イラスト担当は記憶を無くしました (大森依織)
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中学生編
1枚目 選択肢



この話は『記憶喪失』の東雲絵名が主人公です。
なので、原作だと絵名が趣味にしていることなども、物語の進行によって趣味にならなかったりしてます。
原作の絵名(えななん)との違いを楽しむ気持ちで読まないと、解釈違いで瀕死になります。ご注意ください。


 

 

 

 才能か、記憶喪失か(talent or amnesia)

 

 

 ソレは東雲(しののめ)絵名(えな)という、画家に憧れる少女に与えられた、神の悪戯のような選択肢だった。

 

 そんな選択肢を与えた神様は残酷で、かなり意地悪な存在らしい。

 その選択は、何も知らない少女が絵を描いた瞬間、強制的に選択されたのだ。

 

 もしも神様が残酷でも意地悪でもないというのなら、どうしてこんなことをしたのやら。

 ただの愉快犯だとしたら……私は無くしてしまった東雲絵名(かのじょ)の代わりに、その神とやらを助走をつけて殴らなければならないだろう。

 

 というか、絶対に殴る。

 もしも神が目の前にいたら、絶対にぶん殴って「人の記憶を勝手に消すな、この馬鹿!」って、叫んでやる。

 

 

 ──まぁそんな激情すらも、今見ている夢から覚めると、泡沫となって消えるのだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中の彼女(わたし)はまるで映画に出てきそうなゾンビのように、フラフラとした足取りで帰路についていた。

 

 視界がぐるぐると回っていて、気持ち悪い。

 

 思い通りの絵が描けなくて、画塾では散々な酷評をされた。

 何時もならそんな日もあるって思うことも、その日はどうしようもなくメンタルにきていた。

 

 家に帰って、真っ直ぐ自室へ。

 扉を背中で擦るように床に座り込めば、あいつの言葉がハッキリと聞こえてきた気がした。

 

 

『お前には絵の才能がない』

 

 

 絵を描くのは自由だ。だが、画家になるのは諦めろ。

 他でもない、尊敬していた天才画家である父親から断言された。

 

 それはどれだけ取り繕っても私に重くのし掛かり、ありとあらゆる気力が奪われていく。

 

 こんな状態になっている今では、夜ご飯は食べてきたって嘘をついた過去の自分を褒め称えたい。

 胃が地球と共にクルクルと自転しているみたいに気持ち悪くて、ゴミ製造機になる未来しか見えないからだ。

 

 

月曜日(あした)からまた頑張って学校に行けば、3月はもうすぐか)

 

 

 ぼんやりと虚空を眺めていると、壁にかけられたカレンダーが目に入った。

 3月になれば、春休みまでもう少し。春休み中は宿題さえ片付ければずっと絵に集中できる。

 春休みに絵を描き続ければ、そしたら。

 

 

 ──それで、才能がどうにかなるの?

 

 

「〜っ!!」

 

 

 ダン、と私の拳に八つ当たりされる、近くにあったクッション。

 弟が部屋に来たら面倒だ。そう考える理性はまだ残っていたので、サンドバッグになったのはクッションだけ。

 

 沸々と湧き出てくる気持ちをクッションにぶつけ、2度、3度と繰り返しているうちに虚しくなって、やめた。

 

 

「……言わなきゃ、良かった」

 

 

 その代わりに飛び出たのは後悔の言葉。

 

 

 あの日、父親に何気なく話した学校での話。アレさえなければ、私はまだ楽しく絵を描けたのに。

 

 保育園の職業体験で、保育園児の皆と絵を描いたこと。

 それがとても楽しくて、やっぱり画家になりたいと改めて思ったこと。

 だから高校は美術系の学校を考えてるなんて、あいつに話さなければ、私は。

 

 

(後で言われるか、先に言われるかの差でしかないか)

 

 

 どうせないのなら、後でも先でも同じだ。

 少なからず尊敬していたあいつの言葉だから、ダメージが大きいってだけ。

 あいつに認められなくても、他の全員に認められたら関係ない。あいつの言葉なんて気にしなくてもいい。

 

 

「認められたいなら、描くしかない」

 

 

 噛み締めるように、決意をブレさせないように、呟く。

 

 でも、今は思い通りの絵も描けず、保育園の職業体験の時みたいに絵を描くのが楽しいとも思えない。

 それでも筆を持ってみようと決意して、ゆるゆると立ち上がる。

 憂鬱過ぎて視界も暗く感じる中、見覚えのないスケッチブックが視界に入った。

 

 

(こんなの買ったっけ?)

 

 

 買い溜めていたスケッチブックの山に、1冊だけ。ボロ布を貼り付けたような表紙のスケッチブックが混ざっている。

 課題が書かれたページを含めても、片手で数えられる程度にしかないせいで、スケッチブックとしては戦力外のそれ。

 

 こんなの買うはずないのにな、と首を傾げて中身を見ると、これまた変な前書きが書かれていた。

 

 

(【あなたの望む、あなたの理想の姿をスケッチブックの1枚目に描いてください。描けば願いが叶うかもしれません】? ……うわ、何これ)

 

 

 課題を指定してくるスケッチブックとか、初めて見た。

 しかも、その課題の文字は1つ目以外、字がボヤけて見えないし、明らかに不良品だ。

 

 それでも捨てる気にはなれなくて、課題のことをつい頭の中で考えてしまう。

 ……『あなたの理想の姿』ということは、変則的な自画像的なものだろうか。まぁ、何を描くか迷っていたし、課題があった方がやりやすいだろう。

 

 

(でも、私の理想の姿か。理想の私ってどんなものだろう)

 

 

 やはり、画家になりたいのは譲れない。

 画家になって、才能がないとか言いやがったあいつを見返してやりたい。

 絵を描くのは好きだ。画家になるのは憧れだ。

 

 でも、今は苦しくて思うように描けなくて、絵を描くのが嫌いになりそうなぐらい、揺らいでいる。

 保育園の職業体験の時のように楽しく描くなんて、今では想像できない程に、苦しくなってしまっていた。

 

 

(そう考えたら、想い描く理想の私の姿は──)

 

 

 思うように描けないと思っていたのに、何故かこの絵だけは筆がスラスラと動いた。

 何かに取り憑かれたように、自分の理想の絵を下書きして、キチンと形にして、色付けていく。

 

 

 そうして寝る時間も何もかも忘れて、描きづけること数時間が経った頃。

 

 

「よし、描けた! って、もう外が明るいんだけど!? 今何時!?」

 

 

 顔を上げれば、カーテンから陽の光が差し込んでいて、私は思わず素っ頓狂な声を出す。

 時計の針は5時30分を指しているので、お風呂に入るぐらいの時間はありそうだ。

 

 死にかけているスマホに命を吹き込み、急いでお風呂に入る。

 烏の行水のようになってしまっているが、仕方がない。

 ドライヤーで髪を乾かし、素知らぬ顔で朝食に混ざった。

 

 朝食を食べている間に「朝風呂なんて珍しいわね」と言うお母さんへ、「そう言う気分だったの」と返して自室に帰還。

 弟にも変な目で見られていたけど、学校に行ったら忘れるだろうし、気にしないことにした。

 

 

(それにしても、我ながら良い出来の絵ができた。才能ないなんて、あいつの主観かもね)

 

 

 変なスケッチブックに良い絵が描けたのが満足で、私は中身を再び確認することなく、学校の準備へと移行した。

 良い気分のまま、家の外に出た私は勿論、あのスケッチブックの前書きの部分なんてすっかり忘れていた。

 

 

 

 

 もしも、あのスケッチブックの中をもう一度見ていたら、私のあの後の行動は変わっていたのだろうか?

 

 

 ──いや、あのスケッチブックに描いた時点で、この未来は決まっていた。

 

 

 

 

 

 

(あーあ、太陽が黄色く見えるなー)

 

 

 呑気な朝に、青信号。

 いつも通りだと油断する私──東雲絵名の体が、衝撃と共に宙を舞う。

 電柱にぶつかって止まる黒い車体と、ゴミ袋に突っ込む私の体。

 

 

 全身の痛みと、プツリと消える意識と共に、追体験していた私の意識も溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、白い天井が見えた。

 

 

「っ!」

 

 

 体を起こして居場所を確認しようとしたものの、全身に激痛が走る。

 呼吸するのも痛い。辛うじて無事なのは右手ぐらいではないだろうか。首も固定されていて、周りを見るのも一苦労だ。

 

 それでも何とか目線だけで周囲を見渡すと、病室っぽい部屋が見えた。

 いや、病院特有の薬品の匂いといい、明らかに病院だ。どことなく冷たく感じる白も、ここが病院だと主張しているように見える。

 体の痛み的に事故に遭ったっぽいけれど……どうして入院しているのか、詳しく思い出そうとして。

 

 

 ──あれ?

 

 

「あぁ、絵名。目が覚めたのね!」

 

 

 不意に女性の声がすぐそばから聞こえてきた。

 その声で初めて、私はこの部屋のベッド付近の椅子に、女性が座っていたことに気がついた。

 

 

「あの……私は」

 

「大丈夫よ、1週間も眠っていたんだもの。すぐにお医者さん呼ぶから、待っててね」

 

「いや、その前に。私はどうして、病院にいるんですか?」

 

「……絵名? どうしてそんな、他人行儀な話し方をするの?」

 

 

 優しい笑みを浮かべて、ゆっくりと問いかけてくれる女性。

 良い人そうに見えるその人の顔を、私は今から悲壮で歪めてしまうのだろう。

 

 

「あなたとは初対面ですし、それに……『えな』って誰のことですか?」

 

 

 ……『えな』という名称も、親しげに呼んでくれる女性のことも。

 何1つ記憶にないと言えば、その残酷な事実に女性が膝から崩れ落ちるのも当然だった。

 

 




東雲絵名(記憶喪失)
我らが本作の主人公。初手から事故に遭っちゃったお労しい子。
原作であるプロセカではニーゴのイラスト担当。SNS依存症の絵描き。
ただし、とある理由で記憶がまっさらになってしまった少女が、原作と同じえななんであるはずもなく……


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2枚目 記憶喪失

 

 自分でも驚く程、冷めた目で今の状況を見ていた。

 

 自分の名前も思い出せず、家族や思い出などの記憶もほぼゼロ。

 唯一覚えているのは事故の前に絵を描いていたことと、『絵の才能がない』と言われた言葉だけ。

 

 それ以外のことは全く思い出せないことを、聞かれるがままに説明すれば。

 

 

「ふむ……事故で頭を打った衝撃から、一時的に記憶を失っているようですね」

 

 

 お医者さんはうんうんと私の話を聞いてから、恐らく一時的な記憶喪失だろうと結論を出した。

 

 隣にいる女性──いや、『お母さん』が悲痛な面持ちで聞いている中、私は医者の説明を淡々と受け止める。

 

 記憶がないので、自分の話をされても他人事だ。

 お陰で事故のことも1週間寝ていた事実も、1ヶ月は追加で入院してもらうという話も全部、あっさりと受け入れた。

 

 

 

 

 

 

「今の絵名とは、はじめまして……になるのかしら。やっぱり、何も思い出せない?」

 

「……はい、残念ながら何も」

 

「そうなのね。絵名さえよければ、記憶が無くなる前のあなたの話、してもいい?」

 

「是非」

 

 

 先生の診察の後。

 何1つ覚えていない私に対して、絵名のお母さんは優しい声音で話した。

 

 私の名前は東雲絵名であり、今は中1だけど、4月から中学2年生になること。

 東雲慎英(しんえい)という画家の父親と、東雲彰人(あきと)という弟がいて、私は父親に憧れて画家になりたがっていたこと。

 

 その他、私が好きだったものや嫌いなものまで、お母さんが知っていることは何でも答えてくれた。

 

 

「絵名にこんな話をするのも不思議ね……記憶、戻るといいわね」

 

「時間が経てばお医者さんも戻るって言ってたし、大丈夫ですよ……じゃなかった、大丈夫だよ」

 

「やっぱり、慣れない?」

 

「はい……ごめんなさい」

 

「謝らないで。今の絵名にとって、私は母親を名乗る初対面の相手でしょう?」

 

「でも、あなたは絵名のお母さんで」

 

「それで歩み寄ろうとしてくれたのね、ありがとう。でも、無理はしなくていいのよ。最悪、記憶は戻らなくてもまた思い出を作ればいいんだから。ね?」

 

 

 私よりも辛いだろうに、お母さんは気遣ってくれる。

 そんな彼女に「ありがとう」としか返せなくて、歯痒かった。

 

 

「それじゃあ、またお父さんを引き摺ってでも連れて来るから。暇潰しになるかわからないけど、部屋から絵名が好きそうなものを持ってきたし、スマホの代わりに使ってね」

 

「うん、気をつけて帰ってね」

 

 

 無事な右手を振って、彼女の背中を見送る。

 

 ……さて、これからどうしようか。

 事故でスマホはお亡くなりになったらしいし、時間を潰すならお母さんが持ってきてくれたモノ次第だけど。

 

 

(スケッチブックに筆箱が2つ、分厚いファイルと教科書、後は漫画か)

 

 

 スケッチブックは絵を描くのが好きな東雲絵名の為に、多めに入れてくれたのだろう。

 筆箱が2つある理由は《スケッチ用》の芯の種類が全部違う鉛筆やカッター、練り消しが入っているものと、《勉強用》の筆箱で別れているから。

 

 分厚いファイルの中身は『入院生活に春休みも重なっている』という理由から、学校が用意した宿題が入っている。

 漫画はお母さんが気を遣って最新刊を持って来たらしく、話の前後がわからないから面白くない。

 

 

(この中なら選ぶなら、宿題かな)

 

 

 記憶の中にある『言葉』が喉に刺さった小骨のように残っているのもあって、スケッチブックと漫画を見えないように脇に置いた。

 

 さて、宿題をしよう。

 そう思ってシャーペンを握ったものの、そういえば私、記憶を無くしているのだった。

 特に、暗記系とかの宿題は大丈夫だろうか?

 

 不安がこちらを見つめる中、固まった手をゆるゆると動かしながら、1問。

 ……意外と覚えてるっぽいし、大丈夫そうだ。

 

 漫画の内容は覚えてないのだから、歴史や漢字も忘れていても不思議ではないのに、意外なことに大体覚えている。

 数学は元から苦手だったのか詰まってしまうものの、教科書を開きながら解けば何とか対応できる範囲内。

 

 漫画は覚えてなくて、勉強系の知識は覚えている。

 この知識の差は一体、何だろうか? 思いつく違いとしては、繰り返し触れてきたもの、とか?

 

 東雲絵名(かのじょ)が好きなものならば、何か思い出せるかも。

 お母さんが話していた東雲絵名が好きなものといえば──絵、だろうか。そこにヒントがあるかもしれない。

 

 そこまで考えて、私はページの埋まったスケッチブックを手繰り寄せる。

 ギプスで固定されていて使えない左手を庇いつつ、右手でページを捲った。

 

 この部屋の絵、わざとっぽいけど不自然に歪んでる。後、パースがおかしい。

 こっちの石像は影が不自然に付いていて違和感があるし、この円形は影が足りなくて球体っぽくない。のっぺりしてるように見える。

 

 

(って、絵名が描いた絵を偉そうに評価するとか。嫌な奴じゃん、私!)

 

 

 記憶を無くしたせいか、人の絵を酷評している自分に何様なんだと苦笑する。

 

 今思い浮かべたものも全て、東雲絵名が培ってきた知識なのだろう。

 誰が言った言葉なのかは記憶として思い出せなくても、知識としてなら引き出すこともできるらしい。これなら私も絵を描けるかもしれない、けど。

 

 自分が描いてみた後の感想が怖くて、筆箱に手を伸ばそうとした手が震えた。

 もしも、東雲絵名が好きなものや嫌いなものから私が外れたとしても──それでも、家族は私を『絵名』と呼んでくれるのだろうか。

 

 

「……宿題、優先しよ」

 

 

 当初の予定通り、宿題という逃げ道に全力を注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 宿題を消費する日々を過ごしているうちに、山のようにあった逃亡手段(しゅくだい)が全て消化されてしまった頃。

 

 医者が定期的に訪れる病室に、お母さんと1人の男性が訪れた。

 中々病室に入ろうとしない男を押し込み、お母さんが男の紹介を始める。

 

 

「急に大勢で来てもビックリすると思うから、まずはお父さんからね」

 

 

 にっこりと微笑むお母さんを他所に、私はお父さんだという男性に目を向ける。

 難しそうな顔をしている人だ。画家という職業だというのも納得できるぐらい、気難しそうに見えた。

 

 

「……絵名」

 

 

 私の姿を目に映し、一言呟いただけで男は口を噤む。

 心なしか瞳が揺れているようにも見えるが、勘違いかもしれない。

 

 こちらの全身を眺めていた男性──お父さんの視線が、ゆっくりと右手に集まる。

 左手は骨折しているし、体は打撲や捻挫などで傷だらけな私の体。唯一、無事な右手をじっと見つめて、お父さんは静かに目を閉じた。

 

 

「そうか……守ったのか」

 

 

 何か言いたげな空気を出しているのに、後の言葉は出てこない。

 

 彼が東雲絵名の父親という前提知識がなければ、私はまともに話すことすら叶わなかっただろう。

 だって彼の声は──東雲絵名に『絵の才能がない』と言った人の声と、全く同じだったから。

 トラウマというか、苦手意識があるのは許して欲しかった。

 

 

「「……」」

 

 

 お母さんが見守る中、お互いに無言の時間が過ぎていく。

 何を言われるのか。身構えつつも待っていると、聞こえてきた言葉は予想よりもずっと普通のモノだった。

 

 

「たとえ記憶が無くなっていたとしても、生きていて……絵名が目が覚めて良かった。また何か欲しいものや頼み事があれば、お母さんに伝えなさい」

 

 

 それだけ伝えて、彼は足早に病室から出ていく。

 言葉の途中から僅かに震えていた声から察するに、あの人は……

 

 

「──お父さん、泣くところを見せたくなかったみたい」

 

 

 私の予想に答えるように、お母さんが苦笑した。

 記憶を無くしていても、娘の前では涙は見せたくなかったらしい。

 

 いくら父親だと言われても、初対面の相手が泣き出したら私も困るので、ありがたい行動である。

 そんな私の内心を見透かしているのか、お母さんは一瞬だけ眉を下げつつも、次のお見舞い予定を伝えてくれた。

 

 

「彰人は最近、卒業式の歌の練習があるらしくて。来週ぐらいにまた、連れてくるわね」

 

「卒業式……」

 

 

 そういえば今は3月だっけ。

 

 絵名の弟は今年で小学校を卒業し、来月からは中学生だ。

 入学の準備だって色々あるだろう。中学なんて制服とか何かと入り用だから。

 そんな彼にとって大事な時期に、私なんかが母親と父親を独占してしまって良いのだろうか。

 

 

「お母さん。私のお見舞いなんて、毎週来なくても良いから」

 

「え?」

 

「1週間で容態が急変することはないって、言われたし。卒業式があるってことは、入学準備も大変でしょ? お母さんも弟に集中した方が──」

 

「絵名、ありがとう。その気遣い、すごく嬉しいよ」

 

 

 私が言い切る前に、お母さんが抱きしめてきた。

 抱きしめる、といっても形だけで、私の体に気を遣った形だけのものだ。

 だから体が痛いというノイズに邪魔されることなく、胸が温かくなるような気持ちに集中することができた。

 

 体はそのままに、お母さんの手が私の頭に優しく添えられる。

 

 

「ちゃんと彰人の方も優先する。でも、あなたのことも優先させてほしいの。あなたにとっては『絵名』って名前も私達も、馴染みのないものばかりかもしれないけど、私達にとっては大事な娘だから」

 

 

 だからお願い、と小さく囁かれた声に、私はこれ以上何も言えなかった。

 弟に恨まれるようなことがあれば、甘んじて受け入れるしかないなと覚悟を決めるぐらいには、お母さんの気持ちを無下にできない。

 

 

「……うん、頑張ってみるね」

 

「無理なものは無理だって伝えるから、ほら、何でも言ってみて」

 

「え、今すぐ? ……あ、あはは」

 

 

 そう言われてもすぐには思い浮かばず、私は誤魔化すように笑みを浮かべた。

 

 結局、その日は思い浮かばなかったので、次回の宿題ということになった。

 次回頃には弟の卒業式が終わるので、今度は弟と2人で来るらしい。

 

 

「じゃ、お父さんを連れて帰るから。絵名も来週までには考えておいてね」

 

 

 病室を出ていくお母さんを見送り、ホッと一息。

 こんな調子で退院後が心配になってくるが、それはお母さんから出された宿題と一緒に考えていくしかないだろう。

 

 それにしても──少し困ったことになった。

 

 学校の宿題は弟の入学準備の時に先生に届けるからと、お母さんが持って帰ってしまったのだ。

 今の私の手元にあるのは、スケッチブックとお母さんが追加で持って来てくれた色鉛筆などの画材だけ。スマホはまだない。

 

 つまり、絵を描く以外に暇を潰せそうなものがないのである。

 

 

(向き合う時が来ちゃったか)

 

 

 絵が嫌いになったらどうしようとか、色々と考えてしまって触れなかったスケッチブック。

 

 仮に、記憶もないし、絵も描か(面影も)ない私になってしまったとして。

 私自身もこの名前を受け入れきれていないのに、誰が私のことを東雲絵名だと呼んでくれるのだろうか。

 

 

(いや、ここで考えても仕方がないし……とりあえず、ちょっとやってみよう)

 

 

 怖気付いてしまった自分に喝を入れて、私は筆箱とスケッチブックに手を伸ばした──

 

 

 

 




記憶がないので、原作えななんとはやっぱり性格が違います。

そして最初に出てくるメインキャラがまさかのえななんの弟君ではなく、この時期だとかなり弱ってそうだと予想しているあの子です。


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3枚目 寄り添うための絵

 

 あれから数日が過ぎ、お医者さんから『歩いていいよ』と許可を貰った私は、スケッチブックを片手に病院の廊下を歩いていた。

 

 絵を描くのを避けていた人とは思えない行動だって?

 

 それは確かにそうだけど。杞憂だったというか、同じ体を持つ人間だからというか。

 何が言いたいのかというとだ。

 

 

 

(──絵を描くのって、すっっっごく楽しいのよね!!)

 

 

 

 恐る恐る鉛筆を握り、目の前の病室をスケッチした瞬間、世界が変わった。

 絵を描くために生きてるんだ! と叫びたいぐらいの高揚感が私の中を満たしたのだ。

 

 少し前まで『お前は絵名じゃない』と否定されるのではないかと怯えていたのに、今では不思議と怖くなくて。

 悩んでいた私は何処へやら、心が雲のように(うわ)ついている。

 今の私は恋に盲目になるように、絵を描くのに夢中だった。

 

 

 ──これが才能を否定される前の『彼女』の気持ちなのか。

 

 正直、絵の才能があるのかどうかなんて、私にはわからない。

 最初の方の絵こそ酷い線を描いていたものの、今となってはそこそこ見れる絵に仕上がっているし。才能なしと一刀両断される程、摩訶不思議な絵は描いていない。

 未熟な点はかなりあるものの、断言するほどじゃないと自分では思うわけで。

 

 ……あの人はきっと、ただ絵が上手い程度の実力では生き残れないと、それだけ画家の道が大変だと伝えたかったのだろう。

 まだ1回しか対面したことないけれど、父親が『東雲絵名』を大事に思っているのは伝わってきた。

 そういうことも踏まえると、この解釈は強ち間違ったものではないと思うのだ。

 

 

(まぁ、最悪画家になれなくても絵さえ描けたらいいから、私は(・・)どうでもいいんだけど)

 

 

 記憶喪失のことで悩んでいた1週間と少し。

 

 今ではすっかり絵のことで脳が浸食されて、嘘みたいに悩むことが少なくなった。

 お母さんの宿題はどうしようとは思っているけれど、記憶の絵のことも気になる。

 気になることは早めに片付けたいので、例のスケッチブックを持ってきてもらうのを『お願い』にしようかなと考える余裕があった。

 

 それ以外とか言われたら、退院祝いに私の好物を食べてみたいって伝える予定。

 はい、これで宿題終わり。面倒なことは先にした方が楽だと、この病院生活で学習した私に隙はないのだ。

 

 

(窓の外から見た花とかその他色々、描きたいアイデアが止まらないのよねー)

 

 

 鼻歌を歌いそうな気分で角を曲がると、私は何かとぶつかった。

 

 

「痛っ」

 

「きゃっ」

 

 

 私の体は重症から歩ける程度に回復しているが、まだ万全ではない。

 それなのに、私の衝撃は左手の激痛のみ。ぶつかってきたナニカの方が派手に転がった。

 

 ほぼ瀕死状態から現在回復中の女子中学生にぶつかって、転んでしまう人影。

 それこそ、相手が私以上に軽いか、弱っていないとあり得ないわけで。

 

 その考えに至った私は慌ててぶつかってきた相手を探すために、視線を下に向ける。

 突撃してきた相手はというと、息も絶え絶えで倒れていた。

 

 

「ご、ごめんね! 大丈夫……なわけないか。すぐに先生呼んでくるから!」

 

「うっ……大丈夫、だよ」

 

「いや、全然大丈夫そうじゃないけど!?」

 

「いつものことだから、大丈夫」

 

 

 それは大丈夫って言わない! と言い返したいところだが、真っ赤な顔の病人を追い込む趣味はない。

 なのに毛先がピンクという不思議な金髪の少女は医者を呼ぶのも嫌がるし、今日に限って周囲にはだーれも人がいない!

 

 お願いだから看護師は廊下で待機してください! と理不尽な願望を心の中で叫びつつも、少女をどうにかする算段をつけた。

 

 

「あぁ、もう。病室まで一緒に行くから、どこに部屋があるのか教えて」

 

「え、っと」

 

「いいから早く」

 

「……うん」

 

 

 いつまでも廊下で眠らせるわけにもいかないので、金髪の少女から強引に病室を聞き出す。

 スケッチブックと筆箱をギプスのある左手で挟み、右手と肩で少女を支えて、真っすぐ彼女の病室に向かった。

 

 

「ほら、ベッドに入って」

 

「ありがとうございます、それと……ごめんなさい」

 

「悪いと思うなら、病室を抜け出さずに眠ってね」

 

「寝たら……元気にならなきゃ、遠くの病院に行くことになっちゃうのに?」

 

(……それが病室を抜け出した理由か)

 

 

 遠くの病院に行きたくないから、元気になりたいから、病室を飛び出したのだろうか。

 それで病室を飛び出したところで、元気である証明にはならないし、途中で倒れたら本末転倒だろう。

 

 ただ、そういう理由で病室を出たと言うのなら、私と一緒に病室に戻る姿を見られなかったのは幸運だったのかもしれない。

 名前も知らない相手だけど、彼女が家族に心配をかけて、怒られる姿は自分と重ねてしまいそうで見たくなかった。

 

 

「それでも、元気になりたいなら寝るべきよ」

 

「今すぐ元気にならなきゃいけないのに、そうじゃなきゃ皆と一緒に学校にいけないのに、私……寝たく、ないよ」

 

「えっ……」

 

 

 ぽろぽろと、涙を流す少女に心臓が飛び跳ねそうになった。

 私が泣かせたみたいだと、思ったせいかもしれない。かなり居心地が悪い。

 

 このまま帰っても場面の焼き増しが始まりそうで、私は溜息を口の中でかみ殺した。

 

 

「あの、さ。辛いかもしれないけど、良ければ私にお話を聞かせてくれる?」

 

「話を?」

 

「そう。何かいい方法がないか、私も一緒に考えたいの」

 

 

 本音はただ、少女が無理しないか心配なのだけど。

 それは告げずに聞いてみると、少女も誰かに聞いてほしかったのか、ゆっくりと話し始めた。

 

 

「ほんの少しの間、元気になったから……今度こそ幼馴染と一緒に中学にいけると思ったの。それなのに病気が悪化しちゃって」

 

「うん」

 

「皆と一緒に行きたいから受験して、受かったのに。遠くの病院に行かなきゃいけないって、お医者さんに言われて」

 

「それで?」

 

「遠くに行くのも一緒の学校にいけないのも嫌だなって思ったの。だから、元気な姿を見せたら、そんなことも言われないかなって……思って」

 

「……そっか。辛いのに、話してくれてありがとう」

 

 

 大粒の涙で掛布団を濡らす少女の頭に、つい右手を伸ばして撫でていた。

 

 話を聞く前からどうにかできる問題ではないと思っていたが、あくまで私の目標は彼女が病室から抜け出さないことだ。

 少女を騙して話を聞き出した罪悪感から目を逸らし、私は口を開く。 

 

 

「あなたは元気になって学校に行きたい? それとも、幼馴染から離れたくない?」

 

「離れたくないし、皆と学校に行きたいよ」

 

「じゃあ、どちらかしか選べないとしたら?」

 

 

 意地悪な質問をすれば、少女は迷った後に「皆と学校に行きたい」と呟く。

 相手は弟と同じ年の女の子なのに、酷いことをしているなと自嘲を込めた笑みを浮かべた。

 

 

「なら、お医者さんの言う通りにして元気になろう。皆と学校に行くために、1日でも早く元気になろうって思うこと」

 

「そうしたら、皆と学校にいけるかなぁ」

 

「もちろん、元気になれば学校にいけるよ。だから今は、学校に行くために寝てね」

 

 

 ポンポンと頭の撫で方を変えてやれば、少女はもう限界だったのか。ゆっくりと瞼を閉じて、穏やかな寝息が響き始めた。

 

 

(この子、大変な病気なのかな。無責任な事、言っちゃった)

 

 

 私は医者でも何でもないので、この子にできることなんてほぼ無い。

 しかし、関わって、無責任なことを言ったのは事実で。

 罪悪感のこともあり、何かできないかと脳が必死に案を捻り出そうとする。

 

 

(今の私ができることといえばやっぱり……絵、かな)

 

 

 赤い顔で眠っている少女を横目で観察し、スケッチブックを取り出す。

 写真の代わりに少女の顔や特徴的なところを模写した私は、誰かに見つかる前に少女の病室を後にする。

 

 

(それにしても、天馬か……馬が後ろに付く苗字なんて有馬さんか相馬さんぐらいしか知らなかったな。アレなら忘れなさそう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日1日と朝早くからの時間を使って、何とか完成させた絵。

 

 鉛筆と色鉛筆だけ。素人のモノなのでいらないと言われる可能性があるものの、私の我儘で描きたいと思ったのだ。

 目の前で「いらない!」と言われたら悲しいけど、それはそれで割り切るつもりである。

 

 そんな覚悟を決めて、私は昨日の女の子の病室の前に立つ。医者も家族もいないのを音で確認し、扉を軽くノックする。

 「はぁぃ」と今にも消えそうな声が聞こえてきたので、私はゆっくりと部屋の中に入った。

 

 

「ぁ、昨日のお姉さん?」

 

「うん。心配だったのと、ちょっとしたプレゼントを渡しに」

 

「プレゼント……?」

 

 

 元気がなかったはずの少女のピンクの瞳がキラリと輝いた。

 少し言い方を間違えたかもしれない。期待するような目に、私はたじろいだ。

 

 

「大したものじゃなくて悪いんだけど、貰ってくれる?」

 

 

 でも、すぐに視線に根負けしてしまい、私は用意していた絵を少女に差し出した。

 少女は体を起こして私のプレゼントを受け取り、まじまじとそれを見る。

 

 

「これ、アタシを描いてくれたの?」

 

「うん。あなたへのプレゼントだからね」

 

 

 記憶を無くしてから、誰かに見せるのは初めてなので緊張する。

 自分が描かれているのかと聞いた後、少女は黙って絵を見ていた。

 時々ため息のようなモノを吐き出しているが、言葉としてのリアクションはない。

 

 

「いらなかったら回収するから、捨てようとかは思わないでね」

 

「えぇ!? 捨てるって、そんな勿体無いことしないよ〜! もう貰ったから、これはアタシのだもんっ」

 

 

 えへへ、と笑う少女は胸に絵を抱きしめて、私に取られまいとじっとこちらを見ている。

 

 

「この絵、とっても怖いのにすごく優しく感じるの」

 

「怖くて、優しい?」

 

「飲み込まれそうなぐらい怖い所もあるのに、大丈夫だよって、寄り添ってくれてるみたいにも見えるから。アタシ、この絵が好きになっちゃった!」

 

 

 描き直そうと思ったのに、好きだと笑ってくれる少女に描き直しの提案はできない。

 

 気に入ってもらったと、解釈してもいいのだろうか。

 

 じっと見つめてはえへへ、と嬉しそうに笑っている彼女に、私は胸がいっぱいになるような感覚を覚えた。

 

 

(何もない空っぽな私でも、絵でこの子を笑顔にできるんだ……)

 

 

 才能とか難しいことはわからないし、医者でもない私では少女を救うことができない。

 それでも、少しでも彼女の力になれたのなら、それよりも光栄なことなんて他にないだろう。

 

 

 怖がらせちゃったのは反省点だけど、絵の中の女の子と同じように、希望を掴めますように。

 彼女の幼馴染達と元気に学校に通えますように、と。

 

 そうお願いして、私は少女の病室を後にした。

 

 

 

 

 

 それから2日も経たない間に、少女がいた病室は誰もいなくなってしまった。

 もう2度と会えないのか、それとも奇跡的に元気になった彼女と会えるようになるのか。

 

 

(どうせなら私もあの子も、退院して元気な状態で会いたいなぁ)

 

 

 私も記憶を取り戻して、あの子は病気を完治させて、ばったり会えたら運命的ではないだろうか。

 

 

 

 ──そんな叶いそうで叶えられない夢を、この時の私は描いていたのだ。

 

 

 

 

 




いくら元気な子でもああいうことがあれば、元気に振る舞うのは難しいですよね……という妄想の末の行動。

あの天馬さん家の咲希さんがそんなことするわけないだろ! って思ってしまった人は、どうしても皆と学校に行きたいし、離れた場所に行きたくない気持ちが昂っちゃったんだと思ってください。

次回は弟君が出ます。


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4枚目 私がここにいる理由

どうして、愛されている絵名は記憶を無くしたのか?
何故、扱いに困る私がここにいるのか?

その理由(ワケ)を知ったら、私は──


 

 

「絵名ー、来たわよ」

 

「お母さん、今日も来てくれてありがとう。昨日も来てくれたのに何回もごめんね」

 

「ごめんって謝るのはこっちの方よ。昨日、彰人を連れてくる予定だったのに予定が合わなかったんだもの」

 

 

 お母さんの言葉通り、今週は2日連続でお見舞いに来てくれていた。

 

 無理してくれなくてもいいと伝えたのに「彰人と会った方がいい」とお母さんが強く言うので、それに逆らうこともできず。

 連続でお見舞いに来たお母さんも、昨日は来れなかった弟も忙しいだろうに、今日は2人揃って見舞いに来てくれていた。

 

 

「ほら、彰人。絵名に挨拶してあげて」

 

「……わかってる」

 

 

 お母さんに背中を押されて、1歩前に出るオレンジ髪の少年。

 仏頂面でこちらをじっと見てくるので、私は愛想笑いを浮かべて手を伸ばす。

 

 

「えーと。あなたが彰人、でいいんだよね。はじめまして……は変か。よろしくね」

 

「っ、あぁ……よろしく」

 

 

 しかし、少年──彰人は手に視線を向けるものの、何もせずにお母さんの1歩後ろに下がった。

 

 よく観察してみれば、仏頂面というよりは気まずそうで、どうすればいいのかわからないと言いたげな顔だ。

 

 弟からしてみれば、事故に遭った姉が目が覚めたら記憶を無くしているのだ。

 とても気まずいだろう。私だって家族の記憶が無くなったと言われたら、彼のような微妙な顔をするのは容易に想像できた。

 

 

(私もどう接したらいいのかわからないし。一緒なんだろうな)

 

 

 弟のことを呼び捨てにしていると聞いてなければ、彰人君と呼んでしまうぐらい手探りなのだ。

 彰人君なんて呼べば、私と彼との間にマリアナ海溝より深い溝ができていたに違いない。

 

 そう考えれば、今はまだ酷い状況じゃないと自分自身を鼓舞した。

 

 

「彰人もごめんね。卒業式とか入学で忙しい時に私、こんな状態になっちゃってさ。来てくれてありがとう」

 

「こんなって……オレの方こそ、昨日は来れなくて悪かった」

 

「忙しかったんでしょ? じゃあ、仕方がないじゃん。こうやって会いに来てくれるだけでも私は嬉しいよ」

 

「……そうかよ」

 

 

 ──あぁ、そんな顔をさせたくて言ったつもりじゃないのにな。

 

 酷く傷ついたような顔をする彰人を見れば、私が選んだ言葉は彼にとっては良くなかったんだとわかってしまう。

 これ以上話しても彼の中の絵名と私が乖離してしまいそうな気がして、彰人には悪いが話を切り替える。

 

 

「お母さん。お願いしていたもの、持ってきてくれた?」

 

「あぁ、ページの少ない古いスケッチブックを持ってきてほしいって話よね? あっているかわからないけど探してきたわよ」

 

 

 お母さんに手渡されたスケッチブックを受け取り、観察する。

 間違いない。私の唯一残っている記憶の中にあるスケッチブックと同じモノだ。

 

 

「うん、これで間違ってないと思う。ありがとう、お母さん」

 

「それにしても、どうしてそのスケッチブックが見たかったの? 優しそうな絵は描いてたけど、それ以外には何もなかったわよ?」

 

「記憶に残っているスケッチブックがこれだったから。見たら思い出せるかもって気になってたの」

 

「そうなのね……それで、どうだった?」

 

「申し訳ないけど、表紙だけだと何も。後でじっくり観察して、思い出せたら嬉しいなって感じ」

 

「あまり無理しないようにね」

 

「大丈夫だってば。病院って無理できるような環境じゃないし」

 

 

 お母さんが心配してくれるが、病院内の患者で1番元気な自信があるぐらい杞憂である。

 味気のない食事が出て、消灯時間とかもあって、健康的な生活を強制されているのだ。無理なんてできるはずもない。

 

 

「でも、スケッチブックを持ってくるだけがお願いなのはちょっとね。絵名、他にお願い事はないの?」

 

「えぇ、他に?」

 

 

 お母さんの宿題対策に用意していた答えをそのまま口に出そうとして、やめた。

 ちょうど彰人が視界に入ったのと、お母さんから聞いていた彰人と絵名のやり取りから、ちょっとした悪戯心が顔を出してきたのだ。

 

 

「そうだ。じゃあ、お母さんだけじゃなくて、彰人にもお願いしようかな」

 

「はぁ? オレにも?」

 

「退院するのは4月になると思うから、退院祝いに彰人が好きなケーキとかお菓子、選んでお祝いしてよ」

 

「なんでオレがそんなことを……」

 

「彰人とは好物が同じだって、お母さんが言ってたし。弟の味覚とセンスを信じて、お願いしたいなーって」

 

 

 チーズケーキとパンケーキが東雲姉弟の好物らしい。

 ただ、記憶を無くした私はどちらも食べたことがないので、好きかどうかもわからない。

 

 好物に関しては似たような感性を持っていると聞いていたので、彰人にも任せてみてはどうかと思ったのだ。

 

 

「……仕方ねえな。美味いヤツ探してやるから、早く元気になれよ」

 

「やった! 病院食って本当に味気ないのよね。彰人の選ぶケーキ、楽しみにしてるから。よろしくね」

 

 

 今度の選択は良かったらしく、彰人は言葉上では嫌そうな発言をしながらも、どこか嬉しそうな態度で了承してくれた。

 

 この感触なら、もう少し踏み込んでも大丈夫かもしれない。

 年が近い彰人と話せたことで、私は家族の間に広げていた溝を、少しだけ縮められたように感じた。

 

 

「じゃあ絵名、また来るからね」

 

「お母さん、気をつけて帰ってね……で、彰人も気をつけなさいよ。あんたまで怪我したら私、ケーキ食べそびれちゃうんだからね」

 

「オレの心配はケーキのついでかよ……まぁ、こっちも怪我したくねぇからな。言われなくても気をつける」

 

 

 彰人とは軽口のような態度で話すぐらいが丁度良いみたいで、打てば響くようなやり取りは『きょうだい』って感じがして、少し嬉しい。

 まだまだ心配なことが多いものの、家族全員に会ったからなのか、ほんの少しだけ胸の中の何かが軽くなった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お母さんと彰人を見送ってから、私は放置していた本題──記憶の中のスケッチブックを取り出す。

 

 

【あなたの望む、あなたの理想の姿をスケッチブックの1枚目に描いてください。描けば願いが叶うかもしれません】

 

 

 なんて書いていたことだけは覚えているソレ。

 描いた絵の内容を忘れているのに、どうしてその部分だけは覚えているのやら。

 

 都合の良いような記憶にため息を1つ。少し緊張して震える手を握り締め、深呼吸も追加だ。

 

 

(あぁもう、何でこんなに緊張してるのよ。スケッチブックを見るだけなんだから、心配することなんて何もない……はずなのに)

 

 

 スケッチブックに手を伸ばせば、何故か胸騒ぎが止まらなくて伸ばす右手を引っ込めてしまう。

 そんな優柔不断な心を叱咤して、私はとうとう、スケッチブックを開いた。

 

 

 

 ──今思えば、アレは体が一生懸命に拒絶していたんだろうな、って気付いたけど、もう遅い。

 

 

 

「なに、これ」

 

 

 口から漏れる言葉。目は明らかに文章が増えているソレを追いかけていて、脳が情報の処理を拒絶していた。

 

 

 

 

 

【──持ち主の記憶の収集、及び願望の成就に成功しました。持ち主に情報が開示されます】

 

 

 

【このスケッチブックに描かれた『願い』はあなたの『記憶』を引き換えに叶えられます。

 スケッチブックに対価として捧げた記憶は、願いを叶える力で返却されることはありません。ふとした拍子に記憶を思い出すこともありません。

 

 同じく願いを叶えることができるページが、後3枚あります。1枚に1つ、願いを描けます。

 全てのページを使ってしまえば、あなたは記憶どころか命も失うでしょう。

 

 しかし、全てのページを使わずにいることができれば──記憶を対価に、あなたの描いた願いは叶えられます。

 このスケッチブックを2度と使わないのも、使い切って命も失うのも、全てはあなた次第です】

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 処理された情報を飲み込んだ瞬間、急激に乾く喉。ぐにゃりと歪む視界。

 

 震える手でページを捲る。

 そこに広がっているのは、記憶がなくなる前に東雲絵名が描いた絵だった。

 

 真ん中に大きく描かれた楽しそう(・・・・)な自画像っぽい絵。

 楽しそうに絵を描いている少女は確かに私が鏡で見た時の顔に似ていて、真剣な目は本当に絵が好きなのだと感じさせる。

 

 少女の周りには画材や絵が散らばっていて、壁には賞状っぽいものが並べて貼られているようだ。

 画材と絵と世間から認められた証で溢れた空間には、控えめに笑った父親や母親、弟っぽい人達が少女を優しげな目で見守っている。

 3人の顔はどこか嬉しそうで、その顔を見ただけでも幸せなんだなと伝わってきた。

 

 父親にも世間にも認められて、絵も楽しく描いているその姿は。

 正しく、東雲絵名が理想として思い描いた『才能のある自分』なのだろう。

 

 

「は、はは」

 

 

 ──私の力では記憶が戻らないと、悟ってしまった。

 

 スケッチブックの書かれていることは正しいと、不思議な確信が私の頭を支配していた。

 願いを叶える代わりに対価として取られてしまったのだから、戻ってくるわけがないと、この時の私はストンと納得したのだ。

 

 

 ──記憶が戻らないのなら、東雲絵名は帰ってこない。

 

 始まりはスケッチブックのせいかもしれない。

 でも、こんなの……願い(わたし)記憶(絵名)を殺したようなものではないか。

 

 

 なら、私はどうすれば良い?

 記憶(彼女)を消して、願い(才能)を手に入れてしまった私は、どうすれば良い?

 

 

「──ならなきゃ」

 

 

 描くのには使えないスケッチブックを閉じて、別のスケッチブックと鉛筆を握る。

 そこに絵を描く楽しさを隠しきれなくても、最初の頃のような気楽さはない。

 

 

「画家に、ならなきゃ」

 

 

 東雲絵名が理想として描いた才能。

 それを彼女を殺したことで手に入れた記憶喪失者(紛い物の私)

 

 才能を手に入れたのなら、私も東雲絵名(わたし)だというのなら。

 

 

「絶対に画家にならなきゃ。才能を手に入れたのなら、ないって言われたあの子の分まで描かなきゃ」

 

 

 家族から東雲絵名を取り上げておいて、私は今まで呑気に絵を描いていた。

 私が原因ではないかもしれない。でも、願い(わたし)を手に入れた結果、彼女が帰ってこれなくなったのは事実なのだ。

 

 だから私は東雲絵名(わたし)になって、あの子の分まで父親を超えるような画家にならなければならない。

 それが『才能があれば』と思わず願ってしまったあの子への、その結果(わたし)ができる唯一の方法だから。

 私には絵を描くこと(コレ)しかできないから。

 

 

「絵、描かなきゃ」

 

 

 スケッチブックは対価のクーリングオフも許さず、記憶も返してくれない。

 嘘のような冗談みたいな話を本当だと確信している私は、別のスケッチブックに八つ当たりするように絵を描く。

 

 

 

 

 この日から私の気持ちは変質した。

 

 ──あの子の願いをよく考えず、妄執に囚われてしまったのだ。

 

 

 

 

 






《現在の目標》
・絵名の目標であり夢である画家になる。(第一優先)
・記憶を取り戻す手がかりを見つける。(小目標)

というわけで、記憶喪失えななんのお気楽タイム、終了のお知らせです。

後は……お母さんのセリフでわかると思いますが、スケッチブックの警告文は持ち主である絵名にしか見えないし、他人には『1ページだけ絵が描かれたスケッチブック』だとしか認識できません。
更に、持ち主だけはその荒唐無稽な内容が真実だと直感して、スケッチブックに手を出せなくなる呪いの代物です。(えななんは無自覚)
鏡にも写真にも残らないので、スケッチブックに文字が! なんて言っても頭のおかしい子扱い。完全に呪物ですね。

──あなたは後3回願い事を描けば命を落とし、2回願い事を描けばその度に記憶を失うスケッチブックに絵を描きますか? 描きませんか?


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5枚目 存在を証明する為に


評価、感想、お気に入りありがとうございます。
どうしても私が書きたかっただけの趣味モノですが、読んで貰えて嬉しいです。更新の力になってますし、感謝感激雨霰です。



 

 

 4月に入り、順調に回復した私は病院から退院することとなった。

 左手もガッチリと固定したギプスから緩い固定具へと変わり、ここからは医者の指示に従って定期的に通院する段階だ。

 

 そんな時だからこそ、冷静になって過るのは『お金』の問題。

 1ヶ月入院した上に、これから通院する病院の費用だって、タダではないのだ。心配にもなる。

 

 そんな私の疑問に対して、お母さんは「お金持ちらしいし、相手から搾り取るから。絵名は全く心配しなくても良いのよ?」と笑っていた。

 ……どうやら、母は強かったみたいで、私の心配は杞憂らしい。

 優しい顔しか知らなかった私にとっては衝撃的で、お母さんは怒らせてはいけない人ランキング1位に堂々と登り詰めた。

 

 

 そんなこんなで記憶にない家に帰り、これまた見知らぬ自室に入って情報をまとめること1時間。

 記憶が無くなる前の彼女が書いていた宿題の日記やら、ノートからの情報で人間関係の予習を済ませた私は大きく伸びをした。

 

 

(記憶喪失になってからメモや日記の宿題がありがたく感じる日が来るなんて……きっとあの子も思わなかったよね)

 

 

 記憶喪失という状態である為に、お母さんやお父さん、彰人を悲しませた私。

 その過ちを4月からの新しい担任の先生にも繰り返し、困惑やら迷惑そうな顔をされたのは記憶に新しい。

 

 お母さんは「なんて担任なの」とお怒りだったが、記憶喪失の生徒なんて面倒だと思うし、先生の気持ちも理解できる。

 そんな大人である先生でも困ってしまうのだから、友人やクラスメイトに記憶喪失をカミングアウトしたら、どうなる?

 

 きっと、先生と同じように困らせてしまうだろう。記憶喪失なんて厄ネタだし、関わるのも嫌がられそうだ。

 幸いと言えばいいのか、私が記憶喪失であることは言わない方針で進めていくことになっている。

 

 ──先生のように相手を困らせてしまうぐらいなら、記憶喪失であることなんて飲み込んで、墓場まで持っていこう。

 

 もう誰にも記憶喪失のことは言わないと決めた私は、帰ってきてからずっと頭の中に過去の情報を叩き込んでいた。

 

 

(あー。これからは毎日、メモや日記を残した方がいいかも。後で困るのは私かもしれないし)

 

 

 鍵がかかる机の引き出しに封印した『記憶を奪ったスケッチブック』が脳裏を過り、私はため息を漏らす。

 せめて今は入院中の覚えていること等、できるだけ細かくノートに書き溜めしておこうか。

 

 そうやって色々と準備をしていたら、扉の外から声が聞こえてきた。

 

 

「おい、絵名。ご飯できたらしいから、早く降りてこいってよ」

 

 

 扉を少し開いて声の主を見ると、両腕を組んだ彰人が立っていた。

 どうやら彼1人らしい。身構えていた体の力を抜いて、胸を撫で下ろす。

 

 

「なーんだ、彰人か」

 

「なんだってなんだよ。人が折角、声かけてやったのに」

 

「あー、うん……ありがと。すぐに降りるから先行ってて」

 

「そうかよ」

 

 

 ──突っかかってこねぇなんて、調子狂うな。

 

 思わず口から漏れてしまったかのような弟の小声に、心臓がドクリと跳ねた。

 

 大分掴めたと思っていたが、性質が近くても0と1とでは全く違うのだから、違和感があるのは当然か。

 まだまだ足りなかった自分の認識を反省しなければならない。だが、引き摺るのはもっと悪いことだ。

 

 切り替える為に僅かに首を横に振ってから、私は両手を腰に当てて問いかける。

 

 

「ご要望なら、今からでも突っかかってあげようか?」

 

「うげっ。いらねぇ、要望も出してねぇし」

 

 

 藪蛇だと言わんばかりに、彰人はすたこらさっさと逃げていく。

 それを見送って幾分か時間を置いてから、私も追いかけるようにリビングへと向かった。

 

 

(場所も今も家族も奪ってここにいるんだから……あの子の代わりになれるように、頑張らないと)

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 お父さんはまだ家に帰っていないらしく、3人で先に夕食を食べることになった。

 身構えていた身としては有り難く、こっそりと安堵する。

 

 どうしてもお父さんに対し、身構えてしまう癖が消えないのだ。

 原因は明らかだからこそ、厄介な感情だった。

 

 

「今日はハンバーグにしたの。お祝いのチーズケーキもあるから、お腹はいっぱいにしちゃダメよ」

 

「ありがとう、お母さん。いただきまーす」

 

「いただきます」

 

 

 お母さんの言葉を聞いて、私と彰人はそれぞれ食べ始める。

 プレートに乗ったハンバーグにフライドポテト。

 そして人参のグラッセやブロッコリーを見て、彰人の眉がピクリと動く。

 

 お母さんの食育方針上、好き嫌いがあっても食卓に並ぶらしいが、彰人もお父さんも人参は好きではない。

 記憶が無くなる前の絵名も嫌いで、私も病院で食べた人参は吐きたくなるぐらいには苦手だった。

 

 

(でも、食べないのは失礼だし。嫌なものは最初に食べるに限るよね)

 

 

 数秒の葛藤の末、私は最初に人参へと箸を伸ばした。

 黙って咀嚼して、あまり好きではない甘味に思わず顔を顰めそうになる。

 

 ──いや、ダメだ。これらの料理はお祝いで作ってくれたのだ。

 

 嫌な顔で食べたら、作ってくれたお母さんに悪いではないか。

 弱気な心を叱咤激励して人参を処理していると、ふと、前から突き刺さるような視線を感じた。

 

 

「何よ」

 

「いや。人参、食べれたんだなって」

 

「……彰人は病院の人参、食べたことある?」

 

「ねぇけど」

 

「人間って不思議よね。比較対象があれば『あれと比べたら〜』って思って、食べれるようになるの。彰人も病院食の人参、食べてみたら?」

 

 

 ふっふっふっ。

 そう態とらしく笑えば、彰人は引き攣った顔で「遠慮しとく」と返し、それ以上踏み込むことはなかった。

 

 

(……よし、なんとか誤魔化せたわね)

 

 

 まさか食事にも地雷が潜んでいるなんて夢にも思うまい。

 心の中で冷や汗を拭い、私はハンバーグを口に入れる。

 

 ハンバーグ達をなんとか乗り越えて、次の難題であるチーズケーキも食べ切った。

 チーズケーキを食べている姿を見た彰人もお母さんも、何故か「あぁ、絵名だなぁ」って和んでいたので、多分問題はなかったと思いたい。

 

 ……というか、食べてる姿で和むってどういうことなのだろうか。

 和まれてる側からすると、不思議で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで夕食を終えて、彰人も私もそれぞれ部屋に戻った後。

 

 玄関の扉が開く音がして、あの人が帰ってきたのを察した。

 未だに過剰な反応をする頭の中。しかし、向き合わなければいけない理由が私にはあった。

 

 夕飯を食べ終えるだろう時間を見計らい、お父さんの背中を視界に入れる。ほんの少し汗が出てくるのを無視して、私は乾いている口を開いた。

 

 

「お父さん、今いい?」

 

「……どうした」

 

 

 まだ呼び慣れてないそれを恐る恐る口にすると、じっと本を読んでいたお父さんが顔を上げる。

 どうやら私の話を聞いてくれるらしい。一言、声をかければすぐに栞を挟み、お父さんはこちらに顔を向けた。

 

 

「邪魔してごめん。どうしても話したいことがあって」

 

「本はいつでも読めるからな、気にしなくてもいい」

 

 

 ゆるりと首を振りつつも、本を机に置いたお父さんはソファーの端に移動する。

 これは隣に座りなさい、ということなのだろうか。自分で導き出した回答なのに、自信がなくなってきた。

 

 恐る恐る隣に座って顔色を窺うと、そこにはどこか満足げな雰囲気を醸し出す父親がいるではないか。

 予想外の反応だけど、ここはプラスに解釈しよう。不機嫌よりはいいさ、と思って本題に入るのだ。

 

 

「私って事故の前は絵画教室に通ってたって聞いたんだけど。あれ、毎週じゃなくて毎日に切り替えてもいいかな」

 

「春休みの間だけか?」

 

「ううん。教室が休みの日以外、毎日行くつもり」

 

 

 真っ直ぐ目を見て伝えた私に対して、お父さんの返答は「わかった」の一言だけだった。

 

 

「いい、の?」

 

 

 ふとした時に頭の中に響く『絵の才能がない』というお父さんの言葉。

 画塾だって無料ではない。数を増やせば増やすほど、お金はかかるのは当然であり、才能がない相手に投資するようなものではないはずだ。

 

 そんなお父さんの言葉ばかり思い出していたこともあって、あっさりと認められるのはかなり意外だった。

 

 

「絵を描きたいのなら好きにすればいい。絵を描くのは自由だ、やめろとも言わない」

 

「……ありがとう、お父さん。その、よろしくね」

 

 

 お父さんの隣から素早く離脱し、私は自室へと退散する。

 下手に一緒にいると体に染みついた言葉を掘り起こされそうで、少し怖くなってしまったのだ。

 

 

(お父さんからの『才能がない』って言葉が余程、堪えたんだろうけど)

 

 

 部屋に戻ってから、なんとなくスケッチブックに向かい、思い浮かぶままに絵を描く。

 

 何となく描いたつもりなのに、光に怯えるように路地裏に隠れる猫の絵が出来上がっていて、まるで自分の心を鏡で映したように見えた。

 

 

「そりゃあ、怖いか」

 

 

 東雲絵名にとって父親とは尊敬している偉大な画家で、目標であり理想であり、何よりも男の子にとってのヒーローみたいな憧れだった。

 憧れているお父さんの娘だから、お父さんのようになりたくて。自然と画家を目指していたような女の子……それが『絵名』だった。

 

 絵を描いたら上手だねって言われて、絵を描くのに最適な環境で、お手本になりそうな憧れの人が近くにいて。

 川が流れるのと同じように自然と画家を目指したけど、絵を描く彼女を堰き止めたのは他でもない『理想(父親)』だ。

 

 理想に夢を否定されてしまったのだから、何もかも無くした後でも、突き刺された棘は抜けてくれない。

 

 

(でも、この痛みは戒めには丁度いい)

 

 

 夢も理想も憧れも全部、スケッチブックの跡や日記で見た。胸の痛みで感じた。

 後はひたすら、1人で突き進むだけだ。また父親に否定されようが、私が画家になりたい理由には関係ない。

 この痛みが訴えてくる限り、私は止まってはいけない。

 

 

(私は画家にならなくてはいけない)

 

 

 その為には色々と足りないものが多すぎる。

 知識も足りないし、経験なんて0から積み上げなきゃいけない。

 誰よりも足りないから、何を言われようが全部利用して、たった1つに集約させなければ……上に追いつけない。

 

 

(──私は東雲絵名(わたし)の為に絵を描くし、画家にならなきゃいけないんだ)

 

 

 その為にはまず、画塾から始めよう。

 

 あの子を殺して才能を手に入れた私には、存在(才能)を証明する義務があるのだから。

 

 




画家になる為に何でも利用してやると覚悟が決まったえななん。
彼女は才能を証明できるのでしょうか……?

次回はえななんバナーで出てくるサブキャラの方々と、歌詞ではツンデレガールになっているあの子の面影だけチラ見せします。


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6枚目 絵画と学校の教室にて


私の目(節穴)で確認した限りですけど。
中学時代と言われていたものの、出会った学年は明言されてなかったので、この作品の世界ではそういうことになってます。
(ここ初対面じゃなかったら、記憶喪失えななんがある意味、第2の朝比奈さんになっちゃうので、違ってても許してください……)


 

 画家という職業は、大雑把に言えば『絵を売ってお金を稼ぐ人』のことである。

 

 東雲慎英(お父さん)のようなその道だけで家族を養える画家は一握りであり、絵で生きていくのはとても難しい。

 

 画家であれ何であれ、創作活動を営む者にとって必要なのは技術、感受性や独創性、孤独に耐えうる心に好奇心や探求心。

 後は、ストイックさや注目されなくても続ける不屈さと継続力、何よりも才能と運が必要だと言われている。

 

 だが、残念なことに私には今あげた要素ですら、足りないものが多い。

 0から始めるのだから~と言えば聞こえがいいが、こういう世界には全く通用しない言い訳だ。

 

 何もかもないからこそ、一握りの場所に辿り着くには1秒でも惜しいし、恵まれた環境をフル活用してもまだ、足りない。

 そういうことを入院中に考えていたのもあって、私は1日でも早く件の画塾に行きたかったのである。

 

 

 

 

 

 次の日の朝から早速行動を開始した私は、善は急げと宮益坂を歩いていた。

 

 買い替えてもらったスマホを片手に、彷徨い歩くこと数分。

 文明の利器とはすごいもので、記憶ゼロでも目的地らしい絵画教室の場所まで辿り着くことができた。

 

 

(スマホがある時代に生まれて良かった。ありがとう、スマホ。ありがとう、人類)

 

 

 記憶喪失にも優しい文明に大袈裟な感謝を心の中で述べつつ、教室へと入ろうとした、その時。

 

 

「──あれ、絵名ちゃんだ」

 

 

 女の子っぽい高めの声に、私の名前が呼ばれた。

 声が聞こえてきた方へと振り向くと、黒髪の女の子が「久しぶりだね」と手を振ってくる。

 

 絵名ちゃんと呼び、久しぶりと声をかけてくるということは東雲絵名(わたし)とある程度、親交があるということで。

 

 この絵画教室で私に声をかけてくるぐらい、仲の良い同い年の女の子。

 それに該当しそうな子の名前は『夏野 二葉』というものしか記録になかった。

 

 なので、答えは親しげに『二葉』と呼ぶことなのだが……口を開くのが少し怖い。

 いや、もしも名前を間違えていたら、その時は謝罪すればいいのだ。怖気ついては逆に不自然だから、勇気を出さなくては。

 

 私はそう自分を励ましてから、顔に出さないように笑みを浮かべ、相手を真似て手を振り返す。

 

 

「二葉、久しぶり! ちょーっと大変だったから1ヵ月以上、こっちに来れなかったの。連絡もできなくてごめんね」

 

「ううん、元気そうでよかったよ。それに……左手とか見たら大変そうだったのはわかるから。もう復帰しても大丈夫なの?」

 

 

 訂正、なし。

 変な反応も、なし。

 

 

(はい、この子は二葉で確定。あぁ、良かったぁー……)

 

 

 心の中で冷や汗を拭いつつも、顔にはおくびにも出さずに言葉を選んだ。

 

 

「左手は動かしにくいんだけど、右手はちゃんと動くし絵を描く程度の動きなら大丈夫。それより、遅れを取り戻したいのよね。早く何か描きたいかも」

 

「絵名ちゃん、気合十分だね。私も頑張らないと」

 

 

 そんな話をしながら絵画教室へと2人で向かう。

 ……今回は間違いを選ばなかった。そのことにこっそりと胸を撫でおろし、私は二葉に倣って生徒の中に混ざった。

 

 

(雪平先生か。お金を貰って絵画教室をしているとは思えないぐらい、酷評で絵描き達の心をへし折ってる人らしいけど。画力を上げるという点において、この人の教室ほど良いところはない……っていうのが、絵名の評価だっけ)

 

 

 今日1日、雪平先生の教室に参加してみたけれど。

 書き残されていた前評判通り、それはもう心が折られそうな評価の数々であった。

 

『以前注意したことを全部再現している。まるで初心者に戻ったような描き方だ』

『何を描きたかったのか全く見えてこない』

『ただ絵を描いているだけで、伝えたいものが表現できていない』

 

 ……と、本当はもっと酷い評価だったのだが、私へのダメージを軽減させるように要約した結果がコレだ。

 

 覚悟していても中々くるものがある。

 これを毎日受け続けるのであれば、素晴らしい精神修行になること間違いなし。

 

 親切設計ならぬ、心折(しんせつ)設計だと笑えばいいのか、悲しめばいいのか。

 もう少しオブラートとかで包めないのかと言いたいところだけど、雪平先生の言っていることは間違っていないのだから、何も言い返せない。

 

 悔しかったら、折れそうだと思うのなら、黙って改善した方が早そうだった。

 

 

(後は私がどれだけ自分の糧にできるかの問題だから。こんなところで凹んでられないし、折れそうな言葉も価値のある言葉も、全部全部──絵名(わたし)の為に吐かずに飲み込め)

 

 

 酷評を全部メモして、自分なりに解釈して吐き出した私は二葉に「先に帰ってて」と伝えてから、真っすぐ雪平先生の元へと歩く。

 

 先生の評価はお父さんの言葉が蘇って息が苦しくなるものの、そんなものは関係ない。

 止まっている暇もないのだ。私は手の震えを無視して前へと足を進めた。

 

 

「すみません。評価のことについて詳しく質問したいことがあるんですけど、少し時間を貰ってもいいですか?」

 

「何でしょう?」

 

「ここなんですけど──」

 

 

 メモを持って質問しに行けば、雪平先生は嫌な顔を1つもせずに答えてくれた。

 

 今回は答えて貰えたものの、これに甘えて曖昧なことを聞けばまた地獄に突き落とされるのは容易に想像できる。

 油断せずに全部、有難く受け止めていこう。

 

 

「──ありがとうございました、またよろしくお願いします」

 

 

 雪平先生に頭を下げて、教室を出る。

 家に帰った後は反省と質問した内容を復習して、今日出た宿題をしよう。

 

 こうして、春休みの間は家と絵画教室を往復しつつ、必死に無くしてしまった基礎を急造させていく期間となった。

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 絵画教室と家を往復している間に春休みが終わり、中学校の始業式が始まる日となった。

 

 先生からは去年と同じクラスの生徒や、知らない方がおかしいぐらい特徴的な生徒の話を聞いている。

 

 先生達の気遣いにより、有難いことにこのクラスには私の友人にあたる生徒が誰もいない。

 必然的に私が注意しなくてはいけない子は『去年のクラスメイト』やアイドルとして活動しているという女の子に絞られていた。

 

 

(友達がいないなら1人で絵を描いていても何も言われないし、楽でいいな)

 

 

 学校の教室と絵の教室。

 2つの教室を往復するように行き来する毎日は、1週間以上も時間があれば慣れたもの。

 朝は苦手ではあるものの、遅刻は何とか免れているし、学校のコツみたいなものも何となく把握してきた。

 

 そう、学校で大事なのは先生に目をつけられない程度の『優等生戦略』だと、私は結論を出したのである……!

 

 スマホを触ったり眠ってしまったり、ずっと窓の外を見るなど、授業を露骨にサボる態度は見せない。

 ルーズリーフか白い紙を用意して、アイデアや構想を練る程度に留めて、表向きは授業を聞いているフリ。

 

 それを守りつつノートを取ってさえいれば、空いている時間は宿題をしても絵のことを考えていても目をつけられにくいのだ。

 

 後はテストで良い点さえ取っていれば、補講やら呼び出しやらで時間を取られないし、お母さんも安心できるだろう。

 中学校の内容なら、毎日1~2時間ぐらいは勉強に時間を割くことになりそうだけど、後で1日2日丸々拘束されて絵を描けない日が出てしまうよりはマシだ。

 

 

(勉強なんて毎日絵を描くための投資と思わなきゃ、やってられないし……)

 

 

 学生の本分は勉強だと言われており、他のご家庭だとあまりにも成績が悪いとお小遣いカットやらスマホ没収やら、マイナス要素が沢山あると聞く。

 

 更に、美大とかのことを考えると普段の勉強は必須なのだ。

 行きたい美大があるのに、成績が足りなくて行けませんでした……そんな理由で絵名(わたし)が美大に落ちたら、情けなくて生きていけない。

 

 そういうリスクや不安要素は取り除きたいと思うのは当然の話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そんな風に毎日、絵のことや将来のことなど考えつつも、無難な学校生活を送っていたある日の朝。

 教室の窓から入ってくる光が美しく、その絵を描こうと決めた私が朝活を頑張っていた時のことだ。

 

 人が来て賑やかになっていく教室に、賑やかとプラスに捉えるには不愉快で喧しい子達が、周囲のことも考えずに大声で騒ぎ始めた。

 

 

「昨日のアレ、桃井(ももい)愛莉(あいり)の出ていたバラエティーみた? アイドルなのにすっごいぶっさいくだったよね~」

 

「あのリアクションね。わぁっていうの、笑ったわー」

 

「この前のバラエティーも変な仮面つけてノリノリで登場してたし、あれはもうアイドルっていうより芸人よねー」

 

「わかるー。あれじゃあ、アイドルとは違うよね。私だったらあんなのやらさせる時点でアイドルやめるのになぁ。そんなに続けたいのかな、ダッサいのにねぇ」

 

 

 ゲラゲラと下品な笑い声。

 鉛筆を削っている間も、夢の為に頑張っている女の子を飽きずに笑っている子達。

 

 自分達の見苦しさを棚に上げてよくもまぁ、人のことを笑えるものだ。

 私は顔を顰めつつも、削りゴミを入れたポリ袋を捨てに行く。

 

 袋を捨てて顔を上げると、教室の扉付近に桃色の髪が見えた。

 

 

(……うわぁ。あいつら、本人がいるのにまだ言ってるの?)

 

 

 ちらりと視線を不愉快な声の方へと向ければ、ご本人が来ていることにも気が付かずにゲラゲラと笑っている奴らがいる。

 

 誰かが一生懸命に頑張っている活動を笑いものにするだけでなく、本人がいないと思い込んで馬鹿にして、悪口で盛り上がっている連中。

 頑張っている子に対して無遠慮に汚い黒をドバドバと注ぐような、その行為に我慢の限界が近づいてきている。

 

 いつもならば冷静に『やめろ』と止めてくるストッパーの自分も、今日は『私』の意見と同じ答えを弾き出した。

 

 

(いつまでも他人の努力を笑いものにして──こいつら、気に入らないな)

 

 

 カチカチカチ。私の気持ちに呼応するように、右手に握ったままだったカッターの刃がひょっこりと顔を出す。

 

 

「ねぇ、あんた達。人が頑張っている姿を笑いものにして楽しいわけ?」

 

 

 カチカチ。不思議そうにこちらを見ている相手に、刃が更に出てくる。

 

 

「間抜けな顔をして大声で笑ってさぁ……私に何が面白いのか、教えてくれない? こっちはあんた達が気に入らないし、清々しい朝があんた達に汚されて最悪なの。不快過ぎて思わず掃除したくなったんだけど、どうしよっか?」

 

 

 カチカチカチカチ──と、限界までカッターの刃が出れば。

 

 

『……』

 

 

 騒いでいた人達は、真っ青になりながら不快な声を出すのをやめてくれた。

 

 どうやら私の切実なお願いが届いたらしい。

 ほんの少しだけ気分が良くなって、こちらに向けられる視線も全部無視して自分の世界に入り込む。

 

 そのまま先生が来るまでの間、私は良い気分のまま絵を描き続けた。

 

 

 

 




記憶喪失えななんは無意識に感情的な自分と1歩引いて見ている自分を分けて考えるため、悪く言えば他人事に受け止めがちです。
しかし、感情に出やすい性格なのは変わらないので、普段は自制を効かせてしまう分、喪失前のえななんより過激になることもあるみたいです。(カッターの刃を見せつけたり)


明日はちゃんと桃井さんとお話しします。


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7枚目 初友達と少しの変化


この作品の話の進行速度……亀の歩みです。


 

 家庭科室とか理科室とか、実習用の教室が集まった校舎の外階段。

 

 フェンスで外からも見えず、誰もいないこの場所こそ、記憶を無くしてからの私が昼休みを過ごす為に厳選した安息の地。

 誰にも邪魔されない場所でスケッチブックを広げ、お弁当を食べながら反省するのが最近のルーティンだ。

 

 今日もそんな安息地にて、いつも通りスケッチブックを広げてお弁当を食べていたら、意外な来客者がやって来た。

 

 

「東雲さん、少しいいかしら?」

 

「え……桃井さん? こんなところまで何しに来たの?」

 

 

 この中学校で唯一の現役アイドルであり、嫉妬も人気も一点集中させている有名人。

 名前通りの桃色の髪とピンクの目が特徴的なアイドル様である桃井愛莉さんが、何故か誰も来ないような校舎裏に姿を現した。

 

 

「今朝はあの子達を止めてくれてありがとう。そのことでお礼がしたくて探していたのよ」

 

「別に気にしなくてもいいのに。私が気に入らなかっただけだから」

 

「そういうわけにもいかないわ。だってわたし、すっごく嬉しかったんだもの」

 

 

 だからお礼させてちょうだい、と強く言われてしまうとこちらが折れるしかない気がして。

 

 

「……隣、座る?」

 

「いいの?」

 

「ここは私専用の場所じゃないから」

 

 

 広げていたスケッチブックを片付けて、桃井さんを隣に招く。

 それだけの行動なのに彼女は嬉しそうに隣に座り、お弁当を食べ始めた。

 

 少しの間は無言だったものの、流石アイドルと言うべきなのか。

 するりと距離を詰めてきた桃井さんは、お弁当を見ながら声をかけてきた。

 

 

「あら。東雲さんのお弁当、美味しそうね」

 

「お母さんが作ってくれてるからね。そういう桃井さんのお弁当も、ちょっとほしいぐらい美味しそう」

 

「本当? 料理系のお仕事を貰った時の為に自分で作って練習しているから、そう言って貰えると嬉しいわ」

 

「え、自分で作ってるの!?」

 

 

 理由にも驚いたが、何よりも自分で作っているという言葉にびっくりした。

 彩も良いし、形も綺麗だ。とても同い年の子が作ったとは思えないクオリティである。

 

 

「お弁当を作って練習なんて、桃井さんってストイックなんだね。私も見習わなくちゃ」

 

「あら。あの東雲さんにそう言われるなんて光栄だわ。わたしももっと頑張らなきゃって思っちゃう」

 

 

 ピン、と背筋を伸ばす桃井さんに、心当たりのない私は首を傾げる。

 

 

「あのって言われても。そういう風に思われる要素なんてあったっけ?」

 

「勿論。毎日、真剣に絵を描いている姿は見ているもの。同じクラスになってから気になっていたんだけど、あまりにも真剣だから今までは話し難かったのよね」

 

 

 桃井さんはクスクスと笑う。

 彼女の御世辞によれば、私の絵を見たいと思っている人や話したいと思っているクラスメイトは多いらしい。

 そういう桃井さん自身も気になっていたらしくて、私と話せて嬉しいと言ってくれた。

 

 

「ねぇ、よければ東雲さんが描いた絵、見せてくれない?」

 

「今持っているスケッチブックの絵しかないけど……それでもいい?」

 

「全く問題ないわ。早速、見せて貰ってもいいかしら?」

 

「どうぞ」

 

 

 お弁当を食べ終えてスケッチブックを受け取った桃井さんはペラペラと絵を見ていく。

 へぇ、わぁ、すごい、なんて呟きながら絵を見てくれる桃井さんの姿は、見ているだけでも気分が良くなる。

 

 テレビに出ているアイドルは反応が違うのか。良いリアクションをしてくれて、私もニコニコと笑ってしまった。

 

 

「あ。これ、教室?」

 

「うん、ウチの教室。今日の朝、完成させたのよね」

 

「へぇ……机に差し込んでる光が綺麗なのに、床の部分の影が吸い込まれそうに感じるわ」

 

「それ、影の色をちょっと入れすぎちゃったんだけどね。それがむしろよく見えてるのかな……先生にも意見を聞いてみればわかるかも」

 

 

 頭がすぐに絵の方に移りそうになるが、今は絵を見てもらっているのだ。

 ちょっと嬉しい気持ちに蓋をして、しれっと会話を続けていたつもりだったのに。

 

 

「いいものを見せてもらったし、お礼も含めてコレをプレゼントしたいの。食べれそうなら食べてくれないかしら?」

 

 

 笑顔で弁当箱とは別の袋から取り出される、小さな箱。

 おやつに食べて欲しい、と言いながら桃井さんは固く閉ざされた箱の蓋を取った。

 

 

「これは」

 

「わたしの手作り。特製のチーズケーキタルトよ」

 

「!?」

 

 

 ビシャーンと落ちる稲妻のような衝撃。

 箱と同じように蓋をしていた気持ちも開いて、そんな状態で好物を食べたら、私の好感度はあっさりと天元突破した。

 

 店売りみたいに美味しい大好物のチーズケーキのタルトが、桃井さんの手作り……!?

 そんな思考が頭を占領した時点で、私の頭は白旗を振っていて。

 

 

「ねぇ、東雲さん。よければわたしと友達になってくれないかしら?」

 

「よ、よろこんで……!」

 

 

 この昼休みの件から私と桃井さんとは友達という関係になり、いつの間にか「愛莉」と「絵名」と呼び合うような仲になったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 愛莉と友達になってから、ちょっと変化が出てきた。

 

 まず、お母さんと学校の先生。

 

 どうやら私が1人で行動しているのをかなり心配してくれていたらしく、友達がいないのかと大人2人で気にしてくれていたらしい。

 

 いや、愛莉以外にも二葉とだって普通に話してるし。

 心配しなくてもいいって言っているのに、お母さんはそれでも心配してくれていたみたいだ。

 

 そんな話を聞いてしまうと、もう少し普段の生活も考えた方が良いのかなって反省して。

 申し訳なさから週に1~3回ぐらいのペースで手伝いをするようにしてみたところ、お母さんからすごく感謝されてしまった。

 

 お母さんと一緒に夕飯を作ったらとても喜んでくれて、こっちまで嬉しくなったのは良い思い出である。

 こんなことなら、もっと早くから行動した方が良かったかもしれない。

 心配かけないだけが家族じゃないんだろうしと、反省の多い毎日だ。

 

 

 そして、1番変わったのが私の絵の評価。

 

 愛莉と友達になったあたりから雪平先生から『明るい部分の描き方が良くなった』とか『表現が良くなった』という言葉が混ざったのだ。

 それ以上に厳しい評価も多いけれど、少しは進歩したということなのだから、愛莉には足を向けて寝れそうにない。

 

 それにしても、愛莉と遊ぶようになってから変化が出てくるのは予想外だった。

 

 どんなに勉強しても、どんなに授業中に想像力を膨らませても、直接経験したことには勝てないということだろうか。

 

 

「つまり……私に足りないのは絵の技術もそうだけど、同じぐらいに経験も足りないってことかぁ」

 

 

 思わず眉間に皺が寄るのを意識しながらも、気持ちを切り替えるために大きく伸びをした。

 反省用のノートに技術、経験と黒ペンで大きく書き出し、更に赤ペンで丸を付ける。

 

 

 お母さんのお手伝いをした後、今日も私は自室に籠って反省会をしていた。

 ちなみにこのノートは2代目。

 日記や交友関係用のノート、絵画用のメモ帳とも分けているのに、反省用のノートだけで1カ月に1冊使っているのだから、お母さんには頭が上がらない。

 

 スケッチブックや画材、ノートを消費して、お金をどんどん使い込む娘で本当に申し訳なかった。

 それが絵名の為になるのなら、と笑って許してくれるのだから、余計に胸が痛い。

 

 絵名の家族の温かさを利用してしまっているのだから、それに報いる為にも頑張らなければ……

 

 

(まずは技術と思ってたんだけど……体験や経験も同時に絵画教室で解決するっていうのは無理な話よね)

 

 

 こうやって自分の部屋に籠って写真や動画を見ながら、絵を描いていても貯まらないモノ。

 

 雪平先生や学校の先生に聞いてみたところ、経験や体験を得るのに必要なものは兎に角行動だと言われてしまった。

 本でも先人の経験や体験は記載されているし、人から話を聞いても参考にはなる。

 

 が、直接自分がイメージするものを見るのが1番早いし、デッサンだってモデルの人がいた方が描けるのだ。

 森の写真を見て外見を再現するだけなら写真でいいし、それで済むことなら絵描きは必要ないわけで。

 

 

(必要な体験や経験を積み重ねていくしかないか。でも、道標はほしいかな。私には10年以上の経験や体験がごっそりないんだから)

 

 

 小さい頃の思い出も体験も、何もかも全部無くしてしまった東雲絵名(わたし)

 

 今の私に残っているのはポッカリと開いた心の穴と、ズキズキと痛みを訴えてくる罪悪感。

 あの子が体験したトラウマのような感覚に、事故による痛みと『記憶を失った』という喪失感の実体験のみ。

 

 

(この気持ちや感情は他の人にはない私の『強み』だよね。後は記憶を無くしたことで、自分を客観視できるのも、強みに含んでもいいかな)

 

 

 弱点として書いた2つの赤丸の隣に、強みだと思った言葉も青丸をつけて並べる。

 きっと時間が経てば意識できる弱点も強みも増えていくだろうが、今は2つの弱点を補強するのが急務だろう。

 

 技術は現状のままで大丈夫。

 問題は経験の方で、こればかりは1人でやろうとしてもどこかで頭打ちになるだろう。

 

 私だけなら限界が来るのが早いのならば、他の人の意見や話を聞いたら……?

 

 

(あ! そういえば、近々お父さんの個展があるんだっけ?)

 

 

 確か6月初旬の週末に開くとか、そんな話を聞いた気がする。

 お父さんの個展なら一般のお客さんも来るのだろうけど、画家として活動している先輩方にも会えるのではないだろうか。

 

 話を聞けるかはわたし次第だろうが、チャンスを掴めそうな匂いがする。

 

 

「……よし」

 

 

 私は気合を入れてから、自室を出た。

 

 アトリエから帰宅しているであろうお父さんの元へと向かうと、お母さんと楽しそうに話している姿が見える。

 話の断片から「絵名が〜」とか「彰人が〜」という声が聞こえてくるし、この中に割って入るのは気まずい。

 

 自分の話をしている中に入る勇気はなく、私は出直そうとした……のだが。

 

 

「絵名か、どうした?」

 

 

 遠慮する私の背中を目敏く見つけたお父さんが声をかけてくる。

 お母さんも自分の隣の椅子を引いてくれて、私をそこに座らせたいらしい。

 これは逃げられないな、と悟った私はおとなしくお母さんの隣に座った。

 

 

「その……6月にお父さんの個展があるでしょ? それにお手伝いでも何でもいいから、参加させてもらえないかなって思って」

 

「個展に? ……ふむ」

 

「最近、絵名ったら家事や夕飯の手伝いとかも、積極的にしてくれているのよ。お父さんのことも、手伝いたいのかもね」

 

 

 不思議そうな顔をするお父さんに、お母さんが援護射撃してくれた。

 

 そのおかげで、お父さんは少し考えるような仕草を見せたものの、あっさりと「好きにするといい」と許可を出す。

 タイミングが悪いと思っていたのに、結果的には良いタイミングだったようだ。

 

 無事に個展に行けそうな状況に、私は心の中でガッツポーズした。

 

 暫くお父さん達と近況の話をした後、目的を達成した私は自室に戻って悠々と絵を描く行動に戻る。

 今日はよく眠れそうで、ほんの少し笑みを浮かべることができた。

 

 




えななんの好物一本釣り。
記憶喪失してから数ヶ月目の人生経験赤ん坊なので、好物には目がないようですね。

次回は個展にて、お母さんと一緒にやって来たあの子と少しお話しします。


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8枚目 個展の迷い子達


既に前話で作者の調査能力と解釈力不足が見えてますね……申し訳ございません。
あって良かった、過去捏造タグ。ありがとう、オリジナル展開タグ。

知らない人とボイチャしてるつもりが、全員知ってる人で世間は狭いなーっていう展開、私はアリだと思います!
(今回、後書きにオマケありです)


 

 

 雪平先生の教室が休みの日以外は毎日通う生活を続けている状態で、6月に突入した。

 今日ばかりは個展優先で絵画教室は休みにしたのだが、ほぼ毎日行っていたせいか1日でも行かないだけでそわそわしてしまう。

 

 

(今日は何としても目的を達成しなくちゃ)

 

 

 落ち着かない気持ちを気合いで覆い隠して、お父さんの個展の手伝いをする。

 設営の準備やら午前中は受付の手伝いをしつつ、声をかける相手を脳内でリストアップして、準備完了。

 

 中学生のお手伝いで慎英先生の娘ということもあり、午後からは自由時間になったので、脳内リストはすぐに使われることになった。

 

 

「──さん、お話しどころか私の相談にまで乗ってくださり、ありがとうございました」

 

「いやいや、僕も君みたいな子は応援したいからね。力になれたのなら嬉しいよ」

 

 

 両手では足りないぐらいの人に声をかけて、片手で数えるぐらいの人と話しただろうか。

 私よりも何歩も先を行く先達ということもあり、知りたいことだけでなく色々な話を聞くことができた。

 時間としては数時間。それだけの時間で絵画教室を休んでしまった後悔が吹っ飛んでしまった。

 

 

(ただ、話を聞いただけじゃダメよね。7月の後半からは夏休み……しっかり準備しよう)

 

 

 まだ6月の初旬なのに気が逸ってメモを書き込む。

 それでも数分で終わってしまい、手持ち無沙汰になってしまった。

 

 またお手伝いに戻ってもいいけど……と、考えたところで、そういえば記憶を無くしてからの私はお父さんの絵をじっくりと見てないことを思い出した。

 今後の参考の為にも、きちんとお父さんの絵を見た方が良いかもしれない。

 

 そう思った私はお手伝いに戻ろうとしていた体を方向転換させて、館内を見回ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東雲慎英とは、彼自身の名前だけでも人が集まり、外国からも彼の絵を見に日本に来る人もいるぐらい、有名な芸術家である。

 

 血の繋がりという立場からであれば身近でありながらも、目指す場所からすると雲の上の存在である父親の絵は、彼と私の距離をはっきりと突きつけてくる。

 

 ──それを見てすごいな、とは思う。

 

 でも、私はやはり『あの子』ではないからだろうか。

 この絵を見ても憧れることもないし、『お前が目指す場所はここじゃない』と言われているようにも感じるのだ。

 

 技術や表現的には参考にするべきだし、絵1本で我が家を支えるその立場は画家として目指したい場所だ。

 それなのにこの絵を描きたいかと聞かれたら、何かが違うような……?

 

 

「うーん?」

 

 

 わざと声を出して唸ってみるものの、今感じている感情を上手く言葉にできない。

 とりあえず参考になる表現の仕方や描き方など、わかる範囲もわからないところも断片的に、メモに書き残しておく。

 

 これがいずれ、ヒントになればいいなー、なんて。そんな調子で気になっていた絵を全部、余すことなく確認した後。

 他にも何か興味のセンサーに引っかからないかと思いながら、きょろきょろと歩いていた時、絵ではない別の存在がセンサーに引っかかった。

 

 

(うん? あの子……)

 

 

 真っ白なゼラニウムの絵の前に立ち、勿忘草色の瞳でじっと絵を見つめている制服姿の少女。

 どこにでもいる、と形容するにはあまりにも美形で、どこか物憂げな表情に自然と目が惹かれる。

 

 紫の癖のある髪を1つにまとめている彼女の雰囲気が、自分とどこか似ているなと思った瞬間にはもう、声をかけていた。

 

 

「あの、迷子ですか?」

 

「え?」

 

 

 辛うじて残っていた理性の容量は『服装はスタッフと同じモノだし、タメ口はダメよね?』という無駄なことに使われて。

 思わず、ナンパ下手な不審者か!? と心の中でツッコミしてしまうぐらい、変な言葉を投げかけてしまった。

 

 おかしな声かけをされた被害者の少女はというと、驚いたように目を見開いてから、すぐに笑みを貼りつけて首を横に振る。

 

 

「迷子じゃないですよ。母と一緒に来たのですが、今は別行動中なんです」

 

 

 それはそうだ。

 

 私と同じか、違っても1歳ぐらいの歳の差であろう少女が個展の中で迷子になる方が難しいだろう。

 困った顔をさせてしまったことに申し訳なさを感じつつ、私は上擦った声で謝罪を入れる。

 

 

「こんなところで迷子になる方がおかしいですもんね……変なことを言って、本当にすみません」

 

「いえ……でも、そう声をかけたってことは、何か理由があったんじゃないですか?」

 

 

 少女は細めた目でこちらを見据えつつ、小首を傾げた。

 言外に「話してくれるよね?」と言われている気がして、こちらは乾いた笑みを浮かべることしかできない。

 

 

「その、何となく私と同じような感じがしたので。あなたもそうなのかなぁと思っちゃったと言いますか」

 

「もしかして……あなた自身が迷子だったり?」

 

「違うけど!? って、すみません、また変なことを言っちゃって!」

 

 

 いくら何でも記憶喪失の私と同じように思うのは、あまりにも相手に失礼過ぎる。

 そう思うのにまだ、目の前の少女から迷子という印象が消えてくれなくて、私は改めて彼女を観察した。

 

 

(……改めて見てもめちゃくちゃ顔がいいな、この人)

 

 

 学校にいたらクラスメイトや後輩からも慕われて、色々と大変そうな『優等生』っぽい雰囲気。

 少女漫画から誘拐したか、実は芸能関係者ですと言われても納得できる綺麗な顔と、眩いオーラ。

 

 外だけ見れば私とは反対側にいそうで、どちらかというと愛莉みたいな子を『理想の良い子ちゃん』で飾り付けたように見える。

 

 それでも似てると感じたのは、きっと話しかける前に見た彼女の顔のせいだろう。

 あの物憂げな顔を見た瞬間、迷子なのかもと思ってしまったのだ。

 

 だが、それは私の勝手な感想なので、急いで取り繕うような言葉を口に出す。

 

 

「変なことを言ってしまって、本当にすみませんでした。この事は記憶から抹消してもらえると、私も嬉しいなー……なんて。あはは」

 

「そう、ですか」

 

 

 ……ああ、またあの『雰囲気』だ。

 

 鍵のかかった扉を開きたいのに、手に持っている鍵では開くことができない──そんな悲しそうな表情を見てしまうと、途端に無力感に襲われた。

 ちゃんと見えているのに、今の私では何もしてあげられないと思ってしまって、もどかしい。

 

 絵の前で佇んでいた彼女の様子を見る限り、父の絵でも彼女の心を動かすには不十分だったのだろう。

 なら、それよりも実力のない私では無力だ。何もできない己の無力さが悔しい。

 

 だから、せめて何か伝えられないか、何か言えないか、と。

 頭の中にある数少ない語彙を必死に探して、拙い言葉を吐き出した。

 

 

「その、迷子って自分で探して見つけるか、相手に探してもらって見つけてもらうしかないですよね」

 

「え? えぇ、そうかもしれませんね」

 

「だから、えぇと……お互い、探してるものが見つかれば良いですね」

 

 

 余計に混乱させてしまうだけかもしれないし、心当たりもない不審者の言葉なのかもしれない。

 でも、彼女は確かに何かを探しているような、迷子みたいな目をしていたのだ。

 

 私自身もそう感じた理由はわからないけれど、それでも言いたいことは今、伝えられたと思う。

 勝手に満足した私とは対照的に、好き勝手言われた彼女は困惑しているのか、哀れなぐらい固まってしまった。

 

 そうしている間にも、少女に似た髪色の女性が「──ゆ!」と名前らしい何かを呼んでいて、何となく目の前の彼女が呼ばれているのがわかってしまった。

 

 

「後ろ、ご同行の方が呼んでるみたいですよ」

 

「あっ……」

 

 

 少女が何か言いたそうに口を開くものの、開かれた口が言葉を紡ぐことはなかった。

 待っていたら何か言ってくれるんじゃないかと黙っていると、視界に映る女性が再び彼女の名前らしい単語を口に出す。

 

 

「行かなくても良いんですか?」

 

「……行かなきゃ、いけませんね」

 

 

 少女は軽く会釈してから、名残惜しそうに女性の元へと走っていく。

 名前を呼ぶ声は聞こえにくかったのに、話している内容は何となく聞こえてきて、私は思わずため息を吐いた。

 

 

(どこの誰かもわからないおかしな子に変なことを言われても、相手にしちゃダメ……ね。その通りだけど、私が聞こえるところで言うなっての)

 

 

 『どこの誰かもわからないおかしな子』だと言っている相手が、この個展を開いている人の娘だと知ったら、態度を変えてくるのだろうか。

 

 名前しか見てなさそうな相手に、気に入らないな、と心の中で吐き捨てる。

 視界から消えてくれない女性から目を背けてから、私は改めて少女が見ていた花の絵を見た。

 

 スマホを取り出してから便利な検索エンジン様に教えを乞う為、親指を滑らせる。

 

 

(ゼラニウムの花言葉はーっと。真の友情、尊敬、信頼。へぇ、英語とかだと『育ちの良さ』とかあるんだ。じゃあ……何でお父さんは白のゼラニウムを描いたんだろ?)

 

 

 検索結果の1番上に出てくるサイトに、『白のゼラニウムは海外では嫌いな人に贈られる花だ』なんて書かれていて、思わず苦笑い。

 

 この絵は白色が最大限に活かされた良い絵だとは思うけれど、花を知る人からすればあまり良い絵ではなさそうだ。

 花を描く時は題材も大事にしようかな、なんて白々しいことを考えて思考を他所に置いている間に、少女と女性の姿は消えていた。

 

 

(あの子の制服……宮女のだったよね)

 

 

 宮益坂女子学園こと、宮女。

 

 中等部と高等部がある中高一貫校であり、所謂『お嬢様学校』で、偏差値も高め。

 近所にある神山高校も悪くはないけど、学校のイメージ的にはゼラニウムの『育ちの良さ』という花言葉にはピッタリであろう学校だ。

 

 病院であった金髪の女の子も宮女に通うって話で、紫髪の彼女も宮女の制服だったので、女の子の進学先としては人気なのかもしれない。

 うちの学校でも進学先に困ってたら宮女と書いとけって風潮があるので、無難な進学先の1つになっている記憶がある。

 

 

(そういえば私の進路……保留にしたままだっけ)

 

 

 進路。

 中学2年生の夏付近から、仮でも書かなきゃいけない面倒な項目。

 

 

(自分の実力も何もわからないのに、進路を決めろって言われてもね)

 

 

 記憶を無くす前の東雲絵名なら、美術系の学校に行っていたのかもしれない。

 

 だが、記憶を無くす前の絵名がしそうな生き方をなぞるような選択をして、本当に良いのだろうか?

 囲むように飾られている雲の上にある絵達が、挑発的に問いかけてくる。

 

 

 理想(それ)を選んで、東雲絵名は画家に成れるのか?

 幻影(それ)をなぞって、東雲絵名は画家に至れるのか?

 

 ──他の画家を目指す人と同じことをして、私がこの場所にいる意味を証明できるのだろうか?

 

 

(……いや、今は自分の足場を固める時だから。今度、夏のアートコンクールに送った結果も出てくるし、進路は1年後からでも挽回できるでしょ)

 

 

 迷ってしまいそうなぐらい、複雑怪奇に広がる個展の絵達から目を逸らし、私は来た道を引き返す。

 

 1つ1つ問題を乗り越えて、積み上げたらきっと……モヤモヤとしたこの気持ちも解決すると自分に言い聞かせて。

 今はただ、前だけを向いて後ろを見ないように、目を逸らした。

 

 

 




記憶喪失えななんは記憶を無くしたので絵名(自分)なんてわかんないし、相手も自分がわかんなくなってるからシンパシーを覚えたようです。
記憶喪失えななんとその子、同じ迷子状態でも全然違うんですけどね……
というわけで、ニーゴ結成前のメンバー・第1遭遇者は朝比奈まふゆさんでした。

今日で毎日投稿はおしまいです。毎日閲覧頂き、ありがとうございました。

更新を続けるコツは無理をしないこと。
……といいますので、来週からは予定通りに水・土・日。
25時、予約投稿にて、更新させていただきます。


☆★☆


《???》

 お母さんに連れられて、有名らしい人の個展に行った。

 この絵がいい、あの絵が綺麗、と。
 娘には一流の人の作品を見せて、目や情緒を養わせたいとお母さんは言う。

 果たして本当に養えているかはわからなかったが、お母さんが『良い』というものを暗記することはできた。
 心が動く、感動する……そう言われてもわからなかったけれど、お母さんが良いと言うのなら良いのだろう。

 その程度にしか、思ってなかったのだけど。

 お母さんと一緒に歩いている時に見た、親子に向かって楽しそうに話す女の子が気になった。

 たぶん、同い年ぐらい。つまらなさそうな小さい子に目線を合わせて、あっちの絵はー、こっちの絵はねーと話しつつ、女の子は笑う。
 そうすると小さい子もだんだん目を輝かせるようになって、まるで魔法を使ったかのように、楽しそうに笑った。

 だからなのだろうか。その姿が、どうしようもなく眩しく見えて。
 小さい子を真似するように絵を見てみても、他の絵と何も変わらないように思えて。

 あの子に解説してもらえば、何かがわかるのだろうか。
 そんな期待を胸に、お母さんが友達と話している隙に「作品を見てくる」と言って別れた。

 あの女の子も絵を見回っているのを目視で確認したので、自然を装って絵の前に立つ。
 彼女はこの絵をどういう風に教えてくれるのだろう。私はそれを知りたかったのだ。


 残念ながら……結果的には望んだ解説を聞けなかったけど。
 ──あの時間は悪くはなかったと、不思議なことにそう思った。


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9枚目 現在位置

 

 

「うぅん……うぁぁ」

 

「ねぇ絵名。お願いだからゾンビみたいな声を出さないでくれる?」

 

「無理……絶対に無理」

 

 

 1枚の裏返されたテストの結果へとチラチラと視線を送りつつ、私は奇声を漏らす。

 そんな怪しい奴に声をかけた愛莉はというと、しょうがないわねと言わんばかりの苦笑を浮かべた。

 

 

「そもそも、なんでそんなに唸ってるのよ」

 

「このペラ紙1枚に私の夏休みがかかってて、怖くて見れないの……!」

 

「そうやって怖がっても、テストの結果はもう決まってるでしょう? 諦めて現実を見たほうがいいわよ?」

 

 

 ──そもそも、絵名ってそんなにテストの結果が悪かったっけ?

 

 不思議そうに問いかけてくる愛莉は、自分のテストの点数が良かったのか平然とした顔だ。

 

 だが、愛莉は私のように制限も何もないから余裕なのだ。

 いくら勉強をしていてテストの点数を知っていても、私の夏休みがかかっているのである。怖いものは怖い。

 

 

「平均点より上じゃないと夏休みの軍資金が貰えないの。だからお願いします、平均点が下がってますように、私の点数が上でありますようにぃッ!」

 

「必死ねぇ」

 

 

 愛莉の苦笑を無視して、私は祈祷しながら裏返していた紙を表に戻した。

 

 お母さんから夏休みのお金を支給する条件として出されたのは『期末テストが全て平均点より上を取ること』だった。

 

 山に、海に、川に森にと電車やバスなどを駆使して行くとしても、お金の問題はついて回る。

 愛莉とだって遊びたいし、ここで条件を達成できないと夏休みの計画は水の泡になってしまうのだ。

 必死に祈るぐらい、許して欲しい。

 

 

「えーと。うわっ、数学ギリギリじゃん」

 

「見ても良い? ……って、あんなに怖がってたのに、あんな姿からは想像できないぐらい良い点数取ってるじゃない」

 

「今回の数学、みーんな点数高かったじゃん。先生も『もしかしたら平均点80超えるかもー』って脅してきたし、怖かったのっ」

 

 

 お母さんに資金援助を求めている以上、1教科も落とせない私は先生の言葉に戦々恐々していたのだ。

 それでなくても数学は苦手なのである。体育のテストは座学なので何とかなっても、数学はどうしようもない。

 

 

「あぁ……これでちゃんと寝れそう」

 

「そもそも絵名って普段、ちゃんと寝てるのか心配になるぐらいだけどね」

 

「2年になってからは授業中に寝てないし、それが睡眠をちゃんと取ってる証拠だからっ! もう、普段は寝てないみたいな発言をしないでよね!」

 

「でもこの間、委員長が『東雲さんに夜中の2時に連絡を送ったら、すぐに返事が来てビックリした』って言ってたわよ?」

 

「に、2時とかまだ私の活動時間範囲内だし」

 

「そんなこと言うから『東雲絵名サイボーグ説』とか、他の子から変な噂を流されるのよ……」

 

 

 愛莉が言う『東雲絵名サイボーグ説』とは。

 

 事故から復帰した私の成績が急上昇し。

 授業態度があまりよろしくなかったのにも関わらず、スマホを触ることも寝ることも無くなった。

 

 更には何時に連絡しても繋がることから、クラスメイトから(まこと)しやかに噂されるようになった話らしい。

 

 実は事故で致命傷だった東雲絵名は機械の体に改造された。

 その結果、脳のスペックが上がり、成績も急上昇。

 さらに機械の体なので寝る必要もなくなり、授業態度も改善されて、家でも寝ることがなくなった……と。

 

 そんな馬鹿みたいな話が真実なのかどうか、日々議論されているんだとか。

 

 そういう痛々しい設定が大好きなお年頃だからこそ、あんな与太話が彼らの琴線に触れたのだろう。

 現実はスケッチブックに記憶を奪われて、願い事を叶えられたらしい、欠陥人間なんだけど。

 

 

「はーあ。人をサイボーグやら改造人間やら、人外扱いして何が楽しいんだか」

 

「それだけ絵名が良い方向に変わったっていう褒め言葉じゃない?」

 

「あっそ。そうだと良いわねー」

 

 

 愛莉のポジティブな捉え方そのものは好ましいものの、私にはそんな風に捉えることは難しくて。

 皮肉を込めて笑う私に、愛梨は困ったような笑みを浮かべて話題をズラした。

 

 

「そういえば絵名はこの前の進路希望書、何て書いたの?」

 

「とりあえず定番で埋めといた」

 

「あぁ。神高、宮女って近くの高校で埋めちゃうやつね。てっきり、絵名は美術系の高校に行くと思っていたから、意外だわ」

 

「……美術系の高校に行くことだけが、道じゃないし」

 

 

 嘘でもないけど本当でもない。

 ただ、絵名が描いていた道をそのまま進んでもいいものなのかと、悩んでいるだけだ。

 本当の話は素直に言えなくて、私は自分に向く矢印の方向を反対に向ける。

 

 

「そういう愛莉はどこに行くつもりなの? 芸能科があるところとか?」

 

「今の所は宮女に行くつもりよ。あそこ、単位制もあるから」

 

「そういえば宮女って学年制と単位制でクラスが分かれてるんだっけ」

 

 

 愛莉も宮女で、個展の子も宮女。病院の子も宮女と、あそこの学校は人気の場所らしい。

 美術系の高校に行かないのであれば、宮女を選ぶのもありかもしれないな、なんて気持ちになりながらも愛莉の話を聞く。

 

 

「今のところは活動と学業を両立できてるけど、流石に高校ともなれば難しいと思うのよね。でも、中卒は嫌だし、女子高生としての学生生活を捨てるのも嫌じゃない? なら、宮女が良いんじゃないかと思ってね」

 

「中学2年生の夏でそこまで考えて選んでるのかぁ……しっかり前を見据えてるし、愛莉は偉いよね」

 

「それは絵名も同じじゃないかしら」

 

「確かに、東雲絵名(わたし)の為に考えていることはあるけど……どうかな」

 

 

 夢を見据えてだとか、愛莉のように自分でなりたいと思って目指してるわけじゃなくて。

 ただ私は、東雲絵名(わたし)が画家になりたいと思っていたから、記憶の代わりに才能を手に入れたのだから、目指しているだけだ。

 愛莉と同列に語ったり、比べるなんて烏滸がましい理由である。

 

 

「アイドルとかでキッチリ進路を決めてない限り、普通は迷うわよね。他の友達とか、かなり迷ってるみたいだったし」

 

「先生も仮決めでいいって言ってたのは、そういう子が多いからって理由よね」

 

「……だから、絵名も好きなだけ悩んでも良いんじゃないかしら」

 

「え?」

 

「悩んでるから、決められないんでしょう? なら、ギリギリまで悩んだら良いと思うわ」

 

「愛莉……ありがとう。もう少し考えてみる」

 

 

 愛莉は何も知らないのに、そんな中でも言葉を選んでくれたのは十分に伝わってくる。

 その優しさが嬉しいのと同時に、うまく言えない自分にもどかしさを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい。絵名宛に郵便物が届いてたわよ」

 

 

 家に帰ると、お母さんから声をかけられた。

 机の上に置いてるから、という言葉に従って机の上を探すと、私の名前が書かれた封筒が目に入る。

 

 

(あ、これ)

 

 

 現在の実力を把握する為に送った、夏休みがテーマのアートコンクール。

 その結果を知らせる封筒が机の上に鎮座していた。

 

 鞄からカッターを取り出して封を切り、薄っぺらい中身を取り出す。

 何となく結果をわかっていたけれど、『落選』という結果を目に焼き付けて、黒く澱んだナニカを息として口から吐き出した。

 

 

「お母さん、ありがとう。テストの結果は良かったし、机に置いとくから時間がある時に見てね。後は……今日、ちょっと部屋に閉じ籠るから」

 

「そうなの……あまり、思い詰めないでね」

 

「……うん」

 

 

 愛莉にもお母さんにも心配かけている自分に自嘲して、私は早足に部屋へと戻る。

 

 

「〜ッ! あー、悔しいっ!」

 

 

 結果の用紙はそのままに、それを入れて運んできた封筒をグシャグシャに握って捨てた。

 

 経験も技術も何もかも足りなくて、それを補う努力も足りなかった。

 だから、落選だろうとはわかっていたことだけど……それでも悔しい。

 

 それと同時にこんな苦しい気持ちになる自分に、少し安心して笑みが浮かんでしまう。

 

 

(でも、よかった……記憶がなくても、何もなくても。少なくとも、絵に関しての『この気持ち』は本物だ)

 

 

 認められないのが苦しくて、それでも描いてるのが楽しいから、また次は、次はもっと良いものを描きたい。

 絵を描きたいって、楽しいって思う気持ちだけは嘘じゃなかった。

 

 

 ──なら、どうして美術系の高校に行こうと思わないの?

 

 

 美大に行くなら受験範囲の勉強も必要だから、美術系の高校に行けば不利になる。

 美術の勉強は今の絵画教室でもできるから、普通科の高校に行って美大に行くべきっていう建前の理由もあるのだろう。

 

 

 でも、それだけが理由なのかな?

 

 

(多分、このモヤモヤはこいつのせい)

 

 

 隠していた鍵を取り出して、ここ数ヶ月開いてなかった記憶を無くした元凶を見つめる。

 東雲絵名から記憶を奪って、願いを叶えた元凶。才能を渡してきた屈辱的な相手。

 

 

(そもそも……【所有者の思考を閲覧する権限は現在ありません】 って、ダメダメ! 何弱気になってるのよ。変なこと考えるなんて、思ったより落選がメンタルに来てるのかも)

 

 

 それに、仮にマイナス思考で考えてしまったことが正しくても、それを認めるわけにはいかない。

 それを認めてしまえば、どうして私があの子を殺してここにいるのかさえ、わからなくなってしまうから。

 

 

「変なこと考えてる暇があったら、次のコンクールの為にも反省会をしなきゃ」

 

 

 再びスケッチブックを封印し直し、私は落選と書かれた紙を目に見える所に貼り付ける。

 その隣に写真を撮って印刷しておいたコンクールの絵を貼り、ノートを取り出した。

 

 スマホには今回のコンクールに受賞した作品の画像を出して、早速、反省点や他の人達の絵の作品をメモしていく。

 

 

(やっぱり賞を取った人達って構図とか上手いし、参考になる所が多いなぁ。こういう人達も越えて、他の壁も山も越えていかなきゃ届かないよね)

 

 

 今回出した絵はまだ、賞にも届かない実力だった。

 次回は秋。夏休みを終えた後に描いて送る予定のコンクールがあるので、そこまでにまた実力を磨かなければならない。

 

 

(実力があっても絵描きは画家として食べていけるわけじゃない。上手い絵を揃えて、尚、売れるように動かなきゃいけない)

 

 

 東雲絵名(わたし)が夢見たであろう画家の道のりは遠く、険しいものだ。

 でも、あの子の居場所を奪って才能を手にしたというなら、足掻いて、踠いて、証明しなければならない。

 

 

 

 

 

 もしもできないというのなら──私が東雲絵名である理由なんて、ないのだから。

 

 

 




お察しの通り、記憶喪失えななんはアイデンティティが木っ端微塵なので、自己評価が地面にめり込んでます。

次回はカワイイあの子と遭遇編。


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10枚目 夏休みにはカワイイを


Q……例のスケッチブックってセカイ由来ですか?
A……いいえ、セカイは全く関係ありません。記憶喪失えななんやセカイ側が訴えたら勝てるレベルの異物混入です。

この物語でセカイが出るのはかなーり先なので、答えておきますね。

(後書きにちょっとオマケがあります)


 

 待ち望んでいた夏休み期間。

 

 8月に入る前に宿題を全て終わらせて、残りの期間は絵を描く為の時間にした。

 

 雪平先生の絵画教室が休みの日を見計らい、山へ、森へ、川へ、海へと自然の多い場所へ飛び出して。

 今まで見たかったちょっとお高めの有料の美術展や、植物園、興味があった場所を見て回っては、絵を描く夏休みを過ごしていた。

 

 日焼けだけには注意しているものの、それでもやっぱり心なしか肌が茶色に近づいてきているような……

 いや、そんなの幻だ。気のせいであってくれ、というか気のせいであれ。

 

 とんでもない事実に震えながら目を逸らせば、1日過ごす毎に昨日の自分よりも更に成長していると感じるような、充足感のある日々。

 それは雪平先生の評価もコントラストの差や構図、密度の違いが出てきたと言われることが増えてきて、自分の力がメキメキと伸びている実感があった。

 

 とはいえ、褒め言葉の10倍は酷評のナイフで刺されるので、いつも心は滅多刺し。

 ダメージの回復は間に合っていないけど、そこは気力で乗り切っている。

 

 

 ……そんな風に夏休みの半分を過ごしたが、実は1つだけ全く練習が足りてないものがある。

 

 最近は自然や生き物、建物は描いていたのだが、人物画だけは描いていないのだ。

 そのせいか、人を描いた絵だけクオリティがガクンと落ち、最近の雪平先生にもその弱点を指摘されていた。

 

 

(人物画の練習が必要なんだけど……えぇと、個展で聞いた練習方法はいくつかあったんだよね)

 

 

 絵を上達させるにはとにかく描くしかないのだが、人物画の難しいところはモデルが人であるということで。

 どんなに親しい友達であっても、貴重な夏休みを拘束してしまうのは難しいし、気後れしてしまう。

 

 

 

 そういう理由もあり、教えてもらった方法の中にある『人通りの多い場所でスケッチする』を実行しようと思い、宮益坂まで来ていた。

 

 

(ここなら絵画教室の帰りでもすぐに描けるから、良い練習になりそうね)

 

 

 鼻歌を歌いたくなる気持ちをグッと堪えて、スケッチブックを固定する。

 多くの人が通る人通りを、老若男女関係なく赴くままに絵を描いていった。

 

 1人、また1人と手当たり次第に絵を描いて、1冊のスケッチブックを埋めた頃。

 

 何故かまた、個展の時を再現したかのような吸引力を感じた。

 このセンサーにビビッとくる過剰反応みたいな何か。もしかして、また迷子とか?

 

 手早くスケッチブックを片付けて、周囲を見渡す。

 私のセンサーに引っ掛かったのは……少し前からずっと立っている子だった。

 

 ふわりと宙を舞うピンクがかった白髪。影ができてしまったアメトリンのような瞳。

 赤のちょっと大きめのリボンが短い髪を飾っていて、それだけでも可愛らしいなと息が出てしまう。

 

 服も気を遣っているのか、短めの髪にピッタリなホワイトロリータの組み合わせは、ファッション雑誌に取り上げられても不思議ではない。

 服のセンスといい、是非とも絵として収めたい子だった。

 

 

「……はぁ」

 

 

 あんなに気合の入った可愛い服なのに、何か嫌なことがあったのか。

 佇むその子は大きなため息を漏らし、暗い表情をしている。

 折角オシャレをしただろうに、曇り空のような顔で1日を過ごすのは勿体無い。

 

 そんなことを思いながらも観察していると、私と似たような思考回路をしている人がいたのか、暗い顔をするあの子に声をかける人がいた。

 

 

「ねぇ、君──」

 

 

 1人の男が近づいて、ニヤニヤと笑いながらリボンの子に声をかける。

 鬱陶しそうな顔を笑みで覆い隠して対応している姿を見るに、待ち合わせしていた友達というわけでもなさそうだ。

 

 かなり可愛い子だし、躱し慣れているのかと思ったけれど……あの子の方が押されているように見える。

 周りの人も通り過ぎるだけで、ナンパっぽいのに割り込む人もいない。誰も助ける気配もない、と。

 

 ……冷静な部分が放置してもいいと言っていても、私はこういう場面を見過ごせる人間ではなかったらしい。

 

 

「お待たせー。長いこと待たせちゃってごめんね!」

 

 

 スケッチブックを左手に、右手を大袈裟に振りながら走って近づく。

 男もリボンが特徴的な子もポカンと口を開いてこちらを見る中、微笑みながら「ほら、行こう」と相手の手を掴んだ。

 

 

「あ、おい!」

 

 

 後ろから慌てて声をかけてくる男がいたけど、ここは聞こえないフリ。

 

 

「手、痛かったらごめんなさい。あの人が追いかけて来ないところまで離れますよ」

 

 

 リボンのあの子には聞こえる程度の声量で声をかけて、早足でその場を離れる。

 急に現れて手を引いているのに、リボンの子は文句の1つも言わずに着いて来てくれた。

 

 

「ここまで来れば追いかけて来ないでしょ……あの人、あなたの知り合いとか友達じゃないですよね?」

 

「え、うん。初対面ですけど」

 

「それは良かった。まだ待ち合わせ先で待つつもりなら、少し時間を置いてから戻ってくださいね。じゃ、私はこれで……」

 

「待って」

 

 

 手放したはずの手が、今度は向こうから掴まれた。

 まさか相手の方から掴まれるとは思わず、予想外の行動に私の声が上擦る。

 

 

「えぇと?」

 

「その……ありがとう」

 

「別に、私がしたかっただけですので」

 

「それでも、ありがとう」

 

「……そう」

 

 

 素っ気ない対応でさっさと離れようと思ったのに、相手の手を掴む力が思ったよりも強くて離脱できない。

 それどころか「助けてくれた人なんだから敬語はいりませんよ」とまで言われる始末だ。

 

 じゃあ、お互いタメ口でってことになったのだけど、改めて思う。

 ……これはどういう状況なのだろうか? と。

 

 私は困惑し、相手は手を繋いだまま何も言わない。

 いつまでもその子と見つめ合っているのも勿体無いので、試しに交渉してみることにした。

 

 

「あのさ……この後、時間空いてる?」

 

「え? うん、特に予定はないけど」

 

「じゃあ、私の絵のモデルになってよ。いいよね?」

 

 

 左手のスケッチブックをひらりと振って、見せびらかす。

 これで嫌がられるなら冗談と笑って、それまで。

 

 さて、どういう反応が返ってくるかなと楽しみ半分、好奇心半分で観察していると、相手は大きく目を見開いてから、楽しそうに笑った。

 

 

「強引だなぁ……ボクがモデルで変なものを描かれるのは嫌なんだけど。それって可愛く描いてくれたりするの?」

 

「可愛くって言われても価値観は人それぞれだし、約束できないわよ。だから、私らしく描かせてもらうわ」

 

「……そっか」

 

「で、結局、描かせてくれるの?」

 

 

 半目で問い掛ければ、キョトンとした顔で首を傾げていた相手は笑うのだ。

 

 

「……ちゃんとキミらしく、ボクを描いてよ?」

 

 

 どうやらOKみたいである。

 私は掴まれた手をもう1度繋ぎ直して、目的地へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、どこまで行くの?」

 

「もうちょっと待って」

 

 

 リボンの子の問いかけを軽くあしらって、私は乃々木公園の中をずんずん進む。

 近くに花壇もある噴水広場まで歩いた私は、近くにあったベンチを軽く掃除してからモデル候補を招いた。

 

 

「はい、ここに座って」

 

「隣に?」

 

「そう。後はお茶もあげるから、座ってスケッチと話に付き合って」

 

「お茶ねぇ……飲みかけは嫌なんだけど」

 

「そんなの渡すわけないでしょっ、バカ!」

 

 

 初対面なのに、何か気を遣わなくてもいい気がするというか。

 気が合うっていうのは、こういうことを言うのかもしれない。

 そんなことを考えていても顔にはおくびにも出さず、私は休憩中に買っておいた温い麦茶を手渡した。

 

 

「はい、冷たくないけど」

 

「熱くないのなら大丈夫だよ」

 

「そ。なら早速、描かせて貰ってもいい?」

 

「どーぞ」

 

 

 宮益坂では暗い顔だったが、今は控えめだけどほんの少し笑みを浮かべている。

 相手が気分転換できてそうなら良かった。

 

 

「ここ、花壇もあって綺麗でしょ」

 

「うん、そうだね」

 

「……噴水とか見てると、悩みとか一緒に流れろーって思うし。最近見つけた私のお気に入りの場所なのよね」

 

 

 今日のリボンの子はナイーブな日だったのか、ほんの少し明るさに影ができていた。

 今日は気分が落ち込む日だったから、可愛い格好で気分転換をしようとしていたのかもしれない。

 

 

「あんたは普段から絵とか描くの?」

 

「ちゃんとした絵は図工の時間とか、最近なら美術の時間ぐらいかな。後はザビエルの頭をちゃんと育毛したり?」

 

「あれ、トンスラっていう髪型だから、ありがた迷惑でしょ……まぁ、絵が好きとかじゃないなら、描かないわよね」

 

「そういうキミは、絵が好きなんだ」

 

「うん。時間があればずっと描いてたいぐらいには好き」

 

 

 ただの受け答えのはずなのに、隣から息を呑むような音が聞こえてきた。

 そこからまた、雑音と水の音、私が走らせる鉛筆の音だけが聞こえてくる。

 

 2人から声が出ることはない。初対面で話さないなんて気不味いはずなのに、それが不思議と心地よくて。

 

 

「へぇ、もう形になってる」

 

「モデルが良いからねー」

 

「……他の人にはおかしいとか、変だって言われるんだけどな」

 

「それは見る目ないのね。良いものは良いんだから、感性が死んでるんだなって哀れんであげたら?」

 

「なにそれ、すごい強気じゃん」

 

 

 リボンの子は楽しそうに肩を震わせて笑っていたのに、突然、その動きを止めた。

 何か見てはいけないものを見てしまったように固まってしまい、浮かんでいた笑みも消えてしまう。

 

 どうしたんだろうと視線をなぞってみると、公園を横切る中学生っぽい子達の姿が見えた。

 もう一度視線を戻せば悲しそうに眉を下げ、俯くその子がいて。

 

 どう考えても普通ではない様子に、私は眉間に力を入れてしまう。

 今、目の前に鏡があればリボンの子とは対照的に、ぐいっと釣り上がった眉が見えるだろうなと思うぐらい、虫の居所が悪かった。

 

 

「あんた、もしかしてあいつらにいじめられてる?」

 

「え? いや、違う違う。あの子達はただのクラスメイトだから、気にしないでよ」

 

「気にしないでって、あんたの方が相手を気にしてるでしょーが。そんなにビクビクされたら、1発ぐらいビンタした方がいい相手なのかと思っちゃうじゃん」

 

「ビンタって……それはまた随分と暴力的な解決法だねぇ」

 

「それで解決するなら良いじゃない。まぁ……世の中、それで解決しないことが多いんだけどね」

 

 

 この記憶喪失だって、私がいなくなって解決するのなら、すぐにでも『消える』って選択肢を選べるのに。

 隣の子の悩みだって、そう簡単なことばかりじゃないのが世の中で、本当にどうしようもないことが多い。

 

 

「だからさ、悪いことしてないんなら、堂々としてなさいよ」

 

「……え?」

 

「どうせ何したってこんな世の中じゃ、絶対に文句言われるんだから。カワイイでも何でも、自分の好きなものは好きだって貫いた方が得よ」

 

「……キミ、簡単に言ってくれるね」

 

「はぁ? 好きを貫くのが簡単だと思ってんの? そんな甘ったれた言葉、私の前で使わないでよね! 次同じこと言ったら喧嘩よ、喧嘩」

 

 

 簡単なら、私は絵を描いていて泣いたり、悔しいとか、苦しいとか傷ついたなんて思ったりしない。

 相手も苦しんでそうなのに免じて許すが、苦労も何もしてない奴に言われてたら怒鳴ってた発言である。

 

 

「苦しくても、辛くても、貫けるから自分の中で譲れない『好き』なんでしょ。そうやって好きを貫くあんたが良いって言う奴だって、無駄に人類は多いんだから、1人や2人や……まぁ、たくさんいるわよ」

 

「1、2、たくさんって、数え方が頭が悪い人みたいなんだけど。そんなにいなかったらどうするのさ」

 

「少なくとも、私はあんたが好きを貫く限り、良いよって応援するから。よかったわね、最低でも1人は確保できたじゃん」

 

 

 言いたいことを好き放題言って、相手の反応も見ずに私は自分が描きたかった絵をリボンの子に突き付けた。

 

 

「って、話してる間にできたわよ。この絵、結構いい感じじゃない?」

 

「へぇ。鉛筆と消しゴム以外使ってなかったのに、こんな絵が描けるんだ……!」

 

「褒められるのは嬉しいけど、素人の絵だから……あんたらしさ、ちょっとは出せてたらいいんだけどね」

 

「ボク的には、すっごくカワイイと思うから大丈夫」

 

「そう? ならよかった」

 

 

 じっと見ていたスケッチブックを返されたので、私は描いた1ページを千切って写真を撮った。

 写真さえあれば、私は大丈夫。もしもがあっても、記録として残せるなら平気だ。

 

 

「ねぇ、今日の記念に貰ってくれない?」

 

「いいの?」

 

「別に、いらないなら持って帰るけど」

 

「あぁ、貰う。欲しいから!」

 

 

 麦茶を片手に、紙も持って笑ってくれるリボンの子。

 初対面の相手だけど、やっぱり……暗い顔よりも明るい顔の方が似合う気がする。

 

 だから、目の前の子が笑ってくれるだけで、私も少しだけ嬉しくなった。

 

 

「今日はありがとう。良い経験になって助かったわ」

 

「こちらこそ、絵もお茶もありがとう。今日はその……楽しかったよ」

 

「そっか」

 

 

 楽しかった、か。

 それなら良かったし、無理矢理誘った甲斐があったというものだ。

 

 

「今度描けるなら、もっとあんたの言うカワイイっての、表現するから」

 

「今度って、連絡先も交換してないのにあるの?」

 

「あんたが嫌じゃないならあるでしょ。今度会えたその時は、ちゃんと名前も教えてあげる」

 

「えぇ……今、教えてくれても良いのに」

 

「それは私の都合で嫌だから、却下で」

 

「なにそれ。身勝手だなぁ」

 

 

 そう言う割には、リボンの子も名乗らずに笑っているだけだった。

 自分も名乗らないなら良いじゃないかと、私は苦笑しつつも手を挙げた。

 

 

「じゃあ、またね」

 

「っ……うん、またね」

 

 

 私がゆるりと手を振ると、リボンの子も目を見開いてから、控えめに手を振り返す。

 

 またねの言葉通り、本当に再会できるのかはわからないけれど。

 私の方は少なくとも、次に会った時はもっと良い絵が見せられるように、頑張らなければ。

 

 

 




というわけで今回はニーゴ結成前第2遭遇者──リボンの子こと、暁山(あきやま)瑞希(みずき)さんにご登場いただきました。

公式様の性別:?に則って、あえて性別を明記する記載をしなかった結果、読みにくい文になっていたら申し訳ございません。

姉希さんと瑞希さんって歳の差ありそうですし、小学生ぐらいの瑞希さんが姉希さんの中学とかの制服姿を見て、「わぁ、お姉ちゃんカワイイ!」とか言って目を輝かせてた過去があったのかもとか考えると……幸せになってほしいなぁって思いますよね。


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《???》

 中学生になってから『制服』というものが苦手になった。

 お姉ちゃんのを見てた時はカワイイなって思って、好きだったのに。
 このままだとお気に入りのリボンも、カワイイと思った服も、全部嫌になっちゃいそうで、息苦しくて。

 だから、制服を見なくて済む夏休みが来てくれて嬉しかったのに。
 学校が休みの日でも『制服』は追いかけてきた。

 誰にも迷惑をかけてないんだから、休みの日ぐらい好きな格好でいさせて欲しいのに、夏休みにも講習やら部活やらで制服を着ている子がいる。
 大好きな服を着ても、そいつらは追いかけてきた。

 こちらに指を指して、おかしいって言ってくる。
 変だって、変わってるって、まるで鬼の首でも取ったかのように、はっきりと聞こえる声で彼らは言うのだ。

 それが息苦しくて、逃げたくて、いっそのこと誰かにどこかへ連れて行ってもらえないかなって思っていたら──


「お待たせー。長いこと待たせちゃってごめんね!」


 その『誰か』が手を握ってボクが行きそうで行ってなかったところへと、連れていってくれたんだ。

 ──だからこの日から、ボクのお気に入りの場所に『乃々木公園の噴水広場』が追加されたんだよね。


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11枚目 狙撃作戦

 

 

 夏休みを終えてからの1ヶ月はかなり早かったと思う。

 

 私はテストと秋にある絵画コンクールの準備で忙しく、愛莉の方も夏休みのチャンスを見事に掴んだようで、学校にあまり来ていない。

 

 今度、愛莉が熟す仕事はバラエティのちょい役やバックダンサーではなく、事務所の先輩のライブで1曲、披露することだ。

 

 先輩の曲を借り、QTのメンバーの1人として1曲だけ披露する……とはいえ、愛莉にとっては初めてのメインで披露できるステージである。

 是非とも、彼女の言う希望を届けるアイドルの1歩として、力強く歩んでほしいものだ。

 

 そんな愛莉にとってもコンクールを目指す私にとっても多忙な9月を乗り越えて、私の前に最初に現れたのは去年とは違って2の数字が消えた成績表。

 

 お母さんはすっごく驚いていて、先生からも「今のまま頑張れば志望の高校に行けますね」とお墨付きを貰った。

 ……残念ながら、進路希望調査書に書いたのは志望校(仮)なんだけど。

 

 先に貰った学校の成績表は脇役であり、私の本命はコンクールの結果である。

 家のポストに例の封筒を見つけた私は、足早に絵画教室へと向かった。

 

 

「絵名ちゃん! こんにちは」

 

「こんにちは、二葉。座ってたのならこっちに来なくても良かったのに」

 

「だって、絵名ちゃんの結果が気になったから……」

 

 

 恥ずかしいのか顔を赤くした二葉の視線が下に向かい、私が持っている固く閉ざされた封筒を瞳に映す。

 

 

「あれ、まだ開けてなかったの?」

 

「学校から家に取りに帰って、すぐにこっちに来たから時間がなくて。そう言う二葉は見たの?」

 

「もう見たよ……結果は残念だったけど」

 

 

 落ち込んだ声で落選と書かれた用紙を見せられるのは気まずい。

 同じ賞に送ろうと誘われて、乗らない方が良かったのではないかと少し後悔しそうになるぐらいには、気まずく感じた。

 

 

「二葉が落選なら、私も危ないかもね」

 

「そんなことないよ! だって2年生になってからの絵名ちゃんはすっごく頑張ってたし、私じゃあ敵わないぐらい上手になってるもん」

 

「そう真っすぐ言われると照れるんだけど……」

 

 

 筆箱からいつものカッターを取り出して、二葉に見守られる中、封を切る。

 数枚の紙から結果が描かれたであろうモノを取り出し、折り目を伸ばして中を見た。

 

 東雲絵名様という頭の言葉と定番の文章の中にある、特別賞を受賞したという言葉。

 落選とは違う文字が紙の上を踊っていて、私は叫びそうになった声を飲み込んだ。

 

 

「受賞って……絵名ちゃん、おめでとう!」

 

「う、うん。これ、夢とかじゃないよね?」

 

「もちろん現実だよっ。すごいなぁ絵名ちゃん、私も頑張らなきゃ」

 

 

 我が事のように喜んでくれている二葉を見て、私の頭は夢見心地の気分から戻ってくる。

 自分よりも喜んでくれている人を見ると気持ちがストンと落ちてきて、頭が冷静になった。

 

 そうだ──これは特別賞。最優秀賞じゃない。1番じゃ、ない。

 夏休みの成果を全て込めて、今できる限りの力を詰め込んで、小さなコンクールで取れたのは特別賞だ。

 

 

(あの子を殺して才能を手に入れた癖に……この程度で満足するな。特別賞じゃ、あの子の理想には程遠いんだから)

 

 

 私の今はあの子の上で成り立っているのに、こんなところで満足してはいけない。

 私はまだ何1つ証明できていないのだから、気を抜く暇なんてない。

 

 まだ、東雲絵名(わたし)は願いを叶えきれていないのだから、走り続けるのだ。

 

 

「ねぇ、二葉。今回の受賞者の絵、見てみない?」

 

「そうだね、私も気になってたんだ」

 

 

 緩んだ心に喝を入れ、二葉と一緒にスマホで今回のコンクールに入賞した絵を検索する。

 最優秀賞、優秀賞、入賞した作品達はどれもすごい絵だ。良いところが次々に思い浮かんで、私には足りていないと痛感する。

 

 

 

 ──お前に絵の才能はない。

 

 

 

 急にフラッシュバックする言葉に、私は頭を軽く振る。

 どうして今、あんな言葉を思い出したのか。

 あり得ないことを考えてしまいそうになって、心の中で苦笑を浮かべた。

 

 

(今は余計なことを考えずに雪平先生の教室に集中。そして、帰ってから反省会をして、思い浮かんだことを全部試す。そして今度こそ最優秀賞を取って証明しなくちゃ。じゃないと私は──)

 

「絵名ちゃん? ボーっとして大丈夫?」

 

「……え? あぁ、ごめん。考え事してた」

 

「もう少ししたら先生も来ると思うし、早く席に着こう」

 

「えぇっ、もうそんな時間!?」

 

「あはは。お互いに思うところもあると思うけど、今日も頑張ろうね」

 

 

 私よりも二葉の方が落ち込んでいる筈なのに、気を遣わせてしまった。

 そのことに申し訳なさを覚えつつも「ありがとう」ともう1度伝える。

 

 そうこうしている間に雪平先生がやって来て、早速、テーマを言い渡された。

 テーマに頭を悩ませてイメージを絞って、表現したいものを紙に描く。

 

 そして今日もまた、ズタボロの雑巾になってしまいそうなぐらい、こってり絞られるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 真夜中。

 ご飯を食べて、彰人達が寝ているであろう時間になっても、私はいつも通り机に付けられたLEDライトを付けて、秋のコンクールに出した絵を見返していた。

 

 

(これは……拙いかもしれない)

 

 

 いつも通り反省点を並べて、改善した方が良いところも洗い出した後、私は胸に襲い掛かる焦燥感に頭を抱えた。

 成長が頭打ちになりましたとか、そういう問題ではない。そっちの悩みはまだ先の話で、伸びしろは沢山あると思っている。

 

 

(どうしよう。今のまま冬のコンクールに出しても、最優秀賞には届かない可能性が高いんだけど)

 

 

 このまま実力を伸ばしても、どこまで伸びるかは目に見えている。

 今までのコンクールの受賞者のことを考えると、奇跡が起きても彼らには届かないだろう。

 

 それでも最優秀賞を狙うというのなら、彼らにはないもっと別の要素も取り入れていかないと届かない。

 最優秀賞を受賞できない。才能を証明できない。

 

 

(画家はお客さんに絵を売る仕事……だからといって、この手は使いたくなかったんだけど)

 

 

 口から漏れる溜息と共に、己の不甲斐なさを吐き出す。

 

 物を売りたいのなら、需要と供給を満たせばいい。

 相手に欲しいと思わせて、お金を出して貰えばいいのだ。

 

 これはコンクールのような『審査員』が決まっているからこそ、客が固定しているからこそできる可能性がある賭けだ。

 絵描きとして、実力を認めてもらわなければいけない存在として、やっていい行動なのかと迷ってしまう手段だ。

 

 

(実力が足りないなら、別の要素で……『審査員を狙い撃ち』して突破できるか試してみて、祈るしか手段がない気がする)

 

 

 他にも方法があるのかもしれないが、私の頭では差を埋めるにはこれぐらいしか思いつかない。

 

 幸いなことに、私の父親は画家であり、彼の個展で絵関係の仕事をしている人達の知り合いも作れた。

 審査員のプロフィールや書籍、ファンが出している情報やネットに発信されている情報を精査して、足りないところは知り合いの人に直接聞いて補完。

 

 審査員の好みの範囲を絞って、後は私の絵に邪魔にならない程度に要素を調和させて、絵を完成させる。

 

 この作戦が通じるかわからないものの、1度は試してみるのも手だろう。

 確か近い内に2つ、コンクールがあるのは覚えていた。

 思いついた小細工が通用するかどうか、その2つで試金石にさせてもらおう。

 

 通用しなければそれはそれで乗り越え甲斐があるし、後は覚悟を決めてやるだけ。凹むようなことはない。

 

 作戦は思いついたし、試すだけの価値はあると思うが──そういう小細工を通用させるにはそれなりの下地も必要だ。

 そして実力を伸ばすには練習しかない。練習練習、また練習である。

 

 

(最近は彰人も歌の練習を頑張ってるみたいだし、私も頑張らなきゃね)

 

 

 記憶を無くしたという話を聞いて、1番傷ついていそうな顔をしたのが絵名の弟の彰人だった。

 最近は歌の練習を頑張っていて悲しそうな顔を見るのも少なくなってきたのだが、それでも私のせいで悲しませてしまっている。

 

 私では、彼が音楽を始めた理由すら思い出せない。

 

 絵名の夏休みの宿題の断片にあった夏休みのお祭りの話。

 ここで弟と音楽を始めるきっかけになった話をしたらしいけれど、私は何1つ覚えていない。

 

 彰人のことだけじゃない。家族のことだって、何も思い出せないのだ。

 

 

(願いを完全成就させたらもしかしたら……って思ったけど、こんな調子じゃいつになるやら)

 

 

 壁にある特別賞貼り付け予定地に視線を向けて、肩を落とす。

 

 あのスケッチブックは記憶を奪う代わりに、絵名の願いを叶えたという。

 しかし、あの絵を見ていればまだ叶っていない要素は多くあり、記憶という大切なものを奪った割には中途半端だった。

 

 壁に並べて貼れるぐらいの賞状。

 記憶を無くしたせいで叶わなくなった、家族の優しげな微笑み。嬉しそうな顔。

 

 もしもこれらを完全成就できたのなら、記憶も戻ってきてくれないかなぁ、なんて。

 現実逃避気味な思考で目標の1つに入れているものの、それらすら私にはまだ難しそうだった。

 

 

「どうしたらいいのかな」

 

 

 呟いた言葉は時計の音に掻き消される。

 時刻は3時過ぎ。流石にそろそろ寝た方がいいかと思い、ベッドに身を投げ出す。

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 そう言って眠ったら、次に目が覚めた時に記憶が戻っていないかな。

 

 そうすれば私は記憶のこととか悩まなくても済むのに。

 本当に私が東雲絵名だって名乗ってもいいのか、迷って自分から名乗らないとか臆病な選択も、しなくていいのに。

 

 もしも本当に記憶が戻ってくるというのなら、私は消えてしまってもいい。

 そう思っている反面、その確証がないからと言い訳して、怖いものは何も見ないように現状維持を選んだまま動けないでいる。

 

 スケッチブックだって嫌なら燃やすなり捨てるなりすればいいのに、鍵をかけて保管しているのだってそうだ。

 

 仮に、大切な人が……それこそ彰人が歌えなくなったり、お父さんが利き手を使えなくなったとかで困ったことになったのなら。

 私の記憶や命で助けられるのなら安いのではないかと思って、捨てられずにいる。

 

 

 

 ──私は本当に東雲絵名だって、名乗ってもいいのかな?

 

 

 

 それ以外に名乗る名前がないから、そう名乗らせて貰っているけれど。

 家族や彼女の中学や絵画教室の友達にとっても、私なんて記憶のない別人のようなものだろうに、騙すように名乗り続けてもいいのだろうか。

 

 何をしたら私は東雲絵名(わたし)だって、言い聞かせなくても言えるようになる?

 

 画家になればいい? 沢山の賞状があればいい? 才能を証明する? 絵を描き続ける?

 

 何をしたら、どうしたら、私はここにいても良いよって思えるようになるのかな。

 罪悪感も何も感じずに、普通に笑うことができるかな。

 

 

「だれか、おしえてくれないかな」

 

 

 呟いてみて、苦笑する。

 誰にも相談せずにずっと悩んでる癖に、他人任せにするなんて都合が良すぎた。

 

 

(明日もあるんだから、もう寝よう)

 

 

 沸々と湧き出てくる疑問を考えないようにシャットダウンし、何も考えないように力を抜く。

 

 

  誰か……ここにいても良いよって、許して。

 

 

 寝る努力をしたおかげなのか、私の意識はすぐに落ちていった。

 

 

 

 目が逸らさなくなる瞬間まで、逃げ続けたのだ。

 

 




記憶喪失えななんは受賞する為に『自分のオリジナリティ』の比率を風味程度に留めて『審査員ウケ』を狙いに行った……という設定。
『審査員の為の絵』を描くことにしたとも言います。
はたしてこの作戦は通用するのでしょうか? 通用してしまっても大丈夫なのでしょうか……?



それにしても。
改めてイベストを確認するとプロセカの時系列ってとんでもないですね。

こういうことを考え出すと、プロセカ二次創作してる先達の皆皆様がすごいなぁと、本当に尊敬します。
(後書き長かったので、活動報告に移植と追記しました)


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12枚目 年末も頑張る東雲


いつもご覧頂きありがとうございます。
お気に入り、評価、感想等、皆様の応援がとても嬉しいです。

すごい高評価を頂いていて嬉しいんですけど、今週もマイペースに更新しますね……


 

 

 冬に向けて、思い切って2つの学生対象のコンクールに絵を送った後。

 

 愛莉とクリスマスパーティーをすること以外、ほぼ絵漬けの冬休みを送っている私は、年末も関係なく部屋に篭って絵を描いていた。

 

 

「絵名ー、ポストにあなた宛の封筒が入ってたわよー」

 

 

 窓を開けて冷たい風を入れてもなお、絵の具の匂いが充満している部屋にお母さんの声とノックが響く。

 

 

「封筒2つ共、コンクール関係みたいだけど……いらないの?」

 

「え!? ちょっと待って、受け取りに行くから!」

 

 

 だって年末に2つ届くなんて思わないじゃない!? と、内心で言い訳しつつ、手をウェットティッシュで拭って、慌てて部屋を出る。

 お母さんからの「1日中部屋に閉じ籠るのは体に良くないわよ?」というありがたいお言葉と共に、2つの封筒を受け取って部屋にそそくさと帰還した。

 

 今回応募した賞は学生向けのものであり、それぞれ最優秀賞、金賞と1番の賞の名称が違う。

 賞金が出る賞もあるが、計算結果、今のところは扶養の関係で引っかかることはないだろうとお母さんと一緒に確認している。

 

 取らぬ狸の皮算用だと言われるかもしれないが、夢を見るのは自由だろう。

 そんなツッコミと言い訳を脳内で繰り広げながら、今回の作戦の成果を確認した。

 

 

 1通目、最優秀賞。

 2通目、金賞。

 

 

 全部狙い通り。全部1番だ。

 

 

「……よしっ!」

 

 

 思わず普通の声でガッツポーズ。

 あまり気乗りはしなかったけれども、作戦は間違っていなかったのだ。

 その証拠が2つもズラリと並んでいて、私の顔は自然と笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ──ピロリン。

 

 

 

 そんな有頂天な私の気分に水を差すように、スマホの通知音がなる。

 委員長からの連絡だよと言わんばかりにスマホの画面が輝くので、私はそれに手を伸ばす。

 

 学校の連絡でもないのに、大して仲良くない私に連絡をしてくるとは、珍しいこともあったものだ。

 

 水を差されたことに対する気分の落ち込みよりも、意外さが勝った状態の私は素早くタップして連絡画面を開く。

 

 

『お母さんが見てるサイトの記事に、東雲さんっぽい記事があったらしいよ。この内容、本当なの?』

 

 

 そんな文章と共に送られてきたスクリーンショットの画像。

 元記事は削除されていたらしく、URLはタップしても記事を閲覧できない。

 私は仕方なく画像を1枚1枚、確認した。

 

 

 ──冬期のアートコンクールを乱獲? その正体は天才画家の娘だった!

 

【天才画家の遺伝子は画家の天才の卵を生み出したのか?】

 

【やはり才能は遺伝するのかもしれない】

 

 東雲の名前からわかるように、天才画家である東雲慎英先生の娘もまた、天才の片鱗を見せ──

 

 

「うわ、何これ。確かに私のことなんだろうけど、嫌な感じ」

 

 

 委員長の情報によれば、ある絵画関係の情報を定期的に発信しているサイトにて『新人発掘』という大義名分と共に、私らしい存在を示唆する言葉を並べた記事が出ていたらしい。

 

 

「とりあえず『受賞は本当だよ』だけ返信しとこ」

 

 

 送ったメッセージにすぐに『本当なんだ! 受賞おめでとう!』という文章とおめでとうとスタンプが来たので、ありがとうのスタンプを返しておいた。

 

 普段最低限の連絡しかしない委員長から連絡が来る。

 そんな物珍しい反応を見ていると、怖いもの見たさなのか、SNSでの反応も気になってきた。

 

 ピクシェアを開いて、今回のアートコンクールの名前で検索してみたり、サイトの名前で検索をかけてみる。

 すると、予想通りに私の話題に見せかけた『東雲先生(お父さん)がすごい!』という褒め言葉の数々が目に入って、すぐに閲覧するのをやめた。

 

 

(世間の評判なんて過剰に気にするべきじゃないと思うけど……気に入らないのよね)

 

 

 さっきまで嬉しくて、喜びで胸がいっぱいになった賞状がただの紙切れにしか見えなくて、何の感慨も持たずに壁に飾り付ける。

 

 スケッチブックの絵に少し、近づいた光景。

 小さなコンクールでも1番になって、才能を証明できたはずなのに……今は全く嬉しくなかった。

 

 

「きっと、まだ足りないんだろうな」

 

 

 そうだ、そうに違いない。

 

 小さい賞を受賞したところで、井の中の蛙。アマチュアの世界で威張っているだけの愚か者だ。

 それに、いくら最優秀賞を取っても売れなくてバイトで食い繋ぐ画家もいるのだ。この程度で喜んではいられない。

 

 春よりも冬になった今の方が成長しているのは認めよう。

 しかし、画家になるのであれば──この厳しい世界で戦うのならば、こんなところで満足してはいけない。

 満たされてはいけないのだと、私の心が戒めているからこそ、今は気分が悪いのだ。

 

 そう私は思い込んで、次の問題に頭を悩ませる。

 

 

(次に壁に飾る為の賞はどこのコンクールを狙えばいいかな)

 

 

 プロアマ問わずの所に送れば、もしかしたら届く可能性もあるし、小細工諸共叩き潰されるのかもしれない。

 私の思い上がりも、雑誌の評価も木っ端微塵にしてくれる可能性もある。

 

 明日の教室で雪平先生から、そういうコンクールがないか聞いてみてもいいだろう。

 

 そこまで考えて、着手していた絵の方へと視線を向ける。

 殆ど描きあげていた絵が視界に入るものの、それを完成させる気分ではなかった。

 

 

「買い物でも行って、気分転換しようかな」

 

 

 コンビニは高いし、時間はあるからスーパーの方がいいか。

 いや、正月価格で値段が上がってるし、どこも一緒かもしれない。

 

 そんなことを考えつつリビングに顔を出すと、お母さんが忙しそうにお正月の準備をしていた。

 

 

「お母さーん。今から買い物に行こうと思うんだけど、何か買って来た方がいいものとかある?」

 

「あら、買ってきてくれるの? なら、金時人参をお願いしてもいい?」

 

「えっ。それはちょっと、前向きに検討しますので他のとかは……?」

 

「絵名ったらそんな言葉を使って……いつの間に将来の夢を政治家に転向したの?」

 

「転向なんてしてないからっ」

 

 

 人参がとても嫌なだけで、私の心はいつも画家を目指している、人参嫌いの絵描きである。

 政治家なんて難しそうなことを人前で話す仕事をする予定はない。

 

 

「ねぇ、お母さん。おせちに金時人参はいらないんじゃないかなーって思うんだけど。ほら、アレって関西で食べられることが多いんでしょ?」

 

「ウチでは毎年、お正月には金時人参のきんぴらを出してるのよ。諦めて買ってきてちょうだい」

 

 

 去年の正月の記憶なんて当然のようにないので、慣例とかそう言われると弱かった。

 せめてもの抵抗に、買い忘れとかしたらダメだろうか。

 

 

「買い忘れても、お母さんが後でちゃんと買ってくるからね?」

 

「えぇー……はぁ、いってきまーす」

 

「いってらっしゃい、お願いね」

 

 

 私の小癪な思考回路なんてお見通しのようで、先手を打たれる。

 ここは白旗を振るしかない。

 諦めてお母さんに背を向けた私は、自ら敵のような存在を買いにスーパーへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 スーパーで渋々金時人参と他にも欲しいものを購入した。

 

 憎たらしいぐらい艶が良く、美しい紅色をしている人参である。

 こいつも私直々に選別されて、お母さんにきんぴらへと改造されるのは本望だろう。

 

 ……私は嫌だけど。すっっごく嫌なんだけど!!

 

 

「ただいまー」

 

「……なんだ、絵名かよ」

 

「何よ、私じゃ悪いわけ?」

 

「別に。お前が今日、外に出てるとは思ってなかっただけだ」

 

 

 玄関の扉を開くと、丁度靴を脱いで並べていたらしい彰人と会った。

 

 靴箱に入れていないところを見るに、また外を出ていく予定なのだろう。

 どうやらタイミング悪く、家に寄った彰人と鉢合わせしたようである。

 

 最近は更に頑張って練習しているみたいだし、今日も弟はビビッドストリートに行っていたようだ。

 あの辺りは路上でのライブパフォーマンスとかもあるので、彰人も一端にそういうことをしているのかもしれない。

 

 ビビッドストリートの中に入ったことはないものの、名前通りストリート系って言葉が似合いそうな場所なので、絵の題材としては魅力的だ。

 私も夏休みの間は遠くからその絵を描いていて、楽しい題材だったと記憶している。

 

 今度はちゃんと、隅々までスケッチしても面白いかもしれない。

 

 

「この後、すぐに出て行くの?」

 

 

 私の方はもう出て行くつもりはないぞと伝えるように、靴箱に靴を入れる。

 

 

「ああ。あの夜を超えてやるって、決めたからな」

 

「ふーん、そっか」

 

 

 余程その『夜』とやらが凄かったらしく、彰人の練習への情熱は高まったままだ。

 彼のことだから、無茶をしても体調不良で倒れることはないだろう。その辺は私よりもしっかりしているし。

 

 それに、私自身ものめり込んでいるものがあるので、弟が年末年始なんて考えずに夢中になる気持ちもわからなくもなかった。

 

 

「ん」

 

 

 どうせこの後も忙しなく動き回るのだろう。

 私は買ってきたホールのチーズケーキと金時人参を袋から取り出し、残っている品物を袋ごと押し付けた。

 

 

「いや、んって何だよ……」

 

「あげる。じゃ、私はお母さんに渡さなきゃいけないものがあるから」

 

 

 彰人に渡したのは深夜に食べてやろうと目論んでいたチーズケーキタルトと水、後は愛莉も最近愛用しているらしいのど飴だ。

 のど飴の方はどこまで有効なのか知らないが、評判もいいらしいし、愛莉も絶賛の品である。悪くはないだろう。

 

 

「あっ、おい、絵名!」

 

「何よ」

 

「その……気を遣わせちまったみたいで悪い」

 

「……別に、遣ってないから。偶然よ、偶然。あんたがそこにいたから、荷物を押し付けただけだし」

 

 

 タルトと水は元々私の夜食用だし、彰人と会ったのだって偶然だ。気を遣ったなんて思われても困る*1

 

 いつまでもチーズケーキと金時人参を持って玄関でたむろするのも嫌だったので、さっさと玄関から離脱した。

 

 

 

 リビングに戻れば、またお母さんが台所の前で忙しそうにしている姿と、おせち用の料理を机の上に広げている光景が目に入る。

 

 忙しなく動く姿を見ていると、このまま人参を持って帰って野菜スタンプに加工するのが私の為になるかもしれない。

 そんな悪魔が私に囁きかけて、部屋に戻ろうとした瞬間。

 

 

「絵名、おかえりなさい。それ、渡してくれる?」

 

「……はい」

 

 

 さっきまで忙しそうに動いていたのに、いつの間にか私の近くにいたお母さんが掌を見せてきた。

 抵抗なんて無駄らしい。私は諦めて金時人参を差し出す。

 

 今年の年明けも人参とあけましての挨拶をするのか。

 今年もよろしくお願いしたくないので、本当にどこかに行って欲しいものである。

 

 

「あ、お母さん。落ち着いたら残りのチーズケーキ、お父さんと分けて食べてね」

 

「あら、いいの?」

 

「残ってるのは半ホールだけどね」

 

 

 お母さんとお父さんは4分の1、私は欲張りに2分の1食べるので、彰人とかがいたら『太るぞ』とか生意気なことを言われる取り分だけど。

 

 

「ありがとう、後でお父さんと食べるわね」

 

「じゃ、私は部屋に戻るから」

 

 

 半ホールのチーズケーキとフォークを手に、自室に退散した。

 彰人も頑張っているし、私も頑張ろうと決意して、まずはケーキを平らげる。

 

 

 その頃にはもう、画像を見た時の不快な気持ちはすっかり忘れていた。

 

 

*1
ただしのど飴は別。




公式様の彰人君とえななんの絡み、いいですよねー。
姉弟だなーって感じがしますし、見てて微笑ましくなるんですよね。

記憶喪失えななんは『家族にできればあまり迷惑をかけたくない』って思ってるので、彰人君をコンビニに走らせたり、爪で引っ掻いたりはしないんですけど。
(但し『○時に部屋に呼びに来てー』とか、彰人君をアラーム代わりにするのは喪失してもしなくてもそこまで変わらないものとする)


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13枚目 知りたいよ

 

 年越し後、雪平先生の絵画教室が再開された最初の日。

 心機一転の気分で絵を描いて、雪平先生の評価を待つ……のだが。

 

 

「……ふむ」

 

「先生?」

 

 

 まるで世界滅亡の危機を前にして『あなた自身が自分がどうにかしなきゃいけません!』とでも言われた人のように、険しい顔をしている先生。

 

 ……いや、その例えだと私の絵は世界滅亡レベルで酷いと?

