ヴォートゥミラ大陸異聞録 (?がらくた)
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敬虔なる修道女 エミリー・クルスの友愛の物語

皆様、初めまして。

私はオークの森林に囲まれた閑静な村、アクア・エテルのしがない修道女エミリー・クルスと申します。

井戸の水―――村で聖水と崇められる品を輸出し、生活に不自由なく暮らしております。

方々から観光しにこられる客人にも落ち着く場所と好評で、ありがたい限りです。

資源に乏しい村々が細く長く栄えてこられたのは、ひとえに全能の神ヴォートゥミラ三神の庇護によるもの。

 

「模倣の神イミタよ。願わくばアクア・エテルに幾星霜安寧もたらさんことを」

 

ヴォートゥミラ三神の御心を知るには、まだ道半ば。

信仰を極めるには精進あるのみ。

瞳を閉じて両手を組むと、闇の中に心象風景が広がっていきました。

その闇をじっと見つめると、奇妙なものに気がつきます。

それはモヤでした。

瞼の裏の夜の漆黒よりも濃いモヤは次第に人の形へと姿を変え、稲光が落ちたかのような激しい光に包まれると―――眼前にはもう一人の〝私〟がおりました。

私と同じように〝私〟は祈りを捧げ、呆気に取られたものの、すぐにある考えがよぎります。

もしやイミタ神が顕現なさったの?

別のポーズをすれば、〝私〟は模倣をなさるのでしょうか?

 

(ああ、いかないで!)

 

邪念が混じると同時にワタシは掻き消えていき、慌ただしく踏み鳴らされるコンクリートの音で、私は目をぱちくりさせます。

 

「エミリーさん、今日はあの日じゃよ」

「え、ええ。準備はできております」

 

先ほどの出来事が鮮明に脳裏によぎり、つい歯切れの悪い返事になってしまいました。

酒樽のような体型の、白ひげをたくわえた彼の名前はワイアット。

背負ったカバンは彼の腹回りと同じように大きく、中身がぎゅうぎゅうに詰まっておりました。

商人をなさるドワーフで霊拝の地モルマスにほど近い、フィリウス・ディネ王国へと、私を誘ってくださった張本人。

モルマスはメタモルフォシス神の管理する死界に、最も関連性の高い場所。

三神を信奉する我々にとって、一生涯に一度は訪れたい聖地なのでした。

 

「王国にいくなんて久し振り」

「エブリンもついていくけれどいいかい。我儘娘には困ったもんじゃな。ゆくゆくは結婚し、エミリーさんのように落ち着いてほしいの」

「いいじゃありませんか、勇敢な女性。エブリンには、エブリン独自の魅力がありますもの」

「パパ、エミリーと何を話してたの? まさか、また結婚がどうとか言ってたんじゃないでしょうね?」

 

色黒で背丈の低い、赤毛の少女エブリンが眉間に皺を寄せ、教会が一気に騒がしくなります。

私と並べば人の子の親と子ほど身長差があり、見た目は子供ではありますが、エルフの私同様、人が生まれ生涯を終える姿を、幾度も経験してきました。

彼女とは時に泣き、時に笑いあった昔ながらの気の置けない親友。

愛娘に睨まれたワイアットは、逃げるように去っていきます。

 

「ほら、アタシたちもいくわよ」

「ええ、そうね」

 

彼女に修道服の裾をつままれ、共に駆けていくと、村の門には人だかりが。

 

「ワイアット、これで全部なのか」

「いつもごくろうさん。大した報酬も出せず、申し訳ないのぅ」

「聖水は村の生命線だろう、気にするな」

 

馬車の周りには、金属を身に纏う冒険者や魔道士の方々が集まり、会話を交わしていました。

水の護送をしていただくために。

ワイアットにも多少の戦闘の心得はありますが、やはり本職の方に比べれば未熟そのもの。

それに盗賊に襲われては元も子もありません。

道中はゆっくりと進み、しばらくは何も起こらず、退屈な時間が続きました。

爽やかな木漏れ日を浴び、心地よい揺れにうとうとと夢に誘われそうになる刹那

 

「グゥオルルゥ!」

 

馬車から顔を出すと犬の頭を持つコボルトの群れが、我々の前に姿を現します。

片手には石の鎚を持った怪物たちは犬歯を剥き出しにし、敵意と闘争本能を持つのが、一目で見てとれます。

 

「魔物共よ! こっちだ、こっち!」

 

馬車から降りた騎士様は相対した魔物にも怯えた様子はなく、挑発しました。

魔物の注意を惹きつける間に魔道士の方々が、杖を片手に虚空へ何かを描き魔術を唱える、一糸乱れぬ連携は皆様の絆の賜物。

 

「フゥンッ!」

 

騎士様がコボルトを切り伏せ隙を晒した瞬間、群れが飛びかかります。

棍棒が頭の甲冑を掠めそうになり、私は思わず目を覆いましたが

 

「水の精霊ウンディーネ。我の呼び掛けに応じ、氷矢が敵を貫かん。サギッタ・スティーリア!」

 

―――背後から氷柱の矢が的確に魔物を射抜き、騎士様をサポートしました。

 

「炎の精霊サラマンダー。時に愛の言葉を囁き、戦場では不死鳥と形を変えよ。フォルマ・アルデンティア!」

 

続けざまに形ある炎を呼び出す高等魔法は―――不死鳥となり、人の血の如し灼熱の翼で群れへ死の抱擁をし、戦いは終幕へ。

 

「シスター、ご無事ですか?」

「ええ。それよりも貴男方は大丈夫かしら。薬草をどうぞ」

「おお、ありがたいな。お前たちも常備しておけ」

「我々への慈悲、感謝いたします」

 

黄色の小さな花弁を咲かせるサンハーブを手渡すと、彼は薬草の枝を手折り、等分していきます。

精悍な顔立ちの皆様が普段よりも凛々しく見え、胸が弾み、私は熱く体が火照っていくのでした。

口を開けば目の前の方々に、鼓動がまるきこえになってしまいそうで。

言葉少なになり、まともに顔を合わせられません。

身近な人々を気遣う温和な王子が主人公の英雄譚の、お姫様というのは、こんな気持ちなのかしら。

現れた魔物を倒して祈りを手向ける内に、水平線の向こうへと太陽が引っ込み、夜が近づいてまいりました。

徐々に出現する魔物も変化し、より厄介になっていくのでした。

 

「魔物は片付きました、シスター。祈りを」

「ええ」

 

戦闘を繰り返すにつれ、屈強な冒険者の方々にも、徐々に疲労が見え隠れしていきます。

仲間と軽口を叩く回数もめっきり減り、野営の頃合いと考えていた矢先、甲高い嘶(いなな)きが響き、皆様は椅子から転げ落ちるように、外へ確認するのでした。

 

「ウィスプだ! お前たち、魔術の準備を」

「シスター、危険です!」

 

淡い光がゆらゆらと揺れ、我々に近づいてきました。

ヴォートゥミラには霊魂は聖職につく人間をつけ狙うと数多の伝聞が残されており、修道女は決して関わってはならない。

そう言われております。

神に仕える者に救いを求めて、或いは自らを見捨てた神を呪うが故。

どちらかはわかりません。

けれど皆様にばかり、迷惑はかけられない。

 

「この方々に手出しはなりません。やるならば私を殺しなさい」

 

啖呵を切ると明滅は激しくなり、私は生唾を飲んで最後の刻を覚悟いたしました。

しかし敵意はないようで、それどころかペットが飼い主にじゃれあうように、私に擦り寄ってきたのです。

 

「神々の元へ向かう手助けをしてほしいのですか?」

 

円を描くような反応を肯定と受け取り

 

「老いと死の咎を背負う魂。メタモルフォシスの慈悲によりて、新たな生命へと導かれよ。さぁ、還りなさい。神々の胎(はら)の中に」

 

唱えると緑の光が放射状に輝いて、無へと至ります。

マナの光―――誰もが最後には世界に偏在するエネルギーへと還る。

残酷な理に美を見出すのは、不謹慎なのでしょう。

けれど彼らが神々の元に導かれたと、私は信じております。

 

「……魔物が消えていく。エミリーさん、怪我はないかのぅ? 無茶は禁物じゃぞい」

「ええ、大丈夫です。生ける者にも命亡き者にも、救いは必要ですもの」

「無茶しないでよねっ! エミリーはわ、私の幼馴染なんだからさ!」

 

エブリンの刺々しくも慈愛に溢れた台詞に、思わず笑いが込み上げてきます。

 

「皆様、休憩にしましょう」

 

そうして私たちは野営をし、森で一晩明かすことに。

焚き火をつけると風に煽られた紅蓮の舌が、フライパンを舐め、魔物の肉を温めていきました。

きつね色の肉が皿に盛りつけられるや否や、冒険者の方々は流し込むように平らげていき、あっという間に空に。

赤々とした知恵の実をかじると爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、ささやかな食事が終わりを告げます。

 

「ごちそうさまでした」

「おお、星の綺麗な夜だな。じゃ、皆の為に一曲歌おうかな」

 

冒険者の一人がリュートの旋律が奏でる穏やかな音色に、私は意識を闇に委ね、気がつくと眠りに落ちるのでした。

 

 

 

「ぐ、ぐおぉおっ!」

 

次に私が起きる目覚ましとなったのは、小鳥のさえずりでもエブリンの快活な声でもなく―――冒険者の方々の悲鳴。

慌てた私が周囲を確認すると、暗闇に人が倒れ込んでおりました。

助けなければ―――駆け寄ろうとした瞬間、私は金縛りにでもあったように全身が硬直し動けず

 

(どうしてしまったというのです?!)

 

ただただ困惑していると、鬼火に照らされた髭面の男たちの下卑た微笑が浮かび上がり、私は全てを悟りました。

蝋状になった白の手を燭台に―――あれは栄光の手。

刑死者の手を切り取り加工して作られた、灯火を見た者や魔物の動きを一時的に封じる魔法品。

魔物討伐に役立てる善良な冒険者もいれば、下賤な輩に渡れば、このように使われるのです。

 

「盗人め、恥を知りなさい!」

 

目頭に力を入れ、睨み据えるも、盗賊は嘲笑するばかり。

ただただ無力な自分をこれほど呪ったことは、ありませんでした。

 

「おうおう、綺麗なエルフ様だなぁ。俺たちの慰み者になるなら殺さないでやるぜ?」

「よく見れば上玉じゃねぇか。さっそく頂くとするか」

 

そういうと盗賊は胸を揉みしだき、私の頬に舌を這わせます。

生暖かくざらざらした感触に、背筋がぞわぞわと寒気立ち、歯の根を絶え間なく噛み合わせる他ありません。

乱暴で一切の遠慮も繊細さの欠片もなく、恋人同士が行うそれとは、まるで違ったものでした。

自らの欲望の捌け口として、私の体を利用するだけの行為に、愛などあるはずもなく。

 

「い、今なら取り返しがつきます。人の所業を全能神は見ておられる」

 

ベルトを緩め、ズボンをずりおろす男たちに叫ぶと

 

「だったら今この瞬間、神様に助けてもらえるだろうよ。なのに何の罰も下りゃしねぇ」

「なんで神様は傍観しているだけなんだろうなぁ、ギャハハ!」

「親分、ドワーフの小娘がもう一人いましたぜ」

 

盗賊と問答をしていると、盗賊の子分がテントからエブリンを引っ張り出しました。

髪を掴まれた彼女は苦悶の表情を浮かべ、足をばたつかせ、必死の抵抗をしています。

ですが栄光の手の力には、ドワーフの腕力も意味をなしません。

 

「ケケケ、人間のガキとヤった時を思いだしますねぇ」

「エブリンには手を出さないで!」

「だったらテメーがコイツの代わりに、相手してくれんのか?! あぁ?」

「エミリー、私のことは構わず逃げて!」

 

男たちの恫喝と彼女の良心の狭間で、目頭が熱くなりました。

こんな連中が口約束など守るわけがない。

けれど、このままではエブリンが……どうすればいいのでしょうか。

 

「……手を出すのは私だけにしなさい」

「それでいいんだよ、拒否権なんてねぇんだからな」

 

盗賊たちは私を取り囲み、身体の隅々を弄んでいきます。

ああ、神よ。

……もし見ておられるのならば、わずかばかりの慈悲を。

 

「ひ、ひゃあぁ!? 嫌だ、あぁ……」

 

目を瞑った刹那、阿鼻叫喚が耳を刺激し、何事かと目を開けてみると―――盗賊の一人の衣服が何故か燃え始めていました。

地面をのたうつ盗賊は仲間に助けを懇願すると、他の盗賊にも引火し、次々に辺りは火の海に呑まれていくのでした。

 

「ぐ、魔物を操る連中がどっかに隠れてやがんのか?」

「退却だ、退却!」

 

逃げ惑う盗賊を執念深く追うかの如く、輝きは延々と彼らにへばりつきます。

やがて燃え盛る炎は人の形となり、魂の一片まで焼き尽くすと、たちまち盗賊たちは全滅させました。

突然の発火現象に驚き半分、難を逃れた安堵半分。

とても悪党が息絶えたのを喜べる精神状態にありません。

 

「た、助かった、のかのう」

「え、何が起こったの?! それよりどうしよう。このままじゃ野垂れ死ぬかも……冒険者の人たちも、埋葬してあげたいし」

「……困りましたね」

 

生き残った私たちが呟くと深き闇の中で、何かが発光しました。

また人かと思い目を凝らすと、木々から光輝なる炎が煌々と燃え盛り、我々を何処かに誘うように先導していきます。

彼らからは悪意を感じない。 

私が炎についていくと、危ないと呼び掛けて足を止めていたワイアットとエブリンも根負けし、すぐに私に追いつきました。

 

「この光。まぎれもなくウィスプの皆様です。私たちが彼らに愛を示し、彼らもまた愛を与えた。愛の循環で世界が在ることを、メタモルフォシス神の宿命に悟らせて頂いたのです」

「うん、それが真実なら素敵なお話だね」

「……そうだね、エブリン。感謝いたします、名も知らぬ愛ある人々よ」

 

光を頼りに、私たちは近隣の村まで無事に辿り着きました。

私はそれ以来この出来事を愛の物語として、迷える人々に説教しております。

信じる人々は決して多くはなく、時には嘘吐きと罵られ、心が揺らぐこともありました。

ですが命枯れ果てるまで、三神の御名の元に救済をしていくと、胸に誓ったのです。




敬虔なる修道女 エミリー・クルス

職業·僧侶(クレリック)
種族·妖精
MBTI:ISFJ
アライメント 中立·善

井戸から汲み上げた聖水を売るのを生業にした村、アクア・エテルのエルフの修道女。
温厚で人嫌いしない性格だが、悪人へは毅然とした態度で接する芯の強さをも兼ね備えた高潔な人物。
ヴォートゥミラ大陸の三神イミタ、シグニフィカ、メタモルフォシスへの信仰心が厚く、魔物であろうと救いを差し伸べる姿から、冒険者や村人から信頼を寄せられているようだ。
犬猿の仲とされるドワーフの親友エブリンとは幼馴染の関係で、些細なことでも相談をしあう間柄。


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夜蛭の信徒 ツクモ・ゴロウの世直しの物語

やいやい、そこのお前さん。

俺っちが誰だか知りたいか。

右に苦しむ民あれば、富を牛耳る者から盗んで分け与え、左に泣く子あれば道化になり励ます。

夜中に稼いだ金は、朝になりゃすっからかんの一文無し。

そんな生粋の常世っ子!

俺っちは天下の義賊、夜蛭(やひる)の信徒、九十九五郎(ツクモ・ゴロウ)でございやす。

歌舞伎の見得を切るかのようなポーズを取る俺っちを 月明かりだけが眺めていた。

粋な俺っちの仕事の時間は、皆が寝静まった夜だ。

 

「夜蛭さま、泊めてもらえるといいですねぇ?」

 

日蛭(ひひる)さまと夜蛭(やひる)さまは、常世国記紀にはこう記述されていた。

―――手足の類なく、葉や地を這うもの。

または泥よりいずるものと、定義される。

日蛭さまは昼間に緑葉を口にし、夜蛭さまは夜間に植物の茎を食(は)み、害を為す。

こう書くと夜蛭さまは、ただの悪に思われるだろう。

だが過ぎたる日の光は不作をもたらす。

無尽蔵に繁茂した植物や野菜もまた、声なき殺戮を生む。

だからこそ間引く存在の、夜蛭さまが重要だということ。

日蛭さま、夜蛭さまの双方あっての豊穣なんでぃ。

やがて太陽と月の遣いは、死した人々の魂を神の御元に運び、新たな生を与えるという。

面白いのが常世国では、夜蛭さまが夜盗の神として崇められていること。

 

(ま、神にも縋りてぇよな。独りで盗みすんのは怖いしよぅ)

 

大雑把な説明になるが、これが常世の神話なんでぃ!

