IS 灰色兎は高く飛ぶ (グラタンサイダー)
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1.プロローグ

 不意にでも、故意にでも、失ってしまったものは輝きを増していく。

 それに対して自分はどうだろうかと。

 誰に対して憤る訳でもなく、ただ自分を責め抜いて、気付けば色褪せて元の色もわからない程、失ったものを求めて。

 代わりなどない。あってはならない。

 そう決めつけて、自分を責める。

 あの時、自分がいなければ。最初から、自分がいなければ。

 ――彼女は夢を追えたのだ。

 (みぎわ) 静穂(しずほ)。15歳。

 IS学園に入学。

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく落ち着こうとして、汀 静穂は目の前に注意を向けた。

 教壇に立つ女性はこのクラスの副担任であるという。嘘だ、絶対にうそだ。

 なんといっても若すぎる。まだ大学生、いやどう見ても自分達と同じく新高校生にしか見えない外見の彼女は山田先生。よし覚えた。

 次に最前列のクラスメイトに目をやる。スカートではないであろう腰から下は見えないが、その肩幅は周囲からの視線で蜂の巣状態である。心なしか肩身が狭そうに見えるのは気のせいではない、間違いなく。

 織斑 一夏。世界で唯一無二、ISを起動できる男子である。

 静穂は一夏を覆う槍衾の視線に混ざり彼を観察してみる。

 女性のみ使用可能な兵器、インフィニット・ストラトス、通称IS。本来は宇宙開発用まるちふぉーむぷら……、であったそれを世界は兵器に用途転換させ、いつしか競技用として落ち着かせた。

 ISは従来の価値観を見事に打ち砕いた。従来の兵器群を屑鉄に、女性を官民に、男性を馬車馬に。

 今や男は掃いて捨てるゴミよりも厄介な汚物である、という女性権利団体の言葉は聞くに新しい。これが政治家の言葉である。かつてならば引責辞任も当然の発言だがこれがまかり通るのがISの恐ろしさか。

 そんな情勢下で一夏を覆う視線は悲喜こもごも。興味、畏怖、憎悪、エトセトラエトセトラ。

 そんな中で静穂の視線は同情である。

(わかる、わかるよオリムラ君)

 静穂は冷や汗を隠しつつ生唾を飲み込んだ。

(これは、想像以上にきつい……!)

 

 

 

 

 

 自己紹介はナシにできないかと静穂は内心願っていた。

「織斑一夏…………以上です!」

 古き良きテレビ番組のようなクラスのリアクションに静穂はついていけなかった。

 問題はそのあと。

 突如として一夏の頭が消失した。いや静穂の位置からそう見える程の速度で叩き落とされたのだ。

 主犯はスーツの女性。凶器は出席簿。

(出席簿!?)

「げぇっ関羽!?」

「誰が三国武将か」

 馬鹿者、と同時に出席簿がまた落ちた。いい音がした。

「諸君、私がこのクラスの担任となる織斑 千冬だ。諸君を1年で一端のIS操縦者に仕立て上げる。返事は!」

 一拍置いて、

「本物よ! 本物の千冬様よ!」

「私、千冬様のために北海道から来たんです!」

「付け上がらないように躾けして!!」

「でもやさしく抱きしめて!!」

「強くなくてもいいの!! でも苦しければもっとイイの!!」

 阿鼻叫喚に近い叫び声だ。ただし黄色い。

 この状況を作り出した当人は頭を抱えていたが、静穂は思考の坩堝にいた。

(イヤイヤ待って待って何? 自己紹介で命の危険がワーニングですかそうなんですかイヤイヤそこまでIS学園が修羅の国とか全然知らなかったんですけどどうなんですか無理無理流石に手加減はしてくれているんじゃないか織斑だし苗字おんなじだし家族っぽいしという事はワタシがトチると手加減なしですかそうなんですかどうなんですか!?)

「落ち着いたか? では続きだ」

(考えよう汀 静穂考えるんだ汀 静穂アレだドレだ要は自己紹介だ簡単だ簡単なハズだできるハズだ自己紹介だ)

「では次。汀」

(趣味と特技だ何ができるキーパーができる何のキーパーだTRPGだそれはなんだごっこ遊びだお子様か貴様ごめんなさいいぃ……)

「汀、どうした」

(他は何だサバゲだそれは何だ戦争ごっこだまたごっこかすいませんすいません出席簿はやめてぇぇぇ)

 だが出席簿だ。

「痛いッ!」

 想像よりも軽めの衝撃だったのは救いなのか。脳天だけを通り過ぎた痛みはそのままの勢いをもって頭部を机に叩き込む。

 もし尻まで貫けるそれを受けていたら静穂は失神だろう。

「……ふむ」

 現世に帰ってきた静穂をなにか納得した千冬が上から肩を掴んで引き上げた。

「いいか汀」

 掴まれ立たされ涙目の静穂に、千冬は正面から向き合っていた。「いいなぁ……」という声がしたが二人には届いていない。

「どういう理由で余裕がないかは知らんが私は取って食いはしない。周りもそうだ」

 千冬の言葉に静穂は頷いていく。

「自分のことを素直に言う、それだけだ。できるな」

 はい、と静穂が頷いて、改めて静穂の番となる。

「汀 静穂…………よろしくお願いします」

 なぜか自然と拍手が起こった。後ろの女子が席に促す。「よく頑張りましたわ」と。

 なにを頑張ったのかわからないが自分は受け入れられたのかと思い顔を上げると、

「…………」

 こちらを睨み付ける女子が一人。長い髪をポニーにまとめた彼女を見て、拭った涙がまた溢れそうになる。

 なぜ彼女がここにいるのか、そういう事はさて置いて。

 静穂がまた泣きそうなので、後ろの女子は静穂の背中を摩ってくれた。

 そのやさしさが痛かった。

 



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2.次はお前だ

あらすじをどうしようか考え中。
プロローグが短いかなと思って足しちゃったのが痛い。



「それで本物の織斑先生でね?」

「わかるよわかる」

「私も覚悟してなかったらどうなってたか……」

 静穂は今、屋上庭園へと続く扉の前にいた。

 周囲には自分が感動のあまり泣いてしまったと誤解するクラスメイトが、踊場でひしめき合っている。

 せっかく都合よく解釈してくれているので静穂はその誤解に合わせていた。

 しかし苦しい。踊場のキャパシティオーバーなど建築設計者は計算するはずもない。

 理由は織斑一夏と、その幼馴染という少女、篠ノ之(しののの) (ほうき)にあった。

「話がある」と二人は人目を避けて屋上に行った訳だが。

「あの子織斑君とどういう関係?」

「幼馴染だって」

「嘘? 先越された!?」

「幼馴染に先も後もないんじゃ……」

 もはや盗み聞きとは言えない状況である。気配を隠す事など素人にできるはずもなく、女30人以上、姦しいどころではないガールズトークの応酬。

 女子とは色恋沙汰に敏感な生き物で、なんとか周囲に溶け込もうと静穂も輪に加わるのだが、

「いや、まだ始まったばかり。少しずつでもスキンシップを続けていけばチャンスは」

「何が始まったのよ」

「というかスキンシップって大胆な」

「汀さんは気にならないの!? 世界でたった一人のIS系男子だよ!?」

「そういうわけではないけどというかISに関わるだけなら男性も結構いるかと」

「動かせるのは彼だけってこと」

 いい? と静穂と肩をぶつけ合う少女は拳を握り、

「ISが動かせるって事は他の男とは一線を画す存在。つまり彼はIS関連の職業に就くことはまず間違いない。年収云々とか将来を見据えた上でもこれ程の優良物件は他にないのよ!」

 男は不動産と同列なのか。

「私はそうは思わないなー」

 と、静穂の斜向かいで押し潰されまいと踏ん張る少女。

「ただお話とかしたいなー、なんて」

「織斑君ってイケメンじゃない? それもレディファースト標準装備みたいな」

「わかるわかる」

「しっかりしてそうだよね」

「やっぱり千冬様の弟だからよ」

「しっかりと包み込む安心感」

「それだ!」

 静穂が思わず、どれだ、と言いそうになった時、扉に耳を当てていた別の少女が叫んだ。

「こっち来た!」

『!!』

 全員が階段を無理矢理にでも駆け下りていく。しかし全員は逃げられない。静穂は特にそうで、何故か最前列近くにいたのだ。

 そうして逃げ遅れた半数が扉を開けた箒と鉢合わせた。

 箒が一瞥くれると残りが散っていくのだが、静穂はそれでも逃げられない。

 ……睨まれている。真正面から。

 ゴルゴンに石化された愚鈍な蛮勇。壁に背を張り付けて冷や汗を流す静穂の前を一夏が断りを入れて通り過ぎる。

 一夏に返事をして箒は、

「次はお前だ」

 と言って去って行った。ドスが利いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂は教室の席に戻って一息ついた。もう大丈夫そうですわね、とは後ろの女子だ。

 セシリア・オルコット。イギリス代表候補生だと言う。

「うん、ありがとう」

 どういたしまして、と微笑む彼女の仕草はどれも優雅と言える。流石だ代表候補生。

「しかし皆さんもどうかしていますわね」

 どうやら不機嫌らしい。

「なにが?」

「あのように男性一人の行動を一々追いかけるなんて」

「あー」

 確かにそういう考え方もある。IS学園は従来、男子禁制だ。従業員として男性もいるにはいるらしいが、静穂はまだ顔を見ていない。初日というのもあるが。

 女の園に男が一人。ハーレムとみるか異物混入とみるか。

 彼女は後者だ。男=汚らわしいとでも認識しているのだろう。

 よって織斑一夏が気に入らない。証明終了。

「まあわたしはみんなが行くからってことで」

「そこは自主性を以て自制すべきではありませんか?」

「ほら、わたし自己紹介で失敗したからちょっと修正をね」

 なるほど、とセシリアはその点については納得したらしい。人間関係は大事だ。

「まあわたしは篠ノ之さんの方だし」

「あら、そうなんですの?」

「中学が一緒だったから」

「……ああ」

 一瞬で誤解して一瞬で訂正し、一瞬で平静に努めるセシリア。表情がコロコロ変わる。

(分かり易い)

「とにかく」

 セシリアは切り替えた。そして右手を己が膨らみに当て、

「貴女もイギリス代表候補生であるわたくしと同じ場にいるのです。礼節を重んじていただきたいものですわ」

 静穂の顔はどうなっているのか。

(すっごい上から目線……)

 呆れてはいない。むしろ感服しているのかもしれない。

 高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を地で行く人間を初めて見た。

 しかしセシリアはそれが堂に入っている。

「本物のお嬢様なの……?」

「本物とは何ですの? ええ、由緒ある家柄ですわ」

 家柄ですか、と。静穂は小さく唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の休み時間。静穂は屋上にいた。先に到着して地の利を得ようとしたのだが、

(あっちも少し前に来てるじゃないか)

 ようやくイーブンになっただけだった。

 しかし心が完全に負けている。箒が扉を開けた途端に静穂は、(あ、殺される)と錯覚した。

 箒の目線がかなり厳しいものになっている。扉が閉まる前の踊場にはまたギャラリーがいる。その中に男子がいることから奴のせいだ。間違いない。

 静穂は、(それよりも箒だ)と切り替える。中学こそ一緒だったものの、かれこれ2か月は会っていない。久しぶりと言って差し支えない再会に、ヨレた恰好だから怒っているのかもしれない、と、自分の服装を気にする。

 シンプルなロングスカートは(皺はない)背中まで伸びた髪は(広がってない)上着の襟は(大丈夫)ボタンも(掛け違いはない)埃や汚れも(まっさらピカピカ)胸は(まな板。仕方ない)外見に問題はない。……筈。

 よし、あとは第一声ですべてが決まる。そう確信した静穂は。

「久しぶり篠ノ之さん! 元気してた?」

 当たり障りのない文章、可能な限り満面の笑み、抑揚をしっかりとさせて。

「なぜお前までここにいるうぅぅ!?」

「ひぃゃぁぁぁああああああっっ!?」

 胸ぐら掴まれフェンス際まで運搬されました。



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3.嘘つきは生存戦略の始まり ①

 突込絞(つっこみじめ)という技が柔道には存在する。

 相手の上に馬乗りになることで動きを封じ、両襟を掴んで腕を交叉させる。

 すると相手の首が簡単に締まるというものだが、

「一夏はともかくお前までISを動かすとはどういうことだ……!」

「っ~~~~! …………!」

 馬乗りではないが箒の詰問は正しくそれだった。身長170㎝を超える静穂だが、心なしか踵が浮いているような気がする。

「どうした何か言ってみろ!」

(無理です!)

 首に握り拳が嵌っている状態で何を話せというのか。先程までの一夏に対する態度とは別物である。それ程に関係が深い訳でもないが。

 箒の腕をタップし続けるのを見て箒はようやく理解したらしい。ハッと気づいて技を解くと静穂は打ち上げられたダイオウイカの如く髪を散らしてダウン。手を突く余裕などないらしい。

 殺す気かと目線で訴えた。「いや、すまん」と返ってきた。

(もういいやそれで)

「……それで、説明はあるんだろうな?」

 

 ――男のお前がどうして女装(そんなかっこう)でここにいるのかも――

 

 良くはなかった。まだ命が危ない。

「する、するから」

 起こして、と試しに頼んでみる。箒は渋々と静穂の脇に手を差し込み、仰向けに転がし、上体を起してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の起りは2月初旬になる。

 高校受験も既にやり切ったという早すぎる自負のある静穂に、世界が震撼した事件が耳に入るのは丁度試験が終わり帰宅したばかりの事だった。

 男子初のIS適合者発見。

 静穂がどう調べてもその件で持ち切りだった。やれ救世主だやれ女性に対する権利侵害だ。主に後者。

 そして世界中で強制男子一斉検査が行われる事となり、その網に静穂は見事に引っかかってしまった。

(ここ、どこ?)

 ISを起動させたその足で静穂はある一室に連行されていた。

 よくはわからないがホテルなのは間違いない。乗せられたエレベータは二桁の階数まで表示できるそれだった。床は美しいマットが敷き詰められており、テーブル、椅子、その他調度品も一目で一級品だとわかる。運ばれてきた食事はなんとフルコース。

 窓のない部屋で静穂は数冊の本に目を通していく。IS関連の教本、参考書、IS関連企業のパンフレット。他にも数冊。

 すべて扉の前に立つスーツの男性が持ち込んでくれたものだ。別に頼んでいないのに。スーツの男性が室内に二人。扉の前に一人、壁際に一人。トイレに行きたいと訴えて室外に出た時、スーツの女性が一人、男性が二人。

 中学3年生にこれだけのSPが付くというのは大仰ではないだろうか。無言で立たれるのは少し怖いものがある。VIP待遇されるほどのことなのか。

 食べるものも食べ、ベッドはない。そのまま静穂はソファで眠った。男性に起こされた時、安物の腕時計は午前3時を指していた。

 移動、ではないらしい。静穂をここに呼んだ人物がようやく到着したと男性が言う。

 重役出勤とは違うがここまで人を拘束できる人物が一般人というわけがない。現時点で善悪の区別はつけられないが、フルコースは絶品だった。その分の礼くらいは言うべきと考え、静穂は服装を正した。

 ソファから立ち上がり、相手を待つ。扉が開き、口が開く。

 静穂を呼んだのはメディアでよく見る顔だった。

「こんな時間までお待たせして申し訳ない。阿毛(あもう)です」

 阿毛(あもう) 達郎(たつろう)。元総理大臣にして現志民党総裁。

 前回の選挙で野党側に回ってしまった、いわば落ち目の代表である。

 芸能人などと比べ物にならない大物と握手を交わし、座るように勧められて、ようやく静穂の口は閉じた。

 阿毛はSPを部屋から出るよう指示し、静穂に顔を向ける。

 値踏みとは違う人の見方だ。覗くとも違う。概要をざっと見ているような、向けられている当人にはわからない。

「まずはこう言わせてもらおう、おめでとう、そしてありがとう」

「ISの……ですか」

「そうだね」と言って阿毛は皮肉っぽく笑った。「私達の総意だよ」

「総意ですか」

「私を含めた老害達のね」

 そう言うと阿毛は笑った。静穂置いてきぼりである。

「あの、ご馳走様でした」

 静穂は早めに目標を達成した。もう帰りたい。

「気にする必要はない、お詫びだよ。なにせ野党になっても講演会が減る訳じゃなくむしろ増えるんだから堪らない」

 私は客寄せパンダなんだ、と言ってまた笑う。また置いて行かれる。

 さて、と阿毛は切り替えて、

「君にはIS学園に入学してもらうことになる。君の為にも、私達の為にも」

「どういうことですか?」

 お互いの為、とは。

「……君には謝ってばかりになりそうだ」

 白髪染めをしてしばらく経ったであろう頭を掻く阿毛。顔を上げるとそこに笑顔はない。

 仕事の顔だ。鉄面皮だ。何があっても崩さない確固たる意志の表れだ。

「辛く難しい話になる。それでも聞いてほしい。私達の党は、正確にはまだ私を含め数人程だが、君を政治の道具にしようとしている」

「道具ですか」

 正直に言われるとなかなかクるものがある。一人の人間をいいように扱うと言っている。それも自分をだ。

「まあ私のように客寄せパンダとしてだ。トップモデル……、広告塔、と言ってもいいかもしれない」

 静穂にとっては歌って踊らなくていいのが救いだろうか。

「今のが私達の目的だ。世界で二人目の男性IS操縦者が支持する政党。そうなれば私達の地位は盤石、つまりそう簡単に落選しない、与党で在り続けられると私達は考えている」

「僕はまだ選挙権なんて持っていません」

「いずれ持つ時が来る、それは君が思っているよりもずっと早く。で、だ。これは私達の為という部分。次は君の為という部分の話だ。こちらの方が()も重要かつ重大と言える」

「…………」

「まずこの草案が出来上がった経緯から。最初は君も知っている織斑一夏君の発見があった日。新聞でも言っていた通り彼の処遇について臨時会が開かれたのはその二日後だった。一日の空白、その間与党は、内閣は何をしていたか」

 

――織斑一夏に関する情報の隠蔽工作――

 

「いんぺい?」

「簡単に言うと彼の存在を隠そうとした。ISを動かした事だけじゃない。戸籍から何から何まで。存在そのものを握り潰そうとした。並行して国際IS委員会への報告義務も無視しある場所と連絡を取っていた」

「何処に……ですか」

「中国。()()()()()()()()()()()()()()()()



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4.嘘つきは生存戦略の始まり ②

 正直、吐きそうだった。

 なぜ自分がこんな話を聞かされているのか、暖房が効きすぎて思考がぼんやりとしているのか、静穂は理解できずにいた。

 ……違う。理解してはいる。認めたくないのだ。

 

――次はお前だ――

 

 そう言われるかもしれないと。

「現政権に成り代わってからの日本は舵が全く定まっていない状態だ。それこそマスコミが事実を書いてしまう程に。国民の大半は自分達の暮らしが少しでも楽になるように今の政権に投票したというが、現実はまるで変わらない。埋蔵金埋蔵金と言って囃し立てて、いざフタを開ければそんなものはない。国民は詐欺にあったのと同じだ」

「埋蔵金って何ですか?」

「簡単に言うと国が使っていない貯金かな。日本にはいざというときに備えた膨大な貯金がある、という噂話さ。誰も見たことがない、夢物語・妄想の類という嫌味だよ」

 徳川埋蔵金のようなものだろうかと静穂は考えた。要するに存在するかどうか疑わしい眉唾物という事だと。

「連中はないもの探しを始めた。というか作ろうとした。国家予算という肉を切り詰めて寄せ集めて形を整え元から埋蔵金は存在しました、と言おうとした」

 だが失敗した。

「日本は技術大国だ。いや世界と戦えるただ一つの武器と言える。それは普通の学生でもわかっていることだ。だのに連中はその武器を屑鉄に変えてしまった。すぐに武器自身が反抗して今に落ち着いているが、その損失は膨大なものだった。何だかわかる?」

 唐突に質問を振られた。だが静穂には話の内容が脱線しているようにしか思えず、

「……?」

 何が何やらという表情をしてしまい、阿毛が笑いをかみ殺す原因となってしまった。

「IS条約、IS運用協定の発足とIS学園創立・運営の全責任を負わされてしまったのさ」

 IS運用協定、通称IS条約。ISに関する情報の無条件開示を日本に強制させる強国の圧力。設計者の意思をも完全に無視した協定を結ばされ、国益は著しく損なった。その原因が現政権にあるという。

「野党の僻みと思ってくれてもいい。だが連中が国の肉をこそぎ落とすのに夢中になっているうちに、金の卵を産む鶏が堂々と奪われていった、というのに怒りが収まらないのさ」

 つまりこの男、

(今までのは愚痴か!?)

 子供相手に愚痴を漏らす大人がここにいた。

 だがただの愚痴ではなかったようで、

「削ぎ落とした肉から手痛い反抗を受け、気付いてみれば鶏もいない、金は当然できていない。まさに万策尽きた政権は織斑一夏に目を付けた」

 愚痴が前振りに変わった瞬間である。

「ここまでくると人というのは突き詰めて馬鹿になる。毒を食らわば皿まで、その逆、鶏を奪われたらそのつがいまでくれてやろうとしたんだ。目先の金目当てで」

 悪循環。やけっぱち。負の連鎖。

「勿論私達が止めた。と言いたいがどういうわけか勝手に止められていた。まあ過程なんて些細な事だった。それでも水面下で織斑一夏の処遇を国際IS委員会に委ねるという始末だ。奪われたんだ、すべてと言っていいほど、内外の毒虫に、いいようにもてあそばれて」

 阿毛の手が合わせられたまま固くなっていく。押さえて堪えて耐え忍ぶ。

 不甲斐無い、腹立たしい、情けない、苛立たしい。

「何もできなかった」

 悔悟の念に苛まれる。

 この男は、本当にこの国を愛している。静穂にはそう見えた。

「――だから」

 静穂だけは。

「君だけはなにがあっても守り通さなければならない。勿論IS操縦者としてだけではないのは君自身が理解しているだろうが、いや国益というのもある、しかし私は、君達若者を生肉扱いで売り払おうとする今の国を許せないのが第一にある」

 だから。

「3年、待ってほしい」

「3年?」

「IS学園の校則、特記事項第二十一にこうある。本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする。つまり君はIS学園に入学さえしてしまえば3年間は身の安全が保障される。私達がその間に政権を取り戻し、今は信じてくれとしか言えないが日本を少しでも改善するよう努める次第だ」

 そう言って阿毛は頭を下げた。中学生に。

(どうすればいいのか)

 信用してもいいのかと勘ぐってみる。政治家というのは演技派だというのもある。

 それでも、

「わかりました。それでお願いします」

 そう答えるのにそれ程時間はかからなかった。

「……いいのかい」

 阿毛の目が見開かれた。

「まあ最後の方の3年がどうってところしかわかんなかったですけど」

 ほぼすべて建前、適当な妄言。スピーチ担当者の目も通っていないその場しのぎのでっち上げでもこのような事はないだろう。何しろ阿毛はベテラン政治家だ。子供相手だとしてもしっかりと伝えたい事はしっかりと理解できるであろう文章を即時用意できる筈だ。

「あることないこと言って僕を入学させようってのだけは伝わりました。まあ中国に売られて解剖されるよりかはいいです……よね?」

 ここまで来て不安になった。死にたくないのは誰だって変わらない筈だ。

 なにより静穂には後ろ盾が存在しない。この時点で静穂は知る由もないが、織斑一夏には最強の姉というそれがいる以上、うかつに手を出せない状況が成立している。そこにもう一人のIS男子がいたとなれば挙って奪い合いになるだろう。文字通り殺してでも奪い取る状況になる。生死問わずの強奪戦が始まってしまう。その辺りの問題もあるのだろう。

「そうか、行ってくれるか」

 そう言うと阿毛は手を差し出した。静穂は手を握り返し契約成立となる。

「勿論卒業後にはちゃんとした生活を保障する。それはこれからも変わらない」

「それでお願いします」

 握手をする阿毛は本当に安堵した表情になっていた。子供相手に何を緊張していたのか。

「しかし君もよく快諾してくれた。女子になっても頑張ってくれたまえ」

「は?」

(今なんて?)

 ん? と阿毛は不思議な顔をして「何かおかしいか?」と、阿毛は机に向かい雑誌をかき回し始めた。

「日本で二人目となれば国際IS委員会に奪われるのは目に見えて明らかだ」

 探していた雑誌を見つけ阿毛は静穂に見せつけた。

 IS関連の雑誌に紛れていた、何故だか一緒になっていた。

「君には女子としてIS学園に入学してもらう」

 言ってなかったなそういえば、と阿毛は一人納得していた。

 手に持つのは女性ファッション誌。

「よろしく頼むよ、汀 静穂くん?」

「…………はぁぁあああ!?」

 ……政治家というものはこうも人の人生を狂わせられるものなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり。

「偶然ISが動かせて、それがばれると命が危ないから、女子として入学しろと政府が言った」

「…………」



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5.矢面に立つのは戦略にない

『はあ……』

 二人揃って溜息。内容は違えど表現は同じ。静穂は「どうしてこうなった」という後悔だろうと箒は予測する。箒の方は「そこまで流される奴があるか」という呆れである。そんなハイソウデスカと性別を偽れるものなのかと。

 しかも完成度がとても高い。セシリアにこそ到底及ばないが、そこそこのお嬢様と言っても通りそうな水準だ。まあ元が男だけに各部の膨らみというか女性特有の全体的な曲線美は少ない……逆に言えばちょっとはあるという事自体がおかしいのだが、男性所以の長身が逆にプラスとしている。男装の麗人などはまり役ではないだろうか。元が元だけに当てはまるかは知らないが。

 以前から同級の女子に強要されていたのを時たま見かけていたが、彼自身が本気で仕上げにかかるとここまでとは思わなかった。声色も完璧に女子。声変わりを終えてまだソプラノ歌手ばりの高音。おふざけで身体の()()に触れた男子が「マジか……」と打ちひしがれていたのを見なければ箒も信じられなかっただろう。その後男子は蹴り飛ばされていた。なぜか女子に。

 で、だ。

「いつからなんだ」と箒。

「? いつからって?」と静穂。

「いつからISを動かせたんだ」

「いや、この前の一斉検査の時が初めて」

 どうやら以前から扱えたという訳ではないらしい。

 ここで箒の予想が外れてしまう。

 では何故彼は私と同じなのか。

 なぜ彼は。

 聞こうとした。したのだが、

「ん、もう休み時間ないか」

「あっ――」

「篠ノ之さん、遅刻するよ?」

 と言って静穂は出入り口の方に進んでしまった。聞きそびれ、それでもまだ何か言おうとして、

「ほ、箒でいい」

「うい、箒ちゃん」

「……箒だけでいい」

 結果、見当違いの方向で落ち着いてしまった。

 ……彼の後を追いながら考える。

(いつもと変わらなかった)

 中学時代、同じクラスで、自分と違い周囲に混ざって会話に花を咲かせていたあの頃と同じ表情。

 では何故、何故彼は、

(名前も戸籍も性別も変わって、)

 

――自分が死んだ事になっていても笑っていられるのか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(どうしてこうなった。なるべくしてなった。今回ばかりは仕方ないんだ初めての友達の為なんだそうなんだったらそうだと言ってくださいだれかだれかだれか)

 静穂、現実逃避中。

 放課後になり静穂は図書室にいた。

 眼前にはホワイトボードとセシリア・オルコットが。どこから持ち出したのか指示棒を構えている。

「では、始めましょう」

「えあ? よ、よろしくお願いします」

 

 ――数時間前になる。

「クラス代表を決める」

 織斑先生からの一言が火種となった。

 話を聞く限りではクラス代表というのは雑用を任せられて対外的な矢面に立つ、そんなイメージしか浮かばない損な役割だと静穂は思った。

 そんな代表役にクラスの誰かが一夏を推薦した。

 それにセシリアが激昂。対抗するように当人も立候補。その際放った暴言を修正しようとした静穂。IS学園初の友人というだけで行動に出たのが間違いとは言えないが、その努力も空しく。

「イギリスこそ何年連続でマズイ飯世界一の称号取ってんだ?」

 売り言葉に買い言葉、炸裂。

 そこから静穂は二人の罵詈雑言に挟まれ出席簿で意識ごと叩き落されるまでのとばっちりを受ける羽目に。静穂は悪くない、悪いとすれば運だと後に箒は言う。

 そして織斑先生はこう言ったのだ。

「ではこの3名で代表決定戦を行う。期日は一週間後。では以上だ」

 3名。

『ま、巻き込まれた……』

 クラス一同が失神している静穂に憐憫の情を向けていた。

 その後、頭を摩りつつ一週間後を思案していた静穂に、

「先程は失礼いたしました」

 とセシリアが詫びてきたのだ。

「織斑君はいいの?」

「篠ノ之さんに連れられて出て行きました。来週に向けて特訓するようですわね」

 ほうほう、と静穂は感心するような反応をした。箒が自分から他者に行動するというのは、中学時代には見られなかった事だ。当時の彼女は触れるものみな傷つける、といった具合に余裕がなかったように思われた。政府の要人保護プログラムなどで家族離れ離れになってしまえば仕方のない事かもしれないが。

 しかも相手は異性、さらに幼馴染。屋上での会話の一部を盗み聞くことに成功した女子によると、一夏は彼女の剣道大会日本一という情報を知っていたと言う。

 ここまでくれば数え役満まであと少し。何かが足りないんだ、何かが。

 しかしそれはそれとして、

「来週、ね」

 静穂のジトッとした目線がセシリアに向く。セシリアはばつが悪そうだったがすぐに気を取り直し、凛とした表情で言う。

「ええ。来週、わたくし達はあの男と戦います」

「別にタッグマッチを組む訳じゃないと思うよ。先生はわたし対オルコットさんもやらせるみたいだし」

「気概の問題ですわ。あそこまで言われて何もしないのではオルコットの名が廃ります」

「わたしはオルコット家じゃないけどなぁ」

 というか巻き込まれ矢面に立たされた被害者である。

「何もしないというのは貴女に、です」

「わたし? なんで?」

「貴女はわたくしの行き過ぎた間違いを正そうとしてくださいました。お蔭でわたくしは()()()については謝罪するつもりでしたわ」

 だがそれよりも早く一夏が反応してしまった。

「貴女があまり波風立たぬよう周囲を気遣う方だというのは分かったつもりです」

「え、なにそれ」

「しかしこうして貴女を巻き込んでしまった」

「待って、何かがおかしい」

「こうなったからにはわたくしが貴女を来週まで、わたくしが持てる技術を教授させていただきます!」

「どうしてそうなる!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園の練習機は完全予約・抽選制だ。あぶれてしまうのは学校初日といえど例外はない。

 とにかくISに触れなくては操縦技術面ではどうしようもなく、とにかくセシリアはISの知識面から攻め込む事にしたらしい。

 攻め入る、とは的を射ているかもしれない。セシリアは机から岩の如く積み上げ固められたIS関連の教本を次から次にめくっていく。その一方で静穂はセシリアの指示に従いセシリアの目が通り終わった書籍を時に種分けし、時に棚に戻していく。

 現在セシリアが行っているのは知識の選別作業だと言う。一週間で素人に自身の知識を余す所なく全身に染み込ませ、今後の糧、更には基盤とさせるための取っ掛かりを選んでいるのだ。

 付け焼刃ではなく将来まで見据えた作業。やり過ぎというかそこまでいくと足元を掬われかねないと誰かが思うだろうが、

「……………………」

 常人ならざると言わんばかりの集中力を発揮する彼女に、周囲は何も言えない。

 これがイギリス代表候補生。これがセシリア・オルコット。

 その地位が彼女の実力である証左、その片鱗を目の当たりにしていた。

「ふう。お待たせ致しました」

 セシリアが本から目を離す。残されたのはなんとか十数冊に収められた取っ掛かりと、その一部に物は試しと目を通す静穂。遠くにはギャラリーがいたが蜘蛛の子が如く静かに散って行った。

「丁度いいですわ。その本の内容から始めようとしていましたから」

 セシリアはそう言うと立ち上がり、ホワイトボードの前に立つ。

「では、始めましょう」

「えあ? よ、よろしくお願いします」

 こうしてセシリア先生のハバネロ授業が開講した。

 



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6.唐辛子と女子力

 ハバネロどころではなかった。

(からい! 頭が辛い!)

 ギネス記録をも超えるキャロライナ・リーパー級。セシリアの講義は静穂の脳にカプサイシン過剰摂取以上の痛みを与え続けている。実際には幻肢痛のようなものだが、痛いものは痛い。浴びるように聞き流すことで英語を習得するCD教材があるが正にそれだった。

「今日はとにかく聞くことに専念してください。用語の意味、関連性、それらは一切無視していただいて構いません。わたくしはこれからすべてを繰り返し説明します」

 それこそ何度でも、と。

 その真剣な目に反論の余地はなく。

「ただこれだけは約束してください。決して目を逸らさない、と」

 聞き流すことすら許されなかった。

 これが数時間前である。

 ハバネロ改めキャロライナ授業を終えて足が震えながらも宛がわれた自室に到着、簡単に荷解きを済ませると、静穂は机に向かった。

 復習だ。今、静穂の頭はセシリアの授業が僅かにもこびり付いている状態にある。それを定着させ、脳への負荷をできる限り軽減する。偏頭痛は静穂がいかに普段の勉学を疎かにしていたかという証拠でもある訳だ。少しは机に向かっていればここまではならなかった、とはセシリア談。『やり過ぎ』は彼女の前では禁句だ。彼女自身が同じ様に知識を身に着けて、自身が可能だったからこそ静穂にも実践させようとしている訳で。向き不向きは関係ないらしい。やるかやらないかだそうだ。炎の妖精に弟子入りでもしているのか彼女は、と静穂は思っても口には出来ず。無駄口厳禁。

 もちろん復習とは本来、自衛手段ではない。念の為。

 趣味の為に机に向かった事はあっても勉強では殆どない静穂に、復習といっても何をどうすれば良いのかなど分かる筈もなく、借りてきた教本の束をとりあえずめくっていく。

 するとどうだろうか。

(あ、意外と……)

 なんとなく、ぼんやりと、文章の概観が見え隠れするようだった。

 セシリア先生様々である。目線を逸らせば怒られ聞き逃せば怒られ質問しても「今はその時ではありませんわ」と怒られ、超辛マンツーマン指導は一日目にして芽を出しつつあった。激痛を代償に。

 しかし頭痛には耐えられず、数分で静穂は突っ伏した。

 それでも今やめるというのは明日が怖い。何せISの予約・抽選次第ではまた座学なのだから。「キチンと復習すればすぐ治りますわ」と彼女は言っていたが根拠はあるのか証拠を見せろ。

(……ひょっとしてオルコットさん自身かな?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こめかみに両の拳を宛がい自分でウメボシをしながら復習に耐えていると、扉がノックされた。

「はーい今開けますよー」

 と静穂が扉を開けて見れば美少女である。食パンを咥えていれば反対側を齧れそうな距離に女子の瞳が眼鏡越し。

「っ」

「おっと」

 勢いが付き過ぎた。部屋から半身が出てしまっている。彼女の方も慌てて仰け反っていた。

「えっと……」

 静穂は彼女の事など知らず、(どうしたのかな?)と考えていると、

「同室になる更識 簪です」

「ああ同室。汀 静穂です。よろしく」

(同室!?)

 静穂の内心で警報が鳴る。

(え、どうするのバレるとまずいよ外見なんとかしても中身は男だよ寝てる間とか無防備だよどうするの寝るなとまさかそうなんですか拷問ですかこの子は関係ないけど今のわたしにはクラスター爆弾にしか見えないっ!)

 平静を装って奥に案内する。女装の関係上静穂の荷物も少しは多い方かと思えば彼女――簪の方が多かった。

「流石に荷物多いね」

 と、つい口走ってしまった。

「そう、かな」

(しまった!)

 簪の表情が曇っている。

「(フォロー! リカバリー!)――やっぱりかわいい女の子ってのは見えない所で努力するものなんだねー」

「っ!?」

(ん? 違った!?)

 ……結果はともかく簪の気分は回復――してはいなかった。最初は紅潮した様子だったが静穂を見て消沈した。

(えー直接的にわたしが原因ですかー!?)

 やはり第一印象は大切だったのか。確かに午前では箒に対し突込締めを極められ押さえ込み一本負けという結果だったが今回は何をしたか全く覚えがない。相手の気分を害する初対面勝負では有効を取った筈なのに何故こうも苦しいのか。

「大丈夫……?」

「……へ?」

 そう言うと簪はコンパクトを取り出し鏡を差し出す。目が充血していた。白一つない真っ赤だ。

「これ、使って?」

 次に簪が取り出したのは目薬だった。「私もよく真っ赤にするから」と微笑む。

 静穂が受け取ったのを見て、簪は荷解きを始めた。あまり会話しないタイプのようだ。

 受け取った目薬をじっと見て、

(これが、女子力……!)

 目薬を点した。唸るほど痛かった。

 



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7.朝食・放課後・ベ○スター

 翌日の朝。

(大丈夫だよね?)

 自らの素性がバレてはいないだろうかと心配になって起きてみても、昨日初めて出会った相手の変化などわかる筈もなく、ただ起きて「おはよう」と挨拶するに留まった。

 それよりも、いやよくはないが、まず糖分が足りない。正しくは米が足りない。

 簪と部屋のあれこれで相談し、夕飯、その後復習を再開したのだが、如何せん夕飯の量が足りなかった。

(女子として完璧に溶け込む為には、彼女の真似が一番の近道かもしれない!)

 と簪の真似をして昨日の食堂では同じメニューを注文した。彼女には普通の量であっただろうがその時の静穂にとってはまず足りなかった。

 キャロりん授業にその上で復習まで行っていれば脳も酷使され栄養を欲する。

 結果静穂は空腹で目が覚めていた。

 周囲の女子が控えめなメニューを注文していく中、静穂はミルフィーユカツ定食ごはん大盛りを注文した。

 この時点で静穂の学園計画は「如何に女子として紛れ込むか」ではなく「自分の地を男とバレない程度に出していく」に路線変更している。

 空腹には勝てない。無理はいけない。そう悟った入学二日目の朝。ボロが出る前で良かったんだと自分を納得させる。

 食券を受け取ったおばちゃんが「若い子はこうでなくちゃねぇ」とか「少しはふくよかな方が男受けするわよ」とか同意を求めてくるが静穂に言われてもどうしようもない。言えないが静穂も男子だ。周囲よりは食べるし好みのタイプを聞かれているようで落ち着かない。

 それなりに相槌を打って席を探す。簪は一人が好きだそうで別行動。

 見渡せば女子が二人所在なさげに立っている。同じクラスだった筈だ。自分達の食事を持って一方を見ていた。その方向には一夏と箒。一夏と同席を狙っているようだった。

 女子を通り過ぎ一夏と箒のテーブルへ。箒は以前からの知り合いだし、一夏は同性だ。物怖じすることは何もない。むしろ他の席に入る方が鬼門だ。

「おはようお二人さん」と言って箒の隣に座る。

「む、おはよう」と箒。

「おはよう。えと……」と一夏。

「初めまして。同じクラスの汀 静穂です」

「織斑 一夏だ。よろしく。一夏でいいぞ」

「ならこっちも静穂で。箒ちゃんとは中学で一緒だったの」

「そうなのか! もっと早く知ってればよかった! だったら箒のヤツを止められたんじゃないか!?」

「あれはお前のせいだろうが!」

「何があったの……?」

 

――要約。ラッキースケベで鬼が出た――

 

 成程、と静穂は頷いて、

「つまり一夏くんは初対面のわたしに対して死ねと」

「そこまでなのか!?」

「誰が鬼だ! 一夏!」

「全中日本一の剣道家に生身では無理、絶対」(一応、剣道と剣術は違うものかと。)

「強くなったんだな、箒……」

 うんうんと頷く静穂、感嘆の息を吐く一夏。急に褒められた気がして箒がどもる。しかし箒は鮭の切り身を解して照れを誤魔化しながら、

「ふん、お前が言っても皮肉だぞ静穂」

「そうかねー」

 静穂はどこ吹く風でさっきの二人に手招きしている。箒からは見えない位置だ。

「どういう事だ?」

「こいつは私の剣を悉く避ける。それに――」

「織斑君! ここいいかな!?」

「いい~~?」

「ああ。別に大丈夫だぞ」

「ーーーーーーーーー!」

 遮られて声にならない箒がお前のせいかと静穂を睨む。静穂は千切りキャベツを先に平らげてカツにソースをかけている。

(目を合わせるなわたし! ころされる!)

 怖がるならば何もしなければいいのだが静穂も意趣返し位はやっておきたかった。

 昨日の首絞めに対するささやかな反抗というのもある。箒が一夏に想いを寄せているのは誰が見ても明らかで、本人は少しでも時間を共にしたいと考えているだろう。静穂も箒を止める気はない。

 しかしそれよりも我が身可愛さが先に来てしまった。

 友人がほしいのだ。

 静穂にとっては幸運な事に先程の二人は同じクラスで、男子に話しかけてみたいが周囲の目や羞恥心が邪魔していた。静穂はそこに助け舟を出した訳だ。

(結構打算じみてきたなぁ……)

 自分もあの政治家のように染まってしまったのかと不安になる。なるのだが味噌汁が美味かった。

「織斑君って朝すごい食べるんだね」

「そうか? これくらい食べないと一日持たないだろ」

「流石おりむーは男の子だね~」

「でも静穂だって俺並に食べてるぞ?」

 と目線がすべて静穂に向いた。

(さっそく名前で呼びますか!?)

「ん……まあ」味噌汁を飲み干して少し言葉を選ぶ。「わたしの燃費は輸入車レベルだから」

『悪ッ!』

「しかも4WD」

『さらに悪ッ!!』

「え、どうなんだそれ?」

「………………」

 ボケる静穂にツッコむ二人。一夏は分からず箒は不機嫌。

 そして織斑先生の激が飛ぶ。

「貴様らいつまで食べている!! 授業に遅れる様ならグラウンド10周は走ってもらうぞ!!」

 食堂内のスピードが二段階は上がった気がした。

「一夏、先に行くぞ」

「あ、私も!」

「私も~」

 会話に入れず先に食べ終わった箒と元から量が少なかった女子二人が先立って食堂を出て行く。片方の女子が去り際に「ありがとう」と静穂に言って去って行った。静穂はこれを機に仲良くなれるといいなあと考えつつ、

「じゃあわたしもお先」

「いつの間に!?」

 最後の一切れを口に放り込みよく味わった後にほうじ茶で口内スッキリ。

 薄情だが一夏を待っていた所で出席簿に勝るメリットはない。

 静穂はロングスカートが少し広がる程度に急いで教室へ。

 席に着いたら後席のセシリアが難しい顔で睨んできた。

 キャロ授業を食事中にも展開されては堪らない。静穂は昼食を購買にすると心に決めた。

 そして、一夏もなんとか授業に間に合いはしたが、寸前だったため出席簿が落された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、図書館。

「では、昨日の内容をもう一度」

「よろしくお願いします」

 

 放課後、図書館。

 放課後、図書館。

 放課後、図書館。

 放課後、図書館。

 

 ……不運、ここに極まれり。

「困りましたわね……」

「…………」

 決戦は明日。困り顔のセシリアと屍寸前の静穂は図書館から寮への移動中。

 前日になってまで静穂にISに触れる機会は訪れなかった。

 セシリアもこれは想定外だったらしい。今の静穂は知識に偏ってばかりで実戦が出来ていない状態だ。これでは思考が先行して体がついてこない。

「いっその事ティアーズを……いえ、そんなの」

 無理に決まっている。

 確かにセシリアは自身の専用機を所持している。しかしそれは自身の、ひいてはイギリスの所有物。おいそれと他人に貸し与えて変な癖でもつけば大問題である。

 明らかな予測ミス。一週間ここまで頑張ってついてきた静穂に申し訳ない。

 せめて、せめて簡単な機動だけでも体に染み込ませる事が出来れば、とセシリアは無い物ねだりをしてみるも、解決策はない。

「申し訳ありません、静穂さん」

「……んぁ?」

 静穂の意識が涅槃から帰ってきた。

「ここまで来て不完全な形で貴女を試合に出してしまうことになりますわ」

 セシリアは自身が未熟だと恥じていた。

 対する静穂は軽い笑みを浮かべて、

「まあ一ヶ月待ちだっていうんだししょうがないよ、うん」

 どこか達観的だった。

「それに授業も凄く分かるようになったし、わたしとしてはもう元が取れてるから」

 セシリアは気にしなくていい、と。

 実際、静穂の成績は跳ね上がっていた。教員の質問に対して即座にあの参考書の何ページ、といった具合に答えが頭に浮かび上がる程らしい。

 同室の簪曰くセシリアの選んだ教本は3年生が学ぶ内容が殆どだったという。今年の2月までISに全く関係の無かった人間としては大躍進だろう。……日に日に箒や簪が心配する顔色になっていったが。あの織斑先生も若干二度見していた。

「それでも何か、わたくし達にできることは無いものでしょうか」

 うーん、と静穂は首を捻る。

 そして、ふと。

「じゃあ、一つだけ」

「! 何かありますの?」

 すると静穂は腕を広げて、

「抱っこして」

 ………………間。

「それは、なんですの……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 簪がドライヤーで髪を乾かしていると、静穂が帰ってきた。

「お帰りなさい」

「ただいまー」

 挨拶すると静穂はベッド近くの敷居を動かし死角を作って着替えだす。お互い肌を見せるのは苦手という事で一致しているので、変に疑ったりはしない。

 というよりも簪にそんな余裕はなく、明日の試合も織斑一夏が負けてしまえばいいといった程度のものだ。ルームメイトが明日の為に特訓している事も、自身に影響が出なければそれでいいといった具合である。

 もっとも、当のルームメイトは初対面から目を真っ赤に血走らせ、二日目で顔から血の気が失せ、三日目から参考書の内容をうわ言で呟き始めていては、心配せずにはいられなかったが。

 簪は机に向かいスリープ状態のパソコンを立ち上げる。静穂は部屋着兼寝間着を着てシャワー室に。

 ふと、簪は隣を見た。

 ここ一週間、二人は並んで机に向かっていた。目的と行動こそ違えど距離は近しい位置に居た。

(今日も勉強するのかな)

 と考えて、すぐに頭を切り替えた。

 

 ――カラスの行水、とよく言うが、静穂はそれに当てはまる部類だった。簪が見ても10分は経っていない。

 既に静穂は髪に櫛を通しつつ乾かす作業に入っている。……のだが何だかぎこちない。高校デビューで髪を伸ばしたのはいいがどうも持て余しているようだ。

 その時、なぜか。

「……貸して」

 席を立って、初対面の時に使った笑みも忘れて、素のままの自分で、彼女に近づいていた。

「いいの? じゃあお願いします」

 頼まれて手に櫛を渡されてやっと自分の行いに気付いた。どうしてこうなったのかと自問しつつ手を動かす。

 髪を梳かれている当人は目を閉じてリラックスしているようだが簪はそうではない。

 これが金髪なら金糸と例えられる程の細さだ。簡単に抜ける事はないだろうがそう思わせるくらいのそれに指を櫛を通していく。あの短時間でどのようにケアしているのか。

 沈黙。無言。

 耐えられなくなったのは簪だった。

「明日だね」

「あした?」不思議そうに訪ねて、あぁ、と静穂は気付き「ああ、試合か」

「大丈夫、なの」

 静穂は目を開けず、

「別にわたしは勝ちたい訳じゃないけど、いい勝負になるよう頑張るよ」

「いい勝負?」

「勝とうが負けようが茶番扱いされるのは嫌、ってこと」

 でないと、

「改造ベ○スターみたいな顔になるまで頑張った甲斐がないでしょ」

 ぶふっ、簪は噴き出した。

 なんとか体裁を取り繕おうとする簪に、静穂はしてやったりといった表情。

「お、特撮イケる口ですか」

「ーーーーー!」

 ドライヤー、出力最大。

「あ、あっ、あ、っ熱い熱いっ」

 その後、改めて梳き直した。



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8.槍衾と矢面 ①

 セシリアは気が気では無かった。

 自分だけの問題ではこんな気持ちになどならなかっただろう。

 当の静穂はISスーツの上にジャージを着て、何やらもぞもぞと動いている。緊張していないようで良かったとしか言いようはない。

 静穂はセシリアの教え子だという事実は既に学園中に広まっている。対戦の順番からも、周囲の反応は、

 

――セシリアと戦いたければ弟子を倒して見せろ――

 

 世界唯一無二のIS適合者に相応しい当て馬。静穂をそう言ってしまう生徒もいる。それがセシリアを苛立たせ、尚且つ本当にそうなってしまうのではないかと不安を募らせる。

 何しろ知識のみ詰め込んだペーパードライバーが静穂だ。しかも相手は専用機をあてがわれたという。練習機と専用機。知識だけならば静穂が圧倒的優位だが、同じ素人ではマシンスペックが顕著に結果を左右させる。静穂の知識には学園で使用されているISの情報も入っているが、出自も不明の専用機が相手では意味がない。

(これでは、一週間の苦労が本当に無駄ではありませんか)

 なまじ完璧を目指し過ぎたのだ。静穂が精神に不調を来してまでついて来てくれた、その結果が当て馬扱い。

 今、ISの操作を確認する静穂と目があった。

 セシリアは不安を押し殺した。師たるもの弟子を不安にさせるのはいけない。

「準備はよろしくて?」

「万端!」

 その返事だけで救われていた。

「ところで静穂さん」

「何?」

「その胸はなんですの?」

「見栄」

「……まあいいですわ」

 本当に緊張などしていない。今の静穂はボディラインに沿ったBカップ程度の胸があった。

 

 ――その一方で。

「来ました、来ました!」

 山田先生の声が織斑姉弟と箒のいる空間に響いた。

「お待たせしました織斑君! 貴方の専用機、白式です!」

「白式……」

 白を基調とした機体がコンテナから引き出される。

(俺の、IS)

「織斑、さっさと装着しろ。向こうの準備はとうに出来ているぞ」

「は、はい!」

 織斑姉に急かされ急いで白式に向かう織斑弟。

 白式に身を預ける。ISスーツ越しにISが自動で装着されていく。

 箒が一夏に近づいていく。

「一夏、覚えているな?」

「ああ、()()()()()()()、だろ?」

 そうだ、と箒は頷く。

「でもこっちは剣道の練習しかしてないぞ? 近づかないと勝負にならないんじゃないか?」

 確かにそれもそうだ。

 これまでの一週間、一夏と箒は剣道の稽古で全て費やした。

 それも一夏の腕が鈍っていたというのが最大の原因だが、静穂同様、ISの抽選に外れたのもある。まあ専用機が来るのを待ち続け静穂達よりも後手に回っていたが。

 箒が何か反論する前に出席簿で黙らされた。悶絶で済んでいる辺り静穂より耐性がありそうだ。

「時間がない。初期化と一次移行は実戦で済ませろ」

「分かった。――そうだ、千冬姉」

「織斑先生、だ。何だ?」

「行ってくる」

 千冬は目を見開くと、すぐ目を細め、

「行ってこい」

 一瞬だが、その時だけは一夏の姉だった。

 

 

 

 偽造した胸を調整しつつ、カタパルトへ。固定された時点でセシリアが、

「いいですか、無理にわたくしの様に飛ぼうと考えないで」

「うん、実戦はまだ習ってないしね」

 そう言うと静穂はぐぐっと背を伸ばし、

「許可も下りたってことで自己流で行く!」

 射出に備える。ゲートが開いていき、外光が射す。

「汀 静穂はラファール・リヴァイヴでいきます!」

 静穂が行く。

 

「織斑君、頑張って!」

「一夏、本当に用心しろよ!」

「ありがとう、行ってくる!」

 一夏もカタパルトに。こちらも緊張の様子はない。

「織斑 一夏、白式。出る!」

 一夏が行く。

 

 

 奇しくも男性同士のIS戦という事実を、箒以外この時は知らず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 位置についたのはほぼ同時だった。

 まず一夏が一言。

「あれ、ISスーツじゃないのか」

 続いて静穂が頭を掻いて、

「いや、中には着てるんだけどね? ちょっと恥ずかしくて」

「それだと俺はどうなるんだ」

 一夏、呆れ気味。

「あぁ変な意味じゃなくて、綺麗な体してなくてさ、傷痕とか」

 ほら、と静穂は少し腕捲りしてジャージを上げる。一夏の白式はハイパーセンサーでその痕をまざまざと見つけてしまった。

 多数はないが大小複数の切り傷がそこにあった。完治こそしているがその痕はかなり前のものに見えた。

「悪い、聞いちゃいけないこと聞いた」

「気にしなくていいよ」静穂は上げたジャージを戻す。「普段はファンデーションとかで隠せるんだけどね」

「でも」

「いいから」

 静穂の語気に一夏は押し黙った。それでも何か言いたげな目線を受けて、静穂は頭を掻いた。

「じゃあそっちが勝ったら聞いてあげる、こっちが勝ったらもう聞かない」

 それでどう?

「! ああ!」

 二人が構える。織斑先生のアナウンス。

「では、クラス代表決定戦、第一試合」

 

――始めっ!!――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合図と同時に一夏は飛んだ。方向は真横。真横に飛んで、頭を撃ち抜かれた。

 衝撃で顎が上がる。続けて撃たれる。全身くまなく無茶苦茶に叩き付けられる。

 腕で頭を守る。偶然か、こめかみの位置に置いた拳が銃弾を弾いた。

 とにかく一夏は縦横に構わず飛んだ。

 ハンドガン。一丁のそれを静穂はしっかりと両手で構え引金を引いている。

「箒の言った通りかよ!」

 その言葉を聞いて静穂は、

「箒ちゃんめ、なにか教えたな?」

 少しの間、笑みを浮かべて、

「どの位聞いた!?」

「!?」

「わたしの事っ!」

 口と一緒に指一本を動かす静穂。一夏の被弾が止まらない。

「あんまり聞いてないぞ」

「でも言った通りなんでしょ?」

「ああ!」

 一夏が静穂から明らかに離れ、大きく旋回。

 速度を上げて突っ込んだ。

「強いんだろ!」

「どうだろ!」

 紙一重でかわされた。後ろから撃たれるのを耐え距離を取る。

 こちらも武器が要る。装備覧を探して近接用ブレードが一振り。

(これだけかよ!?)

 ないよりはいいとブレードを展開。横薙ぎに振って感触を確かめる。

「近づいてくるの? わざわざ!?」

「行くぞ!!」

 猪突猛進、突き進む。逆袈裟に切り込んだ太刀筋を静穂は横に避けた。

「ハァッ!」

 手首を返し、体から静穂の懐に飛び込んだ。

「ふぇ!?」

 横一閃。静穂のシールドエネルギーを破り絶対防御を発動させる。静穂に苦悶の表情が浮かぶ。

 追撃。剣の切先を静穂に向けたまま引き、突く。

 反動が腕にかかり、二人の距離が開かれた。

 互いのシールドエネルギーはほぼ同値。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏の奴、私の言ったことを忘れたのか!?」

「でも織斑君すごいですよ!? あれだけ被弾したのにたった2回当てただけでイーブンまで持っていきました!」

 先程まで一夏のいた控え室で、篠ノ之 箒、山田 真耶、織斑 千冬が観戦している。

「これでいい」

「織斑先生?」

「起動して二回目の素人同士の勝負だ。無駄に頭を使うよりも近づいて斬った方が早い」

「ですが一夏の剣が当たらなければ負けになります!」

「ISのシールドエネルギーに対する攻撃に急所は有効ではある。操縦者への危険性をISが感じ取り絶対防御が発動しやすいからな。だがハンドガンの単発程度ではエネルギーの消費量も少なく、対して織斑のブレードは多い、それだけだ」

 箒は言葉に詰まった。一週間で一夏の腕前はなんとか見られるようになった程度、それでは、

「汀の銃に打ち負けると言いたい顔だな」

 今度は目を見開いた。なぜ読めたのか。

「山田先生」

 急に呼ばれ背筋を伸ばす麻耶。

「汀の展開速度はどうでしたか」

「ハンドガンですよね、確か1秒以内だったと思いますが」

「オルコットが何をどう教えたかは知らないが武装の展開速度は慣熟の問題だ。知識だけで速度が上がる事は少ない」

「…………」

 流石、IS学園の教師である。彼女の場合、最強も含まれるが。

 画面では静穂が逃げながら射撃を続け、一夏が追う展開が映し出されている。

「篠ノ之」

「はい」

「汀はどこで銃の扱いを習った? 中学から一緒なのだろう、知らないか?」

 ……箒は少し迷った。どこまで話すべきか。男子であるというのは伏せるべきか、何しろ日本政府が絡んでいるらしい。無暗に想い人の姉に監視が付くような事態は避けたい。外堀からとは箒は思ってもいないが。

 結局、触りだけにした。

「静穂はサバイバルゲームをやっていました。大人に交じって大会に入賞したこともあったと思います」

「サバイバルゲームですか」麻耶が乗ってくる。「それなら具体的な銃のイメージは固まっているでしょうしあの展開速度も頷けますね」

 しかし千冬はまだ納得できないようで、

「ではなぜ貴様が篠ノ之 箒だと知っている?」

「え?」

「貴様は要人保護プログラムで違う名前だったな。一夏が首を傾げていたぞ、『箒なのに名前が違う』とな」

「一夏め……!」

 新聞など見るな馬鹿者。気付いてくれたのは嬉しいが!

 千冬は悪戯っぽく笑う。同姓が見ても魅力的というのはとても狡いと箒は思った。

 間違いなく千冬は見当がついている。箒もこの場で観戦するのを許可したのは答え合わせの為だ。

 ちなみにこの時、箒には最初のホームルームで自己紹介したことなど忘れている。

 もう観念だ。ゴールしてもいいだろう。

「……静穂は」

 

――私と同じ、要人保護プログラム対象者です――



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9.槍衾と矢面 ②

「静穂は私よりも前から保護対象だったそうです。その時に自衛手段として銃の扱いを師事したと聞きました」

「そうか」

 箒の白状はおおよそ千冬の予想通りだった。

 ISには多くの武装が存在するが静穂はその中でハンドガンを選んだ理由がそこにあった。

 彼女にとってハンドガンこそが最善の選択だったのだ。

 万が一にも護衛対象が孤立し生命の危機に晒された場合、最も望ましいのは速やかな対象の保護である。しかしそれが適うことがない場合、例えば人員の不足、対象の所在が不明であるといったとき、護衛対象自身による自衛手段の行使が可能であれば、生存・保護の確率は上がる。護衛対象が自衛策を執るというのは本末転倒なのだが、そうせざるを得ない事態があったのか、それとも予期してのものだったのか。

 前者だろう、と千冬は思う。でなければ他の説明を考えねばならない。

 展開速度、射撃体勢、命中率。どれも生半な修練で身につく段階ではない。危機感と使命感と必要性を感じ得たであろうこその熟練度だ。それこそ今の一夏に勝算があまり見られない程に。

 だからこそ千冬は考えてしまうのだ。

(いくら扱いに慣れているとはいえ、)

 

ハンドガン(それ)だけで試合に臨むような真似をするだろうか――

 

 その疑問は正解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合開始から数分。

 互いのシールドエネルギーを削り削られ撃たれて斬られ。観客が素人同士ゆえの早期決着を予想する中、

 その行動はあからさまだった。

「!?」

 今まで無尽に回避を続けていた静穂が、くるりと一夏に背を向けスラスターを噴かした。

 虚をつかれた一夏が追う。観客席を護るバリアに近づきアリーナの外周を高速で周回しながら静穂は頼りの綱だったハンドガンすら拡張領域に収納してしまう。

 弾切れか? と一夏や観客が疑う中で静穂は、

 本命を、取り出した。

 

 

「なんですかあれは!?」

「AISライフルです! いわゆる対物狙撃銃ですね!」

「ほう、撃てるのか」

 三者三様の反応。予測はしていた千冬も少々驚きの表情だ。

 アンチ()インフィニット()ストラトス()ライフル。先程までのハンドガンと対局に位置する銃器を静穂は展開し、

 即座に撃った。

 振り向きざまの一発。展開で起こる少量の発光から伸びる銃身は本体部含めおおよそ2メートル50。

 銃声にすら威力が乗り、標準のISよりも勝る全長から撃ち出すマズルフラッシュが静穂を後方に弾き出した。片方の腕と脚それぞれの装甲がバリアと接触して火花が散る。

 それでも直撃した一夏よりは体勢の立て直しが早かった。

 錐揉み状態で減速下降していく一夏を後目に静穂は周回軌道に入る。

 一夏が持ち直した時、二人の距離はアナログ時計で3時と5時。一夏が5時で、二人とも外周を反時計回りに進んでいる。僅かに静穂が速い。

 その静穂を見て一部のギャラリーがざわめきだした。

 それは麻耶も同様で、

「織斑先生、あれって」

「間違いないでしょう。ぎこちないですが円状制御飛翔(サークル・ロンド)に見えます」

「サークル・ロンド……ですか?」

 ちんぷんかんぷんな箒。

「オルコットの奴、意外と教師に向いているのかもしれませんな」

 十分に一夏と距離を取り、半身を切って射角を取れるようになった静穂は射撃を再開した。

 撃つ度に全身が震え、バリアの壁に激突しそうになる。

 ハンドガンよりも命中率が低い。一夏も懸命に回避し、距離を詰めようと外周から離れショートカット。静穂が通過するだろう地点に向かう。

 だが来ない。加速が乗った一夏の剣を静穂はライフルを前方へ発砲、速度を一時的に殺し寸での所で空振りさせた。

「今度は一零停止」

「見様見真似で強引に技術を再現するか。オルコットならやらせはしないでしょう」

「さっきからなにがなんだか……」

 教師陣の目が箒に向いた。

「? なんですか?」

「篠ノ之さん、一零停止の方は先週の授業で出しましたけど……」

「補習だな」

「ーーーーーー!」

 箒の絶望を他所に、試合は進む。

 ……のだが。

「織斑君が止まっちゃいました!」

「気付いたか」

「……何をですか」

 何かを諦めた箒が恥を覚悟で質問する。

「汀の欠点だ」

 欠点?

「いかに汀が授業で出たばかりや、まだ出ていない技術を使おうともそれは完璧なそれではなく、紛い物だという事だ」

「今汀さんが行っている円状制御飛翔というのは本来なら複数人で行う射撃訓練の一種です。これは円軌道を行い加減速で回避とけん制をしながら射撃と機体制御を行うというものですが、これは自分だけでなく相手も同円周上にいなければなりません」

「所詮は訓練だから実戦でそのまま使えるわけがない。さっき織斑が一直線に汀の進行方向に進む場合もある。だが汀はまだ自分が使えない一零停止を無理矢理に使って回避し、また円状制御飛翔を再開した」

 つまり、

「今の汀は()()()()()()()()()んだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千冬の説明こそ正解だった。

(気付かれちゃった!?)

