ研修医の兄ちゃんが頭下げにきて、なあ?」

「ああ。患者に入れ込むのはどうかとは思ったが、見上げた根性だったよ。んで、ウチの上司が研修医の熱意に負けて送迎を引き受けたんだ」

「そうでしたか」

「まあ、研修医の兄ちゃんの熱意もそうだが、患者の境遇を聞かされちゃあなぁ」

「同じ年頃の娘を持つ身としては個人的にも叶えてやりたくなってしまってな」

 

 それはまたすごいものだ。

 海外ではよく取り上げられるような要請を受け入れた隊員たちもそうだが、患者の願いを叶えるために奔走したらしい研修医も、外出許可を貰えるよう病気に耐えきった患者も。

 なんだか眩しい物を見ているみたいだった。

 

「それじゃあ患者は」

「今頃特例で入場を許可された研修医の兄ちゃんとライブを楽しんでいるはずだろう。流石に最後までは無理だから、どこかで抜けてくるだろうけど」

「それまでお二人はここで? 寒くありませんか?」

「いやいや、さっきまで中に入ってたんだよ。けど入り口近くでもファンの熱狂がすごくってね、二人して涼んでたんだよ」

 

 わはは、と二人して笑う姿に自分も流れに合わせて笑みを浮かべる。

 同時に会場の方からも大きな歓声が外にいても聞こえてきた。

 

「アイドルのことは知らんが大人気なことだ……あの子もあんな病気にならなけりゃもしかしたらアイドルになってたかもしれねぇのにな」

「……そこまで良くない病気なんでしょうか?」

 

 会場の方を見てポツリと呟かれた一言。

 自分は思わず聞いていた。

 

「おっと……口に出ちまってたか」

 

 まあいいか、と他言無用だぞと前置きされて、患者の病名を教えてもらった。

 

 退形成性星細胞腫。

 噛みそうな病名のそれは──厳密には違うが誰もがわかるような病名に言い換えるなら、脳で発生する癌だそうだ。

 何千何万人に一人に発症する難病であり、患者の年齢も重なり完治できる可能性が低い病気らしい。

 

「俺たちも研修医の兄ちゃんから聞いた事しか知らないが、あの子にとってあのグループ、ええと……」

「B小町です」

「そうそう、B小町。B小町はあの子の色褪せていた入院生活の心の拠り所になってたみたいでな、深夜番組で初めて見た時からずっとファンらしいんだ」

 

 それは覚えている。確か結成されてから間もない頃に深夜に放送された番組で、初めてB小町がテレビ出演した時だ。その時は他のグループと一緒に取り上げられて、実際に放送された時間は収録の半分にも満たないものだった。

 しかし、患者はその短い時間の中でB小町を知り、ファンになってくれたのか。

 

 それはなんていうか──羨ましくて(・・・・・)寂しいだろうな(・・・・・・・)

 

 ……なんで、自分は今そんな感傷に思い至った?

 自分に問い掛けるも答えは出ることなく、首を傾げたまま。だけど、どうしてか何かしてあげたいと思った。この先、再び患者が今日みたいにライブを生で見られる可能性は低いだろう。病気もそうだが、チケットを取れるかわからない。ライブ会場が近い場所かどうかもわからないのだ。

 だったら──せめて生きようと思えるきっかけぐらいあってもいいじゃないか。

 自分は最後にもう一つだけ質問してから、隊員たちに礼を言ってその場を離れた。

 

 会場に戻り、自分はまっすぐに荷物置き場に向かいライブ開始前にサンプルとして貰っていた二種類の色紙を取り出し、楽屋に走る。時間を確認し、たぶん、予定通りの進行なら今は休憩のはずだ。

 楽屋の扉をノックして許可を貰ってから楽屋に入る。楽屋にはアイたち四人が思い思いに休憩をとっていた。アイとニノはお菓子を食べている。ミネはスケジュールの流れを確認し、ナベは携帯を操作していた。

 

「休憩中すまない。全員に頼みがある」

「お兄さんが頼み事って珍しいね~」

「面倒なことはパスしたいんだけど」

「この色紙にサインしてほしい。四人全員」

 

 一枚目を取り出す。B小町四人が印刷されたものだ。

 

「アンタがサイン欲しがるなんて珍しいけど、誰に頼まれたのよ」

「誰にも頼まれてない。自分の意思だ。頼む」

 

 頭を下げて色紙をミネに渡す。

 ミネがどんな表情をしているかわからないが、自分の手から色紙が抜き取られる。

 

「ふーん……ナベ」

「ん……ま、名桐なら変なことしないでしょ。ニノ」

「は~い……完成っと。はい、アイちゃん」

「はいは~い、ア~イっと、はい、ハルカ」

「ありがとう四人とも。それと、アイにはもう一枚頼む」

 

 書き終わった色紙を受け取り、アイにもう一枚の色紙を渡す。今度はアイだけが印刷された物だ。

 ピリ、と楽屋内の雰囲気が変わった気がしたが、気付かないフリをして、

 

「サインだけじゃなくて、言葉も添えてもらっていいか」

 

 サインを書いてもらいながら、追加の希望を出す。

 

「いいよ~。なんて?」

「……『また、ライブで待ってるからね。約束だよ』」

 

 アイのペンの動きが止まる。自分を見上げ、視線が合うと「うん、わかった」と何も聞かずに嘘を書き込んでくれる。

 代わりに声を上げたのはナベだった。

 

「そんな嘘書かせてどうすんの。おんなじような奴は何人もいるのに、その度にウチらに頼むつもり?」

「いや……いや、ナベの言う通りかもな。流石に頼むのは今回限りだ」

 

 でも、と色紙を受け取り扉の方へ向かい、

 

「なんでだろうな。何でかわからないが、自分みたいになってほしくないって思ってしまったんだ」

 

 扉を開ける。

 楽屋を飛び出し──そこで、

 

 

 

 

「──夢、か」

 

 目が覚めた。

 まだ半覚醒の頭に遠くからアナウンスの声が届く。頭を振って覚醒を促し、ここがどこかを思い出す。

 

「……新幹線より飛行機の方がよかったかもな」

 

 何もせず数時間ただ座っているだけだったので眠ってしまったのだろう。

 それにしても懐かしい夢だった。

 

 あの後、隊員たちの元へ戻ると帰路に就く直前だった。患者と研修医は既に乗車済みで会えなかった。会う気もなかったので、出発される前に助手席に座る隊員に患者に渡すよう頼んで色紙を渡し、すぐに会場に戻った。

 アイたちの追及ものらりくらりと躱し続け、ライブ後から壱護さんにB小町の方針について直談判したり、他にも色々とやっていたので、その後の患者のことは一切耳にしていないし記憶の片隅に埋もれていた。今回の目的地が宮崎──九州だったので夢という形で思い出したのだろう。

 

 あの時は何であんなことをしたのかわからなかった。けど、記憶を思い出した今ならわかる。

 多分、記憶がないまま自分と患者を重ねてしまったんだろう。自分みたいに望みも希望もないまま孤独に終わってほしくなかったのだ。『トリコ』と『食戟のソーマ』が前世の子どもの頃の心の拠り所だったように、あの色紙が、アイに書いてもらった言葉が、患者が少しでも長く生きたいと願う理由に繋がってほしかったんだ。

 まあ、ナベに言った通り、あんなことをしたのは後にも先にもあの時だけだった。

 

「病院でアイと壱護さんに合流して時間が空いていたら、聞いてみるか」

 

 もう三、四年も前の話だ。憶えている医者がいるかどうかわからない。それでも思い出したんだ、聞いてみるぐらい問題ないだろう。

 ある程度の目的を立てているとアナウンスで降車駅に到着したと聞こえた。自分は乗り換えるために荷物を持って席を立つのだった。

 

 

 目的地は──宮崎総合病院。



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記録④ 新星を抱く一番星と遠き月に臨む転生者
一話


「……ぅん……」

 

 カーテンの隙間から漏れる朝の陽射しと胸元から聞こえてくる声で目を覚ます。不思議と今日は夢を見なかった。

 視線を時計に向ければ、普段の起床時間よりだいぶ遅めの時間を差している。そのまま視線をずらせば自分の胸の中で寝息を立てている妹分――いや、もう妹として見たら駄目だな。それに自分も以前と違い彼女を抱き締めるように眠っていたようだ。

 寝ているアイの髪を撫でるよう梳かす。髪に触れられたことに反応してか、胸の中に入り込もうと顔を(うず)めてくる。

 その際に布団から何も身に纏っていないアイの素肌が露出する。昨夜は行為を終えた後、共に何も着直さずに寝てしまった。布団を引き上げアイを隠すように被せる。

 寝ているアイを改めて見て、改めて昨夜の情事を思い出す。

 後悔していない、と言ったら嘘になる。けれど、覚悟は決めた。互いに誓い合った。なら、あとは運に任せるのみだ。

 

「……ぅんっ……ん、ハルカ?」

 

 ずっと髪を梳いていたからだろう、アイが目を覚ました。

 

「おはよう、アイ」

「……」

 

 寝起きで頭が働いていないからなのか、胸の中から自分を見上げると、へにょりと綻び、

 

「ハルカのけだもの~」

「――」

 

 とんでもないことを口にしてくれやがりました。どこで覚えたんだろうね、そんな言葉。

 ビキッと顔が凍り付き真顔に固まった。隠すように髪を梳いていた手で顔を覆う。

 いや、別にアイに対してキレそうになったわけじゃない。寝ぼけているとはいえアイが言ったことは事実に近い。

 

 自分の方は知識はあるとはいえ、互いに初めてだったのだ。アイが痛みを感じないよう覚えている知識を総動員させて、なんとか初体験を終えることができた。

 そこまではいい。問題はそのあとだ。

 事が済み、あとは余韻に浸るだけと思っていたら、

 

『やぁ――もっとぉ』

 

 なんて、おねだりされてしまって。

 あーだこーだと言い訳したり、怪我している点を指摘したが、

 

『ん、ハルカ……ハルカぁ――もっと、シよ?』

 

 いや無理だって。

 あんなに真剣に想いを交わした後なのに、あんな惚けた声と顔でおねだりされたら、誰だって抵抗できない。肉体・精神両方の耐性はかなり高いと自負していた自分ですらこの様なんだ。

 だけどせめて、けだもの呼ばわりだけは否定させてほしい。

 そりゃあアイの睦言? に負けて結局四回戦ほど致したが、一応理性だけは最後まで切れることなく保ち続け本能に抗って、無茶苦茶にしないよう最後まで耐えたのだ。

 ……改めて考えたら、アイ相手によく耐えたな。いや、昨日起きたこと考えたら理性を保つのは当たり前なのだが。

 

「……痛みとかはないか?」

「ん~……じんわりと?」

 

 けだもの発言には取り合わず、話題を変える。

 

「そうか。今日は……次の打ち合わせだけだったな。動けそうか?」

「たぶん大丈夫ぅ……むふ~」

「……」

 

 まだ寝足りないのか、自分の胸に顔を寄せてスリスリしてくる。

 早めに起きていなければ色々と危なかった。

 いや、自分の理性ってこんなに脆かったか? ちょっと食義の合掌時間か本数を増やして精神を鍛え直すか?

 

「ひとまず起きてシャワー浴びてきな。その間に朝食を準備しておくから」

 

 本当は誕生日のお祝いとして準備していた料理だが、昨日は帰ってから飲まず食わずで終わってしまったので手付かずになっている。そのまま出すには少々重めなのでアレンジしておくか。

 布団をめくり起床を促す。

 

「さむさむ……ハルカ」

「なんだ?」

「おはようのちゅーと子づくり、どっちかし――んむっ」

「ん……ほらさっさと入ってこい。風邪ひくぞ」

「…………えへへ。はーい」

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

 アイがシャワーを浴びている間に寝間着を適当に着直す。この時、昨日釘パンチやノッキングを何度も打った片腕がいつものように動かせないことに気付いた。痛みは引いていたが経験則から罅がはいっている程度(・・)だろう。食事をすれば治るし罅程度なら特に支障はないが、今現在の限界がどこまでか知れたのは良かったというべきか。

 いや、五連で限界と決めつけるのは駄目だ。もしまたアイに何かあった時に、五連で片付けられない相手が出てくるかもしれない。過去に加減がどうと言っていたが、アイを守れるならそんなものはゴミ箱に叩き捨てる。これからは食義だけでなく筋トレ等も日課に加えようと決めた。

 

 そんな自分のことはさておき朝食だ。

 スープは作っておいたセンチュリースープ(仮)でいいとして、メインは……よし決めた。

 昨夜使おうと用意していたステーキ用の肉を叩き、脂身を除き一口サイズにカット。それを熱したフライパンでカリカリになるまで焼く。途中出てくる肉汁は肉にかけながら全て拭き取る。カリカリベーコンならぬカリカリステーキが完成したら一度皿に移す。

 

「あがったよ~」

 

 次は、と思った時にアイが風呂から出てきた。

 一度調理の手を止め、用意していた温めた雲苺ミルクをアイに渡す。

 

「ありがと。……これ、久しぶりだ」

「そうか? ……そうかもな」

 

 入れ替わりで手早くシャワーを浴びる。

 五分も掛からず風呂からあがり、料理の続きを始める。

 と言っても後は米を手付かずのシチューに加えて煮込み、最後にカリカリステーキを加えて完成だ。

 

「お待たせ。食べようか」

「おかゆ?」

「リゾット……のつもりだな」

 

 実際おかゆや雑炊、リゾットってあまり区別がついていない。確か調理法が違ったと思うが、まあ一般家庭にそんな細かいことは必要ないだろう。要は簡単で美味いかどうかだ。

 リゾットとセンチュリースープ(仮)、あとは斜めに切ったきゅうりにトマトを乗せたブルなんとかもどきをテーブルに並べて手を合わせる。

 

「いただきます」

「いただきまーす」

 

 リゾットは元のシチューからして薄めの味付けにしておいたが、カリカリに焼いたステーキ肉が触感と肉々しい味でちょうどいい塩梅が取れてる。脂も取れるだけ拭いたのでそこまで重たく感じることはない。

 

「もぐもぐ……おかわり!」

「ああ。食べ過ぎるなよ」

「だいじょーぶだよ。それにこれからは二人分食べなきゃだし」

「早い早い。昨日の今日でそれは早い」

「そう? 妊娠ってどれぐらいでわかるのかな?」

「……だいたい最短で一ヶ月くらいだったはず。自分としてはハズレてほしいが」

「ふ~ん……じゃあ子づくりして妊娠するのって、何パーセントぐらいなんだろ」

「いや、それは知らない。そこまで高くないとは思うが……一割、10パーセントもないんじゃないか?」

 

 あとで自分も気になり、出掛ける前に軽く調べたが、妊娠する確率はおよそ20~30パーセントらしい。

 予想より高かった。

 

「なら昨日はたくさんシたし、確率は高いってことだね!」

「……そーだな」

 

 そんなに明け透けに言わないでほしい。言ってるアイよりも聞いている自分の方が照れてくる。

 あとたぶん、確率は毎日致さなければ変わらないと思う。

 それとなアイ? もう少し慎みを持とう。その勢いのままだと外でうっかり喋っちゃう、なんてことになりかねないからな?

 

 赤裸々な会話を続けている内に朝食を食べ終わる。

 アイの準備を横目に、自分は壱護さんに電話を掛けた。内容は大事な話があるからB小町全員とミヤコさんを含めて時間と場所を作ってほしいということ。

 スピーカー越しに呻く声が聞こえたが、すまない、話を聞いた後はもっと痛むはずだから我慢してほしい。今回は殴られるのも覚悟してる。

 

「準備できたよ」

「わかった。今行く」

 

 変装を済ませたアイに呼ばれ玄関へ向かう。扉を開けると、差し込んだ光がアイの両耳に付いているピアスに反射して、キラリと赤と青の輝きを放つ。

 部屋を出て屋上へ向かう。屋上は基本的に立ち入り禁止だが、そこはまあどうとでもなる。

 

「それじゃあアイ」

「うん」

 

 呼び掛けに、アイは自分に近づき腕を首に回す。横抱きにアイを抱え、そのまま直観に身を任せて集中して気配を静めていく。

 自分ではよくわからないのでアイに聞いてみた。

 

「さっきよりハルカの存在感が薄くなってる気がする。こうして抱き着いてないと、たぶんどこにいるかわかんないかも」

 

 なら『トリコ』の初期にだけ出た技術である消命は成功ということだ。

 本来は警戒心の強い獲物に近づくため、気配をくらませる技術だが、

 

「じゃあ、いくぞ。昨日みたいにはしゃぐなよ」

「はーい」

 

 こうして屋上から屋上へ走っていく姿を見られなくて済む、ということだ。

 まあ、カメラに映ったらどうなるかはわからないが、そこは直観に任せたルートを辿ればいいだろう。たぶん。

 

 そんなことを考えながら、アイを抱え事務所へと文字通り跳んで行くのだった。



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二話

 屋根を伝い、公共交通機関よりも早く事務所の屋上に到達する。他の家屋と違い、事務所の屋上は解放されているので降りる時に見られても問題はない。

 アイを下ろして事務所へ向かう。

 

「あれ、名桐君。もう来てたのかい?」

 

 階段を降りると、ちょうど事務所のあるフロアの出入り口で男性スタッフの一人と鉢合わせする。

 その際、後ろを付いていたアイがピクッと反応して、ほんのわずかだが自分の後ろに隠れるようズレた、気がした。

 

「……ええ。おはようございます野呂さん」

「はい、おはようございます。……おや、アイちゃんも一緒だったんだ」

「うん。おはよう茂呂さん」

「あはは、アイちゃんは相変わらずだね。野呂だよ」

 

 いつもと変わらないアイの挨拶に、スタッフは笑いながら訂正する。

 アイが名前を間違わない相手は自分とB小町以外ほぼいない。普通は何度も間違えられたら不快に思うかもしれないが、アイの場合そういうキャラでやっていると思われている。特に壱護さんやミヤコさんも間違わられているのでスタッフも特に何も言わず笑って受け入れてくれている。

 休憩に行く途中だったみたいで、壱護さんたちが応接室で待っていると教えてくれると、入れ替わりで屋上へ登っていった。

 

 特に言葉を交わすことなく別室に辿り着いた。

 ノックをしようとすると、

 

「あ、ちょうどよかった」

 

 別の男性スタッフから声を掛けられた。腕には段ボール箱を抱えている。

 

「アイさん、ファンレターが届いてますよ。どうぞ」

「わぁ、たくさん。ありがとうございまー……」

 

 段ボールから抜き取ったファンレターを差し出す。

 アイも受け取ろうと手を伸ばして受け取る。その時、

 

「っ……」 

 

 わずかにアイの指先とスタッフの手が触れた。瞬間、アイがまるで火傷したかのように手を引っ込めた。

 バサバサッとファンレターが床に落下し散らばる。

 スタッフは驚いているが、手を引っ込めたアイもあれ? と自分の手と落ちたファンレターに視線を行き来させていた。

 さっきの反応と今の反射的な行動に、自分はまさかと嫌な予想を浮かべるが、

 

「大丈夫か? 静電気でも溜まっていたかな」

 

 ひとまずこの場を乗り切るために、床に散らばったファンレターを拾い集める。

 

「これで全部と。長谷川さんも大丈夫でしたか?」

「え? あ、ああ。俺はバチッとこなかったから大丈夫。ごめんねアイさん」

「え、あ、うん。こっちこそファンレター落としちゃってごめんなさい!」

「長谷川さん。その段ボールの中は全部B小町四人宛てですか? そうなら、これから会議なので自分が預かります」

「あ、そう? じゃあお願いしますね」

 

 段ボールを自分に渡すと、スタッフは事務所に戻っていく。ちょっと首を傾げていたが誤魔化せただろう。

 アイは不思議そうに手を見つめているが、たぶん、そういうことなんだろう。

 壱護さんたちに話すことが増えたな、と思いながらドアをノックするのだった。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

 応接室で待っていた壱護さんたちに挨拶して段ボール箱を置き、壱護さんの対面にアイと並んでソファに座る。ちなみに壱護さんとミヤコさんが並びで座り、ミネたちB小町三人は少し離れた所で、予備で置いてある一人用のソファにそれぞれ座っていた。

 

「それで? 大事な話ってなんだ?」

 

 アイの頬に貼られた冷却シートを気にしつつ、嫌な予感をひしひしと感じながらも毅然した態度で自分とアイに向き合う壱護さんに、自分とアイも背筋を伸ばして視線を合わせる。

 

「先に結果だけ話せば……昨夜、アイとセックスをした」

「……は?」

「避妊対策もせず、アイも危険日で……孕む前提で性行為をした」

 

 目を逸らすことなく、一字一句ハッキリと壱護さんに伝える。

 昨日の内から壱護さんとミヤコさん、ミネたちにはちゃんと全部伝えるとアイと話し合って決めていた。ニノは共犯なので知っているが、最低でもこの部屋にいる人には伝えるべきだと思ったから。

 

 ミヤコさんは絶句し、ミネとナベは驚きからか理解できていない。ニノだけは扇子で口元を隠し表情を変えていない。

 壱護さんは最初呆けた顔をしていたが、段々と内容が頭に入ってくると、怒りや困惑が入り混じった表情を浮かべた。

 ゆっくりとした動きで身を乗り出し、自分の胸倉を掴む。

 

「悠……それがどういう意味を持ってるか、わかって言ってるんだろうな?」

「ああ」

「何もわかっちゃいねぇ! って、ただのガキ相手なら返しただろうが……お前はそういうことを考えられる奴だ。なのに……なのに、どうしてだ」

「……」

「すぅ、はぁ……吐け。最初からそこに至るまで全部だ」

 

 怒鳴り散らしたかっただろう。殴り飛ばしたかったかもしれない。そうされて当然だと思っていた。

 けれど壱護さんは、ギリィと奥歯を噛み締め、肩を震わせても、胸倉を掴むだけで収めた。掴んでいた手を離し、目元を抑えて、ソファに深く腰掛け直す。

 自分は静かに昨日、いや実質的には一昨日から始まった一連の出来事を話し始めた。

 