大陸ではゔぉーとぅみら三神、てのが信奉されてると耳にした。

だが俺っちは、これからも夜蛭さまを信じていくつもりだ。

 

「ごめんくだせぇ、開けておくんなまし」

 

名も知らぬ寂れた村で、俺っちは石積みの家屋を尋ね、出迎えた家人に問うた。

一夜の宿と簡素な食事。

それと野菜の茎をわけていただけないだろうか。

断られ続け最後に辿り着いた家へ向かうと、やつれた青年は骨が浮き出るほどに痩せ細っていた。

ボロの布は所々千切れ、防寒という本来の役割をこなせていないように見える。

流石に彼から施しを受けるのは良心が咎めて

 

「す、すまねぇな。他を当たるとすっからよぅ」

 

と切り出すと

 

「いえ、どうぞ。大したもてなしもできませんが」

 

そういうと青年は棒で灰の山から種火を掘り起こし、暖炉に薪を放り投げる。

屋内にも鍋や暖炉などの日用品以外は存在せず

 

「あんた、どうやって食いつないでんだ?」

 

失礼ながら、心の本音が率直に漏れてしまった。

 

「……この村は大なり小なり、こんな感じです。税金が高すぎるからです、我々が貧しいのは」

「……そうか。余裕がないのに親切なんて、誰もやらねぇよ。あんたらを責められねぇな」

「税が払えないならと全てを持っていかれて……譲り受けたもの1つ守れず、惨めに生きるくらいなら……俺は……もう消えてしまいたい……!」

 

訊ねると青年は貴族に、羽根を開き飛び立たんとするテントウムシの護符を奪われたという。

貴族にとっては大した値打ちがなくとも、青年にとっては並々ならぬ情念の込められた遺品。

青年の悲壮な決意を傾聴し、出されたのは堅い黒パンと野菜の具もないスープ。

貧しいながらも精一杯のもてなしを、俺っちはありがたく頂いた。

味気ない食事をする民と同じ村で、たまたま貴族に生まれた人間が豪勢な食事に舌鼓を打ち、何不自由なく暮らす。

理不尽を受け入れるのが大人だと。

人々は口を揃えていうが、そんなものはただの諦めだろう。

社会の改善を訴え、それでも駄目なら―――奪うしかない。

 

「俺っちも胡座をかいた権力者は嫌いさね。身に覚えがあるからよ。しょうがねぇな」

「え、もしや冒険者様……」

「おうよ、任せやがれ。あんたの大事なもん、すぐにぶんどってきてやらぁ! ついでにたらふく食えるようにしてやんよ」

 

誰彼構わず救うなんてのは、神々のやるこった。

だが義理人情の漢になれ。

師匠にゃ耳にタコができるほど言われたぜい。

 

「本当ですか、冒険者様。感謝してもしきれません! ありがとう、ありがとう……」

 

手を握り締めた男は願掛けでもするように、俺っちの腕を掴み振り回す。

だが喜色満面の微笑に、今更断ることなどできなかった。

この大恩に応えねば漢が廃る。

 

(絶対に成功させなきゃなんねぇ。な、夜蛭さま)

 

ズボンの上から膝下に巻きついた黒い管のようなものを撫で、俺っちは祈願するのだった。

 

 

 

翌日の夜中にて

 

 

 

「おうおう。お前さんたち、道案内してくれてるのか?」

 

村を高みから見下ろすかの如く、庶民から搾取し築き上げた、虚飾と欺瞞の屋敷がそびえ立つ。

屋敷へと向かう道中、蝶々がひらひらと舞い、俺っちを先導した。

魂というのは古今東西蝶に例えられ、ヴォートゥミラ大陸も例外ではないようだ。

魂に人のような嗅覚や聴覚が備わるのか定かでないが、何故か迷えるものは俺っちの元へとやってきてしまう。

 

「う〜ん、いけるかね。夜蛭さま」

 

蝶の輝きを頼りに額に手をかざし、警備を見るや否や弱々しく呟いた。

邸宅の正面の門には重鎧で身を固める兵が2名おり、周囲を睨み据える。

数人の兵士が塀をを巡回し、絶え間なく流れた。

門の外から内部に向かって話す素振りをしていて、真正面からの突入は悪手だと肝を冷やす。

騒ぎを起こせば、すぐ侵入者の警戒を呼び掛けるだろう。

ここまでの厳戒態勢を敷くとは。

俺っちの同業者が盗みを働いたか、或いは普段から防犯の意識が高いのか。

どちらにせよ運が悪い。

弱音を吐きそうになるも、約束を反故にしては示しがつかない。

 

「手荒な真似はやりたかねぇが、しょうがあるめぇな」

 

独り言を漏らすと呼応するように、青白い光はふわふわと浮かび、体の周りを飛び回った。

光は天を指す人差し指に止まり、やがて蝶へと姿を変える。

 

「屋敷に恨みでもあんのかい? ま、邪魔しねぇってんなら、なんでもいいぜぃ。派手な復讐劇、任せたぜぃ」

 

もちろん返事はなく、ゆっくりと羽根をはばたかせるだけだ。

まずは巡回する警備兵から先に解決しよう。 

周囲の木々に隠れつつ目星をつけた兵士をつけまわすと、時折背後を振り返り、首を傾げた。

察しがいい、獣並みだ。

もし勘づかれれば、潜入の機会はない。

短期決戦に持ち込み、さっさと終わらせるのが得策か。

正面を向き直す兵士の背へ1、2、3と数えた後、俺っちは空を舞う。

眼前に捉えた金属の塊が足を止め、背後を向こうとするも時すでに遅し。

 

「きっ、貴様は……!」

「なに、命までは奪いやしねぇよ。だが俺っちが約束を果たすのに―――ちょいと協力してくれやしねぇか?」

 

背後から口を抑え、俺っちは耳元で囁いた。

暴れる男は肘鉄を入れ、必死に抵抗を試みる。

援軍を呼ばれでもしたら、盗みもままならない。

俺っちは用意していた最終手段に打って出る。

 

「未練と輪廻の狭間で揺蕩(たゆた)うものよ。陰(おぬ)の御業を我が手に宿せ―――黒鳳(くろあげは)」

 

呪文を唱えると右の掌が青白く発光し、その光は兵士の口へと吸い込まれた。

魂を操る禁断の霊術。

大陸での呼称は〝にぐろまんしー〟と呼ばれるとのこと。

 

「……ぐ、くるし……」

「命に別状はねぇ。安心して魂に身を委ねりゃいい」

 

白目を剥き、体を震わせる兵士は、手をだらんと下げた。

前のめりの男は、ふらふらと門へと歩き出す。

 

「見回りごくろうさん」

「こちら異常なし。屋敷を彷徨(うろつ)く怪しい者は来なかったか?」

 

問われると

 

「……いや、不審な人物に遭遇した……俺の後についてきてくれ」

「なんだと! 頼む、案内してくれ」

 

放心したように開いた口から、ぎこちなく嘘が吐き出され、門の男たちは脱兎の如く駆けていく。

実在するはずのない盗人をでっちあげ、俺っちから遠ざけてくれるとは。

警備が手薄になれば、こちらのもの。

 

「よしよし、順調すぎるくらいだぜぃ」

 

こうして俺っちは混乱に乗じて、1階の空き部屋から潜入に成功した。

長年手入れされていないのか埃っぽく、俺っちは条件反射で咳き込む。

 

(ま、まずい、聞かれちゃいねぇよな。こんちくしょうめ)

 

部屋の角で身を屈め、息を殺した。

葉擦れの響きが鼓膜を震わせ、心の臓が跳ね上がる。

1分にも感ぜられた数秒をやり過ごし、俺っちは再び作業に取り掛かる。

 

「よーし。昨日、俺っちに親切にしてくれた粋な男の形見がある所まで、案内しておくんなぁ」

 

蝶へ懇願すると、光は上空へと浮かぶ。

……ギィギィ……ギィギィ……。

踏む度に軋む木の板に注意しつつ、俺っちは2階へと上がった。

ドアノブを回すも案内された部屋は鍵がかかっており、開かない。

 

「頼んだぜぃ」

  

夜蛭さまに野菜を分け与え、夜蛭さまをドアノブに引っ掛ける。

すると輪投げのように回転し、すぐさま扉が開く。

夜蛭さま様々だ。

 

「てやんでぇ」

 

貴族の部屋にはアンティークの家具が置かれ、ベッドには恰幅のよい男が寝息を立て、夢の世界に入っていた。

血色もよく、食うに困っているようには見受けられない。

おそらく家の主であろう。

チェストの取っ手を引っ張って中を確認するも、形見はおろか、目ぼしいものすら見当たらない。

金目の物も盗まなければならないというのに。

 

(がめついジジイの考えるこたぁ、たいして難しくもねぇ)

 

おそらく貴族は身内ですら信用していない。

希少であればあるほど、自分の手に届く身近に隠すだろう。

 

「ってなると怪しいのは……」

 

リスクはあるものの、避けては通れない。

抜き足差し足忍び足でベッドサイドのチェストへ移動し、中を漁ろうと手を伸ばした刹那

 

「おい、警備兵! こいつを引っ捕らえぃ!」

「……!?」

 

勘づかれたと観念し、貴族を凝視する。

だが、たんなる寝言だったようだ。

驚かせやがって、こんちくしょう。

心の中で悪態をつきつつ、再び作業に取り掛かる。

勘が冴え、チェストには形見の品と思しきものがある。

他にも貴金属が入っていて、それらも一緒に鞄に収めた。

一応これで恩は果たせたが。

 

「……金目の物を盗むだけじゃあ、罰としちゃあ甘すぎるわな。痛みがなけりゃ、また繰り返すからな」

 

惰眠を貪る貴族を一瞥し、唇を尖らせた。

 

「とっちめてやれ、お前さんたち」

 

そういうと蝶は一斉に貴族へと羽撃(はばた)き、次々に男の肉体へと同化していく。

1匹程度ならば数十分、意識が混濁する程度で済むが、あれだけの蝶を飲み込むとなると、被害は未知数だ。

さて、どんな目に遭うのか。

静観していると苦悶の表情を浮かべ出し

 

「……う、ひ、ひもじい……食べもの、食べものを……」

 

と、うなされだした。

人々を貧困に陥れた貴族が、食糧飢饉に苦しむ亡霊に取り憑かれる。

因果応報とは、まさにこのこと。

大事になる前に屋敷からトンズラしなければ……そう考えた矢先、何かが足へしがみつく。

 

「……な、なんでぃ」

「水を……酒を……欠片でもいい……パンを……恵んでは……くれまいか」

 

光で照らすと頬のこけた貴族は、俺っちに物を乞う。

見かけこそ先ほどと変わりないものの、腹が減って仕方ないようだ。

むりやり振りほどき侵入経路へと戻ると、外が騒がしく窓から様子を伺う。

辺りに誰もいないのを確認した後、屋敷を背に歩くと

 

「おい、そこの冒険者。止まれ」

 

獣の唸り声を思わせる低い響きに呼び止められた。

―――警備の連中だ。

 

「屋敷に賊が侵入した。屋敷から何者かが逃走したとのことだ。心当たりはないか?」

「隠し立てすると、自分のためにはならないぞ」

 

(ク、あと一歩だってのに。夜蛭さま、助けてくんなせぇ!)

 

「何故さっきから黙っている、まさか貴様が犯人ではなかろうな?」

「その鞄の中を調べさせてもらおうか」

 

(ば、万事休すか……)

 

取り囲まれた俺っちは観念し、命令されるがまま開き、鞄をひっくり返す。

瓶詰めの液体に模様の刻まれた石ころといった、盗賊の各種解錠道具。

革製の水筒と少量の酒。

夜蛭さまの食糧の野菜のあまりもの。

不思議なことに盗んだはずのものは、一切でてこないではないか。

 

「……持ち物から察するに、ただの冒険者では。どうします?」

「証拠がなければ仕方あるまい、離してやれ」

「話のわかる警備兵で助かったぜぃ。お勤めごくろうさん。もういいだろぃ」

 

疑いを晴らした俺っちは兵の合間を縫い、青年の家へと再度訪れた。

きっと何処かに落としてしまったのだろう。

どう言い訳しても、形見を彼の元へ返してやれなかった。

一部始終を伝え、頭を床にこすりつけて平謝りし

 

「よかったです、あなたが無事で」

 

青年から赦しを得る。

だがしかし申し訳なさに満たされた心は、彼の優しさを素直には受け取れない。

 

「悪い、また屋敷に……」

「あ、危ないですよ。警備だって、より厳重に……」

 

足にまとわりつき青年が静止すると、暗がりの中で鈍い光が目に止まる。

恐る恐る輝きを放つ物体へ手を伸ばすと、ぬめぬめとした気色の悪い感触がして、慌てて手から零れ落ちた。

 

「ああ、これは僕の! ありがとうございます、旅の方!」

「え、ああ。何がどうなってやがんだ?」

 

眩い頬笑に戸惑いつつも、俺っちは受け答えした。

 

「宝物が手元に返ってきたのは、あなたのお陰です。今夜だけと言わず、好きなだけ泊まってください」

 

喜色満面に火をくべる青年は、食材の調理を始める。

俺っちがふと夜蛭さまを見遣ると、口元が何やらテカっていた。

気になって触れると、糊を彷彿とさせる粘性の液体がくっつく。

 

「……夜蛭さま、もしかして俺っちを庇って……」

「どうかしましたか? 五郎さま」

「いいや、なんでもねぇや。さ、仕事終わりの飯にすっか!」

 

文明が進み、信仰すら失はれた時代。

もはや信徒と呼べる人間など、数えるほどだろう。

しかし体験したからこそ、俺っちはいつまでも語り継ぐ。

―――夜蛭さまこそが夜盗の守り神―――だと。




夜蛭(やひる)の信徒 ツクモ=ゴロウ

職業·盗賊(シーフ)、黒魔術師(ニグロマンシー)
種族·人間
MBTI:ESFP
アライメント 混沌·善

辺境の島国、常世から来訪した中肉中背の男性。
自らを生粋の常世っ子と称し、宵越しの銭は持たぬが信条の、その場その場の瞬間を楽しむ享楽主義者。
一方で弱者を虐げるものを何よりも嫌い、必要とあれば盗みも厭わない義賊の側面を持つ。
彼の暮らしていた国には日蛭(ひひる)と夜蛭の2柱の神々がおり、彼は夜蛭の信徒でかの神の力を借り、正義をなすという。
意外にも教養があり、それが彼の出自の謎をより際立たせる。
一説には常世の妖怪王、山之本五郎右衛門の五郎は御霊(ごりょう)の言い換えだとされ、彼の妖しげな術も御霊を操る類の力だと、後世に語り継がれた。


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蝶舞蜂刺の体現者 コチョウ・スガルの求道の物語

極めんとするは蝶舞蜂刺流(ちょうぶほうしりゅう)。

流れつくは異国の地、ヴォートゥミラ大陸。

俺の名は胡蝶蜾蠃(こちょう・すがる)。

蝶舞蜂刺流の求道者であり、戦の高揚に酔いしれる者。

拠点とするのは天使の羽根を崇拝する地、アウローラーラ。

今日も法衣を纏う司祭が訪れ、祈りを捧げる。

だが俺に言わせれば、己以外の何かを拠り所にしようなど、軟弱千万。

 

「スガル、君は底が知れないな。秘訣はあるのか?」

「押忍、近道などなく精進あるのみ」

 

称賛の数々を受け流しつつ、拳を握り締めた。

だが心には、砂漠の如し空漠が広がるばかりだ。

 

「スガル、いくら雑魚を潰そうが無意味だぞ。強者との飽くなき戦闘。それこそがお前の拳を天に至らせる」

 

焦燥とも呼ぶべき未来の不安視が、声となって乾いた心へと一滴の雫を垂らす。

だが、現実はままならないことばかり。

そう簡単に、強者へ至る道を歩ませてはくれまい。

 

「コボルトの皮を剥いでおこう。商人に売れるからな」

「はいはい、わかったよ」

 

同行した冒険者は、浅ましく魔物の毛皮を剥ぎ取った。

しかし俺の脳裏に浮かぶのは、まだ見ぬ兵との戦いのみ。

 

「……相手にならん。もっと強力な魔物を倒さねば、腕が鈍るばかりだ」

 

焦りが募って、俺は冷静でいられない。

頭の雑念を払拭するかの如く、空いた時間に突きの動作を繰り返す。

 

「熱心だな、スガルは」

「いいじゃねぇか、あいつはああいう奴だ。冒険はキチッとしてるしな」

 