 内心で叫ぶ。

 静穂は詰め込まれた知識を駆使して今の状況を作り出した。

 円状制御飛翔も、一零停止も、今の静穂には扱えない。

 すべてが模倣。上辺だけ再現された偽物である。

 一零停止はAISライフルの砲撃もかくやという反動で代用。

 円状制御飛翔に関してはあらかじめスラスターの推力を固定し、一定の間隔で推力を上げ射撃のタイミングをそれに合わせる。それでなんとか追突事故は防げた。

 円周軌道に関しては事前のプログラミングだ。一度立ち上げればその通りに機体が動く。相手の攻撃さえ耐えられれば射撃にのみ集中できる。一夏が剣しか扱わないのは救いだった。それは静穂の読み通りである。

 セシリアは事前に一夏の武装を予測するようなことはしなかった。それは彼女自身の驕りもあっただろうが、なにより相手の機体情報が全くないがためだった。初心者の静穂に間違った事前情報があってはいけないというのが彼女の本心だったが。

 そこで静穂は推測した。あの篠ノ之 箒が一夏の背後にいる。二人が幼馴染ということは一夏も剣を握った事があってもおかしくはない。全中日本一は一夏に剣道を教える筈だ。ISの経験など自分と同じくほぼ初期値なのはわかっている。さらに自分の様に銃を練習してはいない筈だ。今回指導者の立場である箒は銃がどうにも自分に合わないと言っていたし。

 よって一夏が頼りにする武装は剣であると読んだ。読んだからこそ円状制御飛翔を採用し、序盤は剣の間合いに付き合ってハンドガンで確実にシールドエネルギーを削る。その後で遠距離から勝ちに行く作戦だった。

 懸念材料はAISライフルの命中率、静穂自身の経験不足。それが最初から遠距離戦を選択できなかった理由になる。

 そして作戦は失敗した。結構な数を撃ち続けたが一夏は健在。ライフルの命中率も振るわず、強引な一零停止で体の節が痛む。

 一夏は剣を構え自分が寄ってくるのを待っている。軌道を上下にずらしても追いついてくるだろう。この状況で撃っても外れるか避けられるか。プログラムを解除して遠距離を続けるか? そうすればライフルの装填中に接近されるだけだ。むしろその間に斬られる。何度も。ハンドガンでは取り戻せないくらい。

(だったら)

 もう一度の接近戦。

 勝算は、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂は加速した。AISライフルを突撃槍(ランス)の様に掲げ外周を行く。

 一夏は構えた。剣を正面、正眼に持っていき迎え撃つ。

 距離が近づく。

 静穂は撃たず。

 一夏は待つ。

 ――近づく。

 剣の間合いまで――

 

――今っ!!――

 

 一夏が振り上げる刹那より速く静穂が()()()

「っ!?」

 振ったのは横方向。外周方面。

 そして撃った。

 反動で静穂が捻り回転。一夏の頭上に一旦上がり右肩から足にかけて抜けていく螺旋を描く。

 高速で視界が動く静穂の左手にはハンドガン。右のライフルは直後に手放してある。

 照準などいいからとにかく撃つ。そのつもりだった。

 ――そこに一夏の剣があった。

「!?」

 読まれていた。事実は一夏が追いついたのだ。

 右に抜ける静穂を一夏はわずかだが捉えていた。振り上げた剣をその位置から右後方に振り下ろす。

 一度似たような手で抜けられた経験が生んだ偶然。前回と違うのは停止せず通り抜ける事。

 身体を捻り振り下ろした剣は静穂のシールドを切り裂いてジャージまで巻き込んだ。

 一夏と静穂の目が合った。

 静穂は目を見開いていて、

 すぐに細めて笑った。

 切り開かれた胸部からは偽乳に使われたタオルと、

 

――2個の手榴弾――

 

 観客の悲鳴も瞬きも置き去りにして、爆風と火が二人を覆い隠した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「傷の事、もう触れたりしないから、許してくれよ」

「最初から怒ってないけど、許すよ」

 

――勝者、織斑一夏――



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10.槍衾と矢面 ③

「やったな一夏!」

「箒! 勝ったぞ俺!」

 戻ってくるなりこの喜び様である。頭を抱えつつ千冬は叱る。出席簿を落とさないのは次の試合に響かせないためだ。弟の初勝利で心が躍っているからではない、多分。きっと。

「織斑、白式のシールドエネルギーが回復次第すぐに次の試合だ。できるな?」

「ああ、もちろんだぜ千冬姉!」

 落とした。

「……!」

「織斑先生だ、馬鹿者」

 何度やればこの悶絶している弟は学習するのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)ですか」

「はい。織斑君は瞬時加速を使って汀さんごと爆発から逃れつつの一撃になったんです」

 静穂の戻った控え室は人数が増えていた。山田先生である。

 何でも静穂の偽乳自爆を見て飛んできたとセシリアが言うのだが。

(目が怖い目が怖い目が怖い!)

「あの、師匠?」

「……」

 山田先生からの執拗な視診を受けつつセシリアの機嫌を伺ってみる。時折に山田先生がこちらの顔を両手でゲームスティックのように動かすものだから目を向けるのも一苦労。

 山田先生も山田先生でシールドエネルギーと絶対防御がある以上そう簡単に怪我などしないものだが、

「爆風の衝撃が完全に殺がれる訳ではありません! せめて確認だけはさせてもらいます! これは何本ですか?」

「バルカンサイン」

「脳検査ですね」

「4本! 4本です!」

 正しくは5本。

「静穂さん」

静穂だけでなく山田先生まで居住まいを正した。

「確かに相手が瞬時加速を()()()()使用できたのは予想外でしたが」

「でしたが?」

「あんな無茶をするなんてさらに予想外ですわ!」

「近い師匠近い」

 睫毛まではっきりと見える位置から押し戻す。潤んだ眼差し高揚した頬。一夏にでも向ければコロッといくのでは? 静穂には毒にしかならないが。

 近づかれては女装がバレる可能性があるからだ。試合で汗をかいているから化粧を直す必要も。とにかくまずい。我が身が可愛い。

「綺麗に飛ぶなとは言いましたがあのような危険で粗雑な……」

「粗雑……?」

 隣では山田先生が何か納得した表情。

「とにかく、次のわたくしとではしっかりとしてください。わたくしの手腕が問われかねますので」

「はい、師匠」

 静穂は真摯に頷いて見せる。……形だけ。

 それでも満足したセシリアはブルー・ティアーズを展開した。

「では後ほど」

「オルコットさん頑張って!」

「仇を討ってー!」

 二人に軽く手を振りセシリアが飛んでいく。

「山田先生」

「何でしょう?」

「雑でしたかね?」

「男らしさがありましたね」

「えぇー?」

(喜んでいいの? ダメ? あれ? どっち?)

 女装していて男らしいのはどうなのか。

 IS学園に来る以前から数えて人生で初の『男らしい』評価に静穂は沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『逃げずに来たことは褒めて差し上げますわ』

『当然だろ。ここまで来て引き下がれるかよ』

 モニターにはセシリアと一夏。静穂と山田先生が観戦中。

『この度はイギリス代表候補生としてあるまじき言動、申し訳ありませんでした』

『え? 何だよいきなり』

『けじめです。こうしておけば気兼ねなく貴方を叩き伏せられると静穂さんが』

 山田先生の目線に静穂は首を大きく横に振る。ぶんぶん。ぶんぶん。

『わたくしの本心としても言い過ぎでしたし本国や友人に迷惑をかけるのは嫌ですから』

 なぜ山田先生はまた静穂を見てくるのか。

『――意外だな』

『何がですの?』

『お嬢様ってのは常に一人で優雅なものだとおもってたよ』

『……静穂さんの言った通り、気兼ねなく出来て良かったですわ』

 セシリアがライフルを取り出し、一夏がブレードを構えた。

 織斑先生の号令が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オルコットさんに何を言ったんですか?」

「とりあえず謝っといた方が後々都合がいいんじゃない? って程度だったと思うんですけど……」

 どんな解釈、というか聞き間違いというか。日本語って難しい。静穂は身に染みた。

 初めの会話は互いに挑発と受け取ってしまったらしい。

 試合展開はセシリアが優位だ。セシリアの光学ライフルが的確に一夏を捉え続けている。

 一方の一夏は回避で精一杯といった所だろうか。

「さすが代表候補生。近づけさせませんね」

「ほぇー、すっごい」

 回避と攻撃を織り交ぜ一定の距離を維持し続ける。

 まるで静穂に手本でも見せているかのような。

 

『静穂の時とまるで違う!?』

『当然ですわ!』

 それでも一夏の目が次第に慣れてきたのか、双方がニアミスする回数が増えていく。

 

「織斑君、いいようにされっぱなしですね」

「?」

 山田先生の呟きの意味を静穂はわからない。

「あれは態とです」

「セシリア師匠が斬られそうになるのがですか?」

「そうです」と山田先生は頷いて、「汀さんは織斑君が近づいてきた時にはどうやって避けようとしましたか?」

「とにかく左右というか、進む方向を変えるようにしました」

「そうですね、汀さんはまだISに乗って2回目ですからそれができるだけ素晴らしいです。ですが織斑君も乗った回数も時間も似たようなもので、ブレードは汀さんに当たっている。なぜでしょう?」

 ふむ、と静穂は考える。教本のどれかに回避についての記述があったと思い出し、脳内を探って、見つけた。そして出した答えは、

「速度と方角が一定だったから行先が予測できた」

 正解です! と喜ぶ山田先生はまるで自分事のようで。

「オルコットさんは速度を緩めて織斑君の突撃を誘っています。そして速度を上げ回避、隙だらけの背中に射撃」

 モニターの一夏がその通りに撃ち込まれた。

「一連の動作は汀さんにもできたと思います。オルコットさんの模範回答、みたいなものでしょうか」

「はー、」

 なにも実戦でやらなくても。

 

「……そろそろいいでしょう」

「!?」

 大きく振りかぶって斬りこんだ一夏をセシリアは瞬時加速で距離を取った。

「いかがでしょう? 貴方と静穂さんが次に戦った場合はこうなると思うのですが」

「かもしれないな……」一夏は明らかに疲れている。静穂の場合と同じ時間が経過してもこうはならなかった。「でも今戦っているのはオルコットだぞ?」

「ええ。ですから」セシリアが微笑む。「ここからは()()()()()でしてよ」

 セシリアのブルー・ティアーズから装甲が分離する。

 その数4基。

「さあ踊りなさい!セシリア・オルコットとブルー・ティアーズの奏でるワルツで!!」



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11.涙と槍衾

 やはり男とはこの程度なのか、とセシリアは嘆息する。

 一夏をブルー・ティアーズでお手玉のようにあしらいながらセシリアはふと思い出していた。

 思い出すのは父の顔、血縁と名乗る知らぬ顔。

 どの顔も好印象的な一面など存在しなかった。

 セシリアの両親がこの世の者でなくなった途端に血縁連中が押し寄せた、その時からだろうか。

 

――男というものを嫌悪するようになったのは――

 

 婿養子だからと母に媚び諂いその一方で周囲から疎まれるほど業務に長け、オルコット家の資産を何倍にも膨れ上がらせた父。

 それが幼かったセシリアには不満だった。

 家では立場が弱いのに外では他者を頭ごなしに叱りつける。

 内弁慶か外弁慶。いったいどちらが本物の父なのか。

 幼少の子供にはその二面性が不愉快だった。

 セシリアがよく見るのは家での父で、それはそれは厭なものだった。

 小動物のように怯えている父。母の一挙一動に肩を震わせる父。

 ISが発表されてからの父はそれに輪をかけて……。

 その後男女の立場が逆転し、会社の頭を母に変えて、父が社長だった頃の成長はなりを潜めたが、それでも家の資産は緩やかに増え続け、

 父は。そして母は。

 ……その直後、まだ埋葬も済んでいないというのにセシリアの周囲を下卑た表情が取り囲んでいた。

 必死になって両親の遺したすべてを護りきったのはなぜだろうか。

 親族すべて返り討ち、会社の権利を売り払い、生家と友人である使用人を一生の間どころか末代まで何不自由なく養って余りある状態に落ち着いて、セシリアはようやく泣いた。泣く事を許された。

 唯一無二の友、その腕の中で、葬儀からそれまで自分に向けられた表情がフラッシュバックしていた。

 怒号と嘲笑と媚びた笑み。最後が父と被ってしまう。

 父の顔が思い出せなくなっていた。否、男の顔が全て同じように見えていた。

 だのに、

(どうして)

「どうして笑っていられますの!?」

 セシリアの見る一夏の顔はとても爽やかで、見たことのない男の顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山田先生」

「何ですか汀さん!」

「……師匠が逃げ回ってますがこれも作戦ですか?」

「いえ、織斑君がすごいんです!」

 そうなのか、と静穂は平坦に感心する。一方で山田先生は手に汗握る表情で食い入るようにモニターを見ていた。

 一夏が押している。セシリアはブルー・ティアーズの操作とライフルを使い分け距離を離そうと躍起だ。

 一夏は後方からの射撃に反応が遅れているがそれでも直撃を避け始めている。というか、

「あ、後ろの斬った」

 反撃した。一夏は振り返るとティアーズの一基に向かい切り落とした。

 

 

「まさか!」

「他の3個は陽動! 本命は後ろの一個! 当たりだな!」

 

 

「すごいすごい織斑君すごいですよ!」

「はぁ」

「オルコットさんも第3世代兵装を使いこなしています! それなのに一矢報いるなんて!」

「はぁ」

「どうして反応低いんですか!」

「山田先生が代わりに騒いでるじゃないですか」

 実際は凄さが実感できないのだ。

 静穂が動くISを初めてまともに見たのはセシリアで、静穂にとってのIS技術の基準はセシリアに設定されている。自分は入学試験をしたと書類に記載されているだけで実際はほぼ裏口。ISの操縦は本当に今日が初めてだった。

 もちろん映像としてのISを見たことはある。だがそれは映画のアクションシーンのようにしか感じられなかった。静穂が男だというのもあるのだろうか。

 生で見て感じた初めての相手が脳の奥の奥に焼き付いて揺るがないのだ。

 自由に飛べて当たり前。精度が高くて当たり前。

 そんな高すぎる基準点の上か下かでしか静穂は判断できない。

 自分はもちろん下。

 果たして一夏は上か、下か。

(わたしよりかは大分上かぁ)

 でも、

(師匠よりかはちょっと下? 凄いのこれ?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さらに一基が斬られた。焦りがティアーズの機動を鈍らせたからだ。

 第3世代兵装に利用されるイメージ・インターフェイスは悪循環を嫌う。切り替えが必要なのだ、スイッチのオンオフといった具合に瞬時に割り切る心構えが。

 残念だがセシリアはまだそこまで大人ではない。

 すぐに動揺し、頭に血がのぼる。

「調子づくのもいい加減に……」

「一々足が止まってるのに余裕だな!」

「な、」

「お前は子機を動かしてる間は自分が動けない、違うか!?」

 セシリアは息を呑んだ。見抜かれるとは思わなかった。

 思い返せば静穂の疑似円状制御飛翔(サークル・ロンド)も2周目で見抜かれている。

(洞察力が高い!? どんな目をしてますの!?)

 セシリアは急ぎティアーズを手元に戻そうとする。

 そこに一夏が突っ込んだ。「もらった!」

 強引にティアーズの射撃を潜り抜け、

 

――爆発した――

 

 煙の中から先にセシリアが飛び出す。

「……この手、意外と使えますわね」

 静穂を真似た自爆戦法。

(ブルー・ティアーズは4基だけではありませんわ)

 ブルー・ティアーズは全6基。残りの2基に搭載されたミサイルは確かに一夏へと命中した。

「…………!」

 それなのに。

「本当に、俺は最高の姉を持ったよ」

 直前よりシャープになった外観、光り輝く刀身。

 一次移行(ファースト・シフト)を完了させた一夏が不意を突いて飛び出した。

 胴薙ぎに切り裂かれたブルー・ティアーズのシールドが消し飛ぶように減少する。

(今まで初期状態で、さらにこの威力!?)

「よし、入った!」

「いい加減にしていただきますわ!」

 手元まで戻していたティアーズを斉射させる。結果、足が止まる。

 そこを一夏は見逃さず火線をかい潜り、

「もらっ――」

「インターセプター!」

 ――ISの武装は呼べば出る。呼ばずに拡張領域から取り出すのは訓練とその武装の理解が必要だ。

 セシリアは呼び出しつつその剣を振った。そうしなければ逆に斬られると判断したほど一夏の剣閃が速かったから。

 事実上の抜き撃ち、居合斬りの形となったセシリアの剣は、先に一夏のシールドを0に。一夏の剣は輝く刀身を失いセシリアの眼前で静止している。

 勝者、セシリア・オルコット。

 一夏が身体を引き一息吐いた。

「ああ、悔しいな」

 そう言う一夏の表情は汗で輝き晴れ晴れとしていて、

「国のことは俺も言い過ぎた。すまん」

 自ら出てきたピットに戻っていく背中をセシリアは茫然を見た。

「織斑 一夏…………」

 呟いてみて、判ったことがある。

(少なくとも、)

 彼は自分の杓子定規には当てはまらないようだ。



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12.試合のある日は試合が終わってからが長い

 肌を叩く粒は暖かく、セシリアは頬に張り付いた髪をかき上げる。流石にまだ慣れない土地での2戦は少しの疲労を感じさせた。

 一つ二つ敷居を挟んだシャワーには静穂がいた筈だ。肌を見られたくないというのは承知しているが、間隔を開けられるというのはまだ信頼関係が成っていないのか、

(いいえ、そうではないでしょう)

 むしろそう信じたい。彼女は周囲の人間を慮る性格の持ち主だ。

(気にかけてしまわれたのでしょうね)

 今セシリアの中で織斑 一夏の存在は大きくなっていた。それを彼女は察したのだろう。

 つかず離れず奥ゆかしく、それでいて彼女自身の事など気にさせまいと先に出ていった彼女には謝罪と感謝を。そしてフォローを。

 

 

 身嗜みを整えて控え室に戻れば、備え付けのベンチに静穂がいて、紙コップ内の冷えたミネラルウォーターを右頬に当てている。

 声を掛けると肩を震わせて驚いた。思案中だったのか気を逸らしていただけなのか。

「ゆっくりしてもよかったのに」

 本当に気遣いのできる人間だとセシリアは溜息を漏らす。セシリアは普段ならもっと時間を掛けてセットするモノが多々ある。

 それを極限まで妥協して急いだのだがむしろ気遣いを無にしてしまったようで申し訳ない。

 謝罪ばかりが浮かんでくるが、それらを告げても静穂を困らせるだけだろうし、逆に労ったとしても嫌味に取られるかもしれない。彼女はそう思わないだろうがセシリア自身にそう思ってしまう負い目があった。

 ここは共通の話題で切り替える。

 となればやはりあの男しかいない。

 

――織斑一夏――

 

 シャワーを浴びつつ考えての結果、何も纏まらないという、

(一体、何なのでしょう)

 静穂の隣に座り、断りを入れる。彼女の快諾をもらってから、語りだした。今は他者の視点が必要だ。

 今回の事は自分の過去と経験からくる男性不信に因るもので、その中で織斑 一夏という男子は自分が今まで見てきた男に全く当てはまらない稀有な例であると。

 

 

 ……頭の中で予めスピーチ状にまとめておけば良かったとセシリアは少し後悔したが、聞き手が上手だったのか滑るように熱弁していたようだ。時間にしてほんの数分程度だが我を忘れていた。

 静穂から手渡されたミネラルウォーターを口に含む。張り付いた喉が解れるような感触がした。

 セシリアは静穂の意見を聞きたかった。彼女は織斑 一夏についてどう思っているのか、他人の機微を感じ取る事に長けている彼女にはあの男はどう映るのか。

「師匠ってさ」

 苦笑する静穂の口からは信じられない言葉が飛び出した。

 

 

「まるで一夏くんのことが好きみたいだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食堂でちょっとした祭が開かれた。

『織斑君、クラス代表おめでとー!!』

 放物線を描く紙テープ、チャフのように散るギンガム、優しくぶつかる紙コップ。

 1年1組クラス代表就任記念パーティー。

 嬌声で耳が痛い。静穂は使い終わったクラッカーを置いて後悔していた。

 素直に耳を塞いでおけばよかったと考えるがそれだとクラッカーが持てず。ジュースの入った紙コップを持っていれば、それだと隣の主賓と被るから視線がこちらまで来る。正直、もう目立ちたくない。

(わたしまで針の筵にぃ……)

 それどころか一緒に壇上へ上げられてワッショイワッショイ担がれているようなものである。

 どうしてこうなったかと言うと、昼の試合のあとセシリアが代表を辞退。順繰りに一夏が代表と決定し、あれよあれよとこのパーティーが整っていた。本題の中心に居ながら置いてけぼりである。

 メインは勿論一夏。その脇をセシリアと静穂が陣取り周囲をクラスメイトが囲む。

 逃げようにもブロックが厚い。マラドーナの3倍は立ち回りと切り返しの技術が必要だ。

 主役の一夏はぎこちなくも周囲の激励に返事をし、向こうのセシリアはクラスメイトと話に花を咲かせている。

 自分はといえば二人から少し離れてエビフライを中濃でいくかタルタルでいくか悩んでいた。

(あれ? 一人だけ浮いてる?)

 中濃ソースを少量かけて静穂は気付く。パーティーが始まってこの方まだ誰とも話していない。

 IS学園での友人といえば箒、セシリア、簪、…………、少ない?

 箒は一夏の近くにいる。セシリアも同様。簪は他のクラスなので不参加。

 ……これでいいのだ。目立たなくて済む。空しくはない。ないったらない。

 と静穂が取り皿に唐揚げを運んでいると高らかな声で、

「はいはーい! 新聞部の黛です! 取材させてくださーい!!」

 その制服には黄色のリボン。黛さんと名乗る上級生がカメラとレコーダーを持って乱入。

 人海ブロックを掻き分け掻き分け主賓席へやってくる黛さん。静穂はここぞとばかりに場所を入れ替わろうと企むがそれを阻むキツネ。

(キツネ!?)

 キツネの着ぐるみを着た少女が静穂の腕にしがみつき止めた。

「どこ行くの~? みぎ~?」

「それだとわたしはエイリアンの類なんですが。いやねそこのね揚げ春巻きを取りにですね?」

「はいどうぞ~」

「……これはどうも」

 取り皿に載せられてしまった。美味しい。

「せっかくのパーティーなんだから、逃げちゃだめだよ~」

「いやせっかくがどうこうってのは分かるんですがキツネさん、取材とかはちょっ――」

「本音だよ~」

「では本音さん? もう一度言いますが取材とかは――」

「敬語禁止~」

「……ごめん逃がして」

「だめ~」

 のんびりとした調子で逃げ道を塞がれた静穂。隣に座られさらにぐいぐい押してくる。

 腕にしがみつかれた時に気付いたが彼女、

(柔らかい柔らかいこっち来ないでこのキツネさんわたしで遊んでないか!?)

 横にずらされ元の位置。一夏が近いがキツネはもっと近い。ぐいぐい。

 学園に来る以前から中性的を跨いで女性に近いと言われ続けてきた静穂は、本来、異性からのこの程度のスキンシップは茶飯事で複雑ながら今更どうとも無いのだが、現状ではそうもいかない。

 何故なら女装してこの学園にいる訳で。触られるとバレる箇所が幾つかある訳で。

 余裕がなければ色々と感じ取るものが鋭敏になるのか過剰に反応してしまう。

 肩とか手とか太腿とか、触れるすべてが柔らかい。

「さあ最後に汀さん行ってみようか!」

 やいのやいのと押して押されてを繰り広げていた静穂に恐れていたインタビュアーが襲いかかる。

「さあイギリス代表候補生の弟子にして初の対男子経験者でもある汀さん! 今のお気持ちは!?」

「帰りたいです!」

「正直だねー。緊張してる?」

「わたしよりもそっちの二人を取材したほうがいいですよ、絶対」

「織斑君は普通すぎてオルコットさんは長すぎたからでっち上げる以外ないの」

「……パパラッチ志望?」

「素直にマスゴミって言わない辺り優しいわね貴女」

 先に取材を受けた二人を見る。二人ともどこか心配そうだ。

「それで、何かない? 意気込みとか、綺麗なバラにはトゲがある、みたいなセリフ」

 黛さんに促され二人の視線が強くなって、

「じゃあわたしもでっち上げで」

「オッケー任せて!」

 他人のズッコケ芸を見るのは二度目だっただろうか。

「いいのか静穂!?」

「そうですわ! このままでは一体どんな尾ひれがつくか分かったものではありません!」

 イギリスにも噂に尾ひれという表現はあるのだろうかと疑問に思いつつ、

「二人とも息ピッタリだねぇ」

 爆弾を投下した。

 師匠は慌てて一夏はキョトンとした表情。

(うわぁ……)

 静穂は内心で愕然とした。(これはもう、本当、完璧に、アレだ)

 その後、新聞用の記念撮影などを行ってパーティーは終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自動販売機でウーロン茶のボタンを押していると、箒がいた。

「まだ飲むのか」

「飲む?」

「いらない」

 言葉にトゲがある箒を見て、静穂は溜息を押し殺す。

 冷たい缶を頬に当て、相手の言葉を待つ。アタリはついているけれど。

「さっきのオルコット、その、」

「師匠の?」と促す。

「あの態度はどういうことだ」

 予測は的中した。

「だから、その、これまでと全く逆ではないか」

「そうだね、入学して一週間くらいは経ったし、角がとれてきたんじゃない?」

 誰かさんと違って、と言わないのは怖いから。

「そうではない! あれでは一夏に」

 そこで止まってしまった。

 仕方ないのでこちらから言ってしまおう。認めたくないのだろうし言うのも憚られるなどと思っているのだろうが現実を直視させよう。

(もうちょっと見ていたいけど)

 中学時代は正に武芸者然としていた箒の少女らしい部分である。可愛らしさ4、面白さ6の割合で。

「好きになっちゃったんだろうねぇ、一夏くんの事」

 箒が壁に手をつき項垂れる。

 当人も分かっていたうえで、他人に指摘され否定出来なくなった彼女の反応は日光猿軍団だった。

 そんな箒から「またか……」と漏れ出した。

 また?

「一夏は私が引っ越す前からああだった。気付けばクラスを超えて教師まで……」

「惚れちゃっていた、と」

「ーーーーーーーー」

 箒はその手の言葉が言えないらしい。奥ゆかしいのか何なのか。以前の(おとこ)らしさはどうした。女だけど、少女だけど。

 とにかく彼、一夏は随分と昔から異性の気を惹く性質だったようだ。

 別に箒だけではないと知って、静穂はどこか納得した。なんとなく、そんな感じなのかと。

 とは言えど、

「大丈夫じゃない? 一夏くん自身はそういうの気付いてないみたいだったし」

 そう、一夏はセシリアの好意に気付いていない。

 つい今朝方まで対立していた人間が思想を反転させて懸想に至るなど普通では思わないだろう。

 しかし箒はそうは思わないようで、

「昔はそうだった。小学校の頃はそれで良かった。けれど私達はもう高校生だぞ? 身体だって、まあ、大人に近くなっているじゃないか」

 つまり箒は一夏が二次性徴を終えた少女たちのうんぬんかんぬんに現を抜かしてしまうのではないかと言いたい訳だ。

 だったら自分もそのうんぬんを使ったらどうだ、とは言えない。静穂ではセクハラになる。女性優位社会の恐ろしさよ。

「じゃあ告白」

「できるか! そんなもの! そういうのは男のすることだろう!」

(前時代的だ!)

 頭の中が現代社会についていってなかった。剣術ばかりをかまけていたばかりに一部のみ成長したのか少女の皮を着たこの武士(もののふ)は。

「大体一夏が気付かないのが悪いのだ。一週間も稽古に付き合ってやったというのに私の気持ちに気づかないとは」

(武士だ、間違いない)

 剣を通じて分かり合えとかどうしろと。今時の道場でやったら閑古鳥が鳴く。

「で、どうするの、これから」

 ぬるくなり始めたウーロン茶で遊びながら静穂は結論を急いだ。他人の色恋は飽きるのも早い。

「……手伝え」

「へ?」

 何て言った?

「いや、手伝ってほしい。一夏に私の気持ちをはっきりと伝えたい。手伝ってくれ」

 眼差しが凛々しく静穂に刺さる。静穂は声も出せず目を大きく開いたままだ。

「こちらもお前に手を貸そう。お前がこの学園にいる間、正体がバレることのないよう手伝う。どうだ」

 ……なにがあったらその結論に達するのか。

 今の今まで告白という単語も言えなかった武士が恋する乙女に豹変、思いを伝えたいとまで言い出した。

 男子三日会わざればどうこうと言うが箒は女子で変化は一瞬だった。なのに男子の静穂よりも男らしいのはどういう事だ。

(いや、わたしが基準なのはダメだって分かってはいるけど)

「まあ、いいけど」

 そうか! と喜ぶ箒。この時だけは年相応の女の子だった。

(その表情を一夏くんに見せればいいだけだと思う)

 それを言えないというのは静穂もときめいたのだろうか。

「ではまず何をすればいい?」

「気が早すぎ。とりあえず――」

 

 

「ちょっとアンタ達!」

 

 

 快活な声色が割り込んできた。

 目線をやればツインテールに大きなバッグ一つの少女が一人。

(小さい)

 静穂の第一印象がそれだった。IS学園に中等部はないので高校生らしい。リボンの色から同学年と分かる。

「悪いんだけど学園の受付ってどこだか分かる?」

「受付?」と静穂が返すと、

「あと5分程で閉まるな」と箒。

「ヤバッ!」と少女が驚くと、

 ガシッ! と静穂が掴まれる。「へっ?」

「ごめん道教えて!」

 

 

 息も絶え絶えに壁へと寄り掛かる。すでにぬるくなったウーロン茶を飲み干して、静穂は息を整えている。

 バッグの重みに加え、されるがままの静穂を引き回して走り続けた少女は時間内に間に合ってご満悦の様子。

(何よりだよ、うん、うん)

 どうしてあの二人のうち自分だったのかと質問したい。したいけれど、

「ありがと、なんとか間に合った」

「そう……。よかった……」

 体力が持たなかった。サバイバルゲームで少なからず体力に自信があってもこの元気印の快活少女には足元も及ばなかったという事か。

(いや、食べ過ぎた……)

「あたし(ファン) 鈴音(リンイン)。中国の代表候補生。(リン)でいいわ。アンタかなりいい奴みたいだし」

「汀 静穂です」息が整った。「それはどうも」

「ねえ、アンタ何組?」

 間髪入れずの質問が飛んできた。

「一組だよ」

「残念。お隣か。あたしは二組に転入するの」本当に残念そうな辺り静穂は鈴と名乗る少女に好感が持てた。「あ、そうだ。織斑 一夏も一組よね?」

「うん、そうだね」

 一夏についての情報は世界中に知れ渡っている。鈴にしても只の確認だろう。

「どうだった?」

「?」

(どうって?)

「えーと、あの、」

 ……デジャヴを感じるのは気のせいだろうか?

(多分試合の事だろうな)

 それならあの時に自分が選ばれたのも納得がいく。対男子戦の感想を聞きたいのだろう。あの場に他の組が入り込む余地はなかっただろうし、当時者の生の声は貴重だ。

 静穂はデジャヴを気のせいと断じた。

「強かったよ」

「え!? 戦ったの!?」

「うん、負けても惚れ惚れした」

「そっか…………」

 鈴の表情が温かく柔らかく解れていく。

(あ、気のせいじゃなかった)

 一層元気一杯になった鈴は静穂の内情など知らず、

「じゃあ明日そっちに寄るから! これからよろしく!」

 と言って走り去ってしまった。

「…………出席簿が落ちなきゃいいけど」

 受付のシャッターがゆっくりと閉まっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箒と合流の後、寮でまた別れて自室に向かう。

(負けたんだよな……)

 改めて振り返ると自分はどうなのだろうか。

 一夏に負け、師匠と仰ぐセシリアとは完全なレッスンの形だった。

 一夏の時とは異なり小手先なし作戦なしの真っ向勝負。

 一つ一つ丁寧に先を読まれ反撃を潰され、格の違いは当たり前だが経験不足を目の当たりにされた。

 たった3ケ月の差がここまで大きい。

(ISって難しい)

 何より一発二発の被弾で終わりではないのが大きい。

 サバイバルゲームでは体のどこか一部分でも被弾すればアウト。死亡扱いというルールの適用が多い。静穂の主体はそこにある。一方ISはシールドエネルギーが0になるまで続く。HPバーの存在する、いわば格闘ゲームのような感覚だった。

(ボ○ブとかセン○ロに近いのかな)

 自分がそのキャラクターになるというのか。

 とにかく、これからISに乗って試合をするというのは意識を切り替える必要がある。

 たった一回の被弾で集中を切らしてはいけないのだ。

「前途多難だ……」

 呟いた頃には自室の前。

 ただいま、と挨拶して部屋に帰れば、すでに簪が部屋にいて「おかえり」とだけ返してくれる、

 その筈だった。

 

――おかえり。…………聞いても、いい?――

 

 一日がまだ、終わらない。



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13.槍衾と矢面 ロスタイム

 簪の聞きたい事とは何だ。

 この状況で聞きたい事とは何だ。

 いやそもそも簪が静穂に聞きたい事があり、半ば待ち構えていたこと自体初めてだった。

 ここ一週間で二人の生活スタイルはおおよそ固まっており、静穂は夕食が終わってもあまり部屋に戻って来ず、その間に簪がシャワーを済ませてしまっている。

 二人が部屋にいるときも互いに我関せず。簪は日付が変わってもパソコン作業をやめないが静穂はそのまま眠る。つい先日まで続いた激辛授業で疲れきっていたのもあるが。

 同室に居ながらすれ違いそれでいて噛み合ったような生活を続けていた二人が交わした会話など以前の髪梳きしかない。

 そんな間柄での質問とは、

(バレたか)

 冷や汗が出ている。喉も乾く。350ml缶でウーロン茶を飲んだばかりだというのに。

 心当たりはない。だが無意識下ではどうか。

 例えば寝ている時。夜の何時まで簪が作業しているかなどは先に寝ている静穂に分かり様がない。その間につい簪が男性特有の生理現象を目の当たりにしてしまってもおかしくはない。

 さらに懸念材料がある。静穂の精神状態だ。

 これまでの静穂の精神状態は病気の一言。病的ではない、病気だ。

 精神を病んでいた間、静穂の記憶は曖昧だ。思い出すのは参考書の内容しかない。

 もしも夢遊病に近い症状だった静穂が簪に襲いかかっていたら。最悪、手籠めにでもしていたら。

(さすがにないと思いたい、でも否定できるかといったら……)

 実際ない。あれば逮捕されている。

「静穂……? 平気……?」

 静穂が思考から戻ってくる。「あぁ、うん。ちょっとびっくりしただけ」

「びっくり?」

「もう大丈夫。聞きたい事って何?」

「えと」

 簪はどう切り出したものかとオロオロしている。静穂としてはその仕草は少し食傷気味だ。

 今日だけで3回か4回はこの手合と対面している。最近の女子は相手に意図というか心情を酌ませるのが流行りなのか。

 やはり疚しい内容なのか。静穂が寝ている間に盛り上がったそれを見てしまったのか。

「すごい失礼だって、分かってはいるんだけど」

「別に気にしないよ」

(失礼って何!?)

 脈が耳元で聞こえている。かなり早い。

 覚悟はどうするか、まず何に対しての覚悟か。

(今は聞き届ける覚悟! それしかない!)

「今日の試合で使ったプログラムとかある!?」

 崩れ落ちた。

 

 

 つまり、

「他人の血と汗の結晶かもしれない物においそれと触れるのは気が引ける、と」

 簪は頷いた。

 早とちりで墓穴を掘る所だった。結果は自分がズッコケ芸を習得するに留まったのだが。

「どうかした?」

「いや、寝てる間に寝相とかいびきで迷惑かけてたのかと思ったから」と誤魔化す。

「別に静かだけど。でも明かりも点けて私のキーボードでうるさいのによく眠れるなーとは思った」

「まあこういうのは慣れだから」

「中学校も寮だったとか?」

「寮ではないけどそんな感じ」

 まだ正体は無事なようで静穂は安心する。同時に危機感も覚えたが。

 プログラム一つでここまで悩む彼女に、もしも静穂が男と知れたらどうなるか。

 卒倒で済めば御の字だろう。最悪トラウマでも植え付けかねない。

 一層気を引き締める必要がある。大事なルームメイトの機嫌を損ねては今後の生活に支障が出る。

 静穂は鍵付きの引出を開けて中を探る。10歳の時に買った今でも愛用のエアガン、護身用に携帯しているフラッシュバン内蔵型コンパクトの予備などがそれぞれ半透明のケースに収まり整然と引出を埋めていた。

その中から縦に収まったケースを取り出す。薄い。フラットな形状のそれを静穂は開けた。

 中にはタブレット端末と記録チップが数枚。

 端末を起動させてチップを差し込む。軽いタッチで操作を行い、今度は引き抜く。

「はいどうぞ」

「お借りします」

 簪は丁寧にそれを受け取るとすぐに自分のパソコンに読み込ませにらみ合う。

 その真剣な眼差しを確認すると静穂はシャワーを浴びる準備を始めた。

 

 

 風呂上り後のあれこれを済ませてみれば、簪がいない。

 IS学園の寮にも消灯時刻はあるにはある。だがそれは廊下や談話室などの共用部分のみで、自室にまでその束縛はない。多種多様な文化・国籍が集うのだからという寛容さだ。勿論外出は禁じられるが。

 まだその時間ではないが余裕はあまりない。その証拠に寮長の織斑先生が見回っているのだ。タイミングよく廊下に出た静穂の目の前に。

「どうした汀。自販機なら夜中も動いているぞ。あまり褒められた行動ではないがな」

「同室の更識さんが帰って来ないんですよ」

 更識が? と織斑先生は少し唸った。

「とうとう消灯前に出て行ったか」

 どうやら常習犯らしい。

「丁度いい。汀、お前が連れて帰れ」

「わたしですか」

「同室の人間が心配していれば多少は変わるだろう。今は余裕もある様だしな」

 遠回しに静穂の責任だと言ってくる。

(回りくどい)

「普段は整備室だ。では行け」

 出席簿が頭上に上がるを見るや静穂は飛び出した。

 寮を出て気付く。

「整備室ってどこの?」

 IS学園に整備室が幾つあると思っているのかあの先生は。

(深く聞かない方も悪いけど……)

 これも織斑先生の罰の一環なのだろうかと愚痴りながら、静穂はローラー作戦を決行した。

 

 

 ……アタリをつけた一発目で発見した。

 背中合わせに駐機されたラファールの列が数本。その一角に不自然な明かりが灯っていた。ノートPCのバックライトだ。簪が照らされながらそこにいた。

(あれって)

 静穂が試合に使ったラファールだろうか。練習機のカラーリングは皆同じだが、所々に番号が振ってありペイントされている。

 確か静穂が割り振られた番号と一致する。

(なんでまた実機に用があるんだろう?)

 プログラムだけでは不足だったのだろうか。だが訓練用の機体は使用後に改めてプログラム(ソフト)面の初期化処理が施されるのが規則だ。試行錯誤は勝手にやってもいいがしっかり記録しておかないと水泡に帰すぞ、といった所か。機体整備(ハード)面でも同様に。

「簪ちゃん」

 声を掛ける。反応はない。今度はもっと大きく。ぴくりともしない。

「えぇ…………」

 どうしろと。

 完全に自分の世界、というか集中し過ぎてしまっている。

 試しに背中か肩でも叩いてみるかとも思ったが、PCの画面はほぼひっきりなしに羅列を吐き出している。もし声を掛けて間接的に誤作動でも起せばISに何が起きるか。最悪誤作動で怪我しかねない。静穂も知識だけはセシリア師匠のお蔭で豊富だが、整備面では比較的弱い。触らぬISに事故はない。

(待つしかないよね……)

 静穂は長丁場を悲観した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目がしぱしぱする。まだ飛蚊症などは罹患していないが、目薬を忘れないようにしている。

 簪は眼鏡を上にずらして目薬を点す。染み込む痛みで少し震えた。

 ノートPCは時刻を6時前と表示していた。午後ではなく午前。

 道理で作業が順調だと思った。いつもなら織斑先生から出席簿を受けて中断させられている筈だ。

(……織斑)

 その単語で簪は少し虫の居所が悪くなった。直接の関係はないが、それでも思うところはある。

 ところで今回はどうしたのか。

 その答えはその辺に転がっていた。

「っ!?」

 近くのラファール、その脚部装甲に体重を預け、アクション映画で腹に銃弾を浴び迫りくる自身の結末を受け入れた男の最期、のような恰好で静穂が眠っていた。

 一瞬、本当に死体なのかと思った簪だが、静かに胸が上下しているのを見て安堵した。

 世界随一の価格を誇るベッドで寝息を立てる静穂のさらに近くには清涼飲料水が2本。どちらも栄養ドリンク系列で、結露の様子から随分前に買われたものだろう。

 織斑先生の代わりに静穂が来ていたらしい。無視してしまったようだ。

(心配させちゃったかな……)

 ついこの前までと立場が逆転している。人の振り見て我が振り直せというが自分はここまで静穂を心配しただろうか。

 時間も時間なので起こしてしまおう。肩を叩くと少し震えた後に目を覚ました。

「おはよう……」

「おはよう。どう? 役にたった?」

「うん。だいぶ」

 

 

「私のISは未完成なの」

 簪は独白する。歩きながら聞く静穂は頷きもせず簪に顔を向ける。

「私が代表候補生になった時にこの子は作られ始めた。でも織斑 一夏が現れて、企業はあっちの専用機を優先した」

 本当なら。

「今頃は私が飛んでいた」

「……………………」

「でもちょうどいいとも思った。私も自分ひとりの力で完成させればお姉ちゃんに張り合えるとも思ったから」

 更識楯無。IS学園生徒会長。簪の姉。

「あの二人に負けたくない」

「そっか……」静穂が口を開く。「まあ何かあったらまた言って」

「うん、そうする」

 たったそれだけ。他には何もない。

 手伝おうかとも言わず、静穂はただ簪を肯定した。

 自分でも伝えきれていないとは思う。それでも彼女は理解しようとしてくれるのは分かって、

 今回のように、

(ちょっと助けてもらうくらいならいいかな)

 と思っていると、

 

「なにをやっていた、莫迦者共」

 

 ゴルフボールを打ち抜くような音がして静穂が頭から突っ伏した。

「静穂!?」

「何時だと思っている」

 いつの間にか後ろには織斑先生が立っていて。

「更識。また徹夜するようなら覚悟はしておけ」

 それと、

「汀は責任をもって運べよ」

 ……意識を失くした人間はかなり重いものだと簪は身に染みて理解した。




 ようやくあらすじを変更しました。
 中二っぽいけどいいですよね。


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14.熱っぽさは色気に代用できるのか

「一夏! 久しぶり!」

「鈴!? 本当にお前か!?」

 一組の扉付近では感動の再会が行われ、

「どういう事だ静穂……!」

「静穂さんのお知り合いですの……?」

「あー、あー」

 静穂の周囲では魔女裁判が始まっていた。

 あの鈴という少女は箒も昨日見ている。だが見たというだけなので、彼女については静穂の方が詳しい。確かにそうなのだが、

「昨日お前を連れて行った女だな? その時点で何もなかったのか」

「あー」

「盗み聞きは貴族にあるまじき行為とは承知していますが、聞く限りでは随分と親しく、以前からのお知り合いの様ですわね」

「あー」

 返答に困る。というか何を話せば静穂は助かるのだろうか。

 阿形吽形揃い踏み。前と後ろと修羅が居る。

 箒よりも詳しいとはいえ、一夏と親しい間柄など聞いてもいない。ただ振り回されて駆け抜けていった印象しかないのだから。

 だがそれを弁明したところで二人が納得するかどうか。

「あーあー言うだけでは分からんぞ」

「静穂さん、落ち着いてよく思い出してくださいな」

 ……あー、と言っておくしかないだろう。他の理由が主だったが。

(あつい……)

 実のところ風邪を引いていた。38度2分。それでも起きて動けるのは男子故の体力か。

 昨日、シャワーから出て櫛を通したのはいいが完全に乾いてはいなかったらしい。そこに春先の気温変化と野ざらしでの睡眠、更に最近のストレスからの解放が決め手となり、その結果が、

「体調管理は基本だ、寝ていろ」

 せめて失神する前に言うべきだとクラスの思いは一致した。

 

 

 静穂は安堵していた。肌を見せずに済むと。

 一年生は今日からISの実習に入る。その際には勿論着替えなければならない。風邪っぴきの静穂は見学か早退の二択を強いられているので今回は着替えなくて済む。先延ばしになっただけだが。

 静穂は焦っていた。躊躇いがない周囲の脱ぎっぷりに。

 いくら悲しいかな女性に慣れているとはいえそれは平常時に限った場合である。平常時とは当然、服を着た状態。下着からは免疫がない。

 ISスーツを着るという事は必ず下着姿かそれ以下になる訳で、

(あー、あー、あー、あー、あー)

 一夏が宛がわれたロッカー室に向かい、角を曲がって見えなくなったのを静穂を除く全員が確認すると一気に騒々しくなった。

 

 

「よかったー、織斑君と一緒に着替えるのかと思った」

「いっそ見せつけて悩殺しちゃうとか」

「逆セク……?」

 

「ちょ、(じか)でISスーツ着るの!?」

「大胆すぎ!」

「ニップレス貼ればいける!!」

 

「今日に限って……」

「重いの?」

「かなり」

 

 

 一言でいえば生々しい。女子高のノリである。

 ここでショーツや生理用品の一枚や二枚飛んでいれば立派な底辺校だが、そこは天下のIS学園。世界中からエリートを集めたこの場所は辛うじてお嬢様学校に近い。

 女子ならば簡単に迎合できる環境。ならば静穂はどうか。

「あーうー、うー…………」

 当然戸惑っていた。

 目線はとにかく下に向け、視界から肌色を可能な限り遠ざける。

 静穂とて興味がない訳ではない。それよりも羞恥心と恐怖心が勝っただけで。

「静穂さん、大丈夫ですの?」

「あー、うん」

 悪化したとセシリアに勘違いされる程真っ赤らしい。「熱は大丈夫だから」と修正しておく。

 するとセシリアは、

「成程」

「?」

「次までになにか羽織るものを用意しますわね」

「へ? え?」

「……おい」

 いつの間にか箒がいた。セシリア含む周囲の女子がまだ半脱ぎ状態なのに対し箒は既に着替え終わっている。

「見学くらいなら出られるのか?」

「そのつもりだよ」

「ならせめてジャージを着ておいた方がいい。土埃で汚れるかもしれない」

 そういう事かと納得しかけ、戦慄した。

「…………脱げと」

 自ら人食い鮫の群れに飛び込めと?

 わなわなと震えている静穂に箒が耳打ちする。

「ちょっとだけで済む」

「へ……?」

「今後の理由がないと怪しまれる」

 肌を隠すために肌を見せろと彼女は言う。

 毎度の事ながら性別がバレる危険性もある。男子と女子では骨格から異なるのだ。

 それに静穂自身、素肌にはコンプレックスがある。ハイソウデスカと見せたくはない。化粧道具で少し誤魔化せはするが、今日は体まで手を掛けていない。

「あー、う」

「篠ノ之さん、静穂さんにはわたくしが手配を致しますから」

「ガードを固めてからでは悪化する。油断して捲られるというのは避けたい」

「……静穂さん、そこまでですの?」

 中学からの友人である箒の言を聞きセシリアは心配になったようだ。

 箒を見れば少し不安げに眉を寄せている。

(あー)

 静穂の為に考えたはいいが結局静穂のコンプレックスを刺激する手段しか思いつかなかったようだ。

 静穂は覚悟を決めようとする。自分の為に考えてくれたのだ、男が廃る前に行動せねばなるまい。女装しておいて廃るものが残っているのかは知らないが。

「……よし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂が制服のジッパーに手を掛ける。熱のせいかたどたどしい。

 風邪に体力を奪われていた彼にとって制服の上着は、固く、重苦しいものだった。「う……ん……」と小さく唸りながら身体を捩り肩を出す。ワイシャツの肩が出て、袖から手を抜き出す。薄い布越しに伝わる外気が熱を少し奪う。

 ふう、と息を整える。ワイシャツのボタンは小さい。確実性を求めゆっくりと、下から外していく。静穂は中にTシャツを着ていた。色は黒。僅かに汗ばんで紅色した首筋が露わになる。黒のTシャツと肌が対比して色白を強調している。

 周囲の会話も途切れ息を呑む者もいるが気付いたのは箒だけで、(マズイか……?)などと後悔していた。だが今更になって止めるというのも出来ない空気が漂っている。

 それというのも、

 

――静穂の仕草に艶めかしさを感じる――

 

 熱っぽい吐息も、紅潮した頬も、風邪から来るものだとは分かっている。

 それなのに、

(何故私はドキドキしているんだ)

 箒だけではないらしい。向かいのセシリアも頬を赤らめているし、周囲もどこか落ち着きがない。チラチラと静穂に目を向けている。

 目論見は成功、と言ってもいいのかもしれない。静穂が肌を見せないというのはクラスでも少し気になるという者が出始めていた。箒こそ知っているが他の女子としては同性ばかりのここでそこまでガードが堅いのは一夏を意識し過ぎではないか、それとも他の理由があるのか、と。

 箒は以前の契約を履行すべきと考えた。静穂としてもバレたくはない様で、箒も協力者の必要性を痛感したからだ。セシリアの豹変が証左である。

 箒としては嘘は良くないだろうと考えた。女装も嘘ではあるがさて置き、肌に関しては静穂にしっかりとした理由がある。箒は意識してこそいないが、嘘を隠すには真実を織り交ぜるのが一番だ。

 だがこれはやりすぎではないだろうか。

 一挙一動が完璧な少女のそれなのだ。演技派とは知らなかったがここまでとも思わないだろう。

 風邪の熱から来る表情は、まるで恋愛小説の主人公。恋に焦がれ、成就して、想い人と真に番いとなるための、必要不可避な一連の所作――

 ちょっと待て。

(私は何を考えている!?)

 これでは静穂が本当に女子のようではないか。

 何度も言おう、静穂は男だ。

 でも、それでは、

(まるで静穂にこ、興奮しているようではないか!)

 しかしそれなら周りの反応も理解はいく。同性に惹かれるというのはフィクションだけだと箒は断言する。根拠はない。思い当たる節はこの際無視して。

 だとするとこの状況は拙い。ただ正体を明かすだけになる。

 箒は制止しようとした。だが、

 

――誰もが悲鳴を飲み込んだ――

 

 Tシャツから伸びる両の腕。それは夥しい数の手術痕で固められていた。

 かなり昔、それも幼少期かさらに前と箒は思っている。成長に準じて肌の面積は広がり痕も大きく薄く、目立たなくなるだろう。

 それでも静穂の場合は多すぎて更に存在を大きく主張している。

(久しぶりに見たが、これは)

 何度見ても、慣れるものではない。周囲と大差ない位の回数だが。

 セシリアも口を押さえている。周囲も吐き気こそ襲っていないが血の気は引いているだろう。女性にとって肌に残る傷跡とはかなり上位に位置するコンプレックスのひとつだ。

(私はなにをしている)

 下手すれば今までの、静穂の努力を無駄にするのではないか。箒は遅すぎる後悔の念に苛まれた。

 もっと思慮すべきではなかったのか。一夏の事で焦るばかり静穂をどう考えていたのか。

「箒ちゃーん……」

 呼ばれてみれば静穂がシャツを捲し上げ始めていた。

 腕も苛烈なら胴はさらに苛烈。少しだけ捲くられた先に見える腹部は極めて大きな切り傷が――

「っ!」

 直ぐに裾を掴み力任せに引き下ろす。首からつんのめった静穂にジャージとおまけにISスーツも突き渡して手を引く。

 教室から逃げ出した。

 

 

 謝罪と悔悟と憤怒のうち、どの顔をしているのか判らない。とにかく手を引かれるままの静穂に今の顔は見せられないだろう。

「箒ちゃんってば攻めるねぇ」静穂が口を開く。「ヒヤヒヤしたよ」

「……何とも思わないのか」

 自分の気にしている事柄をやり玉に挙げられて。

「別に」

 軽く返された。

「傷は男の勲章なわけですよ」

 そういうものか。

「肌はいつかバレると思ってたし、これで皆に見られることもなくなるんじゃない?」

 楽観的すぎやしないか。悪化するのではないか。

 何を言ったらいいかわからない箒。それを知ってか知らずか静穂が、

「でも好都合だねぇ」

「え?」

「わたしはまだ着替えてない。でも教室にはもう戻れない、傷跡が見えるから。じゃあどこか別の場所で着替えないといけない。問題はどこで着替えるか」

「まさか」

 静穂を見る。にやりと笑う静穂がいた。

「今ならまだ一夏くんの着替えに間に合うかもね」

「な!?」

 なにを馬鹿な事を言うのかこの男は! それでは箒が、

「それでは私がお前をダシに使ったみたいではな――」

「さぁ行こうそれ行こうぱっと行こう! 一夏くんの場所は遠いよ!?」

 引かれていた手が逆になる。

「待っ、離せ!」

「実は結構気にしてたんだから意趣返し!」

「それを言うのか!?」

 そう言われると抵抗しにくい。

 

 

 結果、一夏の着替えには間に合い、箒は一夏の成長を一部分見ることに成功した。

 静穂は倒れた。



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15.熱と目先に踊らされる

 風邪をひいて寝込んだ時にこそ、コミュニケーション能力は試されるのではないだろうか。

 その点で静穂はどうだろう。

 師には恵まれているようだ。山田先生とセシリアは真っ先に様子を見に来ていた。

 それ以外は誰も来ない。

(落ち着く……)

 先の二人が帰って、静穂は一人きりで自室にいる。

 病床に就かなければ落ち着く事も出来ない学園生活だった。静寂が耳に心地よい。

 学園に来てまだ一週間と少し。試合に備えてばかりの日々は、それ程思い返す事柄もないのだが。

 それでも不意に訪れた一人の時間は色々と考えさせたり思い出させたりするものだ。

 事柄が少なければさらに遡ってでも。

(……寝よう)

 例え忘れてはならないと心に決めたものであっても、思い出したくはない時と場合というものがある。

 病で弱っていれば尚更だった。

 

 

 ……どれくらいの時間眠っていたか。枕元にはペットボトルが置いてあった。簪からの物とみて間違いはないだろう。お茶の類ではなく堂々と経口補水液と書かれていた。

「ストレートだね……」

 ボトルの口を捻って、力が入らない。握力が空回りする。

(生殺しだ!)

 力なく元の位置に。改めて自分が弱っていると静穂は痛感した。

 ペットボトルひとつまともに開けられないなんて、男性の前でぶりっこ振るイタイ女子のようではないか。

(でも簪ちゃんは素で開けられなさそう)

 そんな失礼な想像をしているともう一人の住人が帰ってきた。

「おかえり」

「!?」

 即座に扉が閉まり、暫く簪は帰って来なかった。

(へ? 何?)

 

 

 丸二日近くも寝ていたらしい。簪が帰ってくるとその後ろには保健の先生とクラスメイトが盛りだくさん。

 先生の診察を受けている間、とりあえず観客にVサインを送っておく。もう大丈夫というアピール。

 驚いたのは先生が静穂の腹部を見て特に驚きもしなかった事だ。ちらりと見るやそれ以上上着を上げず手を潜り込ませて聴診器を当てた。立場柄か慣れているようだ。

 今、静穂はまた一人だ。簪は食堂から粥を持って来てくれるという。病み上がり一発目で腹の虫が鳴いた時、聴診器を持った先生は笑いを殺しきれていなかった。

 上体を起こしてぼんやり。額の冷却シートは完全に効力を失って異物感を際立てている。少し剝がれていた箇所を直して、室内を見渡す。

 並んだ学習机。雑多に表面積を増やすコルクボード。特撮かロボットアニメしか映した覚えのない薄型テレビ。

 つい先程眠ったと思えば一日飛ばして明後日になっている。時刻は既に放課後、もうすぐ夕飯時だ。

 そういえば、と思い返してしまう。

 これまで一人の時間という物は全くなかったのだ、と。

 特別要人保護プログラム。その対象者だった静穂には常に数人の警護が付いて回っていた。それについては別段気にする事もなく、むしろ世話を掛けたり掛けられたりと仲は良好だったが、学園でそういう関係の知人など居らずセシリアの講義も一週ですべて履修が終わり。

 時間的余裕も出来て、人目を気にする必要もない空間はトイレ以外では初めてで、

(なんだろう)

 体が疼く。

(今、猛烈に何かがしたい!)

 起き上がれない訳ではない、身体の節々痛いけど。

 ベッドから起き上がり学習机に移動、自身の娯楽をほぼすべて詰め込んだタブレット端末に手を掛ける。

(何をしよう何して遊ぼう久しぶりにオンセとか参加しちゃうか行っちゃうかでも待ていつ簪ちゃん戻ってくるか分っかんないし卓によっては日数跨ぐかもしれないし他の人が絡むのは避けた方がいいかもでも短いシナリオならいけるかでもそういうの大半が暗記する程やりこんでるからいっそ自作しちゃうかでもそれだと手元の資料じゃ物足りないから図書館行きたくなるよそれならオンセは諦めてエアガンとか出しちゃうか引っ張り出しちゃうか分解整備とか本格的に広げちゃうかでも一回広げたらやり終わるまで部品飛ばないようにしたり手入れのスプレーとか換気したいしこの後で簪ちゃんがご飯持ってきてくれるっていうから汚れるのは面倒というか空気が汚れるかもしれないのは止した方がいいか第一病み上がりであのスプレーの匂いは絶対吐くよ決定事項だよじゃあどうするの何するの大人しくネットの海で平泳ぎですか遊覧ですかそんなのいつでもできるじゃないか!)

 別に平時でも可能な事ばかり浮かんでくる。

(何かないか面白い事ないかネットに繋ぐだけじゃ変わんないよいつでもできるよ何かないかなんかないかなんかなん……っ!?)

 焦るようにタブレットをタッチし続けて静穂はニュースサイトを開き、硬直した。

 

――東京○ルイ、新製品発表会申込受付開始――

 

 ネット経由の申込ではなく前時代的なアナログ的手法、つまり店頭での用紙に記入して店舗越しでの申込。

 昨今ではもう手間でしかない手法を執る辺り、東京○ルイの意図というか心意気というかなんというか、

(これは、何か面白そうな匂いがする……!)

 受付開始の日付は今日。

(これを天運と言わずしてどうするのわたし行くしかないっ!!)

 額のシートをかなぐり捨てて制服を用意する。外出用の鞄と金庫から財布を確認し残弾を確認。………………よし、補充の必要はない。

 受付を扱う店舗は確認済み。急いで走って戻ってくれば消灯時刻には十分間に合う。

 急いで顔だけ整えて、部屋着の裾に手をかけて、

 よいしょと上に持ち上げて、

 

「静穂、入るわよ?」

 

 薄暗かった室内に、光が差し込み目が眩む。廊下の明かりを後光に使い、伸びる影にはツインテール。

 凰 鈴音がそこにいて、引き攣った顔で立っていた。

 視線の先には静穂の腹部。大きな裂傷ざっくざく。

 静穂は箒に叩かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出かけられる訳がないだろう、バカ」

「やっぱりダメ?」

「せめて完璧に治してからでないと……」

「…………」

 ベッドに押し戻される静穂の周囲に3人の少女

 苛立ちを隠そうとしない箒、複雑そうな表情の簪、ベッドの縁に座って俯く鈴。

「更識だったか。すまない、こんなバカで」

「えと、普段はお世話になってるから」

「私もこいつがこんな性格とは知らなかった。中学の時は大人しかったのだが」

「転校した時にキャラ付け間違えてそれっきり……」

「……今は素?」

「……聞かないで簪ちゃん」

 とりあえずの他愛ない会話。その反応から静穂は異変を検知する。

 一人、会話に入ってこない。

 ……聞いてもいいのだろうか。

「何かあったの?」

 恥は一瞬でいい。それが片足突っ込むどころか引きずり込まれる結果になろうとも。

(知らないままよりはいいでしょ、うん)

 少なくとも目の前で泣かれるよりは。精神衛生的に。

 

 

 箒に慰められる鈴。こんな構図、二度目はないだろう。

 訥々と語る鈴は、何かを振り絞るようで。

「あのさ、もしもの話なんだけど、もしもアンタが男だったとして――」

「男ォ!?」

「!? もしも! もしもだから!」

「っあぁ、ごめん」

 過剰反応だった。知り合って2回目の対面でその心配はなさそうなものだ。例外もありそうではあるが。

「もし男だったら、大切な約束事って忘れたりする?」

 約束?

「約束の度合いによるんじゃない? 随分と昔とか、規模が小さかったりとか」

 静穂にもそんな経験がないではない。大概が被害者側だったと思うが。

 

――約束(それ)が、結婚の約束でも?――

 

 静穂と簪が固まった。直後に簪が真っ赤に染まる。

 静穂は事態が呑み込めない。結婚? 鈴が? 誰と?

 箒を呼び寄せ潜めた会話。

「状況が読めないんだけど」

「鳳は私と入れ替わりで一夏と知り合った幼馴染だそうだ。鳳は1年前に中国に帰る事になった。その去り際にそんな約束をしたらしい」

 それでは箒の恋敵ではないか。そんな人物の肩を持つとは、

「ホントに一体何があったの……?」

 箒が苦い顔をする。その答えは鈴本人から。

「一夏、その約束を忘れてた」

 ……つまり箒は同じ女子として同情したのか。

 もしかしたら自分も同じ目に逢うのではないかと感情移入したのか。

 ……………………、

(だからどうしろと!?)

 正直に言って門外漢だと静穂は思う。実際にその旨を箒に伝えたが、

「お前も一応男だ。何か言え」

 この武士は話にならない。ここは女子力代表の簪に意見を……、

(何だかすごく怒ってる!?)