 

 前々から希望されていた欲しいものが子ども、子づくりだったこと。

 

 一日だけ考える時間を貰い、翌日に予定通り施設に行ったこと。

 

 その帰りで薙切家の部下に接触されたこと。

 自分を捨てた母親が薙切家の人間で、祖父があの食の魔王だということ。

 

 話し合いの最中、アイの母親がアイを誘拐同然で連れて消えたこと。

 

 アイが、母親の男に殴られたり犯されそうになったこと。

 

 どうにかアイを見つけ、男を潰し、母親は放置して連れ戻したこと。

 

 アイと互いの想いを話し合い、最終的に条件付きで性行為を行ったこと。

 

 

 その全てを全員に話した。

 話し終わる頃には全員、それぞれ表情を変えていた。

 

「……情報が多すぎて処理が追いつかん」

 

 真剣な表情で壱護さんは溜息を吐く。

 

「順に聞いてくぞ。施設に行くまではいい。お前が薙切の血を引いているのは間違いないんだな」

「捨てられた時からわかってたし、薙切の方でも確証を持って断言していた」

「……だから初めて会った時、曖昧なことを言っていたんだな。なんだって俺がスカウトしたアイドルの半分はやべぇ家柄に関係あるんだよ……」

「自分を付属品にしてアイを数えないでくれ。いや、元々付属品か」

「自虐ネタはやめて? ほら、俺が睨まれるんだから」

 

 そういえば初めて会った時に誤魔化したことがあった。その時はこんな形でバレるとは思ってもみなかった。あちらから接触してこなければ関わるつもりはなかったし。

 横で首を傾げているミネとナベに、ニノが説明している。

 

「……半分? ハルカ以外にもいるの?」

「……やべ」

「その件については話し合いが終わってからな。──構わないな? ニノ」

 

 壱護さんの失言に気付き、目聡く反応するアイに、後回しにして話の路線を元に戻す。

 その際にニノに尋ねておいたが、

 

「ええ、お好きなように」

 

 そう何でもないように返した。隣から向けられる視線と合わないよう目を逸らしながら。

 

「じゃあ次だ。思い出したくもないだろうが……本当なのか? アイ」

「……うん。お母さんに連れてかれた部屋で、男の人に殴られたり、蹴られたり、その……服を破られて、その姿を写真で撮られてから犯されそうになった」

 

 ギリィと今度は壱護さんの握り締めた手から嫌な音が聞こえる。

 

「悠。そのクソ野郎はどうした」

「警察には連絡はしなかった。代わりに徹底的に恐怖を植え付けておいたし、自分たちに繋がるような物はカメラ含めて全て回収した」

「バックアップの懸念は」

「カメラには何も繋げていなかったし、パソコンも持っていなかったからほぼゼロに近い。それと星野あゆみも、自分とアイが立ち去る瞬間に様子を見た限り、おそらく今後問題にはならないと思う」

「警察に連絡しなかったのは正しい。だが、今後問題にならない根拠は?」

「直観」

「……信じていいんだな?」

「ああ」

 

 あのクソに放った最後の十連釘ノッキングは肉体を脆弱になるよう抑え込むために打ち込んだ一撃だ。ちょっとやそっとじゃ解けないよう十連で打ったので、報復も不可能なはずだ。

 また以前は自分の直観に懐疑的だったものの、最近は信用の一つになっているようで、壱護さんはならいい、と言って、アイに視線を移す。

 

「……アイ、頬は大丈夫か?」

「触ると痛いけど、今は大丈夫だよ。お腹にも貼ってるけど、動くのにししょーもないよ」

 

 ちらりと服を捲って腹部を見せる。

 流石にすぐに服を捲らない、と戻させたが。

 アイのいつも通りの言葉に、心配そうに見つめていた壱護さんもそこで深く息を吐いた。

 

「そうか。……そうか。よかった……無事で、本当によかった」

「……」

「もー、佐藤社長、大袈裟だよ」

 

 しかし、アイの言葉を聞くと、表情を一変させた。

 心配そうに下げていた眉尻を吊り上げ、ソファから立ち上がった。

 

「大袈裟? ……っ──こっんの、大馬鹿野郎ッ!!

 

 大絶叫。

 叱ることは何度もあったが、ここまで感情を込めて怒号したのは初めてだった。

 これにはアイだけでなく、隣に座っていたミヤコさん。少し離れていたミネたちもビクッと体を震わせている。

 

「っ!?」

「大袈裟なわけないだろうがクソアイドル! ウチの稼ぎ頭のアイドルのことだぞっ! いや、そもそも──アイドル以前に、娘の心配すんのは親として当たり前だろうがっ!!」

 

 感情任せに吐き出した言葉に、アイが怒られているのも忘れたように、きょとんとして、

 

「……むす、め? 親? 佐藤社長、私のこと、今……娘って……?」

 

 そう呟いた。

 アイの顔を見て、壱護さんも自分が何を言ったのか気付いたのか、

 

「あークソ……」

 

 と怒りを収め、ガリガリと頭を掻いてソファに座りなおした。

 

「それも後だ」

「いや、それは無理だろう」

「ないわね」

「流石に無理でしょ」 「これだから社長は」 「諦めたほうがよろしいかと」

「テメェら……」

 

 まあ、即座に自分含めた五人から総スカンを食らうのだが。

 うぐぐ、とまた別の感情を見せていたが、もう一つ溜息をこぼして諦めたように口を開いた。

 

「最初は娘なんて感情なんざ持ってなかったさ。初めて街で見かけて、瞬間に俺の本能がアイツだって叫んだんだ。この少女こそ俺の夢を叶える最後のピース……道具だってな」

 

「だから必死にスカウトしたさ。物で釣り、都合の良い言葉を並べ、興味を引かせた。二度目のスカウトに男連れで来るとは思わなかったが、スカウトに成功した時は内心拍手喝采を挙げていたな。悠っていう付属品も足りない人手を補う分にはちょうどいいと思っていた。……後で付属品どころかこっちが本命と言わんばかりの超優良人材だと発覚した時は狂喜乱舞したな」

 

「養子の件は予想外だったが、些細なもんだと思ってた。……たぶん、悠と縁組(それ)が分岐点だったんだろうな」

 

「アイを中心としたB小町という『道具』を作り、夢を叶えるために突き進みながら──共に生活するアイを見ちまった」

 

「宿題に頭を悩ますアイを、悠の料理を美味そうに掻っ込むアイを、何かに悩み苦しみ、必死に隠そうとするアイを」

 

「人として、幼いただの少女(こども)として、何よりも──義理とはいえ娘として」

 

「アイを、道具としてでなく斎藤アイとして見ちまったんだ」

 

「それが引き金になって、アイだけじゃない。ミネたちもそうなってしまった」

 

「気付かされた時にはもう遅かった。ああ、俺はこいつらをなんつー芸能界(地獄)へ引きずり込んだんだってな」

 

「だけど、それでも……それでも、夢は諦めきれなかった」

 

「その頃だ、悠にB小町の活動方針について意見されたのは」

 

「二つ目の分岐点はまさにあの時だった。悠の意見を聞いて、予定していた計画を全て投げ捨てた」

 

「後はここにいる全員が知っての通りだ。それぞれの個性を伸ばし、四人が輝けるB小町を目指した」

 

「目指しながら、今度はちゃんとお前たちを見るように心掛けた。軋轢が生まれそうなときはミヤコや悠に協力してもらいながら対処した」

 

「なんとかやっていく内に、お前たちを見る目が変わったって自分でも気付いた」

 

「道具としてじゃなく、宝石のように高価で大切なもののように見てるってことに」

 

「そっからだ。アイのことを義理じゃなく──実の娘のように思えてきたのは」

 

「都合の良いクソ野郎だと笑いたきゃ笑え。けどな」

 

「俺にとってアイはもう」

 

「血が繋がってなくとも、誰に何を言われようと」

 

「アイ本人に嫌がれてようが」

 

「俺の、斎藤壱護の──娘だ」



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三話

「おっさんがキメ顔すんな、酔っ払い」

「カッコつけんな、若い子好き」

「ふふふ~……出禁野郎」

 

「なあミヤコ。俺、泣いていいよな。腹ん中に隠してたモン全部吐き出したってのに、この仕打ちはあんまりだろ。もう少しカッコつけさせてくれねぇかな……あと出禁はどこで聞いたのニノさん?」

「女子会で私が愚痴ったからよ。若いキャバ嬢に酔ってウザ絡みした出禁野郎」

「じょしかい──あ、待って、悪かった! だからサングラスはやめて!?」

 

 ……なんだかなぁ。

 個人的に凄く壱護さんが格好良く見えたのに、周りがそんな壱護さんは許さないとばかりに一瞬でぶち壊していく。見なよ、ミヤコさんにサングラスごとアイアンクローされて悲鳴を挙げてる姿なんて、さっきまでの真面目な空気なんて微塵も残っていない。

 

「いってぇ……ゴホン、話を戻すとしてだ」

「サングラス、ズレてるよ壱護さん」

「……話を戻すとして、だっ」

 

 ズレたサングラスを掛け直しながら、壱護さんは話の軌道を修正しようと声を張る。各々が席に座りなおしたり姿勢を正すなか、

 

「──」

 

 アイだけが未だ言葉を失っていた。きょとんとした顔で壱護さんを見ている。

 改めて口を開こうとした壱護さんも、その前にアイの視線に気付き、

 

「あー……その、なんだ。アイ」

「……はっ。あ、えっと……あ、あははー。な、何かな? 佐藤社長」

「さっきのは俺個人の勝手な気持ちだ。別に深く考えなくていい」

「それは……」

「どうしてもって言うなら、これから少しずつ、記憶の片隅で考えてくれればいい」

「……」

「今は目先の問題だ。……な?」

 

 壱護さんの言葉に、アイは少し考えたが静かに頷いた。

 よし、と呟いた壱護さんはパンと空気を換えるように手を叩き、話を戻した。

 

「で、だ。──アイ。今すぐにアフターピルを飲む気は……」

「ないよ」

 

 わかっていても聞かずにはいられなかったが、予想通りの答えにだよな、と呟く。

 

「まず一つ聞かせてくれ。──さっき条件付きと言ったが、条件ってなんだ?」

「昨晩の情事で妊娠しなかったら、アイが20歳になるまで性行為はしない。それだけだ」

「……よくアイが納得したな」

「まあ昨日は、自分もアイも色々と曝け出して、ようやく気付くことができた想いがあったんだ」

 

 隣に座るアイの肩を引き、片手で抱き寄せる。

 アイも嬉しそうにされるがまま自分に体を預けてくれる。

 

「……」

「願いの成就。拭えない不安。その想いをアイが受け入れてくれただけさ」

「私は今すぐ妥協ラインを踏み越えてくれてもいいけどなー」

「不安が解消されたらすぐに踏み越えるから、それまで我慢な」

「ざーんねん」

 

 抱き寄せた手に頬ずりしてくる姿に、口角が上がるのを我慢してされるがままの手で髪を梳く。

 そこで今までとは違った視線を感じて意識を壱護さんたちに戻す。真剣な顔をしていた二人は、驚きに目を見開き、口をポカンといった感じで開きっぱなしになっていた。

 

「……? そんな驚いた顔をしてどうした?」

「いえ、だってあなた、平然としてるけど……そんな顔できたのね」

「ああ……今の悠はあれだ。初対面でその空気纏ってたら、絶対俳優に誘って、いや、あの時アイが言った条件を諸手挙げて受け入れてデビューさせてたはずだ。──今からでもやってみないか?」

「自分みたいな愛想のない奴なんざアイドルや俳優は無理だって、以前にも言っただろう? ──今は考えさせてくれ」

 

 この話は前もしたし、何より壱護さん自身が同じ結論に達していたことだ。なのになんで今更終わった話題を口にしたのだろう。思わずアイと顔を見合わせ首を傾げていた。

試しにミネたちの方を向いてみれば、うんうんと頷かれた。

 

「ほらな」

「今のは社長の意見に賛成って意味で頷いたのよ」

「……気付いてないみたいですけど今のお兄さん、アイちゃんに似た雰囲気を出してますよ」

「そうか?」

「雰囲気というより──その瞳でしょうか」

 

 パンとわざと音を鳴らして扇子を広げ、自分を視線で射抜いてくる。

 

「魅了とは違いますが、アイちゃんのように人目を集めやすいと言えばいいのでしょうか」

「カリスマ性とかはどうでもいいが……まあ、アイと似てるって言われるのは、悪い気分ではないな」

「……この場にわたくしたちしかいないからでしょうが、アイちゃんに対する接し方も変わりましたね」

「そうかもな」

「ええ。……砂糖でも吐きかけたいほどに

「……」

 

 それは知らない。

 何度も話がズレたが、今度こそ元の話に固定しようと思う。

 壱護さんもそう思ったのか、

 

「悠から言われてるかもしれないが、それでも聞かせてくれ」

 

 昨晩に自分がアイにした質問とほぼ同じことをアイに聞いていく。

 

 子どもが欲しい理由。

 アイドル活動はどうするのか。

 バレてしまった場合苺プロがどうなるのかわかっているのか。

 未成年での出産による危険性。

 

 その際、アイに子どもを作ることを勧めたのがニノだと全員にバレてしまい、

 

「──という理由からアイちゃんに子づくりを推奨しました。処罰は如何様に……いふぁい、いふぁいでふ。ふぃねふぁん、なぶぇふぁん」

「どうしてこいつらはぶっ飛んだ意見しか出さないんだよぉ……」

 

 ニノはどうしてそこに至ったのか、先程の実家の件と合わせて暴露した。

 壱護さんが泣いた。いや、涙とかは出てないんだが。

 ミネとナベは後で追及するつもりなのか、今は左右から頬を思いっきり抓っている。

 

「……妊娠してから報告されるよりマシか」

「壱護……」

「最後に聞かせてくれ、アイ。もし妊娠したとわかったら──産むんだな?」

「──うん。産むよ。産んで愛してあげるんだ」

「……はぁぁ」

 

 アイの頷きに、深く息を吐いて背もたれに体を預ける。

 

「ったくよぉ……16と18の子どもが覚悟決め過ぎなんだよ。若いんだから生き急ぐことなんてしないで、もうちょっとゆっくり歩けばよかったじゃねぇか」

「すまない」 「ごめんなさい」

「謝んな。はぁ……ミヤコ、悪いが」

「謝らないでちょうだい。あなたが決めたのなら、私も支えるわ。大人として、なにより……私だって母親として、ね」

「助かる。──ニノは置いとくとして、ミネとナベ。お前たちには申し訳ないが……」

「嫌よ、アタシは」

 

 壱護さんの言葉を遮って、ミネが拒絶の声を上げる。隣で視線を向けたナベはやれやれといった様子で肩をすくめている。

 だろうな、とミネの反応は半ば予想できていた。

 

 ミネとナベ、ニノの三人は星野アイに対しての反応が丸くなっていたが、B小町アイに対してはそれぞれ別ベクトルで反応を新たに尖らせていた。

 ニノは言わずもがなファンとして。

 ナベは参考にすべき手本として、或いは追いつくべき目標として。

 そしてミネは──

 

「アタシは今、アンタを越えるためにアイドルをやってんのんよ。それを何? 妊娠? 未確定だとしてもそんなことのために一年近くアイドルから離れるっての!?」

「そんなことじゃあ……!」

「そうね、アイにとっては大切なことなのは十分に理解したわ。けどね、アタシにとってはそんなことなのよ。越えなきゃいけない相手がいない間、ファンにアタシの独り相撲を見せてろっていうの!?」

 

 ミネにとってアイは──宿敵、とも呼ぶべき相手なのだろう。

 B小町発足時からリーダーとして引っ張ってきた立役者であり、B小町のなかで最もアイドルに──舞台に立つことに夢を抱いている少女だ。

 

「なんて……昔のアタシだったらここまで言って部屋を出て行ったわ」

「ミネちゃん」

「アイに魅了されて、アイに嫉妬して」

 

 そこで一瞬だけ自分の方を見て薄く笑い、

 

「アイと話して、アイの願いを知って──そうなったらもう、応援したくなるじゃない」

「ミネちゃん……」

「……けど! アタシが応援するの星野? 斎藤? ……まあどっちでもいいわ。アタシが応援するのは星野アイだけ。嘘が得意で、色々重い、アタシたちの友達の星野アイだけよ。同じグループのアイのためなんかじゃない」

「……ぁ」

 

 だから、と指を伸ばしアイに突き付ける。

 

「さっさと産んで戻ってきなさい! その間にアタシは今のアンタに追いついて……うぅん、追い越してアタシがアンタに代わる一番星になってやる!」

「……うん。うんっ、わかった。じゃあ戻ってきたらすぐに追い抜いて見せるから待っててね♪」

 

 激励のような宣戦布告に、アイが瞳を星のように輝かせながら受け返す。自分なんかとは決定的に違う、誰もを魅了する瞳を前にするもミネは気炎をあげている。

 その様子をニノは面白そうに見つめ、ナベは仕方ないよう肩をすくめている。何も言わずともナベもアイの行為に異を唱えるつもりはないようだ。

 本当に初期の頃に比べればだいぶ変わったものだ。

 

 ……ただちょっとだけ待ってほしい。

 

「ミネ」

「あによ。今いいとこなんだけど」

「まだ妊娠したとは決まってないんだが……」

「うるさい。妊娠させろ」

「──じっ」

「なんて物騒。あとアイ? 期待の眼差しをされてもしないからな。あの、ワクワクしないで。近い、どんどん近づいて来てるから一旦離れよ? な?」

 

 後方のナベとニノも生暖かい目をしてこちらに視線を送ってくる。

 壱護さんとミヤコさんは溜息を吐いて肩を落としている。だがこちらを見ている瞳は決して険しくなかった。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

「──それじゃあ、今後のことについてだが……」

「その前にもう一つだけいいか?」

「なんだよ、まだあんのか? もうお腹いっぱいなんだが……聞かなきゃ駄目?」

「確定してるわけじゃない。だが、もし予想が正しかったら……B小町の進退の危機まである」

「……話せ」

 

 もっとも大切な話が終わって一安心したのも束の間。これ以上何があるのか、と全員から視線を集める。今度は首を傾げるアイもその中に含まれていた。

 正直、妊娠よりもハズレてほしい話題を口にしなければならないことに気が滅入りながらも、口を開いた。

 

「アイがもしかしたら、男性恐怖症になった可能性がある」

「……、……根拠は?」

 

 部屋に入る前にスタッフ二人との会話の時に起きたことを話す。

 野呂さんの時は、自分の後ろに隠れるように動いた。

 長谷川さんの時は、手が触れた瞬間に半ば無意識で手を引っ込めていた。

 

「もちろん、ただの偶然ということもある。昨日の一件で自分がアイの動きに過敏になってるだけかもしれない。だが……」

「逆に否定する理由もないわな。むしろなってもおかしくない状況じゃねぇか……ああ、マジか。マジかぁ……!」

 

 ガシガシと髪を搔き乱す壱護さん。

 一方でアイは、むしろ冷静に話を受け止め、納得したように頷いていた。

 

「そっか~。茂呂さんと長谷山さんに感じたのは怖かったからなんだ」

「おま、んな冷静に判断してんな! ……いや、もしかして問題ない程度か!?」

「うぅん、ダメ」

「は?」

 

 呟くやいなや、自分の胸に飛び込んできた。一瞬、反応が遅れるがアイの体が震えていることに気付き、すぐに抱きしめる。

 

「すぅ……ふぅ……」

「……やっぱり、男が怖くなったんだな」

「すぅぅ……、うん。さっきは無意識だったから何も感じなかったけど、ハルカの言葉に納得したら、急に体が震えてきちゃった」

「言わなければよかったか……」

「うぅん、ファンの前で気付くよりずっといい。おかげで」

 

 覚えられたから(・・・・・・・)

 なんて、その言葉の意味を問うよりも早く、アイはもう一度自分の胸の中で深く呼吸してから体から離れ立ち上がり──

 

「──これでどうかな?」

「──」

 

 いつも通りの、アイドル・アイとしての笑みを湛えた顔を見せる。

 しかし、その笑みを見て大丈夫になったな、とは絶対に言えない。言えるものか。

 壱護さんとミヤコさんは言葉を失っていた。

 ミネは絶句して。ナベは目を背けて。ニノは扇子を床に落としている。

 誰もがアイの姿を見て、何をしているのか、わかってしまった(・・・・・・・・)

 

 アイは演じているのだ。

 ファンがアイに求めている偶像(アイドル)としての姿を。

 誰にも縋らず、自由で、奔放で、強くて、無垢で、誰であろうと愛し、誰からも愛される、決して期待を裏切らない、完璧で究極な偶像。

 ファンが作りだした妄想をこれでもかと詰め込んだ着ぐるみを、こともあろうにアイは自ら着込み、演じたのだ。

 男性が怖くなってしまった、なんて微塵も感じさせない姿を。

 

「んー……ちょっと違うかな。もっと、こう──いぇい☆」

「何を……何を、やってるんだアイ……!?」

「え? 次の仕事までにB小町アイを固めておこうかなぁって」

「固めておくって……続ける気、なのか!?」

斎藤社長(・・・・)

「っ……」

「アイドル辞めないよ、私」

 

 演じるのをやめ、B小町アイからアイに戻る。

 一時の演技だったとはいえ、アイの顔には汗と疲労が浮かんでいた。それでも真っ直ぐに壱護さんを見る。

 

「自覚してわかったけど、たぶん知らない人相手だと会話することも厳しいかも? まだ知ってる人としか関わってないから予想程度だけど」

 

 でも、とアイは続ける。

 

「男の人が怖い、握手するのも苦手ってわかってても、アイドルは続けたい。アイドルを始めたのは斎藤社長の言葉に乗っかってみただけだったけど、今は私自身が続けたいって思ってる」

