ヒカルの碁並行世界にて (A。)
しおりを挟む

第一話

進藤ヒカルは漸く念願の本因坊のタイトルを手に入れていた。塔矢アキラを差し置いて、これで七冠になる。息つく暇も無くカメラのフラッシュと記者達の聞きとり取材を受けながら、佐為への気持ちに浸っていた。

 

佐為と別れてからずっと、虚無感を抱きながら対局を続けていた。対局をする事によって、その中に佐為が居ると感じる事は出来たのだが、どうしても喪失感を拭えなかったのだ。

 

しかし、逆に僅かでも存在を感じる事が出来る囲碁にどこまでものめり込んでいった。ひたすら上に上にと、極めていったのだ。

 

(これで神の一手に近付けたのだろうか……)

 

目を伏せながら考えるも未だに答えは出なかった。そのまま、その日は深い眠りについた。どこまでも深い眠りに。

 

 

◇◆◆◇

 

 

「ヒカルー! 朝よ、起きなさい!」

 

「う……ぅう」

 

「ヒカルー! 降りてきなさいよ、いいわね」

 

誰かの大きな声で起こされる。意識を取り戻してベットで体を起こす。やけに見覚えのある場所だ。どこだっただろうか。まだ頭が回らない様だ。

そのままぼーっとしていると、階段を上ってくる音が聞こえ、ドアが開かれる。

 

「全く、降りてきなさいって言ったのに…朝ごはん、出来ていますからね!」

「えっ、母さん。若返ってる」

「何を言っているの、寝ぼけているのね、顔洗ってらっしゃいな」

「あ、あぁ、分かった……」

 

目の前に居たのはかつての母の姿だ。いや、でも最早、婆さんといっても過言ではない容姿になっていた筈なのにどうしてだろう。ヒカルの脳内は疑問符で一杯だ。取りあえず、言われるがままに顔を洗う事にする。一階へ移動し、洗面台を見て改めて驚愕の声をあげた。煩いと再度、母に窘められるもそれどころじゃなかった。

 

「俺も若返ってるの?! 何でっ!!」

 

鏡に映っている姿。それは、小学生の頃の進藤ヒカルの容姿そのものだったのだ。夢かと思い、頬を抓っても痛いだけ。無論、目を覚まそうと冷水で顔を洗うも、逆に頭がハッキリした位で現状に変化はみられない。

 

いつまでもリビングにやってこないヒカルに痺れを切らした母に再び呼ばれるまで、微動だに出来ないのであった。

 

朝食を食べ、家に迎えに来た藤崎あかりに連れられ学校へと向かう。

 

「でね、昨日の先生の宿題が難しくて、特に算数の問題がもう大変。すっごく時間がかかっちゃったんだから。ヒカルってば、ちゃんとやってきた?」

 

「んー」

 

間違いない。藤崎あかりも幼くなった頃そのものだ。完全に逆戻りをしている。自分が小学校へ向かっている事といい、信じられないが間違いない。余りの非常識な出来ごとに返事が自然と生返事になってしまう。

 

「ヒカルの事だから、どうせやってないんでしょう。先生に怒られても知らないんだから!」

 

「あぁ、そうだな」

 

「ど、どうしちゃったのヒカル。普段なら、宿題見せろよとかって言うのに」

 

「そうだったっけか」

 

「そーよ。もう、変なヒカル」

 

信じられないという眼差しを受けるが、信じられないのはこちらの方だ。しかし、もしかしたら自分がタイムトリップをしてしまったというのなら佐為が、この時代に居るかもしれない!! ヒカルは高ぶる気持ちを必死で押さえつけていた。

 

本来ならば今すぐにでもじーちゃんのお蔵へ飛び込みたい。しかし、成長をした精神年齢が邪魔をする。碁盤は逃げない。そもそも気持ちの整理がついていない。しっかりと落ちついてから行くべきなのだと。

 

そのまま行っても学校をサボり叱られる事になるのだから、放課後に行けば済む話だと訴えるのだ。

 

叱られてもいい、今直ぐ行くべきだという気持ちと葛藤し、じりじりと胸を焦がす。終始、あかりの言葉など右から左に流す形となり、訝しげに思われるのであった。

 

 

◇◆◆◇

 

 

(終わった。長い、長すぎる。これなら本当にサボって行けばよかった)

 

久しぶりに受けた学校の授業はこれほどまでに長かったのかと思う。時間が過ぎるのが兎に角遅く感じられたのだ。

 

ちなみに理科の問題を答えたら先生やクラスメイトに驚愕された事も、昼休みにドッチボールに誘われたのを断ったら、頭でも打ったのかと言われた事も、どれもが些細なことだ。

 

放課後のHRが終わった途端、ダッシュで教室を後にする。あかりが帰りも一緒に行こうと誘ってくれる気はしたのだが、どうしても待っていられなかった。後日の埋め合わせで許してもらおうと思う。

 

ランドセルのまま只管道をかけていく。じいちゃんの家に到着した時には既に息絶え絶えだ。

 

「どうかしたのか? そんなに慌てて一体どうした」

 

「げほっ……く、蔵」

 

「蔵?」

 

「げほっげほっ、お蔵の中、見せて!」

 

「まぁ、いいいが…おい、ヒカル」

 

許可を得ると、もどかしさをそのままに言葉の途中で蔵まで駆け込む。やっぱり何もかもを後回しにして真っ先にここへ来ればよかったと後悔をしながら。

 

「佐為! 佐為! いるんだろ」

 

蔵の奥へと声を運ぶが返答はない。木製の梯子を登る。一段一段足を運べば運ぶほどに期待が高まる。

 

片隅に碁盤を見つけた途端、胸が震えた。ずっと失っていたものが戻ってくる感覚。一歩一歩を踏みしめ、確実に向かっていく。

 

「俺、お前と話したい事が沢山あるんだ。というか、そもそも説明が必要だよな。っつっても、俺も良く分かっていないんだけど奇跡が起きたのかもな。あ。勿論、沢山打たせてやるさ。安心してくれよ」

 

呼びかけながらも返答は無い。ただ、それは碁盤を見ていないからだと言い聞かせて。

 

「佐為?」

 

しかし、無情にも目にしたものが現実を突き付けてくる。

 

―――碁盤にシミが存在しなかった。

 

慌てて駆け寄り四方八方から確認するも間違いではない。シミの痕一つ見つからないのだ。

 

「は、ははは。冗談だよな。お前に会えないなら何で、戻ったんだよ。そんな意味、まるでないじゃないか」

 

その場にへたり込む。幾度も碁盤をなぞるも、シミが浮かび上がる事は無かった。

 

「ちくしょう。お前の存在だけがなくなっちまうなんて、そんな事があっていいのかよ……」

 

「おーい、ヒカル。おまえ来て早々、蔵に何があるっていうんだ。せめて挨拶位していけ。せっかく久しぶりに来たんだからな」

 

下からじーちゃんが声をかけてくるも、とある決心をしたヒカルには届かない。両手の拳を握りしめて、決意が口から零れ落ちる。

 

「認めねぇ。佐為の存在がこの時代の世界に欠片もいないだなんて、絶対に嫌だ。俺の手で、いや、俺の影から感じとってくれるだけでもいい。佐為の痕跡を残して見せるんだ!」

 

その目に、最早悲壮心は残っていなかった。虚無感や喪失感を持った少年の姿はどこにもない。目標に向けて野心を燃やすそんな人物が俯いて座り込んでいた。

 

 

◇◆◆◇

 

 

(まずは確か碁会所だっけか。塔矢アキラに会わないとな)

 

佐為の存在を一番最初に体感した人物だ。佐為ではなく自分だと力不足かもしれない。が、間違いなく誰よりも佐為の力を受け継いでいると自信を持って言える。

 

目指すは塔矢行洋が経営する碁会所だ。しかし、その前に日本棋院会館へ向かう。売店で扇子を買いたかったからだ。夢の中で一度だけ再会した佐為から扇子を渡された思い出は今でも鮮明に覚えている。この時代の世界でもそれを再現するのに変わりはない。

 

(えっと…確かこの辺の……あった。この場所のを買ったんだった)

 

今までこの時代のヒカルが貯めて来た貯金を全て持って来たので何とか買えるだろう。本当ならばしっかりとした碁盤も買いたかったのだが、許されなかった。所持金全部でも購入は不可能なため、母にお願いをしてみたのだが、どうせ直ぐ飽きるのにそんな高い物をだなんて駄目と全く信用されなかったためだ。

 

「おねーさん。これ下さい。あ、タグを取ってそのままくれたら嬉しいな」

 

「あら、おねーさんだなんて。うふふ、ありがとう」

 

売店の販売員が上機嫌で扇子とお金を受け取った。子供は正直だ。そんな子供からおねーさんと若くみられた事が気持ちを浮かれさせるのに一役買った。

 

「ありがとうございました」

 

満面の笑みで見送られ、ヒカルはこれで準備万端だと意気込んだ。

 

(よぅし、いっちょやりますか)

 

容姿に引っ張られる様にこの時ばかりは腕まくりもして、子供力全開だ。足取り荒く日本棋院会館を後にしようとロビーへ差しかかった時、背後から声がした。

 

「ふぉっふぉっ、やけに世辞が上手い小僧じゃな」

 

「く、桑原本因坊?!」

 

「あの販売員はな。実は長年勤めているベテランなんじゃ。一柳の奴のあの喋りを上手くかわすことの出来るトークスキルと愛想笑いの鉄壁さを兼ね備えておる。にも関わらず、初対面で気に入られるとは中々やるのぅ」

 

恐らく、偶然なのだろう。桑原がヒカルにわざわざ話かけに来たのは。今日は偶々機嫌が良い日だったのかもしれない。しかし、ヒカルはこのチャンスを逃すつもりはなかった。

 

(もし、佐為だったら強い人と対局する機会を逃すなんて絶対にしない筈だ)

 

買ったばかりの扇子を握りしめる。自分で決めた事だが、佐為の代わりになれるかどうかという重圧がのしかかる。

 

「あのっ、俺と対局してくれませんか?」

 

直球で切り込む。何故なら遠まわしに「お時間ありますか?」なんて聞いた所ではぐらかされるに決まっているからだ。からかわれるだけに終わるなんて事も大いにありうる相手だ。

 

「ふむ、どうしようかの」

 

即答で拒否はされなかったものの、思案している様子だ。このままだと断られるかもしれない。ヒカルは勢い込んで言った。

 

「損はさせません」

「ほほう、得をすると。得をするなら、見逃すのも惜しいの。ならば、どうじゃ。そこのソファに腰かけて目隠し碁をするというのは」

「目隠し碁、ですか?」

「左様。わしに損はさせないんじゃろう?」

 

桑原本因坊の目にはからかいの色が浮かんでいる。どっちに転んでも面白いから良いというスタンスに違いない。

 

目隠し碁をする実力がないのなら、怖気づくに決まっており本因坊に損をさせないといった発言は即子供の戯言で片付けられる。盛大に言葉で遊んでもらえるだろう。

 

もしも、目隠し碁が可能であるなら、そこそこの打ち手という事になる。それならば、得かどうか蓋を開けてみなければ分からないがその棋力で楽しい碁が打てる。

 

しかし、本因坊のタイトルを持っている桑原相手に、大言を吐くのだ。受けた場合には、からかいの気持ちは消え、逆の期待に相当するかもしれない。

 

つまり、目隠し碁は一種のボーダーラインと言えよう。

 

問われている中、ヒカルの答えは勿論「YES」だ。あっさりとそのボーダーラインを飛び越える。

 

「うん。損なんてさせたりしません。よろしくお願いします」

 

間など必要ない。瞬く間に返答をしていた。それに桑原の目が見開かれる。何の躊躇もなかったからだ。

 

「ならばよかろう。小僧、座るといい」

「はい」

 

二人はそのまま移動する。四人掛けのソファに向き合って座る。その間に碁盤は無い。

 

「お願いします」

「お願いします」

 

未だ対局は開始されていないにも関わらず、ヒカルは桑原の気迫につつまれる。しかし、どこか佐為の存在をこれから刻みつける事が出来ると思うと自然と体の強張りはない。寧ろ、ワクワクとした気持ちになる。

 

それが表情に表れていたのか桑原は、こやつ只者ではなかったのかもしれん……と評価を改めていたのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

ヒカルの予想に反し、桑原は油断など全くしてこなかった。じっくりと手堅い打ちまわしだ。間違っても子供相手にする打ち方ではない。

 