 そういえば彼女は一夏に少なからずマイナスの感情を抱いていた。無言でそこにいるだけの彼女は良くない雰囲気を纏っている。

 救いの手はない。自分で解決しなければならない。

 一先ず情報が足りないのではと思い、静穂は判断材料を探す。

「どんな風に約束したの?」

「今度会ったら毎日酢豚を食べさせてあげる、って」

(どうしてそうなった)

 静穂は頭を抱えた。なぜ変にアレンジしてしまったのか。

 一夏と同性だからかどうかは別として、簡単に一夏の脳内が予想できた。

 

――味噌汁だったらプロポーズだけど、酢豚ってことは優しさだよな!――

 

 以前の箒の話といい、一夏は超がつく鈍感だろう。

 そんな相手になぜ回りくどい言い回しを使った。何故だ。

「なんで酢豚」

「ウチが中華の店やってて、一夏のやつ、よく食べに来てたから」

「それじゃあダメでしょ」

 3人の目が大きく開かれて静穂に向いた。

「なんで驚くんだろうね。自分達で一夏君が鈍いって分かっている筈なのに」

「いや、だって」

「静穂、こういう事は大切なものでははいか。なんというか、自分達だけの言葉で表現したいというか――」

「失敗したのにまだ言うの?」

 静穂の口調はとても冷めたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鈴は言葉に詰まっていた。正確には驚きを隠せなかったというか。

 たった数日前に偶然知り合って、強引に面倒をかけてしまった知人。それだけの間柄である静穂に、今、冷たい言葉を浴びせられている。

 ……何も知らないくせに。

「……何よそれ」

 捻り出した言葉がそれだった。

 そう、彼女は何も知らない。鈴が一夏と過ごした日々の輝きも、父親と別れ、彼と離れなければならなかった絶望も。その日に交わした約束を胸に、IS学園、つまり日本へ来るまでの努力も。

「何も知らないで、勝手な事言って」

「当然、言うよ。何か言って欲しかったんでしょ?」

 

――それは一夏が悪い――

――鈴は悪くない――

――他の方法を探そう――

 

 そんな言葉を、鈴は無意識に期待していたのかもしれない。

 当時の一世一代、極限まで追い込まれて生まれた約束。

 中国に帰ってからの鈴を支え続け、動かし続けた原動力を、もう一人の当人はさも何でもないように忘れていた。一夏にとっては友人との約束、その一つでしかなかったのだ。

 その事実は鈴には重すぎた。

 人前というのも関係なく涙が零れ、どうしようもなく飛び出した。

 その姿は恋敵である箒から見ても痛々しいものだったようで、

「男の心理に詳しい奴がいる。そいつに相談しないか?」

 その結果が今。こうして鈴は、

「アンタに何が解るのよ!!」

 激昂した。

 対する静穂は冷めたままだ。

「今わたしが分かっているのは、二人よりわたしの方がちょっとだけ経験があって、鈴ちゃんも箒ちゃんも変な所で拘っているって事」

「変な所とは何だ」

 鈴を鎮めようと肩に手を乗せて箒が口を開く。

「過程なんてどうでもいいでしょ。そんなの選んでたら誰かが先に一夏の恋人になってるんだから。一言『好き』って言っちゃえばその後は一夏くんが決める事だよ」

「だが断られた時はどうなる?」

「自分が遅すぎたって後悔すればいい。諦めきれないならもう一回、それでもダメならもう一回」

「往生際が悪いとしか思えないな」

「その程度の気持ちならさっさと諦めた方がいい」

 その言葉を聞いた時、鈴が動いた。

「――何よそれ」

「まだ怒ってる? じゃあ今すぐ告白しに行って。今なら一夏くん一人だよ」

「そんなの出来る訳ないじゃない!」鈴が立つ。立って慟哭する。「私は! 私は約束を守ろうとして! でもあいつ! そんなの、まるでなかったみたいに忘れてて!」

 勢いが死んでいく。咲き誇った花火が重力に負けてその身を萎れさせていくように。

「こんなに、こんなにがんばって……」

 代表候補生になる事は、言うまでもなく至難の道だ。さらに世界中でたった467機しか存在しないISの携帯所持が許されるとなれば倍率はさらに厳しいものとなる。自明の理だ。

 別れる前の一言二言。それだけを礎に今現在の地位に立つ鈴を、嫌味こそあれ誰が批判できようか。

 だがそれは彼女の努力と背景を知らない静穂には意味がないようで、

「何をどう頑張ったかは知らない。教えてくれるなら聞くけれど今は嫌。

 とにかく一夏くんはどうだか知らないけれど少なくともわたしは今の関係が変わるって事はかなり辛い。それこそ無意識に気付かないようにしてしまうくらいには」

「無意識……?」

 頷く動作もなく、静穂は続ける。

「結婚の約束をする程ならよっぽど仲が良かったんだろうね。本当に大切な友達だと思える程に。一夏くんにとって鈴ちゃんとの関係は崩したくないと思う。恋人になるって友達じゃあなくなるって事だし」

「あたし別にそんな……」

「認識が甘い。異性として意識した時点で一緒に遊ぶのはデートって呼び方になって、普段は意識しない事でもすぐに気になって堪らなくなる。服装とか口臭とか全部。そうして相手の事をもっと知りたくなるし、触りたくなる」

 髪とか、唇とか、胸とか、腰とか、尻とか。脚とか。

「でも誰かに触られるって拒否感がある。それでも二人の仲が良ければ許せるし受け入れられる。でも拒否感が強いと大きく拒絶する。そうなると恋人って簡単に壊れると思う。友達に戻るなんて甘い事は絶対ないよ。絶対」

 ……それでも、

「人を好きになるって素敵なことだよ」

 恋人なんていなかったから分からないけど、と静穂は最後に崩したが、鈴だけでなく3人全員が黙って聞いていた。

「で、最後」

 改めて、静穂は聞いてきた。

「二人は一夏くんとどういう関係になりたい? 友達? それとも他人の恋人?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 簪の膝の上で粥はすっかり冷えてしまっていた。

 静穂は、あちゃー、と後悔しつつ、独りごちる。

「ストレートに追い出せば良かった」

「え?」

 ん? と気付けば簪が聞いていたようで。

「追い出したかったの?」

「お腹空いてたから」

 言うが早いかレンゲをうごかす静穂。

「さっきのは?」

 あの熱弁は何だったのかと。

「セシリア師匠が読んでた恋愛の指南本。英語だったからイギリスから取り寄せたんじゃない?」

 見つけた時は彼女の本気度合に呆然とし、眺めただけで覚えてしまった自分に愕然としたが、役に立ったのだから良しとする。

 唖然とする簪を余所に、静穂は冷めても美味だった粥を平らげた。

 

 

 翌日。

 久しぶりに歩く廊下で鈴に呼び止められた。

「昨日はごめん。それとありがと」

「こちらこそ申し訳ない」

 空腹故に追い出した罪悪感が一匙。もう飲み込んでしまったけれど。

「掲示板の新聞、見た?」

 その習慣は静穂にはなかった。

「見てない」

 そう、と鈴は呟いて、

「あたし2組の代表になったの」

 静穂はへぇ、と息を漏らす。

 思い人に会いたいという一心のみで代表候補生に成る程の実力者、それを2組としても遊ばせておく理由はないのだろう。だが静穂はまだ代表を雑用させられる庶務くらいにしかイメージ付いていないので、

「なんでまたそんな面倒な」

 という感想だった。鈴に替わる前のクラス代表もどこかの国の代表候補生だった筈だ。

 だがその彼女は専用機を持っていない。対して鈴は専用機があるのだから、その習熟が第一ではないだろうか。

「アンタから言われてその後色々あってね」

「いろいろ?」

 尋ねると鈴は振り払うようにくるりと回り、

 

――とりあえず一夏をぶっ飛ばす事にしたから!――

 

「ど」

 どうしてそうなる? と聞くまでもなく、

「わたしのせい……だね?」

 言うだけ言って去って行く鈴の背は低く。




 この二次創作はフィクションであり、実在する人物・団体・企業などそれっぽい名前が出て来たとしても、舞台が近未来ゆえに変態企業と化していても現実とは全くうんぬんかんぬん。


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16.熱がなければ振り回される

「さて、納得のいく説明をしてもらおうかしら?」

 

――オルコットさん?――

 

 1年1組魔女裁判。今度は師が生贄である。

 態々机まで移動させて円陣を敷き、椅子で周囲を覆って被告人セシリアの逃げ道を塞ぐ。

 根掘り葉掘り聞き出すまで輪の口が開くことはないだろう。

 裁判長の立ち位置に見える女子、鷹月 静寐が進行していくつもりらしい。

 弟子の経験した苦境を師も同じように感じているかは知らないが、セシリア自身が事態を少し重く見ているらしく神妙な面持ちだ。

 2組代表の交代と宣戦布告。今朝のうちに鳳 鈴音が起した旋風はクラス内に吹き荒れその勢いは放課後になって最高潮。

 しかも原因は先日、楽しそうな再会を果たしていた我らが織斑 一夏と、早くも彼に懸想するセシリア・オルコットにあるというのだからさあ大変。

 一夏は織斑先生の都合で席を外し、さらに弟子の姿もない。クラスの数人が静穂を呼びに行ったがそれは別の理由から。だが居てくれさえすれば援護射撃も期待できたのだろうか。静穂が心配りに気を掛け過ぎるという認識は1組全体のものになってしまっている。同室の相手の為に風邪をひいたという事実がそうさせた。実際は話しかける度胸がなかっただけなのだが。

 元より彼女の関わりはないと一時だけ切り捨てて、最初の問いかけにセシリアは応じた。

「昨日の事を知ってらっしゃる篠ノ之さんもいますし、正直に申し上げますわ。

 実は昨日、この本を読みましたの」

 セシリアは持っていた本を鷹月に手渡す。周囲が群がって目を遣れば、

「英語ね」

「LOVEしかわかんない」

「それだけで十分でしょ」

「その通り、わたくしが本国から取り寄せた指南書です」

 それを読んだ直後に、彼女は行動に移したそうだ。

 

 ――恋のスタートラインは千差万別。その殿方を貴女が想った時点で、他者も同じ地点にいる事はまずあり得ない。

 貴女が手をこまねいている間に他の競争相手は貴女よりもずっと差を開け、逆に殿方との距離を縮めている。

 遠回しなアピールなど自殺行為。追いつき追い越す為にはストレートな意思表示が必要なのだ――

 

 ……といった具合の内容らしい。

 懸想も早ければ情報収集も早い。セシリアは指南本を手に入れる前から実践していた。

 しかし、

「……運よく一夏さんは部屋に一人。わたくしは思い切って想いを打ち明けようとしました」

 ……同級生の恋話である。少女達は聞かずにいられず前のめり。ただ一人、箒のみが眉間を寄せている。

「ですがその直前に篠ノ之さんと鳳さんが飛び込んで来ました。そして――」

 

――一夏!? だれよその女!――

 

「――そのまま鳳さんは爆発するように怒り狂い、以前のわたくしとの焼き増しのように一夏さんも返答してしまい……」

 売り言葉に買い言葉。カッとなったら直ぐ着火してしまった。

 うわぁ……と窄んでいた輪が元の大きさに広がっていく。少女達は思い思いに口にした。

「鳳さんって見た目通り…………活発なのね」

「織斑君もちょっと喧嘩っ早い?」

「男子って熱しやすくて冷めやすいっていうけど」

「確かに今日の織斑君、仲直りしようとしてた」

「確かに早い!」

 後になって後悔するのはよくある話。だが即座に行動できる人間というのはあまりいないようで。

 一夏の切り返しは概ね高評価という事で締め括られ、セシリアは安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「連れてきたよ!」

「丁度良くジャージだったから楽で良かったわ」

「何!? 今度は何!? あ、どうもラージグレイです」

『無理にボケなくていいから』

 あれー? と首を傾げる静穂の両腕を、女子がおっかなびっくりといった具合に抱き寄せ、指に指を絡めて行動を阻害し連れてきた。

 拘束を解かれて輪の中へ。女子が離れていく際にそっと肩に手を置いて行った行為に意図はあるのだろうか。

(生贄なの!? あさま山荘なの!?)

 自問しても答えなど出ない。一方で輪に加わった女子達の箇所では、

「どうだった?」

「うん、かなり凄いわ」

「ジャージ越しでもぎゅってすればうっすら分かるくらいかな」

「手もマメというかタコというか」

「ボロッボロ」

「それは……」

「やりがいがありそうね……」

 とヒントになりそうな会話があったが静穂には届かず、目線は前方。中央の席と、そこから腰を浮かすセシリアに向けられている。

「お待ちしてましたわ、さ、こちらに」

 呼ばれるがまま座り、周囲を見回す。ひそひそと聞こえそうで聞こえない他人同士の会話は耳に障る。

 経験はある。慣れてはいないが。

 良くない予兆だ。経験上。

 

 

「では静穂さん、リラックスしてくださいな」

「机が要るよね」

「汀さん腕捲って」

「顔もいっとく?」

「ヘアバンドあるよー」

「だれかオリーブオイル――」

「普通にメイク落としあるから」

「オリーブあるよー」

『あるの!?』

 

 

 ちょっと待って、と言う隙間もなく、座らされ机を置かれ髪たくし上げられて固定され捲るどころか脱がされて――、

「引くくらいならやらないでよ……」

 生々しさにクラスが引いた。

 女性は血に強いとはよく言われるが傷痕とは別のようだ、このクラスに限っては。

「洗濯板かと思ったら縦横無尽」

「膨れてる部分はどうする?」

「遠目で見えなければそれでいいと思う」

「それよりも手よ」

「指細い。付根にタコあるのはなんで?」

「親指と人差し指の間は何をやったらこんなにパックリいくのよ……」

 ……適応も早いが。

「ちょっと待って!」

 何回目か忘れた頃に、周囲が気付く。

 え、何? という表情を向けられる。「何がどうしてこうなってるの!? 病み上がりでTシャツ一枚にされて春先は辛いんだけど!?」

「じゃあこれでいいよね~」

 間髪入れずに後ろから何かが圧し掛かった。ゆったりし過ぎている袖で抱き付き程よい温かさと弾力とを持って肌着一枚の静穂を温めにかかる彼女の名は、

「本音さん!?」

「みんな続行~」

「お待ちになって。説明致します」

 抱きつかれたままでいいのか迷ったが腕もクラスメイトに取られたままなのでどうしようもない。振りほどくのも双方の怪我なしには無理だろう。

 話をしようとするセシリアも気にしていないようだ。

「休まれている間、静穂さんの傷が話題になりまして」

「はあ」

「一体どれ程の熱意と執念でこの学園に入学されたのかと」

 ……はい?

「まだ先週の事ですわね。一夏さんと試合をする前にわたくしは貴女に基を知識面から教授しました。それも一週間すべて。

 そう、すべて座学に費やす事ができたのです。ISの操縦は惜しくも叶いませんでしたが、戦闘技術、銃の扱いも予定していました。ですがその必要はありませんでした。何故でしょうか? と」

「いや師匠? わたしサバゲで多少は心得があるからね?」

 他に目的があったとしても、静穂にとってサバイバルゲームは趣味・スポーツとして楽しんでいた。例えとはいえどISの操縦を考えてそこまで先を見て行動するなど今はまだしもその時は無理だ。

 だが彼女の色眼鏡は度が合っていない。

「そう、サバイバルゲーム。

 わたくしが調べるにこの国でのサバイバルゲームのプレイ人口は他のスポーツと比べると、言いにくい事ですが低い」

「バッサリ斬ったね師匠」

「銃器に触れるというだけで意識が高いように思われます。加えてラファールのプログラミング。あれはわたくしの講義でもあまり触れていません」

「そうだっけ?」

「良くてそういうやり方がある、という程度でした。最後にあの手榴弾」

「野蛮とか言わなかった?」

「実際に試したところ、有用でした。ミサイルでしたが」

 爆発物、としか共通点はないように思えるが、殊ISにおいては本当に誘導性くらいしか差がない。絶対防御とシールドエネルギーが操縦者への負担を極限にまで減らすからだ。静穂もそれは知識で理解していた。

「ですが通常、自らのエネルギーを減らす自殺行為は致しませんし、したとしても至近での爆発は、その、少々怖くもありました、ええ」

 セシリアがプライドを飲み込んだ。

「ティアーズには元からミサイルを搭載してありましたが静穂さんは態々手榴弾を選択し、あろうことか心臓に近い胸部に隠し持つその度胸」

 

「女の武器を利用するとは」

「正に策士」

「みぎーは怖いもの知らずだ~」

「私も胸がなければ……!」

「嫌味か貴様」

 

「待って皆何かがおかしい」

「それらを前提に話し合った結果、静穂さんには女性としての所作が足りていないのではという結論になりました」

 足りないのは事実である。男子なので。

 と、いう事で。

「丁度いい機会ですので静穂さんに皆でメイク術を御教授しようという結論に至りましたわ!」

「本当にどうしてそうなる!?」

 抗議の一つでも飛ばそうかと思えば既に、

「もう塗ってる!?」

「まずアルコールで綺麗にしてから」

「そのあと下地ね」

「顔も~」

 圧し掛かっていた本音が顔を冷たい感触で擦ってくる。

(的確に化粧が厚めのところを!?)

 ――そこから先は止め処のない女子力の洗礼だった。

 やれ普段はどこの化粧品をつかっているのか手入れはどうしているのかクラス一丸となって一夏を盛り上げると決めたとかその為にまず静穂がやり玉に挙がったとか。

 かいつまんでみるとこちらの気を遣っての行動らしいがそれは大人数で同時に行ってはいけないもののようだ。デリカシーに欠ける、と言っても良いのかもしれない。

 静穂もそれぞれの質問に一言ずつではあったが返していくうちに疲れが出てきた。

 元々静穂自身があまり気にしていないというのもあり、透けにくい長袖さえ着ていればそれでよしとしていた位のものだ。一番大事な部分は近づかれたとしてもほぼ隠せる程に痕が薄くなったし、今まではそれで十分だったのだが、この女子力ゆでたまご理論達はそうは問屋が卸さないらしい。

 塗っては落としを繰り返し、静穂の見えない所で何やら化粧品同士の調合にまで及んでいるらしい。出来るのか。やっていいのか。

 それでも中学時代よりは幾分かマシだと静穂は思う。

 あの頃は着たくもない衣装を強いられたりいきなり脱がされて身体を見られ逆に泣かれたり泣いた相手と一緒くたに慰められたり。

 特に際どい衣装がないだけいいと納得させる。サバイバルゲームで鍛えた走破性を全力で駆使した事もあった。陸上部のエース相手には何度も泣かされた。勝利の。

(ま、まあ腕さえ消えれば皆も満足するよね?)

 と楽観していられる筈がない。

 

「いい感じじゃない?」

「そっちはどう?」

「配合比率メモ完成」

「量産入りまーす」

「お腹まわりまで足りる?」

「何言ってんの脚までやらなきゃ」

「流石にやりすぎなんじゃ……」

「上半身だけだと思う?」

「……A級スナイパー並みだと思う」

「それじゃ~みぎー」

「裾上げるわね」

「いっそ脱いで」

(満足して! お願いだから!?)

 

 

――何してんの、アンタ達――

 

 ――今朝吹き荒れた台風が、Uターンして戻ってきた。

 彼女は大きく息を吐き、ずかずかと輪の中へ。

 中心の手を掴み、言い放つ。

「アンタ達、最低よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ2組に来なさい」

「だから脈絡、……もういいや」

 静穂はもう諦めた。投げやりになっていると自分でも思う。

 二人で着替えの制服を取りに戻って、顔を洗う。

 タオルを鈴から受け取って、文句の一つでも言えばいいのかとも考えたが、どうでもよくなっていた。

 女装がバレる危険から結果として救ってくれたのだ。それは良しとしても、彼女の強引さはなんとなく分かった。

「2組にくればアンタを虐めるような奴はいないわ。いたとしてもあたしがさせない」

「イジメねぇ」

 連帯感が強いとは思う。だがそこまで断言できるかは分からない。イジメというよりかは善意の空回りだろう。中学時代の面白全部にかき回された時とはまた違う何かだ。

「イジメではないよ」

「イジメよ」

「どこがさ」

「あんた射撃場で練習してたみたいじゃない。それをいきなり連れ去られておいてまだ庇うわけ?」

 言われてみればそうなのだろう。

 静穂は実弾で射撃練習ができると知って喜び勇んで射撃場に乗り込んだ。

 最初は何処の外国だ、とか思いもしたが、いざやってみたところモデルガンとは違う反動に感動を覚えた。IS越しでも使ったが、素手での感触は別物だった。

 とにかく撃った。沢山撃った。念のためジャージに着替えておいて正解だったと思うくらい、硝煙の香りに包まれて納得した時に丁度お呼びが掛かった訳で、終わろうとしていた頃合のナイスタイミングだった。

「確かに説明は欲しかったかな?」

 そうすれば覚悟やら対策やら出来ただろうに。

 しかしそれを聞いた鈴はそれ見た事かとしたり顔で。

 ほんの少し、腹が立ったので、

「分かった。あの時は確かにイジメだった。でもさ、わたしは明日もあの教室に行かなきゃいけないんだよ? イジメがエスカレートするとは思わない?」

「2組に来ればいいじゃない」

 当然、という顔だった。

「クラス変更をそう簡単に許可されるの? ウチの担任、()()織斑先生だけど」

 ぴしっ、という音が聞こえた気がした。

(かわいい?)

「自分でなんとかしろって言われたりしたら大変だなー。誰かさんのお蔭で大変だなー」

「ーーーーーーーー!」

 瞬間沸騰。

(面白いんだ!)

「このっ」

「ふぇっ?」

「昨日もそうだけど、アンタに何が分かるのよ……っ!」

 飛びかかられたのは理解した。そこから先はまるで分からない。

 首に手を掛けられたと思えばそこから腕の下を潜って背中に張り付かれヘッドロック。

 痛くはない、ちょっと苦しい。巻き付いた腕が柔らかい。整髪料だろうかいい香りもする。

 本人もスキンシップのつもりなのだろう。年頃の女子同士でやるものではないだろうが。

(でも地獄です!)

 後ろからだっこちゃん人形のように鈴が張り付いているのだが、足が問題だった。

 静穂の腰に脚が掛っているのだが、その足に()()()()()()()()()()()()()

 ……とりあえず騒いでみた。

「きゃー! きゃー!」

「あはははロデオロデオ!」

 喜ばれ逆効果だった。さらに締まる。

「……近くで見るとよくわかるわね」

「!」

 顔が近い。目線は合わない。静穂の目の下、頬の部分。

 片頬を大きく分割するように、縦に、まっすぐに。

 化粧で隠れていた大物が露わになっていた。

()()はイジメじゃないの?」

「……生まれつきです」

「虐められなかった?」

「カッコいいとか、可哀そうとか、優しくされたりはあったけど」

「あたしは虐められた。日本語が話せないってだけで」

 言葉に詰まった。そして理解した。

 彼女は自身の過去と照らし合わせたのだ。

「一夏と会ったのもその時よ」

「助けてくれたんだ」

「カッコ良かった」

 ロックが解ける。自然とおんぶの形に。

「篠ノ之も、アンタの師匠もなんでしょ?」

「みたいだね」

「アンタは?」

「特に何も。次は勝ちたいとは思うけど」

 男が男に惚れるのは如何なものか。その生き様だというなら未だしも。

 静穂の答えに鈴は大層驚いたようで、

「初めて見た。一夏に惚れない子」

 目と目を合わせた瞬間に籠絡しているのかあの男は。

 

 

 着替えこそしたが、

「化粧道具忘れた」

「顔どうする?」

「冷やせば少しは……」

 手で隠すと逆に目立ちそうだと思いそのまま早足。

 共用通路は上級生も使う。転校してきた代表候補生を背負って移動する様は何というか、こう、

「何故降りない!?」

「居心地よくて」

「ありがとう降りて! 3年の人が二度見してたから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………見つけた」



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17.彼に優しくなどはなく ①

 単純な作業の繰り返しは時に人を落ち着かせる効果があるらしい。

 と言ってもただの裁縫だが。

(それなのになぜ出来ないのだお前たちは……!)

 箒は憤慨する。

 学年別クラスマッチを明日に控え1組の面々は応援グッズ作成に忙しかった。

 ノボリに鉢巻、団扇に半被にと、アイドルグループの追っかけと遜色のない規模で物品の種類を増やしていく。

 ……計画だけ。

 1年1組、企画立案はさておき生産には疎かった。

 要するに裁縫作業のできる人数が3割以下だったのだ。箒はその3割に入っている。

 男とはかくあるべしという指針を持つ箒にとって、この騒ぎ方は好ましくない。

 だが周囲に、

 

――織斑君が頑張る所ってカッコいいと思うな――

 

 ……これも惚れた弱味なのだろうか。

 一夏の白式に合わせた白を基調とする半被に針を通していく。手元に狂いこそ表れていないが、内心では別物で、

(今頃オルコットは一夏と二人きりで……!)

 二人きりで明日に備え最終調整に勤しんでいるだろう。すれ違ったまま。

 今すぐ駆け出したい衝動を抑え糸を切る。いくら鈍感とはいえ一夏が靡く可能性が1%でもある以上、頼みの綱は静穂しかいない。

 今、静穂はこの教室にはいない。彼もぎこちないけれど3割に入っていたが、訓練機の抽選に当たりそちらを優先している。IS学園にいる以上、少しでもISには触れるべきだ。

 彼の性格上、約束事に重きを置く筈。ならば今頃は二人に付かず離れずの位置で監視しているのではないか。その期待が箒をこの場に留めている。

 一着拵えて、次に手を掛ける。随分とサイズが大きいのは静穂用なのか。彼は中身が男だからか身長が一夏並みにある。それでもこれでは鳶(和装コートの一種)だ。

 クラスメイトの岸原 理子がその疑問を勝手に解消してくれた。

「それね、セシリアからの注文なの」

「オルコットの?」

「そう。静穂っちが普段から着られて、閉じて肌が隠せるように、って」

 水泳で着替える時に使った、ゴム紐つきの大型タオルのようなものだろうか。

 確かにこれまでの半被と異なり制服の外観を踏襲している。改造制服として通すつもりか。

 彼女の静穂に対する優しさの表れだろう。箒の中でセシリアに対する妙な敵愾心が少しだが解けた気がする。

 しかし、

「……なぜこの形に」

「マントが半被に引き寄せられました」

 足して2で割った形に着地したらしい。

 仮縫い用の糸に替えて針を通す。すると理子が、

 

――ねえ、子供の頃の織斑君ってどうだったの?――

 

 空気が張りつめた。

()()聞くのか!?」

「いーじゃん何回聞いても違う所あるんだから」

 言葉に詰まる。助けはない。こればかりは静穂も相手側に回る案件だ。

 他所で団扇貼りに専念していたグループも横断幕をデザインしていた連中も寄り集まってきた。このクラスはまず対象の逃げ道を塞ぐ所から事を始める。チームプレーに長けていた。変な方向で。

 違う箇所があるのは思い出す度に新しい発見があるからだ。それだけ昔から一夏の事を思っていた事の裏返しでもあり、その都度胸が熱くなる。

 とは言えこれ以上、自分の思い出を切り売りするような真似はしたくない。

 それに何より、恥ずかしい。

「いや、もう話す事はない」

 本心であり、事実だ。

「そっかー残念」

「じゃ~みぎーは~?」

 膨れながらも納得する理子とは別方向、ミシン作業に当たっていた本音が口を出す。

 ミシンは丁寧に生地を縫い上げていく。普段の着ぐるみも自作なのだろうか。

 それにしても予想外な所から予想外な名前を聞いたものだ。

 何故彼女が、どうして静穂を?

「みぎーも同級生だったんでしょ~?」

「確かにそうだが」

「おりむーは良くてみぎーはダメなの~?」

 そんな理由、特にはないが。

「そうではない。なぜ奴の事を聞きたいのかが分からない」

「あ、私聞きたい」

「!?」

「私も」

「私も」

「!? !?」

 理子が食いついた。全員食いついた。

「だって……ねえ?」

「銃の腕前とか、()()はいつからとか」

「やっぱり幼年兵?」

「特殊工作員」

「セレブな女王様のペット」

「実は野生児」

 正解がないのは間違いない。

 箒は考えた。実は静穂についてよく知らないのだ。

 そもそも箒の知る彼と今の彼とでは差異が大きすぎる。よく女子に弄ばれて逃げ回っていたとしか覚えていない。それもSPから自分と同じ要人保護対象と聞かされてから気に掛けただけで。

 保護対象の部分は伏せる。自分も情報を整理するつもりでいこう。

「……私が中学2年の時に転校してからの同級生だ。その時から奴の身体はああだった」

 夏場でもジャージ着用、制服では七分丈のTシャツなどで目立たない程度に注意していた。男子女子関係なく気遣われていた気がする。男子は着替える時に見ていたのだろうが女子はいつ見たか謎だ。

「銃はサバイバルゲームで培った技術だろう。住んでいた場所の近くにそれ用の広場があった。大人に交じって大会に出て賞を取ったらしい」

 以前に織斑先生にも話した事だ。サバイバルゲームにどんな賞があるかは知らないが自分が剣道で優勝した時も周囲から大変祝われた。同じ位の賞賛には値するだろう。

 …………。

「それだけだ」

 座ったまま転ぶ芸当はどこで覚えるのだろうか。

「それだけ!?」

「もっとないの!?」

「おりむーの時と情報量がまるで違うよ~」

「10分の1もないじゃない!」

(それ程違うのか!?)

 あの頃の自分に他人を気にする程の余裕があっただろうか。いやない。

 これだけでも随分と覚えているものだと自画自賛ものだったのだが周囲は一夏との開きが激しすぎるらしい。

 これが想い人とその他の違いである。被保護下という共通点があったからこそこの程度は覚えていたわけで。

 仕方なく頭から掘り起こそうとする。剣の道に邁進した中学時代。一夏の事ばかり考えていた頃から別の男の風景を取り出す作業は意外と簡単に実を結ぶ。

「……サイコロ」

「え?」

「人垣の中でサイコロを振っていた。目が出る度に周囲が一喜一憂していたと思う」

 テーブルトーク()ロール()プレイング()ゲーム()。そんな単語を知る由もない箒にはこの表現が限界だった。

 本当にもう出せるものがない。そう白状して話を切り上げ、仮縫いを再開する。

 

「サイコロだって」

「ツボ振り……?」

「博打打ちかー」

「なるほど」

「納得しちゃうの?」

「刃傷沙汰で出来た身体なのね……」

「それなら懐に爆弾入れても怖くないわ」

 

 新しい候補が出来上がっていくが箒には届かない。

 手元の一着を縫い終わり、ミシン担当に預けて次に取り掛かる。

 まだ半被の部品はあるのだ。早くしないと一夏の所に行くことは叶わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂は逃げていた。

(どうしたらこうなるの何が原因でこうなるのわたしはただただ飛びたいだけなの逃げ出したいのお空がこんなに青いのに透明な蓋で檻のよう……馬鹿かわたしは)

 自己嫌悪で現実に戻ってくる。

「静穂。俺達一体どうしたらいいんだ?」

「とりあえず待っていた方が無難だね」

 弟子と意中の相手を放り出してセシリアは何をしているのかというと、

「で・す・か・ら、これは1組の練習ですので2組の代表はお引き取り願いたいと言っているのが分かりませんの!?」

「代表以前にあたしは一夏の幼馴染よ! そんなふざけた練習させられる訳ないでしょ!?」

 青と赤の対決が繰り広げられるのを、ISを装着した男二人が見守る構図が出来上がっていた。片方は女装だが。

 IS学園には専用アリーナが複数あるが、一日に貸し出される機体と照らし合わせると収容能力には大分の余裕がある。

 アリーナ毎に特徴や用途が異なるそうだが、多くは多目的というか、授業でもよく使われる場所が自主練習に於いても人気だ。

 静穂が休んでいる間の授業で一夏はこのグラウンドに大穴を開けたらしい。何をしたんだ一体。

 

 

 さておき事は約一ヶ月前、鈴の宣戦布告直後にまで遡る。

 クラスマッチを控えて1組は一夏の強化に重点を置いた。

 さしあたって一夏は全くの素人。小学生時分に鍛えた剣の腕も家庭の事情で錆びつき、先日の試合が終わってその問題が顕著になっていた。

 そこでクラスは考えた。他のクラスと差をつけてデザート半年無料パスを手に入れるにはどうしたらいいか。

 ――意外と簡単に答えは転がっていたりするものだ。

 静穂とセシリア。この師弟こそ他のクラスにない絶対的優位性だ。

 ISのプログラム面からのアプローチに成功し数日とはいえ休んでいた授業の空隙を微塵も感じさせない知識量。2回目の操縦で中級技術をも再現させるテクニック。

 ほんの一週間足らず師事した弟子がここまでやってのけるのならば、一ヶ月もあればどうなるか。

 箒は勿論反対した。「一ヶ月も二人きりでなにかあったらどうする!?」

 弟子も手を挙げた。「彼を廃人にするつもりか!?」

 箒の言葉は私事が入っていたが静穂の言葉で身を案じる意味にとられたようだ。

 何しろ師匠の授業は圧倒的詰め込み型。膨大な集中力と精神力を前提に成り立つものだった。静穂の自爆戦法も解放されるストレスから来たものではないかという説も出ている。

 一夏の場合、……30分と持たなかった。

 結果、一夏には被験者静穂監修の元で()()()マイルドに調整された補習授業が行われた。

 成果は、まあ、それなりに。

 そして今日は総括の日。運良く静穂もラファールの抽選を引当て二人揃って最後の授業だったのだが、

「一夏! シズも一緒じゃない!」

 鈴襲来。

 これに対してセシリアの機嫌が良い筈もなく、静穂としてはどうしたものかと頭を悩ます事になった。

 弟子の立場と友人の立場で板挟み。箒か鈴かセシリアか。

 一夏に懸想する女子で最も彼に近いのはこの3人。全員が静穂と面識があり、少しばかり他よりも親密だ。

 箒とはちょっとした契約がある。彼女は今席を外しているが、彼女の恨み言は説教に発展すると一夏の言。面倒なので避けたい。

 セシリアは友人を超え師弟の関係。ここ数週間は図書館や寮で一夏用カリキュラム作成を行ったりと仲は箒より深いかも知れない。……彼女と同室の女子には同情する。

 鈴は3人の中では新参だ。だが彼女のひた向きな姿勢には共感ではないが心を動かされる何かを感じる。イジメは勘違いだがそれでも彼女の行動はありがたかった。友人として尊敬できる。蔑ろにはしたくない。

 静穂は悩んでいる間、とりあえず一夏の近くにいればいいやと思考を投げていたがセシリアに軽く引っ張られ、

「静穂さん、貴女が最後にわたくしに頼んだ仕上げを行います。その間、彼女をお願いしますわ」

 そう言って一夏に寄っていくセシリアの耳は赤い。

(やる気だ!)

 その時点で立ち位置は決まった。

「鈴のISは赤いんだな」

「ふっふーん、どう? ウチの国の第3世代機」

「なんていうか、鈴っぽいな!」

「それ褒めてるつもり?」

「一夏さん!」

 セシリアが割って入った。

「セシリア、もう打ち合わせはいいのか?」

「ええ。その結果、最後の仕上げに入った方がいいと結論が出ましたわ」

(出てない出てない)

 ツッコミを表に出さず鈴の側に移動、ISの機動にはまだ慣れない。

 ぐるりと周るように鈴の所へ。気付いた鈴が手を出してくれる。ありがたく手を掴むと、くいっと簡単に引き寄せられる。

「PICだけで飛べるなんて上出来じゃない」

「ありがと」

「仕上げってなに?」

「これでわたしは飛べるようになりました」

 嘘ではない。けれど怖い。

「一夏さん。これまでで一夏さんは以前とは見違えるような進歩を遂げられました。ですがご自身だけでは完璧には分からない感覚、というものがあります」

「感覚って何だ?」

「簡単ですわ。『飛ぶ』という事です」

 その答えに一夏は首を傾げて、

「白式なら結構うまく飛べてると思うぞ?」

「そうですわね、そこには同意します。ですが一夏さんの『飛ぶ』には一夏さんだけしかいないのです」

 結論が分かっている静穂には回りくどいが、それを聞いている一夏も鈴も何故か引き込まれている。何故か。

「今の一夏さんには比較対象がありません。それと比べてみてどうか、あの時の間隔はこうだった、というトライアンドエラーが必要です」

「え、でもそれだと練習の最初のうちにやらないといけないんじゃないか?」

「その時の一夏さんはそ、そうそこまで行うレベルにまで達していませんでした。静穂さんも最後になるまで行いませんでしたから」

 静穂の名前を出してセシリアはこちらに目をやる。自然と静穂は鈴の肩に手を置いた。

(来る! 来る!)

 確認したセシリアは踏み込んだ。

「では仕上げを行いましょう」

 腕を上げ、胸を開く。

「さあ全てをわたくしに委ねてくださいな。わたくしと愛機ブルー・ティアーズの華麗な飛行をその身に刻み込んで頂きますわ!」

「ちょっと待てぇえええええ!!」

 

 

 ――そして現在に至る。

「で・す・か・ら、これは1組の練習ですので2組の代表はお引き取り願いたいと言っているのが分かりませんの!?」

「代表以前にあたしは一夏の幼馴染よ! そんなふざけた練習させられる訳ないでしょ!?」

「ふざけているのは貴女でしょう!? 折角落ち着くようにと側に寄ってくださった静穂さんを放り投げるなんて失礼にも程がありますわ!」

 駆け寄った一夏の隣で静穂は頭の土を払っていたり。

「あの子の性格からしてアンタがやらせたんでしょ!? 静穂は女子でも一夏は男! そんなだだだだだ抱きつくなんて幼馴染以外許されないわよ!」

 それだと箒も許可されるのだがいいのか。

「さっきから何の話で喧嘩してるんだろうな」

「…………きっとどっちが先に一夏くんと飛ぶかだろうね」

 この男は話が見えているのかいないのか。いや見えないから鈍感なのか。

(いや鈍感だから見えない?)

「なんだそんなことか」

「へ?」

 嘆息の後二人に向かう一夏。どうしてか静穂の手を持って。

「ならこうすればいいだろ」

「一夏さん?」

「えっ一夏?」

「わたしも?」

 あれよあれよと輪になった。一夏の左にセシリア、右に鈴、セシリアと鈴の間に静穂。

 毒気を抜かれたというか手だけで満足してしまったのか。二人が一気に沈静化していく。

(さっきまでの剣幕はどこ!?)

「難しいならみんなで教えてくれ。セシリアも静穂も鈴の飛び方は知らないだろうから一緒でいいよな?」

「は、はい……」

「あたしは別に……いいけど」

「いいの? いいけど」

 その後各々が順番に他3人を牽いて飛んだ。一夏と静穂の番で墜落しかけたが有意義な練習だったと思われる。

 

 

 土を被る経験はよくあったがそのままにしていい筈もなく。静穂は簡単にシャワーを浴びてから帰る事にした。3人は先に帰った。鈴など喧嘩していたことも忘れて手をつないで飛んでいたのだから一夏の魅力が凄まじい……のだろうか。

 今回は化粧道具も用意してある。顔の傷も問題なく処理を済ませ、織斑先生と鉢合わせた。

「こんにちはー」

「逃げるな。用がある」

 頭を下げつつ通り過ぎ、襟首掴まれ戻される。

 紙を一枚手渡された。

「クラスマッチの試合日程だ。恐らく更識は知らんだろう」

 言われて簪の名前を探す。3組対4組、初日第2試合。

1組(ウチ)の次ですね」

「試合の間に30分はあるが、第1試合の前にはピットに入っていてもらいたい」

「ピット?」

「貴様が模擬戦で使ったカタパルトのある部屋だ」織斑先生はもう一枚取り出す。「3番ピットに連れてこい」

 アリーナの地図には貴賓席など細かく書かれている。来客用なのか。

「質問はあるか」

「4組の人ではいけない理由など」

「4組はこの行事に消極的だ。それに貴様なら更識を強引に連れ出せるだろう」

 それはないと静穂は思う。声を掛けにくくて整備室で一晩明かした経験がある。

 それを織斑先生は「だからだ」と言った。

「それで貴様は倒れた。更識には負い目がある。最悪それを使え」

 嫌な切り札である。

「わかりました。質問はありません」

「では最後に」

 何かあるのかと身構えそうになった。

「一度教室に戻っておけ。優しい師匠からのプレゼントが出来上がっているぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日、初めて同居人を迷惑に思った。

 最初は互いに不干渉を貫いて、いつしか一緒にビデオ鑑賞会を開き、勉強して、風邪の看病をする様にまでなった。

 それでも基本は相手に踏み込まない。そんな関係だったのだが、

 今日、彼女は大会に出場するように言ってきた。

 織斑先生からのメッセンジャーだが関係ない。自分勝手だが彼女ならそんな役割突っぱねてくれるだろうと想像した。

 しかしあの先生は上手だった。

 彼女はいま姿見の前でくるくると回っている。

 マントの改造制服はクラスからのプレゼントだと言う。彼女のコンプレックス克服を願ってのものだろう。

 彼女は同室になって以来の上機嫌で、こちらの事まで気が回らない様子だった。いつもの彼女ではなかったのだ。

 だから先生からの伝言を伝えると顔色が反転した。プレゼントに話題を切り替えさせてからは上向きに戻ったけれど。

 ……弟が弟なら姉も姉か。

 事実、言われるまでは出ようなどと考えもしなかった。

 結局作業は間に合わず、限界も感じ、彼女でなければ当り散らしていたかもしれない。

 もしもボイコットしたらどうなるだろうか。

 クラスは問題ない。では彼女は。

 ……責められるだろう。役割を果たさなかったと見なされるだろう。

 くるくる回る彼女は明日が待ち遠しい。

 そんな彼女の機嫌を損ねたくないと思うのは、機体についての諦めがつき、余裕が出来たからだろうか。

 ……………………。

 彼女の為に、言う事を聞こう。

 先生の意思は、関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日が来た。

 一夏と鈴にとってはこれまでの蟠りに決着をつける場ともなるだろうが、他の生徒からすればお祭り騒ぎと変わりない。

 静穂とて多分に漏れず、寧ろ中心に近い。

 クラスから受け取った改造制服を着て心躍らせる隣には神妙な面持ちの簪が歩いている。言ってから彼女の実情を思い出し後悔したが、こうして案内に促されてくれるのは素直に嬉しい。道順など分かっている筈だろうに。

 だが心配なのは簪の専用機だ。未完成である以上、彼女には訓練機しか手段がない。

 聞いてもいいのか悩んでいると、一ヶ月で培われた間柄か読まれてしまった。

「大丈夫、打鉄を使うから」

「打鉄ってことは接近戦?」

(あおい)を外してその分に焔備(ほむらび)を入れるつもり。打鉄なのは一応の義理があるから」

 未完成をポイッと渡されておいて義理があるのだろうか。

 会話を弾ませながら到着するとここからでも観客が湧き上がるのを耳にした。

「始まった?」

「うん、だと思う」

 携帯電話の時計は試合開始時刻を過ぎていた。戻るとしても5分はかかる。

「それじゃあ」

「まった」

「何?」

「専用機、今度見せてね」

「! ……わかった」

 簪はピットに入って行った。

(……まずかったかな?)

 専用機はタブーだと分かっていたが、道中の彼女を見ていたら、今のうちに言っておかなければと思ったのだ。

 簪のISについては特に締切などはないのだから、次の機会に間に合わせればいいという考えからの一言だった。次というと学年別トーナメントか夏の合宿か。

 他にも「頑張れ」など言えたが静穂の立場でそれを言うのは、

(ダメだよねぇ)

 静穂は1組、簪は4組。さらに1組の代表は簪の専用機を実質奪っていった一夏だ。友人としての「頑張れ」と受け取ってくれるか定かではない。

 というか他人が言う「頑張れ」と言う言葉は無責任に受け取られるというのは本当だろうか。

 ならばせめて、二人の間だけで共通の、それでいて緊張を解せるような言葉、

 

――専用機はとりあえず置いといて、今は試合で楽しく飛ぶ所を見せて――

 

(なんであんなに短縮したああ!?)

 発声練習は大事だ。あと度胸も。

 後悔しつつも応援席に行かなければ。1組の応援席はここからでは遠い、アリーナ4分の1は距離がある。

(一応言ってはおいたけど、遅刻なんだよね)

 とにかく客席に上がる必要がある。幸い周囲には先輩の女子が一人いる程度、走っても迷惑は掛からない。

 走りだす、その一歩目で、

 

 

――目の前に女子が立ち塞がった――

 

 

「――こんなに早くとは思わなかった」

「……へっ?」

 リボンの色は3年を示す赤。静穂に3年の知人はいない。

 それでも彼女は確かに静穂の進行方向を塞いでいる。

「ここにいるとも思わなかった」

「先輩?」

 名前も知らないのに、顔も見た覚えがないのに。

 ……雰囲気だけは知っている。身体の芯が判っている。

 相手が憎くてたまらない、消えて欲しくて身が焦げそうな、

(なんでこんな、)

 ――敵意を向けられなければならないのか。

「だってそうでしょ?」

 

――男がどうしてIS学園(ここ)にいるの?――

 

「っ!?」

 先輩少女が虚空から剣を取り出す。ISの拡張領域。

 分厚く長く幅広い。重量も相当であろうそれを片腕のみに展開したISで見せつけるように静穂へと向ける。

 床の段差でたたらを踏む。大質量からくる威圧感と、身体の奥底から噴き出す既視感が静穂を進みも下がらせもしない。

「5年前」

 切先が持ち上がる。天井を割り砕き破片が落ちてくる。

「ちゃんと覚えてるでしょ?」

「何をですか……?」

「忘れたなんて言わせないっっ!!」

 怒気を孕んでいる声に身じろぐ。

「お前のせいで姉さんは狂った。お前さえいなければ姉さんはあんなことしなかった。お前さえいなければ辛い思いもしなかった」

 声色とともに大剣が震える。

「――――死ね」

「静穂!」

 振り下ろされる大剣は静穂を潰さなかった。

 先程躓いた段差はガイドレール。左右の壁から合金製の壁が通路を遮断した。激突音がくぐもって連続する。

「……え、え?」

「来て!」

 ただ呆然と手を引かれるまますぐ近くの部屋に連れ込まれる。

 引かれていた手が自由になると、静穂はその場に崩れ落ちた。

(殺され、えっ? 5年前? あの人はどこかで? 見た? いつ?)

 

 ()()()

 

「静穂!!」

「っわ!」

 耳元で簪に叫ばれてようやくの正気。

「簪ちゃん? え、ここどこ?」

「さっきの第3ピット。大きい声がして、出てみれたら静穂と加畑(かばた)先輩がいて、加畑先輩はISを展開してるし」

 あの先輩は加畑と言うらしい。

 簪と加畑先輩とは知り合いなのだろうか。

「同じ日本の代表候補生」

 納得した。それなら専用機を持っていても説明がつく。それでもあの大剣は人に向けていい代物ではないだろうが、

(やるだけの理由はある。わたしでも、この理由があれば絶対にやる……!)

「静穂」

 肩に手を置かれて、目を合わせて、

「話して」

 簡潔で分かり易い。そして一番困る言葉だった。

 目を逸らせない。彼女の真剣な眼差しがそうさせるのか、それとも静穂の幾分もない男の部分が惹きつけられているのか。

 迷った。加畑が自分と関わりがある以上、執るべき態度は一つと決まっているのに。

 自分の口を開いて飛び出したのは、意思と全く逆の羅列だった。

「……本当は言えない。わたしは国の要人保護プログラムを受けていて、これはプログラムに抵触する。簪ちゃんの自由には監視が付く」

「…………」

 無言。沈黙。肯定された。

 せめて眉一つ動いてくれればやっぱりダメだと拒絶も出来ただろう。師匠曰く代表候補生という存在は認定される際に様々な教練が課されるという。

 彼女は日本の代表候補生だ。

「……わたしは、あの人の、」

 

 

――お姉さんを、殺した事がある――



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18.彼に優しくなどはなく ②

 地下駐車場の壁、壁と壁の間を走るパイプライン整備用の小さなハッチの中で、小さな子供が息を潜めている。

 子供にはその身を守ってくれる大人達がいたが、今はもういない。

 太っていても自分より早く走れると豪語していた男は腹を皆既日食のように吹き飛ばされた。

 女尊男卑の昨今では珍しく男女平等を掲げ常日頃から分け隔てなく優しく接しなさいと説き続けた女はもう元が男だったのか女だったのかそもそも人だったのかすら分からない。

 ハッチの中に自分を押し込んで助けを呼びに行った男はどうなったのか、血こそ流していなかったが咳き込む息からは煙と鉄の匂いが混じっていた。長くはない、確実に。

 誰もいない。パイプを通す為か壁と壁の空間は広いようで銃声が反響していた。

 今は、ただ無音。

 ハッチはしっかりと外から閉じられて光を通さない。通すという事は誰かが子供の存在を知っているという事だ。

 だからそれが開いた時、

「よく頑張った、偉いぞ男の子。ご褒美にお姉さんのハグをプレゼントだ」

 ――心の底から助けを求めた相手の顔は、何よりの救いだった。

「……これじゃあ私がご褒美貰ったみたいだね」

 

 

 少年と女性の付き合いは長かった。彼女がIS日本代表強化選手に選ばれるまではほぼ毎日を共に過ごしていた。

 女性はISスーツを着ているのか身体のラインが露わになっているが今の少年にはどうでもよかった。

 大好きな彼女が助けに来てくれた。忙しく電話も許されない状況下から自分を助けに来てくれた。

 今までの恐怖を塗り替えるように、幼い心は暖かさで満ちていく。

 暗闇から脱却し、片手に拳銃を持つ彼女の元へ。ヒトの柔らかさとISの厳つさに包まれる。

「大丈夫。この(IS)は私と、大切なキミを守ってくれる素敵なものだ。だからキミが泣くことはもう――」

「……お姉ちゃん?」

 地下の空間に風が吹く。相応の質量が少年の頭上を通り過ぎ、彼女の身体が離れていく。

「……?」

 金属の擦れる音に目をやれば、少年の身の丈を丸々隠せそうな幅の大剣が転がっていて、

 横たわる彼女の顔は、

 

――下顎を残して上が消し飛んでいた――

 

「――ッ、上にズレた」

 そう言って人影は崩れおちた。

「あとちょっとなのに電池切れなんてありえない! しかも散々人に撃っておいて勝手に逃げるわ簡単に死ぬわでこっちの予定丸潰れよどうするのこれ!!」

 唯の重石となったISを脱ごうともがく女の影。

「私はね、正しい事をしているの。間違いを正そうとしているの! それなのにどうして皆は邪魔するの!? あっちゃいけないものをどうして皆は放っておくの!?」

 引きずるようにして四肢を引っ張り抜こうとする女を、

「私は絶対に許さないあの子供はいちゃいけないもの生まれてきちゃ駄目だったものだってそうでしょだってあの子は――」

 ――乾いた破裂音が地下に響く。

 少年が耳を塞いでも届き続けた音を彼自身が鳴らし続ける。

 女の影が動かなくなっても引き金を引き続けた。遊底が戻らなくなっても引き金を引き続けた。

 これが、5年前。

 静穂が静穂になる前の、5年前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……5年前、わたしはISを使って殺されかけた。仲の良かったSPの人達は全員殺された。その時助けてくれたのは強化選手だった元SPのお姉ちゃん。相手を倒して探しに来てくれたけど、ISはもう機能が止まっていて、最後に相手の投げた剣で死んだ」

「その妹が、加畑先輩……?」

「わたしを殺しに来た方の妹だと思う。あの剣のディテールがその時の剣とそっくりだったし、お姉ちゃんは一人っ子だって聞いてたし」

 二人、手を止めず、背中合わせに言葉を交わす。

 簪はISにプログラミングを施し、静穂はラファールを駆り扉の前にバリケードを構築していく。

 本当なら逃げるのが正しい選択だろうが、相手は専用機持ち、生身のほぼ素人と未完成ISでは機動性で簡単に捲られる。外に逃げる手も考えたが開かない。

 ならば迎え撃つしかない。幸運にも籠城しようとすれば出来る体制がこの空間には存在する。

(でも……)

 できるのか、自分達に。

 相手は3年の代表候補生。実力も自分を遥かに超えて専用機もある。相手の性格も傾向も以前あった代表候補生の講習で知ってはいるが、だからこそ逃げられないと頭から理解した。

 激情型。それもギリギリまで押し込めて爆発させるタイプ。

 念の為に反対側も隔壁を作動させていなかったらと思うとどうなっていただろうか。

 そこでふと気づいた。

(なんで、反応がないの……?)

 隔壁が閉まる理由は大まかに三つだろう、誤作動か、火事などの緊急か、悪戯などの故意か。

 だが理由はどれにせよその周囲には警報やアナウンスが流れて当たり前ではないだろうか。

 加畑先輩が先に仕込みを入れたのか? それはない。彼女はそんな回りくどい事はしない、性格上ありえない。

 もしそこまで気が回るのならばこんな簡単に静穂に切りかかるとは到底思えない。

(ならどうして?)

 簪の疑問は、突如起った事態で解決する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――少し遡って。

 織斑 千冬は眉を寄せた。

「隔壁が閉じた?」

「はい」山田先生が報告する。「3番ピットの周囲2か所。孤立させるように隔壁が作動したそうです。今、警備担当の子達が向かっています」

 聞いて千冬は腕を組む。アリーナ管制室の向こうでは一夏と鳳が文字通り火花を散らしている。

「警報は鳴らないのですか? 近隣に通話やアナウンスは?」

「どうやら作動していないようです。2・3年整備科のみなさんが調べてくれていますが、どうやら元から書き換わっているようだと……」

 書き換わる? IS学園のセキュリティが?

 世界唯一のIS関係者育成施設がそんな簡単に外部からのクラッキングを受けるなどあり得るのか。

 内部の犯行も考えたがそれは不可能だ。学園にいる人間の大半は学生で、そこまでの技術はない。大人にしてもセキュリティに触れるというレベルの行動ならばどんなに海外を経由したところで出発地点はここだ。ほぼ必ず該当が割れる。

 消去法で外部犯。それも世界で十といない天才(ウィザード)級が複数人で手を組んだレベルの。

 非常に残念ながら千冬には心当たりが存在して、

 

――その心当たりがアリーナのバリアを吹き飛ばした――

 

「!? あっお、織斑君! 鳳さん! 逃げてください!!」

「…………あの莫迦は」

 咄嗟に生徒の心配をする山田先生に対し、千冬は眉根に指を寄せた。

 しばらく音沙汰なければこれか。0か1か、その差が大きすぎる。

 溜息一つ、周囲の確認を行う。

「アリーナ担当、何が落ちたか分かるか?」

『アリーナ上空班、シャヘトです! センサーに出た途端バリアに激突しました! ISなのは確かでしたが所属形式識別不能です!』

「突入は可能か」

『激突直後に張られたバリアが強固すぎて全員の手持ちを合わせても弾薬が足りません!』

「では周囲の警戒を続けろ。次が来ないとも限らん。内側はこちらで対処する。外は任せるぞ」

 以上、と言って通信相手を切り替える。管制室の外を見ればパニック状態の観客を覆うように防護壁が閉まっていく。

 一つずつ封じていくつもりだ。通信は使えるうちに済ませる必要がある。

 次に掛けようとした所から逆に来た。

『織斑先生』

 更識 楯無だ。

「そちらの状況は」

『私が閉じかけた隔壁を無理矢理維持しています。一通路分は確保しましたがお蔭で身動きがとれません』

「そこから救護班を通せ。じきに連絡は取れなくなるのでその後は任せる」

 生徒に投げっぱなしになるが仕方ない。それにしても一機で止められる隔壁にも問題がある。根本的な見直しが必要だ、色々と。

『承知しました。…………それと』

「何かあるのか」

『簪ちゃん、いえ、更識さんは無事かと』

 千冬は少し自分の口角が上がるのを感じた。

 IS学園最強である生徒会長でも人の姉かと思うと微笑ましい。だが無駄な希望を持たせてはいけない。

「不明だ。控室を兼ねたピットが真っ先に隔壁が閉じた」

『……ありがとうございます』

 

 

「一夏、コイツ一体何だと思う?」

「俺に聞いても分かる訳ないだろ」

「それもそうよね」

 土煙が晴れて浮かんでくるシルエットは二人が見た事のないシルエットだった。

 灰褐色の全身。一夏と鈴のISよりも一回り二回り大きい脚部装甲には足首がない。

顔の部分はカメラアイ……らしき部品が回転と旋回を繰り返す。

 それよりも最も異彩を放つのは両腕。首から頭まで固定するように伸びた肩部、ISの延長された等身でもなお地に突いた巨腕。

 異形がその場から拳を向けてくる。それを見て二人は、

「やる気みたいだな」

「一夏」

「どうかしたか?」

「一時休戦。どう?」

「……賛成」

 掌が開き、セシリアのそれよりも太い光学兵装が放射された。

 着弾を(ひら)けて回避し、異形に突き進む。

『邪魔するなぁあああっ!!』

 

 

「落ち着いてください山田先生。コーヒーでもいかがですか?」

「織斑先生は落ち着きすぎです! …………それお塩ですよ?」

 何故ここに塩があるかはさておき状況は安定していると見ていいだろう。

 最も問題である一夏と鳳は相手の正体が知れている。一夏はともかく鳳が危険だがそうなったとして一夏が何とかする。

 隔壁は整備課が解析中だ。マスターの電源を切断してISが手ずからこじ開ければいいと考えたが後始末を考えて却下。何より切断を行える人間がこうして閉じ込められている。外の生徒達に任せた方が早い。もうやる事がないのだ。

 だからこちらに向かってくる生徒を見て溜息を吐くのは仕方がない。

「織斑先生! 出撃許可をください!」

「私もです!」

「まずオルコット、その必要はない。次に篠ノ之、専用機のない貴様が使えるISはこの場にはない」

 うぐ、と詰まる二人。だがすぐに返してきた。

「ですが一夏達だけでは不安です!」

「専用機でもなく搭乗時間の少ない貴様が行っても足手纏いだ。それに隔壁が開いたとして賊の張ったバリアは外の警備担当が総火力を以てして破れん代物だ。オルコット、貴様の機体は火力特化型だったか? だとしても厳しいだろうがな」

「そ、うですか……」

 何かを飲み込む篠ノ之。だがオルコットはまだ何かあるらしい。

「でしたらせめて静穂さんを探す位はさせてください! 誘導の仕事があると出て行ってまだ帰って来ておりません!」

「汀が?」

 言われて千冬は気付いた。

 最初の異変は第3ピットの隔壁封鎖。その後のIS侵入、アリーナ周辺の隔壁封鎖。

 

――なぜ第3ピットの隔壁だけ先に作動したのか――

 

 ……通信を入れる。相手は更識 楯無。

『あら先生、簪ちゃん見つかりました?』

 少し余裕を取り戻したようだ。

「その件でもある。綿貫(わたぬき)は近くにいるか?」

『はい。虚ちゃんも一緒です』

「綿貫のISは?」

『いつものように打鉄ですけど』

「なら伝えろ、急ぎ第3ピットに行け。隔壁は斬っても構わん。人命救助だ」

『! わかりました』

「私も向かう。以上。――オルコット。近接用ブレードは装備していたな?」

「はい!」

「貸せ、ついてこい」

「先生、私は……」

「篠ノ之はここで待機。山田先生のサポートをしろ。いいな?」

 山田先生の激励を受けて千冬は行動を開始する。

 たとえ間に合わずとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごい音だね」

「うん……」

 部屋中に反響する激突音はアリーナからか通路からか分からない。ただ音が途切れた瞬間から覚悟を決めないとならないのは分かる。

「ありがとう」

「?」

「助けてくれて」

 静穂はそう言って口を閉じた。

 本当ならば、簪は逃げるべきだ。自分とは全く関係がないのに。

 あの時、加畑から逃げなければ簪は巻き込まれずに済んだのだろうか。

 一人にならなければ加畑は諦めたのだろうか。

 彼女は自分をどうやって知ったのか。どう思って今まで生きてきたのか。

 息を吐いて切り替える。所詮は栓なき事だ。

「友達だから」

「へ?」

「友達だから、放っておけない」

 隣を見れば、簪が微笑みかけていて。

 隣の彼女にどう謝罪すればいいとかもしも彼女に何かあったらどうしようとか、新しくそう考えていた静穂の頭の中は簪のその表情で、

 

――眼前のバリケードと同じように吹き飛んだ――

 

「っ! 撃って!!」

 簪の号令一閃、静穂は両の指に掛かった引き金を引き絞る。

 揺れる上体。軋む6本足。薬莢が早くも足元に積り始め回転する砲身は赤く熱を帯びていく。

 25mm7連砲身ガトリング砲4門。クアッド・ファランクス。

 ISから翼を奪い兵器としての側面を色濃くしたそれを見て篠ノ之 束は何と言うだろうか。今の静穂には関係ないが。あったとしても後でゴメンナサイと言うしかない。製作にかかわった訳でもないけれど。

 ――死にたくない。

 すべては5年前。殺されかけて、救われて、失って。

 今まで出会った他の誰よりも大切に想う彼女によって自分は助けられた。

 そんな彼女を犠牲にして永らえた自分を恨んだ事もある、捨てようと思った事もある。

 でもそれは彼女を無駄にする事と同義だと気づいて。

 だからこそ。

 殺してでも、生きる――

「――――――へ?」

 突然に、視界が横へ。簪の方へ倒れこむ。

 斜めに斬られた砲身が、錐もみ状に視界を飛ぶ。

 その向こうに、

 彼女を斬った大剣を携える敵が見えた。

「しず――」

 隣で焔備を斉射していた簪は振り向くより先に大剣を打ち付けられて飛んでいく。

 息を整えた加畑はファランクスの斉射を受けて満身創痍といった姿だが、背筋は伸びその様子からは微塵も油断を感じさせない。

 機体のベースは打鉄なのだろうが肩部に装備された非固定部位(アンロック・ユニット)の盾がない。

 加畑を守った大剣は削れ、ひび割れが入り、刃こぼれを起こし、最初に見た時よりもその体積を著しく減少させていた。

 加畑は大剣を撫でて呟く。

「ありがとう、姉さん」

 横倒しになった静穂を加畑は蹴りこんだ。PICと4本の補助脚で支える重量から簪のようには飛ばず、静穂はその場で咳き込む。

「一か月、ずっと待ってた」

 

――お前をこうする瞬間を――



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19.彼に優しくなどはなく ③

 隔壁が閉じたアリーナで闖入者との無観客試合は二人を確実に疲労させていた。

 未確認機が徹底して受けに回っているのだ。

 決して自発的な踏み込みを控え遠距離では掌の光学兵装、近距離では一本が葵程もある爪を振り回す。一夏と鈴の攻撃は巨腕で受け止め回避はあまり取らない、根本的に移動速度が遅いためだろう。

 そして装甲の防御力が攻撃している筈の二人を消耗させていく。

 こちらは一発当たればアウト。向こうは何発受けてもノーリアクション。

 鈴は明らかに苛ついていた。

「何考えてんだろうな」

「……遊んでるんでしょ」

 一夏の言葉もそこそこに、相手をどう料理するか考える。

(双天牙月も龍咆も効果が薄い。だったら叩きまくるだけなんだけど一夏の分も含めてかなり削ってるのになんで反応薄いのよ)

「なあ」

「なによ!」

「早く終わらせたいんだけどいい案ないか?」

 いきなり何だこの幼馴染は。

「今考えてたのを邪魔したのはアンタでしょ!」

「どうせ力任せのゴリ押しだろ?」

 鈴の顔が赤くなる。図星を突かれた。

 あの木偶より先に撃墜してやろうかと思ったが、一夏の表情に毒気を抜かれる。

「うん、いつもの鈴だ」

 ――反則だ。顔が熱い。

 だが幼馴染はそんな事お構いなしに本題へ。

「ここよりヤバイ場所がある」

「は?」

「管制室に千冬姉がいないんだ」

 言われるがまま鈴はハイパーセンサーを向ける。

 確かにいない。と同時に少し引く。以前からシスコンの気は心配していたがここまで進行していたか。

(やっぱり1年も離れるんじゃなかった……。こうなったらあたしの大人のミリョクで……)

「千冬姉はこのアリーナの警備責任者だ。それであのISを放っておいてどこかに行くなんてあり得るか?」

「……え? そっち?」

「他にあるのか?」

(でも仕事で呼ばれて……この状況でそれはないか)

 一人で踊っていた鈴は改めて相手を見る。沈黙する様は正に石像だ。だが一度剣を交えれば危険極まりない。一夏と自分のエネルギーが十分に残っていたとしても危険度を見れば大差ない程に。

 一夏の考えは正しいのだろう。返り討ちの可能性と隣り合わせでも自分たちが押している現状ならば。

 だがなによりも一夏に頼られている。それが鈴には一番大きかった。知らぬ間に冷静さを取り戻し彼女らしさを発揮する。

「よし、ならアンタはヤツを引っ掻き回しなさい。ヤツ相手でアンタと白式ならヒットアンドアウェイも簡単でしょ」

零落白夜(れいらくびゃくや)はどうする? 使えてあと1回なんだが」

「千冬さんのお下がり必殺剣? あたしが合図を出すまで温存。タイミング合わせなさいよ?」

「分かった、任せろ」

 再び対峙する。石像は動かず。

「……目の前で作戦会議されてたのに余裕ぶっこいてくれるじゃない?」

「またキレかけてるぞ鈴。まあ無人機だしこの距離ならこっちから行かないと反応しないみたいだな」

「最初から離れていれば良かったわね…………、一夏いま何て言った?」

「じゃあ先に行くぞ!」

「一夏!? 無人機って何!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!」

 焔備を放つ。事前に貸し与えられて調整の行き届いたFCSは的確に加畑の側面を叩く。

 加畑は剣を盾に。構わず撃ち続けている合間にも大剣はその体積を取り戻していく。

(再生能力!)

 原型となる打鉄の肩部装甲は被弾の最中にも修復されていくのが目に見えるほど再生が早い。

 加畑の改造打鉄はその装甲をオミットし代わりに大剣にその性能を付与したのだろう。

 攻防一体。現役時代の織斑先生とは異なる剣一本のスタイル。

 剣を翳して突き進み――

「――ラぁッ!!」

 力任せに叩き付ける。

 避ける余裕など与えられず、簪はもう一度壁に激突した。

「……結果だけ見ればいい話よね」

「簪ちゃん!」

 静穂をよそに加畑は続けた。

「最初はアンタが気に入らなかった。更識の妹だからって専用機まで簡単に貰えて、憎くて堪らなかった。私が専用機持ち(ここ)まで来るのにどれだけ苦労したか」

 だが、

「蓋を開ければっての? 倉持技研も粋よね、未熟者には未完成品で十分って。飛べないガラクタでも専用機、突き返すなんてできないんだから」

「…………」

 簪は押し黙る。反論する必要はない。

 言わせておけばいい。事実ではあるのだ。自分が姉より劣っているのもそうで、未だ完成の目途がないのは織斑 一夏を優先した倉持技研にもあるが今は自分ひとりで完成させようとするエゴだ。

 姉には出来た。負けたくない。それだけだった。

 事実、技研からは連絡があった。謝罪と提案、もう一度機体を預けてほしい。

 断ったのは怖かったから。今更になって、とも思ったし、

 一度渡してしまうともう手元に戻らないと思ってしまった。

 技研は織斑を優先した。似たような事態が他にないと言い切れるのか。簪のものだったISを他者に渡す事態がないと誰が言えるのか。

 ISコアは世界でなによりも貴重だ。魔力に近い魅力すらある。

 簪もその魔力にとり憑かれた一人だ。

 姉に近づき、証明する。自分は無能ではないと。

(でも)

 一か月前に、自分を曲げていれば、

 

――静穂(ともだち)を助けられたのか――

 

「簪ちゃん!!」

「――っ!」

 瞬時加速で右へ。大剣が壁を切り開く。

「パス!」

「えっ!?」

「銃! 貸して!」

 言われるがまま片方の焔備を使用制限解除の後、投げる。

 途中から床を滑り彼女の手に。静穂は手早くセーフティと残弾を目視で確認する。まだ彼女は横たわったままだ。

「起きれないの!?」

「今起きる!」

 加畑から瞬時加速で逃げる。ピット内はそこかしこにISの部品が散乱していた。通常は部品の修理に専念されているのだろう。他のクラス代表が使うであろうラファールが一機動かせただけでも重畳と言える。

 足元は弾薬も散らばって危険だ。だから突如爆発が起こった時は加畑も身構えた。

 その隙を簪は見逃さなかった。大剣を押しのけて焔備の引き金を引く。

 加畑のシールドエネルギーが大きく削られた。だが今の加畑との距離はまずい。

「この、」

「引いて簪ちゃん!」

 爆煙の薄まらぬ向こうから檄と銃弾が飛んでくる。

 静穂の助けを借りて離れる。形勢は2対1。それでも不利。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 篠ノ之 箒は苛立っていた。

 その原因は本人にこそ分からないもので、分からないという事実がさらに苛立たせた。

(一体なんだというのだ)

 眼下では一夏と鈴が未確認機を圧倒している。隣で見ている山田先生も真剣な面持ちを崩す事はないが、口から出るのは二人の優位性を示すものばかりだ。

(胸が苦しい)

 それは未確認機から来る不安なのか。

 違う。これは怒りだ。

 それは物言わぬ巨像にか、息を合わせて飛翔する二人にか。

(――違う。これは私に、)

 自分に対して怒っている。

 こうしてこの状況下に於いて、

 自分が何もしない事に腹を立てているのだ。

 だからと言って今の箒に出来ることなど簡単に見つかりはしないのだが、

 それは山田先生の一言で見出す事になる。

「やっぱり、硬い……」

「え?」

 箒の声に山田先生は口に出していたと気づく。

 独り言を聞かれた先生は顔を赤くしながら、「織斑君と鳳さんはチャンスを待っています。でも相手の防御が硬くて、踏み込む切っ掛けが掴めないんです」

「一夏が飛び回っているのもそうなのですか?」

「織斑君は鳳さんよりもスピードがある機体に乗っていますから牽制のためでしょう。窺っているのは同じでしょうけど」

 切っ掛け。

「……こちらからなら」

「え?」今度は山田先生が聞き返した。

「外からの要因でも切っ掛けにはなりますか?」

「え、はい、可能だとは思いますが」

 ただ立ってはいられなくなった。

「篠ノ之さん!?」

「放送席に行きます!」

 不安と恐怖で澱んだ観客席を走る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾度と斬り飛ばされ壁に打ち付けられて、とうとう打鉄のシールドエネルギーがゼロになる。

「わたし一人が狙いなんじゃなかったのか!?」

「見られた以上は更識も殺す! 悪いとは思わない!」

 簪は静穂を見る。状況は絶望的方向に転じていた。

 静穂は近くのIS部品を盾に使い回避に専念している。彼女の焔備にも自分の打鉄から給弾されていたが、その打鉄が機能を停止したのでもう弾は今のマガジン分しかない。足元の弾薬は規格が合うか不明で、また一発一発拾う余裕もそれに合う火器を探す猶予もない。

 つまりここからは二丁の焔備を使い静穂一人が簪を守りながら戦わなければならないのだ。

 さらに弊害が付きまとう。静穂のラファールには推進器がない。クアッド・ファランクスを装備するには翼をもぎ取る必要性があった。

 静穂がPICのみでの飛行技術を習得していたのが救いだ。床に散在する部品群を拾い上げて加畑がリアクションを取るようにわざと当て攻撃タイミングを遅らせその間に距離を離す。

 加畑のシールド残量は不明。だが彼女自身の怪我の具合からみてあと少しなのだと推測できる。回復させたくはない一心で攻撃を続けていたが、それより先に補給元の簪が断たれた。

(後はもう焔備とマガジンが2つだけ……)

 今は2人とも足を止めて膠着している。加畑としては代表候補生でもない素人1人なのだから落ち着いて対処するだけなのだろう。

 静穂が肩で息しながら口元を拭う。

「簪ちゃん」

(っ!)