 自分で例えたことだけど、それは嫌過ぎるので『物凄く険しい顔』に修正しよう。

 

 とにかく、雪平先生は見たことない顔で私の絵を見ているのである。

 それがとても恐ろしく感じて、私は震える手を握り締めた。

 

 

「東雲さん」

 

「は、はい」

 

 

 いつものように雑巾を絞るような評価もなく、雪平先生は絵から視線を外して口を開く。

 記憶を無くしてから1度も見たことのない険しい顔から、私の名前を呼ぶという行動。

 

 次の言葉が予想がつかない。一体、何を言うつもりなんだろう……?

 

 

「後で話したいことがあります。講評後、時間を作って貰えますか?」

 

「……わかりました、よろしくお願いします」

 

 

 どんな言葉が飛び出てくるのか身構えていたのに、雪平先生から出てきた言葉は想像していたものとは全く違っていた。

 頭の中が困惑で支配されたものの、左脳が仕事をしてくれたおかげで何とか言葉を理解する。

 

 この後に何が待っているのか恐ろしく思いつつも、私はおとなしくその時を待った。

 

 気分はギロチンを落とされるのを待つ罪人だ。

 私は法に裁かれるような罪を犯してはいないものの、雪平先生が時間を取ってまでやろうとする講評に、押さえ込んでいた震えが主張してきた。

 

 

「お待たせしました。それでは話しても?」

 

「ょ、よろしくお願いします」

 

「そこまで怖がらなくても良いのですが」

 

 

 雪平先生は苦笑しているが、こっちはほぼ毎日先生の酷評に晒されている身である。

 理性に言い聞かせても体が反応するのは仕方がないと、納得してもらいたい。

 

 

「東雲さん、何かありましたか?」

 

「何か、ですか?」

 

 

 抽象的な質問に首を傾げると、雪平先生は私の絵を一瞥する。

 

 個別で話すぐらい酷い絵を描いてしまっていたのだろうか。

 何度見てもそこまで酷い理由がわからなくて先生の方へと視線を向けると、顎に手を当てる先生の姿が見えた。

 

 

「東雲さんの絵は春頃からガラリと変わりました」

 

「うっ」

 

 

 それはそうだ。記憶を無くして、最早別人だと言ってもいいほど経験や体験が違う。

 似ている所はあるかもしれないが、私と絵名の絵が全く同じの筈がない。

 

 

「その頃ぐらいから、東雲さんの絵には何かに脅迫されているような、焦燥感と気迫を感じていました。この絵にも、それは込められているように感じます」

 

「それがダメだと?」

 

「ダメなら春の時点で止めていますよ。ただ……今日の絵にはそこに『迷い』が出ているように見える。それがどうしても気になったのです」

 

「迷い」

 

 

 だから『何かありましたか?』なのか。

 やっと理解できた私は雪平先生の言葉を咀嚼していく。

 

 どう考えなくても、私はあの年末を引き摺っていると確信していた。

 

 

「先生に描いた絵のこと以外で相談するのはどうかと思うのですが」

 

「東雲さんのことですから、それも絵に関する悩みなのでしょう? ならば、ある程度は力になれるかもしれません」

 

 

 家の人(お父さん)に話すのも、知人に相談するのも気が引けるし、折角雪平先生が気にかけてくれているのだから、それを無下にするのも悪い。

 

 私自身もまだ気持ちの整理ができていないものの、先生の好意に甘えて話してしまうことにした。

 

 

「ありがたいことに、年末に届いたコンクールの結果が2つ分、全部受賞させてもらいまして」

 

「それは、おめでとうございます」

 

「ありがとうございます。受賞したという結果はとても嬉しかったのですが……その後、知り合いの話からサイトの記事に私のことが書かれていることを知りまして。既に消されていた記事の内容を画像で読んでから、自分の中にあった違和感がとても大きくなったように感じるんです」

 

「……ふむ。残しているのであれば、その記事というものを見せて貰っても?」

 

 

 記事を見せること自体は問題なかったので、愛莉に送ってもらった画像を雪平先生に見せる。

 先生は黙って内容に目を通して、やがて目を細めてスマホを返してきた。

 

 

「天才画家・東雲慎英の娘、天才の遺伝ですか……個人が特定できる上に、無許可ならば削除されても不思議ではない内容ですね」

 

「父の娘とか遺伝とかも確かにムッと来たんですけど……何よりも天才だって認識されてるのに、違和感があるんです」

 

 

 確かに、私はスケッチブックから才能を貰ったはずなのだ。

 東雲絵名(記憶)を犠牲にして、才能を手に入れたのならば、それが他人には『天才』のように見えてもおかしくない。

 

 そのはずなのに、そう言い聞かせているのに……何故か私の中で違和感が拭えなくて。

 考えれば考える程、お父さんの言葉が山彦のように頭に響くのだ。

 

 

「違和感、ですか」

 

 

 雪平先生は再び顎に手を当てるものの、答えをくれることはなかった。

 

 それどころか数十秒黙ってから「そこで待ってください」と言ってから教室の奥へと消えてしまう。

 扉を開くのを見るに、準備室みたいなところに行ったのだと思う。

 

 ポツン、と1人置いて行かれる私。

 既に生徒は皆帰っていたせいか、いつもは何も感じない部屋が嫌に広く感じた。

 

 

「お待たせしました。コレを見つけるのに時間がかかってしまいまして」

 

 

 それから数分待つと、雪平先生が部屋の奥から戻ってきた。

 手には何かのパンフレットが握られていて、ソレをこちらに差し出される。

 

 差し出されたパンフレットを素直に受け取り、私はそこに書かれている文字を読み上げた。

 

 

「『ミライノアートコンクール』……?」

 

「プロの画家も参加するコンクールです。これならば、東雲さんの違和感の答えが見つかるかもしれません。それ相応の覚悟も必要になりますが」

 

「覚悟、というのは?」

 

「あなたはまだ中学生でしょう。その年で大人の、しかもプロと呼ばれる先達を相手に腕1本で挑むのです。その壁の高さに折れてもおかしくはありません」

 

 

 壁の高さに絵を描けなくなるかもしれない。

 自分の力不足に筆を折ってしまうかもしれない。

 

 

「それでも。今の東雲さんには必要なのだと思いました」

 

 

 雪平先生も私と同じ結論に至ったらしく、このパンフレットを見せてくれたようだ。

 きっと先生の方が私のこの内心の思いに言葉をつけられるのかもしれない。

 

 しかし、それは私が見つけなければ意味がないのだろう。

 先生は私のコレに名前をつけてくれることなく、見つけてこいと言わんばかりにパンフレットを渡してきた。

 

 なら、私がやることは1つしかない。

 

 

「先生。私、このコンクールに出そうと思います。だからその……絵の相談とかしてもいいですか?」

 

「いくらでも来てください。そして、あなたの今持つ全てを賭けてぶつけたらいいと思います。ただ、本当に覚悟してください」

 

 

 雪平先生は心配そうに、告げてくる。

 

 

「たとえここで受賞をしても、しなくても。東雲さんは今持っているその違和感で苦しむことになると思います」

 

「……はい」

 

「それでも東雲さんならば、いつかは糧にできるだろうと期待してますよ」

 

 

 今日の先生は珍しい顔や行動ばかりだな、なんて。

 現実逃避するようにそんなことを考えて、私は笑みを浮かべてみた。

 

 

「大丈夫ですよ、先生。ありがとうございます」

 

 

 だって……壁が現れてくれるなら、そっちの方が安心できるから。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 ミライノアートコンクールは毎年4月に締め切りがあり、5月に結果が発表される大きめのコンクールだ。

 

 雪平先生からもらったパンフレットも、よく見ると去年のもので、検索すれば去年の受賞者の絵も出てきて、全部家のプリンターで印刷した。

 

 

(うん、去年の審査員から変わったのは半分か。1月で今年の審査員の発表があったのだけはありがたいかな)

 

 

 2つのコンクールで練習した成果もあり、審査員の情報はすぐにまとめることができた。

 

 今回の審査員の情報、今までの絵が選ばれた傾向。

 雪平先生が『今持つ全てをぶつけなさい』と言ったので、前回試験的に使って、反省して改良した手も使わせてもらう。

 

 今の私の技術や表現では受賞者の絵には敵わないのは認めなければならない事実。

 なら、そこに届けるだけの下駄に何を履く? それが前回使った小細工。

 

 売り込みのターゲットは審査員。

 私の今までの技術と表現で絵を描き上げ、審査員の好みを私らしさでラッピング。

 構図などのズレを雪平先生と調整して、1つの絵を錬成していくのだ。

 

 

「……」

 

 

 過去に受賞された絵を見る。

 自分との差を理解する。その差を小細工で埋めていく。絵に自分を飾って、紙に表現を出力して、描いてしまう。

 

 いつもなら絵を描けば描くほど、無心になっていた。

 それなのに今回は無心にもなれず、思い浮かぶのはお父さんの言葉でもなく、あの気持ち悪い画像。

 

 

 天才画家のお父さんの遺伝?

 

 

 才能(コレ)は遺伝なんかじゃない。

 

 お父さんの偉大さで、絵名の上に立っている私を否定しないでほしい。

 スケッチブックのせいで、私のせいで、あの子は戻ってこないかもしれないのだ。そこにお父さんは関係ない。

 

 だからこそ、私は才能を証明しなきゃいけないのだ。

 記憶を犠牲に才能を手に入れたのだから──本当に?

 

 

「……ちょっと、休憩しよう」

 

 

 練習に描いていた絵はドロドロの闇で渦巻いていた。

 

 絵を描くのは楽しいのは変わらないけれど、表現されてるものがよろしくない。

 このまま絵を描いていても、不協和音を生み出してしまうのは明白だ。

 

 気持ちを切り替える為に自分の絵から目を離し、代わりに好きな画集の絵を眺めることにする。

 何をするにしても絵を考えている自分に苦笑しつつ、ふと、湧き出てきた言葉が口から漏れていた。

 

 

「ねぇ、絵の才能って何だろうね?」

 

 

 絵名が買っていた、私も好きな画集は『天才』と呼ばれる人が描いていて、私もその人の才能を絵から感じている。

 

 でも、それと私は同じなのだろうか?

 生まれ持ってないから違和感があるだけなのだろうか?

 

 

 もう答えなんて、わかってるくせに。

 

 

「知りたいよ、絵名」

 

 

 画集を優しく撫でても、私の言葉に答えてくれる誰かは存在しなかった。

 

 





最初は『ニーゴのストーリーが辛いから、ご都合主義的な素敵な力でイイ感じに解決してハッピーエンドにしたーい!』って発想から始まったはずなのに。

ご都合主義に理由を付けて、ニーゴ風味に調整して、ストーリー見直して、物語として山と谷を作っていくうちに、記憶を無くしちゃったえななんが更に苦しんでいるような……???

いや、ハッピーエンドにしたいって気持ちは嘘じゃないんですよ、本当なんです。


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14枚目 去年の春、今年の春

 

 

 ──今日は何故か、いつも起きている時間よりも1時間早く目が覚めた。

 

 

 

 喉が痛いぐらいに渇き、寝汗が酷いのが原因だろうか。

 ペットボトルの水を飲み、タオルで汗を拭ってから再びベッドの中へ。

 

 いつもより睡眠時間が短くなってしまうからもう1度寝ようと思っているのに、目がパッチリと覚めてしまって眠れない。

 

 15分ぐらい粘ってみたものの、夢の世界に旅立てなかった私は寝るのを諦め、朝ご飯を食べに向かう。

 今日は珍しいじゃない、なんて言われるのかなと思っていたのに、誰にも何も言われなかった。

 

 それどころかお母さんは心配してくるし、彰人は一緒に登校するとか言い出したのだ。

 早起きしてしまうことといい、家族の様子といい、とにかく変な朝だなー、としかこの時は思っていなかったんだけど。

 

 

 ──そう、私は外に出て現場を通り過ぎるまで、今日が事故に遭った日だってことを忘れていたのだ。

 

 

 だから珍しく早くに目が覚めて、朝活をしている時以外はギリギリの登校を繰り返していた私の朝が早くなったのか。

 他人事のように自分の不調を分析して……やっと、お母さんや彰人の優しさの理由に気が付くことができた。

 

 

「彰人……ありがとね」

 

「おう」

 

 

 後でお母さんにも声をかけよう。

 そう決めつつ、彰人にお礼を言ってから教室の前で別れた。

 

 いつものように教室に入り、いつもの席に行こうとして、疑問が浮かぶ。

 席には喋ったことのないクラスメイトが静かに勉強をしていて、来月から受験生だな、と呑気なことを考えている間に思い出す。

 

 

(あっぶな……そういえば先週、最後の席替えで廊下側のまぁまぁいい席をゲットしてたっけ)

 

 

 週末の最期のホームルームで席替えをしていたので、危うく前の席に向かいかけた体を新しい席へと誘導する。

 早めの時間なので、まだ教室に人がいないのが唯一の救いかもしれない。

 

 私の前の席は愛莉だし、間違えることはないだろう。

 なんて油断から、席替えの記憶を頭から抹消していたことに後悔しつつ、鞄を机の横に掛ける。

 

 珍しく私の方が早く来てしまったから、愛莉もいないし暇だ。

 こういう時は絵でも描こうか。どうせなら、まだ登校してこない愛莉を描くのもいいかもしれない。

 

 

「おはよう、絵名。今日は早いのね」

 

 

 そうこう考えている間に、愛莉が教室に入ってくる。

 その目は案の定、珍しいものを見るように丸められていた。

 

 

「おはよ。今日は早めに目が覚めちゃってね」

 

「へぇ、絵を描く以外の理由で早いなんて珍しい。絵名っていつも、ギリギリで滑り込んでいるのに」

 

「いや、3分前行動なだけでギリギリじゃないし」

 

 

 間に合っているのだから問題はないだろうと、前に座る愛莉に開き直りたい。

 しかし、珍しい行動というのは事実なので、それだけは素直に認めておこう。

 

 

「1年もあれば早く来る日もあるってことで」

 

「それが続くといいけどね……あ、ごめんなさい。少しSNSをチェックしてもいいかしら?」

 

「別にいいけど」

 

「ありがとう、朝は何時も確認してるのよね」

 

 

 愛莉はスマホを取り出して、画面に指を滑らせる。

 別に学校に持ってきてはいけないと言われていないものの、先生に見つかったら面倒なものの代表が『スマホ』だ。

 先生に触っているところを見つかると高確率で取り上げられるか、指導対象になる代物。

 

 負の側面ばかり見てしまう私は、よくもまぁ堂々と触れるなと、愛莉の胆力に感心してしまった。

 

 それが顔に出ていたのか、愛莉はスマホから少し視線を上に向けて苦笑する。

 

 

「絵名は知らないだろうけど、先生はいつも予鈴の5分前に来るから大丈夫なのよ」

 

「ねぇ、それって遠回しに『来るのが遅い』って言ってない?」

 

「親友としては、今日みたいに毎日早く来てくれたら嬉しいのにとは思ってるわよ」

 

「……もう。遅刻はしてないんだからいいじゃない」

 

 

 愛莉もお母さんのように心配し過ぎなのだ。

 遅刻したところで死ぬわけではないのだから、そう深刻に考える必要はないと思うのは私だけなのだろうか。

 

 うんうんと私が悩んでいるというのに、目の前の親友様は朝の日課(スマホ)に夢中だ。

 考えるのも馬鹿らしくなって、私も絵を描こうと鉛筆を握る。

 ほんの少しの話声と風の音。被写体はちょうど目の前にいる親友にしようと観察していると、彼女は「あ……」と声を漏らした。

 

 

「どうしたの?」

 

「知り合いの子が炎上しててね……それで声、出しちゃったみたい」

 

 

 ごめんなさい、と眉をハの字に下げつつも、愛莉の目はスマホに向けられている。

 

 

「へぇ、朝から燃やされるなんて災難ね」

 

「実は朝じゃなくて、昨日の夜からなのよね……まだ収束できてないのかって、余計に驚いちゃったの」

 

「炎上って、アイドルも大変ねー」

 

 

 SNSの炎上は当事者の軽率な行動や発言だけでなく、第三者による投稿でも炎上する危険があるらしい。

 そこからインフルエンサーに見つかったら最後、ねずみ講のように広がって瞬く間に燃え広がるんだとか。

 

 

「絵名も他人事じゃないわよ。将来、絵を投稿したりするでしょうし」

 

「しないとは言い切れないけど。フォロワーなんてそう簡単に増えるものじゃないし、炎上なんて縁遠いから」

 

 

 そもそも、流行を追うだけならば投稿はしなくても十分なのである。今のところ困ったことはない。

 

 

「甘いわねぇ。それに、絵名って素材がいいから顔出ししたらすぐに人気になるわよ」

 

「お世辞でも、アイドルにそう言われるのは光栄だけどさ……」

 

 

 テレビに出ている子にそこまで言われるのは流石にリップサービスが過ぎる気がして怪しい。

 本気にとらえていない私の態度が良くなかったのか、愛莉は椅子ごとこちらに体を向けて、険しい顔を作った。

 

 

「イマイチ実感がないようね」

 

「まぁ……馬鹿なことをしなければ他人事だし」

 

「甘い、甘いわ! 明日は我が身と思わなければいけないのがこのネット社会なのよ!」

 

 

 さっきまで他の子の炎上を心配していた様子はどこに行ってしまったのか。

 スマホを鞄に入れた愛莉の目がギラリと輝いた。

 

 

「だから今日の朝は特別に、たっぷりと炎上の恐怖を叩き込んであげるわ!」

 

「え、遠慮したいんだけど」

 

「……わたしの復習にもなるし、付き合ってちょうだい」

 

 

 ちらりと鞄に向けられる愛莉の視線。

 元気なように見せかけて、かなり堪えているのかもしれない。

 スケッチブックはそのままに、鉛筆をクルリと半回転させて削られてない方を紙に向ける。

 

 

「聞くかどうかは、愛莉の話が面白いかどうかで決めよっかな」

 

「そこはちゃんと聞きなさいよ」

 

 

 じっとりと湿度の籠った視線を横にずらしてやり過ごせば、諦めてくれた愛莉が口を開く。

 アイドル視点からの炎上講座は新鮮で、思わずルーズリーフを1枚丸々使う程度には面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、姉貴はまだいますか?」

 

 

 放課後、真っ直ぐ絵画教室に行こうとしたら、外面の良い彰人が現れた。

 爽やかな笑顔に丁寧な口調。完璧な猫を被り、武装は完璧のようだ。

 なんだか嫌な予感がしたので後ろの扉から抜け出そうとしたら、愛莉に右手を掴まれてしまった。

 

 

「彰人君、お疲れ様。絵名ならここにいるわよ」

 

「桃井さんもお疲れ様です。今日は母さんから一緒に帰るように言われているんで、迎えに来たんですよ」

 

「へぇ、優しいのね。捕まえておいたから、安心して持って帰ってちょうだい」

 

「はい、勝手に帰る前に捕まえて貰ったみたいで助かりました。ほら、帰るぞ」

 

「え、あ、ちょっと……愛莉、また明日ね!」

 

「はーい、じゃあね!」

 

 

 右手を繋がれる先が愛莉から彰人へ、流れるようにバトンパスをされてしまい、逃げる暇さえ与えられない。

 慌てて振り返って愛莉に手を振り、私は手を引かれるがままに学校を出た。

 

 

「ちょっと彰人、今日はどうしたのよ。今まで1度も迎えに来たことなんてなかったのに」

 

「お前、朝のこと自覚ねぇのかよ」

 

「朝って?」

 

「起きてきた時、血の気が全くないんじゃないかって思うぐらい真っ青だったんだぞ。それなのに平然と学校に行こうとするし、放っておいたら絵画教室にも行ってただろ」

 

 

 まるで私の行動なんてお見通しと言わんばかりに、全部言い当てられてしまった。

 幽霊みたいな白い顔も化粧で誤魔化したし、彰人がいなければそのまま絵画教室に行っていただろう。

 

 

「彰人も練習あるんじゃないの? この前、悔しそうに帰って来てたの見てたし……私に構ってないで行けば?」

 

「ここで目を離したら、絵画教室直行するのは目に見えてるから却下だ。お前、事故の衝撃で絵に関しては記憶どころか、頭のネジまで抜けてるだろうが」

 

「うぐっ……」

 

 

 本当に、この弟様は私のことをよく理解してらっしゃる。

 記憶どころか、絵に関しては頭のネジも抜いちゃったというのは私も存じているところ。

 理解のある弟とお母さんは非常に厄介である。

 

 

「後、この際だから言っておくが」

 

「何よ」

 

「あんまり気にすんなよ。オレも顔に出てるのかもしれねぇけど、記憶に関してはお前は何1つ悪くないんだからな」

 

「……うん」

 

 

 きっと彰人は知らないから、そう言ってくれているのだ。

 この記憶喪失が代償によるもので、願い(わたし)がいる限り記憶(えな)は戻ってこない。

 

 それを知ったら、今の彰人の反応も変わってしまうのだろうか。

 そう思うと、繋いでいる手を離したくなるぐらい恐ろしくなった。

 

 そんな私の内心を察したのか、彰人は繋いでいない手で頭を掻き、手が離れないように握ってくる。

 

 

「ほら、オレの練習時間を気にすんならさっさと家に帰るぞ。母さんに引き渡すまで安心できねぇからな」

 

 

 最近、身長が一気に伸び出している彰人は気がつけば私の身長なんてあっさり抜いていて、繋いでいる手も大きくなっていた。

 去年病室で見た時はあんなに小さかったのに、1年という月日は彼の身長を伸ばすのには十分な期間のようだ。

 

 

「ところで彰人」

 

「なんだよ」

 

「あんた、いつまで手を繋ぐつもりなの? いくら私が大好きだったとしても、いい加減離してほしいんだけど」

 

「は!? ふざけんなっ。こっちは母さんに『捕まえてから、家まで連れ帰ってきてね』って言われてんだよ」

 

「はー? なにそれ。誰がリードをつけた犬ですって?」

 

「誰も言ってねぇ。そもそも小動物を恐れる必要もねぇよ」

 

「否定するのか肯定するのか、どっちかにしなさいよ」

 

「そう言われてもな……絵名はどちらかというと猫だろ」

 

「ここで第3の選択肢を持ってくんな、バカ」

 

 

 わいわいと帰る2月の帰り道は去年の春に比べると、精神的にとても温かかった。

 

 

 

 

 

 

 去年の3月の春は、冷たい病室で目を覚まして。

 何もかも無くして、怖くて、寒くないはずなのに冷たく感じる春だった。

 

 

 だが、今年は2月からすでに家族の温かさを感じている。

 家族も周りの人も温かくて、ただ、私が私自身を受け入れきれてないだけ。

 これからもっと温かいなって思う日が増えるのかなと想像すると、何か良いなって笑顔になる。

 

 

 

 ……そんな、ぬるま湯に浸かる私に罰が下ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 中学3年、5月の春──東雲絵名は炎上した。

 

 

 

 





記憶になくとも体が覚えているトラウマの香り。

さて、皆様の心の準備はできたと信じて。
今まで休暇を取っていた警告タグが働く時がきましたが、このまま突き進みます。

……それでは、次回もよろしくお願いします。


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15枚目 5月の春が暑過ぎて


今回、後半からアンチ・ヘイトタグをつけた理由である不快な表現があります。
モモジャンのイベスト辺りを思い出してると、心構えとしてはいいかもしれません。


 

 

 義務教育ということもあって、何の問題もなく中学3年生となった。

 その上、先生のご慈悲によって今年も愛莉とは同じクラスである。

 

 愛莉はアイドル活動で抜けがちになっているものの、先生からすれば爆発物のような私のほぼ唯一の交友関係。

 まとめておけ~と思うのも無理はないだろうが、「桃井さんと今年も同じクラスだからね」と声をかけるのはやり過ぎだと思う。

 

 つい最近は顔色が無くなったり、体育では見学することもあったりと、私が他生徒と比べると厄介事の種なのは重々承知している。

 

 だけど、人は贔屓には敏感なので露骨なのはやめてほしいのが正直な感想だった。

 今のところは害がなくても、何かあった時が怖いのである。

 

 

 ──と、学校ではそんなことがあったものの、学校外の生活はほとんど変わらない。

 

 中学3年生になっても雪平先生は相変わらず厳しいし、痛い言葉ばかり。

 春休み中なんてコンクール用の絵の相談をしたら、「下書きの時点で魅力がない」と一刀両断してきた。

 

 ……流石にこの時は反論して、キレてもいいんじゃないかと真剣に検討したぐらいだ。

 

 言っていいことと悪いことがあるわよ!? と怒りながら描き直したけど、あれは絶対に殴っても許された。

 我が子を馬鹿にしたのである。判決で私刑だ、私が許す。

 

 いつも通りに雪平先生に凹まされ、叫びそうになって、歯を食いしばって作品を完成させて。

 4月に余裕を持ってポストイン。後はゴールデンウィークを愛莉と楽しんで結果待ちである。

 

 

 

 

 ──そうして忙しくなってきた愛莉と遊ぶこと以外、いつもの休日と同じだったゴールデンウィークから数日が過ぎた。

 そわそわする気持ちのまま、今日も学校から家に帰る。

 

 上擦りそうな声をチューニングして、澄まし顔を作った私はリビングの扉を開いた。

 

 

「ただいまー」

 

「お帰りなさい。絵名宛にお待ちかねの封筒が来てたわよ」

 

 

 私の努力も虚しく、お母さんには見破られていたらしい。

 ニヤニヤと笑いながら封筒を手渡され、私は何とも言えずに口をもごもごと動かした。

 

 

「あぁ、それと。封筒の中はお母さんと一緒に見ましょうねー」

 

「えぇ……それはまたどうして?」

 

「結果が悪かったら、あなたが何をするかわからないからよ」

 

 

 にっこりと微笑むお母さんに対し、私の顔は引きつっていく。

 コンクールの結果次第では部屋に籠城し、飲まず食わずで衰弱死するまで絵を描き続けそうだと、本気で疑われているらしい。

 

 お母さんといい彰人といい、私をなんだと思っているのか。

 私なんて東雲絵名(じぶん)の為に画家になろうとしている、その辺にいる記憶喪失の女子だ。

 

 え? 記憶喪失はその辺にいないし、普通じゃないって? そんな馬鹿な。

 画家になる為なら周囲を追い抜かすために正攻法(ルール違反じゃない)なら何でもする。それは当然のことだと私は思うのだけど。

 

 

「不満そうな顔をしてるけど、あなたの場合は度が過ぎてるの。ちゃんと自覚した方が良いよ」

 

「うぅ……」

 

 

 そう思っていたのは私だけらしく、お母さんは頼み込んでも部屋には戻してくれそうにない。

 ここで問答を繰り広げてもしょうがないし、どこで見ようが結果は同じだ。覚悟を決めて開いてしまおう。

 

 抵抗を諦めた私はお母さんから鋏を受け取り、封を切る。

 ゆっくりと中の紙を取り出せば、私よりも緊張しているらしいお母さんの息を飲む音が聞こえた。

 

 

「絵名、大丈夫?」

 

「あはは……うん。お母さんのお陰で私は平気かな」

 

 

 隣に緊張している人がいると1周回って冷静になるもので、私は苦笑しつつも中身を読んだ。

 

 東雲絵名様から始まるのはどこも同じ。

 次の行では長々と頭の文章が続き、【さて、貴殿に置かれましてはこの度、ミライノアートコンクールにて栄えある《審査員賞》の受賞を──】と書かれている文章が目に入る。

 

 審査員賞の受賞。

 受賞!?

 

 

「頬っぺた摘まむ?」

 

「いや、夢じゃないのはわかってるから。その気遣いはいらないからね、お母さん」

 

 

 今年のミライノアートコンクールは4ケタの作品の応募があり、そのうち受賞できるのは大賞で1人、優秀賞で2人、審査員賞で3人の計6人だ。

 その6人の内に私が入っていると。

 

 

 ──あーあ、中途半端に言い訳できる結果なんか残しちゃってさ。

 

 

「おめでとう、絵名」

 

「ありがとう」

 

 

 お母さんが笑って祝ってくれている。

 頭の中に響く声を無視して、私も笑い返す。

 

 審査員賞ということは、ある意味狙い通り審査員の人達に気に入られたのであろうか。

 他の受賞者の絵を見るのが怖くて、スマホを取り出しやすい鞄の外ポケットからチャックのついた内ポケットへと入れてしまう。

 

 

「大きなコンクールでこんな賞を取るなんて、すごいわね。お父さんにも見せる?」

 

「あー……いいや。私、部屋に戻るね」

 

 

 その後の言葉を聞きたくなくて、お母さんの返事を待たずに部屋へと戻る。

 

 お父さんに絵を見てもらう?

 ……そんなの、いいのだろうか。

 

 あの人、私が記憶を無くしてから1度も部屋に来て私の絵を見たことがないのに。

 記録によればたまーにだけど、絵を見に来ることがあるって残ってたのに、この1年、あの人が私の部屋に訪れたことは1度もない。

 

 それどころか私から話しかけなければ、あの人と話すことなんてないし、話しかけられないのだ。

 中学生の娘と父親の距離なんてそんなものだと言われたら、何とも言い返せないのだけれど。

 

 それでも……私を意図的に避けているようにも見える相手に絵を見せてもいいのか、私には判断がつかなかった。

 

 そんな悩みが頭の中でぐるぐる回っていても、絵を描き始めたら頭がスッキリして『楽しい』って感情に支配される。

 

 

(絵に依存してるなぁ……困らないし、別にいいんだけど)

 

 

 まるでなにか良くないモノに依存するかのように、絵を描いている時だけは絵の事だけに集中できるから。

 今日も私は、絵を描いて1日を過ごすのだ。

 

 

 ──スマホを全く、確認することなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 

「絵名!」

 

「わっ。おはよう、愛莉。そんなに声を出してどうしたの?」

 

 

 メールの文面を考えるために今日は早く学校に来たのだが、それを狙ったように愛莉も顔色を変えて教室に入ってきた。

 ちょうどメールの返信も終わって落ち着いた私に対して、愛莉は慌てて登校してきたのか、うっすらと顔が赤くなっている。

 

 息も荒くて辛そうだ。まだ開けていないペットボトルを水を手渡すと、愛莉は仰ぐようにソレを飲み込んでいく。

 

 半分ぐらい口の中に消してから、愛莉の口から「ありがとう」と別の言葉が飛び出した。

 

 

「って違うの! 絵名、ピクシェアは見た!?」

 

「ううん。そもそも昨日は学校に帰ってから朝まで、スマホはメール以外触ってない」

 

「じゃあトレンドに絵名のことが乗っていて、炎上しているのも知らなかったのね……うわ、いらないこと言っちゃったかも」

 

 

 しまった、と苦虫を嚙み潰したような顔をする愛莉を横目に、私はスマホを取り出してピクシェアを開く。

 愛莉の言葉を疑っていたわけではないが、本当にトレンドに『東雲先生の娘』やら『東雲』という名前が入っていた。

 

 果たして何で燃えているのか。心当たりのない私は興味本位でそのトレンドをタップしてみた。

 

 

《東雲先生の娘の絵を見たけど、審査員賞の割に普通だね》

《女子中学生、父親が東雲先生ってだけで受賞ができるなんてうらやま》

《お父さんのコネとか恥ずかしくないんでちゅか~? 絵を描くのやめろよ。才能ないし》

《中学生、女子、父親の名前という属性は強いな~。審査員に忖度させるなんてなぁ》

《父親の名前でちやほやされて、勘違いした2世はやることやってんねぇ》

《あのコンクールはもっとちゃんと選んでくれると思っていたのに、有名人の娘ってだけで忖度とか残念》

《私でもあの程度の絵なら描けるよ。調子に乗って好き勝手し過ぎ》

《やっていいことと悪いこともわからないのかよ。凡人がコネで天才のフリなんて恥だろ》

 

 

 パッと目を通しただけでも、ここまで好き放題書き込まれている無法地帯。

 

 どうやらオススメ欄のコメントが火種で、そこからインフルエンサーが面白おかしく広めているようだ。

 

 火種野郎の動機は『自分は落選したのに、女子中学生が受賞とか納得できない! 俺の方が上手いもん! コネと忖度じゃないとあり得ない!』という情けない駄々っ子なもの。

 それなのに、インフルエンサーの手によって、私がお父さんのコネで受賞しましたーなんて、全く存在しない事実に早変わり。

 

 呆れて言葉が出ないとは、今の状況にふさわしい言葉だった。

 

 

「あぁ、なるほどね。これが原因でコンクール側から作成意図とか、外部に掲載用の文章を送って欲しいって連絡が来たんだ」

 

「もう対応してくれてるってこと?」

 

「うん。原因が原因だから、コンクール側が対応してくれるみたい……ただ、残念なことに既に顔写真も中学も載ってるんだけど」

 

 

 もしかして有名人の娘だから学校の先生にも贔屓にされているのかも。

 なんて妄想や呟きから、顔写真や通っていた小学校、中学までバラされているのだから、こちらとしては堪ったものではない。

 

 

 ──画家の娘の立場なんて『絵の才能』ですら補正してくれないのに、何を必死に燃やしているのやら。

 

 勝手に妄想して、勝手に流失させられて、勝手に燃えている今の状況が馬鹿らしく見えた。

 

 

「メールの内容は炎上している件の対応の為に使用するって来たし、後はお任せしようかな。こういうのって私が何か発信しても余計に酷くなるんだよね?」

 

「そうね……ここまで本人を置いてきぼりで炎上していると、燃料投下にしかならないと思うわ」

 

「じゃあ、様子見ね」

 

「とても燃やされてるとは思えないぐらい、堪えていないわね……ねぇ、本当に大丈夫なの? 普通なら自分が悪くなくてもこう、背中とか心臓が凍えちゃうぐらい、怖い気持ちとかに襲われるって子が多いのに」

 

 

 心配そうにこちらを見てくる愛莉に、私はゆっくりと首を横に振った。

 

 

「コネとか忖度とかは相手のことだから知らないけれど、評価そのものは的外れじゃないし」

 

「そんなことないでしょ!? 絵名は毎日頑張ってるのに、こんな風に顔も知らない他人から言われる上に、晒される理由なんて……!」

 

「はは、いいのいいの。ネットに顔写真はやり過ぎだとは思うけど、家族の方に迷惑がかからないのならまだ許せるし。愛莉がそうやって怒ってくれるだけで十分だから」

 

「……それ、本気でそう思ってるの?」

 

「うん、だから気にしないでよ」

 

 

 どこか釈然としないと言いたげな顔をする愛莉は、何を言っても納得してくれないだろう。

 そんな気がして、朝の私は笑って誤魔化すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そう、朝の段階では全く気にしてなかったのだ。

 

 ただ、昼。コンクール側が対応して私の審査員の好みに合うように〜という意図も載せた後の話だ。

 まだトレンドにいる東雲の文字をタップした瞬間、私の心はざわめき始めた。

 

 

《審査員の好みに合わせてたのか。そんな作戦を立てて作れるなんてすごい!》

《自分の力量を冷静に見極めて、足りない何かを埋めるなんて中々できないよ。天才の発想》

《普通なら審査員の好みを知って、それに合わせて作品を作ろうとか思わんって……》

《これは営業の天才。人に届ける才能が輝いてるわ》

《中学生とは思えない画力だし、嫉妬されるのも当然か。天才の定めだね》

《流石は東雲先生の娘さん。お父さんに似て天性の才能があるね》

 

 

(何、これ)

 

 

 情報を捏造していたアカウントは消えていて、誤った情報を広めたインフルエンサーは『天才女子中学生の成功を魔女裁判で滅茶苦茶にした』からと、謝罪文の投稿をしてもボコボコに叩かれていた。

 

 嫌だ、見たくない。

 

 朝まで好き放題書き込んでた人も、黙っていた人も皆、掌返して私を称賛している。

 

 お父さんは関係ないし、お父さんと絵の才能は関係ないでしょ!?

 

 嘘だとわかれば叩いたことも何もかも、なかったかのように態度を反転させるのか?

 

 そもそも私は天才なんかじゃない!

 

 

 ──もしも家族が記憶喪失の理由を知ったら、記憶が戻らないかもと知ってしまったら、この書き込みのようにくるりと態度を変えてしまうのだろうか?

 違うと信じたいのに、信じられなくなってしまいそうで……怖いよ。

 

 

「絵名、絵名? やっぱり無理してるんじゃ」

 

「大丈夫」

 

「でも」

 

「大丈夫だから」

 

 

 愛莉の心配を押し除けて、なんとか授業を受け切った。

 幸いなことに、時間が経つにつれて気分の悪さは薄れていき、顔色も昼に比べると良くなっていた。

 

 それでも心配してくれる愛莉に途中まで送ってもらい、今日は絵画教室を休み、まっすぐ家へと帰宅する。

 

 

 

 

 ただ、予想外だったのは──

 

 

 

 

 

「お父さん……なんでこの時間に家の前にいるの?」

 

「お前と話をする為に切り上げてきた」

 

 

 

 

 ──お父さんが家の前で待っていたことだった。

 

 

 

 




《補足:ふわっとした炎上経緯》
・コンクール落選者がえななんの絵を見る→周りの受賞者よりレベルが低いような気がするのに、受賞できてるえななんに嫉妬。何で自分が受賞できないんだ!って気持ちのまま、文句を垂れ流す。
・そんな中、東雲絵名があるサイトの削除記事より、東雲慎英先生の娘だと知った。まだまだ燃え上がる嫉妬心から『実力がなくても受賞したのは先生の娘という忖度のおかげ』やら、有る事無い事をそれらしくでっちあげ。(どうやら文才と想像力は豊かだったらしい)
・それに食いついて、許せないと憤ったインフルエンサーが『天才画家の娘が父親の力をちらつかせてコンクールを不正受賞した』というでっちあげたフェイクニュースを事実のように広めてしまう。
・えななんの絵は確かに実力や技術的に甘いところがあることと、審査員特攻のせいで人を選ぶ絵なので、余計に嘘の話の信憑性を上げてしまった。
・有る事無い事大騒ぎされた上に、叩くだけじゃなくて、嘘話を信じた正義の鉄槌マン達が快感を得る為に女子中学生の個人情報を調べ上げて晒し上げて、大放出。
・さらに多くの人が反応して大炎上。コンクール側が対応するまで大暴れ。

って感じの経緯をイメージしてます。

皆大好きインターネッツは普通にこういうこと、あり得るから恐ろしいですよね。

1番恐ろしいのは、炎上そのものには堪えてない記憶喪失えななんの精神性なんですけど。
スケッチブックはやっぱり呪いの代物。間違いないです。


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16枚目 原点へ帰れ

 

 学校から真っすぐ家に帰ったら、何故かお父さんが家の前で立っていた。

 くるりと踵を返そうとしても「絵名」と呼ばれてしまい、知らないふりをするのも失敗だ。

 

 いつも帰ってくる時間は遅い上にバラバラ。それなのに、どうして今日に限って鉢合わせしてしまうのか。

 

 ──私の事、避けていたんじゃないの?

 

 部屋に来ないどころか私から話しかけなければこの1年、相手から話しかけられることすらなかったのに……どういう風の吹き回しなのやら。

 

 言いたいことはあるけれど、真っ先に思い浮かんだ言葉を口に出す。

 

 

 

「お父さん……なんでこの時間に家の前にいるの?」

 

「お前と話をする為に切り上げてきた」

 

 

 わざわざ仕事を切り上げてまで私と話したくなったらしく、扉の前に立たれてしまっては家の中に逃げることも不可能。

 

 ……このタイミングでお父さんが来るのなら、ピクシェアの件だろう。

 あの炎上のせいで、お父さんに迷惑をかけてしまったのだろうか。

 慎英先生って名前も出ていたし、お前のせいで迷惑なんだが、とか言われるのかもしれない。

 

 諦めた私はお父さんの隣まで歩き、両手を腰に添えながら背の高い相手を見上げる。

 

 

「家に入ってからでも大丈夫?」

 

「ああ、既に鍵は開けている。お前の部屋で話そう」

 

 

 既に準備も万端だったと。

 家の扉を開いたお父さんに続いて、私も家の中へと入った。

 

 

 

 

「──それで、話って?」

 

 

 長話になりそうだと予想して、私は前もってお父さんと自分用に紅茶を入れて持ってきていた。

 

 どうして紅茶なのかと言われるとそこは完全に私の趣味だ。

 チーズケーキにもパンケーキにも合うのは紅茶だと勝手に思っているので、紅茶だけはこだわっているのである。

 

 そんなこだわりの1杯をお父さんにも差し出して、2人で向かい合うように座る。

 早速本題に切り掛かると、お父さんはおずおずと口を開いた。

 

 

「記憶を無くしてから今までの絵を見せて欲しい」

 

「絵を? 何で?」

 

「……絵は、絵描きの心を映す鏡だと思っているからだ」

 

 

 だからこそ見るのが恐ろしくて避けていた。決して、娘を嫌って部屋に行かなかったわけではない。

 

 静かでありながらハッキリと否定するお父さんに、私は思わず吹き出してしまう。

 

 なんというか……緊張するのも馬鹿らしくなってきた。

 だからお父さんに言われるがままに、私は今まで描いてきたスケッチブックをまとめて取り出した。

 

 

「どれぐらいの期間の絵から見せた方がいいかな……最近のでいい?」

 

「全部」

 

「え?」

 

「だから、全て見ると言ったんだ」

 

「わ、わかった。じゃあ、これからね」

 

 

 自分で見返した時にわかりやすいように日付を付けた上で整理して管理していたので、お父さんの要望に答えるのは簡単だった。

 

 ただ、お父さんが本気で私の1年近い記録を全部見るつもりだとは思っていなかったので、見始めた瞬間、自然と背筋が伸びてしまう。

 相手は絵名(わたし)の父親でもあるが、有名な画家である東雲先生でもあるのだ。心して聞かなければならない。

 

 

「ふむ……このメモはどのページにも貼っているのか?」

 

「あ、うん。もう少しこうした方が良かったとか、反省点とか改善点とか、思いついたら随時書き込むようにしてる」

 

「そうか」

 

 

 1冊見てからまた1冊と、気になるところがあれば声をかけつつも、お父さんはじっくりと絵を見ていた。

 

 いつもならば気にならない無言の空間が、こんなに痛く感じる日が来るなんて……思ってもみなかった。

 私はソワソワと手だけ動かして、お父さんの様子を観察する。

 

 今のこの人は画家としてなのか、父としてなのかはわからないが、難しそうな顔をしている。

 スケッチブックを見る目は見定めるように真っすぐで、一文字に結ばれている口を見ると、私の方から何か言う気持ちにもならない。

 

 今のうちに雪平先生みたいな言葉がいつ来ても良いように、心構えだけでもしようか。

 そんなことを考えていると、スケッチブックを見終えたお父さんの口が一文字から丸を描いた。

 

 

「今日の昼、ミライノアートコンクールの審査員をしている知り合いに会ってきた」

 

「審査員の人と、会ってきたんだ」

 

「あぁ。その時にお前の絵を見てから、(ようや)く……絵を見る覚悟ができた」

 

 

 それで、急に絵を見たいなんて言い出したのか。

 父親の突然の行動に納得しつつも、私は話の続きに耳を傾ける。

 

 

「あのコンクールは技術も実力も今のお前では到底敵わない場所だった。しかし、審査員に『どうしても受賞させたかった』と心を動かすような絵にしていたな」

 

「その下駄のせいで、盛大にSNSで燃えたんだけど」

 

「賛否両論であれ……画家が絵を売るという職という点では、お前の戦略もまた、間違いではなかったのだろう」

 

 

 紅茶に口を付けたお父さんはスケッチブックに視線をやってから、再び言葉を紡いだ。

 

 

「記憶を無くす前のお前の絵は『自分を見て欲しい』と訴えてくるような絵を描いていた」

 

「うん……でも、私じゃあの子みたいには描けないよ」

 

「そうだな。今のお前の絵はどちらかというと……祈り、もしくは願いが込められた絵を描いているように思う」

 

 

 雪平先生から気迫やら焦燥感、強迫観念とは言われたことがあるけれど、祈りや願いと言われたことはなかった。

 一体、私は何を祈って描いているのだろうか。願いは兎も角、祈りには心当たりがなくて、首を傾げてしまう。

 

 

「最初の頃の絵はまだ、楽しそうに描いているのに……今に近づくにつれて、お前の絵は義務感の色が濃くなってきているように感じる」

 

「義務感で絵を描いてるって言いたいの? そんなわけないじゃん」

 

「その言葉は嘘ではないだろう。だが、それは本心だと断言できるか?」

 

「っ」

 

 

 鉛筆で描いた影を消しゴムで光に変えてしまうように、お父さんは見て見ぬふりをしていた場所にスポットライトを当てる。

 

 

「記憶を無くす前の絵名は、憧れから画家になりたいと思っていたようだ。だが、今のお前はどうして画家になろうとしている?」

 

「どうしてって。私も絵が好きで、好きなことを仕事にしたいから。私は絵名(わたし)の為に画家になろうと思ってるだけよ」

 

「そこに『記憶を無くす前の自分の為』だという気持ちはないと、断言できるんだな?」

 

「それ、は……」

 

 

 言葉に詰まった時点でもう、お父さんの質問に答えているようなものだった。

 

 そうだ。私はずっと──記憶を無くす前の絵名の為にしか、動いていない。

 だって、画家になる目標も絵名が掲げていたからで、記憶の代わりに才能を与えられたから画家になるしかないって、思っているだけだ。

 

 最近ではそれすらも怪しくて、今の私に残ってる原動力は『絵を描くのが楽しい』ってことしかない。

 

 

「義務や責任が原動力となっている今のお前の絵はあまりにも脆い。それは、お前自身もわかっているだろう?」

 

「……かもね」

 

 

 わかっていても、それを自分の口から言うのは無理だ。

 

 

「俺には何がお前をそこまで駆り立てるのかはわからない。わかってやれないが、今のお前に必要な言葉はわかる」

 

 

 それを認めてしまったら私は……今までのような絵が描けなくなってしまう。

 

 なのに、お父さんは残酷なまでに優しく、それを口に出してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──絵名、お前には世間が賞賛するような絵の才能はない。お前もまた、才能がない側の人間だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで認められなかった言葉が形となって、私の中で産声を上げる。

 

 

 ……東雲絵名が記憶を無くしたのは、彼女が知らずにスケッチブックに願望を描いてしまったからだ。

 記憶を無くした結果、今の私がいるわけで。

 何も思い出せないせいで家族を悲しませて、先生を困らせて、中学や絵画教室の友人を騙すことになっている。

 

 最初に『絵の才能』があるから絵名は記憶を無くしてしまったのだと、そう思い込んだから。

 だから私は自分では薄々気が付いていても、認めることができなかった。

 

 絵画教室で先生の評価を受ける度に、わからないと頭を抱えて答えを出して、違うと言われてまた試行錯誤をすればするほど。

 周りの人がスイスイ絵を描く姿を見て、受賞者のとんでもない絵を見ても。

 

 それらに才能の差を感じて自分の才能のなさに嘆いていたとしても、認めるわけにはいかなかった。

 

 

 ──だって、記憶を消してしまうほどの願いが『才能』でなければ……東雲絵名が願った願望は何なのか、私にはわからなかったから。

 

 正直な話、願いを勘違いしていたとわかった今でも、あの子の願いが何だったのか正しく理解できていない。

 

 何も思い出せないのならせめて、あの子が願ったことぐらいは知っておきたいと思うのは間違ってはいないはずだ。

 

 今もそう考えている私は、お父さんにあのスケッチブックを手渡す。

 

 

「お父さん、これ、見てくれる?」

 

「このスケッチブックは……随分と古いな」

 

「うん。これがあの子が記憶を無くす前に最後に描いた絵で……私が画家を目指さなきゃって思った理由」

 

 

 私はこの絵を初めて見た時、絵名の願望は『才能』だと思ったけど、お父さんなら何と答えるだろうか。

 絵名のお父さんなら、有名な画家の目なら絵名の願いを見つけてくれるのではないか。

 

 そんな思惑もあって、スケッチブックをお父さんに押し付けた。

 

 

「この絵のテーマは願望なんだって。だから私は、東雲絵名が才能を望んで描いたんだって思ったんだけど……」

 

「才能、か。確かにこの絵の少女は楽しそうに絵を描いていて、周囲の小道具の絵からも才能に溢れているようにも見える」

 

「お父さんは、どう思った?」

 

「……その答えを言う資格は俺にはない。どうしても知りたいのであれば、お前自身が遠慮なく付き合える相手を見つけて、今のお前をよく知る人に見つけてもらうといい」

 

 

 そんな内心を見透かすように、お父さんはスケッチブックを押し返し、フッと短く笑う。

 

 

「ただ、1つ。わかっていることは──記憶を無くす前でも後でも、絵名は才能がないと言われたって、誰かに『欲しい』と(こいねが)うような子ではないってことぐらいか」

 

 

 ──それはお前も同じだろう?

 

 言外にそう問いかけられたような気がして、固まる私。

 そんな私を放置して、お父さんはこれ以上は話すことはないと言わんばかりに立ち上がると、そのまま部屋を出ていってしまった。

 

 

 好き勝手言って、満足したら帰るお父さんという嵐が立ち去り、私は改めてお父さんの言葉を噛み締める。

 

 

()の才能はない、か……私ってやっぱり、絵の才能がなかったのかぁ。ははは……勘違いして、勝手に義務とか責任とか背負って走り続けるよりは、これで良かったのかもね)

 

 

 悔しさ半分、安堵も半分。

 

 スケッチブックを涙から保護する為にタオルで目元を覆うことになったものの、私の心はほんの少しだけ、荷物を下ろせたように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

(……あ、でも。結局、中学1年生までの記憶を消すような絵名の願いって、なんだったんだろう?)

 

 

 

 ──才能か、記憶喪失か(talent or amnesia)

 

 結局、絵名(少女)が選んだ選択は絵の才能ではなかったらしい。

 ならば、今までの記憶を無くしてしまうぐらいの願い事とはなんだったのだろうか?

 

 

 

 その疑問に答えてくれる仲間は、まだいない。

 

 

 





プロセカ二次創作で無謀にも過去編からスタートさせて、1年経過させるのに16話も使った間抜けな作者がいるらしいですね……私ですけど。

さて、やっと記憶喪失えななんが自分の勘違いを自覚しました。
スケッチブックさんは『絵の才能をあげましたよ』とは言ってないんですよね。なので『すごく絵が上手くなる才能』みたいなものは、記憶喪失えななんにはありません。

それを記憶喪失えななんが大切だと認識している『家族』のパパなんに訂正されてやっと、勘違いを認めることができました。

これからは記憶を無くす前の絵名の本当の願いは何なのか?
そういうのも含めて、記憶も才能もなかった記憶喪失えななんのヒントを探す為の物語が始まります。(まだ中学編が続きますけど)


Q……パパなん、何で答えを教えてくれないの?
A……何となく絵名さんが描いた答えを予想できてるけど、パパなん本人は普通の人間です。記憶喪失えななんみたいに呪われて、ある条件なら無敵になるようなメンタルはありません。
才能がないと言った後に娘が事故に遭った後、記憶を無くした上に、絵を描くのに執着するようになったのです。娘を想う父親なら答えるのはかなり悩むと思いますし、今回の件で動くのも葛藤がありました。


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17枚目 ドクダミの花


この話からオリキャラが出て、話しています。
(この話を合わせて2話限定ですが)


 

 

(……ダメ。今日のも納得できない絵になっちゃった)

 

 

 今日も今日とて、学校に行った後に絵画教室に来ている……のだが。

 お父さんと話した後の私の絵は自分でもわかってしまうぐらい、酷いものを生み出してしまっていた。

 

 そのせいで雪平先生の言葉のナイフがキレッキレ。

 昨日は思わず枕を涙で水没させてしまったぐらい泣いた。

 

 ……3日経っても立ち直れない私が悪いんだけど。それでも凹むものは凹む。

 

 いい加減どうにかしないといけないと焦るのに、どうも解決の糸口が見つからない。

 

 愛莉の商業施設でのライブを本人には内緒でこっそりと見に行って、楽しいって感性的な何かが死んでないのは既に確認済み。

 技術も炎上した時よりも確実に向上しているのに、袋小路。

 

 私は何をしたら良いのか、どう改善したらいいのかわからない状態に陥っていた。

 

 原因はわかっている。明らかに精神的なものだ。

 ただ、どういう精神的な問題なのか。それをどう解決すればいいのか。

 その具体的な方法が思いつかなくて、八方塞がりなのである。

 

 

「東雲さん」

 

「あ、雪平先生」

 

 

 キャンバスを両手に呆然と立っている私は、雪平先生に声をかけられてやっと、自分が教室に1人、ポツンと残っていたことに気が付いた。

 

 

「コンクール後からかなり調子が悪いみたいですね。今までにあった迫力も焦燥感も、消えてしまったように見えます」

 

「やっぱり、そう見えますか」

 

 

 お父さんと話した結果、私は漸く、自分の弱さを認めることができた。

 東雲絵名は『絵の才能』を願ってはいなかった。だから私の絵の才能も記憶を無くす前の彼女と一緒だと知ることができた。

 

 才能があるなら描かなきゃいけないし、画家にならなきゃいけない。

 記憶の代わりに貰ったのなら、才能を証明しなくてはいけない。

 記憶喪失の自分がここにいてもいいと認める為にも、才能を認めさせなければいけない。

 

 その気持ちの群れが、願いの内容が違っただけであっけなく崩れてしまった。

 今まであった焦燥感も、ひたすら追いつめられる感覚も、絵の才能を貰っていないというだけで消えてしまったのである。

 

 

「この、燃え尽きてしまったような絵から抜け出すには、どうしたらいいんでしょうか」

 

 

 雪平先生だって言われても困るであろう、精神的な悩み事。

 しかし、どうやら雪平先生は心当たりがあるらしく、1つの光を見せてくれた。

 

 

「元はと言えば私があのコンクールを勧めたのが原因ですからね……良ければですが1人、会ってみませんか?」

 

「その人ならヒントとか、貰えますかね」

 

「可能性はあります。ただ、かなり、その……人を選ぶ性格だと思いますが。そういう目や感性は一流だと思っています」

 

 

 紹介すると言った割にはかなり歯切れの悪い雪平先生の言葉が少し、気になったものの。

 

 

「……お願いします。会わせてください」

 

 

 私は藁にも縋る思いでその話に飛びついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──と決めたのにも関わらず、早速後悔しながらファミレスの奥の席に座っている間抜けが私です。

 

 そんな間抜けの目の前にはおっとりしてそうな空気を放つ女性が1人座っている。

 

 

「どーもー、私が南雲でーす。昔は漫画家、今は起業家。最近は趣味と副業も兼ねて美術の講師とかもやってま~す。キミが薊先生の生徒さんの『しののんえななん』で間違いないかな~?」

 

「薊先生が雪平先生のことだと考えても『しののんえななん』は名前の原型がないんですけど。改めまして、その……東雲、絵名です。よろしくお願いします」

 

 

 相変わらず名前を言う時だけほんの少し躓きつつも、なんとか口にして。

 そもそも雪平先生の名前に薊なんかあったかなと暗記した記憶を掘り起こしていると、南雲さんはニッコリと微笑んだ。

 

 

「あー、ごめんね。私、人の名前を覚えるのがすっごく苦手で、間違えちゃってるねぇ……」

 

 

 呑気な口調に「先生の名前もやっぱり覚えられないや」と笑う胆力。

 かなり人を選ぶと雪平先生がお茶を濁していた理由が、なんとなくわかるような気がした。

 

 

「じゃあ、早速要件を片付けようか。今まで描いた絵、持ってきてくれた?」

 

「1年分のスケッチブックを持ってきてます」

 

「わ~、1年で結構描いてるねぇ。頑張ってて偉いなー……うん、大変そうだ~」

 

「お手数ですが、よろしくお願いします」

 

「はいはーい、洗っちゃうねー」

 

 

 本当に、大丈夫なのだろうか。言葉を重ねる度に不安に苛まれていく。

 雪平先生の紹介だというのに、私は懐疑的な目で南雲さんを見ていた。

 

 

 

 

「──うん、整いました~!」

 

 

 スケッチブックを渡してから十数分。

 飛ばしたりじっくり見たり、全ての絵を見たらしい南雲さんは少し曇った顔を見せて、こちらに問いかけてきた。

 

 

「あのー、君のお父さんってすごい画家さんだったはずだけど……何かされてたりする? すごく厳しいとか、人格否定とかー。何かあるなら相談に乗るよ?」

 

「え? そう言われても別に何もされてませんし、厳しいこともないですけど」

 

 

 お父さんは『才能がない』と突き放しているような言葉をかけてきても、今も絵画教室や画材のお金を出してくれているし、人格否定は言い過ぎだろう。

 教えてもらうことだって、絵に関しては放任主義みたいなものだし、南雲さんが想像するようなことはない。

 

 本当に心当たりがなくて首を傾げると、南雲さんも真似するように首を傾げる。

 

 

「そっかー。君が自分にすっごく自信がなくて、かなり自罰的に考えてるみたいだから、ご家庭の事情なのかと思ったんだよねー」

 

「絵を見ただけでそんなにわかるんですか?」

 

「字を見て性格がわかる人だっているんだから、絵を見て性格がわかる人だっているよ」

 

「そう、ですか」

 

 

 ということは、私の自分勝手な悩みが絵に出て家族が疑われてしまったのか。

 あの人達は悪くないし、私が絵名を取り上げた張本人なのに、他人に勘違いされる要素を作ってしまうのはかなり申し訳なかった。

 

 

「ほら、また自分のせいで~とか考えてるでしょ。眉間の皺を伸ばそうねー」

 

 

 こちらに手を伸ばし、うりうりと眉間の皺を伸ばしてきた南雲さんは、タレ目をほんの少し吊り上げた。

 

 

「さてと、君が今、絵に対して悩んでいる原因は大体わかったよ」

 

「本当ですか!?」

 

「もちろん。今までの君は強迫観念的使命感っていうのかな? そんな気持ちをエンジンに頑張っていたんだけど、今は枯渇してるみたいなんだよね。今の君の絵は自信のなさと自罰的な思考が隠しきれなくて、絵として出てきちゃってるってワケ」

 

「それで、あんな死んでるような絵になるんですか」

 

 

 自分に自信がないから表現できず、イマイチ魅力のない絵になっていたのか。

 それがわかっても、この解決はまた難しい。

 

 強迫観念も自信のなさも、記憶がないこととスケッチブックの件という共通点があり、更にはどうしようもない理由なのだ。

 原因が分かったところで記憶が戻ってくるわけでもあるまいし、どうすればいいのかわからない。

 

 

「ドクダミちゃん、諦めるのはまだ早いよ」

 

「東雲です」

 

「こういう時は自信をつける為に行動あるのみだよ」

 

「……そこは無視なんですね」

 

 

 ドクダミってお茶の名前でも聞いたことがあるが、雑草としても有名じゃなかっただろうか。

 もしかして私、雑草女って言われてる? それぐらい野太くあれってこと?

 

 ……いや、あまり言葉を交わしていないが、たぶん南雲さんはそういう意味で言ってるわけじゃなさそうだ。気にし過ぎだろう。

 愛莉みたいにポジティブに頑張って、バラエティでもガンガン食らいつくようなハングリー精神を持てと励まされていると思い込もう。

 

 

「自信をつけるには行動あるのみだし。こういうの、やってみよっかー」

 

 

 南雲さんが取り出したのは50枚以上重なっていて、山のようになっている色紙(しきし)だった。

 

 

「ここに、3枚セットで税抜100円で売ってた色紙を買い占めた山がありま~す」

 

「そうですね」

 

「で、ドクダミちゃんには今度の土日にフェニランにて、この色紙を売ってもらいます。1枚200円で!」

 

「え?」

 

「あ、もしかしてフェニラン知らない? フェニックスワンダーランドっていうテーマパークで、私のオススメのアトラクションは──」

 

「いや、そうじゃなくて! 何で絵を売るって話になってるんですか!? こんな無名の素人中学生が絵を売るなんて無理ですけど!?」

 

 

 南雲さんの言葉に否定の言葉を被せた。

 

 フェニランも記憶を無くしてから行ったことがないので、名前以外知らないけれども、そこはどうでもよくて。

 問題は画家でもない絶賛スランプで悩んでいる中学生が、絵を勝手に敷地内で売ることになっている件だ。

 

 

「勿論、許可は取るから心配しなくてもいいよ。それに、ドクダミちゃんは自分の絵をどうにかしたいんでしょ?」

 

「それは、そうですけど」

 

「それに……絵の才能がなくても天才と戦おうとしているんでしょ? なら、人がやらないことをしないと」

 

「いや、でも」

 

「君、きっと才能がないとか言われてる側の人間だよね? それなのに『いや、でも』ってその場で足踏みして、躊躇って。そんな行動で君の悩みは解決するのかなぁ?」

 

 

 ニヤリと悪戯っぽく笑う南雲さんは、行動も相まって子供っぽく感じた。

 でも、私1人だとこのスランプから抜け出すのはかなり難しいし、南雲さんの言うことも不思議と納得してしまうところがあって。

 

 

「~っ。わかりました! やりますよ!」

 

「そうこなくっちゃ~」

 

 

 そんなこんなで、私は来週の土日で50枚の色紙を売ることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そして、絶望の土日がやってきた。

 

 

(あー、我ながら馬鹿なことをしちゃった)

 

 

 私はフェニックスワンダーランドのアトラクションを前に絶望していた。

 南雲さんは上の方の人に本気で話を通してしまったらしく、とんとん拍子で許可を貰ってしまい。

 

 

「じゃ、困ったことがあったら電話してね~」

 

 

 そう言い残してどこかに消えてしまった南雲さんを頼ることもできず、私は途方に暮れていた。

 

 1枚大体33円の色紙に167円程の価値をつけて200円で売る。

 

 言葉にすれば簡単だが、問題はどうやってフェニランに遊びに来ているお客さんを相手に、5倍の値段で絵を売りつけるような価値を付与できるか……だ。

 

 

(ム、ムリ! 全くイメージできないんだけど!?)

 

 

 アトラクションの間に用意されたシンプルな折り畳み机とパイプ椅子。

 それが私の商売スペースで、ちっぽけな聖域だった。

 

 試しに見える範囲のアトラクションを絵に描いて『200円』とスケッチブックの破片でポップを作って並べてみたものの、見向きもされず。

 声を出して売子をやってみても、クスクスと遠くから笑われるだけである。

 

 

(これ、雪平先生とは別の意味で心が折れそう)

 

 

 この場には厳しい言葉もナイフもない。

 売れないという現実がじりじりと近づいてきて、真綿で首を絞められているような苦しさだけがある。

 

 でも、ここで逃げたってなにも解決しない。

 この場で逃げても解決するのは、今この瞬間、感じている苦しさだけだ。

 スランプ等の根本は解決できない。

 

 自分の目的の為にも逃げられない、だから逃げないと今、1つ決めた。

 

 

(そう格好つけてみたのは良いものの……本当にどうしようかなぁ)

 

 

 長くて深いため息が口から漏れ出る。

 考え事に夢中な私はいつの間にか人が潜んでいたことにも気が付かず、頭を悩ませていた。

 

 

「こんなに楽しい場所で、ため息なんてどうしたんですか?」

 

 

 だから、仕方がなかったのだ。

 

 

「ひゃぁっっっ!?」

 

「わんだほーい!」

 

 

 机の下からひょっこり飛び出して笑うピンク髪の少女に、思わず大声を出してしまった私は悪くない。

 そう言い訳させて欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 ……って思ったけど、流石に園内でも迷惑だよね。ごめんなさい。

 

 

 

 

 





雪平先生はサブキャラですが、南雲さんはオリキャラです。
スランプでボッコボコな記憶喪失えななんの軌道修正や誘導役なので、今回と次回が過ぎれば後は回想の台詞や単語とかでサラーっと出てくる程度になります。

それはさておき、次回はフライング登場したあの子が出てきてくれてます。
わんだほーい!


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18枚目 ぜーんぶ、わんだほーい!

 

「わんだほーい!」

 

 

 ピンクの髪を女の子が満面の笑みで両手を上げている。

 

 年は多分、下ぐらい。多く見積もっても同い年だろう。

 ぴょんぴょん、ぱたぱた。忙しなく両手と両足を動かして、笑って笑ってー! と訴えかけてくる女の子。

 

 

「はい、お姉さんもわんだほーい!」

 

「えぇと、わんだほーい?」

 

「もっと元気に腕も動かしてー、わんだほーいっ☆」

 

「わ、わんだほーいっ」

 

 

 ……はっ。

 思わず勢いにつられて同じ言動をしてしまった。

 

 何というか、勢いが凄い。元気に満ち溢れていて、こっちまで引き摺られそうになる陽の気。

 

 何に悩んでいたのかは覚えているのに、気分は吹き飛んだ。

 マイナス思考を一瞬でプラスに引っ張るなんて……この子、タダ者ではない。

 

 

「こんにちは☆ 南雲お姉さんから様子を見てきて~って言われて来ました! (おおとり)えむです! お姉さんのお名前、聞いてもいいですか?」

 

「えっと……東雲(しののめ)、ですけど」

 

「しのののめさん?」

 

「のが1個多いかな」

 

「えっと、しののめめさん!」

 

「めが増えたねぇ」

 

「うぐぐ……しのののめめさん!」

 

「間違いの欲張りセットかな? 言いにくいと思うし、絵名で大丈夫だよ」

 

 

 未だに自分の名前を言うのを躊躇ってしまう私から、フルネームを自然と聞き出してしまうなんて驚きだ。

 初対面の相手にそこまで良いコミュニケーションを取っていない身としては、ぜひとも見習いたい技能である。

 

 

「じゃあ、絵名さんって呼ばせてもらいます! あたしもえむって呼んでください!」

 

「えっと……じゃあ、えむちゃんって呼ばせてもらうね」

 

 

 自然と名前で呼び合う状態になっているが、出会って5分も経っていないのにこの距離感。

 ……やっぱり見習わなくてもいいかもしれない。距離が近過ぎて、自分でやるのはちょっと怖い。

 

 

「ところで、えむちゃんは南雲さんと知り合いなの?」

 

「はい! 南雲お姉さんは大きな株を持った凄い人だって言ってましたっ。よくここに遊びに来てくれるから、あたしも知ってるんです!」

 

 

 それってつまり、あの人は株主だから優待券とかを貰っているという話だろうか。

 だからフェニランで絵を売るなんて話も通せたのか、少しだけ謎が解けた。

 

 

「絵名さんは絵を売ってるって聞いたんですけど、調子はどうですか?」

 

「残念ながら全く。どう売ったらいいのかもわからないし」

 

 

 引っかかっていた1つの謎を解いた私に対して、えむちゃんは更に地雷を踏み抜きに来た。

 

 これが数分前なら見てわからないのかと言いたくなっていただろうが、今は落ち着いているので苦笑いでお茶を濁す。

 そんな私の様子に気がついたのか、えむちゃんは人差し指を顔に当てて、話題を変えた。

 

 

「んーと。絵名さんはフェニックスワンダーランドのアトラクションで、好きなものは何ですかっ?」

 

「……実は私、ここに来たのは初めてなの。だからその質問には答えられないんだよね」

 

 

 記憶を無くす前の絵名は来たことがあるかもしれないが、今の私は初体験ばかり。

 申し訳なくて「ごめんね」と謝る私に対して、えむちゃんは大きく首を横に振る。

 

 

「初めてってことは、どこに行っても1番楽しい時じゃないですか! どうせ絵を描くなら、ここの楽しいところを知ってから描きましょう!」

 

「楽しいところを知ってから……」

 

 

 確かに、えむちゃんの言うことも一理ある。

 

 何も知らない人間が外面だけの絵を描いたって、写真と変わらない。

 そんな絵に200円払うかと聞かれたら『いや、スマホで写真撮るし……』となるわけで。

 

 そういうことも踏まえると、明らかに私よりもフェニックスワンダーランドのことを知っていそうなえむちゃんから、ヒントを貰う方が賢明だろう。

 そう考えれば、後の判断は早かった。

 

 

「じゃあ、お言葉に甘えて楽しんでからにしようかな」

 

「やったー! 絵名さんの初・フェニックスワンダーランドの案内役を引き受けてもいいですか!?」

 

「ふふ。うん、お願いしてもいい?」

 

「フェニックスワンダーランドは、みんなが笑顔になれる場所ですから☆ 絵名さんの悲しいお顔も笑顔になっちゃいますよ~!」

 

 

 大きく手を振ってからオーバーな仕草で敬礼を返してくれるえむちゃんに、私は思わず吹き出してしまう。

 さっきまで無理だとか後ろ向きになっていた思考が、ほんの少しだけ前に進む。

 

 さて、えむちゃんはどんな所に案内してくれるのだろう。

 楽しみ半分、気楽な気分でついていった……のだけど。

 

 

 

 

 意気揚々とえむちゃんについていくこと、2つ分のアトラクションほど。

 

 最初は元気だった私も1ついけばゲッソリと。2ついけば小鹿のような足になってしまっていた。

 

 

(ま、まさか。私がホラー系とか、絶叫系がここまで苦手だったとは)

 

 

 えむちゃんの言葉を信じるのなら、『フェニーくん・イン・ザ・ナイトメア』と呼ばれていたお化け屋敷はそこまで怖くないものだったはず。

 それなのにあんなにビックリしてしまったのだから、きっと記憶を無くす前の絵名も怖いものが苦手だったに違いない。

 

 いや、絵名の好き嫌いは関係なくて……もしかしたら事故が原因であることも考えられる。

 

 

 お化け屋敷のように、暗い上に見えにくい視界の中で何かが飛び出てくるのは体が構えてしまうぐらい恐ろしい。

 

 『フェニックスコースター』というジェットコースターのように、体が動かない中、自分の意志とは関係なく風を感じるようなスピードで飛んでいくように運ばれるのは体が震える。

 

 

 そもそも、元から絵名が苦手なものである可能性も捨てきれない。

 だけど、この体の反応を鑑みれば、明らかに事故のトラウマで体が反応しているのだと思う。

 

 

「絵名さん、ごめんなさい! まさか真っ青になっちゃうぐらい苦手だとは思わなくてっ」

 

「あはは……気にしないで。私もまさか、ここまで苦手だとは思わなかったから。えむちゃんは悪くないよ」

 

「でも、フェニックスワンダーランドは大人も子供も、いろんな人が笑顔でずーっと遊べる場所であってほしいから。絵名さんを笑顔にできなかった分、挽回させてください!」

 

「えむちゃん……」

 

 

 ぎゅっと目を閉じて頭を下げてくるえむちゃんの言葉が、不思議と私の中で響いた。

 

 ──フェニックスワンダーランドは笑顔で居られる場所。

 

 

(笑顔。笑顔……か)

 

 

 思考がくるくると回り出して、絵の売り方を練り出してしまうものの、えむちゃんの頭をいつまでも下げさせた状態にしているわけにはいかない。

 

 

「こっちが原因だし、えむちゃんは悪くないんだけど……」

 

 

 顔を上げて、無言でブンブンと首を振って訴えてくるえむちゃんに、思わず苦笑い。

 えむちゃんは悪くないと言葉を尽くしても、彼女自身が何かをしたいらしい。

 

 ならばここは、その心意気に甘えようか。

 

 

「それなら、他にもえむちゃんがオススメする場所を教えてよ。折角だし、私も好きな場所を探したいな」

 

「……いいんですか?」

 

「もちろん。えむちゃんが嫌じゃなければだけどね」

 

「わっかりました! 絵名さんがワクワク、ドキドキ、ウッキウキになれる場所を選びますね!」

 

 

 残りの時間でコーヒーカップやフェニーくんも混ざったメリーゴーランドなど、絶叫系を避けてアトラクションに乗る。

 えむちゃんが心の底から楽しそうにしているおかげで、私も一緒に笑うことができた。

 

 ──えむちゃんのお陰で、明日の絵の販売戦略が立てられそうだ。

 

 

「えむちゃん、今日は一緒に遊んでくれてありがとう」

 

「いえいえ! こちらこそ、今日はいっぱい遊んじゃったんですけど、大丈夫ですか?」

 

 

 不安そうな顔でこちらに視線を送るえむちゃんに、私は笑みを返した。

 

 

 

 

「うん、大丈夫だよ。明日、私の考えが正しければいけると思うから」

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──え? もう50枚売ったの〜!?」

 

 

 翌日の夕方。

 南雲さんと合流した私は2人でカフェに来ていた。

 店主と顔見知りなのか、さらりと店の奥に案内されて、正面に座った南雲さんが大きめの声で驚いても誰もこっちを見ない。

 

 しかし、恥ずかしいものは恥ずかしいので、私は自然と体を小さくした。

 

 

「そんなに驚きます? 昨日、えむちゃんに様子を見に行かせたのだって、ヒントの為でしょう?」

 

「え、そんなの知らないけど。暗い気持ちになってたら良くないかなーって思っただけだし。それなのに、まさか2日で達成するとか怖ぁ……」

 

「えぇー」

 

 

 南雲さんの想定では今週で全く売れなくても、毎週反省会を繰り返しながら目標を達成し、絵を売ることで私に自信をつけさせようとしていたらしい。

 それなのにまさか日曜日に全部売ってしまうとは思っておらず、想定外だった南雲さんは恐怖しているようだった。

 

 いや、あんなにフェニランに詳しくて、思い入れのあるえむちゃんを紹介されたら、そういうことだと思うじゃん。

 笑顔って価値で足りないところを補って、3分で特徴を捉えられるように徹夜で練習して、日曜日で全部売れって意味だと思うじゃん。

 

 ……だから、私は悪くないし。

 

 心の中で言い訳のようなものを垂れ流していると、南雲さんは気まずそうに問いかけてきた。

 

 

「君は50人の人に絵を売るという偉業を成し遂げたわけだけど……自信、ついた?」

 

「全く」

 

「だよねー。今日でわかったけど、君のそれは自分自身のことであって、絵とは関係ないもんねー」

 

 

 あはは~、と遠い目をして笑う南雲さんに、私は苦笑を返すこと以外にできない。

 

 いくら絵を売ったところで、記憶を奪ってここに存在している私が、絵名の代わりにいてもいいと思う理由になるはずもなく。

 悪くないと嘯いておきながら、申し訳なさが顔を出していた。

 

 

「よし。ドクダミちゃん、いいことを教えてあげよう」

 

「良いことですか」

 

「あのね、絵は犯罪者が描いたものであろうが、良かったらそれは『良い絵』だし、聖人のような人が描いたものでも、悪いと思われたらそれは駄作だよ。だから君は自分のその罪悪感と絵と切り離して考えなよ」

 

「そう言われて、はいそうですかってできたら苦労はないんですけど」

 

「それはどうだろうねー。少なくとも今日の君はできてたと思うよ? ──じゃなきゃ絵、売れないだろうからね」

 

 

 ひゅっと短く飲み込んでしまった吐息。

 

 確かに、日曜日に描いた絵は自分の事なんて全く考えず、いかに相手の笑顔を短時間で絵に落とし込むか、魅力的に描けるか。

 どうやったら買ってもらえるかだけを考えて、描いていた。

 

 言われて初めて、私は良い絵が描けなくなったという悩みが解決していたことに気が付いたのである。

 

 

「切り離して絵を描けても、根本的な解決にはなってないし。きっと今の君に必要なのは、君のそのしつこい感情を解消するか……忘れさせてくれるような『仲間』なんだと思う」

 

「絵描き仲間なら、絵画教室にいますけど」

 

「ううん、そうじゃなくて。たとえそれぞれが違う分野の人間であっても、同じ目標に進んでいくような……そんな『居場所』が君には必要なんだよ。残念ながら、私はそれを提供できないからさ」

 

 

 ごめんね、と謝る南雲さんに私は両手を横に振った。

 

 

「いえ、こうやって道を示してもらえただけでもすごくありがたかったので。本当にありがとうございました」

 

「う~ん。それだとこっちが気まずいんだけどもー……そうだ! 君、まだ進学先を決めてないなら宮益坂女子学園においでよ」

 

「へ?」

 

 

 そこって愛莉も通う予定だと言っていた、比較的近所の学校の名前ではないか。

 驚く私に、南雲さんは楽しそうに笑う。

 

 

「私、来年からそこの美術教員として3年間、働くことになってさー。君さえよければだけど、絵画教室の先生が教えないような絵の知識とか、色々教えるよー」

 

「いいんですか?」

 

「絵画教室で勉強しているからいらないって言われたらそれまでだし、君さえよければだけどねー」

 

 

 何故か気にかけてくれているらしい南雲さんを前に、少し考える。

 

 私がやることと言えば、宮益坂女子学園に入学するだけ。

 そうすれば雪平先生以外の絵の道で生きている大人の視点が手に入り、更には絵画教室では教えてくれない系統の絵の知識やバイトの紹介とかもしてくれるらしい。

 

 別に美術系の高校にどうしても行かなきゃいけない理由もないし、行かない理由もない。

 

 だけど──

 

 

「どうしてそこまで色々としてくれるんですか?」

 

 

 正直に言うとほぼ初対面の相手に提案する内容じゃないので、怖い。

 雪平先生の紹介という補正があってもなお、何か裏があるのではと疑ってしまう。

 

 

「うん? まぁ、強いて言うなら──推し活だね」

 

「……この件は持ち帰ってから前向きに検討させて頂きます」

 

「えぇっ、何で急にそんなに距離を取るの~!?」

 

 

 真顔でふざけたことを言う大人を一刀両断したものの、私の気持ちはかなり前向きに傾いていて。

 

 

(愛莉に同じ学校を受験するって事、伝えよ)

 

 

 相手は初対面だし、これから何回か会うだろうから。

 誘われた時点でそう思っていたのは、しばらく内緒にしようと思う。

 

 

 





デデン、記憶喪失えななんが宮女に行く理由は?

①彰子(プロセカラジオ夏休み18での彰人君の声優さんネタ)が宮女に行きたいらしいから。姉のえななんも宮女に行こう!
②宮女に行かないと記憶喪失えななんの性格上、物語の途中で詰むから。とりあえずえななん、宮女に行こう!
③神高の制服もいいけど、宮女の制服(セーラー服)の上にベージュのカーディガンを着た姿を作者が見たいから。よしえななん、宮女に行こう!
④免罪による炎上で顔が広まってるし、アイドルも通えるぐらいのセキュリティのある宮女の方が安心だから。心配だしえななん、宮女に行こう!

さて、どれでしょうか?
……どれを選んでも正解なんですけどね。
(タグに宮女ルート追加しました)

次回はようやく、ニーゴにてまだ未登場なあの方と絡みます。


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19枚目 病院通院原因連盟


例の如く、後書きにオマケあります。


 

 

 南雲さん──いや、南雲先生は正直、会ってきた人の中でもかなりブッ飛んだ人だと思う。

 

 進路希望調査に改めて『宮益坂女子学園』と書いた後の夏休み。

 

 何故かお母さんと交渉してパスポートを申請していたらしい南雲先生は、私を連れて海外へと弾丸旅行を決行したのである。

 

 絵を見て1度は行ってみたいと思った美術館がある国を、渡り鳥のように短期スパンで回るので、それはもう時差とか色々と酷いこと。

 私は中学生だが、中学英語すら話せない典型的な日本人だったので、南雲先生に付いて行くのすら大変だった。

 

 先生を真似て笑ってぐいぐいと知っている単語を伝えてみたけれど*1、中々話が通じなくて何度諦めようと思ったことか。

 

 諦めずについて行くだけの価値があったから頑張ったものの、なければ諦めてホテルの住人になっていただろう。

 

 そんな大変だった夏休みは生の作品を前に感動したり、現地の空気を体験している間に過ぎ去り。

 今年の夏が終わる頃には、絶対に英語を喋れるようになるぞという決意と、去年よりも濃い経験が私の中に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そんな夏が過ぎて、一気に夏の暑さが無くなった頃。

 

 とうとう、私が内緒にしているつもりだった件がバレてしまった。

 

 

「絵名、病院の先生に眠れていないことを相談してきなさい」

 

 

 真面目な顔をしたお母さんから呼び出され、相談するまで帰ってくるなと家から追い出された。

 

 事故の件から度々通っている病院への通院の日に、お母さんからの指示が下る。

 どうやら、事故の日からずっと3〜4時間の睡眠で過ごしていたことがバレてしまったらしい。

 

 1年以上隠していたのだが、そこは母は強し。子供である私では隠し切ることができなかったようだ。

 事故の後遺症による不眠症か、睡眠障害なのではないかと疑われ、病院で相談しなさいと言われてしまった。

 

 

「ショートスリーパーは遺伝的なものなので、睡眠障害である可能性が高いのですが……睡眠日誌に記録してみて、様子を見てみましょうか」

 

 

 いつもの診察の後に相談すれば、先生から笑顔で面倒な日誌を押し付けられた。

 

 これを次の通院の日まで、毎日書けと?

 しかも、月1の通院から週1の通院に変えて?

 

 自分が漫画のキャラクターなら『しわしわ~』なんてオノマトペを付けられそうな程、面倒くさい感情を表に出し、私は帰路に着いていた。

 

 

(あー、もう最悪。絶対に何か言われるから黙っていたのに、お母さんにバレちゃうなんて)

 

 

 これで不眠症とか医者に診断されたら、絵を描く時間が無くなってしまう。

 その後の睡眠障害の治療なんて、想像しただけで面倒だ。

 

 ただでさえ記憶が原因で病院常連客になっているのに、睡眠障害まで追加されるなんて最悪の上塗りである。

 薬であれ寝る努力であれ、そんな暇があるなら絵を描きたいのに、いい迷惑だ。

 

 そんな風に心の中で文句を垂れ流していると、白い毛のような何かが目に入った。

 

 

「うぅ……重い。どうしよう」

 

 

 白い毛の化身っぽい何かが、呻き声を出しながら道の隅っこで丸まっている。

 いや……もしかして。あの物体は人なのだろうか?

 

 1度人だと認めてしまえば、丸まった毛玉の化身のように見えるソレが、鞄に乗り掛かって休憩する少女の姿だと認識できるようになった。

 

 

(倒れているわけじゃないよね? 顔色が悪いけど鞄を枕にしてるだけっぽいし、意識もあるみたいだし)

 

 

 道の真ん中で鞄を枕にして寝ているように見える、ジャージ姿の少女。

 厄介事にも見えてしまう特徴に、周囲の人も関わるのをちょっと遠慮しそうな相手だ。

 

 普段の私なら、絵を描く時間を無駄にしたくないし、見ないふりをしていたと思う。

 面倒そうなことには関わらない方が良いと、誰もが判断するだろうから間違い無いと、冷静な自分が告げてくる。

 

 ──そういうのは置いておいて、本音の『私』はどうしたい?

 

 今までよりもほんの少しだけ、自分に余裕があった私はたっぷり数秒間迷った後、面倒ごとに飛び込んだ。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 すると髪も白くて肌も白、服と露草色の瞳以外はほぼ白い女の子が、真っ青な顔をこちらに向けて力なく笑う。

 

 

「ちょっと荷物が重くて休んでただけなので、大丈夫ですよ」

 

「いや、顔色が『全然大丈夫じゃないです』って、代わりに訴えてきてるんですけど」

 

「あぁ、そんな顔になってるんですか……最初だから重たいかもって言われていたのに、無理するんじゃなかったな」

 

 

 後悔するように呟いて、今にも消えそうな雰囲気のまま、少女は肩を落としている。

 彼女の様子を窺ってみても、体調不良というわけでもなさそうだ。

 言葉通り、荷物が重すぎて体力を使い切ってしまったようである。

 

 関わってしまった以上、見捨てることはできなくて。

 近くまで移動して、ぜぇぜぇと肩で息をする彼女に声をかけた。

 

 

「荷物、持ちますよ」

 

「え?」

 

「だから荷物、一緒に持ちますって。え、じゃなくて『はい』か『イエス』か『お願いします』だと嬉しいです」

 

「それ全部肯定……」

 

「それで、どうでしょうか?」

 

「お、お願いします……」

 

 

 どうやらこちらの善意が伝わったらしく、遠い目をしながらも少女は同意してくれる。

 

 どう考えても1人で持つには重たい荷物を、私が帰宅途中だった病院まで持って行くらしい。

 ということは、少女の身内の誰かが入院することになったのだろうか。

 

 荷物を持って歩く度に、入院中の家族の気遣いや優しさがわかったような気になる。

 こんな温かい気持ちになるのなら、たまには誰かを助けるのも良いな、なんてことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 ──確かに、そう思ったけれども。

 

 

「あ、あの時の」

 

「何でまた荷物と格闘してるのよ」

 

 

 また通院した後の帰り道。

 

 前回の再現だと言わんばかりに見覚えのある姿に視線を向ければ、ポカンとした顔とご対面。

 

 いやいや、こちらの方がびっくりしたから。

 そう思った私も、相手に釣られて声を出してしまう。

 

 

「こんにちは、この前はありがとうございました」

 

「あぁ、はい。こんにちは……で、今回も?」

 

「家では持てたし、行けると思って」

 

「そっかぁ……自分の力はちゃんと把握しよう?」

 

 

 思わず外向けの口調もお互いにやめてしまって、そんな会話をする。

 前回も力尽きていたというのに、今回も同じようなことを繰り返してダウンしているのだ。

 私の外向けの顔が行方不明になっても、許して欲しい。

 

 

「前回よりも少なくしたから持てると思ったのに……もっと減らさなきゃダメかな」

 

 

 ふぅ、と息を吐いて、少女は鞄を持ち上げる。

 何とか持てているが、棒のような足は震えていて頼りない。

 白色も相まって何だかモヤシを彷彿とさせる姿だ。このまま歩かせるのは心配だった。

 

 

「鞄、持つから」

 

「えっ。いや、前も手伝ってもらったのに」

 

「ミイラ取りがミイラになりそうで、こっちが心配になるの」

 

「ミイラって……わたしまで入院する程、弱くはないよ」

 

 

 自身の言葉の証明をしようと、健気にも数歩歩こうとした少女はすぐにふらつき、倒れそうになる。

 それを何とか受け止めて体勢を整えさせるものの、やはり歩調は覚束ない。

 

 みるみるうちに大丈夫だと宣う少女の信用が大暴落して、私は少女を口で言いくるめて鞄を奪い取った。

 

 

「また病院でしょ? ほら、さっさと行くわよ」

 

「うぅ、ごめんね。手伝ってもらっちゃって」

 

「別に。謝罪の言葉なんていらないから」

 

「……そっか。なら、感謝だけでも伝えさせて」

 

「ダメとは言ってないし。好きにすれば?」

 

「うん……ありがとう」

 

 

 まるでハリネズミみたいな雰囲気なのに、言動は天然そのもの。

 どこかやりにくさを感じつつ、私はまた病院への道を戻り、白髪の少女の荷物を運ぶ。

 

 

「で、用事のある部屋はどこ?」

 

「そこまで運んでくれなくてもいいよ。すぐに着くし、後はどうにでもなるから」

 

「本当に、信じていいのね?」

 

「うん。これ以上、迷惑かけるのも悪いし」

 

 

 今もかなり踏み込んでいる状態なのに、これ以上彼女の領域に土足で踏み込むような真似は良くないだろう。

 

 せめて、何かできないものか。

 そう思った私は心配な心をグッと抑え込み、ふらつく彼女が上手く歩けるように荷物を固定させた。

 

 

「これで多少はちゃんと歩けるでしょ。じゃ、気をつけなさいよ」

 

「うん……2回もありがとう」

 

「何回も会えるわけじゃないんだから、次回はもう少し考えて荷物を持って来なさいよね」

 

「わかった、そうする」

 

 

 返事だけは素直にした少女はぬっくりと目的地へと歩み出す。

 心配だけども、彼女が1人で行くと言った以上、私にできることはあまりない。

 

 後ろ髪を引かれつつも帰ろうとしたら、見知った顔──というか、担当医がこちらに向かって歩いてきていた。

 

 

「こんにちは、さっき帰ったと思ったのにもう戻ってきたのかい?」

 

「こんにちは。えぇ、まぁ。心配だったので」

 

「あぁ……あの子と知り合いなんだ? じゃあ、心配だよね。僕も君という前例があるから、あの子とも関わることがあるけど。あの様子じゃ、父親どころかあの子自身も倒れてしまいそうだし」

 

 

 担当医は勝手に解釈し、勝手に勘違いして、世間話のように話し始めた。

 

 担当医が『私という前例が原因』で関わることになった患者さんは、どうやら白髪の少女の父親である……と。

 

 私の主な通院理由は記憶喪失から。

 

 あの白髪の少女のお父さんも記憶に何らかの障害が起きつつ、入院するような状態になっている……ということだろうか。

 

 そんな予想を勝手にしたところで、現状は何も変わらないのだけど。

 ただ、誰でも彼でも勝手に話して広めてしまう、この目の前の医者だけはいただけない。

 

 

「先生、相変わらずよく喋りますね。また看護師さんに怒られますよ」

 

「うぇっ、藪蛇だった。それじゃ、君も気をつけて帰りなよ」

 

 

 口の軽すぎる担当医に軽く釘を刺して、逃げるように歩く相手の背中を見送った。

 

 あの様子だと、私のことも何人かに話してそうだ。

 

 1年以上の付き合いのあるのに、いまだにスピーカーのようなことをしている間抜けな担当医に、私はため息を溢す。

 

 

「帰ろ」

 

 

 担当医の話を聞いたせいで余計に気になってしまう少女の白髪を頭の中から追い出して、私も病院を後にする。

 

 どうせ、もう2度と会うことはないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そう思っていたのに、数週間後にはあの少女と再会して、割といいペースで見かけるものだから、見かけたら荷物を持つ程度の関係になっていた。

 

 相手も私も名前を知らないから、友人とも知り合いとも言い難いこの関係に名前をつけるとしたら──『通院仲間』が正しいのかもしれない。

 

*1
出川イングリッシュならぬ、えななんイングリッシュです。頑張って言動で伝えてました。




ようやく出てきました、宵崎(よいさき)(かなで)さん。
この時期に奏さんのお父様が倒れたのかは不明ですが、この作品では10月の下旬頃ぐらいの時期にお父様が倒れて、バタバタして整理ついてから奏さんが曲製造機になっちゃう……という設定です。

記憶喪失えななん、寝てないの大丈夫? って心配は『スケッチブックの願望成就の副産物でショートスリーパーになってる』ので大丈夫と回答しておきます。
まぁ、そんな体質でなくても公式様の絵名さんからして、徹夜しがちな昼夜逆転タイプなんですけど。

次回は相棒くんの登場です。




☆★☆




《???》





 ──わたしのせいでお父さんが倒れてしまった。

 ずっと眠っていて、ようやく目が覚めたと思ったら……わたしのことを知らない誰かだと思って、昔の話をしてくれた。

 ショックで前が見えなくなっちゃうぐらいだったけど、おばあちゃんの調子も悪いし、今、ちゃんと動けるのはわたしだけだ。
 お父さんの入院の手続きも、担当医の人やおばあちゃんが動ける時に手伝ってもらいながら、殆ど1人でやるしかなかった。




 ──奏の音楽を作り続けるんだよ。



 帰ってももう、家には誰もいない。
 無力感で暴れて散らかしても、誰も片付けてくれないし、手伝ってもくれないから。

 これからは何でも1人でやって、誰かを救うような曲を作り続けなければならない。わたしが、しっかりしなきゃいけないのだ。

 学校に行く時間も惜しいし、寝る時間や食べる時間さえも勿体無い。
 雨が降ろうが、槍が降ろうが、調子が悪くても、風邪を引いても、ずっと、ずっと……曲を作らなければいけないのだから。


 だから、こんな。
 こんな、荷物程度に邪魔されるわけにはいかないのに……重くて、待てなかった。

 家に出て、背負ってきた荷物達。

 目の前を横切った子供を避けようとして、ギリギリで保っていたバランスが崩壊した。
 地面に叩きつけられた荷物は、持ち上げようにもうんともすんとも言わず、わたしができるのは鞄を枕にすることだけ。

 ……本当に、どうしよう。
 こんなの想定してなかったんだけど、どうやって病院まで行こうか。

 自分の髪の毛すら重たく感じるぐらい長い間、鞄を持ち上げようと奮闘していると、頭の上から声をかけられた。


「大丈夫ですか?」


 茶髪の少女がそっと手を伸ばしてくる。
 そのままわたしを起こした彼女は、こちらの遠慮なんて知らないと言わんばかりに、荷物を奪ってそのまま病院まで運んでしまった。


 その後、病院まで荷物を持って行ってくれた茶色の髪の女の子とあっさりと別れた。
 もう2度と会わないと言わんばかりに彼女は颯爽と立ち去ったのに、偶然再会してしまった2回目も助けてもらって。

 2度目があれば3度あり。
 そこからはもう、何かを仕組まれているかのように、度々顔を見合わせることになった。


「今日も困ってるの? もう……仕方ないわね」


 少女の口が素っ気ない言葉を紡ぐのに、眼差しはミルクチョコレートのように甘く、優しい。
 文句も名前も全く言わず、彼女はこちらを心配しながら荷物を持ってくれた。

 ただ、彼女自身も踏み込むラインを決めてくれているらしく、それがとてもありがたくて。

 ──ぬるま湯のようなその関係は、わたしが行動するまでの数ヶ月の間、形を変えずにゆるゆると続けられた。



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20枚目 夜明けの空と遍く柳


ハッピーバースデー、彰人君。
お誕生日、おめでとうございます。
(今回の話は偶然ですけど、めでたいですね)


 

 

 短時間睡眠の件を『要観察』で切り抜け、病院の診察という意味ではまだ首の皮が1枚繋がった状態である私。

 

 しかし、それが病院の診察以外のことになると話は別だ。

 宮女に受験するということで、お母さんが好意でねじ込んできた冬期講習もあるし、クラスメイト以外からはあの炎上の件から現在、陰口が絶賛増量中。

 

 その上、納得いく絵が描けないせいで、雪平先生の評価は冬の気温に負けないぐらい冷たいし、上手くいっていることの方が少ない。

 

 そんな私が現実逃避のように逃げ込んだ先は──SNS(ピクシェア)だった。

 

 

「うん、今日の夕飯も上出来じゃない? 写真撮ろ〜っと」

 

 

 近所の釣り好きさんから貰ったカサゴのアクアパッツァに、アボカドとチーズのサラダ。

 ベーコンポテトのスープとガーリックトーストも付けた1食分をパシャリ。

 

 自分の分以外は写っていないか、顔なども入っていないかを入念に確認して……投稿、と。

 アカウントに確認済みの写真を載せると、すぐにハートが付くものだから、思わずニヤリと笑ってしまう。

 

 お手伝いの一環で夕飯当番の日に作った拘りの料理や、今日の服装といった写真を上げているだけのアカウントでも、まぁまぁ良い反応が返ってくるのだ。

 

 きっと自撮りとかをした方がもっと反応も多いのだろうが、私は意図せず炎上し、個人情報が勝手に大放出された身。

 自分から火の中に突貫する危険を冒す程、馬鹿ではない。

 

 ならSNS自体危ないだろうって話だけど、私の承認欲求は天井知らずだったらしくて。

 絵のアカウントでの反応が薄いのに耐え切れなくなって、別アカウントで生活の一部をアップした所、見事にハマって抜け出せなくなっていた。

 

 

(こっちは順調に伸びてるのに、絵の方はあまり伸びないのよねー。もっと頑張らないと)

 

 

 私生活のアカウントには『片手間で食べれることをコンセプトに作っていた料理のレシピ』や、見た目の良い手作りお菓子、高校生でも買えるプチプラメイクやコスメの紹介。

 週に1回の夕飯当番の時だけ態々、1食分だけ盛り付けまで拘った『女子高生の夕飯』などと。

 

 そういう私生活のことを上げていたら、いつの間にか私のアカウントである『えななん』*1のフォロワーは3桁を超えていた。

 

 絵の方のえななん垢はタグをつけているものの、ひたすら絵だけを上げている状態なので、2桁のフォロワーが奇跡なぐらい。

 

 ここで絵の描き方やらそういう情報を上げれば、フォロワーだけなら増える可能性はある。

 ただ、それだと絵が認められたとは言わないので、今はまだその誘惑を断ち切って絵だけで勝負している。

 

 そうやってアカウント運営のことについて頭を悩ませていると、誰もいなかったはずの家の扉が開き、声が聞こえてきた。

 

 

「ただいま、母さん……って、げぇっ。絵名かよ」

 

「今日の夕飯当番である私に向かってそんな反応するなんて……あーあ、気分が悪くなっちゃったな。彰人だけ人参のグラッセを別で作って、山盛りにしようかなー」

 

 

 チラッと視線を向けて、態とらしく言葉を紡げば。

 

 

「……確かに、あの反応は悪かった」

 

「ふふん、よろしい」

 

 

 顔を歪める彰人から謝罪をゲット。

 写真のネタだけでなく、こんなイベントも起きるとは。今日はとても良い日である。

 

 いつまでも満悦な気分に浸っているのも悪いので、早速、私は彰人が聞きたいであろう言葉を投げかけた。

 

 

「あぁ、それと。お母さんは近所の人と井戸端会議の真っ最中だから。帰るまで時間がかかると思うし、何か用事なら伝えとくわよ?」

 

「いや、いい。いないなら意味ねぇし」

 

 

 そう言いつつも、彰人の意識は扉に向いている。

 お母さんを気にして、ではないか。なら、誰かを待たせてるのかも。

 

 待たせてる理由とお母さんが必要な理由。

 

 それを合わせると、遅くまで帰ってこない許可を貰いたいのか。

 もしくは、家に入れてご飯とかを食べさせたいって線が現実的だろう。

 

 ただ、遅くまで帰らないのなら連絡すればいいだけの話。消去法で考えると、後者の可能性が高い。

 

 

「外に誰か待たせてるの? で、お母さんに用ってことは、その子に夕飯を食べさせたいとか?」

 

「……なんで何も言ってないのにわかるんだよ。気持ち悪りぃ」

 

「ちょっと彰人、言い方に気をつけなさいよね!」

 

 

 鎌をかけただけで気持ち悪いは心外だ。

 取り消すように訴えつつも、片手ではお母さんに連絡を入れる。

 

 あっさりと『OK』と返ってきたスタンプ。

 これはもう、私のおかずは魚から肉に変更決定だ。

 

 

「どうせその子、外で待たせてるんでしょ? お母さんに許可もらったし、呼んできなさいよ」

 

「は? いつの間にそんなことを……」

 

「呑気に話してる間にね。呼ぶなら追加で作らなきゃいけないし、早く決めなさいよね」

 

 

 有無も言わさず彰人を外に追い出して、私は温かいキッチンに戻る。

 

 もうコートがあっても寒いぐらいの冬なのに、いつまでも門前で待たせるわけにもいかないでしょ。

 相手が友達でも、それぐらい気を遣いなさいよね。

 

 なんて文句を心の中で呟いて、同時にそんな気を遣わなくてもいい友達が羨ましくも思う。

 

 男の友達と女の友達の距離感の違いなのか。

 そろそろ2年近く絵名をやっているのに、わからないことが多くて困るな。

 

 冷蔵庫の中を思い出しながら悩んでいると、彰人が待たせていたであろう子が部屋の中に入ってきた。

 彰人の後ろに並んで入り、私を見つけた少年はぺこりと頭を下げる。

 

 

「お邪魔してます、あなたが彰人のお姉さんですよね? 俺は青柳(あおやぎ)冬弥(とうや)です、よろしくお願いします」

 

 

 冷めたらまずい料理だけ温め直して、盛り付けてしている間に、彰人が友達を連れてきた。

 

 あの彰人の友人だというので、どんなヤンチャボーイが来るのかと思いきや、かなり礼儀正しそうな男の子が飛び出てきた。

 

 濃紺と紅掛空(べにかけそら)色のツートンカラーの短髪に、グレーの瞳。

 左目の目元の黒子があるのが、絵を描く時のチャームポイントになるのだろうか。

 冬弥という名前も相まって、『クール』という言葉がピッタリな少年である。

 

 

「丁寧にありがとう。彰人からも聞いてるかもしれないけど、姉の東雲絵名です。いつも彰人がお世話になってます」

 

「……なんで絵名まで外向けの対応をしてんだよ」

 

「初対面の相手に変なことできないでしょー。彰人も青柳くんも、席に座って食べちゃっていいよ。あぁ、青柳くんは食べれないものがあったら残してね」

 

「いえ、大丈夫です。ありがたくいただきます」

 

「絵名、お前は食べないのか?」

 

「これでも私、忙しいからねー」

 

 

 受験生的な意味ではそこまでだけど、今日の料理当番という意味では作らないと私の夕飯がなくなってしまう。

 

 ここから凝った料理を作るのも面倒だし、残り物でいいか。

 確かお母さんが使い切れなかった豚の細切れが残っていたはずだし、それと梅干しを和えて野菜室に残っていた長芋と炒めてしまおう。

 

 

「青柳くんってチーズケーキは好きかな? 食べれるならそれも食べてよ」

 

「いいんですか?」

 

「うん。そこの仏頂面の分だし、気にせず食べちゃって」

 

「誰が仏頂面だよ」

 

「あんたよ、鏡見てきたら?」

 

 

 折角、私が作ったものを食べてるのに、いつまでも仏頂面な彰人が悪い。

 

 青柳くんみたいに「美味しいです」の一言ぐらい言えないのか。

 それとも友達の前だからいつもみたいに最後に「美味かった」も言えなくなってしまったのか。

 

 遠慮がなくなっているのは良いことだけど、どんどん可愛げがなくなっている我が弟に父親の面影を感じつつ。

 SNS映えしそうなホールのチーズケーキ(撮影済み)を切り分けて、お気に入りの紅茶の茶葉でお茶も淹れた。

 

 砂糖はお好みで。ミルクはなしで綺麗な紅色を楽しんでもらおう。

 

 

「はい、チーズケーキと紅茶ね。砂糖は好きに入れていいから」

 

「……で、お前はまた写真か?」

 

「何よ、悪い?」

 

「ご飯中にスマホ持つなよ」

 

「有名なお店のチーズケーキを態々並んで買ってきたのよ? 切った後の姿も撮って載せなきゃ失礼でしょ」

 

 

 噛みついてくる弟を適当にあしらって、チーズケーキをスマホの画面に収める。

 そのまま視線を上に上げると、控えめな笑みを浮かべる青柳くんが目に入った。

 

 

「彰人、お姉さんと仲がいいんだな」

 

「はぁ!? 今のを見て何でそうなるんだよ」

 

「ご飯を作ってくれて、ケーキまで用意してくれたんだろう? いいお姉さんだと思うが」

 

「ケーキはどうせSNSにアップしたいだけだろ。まぁ……感謝はするけどよ」

 

 

 素直じゃない彰人の態度は本当に可愛げのかの字もない。

 青柳くんの爪の垢でも煎じて飲ませれば、少しは素直になるのだろうか。

 

 ──いや、それはナシだな。

 検討しかけたものの、そんな彰人の姿を想像したくなくて、私の脳が却下の烙印を押した。

 

 

「彰人はそう思うかもしれないが、俺はそれでもお姉さんは優しい人だと思う」

 

 

 カレンダーに視線を向けてから、青柳くんのグレーの目と目が合う。

 

 ……彰人も良い友達を持ったようだ。

 

 

「青柳くん」

 

「なんでしょうか」

 

 

 記憶を無くしたって1年以上、一緒に家族をしていれば──馬鹿みたいに真面目で、ひたむきな所とかがよくわかるから。

 音楽という道を走って、一緒の道を走れそうな人が見つかったという話も、ちらりと聞いたから。

 

 

「そいつのこと、よろしくね」

 

 

 彰人は何でも器用にやってしまう方なのに、夢中になることだけは馬鹿正直に努力を重ねて、積み上げて、頑張るヤツなのだ。

 弟の音楽のきっかけになった出来事すら、共有できなくなってしまった私では……何をしても彰人の顔を悲しみで歪ませることしか、できないから。

 

 大事なことすら忘れてしまった私の分まで一緒の道を走って、苦しいことも楽しいことも沢山の思い出を作ってほしい。

 

 そんな気持ちも込めて言えば、青柳くんも頷いてくれた。

 

 

「もちろんです」

 

「……お前に心配されるようなことはねぇよ」

 

「でしょうね。じゃ、後はごゆっくりー」

 

 

 青柳くんには伝わったし、これ以上同じ空間にいても、彰人と言い合って青柳くんを放置してしまいそうだ。

 後片付けはお母さんがしてくれると連絡も貰ったので、私は自分の晩御飯とチーズケーキをお盆に乗せて、さっさと部屋へと退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうしても知りたいのであれば、お前自身が遠慮なく付き合える相手を見つけて、今のお前をよく知る人に見つけてもらうといい。

 

 ── たとえそれぞれが違う分野の人間であっても、同じ目標に進んでいくような……そんな『居場所』が君には必要なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 彰人と青柳くんを見ていたせいか、ふと、前にお父さんや南雲先生に言われた言葉を思い出した。

 

 

(彰人の場合は、同じ目標で同じ道を走る相棒枠を見つけたみたいだけど……私にも、見つかるかな)

 

 

 中学の友達には申し訳なく感じて話すことすらできず、家族にも様子を窺ってしまう私に、大人が言うような仲間ができるのだろうか。

 

 絵に夢中になり過ぎるきらいがあるから、南雲先生にSNSでも活動して視野を広げることを薦められたけど。

 今の所、記憶も居場所を見つけることも目処が立ってない状態だ。

 

 受験が終わって、高校に入学しても、そのままズルズルと卒業まで何もなければどうしようかと、不安もある。

 

 

 

 

(最悪、絵さえ上達すればいっか。目指せ、下駄なしで大きなコンクールの受賞! ……なんて、今のままじゃそれもまた夢か)

 

 

 不安を空元気で抑え込み、箸で掴んだ長芋を口に運ぶ。

 

 絵を描く時間が少なくなっているから、マイナス思考が酷いのだと言い聞かせて。

 ご褒美に絵を描く時間を設定してから、私はご飯を食べるのに集中した。

 

 

 

*1
記憶喪失えななんの場合、南雲先生にSNSを勧められたこともあり、アカウント名は彼女が間違えて言った名前の一部を取って『えななん』とつけられた経緯がある。





《あったかもしれない絵名が部屋から離脱した後の話》

「彰人、誕生日おめでとう」
「……オレ、冬弥に誕生日を教えたか?」
「いや、聞いてないが。お姉さんが買ってきたそのチーズケーキ、彰人の誕生日の為に用意された物のようだ。それで理解した」
「はぁ!? あいつ、そんなこと一言も──」
「カレンダーにも彰人の誕生日だと印があったし、わかりやすかった。それに、彰人だけについている板チョコには、メッセージが書かれているんじゃないか?」
「は? うわ、ちゃんと『誕生日おめでとう』って書いてるじゃねぇか……黙って祝うんじゃねぇよ、絵名のやつ」


この後、冬弥君が何回か家に来たり、ゲーセンの戦利品を渡している間に記憶喪失えななんの呼び方が青柳くん→冬弥くんに変化します。
なので、次回出てきたらちゃんと公式様と同じく冬弥くんと呼んでることでしょう。


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21枚目 呪いのような、魔法みたいな


今回も悪意表現アリです。炎上後の評価が残ってます。
(今回で中学編最後なので、後書きにプロフありです)


 

 

「あそこにいるのって東雲絵名じゃない? ピクシェアで見た顔と一緒だし」

 

「東雲絵名? あぁ、確かズルして賞取った子だよね」

 

「そうそう。学校とかでも、普段から特別扱いされてるらしいよ。賞もお父さんが有名な画家だから取れたんだって」

 

「忖度させることもできるなら、裏口入学もできるのかな。だとしたらズルいよね、そんな子と一緒の学校に通いたくないなー」

 

 

 

 

 面接が終わり、南雲先生と別れた後。

 コソコソと話していた2人組と目が合い、じっと相手を見つめた後、ニッコリと笑ってあげた。

 

 笑顔のまま2人の目を見ていると、彼女達は「怖、何あれ」と顔を歪ませてどこかへ走り去る。

 

 宮女の入試問題は難しいし、彼女達もストレスが溜まっていたのだろう。

 だからといって叩きやすい相手を殴って良い理由にはならないが、去年炎上した私が都合の良い的になっているのは理解できた。

 

 

「──絵名!」

 

「あれ、愛莉じゃん。お疲れさま」

 

 

 奥から小走りでやってくるピンクの長髪。

 単位制の面接会場は奥の教室だったはずだから、急いで来てくれたのだろうか。

 

 見慣れたその姿に声をかけると、2人組がいた方に視線を向けた愛莉が眉をハの字に下げた。

 

 

「まさか、ここでも悪口を言われてるなんてね」

 

「受験シーズンだし、皆ストレス溜まってるんでしょ。で、ちょうど良いところに炎上していた私がいたから、陰口で発散してたんじゃない?」

 

「あぁもう、自分のことなのにまた他人事みたいに言って……高校でも続くとなると、やっぱり心配になるわよ」

 

 

 中学では記憶を無くす前の私を知る人が多くて、あまり親しい人を作らなかった。

 愛莉と仲良くできているのさえ奇跡で、そんなほぼボッチな状態だからこそ、愛莉は私を心配してくれている。

 

 彼女が単位制で、私は学年制。

 同じ学校でも会える時間はどうしても限られてくるから、心配しない方がおかしいとは愛莉の弁だった。

 

 

「大丈夫でしょ。中学では愛莉と親友になったのよ? きっと高校でも何とかなるって」

 

「はぁ……絵名、宮女って中等部があること、忘れてない?」

 

「あっ」

 

 

 宮益坂女子学園は中等部と高等部が存在しており、基本的に高等部の生徒は中等部からエスカレーター式で上がって来た子が多い。

 

 つまり、もうグループができていて、自然とハブられるのだ。

 外部からやって来た生徒はコミュ力お化けでもない限り、アウェーの中に突っ込んで事故死するのである。

 

 

「私、美術準備室に引き篭もる。今決めた」

 

「それはお世話になってる先生に甘え過ぎでしょ」

 

「入学したら美術部確定だし許されるでしょ。後で先生に交渉しよ」

 

 

 実は病院に定期的に通院していることや、体育で見学してしまうこともあり、受験前に挨拶をしていたのだ。

 ……受験に受かってもないのに気が早いとは言わないでほしい。自覚はしている。

 

 こんなことをしているから裏口入学とか言われるのも、わかっている。

 

 しかし『炎上した件もあるから根回しはした方がいい』と言う南雲先生の提案と、私の絵のファンらしい校長先生の厚意で手配されたのだ。

 その気遣いを無碍にはできず、1年を担当するらしい先生方へ、先に挨拶を済ませてしまった。

 

 

「絵名って今のままだと教室では幽霊なのに、部活には存在している『逆幽霊部員』みたいな状態になりそうよね」

 

「単位は欲しいから幽霊になる予定はないわよ?」

 

「はいはい、美大に行くから内申が必要なのよねー」

 

 

 私がしつこいぐらい目標を言っているせいか、愛莉は苦笑して発言を先回りしてきた。

 

 愛莉は私のことをよくわかっている。そして、私も愛莉のことを多少は知っているつもりだ。

 だからこそ、愛莉の心配もそっくりそのまま返したくなるわけで。

 

 

「……でも、私は愛莉が心配かな」

 

「え、わたしが?」

 

「うん。顔を合わせる機会が減っちゃうから、愛莉が無理してる時や悩んでる時も、友達なのに気づかないかもしれない」

 

 

 愛莉がアイドルとして頑張っているのも知っている。

 

 そのためにイメージしているアイドル像と違うと思っても、バラエティに出演して頑張っている姿を見ているし、話も聞いてきた。

 

 彰人も愛莉も、私の周りの人は天性の才能を努力で乗り越えようと、頑張ってしまえる人ばかりだから。

 だからこそ──愛莉が私を心配するように、私もそれ以上に心配なのだ。

 

 

「愛莉が私を心配してくれているように、私も心配なんだからね」

 

「絵名……ありがとう」

 

「ま、お互い様よね」

 

 

 顔を見合わせて、私達は笑みを浮かべる。

 

 

「ところで、愛莉さん」

 

「……そんなに改まってどうしたのよ」

 

「入試の数学、最後の問題で何を選んだか聞いてもいい?」

 

「絵名、わたしのしんみりとした気持ちを返してちょうだい」

 

「そう言われても。挨拶して回ったのに、落ちてたら最悪じゃん」

 

「変なところで心配症ねぇ。いいわよ、一緒に復習しましょ」

 

 

 心配になって試験問題を見直したものの、私も愛莉も合格のラインは超えてそうだった。

 その証拠に2月頃には郵送で分厚い封筒が届き、合格と書かれた文字が確認できて、私の肩の荷が降りる。

 

 もちろん、愛莉も合格していたので、片方だけ落ちちゃったなんて話はない。

 連絡してからその可能性に気がついたので、2人とも合格できていて本当に良かった。

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 ──東雲さんの絵って、あの大きなコンクールの賞を取った割に大したことないね。

 

 

 雪平先生の評価の後に、ふと聞こえてきた言葉。

 二葉がものすごく青い顔をして、私を心配していたのが印象的で。

 

 私も自分の絵が酷いと自覚がなければ噛み付いていただろう。

 そうなれば二葉が余計にあたふたして、かわいそうな目に遭っていたに違いない。

 

 

『東雲さんは普通の高校を受験したのは逃げたから』

『最近の東雲さんの絵には魅力がない。ミライノアートコンクールで受賞したって言ってたのに、残念だ』

 

 

 勝手に期待して、勝手に落胆して、お前らに好き放題言われる筋合いはないと叫ばなかった私、超偉い。そう思わないとやってられない。

 

 

「絵名ちゃん……」

 

「ごめん、二葉。今、あんまり余裕ない」

 

「……うん」

 

 

 私が心配なのか、二葉はギリギリまでそばに居てくれた。

 私は雪平先生に用事があったので先に帰ってもらったが、何も言わなければ黙って一緒にいたと思う。

 

 愛莉といい二葉といい、良い友達を持ったものだ。

 周りの温かさを噛み締めながら、今日も最後まで残った私は雪平先生に声をかける。

 

 

「雪平先生」

 

「お待たせしました、東雲さん。今日は……聞きたいことがいつもと違うようですね」

 

「はい。どうしても1つ、気になることがありまして」

 

 

 今日の絵も技術的には上達しているのに、自分でも物足りない作品になっていた。

 アイディアも構図も色も光も影も、何もかも気をつけていても、何かが足りない。

 

 

「先生、もしも私が美術系の高校に受験したとして、受かってると思いますか?」

 

「……正直な感想でいいですか?」

 

「はい、お願いします」

 

「正直に答えるのでしたら、無理でしょうね」

 

 

 正直な感想、と言われた時点で察していたが、言われるとわかっていても痛い。

 

 今のままでは、ズルとか裏口とか忖度といった悪口を言い返しても、負け犬の遠吠えで。

 いい絵を描いて見返せたらいいのに、日に日に描く絵の魅力が抜けて、人に見せるのも烏滸がましいものになっていた。

 

 生き生きとしていない。死んでいる。

 表面だけ取り繕った絵に、描いた本人ですらダメだと思うのだ。

 折角描いた我が子なのに、良い絵が描けなくて。申し訳なくて。

 

 でも、それ以上に──描けないと思って苦しんでるのに、絵を描き始めたら『楽しい』と思っている自分が怖い。

 呪われてるかのように、苦しいと思いつつもスランプを楽しんでいるのだ。

 

 それがどうしようもなく違和感があって、その気持ち悪さに耐えきれなくて、トイレを占領してしまう夜もあった。

 

 この気持ち悪さと、ずっと付き合わなければいけないのか?

 

 

「──そもそもスランプって、抜け出せるんでしょうか?」

 

「それは東雲さんと運次第でしょうが……東雲さんはどういう時に描いた絵が1番印象に残ってますか?」

 

 

 1番印象に残ってる絵。

 時間をかけたという意味だと賞の為の絵だ。

 

 でも、私が脳裏に描いたのは病院にいた女の子の為に描いた絵と、公園でリボンの子と話した時に描いた絵だった。

 ならば私が印象に残ってる絵は……

 

 

「誰かの為に描いた絵、だと思います」

 

「人の為ですか……東雲さんらしいかもしれませんね。ならば、ファンアートというのを描いてみるのはどうでしょうか?」

 

「ファンアートって、好きな漫画とかの絵を描いて、SNSとかにタグをつけてあげる、あの?」

 

 

 ファンアートといえば、他人が創作したキャラや衣装、絵、小説、音楽等……それらを元に作った作品のことだと思うが。

 まさか雪平先生の口からそんな言葉が出てくるとは思わず、間違っていないか確認してしまう。

 

 

「描いてからの行動はわかりませんが、そのファンアートです」

 

 

 私の解釈するファンアートで間違いない、と。

 私は誰かの為に描いている絵が1番、良いものが描けているように見えるから、そういう絵で練習すればいいのではないか?

 ……というのが、雪平先生のアイディアらしい。

 

 

「私の話もあるでしょうが、南雲からも何か聞いてるでしょう?」

 

「……違う分野の人と同じ目的のものを作ってみれば? って話は聞いてます」

 

「私と同じ意見でしたか。誰かや仲間の為に描くサークル活動もまた、方法の1つですね。ただ、これらの方法だと……東雲さんの夢から遠ざかってしまうかもしれないのがネックでしょうか」

 

「?」

 

 

 どういうこと、だろうか。

 首を傾げる私に対して、雪平先生は告げる。

 

 

「東雲さんは画家とイラストレーターの違いはわかりますか?」

 

「え、っと」

 

 

 絵の描き方や画風……と答えたいけど、たぶん違う。

 改めて言われると、明確な違いなんて考えたことがなかった。

 

 

「絵だけで見れば、画家とイラストレーターに違いはありません」

 

「そうなんですか?」

 

「えぇ、この2つの違いは『お金の入り方』なんですよ。不安や孤独と闘いながら、売れるかどうかもわからない絵を描いて、その絵を売るのが画家であれば。依頼されて売れることがわかっている状態で、依頼主(クライアント)の望む絵を描くのがイラストレーターです」

 

「……なら、私がアドバイスされた方法は、イラストレーターであると」

 

「はい。だからこそ画家を目指すのは狭き門なのですよ」

 

 

 私が画家になりたいと公言しているから、雪平先生は警告してくれているのだろう。

 画家とイラストレーターの違いをよく理解していなかったのに、画家を目指したいとは笑ってしまう。

 

 

(やっぱり、色々と足りないものが多いな。今じゃ抜け殻みたいな絵ばかり、量産してるし)

 

 

 口を引き締めて、勤めて真面目な顔を作る。

 

 

「雪平先生、ありがとうございました」

 

「礼を言われるほどではありませんよ。東雲さんがその長いトンネルから、抜けることを祈っています」

 

「……はい」

 

 

 まだまだ続く長くて暗いトンネルの中。

 トンネルを抜けた先に待っているのは光なのか、雪国なのか。

 

 まだトンネルがあるかもしれないし、奈落に落ちるかもしれない。

 それでも筆を折るなんて思考にもならずに、前に進めるのは──この魔法みたいな『楽しい』って気持ちが、あるからなのだろう。

 

 

 




記憶喪失えななんはお父さんと話してからスランプに悩んでますが、まだ抜け出せていません。
次回からはスランプ脱出と絵名さんの願いを探す高校生活が始まります。

高校1年生編……つまり、ニーゴ結成編に移動するということですね。
それなので、今までのリザルト的な内容を載せておきます。
読み飛ばしても大丈夫ですし、今までの話からわかる程度の内容程度ですが。




《記憶喪失えななんのプロフィール》
性別・誕生日は公式と同じ。
身長:157センチ
(公式では158だが、高校1年生なのでまだ1センチ低い)
学校:宮益坂女子学園入学予定
学年:1年生(クラスは次話から判明)
部活:美術部予定
趣味:絵を描くこと・SNS映えする料理やお菓子作り&それらや化粧などの小物をSNSにアップ・エゴサーチ
(公式の趣味である自撮りは炎上での写真流出の為にできなくなった。自撮りをしたくても顔隠し自撮りまでしかしない。
エゴサーチは公式絵名さんとは違い、承認欲求というよりは『成長余地を見逃したくない』という向上心からによるもの)
特技:ファッション小物のリサーチ・料理の食材当て・短時間睡眠
苦手なこと・もの:朝そのもの・早く動くもの・意識外からの刺激や衝撃
(朝以外は大体、事故のトラウマのせい)
好きな食べ物:パンケーキ・チーズケーキ(公式と同じ)
嫌いな食べ物:にんじん(お母さんが作ったものは嫌だし避けようとするが、出されたら仕方なく食べる。しかし、それ以外は絶対に嫌)


《スケッチブックが叶えた願い事と副産物》
☆???(絵キチとか頭のネジが飛んでるとか言われるのはこの願いのせい)
・ショートスリーパー体質(???の副産物)
・自己軽視(記憶が消えたことによる後遺症)
・自制心と好奇心(記憶喪失な為、無くす前と比べると増量中)


《21話時点の目標》
・画家を目指す(公言したので、目標として残っている)
・絵名がスケッチブックに描いた本当の願いを見つける(優先度:高)
・絵のスランプから抜け出す(優先度:高)
・父や先生の言う『居場所』を見つける(2番目と3番目を解決するヒントになる可能性大)



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ニーゴ結成(高校1年生)編
22枚目 フワッフワなのは生地だけでいい



日刊のランキングに載せてもらったようで……多くの人に閲覧いただけて嬉しい限りです。
いつも本当にありがとうございます。

ニーゴ結成(高校生1年生)編、スタートです。



 

 

 ──拝啓、親友の桃井愛莉様へ。いかがお過ごしでしょうか?

 

 私は愛莉の懸念通り、宮女の1-Aの教室にてフワッフワに浮いています。

 

 

 

 ……って、冗談を言いたくなるぐらい、現状はあまりよろしくない。

 フワッフワなのは分厚いパンケーキだけでいいのに、幽霊もビックリなぐらい教室で浮いているのが今の私だ。

 

 そんな状態で教室に居座れるほど神経が図太くもなく、今日も私は放課後になった瞬間、美術準備室に直行して絵を描いている。

 

 南雲先生のアドバイスから、サークル活動してるところを探そうにも、なんか入りにくいし。

 雪平先生の話を聞いて、ファンアートを作ろうと思っても、ビビッとくるものが少ない。

 

 絵を毎日描いていても、成長しているようには感じない。

 南雲先生の紹介で漫画のアシスタントみたいなバイトを始めたので、技術的には更に伸びているはずなのに、実感が湧かない。

 

 使用済みのスケッチブックと完成したイラストだけが、無駄な時間を象徴するように重く積み上がっていく。

 1年A組(自分のクラス)では気まずいぐらい、私の存在が軽ーく浮いているのにね!

 

 個人的には、教室で1人でいること自体は気にならないのだ。

 絵を描いてたら時間なんて無限に溶けていくし、そこまで強がりな発言じゃない。勿論、ツンデレでも嘘でもない。

 

 じゃあ、何が問題なのかというと、だ。

 今の教室で問題なのは、何故かクラスメイトに遠巻きに様子を窺われていること。それに尽きる。

 

 話しかけられず、されど、ふとした時に視線を感じる居心地の悪さ。

 最初は誰か1人だけなのかと思ったのだけど、どうやらクラスにいる人達が、チラチラと私を見ているようで。

 

 陰口でも叩いてくれていれば無視できるのに、ただ視線を向けてくるだけだから、気になって仕方がない。

 視線を集めるのは嫌いじゃないが、こういう視線は何か違う。

 

 

(何の用なのか聞いても、顔を真っ赤にしてるだけだし……本当に意味わかんない)

 

 

 実はAクラス全員が中等部上がりで、1人だけ外部から来た外来種(わたし)が珍し過ぎて、興味津々なのか。

 私の悪名がとんでもなく轟いていて、周りが引いているのか。

 

 思い上がった考えをするならば、私に見惚れてるとか? ……言ってて思ったけど、絶対にないな。

 うちのクラス、めちゃくちゃ美人で文武両道らしい優等生様がいるらしいし。

 

 私が後輩・先輩・同級生関係なく、キャーキャー言われている美人に勝てると?

 ……絶対に無理だ。興味がなかったから顔は直接見てないけど、現実は理解している。

 

 

(いくら考えても、原因がわかんないのよねー)

 

 

 学校では原因不明な視線の針を刺され続け、絵画教室でも落胆の目を向けられる日々。

 いくらメンタルには自信がある私でも、こんな生活を続けていたら折れるぞ、と言いたい。

 

 この視線が可視化されるなら、私の背中は今頃ハリネズミだろう。それぐらい心のダメージは重症だ。

 まだ入学してから1ヶ月近くだというのに、担任の先生から「何かあれば相談してね」と言われる程度には、私は疲弊していた。

 

 

(あー、私の安息の地(ベストプレイス)は美術準備室か自室しかないんだぁ……)

 

 

 愛莉に会えないから相談もできないし、家族にできるだけ迷惑をかけたくないから、そんなことを相談するつもりはないし。

 

 絵もダメ、学校生活もダメ、記憶の進捗もダメと私の心はズタボロ雑巾君だ。

 学校に転がってそうなズタボロな雑巾の絵を描いて、何となくそこに絆創膏と悲しそうな目と口をつけてみる。

 

 

「雑巾君、そのまま私の気持ちも一緒に連れて行ってね」

 

 

 呟いてから、雑巾が書かれたスケッチブックを捲って、次のページへ。

 このままツラツラと悩みそうな気分を変えたくて、まだ学校にいるにも関わらず、私はスマホから最大音量で音楽を流した。

 

 テンション爆上げ、盛り上がる、元気が出る、やる気全開、と次々に流してみたものの、何かが違う。

 逆に悲しい時とか苦しい時に聞く曲なんてものも流してみたけど、こっちまで気分が引き摺られて戻れなくなりそうだ。

 

 

「……なにこれ?」

 

 

 テンション上げても下げてもしっくりこない中、動画のオススメ機能がバグったのか、真っ黒なサムネイルの動画が表示された。

 

 

(この動画、閲覧してもらう気がある? 真っ黒なサムネとか勝負し過ぎでしょ。もうちょっと工夫すればいいのに……って前にもそんな話、したような気がするけどね)

 

 

 どうせ数回ぐらいしか再生されていない、ありふれた動画の1つだろう。

 なんて思っていたのに、その動画は私の予想よりも4桁ぐらい多く再生されていた。

 

 サムネが真っ黒でも、意外なことに万単位で再生されている動画。

 そのとんでもない数字が気になって、興味本位でタップしてみた。

 

 

「これは……」

 

 

 再生される理由が聞いただけでわかった。

 『K』という人が作ったらしい音楽の動画達。

 ハイペースで何本も投稿されているそれらを、私は新しく作った再生リストに全て突っ込んでいく。

 

 

(すごい。どの曲も痛いぐらい気持ちが伝わってきて、優しく寄り添ってくれてるみたい)

 

 

 私が最初に女の子(ヒト)のために描いた、あの時の気持ちが想起されるようだ。

 その中でも最新の曲をリピート再生の設定をして、目を閉じてじっくりと聞いてみる。

 

 

(この曲は……真っ暗な森の中、月が浮かんでて……迷子、なのかな。とにかくイメージが次々に浮かんでくる)

 

 

 聴覚に集中しているせいなのか、流れてくる曲が胸にグッと響いてきて、枯れていたはずの私の絵の源泉が蘇っていく。

 

 

(あぁ……描きたいな。私、この曲の絵が描きたいなぁ……!)

 

 

 とりあえず下書きがしたい。その衝動に身を任せて、鉛筆を握りしめる。

 湯水のように溢れる絵の構図を何枚も描き出して、スケッチブックから切り離した子達を床に広げて並べた。

 

 さぁ、これから完成させるならどの構図がいい? もっと良い構図があるだろうか?

 

 久しぶりに感じるワクワクする感覚。

 

 この曲にサムネをつけるなら、動画として絵を渡すならどんな絵を出すのが私のできるベストだろう?

 相応しい構図を選んで、そこから線を描き直し、頭のイメージを具現化する。

 

 

 

(あぁ、あぁ。良かった。私、描けるんだ。才能がないって知ったって、あるんだぞって思い込まなくたって、頭で想像した絵が、景色が、まだ描けるんだ! 私、できるんだ……!)

 

 

 

 いつもなら制服だから汚さないようにしなきゃとか考えるのに、後のことなんてどうでも良くて。

 普段なら学校の下校時間も考えるのに、そんなものは邪魔でしかない。

 今はただ、この衝動のままに描いて、のめり込んで、溺れたいのだ。

 誘われるように、沈むように、放送の音も何もかも無視して絵を描いていたのに──

 

 

 

「──東雲さん?」

 

 

 

 開かれた扉と、風と共に入ってきた何者かの声。

 意識が引き上げられて、邪魔された私はキッと扉にいるであろう人物を睨みつけた。けど。

 

 

「誰よあんた……って、えぇ?」

 

 

 邪魔しないで、という言葉を吹き飛ばす衝撃が私を襲った。

 

 視線の先にいたのは、個展で出会った少女だった。

 

 緩く癖のついた竜胆っぽい紫の長髪を一括り。勿忘草を彷彿とさせる明るい青目なんて、そう簡単に忘れられない特徴だ。

 

 ──で、この特徴に当て嵌まる人がもう1人いる。

 

 A組の教室にて、窓際列の1番前に座っている優等生様──朝比奈(あさひな)まふゆだ。

 

 今まで噂の優等生とやらには興味がなくて、後ろ姿以外よく見ていなかったのだけど、ちゃんと顔も確認しておけばよかった。

 

 そうすれば、こんな間抜けな面を晒さなくても済んだというのに。

 そんな後悔に胸を占領されていると、朝比奈さんは他人と電話している時みたいな声で話しかけてきた。

 

 

「集中して描いてるところごめんね。もう下校時間だから、声をかけ回ってるんだ」

 

「……どうして朝比奈さんがそんな面倒なことをしてるの?」

 

「私、学級委員だから。先生にお願いされて、ついでに回れそうなところは回ってるんだ」

 

「それ、学級委員の仕事じゃないでしょ」

 

「そうかもね。でも、頼まれたからにはちゃんとやらないと」

 

 

 口元に手を持ってきた朝比奈さんは目を細める。

 扇子とかが似合いそうな顔だ。少なくとも、喜んでやっているようには見えない。

 

 

「あっそ……すぐに片付けるし、手間取らせるのも悪いから次に行っていいわよ」

 

「まだ時間には余裕があるし大丈夫だよ。それよりも1つ、聞いても良いかな?」

 

「何?」

 

「今流れてる曲って、東雲さんが流してるの?」

 

 

 朝比奈さんに言われて気がついた。

 ……そういえば、学校にいるのに大音量で動画を流しっぱなしだ。

 

 しかも、スマホで設定できる最大の音量で垂れ流し状態。考えなくてもわかるぐらい、迷惑行為である。

 

 

「ごめん、煩かったよね。誰もいないから気にせずに流しちゃってた」

 

「煩いとは思わなかったけど……聞いたことない曲だったから、気になっちゃって。それ、何の曲なの?」

 

「何の曲と言われても難しいけど……Kって人が作ってる曲みたい。私もさっき見つけたばかりで、詳しくは知らないんだよね」

 

 

 そんな曲を大音量で流しているのだから、我ながらおかしな話である。

 話しつつも動画を消して、スマホの音量も戻しておく。

 

 これで事故が起きる心配はない。片付けも終えたので、後は帰るだけだ。

 

 

「長い間足を止めさせた私が言うのもアレなんだけど、朝比奈さんはのんびりしてて大丈夫なの? 予定とかないわけ?」

 

「予定? 17時半から予備校があるけど」

 

「えぇ……それなのに先生の頼み事まで聞いてるの? 自分で自分の首を絞めるような真似、辛いだけじゃん」

 

 

 4月という短い期間だけでも、紫の髪が昼休みも惜しんで勉強したり、他人の為に時間を使っている姿を見たのだ。

 放課後も部活だけでなく予備校や塾も行って、先生や友達の頼み事までしていたら身体が幾つあっても足りない。

 

 それなのに笑みを貼り付けて、今も時間ギリギリまで仕事をしようとしている彼女が少し、心配になった。

 

 

「足止めしちゃったし、この後の残りの見回りは私が引き受けるわ。朝比奈さんはそのまま予備校に行きなよ」

 

「そういうわけにもいかないよ。これは私が頼まれたことだから──」

 

「それ、あんたじゃなきゃできない仕事なの? 違うでしょ」

 

「でも」

 

「あぁ、はいはい。でもも何もないですー。これでもあげるから、おとなしく引き下がってよ、ほら」

 

 

 準備室で淹れたばかりの紅茶の水筒を朝比奈さんに押し付け、美術準備室を施錠する。

 春とはいえ、今日はほんの少し肌寒い。これならばカイロ代わりにも使えるだろう。

 

 

「毎日学校でも勉強、やってるのは見てたし……いつも頑張ってるんだから、たまには誰かに甘えても良いんじゃない?」

 

「東雲さん……ありがとう」

 

「別に。さっさと行けば? 時間、余裕ないんでしょ?」

 

 

 完全下校時間ということは、もうそろそろ17時なのだ。

 こんなところで先生の頼み事なんて優先しなくても良いと、朝比奈さんを手で追い払う。

 

 小走りで去っていく背中を見送って、私は朝比奈さんが声をかけてなさそうな場所を見て回ることにした。

 

 

「さてと、さっさと面倒事は終わらせよーっと」

 

 

 これを終わらせたら絵を完成させて、SNSにファンアートをアップしよう。

 

 帰ってからの予定を考えながら、私はオレンジ色に染まった廊下を1人、練り歩いた。

 

 

 





さらりと明かされる公式絵名さんとの相違点:記憶喪失えななん、バイトしてる。
まぁ、先生の伝手で漫画のアシスタントをしてるという、ちょっと変わったバイトなんですけど。



《とあるピクシェアのファンアートの感想》

──その絵の少女は森の中にいた。

恐ろしいぐらい真っ暗な闇に纏われて、今にも飲まれて消えてしまいそうなその少女は泣いている。
しかし、そんな少女を照らす優しい月光だけが、彼女を消さずにその場に立たせている。

消えたくないと泣く少女に残るのは、月の光か、森の暗闇なのか、あるいは──?
少なくとも私は、この少女の先には月の光で照らされていてほしいと思う。


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23枚目 少しずつ、少しずつ

 

 

 留年さえしなければサボってもいいんじゃないかなー、と思い始めていた高校生活に、異常なことが起きている。

 

 

「東雲さん」

 

 

 昨日の夜ご飯を丸ごと詰め込んだだけのお弁当を手に持つと、声をかけられた。

 声の方を見れば、そこには周囲に期待された通りの『完璧』な笑顔を浮かべる朝比奈さんがいて。

 

 

「ん? どうしたの、朝比奈さん」

 

「お昼、一緒にどうかな?」

 

「……移動してくれるなら、別にいいけど」

 

 

 ──どうやら宮益坂女子学園で人気の優等生に懐かれたらしい。

 

 月から金曜日まで、毎日欠かさずにお昼のお誘いが来るのだ。それ以外にふさわしい言葉が私には見つからなかった。

 

 月曜日はお昼ご飯だけ。火曜日はお昼休みの間。

 水曜日には他の休み時間でも話しかけてきて、木曜日になると放課後にも美術準備室に現れた。

 

 なにがそんなに良いのか。忙しいはずの朝比奈さんは時間を作って、私の前に現れるのだ。

 

 時間を作ってくれている努力もわかっているだけに、無碍にはできない。

 しかし、目立つのも面倒だと思う気持ちも事実で。

 

 今日もお昼のお誘いを受けた私は、朝比奈さんを連れて美術準備室まで避難した。

 

 

「東雲さん、お弁当を食べながらスマホを見るのは行儀が悪いよ」

 

「周りには朝比奈さんしかいないし、大丈夫大丈夫」

 

「家なら兎も角、外ではやめといた方がいいと思うけど」

 

「これ終わったらやめるから、もうちょっと待って」

 

 

 ループ再生をオンにして、MVがついた動画を再生する。

 この動画に使われている絵を見て笑っていたら、朝比奈さんが小首を傾げて問いかけてきた。

 

 

「それってこの前のKって人の曲だよね? 笑ってるけど、そんなに良いことがあったの?」

 

「そりゃあもう。まず、Kさんの曲自体好きだし……更に、曲に合わせて作ったMVに、私の絵を使ってくれた人がいてさ。態々私の絵を使ってくれたのよ? それがもう、すっごく嬉しくて」

 

 

 今日の朝、そこまで反応のないピクシェアの絵の方のアカウントに突然、AmiaというアカウントからDMが来た。

 

 しかも、面白いことにそのDMは『絵を使いたい』じゃなくて『事後報告ですみません、あなたの絵でMVを作りました。よければアップしたいので、許可をいただけないでしょうか?』ってものだったのである。

 

 いや、作成は事後報告で欲しいのはアップの許可なの!? って朝からツッコミを入れてしまった私は悪くない。

 

 でも──折角作ったものだし、何より私の絵を使ってくれたのだ。

 全然構いませんよーって返信して、そこから試しに曲の感想を送れば、返してくれて。

 私の方は1限の授業中なのに話が盛り上がってしまい、危うく先生にバレかけたのは良い思い出である。

 

 

(私が悪いんだけど、あの時はヒヤリとしたなぁ)

 

 

 朝のことを思い出して、また笑う私。

 こちらの様子を観察していた朝比奈さんは不思議そうな顔をしていたのに、こちらの視線に気がついた瞬間、目を細めた。

 

 

「そっか、良かったね。東雲さんが楽しそうで私も嬉しいな」

 

「……あぁ、はいはい。それはどうも」

 

 

 顔は良い笑顔を貼り付けているものの、全く嬉しそうには見えない。

 こっちに合わせてくれたんだな、とわかった私は朝比奈さんを適当にあしらう。

 

 朝比奈さんが相手の喜びそうな言葉を選ぶ癖があるのは、何となくこの1週間で察していた。

 炎上の件もあって、個人的にそういう対応はあまり好きじゃないのだけど。

 

 どうやら朝比奈さんも触れ難い事情があるらしく、もどかしく思う気持ちはブレーキを踏んで押さえ込んでいる。

 今のところ彼女の領域に踏み込むつもりがない私は、早急に話題を変えた。

 

 

「動画を流してる時から思ったんだけど。朝比奈さんもKさんの曲、好きなの?」

 

「え? どうして?」

 

「他の曲は特に当たり障りのない言葉だったけど、Kさんの曲だけ反応がちょっと違うように感じたから」

 

「そうかな。そんなつもりはなかったんだけど」

 

「ふぅん、そっか。もし好きだったら話せたのにね」

 

 

 この反応を見るに、Kさんの曲は知ってるけど触れられない理由があるってところだろうか。

 朝比奈さんの様子を観察して心の中にメモを残すと、私は残りのおかずを口に含んだ。

 

 そんな調子でお互いにお弁当を食べ終えて、朝比奈さんはどうしてもやりたい塾の予習があるらしく、教室に教材を取りに戻ることにした。

 

 だが、朝比奈さんは私が予想しているよりも、かなり人気者らしい。

 

 

「朝比奈さん! ちょうど良いところにいたわ!」

 

「あぁ、先生。どうしたんですか?」

 

「5限目の授業の時、ノートの返却をしようと思ってるんだけど、先生1人だと持っていくのが大変で。朝比奈さんにも手伝ってほしいの」

 

「……わかりました。私でよければ手伝いますよ」

 

 

 先生の言葉を聞いた瞬間、朝比奈さんが固まったのを見てしまった。

 その後すぐに返答していたけれど、予習をすると言っていた子が手伝うなんて、易々と言っても良いのだろうか。

 

 準備室ではどうしてもやりたいって言っていたのに、相手を優先する癖は最早悪癖だろう。

 私は小さくため息を漏らし、朝比奈さんの前に出た。

 

 

「先生、すみません。その手伝い、私がやりたい気分になったので、手伝っても良いですか?」

 

「え、東雲さんが?」

 

「実は私、東京美術大学に行きたいと思ってまして。少しでも内申点を稼ぎたいんですよねー」

 

「えぇー。手伝ってくれるのは嬉しいけれど、内申点をあげるのはねぇ」

 

「そこをなんとか、朝比奈さんの分まで運ぶのでお願いします! 朝比奈さんも内申点で困ってる私の為を思って、譲ってくれない?」

 

 

 あんたは自分がやろうとしてたことを優先しなさい、と目で訴えて。

 それが伝わったのか、朝比奈さんは「仕方ないなぁ、よろしくね」と笑いながら手を振ってくれた。

 その顔はどこか、ホッとしているようにも見える。

 

 

(ほんっと、難儀よねー)

 

 

 嫌なことは嫌だと言えばいいのに、優しいのか不器用なのか。

 断らずに全部引き受けちゃうのだから、下手したら私よりも難儀な子である。

 

 放っておいたら勝手に色々と背負い込んで、重さで潰れてしまいそうで怖いから、知らぬふりをして放置も難しい。

 

 踏み込み過ぎず、放置もしない。

 そんな絶妙な距離を探りながら、今日も無事に1日を過ごすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな風に朝比奈さんをさりげなーく見守り隊(隊員1名)をし続けて1週間が過ぎた頃。

 

 ある日、Kを名乗るアカウントから『一緒に動画を作りませんか?』というお誘いのDMが来ていた。

 

 ──星の数ほど絵師がいる中で、私程度の絵描きに声をかけるとか、本気か?

 

 そんな疑いの目もあり、本人かどうか怪しんでいたところ、デモが送られてきて逆にびっくりしてしまった。

 さすがにあの情報の詰め合わせセットのようなデモを見て、それでもこのKさんは偽物なんだ! と言う気持ちにはなれなくて。

 

 指定時間が私の活動時間の1時であるということもあって、迷った末に私は了承の連絡を送った。

 

 態々相手が指定する『ナイトコード』とかいうアプリをダウンロードして、アカウントを作成。

 アカウント名は……ピクシェアと同じ『えななん』でいいか。ナイトコードだけ違うのを使っていても、ややこしいだろうし。

 

 そんな風にトントン拍子で設定を決めて、と。

 ナイトコードを入れて、サーバーの招待を確認して、準備は大体できた。

 

 

 

(えーと、Kさんの他にもAmiaさんと雪さんもいるのね。3人かぁ……あれ、私ってそんな大人数と話すの、初めてじゃない? 大丈夫?)

 

 

 今、とんでもなく間抜けな心配をしているが、そんなことが気にならないぐらい、私の心の中は大混乱だった。

 

 しかも、Kさんに招待されたサーバーに入ると、すでにボイスチャットにはKさんとAmiaさんがいるではないか。

 

 もしかしてあそこで、面談とかしてるのでは……?

 特技とか聞かれても絵です! としか答えられないけど? 後何を言えばいい?

 

 情けないことに、初めての経験を前に私はかなり日和っていた。

 

 

 しかし、いつまでも画面を眺めているわけにもいかず、意を決した私はボイスチャットに入り、声を出す。

 

 

「お、おじゃましますっ……」

 

『こんばんは、遅くなってすみません』

 

 

 私の酷く頼りない声の後に、聞き覚えのあるハキハキとした声が響く。

 ボイスチャットのアカウントが点滅したのは『雪』という名前のモノのみ。ということは、今喋ったのは雪さんだと。

 

 朝比奈さんが脳裏にチラつくぐらい似てるけど──そんなわけないか。

 

 

『どうやら一緒に曲を作ってる雪と……招待したえななんさんも来てくれたみたいですね』

 

 

 感じ取った違和感を受け流したのに、また違和感が横から殴ってきた。

 今光ったアイコンはKさんのもの。それなのに何故か、私の頭には白髪が倒れている姿が想起されていて。

 

 

(いやいや。あんなすごい曲を作る人と『入院患者の仲間入りなんてしないよ』とか言いながら、最近病院に運ばれてた子……2人を頭で繋げるとか、どうかしてるでしょ)

 

 

 今日の違和感はしつこくて、Amiaさんすらどこかで聞いたことがある声に聞こえてくるし、私の頭はどうにかなってるのかもしれない。

 

 頭をリセットしようと、8時から寝てしまったのが原因なのか。

 襲いかかってくる違和感の犯人を睡眠に決めつけて、私は考えるのをやめた。

 

 

 ──私の思考が停止しているものの、これでメンバーが揃ったらしい。

 

 Kさんと一緒に、というか主に編曲をしているらしい雪さん。

 今回招待されたイラスト担当の私こと、えななん。

 私とDMでやりとりをしていて、素敵な動画を作ったAmiaさん。

 最後にKさんの以上4人。一通り自己紹介を簡単にして、お試しで動画を作ってみると。

 

 

 改めてKさんがどういう動画を作りたいか話して、私達と共有して──さぁ、作りましょう!

 ……って、なるのがたぶん、Kさんの予定なのだろうけど。

 

 

 私はどうしても1つ、確認したいことがあった。

 

 

 

「すみません、Kさん。話を聞く前に1つ……確認したいことがあるんですけど」

 

 

 声はまだ、震えている。

 しかし、私の2年程度のちっぽけなプライドが『聞かなければいけない』と叫んでいた。

 

 

「──本当に、私の絵で良かったんですか?」

 

『えっ?』

 

「話を聞いた時、声をかけてもらえて嬉しかったです。でも、1人の絵描きとして考えたら……別に私じゃなくても『良い絵』を描く人は沢山います。イラストだけ外注して、毎回曲ごとに絵師を変える方法だってあるはずです。それなのにあなたは今回だけとも、何とも言わなかった」

 

 

 私程度の絵師はピクシェアで探せば馬鹿みたいに沢山いて、私以上だと限定しても、結構の人が該当すると思う。

 それなのに、態々今回だけとも言わず、サーバーにも招待してくれた理由は何だろうか?

 

 

「私はどうしても、それを聞きたいと思いました。今も皆さんを困らせているのは理解してますけど……どうか、聞かせてもらえませんか?」

 

 

 それを聞かない限り、私は気になってしまってこの後の行動を決めきれない。

 

 そんな予感もあって問いかけたのが、声だけでも伝わったのか。

 Kさんは一息置いてから、ゆっくりと口を開いて──

 

 





まさかの、メインストーリーよりも先に『そしていま、リボンを結んで』のイベントストーリーを先にする暴挙です。


《一方、その頃──》

雪(やっぱり、えななんさんは東雲さんか)
Amia(あれ? ボク、この人の声聞いたことがあるような……?)
K(え、この声……病院のあの人の声と同じ……?)


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24枚目 ウキウキ合作

 

 

 動画制作者のAmiaさんが誘われるのはわかるけど、どうして私まで誘ってくれたのか?