当初、指導碁としての対局になるかと思われた。しかし、結果はどうだろう。慎重さを重ねながらも、虎視眈々と此方を狙っている。甘い手を打ったりしたならば、瞬く間に噛みつかれるだろう。

 

どこまでも真剣に打ってくれる。それが今、子供の身分であるヒカルにとってどれほど貴重な事か。

 

自然と心が躍るのを感じる。解放感に満ち溢れているままに、ここならば佐為ならこう打つだろうと思う一手を宣告する。

 

向き合う桑原が唸る。眉根を寄せ、沈黙が続く。長考だ。

 

暫くの時を要してから次の一手を告げられる。その後は、流れる様に決着がついた。

 

「……ワシの負けのようじゃの。小僧、何者じゃ?」

 

「えっ、いや、その何者とか言われても」

 

「ひゃっひゃっひゃ。わしに勝っておいて、只者という訳はあるまいて。まぁ、何者でも構わんよ。その代わり、ワシとまた打ってくれんかのお?」

 

疑問形にも関わらず、眼力が肯定以外を許さない。そんな凄みがある。

 

「はい、俺でよければ」

 

「安心せい。その年齢に全く見合わない威圧感の正体も、その強大な棋力の由縁も聞かずにおくからの。まぁ、小僧のことじゃ。聞こうとした所で逃げるじゃろ?」

 

「えーっと」

 

佐為の力は示したいが説明をつけられない。今のヒカルならば全力で子供の特権を活用してしらばっくれる、それを見越しているらしい。桑原はにたりと笑むと、名前を聞いた。

 

その後、桑原と検討をして、連絡先を交換し別れると日は傾いていた。もうすっかり日没だ。今日はもう碁会所に行くのは諦めた方が良いだろう。それ所か門限に差し掛かりそうになっている。そのままヒカルは慌てて帰路についた。

 

 

◇◆◆◇

 

 

翌日、学校で放課後あかりの誘いを断る羽目になり抗議されてしまった。

 

「ヒカルってば、そんなにコソコソどこいくのよ!」

「コソコソなんて人聞き悪い事いうなって。予定があるんだよ」

「どんな予定?」

「碁会所だよ。囲碁を打つんだ」

「碁っておじいちゃんとかがやってる奴の事?」

「そーそ」

「ヒカルが出来るの? 面白い?」

「そりゃ面白いさ。大体、俺って強いんだぜ」

「えー」

 

冗談めかして言ってみたせいか、全く信じていない様子だ。今日も朝の登校の会話や授業中、当てられた算数の問題をあっけらかんと解答してしまった事もあって、あかりはヒカルの違いに一番に気付いているが囲碁の事は初耳だ。

 

仲の良かった男子の急な意外性のある発言や、学習状況の変化は有り得ることかもしれない。しかし、今までサッカーやバスケットボールなどアウトドア志向の趣味ばかりしていた筈が一転し、囲碁という全く未知のものに熱中していたなど晴天の霹靂だった。

 

だからこそ、あかりは躊躇わずヒカルに詰め寄る。

 

「私も行く! ヒカル連れてって」

「えええええ。お前が?」

「何よ。いいじゃない」

「別に構わねぇけど、ルール分かんないんじゃ、暇だと思うぞ」

「いーの」

 

許可を出したとたんに上機嫌になるあかりに、ヒカルは苦笑した。ここまで喜ばれるとは思わなかったのだ。予想外の展開となったが二人で碁会所へ向かう事となった。

 

囲碁サロンの扉を潜る。目の前には年配の人物ばかりが碁を打っている姿が見られる。あかりは心細いのか後ろからヒカルの服の裾を握っていた。

 

ここへ来る間際から徐々に心配ばかりするようになり、やっぱり帰ろうよと発言をしており消極的姿勢だったのだ。大丈夫だからまかせておけって。と、ヒカルが堂々とした様子なので恐る恐る付いてきた。

 

ビクビクした様子を見て、安心をさせる様に優しく市河が話しかけてくる。

 

「ここに来るのは初めて?」

 

「うん、そうなんだっ」

 

ヒカルは成るべく年相応に見える様な話し方を意識して答える。なにせ、昨日の検討の時、桑原と熱中して話過ぎたため、地が出てしまったのだ。容姿に見合わない不自然なまでの完璧な大人の受け答えだ。

 

すると、「なんとも年にそぐわぬ話し方よ。小僧、それも隠した方が良いんじゃろ?ひゃっひゃっひゃっ」と指摘を受けたのだった。

 

それ以来、子供っぽくを脳内に意識して話す事にしている。ちなみに、母は見事にバレなかった。しかし、機嫌にムラッ気がなく落ちついた様子や、小言を口にしても反抗心から怒ることなく受け入れる姿は珍しいと言われてしまい、難しいと困った事位だ。

 

だから成るべくテンションを上げて返答をする。これで、明るい子供と思ってくれないだろうかという計算を込めて。

 

「あら、元気な子ね。ここの席料は五百円よ」

 

「うん、分かった。あ、隣のコイツは見学だから無しでいいかな?」

 

そのまま学校から来たため、あかりが金銭を用意していない事は想像がつく。もしも、断られればヒカルが纏めて払う心づもりだ。

 

「えぇ、いいわよ。彼女、可愛いわね」

「だろ。クラスでも人気なんだぜ」

「ええっ。ちょっと、ヒカルってば何言い出すのっ」

 

市河は軽くからかうつもりだが、あっさりと流されてしまい、逆に自慢をされてしまった。話題の種である彼女の方が何ともほほえましい反応を返すので、くすくす笑ってしまう。

 

「はい、じゃあここに名前書いて。棋力はどれ位かしら」

 

「えーっと。そーだなぁ、分かんねー。こっちに来てから比較対象が……っと、あ!あー…駄目だ。でも強いと思うよ、ウン」

 

この時間軸の世界にやって来てから、比較対象が居ない。勿論、頭には桑原が浮かんだのだが、真剣に勝負して貰ったとはいえ全力の本気の勝負とはいえないものだ。更に、それを抜きにして本当の事を告げた所で、市河には子供の冗談としか受け取って貰えない。

 

結果として、正直に言ってしまおうかと思ったのだが、濁す形になってしまった。

 

市河はこの年の子供にしては達筆な字を書くのね、と感心しながら自信家なんだとも思う。

 

「へー強いなんて君、アキラ君のレベル位あったりして」

 

だからこそ、冗談で口にした一言だった。しかし、それに噛みついた人物がいる。

 

「けっ、若先生レベルなんてある訳がねぇ」

「北島さん、落ちついて」

 

痩せ身の老人男性。常連客の北島だ。ここを訪れる塔矢アキラのファンである北島にとって、棋力をアキラレベルと聞いては黙ってはいられなかったのだ。丁度、広瀬との対局を打ち終わっていた事もあり、受付カウンターまですっとんで来た次第だ。

 

「坊主、自信があるのは分かるが、若先生レベルと偽るのはいただけねーな」

「北島さん、あれは私が勝手に言った事でこの子とは関係がない事よ」

 

市河が窘めるも効果が見られない。ヒカル相手に近づき凄んで見せた。あかりは完全に怯えてヒカルの後ろに隠れこんでしまう。また、北島が大声をあげた事で、なんだなんだと他の客も集まりだした。

 

塔矢アキラと打つはずが、その前に思わぬ壁が立ちはだかってしまった。この騒ぎをどう抑えたら良いのか悩むヒカルだが、このままだと打てずに追い返されてしまうかもしれない危険性もある。せっかく来た意味がなくなってしまう。

 

北島はヒカルの棋力が不足していると考えているのだ。ならば、レベルは充分にあるのだと伝えれば良い。要は、単純明快に打てば良いだけの話なのだ。

 

「じゃあ、俺と打ってよ。そうしたら実力が分かるでしょ」

「おぅ、言い度胸じゃねぇか。乗った」

「おいおい、子供相手に何を言うんだね」

「そうだよ。幾らなんでも大人げないよ、北島さん」

「面白そうじゃねーか、やっちまえ」

 

周囲は北島を抑える声が五割、ノリノリで対局をすすめる者が三割、残りの二割は傍観の構えである。どうやら、窘めてはいる者の中にも碁会所にちょっとした刺激がもたらされたと考えている様だ。

 

どこか楽しそうな眼差しがヒカルに注がれる。騒ぎを起こした事が、アキラとはまた変わっていると思われたらしい。

 

「北島さんと打ったら、私が相手してあげようか?」

「おー。若い子と打つとはいいな。ワシも教えてあげるよ」

 

ヒカルに好意的な大人も多い様だ。対局の申し込みがくる。しかし、受けてしまってはそれこそ本末転倒だ。だからこそ、ヒカルは笑顔で答えた。

 

「じゃあ、皆と打つよ」

 

理解が出来ずに取り囲む大人が疑問符を浮かべる。それを気にせず、ヒカルは良い考えだとばかりに宣言した。

 

「俺と多面打ちしよう!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

画してヒカルの一言は騒動を引き起こした。主に、北島がいきり立つ方向へだが。皮肉を存分に込め良い度胸だと発言すると、多面打ちのメンバーを集め始めたのだ。

 

それだけではない。どこまでも余裕の姿勢を全く崩さなかったのも予想外の展開へと話を進めてしまったのだ。当初はそのまま対局の流れに向かう筈が、ヒカルが付け加える様に「あ。置き石、置いても良いから」と爆弾発言。

 

場の沈黙を呼ぶと共に、その直後に大きな波紋を呼んだのだった。

 

「君、辞めておくなら今のうちだよ。完全に止めようがなくなる前に」

「辞めるつもりはないから大丈夫」

 

北島の挑発に挑発で返したが故にとうとう引っ込みがつかなくなったのではないかと心配してくれる人を安心させる言葉を返すと北島が割り込んでくる。

 

「けっ、今更後悔したって知るかってんだ」

「後悔もしないさ」

 

結局ゴタゴタの末に、置き碁になっても怯む様子は全くない。そんな堂々とした様子に周囲の人たちは面食らったらしい。顔を見合わせて相談をし始める。無謀な置き石を用いた多面打ちの宣言だったが、意外と実力を持っているのではないか、と。

 

そして、その答えを明らかにしてくれる対局が始まった。

 

ヒカルの相手は五人だ。もっと多いかと思っていたヒカルは内心で肩透かしを食らった。完全に拍子抜けと言っていい。しかし、顔には出さず只管マイペースで打っていく。

 

時間経過と共に徐々に明らかになっていく戦況に真っ先に反応を示したのは広瀬だ。

 

「あれ、これってギリギリで負けてる? 良い線行ったと思ったんだけどな」

「…………」

 

終局になり整地をすると、はっきりと白石と黒石が同数に分かれている。持碁だ。

 

「おしい。持碁か、もう少しだったのに」

 

広瀬が結果を口にすると同時に端の席の者が反応しだした。

 

「えっ、そっちも!?」

「そっちもということは持碁だったんですか?」

「あぁ」

 

自然と残る対局をしている三人に注目が集まる。当のヒカルといえば、素知らぬ顔をして淡々と打っている始末。年齢に全く見合わない態度である。どの盤面も差が見られるものの、徐々に調整され両者どちらが勝っているのか分からなくされていく。

 

「ありゃ、こりゃ凄い。こっちも持碁だったよォ」

「何感心してんだ! この坊主に一泡吹かせようって気概はないのか」

 

また一人と終わりをみせた碁。両の膝を打って賞賛を送る様子を見て北島が渇を入れた。しかし、他の盤面も既に決着はほぼ付いている。挽回は難しい。また一人終局をした。

 

「見事なもんだよ。ここまで来ると後は北島さん一人だね」

「絶対に勝ってやる!」

 

意気込むものの、手が空中で泳いでいる。次の一手がなかなか打てないのだ。どこへ打っても、既に読まれていて即座に切り返しがくる……そんな気がしてならない。

 

追い込まれている心境を薙ぎ払うかの様に一手を打つ。しかし、ヒカルの思惑は崩せずに終わりを見せたのだった。

 

―――五人全員が持碁。

 

この結果には、流石の北島も最早ヒカルの実力を認めざるを得ない。がっくりと項垂れる。どうしても納得のいかなさから小さく唸り声をあげ、悔しさは滲ませているものの、もう噛みつきはしなかった。

 

事の成り行きを見守っていたギャラリーから歓声が上がる。拍手を受けながらも一人一人しっかりとお礼を述べる様は、とても小学生とは思えない。

 

ずっと心配そうに見ていた市河は、アキラ君といい最近の小学生ってこんなに凄いのかしらと疑問符を浮かべていた。すると、横から小声で藤崎あかりに話しかけられる。

 