 突然手元から声が聞こえた。右手中指の指輪、自身の専用機、打鉄弐式。

 そっと耳元に。

「プライベート・チャネルだっけ? 使い方、聞いておいて良かった」

「どうして」

「逃げて」

 簪は目を見開いた。今更になってどうしたと。

「逃げて助けを呼んで来て。簪ちゃんもいたからなんとかなったけどわたし一人じゃあ無理」

「まだ打鉄弐式が――」

「飛べる? 武器は?」

 息に詰まる。現実を突きつけられる。

「シールドがあれば出口まではなんとかなる、わたしがなんとかさせる」

 それに、と。

「死にたくない。それより死んでほしくない」

 だから、

「逃げて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもう硬い! 一夏! まだバテないでよ!?」

「任せろ! でも合図まだか!?」

「言ってすぐ焦れるな!?」

 

 

「……大丈夫」

「静穂?」

「簪ちゃんの晴れ姿見るまで死ねないから」

「っ!?」

 

 

 壁の向こうで、一夏が命を懸けている。

 自分にも出来る事がある。彼の役に立って見せる。

 箒は大きく息を吸った。

 号砲として。鼓舞を込めて。

 たった一人、彼のために。

「一夏ぁっ!!」

 

――男なら、ここでやらずに何とするっ!!――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ? 今の箒か!?」

「見て!」

 巨像がたじろぐ。センサーが声の発生源、どこかにあるスピーカーを探して蠢く。

 それを見逃すパートナーではない。

「――ナイスよポニーテール!」

 瞬時加速で肉薄し、下から最大出力の衝撃砲を放つ。

 肘からかち上げられた腕部に青龍刀を一閃、断ち切った。

「一夏!」

「零落白夜!」

 白式唯一の武器が姿を変える。雪片弐型の刀身が開き、白く輝く新たな刀身を展開する。

 鈴に爪が襲いかかった。

 難なく青龍刀で受け止める。

 目の前にはだらしなく伸びた巨像の隻腕――

 光り輝く雪片はあっけなくその腕を根本から切断した。

 その輝きはまだ消えない。

「一夏! トドメ!」

「おお!」

 二人で体勢を整える。軸は同じくだが逆回転。

 青龍刀と日本刀。重なり交差するように、

『これで、寝てろっ!!』

 ……切り筋も入射角も関係のない二人のフルスイングは、不細工なミロのヴィーナス像をアリーナの壁にバウンドさせながら激突させた。

 砂塵をまき散らす向こうで巨像が崩れ落ちるような音が響く。

 その音を聞きながら一夏は、

「悪かったな、鈴」

「え……?」

 突然の謝罪に鈴は戸惑う。

「1年ぶりだってのに、あんまり相手出来なくて。お前以上に久しぶりな相手がいたからさ、二人もいっぺんにまた会えるなんて思ってなくて、舞い上がってたんだと思う」

「一夏…………」

 だから、と一夏は腕を突き出す。

「久しぶりに話をしようぜ。1年ぶりに、何があったか聞かせてくれよ」

「…………」

 少しおいて、鈴は拳を合わせた。

「あの金髪カールと箒って子も一緒にとか考えてるでしょ?」

「すごいな! なんでわかった?」

「……何でもなにもないでしょこのデリカシーばか!!」

 刃物を振りかざす痴話げんかが始まる中で、

 砂埃は未だ消えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ちのめされた壁の向こうで、私は見た。

 首の曲がったビスクドール。

 私が寄り添う彼女が愛した、

 

――愛された彼の、



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20.彼に優しくなどはなく ④

――一夏ぁっ!!――

 

「!?」

「っ走れ!」

 遠くから、防音性も何もかも失われたピット内に声が響く。

 知らない声だった。外でも何かあったらしい。

 ……それよりも今は更識妹をなんとかしないといけない。

 この女装男は走れと言った。というか叫んだ。

 実際に更識妹はボロボロの出口に向かい走り出していた。

(野郎!)

 余計な真似をする。予測はできただろうに私はそれをしなかった。

 一か月、奴を見てきたのに。行動も、分かっていたと思っていたのに。

 いつもどこかで一線引いて、それでも結局引き回されて。

 今回は逆だ。

 更識妹が逆に巻き込まれた。

 だから守ろうとするのか。私が狙っているのは自分だというのに。

 必死な顔してバカみたいだ。

 私の姉さんを殺しておいて、

 ――今更真人間みたいな事をするな!!

 ――この人殺しが!!

 

 

 吼える加畑が掛けてくる威圧感は簪の足を止めかねかい程だった。

 盾になるように静穂は動く。牽制に焔備を撃ち切りつつ空いている手を伸ばす。

「――パス!」

 彼女は一瞬肩を震わせて、それでも2度目は難なく銃が飛んでくる。

 もう一丁の焔備。銃の上部分を掴み、スナップで回転、正しく持ち替える。エアガンで手慰みにやっていた遊びが実を結んだ瞬間である。

 開いた腕は戻さない。そのまま次の動作に進む。

 加畑は正直分かりやすい。

 ……それこそどうして代表候補生にまでなれたのか不思議な程に。

 いや単純な動作を突き詰めていったからこそなのか、それともこの威圧感の持ち主だからなのか。そんな事、今の静穂には考えもしないが。

 加畑は瞬時加速で突っ込んで来るがそこには限度があった。

 ある程度の距離まで来ると瞬時加速から通常速度に戻りつつ回転を始めるのだ。

 近づくまで盾として扱っていた大剣を剣として扱い、最大限の破壊力を乗せるための決まった動作。

 単純だが極めて練度の高いそれは、今回も同じだった。

 静穂は開いた腕を、肩ごとぶつけに行った。

 瞬時加速で速度の乗った加畑とPICのみの低速移動ラリアットがぶつかり合う。双方のシールドが削れ静穂は身体を引き込むように巻き付いた。

 瞬時加速中の方向転換は身体に負担がかかるのは急ブレーキ中に身体が前に持っていかれる時の力が怪我をするレベルだからだ。

 加畑は瞬時加速直後。さらに静穂という重石が加わり、速度が乗った暴れ独楽はシールドを消耗させた。

 静穂は回転中に脚を出す。床と接触して火花を散らし、結果彼は優位に立つ。

 

――マウントポジション――

 

「野郎!」

 下で喚くのを無視して静穂は拡張領域から2リットルペットボトルふた回り以上の筒を呼び出す。

 その金属製の物体を出口に投げ、発砲。

 着弾後数瞬おいてけたたましい音と共に破裂する。クアッド・ファランクスの予備弾倉は加畑の注意を引く鳴子にも重宝した。

 今回はかんぬき。爆発は空いていた入口を崩し瓦礫で埋める。

 そして最後。

 取り出した弾倉を加畑の耳元に突きつけた。床とぶつかり鈍い音を出すそれに銃口を向ける。

「降伏しろ」

「…………は?」

「確かにわたしは貴女のお姉さんを殺した。でもそれは先にわたしが大切な人をそうされたから」

「何言って――」

「別に説得したい訳じゃない。わたしはもう殺したくない。全部終わって、時間が経っても、人の死に様ってずっと頭にこびりつくんだ。正気が削られていくんだ。そんなのは卓上だけで十分なんだよ」

 もっとも――

「あの人はもういないんだ。一人も二人も一緒だけれども」

 目の前でセーフティを外し、引き金に指をかけてやる。

 演技だ。実際に撃ったとして誘爆すればシールドの残量からして静穂自身も危険だ。

 ただ少しの間だけ時間が稼げればいい。

 そうすれば簪は逃げられる。上手くいけば救援も来るかもしれない。

 それに嘘は言っていない。セシリアが聞けば驚きはするだろうが。

 自分のせいで彼女は死んだ。自分ひとりが生きて残った。

(そうだ、思い出した)

 女の園に入れられて、男とバレないか必死で、

 友達が出来て、こうして迷惑を掛けて、

 目まぐるしい生活が続いてすっかり忘れていた。

(お姉ちゃん、()は――)

「お前ホントに何言ってんの?」

「へ――」

 咄嗟に引き金を引き、手の弾倉が爆発する。

 乱れ飛ぶ25mm弾をよそに天井へ背中から激突した。

 天地が逆転した視界で加畑が回転を終了している。

(お姉ちゃ)

「人殺しの理屈なんて知るかぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬時加速で押し上げて回転時の減速で引き剥がす。

 天井からのバウンドに合わせ回転。野球のストレートを打つように渾身の力でフルスイングを決めた。

 これ以上はない全力の叩きつけだった。IS越しでも効いている筈だ。

 現にまだ動かない。

「…………」

 用心しつつ床に降りる。気持ちのいい一撃で加畑の頭は冴えてきていた。自分を釣る演技かもしれない。

 更識妹に関しては頭から飛んでいた。どの道もうどうしようもない。逃がした魚は大きかった。

 近づく。切っ先で腕をつつく。反応がないので掴んで持ち上げる。

 ……ISの機能は停止。静穂の頭はだらしなく後ろにぶら下がっていた。

 手を離すと糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 息を吐いて、嘔吐()く。……しばらくして乾いた笑いがこみ上げてくる。

「は……は、やった。やった」

 仇を討った。大好きだった姉の仇を。

 姉がいなくなって、苗字を変え名前を変え、自分を捨てた母を恨み、辛く当たった父を憎んだ。

 周囲を蹴散らしてIS学園に入り、父には一度も会っていない。

 代表候補生に選ばれ、同じ時期に専用機を貸与された年下を生意気に思い、

 仇に出会った。

 その仇はもう動かない。自分の目的は達成された。

 それなのに、何故。

 

――動いて欲しいと思うのか――

 

 膝をつく。仇の肩を抱いて起こす。

 正面に向かわせても首は180度後ろに落ちている。

「起きなさいよ。まだ私、死んでも降参してもいないのよ」

 軽く揺する。動かない。人としての温もりが、少しづつ冷めていく。

「起きなさいよ、ねえ、起きなさいよ!」

 強く、揺する。背中で頭が踊っている。

「なんでよ。さっきまで生意気だったでしょ! あの威勢はどうしたのよ!」

 何かないか。()()を動かす何かはないか。

 探して灯台下暗し。足元には壊れたハンドガン。

 誰かが壊してそのままにしたそれを静穂の手に握らせる。

「ほら拳銃! お前これ上手いんでしょこれさえあれば強いんでしょもう一回よもう一回もう一回勝負よやるったらやるのやるんだから起きなさいよ!!」

 首の位置が悪いのだと髪を掴んですげ直す。手を離すと今度は胸にぶら下がり、自分のマニピュレータに静穂の髪の毛が数本残っていた。

 支えていた方の腕から力が抜け、倒れる静穂はそのままに、残った髪の毛から目が離せない。

「……どうしよう」

 次に出てきた言葉はそれだった。

 乾いた笑いがまたこみ上げる。いや違う。横隔膜が痙攣している。

 だめだ。これ以上は駄目だいけない。

 そうやってこらえようとするが意思とは逆に目から水が零れだした。

「やっちゃった」

 零れだして止まらない。覚悟していた筈だ。決めていた筈だ。

 なのに、

「助けて」

 助けてほしい。救ってほしい。

 この言いようのない苦しみから抜け出させてほしい。

「……お姉ちゃん」

 今はもう亡き姉の姿。それを求めて声が出る。

「お姉ちゃん!」

 呼び続ける。叫び続ける。誰も聞いていないのに。

「ーーーーーーーーー!」

 声にならない助けを呼ぶ音。

 それを聞いてはいないのだろうが、

 遮るようにして壁が、砕けて散って吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ちのめされた壁の向こうで、私は見た。

 首の曲がったビスクドール。

 私が寄り添う彼女が愛した、

 

――愛された彼の、見たくはなかった結果の姿――

 

 私は必死になった。

 壁を破って外に飛び出して自由にならない自分を呪いながら彼の元にすがりつく。

 覗き込むように彼の顔を見て私は、

 ――迷う事などなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「離れていろ」

 そう言うと織斑先生は少し腰を落とし、

「ッ」

 簡単に隔壁を三角にくり抜いた。

(ふち)に気を付けろ。切れるかもしれん」

 そして蹴りを入れ開通させる。

(厚さ30センチ以上、それも合金製でしょうに……)

 硬度・重量ともに世界水準を超えるであろうIS学園の隔壁を借り物の剣でやってのける技量。

(これが世界最強ですのね……)

 それを何度も見せられるものだからセシリアはただ舌を巻くばかりだった。

 段々とセシリアの感覚が麻痺していく。だから何事もなかったように壁が戻っていく様子は逆に新鮮に感じた。

 向こうから見えたのは一人の女子。確か一夏の次の試合に出るために静穂が付き添っていた人物。

「更識?」

 と言うらしい。織斑先生を見て彼女はその場に座りこんでしまった。

 織斑先生の後を追って駆け寄る。

「更識、何があった?」

 簡潔な問いかけに更識は、

「第3ピットに静穂が!」

「オルコット!」

「先行致します!」

 即座にブルー・ティアーズを展開。先ほどよりも通りやすい通路を往く。

 

 

 無理矢理こじ開けられた隔壁を抜けると、そこだけ削岩機が暴れ回ったような惨状だった。

 壁は尽く破壊され瓦礫は山と積まれていた。片方の壁に辛うじて第3ピットと見つけていなければ立ち往生するところだ。

 入口の瓦礫を自律兵装で崩していく。ハイパーセンサーで人影を検知し、そこに破片が行かないよう注意する。

(早く、早く!)

 焦る。それでもティアーズは正確に動作する。

 〆とばかりに光学ライフルで入口を作り、叫んだ。

「静穂さん!」

 彼女はすぐに見つかった。仰向けに倒れクラスの総意でプレゼントした外套は表面積を著しく失っている。艶やかな肌は煤で汚れているが外傷はなさそうだ。

 無事で良かったと安心し駆け寄ったがそれはぬか喜びだ。

(呼吸がない!?)

 即座に心音を確認。脈はある。

(気道がおかしいんですの!?)

 後ろから抱きかかえ静穂の腹部で手を組む。丸まった背に胸を押しつけ、引くように圧迫した。

「静穂さん! 起きてください!」

 加減した力では駄目なのか、今度はブルー・ティアーズのパワーアシストも併用して強く引く。

「静穂さん!!」

「…………っ」

 こふっ、と咳が出て、そこからは早かった。

 呼吸を阻害していた血の塊が咳で押し出されていく。助けるように背中を叩き、落ち着いたところで寝かせる。

 荒い呼吸が穏やかに変じていくのを確認して、真っ赤に染まった口元を軽くハンカチで拭ってやる。

「静穂さん。わたくしが分かりますか?」

「……師匠?」

 薄っすらと開ける彼女の目は赤い。余程の怖い目に逢ったか危険な目に遭遇したか。同じかもしれないが。

「ええ、助けに参りましたわ」

「…………」

 ぼんやりと彼女は上を見上げ、

「簪ちゃんは?」

 思わず抱きしめそうになった。自分が死にそうになったのにまだ他人の方が大事だとは。とりあえず安心させるべく手を取って、

「更識さんの事ですのね? 大丈夫、織斑先生が一緒ですわ」

 そっか。そう言って彼女は続けた。

「ありがとう師匠……。PICの飛び方、あれで助かったよ……」

 今度こそ抱きしめた。彼女が腕を回すことはなかったが、委ねてくれるのが分かって、力を強めた。

 彼女には今後、己自身の大切さを説く必要があるとセシリアは強く思った。

 

 

 ――オルコットを先に行かせたのは正解だったようだ。

 彼女は既に汀を見つけ安静な状態にしている。少し離してもう一人も同じように寝かせているのは彼女が事情を知らないからだろう。

 千冬はオルコットに加畑の拘束を命じた。更識 簪から聞いた情報をかいつまんで説明すると、彼女は眼を見開きながらも指示に従う。

(それにしても派手にやったものだ)

 第3ピットだった空間を見て千冬は思う。

 更識 簪の策はベターな選択ではあった。

 現在のISは兵器という立ち位置であり、それを使って命のやり取りをする場合、汀のような素人上がりには作戦など実行できる訳もなく。

 そんなときは単純作業だけやらせればいい。

 今回の場合はクアッド・ファランクスの引き金を引き続けるという作業だ。

 汀が習熟していればISを乗り換えたり二人で連携を組むなどできただろうが、捕らぬ狸の皮算用。生きていただけ十分だ。

 ……今後の指導速度を考えていると、大きく開いた壁からISが2機、緩やかな速度で侵入してきた。

 一夏と鳳だ。

「千冬姉!? セシリアに静穂!?」

「ちょっとなにこの部屋!? ボロッボロじゃない!」

「織斑先生、だ莫迦者。あの機体はどうした?」

「俺と鈴でここの壁に吹っ飛ばした。煙が晴れたら居なかったんで中に逃げたと思ったんだけど……」

「逃げた?」

 周囲を見渡す。影も形もどこにもない。

「転送で逃げたか」

 ISコアの転送による消失はどの研究所でも確認されていない。だが奴ならやるだろう。

 面白最優先で生徒を殺されかけては堪らないのだが言ったところで奴は変わらない。

 頭を痛めていると、通路から重いものが落ちる音がする。

「織斑先生? これは?」

「綿貫か」

 隔壁数枚分こちらが早かったらしい。

「救護班はいるか」

「後ろに」

「要救助者2名、内1名を拘束。担架で医務室だ。帰りは私の通った道を使え。幾分かは通りやすい」

 指示を出して各方面へ連絡を入れる。通信妨害もいつの間にか消えて、隔壁もそのうち開いていくだろう。

 運ばれていく汀の周囲にはISで嵩張った人だかりが出来ていた。

「まだセンサーの表記が見えるよー……」

「それだけ集中していたという事ですわ」

「静穂、私、私……」

「シズ、あんた一体なにやったのよ?」

「鈴、静穂がやったとは限らないだろ?」

「ゴメンわたしがやった」

『ホントになにがあった!?』

 あの連中にも緘口令を敷かないとならない。

 ……意味を理解してくれればいいが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果としては大惨事と言える。

 IS学園はセキュリティの全面見直しを余儀なくされ、被害総額は頭を抱える程だそうだ。

 クラスマッチは中止。以後は通常授業に戻る。明日からはまたヒヨッコ共を叩き直す授業が始まる訳だが、千冬は目の前にごまんとできた問題の処理に頭を抱えそうだ。

 アリーナ地下。

 学園内では七不思議扱いされている極秘施設の一室に入る。中では山田先生が2本の腕と共にいた。

「どうですか、山田先生」

 山田先生はため息を吐く。それは感嘆とも嘆きとも取れた。

「腕だけでも恐ろしいですね。簡単なスキャンを掛けましたが表層部分だけでも学会で賞を総なめにできます」

「新技術の塊ですか」

「十中八九、篠ノ之博士の作品ですね」

 二人で唸る。篠ノ之 束の目的は何か。結果腕だけが残された訳だが、奴の残していった結果はこれまでの()()から見て微々たるものだ。

 ふと山田先生がこちらを見る。

「織斑先生? その手のものは何ですか?」

 千冬の手には一冊の本。革張りのカバーが施されたそれは、

「加畑の部屋から押収した日記です。今回の犯行に至った経緯が書かれています」

「日記ですか……」

 山田先生は沈痛な面持ちだ。生徒の命が、また別の生徒に狙われるなど誰が事前に想像できるだろうか。イジメで不意にという場合ならあるだろうが、千冬が教鞭を執ってからは少なくともない。

「汀さんに関係するんですか?」

「加畑本人のものではありませんでした。ですが」

「織斑先生?」

「気持ちのいい内容では決してありませんでした」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浴びるシャワーは温かい。珠となって肌を滑る水は、時折り傷跡で方向を変える。

 鏡に映る顔には目から直下に一筋の切り傷跡がくっきりと見えた。肌を温めると浮き出てくるそれは、いつもは化粧で隠している。

 そっと撫でるように触れる。上からなぞって頬の下に。

 顎を通り越して、指は喉元に触れた。

 静穂の肌は比較的白い。中学時代はよく男子にもからかわれた。その白さが女子を呼び寄せるのか!? と。知らないよそんなの。

 だが今の肌はシャワーを浴びて上気しほんのり桜色だ。だからコントラストが異様に目につく。

 静穂の首は変色していた。青白いを通り越してグレーに。

 傷跡の中にそんな色に変化した蚯蚓腫れのような箇所もあるにはある。だが。

(こんな広く怪我の痕ってあったっけ?)

 最初は気のせいだと思った。コンクリートの粉末か何かだろう、と。

 しかしこうして色合いの違いを見せつけられては認識せざるを得ない。

 静穂の身体はこうした痕ばかりだ。しかしだからと言って首全体の変色を見過ごす事はない筈だ。

(なんだろうね、これ)

「静穂?」

(!)

「何? 簪ちゃん」

 扉越しに簪がいる。拙い。バレる。いろいろと。

「珍しく長いから心配になって。その……、色々あったし」

「そう? 問題ないよ。今出る」

 返事に満足したのか簪の気配が部屋に戻っていく。

 ため息を吐く。久しぶりの危険は頭を切り替えさせてくれた。

 手早く着替え髪の水気をタオルでふき取りつつ明日の朝食を考えていると、

「上がったか汀」

 織斑先生が凛々しく立っていらっしゃった。

「貴様はいつもシャワーは早いと聞いたので待たせてもらった。もっとも、」

 今日は珍しいようだな、と微笑んで見せる。

 静穂は簪を見る。申し訳なさそうに縮こまっていた。様子を見に行かされ拒否権はなかったらしい。

「すまんが制服を着てついてこい」

(すまないという気持ちゼロだ!)

 

 

 ついていくと医務室だった。

 そのまま中に。医務室ゆえに保健の先生と、なぜかカチコチに固まっている山田先生がいた。

 促されるまま丸椅子に腰かける。

 とりあえず切り出さないと始まらないようだ。

「あの、何の御用でしょうか? というかなにを話せばよろしいのでしょうか?」

「協力的で助かるな。聞きたい件についてはあまりない。こちらから伝える事がありあまり他人に聞かれたくないというだけだ」

 それを聞いて静穂は肩の力を抜く。

「まず加畑が貴様を狙うに至った理由を知らせておきたい」

 理由?

 そう聞くと織斑先生は一冊の本を取り出し手渡した。

「加畑の姉の日記だ」

「!? でもそれって」

「ああ、本来ならば警察が押収していてもおかしくない。加畑本人は何故まぎれていたのか分からないそうだ」

「加畑先輩は今どこに?」

「拘束し幽閉中だ。場所は教えられない」

 ISを用いた犯罪は極めて重い。これでも軽い方だろう。別に会いたい訳でもない。もう一度は勘弁願いたいだけだ。

 日記をめくる。それは憎悪が詰め込まれていた。

 

 

 

 

 今日、ゴミが触れてきた。汚れた部分をブラシで擦り続けたせいで血が出た。

 もう何度目だろうか。あれと血がつながっているとかあり得ない。

 流れる血がどす黒く汚れている気がしてさらに擦った。

 気持ち悪い。

 

 

 妹がかわいい。でもゴミで遊ぶのは勘弁してほしい。

 私の力で簡単に壊れそうなあの子から汚れを引き剥がすのは簡単ではないのだ。

 匂いもひどくなる。一緒に眠れないじゃないか。

 

 

 神様は私たちに救いを与えて下さった。

 そう思えるほどに今日は素敵な日だ。

 インフィニット・ストラトス。

 私たち人間でなければ扱えない、まさに正義の力だ。

 本来は宇宙開発用だというがそれでもかまわない。

 私たちだけで違う世界に旅立つのもいい。

 このまま兵器としてゴミ共を根絶やしにしてもいい。

 最高だ。

 絶対に手に入れてやる。

 

 

 日記も書けないほど遠い処から帰ってきた。

 結論だけ書く。

 認められた。

 明日から代表キャンプ入りだ。

 

 

 この日をどれだけ待ち望んだことか。

 現在この世界で最も美しい人と出会った。

 織斑 千冬。第一回モンド・グロッソ優勝者。

 ブリュンヒルデと呼ぶ人もいるが、そんなのは無粋だ。

 彼女を一言で表すならばこうだ。

 「汚れた女神」

 いつかその汚れを削り取ってあげる。

 

 

 はらわたが煮えくり返るとはこのことだろう。

 落ち着くために日記を書く。

 同じ会のメンバーから秘密の手紙が来た。

 同封された写真には子供が写っていた。

 最初はなんて可愛らしくて可哀想な女の子だろうと思った。

 顔に一本の傷があった。

 ゴミのせいでこんな目にとおもったが愕然とした。

 これがゴミだという。

 しかもこのゴミは私たち人間の権利を奪う存在だという。

 許せない。

 明日。会のメンバーと落ち合う。

 一秒でも早くなんとかしなくては。

 落ち着け。明日のために休むんだ。

 

 

 明日、決行する。

 血がかゆい。

 まるでゴミの部分を押し流したいようだ。

 それが出来ればどんなに素晴らしいだろうか。

 人の気も知らないで代表メンバーが相談に乗ると言ってきた。

 元警察という彼女の言葉は正直魅力的だ。

 だがそれは後でいい。

 いまはゴミ掃除だ。

 

 

 

 

「本当は、見せるべきか迷ったがな」

 そういって織斑先生は缶コーヒーを人数分配った。

 静穂は受け取って頬の傷跡にあてる。

 冷たくて気持ちよかった。

「正式に」

「?」

「代表になっていたんですね、お姉ちゃん」

 肩が震える。言葉が震える。

 第2回モンド・グロッソの開催する2か月ほど前。代表メンバーが二人脱退した。メンバーリストは当時まだ発表されていなかったので公に上ることはなかった。

「……同じ高校のOGだった」

「へ?」

「先輩は言っていた。――帰りを待っている年下の男の子がいる。その子にトロフィーを持って帰って、うんと一緒に遊んでやるんだ――」

「!」

 震えが止まらない。涙などいつ振りだろうか。

 挟み込まれた自分の幼少時代に、ぽたぽたと落ちた。

「……先輩の件は、残念だった」

 堰が切れた。

 誰にも言えなかった。誰もわかってくれないと思っていた。

 自分の事などよりも、彼女を失った事の方が遥かに辛くて、

 彼女の事を誰も言わず、誰も知らず、最初からいなかったようで。

 つい自分まで、忘れそうだった。怖かった。

 大切な人だった筈なのに。こうも簡単に忘れてしまうのかと怖くなった。

 理解してほしかったのかもしれない。共有してほしかったのかもしれない。

 でもそれが許されないと思っていた。

 それは、

 彼女が死んだのは自分のせいだと思っていたから。

 そして、

 今、許された気がした。

 

 

 一しきり頭を抱えるように泣き終わっても、抱き付いてきて一緒になって泣いてくれた山田先生は離れようとしなかった。

 正直恥かしくなってきた。男子とバレた以上、スキンシップは一定の距離を置くべきではないだろうか。

 諦めたのだろう織斑先生は保健の先生にバトンタッチした。

「汀さん――面倒だからそのままさん付けでいくわね? 汀さんが男子なのにISを動かせるってだけですごいんだけど」保健の先生はパソコンの電源を入れて、「もう織斑君を超えて貴方にはあり得ない事が起きている」

 そういって彼女はCG画像を中空に投影した。

「なんです、これ?」

「貴方を検査した結果、私は医者を辞めたくなった」

 人の頭部のようだ。髪を剃った人の肩から上の立体画像。

「貴方の身体を再現したものよ」

 保健の先生がパソコンを操作する。画像が透過処理されていき、骨格と、体中に伸びる枝のようなものだけになる。首元だけ画像にブレが生じている。

「骨と、神経系だけ残したの。……問題の箇所に丸を付けるわ」

 それは静穂の予想通り、首元だった。

 首の骨が数か所。目に見る位置だと上は顎の付け根部分から下は鎖骨を少し下、頸椎のあたりまで。

「この部分がレントゲンにも写らなかった。他の検査を思いつく限りやってみたけど、ヒットしたのは一つだけ」

「何ですか?」

「ISコア同士のネットワーク構築プログラム」

 ……は?

「ISコアは本来自己進化を効率よく進行させていくために周囲の仲間(コア)と情報の共有を自発的に行おうとする。練習機にはそのプログラムを意図的に停止させている」

 織斑先生が注釈を入れてくれたが尚更分からない。

「なんでわたしの首からそんなプログラムの反応が出てるんです? インプラントの類もやったことありませんよ」

「……貴様は知らんだろうが織斑と鳳の試合中に所属不明機が乱入、これを2名が撃墜した。その機体の墜落地点は第3ピット。しかも両名のIS行動記録から機体は無人機と推測され、撃墜したISのコアはまだ見つかっていない。機体の一部を除きすべて一緒に」

(…………嘘でしょ?)

 信じたくない予想が頭に浮かぶ。否定してほしいと織斑先生を見る。

「汀。貴様は一度死に、そして」

 

――その命はいま、未確認機のコアでつながっている――




 これにて原作一巻分を終了とさせていただきます。
 活動報告なども書きました。
 これからも拙作を宜しくお願い申し上げます。
 では2巻で。

 …………どうしよう。色々と。


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21.ちぐはぐスタートライン ①

 完璧とはプラスとマイナスが芸術的均衡を取っている状態を指す。

 不足しているのならば問題外。かといって多すぎていてもそれを完璧と呼ぶ事はない。

 蛇に生えた足、ゲルニカに色彩、ヴィーナスに両腕。

 ――だが、

 持たずに生まれてきたものはあっても、持ちすぎて生まれてきたものは、この世に存在するのだろうか。

 持っていたものを奪われ生まれてきたものは、この世に存在するのだろうか。

 

――汝は十全なりや?――

 

 

 一夏から静穂の事件を聞いて飛び出した。

 死んだように眠る奴の顔を見て、寝息が確かめられなければどうしていたことか。

 保健の先生からはただの過労だと聞かされた。

 それを聞いて私は安堵してしまった。

 あのISのせいではないと思ってしまったのだ。

 ……あれを造ったのは姉さんだと思うから。

 だが疑問は拭いきれなかった。

 なぜ静穂は倒れるに至ったのか。

 オルコットに師事していた時などはギリギリの位置で、倒れるなどはなかった。

 中学の時分から周囲の目を気にする性分に見えた。だからだろう。

 なまじ女子ばかりの空間に自分も女子として入り込まなければならない状況、自分に置き換えてみれば簡単に想像がついた。

 ……かなりきつい。

 そんな精神状態で今までにはない事柄が続けば、爆発するのは自明の理だ。

 実際、静穂は熱を出していた時も気を配ってくれていた。そして倒れた。

 契約などと言って静穂を張りつめさせた自分を叱りたい。

 ……私だけでも頑張ってみよう。

 本来これは、私の戦いなのだ。

 

「一夏!」

「どうした箒?」

「今度のトーナメントなのだが!」

「トーナメントがどうした?」

 

――私が優勝したら、付き合ってもらう!――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つながっている? 命が?

(というか本来の首はどこ?)

 とりあえず首筋に触れてみる。確かな感触がそこにあった。つねっても痛い。痛覚、おそらくそれ以外の四感もある。首で味覚は知りたくないので三感? いや触覚だけでいいのか? むしろ20以上の感覚器官を試すべきなのか?

「汀、明後日までは医務室(ここ)に泊まれ。更識には伝えておいた」

 はっと雑念から戻って来る。

「この事を知っているのは他に誰が?」

 静穂の質問に織斑先生は、ふ、と一度切って、

「いない。更識もオルコットも代表候補生、言ってしまえば国と繋がりのある人間だ。貴様の状態を知れば本人はともかく国がやたら接触するように働きかけてくる可能性がある」

「大丈夫です。私たちは汀さんの味方です!」

 そう言って山田先生は静穂の肩をさらに強く抱く。別に卒倒したりしないのに。

「山田先生は心配なのよ」保健の先生は笑いを噛み殺す。「ISコアが人体に与える影響は未知数。しかも男性操縦者で体内に取り込んだ状態なんて誰もどうしようもないんだから」

 確かに前例などある筈もない。静穂自身が稀有な例だ。

「対処方などたかが知れている」

「織斑先生!?」

「分かるんですか!?」

 耳元で叫ばないでほしい。鼓膜が痛いから。

「慣れろ」

 ……ズッコケ芸にも巻き込まないでほしい。痛いから。

 

 

 ――あれだけの事が起こっても一向に眠れる気がしなかった。むしろだからこそなのかもしれない。

 目も冴え頭は澄み渡っている。興奮とは違う、清涼感にも似た何かだ。

 なんというか、こう、

(……よくわかんないけど)

 表現するには語彙が足りなかった。

 あてがわれたベッドに横たわり、天井に向かい両手を伸ばす。

 久しぶりに泣いた。あの人の事を想った。

 完全に忘れかけて思い出すことも難しかったあの人の顔も、今ははっきりと思い出せる。

 まるで昨日の出来事のよう。破損したデータが補われ修復されたようだ。

(……よくわかんないけど)

 嬉しい筈だ。懐かしく、今も自分の礎となる記憶。

 忘れたかったなどと口が裂けても言わないが、これほど()()()()()()()()と怖くなった。

 上げた掌を(まぶた)の上に。少し押す。もう涙は出ない。

「どうなっちゃったのかなぁ」

 それは何に対しての問いかけなのか。

 加畑ではない。殺されかけた相手の事を心配するほど静穂はお人好しではない。クラスがどう思っているかなど本人は知らず。

 簪かもしれない。部屋を出る前の彼女の表情を静穂は覚えている。呼び止めようとして間に合わず少し眉の下がった表情。女子力。

「――あぁ、もう!」

 静穂も十代。八つ当たりしたくなる時もある。

 しかし本人の性かその相手がベッドの手すり、それも金属製だと理性が働くのか力は加減される。

 無意識に自身への戒めを求めた静穂の腕が振り落とされ、

 

――ぐしゃりとひしゃげて湾曲した――

 

「ホントにどうなってんのこれぇ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーバーからコーヒーを2つ、一方を山田先生に手渡し、席に着く。

 山田先生の顔は浮かない。

「汀はそれほどでしたか」

「はい……」

 今朝の汀は半狂乱だったと聞いたがそれほど大変だったかと千冬は紙コップに口をつける。

 保健医の先生が朝見た光景は呼吸の止まった汀の姿だったそうだ。

 彼女は迅速にAEDを使用、汀に電気ショックを処方した。

 実際は無呼吸症候群か仮死状態に陥っていたようで事なきを得たのだが、

 ISにとってはたまったものではなかったらしい。

 電気ショックを外的攻撃と見做したであろう首のISが暴走。手当たり次第に静穂の腕を振り回した。

 朝の見舞いに到着した山田先生が二人がかりで事態の収拾に乗り出したが千鳥足でうろつきパワーアシストの剛力が加わった静穂は医務室の一部を損壊させ山田先生の膝下タックルで後頭部を強打。今頃は何があったか知らず痛む頭を抱えながら朝食を摂っていることだろう。

「織斑先生なら汀さんに怪我させる事もなかったでしょうに……」

 教職の鑑がここにいた。

 当の千冬は見舞いに行きたいと言う彼女の思いを酌み早朝から事務仕事だった。感想としては山田先生、貴女は優しすぎる。電話の相手先は山田先生と勘違いして舐めてかかってきたので一喝しておいた。全部。しばらく山田先生の業務に滞りはなくなるだろう。

 それにしても、と千冬は考える。

 汀の生命を維持しているISが当の汀本人の身体を動かす。

 これでは立場が逆転している。

 今朝の彼女たちに怪我はなかったが3日経った今でも勝手に身体が動くようでは汀も生活に戻りづらいだろう。周囲の危険もある。当人もストレスが溜まっている筈だ。

 ストレスが溜まればISが誤作動を起こす可能性は上がる。大元は静穂自身なのだから悪循環は止まらない。

(制御か、最悪は封印)

 汀には何としても前者を取らせたい。後者の場合は本人も眠りにつくことになる、

 永遠に。

(放課後にでも手は打つとして、まず)

「……山田先生で助かりました」

「織斑先生?」

「私では首を刈り落としています」

「ーーーーーーーーー!」

 戦慄する山田先生を見て千冬はコーヒーを飲み干す。

 これでしばらくは任せられるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日は散々だった。

 朝起きれば頭に鈍痛。シャーペンは握り潰しおにぎりは鮭が空を飛びトイレのドアノブは消失した。

 たたらを踏めば靴跡が刻まれ踏み込むと世界記録を優に跳び越え足を挫けば凄く痛い。

「本当……どうなってんのこれ……」

 すべて人目がなくて幸いだった。一般人の動作を練習しなければならないとはどんな非常識人だ。

 静穂は知らないが織斑先生の予測は大当たりだ。

 手当たり次第に握り潰すものだから最後は米粒を羽毛で掴むような集中力を要した。

 そうするとISのハイパーセンサーが誤作動を引き起こす。

 誰がノートの繊維質を見たいと言ったのか。出席簿の初速を計りたいと言ったのか。山田先生のスリーサイズを知りたいと言ったのか。最後は本当にごめんなさい。でも嘘でしょあの速度。

 とにかくこのIS、やたらと神経過敏になっているようで。

(やりすぎなんだよなぁ)

 部分展開もなにもしていないのにこの有様だ。完全展開などしてみたらゴリラのような怪力になってもおかしくはない。禁じられた力を持つとはこういうものか。

 遅い中二病の到来にわなわなと震えていると、

「汀」

「ッ!?」

 バトミントン選手を軽く超える速度で振りぬく出席簿が落ちた。

 

 

「っぁあああ…………」

「ふむ、耐えたか」

 いつもは失神していたのと首の心配もあって肩に落としたのは正解だったようだ。

「ようやく学園の生徒にふさわしくなってきたな」

「要求スペックが高すぎませんか!?」

「加減はした」

「鎖骨と肝臓がくっつくかと思いました!」

 うるさいのでもう一度。

 小さくなって震えているが問題はないようだ。

 後は山田先生に丸投げ、失礼、任せるとしよう。

「では行け」

「……はい、行きます」

 肩を振りながら汀はラファールを駆ってアリーナに飛び込んでいく。

 千冬は通信を入れた。

「山田先生」

『はい』

「だいぶ参っているうえに()()()しています。油断も容赦もしないでください」

『わかりました』

 通信を切る。彼女も今の汀を理解している。汀は今ある程度ほぐしたが山田先生は余裕がなさそうだ。

 おぼろげで危険極まりない。定着しつつある膨大な知識に比べてちぐはぐな搭乗時間と実戦経験。そして操縦しきれない四肢、余裕のない心境。

 今の汀に資格はない。

「ではこれより」

 だから試す。示して見せろ。

 

――汀 静穂のIS学園入学試験を開始する――




 バトミントン選手のラケットを振る初速は平均で時速360kmだそうです。
 


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22.ちぐはぐスタートライン ②

  結論から言おう。

「汀 静穂のIS学園入学試験を開始する」

 ……この3日間、汀の事を鑑みた結論だ。

 今の奴に、IS学園の生徒に足る資質があるかどうか。

「始め!」

 答えはNOだ。

 事実、奴は喉元のISを扱えないでいる。

 それはIS学園規範とも言えるIS適正の低下を意味している。

 千冬はこのランク分けを快く思っていない。自身が最高位とされているので迷惑とも思えるし、なによりその人間の可能性を潰しているからだ。

 IS適正のランク付けは変動する。それこそ習熟がものを言うのを千冬は知っていた。

 実際に教え子の中には入学最低基準のCランクから上り詰め代表候補生に選ばれた者もいる。というかランク否定の為に鍛え上げた面もある。もっとも彼女の場合は適正としてはCに落ちついていたがそれには理由があったという例外でもある。逆に言えば例外が存在する区分など必要ないのだと千冬は言いたかった。

 汀もそうだ。

 道具に文字通り踊らされる様は滑稽だ。動かせるだけのDランク、巷で男相手にふんぞり返る雑多な連中と同じレベルだ。

 だからこそ確かめたかった。

 奇しくも弟が動かし、その弟と同年代、ましてや共通の知人までいるという奇跡を通り越して裏の糸を勘ぐってしまうような偶然に選ばれた奴が、

「……そう簡単に落ちぶれはしないか」

 画面の中で汀はグレネードの銃口を、山田先生の喉元に突きつけて勝利を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は汀の身体を精査している時の事だ。

 物がモノだけに地上の検査だけでの解析は頓挫、汀には厳重に口を紡ぐよう言って聞かせ、地下施設に連れ込んだ。

 秘密基地。年頃の男子はこういう言葉に憧れるものだ。

 そこに向かうエレベーターでは眼差しが童心に帰った汀を弟のように眺める山田 真耶がいた。

 高揚感が冷めやらず、それでいて自身の危険性を知っている汀に苦笑しながら真耶は所定の位置に彼を立たせて精査を掛けていく。

 後は機械に任せて結果待ち、暇になったところで、ふと真耶に疑問が湧いた。

「汀さんのIS適正ってどのくらいなんでしょう?」

 織斑先生はこの手の話を嫌うがIS適正自体は学園の入学基準となっている。いわば(ふるい)だ。入学試験の実戦試験で彼も知っている筈。

 真耶は実際に聞いてみた。するととんでもない答えが返ってきたではないか。

 

――そういえば知らないです――

 

 調べてみれば汀の受験した場所、試験官、すべてが虚偽。

 まさかの裏口入学。

 本人もまさかそんな工作がされていたとは知らなかったようで、

「え、退学? ……、退学!? 実験材料ですか!?」

「汀さん落ち着いて! 大丈夫ですから!」

「嫌だ! 脳缶はいやだ! 戦術AIの代わりはいやだぁ!?」

「汀さん!?」

「窓に! 窓に!」

 ――また倒して落ち着かせた。

 改めて検査をしてみればランクはB。平均的だが織斑 一夏と同じで入学には問題ない。

 ではなぜこうもISに振り回されるのか。

 織斑先生に相談したところ、

「丁度いい。試してみましょう」

 こうして汀の入学試験と銘打った賭けが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『重ね着しています。油断も容赦もしないでください』

「わかりました」

 短く切る。そうだ、今の自分に余裕はない。

 これは試験だ。彼の人生、運命すら自分との試合、勝負で決まってしまう。

 手は抜けない。そんなものは失礼だ。

『これより――』

 機体は双方ラファール。そして彼は、

(間違いなく初手はハンドガン!)

『始め!』

 双方の抜き撃ちは真耶が勝った。

 アサルトライフルの斉射は正しく汀に命中。対して汀はハンドガンも呼び出せず逃げる。

(ごめんなさい汀さん。でも撃たせてもらいます!)

 容赦はしない。斉射は止めずグレネード銃を呼び出し即座に撃つ。汀は瞬時加速を使用、彼我の距離はそのまま、回避する。

(瞬時加速を使いこなす、今年の一年生は優秀ですね)

 本当に今年の一年は粒ぞろいだ。将来が楽しみであり、同時に責任も強く感じる。

 しかし、今自分が行っている事はその芽を摘み取る行為なのかもしれない。

 だとしても墜とす。

(容赦は、しません!)

 グレネードの引き金を絞る。直撃。姿勢を崩しているところに鉛弾を当てていく。確実に削る。何度も何度も。粒ぞろいの一年、その一人といえどまだ弱い。

(そろそろ最後……)

 計算。大丈夫。()()()も踏まえて。

「汀さん、死なないで!」

 引き金。汀は方向転換だろうか身体をひねりに入っている。少し速いが悪手だ。それでは不用意に身体を痛めるだけだ。

 幾度と当てたグレネードが尾を引いて、真っ直ぐ汀の鼻先に、

 

――そのまま脇、腰、膝、(くるぶし)を通って抜けた――

 

「!?」

 避けた。確かにアサルトライフルの銃弾よりもグレネードは弾速に劣る。それでも避けるには今の一年生の技量ではそれこそ周回軌道のような最高速の近似値か瞬時加速が必要。

 それを、

(あんな曲芸みたいに!)

 身体をひねり弾道から接触する部分を避けて進む。その行動の意味は、

 ――真耶の意表を突く。

(そうか!)

 今まで汀は銃を呼び出しすらさせてもらえなかった。だが今なら。

 気づいた時にはもう遅く、汀はお得意のハンドガンを拡張領域から呼び出し――

 

――そのまま天に向かって放り投げた――

 

「あっ」

「えっ」

 激突した。

 ヘッドバットからの錐もみ飛行。こうなるとハイパーセンサーでも視界は処理しきれない。

 追突事故からアリーナの壁際に。奇しくも汀が覆いかぶさる体勢。意味を間違えて定着した壁ドンの体勢。

 真耶はいち早くライフルを持ち上げた。その腕を汀が銃ごと脇に抱えるように封じる。

 さらにもう一方のグレネード銃を汀は掴み、真耶の喉元へ、引き金に指の上から指を掛けた。

 指先に力が入る。認証なしに他者の銃火器は発射できない。汀は使用者本人に引き金を()()()()()()()()()()()()()()

「……すごいですね、汀さん」

 本当に、驚かされる。

(まさか銃をかく乱に使うなんて)

 真耶は汀の投げた銃に注意を逸らされ、その隙に瞬時加速で突撃。肉薄する事で銃身の長いライフルを封じ込めもう一方のグレネードで選択を強いる。

 すなわち自爆か、降伏か。

 普段ならば自爆だ。だがこれは試験。

「合格です」

 それ以前に賭けだ。

 迷わず引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 揺さぶられた頭をもたげて起き上がる。身体の重石がひどく苦しい。

 ……なぜ彼女は横たわっているのだろう。

 遠くから声が聞こえてくる。

「合格だ。その結果、山田先生は惜しい事になったがな」

 なにを言っているのだろう。

「わからないという顔だな。一度は経験したことだろう」

 ……本当に?

「――すべて貴様のせいだ。山田先生も。貴様の大事だった彼女も」

 私は重石を切り離し、すべてを忘れたように跳びかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まったく」

 今年の一年は世話が焼ける。

 一夏という餌に釣られ各国は代表候補生の転入願いを提出し続けて一夏を籠絡し囲い込もうとしてくる。

 ただでさえその試験内容の選定、並びにふるい落としに時間を割かれているというのに日本国内からはこんな隠し玉だ。正直いい加減にしてほしい。

 明日からはまた今まで以上に面倒が増える。片づけられるなら何としてでもだ。

 一夏といい汀といい男性操縦者は面倒を増やす。

 だが汀はもう大丈夫だろうと考える。

 今回さえ解決すれば、千冬に降りかかる面倒事の中で、少なくとも汀関連のものはなくなる。

 そうなれば此奴は手隙だ。地下も知ってしまった分、手伝わせるのも一興。むしろ手伝わせて山田先生の苦労を軽減させるよう一役買わせる。

 そう決めた、そして。

「悪いが保護者同伴は認めていない」

 パンツスーツに葵を構え、一閃。

 袈裟に振り下ろしたその先に蹴りを加え、山田先生の近くに汀を押し戻した。

 髪も手も脚も投げ出す様は正に糸の切れた人形だ。なまじっか容貌もいいからタチが悪い。

「山田先生、後は頼みます」

 演技とはいえ喉元で自爆した山田先生はのそりと起き上がる。

「うう、まだふらふらします……」

 だったらなぜ引き金を引いたのか。

「それだけ汀さんの本気が感じ取れたからです! この学園にいたいという強い意思を!」

 それがなぜ自爆と死んだふりに結びつくのか。

 いきなり通信で打合せが来た時は驚いた。

 ――それはそうと、

「山田先生」

「なんでしょうか?」

「ISの機能が停止して汀が死んでいます。シールドエネルギーの補給をお願いしたいのですが」

「ーーーーーーーーー!?」

 慌てて予定の作業に入る山田先生を見つつ千冬は思う。

(一夏の方もこの程度で終わればいいのだが)

 問題を一人分解決して、一時だけ姉に戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い出すのはいつもこの場面からだ。

 火が回り通常よりも明るく照らされた駐車場。

 急いで角を曲がり壁を探す。扉を探す。

 飛んで行って、優しく開く。安心させようと、怖がらないようにと。

 飛びついてくる彼には一本の傷。可哀想に、涙と煤で化粧が落ちて――

 ――ちょっと待て。

 

――どうしてわたしが僕を見ているんだ?――

 

 

 

 ……目を開くと間近に山田先生の泣き顔があった。

(かわいい)

「良かった、私が分かりますか?」

「……ボケたらどうなります?」

「地下で封印処理です」

「山田先生! わたしたちの頼れる副担任の山田 真耶先生です!」

「汀さん」

「はい!?」

「いくらお世辞でもそんな、頼れるだなんて……」

(心に響いた!?)

 こんなに簡単で大丈夫だろうか、色々と。

「動けるか?」

「織斑先生! 強くて強くて強い織斑先生!」

「私はいい。それよりも」

 身体の支配はできているのか、だそうだ。

 静穂は試しに手を握ったり開いたり、腕を振り回して地にぶつけたり、

 久しぶりに()()()()()()()()

「地面が陥没しません」

 元の身体が戻ってきたようだ。

 織斑先生は、ふ、と息を切って、

「汀」

「はい」

「ISの機体名は分かるか?」

 それがどうしたというのか。

 ハイパーセンサーを網膜に反映させて項目を開いていく。今まではどうあがいても不可能だったスムーズなISの反応に感動を覚えつつ探査を掛けていき、

「グレイ・ラビット」

 静穂の身体を包み動かしてきたIS、その名前を見つけ出した。

 灰色を基調とした全身装甲型、首から指先、つま先まで覆い隠し、制服の中に着用でき、パッと見ただけではそれがISスーツかダイビングスーツかわからないそれがIS。

 名前を聞いた織斑先生は頭に手をやった。美人というのは頭を抱える仕草すら絵になるようだ。実際に山田先生がうっとりとした顔で頬に手をやっている。

「束め、ここまで来ると笑えんぞ」

「あの、織斑先生?」

 何が笑えないのか。

「汀」

「はい」

「とりあえずISスーツの代わりにでもしておけ。丁度いいだろう」

 確かに傷痕を隠すには丁度いい。費用対効果はISコアの貴重性から考えたくもないが。

 機体名を知ってからの織斑先生は明らかに心が離れている。興味を失った風ではない。揺さぶられていると表現するのが近い。

 ふと静穂は、ここで聞いてもいいのかと考えた。

 何より自分自身に関わる事だ。癌の宣告なら静穂は他者ではなく自分自身が聞きたい。

 その気持ちを酌んでかは知らず、答えの方から表に出てきた。

 

――貴様の義姉の機体名だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久し振りに帰ってきた寮の廊下を歩く。

 クラスからのプレゼントだった外套の制服は着ず、従来の制服に袖を通している。というよりもう表では着られないほど損傷が酷いのだ。ちゃんと洗濯し保管しているが。だがそれももう必要ないのかもしれない。

 とりあえずで静穂は手の皮をつねる。グレー基調のよく分からない材質が伸びるわけでもなく指がかからないわけでもなく体温は感じずただ気持ち良い。

 

――グレイ・ラビット――

 

 かつて義姉が駆り、命を落とし、巡り巡って未確認機としてIS学園に。

 そして静穂を繋ぎ止める命綱としてここに在る。

 記憶の中ではこんな外観、形状ではなかった。打鉄に近いものがあったがその名残は露程も見受けられず。

 これも篠ノ之博士によるものなのか。彼女の思考傾向を知る織斑先生はただ「私も知らん」と言ったのみ。

 最も博士と近しい人物にも彼女の目論見は読めないらしい、だからこそ世界中が目を皿のようにしても未だ行方不明を貫けるのだろうが。

 山田先生からも悩まないように促され、専用機持ちになったと思えばいいとも言われた。

 正直あまり実感は湧かない。誰かが自身を認めた上での譲渡でもなく、剥奪されれば命が奪われる現状ではおいそれと人には言えない。

 そういう点ではこの形状は救いだ。名も知らぬ企業の型落ちとでも言っておけばISスーツとして扱えるのだから。

 以前、義姉は言っていた。静穂は悩みだすとキリがないから適度に前向きに切り替えろ、と。

 切り替える、切り替える。

 それまでバレた場合を脳内シミュレートしていた頭を持ち上げて、改めて扉に目を向けた。

(そういえば)

 あれから簪と全く連絡を取っていなかった。

 あれからとは事件以降。医務室に運ばれ部屋に戻りシャワーを浴び織斑先生に呼ばれるままついて行って以降。

 1組と4組、違いはあれど一日は24時間。顔を合わせる事など簡単にできただろうに。

(怒ってるよね?)

 可愛い顔して頑固な彼女の事だ。ましてや命のやり取りをした直後から音沙汰なく。彼女の性格からして自分からは接触し辛かった筈だ。

(でも制御できなかったしパワーオブゴリラだったし怪我させちゃったかもしれないし)

 そこで静穂は気付く。ここまでの道中は平穏無事だったが、

(まだ完全に内なるゴリラを抑えきれていなかったら!?)

 何かの拍子に簪に触れた途端、今度は彼女が静穂のような目に逢うかもしれない。

(帰る!? どこに? 医務室? 今更!?)

「静穂?」

 声の先に振り向く。簪がそこにいる。

 両手には籠。中には洗濯物が綺麗に畳まれていて。

「あー、えー、と」

「……開けて?」

 言われるがまま静穂は鍵を差し込み扉を開ける。エスコートされるような形で簪は中に入り、

「入らないの?」

「いや、入るけど」

 何と言っていいのか分からない。

 かれこれ数日振りの再会だ。ルームメイトとしての自覚はあるのか。

 ……少なくとも彼女の方にはあるようだ。

「…………ただいま?」

 それは最適解だった。

「ただいま……」

「お帰り」

 そう言って部屋に向く彼女の横顔には笑みが浮かんでいた。

(気にすることなかったのか)

 簪はルームメイトで、友達。

 物怖じする必要もなく、難しく構える必要もなかった。

 そうして静穂は踏み出した。

 

――汀 静穂。改めてIS学園に入学――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば今まで何してたの?」

「……黙秘権を行使――」

「駄目」






 主人公機を登場させました。
 本当はもっと遅く、原作に絡ませようとも考えましたが早く出すなら原作に絡まないうちに、と思い、前回と今回を無理矢理挿入しました。
 行き当たりばったりですが次回もよろしくお願いします。


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23.中心になる2人目、震源地の2人目 ①

食堂に着くと、鈴がいた。

「おはよう、シズ」

「おはよう。……?」

 なんだろうか。

(なんか変?)

 見た目は変わらない、いつもの彼女だ。

 だが何か違う。センサー類を試してみても変化は見て取れない。

 まあいいか、と券売機に。朝は大事なのだ。特にここ数日。

「アンタは何にする?」

「悩み中」

 券売機を前に考え込む。後ろが(つか)えるからあまり時間はない。

 ここ数日はおにぎりメインだった。箸を持てばシャーペンのように握りつぶす恐れがあったから。

 今朝はグレイ・ラビットを制御して初の食事となる。つまり箸が使える。自由だ。

「奢るわよ」

 意外な一言。

「いいの!?」

「いいから、早く選ぶ」

 言うが早いか鈴は既に硬貨を投入している。その手に挟まっている食券を見て静穂は、

「じゃあラーメン!」

 同じものを宣言した。

「大盛りね?」

 いや奢ってもらってそれはさすがに。

「ゴメンもう押した」

「早!?」

 と言った次には、

「おばちゃんラーメン二ついっこ大盛りね!」

 鈴は注文まで済ませてしまった。

 ……トレーを持って席につく。

(やっぱりおかしい?)

「何よ?」

 訝しんでいると逆に訝しまれた。

 聞く事にする。

「何かあった? いい事とか」

「分かる?」

 あたりだった。後は原因だ。

「一つはアンタよ」

「わたし?」

 振り出し、むしろマイナススタート。

「――アンタがそのつもりならいいわ。今回あたしは部外者っぽいし」

 だけど、と前置きして、

「次は遠慮なく呼びなさいよ?」

 そのまま鈴は麺を啜り始めた。

(なんでわたし?)

 疑問は尽きず、静穂もただ啜る。

 

 

 結局、それ以上踏み込む事も出来ず教室前で別れた。

 いい事があって、数は二つ以上。一つは自分。

(なにかしたっけ?)

 鈴関連での覚えはない。というか自分の事で精一杯だった。他者との接触も極力避けていた。

 その間に何かしたのか。やった事といえば握り潰したり踏み抜いたり死んだり改めて入学したり。

 分からないまま教室に入る。するりと一夏が向かってきた。

「おはよう」

「ああ、おはよう」手頃な挨拶のあと彼は切り出した。「なあ、静穂はもうISスーツ決めたのか?」

 ISスーツ? と聞き返すより早く、周囲の頭が急降下した。

(え、何!?)

「いやさ、そろそろ授業でも本格的にISを扱うからって理由でオーダーメイドの受付をやるらしいんだけどな、俺はもう自分のがあるからって言ったら皆が今度は静穂を話題に出してさ」

「なんでわたし?」また何故。

「皆は静穂にもおしゃれしてほしいんだよ。ISスーツもブランドがあるらしいし」

 次には一夏の頭が下にずれた。

「お前はもう少し言葉を選べ!」

「箒ちゃん!?」

 後ろから殴りつけるのは反則だと思う。ガードのガの字もなく受けて一夏は悶絶している。

「確かに今の一夏さんはストレートが過ぎましたわね」

「師匠?」

「さ、こちらに」と言ってセシリアが肩を抱いてくる。

 そのまま席に座らされると雑誌が何冊も広げられ重ねられていく。

「わたくしが勧めますと一夏さんのものと同じ会社でワンピースモデルなど素敵ですが鈴さんなどはいっそセパレートモデルにして見せつけてしまえと言っていましたわね」

「へ? っふぇ?」

「それなら私はハヅキ社を推すわ。オシャレ系ならハヅキ一択!」

「でも汀さんなら実用性の方がいいと思う。ISガチ勢だし」

「ちょっと待って。その言い方だと私たちが真面目じゃないみたいに聞こえるんだけど」

「ゴメンそんなつもりじゃなくて!」

「分かってる、からかっただけ。たしかに静穂さんなら電気信号のロスが少ない方がいいかも」

「ハヅキでいい感じのあったかな?」

『ハヅキから離れなさい』

「信者か回し者なの? 他のも候補に入れなさいよ」

「極力面積が多めのものですとこちらなどいかがでしょう?」

「いいけど野暮ったい」

『だから離れなさい』

 もう何がなんだか。

 とにかく周囲を囲むのがこのクラスだ。鈴が見たらまた勘違いしかねない。

 机の上にはよくもまあこれだけ集めたと言いたくもなるISスーツのカタログが重なっている。

 後ろから抱えるようにセシリアが寄り添っているものだから香水の香りが心地良かったりするが逃げられない。

 カタログには何を食べたらそんなに手足が伸びて出たりくびれたりするのかと言いたくなる体型の方々がスーツに袖を通している。男子の静穂には目に毒だ。

 基本は水着と見まがうものばかり。その中にはきわどすぎるものもちらほら。静穂が着てみればまずアウトだと判断できるものが多い。

 そんなものしかない選択肢ばかりの中でどれを選べと。

 それに静穂は衣類に頓着しないタイプだった。

 だからこんな事を言ってしまう。

「別にどれでも一緒でしょ? 肌が隠れればいい訳だし」

 クラスの時間が止まった。

「本当になんなの……?」

 その後にため息が多方向から排出された。一部では食券の譲渡も行われている。

「……いいですか、静穂さん。わたくし達は以前に誓いました。静穂さんにも人並みの女子としての自覚を持っていただくと」

「そうだっけ?」

 そうです、というセシリアの力は強い。抱かれた肩が痛い程に。

 以前のメイク指南の時と同じ。良くない雰囲気だ。静穂は箒にヘルプの目線を送るが届かず。彼女は一夏の隣という絶好のポジションから離れられない。

(契約不履行だ!)

 言い出したのはそっちだろうに、と叫びたいがそれをすると師から不真面目と怒られそうで出来ず。

「確かにISは魅力的です。ですがそれだけを追い求めて他のもの、女子としての最低限のものまで(なげう)ってしまうのは、貴女がわたくしセシリア・オルコットを師と仰ぐ間は許しません」

「最低限のものって何」

 また食券が移動する。夜竹 さゆかがガッツポーズ。

「そんなもの決まっています。()()()ですわ」

(あ、コレは無理だ)

 入学した最初の頃に挑戦し諦めた難題だ。これを通じて今の静穂があると言ってもいい。無理なものは無理。いくら外見は装えても中身は変えられない。心を入れ替えられるのは機械人形か猫くらいなものだ。

 静穂には既に女子力の象徴として掲げる対象が存在する。彼女と比べるとこのクラスは、その、チームワークこそいいがその点ではどうだろうか。四十院さんなどは大和撫子だから分かり易いが相川さんなど活発系となると判断に困る。そもそも女子って何だ。

 年頃の男子に女子の何たるかを理解する事は可能なのか。リビドーな方向に走るのがオチではないのか。

 実際に一夏など箒、セシリア、そして鈴と、他にも多数から特別な感情を向けられておいて気づかない。今も彼は不思議そうな眼差しをこちらに向けるばかりだ。男としてこの場に居られる彼がちょっと羨ましい。

(どうしてこうなった。できるなら誰か助けてー)

 内心で投げやり。当たればいいなこの槍。

「じゃあさ~、みぎーはどれがいいと思った~?」

 当たった。

「本音さん?」

「きっとみぎーはびっくりしてるんだよ~。こんなに本を積まれても読み切れないもの~」

 本音に調子を合わせぶんぶんと首を縦に振る。

(とにかく状況を変えたい!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かにカタログを全部いっぺんには無茶かも」

「セシリアの圧縮授業に耐えられたくらいだからいけると思うけど……」

「それではわたくしが高圧的に聞こえてきますわね?」

「ゴメン違うのそうじゃないの!」

「大丈夫、そのつもりでないのは存じておりますわ」

「さっきから私の扱い何!?」

「まず一社ずつって事ね! じゃあまず」

『ハヅキ以外から』

「選択肢から外されたー!」

 

 

「今日は特に賑やかですね」

「そうなんですか?」

 はい、と眼鏡を掛けた先生は頷いた。

「いつもは織斑先生の弟さんが中心ですけど今日は違うようです。みなさん優しいですからすぐに溶け込めると思いますよ!」

 彼女は少し興奮したように拳を握る。

 一方で自分は少し安心した。織斑 一夏に関する情報では最初は集中砲火のような視線を浴びたという。彼に慣れてすこしでもマイルドになっていてくれればいいなと思う。

「では紹介しますのでそうしたら入ってきてください」

「わかりました」

 そして彼女は教室に入っていく。

 いい先生のようだ。友達のように生徒から親しまれても怒っている様子はないと喧騒から察する事ができる。

 ……すべてはここからだ。

「入ってください」

 第一歩、踏み出す。

 どよめきが伝わっていく。水面に奔る波紋のように。

 先程の先生の隣へ。クラス全体に向く。

 目の前には男子が一人。目を見開いて動かない。

 全体の女子もそうだ。どよめきも今は静まっている。

 大丈夫。

 準備も、覚悟も、とうにできている。

「初めまして。シャルル・デュノアと言います。この学園に、ぼくと同じ境遇の方がいると聞きまして、転校してきました」

 …………少しの沈黙の後、

 

――教室が揺れた――



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24.迷探偵お鈴

確かに状況が変わってほしいと願ったのは静穂本人だが。

(変わりすぎ)

 揺れる程の嬌声から少し経ち、それでもまだ狂ったような熱気が冷める事はなく。

「他にもISに乗れる男はいる可能性があるって聞いてはいたけど同い年で学園に来るなんて思わなかった! よろしくデュノア!」

「こちらこそよろしく。シャルルでいいよ。気兼ねする必要もないから」

「本当に助かるよ、なにせ男一人で緊張しっぱなしだったからさ」

(緊張してたの?)