俺に対しての小言さえも、没頭するにつれて、次第に聞こえなくなっていった。

無我の境地に達すれば、常在戦場ならぬ常在道場となる。

それから数日は特に変わり映えのない退屈な生活を送っていると

 

「なんだ、あれは?」

「ん、どれどれ」

 

共に任務をこなしていた冒険者の1人が、箒に乗った人型を指差す。

額に手をかざし遠目を見るも、彼らにはそれが誰なのか、視認できないようだ。

 

「オーホッホッ! 悪魔と魔女を虐げるヒトブタの皆さん、ご機嫌よう。稀代の魔女グロリアーナ。さっそくなんだけど、気に食わないから滅んじゃいなさいな♪」

 

独特の高笑いと口上が鼓膜を震わせ、俺は瞳を輝かせる。

背中の窪みから烏の羽根の如し黒翼をはばたかせ、冒険者らを見下ろす姿。

……あ、あの子は。

 

「おお、争いを司る魔女! ありがとう、また俺を高みに導いてくれるのか」

「ゲェッ!!! ままま、また出たわぬぇええっ、筋肉ダルマのお邪魔虫!!!」

 

彼女は俺を見るなり汗を、涙を、鼻水を。

体中から体液をだらだらと垂らし、指差した。

反応が大袈裟すぎる気もするが。

ともかく彼女が相手してくれるなら不足なし。

帯を締め、気合いを入れ直すと

 

「さあっ、来いッ!」

 

大陸の端から端まで届くほどの声量で叫ぶ。

 

「言われなくても抵抗するに決まってるでしょうが! いきなさい、ダイモーン!」

 

魔法陣からコウモリの羽根を生やした悪魔の軍勢が召喚され、空を埋めつくす。

太陽を覆う雨雲が如く、魔物は幾層にも積み重なり、暗黒の空を形成した。

群れが叫ぶと地は揺れ、大気は震え、木々は強風で傾きつつあった。

羽音は肌を切るような突風を引き起こし、命の危機をその身で感じた。

大災害を彷彿とさせる数々の出来事は、民衆の不安を煽るに充分だった。

世界の終末の光景を見せられているような気分だ。

 

「も、もう終わりだ」

「馬鹿野郎! 諦めたら神聖なるアウローラーラの地が悪魔に穢されるんだ。やるしかないだろ!」

 

狼狽える冒険者を尻目に、無言で悪魔の群れへと歩む。

心置きなく俺の技を打ち込めるだろう。

 

「蝶舞蜂刺流―――胡蜂(こほう)」

 

息を吸い、向かってきた悪魔へ胡蜂の針に見立てた中指を突き刺すと、泡を吹き絶命する。

だが大言壮語に似つかわしくない威力の技に、グロリアーナは手の甲を口許へ近づけ嘲笑う。

 

「出し惜しみ? それじゃ何万時間あっても、私の手勢を殺せやしないわよ?」

「いいや、これで十分だ」

 

蒼ざめた魔物の足首を掴むと、力任せにぶん投げる。

弾丸のように放たれる毒殺された遺体が、避け損ねた悪魔へぶつかると、突如として悶え苦しみだす。

やがてドミノが倒されるように、空を舞う怪物は次々に落下していき、空を覆い隠す黒は、すぐさま地上を真紅に染め上げた。

山の如く積み上がる死体の山を眺める彼女は声を失い、俺を睨み据える。

 

「やったぞ、スガルが化け物をぶっ倒した!」

「……ふぅ。威力、技のキレ、共に問題なし」

「ハ、ハァ?! なんで、すぐにやられちゃうのよ。こいつ、やっぱり人間やめてるでしょ!」

「もう終わりなのかよ?! たいしたことねぇなぁ」

 

歯噛みするグロリアーナへ、民衆は煽り飛ばした。

熱を帯びた体は闘争を求め、さらなる高揚に打ち震えた。

やはり俺の生きがいは戦闘にのみ存在するのだ。

 

「女神、今回はこれで終わりか?」

「め、女神?! まだまだこんなもんじゃないわよ! お邪魔虫を始末する最終兵器(メインディッシュ)は、最後まで取っておいたの」

「頼む、出し惜しみせず俺に挑んでくれ!」

「いい度胸ね。あの天使の羽根だけ壊しても、もう気が収まらないもの。そいつらごとスガル、アンタを踏み潰してあげる! いでよ、大地揺るがす魔神!」

 

魔女の叫びと同時に、大きく地面が揺らされた。

立っているのもやっとの状況に、冒険者は狼狽えつつも、周囲をまとめようと努めた。

 

「地震を起こす魔法か! 住民の避難をさせないと」

「こんな状況で、どうしろってんだ。お、俺たちにゃ何もできやしねぇ」

「いいや、ただの地震じゃねぇぞ!」

 

急に大地が裂けた次の瞬間、夜の帳が降りたかのように、辺り一面が闇に染まる。

スガルの視線の先には天にも届くほどの巨大な土塊(つちくれ)が、アウローラーラに飽き足らず、大陸にも破壊をもたらさんとしていた。

地面をひと踏みすれば鳥は空高く飛び立ち、昆虫も生存本能に従い、飛び跳ねる。

生きとし生けるもの全てが怯える、傲慢の象徴。

―――あらゆる生命を脅かす悪意と復讐心が、人の形を為して、大陸の破滅を告げる。

これより先の戦闘には、何人たりとも命の保証はしない。

彼女の熱量が俺にも伝わり、恐れとも武者震いともつかない、震えが止まらない。

命のやりとりに並ぶ実戦なし。

やはり彼女は戦を知り尽くしているのだ。

 

「な、なんじゃあ! このバカでかいゴーレムは」

「ま、魔女の指示に従おう。敵いっこねぇ!」

「スガル、スガルッ! やめろ、流石のお前でも無理だ。それにお前は余所者だろ? ここでむざむざ命を捨てるような真似……」

 

絶対絶命の中、ただ1人俺だけが微笑む。

吊り上がった唇は半月を形作り、絶対の勝利と技の完成を見据えていた。

 

(強靭な泥の肉体。それに加えて命なき怪物。容赦なく俺の技を試せる!)

 

「スガル、スガル……」

「戻ってこい、聞こえてないのか?!」

 

膝をついた冒険者らが必死に呼びかけるも、俺にはもう彼らの声などどうでもよかった。

この戦に俺は技の完成を見たり。

でなければ天使の羽根を崇拝する地が、死に場所となるだけ。

 

「自己犠牲の英雄なんて、つまらないわ。せめて威勢よく挑んでゴーレムに全く力及ばず戦死した、くらいの笑い話にはなってよね」

「言われなくても、俺の獲物は誰にも渡さねぇよ」

「ふふっ、いい度胸ね。それでこそ好敵手(ライバル)よ」

 

まだヴォートゥミラでの冒険者としては日が浅い故に、うろ覚えだがゴーレムという怪物については知っていた。

額や体に刻まれた文字に干渉することで、無類の強さを誇る魔法生物に死が訪れる。

だが、それは弱者特有の解法。

力さえあれば……このゴーレムでさえ捻じ伏せられる。

そして力で魔物を滅ぼしてこそ、蝶舞蜂刺流は完成するのだ。

俺は股を開き、脇を締め、拳を繰り出す。

手応えのなさに拳は紅に染まり、神経の痛みを伴う痺れに、俺は奥歯を噛み締めた。

 

「ッ! 俺の技が通用しない!?」

「当然でしょう? これまでの経験から、アンタの対策は万全。どれほどの強度で錬成すれば、損害を出さずに済むかくらい、肌感覚でわかるのよ」

「ならば過去の俺を超えるのみ! でなければ去ねぃ、コチョウ·スガル!」

 

背後から眺めるグロリアーナへ威勢よく叫ぶ。

彼女はそれを不快そうに眉間に皺を寄せ、怒りを滲ませた。

戦意を喪失した冒険者など、恐るるに足らず。

だが最後まで諦めぬ者には、勝利の女神は微笑みかねない。

 

「腑抜けた冒険者は脅威でも何でもないけど、アンタは例外。ここで始末しておくのが、最適解になりそうね」

 

泥人形を取り出し、俺にそう告げると、即座に右腕を切り刻む。

すると俺の右腕に電流が流れたかのような激痛に襲われ、動かなくなるのだった。

体の毛穴という毛穴から汗が噴き出し、全身にまとわりつく。

常世に伝わる呪術では、夜中に藁人形の四肢に五寸釘を打ちつけて、憎い相手に苦痛を与えるという。

文化や風俗も異なる大陸にも、呪術は遠く離れた異国の地にも根付いているようだ。

 

「利き腕が使えなくて大変ねぇ。まだまだこんなものじゃないでしょ!? この程度でやられるなんて、張り合いがないからね! 炎の精霊サラマンダー。我が言葉に応じ、火焔を放て―――フラ……」

 

そういうと泥人形を地面に叩きつけ、即座に呪文を唱え始めた。

出鼻を挫けば、これ以上彼女の思い通りの展開にはならないだろう。

 

「フンッ!」

 

地面を蹴ると、砂塵が舞い上がり、彼女の目を眩ます。

これで僅かばかりの時間稼ぎにはなるか。

 

「チッ、目障りね。だけど無意味よ!」

 

刹那、体を何かが切り裂き、俺は膝をついた。

目を見開いても涙が滲んだように、視界が霞む。

歯の隙間から絶え絶えに息が漏れ、着実にダメージが蓄積しているのを、はたと理解した。

 

(やはり強い、俺の冒険は終わりなのか)

 

左手で手をつき、震えた体を支え、俺は思考を巡らせる。

遠隔から的確に武闘家の武器である四肢を傷つけるなど、厄介極まりない。

あの人形を奪うのが得策だろうか?

否、用意周到な彼女のこと。

1つ取り上げようが、また替えを取り出すのがオチ。

人形は無視して、ゴーレムに短期決戦を仕掛けるのが最善に思えた。

とはいえ、魔女の攻撃を掻い潜りつつやれるのか。

 

「あらあら。どうしたの、スガル? 張り合いがなさすぎるわよ」

「……」

 

言い返したいのは山々だが、彼女が有利なのは明白。

口を動かすよりも、早急に解決せねば。

 

(この腕では技を打つどころではない。俺の流儀には反するが、自滅を狙うしか……)

 

考えに至り、ゴーレムを背に逃げ惑い、魔術を躱しつつ誘導した。

ただ勝つだけならば、彼女は藁人形を痛めつければ済む。

しかし積年の敗北の恨みを晴らす機会を逃すわけもなく、彼女は執拗に攻めてきた。

指の先から放たれた、地表の緑を焼き尽くす熱線。

太陽そのものを顕現させたかのような、紅々と燃え盛る火球。

どれもこれも、ただの人間を葬るには過剰なほどの魔法ばかり。

だが、彼女も馬鹿ではないらしい。

俺の目論見を看破したのか、彼女は不敵に微笑み、鼻を鳴らした。

 

「なるほど、私にその子を壊してもらおうとでもしてるわけ? でもね、スガル。浅知恵と小細工は雑魚の戦い方よ! せこい勝ち方を覚えた瞬間、アンタは雑魚に成り下がるの」

「……勝ち方にまで、ケチをつけるか。厳しい女神だ、ホントに……」

「だから女神って何なのよ!」

 

冷静に考えれば、安い挑発だろう。

しかし一度味を占めてしまえば、浅知恵に逃げるのは事実。

年老いたならば今のような戦いは不可能。

―――しかし今はただ衝動に身を任せ、破壊の限りを尽くすのが最善。

 

「いいだろう、やってやる! 我が生の充実と本懐、ここで遂げてみせようぞ」

「ええ、やってもらおうじゃないの!」

 

俺は一心不乱に攻撃を繰り返した。

道着は土に塗れ、呼吸は荒々しくなり、自棄を起こしたようにしか見えないだろう。

無防備を曝した泥人形の肉壁を、極小の針のような物が、指の1本1本を、腕を、脚を突き破る。

すると思わず仰け反る痛みに襲われた。

派手に血が噴き出すような怪我こそしないが、陰湿な攻撃は、着実に俺の戦意を削いでいく。

 

(いっそ一思いに殺せばいいだろうに)

 

苛立ちに心を燃やすが、状況は好転しない。

尚もゴーレムは平然としながら、攻撃の全てを受け止めていた。

いたずらに浪費される刻に、彼女は冷笑しつつも、俺へ提案をする。

 

「降参なさい、スガル。底が知れたアンタも腰抜けの冒険者も、もう価値はないから。忌々しい天使の翼だけ壊したら撤退してあげるわ。腐れ縁のアンタへの、せめてもの温情。私の気が変わらない間に、とっとと……」

「我が拳に不可能なし。故に不死なる者にさえ、我が掌は死をもたらすであろう!」

 

死線を彷徨う俺の脳裏に、亡き師範の言葉が過る。

 

「儂と決別し、新たな武の道を歩むというのか。ならば問う……改め、胡蝶蜾蠃よ。蝶舞蜂刺流の理念を。後進への思いを申してみよ」

「……はい」

 

師範に告げた、思い上がりの一言一句。

だが若造の不遜な言霊が、今にも折れそうな俺の脚を、心を支えていた。

 

「荒ぶる者にも、臆病な者にも、若人にも、老人にも、平等に武の道は開かれる。何故なら俺が邁進する武を、生きた足跡を、後進はなぞっていけばいい―――武神コチョウ・スガル。いざ参る」

「強がったところで、戦況が覆りはしないのよ! いい加減に……いぃ!」

 

グロリアーナは悲鳴にも似た絶叫を上げた。

視線の先には岩肌のような泥の鎧が削れ、露出したのだ。

後はこのまま破壊できそうだ。

 

「よくも私の最高傑作を。かくなる上は、ここでアンタごとゴーレムを……!」

「やめておけ。魔術を放てば土の下敷きだ。四分五裂せずとも巨大な体躯が倒れたら、俺も君もただでは済まない」

「脅しのつもり?! 私がアンタを殺すのを躊躇うとでも!」

 

頭に血が昇り、冷静でいられないのだろう。

暫く睨みあうと根負けしたのか、彼女は腕を下ろした。

冷静になったグロリアーナが飛び立つと

 

「蝶舞蜂刺流・蝶舞(ちょうぶ)」

 

再びゴーレムに一撃を見舞う。

蹴るために脚を動かすのはおろか、拳を握る、立つ動作でさえ、やっとの状況。

荒々しく息を吐き静観すると、泥の塊が倒れ、雌雄が決した。

次の瞬間、アウローラーラの人々に勝利を告げるように、彼は雄叫びを上げる。

 

「な、なんなのよ。私の傑作ゴーレムが……ただの筋肉ダルマに!?」

「理由は単純明快。蝶舞蜂刺流の蹴りほど優れた技は存在しない。故に破壊できぬものはない」

「ウ、ウソよ! ただの蹴りにそれほどの威力があるわけ……」

「現実に俺の一撃が、巨大な魔法生物を倒した。それが答えだ、女神よ」

「水の精霊ウンディーネ。生命の根源たる力を、我にもたらせ。アクア!」

 

苛立ちを募らせたグロリアーナは、魔法を唱えた。

躱すだけの余力もなく、観念したスガルはそっと瞳を閉じる。

だが標的は彼ではなかった。

水の魔術を浴びせられた土塊は形を失い、元の泥へと戻っていく。

もう用済みだ、とでもいうように。

 

「覚えておきなさい、コチョウ·スガル! 我々のどちらかが存命の限り、闘争は逃れ得ぬ宿痾(すくあ)。英雄にはね。たった1 度の敗北さえ許されないの」

「今日の感触を大事にせよ、ということか。やはり彼女は戦神の類なのだろう。蝶舞蜂刺の極みに導いてもらえたこと、今はただただ感謝ッッッ!」

 

魔女の全ての攻勢を完膚なきまでに叩き潰した、文句なしの勝利。

アウローラーラの民は大喜びだが、俺はというと特に人助けをしたという実感もない。

 

(まぁ、祝ってくれるしいいか)

 

戦いの傷も癒やさぬまま、俺は宴に参加した。

たらふく酒を飲める機会がめったにないからか、酒場には冒険者でごった返している。

冒険者というのは、本当に自分勝手だ。

けれど今は、ただ心からの称賛に浸るのも悪くない。

興奮冷めやらぬ熱を帯びた四肢に、冷えた酒がよく沁みる。

ぼんやりした意識で拳を握り

 

「我が拳、雲の切れ間から差し込む一筋の光明を得たり」

 