「ヒカル、あんなに褒められているけど、勝ったんですか?」

「いいえ、引き分けよ」

「引き分け? なのに凄いんですか?」

「そうよ。複数の人相手に持碁にするなんて本当に彼、強いんだわ」

 

連れの彼女の方は余り、囲碁に詳しくないらしい。実力を示し、北島を黙らせた事まで理解が及んでいないのだ。せっかくの彼の活躍なのに、知らないなんて可哀想かもしれない。市河はそう判断し、成るべく分かりやすく説明をする。

 

「一体、どうしたんです?」

 

そんな時だ。賑やかさが奥の方まで伝わったのか―――塔矢アキラが登場したのは。

 

「あ、塔矢アキラ。俺、お前と打ちに来たんだ。良かったら対局してくれねぇかな?」

 

ヒカルにとってはチャンスだ。折角のこの機会を逃す訳にはいかない。

 

「えっ、僕と?」

「そう。お前」

 

アキラは突然の指名に面食らっているようだ。嫌ではなさそうだが、戸惑っている。しかし、ここで北島が介入してきた。

 

「若先生! 是非とも敵を打って下さい。この坊主にしてやられました。五人全員持碁にさせられたんです」

「五人全員……君、強いんだね」

 

この段階で、アキラに変化がみられた。純粋に棋力のある者を凄いと褒める真っ直ぐな眼差しになったのだ。ここまで純粋に見られると、どうにもくすぐったい。

 

「なぁ、駄目か?」

「ううん、いいよ。せっかくだし、中央で打とうか」

「え、あー……まぁ、いいけど」

 

アキラはギャラリーを気にしない性質なのをヒカルはすっかり忘れていた。現在、碁会所の関心を一心に集めた状況で、じゃあ解散します。と言えないものかもしれないが、まさか全ての人達を引き連れて対局する羽目になろうとは。

 

「君はもう知っているみたいだけど、僕は塔矢アキラ。君は?」

「進藤ヒカル。よろしくな。あ、互先でいい?」

「勿論。進藤君の棋力は良く分かったから、置き石はなしにしようか」

 

自己紹介をするも、ヒカルは進藤"君"と言われた違和感に噴き出してしまった。

 

「ちょ、待てよ塔矢。頼むから進藤君は辞めてくれ。普通に進藤でいいから」

「そう? 分かった。じゃあ、進藤がニギって」

「了解。……お! 俺が黒な。お願いします」

「お願いします」

 

無論ここでヒカルは指導碁を打つつもりでいた。幾ら相手が塔矢アキラといえど、小学生にまで戻ったのだから余りに棋力差があるためだ。

 

ただ、佐為と一番最初の対局の際では、アキラへ遥かなる高みから力量を図る一手を繰り出した事がある。更に記憶の中で、優しく考慮した碁をするつもりが、途中で変更を余儀なくされた場面もあった。そう考えると下手に甘く見るのは、命取りになると考える。

 

予想外だった事が一つある。上記の通りヒカルが子供でも塔矢アキラは塔矢アキラだと思っていたことだ。実力者だと全く疑わなかった点である。

 

つまり、例え子供であろうとこの程度の実力はあるだろうとヒカルが判断して繰り広げられた考えは、非常に甘かったのだ。そう―――予想よりも未だ実力が身についていない状況だったのだ。

 

その判断の差は塔矢アキラが身を持って体感する事となる。あっと言う間に形勢は傾いていく。どこまでも続く黒の有利。

 

アキラの目が余りの圧倒的な実力の差に絶望に彩られるまで、そう時間は必要とされなかった。

 

俯き、震える手で打ちながら何とか石が生きる道を生み出そうとするも全て潰されきっている。

 

「………あり、ません…」

 

アキラの中押し負けだった。ここまでの明白な実力差に、周囲の人々が息を呑む。結果を目の前にして尚、信じられない気持で一杯だったのだ。ヒカルの勝ちが決まっても、誰一人声を掛ける事も、動く事も出来なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

PCに残っていた分があったので投稿します。


あの気まずいまま家に帰ると、ヒカルはつい手に取ってきてしまったチラシをぐしゃりと握りつぶした。手の中には子供囲碁大会と明記されている。

 

体をくの字に折り曲げ机に額を押し付けたまま唸ると方針を決める。子供大会には行かない。せっかくの大会に水を差す真似はしたくないし、塔矢の様子は気になるもののヤブヘビになることだけは避けたかった。

 

というより、色々理由をこじつけたものの、ヒカルが知っている塔矢アキラであるのなら、そこから必ず立ち直っている筈という意識が強かった。

 

しかし、その後も大丈夫だからそっとしておこうと思ったのとは裏腹に囲碁サロンの方へと足が向く。何をするまでもなくぼーっと眺めていた時だった。

 

不意打ちで人ごみの雑踏から目が合った。

 

「おが、緒方さん?」

「君っ!」

 

あの白いスーツ姿は見間違えるはずがなかった。何で緒方さんが? と思考が回るとハッと我にかえる。この展開はマズイ!

 

このまま連行されたら塔矢名人と対局になる。確かに名人との対局は望む所だけど、何もあんな気まずい雰囲気の残る場でやることはない。もっと違う、ちゃんと本気と本気でぶつかり合える場所がいい。

 

ヒカルはそう考えるや否や、背を向けて逃げ出した。待て! と呼び止める声を全力で無視して走り出す。大人げない本気の鬼ごっこが始まった。

 

人ごみに紛れながら隠れようとするものの特徴的な前髪が目立っているのか、緒方がこちらに徐々に近づいている。

 

もうダメだ。と思ったときだった。視界の端に、見慣れた人物が目に入った。―――桑原本因坊だ。

 

見つけた瞬間、咄嗟にそのまま桑原の後ろに隠れていた。そこへ間一髪、息を切らせた緒方が駆けつける。

 

「おや、緒方君じゃないか。君も暇な奴じゃのォ」

 

「そんな訳がないでしょう。その後ろの子供に用があるんです」

 

「小僧に?すまんな。こやつは、これからワシと約束があってな」

 

わざとらしく小首を傾げながら告げる桑原に対して、慌ててヒカルも平然とした顔をしながら頷いてみせる。

 

(このジジイ。これみよがしに隠しやがって。やはり、この子供には何かあるのか……)

 

緒方はそう感じながらも手出しができなかった。渋々といった風体で去っていくと、ほっとヒカルが息をついた。

 

「ある意味災難じゃったな、小僧。緒方くんは、あぁ見えてねちっこい」

 

「はぁ……しかし、助かりました。ありがとうございます、桑原本因坊」

 

「ふひゃひゃ。固い却下じゃ。なに、ジジイで構わんよ」

 

「じっ?!」

 

余りな言い方に固まっているヒカルに桑原は愉快そうに笑っている。

 

「代わりにワシもヒカルと呼ぶでの」

 

「桑原のじーさんって呼ぶの? 俺が?」

 

「中々良い呼び名だと思わんかね。 で、じゃ。緒方君に説明した手前、一局打ってから帰らんか?」

 

ウキウキとしたオーラを微塵(みじん)も隠さない桑原にヒカルも釣られて苦笑した。

 

連れて行かれたのは誰も居ない碁会所だった。桑原の友人の物らしく、既に碁会所を閉めてしまった場所らしい。合鍵まで渡され、腕が錆びない様にしばしば鍛錬も必要じゃろうて。と朗らかに告げるこの人物はどこまで見通しているのだろうかとヒカルは考えるも、想像がつかず、そのまま有り難く頂戴するに至った。

 

◇◆◆◇

 

「ヒカル!」

「ん? なんだよあかり」

 

ある日、公園で気晴らしをしているとあかりに呼び止められた。

 

「最近、碁にハマっているの?」

「まーな。意外と面白いんだぜ」

「ふーん」

 

あかりは半信半疑な様子だ。今までのヒカルを思えば無理はない。しかし、気を取り直すと洋服のポケットからチケットを取り出した。

 

「これ、たこ焼きのチケットなんだけど、お姉ちゃんの中学校で創立祭があるんだって。一緒に行かない?」

「おう。じゃあ、今度の日曜に葉瀬中の門の前で待ち合わせな」

 

あっさりとヒカルが頷いて見せるとびっくりしたのか未だあかりはポカーンとしている。大丈夫だろうかとヒカルが顔の前で手を振ってやると今度は顔が赤くなった。

 

「待ってるから、きっと来てね! きっとだよ!」

「そんなに心配しなくたってすっぽかしたりしねぇよ」

 

そんなやり取りをして日曜日。門の前で待ち合わせをして、創立祭の屋台を回る。お目当てのたこ焼きが食べることが出来てヒカルは幸せそうだ。そんな機嫌の良い様子をみて、あかりも同じくにっこりとして幸せそうである。

 

二人は歩き回ると、各部活がやっている屋台のブースへと向かっていた。

 

「あれって、ヒカルが好きな囲碁じゃない?」

「おっ、そうだな。良くわかったな、あかり」

「えへへー」

「けど、あっちにも色々出てるみたいだ。行くだろ?」

「えっ、ヒカル。囲碁やってるのに行かないの?」

「…………行っていいのか?」

「うん」

 

一応これはデートなのだ。囲碁が好きで好きで堪らなくても、この時ばかりは若干控えようと考えていたにも関わらず、あかりはあっさりと頷いてみせた。

 

「サンキューな」

「ううん。だって、ヒカルは囲碁が好きなんでしょ。気にしないで!」

 

その会話を聞いていたちょうど、挑戦をしていたおじさんが微笑ましそうな顔をして席を譲ってくれた。

 

(筒井さん若い!)

 

「詰碁の正解者に景品をあげてるんだ。挑戦しますか?」

 

「挑戦する。けど、やるなら一番難しいのがいいな」

 

周囲が沸いた。ボウズがやる気だ!やら、無理だからやめておけ!やら声を掛けられるも、ヒカルは堂々としている。逆にあかりが心配そうだ。そんなあかりに大丈夫だって、と一言告げると改めて碁盤と向き合う。

 

思考をしようとして影が差したことに、ヒカルは逆に気を引き締めた。そして、有無を言わさずタバコを碁盤に押し付けようとした手首を握って直前で止めてみせる。

 

加賀は目をぱちくりさせていたものの、その後大声で急に笑いだした。

 

「何だよ、お前。良い反射神経してんな。けど、囲碁なんて辛気くせーもんは辞めちまえ」

 

「君、良く加賀をとめてくれたね。ありがとう」

 

「いえ、どういたしまして」

 

「かーっ。何で囲碁なんだよ。将棋の方が1000倍オモシロイのによ」

 

そこからの加賀はマシンガントークだった。碁を石ころの陣地取りと表現してみたり、囲碁部の実情を並べ立て、条件次第で出てやってもいいぜと言い出してみたりと主張をしている。

 

「さっきから黙って聞いてたけど、何言ってるんだよ。囲碁の方が将棋の1000倍オモシロイぜ」

 

あれだけ上機嫌に笑っていた加賀の笑が止まった。徐々に無言になり無表情になり凄んでみせるも、ヒカルは一向に譲らない。

 

「フン、ならこうしようぜ。対局で決着を付けるとしよう。オレは将棋だけじゃなく碁も打てる。そんなに大口を叩くんなら、当然オレには勝てるよな?」

 

「勝てるさ」

 

「言ったな? お前が負けたらオレの言うことを聞いてもらうからな!」

 

「それはこっちのセリフだぜ」

 

両者の間でバチバチと火花が散った。どちらも譲らず、売り言葉に買い言葉の状況を筒井とあかりがハラハラとして見ている。そんな中、対局が始まった。加賀は強いものの、ヒカルの方が圧倒的なまでの実力がある。

 

形成は明らか。中押し勝ちでヒカルに白星だ。

 

「ぐ……っ。悔しいがお前の実力は確かだ」

 

心底悔しくて仕方ないという加賀に、ヒカルは追い打ちをかける。

 

「負けたら言うことを聞いてくれるんだよな?」

 

「…………あぁ、二言はねぇよ」

 

「じゃあ、囲碁部の団体戦の大会に出てあげてよ」

 

「は?」

 

「だから…―」

 

「いや、意味は分かるが」

 

理解が出来ないという風に頭をかく加賀。俺なら真冬のプールに飛び込ませたりするが。とぼやいている。ちなみに、横で筒井がヒカルの優しさに感動をしていた。

 

だが、ここで黙ってやられているのは加賀のポリシーに反した。なので、

 