 静穂の記憶内で彼は満喫していたようにしか見えない。

 とにかく静穂の周囲だけは事態が好転した。表向きは世界で二人目の男子。それも一夏と異なるタイプの美形とくれば放っておくのはその存在にあまり興味のない、例を挙げるなら一夏に懸想している女子くらいなものだ。まあ一夏も普段あまり見せない表情を見せているのだからそれに引き寄せられているが。

 

 

 ケースから数発掴んで取り出し、空になった弾倉に押し込んでいく。雷管にはあまり触れないよう注意して。

 規定数を入れたら銃把に差し込み、遊底を引く。初弾を薬室に送り込み、構える。

 静穂の場合では持った腕の反対側の足、右手に拳銃を持っていれば左足で踏ん張るように半身を切る。左手は銃把の底に。右手ごと包んで押さえる。

 狙う、撃つ。十字のほぼ中央に着弾、繰り返す。

 黒い人型の外観に十字と円で作られた的に撃ち続ける。

 ……これらの動作を一つとして今は4巡目だろうか。

 今自分が手に持つものは人の命を簡単に奪う事のできるものだ。そんなものを扱う時には雑念を振り払うべきだ。

 故に先程から背中をつついてくる存在は気にしてはいけない。

 それが蹴りに変わろうとしたら話は別だが。

「お鈴、それは危険だから。わたし今危険なもの持ってるから!」

「あんたが無視するのが悪いのよ!」

「これ! これ!」

 ゴーグル付ヘッドセットを外しつつ静穂はとある張り紙を指さす。

 

――危険ですので射撃レンジ内に複数人での立ち入りは禁止されています――

 

 追撃のアナウンス。

「そこのちみっ子ー。常連さんの言うこと聞いて離れなさーい」

「だれがちみっ子よ!」

「アンタだアンター。ISなしで銃弾受ければ死ぬのは当然よー」

「そんなの知って――」

「分かった出よう! 先輩も煽らないで危険だから!」

 本当は後始末の諸々があるがアナウンスの彼女に丸投げして鈴と射撃場を後にする。

 後ろからの「またどうぞー」と間延びした声に鈴が激昂したが無理矢理引き摺って食堂へと向かった。

 

 

 気休めというかとりあえず甘いもので気を紛らわせようと、静穂は鈴にクリームソーダを奢った。朝の御返しというのもある。ラーメンと同じ値段では角が立ちそうだから譲歩して。ちなみに自分にはホットレモンティー。

「……随分先輩っぽい人と親しかったじゃない」

 開口一番これである。スイーツでは気がおさまらないのかそれともクリームソーダはスイーツに入らないのか。

「ちょっと前まで抽選にあぶれたら絶対に寄ってたからねぇ」

「それだけで一々1年の顔を覚えるような人には思えなかったけど?」

「9mm弾を消費するのがわたしだけみたいで。他の人はアサルトライフルばっかりなんだってさ」

「確かに練習機はライフルが基本だしね」

 近距離型と位置付けられている打鉄も標準装備には焔備というアサルトライフルが設定されている。練習するならそれに近しいものをと思うのは当然だ。

 ……そういえば、と。

「何か用だったんじゃないの?」

 彼女の専用機の性質上ライフルを練習する必要を感じない。用があるとすれば静穂にだ。

「あんたの事、ちょっと気になってね」

 静穂の何が気になるのか。

「新しい男子と学園巡りとかしないの?」

 そういう事か、と静穂は納得する。

 世界二人目の男性操縦者、食いつかない女子は少ない。

 静穂自身が彼らに近いのもあり、あまりにも興味がなさすぎるように見えるのだろう。

「まあ同じクラスだし大勢で行って警戒されても困るし学園はわざわざ見学する事もあんまりないし」

 地下施設の存在も知っている彼には見学など今更すぎた。

 それを聞いた鈴はクリームソーダのアイスをストローでつんつんしている。そのうち蹴られるのではないか。

(……。……ホッホッホ。お嬢さんは私を溶かしてまろやかになったのがお好きかな? しかし私とソーダの境目の味もまた格別な何かがあるとは思いませんかな?)

「……あんたさ」

「っ!? なにさ!?」

「また無理してない?」

「…………」

 へ?

「正直あんたを見てるとついこの間までのあたしを見てるみたいで心配なのよ」

「この間?」

「あたしが代表候補に選ばれるまでの事なんだけどね。そりゃもう苦労したのよ」

 確かに今の彼女の地位までたった1年で辿り着くにはどれ程の努力があったかなど想像に難くない。

「それでそのあとぶっ倒れちゃってね」

「倒れた!?」

「うん、知恵熱。勉強なんて感覚でやってて高得点とってたからまともに向き合うとああも辛いなんて」

(本物の天才じゃないか!?)

 努力の天才像が瓦解する瞬間だった。

「担当官が勉学に励む真摯な態度も重要だって言うから机に噛り付いたけど、あんな拷問よく続けられるわよね?」

「……まあ、確かに」

 師匠の圧縮授業も苦行ではあった。今はもうあれでないと頭に入らない。

「で、アンタよ」

「わたしですか」

「アンタの場合、解放されてぶっ倒れる前にぶっ壊れた、違う?」

「へ? なにそれ」

「白を切り通すつもりね、いいわ、だったら突き付けてあげる。

 まずアンタは学園に入るまでかなりの努力を続けてきた。きっと代表候補に選ばれる為もあった筈よ」

「待って前提からおかしい!」

「待たない。で、念願叶って入学。それであたしなら緊張が切れて倒れるところ、アンタはそこで踏みとどまった。まだ代表候補に選ばれていなかったから。そこでアンタはセシリアに目を付けた。同じ日本の4組代表は自分の機体製作で忙しいから教わるのは心苦しいし、なにより同じカリキュラムで自分は選ばれなかったんだから同じ事をしても意味がないと思ったから」

「…………」

 開いた口がふさがらない。

「図星ね。そしてその考えは見事に的中。師弟関係を通り越して友情まで生まれたアンタは一夏との仲と取り持つ中でそれでも訓練を怠らなかった。その結果、1回目のダウン」

 ……2回目があるのだろうか。

「風邪の原因ははっきり言ってオーバーワーク。クラスの連中に振り回されてセシリアと箒と一夏の三角関係に頭を悩まされて同室の4組代表まで気遣ってさらに自分の練習までしないといけない。張りつめた糸は切れやすいのよ」

 ここは否定できないがそんな時に乗り込んできたキレやすい人に言われたくない。

「でもアンタは立ち上がった。ブランクを埋めるように今まで以上に頑張った。一夏を鍛えるっていうセシリアの案はアンタにとっても絶好の機会だった。一夏と一緒に自分も鍛えられるから。うらやましい」

 ……セシリアの授業が、ではないのは確かだ。

「最後にクラスマッチ。あたしと一夏の試合の時。アンタは限界が来た」

(あ、そろそろ終わりそう)

 現実はどこだ、いや、事実はどこだ。

「アンタは織斑先生に頼まれて4組代表に付き添った。本当ならもう応援に行っても良かったけどアンタは独りになる4組代表を心配して一緒にいて、閉じ込められた」

(この辺は完全にフィクション入ってるね)

「そんな中でアンタ達は必死に助けを呼んだんでしょうね、きっと照明も落ちて不安だっただろうから。そしてアンタは大きな音で気づかせようと暴れ回った。そして限界が来た」

 クライマックスが始まるらしい。

「肉体疲労と精神疲労が極限状況で爆発した。アンタの性質からして大爆発なんてものじゃないくらいため込んでたんでしょ。気絶して倒れて4組代表はアンタの開けた穴から脱出して助けを求めにいった。ちなみに気絶の原因はあたしと一夏が不明機をブッ飛ばした時の衝撃波。アンタの存在が分かってたらやらなかった、ゴメン」

「ああ、うん……」

 許すも何も鈴とは全く関係のない理由で死んでいたのだが。

「それでアンタは検査入院から帰ってくる。すると爆発した後遺症が残っていた」

(おかわり入りました!?)

 まさかの続編突入。いやここからが本題だったのやも。

「アンタ、飛べなくなってたんでしょ?」

 ここにきてまさかの問いかけである。

 正直どう答えろと。というか何の話だ。

「だんまりは肯定と受け取るわよ。

 ……アンタのIS適正はおそらくBとCのスレスレ部分。そこを見られてアンタは代表候補に選ばれなかった。そのIS適正がDかE、つまり学園に居られるかどうかすら怪しくなっていたのよ」

 静穂は頭が痛み始めた。

 何がどう積み重なればこれ程の妄想が展開されるのか。

 彼女の妄想全開の持論は止まらない。

「イップス、ってヤツね。アンタはここ数日それの克服に専念していた。違う?」

 違う、と言い切れるのか。根本こそ違うがその工程は似たようなものかもしれない。

 以前の自分を取り戻し、元の状態に戻す。それは自分の肉体かIS技術かの違い。

 その点で悩んでいると、その反応に鈴は満足げな表情で、

「ま、もう大丈夫みたいで安心したわ。アンタがいなくなるのは寂しいし」

 おおう、と静穂はのけ反った。明け透けな好意に嬉しいやら恥かしいやら。

「せっかくセシリアとスーツの新調で気を紛らわせようとか話したのに」

「共同正犯!?」

 カタログ十二単は二人の共謀によるものだった。

「朝に会ったらケロッとしてるもんだから解決したんでしょ?」

「まあ一応は解決したけど」

 完全にではないが解決はした。したのだが、

「なんでスーツ?」

 イップスの気晴らしになぜISスーツの新調が必要なのか。そもそも関係があるのか。

 聞くと鈴もまたクラスメイトと同じ反応をした。

「ISスーツって言ったら一張羅よ? 気合入れなきゃダメでしょうが」

 確かにISスーツで表に出る場合はISの試合以外ではほぼ無い訳で、ISの試合には各国の要人が注目しない事は無いと断言してもいい。

 なにせ昨今ISの立ち位置は新時代の兵器だ。操縦者の選別は急務であり必須。数だけのアイドルグループを鼻で蹴飛ばす人気もあり、国家代表ともなれば相当の知名度、将来も約束される。

(暗殺とかもされなくなるだろうなぁ)

 影響力も考えればそれの機会も増えるだろうがハイリスクが過ぎる。慣れてしまいそうな静穂の経験数にも変動はありそうだ。

「そういう訳で、セシリアとあれこれ話して、結果、アンタには女の子としての自覚が足りないってことになったのよ」

 そりゃそうだ。静穂は男子なのだから。

 さらにルームメイトは女子力の塊、なにこの可愛い生き物、である。

 あれに近づくのは無理と早々に判断した静穂は正しいと言える。

 無理に真似しようものならボロが簡単に出かねない。

「まあ何を考えてISにのめり込むのかはいつか聞くとして」

(聞くんだ?)

 二人のというか周囲の見解ほど自分は頑張っていないけれど、と静穂は考える。

「正直もったいないのよアンタ、同性のあたしから見ても可愛いし」

(ふ、複雑……)

「それに……」

「?」

 急に言葉尻が弱くなり、鈴は静穂の目から段々と下に目線をやる。

「アンタとはこれまで以上に仲良くできそうなのよ……」

(胸か!)

 熱くなる顔を隠すように紅茶に口をつける。程よく温かい。

 一々パッドを着けたり外したりが面倒そうだからとそのままを選択して生来の特徴を気にする異性から同情もしくは共感されるのは良心が痛む。

 それ以前にその手の話題は恥かしかった。同性か年の離れた相手とそういう話題はしたにはしたが、同年代の異性に振られると、正直困る。全く別物だ。

 で、だ。

「なんでISスーツとイップス? が関係あるの?」

 改めて本題の方向へ。

「イップスって心の在り様なのよ。気が滅入ってたりすると心だけじゃなく実際の結果もどんどん落ち込んでいくの」

「経験したみたいな言い方だね」

「……セシリアもあたしも知らないうちに何人も蹴落としていまの地位にいるわ。その時にね、目につくのよ。そういう風に潰れていくヤツって」

 二人で相談し熟考した結論、という事らしい。前提から間違っているけれど。

「もちろん復活したヤツも見た事あるわよ? ソイツらのやってきた手段の中から一番タイムリーな方法が今回のスーツ新調ってわけ」

 スーツ状の物体に振り回されたのだが言わぬが華か。

 ――静穂はじっと手を見る。

 首元から命をわしづかみにされつい昨日まで素人操作のマリオネットよろしく振り回してくれた、義姉の乗機だったもの。その展開状態が指先まで包んでいる。

(……お前のせいで)

 お前、と呼んでいいのか分からずも、言いたい事は山とある。聞きたいこともたんとある。

(お前のせい、と言っていいのかわからないけど、)

 

――お前のせいで。わたしは――

 

「でも流石ね。こっちが動くより先に新調して完璧に乗り越えてくるんだから」

(――また変な勘違いされちゃったじゃないかぁあああ!!)

 しきりに頷く鈴はクリームソーダだったものを手早く飲み干――

「静穂さんっ!!」

 しきれず顔にかかった。

「師匠?」

 空中に退避させたレモンティーを置くや否や、即座に手を掴まれる。

 おっかなびっくりでISスーツに似たISを着た静穂の手を握るセシリアの顔は近い。

「何すんのよ!」

「静穂さん! 料理はできますか!?」

「聞きなさいよ!」

 外野は怒っているが内野も混乱している。

「え、一応、切って焼くだけなら――」

 

――わたくしに料理を教えてくださいませ!――

 

「――はひ?」

「無視すんな!!」



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25.クッキングファイターシズ

 ……何度目になるか分からない地下駐車場を、とにかく走る。

 その先の角を曲がって、壁のパネルを探し、中から自分を掬い上げる。

 何度も繰り返した一連の所作。

 だが今回は先客がいた。

 角を曲がったら目視した。

 駐車場の中心に、エプロンドレスだろうか、以前にどこかで見たような衣装を身にまとう女性。

 つい、足を止めてしまった。彼女の声が聞こえてくる。歌声に通じる耳通りだ。

「試してあげよう」

 何を? と聞こうとして声が出ない。夢ではふつうの事だった。

「オマエは、この世界、楽しい?」

 ……思わず一歩踏み出した。なぜそうしたのかは分からない。

 彼女の質問に腹を立てた訳でもない。先にいる自分に向かおうとしたのかも不明。

 ただ一歩踏み出して、

 

――その脚が膝から割れた――

 

 倒れる身体を支えようとした腕もまた然り。ひびが入るより先に砕けた。

 スローモーションで落ちていく視界に彼女の足元が見える。

「またね石ころ」

 頭が砕けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「静穂さん!」

「シズ! 平気!?」

(何度目の天井だろうね、これ)

 そのうちシミの数も暗記できそうな医務室の天井を見て、身体を起こす。目を開いた途端に清涼感が澄み渡る頭は、少し興奮気味な保健の先生に注目する。候補生二人組は少し涙目。

「おはよう」

「おはよう、じゃありませんわ!」

「アンタも人の事言えないでしょ」

「なんですって!?」

「アンタの毒物平らげたからコイツは死にかけたのよ!?」

 途端にセシリアが意気消沈。

「別に死んでないよ?」

 途端に二人に抱きしめられた。

「シズ、もういい、もういいから」

「もう十分ですから、これ以上はもう……」

「? ?」

 何があったのだろうか。

 

 

 保健の先生は興奮した様子で説明してくれた。

 調理場の一部を借り、静穂たち三人は料理教室を開いたと言う。

 その時に、まずはセシリアの腕前を見てみようと独りで作らせたらしい。

 事の発端は昨日、一夏に手料理を振舞うというイベントから。箒、鈴、そしてセシリアは思い思いに料理を作った。

 箒はから揚げメインの弁当。鈴は唯一作れる酢豚。静穂はパイナップルありでもなしでも美味しく頂きます。

 セシリアはサンドイッチ。これが問題だった。

 一夏は気合を入れたのだろう一つ完食したが、興味を持った他の面々は撃沈した。

 結果、セシリア一人の惨敗だったのである。

 だから今朝の鈴は機嫌が良かったのかと静穂は納得。

 しばらくしてセシリアが持ってきたのはミネストローネに見える何か。

 そう、()()だったのだ。

 静穂は一口すすり、直後一気に平らげ、倒れたらしい。

 何故毒と分かっていながら飲み干したのかは当人でも分からない。ほんとうに、何故か。

(その場のノリだったのかな?)

 お調子者ではないと自分では思っているが。

 周囲は毒物の拡散を防ぐため身を挺したと判断されているようだがその瞬間だけは美味だったのは覚えている。

 そして現在、何故か興奮している保健の先生を目の前に。

「……なんで興奮して」

「よくぞ聞いてくれました!」

 言葉を食って先生が乗り出して来る。ここまで来ると怖い。

「汀さんの胃を洗浄した後、容器に残っていたスープの組成を調べたの」

 確かに毒物が外から混入された可能性もあるだろう。天下のIS学園、スパイ行為や暗殺などとは切っても切れないのかもしれない。

「調味料も調べたけれどその辺は問題なし。毒は汀さんの胃と調理鍋からしか検出されなかった」

 セシリアはいつの間にか毒料理を作成していたらしい。

(何? 評価が高くなって売値も上がるの?)

「でも私が驚いているのはそこじゃない。彼女の作った毒は今現在、地球上のどこにも存在しない代物だったの」そしてこっそりと、「ISと同化していなければ絶命待ったなしだったかもしれない」

「すいませんどういう意味か分かりません」

 保健の先生は落ち着こうとして深呼吸。のちに続けた。

「薬ってどうやって作ると思う? 実は薬の作り方の一つにまず毒から作る手法があるの。ううん、むしろ最初に毒ありきでその症状を討ち滅ぼすために薬は開発されるといっても過言じゃない!」

「先生落ち着いてない! 全然落ち着いてない!」

「話を聞く限りこの毒は無味無臭、即効性、細胞質破壊、さらに行動誘発の可能性も秘めている! 素晴らしい! うまくすればペニシリン並の大発見よ!!」

『そこまで!?』

「さあオルコットさんキリキリ吐きなさい! どうやって作ったの!? 貴女の発明で歴史が変わるわ!」

「わたくしの失態が後世に残るなんてお断りいたします!」

「何言ってんの歴史よセシリア!? 御家再興も楽勝じゃない!」

「こんな手段は御免被りますしまず没落しておりませんわ!」

 女性陣三名に姦しくおいていかれ寂しい。

 やいのやいのと騒ぐ他所で静穂は思い返す。

 それは保健の先生の一言。

 

――胃を洗浄――

 

(なるほど、それで――)

「お腹すいた」

『!?』

「じゃあ失礼します」

 楽しそうな三人を放っておいて静穂は医務室を後にする。

 元は料理を作るという話だったのだから、久し振りに作りたい気分だった。……心なしか胃も痛いし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エプロンを着用、セシリアが使用したスペースは黄色と黒のテープで侵入不可。おぞましい空気が漂っているように見えるのは気のせいだろうか。

(まあいいけど)

 ラビットの腕部分だけを解除し、手を洗う。とりあえず使っていい食材を見繕っていると、例の二人が飛び込んできた。

「静穂さん!? 今日はもう結構ですからお休みになって!」

「でも胃の中空っぽだし」

「あれだけの事があってよく食欲湧くわね……」

 また涙目のセシリアと呆れ顔の鈴。その後にはなぜか保健の先生。

「先生はなんでですか」

「私もお腹すいたし。一応洗浄はしたけどやさしいものにしときなさい?」

 一応は心配してくれるらしい。だが前者が主目的だ絶対。

(やさしいもの……おかゆ?)

 今の静穂はがっつりの気分。

 レパートリーと呼ぶには大分遠い脳内からいくつか選び出し、後片付けの面も含めて決定する。

(面倒だから、鍋)

 

 

 方向性を決めてしまえばそれからは早い。

 まずしっかりと野菜類を洗い、大根に手を掛ける。

 髭のような先端部分は泣く泣く切り捨て、皮ごとすりおろす。皮ごとなのはひとえに桂剥きも面倒だしピーラーも後で洗うのが面倒だし。

「うっわ早っ」

「手馴れていますわね……」

 外野は放っておいて丸々一本分の大根おろしをそのまま鍋にいれ火に掛ける。火の存在を忘れても被害は少ないように弱火。

「水は入れませんの?」

「大根の水分を使うんじゃない?」

 煮立つまでに具の方に着手。

(大根の葉と、あと胃にやさしいもの……噛みごたえはない方がいい?)

 変に考えて失敗というのはセシリアの二の舞だ。やはり以前のとおりに作りたい。

 大根の葉と一緒に白菜を切っていく。一口大、カードくらいの大きさで。

(肉も食べたい)

 だがあまり噛まないで食べてしまいそうだ。それほど静穂は空腹だった。

 目にとまったのは豚肉と鶏肉。鶏肉は皮を剥ぎ挽き肉製造機に入れていく。

(全自動だこれ。おいくら万円? これ)

 機械が勝手に合挽き肉を作成してくれているのでその間に彩りを添える。ただ何となくというだけで意味はない。

 人参を縦に置き削るように皮を剥く。流石に人参は皮を剥かないと固そうだ。

「とことんピーラーも使わないつもりね……」

「ピーラーって何ですの?」

「誰でも簡単に野菜の皮が剥けるのよ」

「大発明ですのね。ではなぜ静穂さんは使わないのでしょう?」

「料理人としての意地とかかしら?」

 洗い物は少ない方がいいからです。

 人参は薄めに輪切り。野菜はもういいだろうと、すべて鍋に放り込む。

 鳥の皮は塩を振って揉み込み短冊状に切り、丸めて爪楊枝で刺し、野菜と同じく放り込んだ。

 気分に任せ軽くかき混ぜて蓋を下ろし機械から合挽き肉を受け取る。

(あー、臭みとか出るんだっけ?)

 料理の本など読んだ事はない。だが自分ひとりだけならともかく、他人に出すとなると気にしなくてはならないだろう。

 下味なども考えた事もないが、挽き肉はもっとキメ細かくてもいいかなと思ったので丁度いい。

 ビニール手袋を嵌め合挽き肉を更に潰すようにかき回す。

「何故手袋を?」

「野菜を触ってたから一応でしょ?」

「手を洗うのが面倒だからとか」

 先生が正解。手を洗うのが面倒だから。

 潰して混ぜて合間に塩とコショウと生卵。ネギトロを彷彿とされる頃合いで鍋の火力を強め、かき混ぜていた挽き肉を指で絞るように成形し落としていく。100面ダイス……は大きすぎるのでそれよりは小さく。みぞれに落ちた肉団子がみるみる色を変える。

(後は待つだけ)

 蓋を戻す。その間に使った調理器具を洗いに入る。

「え、終わり、ですの?」

「みたいね」

「……うちのキッチンも掃除してくれない?」

(聞こえない聞こえない)

 

 

 当初の人数に一人足して、料理教室は予定の航路に戻ってきた。まあ作った静穂本人が今更の後悔をしている訳だが。

(投げやりすぎたかな?)

 今回の料理を選んだのもすべて作業の簡略化が根本に立っている。見た目は肉団子のみぞれ鍋だが、水を測るのも面倒だし皮を剥くのも嫌だったし肉団子もあまり噛むのが面倒だったからだ。ここまでやるなら真面目にやった方が早い気もする。

(第一、人に出せる腕前じゃあないし)

 本当に今更だった。

 静穂が人数分を取り分けるとほぼ同時、

「頂きます!」

「鈴さん!?」

「早ぁ!?」

 ちょっとマナーが悪いが気にする必要もない間柄か、真っ先に鈴が食いついた。

「お鈴、早いよ?」

「いいじゃない別に。ちょっと味薄すぎよ?」

「だから早いって。はいポン酢。それとも塩?」

「両方!」

「塩分摂りすぎは気を付けてね……?」

 一応肉団子にも塩は使っている。

「なんといいますか」

「師匠?」

「冬にいただきたい味ですわね……」

 塩を振っていた彼女はスプーンで肉団子を持ち上げて眺めている。そんなに珍しいのだろうか。

「もちろん今も素敵ですけれど。こんな簡単に作ってしまえる程の腕前とは驚きですわ」

「極力手抜きだけどね」

「いえ、食す相手の事を考えたメニューを考えられるのは素晴らしい事だと思いますわ」

 褒められているのに胸が痛いのは気のせいだろうか。その相手とやらが自分だからか。

「それにこのスープ、どこか懐かしく感じるのはきっと気のせいではないのでしょうね」

 なんだろうかそれは。

 静穂ば首を傾げているとセシリアは手で目線を誘導した。

 その先では保健の先生が電話していたり鈴が勝手に鍋の中身を配っていたり一口は食したであろう女子複数人が涙を流していたり。

「なんで泣いてるの!? というかいつの間に!?」

「近くで覗いてたから誘ってみたわ。料理で泣かすなんてなかなかできないわよ?」

 全く悪びれる様子のない鈴。自分のした事が分かっていない。

「お鈴」

「何?」

「わたしの分、ないんだけど」

 

 

「なんか、お父さん思い出した」

「ごめんね、パパ、ごめんね、ごめんね……」

「ああ母さん? 父さんいる? 畑? ううん大丈夫。ちょっと声聞きたくなっただけ。仕事は順調。うん。顔見たくなったから今度の休みに帰るわ。お見合い? 父さん泣くからパス。……うん、そうかも」

 

 

「…………てへ」

(かわいいけどてへ、で済ませないで!)

 何のために作ったのか、誰の為に作ったのか。半分はセシリア等の他者の為だがもう半分は自分の為で。空腹がもう我慢の限界でもあった。もう作る気も起きない。

(……購買行こう。ヤケ食いしよう)

 パンから菓子から買い漁ろう。商品入れ替えを余儀なくさせよう。すべて鈴が悪い。お腹すいた。

 ……だがそうはいかず。

「汀ちゃん、ちょっといい?」

「? はい?」

 呼び止められて振り向いた。相手は年上、食堂のおばちゃん。

「実はね、あんたのお友達が買い取った食材、賞味期限が今日までだったのよ」

「……へ?」

「それに冷蔵庫も壊れちゃって今日中に食材使い切る必要があるのよ」

「はあ」

「本当なら私たちで何とかしたいんだけれど、みんな銀婚式だったり法事だったりで今日に限って人手が足りないのよ」

「そう、ですか……?」

「こっちの手違いで本当にごめんねえ。私たちも手伝うしお金も返すから、もっと大人数向けで作ってくれない?」

 なんだか琴線に触れる美味しさみたいだし、とおばちゃんは年相応の可愛さを振りまいてくる。

「なんで? …………わたしのごはんは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……クラスの友人からメールが届いた。

 

――食堂で面白い事やってる――

 

 うちのクラス、4組は基本、他人に干渉する事がない。

 他人に興味がない集まりと言う人もいるが、私は個人主義だと思っている。

 静穂とよく見たアニメでもそれっぽい事を言っていた。個人プレーがどうこう。

 まあ余程重要な事があればこうしてメールや電話が来るから繋がりはある。この距離感が私は好きだ。普段は気にしなくていいから。

 面白い事に興味が湧いて、私は食堂へ向かった。

 

 

「どうしてISで玉ねぎを切らないといけないんですの!?」

「目もしみないし手も切らない! ビニール手袋で衛生面もバッチリだからでしょ!? 静穂! トマトはどうすんの!?」

「なんで一々わたしに聞くかな!? スライスして水気を切ってハムとレタスと一緒にサンドイッチ!」

「味は!?」

「塩!!」

「汀さん! ちょっと味見て!」

「そんな暇はない! 味のもとをスティック2本!」

「コンソメは入れる!?」

「使った事ないから入れない!」

「汀先生!」

「先生!?」

「肉の下ごしらえはどうしましょうか!?」

「なにがどれだけ残ってる!?」

「牛340豚178鳥249です!」

「……単位は?」

「キログラムです!」

「やっぱり!? ――――とりあえず肉たたきで柔らかくして塩コショウ! お鈴! 今空いてる!?」

「包丁二刀流でキャベツ切ってるわよ! 何!?」

「衝撃砲で肉叩いて柔らかくして! その後酢豚班と合流お願い! ごめんなさい貴女キャベツ交代して!」

「分かりました!」

「静穂っち!」

「今度は何!?」

「使用許可が出た! 打鉄1、ラファール1、メイルシュトローム3、テンペスタ2! 整備科の先輩達が衛生処理作業中!」

「そんなの頼んでないよ!?」

「私が頼んだ!」

「何故!? 準備出来次第パイロットごと連れて来て! 料理できなくても切るかかき回すか配膳で手伝ってもらうから!」

「静穂! 手伝うぞ!」

「一夏くん!? じゃあ配膳に回って!」

「シズ!? 一夏は料理できるのよ!?」

「他の人が作業しなくなる! 一夏くんが表にいるなら行列も捌ける! 一夏くん! オーダー聞いて席に案内してテーブル綺麗にして! IS使って本当に飛び回って!」

「任せろ!」

「みぎー! せっしーを止めて~!」

「何事!?」

「ふよふよ飛ぶのでコンロの代わりにするとか言ってる~!」

「ティアーズで!?」

「コンロが足りないのならISで代用すればいいのですわ!」

「光学兵器の最低温度でも耐えられる鍋はないよ!?」

「ご覧に入れましょう! わたくしとブルー・ティアーズの――」

「奏でないでぇええ! IS班は師匠を羽交い絞めて!!」

「IS到着! 静穂っち、GO!!」

「なんでわたしが使う事になってるの!?」

 

 

「…………何、これ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、食材救済と銘打った食堂特別割引セールは歴代最高売上高を記録した。

「何してるのわたし何してるの!? 内輪の料理教室がどうしてこんな大規模な炊き出しに進化してるの!? ワープ進化どころじゃないよ!? というかなんでわたしが陣頭指揮なのいったいおばちゃんどこ行ったのここにいるの学生しか見当たらないんだけど本職の人はどこ行ったのお願いだから職務放棄は勘弁してそしてどうしてIS使って料理してるの一体誰が許可したの!?」

 静穂は翌日の昼まで食事にありつけなかった。

「あああもおおお腹すいたぁあああ!!」



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26.中心になる2人目、震源地の2人目 ②

「すごいね一夏。料理できたんだ」

「まあ家事全般の一つって程度だけどな。今回は出番なかったけど」

「給仕さんだったものね」

「今回凄かったのは静穂だろ。料理して指示飛ばして、一人何役だった?」

「その辺りはオルコットさんの指導のお蔭じゃないかな? 指揮の内容も習ってるみたいだったし」

 今をときめく男性操縦者二人の話題に取り上げられた当人は机に突っ伏して動かない。

(おなか、すいた)

 静穂は今朝も食事抜きだった。

 詰まる所、昨日食堂のおばちゃんたちは職務放棄した訳ではなく、静穂たちに任せ自分たちの仕事に取り掛かっていたという事だった。

 食堂は冷蔵庫の故障を皮切りに複数の問題が露見し、その修理、改善案を会議で詰めていく一方、生徒たちには任せきれない食事を別室で担当していた。おもにアレルギーやハラール関係などだ。

 今朝の食堂は開いていなかった。改めて問題箇所の洗い出しなど諸々の事情があるらしい。

 そうなったら朝食はどうなるのか。購買しかない。

 購買には生徒が殺到。イナゴのようにパンから菓子類まで買い占めてしまった。昨日の事である。

 後片付けで最後まで残っていた静穂は現在まで水しか飲んでいない。昨日は食事を摂る余裕もなく、今朝補充される筈だった購買は交通事故による渋滞からいつ到着するか目下不明。

 皆も他人に渡す余裕などなかった。たとえそれが昨日の救世主だったとしても。現実は非情。今更ではある。実際は料理の中心人物が食べ損ねるなど思いもしないからだが。

 昨日の静穂は眠れなかった。織斑先生に自分から出席簿を貰いに行く程だ。

 とにかく空腹。目は回らないが。

(普通だったら倒れてるよね……)

 朝起きたら即座に目が冴えるのと同じく、体内のISが体調管理でもしているのだろう。どうせなら空腹も満たしてほしいものだ。燃料不足を訴えない機械も少ないだろうが。

 

 

 ……空腹で頭が回らなかったからだろうか。事件が起こってもまるで対岸の火事。その場にいない、観客のような感覚を覚えるのは。

 目の前で一夏が知らない女子に頬を張られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでアンタなにもしなかったわけ!?」

「しなかったのではありません! 敢えて行動を起こさなかったというのが正しい表現ですわ!」

「この間の麻耶ちゃんと闘ってから牙が折れたんじゃないの!? 臆病者!」

「どこかの常時剥き出しの狂犬と一緒にしないでいただけません事!? 使いどころを弁えていると言ってください!」

(まだやってるの?)

 二人目の転校生、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 初対面の一夏にビンタを浴びせた銀髪の少女が巻き起こした旋風は、アリーナに移動してもまだ吹き止む事なく。静穂が山田先生と一緒にISを搬入しても鈴とセシリアの口論は止まっていない。

 腹は減っても意識はしっかり。山田先生から「以前に運転した事があるんですか?」と褒められる程のハンドルさばきでIS数機を搭載したターレットトラックを持ち出してきた静穂に1・2組合同の視線が飛ぶ。

 

――そろそろ止めて! 織斑先生が来る前に!――

 

(死ねと!?)

 この二人を止めたいなら一夏という特効薬があるだろうに。そう考えて静穂は思い直す。当の特効薬が渦中なのだ。一夏の周囲はいつものように人だかりができ彼を労わっている。箒はしっかりと隣をキープ。もう契約はいらないのではないだろうか。

 とにかく一夏は対応できない。となると共通の友人が槍玉に挙げられる訳で。

 ……静穂はターレットを停めて二人に声をかける。

「二人ともさ、よければISを降ろすの手伝ってくれない?」

「シズ! アンタの師匠とんだボンクラじゃない! 今からでも師事する相手変えなさいよ!!」

「静穂さんが貴女のような粗雑な方を師事すれば10回は壊れてしまいますわ!」

「そう言ってるけどアンタはもうシズを一回ぶっ壊してるじゃない!」

「わたくしの指導があったからこそあの程度で済んだのです! それになにより静穂さんが貴女を選ぶ理由が欠片も見当たりませんわ!」

(あー、……ダメだこれ)

 諦めたほうが早かった。というのも、

「静かにしろ、莫迦者共」

 ……織斑先生が出席簿を振り上げていたから。

 普段は主に一夏から聞こえてくる激突音を二度聞いて、アリーナにはようやくの静寂がやってきた。

「貴様らはいつまで遊んでいるつもりだ! 専用機持ちは前に出ろ! 他の者は整列! 汀!」

 はひぃ! と静穂は背筋を伸ばす。

「搭乗と飛行を許可する! さっさと等間隔に並べろ!」

 ――昨日の料理の時といい、一度方向性が決まれば話は早い。

 静穂は取り急ぎISに飛びつく。簡素に装着・固定し、システムの初期動作をいくつかスキップして後方に背中から飛び出した。

 スキューバダイビングよろしくエントリーを決めた静穂は、勢いを殺し固定された残りの機体へ。ロックを外し、一機ずつ慎重に抱え上げ先に山田先生が並べていた列に合わせていく。

 計五機のISが並べ終わった時、静穂に出席簿が落ちた。

「動きは及第点だが初動が遅い! 次は仲裁よりも先に作業を済ませておけ!」

 その言葉は本人が起きている時に言ってあげるべきだと皆は思ったが口には出せず。

 

 

「いいか貴様ら。本来は汀以外もあの程度は可能な筈だったが先の襲撃事件でカリキュラムに遅れが出ている。今日は歩行訓練だ」

 話に挙げられて嬉しいやら恥ずかしいやら。

「専用機持ちがサポートを行うが決して先程のように男子に集中しないように。授業の妨げになるからな。返事は!」

 数十名の女子が一斉に返事を返す。まるで軍隊だ。

「では始めろ」

 号令とも取れる一言で1組2組合同授業が始まる。

 静穂は当然というか何というかセシリア列。理由は師匠の列でラファールだったから。

 セシリアに手伝ってもらいながらラファールを立ち上げて、少し早足気味に歩く。飛行可能なISという機械でわざわざ歩く動作を行うというのは飛ぶより逆に難しいものだった。

「静穂さんの補助はもう何度目でしょうね」

 そう言って微笑むセシリア。嫌味の類いではなく、まるで親が子の成長記録を見返しているような表情だった。静穂には別の意味も含まれていそうだと深読みし、

「一夏くんと練習できなくて残念だったね」

「……今日は初めてわたくしの立場を恨みましたわ」

 それでいいのか代表候補生。

 最後の方は完全に走って当初の位置に戻ってくる。よっこいしょ、と膝立ちの姿勢になり、機体を解除。ぽん、と押し出されるようにISから離れた。

 それぞれの列が数名歩き終わると、黄色い悲鳴が上がった。

 その先を見れば一夏が本音を抱えて持ち上げている。

 なんともお姫様抱っこが絵になる男だ、と静穂は思った。

 次に金属音が聞こえた方向に目をやれば、鈴が青龍刀を地面に突き刺し、セシリアがライフルを展開している。

(見てない見てない)

 周囲の目が静穂に向けられる。止めなくていいのか、と。

 見ていなければ関わりはない。今の二人に関わってはいけない。

 他人アピールを貫徹していると「汀」と声がした。

「織斑先生?」

「ボーデヴィッヒの所を手伝ってこい。あそこだけ遅々として進まん」

 見るとそこだけ列が澱んでいる。それもそうだ。顔を合わせた直後に一夏にビンタを浴びせるような気性の人間が相手となるのだから。自分は張られないという証拠がどこにあるのか。

「分かりました……」本当はやりたくない。痛いのは嫌だ。

「任せる。何か言ってきたら私の名を出せ」

「先生のですか?」

「それで大人しくなる」

 確かに織斑先生なら名前だけでそこらの怪獣超獣宇宙人でも借りてきた子犬程度になりそうだ。

「ゅ――――何も言ってないですよ!?」

「失礼な事を考えたからだ。言わなかった分の手加減はした」

(確かに気絶はしてないけれど! してないけれど!)

 出席簿で心の自由まで奪うのは勘弁願いたい頭いたい。

 

 

 痛む頭を押さえて向かうと、救いを求める目線が飛んでくる。今日は悲喜こもごもといった視線をよく浴びる日だ。

「何の用だ」

 そう言う転校生の目線は鋭い。視線だけでメスのように肉が切れそうだ。

 早速だが切り札を切る。授業時間には限りがあるのだ。また出席簿は嫌なので。

「織斑先生が、わたしと代われってさ」

「教官がか?」

 教官? ……それよりも出席簿回避だと切り替えて、

「進みが遅いらしいけどどうしたの?」

「一人が乗った。するとこの連中はそれから乗ろうとしない」

 静穂はISに目をやる。イギリス製第2世代機メイルシュトロームが凛と直立している。

 静穂も搭乗の経験がある。その時はセンサー類が繊細すぎて少しばかり手を焼いた。あれくらい敏感でないと狙撃機体として成り立たないのだろうと理解はできるが、命中率の世界記録は日本製打鉄のパッケージに奪われているのは皮肉だろうか。

 だが授業の遅れは機体性能が原因ではない。歩く程度、入学前の静穂でもできただろう。問題はその状態にある。

 直立したISは同じ位置からでは搭乗できない。背丈の問題だった。

 織斑先生はそういう事を踏まえて専用機持ちに担当させたのだが、

(お姫さま抱っことか、……やらないよねぇ)

 今も彼女は腕組みしたまま動こうとしない。ならば静穂がやればいいのだろうか。男子の静穂が抱きかかえたとてISと同じ身長、座高ではないので届かない。それに下手するとセクハラ、男子とバレる危険もある。ラビットのお蔭で傷隠しや引ん剝かれる恐れこそ消えたがそれで飛ぶなどありえない。所属不明機を所持しているのがバレたら生きたまま解剖されてしまう。ちなみに体格では何故かバレていない。ため息や同情の目で見られるがバレていない。何故か。

 ため息を一つ吐いて、静穂は行動に移る。

「はい次の人」

 自分が代わる外はない。

 躊躇う女子においでおいでとジェスチャーを送る。おずおずとやってくる彼女の顔は浮かない。

 静穂は彼女とISに挟まれる位置で腰を落とし、片方の膝を彼女に向ける。

「人間階段でいこう。太腿から肩に行って、そうしたら乗れる筈」

「え、でも」彼女は人を踏むのに抵抗があるようだ。

「いいから、時間ないよ」

 ……彼女はおっかなびっくりといった様子で静穂の太腿に体重を掛け、肩にもう片足を乗せると、踏み込んで自身を押し上げた。

 静穂は自分に掛かるささやかな負担が消えるのを確認してから立ち上がる。ISに腕を通している彼女が些か心配になっている。普段はちゃんと食事を摂っているのかどうか。自分は食べていない。これが終われば真っ直ぐに食堂に駆け込む心の準備が出来ている。だから授業に遅れが出るような事は避けたいのだ。絶対。

「よし」

「準備出来た?」

「ありがとう汀さん。ありがとうついでにコツとかあったら教えてほしいな」

(コツ?)

 それらしい例えでも出せばいいのかと思い、最初の頃の率直な感想を引き出した。

「手放しで竹馬に乗ってる感じ?」

「それで何となく解るのは妙な気分ね……」

 とにかくありがとう、とだけ言うと彼女は決められた位置まで進んでいった。

 

 

 ……それからは概ね順調だった。

 時折りISを立たせたまま降りる女子も見受けられたがその都度静穂が押し上げたり登らせたりといった手段で授業を進めていく。

 もうすぐ終わりが見えたところで、ただ見ていただけのボーデヴィッヒが口を開いた。

「随分と優しいものだな」

「へ?」

「最初の貴様の操縦技術を見れば、こんなもの児戯と変わりないだろう。態々付き合う必要もない筈だ」

 黙っていたと思っていたら注目されていたのか、静穂は妙な心持になった。

「まるで嫌味を言われているようだな」

「嫌味? わたしが?」

 そうだ、とボーデヴィッヒは頷き、

「強者が弱者に付き合う、それも踏み台になるなど逆に見下されているのと同じだ」

「…………」

 そういう見方もある、という事なのか。

 言い返すにしても静穂には彼女の言葉、その意味がうまく反芻できない。

(強者が誰で弱者がなんだって?)

 頭を捻る。難しいとかそういう理由ではない。ただ何を言っているのかわからない。中二病で難しい単語を使っているのでもなく、静穂にとっては回りくどくて分かりづらい。それ程回ってもいないのだが。

 静穂は当たり障りのない言葉を選んで返答した。

「まあ授業だし」

「それだけでスーツを汚すような真似をするのか?」

「織斑先生の指示だし」

「成程」

(納得が早い!)

 本当に先生の名前が必殺兵器になりつつある。

 ボーデヴィッヒは何度も頷きながら、

「確かに織斑教官の指示は素晴らしいものがある」

(信者かこの子!?)

 IS学園9割を占めると噂される織斑 千冬をこよなく敬愛する信者の一人だったのか。

 聞いた話では彼女ドイツの代表候補生だという。態々学園に転校してくるのだからその熱は相当なものだろう。

(レベル高いなぁ。いろいろと)

「貴様は教官によく使われているようだな」

(何か食いついてきた)

 好きなものにはとことんのめり込むタイプのようだ。

「ああ、まあ、成り行き、かな?」

「そうか、その成り行きを大切にするといい」

 

――教官が我が国(ドイツ)に戻られるまでッッ!?――

 

「織斑先生!?」

「授業を妨げるな、莫迦者」

 恐らくは睨み付けておきたかったであろうボーデヴィッヒがのたうち回る様は滑稽を通り越して可哀想だ。

「ボーデヴィッヒ。態々代役を出してやったのだ、片づけは貴様も手伝え」

「……了解しました、きょうか――ッ!?」

 ボーデヴィッヒ、沈黙。

「――ここでは織斑先生だ。汀、ここはもういい。トラックを片づけておけ」

「へ? トラックだけですか?」

「罰には丁度いい。そしてターレット式は山田先生の指導を受けた貴様しか使えん」

(それ程難しくはなかったけれど)

「汀」

「はい」

「貴様が戻ってきたら授業を〆る。食堂がそろそろ開くぞ」

「すぐ戻ります!」

 もうボーデヴィッヒなどどうでもいい。とにかくこの空腹を満たしたい。

 その欲望に背中を押されターレットのエンジンを始動させていると、箒が近づいてくる。

(箒ちゃん?)

 一夏に抱きかかえられてご満悦だった彼女が一体何用だろうか。

「静穂、少しいいか?」

「何?」

「食事の時に話がしたい。どうだ?」

「分かった。動かすから離れて」

 彼女が離れるのを確認してから静穂はハンドルを回していく。

 頭は食事の事で一杯に膨れ上がっていた。




 毎回サブタイトルと最後の部分で悩みます。


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27.渦中は凪、傍は靄

 箒が予め抑えておいたテーブル席から周囲を眺めると、普段以上の盛況だった。昨日の炊き出しと比べると幾分か整然とされている。

(静穂の奴はまだ並んでいるのだろうな)

 最近の静穂は何だかんだと授業の手伝いに駆り出される事が多い。今回もまた何かしらの用事で出だしが遅れ行列の半ばといったところだろう。正直に言って、遅い。

 まったく、と箒は息を吐く。

(そんなにのんびりとしているから)

「ごめんね篠ノ之さん。他に空いた場所がなくて……」

「いや、大丈夫だ」

「でも本当にいいのか? 誰かと食べる約束じゃないのか?」

「問題ない。来るのは一人だ。余裕はある」

 ……本当は来てほしくない当人が来てしまった。いや普段なら嬉しい事この上ないのだが。

(これでは策が練れないではないか)

 箒は思考を廻らせていた。どうすれば次のトーナメントで優勝できるのか。

 これは自分自身へのけじめだ。イギリス貴族のセシリアが現れ、次に自分とは異なるもう一人の幼馴染、鈴の存在。更に一夏の性質から来るダークホース出現の可能性とくれば、もう物怖じしている余裕はない。

 箒は考えてこそいないが普通の共学校であれば女子は他の男子にも目が行く可能性があるため幾分か出馬候補は減少するだろうがここに男子はつい最近まで一夏しか居らず、今更一人増えたところで心変わりする可能性など考えても望み薄だ。

 箒は勇気が欲しかった。以前に剣道の大会で優勝した時はただの憂さ晴らしだった。明確な理由などなく、ただ暴れたかったと言われても反論はできない。それでも達成感に似た何かが箒を満たした。それを今の箒は必要とした。勇気の代用品になると考えた。

(私は、)

 ただ単に切っ掛けが欲しいのだ。そしてそれは告白するための勇気へと帰結する。

 好きな相手に見て欲しい。今の自分を知って欲しい。

 恋する少女の、いたって普通の行動心理。彼女の場合、少し攻撃的かもしれないが。

(勝つ、絶対に)

「……箒?」

「っ?」

 つい険しい顔をしていたようだ。一夏どころか隣のデュノアまで心配そうな顔をしている。

「どうかしたか?」

「すまない、考え事だ」

「何か悩んでるなら相談に乗るぞ?」

(お前の事で悩んでいるのだがな)

 そう言ってしまえば少しは事態は変化するのだろうか。

「……トーナメントの事を少しな」

 つい話題を逸らしてしまった。

 良い事か悪い事か悩んでいると、

「あ、あれか、トーナメントで優勝し――」

 ――待て一夏、それ以上言うな!

 そう言おうとした箒の言葉ごと遮るように、

 

――硬いものが割れる音、それが食堂の音を一掃した――

 

 

 

 野次馬根性と言うと聞こえが悪いが箒たちが駆け寄ると、

「あー…………」

 思考が停止し口が開いたままの静穂と食事となる筈だったものを脇に女子が、しまったと言わんばかりに顔を強張らせている。

 再起動は女子の方が早く、取り繕って、

「っ、……何よ、馬鹿みたいな顔して、男子様が来るような事案じゃないでしょ?」

 ……どうしてこうなったのか。何があったのかは大体の想像がついた。

「静穂、怪我はないか?」

 箒が静穂の肩に手を置く。ゆっくりとだが目が、頬が首がこちらに向いた。「……あ、箒ちゃんだ」

 

「おい、何したんだ!」

「かわいい女子に囲まれていいトコ見せようっての? そんなんだからこいつみたいなコバンザメが湧くのよ」

「なんだよそれ。静穂の事か? どういう意味だよ」

「言った通りよ。わざと自分を傷つけて私可哀想アピールかまして代表候補生に取り入って、どこかの企業とコネ結ぼうとかあからさま過ぎて滑稽じゃない」

「お前!」

「野蛮で低能な男子様のお陰で2機も空きがなくなったんだからそりゃあ焦るわよね。昨日の事だってアピールの一環でしょ?」

「ダメだよ一夏!」

「ていうか唯のいざこざじゃない。あんた達が出てくるから大事になるのよ。お山の大将で満足して、表に出て来ないでくれる?」

 

 その言い草を聞いて箒も沸騰しそうになる。

 それを止めたのは静穂だった。

「静穂!?」

 一歩、前に踏み出した彼はまた止まり、ギャラリーを見渡すと、

 

――えーっ、と。……とりあえずモップ取ってくるね?――

 

(何を)

「何を言っている!」

 箒は怒鳴った。

「箒ちゃん?」

「一夏! この場は任せる!!」

 強引に手を引き、通してくれと断りを入れながら静穂を食堂から連れ出す。

 もう相談どころではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の重心を踏まえ、銃身を向ける。撃つ。

 何十回目かの着弾を確認してヘッドセットを外し、静穂はパーテーションで区切られた射撃レンジから出た。

 向かった先のベンチに腰掛け、持ち込んだ袋から無作為にパンを取り出す。

(おぉ、ベーコンエピ)

 一口銜えて毟り取り、咀嚼する。美味い。一頻り撃っての小休止。

 射撃練習と同じように繰り返し、すべて胃に収めた所でまた袋に手を入れる。

「美味しそうな事やってるねー」

 くじ引きのように選んでいると受付の先輩が出てきていた。

「食べます? 一個」

 もらうー、と先輩は手を入れる。出てきたのはバターフランス丸々一本。

「あー……」

「もう一回引きます?」

「二つはちょっとなー」

(お菓子とかもあるのに)

 先輩はふんぬと力を入れてバターフランスを二つに千切った。その片方に齧りつく。

「…………」

(静か!)

 行儀よく一口を飲み込んでから、彼女は切り出した。

「聞いたぞー? 男子込みの1年で喧嘩したってー?」

「喧嘩ですか」

 喧嘩、と言えるのだろうか? 少なくとも静穂はそう思っていない。何故箒が怒っていたのかも説明がつかない。

 噂話には尾ひれがつきもの。話半分、笑い話にすらならない時も。

「したんですかね?」

「かね、って、君なー」

 先輩はがくっと肩を落とす。肩口で揃えられた癖っ毛が揺れ、薄い目の隈が静穂に近づいた。さほどの距離ではないが。

「散々言わせておいててきとーに流して態々大量に注文した料理を相手にひっくり返させたとかさー?」

「そんな勿体無い事は絶対にしません」

 ありゃ、と先輩は予想外といった表情だ。

「本当に食べたかったですよ」

「チャーシュー麺大盛と牛タンシチュー二人前とエビピラフ大とシーザーサラダの全部?」

「あの時ならパフェまでいけましたね」

 今はもうシチュー位しか入らないだろうが。

 覆水盆に返らずというが、水でなくとも戻らないものは多い訳で。

 待ちに待った豪勢な食事も静穂のトレイに戻る事はない訳で。

 静穂に喧嘩を売った彼女との落とし所も、同じように無くなってしまった。

 静穂はそこで、自分を折った。折れて立場を低くして、彼女の落とし所になったのだ。

 …………と、ギャラリーは受け取っているらしい。

 その時の静穂はギャラリーに囲まれて怖気づいただけだ。

 限界状態だった静穂の耳に彼女の言葉は右から左。そして据え膳を文字通りひっくり返され放心状態から戻れば人だかりの中心に置かれていた。箒に手を引かれたのは救いだったと静穂は言う。

(お礼した方がいいのかな?)

 だがそうするとこの袋の中身をくれた全員に礼をする必要が出てくる。

「じゃあその袋は?」

「施しですかね? どういう訳か知らない人からたくさん貰いましたけど」

「イヤミな奴を貶めた成功報酬じゃないの?」

「……先輩の聞いた噂ってどの段階のものなんですかね」

 静穂が射撃場に来るとほぼ必ず受付を担当している彼女の事だ。情報に関しては滞り澱んでいると思っていいだろう。

 静穂が聞いた所によると一夏が静穂の空腹ぶりやら普段の頑張りやらを熱弁したとかしないとか。

 体調管理が出来ていないという事で織斑先生には出席簿を受けたりもしたが上級生にはいい意味で囲まれパンから菓子から押し付けるように渡されたり気づけば紙袋まで渡されてはち切れんばかりの量になっていた。それも二袋。持ちきれないと察した扇子の先輩は隣の箒に水飴の瓶を預けて行った。

 瓶を受け取った箒は「一夏はなにを言ったんだ……」と瓶と一緒に頭を抱えていた。

「…………」

 先輩はじっと見つめる。咀嚼しながら。 

「何です?」

「…………」

「よく噛みますね!?」

「……」彼女は嚥下して、「それって本心?」

 へ?

「本気で言ってるのかなー? って思って」

「わたしの腹具合を言ってます?」

「いやー? 怖気づいたとかその辺をねー」

(どういう意味?)

 自身でも嘘を吐いているつもりは無い。何が彼女の気に障ったのだろうか。

 とりあえず謝るべきかでも何も分からないままだと悪化させそうだなー、と相手の語感がうつった思考を繰り広げていると射撃場の扉が吹き飛んだ。

『なー!?』

「いたわよシズこらぁ!」

「静穂さん! 少し手伝って頂けませんか!?」

「お鈴に師匠!? それ拒否権ないよね!?」

「ない!!」

 

 

 ……扉破壊(ドアブリーチ)からの誘拐劇。取り残された彼女は暴力の吹き荒れた入り口を呆けるようにしばし見つめた後、携帯電話に手を掛ける。

 メールの文面を作成、宛先を選ぶ。

(宛先はー、織斑先生っとー)

 送信して、しばし待つ。震える携帯電話を見て彼女はあからさまに顔をしかめた。

 彼女は落ちた肩を上げるとロッカーからモップを取り出した。

(さー、あの子じゃないけど片付けるかねー)

 ふと彼女は持ち主に置いていかれた紙袋を見て、

「これは難題ですよー? 織斑先生ー?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――教官の弟が練習しているというから来てみれば。

「なんだあれは」

 

 

「ワーッときたら、ガッとして、こう、バーッとだ!」

「いきなり説明しにくい表現で辞退したいです。とにかく一夏くんの剣、あ、雪片弐型って言うの? じゃあ雪片の真ん中、そうそこで受ける、というかぶつけて押し返す。そうすると相手の腕ごと体勢が崩れる筈だから、がら空きになった脇腹に横から切り込めってさ。わたしは剣道の事ほぼ全くと言って良いほど知らないんだけれどさ、日本刀って意外と脆いらしいよ。刀身の強度もそうだけど、グリップ部分と刀身を固定する部分なんか鍔迫り合いの衝撃で壊れちゃう事も多かったみたい。刀身の真ん中部分が一番頑丈だからそこで受けろって事じゃないかな。それでも刃こぼれしそうだよね、ISにも当てはまるかは分からないけれども。一夏くんはまず剣道の勘を取り戻すのも必要じゃない? 箒ちゃんみたいないい練習相手もいるし。なに箒ちゃん顔赤くして。逆胴って言うの? あんまり狙われない決まり手、あ、そう。だってさ一夏くん。他の所だと駄目なの? あ、駄目なのそうなの」

 

「防御は左に5度旋回! 回避は右20度に下降軌道ですわ!」

「師匠は単語に意味を圧縮しすぎ。えと、まず防御ね。一夏くんは雪片しかないから剣で防御もしないといけないでしょ。でも日本刀ベースだから体が全部は隠れない。大剣も見た事あったけども全部隠すには無理そうだったよ。だから攻撃を受けるのは最後の手段、出来るだけ次の動作に影響しない程度に半身を切って被弾する面積を小さくするって意味。回避はね、大抵の人は右利きだよね、だから銃を構える時は右手で撃つ為に握って、左手で大まかに抑える持ち方が多いんだ。あ、デュノアくんから習った構え方? それが基本って考えていいよ。両手持ちは少ないみたいだし。それで右利きの人が構えると銃が視界を邪魔するからその死角に潜り込むイメージで、尚且つ真っ直ぐ動くとその先に置き撃ちされるから、相手の狙いを決めさせないって意味だよ。え、置き撃ち? 進行方向を先読みして撃たれちゃう事。右じゃない? 相手から見てって事。もう相手の結構斜め下左方向にぐるぐるしながら飛べって考えればいいよ。野球の落ちる変化球が打ち辛いのと一緒」

 

「アンタ達はまだるっこしいのよ。勘と感覚、全部それでなんとかなるわ!」

「これをどう解説しろっていうの? やるからお鈴は剣を下げて。……一夏くん、雪片貸して。ありがと、じゃあ切っ先向けるね、当てないからさがらないで。正に目の前に刃物が向いている状況だけどどんな感じ? へ、わたしの後ろが怖い? うん、わたしも見ないようにしてる。それで体のどこかウズウズする箇所はない? 左手首? ならそこが一夏くんの霊感ヤマ勘第六感……ごめん分からないならいい。とにかくそこが一夏くんの危険センサーだよ。そこが疼いたら危険って事でいいと思う。避けるなり状況を確認するなりすればいいと思うよ。曖昧だって? わたしが勘働きの悪い方だから解説しにくいんだよ。センサーの精度は……危険な目に遭い続ければ上がるんじゃない? わたしの場合? …………今は多分、首筋」

 

 

 1学年の代表候補生と重要人物がこぞってあの男に指導を行っている。代表候補生は本国からの命令で近づく意図もあるのだろう。重要人物、篠ノ之 箒にしても姉の影響力や危険性から考えての事か。

 しかし通訳が必要なのはどういう訳だ。

(三者三様の説明が理解できる彼女が凄いのか、それとも最初から理解出来ない奴の方に問題があるのか)

 ……ラウラは後者と判断する。一応の理由として、男子は女子と違い幼少時からIS関連知識の履修が無いという事を挙げておく。それでも彼女は織斑 一夏の基本性能の低さを指摘する。

 ラウラの苛立ちは積もり重なっていく。

 

 

 紙袋の存在を惜しみつつ一夏が説明の通りに飛び回るのを眺めていると、デュノアが近づいてきた。

「汀さん、ちょっといい?」

「へ?」

「汀さんと話がしてみたくて」

 話? といぶかしんでしまうのは静穂の方に問題があるのか。

「午前の時もそうだったけどラファールをよく使ってくれているみたいだから」

 そう聞いて静穂は思い出す。彼はデュノア社の御曹司だったと。

「生の声って言うのかな、いま商品に一番身近な人の言葉って大切だと思うんだ」

 商品、と聞いて静穂は口を出す。

「それならもっと上の先輩たちに聞けばいいと思うけれど」

 最近になって触れ始めた人間よりも随分と使い込み洗練された観点こそが必要ではないだろうか。

 それを聞いてデュノアは頬を掻く。

「もう試したんだけどね、みんな褒めるばっかりで、というかぼくの方ばかり気にかけていてお世辞にしか聞こえないというか……」

 アンケート調査の担当者に目が行ってまともなデータが得られないらしい。

 デュノアは苦笑いを止めて、

「でも汀さんは違うと思ったんだ。一夏に解説する時も平等になるように努めていたように見えたし、」なにより、と彼は一度切って、「ナルシストだと思われるかもしれないけど、ぼくを見る目が普通だったんだ。オルコットさんや篠ノ之さん、そして一夏も同じように見ていた。ただの友達として」

「…………」

 静穂としては当然の事が彼にとっては特別に見えたらしい。

 男子が男子を見る目がおかしいのならば物によっては問題だ。女子はそれがいいなどと言いそうだが。

(また変な感想を持たれている気がする)

 だが気がする程度で確信ではない。

 息を吐いて、静穂は話に乗る事にした。

「まあ、わたしで良ければ」

「本当? すごくありがたいよ!」

 男の静穂でもくらっと来そうな笑顔だった。

「じゃあ質問するけど、ラファールに乗ったのはいつから?」

「(でゅのあくんは男、おとこ……)最初に乗ったのがラファールだったからそれが基準になった感じかな? 一応全種類の練習機には乗ったけれど」

「最初にラファールを選んだのはどうして? 選んだ時のポイントとかはある?」

「まともに乗って戦うってなった時に、やりたい事をやりやすかったのがラファールだった」

 やりたい事? と聞いて来る彼の髪が揺れる。同性でこれなのだから異性の皆など大ダメージだろう。

「実技練習なしで試合をする事になったんだ。勿論まともに飛べる筈がないから、その辺を全部プログラムまかせにしたかった」

「飛行動作をマクロにまかせて攻撃に専念したって事か」デュノアは腕を組み、「でもそれだと元からプログラムに柔軟性のある打鉄の方がよかったんじゃない?」

「それはあの時点では相手の一夏くんがどんな武装か分からなかったから。少しでも速く飛べて、FCSが射撃寄りのラファールにしたの」

「ならイギリスのメイルシュトロームの方が適任だと思うけど。武装にしても弾速はあるし、聞いた話だと汀さんは銃の扱いが上手いって聞くけど」

 自社の製品と言っておきながら、これではまるで粗探しだ。

 何か意図があるのだろうかと思いつつ、静穂は合わせて答えていく。

「わたし下手だからまともに当たらないよ?」

「え、いつも射撃場にいるってクラスの皆は言っていたけど」

 プライバシーはないのだろうか。

 うぅん、と静穂は少し悩んだ素振りで、

「正確にはISに乗ると命中率が格段に落ちる」

「乗ると?」

 そう、と頷く。「地に足つけてしっかり構えればちゃんと真ん中に当たるけれど、ISで飛ぶともう駄目。推進器を吹かしたら1割を切る」

「それはラファール以外でも?」

「ラファールが一番当てやすくて、最悪なのはメイルシュトローム。PICだけで飛ぶようになった最近は重心の把握ができるからかハンドガンなら7割、他は等しく3割以下」

「相手も飛んでいるのだしPIC飛行自体が中級以上のスキルだよ……」

 それはお世辞だろうと静穂は考える。乗り始めて10回を超えた辺りで習得したのだ、素人に出来るならばそれは基本動作と言っていいだろう。

「でもたまにメイルシュトロームに乗ったりはするよ」

「それは乗り換えを考慮しての事?」

「いや、師匠、セシリアの事だけど、彼女がイギリスの代表候補生だからって理由。彼女に師事している以上の建前と、一応は彼女の母国が作ったものに慣れておけば理解も早まるって思ったのもあるけれど」

「けれど?」

 今度はなぜか静穂が頬を掻く番だった。「どうにも照準と推進器が繊細過ぎてわたしの腕には合わなくて」

「そうなの?」デュノアは微笑む。性別を疑いたくなる笑顔だった。

「他にもあるよ。オートで飛ぶ以上は被弾も当然多くなるから、装甲面でも少しは厚い方がいいと思って」

「なるほど、汀さんはその時のより良い選択としてラファールを選んだのか……」

 何やら考えるデュノアを見て、静穂も少し、物思いに耽る。

 今話したのは学園初日から一週間程度の頃だ。あの頃はなりゆくままに歩を進めていたように思う。

 ……では今は、どうだろうか。違うと言えるのだろうか。

 隠す事柄の多い自分だが、それでも友人と呼べる相手もちらほらといった具合にはできているだろう。

 そんな中で自分の過去が追ってきたような体験もした。他人には決してできないような体験もした。

 そうして出来上がった今の自分に、

「じゃあ、今もラファールが一番扱いやすいと言える? 汀さんはもう自由に飛ぶ事が出来ている。昔の前提はない。それでも言える?」

 確たる答えを出す事は可能だろうか。

(…………)

 昔と全く変わっていないのかもしれない。だが今はもう、もうとは言えずとも少しは変化があったのかもしれない。

 少なくとも今は――

 

――どうなんだろうね?――

 

 まるで成長が見られない。

(素人に聞く質問なのこれ?)