消え入るようにか細く呟くと、俺は自らの生き様で得たものに、沁み沁みと浸るのであった。




蝶舞蜂刺(ちょうぶほうし)の体現者 コチョウ=スガル

職業·武闘家(グラップラー)
種族·人間
MBTI:ESTP
アライメント 混沌·中立

辺境の島国、常世から来訪した武闘家の筋骨隆々とした男性。
自ら生み出した蝶舞蜂刺流を極めるべく、日々研鑽を積む。
強者との戦闘にしか興味がなく、危険と隣合わせの冒険者稼業で食いつなぐ毎日も、本人は退屈しない天職だと考えているようだ。
桁外れな実力を有するも善悪や道徳に従う意識に乏しく、強者と戦えるのであれば、善人にも悪人にも振り切れる危うさを持ち合わせている。



稀代の魔女 グロリアーナ

職業·魔女(ウィッチ)
種族·悪魔
MBTI:ENTJ
アライメント 中立·悪

稀代の魔女と呼ばれる悪魔の魔女。
呪術や錬金術に精通し、魔法生物を巧みに操り、気に食わないものの破壊を目論む。
人間には心を許さないものの、同族の悪魔や魔女には親切。
名に違わぬ強大な力を持つのだが、事あるごとに悪事をコチョウ=スガルに潰される不憫な少女。
彼女からすると、スガルはただのお邪魔虫。
だが彼からは自らを高みに導く、可愛らしい少女と誤解されているようだ。
大義名分もない戦闘狂に計画をことごとく破られるとは、とんだ災難である。


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聖なる信仰の導き手 アリアネル・コリンズの希望と絶望の物語

次の話を書き終えたら、本編を書き進めようと思います。


「アリアネル樣、また〝奴〟を目撃したとの報告がありましたど……」

「捨て置きなさい。あの怪物は金銀財宝が絡まぬ限り、我々には無関心。下手に刺激しては、犠牲がでてしまいます」

 

教会に飛び込むように、恰幅のよい髭面の男性ファーマーが入るや否や、私に告げた。

不安を隠すように一文字に閉じた唇は、小刻みに震えせて。

続けて飛び込んできた冒険者の方々も、納得いかない様子で、私を見下ろす。

彼らの恐怖、怯え、痛いほど伝わる。

だからこそ、指導者の私がブレてはいけない。

私が感情的に振る舞えば、迷いを生む。

迷いが生まれれば、ただでさえ危険な探索が、より厳しいものとなるだろう。

 

―――悪魔マモン。

強欲を司る悪魔であり、テラ・ウルム鉱山に棲まう怪物の正体。

あの悪魔が鉱山を占拠してから、村人は徐々に別の土地へ移住し、寂れていった。

かつては栄えていた金山は、今は見る影もない。

今では悪魔だけでなく、鉱山を好む精霊まで現れた。

さらには怪しげな魔術師が出入りしているとの、真偽不明の噂まで流れる始末だ。

こうなってはよほどの命知らずか、物好きしかやってこないだろう。

 

「司祭樣。そろそろ……」

「準備は充分できています……いきましょう、皆様」

 

彼らが私に頼るのは、神にでも縋りたい一心から……だけではなかった。

ノーム族である私には生まれながらにして、人にはない能力が備わっていた―――金銀財宝を探し出す力だ。

人間が金儲けに利用しようと企む異能が、初めは疎ましかった。

しかし困り果てた彼らを救うのならば、喜んでこの身を捧げるつもりだ。

それが村を管理する司祭としての使命なのだと、誇りさえ感じている。

ただ村を救いたいという純粋な願いが、どこか人に嫌悪を抱く心を変えてくれたのだ。

 

「金銀の確保と武器の素材調達。村の存続がかかった一大事、我々の結束で乗り越えていきましょう」

「おおーっ!」

 

 

 

テラ・ウルム鉱山にて

 

 

 

大まかにわけて掘削には、渦巻き状に掘る露天掘りと、坑内堀りの2種類ある。

近代化や自然への配慮、魔法の発達が進むにつれ、露天掘りはされなくなり、テラ·ウルム鉱山も後者に該当する。

活気に溢れた昔は魔術師の協力もあり、移動も楽だった。

だが今では橙の光を頼りに、暗闇を一歩一歩進まねばならない。

平坦ではない道を。

木でできた昇降機で降り、先を急ぐ。

吐息と靴の音が鳴り響く中で、しばらく坑内の様子を探ると、ある異変に気がつく。

普段は魔物が跳梁闊歩する鉱山は、静寂に包まれていたことに。

悪魔の根城には、定期的に出入りする村人を捕らえる罠さえなく、それがかえって不気味さを醸し出す。

親玉のマモンにとって一介の冒険者など、元から眼中にないのだろう。

我々が虚をつくことはないと、高を括っているのだ。

 

(マモンめ、私たちを見くびっている……!)

 

しかし悪魔の予想は的中しており、不甲斐なさが歯痒かった。

現に私たちは、日々食い扶持を稼ぐくらいしかできないのだから。

 

「司祭樣、具合でも悪いのですか?」

「いいえ、悪魔のことを考えると腹が立って……まだ金銀の気配はありません。もう少し奥へ進みましょう」

「はい、司祭樣には指一本触れさせません。皆が司祭樣を頼り守るのは、金銀財宝を探し出すからだけじゃねぇ。些細な悩みにも親身になり、誰よりも村を考えてくれる―――いわば司祭樣の存在そのものが希望なんですぜ」

「そうだい。アリアネル樣だけは命に変えてでも、お護りしねぇとな」

 

背を向けて先導する冒険者たちの励ましを受けて、私は拳を握り締め

 

(皆さんも辛いのにすいません。悪魔を倒す方法を見つけ、いつか必ず本当の希望になってみせますから……)

 

そう胸に誓う。

暫く坑道を進むと、急に夏の太陽の如き容赦ない光が差し込んだ。

闇に慣れた私たちにはあまりにも眩しく、思わず腕で視界を遮る。

 

「おやおや、これは司祭様。まだ鉱山を取り戻すなどと、民を誑かす戯言を吐いているようですねぇ。ここはもう、悪魔の住処だというのに。クククッ!」

 

その瞬間、我々は耳にした。

地獄の底から響くような低音に、神経を逆撫でする喋り口調。

……この声の主は。

 

「エルヴィス! 悪魔討伐から戻ってこないと思ったら、生きていたのか!」

 

坑道に怒声にも似た叫びが木霊した。

大陸屈指の5人の魔術師、〝五賢星〟の土の元素を司る実力者エルヴィス。

冷静沈着で愛情深い彼には、私もよくしてもらった。

だが数ヶ月も音沙汰なしで、どうやって生きてきたのだろう。

疑問は彼の発言で、すぐに解けた。

 

「簡単な話ですよ、貴方がたの悪足掻きに勝算はない。だから私は偉大なる悪魔マモン樣の忠実なる下僕として、活動しているのですよ」

「なんだと。村を愛していたアンタが……嘘だと言ってくれ」

「貴様……村だけでなく、魂まで悪魔に売ったか!」

 

裏切りへの悲痛な思いと罵詈雑言が、同時に浴びせられるも、意に介した様子はない。

それを見て、彼は本当に悪魔の配下になったのを理解した。

 

「アハハ、負け犬の遠吠えが心地よいですねぇ。どちらにつく方が、より利益があるか。考えればわかることでしょう」

「なんとでも言いなさい。私たちはいつか必ず悪魔マモンの息の根を止め、村を取り返す!」

 

村人を嘲笑うエルヴィスに、咄嗟に言い返すと

 

「マモン様を倒し、かつての村を取り戻す? 笑わせる! そんなに冒険者や村人の命が大事なら、鉱山など捨て、新たな地で平穏無事に暮らせばいいでしょう。弱き者が強き者に逆らうなど、愚の骨頂!」

 

村から去ればいいと、冷淡に吐き捨てる。

言葉を失う私へ、彼は続けざまに毒づいた。

 

「アリアネル司祭。貴方が金銀をマモン様の鉱山から奪って、村を支えるのは、ただの自己満足に過ぎない―――貴方の優柔不断が、村人を絶望に叩き落とす元凶。貴方は村の希望などではなく、絶望そのものなのですよ」

 

エルヴィスの痛烈な一言が重くのしかかる。

彼の言う通り鉱山に固執せず、別の場所で暮らせば、犠牲はでなかった。

私の判断が、村人の命を奪ったのだ。

黙り込む私を庇ったのは、同行していたファーマーだった。

 

「司祭樣はオラたちの悪あがきに付き合ってくれてんだ。愚弄すんのは、オラが許さんぞ」

「ファーマー。農家から冒険者への転職ですか。貴方のような人間がいると、冒険者が誰にでも務まると思われ、心外ですねぇ。小手調べといきましょうか! きなさい、アンネベルク!」

 

エルヴィスが悪魔の名を叫び、同時に馬の姿をした怪物が出現した。

鉱山を拠点とする悪魔であり、我々を幾度となく苦しめた魔物の1体。

だが彼に呼び出されたアンネベルクは、今まで見たどの個体よりも、悪意に満ち満ちていた。

ただならぬ邪気に覆われたそれは、飼い葉を喰むように、咀嚼を繰り返す。

白目に浮かぶ、羽虫の如し小さな瞳孔は忙しなく動き、異常性を物語る。

 

「冒険者共を喰い殺したら、あの司祭樣とやらも、ヤっちまってもいいよなぁ……エルヴィスよぉ」

 

悪魔が問うと、エルヴィスは眼鏡を中指で持ち上げつつ、返答する。

一触即発の雰囲気を感じた冒険者は、震えた手で武器を取る。

アンネベルクの放つ狂気。

そして何より、〝大地(おおつち)の魔術師〟エルヴィスが敵側に寝返った絶望が、彼らを萎縮させていた。

 

「決して司祭樣を殺してはなりませんよ、アンネベルク。彼女が絶望し、自身の意志で村から人間を撤退させる。それでこそ鉱山の真の所有者が、マモン樣であることを証明するのです」

「どうして生かしておくぅ。まさかテメェ……未だにこいつらへの情があるとか抜かさねぇよなぁ?」

「村人の結束は固い。もし司祭樣に万が一があれば、彼らは暴徒と化す。そうすれば我々も、ただでは済まない。リスク管理の観点から見て、生かしておくべきと判断したまでです」

 

睨みつけたアンネベルクにも動じず、淡々と言い返す。 

一切の情はなく、ただ機械的に異物を排除するシステムの一部として生き長らえる、エルヴィスの姿があった。

彼は敵だ、もう受け入れねば。

村人と彼一人どちらを優先すべきかは、考えればわかることだ。

 

「ククッ、計算高いねぇ。その抜け目のなさが、お前が人ながらマモン樣に厚遇される理由だ。悪魔に産まれるべきだったぜ、お前は……さて、お話はここまでだ。フシュルルルルル……」

 

悪魔が嗤うと正面に向き直り、嘶くと戦闘の火蓋が切られた。

 

「死にさらせ、ニンゲン共ォ!」

 

悪魔は殺戮の本能に従い、2mはあろう巨体が猫の如し敏速さで、襲いかかる。

前も後ろも細長い一本道に、逃げ場などない。

まともに食らえば、ただでは済まないだろう。

恐怖のあまり瞳を閉じるが、いつになっても直撃はしない。

 

「グッ……アンタ、変わっちまっただな……エルヴィスどん!」

 

ファーマーが皆の前に立ちはだかり、身を挺したからだ。

悪魔の突進の威力は確かで、彼の持つ木の盾を容易く貫通し、鋭利な角が肉を突き破る。

しかし農作業で鍛えた強靭な足腰は、冒険者としても大いに役に立ち、悪魔の矛を受け止めた。

 

「なにぃ! ニンゲン風情が、俺の攻撃を受け止めやがっただと」

「……正直、舐めていました。だが相応の実力と覚悟が、貴方にはあるようだ。フフ……」

「おい、いいから助けろや、エルヴィスよぉ」

 

悪態をつく悪魔を見て、やれやれと言いたげに肩を竦めると、気だるげに魔術の詠唱を開始した。

アンネベルクにばかり警戒しては、格好の的になる。

彼の実力をよく知るからこそ、私たちはエルヴィスから、視線を逸らさずに待ち構えた。

ランタンの光が、冒険者らの緊張で強張る顔を、額に掻いた汗を照らす。

来る……!

 

「大地の精霊ノーム。万物の命、大地へと還せ。インヒューム」

 

魔法を唱えた刹那、導火線についた火が如く坑道に亀裂が生じ、我々に迫ってくる!

 

「避ければ好機はある、皆ふんばれ!」

 

冒険者の一人が叫ぶや否や、彼は飛び上がって回避した……が、直後に岩で構成された手に脚を掴まれた。

横に移動し、間一髪避けたかと思えば、岩壁から棺が出現し、冒険者の1人が飲み込まれていく。

全ての行動は、歴戦の魔術師である彼の思惑通り。

次から次に多彩な攻め手が襲いかかり、瞬く間に勝敗は決した。

 

「〝大地の魔術師〟、これほどの実力とは……」

「一回の魔法で、全滅じゃあ……」

「……私に手こずるようでは、マモン様に対抗するなど、夢のまた夢。貴方たちは特別に生かしておいてあげましょう。おめおめ逃げ帰り、生き恥をさらし、存分にマモン樣の腹心エルヴィスの恐ろしさを語るがいい」

 

ぐったりと横たわる冒険者に向かい、口角を不敵に吊り上げるエルヴィスは、まさに悪魔だった。

もう村の一員としてではなく、人としての良識すら失ったのだ。

けれど一番は、息も絶え絶えにした彼らに、何もしてやれないことだ。

金銀財宝を探す力も、人々の悩みに寄り添うのも。

そんなものは、戦場では何の役にも立ちはしない。

奥歯を噛み締めると熱くなった目頭から、石筍(せきじゅん)から落ちる水のように、頬の形を沿い、雫が伝う。

 

「何故、私には何もしない。殺しなさい、エルヴィス。次々と人が去る村で説法を説き、何の意味があるというのです。偉大なるヴォートゥミラ三神に生命を授かった冒険者たちが、むざむざ悪魔にやられていく。そんな現実の前に、目の前の人間一人救えない私が、のうのうと生き長らえる価値が、どこにあるというのですか?!」

「……司祭樣」

 

感情のままに喚くと、冒険者もつられたように、表情を歪ませる。

 

「知りませんよ、そんなことは。貴方の決断1つで無用な血は流さずに済む。貴方の意思に、村人は従う。マモン様の力は強大……もう諦めなさい。故郷を捨て、鉱山を明け渡す。それが貴方たちの取るべき唯一の道」

「クヒヒ、せっかくだからよ。アイツら血祭りに上げようぜ、エルヴィス」

「無力化した、取るに足らない冒険者など無視でよろしい。金の採掘の為、一刻も早く石英の鉱脈を探し出さねばなりません。さ、急ぎますよ」

 

エルヴィスはそういうと、我々に背を向けた。

永遠の決別に私は泣き叫び、恨み言を吐き続けた。

 

「……チクショウ、クソッ……いつか絶対に……お前たちを……地獄の底に墜としてやる!」

「私とアンネベルクを地獄に堕とす、ですか。力なき者が語るなら、所詮は単なる夢物語。私を始末するだけの戦力を整え、悪魔と同等の知略を弄し、それは初めて現実になる。せいぜい抵抗なさい、我々の掌で」

「戦えねぇ嬢ちゃんに、何ができるんだよ。死にたきゃ勝手にくたばりな」

 

彼らが去った後、小さな拳にやりきれなさを乗せ、私は何度も岩を殴った。

鮮血に手が染められても、心の痛みに比べれば、どうということはない。

その後はよく覚えておらず、気がつくと教会に送られ、治癒を施されていた。

 

 

 

数週間後

 

 

 

傷を癒えても、私は失意の底にいた。

私を可愛がってくれた彼が敵に回ったのだけが理由ではない。

自らが目を背けていた無力さを、嫌というほど痛感させられたからだ。

頼りにしてくれる方々の相手をする時間だけが、唯一何も考えずに済み、気が楽になる。

 

「司祭樣、鉱山に……」

「すいません。まだ彼が敵になったのが受け入れられないので」

 

冒険者の方々に促された私は、遠回しに行きたくないと告げた。

だが村の存亡という大義ある彼らは、そう簡単に引き下がらない。

 

「司祭樣には迷惑ばかりかけちまう。俺たちが弱いから司祭樣を……」

「違います! 私の弱さが貴方たちを苦しめた。信仰なんかでは、誰一人救えない……」

「俺たちも司祭樣も……一人一人は弱いから。だから弱いもの同士が協力していきましょうよ」

「誰も傷つかない方法なんて、ないかもしれねぇど。けんど理想がなけりゃ、オラたち生きてけねぇ。信仰そのものに意味はねぇけろ。信仰を体現した司祭樣にゃ、オラたち救われてんだぁ」

 

ファーマーや冒険者らの言葉が胸に響く。

私のやってきたことは、無駄ではない。

いや、無駄だったとしても……これから意味のある行為にしていこう。

 