「分かった。賭けに負けたんだ。このオレが囲碁の団体戦に出てやる。けどな、ちゃんと出たのか見届ける役が要るよなぁ~」

 

『え?』

 

ヒカルと筒井の声が被った。

 

「ってな訳だ。お前も出て見届けろ!!」

 

将棋と書かれた扇子を突きつけられて、ヒカルは複雑そうな顔をした。別に普通に観戦しに行くよと言いたいのだが、何だかんだで囲碁部に関われるのは嬉しいのだ。加賀の思惑通りにことが進むのが微妙なだけで。

 

「筒井! お前も頼め。コイツが居たら大会優勝も夢じゃねーかもな」

 

「えっ、えええ~~~~」

 

嬉しさと戸惑いがごちゃまぜになっている筒井の声を聞きながら、ヒカルはどうするか思案するのだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

大変申し訳ありません。感想欄で継続して更新出来る様になったら挑戦します。と書いたのですが、不定期更新に訂正させて下さい。


失格負けになることは既に知っていた。というか、そもそも中学校の大会に小学生が紛れて参加する自体がアウトだ。でもって、第一に加賀の思い通りになる話に乗るのは避けたい。という訳で、大会には普通に見学者として行くことになった。

 

加賀の悔しそうな顔が見れて少し勝った気になる。別に加賀が嫌いという訳ではないのだが、売り言葉に買い言葉。つい喧嘩のノリになってしまう。

 

大会には大将が加賀。副将に筒井さん。そして、三将は加賀が学校の知り合いから碁が出来る奴を引っ張ってきてくれるとのことだ。

 

実力は加賀や筒井さんには及ばないものの、その人が碁が出来るだけで筒井さんが嬉しそうにしている。

 

海王中学校に到着して、筒井さんと加賀と合流する。

 

「おぅ、ちゃんと来たのか」

 

「俺、来るって言ったじゃんか」

 

だるそうにしている加賀と挨拶を交わし、そのままギャラリーの中に混じる。しかし、ギャラリーは殆どが、海王中学校の対局を見に来ており、無名校である葉瀬中を見に来ている者は居なかった。一回戦はどうやら川萩中とらしい。

 

「将棋部の人が大将? 何で来ているのか知らないけど、そこの部員がやった方がマシなんじゃない?」

 

部員と間違えられる始末だ。しかし、加賀もわざと悪ノリし「今からでもメンバー変えるか?」と言われ、筒井さんに(たしな)められていた。

 

大会はそのまま対局が進み、一回戦を勝利。しかし、二回戦で敗退になった。

 

「大会に出られただけ良かったよ。ありがとう進藤君。最後に記念に海王中の対局を見ようと思うんだ」

 

「ったく、コイツが居たら優勝出来たっつーのに」

 

「ハハハ」

 

笑って流しつつ、暫く海王中の対局を見学し、そろそろ帰ろうかと思う。せっかくだから最後まで見てけばよいのにという筒井さんに辞退する旨を伝えて、出入り口へと向かう。扉の取っ手に手を掛け、スライドさせようとした時だった。勝手に扉が開いたのだ。

 

「ぅおっ、!……塔矢」

 

「進藤ヒカル? なぜここに?」

 

開かれた空間の先には校長に誘われてやって来た塔矢アキラが居た。塔矢は驚いて大きく目を見開いているが、ヒカルはキョトンとしている。

 

「何でって、お前と一緒だよ。大会を見学しに来たんだ。って言っても、俺は葉瀬中を見にきたんだけどな」

 

「そう。ところで、もし……もし……君さえ良ければこれから僕と対局してもらえないだろうか?」

 

ヒカルは塔矢の両側に垂れている腕の拳が震えているのをみた。その光景を前にして海王中の囲碁部員になってまで、ヒカルと対局をしようとしていた時の記憶が脳裏に(よみがえ)る。あの時は、三将になるという無茶までして対局を実現しようとしていた。

 

(いつになっても塔矢は塔矢なんだな)

 

「いいぜ、打っても。その代わり、大会の邪魔になっても悪いだろうし、あっちの隅で打とうぜ……って、勝手に碁盤使ったらマズイよな。んー、どうすっか」

 

ヒカルが自分もちょうど帰る所だったのだし、一旦会場を出てから違う場所でと提案しようとした時だった。塔矢が後ろを振り返り、誰かに話しかける。

 

「校長先生。もし出来ればなのですが、あの隅の碁盤をお借りできないでしょうか?」

 

「ん? あ、あぁ。隅なら大会の邪魔にならないだろうし、別に構わないよ」

 

「ありがとうございます」

 

許可を取るや否や、ヒカルの腕を引っ張って、お目当ての碁盤へと連行していく。ついでに、対局するならばと校長先生までもが後ろをついて来ていたが、全く気にする素振りすらない。ヒカルは思わず苦笑した。

 

◇◆◆◇

 

きっかけは何だっただろうか。確か、海王中の校長が来ていることに誰かが気づいたのが始まりだったのだ。なぜ、決勝戦を放ったらかし状態で他の対局を見ているんだろう。そういった疑問からのものだった。

 

しかし、微動だにせず、碁盤を食い入る様に見ている様を直に見て、釣られて対局を覗いた。これが二人目。二人目も、つい魅入られ、そのまま観戦者と化した。幾度となく繰り広げられる攻防や華麗な打ち回しに思わずといった風体だ。そんな中、決勝戦だというのに隅で対局をしている事に違和感を感じた者がやってきて、更に観戦者に加わった。

 

そんなこんなで一人、また一人とギャラリーが増えていく。ギャラリーが増えれば、どうしたことかと更に注目されのループでしかない。

 

一目でもそこに広がる光景を目の当たりにしたならば、碁を知る者であるなら引き寄せられずにはいられない美しさがあったのだ。

 

気づけば、会場の大半の者が塔矢とヒカルの対局を観戦している状態だった。すると先に決勝戦を終えた二校も異常状態に気づき、その輪に加わる。

 

やがて、塔矢の「ありません」の声が聞こえると、歓声が沸いた。拍手をしている者達も居る。尤も、場の注目をさらったことに対しては決勝戦を戦った二校が渋い、複雑そうな顔をしていたが。

 

加賀が、筒井さんにアイツが塔矢アキラだぜという声を周囲の人が拾って、ヒカルが逆に塔矢だと間違えられそうになる一幕もありながら、大会は閉会式を迎えることとなった。

 

ちなみに優勝した海王中学の一部の生徒はいい所を(さら)われてしまった為、「打倒。進藤ヒカル!」を掲げるに至り、それって誰?と言われ、説明するのがセットだったりする。

 

◇◆◆◇

 

ヒカルは悩んでいた。囲碁部の入部の件についてだ。七月にあるプロ試験に挑む気でいた為、夏期の囲碁大会には出場が出来るかもしれないが、その後は幽霊部員になることが確定になるからである。筒井さんには返事を保留にしたままだ。

 

しかし、唸ってばかりで腹が空いた。道端のラーメン屋に入店し、食べていると裏の碁会所に出前を届ける話が聞こえる。

 

三谷、もう居るのだろうか。ふと、覗いていこうと思い席を立った。そのまま裏の碁会所へ向かう。たどり着き、扉を開けると「ありゃ、また子供かい」という言葉に出迎えられた。

 

しかし、場の空気がどこまでも重い。怪訝そうにヒカルは思ったがその疑問は直ぐに氷解した。

 

「アンタ、その制服葉瀬中だろ。……に、二〇円貸してくれないか」

 

「……いいよ。俺、進藤ヒカル」

 

「三谷祐輝」

 

ヒカルから二〇円を受け取ると三谷は飛び出して行った。入れ替わりで入ってきたヒカルに、声が掛かる。

 

「……打つのかい。子供は五〇〇円だヨ」

 

「うん、打つ。おじさん、俺と打たない?」

 

席亭に返事をするとその後、ダケに向かってそう言い放った。ダケは最初ポカンとしていたが、直ぐにニヤリと笑ってみせる。

 

「あんちゃん、ちょうど万札しかねェんだ。万札賭けるってなら歓迎するぜェ」

 

「何馬鹿な事言ってるんだヨ。こっちで両替することだって可能じゃないか」

 

「分かった。じゃあ、一万円でいい」

 

「バカ! 悪いことは言わないから辞めた方がいい」

 

そう言われてもヒカルは首を横に振るばかりだ。席亭がため息をついて後ろを向いたのを確認したヒカルはそのまま反対側の席についた。

 

「ヘッヘッ。子ども相手だからな。互先でいいだろ?」

 

「もちろん」

 

「ちゃんと一万円持っているのかよォ。後から駄々こねて出し渋るってのはなしだぜ」

 

そうして始まった対局。始めダケが拙い打ち方をしているのを横目に打っていく。ヒカルはいつ左利きだということを指摘しようか考えながら打ち始めた。しかし、序盤からこちらを侮って石をずらされた瞬間、反射的に叫んでいた。

 

「イカサマはナシだぜ! 今、石をずらしただろ。バレバレだから、もっと上手くやったら?」

 

「何のことだい、あんちゃん」

 

「誤魔化したって無駄だからな。俺にはちゃんと全部分かってるんだ」

 

その言葉通り、今度はずらそうと動作をした瞬間を見計らってヒカルが声をあげる。初めはマグレだとばかり思っていたダケとしては、悔しげに呻く他ない。そして、イカサマが通じない相手というのを認めたらしい。左腕をまくりあげると、目つきが鋭く変化した。

 

「うん、そう来なくっちゃ」

 

「調子に乗るなよ、あんちゃん。大人の意地ってモンを見せてやるぜ」

 

◇◆◆◇

 

街の雑踏の中、三谷は碁会所の方をぼんやりと眺めていた。浮かぶのは、席亭の修の顔だ。しばらく足を止めていたものの、そのまま(きびす)を返して帰ろうとする。

 

「マチな、あんちゃん」

 

「!」

 

思わず足を止めた。そこにはダケの姿があった。どこまでも警戒し、訝しげな三谷に対してダケが肩を(すく)めてみせた。

 

「ほらよ」

 

差し出させたのは一万円だった。馬鹿にしているのかと反射的にこみ上げてきた気持ちのまま、言い返そうとした三谷だったが、それよりもダケが言葉を話す方が早い。

 

「俺が言える口じゃねェんだけどな。イカサマはもう止めておけ。あとな、修さんが寂しがってたから余計だが、顔位出してやったらどうだ」

 

「……何でまた急にそんなこと言い出すんだ」

 

「うるせェ。俺だって柄じゃねェってのは分かってんだ。謝罪なんざしやしねェぜ。ただ、お前みたいな奴は賭けよりか、学校の囲碁部がお似合いだ。あとオトモダチに感謝することだな」

 

「友達?」

 

「あの気持ち悪い位にカンが鋭くて強いガキの事だ。俺の自慢の手管がパァさ。たまったモンじゃねェ。最後には意地になって真正面から本気でぶつかってみたが……」

 

「いいや、友達じゃないし」

 

「? まァ、あれだ。あそこのラーメンでも奢ってやるから吐け」

 

「はぁ? なんでだよ」

 

そのままダケに引っ張られ、三谷はラーメン屋へと連れて行かれた。そこでもひと悶着あったものの、その後は時折ラーメン屋の裏の碁会所にて、ダケが三谷に碁を教える姿が見られる様になる。

 

そして、有言実行とばかりに――ダケと賭けて三谷が負けた為――囲碁部に入部することが決定し、筒井さんが大喜びした。

 

そうして、逆に同じ学校に居るにも関わらず、ヒカルが囲碁部に入っていないことを聞くと「お前も同罪だから、囲碁部入れ!」と二〇円を返却する際に宣言される。

 

ヒカルは立場が逆になったと爆笑し、何れプロになるから幽霊部員でいいならなと入部が決定したのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

六月。第四回北区中学夏期囲碁大会。ヒカルが幽霊部員の自分も出ていいのかと尋ねると、三谷は同じ囲碁部員で何か問題があるのか? 使えるモノは使うに決まっているだろ。実力的にお前大将な。とやや強引に決めると出場が確定していた。

 

しかし、前の通り二回戦で海王とぶつかることにはなっていたものの、塔矢アキラは囲碁部員にはなっていない。そもそも、前は学校に乗り込んできたのだが、今回は手がかりが無いので来れずじまいだからだ。

 

ただ、大会中に隅で対局した際、「また対局がしたいから、良かったら連絡をくれないだろうか?」と連絡先を渡されたという経緯はある。あるものの、なんとなく連絡しずらい為、まだ手つかずだ。