「それは、愛のためか」

「一番はそう。でも、今はもうそれだけじゃないよ。アイドルをやるのが、みんなでB小町をやるのが楽しいから」

 

 一人一人に視線を向けて笑う。

 

「……そうか」

「……それとね」

「ん?」

「なんだかんだ言いながら、私を養子として引き取ってくれた斎藤社長には感謝してるんだよ」

「は──」

「バカやった時はいつも叱って何が悪いか教えてくれたり、迷惑かけてもサポートして何とかしてくれたり……そうやっていつも私のこと見守ってくれてた」

「あ、アイ……」

「だからね。私は社長の──斎藤社長(おとーさん)の夢を叶えたいんだ」

 

 だからアイドルを続けさせてください。

 そう最後に壱護さんにお願いするように頭を下げるアイ。

 言葉を失っていた壱護さんは、ゆっくりとアイの言葉を理解していくと、目を手で隠し見上げ、

 

「……、……、こんの……、んなもん、許すしかねぇじゃねーかよぉ……」

 

 言葉に詰まりながら、鼻声でそう呟くのだった。

 ミヤコさんはそんな壱護さんの背を優しい表情でさすっている。

 頭を上げたアイは、ミネたちに囲まれて笑いあっている。そこにさっきみたいな嘘の笑顔はまったくない。

 

 ああ、よかったと心の底から思った。

 これで妊娠しても、しなくても大丈夫だ。問題は出てくるだろうが、必ず自分がいなくても誰かがアイを支えてくれる。

 あと残る問題は……自分のことだけか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから――

 B小町のこれからの方針を話し合ったり、その日の夜はニノたちと――正確にはニノだけだったが、ミネたちもついてきた――ごく一部、赤く染まった夕食を共にしてニノが百面相を浮かべることになったり。

 グループとしての仕事をこなし、やはりアイが男性恐怖症になっていることがファンや苺プロ以外の会場スタッフへの反応でわかったり。だけど、アイ自身で作りだした嘘の『アイ』によって、アイドルをする分には問題がないことがわかったり。

 それでも嘘が剝がれてアイが辛そうになった時は、自分やミネたちが支えて。

 

 そうして、今年初めての雪が降ったある日。

 アイが体調を崩した。

 ここ数年風邪一つなく過ごしていたため珍しかったが、『アイ』を演じることがアイにとって負担になっていたのかもしれない。

 しかし、体調を崩してから、アイの調子は戻らなかった。

 食事を残したり、今まで平気だったミヤコさんの香水の匂いがダメになったり、ミネたちからの情報では練習や休憩の合間に、えずくこともあったそうだ。

 

 ここまできて、ようやく自分たちはもしかして、と気づき始めた。

 ミヤコさんに頼んで、妊娠検査薬を購入してもらい、

 

『ねぇ……これって、そういうことだよね?』

 

 検査結果が表示される棒状の道具を前に突き出し、アイは恐る恐る聞いてくる。目の前に突き出された検査結果が表示されるところには――しっかりと線が入っていた。

 テンションが本人以上に上がった女性陣に囲まれながら、嬉しそうにしているアイを、少し離れて壱護さんと共に見ていた。おめでとさん、と感情が入り混じった口調で自分の肩に手を添えられる。

 人づてに聞かされた前世も嬉しかったが、目の前で本人から伝えられるだけで、こうも違って感じるのか。不安はあるが、実感と嬉しさがこみ上げてきた。

 

 

 

 

 あの日から約一ヶ月後の今日――アイの妊娠が判明した。



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四話

2/9 伏線みたいに描写してしまった箇所を削除しました。削除前の一文も特に伏線だったわけではありませんので悪しからず。


 天国にいるさりなちゃんへ。

 元気で過ごしているでしょうか。君のことだから天国だろうとどこだろうと関係なくB小町の、アイの応援に忙しい日々を送っているのではないでしょうか。

 

 天国から見て知っていると思うけど、君が旅立ってから三年(・・)が立ち、B小町は色々と変化がありました。活動方針などいくつもありますが、特に変わった点と言えばアイと可愛い系で被っていたニノが突然のイメチェン、さらに突然のアイ推しの暴露でしょうか。本人曰く、「素に戻っただけです」と言っていたけど、女性ってあんな真反対な性格に自分を誤魔化せるんですね。何人も女性と付き合……ゲフンゲフン、仕事柄見てきたけど、ああいう女性は初めて見ました。どれくらい驚いたかって聞かれたら、そうだな、君と一緒に行ったライブで回したガチャ。さりなちゃんが一発でアイをゲットした時と同じかそれよりちょっと下かな。

 

 さりなちゃんがあんまり好きじゃない、と言ってたミネとナベも同じ頃から注目を集めはじめてきました。たぶん、君も見れば応援したくなると思います。成長した彼女たちも今ではアイドルの傍ら、ミネは舞台やCMといった役者の仕事。ナベはアニメやゲームのキャラクターに声を当てる声優や歌唱を主に。それぞれ、自分の個性を引き出して評価を上げています。ついでに言うと、ニノは地方番組の食レポや深夜枠のラジオ番組。特にラジオ番組でアイの話題で盛り上がった時なんかSNS上が大盛り上がりでした。もしもさりなちゃんと話すことがあったなら、きっとアイの話を一日中続けていたでしょう。

 

 え? アイ? アイのことは言わなくてもさりなちゃんなら予想できると思うけど、それでも言うなら……輝きが半端ない。その一言に尽きるでしょう。元々、人を引き付けてやまない魅力があるのは言わずがな、メディアの露出も増えていってここからだ、と思ったら去年の終わりごろ、急に輝きや魅了が跳ね上がったんだよ。仕事が忙しくてテレビ越しにしか見れなかったけど、君と一緒に見に行った生ライブの何倍も輝いていた。あの可愛さを是非リアルで見たかったよ。最後の一年、二度もライブ抽選に当選した君と違って、俺は一度も当たることがなかったけど。

 

 そんなB小町ですが、数か月前から活動が消極的になっています。というのも、まずニノが家庭の事情により数か月ほどの活動休止を宣言しました。怪我や病気などではないと断言し必ず戻ってくるとB小町が不定期に上げている動画サイトの投稿で発表があったので、そこまで心配はしていません。問題なのは、さっき同僚に教えてもらって知った、アイも体調不良で活動を休止したことです。命に関わるものではないと公式から発表されていますが、ニノが活動休止する前後でも体調を崩していたので、とても心配です。心配で夜も眠れません。……実際、夜眠れないのは忙しいだけです。

 

 そんな個人的な事情は俺の胸の内だけで、今日も今日とてお仕事です。お医者さんに休みなんてほとんどありません。もしさりなちゃんが生まれ変わっても、絶対にこんなブラックな職業目指しちゃだめだからな。先生との約束だゾ。……まあ、さりなちゃんは生まれ変わってもアイドルを目指すんだろうけどね。

 

 さて、まだまだ言いたいことはたくさんあるけど、そろそろ締めの言葉としたい。だけど、最後に一つだけ言わせてほしい。

 

 今日診察を受けに来た妊婦さんのことなんだけどね。

 

 

 

 

 俺たちの推しが妊娠して、かつ、その診察を受け持ってしまった。

 どうしよう、ショック過ぎて脳が別の意味で焼けそう。助けて、さりなちゃん。

 ……え? 生アイ見れたからヨシ? ……ヨシじゃないんだよなぁ……。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

「双子で約13、4週……妊娠三ヶ月だったよ、さりなちゃん」

 

 一通りの診察が終了し、入院や芸能人である以上起こりえるかもしれない諸々の問題の話し合いを院長に任せて、産婦人科医師──雨宮吾郎は屋上へと足を運んでいた。手すりにもたれ、スマホに残した、かつて研修医時代に関わり、そして看取った患者(しょうじょ)の写真に向かって呟きながら、一人黄昏ていた。

 

 

 こうなってしまった原因は昼休みに同僚の看護師にアイの活動休止を教えてもらった直後の診察だった。

 診察室で待っていたのは、帽子で顔を隠したお腹が少し膨れた女性と黒髪にサングラスをかけた男性。事前に記入されバインダーに挟まれた用紙には斎藤アイと記入されていた。名前の上に取り消し線が引かれていたが、これはたぶん、呼び出しの時に名前を呼ばれたくなかったのだろうと吾郎は職業柄すぐに気付いた。年齢も16であることから訳ありだということも察せられた。

 親御さん? と聞けば、

 

『ええまあ……養子なので似ていませんが』

 

 聞いてもないことを男性は答える。養子、ということは彼の親戚かあるいは施設等から引き取ったということか。用紙に記入された文字に、吾郎はここでおや、と変な予感を感じた。16歳、施設育ちの可能性、斎藤アイ……アイ。

 いやいやまさかただの同名だアイってありふれた名前だし、と直感を否定して、それでも改めて女性に視線を向け、

 

 帽子を脱いでいた女性の顔を見て言葉を失った。ついさっき、SNSで見た画像に、患者の部屋で見たライブ映像で必死に声援を送っていた顔とまったく同じ顔だったのだ。

 名前、ヨシ。顔、ヨシ。そもそもファンが見間違えるわけないのでヨシ。正真正銘間違いなく、推しの子だったのでヨシ!

 頭の中で何故かデフォルメされた猫が何度も指差し確認してヨシと言っているのをおくびにも出さず、検査の準備のために席を立ち、診察室から出て行く。

 

 ヨシじゃねぇから! ちょいちょいちょいちょい!!?

 

 瞬間、頭の中で指差し確認している猫どもを追い出して叫ぶ。まだ残っていた冷静な部分で口に出すことはなかったが。診察室のドアのわずかに空いた隙間からアイの顔を窺ってもう一度改めて確信する。間違いなく彼女は、自身が推しているアイドル、推しの子であると。

 吾郎は嫌が応にも現実を直視してしまい、勢いよくその場に両手両膝をついた。通りがかった別の患者や看護師、壁際に設置された待合椅子に座る女性が怪訝な目や冷たい眼差しを向けていたが、ショックで思わず今は亡き、さりなに手紙を送ってしまった吾郎に気付く余裕なんて微塵もない。

 

『にしても社長の黒髪、似合ってないね~。毛先が染めきれてないよ?』

『ほっとけ。それと外では……』

『わかってるって、おとーさん』

 

 隙間から室内の会話が聞こえてくる。褒められた行為ではないのだが好奇心は抑えきれず、吾郎は室内の声に耳を傾けた。

 

『ったく……はる、アイツから連絡はきたか?』

『うん。まだちょっとかかるみたい』

 

 名前を言いかけて、アイツと名前を隠したってことは、十中八九お腹の子どもの父親だろう。話から察するに別々で来る予定みたいだ。どんな奴かは気になるが、これ以上は仕事に支障をきたすと判断し、吾郎はドアから離れ、検査の準備に動き出した。

 ただ、子煩悩なのか心配性なのかは知らないが、男性は検査中ずっとアイのことを一人で行動させず見守っていた。

 大丈夫ですよお父さん。いくらファンでも医者としての仕事は全うしますので、と吾郎は内心の昂りを露程も見せず検査を続けていく。

 検査結果は14週目で──

 

『双子……』

 

 吾郎から伝えられた結果に二人の言葉が重なる。

 片や嬉しそうに。片や不安そうに。

 前者がアイで、後者が保護者の感情だ。

 当然だろうな、と吾郎は静かに様子を見守りながら内心で呟いた。さっき盗み聞きしてしまった会話を聞く限り、目の前の男性は保護者であると同時にアイの所属する事務所の代表なのだろう。未成年、それも16歳なんて若さでアイドルが妊娠・出産したのがバレたら、彼女は、彼の事務所もそこで終わりだ。

 

『産むのはいい。だけど、双子ってなると話は変わるぞ……』

 

 だが、男性が口にしたのは予想とは違ったものだった。

 

『先生。先生から見て、この子は双子の出産に耐えられると思いますか?』

『……そうですね』

 

 嬉しそうにしていたアイも、男性の問い掛けに、笑みを消して真剣な表情で吾郎を見つめる。内心で「推しが真剣な顔で俺を見つめてる~! サイコ~!」とファンの自分を頭の片隅に放置して、できるだけわかりやすく粛々と口を開いた。

 リスクやそれによって引き起こされる可能性が高い症状の説明を、一切誤魔化すことなく全てを伝える。

 

『医者としての一見解ですが、正直に申し上げれば……中絶も視野に』

『入らないよ』

 

 最後まで言う前に、アイが遮った。焦った様子は見せず、落ち着いた声だった。

 

『ちゃんと決めたんだ。だから……この子たちは産むよ』

 

 膨れたお腹に手を当てて優しい声音で、まるで双子を守るように言う一方で、その瞳は確固たる決意を持った輝きで吾郎を射抜く。

 焼かれそうな輝きに、実際に脳を焼き焦がされた吾郎の意思は、片隅に放置していたファンの、奴隷(ファン)としての吾郎に奪われた。

 男性もアイの意思の硬さに溜め息をこぼすも、吾郎に向かって頭を下げる。

 

『先生、娘を、お腹の子たちのこと──よろしくお願いします』

『──わかりました』

 

 吾郎もそれに応える。

 全力を尽くそう。推しの子(・・・・)のために。

 

 

 

 

  ☆☆☆☆

 

 

 

 

「──わー、見て見て! 夕暮れなのにもう星がこんなに見える!」

 

 回想に浸って、さりなに報告していた吾郎は、聞き覚えのある声で現実に引き戻される。屋上の出入り口から上着を着たアイと青年が外に出てきた。

 

「そうだな、東京じゃここまで綺麗に見えない。……思ったより冷えるな。早めに戻ろう、アイ」

「大丈夫だよ。厚着してるしもうちょっと」

「……もう少しだけな。その代わり、自分の上着も羽織ること」

「えへへ、ありがと」

 

 二人は見上げたまま屋上へ歩みを進めており、ちょうど吾郎がいる場所は視界から外れていて気付いていなかった。

 吾郎は視線をアイに向け、そこで気付いた。

 

(……あれ? あれあれ? アイの隣にいるの……お父さんじゃなくね?)

 

 外の気温が思ったよりも低かったのか、自分が着ていた上着をアイの肩に羽織らせる青年──悠。一緒に診察を受けていた養父よりも若く、髪も黒のショートではなく、長めのセミロングの先を無造作に束ね肩に掛けた金髪。或いは金に近いハニーブロンドだ。

 二人の距離も近く、声音も優しい通り越して甘い。

 吾郎は察した。嫌でも察してしまった。

 

(推しが男とイチャついてるぅ!? あぁ脳が壊れるぅぅ──あ、でも嬉しそうなアイの顔ちょー幸せそう~! うんうん、そんな顔なら、望まない妊娠じゃなかったんだな。よかったよかった)

 

 オタクとしての雨宮吾郎は崩れ落ちた。

 医者としての雨宮吾郎は幸せそうな少女の顔に満足した。

 二人だけの世界に、吾郎は声を掛けることはおろか物音も立てられず、その場から動けずにいると、

 

「……あれ? センセだ」

「ん? ……ああ、あの医者が担当医なのか」

 

 自分たちを見ていた吾郎に気付いた。

 吾郎とは初対面の悠はアイに向けていた優しい表情がほんのわずかに眦を上げた。それを知ってか知らずか、

 

「だいじょーぶだよハルカ。センセはたぶん、大丈夫」

「その保証はどこから?」

「色んなファンを見てきた私の直感!」

「……そうか」

 

 アイは悠に笑いかける。アイを見つめていた悠もアイの言葉で警戒を解き、吾郎に向かって会釈程度に頭を下げる。

 

「不躾な視線、失礼しました。名桐悠と言います」

「私の家族で、お腹の赤ちゃんたちのお父さんなんだー」

「あ、ああどうもご丁寧に……斎藤さんの担当になった産婦人科医の雨宮です」

 

 やっぱりかー。

 ファンとしてやかましく喚いていた内なる雨宮吾郎が、予想通りの言葉に灰になって風に吹かれて消えていく。でも、たぶんすぐ戻ってくる。

 

「それと、センセは私の仕事のこと知ってるって言ってたよ」

「……声に出したつもりはないんだけどな」

「部屋の外で待ってた身辺警護のお姉さんが教えてくれたんだ。床に崩れ落ちてる姿がお嬢様に似て気持ち悪かったからって」

「気もっ……研修医時代に患者の一人が君のファンだったんだよ」

 

 グサリと飾らない言葉が吾郎の胸に突き刺さる。自業自得だとは思いながらも、どうにか誤魔化す。とはいえ嘘は言っていないが。

 

「研修医……もしかして」

「あちゃー。田舎ならおじいちゃんばっかりで大丈夫かなぁって思ってたけど、バレちゃったか。ナベちゃんの言う通りだったね」

 

 困った困った、とそんな風には見えない顔。

 でも、その言葉から、

 

「君は……アイドルを続けるのか?」

 

 思わず声に出して聞いていた。

 屋上に来る途中、待合室近くの自販機でコーヒーを購入した時に、ちょうどワイドショーに芸人とアイドルの結婚及び妊娠の一報が流れていたのだ。間の悪い情報に加え、そこで呼び出しまで待機している二人組の男性の片割れが相方に聞いたのだ。

 

 ──男と子どもが居るアイドルって、正直推せる?

 

 アイが子どもを産み、その上で芸能活動を続けるのならば、子ども(それ)はある種の爆弾だ。もしバレれてしまったらアイドル生命が終わるのは素人でも分かる。それがアイ個人だけで終わるならまだ良いだろうが、周囲の人間にも被害が広がるのは間違いない。

 加えて、バレた時に彼女に向けられる言葉はきっと、祝福だけではないのだろう。むしろ貶めるような、それどころか攻撃するような言葉が向くのは想像に難くない。一昔前ならばアイに関わる人間だけだったろうが、情報社会の現代で、それは彼女を応援していた全国から届けられるだろう。

 

(ファンの意見ってのは俺含めて身勝手だ……そう思わないかい? さりなちゃん)

「続けるよ。子どもを産んでもやめない」

「でも、それは……」

「大変なのは知ってるよ。もしバレたらヤバいってのも」

 

 でも、と続ける。

 

「みんなにとって『アイ』はそんなモノを求めない完璧で究極の偶像(アイドル)かもしれないけど……斎藤アイは、私だって普通の女の子だもん。欲しい物はたくさんあるし、舞台の上じゃなくても幸せになりたい」

 

 母親としての幸せを掴みたい。女の子としての幸せも掴みたい。

 B小町のみんなともっとアイドルを続けたい。

 斉藤社長(おとーさん)の夢を叶えてあげたい。

 ファンの皆にも愛を返せるようになりたい。子どもを愛してあげたい。

 指折り数えていく姿に、隣で見ていた悠はそんなアイを見てポンと頭を撫でる。舞台の上やテレビ越しで見ていたものとは違う、柔らかい笑顔を浮かべるアイを見て、

 

「──和解した」

 

 脳内でファンと医師の雨宮吾郎がガッチリと固い握手を交わす。

 推しが幸せを望むなら、ファンはその幸せを祝福しよう。望むなら従おう。だってファン()アイドル()奴隷(ファン)なのだから。

 患者が出産を望むなら、医者として全力を尽くして母子(君たち)を守ろう。母子ともに健康に産ませる。だってそれが医者()の責務であるのだから。

 

「斎藤アイさん。名桐悠さん。約束する──僕が安全に、元気な子どもを産ませる」

 

 改めて、今度は声に出し本人に向かって告げる吾郎の宣言に、悠とアイは顔を見合わせ、お願いしますと一緒に頭を下げた。

 

 

 ──アイを、その子どもを守る。それこそ俺が医者になった理由なのかもしれない。

 そう思わないかい? さりなちゃん。──え、飛躍しすぎ? そっかぁ……。




 予定しているプロットの過程・繋ぎが上手くまとまらないので、次の更新は少し遅れると思います。


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五話

「とりあえず、念のため病院では偽名を使おうか」

 

 診察に訪れた翌日。早速入院することができるようで、準備ができた個室のベッドに腰掛けるアイに雨宮先生が言った。自分は荷物を持ち込みながら話を聞いている。壱護さんは朝の便で東京に戻っており既にこの場にはいない。

 希望がなければこちらで決めるけど、と雨宮先生は紙を渡してくる。

 

「そっか、有名人だもんね私。う~ん……」

「僭越ながら、苗字に関してのみ口を挟んでもよろしいでしょうか」

 

 悩んでいるアイに向かってそう言ったのは、入り口近くで待機している女性。昨日、アイが身辺警護のお姉さんと呼んでいた相手である。

 彼女を紹介してくれたのは現在活動休止中のニノだ。というのも、

 

『申し訳ありません。実家から呼び出しを受けまして、非常に、非ッッ常に不本意ですが、しばらくの間アイドルとしての活動をお休みさせていただきます』

 

 妊娠が発覚した直後に、ニノがそんなことを言い出したのだ。

 改めて話し合いが設けられ、ニノから話を聞くに、ニノの実家──織崎家の次期当主を決めるため、本家・分家から次期当主候補を競い合わせるための呼び出しを受けたそうだ。アイドルやってて次期当主候補なのかと思ったが、規定以上の成績を収め、候補を事前に辞退していなければ自由に出来るらしい。ニノを含め、大体の候補者もやりたいことを続けながら辞退はしていないそうだ。していない、と言うのは少し語弊があり、実はニノ。これまで色んな情報を探るために実家の人間を使っていたことで辞退を認められなかったそうな。何というか、ちょっとだけ申し訳ない。

 実際、会議の数日後に壱護さんの元に現当主であるニノの祖父からわざわざ電話があったようで、ニノの一時離脱を認める他なかったらしい。グループメンバーの半分が活動休止して頭を抱える壱護さんだったが、残ったミネとナベ、そしてミヤコさんから(物理的に)尻を蹴られ、なんとか立ち回っている。

 

