青春ラブコメは嘘《フィクション》だらけ (龍川芥/タツガワアクタ)
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① 4月6日(月)・新学期

 ――任務開始。

 烈火の声がそう言った。

 

 

   ① 4月6日(月)・新学期

 

 

 ――俺は友人も恋人も作らない。その必要性も感じない。

 

 「他人との関係」というのは、糸に例えることが出来ると思う。

 互いを繋ぐ、関係という名の糸。それは時に、命綱のように人を窮地から救ったり、ミノタウロス迷宮の伝説よろしく正しい道を示す毛糸玉の役割を果たしたりもするだろう。具体的には、落ち込んでいる時に友達が励ましてくれたりだとか、就職先に知り合いがいて便宜を図ってもらったりだとか……その手の話は枚挙に暇がない筈だ。

 他人と繋がり、お互いの糸を頼りに助け合いながら生きていく。こう書けば美談というか耳触りが良いというか、「他人との関係」なんて繋ぎ得じゃん、と皆思ってしまうだろう。だがそれは違う、と俺は思う。

 

 糸。それは「命綱」のように何かと何かを繋ぐものであり……そして同時に、「縛るもの」でもあるからだ。蜘蛛が糸で獲物を捕らえるように、または悪者を縛る縄のように。つまり俺が他人との関係を糸に例えたのは、そんなイメージから来た発想である。

 例えば、友人なら「何度も遊びの予定を断るのは忍びない」だとか。

 恋人なら「異性の友人と二人きりで会うのは不味いかもな」とか。

 家族なら「期待を裏切らないようにいい成績を取らなくては」とか。

 そしてこれは逆も成り立つ。「何度も遊びの誘いを断られるのは心外だ」「他の異性と二人きりなんて許せない」「学費と塾代の分の成績は取って欲しい」……。

 そう。もうお分かりだろう。確かに関係という名の糸は、ときに人を導き、ときに人を窮地から救う。だがその代償として、その糸はいつだって自分を相手を縛り、手前勝手に振り回すのだ。まるで糸で繋がった操り人形が、互いに互いを操ろうとするかのように。

 

 やはり、他者との関係は糸に例えられると思う。

 それは命綱であり、毛糸玉であり。そしてお互いを雁字搦めに縛り動き辛くする、または心に食い込んで痛みを発する束縛の糸によく似ているのだから。

 改めて、最初の宣言を繰り返そう。

 ――俺は友人も恋人も作らない。その必要性も感じない。

 誰かに縋ることも誰かに媚びることも、俺の人生には必要無いことだと信じているから。誰からも助けられない代わりに、誰かに足を引っ張られることも無い。誰も縛らず誰からも縛られない。そんな孤独を、俺は誇って生きている。

 

 さて、長々と語ったが……つまり何が言いたいのかというと。

 

 

「……マジかよ」

 

 呆然と、ただ呆然と。俺は慣れ親しんだベッドの上で、電池切れにより完全停止した目覚まし時計を手に呟いていた。

 ……そう。つまり何が言いたいかって、俺が寝坊したところで、モーニングコールをかけてくれる友達や、わざわざ起こしに来てくれる恋人(※古典的ラブコメ式幼馴染でも可)なんて、1人として居ないということである。

 スマホで確認した現在時刻は『08:51』。確か今日の始業式は8:30教室集合の8:40開始なので、一周回って急ぐ気が無くなる感じの遅刻だった。

 

「はぁ……なんでこういう日に限って電池が切れるんだよ」

 

 新学期早々遅刻は流石に気分が落ち込む。いやなに、たまにはこんなこともあるさ。俺は気高く孤独に生きる者。別にこんなことで涙目になったり顔を青ざめながら落ち込んだりはしない……しないったらしないのだ。俺は心のメモ帳に「目覚まし時計の電池を買い換える」と記しながら、胸に蟠る感情を消化するように言葉を吐き出した。

 

「寝坊なんていつぶりだ……まさか新学期初日にこうなるとは、俺もツイてないなぁ」

 

 倦怠感と戦いながら、俺は名残惜しい温かさを放つ布団からなんとか這い出た。

 ベッドに腰掛け、脇の小物置きに置いてある洒落気のない眼鏡をかけて、遅刻という後ろめたさを誤魔化すように深呼吸をひとつ。朝の空気が肺を満たす感覚は、寝坊した日でもそこそこ気持ちが良いのが救いだった。

 

 いつもより陽の高い始業式の朝。少し涼しさの残る春の陽気が部屋を満たしている。

 家具の少ない、1LDKの学生寮二階の一室。少し殺風景だか片付いているわけでもない孤独な部屋。テレビの横のタンスの上に、小さな子供を両親が挟んだ家族写真がひとつ、淋しそうに置いてあった。今の俺よりもずっと幼い写真の中の少年が両親の手を取り、遅刻を揶揄うような笑顔でこちらを見つめている。

 ぎしり、と腰掛けたベッドが小さく軋んだ。

 

「……誰かに起こされるのって、どんな感じなんだろうな」

 

 ぽつり呟いた言葉は、誰かへの恨み言なのか、それとも。

 そんな部屋で今日もまた、俺の1日が始まった。

 

 俺の名前は四季(しき)(めぐる)。今日で高校2年生になる。

 

 ちなみに勿論、友達も恋人もまだ居ない。

 

 ◆

 

 4月6日、月曜日。

 寝不足の目には眩しい朝の陽射しを浴びながら、俺、四季巡はアスファルトの歩道を歩いていた。左手に目をやれば、グラウンドを挟んで学校校舎が見える。

 俺が通う高校、木世津(きせつ)高校の学生寮は校内ではなく敷地外——正門から見て東側に隣接した住宅地の中にある。これは木世津高校、略してキセコーの寮制度を利用する生徒が少ないからだろう。此処小代実(こよみ)町は充分開発の進んだ住宅街であり、また交通インフラも整っている。そんな街でわざわざ学生寮を利用する生徒は少ないので、寮も二階建てで1LDKが合計八部屋のみと、その辺のアパートと比べても小さめのサイズだ。噂によると「学生寮完備」という箔が欲しかった初代校長が、持っていたアパートを学校側に安く貸し、その伝統が今も続いているらしいが……興味がないので詳しくは知らない。

 まあ敷地外とはいっても寮と学校は道路を挟んで隣接しているので、ここから校門である北門までは200メートルも無く、その間に信号も横断歩道も無い。というか通学路の大半は学校と隣接した、グラウンドを見ながらの登校が可能な道しかない……それはつまり、道中に遅刻を産むトラブルがほとんど発生しないということで。電車が遅れたとか自転車がパンクしてとか、そういう言い訳が使えないということだった。

 

「……今頃始業式の真っ最中か。流石に途中で入っていく度胸は無いなぁ……」

 

 溜息と共にぼやく。

 俺が歩くのは木世津高校側の歩道、側溝と白線に挟まれた、手を伸ばせば学校のグラウンドを覆う緑色のネットに触れられそうな道だ。

 登校時間はとっくに過ぎているためか、そんな通い慣れた通学路は普段よりずっと人通りが少ない。電線の上で鳴く鳥の声がなんだか俺を責め立ててくるようで、俺はどうにも居心地悪く学生鞄を担ぎ直した。

 1年間通いつめた道だ、距離も相まって迷いようもない。もはや目を瞑っていても通えるレベル。しかし遅刻の後ろめたさ故か、俺はいつになくのっそりとした足取りで学校側の歩道を進む。左手側に見える見慣れた校舎は、今だけレベル1の勇者を待ち受ける魔王城くらい近寄り難い場所に見えた。

 

「くそ、念のためスマホでもアラーム設定するんだったなぁ……」

 

 遅すぎる後悔が思わず漏れる。溜息を吐きながらながら通学路で唯一の曲がり角――学校の北東端の部分を曲がろうとした時。

 

 その声は、唐突に飛び込んできた。

 

「いっけなーい! 遅刻遅刻ー!」

 

 どこか投げやりな高い声。しかしそれで終わりではない。

 声の主であろう人影が、俺が今まさに曲がろうとしていた角から突如として飛び出してきたのだ。

 こちらに飛び込んでくるようなその人影に、思わず俺の口から焦りの声が漏れる。

 

「う、わっ!」

 

 だが辛うじて俺の体は反応、人影から離れるように後ろに身を躱す。

 否、躱したハズだった。

 しかし如何なる偶然か、飛び出してきた人影はその軌道をこちらへと曲げたのだ。

 

「げ――」

 

 やばい、と思う間もなく近づく俺と誰かの距離。

 軌道変更など想定もしていなかった俺が、それを躱せるハズも無く。

 

 ――結果、衝突。

 

 ドン、と激しい衝撃に俺は尻もちを付き、咄嗟に出した手をざらざらしたアスファルトの路面で擦りむいてしまった。

 

「い、(いて)ぇっ……」

 

 手に血が滲むのを感じる。手のひらに満遍なく広がる痛み、そして制服の尻と鞄が砂で汚れた不快感。

 

「(クソ、何だってんだ。遅刻の次は怪我かよ……っ)」

 

 泣きっ面に蜂な状況に、普段より数段口の悪い悪態が喉から飛び出そうになる。それをなんとか我慢した俺は、怒りのままぶつかってきた人物の姿を確認しようと顔を上げ――そして次の瞬間、怒りも苛立ちもどこかに忘れた。

 

「――ちょっと、どこ見て歩いてるのよ!」

 顔を上げた俺の眼前には……女子。女子が居た。しかも結構可愛かった。

 赤毛というのか、珍しい髪色の少女で、目と鼻の先である木世津高校の制服を着ている。俺と同じように地面に尻もちをついていて、潤んだ瞳でこちらを睨むように見つめていた。気の強そうな顔立ちは、髪色も相まってどこか炎を想起させる。

 

 知らない女子だ、と無意識に思う。いや、今回ばかりは俺の交友関係が狭いからではなく。

 彼女の整った顔立ちに、地毛だろう特徴的な綺麗な赤毛。首元の赤色のネクタイから、彼女も俺と同じ2年生だと分かる。こんな女子なら一目見れば忘れられないハズなのに……少なくとも一年生のときには一度も見た事が無い。新学期デビューという雰囲気でもないし……。

 俺がそんなことを考えていると、名も知らぬ女子が先に動いた。

 彼女はバッと素早い動きで地面に落としたカバンを手に取り、そしてどこかわざとらしく、

 

「そうだ、遅刻しちゃう!」

 

 と言い残して踵を返すと、そのまま校門の方へ走り去っていくのだった。

 その様子に、思わず一言。

 

「……いや、もう遅刻は確定してね?」

 

 ほとんど呆気に取られていた俺は、チクリとした手の痛みでようやく我に返った。ポケットティッシュで手のひらの血を拭い、道路に落ちたカバンと制服の尻の部分の砂を払いながら立ち上がる。

 一応スマホで時間を確認するが……表示された時間は『09:13』。ああ無情、今からどれだけ急いだところで遅刻は確定である。

 

「時計でもズレてたのかあの子……そうだ、『人とぶつかって気絶してたんです』って言えば遅刻が取り消されたりは……いや、流石に無理があるなぁ」

 

 なんなら虚偽の証言として更に罪が重くなりそうだ。なにせ去年、新作ゲームをするために「祖母が危篤で」って嘘ついてズル休みしたら、次の日めっちゃ怒られて草むしりさせられたからな。1人で。

 

「あの子も『時計がズレてたんです』って言って、嘘判定くらって草むしりさせられたりして……ん?」

 

 そんな苦い思い出を噛み締めていた俺は、此処でふと気づく。

 

「……ちょっと待て」

 

 口から洩れる声は、我知らずトーンが下がっていた。俺の脳内に、先程の衝突事故のシーンが再現される。俺とぶつかって走り去っていった、キセコーの制服を着た赤い髪の女子生徒。

 

「今の子、うちの学校の生徒だよな」

 

 俺の通学路の曲がり角はひとつだけ。そして俺が歩いていたのは、学校側の東歩道。 俺から見た「曲がり角」は当然左手側にある。そして、学校への道も左手側。

 つまり今の女子生徒は……俺から見て左手側の角から飛び出して、俺とぶつかり、そして左手側の角へと――()()()()()()()()()()()()。 木世津高校の制服を着て「遅刻しちゃう」叫びながら、つまり明らかに目と鼻の先の学校へ行く意思を有しながら。

 

「……いや、なんだそれ」

 

 理解不能な行動に困惑する。だって北校門を通り過ぎでもしない限り、そんなことにはならないハズだ。北門からこの曲がり角までは100メートル弱ほど、勢いが付いたからと言ってここまで滑るなんてことも無いだろうし。

 色々な仮説を考えた末、俺はひとつの結論に達した。

 

「まさか今の子……二次元から飛び出してきたレベルのドジっ子なのか?」

 

 思わず呟く。なにせそれくらいしか考えられる可能性がない。いや、もうひとつだけある。それは……わざわざ俺を待ち伏せしてぶつかってきた、という可能性。

 

「いやいや、ありえねー」

 

 我ながら荒唐無稽な考えに、思わず失笑が漏れる。だってそんなことしても、あの女子にはなんのメリットも無いだろう。いや、他人にぶつかって嫌がらせするイジメみたいなのがうちの学校で流行り出した可能性もあるが……そんなものがあっても、流石に遅刻してまではやらないだろうし。

 答えが見えない思考に少し困惑し……俺は結局、「これ以上は考えても無駄」という結論を出した。

 

「んー……ま、とりあえず俺も学校行くかぁ」

 

 気を取り直して宣言し、俺は再びのっそりとした足取りで通学路を歩き出す。今は女子の事より遅刻を咎められないかが不安で仕方ない。

 けれど、思う。件の赤毛女子、その整った容姿がちらついて。

 

「でも、今のはなんていうか……ラブコメのテンプレ展開みたいだったな。あの女子、見たことは無いけど可愛かったし。もしかしたら運命的な出会い、とかだったり……いや、自分で言っててアレだが、無いな」

 

 己の発言に苦笑する。今のはちょっとキモかったな、と思いつつ、俺はもう会う事の無いだろう赤毛女子のことを思う。

 どうか彼女の遅刻が許されますように、そして嘘の証言を理由に草むしりなどさせられませんように、と。

 

 ざあ、と風が吹き、桜の花びらが視界に舞った。

 学校の北側の歩道、広めの道に細かい飾り石が埋め込まれたその道には、学校と反対側の車道との間を遮るように桜が植えられている。今は春、当然桜は満開だった。

 降り注ぐ陽光、桜の花びらを通したことで桃色になったそれに当てられ、俺は少しセンチメンタルに呟く。

 

「……とにかく、今日から俺も2年生だ。妄想も遅刻もほどほどにして、ちゃんと卒業できるよう頑張らなくちゃな」

 

 時刻は午前9時20分、始業式終了を伝えるチャイムが鳴る学校への門を、重い足取りでようやく通過する。

 皆と比較して約一時間遅れで、俺の新学期は始まったのだった。

 

 ◆

 

 さて。些か唐突だが、ここで去年の事……つまり俺が高校1年生だった時の思い出を語ろうと思う。

 俺が通うここ、市立木世津(きせつ)高校はいわゆる「なんちゃって進学校」だ。通う生徒の大半は就職では無く大学進学を目標として勉強をするのだが、校訓が『学びと青春の両立』という所からも察せられるように、この学校の偏差値はそこまで高くない。教師陣も「勉強はして欲しいけど、それより大事なこともあるから……」というスタンスで、まあ少なくとも生徒からの評判は良い学校だ。

 そんな聞くからに楽しげな高校に入学した去年の俺は、2年生へと駒を進めた今日に至るまで、めくるめく青春の日々を送り――というようなことは無かった。

 俺の一年生の記憶は次の通り――「いたって普通に学校に通った」。以上。

 ……いや、本当にこれ以外言いようがないのである。特筆できる思い出とか、楽しかったイベントとかが一切無いのだ。

 友達も恋人も居ない、毎日同じ時間に学校に行き授業を受けて帰宅する日々。運動会は欠席、学園祭は流行り病で病欠。思い出は全体的に灰色というかモノクロパラパラ漫画というか……「教室の隅でじっとしてたら気付くと一年経っていた」みたいな、言葉にすればそんな感じ。

 成績表には「もう少し積極的に皆と関わろう」と書かれ、体育の時間では「せんせー四季くんが余ってまーす」とクラス委員に叫ばれる、そんな男が俺だった……うるせえほっとけ、人が友達作らなかろうが自由だろうが。泣くぞ。

 だがそんな日常も悪くない、と俺は窓の外の雄大な空を見ながらあえて呟いてみせるのである。

 友達が居なければ喧嘩の痛みは無く、恋人が居なければ別れへの怯えも無い。

 そんな、薄味ではあるが波風の立たない平穏な1年を送り、俺は密かに決意していた。今年もそんな感じの、淋しくもささやかな幸せを噛み締めるような高校生活を送ることを。

 

 

 そのハズだった。だったのに……どうしてこうなったのだろう。

 

「あー!! アンタはあの時の!」

 

 こちらに向けられたその人差し指と大声に、教室中の視線が俺に集まる。

 高校生活始まって以来の大注目、総勢30人からの視線の群れに、俺は所在なさげに下を向くことしか出来なかった。首が熱くなり、そこから嫌な汗がだらだらと噴き出るのを感じる。慣れていない者にとって「注目」とは、時に非難と同じかそれ以上に鋭い刃となるのだ。

 そんな刃にぐさぐさと心を突き刺されながら、俺は心の中で絶叫する。

 

「(どうして……どうしてこうなった!? 俺の平穏な学校生活はどこに消えちまったんだ!!)」

 

 けれどそんな思いも空しく、針の筵のような注目は依然として去ってくれなくて。俺はこの受け入れがたい現実から逃避するように、こうなった経緯を必死で回想し始めた。

 

 

 時は少し遡り、始業式後。

 己のクラスを確認した俺はトイレの個室で人目につかないように時間を潰し、教室に戻る生徒達の流れに溶け込む様な形で割り当てられた教室に入った。中にはそんな俺に訝しげな目を……「こいつ始業式のとき居なかったよな」という目を向けてくるクラスメイトも居たが、特にそのことを咎められたりはしなかった。何故ならこの学校の中には、俺に話しかけて来れるほど俺と仲のいい人間は存在しないからである……なんだこれ、自分で言ってて凄い悲しくなってきた。来たばっかりだけど早退しようかな。

 そんな感じで、新しいクラスの出席番号で決められた新しい席……つまりここ「2-A」の窓際一番後ろの席へと着席した俺だったが、ここで思いもよらぬことが起こった。

 新任だろう2-A担任の若い女教師が、突如妙にいい笑顔でこう言い放ったのだ。

「さて皆。今から転校生を紹介する」

 その学園ドラマの始まりを告げるような担任教師の言葉に、クラスがやにわに色めき立った。「転校生が来るなんて初耳」「男子かな、女子かな」「可愛い子が良いな~」「イケメン来い!」と思い思いに周囲の友人と騒ぎ出す生徒らの後ろで、俺はというと……ひとりだけ青い顔で沈黙していた。

 思い出すのは、通学路でぶつかった女子の事。

 

「(転校生……赤毛で可愛い、目立つ筈なのに見た事ない女子……まさか)」

 

 そう。まだ見ぬ謎の転校生に色めき立つ教室の中、俺だけがイメージできる、できてしまう。この先の展開を、俺の身に降り注ぐだろう平穏とはかけ離れた出来事を。

 

「(通学路でぶつかったあの女子……恋愛漫画のテンプレートで考えると……いや落ち着け俺、アニメの見過ぎだ! 現実にそんなこと起こるはずが無い!!)」

 

 心の中で念仏のように繰り返し唱えるも、残念ながら効果は無かった。

 つまり――あの赤毛の女子が教壇の前に現れ、そして俺を指さしながら脳内で予測された展開をなぞるように「あー!! アンタはあの時の!」とそれはもう派手に叫んだのである。

 

 

 そんなこんなで今に至る。

 クラス中の注目の視線、そして担任の女教師の揶揄うような声。

 

「なんだ、お前ら知り合いか? なら席は隣同士で良さそうだな」

 

 いや違うんです、知り合いどころか名前も知りません、なんなら1秒くらいしか面識無いです……などと大注目されたこの状況で言えるハズも無く。俺はせめてもの抵抗として、この名も知らぬ女教師を嫌いになったのだった。

 

「(反論できない状況で分かりやすく揶揄いやがって、この恨みは忘れんぞ……いや、別に何か仕返しできるという訳でもないけどもさぁ!)」

 

 と、そんな俺を置いてけぼりに、担任教師は転校生の赤毛の女子へ、

 

「まあそれは置いておいて。とりあえず自己紹介をしてくれるか転校生。名前を黒板に書いて……あとはそうだな、転校の理由でも言ってくれ。ダメなら新しい学校での抱負でもいいぞ」

 

 と自己紹介を促した。

 

 そして、クラスの主役は俺から転校生の彼女へと変わる。

 総勢30人の視線を一身に受けて……けれど彼女は、俺とは異なり自然体に笑った。それはやわらかい陽だまりが射すような、桜の蕾が花開くようなそんな笑顔で。

 教室中が静まり返る――否、教壇の前に立つ彼女の笑顔にほうと見惚れる。

 

「えー、こほん」

 

 咳払いすら、花弁を運ぶ春風のように可憐だった。

 もはやこのクラスに、四季巡とかいう存在感の薄いヤツを憶えているものは居なくなったと確信できる程に、全員が目を奪われていた。

 

 ふわりと優美な輪郭を描いて膨らむ、肩を擽る綺麗な赤毛。前髪の下の表情、通学路では勝気に見えたそれは、今は微笑を湛えているせいか随分柔和で優しげに見える。襟元から、そしてスカートの下から覗く健康的な色の肌はくすみひとつなく、まるで白紙のキャンバスのよう。

 俺とぶつかった彼女、あのときの印象を猛くも美しい「炎」とするなら、今は可憐で誰もが目を奪われる「華」だろうか。そこらの地下アイドルなら蹴散らせそうな程整った容姿が、無意識のうちに俺の脳裏にそう連想させていた。

 そうこうしているうちに、転校生は口を開く。

 長い睫毛に大きな瞳、花が揺れるように鮮やかな赤い髪に彩られて、桜色の唇が白い歯をちらつかせながら踊って。

 

「――はじめまして。私は春咲(はるさく)朱里(あかり)って言います。木世津高校には親の都合で転校してきました。この学校での抱負は……真面目に頑張る、かな。皆、よろしくねっ」

 

 それは言ってしまえば、何の変哲もない、それどころか少し短めの自己紹介。

 けれどそれで充分だった。

 純情可憐。そんなイメージを、容姿と立ち振る舞い、シンプルな自己紹介での表情と声色だけでクラス中に植え付けた転校生――春咲朱里は、彼女を迎える強めの拍手と矢継ぎ早の質問の数々で、このクラス「2-A」へと受け入れられた。

 

 そんな教室の喧騒を最後尾の窓際の席で眺めながら、数秒で忘れられた男――存在感の薄い俺、四季巡は考える。

 

「(通学路でぶつかった相手は転校生、しかも可愛い。いやいや、どういう偶然だよコレ。しかも……)」

 

 ちらり、と目だけで隣を見る。俺の右手側にある隣の席、即ち最後列かつ窓際から一つ空いた席はあつらえたように空席だった。そしてそこに、自己紹介を終えた春咲が歩み寄り、そのままストンと着席する。

 俺は努めて右側を見ないようにしながら頭を抱えた。

 

「(よりにもよって隣の席……! なんだコレ、マジにラブコメアニメの世界に入りこんじまったのか俺……!?)」

 

 余りの急展開に目が回る。アニメや漫画の見過ぎで変な夢を見ているんじゃないかと頬を抓ったが、残念ながらというべきか、目が覚めたり転校生の幻覚が消滅したりすることは無かった。

 そんな俺を尻目に、春咲と入れ替わるように教壇に立った新任担任教師が、

 

「えー、私はこの春から新しく、ここ木世津高校に赴任して来た――」

 

 と自己紹介を始めるも、そんなものに耳を傾ける余裕など当然今の俺には無く。

 思い出す。自分に言い聞かせるように必死に、己の掲げた人生哲学を。

 

「(――俺は友人も恋人も作らない。その必要性も感じない)」

 

 口の中で言い飽きたその言葉を転がすと、少しだけ頭が冷める気がした。

 転校生の美少女と隣の席。きっと普通の高校生男子ならば「青春」だの「恋愛」だの言いながら諸手を挙げて喜ぶシチュエーションなのだろう。けれど俺はその「普通の男子」の枠組みからは少し外れた所にいる。

 

「(俺には友人も恋人も必要無い。誰かとの関係に縛られるくらいなら、そしてさっきみたいな注目を浴びるぐらいなら、ひとりぼっちの方がまだマシだ)」

 

 己自身に放ったその冷たい言葉に、熱に浮かされそうだった体が冷え、だんだんと冷静さが戻ってくる。

 

「(そう。俺は孤高のソルジャー。独りを選んだ気高き一匹狼。青春にも恋愛にも惑わされない真に強き漢! 我が覇道、止められるものなら止めてみやがれ……!!)」

 

 と、そんな一周回ってよく分からない方向に突っ走りだした思考を中断するように、俺の右耳に声が飛び込んできた。

 

 それは、先ほどクラスを虜にしたのと同じ、花弁を運ぶ春風のような声。

 

「――ねえ、朝の事なんだけど」

 

 思わず。

 虚を突かれたからか、それとも別の理由か。気付けば俺の首は右を向いていた。

 春咲朱里。隣の席に座る彼女の微笑みとばっちり目が合う。

 

「ありがと、こっち向いてくれて。その、朝のことはゴメンね。ぶつかったのに酷い態度取っちゃって。遅刻しそうで気が立ってたんだ。それを謝りたくて……えーと、名前、なんて言うの?」

 

 可憐な声が、綺麗な赤毛が、こちらを覗き込んでいるその花を思わせる笑顔が、俺のなにかに突き刺さった。 150キロ超えストレート球が俺のハートにどストライクし、そのままショッキングピンク色の衝撃波を体中に撒き散らす。

 

「(か、可愛い……っ!!)」

 

 えっと……女の子ってこんなに可愛かったでしたっけ?

 異性に耐性の無い心臓がどくんどくんと騒ぎ出し、薄弱な意志と軽い信念がグラグラと揺らいでいるのを自覚してしまった。エマージェンシーエマージェンシー、コードTKMK(トキメキ)! 強がり防壁決壊、最終防衛ライン突破されます! ……ってええい、こんなにあっさり負けてたまるか!

 

「(ええい舐めるな、俺は去年クラスで一番優しい朝山(あさやま)くんにも話しかけらず、学年イチ可愛いと噂の宵川(よいかわ)さんと目が合っても無言を貫いた男!! この程度の窮地簡単に切り抜けられるのだ!)」

 

 そんなふうに何と戦っているのか良く分からないまま、脳内で必死に当たり障りの無い対応を組み立てた俺は、あくまで平静を装いながら春咲に返事を行う。

 

「あ、えーと……お、俺は四季巡。朝のことはその、まあなんていうか、気にしなくていいよ、うん。俺も別に全然気にしてないし。……じゃ、そういうことで」

 

 それだけ言って、俺は自分の机へと向き直る。完璧だ。我ながら完璧な会話の切り方である。積み重ねた孤独の歴史が違うのだ。……いやそこ、寂しい奴だなみたいな目で見ないでよ。べ、別に寂しくなんてないんだからねっ。

 

 しかしなんと、予想外にも会話は終了しなかった。

 春咲は少し慌てたように、前に向き直った俺を引き留めてくる。

 

「そ、そんな訳にもいかないって言うか、そっちが気にしなくてもこっちが気にするっていうか……」

 

 【悲報】会話続く【どうすれば】。

 「無理して話を続けなくてもいいですよ」と春咲に対して必死に目で語りつつ、謎の汗を垂れ流しながらなんとか上手い返しを絞り出す俺。

 

「あー、その、ごめん。あの時は俺も注意散漫だったと思うし、俺が悪いよな、うん。じゃ、そういうことで」

「そんなことないよ! 私が不注意だったっていうか、だからその……」

「いや気にしてないからいいよ謝らなくて。じゃ、そういうことで」

「いや、あの……」

「大丈夫気にしてないから。じゃ、そういうことで」

「……えーと、そんなあからさまに避けられると、そっちの方が困るっていうか……」

 

 ぐ、流石にバレたか。俺の108ある会話切り上げテクニックのひとつ「じゃ、そういうことで(真顔)」を見切るとは、なかなかやるな……とか考えてる場合じゃねえ。

 実際ここに来て、俺はかなり頭を悩ませていた。

 

「(困ったなぁ……()()()()()()()()()()()()()に困った)」

 

 ここで勘違いして欲しくないのは、俺が拒む関係の糸はポジティブなものだけではないという事だ。他人を困らせることは、回り回ってネガティブな関係性の構築に繋がってしまう。嫌われるというのも一種の「関係」であり、お互いを縛る糸なのだ。

 そして当然、俺はそんなものに囚われたくない。会話は終わりたいが、春咲との間に禍根を残す訳にはいかない……。

 そんな理由で、なんとか当たり障りのない会話終了のための言葉を探していた俺の思考はしかし、春咲の次の言葉に打ち砕かれることとなる。

 

「その、だから……お詫びも兼ねてさ、今日一緒に帰らない? メグルくん」

 

 それは、生まれて初めて向けられた上目遣いだった。

 

 まるで心臓を握られたみたいな衝撃が俺の全身を駆け抜ける。それと同時に「え? 何この子。超カワイイんですけど」と心が俺の意志を全無視して思考してしまった。

 結果。

 

「あっハイ……あ”」

 

 即答だった。考える前に返事をしていた。今更口を閉じた所でもう遅いのだった。

 不安げに揺れる瞳、上目遣いでこちらを覗き込むその仕草は、女子に免疫の無い俺の心をめちゃくちゃにするには充分すぎたのだ。

 そんな俺の心境など知らないだろう春咲は、ほっとしたように小さく笑う。

 

「よかった。それじゃ放課後ねっ」

 

 会話は終わったが、全ては手遅れで。

 「約束」という名の糸が春咲の方から伸びてきて、俺の体に巻き付くのを感じる。「あえての孤独」という信念の敗北を受け入れられず呆然とする俺を尻目に、春咲は他のクラスメイトからの質問等に元気よく答えだした。その横顔を我知らず見ている自分に気付き、俺は慌てて目を逸らす。

 担任教師の言葉に努めて耳を傾け、それでも頭には内容が全く入ってこなくて。浮ついた心を落ち着かせようとしながら、俺は机に突っ伏した。

 

「(……青春ラブコメの主人公はスゲーよ。異性と一言二言交わすのすら、こっちは必死だってのに)」

 

 顔が熱い。汗で前髪が額に張り付く。それを誰かに、特に春咲には無性に悟られたくなくて、俺は窓の外に顔を向けた。

 そのままやけにグイグイくる少女、隣に座る春咲朱里のことを考える。

 まるで恋愛漫画のような運命的な出会い方をしたが、俺は夢見がちな乙女では無い。高校生男子的な「魅力的な異性と仲良くなりたい」という衝動はあるものの、それも俺の超強固(*自社調べ)な信念を揺るがすほどでも無い。

 

 なのに、何故だろう。こんなにも彼女の事が()()()()()のは。

 

 そう、引っかかる。「気になる」でも「意識してしまう」でも無い。どこか引っかかる。飲み下せない棘のようなものがある。

 勘違いで済ませてしまうには大きすぎる違和感。けれどその問いの答えを出すには、今の俺の心は上の空すぎていた。

 

「(……ていうか。なんで俺、女子と一緒に下校することになってんだ?)」

 

 急展開がすぎるだろ。昨日までそんな気配は一切無かったのに、どうなっちまっちまったんだ俺の日常。

 チラリと横を盗み見ると、春咲はまだ質問対応中だった。赤毛を彩るヘアピンがキラリと光り、似合ってるな、なんて恥ずかしいことさえ考えてしまう。

 少しのことで心が揺らぐ俺の姿は、悲しいほどに無様だった。

 

「(母さん、俺、グイグイくる女の子に弱いのかも……)」

 

 思わず雲を見ながら胸中で呟く。

 記憶の中の母の顔は、単純がすぎる息子に呆れながらも、優しく笑っているような気がした。

 

 ◆

 始業日特有の午前授業を少し浮ついた気分で乗り越え、そんなこんなで放課後。

 昼過ぎの空は、朝とは打って変わって灰色の曇り空だった。

 そんな空の下、木世津高校の北門の前に。朗らかに談笑をする訳でもなく、さりとて沈黙を良い雰囲気と受け入れる訳でもなく……ただどちらも口を開けないという、微妙な空気で隣合い共に下校する男女――つまり俺と春咲の姿があった。

 

「……えーと、その……い、いい天気だね……」

「……いや、曇ってるし……。その、話題がないなら解散ってことで……」

「い、いやあそういう訳には……」

「は、はあ……」

 

 春咲とたどたどしく会話をしながら、やっとこさ桜の歩道に辿り着き下校を始める。朝来た道を遡りながら、俺は心中で呟いた。

 

「(……いや、何この空気。気まずすぎない?)」

 

 一応俺の名誉のために言っておくが、先の会話、解散を提案した方が俺である。断じてモテない男的なムーヴをしている方ではないから勘違いしないでよねっ……なんて現実逃避でもしたくなる始末。

 あまりの気まずさに、心模様も空と同じ曇天だ。というか女子と上手く話せない自分に死にたくなってくる。困らせているという罪悪感が勝手に俺の心を突き刺す。

 やはり人間関係なんてろくなもんじゃない、絶対に囚われてなるものかと強く思いつつ、しかし俺の胸中には全く別の疑問もあった。

 

 数時間前、転校生と衝突事故を起こした角を曲がりながら……その相手を、俺の後ろを着いてくる春咲のことを出来るだけ自然にちらりと伺う。

 

「(ていうか。春咲はなんで俺なんかに着いてくるんだ? 話題も全然無さそうなのに)」

 

 あーでもないこーでもないと話題を捻り出そうと呻いている春咲。そんな彼女の様子を見ながら、思う。

 今日は新学期始まりの日。俺にはよく分からないが、普通の人間は親睦を深めるために一緒に遊びに出かけたり教室に残って交流したりするんじゃないだろうか。そういう貴重なタイミングを俺との気まずさMAXな下校に使うなんて、一体何を考えているのだろう、この春咲朱里という転校生は。

 

 ただ……疑問に答えが出る前に、タイムリミットはやって来た。

 

「(ま、もう関係無いか……)」

 

 俺は足を止める。目の前には既に、俺の暮らす部屋がある学生寮が鎮座していた。普段はぼろっちいなと感じる小さなアパートが、今はなんだか頼もしい。

 短い帰宅路で助かった、と思いつつ、俺は春咲の方を振り向いて言う。

 

「あー……それじゃ、俺住んでるのここだから。その、もう解散ってことで……」

 

 返答は無い。

 春咲は俯いていた。赤い前髪が彼女の顔を隠している。

 その下の表情は悲しんでいるのか、喜んでいるのか。前髪の影に隠された表情は覗けず、何も窺い知る事が出来ない。

 ……何故か心の深い部分が、柔く傷んだような気がした。

 それはどうしてだろうか。春咲が俯いたままだったから? 可愛い女の子と仲良くなれなかったから? 円満に解散する空気では無くなったから?

 それとも――名残惜しい、から? どうして? ひとりぼっちこそ、俺が選んだ道なのに。

 

「(いやいや、そんな訳ないだろ)」

 

 沸いた疑問に精一杯の力で蓋をして、春咲に背を向ける。

 そのまま寮の方へ1歩踏み出そうとして、

 

「ま、待って!」

 

 がしり、と俺の手首が掴まれた。

 思わず振り向く……長い睫毛に彩られた琥珀色の綺麗な瞳が、目の前にあった。

 彼女は――羞恥か興奮か、顔を赤く染め上げた可憐な少女、春咲朱里は。

 桜色の唇を動かして、まるで喉から押し出すようにその言葉を紡ぐ。

 

「あの……っ! 私達、昔会ったことがあるの! メグルくんは、その……憶えて、る?」

 

 ざあっと、何かを攫うように風が吹く。桜の花びらが空に昇り、雲間から差し込んだ陽光が彼女を照らした。それはまるで、桜吹雪が俺たちを包んでいるようで。幻想的でロマンチックな光景が自然と俺の心を奪う。

 

 そんな桜色の春の中心で、はためく綺麗な赤髪に彩られた春咲朱里の顔を真近で見つめながら、いや、確かに見蕩れながら……俺は、ぽろりと言葉を零す。

 偽らざる、心の底から出た本音を。

 

「……えーと、多分人違いです……」

 

 時が止まった。

 目の前にはぽかんとした春咲の顔。

 正直、めっちゃ気まずかった。いやまあ、俺だって「転校生は幼馴染!?」みたいな展開に人並みの憧れもあったし。だが真実は残酷というか……俺の記憶のどこを探しても、赤毛の女の子の影など何処にも無くて。

 

「だって俺、春咲さんのこと知らないし……あー、多分誰かと間違えてると思うんだけど。ほ、ほら、俺って結構無個性だし、その人が俺に似てるなら間違えちゃっても仕方ないっていうか……」

 

 いやマジで、俺は春咲朱里なんて知らない。絶対に初対面である。忘れてるだけとか一目会っただけとか、そういうのも無いと何となく分かる。だって。

「い、いやその、ホントに会ったことあって! ほ、ほら居なかった? 昔仲良かった友達とか……」

「居なかった」

「へ?」

 

 なおも食い下がる春咲に対し、俺は語ることにした。思い出すだけで瞳がドロドロと濁りだす、俺の悲しい灰色の青春(ロンリネスメモリーズ)を。

 

「居なかった。俺、友達とか出来たことないし」

「えと、その……凄い昔の、ホントにちょっとの期間だったから憶えてないんだと……あれ? 今なんて」

 

 そう、これこそが理由。春咲朱里と幼馴染でないことの何よりの証明。つまり。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。大昔も幼少期も、ちょっとの間の友達すら居なかった。俺の人生に『友人』も『恋人』も存在しない、ましてや『幼馴染』なんてどこ捲ったって居ないんだ。たとえ数時間だけだとしても、俺が深く関わった人を忘れるわけない。だって……今までそんな人、1人も居なかったんだから……」

「……え、えーと……」

 

 春咲が困ったような顔で俺を慰めようとしている。やめて、優しくしないで。絆されちゃうから。おい来るな、それ以上近づくと友達扱いするぞ(脅迫)。

 

 そう。もう薄々お気づきだろう。人間関係は絡まる糸なんて言ったが、俺にその糸が絡まったことは1度もない。撫ぜるように接触したことはあるものの、絡まるどころか空回りして、全てはそのまま去っていった。

 ……ええそうですよ。俺の信条なんて、恋人どころか友達さえ居ない、寂しい奴の負け惜しみですよ! 今までの孤独な日々を肯定するための苦し紛れの人生哲学モドキですよぉ!!

 ……いやまあ、積極的に友人を作ろうとしなかったシャイで繊細な過去の俺も悪いのだろう。でもこう……ここまで拗らせちゃう前にもうちょいなんとか出来ませんでしたか神様?

 

 ほとんどいじけた子供みたいになった俺に対し、それでも春咲は声をかけてくる。

 

「で、でも私達がその、『幼馴染』なのはホントなの。お願いだから信じて欲しいな……っ」

「いや、だから有り得ないって……俺みたいなアリンコと春咲みたいなキラキラ系が幼馴染なんて……」

 

 完全にうじうじモードとなり果て、地面にしゃがみこんでアリを眺めていた俺の手が、春咲の手に掴まれる。

 

「え――」

 

 細い指と柔らかく熱い手のひら、女の子のそれはしかし、その儚さと真逆の力強さで俺を引っ張り上げた。

 立ち上がった、否、立ち上がらせられた俺の手を両手でぎゅうっと掴みながら、彼女は言う。

 

「お願い。信じて」

 

 なんだかその表情に、とても切羽詰まったものを感じてしまって……けれどその何百倍もの衝撃を、俺は手から伝わる柔らかい感触に受けた。受けてしまった。

 触れられた部分が、熱い。

 違う誰かの体温。女の子の感触。微かに伝わる、少し早い彼女の鼓動。それが気恥ずかしくて、それ以外の何かさえ抱いて……心の柔らかい部分を思いっきりボディーブローされたみたいで、俺の頭はもうパニック状態だった。

 

「信じて、くれる?」

 

 潤んだ瞳の追撃。その破壊力に、我知らずといった具合でこくりと頷く。

 今自分が何をしたのかも分からぬままの俺がようやく思考力を取り戻したのは、手から春咲の熱が離れてからだった。

 

「うん、ありがとう」

 

 そこでようやく、俺は「春咲と会ったことがある」ことを、少なくとも彼女視点では認めた形になることに気がついた。またひとつ、関係の糸が繋がれるさまを幻視する。

 いや、なんで頷いたんだ俺。チョロすぎかよ。

 呆然と虚空を見つめたままの俺に、春咲はどこかわざとらしく笑いながら、

 

「……あー、それじゃ、また学校で!」

 

 と言ってパタパタと小走りで立ち去っていった。そんな春咲の姿を、俺はまだほとんど忘我の状態で見送り。

 彼女が見えなくなってから、自分の手のひらを見つめる。じぃんとした熱の残る、謎の震えを発する手のひらは、まるで自分のものでは無いみたいで。

 

「……いや。もしこんなことがあったなら、絶対憶えてると思うけどな……」

 

 未だ引かぬ熱を照れくさく思いながら、呟く。

 どれだけ過去の記憶を洗おうと、春咲朱里という少女の姿は確認出来ない。それでも自分から頷いてしまったからか、「糸」が繋がってしまったからか……彼女が幼馴染ということを認めてしまいそうな自分が居た。

 

「やっぱり、俺が忘れてるだけなのか……?」

 

 もしかしたら俺には友達が居たのだろうか。幼馴染なんてステキな響きの関係を築いていたのだろうか。……けれどやはり思うのだ。それが本当なら、俺が忘れるハズが無いと。毎日ひとり寂しく読書とゲームという平坦な人生にそんな山場があれば、忘れたくても忘れられないハズだ、と。

 

 何となく仰いだ空は、いつの間にか晴れ間が覗いていた。ぱらぱらと舞う桜の花弁を眺めながら、俺は結論を口にする。

 

「やっぱ、初対面としか思えないけど……春咲と幼馴染って、なんか、良いな」

 

 ……信条もクソも無いことを口にした俺は、何だか凄く情けない奴だった。



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② 4月6日(月)・放課後

 ――作戦行動、開始します。

 氷雪の声は呟いた。

 

 

   2.4月6日(月)・放課後

 

 

 さっきまで舞っていた桜吹雪は嘘のように消え、空は曇りとも晴れとも言えない微妙な天気を保っている。

 

 春咲(はるさく)朱里(あかり)が去ってから体感10秒のこと。即ち始業日の放課後。

 俺、四季(しき)(めぐる)は未だ寮の前で呆然と突っ立っていた。彼女の言葉が、表情が、未だ俺の手のひらに消えない熱として燻っている。

 

「幼馴染、かぁ……」

 

 俺の脳内に流れ続ける存在しない記憶。朝起こしに来てくれる春咲、そのまま一緒に学校に行って、お互いの部活の応援に行ったり来たり、親が居ない日はどちらかの家で一緒にご飯……そんな春咲とのめくるめく幼馴染ストーリーを捏造していた俺の頬を、不意に冷たい風が撫ぜた。陽が陰っていたからだろうか、冬の名残を感じさせる冷風が、俺の手に残った熱を攫っていく。

 

「寒ぅ……はッ!? 俺はいったい何を!?」

 

 おれ は しょうきに もどった! ここはどこ俺は誰……ここは俺が住んでる学生寮の目の前、俺の名は四季巡。プロひとりぼっち、孤高のソルジャー・スチューデント、ヒロイン候補者ゼロの人生を爆走中の高校生。よし大丈夫思い出した……いや、やっぱ大丈夫じゃないかも……主に心が……。

 なんだか少し悲しくなりながらも、呟く。

 

「そうだよ、俺に幼馴染なんて居ない、ハズだ。多分」

 

 冷静になって記憶を思い返しても、やはりそこに春咲らしき影はない。赤毛の子供と遊んだ憶えも、いじめられっ子を助けて懐かれたみたいな記憶も一切無いのだ。故に彼女の宣言は――「俺が春咲の幼馴染」というのはきっと誤解なのだろう。雰囲気か名前が似ている誰かと俺を間違えたとか、そんな感じのヤツだ多分。

 

「……明日、誤解を解かないとなぁ」

 

 明日の学校で、絶賛クラスの注目の的である春咲に話しかける自分を想像して、俺の気分は重くなる。間違いと行き違いで絡まった関係の糸が、きりきりと俺の心を締めている気がした。なんだか嫌な予感だ。糸に束縛されまいと動き回ればより一層がんじがらめになるような……そんな根拠のない不安が胸を支配する。

 それを吐き出すように溜息ひとつ。

 

「ハァ……ま、ゲームでもして忘れるかぁ」

 

 気を紛らわすように言って、俺はようやく足を動かすことを再開した。向かう先は当然、学生寮二階の202号室――俺の自室だ。ゲームと本で俺の孤独を肯定してくれる、地上最後の我が楽園である。

 そうだ、楽しくないことは忘れてしまえ。明日のことは明日の俺が上手くやるだろう。今日の俺には今日の俺の使命が――魔王の城を攻略する勇者になるという大切な使命があるのだから……!

 我ながら単純というべきか。気付けば先ほどまでの憂鬱は消え、俺は鼻歌なんか歌いながら寮二階廊下への階段を上がる。

 

「フンフフフ~ン♪」

 

 100時間プレイの集大成が今日試されると思うと落ち込んでなど居られない。錆びかけの階段を踏むカンカンという音でリズムを取り、それに合わせてプレイ予定のRPGのテーマソングを鼻で歌えば、すっかり気分は伝説の勇者。

 

「ラ、ララ↓ラ↑~♪」

 

 この寮を使っている生徒は俺以外には2人だけ、そして彼らは部活ガチ勢だったハズなので、この時間に帰宅することはないだろう。なのでこんなちょっぴり恥ずかしいことをしていても、誰かと鉢合わせる心配はない――。

 

「タンタララァ~♪ シャラ、ラ、チャララ~」

 

 はずだった。

 

「――ァんぐェへッ」

 

 ばちん、と。

 目が合った。そして無理やり鼻歌を止めたから、喉から変な音が出た。

 寮二階、階段を上りきった俺の視線の先——角部屋である201号室の前に、ひとりの少女が立っていた。その子がこっちを向いていたので、必然的に目が合っていた。

 

 中学生、だろうか。俺よりも二回りほど小さな背丈の女の子。ただその容姿には目を引くものがある。髪の色は金、色素の薄い綺麗な金髪がその華奢な腰辺りまで伸びていて、それが光を反射をしてキラキラと輝く。こちらを見つめる髪と同色の睫毛に飾られた大きな瞳は透き通るような蒼。幼さが可愛らしく残る整った容姿に、それを彩る新雪の如き肌は現代日本で出会うには実に場違いで、まるで現代に舞い降りたファンタジーの妖精さんか何かみたいだった。

 

 そして俺は思った。

 

「(き、聴かれたァ~!? 恥っずぅ……!)」

 

 可愛いとか誰とかよりもまず最初にそれが来た。余りにも羞恥、そして余りにも遅い後悔。

 

「(あ”~、『滅茶苦茶上機嫌で鼻歌ってんなコイツ』って思われてそ~! ぐああ顔が燃える、新手の背後霊系能力の攻撃を受けてるレベルで熱いんだが!?)」

 

 そんなこんなで灼熱羞恥地獄にのまれ脳内で独り悶える羽目に。せめてもの意地で外面だけは素知らぬ表情を貫き通して突っ立っていた俺に、ふと歩み寄る者が居た。

 

「……」

 

 とてて、と近付き俺の顔を見上げる妖精さん……否、それは件の女の子。その人形のような可愛らしい顔が、何用かと身構えた俺を見上げていた。彼女の背筋が伸び、小さな口が動いて言葉を放つ。

 

 それは、新雪がしんしんと降り積もるような、真っ白で儚く透き通った声で。

 

「はじめまして、()()()()()

 

 ぺこり、と金の髪を揺らしながら綺麗なお辞儀。

 とんでもなく礼儀が成っていた。そんな子の前で醜態をさらしたのが、なんだか恥ずかしいってよりも惨めになった……自分より出来た年下を見たら「俺ってなんなんだ」ってなる感じのやつ、あれをモロに喰らったのだ。

 余りの抉られっぷりに心の中で警報が鳴り響く。エマージェンシーエマージェンシー、ダメージ甚大! プライド機能に重大な損傷、KOKOROユニットが傷つきました! これ以上の戦闘(かいわ)継続は困難と見做し自宅へ撤退します!

 というわけで、

 

「あ、うん。初めましてコンニチワ。なんかゴメンね、ホント。じゃあね……」

 

 と最低限の言葉と礼儀で会話を切り上げた俺は少女の横をすり抜ける。

 そのまま出来るだけ早く、しかし走りに見えない洗練された足捌きと歩法(はやあるき)で自室202号室のドアまで辿り着き。そして熟練の手つきで鍵をポケットから取り出し解錠、扉を半分だけ開け滑り込むように体を中にねじ込む。

 会話を切り上げてからここまで約5秒、目にも留まらぬ早業だった――これが俺流秘伝「住居侵入罪盾(ぜったいむてきじょうさい)」。家の前でのみ発動可能な、どんな相手からも逃げられる必殺技である。俺はこの技を使って強引な宗教勧誘から新聞の押し売りまであらゆる強敵から生還した実績があり……おいそこ、高校生の身で見知らぬ中学生女子から尻尾巻いて逃げたとか言うな。フツーに泣くぞいいのか。

 それに偉い人は言いました、三十六計逃げるに如かずと。だからこれは勝利を視野に入れた戦略的撤退なのである。ホラあれ、競馬とかで「一着の馬が後続の馬から逃げる」とかいうじゃん、それと同じなのだ俺の「逃げ」は。異論は認めない。

 

「(ま、今日も逃げ切り勝ちと……)」

 

 そうして勝利宣言しながら鍵を閉め、一息つこうとしたところで……ガッ、と扉を閉める手が止まった。

 

「へ?」

 

 否、何者かに扉を掴まれ止められたのだ。いくら腕に力を入れても半開きの扉はびくともしない。慌てて振り向くと、そこには金糸の光。

 青い眼が、こちらを見ていた。

 

「……まって、『お兄ちゃん』」

 

 きゃああああああああああああああ!!

 声にならない悲鳴と共に玄関先で尻もちをついた、中学生女子に本気でビビる高校生男子が俺の部屋に居た。ていうか俺だった。中学生から逃げたさっき俺のの軽く5倍は情けないのだった、人生俺のカッコ悪かった瞬間ワースト一位をあわや更新する所だった……ただこれだけは言わせてほしい。知らない人に家の扉開けられるの、マジで怖い。

 

 俺は後ずさりながら、扉を閉じないように片手で抑えている女の子に、

 

「ひぇ、ええっと、何用でしょうか……?」

 

 と情けない声で問う。

 すると彼女は此方を見ながら、敵意も友好さもイマイチ読み取れない薄い表情と声音で言う。

 

「予定外の行動、こまる」

「よて……何?」

「なんでもない。あなたに話が、ある」

 

 年相応なのか、言葉数少なくどこか不慣れなそうな喋り方をする金髪の少女。

 そんな彼女は遂に扉を完全に開け放つと、玄関で尻もちをついたままの俺に言う。

 

「私は冬野(ふゆの)理沙(りさ)。『お兄ちゃん』って、よんでいい?」

 

 コテン、と可愛らしく傾けられる首。長い金の髪が、天使の羽根のように揺れる。

 俺は思った。

 

「えーっと……どゆこと???」

 

 俺の名は四季巡、16歳。

 出典不明の幼馴染の次は、なぜか出会って5秒の妹が生えてきた。

 ◆

「つまり、理沙ちゃんは木世津中学(キセチュー)の3年生。来年から高校生だから、家庭の事情で今年から寮に入ることになって……初めての一人暮らしで心細かったから隣の部屋の俺を頼りたい、ってことでいいの?」

「うん。概要は一致している」

「が、がい……? 難しい言葉知ってるね」

「あ。いいえ、しらない。ふつうの中学生だから、しらない」

「?? あー、照れてるって解釈で、いいのかな……?」

 

 あの謎だらけの自己紹介から10分後。

 俺はなぜか暫定妹(?)の冬野理沙ちゃんを自室に入れ、彼女と会話をして情報を聞き出していた。いや、正直なんでこうなったのかは俺にも分からんです。驚愕と疑問に呑まれて場の流れに抗えなかった、が正しいのだろうか。

 

「(てかなんで部屋に入れちまったんだ俺……)」

 

 俺は、床にちょこんと行儀よく座る少女――理沙ちゃんのことを改めて見つめた。自分の部屋に自分以外が居るというのは、それもさっき会ったばかりの少女を招くというのはなんだか非日常感が凄まじい。てか俺の部屋(家)に家族以外の誰かが来るのって、もしかしなくてもコレが初なのでは……うっわー、なんかスッゲー緊張して来たんですケド。

 そんな俺を見つめる金髪少女冬野理沙、お人形さんのような端正な容姿の彼女は、中3にしては少し背丈が小さい気もするが……確かに見覚えのある木世津中学校の女子制服を着ている。なにせ俺も2年前はキセチューに通ってたから、見間違えるはずはない。背中に背負っている四角い革鞄も、多分中学校で使ってるスクールバッグなのだろう。キセチューは鞄自由だったし。やはり彼女の発言は信憑性があり、俺が初見で立てた中学生予想も間違ってなさそうである。

 ただ気になる事はあった。

 

「えっと理沙ちゃん。親御さんは今どこに?」

 

 問うと、彼女は首を横に振る。

 

「しらない」

「そ、そっか。あー……ここ来たのは今日だったよね? 1人で来たの?」

「うん。タクシーできた」

 

 おおう、これはまさか。

 彼女の淀みない言葉に、俺の内心で膨れ上がった疑念が口から洩れる。

 

「……俺もあんま人のこと言えないけど……中学生を放任で一人暮らしさせるって、これワンチャン児相案件では……?」

 

 声量を抑えた独り言に、しかし理沙ちゃんは敏感に反応。先程までの簡潔で年相応の口調からがらりと変わり、子供らしさとはかけ離れた流暢さで言葉を羅列する。

 

「! 懸念を否定。これは双方合意の上での計画であり、危険性・犯罪性の有無には十分配慮が為されていることを開示する。よって当計画上に児童相談所等の公共施設が介入する余地は無い」

「急にめっちゃ喋るね!? てかびっくりしてあんま聞いてなかったけど、なんかスッゲー難しいこと言ってね……?」

 

 指摘すれば、理沙ちゃんは少しだけその青い目を見開き、再びたどたどしい口調に戻って、

 

「あ。そ、それは気のせい。だって私、『ふつうの中学生』だから」

 

 とだけ言った。その年相応の様子からは、先ほどまでの説明書みたいな口調は欠片も見受けられない。

 

「……うーん。まぁ俺の気のせい、か?」

「きっとそうだよ『お兄ちゃん』」

 

 俺はそんな風に理沙ちゃんと会話しながら、どこかデジャブのようなものを感じていた。

 

 彼女は「木世津()()」の生徒であると名乗った。それは恐らく間違いない。だが彼女はこの「木世津《高校》》」の寮へと引っ越して来た。そこが謎というか、どう考えても理屈が通らない部分なのである。

 詳しく説明しよう。キセチューとキセコーは分かりにくいがそれぞれ『県立』木世津中学と『市立』木世津高校で、別に同系の学校ではない。近くに建ってるだけの別の学校だ。当然、学生寮にも互換性はない。つまりキセチュー生がキセコーの寮を使うというのは普通に考えるとおかしい訳だ。

 また理沙ちゃんは身綺麗で、着ているものも質が悪いとは思えない、むしろどこかのお嬢様だと言われたほうが納得できる上品さを感じる。そんな子の親が、中学生3年生という中途半端なタイミングで、こんなしょぼい寮に娘を送り込み一人暮らしなどさせるだろうか。

 

 この既視感——飲み下せない()()が背後に見え隠れする感じは、春咲のときと似ている気がした。それに何よりも……。

 俺は頭を掻きながら、ずっと気になっていたことを指摘する。

 

「ていうか理沙ちゃん、その『お兄ちゃん』って呼び方はいったい……? 俺は四季巡、メグルだよ」

「それは……」

 

 言い淀む理沙ちゃんに、俺は再度警戒を高める。

 俺は最初、理沙ちゃんは名前の知らない年上の青年にその呼称を使う子なのだなと思っていた。だが俺が自分の名前を教えても「お兄ちゃん」呼びが変わることは無く。考えすぎかもしれないが、俺はそれにも違和感を覚えたのだ。まるで初対面の相手である俺のことを最初から「どう呼ぶか決まっていた」ような、そんな違和感を。

 そんな俺の問いと疑いの視線に、少し俯いた理沙ちゃんは……小さく、口を開く。

 

「――私。むかしからずっと、お兄ちゃんがほしかったの」

 それは小さな、寂しそうに震えた声だった。

 今にも消えてしまいそうな粉雪のような、そんな弱さと儚さを感じさせる声が室内にしんと響く。

 チクリ。年下の少女にそんな弱弱しい声を上げさせてしまった罪悪感から、俺の胸の奥が小さく傷んだ。

 そんな俺に追撃するように言葉は続く。

 今度は雪解けを思わせる嬉しそうな声で。

 

「でも今日、めぐるさんと話してて、お兄ちゃんができたみたいでうれしかった」

 

 ばっ、と理沙ちゃんは顔を上げた。

 宝石みたいにうるんだ瞳と、淡く赤らんだ頬をこちらに向けながら、小動物を思わせる上目遣いと仕草で彼女は言う。

 

「だから……これからも『お兄ちゃん』って呼んじゃ、だめかな……?」

 

 その余りにも弱弱しい口調が、守りたくなる愛らしさが、俺の頭を強烈に殴打した。まるで顎にアッパーカットを喰らったかのような前後不覚の状態の中、俺は何とか生き残った僅かな理性を搔き集める。

 

「(落ち着け四季巡、これは罠だ! たとえどれだけ可愛かろうが、守ってやりたくなっちまおうが、人間関係にはリスクと痛みと面倒事が付き物! 故にこの場において、平和主義者事なかれ主義ロンリーイコールラブアンドピースの俺が言うべき答えはただひとつ――)」

 

 窮地を脱するため高速回転する思考。先の先を読み編み出される起死回生の一手。

 そして俺は、強靭なる固い意志で理沙ちゃんに返答した。

 

「――ぜ、んぜん駄目じゃない、好きなだけ呼んでくれ……ッ」

「ありがとう、『めぐるお兄ちゃん』っ」

 

 ダメなのは俺だった。

 嬉しそうに笑うその顔がもう天使に見える。「お兄ちゃん」という響きが福音のように心を揺らし、俺の頬を自然と弛ませた。分かりやすく言えば、俺の矜持が完全敗北だった。

 俺は己を暴走させた「庇護欲」という怪物を恨みながら、心の中で涙を流す。

 

「(ちくしょう、また流された! でもしょうがないじゃん、俺だって兄弟欲しかったんだよ! 一人っ子だから兄姉にも弟妹にも憧れてたんだよ! それをここに来て、こんなカワイイ子に『お兄ちゃん』とか呼ばれちゃったらさあ!! )」

 

 全力で耐えようとした分、決壊した時の勢いは凄まじいというか。

 気付いたときにはなんかもう吹っ切れていた。

 

「えーと、理沙ちゃん。お菓子食べる? 甘いヤツ」

「……(こくり)」

「りんごのジュースもあるよ。流石に炭酸よりそっちのがいいよね?」

「……(こくり)」

「ゲームもする? 友達が出来たらやろうと思って買ったパーティーゲームがあるんだけど」

「……する」

 

 俺は決めた。固く決意した。この小さくて可愛い動きをする生き物を、全身全霊を持って丁重におもてなし、甘やかすことをッ!

 女児ウケの良さそうな甘いお菓子を座卓のテーブルに備蓄ありったけ並べ、普段使わないコップになみなみとジュースを注ぎ、CPU相手だと空しすぎて断念していたパーティーゲーム――すごろくとミニゲーム複合式のソレをテレビに映してコントローラー理沙ちゃんに渡す。

 正直、色々と思うところはあった。違和感の正体。関係という名の糸が繋がる感覚。でも、今だけは全部忘れた。なぜなら――

 

 

「お、妨害できるミニゲームだ。それそれっ」

「んっ、むぅっこの操作用端末の形状は人間工学的観点から見て非効率的、ありえなっ」

「ぬははもう負け惜しみか理沙ちゃん? お兄ちゃん先行っちゃうぞ~?」

 

 ゲスく笑う俺、体を傾けながら必死にコントローラーを操作する理沙ちゃん。

 

「……えーと、確かこっちだったよな……うわ、違ったかぁ」

「データ収集完了。確率演算、全カード取得可能率90%以上」

「な、はっや!? まさか理沙ちゃん今までめくったカード全部覚えてんの!?」

 

 驚愕に目を見開く俺、神経衰弱ミニゲームで無双しドヤ顔になる理沙ちゃん。

 

「……ふっ、やるな理沙ちゃん。まさかここまで接戦になるとは」

「もう点差はないにひとしい。おとなしく私にそのせきをゆずって」

「いくら理沙ちゃんの頼みでもだが断る。たとえCPU(よわい)にいくらボコされようとも、最下位にだけはなりたくない俺なのであった……!」

「いざ。お兄ちゃん、かくごーっ!」

 

 最弱の座をかけて、CPUに高みの見物されながら、死闘という名の泥仕合を展開する俺と理沙ちゃん。

 ソロゲーしかしてこなかった俺のプレイお世辞にも人を楽しませるものでは無かったし、初心者の理沙ちゃんは慣れるまで随分大変そうだった。けれど、勝とうと必死にコントローラーを叩くうち、不思議と自然な笑顔が溢れる。

 いつもは静かな部屋に、2人分の声が響く。

 笑い声も叫び声も、いつもの2倍。どこか楽し気に、どこか嬉し気に、踊るように声は弾む。

 

 

 ――なぜなら今だけは、冬野理沙という女の子の「お兄ちゃん(仮)」を遂行してみたくなってしまったのだから。

 

 ◆

 かあ、と夕暮れの空にカラスが鳴く。

 楽しい時間は早く過ぎるというが、今日は本当にその通りで。

 夕焼けの眩しい202号室の前で、俺は帰宅する理沙ちゃんを見送っていた。

 

「ちょっと長時間遊び過ぎたね。もう遅いから、気を付けて――いや隣の部屋だからそれはいいのか」

 

 靴を履き鞄を背負った彼女の、金髪の流れる背中を見ながら照れ笑い。別れの挨拶が上手くないのは、まあコミュニケーション経験の無さ的に順当である。

 

「うん。ありがとうお兄ちゃん」

 

 廊下に出て振り向いた理沙ちゃんと、目が合う。

 吸い込まれるような青い瞳が、俺を真っ直ぐに見上げていた。

 

「今日は楽しかった。またきて、いい?」

 

 こてん、と可愛らしく傾けられる首。

 甘えるような彼女を前に、俺は迷った。言うべきか悩んで、数秒迷って……それで、やっぱり言う事にした。

 

「……それは、えっとね」

 

 舌が重い。唇が渇く。抱いた情が、心を沈める。けれど俺は「お兄ちゃん」なのだから、言わなければならない。良識に基づいた言葉を。

 

「今日は俺も流れで入れちゃったけど、女の子が1人で男の家に入るってあんまり良くないことなんだ。理沙ちゃんはまだ中学生で、親御さんの許可も貰ってないし、だから……」

 

 関係とは糸のようなものだと、つくづく思う。

 絡みついた関係の糸を千切ろうとするたび、心に深く食い込んで痛みを残す。深い仲になればなるほど、別れる時の傷は必然深くなるのだ。

 拒絶の言葉を連ねる度、心が軋むようだった。

 知ってしまった楽しさを手放すという苦しみが、俺の胸中に深い影を――。

 

 そんな時だった。

 ガシャガシャ。そんな金属音のような音が俺の耳に飛び込んできて。

 

『いやー、お隣のお兄さん。娘がお世話になりました』

「へぁっ?」

 

 気付いたときには、そこに居た。

 突然声をかけられ顔を上げれば見慣れない顔。理沙ちゃんの隣に、スーツ姿の男性が立っていたのだ。壮年にさしかかったくらいだろうか、白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた仕事の出来そうな男性は、その皺の刻まれた顔に営業スマイルのような微笑みを湛えている。

 さっきまで確かにいなかったハズの人物の出現、その不思議な出来事に俺は目を回す。

 そんな俺の混乱に気付かなかったのか、件の男性は口を開いた。

 

『理沙と遊んでくれたんでしょう、ありがとうございました。私は冬野理沙の父です。この子、理沙は少し愛想がない所がありまして……お兄さんに懐いたのならこれは僥倖、まさに渡りに船と言うやつですな』

 

 そのまま捲し立てる自称冬野父の言葉もほとんど聞き流してしまった――それどころか混乱のせいか、その口の動きが声に対し少しだけ遅れているような気さえする。

 

『私は仕事の事情で家にあまり帰れず……この子には寂しい思いをさせてしまいそうだったんですが、お兄さんがいれば安心だ。どうです、娘も君に懐いているようですし、これからもこの子と遊んでくださいませんか?』

 

 最期の問いは流石に聞き取れたが、それよりも頭を埋め尽くす疑問があった。

 

「え? いやあまあそれは良いんですけど、理沙ちゃんのお父さん? はいったいいつからそこに――」

 

 だがその疑問が明かされることは無かった。

 

『ありがとうございます娘も喜びますそれでは!』

「え、ちょっ!」

 

 びゅん、と急に冬野父(?)の姿が消える。慌てて扉を開け階段の方の通路を見ても、そこには誰も居なかった。カンカンと階段を下りる音らしきものは聴こえるから、走って行ってしまったのだろうか……?