 誰に聞いても答えてはくれない。自分に投げかけられたものなのだから。

 進歩も変化も見せぬまま静穂は思ったままに歩を進める。それが出来るだけ余裕が出来た証左なのだが。

「ラファールが一番かな」

「それは今は、って事?」

「……さっきからいいように遊んでない?」

「打てば響くってクラスの皆がいうから」

「それはもう酷いって言っていいよね!?」

 随分と昔の鈴の勘違いは事実だったのかもしれない。単に弄られているだけだが。

 くすくすと笑っている彼だが男子の転校生まで簡単に染めるクラスメイトの恐ろしさよ。

「ごめんね、ちょっと楽しかったからつい」

「……もういいです」

 静穂は理解した、これは中学時代の延長なのだと。相手方にそれほどの悪意はない。だから咎めても効果は薄く逆効果になりうる時も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホントにごめん。次の質問で最後にするから、ね?」

「もしかしてまだ質問のストックがある?」

「あと20くらいかな?」

「精神鑑定並!?」

 もう一人の男子と並ぶ彼の表情は柔らかいように見えると、箒は眺めていてそう思う。

 静穂としても同性を相手にする会話だからだろう。いつものように波風を立たせまいと無理をする彼の姿は消え、中学の頃に見た彼の本質が垣間見える。

(弄られていつも通りと言うのが何とも言えないがな)

 だがまだ固い。完全に落ち着いてはいないのだろう。

 それもそうだ。外見こそ完璧だが彼は男子。普段から射撃場に籠ったように入り浸るのも接触を最低限に抑える為に違いない。

 だからセシリアたちが彼の聖域ともいえる場所に乗り込んで豚の丸焼きが如く連れて来た時は注意をすべきかとも迷った。

(だが一夏が私の指導を理解できなかったのが悪いと)

 そう考えてしまった。そして彼なら解説もできる筈だという鈴音の意見に賛同してしまった自分にも責はある。

 ちょっとした対抗心。一夏と同性のデュノアに対して何故こうも焦燥感を覚えるのか不思議でならない。静穂ではこうはならないのに。

(私は)

 何に焦っているのか。何をどうしたいのか。

 それが自分には、自分でも分からない。

 靄がかかったようだ。

(何なのだ、これは)

 

「最後ね? 本ッ当に最後ね!?」

「大丈夫約束するから。では本日最後の質問!」

「本日!? まあいいや何!?」

「汀さんがラファールに求める機能は何かある?」

「クアッド・ファランクスを装備したまま飛びたい!」

「即答でそれ!?」

「うん。あの弾幕量なら飛びながらでも当たる気がするから」

「それは当然だけど使った事あるの!?」

「あのずっしりとした安定感はすごく良かった。突っ込まれて斬られたけれど」

「斬られた!?」

 

 聞こえてくる二人の会話にもその一因はあるのだろうか。

 内容は箒には理解できないほどISに入り組んだものだ。デュノアは関連会社の御曹司だからともかく静穂はつい先日まで一般の男子と同じ基本知識すら知らない段階だった筈だ。だのに彼は今、御曹司と対等な目線で話す事が出来る程の知識量を蓄えている。

 

――御講義はもう終了か?――

 

 力のある声が箒の目線を引き寄せる。

「せっかくだ、私も参加させて貰おう」

 黒い機体を駆る銀髪の少女がそこにいた。

 一夏を張った女、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

「私と戦え、織斑 一夏」



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28.中心になる2人目、震源地の2人目 ③

「断る」

 男らしい一言だった。

「何故だ」

「理由がない」

「こちらにはある」

「俺が千冬姉の弟だからか?」

「教官の汚点だからだ」

 その一言で一夏は身を強ばらせ鈴とセシリアは得物を構えデュノアは箒たちの前に出る。ボーデヴィッヒの背負った巨砲が一緒くたにこちらを捉えていた。

「ISに乗ってない奴もいるんだぞ!?」

「アリーナに出ている時点で戦場に立っているものと同じだ。流れ弾が当たらない確証がどこにある?」

 箒は気付く。自分たちが枷となっているのを。ISに守られていないという事は例え小さな破片一つにしても負傷し、命の危険に晒されるという事だと。

 彼我は4対1。だが4機の内、最低でも1機は生身の箒と静穂を護衛しなければならない。実際に今はデュノアが二人の前にいる。戦術に関して箒は疎いが数の有利が減少してしまうのは痛いものだと理解は出来る。相手はドイツの最新鋭機との噂、油断など出来ず相手の心変わりもなければ確実に戦闘となる。この場に於いて自分たちは異質、邪魔でしかない。

 戦いたいと思う手前、力のない自分を叱責する。それでも箒は最善手を選ぶ為、静穂の手を掴もうとして、

 

――その手がするりと前に出た――

 

 

 ――自分のとった行動はその場全員の構えを一時は停止させたようだ。

 後方からは驚きの声が上がり前方は「ほう」と眉を吊り上げる。

「何のつもりだ」と前方の彼女は言うが後方も言いたい言葉は一緒だろう。

 対する静穂の回答は、

「…………何でだろう?」

 後ろの全員が崩れ落ちた。

「シズ!? アンタ考えなしに突っ込むのは一夏だけでいいのよ!?」

「どういう意味だ鈴!?」

 そうは言われても考えなしどころか気付くと矢面に立っていたのだから始末が悪い。

「いやぁ無意識って怖いよね、師匠?」

「同意を求められても困りますし無意識なら尚更に悪いですわ! 早くこちらへ!」

 それもそうだと踵を返す静穂の足元に刃物が突き立つ。ボーデヴィッヒのワイヤーブレードが一本。

「丁度いい、聞く事がある」

 わたし? と自分を指差し確認をとり、そうだと頷かれ少し悩む。最近は自分の知らぬところで接点が生まれているらしい。

 後方では静穂の身を案じる声が聞こえてくる。そこまで心配するような事態なのか。

 それにしても、と静穂は悩む。

聞かれるような事柄など自分には存在しない。少なくともそうだと自分は考えている。

だのに彼女は親の仇とばかりに恨んでいそうな織斑 一夏を前にして自分にも矛先を向けてきた。

無意識のうちに何かしたのか。逆鱗に触れたか単なる興味か。

(後者だといいなぁ)

身に覚えがない以上、理不尽に不快な目には逢いたくない。なによりボーデヴィッヒを昼時の女子と同じとは思いたくなかった。

それは単なる同族故に。

(……織斑先生に出席簿を受けた仲だしねぇ)

あの時の痛みを堪える彼女は演技などをなしに本当に痛そうだった。それも幾度と受けた形跡が見受けられるくらいに。

織斑先生は打ち方を毎回変えているのか受け止め切れないのだ。静穂は経験と彼女の悶え方からかなりの回数を受けたと推測する。

(というか昔から出席簿使っていたんですか)

出席簿教育は代表候補生を輩出するまでに確立しているらしい。

……と、静穂が妙な感慨に浸っていると懐から電子音が響く。

1組のお家芸を披露している後方を他所に前方には断りを入れて通話状態に。

「(織斑先生?)もしもし」

『汀、そこを動くな』

「?」

 何故と聞くよりも早く。

 

――ボーデヴィッヒの頭が飛び、体ごと横に持って行った――

 

「ぼーで――びぃっ!?」

 静穂の鼻先を掠めるように刀剣が落下、突き刺さる。

 視界の端では投げつけた張本人がスマートフォンをしまいつつ近づいてきていた。

「みだりに武装を使うな、莫迦者」

 そう言うと織斑先生は静穂の前に突き刺さった剣を軽く抜く。

「汀」

「はい」

「山田先生が待っている。この場はいいから行って手伝って来い」

「教官!そいつは今私と――」

 出席簿の時と変わらない音が聞こえてくるアリーナを、静穂は一目散に逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、そのままずいーっとゆっくり……はいストップ」

 言われるがままに三角形を壁に嵌め込みそのままの姿勢で押さえる。

「…………、汀さん、離していいですよ」

 隔壁の向こうで仮止めが終わったようだ。カンカンと響いていた音が途端に止んだ。

「ではそちらから溶接していきましょう。下手をすれば火傷どころではないので、絶対にISの展開は解除しないでください」

 

 

 ここ数日は山田先生と同じ事を繰り返していた。三角形にくり貫かれた隔壁をラビットのパワーアシストで元の位置に戻し、溶接して元通りに戻す作業だ。

 いくら溶接しても隔壁としてはその箇所が脆弱になるのではと静穂は以前に質問した事があるが、山田先生は側面から合金の芯棒を刺し込むから問題ないと答え、実際に静穂はバレーボールのポール程はある金属棒を押し込んでいった。

「汀さんのお陰で大助かりでした。本来ならISの使用許可を申請して、その許可が下りるまで何日も掛かります。それを待っていると到底トーナメントに間に合いませんでしたから」

 山田先生は本当に嬉しそうだ。

(裏表がないっていうのはこういう事なのかな)と静穂は山田先生をまぶしく思う。

 確かにISの力というのは素晴らしいのだろう。

 重機の入り込めない閉所での作業も楽にこなし、操縦者を溶接で出る火花からも完璧に保護する安全性は、その恩恵を今受けている静穂にも理解できる。使い方を間違えなければと冠詞がつくが。

 この素晴らしいであろう発明を世間は危険な兵器としてしか扱わず、女性しか扱えないと知った多数の人間は虎の首を狩ったように騒ぎ立てる連中に殺されかけた静穂としては、山田先生の言葉は複雑に捉えてしまう。

 そもそもこうして三角形を固定し続けて十を超えるが、これらは全て自分を救助する為にくり貫かれたのだ。

(助けられたのはこっちなんだよねぇ)

 それで助かると言われるのはどうなのだろうか。自分が原因なのだし、自身がこうして後始末を勤めるのは当然ではないかと静穂は思う。

 ……両側から溶接処理を施し、研磨して凹凸を無くし、予め空けておいた穴に芯棒を挿し入れて、細々とした施工を済ませていく。

 今日で全ての隔壁を修理した。

「お疲れ様でした! 後はセキュリティの動作確認が残っていますが、私たちの仕事はもう終わったようなものです!」

 お疲れ様でした、と挨拶をして、使った道具の後始末。

 するとそれまで笑顔だった山田先生が顔を覗き込んでいた。

「なんでしょう?」

 聞くと山田先生は眉根を寄せている。彼女の心配している時の表情だ。

「本当に何なんです?」

「いえ、困った事はありませんか?」

 困った事?

「人間関係に悩んでいるとか」

「ないです」

「不安で眠れないとか」

「目覚めもばっちり」

「ご飯がのどを通らないとか」

「それをわたしに聞きますか」

 べつの意味では困っているが。紙袋の中身は到底一両日程度ではなくならない量が詰まっている。賞味期限を考えて優先順位をつけてはいるが、当分は食堂で食事は摂れないだろう。

「なんと言えばいいか分からないですけど、とにかく心配なんです!」

「先生方を心配させるような事はもうないと思いますよ?」

「それは嘘ですね」

「ひどい!」

 叩き斬るように否定された。

 

 

 その場で山田先生と別れ、射撃場で後片付けを手伝い、紙袋を抱えて寮への帰路を行く。

 歩きながら静穂は山田先生から言われた言葉を反芻していた。

 

―今の汀さんは気を遣い過ぎです! もっと本音でぶつかって来て下さい!――

 

(……本音ってどういう事だろう)

 確かに静穂は人に言えない事柄が多い身の上だ。だが隠し事と本音に関係性は無い筈だ。

(同じクラスの本音さん……の訳ないだろ馬鹿かわたしは)

 自己嫌悪。それもこれも山田先生の心配性のせいだと責任転嫁。

 静穂の首にはISコアが埋まっている。そしてそのISによって静穂は今を生きていられる。

 他人から見れば驚いて然るべきなのだろうが、

(それだけだよね)

 静穂にとってはもう過ぎた事だった。

 今更になって喚いてもどうしようもなく。出来たとしてもそれを可能な人物は行方不明。居たとしても施術してくれるかどうか分からない気まぐれ加減。

 先程までの運用も、使えるのなら使うべきだとしか静穂は思っていない。

 要するに周りが想う程も苦になど思ってはいないのだ。

 悩みとか苦労とか、

(そんなものはとうに通り過ぎている訳で)

 諦めを通り越して達観。苦悩を踏み越えて前傾思考。

(変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなる)

 愛する義姉の言葉だ。

 だが、

(結果が良くなければ駄目って事だよね……)

 義姉はそれで大丈夫だったのだろうか。

「いい筈がありません!」

「!?」

 突然の声に顔を向ける。織斑姉弟とボーデヴィッヒがそこにいた。何故か弟の方は草叢に息を潜めているが。

「お前は……!」

「汀、帰っていなかったのか」

 一夏と違い隠れてもいないのだからすぐに見つかる。

 傍で睨むボーデヴィッヒを他所に織斑先生が話を振ってくる。

「汀」

「はい」

「貴様にとってISとは何だ」

「ISですか?」

「そのまま答えればいい」

 状況も分からずの問いかけに正答は存在するのか。

 とはいえあの織斑先生からの質問だ、その正答を引き当てなければ出席簿が待っている。……と、

(言ってもなぁ)

 何々とは何か、哲学入門にありそうな問いかけだ。答えなど出題者の気分次第。せめて二人の会話が分かれば何とかなるがかもしれないが隠れている一夏に頼る訳にもいくまい。

 なので織斑先生の言うまま、そのままの意見を述べるしかない。

 静穂は紙袋を抱え直すと、

「ISがないと死にますね」

 と答えた。

 嘘ではない。静穂の命は首のそれで繋がっている。織斑先生には予約要らずの工作機械扱いされていたり静穂自身にもISスーツの代わりに着込まれたりと散々な扱いだがグレイ・ラビットは静穂を生かすという大きすぎる仕事を文句も言わずこなしている。

 ISコアには心があると篠ノ之博士は言ったそうだ。そのうち自分に牙を剥くのではないかと静穂は肝を冷やしていたり。

 さて置いて、静穂の答えは織斑先生の望むそれだったのか。先生の表情は変わらず、隣のボーデヴィッヒは苦虫を噛み潰したような表情。

(何故!?)

「彼女は例外です! 練度から観ても周囲と頭一つ抜けているではありませんか!」

「その例外もまたこの学園には居るという事だ。それに汀は入学前は素人だった」

 その一言で、ボーデヴィッヒは一層機嫌を悪くしたのか、「私は諦めません!」と捨て台詞を残して立ち去っていった。

(一気に負け犬っぽく)

「隔壁の修繕は終わったようだな」

「へ? あ、はい」

「奴との会話が気になるのなら私に聞くな、そこの莫迦者にでも聞け」

「ひでえな千冬姉」

 入れ替わるように織斑姉弟が静穂の前から去っていき、やって来る。

 見送ってからやって来た方に目を向ける。邂逅一番に「凄いな静穂」と言って来る彼の目はどこか輝いているのは何だ。

 何が凄いんだ、と返しつつ、

「それで、何があったの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千冬姉は少し前にドイツで教官をやってたんだ」

 一夏の部屋に移り静穂は椅子に座っている。一夏は勝手口でティータイムの準備中。いいと言ったのだが「日頃から千冬姉にこき使われてるから御礼させてくれ」と押し切られてしまった。

「ラウラはその時の教え子らしいんだ。千冬姉は1年間ドイツで教官をやってから学園(ここ)の先生になってた」

「?」

 なってた?

「実はここにいたなんて知らなくてな」

 実の弟がそれでいいのかとも思ったが、まあそういうものなのだと静穂は理解があった。静穂にしても言われるまで義姉の国家代表入りを知らなかったのだから、同じといえば同じだ。

「確かに言われなきゃ分からないよね」

「だよな!? 俺は間違ってないよな!?」

「仕草で理解しろとか言われても無理なものは無理だし」

「いやあ分かってくれる女子がいてほっとした! シャルルも俺の方に問題があるとか言い出すから味方はいないと思ってたからな」

(すいませんわたしも男子です!)

 言えないが故のジレンマ。

「――でも凄いよな」

「凄い?」

「ISがないと死ぬ、なんて。そこまで熱中できるんだから」

 いつの間にか話題が変わっていた。

(というか熱中?)

「束さんが聞いたらどう思うかな」

「あぁ」と静穂は思い出す。「箒ちゃんのお姉さんだっけ?」

「昔から楽しそうな人だったよ」

 何を以て楽しそうと表現しているのかは分からないが、彼の話し方は近所で仲の良かったお姉さん程度の立ち位置だ。

 彼が軽く語るその人を世界中が血眼になって探しているのだが。

「俺にはないな、そんなに熱中できるものは」

「そうなの」

「中学の頃からバイトばっかりだったからかな。家計を助けたくてさ」

 家計、と聞いて静穂は躊躇う。まずい事を聞いてしまったのかと。その素振りを見て一夏は紅茶を持って来つつ、

「そういえば静穂はどうなんだ?」

「わたし?」

「さっきから俺ばっかり喋ってるからな」

 そうは言っても話せる事柄が圧倒的に少ない。要人保護プログラムに触れる内容が多すぎる。

(でも箒ちゃんの中学時代なら?)

 少し考えて、止めた。この場に他人を出すべきではないとも思ったのもあるが、

 ……何よりあまり変化がなかった。幾分かは会話というか共謀する仲にはなったが中学の頃と比べてみるとよく喋るようになっただけだった。

 差し出された紅茶は良くある大量生産品。カップを受け取ろうとして、

「昼間の事が気になってた」

「昼間の?」

 相槌を打ったのが間違いだった。

 ――受け取り損ねた。

「熱いっ!?」

「静穂!?」

 淹れたばかりの紅茶はほぼ熱湯。零れて掛かり痛みを誘う。

「すまん! 今タオル持ってくる!」

 一夏が急ぎ洗面所へ向かってくれるのを見つつ、

(ラビットを展開しておけば良かった)

 と後悔する。展開さえしていれば精密動作で取り落とす事もなく熱湯程度の熱さも難ではない。

 

――そしてこれから先の事態にも即応できただろうに――

 

「シャぐぅ!?」

 一夏が驚きの声を上げた途端、洗面所の扉ごと吹き飛ばされた。

「一夏くん!?」

 椅子から跳ね上げられるように飛び出し一夏に駆け寄る。

 完全に目を回している。絵に描いたような気絶状態。

 飛んできた先にはISの拳以外一糸纏わぬ女子の姿。

「ラファール!?」

 橙色の拳が次は静穂を狙って振り下ろされる。

 頭を下げて回避。もたつきながら後退。投げ出された一夏の腕に躓く。

 後ろから倒れこむ最中、空を切った腕を掴まれ拘束、

 ()()()()()()()()()()()

「ーーーーーーーーーー!?」

 声にならない。下腹部の内臓を内側から荒縄で絞めて捻じ切られるような感覚が襲ってくる。

 軟い内臓器官が硬い膝の皿に瞬間圧迫され行き場を失った。

「!?」

 相手も膝の感覚に戸惑った。掴んだまま静穂の腕に導かれ、静穂の上に倒れこんだ。

 濡れそぼった柔肌が押し付けられる。一般男子なら喜ぶだろうか、金的に一撃を受けていても。静穂には無理だった。

「え、汀さん? どうして、()()()()!?」

「(その髪、その声、)そのIS、デュノア君?」

 紅潮と蒼白、対比する顔色が見つめ合う。

 

 

 

『どういう事!?』



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29.一歩を踏み出さない勇気

 ……()()がジャージを着替える間に部屋の惨状を片付けていく。

 一番の荷物をベッドに寝かせ、洗面所への扉を元の位置に。蝶番がひしゃげているが扉枠の木はさしてダメージも少なめだった。新しい蝶番とちょっとした材料さえ調達すれば工具を借りて修理できると思ってしまう辺り、その手の作業に慣れきってしまっている。

 デュノアは部屋の片隅でシーツを被り着替えている。まるでハムスターが食事する背中を見ているようだった。

 暫くして出てきた彼女はジャージ姿。小柄な男子だった筈の彼女は女性のラインが明らかになっている。

(本当に女子だった)

 その反対の感想を彼女の方も抱いている筈だ。

 静穂は今制服を脱いでいた。正確にはその上着のみ。

 ロングスカートはそのままに上はTシャツ。濡れハムスターに倒れこまれた上着は今ハンガーに掛かっている。

「……凄いね」

 と言われ気付く。腕を視線に晒していたのだ。

 慌てて抱えて背を向け隠す。クラスの皆はもう慣れてしまったが彼女には初めて見せた。

(やっちゃったぁ……!)

 みだりに見せるものではない。見て欲しいものではない。

 ラビットの隠蔽率も相まって忘れていられたのが慢心を誘った。

 ……後悔の念に苛まれていると、

「……?」

 くすくすといった笑い声が聞こえてくる。

 一夏はまだ寝ている。なのでデュノアだ。

「ぼくより女の子みたい」

 隠す仕草がツボに入ったようだ。

「ははっ」

 つられて苦笑い。

 気まずい状態からは開放されたと思っていいだろう。

「でも本当に男の子なんだね」

「?」

「背中に漢字で『一撃』なんて、いかにも男の子っぽい」

「……義姉の趣味です」

 

 

 とりあえずお互いに着席して、話題の探りあい。

 だが目に付く大きな話題がある訳で。

「話には聞いていたけど、本当に凄いんだね」

「まあ、事情がありまして」

「これだけ練習してれば巧くなる筈だよ」

「……そうだね、あれだけやってこの程度だから参るよ」

 誤解は何度試しても解けない。もう諦めの境地だ。

 それに本当の理由は要人保護プログラムに触れるので明かす事はできない。だったら誤解させたままでいいだろう。

 デュノアは物珍しそうに見て触れてその度に息を漏らす。悲しそうな表情は消えたのだから、いい効果だ。

(バレたんだよね)

 目の前の少女を見て静穂は思う。

 自身の正体、正しくは本来の性別を知っている人間は少ない。彼女達は事情や都合上で元から知っていたり知った上で普通に振舞ってくれているが、

(デュノアくん? さん? はどうなの?)

 彼女も性別を偽って学園に入学してきた。それも世界で一人しかいない方、少数の方の二人目として。

 それにどれだけの努力が要るか。森の中に隠れる静穂とは違う。わざと射線に入り集中砲火を受けるようなものだ。

 静穂は森の中に隠れるだけで相当の精神を削っている。射線に出る事がどれだけの負担かなど考えたくない。

 理由はいずれ聞くとして、彼女は静穂の存在を表沙汰にしないと言えるだろうか。

(…………)

 正直、ないとは言えない。そして、

 一旦そう考えてしまうと他の人達も信じられなくなってくる。

 ――嘗て心に決めたのだ、亡き義姉に誓ってしまったのだ。

(殺してでも、生きる)

 今は、絶好の機会。

 注意が逸れている彼女の首を、空いている手で掴み、ラビットを展開。ラビットのパワーアシストの助けを借りれば小指だけでもへし折れる。

 そうして次に箒、山田先生、保健の先生、織斑先生と虚を突きさえすれば――

(――加畑か、わたしは)

 振り払うように首を振る。驚いて手を引くデュノアに謝る。痛かった訳ではないと。痛い妄想はしていたが。

 犯罪者になれば自分の首を更に絞めるのと同じだ。自らモルモットとなりに行く馬鹿がどこにいる。

 何より実際に似たような、感情に任せて事に当たった人間を知っている。

 加畑という年上の少女は自分を狙い、成功し、結果として失敗した。今彼女がどうなっているのかなど知りたくも無い。

(とにかく殺伐としたのはナシ!)

 正気が削れていくあの感覚は何度も味わうモノではないと静穂は考える。

 何より箒は大切な友人で、教師陣には恩がある。それを蔑ろにする事は静穂を実験材料にしようとする連中と同じところにまで堕ちると同議だ。

 ではどうするか。

「どうしようか?」

 つい聞いてしまった。

「ぼく達の正体って事だよね」

 静穂は肯定した。

「わたしは黙る、誰にも言わない」

「自分が言われたくないから?」

 また悪戯しそうな微笑だった。静穂は振り払うように頭を振り、

「バレたらホルマリン漬けより酷いから必死だよ……」

「そっちはそんなに深刻なんだ……」デュノアは俯き「こっちは悪くても幽閉かな」

 溜息が二つ。どっちもどっちである。

 結果として、お互いに密告する事は失うものが大きいので留めておく事に。

 ……となると問題が一つ。

「思い出した」

「なに?」

「わたしはバレてないけれど、そっちは一夏くんにもバレてるよね」

 溜息がまた二つ。前途は多難のようだ。

 

 

 一夏が目を覚ましてから、デュノアは訥々と語りだした。

「ぼくは妾の子なんだ」

 一夏に代わって静穂がお茶の準備中。自分でやろうとする彼を宥めるのは大変だった。気絶した人間と金的のダメージが残る人間の間にも微細ながら優先度は存在する。

 やかんを火に掛けつつ静穂は目線を向けていた。

(喋るのか……)

 静穂ははっきりと聞かない旨を話していた。それは自分が言えないからだ。

 一夏は知らないがその実男子二人と同室にいる事が不安にさせるのか。

「病気で母が亡くなって、頼るように言われた場所には本妻の奥様がいて」

 一夏はベッドの上で黙って聞いている。

「いきなり叩かれたよ、一夏がボーデヴィッヒさんにやられたのと同じように」

 デュノアは笑う、乾いた自虐だった。

「その後は父と名乗る人の下でテストパイロットをやらせてもらってた。幸いにも周りの人達は優しかった。あの人も時折は顔を見せに来ていたよ」

 それまで押し黙っていた一夏が、口を開く。

「男として転校してきたのは、俺のせいか」

 当然の帰結だった。デュノアは頷く。

「ウチの会社、って言っていいのかな。デュノア社は経営危機に陥っている」

 その一言に一夏は反論。「ラファールは世界3位の使用率じゃなかったのか?」

「ラファールは第2世代なんだよ。一夏の白式といったような第3世代機がデュノア社は開発できていない。今はもう第3世代機が主流になりつつあるから、会社が時流に乗れない事は致命的なんだ。……汀さん」

 突然呼ばれて静穂は肩を震わせた。

「イグニッション・プランって、聞いた事はない?」

 言われて少し脳内を探る。以前にセシリアがどうのこうの言っていた事柄を引きずり出した。

「イギリスとかドイツとかが手を組んで防衛軍を作ろうとしている。そうして欧州全体で一番性能がいい機体を量産しようと考えていて、その機体を決めるコンテストの名前がイグニッション・プラン」

「なるほど。そのコンテストにシャルルの会社も参加したくて白式のデータが欲しかったのか!」

「汀さんは人それぞれに最適な説明ができるんだね……」

 今にも頭を抱えそうなシャルル。頻りに頷いている一夏とは対照的だ。

 ……沸いた熱湯をティーポットに注ぐ。話題は近い将来の話に変わっていく。

 一夏が切り込んでいった。

「それでシャルルはこれからどうするんだ?」

「どうすればいいのかな」シャルルは苦笑いしつつ「いっそ公表しちゃうのもありかな」

「公表したらお前は何か変わるのか?」

「会社は打撃を受けるだろうけどそれまでかな。ぼくはもう日の目を見る事はないだろうけど」

「待てよ! それじゃあ意味ないだろ!」

「じゃあどうしろって言うのさ!?」

 立ち上がる激昂と俯いた激昂。静穂はポットを取り落としそうになる。

 ――激昂は続く。

「今のお前はやけくそになってるだけだ!」

「分かったような事言わないでよ! 一夏だってどうしようもないじゃないか!」

「そんな事はない!」

「じゃあ言ってみてよ!」

「考えればいい! 皆で!」

「はあ!?」

「俺達二人だけじゃ無理でも静穂がいる! その気になれば箒やセシリア、鈴にも千冬姉にも手伝ってもらえばいい!」

「そんな悠長な事を言ってられる訳ないじゃないか!」

「最後まで聞け! 静穂!」

 戸棚から缶を取り出しその中身をポットの網に放りつつ静穂は顔を向ける。

「IS学園、特記事項の二十一! 分かるか!?」

 随分と昔に聞いたような覚えがあるが思い出せない。

 とにかく答えさえ出ればいいと、静穂はラビットでネット検索をするという暴挙に出た。

「学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」

「暗記してるの!?」

「ホントに凄いな!?」

(カンニングです!)

 せめて口に出すべきではないだろうか。

「で、どうだ!」

(何が?)

 興奮冷めやらぬ一夏、一方のシャルルは今のやり取りで牙が抜けたようだった。

「つまりIS学園を卒業するまではフランスに強制送還されるような心配はないって事だ! まだ1年の1学期だ! 余裕じゃないか!」

 ……考える時間は十分にあるから悲観するには早すぎる。一人で抱え込む必要はなく周りに頼ればいい。少なくとも一夏の周囲にデュノアを貶める人間はおらず、むしろ知恵を貸してくれるに違いない。

「要するにそう言いたい訳でしょ? 一夏くんは?」

「汀さんは通訳でもやっていけるよ」

「俺の話はそんなにダメだったか?」

 頭に上った血が下りれば話は別だっただろうか。

 トレイからティーセットを展開していく。紅茶に砂糖、ミルク粉末、ティースプーンに次いでフォーク。

「フォーク?」

「なんでだこれ?」

 まあまあ、と静穂は二人を座り直させた。その後、電子レンジの終了音。

 レンジから取り出した皿にはスコーンが並べられていた。

「上級生がくれた紙袋の中にあってね。折角紅茶を飲むのなら丁度いいかな、と」

 それぞれがスコーンを取り、それを確認して静穂は紅茶に口をつける。

「……、まあ紅茶を飲んでおやつを食べる余裕くらいはあると思うよ? 一夏くんも女子だからって追い出したりはしないでしょ?」

「当然! 前は箒と一緒だったからな、あの頃よりかはずっといい!」

「あ、今の会話、録音しちゃった」

「静穂!?」

「えと、どうしようこれ?」

「まず箒には言わないでくれ! というかなんで録音しようとか考えた!?」

「いや、いろいろと試してみようかと」

「今する事じゃないだろ!?」

「あぶ、危ない、零れる零れる!」

 カップ片手に攻防戦。互いにそろりそろりとした足取りで。

「…………っ」

 ついにデュノアが噴き出した。

 そこには自棄を起こした少女も、自身を悲観した少女もいなかった。

 それを見る男子二人といえば、

「熱ぅい!」

「静穂!?」

 同じ轍を踏んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紙袋を抱えてきた同居人は、些か難しい顔で戻ってきた。

 羽織るように着込んだ制服は少し縒れていた。水でも被ったのか。

 かもしれない、と簪は思う。

 昼の騒ぎは十分に記憶に新しい。あのような相手が彼女以外にいない筈がないのだ。バケツでぶち撒けられでもしたのかと心配になる。

 簪自身にもそういった悪意・敵意の類いを受けた記憶があった。その時はこの同居人のオマケといった程度だが、入学から今までそれを受けた経験はない。

 ただ、たった一度、それも序で程度のそれでも不快感は極めて強かった。それを彼女は柳に風とばかりに受け流した。

 実際に聞いたりはしないが、その答えは想像できた。

(いつもの事だから、とか言いそう)

 彼女を責めるタネは多そうだ。外見など分かりやすく周囲と違う。

 そして何より……、

「どうしたの?」

「どういう訳か先輩方からたくさんもらった」

「服は?」

「紅茶を零した」

「全身?」

「ぬるま湯をぶち撒けちゃった」

「……イジメ?」

「イジメより希少な体験かなぁ」

 イジメではないようだ。というかイジメの経験もあるのか。

 紙袋を机に置いて席に着く静穂は脱力していく。相当疲れているようだ。

 聞いてもいいのかと考えて、此方からは聞かないと決めた。彼女の方も何かあれば言ってくれるし、聞かれたくない場合もある。

 案の定、彼女の方から話題が飛んできた。

「簪ちゃんはさ」

「何?」

「簪ちゃんはさ、一人でISを作ろうとしているんでしょ?」

 二人の間では今更といった話題だった。頷いて先を促す。

「すごいなぁ、って思った」

 顔が熱くなるのを感じる。嬉しいやら恥ずかしいやら。

 誤魔化しを兼ねて先へ促す。

「さっきね、デュノアくんに話を聞いてきた」

 意外な名前を聞いた。まさか二人目の方に彼女から接触しているとは。

(好みなのかな?)

「大まかにだけれど、ISを作るのって大人でもカンニングしたくなるくらい大変だって聞いて、それを一人でやろうとしている簪ちゃんはやっぱりすごいな、って」

 ……そう、何よりも彼女が周囲と異なる点は向上心。

 IS学園に入学しただけでは飽き足らず、代表候補生にも恐れず立ち向かい、自身を痛めつける事も厭わない執念が彼女にはある。それこそ周囲は心配に思うか疎ましく思うか妬ましく思うかをする程に。

 今回、彼女はIS関連企業の息子に質問をぶつけに行ったのだ。

(多分だけど)

 恐らくは近く開催されるトーナメントに向けた質問。練習機で専用機に勝つ方法。

 個人能力(ソフト)面は彼女の場合、問題なく相対する事は可能だろう。

 となると彼女が心配なのは機体性能(ハード)面。

 デュノア社はラファールを開発している。それをよく選ぶ彼女には最高の質問相手だっただろう。

 

――練習機のラファールを個人レベルで改造する場合、必要となるものは――

 

(――羨ましい)

 この同居人はいい意味でプライドを置き去りにする。相手が女子だろうが男子だろうが構わず乗り込んでいく。

 姉への反抗心で動いている自分には眩しく、そして、

「……見てみる?」

 それでいてどこか自分と近しく感じるのだ。

「何?」

「私の打鉄」

 いつか約束をしていた。丁度いい機会だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そのTシャツ」

「何? 変?」

「変」

「……お姉ちゃんの趣味です」

 この辺りにも親近感を覚えるのだろうか。



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30.嵐の前のざわめき ①

 いつになく静かなピット内で、箒は場違いを思わせる疎外感に包まれていた。

 

「推進器の段階調節はこれでいいとして」

「武装面は正直どこから手を付ければいいのこれ?」

「私も分からない。とりあえず荷電粒子砲の方は基部が出来たから収束させるだけなんだけど」

「いっそ拡散させるとか、スプリンクラーみたいに」

「ISのシールドには石礫くらいのダメージかも。消費具合からみても割に合わない」

「ならホースみたいに口を窄めるだけじゃダメ? それとも実体弾みたいにライフリングを刻んで回転させてみたら」

「螺旋状に広がっていくだけだと思う。それに粒子が溝で暴発するかも」

「考えが尽きたぁ。ミサイルは何が問題なの」

「マルチロックオンシステム」

「某時空要塞のアレみたいな? 最新作みたいにアイボールセンサーを使うとか枠を設定してその中に対象を収めるとか」

「実はそれ以前の問題。システム面がまっさら」

「……1から? 取っ掛かりなし!?」

「どう思う?」

「どこかから参考になるプログラムを引っ張ってくるしかないと思う」

「わたしもそう考えた。けどISの急加減速度と回避運動についていけるものは存在しなくて」

「……詰んでるね」

「うん、詰んでる」

 

 溜息を吐く二人。箒も三人目に加わりたい気分だ。

 先日の相談をしようと静穂を捜し、人伝でアリーナに隣接するこのピットに来てみれば4組の代表とIS談義に花を咲かせている彼がいた。

 正直に言って箒には異国の言葉となんら代わりのないものだった。

 いや日本語で話されている分さらに箒の頭を混乱させる。

 

「次に……ここ。ここで詰まってる。通常の打鉄の数値を参考にしてみたけど全く違うみたいで」

「テンペスタのを見てみたけれどそれとも全然違うのかな」

「テンペスタはかなり独特の走らせ方でプログラムが組まれてるからはっきり言って参考にはならないと思……テンペスタ?」

「どうかした?」

「ラファールじゃないの?」

「今日当選したのがテンペスタ」

「拘りないんだ」

「別に初めてでもないよ。搭乗時間が稼げるならなんでもいいって師匠が言ってた」

「敵を知り己を知れば……」

「百戦危うからず。それも言ってた」

「オルコットさんってイギリス人だよね?」

「日本に来る前に勉強したんじゃない?」

「……あの授業で?」

「あの授業で!?」

 

 セシリアの教え方が公然の事実と化している事を知りつつ箒は静穂を呼びつけた。

「何の話をしている?」

「簪ちゃんのISについて色々と」

 ISの目の前で話しているのだからそれは分かる。逆にそれしか分からない。

「箒ちゃんは何の用? 練習機の抽選に当たった?」

「今日は外れた」

「?」と静穂は首を傾げる。本当にそういった仕草が堂に入っている。これ程でなければ性別は偽れないのだろう。

「じゃあなんで?」

 静穂自身に用があるとは考えないのだろうか。

「先日に話した相談がしたくてな」

 あぁ、と静穂は納得したようだ。

「トーナメントに勝つ方法だっけ?」

 箒は頷いた。

 前途は多難。如何にして勝つか。

 箒は一夏と誓った。自分がトーナメントで優勝したらつき合ってもらうと。

 不退転に近い決意と覚悟で箒は誓ったのに、

「でもどこからの噂だろうね? 優勝商品が一夏君だなんて」

 どうして皆の権利となってしまっているのか。

(一夏と付き合えるのは私一人なのに!)

 独占欲からではない。約束したのが箒だけ、という意味だ。

 人の口に戸は立てられず、ただ危機感が積もっていく。

 優勝すれば何処の誰とも知れぬ輩が一夏の隣に立つ。その危険が生じてしまったのだ。

 このトーナメント、何としても勝たねばならなくなった。

 ……といってもどうすれば優勝できるかなどと、そんな魔法がある筈もなく箒はただ刀を振り続けて練習に明け暮れるのみ。

 同室のクラスメイトからは「気合入りすぎ」と言われる程だがまだ足りないと箒は考える。

 ISに搭乗している時間は平均的な方だ。専用機のない生徒ではこればかりは運も絡む。箒も少なくは無い。乗っている方だ。

 だが足りない。決定力が欲しい。

 自信をつける何かが。

 織斑先生に扱き使われている静穂なら何かいい案でも浮かぶかと思ったのだが、

「対戦相手に毒を盛る」

「相手ISのネジを1本抜いておく、もしくは関係ないネジを隠し持っておく」

「なにそれ」

「相手に見せて、これなんだ、って」

「簪ちゃん怖い! それ怖い!」

「真面目に考えろお前ら!」

 いつの間にか4組代表も入り込んでいるのは何故か。

「静穂を勝手に連れ出したのは貴女。私はただ探しに来ただけ」

 探すとは言うが彼女のISとは数メートル程度も離れていないのだが。

 ……箒と4組代表とはあまり接触がなく、それ以前に会話した事など一夏と鈴の一件以来二度目だ。

 それでも相手の機微を触りくらいは感じ取れるようだ。

 箒はまた静穂を引き寄せた。

「彼女、機嫌が悪くないか?」

 あー、と静穂は目を泳がせつつ、

「どうにもわたしが役立たずだったから」

「それはどういう事だ」

「プライバシーの問題上言えないけれど、わたしは簪ちゃんの力にはなれなかったんだよ」

 それもそうだと箒は思う。いくらセシリアの授業で知識が付いていても付け焼き刃では本職には遠く及ばない。

「……」箒は息を吐く。「やはりお前でも難しいか」

 言ってしまえば勝つ方法など、素人集団の1年では何も浮かばないだろう。静穂が先生方に頼られているから頭一つ抜けているとも思ったが、自分とあまり変わらないようだ。

 やはり他人に頼るなど間違いだったのだ。なまじっか頼れる人間がいてしまった分、弱気になっていた。

 気にするな、と箒は言おうとして、

「そんな事はない」

『!?』

 4組代表のインターセプト。散るように二人は離れ正三角形の距離感。

「静穂は凄い。気を使ってくれるし意見も受け入れやすいし何よりやる気が貴女と違う。今度のトーナメントでも上位に入る。確実に」

「簪ちゃん!? いきなり何!?」

「静穂」4組代表は息を切って告げる。「私は彼女に怒っている」

 ……箒にはその言葉を受け入れるのに時間を要した。

 

 

 

「一夏はどうしたのよ」

「織斑先生に連れていかれましたわ」

「そう」

「ええ」

 暫し、沈黙。

 セシリアと鈴、代表候補生が専用機を展開して並び立つ様は、絵になると同時に畏怖も振りまいている。

 練習機の群れる中で異質。アリーナに異なる色彩を落としその異彩は羨望を集約する。

 赤と青。そこに加わる筈の白が抜けてしまい、二色は虚脱感を得ていた。

 学園はトーナメントに向けて色めき立っている。鈴とセシリアも似たようなもので、行動理念も似通ったものになっていた。

 

――意中の相手が活躍する様を見たい――

 

 あわよくば彼との距離を近づけたいという邪な部分もあるにはある。だが彼に頑張って貰いたいのも事実。

 風の噂の優勝商品がトーナメントに参加する事自体に問題があるのではないかとは学園全体が熱に絆されて麻痺している今、誰も思わない。

 その熱に最もやられている二人は肩透かしを食らったような感覚だった。

「どうしよっか」

「静穂さんも今日はいませんし」

 二人共通の友人は人間関係に重きを置く。今頃はルームメイトのディスカッション相手としてその手腕を振るっているだろう。

「アンタと二人ってのもね」

「いけませんの?」

「慣れすぎちゃって」

「……成程」

 1組と2組は合同授業が多い。その度に注目を惹き、先導する立場になるのは代表候補生の二人だ。

 授業ではもうこの二人で一組という扱いも多かった。他に例を挙げるとなると用意する静穂と後片付けの一夏。後者は罰としてだが。

 ISに搭乗するいつもの二人。今更の会話もある筈がなく。

「じゃ、やろっか」と鈴が青竜刀を呼び出し、

「そうですわね」とセシリアはライフルを構える。

 暇さえあれば稼働時間を確保する。専用機持ちの義務であり職務であり職業病である。

 そうして互いに距離を取り、何とはなしに推進器を吹かす。

 セシリアの放つ銃撃を大まかに避けつつ鈴が肉薄したところで、

 

――着弾コースを砲弾が過ぎていった――

 

「何!? 不意打ち!?」

 瞬時加速であらぬ方向に回避した鈴が怒鳴る。

「の、ようですわね……」

 対してセシリアは冷えた声色で、

「まあ、相手など高が知れていますけれど」

 砲撃の先。相手はその場から動いていない。

「丁度いい。手袋はないが相手をしてもらおう」

 二人が望まぬ色がその場にいた。

「今の私は機嫌が悪い」

 

 

 

 どうしてこうなったのか。

 全て自分がいけないのか。

 大切な同居人でもある友人は、鈴の一件以来の苛立ちを見せ、

 中学からの気が許せる友人は、いつにない表情で固まっている。

 静穂には分からない。どうして簪が憤っているのか。なぜ箒に矛先が向くのか。

「私は篠ノ之 箒、貴女に怒っている」

「簪ちゃん?」

 呼びかけても返っては来ず、憤りは他者に向く。

 困惑が晴れない。その憤りは自分に向けてではないのか。まともな意見の出せない自分に対してではないのか。

「静穂を貴女のわがままに引き込まないで」

 その感情を箒に向けるのは筋違いではないのかと言いたくて、口にできない。簪は知らないだろうが箒とはそういう約束をしているのだと、互いに助け合う契約をしているのだと。

 言いたくて、口にできない。

「織斑 一夏が欲しいのなら一人でやればいい」

「なんだそれは」

「静穂と織斑 一夏は関係ない」

「だから、」

「本気で頑張っている人間を引き込むのは間違ってる」

「更識」

「勝つ努力もしないで他人に頼るのは間違ってる」

「――っ!」

(だめだ箒ちゃんそれ以上はだめだだめだだめだだめだだめだ……)

 言うなと願う。口にも出せた。

「だ」

 だが遅い。

「わがままはお前ではないのか。出来もしない事に静穂を巻き込んでいるのではないのか」

 簪の肩が震えた。

「……何それ」

「箒ちゃん」

「ISというのは大企業が必死になって漸く出来上がるものだ。それを()()()()()()()()()()()()()()

「箒ちゃん!!」

 

――静穂ちゃん!――

 

 ピットの扉が開ききるのも待てず、滑り込むように入ってきた少女が叫ぶ。

「助けて!」

「っ」頭の切り替えを余儀なくされ、静穂は突然の第三者に顔を向けた。「相川さん」

「静穂ちゃん助けて!」

 涙ぐむ彼女を宥めるように肩を抑える。「深呼吸!」

 彼女が胸を大きく上下させたのを確認してから、「説明!」

「セシリアと鈴ちゃんがラウラに殺されちゃう!」

「!?」

「静寐も一夏君を探してるけど何処にいるか分かんなくて……!」

「----------!」

 急ぎレンタルした練習機に飛び乗る。立ち上げと装備を確認する中で静穂は相川 清香に指示を出す。

「相川さんは鷹月さんに連絡して! 私が時間を稼ぐから急いでって!」

「分かった!」

「場所は!?」

「第2アリーナ!」

「別の所か……!」

 苦虫を噛み潰したような顔になる。練習機が一機ではアリーナのバリアは破れない。

 だとしたら正式ルートを超高速で往くしかない。

「静穂! 私も――」

「箒ちゃんは相川さんとここにいて!」逸る箒を抑え付けるように声を張る。「簪ちゃんも!」

 たじろぐ箒と俯いて動かない簪を見て、

「――すぐ、戻ってくるから」

 一言だけ言って飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピットを飛び出し通路を飛び抜け外に出て、第2アリーナの通用口から飛び込んだ。

 天井を這うように体勢を維持し、他の学生が伏せてできた空間を突き進む。

 天地が逆転した空間から空いている扉を選び滑り込むと、

 

――喉元を掴まれてもがく友の姿があった――

 

 その姿を見て静穂は瞬時加速。友を掴む腕を蹴り込み拘束を解く。

「何?」

「ボーデヴィッヒぃっ!!」

 ゆっくりと倒れ込むセシリアに構ってはいられない。ボーデヴィッヒは勢いに呑まれた訳ではなく現状確認の為に後退してくれたのだろうが、未だ彼女との距離が近すぎる。

 旋回半径を最小に抑え武装を展開。テンペスタの刃物を構え再度の瞬時加速。

 対するボーデヴィッヒは無造作に右の掌を静穂に向けた。

()!」

「っ!」

 側面から飛んでくる指示に、静穂の体は反応しきった。静穂はボーデヴィッヒの遥か頭上を抜けて、ボーデヴィッヒの罠には代わりに鈴が拘束される。

「お鈴!」

「邪魔だ」

 彼女の手元から伸びる輝きを以て鈴がセシリアの位置に吹き飛ばされる。シュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀。

「次は貴様だ」

「次、…………っ!」

 激情ではない。だが確実に自分を突き動かす衝動のまま、静穂は自身を地面に向けた。

「ほう……」

 ボーデヴィッヒが笑みを漏らす。自分から墜落するように下降した静穂は激突の寸前で這う程の低姿勢を取りボーデヴィッヒに向かっていく。

 仕切り直しの大一番。ボーデヴィッヒは鈴の動きを封じた右手を振りかざす。

 ……瞬時加速に歯止めは利かない。無理に軌道を逸らす事は怪我に繋がる危険行為である。

 それでも鈴は静穂にそう促した。それは自身が盾となり、ボーデヴィッヒの罠、その有効範囲を静穂に伝える結果となった。

 静穂は、その厚意を蔑ろにするような軟な教育を受けてはいない。

 躊躇いも無く瞬時加速を敢行。追突覚悟の正面突破。

 表情の変わらないボーデヴィッヒの鼻を明かすように、

 

――左にフェイントを掛け、掌が釣られた空隙を縫い、鏡写しの『6』を逆から描いて頭上を抜けて――

 

 長く伸びる砲身にテンペスタの大鎌を引っ掛けた。

「!?」

 大鎌を引きボーデヴィッヒを仰け反らせ砲身を抱えるように瞬時加速で押し倒す。

 テンペスタの推進器を噴かし押さえ込みつつもう一つの武装を展開、銃口を向けると同時、引金を引く。

 初期装備のサブマシンガンが震える。至近距離で胸部と頭部。シールド由来の兆弾を考えなければ外しようがない。

 だがそのまま撃たれ続けてくれる相手など居る筈がない。

 レーゲンのワイヤーブレードが射出された。胸元に6本の鋼線が集い、静穂を跳ね上げる。

 静穂が姿勢制御で手こずっている間に、ボーデヴィッヒが体制を立て直す。

「静穂さん!」

「シズ!」

 外野がうるさい。

「マガジン2つ分は撃ったのにまだ動く!」その場で射撃を止めず叫ぶ。「どれだけ硬いの!?」

 ボーデヴィッヒは悠々と回避運動を取りブレードの牽制から右肩のレールカノンを狙ってくる。

 砲撃を跳ね上がるように回避しつつ叫ぶ。

「ひょっとして最初から減ってない!?」

 その回答は外野から返ってきた。

「すみません……! わたくし達ではどうにも相性が悪くて!」

「ドイツがAICを実用化させてるなんて聞いてなかったのよ……!」

 そのAICとやらに二人は封殺されたらしい。右手の罠はそういう名前かと。

「知られたところで何も変わらん!」

 牽制に使われていたボーデヴィッヒのワイヤーブレードが一層の厳しさを増す。回避運動が間に合わなくなってくる。

 そして、

「貴様のフェイントは教本通りすぎる!」

 静穂の片足脚部装甲に鋼線が巻きついた。テンペスタにとっては致命的状況に陥った。

 速度はあるが装甲は薄く、平均推力はあれど瞬間馬力は打鉄に劣る。それがテンペスタというISだ。

 つまり力勝負では勝つのは難しいのだ。シュヴァルツェア・レーゲンのような中・重量機にはまず勝てない。

 ――よって振り回される。

「へっ――」

「返すぞ」

 大きく円を描いて地に落とされる。以前に一夏がクレーターを作った原因を静穂は理解した。

『――! ――――!』

 外野が何か言っている。耳鳴りが酷く聞こえない。

(――瞬時加速、使いすぎた……)

 正確には瞬時加速で無理な曲線を2度も描いたツケが一気に回ってきたのだ。瞬時加速中に曲がる上級技術には理由が存在する。知識のみでは習得した事にはならないのだ。

 そしてその影響は肉体だけでなく機体にも。

 静穂と同じようにガタが来ている。ここまでの道程に瞬時加速に回避運動と、機動にエネルギーを使いすぎた。装甲の薄さが災いし、たった一度の攻撃でダメージ進度がBを示している。

 もう一度はまずい。

 そう思うと静穂は早く行動した。コンソールを呼び出し操作する。

 鋼線を以て持ち上げられ、体が完全に地面から離れた瞬間に脚部装甲を脱ぎ捨て推進器を噴かす。

 虚を突いて距離をとる。

「なかなかやるが、まだ!」

 レーゲンの砲撃が飛んでくる。静穂はふらつく頭で回避運動を行い、

 

――瞬時加速で自分から激突した――

 

 

 

『!?』

 静穂以外、全員が驚いた行動は、砲弾をあらぬ方向に跳ね飛ばし、静穂を墜落させた。

「……成程。庇ったか」

 ラウラは早くも合点がいった。

 ……自身が放った砲弾は静穂の進路を予測してのものだった。

 もちろん当てるつもりだった、避けられる予測もあった。

 だがその弾道は自らの意思とは関係なく、

 先の二人に直撃するものだったのだ。

 素直に関心する。ISがある以上、死ぬ事は稀だ。ありえないとは言えないが、各国の粋を集めた専用機ではその確立は練習機より低い。

 それでも仲間を優先し、尚且つ、

「まだ盾になる……!」

 彼女達を射線から隠すように立つ静穂がそこにいた。

 片足を脱いでいた彼女は装甲のない方が浮かんでいる。PICで姿勢を保っているようだ。時折揺らぐのは脳震盪か機体の動作不良か。

 どちらでも構わない。盾になるというならその意図を汲むのみだ。

 レールカノンを発射。胸のど真ん中に命中した。

 慣性に負けまいと推進器を噴かす彼女を何がそうさせるのか。

 もう1発。結果は同じ。

「シズ! いいから戦いなさい!」

「わたくし達は大丈夫ですから!」

「……大丈夫、大丈夫……」

 後ろの連中は何も分かっていないのか。

 少なくとも彼女の方が状況も理解しているようだ。

 そう、この場合、

「……私の負けだな」

 その証左とばかりにアリーナ搬入口から織斑教官も姿を現した。

 それよりも先に観客席のバリア、その一部が爆発し白いISが突入してきたが。

 時間稼ぎにまんまと乗せられたのだ。

(師弟ごっこの賜物か)

「ラウラぁ!!」

 激しい剣幕で教官の弟が向かってくる。対してラウラは構えもせず、ただ織斑教官を見つめている。

 その視線を察してかは知らず、織斑教官は得物を振り投げた。

 他所で刀身と刀身がぶつかり合う。ぶつけられた相手が怒りの声を上げた。

「何すんだ千冬姉!」

「――今この時よりトーナメント終了まで、一切の私闘を禁止する!」

 織斑教官はそう宣言した。

「ボーデヴィッヒ。貴様もそれでいいな?」

 ……織斑教官の命令ならば吝かではない。

 誰に一瞥をくれるでもなく、ラウラはその場を後にする。

 扉に着いた頃になって、彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。

(私が出て行くまで立っていたか)

 本当にタフネスだけは師を越えている。

 師弟ごっこも役には立つようだ。



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31.嵐の前のざわめき ②

 医務室は一学期始まって以来の盛況だった。

 怪我人二名、見舞客二名、

 ……そして診察中が一名。

「去年よりかは天と地よ」

 そう言いながらも保健の先生は眉根を寄せていた。診察中の一名を除き全員が似た表情で口を閉じている。

 扉の向こうには静穂がいる。頑として担架を拒み搭乗するISで去ろうとしていた彼女は織斑先生の出席簿で眠らされ、いの一番に運ばれていった。

 彼女の搭乗していたISのダメージ進度はE。動かすことは困難どころか不可能なレベルで何処へ飛んでいくつもりだったのか。

 ダメージ進度Cの二名が肌の各所を無機的な白に覆われている。それでも骨折等の重傷ではないが、進度がEの彼女ならどうなのか。

 嫌な想像が頭をよぎる。現に二人が担ぎこまれて治療も終わっているというのにその姿を現さない。

 一夏が焦れてうろつきシャルルが心配そうに目線を追随させる。

 そんなやり取りが何往復もされた後、

 扉を開いて出てきた姿は、

「へ? 一夏くんはともかくシャルルくんまで、何で?」

 汚れた制服の上着を腕に掛け、首から指先まで覆うISスーツを着込んだ彼女が平然と立っていた。

 

 

『何で!?』

「ええ!?」

 逆に大勢から聞かれ静穂はたじろぐ。静穂の記憶ではシャルルを見た記憶がないから疑問に思っただけなのに何故質問で返されるのか。

「静穂、怪我しししたんじゃないの!?」

「とりあえずシャルルくんは落ち着いて。別に怪我するような事ないでしょ、あの程度で」

『あの程度!?』

「……みんなして練習とかしてない?」

 演劇のような合わせ具合だった。

「シズ、アンタのISボロボロだったじゃない!」

「身代わりになってくれたのかな」

「聞いた限りではダメージレベルE。メーカー修理が必要な段階だったと聞きましたが」

「え、何それ」

 静穂は聞いていない。気づけば医務室だった。

「そうだよ」とシャルル。「E段階までISが損傷した場合、搭乗者はまず負傷、生死に関わる深刻な事態は避けられない。C段階の二人がこれなのに、静穂がそんなに元気なのはおかしいよ!」

「……まさかお前、また無理してないよな?」

 一夏の一言で、空気が張り詰める。静穂は空気に押されるように後退り。

 ……実の所。

 静穂は本当に怪我などしていない。全てはISの()()()による恩恵だ。

 静穂がほぼ常に着込んでいるISスーツ、それは嘗て学園に突入したISの部分展開形態のそれだ。

 要するにボーデヴィッヒの砲弾を2機分のシールドで受け止め、装甲の耐衝撃性能と上に着込まれた関係から、先にテンペスタの方が損傷したという訳だ。

 それでも内側のラビットは無傷という訳にもいかなかったが進度はA。幸いにも生命活動に支障は出ていない。

 だから楽観が強かった。それに圧されて気が回らなかった。

(まずいまずいまずいよこれどうするのどうしたらいいのバレるとまずいよまずい問題がいくつもあるよ最近になって一つ増えたよそのおかげで怪我はないけどそれを言っちゃあおしまいなんだよ色々と!)

 目線が痛い。責めているのか案じているのかおまえはまたかと呆れているのか。静穂に分かりはしないのだけども。

 そんな静穂を救うように、後ろから手が伸びてきた。

「はいはい、怪我人を責めるような事しない」

「先生?」

 振り向くより先に静穂の額が冷たさを感じる。いつかお世話になった冷却シートが貼られていた。

「外傷はスーツのおかげで何ともないけど、軽い脳震盪を起こしてるんだから」

「やっぱり無理してたか」

 全員から責める視線が飛んでくる。

(何? わたしが悪いの?)

「ほら、治療の済んだ人は帰った帰った」

「先生、静穂さんも今晩こちらに泊めていただく事は……」

「その必要はないわ」保健の先生はすっぱりと否定。「ボーデヴィッヒさんの手心もあって汀さんはほぼ無傷、明日の朝一番に検査には来てもらうけど」

「手心?」シャルルが口を出す。

「ええ、軽量のテンペスタだけ破壊するなんて上級技術よ。理由は当事者にしか分からないけど」

 と言って先生は静穂にしか分からぬようウインクした。

(大人の対応だなぁ)

 ただただ感謝。黙っていてくれて。

「だから汀さんは早く行きなさい。行く所があるんでしょ?」

 言われて漸く思い出す。

 爆発した爆弾の後始末が待っている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中で生徒の大移動とすれ違い、静穂は戻ってきた道を戻る。

 相川 清香にあちらの現状を確認して静穂は携帯電話を折りたたんだ。

 行きと比べて鈍行なのは仕方ないと事前に言い訳を考えておく。

(ISも持っていかれたし頭も痛いしクラクラするし……よし)

 意を決してピットの中へ入っていくと、

「相川さん、わたし帰っていい?」

「そんな!?」

 決意も押し流してしまう程の重い空気がピット内を固めていた。静穂が出て行った時とほぼ変わっていない。相川 清香が涙目なのも理由は違うが変わっていない。

(あ、でも簪ちゃんはIS弄ってる)

 こちらを見るや否や相川がすがり付いて来た。

「お願い開放して! 二人とも黙ったままで居心地悪すぎる!」

「でもわたし脳震盪の怪我人だしなぁ」

「鬼! 悪魔! ISキチ! いつもの気遣いはどうした!」

「普段のわたしって何者!?」

 ちらり、と二人は箒と簪を見る。

「……変化ないね」

「ずっとこのまま。二人とも黙ったまま」

 事前に聞いた通りだった。

「アリーナの結末も話した?」

「言ってない。静寐から口止めされてたから」

 鷹月 静寐は無用な心配を掛けまいと考えたらしい。壁役の相川には相当の負担だったようだが。

「他に話していない話題は?」

「ちょっと待って……」

 言うと相川はスマートフォンを操作する。

 僅かに時間を費やして、「あ!」

「お?」

「ねえ皆!」

 相川の問いかけに二人も反応、冷徹が過ぎて針のような視線を向けてきた。

「相川さん、逃げていいと思う」

「頑張る……」

 明らかな拒絶に負けそうだ。そもそも相川は関わる必要がなかった。

「あのね! 今度のトーナメントがタッグ戦になるんだって!」

「タッグ戦だと?」

 箒が食いついた。

「そう! この前のクラスマッチが中止になっちゃったから、同じような事があった場合を考えてアリーナの中に居る人数を増やすんだって!」

「同じような事……」

 今度は簪が反応、手が止まり明らかに気が消沈していく。

「もうどうしたらいいの!?」

「あー、うん、後でなんとかする」

 嘆く相川を宥めつつ静穂は反応に困ってしまう。

 簪はクラスマッチの時に酷い目に遭ってしまった。それらも全て簪に責任はなく静穂に原因があるのだが、彼女は静穂を守れなかったと今でも感じているようで。

 責任感が強いというか強情というか。

(別に大丈夫なのになぁ、……ん?)

 タッグトーナメント、タッグマッチ、タッグ、二人組、ペア。

「箒ちゃん」

「なんだ」

「まずいかも」

 今度は静穂に目線が集う。その中で静穂は女子の群れとすれ違った事を話す。

 あの群れは静穂が来た道をそのままゴールから辿っていった。つまり彼女達の目的地は医務室、その時、医務室には一夏とシャルル。表向きIS学園たった二人の男子がいる。

 そして今回優勝商品にはその男子と付き合える権利。勝つ為の手っ取り早い手段は専用機持ちとペアを組む事。

 優勝商品が専用機持ち。鴨が葱持ち。

「一夏くん、今頃誰かとペアを組んでいるかもしれない」

 その一言に相川も呼応する。「篠ノ之さん行かなきゃ!」

 

「……いや、いい」

 

『へ!?』

 静穂と相川が驚きの声を上げると箒は出口に向かい歩き出す。

「箒ちゃん、どうするつもり?」

「私の力で勝って見せる。誰の力も借りない」

 お前の力もだ、と。

 そう言って箒はピットを出てしまった。

「篠ノ之さん何考えてるの? いつもあんなに織斑君のこと……」

「わたしも分からない。けど」

 一つだけ。

「中学の時に戻ったみたいだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫?」

「わたしはね」

 そう言う彼女は座り込んだまま動かない。脳震盪だというが、4組のクラスメートがその場に居て拡散した情報ではその程度で済んだのは奇跡に近い状況だったらしい。

 ピットには簪と静穂しかいない。相川という少女はシズネという少女の許へと事態の相談に走っていった。

 ……簪は思う。そこまで深刻になる事柄なのかと。

 静穂はもう仕方ない。そういう性分だとは分かっている。一度巻き込まれてしまえば自身の能力を最大まで酷使する。そうしなければならないと、

(まるで呪いみたいに)

 ……だが相川の取り乱し方は変だ。元の彼女の性分みたいなものはつい先ほどまでの当人を見て分かっていた。それでも彼女の普段と慌て具合も違うように見えた。

 篠ノ之 箒が織斑から離れるような行動が、1組ではどれだけの大事なのか。

(分からない)

 近しい人間に変えれば分かるのだろうか。

(……本音がしっかり者になる)

 考えておいて気持ち悪くなってくる。ありえないなんて次元じゃない。姉妹揃ってパーフェクトな人間などと傍にいれば自分が自分でなくなる。自分と重ねてしまうのは必然だろう。

 他の人物の場合。

(なら……もしも静穂が)

 もしも静穂が、もしも彼女が、

 ――もしも。

(思いつかない)

 彼女ならどんなシチュエーションでもこなしてしまいそうで。

 まるで女優。サイドキックな名脇役。

 彼女の当たり役、はまり役を考えているうちに考えてしまう。

(私、これだけ一緒に居て)

 共に死の憂き目にも遭ったというのに、

(静穂の事、ちょっとしか知らない……?)

「打鉄は進んだ?」

 今、気を遣ってくれるのは、嬉しいどころか不快に思えてしまう。

 自分の方が大変だろうに。

(痛い目を見て、友達も傷つけられて)

 彼女の方が辛いだろうに。

「うん。大分」

「……ごめんね」

 それは一番聞きたくない言葉だった。

「何が」

「へ?」

「何が悪いの? 何がいけないの? 静穂が一体何をしたの?」

 立ち上がろうとする彼女を押さえつけた。

「何もしてない。頑張ってるだけ。それで静穂が謝るの?」

「……」

「おかしいよ、そんなの」

 この問答には結末も意味も進展もない。

 ただ言ってしまったというだけ。

 彼女の場合は『ごめん』と言う。それに簪はまた怒る。

 そのやりとりまで彼女は見透かしている。

 静穂は冷却シートの貼られた顔を綻ばせ、簪の手に自分の手を重ね、

「うん、ありがとう」

 ……だから返ってくる返事は最善の選択。

 本当に気を遣える人間とはこういう者だ。

 自身は常に下。たとえ相手を不愉快にしてもその立ち位置を貫き通す。

 そして相手は不愉快になりながらも最善の一手を行動できるようになる。

 そのお膳立ては多分に洩れず簪にも最善を行動させた。

「じゃあ、手伝って」

「へ?」

「作業。トーナメントまで一人で()()()いられないし」

 そして、何よりも。

「完成しても勝てるわけじゃない。試合中にも問題が起こるだろうから」

 簪がそれを求めていた。

「トーナメント、一緒に出て」

 彼女の事だ。また篠ノ之を止めろとか、ペアを組んでくれとか言われたら断る選択をとらないだろう。

 その前に選択肢を狭めてしまえ。その未来を潰してしまえ。

 理由などどうでもいい。見知らぬ某より気の置ける友人の方がいいのは事実。

 気圧されたように彼女は頷く。

「わたしで良けれ――」

「静穂じゃなきゃ嫌」

「――よろしくお願いします」

 後ろ向きな発言を食い気味に潰す。

 まずはここから。彼女の意見を前に押し出す事から。

 彼女の本心が知りたかった。

「よろしくお願いします。それで、どうしようか?」

「どうって?」

「何から始めるか」

 そこから!? と聞く彼女を目で黙らせる。

「簪ちゃん、怒ってる?」

 怒っている。理由は彼女にある。彼女が悪い。

 無言で先を促すと溜息を一つ吐いて彼女は切り替えた。

 簪が見た事のない表情だった。

「なら……、うん。武装は捨てよう」

「捨てる?」

「開発は一時中止、既存のもので補う。飛べないと話にならないから、PICと推進機関の制御機能を最優先」

「推進器も開発が止まってるけど」

「推進器も練習機から持ってこよう。倉持技研の目があるって言うなら打鉄のものを使えばいい。簪ちゃんの専用機は高機動型だからラファールかシュトロの物を使いたいけど」

「そこまで気にしなくていいと思う」

「なら打鉄は外す。敏捷性ならシュトロ、ある程度重いものを使いたいならトルクのあるラファール」

「テンペスタは?」

「あのスピードを出すには武装も制限されるからお勧めはしない。まあ簪ちゃんの体に合ったものが一番だから…………そうだよね」

「?」と簪が首を傾げると、

「わたし、簪ちゃんのこと何も分かってないや」

 ……つい手が伸びた。

「ふぇ!?」

「…………」

 まずは彼女の頬がどれだけ伸びるか調べよう。

「ふぁー!」



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32.彼女と彼の理由と内心 ①

 事態は深く静かに進行するものだと、山田 真耶は黒板型コンソールパネルに参考資料を提示しながら理解する。

(米ソ冷戦時代もこうだったのでしょうか)

 いつもの通り私語の一つもない教室は、全く別の熱量を、混ぜることなく内包させていた。

 教室全体を一つの熱の塊として、その中に明らかな零度がいくつか。

 篠ノ之 箒、ラウラ・ボーデヴィッヒ、空席のセシリア・オルコット。

 周囲の怒気を関係がないとばかりに無視する箒とラウラ。怒気の大元となった空白は単に熱を発する存在がいないだけだ。

(でも、汀さんは)

 周囲と熱を放つでもなく、単独で凍るでもなく。

 汀 静穂だけが全くの普段どおり、平熱を保ち続けている。空気が読めていないのか、それとも他の事案に気をとられて気づいていないのか。

 異質に思えてならない。

(織斑君みたいに怒ったりしないのでしょうか?)