 

大将はヒカル。副将が三谷。三将が筒井さん。途中で、時折あの時の進藤だという声を聞きながらも勝ち星を拾い。結果、大会は見事優勝をすることが出来たのだった。

 

◇◆◆◇

 

第十四期NCC杯トーナメント。筒井とトーナメント観戦にやってきた。大盤解説を見て、そういえばここでネット碁を知ったんだよなーと感慨深く思う。

 

最後まで大盤解説を見ても楽しめたのだが、実は一つ約束があった。もちろん事前にはそれを伝えてあるため、途中までは一緒にという事で筒井とは行動を共にしていた。

 

ロビーを出て、ウロウロする。見渡して漸く目的の人物を発見した。

 

「桑原のじーさん、用って一体何?」

 

「そう急かさずとも。実はな、ヒカル。お主、オモシロイ話に興味はないか?」

 

「オモシロイ話ぃ?」

 

「そうじゃ。ちょいと、な」

 

疑問符で一杯なヒカルに桑原はにんまりと笑ってみせたのだった。目の前に見せられたのは、前に案内してもらった閉鎖されている碁会所の鍵だ。

 

「スポンサーの内の一つでな。ちょいとした条件と引き換えにココへパソコンをレンタルしておる。ネット碁に興味はないか?」

 

「ネット碁? あー……うん、どうしよう。それも良いんだけどさ、プロ試験を受けるつもりなんだ」

 

「なに、ほんの一週間ばかしじゃて。本番に備えて、好きな時間に入り浸り好きに対局すれば良いじゃろ?」

 

「一週間か。それならやってみようかな」

 

◇◆◆◇

 

――アメリカ。

「ん? これは何だ?」

 

国際アマチュア囲碁カップのアメリカ代表に選ばれたことを電話でママに報告をしていた男が、ネット碁をしようとしてとある『お知らせ』に気がついた。

 

訝しげに思いながらもダブルクリックをして詳細を開く。そこに記されていたのは、ネット碁のサイト×NCCのコラボ企画のお知らせだった。

 

ページをスクロールする。これから一週間の期間中、NCCの公式アカウントが登場し、対局相手に選ぶことが出来る。もしも、見事勝利することが出来たら先着五名様に素敵な記念品が届きます。と記載されていた。

 

それをみた男が鼻息を荒くした。丁度、良いタイミングだ。これなら、肩慣らしとして不足ない。更新時刻を見ると、ほんの少し前に告知されたばかりでそれを知る者は少ない筈だ。ならば、自分が先陣を切ってやろう。

 

男は意気揚々とNCCの公式アカウントに勝負を挑んだ。

 

が、

 

「oh…crazy(クレイジー).なんだってまた、あんなのに五人も勝てると思っていやがるんだ。アレに対して五人!? ふざけていやがる。一人だって勝てないに違いない」

 

負けてしまい、自宅で頭を抱えていた。

 

――オランダ。

「そうか!プロを直に雇っているに違いない」

 

納得が言ったとばかりに独り言を呟くと生徒達が聞きつけて近くに寄ってくる。

 

師匠(マスター)?」

 

「きっと、素敵な記念品というのも物凄く豪華絢爛(ごうかけんらん)なんだ。公式はそれをやるのが惜しいから、プロに依頼をしたんだよ。いいや、逆に素敵な品は渡すつもりだったとしても、その強さから話題を呼び込もうとしているのかも」

 

「どうしたんですか?」

 

「完敗だよ。ボクの勝てる余地が全くなかった。何て緻密(ちみつ)で隙の無い打ち方をするんだ。ボクはすっかり参っちゃったよ」

 

パソコンを覗き込んでいた生徒がその画面を見る。

 

「うわっ。これは……」

 

「ワォ!」

 

「ボクとしては諦めずに挑戦してみたい気持ちがある。けど、勝てる気が全くしない。何て罪作りなんだ!」

 

――日本棋院

 

「桑原先生!」

 

「? なんじゃ」

 

日本棋院にて呼び止められて振り向くと、そこにはNCCの担当者の姿があった。その人物は桑原を見つけるや否や、人気の少ない方へと移動を願い出、方向を誘導する。桑原もそれを分かっていたようで、それに続いた。

 

「いや、一体誰に例のアカウントを依頼をしたんですか? いえ、いいんです。言えないならそれでも全く構わないんです。しかし、物凄い反響なんですよ。あの! もう少し期間を延長することはできないんでしょうか? お礼と言っては何ですがパソコンはそのまま差し上げますので」

 

「うーむ、残念ながらそれは厳しいようでな」

 

「そうですか……非常に残念です。公式が倒せない!って普通ならクレームになるんですがそうならず、話題になる一方。嬉しい悲鳴で一杯なんですよ。いやね、ここだけの話なんですが、最初は記念品って言ってもショボイ代物だったんです。それをこの騒ぎになって急遽(きゅうきょ)豪華な品物に大慌てで変更をかけたんです」

 

「そうじゃったのか」

 

「はい。といっても、これで本当に釣り合うのかと疑問は残りますがね。何を景品にしたら良いのか分からない位だったんですよ……」

 

「ひゃっひゃっ。やはりオモシロイ。いっそのこと、対局の権利の方が喜ばれるのかもしれんな」

 

「お願い出来るならしています!」

 

◇◆◆◇

 

棋士採用試験予選日初日。日本棋院。

 

「進藤。君もプロ試験を受けに?」

 

「おー塔矢。そんな感じかな」

 

「……どうして僕に連絡をくれなかったの?」

 

「うっ……悪い。タイミングがな。つい、連絡しづらかったんだよ」

 

予選前に出くわした塔矢と会話をしていると、その言葉が聞こえたらしい周囲がざわついた。

 

「塔矢アキラ? マジで」

「誰、どいつ?」

「あっちの方。そういえば名人の息子が今年受験だったっけか」

 

そして皆塔矢の顔を認識すると、その相手が気になってくるのだ。では、その塔矢と気軽そうに話している相手は誰だろうと。ヒカルは自分にも注目が集まってくるのを感じ取った。

 

「あー取り敢えず移動しねェ?」

 

「構わないけど、そんなことよりも、また僕と対局してくれないだろうか? あと、お父さんも君に興味を持ったみたいで、今度家にでも誘いなさいと言われているんだ。囲碁サロンでも良いそうだけど。ただ、前に緒方さんが偶然君を見つけた時には、何故か逃げられてしまったって聞いたけどあれはどうして?」

 

何というか色々と遅かった。塔矢の発言に再び、アイツ何者!?とばかりの視線が飛んでくる。更に内容に名人やら緒方の名前が入っているものだから特に厳しく鋭い視線が突き刺さる。

 

どうしようと思案していたヒカルだが、そろそろ予選の時間なのに目を付け、その場から逃げるのであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

※原作のイベントの時系列を変えております。ご了承ください。


プロ試験の予選を終えてやってきたアマチュア囲碁フェスティバル。会場は地方にも関わらず沢山の人が詰めかけていた。

 

年配の方やお年寄りが多かったが、中には家族連れで来ている人達も居て微笑ましい。

 

最初、ヒカルは週刊碁でイベントを見つけた時に驚いた。前はプロになってからの筈が、プロになる前にイベントがあったからだ。

 

ただ、考えてみると単純に二回開催されていて、最初に気づいていなかったのかもしれないと思っていた。興味がなくてスルーしている光景が簡単に思い浮かんで苦笑する。

 

別段、またイベントがあることがわかっていたから、参加しなくても良いかもしれない……そうヒカルは考えていたのだが、そこで何があったのかを思い出して考えを改めたのだ。

 

もしかすると、また新カヤの碁盤を偽りカヤと売り出しているのかもしれない。また、あのニセモノの字を御器曽プロが本因坊秀策の字だと言い張っているかもしれないと懸念されたからだ。

 

本来なら会場の雰囲気を楽しんでいる所だが、そうもいっていられない。ヒカルは場を見渡すとまっすぐ売り場へと向かう。

 

売り場では予想通りの業者が居たため、ヒカルは目を細めた。業者は軽快なセールストークで接客をしているものの、残念ながらお客は渋っている様だった。

 

以前とは違う。石を打ったりして、迂闊(うかつ)に商品に傷を付けたりなんて真似はしない。値札にカヤと明記されている碁盤を見るだけで良かった。

 

(前は分からなかったけど、今の俺なら分かるよ佐為。カヤに似ているけど、これは違う。間違いなく、新カヤだ)

 

確信を持ってからは、一番手っ取り早い方法として会場の係員に訴えることにする。

 

「ちょっとおじさん!」

 

「なんだい?」

 

「あそこに売っている碁盤なんだけど、あれニセモノだよ。カヤだって偽って売ってるんだ。それに秀策の署名もニセモノ。何とかしてよ!」

 

「なんだって。う―――ん、碁盤の方は確かに違う気も……しかし、証拠がないからねェ」

 

「証拠なら一回でも打ってみたら直ぐ分かるじゃん」

 

「しかし、売り物だからそうも言ってられないんだ。ヘコんでしまうからね」

 

だめだった。子供だからと話を聞いて貰えない訳ではなかったものの、売り物を下げるまでには至らなかった。注意して欲しい旨を伝えるとヒカルは一旦引き下がる。

 

次はどうするべきか。確か会場には倉田さんが居た筈だ。前は終局した時に話を聞きつけて飛んできたっけ。そこまで考えると会場内を探索することにした。

 

具体的な時間と場所は分からないものの、プロがいそうな場所は限られていく。マップを片手に目星をつける。

 

(パソコンで囲碁ゲームは違うだろ。自由対局場も違う。講座……大盤解説……)

 

それらしい場所を早歩きをしながら巡る。しかし、巡れど巡れど倉田は見つからない。ヒカルは少し焦った。倉田が来てくれたからあの業者は間違いを認めたと言ってもいいだろう。自分が一人売り場で騒いでも、子供が営業妨害しているとしか捉えて貰えない。

 

ヘタをすると、会場から追い出されてしまう可能性もある。

 

かといって、ヒカルは今の事態を見逃すことは絶対にしたくなかった。

 

ならば、仕方ない。業者と繋がっている御器曽と直接対決をするしかないだろう。そうヒカルは意を決すると、指導碁のブースへと向かうのだった。

 

指導碁のブースでは、メガネを掛けた男性が、御器曽に盤上でフルボッコにされている。スキだらけと言いながら、いたぶる様はとても指導碁とは思えない。

 

男性はタジタジになりながらも打ってはいるが、終始諦めが顔に出ている。

 

「おじさん、こんな奴に負けないで。まだ勝てるさ!」

 

「こんな奴? 全く近頃のガキは……」

 

「応援は嬉しいけど、この状況から逆転なんて不可能だよ」

 

御器曽は顔を不快そうに歪めている。そのまま、荒っぽく一手を打つ。途端に左上が死んでしまった。

 

「ああっ。これはもうダメだ」

 

「大丈夫ですよ。あの碁盤で練習したら良いじゃないですか。あれは良い碁盤なんですから今はダメでも効果が期待出来ますよ」

 

「えっ! 嘘。おじさんあの碁盤、買っちゃったの?」

 

「あ、ああ。いずれは……と考えていたんだけど、押し切られてしまって、つい」

 

「つい?! 今すぐ、返品した方がイイよ。アレは新カヤ。本物のカヤじゃないって」

 

途端に、御器曽が青ざめたが直ぐに平然とした顔に戻して食ってかかる。

 

「何を言い出すんだ! 適当なことを言うものじゃねェ」

 

「適当なもんか! 見る人が見たら分かる」

 

「へェ。ガキに何が分かるっていうんだか」

 

ヒカルと御器曽で言い争いになっていることに、男性が割って入る。

 

「やっぱりあんな高額な碁盤を買うのが間違っていたんだ。返品出来ないか、ちょっと行ってきます」

 

散々迷っていて買ってもまだ迷っていたらしい。ヒカルに向かって、君の言うことが本当かは判断出来ないけど、お陰で決心がついたよ。と告げて、椅子から慌てて飛び出して行ったのだった。

 

「ちっ、何てこと言いやがるんだ! せっかくのカ……いや、客が」

 

「今、カモって言おうとしただろ。それに秀策の碁盤だって字が違ったぜ」

 

「フン、さっきの奴は仕方ねェが、子供の言うことなんか誰が聞くのやら」

 