 

 まるで突然現れて消えた幽霊みたいな冬野父に混乱していると、俺の服の裾がくいっと引かれた。見れば、そこにはこちらを見上げる青い瞳。

 白黒の髪の冬野父とは全然似ていない金髪少女、理沙ちゃんは邪気の無い顔で言う。

 

「親の許可、もらったよ?」

「……そういえばそんな話だったなぁ」

 

 自分の父親が急に来て急に消えたというのに実に落ち着いた様子だった。もしかして冬野父はいっつもあんな感じの慌ただしい人なのだろうか……じゃなくて。

 

「でもやっぱりなあ……世の中のモラル的には」

 

 なんだかんだと言おうとした俺の手が掴まれる。あれ、なんかデジャブ。

 嫌な予感を感じる前に、視界の中心でうるうるとした瞳が炸裂した。

 

「お願い、めぐるお兄ちゃん……」

「しょうがないなぁもう! 夕方までなら大丈夫だろ、多分!」

「わーいありがと」

 

 ダメだった。妹(*本日初対面)がカワイイのだった。手がちっさくてすべすべしてて倫理道徳どころではないのだった。てかこれ春咲のときと一緒じゃん、俺ボディタッチに弱すぎじゃねえ……?

 関係の糸は解けるどころか、より強く俺と理沙ちゃんを繋げてしまった。自分の余りの意志薄弱さに流石にガチ凹みするロンリーウルフ(笑)こと俺。

 そんな俺に、軽やかな声が掛かる。

 

「それじゃ。また明日、お兄ちゃん」

 

 そう言って、理沙ちゃんは背を向けた。茜の空を背景に金色が踊る。

 その光景は、まるで天使が背の翼を自慢するような、そんな穢れを知らぬ可憐さで溢れていて。

 背を向ける直前に見せた理沙ちゃんの表情は、一瞬だったので分かりづらかったが、俺には笑っていたように見えた。その頬に朱が差していた気がするのは、流石に真っ赤な夕焼けのせいだろうけど。

 

 がちゃん、と隣の部屋の扉を閉める音がして、ようやく俺は再起動した。

 廊下に突っ立っていたのを思い出し、逃げ込むように自室に戻る。そのまま玄関先に座り込み、天井を見上げて大きな一息をついた。

 考えるのは今しがた別れた少女の事。そして、あまりにも激動すぎる今日という日について。

 

「『幼馴染』の次は『妹』か……いったいどうなってんだ、今日は。急にラブコメアニメの世界に入りこんじまったのか?」

 

 思わず呟いたその言葉は、普段より冷たい部屋の静寂に吸い込まれて消えていった。

 

 ◆

 4月6日。四季巡には二つの「イベント」が降りかかった。

 つまりこの日の彼の出番は語り尽くした。後はいつも通り、平穏に一日を終えるだけで特筆すべき点はない。

 けれど「4月6日」にはまだ語る余地がある。それは言わば舞台の裏、眩しい表に隠されて見えなかった部分。それを語らずして4月6日は終われない。

 

 この日、四季巡が出逢った二人の少女についての情報を整理しよう。

 ひとりは春咲(はるさく)朱里(あかり)。烈火が如き赤毛の転校生にして、自称四季巡の「幼馴染」。

 ひとりは冬野(ふゆの)理沙(りさ)。氷雪に似た雰囲気の少女であり、四季巡を兄と慕う「妹」?

 

 そんな2人には、四季巡が看破した見過ごせない「違和感」がある。

 春咲朱里の場合……それは通学路でぶつかった彼女が見せた不可解な挙動。そして存在しないハズの「幼馴染」を名乗る意味。

 冬野理沙の場合……それは中学生の彼女が木世津高校の寮に越して来た謎。また積極的に四季巡を「お兄ちゃん」と呼ぶ理由。

 

 ――そこには「嘘」が隠れている。

 

 当然だ。存在も知らない幼馴染と運命的な再開を果たすとか、隣に引っ越して来た少女に初見から兄と慕われるとか、そんな都合のいい展開には現実には起こるハズがない。

 もしも起こったとしたら、それはやはり「嘘」。誰かを騙し操るための、都合のいい「偽物」なのだから。

 

 ここで特別に例を示そう。

 これは3月6日の出来事、そのひとつを別角度から切り取ったものである。

 さあ、時を戻そう。欺瞞を払おう。「嘘」の下の真実を白日に晒そう。

 これこそが、幼馴染の「真実」である。

 

 

「はっ、はっ……」

 

 走る。息を切らし、赤い髪を揺らして走る。

 少女の名前は春咲朱里。今しがた四季巡に「幼馴染」であると伝え、彼と別れたこの春からの転校生。

 小走りで巡の元を立ち去った彼女は、巡の視界から外れるとおもむろに走り出したのだった。人目を避けるように、ひたすらに入り組んだ路地の奥へと。そうしてしばらく走った彼女は、人目につかない路地裏で立ち止まり、その場で息を整えていた。

 薄暗く狭い道、路傍に打ち捨てられたゴミと倒れたゴミ箱。蜘蛛の巣が張りネズミの死骸を加えたネコが朱里の姿を見て逃げる。滅多に人が訪れないのだろう鬱屈した空気が漂う路地裏……そこに制服を着こなした少女が居るというのは、実にミスマッチな光景だった。

 

「はぁー……」

 

 赤毛を揺らしながら長い息をひとつ吐き、彼女は上下していた肩の動きを止める。そして周囲を見渡し、注意深く見渡し。前にも後ろにも誰も居ないこと、周囲に人の気配や人由来の物音が無いことをを確認して……そして、春咲朱里は。

「――やってられるか、こんなことッ!!!」

 

 ゴガン! と大きなゴミ箱を全力で蹴り飛ばしながら、貼り付けていた分厚い外面をかなぐり捨ててそう叫んだ。

 

「なんで私がこんなことしなくちゃならねーんだッ! この御時世にハニトラもどきとか、上の老人は全員脳ミソ腐り落ちてんのかッ!? ホント冗談じゃない、私の()()とこの任務に何の関係があるんだよッ! あークソクソクソ!! もう無理こんな小っ恥ずかしい任務辞退してやるッ、1人2人()()()()でも絶対降りてやるッ!!!」

 

 そこに、純情可憐な転校生の美少女の姿は無かった。不良少女も真っ青の怒号を放ちながら路地裏に落ちているものを手当り次第蹴っ飛ばす――現在寮の前で浮かれている四季巡が見れば間違いなく卒倒するだろう、とんでもないバイオレンスの化身がそこに居た。

 

 そう。これが春咲朱里の本当の姿。先程までクラスメイトや巡に接していた時の態度など、丁寧に取り繕った上っ面でしかない。

 ……否。これが本当の姿と言うには、まだ彼女は晒していないものがある

 

 春咲朱里は頭を乱暴に掻いて……そして、目を爛々と見開きながら叫んだ。

 

「あー、イライラするッ!! もういいやッ、誰も見てないでしょここなら!」

 

 言うと同時。

 ばちり。急速に周囲の空気が乾燥し、火花が散るような音が鳴る。

 ぶわり。春咲朱里の特徴的な赤毛が、熱された大気の上昇気流によって炎のように激しくはためく。

 路地裏に突如として満ちる乾いた、そして怒りに満ちた空気。

 

 綺麗な赤毛を振り回し、最初に蹴った大きなゴミ箱を信じられない脚力で空中へと蹴りあげた春咲は――その瞳を大きく見開き、こう言った。

 

「"燃えろ"ッ」

 

 炎が。

 まるで冗談のように、爆発するみたいに現れた。

 その炎は標的となったプラスチック製の薄汚れたゴミ箱を飲み込み、覆い尽くし、そして薄暗い路地裏を太陽のように照らす。

 

 かくしてゴミ箱が地面に落下することは無かった。地面に落ちたのは灰の塊となった、ゴミ箱だった何かだけだったから。

 紅蓮の暴虐。常識を無視した発火現象。

 それを唯一目の当たりにしておきながら、春咲朱里はなんの気負いもなく呟く。

 

「あー、ちょっとスッキリした。やっぱイラついた時は我慢せずになんか『燃やす』のが1番だわ」

 

 そう。今の超常現象を引き起こしたのは、紛れもない彼女――「超能力者」の春咲朱里その人である。

 彼女は言う。その瞳に怒りという名の炎を宿しながら。

 

「……はあ。四季巡だっけ? あんな冴えない奴をオトせとか、それも面倒臭いけど……少女漫画みたいな出会いとか、幼馴染設定とか、マジで必要だったの? コレ」

 

 そう。彼女が巡にやったこと言ったことは、その全てがすべからく嘘だらけ。

 四季巡と春咲朱里が幼馴染だった事実など本当に存在しないし、運命的な出会いも無理やりぶつかりに行って再現しただけだし、なんなら春咲は1ミリたりとも巡のことを良く思って居ない。

 

「ていうかアイツマジなんなの? やたらこっちを避けてくるし、なんかすっごい暗いこと言ってたし……まさか友達1人も居なかったとか、普通有り得ないでしょ。お陰で『上』に指定された幼馴染設定が一気に怪しくなったし……」

 

 ブツブツと呟く彼女は、また苛立ちが再燃したらしく、ガツンと壁を殴りつけた。

「四季巡……ホントにアイツ、この私が苦労する価値のある”何か”を持ってるんでしょうね……」

 

 その言葉にはどこか、恨みすらこもっていそうだった。

 そんな彼女の本性を、当然のごとく四季巡は知らない。学生寮の前で未だに立ち尽くしている、どことなくニヤけた面の少年には知る由もない。

 

 

 ここから、彼、四季巡の青春は……灰一色のハズだったそれは、大きく色付くことになる。

 彼の青春を彩るのは――嘘。

 そして、まるで出来の悪い小説みたいな、超常だらけの世界の出来事。

 さあ、改めてご紹介しよう。

 この物語は残念ながら、シンプルな幼馴染達との恋愛合戦では終われない。

 つまり、ここからは非日常のネタばらし。

 嘘に隠された真実――作り物(フィクション)の青春ラブコメ、その秘された舞台裏の物語である。



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③ 4月6日(月)・新学期/舞台裏

 4月6日、午前9時。木世津高校で始業式が始まったころ。

 木世津高校のすぐ傍にある、とある道の曲がり角。そこに設置されている電柱の影に「彼女」は居た。

 

  ゆらめく炎にも似た赤毛の髪。制服を適度に着崩し、壁に背を預け気だるげにスマートフォンをつつくその姿は「何処にでもいる女子高生」、もしくは「モデルでもしていそうな女子高生」といった感じだったが、それにしてはおかしな部分がふたつ。

 ひとつは午前9時という時間に、学校へ急ぐことも無く足を止めているという点。

 そしてもうひとつは――琥珀を思わせるその瞳が、殺気にも似た苛立ちに細められているという点だった。

 そんな彼女が不意に桜色の唇を開き、誰にでもなくぽつり呟く。

 

「……遅くない?」

 

 トントンとローファーでアスファルトの地面を叩き、怒りに眉を寄せる少女——春咲(はるさく)朱里(あかり)は、烈火の声でそう言った。

 彼女の周囲に人影はない。なのに朱里はスマホに目を落としたまま、まるで誰かに愚痴るように言葉を続ける。

 

「いつまで待たないといけないのコレ。『どれだけ遅くても8時半まで』って話だったじゃない。もう9時なんですけど。学生ってそんなに時間にルーズなの?」

『いや、これは普通に遅刻だな。千里眼による監視班からの報告でも、ターゲットは未だに部屋を出ていない……別陣営からの妨害工作の可能性も無くはないだろうが、まあ十中八九寝坊だろうな』

「何それ。ずいぶんとお気楽な奴なのね、そのターゲット――四季巡、だっけ? はずみで()が出ちゃわないか今から不安だわ」

『手はともかく火は遠慮して欲しいな……いや、手も出来れば出さないで欲しいが』

 

 誰にでもない、虚空に放たれる朱里の声。だがそれには返答があり、会話も成り立っていた。朱里は姿なき対話相手と当たり前のように会話を続ける。

 

 と、そんな朱里の顔、その近くを蝶が飛んだ。春先に現れるモンシロチョウ、白い羽をはためかせ舞うそれは、ほとんど動いていない朱里の肩に乗り……。

 ぼっ、と前触れなく炎がモンシロチョウを包んだ。小さな虫が火に焼かれ、残骸となって地面に落ちる。

 その様子を見て、ふん、と鼻を鳴らした少女を「声」が諫める。

 

『おいおい、そんな気安く能力を使うな。誰かに見られでもしたら大変だぞ』

 

 それは遠距離から届く声。それは口から言葉を吐き空気の振動として相手の耳の届ける声では無く、思念を直接相手の脳に送り込む(テレパシー)

 そんな声の持ち主の浮かべているだろう余裕ありげな表情を想像しながら、朱里はまた虚空に言葉を投げた――否、此処に居ない相手に言葉を返した。

 

「誰も見てないわよ別に。イラついてんだし、暴発予防って意味でもちょっとくらいなら良いでしょ……ハァ、なんで大手を振って能力使ったらダメなのよ」

『そういう決まりだ。それに非異能者に力が露見してみろ、あっという間に解剖・開頭されてお陀仏だぞ』

「そうなったら全員燃やして逃げてやるわよ。私の超能力――『発火能力』でね」

 

 再び炎が現れ、今度は蝶の残骸を焼き尽くした。それは自然発火というには余りにも不自然な超常現象――人の感情によって生み出される「超能力」という現象だった。

 

 

 ――この世界には「異能者」と呼ばれる存在が居る。

 

 異能。それは「異なる力」、普通の人間が持ち得ぬ能力や技術。

 例えばそれは、無から火や電気を生み出す生まれながらの特殊能力。

 または、重力や力学法則を捻じ曲げ文明を揺るがすほどの先進的技術。

 もしくは、魔術や陰陽術を名乗る科学の範疇を超越したオカルト的学問。

 そのような「異なる力」を使う人間を総称して「異能者」と呼ぶのだ。

 だが現代において、そんな異能者の存在を信じる者は少ない。そんなものはコミックやファンタジーアクション映画の中にしか無いと考える者が大多数であり、公的にも民衆的にも「異能者」なんてのは居ない、という見解が一般的である。

 それは異能者が辿って来た歴史が関係している。

 異能者の弱点、それはどの時代でも「数が少ない」ということだった。大多数の人間は異能を使う才能を持たず、故に少数派であり危険因子でもある異能者は当然のように排斥の対象となった。

 魔女狩り、追放、村八分、暗殺に謀殺――異能者は人類史始まって以来幾多の迫害を受け続け、いつしか歴史の裏にその身を隠し……そして今に至る。

 そうして表舞台から忘れられ、日陰で生きることを選んだ異能者たち。しかしひとえに異能者と言っても、彼らは決して一枚岩の存在などではない。

 多くの人類が「国」という単位で利権を争うように、彼ら異能者は扱う能力ごとに分かれたグループである「陣営」にそれぞれ所属し、裏の世界の利権を求めて争ってきたのだ。

 そうして現在、ここ日本で特に大きな力を持つ陣営は3つ。

 一つ目は超能力者の互助会である「全日本超能力者連合」。

 二つ目はオーバーテクノロジーを研究する「冬野グループ・先進科学研究科」。

 三つ目は魔術を研鑽し合う組織、「魔術協会・日本支部」。

 存在の露見を避け、異能者狩りである「異端審問会」からの追及を逃れながら日々お互いを疎み争う彼らはここ最近、とある理由でかなりの緊張状態にあった――。

 

 

 そんな異能者、詳しく言えば超能力者であり、全日本超能力者連合――通称「連合」に所属する若手のホープ的発火能力者、春咲朱里は。

 偽装の為だけに、電源を付けていないスマホを指でつつきながら、つまらなそうに呟いた。

 

「はぁ。なんであたしがこんなコト……」

 

 それを耳ざとく聞いていた「声」が咎める。

 

『聴こえてるぞ発火能力者(パイロキネシスト)。任務に不満か?』

「不満に決まってるでしょ。恋愛ゴッコは魅了能力者(ファシネイター)辺りにやらせとけばいいじゃない。あとは他人の思考を盗聴できるどっかの通信能力者(テレパシスト)とかね」

『私のテレパシーは基本「返信不可」だよ。おまえの声を拾えてるのは、私とおまえの波長が特別合うってだけだ。それに』

 

 テレパシーの声、大人の女性のそれのトーンがひとつ下がる。

 

『この任務は国内での今後の「連合」の趨勢を決める超重要ミッション――当然他陣営、「科学使い」と「魔術師」共の妨害があるだろう。そうなったときひ弱な精神能力者と、バリバリ武闘派の戦闘系能力者、どちらが任務を成功させられるかは、ほら、「火を見るより明らか」ってヤツだ』

「……うざ」

 

 火を見るより、の所をおどけるように言った声に、朱里は言葉少なく不快感を示す。そして彼女はスマホの電源を付けた。開かれていたファイルアプリは、ひとりの少年の写真を画面に映している。

 それは黒髪黒目の、眼鏡をかけた男子学生。その制服は朱里が身に着けているものとデザインが似ていた。つまり彼も、否、彼は木世津高校に通う学生だという事だ。

 ファイルの名前は「Target:Siki-Meguru」。そんな冴えない少年の写真を眺めながら、春咲朱里は呆れたように息を吐いた。

 

「超重要ミッション、ね……」

 

 彼女が思うのは、最近の「連合」を取り巻く慌ただしい空気について。

 

 

 ……日本にある異能者の各陣営は最近、予知能力や独自の調査によって、同時期に一つの情報を手に入れた。

 それは日本における各陣営の立場を揺るがしかねない「宝」の存在と、その「鍵」の在処。

 「宝」の詳細はどんな能力を以てしても分からなかった。ただし「鍵」についてはハッキリしている。

 ――「宝」は四季(しき)(すすむ)の息子、「四季巡」が父親から受け継ぎ、隠している。それが予知や予言によって突き止めれた、謎の「宝」を導く「鍵」だった。

 そうして3つの陣営は密かに動き出したのだ。

 彼らの目的はただ一つ。

 それは「鍵」である四季巡を"平和的に"篭絡し、彼から「宝」の詳細と所在を聞き出すことである――。

 

 

 そんな事情を思い出していた朱里に、テレパシーの声は念を押すように言う。

 

『気を付けろよ。四季巡との接触は「()()()()同じ学校になって()()()()仲良くなり情報を聞き出せた」というテイにするんだ。一般人を無理矢理能力で脅したり洗脳したりすれば、「審問会」に攻め込まれる口実を作るからな』

「はいはい。流石に私も審問官は勘弁。アイツら銃とか容赦なく撃ってくるし、すばしっこいし、覚悟決まり過ぎてて引くし……何より数がやたらめったら多くて面倒だしね」

 

 審問会……正式名称を「異端審問会」。そこに所属する「審問官」たちはほとんどが非異能者だが、全員が高度な訓練を積んでいて、さらに銃器等の近代兵器を惜しげも無く使う。彼らは政府公認の組織であり、秘密裏に異能者から一般人を守る対異能者組織――なのだが、当然異能者からすれば自分たちの邪魔をする悪者な訳で。

 余り考えたくない組織のことを頭から追い出すように、朱里は遠方に潜むテレパシー能力者に問いかける。

 

「それで? ターゲットに動きは?」

『……いや、まだ目標は沈黙しているらしい。もう9時10分なんだが……まあいい。この時間で作戦のおさらいをしておこう』

 

 千里眼の能力者と連絡を取ったらしい声は少し疲れたようにそう言って。

 瞬間、口調をとんでもなく明るく切り替え……楽し気に、弾む声で朱里の脳内を揺らした。

 

『――今回の作戦は名付けて「運命の出会い作戦」! 目標に春咲朱里の存在を強烈に印象付け、後々の親密度・好感度を稼ぎやすくするのが目的だ。具体的な作戦内容は「通学路でぶつかった女の子は転校生!?」という定番展開の再現……今は第一段階、「運命の相手と曲がり角でごっつんこ!?」の待機中だなっ』

「(……作戦名ダサっ。あぁ下らない、もう帰りたいわ……)」

 

 頭を押さえて溜息をつく朱里。

 そんな彼女に声は唇を尖らせる。

 

『おい運命のヒロイン、もうちょっとやる気を出せ。この作戦には我々「連合」の未来がかかっているんだぞ。それに作戦メンバーに申し訳なくないのか? 千里眼(サードアイ)空間転移(テレポーテーション)念動力(サイコキネシス)……「連合」屈指の使い手たちがこの作戦に協力してくれているというのに』

 

 声が今挙げた能力者たち……それは連合内でも名だたる面子。完全武装のの陸軍小隊くらいなら軽くあしらえるだろう能力者たちの名を前に、実際それを達成したことがある発火能力者は鼻で笑う。

 

「ハッ、異能者でもない男1人に過剰戦力よ。それにそんなメンバーと『連合』屈指の発火能力者である私を、趣味全開のおバカ作戦で振り回してるのはアンタでしょ、このいい年こいた少女漫画オタク」

 

 彼女の痛烈な非難はしかし、

 

『ん? すまん、電波が悪くて聞こえなかった、もう一度言ってくれるかな?』

 

 という余裕の声に黙殺された。当然テレパシーの感度に電波など微塵も関係ないので、分かりやすく聴こえないフリをされたという訳だ。

 

「……(マジで燃やそうかな、コイツ)」

 

 指揮系統で言えば作戦責任者であり司令塔である相手に割と本気でそう思い、朱里の髪がゆらりと揺れ出した瞬間。

 

『おおっと! 目標に動きがあったようだ! 残念だが無駄話はココまでだな』

 

 絶妙なタイミングで作戦の再開が告げられた。おそらく自分の殺気さえ察知していたであろうおどけた声の主に苛立ちを覚えつつも、春咲朱里は頭を仕事モードに切り替える。若干16歳にして数多の戦場と死線を超えてきた彼女は、現場で指揮に従わないことが何を意味するかを知っているからだ。

 彼女の頭に、今度こそ真面目な声色になった指示が届く。

 

『顔を出すなよ。タイミングはこちらで指示する』

 

 朱里は壁に背を当て、呼吸を整える。今回の作戦はどれだけふざけて見えても、彼女含め数多の超能力者が所属する連合の立場を揺るがすものなのだ。失敗は許されない。

 

 朱里は今の状況について素早く頭の中で整理した。

 

「(私の現在位置は、道を挟んで木世津高校が、学校北側にある桜の道が見える、学校とは反対側の道の角。ターゲット・四季巡は現在東側の道から北門に向かって、つまりこちらに向かって通学中……私の役目は、曲がり角を通過する瞬間の彼に激突すること)」

 

 そこまで冷静に考えて、朱里はやはり溜息をついた。どう考えても絵面が馬鹿らしい……いや、確かに初対面からインパクトがあるのは大事とか、そんな言葉で説得を受けたし、それに対して「確かに」とも思ったのだが……それにしたって馬鹿げている。正直な話、朱里に上手い代案を思いつく頭と人生経験があればこんな作戦には絶対に従わなかっただろう。だが朱里は代案を出せなかった。故にこんな上司の趣味全開の作戦に従うのも、仕方の無いことなのである。

 と、そう自分を納得させていた朱里の思考を遮るように声が響く。

 

『マズい、緊急事態だ!』

 

 脳を揺らす、普段纏っている余裕を微塵も感じさせない声。その言葉に朱里は思考のギアを切り替え、すわ敵陣営の妨害かと身構え――、

 

『目標は学校側の歩道を進んできている!! 春咲、おまえのポジショニングミスだ!』

「……はぁ?」

 

 すぐに後悔した。緊急事態と聞いて身構えたのに、作戦が漏れて超科学兵器ロボット軍隊に囲まれたわけでも、大魔術を発動されて連合基地が吹き飛ばされたわけでもなく……学校側の歩道? ポジショニングミス?

 

「えーと……それの何がダメなワケ?」

 

 朱里の心底呆れた反応はしかし、その100倍くらいの熱量の声にかき消される。

 

『バカ、このままでは「曲がり角でごっつんこ」ではなく、「謎の女子高生に道の反対側から突進されたんだが」になってしまうんだぞ! それじゃ運命的にならない、ああマズい!!』

「(……あー、もうついてけないわマジで)」

 

 結局無理だった。どのみちぶつかるのだから、どちらの角から飛び出ようが些事だろう。たとえコレがどれだけ重大な作戦だろうと、朱里には流石に付き合いきれないのだった。

 

 ただ……そんな感想を抱いたのは春咲朱里だけだったようだが。

 細かい操作を諦め、作戦メンバー全員に送られた鋭い声が朱里の脳を刺す。

 

『そうだ、「空間転移」だ! 春咲を反対側の曲がり角へ送れ!』

 

 その言葉と共に、春咲の背後に青年が突如現れた。足音も空気を揺らすことすらなく、1秒前は誰も居なかった場所に青年は立っている。

 それは空間転移、離れた場所に前触れなく現れることが出来る超能力。

 その力を見せた青年は短く言う。

 

「了解」

 

 そして彼は春咲の肩に手を当てると、心の中で強く唱えた。

 ――空間転移!!

 

「な、ちょ――」

 

 抗議の声は間に合わず。

 シュン、と2人の姿が掻き消え、反対側の曲がり角の影にそっくりそのまま現れた。超能力により、文字通り「瞬間移動」したのだ。

 

 そして混乱気味の春咲から手を離した青年は、再び能力を発動してどこかへ転移。残された春咲は、転移による脳を揺らすような不快な感覚に、思わず小声で憤りを吐き出す。

 

「うっ――バカ、やるなら先に」

 

 だがその文句すら続く声に黙殺される。

 

『来るぞ! 321で()()()()()を言いながら角から飛び出せ!』

 

 車酔いのような気持ち悪さを現在進行形で感じている朱里は、その声に更に気分が悪くなった。それは文句ひとつ言わせてもらえないクソ指揮官に対してもだが……まさか()()()()()を本気で言うことになるなんて吐きそうだ、と彼女は素直に思い。

 

『3...2...1...今だ!』

 

 迷う事すら許してくれない指示を受け、春咲朱里はもうやけっぱちで道の角から飛び出した。

 馬鹿らしく()()()()()を叫ぶ声に、隠せない苛立ちを乗せながら。

 そのセリフとは、即ち。

 

「『いっけなーい遅刻遅刻』ー!」

 

 道の角から飛び出た先。

 目の前には驚いた顔の、事前に確認した写真と同じ顔の少年。

 だが。少しタイミングがズレたのか、彼の反射神経が良かったのか、朱里は自分が「躱された」ことを悟り。

 ――しかしその心の声を、ムカつく指揮官は”聴き”逃さなかった。

 

『ケース3だ、念動力で軌道を修正!』

 

 ぐい、と朱里の背中を不可視の力――遠くにいる能力者が発動した念動力が押し、その軌道を変える。

 

 そして――衝突。

 

「——つぅ」

「い、痛ぇっ……」

 

 勢いよくぶつかった男女は、お互いに弾かれ尻もちをついた。ただ朱里にケガはなかった。アスファルトに手をつく直前、見えない力が彼女を受け止め、優しく地面に降ろしたのだ。

 

「(……ナイスキャッチ)」

 

 朱里は自身を受け止めた念力とそれを使う超能力者に心の中で感謝をし、そして目標と向き合った。

 道路に尻もちを付き痛みに顔をしかめる少年。長めの前髪に洒落気のないメガネをかけた、いまいちパッとしない、特徴の薄い男子。

 ――目標の「鍵」、四季巡。当然ながら初対面、写真で見た以外の見覚えも、特別感じるものもない。

 つまり、今はただ……ムカつく指揮官の作戦通りに。

 

「ちょっと、どこ見て歩いてるのよ!」

 

 ただ今のセリフには、ちょっとばかり感情が瞳に乗ってしまった気もしたが――いい演技の補強になるだろう、きっと。 ぽかんとしている少年の顔を出来るだけ見ないようにしながら考える。

 そんなわけで用を終えた朱里は早々に立ち上がり、去り際に一言。

 

「そうだ、遅刻しちゃう!」

 と叫んで、北門を目的地にその場を去った。内心で「もう遅刻はしてるけどね……」と思いながらのセリフだったから、こっちはちょっと大根だったかもしれない。

 小走りでそんなことを思う彼女の頭の中に届く、なぜかテンション高めのねぎらいの声。

 

『よーし上出来だ春咲! そのまま学校まで走れ』

 

 脳内で響く憎たらしい上司の言葉を聞きながら、彼女はふと気付く。気付いてしまう。

 そしてとんでもなく微妙な、苦虫を噛み潰したような顔になり……観念したように、作戦責任者へと静かに溢す。

 

「……ねぇ。例えばの話なんだけど。『左の角から飛び出してぶつかって来て、悪態付きながら左の角に走って行く』、なんてことするヤツが居たらさ。普通、ソイツとは関わりたく無くわよね?」

『ん? まあそれはそうだろう。絶対ヤバい奴じゃんソイツ』

 

 まだ気づいて無さそうな声に、朱里は嫌な汗を流しながら言う。

 

「私、その『ヤバい奴』になってんだけど……」

『んん? ……あ”』

 

 そう。超能力者は気が付いた。あの空間転移の瞬間に、作戦は破綻していたことに。四季巡(ターゲット)が学校側の歩道を使った時点で、春咲朱里は「遅刻しそうなヒロイン」ではなく「体当たりが趣味の狂人」になるしかなかったという事実に。

 結論。

 

「はぁ。これでもし失敗したら、全部アンタの責任って報告していいわよね? こんな数ミリの誤差で破綻するクソ作戦を立てたクソ指揮官さん?」

『……ま、まだ失敗したわけでは……』

 

 16歳にして百戦錬磨の超能力者・春咲朱里は、その震える声に「今回はダメかもね……」と割と本気で思いながら、死んだ目と共に学校への道のりを走った。

 

 ◆

 

 そして、2年A組の教室にて。

 

「あー!! アンタはあの時の!」

 

 私、春咲朱里はバカみたいに声を張り上げた。クラス中の視線が「教室に入るなり叫んだ転校生」に向けられ、私は羞恥で顔が染まるのを何とか堪える。

 と、そんな私を面白がるような声。

 

「なんだ、お前ら知り合いか? なら席は隣同士で良さそうだな」

 

 視線を明後日の方向に逸らした目標、四季巡と私を交互に見ながらニヤつく担任教師。新任だろう若い女性の彼女はしかし、不意に目を細めて超能力を発動する。

 

『これは「教師役」の私にしかできないナイスアシストだろ春咲朱里。だからその、もし作戦が失敗しても、ある程度は報告に手心をだな……』

 

 頭の中に響くその声は、先ほど私たちを揶揄った声と同じだった。

 彼女はこの春から学校に紛れ込んだ通信能力者兼、先ほどからずっと念話している作戦指揮官である。まったく、面白そうな顔も必至そうな顔もウザいったらありゃしない。人目が無かったら燃やしてるところよ。

 そうやって怒りを堪えていると、彼女は誤魔化すように、

 

「まあそれは置いておいて。とりあえず自己紹介をしてくれるか転校生。名前を黒板に書いて……あとはそうだな、転校の理由でも言ってくれ。ダメなら新しい学校での抱負でもいいぞ」

 

 と自己紹介を促して来た。やめろそのウインク、ウザい。

 

 私は改めて作り笑いを張り付けた。自分の性格は好戦的だと自負しているが、これで面の皮の厚さには自信がある。なにせ連合で出世するには、「上」の老人におべっかを使うのが近道だからだ。今回も要領は同じ、任務に貢献し私自身が組織の「上」へと昇るため、使えるものは嘘でも容姿でも何でも使う。

 

「えー、こほん。はじめまして、私は春咲朱里って言います」

 

 目を細める。口角を上げるのを意識。渾身の笑顔を作りながら、更に身を揺らして親しみやすさを出す。

 

「木世津高校には親の都合で転校してきました」

 

 本当は「連合」の都合だけど……はぁ、好感度のために四季巡に笑いかけておくか。朝の件のイメージダウンを少しでも覆さないと……ってこっち見てないし。

 怒りが顔に出そうになるけど必死で我慢。

 

「この学校での抱負は……真面目に頑張る、かな。皆、よろしくねっ」

 

 崩れかけた表情を腰を折ることで隠す。改めて笑顔を作り顔を上げ、笑いながら手を小さく振った。ぶりっ子にでもなった気分だが我慢する。全ては私の評価のため。

 

『やるじゃないか美少女転校生』

「(黙れ無能指揮官。いや悪趣味担任教師?)」

 

 ウザったい揶揄にもつとめて笑顔は崩さない。

 演技の甲斐あってか、私に向けられる温かい拍手。これでクラスにはかなりいい感じに受け入れられた。問題は……ぼーっとしながらぞんざいに拍手をしている窓際最後尾の間抜けヅラ、四季巡である。なんというか、協調性というのを感じない。クラスをりんごの箱で例えるなら、りんごの中に混じった余りものの梨のような……教壇の横で俯瞰する限り、彼のポジションはそんな感じだと読み取れた。

 

「(流石に『鍵』、他人を警戒して人間関係を絞っているってことなのかしらね)」

 

 そんな感想を抱きながら教壇から下り、用意されていたターゲットの隣の席へ。当然これも偶然では無く、学校に潜入していた偽担任の仕込みである。

 私は彼の隣の席に座って、今度こそ親しげに笑いかけた。

 だが。

 つい、と視線を逸らされる。俯きがちのその顔とは目が合わない。

 

「(警戒されてる? やはり朝の件が原因? ……それでも接触するしかない、か)」

 

 仕方ない、と割り切って気合を入れる。

 どこから来たのと質問してきた前の席の女子に断りをいれ、精いっぱいの演技で四季巡(ターゲット)にアクションをしかけた。

 

「――ねえ、朝の事なんだけど」

 

 声をかければ、流石に顔が此方を向く。

 少し伸びた黒い前髪の下、眼鏡の奥の瞳と目が合った、気がした。

 逃がさないためにすかさず言葉で引き留める。

 

「ありがと、こっち向いてくれて。その、朝のことはゴメンね。ぶつかったのに酷い態度取っちゃって。遅刻しそうで気が立ってたんだ。それを謝りたくて……えーと、名前、なんて言うの?」

 

 まずは謝罪。自然な会話の切り口だし、頭を下げられる良識をアピールできる。既に知っている名前を尋ねたのは怪しまれないことと返答してもらうことを優先したものだ。ついでとばかりに小首をかしげ、可愛らしい女子生徒を演じる。

 さあ、四季巡の反応は――。

 

「あ、えーと……」

 

 声ちっさ。

 

「あ、えーと……お、俺は四季巡。朝のことはその、まあなんていうか、気にしなくていいよ、うん。俺も別に全然気にしてないし。……じゃ、そういうことで」

 

 会話自体に慣れていないような、もたついた舌回し。うーん、まだ判断できないけど、警戒されている訳ではなさそうかな……ん?

 

「(今、会話切られた?)」

 

 余りに自然すぎて気付かなかったが、気付けば会話は終了していた。

 

「(どういう文脈よ……っ)」

 

 若干焦りつつも、すぐさま会話の流れをリカバリーする。

 

「そ、そんな訳にもいかないって言うか、そっちが気にしなくてもこっちが気にするっていうか……」

「あー、その、ごめん。あの時は俺も注意散漫だったと思うし、俺が悪いよな、うん。じゃ、そういうことで」

 

 ……は?

 また終わった!? コイツ、人と話す気ゼロか!? とにかく会話を終わらせるわけにはいかないと思いながら必死に言葉を組み立てる。

 

「そんなことないよ! 私が不注意だったっていうか、だからその……」

「いや気にしてないからいいよ謝らなくて。じゃ、そういうことで」

「いや、あの……」

「大丈夫気にしてないから。じゃ、そういうことで」

 

 取り付く島もないとはこのことだった。

 

「……えーと、そんなあからさまに避けられると、そっちの方が困るっていうか……」

 

 困った顔で情を揺さぶろうとしたものの、既にあらぬ方向を見ていた四季巡から、もう言葉は返ってこなかった。

 

「(やっぱり警戒されてる? ムリに会話を切ってきたのは不信の意思表示? クソ、コイツが何考えてるか分からない、テレパシストじゃないのよこちとら!)」

『呼んだか?』

「(ちょっとアンタ、腐ってもテレパシストなら目標の思考を読みなさいよ!)」

『いや無理だな。案の定ターゲットと私の波長は合わなかった。そもそも本来の私の能力は「送信専門」だからな。よって当初の予定通り、彼との会話はおまえに一任するぞ~』

「(この役立たず! 死ね!)」

 

 己の意に反して髪がゆらりと揺れる。周囲の空気が乾くのを感じ、私は慌てて腿を抓った。痛みが辛うじて燃え上がりそうだった怒りを抑える。

 

 ――超能力。それは先天的に脳に宿る異能力の総称。

 その最も重要な特徴として、()()()()()()()()()()()()()、というものがある。超能力者が特定の感情を抱いたときに、それをトリガーとして超能力は発動するのだ。

 私の場合、トリガーとなる感情は「怒り」。怒りが頂点に達すると、炎は私の意思に関わらず周りを襲う。

 無能な味方のせいで溢れそうになった炎をなんとか押さえながら、私は賭けに出ることにした。結局いつもそう、肝心な時に味方は頼れなくて、だから重要なことは私が1人でやるしかない。

 私は炎を抑え切り、再び四季巡の方を向き直った。

 

「その、だから……」

 

 声で顔を向けさせる。顎を引いて上目遣い。怒りでうるんだ瞳と紅潮した頬も利用する。これでダメならもう私にできることは無い。

 

「お詫びも兼ねてさ、今日一緒に帰らない? メグルくん」

 

 語尾は不安気に揺らした。前傾姿勢で精一杯距離を縮めた。さあどうなる、やはりこれだけでは厳しいか――。

 

「あっハイ……あ” 」

 

 しかし彼の答えは即答だった。考える前に出たって感じだった。

 その答えが出た経緯までは分からないまでも、兎に角安堵が心を満たす。

 

「よかった、それじゃ放課後ね!」

 

 はぁ……本当に良かった、首の皮一枚繋がった……。

 任務の失敗がようやく遠のき、思わず大きく息をつく。私は自分の貢献度の高さを少し誇り、その後ちらりと横を見た。

 

「(それよりも、コイツ……)」

 

 隣に座っている四季巡は、なんか呆然としているというか、何とも読みにくい表情をしていた。そんな横顔を見ながら考える。

 

「(なんで私の提案が許可されたのか、結局分からない。あの顔は魅了されてくれたとかそんな感じには見えないし。警戒されてるのかどうかも……はぁ、めんどくさ。そもそもこんなチマチマした作戦、どう考えても私向きじゃないのよ。敵を燃やせば解決する戦場の方がずっと簡単だわ)」

 

 あと正直に言って、今回の目標は特別めんどくさかった。協調性が低く、自分本位で、独自の思考回路を持っているタイプ。言ってしまえば、余り関わり合いになりたくない――クラスで浮いているのが納得の性格だ。

 なんだか見ているのも嫌になり、私は四季巡から視線を外した。

 

「(ま、コイツのことは放課後まで忘れよう。そろそろクラスメイトの質問をかわすのも限界だし……作戦期間が未知数な以上、クラスに溶け込んでおいて損はないでしょ)」

 

 そう考え、私はクラスメイトとの交流を始めた。視界の端の四季巡は窓の方を向き不干渉を示していたし、何より炎が暴発しかねないので、それ以上そちらは向かなかった。

 クラスメイトと表向き楽しげに話す私の頭の中に、こちらに視線を向ける教師の声が届く。

 

『よくやった春咲朱里。「運命の出会い作戦」第二段階、「一緒に帰る約束しちゃった!?」は終了だ。この調子で第三段階も……』

「(分かってる。ここまでやったんだし、もう第三でも第四でもやってやるわよ)」

 

 約束は取り付けた、問題の「第三段階」は後からでいい。

 そうして私は、クラスの中で「純情可憐な春咲朱里」のポジションを築くべく、再び自慢の作り笑いを張り付けた。

 

 ◆

 

 そんなこんなで放課後。

 隣り合い歩く春咲朱里(わたし)と四季巡……2人の間の空気は死んでいた。

 

「……えーと、その……い、いい天気だね……」

「……いや、曇ってるし……。その、話題がないなら解散ってことで……」

「い、いやあそういう訳には……」

「は、はあ……」

 

 曇天の下、全く会話は弾まない。なんか下手なナンパのようだと他人事のように思う。

 ちなみに引き留めてる方が私だった。なんか凄く惨めな気分だった。

 

「(クッソ、初対面相手に対して話題とかあるワケないでしょ!? あのクソ担任指揮官は『スタミナ切れ』とか言い出すし、こういう時くらい役に立てっつーの!)」

 

 『いやー朝から複数人とテレパシーして疲れちゃった。私今日はもう能力使えないからあとガンバって☆』と脳内に直接伝えられた時は流石にあの役立たずの前髪を焦がしてしまったが……正直自制した方だと思う。なんならもう2、3回くらい殴っても妥当だろう。つーか殴らせろ。

 溢れそうになる(いかり)を抑えつつ、私はチラリと隣を見る。

 

「(……バカのアドバイスでも今は欲しいわ……コイツが何考えてるかなんか分んねーわよ私)」

 

 四季巡はこちらと目を合わさず、曇天の空を見ながら歩いていた。それはただぼーっとしているだけなのか気まずさから逃げるためなのか、それとも。ただ確かなのは、今それを確かめる方法は私には無いことと、四季巡の方から会話を振ってくる気は無さそうだという事だった。

 

「(あーもう、話しかけて来いよ! 私外面はそこそこ良いでしょ! そりゃ誘ったのは私だし嫌われても仕方ないレベルの奇行をかましたのも不本意ながら私だけどさ、こう、なんか気を使えよ! だからクラスで浮いてんだよ多分!)」

 

 なんだか脳内で滅茶苦茶言い出した私をよそに、四季巡はこちらを向かず歩き続けていた。足は止まらず、朝ひと悶着あった例の角を曲がる。つまりタイムリミットは近かった。

 

「(マズい、このままだとホントに失敗する! こんな重要な作戦のメインポストで結果を出せなかったら「上」の連中にどう思われるか……ッ! あの通信能力者に責任を被せても、何年も積み重ねてきた私の評価が揺らぎかねない……それだけは、それだけは!!)」

 

 だが焦りに反して良案は生まれず、私たちは寮の前に辿り着いてしまう。

 

「あー……それじゃ、俺住んでるのここだから。もう解散ってことで……」

「(失敗(それ)だけは――!)」

 

 もう自棄だった。

 

「ま、待って!」

 

 私は四季巡の腕を掴み、彼と目を合わせる。

 驚いたように見開かれる眼鏡の奥の黒い瞳。それを見て、もう後には引けないことを悟る。

 だから、せめてもの渾身の演技で用意していたセリフを放つ。

 

「あの……っ! 私達、昔会ったことがあるの! メグルくんは、その……憶えて、る?」

 

 ざあ、と桜の花びらが不自然に舞い、雲間が開いて私たちの周囲だけ陽光が射す。千里眼能力者と連動した念動力者による、少しでも雰囲気をよくするためのサポートだろう。内心で彼らに再度の礼を言いつつ、私は今の発言の意図を整理する。

 

 これが作戦の第三段階、バカ風に言えば「運命の再会!? 転校生は幼馴染!!」……もちろん命名は私では無い。

 それはともかく。

 共有された情報によると、四季巡は引っ越しの多い幼少期を送ったらしい。だからこの段階では「成りすます」。彼が過去関わっただろう異性に。

 名前も容姿も――最悪性別も、薄れた幼少期の記憶ならば問題ない。確証はなくともなんとなく「そういえば居たかもなこんな子」と思わせれば良い……要するにオレオレ詐欺の要領だ。ただ電話越しの詐欺と違い、実際に対面している人間の言葉を疑う人間はそう居ないだろう。多分。

 メリットは初対面よりは早く信頼されるだろうことと……バカ曰く「幼馴染は特別」らしい。だから幼馴染に成りすますのだと。正直その辺は疑っているが、こちらも代案を出せていないので従うしかない。

 そんな、苦し紛れとも反撃の一手とも言える私の言葉に……四季巡は。

 

「……えーと、多分人違いです……」

「——は?」

 

 滅茶苦茶申し訳なさそうにそう言った。

 彼はその気まずそうな表情と仕草を前面に押し出しながら続ける。

 

「俺、春咲さんのこと知らないし……あー、誰かと間違えてると思うんだけど。ほ、ほら、俺って結構凡庸だし、その人が俺に似てるなら間違えても仕方ないっていうか……」

 

 正直言って、予想外の反応だった。

 何かを思い出すそぶりも記憶を洗う時間もなく、ただ1足す1を2というように「人違い」と断じる。そんなターゲットの態度に作戦失敗の文字が過り、私は慌てて言葉を組み立てる。

 

「い、いやその、ホントに会ったことあって! ほ、ほら居なかった? 昔仲良かった友達とか……」

 

 誰でもいいから思い出せって! という私の心の叫びは、そのあまりにも悲壮漂う返答によって打ち消された。

 

「居なかった」

 

 へ?

 

「居なかった。俺、友達とか出来たことないし」

「えと、その……凄い昔の、ホントにちょっとの期間だったから憶えてないんだと……あれ? 今なんて」

「俺は今まで一人も友達が出来たことがない。大昔も幼少期も、ちょっとの間の友達すら居なかった。俺の人生に『友人』も『恋人』も存在しない、ましてや『幼馴染』なんてどこ捲ったって居ないんだ。たとえ数時間だけだとしても、俺が深く関わった人を忘れるわけない。だって……今までそんな人、1人も居なかったんだから……」

「……え、えーと……」

 

 なんか何も言えなかった。いたたまれない、というのか……そんな感じだった。ただどんよりと目を曇らせて悲しい半生を語る四季巡が哀れで、一瞬目的すら頭からすっぽ抜けてしまった。

 

「(はッ! そうだ幼馴染設定……ってココからどうすんのよ!?)」

 

 なんとか目的は取り戻したものの、正直詰みだった。この状況から居もしない知人に成りすますことなど、四季巡の頭に洗脳系の超能力を直接ぶち込まない限り不可能だ。そしてその手段は、審問会の介入を恐れた「上」が禁じている。

 ガラガラと音を立てて、私は自分が積み上げたキャリアが崩れていくのを幻視する。冷静に考えて、作戦は失敗。この第三段階はどうあがいても成功しないだろう。もう打つ手はない。だから。

 

「で、でも――」

 

 だから、半分諦めた私の口がそれでも足掻くように動いたことに、私自身驚いていた。

 

「で、でも私達がその、『幼馴染』なのはホントなの。お願いだから信じて欲しいな……っ」

 

 嘘でしかないセリフを、無意味かもしれない言葉を、それでも紡ぐ。喉元にまで迫った失敗から目を背けるように。

 だがやはりというべきか、そんなスカスカの言葉で目の前の男を説得できるハズも無くて。

 

「いや、だから有り得ないって……俺みたいなアリンコと春咲みたいなキラキラ系が幼馴染なんて……」

 

 ここまでか、そう項垂れた思考の裏で、一筋の電流が閃いた。

 

 ――そういえば。彼は教室でなぜ、私の言葉に頷いた?

 

 気付けば体は動いていた。四季巡の手を取り、引き寄せる。

 目が、合う。驚いた様に見開かれる眼鏡の奥の瞳に、自分の顔が映っている。

 諦めかけて潤んだ瞳、必死で赤らんだ頬と縋るような表情を、射した陽光を反射してきらめく赤毛が彩る。そんな自分の姿がどこか他人のように感じながら、私は言った。

 

「お願い。信じて」

 

 目の前の少年の顔が、赤く染まっていく。握った手が熱くなる。表情が崩れる。伝わる鼓動が熱を持って走り出す。そんな相手に隙を逃さぬよう追撃。

 

「信じて、くれる?」

 

 斯くして――四季巡は、目を回しながらも頷いた。

 それは冷静になって考えれば、大した意味を持たない肯定の強要。けれど私は首の皮1枚繋がったという確信と、新たに産まれた感情によってそれを理解することは無かった。

 

「うん、ありがとう」

 

 完璧に纏い直した外面(えがお)で、お礼をひとつ。

 

「……あー、それじゃ、また学校で!」

 

 そうして私はその場を後にした。小走りであてもなく道を行きながら、私の心は……外面で完璧に隠した内心は、地獄の釜の如く茹っていた。

 理由は単純。今しがた別れた、否、共に居ることが耐えられなくなったターゲットのせい。

 

 四季巡――彼はただの少年だった。「鍵」である自覚も警戒もない。友人が居ないことに悩み、異性に顔を赤くする、異能など持っていないだろう普通の高校生。

 それがどうしようもなく、癇に障る。

 

「(ふざけんな)」

 

 私はどこかで自分を納得させようとしていた。

 「連合」の趨勢を左右する作戦。私がそのキーマンとして抜擢されたのは、「私でなければならなかった」のだと。ふざけた指示に従わなければならないのは、『上』に私の実力を必要とされている」からなのだと。

 けれど違った。私は一般人の機嫌を取るという誰でもできるような任務に、能力でも実績でもなく、「顔と年齢」をあてに駆り出されたのだ。

 その事実が、私の中の怒りに薪をくべる。

 

「(ふざけんな、ふざけんなふざけんな! 私は「連合」屈指の発火能力者、春咲朱里なのよ! 若手の最高戦力なのよ!! それなのに、こんなおふざけに付き合わされるなんて――!!)」

 

 傷ついたプライドの隙間から溢れそうになる炎を必死に抑えながら、私は走った。

 私に割り当てられた過去最低のターゲット、四季巡から離れるように。



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④ 4月6日(月)・放課後/舞台裏

 ――「冬野グループ」。

 それは日本における一流大企業の名前である。

 彼らは主に車、家電、土地開発など、幅広い事業を手掛けている。グループ会長の優れた経営手腕と優秀な人材を見抜くヘッドハンティング能力により一代にして多大な財を築いた冬野グループは、今や人々がその名を目にしない日は無い、といっても大げさではないほどの大企業だ。

 そんな冬野グループにはしかし、誰も知らない「裏の顔」がある。

 それは「オーバーテクノロジー」という名の異能を秘密裏に研究する、異能関連企業であるという事実だった。

 

 超先進科学(オーバーテクノロジー)——それはいわば超発達した科学による超能力の再現。重力を無視し、エネルギー保存則を揺るがし、この世の理を捻じ曲げる……そんな外法の科学に傾倒しているのが、表向き大企業の冬野グループであり、その会長であるという訳だ。

 そんな冬野グループの「極秘部署」、会長肝入りの「特別先進科学研究課」は今、重要な会議の真っ最中だった。

 

 

 近未来的なデザインの少し薄暗い会議室。

 白色のLED照明が、机を囲むスーツ姿の人影を映し出す。

 ほとんど影しか見えない、長机に座る数十人ほどの人影。年齢も性別もバラバラの彼らは、ただ「優秀である」という理由で収集された特別先進科学研究科――略して「特研課」のメンバーたちだ。

 ある程度の緊張感と沈黙が満ちる空間に、低く通る声が響く。

 

「……時間だ」

 

 その声を発した人物――上座に座った壮年の男が立ち上がり、長机の中心から立体映像(ホログラム)で資料を表示させながら口火を切った。

 

「——それでは、今から会議を始める。議題は通達した通り、『要注意人物・四季(しき)(すすむ)が隠したらしい宝と、その息子・四季巡への接触案について』。なにか質問は?」

 

 彼の発言に対し、若い男が手を挙げて質問する。

 

「課長。その件ですが、本当に確かなのでしょうか? 『宝』の存在も、それを四季巡なる人物が保有していることも」

 

 その問いに対し、課長、と呼ばれた男は鷹揚に頷いた。

 

「勿論だ。特殊盗聴器から得られた情報、先日捕縛した『捕虜13号』の証言、高度未来予測AI『ラプラス』が演算した未来……全てはこの件の有力な裏付け(エビデンス)となっている。他に質問がある者は?」

「……」

 

 今度は沈黙。

 

「よろしい。では始めよう」

 

 そして課長の言葉を合図に、なん百回目の特研課の会議が始まった。

 まず課長は長机の左手側手前に声をかける。

 

「さて、まずは宝の情報を訊こうか。諜報班」

 

 諜報班、と呼ばれた数人の中から代表が立ち上がり、立体映像を操作してデータを表示、そのまま報告を始める。

 

「はい。四季進——以後『対象X』が言及した『宝』について、未だ有力な情報は得られていません。各陣営の趨勢を左右する、ということで『超能力の増幅装置』や『伝説レベルの魔道具』――失われた9つの『魔剣』などが予測として挙げられるのですが……」

「どれも推測に過ぎないという訳か」

 

 形式を優先した謝罪とそれへの宥恕が行われたのち、課長と呼ばれる人物は議題を進めた。

 

「よし。ならば宝の情報は後回しで、四季巡——以後『対象A』への接触・及び情報収集を行う際の案を集める。彼は確か『鍵』と呼ばれていた……つまり『宝』の情報、もしくは『宝』を解放する権利などを彼が有しているハズだ。提案のある者は手を挙げて発言するように」

 

 課長の言葉に合わせるように、四季巡の立体映像が表示された会議室内。

 そんな中でまず手を挙げたのは、顔色が悪く怪しい笑みを浮かべた女性だった。彼女は口の端を吊り上げたまま、何が楽しいのか愉快そうに言う。

 

「自白剤を使うのはどうでしょう。最近私の部署で、従来の3倍の効力を持つ新薬の開発に成功しまして……」

「却下だ。対象Aへの強制行為を行ってしまうと、冬野グループ自体が審問会や『対象X』と敵対する恐れがある。それは危険度が高く、会長もいたずらにリスクを増やすことをお望みではない。よってより穏便かつ効果的な案を募集する」

「そうですか……非異能者への貴重なデータ収集の機会だと思ったのに……残念です」

 

 女性が着席。

 それを待っていたかのように、今度は七三分けの真面目そうな男性が席を立ち発言する。

 

「審問会を警戒するならば、『対象A』と友好関係を結んだ後に、あくまで友好的に訊き出すのが正攻法でしょう。勿論こちらの思惑は隠したうえで、表向き一般人どうしとして接触するのです」

 

 その意見に、少し考えた後頷いた課長は、

 

「成程。では一度その線で検討してみよう。何か良い提案は?」

 

 と今度は方針では無くそれを成功させるための意見を求めた。

 そこからの会議室は荒れた。

 

「単純接触効果を利用して友好を深めるべきかと。資料1に目を通していただきたいのですが、人が秘密を明かすのと好感度とは相関関係にあり――」

「超能力者が動き出しているとの情報が。奴らは同年代の少女を送り込むという作戦だそうで――」

「なら差別化を図るために少し年が離れた人員を、いやあえて同年代をぶつけ妨害をするのもアリか――」

「『対象A』が通う学校にアンケートを実施して入手したプロファイリングでは、対象の性格は『争いを好まない』『少々見栄っ張り』『寂しがりや』などと推測され――」

「この前ウチが開発した小型立体映像投影装置って何かに使えたり――」

「該当する人材が――」

「それでは――」

 

 白熱する議論。会議室に溢れる意見の声。

 しかし会議は踊るも進まずといった具合で、なかなか決定的な案は出ない。

 このまま続けても生産性はないと判断した課長が、一度流れを中断させようとしたところで……会議室がやにわに静まり返る。

 ――手が、挙がっていた。

 会議室中の人間が押し黙り、その挙手を行っている人物を見る。それは余りにも綺麗な挙手だったからというのもあるが、それよりもその指ぬきグローブを装着した手の主の実績によるところが大きかった。

 黒縁メガネ、天然パーマ、少しぽっちゃりした体系に……なぜか頭にハチマキ、スーツの上から奇抜な法被を着ている人物。彼は今までこの特研課において、奇抜な発想とそれを実行する行動力で数々の実績を残してきた男。天才プログラマーであり有名大学を首席で卒業した若き俊英でもある彼は、カタカタとノートパソコンを叩きながら言う。

 

「『妹』、はどうでしょう」

 

 そのあまりにも突飛な発言に、会議室に静寂が訪れた。

 重苦しい沈黙の中、課長は少し戸惑いながら発言の真意を探ろうと口を開く。

 

「……妹、とは?」

 

 答えは迅速だった。

 

「女性の構成員を義理または生き別れの妹として『対象A』に接触させるという事です。もしくは妹枠な近所の女の子的ムーヴでも可」

 

 その内容に、流石に誰もが「ふざけているのかこの男は」と思ったが、発言者が発言者のために無条件で無碍にすることは出来ないという空気が流れる。

 それを代弁するように、課長が語気の弱まった声で問うた。

 

「……少し、理解に苦しむが……理由を訊こうか」

 

 そうして多数の胡乱な視線を向けられながらのプレゼンは始まった。

 

「はい。まず対象のプロフィールを見るに現在は恋人ナシ、さらにきょうだいもおらず母とは死別、父は行方不明……つまり、対象は家族愛に飢えている人物だと考えられます。つまり『妹』なら! 異性愛と家族愛の両方から攻めることが出来る訳です。これはとても有力なアプローチだと考えます」

 

 「おお……」と室内に納得の籠った声がいくつか漏れる。今だ猜疑的な目を持つ者もいたが、それに怯まず自信たっぷりに声は続いた。

 

「次に。『対象A』は極端に周囲の人間との接触回数が少ない。純粋に陰キャ系のキャラなのかもしれませんが、これは流石に重要な情報を持っているがゆえの警戒が大きいのでしょう。彼は自身に近づいて来る人物を警戒し遠ざける……しかし『妹』なら! 自分より年下でか弱くて可憐な『妹』を警戒し続けることなど、どんな人間であろうと不可能なハズ!」

「……確かに、幼くて無害そうな少女を警戒するのは難しいかもな」

 

 誰かの肯定が聴こえる。だんだんと室内の空気は、最初と真逆の方向に傾き出していた。それを感じてか、男の声は更に調子づく。

 

「またインターネットを使った調査では妹属性に魅力を感じる人間が多く、正に昨今のトレンドといった具合で――」

 

 その後十分程度行われた、異論反論を潰して回るような流暢なプレゼンテーションにより、遂に部長は頷いた。

 

「……よし。他に良い案も無さそうだ。採用しよう」

「ありがとナス――ゴホン、ありがとうございます」

 

 控えめな拍手によって、また特研課に彼の案が受け入れられる。

 

「よし。では条件に合致する構成員のピックアップだ。心当たりのある者は……」

 

 そうして意見を採用された男は満足そうに頷き、パソコンの操作を再開した。

 彼が会議中熱心に行っていたのが、プログラミングでもプレゼンテーションの準備でもなく……『どきどきっ♡しすたぁず2』という名の妹萌え系ギャルゲーであることなど、真面目に会議を続ける他の人間は終ぞ気付くことは無かった。

 

 ◆

 

 ……私の世界は、ずっとその部屋だけだった。

 白い部屋。私に与えられた言語能力では、「白い部屋」としか表せない部屋。そんな部屋で「訓練」と「調整」をして、たまに外に出て「任務」をこなす。自分と同じ顔の「同型機」が壊れたり、補充されたり。いつか私も廃棄する側から廃棄される側に回るのかな、と漫然と考えながら、今日も任務に備えて調整を受ける。

 それが私の――私たちに与えられた人生で。

 

 

「――3番、起きろ。任務だ」

 

 声が、ほとんど閉じかけていた私の意識を覚醒させた。声紋を認証……命令権のある人物の声と判定。

 下された命令に従い、私は横倒しのカプセル型の装置から起き上がる。体を起こす際、首に繋がっていた電極が数本、ぷちぷちと音を立てて外れた。脊髄に痺れるような不快感が走るが、それに不満を言う機能は私には無い。

 起き上がった視界には、いつもの白い部屋。沢山のカプセル型の装置が並ぶ、無菌の研究室。

 

「……」

 

 私はカプセル型装置から出る。また電極が数本外れて、私と装置を繋ぐものはなくなった。そのまま私は周囲を見回す。

 2人の「大人」が、部屋の中に立って会話していた。

 

「なるほど、この子が……」

「ええ。ARIS(アリス)計画製の強化人間、この子は脳力強化(ブレイン・ブーステッド)タイプですね。製造番号はBB-03。脳波出力は歴代最高の数値を出します。複数回の実戦経験アリで成績も良い。文句なしの、優秀な『科学使い』ですよ」

 

 私に命令権のある「司令」と……もうひとり、知らない誰かが司令と話している。私は彼らの前に移動し、待機姿勢で指示を待つことにした。

 と、直立した私の顔を知らない人が、大人だろう男の人が覗き込む。

 

「うん……この容姿なら充分だろう。髪と目の色がアレだが……髪は染めて、目はコンタクトで騙せばいい。そうだな、金髪碧眼とか似合いそうだ」

 

 その言葉の意味は分からなかったが、すぐに気にしなくなった。私にそう言ったことを考える機能は必要ないだろうから。

 茫洋とただ指示を待つ私に、聞き慣れた司令の声が掛かる。

 

「3番、『特研課』が直々におまえを御指名だそうだ。任務の内容はこれからまとめてインストールする。別命があるまで1番ドッグで待機しておけ」

「……了解」

 

 異論はない。

 私は「科学使い」。魔法を超えた科学を使い、「冬野」の敵を討ち滅ぼすモノ。

 だが、私に何か不備があったのか……知らない人の顔が曇った。彼はそのまま司令と会話を始める。

 

「あー……その、愛想が足りないように思うのだが。この子はもうちょっとこう、可愛らしく笑ったりは出来ないのか?」

「必要であればそうさせますが。もし御所望なら、入力には1ヶ月ほど貰いますよ」

 

 司令の言葉に、知らない人ははあと溜息をつき。

 

「……連絡が上手く行ってなかったようだな。いいか、今回は殲滅でも鹵獲でもない。諜報作戦だ。それも思いっきり人と関わる奴。愛想が無くてどうするんだ。1ヶ月も待てないぞ」

「そうですか、それは失礼。ですが本計画の兵士たちはそのような用途での運用を想定していません。他を当たってみてください」

 

 司令の冷静な言葉に、知らない人は……彼は突如頭を振り乱しながら叫んだ。

 

「——居ないんだよウチの会社に16より下の、異能に関わってる女の子!! 全部署あたって、もうココしかなかったの! あのクソ上司、何が『妹じゃないと意味がない』だよ自分で探しやがれコンチクショウ!!」

 

 知らない人がわめいている。自分や同型機に向けられるものでは無い憤りを傍で見るのは初めてで、なんだか不思議な気分だった。

 と、その知らない人がこちらを向いた。見た事の無い顔……笑顔、というのだろうか。そんな顔をして、かがんで私と目線を合わせてくる。

 

「ふぅ、騒いでごめんね……えと、君名前は?」

 

 胸元には「特研課」のバッジ。彼は自分に命令権がある人物だと確認できたので、与えられた質問に答える。

 

「私はBB-03。所属は冬野グループ・対異能戦闘部隊『アサルト』。識別コードはS-096-461-03です」

 

 不足なく答えた筈だったが、特研課の人の顔が曇る。彼は眉尻を下げてさらに私への質問を続けた。

 

「えーと……君に与えられる任務は諜報……ターゲットと仲良くなって情報を手に入れる必要があるものなんだ」

「了解しました。全力を尽くします」

「……とにかく、この任務には名前が、製造番号でも識別コードでもない『個人名』が不可欠なんだ。苗字は『冬野』で良いとして、名前……きみ、なにか好きな言葉とかあるかい?」

 

 好きな言葉……考えたことも無かった。

 

「……申し訳ありません。わかりません」

「そうか。なら……確か君をつくった計画がAchieving a revolution in scienceでARIS計画だったから……そうだな。ちょっと並び替えてRISA、リサはどうかな。科学使いっぽく理科の理と……まああとなんか適当な『さ』でリサ」

「……り、さ」

 

 口の中で言葉を転がす。

 リサ。りさ。名前。個体名。わたしのなまえ。

 ……なんだろう。胸がくすぐったいような、初めて味わう不思議な痛み。

 

「――」

 

 こくり。思わず、それを取り下げられないように素早く頷いた。

 そんな私を見て、特研課の人は再び笑顔という表情になる。彼は私に手のひらを差し出しながら、言う。

 

「よし。それじゃ行こうか」

「待って下さい。作戦のインストールがまだです」

 

 司令の声に、差し出された手を取ろうとしていた私の体が無意識に止まった。だが。

 

「あー、口頭で説明するよ。その方がこの子の情緒も育つだろう」

 

 特研課の人はそう言って、そのまま私の手を取った。

 彼が歩き出したので、自然、手を繋いだ私も歩き出す。

 離れていく、と思った。司令から、白い部屋から。私たちの部屋から。

 

「……?」

 

 今抱いた感情は何だろうか。それを言葉にする機能は私には無い。

 だけど、これだけは憶えている。そのときの私は……冷たい廊下を歩いているだけなのに、少し足元がふわふわしたような、そんな感覚を味わっていた。

 

 ◆

 

 それが2日前。

 私には新たに「冬野理沙」の名が与えられ、特殊な任務に就くことになった。

 今でも少し、あの日起こったこと・あの日から変わったことに対応できていない感覚はある。

 けれど任務は任務。私は人である前に兵器、入力された命令をこなす装置。何を置いても、任務はこなす。

 