 そういった理由でニノがB小町を離れることになったのだが、その際、東京を離れ極秘に出産するアイの身辺警護兼サポートとして、ミヤコさんぐらいの年齢の女性を事務所に連れてきたのだ。それがニノが側近と呼んだ小鳥遊さんだった。線引きのためか名前を語ることなく、苦笑と共に名前を教えようとした主人のはずのニノも、小鳥遊さんの物理的抵抗で口を閉ざす羽目になった。

 

 ──そんなわけで、小鳥遊さんには秘密裏に入院するアイの護衛や身の回りの世話、話し相手、それと男性に対しての防波堤としてアイに付き添ってもらうことになった。

 一応、自分も宮崎に滞在できるよう、壱護さんがわざわざマンスリーマンションも借りてくれたのだが、流石に何もかも甘えっぱなしではいられない。こっちでも出来る仕事は可能な限り全て自分に回してもらったり、週に何度かは東京に戻って仕事をするつもりだ。それにアイの出産に比べれば重要度は低いが片付けないといけないものだって残っている。

 

「苗字は『にしき』としてもらえますか。漢字表記は何でも構いませんので」

「いいよー。でも、なんで?」

「『にしき』に手を出すことは即ち織崎家を敵に回す意味合いですので。まあ、一般人には伝わらない名家の符号みたいなものです」

「ニノちゃんの実家おそろしや~……んー、じゃあ、にしき、にしき……」

 

 スマホでにしきを変換して、

 

日紫喜(にしき)(らん)!」

 

 こちらに決めた偽名を見せてくる。

 名前はおそらくアイ=(あい)(らん)といった感じだろうが、日紫喜は当て字が過ぎないだろうか。

 

「東海地方にいる苗字ですね」

「いるのか……」

 

 試しに調べてみたら、確かにいた。

 

「そういうことなので、名前は今ので」

「……あ、はい。じゃあ僕はこれを出してきます」

「じゃあ、自分も少し出てくる。小鳥遊さんと待っててくれ」

「うん、いってらっしゃいハルカ」

 

 書類に偽名を記入し雨宮先生に渡す。

 アイに断ってから、受け取った書類を出しに行く雨宮先生と一緒に病室を出た。しばらく雨宮先生の後を付いて歩き、人気のない場所まで来ると、

 

「……ここなら滅多に人は来ないよ」

 

 自分の方を振り向いて言った。

 話が早くて助かります、と返し、自分でも気配を気にしながら本題を口にした。

 

「アイが信用できると言ったので、自分もそれを信じて一つ情報を伝えておこうかと思いまして」

「……それって、結構ヤバい奴?」

「妊娠同様知っているのはごく少数で、個人的には妊娠と同じかそれ以上と思っています」

「信用が重いなぁ……」

 

 一応、話す前に聞かなくても問題はないとだけ伝えるが、雨宮先生は深呼吸一つで続きを促してきた。

 

「アイは身内を除き──男性恐怖症です」

「……。…………すまない、もう一度いいかい?」

「アイは、男が対象の、対人恐怖症を患っています」

「スゥ──」

 

 大きく息を吸って落ち着こうとしているのだろう。けれど、眼鏡を直す指は震えて余計にズレているし、感情の消えた顔から血の気が失せている。こういう相手は、感情が表に出ないだけで内心では物凄く取り乱しているはずだ。なので、ひとまず雨宮先生が落ち着くまで待つことにした。

 数分経って、ようやく落ち着いたのか口を開いた。

 

「それは……確かなのかい?」

「医師に診てもらったわけではありませんが、仕事が仕事なので本人も認めています」

「……」

「何があったかは申し訳ありませんが……」

「あ、いや……そうだね」

「一応言っておきますが……お腹の子どもは間違いなくアイと自分との子どもですので」

 

 変な想像をされないようあらかじめ釘を刺しておく。ほんの少しだけ食圧をこめて視線を送れば、わかってるよ、と雨宮先生は慌てて両手を挙げる。

 

「それなら担当医を女性に変えた方が……それに精神科の方に」

「いえ、出来る限りアイを知っている人は少ない方がいいですし、アイも診てもらう気はないようで……それとさっきも言いましたが、アイが先生は信用できると言ってますので」

「……わかった。引き続き僕が担当医を務める。もちろん出来る限り距離は置くし、僕を含めて男性と二人きりにならないよう十分に気を付ける」

「ありがとうございます」

 

 それともう一つ。

 昨日から聞きたいと思っていたことを尋ねた。

 

「先生は昨日、患者の一人が君のファンだったと言ってましたよね?」

「ああ。研修医の頃だけど」

「じゃあやっぱり、四年前の広島のライブに行けるよう、患者のために奔走した研修医は雨宮先生だったんですね」

 

 確信をもって告げた言葉に、雨宮先生は目を見開いて驚きを見せるのだった。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

「──それで、大丈夫なの? その医者」

「しばらく様子を見たり、自分が何度か東京(こっち)に行ってる間は小鳥遊さんが見てくれているが、評価は悪くない。サボって他の患者のとこに行くのがムカつきますがね、あのロリコン──なんて、看護師と意気投合してたけど」

「ロリコンはマズいでしょ。え、そのヤブ医者大丈夫なの!?」

「昔関わった幼い患者のことを引き摺ってるのをロリコンに定義していいならロリコンだな雨宮先生は」

 

 加えて、雨宮先生はサボり癖はあるものの、患者一人一人に対して寄り添って接しているみたいで先生を知っている患者の評判は悪くない。

 事情を聞いた側からすれば引き摺るのは仕方ないとは個人的に思う。

 

「あー……そういう」

「まあ、事情を知ってる看護師はそれでも『結局ロリコンってことですから』ってバッサリ切り捨ててアイに注意を促してたが」

「ふ~ん……あ、ついでに小鳥遊さんってどうなの? やっぱニノみたいに変な趣味してんの?」

「ニノがいないからって言いたい放題だなお前……。無表情で何考えてるか分からないが、仕事には忠実だよ。アイも仮面被ってるが、それでも多少は素を出して接している」

「へぇ。あの主にしてあの従者ありって思ってたけど、そうでもないみたいね」

「いや、まあ……正直に言ってしまえば、自分も趣味を隠してるんじゃないか、と思ってる」

 

 ニノもあんなクソ重感情を隠していたのだ。従者も隠すのが上手いと思うのが普通だろう。

 

「そうよね! どんな趣味隠してんのかしら……やっぱ主従でアイのファンとか?」

「ニノに対する言動を見る限り、それはなさそうだが……」

「じゃあアンタは何隠してると思うのよ」

「そうだな……実は可愛い物が好きだとか? 自室に大量のぬいぐるみが飾られているとか」

 

 それでぬいぐるみ一個一個に名前を付けて、独りの時はぬいぐるみに話しかけている──なんて。

 

「……悪くないわね」

 

 などとミネと雑談に興じていると、現場に到着した。

 ミネと共に現場のスタッフに挨拶をしに行き、ある程度の話を聞き、それを纏めた用紙をミネに渡し、

 

「じゃあ予定時間には迎えに戻る。壱護さんが来るまでに何かあれば連絡してくれ」

「はいはい。名桐の用事の邪魔にならないように、何かあってもこっちで対処するわ」

「自分のことは気にしなくて──」

「ばーか、気に留めるに決まってるでしょ」

 

 現場から踵を返そうとしたが、ミネの言葉に足が止まる。

 

「アンタに何かあれば一番に困るのはあの子なの。行動するならまず第一にそれを頭に置いときなさい」

「……そうだな」

「それにアタシも……アタシたちも専属料理人のアンタがいないと困んのよ。けっこー楽しみにしてるんだからね、名桐の料理」

「……、……そうか」

 

 それだけ、とぶっきらぼうに言い捨てミネは現場内に戻っていった。かすかに見えたミネの頬が赤くなっていたように見えたのは気のせいだろう。

 ミネの言葉は思いの外自分の胸に突き刺さった。そうか、楽しみにしてくれてたのか。なんてことはない一言だったが──嬉しかった。

 だからこそ、今から向かう用事には関わらせたくなかった。

 

 消命を使いながら路地裏に入り、人目がなくなった瞬間に跳躍と壁蹴りで屋上へと駆け上がり、屋上から屋上へと跳び移り駆け抜けていく。

 次第にビルは少なくなり、建物も減って、舗装された道路とその両脇に整然と植林された木々だけになった。枝から枝へと跳び移り、速度を落としながら木から歩道へ飛び降りる。消命を解きながら駆け足から歩きへと変えていき、最後に足を止めて立ち止まった自分の前には重厚な木製の門があった。奥にはいくつもの建物が見える。

 門に掛けられた表札には達筆な字でこう書かれていた。

 

遠月茶寮料理學園

 

 遠月茶寮料理學園──略称は遠月学園。

 そう、ここが『食戟のソーマ』の主な舞台として描かれた場所、今世の祖父が学園総帥として支配している場所。

 そして──母の人生が大きく捻じ曲がってしまったであろう場所。

 

「関わる気もなければ、来る気もなかった──お前たちが現れなければ、な」

 

 見上げながら呟き、背後へ視線を送れば、そこに彼は立っていた。

 前回と変わらない黒服を着た男性。違う点を挙げるなら、サングラスは外しており、彼の背後に黒い車が停車している。

 

「……お久しぶりでございます。悠様」

「恭しい口調に、くん呼びの次は様付けか。自分はいつの間に薙切に組み込まれたんだ? 花邑」

「以前は街中でしたが、今回は遠月──様付けはお許しください」

「いいさ。逆に今回は、自分は改める気はないからな」

 

 自分の言葉に思うところがあったのだろうが、花邑は口を開くことなく車の後部座席のドアを開けた。

 それにしてもだ。今日、自分が遠月学園に向かうことを知らせたのは昨晩だ。わざと急に知らせて勝手に会いに行ってやろうと考えていた。にも関わらず、こうして準備して迎えてくるのは予想外だった。

 まあいいか、と車に乗り込もうと車内を見て、先客がいることに気付いた。

 

「……おい」

「本日はこの時間帯にお嬢様(・・・)の送迎を予定されていましたので。目的地も同じであればなおのこと問題ないかと」

「はぁ……まあいい」

 

 溜め息を吐いて、負の感情を胸の奥底に沈めてから車内に乗り込む。流石に子どもの前で空気を悪くするつもりはない。

 花邑がドアを閉めて運転席に戻る束の間だが車内は自分と先客の二人だけ……いや、助手席にも一人乗っている。驚きつつも警戒するようにこちらを睨む顔は未だ幼いが、自分は誰か知っていた。当然、隣に座る先客のことも。

 自分と同じ金に近いハニーブロンドの髪。急に乗ってきた見知らぬ歳上の男に対しての怯えを必死に隠し、幼いながらも凛とした姿はお嬢様と呼ぶに相応しい。

 

「あ、あなたは……?」

「君と同じ、薙切仙左衛門の孫だよ」

「お、おじい様の……孫!?」

「名桐悠だ、はじめまして──薙切えりなちゃん」

 

 薙切仙左衛門の孫。

 血筋的に叔母に当たる薙切真那の娘。

 『食戟のソーマ』にてヒロインとして登場したキャラクター。

 

 それが自分の隣に座り、驚きに目を見開いている少女──薙切えりな。

 まあ、見た感じまだ10歳前後の可愛い少女ではあったが。



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六話

 この日、薙切仙左衛門は遠月学園敷地内の最も高所に建てられた多重塔で評議を行っていた。参加しているのは部下の他に、分家の長や薙切の許で腕を振るうシェフの纏め役といった薙切家の舵取りに意見できる者ばかり。意見はできてもそれが採用されるかは当主である仙左衛門次第だが。

 遠月学園外で発生している問題点や報告など多岐にわたる議題に仙左衛門は重要な案件から命令を下し、組織を動かしていく。

 

 問題が発生したのは昼食を済ませ、会議が再開されてしばらくの頃だった。

 

「──仙左衛門様」

 

 襖の奥からの声で、評議に参加していた面々は口を閉ざした。

 

「何用だ」

「えりなお嬢様が参りました」

「そうか。この議題が片付き次第向かおう。部屋にて待つよう伝えよ」

「は。……それと、ですが」

 

 珍しく言い淀む声に、仙左衛門は顔を上げ襖に視線を向ける。

 

「えりなお嬢様の他にもう一人、仙左衛門様に会いに来たという方が……」

「……名は」

「それが……送迎を任された花邑は名前ではなく──忘れ形見、とだけ」

 

 その言葉に、仙左衛門はカッと目を見開く。

 この場にいる他の誰にも、その意味は通じない。意味がしっかりと伝わったのは仙左衛門ただ一人。花邑が──かつて誰よりも長く、もしかすれば父親である仙左衛門()よりも身近で付き従っていた花邑が、忘れ形見と呼ぶ人物など、この世に一人しかいない。見つけ、極秘に科学的検証による確定を得てから、すぐにでも会いたかった。しかし、彼が拾われたのは四條家が経営する施設。名も知らぬ無名の輩に引き取られた場所は織崎家の縄張り。彼にとっては運の良い環境で、仙左衛門にとって運の悪い相手。ようやく花邑を通して会えるかと思えば、劣悪な状態でその場は終わったと報告された。このまま一度も言葉を交わすことなく終わるか、と嘆いていれば、昨晩に会いに行くという連絡を花邑から知らされた。

 来たかと待ち望んだ一方、あの日の後悔も昨日のことのように押し寄せてくる。

 構わん、通せ、と口を開く──

 

「きゃああああああっ!!?」

 

 直前に、開放していた障子の先、外からの悲鳴で言葉は喉で止まった。今の悲鳴はえりなの声だと考えなくとも気付き、立ち上がろうとした。

 その前に物見としても使う外の手すりに人間が着地したのを見てしまった。

 人間――青年の片腕には先程悲鳴を上げたえりなが抱きかかえられている。まさか跳んできたのか。何層も屋根があるとはいえ、子ども一人抱えて多重塔を外から?

 

「っと、ほら到着。わざわざ階段なんか使わなくても、こうすれば一番早い」

「~~っ! 普通の人は屋根から入りません! そもそも真上に数メートルも跳ぶなんて、本当に人間なんですか!?」

「人間だとも。ちょっと人より身体能力が高いだけの、どこにでもいるお兄さんだ」

「ちょっとじゃないのは(わたくし)でもわかります!」

「はっはっは……さて、お喋りはここまでだね」

 

 えりなに向けていた表情を消し、仙左衛門へと視線を向ける。その顔は、瞳は――まさしく、あの日、判定を下した娘と瓜二つで。

 半ば睨みつけるような視線で青年は──悠は言った。

 

「はじめまして。来てやったぞ──クソジジィ」

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 自己紹介すると、驚きからか開いた口が塞がらない様子のえりなちゃん。代わりに声を上げたのは助手席に座るショートカットの少女。間違ってはないだろうが、たぶんこの子が秘書子もとい新戸緋沙子だろう。

 

「あ、ありえません! 嘘を言わないでください!」

「どうして嘘だと?」

「仙左衛門様の孫はえりな様とアリスお嬢様だけです。それに……」

「それに?」

「っ……、あなたは一体何歳なんですか!?」

「今は18だよ」

「その年齢です! 仮にあなたが仙左衛門様の孫だとしても、宗衛様はともかく真那様では明らかに歳が合いません!」

 

 そのタイミングで運転席に花邑が運転席に乗り込む。

 確かに少女の言う通り、自分の親としては二人とも若すぎる。まあ、長男たる薙切宗衛は男なので歳上の相手に孕ませたなんて言えば疑わしくもなるが、原作通りの性格ならば妻一筋娘バカであろう彼ではありえないと一蹴される話だ。

 

「確かにそうだね」

「じゃあ……!」

「花邑。母は自分を何歳で産んだ?」

 

 だったら、知ってそうな奴に聞くのが一番だ。

 ピクリと一瞬だけ動きを止めた花邑だったが、すぐに車の運転を始めて、

 

「17歳です」

 

 はっきりと言い切った。ああ、やっぱり消息不明の間はこいつが母を匿っていたのか。

 花邑の言葉を聞いて自分の中で確定した。ということは自分の父親は花邑か? と一瞬思ったが、その予想は違うと直観ではないが、何となく感じた。

 

「なっ……花邑殿!?」

「花邑、本当なの? 本当にこの人は(わたくし)と同じ――」

「はい、えりなお嬢様。その方は紛れもなくあなたと同じ、仙左衛門殿のお孫様に当たります」

「じゃ、じゃあ、(わたくし)かアリスの……」

「いいえ、それは違います」

「え?」

「悠様はお嬢様の母、真那殿の姉君であり。また宗衛殿の妹君である薙切未那様のご子息です」

 

 ですので悠様は従兄に当たります、と花邑は続けた。

 17ということはニノの予想通りか。けれど、アイのように自分の意思で望み身籠ったのかは未だわからないが。

 

「薙切、みな……?」

「真那様の姉……本当にそんな人物がいたのですか? 花邑殿」

「お嬢様はもちろん勉強熱心な緋沙子くんが知らないのも無理はない。未那様の記録はほとんど、二人が生まれるより前に仙左衛門殿が自ら抹消したからね。少なくとも薙切家と遠月学園にはもう何一つ残ってないよ。ネットや昔の新聞ならどこかに残っているか知れないが」

「おじい様が……」

 

 遠月学園在籍時の記録を消したのは聞いていたが、まさかそれ以外の記録まで消しているとは思わなかった。聞かなければいけないことが増えたようだ。

 えりなちゃんは少しショックを受けているようだ。たぶん、この子にとって祖父がそんなことをするとは思えないのだろう。

 

「まあ、えりなちゃんは気にしなくていいさ。これは自分とジジィの問題だからね」

「は、はい……って、さり気なく、ちゃん呼びはやめてください! それとジジィって、おじい様に失礼よ!」

「はは、だが断る。今のところジジィで十分。権力者だからって人のプライベートにずかずか入り込んでくる部下を従えているんだから」

「それについては本当に申し訳なく……」

「ああ、お前が謝るなよ花邑。部下の責任は上司の責任だ。母親については気にしてはいないが、あの件だけはしっかり文句を言わせてもらう」

「……あの後、どうなったのでしょうか?」

「子どもがいる前で詳しく話す気はない。後でゆっくりジジィを交えて教えてやるよ」

 

 流石に10かそこらの子どもに聞かせられる話ではない。話を断ち切って別のことを聞く。

 

「到着まで何分かかる?」

「十分ほどになります」

「そうか」

 

 なら残っている仕事を片付けておくか。

 鞄からノートパソコンを取り出しファイルを立ち上げる。ついでにアイへの弁当の残り物で作ったおにぎりを取り出しキーボードを打ち込みながら頬張る。漆黒米で握り、具はいくつも作ったが今食べたのは蟹ブタの照り焼きが入っていた。他にもストライプサーモンと玉葱のマリネ、野沢菜漬け等を具にしたおにぎりが何個か鞄に入っている。

 

 入院しているアイは当然のこと病院から食事が出されるのだが、それに加えて自分がグルメ食材で作っている料理や弁当を食べている。

 当初は病院の方から料理の提供はNGを出されていたのだが、そうするとアイのお腹が鳴るわ鳴るわ。病院側から出せる最大限の大盛にしても、一時間もしない内にくぅくぅ鳴りだすのだ。過食症*1ではないかとされたが、アイ本人に精神や肉体のストレスがないことや食後に自ら嘔吐してしまうこともなかったため、最終的に単純に病院から出せる食事だけでは足りないという結論になったのだ。

 まあ、原因はわかっているんだが。

 これまで何年もグルメ食材を食べ続けてきたアイは、少しずつ食べる量が増えていき、それに比例するように消費エネルギーも増えているようで、グルメ食材を使わない普通の食事だけでは足りなくなってきているのだ。更に今はお腹に新しい命を二人分宿している。その分も栄養が必要で、一日ぐらいなら普通の食事だけでも大丈夫だが、それ以上は空腹感がものすごいらしい。それに元々、出産に耐えられるようグルメ食材で肉体を強化する予定だった。なので、病院側にも特例で、自分が作り持ち込んだ料理を食べることを許可されたのだ。

 

 片手で食事、片手で書類作成をしていると、横から視線を感じる。顔を横に向ければ、えりなちゃんがこちらを、自分の手に握られたおにぎりを見ていた。

 

「……食べるかい?」

「あっ……い、いりませ──」

 

 くぅ~

 

 食べかけを渡すのはどうかと思い残りを食べ終えて、鞄からおにぎりを取り出して差し出す。えりなちゃんはハッとして慌てて否定するが、言い終わらない内にお腹が鳴った。自分の分は保温用機に入れずに持ってきたので冷めて匂いもしないはずだが、えりなちゃんの本能が反応したのだろうか。

 恥ずかしがるえりなちゃんに苦笑を浮かべ、手にラップで巻いたおにぎりを乗せる。

 

「食えなかったら吐き出してもいいさ。そういう舌ってのは聞いてるよ」

「……わ、(わたくし)の神の舌を知ってなお料理を渡すなんて、よほどご自分の料理に自信があるようですね」

「余り物とはいえ、一番食べてほしい相手のために作った料理だからね。自信がないって言ったら、あの子に失礼だ」

 

 食材にも失礼だ、とは口には出さなかった。

 

「……」

 

 そんな自分を何故か呆けた顔で見ていたえりなちゃんは、意を決したようにラップを外し全体に海苔を巻いたおにぎりを一口かじる。緋沙子ちゃんは助手席から事の様子を心配そうに見つめている。

 もぐもぐと咀嚼したえりなちゃんは、

 

「……美味しい」

 

 困惑した表情で呟いた。覗いていた緋沙子ちゃんも、ミラー越しに花邑もえりなちゃんの言葉に驚いていた。

 まあ、わかってたことだ。彼女が食べたのは、この世には本来存在するはずのない食材で作られた料理なのだから。

 

「この黒い米……他の黒米より、いえ、普通の米よりもだいぶ甘い。けど決して菓子のような甘さでない。それに冷めているにも関わらず米の一粒一粒がしっかり立ってる。食感もモチモチとしてて、まるで()きたてのお餅を食べているみたい。けど、これはどこの品種? 紫黒苑……黒田苑……どちらも違います。それに黒米は白米に少量加えて炊くのが普通なのにこのおにぎりは全てが黒米で作られている。でも、この食感は白米を食べたような感じ……どうして……(わたくし)が、神の舌がわからないものがあるなんて……!?」

 

 早口で捲し立てる。以前、ナベや壱護さんが食材や調理法を当てたことがあったが、えりなちゃんの食の知識はそれ以上だ。やはり薙切家の英才教育は凄まじいな。しこくえん・くろだえんってなんだ?