 

 その疑問に対して、Kさんは一息置いてから口を開いた。

 

 

『わたしはAmiaさんの動画も、えななんさんの絵も良いと思って声をかけました。おふたりが作ってくれたものが、わたし達の曲を1番丁寧に汲み取ってくれていると思ったんです』

 

 

 Kさんのアイコンが暗くなったのを見計らったように、今度は雪さんのアイコンが輝く。

 

 

『そうですね、私もKと同じ意見です。えななんさんの絵は何かを訴えてくるような、激しくて良い絵だと思いましたし……なにより、2人の動画のおかげで、こちらの動画の再生数も伸びてますから。そういう実績を鑑みても、お任せしたいと思ってます』

 

「それは、元々の曲とAmiaさんの動画が良かったからだと思いますけど……その、ありがとうございます」

 

 

 スランプで上手く絵が描けていない人間が描いた作品が『良い』だなんて、お世辞の言葉にしか聞こえないのだけど……

 

 ここで下手なことを言ってしまうと、自分が褒めて貰いたいだけの人間になってしまう気がして、思っていることを一旦、飲み込む。

 

 そもそも、スランプはあくまで私個人の問題であり、顔も知らない*1他人にぶつけるのはお門違いなのだ。

 

 真摯に答えてくれたKさん達に見えなくても頭を下げて、私は言葉を発する。

 

 

「そういうことでしたら、私はこれ以上何も言いません。お話の邪魔をしてすみませんでした」

 

『いえ。えななんさんがこちらのことを考えてくれているのは、DMの時からすごく伝わってきたので。このぐらいの質問なら、いくらでも大丈夫ですよ』

 

(それはKさんの山のようなデータから、この人は本気でやってるんだって思ったからなんだけど……)

 

 

 本気で頑張ってる人に対して、中途半端な対応も、自分の利益しか考えていない行動も、どちらも許せなかっただけ。

 

 それなのにKさんは好意的に捉えてくれるから、背中がむず痒くなってしまった。

 

 

『では、改めてお話ししますね』

 

 

 静かな声が響き、私は自然と背筋を伸ばして「よろしくお願いします」と答えていた。

 Amiaさんも同じような気持ちなのか、アイコンはミュート状態でもないのに全く光らず、言葉の続きを待っている。

 

 

『わたしは……わたし達の作る曲をもっと多くの人に聞いて貰いたいと思っています』

 

 

 それは声だけでも自分と重ねてしまうものがあるぐらい、重さのある言葉だった。

 

 

『おふたりにこの曲のMVを作って貰えば、それが叶うんじゃないかと──そう思って、声をかけさせてもらいました。まだ少し粗いんですけど、新しい曲のデモも用意してます。よければ聞いてください』

 

 

 その言葉と共に、未発表のデモが送られてきて、私は恐る恐るそれを再生する。

 その瞬間、1つの動画だけでこちらを信用しているような行動と、今までの言葉が私の中で繋がった。

 

 

 Kさんは……彼女はこちらを信用してるんだろうけど。ある意味では信用なんてしてないのかもしれない。

 

 

 彼女にとってはこの件で多少の不利益があっても、次に切り替えて突き進んでいく程度の問題で。

 自分が曲を作って、それが誰かに聞いて貰えさえすれば良いのだ。

 

 目的の為なら──多くの人に聞いてもらう為なら、手段を問わないと言わんばかりの『気迫』。

 

 まるで、才能を貰ってしまったと思い込んでいた私のような。何もかも捧げて絵を描い(曲を作っ)ている姿を想起させた。

 

 

(あぁ。送られてきた曲も、この人も、私なんかと違って強く感じるなぁ)

 

 

 私は自分の思い込みと実力が乖離してしまって、耐えきれなくなったけど。

 Kさんは1人になったとしても、呪いのように曲を作り続けるのだろう。

 

 彼女は私なんかと違って天才だ。

 実力の乖離なんて間抜けなことは起きないだろうから、私と違って最後まで走ってしまえる。

 

 

(ただ、走った先のKさんが無事なのかは心配だけど……それは蛇足ね)

 

 

 頭に過った悪い考えを追い出す。

 

 こんな考えは余計なお世話だ。

 勝手に自分と重ねて、勝手に心配して。何様なんだって話だし、これ以上考えるのはやめよう。

 

 

『では、よろしくお願いします』

 

 

 グルグルと私が考えている間に、Kさんの言葉でその場は解散になって。

 

 明日、Amiaさんと改めて2人で動画を作ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 あれから学校にいる間も、家に帰ってからも、Amiaさんと約束した時間までずっと曲を聞いていた。

 

 一応、自分のイメージした絵のラフを用意してみたものの、今回のMVの作成は私だけの話ではない。

 先走るのも良くないと自制して、Amiaさんとの打ち合わせの時間までソワソワとしながら待っていた。

 

 

『こんばんは、えななんさん』

 

「こんばんは、Amiaさん。もう時間でした?」

 

『いえ。えななんさんが1時間前から待機してたので、ちょっと早めに来ました』

 

「えっ……それはすみません。誰かと一緒に何かを作るのって初めてで、楽しみ過ぎてボイチャを繋いだままにしてました」

 

『そうだったんですね。別に悪い事じゃないんですから、大丈夫ですよ』

 

 

 早めに入っていてもバレなきゃいいだろう、と思っていたのに見られていた、と。

 相手の顔も見えないのに穴があったら入りたい。意味がないけど隠れたい。

 

 画面の前で悶絶する私を他所に、Amiaさんは落ち着いた声で話しかけてきた。

 

 

『それじゃあ始めましょうか。進め方は……えーっと。えななんさんに絵を描いてもらって、それをボクが動画にするってやり方でいいですかね?』

 

「はい、それで大丈夫です。ただ、始める前に1つ、提案してもいいですか?」

 

『何でしょう?』

 

「その、先に昨日貰った曲の感想を話しませんか?」

 

『……え、っと?』

 

 

 そこまでおかしな提案をしたつもりはないのだが、Amiaさんから返ってきた声は呆けたものだった。

 

 もしかすると、Amiaさんが描いていた進め方と違っていたのかもしれない。

 それで私の提案が素っ頓狂なものに聞こえた可能性がある。

 

 声だけだと判断しにくいものの、間違っていないはずだと信じて情報を付け足した。

 

 

「今回、曲に対して私が絵を描いて、Amiaさんが動画にするっていうのは確認してもらった通りですよね?」

 

『そうですね』

 

「だからこそ、完成図を共有していない状態でいきなり作成に入るのはダメだと思うんです。私とAmiaさんのイメージが違って、お互いが納得できない作品を作ってしまうのは不本意ですから」

 

 

 例えるなら、私が肉じゃがを作ってほしくて材料を買ってきたのに、材料を見たAmiaさんが「何でカレールーが無いんだろ? ま、いっか」とカレーを作ってしまうような。

 

 とにかく、そういう間違いが起きる可能性があるからこそ、先に何を作るかイメージを共有したかったのだ。

 

 

『そういうことでしたら、先に話し合いましょうか』

 

「ありがとうございます。早速なんですけど……Amiaさんはこの激しい曲調の矢印が外向きなのか内向きなのか、どっちだと思いますか?」

 

 

 ちなみに、私はどちらもあり得るから悩みに悩んだ。

 

 色んな考察ができるからこそ、様々な可能性を描いたラフが今も机を占領しているぐらい、悩んでしまった。

 

 Kさん達の曲があまりにも素晴らしいから、私も久しぶりに気持ち悪さも違和感もなく、絵を描くことを楽しく思っている。

 

 だからこそ、Amiaさんにもこの作業を楽しんで欲しいと、我儘のような気持ちがあって。

 私は全部語りたい気持ちを抑えて、最初に感じた意見を口に出した。

 

 

「激しい曲調ってアニメーションも激しいものが多いですし、私は苦しくて痛くて叫んでるのかなーって、最初(・・)は思ったんですよね」

 

『ボクは……はい、えななんさんの解釈もいいと思いますよ』

 

「ですよね! でも、()ってことはAmiaさんにもハッキリとした自分の解釈があるんじゃないですか?」

 

 

 問いかけてから数分間解け待ってみたものの、アイコンは中々光らない。

 私がせっかちなのだろうか。もどかしくて、つい声を出してしまう。

 

 

「Amiaさん、離席しました?」

 

『えっ、いや、居ます。居ますよ』

 

「よかった。私、最初にも言ったんですけど、誰かと何かを作るのは初めてで、楽しみにしてたんです。折角、一緒に作るんだから片方の意見だけを反映するなんてことは、私が嫌なんですよ。それなら1人で作っていいじゃんって話ですし」

 

『……それは、そうかもしれませんけど』

 

「失言とかを心配してるのなら大丈夫ですよ! Amiaさんは私みたいに1時間前からボイチャで待機してないし、突拍子ないことも言ってません。ほら、どんな感想を言ったって、私の方がやらかしてますよ!」

 

 

 あははー、とわざと笑えば相手も小さく笑ったようで、一瞬だけアイコンが光る。

 仮にここで素っ頓狂なことを言われたとしても、この状況で私を超えるボケを持ってくるような度胸があるなら、それはそれですごいから『アリ』だ。

 

 そんな気持ちを伝えたくて、声だけでなく見えもしないのに握り拳を作って、私は胸を叩いた。

 

 

「さぁ、意見をドンとぶつけてきてください。Amiaさんが言ってくれるまで、私はいつまでも待ってますから、ね?」

 

『えっと。じゃあ、その……ボクは、叫ぶというより《叫ぶことすらできない苦しみ》みたいなのを感じて……』

 

「《叫ぶことすらできない苦しみ》、ですか?」

 

『はい。だから、ボクはあの曲の場合、叫んでる姿よりも歪んでいても無理して笑っている方が合ってるかなって、思ったんですけど……』

 

「確かに、そういう受け止め方も良いですね。私は思いつかなかったんですけど、それだと私が最初に言ったものとかや用意してきたラフなんかより、全然良い……すっごく良いと思いますよ、Amiaさん!」

 

 

 心の中が荒れていようが、心配はかけまいと笑う場面は私にも心当たりがある。

 そして、私の叫ぶ云々や他のラフの解釈よりも、Amiaさんの解釈は全体的に曲に合う気がするし、絵も想像できた。

 

 それなのにそのシチュエーションがラフにないとは、私もまだまだ修行が足りない。

 そんな情けなさを感じるものの、1度考えが嵌ればアイデアがどんどん浮かんでくるし、この熱を消したくないって気持ちが高まってくる。

 

 

「Amiaさん、ちょっと待ってもらってもいいですか? すぐ描いて共有しますから!」

 

『え、いってらっしゃい……って、いや、ミュート忘れてますけどー?』

 

「──もう描いたから大丈夫! 後は画像を確認してくれると嬉しいかな」

 

『え、早っ!? って、ホントに送られてきてる!?』

 

 

 必要最低限の線しかないものの、どんな絵を描いたのかはわかるシンプルなラフ。

 

 フェニランで絵を売る時に培った《3分で重要な線だけを描いて完成させる練習》が存分に活かされた絵に、Amiaさんは素っ頓狂な声を上げた。

 

 

「とりあえず聞いた印象と私の勝手な補完で絵を描いちゃったんだけど……Amiaさんの感想、他にも色々と聞いてもいい? そっちの方がもっといい絵ができる気がするから」

 

『えっと、他にも?』

 

「そう! 曲中の激しい部分が内心を表しているだとしたら、MVの最後までこの内心を外に出すのか、それとも秘めたままで終わるのか決めたいでしょ。最後まで叫べないのなら秘めて終わるのがいいかと思うけど、それなら全体的なイラストの雰囲気は陰があるような雰囲気でまとめる方が良いのかなぁって感じるし……でも、やっぱり曲の激しさも表現したいなーって思うじゃん。なら、背景を不気味に見えるような色の塗り方にするか、それか目の中をぐちゃぐちゃにしてみるか迷ってるのよね。だからどっちがいいか、Amiaの感想を聞かせてほしいな。後、私はあの転調するところが好きだから、その辺のイラストも力を入れて複数枚描いた方がいいのか相談したいし、それ以外にも──」

 

『あの、ごめん。申し訳ないんだけど、1個ずつ解決させてもらってもいい? 流石に全部一気に聞き取るのは無理だったよ……』

 

 

 抑えていた勢いがつい溢れてしまい、私が先に遠慮がなくなれば、Amiaさんの言葉にもどんどん遠慮が消えていって。

 

 質問責めした言葉を1つずつ聞いていく頃には、私とAmiaさんはかなり打ち解けることができていた。

 

 

*1
記憶喪失えななんは全員顔見知りな可能性を、現段階では無視している。





記憶喪失えななんは1年近いスランプで非常にストレスが溜まっており、久しぶりの純粋に楽しいお絵描きタイムにウッキウキなので、かなりテンション高めでした。

これには瑞希さんもタジタジでしたね……


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25枚目 反対側に立っている

 

 

「Amia、いるー?」

 

『うん、いるよ。ミュートを外したってことは、もしかして?』

 

「待たせちゃったけど、やっと全部の絵が完成したの! 私の力作、早速送るから見てよね」

 

『おぉ、やったね! 全部見させてもらうよ』

 

 

 あの話し合いから3日が過ぎ、私はようやく絵を完成させることができた。

 

 Amiaと話し合って、絵のテーマは『静かな叫び』に決まり。

 

 私はAmiaが最初に作った動画みたいに1枚の絵で作るのかと思ったのだけど、物語仕立てのMVを作りたいという話だったので、話し合いながら何枚も絵を描いた。

 

 途中で出来上がった少女の絵に『大切なもの』を表現したリボン付きの箱が追加されたりして。

 私もこの前よりも良い絵が描けたと思うし、自信はある。

 

 

(後は……Amiaが納得できる絵を、私がちゃんと描けてるかどうかだけ)

 

 

 ポンポンと送った色とりどりの絵達が並んだ画面を、ぼんやりと眺める。

 Amiaが絵を見ている間、静かな空間を肌で感じ、深呼吸で気持ちを整えつつも、相手の反応を待った。

 

 

『──うん。この女の子の顔とか、すごく良いと思う。ボクは好きな絵にそっくりで好きだな』

 

「好きな絵?」

 

『うん、数年前に貰ったものなんだけどね。この絵みたいに色がついてもないし、鉛筆で描いたものなんだけど……今もファイルに入れて持ってるぐらい、好きなんだ』

 

「へぇ。いいわね、そういうの」

 

 

 好きだと言って大切にされているのなら、絵もそれを描いた人も幸せだろう。

 

 私も絵を大切にしてはいるけれど、Amiaみたいな優しい声を出してしまう程、好きなものはあっただろうか?

 

 

(……ここで思い浮かばないって、なんだかなぁ)

 

 

 音が乗らないように気をつけながら、ため息を1つ。

 

 後はAmiaがMVを作って、Amiaの進捗具合で私の方も修正をする可能性もあるけど、殆ど仕事は終わったようなものだ。

 

 モヤっとした感情をまた脇に置いて、私はAmiaとの話に集中するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから4日が過ぎ、依頼されてから1週間ぐらい時間を貰って、私達はMVを完成させた。

 

 現在はKさんと雪さんが揃っているサーバーでAmiaと2人で入り、作ったMVを送ったところ。

 Kさんと雪さんが見終わるのを待ち、心臓に悪い時間を耐え忍ぶ。

 

 

『……どう、でしょうか?』

 

 

 長い沈黙の中、最初に破ったのはAmiaの声だ。

 窺うような声から数十秒経ち、次に声を出したのはKさんだった。

 

 

『まさか、こんな風に形にしてくれるとは思わなかったな』

 

 

 思わず丁寧な口調をやめてしまったと言わんばかりの、感嘆の声。

 その後にKさんから丁寧な言葉が添えられる。

 

 

『すごく、良いと思いました。前のものもよかったですけど、それよりもっと』

 

 

 Kさんの言葉にイヤホンからAmiaの息を呑む音が聞こえた。

 

 

「それは良かったですっ。やったね、Amia!」

 

 

 そういう私もAmiaと同じ反応をしていたと自覚してしまうぐらい、出した声が震えている。

 

 初めて誰かと一緒に作った作品が、誰かに認められる。

 それは賞を取るとは違った喜びを私の胸を包み込んだし、嬉しいと思ったのだ。

 

 

『ううん、えななんのお陰だよ! 何回も描いてくれてありがとう!』

 

「お礼を言うならこっちの方よ。こちらこそありがとね、Amia!」

 

『ふふっ、お2人共、すごく仲良くなりましたね』

 

 

 雪さんの控えめな笑い声が聞こえてきて、私の緩んでいた顔はスッと引き締まった。

 

 そういえばここにはKさんも雪さんもいるのに、それをすっかり忘れていた。

 冷静さをほんの少し取り戻した私は頭が冷え切るまで黙って3人の様子を眺めることにしよう。

 

 ミュートにはしないままに口を噤むと、ちょうどAmiaのアカウントが輝いた。

 

 

『そういえば、MVに調整を入れたい場所とかないですか? 多少の調整ならできますけど』

 

『いえ、大丈夫です。そのMVからは2人が曲を聴いて感じたことを、全力で表現してくれたんだと感じましたから』

 

『そうですか……ありがとうございます』

 

『──ねぇ、K』

 

 

 AmiaとKさんが話している中、タイミングを見計らった雪さんが声をかける。

 それにKさんが『うん』と短く答えてから、落ち着いた声音で言葉を紡いだ。

 

 

『それで……実は2人にもう1つ、話したいことがあるんです』

 

「話したいこと……?」

 

 

 Kさんの改まった発言に、私は首を傾げる。

 

 はて、MV作成の件以外に何を話すのだろう?

 心当たりがなくて黙る以外の選択肢がない私。

 

 Amiaも同じらしくて、Kさんの次の言葉を黙って待っているようだ。

 雪さんも話さずに沈黙が訪れる中、Kさんの儚げな声が鼓膜を揺らす。

 

 

『Amiaさん、えななんさん……これからも私達と一緒に、動画を作っていきませんか?』

 

「え、一緒にって……それ、この4人でサークル活動みたいなことをするってことですか?」

 

『はい、今回のMVを見て確信しました。私はこの4人で動画を作りたい……だからどうか、お願いします』

 

 

 ほんの少し遠くから聞こえてくる声に、Kさんが画面の前で頭を下げてくれたのがわかった。

 

 

(一緒に動画を作る……か。Amiaとの動画作りも楽しかったし、この人達となら、私も絵を描けるかもしれない)

 

 

 スランプな私でさえ引っ張っていってしまうような、才能を持った人達。

 

 この人達についていくのは大変だろう。

 才能の差に嫉妬して、嫌になることだってあるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ──どうしても知りたいのであれば、お前自身が遠慮なく付き合える相手を見つけて、今のお前をよく知る人に見つけてもらうといい。

 

 

 ──たとえそれぞれが違う分野の人間であっても、同じ目標に進んでいくような……そんな『居場所』が君には必要なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 けれど、お父さんや南雲先生が言っていた言葉が1番叶いそうな場所が、ここにあるように思って、私の意識は一瞬、4人で動画を作る方へと傾く。

 

 

『2人の作ってくれたMVがあれば、もっと多くの人達に曲を聴いてもらえる。そうすれば──誰かを救う(・・・・・)ことができるかもしれない』

 

(え、誰かを、すく……う……?)

 

 

 熱くなっていた言葉に、Kさんの落ち着いた声よりも酷く冷たい水がかけられる。

 傾いていた天秤が吹き飛び、思わず机に手をついてしまうぐらいの目眩を覚えた。

 

 

『えななんさんの絵も、Amiaさんの動画も、わたし達の曲を多くの人に聴いてもらう為に必要なんです』

 

 

 Kさんの声がどこか遠くに聞こえる。

 私の絵が必要だという言葉は、普段なら飛び跳ねるぐらい嬉しいことのはずなのに、全く心に響かない。

 

 

(救う? Kさんは誰かを救いたくて、曲を作っていたの?)

 

 

 手が震える。

 

 声が出ない。

 

 視界が歪む。

 

 Amiaさんが前向きに参加したいって話している言葉は聞こえてくるのに、頭が処理せずに聞き流してしまう。

 

 

(誰かを救う為に作られた曲に、私の絵を使うなんて、そんなの──)

 

 

 

 

 ……そんなの、無理だ。

 

 

 

 私にそんな綺麗な願いの曲の絵は描けない。描いて良いはずがない。

 

 

 だって、1番救われなきゃいけない絵名(ヒト)を、私は()したのに。

 

 心配かけたくない人達から、大切な人を奪ったのに。

 

 大切な思い出も何もかも全部忘れて、呑気に過ごそうとして、悲しませることしかできないのに。

 

 1番救わなきゃいけない人達を、誰1人救えないのが……私なのに。

 

 

 

 そんな私が、誰かを救う為に動画を作っている人達の中で、絵を描く?

 

 救うっていう綺麗な白色の願い事を、黒く汚れた手でベタベタと触れてしまうような行為なんて、できない。

 

 

(だって私は──『奪った側』の人間なのに。反対側に立っているのに……そんな私がいたら、Kさん達は誰も救えないじゃん)

 

 

 私は、その中に……入っちゃいけない。

 

 

 参加したいと思っていた考えが、180度変わった。

 Kさん達にも悪いが、私はこの集まりに参加するべき人間じゃない。

 

 

『えななんさんは……どうかな?』

 

 

 Kさんが問いかけてくる声が聞こえて、私は笑った。

 あぁ、良かった。今度はこの人達を悲しませてしまう前に、正しい選択を選ぶことができそうだ。

 

 

「──すみませんが、私はそこに参加できません。私がそこに参加していいはずが……ありませんから」

 

『『『え?』』』

 

 

 私の断りの言葉に、3つのアイコンの声がシンクロする。

 

 

「皆さんのお陰で楽しい時間が過ごせて、いい夢も見れました。本当にありがとうございます。これからもいい動画を作ってくださいね、応援してますから! それではこれで、失礼します」

 

『え、ちょっ。えななん! 待って──』

 

 

 畳み掛けるように言葉を並べて、Amiaの静止も無視してボイチャから出ていく。

 

 通知は全部切って、見えないように。

 

 ナイトコードも2度と開くつもりはなくて、ログアウトしてからパスワード付きのファイルを作って、そこに入れた。

 

 

「あーあ、いい夢見れたなー」

 

 

 Amiaと一緒に動画を作る1週間近くはとても楽しくて、Kさん達のような天才達と一緒に何かを作れるかもっていう夢は、私の胸をときめかせた。

 

 でも、もうそれを望んではいけない。

 それ以上も求めてはいけない。

 

 

(スランプ脱却の方法、他に考えなきゃなー)

 

 

 今日はいつも寝る時間より早いけど、もう寝てしまおう。

 楽しい余韻のまま眠れば、夢の中も楽しいだろうから。

 

 

「おやすみなさい」

 

 

 ベッドに潜り込み、目を閉じればあっさりと夢の中へと旅立つ。

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ──そして、早めに寝た体は自然と早く起きてしまい、彰人やお母さんに驚かれるのもセットだった。

 

 

「おい、絵名」

 

 

 早く起きて、今日は早めに学校に行こうとご飯を食べている私に、彰人が声をかけてくる。

 

 

「何?」

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

「あれ、もしかしてまた顔色ないとか? さっき鏡で見た時はそんな風に見えなかったんだけど」

 

「いや、顔色は問題ないが……今日帰ってきたらパンケーキがあるって母さんの話も、全く反応してなかっただろ? 声かけとけって言われたんだよ」

 

「えぇっ、うそぉっ!? そういうのはちゃんと言ってよ!」

 

「今、言っただろうが。まぁ……あんまり、思い詰めんなよ」

 

「……あー、うん。心配かけて悪かったわね」

 

「別に。こっちは母さんに言われただけだしな」

 

 

 今日も彰人は練習してから学校に行くようで、そのまま玄関から出て行く。

 彰人がいなくなるのを確認してから、私は椅子に体を預けるように天井を眺めた。

 

 

「……本当に、楽しかったんだな。私」

 

 

 誰も記憶を無くす前の私を知らなくて、記憶喪失とか何だとかそんなのを考えずに楽しく絵を描けるあの場所が。

 自分自身、思っていた以上に楽しかったんだと今更知って、苦笑することしかできなかった。

 

 





宵崎(K)さんが救う為に曲を作っている以上、記憶喪失えななんが簡単にニーゴに入らないのは決まってまして。
Kさんだけじゃ頑固な記憶喪失えななんを説得し切れるとは思えなかったので、宮女に行く必要があったんですよね。


Q.Amiaさん、公式絵名さん並みにあっさりニーゴに加入したのはどうして?
A.記憶喪失えななんと動画を作るのが楽しくて、入ってもいいかなーと絆されたからです。


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26枚目 優等生襲来


ゴジラのメインテーマのように、優等生様がやって来ます。



 

 

 早く寝たせいでそれ相応の時間に起きてしまい、いつもより早めに学校に来たものの。

 今日の私は授業以外の時間は殆ど美術準備室に篭って過ごしていた。

 

 クラスメイトは今日も東雲さんは遅刻しないギリギリの時間に来て、行方を(くら)ましたと思っていることだろう。

 

 他人からするといつも通りでも、私にとっては違っていて。

 まるであのMVの絵のように裏と表が違う自分自身に、思わず笑ってしまいそうだ。

 

 

 幸いなことに、今日は選択科目の授業がどの学年もなくて、南雲先生も部活もお休みの日。

 体育もなければ先生に当てられることもなく、朝比奈さんも忙しいのか今日の襲撃はゼロで。

 

 私と違って本物の優等生であろうとしている朝比奈さんだし、あの多忙さだ。

 委員会に弓道部、塾や予備校の宿題や予習復習もあるのだから、今日は話しかける余裕がなかったのかもしれない。

 

 そんな感じで、今日の私は奇跡的に学校で一言も喋らず、誰とも関わらずに放課後まで過ごすことができた。

 

 

「さてと、今日こそ絵を完成させますかー」

 

 

 グルグルと肩を解しながら呟いた言葉は、美術品が詰め込まれた空間に虚しく響く。

 今日は独り言を言うのもやめようか。昨日の件のせいなのか、寂しくなってきた。

 

 

 昨日の件……いや、日付は変わってるから今日の夜中というべきか。

 

 Kさん達が作った曲のデモに合わせて、MVを作らせてもらった約1週間。

 参加しないという選択に後悔はないつもりなのに、頭の片隅にはずっとAmiaと話して、曲を聴いて、動画を作った日々が未練のように蘇ってくる。

 

 

 この寂しさは一体、何なのだろう?

 

 

 いや、本当はわかっているのだ。

 あの時間がどうしようもなく楽しかったから、あれで終わらせたのが勿体無いんじゃないかって、惜しむ自分がいることぐらい。

 

 でも、同じぐらい『私にはあの場で絵を描かせてもらう資格はない』と思う気持ちもあった。

 

 そんな感情の板挟みになって、弾け飛んだ天秤が選んだのが……後者。

 選んでしまったら最後、取り返しのつかないことも理解している。

 後悔も寂しさも、もう意味がないのだ。

 

 

 どうせ私にできることなんて絵を描くこと、それ1つしかない。

 

 

 今日はここ1週間こっそり描いていたMVの少女の絵画を完成させて、この気持ちと縁を切る。

 私は記憶を無くした時点で、逃げる空間も戻れる場所もない。

 

 前に進む以外の道はないのだから、女々しく考えるのはもうやめよう。

 

 

(後は仕上げだけだし、頑張るぞーっと)

 

 

 幸いなことに、久しぶりにキャンバスに描いた作品は1週間もかけたお陰で、それなりの形になっている。

 今日頑張れば、この絵は完成するし、未練ともおさらばできるだろう。

 

 

 制服から体操服に着替えて、エプロンもつけて。

 ここ1週間、ずっと聴いていたKさんの曲も聴き納めとして流して、大きめの黒いポリ袋も用意して、準備完了。

 

 

 諸々の準備を終わらせ、筆を持った私は絵の仕上げに取り掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ガラガラッと何かを引き摺るような音に、私の意識は絵の世界から戻ってきた。

 

 苦しくて、痛くて、それでも優しい音だけを耳に入れながら絵に集中していたはずなのに。

 背後から扉を開く音が鼓膜を揺らし、絵が完成したタイミングと被っていたこともあって、プツリと集中が途切れたのだ。

 

 どこか既視感のあるシチュエーションに振り返ると、扉の前に立っているのは見覚えのある紫色で。

 

 

「やっぱり、東雲さんが『えななんさん』だったんだね」

 

 

 取ってつけたような笑みを浮かべ、朝比奈さんが我が物顔で準備室に入ってくる。

 彼女はじっと絵を見てから、私の顔へと視線をずらした。

 

 

(え。今、えななんさんって……)

 

 

 委員会や部活、習い事はどうしたと言いたいところなのに、それ以上に聞き逃せない言葉が聞こえて。

 

 まさか、1週間近く前に感じたあの違和感は、正しかったのだろうか。

 なら、朝比奈さんはKさんと一緒に曲を作っているという、雪さんと同一人物ってこと……?

 

 混乱で固まる私に対して、朝比奈さんは綺麗な笑みを浮かべたまま、畳みかけてくる。

 

 

「ねぇ、東雲さん。ううん、えななんさんって呼んだほうがいいかな? 私、ナイトコードでの出来事の件で話したいことがあるんだ」

 

 

 ──東雲さんと話をする為に、用事を全部終わらせてきたんだよ。

 

 

 そう言って扉の前を陣取って笑う姿は、優等生というよりも獲物を追い詰めた蛇のように見えて。

 

 彼女から逃げられないと悟って、私は両手を上げることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美術準備室の内側から鍵をかけられて、何故かご丁寧に手まで握られた状態で、私と朝比奈さんは美術準備室に備え付けられているソファーに座っていた。

 

 

「……手、離してくれない?」

 

「それより、話を聞かせて貰ってもいいかな」

 

「それよりって、はぁ……どうせ聞くなって言っても、聞いてくるんでしょ」

 

「KやAmiaはえななんさんと一緒に作成したいって言ってたし、私も東雲さんと一緒に作れたらいいなって思うからね」

 

 

 相変わらず何を考えているのかわかりにくい笑みを浮かべているものの、ボイチャの時よりも何となくわかる。

 

 こっちは断ち切ろうとしているのに、どうして1番動かなさそうな朝比奈さんが繋ぎ止めようとしているのやら。

 

 雪さんとしての彼女とは話したくなくて、今まで触れないようにしていたことに踏み込んだ。

 

 

「……どうだか。だって朝比奈さん、私の絵を見ても他の人の絵と同じで何も感じてないでしょ。それでどうして一緒に作成したいと思うのよ」

 

 

 あわよくばこれで話が終わらないかな。

 なんて思ったのだけど、朝比奈さんは悉く私の思い通りには動かないようで。

 

 ニッコリと笑みを深めたせいなのか、凄みすら感じる朝比奈さんの優等生スマイルが私に向けられる。

 

 

「東雲さんは探し物、見つかった?」

 

「探し物って……」

 

「私はね、Kの曲なら見つかるかもしれないって思っているんだ。そのKがえななんさんと作ることを求めているの。なら、私にできることはやらなきゃ。東雲さんならわかってくれるでしょう?」

 

 

 そう聞かれてしまうと『わからない』と答えるのは嘘になるけれど。

 

 

「……朝比奈さんも個展でのこと、覚えていたんだ」

 

「急に迷子かどうか聞かれたからね。もちろん、記憶に残ってるよ」

 

「それもそっか」

 

 

 誰が初対面の相手に迷子ですかと問いかける人がいるというのか。

 都合よく忘れてくれていても良かったのに、中学1年までの記憶を綺麗さっぱり無くした私とは違って、朝比奈さんはちゃんと覚えているらしい。

 

 会話の内容も覚えているらしく、朝比奈さんはあの日の言葉も絡めて問いかけてきた。

 

 

「東雲さんは探し物、探さないの?」

 

「残念だけど、私は朝比奈さんと違って探し物にKさんの曲は必須じゃないの」

 

「本当に?」

 

「別に、嘘じゃないし」

 

「Kの言葉の途中まで誘いに乗ろうとしていたぐらいには、惹かれたところがあったと思うけど」

 

「……わかったようなこと、言わないでよ」

 

「それは東雲さんが1番よく知ってるでしょう? 私、他人の感情を読み取るのは得意なんだよ」

 

 

 ──東雲さんは今、すごく動揺してるもんね?

 

 耳元まで口を近づけて、囁かれた言葉に体が跳ねた。

 そのまま離脱できれば良かったのに、左手は固く繋がれていて逃げることもできない。

 

 そのおかげでギュッと繋がれた手は痛みで悲鳴を上げ、跳ねた勢いのまま手首を捻ってしまった。

 

 

「痛い痛い! あんた、力強すぎなんだけどっ!? 逃げないから1回、手を離して。お願い!」

 

「……?」

 

「そこで急に何を言ってんのかわかんないって顔、しないでくれる!?」

 

 

 他人の感情を読み取るのが得意とか言っていた朝比奈さんはどこに行ったんだ。

 

 突然鈍感になったフリをしてくるものだから、握られてる痛みと捻ってしまった痛みのダブルパンチで生理的な涙が出てきてしまったではないか。

 

 抗議の意味も込めて睨みつけてみるものの、朝比奈さんの鉄壁の笑みは崩れない。

 どんなに騒いでも無駄に終わりそうで、私はソファーに体を預けた。

 

 

「ねぇ、Kさんって何であんなに頻繁に曲を作って、アップしてるんだと思う?」

 

「多くの人に聴いてもらう為って、Kは言ってたけど?」

 

「それ以外にも言ってたでしょ。そうすれば誰かを救うことができるかもしれない、とか」

 

「……東雲さんが断ったのは、それが理由?」

 

「そう。私みたいな絵描きは山ほどいるし、何より──音楽で救おうとしている人の曲の絵なんて、私には描けない。そんなつまんない理由だから、もう放っておいてよ」

 

 

 朝比奈さんは何も言わなかった。

 

 どうせ、彼女は貼り付けた笑みで覆い隠したまま、特に何も思ってないのに、私の反応を見て言葉を返してるだけだ。

 

 そんな相手の言葉を聞くのも疲れてしまって、顔を前に向ける。

 私の頑なな態度が嫌になったのか、捻って痛いと訴えていた時でも離さなかった手が解放された。

 

 

(なんだ、諦めてくれるんだ)

 

 

 ホッと安堵したその隙間を縫うように、朝比奈さんは私の前に立つ。

 

 

「私がKと曲を作っている理由は……私を探して、見つける為。誰かを救おうなんて、考えたこともないよ」

 

 

 その声は教室で聞いている声からは考えられないぐらい低く、いつも貼り付けられていた笑みはベリッと剥がしてしまったのか、能面みたいに無表情だった。

 

 

「あんた、あれだけ笑顔を崩さなかったのに、なんで今更……?」

 

「やっぱり気付いてたんだ。それって、私に似てるから?」

 

「は? 似てないわよ。だからあんたのことなんて、これっぽっちもわかんないし」

 

 

 朝比奈さんに懐かれている理由も、笑顔しか見せなかったのに、何故かそれ以外の顔を見せてくれるようになった今も。

 

 絵名(自分)のことすらわからない私に、他人のことなんてわかるはずもない。

 

 

「それに、もう今更何言ったって遅いじゃん。ネットでの交流なんて一方的に切ればお終いなんだから、言葉を尽くしてくれたところで、もうKさんにもAmiaさんにも会えないわよ」

 

「……Kはえななんさんに会いに行くって言ってた」

 

「は? DMも見ないようにしてるのに、どうやって?」

 

「わからない。でも、心当たりはあるって」

 

「えぇ……こわ」

 

 

 雪さんも朝比奈さんだったのに、Kさんも知り合いかもしれないって?

 ネットで知り合ったはずなのに世間が狭過ぎるでしょ、怖いわ。

 

 それとも私のことをストーカーでもして突き止めるとか?

 それはそれとして怖いわ。考えたくもない。

 

 様々な可能性を考えて体を震わせると、朝比奈さんは無表情のまま私から離れた。

 

 

「帰る」

 

「やけにあっさり引き下がるじゃない」

 

「……雪として言いたいことは言った。でも、朝比奈まふゆとしては言いたいことはないから」

 

「あっそ。好き放題して満足したら帰るとか、嵐みたいね」

 

 

 優等生スマイルを投げ捨てた朝比奈さんは淡白な反応でくるりと背を向けると、要件は済ましたと言わんばかりに準備室を出て行こうとする。

 

 あぁ、そうだ。一応言っておかなければいけないことがあるんだった。

 

 

「朝比奈さん」

 

「何?」

 

「今日みたいなのは勘弁してほしいけど、その。また疲れたり、息苦しいなって思ったらここに来れば? ここ、先生もあんまり来ないし、殆ど私以外、使ってないから」

 

「……東雲さん、話したら煩いし落ち着けなさそう」

 

「はぁ?」

 

 

 煩いと言いつつも、朝比奈さんはどこか楽しそうに見えて。

 

 失礼なやつだとカッとなっていた感情が萎んでしまったので、私は代わりの言葉を言うことにした。

 

 

「……今日も忙しいのに、私の為に時間を作ってくれたんでしょ。ありがとね」

 

「お礼なんていらない」

 

「いや、人の感謝ぐらい受け取りなさいよ!」

 

「東雲さん、やっぱり煩い」

 

「こ、こいつぅ……」

 

 

 こっちは苛立ちに肩を震わせているのに、嵐のような奴は興味がないのか、引き戸を開いて体を外に出す。

 

 

「東雲さん」

 

「何よ」

 

「25時に、待ってるから」

 

 

 それだけ言って満足したのか、朝比奈さんはそのまま準備室を去って行った。

 

 

「……何したかったのよ、あいつ」

 

 

 散々引っ掻き回して。

 結局、ナイトコードに戻るなんて約束もすることなく、話が終わっているではないか。

 

 

(あぁ、でも──見つかるといいな、朝比奈さんの探し物)

 

 

 興味ないって(うそぶ)くのに、態々時間を作ってここに来てくれるぐらい、優しい子だから。

 

 

 

 

 今はまだ、彼女は私を同類だと勘違いしてるけど……『ない』と『わからない』は違うのだ。

 だからこそ──諦めなければきっと、彼女は探し物を見つけるはずだ。

 

 

 

 

 ──私と違って。

 

 

 





先んじて優等生モードじゃないまふゆさんを知る記憶喪失えななん。
距離的な都合上、どうしてもこの2人の絡みが多くなるんですよね……この時期、愛莉さんもバラエティー番組で忙しいですし。

まずは1つ目、『後悔と一緒に絵を捨てる』を阻止して、えななんに話を聞いてもらう体勢に入ってもらいました。
次回、大将のKさんに頑張ってもらいましょう。



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27枚目 25時、ナイトコードで。


(K)さんといえば……彼女、通信制高校だから絵名さんやまふゆさんと同い年でも、学年は空欄でして。
このお方だけ、高校1年組でもなければ、高校2年組でもなく。
宮女でもなければ、神高でもない、特別枠なんですよね……


 

 

 朝比奈さんには心当たりのないフリをして、白々しくも『怖い』なんて言ってみたけれど。

 雪さんが朝比奈さんだった時のように、世間が狭いと仮定するならば、Kさんであろう人物に心当たりはあるのだ。

 

 だからこそ、私はスケッチブックと鉛筆を手に持ち、病院の外から見えやすい場所でスケッチをしていた。

 

 私の始まりは病院からで、目的の人物によく遭遇するのも病院。

 何かと縁があるこの場所に賭けてみようと思ったのである。

 

 もしも違うのならば、私はあの場所と縁がなかったということで。

 朝比奈さんと、まだ期待をしてしまっている自分には悪いが、諦めてしまおう。

 

 

(って、昨日と同じこと言ってるじゃん。私って絵以外でも諦めが悪かったんだ……)

 

 

 絵を描き終えたらゴミとして捨てて、諦めようとしたのに……結局、実行しないままで。

 そうやって何度も諦めよう、諦めようと言いつつも、しぶとく執着している自分に笑いが込み上げてきた。

 

 今回こそは諦められるだろうか。

 それともまた言い訳して、諦めずに動いてしまうのか。

 

 頭の中で別のことを考えていても、スケッチブックの白い紙に黒い線が書き足されていく。

 時間にすると1時間ぐらい。下描きが形になってきた頃、私の前まで近づいてくる影があった。

 

 

 

 

 

 

 

「──あなたが本当に、えななんさんなんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 不思議な縁で結ばれた白髪の少女の声と、ナイトコード越しで話した尊敬するクリエイターの声がピッタリと重なる。

 

 ……どうやら、私は賭けに勝ったらしい。

 

 病院付近の道で倒れていた縁から始まった関係の主が、予想していた答えが正しかったのだと言わんばかりに、こちらに近づいてくる。

 私は絵をそのままにして、少女がいる方へと視線を向けた。

 

 

「久しぶり。あれからまた、倒れたりしてない?」

 

「うん……なんとか」

 

「そっか。ミイラにならないって言いながら、病院に運ばれたって聞いてビックリしたもん。それと同じぐらい、あなたがKさんだってことに驚いてるけどね」

 

「ということは……やっぱり、あなたが『えななんさん』なんだね」

 

「まぁね。イメージと違った?」

 

「ううん。ナイトコードで声を聞いた時に、あなたの顔が思い浮かんだから。イメージ通りかな」

 

「そ、そっか」

 

 

 他意はないはずなのに、そういうことをさらりと言われると少し落ち着かない。

 

 このまま絵を描きながら話を──という気分にもなれず、下描きまで終わらせたスケッチブックを閉じて、改めてKさんであるという白髪の少女を見た。

 

 殆ど寝ていない、食べるのも疎かにしている生活を知っているせいだろうか。

 白い髪も相まって、久しぶりに目にするジャージ姿の彼女は、病人よりも儚く見える。

 

 ……いや、これは気のせいとかそう見えるとか、言っている場合ではなさそうだ。

 メトロノームのようにふらふらと揺れだしたKさんの隣に立ち、倒れてしまっても対応できるように準備して、と。

 

 

「とりあえず近くのカフェに行かない?」

 

「え?」

 

「今、立ってるのもしんどいでしょ?」

 

「うっ……ごめん」

 

「別に。私もちょうど、食べに行きたかっただけよ」

 

 

 Kさんとこの子が同一人物である可能性が出た瞬間、念のために待ち伏せしていてよかった。

 

 放っておいたらどこかで倒れていそうな彼女の姿に、私は胸を撫で下ろしつつも、カフェまで行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 人が多いところよりも少ない方が良いだろうと、できるだけ静かなカフェへと案内した後。

 

 

「名前かHN(ハンドルネーム)、どっちで呼んだ方が良いかな?」

 

 

 どうやら私が意図して名乗っていないのをKさんに察知されていたらしく、開口一番の質問がそれだった。

 

 

「……HNでお願い。呼び捨てでいいから」

 

「わかった。じゃあえななんも呼び捨てでいいよ」

 

 

 注文していたパンケーキと紅茶、そして『店長こだわりの一品』だとメニュー表に載っていた醤油ラーメンが運ばれてくる。

 

 何でカフェにラーメンがあるのかは謎であるものの、ツッコんだから負けな気がする。

 ラーメンを平然と頼んでしまうKにもツッコめなくて、私の中にある違和感は一生、棚に上げることにした。

 

 

「名前、聞かなくていいの?」

 

「えななんが教えてもいいかなって思ったら、また教えて」

 

 

 そんなことを微笑みながら言うのだから恐ろしい。

 そう思うものの、相手の気遣いがありがたいのも事実だ。

 

 微笑むKに「ありがと」と返して、改めてその露草色の目と合わせる。

 

 出会った当初の鋭利な雰囲気は幾分か和らいだものの、未だに残っているようだ。

 この、割れたガラスのような危うさが『誰かを救う為に曲を作り続けなければ』と背負った末の姿なのだろうか。

 

 そんな彼女が何故か曲作りよりもこちらを優先してくれたのだから、それを無碍にできるほど薄い付き合いではなかった。

 

 

「別に、心配しなくても絵は描き続けるわよ。スランプでも描き続けてるの、Kには話してたでしょ?」

 

「うん、そこは心配してないよ」

 

「じゃあ、なんで病院に来たのよ」

 

「えななんは真っ黒なサムネを見た時、どう思った?」

 

「どう思ったかって、真っ黒なサムネとか勝負し過ぎでしょって……あっ」

 

 

 思い出した。

 

 そういえば、あまりにも普通に話していた会話の中に、彼女から聞かれたことがあった──

 

 

 

 

 

『もしも動画投稿者の中に、ずっと真っ黒なサムネで動画を投稿している人がいたら、どう思う?』

 

『入口でタップしてもらえるかわからないのに、中身で勝負してるってこと? それって勿体無いし、勝負し過ぎでしょ。私なら何でもいいからサムネを入れるかなー』

 

 

 

 

 

 ──そう、確かそんな感じの会話をしたことがあった。

 その時に動画のサムネイルを描いてくれないかって言われて、あれは彼女自身の話だったのかと、驚きつつも断ったっけ。

 

 

「あの絵を見て、わたしはえななんがスランプだなんて思わなかったけど」

 

「あれはKの曲のお陰だから。あの曲のお陰で、久しぶりに良い絵が描けたの」

 

「わたしの曲がえななんの力になったってこと? そっか……嬉しいな」

 

 

 胸に手を当ててほんの少し口角を上げ、控えめな笑みを浮かべるKは誰が見てもわかるぐらい、嬉しそうだ。

 

 

(やっぱり、救いたいって気持ちは本当なんだろうな)

 

 

 K本人として対面したからこそわかる。

 彼女は本気で、自分の曲で誰かを救おうとしていると。

 

 だからこそ、そこに私が入り込んではいけないのだと思ったのだけど。

 そんな私の内心を見透かすように、Kは先手を打ってきた。

 

 

「雪から、大体の話は聞いたよ。でも、その上でお願いしたいんだ」

 

「お願いされても無理だから。私は反対側の人間なの。だから、Kの曲の絵は描けない」

 

「えななんが言う『反対側』っていうのが、わたしが想像するものと同じなのだとしたら……それはわたしも一緒だよ。えななんなら私のお父さんのことも、知ってるよね?」

 

「え?」

 

 

 ぎゅっと口を噤み眉を下げるKの顔に、私の頭の中に嫌な想像が広がる。

 

 

 

 

 ──Kのお父さんは、私が通院している病院で入院している。

 

 

 彼女の父親はある日、『精神的に追い込まれて』倒れてしまった。

 そのせいで病室で寝たきりであり、調子良く起きる日があっても、記憶障害で過去のことしか思い出せず、娘さんを忘れているらしい。

 

 

 その、精神的に追い込まれたって部分を、Kが自分のせいだと思っているのだとしたら?

 

 

 そんな話をあのお喋りの馬鹿医者から聞いていたこともあって、私は最悪なことを想像してしまった。

 だけど、そんな最悪の想像が本当なのか? なんて無神経なことを聞けるはずもなく、私は小さく「そっか」としか返せなかった。

 

 

「えななん」

 

「何?」

 

「あのファンアートの絵を見て、わたしは最初、叫んでるみたいだなって思ったんだ。たぶん、それはえななんが『まだ描ける』って、叫んでる気持ちが絵に込められてたんだろうね。すごく、力強い絵だと思った」

 

 

 完全に予想外の言葉に、私の思考が固まる。

 

 

(え、今、褒められてるの……?)

 

 

 何故、このタイミングで?

 意味がわからず、Kの意図も理解できず、私はそのまま聞くことしかできない。

 

 

「えななんのアカウントで投稿されている過去の絵も見たよ。できるんだって叫んでるけど、楽しそうな絵。でも、それ以上に──苦しみながらずっと祈ってることしかできないって、嘆いてる絵だなって思った」

 

 

 祈ってる、と。

 天才同士で何か通じているのか、Kもお父さんと同じようなことを言う。

 

 

「この前のMV作成の時は楽しそうだったってAmiaも言ってたよ。あの絵には許してって、祈ってるあなたはいなかったけど……どうだったんだろうって気になってたんだ」

 

「許してって、祈ってる私はいなかった……か」

 

 

 

 

 ──そっか。私のこのスランプって、私自身の悲鳴だったのか。

 

 

 

 Kの言葉のおかげで、私はやっとスランプになっているであろう原因の正体を掴んだ気がした。

 

 まるで依存するように、絵を描くことに夢中になって、楽しんでいたと思っていたけれど……

 

 私はずっとどこかで絵名の記憶が戻りますように、と心のどこかで祈りつつ。

 でも、戻ったら私はどうなるのだろう、記憶が戻るだけで終わるのだろうかと、不安に押し潰されそうだったのだ。

 

 だんだん、東雲絵名という名前が怖くなってきて。

 だれか、絵を通してでもいいから……東雲絵名じゃなくて『私』を見てくれないかと思うようになった。

 

 そんな気持ちすらも見ないように目を背け、描き続けていたのだけど……

 結局、お父さんと話したのがきっかけで、『才能がある』という思い込みが燃え尽き、疲れ切った自分だけが残った。

 

 何をしていても、必ず記憶のことが脳裏にチラついて、そんな中で絵を描くのに疲れてしまった私。

 

 中学1年までの絵名と私を重ねられるのは辛いって、印象と違うって言われるのが怖いと、ありえるかもしれない妄想が、私の心を擦り減らした。

 

 絵名の記憶を消してここにいるけれど、誰にも言えず、ずっと抱えたまま何かをガリガリと削って。

 いくら家族や中学の友達に言葉を重ねてもらっても、炎上の掌返しとか見ていたら……その言葉が本当だって信じられなくて。

 私を私として見てくれてるのかすら疑って、自分で追い込んで、疲弊して、ついに感情が絵に載せられなくなった。

 

 それが私のスランプの正体だった、と。

 

 

「わたしはえななんが何をそんなに許して欲しいのか、知らないしわからないよ」

 

「でしょうね」

 

「でも、だからこそ。一緒に作っていけば、えななんがそのことを気にせずに絵を描ける場所になるんじゃないかなって、そう思ったんだ」

 

「……そう」

 

 

 わからない、知らないということはKも雪も、記憶が消える前の私を知らないんだ。

 家族や中学の友達と違って、東雲絵名という存在は私1人だけ。

 

 私はえななんだって堂々と言えて、もしかしたら──私も東雲絵名なんですって言える場所が、できるかもしれないのか。

 

 

「救うって話も、わたし個人でそう思って作っているだけ。えななんは自分が思うように、描いてくれた方がわたしも嬉しいかな。だから……もしもまだ、えななんがわたし達と一緒に作りたいって思ってくれてるのなら。今日の夜にまた、ナイトコードに来てほしい」

 

「……行かないかもよ」

 

「でも、来てくれるのなら待ってるよ──25時、ナイトコードで」

 

 

 言いたいことは言ったのか、Kはそのまま立ち上がってカフェを1人で出て行ってしまった。

 追いかけようかと迷って立ち上がり、伝票を探すものの……机の上にも下にも、どこにもない。

 

 慌てて店員さんに聞いたところ「お連れの方から全額いただきました」とのこと。

 

 

(……これ、行かなきゃ失礼じゃん)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──時計の針がまた、25時を指し示した頃。

 

 ナイトコードに1人、また入ってきて気まずさを飲み込んで言葉を紡ぐ。

 

 

「勝手にやらないって言った癖に、戻ってきちゃったんですけど……その、すみませんでした。また、一緒に作らせてください!」

 

 

 誰も声を出さない中、必死な声だけがボイチャに響く。

 

 

『待ってたよ、えななん』

 

『えななんからDMの返信があった時点で大丈夫だとは思ったけど、戻ってきてくれて嬉しいよ〜』

 

『おかえりなさい、えななんさん』

 

 

 K、Amia、雪さんと順番にアイコンが輝き、口々に言葉をかけてくる。

 

 また一緒に作れそうでよかったとか、そういう言葉をもらって嬉しくなっていると、Kの声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

『じゃあ、えななんも無事に参加することになったし──早速、作業を始めようか』

 

 

 

 

 

 

 

 25時。夜の訪れと共に1つのサークルが動き始めた──

 

 

 

 





イベストを先にするわ、25話でニーゴの加入を断らせて今回で加入する暴挙を決行するわと好き勝手やりましたが、如何でしたでしょうか?

今まで記憶喪失えななんは大変でしたからね。
怒涛のニーゴ結成回が終わりましたので、平穏な日々を過ごしてもらいましょう。


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28枚目 スポーツの秋、体育祭は春


最近、復刻とかも含めたら大体ずっとガチャに彰人君いませんか……?
1月も確かワールドリンク、ビビバスですよね……健闘を祈るしかないですね、コレ。



 

 5月の中旬を少し消費したぐらいの時のこと。

 これからは個人ではなく、サークルとして活動するという理由から、チャンネル名がデフォルトの【K】から【25時、ナイトコードで。】、略してニーゴに変更された。

 

 ニーゴとしての初投稿──Kと雪が作った曲でAmiaと私で動画を作り、動画を1本投稿している間に、3人とはある程度、仲を深めることができたと思う。

 

 Kは気絶のような睡眠をしてしまうぐらいには曲作りに一直線で、ボイチャで雑談するようなタイプではないものの、病院でよく話す程度には顔見知りなので、問題なし。

 雪の方はニーゴに合流した翌日には『呼び捨てでいい』と言われて、HNも名前の方も呼び捨てすることになって、距離感も中学時代の愛莉並みに近づいてるので、問題なし。

 

 唯一、Amiaだけ顔を知らないものの、相手は動画作成においての相方のようなもの。

 ボイチャでの雑談等、気が合うなと思うことも多いので、個人的には仲良くなっている方だと思っている。なので問題なし、ということにしておこう。

 

 サークル活動は順調そのもの。

 なのに、順調だった私の日常の前に『学校行事』という問題が聳え立っていた。

 

 

「あーあ。なんで春に体育祭なんてやるのかなー。疲れるから嫌なのに」

 

『えななんの学校、もう体育祭やるの? 最近春にやる所、増えてるよね』

 

 

 ミュートにしていたら絶対に返事がないであろう独り言に対して、Amiaから反応が返ってくる。

 

 

「もしかして私、ミュート忘れてた?」

 

『そうだねぇ、唸り声をBGMに作業できる程度には忘れてたよ』

 

「Amia、言い方っ! って言っても、私が悪いか……その、悪かったわね」

 

『あはは、ボクは気にしてないからいいよ〜』

 

 

 Kと雪は相変わらずミュート状態で、何も言ってくることはない。

 何となく、相手も気にしてなさそうだと感じたので、気にするのはやめることにした。

 

 そうやってナイトコードの様子を窺っていると、興味津々と言わんばかりにAmiaが問いかけてくる。

 

 

『そーれーでー、えななんの学校は春に体育祭する学校なんだ?』

 

「そうみたい。正直、当日に雨が降るように真剣に祈りたいんだけど」

 

『それはそれで面倒だと思うよー? 雨の日じゃサボっても行き先に困るしね』

 

「いや、別にサボるつもりはないからね?」

 

 

 午前中に終る競技に立候補したので、やるとしても最低限参加してから校舎に忍び込み、上から体育祭の様子をスケッチするぐらいだ。

 

 

『えななん、絶対に今スゴイこと考えていたでしょ? ボクにも教えてよ~』

 

「イ・ヤ! ここで言ったら対策されそうだから絶対に言わない!」

 

『あはは、そっか。雪とえななんは同じ学校なんだっけ? 一緒にサボるようなタイプじゃなさそうだし、サボるのも一苦労なんだね』

 

「だから何で私がサボる前提なわけ……? サボらないかもしれないじゃん」

 

 

 こっちは病院の日以外は学校に行っているし、遅刻もギリギリしていない一般的な生徒のつもりだというのに、なんて失礼なヤツなんだ。

 

 ……宮女はお嬢様校と言われるだけあって、全員真面目だから私は浮いているのだけど。

 だからといって私よりも酷いサボり魔であろうAmiaに決められているのは心外である。

 

 抗議の為に長文を連投してやろうか。

 

 

『あー、ごめんごめん。揶揄い過ぎたから今やろうとしたことやめてね』

 

「……何でバレるのよ」

 

『不自然に静かになって、キーボードの音が聞こえてきたから。嫌な予感がしたんだよね』

 

 

 夜中とは思えないぐらい元気な声で『Amia選手、大正解~』なんて言って、画面の前で両手を上げてガッツポーズをしてそうなテンションのAmia。

 

 もう25時はとっくに過ぎているというのに、元気な子である。

 少しはKに分けてあげた方がいいのではないか?

 

 ……そう思ったけれど、Kに元気を分けたら勘違いして無理しそうだから、ダメ。

 せめてやるなら、笑ってない時の雪辺りが丁度いいかもしれない。

 

 そんなどうでもいいことは察してこないようで、つらつらと考えているうちに雪がミュートを解除して『明日も学校があるから、今日はもう休ませてもらうね』と伝えてきた。

 

 時刻は気が付けば3時45分。

 徹夜する予定もないし、私もそろそろ寝ようか。

 

 

「じゃ、雪も落ちたし私もそろそろ抜けるね」

 

『はーい。おやすみー』

 

『おやすみ、えななん』

 

 

 雪が落ちる前にはミュートを解除していたKの声を最後に、私もナイトコードとパソコンを閉じて、ベッドに直行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナイトコードでポロリと漏らした2日が過ぎ、体育祭当日。

 

 考えていた通りに二人三脚を終わらせて、私は真面目に体育祭に参加している集団からそっと抜け出す。

 別に体育祭に参加しても成績には関係ないし、体育だって本当は参加したくないのだから、今日ぐらいご褒美にサボってもいいだろう。

 

 先生にだけは注意して、校舎の中へ足を進める。

 するりするりと階段を上って自分のクラスの教室に忍び込んでから、スケッチの準備をした。

 

 教室にいることと、私が病院への通院が常連と化している生徒であること。

 仮にバレても教室で休んでましたと嘯いてやろうと目論む私を前に、1つの壁が現れる。

 

 

「絵名」

 

「げっ……何でまふゆがここにいるのよ?」

 

「ナイトコードでサボりの話、してたから」

 

「サボるかどうかはわかんないって言ってたじゃん!」

 

「でもサボった」

 

 

 そう無表情でズバッと断言されてしまえば、言い返すことなんてできなかった。

 

 事実だから言い返す余地がない、というか。

 思わず口を噤んでしまいそうになったが、その時、私に天啓のような抵抗の言葉が舞い降りる。

 

 

「ここにいたらあんたもサボりになるわよ。それでもいいの?」

 

「絵名が戻ったら解決する」

 

「いや、だから」

 

「解決する」

 

「……はい」

 

 

 しかし効果は全くなかった!

 誰だ、天啓とか言ったヤツ。私なんだけど。

 

 そんな馬鹿みたいなことを考えて、まふゆにバレないように溜息をつく。

 運動も得意だというまふゆの姿はきっと良い絵になるだろうに、描けそうにないことだけが残念だった。

 

 

『次は借り物競争、借り物競争です──』

 

 

 教室で立っていると、突然、そんなアナウンスがグラウンドの方から聞こえてきた。

 

 

「借り物競争? それの次の競技、まふゆの出るやつじゃなかったっけ?」

 

「うん、そうだね」

 

 

 私にはもうどのプログラムも関係のない話なのだが、スケッチの下準備でまふゆが出る競技は調べていた。

 

 

「そうだね、じゃなくて! 急いで戻らなきゃダメじゃん!」

 

 

 ある意味、私のせいでまふゆが校舎まで侵入してしまっているのだ。

 私のせいで不参加になったら……そんな不安から、私は慌ててまふゆの手を掴む。

 

 私のせいで間に合わないという事態は避けなくては。

 その一心で急いで戻ろうとしているのに、後ろにいるまふゆは動く気配がなかった。

 

 何かあったのだろうか?

 様子を窺ってみるものの、まふゆはこちらに視線を向けるだけで、異常があるようには見えない。

 

 

「おーい、まふゆさーん? 早く戻りたいんだけどー?」

 

「……絵名は何も言わないんだね」

 

「いや、こっちは戻ろうって口に出して言ってんでしょ? 私の話、聞こえてる?」

 

 

 私の言葉を聞いていないのだろうか。

 呆れる内心を伝わるように半目で睨み付けると、まふゆは違うと言わんばかりに首を横に振る。

 

 

「笑ってなくてもあれ以降、何も言ってこないから」

 

「あぁ、そっちのこと。確かにあの準備室の件からたまーにその仏頂面、晒してるわね。え、何か言って欲しかったの?」

 

 

 もしかして、かまってちゃん? と揶揄ってみると、まふゆとしては真面目な話だったらしく、ムッとした反応が返ってきた。

 

 そういうことでもないのはわかっていたが、とにかく今は時間が惜しいので、無視して手を引っ張る。

 

 優等生だと周りに言われているまふゆが、私のせいでボイコットしたとなれば何を言われるか。考えただけでも恐ろしい。

 

 

「その疑問を解決するのもいいけどさ。あんたまでサボるわけにはいかないんだから、さっさと歩きなさいよね」

 

 

 引っ張ってもびくともしないまふゆをもう1度引っ張ると、彼女はやっと歩き出してくれた。

 

 探しに来てくれたのは良いけれど、突然動かなくなったりと手のかかるヤツだ。

 わざと見えるように肩を竦めつつ、まふゆが話していた会話を掘り返した。

 

 

「で。無表情なあんたを見ても、何も言わない理由だっけ?」

 

「うん」

 

「そんなの簡単じゃない。周囲に合わせて笑ってようが、今みたいにムスッとしてようが、あんたはあんた。どっちも朝比奈まふゆだからよ」

 

 

 別に私みたいに事故に遭って目を覚ましたら記憶を無くしていました、とかでもあるまいし。

 

 優等生スマイルであろうが、仏頂面かまってちゃんであろうが、どちらも同じ『朝比奈まふゆ』だ。

 そんな当たり前のことに、一々ツッコむつもりはない。

 

 ましてや、優等生らしくないからとか、笑ってないからまふゆらしくないと周囲が勝手に『まふゆらしさ』を決めつけるなんて、そんなの苦しいではないか。

 

 私だって『絵名らしい』って何なのかと、最初の頃は悩んで苦しんだ過去がある。

 今は『意外とありのままでも良いようだ』と結論を出して、頻繁に悩むことはなくなったものの……あの気持ちを相手に押し付けるつもりはない。

 

 そういうのも含めて答えると、後ろから静かな声が聞こえてきた。

 

 

「絵名にとってはそうなんだね」

 

「そういうこと……あぁ、でも。ムスッとした顔の朝比奈まふゆ、略して『ムス比奈まふゆ』にはなってるのかもしれないわね?」

 

「私の名前、勝手に改名しないで」

 

「ごめんごめん。まぁ、私にとってはどちらでもいいってこと。貼り付けた笑顔でもその顔でも、楽な方で過ごしなさいよ。まぁ、私から見たら今のまふゆの方が楽そうに見えるけど……その辺はあんたに任せるわ」

 

 

 引っ張る手をそのままに振り返ると、後ろにはきょとんとした顔のまふゆがいた。

 

 

「え、何か気に触ることでも言っちゃった?」

 

「……わからない」

 

「いや、それは回答として困るんだけど!?」

 

 

 何かわかってくれないかと聞き出そうとしても、やっぱりわからないと言われてしまって。

 

 最終的に私の質問責めが嫌になったのか。

 まふゆは私の手を振り払い、誰もいないことを良いことに、早足で廊下を立ち去ってしまった。

 

 

「あぁもう、何なのよあいつ」

 

 

 嫌なことや嬉しいこととかぐらいはわからないと、息をすることすら大変だろうに……それすらもわからないというのだろうか。

 

 

(あのスケッチブックじゃあるまいし、何をしたらあんなことになるのよ……全く)

 

 

 お母さんや弟は私の様子がおかしい時、私よりも早くに察知して、気を遣ってくれた。

 お父さんは不器用なりに嫌われ役を引き受けてまで、私に必要な言葉を突きつけてくれた。

 

 ──家族って、家って、そういう温かい場所なんじゃないの?

 

 そういう家族像が標準であるせいか、まふゆの姿を見ていると無性に腹が立ってしまう。

 

 

「こういう時こそ、絵を描きたいんだけどなぁ」

 

 

 しかし、まふゆに急いで戻らなきゃと言った手前、1人になったとしてもその約束を反故にするのは気が引ける。

 

 結局、手ぶらで暇になりそうなグラウンドの輪へと混ざりに行き。

 

 予想通りに暇になるかと思いきや、競技がない時間はまふゆに絡まれて忙しかった……ということだけは、忘れられない思い出になりそうだった。

 

 

 

 





実は教室でのやり取りにて『まふゆを描きたかった』と素直に言えば記憶喪失えななんはサボれました。
その代わりにその後のやり取りが無くなるので、今回はこれで正解ってことで。


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29枚目 しんぱいごと


原作では一応、歌の練習をしてるサブストーリーがあるので、記憶喪失えななんにも練習してもらいましたって話です。



 

 宮女は高校3年生、特に受験生に優しい高校らしい。

 

 その理由は比較的春から夏にかけてイベントが目白押しで、秋から冬は基本的に文化祭以外はないというところから言われている。

 

 つまり、何が言いたいのかというとだ。

 

 

「5月に体育祭、テスト。6月に合唱祭、テスト! その間にも小テスト、抜き打ちテストって……5月から6月までバカみたいに忙しいの! ウチの学校、ちょっとおかしいわよ……!」

 

『わー、えななんがご乱心だ』

 

「そりゃあご乱心にもなるわよ。だって1年生は夏休みを削って臨海学校もあるし、絶対に頭おかしいでしょ、こんなの!」

 

 

 Amiaの揶揄うような言葉に乗っかって、私は不満を爆発させた。

 

 意地でも絵を描く時間を作っているけれど、こんなにイベントが目白押しだと平日を乗り越えた頃には倒れるんじゃないかってぐらい忙しい。

 

 私が病弱だったら倒れていた。風邪ひいて家から出れなくなっていた。

 

 若さに甘えて無理させたらいけない。学校はイベントを見直すべきだ。

 できることなら、議論に出してこいと先生達に直談判したい。

 

 

『雪は文句も言わずに毎日を過ごしているのに、えななんってば我儘だなぁ』

 

『ふふ。でも、えななんの言うこともわかるよ。私は内部進学(エスカレーター)組だから慣れてるけど、高校から入った子達は慣れるのが大変だって聞くし』

 

 

 Amiaの言葉に雪は一応、フォローは入れてくれるみたいで。

 画面越しではあるものの、Amiaの「へぇ」と感心するような声が聞こえてきた。

 

 

『えななん達の高校って結構大変なところなんだね。ボクには無理そうだよ』

 

「Amiaも高校を選ぶ時は気をつけなさいよ。私だって、自分の行ってるところが厳しくなければなぁ……」

 

『えななん』

 

 

 堂々とサボれたんだけど、と言おうとして、雪から声がかけられる。

 

 あれ、おかしいな。

 相手は目の前にいるわけでもないのに、何故か威圧感を感じるような?

 

 謎の感覚を前に、私は自然と背筋を伸ばす。

 すると、優等生キャラを作っている時の雪を考えれば、結構ギリギリを攻めてそうな低い声が聞こえてきた。

 

 

 

『サボりはダメだよ。ね?』

 

「……はい」

 

『わぁお、えななんも雪には形無しかな? 頸を掴まれた猫みたい』

 

「誰が抵抗できない小動物よ!?」

 

『誰もそこまで言ってないんだけどなぁ。えななんの怒りんぼ〜』

 

「こいつぅ……」

 

 

 私が雪の言うことを黙って聞いてるからって、この態度。

 目の前にいたらどんなカワイイ顔でもムニムニと揉んで不細工に変形してやるのに、ボイチャしか繋がりがないなんて。

 

 悔しさで体を震わせつつも、私は本題を話した。

 

 

「本題はそこじゃなくてさ。テストは自分で何とかするとしても、問題が別にあるのよ」

 

『ほうほう。えななんはテスト、どうにかなるんだ? 絵ばかり描いて、雪に泣きついてそうなイメージあるのにねー』

 

「は? そんなのしてないんですけど」

 

 

 Amiaの私への印象が些か悪い気がする。

 

 確かに高校になって勉強のレベルが上がって面倒だとか、宿題増えて小テストも増えて嫌らしいとか色々言っているけれども。

 

 さて、どうやって言葉だけでAmiaを納得させようかと頭を悩ませていると、意外なところから助け舟が出てきた。

 

 

『えななんの中間テストの点数を見たけど、悪くなかったよ。宿題もやらないって言いながら全部揃えてるし、普段から頑張ってるんだろうね』

 

『あんなに宿題とか文句言ってるのに、意外だなぁ。これもまた、ツンデレの一種?』

 

「ツンデレじゃないし。そもそも……テスト見せた覚えないのに、何で雪は私の点数を知ってるわけ?」

 

『あれ、えななんは知らないの? 自分の学年なら他の子のテストの合計点数や順位は職員室で確認できるよ』

 

「えぇっ、そうなの?」

 

 

 そんなの初耳なのだが。

 たまに話を聞いていないことはあっても、そんな話を聞き逃すようなことはないはずなのに。

 

 

『あぁ、外部生は先生か内部生に聞かないと知らないのかな。他にもいくつかそういうのがあるから、今度教えるね』

 

「本当? 助かるー」

 

『はいはい、盛り上がってるところ申し訳ないんだけどさー。話をズラしたボクが言うのもなんだけど、えななんの言う『問題』って何なの?』

 

 

 ボク、それが気になっちゃって、とAmiaが笑いながら軌道修正してくれて、私は自分が考えていたことをようやく思い出した。

 

 

「あぁ、そうそう。私、最初に合唱祭もあるって軽く触れたじゃん?」

 

『テストの間に挟まる合唱祭?』

 

「そ、テストに挟まる厄介な合唱祭。あれが本当に厄介でね」

 

 

 入院前の絵名は知らないけれど、それ以降はずっと絵だけに集中していて、歌のうの字も知らない私だ。

 

 音楽の授業だってそこまで真剣に取り組んでないし、突然、『さぁ、歌いましょ〜』とか《ドレミのうた》みたいに言われても困るわけで。

 

 

『別に学校のイベントなんだから、合唱祭でもほどほどにしたら良いんじゃないの?』

 

「Amiaの言う通りにしたいのは山々なんだけど、なーんかウチのクラスの合唱祭のリーダーが張り切っちゃってて。歌えない子は部活とか関係なく、居残り練習だーとか言ってくるのよ」

 

 

 言うのは勝手だが、こちらとしてはそんなことをされると、堪ったものではない。

 

 しかも、ウチのクラスは音楽系の部活の子が多かったらしく、意外と乗り気の生徒が多かったのだ。

 まふゆが私も含めたやる気のない生徒の嫌そうな顔を見て、何度か軌道修正を試みてくれたものの、流れが強過ぎて優等生パワーも敵わず。

 

 結局、難しめの曲を歌うことになった上に、居残り練習をしてまで頑張ることになってしまった。

 

 

「1億歩ぐらい譲って、自分で練習する為に時間を取るのは良いんだけど。なんか強制されるってなると、途端にやる気が出なくて」

 

『あー、わかるかも。自分のペースを乱されるのって嫌だよね』

 

「そうそう! 嫌なんだけど……絵の時間を削るのはすっっごい嫌なんだけど、暫く自主練しようと思ってさ」

 

『すっごい嫌がるじゃん』

 

「だけどやらなきゃ、もっと面倒そうだし……Amia達が良ければ、私が録った歌の音声とかを聞いて、アドバイスをくれるかなーって」

 

 

 雪は普段から忙しいから付きっきりで付き合ってほしいなんて言い難いし。

 なら、まだナイトコードでの合間で時間をもらえないかと思ったわけだ。

 

 

「面倒事を持ち込んで悪いんだけど……協力してもらえない?」

 

『んー、ボクは作業の片手間でいいなら良いよ』

 

『作業の邪魔にならない程度にしてくれるなら私も大丈夫だよ。曲作りに影響が出るのは、良くないからね』

 

「そこはもちろん、弁えてるから。Amiaも雪もありがとう!」

 

 

 後は今まで話すことなくアイコンだけボイチャに存在しているKのみ。

 勝手に話をして、進めていることにほんの少し緊張感を持ちつつ、声をかけた。

 

 

「それで、その……Kは、どうかな?」

 

『……うん、良いよ。曲作りに役立つかもしれないし、聞くぐらいなら』

 

 

 今までの話を聞いていたらしく、Kからの返事はあっさりとしたもので。

 

 ナイトコードで雪の時は褒めてくれるのに、現実で会えばグサグサ言ってくるまふゆがいること以外、特に問題なく歌の練習が進んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梅雨入りしたはずなのに、珍しく晴れた日のこと。

 

 今日はどうしても病院の予約がうまく取れなくて、学校を休んで通院していた帰り道。

 コンビニに寄ってお昼ご飯を調達後、ついでに歌を録音しようと公園に来たら、何回か見たことある暗めの色のジャージが見えた。

 

 ベンチの上で同化するかのように溶け込んでいるその姿。

 頭部分が白いのといい、何故ここに倒れているんだと頭が『?』で支配される。

 

 

「やっぱり、Kじゃん!」

 

「えな、なん?」

 

 

 一瞬、名前を呼ばれたのかと体が跳ねてしまったが、HNだと理解して力が抜ける。

 ……いや、それどころではないのだった。

 

 ベンチで休んでいるKのそばに駆け寄ると、真っ青な顔のKが寝転んでいる。

 

 こういう時って下手に体とか揺すらない方がいいんだっけ?

 とりあえず状況確認だ。Kの意識はあるから本人から聞いた方がいいかもしれない。

 

 

「K、何でこんなところで寝てるの?」

 

「帰る途中で急に世界が回ってるみたいになって……気持ち悪くて近くに公園があったから休んでた」

 

「眩暈かな……手とか足が痺れてるってことは?」

 

「大丈夫、目を開けてるのが辛いだけ」

 

「なら無理しないで目を閉じて。ほら、タオル。視界を暗くしてた方が早く良くなるっていうから」

 

 

 鞄から使っていないタオルを取り出して、Kの露草色の目を折り畳んだタオルで隠した。

 

 鞄の中にあった紅茶を飲んでもらおうか、と考えたものの……そういえば眩暈の人にカフェインは厳禁だったっけ?

 

 医者でもないから、頭を悩ませても全くわからない。

 病院も大丈夫だと嫌がられるし、私ができることはそばにいることぐらいだった。

 

 

 そうやって悩みつつも暫く待っていると、Kがゆっくりとタオルを掴み、体を起こした。

 

 顔色もマシに見えるし、目の焦点も合っているように感じる。

 それでも痩せ細った顔を見ているとまだ心配で、念の為に問いかけた。

 

 

「……もう休んでなくて大丈夫なの?」

 

「うん。結構休んだから、帰って作らなきゃ」

 

「そっか……」

 

 

 本当は休んでほしいと言いたいけれど、寝る時間も食べる間も惜しんで作りたいという気持ちも理解できてしまうから。

 

 何も言えないけれど、私だって家族がいなければKのようになっていただろうと想像してしまうと、何かはしたいと思う。

 

 休んでほしい、寝てほしいと言うのは逆効果。

 なら、ここはまだ改善できそうなところから押し付けてしまおうと、頭の中で作戦を組み立てる。

 

 コンビニで調達したお昼ご飯の照り焼きチキンの卵サンドと、野菜ジュースを袋ごと取り出して、Kに押し付けた。

 

 

「K、これあげるから食べて」

 

「え、でも、これってえななんのじゃ」

 

「Kって保存食かカップ麺系ばかり食べてるんでしょ? 偶には炭水化物系以外のものも食べた方が良いと思う。ほら、今みたいに曲作りに支障が出たら、嫌でしょ?」

 

「……そう、だね」

 

 

 Kは頑ななところもあるけれど、曲作りを絡めるとある程度は妥協してくれるってことを知っているから。

 Kに食べ物を押し付けることに成功した私は、ホッと一息つきながら、覚束ない足取りで帰るKを途中まで送った。

 

 これからは彼女の許せないラインを踏み込まないように注意しつつも、病院とかで会ったら片手間で食べれそうな料理を押し付けてやろう。

 じゃないと、今日のことを思い出してしまって、ナイトコードの作業に集中できないかもしれない。

 

 

(……無理してその辺で倒れてたら、遭遇確率が高い私の心臓に悪い。うん、これは私の為でもあるってだけだから)

 

 

 そう、だから押し付けるのだって仕方がない。

 アレルギーの有無とか、好き嫌いは確認してから押し付けてやろう。

 

 誰に弁明をしているのやら。必死に言い訳を考えながら、私も帰路に着くのだった。

 

 

 





記憶喪失えななんが料理を始めたきっかけは勿論、愛莉さんのお弁当。
身近な人がしていることはやりたがりな記憶喪失えななんです。

記憶を無くしても無くしてない絵名さんでも、料理とかお菓子を作るなら見た目とか絶対に拘りますよね、って妄想。
味もあの特技だから、マズいってことはないでしょうし……


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30枚目 仲間とは、居場所とは


サンリオのセカイが可愛過ぎて、何回も会話聞いちゃいますね。
フルボイスに感動しました……

と。失礼しました、今回は久しぶりの愛莉さんの番です。



 

 最近、愛莉の様子がおかしい。

 

 何が、と聞かれても何かとは言い難いのだけど、愛莉から頻繁に『最近どう?』とか、近況を尋ねてくるような連絡が来るのだ。

 

 いつもの私なら『私のお母さんじゃあるまいし、そんなに心配しないでよ』とでも軽口を返す……のだけど。

 どうも、そういうのとは違う気がして、私は入力しかけていた文字を消し、別の文章を送った。

 

 

『そういう愛莉は最近どうなの? 今年の臨海学校、参加するなら一緒にいきたいな~って思うけど』

 

『ごめんなさい。その日はバラエティー番組の出演と被ってるから、臨海学校にはいけそうにないの』

 

『そっか、忙しいのにごめんね。愛莉がアイドルとしてお仕事を頑張っているんだから、私も頑張るよ。ありがとう』

 

 

 メッセージを送れば、愛莉からOKと親指を立てた猫のスタンプが返ってくるので、連絡を返す元気があることだけは、わかった。

 

 だけど。

 

 

「愛莉ってば、学校行事に参加できないぐらいには忙しいんじゃない」

 

 

 高校に入学してからは、ライブどころかテレビ越しでしか会えていない、引っ張りだこのアイドル。それが今の愛莉だ。

 

 きっと、移動教室や体育の授業も忘れて絵を描こうとした私を引っ張って前に進んでくれたのと同じように、アイドル活動も前進しようと手足を動かしているのだろう。

 

 

(テレビ番組の出演で忙しいなら、私の方にこまめに連絡しなくても良いって言いたいところだけど……そう簡単に言っていい話なのかな)

 

 

 1人で浮いてないか、友達はいるかと、まるで一人暮らしする子供を心配するお母さんみたいに、時間を空けつつ送られてくる文字達。

 

 臨海学校どころか、学校にも来るのが難しいぐらい忙しいのなら、私への連絡だって無理して送らなくても良いと思う。

 

 だけど、それが愛莉の気分転換とか息抜きとかになっていたり……もしかしたらと思うと、変な返信ができなくて。

 

 

(考え過ぎなら、いいんだけど)

 

 

 最近の愛莉はどちらかというと、アイドルというよりもバラエティータレントのような売り出し方をされている。

 

 愛莉が所属しているアイドルグループのライブがあっても、高確率で愛莉だけが参加してなくて、ステージに立つ彼女の姿が減ってきているのだ。

 

 それについて、愛莉が納得しているのか?

 事務所や同じアイドルグループのメンバーとか、そういう人達に相談できているのか?

 

 頻繁に送られてくる文字列を見ただけで察することができれば……相手の心情が読み取れたら、こんなにも悩まずに済むのに。

 余計なお世話かと色々と考えだしたら、体が動かなくなりそうだ。

 

 

(最近はライブにも出てこないから、全く姿を見れないんだけど……確か、土曜日にあるQT(キューティー)*1の握手会には出てくるんだっけ)

 

 

 カレンダーを見て、何もないことを確認してから私は意を決した。

 

 わからないのなら、直接確かめるしかないだろう。

 

 愛莉は私のことを中学の時から心配してくれる大事な友達だ。

 絵を描くのも大切だけど、この違和感を見逃して後悔するよりは、動いて後悔したい。

 

 

「うん、行こう」

 

 

 私は念の為に取っておいたチケットの在処を確認してから、来る日に備えて溜まっている作業に集中する。

 

 

 

 ──それにしても、私のスランプに目処が立っていてよかった。

 そうでなければ、こんな些細な違和感に動こうなんて思わなかっただろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛莉が出ているミニライブなら、行ける時はこっそりと見に行っていたりしていた。

 

 たまに絵に集中し過ぎて忘れそうになりながらも、今のところは彰人の声掛けもあって、ライブは愛莉にバレることなく皆勤賞。

 ……だったとしても、握手会を愛莉にバレないように参加するのは無理だったので、今まで避けていた。

 

 

 ──そういうこともあり、少し遅れて握手会に参加した時にはもう、愛莉の姿がなかった。

 

 近くのスタッフさんに聞いてみた所、ちょっと休憩中みたいですね、とのこと。

 休憩中だというのであれば、また出てくることもあるのだろうか。

 

 

(私が応援しているのは愛莉だし……もう出てこないのなら帰ろっかな)

 

 

 周囲を見渡してみて、あのピンク頭がいないのなら仕方がないし諦めよう。

 

 そう思って探していると、スタッフさんが言う通り少しだけの休憩だったのか、握手会から少し離れた所に愛莉が出てきた。

 

 どこか驚くような顔をしつつ、何かを見ている愛莉。

 その視線の先には同じアイドルグループのメンバーがいて、ファンの子が楽しそうにライブの感想を言っているようだ。

 

 いつも応援している、明日も頑張ろうって思えたと、とても模範らしいファンの言葉。

 それなのに、愛莉には何か思うところがあるのか、彼女の顔に少し陰りが見える。

 

 

(愛莉……)

 

 

 気分を切り替えたのか、握手会に戻った頃にはいつもの笑顔だったものの、あれは見間違いなんかではない。

 

 握手会の時間や周囲のファンの列を見計らって、最後の方に並ぶ。

 

 愛莉がファン1人1人に集中してくれているタイプなのか、私の変装が完璧なのか。

 幸いなことに、至近距離まで近づいても愛莉がこちらに視線を向けてくることはなかった。

 

 バレていないのであれば、Amiaに頼み込んで写真を個人チャットに送りつつ変装した甲斐があったというもの。

 あの子のファッションセンスは凄く良いし、私が普段しないような恰好を平然と合わせてくれるから、相談者として最適だったのだろう。

 

 さて、次は私の番だ。

 素知らぬ顔で愛莉の前に立つと、愛莉の笑みで細められるはずだった目が丸くなった。

 

 

「じゃあ、次の人──って、えっ?」

 

「あ、私ですね。最後のライブからかなり期間が空いていて寂しかったんですけど、元気を貰いに来ました。あ、いつもの桃井ポーズ、お願いしてもいいですか?」

 

「いやいや、なんで絵名がここに!?」

 

「……やっぱり、目の前まで来ると流石にバレちゃうか。ところで、今日は1ファンとして来たんだけど、友達だと握手すら無し?」

 

「友達と握手してどうするのよ……」

 

 

 やれやれと肩を竦める愛莉に笑いつつも、私は周囲を改めて確認する。

 

 最後を狙っていただけあって、残っているファンもまばらだ。

 スタッフさんも最後の方だからか後片付けをし始めているし、これなら話しても大丈夫だろう。

 

 私は愛莉から手持ち無沙汰になっているQTのメンバーへと視線を向けてから、改めて問いかける。

 

 

「ねぇ、愛莉。この後、時間取れたりする?」

 

「え? えぇ。この後はすぐに何かがあるわけじゃないし、お昼を食べる時間があるから大丈夫だけど」

 

「じゃあさ。愛莉と久しぶりに話したいし、一緒にお昼食べない? 今なら悩み(・・)とかなんでも聞いてあげるサービスも付けるから、お願い!」

 

「…………もう、わかったわよ。片付けとか終わってからね」

 

「ありがとう、愛莉!」

 

 

 とりあえず視線を送ってみたものの、気が付いてくれただろうか。

 ほんの少しうまくいくか不安になりながらも、私は一旦、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 愛莉と近くのカフェに入り、後ろからついてきている影を見た私はほっと息を吐いた。

 

 

「どうしたの、絵名?」

 

「あぁ、久しぶりに話すからちょっと安心して。ほら、最近の愛莉ったら結構連絡くれてたでしょ?」

 

「えー、そうだったかしら?」

 

 

 高校に入学してから2週間経ってから、3日に1回の近況を訪ねてくる連絡が『結構』に含まれないのは予想外だった。

 どうやら本気で自覚がないようで、愛莉は困ったように眉を八の字にしている。

 

 それはそれで大丈夫なのかと心配が勝つが、それを探るのが今日の目的だ。上手く探ってみよう。

 

 

「それにしても、愛莉ったら私が前に来るまで全く気が付かないなんて……ファンと向き合う姿勢が素敵過ぎて、心配なんだけど?」

 

「今回は絵名がズルいわよ。普段じゃ着てなさそうそのシックな服装、年上かと思ったもの」

 

「この格好をしてなくても、握手会以外ならバレてなかったけどね。今まで愛莉が出てたライブは大体行ってるし」

 

「嘘、絵名が来てるなんてわからなかったんだけど!?」

 

 

 愛莉を驚かせてみたり、会話を盛り上げながらランチを食べること数十分。

 愛莉の気持ちの糸も解けてきたであろう時間を狙って、私は仕掛けた。

 

 

「愛莉ってさ、自分がアイドルで活動していて思ったり悩んだりしてること、事務所の人とかメンバーとかに話とかできてる?」

 

「え?」

 

「あんな様子だとできてないって私は思ってるんだけど……当たってる?」

 

「……そうね、最近はバラエティー番組の出演に忙しいから、あまり話せてないかも」

 

 

 少し強く押せば、遠慮気味に吐き出される言葉。

 後ろで張り付いてきている2人組は心当たりがあるのか、肩を跳ねさせていた。

 

 

「ためて良いことがあるのは水とお金ぐらいよ? 関係者に言いにくいって言うんなら、無関係者な私が聞いてあげるけど、どう?」

 

「絵名って強引な所があるわよね」

 

「強引な手段で解決するなら、それが1番楽でしょ。それで、どうかな?」

 

「わかったわよ。別にちょっと引っかかってるだけで、悩み事ってわけでもないんだけど……聞いてくれる?」

 

 

 じっと目を見て尋ねると、愛莉は観念したのか話してくれた。

 

 

 皆に希望を持ってもらえるようなスーパーアイドルになるんだと、いつか私にも話してくれた愛莉。

 そんな彼女は思い描いていたアイドル像と違っていても、頑張っていれば自分が理想とするアイドルになれると思って活動していたらしい。

 

 しかし、最近の番組の撮影でのファンの声や、握手会のファンの言葉で本当に今のままでいいのかと思ってしまったと。

 

 

 

「──いや、それ、立派な悩みじゃん。すぐにでも誰かに相談しなきゃいけないレベルの問題だけど」

 

「でも、これはあくまで私がそう思っただけだから」

 

「それでも違和感があったんでしょ? なら、心配してここまで来ちゃうような仲間には、相談してもよかったんじゃない?」

 

「え?」

 

「「愛莉!」」

 

 

 首を傾げる愛莉に、隠れて様子を窺っていたQTのメンバー2人が愛莉の元に駆け寄った。

 

 

「愛莉、悩んでたのならどうしてもっと早く言ってくれなかったのさ」

 

「自分が情けないよ。私達、同じグループの仲間なのに、そんな話も友達から聞き出してもらわなきゃ気が付かないなんて」

 

「2人共……ありがとう」

 

 

 カフェであるにも関わらず、涙目になる3人に私の口角は上へと上がった。

 

 

 

(──いいな、ああいう関係って)

 

 

 今回の件は事務所側の方針とかもあって、愛莉が相談してみても中々解決するのは難しいかもしれない。

 

 しかし、愛莉にはQTの2人のように、気にかけてくれている仲間もいるのだ。

 最終的にどんな道を選んだって、愛莉は自分の夢へと進んでいくことができるだろう。

 

 

(私も、できるかな)

 

 

 そのためにはまずは──歩み寄るところからだろうか。

 私にはどうしても怖くてできないところもあるけれど、そこを避ければもう少し、愛莉が築き上げたあの場所に近づけるかもしれない。

 

 

 

 

 今日の握手会は愛莉の様子を見に来るだけの予定だったけど。

 

 愛莉と、QTの人達のあの姿を見ることができただけでも、私に取っては大きな収穫だったと思う。

 

 

 

*1
桃井愛莉が所属しているアイドルグループのこと。





活動報告にこっそり載せてたifルート案がバレてて驚きました……皆様、よく見てらっしゃる。そこまで閲覧くださり、ありがとうございました。

絡めるのがまふゆさんしかいないし、合唱祭と臨海学校は振り返ってさらっと次回で終わらせます。


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31枚目 臨海学校を振り返って


いつも閲覧ありがとうございます。
びっくりするほどお気に入りが沢山増えていて嬉しいです。
評価も誤字報告も感想もありがとうございます。嬉しくて見るたびにニコニコしてます。



 

 

 合唱祭、テスト、臨海学校と乗り越えて、私はやっと夏休みを勝ち取った。

 

 臨海学校に帰って来てすぐにベッドへ直行……なんてするはずもなく。

 こちらが海で四苦八苦しつつ見世物の練習をしている間にも、送られてくるデモ。

 

 私がどれだけ、絵を描くのを我慢して来たか。

 もう我慢できないぜ! と心の中の何かが叫んでいるので、私は意気揚々とナイトコードのボイチャに入った。

 

 

『やっほー♪ えななん、おかえり~』

 

『お疲れ様。疲れてるだろうし、雪と一緒に休んでも良かったのに』

 

「いやー、無性に人の声が聞きたくて」

 

 

 AmiaとKの声がそれぞれ聞こえてきて、やっと帰ってこれたのだと実感する。

 

 夏休みに入ったせいで家に帰っても彰人はいないし、お母さんはお付き合いで泊まりらしいし、お父さんはいつも通りアトリエにカタツムリのように籠っている。

 

 つまり、帰って来たのにだーれも出迎えてくれないのだ。

 まだ実家暮らしの高校生のはずなのに、気分は一人暮らしの社会人である。

 

 1人寂しく荷物の中身を洗濯機に入れて、許可を貰ってから洗濯して干して、1人でご飯を食べる虚しさといったら……

 

 なんて話をしたら、Amiaには『えななんってば寂しガールだ~』とか大爆笑されるし、普段は反応が薄いKにまで笑われたので、もう絶対に言わない。口が裂けても言うものか。

 

 というか、誰が《寂しがりの女の子(ガール)》で《寂しガール》だ。そこは別にいつもみたいに寂しんぼでよかっただろうに。

 

 私の怒りのツッコミが火を噴きそうになる中、Amiaは笑いながら声をかけてきた。

 

 

『まぁまぁ、明日からは夏休みなんでしょ? 怒らないで楽しいことを考えようよ~』

 

「怒らせたのはAmiaなんだけどね。私は怒涛の学校行事が終わったばかりだから、宿題をしつつゆっくりと絵を描く予定だけど……Amiaは何するの?」

 

『ボク? ボクは夏のイベントとかがあるから、それに参加したりするかな。家に引き籠るえななんとは違って、外に出るんだよね〜』

 

「ちょっと! 人を引き籠りみたいに言わないでくれる!?」

 

 

 人聞きの悪いAmiaに文句を言いつつ、何となく予想できているものの、Kにも話題を振ってみた。

 

 

「ちなみにKの予定は?」

 

『えっと……夏休みとか関係ない、かな』

 

「あぁうん、そのひたむきな姿勢は見習わなくちゃいけないわね。去年と一昨年は外に出てたし、私も今年はひたすら家で描こうかな」

 

『あっれー? えななんってばやっぱり引き籠りになるんじゃーん』

 

「Amia、うっさい」

 

 

 しつこいAmiaを撃退し、ふと、ここにはいないけれどさっきまでは一緒にいた人物を思い出す。

 

 

(雪、夏休み中大丈夫なのかな)

 

 

 美術部はそこまでアクティブな部活じゃないので、夏休みは活動しない。

 ただ、それは吹奏楽部以外の文化部の話であって、運動部は意外と夏休みも活動してるんだとか。

 

 (まふゆ)が所属している弓道部も例外ではなく、何なら塾の夏期講習やら塾・予備校・学校からの宿題もあって、受験生でもないのに夜以外もずっと勉強漬けだという。

 

 

(あいつのお母さん、たぶんあの個展の時の気に入らないって思ったあの人なのよね)

 

 

 他人のことを肩書や称号でラベリングしていたあの女性。

 高校1年生の内から娘の夏休みのスケジュールを勉強で寿司詰めさせるぐらいだから、学力面とかで厳しいのは確かだ。

 

 何なら、友達とかも選ぶタイプかもしれない。

 そんな相手はダメだとか、そういう行動はダメだとか、私だったら1番嫌なタイプの人。

 

 

 そんな妄想に思わず険しい顔になる自分の顔をディスプレイに映していると、Amiaのアイコンが光った。

 

 

『ねぇねぇ、えななんは臨海学校で何したの?』

 

「何って予定通り海に行って、グループを作って発表しただけよ」

 

『へぇ。えななんのグループは何を発表したか聞いてもいい?』

 

「何って、大したことはしてないわよ? 雪と他の子で組むことになったんだけど……2人がバンドしてるらしくて、何故か雪とデュエットさせられたぐらい」

 

『何それ、面白そうじゃん! そういう話が欲しかったんだよね、もっと聞かせてよ!』

 

『あ……じゃあ、私は作業に戻るからミュートにするね』

 

 

 Kが断りを入れてミュートにしても、Amiaは臨海学校のことに興味津々なようだ。

 私の口は臨海学校のことを話しつつも、手は棚に並んでいたファイルを探す。

 

 

(えーと、あった。これだ)

 

 

 ファイルに綴じていたテストの結果を取り出して、私は改めてこの間のテスト順位を確認する。

 最近はそこまで勉強に時間を割いてなかったせいか、悪くもないけど認められるのかと言われたら微妙な順位がそこに刻まれていた。

 

 

(絵を描くのは譲れないけど……保険も、あった方がいいよね)

 

 

 雪も1日頑張っているし、Kはもちろんのこと、Amiaだって生意気にも揶揄っていても、必死に息をしているのだろうから。

 

 まずは私ができることをやっていこう。

 ここを居場所にしたいと思ったなら、まずは私が頑張りたい。

 

 

『ちょっとえななーん。さっきからガサゴソしてるけど、恋愛ソングのデュエットから結局、どうなったのさ~?』

 

「ああ、ごめんごめん。結局2位だったから、その辺どうでもよくって」

 

『ほうほう、2位って結構順位高かったんだね』

 

 

 声質がいいという理由と、楽器をしたことがないという理由で歌担当になったものの、歌に自信がなくて最近になって練習をしていた人間が、優勝に導けるほどの歌唱力なんてなく。

 2番という喜び難い順位を貰って、臨海学校は終わったのだ。

 

 ……正直に言うと中途半端で悔しいところもあるので、暫くは歌の練習もこっそりやっていこうと思う。

 『朝比奈さんや周りの人の足を引っ張っていたせいで1番になれなかった』なんて言われたら、何もしてないと自分に対して腹が立ちそうだ。

 

 そんなマグマのように煮えたぎる内心を知ってか知らずか、Amiaは軽い口調で再び話し出した。

 

 

『いやぁ、でも見たかったなー。合唱祭の為に猛特訓したえななんの成長とか気になるしー?』

 

「……絶対にイヤ。Amiaに揶揄われる未来しか想像できないし」

 

『そんなことないよ。ボク、えななんみたいに捻くれてないもーん』

 

「あぁ、そう。今の発言で『リアルで会ったらグーパンチしたい選手権』で優勝したわよ。おめでとう、Amia選手」

 

『わー、こわーい。これはほとぼりが冷めるまで、オフ会参加拒否しよーっと』

 

 

 やんややんやと盛り上がるAmiaに苦笑いしつつも、私もこの気楽なやり取りには楽しさを感じている。

 

 

(それにしても、Amiaからオフ会の単語が出てくるとは思わなかったな)

 

 

 Amiaは《顔も見えないし、わからない》という関係に、最初の頃は安心していた節があったように思う。

 そんな子がオフ会を匂わせるのだから、少しは距離が縮まっているのかな、とほんの少し嬉しくなった。

 

 こっそりと笑いながら画面を見ていると、今日は3つしかないはずのアイコンが4つに増える。

 

 

『お疲れ様、作業中にごめんね。えななんとAmiaが話してるみたいだから、来ちゃった』

 

『えぇっ!? 雪、今日は休むんじゃなかったの?』

 

 

 私とAmiaはかれこれ1時間ほど話していたらしく、デジタルの文字は2時を優に超えていた。

 それなのに、休むと連絡していた雪が姿を現して、Amiaが素っ頓狂な声を出す。

 

 Amiaの声を聞いている私自身も驚いていて、思わず時計を2度見してしまった。

 

 明日のことを考えると、本当ならば早く寝ろと言うべきところなのかもしれない。

 だけど、態々休む予定を変えてまでこっちに来たということは、何かあったのかもしれないとも考えてしまって。

 

 シャボン玉みたいに浮かんでくる言葉を潰して、言っても良さそうな言葉を厳選した。

 

 

「雪、お疲れ。明日も早いって聞いてたけど……寝れないの?」

 

『えななんにはバレてるよね……うん、ちょっと目が覚めちゃって。2人が話してるみたいだから少しの間、話そうかと思ったの』

 

「寝る時間も大事なんだから、残っても3時までよ。それ以上居座るなら、Kにお願いしてボイチャから追い出(キック)してもらうからね」

 

 

 夏期講習のこともあって念を押したのだが、それを面白そうに指摘するのがAmiaだ。

 

 

『えななん、なんかお母さんみたーい。これはママなんって呼んだ方がいいかな?』

 

「は? 私はAmiaのお母さんじゃないんだけど?」

 

『ふふ、3時までね。わかったよ、ママなん』

 

「いや、雪のお母さんでもないから!?」

 

 

 外面が良いモードの時はノリもいいから、Amiaと組まれると非常にめんどくさい。

 

 画面の前で顰めっ面を晒している自分から目を逸らし、私は音に乗るようにため息を吐いた。

 

 

『あーらら。えななんってばため息ついちゃって、幸せが逃げちゃうぞ~?』

 

「はいはい。必要になった時にまた掴み取るから、今は自由に羽ばたかせときなさい」

 

 

 Amiaの軽口に付き合っていたらただでさえ少ない私の体力が消し飛ぶので、早々に切り上げにいく。

 普段ならもう少し噛みついているのだろうが、体力バカ相手に臨海学校で疲労している体に鞭を打ちたくない。

 

 察しの良いAmiaは疲れて寝落ちなんて醜態を晒すのは嫌だと、体力を使うようなことを避けている私に気が付いたのだろう。

 興味の矛先を再び臨海学校に戻して、雪に話題を振った。

 

 

『ねぇねぇ。えななんから聞いたんだけど、雪って臨海学校で恋愛ソングのデュエットをしたんだよね?』

 

『うん。えななんだけ歌担当っていうのは、大変かなって思ったから。2人で歌うことにしたんだよね』

 

『へぇ、ということは最初はえななん1人で歌うことになってたんだ?』

 

『楽器ができないならって、メンバーの子達は好意のつもりだったみたいだけど……合唱祭の時に必死になって歌の練習をしていたし、不安そうなえななんを見てたらつい、私も歌う側に回っちゃったよ』

 

『あー、想像できる~。任せられたからにはやらなきゃって思いつつも、できるか不安なえななんが想像できる~。ちなみに雪さん』

 

『うん? そんなに改まってどうしたの?』

 

『えななんはよくダイエットの話とかしてるし、日の光も苦手だって言ってるから海とか天敵だと思うんだけど……水着姿で挙動不審になってたり、日陰を極端に避けてたりしてなかった?』

 

『ううん、そんなことはなかったよ。でも、体重を気にしてるのに、ラッシュガード*1で肌が隠されていても、折れそうな外見で心配だったかも』

 

「あのさ。こっちが黙って聞いてたら、何であんた達は私の話ばかりしてるわけ……?」

 

 

 臨海学校の話なのだから、そこは雪が感じた臨海学校の話だろう。

 それなのにどうして私の話になっているのか、全く理解できない。

 

 

『だって、雪が話してくれるし~』

 

『私とAmiaの共通の話題ってえななんだから』

 

「もっと他に共通の話題はあるでしょ!? そもそも臨海学校の話をしなさいよ!」

 

 

 そこから何故か軌道修正しても私の話に戻ってしまう会話に四苦八苦しつつ。

 

 2人に遊ばれているのに気が付いたのは、雪がログアウトした後だった。

 

 

*1
宮女の指定している水着ではないものの、記憶喪失えななんは先生に事故の事情を話して許してもらっている。





記憶喪失えななんがいい感じに繋ぎ役になってるので、割と賑やかなナイトコードです。


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32枚目 サークル効果

 

 

 画塾やバイト、南雲先生から美術鑑賞のお誘いがあった時以外、私の夏休み前半の行動は《部屋に籠って絵を描く》一択だった。

 

 最近は東雲絵名でもなく、画家になる為でもなく、えななんという絵描きとして絵を描く日々を過ごしているお陰だろうか。

 自分がやりたいからサークルの中で描いているということもあって、かなりノビノビと作品を作ることができている。

 

 ふとした時にこれでいいのかと思うこともあるけれど、目標であるスランプ脱却は今の方向で進む方が近い気がするので、そちらの面では問題ない。

 絵名が願った願い事の方は……まだ手掛かりはないけれど、どんなに短くても大学卒業までは絶対に絵を描き続ける予定だ。

 

 最悪、ずっと探し続けるのも良いんじゃないかと思っているので、気持ちには余裕がある。

 許されるのであれば──今はまだ、えななんとしてここで絵を描きたい。そういう思いもあって、今は絵を描く方に重点を置いていた。

 

 

 

 

 

「Amia、いる?」

 

『いるよー。どうしたの?』

 

「絵ができたから、Kや雪に見せる前に先にAmiaに見て欲しいなと思ってさ。送るから確認してよ」

 

『そういうことなら任せてよ! さ、いつでもどうぞー』

 

 

 まだ集合時間前ということもあり、講習で忙しい雪どころか珍しくKもいないナイトコードにて。

 ある程度作業を進めていたであろうAmiaに声をかけ、私はナイトコードに画像を送る。

 

 ぽん、と独特な音と共に曲のファイルの下に現れる絵のデータ。

 Amiaは画像を見ているのか、暫く無言の時間が流れる。

 

 イヤホンの向こう側から息を飲むような音が聞こえた気がして、私も両手を握ったり開いたりと無駄な動きを繰り返した。

 

 

『なんていうか、最近のえななんは絶好調って感じがするよね』

 

「急に褒めるじゃん……何かおねだりするつもりなら無理だからね。何も買わないわよ?」

 

『もう、こういう時ぐらいは素直に受け取ってよ。そうじゃなくて、素直に凄いって思ったんだよ』

 

「……Amiaが褒めるなんて珍しいじゃん」

 

『ボクはえななんとは違って素直に褒めるタイプですぅー』

 

「は? 私だって褒める時は褒めるし」

 

『ホントかな~? ……でも、本当に良い絵だと思うよ。少なくともボクは好きかな』

 

 

 どうやらAmiaが褒めているのは本気らしくて、少し背中がむず痒くなってきた。

 

 

(そういえば、雪平先生にも昨日の講評で『戻ってきましたね』って言われたっけ?)

 

 

 その言葉にいまいちピンとこなかったのだが、Amiaの言葉も聞いて、やっと腑に落ちた。

 スランプ脱却の方向性は間違っていない。それは自分だけの感覚だと思っていたのだが、表面上にもきちんと出てきているらしい。

 

 これも全部、入らないって言った私を態々リアルを晒してまで引き込んでくれた雪やK、DMでも今も心配してくれているAmia……皆のお陰だ。

 

 

(あぁでも、素直に言ったらAmiaは『えななんの絵はボクが育てた~』とか言いそうだし、今は内緒にしよ)

 

 

 マイナスからスタートラインに戻っただけかもしれない。

 だけど、それでも足掻いても踠いても、全く進まなかった1年と比べると確実に進めている。

 

 成長とかスランプの話はともかく、褒められたことへのお礼ぐらいは素直に言っても良いかもしれない。

 

 

「……ありがと、気持ちは受け取っておく」 

 

『うん、そうしてよ。ボクはこれでも、えななんの絵のファンだからね』

 

「ふぅん? 私もAmiaが作るMVは拘りもセンスもあって好きだから、お互い様かもねー」

 

『えっ、えななんってば、急に素直に褒めるねぇ……』

 

「褒め足りないみたいだから、たまには素直になろうかなーって」

 

 

 後は普段、揶揄われる仕返しだ。

 

 急に褒められるとAmiaも弱いらしく、歯切れの悪い言葉が鼓膜に届く。

 褒めるのは意外と効果的なのかもしれない。

 良いことを知ったとニンマリと笑う私の顔と目が合っていると、ボイチャの方にポコポコと2つのアイコンが現れた。

 

 25時。それは私の形勢が一気に不利へと傾く時間だった。

 

 

『お疲れ、えななん、Amia』

 

『お疲れ様。2人で何話してたの?』

 

『あっ、Kと雪もお疲れー。ねぇ、ナイトコードの絵を見てよー。えななんの絵、すっごく良くなってるよねー?』

 

(ちょ、Amiaってば早速仲間を作りに行ったわね!?)

 

 

 とんでもなく狡いAmiaに私のテンポは1歩遅れてしまう。

 その間にもKと雪は私の絵を見たらしく、話は絵の方へと向かっていた。

 

 

『最近のえななんの絵は言いたいことをちゃんと言ったって感じがするね、良いと思うな』

 

『うん、私もKと同じ意見だよ。良い絵だと思うし、これで進める予定なの?』

 

「進めてもいいけど……本当に修正箇所とか変えた方がいいところはない? あれば対応するけど」

 

 

 皆に褒められるのも嬉しいけど、一緒に作る仲間であるのなら褒められるよりも、ハッキリと言って貰った方がこちらとしてもありがたい。

 

 

(あっ、でも……絵のことで私がそう思うのなら、Kや雪も聞かせてくれる時にそういうこと思ったりするのかな)

 

 

 私とは違って適した才能がある2人だから、私の物差しで測るのは烏滸がましい事かもしれないけれど。

 少しでも天才に分類される彼女達に近づけるように努力するのは、絵を描く経験としても無駄にはならないだろう。

 

 

(よし、これもやりたいことリストに追加しよっと)

 

 

 絵を描くこと以外にもやりたいことや知りたいことが増えて、それも絵に繋げていって。

 前に進めているんだと思えるこの時間がとても嬉しいのもまた、内緒の話だ。

 

 

『おーい、えななーん。黙っちゃって拗ねちゃったの~?』

 

「拗ねてないし! その、ボーっとしてて無視したみたいになったのは悪かったわよ」

 

『いいよいいよ。えななんが上の空タイムの間にお望み通り、もっと良くなるんじゃないかってアイデアを皆でまとめたからね。泣いても知らないよ~?』

 

「精神的に参っている時ならともかく、今は泣かないわよ。というか、あんたの前で泣いたことないでしょうが」

 

 

 私とAmiaがコントみたいなやり取りをして、Kが控えめに笑って雪が止めるのがセットの、いつものやり取り。

 各々の内心は兎も角として、動画を作っている間だけは平和に思えるこの空間を守りたいと思うからこそ。

 

 私はできることを、少しずつ準備していこうと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休み後半からは引き籠もり生活から一変、日焼け対策をしてから外でスケッチすることが多くなった。

 

 主な目的は音楽というインプットから絵をアウトプットする特訓をすることと、動画とかでは出会えない音楽に触れる為。

 意外と渋谷は大通りや公園などで芸を披露している人が多くて、いきなりライブハウスとかに乗り込まずとも、生の音楽を鑑賞できるのだ。

 

 聞いてもらえるかもわからないのに堂々と歌う人に尊敬しつつ、彼らを遠目から描くのはとても良い練習にもなった。

 

 ……本当ならば、ライブハウスにも顔を出してみたいけれど、初心者の私にはハードルが高い。

 まずはストリートパフォーマンスを入口にして、茹で蛙のように慣らしていこうと思っているのである。

 

 だから断じてヘタレなのではない。チャンスがあれば行くつもりなのだ、チャンスがあれば。

 

 

(それにしても……K達が作る曲とは方向性が違うけど、他の人の絵を描くのも面白いな)

 

 

 パフォーマンスする人を絵にしたり、聴いた曲のイメージを絵にする行為は、私が想像するよりも面白くて捗った。

 

 特にどういう仕組みで動いているのかわからない飛行物体やらロボットを使ってパフォーマンスする人がいた時なんて、音楽とか殆ど関係ないのに本能に赴くままに絵を描いてしまったぐらいだ。

 紫に水色のメッシュの髪の毛なんて、どう白と黒で表現しようかと悩んだし、色んな意味で題材として参考になった。

 

 路上でのパフォーマンスでこれなのだから、これでライブハウスとかに行けばどうなってしまうのだろう。そんな好奇心が顔を出してくる。

 

 今日もどうしてストリートパフォーマンスをしているのかわからないレベルの人を見つけて、その人の音楽を楽しみつつ、ついつい鉛筆を走らせてしまった。

 腕を支えに描いた絵は少々走ってしまっているものの、その場で急いで描いた割には勢いのある良い絵に仕上がった気がする。

 

 後で清書して完成させよう。そう思いながら片付けていると、ふと横から声をかけられた。

 

 

「ねぇ君、最近ここで絵を描いてる子だよね?」

 

「え?」

 

 

 顔を上げると今日のストリートパフォーマンスの題材にさせて貰った女の人がそこに立っていた。

 許可も取っていないのに絵を描いていたのを怒っているのだろうか。何を考えているのかわからない笑顔が恐ろしく感じる。

 

 ヒヤリと背中に冷たいものが走る中、女性は笑いながら首を横に振った。

 

 

「別に怒らないから、そんな顔を真っ青にしなくてもいいよ。ここで歌うのなら兎も角、絵を描くなんて子はいなかったから、珍しくて声をかけただけなんだ」

 

「え、あぁ……そういうことでしたか」

 

 

 ただの物珍しさから声をかけてくれただけ。

 それを知った瞬間、崩れ落ちるように私の体から力が抜けた。

 

 もしも描くなと言われていたら、許可を貰っていないこちらでは勝てる要素はどこにもない。

 今回は大丈夫だったが、次からは許可を貰ってからにしよう。心の中でこっそりと決意した。

 

 そんな決意をしている間にも女性はギターケースを担ぎ直し、ひょいと私のスケッチブックを覗き込みながら問いかけてくる。

 

 

「ストリートパフォーマンスの絵を描いてるみたいだけど、どうして態々その題材を選んだの?」

 

「その、音楽をもう少し理解しようと思って最初は聴き回っていたんですけど……恥ずかしながら、聴いている間に絵にしたくなって」

 

「そっかそっか、君はそういう子なんだね。なら、絵を描いてくれてありがとうって言わなきゃ」

 

 

 クスクスと笑いながら女性は鞄からチケットを取り出し、私に手渡してきた。

 

 

「いい絵を見せてもらったし、これ、あげるよ」

 

「これは……ライブのチケットですよね?」

 

「そう、久しぶりに懐かしい箱でライブするんだ。良かったら見に来てよ」

 

「お誘いは嬉しいんですけど、初対面の私にライブのチケットなんて、渡してもいいんですか?」

 

「実はあまり良くないけど……君が私達のライブを見た景色を、絵にするのを見てみたいんだよね。だからそれはさっきのお礼兼、先払い料金ってことで」

 

 

 女性はウィンクを見せて「君の絵、楽しみにしてるね」と手を振ってから、そのままどこかへ去ってしまう。

 引き留める前に女性がどこかに行ってしまったせいで、私に残ったのは女性から貰ったライブのチケットだけだった。

 

 

(lolite……? これってグループの名前なのかな。そのloliteさんが単独ライブをすると)

 

 

 調べてみると、どうやらloliteというのはメジャーで活躍しているバンドらしく、動画の再生回数もかなりあるバンドらしい。

 

 

(まさか、ライブハウスの方から近づいてくるとは……)

 

 

 ライブハウスに行くのはちょっと怖いと思ってしまうし、踏み込まないと決めるのは簡単だけど、折角貰ったチケットだ。行かない方がもったいないだろう。

 ライブの日は明後日らしいし、その日は全く予定がない。チャンスの方からやってきたのだから、掴まなければ嘘つきである。

 

 

(よし、行ってみよう。これもまた勉強でしょ)

 

 

 そうと決めたら後は早くて、私はスケッチブックを片付けてから足早に家に帰ったのだった。

 

 

 





丁寧にフラグを積み立てて次回にて登場する子がいる中、唐突にサラッと一般通過する演出家さん。
バキバキマッソゥ……

後、今回のギターのお姉さんはどこにも出てきてません。名前があるのも会話するのもベースの人なんでね……名前もないちょいとしたオリキャラです。


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33枚目 ライブ・スケッチ

 

 

 ライブハウスといえば、中に入ればジャカジャカ音が響いているんじゃないかとか。

 薄暗い部屋で怖そうな人を相手に受付をしたり、中に入るとライブの熱狂でちょっと蒸し暑そうとか。

 

 後は一般的にヤバいと言われるような人達が(たむろ)して、『初見の子供・おひとりさまお断り』みたいな、暗黙の会員制みたいなものがあると思っていた……のだけど。

 

 

(冷静になって考えると、ガールズバンドとか高校生バンドとかあるのに、酷い偏見だったよね)

 

 

 恐る恐る扉を開くと、そこに待っていたのは薄暗い部屋ではなく、綺麗なお店だった。

 

 入口でライブのチケットを手渡して、ドリンクチケットとやらを購入して。

 飲み物代としては割高なチケットをジュースと交換してから、ライブハウスの中を彷徨う。

 ライブのグッズ販売コーナーを見て、少しだけ時間を潰してから、更に奥のフロアへ。

 

 

(あ、そういえば服装とかペンライトとかどうなんだろ。ライブハウスに行ったこともあるって言ってたクラスメイトに聞けばよかった)

 

 

 愛莉と一緒に行った映画館のような感覚というか、あまりにも事前情報を調べずに来てしまったことに少し後悔。

 

 そもそもペンライトとかが必要なのは、アイドルとかのライブだったか、どうだったかと悩みながらスケッチブックを取り出すと、隣から声をかけられた。

 

 

「……あの、ハンカチ落としましたよ」

 

 

 声の方へと目を向けると、中学生ぐらいの女の子が私のハンカチを手に持っていた。

 

 少しハネ気味な短めの銀髪に、翡翠色の鋭い目が気難しそうな猫に見える。

 パーカーを着こなしていて、いかにも私が想像できる範囲の『バンドをしてそうな人』ってイメージの服装だ。

 

 ライブハウスとかに通い慣れてそうだ、と勝手な偏見のコメントを心の中で添えつつ、私はハンカチを受け取る。

 

 

「ありがとうございます、鞄から取り出した時に落としちゃったんだと思います。助かりました」

 

 

 会釈するように頭を下げると、銀髪の少女は緩く首を振った。

 

 

「いえ。このライブの思い出が『ハンカチを無くした』なんて、もったいないですから」

 

「あはは、そうですね。初めてのライブハウスの思い出がマイナスにならずに済みそうっていう点でも、あなたには感謝しなくちゃいけませんね」

 

「! ……このライブが初なんですか。loliteが初めてなんて、それはいい時に来ましたね」

 

「いい時?」

 

 

 首を傾げる私に対して、銀髪の少女は涼し気でありながらも、目には熱を持っている状態で話してくれた。

 

 

「はい、loliteはメジャーデビューしてからライブハウスでのライブは少なくなってきていたのですが、今日のライブは久しぶりに古巣に戻ってきてくれたんです」

 

「へぇ……それは確かにいい時ですね」

 

 

 まさか、ばったり会って偶然頂いたライブのチケットが、そんな貴重なものだとは思ってもみなかった。

 

 ……これは後でお金を支払った方がいいだろうか。

 

 そんな無粋なことを思わず考えてしまっているのと同時に、ある可能性に思い至ってしまった。

 

 

「あの、初めてで勝手がわからないんですけど……やっぱりこういうライブって撮影禁止なんですか?」

 

「あぁ。確かに日本はメジャーで活躍してる人のライブは撮影禁止の場合が多いですけど、今回のライブは数日前に撮影しても良いって許可が出ているので大丈夫ですよ」

 

 

 いつもはダメだけど、今日のライブだけは良いだなんて。

 あまりにもタイミングが良過ぎて、私のことを気遣ってくれたのでは? と考えてしまうのは思い上がりだろうか。

 

 なんにせよ撮影禁止の場合は当然、写生もアウトなので約束を守れそうでほっとする。

 スケッチブックを持っている不審者にならなくてよかった。

 

 

「……もしかして、ライブの絵を描くんですか?」

 

 

 まさかライブハウスにて、スマホやカメラで撮影ではなく、スケッチブックと鉛筆を取り出す人がいるとは思ってなかったのだろう。

 

 少女の鋭い目が中和されるぐらい丸くなり、見ただけでわかる程、驚いたような顔をされる。

 

 スケッチブックを持つなんて、そんなにビックリすることなのか。

 ならば、ストリートパフォーマンスの時に絵を描いていた自分はかなり浮いていたのだろうな、なんて後から気がついてしまって、私は思わず苦笑した。

 

 

「メインは見ることなんですけど。描いて欲しいと言われたので。自分なりにベストは尽くそうと思ってます」

 

「そうですか。いいですね、私も楽しみにしてます」

 

「そうですか? なら、ピクシェアで投稿した方がいいのかな……えっと、loliteってピクシェアでのタグとかあるんですか?」

 

「えぇ、ありますよ。この辺がよく使われるんですけど、イラストも今回のライブの感想って意味なら、こっちでいいと思います」

 

 

 どうやら目の前の少女は私が想像していたよりも、このバンドに詳しいようだ。

 ついでに色々と知らなかったことを聞いてみると、彼女はスラスラと淀むことなく答えてくれる。

 

 その上、今回のライブの見どころだけでなく、どこに注目して自分なら見るかなど、年齢が近いということもあってか少女は楽しそうに話してくれて。

 どれもこれも勉強になるし、ライブの前で少し暇だったこともあって、私はうんうんと聞き入ってしまった。

 

 

「あっ……すみません。つい、話し過ぎてしまいました」

 

 

 淡々としたようにも聞こえるのに、強い熱を感じる語り口調から一転、少女の声は聞き取りにくいぐらい小さくなって謝罪を紡いだ。

 

 

「謝らないでくださいよ。すごく参考になりましたし、お陰でもっと良い絵が描けそうなんです。こっちがありがとうって言わなきゃいけないぐらいですから」

 

「……それならよかったです」

 

 

 はたから見れば初対面だと言われても信じるのが難しいぐらい、話が盛り上がっていたのだ。

 相手もあんなに話してしまって大丈夫なのかと、不安に思ってしまったのかもしれない。

 

 

(調子に乗って聞き過ぎたなぁ。悪いことしちゃった)

 

 

 耳をほんのりと赤く染めて、口を一文字に結ぶ少女に対して、ほんの少しの罪悪感を覚える。

 そろそろライブも始まるし、これ以上話を聞くのも難しいだろう。

 

 銀髪の少女だって気まずいだろうから、私はこの場を離れることにした。

 

 

「話、ありがとうございました。それでは、お互い楽しみましょうね」

 

 

 軽く会釈してから、私は後ろの方──壁沿いの場所へと移動する。

 他の観客の人の邪魔にならないことだけは意識してスケッチブックを取り出すと、周りが薄暗くなった。

 

 どうやらライブが始まるらしい。

 私は周りの観察できるように体を壁に預け、何一つ見逃さないように目と耳に神経を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後。

 私は少女やギターの人と再会できなかったのだが、loliteのライブを夢中になって楽しんだ。

 

 演奏するバンドの人達と、観客が作り出す世界。

 

 動画の音楽とも、絵の世界とも違う熱狂的なあの場所は、不思議と私の胸を弾ませ、息をするのも忘れそうになる彼女達の世界へと引き込まれた。

 私も見た人に世界観を感じてもらえるような絵を描きたいと、強く思うぐらい良い音の芸術だったと思う。

 

 

 ──『ライブハウス』という箱庭だからこそ彩られた世界を、その世界の主人や観客(住人)を、どう絵の世界に落とし込もうか?

 

 

 Kの曲とはまた違う難しい課題を前に四苦八苦しつつ、なんとか25時までに完成させた私はその絵にタグをつけて、ピクシェアにアップした。

 

 

(今の私にできることはやったし。この気持ちがどうか、届きますように)

 

 

 今日は素敵な世界を見せてくれてありがとう、と。

 そんな感謝を込めた絵を描いたことで、また1つ、私は何かを掴めたような気がした。

 

 

 

 

 

 そして、25時。

 私は大慌てで準備を終えた私は慌ててナイトコードを開く。

 

 

「お疲れー、って、もう全員揃ってるじゃん。遅れてごめん!」

 

『あっ、えななんおつかれー。今日はボクらが早かっただけだよ〜』

 

『うん、えななんは時間ぴったりだから大丈夫だよ』

 

 

 Amiaと雪に声をかけられて、Kも全員揃ったのに気がついたのか、声を出す。

 

 

『じゃあ、全員揃ったし今日も作業を始めようか』

 

 

 その言葉で、私達の活動が今日も始まった。

 Kと雪は早速ミュートにして、個々人で行動し始めて、私とAmiaだけが残る。

 

 今日はAmiaと動画の骨組みを作るために会議をする日なのだ。

 

 

「Amia、早速動画の方向性を決めよっか」

 

『あ、その前に。えななんの絵のアカウントを見たから、その話をしても良いー?』

 

「もしかして今日、投稿した絵を見たの?」

 

『うん! あれ、今日あったライブのイラストらしいね。えななんが引き籠もってばかりじゃなくて安心したよー』

 

「余計な言葉が多いわよ。私だってK達の曲の世界を作るために、色んなことに挑戦してるんだからね?」

 

『──うん、そうやって変わろうって頑張れるんだから、えななんは凄いと思うよ』

 

 

 いつもの揶揄い文句だろうと軽く流そうとしたら、意外なことに返ってきた言葉は真面目そのもので。

 私の感覚が間違いなければ、Amia望む返答は真面目なモノではないのだろう。

 

 Amiaの雰囲気の変化に鈍感なフリをして、頭をフル回転させた私はそれらしい言葉を絞り出した。

 

 

「Amiaだって頑張ってるでしょ。もう、そうやってすーぐ褒められようとして! 一々言わせないでよね!」

 

『……えー、偶には褒めてくれても良いじゃん。えななんのケチー』

 

「ケチで結構。ほら、早く動画の案をまとめるわよ。じゃないと動画が投稿できなくなっちゃう」

 

『あはは、そうだねぇ。ちゃんと考えないと、えななんが怒られちゃうよね』

 

「何で私が怒られる前提なのよ。でも、もしも怒られるのなら連帯責任だから。絶対に足首掴んでAmiaを巻き込んでやるから、覚悟しなさいよね」

 

『わー、怖い。これは真面目に考えなきゃだね』

 

 

 いつもの調子に戻ったらしいAmiaにホッと胸を撫で下ろす。

 

 

(私の考え過ぎなら良いんだけど……そうだった試しがないのよね)

 

 

 1回、記憶を全損した経験がこんなところで生きてます、とでも笑えばいいのやら、変なところで勘が働く。

 とはいえ、動こうにも顔も何も知らない相手にどうすればいいのかわからない私は、今まで通りに接することを選ぶことしかできなかった。

 

 

 せめて私と同じように、Amiaにとってもこのサークルでの楽しい時間でありますように、と勝手に願って。

 

 Amiaとの話し合いで決まった方向性の絵を完成させるために、ペンを握り締めた。

 

 





一体、何野森さんがいたんでしょうか……お姉さんの方かもしれないし、星とか天とか月の森さんかもしれませんし(すっとぼけ)


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34枚目 黄と白、兎の行列

 

 長くとも楽しい夏休みが終わった。

 

 今日からまた、朝を気にして睡眠時間を調整しなければならない面倒な日々が始まるものの、学生はそういうものだから仕方がないとして。

 

 問題は今、目の前でニコニコ笑っている優等生様だ。

 

 私個人はとても充実した夏休みだったのだけど、目の前の少女にとっては精神的にも酷い夏だったらしい。

 まふゆと顔を合わせた瞬間、私の口角が引き攣った。

 

 

(う、うわー)

 

「おはよう、絵名。どうしたの?」

 

「……おはよ。いや、久しぶりにまふゆを見たら、イイ笑顔してるなぁーって」

 

「うーん、そうかな? そんなつもりはなかったけど……久しぶりの学校だし、お互い頑張ろうね」

 

「そうね……」

 

 

 笑顔の仮面のレベルを上昇させたまふゆが、小首を傾げながら挨拶する。

 ナイトコードの声だけを聞いても気が付かなかったけれど、まふゆの仮面が更に鍛えられてしまったらしい。

 

 クラスメイトに挨拶している姿も自然で、より深く『まふゆ』という存在が深いところに潜ってしまったように感じた。

 

 

 

 

 ──私がKと曲を作っている理由は……私を探して、見つける為だよ。

 

 

 

 

 ふと、初めてまふゆの無表情を見た時の言葉が脳裏に蘇る。

 

 私の記憶違いでなければ、まふゆは自分を探して、見つける為にKと一緒に曲を作っていると言っていた。

 しかし、夏休み明けのまふゆの顔を見ていると、どうも逆走しているようにしか見えない。

 

 このまま放っておいても、良い未来はやって来ないだろう。

 今のまふゆには見つからないと諦めて、勝手に終わらせてしまいそうな危うさがあった。

 

 

(そもそも……まふゆには消えないことを選ぶ理由があんまりないのよね)

 

 

 消えてはいけないと思うブレーキもなく、家にも学校にもどこにも居場所がないと感じていて、逃げる場所がない彼女が最後に選べるのは……最悪に近いものだろう。

 

 我慢に我慢を重ねて、1人で足掻いて、ある日突然プツリ──と選んだ衝動的な答えなんて、良いものであることの方が少ない。

 

 

(ここで問題なのが、まふゆが救われるかもって思った鍵が『Kの曲』ってことなのよね)

 

 

 これが誰かの絵ならばまだ、私にも何かできたかもしれないのに……それが曲となれば、私はあまりにも無力だ。

 今から私が絵の片手間に曲を作るよりも、まふゆ自身が作った方が自分を見つけることができるだろう。

 

 つまり、私は何もできない。東雲絵名(絵描き)は無力なのである。

 

 

(だからKに任せて放置しよう! なーんて選択肢を選べないぐらいには、私自身がまふゆに恩があるし……)

 

 

 戻るに戻れなかった私の背中を押してくれたまふゆへの恩は私の中で大きく膨らんで、大切な気持ちの1つとして主張している。

 

 だからこそ、余計なお節介だと冷静に告げてくる自分を頭の片隅に追いやって、ぐるぐると思考を巡らせているのだ。

 

 

 

 ──これからの行動はきっと、まふゆの自分探しのヒントになれば嬉しいなー、と思う程度の時間稼ぎにしかならない。

 

 父の絵でも動かず、今の私の絵を見てもまふゆの心を揺さぶるようなものは描けていないのは、火を見るよりも明らか。

 ここで意地を張って『私の絵で動かしてやるんだ!』と思う程、私は思い上がっていない。

 

 もちろん、ずっとまふゆに認められないのは悔しいので、いつかは「あっ」と言わせるような絵を描いてやる、というのは小目標として。

 私情を片隅に置いてでも、今はまふゆが潰れてしまわないよう、時間を稼ぐ必要がある。

 

 

 だから、時間を稼ぐ為にも……Kの曲以外にまふゆの『何か』に触れるモノを探そう。

 

 

 朝比奈まふゆという少女は優等生フェイスじゃなくても優しいところがあるから、言い訳に『私の探し物に付き合って欲しい』と言えば何とかなりそうだ。

 塾や予備校、部活とか委員会がない──彼女が忙しくない日ならば、付き合ってくれる可能性は倍増。勝算は十分にある。

 

 

(期間はKがまふゆの探し物を見つけるような曲を作るまで。時間を稼ぐ為にまずは──それとなく、まふゆの予定を確認しようかな)

 

 

 彼女の邪魔をして、負担を倍増させるのは私も本意ではない。

 

 そして、タイミングがいいことに宮女は秋から冬は基本、文化祭以外のイベントはほぼ無い。

 運動部の大会は夏休み中のイメージがあるし、弓道部もそのイメージ通り、8月初旬に大会が終わったと聞いている。

 

 つまり、この時期がチャンスなのだ。

 

 

(宿題テストとか小テストもあるし、夏休みからモードの切り替えで大変だろうから今は調査が優先。9月ぐらいから一気に仕掛ける……これよ!)

 

 

 頭の中で今後のやりたいことが決まり、私は早速動く。

 

 クラスメイトに挨拶を終えたまふゆは突然、私が探り出して訝しげにしていたものの、優等生モードだったこともあって受け答えはバッチリ。

 今日はそこまで忙しくないのか予鈴5分前まで付き合ってくれて、聞きたいことは大体聞き出せた。

 

 

(ふっふっふ。この際だし、私1人だけだと行きにくかった場所とか、やってみたかったことに巻き込んでやろっと)

 

 

 悪戯を企む子供みたいな考えに胸を弾ませていると、姿勢正しく椅子に座っていたまふゆの体が震えで飛び跳ねる。

 タイミングよく先生もやって来て、吹き出しそうになるのを堪えながらも、私は先生の話を聞くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿題テストを終えて、ほんの少し余裕が出てきたある日、私はまふゆをいつもの美術準備室に呼び出した。

 

 

「それで……何?」

 

「開口一番のセリフがそれ?」

 

「要件を聞いてないから」

 

 

 今日も私以外誰もいないからと笑顔を殴り捨てたまふゆが、どうでもよさそうな目を向けてきた。

 

 折角、心を開いてきていた犬がトラウマを刺激されて、また閉ざしてしまったような距離感と言えばいいのか。

 

 スン、とした顔で早く要件を言えと圧をかけてくるのをあしらって、私は準備室の鍵をかけた。

 

 

「よし、まふゆ。お月見するわよ!」

 

「帰る」

 

「いーやいやいや、判断が早過ぎない!?」

 

「夜でもないのに月見とか、絵名の頭が蒸発したみたいだから。付き合ってたらキリがない」

 

「ちょっと歌詞担当さーん? もう少し言葉を選んでー?」

 

「それ、今必要?」

 

「あんた、痛いところ突くわね……」

 

 

 流石は最近、ニーゴの歌詞も担当し始めた女、朝比奈まふゆ。

 的確に突いてくる弱点が痛い、とても痛い。

 

 必要なことだから! と無理矢理連れてくるのは早計だったか。

 そう思うものの、こちらは準備しているので今更引き下がるわけにはいかない。

 

 

「まぁまぁ、そう言わずに。初めてのことに挑戦することで、自分の新しい一面を見つけたーとかいうじゃん? 私の絵の知見を広げる為と思って!」

 

「自分を……初めてのことに挑戦したら、私を見つけられるの?」

 

(これは……意外と好感触っぽい?)

 

 

 確かにまふゆに引っかかりそうなそれっぽい言葉を並べたけれども、まさか本当に興味を示すとは思っていなかった。

 

 まふゆという少女に子供っぽい一面があるのか、それともそれだけ切実で、藁にもすがる思いで試しているのか。

 

 どうせ憶測でしか語れないのだから、今はまふゆの興味が薄れる前にその気にさせてしまおう。

 頭の中の邪推を振り払って、私は話を進める。

 

 

「まふゆってお月見の経験はある?」

 

「……小さい時ならあったと思う」

 

 

 態々小さい時と答えたということは、中高(最近)はお月見をしていないと。

 

 

「小さい頃の印象と今の印象は違うし、それはそれで違う発見がありそうね」

 

「そうなんだ」

 

「それで、どう? お月見に付き合ってくれる気になった?」

 

 

 興味はあるような素振りではあるものの、顔は鉄壁を誇る無表情。

 本当に私の感覚が間違っていないのか。様子を窺っていると、まふゆは短く息を吐いた。

 

 

「いいよ。私の予定がない日を選んだのも、その為でしょう?」

 

「やった! ……と言っても、今は月も出てないし、お菓子を食べるだけになりそうなんだけどね」

 

「……そう」

 

 

 お菓子を食べると言った瞬間、まふゆの声のトーンが1段階下がったように聞こえた。

 本当のところは下がってはいないのだろうけど、そんな気分になるような声。

 

 もしかしてお菓子が苦手とか? そう思ったものの、どうやらそうでもないらしい。

 後、考えられるのは──食べる行為そのものが好きではないとか、だろう。

 

 

「ま、まぁお月見仕様だから見た目重視のお菓子だし、見てるだけでも楽しいと思うから! まふゆは無理に食べなくてもいいからね」

 

「大丈夫、慣れてるから」

 

 

 空気読みは成功したようで、今度は好感触。

 後は私が用意してきたお菓子にかかっている。先にお裾分けした愛莉からは大好評だったし、大丈夫だとは思うけど、少し不安だ。

 

 

「今日、用意したのはこちら!」

 

 

 美術準備室に何故か備え付けられている小さな冷蔵庫からお菓子を取り出す。

 

 まずは満月に見立てた黄色いチーズケーキ。これは完全に私の趣味、大好物枠。

 

 次に耳や目、口を付け足した月見団子の白兎。その隣には同じように兎に変えたスイートポテト。

 追加でこし餡をベースに、金太郎飴のように切れば白餡の兎と栗餡の月が浮かぶ羊羹も用意してみた。

 

 まふゆの好物がわからなかったので、お月見らしく兎をモチーフに、それっぽいものを用意してみたけれど、どうだろうか。

 

 Amiaにも見せる為に写真を撮り、まふゆの方へと視線を向ける。

 

 

「……!」

 

 

 胸に手を当てたまふゆの視線は、白と黄色の兎の行列に釘付けだ。

 こちらの視線に気がついて目を逸らすものの、やっぱり気になるのか、まふゆの視線は兎達に吸い込まれていた。

 

 

(あの姿を見れただけでも、無理矢理誘ってよかったかもね)

 

 

 じっくりと相手を観察していると、ふと、視線を上げたまふゆがほんの少し目を細めた。

 

 

「絵名」

 

「ん、なぁに?」

 

「笑わないで」

 

「ふふ、ごめん」

 

「だから笑わないで」

 

「あ、ちょ、まふゆさん? 頬を掴んで伸ばそうとするのはやめて!?」

 

 

 やめろと言われても口角の上昇を止められなかった私は、罰として頬を餅のように引っ張られてしまったけれど。

 

 まふゆはお菓子を食べてくれたどころか、黄と白、2色の兎を一匹ずつお持ち帰りするぐらい気に入ったようだ。

 

 この後、味の感想を聞き出そうとして、実は味覚がわからない──という衝撃の事実を知ってしまって、固まりつつ。

 それでもまた、ああいうお菓子なら作って欲しいと言われてしまい、味もわからないと言っているまふゆに、次回もお菓子を作る約束をした。

 

 

 衝撃的な事実的に、失敗だったかもしれない……と思ったのだけど。

 翌日の優等生フェイスが夏休み直後よりも軟化したので、ギリギリ成功ということしよう。

 

 





まふゆさんは味はわからないけれど、見た目がお気に召したようですね。

記憶喪失えななんは見た目も味も凝りすぎて、絶対に毎日料理はできないタイプです。
毎日味噌汁云々は、やろうとしても精根が尽き果ててしまいます。


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35枚目 みんな、似たもの同士


最近は復刻に絵名さんの影も形もなくてホッとしてる日々……
そろそろ今年も終わりですからね、色々と準備中です。


 

 

『ねぇねぇ、えなな~ん』

 

 

 Kの寝息をBGMに、Amiaが声をかけてきた。

 

 時刻は5時40分。

 遮光カーテンの隙間が少し明るくなっていて、太陽が顔を出しているのだろう。

 清々しい朝と言うべきなのだろうが、私には少々眩し過ぎる土曜日の朝だ。

 

 

「何よ、改まって」

 

 

 カーテン越しの太陽を睨みつけつつ、今日は外出するつもりがない私は、まだまだ元気なAmiaに付き合うことにした。

 

 

『ピクシェアに投稿されてた《夜空のゼリー》見たよ〜。ゼリーの深い色から淡い色へのグラデーションがキレイで、星型のフルーツがとっても可愛かったね。ボク的に高得点だったよ!』

 

「本当? お月見兎シリーズより反応が悪かったから、あまり評判良くないのかなーって思ってたけど……Amiaがそう言うなら、嬉しいわね」

 

 

 あのゼリーも自信作だったけれど、まふゆの反応が兎の時よりも悪かったので、少し自信を無くしていたのだ。

 お月見兎が謎のバズを引き起こしたと考えた方が、精神的にも優しいのかもしれない。

 

 Amiaの言葉のおかげで、ちょっと自信が戻ってきた。

 

 

『ただ、問題があってさ……えななんの写真が流れてくる度に、ボクも食べたくなるから困っちゃうんだよねぇ』

 

「あぁ、そういえば。ニーゴで私のピクシェア投稿料理を食べたことないの、Amiaだけだっけ?」

 

『そう! 悲しいことに、ボクだけ『仲間外れ』という意地悪をされてるんだよ〜!』

 

「そんな失礼なことを言われてもねぇ……Amiaとの繋がりはナイトコードしかないし、どうしようもないでしょ」

 

『諦めないでーっ、そこは気合いを入れなきゃ! ボクのお腹と背中がくっ付いても良いの〜?』

 

「熱意や元気があっても、何でもはできないし。くっ付いてもしょうがないよね」

 

『そんなぁ、酷いよえななーん!』

 

 

 そこで『オフで会おう』と言わない辺り、Amiaにとってはまだその時期ではないのだろう。

 

 残念無念と揶揄いながら話を流していると、ふと、Amiaが何かを思い出したように、急に話題を変えてきた。

 

 

『そういえば、えななんってKとかに寝ろ寝ろ寝ろビームしてるけどさ』

 

「そんな知育菓子みたいな名前のビームはしてないけど、気絶するぐらいなら寝て欲しいとは言ってるわね。それがどうしたの?」

 

『Kに寝るように言ってるえななんは、ちゃんと寝てるのかなーって思ってさ』

 

 

 ……何故か頭に過ぎる中学時代と『東雲絵名サイボーグ説』というワード。

 唐突すぎる話題変換に頭がついていけないのか、中学時代の噂が今、疑惑となって私に襲いかかってきた。

 

 

『ほら、えななんって雪と同じ学校に行ってるって話じゃん? そこから頻繁に絵画教室に行って、バイトもしてるんだよね?』

 

「高校に行ってからバイトとか部活もあるし、中学の時よりも絵画教室の頻度は下がってるけどね」

 

『そこで毎日行ってたら、えななんはイラスト担当じゃなくて忍者担当になるよ。ニンニン』

 

「ニンニンって言いながら、影分身の術なんてしてないわよ?」

 

 

 漫画みたいに経験値を回収できる分身が印を結んで生えてくるのなら、いくらでも結ぶけれども。

 残念ながら、私はそういう不思議パワーの使い方は知らない。

 

 

『ほら、今のだってボクが勧めたアニメとか見てくれてるから、普通に反応してるでしょ』

 

「何よ。Amiaがオススメって言うから見てるのに、見ない方がいいわけ?」

 

『ううん、そこは嬉しいんだけどさ。どう考えても、えななんの生活から錬金される時間がおかしいんだよ! 実はえななんの時空だけ時間が30時間とかだったり?』

 

「そうだったら嬉しかったんだけど、私も24時間の時の流れの中で生きる人間よ」

 

 

 サイボーグ、忍者の次は、時空が歪んだ世界の住人扱いをされていて笑うしかない。

 

 ニーゴや部活、バイトや絵画教室で絵を描いて、学校や家で勉強して、夕飯当番の日やまふゆへの作戦の前日には台所に立つ。

 基本的な行動は3つなのに、Amiaが別の生き物扱いしてくるのだ。笑わずにはいられなかった。

 

 

『そもそも、この前だって雪が学校だからって早めに落ちてるのに、えななんは7時ぐらいまでイラスト描いてたでしょ?』

 

「あー、あったわね、そんなこと」

 

『で、その後は学校行ってくるねーって普通に落ちちゃうし。Kと2人で寝る時間は!? ってなってたんだよー?』

 

「あの日は作業前に寝たから十分だったし」

 

『それで睡眠時間足りるの? Kに寝なさいって言うのに、えななんも割と寝てない族の住民だよね〜』

 

 

 目の前にいたら、やれやれだと言わんばかりに肩を竦めていそうなAmiaの声。

 深い睡眠に入ったのか、Kの寝息はいつの間にか消えていて、余計にAmiaの声が大きく聞こえた。

 

 確かに睡眠時間が6時間の人は常時飲酒状態と同じ頭だと言われるぐらいだし、寝不足が良くないことは知っている。

 だが、私の場合は推定だが、スケッチブックの仕業でその辺りの問題は解決してしまっていた。

 

 

「私、所謂ショートスリーパーって言われる体質だから。3、4時間ぐらい寝たら大丈夫なのよね」

 

『はー、えななんの時間は睡眠時間から来てたんだ。Kが聞いたら羨ましがりそ〜』

 

『……うん、寝る時間が短く済むのはいいよね。ずっと曲を作れるし』

 

『うわっ、K、起きてたの!?』

 

 

 さらりと乱入してくるKの声の後に、Amiaの驚きの声が鼓膜を貫いた。

 不意打ちである。ハウリングのような変な音が聞こえていて、耳が痛い。

 

 

「Amia、朝からバカみたいな大きい声を出さないでくれる? 鼓膜は売られてないのよ?」

 

 

 どこかの通販サイト的なところでまとめ売りされているのなら話は別だが、そんな近未来的なところまで現代の技術は到達していない。

 

 冗談を交えつつクレームを入れると、Amiaは慌てて『ごめん!』と謝罪を入れた。

 それも煩かったのだけど、まぁそこは良いとして。

 

 

『Amiaは今日も元気だね。わたしは曲を作るから、またミュートにするけど……2人はどうするの?』

 

「私はAmiaが飽きるまで会話に付き合うつもり」

 

『飽きるって酷いなぁ……というわけで、ボクとえななんはもうしばらくお話かなー』

 

『そっか。なら、また用事があったら呼んでね。今日はナイトコードに繋いでるけど、曲を作る予定だから』

 

 

 つまり、いつも通りということである。

 

 そんな宣言をしてミュートにしたKを2人で見送って、改めて会話が再開された。

 

 

『えななんの時間は睡眠時間から来てたんだねぇ。それでも、えななんの時間の使い方は上手だなぁって思うけど』

 

「そう? 人と比べたことがないからなんとも言えないけど」

 

『だって、えななんの話を聞いてたら人の倍以上の時間の中で過ごしてるみたいに聞こえるんだもん。こう、時間をグググ〜って濃縮還元した感じ?』

 

「還元したら意味ないでしょうが」

 

 

 語呂がいいからって還元をつけたら意味がないだろうに。

 

 こんなバカみたいな話をKや雪とすることなんてないし。

 愛莉とはどちらかというと最近の流行であったり、写真のことについての話が多いから新鮮だ。

 

 

「結局、絵のことばっかり考えてるんだけどね」

 

『あー、わかる。えななんってたまにKみたいだなって思うもん』

 

「え、なにその過大評価」

 

 

 私はあんな飛び抜けた天才でもないし、あんなに静かにもできない。

 どちらかというと反対になりそうなタイプだと思うのだが、Amiaにとってはそうでもないらしくて。

 

 

『ほら、ボクが勧めたアニメの感想とか言ってもらう時あるじゃん』

 

「この間も聞かれたわね」

 

『その時、Kはずっと音響とかBGMの話しかしないでしょ』

 

「同じアニメを見てるはずなのに、どのシーンも全く覚えてないのは逆に凄いと思うわ」

 

『その点、えななんは物語の話もしてくれるけど、最初は絶対に作画とか表現。後は場面の見せ方とか、Kの絵バージョンみたいな話じゃん』

 

「1番印象に残ったシーンで、あの場面の作画や描き込みが〜っていう感想を話しただけよ?」

 

『そうだねぇ。殆どのアニメの印象に残ったシーンがセリフとか感動的な場所じゃなくて、あのシーンで何枚描いてるとか、背景の描き込みとか言い出すのはえななんらしいなって思うかなー』

 

 

 Amiaが置いてきぼりにならないように意識していたつもりが、どうやら私の感想が漏れ出してしまったらしい。

 

 音のK、絵のえななん。

 なんてAmiaの中では分類されてるようで、天才と同列に扱われるのはちょっと恐れ多かった。

 

 

『えななんって、見ないとか知らないとか言いつつも、話題に出したアニメとか履修してくれるよねー』

 

「まぁ、BGM代わりにしか見れてないけど」

 

『それでも知ろうとしてくれているのって、結構嬉しいんだよね。だから、ありがとう』

 

 

 Amiaが好きなものを知れば、顔も名前も知らない相手に少しは歩み寄れるかなーなんて、思い上がりからの行動だけど。

 

 絵に集中しすぎて見逃している時もあるし、Amiaに言葉に出して言われるほど、真剣には見れていない。

 それでも声から嬉しいって気持ちが伝わってきたので、悪くはない選択だったのだろう。

 

 

「別にお礼なんていいわよ。Amiaが勧めてくるアニメ、絵の参考になるし」

 

『あはは……結局絵なんだね〜。アニメ見てても、SNS映えするご飯作ってても、最終的には絵に繋げてそうでえななんらしいや』

 

「そういうAmiaだって、私やKのことを笑えない時があるからね?」

 

『えぇっ、嘘でしょ!? どこが同じなのー?』

 

「あー、やっぱり。自覚なかったのね」

 

 

 私のことを絵一辺倒だと笑う割に、AmiaはCMとか広告を見て、文字のフォントがカワイイとか言い出すような子なのだ。

 

 雪も何やかんや目的の方に繋げてるし、このサークルはやっぱり、似たもの同士が集まっているのかもしれない。

 

 

(だから居心地がいいのかもね)

 

 

 どこだどこだと共通点を探し始めるAmiaの言葉を、右のイヤホンから何もつけていない左へ受け流しつつ。

 

 途中からバイトの絵を描き始めながら、Amiaの会話に付き合うのだった。

 

 





まだ原作始まらないの……? ってなるかもしれませんが。
残念なことに、メインストーリーさんがやってくるのは、クリスマスが過ぎてからになるんですよね。メインまで後4話、間に投稿します。

年末年始あたりの週でメインストーリー編は完結させる予定ですので、お付き合いいただけると幸いです……


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36枚目 暴力は全てを解決するのか?

 

 

 10月のテストが返却された。

 

 結果はなんと、クラスで5番目という上だけど学年でいえばそうでもないような……そんな数字。

 一応、夏休み前からかなり上昇したのだけど、私の眉間は不満を訴えるように皺を作った。

 

 ──あいつは白鳥のように、1番を取っているだろうから。

 

 

(後2回か。その2回で1番になれるかどうかよね)

 

 

 今の所、まふゆからニーゴの活動の制限やら、友達と縁を切れというような話は聞いていない。

 まふゆのお母さんがニーゴの活動のことを知った時、どういう反応をするのかまだ推測の域を出ないのだ。

 

 最悪のことも考えると、できるだけ早く手を打てるようになりたい……というのが本音だ。

 

 まふゆのお母さんは私の予想通りなら、かなり厄介な相手である。

 だからこそ、時間がある間に相手が反対しにくい材料を集めたい。

 

 

 

 ──まふゆの話の断片をまとめる限り、まふゆのお母さんは良くいえば『教育ママ』だと思う。

 

 

 中学のうちから塾や予備校に通わせ、用事がなければ高校生にしては早い時間に門限を設定して。

 何か用事ができたら事後報告は厳禁。ちゃんと先に許可を得ること。

 

 将来の夢は娘が間違った道に進まないように、娘が望んでなさそうな『医者』に進むことを期待して。

 そのためならば、必要のない量の参考書を山積みにし、いらないとお母さんが判断したものは勝手に片付ける。

 

 クラスメイトに勉強を教えた話をしたら、付き合う相手は考えた方がいいとも言っていたらしいし。

 娘のためなら人間関係にも手を突っ込んで、価値観の押し売り大セールをしてくるような人間がまふゆの母親なのだ。

 

 

 娘の夢を応援しつつ、最大限に娘へ気を遣い。

 仕事で忙しくても毎日、ご飯を作って娘をサポートするお母さん。

 

 部分的に見れば理想的な母なのかもしれない。

 

 ただ、別の視点から見れば、教育ママというカテゴリーに分類される行き過ぎた親──所謂、毒親のように見えるというのが私個人の感想だった。

 まふゆはお母さんが好きみたいだから言わないけれど……私は今のところ、良い印象はない。

 

 

(問題は……今のままだと確実に、私も『片付け』の対象になるってこと)

 

 

 娘には勉強に集中してほしいであろう母親からすれば、私のやろうとしていることは迷惑でしかない。

 

 今の私は娘を悪い道に誘惑する悪魔。

 よく言っても、悪友ポジションだろうか。

 

 今までは学校の中でできることしかしてないものの、次ぐらいからは別の方法も考えている。

 

 ……本当はお菓子とか、Kと同じ方法でアプローチしようと目論んでいたのだけど。

 まふゆはストレスか何かで味覚がわからなくなっているようだし、食べ物でどうにかするのは彼女へのストレスが計り知れない。

 

 いくら見た目を良くしたり、比較的食べやすそうだと思い込んで作ったとしても、味のしないものを胃に流し込むのは億劫だろう。

 

 まふゆ本人は『慣れたから平気』と言っていても、私まで彼女に負担をかけたら本末転倒。

 できれば食べ物以外で、色々と仕掛けたいのが本音だ。

 

 

 それなので、テストが終わったばかりの今とか狙い目なのだが、残念なことにまふゆには予備校という先約があった。

 

 今日は意図して予定を空けていたし、絵画教室も休み。本当に何もない。

 仕方がないので、今日は久しぶりに真っ直ぐ家に帰って、絵に向き合うことにした。

 

 

「ただいまー」

 

 

 今日も誰もいない家に私の声が響く。

 受験シーズンで彰人も最近は家にいないし、お母さんも仕事中。お父さんは当然のようにいない。

 

 誰もいない気楽さでキッチンまで歩き、いつものメモ置き場をチェックする。

 

 

《フライパンにおやつのパンケーキを残しています。仲良くわけること!》

 

 

 今日はおやつがあるらしい。

 2枚あるので1枚もらって、レンジで温めつつバターとメープルシロップを準備。

 

 メモの下に《1枚取った 絵名》と書き残して、冷蔵庫の水出し紅茶を注いでからパンケーキと一緒に部屋へと向かった。

 

 いつもの癖でパソコンを立ち上げたついでにナイトコードへログインすると、珍しくAmiaが1人、ボイチャにいる。

 

 何をしているのだろう?