 がく、と少しだけ首が揺れた。送迎の作戦車両が止まったのだ。スモーク処理された強化ガラス窓からは、後ろに流れることの無い街の風景が見て取れる。

 私は座っていた後列のシートから下り、隣に座っていた若い工作員から鞄を受け取る。四角い革鞄を背中に背負い、そのまま車の外へ。何の変哲もない黒色のバンに偽装した作戦車両から下りた場所は、シュミレーション・ルームで確認した住宅街だった。

 

「報告、こちらS-096-461-03。所定の位置に付きました」

 

 耳に手を当て、耳の中に入れたマイク一体型のインカム・チップに報告。すると、そこから骨伝導式で外に漏れない通信音声が聴こえてくる。

 

『こちら司令部、了解。それと改めて、本作作戦での君の識別コードは「R」だ。理沙でもいいが、以前のコードは使用しないように。無駄に長くて非効率的だ』

 

 以前の司令とは違う、新しい司令の低い声。

 

「……R、了解」

 

 再び耳に手を当てて返答。耳に手を当てるのは此方の声を邪魔する外からの雑音を出来るだけ遮断する為と、此方に届く通信音声を耳の外に漏れづらくする為だ。

 と、作戦車両のドアが閉まった。前扉の窓が開き、そこから運転手の声が届く。

 

「エージェントR、御武運を」

 

 作戦車両が私を置いて作戦地域を離脱する。

 私は鞄を担ぎ直し、そのまま首を動かして周囲を確認した。ここは作戦目標である四季巡の暮らす学生寮……そこから50メートルほど離れた、学生寮とその周囲が見渡せる場所。

 曇天の空の下、周囲に人通りは無い。その理由を説明するように、耳の中の装置から声が届く。今度の声は司令のものではない、通信員だろう女性の敬語。

 

『こちら司令部。B・C班による周囲の人払いが完了しました。これより現場の作戦担当者には、限定的に第二種特殊兵装までの使用を許可します』

「R、了解。作戦行動、開始します」

 

 私は目標の学生寮を見据える。事前の調査ではなんの異能も科学技術も使われていない、防衛機構も変形機能も無い学生寮。

 その敷地内の駐車場に、2人の人間が立っているのを視認する。

 眼球に埋め込んだ強化コンタクトレンズを使用。100メートル先の文庫本を読むことすら出来る視力と、遠隔接続したコンピューターによる情報処理を行うことが出来る視界で、該当人物の顔をスキャンする。

 

「報告。目標(ターゲット)、個体名:四季巡を確認。誰かと会話している模様。会話相手の顔をスキャン、データ照合……一致。会話相手は脅威レベル4、発火の超能力者と断定」

『司令部了解。エージェントRは移動を開始してください』

「R、了解。司令部、対象の排除を実行しますか?」

『いや、目標の目がある。人払いも完璧ではない、今は目標との接触を優先しよう』

「R、了解」

 

 私は履き慣れないローファーでアスファルトを踏みながら目標の寮へと歩き出す。その間も観察と報告は欠かさない。

 視界の先、此方とは逆方向に走り去る赤髪の女子生徒。そのことを耳に手を当てて報告。

 

「発火能力者、離れていきます。目標との接触を終了した模様」

『よし。そのまま予定通り部屋の前で……』

 

 と、司令の声を通信員の声が遮った。

 

『! 目標が自室に向かって移動開始、このままだと間に合いません! 目標が階段を登りきるまでの予測時間、あと15.2秒!!』

 

 強化された視界がその情報通りの光景を、四季巡が階段を上りだす姿を捉える。

 それを確認すると同時、司令の焦りを含んだ声が届く。

 

『なに!? 所定の位置まであと30mはあるぞ! それによく考えたら2階に上がるには階段を通らないといけないじゃないか! 自室に入られたら流石に手の出しようがない……今日の接触は諦めるしかないか……?』

 

 司令部の中に広がる混乱を聴き、私は思い出した。

 今回の任務では現場の判断を優先するということを。

 

「状況、把握」

 

 そして――この程度の距離、5秒も必要ない。

 

「——所定の位置まで急行します。『収納多脚(スパイダー・アーム)』、解放」

 

 ガシャガシャガシャ!! と音を立てて背負っていた学生鞄が変形し、中から蜘蛛の足を模したような複数の機械の脚が出現した。3対6本の白いアーム、外装の素材は強化カーボンで、「脚」の先端には直径10センチほどのホイールが付いている。

 その「脚」をアスファルトの道路に接地させ、1本で100キログラムを軽く支える力を持つ脚たちを使って体を浮かせる。

 

「周囲に人影無し……行動を開始します」

 

 そのままホイールを高速回転させ発進。

 宙ぶらりんの体制になりながら、ぎゃりぎゃりと音を立て加速を続ける。このとき出ていた最高速度は、時速にして約80㎞。30mの距離を5秒と経たず走り抜ける。

 

『もう残り2m地点まで……! だが2階に上がらなければ』

「問題ありません」

 

 私は「脳力強化(Brain Boosted)」タイプ。機械に強化・増幅された脳波を読み取らせることで、兵器をより精密に、より直感的に操作することを目的として生み出された、冬野グループ製の強化人間だ。

 私は思考によって直接ホイールに指示を送り、ホイールの形状をものを掴める鉤爪に変形させた。そのまま複数の脚を上に伸ばし、ベランダの柵や柱に引っ掛け、そのまま体を持ち上げてベランダから2階通路に体を運ぶ。最後は出来るだけ勢いを殺し、音を立てないように2階廊下に着地。

 最大展開すれば重さ1tにまで耐えられる「収納多脚」は、この程度の事造作もない……時間にして3秒の早業。

 ガシャガシャと鞄の中に脚をしまいながら、報告。

 

「所定の位置に到着しました」

『素晴らしい! 君は天才だエージェントR!!』

 

 司令の声に少し心が浮つくが、その感覚に浸る時間はない。

 

『予測接触時間まで残り3秒、2秒……目標、来ます!』

 

 そうして私は廊下の奥、階段の方を見て――そして出会った。

 

「チャララ~――ァんぐェへッ」

 

 こちらと目が合うなり固まった、作戦目標である四季巡と。

 思考を直接文字として出力する機械を使い、声を出すことなく司令部に報告を届ける。

 

「(目標、目視で確認。距離2メートル……これより接触を開始)」

『司令部了解。くれぐれも愛想よく、フツーの中学生らしくな!』

「(R、了解)」

 

 そのまま私は作戦目標への接触に集中することにした。

 黒髪に黒目、眼鏡をかけた人物。身長も容姿も、事前のシュミレーションで確認した「四季巡」と一致している。

 私は動きのない彼に近寄り、あらかじめ決められていた最初のセリフを完璧に。

 

「はじめまして、『お兄ちゃん』」

 

 ぺこり、と「学習」した綺麗なお辞儀を再現して見せる。

 この後の会話のパターン、およそ35パターンのシュミレーションもインストール済み。私は少し身構えながら目標からのアクションを待ち。

 

「あ、うん。初めましてコンニチワ。なんかゴメンね、ホント。じゃあね……」

 

 するっ、と横を抜けられた。

 気付いたら彼は自室の扉を開けていた。

 思わず認識機能の不具合を疑ってしまう程の、引き留められない自然な動きだった。そんな私の意識を司令部からの声が現実に引き戻す。

 

『シュミレート外の反応! 接触の機会を失うのはマズい、扉を閉めさせるな!』

「りょ、了解」

 

 私は少し焦りながら行動を再開。廊下を戻り、閉まりかけた扉に手を伸ばす。

 

「(身体強化装置、オン)」

 

 身に纏った中学校の制服、その中に仕込まれた駆動系が動き出し、私の年齢標準レベルの筋力をサポートするパワードスーツとなる。

 そのままドアノブを掴み、靴に仕込まれたボルトを廊下床に撃ち込みロック。目標が閉めようとしていた扉を力づくで固定する。

 出来た隙間から室内を覗き込んで、できるだけ愛想よく話しかける。

 

「……まって、『お兄ちゃん』」

 

 返答は悲鳴だった。なぜ。

 

『声の大きさや波長、表情の解析結果的に本気でビビられてます。こ、この接触方法は失敗ではっ?』

『ま、まだ何とかなるハズだ!』

 

 私が司令部からの声にどうしたものかと考えていると、室内で尻もちをついている目標が彼から話しかけて来た。

 

「ひぇ、ええっと、何用でしょうか……?」

 

 四季巡。黒髪黒目に眼鏡、特に特徴のない高校生。そんな彼の情けない、言い換えれば年上に対するおそれを微塵も抱けないその姿に、ついぽろりと文句が漏れる。

 

「予定外の行動、こまる」

「よて……何?」

 

 あ、まずい。これは言っちゃいけないんだった。

 

「なんでもない。あなたに話が、ある」

 

 うまくごまかすと、今度はインカムから必死な声。

 

『あー理沙! できるだけ可愛らしく!にこやかにな!』

 

 その声に、私は出来る限り学習した「可愛らしい仕草」と現状最大の笑顔(*口角が2ミリほど上がる)をしながら、事前に与えられたセリフをなぞる。

 

「私は冬野理沙。『お兄ちゃん』って、よんでいい?」

 

 それに対して、目標、四季巡は言う。

 

「えーっと……どゆこと???」

 

 その私でも分かる困惑100%の言葉と共に、私の新しい任務が始まった。

 

 ◆

 

 私、冬野理沙は四季巡の住む202号室に入り、不慣れを晒しながらもタスクをこなしていく。

 普通の中学生を演じながらも、子供が1人暮らしをするという状況を怪しまれないように言い訳し。

 そして「妹」として目標に取り入ることに成功する。これはあらかじめ学習しておいたセリフと演技が役に立った。

 そうして彼に菓子食品と甘味飲料を貰い、好感度の上昇を確認。少ししか手を付けないことで礼儀を示すことも忘れない。

 また共同でテレビゲームをプレイし、そこでも好感度を稼ぐ。脳波を直接読み取ってくれないコントローラーにもどかしさを感じ少し大きな声を出してしまった気もするが、許容範囲内であると判断する。……ちなみにゲームの結果は必要ないので報告しない。別に結果は作戦において重要ではないと判断する……別に悔しいとか思ってはいない。

 

 そして時間はあっという間に夕方。

 私は夕焼けに染まった202号室の前で「巡お兄ちゃん」に見送られていた。

 

「ちょっと長時間遊び過ぎたね。もう遅いから、気を付けて――いや隣の部屋だからそれはいいのか」

「うん。ありがとうお兄ちゃん」

 

 ターゲット・巡お兄ちゃんからは最初の恐怖や困惑はもう見られない。よって私は充分に親交を深められたと判断する。

 

『最初はどうなることかと思ったが、中々良い感じだったんじゃないか?』

『まあ少しヒヤッとする場面も多かったですけどね……』

 

 インカムの先の司令部も概ね満足げな空気だった。

 私は少し安心しながらも、これからの任務のために質問した。

 

「今日は楽しかった。またきて、いい?」

「……それは、えっとね」

 

 しかしここで巡お兄ちゃんの――ターゲットの表情が曇る。

 

「今日は俺も流れで入れちゃったけど、女の子が1人で男の家に入るってあんまり良くないことなんだ。理沙ちゃんはまだ中学生で、親御さんの許可も貰ってないし、だから……」

 

 その発言の続きが拒絶である可能性が80%を超えた瞬間から、私は動き出した。

 思考を直接文字にして司令部に送る。

 

「(映像投射装置の使用を提案。具体的には、遠隔投影式の立体映像で『親』と『親御さんの許可』を捏造する)」

『……なるほど、その手が……! 司令部了解、その案でいこう!』

「(R了解、では作戦の為の『親役』を募集する)」

『分かった! 私が父親役をやる、小型マイクの接続急げ!』

『かちょ……いえ司令、投射装置はこちらです! 速く移動を!』

 

 慌ただしい司令部の動きを聴きながら、私は後ろ手で鞄に取り付けていたバッジをひとつ剥がした。直径3センチほどの円盤に似たそれは、小型化された立体映像の投影装置。

 それの電源を入れ、廊下の床へと素早く投げる。ブゥン、と司令部内の投射装置の範囲内を再現した立体映像が投影されるが、現在投射装置内には誰も居ないため、バッジ型の装置は上方に透明な光を放つだけだ。

 投影装置のセットが完了したら、今度は「収納多脚」を背中で隠しながら一本だけ展開。その先に立体音響によって音源地を捏造可能な高機能スピーカーを取り付け、背中を通してこっそりと目標の方へと向ける。

 

「(こちらR。投影装置・スピーカー、共にセット完了)」

 

 と、同時にインカムから声が届いた。

 

『了解、こちらの準備完了も完了しています!』

「(了解。該当者には投射装置内への移動を要請。音声通話・スピーカーオン)」

 

 そうして投影装置は、対応する投射装置内の映像を――そこに入った司令の姿を映し出す。

 ブゥン、と本物にしか見えない不透明度92%のフルカラー立体ライブ映像が展開された。

 声は司令が付けた小型マイクが拾い、私がセットしたスピーカーが放つ。

 

『いやー、お隣のお兄さん。「娘」がお世話になりました』

「へぁっ?」

 

 音声の接続は良好、音源地を映像の司令の顔辺りに設定するのもばっちりだ。

 司令は特殊コンタクトを通して私の視界を見ながら、それを頼りに出来るだけ自然な仕草で目標と目を合わせながら演技する。

 

『理沙と遊んでくれたんでしょう、ありがとうございました。私は冬野理沙の父です。この子、理沙は少し愛想がない所がありまして……お兄さんに懐いたのならこれは僥倖、まさに渡りに船と言うやつですな』

 

 目標は突然現れた(ように見える)スーツ姿の『父親』に驚きつつも、それが映像とは疑っていない様子。

 司令は怪しまれないよう、また間違っても映像に触れられることの無いよう、素早く迅速に言葉を投げかける。

 

『私は仕事の事情で家にあまり帰れず……この子には寂しい思いをさせてしまいそうだったんですが、お兄さんがいれば安心だ。どうです、娘も君に懐いているようですし、これからもこの子と遊んでくださいませんか?』

「え? いやあまあそれは良いんですけど、お父さん? はいったいいつからそこに――」

『ありがとうございます娘も喜びますそれでは!』

 

 丸め込めたと判断した瞬間、司令は投射装置の範囲内から飛び出る。当然、投影装置が映していた司令の姿も消滅した。

 

「え、ちょっ!」

 

 目標が驚き、玄関から身を乗り出して階段の方を見る――その隙に私はアームを使い立体映像投影装置を回収した。そしてスピーカーから「階段を下りる音」を出力、立体音響機能を使い「階段を下りる父親」を想像させ、急に現れ消えたことを出来るだけ怪しまれないようにする。

 

『ふぅ……どうだ、成功か?』

「(肯定。目標の疑念は規定レベルに達していないと判断可能)」

『はい。素晴らしい演技でした司令』

 

 思考によって声を出さず司令部と会話しながら、私は目標に向き直る。

 未だ階段を凝視したままの彼の服の袖をつまんで引っ張り、注意を此方に向けさせて一言。

 

「親(*偽物)の許可、もらったよ?」

「……そういえばそんな話だったなぁ」

 

 そんな話だと分かってから対応したので当然である。

 しかし目標は未だに決断を迷っていた。

 

「でもやっぱりなあ……世の中のモラル的には」

 

 ……ここで、私の頭をとある映像がよぎった。

 それは「学習」の際に見た教材のアニメーション映像。見せてくれた少し変な格好の特研課の人曰く、タイトルは「甘える妹の見本」。映像の内容は、妹が兄の手を握り、可愛らしくおねだりをするというもの。

 なぜ今それを思い出したのかは分からない。先ほどまでの接触時のデータからそれが有効だと無意識に判断したのかもしれないし、もしくは本当に偶然かもしれない。

 ともかくその時の私は、「それ」に賭けてみようという気分になったのだ。

 私は巡お兄ちゃんの手のひらを掴み、そしてしっかりと目を合わせて言う。

 

「お願い、めぐるお兄ちゃん……」

 

 効果は抜群だった。

 巡お兄ちゃんは頬を緩ませ、

 

「しょうがないなぁもう! 夕方までなら大丈夫か、多分!」

 

 と許可をしてくれた。

 

「わーいありがと」

 

 映像で見た通りしっかりと感謝を伝える。

 と、インカムの向こう……今までと違い、少し遠い声をマイクが拾う。

 

『今のは……誰か指示したのか?』

『いえ課長……もし今のが彼女の自発的な行動なら、設定された自発行動能力を逸脱しています』

『そうか、いや、この程度なら問題は……おい、マイクが繋がっているぞ――』

 

 ぷつり、と声が途切れる。どうやら私に聞かせられない会議が始まったらしい。

 別に不満などの感情は抱かない。私が触れることが出来るのは機密レベル3までの情報だけであり、それが私にとっての当たり前なのだから。

 私はインカムから意識を外し、目標に別れの挨拶をする。

 

「それじゃ。また明日、お兄ちゃん」

 

 振り向き際に見た巡お兄ちゃんの微妙な表情が、なんだか少し面白かった。

 また明日。私と目標との接触は、今日で終わりではない。むしろこれはただのスタートライン、これから時間をかけて仲良くなっていく必要がある……信頼を勝ち得、情報を聞き出すために。

 

 そうして私は自分の新たな活動拠点、201号室に入る。

 これで目標とのファーストコンタクトは終了。だから……私は一息置いて、任務の「続き」を始める。

 

「……第一段階終了。第二段階、情報収集のための諜報機械設置を始めます」

 

 返事の帰ってこないインカムに一応報告をし、私は先程まで居た場所と比べると殺風景な部屋に足を踏み入れる。ただ、「殺風景」といっても何も無い訳ではない。

 部屋の中には、金属製の巨大なケースがいくつも転がっていた。

 それらは冬野グループが事前にこの部屋に運び込んでいた「作戦道具」。多種多様な用途で作戦をサポートする、特研課の中でも最新式の機械たちだ。

 

「超音波式室内観測装置、確認。高性能収音機、確認。小型生物型監視カメラ、確認。電波ジャック式ハッキング装置、確認……」

 

 あらかじめ「インストール」していた装置のリストと実物を照合。漏れが無いことを確認して、そのままガシャガシャガシャ、と「収納多脚」を完全展開。蜘蛛に似た機械の脚8本を使って装置たちの外装を剥ぎ、素早く正確に組み立てていく。

 装置を組み立てながら、思う。これらの装置の目的は、四季巡(ターゲット)が住む隣の部屋から、冬野グループをより反映させる「宝」の情報を集めるためだ。

 

「……」

 

 ふと、1時間を思い出す。必死でコントローラを動かす自分と、その隣で楽しそうに笑っている「お兄ちゃん」の姿。

 

「ごめんね、お兄ちゃん」

 

 ぽつり。

 気付けば出ていたその言葉の意味は、私にもよく分からなかった。



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⑤ 4月7日(火)・学校生活

 夢を、見ていた。

 微睡という深い霧の中、セピアの景色が脳内を駆け巡る。

 

『まってよ、めぐるくん!』

『はやくこいよ、あかりちゃん!』

 

 その舞台は公園だった。

 幼い男の子が、同世代くらいの女の子の手を引いて走っている。男の子は黒髪で、女の子は赤毛。

 彼らは笑いながら公園内を走り回る。楽し気に、幼少という刹那を踊るように。

 

「(——これは……俺の、記憶?)」

 

 自問の声に答えは無く。

 

 ふいに視点が切り替わる。

 まず感じたのは、やけに地面が近いということ。思わず自分の手を確認すれば、それは幼い子供のものに変わっていた。服装も着慣れた寝巻では無く、先ほど俯瞰視点で見ていた子供の自分が着ていたもので。

 酷く低い視点に困惑する俺に、目の前の少女が話しかけてくる。

 

『どうしたの? めぐるくん』

 

 赤毛の女の子だ。その子に見覚えは無いハズなのに、なぜだかどこかで見たような気がする——と、急に答えが()()()()()()()

 

『――これは君の記憶。目の前の少女は仲のいい友達。そうだろう?』

 

 その声は妙に頭の深い部分で響き、俺の意識に指を入れてかき回すようで。

 声に合わせてぐらりと認知が傾き。気付けば俺は夢の中のキャラクターへと変じていた。

 

 ――そうだ、彼女は「あかりちゃん」。いつも俺と一緒の女の子。そして俺は小学校入学前の四季巡。今日はあかりちゃんと一緒に遊ぶんだった。

 俺は不安げな表情の彼女を心配させまいと笑った。

 

『……なんでもない。いこーぜ!』

『うん!』

 

 俺たちは公園を、野原を、花畑を駆け回る。一緒に全力で遊んで、持ってきたお弁当を食べて、躓いて転ぶのさえも2人なら楽しくて……。

 気付いたらまた公園。夕暮れの公園には、(めぐる)彼女(あかり)のふたりきり。まるで世界には俺たち以外いないかのような、そんな夢の中で俺は――。

 

 ――ふと。

 首筋に誰かの視線を感じた気がした。

 

『! だれかいるの?』

 

 慌てて振り向くも……そこには誰も居ない。否、この世界に居るのは俺と彼女の2人きりで、他の何処にも人など居ないと直感できる。

 ……気のせいだった、のかな。

 

『めぐるくん?』

『あ、ごめんあかりちゃん。なんでもないよ』

 

 やっぱりふたりきりだった公園で、俺たちは向き合う。

 そうして夕日をバックに、俺たちは誓ったのだった。

 

『わたしたち、おとなになったらけっこんしようっ!』

『うん! おれ、あかねちゃんとけっこんする!』

 

 茜の空よりも真っ赤に染まった頬で約束した俺たちは、照れからなのか嬉しさからなのかずっと笑っていた。

 風景がぼやけていく。夢から覚めていく。

 

 ――まただ。

 先に感じたのと同じ視線。純粋に愛でるような、それでいて涎のソレに似た生温かさを想起させる不気味な視線をどこかから感じる。

 だが、それを追う暇もなく世界は覚醒の光に包まれて――。

 

 

 

「……今のは」

 

 4月7日、朝7時。春咲(はるさく)朱里(あかり)冬野(ふゆの)理沙(りさ)の2人に出会った翌日。

 俺、四季(しき)(めぐる)はベッドの上で上体を起こし、先ほどまで見ていた夢について考えていた。

 

「俺と春咲の、思い出……?」

 

 茜差す公園。幼い四季巡と春咲朱里は、将来の結婚の約束を――。

 

「した、んだっけなぁ……?」

 

 なんか全然しっくり来なかった。夢をトリガーに記憶が蘇るとか、そういうのは一切なかった。

 むしろそう、

 

「これ、実は俺の妄想が見せた夢とかだったり……」

 

 転校生の春咲朱里という可憐な女子から幼馴染と勘違いされ、人違いだと思いつつも「こうだったらいいなぁ」という俺の汚れた欲が存在しない記憶を作り上げ――ちょっと待て。

 そうだとしたら俺、滅茶苦茶恥ずかしい奴じゃん! 普段は孤高がどうだの言っておいて、いざ目の前に可愛い女子というエサがぶら下がってたらそれに飛びつく自意識過剰恥知らずファッション陰キャぼっち激ダサ野郎じゃん……!!

「(ぐああああああああ恥ずかしいいいいいいいい!!)」

 

 羞恥で真っ赤になった頭を抱えて振り回す。俺がそんな意志薄弱の妄想癖野郎だったなんて信じたくないよおお!

 いや落ち着け、クールになれ四季巡。今見た夢が妄想だとは限らない、もしかしたら本当に俺と春咲のビューティフルメモリーかもしれない。ラブフォーエバーでエターナルハピネスの幼馴染ルートでフィニッシュかもしれない。

 ただ。

 

「(もし本当だったとして……どうやって春咲に訊くんだ? 俺)」

 

 へーい春咲おっはよー、ちょっと質問なんだけどさぁー、俺たちって昔結婚の約束したよねー……いやいやいや、言える訳ないだろバカ野郎。しかもこれで結局事実無根の妄想だったら、ホントに社会的に死んじまうぞ。16歳にしてバッドエンドだぞ。余りにもリスクが高すぎる。

 ただどれだけ考えた所で、春咲に尋ねる以外の確認方法は思いつけず。

 

「……ま、とりあえず会ってみるか。どうせ同じクラスだし、なんかやりようはあるだろ」

 

 色々悩んで、俺はとりあえず後回しにすることにした。悩んでいても始まらない。2日連続で遅刻するわけにもいかないしな。結局いつもの「未来の自分に丸投げ作戦」である。

 

 そんなこんなで、朝一番から愉快な男、俺こと四季巡は起床した。

 そのまま誰に見せることもないモーニングルーティンをつつがなくこなしていく。

 顔を洗い、歯を磨き、トースターで食パンを焼く。ちなみに俺はトーストにはバターとハチミツ派、目玉焼きはめんどくさいので焼かない派だ。

 皿に出来上がったトーストを乗せ、テーブルに座ってテレビを点ける。

 朝食と牛乳をお供に7チャンネルの朝のニュースを見るのが俺の日課である。

『7時45分になりました。ここで本日の天気予報です。今日は1日を通して気持ちのいい快晴で、傘の準備は必要ないでしょう』

 

 ニュース番組は良い。天気予報などの生活に役立つ情報を知ることが出きるし、何より頻繁に時間を知らせてくれるので遅刻の心配がないのだ。ゲームとかしてたらすぐ時間を忘れてしまうからな。そのせいで中学の時は補講を受けまくることとなり……いやそれは忘れよう。あの地獄の空気は二度と思い出したくない……。今は朝の空気を満喫しよう。

 部屋を暖かい陽光が満たす。窓の外からは小鳥の声、目の前には甘く香るハチミツトースト。ニュースも昨日見そびれたからか安心感がある。この落ち着いた朝の時間は俺の癒しだ。

 と、テレビ画面で丸っこいフォルムのキャラクターが大げさに手を突き出した。

 

『じゃんけんターイム! じゃんけんぽん! 僕はパーを出したよ!』

 

 ふっ。このじゃんけんタイムも悪くないが……これに大きな反応をするのは残念ながら遥か昔に卒業してしまった。具体的に言うと去年あたりに。

 まあ今日の俺はチョキを出してマスコ君に勝ったワケだが、この程度で分かりやすく喜んだりはしない。こんなもの勝っても負けても何の得も無いからな。まあ今日の俺の手の形はパーを切り裂くチョキだったワケだが……。

 

 と、ここでテレビの映像が乱れた。

 

『ザザ――』

 

 一瞬だけ流れる砂嵐。故障か? と思ったものの、すぐに画面には明るさが戻った。普段と何も変わらない占いコーナーが始まる。

 

『わくわく星座占い~! 今日のアナタの運勢は~?』

 

 占いか……これはお気に入りのニュース番組だが、このコーナーは正直微妙だ。だって俺は占いとか非科学的なものを信じられないからな。そもそも占いって誰が考えてるんだ? 占い師に毎日アンケートでも取ってるのか? まったく、こんなのを気にするのは女児だけだろ。

 

『本日の1位は~?』

 

 やぎ座来い。

 

『やぎ座のみなさ~ん!』

「ぃよっしゃあ!」

 

 思わず飛び出るガッツポーズ。

 ……いやでもまあ? 1位だったらテンションが上がらんでもないし、微妙というのは言い過ぎだったかもしれないな。……なんだその目は、やぎ座を妬まないでくれないか。

 

『やぎ座の人は今日絶好調! 気になるあの子と急接近? 更に、きょうだいに優しくするともっといい日になるかも!』

 

 きょうだいに優しくと聞いて、俺は金髪の少女の顔を思い出した。俺の妹もとい妹分となった、隣の部屋の冬野理沙ちゃんのことを。

 そんな俺を置いて占いは続く。

 

『相性が良い人はみずがめ座! 一緒に居るといいことがあるのは2歳年下! ラッキーパートナーは金髪の人! あと登下校はその人と一緒が良いかも! 更に――』

「なんか今日の占い長いな……?」

 

 ていうか何だ「ラッキーパートナー」って。この番組5年見てるが、そんなの今まで聞いたことないぞ。

 と、再びテレビにノイズが走った。

 

『ザザ――3位はおとめ座のみなさん!』

 

 さっきの焼き増しのように一瞬だけ映像と音声が乱れ、やぎ座の占いは終わった。てか2位の星座スキップされてないか? 放送事故か? 全然ラッキーじゃないじゃん、惜しくもやぎ座に敗れた2位のみなさん。

 

「にしても、理沙ちゃんね……」

 

 俺は2歳年下で金髪の女の子のことを考える。俺は正直、未だに彼女への態度を決めかねていた。昨日は確かに、間違いなく人生で一番初対面の人と打ち解けた日だった。一緒にゲームして楽しかったし。

 けれど思うのだ。俺と仲良くすることで、彼女に何か不都合が起きないか、と。宿題ややるべきことができなかったり、変な噂になったり、もしかしたら俺が誤って彼女を傷つけてしまってその人生を歪めてしまわないか……そんな不安を捨てきれない。恐れていると言ってもいい。なにせ俺は友達など出来た試しのない16歳の高校生だ。人付き合いのやり方も、年下の女の子との正しい付き合い方も知らない。知識も経験も責任能力もない。そんな状態で理沙ちゃんを家に招いて遊んでもいいものだろうか。

 

「う~ん……ま、これも保留か」

 

 もしかしたら昨日の今日で嫌われてもう遊びに来ないかもしれないし……自分で言っててなんだが死ぬほど傷つくなソレ……。まあその時は大人しく「兄貴分」を返上するつもりだ。「巡お兄ちゃん」の寿命は短かったな……いやまだ嫌われたと決まった訳じゃないか。

 

『8時になりました。ここからは――』

「やべ、そろそろ着替えねえと」

 

 俺はリモコンを手に取ってテレビを消した。トーストの最後のひとかけらを頬張り、牛乳で飲み込む。そして皿をシンクで水につけて、帰ったら洗うと心のメモ帳に書き込む。そしてパジャマからキセコーの制服に着替え、昨日準備しておいた鞄を持った。

 

「8時5分……ちょっと早いけど、今日はもう出るか」

 

 昨日の遅刻で慎重になっている俺は、歩いて5分の学校へ出発することにした。ま、早く教室に着いたところで読書の時間が増えるだけだしな。

 

「行ってきます、母さん」

 

 最後に部屋の方を――幼い俺が写った家族写真を振り向いて、俺は自宅の扉を開けた。

 ◆

 

 同日、数分前。

 春咲朱里は通学路を逆方向に――つまり本来目的地の筈の学校から離れるように歩いていた。理由は単純、四季巡を迎えに行くためである。……こう書くと実に微笑ましい男女の青春だが、当事者である彼女の内心は穏やかではなかった。

 その原因は、担任のテレパシストから「見せられた」夢。

 彼女は今朝の夢を思い出す。

 

「(あのクソ教師、偽の夢の中とはいえ『結婚』だの『めぐるクン(はぁと)』だの好き勝手……!! いくら作戦だからって、私は玩具じゃないッてのよっ)」

 

 

 さて、ここで春咲の上司であるテレパシー能力者の力について解説しよう。

 彼女の能力は当然「テレパシー」……相手の頭に直接情報を送ることが出来る能力。だがこの「情報」というのは自分の声だけに留まらない。正確にイメージすれば、他人の声から写真などの資料、果てはフルカラー映像まで、相手の頭の中に送信することが出来るのだ。

 では、そんな「ちょっと便利なSNS」くらいの能力を持つ彼女が、「寝ている人」に対し本気で能力を使うとどうなるか。

 答えは簡単――イメージの世界で作った音声付き映像を、「夢」という形で相手に見せることが出来るのである。

 

 つまり今朝四季巡と……ついでに春咲朱里が見させられた夢は、一から十までテレパシーによって構成された偽物の記憶なのだ。夢の中で巡が感じていた「視線」はテレパシー能力者の、つまり夢の作者からの視線だったのである。

 ……ちなみに夢偽造という大技を繰り出した本人は「あー子供の頃にする結婚の約束激エモ、幼馴染最高! 良い夢作ったぁ~」と満足げだった。勿論これは彼女の趣味ではなく、「幼馴染作戦」を成功させるための工作なのだが……やっぱり趣味全開だったかもしれない。

 

「(ていうかあのクソ上司もムカつくけど、四季巡もよ。アイツに子供の時の友達がひとりでも居れば、こんなクソ夢見なくて済んだのに……あー、朝から気分最悪。なんか炭になるまで燃やしたいってカンジ)」

 

 朱里は半ば八つ当たり的な思考をしながら不機嫌そうに(ターゲット)が住む寮の階段を上る。安っぽい鉄階段を踏むたびに鳴るカンカンという音が鬱陶しい。

 

「(はーあ、マジで火が出ないように気を付けなきゃ……)」

 

 そうして登り切った所で、春咲朱里は。

 風に揺れる金髪を。

 ターゲットの住む202号室の隣の部屋、201号室の扉から出てきた少女を見た。

 

 ――冬野理沙と春咲朱里の、目が合った。

 

 朱里の脳がコンマ1秒でとある記憶を呼び覚ます。それは昨日の作戦の際、テレパシーによって警告されていたこと。

 

『この任務は国内での今後の「連合」の趨勢を決める超重要ミッション――当然他陣営、「科学使い」と「魔術師」共の妨害があるだろう。そうなったときひ弱な精神能力者と、バリバリ武闘派の戦闘系能力者、どちらが任務を成功させられるかは、ほら、「火を見るより明らか」ってヤツだ』

 

 今見ている顔を春咲朱里は知っている。髪の色と目の色は違うものの、決して見紛うはずもない。油断を誘うためだろう見目の良い子供の容姿、返り血の目立つ白雪の如き肌――なによりその顔を、戦場でまみえた敵の顔を、春咲朱里は忘れていない。

 

「敵……! そのツラ、確か科学使いの!!」

 

 朱里は先ほどまでの漫然とした怒りを投げ捨て、烈火の如き敵意で相手を睨む。

 

 

 対するは冬野理沙。

 彼女は先ほどまで、201号室内ちょっとした工作をしていた。巡の見ているテレビをハッキングして、(じぶん)を意識させる内容の映像を流す……具体的には占いコーナーを乗っ取ってサブリミナル的に自身への注意を惹かせるというものだ。つまり彼が見た占いは冬野グループによって捏造された偽物であり、実際にはやぎ座は12位である。

 そして更に仕掛けてある隠しカメラと盗聴器によるモニタリングで巡が登校することが分かったので、偶然を装い共に登校しようと部屋を出たわけなのだが……。

 

 そこでタイミング悪く、春咲朱里と目が合った。

 理沙も知っていた。彼女は敵陣営の構成員、そのうち顔が判明している人物のデータを全て頭にインプットされている。その中には武闘派で有名な赤毛の発火能力者・春咲朱里のものもあった。つまり。

 

「データ照合。対象超能力者、作戦の障害と認識」

 

 理沙の意識が一瞬で戦闘用のソレへと変貌する。

 

 ……異能者とは決して一枚岩でなく、むしろ「陣営」という枠組みを作って積極的に敵対している。犬猿、あるいは竜虎の関係と言えば分かりやすいだろうか。それは「四季巡」の件でも――協力せず他陣営を出し抜こうとしている点からも明らかだろう。彼らはずっと昔から敵対していて、時には血みどろの殺し合いや戦争をして……そうやって憎しみの連鎖に囚われた結果が、今の異能者の世界だからだ。

 つまり、別陣営の異能者どうしが相容れる余地は無い。

 よって……別陣営の者と出会った異能者には、その相手を生かしておく理由もまたないのである。

 

 そうして。

 学生寮を包んでいた平和な朝の空気は、一瞬で戦場のソレへと塗り替わった。

 

 春咲朱里が一歩、相手の方へと歩み出る。

 

「……アンタがどうして『ココ』にいるかは知らないけど」

 

 呟くと同時、轟、と空気が逆巻く。周辺の気温が1℃2℃と上がっていく。

 バチバチと何かが激しく燃焼するような音を纏いながら、春咲朱里は臨戦態勢に入った。

 彼女は揺れる赤い髪の下で、好戦的な笑みを浮かべながら吠える。

 

「丁度いい、こんがり焼いてやるよインテリチビ!!」

 

 髪が逆立つ。空気が乾く。発火能力者が「怒り」というトリガーを構える。

 

 

 対する理沙もそれを黙って見てはいない。

 

「武装制限を限定解除。即座に戦闘態勢へ移行」

 

 ガシャガシャガシャガシャ!! と理沙の周囲で武装が組み上がる。

 自動小銃(マシンガン)、エネルギー砲、強化カーボン製ブレード……鞄から伸びる蜘蛛の脚のようなアーム、その先に大量の兵器を組み立て取り付けながら、冬野理沙は対象に照準を合わせた。

 青い眼が的を見据え、淡々と諳んじるように呟く。

 

「敵性存在、確認。排除行動開始」

 

 銃が撃鉄を起こす。エネルギー砲がチャージを始める。人間兵器が白兵戦を開始する。

 

 

 そこは既に戦場だった。互いが互いを本気で殺そうとする、掛け値なしの死地。

 灼熱の殺意と冷血の殺意が衝突し、彼女たちは同時に引き金を引く。

 

「”燃えろッ――」

「掃射——」

 

 炎熱と銃弾。超能力と超科学。異能を携えた両者が生死を懸けて激突する、まさにその瞬間。

 

 ガチャ、と。

 202号室のドアが開き。

 

「行ってきまー……あれ、は、春咲?」

 

 そこから現れた四季巡が、2人の中心に割って入る形となった。

 

「(――ッ!!)」

 

 0コンマ2秒で春咲朱里は笑顔を貼り付ける。驚きと焦りの余り怒りは鎮火、発射寸前だった超能力が霧散したのが今はありがたい。

 そうして彼女は冷や汗を流しながらも、誤魔化すように笑って手を挙げ挨拶した。

 

「お、オハヨーメグルクンっ。迎えに来たよ、一緒に学校行こッ」

「え、あ、うん……あ"」

 

 そして巡が開いた扉の後ろ、死角の位置に居た冬野理佐は、ガシャガシャと音を立てながら素早く兵器を仕舞う。

 間一髪、巡が扉を閉める前に間に合った。一見ただ立っていただけの理沙に巡が気付いて声をかける。

 

「あ、理沙ちゃん、も居たんだ。てか今さ、なんかすげー音しなかった? 機械の音? みたいな」

「……し、しらない。気のせいだとおもう」

「そっか、まあ俺の気のせいかな」

 

 春咲朱里は笑顔を、冬野理沙は無表情を保ちながら、ひっそりと冷や汗をかく。

 

 ――四季巡に己が超能力者/科学使いであるとバレてはいけない。細部は違えど、両陣営ともその方針を取っていたからだ。

 そして相手の素性をバラすわけにもいかない。そのせいで自分まで警戒されたら堪らないからだ。四季巡には極力「異能者」の存在自体を悟られたくない。

 そんな感じで強制的に冷戦状態となった彼女らは、敵意を顔に出さないよう必死に抑えながら四季巡を囲む。

 

「お兄ちゃん、いっしょにとうこう、しよう?」

「な――わ、私と行こうよメグルくんっ」

 

 そして、そんな2人に挟まれた巡は。

 

「(え? ナニコレ? 夢?)」

 

 自分の頬を抓っていた。痛かった。夢じゃなかった。

 つまり己を囲む女子二人は現実なのだった。

 

「コイ……この子は置いてこうよ。私と2人で行こ?」

 

 朱里が彼の右手を取ってぐいと引き。

 

「……私とだけのほうがいいよお兄ちゃん」

 

 理沙が左手の裾を掴んでアピールする。

 そんな状況に巡は、

 

「(えーッ、こんな感じになんの!? え、どうしようどうすればいいんだコレ!?)」

 

 最っ高に混乱していた。

 それもそのハズ、彼は誰かと一緒に登校した経験など無い。迎えに来られた経験もないし、なんならろくに女子と会話した経験もない。そこへ急に()()である。キャパオーバーになるのも当然だ。

 そんな巡の右手が引かれる。

 

「メグルくんっ」

 

 そして左手も掴まれる。

 

「お兄ちゃんっ」

 

 幼馴染(かもしれない女子)と妹(妹ではない少女)に迫られて、四季巡は。

 

「(え、マジでどうしよう。何が正解なんコレ? 俺は何を言えばいいの?)」

 

 まだ混乱していた。ホントに混乱していた。女子2人に見つめられながら激焦りしていた。頭の中で幾つもの言葉が浮かんでは消滅する。

 

「(多分俺のアンサー待ちだよねコレ。この気まずい感じの間! とにかく何か言わないと……でもなんだろう、言っちゃダメな『間違い』みたいなのがある気がする! でも正解も分かんねぇ! 女子と話したことなんて無いし何を言えば……あーもうこれしかないッ!!)」

 

 そして、彼が苦悩の末出した答え(アンサー)は。

 

「えーと……い、いい天気だね」

 

 ……。

 空気は死んだ。まあ当然だった。

 

「(違ったァああああ!!)」

 

 巡の心も死んだ。心は硝子だった。

 

「ゲフッ――学校行こう」

 

 心の中で血涙吐血しながら、もう何も考えたくなくて逃げるように歩き出す巡。

 

「ちょ、メグルくんっ!?」

「まって、お兄ちゃん」

 

 そんな彼を少し慌てて追い駆け出す2人。

 そんな訳で、少々不思議な登校が、否、新しい四季巡の日常が始まった。

 

 ◆

 

「……(なんなのよコレ)」

「……(司令部。指示を求めます)」

「……(なんか付いてきてるけど会話が全く無い……超気マズい……)」

 

 通学路を歩く少年・四季巡と、半歩後ろを着いていく異能者2人。

 彼らの間の空気はフツーに死んだままだった。会話も笑いも皆無だった。

 

「あの、えっと――」

「そういえば――」

 

 女性2人のタイミングが被る。そのままどちらも何も言えず、再び沈黙が下りてしまう。

 

「(コイツ、邪魔すんな!)」

「(妨害を確認。排除方法を検討……)」

 

 ばち、と超能力者と科学使いの目が合い。

 けれど結局30cm先の四季巡(ターゲット)に気付かれないように相手を倒す方法など無く、また冷戦状態に戻る。

 現在位置は巡が使っている通学路唯一の曲がり角。ここから学校まで一瞬で着いてしまうことを知っている朱里の心を焦りが支配する。

 

「(マズい、さっきからこの科学使いのチビが邪魔で何も出来ない! 先ずコイツからどうにかしないと……)」

 

 だが先ほどの通り、彼女の持つ能力「発火能力」ではどうやっても穏便に追い払うことなど不可能で。

 

「(クソ、念力とか指示できれば……アイツらも他の任務で忙しいから常にスタンバってる訳じゃないし……今このチビをどうこうする方法は――)」

 

 と。

 朱里の視界に花びらが舞った。それが木世津高校北側の歩道、その歩道と車道を遮るように植えられている桜の花びらであると気付いたとき、朱里の頭に閃きが宿る。

 

「(――そうだ!)」

 

 朱里は上を見上げる。空を遮るように伸びる桜の花とそれを付けた枝――其処を目掛けて、イラつきを薪に小さな炎を出す。

 そんな朱里の様子に気付いていない理沙は、再び巡に話かけようとして、

 

「お兄ちゃ――ぷぎゅっ」

 

 ガサ! と音を立て、理沙の頭に半ばから折れた桜の枝が激突した。

 理沙は衝撃で舌を噛み、更に朝露に濡れた桜の花びらが彼女の綺麗な金髪にへばりつく。

 

「り、理沙ちゃん!? 大丈夫!?」

「だ、だいじょうぶ……なぜ」

 

 巡からの心配を受けながら、理沙は落ちてきた桜の枝を見る。

 凝視によって高性能コンタクトに内蔵されたサーモグラフィ機能が起動……すると折れた枝の断面が、異常に高熱化していることが分かった。

 

「(! これは――)」

「ぷ、くくく……」

 

 慌てて朱里の方を振り向けば、彼女は理沙の桜の花びらまみれになった頭を見ながら笑いをこらえていた。

 

「いやー、アンラッキーだったね! まさか()()枝が折れて頭に当たるなんて! 髪も制服も汚れたみたいだし、家に帰ってシャワーでも浴びてきたらどうかな? ぷぷ」

 

 彼女の様子を見て理沙は察する。桜の枝が丁度理沙のいる場所に落ちたのは、朱里が発火能力で枝を焼き切ったがゆえの人為的な事故なのだと。

 こいつ。理沙は生まれて初めて他人にキレた。

 

「そ、そうだな。えっと理沙ちゃん、ケガとかは――」

「だいじょうぶ。それよりお兄ちゃん、上に折れそうな枝が」

「え!?」

 

 理沙の言葉に、まさか自分にも枝が降ってくるのでは……と慌てて視線を上に向ける巡。理沙はその隙を突いた。

 ガシャガシャ、シャキン――ガサ!

 

「いたッ!?」

 

 今度は朱里の頭の上に枝が落ちてきた。

 

「まちがえた。折れそうなのはそっちだった」

 

 桜で汚れた赤毛を晒す朱里の方を振り返り、「ふっ」と鼻で笑う理沙。

 もちろん今のは、彼女が鞄から伸ばしたアーム先に取り付けた刃物で枝を切って起こしたもの……つまり理沙からの意趣返しだ。

 それを悟り、やりやがったなと朱里は人生約数万回目の怒りを覚えた。

 

「は、春咲も!? 大丈夫か――」

「もちろん、よっ("燃えろ"ッ)」

 

 ボウ! ガサ!

 

「あうっ」

「な、また理沙ちゃんに!?」

「だ、いじょうぶっ(アーム展開!)」

 

 パシュ! ガサ!

 

「っつぅ!? なっ……(アームを伸ばした瞬間焼き切ってやろうと思ったのに!?)」

「こっちもまた!?」

「ふん(枝を切るだけなら消音銃でも可能)」

 

 頭に枝をのっけて、髪に花びらをつけながらバチバチと睨み合う超能力者と科学使い。そんな2人を見て……四季巡は。

 

「な、枯れる植物の病気とかか!? とにかくここは危ない! 逃げよう!」

 

 さっさと学校に走り出した。傍に居た2人の手を取って。

 

「え」

「わ」

 

 呆気にとられなされるがままになった2人を連れて走る巡。長いようで短い逃走劇の後校門を潜った巡は、一安心とばかりに息をつく。

 

「ふぅー……上に枝ナシ。ここなら大丈夫だろ。しかし何だったんだ? 急に沢山の枝が折れるなんて……偶然なのか?」

「あの……」

「ん? あっ」

 

 朱里の声で我に返った巡は、自分が彼女らの手を掴んだままだったことに気が付いた。なんなら周りの生徒にじろじろと見られていることも。

 

「ご、ごめんッ」

 

 彼は慌てて掴んでいたふたつの手を放す。そしてすぐさま謝罪。

 

「えー、あー……その、本当に申し訳ない、です。咄嗟だったとはいえ面目次第も御座いませんつきましては情状酌量の余地ありとみなして平にご容赦を頂きたいというかとりあえず示談で済ませたいというか……」

 

 顔を赤くしながらしどろもどる巡に、

 

「いや、まあ……こっちこそ、なんかゴメン」

 

 朱里は目を逸らしながら(何についてかは言えないが)謝り、

 

「うん。ありがとうお兄ちゃん」

 

 理沙は身を案じてくれたことに素直に感謝した。

 3人の間に不思議な空気が流れた。なんだかこそばゆい感覚。それに耐えきれず巡は話題を変える。

 

「それにしてもアレ、何だったんだろうな。枝が落ちてくるやつ。絶対普通じゃないよアレは」

 

 ぎくり。

 当事者たちは焦った。アレ、今考えるとちょっとやり過ぎだったかもな、と。異能の存在を疑われても仕方がないのでは、とも。

 そんな彼女らの焦りに当然気付かない巡は続けた。

 

「やっぱり先生とかに確認してもらって――」

 

 慌てて朱里が言葉を被せる。

 

「あー、それは大丈夫じゃないかなメグルくんっ!」

「でもあんなの見た事ないぜ。なんかやべー植物の病気かもだし」

「いやーそのえっと、アレ結構よくあることだよ! その、中南米とかで!」

「中南米とかでよくあんの!?」

 

 ここは理沙も参戦。

 

「う、うん。私もそう記憶している。気圧とか湿度とかが関係して発生する科学的現象だったはずだよお兄ちゃん」

「科学的現象なんだ!?」

 

 「2人とも知ってるなら……」と、多数決マジックでなんか納得しそうな巡。そんな彼にこれ以上追及されないために理沙は撤退することにした。

 

「そ、それじゃお兄ちゃん。私中学だから」

「あ、うん」

 

 巡はとてとてと走り去っていく理沙の背中を見送った後、自分と同じ目的地ゆえに撤退の策が使えなかった朱里の方を振り向く。

 何を言うかと迷い、そして。

 

「えーと……とりあえず、教室、行く?」

「そ、そうだね。行こっか」

「……ていうか春咲、理沙ちゃんと知り合いだったりする?」

「えーと……まあ、そんな感じ、かな?」

「……そ、そうなんだ」

 

 ぎこちない雰囲気は消えない。ただ会話が無い訳ではなくなった2人は、遅刻しないように一緒に教室へと向かった。

 

 ◆

 

 そんな、俺命名「枝落下事件」があった日の放課後。

 

「ふぅ……なんか疲れた」

 

 俺は木世津高校西棟にあるとある部屋で息をついていた。教室では終始春咲と気まずくて気が休まらなかったので、そんな時間を何とか耐え、やっと1人の空間で落ち着いているわけである。

 

 今更ながら。ここ木世津高校には東棟と西棟、そして西棟より西にある特別棟がある。このうち東棟は各学年のクラスなどがある棟、西棟は移動教室や文化部の部室などがある棟となっている。俺が今年から所属する2-Aは東棟3階の北側にある、といった感じだ。ちなみに特別棟は職員室がある所ね。

 そんな学校の西棟4階、階段から近く遠くも無い狭めの一室に俺は居た。

 

 傾きかけた陽が照らす埃っぽい室内。

 教室よりも二回りほど狭い部屋の中心には大きめの机と三脚のパイプ椅子が鎮座し、その周囲に様々な棚が囲む。全体的な印象は「寂しい部屋」だろうか。放置された段ボール、古びた鞄、床に置きっぱなしの書類の数々……整頓の行き届いていない部屋は、その利用人数の少なさを物語っている。ていうかこの部屋を使うのは、全校生徒の中で多分俺だけだ。

 つまり実質個室のようなもので、当然室内には俺1人。

 ……いや、別に校内の一室を私物化してるワケじゃない。100%合法1人部屋だ……この言い方もなんかアレだな。ホントに特別な何かじゃない、学生なら誰でも普通に使ってる空間だ。そしてこの西棟に沢山ある部屋。

 つまり「部室」である。

 

 さて。俺が通う木世津高校には、「生徒は必ず部活に在籍しなければならない」という校則がある。つまり帰宅部は許されない、ということだ。悲しいことに。入学当初、俺はこの校則に死ぬほど悩まされた。

 ようは「どの部活に入ろう……」という苦悩である。

 運動部はまあ、論外だ。べ、別に怪我が怖いとか運動疲れるから嫌いとかキラキラ系の陽キャが苦手とかそんなことはないんだからねっ。……いやはい、嘘です。どっちも超苦手です。

 そんな訳で自ずと文化部に標的は絞られたわけだが……俺は吹奏楽とか合唱とかの「皆協調しましょう」系の部活も入りたくなかった。

 それは俺の過去の体験が関係している。

 

 そう、あれは忘れもしない、小学3年生の運動会。俺はクラス全員強制参加のリレーにて、バトンタッチ直前で派手に転んでしまった。そこまではいい。問題はここからだ。転倒後、何を思ったのか……血と泥にまみれた小3のめぐる少年は、バトンを握ったままその場から逃走したのだ。当然クラスの順位は最下位となった。そして俺は運動会のA級戦犯という汚名を刻まれ、クラスが変わるまで敵意の籠った視線と冷ややかな態度を受けることになり……う、思い出すだけで胃がキリキリするぜ……ッ。

 ま、まあそんな訳で、俺はあの「運動会逃走事件」以来、できるだけ他人に迷惑のかかるグループワークは控えるようになったのだ。

 そんな俺が協調必須の部活など選べるはずもなく……残った僅かな選択肢の中、俺が選んだのが今の部活、「文学部」であった。

 

「(文学部ってマジでぬるそう……もとい協調必須じゃない感あったしなぁ。まあ活動日誌くらい書く覚悟はあったけども……)」

 

 俺は部室を見回す。狭い室内には賞状やトロフィーなどは当然飾られておらず、埃を被った本棚には文芸本がいくつかと、余りにも少なく薄い活動日誌が5冊。

 やっぱり、なんとなく寂しさを感じる部屋だ。活気とか熱量とか、そういう学生の青春に必ずついてくる感じのヤツがこの部屋からは全く感じられない。

 それもそのはず。

 

「(まさか本当に、()()()()()とはなぁ……)」

 

 ご覧の通り、文学部の活動は至って単純。「部室に来て本を読む」。これだけである。こんな部活があっていいのかという問いは当然だろう。しかしこの文学部は、とても複雑な事情が絡み合って成り立っているのだ。

 前述の通り、木世津高校は全生徒部活強制の校則がある。これは「伝統」ではあるものの、生徒一人一人の事情やご時世的倫理観は考慮されていない。しかしこの校則には、とある「逃げ道」が存在するのである。それは「部活動に在籍」が校則であって、「部活動に参加」はルールに含まれていないということだ。

 更にやむを得ない事情がある者、部活に参加したがらない問題児などは、教師からこの文学部を「紹介」される。

 つまり分かりやすく言うと、こうだ。

 「部活したくない奴は文学部に籍だけ置いて幽霊部員になってね」。これがこの学校の、暗黙の了解となっているのだ。

 ……ちなみに俺がこの事実を知ったのは、部活動初日。その日俺は、誰もいない文学部部室で「俺なんか間違えた?」とか思いながら半泣きで最終下校時刻まで過ごし、鍵を閉めに来た殆ど形だけの顧問教師に笑われながら真実を告げられた。

 

 正直な話、文学部に入部すると決めてからあのときまでの短い間、俺は淡く期待していたのだ。「文学部」という知的な響き、読書を愛する者達の集い、そこにある俺も入れるかもしれない人間関係……だがそんなものは最初から、影も形もありやしなかった。あったのは毎日無人の埃っぽい部室と、家と全く変わらない静寂だけ。

 そうしてなんか悔しかった俺は誓った。俺はこの学校で唯一の、文学部としての誇りを持った文学部生徒になることを。

 

 そんな訳で俺は1年前から、放課後誰もいない部室で1時間ほど読書をするという、よく分からない学校生活を送ることになったのだった……。

 

「はぁ。ま、今日みたいな日は落ち着けていいか……」

 

 まあ「今日みたいな日」なんか初めてなんですけどね! 今まで寂しいだけの部屋だったんですけどね! あはは! ……悲しい。

 

「(和気藹々とまではいかなくてもさあ……1人くらい話し相手ほしいよなぁ。関係の糸が繋がらないレベルの、部室で会うだけの人でいいから)」

 

 どれだけ高尚な文学作品を読んでも「なるほどわからん」と唸っても、それを共有できないのがどれだけ寂しいかはこの1年で痛感した。

 

「春咲とか誘おっかなぁ……でもそれはそれで俺がキモいし気まずくなるだけの気もするしなぁ……」

 

 結局どうすることも出来ず、適当に読み飽きた古い文豪の短編集でも読んでいたときだった。

 

「失礼するよ」

 

 がらり、と部室の扉が、涼やかな声と共に開かれた。

 思わずそちらを見る。

 

 ――射干玉(ぬばたま)の髪が揺れていた。

 

「(……だ、誰だ? 知らない人だ)」

 

 知らない顔だった。

 翡翠色の瞳を彩るのは、知的な印象を持たせる眼鏡。長く綺麗なストレートの黒髪に、透き通るような白い肌が映える。モデル体型というのか、すらりとした肢体をきっちりと着こなした制服で飾るその姿は、怜悧なくらいに美しくて。

 

「(知らない人、だけど……)」

 

 ネクタイの色から上級生、3年生だろうと推測されるその人は、何の気負いも見せず室内に入ってきて、窓側のパイプ椅子に腰を下ろした。

 その所作に流麗さを感じて見入っていると、こちらを向いた彼女と目が合う。

 その瞬間、改めて思わされた。

 

「(スッゲー美人だ……)」

 

 春咲朱里も冬野理沙も、俺からすると凄い可愛い女子だと思うのだが……この上級生はなんかレベルが違った。艶やかな黒髪、すっと通った鼻筋に、流し目ひとつで誰しもを魅了するだろう霞に濡れる刃にも似た目。もうなんか「美」って書いてあるオーラとか纏ってる気がした。いや、それだけではない。

 まあ、その、なんというか――単純に俺のタイプにどストライクだった。年上和風美人文学女子が。過去の俺を文芸部に誘った幻想の具現化がそこに居た。

 

 彼女が俺のから視線に気付き、少しだけ形の良い眉を歪ませて口を開く。

 

「なんだい? 人のことをじろじろと。私の顔に何か付いているのかな?」

 

 声も綺麗だった。上品な感じがした。なんていうか、アユとかが泳いでる渓流みたいな、そんな爽やかで透き通った声。

 そんな若干どころか盛大に気後れしながらも、何とか言葉を組み立てる。

 

「え、あ……いやその、ここはその、文芸部の部室なんですけど……」

 

 しどろもどりながらの言葉に、上級生は肩をすくめた。

 

「それが?」

 

 そんな仕草すら絵になっている。美女って怖い。

 

「そ、『それが』って……ていうかあなたは一体……」

 

 怯みながらの問いを投げかけると、少し考えこんだ彼女は、ゆるりと足を組み替えながら言った。

 

「ああ、自己紹介をしたほうがいいのかな」

 

 そうしてその翡翠の瞳で覗き込むように俺と目を合わせながら、彼女は艶やかに言ってのけた。

 

「私は文学部所属の三学年、夏目(なつめ)優乃(ゆうの)。君の『先輩』だよ、眼鏡仲間の後輩くん」

 

 そう微笑む夏目優乃先輩の美貌にあてられながら、俺は残った正気で考える。

 

 ……幼馴染が出て来て。妹が生えてきて。

 今度は『先輩』って、流石にキャパオーバーだぞ神様!!

 

 魂の絶叫。

 ばさり、と読んでいた短編集が手からこぼれ落ちた。



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⑥ 4月7日(火)・学校生活/舞台裏

 それは今から数日前の事。

 国内某所、何十にも重ねられた結界によって魔術師以外から秘匿された、魔術協会日本支部の内部にて。

 

 埃とインクの匂いで満ちた部屋の空気を、空中をひとりでに回遊する蝋燭が乱す。

 そこは書庫だった……少なくとも、そのように見える場所だった。

 どれだけ見渡しても端が見えない巨大な部屋。窓は無く、闇を遠ざける光は魔術によって飛行する蝋燭のみ。床も柱も艶のある上質な木製で、カーペットは人口繊維ではなく獣の毛から編まれたもの。まるで現代文明の侵食を遠ざけようとするかのような部屋が「書庫」と表せるのは――やはり室内に乱立する「本棚」によるところが大きいだろう。

 高さ10メートルを越す、ぎっしりと本が詰め込まれた本棚。それがずらりと部屋を埋め尽くすように並んでいる様は、世界中のどんな図書館を以てしても対抗できないだろう。見れば分厚く古めかしい背表紙だけを並べた本棚たちには梯子が付いていて、それを使って本棚上部の本を取るのだろうと予想できる。

 

 と、本棚が突如蠢いた。生物の群れが移動するように、並んだ巨大な本棚たちが僅かに部屋を揺らしながら動く。それはまるで、本の海が波打つようであった。

 そんな波の狭間、ぽっかりと開いた穴――部屋の中心に置かれた100人が同時に座れそうな木製の長机に誰かが居た。

 カンテラの火が手元を照らす中、その人物は本を手にぶつぶつと何かを呟いていた。少し妙なのは、机には積まれた本に開かれた本も沢山あるのに、その人物は一冊の本を開きもせずにひっくり返しているということだ。

 

「触媒に水銀と黒薔薇、鍵は古代の巻き貝の化石……呪文は“exorcizo tenebris”……おかしいな、封印が解けない。うーん、何か見逃したのかな? それとも錬金術式のプロテクトじゃない? もしかしたら装丁に使われてる革と骨にも何か意味が……」

 

 机にて独り本と向き合うのは、古めかしいローブを着た女性だった。雑に伸ばしたぼさぼさの黒髪、野暮ったい瓶底の眼鏡が緑の瞳をくすませる。己の格好など気にせず一心不乱に本と向き合うその様は、どこか歴史や文学の研究者を思わせた。それも長机に散乱した何に使うかもわからない古臭い器具と素材、時代遅れの羊皮紙と羽ペンが無ければ、だが。

 そう、彼女は文学者でも歴史家でもない。

 彼女は魔術師——魔術を学び、創り、操る、特異な異能者のひとりである。

 

 此処は魔術協会日本支部の中でも特に重要な一室、通称「魔導図書館」。魔術師が己の知識を記した書物であり、知識を封じた強力な武器であり、また特大の危険物である「魔導書」を保管・研究する施設だ。

 

 そんな魔道図書館の大扉、まるで百年間一度も開いていないかのような威圧感を放つその鉄製の扉が、ギギ、と軋みながら開いた。それにばさりという音が重なる。それは来訪者がローブを翻す音であり、赤い鳥が羽ばたく音。

 しかし室内の魔術師はそれに気付くことなく、本やメモをひっくり返しながら研究に没頭する。

 

「んん……? そうか! 上巻134ページの詩は魔術の詠唱分であると同時に、錬金術への否定的メッセージなんだ! そうなると表紙裏の暗号の解釈も変わってくる、つまり下巻の封印解除に必要なのは水銀ではなく、9世紀初頭当時に流行ったアダム・シルバラックの秘薬と……」

 

 そんな眼鏡の魔術師に、来訪者は一歩、また一歩と近づく。そんな主の目的地に先行するように、赤い鳥は羽音を立てて飛ぶ。

 かくして、その鳥は新たな発見に目を輝かせる魔術師に元へと舞い降りた。

 

「よし、そうと決まれば薬学部に交渉を――」

「『グッドイブニング、ミス優乃(ゆうの)』」

「ひゃあ!?」

 

 優乃、と呼ばれた魔術師が飛び上がって振り返った先には、バサバサと飛びながら机に着地する赤いオウムの姿。

 魔術師の前でオウムが口を開ける。

 

「『随分研究熱心ですね』」

 

 (くちばし)の奥から放たれたのは流暢な日本語。それは本来のオウムの特性である「音の記憶・模倣」では無い。魔術で繋がった"かたわれ"が遠方で聴いた言葉を距離を超えて模倣する――いわば電話のような役割を果たす、魔術によって品種改良された結果獲得した機能。動物学部が決めたそのオウムの種別命は「連絡オウム」といい、魔術師に人気の連絡手段である。

 つまり、魔術師が驚いたのはオウムが喋ったというその事実ではなく、オウムの体毛の色だった。

 

「あ、赤い連絡オウム……? ってたしか賢者様が勅命を与える用のヤツだよね。なんでこんな場所に……」

「『それは』私が此処に居るからです、ミス優乃」

 

 その声の主は、途中でオウムから人間へと切り替わった。つまり、通話先の人間がこの場に現れたのだ。

 魔術師・夏目優乃は声の方向をばっと振り向き……そして驚愕した。

 

「なっ――『賢者』様!!? なぜこんな所に!?」

 

 そこに居たのは、まるで教皇のような衣装とオーラを纏った人物。白と金で構成された服は一切の肌の露出を許さず、顔もシルエットのみが分かる不透明なヴェールで覆っている。声と仕草で辛うじて女性だろうと分かるその人物は、手に真っ白なオウムを止まらせている。あれが赤いオウムのかたわれ――もとい通話先なのだろう。

 そんな「賢者」と呼ばれたその人は、徳の高い僧や神官のような穏やかな声で語る。

 

「私が此処に居て、何か問題が?」

「えっなっだって……」

 

 わたわたと手を振り「異常事態」を表す優乃に、賢者は少しわざとらしく、

 

「貴女も『親衛隊』達のように、私に『狭い祭壇に閉じこもって一生大人しく祀られていろ』と言う思想の持ち主ですか」

 

 そう言うと、今度は優乃は「違います」の意味を込めて手を振る。

 

「い、いやそういう訳では! で、でもせめて護衛くらいは……っ」

 

 そんな彼女の反応に、賢者はくすりと笑いを溢した。

 自分が揶揄われていたのだと気付き赤面する優乃に対し、再び穏やかな声が降る。

 

「冗談です。それに抜け出すのは少しの間だけ。貴女に『大いなる意思』の決定を伝える間だけですから」

「は、はぁ……」

 

 優乃は己が所属する魔術協会・日本支部の公的な最高権力者である「賢者」に対し、おっかなびっくりといった様子で対応する。

 賢者はそんな彼女を見つつ、今度は感情を表に出さず話を続けた。

 

「ミス優乃。『四季(しき)(めぐる)』は知っていますね?」

「は、はい。面識はないですが一応同じ学校ですし……確か重要な情報を秘めた調査対象で、悪名高い"あの男"の息子だと」

 

 四季巡。それは最近異能者界隈で有名になった非異能者の名前だ。高校生の少年ながら、神器クラスの先進遺産(オーパーツ)とも、異能力を増幅する秘境の情報とも言われる謎の「宝」——その情報を持つ「鍵」らしい。

 

 優乃が彼を知っていたことに、賢者は少しだけ満足げな感情を覗かせた。

 

「よろしい。そして……聡明な貴女ならこれも理解していると思いますが、彼に危害を加えることは出来ません」

「は、はい。()()()——『超常殺し』、四季(すすむ)のことですね」

 

 知らずのうちに声が小さくなる。()()()の話はあまり仲間がいるかもしれない場所でしたくはない。あの、まともな異能者ならば名前を聞くだけで縮み上がりそうな恐ろしい男の話など。

 

 ――「超常殺し」。それは一般人にとっては「誰も知らない英雄」であり、異能者にとっては「最も恐るべき非異能者」である。

 異能を持たず、素の肉体と存在が露見しないレベルの現代武器だけで異能者を粛正する、異端審問会の「審問官」とは似て非なる存在。

 個々のスペックで劣る審問官が異能者に対し数の力で有利に立ち回る「群」なら、超常殺しは究極の「個」。人の身ひとつで異能者全体と真っ向から戦争できる、正に「非異能者最強の男」。

 そんな彼「四季進」はかつて様々な異能者——陣営を問わず「一般人にとって危険な思想・能力の異能者」を粛正し、結果その異能者を擁していた陣営と何度も敵対。そのたびに超人的な力を見せつけ、膨大な戦力差と敗北の予言を覆し……遂に日本の「4大陣営」の一角、当時最盛の「陰陽師十二神衆」をほぼ単騎で壊滅させたことで、異能者たちは彼を「超常殺し」と恐れた。

 つまり「異能者」という種は認めたのだ。たった一人の非異能者(にんげん)を、自分たちを絶滅させ得る「天敵」であると。

 

 優乃はそこで一息ついて、話を締めくくる。

 

「つまり私たちは、あの男を敵に回すような行為を行うことは出来ない。例えば『その息子に危害を加える』、とか。四季進が()()()()()()()()()というこの状況であっても、その正式な死亡が確認されるまでは……「超常殺し」と敵対するリスクは、絶対に避けなければならない」

「ええ、その通りです。けれど我々は『何もしない』という選択肢も取れません。この国における魔術師の立場は、まだ非常に不安定なのですから。我らは戦わなければならない。己とその同胞の権利・立場を、他の陣営から守るために」

 

 賢者の言葉に優乃も頷いた。

 異能者の権利や立場、更にその生命そのものを保証してくれるものなどどこにもない。国や法に守られた一般人とは違い、異能者は自らの力で敵と戦い、自分と仲間を守らなければならない。それを改めて肝に銘じ……優乃はそこで気付いた。

 

「(あれ? でもなんで賢者様はわざわざ私にこんな話を――)」

 

 答えは直ぐに示された。

 

「だから貴女の魔術は、他の異能者を撃退する為にのみ使用を許可します」

「はへ?」

 

 優乃の喉から思わず変な声が出た。そんな彼女に構うことなく、賢者は続ける。

 

「ミス優乃……いえ、魔術師・夏目優乃。あなたに指令を与えます。『四季巡』に接触し、彼から『宝』の情報を引き出しなさい」

 

 突如与えられた勅命。

 その内容を反復し、数十回くらい反復し。

 やっと理解できた優乃は、思わず叫ぶ。

 

「……わ、私がぁ!?」

 

 青天の霹靂とはこのことだった。四季巡のことや彼に接触して云々の話は少し前から耳にしていたが、まさかそれをやるのが夏目優乃(じぶん)だなんて。

 優乃は大いに狼狽え、声を荒げる。

 

「い、いや待って下さい賢者様! 私はただの魔導書研究者で、惚れ薬の作り方も知らないし、人の心を読む魔術も使えないし……この指示が正しいとは思えません!!」

 

 そんな優乃に、賢者の優しいようにも厳しいようにも聴こえる声が降る。

 

「けれどミス優乃、貴女は魔術知識の豊富さに関しては間違いなく、日本支部でも5指に入る秀才です。その若さを考慮すれば唯一と呼べる人材でしょう。そして魔術師の戦いにおいては、常に知こそが力になる。貴女はこの指令をやり遂げるだけの能力を十分に持っているハズです」

 

 それは間違いでは無かった。夏目優乃は秀才であり、そして天才でもあり。四六時中魔導書と向き合った結果、その魔導への理解は一般的な魔術師の域を優に超えていた。

 けれど。彼女が恐れるのはそこでなく。

 

「で、でも……っ」

 

 優乃は俯き、手をぎゅうっと握って……そして堰を切ったように己の弱さを吐露した。

 

「賢者様もご存知でしょう!? わ、私が人見知りで、モテなくて……お、男の人との話し方も知らないガリ勉女だってことっ! 人付き合いが苦手だからこんな所に籠って研究ばっかりしてて、皆にバカにされてる『魔道図書館の幽霊』だってことを!! わ、私には無理です! 絶対に向いてないです、ましてやこんな重要な指令!!」

 

 涙目で叫ぶ彼女に対し、しかし賢者は譲らなかった。代わりに少しだけ、その神秘的で厳格な声音を柔らかくして。

 

「ミス優乃。これは予言によって、天の光と星の流れから託された指令です。きっと貴女にしか出来ない何かがある。それに、貴女は母親に似て美人ですよ。その……少し身嗜みを整えればね」

「で、ですが……ッ」

「話は終わりです。その連絡オウムを――ルブランを預けます」

 

 有無を言わさぬ声に、優乃の喉がきゅっとしまってそれ以上異論を吐けなくなる。そんな彼女の横で、赤いオウム――ルブランが、自己主張するようにバサバサと翼を動かした。

 

「『アズケマス! アズケマス!』」

 

 まるで面白がるような声に思考を乱されながら、優乃はなんとか反論を行おうとし。

 けれど口を開いたのは賢者が先だった。

 

「追加の指示は彼を通して行うので、貴女も報告があれば同じように」

 

 その言葉を最後に賢者は去っていった。呆然とした顔の優乃と、その横の机に立つオウムを残して。

 

 優乃は己の人生を思い出す。友人も碌に居ない、男の影などドコにもない……そんな自分から逃げるように魔導書研究に没頭し続けた、人付き合いの苦手な女の人生を。

 そんな自分が、「超常殺し」の息子に近づく? 好意と信頼を得て、秘密の情報を訊き出す?