 もう一口、二口と頬張り、そこで具材に当たったようだ。口元を手で押さえる。声を上げようとする緋沙子ちゃんを手で制して、咀嚼し、飲み込んでから、

 

「……優しい」

 

 そう呟いた。

 優しい?

 

「例えるなら、そう──陽の当たる縁側で静かに寄り添い合って過ごしているような、そんな優しさを感じる味……」

「……」

 

 そういえば『食戟のソーマ』でもあったな、と思い出す。

 神の舌を持つ人間の独特の感性と言うべきか、食べた時に感じたイメージを感想として言うことが何度もあったが、どれも料理を食べた際の感想とはとても思えないものばかりだった。ゴリラを思い浮かべるってどんな感想なんだ。逆にそんな感想を出された料理を食べてみたくなったわ。

 

「え、えりな様が美味しいと評されるなんて……!」

 

 助手席からありえないと言わんばかりに口を開いている緋沙子ちゃんが呟く。

 

「……悠さんと呼んでも?」

「おじさんでもお兄さんでもお好きなように」

「……それでは。悠さんはどこでここまでの腕を?」

「家族や仕事場の人に作ってたぐらいだよ」

「そんな……! これほどまでの料理の腕、薙切家でもそうはいないわ! それが家族や仕事場だけ!? で、ではっ、今はどこの料亭で働いているのかしら!? 薙切家に雇われる気は!?」

「おおう」

 

 怒涛の質問攻めに流石に驚いてしまう。

 子どもの頃のえりなちゃんはこんな子だったのか? やっぱり原作とこの世界は違うわ。

 助け舟を、と思ったが、緋沙子ちゃんはポカーンと己の主を見ているだけ。ならば、と花邑に声を掛ける。

 

「花邑、なんとかしろ」

「ふ、ふふふ……お嬢様、車内では危のうございます。落ち着かれますよう」

「ぁ……ご、ごめんなさい。(わたくし)、つい……」

「いや、構わないよ」

「それとお嬢様。悠様は現在、料亭ではなく、とある芸能事務所に籍を置かれています。確か──苺プロダクション、でしたか」

 

 助かった、と礼を言う前に、花邑は思い出すかのように自分の所属先を言いやがった。そんな風に言わなくてもそこらへんの情報は知っているだろ。そう思っていたが、

 

「苺プロダクション……? どこかで……」

「え、あ、あぁーっ!!?」

 

 何故か聞き覚えがあるようで、思い出そうとするえりなちゃんの前に、呆けていた緋沙子ちゃんが絶叫を上げた。

 

「きゃっ、な、なに、どうしたのよ緋沙子?」

「え、えりな様! 苺プロダクションと言えばナベが──B小町の所属する事務所です!」

「……? …………あー!!

 

 今度はえりなちゃんが大声を上げる。

 君も、というか緋沙子ちゃんもナベって言ってるし主従共々アイドルに興味持ってるの?

 疑問を持ってしまったが、よく考えてみればこの子、緋沙子ちゃんに少女漫画持ってきてもらったり、トランプで負けず嫌いな一面があったりと、割と普通の少女らしい一面もあったな。それにおにぎりを食べた時の顔と今の驚いている顔。思ったよりも感情が豊かだ。

 きっと、自分が知らないだけで原作よりも周りを取り巻く環境が改善されているのかもしれない。自分の勘違いで改善されてなくとも、笑って過ごせているのならばそれは良いことだ。

 

「は、悠さん! ほんとに……本当に苺プロダクションで働いているのかしら!?」

「すげぇ食い付き。あー、証拠としては薄いかもしれないが、名刺見るか?」

 

 ぶんぶんぶん! と勢いよく上下に頭が揺れるのを見て、自分は懐から名刺を一枚取り出す。まだ卒業していないが、壱護さんが必要だろうと作って渡してくれたのだ。まさかこんなところで見せるとは思わなかったが。

 名刺を凝視しているえりなちゃんは少しすると、ガバッと顔を顔を上げると、

 

「悠さん! いえ──悠お兄様!!」

「なんて?」

「モーマイな愚妹のお願いを聞いてもらえないでしょうか!!」

「──」

「えりな様ぁ!?」

 

 助手席で緋沙子ちゃんが叫んでいるが、反応ができないでいた。ぐっ、と花邑の方からは何かをこらえるような音が聞こえる。というか吹き出しそうになるのを必死に堪えて視線を逸らしているのが見えた。

 え、待って。薙切えりなってこんなこと言う子だったっけ? いや、薙切えりなとえりなちゃんをごっちゃにしてはいけない。いやでも流石にこれは──

 なんて、かなり久しぶりに頭の中が混乱に陥っている。たぶん、ここまで混乱したのはニノのクソ重感情を聞いて以来じゃないか? 名家出身ってヤバい奴ばっかりだな。

 

「いけませんえりな様! えりな様のような高貴なお方が、そのように自身を辱めるような発言をなされては!」

「え? で、でも緋沙子。あなたに借りた漫画に、妹が兄にお願い事をする際、こう言っていたのだけど……」

「うわぁああ……私がえりな様の品位をぉぉ……!」

「……」

 

 やべー、この主従コンビずっと見ていたい。

 とは思ったが、このまま見ていたら、到着するまで話が終わらずにお願いとやらも聞けなくなってしまう。流石にそれは可哀そうだと思うので、自分は口を挟むことにした。

 

「あー、それで? お願いってなんだい? えりなちゃん」

「はい! あの、悠お兄様はB小町の方々とお会いしたことは?」

「お兄様は戻さないのね……ああうん、よく話すよ。仕事上、上司と一緒にB小町の仕事先にも行くこともある」

「で、ではっ、アイとも……!」

「あるね」

 

 というかほぼ一緒に暮らしている。なんならアイとの間に子どもも作っちゃってます。口には一切出さないが。

 自分の言葉にパァッと顔を輝かせると、

 

「では……ではっ……アイのサインを貰うことはできませんか!?」

「無理かな」

 

 たぶん、えりなちゃんの中では一世一代のお願いだったが、自分はバッサリと無理と返した。

 え、としか呟けなかったえりなちゃん。すぐに言葉を理解していき、興奮していた熱が段々と冷めていく。

 

「今すぐには」

「……え?」

「えりなちゃんがアイを、B小町のことが好きなのは凄く伝わった。けれど、そこまで好きなら今、アイが何をしているか知っているよね?」

「あ……はい。体調が良くなくて活動休止中だと……」

「正解。アイは今、病気を治すために体を休めているんだ。どこで療養しているのかは自分はもちろん、B小町のメンバーも知らない。だから、今すぐにアイのサインをあげることはできないんだ」

「そうだったんですね」

 

 だけど、と続ける。

 

「もしえりなちゃんが今から言う自分のお願いを聞いてくれたら、活動を再開したアイにサインを書いてもらえるようお願いしてあげる。もちろん、えりなちゃんに届けに行く」

「本当ですか!? あ……でも、お兄様ともう一度会えるかどうか……それに、アイドルが好きなんて、家の者に知られたら……」

「大丈夫。こう見えて、忍んで行動するのは得意だからね。えりなちゃんの家さえわかれば誰にも気付かれずに届けに行くよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ。……そうだろ、花邑」

「いえ、その時は私に連絡してくだされば……それと、そろそろ」

 

 目的地への到着が近いのだろう。

 

「緋沙子ちゃんもどうだい? 自分のお願いを聞いてくれるのなら、ナベのサインもお願いしてくるけど」

「ほ、ほんと……ん゛ん。い、いえ、私はえりな様の秘書。そのような取引など……」

「え……緋沙子、あんなにナベのこと推してるのに、いらないの? (わたくし)、推しは違えど緋沙子とお揃いがいいのに……」

ん゛ん゛ん゛ん゛……えりな様ぁぁ」

 

 顔を真っ赤にして形容しがたい呻き声をあげる。推しのサインが欲しい本心とえりなちゃんの秘書として自制する知性、そして崇拝する主からの嬉しい言葉に感極まった感情が、緋沙子ちゃんの頭の中をぐるぐる駆け巡っているのだろう。

 数十秒、百面相を浮かべていた彼女だったが、

 

「条件を飲みましょう。──ですが! いくらあなたが薙切家の縁者だったとしても、えりな様に不遜な要求などしないように!!」

「子どもに無茶なお願いなんかしないさ」

 

 最終的に天秤が本心とえりなの方へと傾き、自分に釘を刺しながら取引を受け入れた。

 ちょうどその時、車が停まる。花邑が先に降りていくのを目の端に捉えながら、自分はお願いを口にする。

 

「自分からのお願いは一つ。──車の中で知った料理、特に食材のこと、自分の料理の腕。それらを誰にも話さないでほしい」

「……え。それだけ、ですか?」

「それだけ。でも、絶対に話してはいけないよ。ジジィ……自分たちの祖父にも、誰にも」

「そ、それなら……でも、本当に悠お兄様のことを秘密にしただけで、アイのサインを……?」

「それだけで、自分はすごくありがたいんだ。それでどうかな? 二人とも。お願いは叶えてくれるかい?」

 

 えりなちゃんと緋沙子ちゃんは顔を見合わせて頷き、「はい」と声を揃えて返事を返す。先に緋沙子ちゃんも車から降りる。

 

「ありがとう。じゃあ約束だ」

 

 礼を返しながら、つい施設の歳下の子どもたちにするように頭を撫でてしまう。怒られるかな、と思ったが、

 

「な、撫でないでください……」

 

 そう小声で呟かれるだけで、花邑が開けたドアからそそくさと降りて行った。

 多少は仲良くできたが、馴れ馴れしい態度で嫌われなかっただけ良しとしよう。ところでお兄様呼びはいつ治るのだろう。

 どうでもいいことを考えながら、花邑が開けてくれたドアから降りる。目の前に立つのは五重塔のような寺にありそうな建物。

 

「ここに爺さん(・・・)が……」

 

 見上げ、陽の光に目を細めながら呟く。軽く息を吸い、一瞬だけ誰にも聞こえない声を発する。

 アイを探す際に使用した『エコーロケーション』の劣化応用で、距離はそこまでだが、今の自分でも喉や頭にダメージを受けずに使用できる。もちろん連続での使用は喉と頭を痛めるしグルメ食材を食べないと使えないのだが。

 だけど、その一瞬である程度建物の内部を把握できた。障子を開けておいてくれたおかげで目的の人物もすぐ見つかったしな。

 入り口近くで黒服と話している花邑に近づく。

 

「──だから問題ない、と何度も言っているだろう。彼の面会はすぐに通る」

「花邑殿と言えど、面会の予定に入っていない、ましてや名前も伝えず、忘れ形見だけとは、通せるはずもない」

「だからこうして仙左衛門殿の指示があるまで待っているのだろう。お嬢様も待つと仰っておられる」

「えりなお嬢様を入り口で待たせられるわけがなかろう! 待つのは身元の怪しいこの男だけで十分なはずだ! 何故、花邑殿はそうも肩を持つ!?」

「何度も──」

 

 自分が建物を見上げている間に口論が起きていた。聞こえてくる声から、原因は十中八九自分の存在だろう。

 えりなちゃんはさっきの興奮や喜びの表情が嘘のように凛として、話に興味がないと言わんばかりの表情をしている。緋沙子ちゃんはそんなえりなちゃんの近くに控え周囲を警戒している。

 とはいえ、だ。何故、自分がわざわざ待ってやらなきゃいけないのだ。自分がアイと一緒に外出していた時はズカズカと入り込んできただろう。

 

「ああ──面倒だ」

「ひゃわっ!?」

 

 こちらの動きに気付かないえりなちゃんを、背後から片手で抱きあげる。

 自分の動きに口論していた黒服は驚きつつ臨戦態勢を取る。それに気配には気付いていたが、隠れていた黒服も飛び出してくる。

 

「おに、悠さん!?」

「え、えりな様に何をっ!?」

「孫が祖父に会いに行くだけだ、何を待つ必要がある。花邑、先行ってるから緋沙子ちゃんとさっさとあがってこい。──えりなちゃんは舌噛まないように気を付けて」

「お、お待ちください、悠様──!」

「え、えりな様ぁぁ~~っ!!?」

 

 止めようとする花邑の言葉を置き去りにし、両膝をバネにして足の力だけ跳躍する。

 

「きゃああああああっ!!?」

 

 人間離れした跳躍は容易く自分の背丈の倍もあるであろう高さの屋根まで届き、静かに着地する。それを繰り返すこと数回。時間にすれば三十秒も掛からずに目的の階層に到着した。

 トントンと軽く跳ねて屋根からフェンスに乗り移る。

 

「っと、ほら到着。わざわざ階段なんか使わなくても、こうすれば一番早い」

「~~っ! 普通の人は屋根から入りません! そもそも真上に数メートルも跳ぶなんて、本当に人間なんですか!?」

「人間だとも。ちょっと人より身体能力が高いだけの、どこにでもいるお兄さんだ」

「ちょっとじゃないのは(わたくし)でもわかります!」

「はっはっはっ……さて、お喋りはここまでだね」

 

 えりなちゃんの叫び声に笑みを浮かべて返し、言葉を締めて表情を、感情を、子どもに向けるものから全て切り替える。

 視線をえりなちゃんから部屋の中へ移せば、室内には数人の人間がいた。その中でひと際、威厳を持った老人が立ち上がろうとしていた。後ろへ流した長髪と見事に蓄えた髭。そして顔に一閃の傷を持った老人こそ間違いなく食の魔王──薙切仙左衛門、自分とえりなちゃんの祖父。

 えりなちゃんを抱きかかえたまま、人生初の祖父への挨拶をする。

 

「はじめまして。来てやったぞ──クソジジィ」

*1
摂食障害の一種で、食欲をコントロールできず、異常なほど大量の食べ物をひたすら食べてしまう病気のこと。




Tips『薙切えりな』:
 『食戟のソーマ』原作でメインヒロインの少女。神の舌と呼ばれる優れた味覚を持ち、十種類の違うブランドの塩を味見だけで見分けられるという。聖徳太子か。
 原作では高飛車でエリート気質だが、本作では……?
 この世界では花邑と緋沙子だけの秘密でB小町にハマっており推しはアイ。まあ、当然祖父は知っているのだが黙認されている。孫が笑えるならば……


Tips『新戸緋沙子』:
 原作同様、えりなを公私共に支え続けると誓っている。通称、秘書子。
 現時点でこの世界では、えりなの側近候補(ほぼ内定)として側に付き添い、空いた時間で勉学・料理・護衛術等を習熟中。己の全ては仕える主の為に。
 えりなと同じくB小町にハマっており、推しはナベ。


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七話

 一話に纏めたらかなりの量になってしまったので、分割しました。見直した後、数日以内に次話投稿する予定です。

 それと掲示板形式で出したプロットですが、書いている途中に思いついたネタなどでプロットとは変更したり、プロット時点ではなかった話が追加されていたりします。(斎藤アイやB小町関連等々)
 ですので、掲示板とは違ってると思っても気にしないでいただけると助かります。


 最後に(たぶん)私以外どうでもいいネタをば。
 この世界の薙切えりなのCVは種〇梨沙です。それと私の趣味で一人称も「わたし」から「わたくし」になっています。


 えりなちゃんを床に下ろし、自分は木製のフェンスに体重を掛けてもたれる。

 突然の侵入者に爺さん以外のざわめきが広がる。部屋の外には護衛等が待機しているはずなので、呼べばすぐに入ってくるだろう。しかし、疑問などを口々に呟くだけで護衛を呼ぼうとしない。

 

「会議中なんだろ。自分はのんべんだらりとここで待ってるから、さっさと終わらせてくれ」

「ぶっ──無礼なッ!」

「若造が突然なんだ!」

 

 自分の催促する言葉に、囁き合うだけだった有象無象は激昂し口々に罵声を浴びせてくる。

 だが、自分には意味がなくとも、自分の隣にいたえりなちゃんには効果があり、ビクッと怖がらせてしまった。

 

「ああ、ごめんな。驚かせたね」

「い、いえ……大丈夫です」

「ちょっと失礼するよ」

「え、あの……悠さん?」

 

 大人の怒鳴り声に怯えるえりなちゃんを引き寄せ、両手で耳と視界を覆う。

 その行動で、またもや罵声を浴びせられる。

 

「貴様ッ、誰に触れている!!」

「その方は貴様のような下賤の輩が触れていい方ではない!!」

「誰かっ! 誰かいない──」

 

 

 

 

「──少し、黙ろうか?

 

 

 

 

 声と共に食圧を部屋に向けて解き放つ。

 普通の人間にしてみれば、自分がしたのは言葉を発することだけ。それだけなら爺さんのように威厳や風格などを感じて気圧される、といった感じだろう。しかし、実際には、

 

「う……ご……!」

「ひぎ……な、なにが……!?」

「か、体が、おもい……!」

 

 自分とえりなちゃん、爺さんを除く他全ての人間が膝を付き、あるいは畳に押さえつけられているかのように藻掻いていた。

 花邑との一件で出来るようになってから、割と頻繁に使うのがこの食圧と消命だったりする。食材に対して一度も使ったことはないが。

 

「ごちゃごちゃと喚き散らかすな──(やかま)しいんだよ

「う、ぐ……ぅ」

「子どもがいる前で下賤だなんだ言いやがって、真似したらどうすんだ? ああ?

「あの、そこまで幼くないのですが……」

 

 なんて説教染みてるが、こんな風に圧を掛けている自分が言うなという話だ。それと、えりなちゃん。塞いだ手の隙間から漏れ聞こえて呟いたのかもしれないが、君はまだ幼いから。

 

「それで? どうするんだ? 会議を再開するのか終わるのか、早く決めてくれないか? ──爺さん」

 

 ただ一人食圧の影響を受けていない爺さんへ問い掛ける。

 はじめは目の前の光景に目を見開いていた爺さんだったが、胡坐で座り直し、

 

「評議はここまでとする」

 

 悩むことなく即答で宣言した。そこに驚きや迷いなど一切見えない。

 宣言を聞いて食圧を消す。少しだけ間を置いて、えりなちゃんの目と耳から手をどかす。視界だけは隠せていたので、えりなちゃんも関わりがある爺さんの部下が倒れている姿を見て驚く。

 

「おに、悠さん、一体何を……」

「せ、仙左衛門様……!」

「残りの議題は全て次に回す。全員、この場を退出せよ」

 

 続けて、部屋の外へ声を掛けて黒服を呼び、手を貸すよう命じる。

 

「ご当主……何故です!」

「……祖父が孫を優先することに何の問題もなかろう?」

 

 大半は怯えた表情で部屋を出て行くが、中には爺さんに自分を排除するよう嘆願する輩もいた。爺さんは何故と問い掛ける有象無象に簡潔に答える。

 

「え、えりなお嬢様を優先するのは当然です……しかし今はっ」

「儂がいつ、えりなを優先すると言った」

「は? ……え、あ、ですが、孫を優先すると……」

「ふぅ……すまぬが、名乗ってもらえるか? できれば誰が親かも教えてくれると助かるのだが」

 

 困惑する有象無象に、爺さんはこちらへ向けて頼み込んでくる。

 断るのは簡単だが、断ったところで有象無象は納得しないだろうし、爺さんから言うだろう。だったら自分で名乗った方が早い。

 えりなちゃんの前に出て、自分は名乗った。

 

名桐(なぎり)悠。父親は不明、母親は薙切未那。ああ、お前らが思い出しやすくなるよう、こう言った方がいいか? ──“薙切の出涸らし”だと」

 

 ざわつきが一層増した。えりなちゃんも背後で「出涸らし……?」と呟いている。

 見た目から年齢を予想しても、ほぼ全員50は超えているだろう。薙切家に仕えている年数も十年や二十年ではないはず。いくら記録を消したところで、人の記憶はそう簡単に消えないものだ。

 

「未那……未那、様だと!?」

「そんな馬鹿な……」

「薙切家の汚点が今更出てきてなんのつもりだ……」

「抹消された身では帰れず、息子を通して財でも求めるつもりか」

 

 ほら、出てくる出てくる。

 聞こえないと思って呟いているのか、無意識に声に出ているのかは知らない。だがな、全部聞こえているぞ。

 

「彼の出生については既にDNA鑑定も含めて結果が出ておる。紛れもなく儂の孫……未那の息子だ」

「し……しかし、未那様は薙切から籍を外された身。いくら実孫とはいえ──」

「未那を勘当した覚えはない」

「は?」

「確かに未那に関する資料は全て破棄はした。が、娘を勘当するほど耄碌はしておらん」

「……」

「これ以上反論する者はおらんな? ならば──即刻部屋を出て行けィッ!!