 不思議に思いつつも、ちょうどいいから私もボイチャに入った。

 

 

「お疲れさま。この時間からナイトコードなんて、サボった?」

 

『えななんお疲れ〜。って、失礼しちゃうよ! 今日はちゃんと学校に行ったし、テストの最終日だから早かっただけですぅ〜』

 

「あぁ、テストだったの。勘違いして悪かったわね……改めて、お疲れさま」

 

 

 イヤホンから今日も元気な声が鼓膜を揺らす。

 パンケーキを脇に置きつつ、Amiaに見せたかったバイト先の参考資料のデータを開く。

 

 どこだったかなーと探している間に、Amiaのアイコンが輝いた。

 

 

『そっちこそ、こんな時間にここに来てるけど……もしかして、えななんの方がサボりなんじゃないのー?』

 

「こっちは学校が早く終わって暇ってだけよ。今日は自分の絵を描こうかなって思ってるの」

 

『へぇ……えななんが早いってことは雪も来るの?』

 

「雪は予備校だって。あぁ、Amiaも受験生なら講習とか、そういうのに行くの?」

 

『ボクはそこまで困ってないからね。このまま受験して高校生活かなー』

 

「ふぅん。ま、ここに来てたせいで落ちましたー、なんて言わないように励みなさいよ」

 

『そこは素直に『頑張れ』でいいじゃん、もう』

 

 

 推定、私よりも要領が良さそうなAmiaには、これぐらいでいいのだ。

 

 私は時間を割きつつ、南雲先生に泣きついてマンツーマンの授業で成績を上げているのから、勉強ができるっぽいAmiaがほんの少し……いや、かなり羨ましいし。

 

 

(多少の努力で馬鹿みたいに頑張ってる雪を抜かせるなんて、思ってないけどさ。それでも、どこでも才能なのは嫌になっちゃうわよね)

 

 

 絵どころか勉強でも才能が出てくるのにほんの少し辟易しつつ、私は私情をパンケーキと一緒に飲み込んだ。

 

 

「そういえば、Kはどうしたんだろ? いつもナイトコードにいるのに、今日は珍しくいないし」

 

『あー、Kならお昼ご飯だって』

 

 

 思わず自分のパンケーキに視線を向けてから、パソコンの画面を見る。

 

 

「……おやつじゃなくて?」

 

『話的に朝と昼、まとめてそうだったけど』

 

「この時間なら夜もじゃない? 断食的な修行中なの?」

 

『はは。ある意味、修行してるのかもねー』

 

 

 昔の人は2食だと言うし、1食だからと目くじらを立てるのは良くないのかもしれないけれど。

 

 自分がおやつを食べている中でそう言われると、押したら折れるんじゃないかと変な心配が頭を過ぎる。

 

 痩せるというよりは『(やつ)れる』という言葉がピッタリになりそうで、今は早く家事代行なり生活改善されそうなイベントが起きてほしいと思うばかりだ。

 

 そんなことを考えていると、やっとAmiaに見せたいイラストを掘り出せた。

 今度は部屋だけでなく、パソコンのファイルも整理しよう。今決めた。

 

 

「ねぇ、Amia。話は変わるんだけど、魔法少女系って詳しいタイプ?」

 

『え? 詳しいとは言い切れないけど、好きだよ』

 

「じゃあ、最近バイトでお手伝いしている漫画について、Amiaに聞いてほしい話があるのよ』

 

『え、もしかしてボクの知らない魔法少女モノかな。それは興味あるかも!』

 

 

 わくわく、という内心が聞こえてきそうなぐらい、喜色を帯びたAmiaの声が聞こえてくる。

 

 そこまで期待されたら申し訳ないというか、なんというか。

 何というか魔法少女系と分類するには中々異色の漫画なので、感想を聞きたかっただけに、ほんの少し申し訳なく思いつつも画像を送信した。

 

 

『えーと、どれどれ〜……おぉっと? ごめん、えななん。ボクの頭がおかしくなったのか、魔法少女みたいな姿の覆面レスラーのイラストが見えるんだけど』

 

「あぁ、うん。その子が主人公なのよ」

 

『魔法少女系の?』

 

「ええ。魔法少女タイガーマスクよ」

 

 

 虎の覆面を被り、彫刻像のような筋肉隆々の男が魔法少女の姿をして、魔法のステッキのようなモーニングスターを握りしめている。

 

 魔法少女タイガーマスク。

 南雲先生が運営するweb漫画の中でも、人気のある漫画の1つだった。

 

 魔法少女に憧れて妖精によって変身した中学男子の主人公が、憧れの魔法少女になるために魔法(物理)を使って敵を粉砕していくバトル漫画なのである。

 

 

『魔法少女タイガーマスクって……覆面レスラーなのか、魔法少女なのか、どっちかにしない?』

 

「どっちかというと魔法少女らしいわよ。魔法少女に憧れて妖精と契約したところ、何故かレスラーみたいな覆面がついちゃっただけ。ほら、服とかは魔法少女でしょ?」

 

『そうだね。筋肉で服が悲鳴をあげてそうだけど、カワイイ魔法少女の服だね』

 

 

 絵を描いた私も困惑してしまったが、まぁ可愛い衣装を着ている子なのである。

 この主人公は日曜日にやってるアニメから魔法少女に憧れて、魔法を使って悪の存在と戦うためにまずは体を鍛えた結果、とても逞しい肉体を手に入れた……と。

 

 

「それでさ、最終的に女体化させるのかそうじゃないのかって、編集の人と言い争ってるらしくて。めんどくさくない? 私の前でするなって言いたいんだけど」

 

『いや、それはボクに言うんじゃなくて直接相手に言ってよねー……ちなみにさ、えななん的にはどっちがいいの?』

 

「え、私? そいつが悩んで決めたのなら、どっちでもいいじゃんって思ったけど。何を選んだって自分は自分でしょ。変わらないんだから、納得する方を選べばいいと思う」

 

 

 男であろうが女であろうが、その人が魔法少女になりたくて進んだ結果、納得しているのならそれでいいと思う。

 

 流石にこの主人公が目の前に現れたらビックリしてしまうだろうが、相手が魔法少女になるにあたって私に迷惑をかけるわけでもないし、頑張ればいいのではないだろうか。

 

 

「うん、目を細めたら似合ってる……気もするし、相手が友達で真剣に悩んでるのなら、そいつが好きな方を応援するかな」

 

『……そう、なんだ』

 

「あぁでも。流石に文化祭のコンテストとかで、こんなのが出てきたら殴りそう。魔法少女になりきる者として服が似合うように服を自分に合わせるか、もしくは似合う服を着なきゃ他の出場者とかにも失礼でしょ。中途半端に妥協すんなって言いたい」

 

『え、えぇー。いい話だなーって思ったのに結局暴力なの?』

 

「それぐらいの覚悟をもってやらなきゃ、憧れの魔法少女に失礼でしょ。あんたの憧れはその程度なのかと、問い詰めなきゃいけなくなるわ」

 

『そうかなぁ……いや、そうかも……?』

 

 

 そこから、何故かこの主人公がどうすればカワイイを追求できるのかという話に飛躍して。

 

 とりあえず筋肉を活かす方向のファッションにしよう、という結論に落ち着いて、夕飯の時間だからと解散するのだった。

 

 





《魔法少女タイガーマスク》
とある日曜日の朝に、敵と殴り、蹴り、2人で手を繋いでビームのようなものを撃つ魔法少女のようなキャラクターが出てくるアニメがあった。
そんな少女達に憧れて、中学生になっても毎日かかさず修行していた主人公──白河大我が、ある日、不思議な妖精と出会う。

『ここに魔法少女に憧れる純粋な子がいるって反応があったぽよー! ……あれ、そんな女の子、いないような……?』
「僕もついに魔法少女になれるのか!?」
『ぽ、ぽよー?!』

タイミングが良いのか悪いのか、襲われる街。大切な妹に迫る怪人の攻撃!
魔法少女に憧れる純粋なエネルギーを力に変えて、今、大我は妖精を鷲掴みにする。
「ミラクルマジカル☆タイガーマスク!」
魔法少女のパワーをメリケンサックと魔法少女の衣装(+タイガーマスク)に変えて、今、少年は魔法少女への1歩を歩み出す──!!


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(この世界線にしか登場しない漫画・アプリです)


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37枚目 かぼちゃの日


クリスマスの方が近いんですけど、この話ではハロウィンです。



 

 

 10月31日。

 

 文化祭の準備も始まって、準備が大変なクラスやまだ出し物が決まっていないクラスは忙しそうに準備をしている。

 

 ウチのクラスは『フルーツ飴と動物飴細工の販売』とあっさりと決まり、内容が内容だけに比較的暇になった。

 

 私は手先が器用な子達と一緒に動物飴細工係で、まふゆや他の子達は販売係。

 何気なく提案した私もビックリなぐらいとんとん拍子で決まって、文化祭まで余裕はある。

 

 私は美術部だから文化祭用の絵も必要なのだけど、それは前々から準備しているので今日遊んだってどうこうなるようなものではない。

 

 

「──というわけで、今日こそ学校外で遊ぶわよ!」

 

「何がというわけなの?」

 

「前々からゲームセンターに行こうって言ってたでしょ? 今がその時ってことよ」

 

 

 生徒の大半はまだ校舎で文化祭の準備に勤しんでいる中、私とまふゆは揃って校門前まで来ていた。

 

 まふゆには前もってお母さんに『文化祭の準備で暫く遅くなるかも』と連絡してもらっている。

 文化部系統の部活なら兎も角、運動部も文化祭の準備で自粛気味だ。

 

 それなので、塾や予備校のない日のまふゆはフリーなのである。

 流石に毎日連れて行くわけにはいかないものの、1日ぐらいはそのチャンスをモノにしたい。

 

 

「10月も今日で終わりでしょ。それなのに今までまふゆと学校の外で遊んだことないじゃん」

 

「そうだね。私には必要のないことだから」

 

「は? そんなこと、誰が決めたのよ。私がまふゆと遊びたいの。だから今日の私の予定にはまふゆが必要なのよ!」

 

「……絵名って毎回、強引だね」

 

 

 短く息を吐くまふゆは表情を貼り付けておらず、その目もぼんやりとしていて何を考えているのかわかりにくい。

 

 どうせ『私には必要のないこと』という言葉の前に『優等生の朝比奈まふゆ()』がついているのだろうと思って誘ってみたものの、嫌な相手を引き摺るのは本意ではない。

 無理矢理話を進めてしまおうと思ったものの……計画を変えるべきかと考えつつ、まふゆの変化を見逃さないように横目で見た。

 

 

「嫌ならやめるけど?」

 

「どうだろう、わからない」

 

「わからないって、あんたねぇ……今はムカムカしたり、ズキズキしたり、イライラしたり、冷たかったりするわけ?」

 

「してるのかな?」

 

「いや、聞かれても困るんだけど。うーん……嫌そうな感じには見えないし、とりあえずゲームセンターの前まで行ってみる? 辛かったら予定を変更するから」

 

「どっちでもいい」

 

「あっそ。じゃあ行くわよ」

 

 

 まふゆが本当に嫌な時は胸を抑えて黙るか、笑みを貼り付けるのが今までの傾向だ。

 どうでもよさそうに呟くまふゆの姿を見るに、まだ許容範囲のように見える。

 

 

(まふゆ自身もよくわかってないみたいだし、私の方でも変化がないか、確認しよう)

 

 

 私だって絵名(わたし)のことを全くわかっていないのに、他人のことに首を突っ込むのはどうかと言われたら、その通りなのだけど。

 

 知ってしまったら放っておけないし、他人とか以前にまふゆはサークル仲間で、私の友達なのだ。

 全部わかるなんて烏滸がましい事は言えなくても、少しぐらいは歩み寄りたい。

 

 

(まずはゲームセンターまで連れていくこと。そこからどういう反応をするか1つ1つ確かめるしかないかな)

 

 

 隣を歩くまふゆの様子を窺いつつも、私はゲームセンター初心者を連れて校門を通り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「絵名」

 

「なによ」

 

 

 無機質な青が台の向こう側からこちらを見ている。

 こちらは必至になっていたのに、相手は何事もなかったかのような涼し気な顔を見せてくるので、かなり悔しい。

 

 ちょっとぐらいその牙城を崩せたら良かったのに、私はあまりにも無力だった。

 

 

「エアホッケー、弱いね」

 

「あんたが強すぎるの! 何で初めてなのにそんなに強いのわけ!?」

 

「絵名が弱すぎるだけだと思う」

 

「はぁ!? もう怒った、怒りましたー。これから本気出すし、その余裕も今のうちだから! 今すぐにでもぎゃふんと言わせてやるわよ!」

 

「ぎゃふん?」

 

「こ、この、馬鹿に……しやがってぇ……っ!」

 

 

 すまし顔で煽られて、その怒りをエネルギーに変えて勝利……できたら、どれほどよかったか。

 

 文武両道と言われて、その期待通りの姿を見せる努力をしてきたまふゆが相手なのだ。

 私が遊び感覚から本気でやったとしても、悔しいことに全く歯が立たなかった。

 

 

 エアホッケーはもちろんのこと、モグラ叩きも最高記録を叩きだすわ、パンチングマシンも私の倍の記録で恐怖させてくるわで何1つ勝てない。

 ふっと短く笑われて、私の頭が瞬間湯沸かし器のように沸騰しそうになったけれど、敗者が文句を言っても負け犬の遠吠え。

 

 身長でも負けている私はよしよしと頭を撫でられて、敗者としての屈辱を甘んじて受け入れることになってしまった。

 

 

 ──いや、おかしいでしょ。

 

 

 ゲームセンター初心者であるまふゆに、ゲームセンター2回目*1の私が教える側だったはず。

 

 それなのに、気が付いたら陥没するんじゃないかと思うぐらい、ボコボコにされている。一体どうして……?

 

 ゲームですら蹂躙されている現状に軽く絶望していると、次が最後のゲームになりそうな時間帯になっていた。

 最後に何で遊ぼうか。物色しつつもまふゆを追いかけていると、前を歩いていた紫色が吸い込まれるようにとある機械の前で立ち止まった。

 

 まふゆの前には動物のぬいぐるみが積まれたクレーンゲームがある。

 どうやら最後のターゲットが決まったようだ。

 

 

「アニマル吸血鬼シリーズ・ハロウィンバージョンねぇ……やるの?」

 

「ゲームセンターなら、クレーンゲームはやるべきだって」

 

「どこ情報よ、それ」

 

 

 ハロウィン仕様なのか、犬の吸血鬼、猫の吸血鬼、兎の吸血鬼、ひよこの吸血鬼と動物を吸血鬼っぽく見立てた手のひらサイズのぬいぐるみ。

 

 心なしか目の輝きが増したように見えるまふゆを横目に観察しながら、私はお金を入れている彼女の隣に立つ。

 

 

「えーと……まふゆはどれ狙い?」

 

「なんでもいい」

 

 

 お金を入れて気合十分といった様子でクレーンを動かし、直接ぬいぐるみを掴みに行くまふゆ。

 クレーンはぬいぐるみを少し持ち上げるものの、位置を変えただけで落とすまでには至らなかった。

 

 

「……」

 

 

 まふゆは黙ってもう1度、2度とクレーンを動かす。

 が、ぬいぐるみはくるくるとその場を回転するだけで最初の時と同じ位置に戻ってしまった。

 

 

「ま、まふゆ?」

 

「……」

 

 

 ポーカーフェイスのままだけど、何となくムッとしているようなオーラを感じる。

 

 これはもしかしてご立腹なのだろうか? まふゆにも簡単にできないこともあるんだな、と当たり前のことを再認識しつつ、まふゆの横から手を伸ばした。

 

 

「じゃ、今度は私がやろっかな~」

 

 

 呆然としているようなまふゆを隣に移動させて、お金を投入。

 思い出すのは中学3年ぐらいからちょくちょく家にも遊びに来て、ゲームセンターの景品を彰人経由でプレゼントしてくれる相棒くんのことだ。

 

 

(又聞きしたアドバイスでどうにかできるとは思わないけど……確かこういう配置の時は──)

 

 

 丁寧な口調で説明してくれた言葉を思い出しつつ、前や横から獲物の位置を確認して、クレーンを動かす。

 

 

(爪に引っ掛けたら落とせそうかな)

 

 

 1度目で整えて、2度目でトドメ。

 

 引っ掛かっていたのか、兎の子以外に猫の子もついてきたけれど、何とかぬいぐるみをゲットすることができた。

 

 

「よし! はい、兎の方はまふゆにプレゼントね」

 

「……え?」

 

「何よ、欲しかったんでしょ。そこは喜んで受け取って欲しいんだけど?」

 

 

 差し出したぬいぐるみと私との間で視線を彷徨わせ、まふゆはゆっくりと手を伸ばしてくる。

 それが焦ったくなって、兎のぬいぐるみをまふゆに押し付けて両手で握らせた。

 

 

「絵名、ありがとう」

 

「別にいいわよ。私の戦利品もあるし」

 

「うん、クレーンゲームは絵名の勝ちだよ。よかったね」

 

「……余計な言葉が多いのよ、バカ」

 

 

 ほっこりとした気持ちを爆破で吹き飛ばされたような気分になりながらも、私達はゲームセンターを後にする。

 

 最後まで嫌がられることなく、まふゆと遊ぶことに成功した。

 今日のことで兎はまふゆの好みに含まれそうだと確信したし、持ってきていたコレを渡してもいいかもしれない。

 

 

「まふゆ」

 

「何?」

 

「今日は何の日か知ってる?」

 

「ハロウィンでしょ。学校でもゲームセンターでもそれ一色だったのに……絵名は知らないの?」

 

「いや、知ってますけど!?」

 

 

 もしかして、問題を出したせいでハロウィンを知らない女扱いされてるのか。

 とんでもない風評被害に声をあげつつ、「そうじゃなくて!」と別の袋に入れて持っていた分を押し付ける。

 

 

「別にイタズラも何もするつもりないけど、お菓子ね」

 

「これは?」

 

「カボチャまるごとプリンよ」

 

 

 味がわからないまふゆのためにかぼちゃとカスタードの香りを強めに、食べやすいように滑らかな感触を目指した。

 器もかぼちゃ丸ごと使っているこだわりはもちろんだが、かぼちゃの器は白色のかぼちゃにして、耳と顔をつけてハロウィン仕様の兎に仕立て上げた。

 

 本人はわからないというけれど、兎を前にすると反応が良いのである。たぶん、好きなのだろう。

 そういう理由もあって手間暇かけて作った、見た目も香りも楽しめる拘りの1品を渡せば、まふゆも鞄から小さな包みを取り出した。

 

 

「手持ちにお菓子があまりないから……これ、あげる」

 

「これは……オレンジ色の飴?」

 

 

 手の上に乗せられた飴は、見た目的にオレンジ味だろうか。それかハロウィンだし、かぼちゃの味とか?

 匂いも特にないし、警戒することなく封を開けて、口に入れたその瞬間──警報を鳴らすように全身が震えた。

 

 

「あああ、あんた、これまさか!?」

 

「うん、にんじん味」

 

「お菓子あげたのにイタズラしてんじゃないわよ!?」

 

 

 信じらんない信じらんない信じらんない!!

 

 にんじん特有の嫌な甘さが口に広がって、慌てて取り出したティッシュの上に吐き出す。

 そのまま袋ごと近くのゴミ箱へシュート。

 まふゆが拍手しつつ紅茶のペットボトルを差し出してくるので、受け取って飲んだ。

 

 

「ふぅ、ありがとう……って、元はと言えばあんたのせいでしょ!」

 

「絵名、味もダメなんだね」

 

「……っ」

 

 

 感情のままに怒ろうとしたのに、いつも通りの無表情でありながらも、どこか楽しそうな雰囲気のまふゆに、怒りの感情が萎んでしまって。

 

 

「次、似たようなことしたら怒るからっ!」

 

「怒ってるけど」

 

「うっさい!」

 

 

 やっぱり前言撤回してやろうか、こいつ。

 

 

 

 

*1
自分自身も愛莉さんと1回、ゲームセンターに行っただけのほぼ初心者なのは無視してます。





記憶喪失えななんにも絵名さんの名言(?)を言ってもらったので、個人的には満足です。


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38枚目 敵わないけれど


メインストーリーまであと少し。
今回はさらっと文化祭の話です。



 

 

『じゃ、ボクは先に寝ることにするね。おやすみ~』

 

「お疲れー、ちゃんと休みなさいよ」

 

『Amia、お疲れさま』

 

 

 Amiaがログアウトして、Kと私だけがナイトコードに残った。

 雪は模試があるとのことで既にログアウト済みだ。

 

 私も動画用のイラストを描いていたし、Kも曲を完成させるために集中していて、暫く無言の時間が訪れる。

 

 

『えななん、いる?』

 

 

 まだ暗かった外からほんの少し明かりが見えてきた頃ぐらいだろうか。

 念のために最大音量にしていたイヤホンから声が漏れていて、私は慌てて椅子に戻った。

 

 

「遅くなってごめん、ちゃんといるよ。資料取りに行ってただけ」

 

『ううん、急に声をかけてごめんね。久しぶりに余裕がある時にえななんと2人きりになったし、少し話そうかなって思って』

 

 

 珍しい。

 そんな言葉が口から零れそうになって、慌てて口を塞ぐ。

 

 Kの方から曲や動画でもない話を振られること自体、そこまでないのでビックリしてしまった。

 私がKの私生活に口を出して、辟易されているかもしれないし、2人で話すのも実は億劫なんじゃないかと思うこともあったけれど。

 

 そんな私の考えなんて知らないKは、特に気にしている様子もなく話しかけてくる。

 

 

『えななんは最初に言ってたスランプは大丈夫? わたしは全然そういう風には感じないけど、抜け出せてるのかな』

 

「うん、その辺りは大丈夫。まだまだ足りない部分は多いし、やっとスタートラインに立つことができたかなってところだけどね」

 

『そっか、よかった。えななんは皆のことを気にかけてくれているけど、えななん自身はどうなんだろうって……ちょっと心配だったんだ』

 

 

 まさかKの方から心配されるとは思ってなくて、じっと飾り気のないKのアイコンを見つめた。

 

 

「もっと早くそういう話をKにしたらよかったかも。ごめんね」

 

『わたしも2人がいる前で聞くのはどうかと思って、遠慮してたから。お互いさまだね』

 

「K……ありがとう」

 

 

 画面の向こう側はわからないものの、初期のトゲトゲハリネズミからは随分と柔らかな声になった気がする。

 まだまだ棘はあるのだろうけど、それも少しずつ改善されれば上出来だろう。

 

 

(そういうKだって、自分のことよりも他人を救うことを優先してるんだし……いつかは、自分も優先できるようになるといいな)

 

 

 私にとって、ニーゴは大切な場所だから。

 Kにも自分のことを考えてほしいと思うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は宮益坂女子学園の文化祭の日だ。

 そのせいなのか朝から生徒だけでなく見知らぬ人も出入りしており、少し落ち着かない。

 

 そんな調子でそわそわとしつつも校門付近で相手を待っていると、後ろからトントンと肩を叩かれる。

 思わずその場で小さく飛び跳ねつつも振り返れば、中学時代に見慣れたピンクの髪が満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「絵名、久しぶりね!」

 

「び、ビックリしたぁ……久しぶり、愛莉」

 

 

 ドキドキと煩い胸を抑えて愛莉の顔を見るものの、そこには負の感情を感じられない。

 

 バラエティータレントとして芸能界で売り出したい事務所側と、アイドルがメインでその為のバラエティー活動だと主張する愛莉。

 

 事務所と最後まで折り合いがつかず、収録まで漕ぎ着けていた愛莉のソロ曲が勝手に白紙に戻されてしまったことが決め手となり、愛莉は事務所を辞めてしまった。

 

 相談もなくバラエティータレント路線に切り替えようとして、ならばアイドルとしての準備は不要だからと勝手に切り捨てていった事務所側。

 いくら愛莉がバラエティータレントとしての才能があったとしても、本人に黙ってアイドル路線を切り捨てるのは話が別だ。

 

 事務所が信用できないとやめることになった愛莉は、アイドル活動も今は実質、引退中。

 

 今まで培ってきたイメージから、他の事務所でも『アイドルの桃井愛莉』ではなくて『バラエティータレントの桃井愛莉』を求められるので、復帰に苦戦しているらしい。

 

 そういう事情も知っていたので、愛莉が落ち込んでいないか心配していたのだが、表面上は元気そうだった。

 

 

「絵名、心配してくれてるんでしょ。顔に出てるわよ」

 

「え、嘘!?」

 

 

 ペタペタと自分の顔を触って気が付く。

 

 これ、もしかしなくてもただ鎌をかけられただけで、私の行動でその通りですと証明しただけなのでは?

 

 恥ずかしいぐらいの間抜け具合に顔が熱くなる。

 絶対に今の私は真っ赤だ。茹でられた蛸にも負けないかもしれない。

 

 

「状況としてはあまり大丈夫だとは言えないのだけど……話し合わないままやめていたことを考えると、気持ち的にはこれでも楽なのよね」

 

「その言葉、本当に信じていいの?」

 

「少なくとも、わたしはそのつもりよ。今はバラエティータレントとしてのイメージでアイドルとして出るのが難しいんだけど……それでも、絶対にアイドルとしての桃井愛莉を認めてもらうから!」

 

「……そっか。応援してるし、アイドルの桃井愛莉が復活するのを楽しみにしてる」

 

「ええ、パワーアップした桃井愛莉を絵名にも見せるから、気長に待ってちょうだい。それで、絵名は午後から当番なんだっけ? なら、午前中は羽休めの為にも付き合ってもらうわよ」

 

「もちろん。私も愛莉と文化祭を回るの、楽しみにしてたんだから」

 

 

 この様子なら、大丈夫そうだ。

 

 自然体で良い笑みを浮かべている愛莉にホッと胸を撫で下ろし、私は愛莉と文化祭を回ることにした。

 

 本当ならまふゆとも回りたかったのだけど、愛莉(他人)がいると聞いて遠慮されてしまった。

 聡いあいつのことだから、私が愛莉を心配しているのに気がついたのかもしれない。

 そう考えると悪いことをしたなとは思うけれど、後の祭りである。

 

 お化け屋敷と、何故か女子高に存在する執事喫茶。

 自分のクラスの飴細工とかも冷やかしつつ見て回って、最後に部活が披露している見世物へと向かう。

 

 吹奏楽や演劇部、ダンス部などは体育館なので後回しにして、写真部や家庭科部、茶道部といった展示物を見るところがメインのところを回る。

 

 愛莉が所属している茶道部も今年は茶道体験ではなく、茶道の道具や生徒がまとめたらしい茶道の歴史についての紙が壁一面に張り付けられている。

 

 

「愛莉の展示資料がなかったのがちょっと残念だけど、茶道部の展示物が博物館みたいになってたわね」

 

「茶道部の先輩方が張り切っちゃってね……今年は趣向が違うのよ」

 

「そうなんだ。今回の出し物、愛莉個人はどう感じたの?」

 

「……正直、わたしが主導できるなら、来年は去年と同じ茶道体験に戻したいわね」

 

「あれはあれで面白いとは思うけど、毎年は大変そうよね」

 

 

 さすがに茶道部の前で堂々と言うことはできないので、離れた廊下でお互いの感想を交換する。

 文化祭のあれやこれやで盛り上がりながら、最後に美術室へと足を運んだ。

 

 

「さーて、絵名の作品はどれかしら?」

 

「真ん中にあるからすぐにわかるよ」

 

 

 ミライノアートコンクール受賞者という肩書きは私の中では黒歴史に近い。

 

 しかしアマチュアの中学生がお情けの賞であれ、受賞したというのはあまりにも重く。

 スランプを抜け出して赤ん坊のようによちよちとしか歩けない私の絵は、恥ずかしながらど真ん中に飾られることになってしまった。

 

 私が意識していることもあり、見学している人達の東雲という単語を耳が丁寧に拾い上げ、頭に届けてくれる。

 人間として欠けたら大変な機能なのかもしれないが、今だけは全くありがたく感じなかった。

 

 

「あの女の子の絵が絵名の作品ね!」

 

「うん、あれあれ」

 

 

 イラストが好きだとか、美術は授業以外にやったことはないとか、後は幽霊な子がいて、1人だけ浮いているようにも感じる絵。

 

 手を抜くのは論外なので仕方がないとは思うものの、イラストを描いてる子達に比べると、そこまで人気はないと思っていたのだが。

 

 

(あれは……まふゆ?)

 

 

 私の絵の前でじっと絵を見ている、見慣れた紫髪。

 まさか私の絵の前に、1人で佇んでるとは思わなくて。

 

 目を見開いている自覚のある私の意識を引き上げたのは、いつの間にかスマホを片手に「ああっ!?」と大きな声を出す愛莉だった。

 

 

「え、何? どうしたの?」

 

「ごめんなさい。わたし、予定を勘違いしてて……この後、クラスの方に集まらなきゃいけないみたいなの!」

 

「そうなの? なら、しょうがないわね。愛莉のクラスはカフェだっけ? 頑張ってね」

 

「本当にごめんなさい! この埋め合わせは必ずするから!」

 

「気にしないで。ほら、待たせてるなら急ぎなよ」

 

 

 慌てて走り去る愛莉の背中に、いってらっしゃいと手を振って見送る。

 

 煩くしてしまったが、これで私も1人になってしまった。

 しかもタイミングが良いのか悪いのか、現在の美術室には私の絵を見ていたヤツしかいない。

 

 

「絵名、相変わらず煩いね」

 

「……あんたは初手から喧嘩売るわね」

 

 

 誰もいないことを良いことに、喋りかけてきたまふゆには優等生スマイルが張り付いてなかった。

 

 まふゆが視線を私から絵へと戻すので、彼女の隣に並び立つ。

 一瞬だけこちらに視線を向けるものの、まふゆの目はすぐに前の絵へと吸い込まれていった。

 

 

「私の絵、気に入ってくれた?」

 

「まだ、わからない」

 

「……そっか」

 

 

 今回の文化祭の作品のテーマは『朝比奈まふゆ』である。

 流石に見た目は全くの別人にしたものの、何を詰め込んだのかも忘れるぐらい大量の物を押し付けられた箱を持った少女の絵は、私から見たまふゆの姿のつもりだ。

 

 少女が持っている箱は乱雑な玩具箱のように、溢れそうになっている。

 それでも、誰かの手が溢れそうな少女の箱に道具を突っ込んだり、箱の中身を取っていってしまったりしている。

 手に好き放題されている少女はというと、何を考えているのかわからない無表情で、佇んだまま。

 

 周りの色は暖色を使っているのに、瞳の中だけ暗い色とぐるぐるとした色の塗り方で少女の渦巻いている『ナニカ』を表現してみたり、他にも工夫はあるけれど。

 

 

(まふゆをイメージして描いた渾身の絵だし、少しはこいつの感情を動かせると思ったんだけどな……)

 

 

 スランプを抜け出して、前を歩き出した今なら。

 まふゆという人物を見てきた私なら。

 

 もしかしたら、Kの曲じゃなくてもまふゆの心を動かせるかもしれない……なんて考えは、思い上がりだったのだろうか。

 

 

(やっぱり、天才(K)には敵わないし、探し物のヒントにすらなれやしないのかな)

 

 

 Kにとっての雪はネット上で顔も知らずにサークル活動をしている関係だし、相手の事情も詳しくは知らない。

 だが、Kに話せばきっと、まふゆを救う曲を作ろうとしてくれるのは容易に想像できる。

 

 朝比奈まふゆのことを知ったKならば、Kはまふゆ自身を見つけるような曲を作ることができるのかもしれない。そんな予感がある。

 

 

(だからって、それに甘えて良い理由にはならないって思ったんだけど……悔しいな)

 

 

 ──私はやっぱり、天才に敵わないのだろうか?

 

 そんな弱音がひょっこりと顔を出すので、小さく首を振って追い払う。

 

 

(違う。才能の差だって経験や知識(センス)で縮めることはできるはず)

 

 

 合格点さえとっていれば、ギリギリだろうが満点だろうが合格なのは変わらないのと同じように。

 才能を貰っていなくても、それに近いことはできるはずだから。

 

 絵名ならきっと、届くまでやり切るだろう。だから。

 

 

(やらない理由はない。もっと他にできないか、考えなくちゃ)

 

 

 隣でぼんやりと絵を眺めているまふゆを盗み見しつつ、私は両手を握り締めた。

 

 

 





そろそろメインストーリー編に入りますし、クリスマスに年越し、何よりも仕事がお休みなので、12/27から1/4まで感謝の毎日投稿しますね……!


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39枚目 紫色のサンタクロース


本日から1/4まで毎日25時に更新します。
クリスマス過ぎてからのクリスマスの話です。



 

 

『ジングルベ~ル、ジングルベ~ル♪』

 

「Amia、クリスマスは明日よ。歌ってもサンタさんは来ないんだから、延々とジングルベルを繰り返すのはやめて」

 

 

 ナイトコードのボイチャにて、Amiaの呑気な声が延々と聞こえてくる。

 ミュートを外した私は、とうとうAmiaにツッコミを入れることにした。

 

 

『えぇ~、そんなの言われたって困るよ。だって明日はミアのクリスマス特別グッズが届くんだもん、楽しみじゃないはずないよね!』

 

「それ、なんだっけ……Amiaが好きなアニメか主人公の名前だったような」

 

『好きなのは確かだけど、ミアはライバルの名前だし、アニメの名前は『ミラクルマジックガール☆ララ』だよ!』

 

「そうそう、ミラマジね。Amiaが『ミアマジってお姉ちゃんと同じ間違いしないでよ~』って言ってた記憶があるわ」

 

『何でそんなことだけ覚えてるのさ、もー』

 

 

 余計に元気になってしまった声にやってしまったと後悔が押し寄せてきた。

 

 私もKや雪のように黙っていたら良かったかもしれない。

 いや、でもあんなジングルベルジングルベルと洗脳のような言葉を繰り返されるのも辟易するし。

 

 頭の中で後悔と言い訳が討論をしている間に、Amiaは満足したのか話題を変えてきた。

 

 

『そういえば……えななんはクリスマス、何する予定なの?』

 

「その日は友達とクリスマスパーティー。で、イブの日はSNS映えするブッシュドノエルを作って、家族でパーティーね」

 

 

 愛莉がちょうどフリーなので、久しぶりに2人でクリスマスお菓子パーティー予定だ。

 その為に最近はちょっとお菓子の制限をしていたし、鎖を解き放つ時が来たのである。

 

 

『へぇ、パーティーか。ボクも明日はクリパしようかな。サンタさんは来てくれないけどねー』

 

「え、Amiaって赤い装束で白い毛だらけの不審な男を自室に招き入れたい趣味なの?」

 

『……えななん、表現に悪意があるよ。そんな夢のない言い方、子供の前でしちゃダメだからね?』

 

「流石に小さい子にそんなことは言わないわよ。でも、大きくなってもサンタさんが来るとか来ないとか、そういう話をしてるとつい、言いたくなるというか」

 

『全く、うちのえななんは随分とドライだよね。心もお肌もカラカラ砂漠だよ。そんな調子だと絵具もカラカラになっちゃうぞ~?』

 

「ちょっと、そこで肌は関係ないでしょ!? しかも最後のは地味に困るやつだし!」

 

 

 こっちは毎日、朝と夜とで化粧水は欠かしてないし、その他スキンケアも夜にしているというのに、なんという屈辱。

 カラカラ砂漠なんてゲームとかに出てきそうな微妙な罵倒にムカつく気持ちを抑え込み、念の為に席を離れる。

 

 ……絵具は大丈夫そうだ。良かった。

 

 素知らぬ顔で席に戻り、わいわいと元気に喋るAmiaとの会話に復帰した。

 

 

『そういえばさー、この前のMVの感想見た?』

 

「見た。全部スクショして残してる」

 

『わぁ怖い。悪口書き込んだやつは呪ってやるってコト〜?』

 

「別に。どういうところが好評だったのか、逆にどういう部分が不評なのかまとめて、今後の参考にしようと思ってるだけ」

 

『へぇ~。えななんって絵に関しては悪口とかにも強いし、真摯に受け止めるよね』

 

「反省できるだけありがたいじゃん。こういうのは反省できなくなった時が1番怖いのよ」

 

 

 あの悪魔的アイテムから何を貰ってここにいるのかわからないけれど、やっぱり私は東雲絵名の中学までの記憶を消して、ここにいるわけで。

 絵名として生きているのだから、過去の自分よりも成長しましたよと伝えられるぐらい成長しないと、東雲絵名(過去の自分)に申し訳なくなる。

 

 そう思えば、批判も何もかも私の成長できる『余地』なのかなー、とも思うわけで。

 

 

「あ、でも。絵以外の悪口とか誹謗中傷とか、度が過ぎてるかなーって思った時は絶対に許さないからね。画面越しで安全だと油断してるその間抜け面を、後悔と恐怖で歪めてやる……」

 

『おぉう。えななんもライン超えしたら怖いタイプだったんだね』

 

「いや、基本的にラインは超えたら誰だって怖いと思うわよ?」

 

 

 それがわからないのか、理解できないのか。自分だけは大丈夫だと思い込む愚か者が、この世の中に存在しているだけだ。

 窮鼠猫を噛むということわざがあるのに、大丈夫だと思うのは思い上がりも甚だしいと思うけれど、そこは個人の自由だろう。

 

 悪いことをしてラインを超えてしまった後は、自由という権利を行使したの責任を取らされるのみ。それだけである。

 

 

『最近は感想も沢山あるし、動画の再生数も6桁あって安定してきたよね』

 

「元々の曲が良いし、当然よね。でも、まだまだサムネイルの引き付けが弱い気がするし、もっと工夫しなきゃ」

 

 

 幸いなことに、数カ月の間でKの曲の世界観を表現しつつ、視聴者達の引き込みが良さそうな絵の研究データは少しずつ溜まってきている。

 

 それを上手く自分の絵に溶け込ませて、自分のモノにしてしまえばもっと多くの人がタップしてくれる可能性が上がるはずだ。

 

 サムネイルは動画の顔である。第一印象で掴めなければ視聴者は増えない。

 口コミで増えるのを待つだけではダメだ。自分から動かずに手に入れた成功に、未来はない。

 

 もっともっと、K達の作るモノに、それ以上だと思われるような絵を描かなければ。

 1番見られるところ(イラスト)を担当している者として、実力不足を言い訳にはしたくなかった。

 

 

(その為には先生にも頼ってみよう。絵の方向はいつも通り雪平先生に、ネットのバズとかは南雲先生の方が詳しいだろうし、ヒントを聞き出してみようかな)

 

 

 机の上に常備しているメモ帳に要点を書いて、意識を会話へと戻す。

 

 

『──うんうん、ボクももっと良い動画を作りたいし、その為には早くクリスマスになってもらわなきゃ!』

 

「それ、Amiaの願望でしょ」

 

『あ、バレた〜?』

 

「バレないと思ってる方がどうかしてるわよ」

 

 

 結局戻って来た会話にため息を1つ。

 

 サンタクロースは良い子に欲しいプレゼントを与えると言うが、どうして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうして紫色のサンタクロースは、子供が悪い子になったと決めつけて、大切なものを奪ってしまうのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の25時。

 いつも通り4人集まって、作業を始めようと話し始めた時のこと。

 

 

「……ん?」

 

『えななん、どうしたのー?』

 

 

 首を傾げて違和感の原因を探していると、イヤホンからAmiaの声が聞こえてきた。

 

 

『何かあった?』

 

「ううん、なんか変な感じがしたんだけど、気のせいだったみたい。AmiaもKもありがとう」

 

 

 AmiaとKの声からは特に何も思わない、のであれば……

 

 

『明日から冬休みだし、気が緩んで疲れが出たのかもね。あまり無理しちゃダメだよ』

 

 

 ワントーン高く作られた雪の声を聞いて確信した。

 

 この違和感の正体は雪だ。

 いつも通りに聞こえるが、優等生もそうでない雪も知っている側からすると、言葉にできない引っ掛かりを感じる。

 

 

「……そうね。今日はいつもより早めに上がるわ」

 

 

 明日の愛莉とのクリスマスパーティは夕方からだ。なら、午前から昼間ぐらいまでは私の方は大丈夫。

 

 頭の中で予定を確認した私は、雪個人の方へ《明日、午前中に会うことはできない?》と送信する。

 

 たっぷり20分。

 絵を描いている間に《10時からでいいのなら》と返ってきたので、慌てて《じゃあシブヤ公園で会おう》と文字を送信した。

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 ──翌日。

 

 珍しく誰もいない公園にて、私とまふゆは2人並んでベンチに座っていた。

 クリスマスだし、朝早くに練習している人ならともかく、時間が過ぎてしまえば帰ってしまうのかもしれない。

 

 好都合な状態に感謝しつつ、ほんの少し陰ってしまっている無表情に目を向けた。

 

 

「まふゆ、呼び出してごめんね」

 

「予備校は夕方からだから、大丈夫」

 

「ならいいんだけど。それで、その……昨日の様子が変な気がしたから呼び出したの。もしかしたら、まふゆに何かあったんじゃないかって」

 

 

 心配になって。

 そう言い切る前に、まふゆの顔色がガラリと変わった。

 誰が見てもおかしいと感じる真っ青な顔に、私も動揺してしまう。

 

 表情だけはいつもの無表情から全く変化していない。

 でも、それは我慢しているのだとわかるぐらい、まふゆの呼吸が荒くなっている。

 

 何があったのかわからない。どうするのが正解なのかも不明だ。

 だけど、私は自分の中にある衝動に従って、今にも過呼吸になりそうなまふゆを強く抱きしめた。

 

 

「絵名……?」

 

「頑張ったね。まふゆは悪くないよ」

 

「……」

 

「だから、我慢しなくてもいいんだよ。ゆっくり、吐き出してごらん」

 

「っ。えっ……絵名、えな。私、捨てられて。謝らなきゃいけないことが、あって……!」

 

「私はここにいるし、話も聞いてあげるから、落ち着いてから話そっか。何があっても一緒にいてやるから。大丈夫だからね」

 

 

 聞き逃してはいけないとんでもないワードが聞こえてきたが、まふゆが苦しそうに言葉を吐き出しているのだ。今は言いたいことをぐっと飲み込む。

 震える背中を赤子を宥めるように軽く撫でて、開いている手で倒れそうなまふゆを支える。

 

 ゆっくりと、落ち着くまで声をかけ続けた甲斐もあって、まふゆの呼吸が落ち着いてきた。

 今なら話を聞けるだろうか。改めて、私はまふゆと向かい合う。

 

 

「で。謝らなきゃいけないことってどうしたのよ?」

 

「……怒らない?」

 

「怒らないから」

 

「本当?」

 

「本当」

 

 

 どれだけ腹立つことを言われても、今は飲み込むつもりだ。

 そんな気分で頷くと、まふゆは恐る恐る口を開いた。

 

 

「お母さんに絵名から貰った兎のぬいぐるみが見つかって、私には必要のないものだからって、捨てられた。折角絵名がくれたものだったのに……止められなかった」

 

「そっか」

 

「必要のないものだって言われた時に、言い返せなかった。悪い子だって言われたくなくて、お母さんを悲しませたくなくて……ごめん、ごめんね、絵名」

 

「まふゆは何も悪くないじゃん。悪くないんだから、謝らなくていいわよ」

 

 

 ──むしろ、私の方がまふゆに謝らなくてはいけないのに。

 

 きっと、まふゆが自分をわからなくなったのには理由があったのだ。

 

 傷つきたくないとか、痛みからの逃避だとか。嫌なことがあって、積み重なって。

 

 自分がわからなくなることによって、無意識に自分を守ろうとしていたのなら?

 心を守るために何も感じないようになったのに、何も解決していない状態で殻に穴を開けてしまったのならどうなる?

 

 

(私が中途半端に関わっちゃったから、まふゆは今、傷ついてる。私が余計なことをしなければ、苦しむこともなかったかもしれないのに)

 

 

 しかし、既に賽は投げられた後だ。

 後悔している暇があるなら進むしかない。

 

 

「まふゆ、今日は何の日だと思う?」

 

「クリスマスじゃないの?」

 

「そう。だから、大事にしてくれてたものを捨てられても、泣かずにいた良い子にプレゼント」

 

 

 本当は兎の方を渡したかったのだけど、景品になかったので、代わりにクリスマスバージョンの猫の吸血鬼風ぬいぐるみをまふゆに差し出す。

 

 

「兎じゃないのは申し訳ないけど」

 

「これ、怒ってるときの絵名みたい」

 

「はぁ!?」

 

「……怒らないんじゃなかったの?」

 

「くっ……今も有効だったのね、それ」

 

 

 吊り目な猫のぬいぐるみを受け取ったまふゆが、こちらにぬいぐるみの顔を向ける。

 猫の目を観察しても、やはり私には似てるという感覚はわからなかった。

 

 

(まぁ……まふゆの様子もマシになったし、今のところは大丈夫かな)

 

 

 安心はできないけれど、今この瞬間は大丈夫そうだと胸を撫で下ろす。

 まだ、時間はある。それまでに少しでもまふゆの望みが叶うかもしれないという希望を届けなければ──

 

 

(そうじゃないと、まふゆがいなくなっちゃうかもしれない)

 

 

 恩人だから、友達だから、同じサークルのメンバーだからと言い訳をつけて、私が中途半端にまふゆの魔法を解いてしまったから。

 

 

(自分のせいで誰かがいなくなるなんて嫌だもの。少しでも長く、繋ぎ止めなきゃ……)

 

 

 無表情でありながらも嬉しそうな雰囲気を出しているまふゆを見て、私は両手を強く握り締めた。

 

 

 





まふゆさんの幸せタイム、終了のお知らせ……

次回からやっと、メインストーリーが始まります。40話目にして初の全部まふゆさん視点です。
以下、章が変わるのでオマケを載せてます。


《記憶喪失えななんによるニーゴメンバーの印象》
K……第一印象が道端で倒れてる人なので、原作絵名さんよりも好き好き〜とはなってない。けど、態度はやっぱり他とは違うし甘い(心配で)。口には出さないけど、家事代行の人が来ることになり、料理を食べてもらえないのが実は寂しい。天才として滅茶苦茶意識している。

雪……恩人なので、腹立つことがあっても最終的には放置できない。原作初期よりは対応が柔らかめ。物理的にも近いところにいるので1番距離が近い。たまに英会話に付き合ってもらってるので、それもあって余計に頭が上がらない……んだけど、腹立つ時は腹立つ。

Amia……顔も知らないし、声だけなので慎重になってる場面も多々ある。だけど、なんやかんや気が合うし、話に出てきたアニメや漫画などちゃんと履修してくるぐらいには仲良くしている。言い合ってる時が楽しい相手で、いざという時に頼る第一候補だったり。


結論……直接言わないけど、ニーゴの皆が好き。


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メインストーリー編
40枚目 【朝比奈まふゆの焦燥】



今回は全部まふゆさん視点で進みます。
まふゆさんの視点で進むので、もちろんまふママも出てきます。

……お察しください。



 

 

「朝比奈さん、また学年1位だって。高校1年の間、最後まで1位伝説は崩れなかったかー」

 

「当然じゃん。文武両道な優等生、完璧超人って言葉がぴったりな朝比奈さんだよ? 1位を取るのだって呼吸するぐらい簡単にできちゃうでしょ」

 

 

 部屋に戻ると、クラスメイトが学年末テストの結果で盛り上がっていた。

 もう春休み目前ということもあって、緩い空気が教室に広がっている。

 

 自分の結果だけ気にしていればいいのに、どうしてこちらに構うのか。

 ズキリ、と何故か胸が痛みを訴えてきて首を傾げていると、会話している中にするりと入り込む子がいた。

 

 

「もう。1位を取り続けるなんて努力し続けないと難しいんだから、当然とか言うのはやめなよー?」

 

 

 軽い調子でそう言いながら、クラスメイトの会話に入ったのは絵名だった。

 

 

「ずっと1位をキープするのだって、並大抵の努力ではなかったはずよ。それを当然なんて言われたら嫌だなーって、私は思うのよね」

 

「でも、朝比奈さんは取り続けてるんだから、私達とは違うでしょ」

 

「そういう考え方もあると思う。けど、頑張って練習して弾けるようになった曲を『そんなのできて当然だー』なんて言われたら嫌でしょ? 朝比奈さんへの言葉もそれと同じだって思うんだけど、どうかな?」

 

「あー……確かに。そう言われたらキレるかも。ごめん」

 

 

 絵名の伝え方が良かったのか、クラスメイトはすぐに納得して言葉を撤廃する。

 その後は何事もなかったように机に戻る絵名の姿は、私が早めに教室の前まで戻っていなければ見れなかったモノだ。

 

 ……私がいない間も、ああやって絵名が動いてくれていたのだろうか。

 

 

(そういえば、中学の時と比べると学校では息がしやすくなった気がする)

 

 

 絵名は私に黙って、どれだけ動いてくれているのだろう。

 

 わからないと言えば「わかりなさいよ!」と怒るのに、次には「で、どうわからないの?」と詳しく聞き出してきて、私の言葉から今の状態に『名前』を付けてくれる。

 

 文句を言いつつも寄り添ってくれて、表面上の慰めだけでなくダメなものはダメだと叱って、手を引っ張って。

 呆れるように肩を竦めていても、最後は『仕方がないわね』とそばにいてくれるのだ。

 

 そういうこともあって、まだ自分のことがわからなくても、今は昔よりも息がしやすいと、そう思って。

 

 

(……息がしやすい?)

 

 

 どうして、そう思ったのだろう?

 首を傾げていると、背後から声をかけられる。

 

 

「朝比奈さん、どうしたの? 教室に入らないの?」

 

 

 先生から声をかけられたので、私は疑問を放棄した。

 

 

「いえ。入り口の前で邪魔してしまい、すみませんでした」

 

 

 結局、その日は息がしやすい理由を考えることもできずに、家に帰ることになった。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

「あら、まふゆ、おかえりなさい」

 

 

 塾が終わって家に帰ると、お母さんが迎えてくれた。

 お母さんの微笑んでいる顔が、いつもより強張っているような気がする。

 

 頭の中の警鐘が鳴り響き、嫌な予感が私の頭の中を占領した。

 

 

「まふゆ、部屋を片付けてたらこんなのが出てきたのだけど……この前の友達にまた、押し付けられたの?」

 

「それ、って」

 

 

 お母さんの手には絵名からクリスマスプレゼントとしてもらった、サンタさん姿の猫のぬいぐるみがいた。

 

 3月という今を考えると、季節外れなぬいぐるみ。

 見つからないように隠していたはずのそれが、お母さんに捕えられてしまっていて。

 

 

「まふゆは優しいから、受け取ってしまったのでしょう? 捨て難いでしょうし、お母さんが代わりに片付けておくわね」

 

「お母さん、それは友達から貰ったものだから。捨てなくてもいいと思うんだけど……」

 

「まふゆ、こういうのはきちんと断らないと、相手の人もほしいんだって勘違いしちゃうわ。それとも……まふゆは大事な時期に、ゲームセンターに遊びに行くような悪い子(・・・)なのかしら?」

 

「っ……それは貰い物だよ。ゲームセンターで取ったのかはわからないけど、貰ったぬいぐるみを捨てるのは、その」

 

 

 何とか、お母さんを説得してみようとするけれど、うまく言葉が出てこない。

 カチカチと歯と歯がぶつかって音が鳴る中、お母さんはこちらの様子に気がつくことなく言葉を並べる。

 

 

「そういう迷惑な子を友達に選ぶのは、考えた方がいいかもしれないわね。遊んでばかりの子よりも成績が良い子とか、まふゆのためになる子を大切にしなくちゃ。お母さん、まふゆに後悔してほしくないもの」

 

 

 私が言葉に詰まっている間にも、お母さんはとんでもないことを言ってきた。

 

 

「じゃあ、このぬいぐるみは捨ててくるわね」

 

「あっ……ぃゃ……」

 

「なぁに? どうしたの、まふゆ?」

 

 

 間違えるなと言わんばかりに向けられるお母さんの目。

 怖くて、首を絞められているように声がうまく出てこない。

 

 

「なんでも、ないよ……」

 

「そう? このぬいぐるみはお母さんが処分しておくから、心配しないでちょうだい。まふゆには安心して、勉強に集中してほしいもの」

 

 

 ……どうやら、私はお母さんにとっての正解を選んだらしい。

 

 震える声で答えると、お母さんは満面の笑みを浮かべてぬいぐるみを連れて行ってしまった。

 連れて行かれる猫のぬいぐるみが、吊り目のような目つきも相まって、何故か茶髪の彼女と重なる。

 

 

 

 

 ──そういう迷惑な子を友達に選ぶのは、考えた方がいいかもしれないわね。遊んでばかりの子よりも成績が良い子とか、まふゆのためになる子を大切にしなくちゃ。

 

 

 

 

 お母さんがさっき言った言葉の一部がフラッシュバックした。

 

 

(わからない、わからないはずなのに)

 

 

 どうしてこんなに体が震えて、目の前がチカチカと点滅するのだろうか。

 

 寒い、震えが止まらない。

 急に風邪でも引いてしまったのか? と、違うとわかりきっている予想を立てる。

 

 そうじゃないと立っているのも難しくて、ここにいたくなくて。

 一刻も早く逃げ出したくなった私は、お母さんがいない間に部屋へと籠った。

 

 

「はぁ、はぁっ、はっ、ぁっ、っ」

 

 

 苦しい、息ができない。

 水の中にいるみたいに、口を開いて吸い込もうとしても、酸素が上手く取り込めない。

 

 震える手で何とかスマホを取り出して、目的の曲を再生する。

 

 

 『Untitled』と書かれた曲。

 

 

 知らない間にインストールされていたそれは、今の私にはなくてはならない『逃げ道』で。

 『セカイ』という私の本当の想いからできたらしい、謎の空間だった。

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 ──光に包まれ、目を開けば灰色なセカイにいた。

 

 わずかな光があるだけの無機質な場所で、無骨な鉄筋や三角形のオブジェがあるぐらい。

 

 何もない場所に座り込んで息をしようと必死になっていると、ふと、誰かに背中を撫でられた。

 白いツインテールが視界の端に見えて、その誰かの正体が確信に変わる。

 

 初音ミク。

 そう呼ばれる存在はブルーグリーンの髪をツインテールにしたバーチャル・シンガーであり、本来であれば近未来的漫画のAIのように受け答えもできなければ、人のように生きている存在でもない。

 

 だが、この『セカイ』と呼ばれる場所では話が別らしく、バーチャル・シンガーがこのセカイの中で暮らしているのだ。

 

 このセカイのミクは他のミクとは明らかに違う白髪にオッドアイだけど、それでも彼女は初音ミクらしいので、私もそれに倣って『ミク』と呼んでいる。

 

 そんな『初音ミク』と名乗る存在がいつの間にか近づいて来ていて、私の背中を撫でてくれていた。

 

 

「まふゆ」

 

「……ミク、ありがとう」

 

「苦しそうだったから。大丈夫?」

 

「……っ。わからない、わからないの」

 

 

 ズキズキと痛む胸を抑えて、お母さんとのことをミクに話す。

 そうやって話をしている間に、息苦しさも幾分かマシになってきた。

 

 話をし終わって、黙って聞いていたミクが首を傾ける。

 考え込むように瞬きを数回。迷いを見せた末に、ミクは口を開いた。

 

 

「じゃあ、連れてくる?」

 

「連れてくるって……?」

 

「絵名をこのセカイに連れてくれば、まふゆも楽になるかもしれない」

 

「私以外にもこのセカイに来れるの?」

 

「ここはまふゆの想いできた『誰もいないセカイ』だから。絵名なら連れて来れるよ」

 

「そう、なんだ……」

 

 

 誰も知らない、私だけのセカイ。

 誰もいないセカイが、ここだ。

 

 そう、ここは誰も知らない、お母さんも知らないし、知ることができない。

 

 

(じゃあ、ここに絵名を隠せば──絵名はお母さんに、捨てられない)

 

 

 そこまで考えて、私はやっと自分が息苦しくなった理由を察した。

 

 たぶん、私は絵名とあの猫のぬいぐるみを重ねていたのだ。

 お母さんに連れて行かれて、捨てられそうなぬいぐるみが絵名に見えた。

 

 そして、このまま黙って過ごしていたら、お母さんはぬいぐるみと同じように、絵名を私から取り上げようとしてくるかもしれない。

 

 だってお母さんは『付き合うのはやめなさい』と言ったのだから。

 私にとっては違っても、お母さんにとっての絵名はクラスメイトと同じく勉強もできなくて、何の価値もない存在だとラベリングするだろう。

 

 考えれば考えるほど、お母さんは私と絵名が一緒にいるのを快く思わない材料ばかり思い浮かぶ。

 

 

(捨てられたくなかったら……お母さんが見えないところに、わからないところに隠さないと)

 

 

 2度あることは3度ある。

 1回目は無防備に捨てられて、2回目は部屋に隠していたのを探し当てられた。

 

 3回目は、絶対に見つからないところに隠さなければならない。

 隠し切らないと。3回目も何かを捨てられたら、私は──

 

 

「まふゆ?」

 

「何でもないよ、ミク。ありがとう」

 

 

 心配してくれるミクに何でもないと答えて、私はスマホを取り出す。

 

 もうすぐ春休みだから、話を通すのは早めにした方がいい。

 都合がいいことに、明日は私も絵名も部活がない日だ。

 私の方から連絡をすれば、絵名は時間を作ってくれるだろう。

 

 その間に、状況を変えるのだ。

 

 そう目論んで送った連絡に返ってきたのは『いいけど』と素っ気ない言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──翌日、放課後に絵名が私の前までやってきた。

 

 思い描いた通りに動いてくれる絵名はどこか心配そうにこちらの様子を窺いながら、口を開く。

 

 

「まふゆ、大事な話があるって聞いたけど、どうしたの?」

 

「ここで話すのは難しいから、誰もいないところで話したいんだけど……いいかな?」

 

「誰もいないところって、何の話をするつもりなのよ。まぁ、今日は部活もないし、いつもの準備室に行きましょ」

 

 

 聞きたいことがたくさんある、と言いたげな顔をしているのに、絵名は黙って美術準備室まで歩いてくれた。

 

 随分と絵名は私の都合の良いように動いてくれるな、と口の端を歪ませながら、私は口を手で隠す。

 笑うのはまだ早い。まだ、絵名はここにいるのだから。

 

 絵名は慣れた様子で美術準備室に入り込み、手招きして私を教室の中まで招く。

 絵名が教室の電気をつけて窓を開けている間に、私は教室の鍵をかけた。

 

 ──これで、誰にも邪魔はされない。

 

 

「で? ちゃんと用件を話してくれるんでしょうね?」

 

「うん。もう殆ど終わったけど、後で話すつもり」

 

「? 終わったって、どういうこと?」

 

 

 まるでミクみたいにこてん、と首を傾げる絵名の目が訝しげに細められる。

 疑われているようだが、ここまで状況を整えてもらったのだ。絵名はもう逃げられない。

 

 

「まふゆ、教室の鍵を閉めてたけど、何を企んでるわけ?」

 

「隠そうとしてる」

 

「隠す? 何を?」

 

「捨てられる前に絵名を隠して、守らなきゃいけないから──だから、おとなしくしてね?」

 

「え、は? ちょっと、まふゆ!?」

 

 

 ミクはセカイに連れて行けると言っていたが、どういう状態で連れて行けるかまでは教えてくれなかった。

 

 だから驚く絵名を抱きしめるように捕まえて、暴れる彼女をぎゅっと腕の中に閉じ込める。

 これだけ密着していれば、彼女もセカイに行けるはずだ。

 

 手に持っていたスマホをタップして、Untitledを再生する。

 スマホから光が放たれ、私の目の前は真っ白になった──

 

 





メインストーリー(誘拐)、始めました。
何が難しいって、作者は頭がよろしくないので、まふママの直接的じゃないけど伝わってくるあのセリフを考えるのが難しいんですよね……

次回、まんまとセカイに連れて行かれた記憶喪失えななんの視点に戻ります。


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41枚目 条件交渉


まふゆさんの視点から戻ってます。



 

 

 珍しく、まふゆの方から連絡があった。

 

 

《大事なことを相談したいから、明日の放課後に時間が欲しい》

 

 

 もしかしたら、まふゆに何かがあったのかもしれない。

 結果的にはその考えは間違ってなかったのだけど、この時の私は盲目的だったのだろう。

 

 放課後になってからホイホイとまふゆについて行ったら、急に抱きしめられた。

 

 私とまふゆの関係は友達である。

 感情の比重は双方で違う気がするけど、私の認識ではこんな風に抱きしめられるような関係ではなかったはずだ。

 

 

(え、何!? なにごと!?)

 

 

 叫ぼうにもまふゆにぎゅっと抱きしめらてるせいで、声が出ない。

 頭が混乱している間に、本当に何が何やらわからないまま、私は眩しさで目を閉じてしまった。

 

 ──相手に主導権を譲ってしまえば、どうなるかなんて容易に想像できるというのに。

 

 強い光がなくなってゆっくり目を開くと、見覚えのない灰色の空間が視界を占領していた。

 見慣れぬオブジェに折れた鉄筋のようなもの。色が殆どなくて白っぽい、何もない場所。

 

 どうやら私は見慣れた美術準備室から、静かでどこか不気味な空間へ瞬間移動してしまったらしい。

 

 

「えぇ、どういうこと……?」

 

 

 まふゆの腕の中から抜け出して周囲を確認。

 自分が知っていそうな景色を当て嵌めようとしたものの……今の世界のどこに行けば、青空すらない広過ぎる空間があるのやら。

 

 

(スマホ触ったら別世界でしたって? うん、バカじゃないの?)

 

 

 探しても探しても、日本どころか世界のどことも該当しなさそうな景色に、私の頭は理解するのを拒絶した。

 

 まふゆがスマホを操作して、何かをしたことだけは理解できている。

 そこはわかるのに、何をすればこんな結果になるのか、全く見当がつかない。

 

 

(本当にどこなのよ、ここ。たぶん、私が想像できる世界とはまた違う何かっぽいんだけど……うーん。頑張って考えても全然わかんない!)

 

 

 だが、想像できない現象が現実となって、目の前に広がっているのだ。

 

 世の中にはスケッチブックに絵を描いたら、記憶を消された少女だっている。

 そう考えれば、スマホを操作したら摩訶不思議な空間に飛ばされるのも、あり得るのかもしれない。

 

 ……そう思わないとやってられなかった。

 

 

「絵名、そんなに驚いてないね」

 

「十分驚いてるけど? 見えてないのならその目、交換する?」

 

「私が予想してた絵名ならもっとぎゃいぎゃい言うから」

 

「ふーん、いつも煩いってことねー……って、やかましいわ! あんた、人の気持ちを読み取るのは得意なんでしょ? 今こそ、その特技を発揮しなさいよ!」

 

「……やっぱり煩い。調子戻ってきた?」

 

「はぁ〜!? ホントこいつ、目の交換どころか、サービスで口の縫い付けも追加してやりたいわ!」

 

 

 こっちは頑張って現状を受け入れようと努力しているのに、犯人であろう人物は呑気なことを言ってくるからムカつく。

 大量の文句で畳み掛けてやろうと振り返れば、無表情でありながらもどこかやり遂げたような、安心した雰囲気のまふゆと目が合った。

 

 そのせいで、呼び出しの文面は嘘ではないのだと確信してしまう。

 

 

(……ってことは、今は強く出過ぎたら悪手か。本当にややこしいヤツね)

 

 

 気付いてしまったら感情のままに動くわけにもいかず、私は噴火しそうになっていた怒りを抑え込むしかなかった。

 

 

「……私をこんな場所に連れてきてまで、話したいことって何なの?」

 

 

 1回、大きく深呼吸してからまふゆに向き合う。

 自分の勘を信じて、私は負の感情が乗らないように意識しながら声を出した。

 

 

「他に聞きたいことはないの?」

 

「もちろん沢山あるわよ。でも、大事な話があるんでしょ。それは嘘じゃないと思ったから、先に聞いてあげるって言ってるのよ」

 

 

 こちらの気遣いを全く察する気のないまふゆの鼻を人差し指で小突いてやる。

 

 目を細めて睨みつけても、わからないと言わんばかりの無反応。

 無敵だなぁと呆れつつ、よくわかってなさそうな相手の言葉を待つことにした。

 

 

「絵名にはしばらく、このセカイにいて欲しいと思ってる」

 

「……ふぅ。あぁ、うん。それで?」

 

 

 あっぶない、叫びそうになった。

 はぁ? 何言ってんのこいつ。もっと他に言うことが沢山あるでしょ!? って言わなかった私、超偉い。誰か褒めて欲しい。

 

 

「それだけ」

 

「いや、こっちはどうしてそういう結論になったのか、聞きたいんだけど?」

 

「知らなくてもいいよ。ここにいてくれるだけで、絵名を隠せるから」

 

「バッ、んんっ……そ、そっか」

 

 

 罵倒を飲み込んで、熱く感じる息を肺から追い出す。

 

 つまり、何?

 まふゆは何かから私を隠したがっていて、その場所に選ばれたのがこの静かな場所であると。

 どうしてそうしたのか、何を考えた結果なのかも聞きたいところだけど……今の様子では、聞き出すのは難しそうだ。

 

 しょうがないから、情報収集は後回しにしよう。

 まずは、この考えなしに動いてしまっているまふゆを説得しなくては。

 

 

「まふゆ、私も嫌だと頭ごなしに言うつもりはないんだけどさ……この行動は問題が多過ぎよ」

 

「そう?」

 

「まず、私の家に連絡しないと。学校内で誘拐事件が起きたことになるし、後々かなーり面倒になるわよ」

 

「……後のことなんて気にしなくてもいいよ」

 

「しなきゃダメなの。後先考えないなんて、バカなの?」

 

「少なくとも絵名よりテストの点数はいいから、賢いと思う」

 

 

 そりゃあ、まふゆは1年間ずっとテストで1位なのだから、私よりも賢いのだろうけれど。

 私が言うバカと、勉強ができないバカとでは意味が違うのはわかっている筈なのに、どうして見当違いな答えが返ってくるのか。

 

 ……いや、この幼稚な反論こそ、今の彼女が少し先のことすら想像できないぐらい余裕のない『証』なのかもしれない。

 

 嫌なことに気がついてしまった自分に苦笑しつつ、私は説得から時間稼ぎの方へと話の流れを変えた。

 

 

「私よりも賢いっていうなら、ちゃんと先のことも考えてよね。じゃないと隠れてあげないから」

 

「それは困る……絵名は何をしたいの?」

 

 

 どうしても私に隠れてほしいのか、予想よりもまふゆは素直で、あっさりと要望を聞いてくれた。

 

 雲隠れしなければいけない期間はまふゆにも不明で、春休みを超える可能性もある。

 そういうことも踏まえると、私がお願いしたい条件は4つだったが……通ったのは3つだった。

 

 1つ目は、家族に暫く外泊することを伝えて、その準備を今日中にすること。

 2つ目は、アリバイ作りの為に美術顧問の先生に口裏合わせの電話をさせてほしいこと。

 3つ目は、学校が始まっても隠れる必要があるのなら、学校だけは行かせて欲しいこと。

 

 本当はここで4つ目にニーゴでの活動も入れたかったのだが、まふゆから「あそこで活動しても、どうせ絵名も探し物は見つからないよ」と渋られたので無理そうだ。

 

 

(隠れるなんてお願いを聞く義理は、恩人だったとしてもないんだけど……)

 

 

 ちらり、と相手を盗み見る。

 

 なんてことはない無表情に見えるのに、まふゆに犬の耳があったらぺったりとくっついていそうだと思うぐらい、何かに怯えていた。

 

 何が原因で、まふゆはこんなバカみたいなことを実行したのか。

 人を1人隠してしまおうなんて、そんな思い付いてもやりそうにない行動をしてしまうぐらい、まふゆは追い込まれている。

 

 

(……まふゆが「どうせ絵名も探し物は見つからないよ」って言ってたのを考えると、ニーゴでの活動に見切りを付けようとしてるのかも)

 

 

 12月の時みたいに近いかも、という私が勝手に決めつけた予想ではない。本当に時間がないのだ。

 

 それなのに私は手札を揃えることができなかったし、予想が正解なのか答え合わせすらできていない。

 まふゆの今の状態を知らないことには、弱すぎる手札を切るのも自殺行為だ。

 

 

(しょうがない。ここは作戦Nでいこう)

 

 

 柔軟かつ適切に対応する作戦N(ノープラン)だ。

 というか、今いる場所とか色々と特異過ぎて、作戦を立てようもなかった。

 

 

「じゃあ、とりあえず家に帰ってもいい?」

 

「うん、家まで送るから」

 

 

 まふゆはスマホを操作する。

 もしかしたら私だけ残されるのではないかと思ったのものの、目を開けば見慣れた景色に戻っていた。

 

 

「絵名、帰らないの?」

 

「あぁ、ごめん。あっさり戻してくれるからびっくりして」

 

「絵名は私が要望を聞いたら、ちゃんと私のお願いも聞いてくれるって知ってるから」

 

「その通りだけど……うん」

 

 

 ただ、まふゆが私のことをそこまで信じてくれているとは思っていなかっただけ。

 そこまで信じられていたら、悪い気はしないし、少しは照れてしまう。本人には絶対に言わないけど。

 

 私がそんなことを考えていても、まふゆはマイペースに私の家まで付いてくる。

 

 あまりよろしくないものの、歩きながら南雲先生に口裏合わせをお願いする電話をかけ、先生から「高校生的理由だねぇ、危ないことをしないのならいいよ~」と言質も貰った。

 

 まふゆには外で待ってもらって、帰ってきているお母さんの説得に挑む。

 大苦戦するだろうと思っていた説得は「いいよ」の一言で終わってしまった。

 

 理由は『大人の先生が保護者としているなら大丈夫だろうし、お父さんもアトリエに籠って出てこないことが若い時はあったから』だそう。

 私が言いだしたことだけど、それでいいのだろうか。

 

 お母さんのあっけらかんとした態度に不安に思いつつも、『1週間に1回連絡すれば良し』という軽い条件で雲隠れする準備が整ってしまった。

 

 

(よし、準備ができてしまいましたよーっと)

 

 

 必要なものを去年使った旅行鞄に詰め込んで、家を出る。

 待ち伏せされていたまふゆに手を掴まれて、気分は荷台に積まれて運ばれる子牛だ。

 

 別に出荷されたりするわけでもないのだけど、本当にあのよくわからない空間で過ごすのかと思うと……怖くないと強がるのは難しい。

 

 

「まふゆ」

 

「何?」

 

「ニーゴの方にも連絡しちゃダメ?」

 

「しなくていいよ」

 

「まふゆはそう思うかもしれないけど、私にとっては大事なことなの。どんな内容を送信するのか見てもいいから、送信させてくれない?」

 

「……私も、見ていいなら」

 

 

 忙しくなるからしばらく休む、という文面をまふゆに見せて、一方的にナイトコードに送った。

 これで、問題が解決できた時に新しい問題が噴出することもないだろう。

 

 ちょっと先生達と会えず、自分1人でいる時間が増えるだけ。

 修行だと思えば軽いものである。

 

 

「で、どこからあそこに行くの?」

 

「私の家。今の時間はお母さんもいないから」

 

「あっそ」

 

 

 初のまふゆの家に訪問するタイミングが、まさかこんな形になるとは

 抵抗する間もなく手を繋がれて、引っ張られながらまふゆの家へ。

 

 まふゆの言う通り、彼女の家には誰もいない。

 靴を手に持ちながらまふゆの部屋まで通された。

 

 

(他人の部屋なんて滅多に行くことないし、ちょっと楽しみにしてたんだけど……うん、びっくりするぐらい何もない)

 

 

 良く言えば物が少なくて綺麗、だろうか。

 

 本棚に詰め込まれた参考書や辞書がずらり。何も入っていないアクアリウムや観葉植物がポツン。

 他は机とベットだけで、ぬいぐるみとか遊べそうなものは何もない。嫌でも勉強に集中できそうな空間である。

 

 私の画材で溢れた部屋とは大違いだ。

 足の踏み場も整理もしているけれど、まふゆの部屋みたいにシンプルにはできない。

 

 

「絵名、あっちに行こう」

 

「はいはい、ご自由にどうぞ」

 

「うん」

 

 

 まふゆがスマホを操作するのを見ながら、先に目を閉じる。

 

 

 いけるところまで、行ってみよう。

 

 もしかしたら、あの不思議な場所がまふゆの探し物を見つけるヒントになるかもしれないし。

 私なんかを信じてくれている相手だ。その気持ちにも、彼女の願いにもできる限り寄り添いたい。

 

 行けるところまで行って、それでもどうしようもなくなってしまった、その時は──

 

 

 

 

 

(──友達を失うぐらいなら、こっちを選びたいかな)

 

 

 

 

 

 スケッチブックの中に紛れ込ませたボロ布を貼り付けたような表紙のアレが、セカイへ移動する間すらも存在を主張している気がした。

 

 

 





スケッチブック「やぁ」
忘れた頃に存在感を出してくる呪物……

次回は記憶喪失えななんが誰もいないと聞いていたセカイで、誰かと遭遇します。


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42枚目 ようこそ、セカイへ


せっかくのメインストーリー編なので、後書きにおまけの話を追加してます。


 

 

 謎の三角形のオブジェがあったり、地面に鉄筋が突き刺さった不思議空間に戻ってきた。

 この空間は私が暫くお世話になる場所だが、本当に不思議物体と鉄筋以外は何もない。

 

 行き止まりが見えない広過ぎる空間を改めて観察していると、まふゆが声をかけてきた。

 

 

「絵名、紹介したいからこっちに来て」

 

 

 他にも誰かここにいるような言葉と共に、まふゆは歩き出す。

 まふゆがどこに向かっているのかわからないものの、早く来いと目で訴えられたらついて行くしかない。

 

 一体、どんな人物が待っているのか。

 少し恐ろしく感じながら付いて行くと、その先にいたのは1人の女の子だった。

 

 

「まふゆ、連れて来たんだね」

 

 

 淡々としているものの、どこかで聞いたことのあるような声。

 

 だが、私には白髪そのものに心当たりがあっても、それを崩れたツインテールにしている人間は記憶にない。

 機械音のような声に該当するのはバーチャルシンガーだが……いつからバーチャルシンガーは人間のように動いて喋るようになったのだろうか?

 

 それに、私が知っているバーチャルシンガーは白髪でもないし、右目がターコイズ、左目がルビーみたいなオッドアイでもないのだ。

 片足だけハイソックスを脱いでいたり、そもそも靴すら履いていない立ち絵ではなかったはず。

 サスペンダーといい、汚れ1つない真っ白な衣装といい、中々レベルの高いファッションも私の想像する存在とは違う……と思う。

 

 正解な気もするし、間違ってるようにも感じる。

 いくら考えても答えがわからないのなら、わかっている人に聞くしかない。

 

 

「この子、まふゆの知り合いなのよね?」

 

「うん。ミクはこのセカイに存在しているバーチャルシンガーだって」

 

「は? やっぱりこの子、初音ミクなの!? 色とか全然違うのに!?」

 

「絵名、煩い」

 

「そう言われても、こっちの衝撃も察してよ!」

 

 

 まふゆに無茶な要望を押し付けて、私は改めてミクと呼ばれた少女を見る。

 コテン、と首を傾げる少女が「どうしたの?」と声を出した。

 

 確かに、ミクだとわかった上で声を聞けば、それっぽく聞こえてくるような……?

 葱のような色の要素は片目以外ないものの、ツインテールなだけでミクらしさは辛うじて残っているのか。

 

 バーチャルシンガーが生きている人みたいに動く現実に頭が追いつかないけれど、彼女をミクだと仮定して話を進めてみよう。

 考えるのを放棄したとは言わないでほしい。これは柔軟に対応する作戦の一部なのだ。

 

 

「うん、落ち着いた。それで、この場所のことやミクが目の前にいることとか、いい加減どういうことなのか聞いてもいい?」

 

「あ……お母さんがそろそろ帰ってくる時間だから、ミクから聞いておいて」

 

「は? え、ちょっと!?」

 

 

 目的を達成してどうでも良くなったのか、まふゆはスマホを取り出して消えてしまう。

 あいつは自由か。私は肩を竦めてから、まふゆのようにぼんやりとこちらを見ているミクに目を合わせた。

 

 

「えぇと、あなたは初音ミク、なんだよね?」

 

「うん。このセカイのミクがわたし」

 

「そっか。ねぇミク、この場所について聞いてもいいかな?」

 

「いいよ」

 

 

 淡々としたミクの話をまとめると──この場所は『朝比奈まふゆの想いから生まれた空間』らしい。

 本来なら『Untitled』を再生して訪れることができる場所らしいのだが、私の場合はまふゆの移動に便乗してここに来ている。

 

 まふゆの想いが創り出したセカイだから、まふゆ以外に出入りは無理そうなのに、意外なことに私も出入り可能のようだ。

 スマホを見ればいつの間にか『Untitled』という変な楽曲がダウンロードされているし、これをタップすれば私もこのセカイの行き来は自由、と。

 

 ……何ということでしょう。

 私は意図せず脱出する鍵を手に入れてしまったらしい。

 

 

「これのこと、まふゆに言うの?」

 

「……迷ってる」

 

「そうなの? 意外ね」

 

「意外?」

 

「……ごめんね、今のは言い過ぎたかも。ミクはまふゆの想いからできたセカイにいるんでしょ。それってまふゆから生まれたのも同然だから、まふゆのお願いなら何でも叶えそうなイメージを勝手に作ってた」

 

 

 子供にとっては親が絶対であるように、ミクとまふゆの関係もそういうものに近いと思ったのだが、見当違いだったらしい。

 更に頭を下げて謝罪しようとした私を制止したのはミクだった。

 

 

「その言葉は間違ってないと思う。絵名ってよく見てるんだね」

 

「いや、でも迷ってるってことは私のイメージとは違うし、やっぱり謝らなきゃいけないと思うのよね。ごめんなさい」

 

 

 勝手にイエスマンな可能性を疑って、実はまふゆ思いの良い子だったことへの謝罪は、あっさりと受け入れられる。

 

 パッと見た感じまふゆに近いのかな、と思いきや、ミクは好奇心旺盛らしい。

 まふゆが再びやってくるまで、ミクと2人で色んな話をして盛り上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 日も跨いでいない夜の時間にて、お風呂上がりらしいまふゆが戻ってきた。

 その頃にはミクとの会話もひと段落していて、私は三角形のオブジェを背にシャーペンを動かしている。

 

 

「絵、描いてるの?」

 

「いや、宿題。あの学校って宿題多いよね」

 

「絵名が嫌なだけでしょ」

 

「それもあるかもしれないけどねー。でも、まふゆはテストとか宿題とか、そもそも勉強が嫌だって思うことはないの?」

 

「勉強そのものはそこまで嫌じゃないよ」

 

 

 その後の結果やら期待が煩わしいのか、嫌じゃないと答えた割には微妙そうな顔をしているまふゆ。

 私とミクの間を独占するように三角座りをして、顔を伏せてしまう彼女はどこか元気がない気がした。

 

 また何か言われたのだろうか。ミクに頭を撫でられる彼女を横目で見てから、宿題へと視線を戻す。

 

 

「嫌なことがあったのならどんな形であれ、吐き出した方がいいわよ」

 

「どう、だろう……わからない」

 

「胸が締め付けられて、息がしにくいんでしょ。今のあんたは苦しそうだし、嫌なことがあったんだなぁって、私は思ったけど」

 

 

 理数関連の春休み用の宿題が終わったので、次は英語と国語だ。

 文字数の暴力にげんなりとしていると、俯いていたまふゆがこちらを見ていた。

 

 

「何? 言葉で吐き出す気になった?」

 

「言葉以外に方法があるの?」

 

「沢山あるでしょ。あんたなら音楽で、私なら絵で。誰かに言葉っていう愚痴を吐かなくても、感情を吐き出す方法は私やあんたが考えるよりもあると思うわよ」

 

 

 真正面から言うのは恥ずかしくて、宿題からは目を離さずに考えた言葉を発する。

 

 まふゆがどんな顔で私の戯言のようなセリフを聞いているのかはわからないが、それでもまふゆには聞こえているらしい。

 

 

「私1人で曲を作れば、見つかるかな」

 

「さぁね。でも、あんたが満足するまで隠れてあげるから、探してみれば?」

 

「……うん」

 

 

 その少しがいつまでなのかは私にもわからないけれど。

 少しでも長く、ここで息をしていてほしい。

 

 そう言う気持ちは吐き出さないように意識していたのに、まふゆはこちらのことなんてお構いなしに突っ込んできた。

 

 

「絵名って、変だね」

 

「は? 誰が変なのよ。いっつも思ってたんだけど、もうちょっと言い方とか考えられないわけ?」

 

「でも、変だよ」

 

 

 確かにホイホイまふゆについて来たり、逃げ出せる条件が整っているのに逃げる素振りも見せてないけれども。

 

 それもまふゆが心配だからそうしているのに、どうして変だと言うのか。

 もう少し言葉を考えろと言ってみても、暖簾に腕押し。

 

 いつものわからないで流されて、無駄に体力を削られただけで終わった。

 

 

「はぁ、もう。私が無駄に騒いだだけじゃない」

 

「絵名が勝手に煩くなっただけ」

 

「それ以上言うなら、はっ倒すわよ?」

 

 

 宿題からまふゆの顔へと目を向けて睨みつけても、相手はなんとも思ってない顔のまま、首を傾ける。

 黙ってこちらの様子を窺っているミクも後ろで首を傾げていて、怒るのも馬鹿らしくなってしまった。

 

 

「で、私はいた方がいい? 1人になりたいなら何処かに行くけど」

 

「絵名は気にせずにここにいればいいよ」

 

「そ。じゃあ遠慮なく」

 

 

 そう言ってみたものの、学校でも宿題をしていたせいで春休みの宿題の残りはあと僅か。

 スケッチブックでも取りに行こうと立ち上がると、何故か手を引っ張られて元の場所に座らされた。

 

 

「……まふゆ、その手を離してくれない?」

 

「絵名は気にせずにここにいればいいよ」

 

「うん、それはわかったから離してくれない?」

 

「ここにいて」

 

「はぁ……はいはい。そういうことね、わかりました」

 

「『はい』は1回じゃないといけないんだよ」

 

「……はい」

 

 

 どうやらまふゆの言葉は『ここにいてほしい』という意味だったらしい。

 

 はいの指摘とか、非常にめんどくさいものの、雲隠れに付き合うと決めたのは私だ。これぐらいは飲み込もう。

 

 

「宿題が終わるまでは座ってるから、その時は手を離してよ」

 

「もう少し待って」

 

 

 相変わらず何を考えているのかわからない顔のまま、まふゆは私の手を様々な角度で握っている。

 ニギニギ、なんて効果音が聞こえてきそうなぐらい手を握っていて、彼女が何をしたいのかわからなかった。

 

 

「それ、楽しいの?」

 

「さぁ、わからない」

 

「さぁってあんた、どうして私の手を玩具みたいに握ってるのか、自分の状態を言うのも難しいわけ?」

 

「状態……こうしてたら体から力が抜ける、かな」

 

「それって落ち着くってこと? ふぅん、あんたも人肌が恋しかったりするのかもね」

 

「落ち着く……」

 

 

 まふゆは小首を傾げてじっと握っている手を見つめている。

 

 もしかしたらと思って「見当違いのことをいってるかもしれないけど」と保険を掛けてみるものの、その言葉は届いていなさそうだ。

 

 結局、まふゆはニーゴの活動が始まるギリギリまでずっと手を握っていた。

 そのおかげで私は終わった宿題に間違いがないか、何度も見直すことになったが……まふゆは満足そうだったし、良かったのかもしれない。

 

 名残惜しそうに手を離してセカイから消えるまふゆを見送ると、今度はミクから声を掛けられる。

 

 

「絵名」

 

「どうしたの?」

 

「まふゆ、嬉しそうだったから。これからもよろしくね」

 

「私ができることなんて、いざという時に責任を取ることぐらいしかないけどね」

 

 

 脳裏にちらつくスケッチブックを振り払っていると、私の様子から察したのか、ミクは表情を変えずに口を開く。

 

 

「そういうことが起きなければ、わたしも嬉しい」

 

「そうね……私も、嬉しいかな」

 

 

 

 

 誰かが消えてしまうぐらいなら、残り香である自分が消える方がマシだとは思うけれど。

 

 それでも、少しでも長くここにいたいと思ってしまったのは──私の我儘なのだろう。

 

 

 





ある日の思い出の話。

《オマケ:ドクダミの花言葉》


 とある日、南雲先生から言われたことがある。


「ドクダミちゃんって、自分のことを死人とか亡霊みたいに思ってそうだよねー。自分は既に死んでいる〜、みたいな?」


 あの日、ふらりと美術準備室に現れた先生は困ったように眉を下げて、こちらを見ていたっけ。


「芸術家が傑作を生み出すのは不幸のどん底にいる時か、とんでもなく幸せな時だ〜なんて言う人もいるから……ある意味、今のキミは大成する可能性の塊かもしれないけれど。それと同じぐらい、早死にしそうだねぇ」

「……今日の先生はとんでもなく不謹慎ですね」


 絵に向いていた意識を先生へと移動させ、私は描いていた絵を傍に置く。
 そうやっている間に、先生は椅子へと反対向きに座り、背凭れを膝置きにしながら足をぷらぷらと遊ばせた。


「そういわれてもねぇ。サークルに入ることによって、画家としてのキミは1つ殻を破った。でも、人としてのキミは弱点が強調されたし、それがとんでもなく致命的なんだもの」

「画家として成長してるなら、それでいいと思いますけど」


 なんだか悪いことをしていると言われている気分になって、尖らせた唇で私はなんとか言葉を返す。
 すると、先生は背凭れに顎を乗せながら問いかけてきた。


「ねぇねぇ、ドクダミちゃん。キミはドクダミの花言葉を知ってるー?」

「確か、野生でしたっけ」

「せいかーい。後は、そうだねー……自己犠牲と、白い追憶ってのもあるんだよー。我ながらピッタリの渾名だよね」


 その言葉には私は口を噤むことしかできない。
 先生はそれがわかっているのか、目を伏せて話の続きを声に出す。


「キミは過去の思い出すら、真っ白にしてしまいそうで怖いね。死に損なった人間が死を恐れることがないように、キミも同じ末路を辿りそうで心配だよ。気がついて、キミを止めてくれる人達がいたらいいんだけどなぁ……」


 最後まで言い切ったその先生の呟きに対して、私は──どんな言葉を返したっけ?



「私は……って、夢か」


 目を覚ましたら、真っ白なセカイが広がっていた。
 硬い床に枕と掛け布団のみで寝ていたのだが、意外と眠れてしまったらしい。


「……あれ、なんの夢を見てたっけ?」


 いくら考えても思い出せない、夢の内容。
 きっと、たいしたことがなかったのだろう。そう自己解決した私は、早速セカイ生活1日目を満喫することにしたのだった。



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43枚目 自分探しの曲作り


今話で2023年分も最後ですね。
いつも閲覧くださり、本当にありがとうございます。

今回も後書きにカワイイボクの視点が少しあります。


 

 セカイでの生活は不便といえば不便なのだけど、目くじら立てるほどのものではなかった。

 風呂はまふゆのお母さん達がいない間に烏の行水のように入って、服や洗濯物はコインランドリーへ。

 

 スーパーとかの買い出しなども、今までのお小遣いとかバイト代を崩せば対応できる。

 南雲先生経由のバイトも、データのやり取りで対応できたので問題はない。

 

 セカイから出る時はまふゆが同伴であることと、寝床がやや硬いことに目を瞑れば、気兼ねなく絵に集中できる空間だった。

 

 

「絵名」

 

「何ー?」

 

「時計の針、12の所で揃ったよ」

 

「……え、もうそんな時間? ありがとう、ミク」

 

 

 まふゆは今日ほぼ1日、塾が開催している春の講習とのことで、今のセカイには私とミクしかいない。

 1日8時間耐久で勉強をするという苦行をする為に、まふゆはセカイから出て行ったのだ。

 

 好きなことでもないのに、よくもまぁ長時間やり続けられるものである。

 私ならストレスで頭がおかしくなるかもしれない。夢も目標もないまま走らされるなんて拷問だろうし、そういう意味でもまふゆが心配になった。

 

 

(それにしても……長いこと、描いちゃったな)

 

 

 ぐいっと体を伸ばせば、バキバキと小気味の良い音が聞こえる。

 

 私が最後に時計を見たのは、まふゆが部屋に戻った時間だから8時だったはず。

 今は12時なので、そこから4時間、休むことなく絵を描いてしまっていたようだ。

 

 我ながら時間の感覚がおかしいなと笑いながら、スーパーで適当に買ったおにぎりを取り出す。

 おにぎり1つがご飯は少ないんじゃないかと普段なら思うが、こっちはセカイから出ていない引き籠りである。特に問題はない。

 

 

「ミク、そわそわしてどうしたの?」

 

「絵名が描いてるもの、見てみたい」

 

「面白いのは描いてないけど……それでもいいなら見る?」

 

「うん」

 

 

 小さく頷いたミクは私の隣に座り、スケッチブックを覗き込む。

 

 ニーゴ用の絵でもなければバイトやSNSでも使わない予定の少女の絵は、完全に個人用ということもあってか、塾に行く前のまふゆに酷いダメ押しを受けていた。

 

 線が歪んでいるように見えるやら、ぐちゃっとしていて何を描きたかったのかわからないとか。

 好き放題言われたのが腹が立ってしまって、絵を描き直していたのだ。

 

 そして気が付いたら8時から12時と瞬間移動したかのような時間が過ぎていた。

 どれだけ集中していたらそんなことになるのか、我ながらビックリである。

 

 

「この絵の子、2つの顔があるの?」

 

「うん、そういう風にしてる」

 

「なんだか、まふゆみたい」

 

「そうねぇ……まふゆにも誰にでも、当てはまるんじゃない?」

 

 

 笑顔を見せている少女の顔にガラスを割ったような亀裂が半分入っている。

 割れた部分から見える少女の顔は全く笑っておらず、昏い目で涙を流している絵。

 

 表の顔と裏の顔。

 人に見せている外向けの顔と、人に見せれない裏向けの顔。

 

 少し前の私も自分のことで悩んでいたけれど、この手の悩みは結構多いらしい。

 特に大学や仕事を辞めたのを機に、若い子が自分探しの為に海外に旅行することがある……なんて話を南雲先生から聞いたことがあった。

 

 世間でいう『自分探しの旅』と呼ばれるものを、大真面目にやるそうなのだ。

 外国を旅行すればきっと、探し求める自分を見つけられると信じて日本を飛び出し、特に自分を見つけたという話をすることなく、旅から帰ってくる。

 

 思い出はできた。しかし、自分は探せぬまま。

 

 何のための旅なんだろ、意味ないよねー、というのが先生の感想だった。

 

 そう考えると、自分を見つけるのは『環境を変える』という行動だけでは足りないのかもしれない。

 表面上の人との関係でもまた、自分を見つけてもらうことは叶わないだろう。

 

 『自分らしさなんて、その人が外向けで見せている顔が他人にとってのあなたらしさだ』という言葉もあるぐらいだ。

 自分という存在ほど、難しいテーマはない。

 

 

「ミクは変だと思うところはない?」

 

「目」

 

「目?」

 

「わたしと同じで色が違うね」

 

「あー、確かに」

 

 

 少女の絵はミクとは配色が違うものの、オッドアイだった。

 

 基本的には暖色を使って統一感を出しつつ、笑っている目も温かみのあるオレンジを使っている。

 反対に割れた顔の部分は寒色で差をつけて、今にも消えそうな薄い青を地にして濃い青が中心で渦巻くように塗り重ねたのだ。

 

 表と裏を意識した結果なのだけど、確かにミクに似ている要素だろう。

 

 

「その絵はどうするの?」

 

「これ? まふゆに見せたら終わりかな。今度は文句を言わせないわ」

 

「ふふ。絵名はまふゆも皆も、すごく大切に思ってるんだね」

 

 

 どこからそんな話になったのか、ミクの方を見ればどこか嬉しそうに僅かに口角を上げた。

 ストレートで来ると思ったら、とんでもないカーブを見せられたような。

 

 口を金魚のように動かすことしかできない私に、ミクは更に言葉を重ねる。

 

 

「その大切の中に、絵名も入るようになるといいね」

 

「本当……ミクも、よく見てるわね」

 

 

 そういうところは『まふゆの想いから創られたセカイ』の住人だからなのかもしれない。

 バレたくないことだけはバレないように祈りつつ、私は苦笑する。

 

 

「私はこのまま、絵を完成させるつもりだけど……ミクはどうする?」

 

「少し探検してくる」

 

「そう。いってらっしゃい」

 

「うん」

 

 

 ふらり、ふらり。

 何もなさそうな場所で何かを探す旅に出たミクを見送って、私は再び絵に向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 納得いく絵に仕上がったと思う。

 

 心の中の雪平先生から酷評を貰いそうなところも修正したし、色使いも個人的には上手くできた。

 

 そろそろ、大きなコンクールの受賞者にも題材によっては負けない自信がついてきたけど、油断は禁物か。

 まだまだ先生達から教えてもらう立場から抜け出せていないので、もっと成長しなくては。

 

 そんなことを考えていると、私の視界の範囲で光が生まれた。

 どうやらまふゆがセカイにやって来たようだ。時間も9時だし、塾以外にも色々と忙しかったのかもしれない。

 

 まふゆが来たのが嬉しいのか、ミクが小走りで光の下へと向かう。

 私は面倒なので、三角形のオブジェを背凭れにして座ったまま、まふゆの方へと目だけを向けた。

 

 

「ミク……と、絵名」

 

「いらっしゃい、まふゆ」

 

「私はおまけなのね……おかえり、まふゆ。お疲れさま」

 

 

 明らかに私がいたことを意識していなさそうなまふゆに、こっそりとため息。

 

 

(どうせミクと遊ぶだろうし、勉強しようかな)

 

 

 そう思っても視線を下に向けたはずなのに、何故か私の視界から紫と白色の髪の毛が消えてくれない。

 

 態々2人で近づいて、揃って座らなくてもいいだろうに。

 似たようなぼんやり顔を並べる彼女らを半目で睨んだ。

 

 

「2人揃って何?」

 

「絵名にも曲を聞いてもらおうと思って」

 

「曲って、Kと作ったの?」

 

「ううん、私1人で作った。Kと作っても見つからなかったから、これからは1人で作って、1人で見つけるつもり」

 

 

 やはり、私の予想は正しかったらしい。

 ニーゴに、Kに見切りをつけたのか、とうとうまふゆは動き出してしまった。

 

 

「1人で作れば、まふゆの探し物は見つかるの?」

 

「さぁ……わからない」

 

「私は1人で探してみたけど、今まで見つかってないわよ」

 

「でも、あそこに1年いても何も見つからなかった」

 

「そっか。何も見つからなかった、ね」

 

 

 まふゆの言う通りならば、私がやってきたことは本当にただの迷惑だったのだろう。

 少しでも友達の助けになりたいと思っていたのに、その結果は彼女を追い込む手助けをしていたと。オウンゴールの立役者なんて笑えない冗談だ。

 

 

 ……友達を作ると人間強度が下がるとか、そういう話はAmiaの付き合いで見たアニメに出てくる言葉だったか。

 

 私がやってきたことはただ、まふゆの精神的な耐性を弱らせただけ。

 爆発しそうな時限爆弾のカウントダウンを早めただけだった……と。

 

 

「じゃあ、いけるところまで行ってみれば?」

 

「言われなくてもそのつもりだよ」

 

「あっそ」

 

「……ねぇ、2人とも。曲は聞かないの?」

 

 

 ミクの言葉のおかげで、私のブレーキは間に合った。

 

 ……そうだ、今のまふゆには逃げる場所が殆どないのだ。

 その逃げ先であるセカイで居候している身で、彼女を責めるような言葉は使わない方がいい。

 

 

(せめて1人、いや、あと2人ぐらいは味方になってくれる人がいないと。私が対立したって思われたら、拠り所を無くしたまふゆの行動が読めないし)

 

 

 こっちはフラストレーションを抑えて、まふゆと向き合っているのだ。

 絶対に諦めてやらないから、今は1人で曲を作る猶予を楽しみにしていればいい。

 

 ミクの話が正しければ、私の作戦は通用するはず。

 まふゆの本筋の邪魔をするつもりはないが、全ての出来事を思い通りにさせるつもりもない。

 

 首を洗って待っていろ。油断していて欲しいので、直接言わないけれども。

 

 

(それにしても、胸に直接刺してくるような激しい曲ね)

 

 

 考え事をしている間にまふゆが作ったという曲が聞こえてきた。

 私は音楽のことについて詳しくないので、音が〜とかそういう話は全くわからない。

 

 しかし、これが作り始めて1年ぐらいの人の作品だと思えないぐらいには、完成されているのだけはわかる。

 

 

(あーあ。これだから才能があるって奴は)

 

 

 兎と亀みたいに(天才)は寝てたらいいのに、そういう人達に限ってエンジンを搭載して、こっちの努力を飛ばしてくるのだから笑えない。

 

 全員がエンジンを付ければ良いかと言われたら、そうでもないのだろうけど。

 その先が崖だろうが壁だろうが、止まらずに突き進むのがその人にとっての良いことかなんて、私にも断言できないのだから。

 

 

(私も作れと言った手前、強く言えないけど……1人の状態で潰れたら、探し出せないかもしれないのにね)

 

 

 何のために人には言葉があって、口があるのか。

 彼女は今日も、その意味を忘れてしまったように肝心なことは何も教えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 ──それから、まふゆは『OWN』として曲を投稿するようになった。

 

 特に宣伝も何もされていない動画達は、その突き刺さるような音楽によって、瞬く間に人気が出てくる。

 

 知る人ぞ知る存在になってきたのが春休みが終わりそうな頃であり、私が動いたのもそのタイミングで。

 

 

(口があるのに何にも言えないおバカさんなんだから、こっちで代わりに投げかけるしかないじゃん)

 

 

 ──Amiaにああいう連絡をすれば、Kなら気がついてくれるだろう。

 

 情けない話だけど、私ではあいつの心を全く動かせなかったようだし、たぶん……Kが息をするためにも、まふゆのような『救えるかもしれない存在』が必要だろうから。

 

 

 できそうな人にまふゆを任せて、ミクに声をかけることが今の私の精一杯だった。

 

 

 





記憶喪失えななんも根っこは人に頼れないからおまいう状態だし、まふゆさんが記憶喪失えななんを見習ったら、1人で頑張るって結論に至るのは仕方がないんですよね……

(この小説では彰人君が電話してたり、モモジャンが動画見てたりしてることから『セカイではネットが繋がる』という捏造設定を採用しています)



《side.Amia》


「あれ、えななんからDM来てる……何でナイトコードじゃないんだろ?」


 ふと画面を見れば、えななんから用事があるという連絡が来ていた。
 それに返信すれば、すぐに文章と動画のURLが送られてくる。


「『この動画を見てほしいの。できれば、Kにも教えてくれたら嬉しいな。紹介者は匿名で』ねぇ……うーん、これはピピーンと来たね」


 名探偵☆瑞希ちゃんの灰色の脳細胞に稲妻が走る! ──なんちゃって。
 これが漫画とかならば、えななんは今、自分の周りで大変なことが起きていて、このDMはSOSなのである。

 察しの良いボクはそれぐらい察するのは朝飯前だった。
 ……今のボク、オヤツも夕飯も食べた後なんだけどね。


(えななんとボクの仲だからねー。しょうがないからイイ感じに誤魔化しておいてあーげよっと)


 ちゃんとボクの方でも動くから──だから、さ。
 えななん、早くナイトコードに戻って来てね。



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44枚目 ニーゴ・エンカウント


あけましておめでとうございます!
今年もどうぞ、本作をよろしくお願いしますー!
(後書きに箸休めのオマケをつけてます)

ここからセカイが現れたことによって、ニーゴメンバーの呼び方が混乱しちゃう人もいるかもしれないので、まとめておきますね……

名前 ⇔ HN
絵名 ⇔えななん
まふゆ⇔ 雪
奏  ⇔ K
瑞希 ⇔ Amia



 

 

 ピクシェアからDMしてみたものの、Amiaは動いてくれるだろうか?

 少し不安に思いながらも、まぁ大丈夫かと思い直す。

 

 ミクも自分の考えでKに接触しているようだし、私が動かなくてもまふゆの為に行動してくれる人はいるのだ。

 ミクが接触する相手にKを選んだあたり、それだけまふゆにとってKは大切な存在なのだろう。

 

 Kの音楽が溺れるまふゆを掬い上げる鍵になる。

 

 何も知らないKにそんなことを押し付けるのもどうかと思うけど──代役をするには私では何もかも足りてないから。

 

 

(それに……現状維持を選ぶには、まふゆの状態があまりにも綱渡り過ぎる)

 

 

 高校2年生になって顔を出してきた進路の話で、まふゆは今まで受け流せていた言葉もストレスに感じているようだ。

 

 やりたいこと、なりたい夢、自分らしさ、期待。

 

 私の病院通い経歴と人間関係を鑑みた結果なのか、2年生もまふゆと同じBクラスになれたのは幸運だった。

 

 ……問題はその幸運を吹き飛ばすぐらい、まふゆがどんどん追い込まれている点か。

 同じクラスになった幸運を最大限に生かし、学校内でのことは頑張って手を伸ばしたのだ。

 

 だけど、手の届く範囲外である『家の中』まではガードすることが叶わず。

 学校で別れてセカイで合流する頃にはもう、まふゆの顔は酷いものになってしまっていた。

 

 私を追い出していない辺り、まだ消えるつもりはないんじゃないかと勝手に思っているのだが、最近のまふゆは更に読み難い。

 

 さて、これからどうしたものかなと考え込んでいると、珍しくまふゆが隣に座ってきた。

 

 

「ねぇ、絵名」

 

「何、どうしたの?」

 

「どうして、消えたらいけないの?」

 

 

 ……私はあまりにも呑気だったらしい。

 暗闇のような目が私の顔を映しているのが見えてしまって、吐き出した息を飲み込んだ。

 

 まだ慌てる時間ではない、落ち着け。

 こういう時こそ冷静に、言葉を選ばなきゃいけない。

 

 相手がドス黒いテンションなので、勤めて明るく。

 だけど茶化しているようには聞こえないように意識して、声を出した。

 

 

「一般論でいく? それとも自論?」

 

「絵名の言葉で聞きたい」

 

「そうね……私の場合はそれに見合った理由がないと消えれない、かな」

 

「見合った理由?」

 

「そ。でも、理由があってもまふゆには諦めないでほしいなって、個人的には思うんだけどね」

 

「どうして?」

 

「まふゆの消えるは、もう2度と会えなくなっちゃうでしょ。そうなったら私、寂しいし悲しいよ」

 

 

 真っすぐ目を見て話してみれば、今度はまふゆが息を飲む番で。

 ぷいと目を逸らして、まふゆはゆっくりと呟いた。

 

 

「……そんなの、私に関係ないから」

 

 

 その態度があまりにも申し訳なさそうで、言ってることと矛盾しているものだから、ふはっ、と私は思わず吹き出して笑ってしまった。

 

 案の定、何を笑ってるんだと言わんばかりに向けられる青色の視線。

 ごめんごめんと謝っても、25時を過ぎても、まふゆの機嫌は治ってくれず、ご機嫌をとるのに苦戦してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 あれからまふゆは25時を過ぎてもセカイに留まり、曲を作り続けた。

 

 どんどん量産される曲と、まふゆの心の傷。

 独りよがりで作ったところで探し物が見つかるかどうかなんてわからないのに、まふゆは苦しみながらも曲に全てをぶつけている。

 

 

「絵名、ここの部分の色、混ざってて汚く見えるよ」

 

「そこはわざと混ぜてるんだけど」

 

「じゃあ、この装飾は? ゴチャゴチャしてて邪魔」

 

「それも全部意味あるの!」

 

「そんなに必要なの? いらないと思うよ」

 

「うぐ……」

 

 

 後、私にもぶつけられてる。

 今日もドス黒いオーラを発しながら世界に来て、まふゆは無防備な私に口撃を仕掛けてくるのだ。

 

 雪平先生のところに行くのを自主的にお休みしていたから、油断していた。

 優等生モードならともかく、普段のまふゆの感想は真っ直ぐで絵をよく見ているのだ。

 

 自信のある部分は良いと思うと言われて、ちょっとでも迷ったところは最後、鬼の首でも取ったかのように今日もドカドカと責められる。

 

 正論パンチに感情が昂ってボーダーを飛び越えて、とうとう私の目から水滴がこぼれ落ちた。

 

 

「絵名、泣いてる……?」

 

「違う、これは汗よ。心の汗」

 

「絵名って打たれ弱いんだね」

 

「くっ……弱くて悪かったわね!」

 

「ううん。絵名はそういうのに強いイメージがあったから」

 

 

 動画の酷評も自分から見に行って、学校でも東雲さんへの悪口を言われていても、ノーダメージ。

 まるで何も感じない自分のように、東雲絵名という少女はそういうことに対して強い。

 

 ──というのが、まふゆのイメージだったらしい。

 

 まぁ確かに、そう見えるかもしれないけど。

 

 自分への悪口とかに強いのも、単に興味がないから、何を言われても何とも感じないだけ。

 共感性のない人間に相手の気持ちを想像できない……という状態に、偶然なっているのだ。

 

 ただ、絵の評価はその限りではない。

 興味だってあるし、雪平先生によく泣かされるし、落ち込むことだってある。

 

 スランプの時なんて、どうして自分は絵を描き続けてるんだろうって純粋に疑問に思っていたし。

 彰人の前で筆を折って絵の具を捨てようとご乱心して、止められた時もあったし。

 

 

「……それでも絵名は描き続けるんだ。やめようとは思わないの? そんなの、描き続けたって辛いだけでしょ」

 

「はぁ? そんなの、何回も──」

 

 

 何回、も……?

 

 あれ、そういえば、絵を描くのをやめてやるって言ったこと、あったっけ?

 

 筆を折って絵の具を捨てて彰人に「やめてやるぞ」とご乱心した時も、結局やめるって言う前に心変わりしたし。

 言われてみれば、やめようと言ったことはないような。

 

 頭の中で記憶を漁っても出てこない思い出に、背中に嫌な汗が流れるような気がする。

 

 涙もいつの間にか引っ込んでいて、まふゆに声をかけられるまで嫌な思考がぐるぐると回っていた。

 

 

「どうして絵名は、苦しくても悲しくても、絵を描こうとするの?」

 

「どうしてって……それは楽しいし、好きだからよ。苦しくても泣いちゃっても、結局そこに戻ってくるからやめられないんでしょうね」

 

「ふぅん、そうなんだ」

 

 

 まふゆを説き伏せたものの、私の心臓の音は違和感を主張するように、嫌に響いて聞こえてくる。

 何かがおかしいぞと警鐘が鳴っているのに、何がおかしいのかわからない。

 

 

 

 ──いや、今は私のことよりもまふゆのことだ。

 

 違和感を投げ捨て、私はまふゆの様子を窺う。

 こちらを見ているまふゆの目はガラス玉のように空虚で、その底はまだまだ暗く感じる。

 

 私が乱れただけで、まふゆに変化はなし。

 今の話題を続けたくないので、私は無理矢理話題を変える。

 

 

「まふゆ、そろそろナイトコードから消えて1週間経つらしいけど、もしかして黙っていなくなったの?」

 

「そうだけど……どうして絵名がそんなの気にしてるの?」

 

「AmiaやKから雪の安否を確認する連絡が来てるから」

 

「……面倒だね」

 

「だからちゃんと宣言しなさいって言ってんのよ」

 

 

 バイトであれ何であれ、無断欠勤は面倒ごとの元。

 

 仕事場ならまだ蒸発やら高飛びやら色々と好きに噂されるだけだろうが、親しき仲でそんなことをされたら相手に心配をかけてしまう。

 

 だから私は最初から色々と根回しをしたのだが……まふゆは黙って休んでしまったらしい。

 

 もう、ナイトコードにログインするつもりはないのだろう。

 関係のない相手。だから気を遣う必要はない……と。

 

 

「あんた、身元整理してるみたいね」

 

「そうだね」

 

「1人で頑張ってみても見つからなかったんだ? だから言ったのにね」

 

「絵名に何がわかるの?」

 

「私にも誰にも、あんたのことがわかるわけないじゃん。何のためにあんたには口があって、言葉があるのよ。抱えきれないぐらい辛いのなら、吐き出すしかないでしょうに」

 

 

 待ちに待っていた視界の向こうに映った人影に、私は不敵に笑ってみせた。

 

 

「例えば、向こう側──ミクの隣にいる2人にも話を聞いてみたら、あんたを見つけてくれるかもよ?」

 

 

 ──その相手は、あんたを救ってくれるであろう人だから。

 

 腰まで伸びた長めの白髪の少女とピンクがかった白の髪が綺麗な子、ミクが3人揃って歩いてくる。

 どうやらミクは2人をここに連れてくることに成功したらしい。

 

 私の言葉で振り返ったまふゆが、KとAmiaらしい子を視界に収めると、淡々とした声で問いかけた。

 

 

「ミク──どうしてここに招いていない人がいるの?」

 

「雪?」

 

 

 問いかけるまふゆの声に、Kが反応した。

 それによって、Amiaっぽい子も声を出す。

 

 

「その声……言われてみれば確かに、雪っぽいかも?」

 

 

 聞き覚えのある声といい、少し記憶に引っかかりそうな見た目といい、相手はAmiaで間違いなさそうだ。

 

 私が頭の中で答え合わせをしている間に、まふゆも答えに辿り着く。

 

 

「その声はKとAmia?」

 

「うん、そうだよ。よかったぁ、無事だったんだね、雪! 連絡取れないから心配だったんだ!」

 

 

 Amiaは暗い顔のまふゆに「ずっとここにいたの?」とか「帰り方がわからなかったの?」とか、明るく問いかけている。

 それはAmiaの優しさなのだろうけど……今のまふゆにはあまりにも悪手だった。

 

 

「うるさい……勝手にこのセカイに来ないで。私がここに連れてきたのは絵名だけだよ。あなた達は呼んでない。私は1人で作るから、あなた達と一緒にいるつもりなんてないのに」

 

「1人で……って」

 

「えっと、一緒にいるつもりがないってことは……じゃあ、もうボク達と一緒に曲を作る気はないってこと?」

 

「そう。何度も言わせないで」

 

 

 Kが何かを悟ったように呟き、Amiaは確信を得るために問いかける。

 虚な目を向けたまふゆはこくりと頷き、Amiaの言葉を肯定した。

 

 

 

「……あー、その。そんな急に言われてもさ。奏もびっくりしてるし……って、奏?」

 

「──じゃあ、雪はえななんと一緒にOWNとして曲を作っていきたいの?」

 

 

 心の中でガッツポーズ。スタンディング・オベーションだ。

 Amiaはちゃんと仕事したらしく、私が気がついて欲しいことにKはちゃんと気がついてくれた。

 

 ただ、Kの勘違いポイントはまふゆの曲作りに、私は全く関係ないってこと。

 私は場違いなのだ……申し訳ないことに。

 

 その証拠に、真っ暗オーラを放っていたまふゆの気配が薄くなって、まふゆは何言ってるんだと言わんばかりに小首を傾げた。

 

 

「仮にえななんと作っているとしても……私がOWNだと思う根拠は?」

 

「根拠はないよ。でも、曲を聞いててこれは雪が作ったんだって気がついた。使ってる絵もえななんのだよね」

 

「うん、OWNについては正解だよ。だけど……サムネのことなら、ここで隠れてもらってるえななんの絵を借りてるだけで、一緒には作ってないよ」

 

 

 そう、その通り。

 私が暇潰しに描いている絵を見て、まふゆは隣で文句を言いながら「サムネに使うね」と絵を借りているのである。

 

 なので、私はまふゆの曲用の絵は描いてないし、まふゆもそれを承知で使っていた。

 

 

「隠れてもらってる……って、どういうことなのさ。もしかして、えななんがナイトコードに来なかった理由って」

 

「Amiaも察しがいいね。えななんにはずっとここにいてもらってたんだ。どうせ、ニーゴにいても足りなかったから。えななんだってあそこにいても意味ないもの」

 

「足りなかったとか、意味ないって……」

 

 

 Kは呟きながら、困惑を隠せない様子でまふゆと私を交互に見る。

 

 いや、私は意味ないとか足りないとか、思っていないから。

 別の理由でここにいますと首を横に振っていると、Kは困惑しながらまふゆの方へと向いた。

 

 

(……自分が見つからなくて苦しいんなら、いっそのこと言ってみなさいよ。ここに長時間いても吐き出さなかった、自分の内心をさ)

 

 

 まふゆとKは同系統の色の目で見つめあっている。

 まふゆが求めているのはKの曲だっていうのは、ここで過ごすだけで痛いぐらいにわかるのだ。

 

 

 だからこそ──私を隠したって自分は見つからないんだとわかるまで、全部吐き出してしまえばいい。

 

 





☆記憶喪失えななん勘違いポイント
まふゆさんから経緯を聞き出せてないので、えななんは未だに自分がセカイに隠された理由は『まふゆさんの自分探しの一環』だと思っています。
これも全ては自己評価が低いせいで、まふゆさんの矢印の大きさがうまく認識できてないせいなんですけど……




《オマケ》

 ──これはまだ、K達がセカイに現れる前の話。
 私がお母さんを躱してUntitledを再生し、セカイにやってくると、絵名とミクがしゃがんできゃいきゃいと盛り上がっていた。


「2人揃って何してるの……?」

「まふゆ、おかえり。何って言われても、オムライス使ってるんだけど」

「いらっしゃい、まふゆ。このオムライス、小さくてかわいいよ」


 卓上コンロにお玉を添えて、その中に卵を入れてくるくるーっと混ぜながら、絵名がオムレツを作っている。
 それをあらかじめ用意していたケチャップ味らしい俵おにぎりの上に乗せ、中心を包丁で割れば、とろとろとした卵が現れた。

 ……絵名は随分と器用らしい。
 心なしかミクの目もキラキラと輝いているし、卓上コンロを準備してまでセカイで料理をするものなのかとツッコミ難い。


「はい、これミクの分ね」

「……! うん」


 『ミク』とケチャップで書かれた小さなオムライスを、ミクは嬉しそうに受け取る。
 ……よくわからないけど、あのオムライスがとても美味しく見えてきた。

 じぃっとミクのオムライスを見ていると、何故か絵名が吹き出したように笑う。


「ふふ、まふゆも欲しいの? 作るから待っててね」

「……うん」


 卓上コンロを使っているせいなのか、胸が少し暖かくなった気がした。



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45枚目 取捨・選択


今回も後書きにまふゆさん視点があります。
(まふママが登場してますが)


 

 

 Kを見ていたまふゆはいつもより数倍暗い無表情のまま、口を開く。

 

 

「初めてKの曲を聴いた時は少しだけ、救われたような気がしたの。だから、Kのそばで探せば、見つかるかもしれないって思ってた……でも、それじゃ足りなかった。1年経っても見つけられなかった」

 

「……雪」

 

「私にはもう、K達に付き合うような時間は残されてない。K達とやって見つからないのなら……自分で見つけるしかないんだよ」

 

 

 このまま話が続くのかと思いきや、ほんの少しだけ語ったまふゆはミクに「KとAmiaを追い出して」と会話をシャットアウトしてしまった。

 

 いや、もう少し話すことがあるでしょうに。

 

 ミクが言葉を尽くして説得しようとしても、聞く耳を持たず。

 ……まふゆにそのつもりがないのなら、2人を帰してしまう前に私が2人にお願いしよう。

 

 

「ミク、ちょっと待って。私も2人に話が──」

 

「絵名は黙ってて」

 

「!?」

 

 

 お願いする間もなく、背後を取ってきたまふゆによって、ペシーンと顔を叩く勢いで口を塞がれてしまった。

 

 鼻も痛いし、上唇も痛い。鈍い痛みに私の目尻から生理的な涙が溢れたのがわかった。

 まふゆによる突然の暴力と、それに涙を流す私を見たAmiaは素っ頓狂な声で抗議する。

 

 

「えぇ!? ちょっと雪、急にえななんを叩いて口封じするなんて……やっぱり変だよ! 一度話し合った方がいいって!」

 

「変? 私が変なら、2人だって変でしょ? だって本当は……私もえななんも、KもAmiaだって──誰よりも消えたがってるくせに」

 

 

 私が顔面平手打ちの痛みに悶絶している間にも、まふゆは堂々と全員の地雷を踏み荒らしていく。

 

 ……このままだと、まふゆのことを止めて欲しいとお願いできる状態ではなくなってしまう。

 

 共倒れをするわけにはいかないと脱出を試みるものの、どこにそんな力があるのか、まふゆの手はびくともしなかった。

 私がジタバタしている間にも、まふゆはAmiaに声をかける。

 

 

「──それなのに、どうして私だけが変だなんて言えるの?」

 

「ねぇ、雪。ホントにどうしちゃったの? ボクが消えたいとか、どういうことかな。ボクは毎日がすっごく楽しいし、消えたいと思ったことなんて……」

 

「いいよ、そういうの。Amiaはいつも楽しそうにしてるけど、私が言ってる意味ぐらい、わかってるんでしょ?」

 

「…………へぇ?」

 

 

 ナイトコードで1度も聞いたことがないAmiaの低い声が、静かなセカイに響く。

 1番リカバリー能力の高そうなAmiaまでドカンと踏み抜かれて、本格的に余裕がなくなってきた。

 

 

(やばいやばい! 馬鹿力だけど、ちょーっと口を押さえてるだけなんだから、こんなの私が大きく暴れたら……!)

 

「絵名、2人がここに来て嬉しいの? でも、いい子だからおとなしくしてね」

 

「っ!?」

 

 

 まふゆは私に囁きつつも、器用に片手で口を塞ぎ、もう片方の腕を首を絞めれそうな位置へと回す。

 

 少しでも動けば苦しくなってしまうような、絶妙な位置。

 頭には豊満な胸が押しつけられているし、誰かにとってはご褒美ですと喜びそうなシチュエーションだが……今の私はそれどころではないのだ。

 

 KもAmiaも、やっとセカイに来てくれたのだ。チャンスはそう多くない。

 だからこそ早く抜け出さないと、まふゆの思惑通りになってしまうのに!

 

 

(あぁもう、このバカまふゆ! 早く離してよ!)

 

 

 私が抜け出そうと四苦八苦している間にも、Amiaがミクによってセカイから追い出される。

 その後、Kもミクに追い出されて、腕から解放された頃には私とまふゆ、ミクの3人だけしか残っていなかった。

 

 ……結局、私は何のためにセカイにいたのかもわからなければ、ただ、まふゆの腕の中でジタバタ暴れていただけの女になったと。

 

 いくら何でもこれは酷い。

 顔面平手打ちも含めて文句を言わないと気が済まなくて、私は振り返って不届き者をキッと睨みつける。

 

 

「まふゆ、あんたどういうつもりよ!?」

 

「どうせ何もできない相手なんだから、声をかける必要なんてないよ」

 

「それはあんただけで、私にはあるの! なのに勝手に追い出しちゃってさぁ!」

 

「……話さなくていい。どうせ期待したって、もっと辛くなるだけよ」

 

 

 口ではとんでもないことを言ってるのに、手は弱々しく袖を握ってくるだけなのだから、堪らない。

 吐き出しそうになった言葉を飲み込んで、咀嚼して。できる限り柔らかくしてから言葉にした。

 

 

「この理不尽大王め……そっちの言い分はわかったけど、私も同じ意見だと思わないでよね」

 

 

 さっきまでの何も感じてなさそうな顔じゃなくて、見ただけでわかるぐらい苦しそうに眉を潜めている顔。

 そんなのを見てしまうと強く当たることもできなくて、私は仕方なく振り下ろしかけた手を下ろす。

 

 が、1つだけ、どうしても言いたいことがある。

 

 

「後、黙殺するのに平手打ちはないと思うんだけど?」

 

「……忘れてた課題があったから、勉強しに戻るね」

 

「あ、こらっ。都合が悪くなったからって逃げんな!」

 

 

 せめて謝罪ぐらいはしていけと詰め寄ってみるものの、さらりとこちらの手を躱し、まふゆは逃げてしまった。

 

 

「よしよし?」

 

「ありがとう、ミク」

 

 

 ──この日、最後の最後までセカイに残されたのは、ガックリと膝をつく私と、私の頭を撫でてくれた優しいミクだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから7日が過ぎてしまい、何とかまふゆが部活でいない時間を確保できたものの、私はKと連絡を取れずにいた。

 

 ピクシェアもナイトコードも全部送ってみたものの、反応はゼロ。

 唯一連絡が取れたのがAmiaだけで、それでも約束できたのは今日という短い時間のみ。

 

 まふゆを救えるとしたらKの曲しかないと思っていたのに、Kとはあの日から全く連絡が取れない。

 

 

(K、どうしたんだろ。もしかして折れちゃったとか? ううん、そんなわけないよね。そんなわけ、ないって思いたいけど……)

 

 

 まふゆを深い水底から掬い上げられるのはKしかいないのに、嫌な想像だけが頭の中に広がっていく。

 

 まふゆが自分から動いて反応したように見えたのはKの曲であり、その他のことついては『何も見つからなかった』と言っていた。

 結局、私がやってきたことはまふゆにとって、余計なお世話だったのだろう。まふゆに必要なのはKの曲であり、それ以外は必要なかった。

 

 それをもっと早く認めていれば良かったのに、今の今まで1人で頑張ろうとして、私もまふゆに偉そうに言えるような立場ではなかったのである。

 

 

「1人でも止めれると思いあがって無駄に動いて……今までの行動とかも、意味がなかったのかな」

 

「──そう? ボクはそんなことないと思うけどね」

 

 

 そんな言葉と共に、小さく「やっほっほ~」と手を振りながら隣に座ってきたのは、待ち人であるAmiaだった。

 流れるように私の隣を占領したAmiaは、鞄から2本の飲み物を取り出し、片方を私に差し出す。

 

 

「どんよりえななんの為に、気の利くボクが買ってきたよ~」

 

「なにこれ……『飲むチーズケーキ』?」

 

「うん、チーズケーキのドリンク。好きでしょ?」

 

「確かにチーズケーキは好きだけど、飲むほどまでじゃないというか……いや、先にお礼よね。ありがとう」

 

「うんうん、存分に感謝したまえ~」

 

「は? 調子乗んなっての」

 

 

 両手を腰に当てて胸を張るAmiaをジト目で睨み付けると、相手は何が面白いのか笑い出した。

 

 

「うん。そういう強気な態度の方が、えななんらしいってボクは思うな」

 

「私らしいって、今はそんなにらしくないわけ?」

 

「ボクにとってのキミは、困ってた時に強引に手を引っ張ってくれて……「好きを貫け、甘えたことを言ってたらグーパンチだぞ~」って言うぐらい、強引な子だからねぇ」

 

「……大事な記憶の容量を何年も昔の、それも数時間程度のことに使っちゃうとか。そういうところ、ほんっとーにバカね」

 

「はは。それはお互い様じゃない?」

 

 

 無視していた既視感が、記憶を無くしてから初めて迎えたあの夏の日と重なる。

 世の中に絶望しきっていたようなリボンの子は今、悪戯っぽく笑っていて私の横に座っていた。

 

 

「ねぇ、えななん。雪は本当に消えたいと思ってるの?」

 

「違うと思う。自分が見つからないなら、消えるしかないってここ1ヶ月ぐらいで慌て始めたみたいだし……この意見はミクも同じだって」

 

「消えたくないと思ってるって感想は同じねぇ。えななん、1つ確認してもいい?」

 

 

 私の話を聞いた瞬間、Amiaが片手をあげた状態で人差し指を1本だけ立てた。

 

 

 

「雪がえななんをこのセカイに連れてきた理由って、えななん自身を隠す為……なんだよね?」

 

「らしいわね」

 

「ボク、雪がいなくなっちゃった日に雪と雪のお母さんとの話を聞いたんだけどさ……勉強できない友達とは付き合うな〜みたいな、自分の価値観をナチュラルに押し付けるような感じに聞こえたんだよね」

 

「は?」

 

「もしかしたら雪、えななんと遊ぶなとか、それに近いことを雪のお母さんに言われたんじゃないかな?」

 

 

 冷や水をかけられたみたいに冷たくなる心臓。

 嫌な想像に逃げ出しそうな自分を押さえつけて、私は必死に頭を回す。

 

 

「あいつが私を隠した理由は自分探しの為じゃなくて、じぶんの母親に見つからないようにする為だったってこと?」

 

「たぶんね。雪にとってのえななんは、切り捨てたくない友達だった。だから、見つけられない場所──セカイにえななんを隠したんだ。でも、それじゃあ問題は解決しなかった。当然だよね、根本的な原因である雪のお母さんの考えは変わってないんだから」

 

「お母さんは変えられない。だから、急いで自分を変えようとした。『自分がわからないまふゆ』から、『自分がわかるまふゆ』に変わらなくちゃいけないから、時間がなかった……ってことね」

 

 

 人間関係の相談をした時に『他人を変えたければまずは自分から変わろう』なんて、無責任なことを言う奴がいるけれど。

 もしかして、まふゆはそれを馬鹿正直に実行しようとして、私をセカイに隠して、自分を探そうと必死になっていたのだろうか。

 

 なら、私がやらなきゃいけなかったのは、彼女を肯定して寄り添うのではなくて──もっと根本的な、私が本来、実行しようとしていたこと。

 何があってもそばにいると、味方だと手を伸ばすことだったのだ。

 

 

「ねぇ、Amia。Kが再び、セカイに来るように説得することってできる?」

 

「あー、どうだろ。頑張ればKなら話を聞いてくれそうだけど……肝心な雪から、ボク達は拒絶されてるよね?」

 

「そこは私がなんとかする」

 

「……あっ。でも、ボクの方も約束を守ってもらってないしなー。再会できたら名前、教えてくれるって言ってたのになー」

 

「今、それを言うの? ……あんたならあの炎上とか、流出写真も見てそうなのにね」

 

「それとこれとは話が別かなぁ」

 

(つまり、知っていると)

 

 

 思わずジト目でAmiaの顔を見ると、相手はいい笑顔を寄越してきた。

 腹が立つぐらいニッコリ笑っているとはいえ、約束は約束だ。

 

 

「じゃあ改めて……えななんこと、東雲絵名よ」

 

「ボクの名前は暁山瑞希、瑞希って呼んでよ。改めて、よろしくね」

 

「うん、Kの方も含めてよろしくね」

 

「うわー。しれっとお願いしてくるなんて、ズルっ子なんだ〜」

 

「うっさいわねぇ……こっちは今から家までダッシュしなきゃいけないんだから、分担よ、分担!」

 

 

 まふゆとの約束を反故にする形になるけれど、終止符を打つ為だ。今日ぐらいは約束を破らせてもらおう。

 

 

「ということは、作戦はすでにあるってコト?」

 

「ええ、当たって粉砕よ」

 

「いや、粉砕したらダメじゃん」

 

「「あははっ」」

 

 

 久しぶりに声を出して笑った私は、Amiaと別れてからスマホを操作してUntitledを停止する。

 

 

(仮に予想が外れてたとしても、瑞希もKもいるし、大丈夫。頑張ろう)

 

 

 まふゆが家に帰って、セカイに行ってしまう前に、私は家に向かって走り出した。

 





瑞希さんカワイイやったー!
はい、瑞希さんの頼もしさがすごいですね。安心しちゃいます。

さて、メインストーリーでかなーり問題の場面をどうぞ……


《side.まふゆ》


 家に帰ると、私の部屋にあったはずのシンセサイザーが玄関付近に置かれていた。


「どうして、私のシンセサイザーがここに?」

「さっき、まふゆの部屋を掃除してたら見つけたのよ。使わないのに部屋にあっても邪魔でしょう? 明日回収してもらうから」


 とても良いことをしているかのように、お母さんは微笑む。
 勝手にいらないと決めつけて、勝手に部屋のものを捨てていく。


「……なんで、使わないって言うの?」

「え? だって、お医者さんを目指して毎日、勉強を頑張っているまふゆには、こんなものは必要ないでしょう?」

「……っ。その、勉強の息抜きで触ってたんだよね。それに、音楽の勉強は将来にきっと役に立つと思うんだ。だから、捨てないで別の場所に置くとかじゃ……ダメかな?」


 嫌だ、嫌なの。だから、お願い。
 そう祈っても、糸の先には全く響かない。


「ねぇ、まふゆ。よく聞いて、後悔しないように考えてね?」

「ぁっ……」

「まふゆは今、大事な時期でしょう。なら、今は誘惑しそうなものは断ち切らなきゃ」

「……でも」

「ねぇ、これはまふゆの為なのよ」

「……」

「まふゆなら、お母さんの言ってること……わかってくれるわよね?」

「……うん」


 お母さんの全く悪気のない微笑みに、ふと、文化祭の時に見ていた絵を思い出した。

 東雲絵名というネームプレートが吊るされた1つの作品。
 大事そうに少女が抱えている箱に、無数の手が伸びてきて、箱の中身を勝手に持って行ったり、中にモノを入れたりする絵が記憶に蘇る。



 ──まふゆはもう中学生だもの。兎のぬいぐるみなんて必要ないわよね。
 ──絵本も子供向けだから小学生になったし卒業しましょう? お母さんが捨てておいてあげる。
 ──まふゆはお医者さんになるんだものね、参考書は必要でしょう?
 ──まふゆにはこの腕時計とかどうかしら?



 絵名に貰った2つのぬいぐるみも捨てられて、今はシンセサイザーも必要ないと捨てられそうで。


 絵名がどういうつもりで描いたのかわからなかったけど、まるで私を描いてるみたいで目が離せなかった絵と、今の自分がピッタリ重なったような気がした。


「じゃあ、お母さん出かけてくるから。お留守番お願いね」

「……いってらっしゃい。お母さん」


 ……ねぇ、お母さん。

 お母さんはいらないって言うけれど、今まで捨てたものは本当に全部いらないものなのかな?
 ぬいぐるみだけじゃ足りなくて、私から音楽(シンセサイザー)も奪って、最後には友達すらも切り捨てられてしまったら……私に残るのは何?

 勝手に決められて、勝手に判断されて、勝手に追加されて、勝手に捨てられて。
 私の為になる、私を想ってくれる愛情によって……壊されて、砕かれて、踏み躙られる。

 ──私が捨てられていく。

 見つからないし、何も変えれないし、何をしても意味がないというのなら──私は。


「もう、いいかな……」


 私はもう、頑張らなくてもいいよね。
 私、理由ができるぐらい頑張ったよ。頑張ったのに……なのに。

 これ以上、捨てられるぐらいなら── 大切なモノが増えてしまう前に……消えたいよ。




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46枚目 今までの成果、これからの呪い


高校1年の時から、少しずつ準備してきた1つの手札。
あいつを守る壁としては、あまりにも頼りないのだけど。
それでも、束の間の休息を守る盾としてなら使えると──そう信じたいのだ。




 

 

 まふゆの母親がどういう性格なのかは大体予想していたので、私もその対策をしよう……とは思っていた。

 だが、努力で殴る天才様を下剋上するには数ヶ月程度では足りなくて、結局、目標である『追い抜かす』ことまではできなかった。

 

 

 だから何もできない、できることはないと言い訳していたのだが……そんな情けない思考はもう、やめだ。

 

 

 瑞希に『らしくない』と発破をかけてもらって動かないほど、私は臆病ではない。

 

 あばらが痛くても、肺が悲鳴を上げても、周りに奇異の視線を向けられても、お構いなしに家に向かって走って、扉を開く。

 幸いなことに家には誰もおらず、私は自分の部屋をひっくり返すように隠していたブツを取り出し、家の裏手で曲を再生した。

 

 

(よし、まふゆはいない。ミクもいないのが気になるけど……間に合ったみたいね)

 

 

 ゲホゲホと、酸素を求めて下手な呼吸をする己の息を整えること、数分。

 風もお構いなしに走ったせいで広がってしまった髪も整えたし、約束を破ってしまったのはすぐにはバレないはず。

 

 ──そうこうしている間に、セカイに光が現れる。

 

 光からは見慣れた紫が現れ、声をかけようとしたのだが──その顔は明らかに今までよりも酷いものだった。

 

 何の光も通さぬような生気のない目。表情筋が仕事を放棄しているのはいつも通りであるものの、いつもの3段階ぐらい真っ暗な雰囲気だ。

 虚な目が私を映し、地を這うような声がセカイに響く。

 

 

「あぁ……絵名はまだ、いてくれたんだ」

 

 

 いつもの声よりも更に低くした声が私を呼ぶせいか、体が嫌な寒気で震えた。

 これはただ事ではない。顔色のないまふゆに対し、私は明るい声を作って喋りかける。

 

 

「まだって。あんた、いつも以上に暗いわね」

 

「……ねぇ、絵名。消える理由があるなら、消えてもいいんだよね?」

 

「は? あんた、まさか」

 

「うん。もう、いいよね。これ以上、生きても勝手に与えられて、勝手に捨てられてしまうだけなら……いっそ、全部持ったまま消えたい」

 

 

 そう言ってゆっくりと目を閉じてしまうまふゆは、本当に今にも溶けて消えてしまいそうで。

 

 こっちはやっと、玉砕する覚悟ができたというのに……このまま、まふゆを消すわけにはいかない。

 私はまふゆの両手を握って、焦点の定まらない相手の目を無理矢理こちらに向けた。

 

 

「今までは私があんたの我儘に付き合ってきたんだから、今度はこっちの話にも付き合ってよ」

 

 

 最後のつもりならいいでしょ、と強く押せば、まふゆも否とは言わず、今まで聞けなかったことも話してくれる。

 

 ……そのお陰で、まふゆが私を隠そうと思った出来事から今日、シンセサイザーをお母さんが捨てようとしていたところまで全部、なんとか話を聞き出すことができた。

 

 

(あーもう! 聞いてるだけでもムカつく! 誰かサンドバッグと紙を持ってきてくれない!? 今すぐ顔を描いて殴るから! ……って、頭に血が上り過ぎてるわね。一旦落ち着け、私……深呼吸よ、深呼吸)

 

 

 煮え滾る感情に蓋をしてみても、冷静になって考えようと努めてみても、まふゆから聞いた話はとんでもなく酷いものだった。

 

 母親とはいえ、高校生の子供の部屋を勝手に漁って、勝手に捨てるなんて。

 誰だって自分のものを勝手に捨てられるのは嫌に決まってるのに、母親とはいえ平然と実行してしまう人間がいるとは恐ろしい。

 

 瑞希と話したことが大体予想通りだなんて、全く笑えない話だ。

 夫婦間なら離婚待ったなしの案件が今、友達の身に降りかかっているのである。

 

 家庭の問題をどうにかできるとは思えないが、できることからやるしかない。

 まずは、その後ろ向きにひた走って逆走しそうな思考の進路を少しずつ変えていこうか。

 

 

「私もきっかけの1つに含んでくれているっていうのなら、こっちの話も聞いて貰ってもいい?」

 

「聞くだけだよ」

 

「それでいいわ」

 

 

 辛うじて拒絶はされなかったけれど、ここからは下手なことはできない。

 

 今のまふゆに必要なのは自分を見つけるという長期目標を叶えるための、時間稼ぎの方法だ。

 今、1番問題になっているのはお母さんが勝手に大切な物を捨てたり、人間関係()まで整理しようとしていること。

 

 そして1番大事なのは──ここで消えたら、まふゆの負けになるってことだ。

 

 

「結論から言うと、今回の理由で消えたいって思うのは、個人的には許せないって思ってる」

 

「……どうして」

 

「だって、それが理由なら……あんたは悪いことをしてないのに、泣き寝入りして諦めるってことでしょ。そんなの、私も原因の1部だから、余計に悔しいじゃない!」

 

「別に、絵名は関係ない」

 

「私がセカイに隠れた時点で関係者でしょ!? 今更、無関係とか言わせないし……大体あんた、何でもかんでも私に察してもらおうとし過ぎなのよ!」

 

 

 確かに私も、まふゆの異変を(つぶさ)に観察して察知しようと、意識を尖らせていたのが悪かったのだけど。

 

 それでも、まふゆはあまりにも……そう、私が聞き出さないと絶対に自分から言わないぐらい、我慢し過ぎなのだ。

 それで勝手に爆発されたら、こちらとしても堪ったものではない。

 

 

「何回も言ってるけど、何の為の口と言葉なのかって話! もう少し話してくれたら、もっと早く一緒に考えられたのにさぁ!」

 

「……絵名に何ができるの?」

 

「少なくとも、あんたが真っ向からお母さんに抵抗ができないのはわかってるわよ。だから、静かな抵抗方法ってやつを一緒に考えるって言ってんのっ」

 

 

 規模が大きい抵抗が《革命》だとするならば、静かな抵抗は《内部告発》だと私は思っている。

 

 お母さんという大きな力を前に、子供が嫌なことをされた時、親元でやれることといえば服従か、抵抗、後は変化球で逃走ぐらいしかない。

 

 そして、私が提案しているのは服従と抵抗の中間。静かな抵抗をしようと考えたのだ。

 

 

「まず1つ、捨てられたくないぐらい大事なものは、このセカイに持ってきて隠す! 流石にまふゆのお母さんもここには来れないし、絶対に捨てられないでしょ」

 

「でも、それじゃあ物だけしか守れない」

 

「そうね。だから、あんたの心配してる人間関係の方だけど……今の所、ニーゴのことは上手い言い訳を考えられるまで隠すとして、見つかりそうになったら私の名前を使って」

 

「絵名の? でも、ダメって言われるかもしれない」

 

「こっちだってあんたのお母さんのことで、色々と対策できるように考えてきたのよ。まぁ、ちょっと……まだ足りないかもしれないけどね」

 

 

 まふゆの前にグイッと家から取ってきたファイルを突きつける。

 その1番上には最後に受けた高校の学年末テストの結果がまとまっていて……私がまふゆに勝てなかったという《学年2位》という文字が少し大きめに印字されていた。

 

 

「……いつの間に、ここまで成績を伸ばしてたの?」

 

「夏ぐらいから頑張ってたの。本当はあんたを抜かしてから、安心しろって言いたかったんだけど……流石にそんなに甘くなかったわ」

 

 

 でも、それぐらいの成績があれば、まふゆのお母さんでも無碍にはしないはずだ。

 

 

「成績も伸ばしたから、まふゆのお母さんの『友達』への要求には近づいてるはずよ。それでも足りないって言うのなら、お父さんの名前も使うし、頑張って私自身の受賞経歴も増やす。それでも無理だって言うのなら、殴り込んで説得でも何でもするからさ……だから消えたいなんて、言わないでよ」

 

 

 吐き出した覚悟に返ってきたのは、まふゆの困惑の声音だった。

 

 

「……なんで、絵名はそこまでしてくれるの?」

 

「友達が消えたがってるなら、私はそうならないように手を伸ばしたいって思った。後はあんたが手を掴んでくれるかどうかなんだけど、これでもダメ?」

 

 

 今まで助けて欲しいとも、一緒に自分を探して欲しいとも、一言も言ってくれなかったけれど。

 それでもまふゆは記憶を無くした東雲絵名の……私の、大事な友達の1人なのだ。

 

 まふゆはずっと、深いところで隠れて閉じこもっているけど、今ぐらい手を伸ばして欲しい。掴んで、頼って欲しい。

 

 そういう気持ちを込めて、まふゆに手を伸ばす。

 まふゆも恐る恐るこちらに手を伸ばしてくれたものの、やっぱり怖いようで、私の手を振り払ってきた。

 

 

「……こんなの掴んだって結局、私は見つからないよ。それじゃあ、時間を作ったところで何も意味がない」

 

「かもね。でも、自分探しは時間が必要だと思うけど?」

 

「闇雲に探してたって、時間がいくらあっても足りないよ」

 

「闇雲に探せばそうかもしれないけど、自分を見つける鍵はもう、あんたの近くにあるでしょ?」

 

「鍵が?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──雪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まふゆが首を傾げたその瞬間、白い髪が、Kがその場に現れた。

 後ろからは瑞希がひょっこりとピースサイン。ボク、やりました〜と言わんばかりに笑って、ミクも静かに見守っている。

 

 瑞希もミクも、Kを連れてくる為に頑張ってくれたようだ。

 

 

「どうして、K達がここに……? 追い出したのに、また来たの?」

 

「わたしの曲を聴いて欲しい。だから、会いに来たよ」

 

「……曲を?」

 

「うん。わたしの曲じゃ足りなかったって言ってたよね。だから、もう1度作ったの。今度こそ……ちゃんと雪を救える曲を」

 

 

 まふゆはKを見てから、何故かこちらに視線を向けてきた。

 その瞳は大きく揺れていて、戸惑っているらしい。

 

 どうして今、Kが曲を聴かせようとしているのかわからないようだが、それこそがまふゆの鍵になると私は信じている。

 

 

「まふゆ」

 

「……」

 

 

 聴いてみて欲しい。

 そんな気持ちを込めて彼女の名前を呼べば、まふゆはゆっくりとKに近づいた。

 

 

「どうしてKはその曲で救えるって思うの? 私のことなんて……何もわからないのに」

 

「……わかるよ。雪、わたし達に言ったよね。本当は消えたいんでしょって」

 

 

 Kは毅然とした態度で1歩、前に出る。

 

 

「雪の言う通り、わたしも本当は……消えたくてたまらない。だって、わたしは自分の曲で、1番大切な人を不幸にしたから」

 

 

 黙って聞いていたまふゆの口から「え?」と驚くような声が漏れる。

 

 ……どうやら、Kはまふゆに自分のことを話すつもりらしい。

 私は説得の時ですら何も言えないのに、本当に……良く真っすぐ立って、前を見ていられるなと、驚いてしまう。

 

 

「わたし、作曲家だったお父さんがいるんだ。わたしもそんなお父さんみたいになりたくて曲を作り始めたんだけど……そのせいでお父さんを追い詰めてしまった」

 

 

 隣で聞いている瑞希も大きく目を開いていて、話を把握している私も胸が締め付けられそうなKの独白。

 瑞希の「Kの曲が?」と驚く声に頷いたKが、更に言葉を重ねる。

 

 

「お父さんは自分の曲が古くて受け入れられないって苦しんでいたのに……わたしはそれに気が付かずに、元気になって欲しいからって、お父さんに私の曲を聴かせてしまった」

 

 

 それはKのお父さんが余裕があったのなら、Kが元気付ける方法に自分の曲を選ばなければという、ほんの少しのボタンの掛け違いからおきた、『不幸』。

 

 

「わたしの曲がお父さんを余計に追い込んで、絶望させた。その結果──お父さんは倒れて……もう、曲が作れなくなったんだ」

 

 

 Kのせいかと言われたら、違うと言ってくれる人はいるだろう。

 しかし、そういうことではないのだ。

 

 私の記憶喪失が私自身のせいではないから、過去の自分に対して何1つも悪くないと言われたって、納得できないのと同じように。

 Kもお父さんを傷付けて、1番大切な音楽も、未来も奪ったと罪悪感に苛まれて、消えたがっている。

 

 そういう意味では、私がKに自分を重ねて見てしまった下地はあったのだ。

 

 

「でも、そんなお父さんはわたしに『曲を作り続けるんだよ』って言ったんだ。だからわたしは……消えずに、誰かを救う曲を作り続ける為に生きている」

 

 

 Kの独白に、まふゆは何を思ったのだろうか。

 真っすぐKを見つめる青がほんの少し細められて、その口が開かれた。

 

 

 

 

「そっか……Kって、お父さんに呪われてるんだね」

 

 

 

 





すぐ近くに自分の曲で救えるかもしれない相手──まふゆさんが現れなかったら、奏さんも自然と破滅してた気がするんですよね。
1年もあれば手遅れになるには十分過ぎますので……奏さんにとっても、まふゆさんは必要だったのだろうなーって感じがします。


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47枚目 想いを認めて


最近、文字数が本当に多くなってますので。
いい加減、今回で悔やむと書いてミライ〜させます。



 

 

 Kって、お父さんに呪われてるんだね──なんて。

 

 

(こいつ、何で平然と地雷の上で踊ってるわけ!?)

 

 

 まふゆはKの曲を聴くとも聴かないとも言わず、ただ淡々と感想を並べていく。

 

 まふゆの対応はスマホを叩き落としたりしていないだけ、まだマシな方なのだけど……返す言葉の1つ1つの攻撃力が必殺技並みだ。

 

 最近はほぼ毎日、まふゆの口撃に晒されていた私でも目から涙が出ることもあるぐらいの切れ味である。

 そんなものをK達に向けるなと、叫んでいいのなら叫びたい。

 

 だけど、私の内心なんて全く察知していないまふゆは、さらに言葉の刃を投げつける。

 

 

「消せない呪いがあるなんて、Kはかわいそうだね。自分が救われたいから、私も自分の曲で救いたいのかな? そういうの、お互い苦しいだけだと思うけど」

 

「そうかもしれないね。けど、わたしは呪われていても、雪を救う曲を作りたい」

 

「──へぇ? 認めるなんて、潔いんだね。でも、その曲は本当に私を救ってくれるのかな。今までだって誰かを救う為の曲を作っていたのに、それで私は救われなかったよ?」

 

 

 まふゆはKを見下ろすように近づいて、じっと見つめながら小首を傾げる。

 なんというか、私の話を聞いてくれていたのかと、改めて問い詰めたい。

 

 ……いや、いっそのこと言ってやろうか。腹が立ってきたし。

 

 Kには悪いと思うものの、私も我慢の限界だ。

 私は2人で見つめ合っている間に割って入って、まふゆをデコピンの刑に処す。

 

 突然の私刑にまふゆは唖然としながら、少し赤くなった額を右手で覆う。

 信じられないものを見るような目をこちらに向けて、まふゆは小さく口を動かした。

 

 

「え、えな……?」

 

「今まで助けて欲しいとも、一緒に探して欲しいとも言ってないのにさ……それなのに、Kに当たったってしょうがないでしょ」

 

「そんなの、絵名に言われたくない」

 

「確かに、私はあんたに偉そうなことを言えない立ち位置だけど。今まで黙ってたまふゆが勝手に救われるのが、ありえないってことだけはわかってる」

 

 

 今まで黙っていたのに、それで誰かに助けて貰えるなんてあまりにも虫が良い話だ。

 本当に助かりたいのなら、見つかりたいのなら……声を出して、差し伸べられた手を払わずに掴まなければ難しいのだから。

 

 願うばかりで行動が伴わない人間に、望みが叶うはずもなく。

 

 自分の口から記憶喪失の件を出していない私は、かなり偶然が重ならない限りは目標を達成できないであろうことも理解している。

 

 まふゆとは違って、今更、自分が記憶を取り戻してもどうかと思っているし。

 それに……記憶を取り戻した時に、私はちゃんとそこにいるのだろうかと、悩むようになってしまったから。

 

 あの日の絵の答えを知るのが怖くて、先延ばしにしている私が……まふゆに偉そうに言うのは間違っているのも、知っている。

 

 

「ねぇ。まふゆはどうして、感情を吐き出す先に曲を選んだの?」

 

「どうしてって聞かれても……」

 

「あんたならコンクール取る程度には文章力もあるし、詞を書くことだって良かったでしょ。それなのに、曲を作ることを選んだ理由は何?」

 

「そんなの、わからない」

 

「本当に? そこにKの曲とか、ニーゴで作ってきた曲のこととか、そういう影響がないって言い切れる?」

 

「……わからないよ。それが1番、見つかるんじゃないかって思っただけ」

 

 

 ぷい、と目を逸らして呟くまふゆに、私は大きく息を吐く。

 わかってるじゃん、と私が言うのは野暮だろうか?