 

「……ぜ、絶対ムリだよぉ……」

「『ムリダヨ! ムリダヨ!』」

「う、うるさいっ!」

 人の言葉を復唱するオウムに半ば八つ当たりのように叫びながら、夏目優乃は頭を抱えた。

 

 ◆

 

 そんなこんなで舞台は4月7日の木世津高校、西棟4階にある放課後の文学部室へ。

 

「私は文学部所属の三学年、夏目優乃。君の『先輩』だよ、眼鏡仲間の後輩くん」

 

 ぼさぼさの髪を綺麗に梳かし、瓶底の眼鏡をお洒落なものに変え、それだけで輝く美貌を手に入れた和風美人、夏目優乃は……。

 

「(し、失敗したぁぁぁぁ!! カッコつけすぎたよぉぉぉぉぉ!!)」

 

 四季巡へ自己紹介を行った後の澄ました顔の裏、心の中で頭を抱えて絶叫していた。

 

「(ほらなんか固まっちゃってるし! これ絶対『なんかイタいヤツ来た』って顔だよ! 絶対キャラ間違えた、コンビニで読んだ恋愛漫画を参考にしたのは間違いだった! てかなんでこんなスカした感じでいけると思ったの私!? 2時間も考えたのにどうして途中で気付かなかったんだろう……ああ失敗した失敗した、やり直したいぃぃ!!)」

 

 対して四季巡も冷静では無かった。ばさりと彼の手から本が落ちる。

 不意打ちの美人先輩登場に、巡の脳内をあらゆす思考が駆け巡り……結果、彼はなんとか相手からの覚えを良くしようと自己紹介を返す。

 

「あ、え、っすぅ……あの、四季めぎゅッ、巡でっす。どうも……」

 

 ダメだった。

 

「(あああああめっちゃ噛んだあああ!! 絶対俺が陰キャぼっちひねくれ野郎ってバレたああ!! しかもこんなキレーな人に! 絶対見下されてるよ、あー死にたーい!!)」

 

 そんなこんなで、軽率に対人経験激浅二人による地獄は生成された。

 

「……(あああドン引きだ! 絶対ドン引きしてるよ今の嚙み方は! 名前だけで終わりって、ほらもう最低限の自己紹介しかしてもらえてないよ! 先輩への敬意的なの消えちゃってるよ! 目も合わないし会話続かないし、あああ賢者様私もうムリですぅぅ!!)」

「……(はいはーい返事ナシです! 会話終了です! 美人先輩ルート終わりました! あーもう気まずすぎて目ー合わせらんねー! もう帰ろうかなー!!)」

 

 しぃんと凍るような沈黙の中、両者ネガティブな思考を爆発させながらすれ違う。

 数秒が経ち数分が経ち、沈黙に耐えられなくなった巡が、なるたけ物音を立てないように本を拾い鞄に仕舞って帰宅の準備を始めようとしたところで……優乃の手の中にある手帳が僅かに震えた。

 ブックカバーで小説に偽装した手帳のページに、黒いインクで染み出るように文字が刻まれる。

 

[何を黙って居るのです, Ms.(ミス)優乃]

 

 それは賢者からのメッセージ。かの御方が書き込んだ文字が、リアルタイムで優乃の手帳にも反映されているのである。

 魔道具「双子の手帳」。それが優乃が賢者から助言をもらうために作りだした魔術で作られた道具(マジックアイテム)だ……彼女は連絡オウムを部室に連れてくるとどうなるかが分からない馬鹿ではないため、この手帳に頼ることにしたのだ。

 

 ――魔術師は超能力者と違い、様々な系統の異能を操ることが出来る。

 超能力者が「100の炎を100の精度で操る異能者」なら、魔術師は「それぞれ50の炎、水、風を50の精度で操る異能者」といった具合だ。後天的に多彩な力を身に着けることが出来るのが「魔術師」という異能者の最大の利点とも言える。

 だがそんな魔術師もあらゆる魔術を習得できるわけでは無く、身に付けられるものと身に付けられないもの、要するに「向き不向き」がある。

 そんな己の弱点を埋めるために多彩な「マジックアイテム」を用いて手数を補強するのが魔術師たちの常識であり、優乃もそれに倣って様々な魔道具を部室内に設置していた。映像を送る「のぞき見鏡」、音を拾い魔法の蓄音機(スピーカー)に送信する「金属耳」、他にも結界を形成する「魔石の白墨(チョーク)」や魔法の植物や薬などを隠した「底なし(かばん)」等。これは優乃が午前中に授業をサボって設置したものだ。

 そんな圧倒的に自分有利のフィールドで、魔術師は過去最高の苦戦をしていた。

 

「(そんなこと言われましてもっ……男の人との喋り方とか知らないですし……ていうか人と話すの自体苦手ですし……)」

 

 うじうじと動かない彼女を見かねてか、手帳に新たな文字が刻まれる。

 

[私が会話の手ほどきをしましょうか. まずは先ほどの自己紹介の不足部分を訊ねなてみなさい]

 

 なんとなく溜息とかが透けてる気がする指示を受け取り、優乃は小さく深呼吸。手帳を閉じて巡の方を向いた。

 気合を入れ直し、重い口を開く。

 

「……四季くん。君は文学部員でいいのかな?」

「えっ!? ……あ、そうです、けど。ハイ」

「学年は?」

「あっ、2年生、です」

「そうか」

 

 沈黙。

 会話は終わった。

 

「(あれえなんでえええええ!?)」

[ああもう莫迦]

 

 "なぜか"会話が終わっていたことに混乱する優乃と流石に汚い言葉が出た賢者様。そんな彼女らの反応に気付くことなく、頑張って質問に答えた巡は思った。

 

「(え? なんで色々訊かれた?)」

 

 今まで他人に興味を持たれたことなど無い彼は混乱し、その思考は明後日の方向へと突き抜ける。

 

「(まさか――)」

 

 彼の脳内でイマジナリー優乃がガラ悪く問う。

 おまえホントに文学部員か? ここはたまり場じゃねーぞ。2年のシキメグルか。顔覚えたから。嘘ついてないか後でセンコーに裏取るからな。

 

「(ってコトォ!?)」

 

 あらぬ妄想で顔を青ざめた巡。美人=自分のような非陽キャに厳しいという謎の偏見もイメージを悪化させていた。

 しかし既にいっぱいいっぱいの優乃がそれに気付くことは当然なく、縋るように手帳に現れる指示を待つ。

 

[とにかく何か訊いて会話を続けなさい]

「(えーとえーと)……四季くん、君のクラスは?」

「(やっぱり個人情報抑えようとしてる!?)あああの、どうして?」

「(『どうして』!? なんで!? えっと、会話を続けるためなんだけどそれ言うと引かれるよね……此処は適当に誤魔化そう)まあほら、部活の用事で呼びに行ったりすることがあるかもしれないからね」

「(呼び出し……体育館裏に来いってコトォ!?)」

 

 結果、思いっきりすれ違っていた。

 「よし、楽しく話せたな」とか思ってる優乃に対し、もはや巡の心にあるのは先輩への恐怖のみ。

 そんな訳でルート分岐は確定。

 彼はまだ仕舞い終えていない荷物を纏めて掴み、すっくと立ちあがると、

 

「えーと……失礼します!」

「!?」

 

 三十六計逃げるに如かずぅ! と内心で叫びながら、廊下へ繋がる扉へと向かって一目散に駆け出した。

 それに驚いたのは優乃である。

 

「(あれぇ!? なんで!?)」

 

 彼女視点だと談笑していた後輩が突然自分に背を向けて逃走を開始したのだから、驚愕・混乱も当然だ。

 だがしかし。その混乱こそが逆に優乃の思考をシンプルにした。

 

「(とにかく、まだ部屋から出すわけにはいかないっ……!)」

 

 魔術師・夏目優乃。彼女は慎重で思慮深いが、そのせいで迷いや惑いが生じてしまい二の足を踏んでしまうタイプ。魔術や研究ではともかく、知識・経験の足りない人間関係の分野では特にそうだった。

 しかし逆に言えば……迷いの生じる余地がない「一本道」では、多くの知識と経験を蓄積した「魔術」という技術を活かして彼女は本領を発揮するのだ。

 

「(魔石の白墨っ)」

 

 靴に仕込んだ白墨(チョーク)で床に「真理《emeth》」の文字を描き、小声で素早く呪文を唱える。

 

「一握の泥・真理刻まれしものよ・汝かりそめの命もって・我が手足となれ!」

 

 ――小型(ミニ)土人形(ゴーレム)!!

 もごもご! と文字の書かれた辺りの床が泡立つように動いた。塩化ビニルの床材とその下のコンクリートが隆起し、混ざり合い、見えない手に練り上げられるように形を変える。そしてそれは足首ほどの高さの丸っこい体に短い手足の生えた、中途半端な人型の姿を取った。

 そんな小さな人型に、優乃は鋭く思念を飛ばす。

 

「(四季くんの足を止めて!)」

 

 魔術的な()()()()から主の命令を察知し、土人形は足を床と同化させたままかなりの速度で走り出す。そして瞬く間に巡に追いつくと、その足首を短い両手でがっちりと掴んだ。

 小型といえどゴーレムはゴーレム、人ひとり地面に縫い付ける程度の腕力はある訳で……。

 

「へぶゥ!?」

 

 どんがらがっしゃん、とパイプ椅子を巻き込んで転ぶ巡。その体は指先ひとつとして部室から出てはいない。

 バサッ、と彼の荷物が床に散乱する。

 

「(よし!)」

 

 足止めの成功に小さくガッツポーズする優乃。一拍遅れて自分の鼓動が速くなるのを感じる。

 

「(結界内のだから出来た補正(ブースト)ありきの土魔術の解釈拡張に高速錬成……ぶっつけ本番だったけど成功してよかったぁ)」

 

 魔術が上手くいったゆえの高揚、遅れて来た緊張などの感情を整理しようと長い息を吐いて……その時彼女は気が付いた。思いっきり転び、硬い床に体を強く打ち付けた後輩の呻き声に。

 

「な、何かが足に……ぐふッ」

「(し、四季くーん!? 『よし!』じゃないよ、何やっちゃってんの私ー!!?)」

 

 斃れたまま力尽きる四季巡の姿に、犯人は内心で絶叫した。

 「足止めする」という目的に必死になったため、手段の手荒さにまで気を回す余裕がなかったことに、優乃は遅ればせながら気付く。

 

「だ、大丈夫!?」

 

 思わず彼女は手帳を投げ捨て、慌てて倒れた巡の元へと駆け寄った。倒れた彼の前で膝を付き、演技が剥がれた素の顔で怪我の様子を確認する。

 

「怪我とかしてないっ?」

「え? ま、まあはい」

 

 結果、巡は思ったよりも軽傷だった。どうやら上手く受け身を取ったらしく、派手な音とは裏腹に軽い打撲以上の怪我はないようだ。

 

「よかった……」

 

 安心して息をつく優乃に、倒れたままの巡は目を逸らしながらぽつりと言う。

 

「大袈裟ですいません……」

 

 うっ、と優乃の中で罪悪感メーターがぐーんと上昇する。

 けれどその言葉に何も言えない犯人は、小さな共犯者(ゴーレム)に隠れるよう命じながら、代わりに散らばった彼の荷物を拾い集めた。

 

「ま、まあ良かったよ大きな怪我が無くて。ほら、立てる?」

 

 左手でプリント類などの荷物を抱え、かがんで右手を差し出す。しかし目の前に手を差し出されたというのに、巡は一向に動かなかった。

 

「?」

 

 差し伸べた右手を軽く振ってアピールすると、得心が言ったらしい彼の目が開かれた。恐る恐る、といった具合で訊いてくる。

 

「えっと……俺に?」

「それ以外何があるの。ほら、手を出して」

「い、いや。悪いっすよ。1人で立て――」

「いいから」

 

 ぐい、と優乃は巡の手を掴み、彼が立ち上がるのを手伝う。

 

「ああ、制服に埃が沢山……」

 

 立ち上がらせることに成功したら、今度は荷物を机に置き、巡の制服に着いた埃を払い始めた優乃。そんな彼女にされるがままになりつつも、むずがゆい感情に襲われ巡の顔は赤くなる。

 

「(距離が、距離が近い! くすぐったい! 顔が良い! 何かいい匂いする! な、何が起こってんだコレ? 俺は何をされているんだ!?)」

 

 整った顔が自分の胸に寄るたび、白魚の指が布越しに触れるたび、心臓がびっくりして胸の中を跳ね回る。さらりと射干玉の髪が目の前で揺れ、それが余りにも艶やかで。なんだかとんでもないことをされているかのような錯覚が彼を包んでいた。

 

「よし、大体取れたかな」

 

 直した制服の襟を正しながら、優乃は視線を上へと動かし――ぱちん、と。男女の目が、合った。

 

「ご、ごめんっ」

「えっあっ」

 

 ぱっ、と制服から手を放して顔を背ける優乃。未だに固まったままの巡。両者の距離が離れる。

 ちょっと名残惜しいとか思っちゃった最低だ俺と叫ぶ巡の内心に気付けるはずもなく、優乃は手をぱたぱたと降りながら視線を下げた。

 

「ご、ごめんね。いいかどうか訊きもせず勝手に服を触って」

 

 優乃は謝りながら、過去の失敗を思い出していた。

 ――あれはまだ彼女が子供だった頃。賢者様が窮屈な祭壇から抜け出して、人気の無い魔道図書館に来ていたときのこと。幼い優乃は一流の魔術師でも滅多に会うことのできない御方に会えてはしゃぎ、騒ぎ、結果的に賢者様の護衛である"親衛隊"に補足される原因となった。

 あのとき私が居なければ、賢者様はもっと長い自由時間を楽しんでいただろう。

 

「(私はいつもそうだ。普段は無駄に多くを考えて色んなことに怯えてるのに、いざという時には考えなしで失敗する。他人に迷惑しか掛けられない、バカにされて当然の人間……)」

 

 優乃は降ってくるだろう怒りや拒絶の言葉を予測して俯く。

 

 けれど実際にかけられたのは、まったく別の言葉だった。

 

「い、いえ……ありがとうございました。嬉しかった、です……」

 

 巡の言葉に、優乃は顔を上げた。

 

「あ、変な意味とかじゃなくて! 何かその、優しさが嬉しかったっていうか……いやこれもキモい気がする(小声)……あー、とにかくその、感謝の意を表明したくてですね……」

 

 顔を赤くし、不慣れながらも必死に「ありがとう」を伝えようとする巡の姿に……優乃はなぜかおかしくなってクスッと笑った。

 笑われた!? と被害妄想に陥る巡に対し、彼女は柔らかな声音で。

 

「そっか。なら、どういたしまして、かな?」

 そう言って、いたずらっぽく笑った。それは蕾がほころんで花が咲くような、そんな綺麗な笑みだった。

 

「う、ウス……」

 

 それに見惚れ、分かりやすく照れながらも、自分の感謝が伝わったことに安堵する巡。

 そうして彼は目指していたハズの扉と反対側に歩き、倒れていたパイプ椅子を起こしてソレに座った。

 優乃もそれと同時に席に着く。

 再び場に降りる沈黙……けれど今回は、その静寂も短くて。

 

「あ、えーと……先輩?」

「何かな?」

 

 呼びなれない先輩という言葉を頑張って転がしながら、巡は優乃に話しかける。

 

「活動日誌って、どうします?」

 

 勇気を出して、「理想の部活」へと近づくため。

 優乃もまた勇気を出して、再び纏い直したかっこいい先輩キャラオーラ全開で返す。

 

「四季くんはどうしたい?」

「え? えーと……書いてみるのも悪くないかな、的な。アレだったら全然、俺1人で書くんで大丈夫ですけど……」

 

 その言葉に、優乃は微笑んで。

 

「なら、一緒に書こうか」

「!」

 

 巡は立ち上がり、本棚から活動日誌を取り出す。本を閉じながら此方を見る優乃の顔がやけに印象に残った。

 

 ――四季巡、16歳。高校入学2年目。

 初めて「部活動」を経験する。

 彼の日常に、新たな楽しみが追加された瞬間であった。

 

 ◆

 

 そんなことがあった日の放課後。

 ちょっとテンションが上がっている男、俺こと四季巡が下校していると、ふと声をかけられた。

 

「こんにちは、先輩。部活帰りですか」

 

 見れば、今朝ひと悶着あった桜の通学路に見覚えのある人影。

 

 それは木世津中学(キセチュー)の体操服を着た、茶髪の女子生徒。春咲や夏目先輩ほど華は無く、理沙ちゃんのように思わず可愛がりたくなるような可憐さも無く……ただちゃんと可愛い寄りの女の子だ。てかこれに関しては春咲たちのレベルが高すぎるだけだろう、特に夏目先輩。

 そんなことを半身で考えながら、反射的に貰った問いに頷く。

 

「え、ああ、うん」

 

 するとその答えに満足したのか、茶髪女子はぺこりと頭を下げ、

 

「お疲れ様です。それでは」

 

 と言って走り去っていった。部活中だったのだろうかそれとも自主練だろうかは分からないが、ランニングに戻ったという感じの立ち去り方だ。

 

「あ、うん。おつかれ」

 

 という俺の声は間に合ったか怪しい。それくらい自然な立ち去り方だった。

 

「……久しぶりに会ったような気がするな。いや、彼女一個下だから当たり前か」

 

 俺は別に、今の女の子と親しいわけではない。ただ、中学校の頃からすれ違うと挨拶してくれる程度の……というかそれ"だけ"の、一回も面と向かって話したことがないくらいの仲だ。それでも過去の俺にとっては超貴重な「挨拶相手」だったのだが。

 

「この辺走ってるってことは、もしかしてウチに入学するのかな。『中学校卒業おめでとう』くらい言えばよかったかなぁ……いやでもそんな親しくないしなぁ」

 

 正直な話、一学年下の後輩だったことは覚えているが、名前も曖昧だ。えっと……確か苗字に「あき」が入った気がするけど……自信は無い。なんかの運動部の県大会で無双したらしいのは知ってるんだけど……。

 

「そういえば、あの子はなんで俺に挨拶してくれるんだっけ……?」

 

 微かな疑問を覚えながらも帰路に就く。

 

 その時の俺は気付いていなかった。

 走り去った筈の茶髪の少女が、遠くからこちらをじっと見据えていたことも。

 彼女が「何者」であるのかも――。



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⑦-1 4月8日(水)・新たなる日常

「——来たんじゃね、モテ期」

 

 4月8日・水曜日の朝。

 考え事をしていて一睡もできなかった俺、四季巡はベッドの上で呟いた。

 ……キャラがブレていた。孤高のソルジャーとか人間関係はクソとか言ってた頃の俺は遠いどこかに消え去っていた。

 

 状況を整理しよう。

 俺の名前は四季(しき)(めぐる)。高校2年生。友達も恋人も未だゼロだが、なぜか最近周りに女の子が集まりだしている。それも幼馴染(かもしれない女子)、妹(っぽい隣人)、先輩(急に部活に来出した美人)の豪華ラインナップだ。全員まだ知り合って数日も経たないということを除けば、今俺が置かれている状況はそこらのアニメの主人公よりも恵まれてると言ってもいい。

 しかし、しかしだ。ここに大きな謎がある。

 それは当然、「なぜこんな急に、俺と仲良くしてくれる女子が3人も現れたのか?」ということだ。

 

 そう。一晩寝ずに考えていたのはそれだ。もっとも、謎すぎて寝れなかったというのが正しいが。

 俺は最近出会った3人の異性のことを考える。

 

 まずは春咲(はるさく)朱里(あかり)

 隣の席の転校生。転校初日に曲がり角でぶつかったことで縁が出来るという少女漫画で100回擦られた理由で仲良く(?)なった。昨日は朝迎えに来てくれたし、なんかそれっぽい夢も見たし、俺の隣の席になっても泣いたり嫌な顔したりしなかったし……もしかして俺の事好き?

 次に冬野(ふゆの)理沙(りさ)

 隣の部屋の女の子。急な引っ越しによって越して来たらしい彼女とは家の前で出会い、なんやかんやあって初対面から一緒にゲームするくらいの仲になった。昨日は一緒に登校したしなんなら放課後も遊びに来たし、俺と通学路が一緒でも嫌がったりしてなかったし……もしかして俺の事(以下略)。

 そして夏目(なつめ)優乃(ゆうの)

 昨日初めて部室に来た先輩。本人曰く2年の頃は実家の手伝いに専念してて、部活には昨日復帰したらしい。めっちゃ美人なのに俺に優しくしてくれたし、一緒に活動日誌書いたし、間違えて手が当たっちゃっても手を洗いに行ったりしなかったし……もしかして以下略。

 ……まあ「俺の事が」のくだりは冗談としても。

 実際、これほど都合のいい出会いが短期間に重なるのは異常だ。俺がいくら人間関係という分野に不得手とはいえ、流石にそれくらいは分かる。なぜならば、16年生きてきてこんな事初めてなのだから。

 そこで俺は考えた。うんうん唸りながら無い頭を絞り、一晩考えて得たのは2択の答え。

 

 1。俺はモテ期に突入したので急にモテだした。

 2。これはモテ期でもなんでもなく、女の子ってのは結構簡単に仲良くなれる優しい人種だった。俺の半生と悟り(冒頭でドヤ顔で語った『人間関係は糸~』云々)はまったくの無駄。ドンマイ。

 

 ……流石に2は信じたくないのでファイナルアンサーは1ということにする。2だったらマジで死にたくなっちゃうから。頼むから1が答えであれ。

 まあとにかく、1について説明しよう。どうして俺がこの答えに辿り着いたか。

 

 まず前提として。

 はっきり言って、俺がモテてるのはかなり謎である。

 勉強は微妙。運動は体育欠席常連。顔が良い訳でも……まあ残念ながらない。そして社交性(しゃこうせい)に至ってはマイナスである。だって誰も俺と関わってくれないからね。キラキラ系の空気を打ち消すって意味の遮光性(しゃこうせい)ならあると思うんだが……まあそんなの要りませんよね、ハイ。

 そして最近変わったこともない。ダイエットしたとか、イメチェンに成功したとか、困ってる女の子助けたとかそういうのも一切ない。

 そう。もうお分かりだろうが、客観的に見て俺には女子にモテる要素がひとつも無いのである。だって俺が可愛い女の子だったら絶対、俺と真逆のクラスの人気者とか顔の良い陽キャとか好きになるもん。……言ってて敗北感感じたから女子にモテるアイツら訴えていいか? ダメか。

 

 まあそんな感じで結論。つまり俺は今モテ期である。周りに理由なく女の子が寄ってくる時期なのである! ドン!

 明らかにしょぼくて無個性な主人公を可愛いヒロインが囲む作品は100%フィクションだと思っていたが、ここにきて作者の実体験説の信憑性が急激に上昇してきた。人間生きてれば良いことあるって誰かが言ってたし、今がその時なんだろう。

 やったね巡クン、女の子とイチャイチャできるよ!

 

「……って喜べたら良かったんだけど、なぁ」

 

 上げた諸手がベッドに落ちた。

 鳥の声が聴こえる。窓の外はとっくに明るくなっていた。

 体が重い。

 関係という名の糸が、全身に絡まっている光景を幻視した。

 

「どうしろってんだ、今更」

 

 呟く。

 ブレていたキャラが戻っていく。ありきたりにモテたい欲望が、孤独を拗らせた心に鎮火される。浮かれていた自分が冷静になるのを心のどこかで感じる。

 簡単な話。周りの環境が変わったところで、俺自身の性格が変わるわけではなく……一時はしゃいで気が大きくなったって、最終的には元の自分に帰結するということだ。

 

 ——人と関わるのは億劫だ。話すと疲れる。黙ると気まずい。知らないと気になる。知ると巻き込まれる。知られてないと悲しい。でも、知られるのは怖い。

 

 そう。俺は怖いんだ。

 春咲朱里は「幼馴染」と言ったけど、本当は違うかもしれない。そのとき彼女が俺をどう思うか。面白くも凄くもない俺を、彼女が嫌いにならない保証は。

 冬野理沙は「妹」を名乗ったけど、それは本物の関係じゃない。俺は彼女の兄で居られるほど正しくも賢くもない。俺の間違いが彼女を歪めてしまったとき、俺はどう償えば。

 夏目優乃は「先輩」になったけど、そんなの部活が同じだけだ。後輩だからって理由で尊重され続けるのを夢見るなんてバカげてる。俺の底の浅さが露見したら、きっと笑い合うだけの関係は。

 

 人間関係は糸のようなもの。

 

 それを求めて、目の前に漂って来た糸を思い切り引っ張って……糸が切れたり、相手を締め付け傷つけてしまったりしたら。

 俺は、それがどうしようもなく怖いんだ。

 それならいっそ、求めたくない。望んだりなんかしない。肯定の甘さを欲さなければ、拒絶の苦味も知らなくて済む。

 それが、俺が選んだ孤独の道。

 

「学校……行かないと、なあ」

 

 今から心が重かった。

 俺はどうするのだろう。どうなるのだろう。何も見通せない通学が、学校生活が……彼女たちが入り込んできた新しい日常が、怖い。

 起き上がる。半ば無意識のまま支度を済ます。

 寝不足で朝食も摂らないまま、遅刻しないよう玄関の扉を開けて――。

 

「や、やっほーメグルくんっ。ムカエニキタヨ」

「お、おはようお兄ちゃん。いっしょに学校いこ、う」

「や、やあ四季くん。どうだい? 部活の話をしながら登校でも」

 

 ——3人居た。昨日から1人増えていた。

 予想外の状況に、ほとんど思考を挟む余地なく挨拶を返す。

 

「……おはよう、ゴザイマス」

 

 朝日がやけに頭を突き刺す。寝不足だからだろうか。俺の口は許可も取らず勝手に笑いやがっていた。

 

「みんなで学校、行く?」

 

 そんな言葉まで吐きやがる。一晩悩んだのは何だったんだ。

 それでも彼女らの顔を見ると、なんだかそれが正解な気がして。

 

 結局俺は、俺の提案に頷いてくれた彼女らを拒絶することはしなかった。

 そうして、また少し新しくなった1日が始まった。

 ただその前に疑問がひとつ。

 

「……ていうかこの辺、なんか焦げ臭くね?」

「「「(ギクッ)」」」

 

 ……1日が始まった。

 

 ◆

 

 木世津(きせつ)高校、2年A組。

 3限目の授業は古文。

 生徒たちは真面目に授業に取り組んでいた……窓際後ろの席の2人以外は。

 

 四季巡と春咲朱里。彼らはなんだかぎこちない表情と動きで、出鱈目に板書を取っていた。

 

「(……古文の担当は()()()。この時間に『仕掛ける』のね)」

 

 朱里がチラリと横を見ると……巡と視線がぶつかった。すぐさま目を逸らされる。

 

「(今見られてた? 作戦が読まれて……いや、どうせ偶然でしょ)」

 

 溜息をつく朱里。彼女の中ではすっかり諜報対象への評価が落ちていた。

 対して巡はというと。

 

「(……なんか見られてたんですけど。もしかして俺の事——いやいやしっかりしろ俺! ブレない期待しない勘違いしない、そんな強い心を取り戻すんだ!)」

 

 なんか煩悩を頭から追い払おうと頑張っていた。

 

 そんな巡の机の上、何の変哲もない消しゴムが、ピクリと小さく身じろぐように動く。

 持ち主である巡も気付けないだろうその異常を目ざとく確認した朱里の頭に、慣れ親しんだ「声」が響く。

 

『念動力者スタンバイ完了。春咲、準備はいいな?』

「(やっとか。こっちもとっくに準備完了)」

『オッケー、それでは作戦開始ー!』

 

 そんな、授業中堂々と行われた教師と生徒の秘密のやりとりに気付けるはずもない巡は、ノートに書いた落書きを消して板書を取ろうと消しゴムに手を伸ばし……。

 ぐい、と。消しゴムが何者かに引っ張られるように机の端に動き出した。

 朱里の脳内でテレパシー指示が興奮気味に炸裂する。

 

『今回の作戦は「落とした消しゴムを拾おうとしたら隣のあのコと手が触れて」だ! 思わせぶりな態度で存分に優しさをアピールしろ!』

 

 見えない力・念力の超能力によって、消しゴムは床へと落下し――。

 

「あぶねっ」

 

 ぱし、と。巡の手が落下中の消しゴムを掴んだ。

 この男、存外反応が早かった。

 

「(ふぅ、あやうく消しゴム落とすトコだった~。でもなんか今、ひとりでに消しゴムが机の端側に滑っていったような……)」

 

 消しゴムの裏面に何か付いてないかなどを確認する巡に、教壇から声がかかる。わざとらしく嗜めるような声の主は、作戦指揮官にして木世津高校に潜り込んだテレパシー能力者の担任教師。

 

「ごほん、四季巡くん。消しゴムなんか熱心に眺めて、(センセイ)の授業をちゃんと聞いてるのかな?」

「え、あっすいません」

 

 集まるクラスじゅうの視線に身を竦める巡。

 授業が再開されてもまだ釈然としない様子の巡の机の上、再び消しゴムが揺れた。

 

『意外と反射神経があることは分かった。今度は落下中に念力を足して落下速度を上げてやれ!』

 

 消しゴムが滑り出し――今度は机から落ちる前に掴まれた。

 

「(……なんか滑るなぁ。机が斜めってんのか?)」

 

 机の歪みを気にしだした巡に対し、再びイラついた声が降る。

 

「四季巡くん。さっきから机をガタガタして。授業を聞く気はあるのかね……?」

「あ、いやその……さっきから消しゴムが落ちそうになってて、原因を調べようと」

「言い訳は良い!」

「……す、すんません」

 

 クラスの皆にクスクスと笑われながら、古文教師(実は通信能力者)をちゃんと嫌いになる巡。

 そんな巡を春咲だけが胡乱な目で見ていた。

 

「(理不尽なこと言われてるわね……それにしても、事前調査では『運動が苦手で体育もサボりがち』ってことだったけど、意外と動けるのか。『宝』が関係してるのかしら)」

 

 隣の席ということもあり巡の動きを観察しやすい彼女には、彼の動きが何度も返り討ちにした異端審問者たちのように鋭く見えた。やはり「超常殺し」四季進の息子、もしかしたらその優れた身体能力が遺伝しているのかもしれない。

 朱里がそんな風にまた彼の評価を上下させていると、頭の中で大声が響いた。

 

『ああもう最大出力だ! 私がリアルタイムで映像を送る、今度こそ消しゴムを床に落とせ念動力者!!』

 

 うるさいわよバカ指揮官、と春咲が思う暇もなく、消しゴムが再び動く。

 

「(またかよっ)」

 

 巡が手を伸ばす――だが消しゴムはその手をすり抜けるように90°軌道を変えた。

 

「なぁ!?」

 

 巡は小さな驚愕の声を漏らしつつも、腕の軌道を修正。机の端に先回りして待ち受けるようにポジショニング。

 

『曲げろ!』

 

 するとまた消しゴムが軌道を変え、それに巡が反応し……気付いたときには、なんかとんでもないハイスピードバトルが机の上で繰り広げられていた。

 消しゴムがダッシュし、スライドし、机の外目掛けて鋭角なカーブと見事な加速を決めてみせる。だが巡るもそれに反応、手を鞭のようにしならせて消しゴムが床に落ちるのを間一髪で阻止し続ける。

 そのどう考えても異常な光景に朱里は仰天する。

 

「(ちょ、やりすぎでしょバカ!?)」

 

 だが彼女の焦ったような思考は、教壇の上の興奮した指揮官には届かない。

 

『これでトドメだ!!』

 

 ぶおっ、と消しゴムが()()()

 ジャンプするように空を舞い、流石に反応できなかった巡が驚きの表情で見つめる中——ぽて、と消しゴムは遂に床に落下した。1秒遅れて、朱里の脳内で響く勝ち鬨。

 

『やった、我々の勝ちだーー!』

「(『勝ちだ』じゃないでしょバカ!! どう誤魔化すのよコレ!!)」

『はっ! しまった!』

 

 大声のツッコミ相当の感情は流石に聴こえたのか、冷静さを取り戻す教壇の上の通信能力者。

 そんな彼女らの陰謀をしるよしもない巡は、今しがた落ちた消しゴムに思いを馳せていた。

 

「(消しゴム落ちた、拾わねーと……って思えるワケねーだろ! 何が起こってたんだ今の!? 幻覚!? 幽霊!? 怖すぎる、まさか女の子3人と知り合うという幸運の代償に、とんでもない悪霊に呪われでもしたのか!?)」

 

 不気味な影が背中に取り付いているのを想像し、恐怖と困惑の形相でオロオロしだした巡。その様子を一番近くで見ていた朱里は決意した。

 

「(ちっ、このままだと超能力者の存在に気付かれる……私がどうにかして誤魔化さないと!)」

 

 周囲を見回す。しかし朱里の能力は発火、今は授業中で席を立つこともできない。

 ――超能力者の能力は、原則として1人ひとつ。そしてその能力は有無から種類まで全て遺伝で決まり、意思によって身に付けたり使う能力を変えたりすることは出来ない。

 つまり春咲朱里は、発火能力のみでこの状況を解決しなければならないということだ。

 

「(ただ、あんまり派手な炎は出せない。この場を焼き尽くすことはできるけど、それじゃなんの解決策にもならないし……)」

 

 もうダメかと諦めかけたところで……朱里は()()を見つけた。

 

「(!! これなら……)」

 

 そして作戦のまとまった朱里は、床に落ちた消しゴムを当初の予定通り拾って隣の席へ体を向ける。

 

「メグルくん」

 

 小声で呼びかけると、巡はビクッと肩を跳ねさせて振り向いた。彼は青ざめた顔で言う。

 

「な、なんだ春咲か。悪霊かと……」

 

 朱里は「私を何と間違えてんだ」と少しイラつきつつも、それを顔に出さないように消しゴムを差し出す。

 

「消しゴム、落としたよ」

 

 だが、巡はそれを受取ろうとはしなかった。

 

「あ、ありがとう……でもその、それ呪われてるっぽくて。できればそのまま捨てて欲しいというか……」

 

 怯えすぎて異性を意識する余裕もない巡は震えた声で続ける。

 

「その消しゴム、ひ、ひとりでに動くんだ。やややっぱりこれはポルターガイスト系の悪霊の仕業だと――」

 

 チラリ、と。巡の視界、朱里が持つ消しゴムの裏に何かが見えた。

 

「?」

 

 彼女が差し出して来た消しゴムの「下」。そこに何かがもぞもぞと蠢いている。

 

「(ま、まさかッ――)」

 

 ぶわッ!! と巡の全身から汗が噴き出た。体が警戒からか激しく強張る。震えながらも視線は消しゴムを注視していた。

 そんな視線の先、もぞり、と再び動く影。

 

「(今のはッ! 『見間違い』じゃないぞッ!)」

 気分的には徐々に劇画調な感じの顔になりながら巡は焦る。

 春咲は気付いていないのか、特に消しゴムを裏返すような行動はとらない。

 

「(春咲ッ!! なんで気付かない!? 『何か居る』んじゃあないのか!? その『消しゴムの裏』に何かがッ!!)」

 

 ドッドッドッド! と心臓の音が頭に響いた。呼吸が浅く、早くなる。

 

「(……消しゴムは『ひとりでに』動いていたッ! 100均で買った『四角い消しゴム』が、だッ!! 決して『机の角度』とか『糸のトリック』のようなチンケな仕組みじゃない……。今のは、何かもっと『超越した力』のようなものを感じたぞッ!!)」

 

 もぞり、とまた影が動いた。

 やはり「居る」ッ!! と巡はやっぱり劇画な感じの表情で思案する。

 

「(消しゴムの裏に居るのは……まさか『悪霊』ッ!! 消しゴムに取り付いて動かしていた謎の『隠れていた悪霊』ッ……!! 『そいつ』が俺のことを始末しようと『姿を現した』のではッ!?)」

 

 春咲朱里は消しゴムを渡そうと巡の方へ近付けてくる。善意しかなさそうなその仕草が今は恨めしい。授業中ゆえ声も出せず祈るように念じる。

 

「(やめろ、『近付ける』んじゃあないッ!! その消しゴムを近付けるな!!)」

 

 消しゴムが裏返る。その下に居るものの「正体」が露わになる。

 

「(俺のそばに近寄るなあああああああああああ!!)」

 

 果たして、そこに居たのは――。

 

「——む、虫?」

 

 大きさ5cmほどの虫が、消しゴムの裏にくっついていた。虫の名は「カナブン」。日本全域に生息している昆虫だ。夏の虫だが、近年の異常気象で春に成虫となることは充分に考えられるので、この場に居るのは決して不自然なことではない。

 朱里はその存在に気付いたのか、消しゴムからカナブンを優しく引きはがした。

 

「あー、悪霊とかは多分勘違いだよメグルくん。きっとこのコが消しゴムを動かしてたんじゃないかな」

「……そう、なのかな? まあ悪霊とか非現実的だもんな」

 

 人間、自分の理解を超えた現象に悩んでいる時に「ありえそうな理由」を聞いてしまうと妙に納得してしまうものである。それが冷静に考えるとありえなそうなものだとしても、恐怖から目を逸らすため、心が無意識に騙されることを選ぶのだ。

 なーんだ虫が動かしてたのか、とすっかり騙された巡を見ながら、朱里は笑顔の裏で舌を出した。

 

「(ホントは悪霊でも虫でもなく超能力だけどね)」

 

 そして今しがた苦境を切り抜けたのもまた、超能力という異能の力だ。

 

「(火の『明るさ』は虫をおびき寄せる。誘蛾灯のように『温かく弱い炎』を自在に操れるならば……それは虫の進む方向を操るのと同じことよ)」

 

 飛んで火に居る夏の虫、という言葉がある。それは虫の「光に寄ってくる」という性質から生まれた言葉。

 今回朱里はそれを利用した。教室の天井にとまっている虫を見つけた朱里は、周囲に気付かれない程度の小さな火を発生させることで、虫を自身の手元に誘導したのだ。そうして捕まえた虫を、消しゴムを拾う際に裏にくっつけた。

 

「(超能力者は生まれつき具わったひとつの能力しか使えない。()()()()()()()。生まれ持った肉体を変えられないアスリートのように、ひとつの剣と流派を磨き続ける剣士のように……自分の能力に一生向き合って応用の方法を考え、それが実現できるよう能力を鍛え、創意工夫して可能性を広げていくから)」

 

 通信能力者の「夢操作」などもこの考え方の産物だ。音声・映像の送信に特化したテレパシーを研ぎ澄ますことで、まるで実際に体験しているかのような夢をつくることが出来る。

 何も不思議なことではない。普通の剣だってただ敵を切るだけでなく、調理に使ったり柄で打撃したり、なんなら遠くのものを引っ張ってくる棒として使うこともできるはずだ。超能力もそれと同じ。全ては使用者の発想力と努力なのである。

 

「(っと、忘れるところだった)」

 

 朱里はカナブンを放り捨て、巡に消しゴムを手渡そうとする。

 しかし正気に戻った巡は再び異性や信念を意識しだし、少しの戸惑いで触れそうな手から消しゴムを受け取りあぐねていた。

 

「(……これ、逆にチャンスか。はぁ、気が乗らないけど仕方ない、これも私の評価のためだ)」

 

 朱里は何かを思いつくと、羞恥や迷いを振り払って決意を固めた。

 そして消しゴムを持っていなかった方の手で巡の手を掴み、強引に引っ張る。

 距離の縮まった顔にできるだけ柔らかく笑いかけ。

 

「ほら、ちゃんと受け取ってよ」

 

 ぽす、と消しゴムが巡の手に納まった時には、彼の顔は真っ赤に染まっていた。

 

「ぁ、りがとう」

 

 半ば呆然と呟かれた言葉に対し、こちらも渾身の「どういたしまして」を返そうとしたところで……事前に受けていたとある指示を思い出した。タイミング良く、いや悪く、頭の中にテレパシーが届く。

 

『そこだ春咲! 教えた奴をやってやれ!』

 

 その心底楽しそうな声に苛立ちつつ……毒を喰らわば、と彼女は意を決して、巡へとその言葉を放つ。

 

「……べ、別にアンタの為じゃないんだから。勘違いしないでよねっ」

 

 事実、ほんとに巡の為じゃないので照れ隠しにもなんにもなっていないのだった。

 そうして朱里は手を離すと教室の黒板方向に向き直り、授業中に好き勝手していたのにこちらを全く注意してこない(客観的に見たら)転校生贔屓の教師を半目で睨む。

 

「(これでいいんでしょ)」

『そうそうソレだ、そのツンデレが見たかった! やっぱおまえはツンデレが似合うと思ってたんだよなあ私は。心は読めんが、四季巡もきっとおまえのツンデレに魅了されているハズ。よくやった春咲朱里! 作戦は概ね成功と言っていいだろう』

「(『ほとんど私のおかげで』概ね成功、ね)」

 

 超能力者がこっそりと作戦成功を感じている横で、巡は掴まれていた手を持て余しながら、がつんと頭を机にぶつけた。

 

「(また! 俺は! 流された!!)」

 

 理想は間違いなく「落ちた消しゴムを自分で素早く拾う」だった。敗因は「虫」に混乱させられたこともあるが、やはり異性に弱いハートと意志薄弱な精神力だろう。

 

「(しっかりしろ四季巡。優しくされたことの嬉しさや異性への欲は、いずれ来る拒絶されたときの痛みを増やすだけだ。俺は極力関わらないように、縁が自然消滅するように振舞わなければ……)」

 

 彼はまだ熱を持つ手をぎゅっと握った。

 

「(次だ! 次こそは我が信念貫き通す!! 俺は硬派キャラで行くんだ!)」

 

 そんなよくわからない決意をしながら、巡は板書を取るために動かなくなった消しゴムを手に取った。



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⑦-2 4月8日(水)・新たなる日常

 ◆

 

 場所はそのままで時間は進み、昼休み。

 

「(長かった~……やっと昼か。朝食ってないから腹減ったなぁ)」

 

 俺は腹を抑えた。胃袋が「早くなんかよこせ」と叫んでいる気がする。4時間目、授業中に腹が鳴った時などは隣の春咲に聴かれてはいないかと気を揉んだものだ。

 

「(とりあえず購買行こ)」

 

 スッと席を立ち、無駄に洗練された無駄な動きで誰にも意識されないよう教室を出る。俺は存在感を消すのは得意なのだ。……え? そもそも誰もおまえに興味ないじゃんって? ははは泣くぞコノヤロウ。

 

「(今日は何買おうかなぁ……財布には1000円くらいだっけ。ここは俺流贅沢コース『焼きそばパン+てりやきサンド』で……いや残ってたら『数量限定エビカツバーガー+ツナマヨおにぎり』という手も……じゅるり)」

 

 今日のメニューを考えながら購買への道を歩いていた時、具体的には一階の渡り廊下にて。

 視界の端で金の髪が揺れた。

 

「お兄ちゃん」

 

 ……なんか幻聴が聴こえたなぁ。最近知り合った金髪で2歳年下の女の子の声に似てる。でもありえないよな、彼女は中学校に居るはずだし。

 

「おーい、お兄ちゃん」

 

 また聴こえた。コレは多分寝て無いからだな、うん。視界の端がやけにキラキラしてるのはうん、コレも寝て無いからだ。幻覚幻覚。

 寝不足が生み出す幻聴・幻覚を気にせず通り過ぎようとしたところで。

 

「お兄ちゃんってば」

 

 ぐいっと腕を引かれた。思ったよりすごい力だった。

 ここまでくると本物だと認めざるを得ない。俺はぎぎぎと油が切れたブリキのように振り向き、金糸の髪を持つ少女の姿を確認する。

 

「り、理沙ちゃん。何故高校内(ここ)に……?」

 

 冬野理沙。隣に引っ越して来た、俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ中学生の少女。もちろん俺の妹ではない。こう書くとなんだか若干のホラーを感じるな。まあ俺なんかをお兄ちゃんと呼ぶほど人懐っこい女の子ということだ。……そういうことにしておこう。

 そんな理沙ちゃんは、手に持っていたふたつの包みを掲げて言った。

 

「おべんとうをもってきたよ。いっしょに食べようお兄ちゃん」

「えーっとぉ……」

 

 流石に返事を言い淀む俺。なぜなら。

 

「(ツッコミ所が! ツッコミ所が多い!!)」

 

 寝不足の頭がぐらりと揺れるが、くじけそうな心をなんとか奮い立たせる。ええい諦めるな四季巡、ひとつずつ順番に処理していけ!

 

「……まず理沙ちゃんはなぜここに? ここ高校だよ? しかも別に木世津中学校(キセチュー)木世津高校(キセコー)って敷地が繋がってたりしないよ?」

「お兄ちゃんにおべんとうを届けるために」

「……オーケー。それは百歩譲っていいとしよう。ではなぜ俺用にお弁当を作ったの? そしてなぜ俺はそのことを微塵も教えられてないの?」

「きのうとおととい遊んでもらったお礼。教えなかったのは『さぷらいず』だよお兄ちゃん」

「そ、そっかぁ。嬉しいなぁ。……ちなみにどうやって入ってきたの?」

「正門からどうどうと。であった先生には『お兄ちゃんにおべんとうを届ける』って言ったらとおしてもらえた」

「うーん純粋ゆえの悪系不良少女ぉ!! 嘘はついてないのがよりタチ悪いなぁ!?」

 

 ぜえはあとツッコミ疲れて肩で息をする俺、気づく。あれ、また俺乗せられて楽しく会話してしまってないか……?

 俺は長い息を吐いて冷静になると、迷いながらも絡まった腕をできるだけ優しく振りほどいた。

 

「……あー、ごめんね理沙ちゃん。俺今日の昼飯は購買で買うって決めてるんだ。お弁当はお友達と一緒に食べてくれないかな」

 

 え、と聴こえた気がする小さな声に心臓がきゅっとなる。こちらを見上げているだろう顔は見れない。けれどこれでいいのだと、必死に自分に言い聞かせた。

 

「(これでいい、これでいいんだ。いつかは崩れる関係なら、お互いにダメージが少ないうちに解消するべきだ。だって、俺はこんな優しく純粋な理沙ちゃんに何もあげられない……何かが一方通行な関係は、きっと良くないものだから)」

 

 ガシャガシャ。ウィーン。

 

「ん?」

 

 なんか変な音が聞こえて思考の世界から戻ってくると、理沙ちゃんがこちらを見つめていた。

 その表情には悲しみの色は無く、とりあえず安心していると……彼女は不思議なことを言い出した。

 

「お兄ちゃん、ほんとにお金たりる? もしかしたらたりないかもしれないよ」

 

 そう言って俺のポケットを指さす理沙ちゃん。偶然だろうが、まるで俺の財布がどこにあるかを知っているような動きだ。

 彼女は強引気味に言う。

 

「かくにんして? たりなかったらいっしょにおべんとう食べよう」

「え、まあいいけど……」

 

 そんな理沙ちゃんに押され、俺はポケットから財布を取り出す。

 ……アレ、なんか温かい? ポケットの中に入れてたからか? それにしては熱を持ってるような気が……まあいいか。

 財布を開き、中を見る。記憶では1000円札が1枚入っているハズだが……。

 

「——あ、あれ」

 

 しかし予想に反して、お札を入れるスペースには一円にもならない埃のようなゴミしか入っていなかった。

 ひっくり返しても振ってみても、当然金が増えたりはしない。チャリンチャリンという1円玉と10円玉がぶつかるむなしい音が響くだけ。

 

「まだ1000円くらい残ってたと思ったんだけどなぁ……?」

 

 さて、ここで不思議がる俺——四季巡の財布を襲った出来事を説明しよう。

 

 

 ほんの少し前……ガシャガシャウィーンという謎の音が聴こえるまで、確かに巡の財布の中には1000円札が入っていた。

 つまり巡が見たときに1000円札が無かったのは、理沙の工作である。

 理沙がやったことは簡単だ。巡の意識がそれた隙を突き、冬野グループ特研課が開発した特殊兵器――その名も「指向性超特殊音波分解砲」を巡のポケット目掛けて照射したのである。

 指向性超特殊音波分解砲、通称DUD砲。それは名の通り、超音波により対象を分解・消滅させる特殊化学兵器。だがその真価は別にある。

 ひとつは「狙いを付けた特定の物質だけを分解する」こと、そしてもうひとつは「音を通す障害物を無視できる」ことにある。

 即ち――分解する物質を「紙」のみと設定すれば、ポケットの中の財布に仕舞われた「紙幣」だけをポケットの上から分解できるのである。ただ完璧に痕跡を残さない訳では無く、超音波の「振動」という特性上通過した物体を少しだけ温めてしまうという欠点にもならないような欠点はあるが。

 ちなみに財布の位置が分かったのは強化コンタクトレンズとソナー性透視装置と金属探知機の合わせ技である。

 という訳で解説終わり。

 

 

 たった今とんでもない科学力で1000円札を「埃のようなゴミ」に分解されていた四季巡は、当然そんな事実に気付く様子もなく。

 そんな巡に理沙は、

 

「まったくしょうがないなあお兄ちゃんは」

 

 というスタンスで弁当を差し出した。無表情ゆえか、存外面の皮が厚かった。

 

「いや、でも」

 

 それでも遠慮が抜けない巡——俺の腹がぐうと鳴る。

 

「(そうだった、俺腹減ってるんだったぁ……)」

 

 このまま購買に行ってもなにも食えないと思うと、途端に腹が減ってくる。そんな俺の目の前にはいい匂いを放つお弁当。ごくり、と喉が鳴る。

 

「ほら、いらないならすてちゃうよ」

 

 また腹が鳴った。胃袋が騒ぎ立てる。目の前の弁当から目が離せない。

 そして、数秒の苦悩の後。

 

「……頂いてもよろしいでしょうか」

 

 空腹には抗えず、あえなくそう言ってしまったのだった。

 

「うん。そのかわりいっしょにたべようね」

 

 年下の中学生に恵んでもらう死ぬほど情けない男がそこには居た。ていうか俺だった。

 なんだか自分が情けなくなってきた俺の手を引いて、理沙ちゃんは何故か勝手下tる様子で移動を開始する。

 半ば来た道を戻ることで辿り着いたのは……中庭。西棟と東棟の間にある、校内のちょっとした癒し空間だ。まあ手入れされた草以外に何かある訳じゃないんだが、小奇麗でベンチとかも置いてあるので昼休みを過ごすにはそこそこ向いているだろう。

 今日はずいぶん空いているな、という印象を受けるがらんとした中庭に辿り着くと、理沙ちゃんは近くにあったベンチに俺を座らせた。彼女も俺の隣に座り、弁当の包みを片方俺に手渡してくれる。

 

「どうぞ、お兄ちゃん」

「マコトニアリガトウゴザイマス……恐悦至極感謝感激有頂天外、冬野理沙大明神バンザイ」

「?」

 

 情けなさと感謝でもはや意味分からない言葉を吐きながら包みを解き弁当箱の蓋に手をかける俺。

 さーあどんなメニューかな、とすっかり気分を切り替え蓋を開くと――そこには。

 

「……こ、これは」

 

 なんかペーストのような液体のようなものが仕切りで色分けされた、宇宙食みたいな謎のランチがそこにはあった。見た目は絵の具のパレットみたいな、100年後の人類が食ってそうな弁当……具体的に言うとエヴァ●ゲリオンで見たことあるやつ。

 一応匂いだけは旨そうなのだが、視覚と嗅覚のアンバランスがすごい。カレーからスイーツの匂いがするみたいな、そんな何かが噛み合わない感じだ。

 

「えぇーっとぉ……?」

 

 流石に困惑する俺に、理沙ちゃんの善意100%な声が降る。

 

「これは強化人間用完全栄養糧料(わたしがいちばんすきなりょうり)だよ。おいしそうでしょ」

「そ、ソウダネ」

 

 貰っておいておいそれと文句は言えない俺であった。

 

 

 さて、それと同時刻。四季巡が困惑しているのと同時、遠い冬野グループ本社で司令部も大混乱していた。

 理沙のインカムに司令の声が飛ぶ。

 

『R、いや理沙!? どうしてそんなゲテモノを入れた!? フツーの、おいしい、可愛らしい手料理を入れろと言っただろう!? 言ったよな私!?』

『は、はい司令! 記録も此処に!』

『理沙、これじゃ好感度プラスどころかマイナス一直線だぞ! ターゲットが凄く困ってるのがカメラ越しに伝わってくるぞ!』

「!?(私、指示通りにしましたが)」

 

 司令部からの阿鼻叫喚に、本気で意味が分からないとアピールする理沙。

 するとその理由はあちらから流れて来た。

 

『し、司令! 彼女のデータを改めて確認したところ、食べた事のある食事の種類が非常に少ないことが分かりました! 多分ですが、彼女ちょっと味音痴です!』

『なっ……いや、そうか。そもそも彼女は強化人造人間、食事の経験も感性も常人と違う……特殊な出自なら「あれ」を美味いと思う人間も生まれ得るんだろう。そこを読み違えた我々のミスか……!』

 

 酷い言われように、流石の理沙もちょっと拗ねる。

 

「(これ、おいしいのに……私がアームで調理したのに)」

 

 学生寮の部屋での初めての調理――はたから見れば科学実験だったが――を思い出しながら唇を尖らせる理沙。

 そんな彼女の様子にこれ以上の問答は無駄と判断した司令部は、作戦中という事もあり目標への対応に戻ることを指示した。

 

『ま、まあ過ぎたことは仕方ない、とにかく「作戦コード:LD(ランチデート)」を続行しろ』

「(……了解)」

 

 

 そして視点は再び中庭の四季巡へ。

 

「(うーん、どうやって食えばいいんだコレ……)」

 

 俺の手は当然ながら止まっていた。

 ぬちゃあ、とスプーンで掬った白っぽいナニカを見つめる。

 

「(なんだろう、コレが液体っぽい固体なのか、固体っぽい液体なのかもわからん。てかこれマジでなんなんだ? なんで米みたいな色なのに肉の匂いがするんだ???)」

 

 なんかこう、口に入れたときに「おいしい」ってなるビジョンが沸かないのだった。どっちかって言うと口に入れた瞬間俺の口が物理的に溶けそうな感じがする。うああ、食いたくねえ……!

 そんな感じで俺が派手にビビっていると、理沙ちゃんにスプーンを持ってない方の袖をくいと引っ張られた。

 彼女の方を振り向くと、目の前には赤い「弁当の中身」が乗せられたスプーンが。

 

 つまり「はい、あーん」というヤツである。

 

「どうぞ、お兄ちゃん」

 

 スプーンの向こうには可愛らしく期待するような表情の理沙ちゃん。

 だが、この状況で「わぁ、あーんだ! 照れるなぁ」と思えるほど俺のメンタルは強くはなかった。いやむしろそんな奴いたらビビるわ。俺は「わぁ、ヤバそう! 理沙ちゃんは俺を殺す気かな?」って思うのがが限界だわ。

 

「えーっと、そのぉ……」

 

 じりじりと近づいて来るスプーンと、謎のペーストごはん。それが発する圧力に思わず身を引いてしまう……それを見た理沙ちゃんの眉尻が下がったのに気付いた瞬間、俺は自らの過ちを悟った。

 

「食べたく、ないの……?」

 

 理沙ちゃんの、僅かながら震えた声。その理由は悲しそうに歪んだ表情を見れば明らかで。

 

 ――俺は馬鹿か。自分の我儘(エゴ)を優先して人を傷つけてちゃ世話ないぜ。

 男なら覚悟決めろ四季巡。ここで退いたら「兄」じゃないぞ。

 

「ええいままよ!」

 

 いただきます!!——あ、声と思考が逆だ。かっこつかねぇー。

 後悔する間もなく、俺は目の前に差し出されたスプーンをぱくんと咥えた。

 恐る恐る、口に入ったものを味わう。思わずカッと瞳孔が開いた。

 

「(……こ、これは!)」

「ど、どう?」

 

 不安気に尋ねる理沙ちゃんの横で、俺は驚愕する。

 

「(これは……味が無い! いやあるんだけどめっちゃ薄い! 何だコレ!?)」

 

 そう。味が薄いのである。美味いとも不味いとも言えないのである。そのくせ妙な苦みは少し感じるし、そもそも触感がぬちゃぬちゃだし、なんか喉が渇くし……総評で言うと、今まで食べた物の中で上位に入るとは口が裂けても言えないご飯だ。

 

「おいしい? お兄ちゃん」

「……これ、理沙ちゃんが作ったの?」

「(こくり)」

 

 相変わらず口の中の料理は味がしない。だけど、

 

「おいしいよ、ありがとう」

 

 こんな可愛い子が作ってくれたんだぞ、不味いワケあるか。その時点で100点満点、多少のマイナスなんか誤差でしかない。

 それに全然食える味だ。俺が中学生のとき作った料理なんかこれより全然酷かったぞ。なんせ俺が作ったものなら段ボール炒めとかでも息子への愛と根性で飲み込みそうな、()()親バカ親父が吐いたからな。父の日だったのにトイレから出てこれなくなって日付変わっちゃったからな。あのときは悪いことしたわマジで。

 

 そんなことを思いながら空きっ腹に謎飯をかっこんでいると、ふと横から、

 

「よかった」

 

 という声が聴こえた気がした。それは数日で培った理沙ちゃんのイメージとは全然違う、小さいながらも感情の籠っている気がする声で。

 

「(……複雑だ)」

 

 ここで素直に「嬉しい」と思えないの自分が少し嫌だった。けれど仕方ない、それが俺の臆病さで、弱さで、つまらなさで……それこそが決して目を逸らしてはいけない、理沙ちゃんへの悪影響と成りえる醜さなのだから。

 

「(理沙ちゃん、中学校で友達沢山作って俺のこと忘れてくれないかな……できればそのとき俺が悲しくなっちゃわないよう今のうちに)」

 

 出会ったばかりなのに別れの辛さを想像し怯えて、それなら仲良くならないよう遠ざけようとしている。そんな俺の心境を知れば、理沙ちゃんはどう思うだろうか。

 いや、そんなのは決まってる。ダサいお兄ちゃんは妹に嫌われる、それがきっとこの世の摂理だ。そうなったらとても悲しいけど……きっと今のうちなら、一週間引きずるくらいで済むと思うから。

 

「(……てかよく『これ』を美味しそうに食べるな理沙ちゃん。いやたしかにマズくはないけどさあ……味音痴なのかな?)」

 

 横の理沙ちゃんは、小動物を思わせる仕草で俺のと同じ弁当をパクパクと食べていた。その顔には無表情ながら「おいしい」と書いてあるような気がする。

 

「(もぐもぐ)」

「っはは」

「?」

 

 一心不乱にスプーンを動かす理沙ちゃんの姿に自然と笑顔になってしまいながら、俺は最後の一口を飲み込んだ。

 

 春、昼休みの中庭は温かい日差しに包まれ、学校の中とは思えないほど優しい空気の中で、俺と理沙ちゃんは「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

 しかし、こんなに温かいと眠くなってくる気がするな。昨日寝て無いし、正直寝ちまってもいいかな。起きれないかもしれないけど、ちょっとサボるくらいで留年・退学はないだろう。

 そう思って俺は目を閉じ、心地よい春眠の中へ……。

 

「……なんか全然眠くないんだけど」

 

 落ちては行かなかった。

 全然眠くないし、何ならむしろ動き回りたいくらいだった。いや、動き回りたい……!