 

 先ほど自分が出した食圧にも負けない覇気が籠った一喝に、有象無象は反論することもできなくなり、黒服の肩を借りたり、こちらを睨み続けながら、部屋を出て行った。それらと入れ替わりで緋沙子ちゃんを連れた花邑が部屋へ入ってきた。

 

「えりな様!」

「緋沙子」

「これは一体……仙左衛門殿」

「花邑か。──そうなのだな?」

「……はい。紛れもなく、未那様のご子息です」

「そうか。未那もまた、方向は違えど傑物を産んだか」

 

 花邑の肯定に感情の込められた呟きをこぼす。視線が花邑から自分へと移る。先程の威厳に満ちた眼光が嘘のように穏やかになっている。

 悠、と呼んでも? と聞かれたので頷く。

 

「場所を変えよう。二人きりで話したい」

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

 爺さんに案内されたのはさっきまでいた部屋から一階層上がり最上階に作られた茶室だった。こじんまりとした部屋でさっきの会議をしていた部屋の半分ぐらいか。

 茶室には向かい合って座る自分と爺さん。それと入り口近くで待機している花邑とその隣に座っているえりなちゃんと緋沙子ちゃん。

 

「花邑、儂は二人きりと言ったはずだ。えりなもすまないが別室へ行ってもらえぬか」

「未那様のご子息である以上、私も同席する権利があります。また、えりなお嬢様も同様に知る権利があるかと」

「わ、(わたくし)も、悠お兄様のことを……未那、伯母様のことを知りたいです……お願いします、おじい様」

「……そうか。花邑。儂はまた誤るところであった」

「いいえ。今更です」

「……ああ、そうだな。儂は娘に対していつも選択を誤ってきた」

 

 内容はわからないが、互いに秘めた過去を持っているのだろう。おそらく母に向けて後悔の念を抱いているのだろうか。顔色からある程度の想像は立てられるが、内面まではわからない。

 

「悠様。話の前に先日の一件ですが──」

 

 黙っていた花邑から車内でも聞かれたあの日のことを訊ねてきた。そこで、どこに隠し持っていたのか、耳栓を取り出してえりなちゃんと緋沙子ちゃんに渡して付けさせ、更に手で耳を塞ぐ。緋沙子ちゃんは空気を察したのか、自分で耳を塞ぎ聞かないようにしている。動きに淀みがない、よくあるのだろうか。

 二人に声が届かなくなってから、花邑は話し始める。

 

「悠様が去られて、時間はかかりましたが、我らは星野あゆみの住居へ向かいました。そこで見たのは、扉が破壊された部屋で呆然自失になった星野あゆみ、それとゴミの山に埋もれていた同居人の男です」

「あの後来ていたのか。やっぱりあの時、情報を知ってるか聞いておけばよかったな」

「やはりあの状況は悠様が……いえ、続けます。──斎藤アイさんの実母という点を鑑みて、また、現場をあのままには出来なかったので二人は薙切家所有の施設で匿い、他に居住者のいなかったアパートは土地を買い上げ解体することになりました」

 

 なんともまあ、一般人にはスケールの大きい証拠隠滅をするものだ。

 

「アイの母親っていう点だけで保護しているんだったら、その必要はない。ただ……可能であれば、自分たちに関わりのないとこで静かに生活をおくれるようにしてほしい」

「そのように。同居人の男は──」

「二度とこちらに関わらせないようどっかに捨てるなり蟹漁にでもぶち込みやがれ。次に()の目に入ったら──ッ」

 

 最後まで言わないよう口を噤む。流石に子どもの前で感情のままにぶちまけられない。

 深く息を吸って落ち着かせる。食義をマスターしていると言っても、怒りは覚えるし全てのことに感謝なんてできるはずもない。苛立ちを体の内側から吐き出すように自分は理由を話す。

 

「そいつのせいでアイが精神的な障害を負った。だから奴だけは決して許さない。視界に入った瞬間、何をするか自分でもわからない」

「──申し訳ありませんでした。男の方はこちらの方で処理しておきます」

「何度も言わせるな。謝るのはお前じゃない」

 

 視線を爺さんに向ける。言外に上に立つお前に責任がある、という意思をこめて。

 

「──すまなかった。儂の指示によって無関係の少女に必要のない傷を負わせてしまった」

「……受け入れます。こちらも一人潰したので」

「……そうか」

 

 そこで話が途切れ、少しの間、沈黙が部屋を包む。花邑はえりなちゃんの耳から手を離し、二人から耳栓を回収している。

 沈黙を破ったのは爺さん。

 

「悠。聞かせてほしい。君の今日までの人生を」

「……母が自分を抱きながら、父親(アンタ)や兄妹について話していたのが自分にとって最初の記憶だ」

 

 今でもハッキリと思い出せる。おくるみに包まれた自分に向けて、昔話のように家族について話す母の瞳は既に光がなかった。理由はわからずじまいだが、その時にはもう心が折れてしまっていたのだろう。

 話が終わると、何度も夢で見返した別れがやってきた。自我が芽生えていても1歳に満たない体はそこでエネルギーが切れて最後まで起きてはいられなかった。だから母が誰かに自分を託したのか、施設に遺棄したのか、あるいはそこらへんに放置されたのかは、意識が微睡んでいて、よく覚えていない。けれど、次に目が覚めた時には施設で師匠に抱かれていた。それ以降は壱護さんに引き取られるまでずっと施設にいた。

 それ以降の話は振り返る必要がない。

 自分は願われた通りこれまでの人生を話した。流石にえりなちゃんの前で正直に話すことは出来ないので、アイとの繋がりに関係することはぼかしながら。

 所々で確認するように質問をされたが、淀みなく答える。

 

「……そうか」

「別に捨てられたのはいい。だが、母がどうしてああなったのだけは聞きたい」

 

 鞄に入れていたファイルから一枚の紙を取り出し爺さんに差し出す。以前、ニノに聞いた時にもらっていた、母が料理コンクールで優勝した時の画像データを印刷したものだ。

 紙を受け取った爺さんは、印刷された笑顔を浮かべる母の顔を壊れ物を扱うように撫でる。

 

「……懐かしいの。……これをどこで?」

「ニノ──織崎藤乃が調べて見つけてくれた」

「そうか、藤乃嬢が……えりな、これが若い頃の未那。君の伯母だ」

 

 紙をえりなちゃんにも渡す。受け取った画像を見て、

 

「お母様にそっくり……」

「双子ではなかったが、未那と真那は本当にそっくりだった。ああ、本当に懐かしい。笑顔を浮かべた未那の顔など、思い出せなくなってきていたというのに……」

「テメェが自分で処分したんだろう。自業自得だ」

 

 吐き捨てるように言った言葉だったが、爺さんは紙をえりなちゃんから返してもらいながらいいや、と返した。

 

「未那の記録は処分したようにみせて、全て当主しか入れない場所で保管してある。娘の記録だ、捨てられるものか……足を運ぶことも出来んなんだが」

「どうだか。食に関しては身内だろうと切り捨てられる少数精鋭主義者──なんて、世間から評されているんだ。才能のない母を切り捨てたと言われた方が納得できるぞ、食の魔王様」

「……否定はできぬよ。事実、未那を追い詰めたのは、儂の判断が招いたことなのだから」

「……」

「未那に料理人としての才能はなかった。よくて二流止まりだ」

 

 視線を母の画像に落としながら、思い出をなぞるように話し出す。

 

「それは本人もよくわかっていただろう。けれど、未那は料理人の道を諦めなかった。どんな時も笑みを浮かべて取り組んでいた。薙切家の仕来たりに背き、分家の者から心無い声を浴びせられたが、それでも未那は外へ出ずに中等部から遠月に入学し、無事に高等部まで進学した」

 

 その話はニノからも聞いたのを覚えている。

 爺さんはそこでしかし、と眉を伏せ続きを話した。

 

「未那は嵐に飲まれてしまった。評価を覆せず、周囲の者からも嘲られ、いつからか“薙切の出涸らし”等と揶揄されていき──」

(しま)いは食戟、だろ」

「それも知っておったか。記録は全て処分したはずだが……流石は織崎と言ったところか」

「だがそこまでだ。そこから先はわからない」

 

 だから教えろ、と視線で訴える。

 優しい目で見つめていた画像を畳に置き、爺さんは腕を組み目を閉じた。

 

「……儂は父親である前に学園総帥として未那に手を貸すことを選択しなかった。むしろ、当時はこれ以上未那が傷つく前に退学した方がいいのではと思っていたのだ。皿から離れてもいい、料理を続けても構わん。だが穏やかに過ごしてほしいと願った。故に儂は、最後通告が未那に送られる際、通告用紙に退学取り消し条件を加えさせた」

「…………おい待て」

 

 嫌な予想が頭をよぎる。同時に以前ニノが話してくれたことを思い出す。

 ──未那様が一度だけ食戟をした記録が残っていたそうです。勝敗は惨敗。その時の審査員の一人に仙左衛門様が務めていたそうです。

 

「まさか──退学撤廃を条件に食戟をさせたのか? 受ける以外の選択を潰した上で負けるとわかった勝負を」

「……」

「おじい様……」

「黙ってないで最後まで言えよ」

 

 

「人伝にしか知ることができなかったが……通告を受け取った未那は諦めぬ意思を宿した表情で食戟を受諾したそうだ」

 

「こちらで用意した相手は当時、一年ながら十傑候補と言われていた生徒」

 

「食戟が始まり、入場してきた未那は儂がいることに気付き、表情を変えた。儂は何も言わず視線も合わせなかった」

 

「予定通りに食戟が始まり──予定通り、食戟は未那の敗北で幕を閉じた」

 

 

「これで未那を救えると思っておった。宣言を聞いた未那の顔を見るまでは」




Tips『薙切仙左衛門』:
 薙切家当主にして原作の舞台『遠月学園』にて総帥を務めると共に日本の料理界のほとんどを牛耳る老人。食の魔王と学園内だけでなく日本の名家、テレビ局等重鎮にも知れ渡り恐れられている。
 原作同様、政府にも圧力を掛けられる程の権力を持っているが、それ故に『父親』よりも『薙切家当主及び学園総帥』を優先、下からもそれを求められ『父親』として動けないことも。
 結果的に長女に絶望を与え、次女は救えず、意気消沈して原作より威厳がやや低下。せめて孫だけはと、低下した威厳を徐々に取り戻しつつ、とある計画を進行中。
 孫に対しては計画を進めながら、料理以外(趣味等)は好きにさせている。少しでも笑顔で過ごしてくれるならば――


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八話

 

当たり前だろうが

 

 冷静でいられなくなり、ジジィの胸倉を掴み上げる。悠お兄様!? と悲鳴を上げるえりなちゃんの声が遠い。

 近距離で突き付ける自分の顔を見て、

 

「そう、その表情だ」

 

 ジジィは静かに言う。

 

「退学が決まった瞬間、未那は今の君と同じような表情をしておった。感情が抜け落ち、瞳に光も何も映していない──無の顔だ」

「──」

「儂はようやっと誤ったのだと悟った。気付くのが──否、初めから娘に対して選択を間違え続けたのだ」

 

 その辺りで横から腕を掴まれる。視線だけ向ければ花邑が手を伸ばして首を振っている。再度、至近距離で爺さんの表情(かお)を見て、溜息と共に胸倉を離した。

 

「それが儂が最後に見た未那の姿だった。その場で退学へのサインを書き終えた未那は姿を消し、行方を眩ませ──今に至るというわけだ」

 

 掴まれて乱れた胸元を着直すことなく爺さんは語り終える。

 そこに原作で見たような、また先程会議の間で見たような威厳はこれっぽっちも感じられなかった。

 

 自分の中で薙切仙左衛門という人物は、家族に対して情の深い人物ではあるのだが優先順位を低くしているのだと予想していた。事実、爺さんが動き始めたのは(真那)でなく(えりな)になってからだ。母を救おうと動いたのかもしれないが、爺さん自ら告白した話を信じるのなら、ただ母を更に深い絶望の谷底へ突き落したようにしか聞こえなかった。家庭よりも薙切家の当主として、自身の子どもより学園生徒(料理人の卵)のことを、そして料理界のトップとしての責任を優先しているように感じられた。

 ただ、擁護するつもりはないが、爺さんだって好きで父親より当主や総帥を優先していたわけじゃない、と思いたかった。薙切家は長い歴史を持つ名家だ、当然、何代も付き従う家や部下が数多くいるはず。その頂点に立つ当主としての責務は自分には計り知れないほど重圧なものだろう。総帥としての立場もそうだ。ただでさえ悪い意味で注目されている中で、父親として関わっていると知られれば余計な噂がさらに母に付き纏っていたかもしれない。それに気付いていたからこそ、爺さんも『父親』と『当主及び総帥』という立場の板挟みになっており、選択するしかなかったのかもしれない。

 

 これらはあくまで自分の想像でしかないが、あながち間違ってないと思いたい。

 母が行方を眩ませて約二十年近くが経つ今でも、爺さんはこうして後悔の渦に囚われているのだ。本当に切り替えができている人間というのは、こんな風に後悔した表情を浮かべることはない。だって、自分は知っているのだ。実子でも容赦なく切り捨てられる人物を――

 

「あの……おじい様」

 

 おずおずとえりなちゃんが手を挙げる。

 

「未那伯母様は見つかっていないのですか? 薙切家が総力を挙げればすぐに見つかると思うのですが……」

「そうだな、えりなの言う通り、薙切が総力を挙げればすぐに見つかるだろう。しかし……それは無理なのだ」

「無理……?」

「えりなお嬢様。先程仙左衛門殿が仰ったように未那様は分家や部下からもよく思われていませんでした。仙左衛門殿自ら未那様の記録を抹消したのも、分不相応にも分家共が要求したからです。薙切から逃げ出した者は薙切に不要、と」

「そんな……で、ですが、それだったらお母様だって」

「真那殿は神の舌の持ち主でありこれまでの功績があります。一方、未那様にはそれがありませんでした。価値のある相手に媚を売る──えりな様も経験したことがあったでしょう」

「……そうね。ええ、何度も耳にしたわ」

 

 花邑の言葉にえりなちゃんの感情が消える。

 確か、神の舌を持つえりなちゃんもこの時期にはもう味見役をしていたのだったか。それと実父からの洗脳と言う名の教育はこれからだろうか。それとも年齢的に既に経験した後だろうか。歳を聞いていないのでわからない。

 

「話を戻しましょう。未那様を軽んじる輩は大勢いました。加えて、流行に乗るかのように部下の間でも未那様を下に見るようになってきた愚か者も増えていきました。このような状態で薙切家の総力を挙げるなど到底できず、良く思わない輩に気付かれぬよう捜索は私含めた極少数でしか行えませんでした。結果、今でも見つけられずにいるのです」

「そう、だったのね……」

「自分の時は結構な人数だったがな」

 

 皮肉気味に言ってやると、花邑は苦笑してあれでも少ないのですよ、と返した。

 だから一般人とのスケールが違うんだよ。これだから名家って奴は。

 

「それに……ここ数年、時々これ以上未那様を探さない方がいいのでは、と思ってしまうことがあるのです」

「……」

「え……ど、どうして!?」

「薙切としてどう扱っていようと、私は今でも未那様が生きていると信じています。そんな未那様にとって我らは悪夢を思い出させ、傷付けるだけの存在でしかないでしょう。であればこれ以上探さずに、未那様には心穏やかに過ごしてほしいと……そう思ってしまうのです」

 

 花邑の言葉に誰も何も言わなかった。父親である爺さんも口を固く閉ざしている。

 自分はよくわからなかった。母親に会いたいのか、このままでいいのか。別に迷っているわけじゃない、本当にわからないのだ。

 

「……話は変わるが、爺さんは自分と会ってどうしたかったんだ」

 

 だから、沈黙を破って話題を変えた。

 うむ、と呟き胸元を正す。

 

「理由は二つ。一つは君と話がしたかった」

「もう一つは?」

「……許されるならば、悠。君を薙切家に迎え入れたい」

「難しいだろ」

 

 即答する。

 

「これまでの関係を全て捨てて薙切に下れと言ってるならば……」

「そこまでは言わんよ。できれば薙切家傘下の組織に属してほしいが」

「第一、さっきの輩にはどう説明するんだ。出涸らしの子なんざ、満場一致で反対されるだろう」

 

 仮に当主の一声で有無を言わさず迎え入れても、後で軋轢を生むだけだ。

 しかし、正直に言えば薙切家に入るのはメリットが大きいと思う。

 

「だけど、薙切の財布と権力は惜しいな……」

「悠様……それは流石に」

 

 自分の呟きに花邑が窘めるように呟く。えりなちゃんと緋沙子ちゃんも「えー」と呆れたような目で見てくる。

 わかっている。流石に自分も言い方が悪いと思っている。

 

「けど事実だ。別に自分だけなら特に稼ごうとは思わないが、家族に良い生活を送ってもらいたいって考えたら、金はいくらあっても足りないくらいなんだ」

 

 例えば、これから産まれてくる子どもたちの養育費用だが、大学まで通わせるとしてすべて公立入学なら約3000万。私立なら約4000万以上必要だと載っていた。双子なので更にそれが倍。

 別にそれを苦に思うわけではない。むしろ自分が苦労するのは構わない。けど、これからどうなるかわからない。というか、今のままでは稼ぎの大半をアイに任せてしまうことになってしまう。

 産まれてくる子どもたちを幸せにしたい、なってもらいたい。だったら、手を伸ばせば届きそうな財布を掴まない選択肢は自分の中に存在しないのだ。

 

「権力もそうだ。偉い立場ってのはそれだけで武器にも盾になってくれる。逆に低い立場の人間は何もできずにされるがまま」

 

 アイの、というより男女問わずアイドルの立場はまさにそれだ。立場の低い彼ら彼女らが逆らえないことをいいことに、偉い立場の人間は権力を振りかざして己の欲望を満たそうとする。グルメ食材によって綺麗になったミヤコさんがB小町出演時間の取引材料にされたこともあるし、ミヤコさん自身も現役時代はキャバクラまがいのことをさせられたなんて愚痴ってたこともあった。

 B小町の四人は壱護さんが上手く立ち回っているが、いつか何か起きてしまうかもしれない。権力ではないがアイを一度危険に晒してしまったのは事実なのだから。

 

 もちろん、自分も立場が低い。施設育ち、親なしというだけで一段も二段も低く見られる。

 アイを、子どもたちを、今の居場所を守るためにはやはり権力は必要だ。

 

 ……きっと、漫画であれば爺さんの、薙切家当主の一言で全て決まっていただろう。

 けれど、現実ではそうはいかない。そうであればこの短い間で知った程度だが、母が薙切家から出て行った時に要求をされた分家の言葉を爺さんが呑むとは到底思えない。

 

「ああ、そうだな。自分で言ったことだが、やっぱ薙切家の財布と権力は必要だ」

「悠様……」

 

 ならどうするか。さっき自分で難しいと言っていたが、当たり前だ。

 というか、ここに来るまで自分はもっと力尽くな手段を考えていたじゃないか。

 

「爺さん。さっきの迎え入れの件、受けるよ」

「……そうか」

「だけど、爺さんの要望は受けない」

「ぬ?」

「もっとシンプルに──力尽くで奪い取る」

 

 鞄の底から百均で買っておいた白い手袋を取り出して──投げつけた。

 爺さんに。食の魔王──遠月学園総帥・薙切仙左衛門に。

 驚きに声を失っている花邑とえりなちゃん、緋沙子ちゃんの前で。

 手袋を投げつける──それは、古くから存在する決闘を申し込む行為。

 

「この学園は料理が全て。だから母は学園を追われた。だったら、その逆をしたっていいわけだ」

 

 そして、投げつけられた手袋を反射的に掴み取ってしまった爺さんに。

 

「むしろ有象無象には出涸らしの子を潰す好条件だろうな。こちらの得意分野に勝手に引き込まれてくれたって」

 

 

 

 

「だからさ薙切仙左衛門。自分はアンタに食戟を挑むよ(・・・・・・・・・・・・・)。迎え入れたい孫のお願いなんだ。当然──受けてくれるよな?