 静穂とセシリアの師弟関係、その師が傷つけられても平気なのか。

(それとも怒って振り切れてしまっているとか!?)

 普段物静かな人間が一度怒ると手がつけられなくなるのいうのはよくある話だ。

 彼女……じゃない、彼もフラストレーションが溜まっているのは間違いない。

(織斑君と違って女装もしている訳ですし溜まっているのでは? その、男の子ですし)

 山田 真耶。知識のみが先行しすぎている嫌いのある女性である。

 

 

「もう大丈夫なのか? 二人とも」

「ええ。ご心配おかけしました」

「みんな大げさなのよ」

 数日を置いてセシリアと鈴は医務室を出られるまでに回復した。

 機体の自己修復は目処が立たず、やはりトーナメントには間に合わない。本国に戻すとしても修理の完了時期はトーナメントの遥か後。それに自己修復中に手を出す行為は好ましくないらしい。以後の修復速度が遅れるか機能を切断してしまう恐れがある。

 周囲からの心配もあったが彼女らの肌に貼られているガーゼの面積は減少している。保健の先生にもお墨付きは貰った。というか先生は早く出て行って欲しいようでもあったが。

「じゃあこれ」

 そう言うと一夏は背中に隠していたものをそれぞれに差し出した。

 まあ、とセシリアが声を漏らす。

 ラッピングされた一輪の花が二人に渡される。

「ちょっと大げさか?」

「いえそんな! 一夏さんから頂けるものでしたらいつなんときでも嬉しいですわ!」

「でも鈴は反応薄いんだが」

「鈴さん!?」

「…………」

 天にも昇りそうなセシリアと対極に鈴は繁繁と花を見つめる。それぞれに合わせた色合いの簡素なラッピングを施されたそれに彼女は何か言いたげで。

「一夏」

「どうした?」

「これ誰かの入れ知恵でしょ」

「鈴さん。ここは素直に受け取った方が――」

「凄いな。なんで分かった?」

「一夏さん!?」

 あっさり認めた一夏に鈴は「やっぱりね」と溜息を吐く。

「セシリア。一夏にこんな甲斐性みたいなものがあったらあたしも箒も苦労してないわよ」

「確かに……」

 当人の前で二人は納得する。これだけの事が素で出来るのなら自分達の気持ちも理解できるだろうに、と。

「で? 一夏。これは誰から?」

「四十院さんが言い出して、鷹月さんが計画して、静穂が用意した」

「皆さん、そんなにわたくし達の事を……」

「アンタ達1組は連携できすぎでしょ」

「文句を言うのはいらないって事か?」

「冗談」鈴は花を自分の背に隠す。「珍しく一夏からの貰い物よ? ありがたく受け取っておくわ」

 嬉しくない訳がなかった。渡された品もささやかで丁度良く、渡される側の負担にならないよう考えてある。恐らく一夏には裏話を言わぬよう口止めもされていただろうが彼に隠し事など出来る筈がない。何より意中の相手から手渡しで祝われるこの状況。セシリアと一緒でなければ鈴も勘違いしていただろう。

「一夏さん、お礼を言いたいのですが皆さんは今どちらに?」

「静穂以外はまだ教室にいると思うぞ」

「シズ以外? シズはどうしたのよ」

 鈴はまた射撃場かとも思ったが一夏が告げたのは別の場所だった。

「最近は電算室で何かやってるな。一度見たけどまるで機械みたいだった」

「機械?」

 ああ、と一夏は頷いて、

「無表情で何か打ち込んでた。もの凄い速さだったぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日の工程は順調。予定は前向きな変更が出来そうだった。

 思い切って他方面の開発を凍結したのが大きいのか。推進器の選定と整合性の調整に手をつけられる日も近そうだ。

(PICさえあれば飛ぶことは出来る。瞬時加速を捨てるなら推進器をマクロにしてもいい訳だし)

 静穂は電算室でキーボードを叩いていく。網膜に移した羅列をそのまま複写する作業だ。

 ここ数日はこればかりを繰り返している。コピーアンドペーストが出来れば良かったのだが無理だった。まず対象とパソコンを繋ぐ端子が存在しない。無線送信しようにも個人レベル、少なくとも学園で使用許可の出るパソコン群では時間がかかりすぎる。室内のパソコンで並列分散処理を試そうとも考えたが確実に織斑先生にバレる。開発中止を言い渡されるわけにはいかない。

(疲れた……)

 何度か瞼を屡叩き、背もたれに身を預け弓なりの姿勢で天を仰ぐ。

 簪曰く専用機の開発段階は全体の7割弱。改めて確認したところ、メインフレームは完成済み。ISコアの定着も確認済み。学生では不可能な箇所は倉持技研が済ませてくれていた。だから簪の一見してでも無茶な提案も呑んだのだろう。

(ISを自分で作るって、本当に無茶だね……)

 言ってしまえば知識の全く無い素人に自作パソコンのタワーケースにマザーボードとCPUと電源装置だけセッティングして後は部品からOSまで自分で作って完成させろと言っているようなものだと静穂は想像した。

 せめて武装だけでも技研に送ってしまいたいが同居人はそれも嫌がりそうなので黙っておく。

 いずれも強力な武装だ。荷電粒子砲もマルチロック式誘導弾も今回のトーナメントに間に合わせれば相当な脅威となる。特に後者はタッグマッチに於いて喉から手が出るほど欲しい。静穂としては荷電粒子砲という言葉の響きにロマンを感じる。

(閑話休題、閑話休題)

 絵に描いた餅を求めても意味がない。今はこの作業に専念する。

 これが完成しない事には何も始まらないのだ。

 そう切り替えて静穂が勢い良く体を戻すと、

 

――画面を覗き込んでいた銀の後頭部と激突した――

 

『----------!』

 二人して声にならない奇声を上げる。先に復帰したのは銀髪の方だった。

「貴様死にたいのか!? ISなしでも相手になるぞ!?」

「ごめん悪かった悪かったけど勝手に覗き込んでおいてナイフまで突きつけないで!?」

「む……」

 非を責められたからかボーデヴィッヒがサバイバルナイフを懐に収める。

「すまん」

「へぇっ!?」

「どうした」

「まさかボーデヴィッヒさんが非をみとめるなんてごめんなさい!?」

 ひらりとサバイバルナイフが首元で光る。

「非があれば謝る。当然の事だ」

「……そうだね」

 

 

 落ち着いた後に作業を再開。どういう訳かボーデヴィッヒが隣の席に座っているが。

「速い打鍵だな」

「ありがと」

「サーカスギャロップでも弾けそうだ」

「?」

 何の話か分からず静穂は手を止めネット検索を掛ける。

「…………」しばし検索結果の映像を眺め、「無理でしょ」

「そうだな」

「……へ?」

「冗談だ」

 そう言う彼女の表情は変わらず。

 ……作業再開。

「何をしている」

「えと、」言うかどうしようか悩んで、「ペースト中」

「普段の貴様は射撃場にいると聞いたが」

 確かにそうかもしれない。実際に練習機の抽選が外れた時はその足で射撃場に向かっている。

「随分と探した」

「それは、どうも」

「さっきの冗談はどうだった」

「はい?」

「笑えたか?」

「…………笑えない」

「そうか。では次」

 さすがに制止した。

「どうした」

「いやどうした、じゃなくて。え、何?」

 彼女は冗談を言い続けるために自分を探していたのかと。

「そうだが」

 静穂は頭が痛くなってきた。

 脳震盪の時に貰って残っていた冷却シートを額に貼る。冷感が思考に余裕を与えてくれた。

 作業の邪魔をするつもりではないのだろう。では何か。

 聞くとすんなりと返ってきた。

「教官経由で本国から通達があった。先日の戦闘でイギリスと中国から正式にではないが抗議文書が送られたらしい」

 セシリアと鈴を叩きのめした件は外交問題になったようだ。

 そういうものかと静穂は納得する。トーナメント、延いては公式試合とは技術のお披露目・実戦経験獲得の意味合いが強い。その機会を潰されては黙っていられる筈もない。面子の問題もある。一方的に技術の違いを見せ付けられるのは大層我慢ならない事だろう。

「教官から伺った内容は、イギリス及び中国代表候補生への謝罪と対人関係の強化だ」

 彼女が謝罪したという話は噂にも上がっていない。となると彼女は先に人間関係の()()としてここ数日を冗談(ジョーク)の情報収集に費やし静穂で実戦経験を積もうとしたようだ。

「それで、なんでわたし?」

「冗談というものはそれを受け取る相手が居ないと成立しないらしい。そこで教官にお願いしたのだがご多忙で残念ながら不可能だった。しかし教官はこう言われた」

 

――汀に頼め。対人関係なら奴の方が私よりも適任だ――

 

(何でわたしに丸投げ!? 分からなくはないけれど!)

 冗談を聞かされ続けるのは確かに辛い。それに静穂は織斑先生の対人スキルが想像できなかった。

 良くて見た目どおりのキャリアウーマン。徹頭徹尾に隙がないイメージ。寄り付く優男に目もくれずただただ孤高。仕事人間。

(薔薇のトゲトゲ、富士山盛り)

 本人が居ないからこそできる想像だった。

「……やはり教官は正しかった」

 想像の織斑先生像から逃げ出して戻ってくると彼女は言った。

「私は貴様が友と呼び師と慕う人間を負傷させた。それなのに貴様はこうして私と隣同士で座り、作業を中断してまで話を聞き、結果として私の訓練に協力している」

 言葉にされると妙な気分だ。

「だが何故だ」

「? 何故って?」

「何故、貴様は怒らない」

 何故、彼女に対して感情を発露しないのか。

「教室内ではほぼ全員が私に対して大なり小なりの敵意を向けてくる。しかし貴様からは何も感じない」

「…………」

「私が行ったのはストレス解消のようなものだ。教官が私の話を聞いてくれない。何度言っても突返された。この学園に教官が居る意味が、私にはまだ理解できない。それが腹立たしく、その時、都合よくあの二人がいた」

 あの二人が模擬戦を行う場面に遭遇した。

「学園に来てから腕が鈍っていく感覚だった。候補生が相手なら自身を研ぎ澄ませると思った。だが結果はあのようになった。ついでとばかりに貴様も撃った」

 静穂も乗り込み、返り討ち。

「これでも怒りを見せないのだな」

 煽られていたらしい。

「何故、貴様は怒らない」

「……何て説明すればいいのかな」

 思いを起こす。それがどれだけ大変な事か、静穂は痛感する。

 ……何故、怒らないのか。

 世の中にはどれだけ貶められても怒りを表現する事が出来ない人が割合として少ないが存在する。

 その人達は幼少の頃よりずっと怒る必要のない生活を送ってきたと揶揄されるがそれは全くの間違いであり、人権侵害にも相当する侮辱だ。

 喜怒哀楽の欠如は人としての欠陥があると言ってよい。では怒らない人は欠陥があると断じていいかとなると、それも否。

 彼らは自制心が強すぎるのだ。そしてその自制心は自らが築き上げたものではない。周囲、環境、他人、見栄、一般常識など主に外的要因によって形成されてしまう。

 周りがこうだからこうしないといけない。そうすることは間違っている。間違っていると不快な目に遭わされる。それは辛いことだ。辛いのはいやだ。自分がいやなことは相手にとってもいやなことではないか。だからやってはいけない。……怒ってはいけない。

 そういった思考の転回を経て怒りの感情を拒絶し、構築された自制心は強固だ。自身が壊れる結末を迎えようと揺るぐことはほぼないと言っていい。その自制心が壊れる場合もあるが、その場合は大抵、自身の爆発によるものだ。まず先に自身の心が壊れる。

「……わたしは臆病なんだよ」

 自分が壊れるのは嫌だと、多少他から変に思われようと構わない。

 静穂は大切な人を失った。その時に罅が入ってしまった。

 ほんの少し罅が入ったそれだけで、静穂は苦しんだという経験がある。

 その罅が広がっていかないように、静穂の心は、自制心をそのままに、少し寛容になったようで、

「生きていてくれるなら、それでいいって思えるから」

 それでいいと妥協するようになったと、静穂は締めくくった。

 最後まで黙って聞いていたボーデヴィッヒは、

「なるほど、理解した」

「これでいいの? 無茶苦茶恥ずかしい事を言っただけなんだけど」

「だが貴様は間違っている箇所がある」

 中学二年と紛う垂れ流しポエムの中で何が間違っているのか。

「貴様は臆病ではない」

「――へ?」

「友を、仲間を思い武装も不明の私に向かってきた貴様は、あの時も怒りを見せてはいなかったが、無謀にも思える勇敢さがあった」

 彼女は席から立ち上がる。静穂を少しだけ見下ろす状態になって続ける。

「だが無謀では決してない。貴様の行動は全て訓練に裏付けされた実力だった。事実、結果として私は貴様に負けたのだ」

「待って、何かがおかしい」

「誇れ! 久しく付いていなかった私に黒星を付けた貴様を誇れ!」

「どうしてそうなる!?」

 静穂の嘆きも突き破るかのように、ボーデヴィッヒが右手を突き出した。

「何これ」

「私と組め。貴様の能力を最大に引き出し、その存在を世界に知らしめてやろうではないか」

 トーナメントのお誘いのようだ。

(ほんとに、本っ当に……)

 どうしてこうなったのか。何が彼女の琴線に触れたのか、全く分からない。

 とにかく分かっているのは、その申し出は受けられないという事。

「ごめん。もう相手がいるから」

「そうか、残念だ」

 と、ボーデヴィッヒは一度は手を引っ込め、

 また突き出した。

「今度は何!?」

「貴様と戦うのを楽しみにしている。テンペスタのような紙トンボなどではない、貴様の本気をな」

(……ひょっとしてただの戦闘狂?)

 あの教官にしてこの生徒ありなのか。本当にありそうで怖い。

 出された手に手を合わせ握手。上下に振るでもなく、手の中のなにかを確かめるように力が込められる。

「有意義な訓練だった」

 ボーデヴィッヒが扉に向かい歩いていく。

「へ? ど、何処に行くの?」

「イギリスと中国の居場所だ。教官からの指令はまだ終わっていない」

「気をつけてね、一応」

「心配するな」と振り向く彼女はしたり顔。

「尋問なら訓練済みだ」

 ……閉まった扉を静穂は少しの間見つめて、

「簪ちゃんと組んでいて良かった……」

 ボーデヴィッヒと組むなどしたら嵐どころの荒れ具合ではないだろう。静穂の胃は原型を留めず融解する。

 簪の行動力に感謝しつつ、静穂は外部記憶媒体を抜き取り、電源を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂が廊下に出て少し歩くと、同居人と出くわした。

「静穂」

「あ、簪ちゃんだ」

 そのまま二人は進む方向を同じにする。

 何とは無しに、静穂は言う。

「簪ちゃんと組んで良かったよ」

 フリーのままでは最悪に近い未来が待っていた。

「……そう」

 相槌を打つ彼女の顔は赤い。

「静穂の方は完成した?」

「うん」親指サイズの記録媒体を目線にまで持ち上げる。「そっちはどう?」

「一通り試した。……やっぱり、どれも少し合わない」

 もう全部を試したのかと静穂は舌を巻く。予定は大幅に前倒しだ。

「一番マシなものを調整しよう。1から作るより早い筈だから」

「静穂の作ったPICだけじゃ駄目そう?」

「期待はしないで。競合どころか動かない可能性の方が高い」

 ここ数日の作業を静穂は否定する。グレイ・ラビットのPIC関連プログラムを複写したそれが従来のISと適合するかなど分からない。静穂が興味本位で飛んでみて、ラファールの時より速度が出たから試してみようと思っただけの代物なのだから。

 (ラビット)の事を簪には伝えていない。彼女が負い目に感じる危険性がある。

「大丈夫だと思う」

「何で?」

「静穂だから」

「それは根拠にならないよね!?」

 寧ろマイナスの材料になりそうだ。

「目標は優勝」

「高すぎない!?」

「静穂だから大丈夫」

「だから根拠! 根拠!」

 ずれた歩調を直すように、静穂は簪を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トーナメントが始まる。




 今後の展開を狭める回。
 かなり致命的ですがラウラの回を作りたかった。


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33.いざ嵐の中へ

 くじ引きには当たりとはずれ、言い換えれば1か0しかない。

 ピットにて機体をカタパルトに固定する少女にとって、この結果は1ではなく0でもなくマイナスだった。

 学年別タッグトーナメント第1試合。彼女の対戦相手はパートナーの心を戦地に赴く前から折ってしまった。

 

――更識・汀ペア――

 

 こんな事ならもっとマシなパートナーを選ぶべきだったと少女は後悔する。いっそパートナーも抽選に任せれば良かったかもしれない。

 タッグとはいえISの基本は単機での戦闘。1対1が2ヶ所で展開されるだけ。今回は自分がそれを2回連続で行えばいい、いや、1機落とせば数的優位で勝てるのだとパートナーを奮い立たせる。

 そう、自分の相手を迅速に撃墜すればいいのだ。

(コバンザメ程度なら、真っ先に落とせばいい)

 あの女、今度は更識のネームタグにこびり付きやがったと少女は毒突く。図らずも少女の手で食堂にてあれだけ惨めな目に遭わされて以降、食堂に顔を見せないと思えば吸い付いていた連中が出られないと知って即座に他に飛びついていた。その厚顔無恥には尊敬するばかりだ。

(学園最強、IS学園生徒会長の妹)

 織斑 一夏を取り巻く専用機持ちに隠れて代表候補生の資格を持つ、会長の妹。

 噂では今回のトーナメントで試作機のテストを任されているというが、試作機が量産機より強いという事実は存在しない。所詮はロマンとフィクション、空想の産物だ。

 真っ先に汀を倒し、2対1となれば簡単にカタがつく。

(コバンザメ程度、速攻で落とす)

 少女にはその自信とそれを裏付ける実力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナは大の字がつく盛況。各国の要人は別の場所に専用の観覧スペースが存在するが、外部からの選ばれた観客、関係者たちが生徒とは別に詰め掛けている。それを狙って一部の生徒が物売りをしていたりと、完全に祭の様相だ。

 そんな中にIS男子操縦者が独りで居たとすればどうなるか。

「一夏、大丈夫だった?」

「ああ。でも凄いな、押しつぶされるかと思った」

 いつも以上の人数が学園に押しかけ、その連中に二人の事を知らない人間など居らず、むしろ近づいて利益のあるような連中が大挙する。

 一夏も「そろそろみんなと合流するか」などと軽い気持ちで単独行動していれば……。

「一夏さんはもっとご自身の立場を理解した方がよろしいかと」

 1組全員が頷く。

「一夏も皆と一緒に来れば良かったのに」

「そうしたかったんだけどな」

 シャルルの遅い提案に一夏は沈んだ面持ちになる。その場にいる全員が分かっていた。

「……箒さんとは会えなかったのですね」

 一夏は頷いた。

 ラウラの一件以来、一夏と箒の間に会話がなくなった。いや正しくはあるにはある。一夏から投げかければ「ああ」とか「そうだな」と一言で返し、会話を切られてしまう。続かない。目も合わない。

 彼女からの会話が無い日など学園入学以来一度として無かったのだ。それが突然に途切れてしまいクラスメイトも驚いたが最も驚いていたのは当人である一夏だった。

 静穂にも勿論話を聞いた。一夏に次いで彼女と親しく、また相川と共に豹変の現場を目撃した筈の人間からも「分からない」としか帰って来なかった。

『――さあお集まりの紳士淑女の皆さん! 大変長らくお待たせいたしました!』

 アリーナに響く実況音声が一夏の思考をかき消した。

「一夏」

「大丈夫だ、シャルル」目先の物事に切り替えていく。「今は静穂の応援だろ?」

 各々がクラスマッチの時に作った応援グッズを片手に掛け声を合わせる

「フレーッ! フレーッ! み・ぎ・わ!」

「かんちゃーん! みぎー! がんばれ~!」

 

 

『――さあお集まりの紳士淑女の皆さん! 大変長らくお待たせいたしました! ただ今よりIS学園学年別トーナメント1年の部を開催いたします! 実況は私IS学園2年、新聞部副部長にして放送部も兼任。学園内の情報は私の物だ! 黛 薫子と』

『同じく2年で警備主任、同じ轍は2度も踏まないイリーナ・シャヘトでお送りしまーす!』

 淹れたてのコーヒーを山田先生に振舞いつつ、千冬は実況のお調子者共がと嘆く。

 管制室から眺める観客席はクラスマッチ以上の人数が詰め込まれている。今回ばかりは()に出て来て欲しくないものだ。一度パニックでも起これば将棋倒しで死傷者が出る。

『以前の1年クラス対抗戦では不慮の()()()()()()により中止となってしまいましたが今回はもう心配いりません。なので観客の皆さんには安心して初々しい1年生の艶姿をまじまじと――』

『ストップ薫子それはダメー!』

 シャヘト、よく止めた。

 そして山田先生は何を思案しているのか。

「山田先生、どうかしましたか」

「あ、いえ、その」

 どうにも歯切れが悪い。体の具合でも悪いのか、汀でもあるまいし。

「汀さんは大丈夫でしょうか」

(……まったく)

 本当に彼女は優しすぎる。

『今年の1年はホントに大波乱! 学年別最多の国家代表候補生入学人数に加え世界初の男子操縦者も入学! それに押し上げられたのか全体のレベルも急上昇!』

『去年に負けず劣らずの熱闘激闘大乱闘をお約束しまーす!』

「山田先生。奴が怪我をする可能性はありえません。逆はあっても、ですが」

 常時ISに守られている人間をどうやって傷つけられるというのか。

「ですが織斑先生。汀さんは今回のトーナメントにラビットを使わないと言っていました。授業では問題ありませんでした、ですが実戦ではどんな影響があるかわからないじゃないですか」

 何を考えているのでしょうかと言って山田先生は砂糖ミルク多めのコーヒーに口をつけた。

 そんな事を言っていたのかと、千冬は初めて聞いた事実に驚く。

 だがそれも合点がいった。世界中に自身の貴重性を曝すような真似を奴は好まないだろうと容易に想像がつく。

(奴が何を考えているのか、か……)

 あくまでISスーツ。自身の素肌と素性を隠すに留め、試合には使わない。話の通りならシールドも切っている事だろう。自分の首に成り代わっているISを余程調べた事だろう。

 学生らしく勤勉なのはいいが随分と実直が過ぎる。才能云々を補うためには少しくらいはグレーゾーンに足を踏み入れてみてもいいのではないか。

 別に犯罪を推奨しているのではない。清濁併せ呑むまでいかずとも善悪の区別を判断し逡巡する様が在って許されるのが少年少女の時分ではないのか。

(まあ、それならそれでいい)

 実弟より手が掛からないのは面倒が省けて良い。それに正々堂々とやろうとしているのなら、ただ見ているのも教師の務めだろう。

「問題はありません。汀は既に二度、ああなってからの実戦を経験しています」

 一度目は山田先生自身が相手だった。

「そうでしょうか……」

「それに山田先生のデビュー時のようなこともないでしょう」

「織斑先生!?」

「始まりますよ」

 一気に騒がしくなった山田先生を受け流し、実況に耳を傾ける。

『それではAブロック第1試合! 選手入場です!』

『出てこいやー!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女のデビュー戦でもあるこの試合は悉くをあのコバンザメに引っ掻き回されるようだ。

「……ねえ、アンタ」

 わたし? とコバンザメはとぼけやがる。

「どこまでふざければ気が済むわけ?」

 少女の堪忍袋は限界だった。開始の号令が出る前に飛び掛ってしまいそうだ。

 汀 静穂はメイルシュトロームの上から制服に似たボロ布を纏っていた。いや、ハイパーセンサーを凝らすと擦り切れや穴の縁はしっかりと繕われている。

「そんな布切れで目を惹くとか、恥ずかしいと思わない? そんなにアピールしたいなら実力で表現しなさいよ」

「……」言われた汀は少し考えた素振りで、「わたしとしては矜持のつもりなんだよ」

 矜持?

「いや、ね。この外套? クラスの皆が作ってくれたのだけど、ちょっとした理由でボロボロにしちゃって。丁度いいし初めての公式戦で折角だから着て出ようかと……ってどうかした?」

「もういい……」

 1組の無駄な連帯感、それにどっぷりと浸かった人間の思考はこうも理解できないものかと少女は頭を痛める。プレッシャーはないのか。

 ……パートナーと簡単な打ち合わせをした後、少女達の待ち望んだ合図が来る。

『開始5秒前! 5! 4!』

 ブザーに合わせた実況の声が響く。

 少女が息を吐く。緊張感を楽しんでいる自分がいる。

 全力で臨む。奴の実力は代表候補生と遣り合った事実から理解しているつもりだ。

『3! 2!』

 だから外套などの、実力以外で目立つ彼女が許せない。実力があるのに小手先に走る相手が許せない。

 少女は純然たる闘争を渇望していた。

『1! 試合開始!!』

「っ!」

 ブザーとほぼ同時に少女は突撃した。搭乗した打鉄は動作に応えてくれている。

 その突撃に真向から向かってくるのは、

(更識!? 速い!)

 少女の打鉄を超える速度で向かってくる彼女に対し、こちらも速度を落とさず葵を抜く。更識の薙刀と火花を散らし、接点を芯とした半円を描いて軌道は本来の標的へ。更識は大きく軌道が逸れパートナーが追っていく。

 残心をしている余裕はない。開始位置から動いていない汀に視線を移す。

 そして見てしまった。汀がはためく外套を擡げて背中から腕へ展開する、

 

――25mm7連砲身ガトリング砲を――

 

「――ごめんね」

「----------!」

「空転時間の都合上、隠さないと警戒されるからッ!」

 砲身が火を放つ。外套が翻り、メイルシュトロームのプリンセスドレス型増設推進器が反動を抑えるべく出力を増す。

 瞬時加速で避けられない少女に次々と着弾。著しくシールドを損耗させ続ける。

 ――それでも少女は止まらない。

 それどころか笑みまで浮かべ葵を突き出し速度を上げる。

「汀ぁあああっ!!」

 彼女は予想を超えていた。全てが最善の選択だった。

 最初から展開、装備していたガトリングを隠すための外套だった。

 少女の渇きを満たしてくれる相手だった。

(ああ、)

 汀が腰撓めに半身を切って放つ弾幕の中から少女は放り出されていく。

「最っ高よ、アンタ……」

 

 

『なんという隠し球! 汀選手、高機動機体のメイルシュトロームに追加ブースターを装備し高速戦闘に持ち込むかと思いきやその推進力で強引にガトリングの反動を押さえ込み弾幕の雨あられ! 2対1に持ち込んで早期決着か!?』

『完全に足を止めて、これじゃ対空砲ですよ!? 相手の好戦的性格も考慮した上でのセッティングでしょうか!?』

 歓声の中で一夏と代表候補生達が何ともつかない感情を抱く。

「凄いのは分かるけど、あんなのありか?」

「無くはないですが無謀というか無茶苦茶ですわ。まさかメイルシュトロームであのような重火器を扱うなんて、機体の持ち味を完全に殺していますもの」

「前にクアッド・ファランクスを使ったことがあるって聞いたけど、あの1門だけでも相当の反動だよ。推進力を増やしてまでメイルシュトロームを選んだのは照準性能で命中率を確保して最速で一機落とすためだと思う。力技だけど静穂は機体特性を理解してるよ」

「みぎー撃て~! かんちゃん突っ込め~!」

 アリーナでは静穂が相手の進行方向を塞ぐように弾をばら撒き更識 簪が距離を詰める展開が続いている。

 それでも観客の心は掴んだのか歓声は耳が痛くなる程だ。

「俺もセシリアの指導を受ければああなってたのかな?」

「わたくしのせいですか!?」一夏の言葉にセシリアは過敏な反応を示す。「わたくしは常に優雅な飛び方を指導しています! 一夏さんでも今の言葉は聞き捨てなりませんわ!」

「いや別に貶してる訳じゃなくてだな!?」

「……きっと静穂は」

「シャルル?」

「シャルルさん?」

 一夏とセシリアが痴話げんかに発展しそうな所をシャルルは考えを述べていく。

「更識さんに合わせているんじゃないかな。最初の接触時も相手の女子は最小の動きで本来の軌道に戻っていたけど更識さんは大きく逸れた。それも作戦のうちかもしれないけど、もしも更識さんがまだ機体の制御に不慣れだとしたら」

 慣れない機体、それも高機動仕様と来れば操縦に支障が出る行為は致命的だ。速度の合わない他者との連携も集中を乱すだけで終わり、最悪、仲間同士で衝突する危険も。

 シャルルの推測にセシリアもどこか納得した様子で、

「いち早く相手を倒して数的優位を確保し以後は後方から火力支援。火力を見せ付けて注意を惹き、」

 パートナーの習熟を促す。

 更識 簪の機体は彼女の専用機だ。癖を知るだけでも操縦はとても楽になり、練習機と違い機体も経験を蓄積できる。今後の運用にも確実に影響があるはずだ。

「もちろん相手を甘く見ている訳じゃない。でも将来を見据えた選択をしているのだとしたら」

 一夏が言葉を継ぐ。「強敵だな」

 歓声が強まる。更識が相手にとどめの一撃を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピットに戻ってハイタッチ。

「初戦突破ぁ!」

「突破……!」

 静穂と簪の策は万事が上手く行った。二人は知らないが概ね観客席の予想通りだ。

 予想と異なる箇所としては将来を見据えた、という所か。他にも所々。

 確かに簪は今の専用機・打鉄弐式に慣れていない。それも全て静穂のせいだ。

 簪は()()打鉄弐式に慣れていない。

 簪は弐式を受け取るにあたり事前に倉持技研にて訓練を受けていた。その感覚と今の弐式とは全く異なっている。簪も完成後に訓練こそしているが、どうしても仮想シムの感覚に引っ張られる現状。

 巡航速度以外はシムと遥かに劣る推進器、逆にトルクの桁がトリプルスコア近く異なるPIC。武装も外しバランスの『バ』の字もあったものでない。唯一使用可能な薙刀の超振動機構も未完成、威力が著しく劣る。

 とにかく飛べるだけの急造品。満足な習熟訓練もなしに戦闘機動が出来る方がおかしい。代表候補生の、更識 簪の技量の高さを垣間見た。

 静穂の方も違うといえば違う。

 簪の支援をするつもりではあった。だが最初はラファールを使う予定だったのだ。

 数日前、整備科の上級生数人からこんな通達があった。

 

――ごめん! 汀さんの使う筈だったラファール、壊しちゃった!――

 

 ……何でも、整備の授業中に意見の食い違いが生じたらしい。

 その時に使われたのが静穂の使う予定だったラファールだそうで、何をどうしてそうなったのかは隠されたがメーカー修理とまでは行かずとも静穂の機体は使用不能。

 トーナメント中、各生徒はそれぞれ練習機を宛がわれる。一時的にだが専用機持ちのように自分の機体を手に入れ、各々が自分達に合わせた調整を行う。

 静穂はそのアドバンテージを殺された状態で戦わなければならない。

 今回使用したメイルシュトロームも誰かの擬似専用機だ。装備を外した後、本来の搭乗者の下に戻る。

 機体をハンガーに固定し降りると待機していた上級生に任せる。

「お疲れ様! 改めて見ると凄いねあれ、普段からあんなの考えてるわけ?」

「どうもです。次は誰のどの機体ですか」

 静穂が言うと上級生はリストに目を通す。

 このトーナメントにおいて静穂の機体は存在しない。静穂をジプシーにした張本人達が試合時間までに静穂の要望通りに調整し、試合が終われば機体を元の持ち主の仕様に戻す。試合の工程と損傷度合によっては地獄を見る強行軍。織斑先生曰く因果応報。

 彼女らとしては静穂が負けても織斑先生から手抜きとして罰を受けるし勝っても仕事が増えて悲鳴が上がる。敗者の分だけ機体に余裕が出来るのだが彼女達も静穂も気づいていない。

「3組の子のテンペスタだね。今使われてるから、午後の2回戦にはなんとか間に合わせる」

 1学年丸々のトーナメント戦。タッグマッチとなり対戦数は半分に減ったがそれでも日程によっては日に2試合を消化する必要も出てくる。

「でもいいの?」

「何がですか」

「機体の選択。駄目にしたのはこっちの責任なんだから、好き勝手に選んでくれていいのよ? 私達が何とかするから」

 うぅん、と静穂は少し唸って。

「初期設定に戻してもらえたら装備も含めて皆一緒ですから。後はお願いします」

 そう言うと静穂は急ぎピットを出て行く。

 次の試合で対戦相手が決まるのだ。簪は弐式の調整がある。始まる前に観客席に着いておく必要があった。

 ……静穂が居なくなったピットで、上級生は簪に話しかける。

「彼女、ホントに何考えてるの?」

「勝つ方法です」

 

 

 静穂が制服の上着に袖を通しつつ進むと、

「汀 静穂」

 ラウラ・ボーデヴィッヒがそこに居た。

「見事だった」

「ありがと」

 それを言うためにこの場に居たのでは無いだろう。彼女の試合も近いのだ。

 つまりそのパートナーもこの場に。

「……箒ちゃん」

 何を言う訳でもなく彼女はそこに立っていた。

「ボーデヴィッヒ、私は先に行く」

 ボーデヴィッヒの返事も聞かず箒は静穂の横を通り過ぎた。

 静穂は振り向いて何かを言おうとする。そこで止まった。

 言っても無駄なのだ。嘗ての彼女はそうだった。

 さほど親しい訳ではないのかもしれない。直近の彼女を知っているだけで。

 言っても無駄、火に油。

「貴様と戦うのが楽しみだ」

 ボーデヴィッヒもまた静穂の横を通り過ぎていく。

「負けるな。私と戦うまで」

「…………」

 負けるな、と来た。

(そんなに戦いたいの? ……箒ちゃんも?)

 彼女もまた中学の時と同じなのか。憂さ晴らしで剣道大会に出たように。耐えられないほどに溜まっているのか、憤っているのか。

 ……ボーデヴィッヒの背を一瞥し、行く道を進む。

 取捨選択。静穂に解決できる事柄ではない。

 それが堪らなく息苦しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂達の勝利は1組の面々を奮い立たせた。

 

「一夏、準備はいい!?」

「ああ! 負けてられないからな!」

 

「篠ノ之 箒。貴様は何もしなくていい。私だけで終わる」

「いや、私にも一人寄越せ」

 

 

『学年別タッグトーナメント1年の部! 1日目が終了しましたが皆さんいかがでしたでしょうか!?』

『事前予想調査の通り各代表候補生ペアが1回戦を突破、早い所では第1試合の更識・汀ペアが3回戦への進出を決めています!』

『ですが一番の人気は織斑・デュノアの男子ペア! 登場時の熱狂はアリーナのバリアが揺れたほど!』

『ですが他のペアも要注目! どの試合も見逃さないでー!』

『それでは本日はこの辺で! 実況は私黛 薫子と!』

『イリーナ・シャヘトでお送りいたしましたー!』

「……もう少しまともにやれんのか、黛共は」




 戦闘回は難産。今後何回も言うと思います。2巻分が終わるまでどれだけ苦しむつもりなのか。


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34.嵐の中で何を見出すのか

 タッグトーナメントではいろいろなものが飛んでいく。

 IS、実弾、爆弾、レーザー、歓声、怒号、悲鳴、食券、資金、()()、所により銃。

「って銃ぅ!?」

 少女の視界では一丁のアサルトライフルが無回転状態でこちらに向かって来ていた。

 急ぎ跳ね除けると正面に捕らえていた筈の相手がいない。

「更識さんは――」

「ここ」

 聞くが速いか答えるが速いか、更識は既に少女の腕を取り、

「――――っ」遠心力をつけて放り投げた。「静穂!」

 少女の投げられた先にはパートナーともう一方の対戦相手。

 その対戦相手が得物を閃かせてキャッチ。

「ナイスパス!」

 テンペスタの鎌に首根っこを引っ掛けられて、

 振り回された。その先にはパートナー。

『きゃあ!』

 揃って可愛い悲鳴を上げ衝突する。団子になって飛ぶ少女達に汀は無情にも銃口を向けた。

「――よし、勝った」

 軽機関銃のけたたましい連射音。的確に指切りをされ命中精度を損なわなかった銃撃は損傷の激しい2機のシールドをしっかりと削りきった。

 

 

 ピットに着いて一息を吐く。

(今回は、)

 危なかった。ブロックの半数以上を消化したこの回戦までくれば相手に対策を練られるだけの情報を相手に渡す事となる。今回は完全に裏を掻かれた形だ。

 機体を預けて簪を見る。打鉄弐式の損傷は極めて少ない。彼女の技量がそうさせていた。

(本当の弐式とは違うのになぁ)

 弐式をツギハギにした張本人が言えたものではないが、よくもまああれだけ動かせるものだと静穂は思う。

 簪個人の実力か代表候補生の全てがこの水準なのか。トーナメントに勝ち残った面々を見るに後者だろう。

 今回不参加のセシリア・鈴を除き全ての候補生が頂点へと向かい勝ち上がっている。

 セシリアの弟子という立ち位置は中途半端なものだ。一般生徒よりも強いのか、代表候補生よりも弱いのか。

(…………)

 否、どちらでもない。

 この場に織斑先生は居ないが、先生ならこう言う筈だ。

 

――1年共にそんな差などあるものか――

 

 代表候補生と言った所で英才教育などそうそう受けてはいないのだ。ISの発表から10年と経っていない現状で、ただ適性の高い女子を見つけては基本知識、基礎体力を向上させた程度が関の山。生まれてより生来の専門教育を受けている人間は存在しない。

 今回のトーナメントに於いて強い生徒というのは、知識でも技術でもなく対応力のある人間。敵への対応、乗機への対応、仲間への対応、柔軟な対応。

 簪の機体への親和性は極めて高いと言う事だ。

(もうわたし要らないんじゃない?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……急ぎ制服を着て観客席へ。通路の最後列で立ち見なのだが静穂がその場に着くと観客が場所を空けていく。

(へ、えぇ……?)

 すっぽりと空いた場所をおずおずと進む。手すりの場所まで進めば試合は十分に視界に入る。

 試合では修羅が躍っていた。

(箒ちゃん)

 

 

 ワンサイドゲーム。観客としては一方的な展開は一回で十分だった。ボーデヴィッヒ・篠ノ之ペアの試合は全て相手を圧倒するものだ。同じブロックに入った事が不運と思うより他にない。

 ラウラ・ボーデヴィッヒの専用機はさして移動せず近づけばワイヤーブレードで斬るなり掴んで投げるなり、遠ざかれば肩の大型レールカノンで叩き伏せる。

 篠ノ之 箒は専用機でこそないが一貫して打鉄を使い、近接戦で相手を圧倒する。彼女と鍔迫り合いにまで持ち込んだ人間を少なくとも静穂は数える程しか見ていない。

 そして今も彼女が相手の剣を半ばから斬る場面を目撃した。

(まるで織斑先生だね……)

 正に怒涛。葵で葵を切断する芸当に観客は沸き返し、対戦相手は逃げ出した。それを追って回り込み、相対してから袈裟に斬った。

 斬って、斬って、斬って。

(うわ、うわ)

 兜を幾ら割っても余りあるような剣舞を以て一機が落ち、残りの一機は轟音に崩れ落ちる。

 間違いなくBブロックは彼女らが上がってくる。予想を確信に変える代わり映えのない展開だった。

 

 

 見るものは見た。それを踏まえて眼前の問題に注視する。次の対戦相手を踏まえて武装を考えて、静穂の場合は機体も考える。

 これまではそうして手の内を固定せず相手を騙くらかす事で勝ってきたのだが。

(完璧に読まれちゃったんだよなぁ)

 今回は裏目に出てしまった。

 思い返してみれば数戦は前から対応されつつあったような気もする。今になって漸く、とも思うが気づく事のなかった自分の方が悪い。

 今度の相手も何か手を打ってくる。試合も半数以上を消化し浮いた機体も十分にある。静穂が最初からその手を使っていただけで今後はペア丸々が機体ごと作戦を変えてくる可能性も出てきた。専用機持ちの利点はその機体性能の高さにあるが、武装の多くが固定される。モノによっては対策が取られやすい。

 専用機ニアイコール実験機なのかもしれない。セシリア曰くブルー・ティアーズは光学兵装の運用試験も兼ねた機体だというし、鈴の甲龍も第3世代兵装の衝撃砲は最新技術の一点もの。その二人を封殺したシュヴァルツェア・レーゲンのAICも多分に洩れず試作品だろう。手を翳すだけで近くの相手を拘束できる兵装が量産されているのならイグニッション・プランはレーゲンで話が決まっている筈だ。

 対策は練りやすいが性能で圧倒される専用機持ち、性能こそ平均と並ぶが武器と戦術が多岐に亘りすぎる訓練機搭乗者。

 静穂としてはそれぞれが混ざっているペアが怖い。それも両方が代表候補生ならば尚怖い。自分と簪が前者のそれだと静穂は気づいていないのだが。

(箒ちゃんもボーデヴィッヒさんも次の相手の人達も。どう勝てっていうの……)

 最後列の手すりにもたれ掛かり、頭を寄せる。最近は溜息が多くなっている気がする。それだけ頭を悩ませているのだ。

 幸せが減るのは自業自得が故なのかもしれない。

 次の試合を見るのもいいが、相手の打つ対策の、裏の裏を掻かなければ勝てない。

 それに先程から自分に掛かる目線が怖かった。

(わたし、何かしたっけ?)

 好奇の目線を引き切るように、静穂は観客席を後にする。

「みぎーはっけ~ん!」

「突撃ぃ!」

 廊下に出るや否や本音と夜竹に飛びつかれた。後から鷹月が追ってくる。制服が多少着崩れている辺り、試合直後なのか。

「ちょっと二人とも!? 汀さん大丈夫!?」

「――うん、大丈夫」

 二人掛りを返り討ち。両脇に抱えられた二人はじたばたともがいている。

「ちょ、ええ!?」

「おぉ~みぎーは力持ちだ~!」

「何か用?」

 無視か!? と叫ぶ声は無視して鷹月に聞く。

「うん、汀さん午後に試合でしょ? 早いけど良ければご飯でも一緒にどう?」

「私の奢りだよ!」

「奢りだよ~!」

「……奢りはともかく、そのくらいなら」

 二人を下ろすと三人でハイタッチ。昼食くらいで何が嬉しいのか。一夏を誘っている訳でもないのに。

 簪にメール。上級生にも整備のお願いを送っておく。特に上級生達には事細かに。

 食事が終わる頃には打開策が閃いていればいいが。

 ……先に行く本音と夜竹を、並ぶ鷹月と追う。

 すると後ろから静穂の腰を抱く影が。

「四十院さん?」

「お二人が失敗していたので捕まえてみました」

 いつの間にやって来て何をしているのかこのお嬢様は。

「汀さんは大きいですね」

 確かに彼女の鼻先は静穂の背中だ。

(…………)

 クラスメイト達は満足に悩ませてもくれないようだ。

「みぎーが捕まってる~!」

「私達ももう一度だ! 突撃ぃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「汀さんとこうして食べながら話すのって久しぶりかも」

「そう?」

「随分と前に、本音と織斑君と篠ノ之さんと一緒に食べたとき以来かも。ほら4WDがどうって」

 そんな事を言っただろうか。話している鷹月は随分と懐かしそうだ。

 横では本音が夜竹の手から食券を選んでいるのだが、

「多いね!?」

 扇子状に広げられないばかりか折れて存在を膨らませ、両手で膨れ上がって山のようだ。

「みぎーのおかげで大儲けしたんだって~」

 この食券の山になぜ自分が関係するのか。

「まあその話は後! とにかく選んじゃって!」

 言われるがままに食券を抜き取る。きつねうどんだった。

 

 

 女子に囲まれる状況は何度経験しても慣れない。いつかのように本音と夜竹が逃げ道を塞ぐように静穂を挟んでいる。逃げたくても逃げられない。

「では汀さんの勝利を願って!」

『乾杯!』

 ジュースやお茶を掲げる。何故乾杯なのか。

「知らなかった? もう代表候補生以外で残ってる1組の人間は汀さんと篠ノ之さんだけなのよ?」

「正確には専用機持ち以外の方が、ですが」

 鷹月と四十院の説明。

「鷹月さんも?」

「さっき負けちゃった」言うと鷹月は天を仰ぐ。「汀さんとは随分と差をつけられちゃったなあ」

 差、とは何の事だろうか。うどんを啜りながら静穂は疑問に思う。

「だって、ねえ?」

 鷹月が同意を求め周囲は応じる。「はっきり言って汀さん、強すぎるから」

 強すぎる?

 夜竹と本音がこちらに身を乗り出してくる。「1試合毎に全く違う機体と武器を選んで」

「かんちゃんとの連携もすごいよ~」

「おかげで私は稼がせてもらいました!」

 そう、その話は静穂も気になっていた。

 その話題になると鷹月は少し眉根を寄せる。

「そうそう、さゆかってば汀さんで賭け事やってたのよ。少し怒ってもいいと思うわ」

「いいじゃない! こうして奢って還元してるんだから!」

 賭け事? その疑問には四十院が答えてくれた。

「はい。実は一日目以降、汀さんの機体構成を予想する賭場が開かれています。学内では食券が数枚移動する程度で済んでいるので先生方も黙認されているようですが、場所によってはブックメーカーも立ち金銭が発生しているという噂もある程で」

「へぁ!? とば、賭博!? わたしでぇ!?」

 自分を予想して何が楽しいのか。

「お祭り騒ぎ故の熱狂、でしょうか。代表候補生が相手となるとどうしても一方的な試合運びとなってしまいますが、汀さんと更識さんのペアにはそれがないものですから」

「いつもワクワクするよね~」

 代表候補生の簪も居て他の組にはあるそれがないというのは問題がありそうだ。それだけ静穂が簪の足を引っ張っている証左ではないか。

 ……どんなに頑張っても他人からは滑稽に写る。静穂がどれだけ策を練ったところで他人からすれば酔狂なのだろう。

 今度は静穂が天を仰ぎたかった。この場に居ない誰かに笑われている気分だ。観客席の視線もそういう意味か。

(……まあ、うん)

 夜竹の懐が暖かくなる手助けが出来ただけ上出来か。友達は大事だ。こうして一食も浮いた。

「それで」静穂は夜竹に聞いてみる。「わたしは次に何を使うって予想されてるの?」

「それ! 実はその予想、対戦相手も見てるみたい!」

(……成程)

 つまり対戦相手はバックに大勢が付いて喧々諤々と静穂の対策を練っているようなものか。

 勝てるわけが無い。一人で敵う数ではない。

「汀さん? どうかしましたか?」

「やっぱりさゆかが賭け事なんてするから……」

「だからこうして奢ってるし対策もしようとしてるじゃない!」

「みぎー、大丈夫?」

「うん、大丈夫。皆ありがとう」

 夜竹さん、と声を掛ける、静穂の表情から何か察したのか面持ちが変わる。

「次、大穴を狙って」

「汀さん!?」鷹月が身を乗り出す。「いいの!? このままじゃ不利なのよ!?」

「確かに」四十院が話を合わせる。「手の内が予想されるのは好ましくありません」

「……タネが分かれば簡単だよ。夜竹さんも賭けには乗り続けて欲しい」

「え、いいの?」

「その代わり勝ち続けてほしいな。奢ってもらうのは美味しかったから」

 本音にすんなりと退いてもらい席を立つ。食事はもう済んでいた。

「汀さん。こう言うのは無責任かもしれないけど――」

 鷹月の声を途中で遮る。

「うん、任せて」

 

 

 ……食堂を出て電話を何本か掛ける。自動販売機で買った栄養剤に口をつけて、壁に寄りかかり物思いに耽る。

 やるからには勝ちたいのは当然だ。鷹月もそれは同じ筈。なんとなくだが言おうとしていた内容はわかるものだ。

 

――1組を真に代表してほしい――

 

 代表候補生でもなく、専用機を持っているわけでもない。セシリアを師事しているとはいえそこに大した影響はない。静穂は一般人の枠内だと大衆は認識する。

 ただの一般人が手を尽くして勝利を勝ち取ろうと足掻く様は何も知らなければ滑稽で、内情を知れば応援に変わる。

 彼女達は勿論応援のつもりだろう。負けた自分達の思いを背負って戦って、勝って欲しいと言いたいのだろう。

 大分、重い。足を沈める程ではないが。

 それでも静穂を進ませる燃料になるのだから性質が悪い。

 小瓶の残りを、一気に飲み干した。

(変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなる。……だったかな)

 今は亡き、未だ愛する義姉の言葉。忘れてはいない筈なのに、思い返すは容易ではなく。

 何とか出来るのだろうか。静穂に義姉程の実力はあるのだろうか。

 ……結果として勝てばいいのなら。

(やり様がいくらでもあるのは、いい事なのかな……?)

 自動販売機の隣、ゴミ箱に瓶を放り込む。

 制服の皺を伸ばして歩き出した。

(まずはブックメーカーのサイトを調べて……)

 相手の予想が手に取るように分かるのならば、

(うん、大丈夫)

 まだ十分に勝てそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀を振るでもなく、ただ脇に置き息を落ち着ける。

 精神統一。箒はこれで勝ってきた。

 それを邪魔する者は仮初のパートナーしか存在しない。

「汀 静穂が勝利した」

 目を開ける。銀の髪が揺れていた。

「それは私に関係があるのか」

「私と貴様、双方に関係がある」

 ……分からない。何故ボーデヴィッヒは奴を一夏と同じように気に掛けるのか。

 一夏と同じように、憎んでいる訳ではない。

 何故、

「何故、奴を気にする」

「汀 静穂は我々の壁となる。織斑 一夏へと辿り着くには準決勝で奴を倒す必要がある」

「…………」

 まだ試合はブロック毎の半数以上を消化したとはいえ、まだ勝者は決まっていない。

 それでもボーデヴィッヒは汀が勝ち上がると信じて疑わないようだ。

 ふと、その確信を揺らしてみたくなった。

「静穂は強いのか」

「強い」

「何故そう言える」

「汀 静穂は機体も武装も全て変えて試合に臨んでいる。ISを貸し与えられるという権利に目もくれずただ勝利だけに喰らい付いている」

 今回のようにな、と彼女は締めくくる。

 奴は一体何をしたのか。

「自爆した」

「自爆?」

「対戦相手は2機両方共がクアッド・ファランクスを持ち出した」

 思わず1組のお家芸をやらかしそうになった。

 大型ガトリングが計8門。勝てる訳が無い。

 ……とにかく二人揃って弾幕を張り、策も何もない段階に持ち込みたかったようだが、静穂はどうやって打開したのか。

「連中は並んで一斉射を行い近づけまいとした。汀 静穂は防盾を構えて強引に肉薄。至近で拡張領域から爆薬を撒き、自分ごと撃たせた」

 静穂が起こした大爆発はクアッド・ファランクスの弾倉に誘爆。無傷の更識 簪を残しトーナメント最短の試合時間を記録したそうだ。

 そうか、としか言えなかった。呆れて物が言えない試合内容だ。

(奴は何を考えている)

 誰かが彼の機体構成で賭けをしているという噂は耳に入っている。それに対して彼も興が乗ったという事だろうか。

 お調子者ではないと思っていたが、違うのか。

(……いや、いい)

 彼の事柄など、何一つ分かっていないのだ。

 今更気にして何になる。

 あの時、彼の意見も聞かず、ただこうして自分の事だけを考えている。

 それが今の自分だ。

 それでいいと、思考を捨てる。

「――そろそろ我々の試合だな」

 言うが早いかボーデヴィッヒがISを展開する。箒も打鉄に四肢を通していく。

「汀 静穂を倒し、織斑 一夏を倒す。後は篠ノ之 箒、貴様の好きにしろ」

 それまで邪魔をするな、と。

「……分かっている」

 打鉄を立ち上げ、ピットを出て行く。

「ボーデヴィッヒ。一機寄越せ」

「損じるなよ」

「ああ」

 試合に臨む。この時だけはこのパートナーと息が合う。

 求める結果は違えどその目標は同じ相手というのも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボーデヴィッヒの予想通り、静穂と簪はAブロックを翻弄し勝ち上がり、ボーデヴィッヒと箒も自分達のブロックを蹂躙した。

 その後一夏とデュノアのペアも自身のブロックを収め、ベスト4の内3つが1組という結果を見せ付ける事となる。



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35.片方の手で彼女を掴み、片方の手で藁を掴む

「ほら、ここ」

 シャルルは身を避けて一夏に検索結果を見せた。

 一夏は日本語以外に疎いので、先に翻訳を通しておく。

 画面を見る一夏は唸った。

「本当に賭け事やられてんだな」

 学年別トーナメント1年の部。世界唯一の公式IS関係者育成機関の催事となれば全世界が注目する。

 それこそ金銭の絡む邪な理由も含まれて。

 電算室の一角で一夏は明らかに不満を訴えた。

「俺達は馬かよ?」

「ボートレースの方が近いかもね」そう言って笑いつつ「ぼく達は人気だよ」

 その通りに二人の優勝に掛ける人数は多くオッズはかなり低めだ。

 次いで箒とラウラ、静穂のペアと続き、最後に一夏達の次の相手となる2組元代表ハミルトンのペアといった具合に高くなっていく。

「これだね。シズホ・ミギワ、機体構成」

 シャルルがスレッドを開く。静穂が次の試合で使う機体、武器を挙って予想していた。雑談も多く、比較的治安は良かった。最初のうちは。

 学内での食券賭博とは違い構成での賭けはされていないようだ。

「次の予想ではラファールの可能性が高いらしいよ。なんて言えばいいんだろうね……」

 シャルルとしては自身を憂き目に遭わせている会社の製品が高評価と取れる予想なので複雑そうな面持ちだが、強ち満更でもなさそうだ。

「これを静穂の相手は見てたのか。卑怯だよな」

 正々堂々を好むのは一夏の性分なのか。どう言ったところで何の変化がある筈も無いのだが。さらに言ってしまえばコロコロと機体を換え武器を変える静穂も卑怯とはいえないだろうか、相手を騙していると言えなくも無いのだから。

「静穂もこの掲示板は知っている筈だよ。だからこの前、自爆なんかしてでも予想を覆そうとした」

 自殺行為にも相応の理由と結果はあったようで、掲示板は荒れに荒れ誹謗中傷が飛び交っている。元は関係のない所でお遊び程度の予想ごっこをしていたら勝手に当てにされて、それが外れたからと謂れの無い誹謗を受けるのはどのような心境だろうか。

 とにかくこのスレッドはもう予測の役に立たない。後は生徒間での情報交換くらいだろうか。予測する人数の分母が著しく減少し、情報交換の場も限られるのでは情報の信憑性も落ちる。

「でも静穂は何でISを一々乗り換えてるんだ? 面倒じゃないか?」

「聞いた話だと静穂も自分の機体を受け取る予定だったみたいだね。でも上級生が授業で壊しちゃったらしいよ。一機だけを使い続ける意味がなくなってしまったから、機体を換える事に躊躇いが無いんだ」

「理由があって練習機を使いまわしてるわけか」一夏は次の疑問を口にする。「武器は何で変えてるんだ? 静穂だったらハンドガンだろ」

「ハンドガンでは威力の問題もあるだろうし、温存という意味もあるだろうね。実際、静穂はこれまで一番得意なハンドガンを使っていない」

 一番の得意とする物の封印に意味はあるのか。

 シャルルはブラウザを閉じ、学園のデータベースからハミルトンの試合を呼び出した。

 当初の目的に戻りつつある。最初は次の対戦相手を調べるために此処へ来たのだが、一夏のふとした疑問からいつしか静穂の話になっていた。

「今ぼく達が気にするべきはハミルトンさん達だ。静穂達には悪いけど次の次まで考えてはいられないよ」

 ベスト4の内3組が純粋な専用機持ちという華やかさに隠れてハミルトンペアは堅実に勝ち上がって来た。

 静穂のような搦め手もなく、ラウラのような火力もない。

 正に実力者。明後日の方向を見ていれば足元を掬われる。一夏もそれは理解している。

 ベスト4の現状を運だけで来られる訳がない。各々の能力と戦術。何かに秀でて突出させるか、平均して高水準で纏めるか。

 双方の傾向、そのどちらが優れているかなどは争点ではない。同じ傾向が対決する場合もあるのだから。

 ぶつかり合って上回り、捻じ伏せられる余力があるか。

 一夏のISにはそれを根底から覆すものが備わっている。

 

 

 覆すそれがない人間がどう動くのかは、明日。

 明日、静穂が示す事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして朝が来た。規定の時間に双方のペアがアリーナに入場する。

 篠ノ之と、ボーデヴィッヒ。この二人を同時に相対すると圧力を感じずにはいられない。

 隣では静穂が打鉄の最終確認に余念が無い。人の情緒に敏感で且つ妙な所で臆病な彼女の事だ、意識しないように態とアリーナ内での確認をしているのだろう。実際にこれまでの試合では確認作業はピット内で全て終わらせていた。

「よし」覚悟ができたようだ。静穂は何気なく身体と機体を動かし、「お待たせ簪ちゃん。大丈夫?」

「――うん」

 そう言って、簪は頷いた。それを見る静穂の顔は少し暗い。

 怖いのだろう、不安なのだろう。いつだって彼女は他人を気遣って生きている。今回の相手は初の専用機持ち、代表候補生、そして友人。彼女が気を揉む案件が重なっている。

 なればこそ、簪が奮わなければならない。

 彼女のお陰でこの場に居る。この場に来るまで勝って来られた。事実だ。

 勝ちたい。自身だけでなく、友人の存在も証明したい。

 私達はここにいるのだと。私は更識 簪で、彼女は汀 静穂だと。

「いつも通り。いけるから」

「……そう」

 

 

 頭の靄を断ち切るように、試合開始前の実況が響いてくれる。

 その最中でボーデヴィッヒがこちらに目を向けている。

「悪いが」そして告げた。「こちらも次がある。勝つのは私だ」

「こっちも」静穂も返す。「負ける気では来ていないよ」

『開始5秒前!』

 切り替える、切り替える。

(この場になって、悩んでもねぇ)

 事前の準備で大いに悩んだつもりだ。どうやって勝つか、どうすれば勝てるか。

 全て彼女達の実力のみで勝ち上がって来た今回の相手二人に、これまでの努力は意味を成さない。

『3!』

 静穂の機体も武器も気になりはしない、気にも留めない。つまりトーナメント前から打った手も通用しない。これまで効いていた揺さ振りが利かない。

 完全に実力勝負。

(うん、勝ちたい)

 欲が前に出ている。そもそも今更になって手を変えても勝てはしないのだ。

『――1!』

 だから使う。これまで通りの()()を。

 決めてしまえば、後は速い。

『試合開始!!』

 簪が往く。箒が来る。ボーデヴィッヒが肩の大砲を構えるのを見て、

 静穂は迷わず照準を合わせた。

 

 

 奴が拡張領域から呼び出すは長さ約2メートル50の長尺物。向ける先には打鉄、篠ノ之 箒。

「!」

(こちらではない?)

 AISライフルがレールカノンにも劣らぬ銃声を放つ。

 静穂と篠ノ之、双方への着弾はほぼ同時だった。

「援護を優先するか!」

 篠ノ之が更識と剣を交えるのを脇目で確認し、ラウラは次弾を発射。静穂はそれを髪を揺らす程度の移動で回避。次いで拡張領域から異なる一丁を取り出し、また照準を箒に向けて放つ。

 緩やかな放物線を描いた擲弾は箒の肩、非固定部位の防盾に着弾。決して軽くない衝撃を加えつつ白煙を噴出した。

「(煙幕!)――こちらを向け!」

 ワイヤーブレードを射出。汀の策は読めた。

 打鉄特有の防盾で弾かれるも巻取りと射出を繰り返し表面を叩き続ける。防盾を向ける為に半身を切り視界の塞がった奴に向かいラウラはシュヴァルツェア・レーゲンの推進器を噴かした。

 静穂は一向に煙幕弾を撃ち続けている。

(1回戦を繰り返すつもりか)

 汀 静穂の1回戦を思い出す。

 あの時、奴は対空砲に徹し即座に2対1の状況を構築した。

 今回もそのつもりだろうか。先に近接武器しか用いない篠ノ之 箒を落とすのは得策と言える。

 ラウラにしてみれば2対1の状況に陥ったとて問題は無い。ドイツで教官から受けた訓練での経験もある。

 ただ奴の思うとおりに進ませたくない。

 策を真っ向から打ち破るのもいいが、評価に値する相手ならばその暇も与えず全力で落としに掛かるべきだ。

 ――ライフルの長い銃身は見えない。代わりにスモーク弾頭を装填された擲弾銃がこちらに向いている。

 放たれた擲弾を打ち払う。煙を噴き出してあらぬ方向へと、

 

――飛んでいかずに破裂した――

 

「!?」

「よし嵌ったぁ!」

 これまでと異なる赤い爆風で流された体勢にライフルからの射撃が直撃した。

 速射の出来ないAISライフルは幸運か、一発もらった時点で不幸か。

 2射目以降は回避、踵を返して距離を取った。

「――見ているよ」

「何?」

「最初から見ていた。そしてもう邪魔は入らない」

 アリーナの半面、白煙の中からパートナー同士の打ち合う音が響く。

「じゃあ、ボーデヴィッヒさん」

 

――約束通り、勝負をしよう――

 

 

 

 箒は更識を探す。煙幕で視界を塞がれていても首を振り頭を振り目を凝らしてしまう。

 静穂に2種類の不意()()を貰い、今の今まで斬り結んでいた更識も煙の中に消えてしまった。

 完全に分断された。ボーデヴィッヒがこちらを助けに来るなどありえない以上、自分一人で状況を打破するより他にない。

(まずは煙幕から出る!)

 打開策を見出し推進器を地に向ける。

 

――見越したように更識が頭上から降ってきた――

 

「何だと!?」

 薙刀を葵で受け流す。速度が乗った太刀筋は重く、箒の足を止めた。

 その隙を更識は見逃さず、箒の脇腹に二の太刀を斬り込んだ。

 シールドを削られながらも更識に斬り掛かるが更識には届かない。彼女はまた白煙の中に溶けていってしまう。

 消えていった方向に箒は叫んだ。

「卑怯者! 正々堂々と戦え!」

「……どうして?」

(後ろか!)