 

「な、なんだこれは……体の中からエネルギーが溢れる! これが俺の真の力……!? かつてない力の高まりに動かずにはいられないぜ! うおぉ、ひゃっほう!」

 

 衝動的にベンチから立ち上がり中庭を走り回り始める俺。心臓が力強く鼓動し、酸素をたっぷりと含んだ血液がぎゅわーっと全身に回っていく。筋肉が枷が外れたように躍動、強くなった俺たちを活躍させろと叫ぶので体を動かすのを止められない。

 中庭で3回転半宙返りとかし出した俺――四季巡を、理沙ちゃんは冷や汗と共に眺めていた。

 

「(……そういえば強化人間用完全栄養糧料(これ)って、人間の力を引き出す様々な化学薬品が投入されていた気が……一般人に投与した前例は無かったかも。お兄ちゃんだいじょうぶかな、体ばくはつしたりしないかな)」

 

 幸運にも四季巡の体が爆発四散したりすることは無かったが、彼の体内に取り込まれた沢山の化学物質は脳内でドーパミンやアドレナリンを大量生産。更に一時的にドーピングされた身体能力を振るう高揚感が合わさった結果……巡は昼休みが終わるまで中庭で1人走り回り、それを目撃した人たちから「動きのうるさい奇人」という至極まっとうな評価を得ることとなった。

 

 ◆

 

 そんなことがあった日の放課後。

 

「(まだ体が無駄に元気だな……おかげでめっちゃ授業に集中できたけども)」

 

 俺は眠気のひとつも無い超健康体で西棟4階廊下を歩いていた。

 理沙ちゃんの弁当には何が入っていたのだろう。それか俺が勝手に嬉しくなって目が冴えちまったのか。……それだとだいぶ恥ずいなあ。

 ただ何もないってことは無いだろう。徹夜したのに午後の授業で居眠りしないなんて、俺からしたら奇跡みたいなもんだからな。

 

 そんなこんなで元気な足は、1年で染みついた習慣で俺の体を文学部へと運んでいた。だが今日に限っては扉を開ける手が止まる。

 

「(さて。なんも考えずに来ちまったけど……どうするべきか。夏目先輩は今日も来るって言ってたしなぁ)」

 

 俺は長い付き合いですっかり慣れた、建付けの悪い扉の前で立ち止まる。

 文学部として1年間活動――本を読むだけだが――してきたプライドは無駄にある。けれどこの扉を開けるということは、あの美人な先輩に会うということで。

 それは彼女との関係の糸、まだまだ細いそれをより固く結ぶということだ。切れたとき、切られたときに痛くなるくらいに。

 そんな感じの思考が、俺の手を扉から遠ざけていた。

 

「(ゲームなら選択肢が出てそうな場面だな……)」

 

 俺に提示された選択肢は3つ。

 

 1。今日限りで文学部であることを捨て、扉を開かず帰宅する。

 2。扉を開き部活に参加するが、夏目先輩と慣れ合うことはしない。

 3。全てを忘れて黒髪眼鏡文学少女美人先輩とイチャイチャする。俺は(将来的にフラれて)死ぬ。ドンマイ。

 

 ……まあ3は却下だな。うん。そんなことになれば一生引きずるぞ俺は。

 残すは1か2だが……悩むなあ。

 正直理性は1を選んでいる。君子危うきに近寄らず、信念が揺らぎかねない行動は慎むべきだ。

 しかし煩悩は2を選んでいる。なんせ文系年上黒髪美人は俺のどタイプだからだ。……そこ、そんな目で見るな。俺だって人間なんだ、好みもあれば欲望の1つや2つや108つくらいあるわ。

 だが、今回に限っては、まあ。

 

「(……ま、結局1、だよな)」

 

 理性と煩悩の最終戦争は辛くも理性側が勝利し、俺は目の前の扉を開かないことを選択した。

 

「(どうせあんな美人なら彼氏の1人や2人居るだろうし、居なかったとしても俺には高嶺の花だしな。それなら好きになっちまう前に離れる方が賢いってもんだろ)」

 

 俺は扉に伸ばしかけていた手を下ろし、踵を返そうとして――。

 

 ガラリ。

 扉が開いた。

 

「は?」

 

 俺はまだ指一本触れてもいないのに、目の前の建付けの悪い木の扉は、まるで自動ドアかのようにひとりでに開いていた。

 

「(え、俺今触ってな――)」

 

 どんな思考ももはや遅く。

 中にいる人物が、ゆるりとこちらを振り向いた。涼風の如き声が語る。

 

「——やあ、こんにちは四季くん。入らないのかな?」

 

 綺麗な黒髪の眼鏡美人、夏目優乃先輩と目が合った。

 そして俺は気付く。この状況、どう考えても「俺が扉を開けた」ように見えることに。

 

「(……入るしか、ないよなぁ)」

 

 ここで帰ったらただのヤバいやつだ。俺は仕方なく、なんだか以前より空気が良くなったような部室の中に脚を踏み入れる。

 

「こ、こんちわっす」

「うん。そういえば昨日聞きそびれてたんだけど、此処の鍵の管理はどうなってるのかな。誰も居なかったけど鍵が開いてたよ。ま、廊下に立って君を待つ破目にならなかったのは良かったけど」

「あー……あの、顧問が『めんどいから開けっ放しでいい』って……その、盗まれても困るもんないらしいんで、この部屋」

「……随分いい加減な教員だね。今日からは私が鍵の管理を申し出ようかな」

「そ、そっすね」

 

 室内に漂う本と埃の匂い。普段は落ち着くハズのそれが、同じ部屋に夏目先輩が居ると妙に落ち着かない。

 そのままいつも座っているパイプ椅子の上という定位置に納まっても、そわそわとおさまりの悪い感覚を味わう破目になっていた。

 

「(やっぱこの人とは緊張してうまく話せねー! 芸能人かなんかと相対してる気分だ! くっそ、マジでなんで開いたんだ扉!?)」

 

 そう頭を抱える俺――四季巡は気付くハズもない。扉を開けた存在、つまり部屋の端で、小型土人形(ミニゴーレム)がコソコソと隠れていることに。

 

 そんな彼を机を挟んで流し見ながら、優乃はその(おとがい)に白魚の如き指を這わせた。

 夜の闇を梳かしたような黒い髪を艶やかに揺らしながら、思う。

 

「(……なんでしばらく入ってこなかったんだろう。『帰られても困る』っていう賢者様の言う通りゴーレムで扉を開けたけど……もしかして避けられてる!? 昨日は私にしては珍しく結構打ち解けられたと思ったのに……どうして!?)」

 

 残念美人が極まっていた。

 優乃がネガティブな妄想に呑まれ動けないでいると、それを咎めるように手帳に新たな文字が滲み出る。

 

[Ms.優乃, リストを確認なさい. すべきことはそこにありますよ]

 

 透明なインクで「止まってないではやく動け」と書かれてる気がするページを見て、慌てて優乃は付箋の張られたページを開く。

 するとそこには「異性を篭絡する方法」と銘打たれた、賢者様の文字でびっしりと埋まった見開きがあった。

[

 ・同じ本を取ろうとして手が触れると相手を意識するようです

 ・相手が見ている本を見ようと覗き込むなどして顔が近付くと、魅了に似た効果があるようです

 ・対面ではなく隣に座る方が……

 ・吊り橋効果というのがあって……

 (そんな感じのことが見開きいっぱいに書かれている)

                                     ]

 参考文献が分からないのが若干不安ではあるが、これだけの情報はありがたい。ありがたい、のだが……。

 

「(お忙しいはずなのに、なんでこんなノリノリなの賢者様……もしかして娯楽に飢えて――いや、不敬だ。賢者様に限ってそんなことある訳ない)」

 

 どうにも文字が躍っているような気がするのは優乃の考えすぎだろうか。

 そんな思考を頭を振って追い出し、優乃は見開きの最初の行に指を這わせた。

 

「(とにかく、この比較的ハードルが低い『同じ本を取ろうとして手が触れる』のをやってみよう)」

 

 優乃は巡と本棚を交互に確認する。巡はまだその手に本を持っていない。部室に備え付けられた隙間の多い本棚には、埃を被った名作小説たち。巡があの本棚の本を取る隙を狙って作戦を実行するべきだろう。

 

「(ふぅ。いくら男の子相手でも、流石に手が触れるくらいなら大丈夫なハズ。よし、行ける!)」

 

 覚悟完了した優乃はいつでも立ち上がれる姿勢を取り、巡の一挙手一投足を見逃さぬよう手帳の横から注視する。

 

 そんなことされてるとは思っても居ない巡は、漸く観念して椅子に深く腰を下ろし、

 

「(……ここまで来たらしょうがない。俺も本読むかぁ)」

 

 そして優乃が覗き見る前で――()()()本を取り出した。

 優乃はずっこけた。

 思わず咎めるような声が出る。

 

「し、四季くん」

「え!? は、はい」

 

 急に声をかけられ驚いたのか上擦った声を出す巡に、優乃は白い指で本棚を示す。

 

「君はあの本棚の本を読んだりしないのかな?」

 

 答えは早かった。

 

「えあっはい……あそこにあるのはもう読んだことあるやつなんで。な、なんかまずいっすかね!?」

「い、いや良いんだ。別になんでもないから」

 

 優乃はそう誤魔化すと、元の姿勢に戻って息を吐いた。

 ……作戦は破綻した。

 

「(ど、どうしよう。『そこの本取って』って言う? でもそれで触りに言ったら完全に変な人だよ! よ、よし。この作戦はやめ、次に行こう)」

 

 優乃は再び手帳の付箋が張ってあるページをめくり、何か使えるものはないかと目を凝らす。

 

「(えーと、『相手が見ている本を見ようと覗き込むなどして顔が近付くと……』――これなら!)」

 

 そして新たな作戦に目をつけた彼女は行動を開始。

 こほん、わざとらしく咳払いし、巡が持つ先ほど鞄から取り出した本を指さした。

 

「巡くん、その本は?」

「え、まあこういうやつですけど」

 

 そう答えながらブックカバーを外して表紙を見せてくる巡。少し表紙の装丁が掠れて見づらいが、どうやら昔の文豪の小説らしい。

 魔導書でもない本の内容に特段興味は無いが、顔を近づけるために有効的な返事はひとつ。

 

「私にも少し見せてよ」

 

 すると少し悩んだ様子の巡は頭を掻いて、そして数秒の思考の後答えた。

 

「え、あー……まぁいいっすよ」

 

 その言葉に内心で小さくガッツポーズをした優乃は、机に広げられるであろう本を見るために優乃が身を乗り出し……。

 

「はい、どうぞ」

「え?」

 

 優乃の目の前に本が差し出された。思わずそれを受け取ってしまう。

 彼女がうまく事態を飲み込めずに、今自分に本を渡して来た巡の方を見ると……彼は既に新しい本を鞄から取り出していた。

 彼は言う。

 

「まあその、読み終わったら返してくれると嬉しいです、はい。あ、でもめんどくさかったら全然、はい。中古屋で100円で買ったやつなんで」

 

 それが意味することはつまり。

 

[言葉が足りなかったせいで『一緒に読む』という意思が伝わらず, 貴女が1人で読むものと思われてしまったようですね]

「(そ、そんなぁ……!)」

 

 予想外の結末に、優乃は受け取った本を持ったまま固まった。

 そのまま彼女の胸中を、失敗の連続により焦りが支配する。容姿端麗頭脳明晰かつ優秀な魔導書・魔術研究者とはいえ、「こういうこと」の経験など無い彼女は冷静な思考を失いつつあった。

 

「(ど、どうしよう……どうしようどうしようどうしよう……! 次のを試してみる? 『隣に座る』……今急にやっても引かれる気しかしない! 『吊り橋効果』……火事でも起こす? いやどうやって距離縮めるのそれ!? 次も次も上手くできる気がしない、ああああどうしよう、もう分らなくなってきた……どうやれば人に好かれて何をしたら嫌われるの!???)」

 

 目を回して混乱の極みに陥る優乃。幸運ながら本に集中しだした巡がそれを見ることは無かったが、それでも状況が好転したわけではない。

 迷走の果てに、優乃は見開きの最後に書かれた言葉を目の端で捉える。

 そこにはこう書かれていた。

 

[膝枕. される者にする者への安心感を与え信頼を持たせる. 高難度だが成功すれば(塗りつぶした跡)まだ早い]

 

 そして優乃はこう思った。

 

「(『成功すれば』……? この書き方、もしこれが成功すれば、今日の失敗を取り返せる成果を挙げられるのでは……?)」

 

 明晰な頭脳が秘された部分を推測により補完してしまう。結果、彼女の思考は弾けた。

 

「(よし! 今更あと1回2回失敗したって何も変わらないだろうし、これはチャレンジするべきだよ優乃(わたし)!)」

 

 「失敗続きなのに一足飛ばしで損失を取り返そうとする」、「成功・失敗という結果だけに目が行って行動自体に伴うリスクを計算できていない」、「追い詰められると普段の思慮深さや慎重さがどこかに消え、思考停止で目の前の選択肢に飛びついてしまう」という『失敗する人間の特徴3選』みたいな要素を詰め込んだ人間・夏目優乃は、

 

「(決めた、この『膝枕』に賭けよう!)」

 

 と急転直下の思考で決意してしまった。

 更に悪いことに、彼女は決断に時間がかかるが一度決めると行動は早いタイプであるため、その暴走を止められる者はこの場に居なかった。

 そして夏目優乃は――あらゆる手段を講じて「膝枕」を目指す暴走特急と化した。

 

「(私の全魔術的知識を以て、この命題を解決する――!)」

 

 なんかカッコイイ感じの啖呵を静かに切った魔術師は、己の手札とそれによって辿り着きたい着地点を冷静にすり合わせる。

 

「(膝枕――文字通り膝を枕にする行為。この場合信頼を得たいのは私だから、枕になるのは私の膝。それを成功させるにはまず相手に眠ってもらう必要がある……よし、アレなら!)」

 

 優乃は素早く魔道具「底なし鞄」を開くと、中から一本の試験管を取り出した。

 コルクで固く締められたガラス製の試験管の中に入っているのは……キラキラと光を反射して輝く青色の粉。それは非情に軽いらしく、試験管の中で気体のようにフワフワと浮いたり沈んだりを繰り返している。

 

「(微睡草(マドロミソウ)の花粉……高いけど仕方ない!)」

 

 微睡草……それは魔術によって品種改良された植物である「魔法植物」の一種。協会の植物学部が定めた危険度は下から3番目の「準マンドラゴラ級」で、入手難易度の割には高価なのはその花粉が持つ特性にある。

 

 優乃が試験管の蓋を開けると、部室内に花粉が舞った。微かに香る甘い匂いが部屋全体に広がっていく。

 

「(微睡草の花粉は、耐性がない人が吸うと10秒で昏倒して10時間は起きない毒性を持つ……希釈してるし部室もそこまで狭くないから昏倒まではいかないだろうけど、耐え難い眠気くらいなら与えられるはず……!)」

 

 微睡草とは、近づいてきた生物を睡眠誘発作用のある花粉によって昏倒させる魔法植物。そんなことをする理由は身を護るためとも生物を衰弱死させて周囲の土壌を豊かにするためとも言われているが、とにかくその花粉は安眠のお供から諜報・戦闘の隠し玉まで様々な用途で使用できる魔術師御用達のアイテムである。

 

 当然この花粉の毒への耐性を持つ優乃は、空になった試験管を仕舞いながら考える。

 

「(この部室は結界内だから、後遺症の残らない小規模な魔術的干渉は認識阻害で誤魔化せるハズ……ごめんね巡くん、私の膝で眠ってもらうよ!)」

 

 冷静な自分が見たら卒倒しそうな台詞を頭の中で叫びながら、優乃は巡の方をじっと見た。そのまま巡の様子を観察しながら、「彼が眠そうな様子を見せたら膝への『誘導』を開始しよう」と注意深く見つめる事5秒、10秒、30秒……1分。

 

 ……しかしなにもおこらなかった。

 

「(……何の反応も見せない!? 何で!?)」

 

 困惑する優乃の視線の先、黙々と読書を続ける巡——彼の体内では、昼休みに摂取したエネルギーを増幅させる化学物質が暴れ回っていた。

 

「(理沙ちゃんの弁当のおかげか、まだ目が冴えまくってるなぁ。めっちゃ読書に集中できるし眠くもならねえ。内容がスラスラ頭に入ってくる。普段ならこういう小難しい文体の本読むと結構眠くなったりすんだけど……ま、この集中が家で課題する時までもつのを期待しとくか)」

 

 弁当に含まれていた科学物質が巡の脳機能を強化し、その結果彼は微睡草の花粉に耐えうる体力・気力を一時的に得ていたのだ。

 当然そんなこと優乃はおろか巡本人を含めた世界中の誰もが知り得ないこと。

 

「(微睡草の効かない非異能者なんて居るハズが無い! そんなデータは過去500年の文献を漁っても出てこなかった! だから絶対四季君も眠る、そのハズなのに……!)」

 

 半ば祈るような気持ちで2分3分と待ち続け、それでも何も起こらず……"なぜか"巡には微睡草が効かないことを優乃が諦めと共に認めたとき、

 

「(そ、そんな、ありえない……)」

 

 一つの目的に突き進む優乃の思考回路が、「失敗」を突き付けられて崩れ去った。

 最早思考が纏まらないほどに弱った心は魔術への耐性を薄れさせ、吸い込んだ花粉が優乃の意識を一瞬遠のかせる。

 結果、彼女の全身から力が抜け。

 

「(あ)」

 

 ガシャン! と音を立てて優乃は椅子から転げ落ちた。長い髪が床の上に広がり、持っていた手帳が遠くへと落ちる。

 

「!? な、夏目先輩!?」

 

 それを見た――同室に居た先輩が急に倒れたのを見た巡は、当然何事かと彼女のそばに駆け寄る。

 しかしそこからどうすればいいか分からない彼の動きはそこで止まった。よっぽどのことがない限り異性に触れて抱き起こしたりするのはしない男、すなわち四季巡は、せめてもの気持ちで声をかける。

 

「だ、大丈夫っすか!?」

 

 すると優乃は確かに身じろぎした。巡はとりあえず彼女に意識があることに安堵する。

 

「(こういう時ってどうすりゃいいんだ!?)え、えっと……救急車とか呼びます?」

「あー……あたま、痛い」

「! やっぱ呼んだ方がいいっすよねッ」

「ああ、いや、いいよ……大したことない」

「え? いや、でも……」

「ほんとに大丈夫だから」

 

 意識がハッキリしてきたのか返答に力が入りだした優乃を見て、ほっと安心する巡。しかし余裕ができるとまた次の問題が彼の頭を悩ませた。

 それは「自分が触れて助け起こすことは出来るが、そうすると嫌がられないだろうか」ということである。

 巡は未だ床に倒れたままの優乃に恐る恐る尋ねる。

 

「……その、1人で起きれます? 手貸した方がいいっすか?」

「いや、その必要は……」

 

 優乃はあくまで1人で起き上がろうとして――ふと彼女の脳裏に、10分ほど前に見た一節がよぎった。

 ――『手が触れると相手を意識する』。

 優乃は直感に従い、未だ本調子でないままの思考で巡の方に手を伸ばした。

 

「やっぱり、手を貸してもらおうかな」

「は、はい」

 

 巡も優乃へ手を差し出す……だが自分から降れようとはしないその手を、優乃は微笑みながらぎゅっと握った。

 

「まるで昨日の再現だなぁ」

「……立ち位置は逆っすけどね」

「そうだね」

 

 巡に支えられて立ち上がりながら、優乃は花粉の効果がまだ残った頭により、思ったことをそのまま口から出してしまう。

 

「……きみの手はあったかいな」

「ぅえ……?!」

 

 それが齎した相手の反応にはまるで気付かず、立ち上がった優乃は改めて巡に感謝した。

 

「ありがとう、心配してくれて。(そこまで嫌われてないと分かって)嬉しかったよ」

 

 優乃の中には安心感があった。それは「心配される程度の好感度はある」という、余りにも志の低いものではあったが、自己肯定感の低い優乃にとっては「まだチャンスはある」と同義であった。

 

 それでも成功とは言えないだろう今日の醜態に、優乃は溜息を吐く。

 

「(今日は上手くいかなかったな。異性として意識させるどころか、距離を縮める事さえ出来てない。挙句の果てに心配されて……はぁ、やっぱり私にこういうことは……)」

 

 そんな彼女の視界の外で、件の四季巡は。

 

「(くっそ、めっちゃドキドキする! 手握っただけなのに好きになっちゃーう! 落ち着け俺、不謹慎だぞ最低だぞ、ていうか心弱すぎるぞっ!?)」

 

 しっかりがっつり意識していた。苦し紛れで無意識の一撃がクリティカルヒットしていた。

 距離を置くどころかどんどん情が移っていくのを感じながら、巡は心の叫びを放つ。

 

「(今日はなーんも上手くいかねー! 俺のバーカ! 仲良くなったって、最終的に苦しむのは(おまえ)なんだからな!!)」

 

 結局春咲とも理沙ちゃんとも夏目先輩とも関係値を深めてしまった男は、己の移り気な心を恨んで頭を抱えた。

 

 ◆

 

 ――魔剣。

 それは遥か昔、伝説と謳われた魔術結社が創り出した魔道具である。

 全部で九つあるそれらは持つ者に「人の領域を逸脱した力」を与えると言われ、また現代のどんな魔術を用いても再現が不可能なことから先進遺産(オーパーツ)とも呼ばれている。

 そんな魔剣はしかし、今やその九銘の全てが行方不明となっていた。異能者たちがどれだけ捜索しようと影も形も無いことから「伝説上の存在なのでは」と実在すら疑われている魔剣だが、それを取り巻く噂だけは今なお数多囁かれている。

 曰く。掴めば最後、死ぬまで離せぬ。

 曰く。魅入られたなら、人ではなくなる。

 曰く。それは勝利を約束する剣であり、全てを失う悪魔の契約である。

 そんな、今や伝説の中だけの存在であるハズの魔剣の一振り――失われたはずのソレが、木世津高校のあるここ小代実市に存在していた。

 

 

 茜に染まる空。

 喚くような鴉の鳴き声が空を汚す。街の喧騒は届かない。此処は遥か高所、人が立ち入ることなど想定されていない電波塔の上だから。

 そんな遥か高みにて、その声は吹き荒ぶ強風に流されること無く独り響いた。

 

「へー、結構映えなカンジじゃんココ。この景色撮ってミンスタにアップしたらバズるかなぁ。それとも炎上するかな、『立ち入り禁止の所から撮った写真だ!』って……うっわ想像したら萎えた、やめよ」

 

 スマホ片手の軽い言葉。

 地上から100mの地点、幅20cmもない隙間だらけの鉄板の上に座って足をぶらぶらさせながら、「彼女」は独り眼下に広がる街を見下ろしていた。露出の多い服装の上からレインコートに似た黒い服を纏い、深く被ったフードで顔を隠したその人物がつついていたスマホが小さく振動する。

 

「お、合図だ。それじゃあウチも『魔剣士』として、しっかりお仕事しないとなぁ」

 

 そんな彼女には、場所以外にも明らかに異常な点がひとつあった。

 ——それは、自身の身の丈ほどもある巨大な剣を片手で持っていること。

 少女の細腕が握るのは、光を吸い込むような漆黒の刀身に、時々苦悶の声を上げ身を捩らせる「蠢く装飾」の施された、悍ましくも美しい両手剣。

 其は破軍の魔術兵器、伝説から現世へと舞い戻った災禍の具現。

 地獄をそのまま殺人道具として鍛ち直したかのようなその剣の名こそ——魔剣・ダーンスレイヴと言った。

 その所有者たる少女は、遥か眼下の街を見下だしてけたけたと嗤う。

 

「あー楽しみだなぁ。日本の3大陣営にも数えられてない弱小陣営(サークル)が、偉い人たちの企み全部を引っ掻き回してぶっ壊す……考えるだけでサイコーじゃん?」

 

 ばさり、と強風にあおられフードが外れ、隠されていた素顔が露わになる。するとそこには……狼を思わせる刺々しい藍色の髪と、頭頂部に生えた一対の獣の耳。

 猛獣を――凶暴な狼を思わせる牙を覗かせた凄絶な笑顔で、少女は言った。

 

「『四季巡』を狙ってるのは大手の異能者だけじゃないってコト、ウチがその"断面に"教えてあげっから☆」

 

 彼女の縦に裂けた瞳孔が見据える視線の先は……木世津高校。

 殺意が、動き出そうとしていた。



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⑧-1 4月8日(水)・舞台裏

 4月8日、放課後。

 木世津高校の西棟4階廊下にて。

 点滅する蛍光灯が、夕暮れ時の薄暗くなってきた廊下を照らす。部活棟とも呼ばれる西棟の中でも特に人通りの少ない4階廊下の真ん中あたりで、その二人は対峙していた。

 

 片側は赤毛の女子生徒。

 

「四季巡が部活やってるっていうから来たらさぁ……なんでアンタが居るワケ? クソチビ科学使い」

 

 そして彼女と睨み合うもう片側は、異なる制服を着た金髪の中学生。

 

「……それはこっちのせりふ。識別番号S-023-051、発火の超能力者」

 

 怒りをトリガーに炎を発生させる超能力者、春咲(はるさく)朱里(あかり)

 思考を直接機械に送り兵器を操る科学使い、冬野(ふゆの)理沙(りさ)

 その両者が、まるで昨日の朝の焼き増しのように殺意敵意をぶつけ合う。

 

「ここ高校なんですケド。中学生が入っていいと思ってんの? 親切な在校生代表として、不法侵入で処刑してあげよっか?」

「私はこちらの教員に、お兄ちゃんをむかえに行くきょかをもらっている。それにあなたも身分や年齢を詐称しての転入だと推測。罪状が多いのはあなたのほうでは?」

「……ほんっとムカつくわね頭でっかちのガキってのは……!!」

「問題ない。私も短絡的かつ暴力的な原始人はきらい」

 

 朱里の燃え盛る怒りに対し、氷の冷たさで返す理沙。

 もはや戦闘は必定であった。

 パチパチと空気が乾く音が響く。

 ガシャガシャと収納されていた兵器が組み上がっていく。

 冷たい殺意が廊下を満たし、正に一触即発といった空気が出来上がる。

 

 そんな中、ふと思い出したかのように朱里は口を開いた。それはやけに軽い調子の声。

 

「あー、一応スタンスを確認しとこうか。こっちの指示は『一般人を巻き込むな』。この場所ちょっと危なくない? ()り合うのは歓迎だけどさ、異端審問会に介入されるのはそっちも御免でしょ?」

「同意。だが問題ない。既に我々冬野グループが人払いを開始している。あと5分程で木世津高校内は無人になる」

「ふーん。変な機械もあるのね」

「これは機械では無く単純なマンパワーの利用。我々冬野グループはそちらと違って普通社会にも高い影響力を有している」

「『お金と権力』ってヤツか。ならならアンタらを潰した時は、残ったソレを連合がありがたく頂戴してあげるわ」

「……司令から伝言。『できるものならやってみろ』」

 

 それきり沈黙が下りた。

 再び敵意剥き出しの視線がぶつかり、空気が悲鳴を上げる。常人には耐えられないだろう静寂と緊張の中、何でもないように立つ2人の少女は、自然体のように見えて油断なく相手の出方を窺っていた。

 遠くで聴こえる生徒の声。窓から差し込む茜色の夕日。どこかで秒針が鳴っている。それはまるで運命の瞬間へのカウントダウン。

 ……そして時は訪れる。

 

「5分経過。報告・体温感知によると人払いは完了した」

「やっとか。ま、それじゃ――」

 

 朱里は姿勢を正し、足でトントンと床を叩いて、

 

「——"燃えろ"」

 

 轟、と。

 紅蓮が、理沙の体を飲み込んだ。

 

 それは余りにも一瞬のことで、言葉に乗っていた重みからするとあり得ないような現象で。

 けれど現実として、人間ひとつ程度余裕で飲み込む巨大な炎が、標的となった少女を包み、それだけでは飽き足らず床を壁を天井を焦がしていく。

 正しく紅蓮の暴虐。刹那に現れ闇を喰らう(あか)の王。

 その災害のような光景を起こした超能力者――春咲朱里の姿は、攻撃後というのにひどく自然体で、目の前の炎がなければ普通の女子生徒であるように見えさえした。

 

 ――超能力に目に見える予備動作(タメ)など無い。それを発動させるのはトリガーたる感情のみで、力みも備えも不要。故に彼女らの一挙手一投足は、その全てが直後に能力を使える「攻撃モーション」になり得るのだ。

 

「悪いわね、待たされてイラついてたからさ……ま、そこらの炎よりずっと熱いから、火事で死ぬよりは苦しくないんじゃない?」

 

 朱里が燃え盛る炎の塊を見ながら勝利を確信したときだった。

 炎の中から何かが飛来。朱里の頬を熱が奔る。

 それは「銃弾」。朱里の頬の皮が削れて出血し、千切れた赤毛数本が空を舞った。

 

「ちッ」

 

 朱里は舌打ちし、炎の勢いを強めるのではなく弱めた。彼女に慢心はない。「火が効かない」ならその理由を確かめなければ、こちらの視界が悪いだけだ。

 

 果たして、炎の中から現れたのは――理沙の体を覆うほど巨大な、機械の盾。その盾の表面には僅かな焦げ付きも無く、それが先の炎を完璧に防ぎ切ったことを表していた。

 ただの盾ならば、今しがた理沙を襲った鉄をも溶かす朱里の炎は防げない。それが意味することは、即ち。

 

「クソ、『発火能力者(わたし)対策』の機械かよッ」

 

 朱里は悪態と共に、過去幾度も戦った科学使いたちのことを思い出す。彼らが最も厄介な点は、一度能力が割れるとそれに対するカウンターアイテムを瞬く間に量産することだった。それは、既知の脅威への対応こそが科学というものの真髄なのだろうということを朱里に悟らせるものであった。つまり科学使いとの戦いは、初見ではこちらに分があるが、一度でも取り逃がせばそれ以降の分はあちらにあるということ。そして現在の状況は、後者。

 

「『試作耐熱防壁』——あなたの能力は対策済み」

 

 理沙の熱の無い声が響く。

 理沙の背負った一見何の変哲もない革製のスクールバッグ、そこから伸びる蜘蛛の脚にもにた機械の腕が二つの盾を構えていた。左右で対象となっている白い盾は、どういう原理か鞄よりも遥かに大きい。右と左に分かれた盾が合体することで半球を作っているさまは何処か甲殻類を思わせる。

 そんな盾は炎の勢いを完全に殺し、弱まるそれを振り払った。後に残るのはやはり焦げひとつない機械の大盾と、

 

「武装制限限定解除。対異能者機銃・FA-47改を4丁並列起動」

 

 その特殊な素材の盾の隙間から覗く、複数の銃身。漆黒の砲塔の内のひとつからは硝煙が少しだけ漏れており、先ほど朱里の頬を掠めた銃弾の発射元がどこかを雄弁に語っていた。

 盾の後ろで複数のアームに銃を構えさせた理沙の眼光が、黒い銃口が朱里を睨む。

 その兵器には慈悲など無かった。

 

「照準固定——射撃(ファイア)

 

 ズガガガガガガガ!! とFMJ(フルメタルジャケット)の銃弾が廊下にまき散らされ、苦し紛れか盾のように現れた炎ごと朱里の全身を穿った。

 標的の頭を、胴を、腕を、脚を幾度も貫き……それでも射撃は止まない。万に一つの生存確率を確実にゼロにするため、理沙は脳波でアームを操作し機銃の反動を制御、同じ的に弾丸を命中させ続ける。

 数秒か数十秒か。鉛の嵐は吹き荒れ続け。

 ――カシュン、とやけに軽い音が響き、銃撃音は止まった。いかなる原理か床に落ちた薬莢は無い。

 理沙は連射の熱で赤くなった銃口(バレル)の状態を確かめつつ呟く。

 

「発火の能力は防御に向かない。司令部の見解はやはり正しかった――」

 

 言いながら、理沙はふと違和感に気付いた。

 銃弾に際限なく貫かれた朱里の体は、倒れない。

 

「!」

 

 ズガガ!! と反射的にバレルの冷却を待たず再び数発を撃ち込む……それらは命中したように見えたものの、やはり朱里は倒れなかった。否――そもそも血も肉も飛び散っている様子がない。それはまるで、水面に映った月目掛けて石を投げ入れているような手応えの無さ。

 

「(何かがおかしい……)」

 

 司令部に違和感を報告しようとしたそのとき、被弾数を考えれば動くことなど出来る筈のない朱里の姿が、陽炎のように掻き消えた。

 

「!! 生体感知——」

 

 反射的に生体反応を拾うレーダーを起動する理沙。

 だが、一瞬遅い。

 レーダーが結果を知らせる直前、既に理沙の背後に朱里は居た。当然本物であり、銃創など何処にも見当たらない無傷の彼女は、手品のネタばらしのように薄く笑う。

 

「残念、『蜃気楼』よ」

 

 ――「蜃気楼」。それは砂漠などでよくみられる、空気の温度差によって発生する光の屈折現象。炎を、つまり空気の温度を操る発火能力者の朱里は、その現象を訓練によって制御し防御能力へと昇華させていた。

 つまり今回は、そうして朱里が人為的に発生させた蜃気楼が、理沙が見た朱里の位置と実際の位置をズラし……その結果理沙の銃口は「虚像」の的を狙ってしまったのだ。

 

 当然そこまで丁寧に説明する義理も無く、朱里は理沙の背後で獰猛に笑う。空気が乾いて悲鳴を叫び、怒りが炎を招来する。

 

「そしてこれが――」

 

 これよりは刹那の攻防。

 理沙も無抵抗にやられはしない。

 

「(白兵戦用兵装起動、耐火用水蒸気散布最大!!)」

 

 理沙の鞄から大量の水蒸気が噴射され、それに合わせるように一本のアームが背中から伸びた。その先に付いているのはカッターナイフの刃を巨大化させたようなシンプルなカーボンブレード。切れ味は日本刀に匹敵し、先端の初速は音速を超えるそれを、理沙は振り向くと同時脳波操作によって背後に振るう。

 だがそれよりも早く、理沙の胸辺りに赤い火花が発生する。朱里は勝ち誇るように歯を見せて笑い叫ぶ。

 

「——『本物』の、炎!!」

 

 対して理沙はあくまで冷静に現状を分析し、防御を諦めて攻撃に意識(リソース)を集中、相打ち覚悟の刃を叩き込もうと己の全機能を振り絞る。

 

「(加速度最大、刀身延長(エッジランナー)!!)」

 

 刹那の攻防は今にも終着を迎えんとしていた。

 赤き暴虐が小さな体を焼き尽くさんと(あぎと)を広げる、または精密無比な軌道の刃が心臓を貫こうと奔る、正にその瞬間——。

 

 第三者の声が、響いた。

 

「——騒がしいですね、人の結界内で」

 

 同時。

 床を天井を突き破り、細長い茶緑の「なにか」が超能力者と科学使いに巻き付いた。首、腕、胴、脚、と彼女らの体を乾いた感触が締め付ける。

 

「はぁ!?」

「――」

 

 細長い、と言っても人の胴程の太さのあるソレにがっちりと全身を拘束され、双方動きが止まり戦闘の中断を余儀なくされた。

 2人を拘束する謎の物体、蛇にも似たそれの感触が「木」であるのに2人が気付くと同時、その人物は現れた。

 

 満足に動かせない首で捉えた視界の端、射干玉(ぬばたま)の髪がふわりと揺れる。学者然とした涼やかな声が廊下に響いた。

 

「その魔法植物は『アナコンダマングローブ』と言って、中南米原産の攻撃的な種です。動く生物を棘のある幹で絞め殺し血を啜るという生態があるので、出来れば声が出せなくなる前に降参してください。棘は削ってますが、大の大人すら絞め殺す力はそのままですから」

 

 どんな植物だよ、というツッコミは流石に喉から出なかった。

 すらりとした肢体、手で抱えるのは古びた本。眼鏡の奥の碧眼は深い叡智を湛えている。静謐な夜から飛び出してきたような彼女は、その整った顔に似合わないどこか自信なさげな表情で語った。

 

 朱里と理沙は、ぎちぎちと体が軋むほどの圧迫感を全身から感じながらも乱入者の正体を悟る。それは今朝、四季巡の部屋の前で睨み合っていた時のこと。新たに巡を迎えに来た三人目の女が居たのだ。異能者らしきソイツはムカつくほど美人なうえに中々弁が立ち、そのせいで朱里は炎をちょっとだけ暴発させてしまったのだが……。

 

「……あんた、確か今朝の……やっぱ異能者か!!」

「声紋鑑定——データ照合、木世津高校三年生・夏目優乃と一致。分析から対象を『魔術師』と推測」

 

 と、あちらもそんな記憶を思い出したようで。

 

「あ、あなたたちでしたか。あのー、私も鬼ではないので『四季巡』から手を引くと約束してもらえれば命までは取りませんよ?」

 

 一度顔を合わせ一緒に登校したただけとはいえ顔見知りを殺すのは気が引けるのか、どうにも語気が弱くなる優乃。だがその言葉には、優位に立つ者の余裕がどこか透けていて。

 そんな彼女の言葉を聞いた朱里は、それによって沸き起こった怒りを燃料に変えた。

 

「ハッ、誰がするか!」

 

 ゴウ!! と炎が巻き起こり、朱里を締め付けていた植物が燃え尽きる。布一枚の感覚で自分に炎を届かせないという神業を披露してのけた朱里は拘束から解き放たれ、しなやかな動きで床へと着地。

 

「強度、計算完了。状況への対処を開始」

 

 それとほぼ同時、理沙もアームの先に鋭利な(ブレード)を取り付け一瞬のうちに数度の斬撃を放つ。ブレードは瞬く間に太い幹を細切れに切断、解放された理沙はそのままアームを使って安全に着地した。

 そんな彼女らの動きを見てたじろぐ優乃。しかしそれは相手への恐怖からではない……むしろその逆。

 

「やっぱりそうなりますか……。あの、私、できれば殺しはしたくないんですけど……お姉さん不器用なので、引かないというなら手加減できませんよ」

 

 その「戦えばこちらが勝つ」と言わんばかりの態度に、

 

「上っ等……ッ! 燃えカスにしてやるわ!!」

 

 朱里は闘争心を露わにし、

 

「対象魔術師の敵対行動を確認。攻撃対象を追加して戦闘演算を再開します」

 

 理沙は冷静に勝利への計算を始める。

 

 ――ここに戦場は、三つ巴の様相へと変化した。

 全員敵対の三者揃い踏み、一対一よりも複雑化した戦況を把握するためにそれぞれの動きが止まる。より時間をかけて有効的な作戦を組み立てたいが、誰かが動くと対応しなければならない二律背反。

 目の動き、体の向き、足の角度……果ては赤毛を揺らす上昇気流、ブレードの付いたアームの震え、古い本を触る指の動き。ブラフと挑発の織り交ざった無言の駆け引きが数秒で何百回と行われる。

 

 そうして。

 不意に下りた、しん、という一瞬の静寂の後に。

 押し留められていたものが決壊するように、三者は一斉に動いた。

 

「"燃え尽きろ"ッ!!」

超兵器光学銃(レーザーガン)展開、射撃(ファイア)

「詠唱簡略、おいで土人形(golem)っ!」

 

 それらは全て必殺の異能。

 超能力が、科学が、魔術が。学校内で激突し、衝撃と共に死闘の第二幕が開かれた。

 

 ◆

 

 ふと、爆発音のようなものが聴こえた気がした。

 

「……なんの音だ?」

 

 放課後、ちょうど下校をしているとき。

 曲がり角を曲りながら、俺、四季(しき)(めぐる)は音の方向である学校の方を振り返った。

 

「……」

 

 ただ、見えるのは緑色のネットの向こう側に等間隔で植えられた生垣だけ。これじゃ音の正体を推理するヒントにもなりやしない。

 数秒考え、

 

「ま、気のせいだろ」

 

 俺はそう呟いて、止まっていた足を家に向かって動かす。

 ……毎日通っているからだろうか。うちの学校で何かが爆発したり危険な出来事が起こるところを想像できない。それに何かあったとしても、俺には全く関係のないことだろう。なにせ連絡を取る友人など居ないのだから、学校の状況を知ることも心配して電話を掛けることもできない。っていうかそもそも友達が居ない。

 

「それよりも今は課題だよなぁ。新学期早々出しすぎだっての。謎パワーはもう消えちまったし、今夜ゲームする時間が取れるかどうか……」

 

 そんな学生としては残念なことを考えていると、距離も短いからかすぐに寮の前に辿り着く。

 と、寮の前に誰かが立っていた。珍しい光景だ。

 誰だろうか。眼鏡に夕日が反射して視界が悪いため、その人物の顔は見えない。

 

「あの子は……」

 

 その人は誰かを待っているようだった。だがまあ待ち人は俺ではないだろうな、うん。寮の誰かの知り合いか? まあ関係ないことか。

 俺は「彼女」の前を通り過ぎようと、少し歩く速度を上げ……。

 ——ぞくり。

 何か不穏な感覚が俺の背筋を駆け登る。

 

「(な、なんだ?)」

 

 これは多分、恐怖。生存本能が脅威を察知したのだ。

 だが、何故。ここには猛獣も危険そうな人も居ないのに。居るのは寮の前で人を待つ1人の少女だけ――。

 

「——まさか」

 

 俺はその少女の方を振り向いた。そして感じる。やはりこの悪寒は、この人物から発せられるものだと。

 目が、合う。

 冷たい瞳だった。まるで鋭利なナイフみたいな、ひとつの目的以外を削ぎ落した結果ある種の美しさを獲得したような、そんな鈍くて鋭い視線。

 

「き、君は……」

 

 そして……()()()()()()()()()()()。その冷たい目は知らなかったが、確かに知っていたのだ。

 

「いつも挨拶してくれた……」

 

 彼女は俺の1学年後輩で、今は中学生で。直近だと昨日下校中に顔を合わせた、茶髪の――。

 ここで思考が止まった。何故なら。

 

「……あれ。名前なんだっけ」

 

 そう。この子の名前が分からないのである。

 あほ―、とカラスが鳴いた。なんか真面目な空気が冷たい風に運ばれてどっかに飛んでいった気がした。

 

「(……仕方ないじゃん、覚えて無いもんはさあ! でも名前聞いたのずっと前だし一回だけだししょうがないよな! うん!)」

 

 自己弁護空しく俺がいたたまれなくなっていると、向こうが動いた。

 彼女、暫定「後輩ちゃん」は俺の方にすっと一歩踏みだし、そして起伏の少ない声で自己紹介をしてくれる。

 

「――コノエ。秋月(あきつき)コノエです、四季巡先輩」

 

 あー、そういえばそんな名前だったなぁ!

 

「あっあー秋月さんね。はいはい覚えてる覚えてる。いやーギリギリのところで出てこなかったなー、いや『あき』は分かってたんだけどね『あき』は。うん」

 

 早口で言い訳をまくしたてる俺。それを見る後輩ちゃん改め秋月サンの目がすっごい冷たくなっている気がするのは気のせいだと思いたい。

 そんな秋月はあくまで冷静に語る。

 

「……問題ありません。それよりお時間よろしいでしょうか」

「え? あ、まあ暇だけど……」

 

 名前を忘れていた後ろめたさもあって流石に逃げれない俺に対し、彼女は制服の内ポケットから何かを取り出して見せてきた。それは……。

 

「……写真?」

「はい。これをご覧いただけますか」

 

 それは3枚の人物写真だった。思わず受け取って確認する。

 

「これは……」

「その顔を知っていますか?」

 

 3枚の写真に写っていたのはそれぞれ、全員俺が知っている人物——春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃(?)だった。ただ少し不思議なのは、写真に収められた状況とその画角。

 1枚目の写真——廃墟のような場所に春咲が立っている。遠目から撮ったのか画像は荒いが、赤毛が特徴的だから分かる。私服らしき格好をしているが、事故にでも巻き込まれたのか所々怪我をしているっぽいのが気になる。

 2枚目の写真——理沙ちゃんが大きな黒い車両に入ろうとしたところを切り取ったもの。まるで軍用の護送車のような車と彼女の関係が気になるが、もっと気になるのは周囲の人間が持った銃らしきものだ。サバゲ―でもやってたのだろうか。

 3枚目の写真——他2つと比べると比較的普通の町中の写真なのだが……いかんせん被写体が他より気になる。ぼさぼさの黒髪に瓶底の眼鏡は違和感だが、おそらく夏目先輩だ、と思う。ただあの美オーラを格好1つでここまで潰せるのが驚きだった。

 総じて3人とも、俺が知っているのとは様子が異なる表情と格好をしていて、さらに写真の彼女らはカメラの方を向いていない。まるで隠し撮りでもされたのかのように……。

 

「う、うん。春咲と、理沙ちゃん……これは、だいぶ雰囲気違うけど夏目先輩、かな。えーっと、なんで秋月、あー——」

「呼び捨てで問題ありません」

「えっと、なんで秋月がこの写真を?」

 

 写真を返そうと差し出しながら問いかける。

 

「そのことですが――」

 

 その時。

 今度こそ巨大な爆発音がふたつ、連続して学校の方角から響いた。

 数秒遅れて確かに揺れる空気と地面。

 

「な、何が……ッ」

 

 普通ではありえない現象に慄いていると、サイレンの音と共に滅多に聴かない警報が鳴った。夕暮れの街に、少し聞き取りづらいアナウンスの声が響く。

 

『現在、木世津高校内でガス爆発が発生しました。なおこの事故は小規模なもので、怪我人などは出ていません。繰り返します――』

 

 おそらくどっかの役所のアナウンスだろうその報告に、俺は胸をなでおろした。

 

「が、ガス爆発……小規模、けが人も無しか」

 

 ちょっと安心した様子の俺。そんな俺を、秋月は睨むように見ていた。

 彼女が不意に問うてくる。

 

「……気が付きませんか?」

「へ? 何に?」

 

 抽象的な問いに困る俺に対し、彼女は鋭い、ひどく真面目な表情で続けた。

 

「警報のことです。()()()()()()()()()()()。爆発事故が起こってから数分もしないうちに被害状況を確かめて発表するなんて不可能です。つまり今のは、事態を大きくしたくない『誰か』が出させた偽の警報」

「は? 偽?」

 

 思ってもみない話の飛び方に混乱する俺を置いて、秋月は続ける。

 

「本当は気付いているのではないですか? これの他にも、彼女たちとそれを取り巻く周囲には不自然な点があったハズです」

「不自然な、点……」

 

 その言葉は、俺の封じていた思考の蓋を開けるようだった。

 

 ……ずっと考えないようにしていた。頭に引っかかった違和感の数々を。

 曲がり角から飛び出てきて元の方向に戻っていった春咲。その後転校生だと分かって、隣の席で……そして身に覚えのない俺の「幼馴染」を名乗った、赤毛の少女。

 中途半端な時期に引っ越ししてきた理沙ちゃん。思ったより力持ちで、神出鬼没の謎のお父さん(?)が居て……俺をお兄ちゃんと呼ぶ、「妹」ではない金髪の女の子。

 急に部活に来るようになった夏目先輩。美人で、怖いのか優しいのか未だによく分からない……突如現れた「先輩」で、黒髪眼鏡の美人。

 彼女たちとの出会いがここ数日に集中しているという事実。そして彼女たちと出会ってから、俺の周囲で起こりだした怪現象。

 

「……そんな、まさか」

 

 知らず、ごくりと喉が鳴った。

 俺は気付けば、秋月の真剣な目を覗き込んでいた。彼女が俺の違和感への「答え」をくれるのだと直感しての行動だった。

 そうして、秋月は俺の手から写真を受け取ると、テストの答えを告げる教師のように、

 

「この写真に写っている人物……彼女たちは『異能者』です」

 

 そう、告げた。

 彼女は続ける。己の胸に手を当て、見覚えのない敬礼の姿勢を取りながら。

 

「私は人に仇為す異能者を狩る組織『異端審問会』所属の審問官、秋月コノエ。あなたの御父上——進さまに受けた恩に報いるため、あなたを護りに来ました」

 

 夕暮れの空には、太陽を押しのけるように月がその姿を現そうとしていた。

 

 ◆

 

 「粉塵爆発」という現象がある。粒の細かい可燃性粉塵の塊に火がつくと、火が高速で全体に引火し、結果的に大規模な爆発と同じような結果を起こす現象だ。しかしこの「粉塵爆発」、なぜ「燃焼」ではなく「爆発」と呼ぶのか。

 その答えは簡単だ。炎は空気を「叩く」。熱によって温められた空気は膨張し、周囲の空気を押すことで衝撃波を産むのだ。その燃え広がり方が急激であればあるほど、炎の規模が大きければ大きいほど、発生する衝撃波は大きくなる。

 つまり、可燃性粉塵など無くても、何もない空間に高熱かつ巨大な炎を一瞬のうちに生み出すことが出来るなら――。

 

「おら、吹き飛べッ!!」

 

 ——それは、爆発を生み出せるのと同じことである。

 春咲朱里が叫ぶと、爆炎が世界を支配した。目を焼く光、肌を焦がす熱。それに一歩遅れて体ごと耳を震わせる爆発音が鳴り響く。

 

「もう一発(いっぱァつ)ッ!!」

 

 それが、計2回。

 手心も何もない無慈悲な爆撃が炸裂。

 ダイナマイト顔負けの破壊力が、戦況を大きく動かした。

 

 ――春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃。彼女ら異能者の三つ巴の戦いは、現在西棟4階廊下から西棟屋上へとその舞台を移していた。

 

 屋上を埋め尽くしていた爆炎が晴れる。そこには。

 

「耐火装甲半壊、本体損傷率20%……」

 

 融解した盾をアームから切り離す、右肩の制服と肌を焼かれた理沙と。

 

「私の結界内で土人形(ゴーレム)を……! 本当に出鱈目ですね超能力者っていうのはっ」

 

 半身を失くした3メートル程のゴーレムに辛うじて守られた優乃の姿。

 そんな彼女らに対し、朱里は容赦なく追撃を始めた。炎が逃げる理沙を蛇のように追い、守る優乃を獅子のごとく襲う。

 それらの火を完全に操りながら、朱里は叫ぶ。

 

「勝負あったわね! アンタらの異能は所詮『まがい物』!! 魔法や機械を使って超能力を『再現』してるだけ! 現にアンタらには()()がある」

 

 炎による攻撃を続けながら、朱里は敵対する2人の姿を見た。

 アームを使った高速移動で逃げ回る理沙は、銃での反撃もしてこない。半ばで焼け落ちた幾本かのアームから見て、もう回避と攻撃とを同時には行えないのだろう。

 また魔法陣の上に立ちドーム状のバリアで身を守る優乃は、少し息が上がってきていた。それは体力のなさからではなく、脳の内側から湧いてくるような特殊な疲労感ゆえ。

 朱里は勝ち誇りながら続ける。

 

「魔力や残弾・エネルギーってのはワンアクションごとにすり減っていくのよね……その消耗した顔が教えてくれるわ。けれど超能力に発動限界(そんなもの)は無い、感情がある限り使い続けられる……つまり、こっからはずっと一方的な虐殺(ワンサイドゲーム)よ!!」

 

 そう言って炎の勢いを増幅させる朱里。夕闇を遠ざける赤、全てを灰にする熱だけが戦場を覆う。

 彼女に追い詰められながらも、しかし魔術師・優乃は冷静だった。

 

「ええ。確かに超能力は強力ですが、使える異能は1種類。いくら応用が利くと言っても自分の能力を逸脱したことは出来ないでしょう。ですが魔術なら――」

 

 つらつらと述べながら、彼女はドーム状の防御魔術結界(バリア)の中で、手に持っていた本を開いた。

 途端にそこから光の帯のように文字列が飛び出し、優乃の周囲を取り囲む。それは魔導書に仕込んであった魔術であり、効果は限定的な魔力のブースト。

 

「有利不利、残りの魔力量に戦場の状況……その全てを参照し、最も適した魔術(わざ)を選ぶことが出来ますっ」

 

 そうして優乃は――詩を詠うような優美さを、聖書を朗読するような厳格さを、決意を口にするような力強さを以て――魔導書に刻まれた呪文を諳んじる。

 

来たれ(Veni)来たれ(veni)

 海の悪神(Mali maris deus.)ねじれた水(torta aqua.)黒き海に渦巻く怪物よ(Monstrum in Ponto gurgite.)

 我は知識を開くもの(Cognosco et utor cognitionis.)我は知識を閉ざすもの(Ego sum verus cognitionis successor.)

 目覚めよ(Expergiscimini)目覚めよ(expergiscimini)

 汝つかの間の自由望むなら(Si libertatem momentaneam desideras,)破滅を叫びて現世を飲み込め(ex- clama fata et deglutire mundum.)——」

 

 あまりの空気の変容に、場が異界となったかのようだった。

 優乃を中心に渦巻く魔力はやがて収束し、空中を漂いながら現実へと顕現するためのカタチを持つ。

 その色は水。その姿は竜。

 其は荒波の化身にして、全てを飲み込む災禍の顕現――。

 

大賢者の魔導書(Grimoire of Magus)、41章35節——『海竜の召喚(Ira Leviathan)』」

 

 大魔術の完成により世界が軋む。それは怪物の咆哮に似ていた。

 

 そして水の竜は全てを飲み込まんとあぎとを開き突進を始める。

 河の流れのように体を分かち、8割は朱里の方へ、残った2割は理沙の方へ。優乃を襲っていた炎を容易く飲み込み消火し、そのまま"本流"は朱里に襲い掛かった。

 

 流石に顔色が悪くなった朱里は叫ぶ。

 

「炎に水って、ゲームじゃないんだからッ!!」

「でも効果的でしょう?」

 

 咄嗟に展開された巨大な炎の壁と、水の竜が激突した。

 ジュワアアアアッ!! という水が蒸発する音が爆発音のように響く。ただやはりと言うべきか、徐々に押されているのは朱里だった。水の勢いが炎を飲み込んでいく。

 

「こっのおぉぉぉぉぉッ!!」

「ふう。ちょっと危なかったけどなんとかなりそうです」

 

 ド派手な魔術をコントロールしながら「ポ〇モンも馬鹿に出来ませんね」と呟く優乃の横に、カランと何かが転がった。

 

「?」

 

 それは手のひらサイズの鉄の筒のような物体。

 優乃がそれについて何らかの感想を持つ暇も無く――。

 

「強化スタングレネード、作動」

 

 理沙の声を最期に、音と光が全てを吹き飛ばした。

 

「「――!!?」」

 

 驚愕もすでに遅く。

 何も見えず聴こえない世界に閉じ込められてしまった朱里と優乃。目は真っ白な閃光に眩み、耳は鋭い音に耳鳴りで何も聞こえなくなる。

 

「(な、目が――)」

「(しまった、集中を乱した! 魔術が消える――)」

 

 炎の壁も水の竜も消滅。

 そのまま碌な動きを取れなくなった2人だったが、この場所にて動く者が居た。

 

 それはゴーグルのような真っ黒なアイバイザーを装着していた理沙。今しがたスタングレネードを投げた彼女はバイザーを外しながら、動きの止まった朱里と優乃に銃口を向ける。

 

「科学は、最も実用的で効率的。敵対存在を排除するのには魔法も超能力も要らない。銃弾一発で人体は活動を停止する」

 

 ズガガガガ!! と銃声が響いた。乱射される鉛玉は鋼鉄の嵐となって、照準の先の異能者2人に降りかかる。

 方や超高温の炎と勘頼りの蜃気楼で防ぎ、肩や防御用の魔術と植物で全方位を防御するも、足元すら見れない状態で取れる守りは不完全と言わざるを得ない。そのまま鉛玉の的となった彼女たちは、かろうじて急所は守れているものの、毎秒ごとに傷が増えていく。

 今や屋上に響くのは銃撃音と理沙の語りだけ。

 

「消耗なんて関係ない。本物か偽物かはもっと関係ない。技術とは全てが先人を模倣した偽物で、全てが人の役に立つ本物。そして私には、敵を殲滅するのに必要な技術が全て搭載されている」

 

 しかしここで、弾を乱射していた銃身(バレル)の両方が異音と共に破損した。片方はあてずっぽうで放たれた炎の熱によって変形したことで弾詰まりを起こし、片方は傷つけた物を自動で襲う呪いによって銃身を歪まされたのだ。

 

「……まだっ」

 

 理沙はすかさずブレードによる白兵戦を仕掛けようとして……しかしその攻撃は、勘が良い朱里のあてずっぽうの炎と、独自の意思を持ち主を守る植物に阻まれてしまった。

 その隙に、徐々にではあるが2人は視力聴力を取り戻していた。

 

「見えて、きたわ……クッソ、アンタら絶対燃やしてやるッ」

「いっつぅ……目がチカチカする。ですが、ここで死ぬ訳にはっ」

 

 それに対し、理沙は油断なくブレードを構える。

 

「……戦闘演算、再開。脅威度を再計算」

 

 窮地を脱した2人と、優位を失った1人。

 三者三様に消耗しつつも最低限体勢を立て直し、再び激突しようとそれぞれが足を踏み出した時だった。

 

 ――ぞあ、と。

 

 強烈な悪寒が3人を包んだ。

 戦闘中の研ぎ澄まされた警戒心故に拾った危険信号。己に向けられた視線、その元を全員が無意識で特定する。

 

「「「!?」」」

 

 三人は弾かれたように一斉に一点を――悪寒の先、屋上のさらに上、給水タンクの方を見上げた。

 そこに、居たのは。

 

「やっほ~、派手にやってんね~。3人とも傷だらけだし。ウケるわ~」

 

 鬣のような藍色の髪、露出の多い派手な恰好の女が、月を背負って其処に居た。薄闇で金に光る双眸が、にやにやと不気味に嗤っている。

 されど重要なのはそこではない。

 

 彼女には異常な点がふたつあった。ひとつは、頭頂部から髪の色と同じ獣の耳が生えていること。音を拾うように動くソレはどう見ても血が通っていて、取って付けた偽物には見えない。

 そしてもうひとつは――自身の身の丈を超える大きさの、漆黒の剣を持っていること。その剣から放たれる威圧感、纏った死臭の濃密さたるや、死地に慣れた異能者でさえ息を詰まらせるほどだった。

 その剣の名を、伝説を、その場の全員が知っていた。

 

「——魔、剣……?」

 

 それは誰が言ったのか。自分の声か、他人の声か。今やそれが分からない程に、場の空気は張りつめていた。

 こちらを見下ろす新たな乱入者を除いて。

 

 魔剣を握った謎の女――『魔剣士』は、まるで友人に話しかけるような気安さで緊張の中口を開く。

 

「3人とも異能者っぽいし、質問おけ? ウチさぁ、探してる人いんだけどね? 写真は持ってんだケド、なんか全然見つからなくて。もう超萎え~でさ、1人で探すの諦めちゃった」

 

 あまりにも軽い口調と態度。頻繁にこちらから目を放すオーバーな仕草。

 そんな相手にも油断なく警戒を続ける3人は、次隙を見せれば軽く攻撃でもしてみるかと身構えて――。

 

 獣の眼光が、縦に裂けた金の瞳孔が、その思考を咎めるように三者を射抜く。

 

「だから訊きたいんだケドぉ……アンタらさァ、『四季巡』がドコにいるか知らにゃい?」

 

 ――その時、彼女らは初めて気づいた。場に満ちた緊迫感の理由を。彼女のおちゃらけた顔の裏に、おぞましいほどの殺意が隠されていて、それがじっとりとこちらを見つめている事を。

 

 そう、確かに3人とも気圧された。

 首元に刃物を突き付けられたかのような殺気に膝を屈しそうになった。皮膚が泡立ち、喉が締まり、足から一瞬力が抜ける。

 だが。ざり、と全員が気力を振り絞って床を踏み、膝を屈することを拒んだ。

 

 そして、動いたのは朱里。プライドの高い彼女は己が気圧された事実が許せず、乱入者を睨み返しながら赤毛を逆立てる。

 

「ッは、言うワケないでしょコスプレ女!!」

 

 空気が乾く。怒りが紅蓮を招来する。

 

「"燃えろ"ッ」

 

 狙いは給水タンク上の魔剣士。ぴくり、と彼女の獣の耳が動く。牙の生えた口が獰猛に開く。

 

「ふぅん。言いたくないならぁ――」

 

 言い終わる前に、炎が、魔剣士の胸元で弾け――。

 冷たい声が、炎を切り裂くように。

 

「——死んでイイよ」

 

 斬。

 

「え……?」

 

 朱里の口からそんな声が漏れた。その目が下へと動き、噴き出る赤い色を見る。

 

 ――漆黒の刃が、朱里の体を袈裟切りにしていた。

 

「あッハァ……!」

 

 刃を振るった獣が、肉を断つ手応えに深く嗤う。

 黒い三日月状の斬撃の軌跡が消えると同時、朱里に刻まれた傷口から鮮血が散った。

 

「(速、見えな――)」

 

 そんな思考すらもはや追い付かず。一瞬遅れて胸を腹を貫く激痛に、彼女の思考は千々に千切れた。

 

 どさり、と。

 朱里の体が力なく倒れる。倒れた体からどくどくと赤い血が流れ、制服を床を汚していく。1秒、2秒、それと同じ光景が平坦に続く。

 それきり、朱里が動くことは無かった。

 

 他の反応は数秒遅れた。

 

「「――!!」」

 

 理沙と優乃は戦慄する。

 警戒はしていた。けれど気付いたときには魔剣士は朱里の前にいて、自分たちが苦戦していた超能力者の体をやすやすと切り裂いていた。

 

「(目にも留まらぬ異常な速度、身の丈より大きい武器を容易く振るう膂力――これが伝説に謳われた魔剣の力……!?)」

「……戦闘演算再構築。敵のデータを入力、勝利の可能性、は――」

 

 そんな理解の埒外と出会った思考の空白の中。

 2人の目の前の女は刃についた血を指で拭うと、それを恍惚の表情で舐めとった。血の赤で汚れた舌を見せながら笑うその表情は、殺戮を愉しむ獣そのもので。

 

「あー、やっぱ血ってキレイだよねぇ。その人のフダン見えない一面っていうのかな? そういうのを独り占めできるユーエツ感、トクベツ感……無くなると死んじゃうからこそ映えな、エモいエモぉいキレイな赤」

 

 その声もやはり、狂気の快楽に濡れている。

 月下、人を斬る人に似た獣は嗤う。それは異能者からしてもどこか現実離れした光景で、見る者の冷静な思考を許さなかった。反撃も逃走も脳の片隅にすら浮かんでこない、そんな異常なる光景だったのだ。

 

 そして、魔剣士がこちらを振り返る。

 獲物を睨むその双眸は、金色の殺意で夕闇を裂いた。

 牙を持つ口が楽し気に踊る。

 

「——ね。ふたりの血も、見せて?」

 

 死。

 それを予感したものの、もはや身構える猶予も覚悟する余裕もなく。

 

 漆黒の刃が2度振るわれ、ほぼ同時に赤い血が飛び散った。



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⑧-2 4月8日(水)・舞台裏

 ◆

 

「異能、者……」

 

 ぽつり、呟く。

 それは世界の陰に潜む、常人の域を逸脱した存在。

 超能力、オーバーテクノロジー、魔術等——そういったものを身に着けた人達が、俺が持つ「情報」を狙っているらしい。

 

 それを説明された俺、四季(しき)(めぐる)は……正直、まだ半信半疑だった。

 荒く頭を掻きながら、今しがた俺に「異能者」についての説明をしてくれた秋月(あきつき)コノエに質問する。

 

「あー、そのさ。秋月はその超能力的なの使えるわけ?」

「いいえ。私は非異能者です。異能者は基本的に自身と同じ能力者が居る『陣営』に行くので、審問官はほとんどが異能を持たないか、ごく微弱な異能しか持ちません。ですがご心配なく、護衛能力には何の問題も――」

「ああいや、ゴメン、そうじゃなくてさ。その、要するに……異能ってやつを、『今・ここで・直接』見るのは無理なのかなー、と思って」

 

 その言葉に、秋月の鉄面皮が初めて崩れた。僅かに不服を覗かせながら彼女は言う。

 

「……疑われているのですか」

 

 じと、と少しだけ睨むような視線に、俺はちょっと気まずくなりながらも、

 

「まあその、正直ね」

 

 頭を掻きながら、そうひとまずの結論を提示した。

 

「確かに不思議なこといっぱいあったし……消しゴムとか謎弁当とか。それに、あんな可愛い女子たちと俺なんかが親しくなれたのは解せなかったけどさ……それでも『異能』ってのはなんていうか、キャパオーバーだ。悪いけど、中学生1人の言葉だけじゃ信じられない」

 

 そう。俺はこれでも16年間、普通の社会で生きて来た普通の人間。そりゃあ超能力とか魔法とかに憧れた時期はあったし、なんなら今も「あったらいいな」くらいは思っているが……それが真面目な顔で「ある」と言われても、やっぱり信用は出来ない訳で。

 そう俺が言うと……秋月は少し目を見開いて、半ば独り言のように呟いた。

 

「……ではあなたが持つ『情報』とは、異能に関わるものでは無いのですか」

「ていうかそこなんだよな。俺、別に異能者が喜ぶ情報なんか持ってな――」

 

 その時。

 

 ぞわ、と背筋が泡立つ。

 

 まるで猛獣に背中を睨まれているような、そんな不気味な感覚が俺の全身を襲った。秋月に抱いた、道端に落ちたナイフを見たときに似た警戒心(それ)とは桁が違う。日本刀を首筋に突き付けられたのではないか、そう直感するほどの悪寒。

 

 俺は弾かれたように視線の先を振り向く。そこには。

 

「やぁ~っと見つけたァ」

 

 月を背にした金色の眼が、此方をじっと見つめていた。

 目のやり場に困る格好をした、鬣のような紺色の髪の女性。それが"電柱の上"に肉食獣を思わせる格好でしゃがんでいた。更にどういう原理なのか、その細い右腕が俺の身長くらいありそうな巨大な剣を棒切れか何かのように持っている。

 それは俺にとって、余りにも現実離れした光景だった。

 