「だろうね。だから、この対局で決着を付けようよ。アンタも幾ら子供の言うことだって売り場で騒がれたくないだろ。ここから打ってもし俺が勝ったなら、秀策の碁盤やニセモノを全部撤去するんだな」

 

「なるほどな、俺が勝てば会場から出て行くって事か……乗った」

 

互の間で火花が飛び散る。ヒカルは目の前の椅子に腰掛ける。負けるつもりは微塵(みじん)もなかった。黒石を握り、反撃の一手を放つ。

 

御器曽は盤面でも挑発に乗り、子供相手だと敢えて更に強引に奪いに行ったのが失着だった。それに焦り、固着してしまった事で、何とか形を得ることが出来たものの、ここまでになってしまうと無意味だった。

 

この局面をどうにか打破してやろうと仕掛けた勝負手も、あっさりと意図を見抜かれ飲み込まれる始末。そして、最初から分かっていて誘導したのではないか?と思わせる一手。

 

顔色が蒼白に変化する。飛んで石を分断するべきだった。あの時点でああするべきだったと考えは浮かぶも、それすら読まれているのではないかと思わせられる。

 

あれほどあった差はどんどん縮まり、今ではとっくに逆転されてしまった。

 

これで終わりだと御器曽は歯を食いしばり、項垂れる他なかった。しかし、大人の意地でこの現実は認めたくなかった。御器曽は咄嗟に席を立ち、否定し出した。

 

「こ……こんなことがある訳がない!」

 

「は?」

 

「俺はプロなんだ。それがこんな子供に……」

 

ごくりと御器曽は息を飲む。周囲を見渡すも、特にこちらを注目している人物は見当たらない。それぞれが楽しんでおり、人の流れがあるだけだ。それを確認するやヒカルが止める間もなく、碁石をグチャグチャに混ぜてしまった。

 

「あっ!」

 

「……俺は油断しただけだ」

 

それだけ告げると、早足で御器曽はその場から逃げ出したのだった。

 

「約束守れよな!」

 

 

◇◆◆◇

 

 

確かに御器曽は周囲を確認していた。特にこの対局を気にして見ている人物が居ないことを。しかし、それは"人物"に限定されていた。

 

この対局がまさか偶然、家族連れのビデオカメラに映っているとは誰も予想がつかなかったに違いない。声は雑踏に紛れて聞こえないものの、この隅に映っている映像を祖父が、子供がプロ棋士に勝っている光景を指摘するに至り……

 

――顔にモザイク加工を(ほどこ)し、仰天映像をテーマにする番組にそれを投稿してしまったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

考えた結果、アンチ・ヘイトタグを付ける事にしました。ご注意下さい。


「うーん、微妙かもしれんな」

 

「十分に仰天映像じゃないっすか。だって、子供がプロに勝っちゃったんですよ!」

 

TV局のとあるブース内でそんな言い争う声が聞こえる。どれだけ話し合いを続けているのか、とっくにコーヒーは冷め切っていた。

 

「それは碁のルールが分かっている奴限定だ。スポーツとかの実力が分かりやすい一目瞭然(いちもくりょうぜん)なモノならともかく、これだとな……」

 

「華やかさに欠けるからっすか?」

 

「まァ、一般的な大衆向けではない。囲碁はそもそもが地味なイメージだからな。ただ、俺も碁は知っているからスゴさは十二分に理解しているつもりだ。実際に放送した場合はバラエティ番組の筈が、理解出来る一部の奴だけは全く笑えない状況になるだろうしな。間違いなくお茶の間が静まり返る」

 

「そうなんすよ! けど、コレ対局の映像が途中からなのが残念で」

 

「一部の視聴者に偏りはするものの、放送してみるか?」

 

「是非!」

 

「にしても御器曽プロは……やっちゃったとしか言えねェな」

 

「ですね。気持ちは分かるんすけど」

 

子供の対局相手が気になり、イベントに参加しているプロの情報などを既に調査し特定までしまったので、誰が打っていたかを両者は知っていた。そして、今までの感想をあらかた話し合った二人は一旦黙ってコーヒーを(すす)る。

 

「……それに対局相手の子供が気になるな」

 

「プロじゃないんすか?」

 

「プロがわざわざイベントの“指導碁”のブースに来て対局すると本気で思ってんのか? 恐らくアマチュアだろうが」

 

「あっ」

 

「子供で実力から言うと可能性がありそうなのは塔矢アキラだが、打ち方からして別人の可能性の方が高い。一体誰なんだ」

 

「今後囲碁界が(にぎ)わいそうっすね! この子供の正体が気になる所っすけど、もしプロになるなら青田買いで取材出来たら理想的なのに」

 

「丁度、この間日本棋院でプロ試験の予選が行われた所だ。ダメ元でも今年のプロはチェックしておくべきだな」

 

こうして、ヒカルの知らない間にTV局が水面下で動き始めたのだった。

 

◇◆◆◇

 

例の映像が放送される日。それは両者共に顔は見えないものの、背の高さから大人と子供が打っているというのがまるわかりだった。

 

その映像はTVに流れたが、まずそもそもの前提として対局の映像は途中からだった。最初はメガネの男性が打っている光景を丸きりなかったことにされており、最初からヒカルが映っている。そして、対局は長い為部分的にカットをされていた。

 

放送時間も囲碁ということからあまり映像的に派手さが無いため、短くなっており、打つ際には早送りも使われていた。(もっと)も、最後に碁石を混ぜる光景は映ってしまっていたが。

 

碁打ちだってテレビは見る。普段はテレビなどを余り見ない者達が居るものの、一定数バラエティ番組を見る人たちだって居るのだ。

 

しかし、囲碁を知る者が得た衝撃は予想以上に大きかった。子供がプロに勝つ。そんな実力者は中々お目にかかれない。それほどに珍しい光景である。

 

そして両極端な意見が出た。一つ目はヒカルが実力を隠しながら打ち、途中から本気になった説。二つ目は劣勢になったにも関わらず諦めず打ち、プロに逆転勝利をしているという説。残念ながらどちらも不正解である。

 

どちらにせよ怒涛(どとう)の逆転の勝利だ。強いことには変わりない。本当に子供なのか? アマチュアなのが信じられない。

 

番組に大きな反響が寄せられた。どちらかというと年齢層は高めであり、メール以外での手紙で感想を寄せてくる者が多かった。

 

その中では、相手のプロは誰だったのか?や、子供への賞賛や質問が多数を占められていたもののその中に―――NCCアカウントの中の人なのでは? というものが寄せられた。

 

秀策の手に似たものが数多くみられたからなのだが、TV局のスタッフはNCCと何の関係が? と首を(ひね)るばかり。

 

その様な経緯があり、TV局は追加で詳細な取材をしようとしたのだった。

 

御器曽プロは取材に対し、蒼白な顔色で「つい負けて感情的になってしまい、やってしまった。一人の碁打ちとして申し訳なくも情けない姿をみせてしまった」と謝罪を述べ、相手の少年については知らないと回答。それを声や顔を隠して放送後も彼は変わらず今も囲碁の仕事に出向いている。

 

少年の方については投稿者からも分からないと言われてしまっていた。NCCはネット碁とのコラボが関係があると分かったものの、ノーコメントの一点張り。

 

NCCが有力な情報だったにも関わらず、ある程度意味が分かっていてもこれだと打つ手がない。

 

手掛かりが掴めず、TVスタッフ達は一旦プロ試験が来るまでは手詰まりになり、暗礁(あんしょう)に乗り上げたのだった。

 

表向きは。と但し書きが必要だが。

 

裏。つまりネット上ではある種の祭りと化していた。もちろん、例のイベントに参加していたプロも特定済みである。そこから更に(ふるい)にかけ、対局相手が御器曽プロということも判明していたのだ。

 

ちなみに、確かに御器曽プロを揶揄(やゆ)する言葉にも溢れていたものの、子供に負けての気持ちは分かるというものや、その後の(いさぎよ)い謝罪コメントなどから彼を擁護(ようご)する言葉も多い。

 

そして、ネット内では最早『NCCアカウント=アマチュアの子供』説が定着をしていた。TV局スタッフでは最初ピンと来なかったものの、ネット碁をしている人なら知っている有名人だったからだ。

 

今まで、もちろん大人だと思われてきた事。秀策を思わせる手筋。プロだと思われてきた事。公式アカウントとはいえ、正体が不明だったにも関わらず今回、子供だという情報が入った事。これらは大きな火種となった。

 

しかし、公式では圧倒的なまでの強さだった。間違っても劣勢になることはないだろうと思わせる力があった。

 

違和感。不一致。齟齬(そご)。その為、ネットでは公式が実力を隠しながら打ち、途中から本気になった説が一番有力だったりする。

 

しかし、中には何か理由や事情があった筈だと思う者も居た。特に直接打った事がある経験者はそう考えている。その者たちは納得がいかない! とばかりに更なる情報収集をするのだった。

 

 

◇◆◆◇

 

 

国際アマチュア囲碁カップ。

 

NCCの公式アカウント。インターネットでコラボの時に登場した特殊アカウント。本当に特別なアカウントだった。見たものを魅了するだけではない。自分も打ってみたいと思わせる気持ちにさせるのだ。

 

一般的に強過ぎる相手だと尻込みをするものだ。ズバッと一刀両断される恐怖と例えるべきだろうか。

 

しかし、ところが純粋に挑戦したいと思わせる気持ちにされるのだ。自分の一手にどう応えてくれるのかを見たい。どこまでも深い読みを見たい。もっともっとと、碁打ちにとって中毒性があると例えても過言ではないだろう。

 

その魅力的なアカウントの国籍は日本。そう日本を指していた。ならば、この会場に来たならば何か知っている人が居るのかもしれない。そう考えた人は数多くいた。

 

一人が公式の名前を出した途端に、それに釣られる様に人が集まり口々に対局した時の話をし出した。

 

『アレは打って貰っただけで思い出になったよ』思い出深く語る者。

『あんな素晴らしい打ち手に出会えるなんて最高に幸せな対局だったわ!』感動したと伝える者。

『新手をさも当然の様に次々に繰り出すんだ、お手上げだ』感嘆する者。

 

人が次々に集まり熱気に支配される。会場の係が注意をするも勢いが止まる気配がない。そんな中、怪訝(けげん)そうな顔をした緒方がやってきた。

 

「どうしたんですか?」

 

「インターネットに非常に強い人が居るらしく……」

 

『日本棋院かNCCに行けば公式に会えるに違いない。会って、サインを貰って一緒に写真を撮るのさ』

『それだけで満足するの? 僕は直に対局をして貰うよ!』

『誰だか分かっていないのに? 気が早くないか?』

『トッププロの誰かなのは分かるぞ!』

 

口々に語っている皆を見て、島野は肩を竦めてみせた。

 

「ご覧の騒ぎです。皆、正体が分からないので情報を交換し合っているんですよ」

 

公式についての情報を緒方が得ていると、森下の元に和谷がやって来て主張をした。

 

「あー……公式はアマチュアの子供っスよ」

 

「なんだ和谷。そんながっかりした声をして」

 

「俺、公式のファンだったんスけど、ちょっとガッカリしちゃったもので……」

 

「ガッカリ?」

 

「だって、実力を隠して途中から本気で打つ様なマネなんかするから……最初っからネットみたく本気出せばいいんだよ」

 

その発言に――翻訳された言葉を聞いて――場がざわめいた。和谷の発言は、まるで公式を直に見たと言わんばかりだったからだ。

 

動揺が走り、通訳の人に詰め寄っている人も居るくらいだった。混乱は未だ収まりそうにない。

 

和谷に人々が殺到し、問い詰めにかかり会場の騒ぎが収まらない状態の中、今度は塔矢アキラがやってきた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

毎週水曜日に投稿しようと思ったのですが、無事最終話まで書けましたので、一日一話更新しようと思います。この話以外で残りニ話です。十一話完結まで、お付き合い頂けたら幸いです。


「どうしたんですか? 会場がおかしい気がして来てみたんですが……」

 

途端、囲まれていた和谷が塔矢アキラに噛み付く。

 

「お前が知らねーことだから気にする必要ねぇって」

 

「知らない事?」

 

しかし、和谷を特に気にする様子もなく詳しく尋ねてくる姿に和谷は肩透かしをくらった。仕方なしに顛末(てんまつ)を語ることにする。

 

「インターネットにスゲー強い奴が居て、正体が全くの不明だった。けど、ソイツが偶然テレビに映ってたんだ。指導碁を打つプロ相手に劣勢の碁を引っくり返したんだ。ただ、絶対に公式の棋力からしてあんなに負けそうになるなんて事はない。ったく、普段通りに打てばいいのに……」