「迷惑をおかけしました」

 

頭を下げ、私たちは再び鉱山に向かう。

……生きていく為に。

 

「また魔物がいないな。どうなってんだ?」

「人間を歓迎してくれてるわけじゃないだろ。アタイらには悪魔の都合なんて、関係ないことさ」

 

魔物の統制がなされたと、考えるのが自然だ。

おそらくマモンが金銀にのみ注力するよう、人員を割いているのだろう。

我々にとっては好都合。

私の考えを冒険者の方々に話すと、納得したように頷いた。

地下深くに降り、耳をすますとコンコン、コンコン……岩を金属で叩くような音がした。

内緒話でもするように土の精霊が

 

「盗られないようにしないとね〜」

「うんうん」

 

と無邪気に喋り出し、近くに金脈があると確信する。

声の方へ急ぐと、金色の岩を見た我々は、瞳を輝かせた。

 

「さ、早くツルハシを……」

「エルヴィスに負けた雑魚共じゃねぇか。マモン樣の鉱山をまた荒らしにきやがって。殺されにきたのか?」

 

その時、我々を嘲笑う悪魔の声が響く。

……最悪だ。

 

「お、お前は……」

「持ち場の管理に戻ってくりゃ、のこのことニンゲン共がやってきやがった。お預けするエルヴィスはいねぇ。餌を喰い、手柄を報告できる。一挙両得だぜ、クヒヒッ!」

 

アンネベルクの口振りからするに、他の魔物はいないのだろう。

こいつさえ倒せれば、私たちはまだ生き延びられる。

 

「俺たちはエルヴィスに敗北した。が、お前にはやられていないぞ」

「エルヴィスの腰巾着が、ずいぶん粋がるじゃないか。アタイの大嫌いなタイプさ」

「ハハッ、威勢がいいな。反骨心のある奴らは嫌いじゃねぇ。来い、大口叩けねぇようにしてやる」

「オラたちも強くなっただな。お前さんには負けねぇど」

 

我々はもう後には引けないのだ。

ファーマーが啖呵を切ると、どちらからともなく戦闘が始まった。

 

「炎の精霊サラマンダー。我が言葉に応じ、火焔を放て。フランマ」

 

魔術師の一人が呪文を唱えると、火球が顕現し、坑道にたちまち煙が巻き上がる。

焔を浴びた魔物の巨大な体躯は、黒煙の中に紛れた。

これで倒せたとは思えないが……

 

「ハッ! その程度なら避けるまでもねぇ」

 

アンネベルクが叫ぶと、煙から正確に我々目掛けて突っ込む。

 

「危ねぇだ!」

 

ファーマーがとっさに庇うも渾身の一撃に、ファーマーの大きな身体は風船のように吹き飛ばされ、空を舞う。

転がる彼に仲間たちが視線を送ると、悪魔は即座に間合いを詰め

 

「人の心配してる場合かよ! 大地の精霊ノーム。人の子ら見守る磐座(いわくら)の、悠遠なる神秘を我が手に。ルーペス」

 

アンネベルクのやや長めな詠唱に、私は顔を蒼白させた。

同じ呪文でも複数の種類があり、普段我々が唱えるのは、短縮された呪文だ。

しかし詠唱が精確になるにつれ、威力も高まる。

隙をつき、一気に仕留めにきたのだ。

 

「愚かなニンゲン共、死にやがれぇ!」

「う、うわぁあああ!」

 

巨岩が我々に向かって飛んでくる。

当たれば命を落としかねない魔術に、冒険者らの悲鳴がこだました。

……だが巨岩は、術者であるアンネベルクに向かっていくではないか。

 

「どういうことだ、テメーら何をした!」

「私は戦えませんが……けれど皆さんを守ることはできる! お前なんかに、誰の命も奪わせはしません!」

 

放たれる直前に悪魔へ投げた、身代わり人形。

村人の呪術師が製作してくれた、悪魔攻略の一手。

村を守ろうとしているのは冒険者だけでも、私だけでもない。

苦境に立たされ、なおも村に残った人々が、私たちに力をくれる。

 

「グッ、小賢しい。下等生物の分際で調子に乗りやがってぇ!」

「あんまりアタイら人間を舐めんじゃないよ! お前ら悪魔の見下した人間に、アンタはやられるのさ!」

 

自ら呼び出した巨岩が直撃した悪魔に、冒険者の一人が槍を突き刺すと、魔物は吐血し息を荒げた。

しばらく暴れたが、攻勢を緩めずにいると、次第に動きが鈍くなっていく。

 

「……マモン樣に楯突く……貴様らの行き着く先は……我らと同じ……クヒャヒャ……」

 

負け惜しみを言い残し、私たちを嘲ると、アンネベルクは絶命する。

我々は悪魔の死を確かめもせず、石英の鉱脈に駆け寄った。

これを見るのも、いつ以来だろうか。

 

「金ですよ、皆さん!」

「ああ、これで俺たちは生きていける!」

「エルヴィスの奴が好き放題抜かしてたけどね。やっぱりアンタは、アタイらの希望だよ!」

「えへへ、面と向かって言われると照れますね」

「……嬉しいのはオラも一緒だけんど、まず治してくんろ~……」

 

傷だらけのファーマーが言うと、魔術師の一人が、彼の傷を癒した。

私は希望になれただろうか。

たとえ絶望そのものでも、ほんの僅かな力になれただろうか。

いつか本物の希望が現れるのを願い、私たちは鉱脈を一心に掘り進めた。




聖なる信仰の導き手 アリアネル・コリンズ

職業·司祭(プリースト)
種族·ノーム
MBTI:ISFJ
アライメント 秩序·善

金銀財宝に強欲な悪魔マモンが棲みついたテラ・ウルム鉱山の近隣の村で暮らす、ノームの女性司祭。
村に再び活気を取り戻すべく、魔物の巣窟と化した鉱山を取り返そうと奮闘する冒険者に手を貸すも、奪還は難航。
しかし金銀の探知に長けるノーム族の特性を活かし、魔物より早く鉱石を見つけ売り払う、綱渡りの生活で村人を支える。
いつの日か村を救う英雄が現れると信じて。



悪魔マモンの忠実なる僕 エルヴィス・ウェード

職業·魔術師(ウィザード)
種族·人間(ヒューマン)
MBTI:INTJ
アライメント 秩序·中立

元はテラ・ウルム鉱山の近辺の村々を拠点にしていた、大陸を代表する五大魔術師、〝五賢星〟の大地を操る魔法使い。
だが現在は、鉱山を占拠した悪魔マモンの側につき活動する、邪悪な魔術師と化した。
故郷を捨てた彼は、かつての仲間にも下級悪魔を差し向け、容赦なく牙を剥く。
村人の生計の為に鉱山の金銀に固執するアリアネル司祭に対しても、歯に衣着せぬ物言いをし、彼女の意志を試すように挑発を繰り返す。
はたして、その真意は……?


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愛深き妖精戦士 ケイレヴ・ハワードの奇跡の物語

書きたいことを詰め込み、いつも以上の文章量になりました。


空を飛び交う竜、庶民と王族の婚姻、異世界からきた異邦人。

大人になるにつれ、いつからか信じなくなっていた、巷にありふれた与太話。

けれど見たことがなければ、実在を疑うのが普通だ。

我々妖精の存在を確認したことがなければ、僕らの暮らす妖精王国ファトゥム・アグナも、ただの伝説だと一笑に付すだろう。

だがしかし僕はそんな夢物語に、再び手を伸ばそうとしていた。

手にしていた書物をパラパラとめくると、とある記述が目を惹く―――ハエモニィ。

葉に棘が生えた、黄金の花弁を咲かせる、伝承上の植物である。

僕が注目したのは珍しい花だから、というわけではない。

もちろん金につられ、一攫千金を狙う大それた野心など、僕にはなかった。

どうやらこの花には、あらゆる呪いの解呪という効能があるようなのだ。

もしこの伝承が真実ならば、失踪したあの人は……

 

「何処にあるのかすら定かでない、黄金の花。これがあれば王女は呪いから……本当に実在するのか? いいや、考えては駄目だ。伝承に残ったハエモニィの奇跡を、僕の手で起こすんだ!」

 

意気込んだはいいものの、何から手をつければいいのかすら、定かでない。

ただ僕だけの知識に限界があるのは、理解していた。

 

(頼もしい協力者がいれば、人海戦術ができれば……いや、こんな話をしても誰も付き合ってくれないよな)

 

前人未到の宝探しに、頭がこんがらがる。

ただ健康な肉体がなければ、何もできないのは確かだ。

そろそろ英気を養うべく、床につくとしよう。

全ては愛するウィッカ王女の為に―――問題が解決した華やかな未来を夢想しつつ、その日は興奮さめやらぬまま、葉にくるまって就寝したのだった。

 

 

 

翌日

 

 

 

「起きて、ケイレヴくん。早く〜」

 

翌日の明朝、同室のヒューに叩き起こされた。

普段は大人しく呑気な彼が、珍しく慌ただしい。

 

「ふわぁ、何があったんだ?」

「ファトゥム・アグナに魔物が侵入してきたんだって。着替えて!」

「うわ、本当かい?! ヒューくん、起こしてくれてありがとう」

 

理由を訊ね、僕は重い瞼を開き、目を開けた。

たまに妖精国にやってきてしまう、不運な魔物が現れるのだ。

話が通じる知性ある人間や魔物は、法に従い送り返すが、毎回そう上手くはいかない。

我々の住処を守る為に、どうしても実力行使する、僕ら軍人は欠かせないのである。

早く支度せねば、怒鳴られてしまう。

麻布の軍服を身にまとい、ズボンがずり落ちないよう、葉の茎製のベルトをきつく締め、軍曹の元へ向かう。

現地に到着すると、軍曹はいつも以上に険しい表情で、僕らを出迎える。

 

「遅いぞ、貴様ら! さっさと配置につけ!」

「ハッ、軍曹殿!」

 

軍曹の怒声が響くと、目深に被った苺の蔕(ヘタ)の帽子が脱げそうになり、とっさにおさえた。

単なる一兵の自分は、上官の命令には、素直に従わねばならない。

魔法の扱いに乏しい僕らは前線に向かい、魔物の気を惹き、時間稼ぎの役割を担う。

悪く言えば肉壁だ。

犬歯を覗かせたコボルトがけたたましく咆哮すると、耳を塞いでも、音の振動で頭が揺らされる。

たまったものではない。

 

「ケ、ケイレヴくん! 一緒にいこう」

「ビビりのヒューくんがいてくれてよかった。怖いの俺だけじゃないんだって安心するよ」

「コボルトは火を苦手とする! 前線部隊は武器に火の精霊の加護を付与し、後方部隊は焔の魔術を放てッ!」

 

軍曹の指示により、妖精国の兵士の大合唱が響き渡ると、呼応するかの如く獣が鳴き、森がざわめいた。

炎をまとう針の剣を手にしたはいいが、自分の何倍も大きな魔物を相手にするには、あまりに心許ない。

あくまで任務は足止めだが、それでさえ命懸けだ。

敵意を察したコボルトは鋭い爪を振り回す。

犬型獣人の太い腕が空を切る度、僕は生命の危機を肌身で感じた。

魔物にとっては軽いジャブ程度でも、僕ら妖精には致命傷だ。

他の妖精兵士はヒラヒラと躱し、死角から攻撃する素振りを見せる。

早く詠唱は終わらないのか。

前線の僕らは苛立ちを募らせつつも、己の職務に徹する。

 

「穿てぇええィ!」

 

軍曹の掛け声と同時に、幾数の紅蓮の炎矢が突き刺さると血が飛び出し

 

「グアオォォン!」

 

魔物は妖精の合唱を掻き消すような雄叫びを上げた。

今までも似た経験は何度かあったが、何度味わっても、身震いがしてしまう。

手負いの獣ほど、恐ろしい怪物はいない。

恐怖のあまり手を止めて周囲を伺うと、地面でもぞもぞと蠢く何かが目に映る。

生きているのだろうか。

心配して近づき顔を覗き込むと、それはケイレヴのよく知る人物であった。

 

「ヒューくん、大丈夫か?!」

「うぅ、痛たた……へへ、ヘマしちゃった……ケイレヴくん」

「笑い事じゃないよ。すぐ治癒魔法をしてもらわないと!」

 

額の頬に鋭い引っ搔き傷がつき、血が溢れ出していた。

どうやら魔物の攻撃が当たってしまったらしい。

感染症になっていたら、一大事だ。

協力してほしいが、戦闘の最中に迷惑をかけられない。

 

「しっかり掴まっててよ」

 

そういうと僕はヒューを抱きかかえ、医務室にまで向かう。

用件を手短に済ませ戻ると、既にコボルトは絶命しており、土に還すべく、穴を掘る真っ最中であった。

万物の生命は土から産まれ、息絶え、やがて妖精王国の緑を育む。

我々の国に迷い込んだのも、何かの縁なのだろう。

この国なりのやり方で、弔いをせねば。

埋葬を手伝おうとすると、僕を名指しで呼びかける声がした……軍曹だ。

 

「ケイレヴ。貴様、今まで何をしていた?! 内容如何では、除隊も覚悟せよ」

「同じ班のヒュー隊員が怪我をしており、手当てをしてもらうべく、医務室へ」

 

言われるがまま、僕は事実を告げると、軍曹は頬を緩ませた。

許してもらえたか?

ケイレヴもつられて、ぎこちなく笑う。

 

「なるほど、仲間を思うが故の隊律違反。気持ちに免じて例外を認めよう……とでもいうと、頭の片隅で考えたか! 莫迦者めが! 傷ついたのがヒューでなければ、そこまでしなかっただろう。貴様がやったのは、単なるお友達への依怙贔屓だ! 戦場で負傷した者は皆等しく、苦しんでいる。数多の戦友を見捨て、お友達だけを丁重に扱うような者は、神聖ファトゥム·アグナ王国の兵士に必要ない!」

 

軍曹は軽率な行動に、普段以上に舌鋒鋭く、ケイレヴを叱りつけた。

 

(そこまでいうか……お、鬼だ)

 

瞳を固く閉じ、彼は説教の嵐が過ぎ去るのを願う。

 

「す、すいません。ですがあのままだと、ヒュー隊員が……」

「貴様と違い、俺は特定の部下を特別扱いなどせんぞ。隊の規律を軽視した挙句、正当化を図るなど恥を知れ! 貴様の犯した軍規は何だ、言ってみろ!」

「親しい友人だけを助けるような者ばかりの軍隊であれば、戦場の生命は守られません。これを許せば、いつか自分も誰かに見捨てられてしまう。故に規律の遵守は絶対。軍曹殿の発言が全面的に正しく、私情を挟み、申し訳ありませんでした!」

「よろしい。我々の小柄な体躯では、浅い傷も致命傷となり得る。負傷者が出たら一時戦線離脱し、応急処置。その後は状態を私に報告しろと厳命したのを、努々忘れるな。ケイレヴの班は連帯責任として、基地の周りを20周!」

「はい!」

 

だが、おっかない軍曹に口答えする仲間はいない。

外周をした後は基地の訓練に参加し、この日は休む暇なく、身体を動かし続けたのだった。

 

 

 

夜にて

 

 

 

「今日は散々だったな」

「ああ、誰かさんのせいでな」

「……悪かったって」

 

訓練を終え、班の仲間から嫌味を言われ、肉体的にも精神的にも疲労困憊(ひろうこんぱい)。

本来であればハエモニィを探しにいきたいところだが、そんな気力はどこにもない。

脚は棒のようになり、魔物討伐で羽根を酷使したせいか、動かそうとする度に根元が痛む。

飯を喰い、風呂に入って眠りたい一心で、食堂で並ぶと

 

「ハエモニィだって? 幻の花じゃねぇか。ケイレヴ、お前そんなもんに、現を抜かしてんのか。暇だねぇ」

 

背後のケリーが叫び、どっと食堂に笑いが巻き起こる。

迂闊にもハエモニィのことを、口に出していたらしい。

馬鹿にされるのは当然覚悟はしていたが、面と向かって言われると傷つくものだ。

 

(そんなに可笑しいかよ……大事な人を助けたいって気持ちがよ)

 

心に湧き上がる苛立ちを抑え、席に向かうと

 

「隣、いいかな」

「ヒューくん、無事だったのかい!? よかったね。いいよ、座って」

 

顔に包帯を巻いた温厚な青年がおり、ケイレヴの顔は、パッと明るくなった。

軍曹にはどやされたが、命が救えたなら安いものだ。

 

「さっき何か言われたみたいだけど」

「ああ、さっきの話? ハエモニィについて口走ったら嗤われたんだ。幻の花が欲しいなんて馬鹿げてる。ケリーの言う通りだよな、ハハッ」

 