「な、電柱の上(あんなとこ)に、人が……!? それになんだあの剣、あれ持ってどうやって登ったんだっ?」

 

 驚愕と疑問の狭間で混乱する俺の横で、秋月は身構えるように身を沈める。

 

「あれは……ッ!」

 

 彼女の声が一段低くなった。それはやはり、熱を持たない刃のようで。

 

「巡さま、『異能』を直で見たいとおっしゃってましたね」

「お、おう……あとその、『サマ』は止めてくれない? めっちゃムズムズします」

「承知しました、では『先輩』で。話を続けますが――あれが『異能者』です」

 

 あの人が――そう思って視界を再び電柱の上に向ける。

 しかしそこには既に誰も居なかった。

 

「『異能者』呼びは止めてよぉ中学生ちゃん。誰だってさァ、『女』とか『学生』とか、肩書で呼ばれたらムカつくっしょぉ?」

 

 背後に。

 

「な」

 

 俺と秋月の間に、まるで最初からそこに居たかのように彼女は居た。

 悪戯が成功した子供のように、にま、と笑い。そのまま彼女は軽い口調で自身の素性を明かす。

 

「——やっほーはじめましてメグルっち。ウチは藍華(アイカ)・ヴァレンタイン。ハーフで、魔剣士で、ギャルだよ。凄いっしょ?」

 

 金に光る目を細めて笑うその顔は、何処かネコ科のそれを思わせる。えくぼを見せて笑う口の端には八重歯――否、牙。他の印象が無ければ「天真爛漫」と言えそうな容姿と仕草も、今はヒトではないナニカがヒトを演じているようで、ただ恐怖を掻き立てる。

 突如背後を取られたこともあり、その軽い口調の自己紹介などまったく頭に入ってこない。俺の思考は「どうやって」で一杯だった。

 思わず、口から荒唐無稽な言葉が漏れる。

 

「い、異能……瞬間、移動??」

「ヤだなぁ、そんなんじゃないよ」

 

 そう笑うと、アイカと名乗った少女は――ズガン!! とコンクリートの地面を蹴りぬいた。

 衝撃に体が揺れる。轟音に体が硬直する。道路に蜘蛛の巣状に罅が入り、地面が数センチほど陥没した。

 

「……え」

 

 明らかに常軌を逸した脚力。けれどその露出している細い足は、こんな破壊を起こせるようには到底見えない。

 彼女は今起こした蛮行を誇るように笑いながら言う。

 

「さっきのは()()()でぇ、ジャンプして登って、ジャンプして下りてきただけ。この剣、『魔剣ダーンスレイヴ』を持ってるとチカラが沸いてきてさ~、こんなコトも簡単にデキちゃうワケよ」

 

 耳も生えるんだよカワイイっしょ? と頭の上の物体をピコピコと動かしたとき、俺はようやくそれが獣の、それも「生きている」耳だと認識できた。

 巨大な剣、異常な身体能力、そして「耳」。

 頭ではなく、肌で感じた。

 

 ――()()()じゃない。これが、異能者。

 

 16年信じ続けた「常識」が崩れ去る中、何も言えなくなった俺に魔剣士?のアイカは顔を近づけてくる。

 

「でさぁ、ウチ魔剣士で、サークルのために色々やってて~。お、写真通り。やっぱりキミがメグルっちだ」

 

 彼女はスマホで撮ったらしい写真とのけぞる俺の顔を見比べる。そのとき初めて、その顔に手にスマホに血が付いているのが分かった。

 鼻をツンと刺す、鉄錆の匂い。それを握る得物から香らせながら、アイカは何でもないように言う。

 

「だからさ~メグルっち……大人しくウチに攫われてくんない?」

「え――」

 

 そうして、彼女は血で濡れた手を俺の方へ伸ばし――。

 

 ガギィン!! という甲高い音と共に、火花が散った。

 ぺろり、とアイカが舌で唇をなぞりながら目を細める。

 

「ありゃ、アンタも()()()()()()()?」

 

 見れば、巨大な漆黒の魔剣が銀色のナイフを受け止めていた。

 そのナイフを突き出しているのは――秋月、コノエ。

 

 彼女は硬質な声でアイカを刺すように言う。

 

「……一般人への異能漏洩及び拉致未遂。異端審問会の規定により、あなたを拘束します」

「アハ、嘘が下手だねぇ。どーせメグルっちのボディーガードかなんかでしょ?」

 

 目が。2人とも目が笑っていなかった。肉食獣のような視線と刃物のような視線がぶつかり、武器と一緒につばぜり合っているのが分かる。

 ふと。アイカが上を見上げた。

 視線から逃げたという感じではない。彼女の目が捉えたのは、夕の終わりを飾るような薄色の月。

 

「まだ夕方だけど、月が出てるね」

「……」

「綺麗だから、殺しちゃお!!」

 

 言うやいなや、超速で魔剣が振るわれた。巨大な刃による攻撃は、「斬撃」と形容するより「黒色の破壊」と呼ぶ方が似合うほど。

 漆黒の颶風が吹き荒れ、攻撃の軌道上にあった壁がやすやすと両断される。

 

「――ッ」

 

 しかしその一撃を秋月は身をかがめることで避けていた。そのままバネのように勢いよく体を跳ねさせ、ナイフで敵の喉元を狙う。

 

「おっと危ない、お返しッ!」

 

 それを魔剣で受け止めたアイカが今度は攻撃を繰り出し、それを秋月は身を捻ることで回避し――気付いたときには、俺の目の前で超高速の白兵戦が展開されていた。

 ナイフと魔剣が交互に突き出されながら、刃が肉体が、そして言葉がぶつかり合う。

 

「『四季巡』に手を出せば、超常殺しが黙ってませんよっ!」

「あっは、1年も行方不明なんだし、もう死んだっしょぉ。それにウチの陣営(サークル)はどうせ弱小だしぃ、一発逆転の大博打も楽しいと思わない?」

「くっ、愚かな!」

 

 なんだ、コレは。

 彼女たちの戦いを見せつけられた俺の胸中を占めたのは、超ド級の困惑だった。

 それは、そのあまりにも人間離れした戦いの様子に、ではない。

 

「(()()()()()()。2人とも、100%『殺す気』で斬り合ってるッ)」

 

 ――「殺し合い」の世界。それは俺にとって、余りにも遠い存在だった。

 当たり前だ。今までの人生で「他人を本気で殺そうとしたこと」なんてない。「殺されそうになったこと」もない。そんなのはニュースや新聞で流し見て、「こんなことがあるんだ、怖いなぁ」と他人事のように思い、そして数分もすれば忘れる。殺し殺されなんてのは画面や紙面の奥の出来事で、決して現実に出張ってくることは無い。それが俺の世界の常識だった。

 けれどその常識が、目の前の「殺し合い」に現在進行形で壊されていく。

 

「(喉を狙った! それが当たれば死んじまうんだぞ! な、今の秋月の腹に掠って――あの異能者の攻撃なんか、何喰らっても一発アウトじゃないのかッ!? 殺されるのが怖くないのかよ、殺すのが怖くないのかよッ! なんで殺し合えるんだよ、なんで……ッ)」

 

 足が竦んで動けない。

 少しでも動けば、途端に2人のうちのどちらかがこちらを向いて襲い掛かってくるのではないか。一言でも声を掛ければ、それによって何かが起こり勝負の行方が決まってしまうのでは。そんな強迫観念じみた思い込みに頭を支配され、俺は息を吸うことすら忘れていた。

 だがそれは、恐れた通りの結果を呼び寄せる原因になってしまった。

 

 俺の喉から何かが込み上げ、俺はそれを止めることが出来ず咳き込む。

 

「が、ゴホッ、ゲホガハっ……!」

 

 呼吸を忘れた結果、むせてしまったのだ。

 口を押えて止めようとするが、一度むせると収まるまでは己の意思では止められない。そして俺の異常は秋月にすぐさま伝わってしまった。

 

「巡先輩ッ!?」

 

 秋月の焦ったような声。なんとか手の平を向けて大丈夫だと訴える。

 

「あら、ウチじゃないよ~。てかそっち見ててイイのか、にゃッ」

 

 対称的な軽い声音と共に振り下ろされる刃。絶死の一撃を髪の毛先が巻き込まれるほどの紙一重で躱し、秋月はナイフ片手に敵に向き直る。

 

「もうおまえの動きはッ」

 

 そのまま秋月は一歩前へ。魔剣は振り切っている。カウンターの要領で、自分のナイフが突き刺さる方が早いと判断して、

 

「(だ、駄目だ!)」

 

 俺の思いなど届くハズも無く。

 秋月の鳩尾(みぞおち)に、アイカの蹴りが突き刺さった。

 

「かはっ――」

「ゲホっ……あ、秋月ッ!!」

 

 まるでサッカーボールみたいに、バウンドしながら道路を3メートルは吹き飛ぶ秋月の体。俺の脳裏にアイカがアスファルトを蹴り砕いた場面が浮かび、背筋が凍った。あんなの、まともに喰らえば即死だ。

 顔を青くする俺、倒れた秋月に対し、アイカは蹴りの為に脚を上げた姿勢のまま猫のように笑う。

 

「『見切った』ってぇ? 残念(ざんねぇん)、蹴りでだって人くらいまっぷたつにできる――」

 

 ぽたり、と血が道路に落ちた。その出所は秋月では無く、アイカ。彼女の蹴りぬいた姿勢のままの長い脚、その太ももの辺りに浅い切り傷が刻まれている。

 アイカは血が滴る己の傷を見て、余裕こそ崩さないもののその笑みを消した。

 

「ありゃ、やるね」

 

 数秒前。蹴りを入れられた一瞬の間に、秋月は狙いを急所から足に変更。浅い傷ではあるものの、なんとか痛み分けに持って行ったのだ。

 アイカはそれに、と続ける。

 

「蹴った感触。腹に鉄板かなんか入れてるっしょ? ボディーガードちゃん」

 

 その言葉を証明するように、倒れていた秋月が震えながらも立ち上がる。

 

「……っ。ふぅ、ふぅ」

 

 ごとり。秋月の足元に何かが落ちた。

 それは「拳銃」。正真正銘、普通の人間が生み出した普通の武器である。

 だがよく見ると、その拳銃は大きく歪み破損している。つまり、懐の銃が偶然アイカの蹴りを受け止め衝撃をある程度殺したのだ。

 それを見て、分かりやすく腑に落ちた様子のアイカ。

 

「にゃるほど。ま、異能者に挑むんならフツーに持ってるよね、現代武器(そういうの)。う~ん、やっぱキミ危ないかもねぇ、さっきの3人組よりずっと。キミの血も見てみたいケド窮鼠なんたらっていうし、()()()()()。今日無理する必要はないかな?」

 

 そう言うと、アイカは獣のような俊敏な動きで再び電柱の上に登った。

 登場時と違い細い足場の上で直立しながら、彼女はこちらを見下ろして口を開く。

 

「15日にまた来るよ、メグルっち。今度は『お土産』を持って」

「お、お土産……?」

 

 思わず俺が訊き返すと……月を背景に、その顔が狂気の色に染まった。藍色の髪を夜風に揺らし、彼女は牙を見せて嗤う。

 

「うん。赤毛に金髪に黒髪に……ガールフレンドを()()()()()の。目の前であのコたちの腕とか足とか斬っていけばさァ、優しいメグルっちは情報吐いてくれるっしょ?」

 

 それが、春咲、理沙ちゃん、夏目先輩……彼女らの事を言っているのだと分かった瞬間、ぞっと全身が総毛立つ。言っていることもその表情も怖い。だが何より怖いのは、彼女の発言は「本気」であると、はっきり分かってしまうことだった。

 

「じゃあね~、また満月の日に☆」

 

 軽い挨拶を最後に、どこかに「飛び去った」魔剣士の姿を、俺は身動き一つできずに見送っていた。

 全身を包むのはやはり恐怖、そして少しの困惑。足が地面に縫い付けられたかのように動かず、俺は暫く立ち尽くしていた。

 

「めぐる、先輩……」

 

 弱弱しい声。

 その声を聴いた瞬間正気に戻る。

 

「あ、秋月っ! 大丈夫か、ケガは!?」

 

 俺は秋月の元に駆け寄って様子を見る。彼女は膝を付きへたり込んだような状態のまま、なんとか立ち上がろうと地面に手を当て藻掻いていた。実際どの程度の毛がかは分からない。喋れる程度の元気はあるみたいだが。

 

 彼女は途切れ途切れの声で答える。

 

「はい。ダメージは少しっ、ありますが、致命傷ではありません。ラッキー、でした。首か胸を蹴られたら、多分一撃で……いえ、何でもありません」

「そ、そっか……」

 

 発言内容に、銃を持っていた「審問官」という職業。

 流石に何を言っていいか分からず、俺はもう誰も居ない電柱の上を見ながら話題を変える。

 

「てかなんでアイツは逃げたんだろうな? 満月がどうのとか言ってたけど……」

 

 すると、秋月は大真面目にその話題に乗って来た。

 

「おそらく、奴の魔剣の特性です。『魔剣ダーンスレイヴ』……それは持ち主に『人狼』の力を与えると言われています。そして人狼、狼男といえば満月。きっと満月に近い夜であるほど奴は力を増すのでしょう」

「な、なるほど。秋月が思ったより強かったから、自分が有利な満月まで待つつもりか……あんなバケモノが今より強くなるなんて、正直想像したくないな」

 

 にしたって、まるでゲームかアニメの設定だな。剣が力を与えるとか、満月のとき強くなるとか……。

 俺がそんなことを考えていると、秋月の表情が少しだけ和らいだ気がした。

 

「異能の事、信じていただけたようですね」

 

 ……言われてみれば、俺はもう「異能」の存在を疑ってはいなかった。

 

「……まぁ、目の前で見ちゃったからな。てか春咲たちも"アレ"なのか……。そう思うとなんていうか――」

 

 言いながら。

 俺の脳裏に電流が走った。

 

「ちょっと待て」

 

 頭の中で、バラバラの情報が点滅する。

 「血、恐らく返り血の付いた手足」「『さっきの3人組より』」「春咲、理沙ちゃん、夏目先輩の髪色を知っている」「学校で起こった爆発音」「秋月から教わった、異能者同士の抗争」……。

 あらゆる情報が繋がっていく。

 

「アイツ、もしかして……ッ」

 

 ――俺たちと出会う前、あの魔剣で春咲たちを斬ったのではないか。

 流石に声には出来なかった。

 だが、その妄想でしかないはずの仮説が、俺の中でどんどんと信憑性を増していく。

 ずきり、痛むのは心。俺の心に食い込んだ関係という名の糸が、俺に「速く動け」と囃し立てる。

 

 もう居てもたっても居られなかった。

 

「……クッソ、頼むから勘違いであってくれよ!!」

「!! 先輩、どこへ!?」

「ごめん秋月、ちょっと待っててくれ!」

 

 俺は立ち上がり、走り出す。怪我人の秋月を1人置いていくのは少し気がかりだが、それでも止まることは出来なかった。

 

「学校だ! 多分春咲たちはそこに居る!!」

 

 日が暮れ闇に染まる世界の中、俺は慣れ親しんだ通学路を必死に走った。

 

 ◆

 

 木世津高校西棟の屋上で、「魔剣士」藍華・ヴァレンタインは頭を掻いた。

 

「あっれぇ、3人ともどこ行った~?」

 

 屋上には夥しい量の血痕が残されていた。インク缶をぶちまけたような屋上の床にはしかし、それを流した3人の少女の姿が無い。

 藍華は頭を掻きながらぼやく。

 

「交渉材料にする予定とはいえ、半分くらい殺すつもりで斬ったんだけどにゃ~。ちょい萎えだぁ」

 

 だが、追跡もまた容易。彼女の持つ魔剣ダーンスレイヴは、所有者に「人狼」の力――人の持ち得ない獣の力を与える。それは魔剣を片手で振り回す膂力だけではない。狼の鋭い五感――特に強力な嗅覚の再現も可能なのだ。

 藍華は鼻を動かし、獲物の匂いを追跡しようとして……。

 

 ヴ、と彼女のポケットの中のスマホが振動した。

 藍華は何事かとスマホを取り出し……そして目を見開く。

 

「え、ヤバ! EGOがミンスタライブやってるじゃん! すぐ帰って見ないと――」

 

 喜色のこもった言葉が不自然に切れる。

 彼女は視線をスマホから血みどろの屋上へと戻し、やっぱりスマホに戻し。

 

「ま、いっか☆ かくれんぼとかメンドいし! 満月じゃなくてもボコれたしぃ、また今度満月になったら捕まえに来よっと!」

 

 あっけらかんと言い放って、彼女は追跡を諦めた。魔剣を持ったまま軽やかに跳躍し、その姿は夜の闇の中に消えていく、

 脅威は去り、屋上には静寂が戻った。

 

 

 その場所から扉1枚隔てた、屋上への階段にて。

 

「……」

 

 そこには満身創痍の春咲(はるさく)朱里(あかり)冬野(ふゆの)理沙(りさ)夏目(なつめ)優乃(ゆうの)が階段や踊り場にて身を投げ出していた。全員深い刀傷を負い、息も絶え絶えに倒れている。

 

 特にひどいのは朱里だった。

 

「(土壇場の蜃気楼で間合いを数センチ見誤らせたのはいいけど、それでも傷が深すぎた……クソ、()()()()()()けどこの痛み、死ぬよりよっぽどキツイわね)」

 

 数分前。袈裟切りにされ、手も足も動かせないまま失血死を待つだけだった朱里は、どうせ死ぬのならと賭けに出た。胸から腹にかけた巨大な傷口を超能力で"焼く"ことで強引に止血し、一命をとりとめたのだ。だがその代償として、彼女の体は大きな火傷で酷く爛れていた。

 

 もはや火を出すことも出来ず、痛みによる気絶と覚醒を繰り返す彼女に比べれば、他の2人はまだマシといえた。

 

「(日本刀も防ぐ強化防刃繊維の制服(そうび)と、アームによる縫合手術……完治はしたけど失血量が危険域。応援が来るまでは下手に動けない)」

「(念のため仕込んでおいた、藁人形にダメージを移す身代わり魔術がなければ死んでいましたね……魔力が足りず半分くらいはまともに受けてしまいましたが)」

 

 それでも例にもれず燦燦たる有様で、無防備な敵に攻撃はおろか自力で動くこともできない。夜明けで命が持つかさえ怪しいと言えた。

 満身創痍で荒く浅い息を吐き、敵も味方も無くただ同じ場所で倒れる三者の間を奇妙な沈黙が支配する。

 

 と、そんな場に沈黙を破る者が居た。こちらに向かって、誰かが慌ただしく階段を駆け上がってくる音がする。それと共に、徐々に鮮明になる声。

 

「――るさく、春咲! 理沙ちゃん! 夏目先輩! 誰でもいい、居たら返事してくれ!」

「(四季、巡……? なんで、ここに)」

 

 声は下から上に近づいて来る。

 

 やがて声の主――四季巡は、屋上に繋がる階段に辿り着いた。

 その目が遂に3人の姿を見つける。

 

「あ、居た! よかった、無事か――」

 

 安心した巡の表情はしかし、一瞬のうちに塗り替わった。

 

「血、血が……は、春咲ッ、その傷は……」

 

 3人が倒れこむ床に血だまりができていることに、春咲の焼き切れた制服の隙間から覗く痛々しい火傷に、巡の表情は嫌な汗と共にみるみるうちに歪んでいく。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 足を縺れさせながらも階段を駆け登った彼は、最も近くに居て最も重症に見えた朱里に駆け寄った。

 その瞬間鼻腔に飛び込んでくる血の匂い。さらに目の前、朱里の火傷傷の細部が見えてしまう。黒と赤に焦げた肉。傷口から覗くてらてらしたピンクと白色。それは巡にとって、とてもショッキングな光景だった。

 

「う……っ」

 

 反射的に巡の口から何かが込み上げる。暗い夜の学校の踊り場、視界の悪さで傷がよく見えないのは幸運だった。もしも周囲が明るければ、巡はその場で吐いていたかもしれない。

 

「――、とにかく救急車を」

 

 一瞬である程度の冷静さを取り戻し、ポケットからスマホを取り出した巡。

 その震える手を、朱里が掴んだ。予想外の力に通報を止められ、巡は倒れる彼女へと視線を向ける。やはりその様は見るも無残な重傷体。

 

「春咲! ちょっと待ってろ――」

「……あ、ぐっ」

 

 息も絶え絶えの彼女は何かを喋ろうと口を開き、しかし痛みに顔を歪める。

 

「春咲っ」

 

 痛々しい声に思わず通報すら忘れ顔を覗き込む巡、彼と朱里の目が合う。

 そして朱里は……場にそぐわない、無理矢理な作り笑いで言葉を紡いだ。

 

「……あー、めぐる、くん。だいじょうぶ、だから」

「な、大丈夫な訳ないだろっ」

「ぜんぜん、へいき。だから、帰って。ね?」

 

 掴んでいた巡の手を放し、にこり、と朱里は笑う。その笑みが拒絶の笑みであることは、流石に巡にも察せられた。彼女は優しい言葉で、無理矢理の笑顔で、「これ以上踏み込むな」と言っているのだ。

 

「……っ」

 

 だが、巡はその言葉に従えなかった。

 糸が。春咲との関係(いと)、理沙ちゃんとの関係(いと)、夏目先輩との関係(いと)。それが、己をこの場を縛り付けている。離れられなくしている。

 踏み込むな。帰れ?

 

「……いや、でも。ダメだろ、それは」

 

 ああ、あるいは彼女たちと初対面だったのならそうしたのだろう。だが現実はそうでは無く、四季巡はこの場で死にかけた三人のことをどうしようもなく知っていて。

 その事実が、情が――即ち関係という名の糸が、その選択を許さない。

 

「見捨てて行くのなんて、俺には、出来ない」

 

 結果、彼は朱里の言葉を無視する形で残ることを選んだ。選んで、しまった。

 朱里の表情を確認しないまま、巡は半ば正気を失したようにぶつぶつと思案を巡らす。

 

「なにか、出来ないか。救急車がダメなら……あ」

 

 そのとき、脳裏に閃くものがあった。口からするりとキーワードが抜け出る。

 

「『異能』!」

 

 それは秋月から知らされた真実、魔剣士に見た超常の力。それさえあれば、と俺の思考は熱に浮かされたように踊る。

 

「よく分からないけど、3人とも『異能者』ってヤツなんだろ!? なら無いのか、怪我を治す魔法とか、そういう、の……」

 

 だが、ここで巡は気付いたのだ。

 その舌を思考を回させていた熱を鎮火させる、春咲朱里の表情に。

 それは諦めたような、憤るような、そんな喜色とはかけ離れた冷笑だった。

 

「そっか。バレた、のね」

 

 軽い口調の筈なのに、何よりも重く腹に響く声だった。

 がつんと頭を殴られたように何も言えなくなる巡の前で、朱里はなんと階段の手すりに手をかけ、立ち上がろうと力を入れた。

 

「ぐ……」

「ちょ、春咲……っ」

 

 脚を震わせ、脂汗を流しながら苦悶の声を漏らす朱里に、巡は咄嗟にその体を支えようとして。

 朱里がキッと彼を睨む。巡の視線に、紅蓮の怒りを湛えた視線がぶつかって。

 ――炎が。

 種火も無く薪も無く、突如として虚空を炎が焼いた。その虚空とは巡の眼前、睫毛を焦がすほどの至近距離で。

 

「うわっ!」

 

 反射的に巡はのけぞり、そのまま踊り場に尻もちを付く。突如現れた炎に恐慌する彼に対し、朱里は苦痛の残る怒りの表情で吐き捨てる。

 

「『コレ』で、傷が、治るって?」

「え、あ……」

 

 怒りの声。聴き慣れないそれがざくりと鋭く胸を刺す。

 そして巡は、今更に気付いた。

 

 『見捨てて行くのなんて、俺には、出来ない』。そう言って、それを選んだはずだった。だがそれは覚悟を持って決断した答えでは無く、己の胸を裂くだろう痛みから逃げる為だけの消極的な選択。それでは何も為せないのだと――情に縋った安い正義感とペラペラの意志では、残った所で出来ることなど無いのだと気付く。

 ――踏み込むな。帰れ。ああ、それこそ唯一の正解だったのだ。自分が選んだ選択肢は、一から十までどうしようもなく間違いだった。四季巡が選んだのは、己が傷つきたくないがために相手を巻き込む最悪の選択で。

 

 朱里が遂に立ち上がり、階段の手すりに体重を預けながら、否、壁に肩を押し付けるようにしながら階段を下りだす。苦悶の息を漏らしながら、それでも巡に背を向けて、一歩、また一歩と。

 

「その、」

「ついて来るなッ」

 

 往生際悪く伸ばした手も、鋭い声に咎められてぴたりと止まった。

 もはや巡に出来ることなど――朱里にしてやれることなど何もなかった。

 

 四季巡は気付く。糸、関係という名のそれが視界の端に舞っている。春咲と繋がっているそれはぶちぶちと音を立てて剥がれた。剥がれたのは外装、「幼馴染」という毛糸のように柔らかかった嘘。その中から剥き出しになったのは、鋼線のような冷たく鋭利な真実の関係であった。か細いそれは、手繰ろうと掴むのなら簡単に千切れてしまうだろう……もしくは痛みと共に手を切り裂くだろう。そんな糸に手を伸ばす勇気など、巡には無く。

 

「は、るさく……」

 

 血の付いた手のひらは、空を切る。

 巡は視界から消えていく春咲を、ついぞ追うことができなかった。

 項垂れかけた巡の体を、視界の端のふたつの人影がなんとか支える。

 

「あ、そ、そうだ。2人は――」

 

 振り返ると、理沙が立ち上がるところだった。その背中、いや鞄からは機械の脚が伸びている。蜘蛛のものに似たその脚は、床を踏むことで理沙の重心を支えているようだ。そんなアームに支えられるのは、血みどろの小さな少女。切れた服の隙間から生々しい縫合痕が覗くその様は、妖精のようだった可憐さの面影も無い。

 そんな理沙の表情、血が足りないのか蒼白なその顔にはやはり、巡を頼ろうとする気配など微塵も無くて。

 

「理沙、ちゃん……」

「……ご、めんね、お兄ちゃん」

 

 つい、と目を逸らしながら放たれた言葉は、やはり拒絶で。

 

「状況コードF-080……規定により本座標より離脱を開始」

「そ、そんな機械みたいなっ」

「……機械と、かわらないよ。私は『3番』。製造番号はBB-03、識別コードはS-096-461-03……兵器用強化人間の『3番』だから」

 

 絶句する巡の前を彼女は通り抜ける。

 息も絶え絶えの彼女もやはり、巡の助けを望まなかった。アームを使い、自力で階段を下りていく。

 

 ——理沙ちゃんとの糸も、兄貴分と妹分の関係もまた、偽物。

 

 そして最後に残ったのは優乃。

 斬られて穴の開いた服を、そして血を流す傷口を抑えながら、彼女もゆっくりと立ち上がる。彼女は巡の近くに歩いてきたものの、それは助けを求めるためでは無く。

 

「四季君」

「夏目、先輩……」

 

 巡の縋るような目線から逃げるように、彼女は懐からひとつの小瓶を取り出した。小瓶の中は白く濁った液体が揺れている。

 

「お願いがあります。今日のことは忘れて下さい。これは『忘却薬』、寝る前に呑むとこの瓶ひとつで1日分の記憶を失います。虫のいいお願いだとは百も承知ですが、本当に私たちのことを思うなら……これをどうか、今夜使ってください」

 

 言いながら、小瓶を巡の手に握らせる優乃。

 その普段とはかけ離れた口調に、言動に、巡の口から遂に制御できない感情が溢れた。

 

「なんで、どうして……ッ」

 

 彼は薬瓶を握りしめ、己に宿った衝動を必死で抑える。筋違いとは薄々気付きつつも、己が間違えたことを自覚しつつも、けれどついに不満の言葉は決壊する。

 

「心配することすら、許してくれないのかよッ」

 

 酷い言葉だと、吐いた己で唇を噛んだ。遠ざけようとしていた癖に、繋がりたくないと嘯いたくせに、今更関われないことに絶望する。

 体の奥、心を軋ませる痛みが憎い。己の弱さがただ苦しかった。

 その言葉に、優乃は俯く。

 

「すみません。でも……」

 

 そして彼女も、巡に背を向け歩き出した。最後に小さく言葉を残して。

 

「……私たちの肩書も、関係も……所詮は『偽物』、ですから」

 

 ——夏目先輩との、先輩と後輩の関係も……ッ。

 

 そうしてその場に残されたのは、途方に暮れる四季巡だけ。

 血の匂いが残る空間で、新たに透明な血が流れる。体に出来た傷口からではなく、心の痛みを叫ぶ(なみだ)が頬を伝って床で弾けた。

 

「……っ、そぉ……っ」

 

 どうしようも出来ずすすり泣く彼の声が、夜の教室にむなしく響いた。



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⑨ 4月11日(土)・休戦期間

「……知ってる天井だ」

 

 俺、四季(しき)(めぐる)はベッドの上で呟く。カーテンの隙間から差し込む日の光に、鳥の鳴き声。朝だ。

 俺はのそのそと起き上がり、顔を洗うために洗面所に行く。辿り着いた鏡の向こうには、目の下に隈を作った不健康そうな男が居た。

 

 4月8日(あのひ)から3日が経った。

 その間、俺はろくに寝れていない。目を瞑るとどうしても考えてしまうからだ。あの日起こった事、巻き込まれた事件と突き付けられた現実を。

 

「……忘れられるわけ、ねえよ」

 

 結局、忘却(あの)薬は飲まなかった。白い液体の入った薬瓶は目覚まし時計の横に転がっている。

 

「でも、どうすればいいかなんて……」

 

 あの日から、俺と彼女たち――春咲(はるさく)朱里(あかり)冬野(ふゆの)理沙(りさ)夏目(なつめ)優乃(ゆうの)との関係は変わった。

 

 異常なことは起こらない。無理なラブコメ展開も生じない。ただ、無難に普通に、うわべだけを撫ぜ合うような……そんなやりとりが、彼女たちとの日常になってしまった。

 それは、少し前までの俺なら歓迎したことなのかもしれない。失くして困るような関係なら持たない方がいいと思っていた俺の理想のように、「有っても無くても変わらない」……彼女たちとはそんな関係になったのだから。

 それ、なのに。

 

「なのになんでだよ、このやるせなさは」

 

 春咲と顔を合わせて話しても、お互いに踏み込めない話題がある。彼女の動きが明らかにおかしいこと、隠して庇っている傷の容態ひとつすら、彼女は俺に踏み込ませてはくれず、弱い俺は聞くことが出来ない。

 理沙ちゃんと一緒にゲームしてても、どこか向いている方向がちぐはぐな気がする。あの日屋上で何をしていたのか、あの魔剣士を倒す算段はあるのか……それを訊いてしまうと、かろうじて形を保った関係すら崩れる気がして。

 夏目先輩とは、一番気まずくなってしまったかもしれない。俺は部室に行っても喋らず、先輩も何も言わない。俺の態度から"薬"を飲まなかったことは察しが付くのだろう。ただ彼女は「忘れて欲しい」と望み、俺がそれを受け入れない、無言のやり取りだけが続いている。

 つまり俺が夏目先輩の言葉を聞いたのは、あの日が最後。

『……私たちの肩書も、関係も……所詮は『偽物』、ですから』

 あれが最後だった。

 

 そうだ。分かっている。

 彼女たちは「俺」と関わりたかったわけじゃない。ただ「四季巡(おれ)の持つ情報」が欲しかった。だから嘘をついて、異能(ひみつ)を隠して、俺との「偽物の関係」を築こうとした。

 

「……分かってるよ。16年で思い知ってる。『俺がモテるわけない』ってことくらい」

 

 春咲が「信じて欲しい」と俺の手を取ったのも。

 理沙ちゃんが「お兄ちゃんって呼びたい」と言ってくれたのも。

 優乃先輩が「嬉しかった」と笑ってくれたのも。

 全部偽物の嘘っぱち。本当なら俺なんか歯牙にもかけない綺麗な女の子たちが、俺を騙して親愛を勝ち取るために演じただけ。

 

 だとしても。

 

「それでも、やっぱツラいなぁ……」

 

 彼女らの笑顔も、態度も、俺を篭絡するための手段だと考えると、俺の心は静かに軋んだ。味気ない日常を彩った鮮烈な思い出が、途端に苦いものへと変わっていく。

 俺は再びベッドの上に身を投げ出した。今日は土曜日、折角の休日だというのに何もする気が起きなかった。

 

「はぁ」

 

 何もする気が起きない、は正しくないか。

 俺は迷っているのだ。自分が何をすればいいか分からない。何かをする「理由」が見つかっていない。だから迷子になっている。

 

 隠し事をして近づいてきた彼女たちを嫌えばいいのか。

 それとも魔剣士(アイカ)の予告により危機に瀕した彼女たちを救えばいいのか。

 または何もせず全てを忘れるか。

 

 そのいずれかを選ぶ「理由」が、俺にはまだない。嘘をつかれていたとはいえ嫌うほどの不当な扱いを受けたわけでもないし、危険を冒してまで助けに行ける勇気もそんな仲でもないし、かと言って全てを忘れ去るのは逃げているだけだし……。

 いや、今までだったら逃げていたかもしれない。何も知ろうとせず、何も望まないから何も奪うなと……けれどなぜか今回、その道だけは選べなかった。

 その言葉にできない「理由」。何かを拒否しても、何かを力強く選べるわけでもない俺の中の小さな「理由」に、俺は今日も他のことをする気力を奪われている。

 

「……ていうか『理由』で思い出した」

 

 ここで俺は思い至る。

 

「……俺、別に何の情報も持ってないんだが。それって狙われてる理由と噛み合わなくないか?」

 

 そう。なんか色々ありすぎて忘れていたが、この話の趣旨はこうだ。

 ——「異能者たちが他陣営を蹴落とすために、俺が持つ『宝の鍵(じょうほう)』を得ようと年の近い異性を送り込む」。

 だが、俺は「宝の鍵」など持っていない。そんなもの親父から貰った覚えはない。断じて、である。

 

「……あれ? これってもしかして、バレたら口封じ(コロ)されるレベルの秘密(こと)じゃねぇ……???」

 

 なんか割とまずい気がしてきた。特に春咲とか、あの日の素顔(カンジ)だと何も知らないと分かったら俺の事真っ先に口封じしにきそう。

 いやいやいや、ちょっと待ってくれ。それは流石に勘弁してほしい……いったん冷静に考えてみるか。

 

 

 ——俺の親父・四季(すすむ)について。

 秋月が言うには「超常殺し」っていうスゲー人らしい。でも、俺はそのことをこの前知った。

 俺にとっての親父は「たまに家に来る人」。そんな印象だ。ただ愛情が足りて無いとは思わない。親父は俺にもわかるくらい親バカだし――具体的には俺が作った失敗作の料理(不味くて食えたもんじゃない)を半泣きになりながらも笑顔で完食したり、息子に嫌われるのを恐れて対戦ゲームで滅茶苦茶手を抜いたり、一緒に見たテレビで俺が興味を持った商品があったら翌日通販で家に届いたり……一緒に飯を食うたびに「仕事」が忙しいことを詫びて来たり。そんな人だ。

 ただ……ここ一年、顔を見ていない。連絡は元々取れないし、たまにはそんな時期もあるのだろうと思っていたが、なぜか死んだとかそういうことは疑ってこなかった。それは多分、あの日感じたような「強者のオーラ」みたいなものを、親父からも無意識のうちに感じていたからだと思う。

 

 そんな親父から託されたものだが――これがマジで覚えがない。

 最後に交わした会話は「彼女いるのか」「居ない!? 嘘だろ」「モテると思うんだが」「こんなイケメン(*親目線)なのに」「見る目の無い奴らだな」「お父さんおまえと同年代の子と知り合いなんだが今度紹介しようか?」「まぁおまえがいらないって言うならいいんだが……」云々、延々とそんなバカ話しかしてなかった。もしあれが最後の会話だったらちょっと恨むレベル。

 

「(というか、今思えば……『託す』とか『預ける』とか、マジでしてこない人だったな)」

 

 親父は自分のことをあまり話さなかった。必然的に、「俺はこういう失敗をしたからおまえにはこうしてほしい・そうなってほしくない」といったことも言わなかった。ただ黙って俺の話を聞いて、俺の態度を観察して、ありのままの俺を理解し尊重しようとしてくれる親父だった。

 それは多分、分かっていたのだろう。何かを託してしまえば、預けてしまえば……俺が否応なく「異能者」の世界に、「超常殺しの息子」として生きなければならない世界に巻き込まれることが。

 だから、隠した。徹底的に。

 その結果俺が親父から受け継いだものは、この健康すぎる肉体と金銭くらいで、他には何もない。それを冷たいことだとは、ことの経緯を知った今は思えないが。

 

「……てか親父って今生きてんのかなぁ」

 

 ちょっと不安になってきた。例の魔剣士やそれと同レベルの奴らに恨まれてるんなら、結構心配だ。俺は昔の親父の言葉を思い出す。

 

『大丈夫だ、巡。お父さんは絶対におまえを1人にしない。少なくとも、おまえが大人になるまでは』

 

 あれは母さんが死んだ日か。悲しくて寂しくて泣いていた俺に、親父はそう約束してくれた。

 

「母さん……」

 

 そして思いを馳せる相手は母へと変わる。

 

 

 ——俺の母さん・四季(れい)は故人である。俺が7歳の時、病気で死んだ。

 優しい人だった記憶がある。俺は母さんの怒った顔を知らない。思い出の中の母さんは、いつも俺か親父のことを見ていて、そして静かに笑っている。幼い俺にとって、母さんは太陽だった。母さんが居れば、見るもの全てが明るく優しい光に照らされて。

 

 だから母さんが死んだとき、俺は途轍もなく悲しかった。母さんが死んだという事実を思い出すだけで泣いたりした。それ以来結構な間ふさぎ込んで、小学校のグループからは完全に浮いた。思えば、俺の孤独な人生はあそこから始まったような気もする。

 

「(結局、母さんも俺に『託す』みたいなことはしてないよなぁ。2人から貰ったのは健康な体と、特に不自由ない生活。てか母さんって親父の"正体"知ってたのかなぁ)」

 

 正直言うと、今でも悲しい。10年くらい前の死を、俺はまだ引きずっている。

 

 ……そうだ、これが「理由」ではダメだろうか。

 

「……勇気もない。やり方も分からない。だけどこのままじゃいけない気はしてる。だから"とりあえずこれにしよう"。俺が動く理由」

 

 あの日。春咲たちは瀕死にまで追い込まれていた。そしてその下手人である魔剣士は15日、今から数えて4日後の満月の日に再び彼女らを襲うという。

 

「そんなに深い仲じゃないとはいえ、偽物の関係だったとはいえ……『あいつらが死んだら、俺は悲しい』。このまま何もしなかったら、多分10年以上引きずって後悔する。だからまずは一旦、話をしてみよう。皆を集めて、情報共有して、停戦協定とか作戦とかの何かを立てる。俺がその橋渡しをするんだ」

 

 秋月の話だと、異能者ってのは一枚岩じゃないらしい。春咲たち3人はそれぞれ別の陣営で、魔剣士1人に纏めてやられたのもその辺が関係してると思います、と彼女は言っていた。

 なら、皆で協力できれば。

 そうすれば、あのバケモノじみた魔剣士に立ち向かうすべも見つかるはずだ。

 

「死んでほしくない。先のことは考えず、一旦コレだけ持って動いてみよう。異能者であるあいつらに、一般人の俺の言葉がどこまで届くかは分からないけど……」

 

 ……俺はあの日を思い出す。

 あの日、俺は助けることも、支えることも、心配することさえ許されなかった。それは多分、俺たちの関係が「偽物」だったから。お互いに核心には踏み込まず、俺は偽物を与えられて満足して、彼女たちはその満足を良しとした。

 

 ならば――俺が一歩踏み込めば。

 そうすることで「本物」になった関係なら、心配するくらいは許されるのでは。

 

 俺は決意と言うには余りにも弱い意志を携えてスマホを手に取った。連絡先なら()()()手元にある。あの3人と知り合った日に、勝手にスマホに入ってたから。

 今思えばあれも、異能を使ってやったのだろう。

 

「やるだけやってみよう。どうせ何も託されてねえんだから、失うものも無いしな」

 

 そうして、俺はプランを練り始めた。皆が仲良くなれる、今の俺に思いつける最高の計画(プラン)を。

 

「……でも何も託されてないことは秘密にしよう、価値が無くなったら容赦なく口封じ(コロ)されちゃうかもだから」

 

 青い顔で呟く。

 ……どうやら、今度は俺の方が隠し事をしなきゃいけないみたいだった。

 

 ◆

 

 4月11日、国内某所。

 全国に散らばる全日本超能力者連合、木世津町内の支部にて。

 表向きは空きビルに偽装された建物の一室、消毒液の匂いが漂う医務室の中で、私こと春咲朱里は告げられた。

 

「――結論から言うと、完璧には治らないよ、コレ。少なくとも(あと)は残る。一生だ」

 

 白色の電灯が照らす部屋の中、ベッドで横たわる私に白衣の男がそう告げる。

 同情のこもったその言葉に、けれど私は冷たく返した。

 

「それだけ? 『活動』への支障は?」

「そ、それだけって……分かってるのかい。3日かけて傷自体は塞いだが……胸元から腰にかけての大火傷の跡。それを消すことは出来ないって言ってるんだ」

 

 連合の支部で医者をやっている透視能力者の青年は、私の胸元を指してそう言う。そこには病衣の隙間から顔を覗かせた、醜い皮膚の爛れがあった。それは三日前、魔剣士によって負った傷を塞ぐため自分で自分を焼いたときの傷痕。縫合され閉じた傷が、ずきりと炎の痛みを思い出す。

 だが私はその痛みをつとめて無視しながら鼻を鳴らす。

 

「もう一度訊くわ。『活動』に……戦闘行為に支障は?」

 

 透視能力者は、まるで本物の医者のように溜息を吐いた。

 

「……はぁ。しばらくは鎮痛剤が手放せないだろうね。内臓の機能は『見る限り』問題ないが、なにせ肋骨が6本も斬られてるんだ。何かの拍子に傷が開く可能性もある。既に()()()()()()()()()()()()()()()()というとびきりの無茶もしているし……連合(ここ)の医者としては、少なくとも4月中の戦闘はオススメしない」

 

「あっそ。で、今すぐ戦う方法は?」

「……物質創造能力者(クリエイター)に依頼すれば、人工皮膚と人工骨で補強できる。即日戦闘も可能だ。ただ……」

「手術に時間がかかる?」

「いや。手術自体はすぐにでも。ただ人工骨を入れた状態での激しい運動(せんとうこうい)は、痛いよ。鎮痛剤でも消しきれないほどね」

「なら決まりね。すぐやって頂戴」

 

 私がそういうと、医者は再び溜息をついた。

 だがそれ以上意見することは無く、手術の準備をするべく連絡を取ったり器具を纏めたりと動き出す。私は他にやることもなく、ぼんやりとその背中を眺めていた。

 

 超能力者(れんごう)の医務室は、非異能者のものとほとんど変わらない。いかに超能力者が火を生み出したりテレパシーで会話ができるとはいえ、治療手段はあくまで一般人のものより一歩進んだレベルだ。即ち「治癒能力者」は連合には居ない。そのことを透視能力者は常々嘆いていた。

 

「正直、治癒系能力者が居て欲しくてたまらないよ。僕の透視能力は医療行為の役には立つけど、治すことに関して異能の域に立ち入れるワケじゃない。他者を癒す能力でなくても、自己治癒系だとしても見つかってくれれば……その人の細胞を培養して医療に活かす自信はあるんだが」

「……前にも聞いたわよソレ。……あれ、でも昔、全盛期の『連合』に治癒系の超能力者が居たって」

 

 私は連合内で老年の超能力者から聞いた噂を思い出す。

 連合に「治癒能力者」は居ない。だが昔はそうではなく、傷を癒す能力を持った超能力者が居たらしい。彼らが居た頃の連合は医者も医務室も必要なく、ただ数分の能力による治療を受けるだけで良かったと。

 ……だが現実として、今の連合にそんな能力者は居ない。だから私はそれをただの噂だととらえていたのだが、透視能力者は違ったらしい。

 

「そう。治癒系の能力は存在した——そして彼らの能力は"強力すぎた"。だからその時代の超能力者は裏の世界の覇権を握った」

 

 数百年前の話だけどね、と言いながら透視能力者は続ける。

 

「そしてその覇権は……結託した他陣営に『治癒能力者を皆殺しにされる』ことで終焉を迎えたんだ」

 

 ――超能力は遺伝する。親から子へ、子から孫へ。

 逆に言えば、それ以外で超能力を後世に託す方法はない。特殊な一族が皆殺しにされれば、その力を持つ者は2度と生まれてこないのだ。

 

 そんな歴史があったのかと内心で驚く私に、透視能力者は気分が乗ったのか話を続けた。

 

「こういう話は異能者世界全体で見ると珍しくない。他にも魔術師が9つの魔剣全てを保有していた時代、科学使いが歴史より300年早く銃を生み出した時代……ほとんどの時代には『裏世界の覇権を握った陣営』が居た。けれど、今はそうじゃない。次の覇権を、それを掴むための『宝』が何なのかを各陣営は血眼(ちなまこ)で探しているのさ。16歳の少女まで駆り出して」

 

 最期の言葉は吐き捨てるようだった。

 

「……何が言いたいの? 場合によっては『連合』に叛意ありとみなして報告するわよ」

 

 私が言いようのない怒りを感じて医者の背中を睨むと、

 

「いや。ただの愚痴さ。疵を悲しめない患者への、そしてそんな患者を治してやれない自分へのね。忘れてくれ」

 

 そんな言葉が飛んできて、私は何も言えなくなってしまった。

 しばらく無言の時間が続く。透視能力者が治療の準備の為器具を弄る音がだけ響く中、ふと預けたスマホが鳴った。短音ではない、電話のコール音だ。

 

「お、着信だ。君に連絡が来てるぞ」

「誰から? 『老害』って書いてたら私は寝てるって言っておいて」

「……それ『最高議会』の方々のことだろう? 君の方が『叛意あり』じゃないのか……」

 

 預かったスマホを取り出しながら、透視能力者は画面の文字を読み上げる。

 

「えっと、『四季巡』? これって――」

「……寄越せっ」

 

 私は近づいてきていた透視能力者の手から強引にスマホを奪い取る。

 そして喉を鳴らして声音を調整、すぐに「よそ行き」の声を、「純情可憐な転校生春咲朱里」の声を出しながら電話に出た。

 

「め、メグルくん。どうしたの?」

『は、春咲。えっと、その……話が、あるんですけども』

 

 電話先の声は確かに巡のものだったが、その声は僅かに震えていた。

 

「え、うん……」

 

 その声を聴いて、私は「早まったかな」と思った。四季巡は3日前の出来事を目撃している。そこをつつくために電話をしてきたのではないか、ほとぼりを冷ます意味でも出ない方が正解だったのではないか、と。

 もし訊かれて不味いことを訊かれたら電波のせいにして切ってやろうと決めながら、私は次の言葉を待つ。

 ……結果から言って、それは予想外のものだった。

 

『——明日って、暇?』

「うん?」

 

 身構えたのとは全然違う方向の内容に思わず疑問の声が漏れ、しまったと思う。

 だって……これは()()しかないだろう。

 一応察しの悪い純情女子の擬態で理由を尋ねてみる。

 

「えっと、なんでかな」

『あーいや、暇じゃなかったら全然いいんだけど、そりゃ春咲ほどの人になると引く手あまたで当然だし、断ってもらっても全然全く問題ないんだけど……』

 

 はやく言えよ。

 その念が通じた訳ではないだろうが、直ぐに確信は飛んで来た。

 

『明日、遊ばない? 駅前のショッピングモールで』

 

 やはりデートのお誘いだ。私は演技のギアを上げ、努めて嬉しそうな声を出した。

 

「もちろん良いよ! 時間とかは決めてる?」

『あ、うん。午前10時に駅前のバス停待ち合わせでどう、かな。その、変更になる可能性もちょっとだけあるんだけど、その時は教えるから……』

「分かった! 楽しみにしてるね!」

 

 そう言って私は電話を切った。正直これ以上の長電話は私の精神衛生上よろしくない。電話越しに笑顔を保つのも、四季巡の歯切れの悪い言葉を聞くのも、できれば病み上がりには遠慮したい仕事だ。

 溜息を吐く私の豹変具合を面白そうに眺めている医者もどきをぎろりと睨みながら、私は注文を追加する。

 

「……という訳よ。手術は明日10時に間に合うようにやって頂戴」

「やれやれ。君の任務も大変だね」

 

 呆れたような、揶揄するようなその言葉に。

 

「……ええ。これ以上ないほどに、ね」

 

 心の底からそう溢して、私は胸の火傷に触れた。

 

 ……あの日のことは、詳しくは覚えていない。

 ただ、瀕死の私は四季巡の助けを拒み、能力まで見せて彼を拒絶し距離を取った。それだけはハッキリと覚えている。

 作戦から考えれば愚かな行為だった。彼の助けを受け入れて、弱弱しく縋って、ガス爆発に巻き込まれたとでも言えば騙せたかもしれない。いや、寧ろそれが最適解だっただろうと今なら思う。だったらなぜ、自分はそうしなかったのか。

 極限状態で騙す余裕がなく本音が透けたのか? 敗北の直後で気が立っていた可能性は? それとも、他陣営の異能者と一緒だと誤魔化しきれないと思った?

 なんとなく、それが答えの全てではないと春咲朱里は考えていた。

 

 ……偽物の関係で良かったはずだ。四季巡との関係を完全に「任務」と割り切れていれば、あそこでも最適解を――偽物の春咲朱里を演じれたはずだ。それを演じきれず、本音を吐いてしまったのはなぜなのか。

 

「(……ホント、鬱陶しい任務だわ)」

 

 私は声には出さず、心の中で重々しくそう呟いた。

 

 ◆

 

 ……そうして俺の手によって、その連絡は春咲朱里だけでなく、冬野理沙、夏目優乃にも届けられた。

 内容は一律同じだ。「明日、駅前のショッピングモールに遊びに行こう。集合時間は朝10時、集合場所は駅前のバス停」。

 

 そして、3人には自分以外の2人が来ることは伝えていない。

 

「これで準備は整った……そして、もう後には引けない」

 

 俺は冷や汗を流しながら、目覚まし時計をセットした。

 彼女らは怒るだろうか。帰ってしまうだろうか。……まさか人前で殺し合いを始めはしないよな?

 心配事など無限にあるが、それでももう前に進むしかない。

 

「さあ、楽しい楽しいハーレムデート、もとい仲良し大作戦の時間だぜ!」

 

 そうして、俺による俺のための、彼女たちの命を救うための作戦の幕が、切って落とされた!

 

「てか頼むから楽しい時間になってくださいお願いします神様、つまんな過ぎて帰られるのだけは勘弁で……ッ」

 

 ……切って落とされた。



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⑩ 4月12日(日)・休日

 4月12日、花の日曜日。即ち約束の日、当日。

 俺、四季巡は駅前のバス停まで道を歩きながらぶつぶつと不安を呟いていた。

 

「……なんか昨日は『ハーレムデート』とかほざいて舞い上がっちゃったけどさぁ、当日になると失敗するイメージしか沸かねえよ……。なんで俺はモテないくせに上手くできると思っちまったんだ? 人付き合いレベル1の奴が『橋渡し』とか、冷静に考えて出来るわけなくないか? そういうのはコミュ強がやるヤツだろ、俺はマンツーマンですら会話途切れるってのに……ああ胃が痛くなってきた……」

 

 腕時計の針は午前9時45分を示している。約束の時間は午前10時。あと5分もすれば待ち合わせ場所のバス停に辿り着くだろう。

 幸運なことに天気も快晴、澄んだ青が木世津町の街を彩ってくれている。だがそんな空模様とは対照的に、俺の頭の中は不安でいっぱいだった。

 

「財布は持ったよな? よし。一応中身も……入ってるな。でも人と遊ぶのってどれくらい掛かるんだ? 奢ることになったとき用に念のため5万円持ってきたが……てか服装大丈夫だよな、ダサくないよな? ファッションセンスに自信ねえよ……くっそ、何だこの心配事の多さ。ラスボスから地球でも守るのか?」

 

 なにせ初めて複数人で外出して遊ぶのだ。そもそも俺は生粋のインドア派、こういうこと自体不慣れなのに、そこにもっと不慣れな「コミュニケーション」という要素をミックスされたのだ。これは人生最高難易度と言って差し支えない。

 

「そもそもこういう感情を抱かないための哲学でもあったのに……最近の俺はがんじがらめが過ぎる気がするぜ」

 

 人間関係は糸のようなものだ……これも何度も言っているが。今の俺はそれに縛られ、引きずられている。異能者であるらしい彼女らとの関係……それらは偽物の柔らかい毛糸を剥され、剥き出しになったワイヤーの姿で残っていた。その糸は俺の心に絡みついたままで、俺が彼女たちを見捨てる選択を取ろうとするときつく食い込み痛むのだ。それでいいのか、全てを忘れて逃げるのかと。

 

「……今回限りだ、これが上手く行ったらこの『使命感』も外れる。そのはずだ。そうすればまた、全てを遠ざける日々に戻ればいい。人と遊ぶ休日も手に入らない代わりに、いちいち服のセンスや遊びの計画に悩まされない人生に」

 

 そうして俺は駅前のバス停に辿り着いて――。

 

「……なんでアンタらが居るのかしら。燃やされたくなかったら帰ってくれない? これから四季巡とデートだから」

「……それはこっちのせりふ。私がお兄ちゃんにさそわれたのに」

「……なるほど。そういうことですか。確かにそれなら、四季くんが嫌われても仕方ない私をお誘いしてくれたことに合点がいきますね」

「はぁ? ブツブツ賢いアピールしてんじゃないわよ根暗魔術師」

「む……やっぱり野蛮ですね超能力者というのは」

「司令部、提案。この様子を録画・録音して目標に見せるというのはどう」

 

 俺が今日誘った春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃——それが3人ともそこに居た。そして既にバチバチだった。

 

「(うっわぁ何アレ!? 仲悪いって聞いてたけどあんなになの!? てか俺と居る時と全然違うじゃん、女の人て怖ぁ……)」

 

 思わず物陰に隠れてしまった俺の視線の先で、ガンと罵倒を飛ばし合う異能者少女たち。このままだと戦争になりかねないと悟った俺は、覚悟を決めると物陰から飛び出した。

 

「——お、おーいみんなぁ。遅れてごめんねー」

 

 チラリと腕時計を見れば現在時刻は集合時間10分前の9時50分。別に遅刻したわけではないが、ここは謝ることで空気を和らげようとしておく。

 俺の声に彼女たちは鋭い視線をこっちに向けて――余りにも鋭すぎてちょっとビビった――そしてすぐに笑顔を作ってくれた。まあ作り笑いだろうが。

 

「め、メグルくんっ。どういうこと? この2人が居るなんて聞いてないよ」

「そうだよお兄ちゃん。ほんとうはどっちと遊ぶの?」

「あー、ええっとそれはそのぉ……」

 

 ……冷静に客観的に考えて。事前にメンバーを教えなかった俺は、結構悪い。仮にも相手は異性だしな。だがそれは「メンバーを教えると来ない可能性があった」からだ。特に対立しあった異能者たちは仲悪いって秋月が言ってたし。

 今回はそんな異能者どうしの手を取らせようという作戦なのだから仕方なかったが、これがフツーの遊びだったら俺の判断は要らぬトラブルの元を作ったと言える。

 だがここで素直に謝ることもできない。それは当然、今帰られると困るからだ。

 俺が非を認めたら「もういい! 帰る!」的な展開になりかねないし。そしたら魔剣士への対策を組むなんて絶望的だろう。

 

「(俺は今日、この3人に仲良くなってもらわないといけない……少なくとも今よりは! そして『一時くらいなら手を組んでもいいかな』と思わせ、魔剣士を協力して追い払うことで死を回避してもらう。そのために俺が言うセリフは――!!)」

 

 俺はまるで将棋やチェスでもしているかのように無数の会話パターンをシュミレーションし、そして最適解だと判断した一手(セリフ)を繰り出した。

 

「あ、あー。言ってなかったっけかぁ。皆で遊んだら楽しいと思ったんだけど……だめかなぁ」

 

 そう、例えるならそれは無神経朴念仁クソ野郎、もとい「鈍感系主人公」のセリフ。これがこの場において一番の手だと判断した。なぜなら。

 

「……ま、まぁいいよ。メグルくんがそう言うなら」

「……私も、だめじゃない」

 

 そう。この3人は俺と仲良くなって情報を教えてもらうために俺からの好感度を稼ごうとしている。だから、俺なんかの意見すら簡単に否定できず、さらに俺の前では表立って争うこともできないはず。

 だからそれを利用するのだ。

 俺は心の中でメガネクイーしながら、アカデミー主演男優賞が取れそうな演技で「鈍感系主人公」のムーヴを続けた。

 

「よ、よかったぜー。4人で遊べばきっと楽しいぜー」

「そ、そうだねー」

 

 そうして、鈍感のフリをするカス野郎を全肯定するしかない女3人という、地獄みたいなパーティーが完成することでこの場での解散は避けられた。危ない危ない。

 ……夏目先輩が「正気かよコイツ」みたいな目で見てる気する。まあ昨日まであんなに気まずかったんだから当然だが。

 仕方ないんです、あなたも含めて3人の命がかかってるんです……と脳内で言い訳しながら鈍感ごっこをしていると、春咲が真面目な顔に戻って問いかけてきた。

 

「それでメグルくん。今日は何をするの? ……この3人で」

「あー、それは……」

 

 集まった後に「何をするか」。俺はそれを寝ずに死ぬ気で考えた。なにせ俺は友達と遊んだ経験ゼロ、異性となど論外だ。特に男と女は趣味嗜好から価値観まで大きく違うだろう。それが3人。手に余るというレベルではない。

 だが俺は体感200手を超えるシュミレーションの末見つけたのだ。打倒魔剣士のために仲良くなれて、男女どちらも楽しめて、3人全員が満足する方法を。

 俺はゴホンと咳払いし、堂々と宣言する。

 

「今日は今から夜の8時まで、映画館をハシゴして見まくり──」

 

 目が。

 皆の目が「正気か?」みたいになってた。

 

「——ってのは冗談でぇ……」

 

 どうやらお気に召さなかったらしい。俺の5時間かけて考えた最強デートプランが……いや、良い案だと思ったんだけどなぁ? だって某アヴェンジするアメコミ映画とかなら、「色んな能力を持つ人が巨悪を前に団結する」というメッセージを上手く伝えられるし、映画ならいろんなジャンルで様々な人の価値観に寄り添えるし、見てる間は会話しなくていいし……何がダメだったんだ一体。

 

 だがまだ打つ手ナシではない。夜通し考えたんだ、俺には当然、映画作戦がダメだった時の「プランB」がある。

 それは。

 

「みんなは行きたい所とか、あります?」

 

 相手の望みを直接訊く。それだけである。

 ……いや、呆れないで欲しい。これは実はかなり理にかなったプランなのだ。全員の望みを反映できるから全員もれなく楽しめるし、俺のクソカスな経験とセンスもカバーできる。

 エスコート? 誘った人の役目? ナニソレおいしいの? 無理に100点を狙って0点取るよりは確実に50点を取る。初見のエースピッチャーに対してはホームランを狙わずにバント。これが弱者のやり方なのだ。

 そんな俺の開き直った「プランB」に対し、何を考えているか悟らせないように振舞ってくれる3人は、それぞれの答えを口にした。

 

 まずは春咲。

 

「うーん、適度に体動かせるところが良いなっ。最近寝て過ごしてばっかりだったから、軽い運動がしたくて」

 

 軽い運動……モールの近くにボウリング場があったな。

 

「歩いて10分くらいのところにボウリング場あるけど、どうする?」

「うん、楽しそうだね!」

 

 よし、いい感じだろこれは。確かにプランはクソかもしれないが、下調べはしっかりしている。無駄に徹夜したわけではない。

 

 次に夏目先輩。

 

「……私は、書店に寄りたいかな。それ以外に特に希望はないよ」

 

 書店ならショッピングモール内にあるはず。

 

「なるほど。ボウリングの後でどうですか?」

「異存なし、だよ」

 

 よーし、夏目先輩とも普通に会話で来た。これで仲良しまた作戦一歩前進んだ。

 

 そして最後は理沙ちゃん。

 

「……いきたい、ところ」

 

 理沙ちゃんは悩んでいるようだった。単純な優柔不断じゃない、まるでその質問を初めてされたみたいな、回路が繋がってないような印象を受ける悩み方。

 

「なんでもいいよ?」

 

 俺は膝を折って彼女と目線を合わせ、安心させるように笑った……上手く笑えたかは分からないが、それが功を奏したのか理沙ちゃんはたどたどしくも望みを口にする。

 

「……みんな知ってる、おいしいものがたべてみたい。その、はんばーがー、とか」

「おっけ。ハンバーガーショップもモール内にあったはず」

 

 そうして全員の「行きたいところ」が分かった所で、俺はそれを上手くまとめた今日の予定を発表する。

 

「えー、話を総合すると……今から近くのボウリング場行って、その後ショッピングモールに行って、時間あったら書店行って、お腹が空いたらハンバーガー屋に行く……で、その、時間あったら映画とか……というので、どうでしょう……」

 

 まとめ役とかしたこと無いので最後尻すぼみになってしまったが、皆の反応は、

 

「私は良いと思う!」

「うん。問題ない」

「私も異存なしだよ」

「! よーし、それじゃ早速ボウリング場行きますか!」

 

 好評のため、このプランで決定した。

 

「(よし、出だしは順調と言えなくもないんじゃないかこれは)」

 

 ボウリング場に向かって歩き始めた一行の先頭で、俺は密かに手ごたえを感じていた。

 と、春咲が小声で呟く。

 

「……ていうか、映画諦めてなかったんだ」

「う……『時間あったら』なんで許してくれ……」

 

 仕方ないじゃん! どれがいいかなとか調べてたら俺の方が気になっちまったんだよ! アヴェンジするアメコミ見たいんだよ!