 

 私が何を言っても『わからない』と駄々っ子のような返答しかしてこない中、割って入って来てくれたのは、今まで殆ど黙っていた瑞希だった。

 

 

「そっかそっか~。雪はわからないって思ってるんだねぇ。そう思いたい気持ちも良くわかるよ。ボクだってそうやって、わからないフリができたら楽だと思うもん」

 

「瑞希……?」

 

「ほら、天才だって美人だってカワイイ子だって、誰もかれも悩み事があってさ。知らなきゃよかったって、思うこともあるじゃん。聞きたくないこともあるわけだよ。いっそ、胸の中で秘めていてくれって思うことも、これまた沢山あるんだよねぇ」

 

 

 うんうん、と瑞希がまふゆを肯定する。

 思わず、瑞希が余計なことを言いに来たのかと警戒してしまったが、どうやらそういうつもりでもないようで。

 

 私が「瑞希」と呟く声が聞こえたのか、瑞希はこちらにウィンクを披露しながら笑う。

 

 

「だから、ボク個人はわからないっていうのも、良いと思うんだけどね」

 

「なら」

 

「でもさ。絵名がここまでずっとまふゆに寄り添って、Kが曲を作ってくれて。2人が一生懸命手を伸ばしてくれているのに、それを見ないフリするのはちょっと寂しいなって思うんだ」

 

 

 まふゆが反応した瞬間に、瑞希は自分の意見を述べた。

 

 

「それにボクも、まふゆと似てるなーって思うところがあるし。探し物でもその他のことでも、絵名と同じぐらい……は無理でも、ボクも少しぐらいは手伝えると思うんだ」

 

「Amiaも好き勝手言うんだね。Kの曲でもAmiaが協力してくれても、それでも見つからなかったら……今、消えた方が楽なのに」

 

 

 まふゆは目を伏せた状態のまま、両手で胸を押さえ込む。

 間近で見ているせいなのか、小さく震えているまふゆはどこか、怖がっているように見えた。

 

 

「皆、勝手なことばっかり……勝手に動いて、勝手に作って、勝手に寂しがって。希望を持たせようとして、大丈夫かもって思わせて。そうやって持ち上げた後、落ちちゃうかもしれないのに……どうして、そんな無責任なことを言えるの?」

 

 

 まふゆは両手を真っ白になるぐらい握って、まるで感情が決壊したかのように大きな声を出す。

 

 

「もう、疲れたの……! 希望を持つのも、大丈夫かもって何の根拠もなく信じるのも、自分を探すのも。嫌になるぐらいに疲れたの。探しても探しても見つからなくて、どんどん捨てられて、絶望して……これ以上失くすぐらいなら、見つからなくて何も変えられないなら、もう全部いらない! 失うだけで救われないのならもう、私はこのまま消えたいの!」

 

「──なら、わたしが救うよ。たとえこの曲で雪を本当に救えなかったとしても、雪が救われるまで、自分を見つけられるまで、わたしが曲を作り続ける」

 

「……何を言ってるの?」

 

 

 Kのことを知っていれば予想できる回答に、まふゆは信じられないものでも見るような目を向ける。

 

 

「1度は救われた気がしたって言ってくれたから。これがお父さんの呪いだとしても……わたしはもう、わたしの身近で誰かが消えるのは嫌だよ」

 

「……そう。絵名が最後の最後までKを頼りたがらなかったのは、そういうところもあったのかもね」

 

 

 Kの言葉で我に返ったのか。

 私の耳で辛うじて拾えるような声で呟いたまふゆは、大きく1息入れてから、改めて問いかける。

 

 

「いいの? 今の言葉だと、呪いをもう1つ増やすようなものだよ。私が私を見つけるまで、Kは曲を作らなくちゃいけない。そう言っているの、自覚してる……?」

 

「うん。わかってる」

 

「Kは今まで、私の顔も何も知らなかったのに。どうしてそこまで、動こうとしてくれるの?」

 

「言葉にするなら、わたしの『エゴ』かな」

 

「……私は今も自分とかそういうの、わからないんだよ。これから見つかるかもわからなければ、見つからないまま終わるかもしれない。見つかるまで、どれだけかかるかもわからないのに……それでも本当に、やるって言うの?」

 

「うん」

 

 

 躊躇いなく頷くKに、まふゆは体の力を抜いてしまった。

 どうやらもう、言い返す気力も失せてしまったようである。

 

 音楽でお父さんを救えなかったから、その音楽で人を救うことで贖罪としようとしているKだ。

 改めて問いかけたところで、平然と肯定の言葉を返してくるだろう。

 

 見えるところに『自分の曲で救える人』がいないと自爆するであろう少女だから、余計にそう思う。

 

 私が2人のやりとりに目を細めていると、まふゆが脱力した状態で言葉を溢した。

 

 

「絵名もAmiaも、それからKもそんなに言ってくれるのなら……私も、もう少しだけ信じたいと思う」

 

「うん、大丈夫だよ。いつか、絶対に雪を救う曲を作ってみせるから」

 

 

 2人の話が終わったのを見計らって、今まで殆ど空気に徹してたピンクがひょいと手を挙げた。

 

 

「──ってことは、つーまーりー? 一件落着ってことでいいよね? 現場の絵名さーん?」

 

「あー、はいはい。綺麗に纏まったんじゃない?」

 

 

 付き合うつもりはないので、マイクのように口元に差し出された握りこぶしを追い払った。

 

 瑞希の猛攻をブロックしつつ、私は改めて2人の様子を窺う。

 奏の覚悟によって絆されたのか、まふゆの顔色もセカイにやってきた時と比べると良くなっていた。

 

 

(私じゃ、力になれなかったし……本当に、良かった)

 

 

 そう本心から思っているはずなのに、私の心臓は針で刺したような痛みを訴えてきた。

 

 K達が来たらあんなにあっさりと解決したんだから、最初から頼っていれば良かった。

 Kだって、身近に自分の曲で救わなくてはいけない人がいれば、無茶もしないと予想できていたのだから、余計にそう思う。

 

 だから、この胸の痛みは遠回りさせてしまった罪悪感のせいなのだ。

 ……きっと、そうに違いない。

 

 

「──良かった。まふゆは本当の想いを認められたんだね」

 

 

 私が考え事をしている間に、微笑を浮かべるミクがこちらに向かって来ていた。

 

 

「まふゆの本当の想いから、歌が生まれようとしてる……これでやっと、一緒に歌えるね」

 

 

 生まれる、という言葉と共に、どこかから音が聴こえてきた。

 これがミクの言う『歌』なのだろうか。耳を澄ませて歌を聴いている中、まふゆの声が響く。

 

 

「この歌が私の本当の想い? 私はまだ、自分も何も、見つけられていないのに……?」

 

「ううん、まふゆは前から1つは見つけてたんだよ。それがわからないって思って、認められなかっただけ。セカイやこの歌がここにあるのが、その証拠」

 

「認められなかっただけの想いが……ここに」

 

「うん。だから、まふゆの想いの歌を歌おう。奏も絵名も、瑞希も、皆で」

 

「「「え?」」」

 

 

 素知らぬ顔をしていた私達にも矢印を向けられて、疑問の声を揃えてしまう。

 

 ……いや、普通に困るし嫌なんだけど。

 歌が得意というほどでもないし、できれば遠慮したい。

 

 今から帰るのは無理だろうか? このままスーッと消えたらフェードアウトできる気が……

 

 

「絵名ってば、逃げるの〜? 今度から『歌下手なん』って呼び名が増えちゃうかもだけどー?」

 

「はぁ!? 瑞希にそんな呼び方されるほどじゃないし!」

 

「じゃあ一緒に歌おうよ。あ、本当に上手く歌えないならいいんだけどね?」

 

「や、やってやるわよ見てなさいよ!」

 

 

 ……あっ、乗せられてしまった。

 そう気がついた時にはもう遅く、瑞希にまんまと嵌められて、4人とミクでまふゆの想いの歌を歌うことになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「絵名ってば、歌うのは苦手だとか言ってたのにちゃんと歌えるじゃん!」

 

「うん、今度からは作った曲を、皆で歌うのもいいかもね」

 

「は? え、Kまで何を言ってんの!?」

 

 

 歌い終わってから瑞希に褒められて、Kにもとんでもない提案をされて、私はもうタジタジだった。

 勘弁してくれと思っているのに、Kは構わず「あ」と呟く。

 

 

「そういえば、わたし、まだえななんの名前を知らなかったっけ。教えてもらってもいい?」

 

「え? 今!?」

 

「うん。瑞希も知ってるみたいだし、いいかなって。あ、わたしは宵崎奏だよ。こっちの名前も呼び捨てでいいからね」

 

「……あ、そう。私は東雲絵名だけど」

 

「やっと知れて嬉しいよ。ありがとう、絵名」

 

 

 相変わらず調子を狂わせてくるK──じゃなかった、奏に私はなす術もなく翻弄されてる気がする。

 

 瑞希は楽しそうにニヤニヤ笑ってるし、後は……1番の問題児はどこにいったのだろうか。

 

 ぐるりと首を回して周囲を見渡せば、ボーッと突っ立っているまふゆが視界に入った。

 何をしているのだろうか。不思議に思って近づくと、まふゆはこちらへ顔を向ける。

 

 

「……絵名」

 

「何よ」

 

「私、見つけて欲しかったんだと思う」

 

「歌ったら、ちょっとは自分がわかったってこと? 知れて良かったじゃん」

 

「ううん、それは少し違う」

 

 

 ゆるゆると首を振ったまふゆは右手を胸に手を当てて、ほんの少しだけ眉を下げた。

 

 

「私、何も言わなくても私を見てくれてた絵名に甘えてた。私がわからないことも見つけてくれて、教えてくれる絵名がいたから……本当にわからないことも、わかったこともわからないって言ってた」

 

 

 今まで作ったお菓子や料理、今まで一緒に行った場所。音楽以外にも何か引っかからないかと、絵を描いてくれたこと。その景色。

 蹲っていても探し出して手を引っ張ってくれて、黙っていても言葉を引き出そうとしてくれる温かさ。

 

 

「何を言わなくても、わからないって言っても。引っ張ってくれる絵名に甘えて、わかってることすら見えなくなってた……セカイに閉じ込めたり、沢山酷いことをしたから……本当に、ごめんなさい」

 

「はっ、今更? ほーんと、バカね」

 

 

 ──どうやら、私が今までしてきたことは無駄ではなかったらしい。

 

 それがどうしようもなく嬉しくて。

 ごめん、なんてバカなことを言うまふゆの鼻先を人差し指で弾き、相手の間抜け面を前に、私は笑みを浮かべた。

 

 

「そういう時はごめんじゃなくて、ありがとうって言うのよ。わかった?」

 

「……ありがとう?」

 

「そ。少しは自分が見つかったみたいで、良かったじゃん。おめでと」

 

「うん……ありがとう。KもAmiaもここまで来てくれて、ありがとう」

 

「……わたしはしたいことをしただけだから、気にしないで」

 

「ボクの方こそ何にもしてないんだけど……どういたしましてだね」

 

 

 セカイに来る前よりも明るくなった顔をしているまふゆを見て、私もまふゆと同じように右手を胸に当ててみる。

 

 

(良かった……私がやってきたことはちゃんと、まふゆに届いてたんだ)

 

 

 まふゆの想いは奏の曲から始まって、余計なお世話なことも多かったのだろうけど。

 私の行動はほんの少しだけでも、まふゆに何かできていたのだとわかって、胸が熱くなった。

 

 ほんの少し浮かんでしまった目の水滴を袖で拭い、揶揄われる前に破顔しているであろう顔を隠した。

 

 

 

 

 

 ──が、普通に瑞希に見つかって、揶揄われたのは内緒にしておこうか。

 

 

 





スケッチブック「チッ」

スケッチブック君、チャレンジ失敗したみたいですね。
原作との最大の違いは奏さんのスマホが救われたことかもしれません(??)

というわけで、毎日投稿終了です。
今週は土曜日をお休みにして日曜日に投稿後、また水・土・日に戻します。
それでは、また日曜日に……


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48枚目 ひとだんらく

 

 

 あれから、セカイを抜けて戻っていく3人を見送った私は、未だにセカイに残っていた。

 

 ミクに「帰らないの?」と首を傾げられたけれど、これには水溜まりよりも浅くて、ペットボトルのキャップよりも狭い理由がある。

 

 現在の時刻、なんと4時。実は16時で夕方でしたーというオチもなく、早朝に分類される方の4時なのだ。

 夢の中にいるであろう家族を叩き起こすような真似なんて、私にはできなかった。

 

 そういう理由から、私は今もセカイに残留中。

 スマホからナイトコードにログインしてイヤホンを装着し、そのままボイスチャットに参加していた。

 

 セカイでも繋がることへの安心半分、後々の通信費がとても恐ろしいが……今回ばかりは甘んじて受け入れよう。

 お母さんに呼び出される覚悟はできている。

 

 

「皆、セカイから戻ってきた?」

 

『ボクはちゃんと戻ってきたよ』

 

『わたしも。えっと、雪は……?』

 

 

 私の声に真っ先に反応したのはAmiaとKで、雪はボイチャにいるものの、沈黙したまま。

 Amiaが試しに『雪さーん?』と呼びかけているが、やはり返事はない。

 

 ──まさか、解決したと思っていたけど、本当はそうじゃなかったとか?

 

 1度だけ見たスッキリし過ぎている部屋に倒れるまふゆを想像して、体に寒気が襲ってくる。

 

 

「雪、あんたちゃんといるのよね……?」

 

 

 まさか、そんなと嫌な妄想が頭を蝕んでいると、そんなものは杞憂だと言わんばかりに聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

 

『いるよ。ちょっと声出すのが遅れただけだから』

 

『雪! あー、声を聞けて安心した〜』

 

『……そっか。よかった』

 

 

 Amiaがうるさいし、Kも雪に声をかけているので、私は「よかった」とだけ呟いてから、状況を見守る態勢に入る。

 

 ……が、その態勢は更にうるさくなったAmiaによって崩された。

 

 

『あー! ねぇねぇ、皆。共有フォルダを見てよ!』

 

「うるさっ。Amia、急に叫ばないでよ。で、共有フォルダがどうしたの?」

 

 

 しばらくナイトコードの方はあまりに見ていなかった私は、共有フォルダがーとか言われても、ピンと来ない。

 

 

『ほら、Untitledの名前が変わってるんだよ!』

 

「え? ……あぁ、ほんとだ。Untitledが消えて、『悔やむと書いてミライ』ってのがあるわね」

 

『そーだよ。ボク、嘘なんかつかないよ』

 

「つい本当か聞いただけで、疑ってないって」

 

 

 イヤホンを外しても聞こえてくる大音量のAmiaの声に目を細める。

 タップしてUntitledを確認すると、謎の楽曲は『悔やむと書いてミライ』という曲に変化していた。

 

 これはいつから変化していて、どうして無題(Untitled)から名前が変わったのか。

 

 ミクに聞こうとしたら、付け直したイヤホンから先んじて雪が答えをくれる。

 

 

『ミクが本当の想いを見つけたら、歌が生まれるって言ってた。だから、名前が変わったんだと思う』

 

「えーと、つまり……今回の件は一件落着ってこと?」

 

『……たぶん』

 

 

 少し自信無さげに返ってくるものの、雪の中で何かが変わって、その変化が楽曲に現れたというのなら──それは良いことなのだろう。

 

 

「ふーん、そっか。よかったわね、雪。私も安心して朝から家に帰れるわ」

 

 

 別にセカイにいることが嫌だというわけではないけれど。

 ただ、そろそろ硬い地面よりもフワフワのベッドが恋しいし、何も気にせずお風呂に入りたい。

 

 ……こう考えると、たまに1人で修行のように籠るのはいいけど、何日もやるようなものじゃないのかもしれない。

 

 そんなことをぼんやりと考えていると、Amiaから揶揄うような言葉を投げられる。

 

 

『あーあ。えななんってば朝帰りなんて悪い子なんだ〜』

 

「そういうAmiaは人の揚げ足を楽しそうに取って、小さい子供か何かなわけ? わかってることを揶揄うのはつまんないんだけど」

 

『ひーん。えななんが雲隠れしてる間に、セカイの床みたいに冷たくなったー』

 

「残念だけど、元からこうですー」

 

 

 というか、どうしてAmiaはセカイの床が冷たいと思っているのか。

 意外とあのセカイ、雪の心の中の影響なのかそんなに冷たくないのだけど……まぁ、そんな細かいことは言わないでおこう。

 

 

『Amiaとえななんは元気だけど、もうそろそろ朝になるし、今日は解散しよっか。早めに休んで、また明日から次の曲を作りたいし』

 

「そうね。今日は色々あって大変だったし、ゆっくり休んだ方がいいかも」

 

 

 私はセカイで時間を潰してから家に帰る予定だけど、K達は休んだ方がいいだろう。

 

 そう思っていると、殆どの人が寝静まっている時間帯なのに、またしてもAmiaの大きな声が鼓膜を貫通してきた。

 

 

『あぁー、そうだった! はいはい、解散前にボクから提案がありまーす!』

 

「あんた、何回目の叫び声なの? つまらない提案だったらどうなるか……わかってるわよね?」

 

『えななんこわーい。だけど、つまらなくはないから大丈夫だよ。ボクの提案はズバリ! 今回の件も含めてお疲れ様会をオフでしようって話でーす』

 

「それってつまり、オフ会……?」

 

『そうそう。流石に明日──というか今日と言うべきかな。その日は無理だろうから、明後日とかどうかなー?』

 

 

 何ならさっき会ったばかりなのに、どうしてオフ会をしようと思ったのやら。

 

 

『明後日ならわたしは大丈夫』

 

『……私も。Kやえななんが行くつもりなら、参加できる』

 

 

 Amiaの軽い調子の言葉を吟味していると、Kも雪も意外と好感触な返事をしていた。

 1番乗らなさそうなKが真っ先に言うとは驚きである。

 

 いや、驚いている場合ではないか。

 珍しく、Kや雪が乗り気なのだし、ここは乗っておくのも悪くはない。

 

 

「明日にゴタゴタを片付けたら……うん、私もいけると思う」

 

『じゃあ決定だね! いやぁ、楽しみだなー。明日にちゃんと日時と場所を送るから、よろしくねー』

 

 

 Amiaの言葉を最後に、今日は一旦、ナイトコードでの活動は解散する。

 明日……というか、今日中に家に帰って色々と片付けてから、また集まろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 シブヤ付近のファミレス内にて、Amia──いや、瑞希の提案通り、私達はまた集まっていた。

 

 私と瑞希が早めに来たので隣に座って、後から来たK()(まふゆ)は正面に座る。

 私の席がちょうどメニュー表の近くだったので広げていると、瑞希が元気よく親指を立てる。

 

 

「遅刻しそうなえななんも時間通りに来たし、今日は良い滑り出しだね!」

 

「……あんたは息をするように失礼なことを言わなきゃ、生活できないわけ?」

 

「うぅむ。もしかしたら、えななんを揶揄うのがボクの生き甲斐だったのかもしれない……」

 

「さっさと捨ててきなさいよ、そんな生き甲斐!」

 

 

 バカみたいなことを大真面目に言う瑞希にツッコめば、ヤツは満足なのか大笑い。

 そのまま右手を挙げて、瑞希は堂々と宣言した。

 

 

「じゃ、注文前に軽く自己紹介タイムね! ボクは暁山瑞希だよ♪ 瑞希って呼んでね! はい、次はえななん!」

 

「えー、皆知ってるし、私パス」

 

「残念ながらパス権はないのでナシでーす」

 

「はぁ。今更、自己紹介とか……えーと、東雲絵名です、よろしく。って、これ本当に必要?」

 

「もちろんだよー。こうすることで、皆が自然と名前で呼び合えるようになるって寸法だからねー。じゃあ、次は〜……」

 

 

 瑞希が私から前の2人へターゲットを変える。

 どっちに言ってもらおうかなー、と瑞希は楽しそうに選んでいるものの、そんなに呑気にして待ってくれる人なんておらず。

 

 

「宵崎奏……雪は?」

 

「……朝比奈まふゆ」

 

「まふゆだから雪なんだね……これからもよろしく、まふゆ」

 

「……うん」

 

 

 案の定、楽しそうに選ぶ瑞希を無視して、奏がさっさと済ませてしまった。

 それに乗っかってまふゆも自己紹介をして、2人とも終わりましたと言わんばかりの空気を出している。

 

 

「2人とも自己紹介が早いなぁ……」

 

「はいはい、早いことはいいことでしょ。さっさと注文も決めましょ」

 

 

 

 いつまでも何も頼まないまま、お喋りするのは迷惑だろう。

 

 私はチーズケーキとアイスティーを頼み、奏がワンタン麺とウーロン茶。

 まふゆはワンタン麺とアイスティーというちょっと不思議な組み合わせを頼み、瑞希は飲み放題ドリンクとフライドポテトを注文していた。

 

 

「じゃ、ボクは飲み物入れてくるね~」

 

「零さないようにね」

 

 

 ナイトコードにいる時よりも楽しそうな瑞希を見送って、改めて前を見る。

 

 奏はいつも通り控えめな笑みを浮かべていて、まふゆの方も見慣れたポーカーフェイスだ。

 パッと見た感じは悪くなさそうだけど、一応確認しておこうか。

 

 

「2人共、私と瑞希のテンションで進めちゃったけど、大丈夫?」

 

「……絵名はいつもあんな感じだから慣れてる」

 

「はぁ? 瑞希もまふゆも、余計なことを言わなきゃ気が済まない呪いにかけられてるんじゃないの?」

 

「……さぁ。よくわからない」

 

「それ、便利ワードじゃないから」

 

 

 ビシ、とまふゆに人差し指を指せば、前から「人に指を指しちゃダメだよ」という注意が飛んでくる。

 まふゆは相変わらず、マナーとかには厳しめだ。指を指されたくなければそんな行動をしなければいいのに。

 

 そんな理不尽なことを考えつつ、相手への不満で顔を顰めていると、クスクスと笑っている奏と目が合った。

 

 

「絵名は瑞希ともまふゆとも仲が良いね」

 

「あ……ごめん。うるさかった?」

 

「ううん。さっきの答えだけど、居心地は悪くないから大丈夫だよ」

 

 

 そんな話をしている間に、店員さんが注文していたアイテムを持ってくる。

 まふゆと奏の前にワンタン麺を並べ、飲み物をそれぞれ配っていると、ちょうどいいタイミングでコップを2つ持った瑞希も帰ってきた。

 

 

「お待たせー♪」

 

「瑞希、右手のはオレンジジュースかなって思うんだけど、もう片方の飲み物の色がドロドロの何かになってるんだけど……それ、何なの?」

 

「え、これ? 飲み放題ドリンクを全部混ぜた素敵飲料だけど?」

 

「……あんたねぇ。私は飲まないから、1人で処理しなさいよ」

 

 

 こういう時こそ飲食物を無駄にするなと言えばいいのに、まふゆは無反応だ。

 そんなに私の人差し指が憎いのか。半目でまふゆを見ても、返ってきた反応は首を傾げることだけだった。

 

 

「皆飲み物持って! ニーゴの初オフ会を記念して乾杯しよ、乾杯!」

 

「瑞希、そういうの好きね」

 

「絵名も嫌いじゃない癖に~。あ、奏もまふゆも、乾杯してもいい?」

 

「わたしはいいよ」

 

「……私も」

 

 

 帰ってきた瑞希が手拍子しながら仕切って、全員で飲み物を手に持つ。

 

 

「それじゃあ、ニーゴのオフ会を祝して……かんぱーいっ!」

 

「はいはい、かんぱーい」

 

「……いいかな。じゃあ、いただきます」

 

「……私も。いただきます」

 

 

 奏とまふゆはほんの少し飲み物を上げるだけで、それぞれ麺を食べ始めてしまう。

 

 そんな2人を見てからこちらに視線を向けてきた瑞希は、力なく笑った。

 

 

「絵名がいてくれなかったら盛大に滑ってたよ、ありがとう……」

 

「別に。じゃ、私も食べよっと。いただきます」

 

「あ、ボクも。いただきま~す」

 

 

 その日のオフ会はそんな調子で無事に終了した。

 

 これでまふゆの迷走も、ひと段落したのだろうか。

 まふゆの探し物への鍵になりそうな奏も協力してくれるようだし、私も瑞希もいるのだ。

 

 

 もう、私が体を張ってセカイに閉じ籠ることはないだろうし、この結果はめでたしめでたし──で締め括っても良いだろう。

 

 





メインストーリーの範囲は今回で終わりましたが、数話ほど別の話を挟んでから、イベントストーリー編に入ります。


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49枚目 ヒミツのはなし


記憶喪失えななん()ヒミツのはなし(絵名side)
記憶喪失えななん()ヒミツのはなし(奏side)
の2本立てです。よろしくお願いします。



 

 

 

 ──この話は奏達が来る前。

 

 春休みの間、まふゆも塾などでいなかった『誰もいないセカイ』に私とミクだけがいた時の話である。

 

 正直な話──私は最初、この場所を疑っていた。

 初音ミクのことだって、こちらが馴染みやすい存在の姿を借りているだけで、実はまふゆを引き込もうとしてるんじゃないか……とか。

 

 今となっては違うとわかったけど、最初の頃は化けの皮でも被っているのではないかと、そんな可能性も考えていた。

 

 言い訳させてほしい。

 

 私が知っている『現実ではありえない現象を引き起こせるモノ』といえば、あのスケッチブックなのだ。

 もしかしたらまふゆも、自分を見つける代わりに何かを奪われるんじゃないか、と疑ってしまうのも無理はないと言い訳させて欲しかった。

 

 

「……絵名、調べ物は満足した?」

 

 

 頭からセカイを疑う私に対して、ミクは私が満足するまで探索に付き合ってくれた。

 セカイの端っこまで歩こうとする私に付いて来てくれたり、穴を掘れなくて四苦八苦している私をじっと見守っていたり。

 

 否定することも肯定することもなく、ミクはたまに歌いながら、私が満足するまでずっと私を見ていた。

 

 

「そうね。少なくとも、私が思っていたのとは違うんだなってことだけはわかった。ごめんね、付き合わせちゃって」

 

「ううん、絵名はまふゆのことを大切に思ってくれているのはわかったから。でも、気になることがある」

 

「気になることって?」

 

「どうして、絵名はこのセカイを危ないものだって決めつけたの? 警戒するのはわかるけれど、最初から何もないこの場所を『死ぬような危険な場所』だって断言するのは変だと思う」

 

 

 ミクやこのセカイも広義的には不思議な場所の不思議な存在であり、スケッチブックに似たような分類かもしれない。

 

 何より、ここまで付き合ってくれたミクに対して、変な誤魔化し方は不誠実な気がした。

 

 記憶喪失に関することを話さなければ大丈夫だろう。

 いつものように頭の中で何を話さないか準備してから、私は口を開いた。

 

 

「私もセカイってわけじゃないんだけど、不思議な体験をしたことがあってさ。それで、ここも似たようなモノなんじゃないかって思っちゃって」

 

「そうなの?」

 

「うん。違うんだろうなって本当はわかってたんだけどね……どうしても、頭から離れなくて」

 

 

 ──あっ、そういえば。

 

 年数が経ってしまっているせいか、昔ほど『今すぐ記憶が戻れ!』と必死に行動していないものの。

 このセカイならば、スケッチブックについて何かヒントをもらえるかもしれない。

 

 ミクと話してやっと出てきたアイデアに、遅過ぎるだろうと苦笑いを1つ。

 声をかけてからスケッチブックを取り出し、ミクに見せた。

 

 

「ねぇ、ミクはこのスケッチブックについて、何か知らない?」

 

「スケッチブック?」

 

 

 首を傾げるミクにスケッチブックを差し出す。

 

 人間ではないミクならば、或いはお母さんもお父さんも見えてなかったあの文字も読めるのかと思ったけれど。

 

 ミクはペラペラと少ないページを捲り、最後に絵の描かれたページだけを眺めてから、スケッチブックを閉じた。

 

 

「これはどこで手に入れたもの?」

 

「どこって言われると難しいかな……いつの間にか、家にあったスケッチブックの中に紛れ込んでたような感じだし」

 

「そうなんだ……」

 

 

 私の言葉にミクは考え込むような動作を見せて、おずおずと声を出す。

 

 

「絵名、そのスケッチブックはよくない感じがするから、できれば手放した方がいい」

 

「もしかしてこれ、セカイにとって良くないものなの?」

 

「ううん、セカイとは関係ない。それは、想いから生まれるようなものじゃないと思うから」

 

「それってどういうこと?」

 

「どう、と言われても難しい。えっと……性質が反対?」

 

 

 ミクもよくわかっていないようで、自信なさげにスケッチブックを返してきた。

 返す時に「使わない方がいい」と言ってくるあたり、ミクはこのスケッチブックに良い印象はないようだ。

 

 私だって、使わないで良いなら使わない。

 ……不思議なことに、捨てたいとも思えないのだけど。

 

 

「ふぅん、そっか。ありがとね、ミク」

 

 

 使いませんよーと宣言するようにスケッチブックをビニールロープで巻いてしまって、カバンの中にしまい込む。

 

 見た目だけ厳重だけど、その気になれば簡単に解けてしまう気持ち程度の封印。

 

 明らかに手放す気も、使わないとも言わない私に、ミクは心配そうにこちらを見ている。

 視線を合わさないように目を逸らし続けて、その日はひたすら、まふゆが来るのを待っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《side.奏》

 

 

 

 まふゆの件も終わって、わたしはお父さんのお見舞いをする為に病室に来ていた。

 

 

「……今日も寝てる」

 

 

 白い部屋で静かに横たわるお父さん。

 目を覚ましても、話しても、わたしのことを覚えていないのだけど、それでも声をかけた。

 

 

「あのね、お父さん。いいことがあったんだ」

 

 

 目を閉じて思い出すのは、つい最近の、あの何もないセカイでの出来事。

 

 

「わたしはまだ、わたしの曲で誰かを救うことはできないけど……それでも、作り続けるよ」

 

 

 それが、わたしの曲で救われたかもしれないと思ったあの子と、わたしの曲が救ってくれるのだと思ってくれたあの子の為になるのなら。

 

 

「だから、お父さんにもいつか聴いて欲しいな」

 

 

 それで、お父さんも救える曲を作れたのなら、もっといいだろうから。

 

 

「この後、予定があるから。今日は帰るよ、またね」

 

「……奏」

 

「え。お父さん、今、名前……」

 

「……」

 

「なんだ、寝言か」

 

 

 口から出た声音は自分でもわかるぐらい残念そうだったけれど。

 

 

(でも、久しぶりに呼んでもらえたな)

 

 

 ほんの少し胸が温かくなるのを感じながら外に出ると、病院とは思えないぐらい軽い調子で声をかけてくる男がいた。

 

 

「やぁ、宵崎さん。嬉しそうだけどお父さんに良い報告でもできたのかい?」

 

 

 白衣とネームプレートが相手が医者だと示しているのだが、絵名も『軽薄でおしゃべりでスピーカーだ』と嫌っているぐらいには口が軽い人らしい。

 

 担当医という意味では腕は確かだけど、人間としてはあまり付き合いたいとは思えない……というのが絵名の評価だ。

 かく言うわたしも、あまり目の前の相手は得意ではなかった。

 

 

「はい、最近良いことがあったので」

 

「そっか。それは良かったよ。そういえば……宵崎さんって東雲さんとは連絡を取り合う程度には仲が良いのかい?」

 

「……どうして、そんなことを?」

 

 

 わたしの内心に湧き出た疑惑が露骨に顔に出ていたのか、担当医は慌てて両手を左右に振りながら弁明する。

 

 

「いやいや、疚しい気持ちじゃないんだって! 丸々1ヶ月ぐらい、東雲さんが姿を見せないから心配になっただけだよ!」

 

「1ヶ月来ないって……病院って頻繁に来ない方が健康だし、いいと思いますけど」

 

「あー、いや。確かにそうなんだけど、あの子の場合はそうも言ってられないというか」

 

 

 

 それはどういうことなのだろうか?

 絵名だけは病院に来てもらわなくては困るなんて、益々怪しく感じてしまう。

 

 思わず目を細めてしまって、わたしの目から何かを読み取ってしまったらしい担当医は、コソコソと小さな声で話しかけてきた。

 

 

「いや、大きな声では言えないんだけど……ほら、僕って精神的にちょっと問題がありそうな人を担当する医者だからさ。で、その僕が関わってるってことは、東雲さんも心の風邪の真っ最中って話なわけよ」

 

「それと、絵名の連絡先を聞くのに、何の関係が?」

 

「いやいや、誤解だって! 高校生の女の子をそんな目で見てたら捕まっちゃうよ!」

 

 

 それを言うなら、患者の情報を平然と喋る医者もよろしくない気がする。

 だけど、わたしも少し話の中で気になることがあって、黙ってお喋りな相手の話を聞いた。

 

 

「彼女、あることがきっかけで暫く肉体的なリハビリに来てたんだけどさ……ある日、錯乱しちゃってこっちにも回って来たんだよね」

 

「錯乱?」

 

「そう。どうやら後遺症か何かで『言ったら錯乱してしまう禁止ワード』ができちゃったみたいでねー。何を言ったらダメなのか、ちゃーんと調べてあげなきゃ日常生活で突然、錯乱しちゃうかもしれないだろう? だからこっちで慎重に調査中なのさ」

 

「それを絵名は……?」

 

「気づいてはいないんじゃないかな。ぼんやりとしか思い出せないみたいだし、あんな良い子でも精神的な風邪をひくなんて、人間って不思議だよね」

 

 

 大変だ大変だ、とちっとも大変そうに見えない様子で喋る医者に、わたしは目を細める。

 

 聞かない方が良かったかもしれない。絵名がわたしのことをある程度、知っている理由はコレのせいだろうし。

 わたしも今、この医者の悪癖を利用しているようなものだけど……罪悪感で胸が痛くなってきた。

 

 

「宵崎さんは友達みたいだし、今のところわかっている禁止ワードを教えておこうかな。いいかい、東雲さんには絶対に『絵を描くのをやめる』とか、それに近い言葉を言わせちゃダメだよ。いや、言うぐらいならまだ大丈夫かな。やめてやるーって思わせた状態で、言わせるのが1番不味いんだよね」

 

「そんな話まで、しても良かったんですか?」

 

「いやぁ、それを言って暴れるとかはないし、大丈夫なんだけどさ。ただ、どんなに泣いていても怒っていても、それを言わせたら真顔で絵を描こうとしちゃうんだよね。あんな姿、見ていて気持ちのいいものじゃないから、友達なら気をつけてあげてよ」

 

 

 担当医は言い訳に満足したのか「あぁ、今のはオフレコだからね!」と念を押してその場を離れていく。

 

 

(……お父さんに会いに来ただけなのに、とんでもないことを聞いちゃったな)

 

 

 絵名のことだから興味があったとはいえ、聞かない方が良かったのかもしれない。

 絵名も知らないかもしれないことを知っても、わたしにできることはあまりなさそうなのが、胸を締め付けるような罪悪感を助長させている。

 

 申し訳なくて、苦しくて、現実から目を背けるように瞼を下ろすと、何故か頭の中から記憶が湧き出てきた。

 

 

 

 

 ──あれはKの曲のお陰だから。あの曲のお陰で、久しぶりに良い絵が描けたの。

 

 

 

 

 瞼の裏側にあの日、眩しそうに目を細めてこちらを見ていた絵名の顔が思い浮かぶ。

 絵名に何があったのか、何が起きているのかはわたしにはわからない。わたしにできることも、ないのかもしれない。

 

 でも……あの日に言ってくれた言葉が嘘じゃないのなら、わたしが絵名にできることは──

 

 

(──絵名の為にも、絵名に必要な曲も作ること。それだけ、だよね)

 

 

 望まれるのなら、わたしは幾らでも頑張れるから。

 

 だから、皆──わたしのそばで笑っていてほしい。

 

 もう誰も、お父さんみたいになってほしくないって思うのは、間違いじゃないはずだから……

 だからわたしは、お父さんを救えなかった音楽で、今度は誰かを救いたいんだ。

 

 

 





禁止ワードを言った記憶喪失えななんは、弓道場で1人で弓を射っていたまふゆさんのように「……なきゃ……かなきゃ」って繰り返し呟きながら、絵を描こうとするみたいですね。

……思ったより不穏な感じになったので、次回はほのぼのさせます。


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50枚目 仲間外れは嫌だ


瑞希「仲間外れは嫌だ、仲間外れ嫌だ……」
絵名「リアルで会えないし、残念だけど──仲間外れ!」
瑞希「やだーっ!」

と、とある組分け帽風のおふざけはここまでにして。
今回はやっと、リアルでも会えるようになった瑞希さんがお願い事をする話です。





 

 

 

『えななん』

 

「何、どうしたの?」

 

『実は今、避けられないぐらい重大な問題がボクにはあるんだ』

 

「重大な問題?」

 

 

 ニーゴのオフ会から、私もナイトコードに復帰して数日後。

 Amiaが酷く真面目な声でそんなことを言うので、心当たりのない私はオウムのように繰り返す。

 

 重大な問題、と急に言われても。

 心当たりがなくて、すぐに思いつく出来事が見つからない。

 

 

「ごめん、何のことか教えて貰ってもいい?」

 

『それはね──ボクだけ、えななんのご飯を食べたことないんだよ!』

 

「……あっそう。作業に戻るわ」

 

『待って! お願いだから待って!』

 

 

 Amiaが慌てて弁明しようとしているが、私の興味は既にAmiaの自称重要な話からKのデモへと移っており、イラストを完成させるためにペンが走り出してしまっていた。

 

 いや、だって。

 重大な問題って言うから真剣に聞いたのに、予想以上にくだらないことをAmiaが言うのが悪い。

 

 そんな言い訳を脳内で繰り広げつつ、Amiaの弁明をBGMにイラストの形を作っていると、私の耳が2つ目の声音を拾った。

 

 

『──だって、雪は頻繁にお菓子とか作って貰ってたんだよね!? 結構おいしそうなヤツ!』

 

『……さぁ、わからない』

 

『いーや、わかるね! ボクにはあれが美味しいのがわかるね!』

 

 

 いつの間にか雪もしれっと会話に参加していて、Amiaのダル絡みに律儀に答えていたようだ。

 

 付き合わなくてもいいよ、と雪に言った方がいいだろうか。

 いや、それを言えばAmiaが余計にうるさくなるのは容易に予想できる。黙っておこう。

 

 そうやって私がいつまでも参加しないせいだろうか。

 普段は会話に参加してこないKまで、Amiaの駄々っ子行為を嗜めようと不毛な会話に参戦してくる。

 

 

『Amia、あまりえななんや雪を困らせるようなことをしちゃダメだよ』

 

『うぅ、Kまでそんなこと言う〜。だってずるいじゃん。Kも雪も、ミクですらえななんの料理を食べたことあるのに、ボクだけないんだよ? それって仲間外れじゃん』

 

『あぁ。それは確かに仲間外れかも……その、ごめんね?』

 

 

 今まで黙っていたKが間に立つものの、Amiaの理由にあっさりと退く。

 

 Amiaは自分よりも後に出会ったミクも食べたことあるのに、Amiaだけ食べたことがないという『仲間外れの状態』なのが嫌だということらしい。

 

 ……そう言われると、Amiaを無視するのは申し訳なく感じてきた。

 

 

「最初からそう言えば良かったのに。何で重大な問題だとか茶化すのよ」

 

『ボクにとっては重大だったし、前々から気になってたし。何より、また皆でご飯を食べたい! お金なら出すから!』

 

「つい最近オフ会したところでしょ……あー、でもごめん。流石に平日に準備するのは難しいから、今週の土日まで待って。後、お金はいらないからね」

 

『え、作ってくれるの!? なら、えななんが都合のいい日で大丈夫だよ!』

 

(全部都合が悪いって言ってやろうかな。あぁでも、いつも以上に揶揄われたら面倒だし、やめとこ)

 

 

 先週にオフ会をしたばかりなのに、もう会いたいなんて、可愛いところがあると思えばいいのか。

 私を笑えないなと思ったけど、Amiaにはミクの為という大義名分があるようだ。

 

 ……確かに、あのセカイにはつい最近まで私もいたし、1人でいるのは退屈かもしれない。

 

 

「はぁ、しょうがないわね。Amiaの口車に乗ってあげるから、リクエスト出して」

 

『リクエストまでしていいの? やったー♪』

 

 

 ばんざーい、と両手をあげて喜んでそうなAmiaをあしらって、リクエストをメモしていく。

 

 フライドポテト、唐揚げ、ハンバーグ。ポテトサラダやウィンナーにチキンライス。

 最初は弁当の中身かな? と思っていたのだけど、ナポリタンとかもメモしているうちに、違うものが思い浮かんだ。

 

 ──これ、弁当っぽいけどたぶんお子様ランチだ。

 

 このままAmiaのリクエスト通りに作ってしまってもいいのだろうか?

 今の所、旗でも立てる? って内容のリクエストばかりなのだが、少し不安になってきた。

 

 

「そういえば、勝手に皆でご飯を食べるみたいな話が進んじゃってるけど……今回の件、Kと雪も大丈夫なの? ミクもいる場所になるから、集合場所はセカイになると思うけど、無理なら無理って言ってね」

 

『今週末は家事代行の人も来ないし、わたしはいけるよ。雪は?』

 

『私も、お昼なら大丈夫』

 

「え、いいの?」

 

『うん……夕飯は無理だけど、お昼なら何とか』

 

 

 Kは辛うじていけても、雪まであっさりと参加を決めてくれるとは思っていなかったので、思わず聞き返してしまった。

 

 去年にそういう誘いをすれば、味がわからないからとか、塾があるからとか。

 後はお母さんのご飯を食べなきゃいけないから……と断られることが多かったのだ。

 食べる行為そのものが苦手なのかと思いきや、今度は誘わないのかと聞いてくるし。

 

 そろそろ雪との付き合いも1年経つというのに、まだ雪の判断基準がわからない。

 

 味のないものを食べるのは苦痛に感じるとも聞くけれど、今回は雪の是の答えに甘えてしまおう。

 

 

「じゃあ、日曜日のお昼に準備するから。よろしくね」

 

 

 Kや雪から『Amia優先で、後はえななんに任せるよ』と『えななんが作るのなら、何でも』とリクエスト? も聞き取れたので、後は日曜日に作るのみ。

 平日中に動画のイラストを完成させて、休みの日はせっせとお昼の準備をするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝から作って詰め込んだ重箱を手に持って、私は自室に戻る。

 いつもの曲を再生すれば、あっという間にセカイに到着だ。

 

 集合時間は12時だけど、念の為に10分前に来てみた。

 誰もいなくても不思議じゃない……と思ったのだが、セカイにはミク以外の先客が2人いた。

 

 

「やっほ~、絵名。首を長くして待ってたよー」

 

「絵名、今日は早いんだね。いつもギリギリなのに」

 

「いらっしゃい、絵名」

 

「瑞希もまふゆも、ミクもおはよ。後、まふゆは余計な一言が多いわよ」

 

 

 いつも遅いと言うかのようなまふゆの言葉にツッコミを入れて、お昼を気にする瑞希に重箱を見せる。

 遠足か運動会の準備をしていたような気分だったので、もう片方の手には大きめのシートを持ってきていた。

 

 重箱をミクに預けてシートを敷いていると、少し離れたところで光が生まれ、奏が現れる。

 奏の青い目が私の姿を捉えると、こちらに向かって小走りで駆け寄ってきた。

 

 

「ごめん、もしかして遅れた?」

 

「おはよう、奏。全く遅れてないし、時間ピッタリだから大丈夫だよ」

 

 

 いつも時間ピッタリで行動していると話していた私がいたせいで、慌てさせてしまったのだろうか。

 早く行動したせいだね、と大笑いしている瑞希の鼻を指で弾き、逆襲完了。

 

 鼻を抑えている瑞希にスッキリとした気分になりつつも、私は準備してきた重箱をシートの上に広げた。

 

 

「はい、リクエスト通り作ってきたわよ。瑞希のリクエストのモノは全部入れたお子様重箱ね」

 

「いやいや、絵名さーん? お子様ランチみたいな重箱の名前は何かな? ボクはただ、猫舌だから冷めても美味しいものを上げてただけなのに!」

 

「……このチキンライスのおにぎりに国旗っぽいものを立てたら、お子様ランチっぽくなりそう」

 

「か、奏までそんなこと言うなんて。酷いよーっ」

 

「既視感があって、つい……ごめんね」

 

 

 よよよ、とどう見ても嘘泣きなのに、奏もミクも純粋だから泣かせてしまったのかと慌てている。

 

 そんな寸劇を瑞希が披露している間にも、マイペース魔神のまふゆがシートの上に乗りながら脱いだ靴を並べ、念の為に用意しておいたおしぼりタオルで手を拭いてから重箱に箸を伸ばした。

 

 ……わからない、という割には真っ先に兎の形に切ったウィンナーに手を伸ばすあたり、本当は自分のことをわかっているのではないのだろうか?

 

 呑気にしていたらまふゆに全部食べられそうなので、私もまふゆの隣に座ってから揚げに手を伸ばした。

 

 

 うん、我ながら美味しくできた。今日のご飯も自己採点花丸印だ。

 

 

 

「まふゆ、パクパク食べてるけど、味とかわかんないって言ってなかった?」

 

「うん。味はわからない」

 

「それなのに食べてくれてるの? 無理しなくてもいいからね?」

 

「絵名のご飯は雰囲気で食べてるから、大丈夫」

 

「ふーん……うん?」

 

 

 ──いや、雰囲気で食べてるって何?

 

 納得しそうになったけど、訳のわからない返事に私は頭を悩ませる。

 

 雰囲気で食事って、味じゃなくて匂いとか見た目で楽しんでるってこと? それも全く別のこと?

 

 まふゆの感覚が全く理解できなくて首を捻っていると、こちらに合流しに来たミクがまふゆの横に座る。

 パクパクと重箱の中身を胃の中に収めているまふゆを見て、ミクは小首を傾げた。

 

 

「まふゆ、もう食べてるの?」

 

「うん……ミクも食べる? この卵焼き、見ただけでもわかるぐらい葱が沢山入ってるみたい」

 

「葱……! うん、いただきます」

 

 

 まふゆが我が物顔で卵焼きを取り分け、ミクはパクリとひと口。

 

 その瞬間、キラキラと輝く2色の瞳。

 こちらを見ておいしい、もう1個と喜んでくれる姿を見れただけでも、作ってきた甲斐があるというものだ。

 

 

「あぁー! もう食べ始めてる!? とりあえずボクのフライドポテトは死守しなきゃ。いただきまーすっ」

 

「絵名、今日はありがとう。わたしもお弁当、いただくね」

 

「うん、奏は沢山食べてね。瑞希ー、あんたは慌てないの。家にもまだ残ってるから、安心して食べなよ」

 

「はーい、ママなーん」

 

「瑞希の母親になった覚えはないから。ママなんって言うな」

 

 

 瑞希に釘を刺してから、今度はミニハンバーグに手を伸ばす。

 

 変わらぬペースで黙々と食べるまふゆ、周りを見て微笑みながら食べてる奏。

 美味しいね、とまふゆに話しかけているミクや、紙皿に一通り取り分けて食べていく瑞希の姿を見て、私も笑ってしまう。

 

 

 

 ……偶にはこんな時間も悪くないって。

 皆も、そう思ってくれてたらいいな。

 

 

 





瑞希さんって割と子供っぽいところがあるんじゃないかと個人的に思ってますので、料理のリクエストもそういう願望です。

次回はチラッと出てきてた子達と再会したり、初対面だったりです。


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51枚目 偶然の再会


宮女でのお話。
前半はわんだほーい。
後半は再会したり、初対面したりします。



 

 

 ある日の選択授業の後。

 いつも通り廊下で待ち合わせして、まふゆと合流しようとしていた時のこと。

 

 

「ひぃいーっ!?」

 

 

 悲鳴のような声が聞こえてきたので、慌ててそちらに向かうと……まふゆの後ろ姿が見えた。

 まふゆの体に隠れるようにピンクのカーディガンが見えるし、その子が悲鳴を出したのだろう。

 

 勘違いの可能性もあるけれど、あの悲鳴を聞けば第3者からすると脅かしているというか、怖がらせているように見えなくもない。

 まふゆは同級生や先輩なら名前を知ってます、と言われる程度に有名だし、悲鳴を出した子は後輩だろうか。

 

 まふゆはいつもの優等生っぽい笑顔を見せながら、内心では(何でこんなに怖がられているんだろう……わからないな)なんて、考えていそうである。

 もしくは全く興味がなくて、何も考えてない可能性もあるが……どちらにしても放置するのは愚策だ。

 

 私は動かない2人に近づいて、時間を進めるための一石を投げかけた。

 

 

「まふゆ、何やってんの?」

 

「あぁ、絵名。廊下を走ってたその子が私にぶつかってきたから、危ないよって声をかけただけ……なんだけど。なぜか怖がられちゃって」

 

 

 学校内なのでまふゆの声のトーンは高いし、被っている猫は完璧だ。

 だけど『走ってはいけない廊下を走っていた』ということが気になるのか、少しムッとしているように見える。

 

 

(まふゆって、家庭の教育の賜物なのか、マナーとか気にしがちだもんねぇ……そう考えると、不機嫌にもなるか)

 

 

 走っている所にまふゆとぶつかるなんて運が悪いと言えばいいのか、少女漫画的な展開を考えると運が良いと言えばいいのやら。

 

 何時までも相手を放っておくわけにもいかず、顔が真っ青になっているであろう女の子の方に視線を向けると、見覚えのあるピンク頭が目に入った。

 

 

「──あれ、もしかしてえむちゃん?」

 

「あーっ、絵名さんだ!」

 

 

 ニッコリとした笑みに、キラキラと輝く瞳。

 セーラー服姿の彼女は初めて見るけど、間違いない。南雲先生の無茶振りの中、フェニックスワンダーランドで出会った女の子、鳳えむちゃんだ。

 

 

「えむちゃん、久しぶり。元気にしてた?」

 

「絵名さん、お久しぶりですっ。あたしは元気いっぱい、わんだほーいです!」

 

「ふふ、そっか。わんだほーいなんだね。でも、走ったら今みたいに誰かにぶつかって危ないよ。気をつけた方がいいかも」

 

「……うぅ、はい。ごめんなさい」

 

 

 えむちゃんはペコリとまふゆに頭を下げる。

 

 それで少しは溜飲が下がったのだろう。不機嫌そうだったまふゆの雰囲気が和らいだ気がした。

 

 

「絵名の知り合いなんだ。すごい偶然だね」

 

「フェニランで偶然、知り合ってさ。そこからちょくちょく連絡してる仲かな」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

 

 まふゆがキラキラオーラを幻視させるような笑みを浮かべると、えむちゃんが首を傾げる。

 

 不思議そうなその視線は、もしかしたら表面だけを見ているものではないのかもしれない。

 

 

「あっ、そうだった! ごめんなさい、あたし、急いでるので! また今度お話ししてください!」

 

「そうなの? 足止めしてごめんね。急ぐならぶつからないように、気をつけてね」

 

「はい! 絵名さんと先輩さん、ありがとうございましたっ」

 

 

 えむちゃんは早歩きでその場を立ち去る。

 ピンクを見送ってから、改めてまふゆの方を見た。

 

 

「一応聞くけど、本当にいじめてなかったの?」

 

「……うん、走ったら危ないよって言っただけ」

 

「そっか」

 

 

 誰もいないことを良いことに、まふゆは笑みを消して首を横に振る。

 

 なら、どうして人懐っこそうなえむちゃんが怯えていたのか。

 そう考えてから、1つの可能性が頭に思い浮かぶ。

 

 

「もしかしたら、えむちゃんはあんたのことをよく見てるのかもね」

 

「そう?」

 

「まぁ、私の勝手な感想だけど」

 

「ふぅん、そうなんだ……それよりも、早く教室に戻ろう」

 

 

 私の提供した話題に興味がないのか、まふゆはスタスタと廊下を歩いていってしまった。

 

 

(もう少し、興味を持ってもいいと思うけどねぇ)

 

 

 そんな彼女に苦笑して、私は早足で進む紫髪を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──今日はただでさえ活動が少ない美術部の部活の日だった。

 

 いつもは美術室か、隣の準備室と室内でばかり描いていたのだが……たまには風に当たりながら、絵を描くのも良い。

 

 新鮮な気持ちで絵を描いていたら、ふと、誰かの会話が耳に入ってきた。

 

 

「いっちゃん、あの人って美術部の活動中なのかな?」

 

「そうだね。放課後にキャンバスの前で絵を描く部活なんて、美術部ぐらいだと思うよ。個人じゃ中々ないんじゃないかな」

 

「そっかぁ。アタシ、あぁいう姿を見ると、今更だけど美術部も良かったんじゃないかなーって思うんだよね」

 

「あれ、咲希って絵を描くのとか好きだっけ?」

 

「ちょっと絵に思い出があって。宮女の美術部って本格的だから遠慮してたんだけど、あんな絵を描けたらいいのになーって思ったの」

 

 

 落ち着いた声と明るめの声。

 何か聞き覚えのあるような、ないような。

 

 主に初めてのナイトコードで感じたことのある感覚に従って顔を上げれば、前から「あぁ!?」という叫び声が聞こえてきた。

 

 

「病院のお姉さん!」

 

「いや、別に私は病院勤めでも、病院そのものでもないからね?」

 

 

 とんでもない呼び方に思わずツッコんでしまったが、その特徴的な髪色は私の記憶に引っ掛かるものがあった。

 

 毛先の方がピンクっぽい綺麗な金髪。病院というワード。

 初めて誰かに絵をプレゼントするために描こうとして、よく観察した対象だから覚えている。

 

 確か、あのネームプレートには──

 

 

「えぇと、間違いじゃなければ、天馬さん……だっけ?」

 

「そうです、天馬(てんま)咲希(さき)です! アタシの名前、知ってたんですね、病院のお姉さん!」

 

「あはは、その……私は東雲絵名っていうの。だから、病院のお姉さんはやめてくれると嬉しいかな」

 

 

 どうやら間違いではなかったようで、入院していた時に出会った女の子──天馬さんが笑った。

 その1歩後ろにいた黒い長髪の女の子は、話についていけないのか目を白黒させている。

 

 

「えっと、その先輩は咲希の知り合いだったの?」

 

「うん。いっちゃんには話したことあると思うけど、絵をくれた病院のお姉さんだよ!」

 

「……あぁ! あの病院のお姉さんがこの人なんだ」

 

 

 どうやら2人の私への共通認識が『病院のお姉さん』らしく、やめてほしいと言ったつもりなのに、名前が会話に出てくることはなかった。

 

 ……それよりも、あの病院のお姉さんって何だろうか。

 自分がすっかり病院の人扱いされていることよりも、何の話をされていたのか気になって仕方がない。

 

 

「えぇと、改めまして。病院のお姉さんって呼ばれてるけど、東雲絵名です。別に病院の関係者ってわけじゃないから、名前で呼んでほしいかな」

 

「あっ、すみません。東雲先輩ですね。私は星乃(ほしの)一歌(いちか)です」

 

「改めて、よろしくお願いしますっ。しののめ先輩!」

 

 

 落ち着いているように見える星乃さんと、元気いっぱいの天馬さん。

 

 ……あの今にも倒れそうだった女の子が、今では元気いっぱいで学校に来ていると考えると、少し目頭が熱くなる。

 

 

(皆と一緒に学校に行きたいって言ってたけど……星乃さんもその1人なのかな。学校に行けて、良かったね)

 

 

 あの過去から今の元気な姿を見て感動していると、天馬さんが「あぁっ」と声を出して頭を下げてきた。

 

 

「しののめ先輩、部活中なのに邪魔でしたよね? ごめんなさい~っ」

 

「会話も楽しめないような時間の使い方はしてないし、大丈夫だよ。天馬さん達さえ良ければ話さない?」

 

「……わぁぁ。やっぱりクラスの皆から聞いた通り、しののめ先輩ってかっこいいですねっ!」

 

「え、話って何のこと?」

 

「あれ、先輩は自分の噂話とかは知らないんですか?」

 

「うん。天馬さん達が良ければ、聞いてもいい?」

 

 

 もしかしたら炎上事件のような噂かもしれないし。

 何事かと警戒していたら、私の予想の斜め上をいく言葉が星乃さんから返ってきた。

 

 

「東雲先輩といえば掲示板の大会受賞者の名前一覧とか、学年末テストの成績でも名前があったので、内部生なら知ってる子が多いと思いますよ」

 

「アタシもいっちゃんから聞いて知っていたんですよっ。あさひな先輩としののめ先輩。2人はよくいるし、顔も頭もいいってクラスメイトも言ってました!」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 芸能関係者が多い単位制にも負けない顔の良さに、上位陣に名前を連ねる頭の良さ。

 大会で好成績だったり、コンクール受賞だったりで職員室前に名前が載るのが多く、先生からの覚えも良いと、ほぼ初対面の後輩から褒め言葉が飛び出てくる。

 

 ……全部、まふゆの仕事を分担したり、まふゆの母親へ対抗するためのカードを手に入れる為の行動だったのだが、知らない人からはかなり良い方向に解釈されているようだ。

 悪評よりは良いかもしれないが、こうも持ち上げられるとむず痒い。

 

 

「話し難いことなのに、話してくれてありがとう」

 

「アタシもあの時のお姉さんとまた、お話しできて良かったです!」

 

「私も、あの時の子がこうやって学校に来ていて嬉しいよ。すごく無責任なことを言ってた自覚があるから……天馬さんが学校に来れて、幼馴染の子達と楽しく過ごせてるみたいで良かった」

 

「はい! ちょっと大変だったけど、今は皆で楽しく音楽やってますっ!」

 

「咲希、そこはバンドじゃない?」

 

「あぁっ!? そうだった~っ」

 

「──そっか。楽しく音楽やってます、か。本当に良かった」

 

 

 皆と学校に行きたいと願っていた女の子が、学校に来て楽しそうに過ごしている。

 それだけで、今日は学校に来てよかったと思えるのだから、私もまだまだ大丈夫なのかもしれない。

 

 

 その後、学校生活のこととか聞いている間に余所余所しいのはちょっと……となって、お互いに苗字呼びから名前呼びをすることになった。

 

 

「えな先輩、また話しましょーねー!」

 

「お邪魔しました、絵名先輩」

 

「ふふ、はーい。また時間があったらよろしくね、咲希ちゃん、一歌ちゃん」

 

 

 

 美術部の後輩がいないってこともないのだけど、どこか距離を取られているから、こういう親しめの後輩が増えるのは嬉しいものだ。

 

 ニコニコとしている顔がなかなか治らず、部活帰りにバッタリ出会ったまふゆに「変な顔」と言われるまで、その日の私は上機嫌なのだった。

 

 

 

 





記憶喪失えななん、自分から名乗れる程度には進歩してます。

次回は愛莉さん経由でモモジャンの皆と顔合わせです。

2/11
プロセカの主人公である星乃一歌様の名前を間違うという致命的なミスをしておりました。
この場を借りて謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした……


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52枚目 そうは言ってない


記憶喪失えななんが宮女にいて、かつ愛莉さんの相談とかに乗っていたことによって起きた出来事。
えななん混入のモモジャン回です。



 

 

 セカイへの引き籠り期間もあり、1ヶ月以上、お母さん以外の人間とスマホで連絡を取っていなかったのだけど。

 最近、久しぶりに連絡すれば愛莉の状況がガラッと変わっていた。

 

 

『絵名、聞いてちょうだい! わたし、またアイドル活動ができそうなの!』

 

「すごいじゃん、愛莉! おめでとう! ライブをするなら絶対に行くから、教えてよねっ」

 

『えぇ、もちろんよ! あっ、そうだ。今度、絵名にも一緒に活動する子を紹介するわね』

 

「わかった、楽しみにしてるから」

 

 

 

 

 確かに、電話でそんな話をした記憶はある。

 

 だけど──どうして私は学校の屋上で、愛莉達と一緒に練習することになったのだろうか?

 

 

 

 

「東雲先輩、大丈夫ですか!?」

 

「も、ぅ……むりぃ……」

 

 

 明るめの茶髪の女の子に声をかけられても、私は情けない声を返すことしかできない。

 

 どんなに辛くても笑顔で歌って踊ってしまうアイドルの練習に、体力底辺値の私がついて行けるはずもなく。

 ヘロヘロになりながらも意地で食いついていたが、一通り練習メニューをこなした頃にはゼロゼロと虫の息。

 

 屋上の床と同化した私は愛莉から『動きやすい服で来てほしい』と言われた理由を漸く理解した。

 

 

「愛莉……ハメたわね」

 

「わたしも、絵名がここまで乗ってくれるとは思ってなかったわ」

 

 

 うつ伏せから顔を横に向け、上から見下ろしてくる主犯を恨みを込めて睨む。

 主犯である愛莉はというと、申し訳なさそうに眉を八の字にし、口元を引き攣らせていた。

 

 そう、私が床と仲良くしているのも、半分は私のせいだが、もう半分は愛莉の悪ふざけも原因なのである。

 

 事の発端は愛莉が紹介すると言いながら、何故か私を友達ではなく『5人目の新メンバー』として紹介し、日野森(ひのもり)(しずく)さんが「まぁ、それなら一緒に練習しましょ」と愛莉の言葉を鵜吞みにして。

 

 今も介抱してくれようとしてくれている後輩の女の子──花里(はなさと)みのりさんが困惑しつつも「愛莉ちゃんと雫ちゃんが言うなら……」と納得し、桐谷(きりたに)(はるか)さんは多分、愛莉の悪ふざけを理解しつつも乗っかった。

 

 後、私も言葉で違うと言いつつも、ちょっとアイドルの練習とやらに興味があって、好奇心がブレーキを弱らせた。

 ……強いて言えば、全部が嚙み合って全部が悪かった。

 

 結果、運動部にも負けない練習に参加した私は早々にダウンし、花里さんにかなり心配されたのだ。

 新メンバーという誤解は解けているものの、これは酷い。

 

 とはいえ、何時までも床と仲良くしているわけにもいかないので、愛莉の手を借りて何とか立ち上がる。

 

 

「絵名、大丈夫?」

 

「この姿を見て大丈夫だというのなら、愛莉は凄いわ……ふふ。見て、この足。生まれたての小鹿よ」

 

「プフッ」

 

「遥ちゃん!?」

 

 

 スマホのバイブレーションよりもプルプルと震える足と、私の投げやりなギャグがツボに入ったのか、少し離れた所で桐谷さんが笑い出す。

 

 私に寄り添ってくれていた花里さんは小さな悲鳴を上げて、笑い死にそうになっている桐谷さんの方に駆け寄る。

 

 私は己の体力と足を犠牲に、桐谷さんの腹筋に直接攻撃を決めて、痛み分け。

 何もないのは最後まで「東雲さんはアイドル活動をしないのねー」とフワフワとした笑顔を浮かべている日野森さんぐらいだった。

 

 

「ごほん。改めまして、東雲絵名です。 5人目でも何でもなくて、愛莉とは中学の時からの友達──というか、親友かな。今日は大切な練習時間を邪魔しちゃってごめんね」

 

「いえいえ、本当にアイドルをやる予定だったのかなって思うぐらい、上手でしたよ!」

 

「表現力が高いっていうのかな。拙いところは多いのに、気持ちが伝わってくる良いダンスだったと思います」

 

「みのりちゃんや遥ちゃんの言う通り、東雲さんのダンスは私も見ていて楽しかったわ」

 

 

 私が頭を下げれば、花里さん、桐谷さん、日野森さんの順番で好評価をくれた。

 あんなに地面と仲良くしていたのに、リップサービスが上手である。

 

 アイドルはそこまで口が上手なのかと感心していると、私の考えを見透かしたのか、愛莉が苦笑いした。

 

 

「初めてのダンスだとは思えないぐらい上手、っていうのはお世辞じゃないわよ。アイドルとしてはかなり足りない点があるけど、魅せ方とかわたしも勉強になったぐらいだもの」

 

「あー、それ。料理の写真とか自撮りとかしてるから、写真映えとかは気になっちゃうのよね」

 

「いや、絵名ってあの件から自分の写真とか、絶対に上げないって言ってるじゃない。何で自撮りなんかしてるのよ……」

 

「日頃から自分のコンディションに気が付く為と、SNS見てたら絶対に私の方がバズる自信があるから。その対抗心的な?」

 

「……それで、SNSで上げることもない写真を撮ってるってこと? いやいや、何やってんのよ。スマホのデータ容量が悲鳴を上げるわよ?」

 

「その辺りは大丈夫。対策済みだから」

 

 

 ナイトコードを始めてから、個人サーバーを作って写真を保管するようにしているので、スマホは悲鳴を上げていない。

 

 なんて、コントのようなやり取りをしていたら、日野森さんが両手を合わせて話しかけてきた。

 

 

「まぁ、愛莉ちゃんと東雲さんはとっても仲良しなのね。息がぴったりだわ」

 

「こんなことで仲が良いっていうのは思うことがあるけど……わたしと絵名は親友と言ってもいいぐらいの間柄だもの。当然ね」

 

「私も東雲さんと仲良くしたいわ。ねぇ、東雲さん。試しにお互い、気軽に呼び合ってみない?」

 

「えっと、それって下の名前で呼ぶって事?」

 

「えぇ、ダメかしら?」

 

 

 ニコニコと笑みを浮かべながら小首を傾げる日野森さんはとても様になっており、流石はアイドルである。

 前の日野森さんは透明感のある外見から完璧を象徴しているようなアイドルだったけれど、天然っぽいおっとりとした調子の彼女も良いと思う。

 

 

「じゃあ、よろしくね。雫」

 

「……! えぇ、よろしくね、絵名ちゃん」

 

「雫だけ気軽に呼び合うっていうのもあれだし、花里さんも桐谷さんも呼びやすいように呼んでね」

 

 

 私が愛莉と同じグループで活動する2人にも気楽に呼んで欲しいと思って声をかけると、愛莉は意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 

「あっ、絵名。遥にそんなことを言ったら『じゃあ絵名って呼ぶね』って、呼び捨てにされるわよ~?」

 

「あれ、もしかして敬って欲しかったんですか? 桃井先輩?」

 

「……この後輩、喧嘩売ってるわね?」

 

 

 愛莉と桐谷さんが言い合っている間に、花里さんが小走りで近づいて来た。

 

 

「えっと、わたしも絵名先輩って呼ばせて貰ってもいいですか?」

 

「うん、私もみのりちゃんって呼ばせてもらうね」

 

「はい!」

 

 

 みのりちゃんの元気な姿に癒されている間に愛莉と桐谷さんの戯れ合いが終わったようで、桐谷さんが合流する。

 

 

「桐谷さんも、みのりちゃんと同じように遥ちゃんって呼んでもいい?」

 

「はい。では私も、絵名さんって呼ばせてもらいますね」

 

「ありがとう。遥ちゃんもみのりちゃんも、よろしくね」

 

 

 そうやって会話で時間を稼いでいる間に、私の足も生まれたての小鹿から成長したようで、震えが消えていた。

 これならば屋上の階段を降りている最中に崩れ落ちるような、間抜けな姿を見せることはないだろう。

 

 その場で軽く足踏みしてから、改めて愛莉の新しいアイドルグループのメンバーを観察する。

 

 

 まず、1人目は私の親友にして事務所と本人の方向性の違いからアイドル活動を休止していた元QTの愛莉。

 

 

 2人目がCheerful*Daysの元センターで、今は脱退しているらしい同い年の単位クラスの女の子、雫。

 

 水色のロングヘア―や口元の黒子、青色のタレ目がミステリアスで大人っぽいと前のグループでは言われていたが、見ている限りではおっとりとしていて、天然っぽく見える。

 もしかしたら今までは頑張ってそういうイメージを作っていたのか。まふゆと同じ弓道部らしいし、雫にも似たようなところがあるようだ。

 

 

 で、反対にテレビとかで見た時とイメージが全く変わらない3人目は、国民的人気アイドルグループである『ASRUN』に所属していた元トップアイドル、遥ちゃん。

 

 碧眼と青のショートカットが真面目っぽい印象があるせいか、彼女も無理をしないか怖いところがある。

 面倒見のいい愛莉もいるし、その辺りは4人で支え合って生きていけるだろう。私が心配することでもあるまい。杞憂退散、考え過ぎだろう。

 

 

 最後に、アイドル経験無しだけれども、個人的にこのメンバーの重心になりそうだと注目している子、みのりちゃん。

 

 明るい茶髪をボブカットにしていて、短時間見ていただけでもわかるぐらい純粋だし、見た目も中身もとても明るくて元気を貰えそう。

 ただ、私がすっごく落ち込んでる時とかに会ったら、たぶん浄化されるか溶ける気がするので、距離感には気を付けた方がいいかもしれない。

 

 

 そんな4人が組んだアイドルグループの名前は『MORE MORE JUMP!』、略してモモジャンだという。

 まだ世にも出ていないアイドルグループ(予定)であるものの、それぞれが引っ張って支え合えそうな雰囲気があって、将来的に良いアイドルになりそうだ。

 

 

「よかったわね、愛莉」

 

「何が?」

 

「夢、叶いそうな鍵を掴んだじゃん。安心しちゃった」

 

「事務所とかもなにも見つかってないから、まだまだ先は長いわ」

 

「でも、将来性抜群なみのりちゃんは兎も角、他の皆は知名度あるじゃん。最悪、SNSで宣伝しつつ動画配信で人を集めたら、ライブもテレビ出演も夢じゃないと思うけどね」

 

 

 最近、SNSで活動しつつ、ライブやテレビ番組の出演もしているインフルエンサーも多くいる。

 そういう人を思い出しながら言ったら、愛莉どころか雫や遥ちゃんは目を見開いてるし、みのりちゃんもやっぱり! と叫んでいてちょっと怖い。

 

 頭の中に『?』を浮かべながら状況の変化を窺っていると、みのりちゃんがグイッと近づいてきた。

 

 

「絵名先輩も動画配信とか、良いと思いますか!?」

 

「え、うん。有名なインフルエンサーなら何十万人も人を集めてライブするし、最近だとバズればテレビよりも人に見られるんじゃないかって思うわよ? それに、愛莉達って無名じゃないし、最初の注目度はあるから、そこから視聴者を掴めば上手くいくんじゃない?」

 

 

 最初はアイドルというよりも、アイドルを自称する動画配信者みたいな形になるのかもしれないけれど。

 私はメンバーでもなければただの外部のじゃじゃ馬だ。他人事なので軽く言ってしまっているが、勝算のない話ではないと思う。

 

 

「SNSにしょっちゅう投稿しまくってる絵名の意見なら、いけるかもしれないっていうのが恐ろしいわね……」

 

「とはいっても、普通に文章を投稿するだけじゃダメだけどね。インプレッション数が多い時間を狙って、愛莉達の名前が検索に引っかかるように文章や既存のファンが使ってるタグを入れつつ、証拠に短めの自己紹介動画を付けて複数投稿したら、初動はとりあえず注目されると思う。そこからネットニュースになれば更にドン、ね」

 

「絵名、有識者として意見を貰ってもいいかしら?」

 

「有識者じゃないし……学校とか絵とか、何よりサークルがあるから優先的に、とはいかないけど。それでも良いなら力になれるかな」

 

「それで良いわ! 絵名の戦略を聞かせてちょうだい!」

 

「戦略って、大袈裟だってば」

 

 

 愛莉の勢いに負けて、疲労している体に鞭を打って、南雲先生や今までの自分の所感も合わせた話をこの場ですることになり。

 

 何故か、時たまSNS関連で愛莉の相談を答えるようになるとは、この時の私も想像していなかった。

 

 





記憶喪失えななんが小技とか習得してるのは大体、美術部顧問のせい。
次回はビビバスで会ってない2人と顔合わせします。


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53枚目 えなの宅急便


既視感のあるサブタイかもしれませんが、今回はビビバス女の子組回です。
といってもほぼ顔合わせのようなものですが。



 

 

「うわー……」

 

 

 今日は病院の日だったので早めに家に帰ってきたのだけど、リビングで嫌なものを見つけてしまった。

 

 

(彰人のやつ、財布とスマホ忘れてんじゃん。どういうことよ、これ)

 

 

 スマホなんて現代では命並みに大事なものなのに、どうしてあいつは忘れてしまっているのだろうか。考えてみてもわからないことばかりだ。

 

 忘れないと断言できるほど私がスマホに依存しているのか、彰人が(スマホ)なんて忘れてもたいしたことがないと思っているのか。

 弟の信じられない行動に頭を抱えつつ、されど、放置するのは良心的に難しい。

 

 時計を見てみると、神高もちょうど授業は終わってそうな時間帯だ。

 

 今日も彰人は練習だと言っていたような記憶がある。

 しかも、最近は相棒の冬弥くんだけでなく、女の子2人も加えた4人で活動してると聞いた。

 

 

(困るよねぇ。絶対)

 

 

 数分ほど悩んでから、スマホと財布を持って自室に直行する。

 とりあえず私服の中から神高の制服っぽく見えるワイシャツや、いつも着ているカーディガン。後はそれっぽいプリーツスカートを履いて、変装完了だ。

 

 校内に侵入するのはともかく、校門前で待つぐらいなら問題ない程度には変装できたと思うし、届けに行こう。

 今なら急げば学校にいるであろう彰人の元へ、届けられるはずだと早足で別の高校への道を進む。

 

 通い慣れているとは言えない道を通って神高前まで行くと、ちょうど下校時間なのか、部活動中っぽい運動部の掛け声や、帰宅する生徒の姿が見えた。

 

 

(……ここで待ってたら彰人に会えるかな)

 

 

 学校内に入らないように気を付けつつ、校門近くの壁に背中を預けたその瞬間、夜に聞き慣れた声が私の鼓膜を揺らす。

 

 

「あれ、絵名じゃん。わざわざ神高に来てどうしたの?」

 

「……瑞希? え、何で学校にいるの?」

 

「いやいや、ボクだって学校に行く日もありますぅー。何でっていうのはこっちのセリフだよ。絵名は他校に侵入するつもりだったりするの?」

 

「は? 違うから。彰人……えっと、ウチの弟がスマホと財布を家に忘れてたの。流石に大変かなって思ったから、ここまで持ってきたのよ」

 

「そうなんだ。絵名ってば意外とやっさし〜」

 

「意外とは余計よ」

 

 

 とはいえ、瑞希に疑われるぐらいノープランでここまで来てしまったのも事実だ。

 残りの手段として知り合いにお願いするのもアリだが、同い年であっても瑞希が弟の所在を知っているとは考え難い。

 

 さて、どうしたものか。

 

 家に置いたままの方が良かったのではないか、と後悔し始めていた私の前に、運良く第三者が現れた。

 

 

「──瑞希、門の前で何してるの?」

 

「あぁ、杏か。ボクの友達が人探しでここまできたんだけど、どうやって呼び出せばいいのやらって、困ってるんだよ」

 

「探してる人が1年生なら、友達とかに声をかけたら探せるかも。よければ名前を聞いてもいい?」

 

 

 声をかけてきたのは瑞希の友達のようだ。

 下の名前で呼び合っているのを見るに、結構仲が良さそうである。

 

 青のグラデーションが入った黒いロングヘアに、橙色の吊り目。

 髪に複数付いている星型のチャームシーズや星のピアスといい、星が好きなのだろうか。小物に星が多いように見える。

 

 瑞希がどうするの? と視線で訴えてくるので、それに頷き返しながら、私は杏と呼ばれた少女の問いかけに答えた。

 

 

「弟の名前は東雲彰人で、確か1年C組って言ってたと思うんだけど」

 

「うんうん、弟でC組の東雲彰人ねー……ってことはあなたが彰人のお姉さん!?」

 

「え、うん、そうだけど……?」

 

 

 吊り目を丸くして驚く少女に、私は瑞希の方へと顔を向ける。

 

 

 ──ウチの弟って有名人なの?

 

 ──いやいや、ボクは知らないって!

 

 

 私と瑞希は目だけで会話して、お互いの認識をすり合わせた。

 有名人ではないと。ならば、運がいいことに彰人の知り合いを釣り上げたみたいだけど……この子と彰人の関係は何だろう?

 

 

「えぇと、彰人を知ってるの?」

 

「あっ、すみません。私は最近、彰人達ともチームを組むようになった白石(しらいし)(あん)です。お姉さんの話は彰人からチラッと聞いたことがあります!」

 

 

 恐る恐る尋ねてみれば、胸に手を当てて自己紹介してくれる少女、白石さん。

 彰人がいるところまで案内してくれるとのことだったので、瑞希とはその場で別れて、白石さんの後を付いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで外側からしか見たことがなかったビビットストリートに入り、白石さんに導かれるままにカフェっぽいお店に入る。

 《WEEKND GARAGE》という看板のあるお店は、今まで私が入った事のあるカフェとも違っているようだ。

 

 

「ただいまー。あれ、彰人達、まだ来ていないんだ」

 

 

 ほんの少しの好奇心で店内を観察していたが、白石さんの言う通り、カフェの中には彰人どころか店の人も表にはいないようだ。

 

 ここに来るまでの白石さんの話によれば、ここでチームのミーティングをするらしいのだけど、それらしい人もゼロ。

 念の為に白石さんに一言入れてから家に電話してみたものの、入れ違いにもなっていないみたいで。

 

 

「白石さん、彰人ってここに来るんだよね?」

 

「はい、そう聞いてますけど……」

 

「じゃあ、白石さんが彰人に忘れ物を渡してくれないかな?」

 

 

 鞄から彰人のスマホと財布を取り出して、白石さんに手渡す。

 本当は直接渡した方がいいと思うけど、仕方がない。チームの仲間だという白石さんを信じて託した。

 

 

「えぇ。財布とスマホを忘れるって、致命的じゃない? ……こほん。任せてください、ちゃんと彰人に渡しますよ!」

 

「ありがとう。じゃあ、ミーティングの邪魔をしたら悪いし、私はそろそろ帰るね」

 

 

 何も知らない彰人とばったり会ったら、第一声にげっ、とか言われそうだし、白石さんに任せて良かったと考えよう。

 そう自分に言い聞かせてさっさと帰ってしまおうとくるりと踵を返すと、私が扉に近づく前に扉を開いた。

 

 

「こんにちは」

 

「あっ、こはね! いらっしゃい!」

 

「少し遅くなってごめんね。隣の人はお客さん、なのかな……?」

 

 

 お店に入ってきたのは彰人ではなかった。

 小動物っぽい可愛らしい女の子が頭を下げつつ店に入って来て、白石さんと仲良く会話している。

 

 クリーム色の髪を2つに結び、どことなくハムスターが脳裏に過る丸い茶色の目。

 宮女の制服だし、第一印象だけなら接点がわからないけれど、彰人と白石さんがチームを組んでいるということは、それ関連──『音楽』で繋がる仲なのだろう。

 

 

(咲希ちゃん達も音楽で繋がったって言ってたし、私もKの曲でニーゴの皆と繋がったようなものだし……凄いな、音楽)

 

 

 そんなことを頭の中で考えていると、白石さんにこはねと呼ばれている女の子が茶色い目をこちらに向けてきたので、私は軽く会釈をした。

 

 

「こんにちは。あなたも彰人や白石さんと同じチームの子?」

 

「え、はい。最近、一緒に歌ってる小豆沢(あずさわ)こはねです。それで、その……杏ちゃんの知り合いみたいですけど、どなたでしょうか?」

 

「あぁ、ごめんね。私の名前は東雲絵名……あなたと一緒に活動している東雲彰人の姉です」

 

「えっ、東雲くんのお姉さん?」

 

「髪の色とか似てないからわからないかもね。今日は彰人が忘れ物しちゃったから届けに来ててさ。今、白石さんに預けたから、お暇するところだったの」

 

「東雲くんが忘れ物? 珍しいね」

 

 

 こてん、と小首を傾げて女の子──小豆沢さんが白石さんの方を見る。

 

 

「スマホと財布を家に忘れてたんだって」

 

「えぇっ。それってすごく困るものだよね。東雲くんのお姉さん、ここまで届けてくれてありがとうございました」

 

「小豆沢さんにお礼を言われるようなことじゃないよ。2人で忘れないようにって、彰人に渡してくれると嬉しいな」

 

「はい! 杏ちゃんと一緒に東雲くんに渡します!」

 

 

 小豆沢さんのぎゅっと両手を握って、小刻みに頷く姿は1つ1つが可愛らしい。

 白石さんから感じる優しい視線の理由が、この短時間で理解できる動きだった。

 

 

「そういえば、小豆沢さんの制服って宮女のだよね。また学校であったらよろしくね」

 

「学校で? もしかして、東雲くんのお姉さんって宮女の先輩なんですか?」

 

「そうなの、そっちの意味でもよろしくね。後、東雲くんのお姉さんって長いでしょ。東雲だと彰人とややこしいし、気軽に呼んでよ」

 

 

 初対面だった時のえむちゃんによると、ただでさえ東雲という苗字は言いにくいらしい。

 白石さんのように早々にお姉さんと呼ぶなら兎も角、ずっと『東雲くんの』という枕詞を付けていたら大変だろう。

 

 そういう意味でも提案したのだが、真っ先に反応したのは片手を挙げた白石さんだった。

 

 

「はいはい、私も絵名さんって呼んでいいですか!?」

 

「うん、白石さんも小豆沢さんも、呼びやすいように呼んでよ」

 

「えっと。じゃあ、私も絵名先輩って呼ばせてもらいます」

 

 

 その後、小豆沢さんも小さく頷いてくれて、私の交友関係がまた少し、広がったように感じる。

 

 今日は彰人の忘れ物のせいでややこしいことになったと思ったけれど。

 彰人のチームの子と顔見知りになれたのだから、結果的には良かったのかもしれない。

 

 

「じゃあ、私はそろそろ退散しようかな。彰人が来たらよろしくね」

 

「絵名さん、今度はゆっくりしに来てくださいね。美味しいお茶とお菓子、用意しますから!」

 

「絵名先輩、また学校とかで会ったらよろしくお願いします」

 

 

 カラリと笑って手を振る白石さんと、ペコリと頭を下げる小豆沢さん。

 2人に見送られて、私はビビットストリートを後にする。

 

 その日は家に帰ってくるまで彰人と会うこともなかったけれど、新しい出会いもあったし、行動のきっかけをくれた彰人に感謝しよう。

 

 





次回からまとめて、イベントストーリースタートです。
更新が止まらないよう、この荒波を乗り越えてみせます……



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イベントストーリー編
54枚目 コマンド入力の仕方



細々と章分けしても……思うので、ここから全部まとめてイベスト編です。
まずはマリオネットから。


 

 

 ──25時。

 

 

『やっほっほ〜♪ 皆、元気してるー?』

 

 

 久しぶりに徹夜してダメージが残っている体に、嫌になるぐらいAmiaの明るい声が響く。

 

 

『よーし。今日も元気に曲作り、頑張るぞー! おーっ!』

 

「もう、うるさいわね……Amiaぐらいよ、そんなに元気なの」

 

『もー、えななんってばテンション低いなぁ。今日からまた、新曲作るんだよ? テンション上げてこーよぉー』

 

「何? Amiaは太陽が西から東に昇ると思ってんの?」

 

『えぇ……テンション上げるだけなのに、急に難易度不可能級になるじゃん』

 

 

 それぐらい無理だと言っているのだ、察してほしい。

 ショートスリーパーでも徹夜が楽なんてことはなく、鈍い痛みを訴えてくる頭を手で押さえ、ふと気が付いたことを口にする。

 

 

「それにしても……何で一緒に徹夜したはずのAmiaは元気なわけ? 体力バカなの?」

 

『体力バカ!? こんなカワイイ子相手に、えななんはほんっとーに失礼だな~!』

 

「じゃあ、体力オバケにしておく?」

 

『え、それならまだカワイイかも……? しょーがないから褒め言葉として受け取っておくよ~♪』

 

「はいはい……」

 

 

 バカもオバケも意味は変わらないのに、すぐに態度が変わるのだから不思議だ。

 私はバカもオバケも嫌なのだけど、Amiaの機嫌が良くなったのだから、今回は気にしないことにした。

 

 こういう時のAmiaは単純で助かる。

 そんな失礼な感想を胸の中に浮かべて画面を眺めていると、Kのアイコンがキラリと輝く。

 

 

『あれ、そういえば雪は?』

 

『ん~? ログインはしてるみたいだけど……』

 

「喋る必要がないからって黙ってるのかも。声をかけてみたら、返事するんじゃない?」

 

『……雪、いたら返事して』

 

 

 Kはどうしても心配のようで、雪に声をかける。

 

 優等生モードなら兎も角、普段の雪は受け身で相手の様子を窺っていることが多いのだ。

 声をかけたら出てくるだろう……という私の予想通り、淡々とした雪の声が聞こえてきた。

 

 

『──いるよ』

 

『そっか、よかった』

 

 

 Kはいることを確認できればそれでよかったのか、それ以上は何も言わない。

 ただ、このままだと毎回誰かが点呼しないと喋らなさそうだったので、声をかけておこう。

 

 

「雪、いるならさっさと声を出しなさいよ。学校じゃないんだから、毎回点呼なんてやってらんないわよ」

 

『次からはそうする』

 

「ん、ならよし」

 

 

 ちゃんと言葉に出したので、今度からは返事して〜とか言わなくても反応してくれるだろう。

 ナイトコードに集まった理由もすっかり頭から抜けて、頷いている私にAmiaが声をかけてきた。

 

 

『じゃあ、ひと段落ついたところで、そろそろ新曲に入ろうよ! 早くデモを聴きたいな~』

 

『わかった、今送るね』

 

 

 ポコン、と送られてくる圧縮ファイル。

 いつものように中身を再生すれば、Kらしい優しくて温かい曲が鼓膜を揺らす。

 

 Kらしい曲なので、個人的には嫌いではない。

 

 

「すごく良い曲だね。さすがはK」

 

『うんうん。聴いてるだけで色々とイメージが浮かんできたよ! サビの所とか、エフェクトでいっぱい遊びたいなぁ』

 

『そっか、良かった。それで、雪はどうだった?』

 

 

 ……だが、Kが作っているのは『雪を救う曲』だ。

 私やAmiaが褒めても、肝心の雪が何も言わなければ意味がない。

 

 

『どうって、何が?』

 

『この曲、どういう風に感じたのかなって』

 

 

 だけど、そう上手くいくほど、雪も単純ではないわけで。

 

 

『どうって……奏の曲だなって、思ったよ』

 

 

 たっぷり間を置いてから、雪は要領を得ない言葉を吐き出した。

 

 ──違う、そうじゃない。

 

 雪に慣れてなければ思わず突っ込んでいただろうが、こっちは雪と1年間、対面してきたのである。

 落ち着くために一呼吸を入れても、K達は黙ったままだ。このままでは埒が明かないので、私はいつものように問いかけた。

 

 

「ねぇ、雪。今回のKの曲は好き? それとも嫌い?」

 

『……嫌いじゃないと思う。でも、好きでもない』

 

「あー……良いか悪いかで言えば?」

 

『いつも通りで、良かったと思う』

 

 

 これはあれだ。本当に素通りしてしまったような手応えだ。

 

 引っかかることもなければ、何かを重ねることもなく、世間一般的に良いと思われそうだから良いと思う。

 

 Kに失礼な発言のまま終わりそうだったから軌道修正を試みてみたものの、この手応えはあまりにもよろしくない。

 

 Kもそれを感じ取ったのか、そっか、と小さく呟いた。

 

 

『雪。率直に言ってくれて、ありがとう』

 

『……うん』

 

 

 そこから暫く、気まずさからなのか無言で作業が進み、数時間。

 雪も寝なければいけない時間となり、先に抜けるのを見送ってから、私は改めて声を出した。

 

 

「K、大丈夫?」

 

『大丈夫って、何が?』

 

「デモの件。雪の感想を聞いて、困ってないかなって。ほら、あの感想だと雪が何を考えていて、どう感じたのかとかわからないでしょ」

 

『それは……』

 

『どうだろうねぇ。ボクは素を見せてくれてると思うけどねー』

 

 

 Kが言い淀んだせいか、Amiaのフォローがキラリと輝いた。

 

 空気を悪くしたくなかったのか、ほんの少しズラした話題がAmiaから投げかけられた。

 

 

『それにしてもー。雪がいなくなった途端に雪の不満を引き出そうとするなんて、えななんってばコワーイ。陰険自撮り女~!』

 

「何、その妖怪みたいな名前。というか自撮りしてないし」

 

『自分専用のサーバー作って自撮りを1人で投下してるんでしょ? ボク知ってるも~ん』

 

「はぁ!? 何で知ってるのよ!?」

 

 

 それを知っているのは愛莉だけの筈だ。

 自撮り写真だってサーバーにアップしているのは自室や美術準備室、後は良い写真が撮れた時ぐらいで、Amiaの前で撮った記憶なんてない。

 

 

『え、やってるって雪が言ってたよ?』

 

「あいつの方が陰険じゃん、ばかぁっ!!」

 

 

 机の空白地帯と私の額が勢いよく衝突した。

 

 そういえば、私がサーバーにこっそりアップしている時、雪が素知らぬ顔でこちらを見ていたし、知っていてもおかしくなかった。

 だとしても、だ。

 

 

(あのバカ! 顔面偏差値の暴力! 必殺《わからない》の使い手! すまし顔でとんでもないことをやらかす無敵女!)

 

 

 よりによって、どうしてあのカワイイ大好き人間にタレコミしたのか。そのせいで嬉々としてAmiaが揶揄いに来ているではないか。

 

 雪がリークするのはアリなのに、私がKと雪の話をするのが許されないのは納得いかない。

 もうAmiaを無視してKに話しかけてしまおう。構ってやるものか、と鋼の決意で机に突っ伏していた顔を上げた。

 

 

「というか、本人の前で言えるわけないでしょ。雪にはどうしようもないことを、責めるわけないし」

 

『へぇ、えななんはそう思ってるんだねー』

 

「まぁね……ただ、今のままだとKが頑張って曲を作っても梨の(つぶて)だから、もどかしくて」

 

『──えななん、それってどういうこと?』

 

 

 全く見えなくても、画面の向こう側で首を傾げているのが想像できる声が耳に届く。

 

 曲を作れない私がKに意見するのもどうかと躊躇ってしまったが、Kに『教えて欲しい』と言われてしまうと答えないわけにもいかない。

 

 

「Kに任せっぱなしな私が言うのもあれだけど……Kの曲には救いたいって純粋な想いがあっても、どう救いたいのかとか、雪にどうなってほしいのかとか……そういうのが、私には見えなかったのよね」

 

『どう救うか、どうなってほしいか?』

 

「うん。雪もきっとKの『救いたい』って気持ちはわかったから、Kらしい曲だって言ったんだと思う。でも、曲を作ってるKもどう救うのかわかってないのなら、雪も見つからないんじゃないかなって……そう思ったの」

 

『……そっか』

 

「えっと、その……ごめん、作曲とか何もわからないのに、偉そうなことを言って」

 

『ううん。ありがとう、えななん。わたしもちょっと……1人で考えたいから、今日は落ちるね』

 

 

 ボイチャから出ていく音が響き、嫌な静寂が訪れる。

 

 やらかした。もっとオブラートというか、遠回しに伝えたら良かったのに、結構ハッキリ言ってしまった。

 

 体から血が無くなっていくような、嫌な震えが私に襲い掛かってくる中で能天気な声が聞こえてくる。

 

 

『やーっちゃた、やっちゃった~』

 

「……今は、Amiaの揶揄いすらも癒しに感じる」

 

『わーお、これは重症だね』

 

 

 地を這うようなテンションの私に対して、Amiaは困ったような声を出しただけ。

 こういう時のAmiaはこちらを責めることもなく、ラインを見極めながら揶揄ってくるのだ。

 

 

「Amiaがこの前オススメしてきたゲーム実況あるじゃん」

 

『突然だねぇ。確か、コマンドバトル系のヤツだったよね』

 

 

 数日前にナイトコードにて、オススメだよーって送られてきた実況者の動画。

 

 どこにでもある『たたかう』とか『どうぐ』とか『にげる』とか、そんなコマンドを選んで、物語を進めるゲームを思い出しつつ、私は両手の甲に顎を乗せた。

 

 

「あの動画のゲームってさ、選択肢にない行動はできないでしょ。コマンドをもらってないのが今の私とAmiaで、唯一雪から『救う』ってコマンドをもらったのがK。つまり、そういうことよ」

 

『……ごめん、どういうこと?』

 

 

 私とAmiaには『救う』というコマンドがないのは、Kのこととは関係がないので置いておくとして。

 

 

「例えば、イベント戦だと、体力を半分以上減らさないと話が進まなかったりするじゃん」

 

『あー、うん。それで?』

 

「今のKは例えるなら、体力を減らすとか、そういう途中経過の作業もせずにずっと同じコマンドを連打してる感じがしたの。だから、イベントが進まない」

 

 

 雪のことを詳しくわからないまま、雪をどのように救いたいのか、どこに連れて行きたいのかも不明。

 過程も何もかもすっ飛ばして、今のKはとりあえず与えられた『救う』というコマンドを押し続けている。

 

 

「そうやって一方的に曲を作るだけで、本当にいいのかなって……思ったのが言葉に出ちゃった」

 

『……その、えななんの言いたいこともわかるよ。Kの曲はとっても良いけど、雪にとっては今までと変わらないってことでしょ』

 

「うん……もうちょっと言い方があったなって思うけど」

 

『って言ってもねぇ。こればっかりは難しい話だと思うよ。ボクにもどうすればいいかなんて、全くわかんないもん』

 

 

 結局、その後も2人だけで作業をしようという気分にもなれず。

 

 Amiaとほんの少しだけ喋ってから、その日のナイトコードからは人がいなくなったのであった。

 

 

 





今回から囚われのマリオネットを少し。
あまりストーリーから大幅には変わってないんで、飛ばしてもいいかなーって思っていたのに……やってもいいじゃんと囁く悪魔がいたのでやります!


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55枚目 チケット2枚、人数は4人


見直してる……つもりでも誤字はひょっこり出てくるので、いつもありがとうございますと両手を合わせてます。
本当にありがとうございます!



 

 

 昼休みになってから美術準備室に行くと、先客がいた。

 

 備え付けられたソファーをベッドにして、タオルを丸めて枕にしている紫髪。

 学校では滅多に隙を見せないまふゆが無防備に眠ってるのだ。

 

 どうやら昼休みに仮眠を取りたくなるほど、今日のまふゆは疲れているらしい。

 誰も来ないと安心しているのか、来ても私ぐらいだと高を括っているのか。顔を隠すことなく静かに眠っている彼女の前に、私はゆっくりと移動する。

 

 

(うーわ、相変わらず整った顔してるわね……セカイでもないのに無警戒に寝てる姿なんて、初めて見たかも)

 

 

 規則正しく上下する胸に、長い睫毛が綺麗に揃った瞼。

 鼻が通っていて画家も泣きたくなるぐらい絵になるな、なんてことを考えながら観察していたら、悪戯心がムクムクと育ってくる。

 

 高い鼻に手を伸ばし、人差し指と親指で掴もうとゆっくり距離を詰めて──

 

 

「何の用?」

 

 

 海のように青い目と目が合って、あっという間に私の鼻をまふゆの手が掴んでいた。

 掴もうとしていた側が逆に掴まれるなんて、かなり恥ずかしい絵面だ。

 鼻を掴むまふゆをじとりと睨みつけ、私は鼻が詰まったような声で抗議した。

 

 

「何であんたが鼻を掴むのよ」

 

「絵名が楽しそうな顔をしてたから。掴んだら楽しいのかなって」

 

「あっそう……で、感想は?」

 

「全く楽しくない。絵名は変な声出してるし」

 

「鼻声なのはまふゆのせいだから! 後、楽しくないのならさっさと手を離してよ!」

 

 

 鼻を掴む手をペシッと払って、ソファーから離れる。

 悪戯どころかやられる前にやられてしまったので、今回の悪戯は延期にしてやろう。

 

 敗北に適当な理由をつけて弁当を取り出し、私は席に着く。

 いつの間にか起き上がっていたまふゆも真似するように、私の隣に座った。

 

 

「あんた、寝なくていいの?」

 

「うん。弁当箱は空にして渡さないと、後々面倒だから」

 

(それ、食事が作業になってる人間の言い方っぽいよね……)

 

 

 パクパクと黙って弁当を食べるまふゆは黙々と仕事を熟す作業員のようにも見える。

 ……いや、まふゆにとっては食事も作業なのだろう。

 

 

「いただきまーす。うん、今日もおいしくできたわね」

 

「……」

 

「……何よ」

 

 

 私も弁当を食べ始めると、何故か隣から視線を感じた。

 

 熱い視線を向けてくる方を見れば、視線の主であるまふゆは徐に口を開いて私の弁当へと視線を移した。

 それも、律儀に自分が使っていた箸をこちらに差し出して。

 

 食べさせて、ということなのだろう。

 黙ってじっとこちらを見て、口を開くまふゆにまた湿度の籠った目で睨む。

 

 しかし、いつも根負けするのは私の方なのだ。

 せめてわざとらしい溜息で抗議しつつ、まふゆに私の唐揚げを食べさせた。

 

 

「はい。それで、どうなのよ」

 

「んむ……ん、わからない。自分のも絵名のも、どれを食べても一緒だね」

 

「はぁ? それなら何で催促してきたのよ。おかずを1つ無駄にしたみたいで腹が立ってきたんだけど」

 

「何でって、絵名が食べてる時は美味しそうだったから。私も食べたら美味しいのかなって」

 

「~っ。あぁもう、そーですか!」

 

 

 とんでもないことを宣われて、私は急いで自分の弁当を胃の中に収めた。

 

 これ以上弁当の中身を催促されたらどう対応したらいいのかわからなくなりそうで、迷うぐらいなら原因を取り除きたかったのだ。

 

 

「……絵名」

 

「もう弁当は空っぽだからね」

 

「違う」

 

「じゃあ、何よ?」

 

 

 空っぽになった弁当箱を片付けて、私は椅子の背凭れに体を預ける。

 まふゆの方はというと、ピンと背筋を伸ばして顔は壁に向けられたまま、虫の羽音のような声で呟いた。

 

 

「奏の曲の感想は、ダメだった?」

 

「何? まふゆはあの時、嘘ついてたってわけ?」

 

「……ううん。ついてたらもっと良い感想になってる」

 

「でしょうね。あんたの感想は賞状モノだもんね」

 

 

 朝比奈まふゆは読書感想文など、学校から課せられる提出物は大体高評価を掻っ攫う女なのだ。

 そんな彼女が着飾った言葉を使ったのなら、ナイトコードのような感想にはならないだろう。

 

 

「感想にダメも何もないでしょ。言い方とかは、考えて欲しいけど」

 

「でも、奏はそうじゃなさそうだった」

 

「お互いに表面からもっと奥へ、手探りで進んでるんだからしょうがないんじゃない? 何が正解で何が間違いかなんて、私にもわからないし」

 

 

 個人的には誰も間違っていないのだから、悪いと謝る方が良くないと思う。

 

 奏もまふゆを知らないからまふゆから感想を聞きたくて。

 まふゆも自分のことがわからないから曲から自分との共通点を見出せなくて、奏らしいとしか言えなかった。

 

 

「強いて言うなら、私ももっと何かできることがあったと思うし、私も悪かったかもね」

 

「絵名は悪くない、と思う」

 

「なら、誰も悪くないわよ。あんたはもう1人で探さなくてもいいんだから。思う存分、私達を頼ればいいのよ」

 

「……ごめん」

 

「そこはごめんじゃないでしょ、もう」

 

 

 わかってもないのに謝るのは癖なのだろうか。

 とりあえず謝ってそうなまふゆに、私は肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな学校生活を終えれば、そこからは私達の時間だ。

 

 今日も25時になれば、Amiaの元気な声がボイチャに響く。

 

 

『そんじゃ、今日もバリバリ頑張ろーっ!』

 

「はいはい、頑張ろー……って、あぁそうだ。K、ラフのパターンを幾つか作ったから、見てもらっても良い?」

 

『何パターンか書いたから、えななんのついでに私のも確認してほしい』

 

 

 私がナイトコードにラフを送れば、雪も便乗して歌詞を送信した。

 

 

『わかった、2人の分を確認するからちょっと待っててね』

 

「はーい、よろしくね」

 

 

 それからというものの、Kは黙々と確認作業に入ってしまった。

 さらりとミュートにされる、Kのアイコン。ミュートせずに残ったのは3人だ。

 

 

「ねぇ。私も歌詞を見ていい?」

 

『ナイトコードに共有してるから、勝手に見ればいいのに』

 

「それでも許可は必要かなって」

 

『……そう。好きにしたらいいと思う』

 

 

 素っ気ない許可を貰ってから、私は雪の書いた歌詞を見る。

 

 相変わらず、胸を突き刺してくるような歌詞だ。

 Kが作ったデモに合っていて、Kの曲に合わせられた言葉選び。

 

 

(──でも、これだと雪の気持ちは見えてこないのよね)

 

 

 OWNの時は、雪1人が作っていたから、雪の気持ちが直接表現されていた。

 しかし、この歌詞はKが作った曲に雪が合わせてしまっているので、OWNとして作った曲と比べると『雪』という人物が見えてこない。

 

 

(このままだと雪とKは平行線なんだけど……どうしようかな)

 

 

 ここで神の視点を持っていて〜とか、そんな便利な力があれば、迷わず動くことができるのだけど。

 

 うんうんと悩みながら歌詞を眺めていると、確認をし終わったらしいKがミュートを解除して、感想を言ってくれる。

 

 

(……とりあえず今は、作業を優先しよう)

 

 

 妙案が出てこなくて、どんどん時間だけが過ぎていく。

 

 勉強している時に掃除が捗るように、延々と考え事をしているせいか、今日の作業はかなり捗った。

 

 ラフだった絵が一気に完成にまで近づいた頃、顔を上げれば自分の肩が悲鳴を上げているような感覚に陥った。

 

 

「あぁー、肩凝ってきた気がする。ねぇ、そろそろ休憩にしない?」

 

『そだねー、ボクも休みたいかも。Kと雪も休んでいいかなぁ?』

 

『いいよ、休憩しようか』

 

『うん、大丈夫』

 

 

 提案があっさり通ったので、その場で肩をぐるぐると回したり、上半身のストレッチしたりしてみる。

 小気味の良い音を肩から流していると、んーっと伸びているような声と共に、Amiaの愚痴が聞こえてきた。

 

 

『のびーっと……うーん、ボクも最近は肩凝りやすいんだよね。なんでだろ』

 

「Amiaって学校のサボり過ぎだし、体育とか出てないでしょ。もしかしたら、運動不足かもよ」

 

『そんなに学校に行ってないけど、行った時は参加してるってば〜。少なくとも、Kよりは運動してると思う!』

 

「いやそれ、自慢にならないからね?」

 

 

 比較対象が低空飛行過ぎて、ハードルを飛び越えなくても良いぐらい、地面に埋まってしまっている。

 

 

『最近はあんまり外行ってないなぁ……必要なものは大体家でどうにかできるし。何か面白いことがあったら、外に行くんだけどなー』

 

「あったらって。それ、絶対に外に行かないじゃん。そういうのって行く理由を作るものでしょ。今度、一緒に服でも見に行く?」

 

『えっ、いいの? ……あぁでも、この前ビビッときた服を買って、そんなに余裕ないんだった。できればお金がそんなにかからない用事が嬉しいです』

 

「えぇ……我儘ねぇ」

 

 

 折角人が誘ったのに我儘を言うAmiaに対して、意外なことに反応したのはKだった。

 

 

『それなら、人形展のチケットいらない? 知り合いから貰ったんだけど、わたしは行かないと思うから』

 

『へぇ、人形展かぁ。それってアンティークドールとかあるのかな』

 

『えーと、うん、そうみたい』

 

『そっかそっか! 面白そうだし、どうせなら皆で行こうよ!』

 

 

 Amiaの提案にKが固まった。

 面白そうだから皆で、というのは良いと思うけれど、根本的な問題がある。

 

 

「Amia、まずはチケットが全員分あるかの確認が先でしょ。それでK、どうなの?」

 

『貰ったのは2枚だから2人だと思うけど……って、1枚で2人まで入れるんだ』

 

『バッチリ4人で行けるじゃーん♪ これも神様の思し召しってことで、皆で行こうよ!』

 

「私は合わせられるけど、勝手に決めて良いわけ? Kとか行かないと思うって言ってたじゃん」

 

『えー、でもボクは皆と行きたいんだけどなー』

 

 

 残念そうなAmiaの声を聞いて、私は少し考える。

 

 Kがどう考えているかわからないけれど、確かにこの人形展は仲を深める良い機会なのかもしれない。

 とはいえ、行く気のないKとどうでも良さそうな雪をどう乗り気にさせようか……いや、前のような建前ならいけるかもしれない。

 

 

「アウトプットにはインプットが必要だと言うし、作曲とか作詞のヒントに皆で行ってみない? 案外、楽しいとか別の発見もあるかもしれないしさ」

 

『……そう、だね。わたしは行こうと思う。雪はどうする?』

 

『塾とか予備校がない時間なら、どっちでもいい』

 

 

 実は乗り気だったのか、あっさりとKが行くことを決めてくれて、雪も消極的な是を返してくれた。

 そこから次の土曜日の昼から人形展に行くことになり、休憩を終えた私達はまた作業に戻る。

 

 

 

 

(今回の件でどうなるかはわからないけど……K達が何か、掴めたらいいな)

 

 





ちょうど次の投稿日がまふゆさんのお誕生日らしいので。
次回は話の続きのような、まふゆさん視点のお話を挟みます。


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56枚目 【朝比奈さん家のニゴぐるみ】


ハッピーバースデー、まふゆさん。
お誕生日おめでとうございます。

というわけで、話の続きのようなそうでもないような、まふゆさん視点です。
(評価バー染まったことに感謝を。いつも応援ありがとうございます!!)



 

 

 

 明日はとうとう、人形展の日だ。

 

 朝は予備校に行って、お昼の時間までに待ち合わせ場所に直行。その後はニーゴの皆で人形展に行く予定である。

 何故か、絵名が遠足のしおりみたいな予定表を用意してたので、当日の行動予定は予習済みだ。*1

 

 夜に強い人間が多いのに昼間から集合するという理由で、今日のニーゴの活動は1時間も経たずに解散したから、睡眠時間の確保も万全。

 私も早く寝ようとベッドに潜り込み、明日に備えて目を閉じていた……が。

 

 

「……眠れない」

 

 

 2時間近く横になっても眠れないなんて、不思議なこともあるなと目を開く。

 目を閉じていても睡魔は襲ってくれないので、仕方なく体を起こした。

 

 机の上に置いていたスマホに手を伸ばし、いつもの曲をタップする。

 そこから光に包まれて、セカイに行ったはず──なのだが、ここでも予想外のことが起きた。

 

 

 

 

 

 

「なによ」

 

 

 どうして私の部屋の机の上に、手のひらサイズまで小さくなった絵名みたいなぬいぐるみがいるのだろうか。

 

 そもそも、セカイに行った私が自分の部屋に戻っている理由もわからない。

 デフォルメされた絵名のぬいぐるみが動いている上に、じとりとした目で睨んでくる理由も不明だ。

 

 自分だけじゃなくて、周りの状況すらもわからないシチュエーション。

 

 何事かと首を傾げていると、絵名のぬいぐるみは机から私の頭へ、ぴょんと飛び移ってきた。

 

 

「まふゆ、また寝てないんでしょ。もう、それなのにセカイに行こうとして。まふゆが行く場所はベッドでしょ! ほら、早く戻るわよ!」

 

 

 綿が詰まってそうな手でてしてしと私の頭を叩き、ベッドへ向かえと誘導される。

 言われるがままにベッドの中に潜り込めば、何故か温かいぬいぐるみの手が子供を宥めるように私の額に触れた。

 

 

「寝るまでそばにいてあげるから、早く寝なさいよね」

 

「……何故か眠れないから、セカイに行こうとしたのに」

 

「何故か眠れない、ねぇ。ふふ、あんたも可愛いところがあるじゃん」

 

 

 今の絵名はぬいぐるみなのにどこか意地悪に笑っているように見えたので、何となく顔を鷲掴みにした。

 

 絵名はぬいぐるみらしい小さな手をパタパタと動かして「離しなさいよ~っ」と抵抗しているが、ちっとも怖くない。

 むぎゅむぎゅ、ぎゅっぎゅと頭をこねくり回して口封じ。

 

 私が満足して解放した頃にはもう、絵名はベットの隅にぐったりと倒れており、くぅぅーっと変な唸り声を上げていた。

 

 

「ひ、酷い目にあった」

 

「絵名が悪いと思う」

 

「はいはい、私が悪うございましたー。これで満足したでしょ。ほら、さっさと寝なさいよ」

 

「……うん」

 

 

 絵名に言われなくても明日は予備校もあるのだ。寝なくてはいけないのはわかっている。

 

 あぁ、そうだ。お母さんにまだ人形展のことを伝えていなかったっけ。

 別にゲームセンターとか遊びに行くって話でもないし、大丈夫だと思うけど……反対されたらどうしようか。

 

 無理な時は皆に行けないって言えるのだろうか。何とか行けるように説得できるだろうか。

 

 グルグルと頭の中で考えてしまっていると、綿毛が詰まってそうな柔らかいものが、私の眉間を伸ばしてきた。

 

 

「絵名が寝ろって言ったのに邪魔するの?」

 

「あんたってば眉間に皺を刻み込んでるから、寝ようにも寝れないかなって思って」

 

「寝れるよ」

 

「本当かなぁ。今は最初とは違う理由で眠れなさそうだけど」

 

「違う理由?」

 

 

 それって何だろう?

 尋ねてみても、絵名は答えてくれなかった。

 

 それどころか「ちょっと待っててね」と言ってから、ベッドの下に潜っていってしまう。

 

 ……誰もいなくなったいつも通りの部屋なのに、何故か寒く感じる。

 肌寒い季節なんて終わった筈なのに、どうして寒いと感じてしまうのか。

 

 ベッドに寝ころんでいる体を三角座りの体勢に変えて、丸くなってみた。

 布団の中に潜っても胸の中の寒さは変わらなくて、モヤモヤする。

 

 

「あれ。あいつ、どこにいったの?」

 

「……もしかして、この布団の山がまふゆ?」

 

「おっ。確かに奏の言う通りかも! おーい、まふゆ~。鎖国してないで開国しようよ~♪」

 

「あっ、瑞希。まふゆが寝てるのなら、起こしに行くのは……」

 

「って言う割に、奏もくっ付いてるよね。私も飛び込んじゃお」

 

 

 軽い衝撃が3つ分。

 何事かと掛け布団から顔を出せば、絵名のぬいぐるみが別のぬいぐるみを2つ分、増殖させている。

 

 涼しげな白とピンクっぽい白の髪のぬいぐるみ。

 どこから連れてきたのやら、絵名の他に奏と瑞希のぬいぐるみが増えていた。

 

 

「……なにこれ」

 

「あはは! まふゆが困惑して固まってる! めっずらしー!」

 

「瑞希、あんた笑い過ぎよ」

 

「でも、ここまでわかりやすいのは初めてかも」

 

 

 私の体から3つの塊が落ちてきて、顔の横に並ぶ。

 

 瑞希は爆笑していて、絵名が呆れて、奏は1歩離れて微笑んでそうだ。

 ぬいぐるみなので顔はニコニコと笑っているだけなのだけど、なんとなくそんな感じがする。

 

 この中では、ぬいぐるみよりも人間である私の方が感情がわからないのではないのだろうか。

 ……だから、皆と違って私だけ人の姿なのかな。

 

 

「まふゆ、大丈夫だよ」

 

 

 私の心の中でも覗いていたのか、奏が私の頬に張り付いてくる。

 

 

「どうせ、自分だけ私達と違う理由とか考えてたんでしょ。今の状況って、そんなに深い理由なんてないからね」

 

「そうだねー。まふゆが人形展っていう言葉から、連想しただけだろうし」

 

 

 絵名がやれやれと言わんばかりの声音で、瑞希は楽しそうに言いながら、頭の上に乗ってきた。

 

 その言葉を聞いて、私は漸く今の状況を察した。

 

 

(これ、夢なんだ)

 

 

 ……夢だとわかったところで、私にできることなんてないのだけど。

 

 

「で、あんたはまだ寝ないの?」

 

「……夢の中で眠るなんて、変だよ」

 

 

 頭上で問いかけてくる絵名に答えてから、枕に頭を沈める。

 一向に眠くならないし、衝撃も感触もあるように感じたのに、目覚める気配もない。

 

 

(本当に、変な夢だな)

 

 

 よくよく考えれば、何も見えないぐらい真っ暗な部屋にいるはずなのに、絵名達の姿をはっきりと認識できる時点でおかしい。

 

 少し観察すればわかるのに、絵名達がぬいぐるみになっていたことですら受け入れそうになっていたのだから、本当に変な夢だ。

 

 横向きから仰向けへ寝返りを打てば、絵名と瑞希が「わーっ」と声を出してベッドの上を転がる。

 プリプリと苦情を訴えてくる2人を無視して、望み通り眠る為に目を閉じた。

 

 

「やっと目を閉じたわね、ゆっくり休みなさいよ」

 

「寝るまでボク達も一緒にいるからね」

 

「……そうだ、歌も歌おうか」

 

 

 3人の声が聞こえてくる。

 聞いていたら眠たくなりそうな奏の声が、夢の中でも私の眠りを誘う。

 

 奏の歌声に合わせるように奏では出ないような瑞希の声と、はっきりと聞こえる絵名の声も邪魔しないように混ざってきた。

 

 何も見えないし、そばにいるかもわからないのに、さっきの時みたいな胸の寒さは感じない。

 それどころか体も心もポカポカしているようで、軽かった瞼も重たくなってくる。

 

 

(夢の中で寝たら、どうなるんだろう)

 

 

 3人が歌っているだけなのに、どうしようもなく眠たくて、疑問について考えることすらできない。

 睡魔の誘いに抵抗せず、夢の中でありながらも私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開くと、カーテンの隙間から薄っすらと光が漏れていた。

 目だけを移動させて時計を見れば、時刻は6時前を指している。

 

 

(少し早く起きたな……)

 

 

 2度寝ができるほど眠気もないのでベッドの上にいる理由もない。

 だが、時間的にまだお母さん達も寝ているだろうし、まだ部屋にいてもいい時間だ。

 

 なんとなくナイトコードを開いて、ニーゴのサーバーを見てみる。

 Kはいないようだが……人形展に行くのは昼からだと聞いていたのに、絵名と瑞希がボイチャで盛り上がっているようだ。

 

 どうして25時に集まって、すぐに解散したはずのメンバーが数時間後には集まっているのか。

 チャットの方に『朝から何で集まってるの?』と書き込み、2人の反応を待つ。

 

 絵名からはすぐに《おはよ》とだけ返って来て、瑞希の方は《おっはよ~。えななんと喋ってるよ! 雪もおいでよー》と見たらわかる事実が送られてくる。

 

 このまま書き込んでいても、望む答えは返ってきそうにない。

 打ち込んでいた文字を消して、私はボイスチャットに乱入した。

 

 

『わっ、Amiaが書き込んだら本当に来たんだけど』

 

『あはは。おっはよ〜、雪は寝起き?』

 

「おはよう。さっき起きたところ」

 

『じゃあビックリするよねー。実はボクもえななんがずっとボイチャにいたから、さっき入ったばかりなんだけどね!』

 

『はぁ!? 私のせいだって言うの!?』

 

『わー、こわーい。誰もそんなこと言ってないのになー』

 

 

 朝から賑やかである。音量を最低まで下げていて良かった。

 言い合う2人の音声を指標にして、イヤホンから音漏れしてないかも確認する。

 

 

(問題なさそう)

 

 

 絵名が隣にいれば即座に見抜いて、失礼な! と怒りそうなこと頭の片隅に追いやり、私はイヤホンを装着し直した。

 

 そこから2人としばらく話していると、あっという間に時間が溶けていく。

 

 

『雪はこの後、予備校だっけ?』

 

「……終わったらちゃんと、待ち合わせ場所にいくよ」

 

『そこは心配してないわよ。ま、顔色が悪いくらい無理してるのなら、問答無用で追い返すから。覚悟しなさいよね』

 

「うん。じゃあ、もう出るね」

 

『気をつけていってらっしゃーい!』

 

『あんたもほどほどに頑張りなさいよ』

 

 

 ボイチャから退出し、予備校用の服へと着替える。

 よくわからないけれど、ふわふわと浮いているような気分のまま、準備を進めた。

 

 

(このよくわからないのも、聞いたら見つけてくれるのかな)

 

 

 夢の中のぬいぐるみの時ですら、私の気持ちの違いをわかったらしい絵名だ。

 この何処か飛び立ってしまいそうな浮いた気持ちの名前も、答えてくれるかもしれない。

 

 

(ギュッて苦しくもないし、息もできる。たぶん、嫌なものじゃないんだろうな……なら、気にしなくても大丈夫)

 

 

 扉を開けば説得が待っているかもしれないけれど。

 

 それでも、不思議と夢の中のような『嫌な感じ』はどこにもなかった。

 

 

 

 

*1
とあるイラスト担当「あんたが『予定表とかないの?』って聞くからこっちは用意したんだけど!?」





ニゴぐるみのイメージ的には寝そべりぬいぐるみの寝そべってない状態、でしょうか。
原作よりも人形展にウキウキしてるまふゆさんでした。


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57枚目 レッツゴー・人形展

 

 

 

 朝に瑞希とナイトコードで戯れていたら、途中でまふゆが乱入したりしたんだけど──その後は何事もなく朝ご飯前に解散した。

 

 ナイトコードで奏がコソコソ曲を作っていたのを追い出した後に、瑞希がひょっこりと乱入してきて。

 後からまふゆも追加で入ってきた時には、間に合うのかと不安になったけど──結果的にはナイトコードで喋っていたことで絵を描かずに済み、私は助かった。

 

 

(いくらなんでも毎回、彰人に『時間じゃないのか』って呼ばれるのはね……)

 

 

 隙間時間に絵を描いていたら、気が付いたら時間が飛んでいるのである。

 

 それで何度、彰人に「おい」と言われたのやら。

 直接謝るのは何故かものすごい抵抗があるんだけど、悪いとは思っている。

 ……それが行動に伴っていないので、全く反省していないと言われても言い返せないのだが。

 

 

「お母さん、友達と遊びに行ってくるね」

 

「人形展だっけ? 気を付けてね」

 

「うん、いってきます!」

 

 

 

 

 

 

 そんな短いやり取りをしてから家を出て、待ち合わせ場所へと向かう。

 余裕をもって出て行ったから、今日は『いつも時間ピッタリで何かあったら遅刻確定えなな~ん』とかあのカワイイ好きには言わせない。

 

 そうやって意気込んでいたせいだろうか。

 不意に左肩を叩かれて、私は思わずその手を見る為に振り返ってしまう。

 

 よくよく考えれば引っかかるわけがないだろうと思っていた、ありふれた手法。

 

 考え事にリソースを割かれていた私の脳は何も考えずにヤツの思惑通りの行動を弾き出し、その結果、私の左頬に細長い人差し指が触れた。

 

 

「瑞希、何するのよ」

 

「いやぁ、ちょっとやってみたくてさ。絵名、さっきぶりー」

 

 

 半目で下手人を睨めば、悪びれもなく瑞希は笑う。

 人形展前に疲れたくないので、怒りは溜息と一緒に吐き出した。

 

 

「そうね、さっきぶりね」

 

「あれ、もしかして怒った~?」

 

「怒ってないわよ」

 

 

 少なくとも、今は。

 

 そう心の中で付け足すと、次の悪戯を思いついたらしい。

 瑞希は隣に立って、私の左頬をさらに「えいえい」と突いた。

 

 

「怒った?」

 

「私、ムカつく絵柄のギャグマンガの住人じゃないんだけど」

 

「これもやってみたくて」

 

「ふぅん。あんたの言い分はよーくわかったけど、私で試さないでくれる? 人差し指が惜しくなければね」

 

「ちょっと絵名さん!? やっぱり怒ってんじゃん、ごめんって!」

 

 

 人差し指を握って人質ならぬ指質に取り、瑞希から謝罪をもぎ取る。

 これでも続けるのなら指を関節の反対側に曲げようと思ったが、すぐに謝ってくれたので解放しよう。

 

 

「おかえり、ボクの人差し指……」

 

「はいはい、切り替えて待ち合わせ場所まで行くわよ」

 

「……そうだね。待たせてるかもしれないし、いこっか」

 

 

 奏もまふゆも私の様にいつもギリギリの時間で活動していないので、先に待ち合わせ場所で待っている可能性は十分ある。

 

 そんな予想通り、待ち合わせ場所に向かえば見覚えのある紫と白が並んでいた。

 時間まで10分はあるし、慌てなくてもいいだろう。

 

 だが、そう判断したのは私だけだったらしく、2色の頭を目撃した瞬間、瑞希が走り出した。

 体力オバケなだけでなく、運動能力も高いのだろう。驚くぐらい早い。

 

 

「おっまたせ~! 奏もまふゆも早いね!」

 

「ちょっと瑞希、急に走らないでよ!」

 

 

 追いかけるこっちの身にもなってほしい。

 おかげで短距離でも走る羽目になり、人形展に行く前から体力がごっそりと消えた気がする。

 

 

「よーし、全員揃ったし、人形展へレッツゴー!」

 

 

 瑞希が握り拳を挙げるものの、私は体力の回復に努めているし、奏もまふゆも無反応だ。

 

 そのせいか、ゆっくり手を下ろして先頭を歩く瑞希の背中が、どこか寂しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 チケットを受付に渡して、パンフレットを貰いつつも人形展をしているフロアへと移動する。

 

 人形展、といってもどこかの小さなフロアを借りて、こぢんまりとやっているようなイメージを勝手に持っていたのだが。

 

 

「もっと小さい会場だと思ってたけど、かなり広いわね」

 

「うん、驚いた。すごく立派だね」

 

 

 私と同じ感想だったらしく、奏も隣で頷く。

 

 

「わぁ、この人形カワイイー! 見て見て、これなんてケモ耳ついてるしー……こっちの人形なんて──」

 

「はいはい。こういう展示物のあるところでは馬鹿みたいに騒がず、黙って見なさいよ」

 

「はーい」

 

「ったく、わかってるんだか……」

 

 

 後ろでまふゆの隣に並んでいたはずの瑞希は前に飛び出て、ハイテンションで人形を見ている。

 落ち着きのない瑞希に声をかけてみたものの、本当にわかっているのやら。

 

 場所によってはお断りの可能性もあるのだから、ハイテンションになったとしても声のトーンは抑えてほしい。

 猫のように気まぐれに彷徨おうとする瑞希を繋ぎ止めている間に、奏がまふゆに話しかけていた。

 

 一瞬だけ不思議そうな顔をしたものの、すぐに真顔に戻るまふゆと、それを残念そうな顔で見る奏。

 

 

「奏は奏で、まふゆのことを気にしてるみたいね」

 

「だねー。あれなら、人形展の間だけそれとなく2人にだけしてみる?」

 

「そんなことしたら怪しくない?」

 

「露骨じゃなきゃ大丈夫でしょ。それとも、絵名はボクと周るのは嫌かな?」

 

 

 その質問の仕方は狡いだろう。

 こっちの反応をわかっていそうな言葉選びに、私はわざとらしく肩を竦める。

 

 

「……そうは言ってないでしょ。ほら、行くなら一緒に回るわよ」

 

「じゃあじゃあ、向こうに行ってみようよ! 今こそ、ボクと絵名のイメージを合わせる時!」

 

「その言葉、瑞希が好きそうなアニメの台詞みたいね」

 

「皆の力を合わせる〜とか、盛り上がる場面だよね」

 

 

 ちょっと関係のない話をしつつも、私と瑞希は奏達を視界から視認できる範囲内で人形を見て回った。

 

 私は南雲先生との美術館巡りで似たような展示も見たことがあり、あれに似ているな、これに似ているなと記憶の中にあるものと照らし合わせて見ていたものの。

 瑞希の方はこの人形展でインスピレーションが刺激されているらしく、嬉しそうに指さしながら見ていた。

 

 人形という小さな存在のサイズに合わせて作られた衣装に感動していたり、あの服は○○に似合いそう! と2人で盛り上がった。

 

 瑞希が楽しんでいるのなら、それだけでも今日はここに来た甲斐があったと思う。

 あっちこっちと彷徨う瑞希について行っていると、1つの人形が目に入った。

 

 やけに生きているように見える人形が飾られていて、私の足はぴたりと止まる。

 

 

「ねぇ瑞希、この人形だけなんだか生きてるように見えない?」

 

「ホントだ。造形がリアルってわけでもないのに、不思議だね」

 

「血色感が原因かな」

 

「んー、目にも何か工夫してるっぽいよ。目に光が入ったら、ほら!」

 

「確かにキラキラしてるわね……あ、あっちにも同じ人の作品があるみたい」

 

「なら行こうよ! ショップもあるみたいだし、後で見てみよー」

 

 

 グイグイと進む瑞希を視界に入れつつ、私は奏達の方へと体を向ける。

 

 

「瑞希がああ言ってるから、私達はあっちを見てみようと思うんだけど……奏達はどうする? 一緒にくる?」

 

「まふゆはどうする?」

 

「お手洗い行ってくる」

 

「……そっか。じゃあ、わたしはまふゆと一緒にお手洗い方向に行くから、絵名達は見たい展示物を見てきなよ」

 

「いいの? なら、まふゆのこと、よろしくね」

 

 

 控えめに手を振る奏に手を振り返して、私は瑞希を追いかける。

 先に瑞希が待っていた先に飾られていた人形は、なんというか夢に出てきそうなリアルさがあった。

 

 

「……わ、なにこれ」

 

「ねー。なんかホラーゲームに出てきそうじゃない?」

 

「あー……」

 

 

 既視感があると思ったら、そういうことか。

 

 ……後、そんなに好きじゃないと思ったのも、その辺りが原因だろう。

 私、控えめに言ってもホラーは得意じゃないし。

 

 

「あ、この人形はちょっと違うみたいだよ」

 

「わ、すっごいモコモコな人形」

 

 

 部分部分を見ればリアルさがあるのに、頭に猫耳がついていたり、糸に繋がれていたりしていて、人形っぽさも両立している人形。

 

 そんな人形がちゃんと手足から糸が伸びていたり、足と胴体にだけ糸が巻き付いていたり、糸を切っていたり、手にだけ巻き付いた糸を取ろうとしていたり。

 たぶん、分類的にはマリオネットの親戚なのだと思うけれど、そうには見えないユニークな人形達である。

 

 

「糸を切ってる人形のこの笑顔、なんか瑞希っぽいかも」

 

「この手の糸を取ろうとしてる人形の吊り目とか、絵名が怒ってる時にそっくりだと思うよ? ほら、耳を澄ませば『はぁ? なんで取れないのよ!?』って聞こえてくるよ〜」

 

「聞こえないから」

 

 

 本人が聞いても似ているかも、と思うモノマネはやめてほしい。

 そう言ってるのに、瑞希のモノマネは止まることなく、人形の前に行っては声真似をしていた。

 

 足と胴体に糸が巻きついている子は奏っぽく、マリオネットらしくちゃんと糸がつけられた無表情の人形はまふゆっぽい声付き。

 しかも、ちょっと似てるのが腹立ってきて、無視してしまうことも検討してしまうぐらいだ。

 

 

「いやぁ、こんなにボクらの面影を感じるなんて、運命だよね」

 

「こっちが勝手に重ねてるだけだけどね」

 

「いやいや、そんなことないって。この人形の裏タイトルはきっと『ニーゴ戦隊ニゴレンジャー』なんだよ」

 

「そんなバカな名前のわけないでしょ。わかっててボケないでよ」

 

 

 大喜利をし始める瑞希にツッコんでいたら、まぁまぁ良い時間になったと思う。

 瑞希に声をかけて、とりあえず奏達と合流しようとお手洗いのある場所に向かった。

 

 その近くに奏とまふゆもいるだろう、と思っての行動だったのだが。

 

 

「あ、いたいた……って、まふゆ、どうしたの!?」

 

 

 奏達を見つけて駆け寄れば、真っ青になって息苦しそうにしているまふゆの姿が目に入る。

 

 どうやら展示されているマリオネットを見て何かがフラッシュバックしたのか、まふゆは気分が悪くなったらしい。

 

 奏が話を聞いているのを横で聞きつつ、私は館内の展示物を思い返す。

 

 

(マリオネットというか、操り人形系統はポツポツあるのよね……このまま見て回るのはまふゆにとっては辛いかもしれない)

 

 

 ちらりと瑞希の方を見れば、私と同じようなことを考えていたのか、こちらに視線を向けつつも頷いてくれる。

 

 

「ねぇ、奏。今日はまふゆも体調が悪そうだし、帰って休んだ方がいいと思うんだ。だから、そろそろ解散しようよ」

 

「あ……うん、ごめん」

 

 

 奏はまだ聞きたそうだったけれど、まだ顔色が悪いまふゆを無理させるわけにはいかない。

 

 

「じゃあ、私はまふゆを家の近くまで送るわ」

 

「平気、1人で帰れる」

 

「あんたが平気だとか1人で帰れるとか関係ないの! これ、決定事項だからね!」

 

「……わかった」

 

 

 抵抗しそうなまふゆに無理を通して、人形展前で奏や瑞希と別れる。

 

 1人で帰れると言うだけあって、駅に着く頃にはまふゆの顔色も良くなっていたものの。

 それでも心配だったので、まふゆの家まで送っていった。

 

 

 ただ、残念だったのは。

 せっかく家まで送ったのにまふゆの母親が留守だったことだろうか。

 

 ……いたら顔を陥没させそうなので、相手からすれば幸運だったのかもしれないけど。

 

 





都合よく留守にしているまふママ。
遭遇戦は回避されました。


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58枚目 質問の手がかり


ガチャの内容を見て。
書けば出る、という噂を聞いたので、出てきてくれたらいいなと思う所存です。



 

 

 

 人形展から帰った後、まふゆを彼女の家の近くまで送り、私も真っ直ぐ家に帰った後。

 私は1人、スマホを片手にセカイにやって来ていた。

 

 

「あ、ミク」

 

「絵名、いらっしゃい。1人でどうしたの?」

 

 

 目的の白ツインテールを見つけて駆け寄ると、ツインテールを揺らしたミクが首を傾げる。

 

 

「まふゆはこっちに来てないよね?」

 

「今日はまだ誰も来てないよ。もしかして何かあった?」

 

「あぁ、うん。実は──」

 

 

 問いかけてくるミクに、私は今日あったことを話す。

 

 といっても、1番詳しいのは奏なので、後から来た人間の断片的な話しかできないのだけど。

 

 

「……絵名はそれを教えてくれるために、来てくれたの?」

 

「うん。もしもまふゆがセカイに来たら、無理してないか気をつけてほしいなって思ってね」

 

「わかった。気をつけるね」

 

 

 頷いてくれるミクに私も同じ動作を返す。

 

 ミクに頼んでおけば、仮に彼女が対応できないことが起きても誰かを呼んでくれるだろう。

 用事も終わったし帰ろうかと思っていたら、ふと、糸がついたマリオネットが鎮座しているのが見えた。

 

 

「あれ、その人形って誰かが持ってきたの?」

 

 

 持ってくるとしたら瑞希あたりだろうか。

 そう思って問いかけたのだけど、ミクは違うと言わんばかりに首を横に振った。

 

 

「この子はずっと、このセカイにいたよ」

 

「ずっと? 観察力には自信があったのに……今まで気が付かなかったな。ちょっと悔しいかも」

 

「絵名が気が付かなかったのも、当然だと思う。まふゆの気持ちに何かが触れて、絵名もわかるようになったから」

 

「つまり、人形展がきっかけで見えるようになったのね」

 

 

 本当に、セカイという場所は不思議なことだらけだ。

 

 暫く2人でマリオネットを眺めていると、突然、ミクが鋏を取り出した。

 何をするのかと見守っていると、ミクは徐に人形の糸を切って輪を作るではないか。

 

 

「え、マリオネットの糸を勝手に切って大丈夫なの?」

 

「つい最近、瑞希からあやとりを教えてもらったし、糸があるならやってみたくて」

 

「そ、そっか」

 

 

 それで糸を現地調達するとは、瑞希も予想してなかっただろう。

 あやとりができそうな糸を手に入れたからなのか、ミクはどこかご満悦そうだ。

 

 このセカイは私のものでもないし、所有権を主張するならまふゆかミクの2人だろう。

 

 それなら、ミクが糸を切っても問題はない……のだろうか?

 考えても答えは出てこないので、私は考えるのをやめた。

 

 

「絵名はあやとり、したことある?」

 

「知識としては知ってるけど、やったことないのよね。良かったら見てもいい?」

 

「うん。瑞希に教えてもらったから、簡単なのならできるよ」

 

 

 ほら、と早速あやとりで箒を作って見せてくるミクに、私は拍手を送る。

 

 暫く瑞希から教えてもらったというあやとりの形を見せてもらっていると、ふと、背後から声が聞こえてきた。

 

 

「あれ、ミクだけじゃなくて絵名もいたんだ」

 

「いらっしゃい。奏もまふゆを心配してくれたの?」

 

「え? えっと……心配してないとは言わないけど、わたしは別件かな。ミクに聞きたいことがあって来たんだ」

 

「なら、私は邪魔よね。ちょっとどこかに──」

 

「待って。絵名にも聞いてほしいんだけど、ダメ?」

 

 

 早急に立ち去ろうとした私の服の裾を掴み、奏は首を傾ける。

 

 どうやら私はこういう仕草に弱かったらしい。

 なんて冷静に判定する自分と、遠くに行く理由もないと思っている自分の意見が一致して、その場に留まることにした。

 

 

(まぁ、私ができることは奏が話を切り出すのを待つだけなんだけど)

 

 

 あくまで、話のメインは奏とミクなのだ。他にやることがない。

 私が1歩下がって状況を眺めていると、奏が早速、口を開いた。

 

 

「ミク、まふゆが何を感じているのかわからないかな? それがわかれば、まふゆを救う曲を作る手がかりになるかもしれないの」

 

「まふゆが感じていること?」

 

「うん、わたしも色々と話したりしてみたんだけど、よくわからなくて。ミクなら何かわからないかなって」

 

「……このセカイはまふゆの想いでできてるけど。まふゆが今、何を感じているのかっていうのは、わたしにもわからない。もしかしたら、わたしよりも絵名の方がわかるかもね」

 

 

 スッと私の方に視線を向けるミクに合わせて、奏の青い目もこちらに向けられる。

 

 ……そこで急に私に投げるのは狡くない?

 

 

「私だってあいつの考えてることはわかんないわよ。でも、学校での姿は見てるし、少しぐらいは力になれる……と、思いたいわね」

 

「わたしと絵名と奏と。3人で考えれば何かわかるかもしれない」

 

「少しでもヒントが欲しいし、2人に相談したいな」

 

「わかる範囲でしか、私も予想できないからね?」

 

「それで大丈夫。よろしくね、絵名、ミク」

 

 

 さて、第三者に徹しようと思っていたが、早々に巻き込まれたので私も考えなければならない。

 

 奏が知りたいのはまふゆが何を感じているのか、ということ。

 それで直近で、かつ奏の前で1番わかりやすく反応していたのは……人形展での出来事だ。

 

 

「──ねぇ奏、まふゆが真っ青というか、すごく嫌そうな顔をしてたのはどうして?」

 

「……どうしてだろう。人形を見た時に嫌そうな顔をしていたし、それで何かを感じたんじゃないかと思うんだけど」

 

「人形ね、それって近くにあったマリオネット?」

 

「そうだね。絵名の言う通り、金色の鳥籠みたいな台座があって、ドレスを着た綺麗なマリオネットだったと思う」

 

 

 マリオネット。

 先程、ミクが糸をハサミで切り離していたあの人形が頭の中に過る。

 

 それはミクも同じだったようで、ミクは目を細めながらあやとりの糸を手首に巻き付けた。

 

 

「まふゆとその子が似てたのかも」

 

「ミクは似てたのかもって思ったのね。私はどちらかというと重ねてるんじゃないかなって思ったけど」

 

「似てて、重ねてる?」

 

 

 奏はいまいちピンと来ていないようで、難しそうな顔をしている。

 

 ミクはそれ以上のことを言うつもりがないのか、もしくは言えないのか。

 似ている、と言ってからは特に何も言わないので、私が奏の疑問に自分なりの答えを告げた。

 

 

「まふゆのお母さんって結構厳しい人なのよね。で、まふゆはそのお母さんの言うことをよく聞いてるのよ……それこそ、自分が嫌な事でもね」

 

「そうなの?」

 

「うん。だから、自分もマリオネットと同じく操られている存在だって、同族嫌悪でもしたんじゃない? バカみたいな話だけどね」

 

 

 嫌なら嫌だと言えたらいいのに、まふゆの口からは言えないのだから……外側から見ている身としては、酷くもどかしい。

 

 私なら嫌だと言ってしまうだろう。それは、他でもない親がそれを是としてくれたから。

 でも、まふゆには無理なのだ。子供の家庭内(セカイ)の頂点である親がそれを否としてきたから、嫌だと言えない。

 

 子供にとって家の中が最初の《自分の世界》であり、親というルールに従って生きていくことになる。

 

 そこからどんどん世界は広がるのだけど、それでも親は子供にとっては大きな存在だ。

 酷く追い詰められない限り、行動するのは難しいだろう。

 

 逃げるなり、決着をつけるなり、ぶつかるなり……前向きに向き合うことができるのが、最善だろうけど。

 その為にはまず、まふゆがある程度、自分がわかるようにならないといけない。

 

 そして、問題はそこに集約されているのだ。

 

 

「奏、まふゆに自分のことを言葉にしてほしいって言っても、今は歌詞であれなんであれ、できないって言われるわよ」

 

「……驚いた。どうしてわたしが言おうとしていたことがわかったの?」

 

「そこは何となくかな。まふゆのことについては今までの傾向というか、経験からだけど」

 

「……ねぇ、聞いてもいい?」

 

「どうしたの?」

 

「その、OWNの曲では、まふゆの気持ちが痛いぐらい伝わってきたのに……どうして絵名は、まふゆが歌詞でも自分を表現できないって思ったの?」

 

 

 OWNの曲を聴いていれば、できると思っても仕方がないかもしれない。

 確かにあれらは凄かった。私も突き刺さったし、また聴きたいと思う不思議な魅力があった。

 

 そんな曲を聴いても尚、どうして作れないと思うのかと言われても、言葉にするのは難しい……のだけど。

 

 

「私の個人的な感想なんだけどね。まふゆの気持ちって、見えないコップの中にあるような状態だと思うの」

 

「見えないコップ?」

 

「そう。で、OWNの時は意図せずにコップの中身がかき混ぜられちゃって、零れた中身をまふゆが曲として作っていた……って言えばいいのかな。だから、OWNの曲には奏もまふゆの強い想いを感じた」

 

「普通ならコップの中身が溢れることはないから、今のまふゆじゃ見えないコップの中身も見ることができないってこと?」

 

「そういうこと。まぁでも、見えなくてもやりようはあるんだけどね」

 

「え?」

 

 

 奏だって私がいなくても辿り着きそうだが、まふゆの為に動いてくれている人を意地悪で教えないのも忍びない。

 まだピンと来ていない奏に1つ、私なりの解決方法を提示した。

 

 

「自分っていうコップが見えないのなら、それ以外にまふゆが反応したモノ──マリオネットについてならまだ、言葉にできるかもしれない」

 

 

 今までだって、まふゆ個人のことを聞いても反応は鈍かったものの、今まで作ったお菓子とか、行った場所のことについてなら聞き出すことはできた。

 

 そう考えれば、今回の件も顔が真っ青になった時にどう思ったのかとか聞き出すよりも、まだ可能性があるだろう。

 

 

「まふゆ自身のことじゃなくて、マリオネットのことを聞くの?」

 

「ミクもまふゆとマリオネットが似てるって言ってたでしょ。似てると思うぐらい自分と重ねているなら、マリオネットを通じて見えてくるまふゆもいると思うの」

 

 

 確認のために黙っているミクに視線を向けると、オッドアイの目がこちらをじっと見てから小さく頷く。

 ミクもなにも言わないのなら、きっと方向性は間違えていない。

 

 

「それであっさりまふゆが言葉にできるかは賭けだけど……奏なら、言葉として引き出せるんじゃないかな」

 

「わたしならって、それってどういうこと?」

 

「どうって、奏はまふゆを救う曲を作るんでしょ。なら、私なんかよりも奏の方が適任だよ」

 

 

 そういえば、奏はキョトンとした顔を見せてから、真っ直ぐに青い目を向けてきた。

 

 

「ありがとう。なんとなく、まふゆとどう話すか、方向が見えてきた気がする。けど……」

 

「けど?」

 

「絵名はよく『私なんか』っていうけれど、絵名はなんかじゃないよ。絵名がなんかって言うたびに、悲しく思う人もいるってこと、知っててほしいな」

 

 

 私が言い返す前に、じゃあねと奏はセカイから出ていってしまった。

 

 瞬きを繰り返すしかできない私の肩に、ミクの手が乗る。

 

 

「わたしも、奏と一緒だよ。まふゆも瑞希も、きっと一緒だよ」

 

「うっ」

 

 

 純粋な目に見られてしまうと、言い訳も何も許されない気がして、私は白旗を上げるしかなかった。

 

 

「……気をつける」

 

「うん」

 

 

 意識を変えるのは容易ではないけれど……少なくとも、人前に出さないように気をつけよう。

 

 

 





原作より絵名さんが積極的に登場してますね。
本作の主人公なので当然なのですが。


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59枚目 緩やかな変化


バレンタインって毎年可愛らしいですよね。
結果? もうこの後のイベントの全てが怖いですとだけ……



 

 

 奏とミクにセカイで遭遇してから、私は25時になるまでずっと絵を描いていた。

 25時前に依頼で来ていたバイト用の絵もOKを貰って、美術部で提出用の絵も完成済み。

 

 さて、そろそろニーゴとしての絵も完成するかなと体を伸ばしていたら、間抜けな声が私の鼓膜を揺らす。

 

 

『えなな~ん、な~んな~んな~ん』

 

「Amia、その蝉の鳴き声みたいなのは何?」

 

『虫扱いなんて失礼な。これはえななんを召喚する儀式の掛け声ですー』

 

「ふーん。バカなの?」

 

『効果抜群だったじゃん! なのにバカって酷いよ〜っ』

 

 

 Amiaの言う通り、間抜けにもあの奇妙な鳴き声に反応してしまった私だけど……バカだと思ったのも本音だ。

 

 (まふゆ)がまだ来ていないのも心配なのに、Amiaの頭が心配になるような発言はやめてほしかった。

 

 

『うーん……こんなにふざけてるのに、雪ってばまだ来ないねー』

 

「あ、ふざけてる自覚はあったのね」

 

『そりゃあねー。こうやってえななんとふざけていても、いつまで経っても書き込みすらないし……雪がまた、前みたいになってないか心配だな』

 

 

 時間をチラリと見れば、時計は2時を指している。

 集合してからもう1時間経ってしまっているようだ。

 

 お昼頃の人形展の時は真っ青になっていたし、調子が悪いのなら休んでくれた方が個人的には嬉しい。

 来ないのなら来ないで、ゆっくり休んでくれたらいいのだが。

 

 

「私的には、雪がナイトコードに来ない方が気が楽で良いけどね」

 

『おやおや。えななーん、頭に『体調が悪いぐらいなら』って言葉が足りてないよー?』

 

「えぇ……何でわかるのよ」

 

『えななんは古き良きツンデレ気質があるし。それに、ボクってばそろそろ『えななん検定』2級取得できる実力者だからね!』

 

「はぁ? 何その検定? 初めて聞いたんだけど」

 

 

 そもそも、前の絵名はともかく、私自身はツンデレではないはずだ。

 それなのに私をツンデレ扱いするとは、Amiaの目は節穴なのだろうか。

 

 不満を込めてナイトコードを睨んでも、画面の向こう側に通用するはずもなく。

 ケラケラと笑うAmiaにはノーダメージで、いつものように流されてしまいそうだ。

 

 認識を改めたい私と、のらりくらりと避けるAmiaの仁義なき戦いを繰り広げていると、第三勢力のKが思い出したように呟いた。

 

 

『あ、ごめん。そういえば雪には人形を見て感じたことを書いてもらってるってこと、伝え忘れてた』

 

『人形?』

 

「あー、K、あの後ちゃんと雪に会って話せたんだ」

 

『うん。ミクと絵名の話から、マリオネットを見て《気持ち悪い》って思った、あの時の感覚を歌詞にしてもらおうと思って』

 

 

 Kが補足を入れつつ経緯を説明したので、Amiaも得心がいったように声を出した。

 

 

『なるほどねー。どんな歌詞になるか楽しみだなぁ』

 

「そうね……ま、悪いものはできないでしょ」

 

 

 ……何か上手く流されてしまった気がするものの、雪の歌詞ならば変なものにはならないだろう。

 

 Kの話によれば、ナイトコードに現れる程度には元気になっているようだ。

 何であれ、雪が来ない理由が体調不良が続いているとかではなくて良かった。

 

 そうやって今はナイトコードにいない雪へと思考を割いていたら、ボイスチャットに最後の1人が入ってきた。

 

 

『遅くなった。歌詞、書けたから見て、K』

 

 

 雪が声を出してすぐに共有される歌詞のデータ。

 Kをご指名だったものの、私もデータの中身を見る。

 

 その中身はいつもKの曲に合わせて作るものや、OWNとして作成するものとも印象が違う、Kが見たかったであろう別の1面が出てきているように感じた。

 

 

『いつもともOWNの時とも全く違っていて、一瞬、雪じゃない別の人が書いたのかと思ったけど……すごく生き生きしていてるね!』

 

「Amiaの言う通り、悔しいけど良いアプローチになったみたいね。腹立つぐらい良い歌詞だと思うわ」

 

『絵名は褒めたいのか貶したいのか、どっちなの?』

 

 

 褒めてますが?

 ……という言葉は雪には返さず、お口をチャック。

 

 やっと雪の自分探しにも進展がありそうだということが、嬉しい私もいるけれど。

 それ以上に、1ヶ月も経たずに雪の新しい1面を引き出してしまった現状を喜べるほど、私は素直じゃなかった。それだけである。

 

 

『──ねぇ、雪。これに曲を付けてもいい?』

 

『別にいいけど、新曲は?』

 

 

 歌詞に目を通したKが零した言葉に、雪が疑問を呈す。

 雪が来る前に完成間近までイラストを漕ぎ着けていることからもわかる通り、現在は新曲も同時並行中だ。

 

 ただ、Kが雪の歌詞に曲を付けたいという気持ちもよくわかるので、流れに任せよう。

 

 

『今は雪の歌詞に曲を付けたいんだけど、どうかな?』

 

『ボクも! MV付けたら面白そうだしやってみたいな! えななんは?』

 

「いいんじゃない? やるからには今の自分の最高傑作を用意するわよ」

 

『それ、えななんがいつも言ってる言葉じゃん』

 

「何よ、悪い?」

 

『べっつに~』

 

 

 顔が見えなくてもニヤニヤと笑ってそうなAmiaの顔が脳裏に過ってしまい、頭の中から追い出す。

 

 KもAmiaもやる気だし──新しい雪の1面を今の私ができる全てで表現したいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の歌詞を見てから1週間。

 Kが作った曲を皆で聴いた後、私はミュートしつつペンを握りしめていた。

 

 雪の歌詞を見てから作ったKの曲は、いつもの雪とは一味違う歌詞で作ったせいなのか。

 聴いた曲もいつもの雰囲気とは少し違って、ダークでありながらもポップさと可愛らしさもある曲に仕上がっていた。

 

 雪の反応も悪くなかったし、雪には音楽というのが自分を取り戻すリハビリに合っていたのかもしれない。

 

 

(──雪も実感を持てて良かった。セカイに誘拐された時よりも、少しぐらいは前向きになったっぽいし)

 

 

 KやAmiaを通じて、カタツムリのように無理だと閉じこもっていた雪も、良い方向に向かい始めた。

 やはり、私1人よりも様々な人と直接、ちゃんと関わった方が雪も得るものが多そうだ。

 

 仮に私がやらかしてしまったり、厳しいことを言うことになっても、KやAmiaに逃げれるのも良い。

 ……私が厳しくできるかどうかは別の話だけど、取れる手段は多い方が良いのはどこも同じだろう。

 

 

(ただ……1番の問題は、これが延命治療のようなものでしかないってことなのよね)

 

 

 最大の原因を解決しない限り、雪が頑張って前に進んでもまた同じ場所に戻されるか、それ以上に酷いことが起きてしまう。

 やっと、音楽という感情を出せる先と自分を出しても変わらない場所を、雪は手に入れたのだ。

 

 進んでしまった分、それを取り上げられてしまったら……と、最悪を考えるのが恐ろしい。

 最善は原因の元から引き離すこと……なのだけど。

 

 

(でも、あいつが望んでないことはしたくないし)

 

 

 それでなくても、今は雪が新しいところへ1歩踏み出したところなのだ。

 慌てて仕損じるのは望むところではない。雪の気持ちが変化するまで待つのも大事だろう。

 

 ……そこまで時間が残されているのかが不安だけど、贅沢は言えない。

 

 

『おーい、えなな~ん。調子はどう~?』

 

 

 ペンを動かしつつも別のことを考えていたら、Amiaが声をかけてきた。

 ふと画面を見れば、ボイスチャットには私とAmiaしかいない。

 

 Kも雪もログインはしているようなので、個チャを送れば反応してくれるかもしれないが、今は特に用事もないし、Amiaを優先だ。

 

 

「どうっていつも通り。ラフはできたから見ていく?」

 

『うん、見せて貰おうかな~……って、今回はまたいつもの絵とは違うね! 皆、いつもと違う感じで面白いな』

 

「その皆、というかKと雪はどこ行ったの? 内緒話?」

 

『それもあるかもね~。メインは曲の完成度を上げる為に2人で打ち合わせだってさ』

 

「向上心の塊じゃん」

 

『だね。というわけで、ボクもなえななんと打ち合わせしに来たよー』

 

 

 ただでさえ完成度の高い曲をさらに磨くとは、恐れ入る話である。

 それを聞いたAmiaもすぐに行動する辺り、こちらも怖いぐらいに行動的だけど。

 

 

『で、えななんは絵以外のことで何をそんなに悩んでるのさ?』

 

「そうねぇ。変化することが必ずしも正解なのかどうかってことを、ちょっとね」

 

『おぉう、メチャクチャ哲学的なことを悩んでるんだね? そんな思考になったのは……雪のこと?』

 

「あんたもボイチャ越しなのに、よくわかるわねー」

 

『ふふーん、これでも観察する目には自信があるからね~♪』

 

 

 きっと目の前にいたら、胸を張って鼻先を天狗の様に伸ばしてそうなAmiaの声。

 よく見ているなぁと感心半分、Amiaはそういう子だったなと納得もあった。

 

 

「雪はやっと、前に進めるようになった。ゆっくりと変化していっている。でも、このままで本当に良いのかなって思ってただけ」

 

『えななんが懸念していることはわかるけど、そんなに慌てなくてもいいんじゃないかなー?』

 

「それも一理あるし、今の環境のまま雪が過ごすのなら……変わらないのもまた、選択の1つだったんじゃないかって思ったりもしたのよ」

 

 

 探しているという話だったので、変化を求めていたのは雪自身。

 しかし、変化するということは自分を守るために培っていた鎧を脱ぐことにも繋がるのだ。

 

 

『えななんは変わらないのにも肯定するんだ?』

 

「それが本人にとっての良い選択ならね。ただ……変わらないってことは変わっていく周囲に置いて行かれることだから、退化しているってことでもあるでしょ。どっちを選んでも難しいよねって話よ」

 

『退化、ね』

 

(……あ、やば)

 

 

 恐らくだが、変化とかそういうワードはAmiaにとってそこまでよろしくない言葉だったのだろう。

 

 Amiaが呟く言葉に背中に冷や汗が流れる。

 こういう時は秘儀を使うしかない。

 

 

「とりあえず、絵の調整もしたいし、打ち合わせしない?」

 

『……あぁ、そういえばそういう目的で来てたんだっけ……うんうん! じゃあKや雪にもビックリするようなのを作ろっか!』

 

(セ、セーフ……?)