顔を覗き込むヒューに苦笑しつつ、受け答えすると、孤独はより深まった。

やはり誰にも理解などされないのだ。

落胆した僕はそれだけ言うと、口を閉ざし俯く。

しかし彼の反応は周囲とは違い、ただただ穏やかな微笑を湛えるのみだ。

 

「君は笑わないのか? だっておかしいだろ。幻の花を探すだなんてさ……」

「でも探してるんだろう、だったら協力するよ。理由は聞かないさ。君は僕の恩人だし、きっと悪いことには使わないよね」

「……ありがとう」

 

微笑む彼に礼を言うと、僕もつられて笑った。

友達というのは、こういう関係を言うのだろう。

 

「よ〜し! んじゃ、誘ったら手伝ってくれな。約束だよ……完治した後でね」

「うん、いいよ」

 

快い返事に、心まで晴れ渡るようだ。

それから暇があれば、森を、草原を、池を、手当り次第に探した。

だが幻と呼ばれるだけはあり、簡単には見つからない。

探すのはおろか、情報収集すら一苦労だ。

まずは文献を片っ端から漁り、分布する地域を絞っていくべきなのかもしれない。

 

「毎回付き合わせて悪いね。明日も早いから、ここいらで切り上げよう」

「お休み〜」

 

寮に戻るや否や、葉の上に大の字になったヒューの姿に自然、頬が緩む。

ありがとう、ヒューくん。

君がいなければ、僕は諦めていたかもしれない。

香を焚くと徐々にではあるが、嘲笑ったり、無理だと決めつける周囲の雑音で、くすんだ心が洗われていくのを感じた。

 

「本当に黄金の花があったら、人間たちが根こそぎ狩りつくす、か。ま、アイツらは金にがめついからな。見つけたらやりかねないが……幻の花だ。発見したら噂くらいは、辺境の妖精国の兵士の耳に届くだろう」

 

つまりはまだハエモニィは、人間の手には渡っていない。

実在するのであれば朗報だ。

 

「この調子では、ウィッカ王女が帰ってくる前に渡せないな。国中が手を尽くしても解けない、王族の呪い。たとえ微かな光でも、あるかもわからない奇跡にしか希望がないのなら……」

 

藁にも縋るような思いで手を伸ばした奇跡に、幾度となく手を振り払われ、根拠のない自信は粉々に打ち砕かれた。

ウィッカ王女は、今頃何をしているのだろう。

無事でいてくれたらいいが、もし金目当ての悪党に捕らえられでもしていたら……せめて顔だけでも見せてほしいが。

身分の違う僕では恋人はおろか、彼女の止まり木にはなれない。

けれど、そんな僕にでも力になれることはあるはずだ。

胸に秘めたる決意をより確固たるものにし、僕は明日の訓練に備えた。

 

 

 

次の休養日にて

 

 

 

待ちに待った休養日。

基地内を散策すると、兵士たちは仮眠や球技に興じ、思い思いに暇を潰していた。

今までは友人と遊んだり、雑用で消化していたが、これからは有効に使いたい。

僕はヒューと共に、ハエモニィを探す算段を立てるのだった。

 

「う〜ん。とはいえ、どうしたらいいのやら……」

 

首を傾げて、彼に訊ねると

 

「ケイレヴくんの読んだ本の参考文献から、ハエモニィに関する本だけ、調べてみたらどうだろう」

「なるほど、頭いいね。今日は図書館にいこうか」

 

頷くと言うが早いか、ケイレヴは黄色の羽根を羽撃かせ、図書館へと赴く。

外の世界と異なり、ファトゥム・アグナの図書館は特徴的だ。

階段状の本棚に収められた妖精の叡智は、厳かに聳え立つ。

まるで誰も真理には至らせない、とでも言いたげに。

蔵書の甘ったるい匂いが鼻腔をくすぐる、この空間に来ると、普段はあまり読書しない僕も少しだけ賢くなれた気がする。

目元に泣きぼくろのある、金髪の司書に挨拶を済ませると、僕はさっそく彼女に訊いた。

 

「おはようございます。何かお探しですか」

「あの……〝血の魔女の追憶〟、〝アウァル・サピエンテ〟という名の本はありますか?」

「どちらも魔術に関する古めの本ですが、そういったものをご所望で?」

「いいえ。黄金の花ハエモニィについて記された書物を探していまして」

「……少々お待ちください」

 

軽い会話を交わすと無愛想に、淡々と呟き、彼女は受付の奥に入っていく。

感情を交えずに、機械的に業務に携わる振る舞いは、静寂と知の番人に似つかわしい。

 

「あの司書の人、おっかなくて話しづらいんだよな」

「そうかな?」

 

立ち去った後に喋り出すと、図書館に見知った顔が訪れた。

ケリーだ。

気がついたヒューは引き攣った表情をし、顔の周りを飛ぶ羽虫を目で追うように、視線を泳がせる。

 

「またお前らか。ハエモニィがどうだとか、まだやってんのかよ、馬鹿馬鹿しい。図書館では静かにしろ。司書にどやされたくなければな」

 

嫌味ったらしく注意され、思わず皺が眉間に寄る。

互いに嫌な思いをせぬよう、用件を済ませたら、さっさと立ち去ろう。

背を向けると、唐突にケリーがケイレヴに問いかけた。

 

「なんで、そんな必死に探すんだ?」

 

どう答えるのが正解なのか。

唐突な疑問に、上手い返しが思いつかない。

 

「ああ、自分でも馬鹿らしいと思うよ。けど、どうしても探さないといけないんだ。大事な人がこれ以上苦しい思いをしないように」

「……フン、懲りねぇな。お前もよ」

 

挑発に乗らず、冷静に返すと、バツが悪そうに口を尖らせた。

喧嘩腰で腹は立つが、まともに相手にするだけ時間の無駄だろう。

そうこうしている内に、司書が書類を抱えて

 

「貸出履歴を調べてみましたが……現在、ここには血の魔女の追憶はないようです」

「ええっ! ここにはないんですか?!」

「ええ。どなたかが借りたまま返却せず、今も図書館には戻ってきませんので」

 

驚きのあまり大声を発すると、司書は目を細め、訝しげに視線を送る。

頭を下げ許しを乞い、アウァル・サピエンテに言及すると、そもそもここにはないとのこと。

だが簡単には引き下がれない。

情熱に押され、また一つ質問をぶつけてみた。

 

「読書家で博識な司書の方なら、幻の金の花について、ご存知ありませんか?」

「……私の興味の対象外ではありますが、何かの本で目にした記憶が……」

「それは?!」

「異世界からヴォートゥミラに迷い込んできた人間の持つ、宗教についての書物でした。曖昧ですが、確かタイトルは〝主の施し〟……」

 

うろ覚えだとしても、何も情報がないよりは、遥かにマシだ。

願ってもない僥倖に、興奮のあまり司書に詰め寄ると、彼女は後ろに後ずさっていく。

頬を赤らめ咳払いし、司書は再度仕切り直した。

 

「異世界の文化や風習について記された貴重な資料ですので、現在は王立図書館に寄贈しております。なので、ここには……」

「そうですか。親切にありがとうごさいました」

「……どうやら事情がありそうですね。幻の花について、文中に見かけたら教えます」

「え?」

 

間の抜けたように返事する二人。

そんな彼らに苛立ちを隠さず、腕組みした彼女は、眉を八の字にさせる。

 

「……勘違いしないでください。貴方がたは、知を追求する同士ですから」

 

声色は厳しさをどこか妊み、素っ気ない。

だが彼女の行為は慈愛に満ち満ちている。

 

「ありがとう、司書さん。あ、名前を伺ってもいいですか?」

「……ハンナです。以後お見知りおきを」

「ありがとうございました、ハンナさん」

 

収穫を得た僕らは図書室の出入り口にいき、今後に話し合う。

 

「どうしようか、ヒューくん。どちらの本も読めそうにないし……」

「仕方ないけど、無闇に探しても無駄だろうから。予想を立てて、ハエモニィに関する本を探してみようよ」

「……そうだね! おっとりしてるけど、頼りになるなぁ」

 

蒼の瞳を輝かせるヒューくんは、けして投げ出す気はないようだ。

なら僕も彼より早く、諦めてはいけない。

でなければ僕以上に必死に協力してくれた彼に、示しがつかないのだから。

 

「よし、いろいろ見てみようか」

「うん」

 

そうして僕らは、再びハエモニィの情報収集に取り掛かった。

異世界に関わる書物は貴重が故に、ここにはないと見るのが妥当。

ならば地道に魔術に関連した本を、虱潰しに当たる他ないだろう。

 

「古い魔術書なら期待できるかもしれない。まずはそれから読んでいこう」

 

ヒューに伝え、僕たちは広大な図書館を駆け回る。

天まで続く本の壁から目的の本を探すのは、相当に骨が折れた。

ハンナに頼ればよかったが、私情で彼女を振り回し、業務の邪魔をしては駄目だ。

気になった本を数冊引き抜き、椅子に腰掛けるとヒューも隣に座った、その時である。

 

「おい」

「な、何かな?」

 

ケリーが唐突に、話しかけてきたのだ。

高圧的な接し方に、ヒューはビクビクしながら聞き返す。

すると一冊の書物を、こちらに差し出してきたではないか。

いったいどういう了見だ。

渋い顔をしつつ、促されるままに受け取ると

 

「俺が目を通した本に、偶然、たまたま、奇跡的にハエモニィに関する記述が記されてた。気になるなら読んでみろ」

 

意外な反応に、ケイレヴは目をぱちくりさせた。

幻など信じていなさそうなケリーが、手を貸す現実に理解が追いつかなかったのだ。

だが時間が経つにつれ、真一文字に固く閉じられた唇は綻び、続いて笑いも込み上げる。

 

「何がおかしいんだ、この野郎」

「悪い悪い。馬鹿にしてはいないよ。でもさ……」

「静かにするように!!!」

 

どこからともなく甲高い叫びが、鼓膜を震わせた。

司書の声だ。

今一番うるさいのは貴方だが……言いだしたいのをこらえ、ヒソヒソと話し始めた。

 

「お前らのせいで怒鳴られたじゃねぇか! ったく、関わるとろくなことがねぇ」

「ごめんごめん。素直じゃないな、って」

「ケッ、もうお前らには協力しねぇよ」

 

悪態をつくと、彼はさっさと帰ろうと身支度を整えた。

目的の本を借りられたのだろうか。

 

「ありがとな〜、ケリー。お陰でハエモニィ探し、前進したよ〜」

 

ケリーに感謝の言葉を送ると、橙の羽根をこちらに向けながら、後ろ手に手を振る。

その後も文句をこぼしつつも、ケリーは何度か協力してくれた。

大勢で熱心に読書や探検に勤しむ僕らの姿を見て、何事かと興味を寄せた基地の仲間が、一人また一人。

ハエモニィを探索する輪が広がっていく。

いつしか僕らの噂は、王国の国王陛下や妹君の耳に届くのだった。

 

「ケイレヴ樣であられますか」

「失礼ですが、どなたでしょうか。私は貴方の顔を覚えておりません」

 

突然慌てふためく上官に呼び出され、指示通りに客間にいくと、黒で統一された服に身を包む老爺が僕を出迎えた。

質問すると

 

「初対面ですので当たり前でしょう。私は王からの遣い。この度はヴィッカーズ家の国王が、貴方様に興味が湧き、是非招きたいとのこと。ご了承いただきますか?」

「お、王族から?! い、いえ、何故そのような方が、私のようなただの兵士に?」

 

本当に本物の王族の使者なのか。

一旦疑うも、あれほど恐れながら僕を連れてきたのだから、事実確認はしているはずだ。

 

(……粗相をしたつもりはないけどな。本当に何故、呼ばれたんだ?)

 

マイナスの想像ばかりが膨らんでいく。

直接訊ねてしまえばいいのだが、もし的中していたら……そう考えると決心がつかない。

会話が途切れ、無言の空間に居心地の悪さを覚えつつ、ぎこちなく交換を吊り上げる。

 

「奇跡の花ハエモニィ―――呪いを解く手段があるならば、たとえどんな手段を用いても、手に入れる。ヴィッカーズ王家の悲願が叶うのならば」

「急な話ですが、休暇を貰えるよう、掛け合ってみます」

「では指定日時にご迎えに参りますので」

「ええと、はい」

 

用件を済ませた遣いが去った後も、胸の鼓動が止まらない。

何せ幻の花だ。

具体的な成果はなく、謁見したところで、何を話せばいいか……ケイレヴは頭を悩ませた。

訓練に戻っても、先の出来事が脳裏に焼きつき、離れない。

どうすればいいかもわからず、ついに当日を迎えるのだった。

 

 

 

当日にて

 

 

 

「ケイレヴ様、荷台へどうぞ」

「は、はい」

 

縄を括られた無数のテントウムシを横目に、遣いの指示通りに荷台に乗り込む。

ファトゥム·アグナでは人間社会でいう馬車を、昆虫が担う。

イミタ、シグニフィカ、メタモルフォシスと呼ばれるヴォートゥミラ三神と縁深く、この地においてもテントウムシは聖なる存在として扱われていた。

椅子の座り心地はよかったが脈打つ心臓は、日頃の訓練や魔物退治の時以上にはちきれそうだ。

緊張のあまり固まったまま、黙り込むこと数時間

 

「そろそろです。降りる準備を」

 

王国の城門に着くや否や、遣いは云う。

荷台から覗いて見えた、鋼の鎧を纏う屈強な兵士は、まるで甲虫そのものだ。

 

(王国の民を守る兵士としての自覚を持ち、くれぐれも失礼のないように……はい、わかりました)

 

深呼吸をし、休暇を取る旨を軍曹に伝えると、了承後に一言ケイレヴへ伝えた。

作法が完全でなくとも、庶民の猿真似だとしても。

彼らへの誠意を尽くそう。

 

「お待ちしておりました。ケイレヴ隊員」

「ありがとうございます。若輩者へのご厚意、痛み入ります」

 

互いに丁寧にやりとりすると罪人のように兵士に囲まれ、王国の内装を愉しむ間もなく、広間へと連れていかれるのだった。

 

 

 

王国の広間にて

 

 

 

広間に辿り着くと王国軍の兵士は離れ、ほっと胸を撫で下ろす。

樹齢数千年の大樹を切り作られた、木製の宮殿の壁には、王国の繁栄の象徴であるツタが伝う。

 

「ケイレヴよ、よくぞ参った。歓迎しよう。本来ならば放蕩娘もここにいたはずなのだが、我々の無礼を許されたい」

 

切り株を模した椅子に腰掛けた、葉の仮面をつけた妖精がおもむろにそれを外す。

すると口髭をたくわえた精悍な顔立ちの男性が、ケイレヴの視界に映る。

王を前にした彼は跪き、次の言葉を待った。

 

「早速だが本題に入ろう。その方は、ハエモニィを探し回っているとのこと。しかし多くの者が生を賭しても見つからぬ、幻の花だ。単なる金銭欲と名声目当てでは、これほど酔狂な真似はできまい。何が君をそうさせるのだろうか」

「わたくしも理由を拝聴させてほしいですわ。何故ケイレヴ様はそれほどまでに、ハエモニィに拘りを?」

 

国王の側にいた人形の如し美しさの、ウィッカ王女に瓜二つの妹君が続けざまに訊ねた。

言葉を選ばねば失礼に当たると、青年が答えあぐねると

 

「あらゆる解呪が可能な、聖なるハエモニィはおそらく強大な力を秘めているであろう。悪しき者の手に渡るのは避けたいのだ。質問に気を悪くしないでくれたまえ」

 

逆に気を遣われてしまった。 

しかし横柄でなく、害意はなさそうだ。

僕は長年、彼女へ募らせてきた思いを、素直に吐露した。

 

「はい。国王陛下が放蕩娘と呼ぶ、ウィッカ様への敬愛が理由です。自由闊達で明るい振る舞いに、私は救われた。彼女が呪いに縛られ、苦しむ姿を見たくなかった。ただそれだけです」

「なんと……」

 

国王は呆けたように口を開く。

しかし僕はウィッカ王女と共に救える生命があると、常々考えていた。

 

「恥ずかしながら呪いを解きたいのは、単なる私情。ですがハエモニィで失踪されたウィッカ様だけでなく、国王陛下や王女も救われるのであれば、ファトゥム・アグナの臣民として、王国に身を捧げた兵士として、これ以上の喜びはありません」

 

心からの忠誠を示すと、パチパチパチ……どこからともなく拍手が湧き上がる。

初めはただ一人の拍手が次第に増え、ついにはその場にいた全員が、ケイレヴを称えた。

 

「失踪した姉君の為に、ですか。けれどもしハエモニィが見つかれば、貴方の言う通り、私たちも呪いから解放されます。ファトゥム·アグナへの献身と奉仕精神、感服致しました」