 

 ◆

 

 十数分後、駅から近くのボウリング場にて。

 ――ガコォン、とボールが並んだピンの中央を少し外れた辺りに命中し、7本のピンが倒れた。

 

「うーん、思ったより難しいな」

 

 ストライクを取れなかったことを悔やむように、レーンの前に立った朱里はぼやく。そんな彼女の背に純粋な声。

 

「いや、7本倒してるじゃん。ストライクなんてそう簡単に出るもんじゃないだろうし、充分上手いと思うんだけど」

「そ、そう? ありがとう。あはは……」

 

 巡に褒められながら、朱里は苦笑いを隠した。

 

「(……『傷が痛む状態で普段通り動く』のが難しい、ってことだったんだけど……まあいいか)」

 

 巡、朱里、理沙、優乃の4名は予定通りボウリング場を訪れていた。今は全員合わせて最初の投球。順番は朱里→巡→理沙→優乃の順だ。

 

「(今度は少し力を入れて……っつう)」

 

 朱里の二投目がズレる。

 ボールは残ったピンに命中することは無く、レーンの奥に消えていった。

 

「あー、惜しいなぁ。良いコースだと思ったけど」

 

 惜しくもスペアを逃したが、その結果自体に朱里は何も思わない。ついでに四季巡のフォローにも。

 そもそも彼女が「軽く運動したい」と言った理由は、本格的な戦闘が起こる前に「自分が現状どれだけ動けるのか」を確認する為である。

 

「(……今ので慣れたわ。体は思ってたより問題なく動く。あとは痛みを気にしなければいいだけね)」

 

 朱里の超能力は発火能力。炎を生み出すという特性上攻撃性能は高いが、防御力はゼロに等しい。なので基本的には朱里の防御手段は「純粋な回避」となり、それを行うには一定以上の身体能力が必要だ。手も足も動かさず対象を燃やせるとはいえ、手も足も動かなければ相手からの攻撃は守れない。だからこそ、自分がどれだけ動けるのかを把握することは朱里にとって重要なのだ。

 

「くそ、5点かー」

 

 がこーん、とピンの倒れる音が響く。一投目はガーターだったし、巡はそこまで上手ではないらしい。

 と、理沙がやけに自信のある態度で前に出た。

 

「お兄ちゃん、見てて」

 

 無表情ながら自信を滲ませた声。

 そして彼女は一機の人型ボウリング・マシーンとなる。

 

「(身体強化装置オン、指をアームで補強。ストライクコース計算、視界に表示。学習(インストール)した動きを再現することで安定性を上昇、成功率99.8%——)」

 

 服の下に隠した機械のアシストにより美しいフォームで放たれたボールは、まっすぐにピンの真ん中に激突。子気味良い音を立てて全てのピンが倒れた。『ストライク!』と華々しいファンファーレが鳴る。

 

「す、すげー……」

「ん」

 

 巡に向かって胸を張る理沙……だが、他の2人にはその無表情が自分たちのことを鼻で笑っているような気がした。

 

「(ふっ。これが科学の力)」

「(……何アイツ。喧嘩なら買ってやるわよこのチビィ……!)」

「(……なんかムカつきますねこの娘)」

「(そういえば理沙ちゃん、意外と力強かったもんなぁ。思わぬ才能だ)」

 

 龍とか虎とかが背景に滲み出る。約一名を置き去りにした異能者たちのプライドバトルが、いつの間にか始まっていた。

 

「(必中の(まじな)いくらい覚えてるんですよこちとら!)」

『ストライク!』

「(超能力を使うまでもない、基礎スペックが違うのよ!)」

『ストライク!』

 

 優乃、朱里も難なくストライク。それを見て「え? ボウリングってストライクが普通なんだっけ?」と常識を疑い出す巡。

 彼がガーターするのも構わず、小さな戦争は続行される。

 

「(ふん、私の機械補助投球は安定性・再現性が段違い。これが科学の力)」がこーん

「(いくら結界の外とはいえ、この程度で魔力を使い切るとでも!? 魔術を舐めないで下さい!)」がこーん

「(この器用貧乏共、私の不利なフィールドでイキリやがって! やってやるわよコンチクショウ!!)」がこーん

 

 そうして巡を置き去りに、ストライクがデフォルトのうえボールが燃えたりピンが狙撃され倒れたり逆に岩みたいになって倒れなくなったりする超次元ボウリングが繰り広げられ、最終的に事故に見せかけてボールを直接ぶつけ合う競技になった所を巡とスタッフに止められた。

 その際巡が「修羅場やるならウチの外で頼むよ」と言われ、もれなく全員微妙な顔になってしまったのは余談である。

 

 

 さて、お次はモール内の書店。

 

「何か買うんすか?」

「まあね。目をつけている新作がいくつか」

 

 勝手知ったる様子で書店に入る優乃と、彼女についていく形の巡。しかし、優乃は巡の後ろの2人に対して思うところがあった。

 

「……君たちは入ってこなくても良かったのでは? 買いたい本がないなら、横のゲームセンターで遊んでいる方が有意義だと思うよ」

「はぁ? バカにして、本くらい読むわよこの――よ、読むよぉ。あはは」

「子どもあつかいしないで。科学の本なら、私のほうがくわしい」

 

 場が一触即発状態となりハラハラしだす巡。こうなることはほとんど予想できたものの、あえて言ったのには理由があった。

 

「(此処に来たのは、秘密裏に『魔本コーナー』があるからなんだけど……まさか皆ついて来るとは)」

 

 そう。優乃も巡と同じように基本ぼっちであり、友達と遊んだことなどほとんどない。そんな彼女は「書店に寄る=書店に用がある人だけ別行動」と思っており、全員で書店に行くパターンを想像もしていなかったのだ。

 

「(今日は諦めるしかないかなぁ。魔剣士の出没で被害が出てないかとか、色々知りたかったんだけど……)」

 

 『魔本コーナー』とは、魔法のかけられた本が置かれているコーナーのことだ。魔本は魔導書とは違い、攻撃的なプロテクトも数世紀前の大魔術も秘めてはいない。それは主に非協会所属魔術師およびその素養がある人間の掲示板的コミュニケーションの場であり、また新鋭の魔術の共有場所でもある。要するに、(売り物の)本に魔術師にしか読めない文字を(勝手に)書きこむ、またはそれを読み取るといったことをする、魔術師たちが勝手に決めた書店の一角である。

 優乃はそこに立ち寄りたかったのだが、

 

「ほら、お子さまは幼児向け絵本(これ)でも読んだら?」

「……あなたは科学の教科書(これ)でべんきょうするといいよ」

 

 後ろでバチバチしだした他陣営の異能者2人を出し抜くのは難しそうだ。

 優乃は大人しく頭に魔のつかない本を数冊買って、すぐに書店を出ることにした。

 

「四季くん、私の用は済んだけど、どうする?」

「俺も買い終わりました」

「そっか。なら……早く出ようか」

「……そっすね」

 

 優乃と巡は、他2人が今にも書店内を戦場にしかねない空気感であることを察し、そこを去ることにした。

 ……まあ、ある意味では手遅れだったのだが。

 

「ねえ四季くん、もうあの2人置いていかない? 売り物の本の背表紙ぶつけ合ってチャンバラする輩と知り合いだと思われたくないよ私」

「……いや、俺もそうっすけど! 見逃してやってください今回だけは!」

 

 解散だけは防ぎたい巡は、2人の喧嘩を止めるために駆け出した。

 

 

 今度はバーガーショップ。

 

「これが……はんばーがー……ごくり」

「正しくは『キングビッグウルトラバーガー』ね。それデフォルトじゃないから、一番デカくて一番高いやつだから」

 

 巨大なハンバーガーを目の前にして涎を必死に我慢する理沙。その姿を見て、巡はひょっとしてと尋ねる。

 

「もしかしてだけど……理沙ちゃんって、ハンバーガー食べるの初めて?」

「(こくり)」

「マジか」

 

 「箱入りだなぁ」と驚く巡、「()()()もたいがいブラックだなー」と思う異能者2人。そんな外野の反応など理沙には届いていなかった。

 

「分析……カロリー量800オーバー、糖質約40g、コレステロール値130mg……こんな非効率的な食べ物があっていいはずが……でもこの、異様に食欲をそそる見た目と香りはいったい……ごくり」

「……こっちは食欲無くなるんですケド」

 

 あんまり聞きたくない分析結果を呟きながらトレイの上に鎮座するハンバーガーを見つめる理沙。そんな理沙(かなり小さい)とバーガー(かなりデカい)のサイズを見比べ、不安になった巡は声をかける。

 

「理沙ちゃん、1人で食べれる? 余るんだったら俺貰うけど――」

「必要ない。これは私のモノ」

「そ、そっか……」

 

 それを即答で断った理沙は、まるで誰かに奪われるのを恐れるように、紙包みを素早く剥して、出てきたバーガーにかぶりついた。

 

「!!」

 

 瞬間、彼女の舌と脳が人生最大の衝撃を受ける。しっとりとしたパンズに挟まれた具材、特に肉厚のパティからは肉汁と旨味があふれ出し口内を蹂躙。シャキッとしたレタスは歯ごたえに彩りを添え、その下から出てくるもったりとしたコクのあるチーズが堪らない。ピクルスとトマトも絶妙にマッチし、特製の味の濃いソースが味蕾を刺激しつつも全体の調和をさらに高める。

 

「はむ、むぐっ……理解不能理解不能、大したテクノロジーも使えないのに、これほど味覚に訴えかける味を合成できるハズが……はむもぐっ」

「……黙って食べなさいよウルサイわね」

「しかし、ハンバーガーでこれほど驚ける中学生が居るとはね……」

 

 異能者2人に呆れられながらも、物凄い勢いでハンバーガーをぱくつく理沙。数分後、『キングビッグウルトラバーガー』は跡形もなくなっていた。

 あっという間に食べつくし、忘我の状態となった理沙は呆然と呟く。

 

「……私はいままでなにを食べて……」

「そこまでか……」

「……科学の、敗北」

「そこまでか!?」

 

 科学の敗北すら認めた彼女は、今まで食べてきた強化人間用完全栄養糧料(どろどろしたペーストっぽいナニカ)を始めとする食事を思い出していた。それは完璧な栄養に体を強化する化学物質と、科学的観点から見れば「最高の食事」だった。しかし理沙の本能は、舌は、今食べた栄養も不完全で何のテクノロジーの影もない茶色い塊を「最高の食事」だと言っている。

 理沙がハンバーガーを選んだのは本当に小さな理由。「どこに行きたいか」と聞かれて、中庭での一件もあり「そういえば普通の人が食べるものって知らないな」と思ったのが理油である。その最たる例——完璧な栄養管理のされた食事の対局であるジャンクフードの王様に少し興味が沸いたのだ。それが、まさかこんな衝撃を受けることになろうとは。

 

「……お兄ちゃん」

「ん?」

 

 理沙は中身を失った紙袋を示し、真剣な顔で巡に尋ねる。

 

「これは世界でなんばんめにおいしいごはん?」

「うーん……まあここチェーン店だし、世界で見たらランキング外かなぁ」

「!!?」

 

 これよりおいしいものがたくさん……!? とショックを受ける理沙に、思わず全員が噴き出した。

 

 

 その後は映画を見たり……理沙がポップコーンとコーラに感動していた。

 

 UFOキャッチャーをやったり……軽い気持ちで始めた巡が3000円を溶かした。

 

 ウィンドウショッピングをしたり……朱里が優乃の容姿を褒めたら優乃の自覚がなくなんか変な空気になった。

 

 

 そうして様々なことをし、少し疲れた一行はモール内のカフェで一息ついていた。

 

「クッソ、もうちょっとで取れたんだけどなぁホゲ〇タ……」

「(まだ言ってんのコイツ……)ま、まああんな大きなぬいぐるみ、持って帰るの大変だし逆に良かったんじゃない?」

「……アレは推測されるアームの力と景品の形状・重量だと力学的にはほぼ不可能な設定、っておしえたのに」

「あはは……ほ、ほら。四季くんが見たがってた映画は見れたじゃないか」

 

 テーブル席でなんたらかんたらフラペチーノを啜る若者4人。その様子は、最初よりはいくばくか打ち解けたようにも見える。

 

「(映画、映画……そうだ!)」

 

 その光景と「映画」というキーワードで、巡は本来の目的を思い出した。

 巡はごくりと唾を飲み込み、勇気を振り絞る。彼の直感はここだと告げていた。

 

「……い、いやぁ、映画おもろかったなぁ。皆はどう?」

「まあ『こういうの男子好きそー』とは思ったけど、私もそれなりに楽しんだかな」

「映像から見受けられる高いCG技術には一見の価値が……いや、えっと、CGがすごかった」

「伏線やカタルシスもあって脚本の質の良さを感じたよ」

 

 まあおおむね好評、といった所か。しかしこの話題の核心は違うところにある。

 

「(行くぞ俺、覚悟を決めろ!!)」

 

 そうして巡は、下手すれば即解散になりかねない話題をぶっこむ。

 

「あ、あの映画だとさぁ。滅茶苦茶強い敵が出て来て、それまでいがみ合ってたキャラたちが共闘したじゃん。異能者ってそういうのやらないの?」

 

 ――ピシリ、と。

 周囲の空気が固まった。

 その空気に押しつぶされそうになりながらも耐える巡。

 

「(そりゃそうだ! 皆バレてるのは分かってただろうけど、そのうえでなんとなく『異能の話はNG』って言う暗黙のルールがあった。それでこの関係は成り立ってた。それくらいは俺でも分かる。でも――)」

 

 もう後に引けない巡は、一晩悩んで出した自分の考えを主張する。

 

「多分()()()皆に重傷を負わせたんだろうあの魔剣士、アイツがさ、満月の日にまた皆を襲いに行くらしいんだ。それもこの前よりパワーアップして。だからその、皆は対立してるっぽいのは知ってるけど……その日だけ一時休戦してさ、協力して戦うってのいうのはどうかなって――」

 

 ガタン! とテーブルが揺れた。朱里が立ち上がったのだ。

 

「なるほどね。今日はそれを言うために、わざわざ私たちを集めたってワケ」

 

 紅蓮の瞳が、巡を射る。

 それに気圧されつつも、巡は縺れる舌をなんとか回した。

 

「そ、そうだよ。俺は皆に死んでほしくないんだ。あんなバケモノに襲われたら、今度こそ殺されるかもしれないっ。それを黙って見てるなんてこと……うわッ!?」

 

 ――炎が。突如として現れた炎が、巡の前髪を少し焼いた。巡の体が反射的にのけぞる。

 

「おあいにくサマ。私たちは()()()()()よ。魔剣士(アイツ)と同じ、異能者って名前のバケモノ」

 

 朱里は、激情が燃えているようにも、逆に冷え切っているようにも見える鋭い視線で巡を見る。巡がこちらを見上げる目、その中に怯えの色が含まれているのを、彼女は敏感に嗅ぎ取った。

 

「……アンタは異能者じゃない。私たちの世界を知らない。それなのに『絶対に自分が正しい』みたいな顔で、平和な世界(そっち)の常識を持ち込まないでくれる?」

「自分が正しいなんて、そんな、ことは」

 

 思わず反論しようとした巡の姿に、朱里の中で何かが爆発した。

 

「思ってるでしょ!! アンタは『人殺しなんて間違ってる』って思ってる!! 『野蛮なことだ』って、それで私たちを殺そうとした魔剣士を悪者だと決めつけて、殺されかけた私たちに同情して!! ふざけんな!! もしも立場が逆だったら、アンタは何も考えず魔剣士(あっち)側に立つんでしょ!?」

 

 その言葉に、巡は何かを言おうとして……しかし何も言えなかった。そんなはずないと思っているのに、その通りだと、どこかで認めてしまった自分が居た。

 

「もしアンタの基準で善悪を測るなら、私もこの2人も、あの魔剣士に匹敵する『悪』よ!! 私たちがやってるのは喧嘩じゃない、全力の殺し合いなんだから!!」

 

 そしてそれがトドメだった。もう巡は何も言えず、ただ自分が間違えた事だけを悟った。ただ、「何を」間違えたのかは分からなかったが。

 

「私たちは別に『助けて欲しい』とも言ってないし『殺しが悪』とも思ってない……何も知らないくせに首を突っ込んで来るな!! この一般人ッッ!!!!」

 

 それを捨て台詞に、春咲朱里は店を飛び出した。彼女を追うことは、完全に気圧された巡にはできなかった。

 

「お、俺は……」

 

 その先の言葉が繋がらない。動けない。何をするべきか分からない。

 そんな彼の横で動きがあった。理沙が席を立ったのだ。

 

「『他陣営との共闘はしない』。これは冬野グループの決定。そしてグループの決定は、私の決定」

 

 彼女は耳に手を当てながら言う。恐らくどこかと通信をしているのだろう。彼女も自分の提案を否定したことに、巡は大きな驚きを抱かなかった自分に驚いていた。

 

「これは間違いじゃないと、私もおもう。他陣営との共闘関係中に不意打ちされる確率は統計で72.6%……この数字にせなかをあずけることはできない」

 

 それはあまりに尤もな意見で、反論できるはずもなく。

 

「……私がつくられたのは、敵を殺すため。私のうまれた意味はそれ。……ごめんね、お兄ちゃん」

 

 理沙も店を出ていく。残されたのはあの日と同じ、巡と優乃の2人。

 そして優乃も、申し訳なさそうに言う。

 

「四季くん。私もだよ。彼女たちと協力することは出来ない」

 

 まるであの日の焼き増しだな、と巡はどこか上の空で思った。ただ違うのは、今回は正面からぶつかり正面から否定されたということ。対話の上で、己の間違いを悟ったということ。

 

「……今だから言うけど。異能者の世界って言うのは、君が思ってる10倍は酷い。頻繁に戦争状態になって、そのたびに敵を殺して味方が殺されて……それの連続。そんなのがもうずっと続いている」

 

 巡は俯く。それは失敗を受け入れるためか、それとも受け入れられないがゆえか。

 そんな彼に対し、優乃は静かに続ける。

 

「私の母は、超能力者との抗争中に殺された。父は科学使いに捕まって死んだ。仲間が回収した父の死体には、酷い拷問の跡があったらしい。いや、奴らの言葉を借りるなら『耐久実験』の跡と言うべきか」

 

 巡はそれに驚いて、すぐさま自分を恥じた。自分はそんなことも知らずに彼女らの手を取らせようとしていたのだ、親の仇と協力しろと言ったのだ、と。

 

「別に私は、そこまで彼女らを憎んでるわけじゃない。どちらかと言うと、殺し合いがバカらしくなって研究者の道に進んだタイプだからね。それでも手を汚したことが無い訳じゃないし、彼女らを好きになったり信じたりすることも出来ない。それは多分お互い様だ。魔術師も有史以来、いったい何人の父母を殺し孤児を作ったかは分からないんだから」

 

 言葉を選んでいるだろう優乃の優しさすら、今は辛かった。

 巡が顔を上げると、彼女と目が合った。優乃は少し表情から力を抜き、静かに語りかける。

 

「君の優しさは、勇気は、日の当たる世界では美徳です。でも私たち多くの異能者にとってそれは、自身の生き方を糾弾され、否定されるのと同じこと。どうかそれを分かって欲しい」

 

 あの日と同じ、普段見せるのとは違う口調。それが「素」の優乃であることを、巡は直感した。

 

「さようなら、四季くん。もし満月を超えても私が無事だったなら、また2人で日誌を書きましょう」

 

 そうして、優乃も席を立った。

 あの日と同じように、残されるのは巡ひとり。

 けれどあの日とは違う。あの日は偽物の関係に罅が入り、そこから剥き出しになった本物の関係が見えた日だ。それは偽物よりも遥かに色あせていて、きつくて痛くて、ささくれとほつれだらけだったけど……どこか偽物よりも温かいような、血の通っているような、そんな気がする関係だった。

 けれど今日、その本物が千切れてしまった。

 

「……俺は、甘えてたのか」

 

 ぽつり、言葉がこぼれる。

 

 ――そうだ。俺は甘えていた。何もせずとも千切れず寄ってくる偽物の関係、それを忌避しながらもどこかでそれに甘えて、すぐに千切れてしまう本物の関係という糸を今までと同じように扱った。偽物の糸が切れなかったのは相手が努力していたからなのに、そのことに気付きもしないで。

 

「何も知らないのに、全部知ってる気でいて」

 

 彼女たちのことを知ろうともしなかった。「自分が正しい」と思い込んでいた。「俺がなんとかしなきゃ」って暴走して、相手の気持ちも考えないで。ただ自分勝手に助けようとして、糸を自分の望み通りに引っ張って……それが彼女たちのことを傷つけた。

 かつてあれほど恐れたことを、俺は知らぬうちにこの手で行っていたのだ。

 

『私たちは別に「助けて欲しい」とも言ってないし「殺しが悪」とも思ってない……何も知らないくせに首を突っ込んで来るな!!』

『……私がつくられたのは、敵を殺すため。私のうまれた意味はそれ。ごめんね、お兄ちゃん』

『君の優しさは、勇気は、日の当たる世界では美徳です。でも私たち多くの異能者にとってそれは、自身の生き方を糾弾され、否定されるのと同じこと。どうかそれを分かって欲しい』

 

 彼女らの言葉が、それを言ったときの表情が、頭の中でぐるぐると回る。

 

「俺の、クソバカヤロー……」

 

 ——皆、泣いてた。涙は流れていなくとも、その心は確かに泣いていた。

 俺が、泣かせた。

 するり。手にかかる幻の感触。

 3本の糸が、俺の手のひらをすり抜けるように離れていく。これ以上繋がって居たくないと、傷つけられたくないと、逃げるように。

 その糸を追う気力も、資格も、今の俺には存在しなかった。

 これが「間違える」ってことなのか。今まで逃げ続けたその痛みが、嗤いながら俺を突き刺した。

 

 ……何分そこで俯いていただろう。

 ふと、項垂れた俺の頭に影が射した。

 

「巡先輩」

「……秋月?」

 

 顔を上げると、そこには秋月コノエが立っていた。何故ここに居るのか、と目で問いかけると、

 

「はい。影ながら護衛していました。異能者とご一緒のようでしたので」

 

 変装用なのか深く被っていた帽子を外しながら、何でもないように彼女は言った。

 

「失礼ですが、先ほどのやり取りは見ていました。先輩は春咲朱里、冬野理沙、夏目優乃の3名に情を感じている。そして彼女らを団結させることで魔剣士の脅威から助けようとした。そうですね」

「ああ……結果は大失敗だけどな……」

 

 俺は自嘲気味に笑った。2人の間に沈黙が下りる。

 ふと思いついたことが合って、駄目元で秋月に問いかける。

 

「秋月が所属してる『異端審問会』ってトコに、3人を守ってくれって頼むのは……」

「……それは不可能です、巡先輩。審問会は非異能者を守る組織。いつ人々の安寧を脅かすともしれない異能者を狩ることはあっても、守ることは決してありません」

 

 すげない答え。断られるのは予想していたのに、それでも傷つく自分が馬鹿らしい。

 

「そして私個人としても、その頼みを聞くことは出来ません。私の力不足を棚に上げるようで心苦しいのですが、余裕がないのです。応援は呼びましたが、あの魔剣士は余りに強い。とても誰かを守りながら倒せる相手ではない。寧ろ『連続戦闘』で消耗したところを狙うのが……いえ、何でもありません」

 

 それはつまり、春咲たちと戦って消耗したところを狩るということか。彼女らを見殺しにするということか……そう叫べたらどれだけよかっただろう。

 そんな資格は、俺には無い。これ以上間違えることはできない。

 口をぎゅっと結び堪える俺に、秋月は諭すように言う。

 

「巡先輩。あなたはこれ以上何もしない方がいい、と私は思います」

 

 ……一瞬。ほんの一瞬だが、「よかった」と思った自分が、心のどこかに居た。もう頑張らなくていいのだと、その大義名分を得たのだと……それがどうしようも無く恥ずかしく、恨めしかった。

 自分の弱さが、苦しかった。

 

「魔剣士は我々審問官が倒します。だからこれ以上、あなたが動く必要は無い。たった数日親交のあった異能者よりも、自分の身を大切にして欲しい」

 

 「俺が頑張らなくていい理由」が、秋月の言葉によって積み重なっていく。優しい言葉のハズなのに、俺の身を案じた言葉のハズなのに……まるで立ち上がるなと、もう膝を折って諦めろと言われているみたいで。

 

魔剣士(ヤツ)にあなたの身が脅かされることは二度とないと誓います。だから、彼女たちのことはもう忘れて……」

 

 俺は衝動的に、秋月の言葉を遮った。

 

「なあ秋月。俺さ、友達いないんだ。俺に挨拶してくれるのはおまえくらいだった」

 

 彼女と目を合わせる。その鋭い目に、これ以上は止めてくれと念じながら問いかける。

 

「俺、おまえが危ないのも死ぬのも悲しいよ。でも()()は、迷惑、なんだよな」

 

 秋月は目を逸らして、そして踵を返した。

 

「……すみません先輩。恨まれても嫌われても文句は言いません。けれど、これが私の使命なのです。私はあなたを護る刃。あなたの望み全てを優しく受け止めることは、できません」

 

 そうして去っていく秋月。彼女もまた、俺とは違う世界の住人。

 

「……結局俺は、傷つけただけかよ。なあ(しきめぐる)……なんでおまえは、自分に救えるなんて思ってたんだ? 誰かを救った事なんて、一度だってないくせに」

 

 あの日よりも遥かに沈んだ気持ちで、俺はしばらくその場を動けなかった。

 

 ◆

 

「……ッ」

 

 人でにぎわうショッピングモール内を、春咲朱里は速足で進む。その表情に、仕草に、燃え滾る怒りを滾らせながら。

 

「うわっ、なんだ!」

「熱っ……鞄が燃えてる!?」

「火事!? イタズラかっ?」

 

 人が持つアクセサリー、観葉植物、ゴミ箱……朱里の周囲で際限なく小火(ぼや)が発生する。普段は完璧に制御できている超能力が暴発していることが、彼女の抑えきれない憤怒を表していた。

 その原因は、四季巡。

 その顔を思い出したときに、更に猛る怒り……それは炎に変わることは無かった。

 

「——っう」

 

 ズキン、と胸の傷が痛み、朱里はよろけて壁に手をつく。気付けば人気の無い階段まで来ていた。

 階段に座り込んで、朱里は息を整える。人目が無いのは良かったが、それゆえの静寂は彼女に思い出したくないことを思い出させた。

 

『俺は皆に死んでほしくないんだ。あんなバケモノに襲われたら、今度こそ殺されるかもしれないっ。それを黙って見てるなんてこと……』

 

 四季巡の言葉が頭をよぎる。

 彼は正しいのだろう。それは朱里たちの身を案じた言葉で、優しさで……だからこそ、その考え方に吐き気すら覚える。

 ――今まで「燃やした」敵にも、そう思っていた人が居たはずだから。その場合彼が言った「バケモノ」は朱里自身。

 もし四季巡の手を取れば……朱里は否定することになる。これまでの殺人も、これからの殺人も。自らの幸せを勝ち取り、守るための行為であったそれらを。

 

「やっぱり嫌いよあんなヤツ。こっちのこと何にも知らないでッ」

 

 朱里は巡の顔を思い浮かべながら悪態をつく。一度決壊すると、恨み言は止まらなかった。

 

「そもそも気に入らなかったのよッ。普通の生き方できる癖して友達居ないとか、馬鹿にしてるわ。そんなだから人の事情も考えず行動できるのよッ」

 

 朱里にも「普通」に憧れていた時期があった。異能も戦いも絡まない、普通の生活。それを最初から持っているはずの巡がつまらなそうに生きるのを見て、朱里はとても苛ついたものだ。

 

「異能者ってだけで私がどれだけ苦労したか! もし私がアイツの立場に居たなら、友達も恋人も溢れるくらい作って……」

 

 その無意味な仮定に、朱里の中の怒りは鎮火された。それはかつて、何度も今と同じことを考えたがゆえ。だから知っている。これ以上はむなしいだけだと。

 それなのに、むなしいだけの言葉が今日は止まらなかった。

 

「……そっか。結局、私も友達、居なかったな……」

 

 思わず漏れたその言葉に、どんな意味が込められていたのか。それは朱里自身にすらもう分からない。

 

 ――それから魔剣士が襲撃してくるそのときまで、春咲朱里と四季巡が顔を合わせることは無かった。



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⑪ 4月15日(水)・夕方

 4月15日、水曜日。今宵は満月であり、魔剣士が襲撃を予告した日。

 俺、四季巡は自宅のベッドの上で、何をするでもなく考えていた。

 

 思い出すのは、3日前の日曜日。俺が春咲たちを助けようとして失敗した日。

 あれ以来、俺は学校をサボって引きこもっていた。なんとなく、合わせる顔が無かった。……いや、正直に言おう。顔を合わせるのが怖かった。

 

『私たちは別に「助けて欲しい」とも言ってないし「殺しが悪」とも思ってない……何も知らないくせに首を突っ込んで来るな!!』

『……私がつくられたのは、敵を殺すため。私のうまれた意味はそれ。ごめんね、お兄ちゃん』

『君の優しさは、勇気は、日の当たる世界では美徳です。でも私たち多くの異能者にとってそれは、自身の生き方を糾弾され、否定されるのと同じこと。どうかそれを分かって欲しい』

『巡先輩。あなたはこれ以上何もしない方がいい』

 

 3日前から、ずうっと同じことを考えている。同じ言葉を思い出している。

 

「俺は……」

 

 俺は溺れていたのだ。ただ漠然と「何かをやらねば」という使命感に。そしてその、初めて味わう地に足のつかない状態に酔っていた。

 物語の主人公にでもなった気分で、「この俺がやったことの無いことをするのだから、とうぜん成功するだろう」と……どう考えても真逆だろう。「やったことの無いことを始めてやれば、たいてい失敗する」。その程度の浅い真実にすら気付けていなかった。その甘えが、驕りが、結果的に人を傷つけた。

 

「クソッ」

 

 居てもたってもいられなくなり、衝動的に部屋の中を歩き回る。そしてタンスの中身をひっくり返し、あらゆる戸棚を開け放ち、パソコンの中身までくまなく調べる。

 

「なんか無いのかよ親父ッ。何か隠してるんだろ、こっから逆転できる最強のアイテムがあるんだったら、今すぐ帰ってきて教えてくれよッ」

 

 これもこの3日で何度も繰り返した。ただじっとしていられなくて、でも再び失敗するのは怖くて。だから取り返しのつく範囲の抵抗を……自分の家の家探しだけをする。「俺は頑張ったんだ」って言い訳するために。「なにもしてない訳じゃない」って自分を納得させるために。

 

「……ダッセェな、俺。くそッ」

 

 目を逸らし続けた自分の弱さに耐えられず、苛立ち混じりにタンスを蹴る。すると、その上に載っていた写真立てが落下した。

 

「あッ」

 

 ガシャン、と音を立てて写真を保護していたガラスが割れる。

 それは家族写真だ。若い親父と、生きてる母さんと、ちっちゃい俺。俺が5歳のころ撮った、最後の家族写真。

 

「……最悪だ」

 

 大切な思い出の証。それをくだらない八つ当たりで傷つけてしまった自分に辟易しつつも、俺は直すために膝をついて写真に手を伸ばす。

 

「良かった、写真は破れてない……」

 

 少し画質の荒い写真を破らないように慎重に取り出して――。

 

「ん? 何か挟まってる?」

 

 写真立ての背と家族写真の間に、何かの感触があった。挟まっていたものをゆっくり引き抜いてみると……それは2枚の紙だった。

 

「なんだ、コレ」

 

 こんなの知らないぞ。

 知らないのに……妙に胸がざわつく。

 

 俺は改めて取り出した紙を観察する。

 紙の具合からして1枚はかなり古く、もう1枚は比較的新しい。さらに言えば、古い方はボロボロの封筒に入っていて、新しい方はコピー紙のようなしっかりした紙を雑に折りたたんである。

 

「封筒は……後にしよう。まずはこっちだ」

 

 俺は新しくしっかりした紙の方から開いてみた。それは――報告書、か?

 

「なんだコレ。『異端審問会より』? 『調査報告』、『後天的超能力者の人工作製』、『継続を確認』、『過去の事例』——この張り付けてあるのは昔の奴か。『人造神子(みこ)計画』、『襲撃』、『唯一の成功例が失踪』……ダメだ、文章が硬すぎて意味分からん。後で落ち着いて読むか」

 

 俺は新しい方の紙を置き、もう片方の紙を手に取った。

 

「こっちは封筒、か。開けられてない。多分市販の奴だな。切手が付いてない……中に入ってるのは便箋、か――」

 

 封の切られていない封筒をひっくり返したり透かしたりして調べていたとき。

 「その文字」を見た瞬間、俺の心臓は止まった。

 

[巡へ]

 

 その文字は。もう10年見ていない、その筆跡は。

 

()()()()()()――?」

 

 見た瞬間、妙に胸がざわついた理由がパズルを埋めるように解明されていく。古い封筒。10年前。家族写真の裏に隠してあった。そして朧げな、今だけは鮮明に思い出せる記憶。

 

 葬儀場。夕方。線香の匂い。涙。

 

『——巡。母さんから手紙を預かってるんだが……』

 

 横に親父。悲しみ。首を振る。

 

『……そうか。無理に読ませなくてもいいと、あいつも言っていた。いつか……おまえが痛みに耐えれるようになった、そのときは――』

 

 霞む情景。

 涙を堪えながら、俺は思わず下手くそに笑った。

 

「……あの親バカ親父、子供扱いしすぎだぜ……ッ」

 

 そうして俺は、10年開けられなかった封筒の封に手をかける。

 

「こちとら、最近痛い思いばっかりなんだよ。充分痛みには耐えられる。だから――」

 

 母さん、ちょっとでいいんだ。この思いが10年前に届いているなら……不甲斐ない息子の背中を叩いてくれ。

 

 そうして、夕暮れの部屋で、俺は亡き母からの手紙を開いた――。

 

 

[ 巡へ

 

 何歳になりましたか。元気ですか。私がその答えを知ることはきっとできないけれど、あなたが健康に育っていることをいつも祈っています。

 私はもう長く生きられません。それは仕方のないことだけど、あなたに何もしてあげられないのがとても悲しい。だからこの手紙を書くことにしました。

 私があなたに遺せるものは、あまりに少ない。きっとその体くらいでしょう。私よりずっと丈夫に産まれてくれて、本当に良かった。

 けれどお弁当を作ってあげることも、おかえりを言ってあげることも、恋のアドバイスをしてあげることも、一緒にお酒を飲むことも、私にはできない。だからそれはお父さんにやってもらって。そのかわりに私からあなたには、いくつかの言葉を送ります。

 私は、人間は彫刻に似ていると思っています。傷つくたびに磨かれて、疵ついたはずなのにどこか綺麗になる。時には歪んだ形になるけれど、正しくぶつかり合えばどこからでも美しくなれる。そんな不思議な生き物こそ人間だと、母はそう思っているのです。

 進さんは、お父さんはあなたが怪我をしたりすることを恐れているけれど、私はたまに傷ついたっていいと思います。それで俯いたりせず、キズを誇って、「昨日より理想の形に近づいたよ」と笑って流してしまえばいい。

 でもそれは、あなたが傷つけられても平気という訳ではないですよ。キズを受け入れられても、痛みをないがしろにしてはいけない。傷つけられたら怒っていいし、傷つけられないように逃げてもいい。あなたの痛みの声には、あなたが一番耳を傾けてあげないとだめ。

 それでも、傷ついてでも、疵つけられてでも、とっても痛い思いをするとしても、手に入れたいものとか譲れないものとかができたなら。そのときは喧嘩でもなんでもしてしまいなさい。私の言葉を言い訳にして、相手と死なない範囲でキズつけあってしまいなさい。お母さんが許します。でも絶対勝てない相手とか、無駄に痛い思いをするだけのときからは逃げなさい。それもお母さんが許します。

 あなたがキズつくことは怖いけれど、きっとそうしなければ得られないものが人生には沢山ある。戦ったり、立ち向かったり、挑戦したり。それが、私が短い人生で学んだこと。失敗してもいいのです。結果とか順位なんかは、あなたが無事でいることに比べたら、ほんとうにちっぽけでなんでもないことなんだから。

 最後に。お父さんと仲良くね。私の心はいつでもお父さんと一緒にあるから、辛くなったときは頼ってあげて。あと

 産まれてきてくれてありがとう。私はずっと、あなたを愛してるよ

 

お母さんより ]

 

 

「……」

 

 ――思い出す。

 陽だまりと消毒液の匂い。風が笑うその部屋で、ベッドの上のあなたは全てを許すように笑っている。

 友達の作れない気の細さも、ピーマンとにんじんが苦手なことも、看病に来たのに眠くなって母に体を預けてしまう幼さも、全てを受け入れるみたいに微笑んだ母さん、あなたのことを。

 

「思い、出したよ」

 

 そうだ。あなたは大人しく見えてその実、誰も勝てないくらい強かだった。ともすれば滅茶苦茶だと思うくらい。

 昔、俺がガキ大将に殴られたとき、私が許すから殴り返せと言った。後日その通りにしたら相手の親が飛んできたけど、母さんはその人を叩いて説教を始めた。体が弱いのに相手に一発やり返させて、その後一晩中口論して。朝日を浴びながら「勝ったわ」と言ったのには、流石の親父も苦笑いするしかなさそうだった。

 親父の親バカは、母さんのがうつったんだったな。

 

「おもい、だした……」

 

 母さんのハンバーグの味。忘れるわけない、俺の料理下手は母さん遺伝だよ。一緒に童謡を歌ったこと。ピアノを弾くのが上手かった。目が良いって褒めてくれた。お父さんに似てるねって。そして、親父と3人で眠ったこと。子守歌。握った大きい手。あたたかさ。笑顔。優しさ。

 なんで忘れてたんだろうってくらい、沢山、たくさん思い出せる。

 

「お、もぉい……だしら……っ」

 

 大粒の涙が、頬を流れる。手紙を汚したくなくて上を向いた。

 なんで忘れていたのだろう。なんで思い出せなかったんだろう。ありがとうも愛してるも、たくさんもらっていたハズなのに。

 傷ついたとき、失敗したとき。あの日あの約束の日。その言葉に頼っていれば……ただ立ち尽くすだけじゃない、間違いで終わらせてしまわない、そんな結末に、なっていたかもしれないのに……。

 

 ……いや。

 

「違うだろ、俺」

 

 いつの間にか涙は枯れていた。

 

 そうだ。まだ終わっていない。まだ取り返しがつかない訳じゃない。母さんが教えてくれただろう。俺は失敗した。傷つけて、傷ついた。()()()()()、昨日より3日前よりも理想の俺に近づいたハズだ。少なくとも、ひとつの失敗のパターンを知っただけでも、その分誰かを救える俺に近づけているのだ。

 

「ここで、立てなきゃ……」

 

 それに、「取り返しがつかない」っていうのはきっと、今俺の胸を襲っている悲しさのことを言うのだ。ありがとうと伝えたいのに伝えられない。愛してるを返したいのに届かない。死という決別。永遠の喪失。

 

「約束、破ることになっちまう。痛みに耐えれるって、そう言って手紙を開けたんだから」

 

 俺は手紙を置き、立ち上がりながら考える。目を向けまいとしていた意識の闇に光を当てる。

 

 ……本当はずっと分かっていた。俺に友達が居なかった理由。俺が孤独にこだわった理由。

 俺は怖かったのだ。「失ってしまう」のが。

 母さんの死が、その喪失がトラウマとなり、新しい縁を拒んでしまった。俺と友達になってくれる人間は、きっとどこにでもいてくれたのに。

 人間関係が糸なら、俺は母さんとの糸の切れ端を握りしめて、他の糸を取らなかった。切れた糸はもうどこにも繋がっていないのに。それでも離すことを拒んだ。

 寂しくても、苦しくても。また失うくらいなら、そのほうがずっとずっとマシだ、とそう信じて。

 

「……まだ、月は出てないよな」

 

 でも、俺は知ってしまった。

 

 春咲朱里。隣の席に彼女が居る教室は、普段の何倍もドキドキして、予測不能で……ちょっぴり気まずかったけど、それでもどこか心躍った。平凡な日常を彩る桜の雨のように。知らないことと沢山出逢う春のように。

 

 冬野理沙。彼女に慕われる日常は、いつもより背筋が伸びて、でもいつもより力が抜けて……驚かされることは多かったけど、何より楽しかった。ふとした時に鼻先をつつく粉雪のように。暖炉の前で笑い合う冬のように。

 

 夏目優乃。美人な彼女との部活は、時に全身が熱くなって、時に冷や汗で冷たくなって……多少のすれ違いはあれど、どこか夢のような時間だった。ひまわり畑でするかくれんぼのように。全てがきらめいて見える夏のように。

 

 そして、秋月コノエも。彼女は淋しかった時期の俺に挨拶をしてくれた。その嬉しさは忘れていない。そして彼女は、己を危険に晒してまで俺を護ろうとしてくれている。それは枯葉となって景色を彩る紅葉樹のように。忘れたころに訪れる秋のように。

 

「——行くか。『喧嘩』しに」

 

 俺、行くよ母さん。

 傷ついてでも、疵つけられてでも、とっても痛い思いをするとしても守りたいもの、失くしたくないもの……それが俺にもできたんだ。だから、行くよ。

 

 俺は、10年間心の奥底で握り続けていた母の糸——既に千切れていたそれを、ゆっくり、優しく、天国に向けて手放した。

 この心に、新しい糸を掴むために。

 

 ——人間関係とは糸のようなものだ。

 数日前から俺に絡まったそれは、俺をぐいぐいと引っ張って、見た事のなかった景色を見せてくれた。好悪、真偽、未知──様々な色をしたそれらの糸は、普段の日常すら彩ってくれた。

 今なら思う。この手に飛び込んできてくれた彼女たちとの関係を手放したくないと、そう強く。

 だから今度は、こっちが絡みに行く番だ。

 俺はとっくに知っていた。相手の側へ飛び込むことは、受け身でいることの何百倍も勇気がいるということを。

 彼女らは俺に話しかけた時、どんな気持ちだったんだろう。緊張? 期待? 無関心とか嫌悪……とかだったらちょっと悲しいな。

 でもそれも、直接聞いて知ってみたい。

 そんなふうに、糸を手繰るように走り出す。

 人間関係は糸のようなもの。だからこそ、相手に自分という糸を勇気と共に手渡し、信頼と共に相手の糸を受け取ることでのみ、関係は繋がり保たれるのだ。

 

 ◆

 

 巡が飛び出し、扉が開け放たれた部屋。

 風に揺れる手紙には続きがあった。

 

[PS. もしもあなたが"お父さん関連"のことで悩んでいるのなら]

 

 それはどういう意味なのか。今宵何が始まろうとしているのか。

 

[死なないように、目でもなんでも使ってしまいなさい]

 

 ——それらは全て、今から起こる戦いが物語るであろう。



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⑫-1 4月15日(水)・満月の夜

 煌々と輝く満月が夜闇を照らす。

 冷たく湿った宵の風が、桜の花びらを攫いながら街を撫でた。

 そんな春の夜を、窓越しに眺める少女が居た。

 彼女が立つのは木世津高校内・東棟2階の廊下。照明が消えた暗い校内の中、薄闇に取り残された蝋燭のように立ち尽くし、特徴的な赤毛を揺らしながら窓の外を眺めている。

 

「……」

 

 彼女の名は春咲(はるさく)朱里(あかり)。超能力者。無言で何かを待つようなその姿、夜闇が影を作った表情からは、彼女が何を考えているか伺い知ることは出来ない。

 

 ジジ、と事切れた蛍光灯が小さく啼いた。窓が夜風を受けカタカタと震える。

 しんとした静寂が、普段なら聞き逃すだろう物音を鮮明に浮かび上がらせる。

 

 予兆はなかった。

 

「……一応、訊いておくけど」

 

 朱里の声が静寂を破るように廊下に響く。

 廊下の先、深淵を思わせる暗闇の一歩手前に……まるで影から滲み出てきたみたいに、音もなく襲撃者は立っていた。

 

 獣の耳と眼光。露出の多い派手な服。身の丈を超えるほどの漆黒の大剣——魔剣ダーンスレイヴを持った魔剣士の女、藍華(アイカ)・ヴァレンタイン。

 そんな異貌の人狼に、朱里は問いかける。

 

「私を最初の獲物に選んだ理由は?」

 

 その問いに、藍華は顎に指を当てながら、相変わらずの軽い調子で答える。

 

「ん~? 窓の外から見えたから、それだけ。あと……」

 

 その休み時間の教室に居そうな気安い表情が、仕草が。

 月光に照らされ爛々と輝く黄色い瞳に、狂気に、一瞬で塗り替えられた。

 

「今夜はキミが最初じゃないよぉ? 赤毛の子羊ちゃん」

 

 ぽたり。廊下に血が滴る。

 藍華の握った魔剣、その刀身にはまだ乾いていない血がべっとりと付いていた。

 

「異端審問官っていうの? なんか来る前に絡まれちゃってさぁ~……かよわぁい女1人相手に男数人で囲んできたから、ムカついてすぐ()っちゃった☆ おかげで今ウチは、可愛い女子のお肉をゆぅっくり裂きたい気分なんだァ」

 

 ざわざわと揺れる狼の如き髪、血走る目、牙の覗く口からこぼれる熱い吐息と唾液。その肌の下にあるのは人ならざる獣の殺意、捕食者としての余裕と強者の証明への愉悦だろう。

 そんな魔剣士に、人のカタチをした獣に喉元を狙われつつも、朱里は特に叫びも怯えもしなかった。

 彼女は小さく、

 

「あっそ。まあいいわ」

 

 そう呟いて……ただ、周囲の空気が変わっていく。

 ぱきり、塩化ビニルの廊下床に罅が入る。バキリ、と蛍光灯が割れる。窓ガラスが結露し内側に水滴が現れ、その水滴が早回しのように消えていく。

 春咲朱里の周囲が、急激に乾燥・高熱化しだしていた。陽炎を作り出し空気を揺らす「怒り」の中で、朱里は赤毛をはためかせながら敵を見据える。

 

 紅蓮の化身に正面から睨まれ、さしもの魔剣士も表情から緩みを消した。その笑みは飛び掛かるため身をかがめた猛獣の笑みへと変ずる。

 表情に合わせるように藍華は重心を下げ、剣を後ろに構えて突撃態勢を取る。やはりそれは四足の獣のようで。

 

「ねぇー、斬ってイイ? 断面可愛がってアゲルからさァ!!」

 

 そんな相手に対し、超能力者は感情を高ぶらせ、瞳に映る的への「怒り」を爆発させた。

 

「ぶっ(コロ)してやるわ(クソ)女ッ!!」

 

 斬撃と炎撃が、音と光を持って静謐な夜を盛大に引き裂く――まさにその瞬間。

 

 

 窓の外。()()()()()()()

 

「――は?」

 

 月光を遮るその影を、朱里も藍華も目の当たりにした。

 彼がやろうとしていることはすぐわかった。手を支点に、足をハンマーに、振り子の要領で窓ガラスをぶち破ろうとしている。

 そんな蛮行を働く、彼の、名は。

 

「四季、巡!!?」

 

 ——ガシャァン!! とガラスの割れる音と共に、彼は廊下に飛び込んできた。

 砕けたガラスが月光を反射し、光の雨のように輝く中……四季巡は盛大に着地。床と靴を擦らせながらもなんとかバランスを取り、転倒せずに廊下の真ん中、2人の異能者の間にて停止する。

 

 そうして上体を起こした彼は――自分の両側に居る少女2人の顔を首を振って何度も確認しながら、こう言った。

 

「ギリギリセーフか!?」

 

 ……は? という顔で停止する異能者2人。そんな彼女らの姿を見て、そして春咲に怪我らしきものが確認できないと分かると巡は、

 

「セーフだな!? 死んでないな! ……よし間に合った、良かったぁ~」

 

 などと(のたま)い額の汗を拭いた。

 ただ全然良くないのが他2名である。そしてこの場で先に口火を切ったのは彼との縁が深い方である赤毛の少女。

 

「良くないわよ何も! ここ2階よ!? なんで窓から登場してんのよアンタ!」

 

 そう朱里がツッコむと、巡は気の抜けた顔で答える。

 

「え、いや、春咲が2階の窓に見えて、居てもたってもいられなくなって……そこからはほら、なんていうか……勢い?」

「何の理由にもなってないわよ! ていうか……ッ」

 

 そこで朱里は、巡と最後に顔を合わせたときのことを思い出した。

 「死んでほしくない」と縋る巡に、「何も知らないくせに」と突っぱねた朱里。あの時、確かに2人の道は分かたれたハズだ。

 

「もう話はついてたでしょ。 いったい何しに来たのよアンタはっ」

 

 そう突き放すように問う朱里に――巡は表情を大きく変えることなく、けろりとした顔で答えた。

 

「喧嘩」

 

 喧嘩。けんか、ケンカ? 人と人が争う事(けんか)???

 言葉が何度も朱里の脳内で反響して、その上で彼女の口から零れたのはやはり、

 

「はぁ?」

 

 という困惑の言葉だった。

 何を言ってるのか本当に分からないと表情で語る朱里に、巡は真剣な顔で続ける。

 

「俺、納得してねえんだよあの日の事。だいたいさ、おまえらの方が俺に近づいてきたのに、俺から手を伸ばすのがダメなんておかしいだろ。それにあんな雑な論破1回で『幼馴染』見殺しにしろとか、そんなの納得できるわけない」

 

 もはやどこからツッコめばいいのか分からず、口をはくはくと動かすだけ朱里は、巡の瞳が力強い光を湛えていることに気が付いた。

 ――本気だった。

 その目は今まで見た巡と比べて最も真剣で。「ふざけてる」と思って向き合ってしまった朱里の方が気圧される。

 そうしてそんな朱里の目の前で、巡はぱしんと拳を包む。

 

()()()()()()()()()。どうせ傷つけあったならさ、お互いが納得するまでトコトンぶつかった方がいいだろ。俺はおまえと、おまえらと喧嘩しに来たんだ」

 

 もはや3日前とは別人のその姿、その表情、その発言。

 何かが吹っ切れたような巡にはしかし、どうしても朱里が口を出したくなってしまう部分があった。それは、

 

「~ッ、百歩譲ってそれは良いとしても! アンタ、ちょっとは時と場合ってもんを」

「そうだねぇ。時と場合、考えて弁えて欲しいよね~、メグルっちィ」

 

 ギャリン! と何かを引っ掻くような音が、巡の背中側から響いた。続けてガラスの割れる音。藍華が魔剣で教室側の壁と窓ガラスを斬りつけたのだ。

 八つ当たりとも取れる行動をしながら、藍華は振り向いた巡を睨む。

 

「部外者のクセしていきなり割りこんでキてさぁ――」

 

 巨大な肉食獣の(あぎと)に迫られるような、恐ろしい殺気が巡を襲う。それは威嚇目的ではあるものの、危険な異能者による全力の敵意。

 

「——間違えてブッタ斬られちゃってもシラナイよぉ?」

 

 朱里ですら決死の覚悟をしない限り立ち向かえないその威嚇に――巡は泣くのか、逃げるのか、果たして。

 

「俺タイミング悪かった!? ならそれはごめんねヴァレンタイン何某!」

 

 ……元気に謝った。場の空気が完全に白けていた。

 

「……藍華。忘れるなんてヒドイなぁ~」

「それもごめん! 苗字のインパクトが強すぎて! ……でも部外者じゃねえっすよ、俺はあんたとも喧嘩しにきたんだから」

「んー? どゆ意味?」

 

 片や鉄をも斬る魔剣の使い手。片や友達いない歴=年齢の16歳。勝負になるハズも無い2人の間には、なぜか会話が成立してしまっていた。

 

「あのあれ、人の知り合い斬ろうとするとかマジありえんから! とりあえずはそれを分かってもらおうか! ……あ、あとよく見たらその、とんでもない格好してるな(小声)……あー、その、目のやり場に困るからちゃんとした服着ろくださいっ」

 

 ただ威勢よく言い出したはいいものの、途中から赤面し顔を背け小声になる巡くん(思春期)に若干呆れる朱里。

 そんな巡のセリフの後半はスルーして、藍華は本気で謎であると考えこみ……そしてひとつの結論に達した。

 

「あーそっか。メグルっち重要人物だもんねぇ」

 

 合点がいったとばかりに手を叩く。

 彼女が分からなかったのは、なぜ巡が強気な態度を取れるのか。

 

「もしかしてキミ、『殺されはしない』ってタカくくってるなぁ?」

 

 スゥ、と獣の目が細められる。巡の表情は変わらない、が、それが強がりだという事は頬を流れる冷や汗が証明していた。

 冷たい声は続く。

 

「あんましナメてっとさぁ、腕の1本くらいは貰っちゃうよぉ?」

 

 それは本気の目だった。本気の敵意で、本気の構えだった。

 だが。

 

()か。死なないってんなら引く気ねえぞ、俺」

「なっ、バカ! アイツ本気よ!?」

「俺も本気だ」

 

 四季巡は冷や汗を一筋流しながらも動じない。

 それを見た藍華は、牙を剥き出して笑った。

 

「そっかそっか。ならぁ――」

 

 そうして、彼女は藍色の獣となる。

 刹那の間に、床が罅割れるほどの脚力で天井スレスレまで飛び上がった、否、飛び掛かった藍華は。

 

「死なない程度に」

 

 空中で一回転すると、巡の()を狙い、床ごと抉るような軌道で横薙ぎに漆黒の魔剣を振るう。

 

(ブッタ) () っ ち ゃ お ——」

 

 ――その時。確かに藍華は見た。

 四季巡の瞳、眼鏡のフレームの外のそれが、まっすぐに自分を睨むのを。

 そして。

 

 ズバン!! と黒い斬撃が廊下を通り抜けた。

 衝撃波で窓ガラスが蛍光灯が割れ、壁が抉られ床が削られ、血が飛び散る。死神の鎌の具現ともいえるだろう恐るべき一撃が世界を蹂躙する。

 その衝撃に、起こったであろう惨状に、思わず目を閉じてしまっていた朱里が見たのは。

 

「……」

 

 後ろに下がり四足と見まがうほど重心を下げ、警戒した様子で魔剣を構える魔剣士(アイカ)と。

 

「ふぅ、あっぶねぇ……アレがヒュンってなったぜ……」

 

 三日月状の斬撃痕のギリギリ後ろに立って足の安否を確認している、無傷の四季巡だった。

 飛び散った血は、どうやら先んじて魔剣についていた返り血だけらしい。

 

「外した……?」

 

 朱里は思わずそう呟く。それ以外の可能性など無いのだから。

 しかしそれを否定するように、藍華は巡に問いかけた。

 

「……メグルっち。キミ、()()()()にゃあ?」

 

 「見えている」。何を。斬撃を? だとしたらまるで、四季巡が自分を容易く斬ったあの神速の斬撃を見切ってるみたいじゃないか。今目の前で放たれた一撃も、私にはほとんど見えなかったのに。そう朱里が困惑する中、巡は口を開き。

 

「!? み、見てません『黒』なんか! 断じて!!」

 

 は?

 意味が分からない朱里の視線の先で……下半身を、特に股辺りを手で隠すようにした藍華が、巡をゴミを見る目で見ていた。

 

「……最低。引くわー」

「だっばっ見たんじゃなくて見えたんだもん! 不可抗力だもん!! てーかそんなのより魔剣振って器物損壊傷害未遂殺人未遂のがよっぽど重罪だから! これで俺が責められるのは男女差別だから!!」

 

 ……とことん真面目な空気にならないなコイツが居ると、と騒ぎ立てるラッキースケベ少年・巡を見て朱里は思った。

 そんな巡は言いたいこと言って落ち着いたのか、バツが悪そうに頭を掻く。そして質問の本来の趣旨に答えた。

 

「……まー見えてるのは否定しねえっすよ。動きの方はな」

 

 驚き、「ウソでしょ」という言葉を飲み込む朱里。ありえないと思っているのは彼女だけではない。

 

「おっかしいなぁ。確かに全力で振った訳じゃないけどさぁ、それでもマッハとかだよぉ? 私の剣。そんな簡単に見切られると困っちゃうんだケド」

「ま、昔から目だけは良かったもんで」

 

 そう。四季巡には見えていた。

 朱里は思い出す。それは朱里との出会いの時。角から飛び出して来た転校生を、彼は見切って躱そうとしていた。それに念力で動く消しゴムにも素早い反応を見せた。

 

「(そういえばアイツ、やけに反応速度が良かった気が――!)」

 

 朱里の中で点と点が繋がるようだった。

 そして彼女が知らぬところでは。秋月コノエと藍華の戦闘を横で見ていた時。彼は誰がどこを狙っているかまで正確に見切っていた。動けなかったのは単純に怯えていたから。だが今は、強固な覚悟がそれを抑えている。

 

 唖然とする2人の異能者の前で、巡はゆっくりと語り始めた。

 

「……あれは小学生1年生のときだったかな」

 

 その言葉に朱里は息を呑む。

 まさか、異能に関する何かとの接触。もしくは四季進から託された「宝」の影響。目に埋め込む先進遺産(オーパーツ)か、人間を強化する秘薬か、それとも常軌を逸した修行か。

 もしや「宝」の情報かと、異能者たちはごくりと唾を飲み込み続きを待つ。

 そんな空気に気付かず巡は語った。

 

「俺、ちょっとした観察眼みたいなのがあってさ。当時は自覚なかったけど。そんで人が嘘ついたりしたら、なんとなく分かったんだよね。目の動きとか癖とかで」

 

 ほう。それで?

 

「そんで日ごろから他人の嘘とか見栄とかに『なんで嘘つくの?』って言いまくっててさぁ……今思えばなんでそんなことしてたか分からないんだけど、とにかく嫌われてた。そん時は気付いてなかったけど。最終的に担任の先生の『私は夫一筋で浮気なんかしてない』って発言に反応しちゃってさ」

 

 ……なんか話の風向きがおかしくないか? これ何? すべらない話?

 

「まあ当然、『俺が嘘ついてる』ってことにした方が皆都合がよくなったんだろうな。それ以来俺は『他人を嘘つき呼ばわりするヤバい奴』という意味を込めて『嘘ツキング』と呼ばれ、クラスでは空気のように扱われた。そうして俺は齢6にして社会の不条理さと、人には言ってはいけないことがあることを学んだのだ」

 

 ……。

 え? 終わり?

 

 沈黙の中、巡はゆっくりと続ける。

 

「……つまり、それだけ観察眼には自信が……グス」

「泣きそうになるくらいなら止めろよ! てかその話、動体視力関係無くない!?」

 

 朱里がツッコむも、別に笑いとかは生まれなかった。当然。

 ひゅう~、と風が通り抜けた気がした。期待外れどころではない、なんだこの自慢と自虐が混ざった鬱陶しい自分語りは。すべらない話だとしても余裕ですべってるし。

 そんなクソ話に時間を無駄にされた藍華は真顔で問う。

 

「……で? 結局何が言いたいのメグルっちは」

 

 多少声が苛ついているのは気のせいではないだろう。

 そんな彼女に怯むことなく、巡は眼鏡に手をかけた。

 

「俺の眼鏡は、それ以来つけてるって事」

 

 そうだ。巡は朱里たちの嘘を見抜いていた訳ではない。それでは彼の話と矛盾している。だが、その小学生の過去と今の彼の違いが「眼鏡」なのだとすれば、それはつまり。

 

「——まさか、視力を強化してるんじゃなくて、その逆……眼鏡で本来の能力を抑えていたってこと……っ!?」

 

 朱里の言葉に、巡は無言の肯定を返した。

 そうして彼は眼鏡を外す。彼の言う「観察眼」を持つ裸眼が晒される。

 その黒い瞳は、全てを見透かすように敵を見据えた。

 

「『意外と見える』って分かったからな。次も躱すぜ。だから俺と話を――」

 

 ざわ、と。全身の毛が逆立つ。

 

「メグルっ()さァ」

 

 藍華の声に、不気味な獣の呼気が混じる。伸びた牙が、増した狂気が、正確な発音の邪魔をしている。

 

()()ウチをナメてるよねぇ」

 

 その魔剣を握る手、露出した足にまで異変は起こっていた。指の先から手首足首辺りまで、髪と同じ色の毛が生える。爪が伸び、鋭い刃物のように尖る。

 

「——人狼の、力かっ」

 

 驚く巡たちの前で、黄色を通り越し真っ赤に染まった瞳で藍華は嗤う。

 

「ムカつ(イタ)からさぁ、こっ(カラ)は殺す気で斬るねぇ。キミの四肢のどれかが無く(ナル)まで。首が飛んでも文句言わ()いでよ」

 

 そういって構えられた魔剣は、向けられた漆黒の切っ先は、先ほどとは比べ物にならない剣気を放っていた。その前に立たされた者は「おまえを斬る」という意思を、それを為す力を、否応なしにその身に感じさせられる。

 

 思わず喉を鳴らせた巡は……それでも、下がらない。

 

「……やるしかねぇな」

「ちょっと!!」

 

 思わず止めようと声を上げた朱里。だが彼女の続く言葉は、振り返らないままの巡の手によって制された。

 

「俺狙い継続ってことは、()()喧嘩してくれるってコトだろ。モテない俺からしたら願ったりだぜ。ま、何発か躱したらなんとか話し合いに持ち込むさ」

 

 その声は僅かに震えていた。初めて味わう死地の中で、冷や汗は流れ足は震え心臓は暴れる。だがその全てを気持ちの力でねじ伏せて、四季巡はしかと睨んだ超常に挑む。

 

「よっしゃ、覚悟は決まった! バッチ来いだ魔剣ギャル!!」

「断面並べて土下座()せてアゲルよぉッ!!」

 

 漆黒の刃が、獣の唸り声と共に振るわれた。

 

 ◆

 

 冬野理沙、夏目優乃、秋月コノエ。

 彼女たちはそれぞれ別の場所から、ある一点に向けて走っていた。

 

「巡先輩!」

 

 コノエはパルクールで街を駆け。

 

「まったく、何が起きてるんですかっ」

 

 優乃は二階下を目指して廊下を走り。

 

「作戦再検討……完了。急行します」

 

 理沙は収納多脚を展開して屋上から降りる。

 

 数分前まで、彼女たちは魔剣士の襲撃に備えて待機していた。その時の暗黙の了解という名の共通認識は2つ。

 1。それぞれ距離を取って積極的には交戦しない。

 2。自分以外が魔剣士と戦闘になった場合、魔剣士とその人物どちらかが弱ったと判断したら乱入。弱った方にトドメを刺して消耗したもう片方に挑む。その後は1人勝ち抜けの乱戦(バトルロイヤル)

 ゆえにそれぞれお互いを監視しながら、来たる襲撃者もしくは総取りのチャンスを狙っていたのだが……その監視先、不運にも最初のターゲットにされた朱里の周囲で異常事態が起きた。四季巡の乱入だ。

 最悪の場合、四季巡が殺害され「宝」の情報は永遠に闇の中。そうなる前に何か対処をしなければならない。

 そうして、ほぼ同時に件の場所——東棟3階廊下に到着した彼女らが見たものは。

 

 

「——グルゥアァッ!! なんで、なんで当たらないッ!!?」

 

 2年A組の教室の中。獣の形相で魔剣を振り回す、小型の黒い嵐とでも呼ぶべき人狼(アイカ)と。

 

「うお、危ね、死ぬぅ!! ちょ、そろそろ話し合いで解決を、うひゃぁ!!」

 

 その斬撃の嵐の中でなぜか生き残っている、四季巡(ターゲット)の姿だった。

 

 黒い颶風と踊るように、というと美化し過ぎではあるが――彼はときたま情けない声を上げつつも、音速を超えるハズの攻撃を躱し続けている。

 

「……こ、これは」

 

 困惑するコノエたち。そんな彼女たちの理解を待つことなど無く、目の前の光景は繰り広げられ続ける。

 

「フツーの速度しか無いのに! 体が特別なワケじゃないのにぃ! なんで斬れないの!? なんで()()()()()()()()!!?」

 

 椅子を吹き飛ばし、机を斬り壊しながら、大剣を振るい続ける藍華。その猛攻を、窓枠を蹴って躱し机を投げて逃げ隙間を転がって避ける巡は、必死で説得を試みようとする。

 

「あの、お話を――ひぃ!! ちょ、待、聞いてくれって! もう十分避けただろ、そろそろ俺のターン的な……ありませんよねぇチックショウ!!」

 

 床も壁も天井も巻き込む漆黒の斬撃を、爪の生えた腕による攻撃を、アスファルトを蹴り砕く蹴撃を紙一重で躱す巡はしかし、それで手一杯で反撃などは出来ないようだった。

 その様子を見て、この中で最も動体視力に優れるコノエだけが異常に気付いた。

 

 藍華が魔剣を鋭く突き出す、その直前。巡が大きく身を捻る。すると数瞬前まで巡が居た場所に、吸い込まれるように突きが放たれ空を貫いた。まるで藍華がわざと外したように。だが藍華の表情にそんな気配はない。

 その台本のある殺陣さながらの光景に既視感があったコノエは、呆然と呟く。

 

「あれはまさに、進様の――」

 

 するとその言葉を聞いた朱里がコノエに詰め寄った。

 

「アンタ、審問官!? まあいいわ、なんか知ってるなら説明しなさい! なんでアイツはまだ生きてんのよ!」

「……巡先輩には、進様——お父上である『超常殺し』の才能が遺伝しているんだ」

「才能!?」

「静止視力、動体視力、分析力……総じて称すなら『観察眼』。それが才能の名」

 

 「超常殺し」。異能者という種に「天敵」と認められた1人の非異能者。彼を「超常殺し」の足らしめたのは腕力でも知力でも武器でもなく……その圧倒的な観察眼。

 

「相手の呼吸、脈拍、視線、重心、筋肉の動き、更には周囲の環境まで……一目見ただけで全てを把握し、数秒後に起こることすら『見る』視力。相手の嘘や戦術、果ては能力さえも瞬時に見抜き、初見でも既知のように対応する観察眼。『超常殺し』を最強足らしめたその力が、巡先輩に引き継がれている」

 

 「ラプラスの悪魔」という考え方がある。この世全ての力学的状態・力の情報を知ることが出来れば、空中のボールが地面に落ちることを言い当てるのと同じように、この世で起こる全ての未来を導き出せるという仮想概念だ。

 ならば、もしも対峙する人間の全てが分かったなら。肌の微細な振動を見ることで脈拍や筋肉の動きを把握し、腕や得物の長さから間合いを掴み、視線の動きや癖を見抜いて相手の思考を読めたなら……相手が放つ銃弾を躱すことも振るう白刃を取ることも容易となり。人はその時、戦いの全てを掌握することができるだろう。

 

「そんなの、殆ど異能みたいなものじゃない……!」

 

 その事実に戦慄する朱里の脳裏で、過去耳にはさんだ超常殺しについての噂が弾けた。

 

 

 ――「超常」。それは「常識を超越」するモノ。

 例えば、虚空より来たる紅蓮の炎がその好例だろう。可燃物も要らず着火の手間も無く、意思ひとつで齎される爆炎はいかなる防御も理解も許さない。

 そして勿論、身の丈を超える魔剣を音よりも早く振るう術もそうだ。その膂力の前では鉄の盾も意味を為さず、その敏捷の前では逃走も反撃も無意味。

 だが。

 それらの異能……余人が慄く超常現象も、()()()の前ではたちまち体一つでねじ伏せられる「常識」へと堕とされる。

 その目は、才能は――この一年で行方不明となっていた「異能の天敵」は、今宵この場にて復活を果たした。

 

 その名、「超常殺し(カウンター・アイ)」。それが四季巡に宿った才能――異能の価値を揺るがす、人間の極致たる観察眼(ちから)である。

 

 

 戦慄する朱里の横で、優乃は落ちている眼鏡を拾った。そこから微かな魔力を感じたのだ。

 優乃が手に取って確認すると、それはいつも巡がかけていた洒落っ気のない黒眼鏡。その汚れの無いようなレンズを通した向こうの景色は、覗き込んだ瞬間ぐにゃりと歪む。その光景に、そして眼鏡から放たれた魔力に優乃は呟く。

 

「この眼鏡……ちょっとした魔道具ですね。かけるとレンズに『動く模様』が現れて視界を阻害する。これじゃ本を読むのも一苦労でしょう。よくこんなものをつけて問題なく日常生活を送れましたね……」

「分析、装着時の周囲の認識率75%減……この状態で私との対戦(テレビゲーム)に勝ったなど、理解不能」

「……それが出来たから、アイツはまだ生きてんでしょ」

 

 そうして異能者たちと審問官は再び裸眼の巡と藍華の戦闘を見つめた。

 

「このぉ! 当たれッ、断面見せろぉ!!」

「ひぃぃ!! 今カスった、マジで死ぬコレ!」

 

 ……戦闘と呼ぶには一方的かもしれないが。

 

 と、ここで状況が動きを見せた。巡が限界に達したのだ。

 

「ちょ、わ、あーもうダメだこりゃ! よーし分かった、そっちがその気なら反撃するからな!! 女相手でも容赦しねーぞ、だって殺されかけてるからね!」

 