 

 

 言葉の途中からテンションが変わるAmiaを見るに、たぶん大丈夫だと思いたい。

 

 

(雪も雪だけど、Amiaも怖いところがあるわね)

 

 

 暑くもないのに額に汗を拭う素振りをしつつ、私はこっそり息を吐く。

 

 自分のことは棚に上げているのは自覚しているものの、そう思わずにはいられなかった。

 

 






《えななん検定》とは?
ツンデレ成分が低い記憶喪失えななんも、普段から素直というわけでもなく、よく隠し事もします。
そんなえななんの言葉の裏を読み取り、すぐに自滅しちゃいそうな記憶喪失えななんをよく観察し、察する実力を手に入れましょう。


《試験傾向》
3級……記憶喪失えななんの線引きの内側に入ると簡単にゲットできます。過去のえななんを知ってしまっているのなら、交流して距離を詰めましょう。根気よくいくか、最初から懐に入り込むのがコツです。

2級……記憶喪失えななんは元々がツンデレさんなので、素直じゃありません。言葉を読み取って、素直にしてあげるとゲットしやすいです。懐に入った後も具に観察し、根気強く付き合ってください。

1級……記憶喪失えななんには誰にも言えない最大級の秘密があります。ただ、精神的に弱っているとそのヒントをポロッと溢すかもしれません。ヒントを引き出しつつ、確信に迫れた時──その時になればもう1級……いや、免許皆伝です。何も教えることはありません。あなたがえななんマスターだ。



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60枚目 体育祭は今年もやってくる


全部で2話程度。
記憶喪失えななん視点の『走れ!体育祭!〜実行委員会は大忙し〜』です。
(ただし、えななんは実行委員じゃないので、すっ飛んでます)



 

 

 25時より少し前。

 鬼の居ぬ間に洗濯と言うべきか……丁度、雪だけがいない時間ができたので、私はこっそりとAmiaとKに相談していた。

 

 

「ねぇ。指定した日にピンポイントで風邪をひいて、翌日には元気になる方法を教えてくれない?」

 

『うーん、そうだなぁ……あっ、漫画みたいに氷風呂に入るとか、いけそうじゃない?』

 

「いけそうって……仮に氷風呂っていう、体張った芸人みたいなことをやったとしても。ただ寒い上に、体中痛い思いするだけで終わりそうなんだけど?」

 

『かもねぇ。でも、漫画でよく出てくる古典的な手法だから、いけるかなーって』

 

「ねぇAmia、現実と創作は違うのよ。ちゃんと区別しないと、人前で恥をかくのはAmiaだからね」

 

『えななんがどうしてもって言うから提案しただけなのに、どうしてボクは可哀想な人みたいに心配されてるのかなー?』

 

 

 それはそんなバカみたいな提案をしたAmiaが悪い……とは直接言わないけれど。

 こっちはあの学校では優等生様が来る前に、良い案を考えなければいけないのだ。戦力外のAmiaは頼れない。

 

 

「Kは何かない?」

 

『えっと、何日も徹夜するとか? いや、でもそれをする前に雪が止めそうだよね……』

 

 

 Kは一生懸命考えてくれているのは伝わってくるのだが、1人で呟いて1人で却下しているのでちょっと無理っぽい。

 

 いつも1番良い絵を描けるように体調管理をしてきた自分が憎く思う日がくるとは、予想もしていなかった展開だ。

 どのアイディアも前日に罰ゲームみたいなバカな行動をした後、体育祭にも行くことになりそうな夢物語ばかりで、私は奥歯を噛む。

 

 本当に何もないのかと紙に案を書き写していると、聞きたくなかった音が耳に木霊した。

 

 

『ごめん、遅くなった』

 

『お疲れ、雪』

 

『雪、おつかれ~。大丈夫だよー、今、えななんの体育祭不参加計画を考えていた所だし~』

 

「ちょ、Amia!?」

 

 

 雪がボイスチャットに入って来て、Kが言葉をかけるまでは良いとしても、その後が大変よろしくない。

 面白そうだとでも思ったのか、Amiaが平然と裏切ってきたのだ。私の口から悲鳴のような声が出てしまうのも当然だった。

 

 

『えななん、今年も嫌がってるの?』

 

「そもそも体育全般が苦手だし。できるなら開催してほしくないって思うのはタダでしょ」

 

『……確か、知り合いだっていう後輩の子。あの子や1年の子が今年の体育祭は去年とは違って、皆が楽しめるものにするんだって奮闘してるらしいけど』

 

 

 クラスの体育委員から聞いたという情報に、私の頭が該当者を探し出す。

 雪が知り合いだと知っていて、後輩といえば……該当人物はえむちゃん1人しかいない。

 

 確かに、宮女の体育祭はありふれたものだ。

 えむちゃんが知ったら、皆で楽しめるような体育祭にしたい! 的なことを言いだしてもおかしくなかった。

 

 

『折角、皆が楽しめる体育祭にしようとしているのに、先輩が不参加なのはその子もどう思うんだろうね?』

 

 

 淡々と、されど追い込むような言葉選びで雪は語りかけてくる。

 

 私の脳裏に浮かぶのは──いつも『わんだほーい』ってしてる子が、珍しくしょんぼりしてる顔。

 ……ずるくない? 私が悩むようなワードを並び立てて、追い込んでくるなんて卑怯だ。

 

 

『ずるいって、こうでも言わないとサボりそうだし』

 

「いや、怖いから。心読むような言葉を返さないでよ」

 

 

 実際にサボるつもりで相談してたぐらいなので、苦しい反論しか出てこない。

 そんな私に対して、雪は更に新情報を告げてきた。

 

 

『後、出場種目決めの時にえななんは病院で休んでたから、ちゃんと私と同じ種目にしておいた』

 

「……一応、種目を聞いてもいい?」

 

『学年混合二人三脚と学年対抗リレー』

 

「バッカじゃないの!?」

 

 

 私と雪の漫才のようなやり取りに爆笑するAmiaの声が聞こえてくる。

 ヤツにとっては他人事なので、目の前にいたらぶん投げたくなるぐらい楽しそうだ。

 

 ……まぁ、100歩譲って二人三脚はまだ良しとしよう。

 だけど、リレーって。私が1番選ばないであろうことはわかっているのに、リレーに選出するってどういうことだ。

 

 

「絶対にクラスの皆にも文句を言われたでしょ」

 

『別に。リレーに出たがるのは意外だ、とは言ってたけど』

 

「でしょうねぇ!!」

 

 

 クラスメイトよ、意外だと思ったのなら止めて欲しかった。

 

 私の渾身のツッコミに『ひ、ひーっ。しぬ、わらいしんじゃう』と机を叩くような音と共に死にかけているピンクのバカが1人。

 

 唯一静かだと思っていた我らがニーゴのリーダーはというと、ふと何かを思いついたように呟いた。

 

 

『自分と同じ種目に決めちゃうって、雪は随分と合理的なんだね』

 

「K、それってどういうこと?」

 

『えっと。てっきり、今年は途中で抜け出すことも許さないぐらい、付きっきりになるのかなって』

 

「はぁ!?」

 

 

 確かに同じ種目ならば雪の目を盗んで抜け出す……とか、難しいかもしれないけれども。

 

 

(ま、まさかぁ……そんなことはないよね?)

 

 

 一縷の望みで雪の言葉を待ってみたけれど。

 

 

『Kが言うなら、そうなのかな』

 

 

 残念なことに、私の耳には肯定の言葉しか入ってこなかった。

 

 こうして、私は病院に通院している間に今年もサボれないように道を塞がれたのだ。

 

 まずは現実逃避のためにも、簡単にできることから。

 ずっと笑ってひーひー言っているAmiaをセカイに呼び出して、懲らしめることから始めようか。

 

 Amiaから「八つ当たりだよーっ」とか言われそうだが、これは大爆笑バカの因果応報だ。

 ……途中でやめてれば許したのに、最後まで笑ってるヤツなんて絶対に許さない。それ相応の罰を受けさせてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 セカイに呼び出した猫舌の瑞希に熱々の料理を押し付け、逆襲を成し遂げた翌日。

 

 

(はぁ、やっぱりそう上手くはいかないか)

 

 

 結局、冷まして美味しく夜食を頂いた瑞希から「リレーが得意な子に話して、交換してもらったらいいじゃん」というアドバイスを貰って、動こうとしたものの。

 

 本日はなんとビックリ、事前練習日らしい。

 今更変更するのはちょっと、と渋られて誰も首を縦に振ってくれなかった。

 

 

「あー、どうしよ」

 

「絵名、残念だったね」

 

「おい張本人。その言葉、喧嘩売ってるでしょ!?」

 

「どうして?」

 

「いや、そこはわかりなさいよ!」

 

 

 心底不思議だと言わんばかりに、まふゆはポーカーフェイスのまま首を傾げる。

 いくら自分がわからないとはいえ、惚けすぎではないだろうか。

 

 不満を訴えるようにキッと睨んでみても、相手はどこ吹く風だ。

 何を考えているのかわからない顔のまま、まふゆはじっとこちらを見ている。

 

 

「奏の言葉、半分は間違いだったのかも」

 

「間違いって、どういうこと?」

 

「さぁ?」

 

「だーかーらー! なんで言ってる本人がわかってないのよ!?」

 

 

 お得意のわからないの変化球で流されている間にも、事前の合同練習が始まってしまう。

 まふゆもペアの子を探すためにサッと優等生の仮面をつけて、どこかに行ってしまった。

 

 

(あぁもう。タイミング悪いわねっ)

 

 

 そう思うものの、文句ばかりも言ってられない。

 確か、私のペアは1年B組の子だ。

 

 

「名前は、ええと……」

 

「すみません、貴女が2年の東雲先輩でしょうか?」

 

 

 きょろきょろと周りを見渡していると、不意に後ろから声をかけられる。

 振り返って声の主を確認すれば、私よりも10センチまではいかないものの、それに匹敵するぐらい高い女の子が微笑みかけていた。

 

 まふゆよりも更に高い身長なのに、おっとりとした雰囲気からなのか、空色のタレ目だからなのか。威圧感は全くない。

 パッツンと切られた前髪も可愛らしいし、ふわりと1つにまとめられた茶髪は私よりも柔らかくて明るい色なので、優しそうな印象を受ける。

 

 まふゆのような裏表はまだわからないものの、私の観察眼が『相手も優等生タイプ』と判定を下していた。

 

 勉強もできそうという印象は偏見かもしれないが、見たところ、運動神経は悪くなさそうだ。

 運動神経壊滅的な私のペアなら申し訳ないし、できればやる気のなさそうな人の方が気楽なんだけど……念の為に確認しようか。

 

 

「うん、私が東雲絵名だけど……もしかして、あなたが望月さん?」

 

「はい。二人三脚のペアになっている望月穂波です。よろしくお願いしますね」

 

 

 にっこりと笑ってる顔は、私の観察眼が正しければ本物の『優等生』だ。

 というか、これぐらい見抜けない笑顔であれば、おとなしく騙されてしまっても良いぐらい優しそうな顔である。

 

 これが強制優等生ではなく、真の優等生の姿……

 まふゆのように実は裏側がある優等生という可能性も捨てきれないものの、私の感想も大外れではないと思う。

 

 

「よろしくね、望月さん……といっても、私はよろしくできるほど運動神経が良くないし、望月さんに迷惑をかけちゃうだろうけど」

 

「そんなことないと思いますよ。二人三脚は歩調を合わせることが大事ですから。わたしが東雲先輩に合わせますね」

 

 

 胸の前にある右手をギュッと握り、頑張りましょうね、と微笑む望月さんは年下でありながらも落ち着いていた。

 

 

(同学年とかにも頼られそうな子だよね)

 

 

 年下の子に母性を感じる、というのも変な話なのだけど。

 大樹のような、チームの重心といえばいいのだろうか。

 

 目標を決めて、人を集めて引き連れるようなリーダーではない。

 しかし、彼女がいればチームプレイとかがあれば精神的にも安定しそうだ。

 

 

(まふゆに決められたけど、二人三脚についてはまだ大丈夫そうかな)

 

 

 1番の問題は学年対抗リレーだけど、今は二人三脚の方が大事だ。

 気を取り直して体育委員の子から紐を貰って元の場所に戻ると、望月さんが別の組を見つめていた。

 

 

「望月さん、どうしたの?」

 

「え? あっ、すみません。あっちにわたしのクラスメイトの子と、2年生の先輩がいたので気になっちゃって」

 

 

 望月さんが見ている方へと視線を向けると、ピンクと紫の髪が並んでいる。

 鳳えむと朝比奈まふゆという、二人三脚にて理論上最強タッグが組まれていた。

 

 

(なんであそこだけ二人三脚ガチ勢になってんの? あの組とは絶対に一緒に走りたくないわ。走ったら周りが漏れなくハイペースになって、私が死ぬ)

 

 

 えむちゃんもとんでもない身体能力持ちで、まふゆもビックリするぐらい運動神経が良い。

 

 誰がこのチーム分けをしたのか、問い詰めたいぐらい組み合わせたらヤバい2人組だ。

 鬼に金棒。勇者と魔王が手を組みましたと言わんばかりの、恐怖のタッグ。

 

 

(あれ、えむちゃん、顔色悪くない? もしかして……まふゆのことが怖いのかな)

 

 

 望月さんは何故か微笑ましそうな目で真っ青なえむちゃんのことを見ているけれど……えむちゃんが怖がっているように見えてしまうのは、気のせいではないはず。

 

 私だけが間違った解釈をしているのか、正しく認識しているのか。

 私の視線に気が付いたまふゆの目がこちらに向くので、口パクで何とか『怖がらせるな』と伝えてみたものの。

 

 こちらに手を振った時だけはえむちゃんの強張った顔も緩和したのに、すぐにえむちゃんの体が恐怖で跳ね上がった。

 

 

(ごめん、えむちゃん。物理的な害はないだろうし、強く生きて)

 

 

 こっちも練習しなくてはいけないし、と心の中に言い訳を添えて、私は怯えていたえむちゃんからそっと目を逸らした。

 

 

 





学年対抗リレーにまふゆさん強化パッチが追加されました。

これで遭遇済みでも名前を知らないベーシストが1名、すれ違い演出家が1名、未遭遇のカナリアが1名、全く遭遇してないスターが1名ですね。
ワンダショの未遭遇率があまりにも高過ぎますね……


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61枚目 えななんダッシュ


結局、走ることになったえななん。おいたわしや……



 

 

 

 本日も晴天なり。

 

 雨雲を探そうにも、雲1つない快晴だ。せめてもの抵抗に、てるてる坊主を逆に吊っても効果がなかったらしい。

 空を睨みつけても効果はなし。煩い放送の音が聞こえてきたので、辛気臭い顔をしているであろう両頬を叩いた。

 

 嫌な感情というものは伝染するのだ。

 内心ではどれだけリレーが嫌でも、それを出してはいけない。気持ちを切り替えよう。

 

 校舎裏の階段に潜んでいた体を日向に出して、しれっとグループに合流しようとする私の行方を阻むように現れる影が1つ。

 

 今頃、クラスメイトに揉まれながら、愛想笑いを浮かべていると思っていた少女──朝比奈まふゆが私の前に立っていた。

 

 

「何で態々ここに来てんのよ。暇なの?」

 

「絵名が抜けだしたから、ついてきただけ」

 

「え、嘘でしょ。全く気付かなかったんだけど……でも、抜けても大丈夫なの?」

 

「意外と私が抜けたって、バレないらしいね」

 

 

 どうやらまふゆは私のせいであまりよろしくない学習をしてしまったらしい。

 ふっと短く笑ってから、まふゆは顎で早く戻ろうと訴えてくる。

 

 美形は何をしても様になるからムカつく。

 私がまふゆと同じことをすれば、瑞希辺りから「かっこつけ~」と笑われるに違いないから余計に腹が立つのだ。

 

 

(って、何変なところで対抗意識燃やしてんだろ。体育祭の空気に引っ張られてるのかな)

 

 

 ……隣の芝生に憧れるもんじゃないな、と首を横に振って雑念を追い払う。

 ゆっくりと前を歩くまふゆの隣に並び、私は相変わらず何を考えてるのかわからないヤツに声をかけた。

 

 

「まふゆが呑気にしてるってことは、そこまで急ぐような時間じゃないよね?」

 

「後2種目ぐらいは余裕あるよ。それでも、すぐに抜け出す絵名が信じられないけど」

 

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

 

「これ以上勝手にサボるなら、くび……何か対策を考えなきゃいけなくなる」

 

「今、首輪って言いそうになってたわよね? 私はあんたのペットじゃないんだけど!?」

 

 

 目に力を込めて睨んでも、まふゆは器用に視線を逸らして合わせようとしない。

 この様子だと、本当に首輪をつけようとか考えていたのだろう。

 

 問い詰めたいところだが、そこまで時間に余裕があるわけでもない。

 今回は見逃してやるとして、今の問題は……

 

 

「学年対抗リレーの選手交代方法って、足首の捻挫ならいけるのかな」

 

「……絵名」

 

「しょうがないじゃんっ。私の50メートル走は9秒台よ!? 1秒っていう超えられない壁がそこにあるの!」

 

 

 それなのに、1〜3年まで全員運動部や運動神経の良い人達の集まりの中に、1人だけそうでもない人間が混ざり込むのだ。

 

 残念だけど、狼の集団に混ざるチワワのような図々しさを私は持ち合わせていない。

 まふゆから呆れたような目を向けられても、出たくないと思うのは当然だろう。

 

 しかもアンカーはまふゆで、私はそのまふゆにバトンを繋ぐ係である。

 抜かされたら主犯にされかねない。胃が痛いのも無理はないと理解してくれる人が多いはずだ。

 

 

「絵名は頑張って走り切ればいいよ、後は私がどうにかするから」

 

「どうにかって、負ける準備でもしてろってこと?」

 

「負けるつもりはないよ」

 

 

 一体、どこからその自信が来るのやら。

 そう思うものの、いつものポーカーフェイスがとても頼もしく見えた時点で私の負けだ。

 

 

(学年対抗リレーよりも先に二人三脚があるし、まずはそっちからかな)

 

 

 まふゆにこれ以上絡んでも状況は変わらない。

 私は無駄な抵抗をやめて、黙ってクラスの集団まで戻った。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 ほんの少し出遅れたはずなのに、息を揃えたまふゆとえむちゃんのペアには周りの誰も敵わなかったらしい。

 堂々と1位にゴールした後ろ姿を眺めていると、次に走るこっちは憂鬱な気分になってしまう。

 

 

 ──だが、そんな気分になっている暇はない。

 

 

「東雲先輩、頑張りましょうね」

 

「うん。頑張ろうね」

 

 

 とにかく、私は望月さんの足を引っ張らないように頑張らなくては。

 

 足に紐を結んでから、望月さんの様子を窺う。

 やはり、望月さんは色々と大きい。足も長いし、これ、本当に歩幅が合うのだろうか……?

 

 

「最初の足は外側の足で、そこからは1、2で進んでみよう」

 

「はい。合わせます」

 

 

 こっちは不安が拭えない状態で先輩風を吹かせているのに、相手は年下とは思えない安心感。

 先輩と呼ばれている身からすると、情けない話だが……望月さんには『何とかなるんじゃないか』と思ってしまう何かがある。

 

 

 ──その予想通り、ピストルの音が鳴り響くのと同時に、私と望月さんは1番良いスタートを切れた。

 

 望月さんはこういう種目に慣れているのだろうか。

 一定のペースで1、2と掛け声をかけてくれて、こちらに寄り添ってくれているから、かなり走りやすかった。

 

 

 

 そういえば、どこで聞いた話だったか。

 素人同士のスポーツにおいて、何よりもしてはいけないことはマイナス要素を作ることだ……なんて話。

 

 

 プロや運動神経抜群オバケ達のように、基本的にどんな競技も全員が当然のようにできるわけではない。

 それは二人三脚も例外ではなく、良いスタートを切れない、転んでしまう、息が合わない……などのマイナス要素を取り除いていけば、好成績を残せる。

 

 そして、私と望月さんはスタートダッシュも成功して、マイナス要素はほぼゼロ。

 どこもミスもせず、私達が走る中にはまふゆ達のような飛び抜けた存在もいない。

 

 

「第2レースも1、2年B組ペアが1番乗り! 望月さんと東雲さんが1位です!」

 

 

 そんな幸運と幸運が重なり合った結果──まふゆ達のように見せ場を作ることもなく、あっさりと1位を取ることができた。

 

 

「え、うそ? やったよ、望月さん。私達、1番だって!」

 

「はいっ。東雲先輩が合わせてくれたので、とても走りやすかったです。ありがとうございました」

 

「お礼を言うのはこっちの方だよ。望月さんのおかげで1番なんだもん。私と一緒に走ってくれて、ありがとう」

 

 

 私は自他共に認める運動不足にして、こと運動関係においては最低限しか動けない人間である。

 運動するぐらいなら絵を描きたいと突っ走ってきたので、自分の身の程はよく理解しているつもりだ。

 

 今回の二人三脚も9割は望月さんのおかげなのは明白だし、感謝してもし切れない。

 

 

「いえ、東雲先輩がわたしを信じて合わせてくれたおかげで」

 

「いや、私なんて全く戦力外だったし、殆ど望月さんのおかげだよ」

 

「いえいえ」

 

「いやいや」

 

 

 ……そうやって結局、望月さんに押し負けて2人で頑張ったからだという結論に落ち着いたけれど。

 私の感謝の気持ちも、望月さんがすごいと思う感想も変わらないままである。

 

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、やってきたようね……私が死ぬ時間が」

 

「絵名は相変わらず、悟った顔で変なこと言ってるね」

 

 

 猛獣の中に放り込まれた獲物の気分で頭を抱えていると、優等生フェイスを装備したまふゆが困ったように笑っている。

 

 優等生の皮を被っていてもまふゆの言葉が喧しいが、今はツッコむ余力すらない。

 私がぎゃいぎゃいと言わないことに相手も悟ってくれたようで、まふゆは追撃せずに囁くような声で言う。

 

 

「バトンさえ繋げてくれたら、それで大丈夫だよ」

 

「ビリになってるかもしれないのに?」

 

「……絵名がリレーに参加するのは私が原因だもの。だから、気にせずに一緒に走って欲しいな」

 

「一緒にって、あんた」

 

 

 

 ──奏の言葉、半分は間違いだったのかも。

 

 

 最近、まふゆがそんなことを言っていたっけ?

 その違う半分というのが、何となく今のまふゆの言葉に含まれてる気がしたのは私の気のせいだろうか。

 

 

「すっごい抜かされても、許してよね」

 

「そういうのを気にしてるのなら、絵名を学年対抗リレーに出そうとしないってば」

 

「それもそっか」

 

 

 確かに、順位を気にするならば私を入れるのは明らかに間違いである。

 そこが抜けて、色々と考えてしまっていた自分が恥ずかしくなってきた。

 

 朱に染まっているであろう顔を隠そうと俯く私の耳に、ふっと短く笑う声が届く。

 

 

「絵名は気にし過ぎだよ」

 

「うるさい。でも……その、悪かったわね」

 

「大丈夫。終わり良ければ全て良し、って言うでしょ?」

 

「え? それってどういう──」

 

 

 言葉の意図を聞こうと声を出したら、まふゆはすでに反対側にある自分の待機場所まで歩いていた。

 私が思い詰めているのも知っていたから、わざわざ来てくれていたのだ。

 

 

(とりあえず、バトンを落とさないように頑張ろう)

 

 

 1度、覚悟を決めたらもう悩むのは終わりだ。

 後は皆が走るのを応援しつつ、私も来る時間を待つのみである。

 

 

「絵名さん、負けませんよ」

 

「あ、あはは……お手柔らかに」

 

 

 バトンを受け取るためにレーンまで移動すると、アイドルにして、毎日の走り込みで体力もかなりあるであろう遥ちゃんが声をかけてくれた。

 

 1年は怪我した子の代わりに遥ちゃんが出てきて、アンカーにえむちゃんがいたんだっけ。

 

 

(……廊下の猛ダッシュ的に、えむちゃんも滅茶苦茶早いんだよね。だから遥ちゃんの言葉も、社交辞令だよね?)

 

 

 まさか、生粋の文芸部が韋駄天のような走りを見せるとは、誰も想像してないだろうし。

 どこもかしこも緊張を与えてくる要素ばかりで、バクバクと煩い心臓を抑えるように深呼吸。

 

 今更、気負っても足は速くならない。後は流れに任せて走るしかないだろう。

 

 考えている間にうちの学年の子が走ってきた。

 3年生と1年生の子達はその後ろを追従している。

 リードはあるけど、今からこれを消費すると考えたら胃が痛い。

 

 

(ええい、そんなの考えたってしょうがないってば! 女は度胸!)

 

 

 まふゆが聞いていたら、いつものトーンで「愛嬌なんじゃないの?」と呟いてきそうなボケを入れて、バトンを受け取る。

 急げ急げ。後ろから圧を感じても、振り返るな。

 

 

(すぐ後ろに足音がする! けど、抜かされてない!)

 

 

 3年の先輩は様子を伺っていて、えむちゃんが走り出す準備中。

 リードはほぼ消し飛ばしたのだろうけど、ギリギリ抜かされてない状態で紫が見えた。

 

 

「まふゆ、お願いっ」

 

「──うん」

 

 

 少し苦戦しつつもまふゆにバトンを渡すと、横から青色の人影──遥ちゃんが、えむちゃんにバトンを渡していた。

 

 ほぼ同時にレーンを飛び出す紫とピンク。

 ゴールに近づくにつれて伸びていくえむちゃんに対して、まふゆはそこまで伸びていなかった。

 

 えむちゃんも仲良くしているから、負けて欲しいとは思わないけれど、まふゆが負けてしまうところも見たくはない。

 

 息を整えるのも惜しくて、両手を握り締め、ゴールへと走っていくまふゆの後ろ姿を目で追いかける。

 

 

「まふゆ……頑張れ」

 

 

 聞こえていないのは重々承知しているものの、言わずにはいられなかった。

 

 ──だが、私の声が聞こえていたのか、まふゆのラストスパートのタイミングがそこだったのか。

 

 溜めて、溜めて、解放されたまふゆの長足。

 ぐんぐん伸びていく先頭に迫る爆発力が、えむちゃんの背中に喰らい付いた。

 

 しかし、えむちゃんも負けていない。

 抜かされまいとさらにギアを上げ、まふゆも対抗するようにギアを上げていく。

 

 抜かし、抜かされ、隣に並んで。

 

 最後にテープを切ったのは……2人、同時だった。

 

 

「何と言うことでしょう! 同着、1位は1年と2年生です!」

 

 

 放送委員の実況を聞きながら、ゆっくりとゴール付近へと進む。

 えむちゃんが遥ちゃんに飛びついているのを横目に、私もまふゆの元へと近づいた。

 

 

「まふゆ、同率1位おめでとう」

 

「言った通り、負けなかったよ」

 

「うん。有言実行、かっこいいじゃん」

 

 

 私にとっては何気ない言葉だったのだけど。

 皆の前だから優等生らしさを脱ぎ捨てはしないだろう、と思っていたのに……

 

 

「うん……それなら、良かった」

 

 

 わずかに口角が上がったまふゆの笑みは、優等生らしさもなくて、忘れられないぐらい綺麗だった。

 

 

 





えななん補正が入ったので、元のお話では抜かされてたまふゆさんがえむさんと同着しました。

次回は奏さんのお誕生日小話です。



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62枚目 【宵崎さんは集中できない】


ハッピーバースデー、奏さん。
お誕生日おめでとうございます。

というわけで、今回は全部奏さん視点のお話です。
……ラーメンスナックは食べてないんですけどね。



 

 

 最近、家事代行でわたしの家に来てくれている望月さんが、幼馴染の子と仲直りしたらしい。

 その後、その子達とバンドを結成して、楽しく練習している……なんて話を聞いた。

 

 そういうこともあって、最初の頃と比べると望月さんが家に来る頻度はほんの少しだけ減っている。

 目くじらを立てるほど減ったわけではないのだけど、今回は運が良いのか悪いのか、6日ぐらいお休みが重なってしまった。

 

 お目付け役のようになっている望月さんもおらず、わたしはストッパーのないままで曲作りに励んでしまったのである。

 ──そして、そのツケは5日目の朝に払うことになってしまった。

 

 

(……頭が痛いせいなのかな。インスピレーションが湧かない)

 

 

 睡眠は耐えきれない睡魔が訪ねて来るから、その時に。

 喉も痛くないし、扁桃腺も腫れていない。体温も正常。

 

 それなのに、何故か思考に『痛み』というノイズが入って、集中できないのだ。

 

 椅子に座って画面と睨めっこしても、時間が進んでいくのみ。

 うんうんと考えているだけで、1時間ほど時間を浪費してしまって、わたしは白旗を上げるしかなかった。

 

 

(このまま部屋にいても進まない……気分転換に、セカイに行こう。そうすれば頭痛も治るかもしれない)

 

 

 ミクや誰かに会えるかもしれないし、それで少しは何か曲のヒントが得られる可能性もある。

 机を支えに椅子から立ち上がり、スマホからいつもの曲を再生した。

 

 そうすれば、いつものセカイが見える──のだが。

 やっぱり、今日は何か変だ。

 

 

「わっぷ」

 

 

 セカイに入った瞬間、わたしの視界がぐるりと回転して、体が地面に吸い込まれた。

 仰向けに倒れそうになったものの、なんとか手をつくのが間に合い、顔を強打することだけは避ける。

 

 何が起きたのだろう……もしかして、病気? いや、まさか。そんなわけないよね。

 1人でボケとツッコミが渋滞する思考を巡らせても、まともな答えが浮かばない。頭が痛い。

 

 

(なんだろう、やっぱり何か変だ。力も出ないし……これ、何が起きてるの?)

 

 

 地面に縫い付けられたように倒れる体。

 ひんやりしていてちょっと気持ちいいかも、とおかしな思考回路になりそうになっていた頃、わたしの耳が足音を拾った。

 

 

「奏っ!? え、意識はある?」

 

「……その声は、絵名?」

 

 

 力を振り絞って顔を上げると、揺らぐ視界に絵名っぽい茶色が映る。

 が、すぐに顔を上げるのも億劫になって、ひんやりとした地面と頬が仲良くしてしまう。

 

 

「その、言い難いんだけど。セカイでわざわざうつ伏せになってるのは、曲作りの為だったりする?」

 

「それでインスピレーションが湧いてくるなら、やるかもしれないけど……今は頭が痛くて、力が入らないだけ」

 

「頭が痛くて力が入らないって、寝てないの?」

 

「ううん。今日は朝に寝てたし、それはないと思う」

 

「熱は?」

 

「さっき体温計で測ったけど、平熱だった」

 

 

 絵名が隣に座って、わたしの体をうつ伏せから仰向けへと体の向きを変えてくれる。

 絵名の八の字になった眉が見えて、かなり申し訳なくなってきた。

 

 

「確かに……熱はないわね。意識もハッキリしてるみたいだし、眠気は?」

 

「目は覚めてるよ。眠気もないかな」

 

 

 目の前で振られる絵名の指を目で追いかけていると、スケッチブックを脇に置いた絵名は小さく唸った。

 

 

「後は──奏、ご飯はちゃんと食べてる?」

 

「もちろん。家事代行の人が2日分は作り置きしてくれてたし、来てくれた日と次の日はそれを食べたよ」

 

「あれ? その人って4日前から来てないんじゃなかったっけ? 来てくれた日を抜いたら1日分しか話に出てきてないんだけど……残りの3日間は何食べてたの?」

 

「?」

 

「そこで寝転がりながら器用に首を傾げられても、私にもわからないからね? ねぇ、奏。思い出せる範囲でいいから、何をしてたか教えてもらってもいい?」

 

 

 絵名に言われるがままに、わたしは望月さんが作ってくれたご飯の後、何をしていたのか思い返してみる。

 

 確か、カップ麺を食べようとしてお湯を沸かして、その途中で良いアイディアが思い浮かんだのだ。

 それで、曲作りに集中している間にお湯が水になって。もう1度沸かすのも面倒だから、その水をコップで飲んで。

 

 ……絵名に怒られそうだけど、3日間ぐらい同じことを繰り返した記憶しかない。

 缶詰も栄養バーも近くになかったから、口に入れてない。わたしが唯一、口にしたのは水だけだ。

 

 そのことを思い出しながら伝えると、絵名はチョコレート色の目を丸くして叫んだ。

 

 

「奏ったら、意図せずに3日断食してたの!? ……頭が痛いのもそのせいかな。そこでちょっと待っててね。後、絶対に動かないこと!」

 

 

 人差し指でわたしの鼻を突いてから、絵名は急いでセカイから出ていく。

 残されたのは寝転んでいる私と、乱雑に置かれたスケッチブックや筆箱だけ。

 

 

(それにしても……食べてないことを思い出したせいかな。お腹、空いたかも)

 

 

 絵名が来るまでの間、気力もなにもないわたしは、セカイに広がる地面と一体化することしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「奏、お待たせ。辛いかもしれないけど、ちょっと頑張って起きてみよっか」

 

「うん、起きる……いや、無理かも」

 

「私も手伝うから、頑張ろ?」

 

 

 すぐにギブアップするわたしに絵名は苦笑しつつも、手をを差し伸べて体を起こしてくれた。

 

 近くにいるせいなのか、絵名からいい匂いがする。

 絵名本人とはまた違う、出汁とかの良い香りにわたしの鼻がぴくりと反応した。

 

 

「ふふ、食欲はあるみたいね?」

 

「絵名、もしかして」

 

「うん。3日も食べてないみたいだから、お粥を作ってきたの。急いで作ったから、味の保証はできないんだけどね」

 

 

 湯気立つお粥に手を伸ばし、空腹に身を任せて口に運ぶ。

 

 一見、何もないシンプルなお粥なのに、口に入れると鶏肉と干しエビの優しい出汁の味が味覚を刺激する。

 

 空っぽの胃の中に染み渡る、水分をたっぷりと含んだ米粒達。

 噛んでいるのか、飲んでいるのか、その境目を行ったり来たりする久しぶりの食事。

 

 はふはふ、ふーふーと食べれば、あっという間にお粥は空っぽになってしまった。

 

 

「……ご馳走様でした。すごく、美味しかったよ」

 

「そう? 味見してないから不安だったけど、奏のために作ったおかげかな。美味しいのなら良かった」

 

「わたしのため……?」

 

「そんな驚いた顔しないでよ。奏以外いないんだから、当然でしょ」

 

 

 くふくふと喉を鳴らして笑う絵名を見ていると、体だけじゃなくて胸の奥まで温かくなった気がする。

 

 物理的に温かいお粥だった、というのもあるだろう。

 誰かに当然のように与えられる優しさが、こんなにも温かいものだったなんて……今まであまり、自覚していなかったから。

 

 

(わたしのため、か。いいな、そういうの)

 

 

 自分でもわかるぐらい、口角が自然と上に上がっている。

 今ならいつもとは違う曲が作れそうだった。

 

 

「あ、そういえば……絵名は何か用事があってセカイに来たんだよね? 邪魔しちゃってごめんね」

 

「気分転換に来ただけだから、大丈夫。奏のことで邪魔だなんて思ったことないし、力になれたのなら良かった」

 

 

 ……絵名はわたしに「言葉選びが狡い」なんて、言うことがある。

 だけど今、このシチュエーションで絵名が選んでいる言葉も、絵名の言う『ズルい』に当て嵌まるのではないのだろうか。

 

 そう言ったところで、絵名は自分のことにはビックリするぐらい鈍いので、通じないだろうけど。

 

 こういう時、瑞希に言えば「そうそう、絵名ってばズルいんだよ。『えななん』だけに『ずるなん』だよ!」って同意してくれるはずだ。

 

 脳内の瑞希が同意してくれている中、現実の方の絵名はお椀を片付けながら問いかけてきた。

 

 

「明日は家事代行の人、来てくれるの?」

 

「ううん、明日までお休みだよ。日曜日に来てくれるって話だから」

 

「そっか。じゃあ、数日分は栄養があって、消化が良さそうなものをお願いしてね。今日と明日の分は私が作るから」

 

「えっ。それは悪いし、缶詰とかはあるからこっちで食べるよ」

 

 

 作ってもらうなんて絵名に申し訳なくて、遠慮しようとしたのだが、それは相手にとって良くない選択だったらしい。

 

 絵名の眉が下がり気味だったものが、一気に45度、反転したようにぐいっと上がった。

 

 

「私もね、干渉し過ぎたら嫌がられるかなって、思うこともあったんだけどさ……家事代行の人が来るまで缶詰を食べるって、本気で言ってる?」

 

「え、えっと。ダメならカップ麺でも……」

 

 

 絵名の気迫に震える声で反論してみるものの、彼女はわたしの反論如きでは止まらない。

 

 

「3日間断食していた人間が、消化に時間がかかるタンパク質や、高カロリーの炭水化物を食べるのは許されない所業だから。最初は野菜スープとか、ヨーグルトで慣らさないと」

 

「は、はい」

 

「奏が自分で用意するなら、私も何も言うつもりはないけど。放っておいたらまた食べないか、胃に無理させるつもりでしょ?」

 

「う……うん。やってました」

 

 

 食べれたらなんでもいいやって、思っていたのは間違いない。

 背後に般若が見える勢いで詰めてくる絵名を前に、わたしは自然と正座してしまっていた。

 

 

「実は明日、私が家の料理当番で、トマトスープを作る予定だったの。4人分も5人分も変わらないから、奏には遠慮せずに食べて欲しいなって」

 

 

 わたしに合わせて向かい合うように正座する絵名から、こちら側が気にしないように言葉を選んでいるのが伝わってくる。

 

 だけど、わたしは知っているのだ。

 絵名が瑞希とナイトコードで話していた時に『一人暮らしなら、絶対に連日の料理はできない。力尽きる』とか言っていたのを。

 

 

「絵名はこの前、連日の料理はできないって言ってたのに、大丈夫なの? 今日も作ってもらってるし」

 

「あぁ、あれは自分のために料理し続けるのは無理って話。仮に毎日作ることになったとしても、奏のためならちゃんと作るって」

 

 

 ──それはつまり、わたしのためなら毎日料理を作ってくれるってこと?

 

 この時のわたしは、栄養不足でおかしくなっていたんだと思う。

 絵名がそういう意味で言っていないとわかるはずなのに、何をとち狂ったのか、味噌汁云々と同じようなニュアンスで解釈していたのだ。

 

 

「毎日作ってくれるなら……わたし、絵名1人は養えるように頑張る」

 

「ふふっ。もう、奏もそんな冗談を言うのね? そこまで楽しみにしてくれてるのなら、私も頑張っちゃおっかな」

 

 

 残念ながら、わたしの言葉は面白い冗談だとしか受け取られなくて、笑われてしまった。

 

 

(いや、残念って。何を考えてるんだろう、わたし……)

 

 

 ……これが今だけのバカみたいな発想なのか、そうでないのか。

 考えるのが恐ろしいので、わたしは思考を放棄して、絵名の言葉に甘えるのだった。

 

 





記憶喪失えななんは原作絵名さんが奏さんに向けていた信仰的矢印を、ニーゴの皆に倍にしてぶつけています。
(ただし、根本的な自己評価がやっぱり低いので、自分に向けられる好意には鈍いのですが)

返報性の原理……あると思います。


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63枚目 父からの挑戦状


今回の話はペイルカラー成分を少々……といったところです。



 

 

 最近はお父さんと話すことも少なければ、ほんの少しの心の余裕もあって、油断していたのかもしれない。

 

 

「最近、絵を描くために籠っていたそうだな?」

 

「……うん」

 

 

 リビングでエゴサしていたら突然、答えにくい質問がお父さんの口から飛び出してきた。

 まふゆ並みに何を考えているのかわからない父の顔は、どういう意図の質問なのか読み取れない。

 

 高校生の娘が1ヶ月近く家に帰らなかったことを咎めようとしているのか、心配しているのか。

 家を空けていた理由に絵以外のこともあったせいで、私は少し警戒してしまう。

 

 幸いなことに、お父さんは私の様子に気付くことなく、質問を重ねてきた。

 

 

「あのコンクールの件から、大きなコンクールには絵を出していないようだが……もう出す気はないのか?」

 

「そんなつもりはないけど。ただ、タイミングというか、機会がなかっただけ」

 

 

 あの、というのはミライノアートコンクールのことだろう。

 

 お父さんは炎上事件のことから私が大きなコンクールに絵を出すのを恐れているのでは、と思ったのかもしれない。

 

 だが、この1年は美術部員として学生向けの賞は取っているし、ニーゴの活動に専念していただけだ。

 お父さんが心配するような理由はないし、機会を逃していただけである。

 

 

「ふむ」

 

「それで、お父さんは何を言いたいの?」

 

 

 質問の意図がわからないので思い切って質面し返すと、お父さんが手渡してきたのは1枚のパンフレットだった。

 

 

「シブヤアートコンクール?」

 

 

 募集要項などが記載されたそれは、私の記憶が間違いなければ……あの時のコンクールよりも上か同じぐらいの、プロレベルの人間が集まる大きな賞だったはず。

 

 ──私に態々、才能がないと伝えてくれたお父さんが、どうしてこれを?

 

 パンフレットから顔を上げると、こちらをじっと見ていたお父さんと目が合った。

 

 

「ここでお前の覚悟を見せて欲しい」

 

「それって、これに応募するのは確定ってこと?」

 

 

 勝手に決められるのはお父さんが相手でも嫌なのだが。

 そういう気持ちを微塵も隠さずに見つめ返した。

 

 

「いや、強制はしない。これは今のお前の腕試しにはなるだろうが、描くのも描かないのもお前の自由だ」

 

「えぇ?」

 

 

 予想に反した答えに、私は困惑以外の感情が出てこない。

 お父さんは娘にパンフレットを渡せて満足したのか、すぐにリビングから退散してしまうし、相手の本意は闇……いや、胸の中である。

 

 リビングには呆然と座る私と、お母さんの洗い物の音しか存在しなかった。

 

 

(あの言い方だと、ほぼ強制じゃない? でも強制しないって断言してたし、本当にどっちでもいいのかな)

 

 

 このまま部屋にいても、お父さんの本音を察するのは難しそうだ。

 洗い物をするお母さんに一声かけてから、私もパンフレットを片手に自室に戻った。

 

 

(それにしても、シブヤアートコンクールね)

 

 

 自分には天才と持て(はや)されるような絵の才能がないってことを自覚してから、2年が過ぎた。

 

 1年目はスランプで足踏みして。

 2年目でやっと、スランプから抜け出したと思うような絵が描けた。

 

 この2年間で宮女の美術部員の1人として、学生向けやアマチュアの賞に応募していた。

 最近は下駄を履かずとも、賞を取れるようになってきている実績もある。

 

 まだまだ至らない点が複数あるものの、もしかしたら実力が届くかもしれないと思うところまで伸ばせているのだ。

 

 

(そう考えると……今回の話はお父さんの言う通り、腕試しに丁度いいのかもね)

 

 

 もう一度、挑戦してみようかな。

 お父さんから聞いた時は嫌だと思っていた気持ちが、気が付けば前向きに変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 シブヤアートコンクールに出すと決めたら、準備をしよう……と気合いを入れてみたものの。

 

 奏の様に高クオリティの曲をずっと作り続けたり、まふゆの様に間に書いた文章が受賞しました~、なんてことができるような才能が、私にあるはずもなく。

 いざ描くぞ、と思っても何を描くのか決まらず、詰まってしまった。

 

 

(こういう時、そのことについて考え続けても、良いアイディアは出てこないのよね)

 

 

 そんな言い訳をしながら、私はナイトコードを開いていた。

 まだ25時から時間があるのに、Kのアイコンがボイスチャットにあった。

 

 Amiaのアイコンもオンライン状態なので、寝落ちや離席さえしていなければどちらかには話を聞けそうだ。

 私は迷わずボイチャに入って、Kに声をかけてみる。

 

 

「お疲れー。今も元気に曲作り中?」

 

『えななんもおつかれさま。元気とは言い切れないけど、順調だよ』

 

「順調なんだ。すごいなぁ」

 

 

 ポロリと溢れてしまった言葉。

 それを見逃してもらえるほど、Kは鈍感じゃなくて、すぐに拾われてしまった。

 

 

『えななん、何かあったの?』

 

「何かって言うほど、大したことじゃないよ」

 

『それでも、何か力になれるかもしれないし。よければ聞かせてくれないかな?』

 

「じゃあ、ちょっとだけ。実は──」

 

 

 前置きを入れつつ、シブヤアートコンクールのこととそのネタに困っていることを掻い摘んで話すと、Kは小さく唸った。

 

 

『そうなんだ。コンペがあるなら、イラストも取り掛かるのは難しいよね。期限、伸ばそうか?』

 

「ううん、今やってる分はそのまま完成させるから平気。ただ、次のは遅れるかも。ごめんね」

 

『大丈夫。こっちのことは気にせず、自分のことに集中してよ。コンペ、頑張ってね』

 

「当然。今の実力を試すためにも、全力を尽くすつもり」

 

『そっか……でも、よかった』

 

 

 安堵するような声が聞こえてきて、私は首を傾げる。

 なにが良かったのか、今までの話から予想できずに「何が良かったの?」と問いかけることしかできない。

 

 Kの言いたいことが予想できずに唸っていると、誰かが入ってきたような特徴的な電子音とウィスパーボイスが聞こえてきた。

 

 

『えななんは自分のことより、人のことを優先しがちだから。自分の絵を描くのを優先してくれて、わたしは嬉しいかな』

 

「もう。それを言うならKも似たようなものでしょ。それに、優先する相手は選んでるし」

 

『わたしも人に言えないかもしれないけど……雪からナイトコードに長期間、来れなかった時のことを聞いたよ。いくら友達のためだからって、何でも許したらダメだと思う』

 

「いやいや、何でもは許してないって」

 

『誘拐や監禁と呼ばれるような行為を良しとするなら、えななんの許容範囲は広過ぎるよ。突然そんなことされて、よく受け入れたなってビックリしたし』

 

 

 それを言われると、胸を抑えて短く唸ることしかできない。

 

 私もいくら不思議体験をしているからって、あまりにも普通に対応し過ぎたな、と思っていたのだ。

 だが、私があのままセカイにいなかったら、雪がどうなるのか予想できなかった。

 

 だからまだ想像しやすいし、気が付きやすい方を選んだ、と言い訳なら無数に思いつく。

 とはいえ、普通の人はそんな思考にならないと突っ込まれたら、その通りですとしか返せない。

 

 

「今はK達もいるから、もうあんなことにはならないでしょ」

 

『──どーだかなー。えななん、お願いされたらなんでもしそうだしな~』

 

 

 Kと話していたはずなのに、返ってきた声はAmiaのモノだった。

 一体いつからヤツはいたのか。心臓が煩いぐらい跳ね上がる。

 

 

「あ、Amia!? 何時からいたの!?」

 

『Kが「えななんが自分のことより人のことを~」って話してるところからかな。で、Kとえななんは何を話してたのさ?』

 

『えっと、えななんがシブヤアートコンクールってところに応募するらしくて──』

 

 

 AmiaとKが話している間にも、私の思考は過去に飛んでいた。

 

 Amiaが入って来たタイミングはKが話していた時。

 確か、その辺りで私が唸っていたのだ。その間にAmiaが入ってきたに違いない。

 

 

『ふむふむ。改めて話を聞いても、やっぱり結論は同じかな~。えななん、なんやかんや雪に甘いもんねぇ』

 

「雪に甘いって、そんなことないと思うけど」

 

『は~、やれやれ。これだから無自覚っていうのは怖いよ』

 

「そんなこと言われても。私はAmiaが雪と同じようなことを言っても、自分ができることなら付き合うわよ? 仲間(Amia)のためなら当然じゃない」

 

『……ふぇ?』

 

 

 何もおかしなことを言っていないのに、Amiaは変な声を出して黙り込んでしまった。

 何があったのだろうか。呼びかけてみても物音すら返ってこない。

 

 

『これは……えななんの口撃(こうげき)で沈んじゃったみたいだね』

 

「え、攻撃って何? 私、酷いことを言ったつもりなんて全くないけど」

 

『はは』

 

 

 KはKで笑って誤魔化してくるし、Amiaを傷つけてしまったのであれば、謝罪したい。

 そう思って聞き出そうとしても、特に悪いところが見つからずに『わからない』という結果だけが残った。

 

 わからないが結論なんて、朝比奈じゃないんだぞとツッコミたい。

 そう言ったらあいつがひょっこりやってきて、収拾がつかなくなりそうなので、絶対に口にしないけど。

 

 

「……とりあえず、Amiaを傷つけるようなことは言ってないのよね?」

 

『うん、そこは大丈夫。勘違いさせてごめんね、えななん』

 

『わたしも。ややこしいことを言ってごめんなさい』

 

「大丈夫よ、何もなければそれで良いし」

 

 

 Amiaが違うと強く否定しているし、異変も感じられなかったので、今回の言葉は信じても良いだろう。

 

 

(それに……2人と話したおかげで絵の方向性も決まったし)

 

 

 東雲絵名()を殺してしまったあの日から、記憶だけでなく違う何かも失くしてしまった抜け殻が《私》だった。

 

 今まで歩いてきたはずの道があっさりと壊されて、粉々になった欠片を集めて、東雲絵名()という道の続きを必死に繋げて、ここまで歩いてきた。

 

 相手に合わせて、相手に寄り添って。

 絵を描く時ですら私の絵でありつつも、主導権を相手に渡していた。

 

 きっと家にも学校にも、私の場所はちゃんとあるんだと思う。

 だけど、やっぱりそこには私だけじゃなくて、東雲絵名()がいて、私には欠けたものが……私の知らない私がいる。

 

 でも、ニーゴにはそれがない。私だけが手に入れた、大切な場所。

 

 ニーゴは、ここは、私が数年間で東雲絵名()とは関係なく作ることができた場所なのだ。

 だからこそ──私の絵描きとしての覚悟の原点として、ここの絵を描きたい。

 

 

 記憶を無くして下駄を履いてでも画家になろうと藻搔いてきた1年も。

 全く描けなくて苦しんできた1年も。

 《私》だけが作ることができた、居場所で活動してきた1年も。

 

 ニーゴの東雲絵名として全部、この絵に込めよう。

 相手が欲しいものではなくて、私が描きたいものを描く。

 

 それが今の父へ送ることができる、絵描きとしての私の覚悟なのだから。

 

 





私的に思い入れのある『満たされないペイルカラー』編のフリを今回、入れたのですが……ここから絵を描く期間や審査期間が始まりますね?
その期間中は時間があるなということで、次回から『KAMIKOU FESTIVAL!』編も並行しちゃう欲張りセットです。


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64枚目 潜入・神高フェスティバル!


というわけで始まりました、『KAMIKOU FESTIVAL!』編。
初めてハーメルン様の特集タグをぼかしや透明以外で使った1話です。

前半はえななん視点で、後半は瑞希さん視点で進めてます。




 

 

 噂によると、彰人達が通う神山高校──通称・神高では今日、文化祭をやるらしい。

 

 神高に通っていない私には関係のない話……と言われたらそれまでだけど、コンペ用の絵を描く気分転換になればという気持ちと。

 後は滅多に入れない他校に誰でも入れるとなれば、ちょっと覗きたいと思う程度には好奇心があった。

 

 残念なことにまふゆは予備校だし、愛莉は練習日だから遊ぶのは難しい。

 準備も無しに奏を誘うのも、奏自身の負担を考えると高過ぎるので無し。

 

 そうして厳選していけば誘えそうな友達は外部にはいなかったので、神高内で誰かを捕まえればいいかと思い、家を出た。

 

 

(あぁでも、瑞希って文化祭に参加するのかな?)

 

 

 私が病院で休んでる日に遊べちゃうぐらい、瑞希は学校をサボりがちだ。

 そんな瑞希が土曜日に学校に来るなんて考えられないし、文化祭もサボっている可能性が高い。

 

 そう考えると、誰かを捕まえる難易度が一気に跳ね上がる。

 

 瑞希以外に捕まえれそうなのは彰人や冬弥くんだけど……流石に姉同伴は嫌だろうし。

 いくら記憶喪失だからって、それをダメだと思う良識を忘れることはなかった。

 

 

(今回は1人でいっか)

 

 

 ここで最悪のことを考えても仕方がないし、ポジティブな思考に切り替えて、神高に突撃することにしよう。

 

 ──そういう経緯で私は1人、神高まで私服で乗り込んでいた。

 

 文化祭というだけあって、神高生っぽい制服の学生だけでなく、他校の制服の子や私服姿の人達も目に入る。

 流されないように隙間を縫って、受付でお金と食券を交換して、と。

 

 

(へぇ、どこの文化祭にも看板はあるのねぇ。いかにもって感じがするし、模擬店も面白そう)

 

 

 他校の中庭という珍しい空間を歩いていると、見覚えのある2つの後ろ姿が目に入った。

 

 私の見間違いだったり、髪色やファッションセンスまでそっくりさんでなければ、瑞希で間違いないはず。

 隣にいる絶妙なセンス……いや、文化祭仕様の白シャツを着ているのは、白石さんだろう。

 

 瑞希と同じクラスで仲が良さそうだったし、2人揃って模擬店で買っている姿は、遠目で見ても楽しそうだ。

 

 

(やっぱり、私は1人で回ることになりそうね)

 

 

 学校の友達と遊んでいる中に、約束もしてないのに割って入るような勇気はない。

 しかし、1人で回るにはあまりにも目の前にいる2人の条件が良すぎる。

 

 私も混ぜてもらおうか? と迷っている間に、瑞希や白石さんの間に女の子──小豆沢さんが駆け寄ってきた。

 

 

「あっ、杏ちゃん……!」

 

「こはね! 来れないかもって言ってたのに、来てくれたんだ!」

 

 

 白石さんが嬉しそうに小豆沢さんを歓迎し、瑞希に紹介していた。

 益々、参加しにくい空気が出ている気がする。当初の予定通り、1人で回ろう。そうしよう。

 

 

「──じゃあ、2人で回ってきてよ!」

 

 

 ……日和って踵を返そうとしたら、何故か瑞希が1人、校舎に向かって走り去ってしまった。

 白石さんと小豆沢さんの困惑を見るに、どうやら瑞希は自分の判断で2人と一緒に回らないことを選んだらしい。

 

 

(緊張してるようにも見えたし……瑞希のやつ、小豆沢さんに気を遣ったのかな)

 

 

 どちらにしても、自分から1人になったのであれば、私が邪魔しても問題なさそうだ。

 

 

「ん、追いかけてこないみたいだね」

 

 

 校舎に入って、白石さんの方ばかり警戒する瑞希の背後に、ゆっくりと近付く。

 

 瑞希は看板を眺めたり、周囲の子達を見たりと注意散漫だ。

 足音を多少出しても、気がつく素振りもない。

 

 これはいつも揶揄われる仕返しをするチャンス。

 今こそ、肩に手を乗せてわっ、と驚かせる時……!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハーッハッハッハッハッハ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃっ!?」

 

「え!? 何今の、笑い声? って、後ろに絵名もいるし!?」

 

 

 ゆっくりと肩に手を伸ばした瞬間、上から大き過ぎる笑い声が響き渡る。

 あの大声のせいで私は声を出してしまい、瑞希に気付かれてしまった。

 

 

「もう、何なのよ! もう少しで瑞希を驚かせたのに!」

 

「それを態々言うって……これってボク、あの大きな声に助けられたのかな?」

 

 

 テイク2をやるには、あまりにもガッツリ見つかってしまった。

 

 いつも揶揄ってくる仕返しするチャンスを逃した大声に私がクレームを言えば、瑞希は苦笑いを浮かべる。

 

 

「で、悪戯っ子な絵名はどうして1人で神高の文化祭に来てるの?」

 

「コンペの絵の気分転換にちょっとね。知り合いもいるし、冷かそうかなーって」

 

「それでぼっちなんて、めっずらしー」

 

「誰も捕まらなかったからしょうがないでしょ。後、ぼっちって言うな」

 

 

 瑞希も白石さん達から離れたのだから、同じぼっちだろうに。

 ぼっち仲間の瑞希をキッと睨みつけ、ごめんごめんと軽い謝罪を引き出した。

 

 

「ねぇ、瑞希は誰かと回る予定なの?」

 

「ううん。あの大声が気になったから、1人で見に行こうかなって思ってたぐらいだよ」

 

「そうなんだ。じゃあ、私も一緒に行ってもいい?」

 

「それは……絵名はいいの?」

 

「良くなければこんな提案、するわけないでしょ」

 

 

 何を遠慮しているのか、どこか弱々しく見える瑞希に私は頷いた。

 というか、友達がいるのに今更1人で回らなければいけないなんて、私の心が惨めさで荒んでしまうからやめてほしい。

 

 そんな正直な説得が功を奏したのか、瑞希は遠慮するのをやめて、頷き返してくれた。

 

 

「じゃあ、まずは絵名をビビらせた大きな声の正体を探してみない?」

 

「ビビらせたは余計よ! ……まぁ、私も気になるし反対しないけど。どこにいるか心当たりはあるの?」

 

「たぶん、上の教室だと思うんだよね。案内するからついて来て」

 

「はいはい。人も多いし、置いてかないでよ?」

 

「それは絵名次第じゃないかな~」

 

 

 楽しそうに笑いながら先導する姿は、こっちに無駄な遠慮もしていないように見える。

 白石さん達のように逃げられる気配は今のところなくて、安堵の息を漏らしつつ。

 

 私は意気揚々と上に向かう瑞希から逸れないように、足早に制服姿の背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

《side.瑞希》

 

 

 1人で適当に彷徨う予定だったのに、何故か今、絵名と神高内を歩いている。

 まふゆも忙しくて友達とも予定が合わなかった結果らしいけど、ボクにとっては幸運だったかもしれない。

 

 

「結構距離があるし、空き教室ばかりのエリアに来たけど。本当にここに声の主がいるの?」

 

 

 大き過ぎない? と背後から1歩前に出て、隣に並んだ絵名が呟く。

 案内しているボクが言うのも何だけど、向かっている教室から声が聞こえてくるのってあり得ないんだよね。

 

 よく考えたらわかるんだけど、下の階って出し物があるから騒がしいんだよ。

 

 それなのに、その下の階にすら聞こえてくる大声って。

 楽器じゃあるまいし、そんな声を人が出すなんて普通は考えにくい。

 ……その声の主が普通じゃないんだろうけどさ。

 

 

「うん、間違いなければこの空き教室のはずだけど」

 

 

 絵名に話しながら人の気配のある教室をそっと、覗き込む。

 そこには見覚えのある人と、その友達のような人達が楽しそうに何かの練習をしていた。

 

 

(あれって、もしかして類?)

 

 

 かつて、中学の頃に屋上で度々会っていた変わった先輩、と言えばいいのかな。

 そんな彼が楽しそうに友達と話していた。

 

 どうやら、屋上でひとりぼっち同士で会っていた彼は、楽しさを共有できる仲間ができたらしい。

 それが嬉しくもあればどこか胸が締め付けられて、ボクは教室から目を逸らすことしかできなかった。

 

 

「教室にいる人、知り合いっぽいけど……声、かけなくていいの?」

 

 

 目を逸らした先には絵名が立っていて、真っ直ぐボクを見つめていた。

 咎めるわけでもなく、呆れているわけでもない。それでいいのかと問いかけてくるだけの目。

 

 不思議と逸らさなくてもいいかな、と思ったボクはできるだけいつも通りの笑みを心掛けて笑った。

 

 

「まぁ、仲間と楽しくやってるみたいだしね。声をかけるのはやめとこうかなって」

 

「ふぅん、そっか。じゃあ、下に戻る?」

 

「そうだね~、戻ろっか」

 

 

 絵名が先に歩く姿をゆっくりと追いかけながら、もう1度教室の方を見る。

 あれはこれはと金髪の男子と薄緑の女の子に話しかけている姿は、屋上にいた時の類を知っているボクとしてはとても柔らかくて、楽しそうだ。

 

 1人で文化祭を回ろうとしていたボクとは違って……

 

 

「もう。やっぱり気になるんじゃない」

 

 

 そんな声が隣から聞こえてきて、ボクは慌てて顔を横に向ける。

 先に進んでいそうな絵名は何故か隣に立っていて、呆れているようにも聞こえる言葉を投げかけてくるのに、どこか温かさもあった。

 

 

「ほら。声をかけないって決めたのなら、さっきのところまで戻るわよ」

 

 

 ──あんた、また止まっちゃいそうだから。

 

 なんて台詞を付け足して、絵名はボクの手を取って進む。

 それが何となくあの夏の日、絵名が手を引っ張って連れ出してくれた時の後ろ姿に重なって見えて。

 

 

(あ、そっか。羨まなくてもボクにもちゃんと、いたんだった)

 

 

 ボクより小さな体はぐいぐいと前に進んで、臆病なボクを簡単に引き上げてくれるのだ。

 

 直接、顔を合わせて話した時間で言えば、お姉ちゃんにも類にも負けてしまうはずなのに。

 彼女はどうしてこうも、沈みそうなボクを浮上させてしまうのか。不思議で仕方がない。

 

 

「ねぇ、瑞希」

 

「何?」

 

「あの教室にいた人と、どういう関係かは知らないけどさ。文化祭で一緒に回っている時ぐらいは代わりを務めることはできると思うの。って、代わりとかなんか嫌なんだけど。いやでも、だから、ええと、その」

 

 

 もごもごと言葉に詰まる絵名は初めて見たかもしれない。

 

 頭の中で言葉を選んでいるような話し方はあっても、なんやかんやはっきりと言えることと言えないことをわけている絵名だ。

 こんなに意味のない言葉を繋ぐ姿を見たことが無くて、ボクは思わず吹き出してしまった。

 

 

「は、ちょっと! 何で急に笑うのよ!?」

 

「絵名がハッキリ言わないなんて、明日は槍でも降るのかな~って思うと、おかしくて」

 

「ほんっとーに失礼ね!」

 

 

 ばか、と幼稚な罵倒と共に、振り返った絵名が足を止める。

 前も今も、手を引っ張ってくれるキミへの答えなんて、たった1つしかないのだ。

 

 

(代わりなんていらないよ)

 

 

 だって、ボクにとってのキミはかけがえのない友達なんだから──代わりになろうとするなんて、頼まれてもお断りだ。

 

 

「よ~し。なにか面白いものがないか探しに行こう、レッツゴー♪」

 

「もう。元気になったのはいいけど、置いて行かないでよね!」

 

 

 





絵名さんを捻じ込めそうだったので、ぐいっといっちゃいました。
次回は普通にとある2人と合流します。


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65枚目 きょうだい事情

 

 

 

 無事に瑞希を捕まえて、文化祭を一緒に回ることになった。

 

 

「このクラスはお化け屋敷やってるんだ〜。飾りつけ、よくできてるなぁ」

 

「……入らないわよ」

 

 

 態とらしく声を出して、瑞希が1年C組の出し物を指差した。

 ニヤニヤと笑う顔を見れば、言いたいことは大体伝わってくる。

 

 だからこそ先んじて手を打ったのに、それでも瑞希は口角を上げるのだ。

 

 

「おやおや。ボクはまだ何も言ってないんだけどなぁ」

 

「まだって言ってる時点で自白してるようなものじゃない」

 

「もしかして絵名、お化け屋敷が怖いの?」

 

「その手には乗らないって言ってるでしょー……けど、それ以外にもこのクラス、何か引っかかってて入りたくないのよね」

 

 

 フェニランのお化け屋敷でも真っ青になるぐらいには、お化け屋敷というものが得意ではない私だけど。

 

 それとは別に、1年C組という言葉に記憶のどこかが引っかかっていて気持ち悪いのだ。

 私が1年生の時はA組だったので、そういう既視感ではないはず。

 

 ならばこれは何なのだろう。

 揶揄ってくる瑞希を無視して数年分の記憶から探し出していると、その答えはすぐに出てきた。

 

 

「東雲ー。3時からお前の当番だからな、忘れんなよー」

 

「わかってる。時間になったら戻ってくるから、任せたぞ」

 

「楽しんでこいよー」

 

 

 お化け屋敷の出入り口から現れた、見慣れたオレンジ髪。

 あの後ろ姿を見れば、私がお化け屋敷のクラスに引っかかっていた理由がすぐにわかった。

 

 

「東雲? それってもしかして……」

 

「認めたくないけど、そのもしかしてでしょうね」

 

 

 1年C組が弟の彰人のクラスだったからこそ、喉に小骨が刺さったような違和感があったのだろう。

 

 視線の先では、クラスメイトから冬弥くんに話し相手を変えた彰人が喋っている。

 興味津々に彰人と私を見比べる瑞希を引き摺って行こうかと考えているうちに、こちらに気がついたらしい冬弥くんが頭を下げてきた。

 

 相棒くんの会釈によって、彰人の目がこちらに向けられる。

 

 こちらの姿を見た瞬間、丸めた紙みたいに歪む彰人の顔。口を開いて出てきた言葉も、その顔相応のものだった。

 

 

「──何で、お前が神高にいるんだよ」

 

「文化祭に遊びに来たからだけど、悪い?」

 

「いや、悪くはねぇけどよ」

 

 

 バツの悪そうな顔に変えて、彰人は視線を横にずらす。

 

 他校にいるはずの姉が自分の高校にいるなんて思ってもみなかったのだろうし、相手の言い分も何となく察してはいる。

 

 だが、あからさまに嫌そうな顔をされてしまうと、こちらも言い返したくなるというか。

 つい、喧嘩腰になってしまったのは、悪かったかもしれない。

 

 こっちも気まずくなって視線を下に向ければ、瑞希が囁くような声で問いかけてきた。

 

 

「絵名って、弟くんと仲良くないの?」

 

「仲良しとはいかないけど、悪くないわ。ただ、ちょっと気まずいだけ」

 

 

 一般的な姉と弟の関係だと思うけれど、そんなのはご家庭によって違うわけで、説明としてはふさわしくないだろう。

 なので、思っていることをそのまま伝えて、瑞希の追及を躱した。

 

 瑞希は特に気にした様子もなく、関心の目を弟から冬弥くんの方へと向ける。

 

 

「ふぅん、そっか。じゃあ絵名の弟くんにちゃーんと自己紹介しなきゃね。というわけで! ボクは1年A組の暁山瑞希! 絵名とはまぁ、それなりに深い仲って感じかな。よろしくね、絵名の弟くんと~、えっと……」

 

「1年B組、青柳冬弥だ」

 

「冬弥くんだね、よろしく!」

 

 

 瑞希もまた、えむちゃんレベルのコミュニケーション強者であるらしい。

 自然と下の名前で呼んでしまうのだから、少なくとも私よりも距離の詰め方が上手だった。

 

 すごいな~と呑気に観察していると、突然、彰人から声をかけられる。

 

 

「あの暁山ってやつの言葉は嘘じゃないんだな?」

 

「そりゃあそうでしょ。友達じゃなきゃ一緒に文化祭なんて回らないし」

 

「そうか」

 

 

 彰人は口の前に手を持ってきて、視線を宙に彷徨わせた。

 

 あれは彰人が考え事をしているときに出てくる仕草だ。

 瑞希の何が引っかかったのか、冬弥くんと瑞希が話している間にも、彰人は考え込んでいる。

 

 

「確か、暁山だったよな。これからどこかに回る予定とかあるのか?」

 

「ブラブラ見て回りながら、体育館に行くぐらいしか考えてなかったけど。それがどうしたの?」

 

「冬弥が見たい催しがあるって言ってたし、暁山達さえ良ければだが、オレ達と見て回らないか?」

 

「え? えぇっと……」

 

 

 瑞希が良いの? と困惑しているような目でこちらを見てくる。

 

 他人事のように観察している私も、今の状況には疑問が噴出していた。

 まるで嫌いな人参を出されたような顔をしていた弟が、急に一緒に見て回らないかなんて、聞くだろうか。

 

 

「あんた、何を企んでるの?」

 

「別に、これはオレの我儘だ。嫌ならいい」

 

 

 問い詰めようと思えば簡単だが、彰人も一筋縄ではいかないだろう。

 変なことは考えていないだろうと、弟を信じるしかなさそうだ。最終決定権は瑞希と冬弥くんに投げてしまおう。

 

 

「私はどっちでもいいけど、瑞希と冬弥くんは?」

 

「ボクは面白そうだし、どっちでもいいよ」

 

「俺も先輩の劇が見れるのなら、反対する理由はありません」

 

 

 反対は無しか。

 新情報として彰人達が見る予定なのが劇だとわかったのは良かったかもしれない。

 

 

(途中で嫌になったとしても、劇の後ならサラッと別れられるでしょ)

 

 

 彰人の堪忍袋の尾が切れるのか、瑞希がするりと抜けていくのか。

 今日の私は瑞希に付き合うつもりなので、何があっても大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 ──なんて、思わなきゃ良かったかもしれない。

 

 

「頭痛え……」

 

 

 死んだ魚のような目で呟く彰人に、私は激しく同意したい気分だった。

 

 

「高次元か低次元か、何というか。私には次元が違い過ぎて、作品の意図が読み取れない演劇だった」

 

「いやぁ、意味わかんな過ぎてヤバかったねー。笑い過ぎて疲れちゃったよ」

 

「瑞希はよく笑えるよね」

 

 

 あそこまで意味がわからないと笑いも出てこないのだけど、瑞希は楽しそうだ。

 

 そもそも、ロミオが9人も出てきてバトルロワイヤルしてる時点でツッコミたかったし、最後は宇宙とか概念とか、雑なオチで終わるし。

 

 B級映画でも中々お目にかかれない次元の演劇だった。

 あれが文化祭ではなく映画館で上映されてたら、黙って会計の人に手を伸ばしたくなると思う。

 

 

「あの演劇はコミカルな展開の中に、哲学的な示唆が感じられた。ラストシーンであの曲をBGMにしたのも、何か意味があるのだろうな……」

 

 

 真顔で考え込んでいる冬弥くんには悪いが、私にはあの演劇の意味がわからない。

 

 絵画とかも良さがわからないとか言われることがあるものの、これは系統が違うものだ。

 意味が本当にあるのであれば、それを知るのはこの演劇の脚本を作った人のみだろう。

 

 ならば、ここで冬弥くんが悩んでいても時間が過ぎていくだけか。

 腕を組んで考え込む冬弥くんに、私は提案を投げかけた。

 

 

「ここで考えても演劇のことはわからないと思うし、片付けも大体終わってる頃でしょ。そろそろ声をかけてもいいんじゃない?」

 

「それは、大丈夫なのでしょうか……」

 

 

 冬弥くんが躊躇いがちに彰人達の方へと視線を向けると、彰人は手を横に振りながら頷く。

 

 

「こっちは大丈夫だぞ。オレは暁山に話があるし、ちょうど時間が欲しいと思っていたからな」

 

「え、ボクに?」

 

「ああ。お前に話がある。冬弥が話している間、時間をくれ」

 

 

 真顔の彰人を見る限り、冗談や酔狂で言っているようには見えない。

 

 瑞希の視線がこちらに向くので、任せると口を動かして相手の判断に委ねた。

 

 

「……ボクは別にいいけど」

 

「じゃあ、私は冬弥くんと一緒に教室に入ってようかな。2人とも、終わったら戻って来てよね」

 

「わかってる。じゃあ、暁山を借りていくぞ」

 

「絵名、行ってくるね」

 

 

 手を振る瑞希に振り返して、離れていく彰人と瑞希を見送る。

 

 

「冬弥くん、教室入ろっか」

 

「そうですね。行きましょう」

 

 

 ガラリ、と教室を開けばよく響く声で会話している声が聞こえてくる。

 

 クラスメイトらしき子の声は聞き取りにくいのに、冬弥くんの尊敬する先輩とやらの声は耳を塞いでいても貫通してきそうなぐらい大きかった。

 

 

「……司先輩!」

 

「おお、冬弥! よく来てくれたな! 演劇を見に来てくれたのか?」

 

「はい。さっきの劇、とても良かったです。特に──」

 

「っと、すまん! 楽しんでもらえたなら何よりだが……急ぎの用事があるから、話はまた後にしよう! じゃあな!」

 

 

 冬弥くんが話し終える前に、司先輩と呼ばれた男子は早歩きで教室を去ってしまった。

 

 尊敬する先輩に感想を言えなかったせいだろうか。

 小さく「あ……」と呟いた冬弥くんの顔が、どこもなく寂しげに見える。

 

 

「感想、言いたかったのに……」

 

「喋る余裕もないなんて、かなり急いでるのね」

 

 

 瑞希と一緒に教室を覗き込んだ時に見た男子や女子はクラスにいないようだし、別の出し物があるのは可能性としては高いと思う。

 

 

「さっき、空き教室であの先輩さんっぽい人達が演技の練習をしてたの見たのよね。もしかしたら体育館とかに行けば会えるかもよ」

 

「体育館……その可能性はありますね。彰人達が戻ってきたら探しに行こうと思います」

 

 

 目に見えて落ち込んでいる冬弥くんを見ていられないので、可能性程度の予想を話したものの……どうやら効果はあったらしい。

 

 それにしても、一見、クールな印象を受ける冬弥くんが見てわかるぐらい落ち込むなんて、あの先輩はそれほどの人物なのか。

 彰人達が戻ってこない分、手持ち無沙汰なせいで気になってしまう。

 

 

「人探しの時の参考に聞きたいんだけど、その『司先輩』という人の苗字って何なの?」

 

「司先輩の苗字ですか? 天馬ですよ」

 

「天馬司さんか。天馬って珍しい苗字よね、宮女の1年生にも天馬って名前の子がいるけど……あれ」

 

 

 そういえば、咲希ちゃんも天馬という名前で金髪だったような。もしかして家族か従兄妹みたいな関係だろうか。

 私が頭の中に元気なあの子を思い浮かべていると、何かを察した冬弥くんが答えをくれた。

 

 

「司先輩の妹さんは宮女らしいので、もしかしたら絵名さんが想像している人は司先輩の妹かもしれませんね」

 

「兄妹共々、学校での姿は元気だよね」

 

 

 咲希ちゃんの元気さは最近のものだろうし、下の階まで聞こえてくるぐらい大声でもないのだが、言われてみれば兄妹っぽい。

 ウチは父親似と母親似で綺麗に分かれて髪色的には姉弟らしさがないので、余計に天馬さん家の2人に繋がりを感じた。

 

 

「意外な繋がりを発見したし、良かったら冬弥くんと天馬さんを尊敬するようになったきっかけみたいなの、聞いても良い?」

 

「そうですね。彰人達もまだ姿が見えないみたいですし、少しだけなら」

 

 

 そうやって始まった冬弥くんの馴れ初め話。

 

 瑞希と彰人が中々帰ってこなかったので、最後まで聞いてしまったものの、天馬司という人間がただの声が大きい人ではないということを知れた良い話だったので、個人的には面白かった。

 

 





司さんの劇は実際に見てみたいとも思いましたが、果たして理解できるのか、という怖いもの見たさがある気がしました。

次回は彰人君に連れて行かれた瑞希さん視点です。


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66枚目 【暁山さんと頼み事】


今回は全部瑞希さん視点です。



 

 

 ボクは絵名の弟くんと一緒に、人の少ない階段の踊り場までやってきた。

 

 弟くんの方から一緒に来ないかと誘って、態々ボクを呼び出したのだから──状況的にも、ボクに話があるのは明らか。

 

 それなのに、何故か弟くんは話すこともなく、口を噤んでいる。

 

 今日会ったばかりだし、気まずいんだろうな。ボクもちょっと気まずいし。

 こういう時はバカなことを言って空気を変えてしまう方が、話は進むんだよね。

 

 

「こーんな人気のない場所に連れ出すなんて……いくらボクが可愛いからって、思い切ったことをするよねぇ。勘違いされたらどうするのさー?」

 

「ちげぇよ! そもそもオレとお前は初対面だろ!?」

 

「あはは、そーだね。だからこそ、ボクを絵名から引き離してまで話したいことが気になってさ。手っ取り早い方法を使っちゃった」

 

「手っ取り早いって……あぁ、そういうことかよ」

 

 

 弟くんはボクの意図を察したのか、頭を乱暴に掻いた。

 

 

(さぁて、これで話してくれるようになったかな?)

 

 

 まだ心に余裕があるボクは相手の出方を窺う。

 窺われている弟くんはというと、悔しそうな顔であるものの、短く呼吸する。

 

 どうやらそれが、気持ちの入れ替えるスイッチだったらしい。

 弟くんは目を逸らしたくなるぐらい、真っ直ぐボクの目を見て言った。

 

 

「暁山は姉貴といつ、知り合ったんだ?」

 

「そうだなぁ……大体1年前ぐらいだね」

 

 

 初対面はボクが中学1年生の時。

 ちゃんと名前と顔合わせしたのはつい最近だけど、そこは言わなくても良いよね。

 

 

「1年ということは……暁山もあいつを変えた1人か。お前が知らない側だからこそ、あいつにとっての救いになってるのかもな」

 

「えっと、知らない側ってどういうこと?」

 

「……悪い。オレが言ったせいで気になると思うが、あいつのためにも流してくれると助かる」

 

 

 弟くんの顔を見ても、目を逸らされることなく見つめ返された。

 どうやら、弟くんにとっての本心からのお願いみたい。

 

 絵名のために聞かないでほしいと言われると、ボクも聞きにくいんだよね。

 悔しいけれど、聞かない方が良いかも、と思わせるような言葉選びが上手かった。

 

 

「じゃあ、何ならボクも聞いていいのかな。態々ここに連れてくるぐらい、話したいことがあるんでしょ?」

 

 

 今のやり取り的に、絵名に関係することなのは容易に予想できるけど。

 内容まではわからないから、怖いんだよね。

 

 だって、まふゆが連れてきたとはいえ、絵名もあのセカイに行き来できるぐらいには消えたいって思ってるのだから。

 怖いような、そうでもないような。複雑な気持ちになってしまう。

 

 

「その、あー」

 

「うん?」

 

「暁山、姉貴を……絵名をよろしく頼む」

 

「えぇっ、急にどうしたのさ!? 気まずいから頭を上げてよ!」

 

 

 一体何を言われるのかとほんの少し警戒していると、なんとビックリ。弟くんは頭を下げてきた。

 

 まるでボクのことを絵名の大切な人か何かだと勘違いしてるみたいだ。

 ボクと絵名は友達だけど、弟くんに頭を下げられるような関係ではない。

 

 だから頭を上げて欲しいとお願いしてから数分経って、弟くんはやっと頭を上げてくれた。

 

 

「で、弟くんはなんで頭を下げてきたの? それを知らないと頷くこともできないよ」

 

「それは……暁山はあいつが大切にしているヤツの1人だって思ったからだ」

 

「ボクが絵名の大切にしてるヤツ、ね」

 

 

 1人ってことはボク以外にもこういう話をしてるんだろうけど、そんな数多くいる友達に対して弟くんは今みたいに頭を下げ回っているのだろうか?

 

 それならとんだシスコンくんなんだけど……弟くんの真剣な表情をみるに、そう揶揄うような問題ではなさそうだ。

 

 

「中学までのあいつはあの日から時間をかけて、ゆっくりと追い込まれてた。それこそ、何かきっかけがあれば勝手に消えちまうんじゃないかって思うほど、あいつは脆かった」

 

「絵名が? そうは見えないけどなぁ」

 

 

 そう言ってしまったけど、言われてみれば思いつく点はある。

 

 ニーゴの前で見せてくれる絵名は自己評価が滅茶苦茶低いのが玉に瑕だけど、頼りになって、強引で、目敏くこっちの変化に気が付く潤滑油のような存在である面が強い。

 

 ただ、東雲絵名がそれだけの女の子なのであれば、ボクら3人が揃って親近感を持つのはおかしいのだ。

 

 ……だからこそ、ボクらも見えていない絵名の裏側は弟くんが頭を下げなきゃいけないぐらい、不安定だってことなのかもね。

 

 

「でも、態々ボクに頭を下げなくてもいいんじゃない? 絵名にはキミみたいな弟がいるんだし、家族間で支えた方がいいと思うけど」

 

「家族じゃダメなんだよ。弟であるオレじゃあ、あいつの──東雲絵名との距離が近すぎるんだ」

 

「近いからダメなんて、それはまた難儀な話だね」

 

 

 まるで、あの子と誰かを分けるかのように言い直された絵名の名前。

 きっとそれが弟くんが伝えられる最大のヒントなのだろうけど、彼がそれ以上のことをいうつもりがないことも理解してしまった。

 

 ボクにも弟くんにも《絵名のため》というカードは強すぎたんだ。

 カードゲームだったら使用禁止指定を受けちゃうぐらい、バカみたいに強くて笑っちゃいそうな状況だよ。

 

 

「オレ達家族じゃどうしても、今のあいつが落ち着ける場所にはなれないんだ。暁山のできる範囲でいいから、あいつのことを頼みたい」

 

(弟くんがここまで心配するほど、ボクが必要だとは思えないけどなー)

 

 

 絵名は自分を卑下しがちだけど、目標に向かって頑張れるし、まふゆの件からも自分じゃどうしようもない時に人に頼ることもできるみたいだ。

 

 そんな彼女にボクができることはあまりないんじゃないか……とも思うけど、弟くんが絵名から引き離してまで頼んでくるのだ。

 家族にそういう行動をさせる理由が絵名にはあるってことも、伊達や酔狂でやっているわけでもないこともわかる。

 

 

(そういえば、絵名って自分のことを話してくれているようで、話してくれないことも多いんだよね。ボクと同じで)

 

 

 好きなものも嫌いなものも、考え方も目標も、最近の絵名を構成している情報ならいくらでも知っている。

 

 でも、そこには『過去の絵名』はいない。

 辛うじて聞けたのは「中学時代は親友の子がいなかったらほぼボッチね」ということぐらいで、過去に何かあるんだろうなっていうのは、ボクも薄々察してた。

 

 そりゃあ、ニーゴの皆は作業のことばかりで自分のことを話そうとしないから、奏のこともまふゆのことも、ボクは最近まで知らなかったよ?

 でも、絵名は──えななんだけは、距離がビックリするぐらい近くて、ネット上の関係だった時でも色々と話してくれてたんだ。

 

 そんな絵名が意図的に過去の話を避ける理由なんて『話したくない』以外では思い浮かばなくて。

 だからなのかな。弟くんの話を聞いてから、余計に過去に何があったんだろうって気になってしまう。

 

 どうして画家になりたいのかとか、好きだからと言われたらそれまでだけどさ。

 けど、その言葉で片づけるには絵名の執念は強くて……聞いても誤魔化された話の内容も、何か理由があるとしか思えないんだよね。

 

 

「ボクも、できないことがあるよ」

 

「話を聞いてくれるだけでも十分だ。後は頭の片隅にあれば、動いてくれるだろ」

 

 

 何だかやけに買ってくれてるけどさ、弟くんは頼む相手をちょっと間違えたかもしれないね。

 

 まふゆなら絵名にべったりだからすぐに頷くだろうし、奏も優しいから頷くだろう。

 でも──ボクはどうしようもなく臆病なんだ。

 

 

(任せてなんて言えないよ……絵名よりも先に、ボク自身が諦めちゃうかもしれないでしょ?)

 

 

 だってボクも、絵名達には『嫌われちゃうかもしれない大事なこと』を言えてないんだから。

 

 バレて、否定されて、怖くなって逃げてしまった後で。

 絵名にもしもがあっても……逃げた後のボクじゃ、何もしてあげられないんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから弟くんの話は終わって、絵名達と合流したものの。

 

 冬弥くんは先輩を探すために体育館に行くらしく、ボクらは念のため、校舎内での出し物に先輩がいないか手分けして探すことになった。

 

 といっても、あくまでそれは副題。

 主題はやっぱり、絵名との文化祭を楽しむってことだよね!

 

 

「結局、劇以外は絵名とあんまり回れなかったからなー。いっぱい遊ぶぞ~」

 

「そうね、瑞希に任せるわ」

 

「ふっふっふ、ボクに付いてこれるかな~?」

 

「普段、遊んでる時も付いてきてるでしょ」

 

 

 呆れるような言葉を返す絵名に、弟くんが心配するようなところはどこにもない。

 

 弟くんから任されたけれど、今の絵名はそんな片鱗を感じないし、ボクが変に意識したって何も解決しないのだ。

 今、気にしたところで何も解決できないだろう。

 

 

(じゃあ、こういう時こそ遊ばなきゃ損だよね!)

 

 

 シューティングゲームのゲーム大会で優勝してる子を見たり、文系の部活の出し物にお邪魔したり。

 

 文化祭に誘われた時は乗り気になれなかったのに、こうも変わるとは朝のボクも思っていなかっただろう。

 

 コンクールの準備で忙しいであろう絵名が、他校の文化祭に1人で来るなんて誰が予想できるのかな。

 少なくとも、ボクは予想できなかったし、良い意味で運が良かったとも言えるよね。

 

 

(杏が誘ってくれなきゃ来る気もなかったけど……来て良かったなぁ)

 

 

 クラスTシャツじゃなくても、絵名も違うから全く気にならない。

 周りを気にするぐらいなら楽しめと、笑う絵名にはやっぱり──弟くんが言うようなことはなさそうだ。

 

 

(でも、ボクはちょっと知っちゃってるんだよね)

 

 

 今まで、深く考えることもなかった本当に小さな違和感。

 

 全く語られない絵名の過去に、何があったのかなんて予想できない。

 人にはそれぞれの人生(ものがたり)があるから、ボクの頭じゃ思いつかないだろう。

 

 

(ボクができることなら、力になりたいなぁ)

 

 

 絵名が困って、立ち止まっちゃって。

 その時が来ても、ボクがそばにいることが許されているのなら──力になりたいと、そう思うんだ。

 

 

 

 

 ……それを許してくれるほど、ボクが隠し持っている秘密は単純じゃなかったんだけどさ。

 

 

 

 

「あれ? 瑞希じゃん!」

 

「久しぶり〜! 文化祭に来てたんだね!」

 

 

 相手にとっては何気なく。

 ボクにとっては隣に絵名がいる分、あまり聞きたくなかった声が、耳に届いてしまった。

 

 

「あ……」

 

 

 ──そういえばさ、瑞希も言われて嫌なら、学校ぐらい普通の格好で来たら良いのにねー。

 

 ──瑞希って良い子だけどさ、そういうところあるよね。皆に合わせられないっていうか。

 

 

 その瞬間、頭の中にフラッシュバックする、あの日の言葉。

 相手にとっては大したことがなくても、心をナイフで抉り取られるような話。

 

 

(なんで今、会っちゃうのかなぁ)

 

 

 知らないフリもできるかもしれないが、そんなことをすればクラスの子にも、絵名にも不審に思われてしまいそうだ。

 ボクも思わず声を出してしまった以上、無視はできない。

 

 こちらの異変を感じ取ったのか、絵名がそっとてを握ってくれるものの、ボクはそれを振り払って、クラスメイトに向き合った。

 

 

 

「……ひっさしぶり〜! 何か楽しそうだったから来ちゃったよ〜♪」

 

 

 

 あーあ。

 

 弟くんには悪いけど……こんなに知られるのが恐ろしいのなら、黙って消えちゃった方がいいのかもしれないなって。

 そう思っちゃうぐらい、ボクはどうしようもなく臆病だった。

 

 

 





ちなみに、彰人君本人は記憶喪失えななんも無くす前の絵名も同じ東雲絵名なんですけど、本人が別人だと考えている節があるので、その考えに合わせて話したみたいです。

彰人君的には、どっちも『姉貴』だと折り合いをつけてるんですけど……本人がね。

次回はえななん視点に戻って、神高文化祭編は終了です。


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67枚目 私ができること


 ──初めて会った時のあいつは可愛い服を着てオシャレをしていたのに、すっごい落ち込んだ顔をしていた。
 それが嫌で、最近いいなって思った場所まで連れ出して。

 現代の人って骨格から判断するのはわかりにくいって言うけどさ……隣でそいつの絵を描いている間に、何となく察しちゃったの。

 これでも私、絵描きの端くれだから。
 後は病院生活から少し、観察力には自信があるのよね。






 

 

 

 

「ひっさしぶり〜! 何か楽しそうだったから来ちゃったよ〜♪」

 

 

 心配だからと握ろうとした手が振り払われた。

 数秒ぐらい触れた手が震えていたせいで、楽しそうに聞こえる瑞希の声には違和感しかなかった。

 

 先程まで、瑞希は楽しくて仕方がないと言わんばかりに出し物を回っていた。

 一応、天馬司さんという、冬弥くんが尊敬する人も探していたのだけど、そんなものを忘れちゃうぐらい遊んでいたと思う。

 

 それなのに女の子2人組と会った瞬間、瑞希の様子が急変した。

 『1-A』という文字も入っている白地のTシャツを着た、2人の少女。

 

 

(彰人達に自己紹介する時に、瑞希は1年A組だって言ってたわよね)

 

 

 つまり、あの2人はクラスメイトなのだ。

 態々声をかけてくるのだから、それなりに付き合いがある相手である可能性が高い。

 

 それなのに、2人は悪意もなく親しげでありながら、瑞希の方はギクシャクしていた。

 今は上手く隠していて、クラスメイトも気がついていないだろうけど、瑞希からすれば何か思うところがあるようで。

 

 私の手を振り払った後、今も素知らぬふりをしてクラスメイトと話している瑞希。

 外野で聞いていても、あからさまにおかしなところはない……でも、瑞希にとっての小さな棘は、確実に存在していた。

 

 

「面倒ならクラスTシャツを着なくてもいいんじゃない? 文化祭でお揃いのシャツってのも、ベタ過ぎてダサいしさ」

 

「わかるー。折角だから着てるけど、ちょっと恥ずかしいもんね」

 

 

 クラスメイトの子達から発せられる、明確な刃になり得ない言葉。

 

 ──言葉というものは便利であり、同時に不便だ。

 

 思っていることをできる限り伝えるために言葉は必要だけど、その何気ない言葉は相手の心を抉ってしまうこともある。

 普段なら気にしないことも落ち込んでいたら気になってしまったり、言葉というのは難しい。

 

 それでも外野である私だからこそ、今の瑞希を放置するのはよろしくないって事ぐらいはわかる。

 

 

「ねぇ瑞希、その子達は友達なの?」

 

「えっと、あなたは?」

 

「私はその子の友達の東雲っていいます。今日は瑞希と一緒に文化祭を回ってたんだけど……そろそろ、瑞希を返してもらってもいいかな?」

 

「なんだ、瑞希ってば友達を回ってたんだ。もっと早く言ってくれたらよかったのに。じゃあね!」

 

 

 2人組の女の子はバイバイと手を振って、そのまま廊下を去っていく。

 残ったのは瑞希と私だけだが……気のせいじゃなければ、瑞希の表情に陰りが見える。

 

 

(確か、近くに休憩所があったよね)

 

 

 私は瑞希に「行くよ」と声をかけて、手を引っ張る。

 

 

 

「──お揃いはダサい、かぁ……そんなの、お揃いになれるから言えるんだよ」

 

 

 

 瑞希が呟いた言葉を聞いてないフリをしているのに、思わず強く手を握ってしまったけれど。

 握り締めた手は解かれることなく、休憩所に着くまで繋がれたままだった。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

「はい、お茶でいいよね?」

 

「冷たい緑茶は助かるよ。ありがとね、絵名」

 

 

 瑞希を誰もいない休憩所の椅子に座らせてから、近くの自販機までダッシュした後。

 幾分か調子が戻って来た瑞希にペットボトルを手渡した。

 

 どこか既視感のあるな、なんて考えつつも、私はペットボトルのフタを開けようと格闘する。

 手が滑っているのか意外と開かないそれに怒りも合わさって手が大袈裟なぐらい震えてきた。

 

 

「開かないのなら、借りるよ?」

 

「……私が弱いんじゃないから」

 

「はいはい、わかってますよ~」

 

 

 瑞希にペットボトルを渡すと、私のライバルのようにしつこかった姿はどこに行ったのか。

 瑞希の手にかかれば、大苦戦したフタもあっさりと開いてしまう。

 

 ……このペットボトル、瑞希に忖度していないだろうか?

 そんな突拍子もないことを考えながら、開いたペットボトルを眺めていると、瑞希がクスクスと笑っていた。

 

 

「……笑うのやめなきゃ、見物料金取るわよ」

 

「ちょ、冗談だよね!?」

 

「さぁね。そこは瑞希次第じゃない?」

 

「はは~、絵名様。こちらのブツでお許しくださいませー」

 

「よし、しょうがないから許してあげる」

 

 

 おふざけを交えて、瑞希からペットボトルを受け取る。

 

 

(……瑞希の調子も、表面上は戻ってきたかな)

 

 

 さりげなーく、彰人と話したことを探るつもりだったけど、私のことよりも瑞希の方が最優先だ。

 

 彰人のことだから、瑞希に「絵名のことをよろしく頼む」とか、そんなことを言ったのだろうし。

 全面的に私が悪いだけであって、彰人は全く悪くないのに……絵名()の弟はああ見えて優しいのだ。

 

 きっと、私が嫌なことも把握して伏せてくれているだろうし、今は後回しにしても良いだろう。

 

 

(それに、瑞希に真っ向から何があったか聞いたって、答えは返ってこないのは目に見えてるのよね)

 

 

 いつもならば気になったら聞いてしまえと動くのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 

 隠したいことを掘り下げるつもりもないし、私だって掘り下げられたら困ることもあるのだ。

 瑞希の場合は『掘り下げられた先の秘密を知られたくない』って理由がありそうだけど、私の場合は『掘り下げた先が伽藍洞だから』っていう理由で、親しい人でもしてほしくないことがある。

 

 自分に置き換えて考えても、今は瑞希が何かを言うまで待つ時だと思う。

 そう結論付けたのと、瑞希が声を出すのはほぼ同時だった。

 

 

「……聞かないの?」

 

「何、聞いてほしいの?」

 

 

 瑞希には『苦しいから吐き出してしまいたい』や『受け入れてくれるかな』という気持ちが、少なからずあるように感じる。

 だけど、それ以上に知られたくない、怖いと感じているところが大きいように見えるのは、私の勘違いではないのだろう。

 

 私の予想が外れていないと言わんばかりに、質問を返された瑞希は口を噤んでいるし……やはり、聞き出すのは今じゃない。

 私が開いては閉じる瑞希の口を見ていたら、瑞希本人は気まずそうに視線をペットボトルに注いだ。

 

 視線からしても逃げている相手を追い詰めるような趣味なんて、私にはなかった。

 

 

「もう……瑞希は知られたくないんでしょ。なら、聞き出そうとは思わないわよ」

 

 

 私がそう言えば瑞希は残念そうでありながらも、安心したような顔をするのだから、困ったものである。

 

 言ってしまいたいけど、怖いから言えない。そんな瑞希の臆病さが表に出ていて、今にも逃げ出してしまいそう。

 

 私の場合は話しても仕方がないことで、知って欲しいとも受け入れて欲しいとも思っていないから、そういうところは瑞希と違っているのだけど。

 瑞希と同じようで違っている私ができることといえば、声をかけること以外にないのだ。

 

 

「ま、こういう時ほど、思い返せば案ずるより産むが易しって言うけどさ」

 

「そう言う人は無責任だっていうんじゃない?」

 

「そうとも言うかもね。ただ、吐き出したくなるぐらい苦しいのなら、やってみたら意外とどうにかなるかもよ?」

 

 

 私が言えることといえば、それぐらいしかない。

 軽い調子で言ってしまったせいで、瑞希は苦々しく笑う。

 

 

「絵名は簡単に言うよね」

 

「でもさ。話したくないことがある時って、一生隠し通すか、誰かにバラされるか、自分から言うしかないと思うのよ」

 

 

 それで、自分から話す時は早ければ早いほど、後々ややこしいことにならないのである。

 ……そうわかっていても、先送りしてできないのが人間の(さが)なのだろうけど。

 

 

「絵名は自分が隠し事をしてたら、どれを選ぶの?」

 

「そうね、話したところで自分自身が楽にならないのなら……隠し通すかもね」

 

「じゃあ、ボクも黙ってたっていいじゃん」

 

「私はそうするけど、瑞希は違うんじゃない? 隠し通して、ふとした時に怖くなったりしない? 苦しくならないの?」

 

「それは……なる、と思う」

 

 

 少なくとも、私が見てきた瑞希は隠し通しても平気だとは思えなかった。

 

 受け入れてほしいと思いつつも、ダメだったらと怖がって、結局黙ってしまう。

 瑞希のそういうところは、私と違うのだ。

 

 ──私の場合は既に起きた『どうしようもないこと』であり、何なら瑞希達には関係のない話だ。

 

 確かに、家族や絵名の友達が私を通して過去の幻影を見る度に、申し訳ない気持ちはある。

 でも、それが瑞希達に明かしたくなる罪なのかと言われると、それは違う。

 

 ニーゴの東雲絵名は、私だ。

 私が奏やまふゆ、瑞希と接してきた絵名だ。

 

 なら、そこに記憶喪失とかそんな情報はいらない。

 私だけを見てほしい。私が東雲絵名だって、認識してほしい。

 

 だから、私は皆に覚えていない過去の自分を知ってほしくないのだ。

 そう考えると、やっぱり私と瑞希とでは違うなって思うのである。

 

 

「私は今言った通りのことを思ってるけど……それでも言いたくないのなら、言ってもいいかって思ったタイミングで教えてよ。それまで待っててあげるから」

 

「……ずっと言わないかもしれないのに?」

 

「なら、ずっと待つだけよ。あんたが逃げても追いかけて、その場で私は待ち続けるだけだから。逃げられるとは思わないことね」

 

 

 ──そして、瑞希が秘密を話してくれた暁には、そんなことかって笑ってやるのだ。

 こんなことならもっと早く言えば良かったって、瑞希も笑っちゃうぐらい、あっさりと肯定してやる。

 

 

「だからさ。誰が何と言おうと、あんたは自分が好きなことを貫いていいんだからね」

 

「え?」

 

「瑞希にとっては周りと合わせるのが、何よりも大事なことじゃないのよね? なら、あんたが1番大事なものを大事にしてあげなよ」

 

「っ……絵名は言われたことないから、そんな簡単に言えるんだよ」

 

「かもね。でも、少なくとも私や奏達は瑞希を肯定するし、家でも学校でも、瑞希はそれで良いんだよって言ってくれる人はいるんじゃないの?」

 

 

 あの時教室で見ていた人とか、白石さんとも仲が良さそうだったのは見ている。

 今日で彰人や冬弥くんとも会ったし、そうやって輪を広げていけば、瑞希は瑞希のままで在れると思うのだ。

 

 

「私じゃ頼りないかもしれないけど、それでも──私は瑞希の味方なんだから」

 

「っ! ……あ、はは。絵名にそんなに好かれてたなんて、ボクも罪な子だよね〜」

 

「は? ぶっ飛ばされたいの?」

 

 

 さっきまでのしおらしかった姿は一体、どこに行ったのやら。

 瞬きしている間に瑞希の態度が復活していて、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

 

「絵名」

 

「んー?」

 

「──ありがとう」

 

 

 またふざけたことを言うのかと身構えていると、飛んできたのは感謝の言葉だった。

 

 

「ふふ。ん、受け取っておいてあげる」

 

 

 気にしていることが学校内でのことなので、他校生の私にできるのはあまりないかもしれないけれど。

 ほんの少しでも、大切な人達の力になれているのなら──これ以上に嬉しいことはないのだ。

 

 

 






この後は外部の人間は帰る時間になったのでえななんはお家へ。
瑞希さんは屋上に行ってから屋上の類君とお話した後、後夜祭に行きます。

この後の流れは原作通りなので、ここで神高フェスタはおしまいということで。

次回はちょっとだけ、記憶喪失えななんがフェニランにお邪魔します。


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68枚目 フェニラン・ペインター


まさか誰も記憶喪失えななんが『響くトワイライトパレード』にしれっと混ざりにくるとは思うまい。という不意打ちの1話です。




 

 

 私の最優先事項にシブヤアートコンクールがあったとしても、日々の時間は流れていく。

 

 ニーゴの活動もゆっくりと進めているし、学校では定期テストもあったし、小テストも多い。

 

 そして私にはサークルと学校だけでなく、バイトもある。

 今、私がフェニックスワンダーランドに来ているのも南雲先生の依頼があったからだ。

 

 

(ボディペイントの代役をしてほしい、ねぇ)

 

 

 南雲先生の伝手で漫画家のアシスタントやらイラストなど、色々描かせてもらっている私だけれども。

 今度はフェニランにて、プロの代わりにボディペイントの出し物を成功させなければいけないらしい。

 

 いつもボディペイントをしている人は不幸なことに、前日からウイルス性の病気になってしまったようで、場所取りに予約していた日に仕事をするのが不可能になった。

 

 しかし、楽しみにしている人達のためにも穴を開けたくない! というのが担当者さんの意見。

 それを叶えたいと思った大人が2人いたことにより、自分でお金を稼ごう修行の第2弾として、私に白羽の矢が立ったのだ。

 

 

(その上、その人が雪平先生の友人だから断りにくかったのよね)

 

 

 雪平先生と南雲先生という私の中の2本柱にお願いされたら、私如きでは断れない。

 似たようなことをした経験から仕事に対しては余裕があるものの、そうでなければ私の嫌々ゲージは天元突破していただろう。

 

 

(ま、これが現時点の私がどれぐらい成長しているか確認する手段と考えたら、丁度いい話か)

 

 

 幸い、ニーゴの絵は昨日完成したし、アートコンクールの絵も苦戦しているわけじゃない。

 1日消費しても大丈夫な程度には、今の所余裕もある。

 

 その上、事前情報も場所も方法も道具も全て、用意してもらったのだ。

 後は私の度胸とお客さんを納得させる腕を見せるだけ。色紙を売った時よりも心構えはできていた。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

「──っと、できましたよ」

 

「わぁ、すごい! お母さん、手にフェニーくんがいるよ!」

 

「そうね、よかったわね」

 

 

 今日休んでしまった人がフェニランでコツコツと地位を築いていたらしく、ボディペイントの方は私が何かをしなくても様々なお客さんがやって来た。

 

 今みたいな親子にフェニランのマスコットキャラクターであるフェニーくんを描いたり、友達で遊びに来ている子に希望の絵を描いたり。

 恋人に重ね合わせたらハートの柄ができるペイントとかも描いて、中にはリアリティのあるものを描いてほしいなんていう注文もあった。

 

 それを何とか短時間で捌いていくこと数時間、ほんの少し余裕が出てきたので、そろそろ休憩しよう。

 

 

(最近のフェニランはお客さんが伸び悩んでるって南雲先生が言ってたのに……ビックリするぐらい多かったわね)

 

 

 休憩中、という札を立てて、乾いた喉にお茶を流し込む。

 1つ1つの絵を集中して描いているせいか、体力も削られている気がする。

 

 小さな子供を乗せているような体の重さに深く息を吐いていると、団体さんらしい足音がこちらに向かって近づいてきた。

 

 

「今日はフェニランでも最近、人気の体に絵を描いてくれるお姉さんが来ててね! ──あれ?」

 

「ごめんなさい、今休憩中で──え?」

 

 

 最近、聞いた覚えのある明るい声を聞きつつ振り返ると、これまた見覚えのあり過ぎる集団が目に入った。

 

 ここまで案内していたらしいえむちゃんと、同じ宮女生である咲希ちゃん、一歌ちゃん、望月さん。

 

 他には冬弥くんが『司先輩』と呼んでいた金髪の青年、後はどこかで見た気がする紫髪の青年と緑髪と銀髪の女の子もいる。

 

 

(この男女比がとんでもない集団は……兄と妹の友達を連れて遊んでるとか? うーん、そんなことあるの?)

 

 

 いくら何でも男女比率が2対6は極端ではないだろうか。

 中々想像できないシチュエーションに固まる私よりも先に復活したのは、頭数の多いえむちゃん側だった。

 

 

「わぁっ、いつものお姉さんが絵名さんになってる~!?」

 

「うぉぉっ、急に叫ぶんじゃないぞ、えむ!? ……むっ? その呼び方をみるに、その人とえむは知り合いなのか?」

 

 

 えむちゃんが驚けば、あんたも叫んでるような大声出してんじゃん、とツッコミたくなる声を出している『司先輩』さん。

 

 呼び捨てにする程度には仲が良いみたいだし、もしかしてこの司先輩とこの中の数人がえむちゃんが言っていた『ショーをする仲間』なのだろうか。

 

 私と既に顔を合わせている人達とそうでない人の反応が真っ二つにわかれる中、1人冷静な紫髪の青年がえむちゃんに話しかけた。

 

 

「えむくん、彼女とはどういう関係なのかな?」

 

「うん! あたしの学校の先輩で、学校で会うより前から知っていたお友達の絵名さん!」

 

 

 えむちゃんが大袈裟に手を広げて紹介してくるので、私にえむちゃん以外の7人分の視線が集まった。

 

 休憩中の情けない状態からこうも注目されると恥ずかしいのだが……半分は名前も顔も知ってる子達でも、半分は名前を知らない人達だから、私の方から名乗った方がいいかもしれない。

 

 

「はじめまして、私は東雲絵名っていいます。今日はいつもボディペイントしてる人がお休みなので、代理で来てるんです」

 

「ということは、絵名さんが絵を描くんだ!」

 

「うん。今は休憩中だけど、さっきまで描いてたよ」

 

 

 使ってた道具や試供品の絵を見せると、えむちゃんの目がキラリと輝いた。

 

 私が見ても何を言いたいのかがハッキリとわかる顔だ。

 なので、私よりも仲が良さそうな子達ならその様子に気が付けるのも当然で、緑髪の子がえむちゃんよりも先に口を開く。

 

 

「えむ、さっき東雲さんが休憩中だって言ってたでしょ? それなのにお願いするのはよくないんじゃない?」

 

「あっ……そっか」

 

 

 声のトーンといい、顔といい、見るからに落ち込むえむちゃんを前にすると、じゃあ引き続き休憩しますと言うのも忍びない。

 

 ──体感的に集中力も戻ってきているし、腕の疲れもあまりなし。

 人様にお出しする商品としてのクオリティを保ちつつ、今いる人数分の絵を描くことぐらいはできるだろう。

 

 そう頭の中で判断すれば、後は動くだけだ。

 

 

「えっと、気遣ってくれてありがとう。でも大丈夫、えむちゃん達が折角来てくれたんだから、何の絵でも描くよ。何が良いかな?」

 

 

 脇に置いていた道具を引っ張り出して問いかけても、えむちゃんは丸い目を瞬かせている。

 まだ、こちらを心配してくれているのか、答え難そうだ。

 

 ここはえむちゃんだけでなく、他の子も巻き込んでみよう。

 

 

「咲希ちゃんと一歌ちゃん、望月さんもいらっしゃい。ここまで来てくれたんだし、そこの銀髪の子も含めて、お揃いの絵でも描いてみる?」

 

「お揃いの絵!? それってすっごい思い出になりそう! えな先輩はどんな絵を描いてくれるんですか?」

 

「そこのサンプルの絵は勿論、リクエストがあれば何でも描くよ」

 

「わぁ、じゃあちょっと見せてください! ほら、皆も見せてもらおうよ!」

 

 

 咲希ちゃんが食いついて来てくれたのでサンプル写真を渡すと、声をかけた4人で写真を見始めた。

 作戦通りである。後はえむちゃんもこの波に乗ってくれたらいいのだけど。

 

 そんな企みをする私の視界に入ったのは、笑みを堪えながらこちらを見ていた紫髪の青年だ。

 悪寒がないので私に何かしようとしているわけではないようだが、なんだか悪戯を目論む瑞希みたいな顔をしていて、誰かが揶揄われそうな気配がある。

 

 ……なんとなく、その対象が誰なのかわかってしまうのがまた、複雑だ。

 

 そういう顔を出さないように気を張っていたら、紫髪の青年が問いかけてきた。

 

 

「東雲さん、絵はリクエストでも可能ですか?」

 

「代理とはいえ、今日は私が絵を提供するので。1人の絵描きとして、リクエストであれなんであれ、半端な作品は出しませんよ」

 

「なら、そこの金髪の……司くんのおでこに『天翔(あまか)けるペガサス』を描いてもらうことも?」

 

「おでこ……? えっと、額に描くこと自体はできますけど」

 

 

 ボディペイントといえば、今日書いているだけでも手の甲や腕、頬に描く人が多かった。

 額に何かを描くなんて、罰ゲームで漢字を1つ、描くようなイメージしかない。

 

 なので、その『司くん』と呼ばれる青年が納得するかと聞かれたら、私は難しいと思うのだ。

 私の懸念は正しかったようで、金髪の青年はよく通った大声を出した。

 

 

「類ぃ~っ!? なんでオレの額にペガサスを描くって話になってるんだぁーっ!?」

 

「フフ、司君はよく天翔けるペガサスって言うだろう? ついでに星も一緒に描いて貰ったら、もっとスターになれるかもしれないよ?」

 

「ぬ。そういう考え方も、あるのか……?」

 

「いや、あるわけないじゃん」

 

 

 納得しかけた金髪の青年に、緑髪の女の子のツッコミが炸裂した。

 

 ──何という的確なツッコミなのでしょう。

 

 謎のナレーションが私の頭の中にこだまする。

 特に、この息をするように揶揄って、ボケてから別の人がすかさずツッコむのが芸術点が高い。

 

 ノリツッコミもありだが、それはコンビの場合。

 トリオであれば、今の3人が理想だ。

 

 ナレーションの次は冷静に評価する何かは放置するとしても、普段から何らかの活動を一緒にしているのか、息がピッタリである。

 

 そして、サンプルを見てる側で4人、今の3人とえむちゃんも含めて4人と。

 

 

(天馬兄妹がそれぞれ3人の友達を紹介して、遊んでるみたいね。えむちゃんがいるお兄さんの方が案内役なのかな)

 

 

 この不思議な集団が揃っている理由を考察していると、咲希ちゃんのグループが何を描くのか決めたらしく、はいはいと元気よく手を挙げている。

 

 

「咲希ちゃん、決まったの?」

 

「はい! 皆でフェニランに来た記念に、手の甲にフェニーくんを描いてほしいです!」

 

「東雲先輩さえよければ、全員のイメージカラーで描き分けてほしいんですけど、できますか?」

 

 

 咲希ちゃんが元気に宣言した後に、すかさず望月さんが詳しい要望を添えた。

 色の変更ぐらいならそれほど難しい話ではない。

 

 

「うん、大丈夫。それぞれ色を教えてもらってもいい? すぐに描くからね」

 

 

 ……結局のところ、咲希ちゃん達の手の甲以外には、えむちゃんの腕に楽しそうなフェニーくん達というリクエストを描いただけで、他の人達は遠慮されてしまった。

 

 いざ出番になった時に、緑色の髪の女の子が紫髪の青年の後ろに隠れてしまって出てこなかったので、今回は遠慮しますということになったのだ。

 

 その後は8人という集団とも別れてボディペイントをし続けたのだが……直前になって断られたのは後にも先にも彼女だけ。

 

 私の絵の魅力が足りなかったのか、ボディペイントなんて恥ずかしいと思うような絵しか描けていなかったのか。

 どちらにしても、私の絵の実力が彼女の首を縦に振らせるには至らなかったということで。

 

 

(自分なら絵を描けると思っていたなんて……いつの間にか知らない間に天狗になってたみたいだし、感謝しなくちゃ)

 

 

 自分の力にいつの間にやら思い上がっていたことに気が付けたのだ。

 今日の集団には感謝したいし、彰人の知っている人なら何かお礼の品を渡してもらおうか。

 

 

 後々お願いしたら今まで見たことがないぐらい嫌そうな顔をされることなど知らず、私はそんなことを考えながら日が落ちる前にフェニランを後にした。

 

 





セカイの住人は置いておいて、プロセカメンバー顔見せ完了ですね。
68話かけてその程度かって? ……それは私も思ってます。はい。


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69枚目 積み重ねの結果


どうして『成果』ではなく『結果』なのか……?

シブヤアートコンクール以外は面影が薄らとあるだけのペイルカラー編、再開します。


 

 

 私が遅れながらもイラストを完成させ、昨日に新曲がアップされた。

 その数日後に打ち上げかと思いきや、急遽、翌日に打ち上げすることになったのだ。

 

 昨日の今日で打ち上げしているせいか、もう最近はファミレスでも顔馴染みになっている気がする。

 

 それぐらい頻繁に曲を作っている奏に驚けばいいのか、作るたびに打ち上げをしたがる瑞希にびっくりすればいいのか。

 

 そんなくだらないことを考えていたら、瑞希がパン、と短く手拍子をした。

 

 

「皆、新曲アップお疲れ~! 絵名が間に合うか心配だったけど、今回もいい感じにできたねー!」

 

「やるからには手を抜かないし、全力でやるわよ」

 

「だねー。今回も皆でいい感じに作れた結果、昨日投稿したばかりなのにもう再生数が20万いってるし♪ ニーゴの人気具合にビックリしたよ!」

 

 

 20万人の登録者がいたとしても、1日で20万再生するというのはかなり難しいものだ。

 しかし、それをやってしまうのが目の前にいる天才共である。

 

 

(感想欄の反応も上々だし皆、さすがよね)

 

 

 イラストから考察とかしてくれている人の感想を見るだけで、モチベーションが上がるのだから不思議だ。

 ……人の感想や評価って、伸び悩んだり自分が望んでいない感想を見て一気に失速する可能性もある、諸刃の剣なのだけど。

 

 だからこそ、依存しないようにしなければならない。他人に自分に関する権利を握らせてはならないのだ。

 

 

「絵名ってば急にキリッとした顔になって、どうしたのさー?」

 

「甘えそうになった自分に喝を入れてたところ」

 

「相変わらず自分に厳しいねぇ」

 

 

 打ち上げの場ぐらい褒めればいいのに、と言外に言ってそうな瑞希の声。

 

 瑞希がそう言いたくなる気持ちも他人に当て嵌めればわかるけれど、私は故意でなくても犠牲の上に立っているのだ。

 あの子が大切にしていた分野において、妥協も甘えも許してはいけない。

 

 だが、それを馬鹿正直に言うと、また暗い顔を見てしまうのは容易に想像できることである。

 ここは沈黙一択。それ以外の選択肢は碌なものではないだろう。

 

 

「ところで、絵名はコンクールの絵は順調なの?」

 

 

 紅茶を飲んで無言を貫いていたら、横ではなく正面の奏から質問が飛んできた。

 まふゆも興味があるようで、奏の隣から突き刺さってるんじゃないかと言いたくなるぐらいの視線を向けてくる。

 

 3つ分の視線から逃れるために、私はすかさず口を開いた。

 

 

「この前送ったところ。もう少ししたら結果も返ってくると思うし、郵送物待ちかな」

 

「そっか。絵名はどっちもお疲れさまだったんだね」

 

 

 ニーゴの新曲的にもコンクールの絵的にも、二重の意味でお疲れ様というのは間違い無いだろう。

 

 薄らと笑う奏の指摘に納得する私を傍目に、フライドポテトに手を伸ばしていた瑞希は「へぇ」と小さく声を漏らした。

 

 

「手を抜けないって片方に集中しそうなのに、絵名ってば本当に同時並行で進めてたんだね。やるなぁ」

 

「絵名は目を離したら徹夜するから。セカイに連れてきて、無理矢理寝かせなきゃいけないぐらい頑張ってたよ」

 

「ほほーう。まふゆさん、それは本当ですかね?」

 

「うん、嘘じゃない。でも……瑞希、口調を急に変えるなんて変だね」

 

「ちょ、まふゆさーん!?」

 

 

 私に攻撃しようと目論んだ結果、間抜けにも後ろから撃たれている馬鹿(瑞希)は放っておくとして。

 

 横でわちゃわちゃ言い合っている瑞希とまふゆから目を逸らしたら、まっすぐこちらを見ている奏と目が合った。

 

 

「奏、どうしたの?」

 

「結果、良かったらいいね」

 

「んー。まぁ、私的には全力で取り組んだし、どちらでもいいかな」

 

「それはどうして?」

 

 

 奏がキョトンとした顔で問いかけたせいなのか、戯れ合っていた瑞希やまふゆも再び私に注目している。

 どうやら3人とも、私の様子を窺うのが好きらしい。

 

 ……なーんて、冗談を頭の中で挟みながら、私は注文していたチーズケーキの先端を切った。

 

 

「だって、奏達と積み上げてきた時間は変わらない。そうでしょ?」

 

 

 ケーキは食べたらなくなるけれど、これまで築いてきたモノはなくなることはない。

 

 仮に私がその賞の審査員に認められなかったとしても、ニーゴの絵師として活動してきた自負があるのだ。

 自分の力不足を悔やみ、今度こそ認めさせてやると思うことはあっても、必要以上に落ち込むことはない。

 

 なんてことはないのだということを証明するために、チーズケーキをいつも通りに1口。

 あまりにも変わらない私の態度に安心したのか、奏は綻ぶような笑みを見せた。

 

 

「うん、変わらないね」

 

 

 その言葉を皮切りに瑞希が大袈裟に頷いて、まふゆも控えめに混ざりにくる。

 更に盛り上がる打ち上げに、私の幸せな1日は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまぁ」

 

 

 自分でも驚くほど、力の抜けた声がリビングに響く。

 

 学生生活や絵画教室、バイトにニーゴの活動をいつも通りに熟していたら、数日が経っていた。

 

 今日は絵画教室に行っていつものように雪平先生にぎゅっと絞られたら、疲れるのも当然かもしれない。

 お風呂やご飯の後に宿題を終わらせてから〜、と25時までの行動予定を大雑把に組み立てる。

 

 あぁしようこうしようと考えていると、お母さんから予定を吹き飛ばす言葉が飛んできた。

 

 

「絵名、おかえりなさい。そういえば手紙が届いていたわよ」

 

「手紙? どこから?」

 

「えっと、シブヤアートコンクールですって」

 

「えっ……!」

 

 

 打ち上げから数日が過ぎたのだから、コンクールの結果が来てもおかしくはない。

 おかしくはないものの、それでもビックリしてしまう私の背後に、近づく気配が1つ。

 

 

「絵名、コンクールに応募したのだな」

 

「うん、まぁね」

 

 

 自分の部屋で見てもいいのだが、お父さんがじっとこちらを見ているのも気になる。

 

 

(ここで開けても、大した問題じゃないか)

 

 

 落選してもきっと、お父さんから『才能ないね』と煽られるだけである。

 こっちは才能があるから絵を描いてるわけでも、才能がないからやめるなんて選択肢もないのだ。気にしたって仕方がない。

 

 弱気になった自分を鼓舞し、思い切って封筒を開いた。

 

 

(結果は……?)

 

 

 私自身、思った以上に緊張しているようで、無意識のうちに唾を飲み込んでいた。

 

 自分の嚥下音を聞いてやっと自覚するのだから、かなり緊張しているのだろう。

 第一印象の苦手意識が抜け切れていないお父さんがいるのも、理由の1つだ。

 

 何はともあれ、お母さんもお父さんも見ているのである。いつまでも紙を持って固まっているわけにはいかない。

 

 

「お母さん、学生の平服って制服でも良かったっけ?」

 

 

 紙に目を通してまず、気になったのはそれだった。

 お母さんが「大丈夫だと思うけど」と瞬きして、お父さんはじっとこちらを見ている。

 

 2人とも、結果が気になるのだろう。

 もしくは娘が錯乱しないか、心配なのかもしれない。

 

 

「絵名、結果はどうだったんだ?」

 

「平服とか言ってる時点で察してると思うけど──優秀賞。授賞式に参加してくださいって」

 

 

 堪え切れないと言わんばかりにほんの少し早口になりながら質問してくるお父さんに、紙を見せる。

 紙を受け取ったお父さんは「審査員……」と呟きながら目を細め、横から覗き込んだお母さんが喜色の笑みを浮かべた。

 

 

「これ、大きなコンクールだったのよね? 絵名ったらすごいじゃない!」

 

「そうかな……ありがとう、お母さん」

 

「嬉しくないの?」

 

「ううん。そういうわけじゃないんだけど」

 

 

 心配しているお母さんに笑みを返してみたものの、どこかソワソワして落ち着かない。

 

 ──きっと頭の中に、あの日のことが思い浮かんでしまっているのだろう。

 

 ミライノアートコンクールの時は審査員賞で、今回は優秀賞。

 シブヤアートコンクールは最優秀賞、優秀賞の2つの賞があるので、あの時よりも確実にレベルアップしている。

 

 審査員に直接訴えかけるような絵ではなく、今回は自分の実力で挑んだ。

 スランプだった時の苦しさも、ニーゴとして過ごしてきた楽しさも全部込めて作品を作った。

 

 4人の子達が手を取り合って、それぞれ『らしい』笑みを浮かべてジャンプしつつ、光の方へと向かう姿。

 

 私の願いと今までを全部込めた。

 込めた結果が優秀賞なのだから、過去よりも成長したと、嬉しくなってもおかしくないはずなのに。

 

 

(それなのに、何なのだろう……この落ち着かない感じは)

 

 

 炎上することもないし、自分の力で掴み取った結果はとても嬉しいものだ。

 そう思うのと同時に、何故か不安になってしまって、落ち着かない。

 

 お母さんがお祝いを作らなきゃ、と冷蔵庫に駆け寄る中、お父さんだけは目を細めて手紙を見つめている。

 

 

「絵名」

 

「何?」

 

「これは返そう。それと……授賞式の日は、気をつけた方がいい」

 

 

 おめでとうとも何にも言わず、お父さんは釈然としないような顔でリビングを出ていってしまった。

 

 ……お父さんにとっては、納得のいかない結果だったのか。

 

 まだまだ世間に名を轟かせている画家様に認められていないようで、背筋が自然と伸びる。

 もしかしたら今まで感じていた落ち着きのなさも、自分はまだまだだという警告だったのかもしれない。

 

 

(最近の小テストに『勝って兜の緒を締めよ』って言葉も出てきてたし……これは気を緩めるなってことなのかも!)

 

 

 私が手紙を封筒に仕舞って両手を握りしめている横で、お母さんはクリームチーズやら生クリームを机に並べていた。

 卵やら小麦粉と机に出した時点で、私はお母さんの顔をまじまじと見てしまう。

 

 

 これはまさか、東雲家秘伝のチーズケーキの材料なのでは……!?

 

 

 

「今から作っても、明日だからね?」

 

「……わ、わかってるって」

 

「なら、部屋に戻った方がいいんじゃない?」

 

「……うん」

 

 

 25時から考えればまだ早い時間だけど、チーズケーキを今から作って食べるには、遅過ぎる時間だ。お母さんの言うことも間違いない。

 

 だけど、部屋に行ってもチーズケーキの方が気になってしまって。

 

 気を紛らわせるためにナイトコードに入って、ログインしていたKにコンクールの結果を話す頃には、純粋な嬉しさ以外には残っていなかった。

 

 

 

 

 ──あの時、お父さんがどうして釈然としない顔をしていたのか?

 私はそれを考えることなく、授賞式の日まで呑気に日々を過ごした。

 

 

 

 








 ──彼女の絵は神様が創った芸術だった。

 アイデアという緑地が絞られすぎて砂漠になった私に、雨を降らせてくれたのが彼女の絵だったのだ。
 それなのに──次に会った時、神様はこちらではなくて、別の方向を見ていた。

 今振り返ると、信者になってしまった私ははそれを許せなかったのだろう。
 神様は自分を見ずに、信者を見てくれたらよかった。それだけで、よかったのに……



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70枚目 職か、趣味か


70とキリの良い数字で何をしてるのかと言われたら、返す言葉もないんですけど。
前回の不穏さが牙を剥いてますのでご注意ください。
(こういう話を書くから、ガチャを天井しちゃうのかもしれない……)



 

 

 

 

 私がシブヤアートコンクールに応募したきっかけはお父さんの挑戦状であり、今まで積み重ねてきたものを試すためだ。

 あえてもう1つ理由を付ければ、過去の炎上経験を払拭するためでもある。

 

 

「──あの子が東雲先生の」

 

「学生であのコンクールとここで受賞しているのだろう? 流石は先生の娘さんだな」

 

「高校生でここまで来るのだから、才能っていうのは恐ろしい」

 

 

 私の耳は地獄耳ではないはずなのに、小声で話しているつもりらしい声が次から次へと鼓膜を揺らす。

 

 

(はぁ。だからお父さんは気を付けてとか言ったのかな)

 

 

 授賞式中だというのに、背中を指先で撫でられているような気持ち悪さと、胸の奥を掻き毟りたくなるようなもどかしさが交互に私の元にやって来る……と表現すれば良いのだろうか。

 

 周りの環境のせいで、精神的なダメージが尋常ではない。

 授賞式ぐらい静かに受けてくれないか、と許されるのならば立ち上がって文句を言いたいぐらいには、周りの陰口が聞こえていた。

 

 

(大体、何でもかんでも天才天才って! 天才のバーゲンセールを勝手に開催するなんてその目は節穴なわけ? 私みたいな紛い物を天才と同列に扱うのはやめてほしいんだけど!?)

 

 

 奏やまふゆのような『天性の才能』と同列の言葉でまとめられたら、こちらとしては堪ったものではない。

 

 こっちは1年も足踏みしたのにも関わらず、自力でスランプから抜け出せなかった凡人だ。

 東雲絵名(アイデンティティ)を全部失ってもなお、最優秀賞には届かないレベルの私を『天才』と称するなんて、過分な評価である。

 

 簡単に『天才』という言葉を使うな、天才を馬鹿にするのもいい加減にしろ! って叫べたら、気分が良くなるのだろうか。

 

 

(ここに瑞希がいたら絵名のご乱心だ~って言うか、どうどうって馬扱いかな)

 

 

 脳内の瑞希に癒しを求め始めるなんて、自分でもはっきりと自覚できるぐらい重症である。

 

 このままだと頭の中にまふゆや奏も召喚しそうだ。そこまで妄想してしまったら何のための授賞式なのかわからないので、早く退散してもらわなければ。

 

 バカみたいな妄想と格闘している間に、お偉い人達の話は終わったらしい。

 順番に人が出ていくのを眺めていると、受賞者も会場から出て行っても大丈夫だとアナウンスされた。

 

 

(今日はもう帰ろう。面倒なものは避けて、真っ直ぐ帰るんだ)

 

 

 瑞希が紹介してくれたゲーム実況にありそうな『ベタなフラグ』というものを立てて、私は一目散に荷物を置いている控室に向かう。

 幸いなことに控室に戻るまでの間は誰も私を止めることなく、あっさりと目的地に到着する。

 

 後は帰るだけだ。

 

 そんな気の緩みもあったのだろう。私は影の接近を許してしまった。

 

 

「や、東雲さん。ちょっといいかな?」

 

 

 前から歩いてきた糸目の男が弧を描くような笑みを浮かべ、話しかけてきた。

 

 どこかで見覚えのある顔だ。

 

 ……それもそうか。目の前の男はミライノアートコンクールでも審査員として呼ばれていた画家先生である。

 2年前であるものの、相手のことはとことん調べたのだから、知らない方がおかしい。

 

 今回のシブヤアートコンクールでも審査員を務めていたのであろう男は、人の良さそうな笑みで右手を振っていた。

 私の名前を呼んでいて、その業界では先達である相手を無視するわけにもいかない。

 

 負の感情を覆い隠すように、私は相手の会話に乗ることにした。

 

 

「まさか、先生のような人が私のことを覚えているとは思いませんでした」

 

「はは、個人的に君に注目していたからね。もちろんはっきり(・・・・)覚えているよ」

 

 

 薄っすらと開かれた男の粘着質な視線は、体が震えてしまうぐらい不気味だった。

 どうしてなのかはわからない。だけど、これ以上話すのは嫌な予感がする。

 

 

「私、この後用事があるので」

 

「そうなのかい? なら、時間は取らせないから、1つだけ質問に答えてくれないだろうか?」

 

「……1つだけなら」

 

 

 ──なんて、言わなければ良かった。

 そう後悔しても、吐いた言葉は戻ってこなくて。

 

 

 

 

「君はどうして、あんな絵を描いたんだい?」

 

 

 

 

 相手が持っているありったけの負の感情が私に叩きつけられる。

 それでも負けじと相手を睨みつければ、嫉妬とかではなく、狂気を感じる目が私をじっとこちらを見つめていた。

 

 

「私はあの絵に私の2年を込めて描いたんです。あんなって言うのはやめてもらえませんか?」

 

「へぇ。なら、君は随分と無駄な2年を過ごしてきたんだね。残念で仕方がないよ」

 

 

 男は心底残念そうに息を吐いた。

 言葉の内容とその態度で、私の頭の中の何かがぷつり、ぷつりと悲鳴をあげている。

 

 

「……無駄、ですか。それこそ随分な言葉ですね」

 

 

 私がスランプで踠き苦しんできた1年を。

 ニーゴで切磋琢磨してきた1年を。

 

 それを『随分と無駄な2年』と称すると。

 それなりの弁明があっても、許そうとは思えない発言だ。

 

 相手が審査員で、その道の大先輩であるのは承知している。

 だけど、睨みつけてしまった目を正そうとは思えなかった。

 

 

「審査員として正直な感想だよ。君は神聖な場所で、使えるものを使わずに手を抜いて挑んだ。それで1番になれないのなら、そんな舐めた真似をする君の行動なんて全部無駄だったんだよ」

 

 

 しかし、男は全く動じることなく、ハッと小馬鹿にするような笑みを浮かべる。

 私よりも頭1つ分ぐらい大きな男は、冷たい視線で私を見下した。

 

 

「君は絵の才能なんてない。頑張ってやっと、優秀賞が渡される程度の才能しかないんだ。ミライの時のように全力を出していれば……自分なんか出してこなければ最優秀賞も取れていただろう。だけど君は評価されるよりも別のことを優先した。全力で挑んだ他の参加者を馬鹿にして、楽しいかったかい?」

 

 

 お前は間違った行動をした、と。

 お前の行動は他の参加者を侮辱する行為だ、と。

 

 審査員である自分が正義であると言わんばかりに、男はこちらに犯罪者を見るような視線を向けてくる。

 

 

「私は馬鹿にしたつもりはありませんし、手も抜いてません。今回のコンクールも、私の全てを込めて挑みました」

 

「それであの作品なら、自己主張するよりも前回の作品の方が良かった!」

 

 

 審査員の男が間近くで怒鳴ってくるせいで、私の体がびくりと跳ねた。

 声と勢いで負けそうだ。だけど、ここで負けるわけにはいかないと気を振り絞る。

 

 

「才能がない君がやらなきゃいけなかったのは、他の才能を──表現者としての才能を活かすことだったんだよ! それなのに君は驕って自分の作品とやらを作った。その結果に手に入れたのは2番目だ。不正解だったんだよ!」

 

「それでも、賞を取ったってことは、少なくともあなた以外には認められたってことじゃないですか!」

 

「はは──ある程度絵が描けて、前回の似たコンクールで入賞。更にあの東雲先生の娘なら、お情けで優秀賞になる可能性もあるだろう?」

 

「……え? お情けって……?」

 

 

 ニヤリと嫌味を込めた笑みを浮かべている男の顔が、どんどん白く染まっていく。

 

 私の聞き間違いでなければ……相手は、審査員は私の描いた絵を『お情けで優秀賞になった』と。

 

 審査員を狙い撃って描いた絵は《他人からすれば審査員が贔屓したんじゃないか》という疑惑だったのに対して、今回描いた絵は《審査員から直々に贔屓した》と言ってきた。

 

 私の描きたい絵を描いた結果、苦しかったことや皆とのことを込めた結果──形だけの結果が良くなって、裏側が悪化したってこと?

 

 

「今回の作品は僕の心が全く揺さぶられなかった! そんな作品、僕なら優秀賞にすら選ばないのに……あいつら、忖度か知らないが、勝手に選びやがったからさぁ!!」

 

 

 男はバンっと勢いよく壁を叩くので、直接暴力に訴えられていなくても、体が竦んで声がうまく出てこなかった。

 

 審査員という立場と、自分よりも大きくて暴力を振るってくるかもしれない相手であるということ。

 自分の実力で取ったと思っていた賞がそうではない可能性を示唆されて、私自身、自分が酷く間違っているように感じてしまった。

 

 

 そして、男は私にトドメの台詞を言い放つ。

 

 

 

「自己主張してあの程度なら、君には自分なんて必要ない。他人のために……僕のためだけに描いてくれた方が良かった」

 

「……」

 

「はははっ、もう言い返せないのかい? そりゃそうか! 親がすごいからって調子に乗って真似した結果がコレだもんねぇ! ほーんと、表現者として良い絵を表現してくれた方が、僕も評価できたのにさぁ……君にはガッカリだよ」

 

 

 男は私に向かって好き放題言い放った後、ケタケタと不気味に笑いながらその場を去っていく。

 男は何か言い放っていたが、私の頭の中はそれを聞いて反論できるほどの余裕がなかった。

 

 

(私が選んだせいで、今度は本当に忖度されたってこと……? そんなの……)

 

 

 

 ──そんなの、おめでとうって言ってくれた皆に、どんな顔で会えばいいんだろう?

 

 その背中に声を出そうにも、喉から言葉が出てくることはなかった。

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 会場から出て行った私を待っていたのは、お父さんの車だった。

 どうやら私を迎えに来てくれたらしく、運転席に乗るお父さんに招かれて、助手席に座る。

 

 赤信号で止まるまで無言だったのに、止まった瞬間、お父さんは前を見たまま口を開いた。

 

 

「優秀賞を取ったのに……浮かない顔だな」

 

 

 直接聞いてくることはないものの、声のトーン的にも『何があった?』と心配しているように聞こえる。

 車が再び走り出す中、私は車の走る速度とは反対に、ゆっくりと会場で言われたことを思い出しながら言葉にした。

 

 

「──ふむ。そうか」

 

 

 最後まで話を聞いたお父さんは、否定も肯定も、同意も別意見も述べることなく、静かに頷くだけだった。

 

 その行動が今の私には不安に感じてしまって、いつもなら言わないであろう言葉が漏れてしまう。

 

 

「お父さんも……私がやったことは無駄だって、間違いだって思う?」

 

 

 車がまた信号に引っかかる。

 それと同じようにお父さんも言葉が引っかかっているのか、中々質問の答えが返ってこない。

 

 

「……ある子供は、高校卒業後に大学に行くこともなく、就職することもなく、自分の腕1つで生きていくことを決めたそうだ」

 

 

 その代わりに返ってきたものは、他人事のように語られる他人の夢。

 

 

「成功するかもわからない。安定もしていない。友人は『公務員や正社員の方が安定している。お前の選択は間違っている』と諭そうとしたし、その時の担任は『無謀だからやめろ。進学した方がいい』と言った。親は『そんな道を選ぶなら勘当するぞ』と子供を想って脅してきた。それでも、その子供は自分の望みのために突き進んで、苦しんで。何度も転がりながら、ある程度の立場に至った」

 

「……」

 

「人は親切心で夢を阻むこともある。お前のためだと、挑戦する子供を手折ることもある……それは、どんな親も同じだったのだろう」

 

 

 ルームミラー越しにお父さんの目と目が合う。

 

 

「お前は審査員に無駄だと言われたからって、やめるのか? 親に勘当するぞ、と言われてやりたいことをやめるのか?」

 

「やめたくない。けど……わからないの」

 

「画家も含めて、創作者は孤独だ。時に見向きもされない時もあるし、見てもらえたと思ったら、今度はお前のように一方的で理不尽な言葉をぶつけられることもある」

 

「……」

 

「この先、お前が選ぼうとしている道を進むのであれば、似たようなことが起きるかもしれない。それ以上の悩みや苦しみがずっと、付き纏ってくることもある」

 

 

 ルームミラーに映るお父さんの目とあったはずなのに、どこか遠くを見ているように見えた。

 

 

「俺に答えを求めるというのであれば──絵名、お前は職ではなく、1人で楽しむための……趣味の絵を描いた方がいい」

 

 

 どうやら私は……お父さんが問いかけていた覚悟に届いていなかったらしい。

 

 お父さんの言葉に自信を持って反論することもできなかった私は、家に帰った後、そのまま自室に引き篭もる。

 

 

「私、間違ってたのかな」

 

 

 自分を出してしまったせいで、私のせいで忖度した結果を──皆との活動が無駄だったという言葉を引き出してしまったのなら。

 

 

(私、皆に会っていいのかな。ニーゴの皆とこのまま一緒に活動し続けるのは、良いことなのかな……)

 

 

 その答えは何も、わからなかった。

 

 

 






【今回の話のまとめ】
地位だけはある厄介ファン(??)が解釈違いで推しに直接、突撃後。
ありもしない『忖度』という事実をでっち上げ、『お前が悪いんだー』と推しが凹むまでボコボコにした。
(今回の審査に不正はなかったし、こんなのが審査員に紛れ込んでる時点で、むしろえななんは妨害されたも同然ですけど)


審査員の名前も出てない時点でお察しかと思いますが。
この後、審査員のおバカさんは激おこパパなんに『描写するのも勿体無い!』と始末されるので、もう2度と登場しません。
この後? 今後の人生を賭けたダイスロールでもしてるんじゃないですか? いやはや、恐ろしいですねー。

一方のえななんのメンタルズタズタですが、次回はとうとうセカイに新しい住人が現れます。
まずは彼女に元気つけてもらいましょう。



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71枚目 想いは中にある



ほぼペイルカラーじゃないんですけど、一応ペイルカラーなので。
セカイに新しい住人が来たみたいですよ。



 

 

 

 自室の椅子が軋む音が鼓膜を揺らすのに、私は聞こえないフリをしたまま、背凭れに全ての体重を乗せる。

 不規則に聞こえてくる椅子の悲鳴をお供に、私は車の中の会話を思い出していた。

 

 

 

 ── 俺に答えを求めるというのであれば──絵名、お前は職ではなく、1人で楽しむための……趣味の絵を描いた方がいい。

 

 

 

 お父さんの言葉も間違いではないのはわかっている。

 だけど、それは私が欲しかった言葉どころか迷宮に突き落とすモノだったから、余計に頭が混乱しているのだろう。

 

 

(絵を続けるって言うだけならできる。でも、今回はそういう話じゃないのよね)

 

 

 勘当するとか、そういうことを言われてまで絵を描けるかと聞かれたら──私の頭に先に出てきたのは『恐怖』だった。

 

 東雲絵名は家族と絵、どちらを取るのか。

 その問いかけの答えに自信が持てないし、私にはどちらを選ぶべきなのかわからなかった。

 

 絵を捨てるのも嫌だ。でも、家族を捨てるのも怖い。

 絵名なら嫌なことを取るのか、怖いことを取るのか……どちらを選ぶのだろうか?

 

 いくらグルグルと頭を回しても、私の中にポッカリと開いた場所がお父さんが出してきた問いかけの答えすら、形にしてくれなかった。

 

 

(うーん。ここで考えていても堂々巡りだし、どこかゆっくり考えれる場所で……あぁ、そうだ。セカイがあるじゃん)

 

 

 絵名の思い出も同居している自室で考えると、嫌なことばかり考えてしまうから。

 何もないセカイならば、少しはプラスの方へと考えられるかもしれない。

 

 

(よし、気分転換にセカイに行こう)

 

 

 何となく必要に感じたスケッチブックを握りしめてから、いつもの曲を再生してセカイに向かった。

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 セカイに行く手順までは同じだったのだが──肝心のセカイの方にて、見たことのない金髪の後ろ姿があった。

 

 兎の耳にも見える大きな白いリボンと白と黒を基調とした服装といい、人形のように何を考えているのかわからない顔といい、どこかミクに通ずる何かがある……というか。

 

 

「えっ。もしかしてあなた、鏡音リン? ここってミクしかいないんじゃ……」

 

「やっときた。絵名、来るのが遅い」

 

 

 私が相手の名前を知っているのはバーチャルシンガーだから。

 だけど、相手が私の名前を知っている理由がわからない。

 

 まふゆの想いでできたセカイから出てきた存在だから、というのが1番答えに近そうだけど……これも、考えたところでハッキリとした答えは得られないだろう。

 

 

「ここってミク1人しかいないと思ってたんだけど、リンもいたの?」

 

「ううん、わたしがここに来たのは最近」

 

「そうなんだ」

 

「そうなの」

 

 

 は、話が続かない……!

 

 来るのが遅いと言ったのだから、リンは私を待っていたのは想像できる。

 だけど、どうして私を待っていたのか、ミクはどこにいるのか、聞いてもムスッとした顔ばかりで答えてくれそうにない。

 

 今、手に持っているスケッチブックは真っ白だし、リンを放置して絵を描いたり、どこかに行くのも気が引ける。

 

 

「ねぇ、暇なら私の話に付き合ってよ」

 

「……勝手にすれば」

 

 

 どうせ誰かに話せたらと考えながらここに来たのだ。リンに付き合ってもらおう。

 頷いてから口で横線を描いているリンに対して、私は一方的に今日あったことを話す。

 

 じっと静かにこっちを見ているリンは本当に動かず、話をしている間も偶に頷くだけだった。

 聞き手として『聞いているかわからない』という欠点があるものの、私の話に最後まで質問も何もしてこなかった。

 

 

「それで、お父さんに質問されて終わり?」

 

「うん。そこからはこっちに来たからまだ悩んでる最中かな」

 

 

 あったことを話し終わったら、リンはちゃんと私の話を聞いてくれていたらしく、質問を重ねてくる。

 

 

「ふぅん、きっかけは審査員の言葉だったんだ。でも、そんなに言われたのに、どうして言い返さなかったの?」

 

「何でって、それは……」

 

「途中までは言い返してたんだよね?」

 

 

 リンの言う通り、相手が無駄だと言ってきたのは違うとはっきり否定できた。

 私はニーゴでの活動や今までのことを無駄だとは思いたくなかったから。

 

 手を抜くという言葉も、否定できた。

 あくまで私が描きたかった絵と、相手が求めていた絵が違うだけだから、ここまでは言い返せたのだ。

 

 でも、その後からは言い返せなかった。

 絵の才能がないとは私自身も思っていることだし、結果が最優秀賞(いちばん)じゃないのも事実だから。

 

 なにより、審査員の方から出てきた『お情けで優秀賞』という言葉が私の中では重い。

 

 自己主張したせいで、必要もない《私》を出したせいで取れるはずだった最優秀賞が取れなかったのかもしれない。

 もらった賞ですら、私が私であるせいで本物から紛い物に転落してしまった可能性がある。

 

 そんな嘘か本当かわからない主張で、私は言い返す言葉を失くしてしまった。

 

 

「ねぇ、リン。私は間違っていたのかな」

 

「それ、わたしが答えても良いの?」

 

「……え?」

 

「そういうのは今、パッと現れたわたしが判断することじゃないと思う。だって、わたしは絵名じゃないんだから……最終的に間違っているかどうかを決めて、反省するのは当事者である絵名自身じゃないの?」

 

 

 ──親に勘当するぞ、と言われてやりたいことをやめるのか?

 

 

 リンの言葉を聞いた瞬間、お父さんが言った言葉を思い出す。

 

 

(もしかして、お父さんは意地悪とかそういうので、あんなことを言ったわけじゃないの?)

 

 

 もしもお父さんの言葉がリンと同じ気持ちで言われた言葉なのだとしたら、それは──

 

 

「これなら、絵名をこっちに呼んで正解だったかもね」

 

 

 お父さんの言葉の真意を考えていると、リンが肩を竦めてそんなことを言ってきた。

 

 こっち、ということはどういうことなのだろうか。

 こっちに呼んだといえば、リンよりも先にこのセカイにいるミクの影も形もまったくない。

 

 

「ねぇ、リン。ミクはどこにいるの?」

 

「ミクも皆も離れた所にいるよ。いつもでてくるよりちょっと遠いところに、わたしが絵名を呼んだから」

 

「呼んだって、どうしてそんなことを……?」

 

「だって、今の絵名が皆に会ったら泣いちゃうよ」

 

「は? 泣かないし!」

 

「……表面上の強がりは完璧だね」

 

 

 リンの中では私が泣くのは決まっていることのようだ。

 自分のことなのに理解していない私に対して、リンはわざとらしく溜息を漏らした。

 

 

「自己評価が最底辺で、何もかも自分が悪いって思ってそうな絵名なら、自分のことで言い返せなかった……ってショックは受けないよ。無視するか、気にしないか。相手が文句を言えないぐらい、凄い絵を描こうとするかのどれかでしょ」

 

「リンって実はずっとこのセカイにいたりする?」

 

「残念だけど最初の方に言った通り、ここに来たのは最近だから」

 

 

 私への理解度が私よりも高い気がするのは気のせいだろうか。

 

 本当にそうなのかと疑いの眼差しを向けていると、リンは緑色の目を嫌そうに細めた。

 

 

「わたしはこのセカイを創った人間にだけ影響されて生まれたミクとは違うの。それで察して」

 

「え、それで私のことが詳しいってことは……」

 

 

 ──もしかすると、記憶喪失のことも知られているのではないか?

 

 一瞬で血の気が引いて、頭がふらついてしまう私に、リンは変わらぬジト目を向けてきた。

 

 

「『想い』に影響されただけで、絵名の過去のことは知らないよ。だから露骨に何かありますって顔、しないで。こっちが困るから」

 

「ご、ごめん」

 

 

 今日は精神的にやられているせいか、ボロが出過ぎている。

 リンが聞かないように立ち回ってくれていることに感謝しなければ。

 

 

「ただ……影響されたからこそ、絵名に言いたいことがある」

 

「言いたいこと?」

 

「絵名の想いには無くしたって気持ちが強いけど、それは表面的なことだけ。内面は──想いは無くしてないし、ずっと絵名の中にあるよ」

 

「……本当に私に何があったのか、知らないのよね?」

 

「何かあったっていう事実はわかるけど、内容は知らない。そこまでボロが出てたら、早いうちにわかるかもしれないけどね」

 

 

 隠したかったらもっと上手くやって、と睨まれてしまうと、私はおとなしく首を縦に振ることしかできなかった。

 

 

「まぁいいや、1つだけ覚えておいて。過去に何があったとしても、絵名は絵名。想いはずっと変わってないよ」

 

「断言するなんてすごい自信ね」

 

「わたしがここにいるのが証拠だから。それに……今の絵名の想いはあまりにも自虐的で、胸が痛くなる」

 

 

 本当に痛みがあるのか、リンは顔を大きく歪め、胸をぎゅっと押さえつけた。

 

 過去のことを知らないという言葉が事実であっても、記憶喪失という核心をつけるぐらいの想いが私にはあったのかもしれない。

 

 

「リン、聞いてもいい?」

 

「答えられることなら」

 

「私が迷った時に思い浮かんだ答えは、同じだって思ってもいいの?」

 

「同じ人間だって子供の時と大人の時。若い時と年老いてからとか、経験の違いで考えが変わるでしょう? 絵名の悩みなんて、本当はその程度だよ」

 

 

 なんてことはないようにリンが言うものだから、私は吹き出すように笑ってしまう。

 

 私の『想い』とやらに影響を受けているらしいリンからのゴーサインなら、信じられるかもしれない。

 

 今なら審査員の言葉の方はともかく、お父さんの最後の質問には答えられそうだ。

 

 

 

 

「──名」

 

「絵名ー、どこー!?」

 

 

 

 

 リンと話し過ぎていたのか、何か遠くから声が聞こえてくる。

 バタバタと走るような音が聞こえる方へと視線を向けると、3つの人影が遠くに見える。

 

 ……いや、4人だ。ミクとまふゆ、後は瑞希に背負われて奏がこちらに向かってきている。

 

 

「絵名、好かれてるんだね」

 

「リンはそう言ってくれるけど、好かれてるかどうかはわからないわよ?」

 

「知らない気配が2人きりで離れた場所にいるのなら、心配になるだろうし。それで走ってきてくれてるのなら、わかるでしょ。一々自分を卑下しないで」

 

 

 いつかの奏やミクと似たようなことを言われてしまって、変わっていない自分に少しだけ反省しつつ、一呼吸。

 

 リンにはすごくボロを出してしまったが、ここからはそうもいかない。

 気合いを入れて、私は何もなかったようにゆっくりと接近を試みる。

 

 

「皆、揃ってどうしたの? 何かあった?」

 

 

 いつも通り、今日も大切なことは隠しきれますようにと祈りながら、私は笑みを作った。

 

 

 

 






記憶喪失えななんの想いはまだ、中にある。
消えたように見えても、中に残っているのです。


……作者の欲望の成れの果ては、ホワイトデーガチャの中にある。
奏様もまふゆ様も欲しいと思う欲望にね、飲み込まれて天井近くの石がガチャに吸い込まれましたねー。


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72枚目 白か黒か、灰色か?