 

「それって何か事情があるんじゃないのかな?」

 

「何だよ事情って」

 

「それは僕には分からないけど、その映像に全部映っているんじゃないの?」

 

「あっ。そういえば、編集されてる!もっと前の映像がなかったんだ!!」

 

和谷が何やら閃いた。周囲は和谷の言葉を翻訳されて、NCC公式の手がかりを手に入れられたと大興奮だ。

 

テレビに出ているなんて流石だ。公式の活躍が見られるのかいアメージング! TV局に問合せをするからどこの局か教えて欲しいです。ビデオは持っていないの? と再び大混乱な模様。

 

そんな中、アキラに対して緒方が口を挟んだ。

 

「という訳でインターネット上に凄く強い人物が居るそうだ。それも……アマチュアの子供。アキラくん、心当たりはないかな?」

 

緒方は尋ねてはいるものの、明らかに脳裏にヒカルの姿が浮かんでいた。アキラはピクリと一瞬だけ反応をみせたが、その後は全くの無反応を貫いた。

 

ヒカルの強さは自分などでは推し測れない。底なしと言っても良いくらいだからだ。ただ、アキラがそれを話した所で憶測の域を出ない為、信じられないだろう。

 

そう、例えば実際に打てば別だが。そう考えての反応だった。そして迷いも大いに含んでいた。

 

が、些細とはいえ、リアクションを緒方は決して見逃しはしない。

 

「…………」

「…………」

 

暫く無言で探り合いを繰り広げるも、緒方が嘆息した事で終わりをみせる。緒方はチラリと付近に人が居ないことを確認すると、口を開く。

 

「彼には以前逃げられてしまったからね。しかし、興味がある。是非俺にも打たせて欲しい」

 

「僕に言われても困ります。本当に彼だと思うのであれば、直接頼んでみたらどうですか?」

 

「……それもそうだ」

 

そんな会話を繰り広げていると、男性がインターネットの出来るパソコンを持って飛び込んできた。それを緒方が受け取る。

 

「緒方さん?」

 

「直接頼むにしろ、自分で動かなければならないからな」

 

そう言うとインターネットに接続をし、件のネット碁のサイトに接続をする。和谷が人ごみの中から何とか抜け出し、発言した。

 

「もうコラボイベントが終了しているんで、意味無いっスよ」

 

「もしかしたら、続報が何かあるかもしれないと踏んだのと、その例のサイトだけでも知っておきたくてね」

 

そう言いながら操作する緒方だが、『お知らせ』に何も更新が見られない事を確認すると、少し残念そうな顔になった。他の覗き込んでいる人々も同様だ。

 

そんな中、和谷が気づいた。

 

「一般アカウントの欄に公式が居るッ!」

 

瞬時に、皆が画面に注目をする。そこには"NCC公式"の文字があった。しかし、特殊アカウントではない。ニセモノの可能性も大いにある。

 

緒方はそこで躊躇(ためら)いなく対局を申し込んでいた。そして直ぐに投了をする。周囲はどういうことだと言わんばかりだったが、緒方の態度は一向に変化が見られない。

 

「これ以上、この件で大会に影響を出す訳にはいかないですし。対局に関しては日を改めての再戦という形を希望してみます。断られる可能性の方が高い。ですが、もし受けた場合……そこで本物かどうかハッキリするでしょうね」

 

手を動かしながら話しつつ、素早くチャットでメッセージを作成する。

 

>翌日ニ再戦ヲオ願イシマス。

 

画面からは暫く応答がなく、会場には緊張のみが走る。そして――

 

>ワカリマシタ。午後1時デハドウデスカ。

>ゼヒ。

 

それだけのやり取りをすると、公式は画面上から姿を消したのだった。

 

「……まだ、確実には分からないが了承したということは、本物の可能性の方が高いとみてよさそうだ」

 

緒方は満足そうにしている。未だ確信には至らないものの、対峙出来る相手が、ネットで名を()せるまでに強大な相手だったとは碁打ちとして心が(おど)ってしまうのだ。

 

しかし、気を引き締めてかかる必要があるだろう。緒方はどさくさに紛れて、公式の棋譜をこっそりと得る事を忘れてはいなかった。イベントの昼食後の休憩時間を見計らって情報収集をしていたのだ。

 

翌日12時50分。

自室の馴染みのあるパソコンの前に緒方は座っていた。考えるのは今まで得た情報についてだ。あの時、緒方が聞けば皆こぞって情報を提供してくれた。

 

反応は色々だったが、観戦するので頑張って欲しいと応援もされたり、公式がニセモノかどうか見破って欲しいと告げられたりした。特にその中で偶然棋譜を持っていた人物と巡り合わせがあったのは幸いだった。

 

コピーをしたその用紙を眺める。秀策を思わせる手筋にその強さ。じっとりと汗が伝うのを感じる。これは本気でかからないとマズイに違いない。しかし、ニセモノだった時には落胆が大き過ぎるが。

 

13時。時間だ。ネット碁のサイトにアクセスをする。相手も時間を見計らってきたのだろう。丁度、アカウントが表示されていた。緒方はマウスを握る。そしてカーソルを合わせた。

 

 

◇◆◆◇

 

 

緒方は椅子に腰掛けたまま、呆然としていた。姿勢が固定されており、手まで微動だにしていない。油断はしなかった。ニセモノでもそのまま捻り潰すつもりで、最初から本気で対局をしたのだ。

 

結果から言うと、NCC公式は本物だった。

 

何故、今更一般アカウントで現れたのか? 特殊アカウントではない理由はなんなのか?

 

もしかすると特に理由がなく単純に対局をしたくなったから、そんな気楽な気持ちでアクセスした可能性だってある。しかし、それは緒方にとってどうでも良かった。

 

単純に理由がどうであれ、偶然だったにせよ対局する事ができたのだ。誰かから話を聞いでのものではなく、直接実力を体感したのだ。それは碁打ちとしてどれほど、幸運な事だろう。とても充実感があった。

 

しかし、自分の負けで終わってしまった。いや、負けてしまったのは確かに悔しいが別段問題ではない。その実力の大きさにショックを受けたのだ。

 

緒方はもっと上があることをまざまざと見せつけられたのだ。全てにおいて自分の上を行かれてしまった。大分実力があると思っていた己が、未だ未熟であったのだと思い知らされたと言っても過言ではない。

 

いつまで、その体勢のままだっただろうか。やっと我に返り、メガネを外した。今更どっと疲労が押し寄せてくる。指で眉間の皺を伸ばしながら、そのNCC公式の正体についても考える。

 

一番の有力な候補は子供だという説から進藤ヒカルだが、それが本当だったとするとアキラくんと同い年ということになるのだ。あの洗練された碁を果たしてあの年齢で打てるものなのか。疑問は尽きない。

 

ただ、もし彼だとするならば、前回は逃げられてしまったものの、今度は捕まえることが出来たなら直接打つことも夢ではない。五人全員を持碁にし、アキラくんをも打ち負かす実力者。緒方が知らないだけで、もっと他にも色々とやらかしてくれているかもしれない。

 

自然と口角が釣り上がるのを感じる。

 

問題はどう接触するかだ。アキラくんはああ見えて頑固な所がある。一度決めてしまうと口は割りそうにない。ならば、あの狸ジジイの方がマシかもしれない。緒方は思わず渋い顔をする。

 

幾ら情報を得られるという点についてはマシとはいえ、精神的にダメージを負うので微妙な所かもしれない。あのジジイの事だ。のらりくらりと人の会話をかわし、核心を突かせないことも大いにありうる。

 

しかし、その障害を乗り越えてでも、打ちたいと緒方は思うのだ。一度経験した影響というものは大きかった。人々が熱狂してその正体に迫りたくなるのも大いに理解出来る。

 

すっかり緒方もその内の一人になってしまったのだから。果たしてNCC公式が、正体について皆が騒いでいることを知っているのかは定かではないが、こんな事態を引き起こしているとは予想もしてないに違いない。

 

今後、再び現れるだろう公式を見に、オフの時パソコンに張り付く自分を想像して緒方は苦笑した。

 

気が進まないが、まずは一番有力な心当たりの桑原に接触しよう。台所でコップの水を一気飲みをすると、緒方は車を取りに外に向かった。

 

そして日本棋院に向かう車の中で、どう言い逃れをさせまいか考えるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

奇しくもヒカルは例のテレビをリアルタイムで見てしまった。その時は丁度ご飯時だった為に、飲んでいた味噌汁を吹き出してしまっていた。

 

「ぶ―――っ」

 

「何やっているのヒカル。汚いでしょう」

 

「だ、だ……って、いや、ごめんなさい」

 

モザイクをかけられていて良かった。これが、モロ顔が映っている状態で放映されてしまっていたなら終わっていた。ヒカルは顔が青ざめる。そして、もうなるべくイベントには行かない様にしようと方針を打ち立てるのだった。

 

本当は囲碁関連のイベントならば行きたくて仕方がないものの、もしも今度も同じ様な事があったらと考えると気が進まなくなる。

 

しかし、だからといって普段の対局を控える気はヒカルには毛頭なかった。顔を隠して碁を打つ。それならば適切なツールがある――ネット碁だ。

 

イベントはアレで終了だし、延長の申し入れがあったものの断ってしまった。けれど、一般的な普通のアカウントであるならいつだって参戦が可能なのだ。一応はと心配したヒカルは桑原に連絡を入れ、問題ないかを確認した。

 

返答はOK。寧ろ喜んでおったよと言われてしまった。丁度回収する予定だった碁会所のパソコンすら永久に貸してくれるらしい。

 

NCC側が高価なパソコンをポンとくれたことに恐縮してしまったヒカルだが、桑原は上機嫌に笑うばかりだった。

 

そういう訳で、遠慮なくプロ試験の本選まではネット碁に打ち込めるというものだ。パソコンの電源を入れ、さあ打つかと思ったところで、早速対局の申し込みがあった。

 

『ogataseiji』

 

(ん? これってマジでアノ緒方さん?)

 

緒方が本名でネット碁をしてるとは考えられないヒカルだったが、取り敢えず対局を受けることにする。しかし、受けた途端に投了の画面になる。不審に思うも、直ぐに答えは得られた。

 

対局相手の目的はチャットをすることにあったのだ。再戦を申し入れられる。受けるか迷ったもののアカウント名が気になったヒカルは了承することに決めた。明日の午後1時を指定すると、あっさり決まる。

 

そのまま他の相手と対局をしても良かったのだが、出鼻をくじかれたヒカルはその日の対局はやめにすることにしたのだった。

 

 

◇◆◆◇

 

(ホントに緒方さんだった。戦い甲斐のある楽しい一局だったな)

 

対局後ヒカルはそう思った。再戦をしてみると『ogataseiji』は本物だったのだ。そして、対局していて楽しかったのと打った手について考えたいこともあり、桑原と検討をしようと思い立ったのだった。

 

何日か前に予定を聞いた時は、確か今日は日本棋院に居る筈だ。ヒカルは家を飛び出した。

 

そして日本棋院の入口で、ばったり緒方と出くわしたのだった。ちなみにヒカルは入る為、緒方は桑原と会うことが出来ず空振りに終わり出る為だったりする。

 

「なっ」

「え」

 

相手を認識すると反射的にヒカルは逃げようと反対方向を向き足を動かしたが、それよりも早く腕を引っ掴まれてしまった。そして、ヒカルの様子を見て緒方は眉間に皺を寄せる。

 

「待て。何故、逃げる」

「何でって言われても条件反射でとしか……」

「条件反射? そんな訳はないだろう。何か心当たりがあるんじゃないのか? あぁ、そういえばテレビに出演したらしいじゃないか」

「テレビぃ? 何のことか俺分かんないんですけど」

「とぼけても無駄だ。その前髪は特徴的だからな」

 

ヒカルは反射的に思った。コレは鎌を掛けているぞ、と。何故なら、ヒカル自身が例のテレビを丁度見ていたからだ。

 

アレは隅に偶然映ったモノだった。映像としては映りが良いとは言い難い。モザイクを掛けていたのも大きいがヒカルは殆どが後ろ姿しか写っていない為、特徴的な前髪はほぼ映っていなかったといってもいいだろう。

 

しかも緒方は人から聞いた的な言い方をしているのだし、直接見た訳ではない。あの番組にしたって、ビデオに最初からわざわざ撮っている人は多いとは言えないだろう。

 