 

 

 

 

  ★  ★

 

 

 

 

「――本当によろしかったのですか」

 

 多重塔から遠ざかっていく車を眺める仙左衛門に花邑は問うた。茶室には既に孫たちと側近の姿はない。離れていく車には悠の他にえりなと緋沙子が乗っており、入り口まで見送ると言って付いて行ったのだ。

 

「なにがだ?」

「食戟の申し込みもそうですが……それ以上に食戟の対戦内容です。悠様自ら提案したとはいえ、あまりにも無謀すぎます」

「……果たして、そうだろうか」

 

 花邑の心配を仙左衛門は見えなくなっていく車を見つめて違う意見を口にした。

 短い邂逅だったこともあり悠のことを知り尽くすことなどできなかったが、少なくとも自らの力量に驕るような性格ではなかった。

 

「遠月のことは藤乃嬢だけでなく自分で調べているだろう。その上で食戟を挑むと口にしたということは、勝機があると確信しているからだ」

「お言葉ですが……悠様は小中高と普通校に通っておりました。春より正式に所属する事務所でアイドルグループの専属料理人を務めていると調べましたが、それだけでは十傑には到底……」

 

 しかし、と花邑は内心で呟く。

 迎えの車内で悠が作った料理を口にしたえりなが美味しいと言ったのだ。誰かのために作った余り物で出来たおにぎりで、だ。神の舌を持つえりなが誰かの料理で美味しいといったことなど、片手の指の数でも足りるほどだ。

 もしかしたら、と思ったが、花邑はその事実を仙左衛門には言わなかった。交換条件を出してまでえりなと緋沙子に黙っているようお願いしたのだ。ならば自分も黙っていようと決めていた。

 

「……相も変わらず嘘が上手いな」

「……仰る意味がわかりませんが」

「恐らく悠の料理の腕を知っているのだろう。だが、それを隠している」

「知っているのは調べた程度のことです」

「花邑。主は嘘が得意だが、それ故にわかりやすい。まあ、此度はえりなの様子でわかったが」

 

 仙左衛門の言葉に花邑はのらりくらりとかわしていたが、

 

「……お主が儂に嘘を述べるのは、やはり未那の件か?」

「わかっているではありませんか」

 

 思わず、即答してしまっていた。

 

「あの一件以降、お主は例外を除き未那以外の敬称を変えた。不敬だと周りから言われようと――それほど、儂が、未那を除く薙切の人間を恨んだか?」

「恨みも、ましてや憎しみもありませんよ。ただ――失望しただけです。仙左衛門殿は元より、宗衛殿、真那殿に対しても。誰も未那様の心に気付かなかった。笑みを浮かべる仮面の下を誰も知ろうとしなかった」

「……仮面、か」

「どんな時でも未那様は笑みを浮かべていたと言っていましたね。違いますよ、笑みを浮かべるしかなかったんです」

 

 才能も異能も持たずに産まれた未那に味方は少なかった。

 だから演じていたのだ。陰で何を囁かれようが関係ない、と言わんばかりに。自分がどんな風に見られても構わない。笑って、家族として接してもらえるなら――

 だから未那は笑顔を浮かべていたのだ。本当の心を嘘という仮面で覆い隠して。

 それを花邑は知っていた。

 

「どうして未那様が料理に拘ったか、仙左衛門殿は覚えていますか?」

「……」

「あなたが褒めてくれたからですよ」

「ぬ……」

「おはだけもなく、上辺だけの言葉だったのかもしれない。しかし、料理は父親(あなた)から唯一言葉として褒められたものだったのです。そのたった一言を未那様はずっと……!」

 

 言葉を荒げかける花邑に、仙左衛門は平静を装いながら胸を握りつぶされている思いだった。

 そうか、力なく呟き胸を抑える。えりなのために奮起している心が久方ぶりに沈んでいく。

 

「儂は……儂はそこまで」

「責めるように申しましたが、仙左衛門殿だけが間違えたわけではありません。宗衛殿や真那殿にも一因があり、本心を隠した未那様も、そして黙っているよう指示された私にも間違えたのです」

「誰もが間違えた、か。だが、花邑。お主は儂らと違い、間違いに気付き、次に活かせた。だからこそ、えりなを鳥籠から救うことができた」

「……いいえ。私ができたのは取り返しのつく段階で気付き鳥籠の扉を開けて外を見せているだけ。未だえりな様の心は鳥籠に囚われています」

 

 あの時の光景を思い出し、花邑は首を横に振る。

 

「えりな様を本当の意味で解放することができるのは……」

「悠、か」

「……その一つになりましょう」

 

 解放できる、とは言わなかった。

 道中で見た悠とえりなの会話から、良い方向へと進めると感じた。しかし、えりなを本当の意味で解放できるのは計画で集めている――

 

「そのためには、悠様との食戟をなんとかしなければ」

「うむ。――花邑、主だった者を再び集めよ。まだ遠月からは出ていないはずだ」

「かしこまりました」

 

 指示を受けて、花邑は茶室を出て行く。

 一人になった茶室で、仙左衛門は懐から紙を取り出す。それは悠が置いていった娘の画像が印刷されたもの。

 笑顔を浮かべる娘のかつての姿をもう一度目に焼き付け、

 

「未那……儂はもう何も取りこぼさん。悠も、えりなも、真那も――そして未那、全て、全てだ」

 

 紙を掴んでいた指の力を緩め、手放す。

 風に吹かれて紙は空高く舞い上がり、数秒も経たないうちに見えなくなってしまった。そうなるまでジッと見つめ続け、仙左衛門は茶室の出入り口へ歩き出す。

 その背中には迷いも後悔もなく、威厳に満ち溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、遠月学園高等部に在籍する一部の学生の元に資料が配られた。

 枚数は少なく冊子のように纏められたは、一年生には馴染み深く、二、三年生には懐かしい宿泊研修時のしおりのようだった。

 内容は要約すると以下になる。

 

 

・指定した日時に模擬(・・)連隊食戟を開催。

・十傑を除き一般生徒の参加は自由。不参加によるペナルティは無し。

・お題は各人によって別。食材や料理が被ることはある。

・食材は学園が準備した物を使い、持ち込みは不可。(道具は可)

・勝利した者は可能な範囲での要望を叶える。(一般生徒は十傑クラスまで。十傑は後日別に)

・敗北した場合のペナルティも無し。

・負けを恐れず参加することを望む。

 

 

 誰もが首を傾げた。

 一年生は宿泊研修に比べて甘い行事だということと連隊食戟という聞きなれない食戟に。

 二、三年生はこんな行事あったか? と。この時期は学期末試験が終わった後で何もないはず。

 疑問は覚えたが、それでも資料を配布された選ばれた一般生徒たちのほとんどは参加することを決めた。不参加することを選択した生徒も前以て予定されていた家の都合さえなければ参加したかったと嘆いていたほどに。敗北してもペナルティがない上に、勝利すれば十傑まで登り詰めなければ叶えられない要望を叶えてもらえるのだ。

 誰もが思っていた。こんなに上手い話、乗らない手はないと――

 

 一方、遠月学園において最上位十名で構成される最高決定機関、遠月十傑評議会メンバーは学園総帥である薙切仙左衛門から今回の突発的なイベントの真相を聞かされていた。

 曰く、薙切を飛び出した者の落胤が戻ってきたそうで。

 DNA鑑定等で薙切の血筋は確認されたが、それでも怪しいものは怪しい。

 そこで薙切家として相応しいか揉め、ならば料理で決めようということになり、この行事の開催に至ったという。

 十傑の数人はやる気がでなかった。要は名家でよくあるお家騒動なのだ。

 やれ家督がどうやら、後継ぎがどうやら、愛人との間にできただなんだ――

 中身は異なるが、料理人の家でも後継者争い等だいたい同じ問題が発生することもある。だからやる気がなかった。

 

 それでもイベントの開催を認め、参加を決めたのは一般生徒と変わらず報酬が魅力的だったからだ。

 十傑メンバーが勝利すれば、その報酬は権限以上のものになる。

 それを仙左衛門が認めたのだ。

 

『学園総帥としてでなく、薙切家当主として、勝者には望むものを与えよう』

 

 十傑の権限でも凄まじいものだ。しかし、人間は強欲なもので、それ以上のものを欲してしまう。ましてや今回は政府にも圧力を掛けれる力を持つと噂される薙切家当主として報酬を約束された。これに心動かない十傑はいなかった。

 イベントは無事に承認され、各々日常を送る。

 準備に勤しむ者。

 余暇を持て余す者。

 普段通りに過ごす者。 

 それぞれが思い思いに過ごすが、唯一共通していたのは大小差はあれど慢心している点か。

 

 だから、参加を決めた十傑並びに一般生徒は知らない。知ろうともしなかった。

 対戦相手のことを調べようともしなかった。

 食戟の相手が、自分たちの想像を遥かに超えた――化け物(チート)だということを。




Tips『花邑』:
 薙切家に仕えている人物。薙切未那の元側付き。現在は新戸緋沙子の側近教育のため一時的に薙切えりなの側付きになっている。
 えりなに対して行われた『洗脳(きょういく)』にいち早く気付いたのは彼のおかげ。ちなみにえりなと緋沙子がB小町のファンになったのは彼のせい。


Tips『遠月学園』:
 東京都内にある日本屈指の名門料理学校。ただし、料理の腕を重視しすぎて道徳的な教育が疎かになっている等、教育機関として杜撰な体制な、漫画によくある「色々と凄い学校」
 問題視されないのは卒業生が確実に世界に誇れる料理人として挙げられていること、また入学時に注意事項として、
「ウチは料理に関してすっっごい厳しいよ。自己責任だけど、それでもいいなら歓迎するよ(要約)」
 なんてことが書いてあるため。要はわかって入学したでしょ、的な。
 原作前であること、また仙左衛門の計画によって集められた生徒がいないため、ほとんど地位や実力に鼻をかけた自己中心的でエリート意識の強い生徒しかいない。極星寮? 今は雌伏の時間なので。


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九話

 お気に入り登録者数2000人ありがとうございます。


 ──見て! 見て! センセ、これ見てよ!

 

 目の前で興奮しながら、何かを持った手をぶんぶんと振り回すさりなを見て、吾郎はああまたか、と冷静な頭で考えながら、

 

 ──振り回されちゃ見えないって。

 

 と、夢見るたびに何度も繰り返した言葉を返す。

 彼にとって然して珍しくもない(・・・・・・・・・)明晰夢の一つ。

 

 ある時、病室を訪れた吾郎にさりながチケットを見せてきた。以前から話に聞いていた推しのアイドルのライブチケットだった。抽選で当てたらしく、その時のさりなのはしゃぎっぷりは凄かった。後で吾郎が調べれば結構な倍率だったらしく、あの興奮も当然と思えた。

 あまりの喜びように吾郎も嬉しくなる。しかし、それも次の言葉を聞くまでだった。

 

 ──頑張って、一人で行けるよう許可貰わなくっちゃ。

 

 最初は何を言ってるんだと思った。許可を貰うのはいい、だけど一人で(・・・)

 聞いてみれば、さりなの両親はその日も仕事でどちらも空けられないらしい。吾郎はどうして、と疑問を浮かべるよりも怒りの方が沸いてきた。たった一人の大切な娘の数少ない願いさえ叶えてあげないのか? 物だけ与えて見舞いにも滅多にこないのか? と嘆きもした。

 だから、吾郎はあの時、無意識に呟いていた。

 

 ──駄目だ、一人は絶対に許可できない。

 ──だけど、さりなちゃんが本気で行きたいって言うのなら、

 ──ご両親の説得と体調だけ整えておいてくれ。

 ──あとは俺が、なんとかするから。

 

 患者に入れ込むのはやめとけ、と教授や先輩から何度も言われていた。けれど、それでも吾郎はさりなに入れ込んでしまった。

 医者になって初めて接した幼い少女に同情したからかもしれない。

 かつての自分の境遇を重ねてしまったのかもしれない。

 だから、吾郎はさりなに約束し──動いた。

 上司を説得し、ライブ会場近辺の救急隊に懇願し、さりなの両親を説き伏せた。

 説教はもちろん怒鳴り散らされた。門前払いもされた。疑わしい目でも見られた。それでも吾郎は言葉を重ね、頭を、時には地に伏して願い──ようやく全ての許可が下りた。

 

 吾郎も同伴して参加したライブは元からファンのさりなはもちろん吾郎もステージで踊り歌うアイドルの虜になった。彼女が夢中になったのも十二分に頷ける。何より隣で大興奮でキレのあるオタ芸をするさりなを見れただけでも吾郎は連れてこられてよかったと思えた。

 

 永遠に続いてほしいと願わずにはいられない時間も、いつかは終わる。ライブの半分が終わりB小町が一時休憩のためステージ裏に消えて行ったのが、吾郎とさりなにとって魔法が消える合図だった。

 本当は最後まで参加したかったが、慣れない長距離移動と人だかりで間違いなく疲労するだろうと予測して初めから途中で退出することを条件とされていた。

 だけど、救急車に戻る途中、記念だからと人ごみの少ないガチャを回した。まさか一発でさりなの推しであるアイの『アイ無限恒久永遠推し!』と描かれたキーホルダーを引くとは思っていなかったが。

 

 救急車に乗り込んだ帰路の途中、赤信号で停車した際に助手席の隊員から二枚の色紙を手渡された。なんでもB小町が所属する事務所のスタッフがさりなへ、と渡してきたみたいで、一枚にはB小町全員のサインが描かれており、もう一枚にはアイだけのサインと、メッセージが手描きで記されていたのだ。

 

『また、ライブで待ってるからね。約束だよ』

 

 ストレッチャーに寝そべっていたさりなに二枚の色紙を見せると、さりなは最初ドッキリかと疑ったが、隊員の証言で本物だとわかると、

 

 ──センセ……私、頑張って治す。治せなくても良くなる。それでもう一回ライブ(推しに会い)に行くっ!

 

 そう言って、色紙を抱き締めながら、その日一番の笑顔を見せながら涙を流した。

 吾郎も当然応援した。

 

 けれど──その願いは叶わなかった。

 ライブから約一年後にさりなは星となって空へ還った。

 そのたった一年の間、さりなは飾っている色紙に描かれた約束を胸に必死に生きようと足掻いた。実際、吾郎以上にさりなを見てきた主治医も過去一番調子がいい、とまで言っていたのだ。

 吾郎も研修医としての仕事以外の時間のほとんどを治療法を探すために費やした。

 また、もう一度アイに会うために何度もライブの抽選に応募した。段々と倍率は上がっていったが、幸運なことに一年の間に二度も当選することができた。けれど、そのどちらのライブにもさりなは行けなかった。

 一度目は距離的な問題で。

 二度目は体調が芳しくなく。

 

 何一つ叶うことなく、彼女は還った。

 

 ──センセ……これ、あげる……それと、もし、アイに、会えたら……色紙……

 

 最期にライブで手に入れたキーホルダーと色紙を吾郎に渡して。

 

 ──それとね……

         センセ……だぁいす、き……──

 

 そこで世界は黒く塗り潰される。夢が終わり、現実に戻る合図だ。

 もう何度も繰り返し見てきた。涙は流しきって、最近は一滴も出てこない。

 ああ、でも。でもね、さりなちゃん。

 涙は枯れても君を喪うのは何度見ても──やっぱ辛ぇわ。

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

「──しもーし、センセー」

「んぁ……」

 

 声が聞こえてくる。

 

「──にぃ~、い~ち」

 

 まだぼやけた意識のまま吾郎は目を開ける。

 横を向いてズレた視線の先には今現在、自分が受け持っている患者であるアイが何かカウントダウンをしている。

 寝ちまったか、と欠伸をしながら正面を向くと、

 

「保護者の、踏み潰す、こうげき」

「どぅわっ!!?」

 

 目の前には黒タイツを穿いた足が迫ってきていた。しかもパンプスのヒールのおまけ付き。

 ギリギリで吾郎は避ける。紙一重でかわしたヒールが先程まで顔があった芝生を貫いている。

 

「あっぶねぇ!?」

「ちっ……申し訳ありません。気付かず踏みそうになってしまいました」

「舌打ちを隠そうともしてねぇし、踏み潰す攻撃とか言ってたよな!? ヒールは流石に死ぬよ!?」

「職務の最中にうたた寝する方が悪いと思いますが? 同志に報告しますよ?」

「すんませんでした!」

 

 パンプスからオペラシューズに履き替えながら踏み潰そうとした女性──小鳥遊から無表情に言葉を返され、吾郎は謝りながら立ち上がる。流石に同志──毒舌看護師──に報告はマズい。でも何故同志? 吾郎は内心で首を傾げる。

 クスクスと近くで笑う声が聞こえる。視線を向ければ、アイが髪と顔を隠した帽子の下で笑っていた。順調にお腹の双子は育っており、だいぶお腹も大きくなってきていた。これといった問題も食事を除けば特に発生しておらず、何事もなければ予定通りに出産できるだろう。

 敷地内に設置された時計を見る。休憩時間を大幅に超えていた。

 

「やべぇ……見つかったのが君たちでホントよかった」

「いえ、五分ほど前に同志が通りかかり、ドン引きして立ち去りましたよ」

「……マジ?」

「よかったですね。ドMのあなたにはご褒美ですよ」

 

 立ち上がった吾郎だったが、がくりと膝をついてしまう。ドMじゃない、と否定する言葉も力なかった。

 

「っていうか、何でドン引きされたの? 俺」

「寝言でさりなちゃんって言ってたからだと思うよ」

「あー……」

「さりなちゃんってセンセの恋人?」

「しっ、駄目ですよ藍さん。同志がドン引きしたということは、それはもう……」

「──その先は口にするんじゃねぇ

 

 さっきまでとは打って変わって、吾郎は低い声で小鳥遊の言葉を遮る。だが、すぐにハッとしてアイと小鳥遊を見て、バツが悪そうに顔を背け、謝る。

 

「……すまん、感情的になった」

「いえ、こちらも見ず知らずの相手に対して悪ふざけが過ぎました。申し訳ありません」

「ごめんなさい、センセ」

 

 小鳥遊も触れてはいけない対象だったか、と頭を下げる。アイもそれに釣られて謝る。

 頭を上げてくれ、と慌てて二人にお願いしてから、吾郎はガシガシと髪を掻くと、

 

「散歩は切り上げて病室に戻ろうか。ちゃんと説明したい──特にさい、日紫喜さん、君には」

 

 真っ直ぐアイを見つめ、そう言った。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

「さりなちゃんは俺が研修医の時に出会った患者だった」

 

 二人を病室へ送ったあと、吾郎は一度自分のデスクへと戻り、大切に保管していたものを取り出してアイの病室に戻ってきた。

 軽い雑談を二つ、三つほど交わしてから、吾郎はそう切り出した。

 

「歳は君と同じ。アイドルが大好きで、病気が治っていればアイドルをやってたかもしれない」

「まだ病気は治ってないの?」

「何年も前にお星さまになったよ」

「ぇ……そっか」

 

 アイは驚きつつ、さっきの吾郎の怖い顔に納得がいった。冗談とはいえ亡くなった相手を悪く言うのはよくないことだ。アイはもう一度頭を下げる。アイ本人は言おうとしていないが、近くで笑っていた以上、さりなを笑ったのと同じだと思ったから。

 

「ごめんなさい」

「故人に対しての侮辱、改めて申し訳ありませんでした」

「さっきも言ったけど頭を上げてくれ二人とも。もう過去の話だから」

 

 それよりも、と、吾郎はさりなの話を続けた。

 B小町を見て目を輝かせていたことや、B小町メンバーの話になると早口になることや、アイのファンでアイみたいになりたい、などと、さりなとの思い出を振り返るようにどんな子だったのか、アイに話した。ライブの話題になり、

 

「それでライブの帰りにこれを貰ったんだ」

 

 そこで吾郎は布で包んで保管していた物をアイに渡した。受け取ったアイは首を傾げながら開けてもいいか尋ね、許可を貰ってから布をめくる。

 中に保管されていたのは二枚の色紙。一枚はB小町四人が印刷され、四人の直筆サインが描かれたもの。もう一枚はアイが単独で印刷されたもので、こちらにはアイのサインと、

 

「『また、ライブで待ってるからね。約束だよ』……」

 

 アイの字で書かれた言葉が添えられていた。

 何となく見覚えがある色紙にうーん、と首を傾げるアイ。記憶を漁った末に思い出した。

 

「あ、これ……確かハルカが私たちに頼んできたものだ」

「名桐さんが?」

「うん。理由は話してくれなくて、それからすっかり忘れてたけど、そっか、ハルカが……」

 

 懐かしそうに色紙を撫でる。

 

「……ごめんねセンセ。私何も知らなくて、この言葉も言われたまま書いたから……嘘になっちゃってる」

「……嘘にはなってないさ」

「なんで?」

「あのライブの後も何度も大小関係なくライブをやっただろう? ならそれは俺たちファンからしたら、ライブで待ってくれてるってことだから。会えるかどうかは抽選──運でしかない。君は十分に約束を果たしてくれてたんだ」

「そう、なのかな……?」

「それに、B小町というか人気が出たアイドルのファンは何百何千人といる。むしろ覚えてなくて当然なんだ。だから覚えてないことを気に病まないでくれ」

 

 むしろ誇ってほしい、と吾郎はアイの手元の色紙を見つめながら言葉を続ける。

 元々、さりなはライブ前から長くないと当時から先輩だった主治医が休憩や吾郎と二人きりの時にこぼしていた。それがライブから帰ってきてみればどうだ、さりなは二枚の色紙と推しの言葉だけで一年も永く病魔に抗った。長くないと判断されたのに、一時はもしかしたらと希望まで出てきたのだ。

 

『雨宮……何かを好きになるって、想いの力って凄いな』

 

 さりなが亡くなった後、落ち込んだ吾郎を呑みに誘った先輩が呟いた一言に、吾郎は頷くしかできなかった。あの時は自分の感情で周りを見れなかったが、主治医だった先輩も色々思うところがあったのだろうと後で気付いた。

 それから、正式に産婦人科医として勤めるようになってから、吾郎は一つの持論を見出した。

 

 ──好きなものができれば、生きたいと思える。

 

 本職の傍ら、入院患者の見舞いに訪れては色々と勧めてきた。主な布教アイテムはもっぱらB小町のDVDだったりするが、それでも吾郎は持論を信じて入院患者に好きになれそうなものを勧め、病魔に負けずに生きようと思える理由を作れるようにしてきた。

 

「ありがとう、斎藤──いや、アイさん。君のおかげで一人の女の子は最期まで生きる望みを捨てなかった」

「──」

 

 頭を下げる吾郎に、アイは言葉を失っていた。お礼を言われるとは思っていなかったのだ。それも嘘だとわかっているにも関わらず。アイにとって、悠やB小町メンバーといった身内以外に嘘だとバレた時は怒られるか、悪く思われるかのどちらかだと思っていたから。

 

「私、自分のためにしかアイドルやってなかったのに、誰かの生きる理由になってたんだ……」

「ああ。あ、でも責任感を感じるなよ。今まで通りにアイドルやってるのが一番誰かのためになるんだから」

「そっか。なんだろ……すごく、アイドルやっててよかったって思えるかも」

 

 胸に手を当ててポツリと呟く。

 

「ねえセンセ。この色紙、どっちか貰ってもいい? ちゃんと覚えておきたいんだ。さりなちゃんのこと、この気持ちを」

「いや、二枚とも貰ってくれて構わないよ」

「え、でも……これ、さりなちゃんとの大切な思い出なんじゃ……」

「元々チェキ会や握手会の抽選が当たって会えた時に渡すつもりだったんだ。何度応募してもハズレたけど……それに、俺には思い出とコレがあるから」

 

 そう言って首から下げた身分証のケースから何かを取り出す。『アイ無限恒久永遠推し!』とデフォルメされたアイの顔が付いたキーホルダーだ。

 

「わ、懐かしい。これって昔にしか販売しなかったキーホルダーだ」

「ライブん時に、さりなちゃんが一回だけ回したら一発で出してね。その時は二人して興奮して叫んだよ」

 

 それ以来、このキーホルダーはさりなの中で大事な宝物になっていた。検査する時以外はずっと色紙同様、目に見えるところに飾っていた。

 

「だから色紙は受け取ってほしい。さりなちゃんもきっとそう願ってるから」

「……わかった。大切に飾っておくね」

 