そろそろお察しだと思いますが、ペイルカラー編はかなり苦戦したせいで長くなっちゃってます。はい。




 

 

 

 リンと話していたら、向こう側に心配をかけてしまったらしく、走って近づいてくる4人がいた。

 

 探してもらっている側からすると大袈裟にも見えてしまうのだから、不思議だ。

 

 

「皆揃ってどうしたの? 何かあった?」

 

「何かあったって、聞きたいのは私達の方」

 

「絵名の近くに知らない気配があるってミクが言ってたから、ボク達も急いでこっちに来たんだけど……」

 

 

 まふゆと瑞希が殆ど乱れていない息を整えてから、私の後ろにいる存在に目を向ける。

 私も4人に合わせて後ろを向くと、リンは「何?」と不機嫌そうな低い声を出した。

 

 

「あなたは、リン……!?」

 

「えぇっ!? セカイにいるのってミクだけじゃなかったの!?」

 

 

 瑞希の背中から降りた奏が目を見開き、背負っていた瑞希は驚いたのか瞬きが多くなる。

 私なんかと違って、素晴らしいリアクションだ。

 

 だが、その普通の反応が不幸になることもある。

 リアクションが薄かった私に最初に出会ったせいで、それが基準になっていたリンは肩を跳ねさせるぐらい驚き、私の後ろに隠れた。

 

 そんなリンの行動をじっと観察していたまふゆは、きゅっと細めた目をこちらに向ける。

 

 

「随分、仲良くなったんだね」

 

「リンが来てから初めて会ったのが私みたいだから。まふゆもすぐに仲良くなれるわよ」

 

「……そう。それで、絵名はここで何をしてたの?」

 

 

 まふゆの方から話題を振った筈なのに、興味がなかったのかすぐに話題を変えられてしまった。

 私が何をしていたのかは奏達も気になっているようで、リンに集まっていた視線がこっちに集中する。

 

 

「セカイに来たらリンと会ってね。ちょっと2人で話してただけ」

 

「ふぅん。でも、何かあったんじゃないの?」

 

 

 まふゆは首を傾げながら、直球で質問を重ねてくる。

 

 まふゆのストレートな物言いに、少し後ろで瑞希が動揺している姿が面白い。

 そんな呑気なことを考えていたら、こちらを黙って見ていた奏もおろおろと手を彷徨わせた。

 

 

「奏、どうしたの?」

 

「え。どうしたのって……絵名、気がついてないの?」

 

 

 奏が自身の頬に触れながら問いかけてくるので、私も鏡のように相手の真似をする。

 雨が降っているわけでもないのに、頬から伝ってくる水滴が私の指に当たった。

 

 

 ── だって、今の絵名が皆に会ったら泣いちゃうよ。

 

 

 

(そういえば、リンがそんなことを言っていたっけ?)

 

 

 自分の状態を理解した瞬間、私の目は決壊したダムみたいに涙を流す。

 どうやらリンが言ったことは本当だったらしく、涙を止めようと袖で雑に拭ってみても、次から次へと溢れ出て止まらない。

 

 

「絵名、雑に拭いたら目が赤くなるからダメだよ。ほら、ハンカチあげるからこれで目を覆って」

 

 

 瑞希が可愛らしい刺繍の入ったタオルハンカチを、私の目に被せる。

 ピンク色の生地に、さっき見たワンポイントの刺繍は見覚えがある。

 この前、セカイでお気に入りなんだと見せてもらったモノと、全く同じ色と刺繍だ。

 

 ……どうやら、瑞希にお気に入りのハンカチを使わせてしまったらしい。

 しかも、今日は授賞式だったので濃くはないものの、ナチュラルメイクになるようにバッチリ決めていた。

 

 瑞希のお気に入りのハンカチを、化粧と涙でぐちゃぐちゃにしてしまったことを知り、私は唸るような声で呟いた。

 

 

「……ごめん」

 

「ハンカチのこと? それなら、洗えばいいし気にしないでよ」

 

「それもあるんだけど。他にも、瑞希にも奏にもまふゆにも、謝らなきゃいけないことがあるの」

 

 

 そうやって瑞希達に今日の授賞式のことを改めて話していくうちに、蓋をしていたはずの感情まで涙と一緒に溢れた。

 

 ハンカチは瑞希の大切なものだから、すぐに洗濯して返すとして。

 1度話し始めたモノを途中で止めるのもおかしいと思い、嗚咽混じりであるものの、何とか全部、簡単な経緯を話し切った。

 

 

 

 

「──そっか。話してくれてありがとう……でも、絵名の話を聞いてもやっぱり、絵名が謝らなくちゃいけない理由がわからないかな」

 

「うん、ボクも奏と同意見かなぁ」

 

「逆に、その審査員が頭を下げるべきだと思う」

 

 

 奏は静かに怒りを隠すような声を出して、首を横に振る。

 瑞希は努めて明るく言っているのに、瞳に出ている怒りまでは隠せないようだ。

 まふゆは一見、いつも通りに見えるのに、出ている声は底冷えしそうなぐらい低い。

 

 リンの時よりも辿々しく話してしまったのに、根気強く聞いてくれた3人は『悪くない』と肯定してくれた。

 

 

「ありがとう。皆にそう言わせちゃって悪いなって思うけど、すごく嬉しい。でも……やっぱり、ああ言われたのは私のせいだから。まずは嫌な話を聞かせてごめんなさい」

 

 

 リンも2回目の話につき合わせてしまったし、ミクにだって嫌なことを聞かせてしまった。

 それが申し訳なくて頭を下げようとしたら、奏に手で阻止される。

 

 

「今回の件、絵名がわたし達に謝ることじゃないと思うよ。仮にわたし達が絵名に似たようなことを相談して来たら、謝って欲しくないし、絵名も相手に対して怒るよね?」

 

「そりゃあそうよ。2度とそんな口が開けないぐらい怒るから」

 

「だよね。ならどうして、今は怒らずに自分が悪いんだなんて言うの? 絵名か、絵名以外かの違いで、そんなに変わるものなの?」

 

 

 心底不思議そうに問いかけてくる奏。

 少し顔を上げて周りを見渡せば、誰もが奏の言葉に同意するように頷いていた。

 

 私か、私以外かで変わる理由なんて、そんなのは1つに決まっている。

 

 

「私は奏達とは違って紛い物だから、私個人に対する評価はそんなに気にならないの。でも、今回は私の都合を優先したせいで、私の力不足のせいで、ニーゴの作品が『忖度されるようなイラストレーターの作品』になっちゃった……から」

 

 

 ミライノアートコンクールの時の様に、審査員ウケの良い絵を描けば、最優秀賞は確実だったんだ。

 前回の成績とお父さんの娘という外付けでやっと優秀賞になった今回の絵とは違って、私がいない方が、自己主張していない絵の方が良かった。

 

 私なんか、必要なかったんだ……って。

 

 

「1年間、思うように絵が描けなくて、それでも皆と出会ってからは描けるようになったって思ってさ。今まで頑張ってきたと思っていたんだ。でも、それは『頑張ってきたつもり』でしかなくて……最後は前回みたいな疑惑じゃなくて、審査員から『忖度された』ってお墨付きを貰っちゃった」

 

 

 奏は凄い。

 お父さんが自分の曲のせいで目が覚めなくなったって責めてるのに、それでも前を向いて、動画を通じて人を救う曲を作れる天才で、本物だ。

 

 まふゆは凄い。

 家のことや学校のこととか、色んなことに悩んでも今までおくびにも出さず、完璧超人だとか言われるぐらいなんでもこなせてしまったなんでも卒なく熟すその才能は、本物だ。

 

 瑞希は凄い。

 悩んでることや隠し事があっても今日の私とは違ってボロをあからさまに出さないし、いつも明るく振る舞えて、勉強も運動もやればできるし、好きなものに対する直向(ひたむ)さは本物だ。

 

 

 ──でも、私は違うんだ。

 東雲絵名という意味では本物()でもなくて、明確な偽物()にもなりきれない、中途半端な紛い物(灰色)

 

 そんな私でも良いって言ってくれて、私自身が大事にしたいと思った場所が、作ったものが……私の名前のせいで紛い物に落されるのが許せない。

 

 

 手に爪の跡が付くのも気にせずに握り、いっそ血が出てくれたらいいのにと他人事みたいに考えながら手を握り締める。

 

 それでも握力か、思い切りが足りないのか。手は白くなるばかりで、もっと力を込めようとした瞬間──奏に止められた。

 

 

「そっか、絵名は自分を《紛い物》だって思ってたんだね。前から、絵名が自分を蔑ろにするのはどうしてなのかなって不思議だったんだ」

 

 

 奏の言葉で、自分がまたボロを出してしまったことを自覚した。

 

 どうして今日の私は、ボロボロと漏らしているのか。

 リンの言う通り、私は自分が思っているより精神的なダメージを受けていたようだ。

 

 とはいえ、バレるまでは何かがあると思われるだけのように、事実を巧妙に言わなければ、相手が都合良く解釈してくれるかもしれない。

 

 人間というものは自分の経験から考えて、備える生き物らしいし。

 流石に『私、記憶喪失なんです!』と宣言しなければ、辿り着かないだろう。

 

 ……そんな言い訳をしたけれど、私も人のことは言えなくて。瑞希みたいに、重荷に感じてたのかな。

 

 

「私って、画家になりたいとか美大に行くんだとか、奏達にも言ってたでしょ」

 

「うん。画家になるって夢のために美大に行くっていうのは、絵名がよく言っている夢や目標だよね」

 

「それ、本当は私のじゃなくて、借り物の夢や目標なの。だから私は自分のことを《紛い物》だって言っちゃったんだと思う」

 

 

 我ながら、上手く言ったものだ。

 私は東雲絵名(過去の自分)の紛い物だと、常に思っていたのかもしれない。

 

 奏と話しながらそんなことを思っていると、奏の隣に来た瑞希が難しそうな顔をしながら腕を組んだ。

 

 

「じゃあ、絵名は美大に行きたいとも思ってないし、画家にはなりたくないってこと? いや、それどころか絵も好きじゃないとか……」

 

「あぁ、そこまでじゃないから。絵を描くのは好きだけど、私1人だったら画家になろうとも、美大に行こうと思ってなかったんじゃないかなってだけ」

 

 

 あの日、スケッチブックのことを知らなければ、過去の絵名の想いを感じなければ。

 私は画家にならなきゃとも思わなかったし、美大に行こうなんて考えなかったと思うのだ。

 

 絵を描くのは好きだ。

 でも、私1人ならお父さんが言ってたみたいに趣味でも良くて、画家になりたいとも思わなかったし、美大に行く程でもなかった。

 

 何も知らなければ無難な学校に行って、家族に迷惑をかけない程度に良さそうな業界へ就職していた自分を想像できる。

 

 

「本当はあの子の方がすっごく画家になりたくて、そのために頑張っていたはずなの。でも、それができなくなっちゃった」

 

「できなくなったって……?」

 

「まぁ、そこは瑞希の想像に任せようかな。そういうこともあって、私も絵を描くのは好きだったし、あの子の代わりに私が願い事を叶えようって思ったんだ」

 

 

 そして、頑張った末に手に入れた結果が『勝手に忖度されて優秀賞を受賞しました』なのだとしたら。

 私が代わりに……と、傲慢なことを考えてしまった罰が今、下っているのかもしれない。

 

 これでニーゴの絵も描くなと言われるのであれば、甘んじて受け入れよう。

 実名を明かせば爆弾にしかなり得ない創作者なんて、サークルにいても良いことなんてあるはずが……

 

 

「──よく、わからないな」

 

「え?」

 

「絵名が《紛い物》な理由がわからない。悪いとか間違いだとか、ちゃんと聞いてもわからない」

 

 

 どんどんマイナス方向に引っ張られる思考が、まふゆによってバッサリと切り捨てられた。

 何を考えているのかわかりにくい真顔をこちらに向けて、まふゆは具に私の様子を観察しているみたいだ。

 

 

 

「考えても、絵名のことがよくわからない。だから……今から教えて」

 

 

 

 唖然とする私の前に来ても、あまりにも自然体に。

 普段の雑談のような調子で、まふゆは首を傾げる。

 

 力強く握られる手に、私は何故か美術準備室のことを思い出していた。

 

 

 





ここまで追い込まれても尚、まだ全てを話さない記憶喪失えななんはとんでもない子ですね……

さらに、今回の話によって『絵名は病院通いで入院していたことを知っている』奏さんと、『絵名は病院通いで過去に何かがあったと勘づいている』瑞希さんにノイズが入りました。

「本当は私のじゃなくて、借り物の夢や目標」という一連の言葉で、『絵名と誰かが事故に巻き込まれて、絵名がその誰かの意思を引き継いだ』という可能性が乱入しています。

ミスリードを誘発させるなんて、えななんってば悪い子……



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73枚目 覚悟を問う



必殺ワード『よくわからない』の使い手であるまふゆさんが切り込むみたいですよ。





 

 

 

 

 わからないと言う割には、真っ直ぐに向けられる青い目。

 いつも使う『よくわからない』という言葉は本当だったのか、疑ってしまうぐらい、今のまふゆの目には迷いがなかった。

 

 

「紛い物。本物と見分けがつかないぐらい、良く似せて作っているもの。模造品。類語に偽物、偽、似非、贋物。反対語に本物……だっけ」

 

 

 まふゆは透明になった辞書でも朗読しているかのように、言葉の定義を口に出す。

 言葉の意味を確認するような作業に何と反応すればいいのか迷っていると、まふゆが再び口を開く。

 

 

「それで。他人の夢を自分の夢だと思って行動した人は、紛い物になるの?」

 

「え、それは……どうなんだろう」

 

「絵名の話だと、紛い物ってことになる。じゃあ、お母さん達が『まふゆは医者になる』って決めて、医大に入るために勉強している私は《紛い物》?」

 

 

 まふゆの進路を決めた理由は、お母さん達が言ったから。

 

 まふゆにとっては大きな出来事であるはずなのに、さらりと質問の例えに混ぜてくるので、私は早口で捲し立てた。

 

 

「はぁ? 何でそれでまふゆがそうなるわけ!? というか、その件はまふゆが納得していることなの!?」

 

「今はそれ、どうでもいいから……それで、絵名の話通りなら私も紛い物になるの?」

 

「いや、まふゆは凄い頑張ってるし、紛い物なんて言えるわけないでしょ」

 

「そう。なら、目標に向かって頑張ってる絵名も、紛い物じゃないね」

 

「うっ」

 

 

 自分を例題に出すことで、私に否定させて。

 懇切丁寧に道を塞がれていくような問答に、私は背中に汗が伝うような感覚に襲われた。

 

 

「次、そもそもの原因だけど。絵名はどうして、馬鹿正直に審査員の言葉を信じてるの?」

 

「ば、馬鹿正直って……! そりゃあ、相手は審査員なんだから、作品の評価は正しいはずだし……」

 

「絵名の絵どころか、絵名本人も貶してきた人なのに? どうして正しいって思うの?」

 

 

 まふゆの言いたいことが飲み込めず、私は何を言えばいいのか迷ってしまう。

 

 そんな私の態度を見兼ねたのか、瑞希が訳知り顔で私とまふゆの間に立ち、「なるほどね!」と両手を叩いた。

 

 

「審査員って立場を使って絵名を陥れようとしてる可能性もあるって、まふゆは言いたいんだね?」

 

「うん」

 

「普通はないって思うけど、今回の場合だとありえるかもねぇ……」

 

 

 唇に人差し指を添えて、瑞希は考え込むように目を閉じる。

 数回ほど指先が唇を叩いてから、薄ピンクの目が私を捉えた。

 

 

「ねぇ絵名。思い出せる範囲でいいから、審査員が忖度したとか言った時の言葉、詳しく教えてくれないかな?」

 

「詳しく? 私も記憶を頼りにしか言えないけれど、確か『絵が描けて、似たコンクールで入賞。更にあの東雲先生の娘なら、お情けで優秀賞になる可能性もある』っていうのと──」

 

 

 

 その後、動揺して反論する余裕すらなかったが、記憶違いでなければこう言っていたはずだ。

 

 

「『あいつら、忖度か知らないが、勝手に選びやがった』って」

 

「可能性もある、勝手に選びやがった……ねぇ。これ、黒じゃない?」

 

「限りなく黒に近いと思う」

 

 

 動物の《威嚇》が人間の《笑顔》でもある……というのはどこの言葉だったか。

 

 瑞希は何かを隠すようなカワイイ笑みを浮かべて、まふゆも優等生らしい綺麗な笑顔を見せている。

 

 そして──両者共に、目が笑っていない。

 

 怒りの矛先を向ける相手がいないからとりあえず笑いましたと言わんばかりの顔だ。正直、口から短い悲鳴が出ちゃうぐらい怖い。

 

 自分でもわかるぐらい目の前の2人に怯えしまったせいか、私に近づいていたらしいミクに「怖くないよ」と励まされた。

 

 

「それにしても、審査員の立場を使って絵名を追い詰めようとするなんて、嫌らしい手だよね。冷静になった今なら、絵名もそう思うでしょ?」

 

「まぁ……言い返せないっていう点では、追い詰められてたかな」

 

「嫌だよねぇ。断定しないことで自分はそんなこと言ってません、勝手に相手が予想しましたーって見苦しい逃げ道を用意してさ──本当に、姑息だよ」

 

 

 最初の方は普段通りの明るめのトーンだったのに、最後には怒りを隠しきれなかったのか。

 殆ど聞いたことがないぐらい低い声が、目よりも瑞希の怒りを物語っている。

 

 そうやって瑞希も代わりに怒ってくれるから、私の胸の中に巣食っていた後ろめたさが薄れているように感じた。

 

 

「……皆、ありがとう。話を聞いてくれたり、代わりに怒ってくれたせいかな。なんか安心しちゃった」

 

「絵名、まだ安心するのは早いよ」

 

「え?」

 

 

 皆に話を聞いて貰って、全部話せていない状態でも私は本物だと、むしろ審査員の男の方が怪しいと言ってくれたことが嬉しくて。

 気がつけば、気にしていたはずの審査員の言葉なんて、どうでもよくなっていた。

 

 そういうこともあって、私は奏の言葉に首を傾げてしまう。

 当人である私が呑気な反応をするものだから、奏が困ったように眉を下げた。

 

 

「そもそも、全ての原因は審査員の人だから。また相手が絵名に接触してくる可能性がある以上、対策しなきゃいけないよね」

 

 

 私が一生懸命に描いて受賞した絵に、審査員の立場を利用して《不正》のレッテルを貼り付けようとして。

 その結果、私は皆の前で申し訳なさから泣いてしまうという、醜態をさらしてしまった可能性があるのだ。

 

 それの全ての原因が本当に審査員にあるとしたら、対策しなくてはいけないという奏の考えもよくわかる。

 だけど、それよりもだ。

 

 

「……穴があったら入りたい」

 

「いやいや、今言うことじゃないでしょ!?」

 

 

 セカイに穴なんてないので、代わりに両手で顔を隠すと、瑞希から呆れるような声でツッコミが飛んできた。

 

 

「そう言われても。冷静に考えたら今の私、メイク落ちててすっごい顔してるし」

 

「今更気にするなんて、絵名って面倒だね」

 

「まふゆ……面倒って、言わないで」

 

「語尾が弱い。本調子じゃないね」

 

 

 まふゆに言われなくても、私の調子がおかしいことはわかっている。

 ただ、あまり言いたくないのだけども。

 

 

「審査員の件をどうにかするなら、その業界で有名なお父さんを味方にした方がいいのよね……」

 

 

 必要だとわかっていても拒否したい気持ちを吐き出すと、奏は不思議そうに首を傾けた。

 

 

「お父さんに会うのが嫌なの?」

 

「嫌というか、宿題をやってないから学校に行きたくない気分というか」

 

 

 そう言えばまふゆに「じゃあ、宿題をやればいい」とかバッサリと言われてしまったけど。

 

 でも、この例え話で納得してくれる人だっているはずだ。

 奏はわからないけれど、瑞希は納得してくれるはずだって、思いたい。

 

 

(……って、現実逃避してもダメなのよね)

 

 

 本当なら関係のない奏達が親身になって話を聞いて、相談に乗ってくれているのなら、当事者はもっと真剣に取り組まなければ。

 

 宿題を後回しにしたくなるような気持ちに内心で叱咤激励を送っていると、瑞希がポンと両手を叩いて提案してきた。

 

 

「あっ、そうだ! 絵名が1人でお父さんと会いたくないのなら、ボクらも一緒に会いに行こうよ!」

 

「は?」

 

 

 何を言っているのだろうか、このピンクは。

 

 そもそも駄々を捏ねてしまっている私も悪いのだけど、それでもとんでもないことを言ってるように思うのは私だけだろうか?

 

 

「わたしは皆に合わせるよ」

 

「こことここ。その日を除けば、調整できると思う」

 

 

 ……私だけだったらしい。

 奏は予定を合わせにいく時点で乗り気だし、まふゆまで『行かない』とは言わず、積極的に調整してる。

 

 どういうことだ。

 私の知ってるまふゆなら、塾があるから〜とか、予備校があるから、勉強しなくちゃと、真っ先に断りそうなのに断る素振りも見せなかった。

 

 奏だって外に出るのに、びっくりするぐらい乗り気だ。

 ミク達だってこっちの話の流れを見守っているし、私の味方はここにいないお父さんぐらいである。

 

 

「……お父さんに聞いてみる」

 

 

 それで無理なら、私の頭が整理された頃にお父さんに話すから。

 そうやって時間稼ぎをしようとしたのに──夜、お父さんに相談したところ「明日の朝でいいなら、時間を作れる」という、肯定の言葉だった。

 

 

 味方だと勝手に思っていたお父さんすら敵だった、と。

 

 どうやら私は、すぐに覚悟を決めなくてはいけないらしい。

 ……いや、いくらなんでも、急過ぎない?

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 私も存在だけは知っているけれど、記憶を無くしてからは来たことがない家の前。

 

 

「へぇ、ここが絵名のお父さんのアトリエかぁ。家と別に用意してる物件らしいけど、想像よりも立派だね」

 

 

 瑞希が呑気に述べる感想の通り、私はニーゴの皆を引き連れてお父さんのアトリエまでやって来ていた。

 

 お父さんの──いや、画家・東雲慎英の仕事場。

 

 そこに私だけでなく、皆で乗り込むことになるとは思っていなかったものの、許可をもらってしまったのだから覚悟を決めよう。

 

 

 鍵を開けて勝手に入って来ても良いと聞いたので、恐る恐るアトリエの扉を開く。

 

 玄関に入った瞬間に鼻を刺激する匂い。

 私にとっては嗅ぎ慣れた油絵具の匂いと、張り詰めた糸のような空気の中、4人分の足音を響かせて中へと入った。

 

 

「お父さん」

 

「来たか」

 

 

 私達4人が並んでも見えるぐらいに大きな町の絵画を前に、お父さんがこちらに振り向く。

 背後の絵も相まって、体に電流が走るような緊張感に襲われた。

 

 煩い心臓を無視して、その辺にあった椅子を拝借し、私達4人とお父さんとで分かれて座る。

 

 

「初めまして、君達が絵名の友達か?」

 

「あ、はい。東雲さんと一緒に創作活動をさせてもらっています、宵崎奏です」

 

「暁山瑞希です、よろしくお願いします」

 

「初めまして、朝比奈まふゆです。いつも東雲さんにはお世話になっています」

 

「創作活動……そうか。今回の同行の件も含めて、いつも絵名に寄り添ってくれて助かっている」

 

 

 お父さんはゆっくりと3人に目を向け、最後に私の目をじっと見つめた。

 

 車はルームミラーを通じてこちらを見ていた目が直接、私を見ているせいだろうか。

 私も自然と背筋が伸びて、挑むように目に力を込めた。

 

 

「良い目だ。お前も聞きたいことがあるのだろう。だが、まずは昨日の答えを聞きたい」

 

 

 昨日、私が描いた絵の結果が自分の実力ではないと言われてしまって、自分がしたことが間違っているんじゃないかとお父さんに聞いた時の──質問。

 

 

「絵名、このままお前が画家になりたいと言うのであれば、勘当だ。そう言われたとしたら──お前はどうする?」

 

 

 家族と絵、どちらを選ぶのか?

 お父さんの試すような言葉に、私は──

 

 

 





……はい、すみません。前回から焦らしに焦らしてるのに、更に焦らしちゃいます。
土曜日には必ず、作者に何かあっても更新しますのでお待ちください!
(予約投稿済み)


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74枚目 折れるまで突っ込め



ペイルカラー編ラスト、行きます。
(後書きにちょっとおや? って感じのお話があります)




 

 

 

「絵名、このままお前が画家になりたいと言うのであれば、勘当だ。そう言われたとしたら──お前はどうする?」

 

 

 

 初めて入ったお父さんのアトリエにて、こちらを試すように問いかけられた言葉。

 近くで誰かが息を呑むような声を耳が拾うけど、私の頭には別の言葉が出て来ていた。

 

 

(私の行動が間違ってるのか決めるのは私自身、よね)

 

 

 思い出すのは金髪で緑の目をした女の子の言葉だ。

 

 想いは無くしてないし、ずっと私の中にある。わたし(リン)がセカイにいるのがその証拠だと。

 

 私が出した答えに胸を張れと、そう励ましてくれているように感じたのは、私の都合のいい妄想だろうか?

 

 

(ううん──妄想でもいいや。それでも良いって言ってくれる人達もいるから)

 

 

 本当なら私1人で会った方がいいはずなのに、態々私のために予定を空けて、ついて来てくれた3人。

 

 

(そもそも……私は小難しいことをウダウダ考えるタイプじゃない)

 

 

 記憶を無くしてからは他人事のよう(客観的)に自分を見ることができるようになって、才能のない私には真っ直ぐ進むだけでは遠回りになると悟った。

 

 自分が絵名の分まで画家にならなきゃ〜とか、色々背負い込んでいて最短ルートを突き進もうとしていたせいで、自分の本来の性質を無視するような進み方をしてきたわけだけど。

 

 自分の感覚が間違いでなければ……本来、私という人間は考えるよりも先に動いてしまう、直情的な人間だ。

 

 失敗しないように考えて、対策して。成功するのもすごいし、カッコいいと思う。

 

 だけど、本来の東雲絵名()は泥塗れになって歩けなくなったとしても、這い蹲ってそれでも前に進むような、『失敗してからが本番だ!』と宣言する人間である。

 

 

 そんな私が間違ってるかもと怖がると?

 お父さんから逃げると?

 

 

 

 ──それこそ、記憶を無くす前の絵名()に顔向けできないでしょうがっ!

 

 

 

「私は絶対に絵を描くのをやめない。描き続ける」

 

「ほう。ならば勘当されてもいいと?」

 

「そうとも言ってない」

 

「む……?」

 

 

 お父さんは眉を顰めているけれど、答えがリンの言うとおり、同じだというのであれば──大変な道のりであっても、私はこれを選びたい。

 

 

「私はずっと絵を描き続ける。それで、勘当するって言葉を撤廃するぐらい、お父さんにぶつかるから」

 

「それは両方を選ぶということか?」

 

「そうよ。たとえ夢物語や妄想と言われても私は私が守りたいものを抱えて進み続ける」

 

「親が納得しなくてもか?」

 

 

 試すような先達の目に、私は挑戦者としての目で返事した。

 

 

「納得するまでぶつかる。絵も何でも、同じことでしょ。失敗したって何回、何十回、何百回超えても立ち上がって、突破するまでぶつかる」

 

「本当に、それでいいんだな?」

 

「当然でしょ、私が折れるって思わないでよね。欲張れるなら、全部欲張ってやるんだから」

 

 

 お父さんは口を閉ざしたまま、じっとこちらを見ている。

 何秒、いや、何分ぐらい黙った状態でお父さんと目を合わせ続けたのだろうか。

 

 人によっては冷徹に見えそうな顔をしていたお父さんの口元が突然、緩んだ。

 

 

「……ふっ、そうか」

 

 

 私が記憶を無くしたのは丁度、中学2年生になる頃。

 

 その期間、私が見たお父さんの顔は頑固そうな仏頂面か、どこか悲しそうに目を伏せていたところしか見たことがなかった。

 

 でも今、お父さんは笑っている。

 にっこりとまではいかないものの、口角を僅かに上げて、わかりにくい笑みを浮かべていた。

 

 

「画家などの創作者も、起業家も、最後まで突き進んだ先に成功するかわからないという共通点がある。成功するまでずっと苦しみ、苦しんだ末に成功が約束されているわけでもない。成功した後もその成功がどこまで続くのか、続けられるのかと悩み、苦しむことも多いだろう」

 

 

 薄らと笑みを浮かべながらも、お父さんはどこか遠くを見つめている。

 

 

「しかし、失敗しても上手くいかなくても、突き進んだ人間だけが世間の言う《成功》という結果を手に入れられる。周りに間違っている、無謀だ、やめておけと言われても、それでも進まなければ、そういう道で花を咲かせられることはない」

 

 

 遠くを見つめるお父さんの目は、昨日、車の中で話していた時と同じく、想起している人のようで。

 何となく、あの時の話が誰の話だったのか……私の頭が答えに辿り着いた。

 

 

「俺が絵名を守れる範囲は限られている。だからこそ、画家としての俺は……娘に苦しむような道に進んでほしくはなかった」

 

「お父さん……」

 

「この道は俺も知っているつもりだ。世間で見える光だけでなく、影も経験して、ここに立っている。だからこそ、親としても本当は認めたくなかったのだがな」

 

 

 お父さんは目の前で右手を開き、ゆっくりと親指、人差し指、中指と折り曲げていく。

 薬指だけは曲げたり元に戻したりを繰り返して、数十秒。

 

 深く息を吐き出したお父さんが再び、私の方へと顔を向けた。

 

 

「だが、お前はここまで走って来た。常人なら折れるような期間も筆を握って、今、覚悟を示した。ならば──父親としても、画家としても、その気持ちだけは認めないとな」

 

「じゃあ、今度はこっちの話も聞いてもらってもいい?」

 

「あぁ……予想はできているが、何を聞きたい?」

 

 

 お父さんは少し体を引き気味の姿勢にして、私達を視界に収める。

 お父さんに出された問題の答えは出した。後は審査員の件だけだ。

 

 

「今回、お父さんとの話し合いに皆がついて来てくれた理由が、今から話したいことに繋がってるの。知ってるなら教えて欲しいんだけど、私が今回のコンクールで貰った『優秀賞』は正しい評価なの?」

 

「昨日、言っていた審査員の言葉か。絵名自身はどう考えている?」

 

「私は……賞を貰えるのは光栄だし、話を聞くまでは胸を張れる絵を描いていたと思ってた。でも、あの話が本当ならば、辞退しなきゃいけないでしょ」

 

 

 これは奏達と話した後にも、ずっと考えていたことだった。

 

 審査員の言葉が本当であれ、それなりの理由があったとしても、勝手に私の付属した称号から賞をつけられたのだとしたら。

 頼んでもいないし、勝手にされたことだとしても、その結果を受け入れるのはそれこそ、コンクールそのものを冒涜していることになる。

 

 私はそう考えていたのだが、奏達にはその話をしていなかったので、息を飲むような音が聞こえてきた。

 

 

「絵名、いいの?」

 

 

 皆、何かしら言いたげな顔をしていたけれど、奏が代表して問いかけてくれたので、小さく頷き返した。

 

 

「うん、私が仕組んだことではなかったとしても、そういう賞をもらうわけにはいかないからさ」

 

「……そっか。絵名が納得しているのなら、わたしは何も言わないよ」

 

 

 奏がそこで引き下がったので、瑞希は何か言いたそうだったものの、口を噤む。

 

 まふゆの方はというと、ニコニコと優等生らしい胡散臭い笑顔を貼り付けたまま、スッと視線を前に向けた。

 ……あの様子を見るに、今は何もいうつもりはなさそうだ。

 

 ならば、私は話の続きをさせてもらおう。

 

 

「お父さんも知らないのなら、コンクール側に問い合わせしようと思ってるの。だから、顔繋ぎしてほしいんだけど」

 

「いや、その必要はない。その件は既に方をつけている」

 

「え?」

 

 

 聞き間違いだろうか。そう思って聞き直しても、お父さんから返ってくる言葉は全く同じものだ。

 

 昨日私が話して、翌日には片付いているって、どういうことだろうか?

 

 私が奏達を連れて来たのもかなり急な話だったはずなのに、話の進み方が早過ぎてついていけない。

 

 私の頭の中ではクエッションマークが列を作って飛び跳ねているような状態なのだが、お父さんは気にせずに追加の情報を突っ込んできた。

 

 

「シブヤアートコンクールの方でも、今回の件は評価段階で動いていたらしくてな。俺も軽く話を聞いていた」

 

 

 そうやって始まるお父さんの話をまとめるとだ。*1

 

 そもそも、あの審査員は今回のシブヤアートコンクールでは最初、審査員として呼ばれていなかったらしい。

 

 しかし、タイミングが良いのか悪いのか、丁度、シブヤアートコンクールの審査員に欠員が出てしまって。

 本人の強い希望と、ミライノアートコンクールの審査員だったという立場から急遽、追加の審査員として参加することになり。

 

 1部の人間の審査に私情を持ち込み、最優秀賞に選ばれてもおかしくない作品を断固として『受賞させない』と意見を押し通そうとしたそうだ。

 

 審査員としてあり得ない私情の持ち込みに、コンクール側も辟易していたようで。

 コンクールの内部では『誰だ、あんな奴を審査員として参加させたのは!?』と犯人探しまで始まっていたんだとか。

 

 

 ──そんな1人によって猛反発を受けた『1部の人間の作品』というのが私の作品だった、と。

 

 

 1人の猛反発のせいで選べなかった私の作品を、せめて優秀賞にしようと他の審査員で決定し、『東雲さんの作品は残念だけど、次回頑張ってもらおうね』で終わらせようとしたのに……その後にも問題発生。

 

 納得できなかった審査員が、授賞式後に受賞者に絡みに行ったのである。

 

 そこからは私が体験した通り、審査員の立場を利用して嘘の情報を吹聴。

 娘から話を聞いた私の父親(大御所)から問い合わせが来て、コンクール側はてんやわんや。

 

 蜂の巣を突かれたように動いて今日の朝、あの審査員は『事実上の追放』処分にしようと決まったとか。

 

 『娘さんには必ず、絶対にあの審査員を接触させませんので許してくださいお願いします!』というのがコンクール側のコメントのようで。

 

 

「……要するに、私の受賞は正当なものだと」

 

「寧ろ、不当に下げられた側になるのだから、お前が訴えれば再審査やアートコンクール側の不祥事を表沙汰にすることもできるぞ」

 

「いや、そこまでするつもりはないし。1人に認められなかったのは事実だから」

 

 

 今回の件は描き方が気に入らなかったとしても、それでも選ぶしかないと思うぐらいの作品を出せなかった私の実力不足でもあるのだ。

 

 優秀賞という評価が付属品ありきの評価でないというのであれば、私はこれに不満はない。

 

 

「そうか。どうやらお前は俺が想像していたよりも、強くなっていたらしい」

 

「私1人だったら、そんなことないよ」

 

「お前の強さはその友人3人のお陰というわけか。宵崎さん、暁山さん、朝比奈さん……だったかな?」

 

 

 お父さんが1人1人、確認するように名前を呼ぶ。

 1度聞いただけの名前なのに、誰1人間違えることなく呼んでから、お父さんはゆっくりと頭を下げた。

 

 

「ありがとう、娘のためにここまで動いてくれて感謝する。これからも絵名のことをよろしく頼む」

 

「はい。これからも一緒に活動します」

 

「ああ、君達の創作活動を応援している」

 

 

 ──その後はお父さんも別件の用事があるとのことで、私達は早々にお父さんのアトリエを後にして。

 どこに向かうとも決めずに歩いていく中、奏が私に向かって微笑んだ。

 

 

「審査員の件も動いてくれていたみたいだし、良かったね、絵名」

 

「うん。皆がいてくれたからこんなに早く動けたし、終われたから……本当にありがとう」

 

 

 道の真ん中ですることではないかもしれないけれど、私は立ち止まってから3人に向かって頭を下げた。

 暫くしてから顔を上げると、3人は既に前を歩いている。

 

 くるりと振り返り、楽しそうに笑う瑞希の顔が1番最初に目に入った。

 

 

「うんうん、一件落着したことだしー……皆、この後時間ある? 改めて、絵名の受賞おめでとう会をしようよ!」

 

「私は大丈夫」

 

「わたしも平気」

 

「まふゆも奏も平気、と。じゃあいつものファミレスでやろうと思うけど……絵名は大丈夫かなー?」

 

 

 私だけ立ち止まっていたせいで、前に進んでいた3人が振り返り、問いかけてくる。

 

 

「もちろん、私だけ参加しないってことはないから」

 

 

 小走りで皆に追いついてから、私達は揃っていつものファミレスに向かう。

 

 そして今日もまた、解散してから25時にナイトコードで集まるのだ。

 

 

 

*1
パパなん(話せる所は話すが、大人の暗い所は絵名にはまだ早い。その辺は内緒にしておこう)






ペイルカラー編(原形がシブヤアートコンクールぐらいしかない)終了しました。
オリジナル展開とタグ付けながら、そこまでオリジナルでもない悲しみ……

あ、でも……ここまでくればもう、スケッチブックの1枚目を叶えたも同然だと思われそうですね。
というわけで以下、オマケです。



《数日後の話》


 ──目を開くとまた、枕元に古びた表紙のヤツが存在していた。

 絵の中の自分に近づいているせいか、無意識のうちに手元に置いてしまっていたらしい。

 最近は、いつもこうだ。
 あからさまな溜め息を1つ溢し、私は文字が書かれた部分を見る。


【──富も名声も地位も自由も救いも全て、あなたの記憶さえあれば叶うことでしょう】


 そこにはまるで催促するように、文章が追加されている。
 頼まれたって、誰が描くものか。願いなんて自分で叶えるものだろうに。

 視線を逸らそうとしたら、追加されていた文章が溶けるように消えた。
 そして、新たな文言が浮かび上がってくる。


【──それが大切な友達のためであっても?】


 ゾワリと鳥肌が立って、ヤツを開けていた窓の外へと投げ捨てた。
 ヤツはただの紙なので、手も足もない。拾いに行かなければそれで終わり。

 ……なのに、突然、投げ捨てた勢いすら殺すような突風が吹き、強風に乗せられたヤツがベッドの上に戻ってきた。




「……きもちわる」



 一部始終を見ていた身からすると、そう言わずにはいられない。

 今日も捨てれなかったソレが、吐きたくなるぐらい忌々しかった。





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75枚目 東雲サポートセンター



前回はこの先の展開のために不穏にしちゃったので、次に行く前に特に読まなくても大丈夫なお話を2話入れました。休憩タイムです。
まずは宮女のお話から。



 

 

 

 

 最近、宮女の屋上が人気らしい。

 

 1年生の時はそうでもなかったのだが、2年生になってからは誰もいない屋上というのを見なくなった。

 

 そもそも、普段からモモジャンの皆が昼休みや放課後といった隙間時間にちょくちょく集まってる……というのもあるけど。

 

 このところ毎日、気分転換で屋上で絵を描いていると、高確率で誰かに会うのだ。

 瑞希辺りに言えば「絵名ってば思い込みが激し過ぎ〜」と笑われそうだが、これはきっと気のせいではない。

 

 ここ3日間のことを振り返っても、高頻度で誰かに会っているのだから、間違いない。

 そう思うけど、私の体感上の話だし、改めてここ3日の遭遇率を振り返ってみよう……

 

 

 

 ──まずは3日前のお昼休みの話で、片手におにぎりを食べつつ絵を描いている所を望月さんとえむちゃんに目撃されてしまい、揃ってお昼ご飯を食べることになった。

 その日のお昼は「言いにくいんですけど、どちらか片方に集中した方が……」に近い言葉を望月さんにやんわり言われたので、今までの自分を反省することに。この時点でもう2人だ。

 

 

 その日の放課後には遥ちゃんがみのりちゃんを探しに屋上まで来ていて、ついでに「最近、みのりが無理して練習していないか心配で。どう声をかけたらいいと思いますか?」という相談を受けて、3人目。

 

 行き過ぎだと思ったら止めた方がいいけれど、今は思うように行動させて、見守ればいいのでは? と言ってみたけれど。

 私もどちらかというと無理する側。お前が言うなとニーゴの誰かに言われそうなのは棚に上げておこう。

 

 

 

 

 ──そんなこんなで2日前のお昼休みでは、小豆沢さんがひょっこりとやってきた。これで4人目。

 どうやら白石さんにアクセサリーを貰ったので、お返しのプレゼント選びで困っている様子。

 

 そんな時にふと、私のことを思い出してくれたらしく、屋上まで来てくれたとのこと。

 私を頼ってくれたのが嬉しかったので、白石さんに合いそうなアクセサリーがある雑貨店を教えた所……後日、白石さんが如何に喜んでくれたのかということを細かく書かれた御礼の連絡が送られてきた。

 まぁ、これはまた別の話ということで省略する。

 

 

 さらに同日の放課後、5人目の訪問者として愛莉が笑いながら私に差し入れをくれた。

 近況を話し合って、愛莉が動画の作成依頼で上手く伝えられていないんじゃないかと悩んでいる、という話を聞き出してしまい。

 

 瑞希から聞きかじっている話を交えながら相談に乗ったところ、その日の夜にお礼の電話がかかってきた。

 無事、寝る時間が無くなった私はその日、徹夜した。とはいえ、それは今は関係のない話なので放置しよう。

 

 

 

 

 ──昨日のお昼は記念すべき6人目のお客さんに一歌ちゃんがやってきた。

 どんよりとした顔で屋上にやってきたので、どうしたのか尋ねた所、覚悟とは何かと思い悩んでいるようだった。

 

 私もできることなら力になりたいけど、覚悟とか精神的な話は自分で考えなければブレるのだ。

 

 私ができることといえば、私なりの言葉と応援を伝えて、一歌ちゃんが自分なりの答えを見つけることを祈るのみである。

 

 

 その日の放課後には遥ちゃんが心配しているらしいみのりちゃんが、熱心にダンスの練習していた。

 とある動画投稿者の人とコラボをするようで、現在リベンジの為に練習中のようだ。

 

 無理していないか心配だと遥ちゃんが心配していたので、私も気を配ってみたけれど、みのりちゃんの場合は必要な無理をしているようにも見える。

 それなので、遥ちゃんには改めて見守ってあげたらどうか、と連絡を入れてその日は帰った。

 

 

 

 

(……こうやって振り返ってみても、3日で7人も会うなんて何か変じゃない?)

 

 

 まふゆとは毎日会ってるのでエンカウントから外していても、知っている人と会うのはこの短期間で7人である。やっぱり、ここ最近の遭遇率は異常だ。

 

 一体、宮女高等部の屋上で何が起きているのか?

 

 この数日で変わったことといえば、まふゆが部活や委員会でお昼休みはすぐに姿を消して、放課後もほぼ会っていないということだけど……それ以外に私には心当たりがない。

 

 

(いや、この心当たりも後々が怖いだけで、最近の遭遇率とは関係なくない?)

 

 

 ここ最近の屋上の人気具合に何が起きているのかと考えても、やっぱり関係のなさそうな事ばかり考えてしまう。

 空模様の写生の為に動かしていた筆の動作を忘れて、私は知り合いのエンカウント率の高さにばかり考えてしまった。

 

 くだらないことで頭を悩ませていると、今日もまた、屋上の扉が開く。

 

 

「あ、えな先輩がいた!」

 

「本当だわ。咲希ちゃんの言う通りね」

 

 

 本日、4日目昼休みのお客様は咲希ちゃんと雫だった。

 全く見たことがない珍しい組み合わせである。名前を呼んでいるのを聞く限り、私を訪ねて屋上まで来てくれたのはわかるけれど、この2人はどういう関係なのだろうか?

 

 

「咲希ちゃんと雫って、珍しい組み合わせだね」

 

「ふふ、そうかしら? 絵名ちゃんもしぃちゃんのことを知ってるでしょう?」

 

 

 雫がしぃちゃんと呼ぶ子は彼女の妹である日野森志歩さんの呼び方だ。

 で、その日野森志歩さんという名前は……フェニランにて咲希ちゃん達と会った、幼馴染の1人だと聞いた子の名前だったはず。

 

 

「つまり……咲希ちゃんと雫も幼馴染ってこと? それなら一緒にいても不思議じゃないか。それで……私を探してたみたいだけど、どうしたの?」

 

「あ、用事があったのはアタシで。えな先輩なら南雲先生がどこにいるか知ってるかと思いまして」

 

「……もしかして咲希ちゃん、選択授業で美術取ったの?」

 

「はい! 何でわかったんですか!?」

 

「あの人、他の生徒相手でも同じ対応しててさ。困らせているのよねぇ……うん」

 

 

 南雲先生は私や雪平先生の名前すら覚えられない、困った欠点を持つ人間である。

 

 致命的に人の顔と名前を覚えられないので、席順で評価して点数を付けているあの先生は、授業か部室以外で誰かと会うのは滅茶苦茶嫌がり、学校にいる日も誰にも合わないように姿を消すのだ。

 

 それなので、比較的捕まえやすく南雲先生とも仲が良いと知られている私に、質問したい子達が集中する。

 唯一の救いは美術という科目において、質問するような生徒が少ないことと、授業中に聴けばいいかと諦めてくれる子が多いことか。

 

 それでも諦めきれない子だけが私の元に訪れるので、私に南雲先生の行方を聞いてくる子相手の対応には慣れてしまった。

 

 

「もしも何かあるのなら、私が伝えておくから。要件を教えて貰っても良い?」

 

「ありがとうございますっ。えっと、この前の水彩画の授業のことで──」

 

「ふぅん……あぁ、それなら私でもいけるかも。良かったら私が話を聞こうか?」

 

「いいんですか!? お願いします、絵名先輩!」

 

「咲希ちゃん、良かったわね」

 

 

 咲希ちゃんの要件も私が対応できる範囲だったので話している間に、お昼休みは終了。

 雫が咲希ちゃんと一緒に来た理由はわからなかったけど、咲希ちゃんの様子がおかしかったのが気になった。

 

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 

 

 まふゆが弓道部だと聞いたので、今日も私は屋上で絵を描いている。

 最近のブームは空の絵。この時間は夕焼けが綺麗で、青色の空とは違う顔が描けるので好きだった。

 

 黄色と赤色、白の絵の具をグイッと絞って紙を黄昏色に染めていく中、何度も聞いた扉が開く音が鼓膜に届く。

 ちらりと目だけを扉の方に向けると、猫っぽい翡翠の目がこちらを見ていた。

 

 銀髪といい、間違いない。雫の妹さんにして咲希ちゃん達の幼馴染の1人、日野森志歩さんだ。

 

 相手の名前を思い出していると、日野森さんが無言で会釈してくるので、こちらも会釈を返す。

 黙ってベースを取り出したのを見るに、屋上には1人で練習しに来たのだろうか。

 

 

(屋上そのものに用事があったのね。話しかけるのも悪いかな)

 

 

 そもそも、私はギターとベースの違いすらわからない素人である。

 

 咲希ちゃんとかの話で『日野森さんがベース担当』と聞いているから、手に持っているものもベースだと断定している程度の知ったかぶりだ。

 日野森さんが持ち歩いてなければ、ベースとギターの違いなんてわからない。

 

 そんな人間が何を話せばいいのやら。そう思うからこそ、ベースの音をBGMに絵を描こうと思っていた、のだが……

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 一向に音が鳴らない。何なら、日野森さんの口が溜め息という音を漏らしている。

 一歌ちゃんも咲希ちゃんも、ほんの少しだけ暗い顔をしていたし、やっぱり何かあったのだろう。

 

 何時まで経っても音が奏でられないベースと、一定のペースで吐き出される溜め息。

 放っておくには気になり過ぎて、私は脇に置いていた鞄を掴み、屋上を後にする。

 

 あの調子だと私が自販機から戻っても、同じような状態で日野森さんは黄昏ているはずだ。

 そんな予想通りに、私が温かいお茶を2本持ってきても、日野森さんは変わらず思い悩んでいるようだった。

 

 

「日野森さん」

 

「……あ、すみません。邪魔でしたか?」

 

「ううん、そうじゃないの。気分転換したいな~って思ってたところでさ。日野森さんさえよければ、ちょっと話さない? 報酬はこのお茶ね」

 

 

 片方のお茶を渡すと、日野森さんはぽかんとした顔でお茶を眺めている。

 念押しで「どう?」と問いかけてやっと、日野森さんが再起動した。

 

 

「バイトまでの時間ならいいですけど。それで、話って何をするんですか?」

 

「うーん。別に私の話をしてもいいんだけどね、日野森さんは何か悩んでそうに見えてさ。その溜め息の理由とか、ほぼ関係のない先輩に話したら、楽になるかもよ?」

 

「……確かに、東雲先輩ならいいかもしれないですね。じゃあ、1つだけ。2つのうち、1つしか選べない場合──東雲先輩なら、どちらを選びますか?」

 

 

 その質問はあまりにも最近、悩んでいたことなので、ビックリしてしまった。

 真っすぐ向けられる明るい緑の目からは、酷く思い悩んでいるのがありありと伝わってくる。

 

 ……でも、その質問ならば既に私の答えは出ている。

 

 

「それ、どうしても1つを選ばなきゃいけないの?」

 

「え?」

 

「もしかしたらその2つを取れる道があるかもしれないし、それ以外の道も何らかの手段で切り開けるかもしれない。もしかしたらほんの少し時間を待つだけで、2つだった道が1つになる可能性もある。それなのに1つだけ選ぶのは、諦めちゃうのはもったいないなって、部外者だから思っちゃうな」

 

「……」

 

「って、日野森さんがどう悩んでいるのかわからないから、外野として好き勝手言っちゃってるけどね。でも、外野であるからこそ、私でも言えることもある」

 

「それは……何ですか?」

 

 

 私が何かを言わなくても、日野森さんには心配してくれる人がいるだろうし、いらぬお節介だろうけれど。

 

 

「少しでも可能性ができたのなら、その道を怖がらずに進むこと。日野森さん達が揃って演奏する姿、楽しみにしてるね」

 

「えっ、どうして……?」

 

 

 吊り目を丸くしているけれど、ここ最近の一歌ちゃんや咲希ちゃんの様子や、今日の日野森さんの姿を見れば、凡そは察してしまうだろう。

 

 

「……ところで、そろそろ下校時間だけど、時間は大丈夫?」

 

「えっ、あっ。すみません、バイトに遅れそうなので失礼します」

 

「うん、気をつけて帰ってね」

 

 

 ベースを片付けて、屋上を去っていく後ろ姿に手を振ってから、ふと、思う。

 

 

(本当に、ここ数日の忙しさというか、遭遇率は何だったんだろう?)

 

 

 次の日、まふゆとセット行動する日々が戻ってからは変な忙しさもなくなったし……本当に、よくわからない数日間だった。

 

 

 






犯人の手がかり:自分が忙しくて構ってもらう時間が無くなり、無意識に拗ねてた人がえななんを探してる人に屋上にいると吹聴していたらしい。


次回はWEEKND GARAGEにお邪魔します。



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76枚目 心配になるスタート


今回はビビバスの日常に少しお邪魔してます。
箸休め的な特に意味もないお話です。



 

 

 

「ほぉ、これはすごいな。本当にカフェとかでバイトをしてないのか?」

 

 

 隣からマスター──というか、白石さんのお父さんの感嘆の声が聞こえる。

 持ち上げられるのは照れ臭く、私は見えやすい位置に失敗作の自分のラテアートを近くに置いた。

 

 

「はい。家でそれっぽいのを作ったりはしますけど、こうやって道具を使わせてもらってやるのは初めてです。ほら、私の分は失敗しましたし」

 

 

 現在、ビビットストリートの《WEEKND GARAGE》にお邪魔している私の手には、ハムスターが描かれたラテアートが収まっている。

 

 白石さんと小豆沢さんのお誘いから、彰人達も出ているライブを見た後、このカフェまで遊びに来て。

 今は白石さんのお父さんのご好意で、ラテアートに挑戦していた。

 

 家でそれっぽい練習はしていたものの、カフェという本格的な場所で本格的なものを作るのは本当に初めてだ。

 かなり緊張していたのだが、自分用のハート模様でコツを掴んだので、小豆沢さんと白石さんに許可をもらってから2人分のラテアートを作っていた。

 

 

「2人のカフェラテも練習に使っちゃってごめんね。でも、そのおかげで結構いい感じにできたよ。これ、写真撮らせてもらってもいい?」

 

「どうぞどうぞ、その写真はピクシェアに?」

 

「うん。あ、ダメだった?」

 

「全然! 絵名さんが写真を撮り終わったら貰いますね」

 

 

 白石さんに快く撮影許可を貰い、軽く加工してからピクシェアに投下。

 

 ハムスターは白石さんへ、白蛇は小豆沢さんへと。

 出番が終わったラテアートを渡すと、2人は仲良く見せ合い、大袈裟に喜んでくれた。

 

 

(仲良いなぁ)

 

 

 ライブの時は堂々と白石さんの隣に立ってる小豆沢さんが、今では小動物的な仕草で白石さんの隣でニコニコ笑っている。

 

 こんな幸せそうな顔を見ていたら、白石さんが連絡をくれる度に、小豆沢さんの話題をしたがる理由がわかるかもしれない。

 

 彰人も話していたら高確率で「冬弥が〜」と、冬弥くんの話を出してくるし、お互い相棒を大切にしているチームなのだろう。

 ……そんな中にお邪魔させてもらってるのは、ちょっと気が引けるんだけど。

 

 

 考えていることは顔に出さないように気を付けつつ、白石さんのお父さんにお礼を言ってからカウンターから抜け出す。

 小豆沢さんと白石さんの対面に座ると、タイミングを見計らったかのように店の扉が開いた。

 

 

「……まだいたのかよ、絵名」

 

「何よ。いたら悪いの?」

 

 

 白石さんのお父さんには礼儀正しく、私には太々しい態度で店に入ってきたのは彰人だった。

 その後ろに冬弥くんもいて、2人も白石さん達がいる近くの椅子に座る。

 

 

「悪くはねぇけどよ、お前のことだから勝手に来て勝手に帰ったのかと思ってた」

 

「は? 私が失礼なヤツだって言いたいの? 残念でした、そこまで失礼じゃありませんー」

 

「どうだかな。お前が興味があることがなければ、すぐに帰りそうだが」

 

「ぐっ」

 

 

 思い出すのは、サボろうとした行動やら授賞式から早々に抜け出した記憶。

 彰人に言い返せずに何とか言葉を探す私の耳に届いたのは、白石さんの笑い声だった。

 

 

「絵名さんと彰人って、顔を合わせたらビックリするぐらい言い合うよねー」

 

「あぁ、彰人や絵名さんのような関係を《ビジネス不仲》と呼ぶらしいな」

 

「「はい?」」

 

 

 珍しく私と彰人の声が重なった。

 いや、そんなものを気にするような暇はない。今、冬弥くんは何と言った?

 

 冬弥くんの口から出てくるとは予想できなかった言葉に私が唖然としていても、彰人の再起動は早かった。

 

 

「冬弥、1つ聞きたいんだが……その言葉は誰から聞いたんだ?」

 

「誰って、暁山からだが」

 

 

 何という言葉を冬弥くんに吹き込んでるんだ、あのピンク……ッ!

 

 私の頭の中では、野菜の生産者写真の様に『ボクが犯人でーす♪』とダブルピースでアピールしている瑞希の姿が思い浮かぶ。

 

 冬弥くんと偶然出会った瑞希は笑顔で『絵名と弟くんって本当は仲が良いのによく言い合ってるでしょ? ああいうのがビジネス不仲って言うんだよ~』と吹き込んだに違いない。

 そんな姿が容易に想像できて顔を顰めつつ彰人の方を見ると、弟はぽかんと口を開け、間抜けな顔を晒していた。

 

 

「とりあえず、瑞希に会ったら冬弥くんに変なことを吹き込まないように言っておくわ」

 

「頼む」

 

 

 瑞希(あいつ)を野放しにしていたら、何を吹き込むかわからない。

 この時ばかりは私と彰人の意見は1つになっていた。

 

 

 

「──っと。絵名、そろそろ今回のライブのミーティングをやるから、気を付けて帰れよ」

 

「えー、ライブの後の反省会も大事だけどさー。折角、絵名さんが来てくれたんだし、もう少し話さない? ほら、この前のテストの話とか」

 

「あ、おい、それは……」

 

 

 白石さんの言葉に露骨に態度を変えた彰人に、私は首を傾げる。

 冬弥くんも小豆沢さんも心当たりがないみたいで同じように首を傾げていて、私は反省会の邪魔をしてしまう申し訳なさよりも好奇心が勝ってしまった。

 

 

「テストって、そういえばどの学校でもこの時期だと1回目は終わるんだっけ。宮女は体育祭が終わってからテストだから、全体に結果が貼り出されたのは最近だったのよね」

 

「神高も似たようなものですよ。文化祭の後にテストがありました」

 

 

 冬弥くんは特に慌てた様子もなく、淡々と受け答えしてくれる。

 この様子を見るに、冬弥くんは勉強ができるタイプか諦めるタイプなのかもしれない。

 

 勝手に予想をしつつ、動揺した弟に疑問の矛先を向けた。

 

 

「それで、あんなに慌てたってことは……彰人、もしかして赤点取ったの? だとしたら1年から心配になるスタートなんだけど」

 

「いや、赤点はなかった。嘘じゃないぞ」

 

「山を外したせいで1教科ギリギリだったって聞いたけどねー」

 

「おい、杏?」

 

 

 白石さんの補足情報で彰人は怒りを滲ませた声を出すせいで、白石さんの情報の信憑性が増してしまった。

 そして、ここで同じ神高生なのに何も知らなかった1人、冬弥くんが彰人に疑問を呈す。

 

 

「彰人、テストは大丈夫じゃなかったのか?」

 

「あ、いや。今回は初回だから外れただけで、次回からは傾向が掴めたから大丈夫だぞ」

 

「……それを大丈夫とは言わないと思うのだが」

 

 

 全くもってその通りである。

 

 私が冬弥くんの言葉に大きめに頷いてしまったせいで、彰人の目に入ったのだろう。

 弟が姉を見ているとは思えないぐらい、非常に生意気な目を向けて口を開いた。

 

 

「何だよ」

 

「別に。お母さんは留年しない限り何も言わないだろうけど、冬弥くんの言う通りだなーって思っただけよ?」

 

 

 高校になったら義務教育ではないので、補習とか追試というものが存在しているのだ。

 練習とかの時間を大切にしているのであれば、結果的には勉強するのが1番効率がいいんじゃないかと私個人は思っただけである。

 

 

「そういうお前はテスト、大丈夫だったのかよ」

 

「私? 私はそれなりかな」

 

「どうだか。いつも家で落ち込んでる姿を見たら、そうは見えないけどな」

 

(あー、これ。もしかして勘違いされてない?)

 

 

 高校1年生の時はあの《天才・努力お化け》こと、まふゆを抜かすことに必死で、順位を見てはまた足りなかったと落ち込んでいたことが多かったけれど。

 

 どうやって誤解を解くのが無難だろうか。

 スマホがあったら検索したくなる場面に頭を悩ませていたら、小豆沢さんがおずおずと手を伸ばした。

 

 

「あの、東雲くん」

 

「何だよ」

 

「たぶんだけど、絵名先輩のテストに関しては、心配するようなことはないと思うよ。今回のテストだって掲示板に名前、あったし……」

 

「掲示板に名前って。そもそもその《掲示板》って何だ?」

 

 

 彰人も何となく察しているみたいだけど、神高とはシステムが違うから確認をしたいらしい。

 あからさまな態度で私に聞いてくるので、態とらしく微笑んだ。

 

 

「宮女って学年毎にテストの上位10人の名前を掲示板に貼り出すの。だから、知ってる人はどの学年の誰がテストの点が良いのかわかるのよね」

 

「へぇ、そうなんですか。神高は細長い紙だけ渡されて、そこに学年とかクラスの順位が書いてるぐらいなのに……こはねの学校は大変だね」

 

「皆、あまり掲示板の順位なんて見ないから。杏ちゃんが心配するほど大変じゃないよ」

 

 

 唯一宮女で名物になってるのは、中学の時からずっと、不動の1位を取り続ける努力お化けの王座が崩れてないかどうかぐらいで。

 

 今回のテストも王座から引き摺り下ろせず、「2番(アヒル)だね」と滅茶苦茶腹立つ煽りをされたものの。

 殆どの人間にとっては形骸化しているシステム。それが宮女の掲示板だった。

 

 

「というわけで、もしも勉強を教えて欲しかったら教えるわよ? お代はチーズケーキね」

 

「レートがおかしいだろ。自分でやる方がマシだな」

 

「ふーん。じゃあ、冬弥くん達を困らせない程度に頑張りなさいよ?」

 

「言われなくても今回だけだ」

 

 

 山を外したのは今回だけであって、山勘で勉強するのは今回だけとは言ってないとでも言うつもりなのだろうか?

 

 1回でも補習なり何なり痛い目を見ないと改めなさそうだ。

 願わくば、それが手遅れになる前であればいいと思う。

 

 ──そして、どうやらこのチーム、テスト問題を抱えているのは彰人1人ではないようで。

 

 

「っていうか、それなら杏も今回のテスト、ギリギリだって言ってたような──」

 

「わっ、わー! わぁー! ほら、ミーティングしようよ、皆! 反省は大事だよ! うんうん!」

 

「あ、杏ちゃん……?」

 

 

 彰人の反撃に白石さんは叫び、そのあまりにも下手な誤魔化し方に流石の小豆沢さんも流し切れなくて反応してしまっていた。

 

 ……半々、という意味ではチームバランスが良いのかもしれない。

 そう無理矢理納得させて、混沌とし始めた空気の中、素知らぬ顔して席を立つ。

 

 

「あ、ミーティングするなら私はそろそろお暇するね。4人とも、頑張ってね」

 

「絵名さん、ありがとうございました。また来てください」

 

「はは。うん、冬弥くんも頑張って」

 

 

 同じ学校的に頼られるのは冬弥くんが先だと思うので、そういう意味も込めて応援しよう。

 

 

「これ、お代です」

 

「あぁ。ちょうどだな、ありがとう。また杏達のライブも見に来てやってくれ」

 

「はい、また来ますね。今日はありがとうございました」

 

 

 白石さんのお父さんに声をかけてから、店を出る。

 

 

(あーあ。あんなに仲の良い姿を見てたら、何だか話したくなっちゃった。セカイかナイトコードに誰かいないかなぁ)

 

 

 ほんの少し寂しさを感じつつ、何処からともなく歌が聞こえてくる道を1人、歩いて帰った。

 

 






記憶喪失えななんはごく稀に、杏さんやこはねさんに誘われてライブに遊びに来ているらしいですよ。

次回は奏さん視点で話を進めます。



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77枚目 【宵崎さんとある日のセカイ】


話数もUAもお気に入りも評価も7……! とちょっとテンション上がりました。
いつも誤字脱字も多くて恥ずかしい限りなのですが、応援ありがとうございます。皆様のおかげで今日も更新できてます。

今回は全て奏さん視点で、イベストの前振りのお話です。



 

 

「皆、何してるの……?」

 

 

 曲作りもひと段落して、誰かに聴いてもらおうとセカイに来たら。

 何故かミクとリンが並んで雑誌を読んでいて、その少し離れたところに絵名が絵を描いていた。

 

 ここまでは理解できる。

 絵名が絵を描きたくて、2人がモデルになってるのはわかったから。

 

 でもね、その絵を描いてる絵名の付属品みたいになってる2人は何?

 左手を触ってるまふゆと、髪の毛を弄ってる瑞希は絵名に何をしてるの?

 

 

「あ、奏じゃん。休憩しに来たの? お疲れ〜」

 

「おつかれさま。そういう瑞希は絵名に何をしてるの? イタズラだったらほどほどにね」

 

「あは、ほどほどにならしても良いんだ〜」

 

 

 笑いのツボにハマったのか、絵名の髪から手を離して瑞希は肩を震わせている。

 

 いつもの三つ編み以外にも3本、編み込みが増えているのは瑞希の仕業だろう。

 髪を弄っていた瑞希でこれなのだ。ならば、ずっと左手を触っているまふゆは絵名に何をしているのだろうか。

 

 

「まふゆは何をしてるの?」

 

「手入れ」

 

「えっと、手入れって?」

 

「あー。まふゆってばボクが来る前から絵名の手にクリームを塗りこんだり、爪を綺麗に整えた後で磨いてるんだよね」

 

「……?」

 

 

 まふゆの短い返答を見かねて瑞希が補足説明をしてくれたのに、それでも私の頭は理解を拒んだ。

 

 まず、どうして自分の手ではなくて他人である絵名の手を手入れしているのか、とか。

 左手だけ綺麗にしても、後で絵名が困るんじゃない、とか。

 

 他にも沢山言いたいことが泡みたいに浮かんでくるのに、口に昇る前に泡になって消えてしまった。

 

 絵名の手に夢中で短い返事しか返ってこなさそうなまふゆのことは、とりあえず傍に置いておこう。

 話してくれそうな人に狙いを定めて、わたしは瑞希の方へとターゲットを変える。

 

 

「絵名はいつもの?」

 

「だろうね。ボクが来た時にはもうミクとリンを座らせて、スケッチしてたよ」

 

 

 絵名は写真とか絵とか、そういう『形があるもの』に残すのを好んでいる。

 

 本人は無自覚なのかもしれないけれど、食事を毎回写真に収めていたり、事あるごとに自分や周りにいる人を撮ろうとしたり、時間があれば今みたいに絵を描き始めるのだ。

 

 更に、絵名は毎日細かく日記を書いているようで、そこに写真や絵も併せて貼り付けているらしい。

 

 記憶ではなく、1つ1つ漏らさず記録するような行動はきっと、絵名にとっては絵と同じぐらい大事な行動なのだろう。

 それを邪魔しようと思うほど、作業の期限も迫っていない。好きにさせてあげよう。

 

 

「それにしても……絵名の絵、凄みというか、1つレベル上がってない?」

 

「どうだろう? わたしは今描いてる絵も好きだけど」

 

「それを言ったら、ボクも絵名の絵が好きだよ。でも、そういう話じゃないんだってば〜」

 

 

 瑞希の言う凄みとかレベルというのはそこまでわからない。

 だけど、今の絵名はのびのびと絵を描くようになったなとは思うし、今、絵を夢中に描いている時の方がわたしは好きだ。

 

 苦しそうにしていたり、怯えながら描いているよりも今の方がずっといい。

 

 

「そろそろ3つ編みが4本目になるし、絵名を休ませなきゃダメかなぁ」

 

「4本になったら何かあるの?」

 

「30分ごとに1本作ってるから、絵名が絵を描き始めて2時間になるよ。流石に小休憩させないとね」

 

「瑞希の心配はわかったけど、こうなった絵名は簡単には止まらないよ。どうするの?」

 

 

 わたしも同類だからわかるけれど、1度集中したらキリが良いところまでいかないと自分から止まることはない。

 どうしようかと顔を見合わせていると、左手に夢中だったまふゆが徐に立ち上がり、リン達の方へと向かった。

 

 

「リン、あれやって」

 

「……めんどくさいな」

 

 

 口では嫌そうな言葉を言っているのに、リンはまふゆの話を聞くのとほぼ同時のタイミングで動き出した。

 後ろにまふゆとミクを引き連れて、リンは絵名の近くで大きな手拍子をする。

 

 

「絵名、休憩しようって。皆言ってるよ」

 

「わっ、ビックリした。リン、ありがとう……って、髪の毛の感覚がちょっと変だし、左手だけ滅茶苦茶綺麗になってる!?」

 

 

 まずは頭の異変に気がついて、次にパッと見ればわかるぐらい明らかに違う左手に驚く絵名。

 何が起きたのか混乱する彼女に対して、左手を綺麗にした犯人(まふゆ)は当たり前のように頷く。

 

 

「うん。右手、ちょうだい」

 

「私の手はあげれないけど!?」

 

 

 意識が絵から戻ってきた絵名は早速、間抜けな声で抵抗を試みた。

 

 それがどこまで通用するのか疑問だけど、どうやら絵名はそう思っていないらしく、右手を隠すように左手で握り締める。

 

 

「そもそも、何で右手を欲しがるのよ!?」

 

「右手も綺麗にしないと、気持ち悪い」

 

「あー、左手とアンバランスって意味なら気持ち悪いかも……じゃなくて!」

 

「絵名、右手」

 

「やだ! 後で自分でやるから、絶対に渡さないわよ!」

 

「えーな」

 

「ぜったいに! 右手は……その……えぇと……はい」

 

 

 絵名はまふゆの圧に屈して、右手を差し出した。

 (さなが)ら蛇に睨まれた蛙のようにあっさりと降参した絵名を見て、瑞希が隣で太腿を叩いて笑っている。

 

 相変わらず、絵名のことになると瑞希は笑いの基準が低くなるらしい。

 そこに反応してしまう絵名も含めてセットなので、この後の展開は容易に想像できた。

 

 

「何笑ってんのよ、瑞希!」

 

「いや、だって。絵名がまふゆにされるがままだし、面白くってさ」

 

 

 そして、そんなわたしの予想通りに、右手を取られて動けない絵名は早速、瑞希に噛みついた。

 

 

「それであんたが笑う必要ないでしょ!?」

 

「そう言われてもねぇ。訂正したかったらこっちにおいでよ〜」

 

「こ、こいつぅ……っ」

 

 

 何か言いたげな目を絵名が向けているものの、右手をまふゆに触られているせいで身動きが取れず、唯一、自由な左手が宙を彷徨う。

 

 手が出せないなら口で。

 

 そう言わんばかりに「笑わないで」という言葉を手を替え品を替え瑞希に訴える絵名が、何故か大きな対象に向かって鳴いている可愛い子犬のように見えてしまう。

 

 

(これ、本人に言ったら怒られそうだな)

 

 

 この感想は絶対に怒られるものだろう。

 わたしは瑞希とは違うのでそっと心の中に閉じ込め、抱いてしまった感想を忘れることにした。

 

 わたしが感想を頭のゴミ箱に捨てている間に、瑞希に訴えることを諦めたらしい絵名はミクとリンに頭を下げる。

 

 

「はぁ、もういいや。それよりも……ミク、リン、絵のモデルありがとうね。助かったわ」

 

「絵名の力になれて良かった」

 

「わたしはミクみたいなこと、言わないよ。お礼は期待してるけど」

 

「ふふ、わかってるって。ちゃんとお礼は用意するから、楽しみにしててね。後は……」

 

 

 右手を掴まれて動けない絵名は視線をこちらに向けて、小首を傾げる。

 視線の先にいるのはわたしだけだ。何かあったのかと同じ動作をすると、絵名から苦笑が返ってきた。

 

 

「奏は何か用事があってセカイに来たんじゃないの?」

 

「あぁ、そうだった。誰かに曲を聞いて貰おうと思ってこっちに来たんだ」

 

「やっぱり! そうだと思ったのよね。奏の曲、聴かせてよ」

 

「いいよ。まふゆやミク達にも聴いてほしいな」

 

 

 スマホを取り出すのと同じぐらいのタイミングで、まふゆの顔がこちらに向いた。

 どうやらキリの良いところまで終わったらしく、絵名の右手がまふゆの手の中から抜け出しても反応していない。

 

 曲の再生が終わったら手入れの続きが始まるのだろうが、曲を再生している間だけは絵名の手は自由の身だった。

 

 

(えっと、まふゆの反応は……いつも通り、か)

 

 

 可もなく不可もなく。

 

 やっぱり人形展の時のような反応はなくて、もっとまふゆの心を揺さぶれるようなものじゃなければ、彼女を救うことができないのかもしれない。

 

 何が足りないのだろうか。もっと、もっとまふゆを救うためには……

 

 

「──奏、大丈夫?」

 

「え?」

 

 

 ぐるぐると回る思考の途中で、絵名の声が耳に届く。

 

 

「この曲もすごくいい曲だなって思ったけど、考え事してるみたいだから。何か気になるところがあった?」

 

「あ、うん、そんなところ。ちょっと修正したいところが出たから、考えてたんだ」

 

「……そっか。じゃあ、完成したらまた聴かせてね。イラストも合わせなきゃいけないし」

 

 

 絵名は何か言いたそうに口を開閉したけど、何事もなかったように笑みを浮かべる。

 こちらの様子をじっと窺っていたらしい瑞希も絵名を見習って、似たような笑みを作った。

 

 

「ねぇねぇ、絵名。イラストが完成するまで時間があるし、動画撮らせてよ〜」

 

「は? 動画って何に使うつもりなのよ?」

 

「最近、絵名ってば猫に負けたって言ってたでしょ。だから対抗するために猫ミームならぬ絵名ミームをしようかなと」

 

 

 絵名は胡散臭そうな視線を向けつつ、スマホの画面に指を滑らせる。

 暫く画像を見てから、大きく腕をクロスさせてバッテンと主張した。

 

 

「バカなの? こういうのって猫だから許されてるのよ?」

 

「大丈夫大丈夫。犬とか山羊とか、最近だと人も出てくるから。絵名も乗るしかないでしょ! このビッグウェーブに!」

 

「ふーん。私にネットの玩具……というか、瑞希の玩具になれというのね? 酷い」

 

 

 絵名が態とらしく言い直して、両目を掌で覆う。

 角度によっては泣いているように見えてしまう、絶妙な動き。絵名の動作に騙されたまふゆが、ゆっくりと瑞希の方へと顔を向けた。

 

 

「絵名を瑞希の玩具にするって、どういうこと?」

 

「その、まふゆさん? それにはちょっと誤解とか色々ありまして。ほら、動画の素材にしたいといいますか、何といいますか」

 

「瑞希ったら変なの。まぁいいか──直接聞けば、いいもんね?」

 

「ひぇっ……ボクはまだ生き残りたい! さらばだーっ」

 

 

 『優等生フェイス』と絵名に命名された、ビックリするぐらいの笑顔を見せているまふゆ。

 

 それを見た瞬間、瑞希は背を向けて逃げ出し、まふゆがクラウチングスタートで追いかけていった。

 気がつけばミク達も姿を消しており、残っているのはわたしと絵名しかいない。

 

 誰もいないことを確認してから、絵名は両手を腰に当てて、満足気に頷く。

 

 

「よし、悪は滅びたわね」

 

「悪って。瑞希がかわいそうだよ」

 

「確かに……瑞希1人が楽しむだけなら気にならなかったし、まふゆを(けしか)けたのは悪かったかもね」

 

 

 わたしの言葉に絵名は眉を下げ、瑞希が作った3つ編みを1つ1つ、解いていく。

 

 絵名は気にならないと言っていたけれど、ならばどうして態々、まふゆを瑞希に仕向けたのだろうか?

 

 その答えは意外とすぐにやってきて、髪の毛を解いた絵名があっさりと口を開いた。

 

 

「奏が曲を流してる間も、まふゆのことを気にしてるみたいだったからさ」

 

「え、態度に出てた?」

 

「ううん、そんな気がしただけ。でも、まふゆの前でそういう話をしたら、気にするかもしれないし」

 

「それは……瑞希に悪いことしちゃったな」

 

 

 つまり、まふゆを引き離すために瑞希が囮に使われたということで。

 わたしの呟いた言葉に、絵名は首を横に振った。

 

 

「瑞希も察してるから、態々逃げたんでしょ。奏は気にしなくてもいいよ。今回のまふゆの反応も含めてさ」

 

「でも……」

 

「そもそも、こういうのってすぐに結果が出るわけじゃないんだから。まふゆだって最近は反応もわかりやすくなってきてるし、確実に奏の曲は届いているからね」

 

「そう、かな」

 

「そうなの」

 

 

 そんな風に見えなかっただけに、絵名の言葉を疑ってしまう。

 

 

「奏はできることをやってるよ。なら、慌てたっていい事はないんだから、後は信じてタイミングを待てばいいんじゃない?」

 

「信じて待つ?」

 

「そ。そっちの方が気持ち的にも楽でしょ。まふゆだって、奏が苦しんでまで救ってほしいとは考えてないと思うわよ」

 

 

 言いたいことを言えたのか、絵名もまふゆ達が走り去った方へと歩き出す。

 わたしもこのまま部屋に戻らず、絵名の後ろを追いかけた。

 

 

(できることをやったら、待つ……か)

 

 

 ──この時のわたしは思ってもいなかったのだ。

 

 まさかこの後、自分が苦しむことになるなんて、全く予想できずに……どうしたらいいのか、と他人のことばかり考えていた。

 

 





不穏になる終わり方をしてますが、次のイベストの開始はアレですからね。
奏さんにとってはとんでもないことになってますので、こんな仕上がりになりました。

というわけで、次回から『シークレット・ディスタンス』が本格的に始まります。


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78枚目 問題発生?


シークレット・ディスタンス編、本格的に開始です。
つまり、あのバチャシンが登場するということですね。






 

 

 

 

 ──これはとある日の夕方の話だ。

 

 

『今日はセカイに集合したい』

 

 

 と、奏からそんな連絡が来た。

 

 タイミングとかの理由から、度々セカイに集合することはあっても、奏の方からセカイに誘うなんて珍しい。

 

 何かあったんじゃないかと思って、私は慌てて曲を再生する。

 光が消えた先には奏──ではなく、部活終わりで一緒に帰宅していたまふゆが佇んでいた。

 

 どうやら私よりも少し早く帰ったまふゆは、奏の連絡にひと足先に反応したらしい。

 きょろきょろと周囲を見渡しているまふゆに、私は小さく手を振る。

 

 

「さっきぶり。まふゆも奏の連絡を見て来たの?」

 

「うん。まだ、見つけてないけど」

 

「見つけてないの? ……ミク達もいないし、別のところにいるのかな」

 

 

 まふゆの言葉に再度、周囲を見渡す。

 奏どころか瑞希もいないのだけど、この時間だと丁度、バイトが終わったぐらいか。

 

 

(瑞希がいないのは当然としても、奏も姿を見せないのは少し心配かな)

 

 

 つい最近もまふゆの反応が鈍いことに悩んでいたみたいだし、杞憂であればいいのだが。

 そう考えている間に、奏の連絡に『わかった、今から行くよ』と瑞希の書き込みが加わる。

 

 それをスマホで確認したのとほぼ同時に、セカイに瑞希が現れた。

 

 

「やっほっほー、まふゆと絵名もお揃いで。それで、肝心の奏はどこに?」

 

「さぁ、わからない」

 

「私もまふゆもさっき来たところなんだけど、奏が見つからないのよね」

 

 

 そうして3人で奏を探索していると、見覚えのある長髪が視界に入る。

 何故か1人で立ち尽くしているけれど、間違いない。あの姿は奏だ。

 

 

「いた! あれ奏でしょっ」

 

「あの姿は間違いないね。おーい、奏!」

 

「あ、みんな」

 

 

 瑞希の呼びかけにこちらに振り返った奏は萎れているように見える……というか、いつも以上に元気がない。

 肩を落として1歩も歩こうとしない奏に、瑞希がいち早く駆け寄った。

 

 

「奏、連絡があったから来たけど。急にセカイに集まろうなんて、どうしたの?」

 

「…………その、ごめん」

 

 

 いつもは静謐な湖のような雰囲気なのに、今の奏は真剣そのもので、心の底から申し訳なさそうに謝っていた。

 

 これは絶対にタダ事ではない。

 

 そう感じたのは私だけではないようで、隣に目をやれば瑞希のピンクの目とバッチリと目が合う。

 瑞希が任せて欲しいと言わんばかりに頷いたので、私も小さく頷き返した。

 

 

「大丈夫だよ、何があったとしてもボクは奏の味方だから。それで、一体どうしたの?」

 

「じ、実は──次の曲のデモが、できてないの」

 

「……はい? ちょっと、詳しく聞いても良い?」

 

 

 まるで世界の終わりが近づいているかのような声で出てきた言葉は、瑞希が聞き返してしまうぐらい予想外のモノだった。

 

 

 

 

 ……大袈裟なぐらい落ち込んでいる奏の話をまとめると──どうやら我らがリーダーはスランプに陥っているらしい。

 そのせいで、奏は今も「ごめん」としか言えない状態になってしまっているようだ。

 

 

「……作り続けるって、言ったのに」

 

「うっ……」

 

 

 さらに追い打ちをかけるようにまふゆが呟くものだから、奏は胸を抑えて呻く。

 スランプで奏がチクチク刺されるところは見ていられず、私はまふゆの恨めしそうな視線を制した。

 

 

「まふゆ、追い打ちはやめなさいよね。誰だって好きでスランプになるわけじゃないんだから」

 

 

 私だってスランプに苦しんできた身だし、アイデアが浮かばない時だって多々ある。

 そういう経験があるだけに、まふゆの追い打ちは見逃せない。

 

 

「それに、スランプって辛いのよ。描こうにも全く思いつかないし、無理矢理形にしてみても納得できるものにならないし。そうやって1年も苦しんだらさ、奏のことなんて責められないわよ」

 

「い、1年……!?」

 

「おーい、絵名。1年間スランプだった話をこの状況で言っちゃったら、追撃になってるからねー?」

 

「え?」

 

 

 奏が震えて、瑞希が待ったをかける理由がわからずに、首を傾げる。

 

 だが、考えてみればすぐに原因がわかった。

 要するに私は──奏に『このまま1年、曲を作れなくなるかもね』と言ったのと同じような発言をしてしまったのだ。

 

 

「そ、そんなつもりじゃなかったのっ! ごめんね、奏ーっ!」

 

「わぁっ!? 急に大声を出さないでよ、奏もびっくりしてるって!」

 

 

 瑞希が何かを言っているけれど、私はそれどころではない。

 まふゆの行為を見逃せないと言いながら追撃するなんて、サッカーでオウンゴールするようなものなのだ。明らかな戦犯である。

 

 あまりのショックに膝から崩れ落ちている私を他所に、騒ぎを聞きつけたリンとミクがこちらにやって来た。

 

 

「一緒に来て騒がれると煩いんだけど……どうして皆はここに集まってるの?」

 

「リン、この前は皆が来ると楽しいって……」

 

「んんっ……それで、どうしてここに集まってるの?」

 

 

 私を一瞥してから、見て見ぬフリをしたリンは首を傾げる。

 ミクのツッコミすらスルーしたリンが再度問いかけて漸く、奏が反応した。

 

 

「1人で考えてもアイデアがまとまらないから、相談した方が良いかなって思って」

 

「と、言ってもね。追い打ちしちゃった罪悪感はあるけれど、私も瑞希も門外漢だし」

 

 

 いつまでも落ち込んでられないので、立ち上がりながら考える。

 私も瑞希も戦力外。単純に考えるなら、まふゆを頼ることになるのだけど……

 

 ちらりと視線を向けると、まふゆはゆっくりと首を横に振る。

 

 

「私には、誰かを救えるような曲は作れないよ」

 

 

 だから聞かれてもわからないと、まふゆの目は口ほどに物を言っていた。

 

 まふゆもダメ、私や瑞希もダメとなると、後は──状況を変えるしかない。

 

 同じようなことを続けていたって苦しむ時間が長引くだけなのは身をもって体験している。

 私がスランプから抜け出した要因が変化なのだから、その時と似たようなことを奏にもできればスランプだって脱却できるはずだ。

 

 ……ここまでは私も考えられるけれど、ここから先が思い浮かばない。

 

 

「こういう時って環境や情況を変えるか、新しいことに挑戦するのがいいのかなぁって思うんだけど。具体的な案がねー」

 

 

 それとなく説明口調で話してみると、反応したのは瑞希とミク。

 ただ、瑞希がこちらの話への反応だったのに対して、ミクの反応はまた別のものだったようだ。

 

 

「これは……」

 

「来るね」

 

 

 ミクとリンが誰もいない方向へと視線を向けている。

 何が来るというのか。不思議に思っていると、全員が集まっているはずなのに、誰かが近寄ってくるような足音が聞こえてきた。

 

 

「──あら。みんな揃ってるなんて、出迎えに来てくれたの?」

 

 

 ミクやリンに近いけれど、全く違う声がセカイに響く。

 

 それと共に現れたのは、黒を基調にしたドレスを着た女性だった。髪の毛は私と同じく短めの茶髪……と言いたいところだが、私よりも明るい茶。

 最近、リンと出会ったこともあって、彼女がバーチャルシンガーのMEIKOだと思い至った。

 

 

「メイコ」

 

 

 その答え合わせの機会はすぐにやって来て、ミクが女性を見ながら名前を呼ぶ。

 

 

「うわっ、ビックリしたぁ。まさかリンに続いてメイコも来ちゃうなんて!」

 

「ミクやリンが反応してくれなかったら現れる兆候すらわからないし、こんなの驚いて当然でしょ」

 

 

 『誰もいないセカイ』というのに人が増えていくのは不思議な話だけど、この調子だと他のバーチャルシンガーもひょっこり現れそうだ。

 

 それだけまふゆの心に変化が出ているということだろうか。

 このセカイがどう変わっていくのか楽しみな反面、今でも私の悪いところを見習っていたり、首輪やら付けようかと突拍子もないことを考えているので、怖さもあった。

 

 

「まぁ。何にしても、これから仲良くしたい……」

 

「最初に言っておくけど、私のことは気にしないでいいわ」

 

 

 瑞希が言い切るよりも先に、メイコは自分のスタンスを主張した。

 

 

「あなた達に力を貸すのはミクとリンで十分でしょう。私は違う点から見守ることにするから、私のことはいないものだと思って、続けてちょうだい」

 

 

 人と同じように、バーチャルシンガーも十人十色なのかもしれないけれど……これはまた難しそうな相手だ。

 

 ションボリと眉を下げる瑞希の肩を、私は励ましの意味も込めて軽く叩いた。

 

 

「このセカイに現れたメイコは、ちょっと対応が冷たいみたいね。で、相手のご要望通りにするの?」

 

「確かにそっけない感じはするけど……まぁ、それはそれとして、必要なこともあるよね」

 

 

 そっけなく対応されたのに、瑞希は諦めることなくメイコに近づく。

 

 

「ボクは暁山瑞希! そして、ボクの隣から絵名と奏とまふゆだよ! よろしくね、メイコ!」

 

「……私はいないものだと思っていい、と言ったはずだけど?」

 

「それはそれ、これはこれで名前ぐらいは教えてもいいでしょー? ねっ?」

 

「……そうね」

 

 

 瑞希の勢いに負けて、メイコは折れた。

 

 自己紹介ぐらいならいいだろうと思ったのかもしれない。

 それすら『必要ない』と突っぱねてこない辺り、想像してたよりも悪い人じゃないのだろう。

 

 

「それで、結局どうするの?」

 

 

 瑞希とメイコのやり取りが終わったのを見計らって、まふゆが口を開いた。

 

 メイコが乱入して来たことによって、話の流れが途切れたけれど、前の話では……

 

 

「環境や情況を変えるか、新しいことをするかって言ってたんだけど。瑞希は何か、思いついたんだよね?」

 

 

 メイコが来る前の反応を思い出しながら、私は瑞希の方へと視線を向ける。

 瑞希は任せろと言わんばかりに大きく頷いてから、両手を握りしめた。

 

 

「そうそう! それで提案なんだけどさ……皆で日帰りミステリーツアー、してみない!?」

 

「ミステリーツアー? それって何?」

 

 

 リンが首を傾げて問いかけると、瑞希は人差し指を口元に当てて、返答する。

 

 

「まぁ、どこに行くかわからない旅行って感じかなぁ。ボクがコースを考えるから、皆はついてくるだけでオッケー! どこに行くかは、着いてからのお楽しみってことで。どうかな?」

 

「ふぅん。今まで行ったことのないような場所で、奏のアイデアを引き出そうって作戦ね。瑞希もよく考えたわね、私は別にいいよ」

 

「でしょでしょ! 奏とまふゆはどうかな?」

 

 

 こういうものは1人が是と答えたら、事態が動き出すものだ。

 私が真っ先に瑞希の提案に乗れば、まふゆもこくりと頷く。

 

 

「奏の曲作りが進むなら、何でもいい」

 

「うっ……」

 

 

 まふゆの余計な言葉のナイフが奏にダメージを与えたものの、奏もこのままなのは良くないと思っているのか、震えた声で言葉を紡いだ。

 

 

「そうだね。曲を作るためにできることは全部しなくちゃ……行こう、瑞希」

 

「やった〜!」

 

 

 覚悟を決めたような顔をする奏に対して、瑞希はとても嬉しそうに笑う。

 

 

「それじゃ、ミステリーツアー決定〜! コースが決まったら連絡するから、お楽しみに!」

 

「……」

 

 

 自信満々な瑞希とは対照的に、黙ってこちらを窺っているメイコが目に入る。

 じっとこちらを見てから、瑞希を見る姿は何かを見定めているようで、本当にミク達とは別のアプローチをしようとしているらしい。

 

 

(外側から見た方が気付ける事もあるっていうし、メイコは私達に足りないのはそういう視点だって思ったのかな)

 

 

 何であれ、皆に悪影響がなければどんなアプローチでも私は構わない。

 瑞希の提案もメイコのことも、一先ずは様子を見よう。

 

 

 






既に待ってもらってる瑞希さんはそこまでダメージを受けることはないでしょうけど。
そういえば1人、継続ダメージを受けてる子がいますね……


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79枚目 フラッシュバック



 ──明日、瑞希達と出かけることになった。
 遠足みたいな、そうではないような。そういうイベントの記憶はごっそりなくなっているので、どこか楽しみにしている自分がいる。

 明日の持ち物と服と、後は念の為に時計もセットして。




 ──あぁ、そうだ。スケッチブックも持っていかなきゃ。








 

 

 

 

 

 瑞希がミステリーツアーを計画し、実際に行くことになった当日。

 早めの時間から集合することになって、そろそろ1時間ぐらい電車に揺られていた。

 

 

「ねぇ、瑞希。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

 

 

 流石にこの軽装で登山とか命知らずなことをするとは思わないけれど、知識がない人間ならばやろうとする可能性もあるわけで。

 

 そういう懸念もあって問いかければ、こちらの不安が伝わったのか、瑞希は肩を竦めた。

 

 

「まったく〜、こういう時の絵名は短気だなぁ。こういうのは着くまであれこれ想像するのが楽しいのにー」

 

「仮に今から山に登りますって話なら、危ないから止めなきゃいけないでしょ」

 

「ありゃ、あれこれ考えた後だったか。ま、もうすぐ到着するし、ネタばらししちゃおっかなー」

 

 

 電車に乗る前も乗ってからの1時間も勿体ぶっていた瑞希は、ゴホンとわざとらしい咳払いする。

 

 

「今回行くのはなんと! 今最も激アツな心霊スポットでーすっ♪」

 

「は? え、今、心霊スポットって言った?」

 

「いえーす、心霊スポット」

 

 

 目的地が予想外のもので私は思わず聞き返すものの、瑞希はにっこり笑って頷くだけ。

 奏も「し、心霊?」と震える声で呟いているし、反応的に想定外だったようだ。

 

 まふゆの無反応はいつものことなので置いておくとしても、それ相応の理由がないと納得できない。

 手をグーパーと握ったり開いたりして、握り拳の感触を確かめていたら、瑞希は引き攣った顔で弁明する。

 

 

「ちょ、絵名さん。その拳は何かな? 一旦落ち着こうか。これには深い理由があるんだから、ね?」

 

「水溜まり程度の深さしかないんじゃないの?」

 

 

 新しい経験で態々、心霊スポットに行く理由なんて深いわけがないだろう。

 

 そう決めつけて半目で見つめると、瑞希は勢いよく首を横に振った。

 

 

「違うって! ほら、前、文化祭の時に弟くん達とタイミングよく会っちゃって、お化け屋敷に行きそびれたでしょ。どうせなら、皆と肝試ししたいなーって」

 

「それ、あんたが行きたいだけじゃない!」

 

「そうとも言うかもー☆」

 

「そうしか言わないでしょ!? キラッじゃないのよ、キラッじゃ!」

 

 

 語尾に星でもつけてるんじゃないかと思うぐらい、キラッとした言葉で言うものだから、電車内であるにも関わらず、私は叫んでしまった。

 

 そのせいで一気に視線が集まった気がする。

 笑う瑞希を強く睨んでから、恥ずかしい気持ちを飲み込むように口を閉ざす。

 

 そんなやり取りをおとなしく見ていたまふゆが、さらりと会話に入ってきた。

 

 

「それで、絵名は何が問題だと思ってるの?」

 

「は?」

 

「奏が曲を作れるようになるなら、行く場所はどこでもいいじゃない。絵名は違うの?」

 

「「うっ……」」

 

 

 奏と私はまったく同じタイミングで唸る。

 

 恐らく奏は、曲を作れないことでツアーに行くことになった罪悪感から。

 そして私は、まふゆに『奏のために協力しないのか?』と言われているように感じて、胸が痛みを訴えた。

 

 

「わたしに付き合わせて、ごめんね……」

 

「いや、奏は悪くないってば。諸悪の根源は心霊スポットに行こうとする瑞希だし」

 

 

 申し訳なさそうに頭を下げる奏に声をかけつつ、再度、瑞希を睨む。

 しかし、相手にはノーダメージのようで、瑞希はケラケラと笑っていた。

 

 

「大丈夫だよ、奏! むしろボクは皆と旅行できてとっても嬉しいし……絵名も安心していいよ。今回の心霊スポットはちゃんと映えるところだから、猫にも勝てるはずだよ!」

 

「いや、別に猫に勝たなくてもいいんだけど」

 

 

 そこまで体を張ってSNSをしてないのよ、とツッコめば今から行き先を変えてくれるのだろうか。

 

 しかし、既に目的地は目と鼻の先であり、私がいくら駄々を捏ねたところで、周りのおじ様とおば様方に注目されるだけで。

 ここまで来たら、瑞希の思惑に乗るしか道は残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 真っ暗なトンネル、そして心霊スポットといえば、犬鳴トンネルとかが思い浮かぶのだけど、今回来た場所もその界隈では人気らしい。

 

 先が見えないぐらい長くて、明かりも辛うじて周りが見える薄暗さ。

 車の行き来もなく、嫌になるぐらい静かなそのトンネルの雰囲気は、心霊スポットとしては満点だった。

 

 

「何だか、すごく嫌な感じがする……」

 

「同意だわ。これ、本当に大丈夫なの?」

 

 

 いくら摩訶不思議体験をしてきたとはいえ、これはまた別ジャンル過ぎる。

 暗くて周りが見えないなんて、安全面的にも行きたくない。

 

 後、こういう場所はホラー小説の冒頭とかでもあるし、雰囲気も相まって滅茶苦茶怖かった。

 

 

「いやー! さすが名所なだけあって、すっごい雰囲気があるね!」

 

 

 トンネルがジメッとしていて暗いのに対して、瑞希はカラッとしていて明るかった。

 

 ──瑞希の話からスマホで簡単に調べてみたところ、このトンネルは心霊スポットとしてはかなり有名らしい。

 

 実際に幽霊を見た人の話もあって、まともな明かりもないのだから、事故も多発。

 周囲を見渡せば、ガードレールが凹んでいたり、柱が折れ曲がっていたりと事故っぽい痕跡が複数ある。

 

 事故が多いのは幽霊のせい、という人もいて、正直長居はしたくないのだが……ここまで連れてきていた瑞希はどこか楽しそうだ。

 

 

「うんうん、前評判通りエグいな〜」

 

「確認は終わった? じゃあ、入ろう」

 

 

 まふゆも乗り気……というか、さっさと終わらせようと進みたがっているし、ウチのメンバーの半数は怖いもの知らずらしい。

 

 周囲をはっきりと照らせるような光源もない状態で進もうとするまふゆが信じられなくて、私は思わず聞いてしまった。

 

 

「いや、こんな暗い場所を進むのは危ないでしょ。まふゆ、本気なの?」

 

「奏が曲を作れるなら、入る必要もないけど。奏、作れそう?」

 

「え? えっと、ホ……ホラー調の曲なら、何とか……?」

 

 

 イントロをダブルベースに、所々に呼吸音を──と震えた声で奏がまふゆの問いかけに答えているものの、それではまふゆの満足のいく答えにはならない。

 

 

「その曲で誰かを救えるのなら、行かなくてもいいけど」

 

「うぐっ」

 

「曲、作り続けるんだよね? なら行くよ」

 

「…………うん」

 

 

 まふゆを先頭に、奏も瑞希もトンネルの奥へと入ってしまう。

 あまりにもあっさりと入ってしまう3人に、私は大きな溜め息を漏らした。

 

 

(この際、ホラー調の曲でも幽霊が救えたら何でもいいじゃん……って思ったのは、言っちゃダメなんだろうなぁ)

 

 

 人は川の流れに逆らえないように、私1人では3人を止めるにはあまりにも無力で。

 唯一の救いは、この薄暗さでは私の顔色がわからないことぐらいだろう。

 

 

(えむちゃんとフェニラン回った時と同じ感覚……これ、皆に顔を見せれないなぁ)

 

 

 きっと心配されるぐらい真っ青になっているであろう自分に苦笑して、せめて態度だけはいつも通りでいようと気を引き締めた。

 

 

 トンネルの中は昼間だとは思えないぐらい真っ暗で、辛うじて点在しているオレンジ色の鈍い光が周囲の視界を確保していた。

 日の暮れた夜のような暗さではなく、まだ日が昇り切っていない朝のような暗さと言えばいいだろうか。

 

 幽霊は置いておくとしても事故が多い理由がよくわかる。

 昼間でも歩くことすら怖いのだ。こんな道、夜に通ってしまったら車が凹んでしまうぐらい運転の難易度が高いだろう。

 

 

「……ただの古いトンネルだね」

 

 

 まふゆは今いるトンネルの暗闇からだと禍々しさも何も感じないようで、鉄壁の無表情だ。

 そして、このメンバーの中には怖がっていないヤツがもう1人いる。

 

 

「そういえばここ、髪の長い女の幽霊が出てくるんだって」

 

 

 さっきまで明るかった顔から一転して神妙な表情のまま、瑞希は調べたであろう情報を語りだす。

 

 

「でも、普通の女の人に見えるから、車で通りかかったひとが『どうしたんですかー?』ってつい声をかけちゃうと。そうすると、ぶつぶつ何かを呟いているんだ。で、何を呟いてるんだろうって耳を澄ませれば……」

 

 

 瑞希は自分の右手を口の横に持ってきて、ほんの少し低い声がトンネルの中に響く。

 

 

「『痛い、痛い……』って声が、聞こえてくるんだってさ。そして」

 

「それを聞いた人が大変なことになるって? はぁ、ありきたりねー」

 

「ちょ、絵名!? 横から雰囲気を壊さないよぉ~っ」

 

「せっかく何事もなく出口まで歩けそうなのに、あんたが脅かそうとするからでしょ」

 

 

 おかげで元々青くなっているであろう私はともかく、奏まで震えているではないか。

 

 出口まで何も起きないから脅かそうと、噂話を引っ張ってくる瑞希を睨みつける。

 私に睨まれた瑞希は肩を竦めて、黙って歩き出した。

 

 出口も近くて、瑞希も撃退して。

 おおよそ思いつく危機を通り過ぎたせいで、私は油断していたのだ。

 

 

 

 

 ──ぴゅーん、カランカランカランと。

 

 

 

 

 暗めの色の何かが私達の足元を横切って、鉄が跳ねるような音がトンネルに木霊した。

 大きさは中型犬ぐらいだろうか。けっこう大きな物体が、甲高い音を響かせた犯人だろう。

 

 そんな大きさの動く物体がいるとは思っていなくて、私の喉は考えるよりも先に悲鳴を上げる。

 

 

「きゃぁぁーっ!? なに何何なのっ、何か今横切ったんだけど!?」

 

 

 冷静な頭は「狸が缶を蹴った」と事実を報告してくれるまふゆの声を処理しているのに、感情面がそれを受け付けてくれない。

 

 

「絵名、大丈夫? ほら、狸だよー。危ない生き物じゃないよー」

 

「……ごめん、ちょっと待って」

 

 

 瑞希にも事実を告げられたことで、ようやく落ち着いてきたものの、私の体はビックリするぐらい悲鳴をあげている。

 

 

 意識外の衝撃。

 自分に近づいてくる素早い物体。

 何かが跳ねる音。

 

 

 それらが引き金になったのか、私の体が右手以外、ジクジクと痛みを訴えてきているのだ。

 

 

(あぁもう! 叫びたくなるぐらい痛いんだけど!? でも、皆に迷惑はかけたくないし……)

 

 

 右手で体を掻き抱くように、私は平気な顔を作る。

 それに瑞希が何かを言いたそうに口を開くものの、その方が音を出す前にまふゆが言葉を発した。

 

 

「あれ、奏は?」

 

「奏ならさっきまでまふゆの隣に……いないわね」

 

 

 痛みを隠して私が答えると、瑞希は大きな声を出す。

 

 

「え、そんなことある? おーい、奏ー!」

 

 

 瑞希の声がトンネルに響くものの、奏の声は聞こえてこなかった。

 

 

「うーむ、返事がないねぇ。こっちも大変なのに、奏ったらどこに行っちゃったのやら」

 

 

 困った顔をこちらに向けてから、瑞希の視線はまふゆの方へと向く。

 

 

「どこかで迷ってたら大変だし、ボクが奏を探しに行くよ。そっちはお願いしてもいい?」

 

「……わかった」

 

「行けそうなら2人で出口の方で待ってて! ボクも奏を見つけたら向かうからさ」

 

 

 瑞希が奏を探しに、来た道を戻っていく。

 私はまだ痛む体に眉を顰めつつ、じっとこちらを見てくるまふゆへと目を向けた。

 

 

「ねぇ、まふゆは行かないの?」

 

 

 正直、今回のまふゆは奏が曲を作れるように、ということを優先して動いていたので、追いかけないのは意外だった。

 

 そういう気持ちを込めて問いかけると、まふゆはわかりやすい溜め息を吐き出す。

 

 

「今の絵名を放置するほど、私も瑞希も酷くないよ」

 

 

 ……どうやら上手く隠していたつもりだったものは、2人にはバレバレだったらしい。

 

 心做しかムッとしているように見えるまふゆに、私は乾いた笑みしか出てこなかった。

 

 

 

 

 

 






記憶喪失えななんがお化け屋敷を嫌がった理由は原作絵名さんとは違って、こういう姿を見せたくなかったっていう理由でした。




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80枚目 飛び込まれ、飛び込む

 

 

 

 

 何分ぐらい、痛みに襲われていたのだろうか。

 

 スマホの時計が正しければ、3分ほど。

 体感で数十分近くに感じた激痛は、肺の中の空気を全部交換してしまうぐらい呼吸を繰り返す間に、波のように引いていった。

 

 

「ごめん、まふゆ。もう大丈夫だから」

 

「何が?」

 

「いや、痛みも無くなったし、奏を探しに……」

 

「そう。じゃあ、黙ってて」

 

 

 一体、何が『そう』で、何が『じゃあ』なのか。

 痛みが治る前からまふゆに声をかけているのだが、「うるさい」か「黙って」しか言わなくて、私ができることはあまりない。

 

 出口まで歩くことすらなく、その場にじっと立ちぼうけ。

 右手が痛くないことがバレてから、私が逃げ出さないようにと手を繋がれているので、奏を探そうにもまふゆを説得しないと動けなかった。

 

 

「……顔色、まだ青いね」

 

「へ? あんた、見えてるの?」

 

「うん。さっきまで、もっと酷かった」

 

 

 私の目では辛うじて相手の顔が認識できるぐらい真っ暗な空間。

 そんな暗闇の中でも、こちらを観察しているまふゆの目は、顔色がわかるぐらい見えているらしい。

 

 

(こっちはいくら頑張ってもまふゆの髪の色とかしかわからないのに……)

 

 

 まふゆの目が特別良いのか、それとも目がこの空間に慣れるのが早かったのか。

 何となく悔しくて目を細めたり開いたりして目を慣らそうと努力していると、まふゆにはぁ、と息を吐かれてしまった。

 

 

「さっきまで紫だったけど、もう元気だね」

 

「紫って顔色の話? え、そんなに顔色が悪かったの?」

 

「そうだよ。じゃないと、瑞希も任せない」

 

「……あー」

 

 

 そっちはお願いしてもいい? というのは私のことだったのか。

 

 私が頭を抱えようとすると、まふゆの手によって遮られる。

 その手はそのままこちらの額に伸びて、ゆっくりと頬のある場所まで下された。

 

 

「冷たい」

 

「触っておいてそれ? あんたの手が熱いんじゃないの?」

 

 

 ペタペタと頬を触るまふゆの手を捕まえて、顔を触るのを強制的に中断させる。

 

 だが、残念なことに相手の方が1枚上手だ。

 まふゆは右手を握っていた手まで使って、私の両頬を包み込むと、私のチークも気にせずに揉みだした。

 

 気分はわしゃわしゃと撫でられるペットのよう……って。

 

 

「私はあんたのペットじゃないんですけど!?」

 

「うん、知ってる」

 

「じゃあ、その手を離してよね……まぁ、心配してくれるのは、感謝してるけど」

 

 

 まふゆの手を鷲掴み、下に移動させる。

 

 こうやって戯れあってるのに、瑞希らしい足音は聞こえてこない。

 呼びかける声も聞こえないので、瑞希は遠くまで探しにいっているようだ。

 

 それでも奏が見つからないのが不思議だと首を傾げると、またしても黒い物体が動いたように見えた。

 

 

 

 

「…………たい」

 

 

 

 もそり、と黒い物体が動く。

 また狸かと思ったけれど、狸にしては大き過ぎる。どちらかというと人影に近いように見えた。

 

 

「たい? あれ、もしかして奏かな」

 

「……たい」

 

「奏?」

 

「……痛い……痛い」

 

 

 奏かと問いかけても、まるで瑞希が話してくれた幽霊みたいな言葉しか返ってこない。

 不安になって隣にいるまふゆを見るが、彼女は相変わらずのポーカーフェイスだ。

 

 ちょっとだけ安心できた私は、そのまま隣にいるまふゆに問いかける。

 

 

「奏だよね、あれ」

 

「瑞希の可能性もあるけど」

 

「え、何で瑞希がここで?」

 

「絵名を脅かしに」

 

「いや、それはないでしょ……ないよね?」

 

 

 ないはずなのに、数々の前科が頭の中を通り過ぎる。

 

 瑞希なら私を脅かすために奏を見つけた後、こちらにこっそり近づいてそれっぽいことをする可能性も否めない。

 そう思うけれど、1つだけ気になることがあった。

 

 

「瑞希ってまふゆよりも身長、同じかちょっと高いぐらいじゃん」

 

「そうだね」

 

「あの人影、私よりも低くない?」

 

「低いね」

 

「……その返事、話を聞いてるのかーって怒られるヤツだから、気を付けなさいよ」

 

「絵名に1回怒られたね」

 

「覚えてるのならやめなさいよ!?」

 

 

 私が睨んでいるのも見えているはずなのに、まふゆはどこ吹く風だ。

 

 とはいえ、淡々と答えてくれるまふゆのお陰で考えが纏まってきた。

 

 瑞希のドッキリの可能性は低くて、目の前の影は奏の可能性が高い。

 更にはこちらの声に答えられないぐらい、推定・奏は痛い思いをしていると。

 

 ならば、こうやってまふゆと漫才のようなやり取りをしている場合じゃない。

 フラフラと揺れ出した長い髪の人影に駆け寄り、手を伸ばしたその瞬間。

 

 

「痛っ……あっ……」

 

「え? ちょ、きゃぁぁぁ~っ!?!?」

 

 

 銀髪の人影──というか、奏が私に向かって倒れてきた。

 まさかこっちに倒れてくるなんて思っておらず、しかもさっきまで激痛で体力をすり減らした体だ。

 

 奏のような軽い体でも支えることは非常に難しく、私は叫びながら一緒に倒れることしかできない。

 何故か胸に飛び込んできた奏と一緒に、私は真っ暗なトンネルの地面に倒れる覚悟をした。

 

 

(最高は怪我をしないことだけど……絶対に服は汚れるわね)

 

 

 これ、いつもの服よりもお気に入りなんだけどな。

 

 下手に受け身を取ったら手を痛めたり、奏が怪我する可能性が頭に過ぎる。

 そういうこともあって、受け身も取らずに自分の怪我を受け入れようと目を閉じたのだけど……衝撃は私が想像していたよりもなかった。

 

 いや、全くなかったと言い直さなければならない。

 

 

「絵名、奏、大丈夫?」

 

 

 衝撃に備えて閉じていた目を開くと、私はまふゆの腕の中にいた。

 どうやらまふゆが私の体を支えてくれたらしい。倒れそうになった私と違って、安定感が段違いである。

 

 私と奏、2人分の体重が伸し掛かったはずなのに、まふゆは重さなんて一切感じさせない涼しげな顔でこちらを見ていた。

 

 

「その、おかげで倒れずに済んだし……ありがと」

 

「うん。流石に重いね」

 

「あんたはもうちょっと言い方というか、何とかしなさいよっ!」

 

 

 ちょっと見直した私がバカだった。

 こっちには足を捻ったみたいで、片足を庇ってる奏がいるのに私がバカだった!

 

 そりゃあ2人も支えてるんだから重いだろうけども。

 それでも、そこは平気とか気遣いの1つぐらいあったらすごく嬉しいのに!

 

 

(……いや、今はまふゆじゃなくて奏!)

 

 

 意識の方向性を戻した私は改めて、こちらに倒れてきた奏を見る。

 暗くて見えにくいものの、奏の顔は困ったように眉を下げているのだけは確認できた。

 

 

「奏、どこ行ってたの? まさかあんな姿で出てくるとは思わなくてビックリしちゃった」

 

「驚かしてごめん。缶の音が響いた時にビックリしちゃって、出口まで走ったんだけど……途中で足を捻っちゃって」

 

「そっか。痛いって言ってたけど、立ってるのが辛かったりしない?」

 

「歩いたらまだ痛いけど、立つだけなら大丈夫」

 

 

 奏はヨタヨタと私の体から距離を取り、2本の足で立った。

 ほら、と言いながら立てている姿を見せる奏は、見えなくとも自慢げな顔をしているように感じる。

 

 そういう雰囲気もあるせいなのか、同い年の奏が大人に『見て見て』と自慢する小さい子のように見えてしまった。

 

 

(思わず頭を撫でたくなっちゃった……自制して、私)

 

 

 伸ばしかけた右手を左手で押さえつけて、一息つく。

 奏が立ち上がったので、私もまふゆから距離を取った。

 

 

「奏も無事に見つかったし、後は瑞希と合流するだけね」

 

「わたしのせいでごめん」

 

「謝らないでよ。瑞希は入り口に戻っただけだから、すぐに合流できると思うし」

 

 

 スマホで連絡を入れてから出口で待てば、瑞希もこっちに向かって来るだろう。

 それならまた、奏がトンネル内で逸れるようなこともないだろうし、安全だ。

 

 そう判断してスマホを取り出すと、文字を打ち込むよりも早くまふゆの声が耳に届いた。

 

 

「瑞希、来てるね」

 

「え、本当?」

 

「足音が響いてるから」

 

 

 まふゆに言われるがままに耳を澄ませば、確かに走っているような急ぎ気味の音が聞こえてくる。

 流石に幽霊がトンネル内を爆走するとは思えないし、この音の主は瑞希で間違いないだろう。

 

 

「おーい! 叫び声が聞こえたけど、大丈夫〜っ!?」

 

 

 答え合わせするかのように、瑞希の大きな声が響いた。

 叫び声、ということは私のあの間抜けな声がトンネルに響いていたのだろうか。そう考えると恥ずかしくなってきた。

 

 

「よかったぁ、奏もそっちにいたんだね」

 

「うん、迷惑かけてごめんね」

 

「ボクは全然だいじょーぶ! それはともかく……絵名の叫び声が聞こえて慌ててこっちにきたんだけど、何があったの?」

 

 

 奏に向かって首を横に振ってから、瑞希はこちらに顔を向けた。

 

 言わなくてはいけないだろうか。慌ててきてくれたのだから、言わなきゃいけないか。

 

 私が短い葛藤に苦しんでいると、まふゆがあっさりとバラした。

 

 

「絵名が後ろに転びそうになって、叫んだだけ」

 

「ちょ、もうちょっと説明しなさいよ! あのね、補足すると──」

 

 

 瑞希が入り口まで戻っている間の話を掻い摘んで説明する。

 最後まで話を聞いた瑞希は大きな声を出して笑った。

 

 

「あははっ、確かに後ろ倒れるのは怖いもんねぇ。何はともあれ、無事で何よりだよ。奏も絵名も、歩ける? 無理そうなら、帰るけど」

 

「そうね、あまり無理するのも……」

 

「でも、奏はまだ曲を作れないんじゃないの? 作れるようになったのなら、帰ってもいいと思うけど」

 

 

 これ以上ビックリすることは遠慮したいので声を出したのに、まふゆに遮られてしまった。

 

 

「うっ。そうだね、まだ難しそう……ごめんね」

 

 

 そして、奏がそう答えたら私が否とは言い難い。

 

 私はそう思って口を閉じただけなのだけど、別れる前の私の状態が状態だったので、瑞希は心配そうな声で問いかけてきた。

 

 

「絵名は大丈夫そう?」

 

「んー、まぁ。次に行く予定の場所って、暗かったりしないのよね?」

 

「うん。この先はどちらかというと雰囲気重視って感じかな」

 

「なら、大丈夫。さっきはこれ以上、怖い思いをしたくないから帰りたかっただけだから」

 

 

 さっきの痛みだって原因はわかっているし、そこさえ気をつければいい。

 さっきみたいに重ならなければ、静電気程度の痛みで済むはずだ。

 

 私が嘘をついていないと判断したようで、瑞希は安堵した様子で揶揄ってきた。

 

 

「なーんだ。今の絵名は『ビビリなん』だったかー」

 

「ビビリって言うな。後、語呂が悪いからやり直しね」

 

「えぇー、厳しいなぁ」

 

「厳しくありませんー。ほら、決めたのならさっさと次行くわよ。次!」

 

 

 こんなところで時間を消費していたら、いつまた第2、第3の狸が現れるかわからない。

 私はそういう痛いのが好きでも何でもないので、同じようなシチュエーションで苦しむのはゴメンだ。

 

 平気そうな2人を急かして、私達は真っ暗なトンネルを後にした。

 

 

 

 







実は事故の記憶だけは体がハッキリと覚えていて、何なら横から車が通る瞬間も怖いし、走ってる車の近くに行きたくないと思っているのが記憶喪失えななんです。





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81枚目 その後に


この調子だと余裕で100話超えますね、恐ろしい話ですけど。
一応、今回と次でディスタンスは終了予定です。




 

 

 

 真っ暗なトンネルを抜けた後、瑞希に連れてこられたのは森に囲まれた古い神社だった。

 

 よく言えば歴史があるのだろうけど、私個人の感想としては、手入れもされていないので劣化してしまっているように見える。

 

 外は明るいし、瑞希が真顔で今来ている心霊スポット『呪いの縁切り神社』の解説をしていてもへぇ~、と薄い反応を返してしまった。

 

 瑞希によると、仲の良い姉妹がかくれんぼをしている最中に火事で亡くなり、一緒に死ねなかった姉妹は強く思い合う人を呪いで離ればなれにするらしい。

 そんな傍迷惑な2人の魂を鎮めるためにできたのがこの古びた神社なんだとか。

 

 瑞希の話しが終わるのを待ってから、私は率直な感想を言う。

 

 

「死んだ後も他人を呪うなんて、随分とまぁ仲のいい姉妹なのねぇ。そこまで仲が良いのは珍しいんじゃない?」

 

「そうかなー、ボクはお姉ちゃんと仲が良いけどな~」

 

「バラバラに死んだ後、呪っちゃうぐらい?」

 

「あー、ごめん。流石にそれはないかも」

 

「でしょうね」

 

 

 瑞希のお姉さんは年齢が離れていて、現在は海外で暮らしているという。

 

 そういうこともあって、帰って来た時の瑞希のテンションはかなり高かった記憶があるのだけど。

 そういうのを含めて瑞希のところが仲が良かったとしても、呪うぐらいだなんて考えられない。

 

 私の家だって記憶を無くす前の絵名()でも、そんな風になるとは思えなかった。

 頭の中で色々とシミュレーションしていると、瑞希が両腕を組みながら口を開く。

 

 

「でも、死んでも会いたいって思うぐらい仲が良いのはすごいよね~。皆はそういう人、いるの?」

 

(死んでも会いたい人、か)

 

 

 死んでも離れたくないとか、離れるぐらいなら呪ってやる! と思うぐらい一緒にいたい人がいれば、そう思うのだろうか。

 そう仮定をするのであれば、瑞希が聞いている意味で会いたい人は私にはいない。

 

 でも、もしも。

 もしも、私が消えることで会える人が……過去の絵名が戻ってくると言うのであれば、私はソレを選べるのだろうか?

 

 昔は即答できていたことも、今ではとても難しい。

 

 

(大切なものが増えちゃったからな……私も)

 

 

 この変化が良いものなのか悪いものなのか、それを判断するのは未来の自分だろうと問題を棚上げにし、私は瑞希の質問に答えた。

 

 

「私は仲が良い人がいても、呪いたいとまでは思わないわね」

 

「わたしも尊敬する人はいるけど、誰かを呪おうとは思わないかな」

 

「……」

 

 

 私の後に奏も追随して答えてくれるのだけど、まふゆだけは黙って虚空を眺めていた。

 

 いつものわからない状態なのか。

 もしくは、自分が聞かれているとは思っておらず、反応していないだけなのかもしれない。

 

 そんな可能性があるのに、何故かそれらとは違うように感じて、私はまふゆに問いかけてしまった。

 

 

「まふゆはどう思うの?」

 

「……どうだろう。わからない」

 

 

 いつもより歯切れが悪く感じたものの、返ってきた答えはまふゆらしいものだ。

 やはり気のせいだったのだろう。もしくは私が気にし過ぎなのかもしれない。

 

 

「ちなみにボクも別にいないよ。皆いないから仲間だね!」

 

「それは胸を張って言うことなの?」

 

 

 胸を張る瑞希に首を傾げていると、奏が苦笑いを浮かべる。

 

 

「いないならわたし達は呪われないし、良いんじゃないかな」

 

「そうそう。大事な人がいなくて良かったね〜♪」

 

 

 瑞希の嬉しそうなリアクションも、やっぱりちょっと違う気がする。

 

 そんな話をしている間に、まふゆが曲を作れるかどうか問いかけて、奏をまた落ち込ませていた。

 まだ曲を作るインスピレーションが湧いてこないらしいけど、瑞希曰く、次の心霊スポットが最後らしい。

 

 瑞希の話を聞き流しつつ、私は神社の姉妹の話を思い返して。

 

 

「──呪うぐらいなら……私が消えた後も、皆には幸せに過ごしてほしいけどな」

 

 

 皆には言えない感想を鼓膜を震わせないぐらい小さな呟きに乗せて、空気に混ぜるように溶かし込む。

 

 仮に、絵名の記憶が戻って『私』が消えてしまったり、戻らずに記憶ごと私が消えてしまっても。

 

 誰かの不幸なんて願わず、皆の幸せだけを祈っていたいと思うのはきっと、普通のことだろうから。

 だから私には『呪いたくなるぐらい仲の良い人』はいないのだ。

 

 

 

 ……自分が消えても良いぐらい、幸せを願ってる人達ならいるんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の心霊スポットは古びた学校と、ありきたりの場所に到着。

 

 建っている古びた校舎は使われていない旧校舎か、廃校になった学校のどちらかだろうけど。

 全く取り壊されずに時間だけが経過し、心霊スポットとして残っているのが今の状態なのだろう。

 

 いかにも出そうな風貌の校舎を皆で眺めていると、瑞希はお決まりの心霊スポットの解説をし始めた。

 

 

「この学校、音楽室に生徒の霊が出るって噂があるんだ──」

 

 

 なんでも、ピアノの全国コンクールに出れるぐらいすごい女の子が皆の期待に耐えきれなくなって、亡くなったらしい。

 この学校が潰されないのもその女の子の霊が邪魔するせいで、計画そのものがなくなったんだという。

 

 

(それはまた……まふゆの1つの可能性みたいよね)

 

 

 期待がプレッシャーになって、最終的に消えてしまった。

 それはまふゆが選ぼうとしていた結末の話に近いのかもしれない。

 

 あいつはピアノの全国コンクールに出ていないけれど、皆や……何より親からの期待に答えようとして、原型がわからなくなるぐらい自分を着飾って。

 

 その結果が今のまふゆなのだから、彼女が聞いたら何と思うのか。

 

 その答えは本人の口から零れ落ちた。

 

 

「期待をかけられてソレを選んだのなら、良かったのかもね」

 

「まふゆ……」

 

「余計なものがなくなれば、その方が楽だもの」

 

 

 普通であれば旅行クラッシャーのような言葉に注意をしなければならないのに、その場で声を出したのは瑞希だけだった。

 

 ちらりとこちらに視線を向けたものの、まふゆはそれ以上何も言わず、背中を見せる。

 スタスタとその先に行くのは当然のように、学校の校舎の方へと進んでいった。

 

 

「あ、まふゆ! 取り壊し予定だった建物の方に行ったら危ないってば!」

 

「止まってくれないのならしょうがない。ボクらも追いかけよう」

 

 

 私が大きい声で呼んでもまふゆは振り返ることなく、校舎の方へと消えていく。

 瑞希の言う通り、止まらないのであれば私達が追いついて止めるしかない。

 

 慌てて3人でまふゆの背中を追いかけたのだが……校舎の付近にはもう、まふゆの影も形もなかった。

 

 

「……見える範囲にはまふゆ、いないね」

 

「まふゆったら勝手に行動して、まさか校舎の中に入ってないわよね……?」

 

「入り口は鍵がかかってたよ。窓から入ってるのなら気づくだろうし、校舎の中には入ってないと思うけど」

 

 

 奏が周囲を見渡して、私は校舎の中を窓から覗き込む。

 少し離れたところにあった入り口の扉が開かないか、瑞希が試してくれたものの……開かなかったので大きな進展はない。

 

 まふゆが忽然と消えて、私達だけが残された状態のままだ。

 

 

「まふゆー!」

 

 

 瑞希が大きな声を出して、まふゆに声をかける。

 

 一応、スマホの方に連絡を入れてみたものの、電話は出ないし既読はつかない。

 何の為の『携帯』電話なのか。携帯しているのに肝心な時にはコレだ。

 

 

「ちょっとボク、あっちの方を探してくるよ! 2人は門の方で待っててねー!」

 

「あ、ちょ、瑞希!?」

 

 

 まふゆに加えて、瑞希までまふゆを探しに行こうと走り出した。

 

 呼び止めてもダメなら物理的に止める。そう思って手を伸ばしても、相手は私よりも明らかに早いのだ。

 私の手は虚しく虚空を舞うだけで、瑞希を掴んで止めることも叶わなかった。

 

 

「あぁもう! こういう時ってバラバラに行動しちゃダメでしょ!? 自分が主催者(ホスト)だからって、もう!」

 

「絵名、落ち着いて。わたし達もできることをやろう。とりあえず、まふゆには連絡してたんだよね?」

 

 

 牛のような鳴き声で文句しか言えなくなってしまった私を、奏が宥めるような声をかけてくれる。

 カーッと頭に昇った血がゆっくりと流れていくように、冷静さが私の元に帰ってきてくれた。

 

 

「……うん、連絡したけど返信はなかったわ。取り乱してごめんね、奏。ありがとう」

 

「大したことはしてないから、大丈夫だよ。瑞希の言う通りにしたら任せきりになるし……わたし達は瑞希とは反対周りでまふゆを探そう」

 

「それがいいかもね。まふゆが校舎に入ってなければ、いずれ見つかるでしょ」

 

 

 念の為、窓が空いてたりしないか1つ1つ確認しながら、私と奏は校舎の周りをぐるりと回った。

 

 歩いて回っていた割には、走っていたはずの瑞希と会うことはなく、私達は瑞希と別れた門の近くまで来てしまう。

 

 

「瑞希もいなければまふゆもいないって、本格的に怖くなってきたんだけど……」

 

「……待って。あれ、まふゆじゃない?」

 

 

 奏が指差した方には少し大きな枯れ木と、まふゆがいた。

 どうやらまふゆはこちらに気がついていないようで、ふらりふらりと何かに導かれるように校舎付近から外の方へと歩いていく。

 

 

「まふゆーっ!」

 

「やっぱり、何かが邪魔して聞こえてないのかな」

 

「ちょ、奏まで怖いこと言わないでよ。瑞希もいないし、本当に少女の霊とかいたら……」

 

 

 あり得ないことはあり得ないのは、私自身もよく知っている。

 嫌な寒気に体が震えるものの、こういう時こそ怖気ついてはいけないと、自分自身に喝を入れた。

 

 

「よし、奏。追いかけよう」

 

「ごめん、もう1回待って。今度は瑞希が出てきたから」

 

「え? あ、本当にいた! 瑞希ーっ!」

 

 

 廃校舎の物陰からふらりと現れた瑞希に、今度こそ気がつくようにと身振り手振りでアピールした。

 これで気が付かないのなら、本格的に呪われているのだろうけど。

 

 幸いなことに、瑞希は大きく目を見開いていたものの、私達に気が付いてくれた。

 

 

「わっ! 絵名と奏じゃん、どうしたの?」

 

「まふゆがあっちにフラフラって歩いて行ったの。瑞希もちょうど見つかったし、一緒に追いかけましょ。ほんと、世話が焼けるんだから……!」

 

「そっか、まふゆを探してくれてありがとう。よし、また見失っちゃう前に、早く追いかけよっか」

 

 

 まふゆが歩いた足跡を追いかけて、私達はズンズンと校舎から離れていく。

 

 先頭を歩く瑞希が何かを見つけたらしく、言葉の途中で立ち止まった。

 

 

「校舎から離れちゃってるけど、まふゆはどこに行っちゃったんだろ……って。何あれ」

 

 

 瑞希が立ち止まった先には視界いっぱいに広がる桜の木が1本、生えていた。

 桜の木そのものは見たことがあるけれど、今、目の前にあるのは写真や絵ぐらいでしかお目にかかれないぐらい、巨大なもので。

 

 

「すご……ビックリするぐらい大きな桜じゃん」

 

「ほんとだ。こんなに大きな桜、みたことないかも」

 

 

 私が呆然と呟くと、奏も桜に目を奪われた状態で頷く。

 大きな桜の木の下には見慣れた紫髪もいて、同じように桜に見惚れているようだった。

 

 

「まふゆ!」

 

「絵名? ……瑞希に奏も。いたんだ」

 

「いたんだって、こっちは散々探したんだけど!? フラフラ〜ってどこかに行くとしても、スマホは見なさいよ!」

 

「ごめん」

 

「……まぁ、わかればいいんだけどさ」

 

 

 まふゆはこちらに振り向いて頭を下げてから、再び桜の方へと顔を向ける。

 

 そんなに桜が大事か。そうツッコミそうになったものの。

 

 

(──確かに、絵を描きたくて右手がソワソワしちゃうぐらい、綺麗なのよね)

 

 

 絵描きとしての血が騒ぐというか、創作意欲が刺激されるというか。

 

 スマホを見るのを忘れてしまうぐらい、見惚れてもしょうがないと思わせる散り様。

 ピンクの花吹雪を浴びながら、私も桜の巨木を見上げるのであった。

 

 

 






ちなみにまふゆさんはこの頃、桜に見惚れて連絡を忘れてたのではなくて、女の子の霊と関わっていました。
瑞希さんは途中でセカイに行ってたので、合流が遅れてます。
残念なことにこのお話は瑞希さん視点じゃないので、メイコさん達のシーンは泣く泣くカットです……(詳しくはサイドストーリーと原作のストーリーで!)






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82枚目 約束という名の



 ──次に進めと言われても、まだ終わりたくないって足掻いて無様に抵抗してるから。

 きっとあの桜みたいに、綺麗な最後は待っていないんだろうなって──そう思うんだ。






 

 

 

 

 大きな桜の木の下で、迷子になっていたまふゆが見つかった。

 じっと桜を見上げているまふゆに対して、奏は優しく問いかける。

 

 

「まふゆは桜を見てたの?」

 

「うん、何となく。目が離せなくて」

 

「そっか」

 

 

 2人の話によると、どうやらまふゆは桜に見惚れていたらしく、それで連絡を忘れていたらしい。

 

 どうやって桜を見つけたのかも不思議だけど、思わず何十分も見てしまうぐらい綺麗な桜だというのは、私も同意見だ。

 

 まふゆと奏が仲良く並んで桜を眺めているので、私は瑞希の方へと移動する。

 瑞希は降り注ぐ桜の花弁を目で追い、ポツリと呟く。

 

 

「桜かぁ……」

 

 

 桜を眺めている瑞希は何かを思い出しているのか、隣に立った私に気が付かずにじっと桜を見つめている。

 熱心に桜を見つめている瑞希に見習って、私も大きな桜の木を眺めた。

 

 

(桜、ね)

 

 

 絵名()は桜の木に対して、思い入れがあったりするのだろうか?

 

 

「花の最後なのに、どうしてこんなに綺麗なんだろうね」

 

「本当に……こんな風に終われるなんて、ずるい」

 

 

 

 奏とまふゆが桜のことで話しているのを聞き流し、私は泡のように浮かんできた考えに想いを馳せる。

 

 春だけ美しいピンクの花を咲かせて、散っていく姿を見せる儚い木。

 桜は終わり方も時期も決まっているからこそ、派手で美しく見えるのだろう。

 

 ならば、終わりたくないと、続けたいと足掻こうとしている私の最後は──

 

 

「──絵名、大丈夫?」

 

「え?」

 

「もう、ボクが声をかけなきゃいけないぐらい、見惚れてたの~?」

 

「……そうね。あの桜、ズルいぐらい綺麗だもの」

 

 

 瑞希に声をかけられて、私は自分が今考えても仕方がないことを考えてしまっていた意識を引き上げた。

 そうやって改めて見ても、羨ましいぐらい綺麗な桜である。

 

 

「私じゃ、あぁいう散り方はできないだろうから」

 

「……そっか」

 

「あー、まぁ……いくら綺麗でも、桜みたいに散りたくないからさ。そういう意味よ?」

 

「うん、そうだね」

 

 

 瑞希は何か言いたげに口を開いたものの、深くは問いかけてこなかった。

 

 その代わりと言わんばかりに、瑞希は楽しそうに『もしもボク達が同じ学校の同じクラスなら』という雑談のタネを提供してきて。

 折角の綺麗な桜の下の前なのに、夜と同じく4人で雑談に興じたのであった。

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 満足するまで話した私達は廃校舎に戻ってきたけれど、主題を忘れていた。

 

 

「ねぇ……言い難いんだけどさ。奏はアイデアの方は大丈夫なの?」

 

「あぁっ、そうだった!?」

 

 

 瑞希もすっかり頭から抜け落ちていたようで、真っ青な顔で奏の方を見た。

 

 

「……うん、大丈夫だよ。神社の姉妹や廃校舎の女の子の話で、救われていない子達がまだ沢山いるって気付けたから」

 

 

 どうやら奏はそういう子達も救えるような曲はないかと考えているうちに、頭の中が整理されて、アイデアが浮かぶようになったらしい。

 

 相手を救える曲はなんだろうか、どうやったら曲を届けられるだろうかと考えれば、アイデアが浮かぶなんて奏らしいと思えばいいのか。

 

 何はともあれ、当初の目的が叶っているのであれば問題はない。

 気がつけば空はオレンジ色に染まっていて、スマホを確認すれば16時を過ぎている。

 

 

「あれ、最寄りの駅までのバスっていつ来るんだっけ?」

 

「5時だったと思う」

 

 

 私がポツリと呟いた言葉に、まふゆが即答した。

 記憶が間違いでなければ、ここからバス停までまぁまぁ歩いたはず。

 

 私達の視線を受けた瑞希は、スマホをじっと見つめてから大きく頷いた。

 

 

「そうだね。いい時間だし、そろそろ移動しよっか!」

 

 

 どうやら瑞希も帰らないとまずいと判断したらしく、率先してバス停の方へと歩く。

 私が瑞希の横に並んで歩くと、まふゆと奏も2人揃って後ろを付いてきた。

 

 

「まふゆ、今日はどうだった?」

 

「どう? ……いつもなら行かないような場所に行ったから、面白かった……ような、気がする」

 

「そっか、まふゆも楽しんでくれてたのなら、良かった」

 

 

 奏とまふゆの会話を背後で聞きつつ、私も瑞希に会話を振った。

 

 

「主催、お疲れ。今日は結構楽しめたよ」

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、てっきり怖いのが苦手なんだー程度の認識で絵名を連れてきちゃってごめんね」

 

「別にいいってば。暗いだけならあぁはならないし……不幸な事故みたいなものよ」

 

 

 食い下がってくる瑞希に私の正直な感想を伝えると、瑞希は眉をハの字にしながらも引き下がってくれた。

 

 

「でも、主催者としてああいうことがないようにしたいし……そうだ。ねぇ、皆!」

 

 

 瑞希はくるりと体を半回転させて、奏やまふゆも視界に収めながら口を開く。

 

 

「またリベンジしたいし、全体的にはボクも楽しかったから、こんな風にまた来年も──また、来年も……」

 

「瑞希?」

 

 

 突然、言葉に詰まる瑞希に奏は心配そうに声をかける。

 胸の前に手を持ってきて、少し下に視線を向けている姿は最近も見た姿だ。

 

 言葉の流れ的に、言いたいことは予想できている。

 私も丁度、同じようなことを言いたかったので、次の言葉が簡単に出てきた。

 

 

「──来年も、こうやって遊びに行きましょ。あ、でも! 今回はなんやかんや大変だったし、今度は怖くないところでお願いね!」

 

 

 ピッと小指を立てて、約束のジェスチャーを瑞希に見せる。

 瑞希が反応するかと思いきや、何故か真っ先に声を出したのはまふゆだった。

 

 

「大学に行くなら……私達は来年、受験生だけど」

 

「まふゆ、余計なことを言わないの。あんたなら1日ぐらいどうにでもなるでしょ」

 

「さぁ。絵名は大丈夫なの?」

 

「ほう。その言葉、わからないでは済まない煽りなんだけど、自覚ある? 喧嘩売ってるのなら高値で買うけどー? んー?」

 

「はーいはい、どうどう。絵名、落ち着いてー」

 

 

 どう頑張って好意的に解釈をしても、喧嘩を売っているとしか思えない言葉。

 私の手が怒りのあまり戦慄いていると、瑞希が間に立って宥める。

 

 

「ほら、バスがもう来ちゃうからさ。いっそげ~♪」

 

 

 奏とまふゆを前に押し出し、瑞希は私の背中を軽く押す。

 歩いているだけで距離を作ってしまうぐらい早いまふゆとそれを追いかける奏を視界に入れてから、私は数歩前に出て瑞希の方へと振り向いた。

 

 

「瑞希、また来年も遊ぶってこと。約束だからね」

 

「……あはは、もしかして気を遣ってくれたの? 別にボクは」

 

「は? 別に瑞希のためじゃないし、私が遊びたいって思っただけよ。勘違いしないでよね」

 

「……そっか。じゃあ、また来年もだね」

 

「最初からそう言ってればいいのに」

 

「もう、絵名ってば強引なんだから~」

 

 

 ヘラリと笑った顔には、さっきのような影はない。

 良かったと前を見ると、いつの間にかまふゆを追いかける奏の背中まで豆粒近く小さくなっていた。

 

 

「瑞希、急ぐわよ」

 

「だねぇ」

 

 

 ここで置き去りにされるのはごめんだ。

 別にそこまで足が速いわけでもないので瑞希に簡単に抜かされて、私はバス停付近まで3人の背中を追いかける羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 バスから電車に乗り換えて、長い間揺られている間に眠ってしまったようだ。

 薄っすらと目を開くと頬杖をついて眠るまふゆと、起きているらしい瑞希の姿が見える。

 

 目だけで隣を見れば奏も眠っていて、私の体は奏に寄りかかっているみたいだった。

 

 

(うわ、奏に申し訳ないことしちゃった)

 

 

 慌てて奏から離れようとしたのと同時に、瑞希の大きな溜め息が聞こえてきた。

 動かず、寝たフリをすると決めた私は瞼を少し開けて様子を窺うことしかできないものの、思いつめているような顔をしているのはわかる。

 

 

「来年、か」

 

 

 まさか私が起きているとは思っていないのか、電車が走る音と共に瑞希の呟く声が耳に届く。

 

 来年、というのはさっきのことだろうか。目を閉じて耳に集中しても、呟きの続きは全くなくて、電車が走る音しか聞こえてこない。

 

 

(うーん、来年……なんだろう?)

 

 

 情報が少なくて、瑞希が何を思い詰めているのか把握できない。

 神高の文化祭の時の話の地続きだと私は予想しているけど、はたして、本当にそれが正しいのだろうか。

 

 もう少し何か情報が貰えないかと聞き耳を立てていると、瑞希は再び呟いた。

 

 

「ボクが1番、何も伝えられてないじゃないか……」

 

 

 苦しそうに吐き出された言葉を聞いてしまったら、寝たふりをし続けるのは難しかった。

 瑞希は俯いているせいか、こちらの様子に全く気が付かず、目を開いて見つめても暗い調子のままだ。

 

 いつまで経っても気が付いてくれない瑞希に、私は思っていることを口に出した。

 

 

「瑞希が1番伝えてないって、そんなわけないでしょ」

 

「え、絵名? 聞いてたの?」

 

 

 私に聞かれているとは思っていなかったのか、瑞希の目がわかりやすいぐらい泳ぐ。

 それでも、瑞希には言いたいことがあった。

 

 

「瑞希は気にし過ぎなのよ。それに、この中で1番伝えてないのは間違いなく瑞希じゃないから、そう思い詰めなくてもいいんじゃない?」

 

 

 瑞希が口を開く前に、電車がタイミング良く止まった。

 

 瑞希も先程のように悩むことはないだろうし、奏とまふゆに聞かれてしまう可能性がある以上、これ以上の言葉は不要だろう。

 

 

「ま、そういうわけだから。じゃあ、駅に着く前に起こしてね。おやすみ」

 

「待ってよ絵名、さっきの言葉はどういう意味なのさ!?」

 

 

 小声なのにうるさいという器用な叫び声で私を呼ぶ瑞希を無視して、私は寝たふりを決行する。

 

 瑞希は自分のことよりも私の言葉の続きが気になるようで、まふゆや奏を起こさないように気を遣いつつ、必死に私を呼びかけている。

 

 

(……この様子ならもう、瑞希も変なことは考えないでしょ)

 

 

 瑞希が伝えていないというのであれば、私の方が伝えていないし、ズルい人間だ。

 

 それに、さっきの来年も遊ぶ約束だって、半分は瑞希の言葉に乗ったけど、半分は私のためだった。

 

 

(ほら、約束って守らなきゃダメだからさ)

 

 

 握るとわかる、いつの間にか(・・・・・・)鞄に入っていた四角くて薄い物。

 

 かつては机の中に保管していたソレは、最近では手の届く距離にあるようになってしまった物。

 

 

(……約束があれば、私も少しだけ。もう少しぐらいは、このままで……思い留まれるかもしれないじゃん)

 

 

 

 

 次の絵を描けと言わんばかりに主張してくる存在を、ずっと無視し続けることはできるとは思えないから──どうか、来年ぐらいまで鎖になってほしい。

 

 

 

 ──ほら、皆が引き止めてくれるのなら、もう少し此処に居座れる気がするじゃん。

 自分勝手な話だけど、許してほしいな。

 

 

 

 






既に待ち人がいる瑞希さんは原作と比べて精神的ダメージが軽減してます、が。

スケッチブック君が借金の取り立てのように精神的ダメージを与えてくるので、参っちゃったえななんの精神状態が浮上してきます。

今回で『シークレット・ディスタンス』編は終了ですので、次回から別の話を挟みます。




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83枚目 アップルパイ祭り



不穏さがマシマシなので、恒例の幕間で中和です。
ゆるふわ犬耳穂波さんなら前回の流れも中和できるはず。






 

 

 

 

 

「あ、朝比奈先輩と東雲先輩。こんにちは」

 

「こんにちは、望月さん」

 

 

 まふゆと宮益坂を歩いていたら、しょんぼりとした顔の望月さんと出会った。

 最初にこちらに気がついた望月さんが頭を下げてきて、隣にいたまふゆも優等生スマイルで頭を下げる。

 

 私も頭を下げると、望月さんの手にあった袋が目に入った。

 

 アップルパイが美味しいと有名なパン屋さんの袋が1つ。

 あの店のアップルパイは結構ずっしりしているので、1個だけでも腹持ちが良いんだ〜って瑞希が言っていた記憶がある。

 

 そのお店の袋を手に持っているということは、目的の品物を買えたはずで。

 それなのに元気がないのは、どうしてだろうか?

 

 不思議に思いつつも、私は顔に出さないように話を振る。

 

 

「望月さん、こんにちは。その袋はアップルパイ? 箱入りってことは結構買ったんだね」

 

「いえ、本当はこの倍以上買いたかったんですけど……なかったので5つで我慢したんです」

 

(え、5つで我慢ってどういうこと……? え、5つって我慢レベルの数字なの? 嘘でしょ?)

 

 

 ニーゴでもよく食べる方の瑞希でも『腹持ちが良い』と評価するアップルパイを5つ買っても足りないとは、恐ろしい話を聞いてしまった。

 

 倍以上ってことは10個は買うつもりだったと?

 パン換算しても10個食べるのは中々至難の業というか、大変なのだと思うのは私だけ? 私がおかしいの?

 

 まさか望月さんが冗談みたいなことを、困ったような顔で言うとは思っていなかった。

 さらりと言った言葉は嘘ではないようで、私の聞き間違いであって欲しいぐらい本気みたいだ。

 

 本気で言ってるとわかっているのに、どうしても聞き間違いの可能性を捨てられず、私は助けを求めて隣を見る。

 しかし、隣に立っているまふゆは時間でも止められているかのように、ピタリと固まっていた。

 

 

(まふゆ、笑顔のまま固まってる……)

 

 

 優等生フィルターがあっても、どういう答えを弾き出せばいいのか、迷うこともあるらしい。

 これはまふゆを頼れないな、と早々に見切りをつけて、私は思いついたことを口に出した。

 

 

「望月さんはこの後、予定とかある?」

 

「予定ですか? 買ったこれを食べるぐらいですけど」

 

「あぁ、もしかして皆で食べる用?」

 

 

 一歌ちゃん達で食べるなら誰か1人は1個多く食べる計算になるものの、現実的な数字だろう。

 それならまだ、最初の予想よりあり得る話だと、私は1人で納得する。

 

 ……納得したのに、望月さんは微笑みながら首を横に振った。

 

 

「いえ、1人で食べますよ」

 

(本当に1人で食べるんだ!?)

 

 

 そもそも、パン屋さんで売っているアップルパイはそんなに長持ちするようなものではない。

 

 長くても明日。冷蔵すればギリギリ明後日いけなくもないかもしれないけど、それにしても数が多い。

 物理的に胃に入るのかという心配もあるけれど、エネルギー的に食べて大丈夫なのかという心配もある。

 

 

(……そういえば、こいつも結構食べるタイプなのよね)

 

 

 隣で静止しているまふゆに視線を向ける。

 何を隠そう、味覚がわからないはずのまふゆも食べようと思えば、ビックリするぐらいパクパク食べるのだ。

 

 上から下までまふゆを見てから、望月さんも頭から爪先まで眺める。

 

 私の奇行に望月さんが首を傾げていたものの、私の頭にはそんなことが気にならないぐらいの天啓が舞い降りていた。

 

 

(ハッ! ……まさか。ありとあらゆる過剰なカロリーが胸に……!?)

 

 

 まふゆも望月さんもスタイル抜群。

 私が持ってないレベルのものを持ってなお、スラリとした姿を維持している2人。

 

 ──その共通点が『よく食べる』なのだとしたら。

 

 

「私も沢山、食べたら大きく……?」

 

「絵名、突然何を言ってるの?」

 

 

 こっちは本気で考えていたのに、まふゆにバカを見るような目を向けられていた。

 私自身もバカなことを考えている自覚はあるので、なにも言い返せない。

 

 私もまふゆも黙っていると、蚊帳の外になってしまった望月さんが質問を投げかけた。

 

 

「東雲先輩達は揃ってお出かけですか?」

 

「あー、私達は今から家でアップルパイを作る予定だったの。そういう意味では、奇遇だったのかな」

 

 

 頻度は減ったものの、まふゆの食べ物関係のアプローチは続いている。

 最近では1番まふゆの反応が良かった林檎系のお菓子を作っていて、今日はアップルパイを一緒に作る予定だったのだ。

 

 お父さんが仕事先の関係者から林檎の段ボールを2つぐらい貰ったことにより、林檎の消費は急務。

 食べるのも焼き林檎も飽きてきたので、まふゆと料理するついでにパイを量産して、ばら撒く予定だった。

 

 

(彰人達やセカイに持って行っても限界はある。それに、私の勘違いでなければ、望月さんはアップルパイを沢山食べれるみたいだし……なら)

 

 

 私は家に積み重なった段ボールを思い浮かべながら、首を傾げている望月さんに話しかける。

 

 

「ねぇ、望月さん。提案があるんだけど──」

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮益坂にて望月さんの説得に成功した私は、まふゆと望月さんを自分の家に招き、キッチンに立っていた。

 

 お母さんも弟も出かけているので、家には誰もいない。

 

 スーパーで追加の材料も仕入れたので、心置きなく林檎を消費できる準備ができた。

 1つは一緒に作りたいと言ったまふゆにエプロンを渡し、望月さんに声をかける。

 

 

「望月さん、急にごめんね。今から追加でアップルパイを作るけど……望月さんも食べちゃう?」

 

 

 見本とお土産用に先に幾つか、焼いて冷蔵庫に冷やしているものがある。

 まふゆにも最初は食べてもらおうと思っていたのでそう尋ねたのだけど、望月さんはやんわりと否定した。

 

 

「折角、招いて貰ったのでわたしも手伝いますよ」

 

「そう? 色々準備があるから1つぐらい食べて貰っても良いのに……望月さんって料理は得意だって聞いたけど、お菓子作りも大丈夫そう?」

 

「はい。レシピさえあれば」

 

「じゃあ、今日使うレシピを渡そっかな」

 

 

 私はまふゆにアップルパイを1個渡してから、お菓子のレシピをまとめているノートを望月さんに手渡す。

 林檎の段ボールを1個開けてから望月さんの方を見ると、望月さんはまじまじとレシピを見ていた。

 

 

「望月さん、何かわからないことがあった?」

 

「あぁ、いえ。わかりやすいのでその辺りは大丈夫なんですけど……このノートの絵みたいに可愛い字が何処かで見たことがあって」

 

(絵みたいに可愛い字……褒められてるのかな?)