しかし、ここで迂闊(うかつ)にその事を指摘してしまうのもマズイ気がする。緒方の事だから、きっと何らかの綻びを見つけてしまう。そのまま会話の流れを持っていかれ、テレビに映ってしまっているのは自分だと分かり、コチラが逆に窮地(きゅうち)に立ってしまう可能性がある。

 

ここは無難にすっとぼけるのがいいだろう。そう思い、ヒカルが口を開きかけた時だった。

 

「何をやっているんだね、緒方君」

 

まさかのタイミングで塔矢行洋がやって来た。緒方は驚いて追求を辞めたものの、未だ手は離していない。

 

「いえ、少しこの子供に用があったものですから」

 

「手を離してあげたらどうかね。……君は?」

 

言われて渋々緒方は手を離した。そして、名人に名前を尋ねられて答えないという考えはヒカルには無い。

 

「俺は進藤ヒカルです」

 

「そうか、君が。アキラに勝った件は聞き及んでいるよ」

 

「そうですか」

 

「私は進藤君。君の実力が知りたいと思う。どうだろう一局打たないだろうか?」

 

言葉に詰まった。確かに名人と真剣に対局をしたい。しかし、この場では――対局出来る場所があるとはいえ幾らなんでも――集中して対局は望めそうにない。

 

場所を移してなら、是非お願いしたかったが緒方が居る。先ほどの様子からして、絶対についてくるに違いない。別段、実力を隠し通すつもりはないのだが、露見すると色々と大変な気がするのだ。

 

「……俺、今プロ試験を受けているんです」

 

「…………」

 

「絶対に受かる気でいます。けど、もし対局して下さるのならその後にお願いしても良いですか?」

 

「あぁ、分かった。では、待っていよう。先の楽しみがあるというのも良いものだ」

 

プロ試験は実力も必要だが、水ものでもある。にも関わらず大それたことを宣言してみせたヒカルに対して頷いてみせる名人。ヒカルにとって対局をするからには本気でという気持ちは今でも変わっていない。打つからには例え名人相手でも勝ってみせる。ただ、タイミングの問題だ。

 

これがもしも佐為だったらこんな美味しい展開を逃す筈もなく、対局しましょうのオンパレードだったに違いない。ちらり、と緒方を見ると未だ物凄く何かを言いたそうな顔をしているが師の手前我慢をしている様だ。

 

この我慢がいつまで続くか分からない。早々に退却してしまおう。ヒカルの判断は素早かった。

 

名人と緒方に頭を下げて挨拶をするとヒカルは日本棋院を後にすることにする。ネット碁の検討をしようとして、まさか本人と名人に会うとは思わなかったのだ。桑原には後で電話をすることにしよう。

 

 

◇◆◆◇

 

 

ヒカルが去った後、緒方は恨めしそうに視線を送っていたものの諦め、行洋に視線を向けた。

 

「今回彼と打たなくて本当に良かったのですか?」

「うむ」

 

頷いた行洋に緒方は少し考えると、これから時間があるのかを尋ねたのだった。

 

「時間は空いているがどうしたんだね?」

「実は見て欲しい対局があります」

 

そして場所を移し、盤上で表現されたその戦いに行洋は目を大きく見開いた。

 

「ここで俺が投了です」

「これは……」

 

驚いている行洋に更に緒方は畳み掛ける様に伝える。

 

「恐らく彼です」

「?」

「進藤ヒカル。俺の推測が正しければ、この対局相手――公式NCCアカウントの正体は彼で間違いありません」

 

行洋は何やら深く考え込んでいる。しかし、その目の色は明らかに変化を遂げていたのだった。




残念ながら次回は名人戦ではないです。
次回が最終話になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

プロ試験本選。この段階になって(ようや)く、ヒカルの凄さが周囲に伝わりだした。

 

まず、本選がスタートしてから直ぐ桑原が応援にやってきていたのだ。その際にヒカルがじーさん呼びをしていたので、他の人達の間でヒカルは桑原の孫説。実は桑原の弟子説が密かに濃厚だったりする。

 

そして次に目を引くのがその白星の多さだ。塔矢アキラと並んで勝っている点が挙げられる。二人がぶつかるのは丁度最終日に該当する為、その日を期待する者も多かった。

 

しかし、それらは対局した者が感じた圧倒的な実力の前では小さいことなのかもしれない。ヒカルはもうプロになるのだから自重する必要性――元からあったかは非常に微妙だが――はないと感じていて手は決して緩めなかったからだ。

 

そこに予選時に名人や緒方も注目をしているという話が合わさり、今ではヒカルはすっかりとある種の有名人と化していた。

 

本人からすれば元々七冠棋士だった時の経験がある為、それに比べると些細なものであったので特に噂に関しては気にした様子は見せなかった。

 

だからこそ、そんな有名人が長年の付き合いがあり、お互いの事を知り得ていますと言わんばかりの気軽さで声を掛けてくるものだから、和谷は飛び上がらんばかりに驚いたのだ。ちなみに、接点などまるでない。

 

「よっ、和谷」

 

「な、ななな何だよ」

 

「そんなにビックリしなくたっていいじゃん」

 

「いや、ビックリするだろ。普通」

 

「そんなことよりもさ、ちょっとあっちの隅で話そうぜ」

 

「別にいいけど、何だよ」

 

急にそんなことを言われるものだから、和谷は怪訝そうにしている。しかし、ヒカルは全く気にしてない様子だ。

 

「和谷は森下九段の研究会に行っているだろ?」

 

「そーだけど、そんなこと良く知っているな」

 

「まーな。で、その研究会みたくはなんないだろうけど、良かったら俺も研究会モドキをしようと思うんだけど来ないか?」

 

聞くと、場所ももう確保している様で、桑原本因坊が所有している閉鎖された碁会所を提供してくれると話がついているらしい。ちなみに、桑原の他のメンバーには塔矢アキラも入っているとの事だ。

 

「ってか、何で俺?」

 

「和谷だからだよ」

 

「俺だから?」

 

ヒカルにとっては元々院生時代から良くして貰って付き合いの長い仲間だった。その延長線での言葉だ。もちろん、和谷の実力も良く知っている。これから成長するであろう伸び代も。今はまだ未熟かもしれないが、総合した実力も考えてのことであった。

 

和谷からすると、ヒカル程の実力者に自分が選ばれた。認められたと言っても過言ではない。急に高揚感が襲ってくるわ、気恥ずかしくなるわでアタフタしている。

 

「ちょーっと待った! その研究会、私も参加したいんですけど」

 

隅の方でこそこそと話していたにも関わらず話が聞こえてしまったのか、奈瀬明日美が会話に参戦してきた。

 

『え?』

 

「確かに私だったら全然実力不足だと思う。それは認める。けど、碁打ちとしてそんなスゴイ研究会の話を見逃すなんてマネ出来ない。もし、ダメじゃないなら、進藤君お願いします」

 

「進藤君? って、辞めてくれって。進藤でいいよ」

 

「お願い、進藤」

 

奈瀬は両手を合わせて懸命に願い出ている。ヒカルは和谷に助けを求めて顔を向けるも、無駄だ自分で考えろと頭を横に振られた。

 

「うーん、じゃあ研究会する場所の秘密とかを守ってくれよな」

 

「もちろん。ゼッタイ守る」

 

「あのさ、他にも誘う奴とかって居るのか?」

 

「出来ればあと伊角さんを誘いたいんだ」

 

「進藤、イイ人選だぜ。きっと伊角さんも嬉ぶだろうな!」

 

今は大事なプロ試験中なので終わってからになると最後に付け足したのだが、二人はもう乗り気になっている。早速、伊角にも話を持っていこうとヒカルの腕を奈瀬に引かれ。背中を和谷に押されながら向かうことになった。

 

その道中。廊下で和谷が恐る恐るといった感じに小声でヒカルに尋ねる。

 

「そういえば、ネット碁でNCCの公式アカウントってのがあったんだけど、アレって実は進藤…‥じゃないのか?」

 

「あー……うん、そうだよ」

 

「やっぱり!! って、お前緒方さんに勝っているって事か?!」

 

「ばっ、和谷。声がデカイ!!」

 

慌ててヒカルが和谷の口を塞ぐ。周囲を確認するも運良く誰も居なかった。二人はふーっと息を大きく吐く。奈瀬だけに疑問符が頭に浮かんでいる。

 

「ねぇ、和谷。NCCの公式アカウントって何?」

 

「それはだなー……っていうか、進藤。お前テレビに出たのもそうなのか? あと、どんな理由があって、あんな……」

 

「えっ、進藤ってばテレビに出たの?」

 

「だ――――!もう、それは研究会の時でいいだろ。流石に誰に聞かれるか分からない所で話せるかよ」

 

「悪い悪い。というか、今年のプロ試験狭き門過ぎる……」

 

和谷と奈瀬のテンションが急降下している。しかし、そんな感じに徐々に三人はどんどんと仲良くなっていくのだった。

 

 

◇◆◆◇

 

 

そして時は過ぎーーー居間のテレビではN○Kのとある棋士の特集が放送されている。その棋士は何と今まで負けた事がないという生きた伝説とまで称された棋士だ。

 

しかし、驚くのはそれだけではない。彼の経歴はとても華々しいのだ。

 

まずプロ試験を突破した段階でとあるテレビ局の取材を受けていた。その時は、あの塔矢アキラをも打ち破ったという折り紙つきだったが、どうやらアマチュアの時にもプロを打ち破った事があるとの事だ。

 

それもネットの――炎上後もネットの住人が情報を集めていた――ソースによると、別な人が最初打っていたのが目撃されていた。しかも、劣勢だったという。そこからの対局だったにも関わらずの勝利。彼の凄さの一端が分かるエピソードだ。

 

実際、調査により元の取材テープを見るとその通りだった。経緯は不明なものの、何故か世界中からその時の映像を編集ナシで見せて欲しいという要望が殺到し、無視出来なくなったのだ。

 

当時のテレビスタッフは一部のスタッフは事情を理解していたものの、違う者達は謎だらけで困惑していた事は言うまでもない。しかし、これだけの反響だ。恐る恐るだった。

 

そして放送してみると、驚くべき番組の視聴率。しかも、今度は密かにネットにまで転載され世界各国の字幕まで付けられて相当の再生数を記録した。

 

また、音声は取れていないもののプロ側の到底指導碁とは言えない打ち方にあった筈の擁護(ようご)は消え、批判が高まるという結果になった。日本棋院にも直接多くの問い合わせや厳しい意見が届いたと言われている。

 

やがて、ついには最初に映っていた男性もが取材に応じた。つまり、あの時の真相が明るみに出たのだ。売り場の人とグルになり碁盤を偽って売っていた事までもが。

 

彼は何と偽物の碁盤の素材を見破り、詐欺を未然に防いでいたのだ。

 

そして結果、御器曽プロは囲碁界を去ることとなったのだった。現在は警察署にて事情を聞かれている状況だ。このまま取り調べが続き、裏が取れたなら逮捕されるだろう。

 

しかし、彼の凄い出来事はそれだけではない。プロ試験を突破した時の取材の際、桑原本因坊が居た。桑原と一緒にいる所を偶然捉え、ヒカルの呼び方がじーさん呼びだったことから孫ですか? と記者が尋ねた所、否定。

 

「ひゃっ、ひゃっ。そう思うか? こやつはな。ワシのライバルよ。このライバルの座は例え塔矢行洋相手にもそう簡単には譲れんよ」

 

まさかの本因坊からのライバル宣言に場が沸いたのは言うまでもない。しかも、塔矢行洋も絡んでいるらしい。

 

余談だが、当時の事を今の桑原は、嘘にならない様、常に努力はしているが言ったもの勝ちとは良く言ったものじゃな。と発言している。食えないジジイっぷりは健在だった。

 

その他にも彼はネット碁でNCCの公式アカウントを引き受けていたこともあり、その桁外れの強さは海外にまで響きわたっている。

 

茶目っ気のある彼はプロになった今でも度々ネット碁に登場して、勝ち星を挙げているらしい。

 

また、彼はプロになったと同時期位から独自の研究会を開く。その初期メンバーは今となっては全員がプロになっているが、当時は院生だった者の中から実力者を見抜きスカウトしていたのは有名な話だ。

 

無論その研究会は入りたい者が殺到しているが、棋力は様々な人物が選ばれている。尚、基準は謎でありネットでも良く理由が追求されているも未だ不明なままである。

 

彼の名前は―――進藤ヒカル。果たして彼の伝説はどこまで続くのであろうか。

 

 




これにて完結とさせて頂きます。お付き合いありがとうございました!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。