「貴公のような若人がいれば、ファトゥム·アグナの未来は安泰であろうな」

「もったいないお言葉にございます。国王陛下、王女様」

 

王女が指を鳴らすと彼女に仕える侍女が、王女に何かを手渡す。

 

「言い伝えでも情報がないよりはいいでしょう。ハエモニィに関する伝承、文献や知識に関しては、探索に携わった王国の魔術師たちに訊ねてください。きっとケイレヴ様の役に立ちますわ。端的にハエモニィについてまとめた文書へ、後で目を通してくださいませ」

「感謝します。私が今、王の前に立てているのは、間違いなく協力してくれた皆のお陰です。でなければ早々に見切りをつけていたでしょう。この場を借りて、お礼をさせてもらってもよろしいでしょうか」

 

頷く王に深々と礼をし、ケイレヴは堂々と話し始めた。

 

「嫌がりもせずハエモニィ探しに協力してくれた、同室の友人ヒュー。事あるごとに悪態をつきつつも、根は善良なケリー。冷徹なようで暖かな優しさ溢れる司書ハンナさん。他にも手伝って頂いた、全ての方々に感謝を」

「貴公の進むは茨の道。だが一人ではいかせぬ。我々も共に歩もうぞ」

「奇跡を起こせるかは、貴方様の双肩にかかっていますわ」

 

奇跡という単語を耳にしたケイレヴは、国王と王女を見据え

 

「ハエモニィは奇跡の花。ですが私は、既に奇跡を起こしました。馬鹿げていると、誰にも相手にされないと。孤独に進むと誓ったはずの僕と関わった人々が、途方もない夢を共に追ってくれるという奇跡を―――夢物語だと笑われてもいい。ウィッカ王女だけでなく、皆の為にも、私は必ずやハエモニィを手に入れてみせます」

 

そう断言した。

瞳に迷いはなく、ただハエモニィという一点だけを見つめている。

顔を掌で覆う王女を一瞥し、呪いが苦しめていたのはウィッカ王女だけでないと、再度実感した。

ケイレヴは国王たちを安堵させようとしたのか、或いは緊張から解放されたせいか。

喜色満面に微笑んでみせたのだった。




愛深き妖精戦士 ケイレヴ・ハワード

職業·戦士(ファイター)
種族·妖精(フェアリー)
MBTI:ESFP
アライメント 秩序·善

妖精の住処ファトゥム・アグナの妖精の一般戦士。
小さな体だが志は高く、勇敢で誇りある好青年。
突如として失踪した妖精の王女ウィッカ・ヴィッカーズに恋慕の情を抱いており、本人は隠しているつもりだが、周りにはバレバレ。
いつか帰ってきてくれると信じ呪いを解くべく、あらゆる魔法を打ち消すという金色の花を日夜探す、情熱的かつ献身的な優しい一面がある。
そんな彼に惹かれる妖精も少なくない。


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蒐集家の冒険者 サイモン・ベネットの絆の物語

ランキング上位のなろうテンプレに則ったであろう長文タイトルやら、説明文タイトルやらの小説や漫画広告が視界に入るだけで、その日一日損した気分になる。
動物の世界でいうところの警戒色のようなもので見ない、近寄らないのが吉とタイトルで教えてくれるのは、ある意味有り難いが。
この手のジャンルの存在自体が不愉快で目障りだが、それらに多くの評価やアクセスがある=大衆に受け入れられている時点で
 
チート、ハーレム、俺TUEEEEE、ざまぁ、追放、ステータスオープン(笑)、スキル、長文タイトル、馬鹿な異世界人にマウントetcに対して、さして不快感を覚えないということだ。

「似たような見た目の主人公に既視感のある展開の、どこから切り取っても既存の作品と似通った、個性の欠片もない金太郎飴小説。興味も関心もねぇし、うぜぇから俺に見せつけてくんじゃねぇよ。クソくだらねぇ、見る公害が」

と感じる俺の感性が常人とは違って歪で、常軌を逸していて、世間一般の常識からかけ離れているのだろうな。

品行方正だったり、人間の醜さを知りつつも善良であろうとする人間は脳内お花畑の偽善者。
そして好き放題感情のままに人を小馬鹿にする人格破綻者や、群れて粋がるだけのチンピラやヤクザみてーな犯罪者を

「〇×は死ねだなんて、俺たちの言いにくい本音を代弁してくれた。社会のことを第一に考えている、なんて素晴らしい人物だ」
「人を脅したり殴ったり、カツアゲしても、不良は本当はいい奴なんだよ」
「ヤクザはカタギには手を出さない、礼儀正しい、任侠だ」

みたいに、事実にそぐわない妄想を根拠に過剰に持て囃すのは、現実世界でもそうだからな。
創作の世界でも人と戦うのを躊躇ったり、敵とも和解の道を選ぶような人間性や柔軟さ、ある種のずる賢さを持つ主人公や登場人物では流行らない。
気に入らない奴は論破(失笑)し、敵や悪役を容赦なく暴力を振るったり殺すのが、現代のかっこいい理想のヒーロー像なのだろう。

こんな風に愚痴をいったところで、俺の作品が読まれるわけではないし、視界に映らなければどうでもいいけど。
読まれないので一旦投げやりに完結させた「異世界のジョン·ドウ ~オールド・ハリー卿にかけて~」は放置して、同じ世界観の新しい作品に取り掛かります。
1ヶ月に数回、数千文字の小説を投稿するよりはマシでしょうから、1話当たり200文字~500文字程度の文字量で投稿予定。
読者にとって読みにくかろうが、ルールの範囲内でアクセス数稼ぎに有利な方(短くして、投稿頻度を増やす)を選ぶので、知ったことではないが。


「我ながら壮観であるな」

 

自室の押入れを開くと、そこはまさに異国そのものだった。

異世界の調度品や貴重な書物を眺め、我はしみじみと呟いた。

それと同時に今まで費やした総額を、頭の片隅に追いやる。

見た目こそ此方(こちら)の人間と相違ないものの、独自の言語を話す、ヴォートゥミラ大陸への来訪者。

そして来訪者と共に招かれた、奇妙奇天烈な品々の数々。

これら数の限られた貴重品を手に入れるには、金に糸目をつけては駄目だ。

名匠の芸術品のように、いつか値打ちがつくだろう。

散財を正当化するように、サイモンは自らに言い聞かせた。

 

「おお、回る回る! なんだかすごく気分がいい!」

 

軸受(じくうけ)に風車の如く放射状に伸びた三枚羽根。

中央を親指と人差し指で挟み、中指で弾いてやると、面白いほどよく回る。

……ただそれだけの道具に思えるが、これはいったい何に使うのだろうか?

異世界人との交流で用途が判明したものはあれど、まだまだわからぬことばかり。 

興味関心は尽きず、むしろ時が経つほどにもっと我は君たちを知りたいと、胸の鼓動は燃え上がる。

さながら初めて恋を知った生娘のような心持ちで、彼は宝の山に目を送る。

これを見て異世界はどのような光景が広がっているのか、想像に耽る間だけは、世間のしがらみや仕事の苦労が消し飛ぶのだ。

 

「あなた、依頼人の方がやってきましたよ。あまりガラクタにばかり、かまけていないでくださいね〜」

「何度も云うが、生活費にまでは手をつけてない! って、仕事の依頼か。客人に蜂蜜酒でも出して、待ってもらってくれ」

 

いつものように妻ウィルマから激を飛ばされると思いきや、仕事と聞いて冷静に我に返る。

妻は元冒険者の仲間であり、仕事で協力しあう内に、自然と男女の仲になった。

異世界の言語でいう、糟糠(そうこう)の妻である。

我の集めた品々に辛辣な発言も多々するが、つぎこんだ金額と彼女の献身を考えれば、悪くは言えない。

 

「もう出しましたよ。後はあなたが客間にいくだけです」

「ありがとう、ウィルマ。手際がよいな。君やこれから産まれる子の為にも、一生懸命稼いでくるよ」

「…·まったく調子がいいんですから」

 

愛しの妻を軽く抱擁し、我は階段を駆け下りる。

我が子ができれば、さらに出費がかさむ。

もっと稼いで、楽をさせてやりたい。

降りた先に待つのは、燕尾服を身に纏う老紳士だった。

三日月のような形の髭をたくわえた彼は櫛で白髪を梳(す)くと、満面の笑顔をサイモンに向ける。

身嗜みは整っており、金払いはよさそうだというのが、初対面の偽らざる感想だった。

 

「お待たせしました。私に依頼とはまさか……」

「ええ、報酬は弾みます。引き受けていただけますか?」

「まずは内容を伺っても?」

 

自然な流れでサイモンが訊ねると、老紳士は受け答えした。

彼は冒険者ギルドの関係者で異世界から来訪した者の中から、特に適正の秀でた人物を3名厳選した。

しかし異文化への適応は、そう簡単にはいかない。

そこで彼らの冒険者としての成長を、何度か同行して見守ってほしいとのことだ。

彼らと意思疎通を図る貴重な冒険者である我には、こういった依頼が舞い込む。

知的好奇心が高じて異世界の言語を覚えたのが、思わぬ僥倖を与えてくれた。

まだ需要は少ないかもしれないが、競争相手もいない分、独り占めできる。

 

「なるほど。異世界から来訪した冒険者はフィリウス·ディネ王国にとっても貴重な人材。承りました。依頼された新米冒険者は3名なので、欠員はこちらで2名用意しても?」

 

冒険者ギルドでは、同行者の人数制限が定められている。

我々人間同様に魔物たちも自然の一部であり、過度な採取や殺戮はご法度だ。

自然を壊しつくすような真似は許されざる行為であるのと同時に、いつか我々や子孫の首を締めてしまうのだから。

 

「はい、構いません。ではほんの前報酬ですが……」

「ウヒャァ! ……コホン、必ずや成功させてみせましょう」

 

紳士から手渡された品を直視し、即答するサイモンであった。

 

 

 

依頼当日

 

 

 

「長旅で腹はすいてねぇかい? 団体さんには安くしておくよ〜」

「そうかい? なら10人分、お願いしようかね」

「にしし、毎度あり!」

 

昼間の王国の城門の近くは、無数の商人や彼らを顧客にした屋台が、賑わいを見せていた。

腸詰めのソーセージが熱々の鉄板で焼かれると、もうもうと立ち込める煙と共に、食欲を刺激する香ばしい匂いが充満していく。

誘惑に抗えず欲望の赴くまま食事を愉しむ横で、我と仲間の2人が我慢に堪え、何度も唾を呑むと

 

「もう我慢できねぇ。買ってくるわ、お前らは?」

 

溌溂としていて年齢の割に若々しい短髪の青年カイルが、落ち着きなく訊ねた。

冒険へいく際は魔物との戦闘で気分が悪くならぬよう、腹八分目程度に抑えるのだが、裏目に出た。

 

「我はいらぬ。これから生まれる子の為にも、散財はできないのでな」

「……いいよ」

「いい、だと、いるのかいらないのか、わからねぇんだよ! はっきりしてくれ、トリクシィ」

 

曖昧な返事をした少女トリクシィに、カイルは怒鳴り散らす。

騒がしい彼とは対照的に口数少なく、彼女は冒険者として実力は申し分ないが、無口で感情に乏しいのが玉に瑕だ。

そろそろ約束の時間だ。

商人の護衛を任された冒険者でごった返しているからか、同行する我々がわからないのだろうか。

周囲に目を凝らすと

 

「あの、サイモンさんですか」

 

頬がこけた青年が、異世界の言葉で質問をしていた。

後ろの筋肉質な少年は肩を回し、来たるべき魔物との戦闘での活躍を想像するかのように、得意げに微笑を浮かべている。

虚ろな瞳の少年が2人の後を追い、俯きがちに溜息を吐くと、遠い目で雑踏を見渡した。

皆どこか不安と緊張の色が伺え、歴は長くなさそうだ。

冒険者としての幸福は、俗世間からは遠い頂にある。

魔物を退け、宝を探し、自身や仲間の名を世に知らしめる。

日常では味わえぬ熱と興奮に浸り続ければ、なんでもない日々は退屈に思えてしまう。

たとえ冒険者は無理だとしても、無色透明な彼らは心持ち1つで何者にもなれるはずだ。

まだ何も描かれていないキャンパスのように。

 

「君たちが冒険者志望の来訪者、だね。我はサイモン・ベネット。後ろにいるのは我の仲間のカイル、トリクシィだ。よろしく頼むよ」

 

君たちはヴォートゥミラ大陸へやってくる前、どんな生活を送っていたのか?

聞きたいことは山ほどあったが、まずは無難に依頼をこなさねばなるまい。

サイモンは数回咳払いすると、欲望を律して感情を抑えた。

 

「どうかね。冒険者稼業には少し慣れたかな? 先達としてわかる範囲であれば、喜んで協力させてもらうよ」

「やっぱり自信ないですよ。運動音痴だから、あんまり戦えませんし……」

「僕も受験戦争で体を動かす暇はなかったし、それが冒険者の活動に響いてるなぁ」

「ええと、そのジュケンセンソーとは?」

 

頬のこけた青年コウタローと、虚ろな瞳の少年レン。

詳しく話を聞くと彼らは幼少から、よりよい学府を目指し、勉強に励むのだという。

戦争と形容するほどだから、それの成否で生き死にが決まるのだろう。

彼らは彼らで過酷極まる世界を生きているらしい。

とはいえフィリウス・ディネ王国の賢王は、冒険者育成に熱心に取り組むお方。

戦闘訓練のみならず王国の文化や風俗への理解、あらゆる経験の浅い彼ら向けに、無料の宿屋も用意されている。

ゆっくりと鍛錬を積み、学び、日銭を稼いでいけばいいのだ。

 

「君たちには我々がついている。仕事を任された以上は責任をもって、最後まで護衛を努めさせてもらうよ」

 

悩み多き彼らを安心させようと、我は柄にもなく声を張り上げた。

 

「あ、ありがとうございます! 一緒に頑張れろう。シンくん、コウタローくん」

「でも皆さんに頼りきりだと、これからやっていけないので、怖いけど……しっかり戦います」

「ったく、お前ら軟弱なんだよ。このシン様に任せときゃ、魔物なんざイチコロよ」

 

三者三様の返事にサイモンが苦笑すると、カイルもつられた。

筋肉質な少年は自信家のようだ。

虚勢でなければ頼もしいが、冒険者は用心深いくらいでちょうどいい。

彼らの鍛錬に選ばれたのは王国の城門から、はてしなく続く草原。

出現するのは主に緑肌の小人ゴブリン、直立した犬頭の獣人コボルト、ジェル状の魔物リムスなどなど。

新米におあつらえ向きな魔物が一通り揃っており、種類に応じた臨機応変な対処が求められる。

まさに自然の練兵場だ。

これらの魔物との戦いを苦にしない程度にならねば、冒険者としては使い物にならない。

採集専門の冒険者も少なからず存在はするし、戦闘だけが冒険者に求められているわけでもない。

けれどもいざという時に刃を振るえぬのが、不利なのは事実。

 

「ケキャキャ!」

「ヒヒヒ!」

 

歩いていると草が揺れ、同時にゴブリンが束になり、我々の前に姿を現す。

手には薄汚れた剣や錆びついた斧が握られており、臨戦態勢だ。

まずは彼らがどれほどの実力か、静観して見定めさせてもらおう。

 

「オラオラァ、シン様のお通りだぁ!」

「危ないよ! コウタローくんも止めてよ!」

「……軽装の僕たちが前に出て戦うのは危険だ。ここは彼に任せよう」

 

忠告も無視した少年は手にした剣片手に、ただひたすらに突き進んだ。

気迫に気圧されたのか、戦意を喪失した小型の魔物は、蜘蛛の子を散らすように逃走した。

 

「戦わずして勝ってしまうとは。俺の才能が恐ろしいぜ」

 

剣を収めた少年が大笑した瞬間、草原が激しく揺れ動く。

視線を送ると魔物の手には遠距離から狙い打つ、パチンコが握られていた。

どうやら付近に隠していたようである。

勝利を確信し緊張の糸が切れた刹那こそ、悪鬼の絶好の餌だ。

彼からすれば一瞬の油断だが、それが多くの冒険者が命を落とす最大の原因。

こういった悪知恵が働くからこそ、亜人との戦いは破壊の化身の竜とは、まるで異なった危険が伴う。

 

「……君って奴は世話が焼けるな、注意散漫だ。風の精霊シルフ。汝の恵みと施し、時に大いなる災いの源とならん。フラーメン」

 