 

 

 望月さんが考えている間に、とりあえず1個林檎を手に取ると、まふゆも隣に来た。

 

 

「もう食べたの?」

 

「うん、手伝うよ」

 

「ありがと。なら、一緒に林檎を剥こっか。そのまま包丁で剥ける?」

 

「……できないと思ってる?」

 

「別に。切ってから剥くのならまな板を出さなきゃいけないし、包丁が無理ならピーラーが必要でしょ」

 

 

 そう思って聞いただけだったのだけど、できないのかと煽ったように聞こえてしまったらしい。

 黙って包丁を片手に林檎の皮を剥き始めたまふゆの顔は優等生用の猫の皮が吹き込んでしまうぐらい、ムスッとしていた。

 

 

「え、すごい。皮、繋がってんじゃん」

 

「……うん」

 

 

 その後、私が呟いた言葉によって、すぐに機嫌が良くなっていたのだけど。

 

 

(まふゆの方はこれで良いとして。望月さんは何をしているのかなー)

 

「宵崎さんのレシピと同じ文字なんだ……!」

 

 

 私が振り返るのとほぼ同時に、望月さんがそんなことを言う。

 何故そこで奏の名前が出てきて、奏とは程遠く感じる『レシピ』という言葉が出てくるのか。

 

 

「えっと、これって東雲先輩が書いた文字ですか?」

 

 

 その答えは望月さんのスマホの中──見覚えのあるメモの切れ端の写真によって、判明した。

 

 

 望月さんが見せてくれたのはとある日、奏が倒れていた時に家事代行の人に渡してほしいとお願いしたレシピのメモの画像。

 

 そう、ニーゴが結成する前に奏が倒れて入院した時に助けてくれた家事代行の人にして、いつも奏がお世話になっている人の正体こそ、望月さんだったのだ。

 

 

「いつも奏がお世話になっています。ギリギリ奏が生活できているのは望月さんのお陰です」

 

「し、東雲先輩、頭を上げてください。うぅ……朝比奈先輩、どうしたらいいのでしょうか?」

 

「絵名も頭を下げたくなっちゃうぐらい、奏が心配なんだと思う。本当なら私も、望月さんには奏がお世話になってますって、頭を下げなきゃいけないんだけど」

 

「その。おふたりから頭を下げられたら、どうしたらいいかわかりませんし……とりあえず、アップルパイを作りませんか?」

 

 

 そういえば、アップルパイを作るから望月さんも一緒にどうかと聞いて、家に招いたのだった。

 

 大恩人とはいえ、困らせるのは本意ではない。

 本題通り、アップルパイをどんどん焼いていこう。

 

 

 

 ……そう、気合を入れたは良いものの、拍子抜けするぐらい経過は順調だった。

 

 奏のお世話マイスターである望月さんに、ムカつくぐらい器用なまふゆ。後は私。

 以上3人の布陣で何か事故を起こす方が難しく、あっという間にアップルパイが焼き上がった。

 

 望月さん1人で20個持って帰ると言ってくれたので、配りまわる分も含めて2箱あった段ボールは全てパイに変身。

 

 既に5個、パン屋さんで買っていたはずなのに追加で20個もどうするのか気になるところだけど、望月さんも皆にプレゼントすると言っていたので、仲良く分けるのだろう。

 

 ……まさか殆ど食べることはないと思うけど、怖くてそこまでは聞けなかった。

 

 

「望月さん、今日はありがとう。すっごく助かっちゃった」

 

「こちらこそこんなにお土産ありがとうございます。東雲先輩達と作ったアップルパイ、すごく美味しかったです。残さずいただきますね」

 

 

 宮益坂で見たしょんぼりとした顔はどこにもなく、望月さんは満面の笑みを浮かべる。

 

 望月さんが言うのであれば、とんでもない数のアップルパイもどうにかなるのだろう。

 この短時間でおかしな信頼感を私は得ていた。

 

 こちらの都合に巻き込んだのに、最後には楽しそうに帰ってくれた望月さんを見送り、私は隣に立っているまふゆへと目を向ける。

 

 

「今日はいつもと違って他の人も入れて作ったけど……どうだった?」

 

「どうって?」

 

「嫌だったなら、もうこうやって巻き込むのはやめようかなって」

 

「……わからない。けど、悪い気はしなかった、と思う」

 

 

 胸に手を当てて、目を閉じるまふゆは私から見ると嫌そうには感じない。

 

 相手が望月さんだったのも良かったのかもしれない。

 次があるならまふゆの親しい人とやるのが良さそうだ。

 

 

「そっか。じゃあ今度は瑞希や奏も誘ってみよっか」

 

「奏もって、大丈夫かな」

 

「いや、流石に大丈夫でしょ……大丈夫よね?」

 

 

 アップルパイを作っている間、望月さんから奏の家事代行中の話を聞いてみて。

 

 奏があまりにも曲に一極集中し過ぎて、生活が綱渡りそうな話ばかり出てきたので、今だけはまふゆの言葉に自信を持って返せなかった。

 

 

 

 






先に宣言しておきますと、スケッチブック君は次回のイベストの後、再び封印される予定です。
出番だーっと羽を伸ばしてられるのも今のうちですね。
スケッチブック君「えぇっ!?」

次回は前回のイベスト編にて出番を削られたメイコさんが出てきます。



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84枚目 描かせて! メイコさん

 

 

 

 ニーゴの面々が描かれたスケッチブックとお土産を手に持って、私はセカイにやってきた。

 

 セカイにやって来ると、今日はまだ誰も来ていないようで、ミクとリンが仲良くあやとりをしている。

 

 

「ミクとリンは今日も元気そうね」

 

「絵名、いらっしゃい」

 

「来たんだ。また何かあったの?」

 

「リンの言う通り、何かあったといえばあったのかな。いつものこれ、やりたくてメイコを探しに来たのよね」

 

 

 ヒラヒラとスケッチブックを振ると、ミクもリンもいつものだとすぐに理解してくれた。

 メイコがいるらしい場所を教えて貰ってから、私は2人にお土産のクッキーを渡す。

 

 メイコの分は分けたので問題なし。後は2人で食べてもらうことにして……と。

 

 

(さて、メイコはどこかな)

 

 

 珍しいことに今日はまだ、セカイには誰も来ていないとのこと。

 

 なら、メイコもすぐに見つかるかもしれない。

 そんな淡い希望を胸に近くを探していたら、希望通りに茶髪のの後ろ姿が見えた。

 

 

「メイコ! よかった、思ったより早く見つかって」

 

「……何の用?」

 

「メイコの絵、描かせて欲しくて。お礼も用意してるし、ちょっと時間をもらってもいい?」

 

 

 クッキーの袋をチラつかせると、メイコは私と袋の間で視線を彷徨わせる。

 頭の中で色々と考えたのであろうメイコは、短く息を吐き出した。

 

 

「勝手にしなさい」

 

「ありがとう、メイコ! あ、これお土産ね」

 

「……貰っておくわ」

 

 

 クッキーを押し付けて、私は早速メイコを絵に描く。

 いつものようにアタリをつけて、鉛筆で形を作る。

 

 絵はいつも1枚目は水彩画にしてるので、今回の絵もそうする予定だ。

 

 そういえばメイコに似合う赤色が残っていたかな、と頭の中で考えながら描いていると、珍しくメイコの方から声をかけてきた。

 

 

「こういうものって、動いてもいいの?」

 

「もしかして止まってくれてたの? 気遣ってくれてありがとう」

 

「絵のモデルって話だったから」

 

「それで頑張ってくれるなんて、メイコは優しいよね。モデルなんてプロじゃなければ静止できないし、ちょっとぐらいは大丈夫よ」

 

 

 プロは裸であろうが堂々と恥ずかしげも無くバッと脱いで、数十分同じポーズを動かず維持できる。

 

 しかし、そんなの普通の人ならできるわけがない。

 3分ぐらい静止していたメイコはすごいなと、こっちが驚いたぐらいだ。

 

 座ったまま気楽にしてほしいと話すと、メイコは手元にあったクッキーを開ける。

 中をじっと見た後、1つ摘んで口の中に入れた。

 

 

「美味しい」

 

「ほんと? なら、作った甲斐があったかも」

 

「態々作ったの?」

 

 

 あまり表情を変えないメイコが珍しく、目を見開いている。

 そんなに驚くようなことがあったのだろうか。首を傾げていると、メイコはその理由を話してくれた。

 

 

「このクッキーはミクやリンが好みそうな味ではないわ。あなたならあの子達の分も用意してるはずだし、別で作ったのでしょう?」

 

「そういうの、わかるんだ。まぁ、メイコには絵のモデルになってもらうんだし、それぐらいはね」

 

「……そう」

 

 

 メイコは何か言いたそうな目をしていたけれど、口に出すことはなくクッキーを食べる。

 半分ぐらい食べた辺りで手を止めたメイコが、今度はじっとこちらを観察してきた。

 

 絵を描くためにメイコを見る私と、暇なのか私を見るメイコ。

 

 

(何これ。先に笑ったら負けだったりする?)

 

 

 互いに互いを見ている状況に、ちょっとおかしなことを考えてしまう。

 

 変則的な睨めっこでも始まるのかな、とか。

 馬鹿みたいなことを考えてみるけれど、メイコはただ、こちらを見ているだけ。

 

 メイコ相手にふざけるわけにもいかないので、鉛筆はいつも以上に早く動く。

 作業はどんどん進んで絵が形になったところで、メイコが再び口を開いた。

 

 

「あなたは見守った方がいいのか、わからないわね」

 

 

 今まで分け隔てなく見守っていたのはメイコなのに、急におかしなことを言ってきた。

 個人的には他のメンバーと同じ扱いでいいのだけど、どうしてそう思ったのかだけは気になる。

 

 

「わからないっていうのは、どうしてなの?」

 

 

 興味がないようなフリをして、形になってきた絵に練り消しで手を加える。

 メイコの方をチラリと窺うと、彼女はその理由を口に出した。

 

 

「他の人が普通のコップなのだとしたら、あなただけは蓋つきな上に、開かないように固定されたコップよ」

 

「それはまた、飲むのに困りそうというか、欠陥だらけのコップね」

 

「ええ。何かの拍子で蓋がズレたり、歪んだりしないと中身が漏れない、厄介なコップだわ」

 

 

 固定された蓋つきのコップなんて、それはまた私の厄介さを適切に表している話だ。

 リンから話を聞いているのか、メイコは後から来たはずなのに、的確に私と皆の差を表現している。

 

 

「蓋の方が壊れてくれたら良いけど、今のままだとコップごと壊れそうね」

 

「ふぅん。じゃあ、メイコはどうするの?」

 

「基本的には何もしないわ。私は見守るだけだと言ったはずよ」

 

 

 本当に何もするつもりがないのか、メイコはクッキーを口の中に入れる。

 鉛筆が走る音の中にクッキーの咀嚼音が聞こえてきて、私は耐えきれずに笑ってしまった。

 

 

「うん、メイコはやっぱり優しいよね」

 

「これは優しさと言うのかしらね」

 

「私のことを考えてそれを選んだのなら、優しさでしょ」

 

「あなたはそう思うのね」

 

「メイコ自身はそう思ってないって顔、してるけどね。私は優しいと思うかな」

 

 

 見守るだけだと言いつつも、何か言えないかと言葉を探しているところも含めて。

 一見、そっけないし冷たく感じるのに、よく見ると見えてくる仄かな暖色が良いなと思うのだ。

 

 

(メイコは絵のモデルとしても面白いよね)

 

 

 とはいえ、私だけ楽しむのは題材になって貰っているメイコに申し訳ない。

 クッキーも大量にあるわけじゃないので、何か話題を振ってみようか。

 

 

「メイコって瑞希と結構話すの?」

 

「……どうしてそう思ったの?」

 

「いや、メイコに絵を描かせてほしいって言っても断られそうだなーって話をしてたら、瑞希が『メイコは優しいから、こっちからお願いしたらちょっとぐらいは大丈夫だよー』って」

 

「……そう」

 

 

 メイコは嫌そうに目を細め、またクッキーを1摘み。

 瑞希の話はしない方が良かったのかと後悔しかけたのだが、メイコの目の色がほんの少しだけ変化した。

 

 

(へぇ。メイコってあんな目もできるんだ)

 

 

 いつも1歩引いていて、揺らがない目でこちらを観察している目しか見たことがなかったのに、今のメイコの目はびっくりするぐらい優しかった。

 

 

(あんなの見たら、目の表現変えたいかも。やっぱり絵を描くのは良いな)

 

 

 メイコの別の一面も見れて大満足な私をおかしいと思ったのか、モデルの方から訝しげな目を向けられる。

 

 

「本当に絵を描いてるの?」

 

「そう疑わないでよ。描いてるから」

 

 

 描いている途中の絵を見せると、メイコも納得してくれたらしい。

 まじまじと絵を見てから「ならいいわ」と引き下がってくれた。

 

 

「メイコはモデルとして描き甲斐があるよね」

 

「そうなの?」

 

「うん。誰を描いても楽しいんだけどね。メイコの新しい面を知れるっていう点で、描き甲斐があるなって」

 

 

 メイコのことを知れているように感じるので、そういう補正もあって楽しい、というのが正しいのかもしれない。

 

 

「メイコってカウンセラーみたいよね。確かに、そういう人は私達の周りにはいなかったし、必要なのかも」

 

「カウンセラー?」

 

「年上で私達に近いようで、距離を取って客観的に見ようと徹してくれてる。話も聞いてくれるし、基本的に『関わらない』ってスタンスでしょ。何か相談しても誰かに漏れないかもっていう安心感ってカウンセラーかなって」

 

「……あなたにはそう見えるのね」

 

 

 メイコは最後のクッキーを口に入れて、再びこちらに視線を向ける。

 特に何も言われていないのだけど、空っぽの袋を持ったメイコに見られていると急がなくてはと気持ちが前のめりになってしまう。

 

 とはいえ、早く完成させるのを優先して最後の方が雑になってしまうのは、モデルになってくれているメイコに失礼だ。

 何か話題がないかと頭の中で探していたら、メイコの方から声をかけてきた。

 

 

「完成するまで待ってるから、気にしなくてもいいわ」

 

「それは……いくら何でも」

 

「我儘は自分のためにするものであって、他人に合わせたらそれは『我儘』にはならないわよ」

 

 

 折りたたんだクッキーの袋をメイコはこれ見よがしに揺らした。

 

 それだけでメイコの言いたいことがわかってしまって、私は詰まらせた言葉を無理矢理吐き出す。

 

 

「その発言は『見守る』に入るの?」

 

「見守るのと、放っておくのとは意味が違うわ」

 

「なるほどね。メイコはズルくもあると」

 

 

 そんなやり取りをしている間に絵の下描きが完了し、動く意味を失った鉛筆はスケッチブックの上で止まる。

 

 

「終わった?」

 

「うん、後は色をつけていくだけ。ありがとね、メイコ」

 

「描けたのなら構わないわ」

 

 

 メイコをその場に留めておく大義名分もなくなったということは、メイコがその場にいる理由もないわけで。

 

 メイコは手を軽く振ってから、そのままどこかへ歩いていく。

 メイコはまた『見守る』姿勢に戻るようで、私はその背中を見送った。

 

 

(メイコを1人描くのもいいけど、どうせならメイコも揃ったセカイの絵も描こうかな)

 

 

 このセカイにはまだまだ人が増える。

 そんな予感がするので、その時その時の絵を描くのも良いなと思うのだ。

 

 

「そうと決まれば……」

 

 

 口の中で呟き声を飴玉みたいに転がして、途中から隠れてこちらを窺っている金髪と白髪の方へと視線を向ける。

 

 

(ずっと隠れている2人を引っ張ってきて、絵を描かせてもらおうかな)

 

 

 何が楽しいのか、メイコの絵を描いている間、ずっとこちらを見ていたようだし。

 私の方も思う存分、絵を描くために2人を観察させてもらうとしよう。

 

 

「ミク、リン! そこにいるのはわかってるから、ちょっと出てきて絵を描かせて貰ってもいいー?」

 

「わっ」

 

「はぁ。やっぱりバレてた」

 

 

 ミクは目を見開いて、リンが視線を下に向けながら溜め息を溢す。

 

 ミクはともかく、リンの方はそんなに絵のモデルが嫌だったのだろうか。

 

 

「……絵を描かせてもらうだけなんだけど。そんなに嫌だった?」

 

「隠れて見てたのを見つかったら、気まずい」

 

「ああ、そういうこと。じゃあ……描かせて貰ってもいい?」

 

 

 リンの言葉に納得した私はスケッチブックを見せて、2人にお伺いを立てる。

 

 クッキーという賄賂が功を奏したのか、この後、曲を聴かせにきた奏が現れるまで思う存分、絵を描かせてもらった。

 

 

 






実はこの作品のメイコさん、記憶喪失えななんがあまりにも危なっかしいので、ハラハラしながら見守っています。



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85枚目 見逃したこと



わくわくピクニック前の前振りです。




 

 

 

 

「うわぁ……」

 

 

 部屋に入ったら、机の上に見覚えのあるヤツがいた。

 私は慌ててリビングに向かい、料理の仕込みをしているお母さんに声をかける。

 

 

「あぁ、絵名。おかえり」

 

「ただいま。ねぇ、廊下に出してたゴミって全部捨ててくれた?」

 

「うん、かなり頑丈に縛られていたアレよね? 紙しか入ってないみたいだから、丸ごと捨てたけど」

 

「そっか。ありがとう、お母さん。部屋に戻るね」

 

 

 自室に蜻蛉返りして、改めて机の上を確認。

 

 傍に置かれたパソコンや液タブよりも堂々と、机のど真ん中を占領する憎きヤツ──スケッチブックが存在を主張していた。

 

 

「くっ……こんなもの!!」

 

 

 捨てた筈のヤツが、脱出マジックでも使ったかのように机の上に鎮座いている姿を見て、私の怒りは天井へ。

 私は筆立てに立てていたカッターを握り、頭上よりも上に振り上げながら刃を全部出してしまう。

 

 どうせ危害を加えられない。

 頭ではわかっているのに、私はスケッチブックを押さえつけ、ヤツに向けてカッターを振り下ろした──っ!

 

 

「っ! ……なんでよ」

 

 

 はずなのに、私の手はスケッチブックを傷付けることはなかった。

 

 

「なんで……」

 

 

 それどころかズタズタに引き裂いてやりたかった衝動も萎んでしまい、おやつを食べようとか、絵を描こうとか、別の思考に流れていく。

 

 

「なんで、なのよ」

 

 

 ──このチャレンジは何回目だっただろうか。10を超えてからは数えていない。

 

 スケッチブックを直接手を加えられないから、私は間接的に処分しようとしたのに、失敗を重ねていた。

 

 お母さんに捨てて欲しいと頼んでも、机の上にしれっと戻って来て。

 彰人に何処かへ捨てて来てと預けても、数日も経たずに引き出しの中。

 

 窓に捨てても奇跡の生還を目の前で成し遂げ、破り捨てたり汚そうとしようものなら根本的な思考から流そうとしてくる。

 まるで私が改造でもされているかのようだ。本当に気持ち悪い。

 

 遠くに捨て置いても勝手に戻って来て、私が直接危害を加えることは不可。

 

 自分ができないのであれば、他人に処分してもらうのが1番。それは理解しているのだ。

 

 だけど彰人に頼んだ時、自分が弟を殴ってまで止めようとしていることに気が付いて、慌てて彰人を止めた失敗談がある。

 スケッチブックがオカルト過ぎて、自分が何をしてしまうかもわからなくて……そう簡単に他人を頼れなくなった。

 

 

(また、失敗か。やっぱり、鍵なんてあっても意味ないのかな。また思いついたら試そ)

 

 

 最近は私が持ち出しそうになったり、勝手についてくるようになったソレを机の中に封印する。

 このまま部屋にいても良いけれど、スケッチブックが気になって集中できないのは明白だ。

 

 どうしたものかと頭を悩ませていると、スマホに1つの連絡が来る。

 久しぶりに遊ばないかという誘いに、私は迷うことなく飛びついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

「絵名、こっちよ。こっち!」

 

 

 待ち合わせ場所である交差点に向かっていると、そんな声が聞こえてきた。

 声の方には今日、タイミングよく連絡をくれた愛莉が手を振っている。

 

 いつもの私服に白いバケットハットを合わせているのは軽めの変装なのだろうか。

 象徴的なピンクの髪に合っていて、愛莉に似合っていた。

 

 

「お待たせ、愛莉。その帽子、可愛いね。変装目的でもオシャレとしてもいいじゃん」

 

「でしょう? 今度紹介するわ」

 

「うん、よろしく。ところで……」

 

 

 私は小走りで愛莉に近づき、小声で尋ねる。

 

 

「連絡にあった件は確かな情報なの?」

 

「えぇ。あのカフェの和風デザートフェアで、抹茶のパンケーキや餡子のチーズケーキが出てくるわよ」

 

「くっ、私としたことが。SNSで表面上の情報だけを漁って、知った気になっていたわ……!」

 

 

 愛莉と今から向かうカフェのデザートは通常で提供されるものも、期間限定商品も絶品だと言われている名店。

 

 私もそのフェアがあるという情報は知っていたので愛莉と共有していた。

 

 けれども! 大きく掲載されていたパフェや抹茶とチョコのケーキ、後は団子や大福類ぐらいだろうと思っていたフェアにパンケーキやチーズケーキも紛れ込んでいたのだ!

 

 普段、瑞希からSNS中毒じゃないかと言われる私なのに、なんたる失態。

 悔しくて震える私に、愛莉は手を腰に当ててニヤリと笑う。

 

 

「絵名が黙っているのも珍しいから、声をかけたのだけど……その様子だと、正解だったみたいね」

 

「うん。本当にありがとう、愛莉」

 

 

 情報を惜しみなく提供してくれた上に、こうして付き合ってくれる愛莉に、私は両手を合わせて拝む。

 足を向けて寝れないとはまさにこのことだろう。別に、足を向けて寝る予定なんてないけれども。

 

 そんなバカなことを考えていると、愛莉が首を傾げた。

 

 

「あ、でも。誘っておいてあれだけど、絵名ってばパンケーキもチーズケーキも食べるつもりなの?」

 

「うっ。太りそうだけど、来週は減らすから大丈夫」

 

「そうなのね。でも、減量するより運動した方が良いんじゃない? 雫も『絵名ちゃんが練習に参加してくれるのは何時かしら』って、楽しみにしていたわよ?」

 

「雫が? えーと……前向きに検討させていただきます?」

 

「それ、やらない人の言葉じゃない」

 

 

 おかしそうに笑う愛莉に何を言っても意味がないようにしか思えなくて。

 私は行き場のない両手を振り下ろし、話題の行き先を変更した。

 

 

「もう、私の体重の話はどうでもいいから! ほら、いい加減カフェに行こ?」

 

「そうね。せっかくここまで来たんだから、早く行きましょう」

 

 

 急かされた愛莉は苦笑いを浮かべつつ、目的地へと歩き出す。

 私も愛莉の隣に並んで歩くと、すぐに目的地に到着する。

 

 普段は和菓子が売りの店なので、私はそこまで来ていないカフェ。

 しかし、愛莉にとっては頻繁に利用している行きつけのお店だ。

 

 慣れた様子で店員さんに声をかけて席につき、愛莉はテキパキと注文する。

 私が紅茶と目的のデザートを2つ、愛莉はフルーツ大福と色んな餡子で作った金鍔を注文。

 

 少し待つと、店員さんが注文していたデザートを持ってきてくれて、机の上にそれぞれ置いていく。

 

 メインメニューでも目玉のメニューでもないので、見た目はそこまで気にしていたかったのだが……良い意味で裏切ってきていた。

 

 

「これは……とんでもなく映えるわ」

 

「ええ、さすがね。こちらの心を鷲掴みにしてきてるわ」

 

 

 スマホを構える私に、愛莉も頷きながらスマホを取り出す。

 こんなに綺麗に盛り付けられたデザート、写真に収めなければ失礼な話だった。

 

 

 最初に写真に収めるのはチーズケーキだ。

 

 上の層がチーズケーキで、その下に餡子とクッキー生地があるのが良く見えるように、1つだけ傾いている。

 黒い皿の周りには生クリームが羽のように添えられていて、皿が1つの芸術になっていた。

 

 

 隣のパンケーキはパンケーキで、とても良い。

 

 薄いのも好きなのだけど、今回は厚めのパンケーキを選択したらしい。

 2枚ほど重ねてタワーにして、頂上には粒あんと生クリーム、栗の甘露煮を飾り付け、全体に黒蜜を添えている。

 

 こちらも黒の皿に盛られていて、周りの抹茶のクリームがパンケーキを引立てていた。

 

 

(流石ね……この店の本気をまた1つ、見た気がするわ)

 

 

 私も絵描きの端くれ。

 自分で作るデザートや料理には盛り付けも拘っているつもりだったが、まだまだだったようだ。

 

 流石はプロ。

 こういう『作品』を見ていると、私の創作意欲も刺激される。

 

 

「愛莉の注文したものも色が豊富で、写真に撮ったら良い感じになりそうじゃん」

 

「ええ。前回行った時に目をつけてたのよ」

 

 

 4種類ぐらいのフルーツ大福は半分に切られて盛り付けられており、金鍔も白餡とさつまいもの餡、栗と粒あんの3種が並んでいて見た目から楽しめる。

 

 

「フルーツ大福なら可愛いし、私もまた来た時に頼みたいかも。あぁ、でも……期間限定だから次の機会はなさそうね」

 

「ふふ、絵名。ここのフルーツ大福は期間限定じゃないわよ。新作だから、期間外でもあるの」

 

「なんですって……!?」

 

 

 これはまた、リピート確定だろう。

 

 チーズケーキもパンケーキも主力商品ではないはずなのにかなりの完成度なのだ。

 フルーツ大福だって見た目もさることながら、味も高いレベルでまとまっているはず。

 

 

「愛莉を何回も誘うのは悪いし、瑞希あたりを引き摺ってこようかな……」

 

「瑞希って子は絵名の友達? あまり無理させちゃダメよ?」

 

「大丈夫だって。瑞希なら来てくれるし」

 

 

 パンケーキやチーズケーキ関係なら、彰人も選択肢に入るけれど、私の中で1番気軽に誘える相手は瑞希だ。

 愛莉は予定がなければ誘えるが、奏やまふゆあたりは念入りに予定を立てなければ誘い出すのは難しい。

 

 それか、今度の打ち上げをこのカフェにして、ニーゴの皆で食べるのもアリだろうが……ファミレスでいいでしょってなる可能性もある。

 

 

(そう考えたら、やっぱり瑞希1択かなぁ)

 

 

 頭の中で『いぇーい♪』とピースサインしている瑞希が出てきて、苦笑してしまう。

 チーズケーキを食べ終えて、次にパンケーキも食べてしまおうと視線を上げると、こちらを見ていた愛莉と目があった。

 

 

「愛莉、どうしたの?」

 

「え? あぁ……元気そうで良かったなって思ってたのよ」

 

「そうなんだ?」

 

 

 愛莉の言葉に少し違和感があって、私は首を傾げる。

 

 念の為に口元を確認したけど、特に汚れはなさそうだ。

 なら、この違和感はなんなのか。パンケーキを食べつつも、頭の片隅で違和感の正体を探る。

 

 

(……うーん、わからない。特に何もなかったのかな)

 

 

 美味しくいただきながら愛莉の様子を窺っても、特に変なところはない。

 愛莉も思い悩んでるようには見えないので、違和感はそっちの方向ではなさそうだ。

 

 

(気のせいだった? まぁ……何かあったらわかるか)

 

 

 結局、考えても観察しても違和感の正体はわからず、美味しいパンケーキもペロリと平らげてしまった。

 

 体重は怖いものの、ちょっとの運動とお菓子の制限をするのでそんなにダメージはないはず。

 

 数週間後、今日のデザートが脂肪になってしまっていたら、体重計に乗るのが怖い。

 しかし、すでにデザートは2つとも胃の中。未来の私が欲に負けずに調整してくれることを祈るしかない。

 

 

 

 ──そんな呑気なことを考えていたせいなのか、私はじっとこちらを見つめてくる親友の視線を見逃してしまった。

 

 

 

 

 






この後、この1日をなかったことにするダイエットに励むえななんと、そんなえななんのお腹の肉を掴もうとして激怒されるまふゆさんの姿があったりなかったりします。


次回からお悩み聞かせて! わくわくピクニック編です。
本来なら瑞希さんのお悩みを聞きたい話なんですけど、既に瑞希さんはえななんに待ってもらってますのでね。
原作とは違って(瑞希さんの)お悩み聞かせて〜ではなくなっています。



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86枚目 ショッピング・ピンク


本格的に『お悩み聞かせて! わくわくピクニック』編始めます。




 

 

 

 部活もなくて、学校にも残らずに真っ直ぐ家に帰った私は、ナイトコードを繋げてAmiaと一緒に絵の調整をしていた。

 昨日の作業の時にKに言われたところは調整済み。

 

 

「Amia、昨日言われたところは調整で来たんだけど、どう?」

 

 

 それなのでAmiaに声をかけたのだけど、何故か本人から返事がない。

 ガサゴソと物音だけは聞こえてくるので、その場に誰かがいることだけはわかるのに、何故か返事がなかった。

 

 

「Amiaー? 聞こえてるー?」

 

『……あぁっ、ごめん! ちょっとポテチ零しちゃって、机の下を掃除してたんだよ。すぐに見るから待ってて!』

 

「何してるのよ、もう。それ、掃除機で吸い込んだ方が早いでしょ」

 

『だねー。ボクの指でも限界だったよ』

 

「あんたは自分の指の可能性を信じ過ぎじゃない?」

 

 

 大きいものならともかく、細々としたものを拾い集めるのは無理がある。

 

 Amiaも今すぐ掃除するのは諦めたようで、その後、掃除機の音が聞こえてくることはなかった。

 ミュートもしていないので、たぶん諦めたのだと思いたい……が、どうだろうか。

 

 

『うん、いい感じじゃん! これなら良いって言われそうだし、後でKに見せようよ』

 

 

 どうやら要らぬ心配だったようだ。

 僅かながら粘着テープ辺りで掃除を続行している可能性もあったので、私はホッと息を吐く。

 

 

(今日は雪が部活で遅くなるって聞いたから、Kに確認してもらうのが先かな)

 

 

 この後の流れをつらつらと考えていると、Amiaのアイコンが気まずさを表すように点滅した。

 

 

『ねぇ、えななん』

 

「んー、なぁに?」

 

『最近の化粧のノリはどう?』

 

「えぇ、急に何よ? 最近はねぇ……うん、あまり良くないかもしれない」

 

 

 少々、不快になるものが目に入るストレスが肌にダメージを与えているのかもしれない。

 世間話程度だろう、と油断していた私は特に疑うことなく、瑞希の雑談に乗る。

 

 

『そんなえななんに朗報なんだけどさ。最近、いい感じのコスメを売ってるお店を見つけたんだよね』

 

「そういうの、高いんじゃないの?」

 

『それがそうでもなくてさー。えななんに勧めたいのもあるんだよね、ねっ!』

 

「……つまり、一緒に行きたいってこと? 何時行きたいのよ」

 

『行けるなら今週末! どうかな?』

 

 

 今週末といえば……特に予定もなさそうだ。

 

 断る理由もないし、瑞希のセンスは信頼しているし。

 そして何より、私に勧めたいっていうのも気になる。

 

 

「いいわよ。じゃあ、週末ね」

 

『やったね! あ、そうそう。遅刻しないでよー?』

 

「ヤバかったら彰人に声かけてもらうわ」

 

『わー、弟くんかわいそー』

 

 

 その後、Kがやって来て昨日の修正箇所の話になり。

 小さな違和感を無視してしまった私は、Amiaが指定していた週末を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 週末のショッピングモールは人が多いのだけど、正直、そんなことも気にならないぐらい私は店内に夢中になっていた。

 

 

「ちょ、このコスメすっごい良いじゃない!?」

 

「でしょー? 絵名に合いそうだって思ったんだよねー」

 

 

 瑞希に連れてこられたのは、私も行ったことがなかったお店である。

 長続きしている人気のお店も多くあるけれど、入れ替わりも激しいショッピングモールの新規店。

 

 SNSで話題のお店は大体確認していたし、このお店もチラッと見たことはあった。

 しかし、外装的にそこまで好みでもないかなー、と思ってスルーしてしまっていたのだ。

 

 

「こんなに可愛いものが揃ってるなんて……あの時、見逃した私が恨めしいかも」

 

「穴場っていうのは意外なところにあるからねぇ。で、どうかな?」

 

「買う」

 

「やったねー♪」

 

 

 別に自分のお店というわけでもないのに、瑞希は嬉しそうにしている。

 

 人のことでも自分のことのように喜べるのは、瑞希の良いところだと思う。

 口には出さないけれど、そういう姿勢は一緒に買い物をしていて気分がいいし、見習いたい。

 

 そんなことを考えつつも、予算の範囲内で購入し、別のお店で服を見て回って。

 朝からお店を梯子していると、気がつけばお昼になっていた。

 

 

「うーん、ボクのお腹の時計がお昼を告げてるなぁ。絵名ー、そろそろ休憩しない?」

 

 

 隣で歩いていた瑞希がお腹に手を当てて、へにょりと力無く笑う。

 

 

「そうね。じゃあ、今度は私がお店を紹介しよっかな」

 

「おっ、いいね! 絵名が選んだお店はどこもハズレがないから、楽しみだな〜」

 

 

 お腹が空いて弱々しい笑みから一転、瑞希は満面の笑みを浮かべる。

 最近、愛莉から聞いた後にリサーチもしたお店だから、瑞希も気に入ってくれる自信がある。

 

 ちょっと人が多いからと相席させてもらう形で席に向かうと……見慣れた2人が座っていた。

 

 

 

 

「あっ」

 

「あら、絵名ちゃん?」

 

「こんなところで会うなんて、偶然ね」

 

 

 

 

 ──この展開は予想できていなかったんだけど。

 

 アイドルである雫と愛莉が、カフェにて優雅にお昼を楽しんでいるのはいいとしよう。

 しかし、その席に何の前情報もなく相席するのは、どういう可能性なのだろうか。

 

 私の口角が自分でわかるぐらい引き攣っているのに対して、瑞希は隣で目をキラキラさせていた。

 

 

(あー。そういえば、瑞希ってアイドルとかも好きだったっけ?)

 

 

 カフェの中でうるさくしてはいけない、というブレーキが働いているのか。

 大興奮して大声を出したいのがわかってしまうぐらい、瑞希は小さな声で叫ぶ。

 

 

「うわー、本物だ! あれ、本物の桃井愛莉ちゃんと日野森雫ちゃんだよね!?」

 

「……あんた、器用ねー」

 

「迷惑だってわかってるから、声のトーンはスッゴイ抑えてるけどさ。正直、滅茶苦茶大きな声で叫びたい! うわぁぁーって!」

 

「うん。瑞希が興奮してるのはわかったから、早く座らない?」

 

 

 いや、でも。どっちに座れば──と、おかしな抵抗をする瑞希を愛莉の方に押し込んで、私は雫の隣に座らせてもらう。

 

 

「まさか愛莉と雫に会うなんて思ってなかったけど……相席させてくれてありがとう。後、2人が遊んでるところ、邪魔してごめんね」

 

「いいわよ、店員さんにわたしの方からお願いしたんだから。一緒に食べましょ」

 

「そうね。ここで絵名ちゃん達と会ったのも何かの縁でしょうし……私、絵名ちゃんのお友達とも仲良くなりたいわ」

 

 

 愛莉の言葉は普通だったけど、雫の発言が興奮気味の瑞希に更なる燃料となって投下された。

 

 

「テレビとかで見てた本物が目の前にいるなんて、本当にふたりともカワイイし! ねぇ絵名、本当に本物だよね!?」

 

「はいはい。瑞希は一旦、落ち着きなさい。ほら、メニュー決めてる間に頭、冷やしてね」

 

 

 目を輝かせている瑞希の視界をメニュー表で遮って、頭を冷やすように促す。

 

 頭をメニュー表で叩けば、ブラウン管のテレビみたいに治る可能性もあるかもしれない。

 しかし、それはあくまで最終手段。力技で解決する前に正気に戻れと、最後通牒を突きつけた。

 

 

「ふふ、絵名ちゃん達は仲が良いのね」

 

「そうねぇ。仲が良いのはいいんだけど、そろそろこっちのことも考えてくれると嬉しいわ」

 

 

 そんなやり取りを見ていた雫は微笑み、愛莉も苦笑している。

 

 恥ずかしいところを見られてしまった。

 2人から視線を外すと、こちらを見ていたらしい瑞希とバッチリ目が合う。

 

 ……見た感じ、もうテンションは通常に戻っている様子。

 今なら大丈夫そうだし、2人に瑞希を紹介しよう。

 

 

「愛莉はちょっとは知ってるかもしれないけど、その子が私が活動させて貰ってるサークルメンバーの1人、暁山瑞希って子なの」

 

「初めまして、暁山瑞希ですっ。2人のことはテレビとかで見てて、最近の動画も絵名から聞いて、ちょっと見てます!」

 

「ちょっと……?」

 

 

 私がモモジャンの初配信を見てあげてー、と宣伝してから、毎配信丁寧に感想文を送りつけてくる人間が、ちょっと見てます程度なの?

 

 瑞希の発言に固まる私の隣で、雫が嬉しそうに両手を合わせる。

 

 

「まぁ! 動画を見てくれてるなんて、とっても嬉しいわ。ねぇ、愛莉ちゃん」

 

「そうね。ファンな上に、貴重な絵名の友達みたいだし、仲良くしてもらえると嬉しいわ」

 

「ちょっと! 自分の親友を遠回しにボッチっていうのはやめてよねっ」

 

 

 確かに中学の時は1人だし、高校も基本的にまふゆと一緒にいることが多いけれど、事実は人を簡単に傷つけることもある。

 

 

「でも、絵名って友達の判定が厳しいでしょ。中学の時なんて、頑なにクラスメイトって姿勢だったし」

 

「へぇ、絵名の中学時代ってハリネズミだったんだ」

 

 

 愛莉の話に瑞希が食いついてきて、私の話という共通の話で盛り上がっている。

 店員さんに注文をした後も私の中学の話をしていて、話の張本人は蚊帳の外だ。

 

 

「ふふ、愛莉ちゃんも暁山さんもすっかり打ち解けてるわね」

 

「話題の本人を置いてきぼりにする程度には、盛り上がってるわねー」

 

「あら。絵名ちゃん、拗ねちゃったの?」

 

「拗ねたんじゃなくて、ああいうのを目の前で話されると恥ずかしいの!」

 

 

 どうやら雫には昔話による羞恥心はないようで、微笑ましそうに笑っているだけだった。

 このアイドル、無敵なのか。いや、もしかしたら宮女の弓道部が無敵の集まりなのかもしれない。

 

 雫もまふゆも弓道部。

 ほぼノーメイクなのに顔面偏差値で殴りかかってきて、私がダメージを受けるようなこともノーダメージで受け流せる猛者。

 

 

(東雲絵名サイボーグ説より、弓道部無敵説の方が流行るべきでしょ)

 

 

 私が世の中の理不尽を嘆いていても、愛莉と瑞希の昔暴露話は止まってくれそうにない。

 

 ……ように思えたのだが、その終わりは意外とすぐに来た。

 愛莉が席を離れて、瑞希に話してくれる相手が消えたのである。

 

 

「あっ、ごめんなさい。注文したものが来る前に少し、席を外させてもらうわ。注文したものが来たら、机に置いてもらってもいい?」

 

「いってらっしゃい、冷める前に帰ってきなよ」

 

 

 愛莉を見送ると、タイミングよく店員さんが料理を持って来てくれる。

 

 出来立ての料理が4つ分なので、湯気がすごい。

 猫舌な瑞希は困ったように眉を下げてから、こちらへ顔を向けた。

 

 

「ボクも冷めるまでちょっと、席を外そっかなぁ……ボクのフライドポテト、食べないでよー?」

 

「食べないっての。心配なら早く行って、早く帰って来なさいよね」

 

「はぁい」

 

 

 うだうだと言葉を重ねる瑞希を席から追い出してから、私は腕を組んで料理を眺める。

 スプーンにも手を伸ばさず、一向に食べ始めない私に雫は首を傾げた。

 

 

「絵名ちゃんは食べないの?」

 

「2人もどこかに行っちゃったら、先に食べるのもアレでしょ。ちょっとぐらい待とうかなって」

 

「ふふ、そうなのね。なら、私も一緒に待とうかしら」

 

「えっ。待ってるのは私の都合なんだから、雫は先に食べててよ」

 

「絵名ちゃん、ありがとう。でも、私も一緒に待ちたいから、気にしないで。愛莉ちゃん達が戻ってくるまでお話ししましょ」

 

「雫がいいなら……」

 

 

 ──そうやって雫と待つこと幾分か。

 

 お喋りしている間に料理から湯気が消えて。

 瑞希と愛莉が戻ってくる頃にはすっかり料理が冷たくなり、恨めしい目を2人に向けてしまったのは許してほしい。

 

 理不尽だからって怒りを我慢しただけ、私は偉いと思うのだ。

 

 

 





(記憶喪失えななんの)お悩み聞かせて! わくわくピクニックと化したイベストです。

次回は愛莉さんの方に行った瑞希さん視点でいきます。


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87枚目 【暁山さんの気になること】


瑞希さん視点で進みます。




 

 

 

 料理が熱そうだから〜、なんて、ありそうで取ってつけたような理由で席を立つ。

 

 もしもボクのポテトが絵名の胃の中に消えていても、必要経費かな。

 ボクの好きなモノよりも優先すべき情報があるのだから。

 

 ──桃井愛莉ちゃん。

 テレビにも出ていたアイドルで、最近はモモジャンとして配信活動中のアイドル。

 

 ……そして、ボクの知らない絵名を知っているかもしれない人物だ。

 

 高校での絵名は、まふゆから凡そ聞いている。

 でも、ナイトコードで絵名本人から聞いている話と乖離していないし、そこから探してもボクが見つけたいものは見つからなかった。

 

 

(だからきっと、過去にあるはずなんだ……絵名がすっごく悩んでいる原因が)

 

 

 ボクにだって秘密があるのだ。

 あんなに寂しそうに笑っていた絵名に、秘密がない方がおかしい。

 

 

 

 

 ──それに、この中で1番伝えてないのは間違いなく瑞希じゃないから、そう思い詰めなくてもいいんじゃない?

 

 

 

 

 今でも電車の音を思い浮かべれば想起される、絵名の声。

 

 結局、あの言葉の意味は本人の口から出てこなかったけれど、何を言いたかったのかなんて容易に想像できる。

 ボクが1番じゃないというのであれば、そう言った本人が1番、伝えていないと思っているのだ。

 

 

(絵名がバスに乗る前に『約束しよう』って先んじて言ってくれたのと同じで……ボクだって絵名が最近、苦しそうだってことぐらい、わかるんだよ)

 

 

 最初は何か嫌なことがあったのかな、と思う程度だった。

 

 ふとした瞬間、周りに誰もいないと絵名が思っている一瞬だけ。

 顔を顰めて、スケッチブックを睨みつけている時があるのだ。

 

 気のせいならそれでいい。ボクの杞憂なら笑い話になるでしょ。

 何もないのならそっちの方が安心だけど、何かあった時が怖いんだよね。

 

 

「見つけた……っ」

 

「あれ、暁山さん? ……何かあったの?」

 

 

 お手洗い付近で、ピンク色の髪が見える。

 それに向かって一直線に進むと、愛莉ちゃんがボクの顔から何かを読み取ったのか、ゆっくりとした声で問いかけてきた。

 

 

「あの、さっきの絵名の話をもう少し聞きたくて」

 

「本当にさっきの続きでいいの? 絵名から離れてまで話を聞きにきたってことは、あの子に聞かれたら不味い話なのよね?」

 

「えっ……」

 

「あら、違った?」

 

 

 流石はアイドルなのか。愛莉ちゃんはあっさりとボクが聞きたい話の大枠を言い当てた。

 話が早い分、ここで頷いてもいいのか、ボクは躊躇ってしまう。

 

 どう切り出したら話を聞けそうかと考えていると、愛莉ちゃんの方から話を切り出してくれた。

 

 

「私もついこの間、絵名と久しぶりに会ったんだけど……あの子、何か悩んでるみたいなのよね」

 

「愛莉ちゃんも?」

 

「ってことは、暁山さんもそう思ったのね。気のせいだったら嬉しかったんだけど」

 

 

 眉を下げた愛莉ちゃんはボクを手招きして呼びつつ、お店の隅まで歩く。

 話をするにあたって、お手洗いの近くで屯するのは邪魔だろうと判断したみたいだ。

 

 ……その辺の気遣いが全くできていなくて、ごめんなさい。反省します。

 

 

「さてと。暁山さん……といつまでも呼ぶのはアレね。瑞希って呼ばせてもらってもいいかしら?」

 

「うん。こっちはいつもの癖みたいなもので愛莉ちゃんって勝手に呼んでたし、全然大丈夫」

 

「ありがとう。それで、聞きたいことは絵名の過去のことでいいの?」

 

「過去、というか高校生より前の絵名を知りたいんだ。そこに絵名が悩む何かがあるんじゃないかって思ってて」

 

 

 ボクの知らない絵名のことを、親友の愛莉ちゃんなら知っているのではないか?

 

 ボクはそう思っていたのだけど、少し違っていたようで。

 申し訳なさそうに眉を下げて、愛莉ちゃんは口を開く。

 

 

「ごめんなさい。確かにわたしと絵名は同じ中学だったから、中学時代は大体知っているけど……瑞希が望むような答えは知らないと思うわ」

 

「それってどういうこと?」

 

「瑞希は絵名の悩みが過去に関係するんじゃないかと思って、わたしに聞いてくれたのでしょう? でも、わたしは思い悩むような原因を詳しくは知らないのよ」

 

「……答えてくれてありがとう、愛莉ちゃん。じゃあ、お昼を食べに戻ろっか」

 

 

 知らないのであれば仕方がない。

 

 親友の愛莉ちゃんも知らないのであれば、残された手段は弟くんを捕まえて、何とか吐いて貰うことかなぁ。

 頭の中で物騒な算段を立てていると、愛莉ちゃんから「待って」と呼び止められる。

 

 

「聞くのは難しいかもしれないけれど、絵名の気分転換に誘おうとしていた場所があるのよ。瑞希も一緒に行かない?」

 

「え、ボクも?」

 

「ええ。悩み事がわからなくても気分転換になればいいかなって、雫も連れていこうと思ってたのよね」

 

 

 元気になればそれでいい、というのが愛莉ちゃんの答えなのだろうか。

 確かに、未来のことを考えなければそれでいいのかもしれない。

 

 ……ボクも待ってもらっている身だし。

 

 

「じゃあ、詳しい話を聞かせて貰っても良いかな?」

 

「ええ、連絡先を交換しましょ。遊び終わったら作戦会議よ!」

 

 

 その後、連絡先を交換してから席に戻ったのだけど。

 全く手を付けられることなく、冷めた状態で乗っている料理達を前に、不機嫌そうな絵名が両手を組んでこちらを見ていた。

 

 

「2人共、仲良く遅かったわねー」

 

「あ、はは……まさか待ってくれてるとは思わなかったな~」

 

「うん、それで?」

 

「申し訳ございませんでした」

 

 

 ボクのせいで愛莉ちゃんも遅れてしまったので、午後からは絵名のご機嫌取りに終始した。

 

 長話はするもんじゃないね、とほほ。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 家に帰ってから、愛莉ちゃんとは大体の打ち合わせは完了させた。

 

 ──あのカフェで仲良くなったボクらは連絡先を交換し、愛莉ちゃん達と一緒に遊ぶことになった。

 そういう流れで絵名も誘って、一緒にピクニックに行く。これが今回のボクのミッションだ。

 

 

(で、そのチャンスがあっさりやって来たと。ボクってば日頃の行いが良すぎて困っちゃうなぁ)

 

 

 まふゆが明日の委員会の準備で少し席を離れ、奏は現在夢の中。

 深夜のナイトコードにはボクと絵名しかいない。

 

 まるで、ここで話しなさいと神様が指示してくれてるようなチャンスだ。

 

 

「ねぇねぇ、えななーん」

 

『遊んだ後だっていうのに元気ねぇ。で、どうしたの?』

 

「いや、今日ってお昼に愛莉ちゃん達と会ったじゃん」

 

『そうね、アレはビックリしたわね。お昼は冷たいしさ』

 

「そこに関してはごめんってば〜」

 

 

 食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言ったものだ。

 あのお昼の後も絵名の怒りは収まらなくて、ボクは愛莉ちゃん達と別れた後も平謝りだったもん。

 

 最終的には『私が待ってたのが悪いんだけどね』と悲しそうに笑ってたので、見ているこっちの胸が痛かった。

 

 

「って、そうじゃなくてさ! 本題はこの後からで、愛莉ちゃんと連絡先を交換して、帰ってから電話もしたんだよ」

 

『あの短い時間で連絡先を交換したの? Amiaのコミュ力が怖いわ』

 

「まぁ、ボクにかかればこれぐらいはねー」

 

 

 嘘である。

 本当は絵名補正がとんでもないことになっていたからであって、ボクのお手柄なんてほぼない。

 

 

「その話の中で、来週の土曜日に良かったら遊ばないかって言われてさ」

 

『へぇ。愛莉が初対面の相手を誘うなんて珍しいけど、良かったじゃん』

 

「そこで、相談がありまして」

 

『……急に下手に出るわね』

 

 

 イヤホンから苦笑いするような声が聞こえてくる。

 わかっているんだろうけど、ボクが言うのを待ってくれているであろう声だ。

 

 

(ほんと、絵名はズルいよね)

 

 

 こっちにはスルリと入り込んで、手を伸ばしてくるのに。

 なのに、こっちが伸ばした手は見ないフリをするのが上手なんだ。

 

 だからこそ、こんな遠回りなことをしてるんだけどさ。

 

 

「愛莉ちゃんの他に雫ちゃんも来るらしくて、流石にその2人相手に、初回からボクだけ混ざるのは勇気がいるといいますか」

 

『……つまり、付いて来てほしいってこと?』

 

「本題は来週の土曜日、一緒に遊ぼっていう誘いだけどね」

 

『んー、でも。Amiaが誘われたところに、私も混ざっていいの?』

 

 

 至極当然の疑問だけど、そもそも愛莉ちゃん達とボクが遊ぶ理由が『絵名』なので、何1つ問題はない。

 

 前向きそうな絵名の様子に、ボクは思わず食い気味に頷いてしまった。

 

 

「全く問題なし! 愛莉ちゃんも『気まずかったら絵名を誘っても良い』って言ってたからね」

 

『ふぅん、ならいいけど。来週の土曜日なら空いてるし、どこに遊びに行くのかとか、必要なことを教えてもらってもいい?』

 

「オッケー。えっと、愛莉ちゃんに聞いた話はね──」

 

 

 絵名もボクか、あるいは愛莉ちゃんが共犯で何か考えてるだろうという可能性も考えているだろうに。

 

 

『じゃあ、来週の土曜日、予定空けておくから』

 

 

 特に何も聞かず、嫌な素振りも見せず。

 こちらの作戦に乗ってくれる絵名に対して、流石というべきなのかな。

 

 予定を詰めてから絵名が落ちるのを見送ってから、ボクは息を吐いた。

 

 

「ふぅ、第一段階は成功か」

 

『……みたいだね』

 

「うわっ、雪ってばいつから聞いてたの!?」

 

 

 さらりと離席していたはずの(まふゆ)が混ざり込んでいて、ボクは上擦った声を出してしまった。

 

 正直、心臓に悪い。

 ここで奏に声をかけられてもビックリするけど、まふゆに声をかけられても心臓がうるさいぐらい高鳴っていた。

 

 

『途中から様子を見てただけ』

 

「遊ぶ約束をしてただけなんだけどね」

 

『でも、最近のえななんも今日のAmiaも、2人揃って変だったから』

 

「変って……そっかぁ」

 

 

 確かに、ボクも絵名の電車とかの様子が気になっていて、まふゆから見たら変に思われることをしていたかもしれない。

 

 

『えななんは隠れんぼが上手だって、ミク達が言ってた』

 

「はは、らしいや。隠れんぼが下手っぴなら嬉しいんだけどなー」

 

『……Amiaはえななんが上手な方が、嬉しいんじゃないの?』

 

「え? それってどういうこと?」

 

『わからない……けど、そう思っただけ』

 

 

 まふゆはそう言ってから、明日は委員会があるからと落ちてしまった。

 

 友達が苦しんでる方が嬉しいんじゃないかって、遠回しに言われているかのような言葉。

 そんなまふゆの言葉にボクが言い返せなかったのは──きっと。

 

 

(きっと、心のどこかでそういうことを思っているから、言い返す気になれなかったんだろうな……)

 

 

 

 ボク自身の問題を棚上げにできるからってさ。

 友達の苦しみすら逃げ道に使ったのか、ボクは。

 

 

 あーあ。

 ……自分が嫌になるな、ホント。

 

 

 

 

 






《えななんの最近の様子について》

証言K:えっと、ナイトコードとか作業の時は特におかしなことはないよ。でも、セカイにいる時はたまにスケッチブックを睨んでるから、絵のことで悩んでるのかも。

証言雪:……表向きは隠してる。けど、よく見てたら変だと思った。理由? さぁ、わからない。聞いても、誤魔化されるから。


ピクニックでえななんヒントタイムが挟まれるので、瑞希さんの視点がこの話以外にもう1話、入る予定です。
自然と瑞希さんの視点が多くなっちゃいますね。

次回は視点が戻ります。



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88枚目 山に誘われて

 

 

 

 

 瑞希が愛莉達に誘われたらしく、絵名もどうかと聞かれたのでついでに同行することにしたのが先週のこと。

 そして現在は愛莉と雫、そして瑞希の3人と共に観光バスに乗り込んで、目的地まで揺られていた。

 

 そもそも、この遊びに行くことすら意外な話だった。

 

 どう好意的に解釈しても、カフェでちょっと話した程度の仲で愛莉が遊びに誘うとは考えられない。

 ということは、愛莉と瑞希が何か考えて、私を遊びに誘った線が濃厚なのだけど……

 

 

(なのに、さっきから悪寒というか、嫌な予感するのよね……ピクニックに行くだけなのに)

 

 

 観光バスに乗ってからというものの、目的地に近づけば近づくほど、何故か私の体が悪寒で震える。

 

 ピクニックだと聞いたので軽装で来てしまったけれど、向かっているのは山だと聞いたし。

 今の服装は本格的な山登りを考慮すると心もとないので、この悪寒はそういう不安からくるものなのかもしれない。きっとそうだ。そうに違いない。

 

 

(流石に本格的な山登りはしないだろうし、大丈夫。うん、落ち着こう、私)

 

 

 不安を無理矢理押し込んで、軽い咀嚼音が聞こえてくる窓側の席へと視線を向ける。

 隣に座っている瑞希は私みたいに不安も何もないようで、呑気に大袋のポテトチップスを食べていた。

 

 

「瑞希ったらまた、匂いのキツイものを食べて……私が乗り物に弱かったらどうするのよ」

 

「え? でも、絵名ったらこの前のツアーの時も、バスの中でスマホ見てたじゃん。弱いってことはないでしょ」

 

「それはそうなんだけど」

 

 

 スマホや本を見ていたら酔う人は酔うらしいが、幸いなことに、私はスマホを見ていてもバスの中で酔うことはなかった。

 ならば、油の匂いで酔うこともないだろう予測して、瑞希はポテトチップスを食べているらしい。

 

 

(一理あるって思っただけに、ちょっとムカつくんだけど)

 

 

 何か八つ当たりしてやろうかと思案して、やっぱり思いつかなかったので視線を窓側から反対側へと変えた。

 

 

「あら? 愛莉ちゃん、どうしましょう。スマホがアプリからホーム画面に戻れないわ」

 

「え、そんなことある? ちゃんと下から上にスワイプしてる?」

 

「してるはずなのだけど……固まっちゃてるわ」

 

「原因がわからないわね。1度、電源を落としてみたら?」

 

「私もそう考えたのだけど、スリープモードにすらならないから困ってるのよ」

 

「えぇ? そんなことってあるの?」

 

 

 あっちはあっちで呑気そうに見えるけど、小さいトラブルが起きている様子。

 困っているらしい雫よりも、隣で相談に乗っている愛莉の方が頭を抱えている。

 

 そういえば雫は地図を読むことと機械類が得意じゃないと、愛莉から聞いたような覚えがある。

 そういう私だって地図や機械類が堪能かと聞かれたら、怪しい部分もある。が、今回の症状は聞き覚えがあった。

 

 

「愛莉、スマホの電源ボタンを押したら上の方に何か出てきてない?」

 

「え? ……あっ、アクセスガイドってのがオンになってるって」

 

「サイドボタン──えっと、電源ボタンをトリプルクリックしたら解除できるって出てるでしょ」

 

「まぁ、本当に出てるわ。ありがとう、絵名ちゃん」

 

 

 雫が先んじてお礼を言ってくれているものの、まだ早い。

 アクセスガイドが原因なのであれば、パスワードが必要なのだ。

 

 そして、自分のスマホの状態をわかっていなかった雫が、パスワードを覚えている可能性が高いとは言い切れない。

 

 

「良かった、いつものパスワードだったからホーム画面に戻れたわ。絵名ちゃん、愛莉ちゃん、ありがとう」

 

 

 そう思ったのだが、どうやら私の心配は無用だったらしい。

 ……のだけど、新しい問題が噴出したらしく、愛莉が湿度の籠った目を雫に向けた。

 

 

「もしかして、全部のパスワードを統一してるの? ダメよ、そういうのは」

 

「でも、統一してないとこういう(・・・・)ことが起きた時に、対応できないかもってしぃちゃんが言ってたから」

 

「志歩ちゃんが? 確かに今回は助かったわね。でも、うーん」

 

 

 実際に統一していたことによって、今回のケースは助かったのを見ていただけに、愛莉は再び頭を抱えている。

 通路分の空きがある私は見ていないフリをして、瑞希からポテチを1枚、貰うことにした。

 

 

 そうしている間にも観光バスは真っ直ぐ、目的地へと進んでいく。

 ちなみに、雫のパスワード問題は目的地まで目と鼻の先のところにくるまで解決せず、最終的には一旦保留になったらしい。

 

 

 

 それにしても、雫はいつアクセスガイドなんてものを設定したのだろうか。

 あれ、態々設定しないと使えないはずなんだけど。

 

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 バスから降りた私達は、他の観光客と一緒に案内板の前まで歩いて来ていた。

 

 

「うわー! すごいね! 頂上じゃないのに、遠くの山まで見えるよっ」

 

 

 瑞希は大はしゃぎで山々が見える方へと指を差す。

 瑞希の言う通り、まるで絵画のように遠くの山がはっきりと見える。

 

 これは絵の題材にももってこいだろうし、SNSにあげるのもいいかもしれない。

 資料用兼、SNS用に何枚か写真を撮って、私は瑞希に声をかける。

 

 

「瑞希ー、山をバックに写真を撮りましょ」

 

「いいけど、アップしないでよー?」

 

「はぁ? 身バレするような写真は上げないわよっ」

 

 

 バカなことを言ってくる瑞希に言い返して写真を撮っていると、愛莉と雫もこちらにやって来た。

 ついでに2人もいれて写真を撮って、想いで作りも忘れない。私は記録には熱心な方なのである。

 

 私が満足いくまで写真を撮ってから、タイミングを見計らっていたらしい愛莉は手提げの鞄を見せつけるように持ち上げた。

 

 

「そろそろお腹もすいてきたし、景色でも見ながら休憩しましょ。わたし、お弁当を作ってきたの」

 

「愛莉ちゃんのお弁当!? やったね、食べる食べる~っ」

 

 

 瑞希の反応が友達じゃなくて、ファンのそれである。

 

 山にピクニックに行くと聞いて、お昼はどうするのかと思っていたが……まさか、愛莉が準備してくれていたとは予想外だ。

 だが、聞いていないのは私だけだったようで、雫は特に驚いた様子もなく微笑んでいた。

 

 

「ふふ、愛莉ちゃんのお弁当は美味しいのよね。楽しみだわ」

 

「私も愛莉に教えてもらったところもあるし、料理の腕はお墨付きだよね」

 

「絵名ちゃんは愛莉ちゃんに料理を教えてもらったのね」

 

「うん、まぁね」

 

 

 そもそも、料理を始めるきっかけが愛莉のお弁当を見てからだった。

 そこからお母さんの手伝いもあったので、料理という分野の師匠は愛莉とお母さんかもしれない。

 

 そんなことを考えている間に、愛莉が近くにあった机にお弁当を広げ始めた。

 1人だけに負担を押し付けるのは不本意だ。私も慌てて愛莉の手伝いをする。

 

 

「わっ、これはまた手の込んだお弁当……!」

 

 

 思わずスマホを握りそうになるぐらい、見栄えも良い美味しそうなお弁当だ。

 

 これは仕込みも大変だったに違いない。

 スマホから手を離して右隣にいる愛莉の方を見れば、自慢げな目と目が合った。

 

 

「事前に皆の好きなものを聞いてたから、昨日の夜から仕込んで皆の好きなものを入れたわよ!」

 

「それでこんなに美味しそうなポテトがボクの目の前にあるんだね~。いっただっきまーす♪」

 

 

 向かい側に座る瑞希が嬉々として取り出したフライドポテトは、細目に切られていた。

 温かいものを出せない『お弁当』という分野で最大限、相手に喜んでもらうためにカリカリした食感を目指したらしい。

 

 真ん前に座っている雫が好きだという湯葉の揚げ物もあるし、私用にチーズケーキもあった。

 そして何より──にんじんが入ってない! 最高!

 

 

(流石、私の大親友、わかってる!)

 

「──絵名? 変な顔してるけど大丈夫?」

 

 

 心の中で両手を挙げて大万歳していたら、愛莉が苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。

 

 人参がなくて感動していました、なんて間抜けなことは正直に言えない。

 私は神妙な顔を作って、それらしい言葉を頭の中から捻りだす。

 

 

「んんっ……ごめん、愛莉が好きなものを作ってくれたって事に、ちょっと感動してて」

 

「チーズケーキぐらいで大袈裟よ。ほら、今回のはレモンを多めに入れてみたの。食べてみて」

 

「うん、頂きます」

 

 

 と、言ったものの、先にチーズケーキを食べるような真似はしない。

 他にも愛莉が作ってくれた美味しそうなご飯が沢山あるので、そちらを先に楽しむ。

 

 

(そして最後にチーズケーキ。うーん、やっぱり愛莉のはお店のモノみたいに美味しいのよね~)

 

 

 自分で作ったものは自分の好きな味ではあるものの、やっぱり他人が作ったものの方が美味しく感じる。

 

 濃厚な味であるにも関わらず、レモンの爽やかな酸味で引き締められて、嫌らしさがない。

 

 土台になっているタルト生地の優しい甘味が土台になって、チーズケーキ部分の強みを強調しているのがまた、個人的にポイントが高かった。

 

 

「どうしてこうも、愛莉のケーキは美味しいのかなぁ……自分で作ってもここまでの味にはならないのにね」

 

「相手より極端に上手く作れるとかじゃない限り、自分で作るよりは作って貰った方が美味しいと思うわよ?」

 

「じゃあ、一生愛莉には敵わないじゃん」

 

「わたしはアイドルになるから、絵名が料理人になればいけるかもよ」

 

 

 愛莉は笑いながらそんなことを言うけれど、その答えの回答は既に決まっている。

 

 

「それなら、一生敵わなくて良いわ」

 

「プフッ。いや、予想はしてたけど、急に真顔になるのはやめてっ」

 

 

 余程面白かったのか、愛莉は吹き出して笑っていた。

 

 

「絵名の顔がスンッてなってる! あんな漫画みたいにスンッて顔になってるの初めてみた……!」

 

「あら、皆楽しそうでよかったわ」

 

 

 さらに、こちらのやり取りを見ていたらしい瑞希も、私の顔を見て大爆笑だ。

 

 雫だけはマイペースに湯葉の巻き揚げを食べて、楽しそうにこちらを見ていたので、全く問題なし。

 愛莉もお弁当と美味しいチーズケーキを作ってくれたので、マイナスポイント対象外にしよう。

 

 ……とりあえず、マイナスポイントは瑞希だけか。

 許してあげないし、これは決定事項だ。

 

 理不尽なポイント制を頭の中で導入しつつ、私達はピクニックの昼ご飯を楽しむのだった。

 

 

 





それにしても、雫さんの機械音痴ってどうなってるんでしょうかね。
電話中の愛莉さんのスマホを物理的に破壊するぐらい、とんでもないことだけは確かなんですけど。


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89枚目 凄腕のような手腕

 

 

 

 楽しかったランチタイムも終了したので、いつまでも休憩しているわけにもいかない。

 率先してお弁当の準備をしてくれた愛莉に感謝を伝え、私達は再び山を歩こうとした、のだが。

 

 

「あら。向こうに人が集まってるわね、何かしら?」

 

 

 雫が人集りを見つけて、出発しようとしていた一同の足が止まる。

 スタッフらしき人が『受付、最後尾』と書かれた看板を持って声を出している。

 

 どうやら『グリーンアドベンチャー』とやらのイベントの受付をしているようだ。

 

 直訳すると緑の冒険。いや、ちょっとセンスのない訳し方をしたかも。

 そんなバカなことを考えていると、愛莉が補足を入れてくれる。

 

 

「あのイベント、散策しながら植物や川の名前を答えるゲームみたいなものらしいわよ」

 

「へぇ。愛莉、よく知ってるわね」

 

「これ、バスを降りる時にガイドさんに教えてもらった受け売りなんだけどね」

 

 

 愛莉の話から、隣に立っていた瑞希がウズウズし始めた。

 今にも行きたいと言い出しそうな雰囲気だが、1つ、個人的な問題がある。

 

 

(グリーンアドベンチャーということは、そっちに進むと虫が多そうなのよねー。ただでさえ山って虫が多いのに)

 

 

 瑞希も乗り気だし、愛莉も行くかどうか聞きそうな様子だ。

 

 

(はぁ……虫、かぁ)

 

 

 ここで嫌だと言うのは簡単だけど、行きたがっている友達に1人だけ残るとは言い難い。

 どうすればいいのか頭を悩ませている私の前で、愛莉と雫が示し合わせるように頷いた。

 

 

「1人は興味津々だけど、1人は嫌そうね。ねぇ、瑞希。良かったらわたしと一緒にイベントの方に行かない?」

 

「絵名ちゃんは私と一緒にイベントのゴールまで歩いてくれたら嬉しいだけど、どうかしら?」

 

 

 私にとっては渡りに船な話である。

 だけど、瑞希は少々戸惑っているようで、一瞬、私と愛莉の間で視線が泳いだ。

 

 私も1つ、気になるので提案してくれている雫に尋ねる。

 

 

「雫は参加しなくてもいいの? 私に合わせて無理してるのなら、皆で参加する方が良いと思うし」

 

「無理はしてないわ。ただ、イベントのコースはちょっとわかりにくい地図だったから、もしもを考えると怖くて」

 

「そうなの?」

 

「ええ、そうなの」

 

 

 バスの中でのスマホの操作を思い出すと、機械類の操作が苦手というのは強ち大袈裟な表現ではなさそうで。

 そういう事例を直前に目撃してしまったばかりに、地図を読むのも苦手だという自己申告も誇張されているようには思えない。

 

 気遣いが大半ってところだろうが、雫の言葉そのものも嘘だと切り捨て難い。

 それに雫の提案を断る理由もないので、私はまだ決めていない人物の方へと視線を向けた。

 

 

「じゃあ、お言葉に甘えて私も行かないことにしようかな。瑞希はどうする?」

 

「折角だから行きたいけど……絵名達が行かないのに、ボクらで行くのもねぇ」

 

「……ねぇ、瑞希」

 

 

 私の問いかけに渋っていた瑞希が、愛莉に耳元で何かを囁かれた。

 一体どんな魔法を使ったのやら。嫌がっていたはずの瑞希の様子が反転する。

 

 

「──うーん。確かに、絵名の方には雫ちゃんがいるもんね……なら、お言葉に甘えてボクも楽しんじゃおっかな〜♪」

 

「なら、早速受付しましょ」

 

「そうだねー……って、あぁ、そうだ」

 

 

 愛莉と話していたはずの瑞希が、くるりとこちらに振り返る。

 

 

「絵名、虫が嫌いだからって、雫ちゃんの迷惑にならないようにね」

 

「は? いや、ならないから! ……もう、遊んでないで早く行ってきたら?」

 

「はは。それじゃあ、また後で合流しようね!」

 

 

 ウキウキな瑞希が受付の人に向かって走り、愛莉がそれを追いかける形でその場を立ち去る。

 

 瑞希の手綱は愛莉に任せておいてもいいだろう。

 

 

「じゃあ、こっちはこっちで散策しよっか」

 

「そうね。緑が綺麗だから、どこを見ても良さそうだわ」

 

「確かに。スマホの容量が気になるけど、資料用に撮り溜めようかな」

 

 

 私はスマホを片手に自分が描きたいと思った構図で写真を撮る。

 絵と写真というものはよく似ているもので、写真は写真でこれまた奥が深いのである。

 

 スマホで撮影しているけれど、カメラとかで撮っても面白い景色なのかもしれない。

 私はそこまで写真に熱を上げてないので、今度、小豆沢さんに話を聞いてみても面白いかもしれない。

 

 

(──よし、思いつく構図は撮れたし、成果は上々ね。さてと、雫はどこに……あれ?)

 

 

 きょろきょろと見渡してみると、雫が眉を下げてスマホと睨めっこしていた。

 スマホで何かしたいみたいだが、表情を見た感じ、あまり上手くいっていないらしい。

 

 

「雫、どうかしたの? 手伝おっか?」

 

「あっ、えっと……なんでもないわ」

 

 

 何か力になれないかと問いかけたのだけど、素早くスマホを片付けられてしまった。

 

 これは余計なことをしてしまったのかもしれない。

 

 ほんの少し申し訳なくて口を開けないでいると、雫が両手を合わせて問いかけてきた。

 

 

「ところで、絵名ちゃんは写真をちゃんと撮れたの?」

 

「こっちはバッチリ! あぁでも、瑞希達の方も景色が良さそうだし、写真撮ってくれないかなぁ……虫さえ多くなければ、参加できたのにごめんね」

 

「ふふ、気にしないで。瑞希ちゃんと愛莉ちゃんが仲良く楽しんでるでしょうし、こっちはこっちで楽しみましょ」

 

「そうね。あの2人、すーぐ仲良くなったし」

 

 

 カフェでお昼を一緒になったあの一瞬で、連絡先を交換して、翌週にピクニックまで行く約束までするのだ。

 

 ナンパだったら驚愕の手腕である。瑞希と愛莉の距離の縮まり方に驚くことしかできない。

 あの2人は距離の取り方も上手だし、爆速で距離を縮めてここまで来たのだろう。

 

 私には真似のできないことなので、乾いた笑みしか出てこなかった。

 

 

「私じゃそんなにすぐに距離を縮められないし、すごいよね」

 

「そうかしら。絵名ちゃんもお友達が多いし、私ともすぐに仲良くしてくれたでしょう? 愛莉ちゃんと近い気がしたのだけど」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、愛莉のお茶の間のアイドル感は尋常じゃないのよね」

 

「あぁ。愛莉ちゃんは親しみやすいものね」

 

 

 えむちゃんといい、私の知り合いのピンク系統はコミュニケーション能力というか、人の機微に敏感な人が多い。

 恐るべき、ピンクパワーである。

 

 そんな会話をしている間に休憩ポイントが見えてきて、雫はこちらに視線を向ける。

 

 

「だいぶ歩いたし、そろそろ休憩にしない?」

 

「そうしよっか。あっちに自販機もあるし、飲み物買ってくるよ。雫の分も買ってこようか?」

 

「大丈夫よ。私はここで待ってるから、いってらっしゃい」

 

 

 雫に遠慮されてしまったので、私はおとなしく自販機の方へと向かう。

 

 自販機には麦茶やら色々あったけれど、丁度よく無糖の紅茶も並んでいた。

 自分で淹れるよりもチープな味だが、ペットボトル飲料にも良い部分がある。

 

 

(学校の自販機にはないから、久しぶりに飲もっかな)

 

 

 そうやって即断即決せずに飲み物を購入してしまったせいだろうか。

 私が雫の元に戻ると、雫は2人組の男に絡まれていた。

 

 雫と男2人の距離が近いし、何よりも雫の顔が困っているようにも見える。

 私はいつでも操作できるようにスマホを握りしめて、慌てて雫の元へと駆け寄った。

 

 

「あの、この子に何か用ですか?」

 

「絵名ちゃん……!」

 

 

 男2人組と雫の間に割って入り、じっと2人を見つめる。

 

 雫と対面している時はそこまで大きく感じなかったけど、山に来ている男性なだけあって、身長も大きいし体格も悪くない。

 

 ナンパかと思って警戒していると、男2人はこちらの様子なんて気にもせず、声をかけてきた。

 

 

「君、誰? もしかして君もアイドル?」

 

「えっ、じゃあ俺達と写真撮ろうよ」

 

「は?」

 

 

 ……どうやらナンパでなく、雫目当てのファンのようだ。

 有名人であれ、プライベートに乱入してくるヤツだから碌でもないのだろうとは思うけど、ファン相手に乱暴な対応は難しそうである。

 

 雫も写真は撮れないと断っているが、それでも男達は食い下がってしつこい。

 

 

「私はアイドルではありませんし、雫も今は一般人の私と遊んでる最中なんです。この子がアイドルであれ何であれ、相手のプライベートにズカズカと入り込んで、対応を強要するのは如何なものかと思いますが」

 

「えー、でも。ファンがこれだけお願いしてるんだから、写真ぐらい──」

 

「ファンだと言うのなら尚更、相手の迷惑になるようなことはやめた方がいいと思います。それに、雫が一緒に撮れないと断ってる以上、写真は無理なんです。それでも無理を通そうとするのであれば、こちらもそれなりの対応をしますよ。どうしますか?」

 

 

 ファンだからといって、なんでも許されるはずがない。

 やるならこっちもやる気だぞ、という気持ちを込めて目を細めていると、後ろにいたはずの雫が私の前に飛び出してきた。

 

 

「あ、あの! 写真は無理なので、サインならいけますよ。おふたりの名前も書いて……どうかしら?」

 

「……雫、いいの?」

 

「ええ。絵名ちゃん、ありがとう」

 

 

 雫がそういうのであれば、アイドルや芸能人でもない私は引き下がるしかない。

 

 私が素直に引き下がれば、さらさらと紙にサインを書いた雫が男達に近づく。

 雫が笑顔でファンだという男達の対応する姿を遠目で眺めつつ、私はこっそりとため息を漏らす。

 

 遠目で見てもわかるぐらい、一触即発だったファンも満足そうだ。

 流石はアイドルといったところか。私が噛みついている間に雫が1人で問題を解決してしまったし、割り込みは要らぬお節介だったらしい。

 

 

「さっきのは、余計なお世話だったみたい」

 

「──そんなことないわ。絵名ちゃん、さっきはありがとう。困っていたから助かったわ」

 

 

 対応し終えたらしい雫がこちらに戻ってきて、嬉しそうに笑った。

 結局、雫が全部丸く収めたのだから、こちらとしてはお礼を言われても困るのだが。

 

 私はそう思っているのだけど、雫は違うようで、もう1度お礼を言ってきた。

 

 

「絵名ちゃんが間に立ってくれなかったら、私、ずっとおどおどしたままだったと思うの。だから、ありがとう」

 

「別に。すぐに雫が対応してくれたし、私なら強引に突っ撥ねてたから。お礼なんていいって」

 

 

 有名人とはいえ高校生のプライベートに割り込み、ファンを免罪符に無理を言う奴なんて塩対応で良い。

 そういう思考が今でも残っている時点で、雫が間に入らなければ、私がどんな対応をしてしまうかなんて容易に想像できる。

 

 そう思っての発言だったのだけど、雫はそれでも引き下がらない。

 

 

「でも、絵名ちゃんが間に入ってくれて、心強かったもの。だからお礼を受け取って欲しいの。ダメかしら?」

 

「いや、ダメってわけじゃないけど……じゃあ、さっきのはお互い良かったってことで」

 

「ふふっ、そうね」

 

 

 結局、私が負けて、アドベンチャーから帰ってきた瑞希達と合流することになった。

 

 

 

 






『私は雨』っていい曲ですよね。無限に聴いてられます。
ただ、タイトルでこう……絵名さんの雨への因縁というか、絡みが明確になってしまったせいか『絵名さんは雨女説』が作者の中に浮上してしまいました……


まふゆ「絵名って雨女らしいね」
絵名「はぁ? 違うから! そもそもどこから来たの、その情報!?」
まふゆ「それは……」チラリ
瑞希「やーい、絵名の雨女ー」
絵名「あんたが犯人かっ!」

……みたいなやり取りを無限にしててほしいですね。


次回はえななん達と別れた瑞希さん視点です。


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90枚目 【暁山さんと少しの手かがり】


今回は瑞希さん視点で進みます。





 

 

 

 絵名と雫ちゃんとは別に、ボクは愛莉ちゃんと一緒にグリーンアドベンチャーに来ていた。

 

 絵名が乗り気じゃないのであれば参加するのもと躊躇っていたところ、愛莉ちゃんの言葉でボクの意思はころっと反転しちゃったのだ。

 

 唯一、絵名の中学時代を知ってる人に『絵名のことで話したいことがある』って言われたのだから、仕方がない。

 欲しい餌がチラついてたら、ホイホイついて行っちゃうよね。

 

 ……それはそれとして、折角遊ぶのならグリーンアドベンチャーも楽しもっと。

 

 

「えーっと。まずは1問目のパネルを探して、木の名前を答えるのね」

 

 

 ボクが色々と考えている間に、愛莉ちゃんが早速、周囲を見渡していた。

 順応が早い。愛莉ちゃんもボクと同じで楽しもうと思っていたんだろうか。

 

 マップと睨めっこして、それでもパネルが見当たらないのか、愛莉ちゃんは首を傾げる。

 

 

「マップだとこの辺にパネルがあるはずなんだけど、どこかしら」

 

「うーん……あ、この木の根元にあるヤツじゃない?」

 

「あ! やるじゃない、瑞希! えっと、このパネルには……ヒントが2つあるわね」

 

 

 愛莉ちゃんの隣に並んで、ボクもパネルを覗き込む。

 

 1つ目のヒントは、神社に植えられていることが多い。

 そして2つ目のヒントは、アオスジアゲハの幼虫がこの木の葉をエサにする。

 

 この条件に一致する特徴は図鑑とかクイズ番組で見た記憶がある。確か……

 

 

「その2つなら、クスノキかな」

 

「えっ、もうわかったの?」

 

「偶然、記憶にあるものだったからねー」

 

 

 別に植物に詳しいわけでもないし、偶然知っていたことを偉ぶれるほど、知識が豊富というわけでもない。

 

 パネルから視線を上に向ければ、鮮やかな緑とそれを支えるように茶色の木の幹が見える。

 木みたいなちょっと褪せて見える茶ではないものの、絵名の髪色と同じ茶色。

 

 

「……絵名、虫が苦手だけど大丈夫かな」

 

 

 瞼の裏に描かれるのはつい最近のこと。

 ミステリーツアーのトンネルで、真っ青になりながらも気丈にトンネルを歩いていた姿だ。

 

 前々から、暗いところは苦手だと言っていたけれど、あの反応はボクの予想外だった。

 叫ぶことなく自分の体を抱きしめて震えている姿を見れば、ボク自身の好奇心を恨みそうになったのは記憶に新しい。

 

 もしも、絵名が苦手なものに関してミステリーツアーのような態度になってしまうとしたら?

 ボクが予想していたように「キャーッ」って叫ぶことなく、震えていたら……ボクは今度こそ、自分を恨んでしまうかもしれない。

 

 

「お化け屋敷ならともかく、虫に関しては大騒ぎしちゃう程度だから、そこまで心配しなくても良いと思うわ」

 

 

 そんなボクの心配が顔に出ていたのか、愛莉ちゃんが自信ありげに頷いてくれた。

 お化け屋敷の話を出すということは、愛莉ちゃんも絵名の苦手なことについて知っているのだろう。

 

 

「虫は大丈夫なんだ?」

 

「普通に嫌いなだけらしいわよ。暗いのとはまた違うんですって」

 

「そっか、じゃあ大丈夫かな……大騒ぎして雫ちゃんに迷惑かけてないか心配だけど」

 

「そこも大丈夫でしょ。絵名ってしっかりしてるし」

 

 

 それもそうだ。

 ボク以外の面々をセットにしていたら、文句を言ったり喜んだり態度が違っていても、絵名は誰にでも世話を焼いている。

 

 雫ちゃんは同い年だけど、放っておけないと思ったら世話焼きお姉ちゃんモードに入るから、その辺りは心配ないのかもしれない。でも。

 

 

「頭ではわかっていても、気になるって感じね」

 

「あはは。やっぱり、わかっちゃう?」

 

「上手く隠せてると思うわよ? でも、少し上の空だから、何かあるのかなぁってカマかけてみたの」

 

 

 流石は大人の世界で揉まれてきたお茶の間のアイドル。

 

 ……いや、自分の露骨な態度を反省すべきだよね。自分のことなら隠せてる方だと思うんだけどなぁ。

 

 

「瑞希も気になってるみたいだし、次のポイントに向かいながら、本題に入りましょうか」

 

「本題って、受付前に言ってた話したいことってヤツ?」

 

「ええ、ちょっとだけ話したかったの」

 

 

 さっきまで溌剌とした笑みを浮かべていたはずの愛莉ちゃんは、神妙な面持ちでボクを見ていた。

 

 この先の話は揶揄ったりしていいようなものではないと、そんな警鐘が頭の中で木霊する。

 お腹に力を入れて、背筋を伸ばす。話を聞く体制ができたと伝えるために、ボクは小さく頷いた。

 

 

「絵名って自分の中に明確な線引きがあるのは、瑞希もわかってるわよね?」

 

「うん、はっきりとしてるよね」

 

 

 面倒見が良いし世話焼きであるけれど、絵名には絵名なりの線引きがある。

 ボクらはありがたいことに数少ない内側に入れてもらっているのかな、と思うんだよね。

 

 思い込みなら恥ずかしいけど。

 

 

「好意って意味でもそうなんだけど、それは触れて欲しくないラインも同じみたい」

 

「触れて欲しくないライン、か。もしかして、それが過去なの?」

 

「ええ、わたしの予想が正しいのなら、絵名が話したくない範囲は『中学2年生の時より前』だと思うわ」

 

 

 愛莉ちゃんと絵名が仲良くなったのは中学2年生の時であり、愛莉ちゃんも知らないとなると、必然的にそれより前になる。

 

 そこまでは愛莉ちゃんも予想していたらしいけど、何か予想外のことがあったのだろう。

 愛莉ちゃんは眉で八の字を作り、肺の中の空気を吐き出すように言葉を紡いだ。

 

 

「瑞希が欲しがってる答えもそこにあると思うわ。だからこそ、気をつけて欲しいんだけど」

 

「何でかって、聞いても良いかな」

 

「もちろんよ。少し長くなるけど、これは中学3年生の時、ある女の子がわたしの前に現れてから始まったことなの──」

 

 

 愛莉ちゃんは次のポイントへと歩きながら、その頃に起きたことを話してくれた。

 

 

 

 

 ──それは、愛莉ちゃんに『絵名の友達だという女の子』が接触したことから始まった。

 

 

 小学校の時から中学1年生まで、よく話していた女の子。

 しかし、中学2年生でクラスがバラバラになり、そこから女の子と絵名の関係は急に遮断された。

 

 女の子も最初の頃はクラスが離れたし、少し疎遠になっただけだと思っていたらしい。

 そう思っていたら1年が過ぎ、3年生になって少し時間が経っても、女の子が抱く違和感は消えなかった。

 

 連絡しても繋がらず、話しかけようにもやんわりと避けられて。

 体育の授業でペアになった時に声をかけても、どこか壁があって余所余所しい。

 

 そこで、違和感を無視できなくなった女の子は動いたのだ。

 

 他の友達は自然と疎遠になったらしいが、その子だけは絵名が心配だったらしく、愛莉ちゃんが学校に来ている時に相談したのだという。

 

 

「あの時はその行動がありがた迷惑だとか、考えてなかったのよね」

 

 

 話していて女の子も悪い子ではないように見えるし、何かすれ違いが起きたのだろう。

 そう考えた愛莉ちゃんは良かれと思い、絵名と女の子の仲をさりげなく取り持とうとした。

 

 

「それが絵名にとって、敵対行為みたいなものだったらしくて。ほんと、生きた心地がしなかったわ」

 

 

 軽く探りを入れる愛莉ちゃんに対して、絵名は瞬きするような間だけであるものの、感情が剥がれ落ちたかのような無表情になったそうだ。

 このままではまずいと思った愛莉ちゃんが慌てて取り繕うと、絵名は申し訳なさそうに「気持ちはありがたいけど、無理」と首を横に振ったという。

 

 女の子は悪くないし、全面的に自分が悪いのだけど──親友である愛莉ちゃんにもその理由は言えない。

 どうしても仲を取り持つつもりであれば、これまで通りに接することは難しい、と。

 

 そう言われてしまうと、愛莉ちゃんも踏み込めなかったようだ。

 

 

「その時、もっと深く話を聞いていたら……瑞希にも話せたかもしれないけどね」

 

「確かにそう言われるとボクも躊躇っちゃうかも。でも、愛莉ちゃんは知りたいとは思わなかったの?」

 

「思わなかったと言えば嘘になるわ。でもね、どんな過去があったとしても、わたしは絵名と親友だから。それなのに、絵名を悲しませてまで聞くことなのかなって、そう思っちゃってね」

 

「あ……」

 

 

 もしかして、絵名がボクに何も聞かないのも愛莉ちゃんと同じなのだろうか。

 

 それなのにボクはこうやって、絵名に内緒で探っている。

 ボクがやろうとしていることはもしかしたら、待ってくれている絵名に対して酷いことをしているのかもしれない。

 

 

「でも、瑞希のやろうとしてることもまた、1つの答えだと思うわ」

 

「え」

 

「わたしは選ぼうとしなかったことを、瑞希は選ぼうとしてる。それで絵名が楽になるのなら、わたしはそれも良いと思う」

 

「本当に、いいの?」

 

 

 愛莉ちゃんは絵名を思って知らないことを選んだ。

 なら、今話してくれたことだって、絵名との関係を壊したくないのであれば探るなっていう警告のはずで。

 

 自分でもわかるぐらい目を瞬かせてしまうボクに、愛莉ちゃんは苦笑した。

 

 

「わたしの時と瑞希の時とでは、絵名の周辺の関係が違うわ。今なら大胆な選択も選べるでしょうね」

 

「あっ、そっか。絵名の中学時代って」

 

 

 絵名本人も冗談半分で『絵画教室で話す子はいても、中学には愛莉以外に友達はあまりいなかった』と話していた記憶がある。

 

 ボクの考えたことは正解だったらしく、愛莉ちゃんは首肯した。

 

 

「あの時の絵名は孤立してたから。それこそ、わたしがいなくなったら本当に1人でずっと、絵にのめり込んじゃうんじゃないかってぐらいだったの」

 

「……流石は親友、似たもの同士って感じだね」

 

 

 後から聞いた話で、絵名も『まふゆが1人になるから、大人しくセカイに拐われた』と言ってたっけ。

 その時の絵名はまふゆの味方がいなくなっちゃうからって、ボクらが来るまで寄り添おうとしていたみたいだし。

 

 愛莉ちゃんも同じ気持ちで絵名に寄り添うことを選んだのだとしたら、本当に似たもの同士で、仲のいい親友なんだなって思う。

 

 

「絵名なら準備が整ったら首を突っ込みそうだけど、わたしは自分の夢を優先してしまったから……そう見えたのなら、嬉しいわね」

 

「ああいう芸当ができるのは絵名ぐらいだよ」

 

 

 ビックリするぐらいこちらを見ていて、的確に欲しい言葉や行動を取れるのは絵名のトンデモ能力だ。

 ボクだってそういうことに自信はあったんだけど、絵名のアレには勝てない。

 

 普通の人なら躊躇うようなことも選択肢に入れてるからこその強みだってわかってるから、ボクもあまり見習おうとは思わないんだけどね。

 

 

「2人っきりになった割に、瑞希が知りたいことは何も話せなくてごめんなさい」

 

「そんなことないよ、色々と聞けて助かったし……それに、今から愛莉ちゃんが知ってる中学時代の絵名の話とか、聞きたいからねー」

 

「あら、じゃあ何から話そうかしら」

 

 

 そう言って笑う愛莉ちゃんは、絵名があまり語らない中学生の時の話を面白おかしく話してくれた。

 

 ……これがまた、面白いのがちょっとずるい。

 

 

 

 でもまぁ。

 愛莉ちゃんの話を聞いているうちに──いつか、ボクも絵名も真っ直ぐ話せるようになったら良いなって思ったのは、ボクだけの秘密にしようかな。

 

 






記憶喪失えななんの秘密に迫るためのほんの少しのヒントを添えて。

次回は視点が戻ります。


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91枚目 戻って来れるのか?

 

 

 

 

 グリーンアドベンチャーから瑞希と愛莉が戻ってきた。

 2人はどうやら、イベントに行く前よりも更に仲良くなったらしい。

 

 

「ねぇねぇ、絵名。親指立ててー」

 

 

 帰ってきた瑞希は楽しそうな様子を隠しもせず、私に向かって親指を立てた。

 

 一体、何を言ってるんだろうか、この子は。

 よくわからないまま言われた通りに親指を立てると、瑞希はニヤリと笑う。

 

 

「I'll be back」

 

 

 無駄に良い発音でそんなことを言う瑞希に、私は呆れを込めた視線をプレゼントした。

 

 

「急に何よ」

 

「いやぁ、絵名の中学時代のとある説を聞いたからさ」

 

「誰がサイボーグですって?」

 

「あれ、ボクはサイボーグなんて言ってないけど〜」

 

「はぁ?」

 

 

 好意的に考えてもそう解釈するしかない言葉選びに、私の喉から苛つき混じりの声が出た。

 

 そろそろ時効かと思っていた説を、態々復活させるなと叫びたい。

 

 というか、そもそもあの台詞が出てくる映画のアレはサイボーグなのだろうか?

 人間じゃないのは知ってるけど、サイボーグかどうかなんて考えたことがなかった。

 

 

(いや、今はそれはどうでもよくて)

 

 

 思考を元の方向へと切り替え、教えた犯人であろう人に視線を向けると、犯人(愛莉)は逃れるように目を逸らした。

 

 どうやら愛莉は態度で自白してくれているらしい。

 

 オロオロしている雫を前に問いただすつもりはないので、私は溜め息だけ漏らして視線を愛莉から瑞希に戻した。

 

 

「はぁ、もういいわよ。そろそろ出発しましょ」

 

「おやぁ、もしかして拗ねなん?」

 

「……私の拳が今、瑞希の顔に激しくアプローチしたいって言ってるんだけど」

 

「ひぇー、痛そうなアプローチはノーセンキュー」

 

「急に発音悪くなるじゃん」

 

 

 さっきの発音の良さはどこに消えたのかと聞きたいぐらいだ。

 そんなコントを繰り広げることで雫に大丈夫だと遠回しに伝えて、私達は山道をゆっくり歩く。

 

 ……予定だったが、更なる災難が愛莉の口によって告げられた。

 

 

「あら? 絵名の頭の上に何か飛んでるわよ」

 

「え?」

 

 

 言われなかったら気が付かなかった縞模様。

 黄色と黒のソレはスズメバチではないな、と冷静な部分が判断して。

 

 私の本能的な部分が口から悲鳴を出した。

 

 

「ひゃぁぁあっ!? 蜂じゃん!? ちょ、無理! 無理無理無理だって、来ないでっ!!」

 

「ちょっと絵名、大げさよ。一体どこまで走るつもりなの?」

 

「だって虫が逃げても追いかけてくるんだもん!!」

 

 

 愛莉の声に叫んで答えつつ、私は全力で逃げる。

 数メートルぐらい走って逃げても、何故かこっちに近づいてくる蜂。

 

 頭の片隅で『そう思ってしまうだけで気のせいだ』とか『むしろ動き回った方が危ない』と冷静な自分もいるのに、体は蜂が見えなくなるまで逃げ回ってしまった。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……しぬ……」

 

「あはは。また随分と逃げ回ったね~。ゆっくり行く予定だったのに、結構進んじゃったよ」

 

 

 看板の前まで走った私を追いかけてくれた瑞希が、楽しそうに笑った。

 私が息を整えている間に愛莉と雫も追いついて来て、4人で看板の前に集まる。

 

 

「……あら、道が2手にわかれているわ。どっちに進めばいいのかしら?」

 

 

 雫が2つの道を見比べていると、愛莉がスマホに指を滑らせる。

 

 

「マップには『初心者ルートを通れば山の周りを一周できる』って書いてあるわ。どうせなら最後にぐるっと景色を見ながら、バスまで戻りましょうか」

 

 

 愛莉の提案に雫が文字が薄れた看板を見つつ、左を指さす。

 

 

「そうね。初心者ルートは……あら、看板の文字が消えかけているけど、左……なのかしら?」

 

「オッケー、左だね。じゃあ絵名がまた虫から逃げる前にレッツゴー♪」

 

 

 瑞希がとんでもなく生意気なことを言いながらも左へと進む。

 愛莉と雫も進む背中を見てから、私は改めて看板を見た。

 

 

(なんか、薄ら残ってる字の画数が少ない気がするんだけどなぁ)

 

 

 1文字違いなのではっきりと断言できないけれど、どうにも私の目には左の道の1文字目が上に見えてしょうがないのだ。

 

 1人だけ全力疾走して疲れてしまった目でじっと、看板を見つめる。

 

 

「絵名ー、早く行かないと置いてかれちゃうよー」

 

「あぁ、瑞希。いや、ちょっと看板が気になってさ……疲れてる私の目には、左が(うえ)にしか見えなくて」

 

「左が(うえ)に見える?*1 んー、まぁ疲れてるのならそんなこともあるんじゃない?」

 

「そう、なのかな」

 

「そうそう。それよりも早く行かなきゃ置いてかれちゃうって」

 

 

 首を傾げる瑞希に背中を押されて、私も左の道へと突き進む。

 

 

(まぁ、仮に正しかったとしても元の道に戻ればいっか)

 

 

 ──そう思ってしまったのが、間違いだったとこの時の私は知らない。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

「……ねぇ、何だかおかしくない?」

 

 

 山道を進む私達が感じていた違和感を、1番最初に口に出したのは愛莉だった。

 

 最初は良かった。特に違和感もなく喋りながら歩ける程度だったのだ。

 しかし、途中から少しずつ、山道が険しくなっている気がする。

 

 誰も言わないし気のせいだろうか、と思っていた疑問に1人が声を上げると、瑞希もそれに呼応した。

 

 

「やっぱり? ボクも変だなって思ってたんだよね」

 

 

 予定なら今頃、駐車場についてもおかしくない時間であるのに、未だに私たちは山の中。

 歩けば歩くほど険しくなっていて、駐車場どころかアスファルトすら見当たらない。

 

 やっぱりあの時見た文字は左側が『上』級者だったのだ。

 ……瑞希には上手く伝わっていなかったみたいだけど、そうに違いない。

 

 

「面倒だけど、来た道を戻るしかないでしょ。碌な準備もしてない私達がこのまま進むのは危ないって」

 

「そうね。私も戻った方が安全だと思うわ」

 

 

 私の提案に雫も頷いてくれる。

 瑞希も大きく頷いて、来た道を指差した。

 

 

「じゃあ、さっき曲がったところを戻ろっか……って、あれ?」

 

 

 瑞希が指差した道は左右に分かれている。

 私達が来た道はどちらか1つだろうけど、間違った方を選べば遭難する可能性も出てきた。

 

 瑞希は左右の道を見比べて、ゆっくりとこちらに顔を向ける。

 

 

「言い難いんだけど……ボク達、どっちから来たんだっけ?」

 

「もう、覚えてなさいよ。右の道でしょ」

 

「左から来た気がするんだけど」

 

「「……」」

 

 

 瑞希の問いかけに、私と愛莉の口からは別方向の道が提示される。

 

 背中に汗が伝う感覚があるぐらい、嫌な予感。

 

 何度も曲がったせいで、最後に来た道がどれなのか、瑞希もわかっていない様子。

 私と愛莉も意見が分かれたので、わかってるとは言い難い。

 

 誰もが同じ2文字を思い浮かべてそうな状況で、雫が困った顔で口を開く。

 

 

「私達、もしかして遭難──」

 

「雫、そう思っても言っちゃダメなシチュエーションがあるの。それが今なんだけど」

 

「え、あ、ごめんなさい」

 

「まぁ、幸いなことに今となってはどこでも連絡が取れる便利な世の中だし、スマホさえあれば。あれ、ば……」

 

 

 スマホの上を確認すれば、いつもバッテリー残量の隣に並んでいたモノがなくなっていた。

 

 それは間違いなく、噂には聞いていたけれども私は見たことがなかった『圏外』という状態で。

 スマホを見て固まる私に、瑞希もスマホを取り出しながら首を傾げた。

 

 

「絵名ってば、良いアイデア出したのにどうしたのさ。焦って気が付かなかったけど、スマホを見れば……おや?」

 

「絵名も瑞希も固まってどうしたのよ?」

 

「愛莉、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……スマホの電波が入ってないみたいなの」

 

 

 私が自分のスマホを愛莉に見せると、隣で見ていた雫が口を手で押さえる。

 

 

「えっ、どうしましょう……!? こういう時って、スマホを振ったらいいのかしら?」

 

「ブラウン管テレビみたいに、叩けば治るって言いたいの?」

 

「いや、無理でしょ。絵名もボケてないで電波を拾おうよ」

 

 

 私が雫の発言に乗っかれば、瑞希にツッコまれてしまった。

 

 瑞希の言う通り、今はふざけている場合ではない。

 戻るにしても現在位置がわからなければ始まらないので、なんとかして電波を拾わなければ。

 

 とりあえず、スマホを持った手をいろんな方向に向けてみる。

 その場に留まっても埒が明かないので、何歩か歩きながら電波を拾おうとしていると、一瞬だけスマホの圏外が解除された。

 

 

「こっちなら少し繋がりそう。もうちょっと歩けば電波も──」

 

「待って絵名、そっちはダメだって!」

 

「え? それってどういう……って、嘘、落ちる……っ!?」

 

 

 瑞希が声をかけたのとほぼ同時に、踏み出した右足が前に向かって滑った。

 滑った先は急斜面で、落ちたら登れそうにない場所だ。

 

 頭から血が引いていくような感覚と共に、右手と頭を守らなければと冷静だった部分が警告してくる。

 どうする、備えるか。痛いのは嫌だけど、体を丸めて落下に備えようとしたその瞬間、声が響いた。

 

 

 

「絵名!!」

 

 

 

 聞こえてきた声の方に視線を向けると、こちらに向かって手を伸ばしている愛莉の姿が視界に入る。

 何とかそれを認識できた私は受け身の姿勢から愛莉の方へ、手を伸ばす体勢へと変えた。

 

 伸ばした手はギリギリ愛莉の手を掴み、滑りそうになった私の体が制止する。

 

 

「よかった、間一髪だったわね!」

 

「あ、愛莉、ありがとう……! まさか、少し先が斜面になってるなんて」

 

「いいわよ、山は危険がつきものだもの。ほら、今引き上げるから、もう少しこっちに──」

 

 

 繋いだ右手から引っ張られる力を感じて、私は安堵の息を漏らす。

 ……その後に、自分の足元から嫌な感覚が伝わってきて、私は引っ張ってくれる愛莉に叫ぶ。

 

 

「待って愛莉! 足元の石がグラグラしてるから、引っ張るのは……っ!」

 

 

 このままだと私と愛莉は一緒に坂道を転がってしまう。

 愛莉を巻き込むわけにはいかないので、私は掴んでくれた愛莉の手を振り払う。

 

 

「っ! それはダメよ!」

 

 

 ──が、愛莉は私の行動を予想していたらしく、振り払ったはずの手が握られてしまった。

 

 

(う、嬉しい……じゃなくて! このままじゃ2人とも落ちるって……!?)

 

 

 何とか持ち堪えようと足に力を込めたものの、滑り落ちる足場をどうすることもできず。

 

 

「きゃぁあああっ!」

 

 

 私と愛莉は急斜面の下まで、滑り落ちてしまったのだった。

 

 

 

 

*1
(左なのに上って頓知かな? 絵名、疲れて変なこと言いだしちゃったよ……)





遭難イベント前に「I'll be back」をしてもらったのは偶然です。本当なんです。

次回、えななんが感じたバスの中の悪寒の正体、プチ遭難します。



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92枚目 山の中の光明

 

 

 

 

 転がって転がって、2人で止まるところまで転がること数秒。

 

 服も顔も何もかも泥だらけになってしまった私は、自分の状態を確かめる。

 右手は無事。擦り剥いてるところはあっても、奇跡的に大きな怪我もなし、と。

 

 愛莉はどうだったのかとそばに駆け寄ると、愛莉が膝を抑えながら体を起こした。

 

 

「いったたた……」

 

「愛莉、大丈夫? 怪我はない?」

 

「少し膝を擦りむいちゃったけど、大したことはないわ。絵名は?」

 

「私も平気。でも……巻き込んじゃってごめんね」

 

「わたしが巻き込まれに行ったんだから、気にしないでちょうだい。お互い、大きな怪我がなくてよかったわ」

 

 

 愛莉は泥だらけの人差し指で私の鼻を突き、笑みを浮かべた。

 土がクッション代わりになってくれたのか、何なのか。理由は不明だが、そこまでの大怪我はお互いにないようだ。

 

 優しい笑みに感動する気持ちが半分と、冷静な部分が『怪我がなくて良かったな』と水を差すようなことを指摘してくる。

 何とも言えない気持ちを飲み込んで、私は自分と愛莉の服を見比べながら肩を竦めた。

 

 

「私達、すっかり泥だらけになっちゃった。服の汚れ、落ちなかったら言ってね? クリーニング代払うから」

 

「別に良いわよ。それにしても……ここまで泥だらけになるのは、バラエティ番組に出た時以来だわ」

 

「あぁー、もしかしてあの番組かな。あれ見た時は、アイドルってそんなに体を張るような職業だっけって思ったなぁ」

 

 

 お互いの無事を確かめて呑気に話していると、上から瑞希と雫の声が聞こえてきた。

 

 

「おーい、2人とも!」

 

「ケガはない!?」

 

「私達は大丈夫。ちょっと滑り落ちただけだから!」

 

 

 上の2人に聞こえるように叫び、改めて落ちてしまった斜面を見上げる。

 途中で木が生えていることもなく、ほんの少しの岩と、掴んだら抜けそうな草しか生えていない。

 

 まふゆや瑞希あたりならひょいひょいと登れる可能性もあるが、私の運動神経は信用ならないので、無理だと仮定して。

 

 もしかしたら、愛莉のバラエティで鍛え上げられた運動能力ならギリギリ、いけるかもしれないという一縷の希望はあるか。

 

 

「落ちた以上、こうなったら意地でも登るしかないわよね。頑張ろ、愛莉」

 

「ええ、もちろんよ。さっさと登って泥を落としましょっ」

 

 

 愛莉はグッと両手を握りしめてから、上の2人に向かって声をかける。

 

 

「2人とも! 今からわたし達で登ってみるから、近くまで行ったら引っ張り上げてくれない?」

 

「ええ、わかったわ!」

 

「ボク達の方はいつでもオッケーだよ!」

 

 

 雫と瑞希の返事も返ってきたので、後は私達がこの急斜面を登るのみ。

 何とか運動能力底辺の私でも登れるルートを探そうと、全体を見渡す。

 

 そうやって私が観察に徹している間に、勇猛果敢に斜面に足を伸ばしたのは愛莉だ。

 

 

「よーし、今こそバラエティ番組で鍛え上げた脚力を見せてやるわよ!」

 

 

 愛莉は近くの岩を足掛かりに上に登ろうとするものの、苔があるせいで上手く登れない。

 

 苔のことも考えなければならないなんて、また一段と難易度が上がりそうだ。

 それでも何とか登ろうとして、「きゃっ」と短い悲鳴と共に足を滑らせてしまう愛莉の背中を支えた。

 

 

「愛莉、大丈夫?」

 

「苔に足を取られて滑っちゃったけど、絵名のおかげで怪我はしていないわ」

 

 

 私の手から離れた愛莉の両目が、メラリと火を宿す。

 

 

「でも、こんなところで諦めたら、アイドル失格だもの! 絶対登り切ってやるわ!」

 

「山の急斜面登らなきゃ失格になるアイドルって一体……」

 

 

 いつの間にアイドルはそんな肉体派だらけの魔境になったのだろうか。

 というか、そういうアイドルってどちらかというと『イロモノ』と呼ばれる枠に分類されるのでは……?

 

 私の戦慄に気が付いていない愛莉は果敢に急斜面に挑む。

 比較的苔が少ない岩を瞬時に選別し、その岩を足掛かりに急斜面を一気に駆け上がった。

 

 

「せーのっ、モアモアジャーンプッ!!」

 

 

 一気に上まで行けるんじゃないかと思うぐらいの気迫すら感じる勢い。

 そんな調子で愛莉は急斜面を登って行ったのだが、急斜面の半分目前で壁にでも阻まれたかのようにその勢いを無くす。

 

 

「あっ、ひゃーっ!?」

 

「愛莉ーっ!?」

 

 

 勢いを無くしてからの愛莉の転落は早く、吸い込まれるように元の場所まで戻ってきてしまった。

 

 

「大丈夫? 怪我はない?」

 

「平気よ。でも……まさか全然登れないなんて、アイドルとして情けないわ!」

 

「いや、それとアイドルの仕事は関係ないでしょ」

 

 

 そんな技能を求められるのは山登り熟練者とかであって、アイドルの必須能力ではない。

 

 呆れた私のツッコミなんて物ともせず、愛莉は登れないかと道を探している。

 仮に、ここで愛莉が登れる道を見つけたとしよう。

 

 

(でも、それで私も行けるかと言われたら……頑張っても無理よね)

 

 

 こっちは体育か健康的な範囲内でしか運動をしていない、典型的な文化部である。

 こんな状況を作った主犯なのに、急斜面なんて半分も登れる自信がなかった。

 

 とはいえ、登らなくては何も解決しない。

 2人で登れないかと悩んで試してみても、やっと半分ぐらいまで登れたという最高記録を更新しただけ。

 

 どうしたものかと泥だらけの手で悩んでいると、頭の上から瑞希の声が聞こえてきた。

 

 

「絵名、愛莉ちゃん! ボク、戻って人を探してくるよ! ちょっと時間がかかるかもしれないけど、待ってて!」

 

「は? 何言ってんのよ、瑞希!?」

 

 

 山で下手に動くのは危険だ。

 瑞希は1人で動くつもりみたいだし、1人で電波の悪いところに遭難なんて状況になったら、最悪過ぎて笑えない。

 

 

「道はどうするのよ!? 瑞希だけで行って、迷ったら……」

 

「愛莉ちゃん、大丈夫だよ。すぐに誰か呼んでくるから、それまで絵名のことをよろしくね。それに、雫ちゃんもここで待ってもらうからさ、安心して待っててよ!」

 

 

 ちっとも安心できない言葉を残して、瑞希は頭を引っ込めてしまった。

 あの様子だと、本当に1人で行ってしまったようだ。

 

 

「あのバカ……!」

 

 

 もとはといえば、私のせいなのに。どうして瑞希が苦労しているのか。

 しかも、そうこうしている間に雨まで降ってきて、状況はどんどん悪い方向に向かっている。

 

 

「まずいわね、雨が強くなってきたわ」

 

 

 瑞希が声をかけてから、どれぐらい経ったのだろうか。

 空を睨む愛莉の言う通り、小雨だった雨も強なってきた。

 

 雨具もない私達は泥と雨で最悪な状態。すぐに戻ると言った瑞希も戻ってきてなさそうだ。

 時間が過ぎればすぎる程、悪い条件が揃っていく。

 

 

「これだけ斜面が濡れちゃうと、足を掛けるのは難しそうね」

 

「こんな雨の中で斜面を登ったら大怪我するってば。瑞希を待って──」

 

 

 ……あぁ。その瑞希も、戻ってきていないんだった。

 

 私が周りを見ていないせいで、愛莉を巻き込んで。

 もしかしたら、瑞希も遭難してしまった可能性もある、最悪な状況。

 

 やれることは全部やっても、時間は私達の敵だ。

 このまま夜になってしまったら、どうなるのやら。

 

 最悪なことばかりが頭の中でぐるぐる踊って、私の喉から頼りない声が漏れる。

 

 

「ごめん、愛莉……私が足を滑らせたせいで、こんなところに巻き込んで」

 

「もう、何弱気になってんのよ。わたしが良いって言ったらいいの。それに」

 

 

 落ち込む私を励ますように、愛莉は人差し指を真っ直ぐ立てながら悪戯っぽく笑う。

 

 

「どんな難題でも諦めず、アイデアを出して解決しようとする絵名なら、こういう時にも諦めずにズバッといけそうじゃない?」

 

「それはちょっと無茶振りが過ぎると思うの」

 

 

 さっきまで脳を雑巾みたいに絞って考えていたのに、そんなすぐにアイデアが出るはずがない。

 それでもアイデアを絞り出そうと集中していると、クスクスと笑う愛莉の声が聞こえてきた。

 

 

「やっぱり、絵名はそういう姿の方が似合うわね」

 

「え? そういう姿って?」

 

「どんなことでも考えて、反省して。苦しくても諦めず、意地でも突破しようとするところ。最近の絵名はどこか諦めてて、疲れてそうだったから……さっきの姿も含めて、心配だったのよね」

 

「愛莉……」

 

 

 愛莉は笑っていた顔から一転し、困り顔で力のない笑みを浮かべる。

 

 

「絵名ってば最近、スイーツを食べに行った時も疲れた顔をしてたわよね。何か困ってることがあるんじゃないの?」

 

「そんな顔、してたかな」

 

「できれば話して欲しいけど、たぶん話せないって言うわよね。ねぇ、絵名。わたしは……ううん、わたしじゃなくても、瑞希や雫でもいいの。わたし達はそんなに頼りにならないかしら?」

 

「……ううん、そんなことないよ」

 

 

 なんとか言葉を絞り出したものの、自信のなさが出てしまって弱々しい声に変換されてしまった。

 

 それを聞いた相手にどう思われるかなんてわかりきっているけれど、私は愛莉の言葉を窺うことしかできない。

 

 私が言い直すこともないと判断した愛莉は、小さく息を吐いて言葉を紡ぐ。

 

 

「絵名はいつも、わたしを助けてくれたわ。だから今度はわたしが力になりたいの」

 

「ありがとう、愛莉。でも……ごめん」

 

「それはどういう意味なのか、聞いてもいいかしら?」

 

「それは……その」

 

 

 愛莉が私のことをすごく心配してくれて、何とか力になってくれようとしているのは言葉の端々から伝わってくる。

 しかし、私が悩んでいることを話すのは酷く難しく、私は言葉に詰まってしまった。

 

 

 愛莉も瑞希達も、記憶を無くす前の私を知らないのだから、それ以前の私の話をしても……と思う、私の個人的な理由が1つ。

 

 そして1番大きな理由が──あのスケッチブックのせいだ。

 古びた見た目で、中に書いている文字も読めず、廃棄もできない。

 

 

 

 あのスケッチブックに絵を描いたせいで、私は記憶を無くしました。

 さらに最近では絵を描けとまとわりつかれていて、困っています。

 

 

 

 こんなことを伝えようにも、荒唐無稽な話過ぎて、家族にすら言えないのだ。

 まだ事故で記憶を無くしました、と言った方が納得できるし、何なら家族も事故のせいで記憶を無くしたと思っている。

 

 何より……仮に信じてもらって、愛莉に私では破棄できないスケッチブックを処分する手伝いをしてもらうとしよう。

 

 

 

 その時──私が彰人の時のように愛莉に手を出してしまわないか、どうしようもなく怖いのだ。

 

 

 

 私がスケッチブックを処分する相手を襲いそうになる恐れがある以上、人には頼れない。

 何より、私自身がコレを上手く人に説明できるとは思えなかった。

 

 

「その、これは家族にも言ってないことだから……もう少し、自分で解決できないか悩みたいの」

 

「わたしが力になれることもない?」

 

「うん。今はちょっと、難しいかな」

 

 

 なんて伝えたらいいのかわからないし、今日は念入りにスケッチブックを封じてきたので持ってきてもいない。

 信じている、信じていない以前に──現物がないとなんとも説明のしようがなくて、そうとしか言えなかった。

 

 私の反応は求めていないものだったのか、愛莉が少し寂しそうに目を細める。

 

 

「……そうなのね。何か力になれることがあったら、また教えてちょうだい。いつでも力になるわよ」

 

「うん、お願い。とりあえず今は、こっちが優先だけど」

 

「そうね……まずは、ここを抜け出さないとどうしようもないわね」

 

 

 2人で空を眺めてみるものの、雨は一向に止みそうに無い。

 スケッチブック以前に山に囚われるんじゃないかと思ってしまう状態に、救いの声が響いた。

 

 

「おーい、ふたりともー!」

 

 

 その声は1人で山道を戻っていった瑞希のものだった。

 

 

「お待たせ! 助けを呼んできたよ!」

 

 

 

 上からでもよく聞こえてくる声と共に、状況が変わりそうな空気。

 

 どうやら──スケッチブックの問題は暗闇の中でも、山に囚われている現状には光が差したらしい。

 

 

 

 

 






イベントストーリーでも思ったんですけど、山の斜面から落ちた後なのに、ジャンプできるぐらいに元気なのは何なのでしょうか。
司さんの防御力といい、プロセカ世界にもプロテイン的な何かが空気に混ざってる可能性がありますよね……ギャグかバトル漫画かな?

次回、ピクニック編ラストです。


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93枚目 勝つか負けるか

 

 

 

 

 上で2人分ぐらい、聞き覚えのある別の人の声が聞こえてきてから、数分後。

 急斜面にロープが降ろされ、私と愛莉は無事、瑞希達と合流することができた。

 

 

「た、助かった……」

 

「ええ、お互いによく頑張ったわ」

 

 

 私が胸を撫で下ろすと、愛莉は大きく頷く。

 雨が降った時はどうなることかと不安だったものの、私も愛莉も無事だ。

 

 瑞希と雫がいなかったら、この無事もなかったのだと思うとゾッとするけれど、今は無事を喜ぼう。

 

 

「愛莉ちゃん、絵名ちゃん。無事でよかったわ!」

 

「ボクもホッとしたら力が抜けてきちゃったよ〜」

 

「ありがとね、2人とも。本当にいくらお礼を言っても足りないぐらいだわ」

 

 

 雫と瑞希に対して、愛莉がお礼を言っている間に私は助っ人で来てくれた2人の方へと振り向く。

 

 瑞希が呼んでくれたのはスタッフさん……かと思いきや、瑞希の友達であり、私も知っている男女2人組であった。

 

 

「えっと、神代さんと草薙さんでしたっけ。ありがとうございます、おかげで助かりました」

 

「え。どうしてわたし達の名前を……?」

 

 

 私の間違いでなければ、目の前にいる薄紫色の髪の青年と緑髪の少女は、えむちゃんとショーをしている神代類さんと草薙寧々さんだろう。

 フェニランでほんの少しの間顔合わせして、えむちゃんに名前を聞いた程度の記憶だったけれど、私の記憶は正しかったらしい。

 

 緑髪の少女──草薙さんが目を丸くして尋ねてくるので、私は軽く会釈する。

 

 

「天馬司さんの妹さん達のグループと一緒に、ボディペイントに来てくれた時以来ですよね。こんなところで再会することになるとは思っていませんでしたが、おかげで私も愛莉も助かりました」

 

「あ、いえ。全員無事でよかったです」

 

 

 草薙さんは首を振りながら、小さいのに意外と聞き取りやすい声を出した。

 

 そんな草薙さんに対して微笑ましそうな目で見ていた神代さんが、私と愛莉にも視線を向ける。

 数秒の観察でこちらの状態を察したのか、小さく頷いて道を指差す。

 

 

「ふたりとも、しっかり歩けそうだね。僕が先導するから、休憩所まで戻ろうか」

 

 

 神代さんと草薙さんが先頭を歩き、瑞希と愛莉がその後ろをついていく。

 私も4人の背中を追おうとして、何かを呟いている雫が立ち止まっているのが見えた。

 

 

「雫、休憩所に戻るって言ってるけど、大丈夫?」

 

「え? ……あぁ、大丈夫よ」

 

 

 雫が慌てて隠した桃色のスマホの輝きは、ただ何かを見ているのとは違うように感じた。

 

 それこそ──私達がセカイに行く時や、ミクやリンがスマホを通してやってきた時のような。

 

 

(今の……いや、やめとこ)

 

 

 私も含めて、誰にでも秘密はあるものだ。

 見えたものも、疑問も全部無視しよう。そうしよう。

 

 雫のことは傍に置いて前を向くのとほぼ同時に、愛莉がこちらに視線を向けて苦笑する。

 

 

「無事に帰れそうだし、後でツアーに参加している人達にも謝らないとね」

 

「心配かけてるよね……あー、なんて謝ろう」

 

 

 こういう時、言い訳を頭の中で捏ねくり回すような言葉を出すのはよろしくないのだ。

 

 シンプルに説明して、素直に謝る。

 それができないと相手に不快感を与えるだけなのだけど、言う側にとっては抵抗のある話だ。

 

 愛莉の話を起点に私が頭を悩ませていると、瑞希は土で汚れた顔をハンカチで拭いながら笑う。

 

 

「はは。でも、何はともあれ無事に帰れそうでよかったよー。帰ったらゆっくり休もう、お風呂は最優先だからね」

 

 

 びしょ濡れ泥だらけだもんね〜、と呟く瑞希の服は急斜面を転げ落ちた私や愛莉にも負けず劣らず汚れている。

 

 

(……あの服、瑞希のお気に入りだったよね)

 

 

 汚れてまで、神代さん達を呼んできてくれたのだろう。

 

 落ちた先で聞いた愛莉の話から、瑞希がこちらの気を遣ってピクニックに誘ってくれていることをわかってしまっただけに、胸が痛みを訴えてきた。

 

 そして、こういう時こそこちらの異変に目敏い子がいるのだ。

 

 神代さんと草薙さんの後ろを歩いていた瑞希は、自然と雫と場所を入れ替わる。

 私の隣にやって来た瑞希がハンカチで私の顔を拭ってきた。

 

 

「あーあ、絵名も水と土に汚れた良い女の子になっちゃって~」

 

「それ、何か色々と間違ってない?」

 

「まぁまぁ、似たような言葉もあったでしょ。よし、綺麗になった」

 

 

 そんな話をしている間に、瑞希は私の顔の汚れを取ってしまったらしい。

 ハンカチの汚れ具合からかなり汚かったのがよくわかる。これで良い女の子だと言うのなら、世の中の大半は良い女の子だ。

 

 ……瑞希なら割と言いそうだ、と思ったのは頭の片隅に追いやるとして。

 

 

「ねぇ、瑞希」

 

「何?」

 

「今日はありがとね」

 

「え、もしかして絵名って山で遭難する趣味が……?」

 

「そうじゃないのはわかってて言ってるでしょ」

 

「あはは、バレた?」

 

 

 何時かの仕返しを受けつつ、素知らぬフリが上手な瑞希に私の予想を突き付ける。

 

 

「このピクニックとか、愛莉と一緒に色々と気を遣ってくれてたんでしょ。私の思い上がりじゃなければ」

 

「そこは断言してもいいんだよ?」

 

「それはそれで難しくない?」

 

 

 今までの情報から、これでも結構踏み込んでいるつもりなのに、ここで断言するなんてとんでもない。

 

 瑞希と愛莉が2人きりになったり、探ってきたりと気遣い以外にもこのピクニックには目的があるのだろうけど……そこは目を逸らすとして。

 

 

「最終的に、私が滑り落ちたせいでこんなことになっちゃったからさ。瑞希の服とかお気に入りのやつだったでしょ、本当にごめん」

 

「んー。お気に入りだけど、服()また買えるからね」

 

 

 瑞希はさりげなく「今度また買いに行こうね」と約束を取り付けつつ、ハンカチを折りたたむ。

 

 

「でもさ、ボクにとって絵名は──かけがえのない友達だよ。ボクは服なんかよりも、絵名が無事ならそれでいいって思うんだ」

 

 

 私が浅はかだった。

 瑞希の立場なら、私だって服なんかよりも瑞希の方が大切だから。

 

 

「瑞希……ありがと」

 

「どういたしまして」

 

 

 そこから休憩所で神代さんと草薙さんと別れ、私達は観光バスへと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

(今日は1日、楽しかったけど大変だったなー)

 

 

 家に帰った私は自分の部屋の椅子に座り、早速今日見た景色を紙に描いていた。

 今日はニーゴの作業はお休みで、愛莉達とのグループ通話は少し早めに切り抜けてきた。

 

 

(ツアーのスタッフさんとか皆優しかったのよね。心配してくれて、こっちが申し訳なかったし)

 

 

 そんなことを考えながら描いていたせいだろうか。

 スケッチブックの端っこに泥だらけ愛莉と雫、後は瑞希がスタッフさんに心配されるシーンのデフォルメが広がっていた。

 

 上には写実的な森なのに、下は漫画チック。

 このページに追加で何かを入れる気も、消すつもりにもなれず、次のページへと移る。

 

 

「──スケッチブック、か」

 

 

 今回の件、そもそも急斜面を滑り落ちるようなことが起きた原因は、直接的にも間接的にも私のせいだ。

 

 直接的には、私が滑り落ちたってこと。

 

 そして間接的には、私の異変に気がついてしまった瑞希が愛莉と接触し、ピクニックに誘ってくれたということ。

 

 

(今日は滅茶苦茶意識して、机の中に封印したけど)

 

 

 次は、その次はどうなるのだろうか。

 

 どうやらこの忌々しいヤツはどうしても、私に願い事をして欲しいらしいし。

 そして、その願い事をして欲しい理由は十中八九、私の命が目当てなのだろう。

 

 

(相手はこっちの命を狙って来てるのに、こっちはなーんにもできないのよね)

 

 

 おかげで瑞希達にもバレてしまうぐらい、更なるボロが出てしまったではないか。

 

 私がボロを出したのと忌々しいヤツは関係ない?

 確かにそうかもしれないが、そもそもその元凶がヤツである。つまり、全てコイツが悪い。

 

 だからこそ今日、やっと決意できた。

 

 

 

 ──この邪悪な厄物の思い通りになんてなってやらない、と。

 

 

 

 愛莉や瑞希、今回一緒に来てくれた雫……だけでなく、家族はもちろんのこと、奏やまふゆだって私の消耗具合に気がついていただろう。

 

 周りにバレてるぐらい、シブヤアートコンクール頃からじわじわと、私はコイツに苦しめられてきたのだ。

 

 自分の命を狙ってるのに、私の体には好き放題している特級の厄介モノ。

 

 シブヤアートコンクールの結果から余計に活発的に動き出して、どうしたらいいのかと悩んでいたけれど、もう決意した。

 

 

 老衰でも病気でも事故でも何でも。

 私が何かしらの原因で絵が描けなくなってしまうその日まで、ずっと。

 

 

(今までは記憶が戻る手掛かりかもとか、思ってだけど……あんたがそのつもりなら、私は最後の最後まで戦ってやるわよ)

 

 

 もう記憶が戻るかなんて考えない。絵名や家族には悪いが、こっちだって構ってやるものか。

 

 

「私がコイツの望み通りになる(に負ける)か、私が逃げ切る(勝つ)か……シンプルで良いじゃない。何ならこっちが仕留めてやるわ」

 

 

 最終的に物理攻撃や間接技が全部ダメなら、どさくさに紛れて火災現場にスケッチブックを投げ込んでやる覚悟だってある。

 

 瑞希達のおかげで改めて、覚悟ができた。

 コイツの思惑通りにいかないためにも、こっちが隙を見せるわけにはいかない。

 

 ならば、まずは片付けられることから始めよう。

 

 

(うん。とりあえず神代さんと草薙さんの連絡先はもらったから、改めてお礼を言わなきゃ)

 

 

 愛莉や瑞希、雫にもさりげなくお礼の品を忍ばせるのは確定として。

 接点の少ない2人にはえむちゃんを通してお礼の品を渡せるように努力しよう。

 

 その前にえむちゃんを通じて、2人の苦手なものとかのリサーチも必要だ。

 こういう時は消え物が良いというし、相手に好き嫌いがあるのを前提で動く方が自然だろう。

 

 相手に渡すお礼の品で、嫌いなものを送るなんて失礼な行為は避けたい。

 

 

(一応、いくつか候補を絞っておこっと)

 

 

 ピクニックで疲れた体に鞭を打ち、私はスマホの画面から候補を物色し始める。

 

 この後は珍しく、スケッチブックに悩まされずに目覚めたことに気がついたのは、翌朝になってからだったけど。

 

 

 

 






これにてわくわくピクニックは終了です。
雫さんのシーンではニーゴにもしもルカさんがいれば、別のセカイの可能性について勘付いてたりしたんですけど……いなかったので、そのままスルーですね。

次回は幕間です。


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94枚目 魔境・神山高校……!?



神高の噂:よく神高に遊びに来るピンク髪の宮女の子が、たまーに茶髪の宮女の子を連れてくることがあるらしい。





 

 

 

 

 

 とある日の放課後。

 私は学校の廊下なのに、スマホを取り出して予定を改めて確認した。

 

 今日はバイトの日である。

 しかも、部屋でできるタイプではなくて南雲先生に同行して直接、依頼主と交渉するタイプの仕事だ。

 

 そして、そんな交渉相手は鳳家の人で、交渉場所はフェニックスワンダーランド。

 

 近々、フェニランにとっては大勝負とも言える、ライリー氏の最終視察が近日中にあるようで。

 今後のフェニランの為にも、宣伝用のパンフやサイトを刷新するための打ち合わせをするらしい。

 

 バイトである私はその見学というか、ただのお手伝い。ジンベエザメにくっ付く小判鮫みたいなものだ。

 それなので、今日の私はお気楽に廊下を歩いていたのだけど、その空気が一変するような相手がやって来る。

 

 

「絵名さん、絵名さん、絵名さーんっ!」

 

「わわわっ!?」

 

 

 ポーンと私の胸に向かって飛び込んでくるのは、交渉相手のご家族。というか、えむちゃんだ。

 

 倒れそうになるものの、勢いを直前で弱めてくれたのか、ギリギリ持ち堪えることができた。

 

 えむちゃんはニコニコ笑っていて無邪気っぽく見えるものの、相手をちゃんと選んでるし、見ている子である。

 

 飛び込む相手も選んでいるらしく、私が受け止める時は見た目よりも威力が弱いらしい……というのはまふゆの証言だったか。

 逆に、持ち堪えると思われているらしいまふゆには、隣で見ているこっちもビックリするロケット頭突きを放つのがえむちゃんである。

 

 それを唸り声も出すことなく受け止めるまふゆも、どうかと思うのだけど……今はそんな思考は傍に置いておくとして。

 私は威力調整済みのえむちゃんアタックを受け止めて、挨拶をした。

 

 

「おっと……こんにちは、えむちゃん。今日も元気だね」

 

「絵名さん、こんにちはっ! 絵名さんも帰りですか?」

 

「バイト先に直行だけどね。時間があれば、えむちゃんのお仕事先にもちょっとお邪魔するかも」

 

「あぁっ。そういえば今日、お兄ちゃん達と打ち合わせするんですよね?」

 

「私じゃなくて南雲先生がメインなんだけどね」

 

 

 私はいてもいなくても大丈夫なオマケ。今回は置物のようなものである。

 

 胸を張れるような立場でもないので視線を逸らすと、私の視線について来ていたえむちゃんがぐっと両手を握り締める。

 

 

「じゃあ、一緒にフェニランに行きませんか? 寧々ちゃんと一緒に行くんで、そっちの学校にも寄るんですけど」

 

 

 『寧々ちゃん』といえばこの間、えむちゃん経由で何とか再接触して、お礼の品を渡したばかりの草薙さんのことである。

 

 そしてその草薙さんといえば、彰人達や瑞希と同じ学校で同級生──神高生だ。

 つまり、今から神高に寄って、その足でフェニランに行こうというお誘いである。

 

 念の為に時計を見て、南雲先生にもメッセージを送る。

 まるで待機していたかのように爆速で返信が来て、許可をもらってしまった。

 

 ……この先生、えむちゃんには甘いところがあるから、何か察知して返信が早かったのかもしれない。

 

 何はともあれ、許可は得た。キラキラしている目でこちらを見てくるえむちゃんに声をかけよう。

 

 

「お待たせ。大丈夫そうだから、一緒に行こっか」

 

「はい! 行きましょ〜☆」

 

 

 ルンルンと校門を抜けた時の私は、まだ呑気だった。

 

 神高の門前で草薙さんが待ってるのかな、とか見当違いの方向に考えられるぐらいには、余裕があったのだ。

 

 何が言いたいのかって?

 ……まさか、えむちゃんが常習犯なんて夢にも思うまいってことである。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

「あの、えむちゃん?」

 

「どうしました?」

 

「私達、神高に通ってたっけ?」

 

「? 絵名さんもあたしも宮女ですよ?」

 

 

 不思議そうに首を傾げるえむちゃんに、私の口角は引き攣ってしまう。

 

 

 ……さて問題です。現在、私はどこにいるでしょうか?

 

 正解は凡そ、予想できてるだろうけど。

 校門を我が物顔で抜けたえむちゃんに引っ張られて校庭にいる、でした。

 

 

(いや、普通おかしくない? え、神高って宮女と違って他校生ウェルカムだったりする?)

 

 

 だとしたら、彰人にも瑞希にも聞いたことのない新事実なのだが。

 

 我が物顔で草薙さんを探すえむちゃんに手を引かれて入って来てしまったが、絶対にそんな新事実はないはず。

 

 なのに何故か、どの生徒も当たり前のようにえむちゃんに視線を向けないので、私は頭を抱えることしかできない。

 

 気が付けばえむちゃんは草薙さんを探す為に走ってどこかに行ってしまったし、私はポツンと校庭に取り残されていた。

 

 

「──あれ、絵名じゃん。やっほー」

 

 

 えむちゃんを追いかけて校舎に入った方がいいのか頭を悩ませていると、聞き覚えのある声が耳に届く。

 振り返ると神高では恐らくレアキャラ、私にとってはお馴染みの瑞希が手を振っていた。

 

 

「え、瑞希じゃん。学校にいるとは思わなかったんだけど」

 

「ボクは単位調整の為に、ちょっとねー。そういう絵名の方が予想外でしょ。なんで宮女じゃなくてこっちにいるのさ」

 

「あー、えっと。後輩の子について来たらこんなことになっちゃって」

 

「後輩?」

 

 

 瑞希にえむちゃんの話をすると、あぁ、と手を叩いた。

 

 

「ボクも杏から聞いたことあるよ。最初は先生も追いかけてたけど、何回も来過ぎて顔パスになっちゃった宮女の子」

 

「それがえむちゃんってこと? だからここまで来れたのね……」

 

 

 でも私は初侵入なので、少々不味いのかもしれない。

 えむちゃんに連絡してから校門前まで戻ろうとしたら、つい最近見た緑髪が視界に入った。

 

 

「え、草薙さん?」

 

「あれ、宮女の子が来てるって聞いたから来たのに、どうして東雲さんが……?」

 

 

 走ってやって来たのか、少し息を乱しながら草薙さんがこちらを見ている。

 どうやら誰かから話を聞いて、急いでここまで来たらしい。

 

 首を傾げているのを見るに、草薙さんの中では神高に侵入して来た宮女の子といえば、えむちゃんなのだろう。

 

 

「草薙さんの反応を見るに、やっぱり他校生が入っていいわけないよねぇ」

 

「えぇ、ボクが言った時点で信じてよ〜」

 

「えむちゃんがあまりにも堂々と私を引っ張って入るから、1人だけの証言だとイーブンでしょ」

 

 

 入っても良い派と悪い派が均衡していたところ、草薙さんがダメだと突きつけてくれたのである。

 そのおかげで私の中の均衡が常識的な方に偏ったので、早々にこの場を立ち去らなければならないと判断できた。

 

 

「草薙さん、私が来たせいでややこしくなっちゃったみたいでごめんね。えむちゃんも一緒に来てるんだけど、入れ違いになったみたいで」

 

「あぁ、いえ。でも……えむはともかく、どうして東雲さんまで学校に入って来ちゃったんですか?」

 

「あ、はは……間抜けな話だけど、ただえむちゃんに引っ張られて来ただけなの」

 

 

 誰も彼も当然のようにこちらが学校に入ることを受け入れていたので、大丈夫なのだと勘違いした私も全面的に悪い。

 

 今、えむちゃんに草薙さんを見つけたと連絡したので、侵入者はおとなしく校門()に向かおう。

 

 

「草薙さんさえ良ければ、一緒に校門に行く? えむちゃんにも連絡したから、そこで合流できると思うよ」

 

「そうですね。じゃあ、一緒に……」

 

 

 そう草薙さんが言い切る前に、聞き馴染みのない大きな音が聞こえてきた。

 それは瑞希に勧められた特撮やら映画の中という、映像の中でしか聞かないであろう爆発音のような──爆発音!?

 

 

「なんで普通の公立高校で爆発音なんて聞こえてくるわけ!?」

 

「あー、あれは類だろうね」

 

 

 仕方がないなぁと瑞希は肩を竦めている。

 私のそばから離れていたので勝手に帰ったのかと思いきや、近くで息を潜めて待機していただけらしい。

 

 

「類って神代さんのことよね? え、神代さんが原因ってどういうこと?」

 

 

 困惑する私を他所に、草薙さんですら「あぁ、また類か……」とどこか諦めたような呟きを漏らした。

 神高で爆発音が聞こえてきたら、イコールで神代さんに繋がるのが共通認識のようだ。

 

 

「それって、共通認識になるぐらい爆発音が常日頃から聞こえてくるってこと? 爆発音が日常な学校って何!?」

 

「はは、絵名のリアクションは良いね。帰らずに待機してて良かった~」

 

「ちょっと瑞希。笑いどころじゃないんだから、笑うのはやめなさいよね」

 

 

 人の困惑を肴に腹を抱えて笑う瑞希に人差し指を指して、注意する。

 イイ性格をしている瑞希を睨みつけていると、爆発音の方向を見ていた草薙さんから声をかけられた。

 

 

「東雲さん、校門に急いだほうがいいかも……爆発音で先生が出てきたら、東雲さんもマズいと思いますし」

 

「あー、そうね。見つかるのはマズいかも」

 

「ボクも嫌な先生に見つかったら大変だし、類達に引き付けてもらわなきゃ」

 

 

 それぞれの思惑でそそくさと校門に向かう中、先ほどの爆発音よりもさらに大きな音と共に、今度は何かが宙を舞った。

 

 

「え、あれって……」

 

 

 私の見間違いでなければ、人が跳んでいるように見える。

 影からは「ぬぅぉぉおおお~~ッッ!?」とすぐ近くで叫んでいるような大きな声が聞こえてくるし、人であることは確定だ。

 

 さらに、あの人影に見覚えがあるのか、草薙さんが呆れの籠った溜め息を零す。

 

 

「はぁ。これからステージ練習もあるのに、2人揃って何やってるんだろ」

 

 

 あの大声と金髪、草薙さんの反応から推測するに──今、宙を舞っているのは天馬さんだろう。

 

 

(……神高は爆発音が日常的に聞こえてくるわ、人が空を舞うわととんでもないところね)

 

 

 宮女からちょっと距離があるだけの共学校だと思っていたが、私の認識が甘かったらしい。

 ここまでの魔境だとは思っていなかった。恐るべし、神高。

 

 

「わーい」

 

 

 そんなことを頭の中で考えていたら、追加で宙を舞う鮮やかなピンク髪が見えた。

 いや、そこで宮女も対抗するんじゃない。お陰で校門前まで何事もなく来れたけど、私の口角が引き攣ったまま戻らないではないか。

 

 

 ──結局、天馬さんに続いてえむちゃんまで飛んでいたせいで、合流するのは結構時間がかかってしまった。

 

 何とか先生を巻いてきたえむちゃんが校門に合流する頃には瑞希も帰っていたので、私達は予定通り、3人でフェニランに行くことになった。

 

 なお、後日草薙さんから聞いた話なのだけど……あの後、真面目に1人だけ歩いて逃げていた天馬さんだけ練習に遅れて来たらしい。

 あの爆発音はステージに使う予定の試作品だとも聞いたので、もう少し音を抑えた方が良いのではないかと提言しておいた。

 

 

 

 ……彰人もあんな魔境的学校で苦労してそうだし、ちょっとは優しくしてあげよう。

 そう思う1日だったのは、草薙さんには伝えなかったけど。

 

 

 






イメージ:神山高校、エリア会話にて。瑞希さんと草薙さんと宮女のえななんの組み合わせで聞ける。
原作では神高生(夜間)なのでセーフ……?

次回はレオニのところにかるーくお邪魔してます。


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95枚目 相手想い



宮女の噂:東雲先輩が最近、アンニュイな感じで心配だわ! 派閥と物憂げなお顔も素敵! 派閥で非公式ファンクラブが鎬を削っているらしい。





 

 

 

 今日は久しぶりにストリートパフォーマンスをしている人達がいる場所を回ってみることにした。

 

 最近はまた自然とか描きなれた人達ばかり描いて、新しいモデルを描く時間を取っていなかった。

 そういうこともあり、色んな場所にお邪魔していたのだが、最後の最後で見慣れた人と出会った。

 

 

(あれ、一歌ちゃんじゃん)

 

 

 ギターを弾きながら堂々と歌っている姿はかなり様になっているけれど、間違いない。

 宮女の後輩の星乃一歌ちゃんだ。1人で歌っていることもあると聞いたことがあったけれど、まさかここで出会えるとは思ってもみなかった。

 

 

(よし、今日最後のモデルは一歌ちゃんで決まりね)

 

 

 知り合いだからという理由もあるけど、絵描きとしても一目見ただけでビビッときた。

 

 善は急げと言うので、近くの壁に背中を預け、左手を支えに一歌ちゃんの姿を描き写す。

 

 注目ポイントはその堂々とした姿だろう。

 

 周りからの視線を気にすることなく、通り過ぎたり立ち去ってしまう人に気を奪われることもない。

 あくまで自分の音楽を貫くその姿を、余すことなく表現したい。

 

 

(……あれなら、屋上で悩んでいたことは少しは解決したのかな。だとしたら、一歌ちゃんはすごいなぁ)

 

 

 こっちは解決することなく、後回しにして山積みにしているのに、とんでもない話だ。

 私も一歌ちゃんのように少しずつ前に進んでいく姿を見習わなくてはならない。

 

 とはいえ、すぐに解決することでもないので、思うだけなのが歯がゆいのだけど。

 

 

(とりあえず写真も残そ)

 

 

 スマホで数枚、写真も残しておいて、下描きの絵に描き足していく。

 一通り絵を描いている間に一歌ちゃんも歌い終わったようで、周囲の人に「ありがとうございました!」と頭を下げていた。

 

 今なら話しかけても大丈夫だろう。

 

 そう判断した私はスケッチ道具を片付けてから、鞄から紅茶を取り出す。

 

 鞄の中に無糖と加糖の紅茶を揃えるのが癖になっていることに苦笑しつつ、私は一歌ちゃんの元へと小走りで近づいた。

 

 

「一歌ちゃん、お疲れさま!」

 

「あっ、絵名先輩。最後まで聴いてくれてありがとうございました」

 

「いい歌だもの。当然、最後まで聴くって。あ、これ投げ銭代わりに紅茶ね。受け取ってよ」

 

「えっと、いいんですか? ……ありがとうございます」

 

 

 念のためにどちらが良いのか聞いてからペットボトルを手渡し、一歌ちゃんの隣に並んだ。

 

 

「歌ってる姿とかすごく様になってるなって思ったんだけど、一歌ちゃんは路上ではよく歌ってるの?」

 

「いえ、こういうのは最近始めたばかりで……最初なんて、全く声が出ませんでしたし」

 

 

 自分なんてまだまだです、と本気で言っているらしい一歌ちゃんは苦笑いしている。

 まるで首振り人形のように首を横に振って謙遜するから、私は思わず吹き出してしまった。

 

 

「それでも今ではこうやって歌えているんだから、頑張ったんだね。そういう失敗をしちゃったら折れちゃう人だっていると思うし、やっぱり一歌ちゃんは凄いよ」

 

「そう、ですか?」

 

「うん! といっても、私はギターや歌の上手い下手を評価できる程じゃない、素人なんだけどね」

 

 

 音楽という分野では奏や彰人とかの方が詳しいのかもしれないけれど。

 

 咲希ちゃんから聞いていた、遠くの病院にまで頻繁にお見舞いに行っていたこと。

 空中分解してもおかしくなかった関係を繋ぎとめたらしいっていう話。

 

 そして今、1人で人前に立って路上で歌うなんて勇気の必要な行為を、できてしまう姿勢。

 

 そんな一歌ちゃんの『向き合う姿勢』っていうのが、素人から見ても凄いと思うのだ。

 

 

(私も……諦めずに向き合おう。スケッチブックを処分するってことは、私の──絵名の記憶だって、どうなるかわからないのだから)

 

 

 ……そういう危ない考え事は後輩の前ですることではないので、今は脇に置いておくとして。

 

 つい考えてしまった無粋なことを頭の中から追い出していると、一歌ちゃんが思い出したように声をかけてきた。

 

 

「そうだ、絵名先輩。この後、時間がありますか?」

 

「時間? うん、特に予定は入れてないよ」

 

 

 必要なことは終わらせてから来ているので、この後は絵を描く以外にやるつもりはない。

 それが何なのか首を傾げていると、スマホを取り出した一歌ちゃんが固く目を閉じてから口を開いた。

 

 

「じゃあ、この後、絵名先輩の時間を貰っても良いですか?」

 

「……要件が何かによるんだけど、聞いても良いかな?」

 

「あ、そうですよね。この後、バンドの練習があるんですけど、一緒に来てくれないかと思いまして」

 

「私は良いけど、それって咲希ちゃん達とやってるバンドだよね? 私がお邪魔して大丈夫なの?」

 

 

 人前で見せるパフォーマンスでもライブでもなく、ただ練習している中にお邪魔するのは申し訳ない。

 やんわりと断ろうと思ってそれらしい言葉を並べてみたものの、相手の方が1枚上手だった。

 

 

「大丈夫です。皆にはちゃんと許可を取りました」

 

 

 一歌ちゃんがずい、とスマホの画面を見せてくれる。

 

 どうやら幼馴染用の連絡グループの画面を表示してくれているらしく、一歌ちゃんのスマホの画面には大歓迎という意味にしか取れない文章がいくつか並んでいた。

 

 これで行かないと言ってしまう方が失礼な気がする。

 

 

「……じゃあ、お邪魔しようかな」

 

 

 ポコポコと送られてくる歓迎の通知と、おとなしそうな澄まし顔なのに、期待するように見てくる一歌ちゃんの目に負けて。

 

 私は結局、一歌ちゃん達の練習にお邪魔することにしたのだった。

 

 

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 

 

 去年あたりにライブハウスに入って、ライブを見ることはあった。

 

 しかし、ライブで使うような楽器の練習場所? いや、レッスンスタジオと言い直すべきか。

 そういうところに行く機会なんてまぁないだろうな、と思っていたので、ちょっとワクワクしてしまった。

 

 

(別に楽器もやってないし、歌の練習ならカラオケで十分だろうしねぇ。こういうところなんて、誘われなきゃ入らないよね)

 

 

 まふゆや雫がいないと宮女の弓道場に行くことなんて、ほぼないように。

 一歌ちゃんの背中を追いかけつつも、こっそりと周囲を観察する。

 

 挙動不審気味な私に対して、一歌ちゃんは通い慣れているだけあって、慣れた道を普通に歩く。

 そして、いつも使っているであろう部屋まで行き、その扉を軽く確認してから開いた。

 

 

「皆、お待たせ。ごめんね、遅れちゃって」

 

「えっと、お邪魔します」

 

 

 一歌ちゃんが当然のように入る中、私もそれについていく……というわけにはいかない。

 私は学ぶ女。えむちゃんの件で痛い目を見そうになったので、一応、扉の前で止まり、頭を下げてから中の様子を窺う。

 

 来ていた連絡では歓迎っぽかったけど、先輩の手前、遠慮をしていた可能性もある。

 頭の中で色々と考えていたものの、返ってきたのは杞憂だと言わんばかりの声だった。

 

 

「わぁ、えな先輩だ! 本当に来てくれたんですねっ。ささ、中にどうぞー」

 

「東雲先輩、こちらの椅子にどうぞ」

 

「こんにちは、先輩」

 

 

 咲希ちゃんに手を引かれ、望月さんには椅子まで用意されるという殿様対応。

 こっちは貴重な練習時間の邪魔をしているのに、日野森さんは頭を下げてくれている。

 

 普段ちょっと言葉を交わす程度の先輩相手なのに、なんと優しい子達なのだろうか。

 

 しかし、この優しさに甘えるわけにもいかない。

 

 

「咲希ちゃんも望月さんもありがとう。でも、私はお邪魔してる側だから気遣わないでよ」

 

「えぇー」

 

 

 断ったら、咲希ちゃんのしょんぼり顔が目に入ったけれど、ここは心を鬼にする。

 そうして何とか用意してもらった椅子を元の場所に戻していると、咲希ちゃんが私の顔をじっと見てきた。

 

 

「そういえば、えな先輩とほなちゃんは苗字で呼び合ってますよね。ちょっと距離があるような気がして気になっちゃったんですけど、何かあるんですか?」

 

「え? ううん、特に理由はないよ。ただ、タイミングがなかったというか」

 

 

 たぶん、一歌ちゃんだってあの場に咲希ちゃんがいなければ、星乃さんと呼んだままだろう。

 それと同じように望月さんや日野森さんと呼んでいるだけだ。

 

 ……とはいえ、苗字で呼ぶと距離を感じると思われるのは、あまり良くないかもしれない。

 4人のうち2人は親しげなのに、2人は距離があると思われるのは不本意なのだ。

 

 咲希ちゃんに話を振られて丁度いい機会だし、一歩進んでみようか。

 

 

「じゃあ、これを機会に望月さんは穂波ちゃんで、日野森さんは志歩ちゃんって呼ばせてもらおうかな」

 

「なら、わたしも絵名先輩って呼ばせてもらいますね」

 

 

 私の言葉に真っ先に反応してくれたのは穂波ちゃんだった。

 

 穂波ちゃんといえばお昼を食べたり、アップルパイとか作っていたりとチャンスはいくらでもあったのに、悉く見逃してきた相手だ。

 壁はこちらが想像しているよりも低かったのだろう。

 

 

「じゃあ、私も絵名先輩と呼ばせてもらいます。後、この前の屋上の件はありがとうございました」

 

「屋上? あぁ、いいのいいの。ペットボトルのお茶を渡しただけだし」

 

 

 志歩ちゃんからは無事に許可と、いつぞやのお礼まで言われてしまった。

 

 むしろ、余計なことに首を突っ込んで嫌われていないだけありがたいのだけど、志歩ちゃんはそう思っていなかったようで。

 

 

「志歩ちゃん、今日は絵名先輩と会えて良かったね」

 

「しほちゃん、ずっとえな先輩にお礼を言いたいって言ってたもんね!」

 

 

 穂波ちゃんと咲希ちゃんが我が事のように志歩ちゃんに声をかけているのを見ると、志歩ちゃんは屋上での話を気にしてくれていたらしい。

 

 もしかしたら今回の練習にお邪魔できた件も、志歩ちゃんが私と話したいと思っていたから実現したらことなのかもしれない。

 

 

「一歌ちゃん、もしかして今日誘ってくれたのって、志歩ちゃんの為だったりする?」

 

「えっと……その」

 

 

 今まで黙っていた一歌ちゃんに話を振ると、わかりやすい反応が返ってきた。

 

 最近、私もヤツの過干渉に疲れていたし、そのせいでまふゆも監視するようにベッタリだったので、志歩ちゃんも接触するタイミングがなくて困っていたのだろう。

 

 それで、今回丁度良く私と出会ったから、練習を口実に一歌ちゃんは私を連れて来たってところか。

 

 友達想いだなぁと微笑ましく思っていると、一歌ちゃんの口から予想外の言葉が出てきた。

 

 

「それもありますけど、最近の絵名先輩は元気が無さそうだったので。お世話になってますし、元気になるようなことをしたいなって、皆で話してたんです」

 

「!」

 

 

 まさかの発言に、私は咄嗟に言葉が出てこなかった。

 一歌ちゃん達にもバレていたのなら、きっと他にも気にかけられていたのは容易に予想できる。

 

 

(……もう、情けないところは見せられないな)

 

 

 じんわりと温かくなる胸を抑えて、私はタイミングを見て離脱しようとしていた気持ちを改めた。

 

 

「……ありがとう、じゃあ、楽しみにしてるね」

 

「はい。任せてください」

 

 

 頷く一歌ちゃんは1つ年下であるにも関わらず、私なんかよりもしっかりと、両足で立っているように見えて。

 

 曲を披露するために準備している間も、披露してくれた後も、眩しくて私は目を細めずにはいられなかった。

 

 






次回は大事な話をセカイでこっそりします。


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