 我慢の限界、無抵抗の限界と言うやつだった。

 これ以上反撃しないのは危険だと判断した彼は、その観察眼により隙を見つけると、そこに渾身の一撃を叩き込む。

 

「おりゃあ!」

 

 気合の声と共に放たれたそれは……服を掴んで思いっきり引っ張るという、攻撃力ゼロの攻撃であった。

 当然、その程度で藍華の体勢が崩れるなんてことは無く。

 

「……死ねぇッ!」

「うおぉ!!?」

 

 与えたダメージから考えると手痛すぎる反撃を喰らいそうになり、巡は何とか身を投げ出して回避する。そしてまたしても果敢に攻め込んだ。

 今度は固く握った拳を突き出す。

 

「そりゃあ!」

 

 ぐき。

 

「ぐああ痛ぇ!?」

 

 素人の猫パンチだった。腹筋で止められて手首を捻り、逆にダメージを負っていた。

 攻撃するたびに逆にピンチになる巡の様子に、流石に外野から声が飛ぶ。

 

「何やってんのよバカ! そんな攻撃が効くわけないでしょ!?」

「んなこと言われたって!」

「巡先輩、武器は!?」

「持ってないよそんなもん!」

 

 巡は攻撃を諦めて避けるのに徹しながら、声を抑える余裕もなく叫ぶ。

 

「俺は、喧嘩したことないんだよ! 今日が初めてなんだ! なんせ喧嘩できるような友達居なかったからな!」

 

 彼が何を言いたいのか測りかねる4人。

 それでも巡は必死に続ける。

 

「だから攻撃の仕方なんか知らねえんだ! パンチも人生で初めて打った!」

 

 それは遠回しな敗北宣言なのか。4人がそう思いそうになったとき、「だから!」と巡は更に続けた。

 

「——だから助けてくれ!! 見てないでさ! 死なない程度の攻撃(ヤツ)をぶつけて、俺を助けてくれよ!!」

 

 その言葉に。

 異能者たちは動けなかった。横に立つ互いを――今なお警戒を余儀なくされ、背中を晒さないようにしている他三人を横目で見合う。

 彼女らは敵対していて、殺し合っていて、今お互いを攻撃しないのは巡の目の前だから彼の好感度を下げれないためだ。それがなければ普通に敵で、憎むべき相手。体に染みついた敵意はそう簡単には剥がれない。

 朱里は一度決めたことを曲げられないプライドと警戒心のせいで。

 理沙は権限のない相手に頼みごとをされる経験の無さ故。

 優乃は他三人との戦闘を見据えた魔力消費を抑える行動方針から。

 そしてコノエは魔剣の嵐の只中に踏み込む、またが激しく動く標的を誤射なく狙う技術が無いがため。

 二の足を踏む異能者たちに、巡は魔剣を躱しながら語り掛け続ける。

 

「別に協力しなくていい! 仲良くなれとは言わない! でもさ、一瞬同じ方向を向くくらいはできるだろ!?」

 

 だが、火も銃弾も飛ばない。

 それに歯噛みした巡は……ふと思い出した。あの「間違い」を侵してしまった日の苦い思い出を。その中にあった、明らかに異能が絡んでいただろう記憶を。

 

 気付けば巡は叫んでいた。あの日の記憶——今敵対している彼女たちが顔を突き合わせて遊んだ、あの日が無駄じゃなかったと信じて。

 

「それでも無理なら……『ボウリングの時』と同じだ!! どの能力が一番凄いのか、俺に見せてくれよ!!」

 

 と、説得に気を取られすぎた巡は椅子の残骸に足を引っかけてコケてしまった。マズいと思うも、もう遅い。

 

「あッハァ、好機(スキ)ぃ♡」

「やべッ――」

 

 当然それを見逃すはずがない藍華が魔剣を振り上げ、巡は覚悟して目を瞑り――。

 

 1秒、2秒。痛みは襲ってこない。

 

 巡が恐る恐る目を開けると……そこには体高3mほどの、土の色をした人型のナニカが、巡を庇うようにして藍華の手首を掴んでいた。

 丸太よりも遥かに太い腕、床と一体化した脚。まるで異形の彫刻のようなそれはしかし、生物のように動いて魔剣を受け止めている。

 ――ソレは真理の名を持つ巨人。人ならざる人、命を持たぬ動く土くれ。

 即ち不死身の魔術兵、名を――ゴーレム(golem)

 

「な、コレは魔術師の――」

 

 驚愕する藍華。それを見て、巡は思わず笑みを溢しながら振り返った。そこに居たのは、魔導書を手に携えた「先輩」。

 

「四季くん。キミを巻き込まずに敵を攻撃する魔法……幾つか覚えがありますよ」

「夏目先輩!! 神! あとナニコレカッコいいー!」

 

 自分の言葉が届いたことに(あとついでにゴーレムに)感動する巡。しかし藍華は魔術1つでは止まらない。

 

「こんなデクノボー程度でウチを止めれるとでもッ」

 

 バキン!! と掴まれた腕を力任せに振り、ゴーレムの半身を吹き飛ばす藍華。まだ立ち上がっていない巡を斬ろうと魔剣を振り上げた所で、

 

射撃(ファイア)

 

 6発の銃弾が、藍華のこめかみ、両肩、心臓、両足に命中した。

 

「——が、ぎぃッ」

 

 驚くべきことに、軍用のFMJ(フルメタルジャケット)7.62×51mm弾は半人狼と化した藍華の体を貫通することは無く、血を滲ませる打撲を与えるに留まっていた。それでも流石にダメージはあるようで、精密な狙いで急所に連射される銃弾に彼女の体は押されていく。

 そんな銃声の雨の中、自分にかすりもしない弾丸に怯える巡は確かに「妹」の声を聴いた。

 

「収納多脚・先端装備(アタッチメント)狙撃銃(ライフル)。行動予測、弾道計算……1mm単位の照準コントロールで絶対に誤射はしないからあんしんして、お兄ちゃん」

「その声は理沙ちゃん!! ありがとう! ただゴメンだけど超コワいわコレ!」

 

 と、銃撃が止む。

 

銃身熱暴走(オーバーヒート)、射撃中断」

 

 理沙の声と共に弾幕が消える。その隙に立ち上がる巡。彼の前に立つ藍華は。

 

「こ、のォ……」

 

 魔剣と獣の毛の生えた腕で急所を守ったものの、滲む血で体中を汚していた。その眼に怒りと憎しみが満ちていく。

 そんな彼女を諦めず諭そうとする巡。

 

「なぁ、そろそろ話し合いに移行しない? あんま女の人の肌とかが傷つくの、俺良くないと思うし……」

 

 そんな彼に……その瞳の怒りはさらに強まった。

 

「チョーシ乗んなッ!! ここまで攻撃()られて、両断()らないワケないっしょッ!!」

 

 ザワザワザワッ!! と藍華の髪や四肢の毛が波打ち、肌を侵食するようにその面積を増やしていく。魔剣が持ち主の怒りに呼応して、より大きな力を預けているのだ。

 藍華がばねの力を溜めるように、巨大な魔剣を大きく構える。

 

「あ、やべ」

 

 巡はその観察眼で悟った。次の一撃は今から0.5秒後。攻撃範囲は今までで最大、教室中を巻き込む広範囲斬撃。それを今の体勢から避ける方法は無い。銃弾もゴーレムも間に合わない。

 

 それでも――今からでも間に合う能力を、巡はひとつだけ知っていて。

 

「——ぶっ、"(コロ)"すッ!!」

 

 灼熱の炎が、藍華を中心に爆裂した。紅蓮の暴虐が魔剣士を飲み込む。

 

「うおわぁ!!?」

 

 両手で顔を覆って熱と光を防ぐ巡に対し、

 

「ご、はッ――」

 

 藍華は煙を吐いて膝をつく。高熱の炎による全身への火傷(ダメージ)と、酸素が燃焼した空気を吸い込んだことによる内臓の損傷及び呼吸困難。体内体外の両方から人体を破壊する炎は、攻撃力だけなら最高クラスの超能力だ。

 

「春咲ーー! だよな!? マジ感謝!」

 

 軽口を叩く巡に向かってなんとか剣を振る藍華だが、その腕にはさっきまでの力の半分も乗っていなかった。当然、教室全体を切り裂く斬撃など撃てず、不発。

 炎を生み出した「幼馴染」は、燃料たる怒りの残滓を振り撒きながら鼻を鳴らす。

 

「フン、非超能力者が威張っちゃって! 私の炎は見たものを直接燃やせるのよ!! アイツに当てずに攻撃できた程度で威張らないでくれる!?」

「なに?」

「む……」

 

 横にガンを付けだした朱里と、それにカチンとくる理沙・優乃。

 そんな背後のやり取りを聴きながら、巡は必死に転げまわる。

 

「ちょっとぉ!? 仲間割れは止めてよね! そうしてる間にも俺は必死に避けてんだから!!」

 

 ただ、巡にも余裕が出て来ていた。蓄積されたダメージが、後衛に割かれる意識が、藍華の剣から鋭さを奪っている。

 

 そして何より――関係という名の糸、一度は千切れたそれを結び直すことに成功した彼の心はひとつ軽くなり。その分動きも軽快さを増す。

 

 そうして、形勢は巡たちに傾き始めていた。

 

「げに奥深き魔術の深淵、その一端を見せてあげましょう!!」

「科学こそ真の異能足りえる技術。それを私が証明する」

「超能力のパチモン使い共、よく見てなさい! 私が本物を教えてやるわっ!!」

 

 土と氷の魔法が、銃弾とレーザーが、そして炎が教室に舞う。

 色とりどりの異能による援護が教室中に入り乱れ、巡の周囲を彩った。それは再び結ばれた縁を祝福しているようにも見えた。

 

「カッコいいこと言うのは良いけどさぁ、俺が死にかけながら耐えてるの忘れないでねぇ!!?」

 

 それを一身に受けながら、藍華は考えていた。

 なぜ目の前の巡を斬れないのか。なぜ複数の異能による攻撃を受けているのか。

 魔剣は何も答えない。

 

「ひぃ、今度は援護で死ぬぅ!!」

 

 そう頭を抱えて転がり回る四季巡は、別に無敵という訳ではない。

 

 例えば、朱里の炎による不意打ち気味の攻撃は、巡には防げないだろう。彼には朱里の視界から瞬時に出る技術・身体能力はない。

 理沙の使う科学兵器で罠にはめたり、爆弾などの広範囲攻撃で倒すことも可能だ。彼には兵器への知見も常在戦場の心持ちもない。

 また優乃の魔術などは更に効果的だろう。必中の(まじな)いや微睡草の花粉など、彼が避けられない攻撃はいくらでもある。

 

 四季巡を(たお)すには様々な方法がある。ただその方法の中に、「魔剣による正面戦闘」は含まれていない――。

 

「ぅ、グルァアあああああああッ!!」

 

 幾多の攻撃と痛みの中、藍華は牙を剥き出して叫んだ。

 魔剣を持った日から無敗だった。どんな異能者も一刀のもとに斬り伏せた。全ては自分の思うがままだった。自分のことを全能だと勘違いしている異能者を捌くのは気持ちが良かった。今自分を遠巻きに攻撃している奴らだって、一度容易く斬ってやったのに。

 なぜ、四季巡(このおとこ)だけ斬れないのだ。なぜこんな一般人に毛が生えた程度の少年に、自分の刃が届かない。

 積み上げた自信が、プライドが、根元から折れそうになり。

 

「ダーンスレイヴぅ!!!」

 

 だから叫んだ。「侵食」は死ぬほど痛いから。それでも勝ちたかったから。オマエは勝たなければならないと、魔剣が言っていたから。

 

「——()()()()()()()()()()!!」

 

 魔剣から黒い泥のようなナニカが魂の奥底まで流れ込んでくる。視界が血色に染まる。肘、膝、背中まで「侵食」が進む。尻尾が生え、頭が激痛で壊れそう。でも、ああ。なんて気持ちイイ。力が全身に満ちるのは、なんて。

 

「!! 皆伏せろ――」

 

 巡が何かを叫んだみたいだったが、もうどうでもいい。

 

 藍華は全身で「死ね」と叫んだ。

 それだけで体は勝手に動き、一瞬で3度魔剣を振るった。斬撃の余りの鋭さゆえかそれとも魔剣の力だったのか、漆黒の刃を象った巨大な衝撃波が斬撃の軌道上に発生し、その先にある全てを吹き飛ばす。

 其は破壊の闇、繋がりを否定し全てを絶つ死の具現。

 

 ――ズガァンッッ!!! と校舎の壁が()()()()吹き飛んだ。爆煙のような土煙の中から、グラウンドに吹き飛ばされる人影がひとつ。

 

「ぐ、が……ッ」

 

 人影、四季巡は地面を何度も転がり、その体はグラウンドの中心辺りで停止する。

 砂で擦った全身がずきずきと痛んだ。

 

「が、ごほ……っ」

 

 口の中が砂だらけだ。平衡感覚がぐちゃぐちゃでどっちが上かすぐに分からない。ただ本能を苛む危険信号が、とにかく体勢を立て直せと叫んでいる。

 

「な、何が――」

 

 なんとか立ち上がろうと膝をついた彼が見たのは……至近距離。満月を背に自分に影を落とす、魔剣士(アイカ)がこちらを見下ろす姿だった。

 

「アハ」

 

 ざしゅ、と夜闇に血が舞う。藍華が魔剣を握ってない方の腕を振るい、そこに生えた鋭い爪が巡の二の腕を浅く切り裂いたのだ。

 

「ぐ、あぁ!!」

 

 痛みに慣れていない巡は、3本1対の傷口を抑えながら転げ回る。

 

「(俺はしっかり見たぞ、見たのに避けきれなかった!? クソ、痛ぇ!!)」

 

 そんな彼の姿を見ながら……藍華は嗤う。

 

「アハハ」

 

 今度は蹴り。雑なモーションのサッカーボールキックが倒れた巡を襲う。彼は観察眼で攻撃を予測、身を引いて――足の指先を避けきれず数メートル吹っ飛ばされた。

 

「ごッは……!」

 

 巡は内臓がひっくり返ったような衝撃に涙とゲロを吐きながら、それでも何とか体を起こそうと藻掻く。彼の心中には、焦りがあった。

 

「(なんで避けれない!? 攻撃の軌道は見えたのに!)」

 

 この数分間で頼り切り、いつのまにか絶対の信服を置いていた己の観察眼。それを破られたことによる混乱は大きく、巡は痛みよりも不安と迷いで動きが鈍る。ただ、その実戦経験の無さを解決してくれるのもまた観察眼だった。

 巡が見上げる中、月夜を背に藍華は爪を舐めた。そこに付着した巡の血を味わうために。

 

「アハ、アハハ! アハハハハハ!! 当たる、(アタ)るアタルあたるぅ!! 気持ちイイ、キモチイイよメグルっちィ!! 散斬(サンザン)焦らされた分、血が美味しくてオイシクテさァ!!!」

 

 狂気。それに塗り潰された少女は嗤う。ケタケタと心底楽しそうに。そんな彼女の体の輪郭は、ザワザワと脈打っているように見えた。

 いや、それは正しい表現ではない。さっきまでは四肢の先から肘前まで覆っていた毛の部分が、肘よりも先まで伸びている。その「侵食」とも呼べる光景は、止まることなく進んでいた。

 それを見て、巡は閃く。

 

「(そうか――現在進行形で、魔剣から受け取る力が増してるんだ! 攻撃している最中も早くなる……物理でやった等加速度運動みたいに!! だから躱せなかった、予想した攻撃が予想よりも速く動いたから!!)」

 

 心身のダメージが回復しいつでも立ち上がれる体勢になった巡。そんな彼を斬り裂くために、藍華は魔剣を大きく振り上げる。

 

「おなかを優死苦(ヤサシク)裂いて(カラ)ぁ、腸をチョー可哀(カワイ)く蝶々結びにしてアゲルぅ!!」

「お断りしますッ!!」

 

 振り下ろされた一撃を立ち上がりながらなんとか躱す巡。今度は掠ることもなく完璧に回避した。

 

「『予想より早い』っていうからくりが分かれば避けれる! それを計算に入れればいいだけだからなッ。だからそろそろ話を……」

 

 言いながらもしかし、巡の心中は新たな焦りで満ちていた。

 

「(このままのペースで強化されちゃうと、目じゃなくて俺の体の方が追い付けなくなるっ。体力ももうほぼからっけつ、立ってるのもキツくなってきた。速いとこ話し合いに持ち込まないとマジで死ぬ! 見えても避けれないんじゃ意味無いし、なにより……)」

 

 滝のように汗を流しながら巡は藍華を()()。視界の先のその姿は、もはや常軌を逸していた。

 

「また避けられた……なんで? ナンデ()(ケル)の? 断面見た苦無(クナイ)の? 折角斬って裂いて叩いて噛んで潰して飲んで、殺してコロしてアゲルって言ってるのにさぁ()ぁサァ!!!」

 

 胡乱な眼光で叫ぶ彼女の声に呼応するように、その体が変貌を遂げていく。毛が生え、膨張し、脈動し、変形して……段々と人としての姿を失っているようにも見えた。特に変化が大きいのは魔剣を握った右腕で、もはや太さ禍々しさが従来の何倍にも膨れ上がっている。

 ただ、変貌の代償も大きいようだった。ぶちぶちという異音は恐らく筋繊維と血管が切れる音。真っ赤に染まった目からは血涙が溢れ、口からも血を吐いている。瞳孔は開ききっているのに焦点が合っておらず、表情は殺意と狂気に飲み込まれていて笑った顔の面影が無い。

 

「(強化に耐えきれず、明らかに『人間の部分』が悲鳴を上げてる!! もしかしたら長引いた場合、先に死んじゃうのは俺じゃなくて……!)」

 

 巡はその観察眼で、もはや相手に自分の声は届かないだろうと悟っていた。だがそれでも諦められず、逃げずに説得を試みる。

 

「頼む、俺の話を――」

御話死(オハナシ)スルなら避けないでよぉッ!!」

「クソッ」

 

 出鱈目に振り回される魔剣が凄まじい威力で巡に襲い掛かる。それを必死に躱す巡は、例えるなら黒い竜巻の中で踊っているよう。

 体中に無数の掠り傷を作りながらも何とか巡が猛攻を躱し続けていたとき、

 

「"燃えろ"ッ!!」

 

 その体が炎に包まれた。

 

「春咲! みんな! 無事だったのか!」

 

 巡は校舎の方を見る。そこには血を流す肩を押さえながらもこちらを睨む朱里や、各自無傷ではないものの立つ力はあるらしい理沙、優乃、コノエの姿があった。

 

「メグル! そこ退きなさい!! 怪我で怒りが溜まったわ、私が最大火力で――」

「な、バカ! そんなことしたら多分死んじまうだろ!?」

「はぁ!? 殺さないでどうするッてのよ!!」

「なんとか大人しくさせる方法を……っ」

 

 と、炎を振り払った藍華の視線が校舎の方を向いた。

 

「ジャマなんだよねぇ、殺期(サッキ)からさァ」

 

 彼女の目を先程まで覆っていた執着が、刹那的な怒りに塗り替えられるのが巡には分かった。

 そのまま藍華は魔剣を持っていない左手と両足を地面に付け、身をかがめる。その体にぎちぎちと唸るほどのエネルギーが蓄えられる。

 正しく人間砲弾。狭窄した視界が標的を捉えた瞬間、獣は藍色の風となった。

 

「オ ま え カ ()――」

 

 一歩、踏み込みは地を砕き。

 二歩目で体は音を追い越す。

 弾丸と化した体は全てを置き去りにして藍華の体を前に運ぶ。狙いは春咲朱里、一度斬ってやった血の綺麗な超能力者。さっきから邪魔だった赤毛の女。

 

「ブッタ斬って()るッ!!!」

 

 三歩、藍華は魔剣の間合いに朱里を捉えた。異常に膨張した右腕が、規格外の膂力を以て魔剣を振り下ろす。

 朱里にその動きは見えていない。魔剣士の動きには誰も追いつけない。

 だから藍華を、全てを両断する魔剣の一撃を止められる者など居なかった――。

 

「避けろ春咲ッ!!」

 

 ——藍華の狙いを先読みし、其処目掛けて全力で走った四季巡以外は。

 

「え」

 

 春咲の体を、必死で身を投げ出した巡が突き飛ばす。

 

「は」

 

 既に全力の力で振り抜かれた魔剣の動きは止まらない。その刃の軌道には、朱里の代わりに割りこんできた巡が居る。その刃を止められる者は今度こそおらず――。

 

 ——漆黒の魔剣が、四季巡の体を斬り裂いた。

 

「ご、ぼ」

 

 巡の口から、傷口から血が溢れる。

 魔剣の鋭い刃は、肩から腰にかけての体の左側を縦に深く切り裂いていた。見る者が見れば分かっただろう。その傷は大動脈はおろか心臓にさえ届いていることに。

 時が止まったように動けぬ周囲を置いて、巡の体から大量の血と力が抜けていく。

 

「なッ――メグルっ!!?」

 

 朱里の焦ったような声を聴きながら。

 

「(やべ、これ、死——)」

 

 巨大な傷口から夥しい量の血を流し、巡は地面に力なく倒れこんだ。



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⑫-2 4月15日(水)・満月の夜

 ◆

 

 巡が大量の血を流しながら倒れる。

 それを見て、一番早く動いたのは朱里と理沙だった。朱里は思わず、理沙はあらかじめ設定されていた指示通りに彼に駆け寄る。

 

「メグル! 四季巡っ!?」

 

 慌てて巡を抱き起こそうとした朱里の動きを、理沙の背中から伸びた細長いアームが制止した。

 そのまま彼女と入れ替わるように理沙は巡の元に膝を付く。彼女が背負った鞄から、手術道具のようなものが取り付けられた複数本の機械の脚が伸びる。

 

四季巡(ターゲット)の負傷を確認。マニュアル133に従い、救命措置を開始」

 

 気絶したらしい巡の外傷を、目に仕込んだハイテクコンタクトレンズや立体透視スキャン装置を使い分析する理沙。しかし結果は芳しいものでは無かった。

 

「損傷部位は……っ」

 

 傷口は左鎖骨、胸骨角、肋骨、左肺、いくつかの大動脈含む無数の血管及び皮膚、そして心臓の一部を両断。

 臓器の損傷から見ても出血量から見ても、明らかに致命傷だった。

 

「……分析、完了。現装備での救命は不可能。また意識レベルが低下しているため、情報を聞き出すことも難しいと判断」

「~ッ!!」

 

 朱里は流れ続ける血に顔を青くしながらも、必死に頭を回す。そしてその思考は未だ己の背後で狼狽えている魔術師に思い至った。

 

「そうだ、夏目優乃!! 何かないの、ケガを治す魔法とか!!」

「う……あ、その……致命傷と、なると、私には……」

 

 問われた優乃は歯切れ悪く俯いて、首を横に振った。それが答えだった。

 

 そして……最も反応が遅れたのはコノエと藍華。

 

「めぐる、せんぱい……?」

 

 呆然と立ち尽くすコノエに対し、藍華は嗤っていた。

 

「あ、アハ……やった。遂に斬ったぁ。でもアレ、斬って良かったんだっけぇ?」

 

 しかしその笑顔は空虚で言葉に勢いはなく。揺れる瞳、ふらつく足元、地を擦る魔剣の切っ先は、その内心の混乱を如実に表していた。

 

「おっかしいなぁ……なんで、ナンデ気持ちよくないの? こんなにいっぱい血が出てるのに。キレーな断面見えるのに。なんかダメだったけぇ……」

 

 虚ろな笑顔で回らない頭を抱える藍華。

 そんな彼女に対し襲い掛かる影があった。

 それは我を忘れるほど激昂した秋月コノエ。彼女はナイフを片手に、初めて激情を表情に出して叫ぶ。

 

「貴様!! よくも進様のご子息をッ!!」

 

 そんなコノエに反射で対応する藍華。

 

「なんなのオマエ、今考えてんだから後にしてよぉっ!」

 

 まるで1週間前の続きのような高速戦闘が開始される中、他の3人はそれに参加しなかった。彼女らはただ、倒れた巡のそばで何かできないかを考えている。

 

 朱里は巡のそばで膝を付き、彼の傷を見ながら理沙に叫ぶ。

 

「炎で傷を塞ぐのは!?」

「傷口が開きすぎてる。それに火では臓器の損傷は治らない」

「あんたのその機械の手で何とかできないのっ?」

「手術は可能。ただ傷を塞いで出血を止めることしか出来ない。生命維持に必要な血液や人工臓器などの用意は不可能」

「それで、どうすれば!?」

「……出血量から計算すると、目標の生命はあと1分あるかないか。今から30秒以内に冬野グループ本社にある手術室に移動できれば、生存率は最大50%まで上昇する可能性が……」

「……~ッ、クソッ!!」

 

 朱里は思わず地面を殴りつけた。高速で思考を回した結果、それは「不可能」だと分かってしまったからである。

 貴重な能力故、現在この地域を離れているテレパシーの能力者に連絡を取り、彼女づてに空間転移能力者を呼び、彼に事情を説明して敵地である冬野グループ本社まで飛んでもらう……子供でも分かる。そんなこと、30秒では到底行えない。

 異能は万能の力ではない。朱里は生まれて初めて、自分の能力が「発火」であることに対して憤りを覚えた。

 だが、それに対しての炎は咲かなかった。彼女の胸中に満ちた別の感情が、怒りを鎮火してしまっていたから。

 朱里はぽつりと呟く。

 

「……コイツ、死ぬのね」

 

 それに対し、理沙が鎮痛な面持ちで首肯した。

 

「……その可能性が、最も高い」

「……四季、くん」

 

 優乃も無力感を感じながら顔を背ける。

 彼女らの胸に去来するのは、未だ情報を得られていないターゲットの死亡による「任務失敗」の屈辱……では無かった。

 

 四季巡に残された「1分」という余命が刻々と減り続ける中。

 何も出来ない春咲朱里は、半ば独り言のように語り始める。

 

「……はっ、ほんとバカよね、コイツ。わざわざ私たちを守りに来て、自分を殺そうとする魔剣士さえ気遣って、最後には私を庇って死ぬ? バカ、ほんとバカ。戦場で他人を捨てれないヤツが、生き残れるわけ無いのに」

「春咲朱里。それは『お兄ちゃん』へのぶじょく?」

「……違うわ」

 

 朱里は首を振る。この戦いを通して見た、四季巡と言う男は。

 

「コイツはバカだけど、本当の大バカは私。さっき庇われてやっと気付いたわ。

 コイツは、四季巡は……私たちが捨てた、捨てざるを得なかったものを持ってた。そのうえで私たちと同じかそれ以上の覚悟もあった。言ってることは半分以上分からなかったけど……少なくとも自分の命を懸けて、『殺すか殺されるか』の場所で3つ目の選択肢をずっと探してた」

 

 ぽた、と巡の頬に何かが落ちる。

 

「ああクソ、なんでっ。甘っちょろいアンタのことなんか、大嫌いだったハズなのに……」

 

 ぽたぽたと熱く透明な雫が、それを生み出す感情が、朱里の声を震わせた。

 

「なんで私は、泣いてるのよ……っ」

 

 それは涙だった。朱里が流した涙が、ぽつぽつと巡の頬に落ちている。

 

 理沙も優乃も、何も言えなかった。もはや攻撃しない義理など無いはずの朱里の背中に、なぜか銃弾も魔術も打ち込む気が起きなかった。

 

 3人の異能者は、ただ、死にゆく男の前で立ち尽くしていた。

 

 ◆

 

 落ちる。黒い世界を、ただ落ちていく。

 音も風も光も無い、誰も居ない黒一色の世界。

 それが己の夢の世界――「死への奈落」であることを、俺、四季巡は何故か確信していた。実際それは正しいのだろう。朧げな意識は、眠りに落ちる瞬間を引き延ばしているかのように、より濃い闇の方へとゆっくり飲み込まれていくのを感じる。

 死という奈落を、ただ、墜落する。

 

 そんな闇の世界の中で、俺は力なく自嘲に頬を歪めた。

 

「……ミスったなぁ。春咲狙いって分かって飛び出したまでは良かったけど、俺が避ける事まで考えて無かった」

 

 それは声だったのか、それともただの思考だったのか。よく分からないまま、俺の体は黒い世界を落ち続ける。

 

「でもまあ、しょうがないのかもな」

 

 そんな暗闇の中、思う。

 

「あんなヤバイ魔剣士と戦うなんてとんでもない無茶しちゃったし。どう考えても冷静じゃなかったし……いやあ、やっぱ俺なんかがあんな可愛い女子たちと仲良くなるってのは高望みだったかぁ」

 

 もしも今の自分に表情が作れたなら、そして自分の顔を見れたなら、きっと照れ笑いのような表情をしていただろう。

 

 と、黒一色の世界に鮮やかな映像が浮かんだ。ずいぶんと変わった形式の走馬灯だな、とぼやいて俺はその記憶を眺める。そこに映し出されたのは――。

 

 ――小学3年生の運動会。四季巡少年はクラス全員強制参加のリレーにて、バトンタッチ直前で派手に転んでしまった。転倒後、何を思ったか血と泥にまみれた小3の彼は、バトンを握ったままその場から逃走。当然クラスの順位は最下位となる。そして彼は運動会のA級戦犯という汚名を刻まれ、クラスが変わるまで敵意の籠った視線と冷ややかな態度を受けることになり……。

 

「……いや、よりにもよってコレかよ……。なんで死ぬ直前にこんなの見ないといけないの? これなんて罰ゲーム?」

 

 流石にこれが最後の景色は悲しいのだった。

 そんなクソ走馬灯を見ながら、思う。

 

「……でも俺、変わったよな。この時と比べたらスゲー変わった。自分のために逃げ出したガキが、誰かの為に立ち向かう男になったんだ。なんだ、そう考えれば全然悪くないじゃん」

 

 それは強がりだったけど、でも俺は今、随分爽やかに笑えている気がした。

 

 落ちる。落ちる。

 黒い世界を、ただ落ちる。死という名の闇が俺を包み込んでいく。

 

「ああ。よくやったよ、俺――」

 

 そうして瞼を閉じようとした、正にそのときだった。

 

 

 ぽたり。

 俺の頬に、熱い何かが落ちて来た。

 それは透明な雫。けれどそれがただの水でないことを、俺は何故か直感した。

 

「これは……涙?」

 

 ぽたり、ぽたり。俺の頬にどこからか、俺のものじゃない涙が落ちてくる。

 

「一体誰の――」

 

 浮かんだ疑問に答えるように、上の方から声が聴こえてくる。

 それは嗚咽の声だった――それは春咲朱里の泣く声だった。

 

「はる、さく?」

 

 俺は手のひらで拭った涙の痕を見る。

 春咲朱里のものだろう涙――俺は、四季巡は、どうしようもなくその色を知っていた。

 

 ――それは離別の涙。誰かと死に別れた者が流す、悲しみと痛みを叫ぶ涙。

 

 四季巡が母との別れに耐えきれず流し……そして今は朱里が巡を想って流す、心の傷から流れる透明な血の色を、落ちて来た雫は持っていた。

 

「――」

 

 瞬間。全身の血が沸騰したようだった。

 否、沸き立ったのは魂だ。怒りという衝動が、俺の全身を火傷せんばかりに激しく燃え上がらせた。

 

 ……どうして気付かなかったのだろう。

 誰かが死ぬのは、悲しい。

 俺はそれが嫌で戦うことを、喧嘩という手段で醜く足掻くことを選んだ。

 それなのに、俺は何をしている?

 どうして大人しく死を受け入れようとしているのだ――!

 

「それは絶対に駄目だろうが馬鹿野郎――!!!」

 

 ああ、だから俺を燃やす憤怒の炎は、そのまま俺に向けられたものだった。この程度の事に気付けない、浅ましく自分本位な己自身への怒りであった。

 

 今更と知っていながら全霊で叫ぶ。生きたいと叫ぶ。

 己の為では無く、彼女の涙を赦せないが故に。

 かつて母を思って流した涙、その苦さを知っている俺だからこそ強く誓う。

 

「あんな悲しいのも、苦しいのも、俺のせいで皆に味わわせるなんて……絶対に御免だ! だから、死ねない!!」

 

 手を、伸ばした。

 奈落では無く、遥か上。間近に迫った死ではなく、今や遠い生の方向へと。

 だがここは死への奈落。当然、壁面どころか掴まれるモノなどひとつも無い。

 それでも――手を伸ばす。だって。

 

「掴めるものなら、あるだろうが。散々例えて来たんだから。それを繋ぎとめる為に今日戦ったんだから!」

 

 それは、四季巡がかつて不要と捨てたもの。

 そして今日、捨てたくないと手を伸ばしたもの。

 それの、名は。

 

「俺には――『皆との関係』っていう名前の糸が、ある!!」

 

 黒い世界を、色が裂いた。

 赤、緑、橙、白。よっつの糸が、俺と彼女らを繋ぐ糸が――一度途切れ、今日再び繋がった糸が、奈落の底にまで伸びてくる。

 

「頼む、力を貸してくれ!」

 

 俺はそれに向かって全力で手を伸ばした。4色の糸は、果たして……俺の手を拒むことはせず、しっかりと手のひらの中に納まった。

 温かく、柔らかく……少しささくれ立っていて痛いけれど、それでも握っていたい4色の糸。

 それを握りしめ、落下を止めようと全霊で腕を引く。

 

「死んで、たまるかああああああああ!!」

 

 だが。

 

「……ダメか!!?」

 

 ここは精神の世界。物理法則など通用せず、俺は糸を握りしめたまま落ちていく。

 握った糸が千切れかけるイヤな音が腕を通して響き、心を鋭い痛みが走る。

 

「クソ、おおおおおおお! 俺が、俺のせいでこれ以上悲しませる訳には――!!」

 

 どれだけ叫んでも、握りしめても、結果は変わらない。

 俺の体はそのまま奈落の底の底へと――。

 

 ――糸が。

 輝く5()()()の糸が、4っつの糸を追いかけて来たかのように、俺の手元に現れた。

 

「これ、は」

 

 それが誰とのものなのかを、俺は知っていた。

 それは、俺が今日の夕方までずっと握りしめていた「千切れた糸」。誰にも届くことは無かった、死別により失った縁の切れ端――それが今、切れ端ではなく天に繋がる糸として俺の目の前に。

 もはや考える時間は無かった。けれど、考える必要もまた無かった。

 

「どういうことかは分からねえけど、」

 

 俺はすぐ背中に迫った死を感じながら、その5本目の糸を掴んだ。

 

「信じるぜ、()()()――!!!」

 

 そして、黒い世界を光が包む。

 数多の映像が、記憶が――「真実」を導く鍵たちが、巡の深層意識で弾けた。

 

 ……親父の顔。「巡、怪我をしたら人目の無い所に逃げろ」。そうだ、その言葉があったから、きつく言い聞かされていたから、俺は小学3年生の運動会のリレーで転んだ時、状況も考えず逃げたのだ。そして今でも、人が居る前で怪我をしないよう体育の授業を休んでいる。

 

 ……今度は病院の部屋。親父と医者が喋っている。「私もよく分からないのですが、奥様は細胞分裂の回数が限界に達しているとしか……」。その言葉の意味は分からずとも、それは幼い俺の記憶に妙に焼き付いている。

 

 ぐるぐると、情報が回る。

 

 「怪我をするな」。「母の病気」。そして今日学校に来る前、遺言の前に見た書類の情報。「人工的な超能力者」。「その計画が何者かに襲撃される」。そして彼の父親は「超常殺し」。その父親に何かを「託されている」が「心当たりがない」。

 

 そして当然、四季巡の知り得ない情報も多数存在する。

 例えば「人造神子(みこ)計画」。これは20年ほど前「陰陽師十二神衆」という陣営によって行われた、非異能者をベースに人工的に超能力者を作る計画の名。その計画は何者かの襲撃によって瓦解し、唯一の成功例は襲撃者に救助される形で失踪——その襲撃者こそ「超常殺し」四季進。そして成功例の元一般人はデータによると若い女性で、発言した超能力は「有用性が高い」とされている。

 

 さらに「宝」は「覇権を握れる力」。「超能力は遺伝する」。そして「四季巡の父親である四季進」と彼が20年ほど前に助け出した「若い女性」。

 

 それらすべてが意味することこそ、これから起こる現象である――。

 

 ◆

 

 最初にその異変に気付いたのは理沙だった。

 

「……?」

 

 彼女は思わず片目を抑え、しきりに視界内に表示される数字を確認する。

 

「コレは……計測器の故障?」

「……どうしたんですか?」

「お兄ちゃんの予測生存時間が……1分から5分に伸びている」

「え?」

 

 そして朱里も気付いた。

 

「あれ……?」

 

 至近距離で見つめている巡の傷。それが少し小さくなっている気がする。

 いや、気のせいではない。()()()()()()()()()()()()()()。まるで早回し映像のように。

 

「な、コレは……ッ!?」

「予想生存時間、延長中……10分、30分、1時間っ」

「し、四季くんの傷が……()()()()()()()()!!?」

 

 そうして、巡の傷は完全に塞がり。

 

「……ぅ」

 

 まるで深い眠りから目覚めるように、四季巡はゆっくりと目を開けた。

 

「あれ、俺は……」

 

 彼は上体を起こし、片手で頭を押さえながら周囲を見回す。その姿はやはり健康な人間の寝起きそのものだ。

 臨死体験中の記憶が朧気なのか、状況が飲み込めていない巡とは対照的に、彼を囲む3人は戦慄していた。

 

「さ、『再生能力』……ッ」

「『宝』とは、このことだったのですか……!!」

 

 この場に居る誰も知らないこと——四季巡には自己再生の超能力があった。

 それは「人造神子計画」の唯一の成功例、今は亡き四季零から受け継がれた力。人工とはいえ超能力は超能力、それは巡に遺伝していたのだ。

 彼の超能力のトリガーは「使命感」。絶対にそうする/そうはさせないと強く想うことで、四季巡の再生能力は起動する。

 

 そんな巡を前に、彼女らは先ほどまでの感情全てを置き去りにして、その価値を高速で計算する。

 

「(超能力は遺伝する。そして自己回復型で()()観察眼までついてくるとしたら……コイツを陣営に取り込めば、簡単には根絶やしにできない最強の一族が誕生する!!)」

「(……自己再生超能力者。その細胞の仕組みを解明し培養できれば、科学使いである人造人間を不死身の兵士へと改造できる可能性が高い)」

「(なんてこと……引き込めれば得られる恩恵は計り知れず、逆に他陣営に奪われれば非常に厄介!! これが陣営の、異能者世界の未来を左右する『宝』……!!)」

 

 そしてそんなことを何も知らないどころか再生の過程を何も覚えて無い巡は、

 

「どぅわー!? 血、血がいっぱい!! ナニコレ、俺無事なの!? う、なんか体が痛い気がする! こういう時は救急車……あれ、11(ひゃくじゅう)何番だっけ!?」

 

 初めて見る量の自分の血でパニックになっていた。

 それを見て涙が完全に引っ込んだ朱里たち。

 

「……私これの心配してたの……?」

「ないてた」

「泣いてましたね」

「な、黙れ忘れろっ!」

 

 と、赤面する朱里は、起き上がった巡と目が合った。

 彼は自分がなぜ戻って来れたのかを覚えていない……それでも何故だろうか、言わなければならないことだけは憶えていた。

 巡は静かに穏やかに、するりと喉から出てくる素直な気持ちを口にする。

 

「……無事みたいだな、春咲。良かった。それと……ありがとう」

 

 その顔に、声に……色々なものが込み上げた朱里は、ぼっ、という音が出そうな程の勢いで顔を更に真っ赤にして叫んだ。

 

「な、ば、ぅあ――アンタがそれを言う!!?」

 

 その光景になんだか和やかな空気が流れた……のもつかの間。

 そんな空気を追いやるような影が彼らの元に飛び込んでくる。

 

「ぐっ!」

「秋月!?」

 

 攻撃を受けて吹き飛ばされたのか、巡たちの数メートル先に激しく転がってくるコノエ。彼女は立ち上がり戦闘に戻ろうとして……巡が無事なことに気が付いた。

 

「巡先輩!? どうして――」

「うーん、それが俺にもあんまし分かんなくて。必死で『死んでたまるか』って思ってたら……なんか復活した、のかな?」

 

 気の抜けた声を出しながら巡は立ち上がる。ただ、その目は体中傷ついたコノエを見てからか、先ほどまでの緩い雰囲気を捨て、再び鋭く強い光を湛えていた。

 

「でも分かることはあるぜ。まだ喧嘩は終わってねぇんだな」

 

 そうして、巡はグラウンドの中心を――そこに立つ藍華を見る。

 それは最早獣ですら無かった。

 

「斬る、キル、kill……ダーンスレイヴ、もっと……」

 

 虚ろな目で立つ彼女の体は、かなり獣の力の浸食が進んでいた。もはや肩や太もも辺りまで狼のそれに似た毛が覆っている。口は牙のせいで閉じれず血の混じった涎を垂れ流し、体はときたま病毒に犯されるように小さく痙攣していた。

 その様をなんと呼べばいいのか。少なくとも巡には、藍華が「斃すべき敵」には見えなくて。

 治った傷に触れ、その痛みを恐怖を思い出し……そして、巡は決意する。

 

「秋月。アイカさんのこと、俺に任せてくれないか」

「なっ……危険です巡先輩! ヤツは最早、近づくものを無差別に斬り刻む怪物のようなもの! 話が通じるどころか、今度こそ――」

「大丈夫」

 

 巡は立ち上がるとコノエの方に近づき。彼女が握りしめていたナイフを優しく奪うと、それをゆっくりと地面に置いた。

 こちらを見つめる「後輩」と目を合わせながら、語る。

 

「なんとなく――本当になんとなく、だけどさ。俺にはこの場に居る全員が、本当は誰も殺したり殺されたり、そういうのしたくないと思えて仕方ないんだ。根拠はないけど……俺は目が良いから、ちょっとだけ自信はあるよ」

 

 彼はコノエを見て、朱里ら3人を見て、またコノエと目を合わせ。

 

「違った、かな?」

 

 そうして照れたような表情で言った言葉に、否定の声は飛ばなかった。

 

「……よっし。ま、ちょっと待っててくれ。モテない思春期男子的には、美人ギャルとの予定は最優先事項なんでな――それが喧嘩の約束でも」

 

 冗談めかして言って、そして巡は歩き出す。禍々しい漆黒の魔剣、ソレに正気を奪われた藍華の方へ。

 距離は瞬く間に縮まった。

 

「きる、切る……あれ? メグルっち? ナンデ断面が消えてる、の?」

 

 焦点の合わない目で此方を認識した藍華――彼女が持つ魔剣の間合い一歩手前で、巡は立ち止まった。

 彼の脳裏には、後ろで己を見守る4人の少女との思い出があった。嬉しかったこと、悲しかったこと。甘い成功に苦い失敗。

 その経験が、己の願いの為にはどうすればいいかを教えてくれている気がした。

 そうしてその少年は、かつて一人の友人も居なかった四季巡は、深呼吸と共に話し始める。

 

「なあ、アイカさん、だっけ?」

 

 ピクリ、と藍華の獣の耳が動く。自分の名前を聞いたからか、彼女の目の焦点が少し戻った。

 それを見て、巡は続ける。

 

「もう話し合いしようなんて言わねえよ。言っても無駄みたいだしな」

 

 そして……間合いの中に、手を伸ばす。

 いや、手を差し出す。攻撃する為でもなく、防御する為でもなく……ただ、敵意が無いことを示すために。

 

「だからさ、その代わりに聞かせて欲しい。アイカさんのこと。なんでそんな悲しい力に頼っちまったのか。悲しいこととか、そうじゃないこととか。何が好きとか、どんなとこでどう育ったのかとか……それを俺に、教えてくれないかな」

 

 その言葉に、態度に、藍華の目に正気の光が僅かに戻った。

 

「な、んで……」

 

 震えながら問う彼女に、巡は少しばつが悪そうに笑う。三日前の失敗を思い出しながら。

 

「誰かと話をするときは、相手のことを知らないと失敗するって最近学んでさ。話し合いがダメなら、話を聞くだけでもと思って」

 

 そうして、巡は一歩踏み出した。足が、体が、間合いの中に入る。

 

「あ……っ」

 

 反射的に魔剣が振りぬかれ――けれど、それを「見て」いた巡は避けるそぶりも見せなかった。

 ズガ! と刃が肉を斬り、ぼたぼたっ、と血がグラウンドの土に落ちる。

 

「っぐぅ……、(いって)ぇ――いや、痛く、ねぇな……!」

 

 刃は果たして、巡の腹に浅く喰いこんだだけで止まっていた。巡の肉体の強度は人並みなので、藍華が思わず斬撃を途中で止めたのだろう。

 それでも傷の深さは3cm以上。未経験の激痛に、巡は脂汗を流しながら強がる。

 

 むしろ分かりやすく苦しげなのは巡の方では無く。

 

「う、あぁ……っ」

 

 魔剣が食い込んだ腹、そこから落ちる血を見て、藍華の目が大きく揺らいだ。人狼の腕力をもってすれば、少し力を入れるだけで巡の体を両断できるだろう。彼がそこから再生できるかどうかは分からない。

 

 だが、魔剣士は動かない。

 魔剣を握る手が震えていた。それは「敵を斬れ」と叫ぶ魔剣の意思に、藍華が抵抗しているようにも見えた。

 

 そんな彼女の前に立ち、腹を刃に裂かれたまま、それでも剣の持ち主と目を合わせて巡は言う。

 

「魔剣を持ったのも、誰かを斬ったのも。なんか事情があるのかもしれないし、無いのかもしれない。だから俺はアイカさんの事情とかを知らないで、一方的に『人を斬るな』とは言いたくない。それはアイカさんを傷つけることだろうから。俺のこの行動も、もしかしたらアイカさんを傷つけてるのかもしれないけど……そこはまぁ、俺も斬られたしお互いさまってことで、どうかな」

 

 巡は手を伸ばす。それを見た藍華がの体がびくりと震えた。まるで叱られるのを怖がる子供のような動きだった。

 そんな彼女を安心させるためか、自分の発言の照れくささゆえか、巡は照れたように笑って……幼子に「怖くないよ」と言うように、ゆっくりと魔剣を握る毛むくじゃらの手に触れた。お互いが、お互いの体温を感触を静かに共有する。

 

 気付けば魔剣は巡の腹から抜け、力なく地面を擦っていた。

 

「う、ウチは……」

 

 藍華は触れ合った手、魔剣を握る指から力を抜こうとして……瞬間、その頭に激痛が走った。

 

「——ぐぅあァッ!!?」

「な、アイカさん!?」

 

 左手で必死に頭を押さえ蹲る藍華。それは魔剣の拒絶なのか、それとも「侵食」の影響なのか……耐えがたい苦痛が藍華を襲い、魔剣を放すことを、巡の手を取ることを拒否させた。

 

「——うぅ"ッ!!」

 

 そうして、藍華は凄まじい脚力で地面を蹴ると、高く飛び上がって街の向こうへと消えていった。

 

 グラウンドに残された巡は、傷が再生しだした腹を押さえながら、少し寂しそうに呟く。

 

「……説得失敗。ま、そりゃそうか。俺モテないもんなぁ」

 

 夜闇の中に消えていく藍華……彼女が見えなくなる前、こちらを振り向いたように見えたのは気のせいだろうか。いや、きっとそうだろう。

 なぜなら、四季巡は異性にモテないのだから。

 

「巡先輩っ!」

「メグル!」

 

 と、巡の背後から2人の少女が駆け寄ってくる。コノエと朱里だ。

 

「お怪我は!? あの傷からどう回復したのですか!?」

「アンタ、アイツに何したの!? 逃げてったみたいだけど!」

 

 彼女らに詰め寄られながら、巡は一言。

 

「……うわお、やっぱモテモテかも」

「はぁ!!?」

「い、いえ当然冗談デスヨ。あはは……」

 

 巡が思ったより全力で朱里にキレられたことに心の中で泣いていると、更に2人の少女が歩み寄って来た。今度は理沙と優乃。

 

「その発言は質問への回答になってないよ、お兄ちゃん」

「まあなんにせよ、四季くんが無事で何よりです」

 

 巡は4人の姿が揃ったのを――彼女らに命にかかわりそうな怪我などが無いのを見て、思わず安心して息をついた。

 

「皆無事か。良かったぁ……」

 

 そんな彼にぼそっと朱里が呟く。

 

「一番死にかけてたのはアンタだけどね」

「やっぱ俺死にかけてたのかっ!!」

「ええ。それはもう盛大に」

「春咲朱里がなくくらい――」

「なっ、黙れこのチビナスっ!!」

 

 顔を真っ赤にして理沙の口を塞ぐ朱里。それを見て笑う優乃と、巡の傷を確認しようと近づくも照れた巡に遮られているコノエ。

 みんな立場が変わった訳でも、意見が変わったわけでもないだろう。けれど今ここでは、誰も殺し合ったり傷つけあったりしていない。

 

 そんな光景を見ながら、巡は笑い。

 

「ま、これにて一件落着——」

 

 ふらり。巡の視界が傾く。

 

「あれ?」

 

 朱里達が驚く顔が見える。その顔には、ていうか体には、ずいぶん角度が付いていた。否。傾いているのは彼だ。

 巡は倒れこみながら、思う。

 

「(……そういえば、ここ最近ろくに寝て無かったなぁ。安心したら眠気が、まずい倒れるう……)」

 

 最近は「魔剣士の襲撃」にずっと頭を悩ませていたのだ。だが、それが解決したということで体が安心したのだろう。巡は耐え難い眠気に体を預けながら、考える。

 

「(……あれ、よく考えたらこれ、全然一件落着じゃないのかも)」

 

 魔剣士は逃げた。彼女がまた襲ってくるかは分からない。朱里たちはひとまず仲良さげにしているが、まだ喧嘩も出来てないし意見も聞いてない。

 なんか死ぬほど頑張ったので何かを成し遂げた気でいたが、実はあんまり解決してないかもしれない。

 

「(……でもま、いっか)」

 

 ただ、それでも巡は笑った。

 自分は漫画やアニメの主人公ではない。中途半端な結果しか出せない時もあるだろう。だが、それでいいのだ。

 敵を倒せなくても。当初の目的から脱線しても。それで力を使い果たしてしまっても。俺やみんなが無事で生きている限り、明日もチャンスはあるんだから。

 

「(ていうか、マジで限界……ぐう)」

 

 そうして、四季巡は意識を手放した。

 

 久しぶりの熟睡は、砂と自分の血と、繋がった糸の味がした。



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⑬ 4月16日(木)・通学

「……知ってる天井だ」

 

 俺、四季(しき)(めぐる)は自室のベッドの上で呟いた。

 カーテンの隙間から差し込む日の光に、鳥の鳴き声。朝である。

 スマホを確認すると、4月16日の午前8時2分。

 満月の日は過ぎていた。

 

「昨日は、確か」

 

 昨夜のことを思い出しながら部屋を見回すと、部屋中に散らかった紙束にほったらかしの手紙。昨日家を飛び出したときの状態そのままである。見回せば、例の眼鏡もベッドのわきに置いてあった。

 体の調子を確かめる。昨日の傷はどこにも見当たらないし、服や肌、髪にこびりついていた血も綺麗に無くなっていた。というか今着ている、斬られたはずの服すら直っている。

 あまりにも昨日の戦いの証拠が残っていない部屋に、俺は思わず呟く。

 

「……なるほど。これは『夢オチ』ってやつか」

 

 と、隣の部屋で何かが動く気配がした。多分盗聴でもされてたんだろう……うわなに今の、我ながらすっごい自意識過剰みたい。もし思考が読める異能者がいたら名誉棄損とかで訴えられちゃうかも。

 

「(ま、それがどうかはともかく『夢オチ』だけはありえないよな。昨日は何度死ぬ思いで魔剣を躱したか。あの腹の底が冷たくなる感覚はそう簡単には忘れられそうにないぜ……)」

 

 無意識に腹を撫で摩っていると、脳裏に閃くものがあった。

 

「(そっか、多分()()()的には『夢オチだったことにしたい』んだろうなぁ。そりゃそうだ、俺超能力とか機械で銃撃つとことかバッチリ見ちゃったもん。そんな俺相手じゃあっちがやりにくくなっちゃうだろうし)」

 

 俺は苦笑しながら起き上がり、洗面所に歩いて顔を洗い、いつもの癖で「見え辛くしてくれる」眼鏡をかけた所で……ふと思った。

 

「あれ? 春咲たちって、これからどうなるんだろ」

 

 それは当然の疑問。

 

「俺能力見ちゃったし、もしかして人員交代? それとも俺が倒れた後やっぱりガチバトルに発展して、今は1人しか生き残ってなかったり? ……くそ、俺が気絶したの、もしかして超マズいんじゃあ……!」

 

 鏡に映った自分の顔が分かりやすく青ざめる。

 嫌な想像に顔を洗うどころではなくなった俺は居てもたっても居られず、昨日に引き続き着ていた私服のまま部屋の外へと走った。

 

「うおおお急げ俺ッ」

 

 どたどたと喧しい足音を立てながら俺は大慌てでドアを開け――。

 

 炎が。

 いきなり目の前に現れた炎が、俺の前髪をじゅっと焦がした。

 

「うぉわぁっ!!?」

 

 ずでーん、とそれにビビって盛大に尻もちをつく俺。目線が低くなったからか、部屋の外の眩しさが妙に俺の目を刺す。

 

「……な、何がっ」

 

 混乱と朝の眩しさから徐々に立ち直り……そして、俺が見たものは。

 

「お、オハヨーメグルくんっ。大丈夫?」

「春、咲?」

 

 昨日とは全く違う、純情可憐って感じの笑顔を浮かべる春咲(はるさく)朱里(あかり)……と、

 

「……マッチポンプ」

「自分で転ばせておいて可愛らしく心配……今のは酷いですね……」

 

 その後ろで呆れた顔をした冬野(ふゆの)理沙(りさ)夏目(なつめ)優乃(ゆうの)の3人だった。

 

「うるさいのよこのッ――うぐ、あーえっと……や、やめてよぉ」

 

 ちょっと素が見えかけた春咲の手を借りながら立ち上がる。

 どこかやりにくそうな彼女たちが3人揃っていることにほっと安堵し……しかしここで、俺はふと気になってしまった。

 

「……なんで俺んちの玄関前がこんな水浸しになってんの? よく見たら所々穴開いてるし、焦げてるし……」

「「「う"」」」

 

 そう。ドアを一歩開けたそこは、なぜかここだけ大雨でも降ったのかというレベルで水浸しだった。それに壁や柵には指先ほどの大きさの穴や焼け焦げっぽい黒い汚れが沢山ある。ここ学生寮なんで、壊したりしたら怒られるの俺なんだけど……。

 

「……まあ良いか。3人とも、元気そうで良かった」

 

 ただ、とにかく安心した。昨日の怪我を引きずってもいなさそうだし、3人とも交代とかはしてないみたいだし。昨日のことは「無かったこと」にしとけばいいのか……それはまだ掴み兼ねてはいるが、とにかく俺は戻って来たのだ。

 

「……まあね」

 

 と春咲朱里。

 

「ん、げんき」

 

 今度は冬野理沙。

 

「ありがとう。四季くんもね」

 

 最後に夏目優乃。

 

 この3人との、嘘だらけ秘密だらけの日常に。

 繋ぎとめた関係が、握りしめた本物が、痛いくらいに俺の胸の中で輝く。

 ……と、じーんとしながら突っ立っていた俺を、春咲の声が現実へと引き戻す。

 

「ていうか着替えて無いの? 学校遅れるよ?」

「やべ、すぐ準備してきます!」

 

 ドタバタと慌ただしい音を立てながら、俺の新しい日常が再開した。

 

 ◆

 

 ――四季巡の持つ「宝」は「自己再生の超能力」だった。

 

 その事実を知った3つの陣営……「全日本超能力者連合」、 「冬野グループ・先進科学研究科」、 「魔術協会日本支部」は、偶然にもそれぞれ同じような方針を掲げることとなる。

 

『超能力は遺伝する! つまり彼を陣営に引き込むことが出来れば、「再生能力」を持つ一族を抱えることが出来る! それは戦闘・技術の両方で陣営の大きな助けになるだろう!』

 

 それは、闇に呑まれた室内で、複数の高齢の超能力者が座るドーナツ状の机に囲まれた春咲朱里に下される命令であったり。

 

『しかし、四季巡を強引に引き込むことは出来ない。「超常殺し」の脅威は決して無視できるものでは無いからだ。四季巡は扱いを誤れば、陣営を繁栄させるどころか破滅させうる爆弾となる。少なくとも「超常殺し」の死亡が確認されるまでは、このまま平和的な接触を続けるべきだ』

 

 司令部の中で「メンテナンス」を受けている理沙の前で行われている、有能な冬野グループ社員たちの会議であったり。

 

『つまり、今まで通り接触は続ける。すでにある程度の信頼関係を築いているとの報告から、現場の人員の変更はない。ただ、変わるのは方針だ。今までは諜報だったが、これからはもっと直接的かつ具体的な「恋愛ミッション」——』

 

 祭壇と呼ばれる荘厳な教会に似た場所で、賢者様の前で優乃に行われる任務通達の儀式であったり。

 そんな3人は、一方的に、あるいは事務的に、あるいは儀式的に、超重要任務——

 

『——つまり! 結婚を前提に、四季巡(ターゲット)と恋愛関係を結ぶのだ!!!』

 

 まあ大体そんな感じのことを押し付けられた。

 無論、3人のうちの2人が大声を上げたのは言うまでもない。

 

 

 その3人の異能者は今、件のターゲット四季巡と一緒に登校していた。

 さて。普通に考えて、「1週間前に知り合った異性と結婚しろ」と言われ、しかも「相手の了承は自分で取れ」と条件を付け足された場合。その異性とのコミュニケーションはどうなるだろうか。

 

「……」

「……」

 

 そう、気まずいのである。という訳で巡一行は全員無言、もれなくあの気まずすぎる日常に元通りなのであった。

 巡半ば現実逃避のように頭をひねる。

 

「(あっれー? 昨日結構色々あったよな? 俺結構頑張ったよなぁ? 雨降って地固まるじゃないけど、もうちょいこう、発展があってもいいんじゃないですかねぇ?)」

 

 その昨日のことを話題にできないのと、相手がまた新しい秘密を抱えているせいで気まずいのだと気付けない、眼鏡をかけたコミュニケーションLv.2の男、四季巡。

 そんな彼は例の曲がり角にさしかかり……。

 角から飛び出して来た人物にぶつかった。

 

「うわっ」

 

 どて、と尻もちを搗く巡。

 

「ちょっとアンタ、前見て歩きなさいよ!」

「大丈夫かい四季くん」

 

 ぶつかってきた人物は急いでいるらしく、朱里の罵声を無視して謝罪も言わずに走り去っていった。その姿に見覚えは無いが、どう見てもオッサンなので流石に新ヒロインとかではないだろう。そうであってくれないと困る。

 

「いてて……」

 

 巡は手を擦りむいてしまったようで、その砂利まみれの手のひらから血が滲む。

 だが、その傷は数秒放置していると、再生能力によって塞がろうとしていた。どうやら軽傷くらいなら「なんか空気の良くなることを言わなければ!」程度の使命感で治るらしかった。

 

「……」

 

 巡はすっかり完治した手のひらを見ながら少し考えこんで……半ば独り言のように語る。

 

「……今までさ、親父の言いつけもあって小さな怪我しかしてこなかったし、友達もいなかったから確証はなかったんだけど、違和感みたいなものはあって……やっぱりこんな速度で怪我が治るのって普通じゃない、よな」

「……何が言いたいの?」

 

 朱里の問いに、巡は少し言いよどみながら、

 

「いや、その……気持ち悪かったりすんのかな、と……」

 

 そう言うと……朱里は、その再生した手を掴んで彼を無理やり立ち上がらせた。その鋭い眼光が、外面を外した「春咲朱里」の真剣な表情が巡を射抜く。

 

「逆に訊くけど、アンタはどう思った? 私たちが超能力だったり魔法だったりが使えること。それで『気持ち悪いな』って思ったワケ?」

「え、いや……」

「つまりそういうことでしょ」

 

 ふん、とそっぽを向く朱里。そのツンとした仕草が何だか愛おしく思えてしまって、巡は思わず笑った。傷を治した手をぐーぱーと動かす。その不思議な力が、なんだか本当の意味で自分のものになった気がした。

 と、朱里がそっぽを向いたまま口を開く。

 

「……それより、アンタの異能が超能力で良かったわね。パチモンじゃない、真に異能に選ばれし者ってことよ。誇りに思いなさいよねっ」

 

 それに「聞き捨てならない」と反応する理沙と優乃。

 

「……超能力者が超能力者の陣営に入らなければならないルールはない」

「そうですよ。それに超能力者なんてのは、全員もれなく傲慢で差別主義者です。えーだからですね、結婚するなら、その、魔術師とかの方が……」

「照れんなら言うんじゃないわよこの賢者カルト宗教女! アンタらの地雷率のが高いでしょ!?」

「なっ、今賢者様を侮辱しましたね無礼者!」

「……お兄ちゃん、けんかしてるふたりはおいて行こう」

「なっ、アンタ中学生でしょ!? 1人で学校行ってなさいっ!」

 

 ぎゃーぎゃーわーわーと賑やかになった4人。巡は理沙に手を引かれながら朱里と優乃に追いかけられながら、巡は思う。

 

「(……ナニコレ、なんか楽しいぞ!? え、もしかして友達居るやつってこんな楽しい思いしてたのか……そりゃあ友達作るわ!)」

 

 自然と笑顔になってしまう喧騒に囲まれながら、巡は今までの自分がどれだけ愚かなことをしていたのかに気が付いた。

 いずれ来るだろう別れ……それがいかに恐ろしい、耐え難いことだろうと。その恐怖は輝ける「今」を前に無力であることを、巡は今更ながら知ったのだ。

 関係という名の糸は、四季巡に絡まった。彼はそれを、笑顔と共に受け入れた。

 

 と、そんな通学路の途中。桜の街道に1人の少女が立っていた。

 

「ん、あれは……」

 

 その見覚えのある茶髪に、巡は足を止める。

 

「秋月?」

「はい。おはようございます巡先輩」

 

 秋月コノエ。異能者に敵対する組織の少女。

 その見覚えのある姿には、しかし見慣れぬ部分が。

 

「それ、ウチの制服……そうか、今日入学式か!」

「はい。今日から私も木世津高校に通います」

「はぁ!?」「む」「なんと」

 

 後ろの3人の三者三様の反応。

 それを受け流しながら、キセコーの制服姿のコノエは巡に近づき、その手を自然な動きで取った。

 

「護衛は任せてください、先輩」

「え? あ、うん、よろしく?」

「そして、これは追加通達ですが」

 

 そして、コノエは朱里、理沙、優乃を順に見てから、巡に向き直り……鼻と鼻がくっつくほどの距離で。

 

「彼女たちは友好的なフリをして何かを企んでると思われます。先輩と彼女らは異性ですから、中には誘惑的なものもあるでしょう。なので、惑わされそうになったときは私を呼んで下さい。『添い寝』くらいならできますから」

 

 そう、言った。

 

「……? ? ?」

 

 その吐息がかかる距離で行われた発言の刺激の強さに、真っ赤になってショートする巡。

 

「「「!?」」」

 

 そして新たなライバルの出現に、驚き喚き騒ぎ立てる異能者娘3人衆。

 

「なっ、誘惑してんのはどっちよ1年!!」

「……まずい。年下はキャラが被っている気がします司令部」

「さ、最近の子は進んでるんですね……なんてアダルティなっ」

 

 そんな3人……いや、それにコノエを追加した4人と巡の新しい日常が……慌ただしく騒がしく、孤独なんて付け入るスキのない喧騒と共に始まった。

 

 

 ――俺は友人も恋人も作らない。その必要性も感じない。

 そんなことを言ったバカも今は昔。ソイツは偽物の関係性を契機に人と関わることを学び、静かに昔のポリシーを撤回した。

 ずっと、他者との関係は互いを縛る「糸」だと、人を縛り苦しめるものだと思っていた。いや、そういう無駄なものなのだと信じようとしてきた。

 だがそれは違った。そのネガティブなイメージは「糸」の半分でしかなかったのだ。

 そのもう半分とは、人を導き、窮地から救い上げ――そして何でもないハズの瞬間を彩る、縛られたって構わないとさえ思えるあたたかな縁。

 そんな「糸の半分」――即ち「絆」を知った今、それを要らないなんて俺には口が裂けても言えないから。

 

 

 桜舞う春、とある高校の前にて男女は踊る。

 

「学校へは私と2人で行きましょう、先輩」

「ちょ、待ちなさい茶髪1年っ!」

「お兄ちゃん、妹と後輩どっちがだいじなの」

「ひ、ひえぇ……あんながっちり手を組んで……と、とにかく止めねばっ……」

「ちょ、春咲! こんな往来で炎はヤバいって! 知られたらマズいんじゃないの!? 理沙ちゃんも機械のアーム仕舞って……って夏目先輩までそのヤバそうな本出さないで下さいって! ああちょっと秋月止まって、このままだと2人一緒にバーベキューから銃弾喰らって面白オブジェになっちまうから!! ちょ、ま、誰かあああああああ!!」

 

 春陽の下、喧騒の中心にて少年の口元がほころぶ。

 ああ、まったく――今日も、俺の青春ラブコメは(フィクション)だらけだ。




ここまで読んで頂きありがとうございます。
お気に入り登録・高評価して頂いた方ありがとうございました。まだの方もよろしければ是非。
この先を書くかどうかはまだ分かりませんが、また続きが出たときには読んで頂けると幸いです。

繰り返しになりますが、長々とお付き合いいただきありがとうございました!


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