 吾郎の願いにアイは頷き、優しく色紙を抱き締める。

 

 

 その夜、悠が宮崎に戻り、病室で笑顔のアイの出迎えを受けながらふと気付いた。今日の朝までなかったものがベッドサイドのテーブルに置いてあった。スタンドに立て掛けられた二枚の色紙を見て、ああそうかと呟く。

 悠の視線で何を見ているのか気付いたアイは、嬉しそうに今日あったことを話すのだった。




Tips『雨宮吾郎』:
 宮崎総合病院に所属する産婦人科医。アイの熱狂的ファン。
 原作よりも一年長くさりなと接し続けたため、原作よりもさりなちゃんのことを引き摺っている。本人曰く背負ってるらしい。ちなみに今の状態で告白されてたら、年齢差等を気にしながらも受け入れるぐらいにはさりなちゃんへの想いは強くなっている。夢の中でしか話すことができないし、今の想いを伝えることもできないが。
 原作にあった医師としての持論も、「美しい物は健康にいい」から「好きなものができれば、生きたいと思える」に変更。入院患者のもとに足を運んでは雑談の中で好きなものを聞き、有り余ってる貯金で購入し、一緒に見たり遊んだりしている。好きなものがない患者にはB小町のDVDを見せたりしてる。漫画やアニメ、アイドルでもなんでもいい、何かを好きになり、熱中して、生きようという気力になってくれるなら、と願って。


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十話

「──じゃあ、そっちに帰る時は新しい部屋なんだね?」

「ああ。荷物も段ボールに入れたままだが、だいたい運び終えたから、一ヶ月検診が終わって帰ってくる頃には子どもたちとすぐに新しい家に住めるはずだ」

「そうなんだ。楽しみ楽しみ」

「ただ、家具はまだ備え付けのものしかないから、今の内に何か要望でもあるか? こういう家具が欲しいとか」

「んー……じゃあ写真を飾れる場所が欲しいな。ハルカやB小町(みんな)、それとおとーさんとミヤコさんで撮った写真はあるけど、ずっとファイルに入れっぱなしだったから。それにこの子たちとの写真も飾りたいし」

「わかった、場所を作っておく」

「あ、それと星の砂! それもどこかに飾りたい」

「星の砂……ああ、あれか」

 

 確か、ファンからもらった贈り物だったか。人気が出始めてから色々な物をもらったりしているが、その中でアイが帰宅したあと素で喜び、星の砂をくれたファンの名前も間違えることなく憶えていた。人の名前を覚えるのが苦手なアイにしては珍しいことだと記憶の片隅に今も残っている。

 了解、と返し、背の部分を傾けたリクライニングベッドに楽な姿勢でもたれているアイの髪を梳く。

 

 引っ越しを提案したのはミヤコさんだ。子どもが産まれる以上、もう少し設備が良い部屋に居を移した方がいいとのこと。距離的にも元々住んでいたマンションに近い場所なので、私生活面でサポートしてくれると言ったミヤコさんの移動や負担を考えると割と良い物件を見つけられたと思っている。

 

「ねぇ、ハルカ」

「なんだ?」

「いつもより顔が怖いね」

「ん……そうか? まあ、明日の面倒事のせいかもしれない」

 

 誤魔化して苦笑を浮かべる。あながち間違ってもいないしな。

 

「そんなに大変なこと?」

「大変と言えば大変だな。自分で提案したことだが、ちょっと後悔してる」

 

 後悔はしているが、たぶん自分は何度でも爺さんに食戟を叩きつけるだろう。それこそ本当に出来過ぎなほど都合の良い条件にでもならなければ。

 

「そっか。私はてっきり子どもたちの名前に納得してないと思ってた」

「ああ、そっちか……」

 

 苦笑と共に呟く。

 お腹の子たちの性別は雨宮先生から既に聞いている。男の子と女の子だ。

 名前も実は決まっている。というよりアイが性別を聞いてすぐに名前を決めたのだ。

 

 『──漢字はまた後で考えるけど、男の子はアクアマリン! 女の子はルビー!』

 

 ……アイと出会ってから初めて言い争いをしてしまったのは今となっては懐かしい思い出だ。いや、実際は半年も経ってないのだが。それにもちろん怒鳴るような言い争いをしたわけではない。

 そもそもの話、自分は別段、俗にいうキラキラネームを嫌ってない。正義(ジャスティス)天使(エンジェル)みたいな名前は流石に例外とするとしてだ。

 ルビーを娘の名前にするのはいい、しかし、息子にアクアマリンはどうなのだろうか。せめてアクアにしないか?

 そう言いながら、何故その名前を選んだのか聞いてみれば、

 

『私にとってこの二つは特別だからってのが理由の一つ』

 

 そう言って視線を向けた先には、アイの16歳の誕生日で贈ったアクアマリンとスタールビーのピアスが台座に飾ってあった。入院中は付けないようにしているが、こうして目の届く場所に飾り、数日に一回は手入れを欠かさないらしい。

 

『二つ目の理由はアクアマリンとルビーの石言葉から。ハルカもピアスを選ぶときに調べて知ってると思うけど、アクアマリンの石言葉は幸福・聡明・勇敢。ルビーの石言葉はスタールビーも混ぜて愛・情熱・常に主役』

 

『海のような優しく穏やかな心で幸せを育んで、だけど荒れ狂う海のような問題が起きても勇敢な心と冷静な心で立ち向かえる──そんな人になってほしいからアクアマリン。アクアだと水になっちゃうから、それじゃあダメなんだ』

 

『私たちと違ってちゃんと誰かを愛せるように。好きなことに情熱を向けて生きることが楽しいと思えるように。常に主役は……私とハルカの子どもだからね? 私以上に美人で引っ張りだこに決まってるよ♪ ──だから、ルビー』

 

 アイの言葉に声が出なかった。

 自分が思った以上にアイはしっかりと考えて名前を決めていたのだ。子どもたちの成長を、どんな風に育ってほしいか願いを込めた名前を。少なくとも、ただ自分の好きな物の名前を無理矢理当て字で付ける親なんかよりずっと良い名前だ。

 アイの名付け理由が決めてとなり、自分はアイの命名を受け入れた。その後、名前の漢字の付け方でまた一悶着起きたのだが。いやまあ、流石のアイも蒼玉(アクアマリン)とか紅玉(ルビー)なんて付けようとはしなかったのでそこはヨシと言うべきか。なかなか二人では決められず、小鳥遊さんや雨宮先生の知恵も借りてどうにか決めることができた。

 藍久愛海(あくあまりん)瑠美衣(るびぃ)

 藍久愛海は初めは愛久愛海にしようとしていたが、そこは自分含めた三人の説得でなんとか事なきを得た。藍なら色合い的にもちょうどいいだろうし、アイも偽名で使ってる藍ならと納得してくれた。

 

「ちゃんと話し合って、アイの子どもに向けた思いをしっかり聞けたんだ。納得は話し合いの時にしているよ」

「ホント~?」

「……ぶっちゃけるのなら、藍久愛海が中学高校時代にグレないかだけ、ちょっと心配してる」

「大丈夫だよ~。ハルカに似て他の人の評価なんて気にしない子になるはず!」

「間違ってないから強く否定できねぇなぁ……」

 

 どうでもいいが一応、中学の頃に名前が女みたいだと揶揄(からか)われたことはあった。馬鹿真面目に名前の由来を話してやったら、それ以降は関わろうとせず、陰でこそこそ悪口を言うだけになったが。

 

「まあ、あれだ。外でだけアクアって呼ぶようにするとかは考えた方がいいかもな」

「それもそうだね。はぁ、それにしても中学高校か~……今の私と同じ年頃だよね。ね、藍久愛海と瑠美衣が大きくなったら、したいことってある?」

「突然どうした?」

 

 アイは少しだけ視線をドアへと向けて、声が外へ聞こえないよう小声で話す。

 

「前世のハルカはさ、子どもとあんまり過ごせなかったんだよね」

「……ああ」

「だからね、前世でやりたかったこともあったんじゃないかな~って思って」

「そっか……そうだな」

 

 藍久愛海と瑠美衣を前世の子どもの代わりと考えたことなど一度もない。だけど、アイの言葉で少しだけ前世を振り返る。

 やりたいこと、したいこと、と呟きながら考え、

 

「……送り迎えの言葉を言ってあげたいな」

 

 ポツリと呟くように漏れた。

 

「送り迎えって……行ってきますとかただいまとかのアレ?」

前世は一度も言えなかったからな。あ、休日一緒に遊びたい。一緒に料理をするのもいいな。それに──」

 

 気付いたら、願いが止まらなくなっていた。滾々と湧き出る水のように後からあとから思いついては口にしてしまう。

 そんな自分をアイは嬉しそうに見つめ、そっと梳いていた手にもたれる。

 

「叶えよ。私とハルカ、藍久愛海と瑠美衣の四人で全部」

「……ああ」

 

 それからも他愛のない話し合いを続けていると、わずかにアイが息を漏らす。心なしかさっきより瞼を重そうにしている。

 

「……~」

「眠いか?」

「ん、ちょっとだけね。まだ眠りたくないけど」

「そうか。けど、無理するなよ。出産までもうすぐなんだから」

 

 髪を梳いていた手を離し、大きくなったお腹を優しく撫でる。雨宮先生が伝えてくれた出産予定日も一週間を切っており、既にある程度出産に対応できる人員が交代で配備されているらしい。また、未成年での双子の出産のため、もしもの時を考えて帝王切開の準備もしているとのこと。

 ……心配事はあるが、特に何も言わない。

 

「今回は早めに出るって行ってたけど、いつ頃東京に行くの?」

「そうだな……アイが眠ったら行こうかな」

「えー、見送りたいからダメ。私が起きてる間に行ってよ」

「……仕方ないな。じゃあそろそろ行くか」

「まだダーメ。もっと話してから」

「どっちだよ」

 

 くすくすと笑うアイにつられて笑みをこぼす。

 アイの前髪を掻き上げて、露わになった額と頬に唇を落とす。確か、キスする部位によって意味があり、額と頬は祝福と親愛だったはず。

 

「わ……えへへ、お返し」

 

 自分の頬を両手で包み、アイは額と頬、そして唇にキスをする。

 

「ん……お前ね」

「えへへ、お守り代わりにね」

「ったく……最高のお守りだよ」

 

 照れ隠しに呆れたように呟いてしまう。なんだこれ、最高かよ。

 それにしてもお守り代わり、か。もしかしたらアイもただの面倒事じゃないって気付いているのかもしれない。自分もアイが一つ嘘をついていることに気付いているように。

 

「……行ってきます、アイ」

「うん。行ってらっしゃい、ハルカ」

 

 最後に至近距離で互いの顔を見つめ、部屋を出る。

 廊下には小鳥遊さんが待機してくれている。片手にはブラックの缶コーヒーが握られている。

 

「お待たせしました。……自分が来た時、いつも外に出てくれてますが、部屋で待機してもらってもいいんですよ?」

「HAHAHA、ご冗談を。私は砂糖で溺死する気はありませんので」

「砂糖? まあいいか。一応、作り置きが冷蔵庫に入っているので藍が空腹を感じたら出してください。ある程度の説明は貼った紙に書いてあるので。……藍のこと、よろしくお願いします」

「かしこまりました。……ハルカさん」

「はい」

「……いえ、詮無き事でした」

 

 いってらっしゃいませ、と頭を下げる小鳥遊さんにこちらも頭を下げて病院を後にするのだった。

 

 

 

 

  ★☆☆☆

 

 

 

 

「──本当によかったのかい?」

 

 悠が立ち去ってから時間が経過し、吾郎が看護師を伴って病室を訪れる。浅い眠りから目覚めていたアイに軽い問診をしてから、迷いながらも聞いた。

 本当は何度も言いかけた。けれど、アイが真剣な表情をして頼み込んできた以上、担当医として患者の頼みは無碍にはできず、結局吾郎はアイの頼みを叶え──悠に嘘を伝え続けた(・・・・・・・・・)

 

「君の出産予定日は一週間以内じゃない──今日だ(・・・)。なのに、それを誤魔化して、名桐さんを行かせて……本当によかったのかい?」

「よくは……ないよ?」

 

 うつらうつらとしながらもアイはハッキリと答える。

 

「本当はそばにいてほしかったし、誤魔化したくなかった。たぶん、今日だって知れば、予定してたもの全部放り出してここにいると思う」

 

 前世での一件もあるが、それは胸の内でだけ呟く。

 だけどそれはダメ、と代わりに声にする。

 

「ハルカには、ハルカにしかできないことがあるの。きっと、明日の面倒ごとも私とこの子たちのために自分から首を突っ込んだんじゃないかな」

「面倒事……それはいったい」

「知らない。けど、ハルカが嘘をついて誤魔化すってことは、私の直感だと相当めんどくさいことだと思う。たぶん厄介って言ってもいいくらい」

 

 意味ってあってる? と首を傾げるアイに吾郎は苦笑しながら頷く。おそらくアイは面倒と厄介の意味合いのことを言っているのだろう。どちらも難しい場合に用いる言葉だが、片方は実力以内の困難を示し、もう片方は実力以上の困難を示すのだ。

 だからと、アイは心配する素振りは一切見せず、笑顔を浮かべる。

 

「私は私がしなきゃいけないことをする。赤ちゃんを産むのはママになる私の役目だもん。それで、ちゃんとハルカが帰ってきた時に、三人で迎えてあげるんだ。おかえり、三人で待ってたよって」

「……そうか。わかった、なら俺も全力でサポートする」

「なにかありましたら私にも指示を出してください雨宮先生。こう見えて、助産師の資格を持ってますので」

「わかっ……え、資格持ってんの? 国家資格だよ? デジマ?」

 

 側近のたしなみです、と何でもないように答える小鳥遊。絶対違うと思ったが言葉にはせず、代わりに、

 

「名家に仕える奴って多芸なんだな、スゲー」

 

 とだけ馬鹿っぽく返しておいた。小鳥遊と看護師から冷たい目を向けられたが、それには気付かないフリをしてアイに向き直る。

 

「さて、と。それじゃあ俺は一度帰るよ。準備ができたら戻ってくる」

「お疲れ様センセ。早く戻ってきてね」

「おう。ま、俺以外にも先生はいるし、この二人もいるからな。来れなくても大丈夫だろ」

「えーヤダ。センセがいい」

 

 男性恐怖症があるとはいえ、かなり打ち解けられたなと吾郎は嬉しい感情を内心だけで留め、看護師に声をかけてから病室を後にする。アイは吾郎を見送ったあと、小鳥遊と看護師の二人と二、三会話してから、刻限まで再び睡魔にその身を委ねるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だから、この時誰も思いもしなかった。

 それからほどなくして始まったアイの出産に、雨宮吾郎の姿がないことに。

 病室での会話が、雨宮吾郎との最後のものになろうとは。

 

 母になろうとしている少女の周囲の人間は、誰も思いもしなかった。

 

 

 

 

                                    ──カァ

 

 

 

 

  ★★★★

 

 

 

 

 ──コン、コン。

 ドアをノックする音が、思考の隅で聞こえた気がした。

 音と共に自分を囲っている、たいまつくしに灯る火が四十本全て、同時に掻き消える。合掌をやめ、頭に乗せたプリンを下ろす。能力で生み出したグルメ食材の一つで、プリンラクダというラクダのこぶについているプリンだ。数ミリ動いただけ崩れてしまうほど柔らかいので食禅とかでよく使っている。頭にプリン乗せて座禅組んでる姿なんて、知らない人間が見れば気が触れたとでも思われかねないが。

 

「時間になりました。悠様、準備はよろしいでしょうか」

「ああ」

 

 ドアの向こうから花邑の声が届く。

 たいまつくしを消し、プリンを一口で食べてからドアへと向かう。

 

「──よくお似合いです」

「別に服装なんて清潔ならなんでもいいと思うがな。まあ、一応礼は言っとく」

 

 外していたボタンを留めながら部屋を出る。花邑は一歩引いて付いて来る。

 今着ているのは迎えに来た花邑が渡してきたグレーのコックコートだ。ただ、サイズも丈も自分にピッタリなのは聞かないことにした。なんで今の自分の体にあうコックコート渡せんだよ、ちょっと引いたわ。

 

「それはようございました。──催し(・・)の流れは把握していますか?」

「頭には入れてきた」

 

 どういう理由を付けて学園や配下を納得させたかは聞いていないが、おそらくまた名家特有のスケールの大きい無茶ぶりで通したのだろう。

 今回の食戟は、自分がそう言っているだけで公式に認定された食戟ではないので、爺さんとの食戟であることは公表されていない。あくまで模擬(・・)食戟──それも本来は集団同士で執り行われる連隊食戟。なんだったか、レジマンド・キュイジーヌ? レジマン・ド・キュイジーヌ? ……呼び方なんざどっちでもいいか。

 

「要は指定されたお題を作ればいいだけだろ。簡単な話だ」

「簡単に言いますが、審査員たちは(みな)、業界に名を馳せる者です。いつも食事を作っている方たちにお出しするような単純な料理では……」

花邑

「っ──」

「……ふぅう。いい、自分も過敏に反応し過ぎた」

「……失礼しました」

「まあ、心配はいらない。舌の肥えた相手に料理を出すのは初めて(・・・)じゃないしな」

 

 ニノとえりなちゃんを除けば、今世では初めてだが、まあそれを口にすることはない。それに不味いからと手を出されたり、熱いスープや固形物を投げつけられるわけじゃないのだ。それだけで幾分か楽な気持ちで挑むことができる。

 

「初めてでないとは……?」

 

 花邑が呟いているが、自分はその声に誤魔化す声を上げなかった。

 会場へ続く出入り口近くで数人の生徒が立っていた。すでにイベント自体は始まっている。迷った様子もなくこちらを見ているということは十中八九、自分が目当てだろう。

 

「案内はここまででいい。始まったらまた頼む」

「は。……ご武運を」

 

 足を止め深く頭を下げる花邑に後ろ手を振る。ある程度進み、歩みを止める。

 相対した数人の男女から一人が一歩前に出てくる。

 

「やあ、遠月学園へようこそ。十傑評議会第一席、くお──」

「名乗りは結構。君たちの名前に興味はない」

 

 予想通り十傑評議会のメンバーだったが、バッサリと自己紹介を断ち切る。自分が憶えていないだけかもしれないが見た感じ、原作に出てきた遠月OBはいない。それに遠月学園に関わる気はあまりないのだ、名乗られても覚える気がない以上、自己紹介は不要だ。

 言葉に詰まった第一席に言葉を重ねる。

 

「通り道に集団で固まるな、この学園でいくら偉かろうが部外者の自分にはなんの価値もない」

「なっ……は……?」

「わかったら横にズレろ。通行の邪魔だ」

「っ、君は──」

「──邪魔だ

 

 食圧を込めて言い放つ。

 自分の言葉に声もなく驚き、よろよろと横へズレる。

 話があるなら待機室にいる時に来ればいいものを。応じるかは別の話だが。

 止めていた歩みを再開し、会場へと向かう。

 

 かつての自分は、愛想も振りまく気もない。なにより人前に出たくないと、思っていた。いや、何年も経った今でもそう思っている。これまでの生活のようにB小町の、アイのマネージャー程度に顔を出し、それ以外は料理に事務、雑務と裏方に回っていれたらよかった。

 けど、アイのため、これから産まれてくる子どもたちのためなら話は別だ。愛想は難しいが、人前にはいくらでも出てやる。

 重たい扉を片手で押し開けて会場に入れば、眩しい照明が出迎え。

 会場にひしめく観客の関心が一堂に自分に集まり。

 審査員が何かを呟き、学園総帥が頷く。

 そして、会場中央に集まり、こちらへいくつもの感情を向ける選ばれた生徒たち。

 

『ついに出てきました! 今回皆さんに対戦してもらうチームは……え、あれ、ひ、一人?』

 

 会場中に届く司会役の声が戸惑ったように言う。

 観客はもちろん、選手として選ばれた生徒からも声があがる。

 それを遮り、進行を進めたのは、

 

「今回、生徒諸君と模擬連隊食戟をするのは──薙切悠ただ一人のみである」

 

 壇上の上に立つ学園総帥。

 ざわり、と別の意味でざわめきたつ。

 その中で自分は静かに告げられた名前を心の内で呟いていた。

 薙切悠──もしかすれば、それが正しい苗字だったのかもしれない。似てはいるが産まれてからずっと名桐だから、違和感しか感じられないが。

 いつかは慣れるだろうか、と思いながら、緩くまとめていた髪を解き、一つにしっかりまとめて首元で縛り、髪を縛る紐に付いた筒状の髪留めで紐を隠す。

 一世一代の大舞台、アイへの想いを胸に。使える手段を全て使って。

 

 

 

 

 さあ──はじめよう。




Tips『名桐(薙切)悠』:
 本来の苗字を引っ提げて大舞台に立つ。戸籍を移したとかではなく、あくまで芸名のような気持ちで名乗っている。仙左衛門お爺ちゃんは孫を薙切と紹介できて、鋭い眼光の裏でご満悦な様子。ちなみに悠が着ているコックコートもお爺ちゃんセレクション。


Tips『連隊食戟』:
 集団対集団という団体戦による変則食戟。どちらかの陣営全てのメンバーが敗北するまで続けるという、いわゆる勝ち抜き戦方式の食戟。ここ数年は遠月学園内で開催されたことはなく、今回の催しは名目上、連隊食戟というものを知ってもらうために総帥自ら企画された。なお、公式に記録された最後の連隊食戟は一般生徒五十人対十傑第二席一人というものだという。それを最後に連隊食戟を行う者はいなくなり、次第に風化して人の記憶から忘れられていった。




 さて、ここまで来たけど……食戟、どうしよう。
 未だに悩み中&リアルが忙しないので、更新は遅れると思います。可能ならこの章を書ききってから投稿したいなぁ(何十日かかることやら)


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