コウタローが呆れたように呟き、魔法を唱えた。

すると一瞬にして、一陣の風が草花ごと魔物を薙ぎ払う。

トリクシィの橙の長髪は炎が燃え広がるが如く揺らされ、サイモンとカイルの2人は吹き飛ばされぬよう、力強く大地を踏み締めた。

弧を描くように空を舞い、吹き飛ばされて仰向けのゴブリンの集団にトドメを刺し

 

「見込まれただけはあるな、サイモン。筋はいいぜ、あいつら」

 

カイルは素直に彼らの実力を認めた。

 

「……ああ。少なくとも食いっぱぐれはしなさそうだ」

 

サイモンも彼に同意を示す。

しかし余裕がある間、上手く立ち回れるのは当たり前だ。

追い詰められ、死線を掻い潜られるか。

冒険者として一皮剥けるには、そこにかかっている。

魔物の強さも大したことはなく、生死をかけた冒険には程遠いが、まずは彼らの武勇を労おう。

 

「シン、迷いなき太刀筋には我も勇気を貰った。そしてコウタロー。特に君の冷静な判断が際立っていた……レンは、次に挽回してくれたまえ」

「……すいません。ああいう時、どう動いたらいいのかわからないで……」

 

頭を下げる少年に驚き、サイモンは黙り込む。

責める気も晒し上げる気もなかったのだが……言葉というのは難しい。

 

「サイモン、あんまりいじめてやんなよ。冷静に周囲を観察するのも、1つの判断だぜ」

「……そうそう。面倒事は五月蝿い奴らに任せておけばいいの」

「トリクシィ、なんで俺を睨むんだよ」

「我ももう少し口数を減らした方がいいのか?」

 

戦闘の緊迫感から解放され、間の抜けた掛け合いに、虚ろな瞳の少年は安堵したように口許を緩めた。

 

「……これからどうするの?」

 

カイルに睨まれたトリクシィが、珍しく自ら切り出す。

こればかりは我の一存では決めかねる。

 

「どうするかね。君たちに任せるとしよう。新参者であるのを恥じる必要はない。ここで暫く経験を積む選択も正しいはずだ」

 

訊ねると

 

「草原の魔物は相手にならねぇな。もっと手強い怪物で腕試ししてぇよ、サイモンさん」

「この周辺の素材はたいした利益にはならないし、もう少し稼ぎのいい場所で訓練できませんか?」

「おお! お前ら、ずいぶん調子よさそうだな。無謀は駄目だが、それくらいの覇気はねぇと!」

 

思わぬ申し出にサイモンは、目をぱちくりさせた。

森は厄介な魔物も増えるが、我らがいれば問題もなかろう。

一行はさっそく準備を始めた……ただ1人レンを除いて。

 

「……う、大丈夫ですかね」

「心配すんなって。俺らがついてるんだから」

「で、でもぅ……」

 

心配性なのは冒険者にとって、むしろ長所だ。

穴があればいち早く気づき、欠陥を埋めようと尽力する。

皆が彼のような性質だと困るが、1人は必ずいてほしい。

安全という保証を示せば、彼の考えも変わるかもしれない。

サイモンは何の変哲もない羽根を取り出すと

 

「いざとなれば、これで管理区域に退避できるから、君が持っておくといい。我も妻の元へ無事帰るまでが仕事だと考えている」

「……私も命を粗末に扱う、死にたがりは嫌い」 

「な、ならいいんです。すいません、空気が読めなくて……」

「?」

 

よくわからない言い回しに首を傾げると、レンは懇切丁寧に説明してくれた。

どうやら周囲に同調しない、という意味を指すようだ。

しかし自らの命にかかわる判断を、他人に委ねないのは立派だ。

 

「うっしゃ、いくか!」

「おおーっ!」

 

こうして我々は森へと向かうのであった。

 

 

 

森にて

 

 

 

細長のオークの木々が立ち並ぶ森は昼間だというのに薄暗く、独特な雰囲気を醸し出していた。

魔物の来訪を知らせるかのような葉擦れの音に、鳴き叫ぶ烏が、我々の不安を煽る。

フィリウス・ディネ王国の風土に無知な彼らに魔女がいる、悪魔のサバトが行われているといえば、あっさり信じてくれそうだ。

先導して進むサイモンらが振り返ると、目に映るシンとコウタローは意外にも平然としていた。

しかしレンだけは年老いた老爺のように腰を曲げ、我々の跡を追う。

 

「おいおい、大丈夫か。戦えそうにねぇな、レンは」

「まぁ、1人でいるよりは安全だろう。戦闘を間近で見ていれば、じき慣れるやもしれぬし」

 

彼も才覚を認められた1人。

無理をさせ、金の卵を壊すのは悪手だ。

依頼通りに引率するという本来の役目を、再度強く認識するサイモンであった。

 

「怖がりすぎじゃねぇの、アイツ」

「無鉄砲な君よりはいいと思うけれどね」

「……うぜぇな、いちいち絡んでくんなよな」

 

文句を零す筋肉質な少年に、頬のこけた青年は喧嘩腰で応じる。

互いに慣れないことばかりの異世界生活で募ったであろう苛立ちが、ここにきて爆発寸前だ。

 

「気が立っているようだ。そろそろ休憩にするかね」

「命を預ける相手なんだ。もっと適切な関係を心掛けろよ、お前ら」

 

サイモンとカイルの忠告を聞いた彼らは矛を収め、一時的に休息を取ることにした。

傾斜のなだらかな地面に木の棒を突き刺し、即席の野営地を作り出す。

肉体仕事で滲む汗を拭うと、どこからともなく聴こえる穏やかな清流のせせらぎが、心を癒やしてくれた。

キャンプの経験がないというコウタローには、適当な枝や枯れ葉を拾ってもらい、手際よく準備を進めた。

両手いっぱいに抱えたそれを、魔法の火にくべていく。

切り株に腰掛け、燃え盛る火をまじまじと眺めると

 

「……さっきは悪かったな。急に親も友達もいない場所に飛ばされて、ホントにどうしていいかわかんなくてよ。苛々して八つ当たっちまった」

 

艶やかな黒髪を棚引かせ、シン少年の方から切り出した。

ありのままの少年の姿にコウタロー青年は、視線だけでなく体全体を向け、謝罪を聞き入れる。

 

「いや、僕から突っ掛かったわけだし……大人げなかった。人嫌いで友達もいないし、距離が掴めなかったのかもしれない」

 

彼も時機を見計らっていたのだろう。

これ以上ないタイミングで、非礼を詫びると

 

「元々の火種は僕が頼りないせいだから……どんなに恵まれた力があっても、僕みたいな無気力な人間には無用の長物だよ……」

 

レンまでもが彼らにつられた。

強がって見せられない弱さを、怒りや憎悪という形で吐き出すのは逆効果。

その点において、彼らは心配いらなかった。

弱さを曝け出せるのは、誰もが持つわけではない強さなのだから。

 

「……貴方たち、お似合いね」

「余計な心配だったな。喧嘩するにしても、今後も付き合ってくなら、ちゃんと謝って筋は通せよ」

 

目標も価値観もバラバラの人間の結束が深まる瞬間に、我々も仲間の在り方について考えさせられた。

冒険者として、人として成長していく彼らを見習わねば、すぐ追い越されてしまう。

自らを戒める、その時であった。

森をのそのそと徘徊する、人間の数十倍はあろう巨大な蟷螂を見かけたのは。

稀にではあるものの森で遭遇するとりわけ強力な個体、《絶命の蟷螂》。

ヴォートゥミラ大陸の数多の魔物図鑑で、危険の意味を持つ単語《ペリクルム》に区分された1体で、凶悪極まるモンスターである。

とても新米冒険者に務まる相手ではない。

無論、彼らを守りながら片手間で倒すのは骨が折れる。

相手が悪すぎる、闘わないのが最良の選択だ。

 

「どうするんですか、皆さん」

「あれはとりわけ危険な魔物だ。何とかならないこともないが、経験不足の君たちでは、ハッキリ言って足手まといだ。君たちの命を保証できない」

 

耳に痛い真実を述べ、我々は場を指揮する。

いつもは薄く微笑んでいるカイルが、真剣味を帯びた面様をしているのが、事の重大さを物語っていた。

慎重に、慎重に……冷静に後退りしていくが

 

「やべっ!」

 

シンが散乱した小枝を踏むと同時に、物音が響き渡る。

瞬間、2つの黒の複眼を形作る無数の瞳が、此方に向けられた。

人間などよりも遥かに優れた感覚器官から、逃れる術などありはしない。

羽根を広げて構えた魔物に相対し、我々も各々が武器を取り出す。

背中を見せれば殺されてしまう、もう後には引けない!

 

「仕方あるまい。カイル、トリクシィ。我々だけで相手をするぞ」

 

下手に手出しすれば、彼らも敵と認識されるだろう。

今の彼らは魔物にとって餌そのものだが、逃げる餌に固執するほど、魔物も馬鹿ではない。

 

「さっさと逃げろ。俺たちはお前らを守れねぇぞ」

「……大人しく言う事を聞いて」

 

サイモンたちが彼らに呼びかけるが

 

「皆さんを置いていけませんよ!」

 

コウタローが叫び、要求を拒む。

カイルは怒号を浴びせたが、退く気はないようだ。

 

「キシャアアァ!!!」

 

会話を交わす最中でも容赦なく、魔物は自慢の前腕を振り回した。

ドミノのようにいとも簡単に倒され、轟音を立て崩れていく新緑の砦は、四方八方から一塊の我々を襲った。

 

「これくらいで人間を倒せるだなんて思うなよ。剛の一閃」

「模倣の神イミタ。万物創造の主たる力、我が元に示し給え。ファクシミレ」

 

遠く離れた東の国の刀を繰る戦士が如く、カイルが鞘に収めた剣を引き抜くと、瞬く間に木々を真っ二つに切り裂いた。

トリクシィの詠唱する似せて作れという魔法は、たちまちに瓜二つの蟷螂を生み出すと、死角から放たれた鎌の一撃から我々を守り抜く。

仲間ばかりにいい格好はさせられないだろう。

 

「戦士と魔法、どちらつかずの半端者とはいわせんよ。水の精霊ウンディーネ。森羅万象の生命の根源。偉大なりし御力の一片(ひとひら)を手繰り寄せよう。リクィドウム」

 

唱えると足元から水が噴き出し、すぐさまもう1人のサイモンを創造した。

魔術の才覚を有した魔法使いにはそれぞれ適正があるが、如何様にも姿形を変容させる水の魔法こそが、我には合っている。

 

「さぁ、反撃開始といこうか」

 

魔術によって顕現されたサイモンと本人が杖を交差させると、鉤爪のように湾曲した杖の先が煌々と光を放つ。

仲間たちが目を覆うと水は大蛇の如くうねり、魔物へと向かう。

 

「ギシャアアァ!」

 

だが水の怪物を自慢の鎌が切り裂くと、瞬く間にリクィドウムは形を失っていった。

魔術の精度は悪くなかったというのに、たった一撃でやられてしまうとは想定外だ。

水の魔法、カイルの剣技、トリクシィの生み出した蟷螂。

抵抗にも物ともせず、魔物は執念深く我々を追いかける。

 

「サイモン、何か打開するようなモンはねぇのか! いつも変なもの弄くってんだろ!」

「いや、こんな状況で役に立つようなものなど……わ、や、やめろ!」

 

そういうとカイルは勝手に鞄をまさぐり、ある品を取り出した。

親指と人差し指で中央を握り締め、中指で三枚羽根を弾くと、それはくるくると回転し始める。

 

「ほらほら、これを見やがれ! 怖いだろう! さっさと消えやがれ。《絶命の蟷螂》」

 

喚き散らすカイルに魔物は、万歳をするかのような体勢で威嚇する。

戦況は明らかに《絶命の蟷螂》有利だ。

だが明らかに不可思議な品を自信満々に掲げる、カイルの姿に困惑しているのが見て取れた。

はちきれんばかりに膨らむ腹部は、数々の骸の上に立つ証。

歴戦の経験を経ている魔物だからこそ、この苦し紛れにも意味があるのではないか―――睨み合うカイルと蟷螂の間に重い沈黙が流れた。

臆すればその瞬間、この作戦は瓦解する。

根負けした蟷螂が羽音を響かせ、我々の前から飛び立つと

 

「追っ払ったぞ、コラァッ!」

 

カイルは勝利の雄叫びを上げた。

 

「こ、こ、これは……これは魔物避けだったのだな! でかしたぞ!」

 

遊び道具か何かだと勘違いしていたが、今の使い方を見て我は確信した。

だらしなく口を開いたトリクシィは絶え間なく拍手し、彼を称えている。

 

「だろ、サイモン。これからは天才カイルと呼んでくれ」

「いや、大声を出したから魔物もビビっただけじゃねぇかな……」

 

冷静に状況を分析するシンの台詞は、もう三馬鹿の耳には届かない。

命からがら生き延びた彼らは、誰からともなく冒険を切り上げた。

緑に覆われて殆ど見えなかった空は朱と黒に彩られ、ほどなく静寂の夜が訪れるだろう。

 

「君の顔がまた見られてよかった」

「……無事で何よりです」

 

重い足取りで家の鍵を開けるや否や、妻が我を抱き締める。

ああ、よかった。

今日も何とか生き抜いた。

サイモンが彼女を抱擁すると、何やら胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。

冒険者という職業柄、命を落とす覚悟は常にしてきた。

だがいざ死の間際に直面すると、恐怖が身を竦ませる。

けれどこの日常があるから、非日常でも戦えるのだ。

 

「よかった、よかった……」

「いいから少し休ませてくれたまえ、ウィルマ」

「その前に前金を貰ったと聞きましたよ。見せてくださいな」

「へぇっ?」

 

唐突に訊ねられ、サイモンの背筋に冷や汗が流れた。

いつまでも隠し立てはできそうにない。

切り出しにくそうに取り出すと

 

「……これは?」

 

テーブルに置かれた鎧を身に纏う人形を凝視しつつ、ウィルマは眉を顰めて彼に問う。

 

「あの、その、えーっと、これが前金の代わりに老紳士から頂いた、異世界の品で……」

 

途切れ途切れに真実を伝えるサイモンは、ちらりとウィルマを見遣った。

眉間に皺が寄ると獣が咆哮するように、彼女は彼を叱責した。

これから産まれる子の為にも、金が必要だというのに。

あまりにも自分勝手な振る舞いにウィルマは怒髪天を衝くほどに激昂し、怒りに我を任せた。

言い訳も弁明も、油を注ぐだけだ。

サイモンは押し黙りながら、嵐が通り過ぎるのを待つ。

 

「貴方という人は、いつもガラクタのことばかり考えて……! 今日という日は許しませんよ!」

「や、やめるのだ! お腹の子が流れでもしたら……」

「そうやってやり過ごそうとするのは何度目ですか。もう許しませんよ!」

 

騒がしい一日に相応しく、騒々しく日は暮れきる。

明日になれば今日の禍根を忘れ、元通りになっているだろう。

後日あの3人から手紙が届き、我々への感謝の文字が綴らていた。

これからも苦難は待ち受けているのだろうが、彼らならばきっと大丈夫だ。

 

「ずいぶん信頼されているんですね」

「男の子三人組のパーティだ。間違いは起こらないよ?」

 

妬いたようにぼそりと漏らすウィルマに、サイモンは告げた。

ソファに座る彼女は肩にもたれ

 

「昨日はごめんなさい。不平はありますけど、人を尊重する貴方の側にいれてよかったですよ」

「いや、身勝手でいつも迷惑をかけてしまうな」

「まぁ、それが貴方ですから」

「締めるべき部分を締めてくれる君がいないと、我は生きていけないからな。助かるよ」

 

ウィルマは薄く微笑むと、サイモンが後ろ手を回し、緩やかに時が流れていく。

今までサイモンが積み上げてきた絆が、しみじみと感じられた一瞬だった。




蒐集家の冒険者 サイモン・ベネット

職業·魔法戦士(マジックナイト)
種族·人間(ヒューマン)
MBTI:INTP
アライメント 混沌·中立

異世界からヴォートゥミラ大陸に迷い込む人物や奇妙な品々に、並々ならぬ興味関心を寄せる蒐集家の冒険者。
異世界の品を金に糸目をつけず購入し、元冒険者の妻ウィルマから事あるごとに叱られているが、懲りない様子。
知的好奇心旺盛で魔法の研鑽にも熱心であり、地道に魔法を研究した結果、魔法を習熟した戦士とギルドに認められた。
趣味が高じて異世界の言語を理解し、異世界人に関する依頼が彼に舞い込むようになり、充実した日々を送る。
仲間の冒険者の剣士カイル、魔法使いトリクシィとは数年来の付き合い。
全盛期も過ぎた後も持ち前の知識を生かして、冒険者らに同行。
後年にヴォートゥミラの奇話を書き記した文献を執筆し、好評を博した。


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