 声の方を突く。手ごたえも何もない。空を斬った。

「これは私達の全力。これは私達の正々堂々」

「(別の場所から!)闇討ち紛いの小手先勝負がか!?」

 足を止める。下手に飛んでも消耗するだけだ。

「これは静穂が考えた策。だから私は全力で成し遂げる」

(……また静穂か)

 静穂を崇拝でもしているのかと思う程の執着振りだ。

 ――葵を正眼に構える。相手の声しか情報が無い。

 集中だ。自身の耳しか頼れない。

「――倒す」

「っ!」

 声は側面。逆胴で横に凪ぐ。

(手ごたえは有っ、)

「!?」

 葵は透明な材質の板を半ばまで割り進みそこで止められていた。

「盾か! これは!?」

「正解」

 視界が回る。脚を掃われ腰を軸に半回転、突き飛ばされた。

 薙刀か蹴りか、後方からでは分からない。透明な盾をその身で砕かされた。

 頭を起こすも当然、もう更識の姿はない。

「すぐには倒せない。でも時間は掛けない」

「っ……!」

(私を弄ぶつもりか)

 その答は返ってこない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セシリアは息を呑み続けていた。

 気が気でない。爆発と砲声、砂塵の柱が幾度となく立ち昇り、静穂はその渦中にいるのだ、しかも自分から進んで。

 静穂は逃げようとしない。いや回避運動はしているのだが徹底してその場を離れようとしない。

(いくら作戦とはいえ……)

 相手も得意とする展開に付き合うのは――

「ねえ、せっしー」

「布仏さん?」

「みぎーとかんちゃんは何をしようとしてるの~?」

 顔を向けてくる1組の面々もそれを知りたがっている。

 静穂の一見して無謀な行為の、その理由。

 他に説明できる人材は居ない。デュノアも鈴もこの場には居ない。

「……分かりました」

 居住まいを正すとセシリアは始める。

「まず静穂さんは1対1の状況を作る所から始めました。それは箒さん方が得意とする展開です」

 篠ノ之・ボーデヴィッヒ組に連携という単語は存在しない。各々が其々の相手を倒すのみ。圧倒的な火力と剣術で短期決戦に持ち込むスタイルだ。

「はい」ギャラリーから手が上がる。

「相川さん」

「静穂ちゃん達の過去の試合は見てたけどこれまで一度もない展開だよね? 煙幕まで使って相手を分断するのは自分達に有利な点があるって事?」

「ええ。静穂さんはパートナーの方と連携する戦法を執っていましたが、静穂さんは今回、その戦法をばっさりと捨てました」

「捨てた!?」

 ざわめく聴衆にセシリアは頷いて見せる。

「その理由はパートナー、更識さんとの較差にあります」

「はい」相川と違うところから手が上がる。

「鷹月さん」

「較差っていうと、やっぱり機体性能?」

「ええ」

 その正解に相川が尋ねる。「静寐、どういうこと?」

「変な意味で取らないでほしいんだけど、はっきり言って私達と汀さんでは操縦技術に隔たりがあるわ。意識が高い、って言うのかな。やる気が違う。空いた時間、例えば夕食を済ませてから態々寮より遠い射撃場に足を運んでる人ってこの場にいる? 汀さんみたいに」

 全員が首を振る。銃を撃つという下手すれば大怪我になる行為を簡単に、好き好んでやろうとする女子は少ないだろう。

 静穂の場合、銃を撃つ行為に楽しさを見出してしまっただけなのだが。

「今の汀さんは代表候補生の邪魔にならない位の操縦技術がある。それでも今回、汀さんは普段の戦法を捨てた。それはパートナーの足を引っ張りかねないから」

「でもさ!」今度は岸原 理子。「静穂っちのISも擬似専用機でしょ!? トーナメント中に貸し与えられた機体は限定的に最適化の機能だけスイッチが入れられてる筈じゃない! なら静穂っちも更識さんと同じように飛べる筈でしょ!?」

「理子。これまで汀さんが使った機体、順番に言える?」

 岸原、立ち上がる。「リコリンだってば! 勿論言える! 最初はメイルシュトローム。次はテンペスタ……」指折り数えて機体を連ねる。「テンペスタ、ラファール、ラファール、メイルシュトローム、今回の打鉄………あぁ!?」

 言い切って気づくのか……、と全員で溜息。

「全種類の擬似専用機を持ってる!?」

『違ぁう!!』

「ぎゃ、逆ですわね。擬似専用機を持っていない。静穂さんはこれまで練習機で戦っていたという事ですわ……」

 織斑先生がそんな真似を許す訳がないだろうに。

 もう一度、今度は全員で居住まいを正す。

「専用機と量産機。普通に考えたとしてその性能差は顕著です。これまでの試合を見ても更識さんの専用機は高機動仕様。今回の相手を前にして追加パッケージを採用してまで練習機で付いて行くメリットを静穂さんは感じなかった」

 タッグ戦、ましてやその準決勝にまで来てパートナー間の差は致命的だ。更識も練習機を使うという手があるが、わざわざ高性能の専用機を遊ばせる意味もない。

 個人能力が向上しているのなら練習機でも専用機に喰らい付く事も可能だろうが1年生にそこまでの習熟は望めない。セシリアにも難しいだろう。

「さて、ここから静穂さんの戦法についてですが、静穂さんは練習機と専用機の違いを深く理解しているでしょう」

 そう言うセシリア達の眼下では白煙の隣で静穂とボーデヴィッヒの銃撃・砲撃戦が繰り広げられている。

「わたくしなら専用機には専用機。高性能同士をぶつけ合いたいところですが、静穂さんは違う方向性を見出しました」

 

――性能差と個人能力、そして数的有利――

 

「――まず箒さん。擬似専用機の打鉄を駆り近接戦闘、特に剣での打ち合いでは負け知らず。その箒さんに対し静穂さんは専用機の更識さんを充てた」

「は~い」長すぎる袖が振られる。

「何でしょう、布仏さん」

「かんちゃんの専用機は速いけど硬くないよ~。危なくないの~?」

「(かんちゃん?)その為の煙幕ですわ。

 箒さんの強さは剣の腕前にあります。それはISに乗る前からの経験によるもの。恐らくですが箒さんはラファールでも同じ強さを発揮できるでしょう」

 地の強さ。搭乗者のみの強さ。

「そこで静穂さんは煙幕を張りました。いくら箒さんの剣が凄まじいとはいえ視界を塞がれた中で相手を探す事に慣れている筈がない。更識さんは機動性の差を利用して箒さんを抑える。煙幕の中、何らかの手段で箒さんを認識して確実に足止め。あわよくば倒しに掛かる」

「待って!」と鷹月。「()()()!? ()()()()()!? どうみても汀さんの方が囮じゃない! 更識さんは少しでも速く篠ノ之さんを倒して2対1にするべきじゃないの!?」

 そう、放火に曝され続けている静穂の方が一見して危険なのだ。

 セシリアも最初はそう考えた。だが布仏の一言で疑念は払拭された。

 更識のIS、装甲は薄い。

「……では静穂さんに話を移しましょう。静穂さんの特技は何でしょうか?」

「気遣い」

「自殺行為」

「大食い」

「…………銃の腕前ですわ」

 正解が出てこなかった。

「静穂さんの拳銃技術も箒さんと同じく事前の鍛錬によるものです。静穂さんは普段から射撃場に通い、それ以前ではサバイバルゲームで銃の経験を積んでいた」

 そう、それが今の試合展開に繋がっている。

 押しているのだ。ボーデヴィッヒではなく、静穂の方が。

「静穂さんと練習していて疑問に思う事がありました。射撃技術は高水準で纏まっている。ですが一度ISに乗ってしまうとその技術は隠れてしまう。

 飛ぶ事に関しても静穂さんは推進器をあまり使おうとしませんでした、高速での飛行は射撃精度を著しく低下させてしまったから。PIC飛行を教授していくらか上達したと言えますが、最近になって漸く分かりました」

 腕前を阻害するものがあったのだ。

 

「静穂さんの経験そのもの。身体に染み付いたサバイバルゲームの感覚それ自体がISの運用と射撃技術を阻害していたのです」

 

 飛びながら撃つ。一度の被弾で負けにはならない。本来ならば味方はいない。そして遮蔽物がない。

「打ち揚げられたイルカのように、ISの戦闘は静穂さんの神経を削るしかしなかった。1回戦で対空砲火に専念したのは、恐らくですが静穂さん自身の緊張もあったものと思われます」

 自身の経験を強引にISで運用する。完全に足を止め、火器を振るう。

 これまでの試合を見れば分かるだろうが、静穂が銃を撃つ時は完全に足を止めている。

「静穂さんは今回、更識さんではなく自身がボーデヴィッヒさんの相手をすると決めた。自分の経験を十全に発揮する、その為には更識さんの装甲の薄さが邪魔になる」

 だから隠した。間違っても彼女に照準がいかないように。

「今の静穂さんはサバイバルゲームをしています。ISの試合ではなく、静穂さんが最も得意とする、地に足をつけた戦争ごっこを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな事なら撹乱用のスピーカーでも用意すべきだったかと簪は後悔する。

(対応、してきてる……!)

 煙幕の帳を張り、その中で大量のライオットシールドを地に突き刺す。拡張領域から取り出した盾は簪には位置が分かる。そこに箒がぶつかればそこに向けて射撃を行った。彼女に近接戦を挑むのは愚策だろう。

 煙幕を無為に散らす事のないようPICでの飛行。静穂はPICでしかまともに飛べないと言うが、逆にこちらの方が難しいと思う。

 射線を通すために移動。決して正面からは近づかず、側面背面からのPICによる無音の接近。が、

「――そこか!」

「っ!」

 ここ数回で遭遇が増え始めた。

 これまではバックステップで煙に乗じて距離を取っていた。それが出来ない。

 追いついてくる。斬り込んでくる。

 受け止め、流し、避けた。

 発砲音と弾道で位置を割り出されている。この煙幕でレーダーも何もない筈だ。マーキングされた形跡もなく、それをするような性格でもない。

 やはり近接戦に専念すべきだったのか。

(……関係ない!)

 振り下ろされる葵を薙刀で受け止め、鍔迫り合いに持ち込んだ。

「……やっと立ち向かう気になったのか」

「……卑怯者は貴女のほう」

 何? と呟く声が聞こえた。

 ……1回戦、静穂が倒した少女は、静穂が小手先を使い実力ではなく目立とうとしたと勘違いして憤慨していたらしい。

 簪が篠ノ之 箒に抱く感情も似たようなものを含んでいる。

 同じように偉大すぎる姉がいる点などは同情もした。共感もした。

 だが簪は彼女が妬ましい。実際に戦ってみてその思いは強くなった。

 これだけの腕を持っていながら自信がなく、静穂を巻き込んで織斑 一夏を手に入れようとした。

 彼の事は憎みこそすれ興味はない。どうでもいい。

 ただ彼女個人の都合に友人を使われるのは納得がいかなかった。

 自分には何も無いのに、何かある人間に持っていかれるのは我慢ならなかった。

 ――無視して葵を柄の上で滑らせる。返す刀をもう一度受け止めると、半ばの所で薙刀が切断され脇腹部分のシールドを切り裂いた。

 彼女、篠ノ之 箒と鍔迫り合いで勝った生徒は居ない。それは真っ向からぶつけ合ったからだ。

 彼女の強さはパワーではなく技術。剣道日本一由来の速度、角度、全てに於いて最適のルートを通った太刀筋は最大の効果を発揮する。プロゴルファーのスイングが近いだろうか。最小限で最大限。そこに辿り着くまで目が眩む努力の結晶。

(だから、勝てる)

 篠ノ之が推進器を噴かし肉薄。隙を見せぬ大上段、唐竹割りの体勢を取る篠ノ之に対し簪は真っ二つになった薙刀を捨てた。

 彼女が気迫を乗せて振り下ろす一撃。簪は右の掌を無造作に掲げ、

 

――マニピュレーターを犠牲に受け止め、握り締めた――

 

 篠ノ之が目を見開いている。当たり前だ、素手でないとはいえ手で刃を掴んで止められる経験などない筈だから。

 篠ノ之 箒は剣道日本一だ。だからこの自傷行為が通用する。

 剣道はスポーツ。相手の得物を掴む行為は反則で、負けとなる。

 だがこれはISの試合だ。シールドが切れるか搭乗者が気絶しなければ勝敗はつかない。剣道の感覚で戦っていた相手の()()を逆手に取り隙を生ませる。

 硬直している彼女の腹部に銃口を突き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し遡る。

 レールカノンの砲弾を受け流す。ぎりぎりだが片膝をつけば全身を隠せる打鉄の防盾に角度をつける。

 表面を削り後ろに飛んでいく砲弾はアリーナの壁面に着弾した。

 砲撃の間隔を塞ぐように来るワイヤーブレードを擲弾で纏めて薙ぎ払う。

 双方の視界が爆風で染まった。

 AISライフルを展開。爆風の向こうを……撃つ。

 ハイパーセンサーが着弾を音で認識した。

(順調かな、予定よりちょっと遅いけど)

 静穂は飛べない。下手だし何より理由がない。

 だから飛ばない。自分の本領は地に足をつけて這いずり回ってこそだ。

 静穂にとってIS用アリーナは自分を調理するためのまな板に近い。

 何もないのだ。身を隠すための遮蔽物が。

 平らな地面の上に晒され、飛べるのに透明な天蓋で頭上を抑えられて、何をどうやって戦えというのか。

 正々堂々、戦えと言うのか。手も足も縛られ背中の羽は重石にしかならない状態で。

 静穂は打鉄の防盾を遮蔽物に代用した。足を止めて遮蔽物越しの射撃。今使用している大口径・単発の火器は使い慣れないが、足を止めているなら大差ない。

 しっかりと構え、照準器に目を通して撃つだけ。ゼロインも完了しているライフルは素直にボーデヴィッヒを狙える。

 AIC対策には炸裂弾頭を採用。動体を止められるとはいえ爆発までは抑えきれない。手元で突如爆発する恐怖。自分は勘弁願いたい。

 サバイバルゲームで本物の爆発物など勿論使えた筈もないが、使う分には素直だった。

 砲弾がすぐ側を掠める。ボーデヴィッヒは照準が狂っているのか牽制のつもりか。

(牽制)

 擲弾銃を発射。側面から伸びるブレードを吹き飛ばした。

 ハイパーセンサーは360度の視界を保障する。慣れてしまえば死角はない。

 静穂は慣れていないので常に全周囲を見てはいられない。砲弾が掠めた時点で側面のみに視界を移した。

 ……それにしても、遮蔽物を用意するだけでこうも心が落ち着くのか。

 肩の遮蔽物で受け流す分にはシールドの減少も微々たる物だ。こちらの損傷分を超える損傷を相手に与えている筈だ。

 ボーデヴィッヒも回避運動をしているから当て難い。実戦の回避運動とはこういうものか。

(そろそろ、かなぁ……?)

 回避運動にもシールドエネルギーを消費する。こちらよりも手数が多いのに成果は見られず、確実に被弾も増えている。

 軍人でも堪える筈だ。彼女ならそろそろ、

「――来た」

 レーゲンが動いた。進行方向は煙幕。

 突入して先に更識を討つつもりか、マッチアップを交代させて箒に静穂を相手させるつもりか。

 擲弾でレーゲンの進行方向を塞ぎにかかる。

 ボーデヴィッヒが腕を伸ばし加速。眼前を飛ぶ擲弾をAICで掴み、

「へぇっ!?」

 

――静穂に向けて放り投げた――

 

「返すぞ!」

「----------!」

 静穂は推進器に火を入れ瞬時加速。地面を削り爆発の下を潜り抜けた。

「……っ!」

 歯を食いしばってボーデヴィッヒに向かい飛ぶ。

 擲弾銃を撃つも一度攻略された物に二度目はない。爆発するよりも速く明後日の方向に投げられる。

(足止めにしかならなくなった!)

 腰撓めにAISライフルを発砲。弾着は確認せずライフルを投げ自分に迫るワイヤー1本に絡ませる。

 2対2の展開は避けたい。煙幕内の簪がどういう状況かも分からない。プライベート・チャネルも危険だ。邪魔になる。

(ライフルは弾切れで捨ててグレネードはもう効かない弾を投げている間は足が止まるけど爆風で煙が散りそうだどうする来るか来ないかそうならどうする!?)

 1本減って5本の鋼線を大きく迂回する。

 その先にはレールカノンが向いていた。

「!」

 背を屈め防盾を掴み角度をつける。空中に居て地に足はつかずPICも姿勢制御に回っている。

 ほぼ相手に切っ先を向ける程の角度で砲弾を弾く。衝撃を殺しきれず墜落した。

 身体を重たげに持ち上げる静穂にボーデヴィッヒが急接近、プラズマ手刀を振りかぶる。

「遅いな!」

「――そっちがね」

「!?」

 静穂が大地を蹴る。左の腕を大きく広げ手刀に脇腹を掠めさせて上からボーデヴィッヒの右腕を押さえ込む。

 肋骨がぶつかり合うほどに抱き寄せ、左とは逆に静穂の右腕が彼女の左脇の下から腕を巻き込み手には拡張領域の発光。

 

――これまで封印していたハンドガンがボーデヴィッヒの米神に突きつけられた――

 

「この距離でも止められる?」

 慈悲もなく引き金を引き続けた。

 ボーデヴィッヒが漏らす苦悶の声を聴きながらも引き金を引く指は止めない。

 彼女も懸命に逃げようとする。だがハンドガンを撃つ腕は彼女の小さい身体を抱き寄せ左の腕は彼女の攻撃、その起点となる右腕を砲身の下且つ肘より上の位置で極めている。頭部も自分の頭と銃口で挟みつけ外しはしない。

 力任せに振り回そうと推進器で壁に叩きつけようと、静穂が離れる事はない。

 静穂も推進器を噴かす。前世紀に描かれたアダムスキー型UFOにも似た機動で二人は抱き合ったままアリーナを駆け巡る。

 苦悶の声が強くなっていく。やはりハンドガンでは単発の威力が低く生殺しの拷問になっているのだろうか。

(終われ終われ終われ終われ終われ――!)

 一刻も早く決着を。急ぎ簪の救援に。

 お膳立てはしたが心配なのは変わらなかった。

 

 

 ……そんな静穂を嘲笑うかのように、

 アリーナに響く爆発音が、簪のいた煙幕を千々に吹き飛ばした。

 

 

「!? かんざ、――!?」

 耳元で先の轟音と変わらぬ程の声が響く。

 脇に抱えて極めていたボーデヴィッヒの右腕が()()()と抜けた。

 関節を外したような違和感はなく、静穂の腕に引っ掛かるレーゲンの手甲が液状化して反しがなくなったのだ。

(溶け!?)

 液状の手甲が静穂の胸を叩く。テンペスタで砲弾を受けた時以上の打撃力が静穂の身体を強引に開かせた。

 肺の酸素が押し出される。吐く息に鉄の匂いを感じ、腕を極められ逆に逃げられない状態に陥った事を理解する。

 静穂はコンソールを呼び出し操作。二撃目の前に右腕の手甲を解除、同じ様に抜け出した。

 だが逃げられた訳ではない。

 ボーデヴィッヒが叫ぶ。怒気を孕んだ気迫を以て右腕を振る。

 伸びた。

「へぐっ」

 静穂とボーデヴィッヒ、彼我の距離は1メートル前後。

 その空間を埋めるように伸びた手甲は剣のよう。

 

――静穂の喉を突いた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、一体貴方は何処に居るの。

 貴方の殻はこうしている間にも傷ついている。

 もう守る事も叶わない程、

 私はこんなに傷ついた。

 ねえ、顔を見せて。

 私が貴方になる前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……目の中で星が弾けている。

 不自然に上がっている脚を下ろし、周囲を見渡した。

 ボーデヴィッヒは前方。壁に背を預け動かない。

 ……かつて煙幕、煙に隠した方向は。

 箒が倒れて動かない。葵が折れ、打鉄の機能は止まっている。

 簪もうつ伏せのまま動かない。推進器が薔薇のように捲れ上がり、背に棘を刺したように血を流している。

(箒ちゃん、簪ちゃ)

「……かふっ、んぐ」

 鼻から下を、手甲のない手で拭う。赤かった。僅かに黒い。

 両膝を突く。視界が揺らぎ、時間がないと悟る。

 ほんの少し赤く染まった手を上げて、宣言した。

「ギブアップ」

 簪の担架を頼むまで、保たなかった。

 

 ――水を失った稚魚は苦しんで死ぬ。死にたくないからさらにもがく。自分がまだ水の中に居るように。




 以前の前書きと後書きを少し整理、文字間違いを訂正しました。まだ間違っているかも。
 お礼の気持ちは忘れていませんのでご容赦を。
 戦闘回は凡長になる。注意しないと。
 


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36.掴んだ指を切り取られ、違う何かを掴まされる

 思考が纏まらない。普段あれだけ雑多な言葉を走らせていたというのに単語の一つも浮かんでこない。今の自分がどのような表情を浮かべているかも定かでなかった。

 それとも言語化できないのか。都会の喧噪と同じように無意識で遮断して、外側では叫び、暴れ、泣いているのか。現実では言葉も出さず涙も出さずただ車椅子に体重を預けているだけだというのに。心の外では一丁前に嘆いているつもりなのか。

 ……並んだベッドに、二人が横たわっていた。

 静穂の首に巻かれたコルセットが彼の目線を二人より下には向かせず、彼に現実を突きつけ続けた。

 彼女達は麻酔で眠っていた。静穂にとっては好都合だった。まともに合わせる顔などある筈が無かった。

 

 全て、静穂(じぶん)のせいだ。

 

 

 

「セシリア、それで何があったんだ?」

「早く説明、早く早く!」

 医務室の外、扉にすぐ傍の廊下で1年の専用機持ち四名が円になっている。この場で静穂の試合を見たのはセシリアだけなので一夏と鈴は逸り気味だ。

 ……とはいえ、

「すみません。急に煙幕がアリーナ全体に広がり、その後煙が収まったと思えば静穂さんがギブアップを宣言。更識さん共々に血を流して地に伏せてしまった、としか……」

 セシリアも結果しか見えていなかったのだが。

「なによ使えないわね!」

「そう言う鈴は何してたんだ? お前トーナメントに出てないだろ」

「ティナの応援でピットにいたのよ! アンタが軽ぅく倒してくれちゃった対戦相手のね!」

「なんで怒ってるんだよ!?」

「言えるわけないでしょ!?」

 当人以外には大した理由ではない。ティナ・ハミルトンが倒された相手に惚れてしまい友人に仲介を頼んだだけの話だ。

 ……犬歯を剥き出しにして睨みあう二人を諌めたのは意外な人物だった。

 

「医務室の前で、貴様らは静かに出来ないのか」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒがそこにいた。

「ボーデヴィッヒさん!?」

「お前! 何しに来た!?」

 シャルルと一夏の問いかけにラウラは、

「汀 静穂に見舞いと用件があってな」

 言うと彼女は簡素なアルミケースを持ち上げる。中に何が入っているかなど今は知りたくもない。

「邪魔だ。通してもらう」

 人垣を割りラウラは医務室の扉に手を掛ける。

 鈴と一夏の静止も聞かず彼女は医務室の中を闊歩。彫像の如く動かない静穂の許へ。

 ……誰も言葉に出来なかった。

 一夏とシャルル、鈴も試合が終わった直後にやって来た相川たちから一応の触りは聞いていた。

 箒も、対戦相手の更識も今は眠っている。それはいい。爆発の中で気絶し血を流す程の怪我をすれば休んでいて当たり前だ。

 だが一番の怪我人がこうも打ち拉がれている姿を初めて見た。

 静穂が呆然と座る姿を初めて見た。

「治療が終わってからずっと、あのままですわ。わたくしの声も聞こえないようで」

 セシリアから説明が入った。

「汀 静穂」

 その呼びかけにはどのような意図が含まれるのか。

 ベッドに寝ていないという事は重症ではないという事だろうか。しかしあそこまで反応が無いのは心配だ。

「――ふむ」

 するとラウラは得心が行ったのか無造作に手を伸ばし、

「おい止せ!」

 

――髪を除けて耳に詰まった綿を取り去った――

 

「ひゃぁあ何!? ぼーで、皆も何!?」

『聞こえなかっただけぇ!?』

 四人の膝が揃って砕けた。

「セシリア! アンタ一番付き合い長いんだから確認しなさいよ!」

「髪で隠れている耳に詮をされているなんて分かる筈がありませんわ! それに勝手に髪に触れるなんて破廉恥な真似をわたくしが行うとでも!?」

「それくらい誰でもやるだろ!?」

「一夏。普通はやらないよ、常識として」

「嘘だろ!? じゃあ千冬姉はなんでいつも俺に梳かせてたんだ!?」

「! ……いい一夏さん? でしたら今度わたくしの――」

「なに抜け駆けしてんのよ! 弟子が心配じゃないのバカ師匠!」

「なんですって!?」

「そういうのは家族と幼馴染の特権って昔から決まってんのよ! 一夏! やるならわあ、あたしにやりなさいよ!」

「何だ鈴!? お前も耳に綿入れてるのか!?」

「一夏、そういう意味じゃないよ……」

 急激に騒がしくなる室内。それを無視してラウラは一部が赤く染まっていた綿を投げ捨て、

「汀 静穂」

 用件に取り掛かった。彼女の言葉につられ四人も喧騒を鎮めている。

「息災か」

「……どうだろうね」

「起きているではないか」

「眠れないだけだよ」

 そうか、とラウラが言って、会話は途切れた。

 ……しばし、沈黙。次に切り出したのは静穂から。

「決勝進出、おめでとう」

 それは自分から地雷を踏みにいく事と同義だった。

「一夏くんとシャルルくんは、勝った?」

「あ、ああ……。勝った」

 つい返事をしてしまう一夏。突然に話を振られて調子が狂う。

 そんな事などはどうでも良く、静穂は続ける。

「そう、おめでとう。じゃあ決勝は1組が独占になるのか。凄いな」

 その表情はいつもと全く同じで、笑っている。

 この場にて最もトーナメントに傾倒していたのは静穂だ。内心では悔しいのではと勘繰ってしまう。

「わたしはどっちを応援したらいいんだろうね?」

 彼女の冗談にどういう対応をとれば良いか、全員が迷っただろう。

 ラウラ以外は。

「簡単だ、私達が勝つ」

 ラウラの言葉には何の気遣いもない。自分を倒した相手に対する尊敬などではなく、事実とばかりに放たれる。

 言ってしまえば無遠慮な一言。一夏が反応するのも無理はない。

「言ってくれたな。俺達だって運だけでここまで来たんじゃないぞ」

「相手のレベルが低く誰も止められる程の実力がなかっただけだ。貴様の力ではない」

「さすがに言いすぎだ」シャルルも間に入る。「一夏もこれまでの試合で実力がついてる。もうボーデヴィッヒさんの知っている一夏ではないよ」

「だといいがな。――そうは思わないか?」

 汀 静穂、と。

「へ?」

 なぜ静穂に話が向くのか。当人も不意を突かれて目を開いている。

 

「正式に通達があった。汀 静穂。決勝戦、私のパートナーは貴様だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程まで鳴り止まなかった電話は一転して鳴りを潜めている。

 催事の度に世界中から苦情が殺到する現状はどうにかならないものかと千冬は思うのだが、教員が総動員で対応に当たっている今それを言い出すのは不和を招きかねない。

 子供のお遊戯に大人が入り込む余地がどこにあるというのか。国の税金を湯水のように費やして育て上げた箱入り娘が活躍しないのはどういう事だと怒鳴り込んでくるモンスターペアレント共の相手に時間を割くのは不勝手で不合理で不愉快だ。

 しかも高官連中ときたら千冬が受話器を取った途端に電話を切りリダイヤルを掛けて他の教員に対応させようとする。隣の山田先生には到底任せ切れない。彼女は優しすぎる。

 莫迦共の相手は疲れるの一言だ。今日は特殊でそれを更に浮き彫りにする内容の電話ばかりだった。やれ煙しか見えないだのやれ金を返せだのと。何の話だ。

 メールの方なら相手と面と向かわない分だけ山田先生も対応できるが、それでも彼女には堪える文面ばかりの様子で頻りにハンカチとティッシュに手が伸びている。そろそろまともに読まず即座に捨てる事を示唆するべきか。

(どうせ殺害予告ばかりだろうに)

 ……準決勝第1試合の結果は汀 静穂の存在を悪い意味で際立たせた。

 試合内容を不快に思う連中が後を絶たず誹謗中傷を並べ立てて送ってくるのだ。山田先生には使い物にならなくなりつつある学園のメールボックスで必要なそれのみを選り分けてもらっていた。

 彼女の化粧が落ちそうなところで千冬は忠告することにした。

「山田先生。変に読まず捨てて下さい」

「…………」鼻をすすって山田先生が顔を上げる。ウォータープルーフなのかほぼ素顔なのか、全くと言っていいほど変化がない。「ですけど、こんなのあんまりじゃないですか」

 すっかり汀に感情移入している山田先生にゆっくりと諭す。

「そういう手合いは荒らし行為やスパムメールと同じです。相手をすればつけ上がり更に数が増えます」

 なにもしない。放っておく事が吉。気にしなければ勝手に萎んでいく連中に燃料をくべてやる必要はない。殺害予告にしても警察の仕事だ。IS学園に於いては全世界に治外法権が認められているが外的要因に於いてはその限りでない。国と文面によっては逮捕、刑罰が執行される。

「だったら汀さんはどうなるんですか。トーナメントを掻き乱して、混乱させて、挙句の果てに台無しにしたなんて、そういう風に言われているんですよ!?」

「そういう見方もあるというだけです」

 ただ一人が機体を換えて翻弄する様は確かに違和感がある。内実を知らなければ一人だけ卑怯だ。ちなみに1回戦の外套はそれ以降禁止された。

 一回限りの手法を使えるのはそれを考えた人間だけだ。

 誰も考え付かないものはそれだけで武器となるが、卑怯と断じられてしまう事もある。汀の場合、卑怯者と謗られた。

 それに掻き乱し混乱させたのは事実だ。

 更識の未完成な機体を誤魔化す為に自分を囮にする姿は普通の子供としてみれば不快だろう。擬似専用機がない事を逆手に取り機体を換えて注目を集め、代表候補生ではない汀が目立ち勝ち上がる様は得てして奴の使っていた機体構成を一種の流行とした。何も知らない連中は汀の機体構成を真似て試合に臨むだろう。全ては汀が先を読み易く、更識が動きやすいように。期せずして勝敗すら左右してトーナメントの流れを作っていた。更識を勝たせる為だけに。

 そうして今日、まさかの流血沙汰とギブアップ。汀がトーナメントに泥を塗ったと言う連中は退学処分も生温いとさえ言っているらしいが、一体どこでここまでの敵意を集めたのやら。

「我々だけでも理解していればそれでいいとは思えませんか」

「そうじゃないんです。このまま汀さんが明日の試合に出たらと思うと……」

 そこまで考える必要があるだろうか。千冬がモンド・グロッソに出場した時も束の知己というだけでブーイングは止まなかった。優勝した時もだ。

 ああいうものはただの僻みでしかなく周囲がどんなに取り繕ったところで意味はない。

 結局は自分自身で聞き流すしか他にない。それに、

「失礼します! 千冬姉ちょっと話がッッ!!」

「静かにしろ、莫迦者共」

 ……こうして出席簿を落とした連中が騒いだところで、中心の車椅子が困るだけなのだ。

 頭を押さえる代表候補生共と弟を見て溜息を吐く。こんな連中に世界は一喜一憂して一人の子供を袋叩きにしているのかと。

 ……無視して車椅子を見る。

 首にはコルセット、膝にはアルミケース。ラウラはしっかりとお使いを熟したようだ。のたうちまわっているが。

「何か用か、汀」

「へ? あぁ、その、皆で真意を尋ねようという話の運びになりまして」

「明日の決勝か」

 はい、と汀は律儀に腰から頷く。首はまだ痛むらしい。

(…………)

 少し考えてから、千冬は車椅子をその場で半回転させた。

「場所を移す。貴様らはついて来るな」

 車椅子の付き添いを切り捨てて車椅子を押し始めた。

 走り始めに一夏を轢いたが爪先なら問題ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出たくはないのか」

 応接室に連れられて、開口一番に聞かされた言葉はそれだった。

 言う織斑先生は椅子に座るか座らないかという所。静穂は対面で車椅子、最初から座っていた。

 言ってしまえば出たくはないし、

「……、理由がありません」

 パートナーを、更識 簪を切り捨てて彼女の掲げた目標に向かい進むのは違う気がした。

 そもそものスタート地点は彼女だ。彼女の呼びかけがなければ静穂は勝ちたいとも思わず何の策も考えず普通に出場して普通に負けていた。

 簪は今、静穂のせいで傷ついている。

 織斑先生が溜息を吐く。なにか不愉快にさせる事柄なのか。怪我人を心配するのは当然で、何より静穂はその原因を作った張本人だ。想わずにはいられない。

「先に言っておくが、あの二人は貴様の責任ではない」

 何も言っていない。思考を読まれた。

「どういう意味でしょうか」

「二人が負傷した原因は不幸としか言いようが無いからだ」

 不幸? 静穂と関わってしまった事がだろうか。

 しかし織斑先生の口から不幸という単語が出てきたのは少し意外だった。普段なら運などよりも実力が原因だと断じてしまうだろうに。

「私も実際に目にしたのではないが、3年整備科に機体の状態を確認させて答えが出た。瞬時加速の暴発だ」

「暴発ですか?」

「更識が瞬時加速をしようとした瞬間に何か外からの外的要因が推進器に損傷を加えた。位置の関係で篠ノ之が後方から斬り掛かったのだろう」

 それこそ最も意外だった。あの篠ノ之 箒が後ろから斬りかかるなんて。

 静穂は前日中に彼女達の試合も全てチェックした。彼女は相手が背を向けても態々正面に回りこみ1対1に臨んでいる。

「それだけ更識が奴を追い込んでいたという事だ。それに篠ノ之の剣は道ではなく術だ。()()()()技も存在する」

 そこだけは読み違えたのだ、と。

「瞬時加速は通常以上のエネルギーを一度に溜め込み消費する。しかしエネルギーを溜め込んでおく時間は0.1秒未満。その瞬間に篠ノ之の剣が推進器を損傷させた」

 推進器に亀裂が走り、そこからシールドエネルギーが噴出、破裂。

 本来とは違う箇所から噴き出したシールドエネルギーは当初の目的と異なる結果を生み出し、その直中にいた二人は……。

 織斑先生は言った。不幸としか言いようが無いと。

 本当に不幸だ。

 そしてそれを引き込んだのは自分だ。

「更識の機体、未完成だったな」

「はい」

「よくもまあ、あの段階まで持って行ったものだ」

 褒められているのか嘲笑なのか。

 静穂には判断できなかった。

 

 

「私からすれば理由はある」

 少しの間を置いて、織斑先生は話を戻した。

「貴様は歯痒くて堪らん」

「どういう意味ですか」

 先生は短く息を吐き、

「更識を立てたのはいいがやり過ぎだ。今日以外の貴様は却って不快だったよ」

「…………」

「説明してやろうか」

 やんわりと否定の意を示す。

「だがもっと上手くやる方法もあった」

 これ以上があるなら教えて欲しい。それを知っていれば簪も箒もああはならなかった。

「貴様も専用機を使えばいい」

 何を馬鹿なと嘆きそうになり、一拍置いて息が詰まる。

 それを見た先生はどこか嬉しそうに目を細めた。

「ラビットを明日の試合に使えるか」

 対して静穂は目を見開いた。自分に死ねと言っているのか。

「どうだ? 調べ尽くしていると思っていたが」

「使えるかと言えば使えます。でも無理です」

「なぜだ」

「推進器が元から存在せずPICのみなのはまだ良いですけれど、拡張領域も無い。FCSは無くなった両腕以外を受け付けずにエラーを出し続けて真っ赤です。端子のスロットもないので手が出せません。

 使えるのはPICとシールドバリア、それとパワーアシストのみ。絶対防御の存在すら分かりません」

 無理。無茶。無謀。そして何よりも、

「ボーデヴィッヒさんに(ラビット)を攻撃された瞬間に、わたしは気絶しました。意識を取り戻した時には彼女を蹴り飛ばした痕跡が残っていた。ラビットを使った様ですが覚えていない」

 誤作動を起こす機械を信用しろと。機能が止まれば命も止まるおまけつきで。

 出場する理由は無いが出場したくない理由は出来た。

 ――死にたくない。殺したくない。

 嘗て他者を殺してでも生きると誓った。だがそれは自分が窮地に陥った状況での話だ。何の意味もなく人殺しになると決めたのではない。

「ISは全て未完成の欠陥機だ、一々気にしてはいられん。何より誤作動ではない可能性もある」

 織斑先生は一度切って、

「使わない理由にはならん」

「……使えばラビットの事が公になります」

「言えば対応した」

「今更ですよ」

「貴様から相談に来るのを待っていた」

 そのまま二人とも黙り込んだ。

 ……どうしてこうなったのか。

 

 

「やはり自分の理由が無いと辛いか」

「すみません」

「下らん事を考えるよりも先の事を考えたらどうだ」先生は眉根に指を寄せている。「……褒美をやろうか」

「へ?」

「特別だ」

 その時静穂は頷けなかった。理解ができなかった。

 あまりにも唐突過ぎたから。

 

――シャルル・デュノアの安全を保証する――

 

 車椅子を蹴飛ばしていた。

「なん……へ、え?」

「……私が知らないと思っていたのか」

 先生は溜息を吐いた。 

 静穂が車椅子を起こして座り直すのを確認すると先生は続ける。

「女が男の真似をして入り込むなど出来る訳がないだろう」

「織斑先生、それだとわたしはどうなるんですか」

 逆だが男子が女子と偽って入学できた実例が此処にいるのだが。

「貴様の時とは状況が違う。大勢に紛れて裏口入学などアタリをつけて調べでもしなければ識別は無理だ。デュノアの場合は分母も極端に少なく骨格も見た通り女の――」

 言葉が尻窄まりに途切れた。

「先生?」

「――貴様、本当に男か?」

「先生!? そこで疑問に思わないで!?」

 静穂は身の危険を感じた。性別を疑われるのは外見に男女どちらかの傾向が見られないという事で。

 そのような対象を判別するには直に()()()()()()しかない訳で。

「ヒヨコじゃないんですから!」

「ほう、私の前で一人前のつもりか」

「ヒヨッ子じゃなくてヒヨコ! 鶏の子ぉ!」

「冗談だ」

 突っ伏した。机から良い音が響く。

 やはり師弟か、この二人。

「気は解れたか?」

「……はい、どうも」

 そうか、とすんなり切り替えられた。完全に遊ばれている。1組伝統のリアクション芸は怪我人には酷だ。鼻が鉄の匂いを感じ取っている。

「デュノアの性別は職員室の全員が知っている事だ」

 知っていて黙っていたというのか。静穂は鼻をすすって問い掛ける。

「どうして隠しているんですか?」

「デュノアの考えなど猿でも分かる事で、別に大した害もないと判断した」

「一夏くんが篭絡されてフランスに連れて行かれるとか考えません?」

「無いな」即答だった。「貴様なら分かるだろう、あれの鈍感具合を」

 あぁ……、と静穂は妙に納得した。

 数年ぶりに再会した幼馴染、1年前まで行動を共にしてきたもう一人の幼馴染、そしてイギリス代表候補生。静穂が知るだけで猛烈なアタックが三人、それ以外でも彼にかかるモーションが途切れる事はない。

 それらを全て真っ向から受け止め、無かったかのように受け流し、相手に怪我が無いように軟着陸させる。

 それを無意識に行っている人間を人たらしと言わずに何と呼ぶか。

「……またずれてますね」

「戻すか。――兎に角も織斑があれだ。篭絡による心配もなければ白式のデータを盗る暇もないだろう。織斑からも協力は出来ん。奴にISを弄るだけの技術はないし技研の連中も相当の策を打っている」

 一夏がシャルルの素性を知っているとは言っていない。姉弟の間に隠し事は出来ないのは何処も同じようだ。

 静穂もそうだった。義姉が職場に隠した菓子の場所は全て把握していた。密告すると義姉の上司から正式におやつが貰えたものだ。

「他にも男装して転校しようとする輩はいたが許可されたのはデュノアだけだ。やはりデュノア社社長の娘という立場が大きい」

 IS学園の練習機で打鉄と並ぶ人気を誇るラファール・リヴァイヴ。それを生産しているのはデュノア社だ。

「理事会はあわよくばデュノア社とパイプを結びたいと考えてでもいるのだろう。面倒な所で利害が一致した結果、シャルル・デュノアが誕生した」

「…………」

「だが問題もある」

 問題?

「世界で二人目の男性操縦者と触れ込む事は注目を集める事だ。好奇の目線も、敵意もな」

 静穂には覚えが有り過ぎた。実際に殺された経験がシャルルの、彼女の立ち位置がどれだけ危険かを証明している。

「最近はデュノアにも殺害予告が来ている。落ち着いていたがトーナメントで連中が勝ち進むにつれ量が増えてきた。

 放っておくにも仕事に支障が出始めてな、職員室の中にはデュノアを退学処分にする意見も出てきた」

 実際に手を下す連中が居ないとも限らない。一々の対応は莫大な労力になる。

 一夏と違いシャルルは女子だ。退学になったところで命までは取られない。

 

――たとえその先の未来が無いものだとしても――

 

「……私もどうすればいいか頭を悩ませている。織斑がいるお陰でまともに意見を求められてはいないが問題なのは事実だ」

 世界最強の意見は通常票の何倍の効力を持つのだろうか。

「そこで貴様に任せようと思う。貴様が勝てば私はデュノアの在学を肯定する意見を提出する」

「もしも負けたらどうなりますか」

「もう負ける心配か。別にどうもしない。デュノアは退学処分。それで終わりだ。今のままでは」

「…………」静穂は少し考える素振りをして、「二人を負かせてしまっていいんですか? ()()()男性操縦者ペアがトーナメントを制すればかなりの経済効果になると思いますけれど」

「学園にその手の利益はあまり結びつかん。男子の頭を押さえて()()()女子のペアが勝てば男性排斥主義者共の溜飲も下がる」

 勝とうが負けようが織斑先生に損はない。静穂にもだ。

 だがシャルルは。

「――分かりました、ありがとうございます」

「ラビットが使えないならそれを使え」

 言うと先生は静穂がボーデヴィッヒから受け取ったアルミケースを指した。

「専用機が相手ではそれでも足りんがな」

 息を呑み、指先で表面に触れる。

「先生」

「何だ」

「どうしてここまでしてくれるんですか?」

「言った筈だ」

 織斑先生は目を細めて言った。

 

「貴様は歯痒くて堪らんとな」

 

 

 

「…………」

 手のかかる生徒が乗っていた車椅子を視線から外し、千冬は誰に言うでもなく呟いた。

「本当に、歯痒いな」

 たかがアルミケース一つ用意した程度で、

「専用機()()を相手に出来る訳がないだろうが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「汀さん!」

「あ、先輩達だ」

 耳から携帯電話を放し、静穂は上級生達と合流した。

「ずっと探してたのよ!?」

「すいません、織斑先生の確認を取りに行っていたので」

「じゃあホントに? あのドイツ代表候補とペア組むの?」

「決勝戦、出るの!? 怪我してるじゃない!」

「マジで出る!? 本気と書いてマジで出る!?」

 食い気味押し気味の上級生達を押し戻す。いい香りにどぎまぎさせられるのだ。

 息を整えて一言。「出ます」

『っよしっ!!』

「へ!?」

 上級生達は挙ってその場でハイタッチ。

 静穂の機体調整というデスマーチからまだ開放されないというのに喜ぶ要素が何処にあるというのか。

 静穂が聞くよりも速く両の手を掴まれた。

『来て!』

 

 

 ……言われるがまま手を引かれるがままに連れられて、やって来たのは、

「第3ピット……」

 嘗て静穂が簪と共に戦い、負けた空間。

 来るまでの廊下は万全に修理が終わっているがこの部屋は内部がまだ手付かずになっており、何かしらの破片が崩れる恐れがあるのでロープとバリケードで立入禁止を示されている。

 そのロープを上級生たちは慣れた手つきで封を解き、バリケードから道を開いていく。

「慣れてません?」

「何回も来てるからね」

 一人が懐中電灯を点けて先導する。「足元気をつけて。一応掃除はしたけど」

 お姫様のように手を引かれ中に入る。心的外傷がある訳ではないが、織斑先生の言葉を思い出してしまう。確かにもっと上手くやれたのではないかと今更ながら思ってしまう。

「さあ汀さん、準備はいい?」

「何の準備ですか?」

「驚く準備!」

「せぇ、のっ!」

 

 投光機が室内を照らし、中央に聳えるシートが翻る。

 静穂が乗る筈だったラファールがそこにあった。

 

『どう!?』

「っ」明後日の思考から戻ってくる。「どうって、これ」

 このラファールは間違いなく静穂がトーナメント前に託された擬似専用機だ。間違える事は有り得ない。この外見は静穂が設定したそのままだ。

 だが、

「皆さんが壊したって言ったじゃないですか」

 そう、この仕様を施されたラファールが存在する筈がない。上級生の彼女達が授業に使い壊してしまったからこそ、静穂はトーナメントで唯一ジプシーのように機体を換え彼女達は織斑先生から静穂の機体を工面するように指図されたのだから。

 上級生の一人が指を振る。そこから芋づる式に周囲が語りだした。

「甘いよ、汀さん」

「私達は整備科の3年」

「いわばIS専門エンジニアの卵!」

「壊れた機体は!?」

「直せばいいだけ!」

「……つまり試合が進んで乗り手がいなくなったラファールをわたしの仕様に変更したと」

『答えを言われたー!』

 膝をつき絶望する上級生一同。静穂はそれを傍目にラファールを視界の中央に置く。

 近づいて、装甲に触れた。冷たさを感じつつ細部に目を通していく。

「ごめんね。もっと早く完成させられたらよかったんだけどついさっき完成したばっかで」

「追加した装甲もしっかり定着済みだよ」

「これまで汀さんが使ってた機体の経験も全部移植してある。まっさらじゃないだけマシってレベルだけど」

「そればっかりは機体そのものが違うからどうにもねー」

 説明を受けながらも静穂は確認を止めない。

 ぐるぐると周囲を回り、覗き込み、

 そして呟いた。

「ありがとうございます」

 静穂の一言で上級生達は抱き合って舞い上がり、

「……でも駄目だ」

 地に落ちた。

「汀さん!? 何が駄目なの!?」

 百聞は一見にしかずとばかりに静穂が機体のコンソールパネルを呼び出し操作していく。

「汀さん説明して! そうでないと納得いかない!」

 今まで静穂は彼女達に駄目という言葉を使っていなかった。

 それは彼女達の仕事が静穂の要望にほぼ完璧に応えてくれていたから。

 それが最後になって否定された。静穂が最初に求めた形を再現したというのに。

 最初の機体が静穂の理想ではなかったのかと言いたいのだろう。

「これが最初からなら使えました」静穂の手は止まらない。空間投影型のコンソールを叩く指、その片方で鼻を拭い血を振り払う。「でも今はもう普通には使えない。わたしもこんな状態だし、今度の相手には何もかも足りない」

「何もかも?」

 コンソールの操作を中断し、制服の上着を脱いで胸ポケットからペンを取り出す。白地の上着に削るような筆圧で書き込み近くの一人に押し付けた。

「部品倉庫と射撃場から書いたものを貰って来て下さい。射撃場はわたしの名前を出せばすんなりいくと思います」

「待って! 改造!? 今から!?」

「この段階まで持って行ってくれてありがとうございます。ここからなら見た事があるから一人でもどうにかなる」

「冗談でしょ!? 最後まで手伝わせなさいよ!」

「もうここまで十分ですよ?」

「いや、無理だね!」

「へ?」

 上級生の一人が得意げに腕を組んで否定してきた。

 何が無理なのか。彼女達は自業自得とはいえここまで静穂のために睡眠時間と美容を犠牲にしてきてくれた。最後くらいはそれを労っても間違いではない筈だ。

「百歩、いや万歩譲って君に改造できるだけの技術があるとしよう。でも無理だ」

「何故ですか」

「君は『ここからなら見た事がある』と言った。つまり実際の経験はない。そんな君に自分達の作った作品に手を加えるなんて真似を、私達整備科の人間が許すと思うなよ!?」

 彼女が一々変身ポーズを取るのに理由はあるのか。

「妨害する気ですか?」

「妨害ではない最後まで協力させろと言っているのさ! 私達も君に将来を賭けているから最後だけ投げっぱなしという訳にはいかないんだ!」

「ならお願いします」

『切り替え早ぁ!?』

「口論の時間も惜しいんですよ」上着を持った彼女とは別の先輩にアルミケースを託す。「中身を拡張領域に登録してください。リストは一番上、優先順位は一番」

 もう休んでもらおうと思っていたがやる気があるのなら手伝ってもらおうというだけで。

 何しろ明朝までに間に合わせなければならない。これまで継続して行ってきた努力をこの1戦につぎ込む。それだけ静穂とこの機体は足りないものが多すぎた。装甲、推力、火力、時間。並べ立てればきりがない。

 これ程にも静穂が焦るのは、言ってしまうと失礼になるが簪の時とは状況が違うからだ。

 勝てば友人の身の安全は保障され、負ければどうなるかわからない。ただ優勝するというだけの目標とは明らかに事の重大さが違う。近しい友人の命が自分の肩に乗っている。

 そしてもう一つ、静穂が勝つために求めていたものがもう一度目の前に戻ってきてしまった。目の前に光明をちらつかされてしまった。

 純粋な専用機が2機、代表候補生が一人。その組み合わせはトーナメントの中で最強。さらに一夏の単一仕様能力は肉薄された瞬間に勝負を決められる最悪。

 それを覆す事が叶う下地が目の前にある。期せずして現状最高のスタッフもここにいる。

「では先輩方、終わったら何か奢りますので、宜しくお願いします」

 静穂はコルセットをかなぐり捨てて首を鳴らした。

 簪の事はもう頭になく、ボーデヴィッヒとも打ち合わせの必要があると感じながら、静穂は調子に乗った事を後悔した。

「痛ぁ……」




 最近はどうもきり良く終われず時間がかかるようになっています。
 速さが欲しい。3日で長編一冊書けるくらいの。


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37.それぞれが何を求めるのか

 目が覚めた途端に痛みが襲って来た。

(……私は?)

 勝ったのか、負けたのか。

 隣のベッドで戦っていた相手が眠っているという事は、自分は最低限の努めを果たしたという事だろうか。

 ……朝焼けがカーテンを揺らしていた。

 結果を見るのはまだ先のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ! とうのとう、遂に終焉の時がやってまいりました! 波乱に告ぐ驚嘆! 驚嘆に次ぐ狂乱! 入学時の熱もまだ冷め遣らぬ雛鳥達が、今、持てる全てを以て、巣の中で隣り合う同胞に嘴を向け喰らい合う! IS学年別タッグトーナメント1年の部、決勝戦!」

「その表現はちょっと意味不明じゃない?」

「実況は私IS学園2年、マイクは離してなるものか! 奪いたければ力ずくで来い! 黛 薫子と、いつもの解説役イリーナ・シャヘトは本日警備任務でお休みのため予定通りこの御仁にお願い致します!

 現ロシア代表にしてIS学園にて最強! IS学園生徒会長、更識 楯無ぃッ!!」

「最強の解説をお見せするわね!」

 誰に見せるでもなく立ち上がり扇子を開く。そこには『解説』の二文字。

「今日で1年生の頂点が決まる訳ですが、解説のたっちゃんはどうお考えですか?」

「公の場でも愛称呼びなのね、気楽でいいけど」楯無はスカートを押さえて席に着く。「まあ今日で頂点が決まるというのは早計かもしれないわね」

「なんと!」隣の薫子は演技力過多に驚いてみせた。「今回のトーナメントでは1年生の実力を測るには不足な点があると!?」

 変わらないわね、と何処か安心しつつ楯無は説明に入る。

「今年の1年は専用機持ちの代表候補生が多すぎるもの。勝てて当然の選手が勝ちあがってもね」

 扇子を開き直す。『勿論』の二文字。

 薫子は反論する。

「それは汀選手もでしょうか?」

 楯無は扇子の文字を薫子に向けた。

「――あれくらい私達もやったでしょ?」

 それも更にえげつない方法で、とは公の場ゆえ口にしないが。

「でも試合自体は派手になりそうね。専用機が3機に候補生が二人も一堂に会するなんて見た事ない」

 更に言えば登場する二人は世界でも稀有な男子操縦者だ。IS業界の華を詰め込んだような試合がこれから展開される事は請合いで、会場内の熱気も尋常でなくなっている。

「観客の皆さんは手に汗を握れるんじゃないかしら」

「生徒会長のお墨付きが出ました! この試合も波乱が巻き起こりそうです!」

 そこまで言ってはいないが薫子は普段どおりなので問題ないとして、

(織斑先生は何を考えているのかしら?)

 楯無が思うのは汀 静穂の選抜理由。

 準決勝の顛末を見ていない訳がない。妹の方はその結果を見ただけで理解できたがもう一方は定かでなく。

 原因がまるで分からない。あの時点では汀 静穂が勝利する流れだった、だのに煙幕が晴れるとギブアップ宣言をした後に倒れ対戦相手も気絶しておりダブルノックアウト。結果として試合は引き分け、織斑先生は負傷の少ない者同士を掛け合わせて今回の試合に臨ませた。

 ――ラウラ・ボーデヴィッヒが進むのは理解できる。彼女はドイツ代表候補生だ。外交的にも不満は少ないだろう。

 では汀 静穂を出場させる理由は?

 ボーデヴィッヒを出場させる理由が代表候補生にあるのなら、同じく候補生のティナ・ハミルトンを出場させればいい。

 それをせず汀 静穂を選出する根拠が何処にあるのか。

 彼女がこのトーナメントに於いて一番に衆目を集めていたからか。それだけで明らかに血溜まりができていた程の怪我人を続投させるだろうか。

 それに衆目だけでなく敵意も集めている。観客の不平もハミルトンを出すより上だ。

(一般生徒代表のつもり? もっと別の理由があるの?)

 ……扇子をたたむ。いずれにせよどうでもいい事柄だと断じて捨てる。これから何かしらの答えを見せてくれるのだから。

(……。じゃあおねーさんに見せてもらおうかしら)

 自分の妹を踏み台にしてまでのし上がった決勝戦で何を為すのかを。

 再び開く扇子には『検分』の二文字。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ボーデヴィッヒさん」

「…………」目線だけくれてボーデヴィッヒは入室する。

 その態度に静穂は集中しているのだろうと推測して機体の最終確認に戻っていく。

 上級生達は朝方に解放した。仮眠も取って今頃少しは回復しているだろう。

「準備はいいようだな」不意に呼びかけられた。「教官には感謝しなければ」

 目線を向けて直ぐに戻す。ボーデヴィッヒは制服をズボンから脱ぎだしていた。

「どうした」

「いやその、着替えを見るのは失礼かな、と」

 その回答にボーデヴィッヒは鼻を鳴らす。「女同士で何を気にするか」

「あぁ、うん、そう……なのだけれどね」

 静穂の女装はバレてはいない。いないのだが弊害として周囲は無防備が過ぎる訳で。

 ボーデヴィッヒ程の美少女が下から脱いでいく様子は、中にISスーツを着用していると頭では理解していても健全な男子には毒な訳で。

 静穂は目線を向けられないままに質問を投げた。

「織斑先生に感謝って、どういう事?」

「最初の希望の通りになったからだ」

 彼女は嘗て静穂にペアを組むよう提案していた。今になって彼女の希望通りになったと言えばその通りだ。

「いいぞ」

「へ?」

「脱ぎ終わった」

「それは、どうも」

 一応はこちらの意を汲んでくれる辺りに優しさがある。

 最後の確認を終えて静穂が振り向くと授業でよく見た姿のラウラ・ボーデヴィッヒがそこに居た。

「聞いてもいいか」

 彼女は順番のつもりか、静穂はどうぞと促した。

「貴様は何のためにこの試合に出る」

 軍人から出るとは思えない質問だ。意外過ぎて驚いてすらいる。

 軍人とは戦に命令と勝利以外の何も求めない存在ではないのか。

「――織斑先生に言われたからだよ」

 それ以外に言える言葉がない。改めて静穂には誰にも言えない事柄が多すぎた。

 

 

 

 一夏とシャルルのピット前は人だかりが溢れ通路を完全に塞いでいた。あの中を進むのは不可能、予め準備として入室していなければ不戦敗となっただろう。

「千冬姉の言うとおりにしておいて良かったな」

「うん、本当に」

 マスコミ追っかけパパラッチ、一夏一人でシャルロットを庇いながら進める筈もなく、まず間違いなく彼女の秘密が明かされてしまう。

「大丈夫か?」

 気づくと一夏が顔を覗き込んできていた。シャルロットは慌てて距離を取る。

「大丈夫、少し緊張してるだけだから」

 異性の急接近には慣れていない。それも年の同じ、秘密を共有する男子と。

 ……ふと気になった。

「? どうかしたか?」

 シャルロットは首を振る。「静穂はどうなんだろう、って考えちゃった」

「……また無理してるんだろ」

 困ったような怒ったような、そんな一夏の言葉にはシャルロットも少し同感だった。

 怪我をして、死んではいないが友人の仇とペアを組んで、その心の内はどうなっているのか。一夏なら即座に爆発しそうだ。

 行動の指針に感情が全く伴っていない。理性のみ、大人の対応ではなくまるで機械のようで。

(我慢強いってレベルじゃないよ)

 それともそうまでしなければ女の園に男が一人で、それも性別を偽って紛れ込む事はできないのか。

 シャルロットも似たようなものだがこの短期間でもかなり堪えている。だのに静穂はその倍の月日を難なく過ごしているように見えてならない。彼に元から女装癖があった訳でもなし。

「シャルロット」

「! なに?」

 また覗かれるような表情をしていたのか。

「……シャルロットが来る前にあいつと試合した事がある。その時は俺もまだISに乗るの2度目でさ」

 今もそんなに進歩してないけど、と一夏は少し砕いて、

「その時は静穂もそんなに大差なかった筈なのに振り回されっぱなしで、最後の最後にまぐれで俺が勝った。それから静穂とは練習機でたまに模擬戦をやったけどどこか納得できなくて」

 彼が拳を握る。でも、と。

「前と同じで今日なら」

「一夏……」

 ……一体何の話をしているのか。

「ここに静穂はいないんだよ?」

 昨日の通訳家は今日の敵だった。

「えと、嬉しいんだよ! あいつと戦うのが!」

 勢いだけで励ますのはやめて欲しい。

 だがそれでも効果がある、それが彼の凄い所で。

「……ありがとう」

 シャルロットは一夏の拳を両手で包む。意図だけはどうにか汲み取れていた。

「もう大丈夫だから」

 一夏も緊張していたようで、力の入った拳が緩んでいくのを感じるのは同時に緊張も解れたという事だろう。

「じゃあ、作戦どおりに、ね?」

「ああ、任せろ」

 相手が怪我人だからというのは、手を抜く理由にはならない。

 アリーナに出ている時点で戦場に立っているものと同じとはボーデヴィッヒの言葉だ。

 怪我人とて脅威の一つには変わらない。むしろ静穂は怪我をしている時こそ怖そうな相手だ。何をしてくるか分からないという点で。

 さらに、あのボーデヴィッヒともすら連携を組んで来るだろう。

 全力で臨む以外の策はないのだ。

「――行くぞシャルロット!」

「うん!」

 試合を目前に二人の戦意は高揚していく。

 

 

『さあそれでは! 選手入場です!!』

『来なさい!』

 ――実況に導かれてカタパルトが一夏とデュノアを撃ち出した。ここ数日は幾度と受けた歓声が今日はさらに大きく、二人を包み込む。

『先に入場したのは織斑・デュノアの男性ペア! 多彩な火器を魔法の如く使い分けるシャルル・デュノアと一撃必殺の高速戦闘に特化した織斑 一夏! 対照的な二人の魅力は勝手に悩自殺する生徒を数え切れません!』

『織斑くんの単一仕様能力に目が行きがちなのだけれど、連携もしっかりと出来ているわ。相手が普段通りに単独プレーをするつもりなら止めておいた方が賢明よ』

「良かったですね、織斑先生」

「当人には聞かせたくありませんがね」

 連携が出来ている事と実力が伴っている事は別物なのだが、隣の山田先生は自分の事のように嬉しそうなので黙っておく。昨日のうちに吹っ切れたのか彼女は今朝から興奮気味だ。

 まあ汀が出てしまえばそれも落ち着くだろうと千冬は思う。

 彼女がまともに、副担任とはいえクラスを担当するのは今年が初めてで、そのような心境の中で一夏と汀の存在はかなりの占有率を持っているのだろう。

 千冬からすれば不出来な弟と無鉄砲な生徒でしかないのだが。もしも連中が男子でなく女子だったなら山田先生の反応も違っただろうか。片方は条件が変わったとて何の変化もなさそうだが。

(本当に男か? ――む)

「山田先生。来ますよ」

「! 汀さーん!」

 千冬はコンソール越しに身を乗り出す彼女を支えつつアリーナの生徒達に目を遣った。

 願わくば何事もなく終わってくれと。

『少し遅れましたがボーデヴィッヒ・汀ペアが入場! 昨日の敵は今日の戦友(とも)となるか!? ――って何!?』

『…………墜落した?』

 

 

 一夏の頭は理解力が働かなかった。

 最初に出てきたのはラウラだ。それは分かる。銀の髪と黒の装甲を見間違う筈がない。

 消去法で次は静穂の筈だ。

 その静穂がピットから撃ち出され、

 

――地面に激突した――

 

 それでも推力は殺せず地面を削り減速。砂煙を撒き散らし突き進んでくる。

 道半ばで完全に止まり煙が晴れて、機体の異形が顕著になる。

 ……静穂が歩き出した。歩く姿は鉄の塊。それが開始位置、こちらに向かい動いている。あの外見は見た事があった。打鉄の盾だ。

 打鉄の防盾が2枚、前面を覆い隠すように設置されている。歩を進める足は明らかな重量過多。

 月面のような足跡を幾つも刻み、開始位置に静穂が到着した。2枚の防盾が手で押し退けられて見えるのはいつも見ていたあの顔。

 相手を安心させるための笑みを浮かべる静穂の顔だった。

「いやぁ恥ずかしい。着地失敗だよ、まったく」

「静穂……」

「それじゃあ、やろうか」

 頭が働かなかった。

 彼女が恐ろしく見えたから。



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38.そこまでして何を求めるのか ①

「落ち着きなさい篠ノ之さん!」

「離してください、試合に出ないと……!」

 医務室では篠ノ之 箒を保健の先生がベッドに押し留めていた。

「私が出ないと、勝たないといけないんです!」

「見て分かるでしょう!? もう始まるの! 決まった事なのよ!」

 ……そう、この後すぐ試合が始まるのだ。

 互いのパートナーが自分達を置き去りにして。

 医務室のテレビにはアリーナが映し出され、出場選手がそこにいた。

 織斑 一夏、シャルル・デュノア、ラウラ・ボーデヴィッヒ、そして、

(静穂、)

「っ――!」

 隣が急に大人しくなった。傷口でも開いたのか。それでも簪がテレビから目を離す事はなかったが。

「……痛み止めを服用してのIS搭乗は認められないわ。何より貴女が心配だから」

 武装を施し空を飛ぶという点ではISと戦闘機は同じだ。体調管理が完璧でなければ命に関わる大事故を引き起こす可能性が存在する点も。

 同じ目に遭う可能性はゼロではないのだ。薬物の効能が切れてどのような事態が起こるかなど想像に難くない。次はお互いにこの程度では済まないだろう。

 簪も同じだ。何を言って、騒いだところで出場は不可能なのだから。

 あの場所、彼女の隣には、もう立てない。

 篠ノ之の布団を整えて、保健の先生は言った。「準決勝まで行った、これだけでも十分に誇れる事よ」

 篠ノ之 箒にその言葉は何の慰めにもならない。

 彼女には優勝しかなかった。その理由が邪と言われようと、彼女にとっては何よりも大切な誓約だった。

「私は……、私は、」

 篠ノ之がテレビを見るでもなく、呻きだす。

 その一方で簪は解説の声に囚われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんという重量級! 本戦のダークホース、汀選手が往年の悪役(ヒール)レスラーが如くリングイン! パフォーマンスのつもりはないのでしょうが思いも寄らない事態に私もう興奮しております!」

「打鉄、なのかしら? 肩部装甲が4枚、あんな事をすれば通常の打鉄でも機動性が落ちると思うのだけど」

 汀 静穂のISは打鉄の非固定部位、防盾が全身像を覆い隠すように周囲を取り囲んでいる。これまでの経緯からも本当に打鉄かどうか怪しいものだ。

 ――打鉄が生徒間で人気がある理由は柔軟で扱いやすいOSと肩部の防盾に裏打ちされた防御性能、そこから来る安定性にある。多少の被弾を物ともしない安心感は戦闘に於いて大きなアドバンテージとなる。

 確かに打鉄の防盾は絶大な防御力を誇る。だが態々枚数を倍にする意味がない。視界も塞がる上に非固定部位として宙に浮いているとはいえ質量の概念は存在し、倍の数となれば機動性に影響が出る。

「よっぽど織斑くんの単一仕様能力が怖いのかしら」

 ラウラ・ボーデヴィッヒの第3世代兵装と戦った経験がそうさせるのだろうかと楯無は告げた。

「あの盾で織斑選手の必殺技を封じる事ができると?」

「実体の盾でも織斑くんのシールド消滅攻撃が完全に防げる訳じゃない。発動時の切れ味は取って付けたような盾じゃ真っ二つよ」

 楯無が扇子を開く。『業物』の二文字。

「まあ始まる前からあれこれ言っても分からないわね」

 そして何より面白くない。

 後輩が必死になって考えた策を、当人が披露する前に看破してしまうのは大人気ないと楯無は思う。

「あれで勝てるって言うのなら、見せてもらいましょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも見ていた筈の表情が、今回はまるで違って見えた。

「それじゃあ、やろうか」

「やろうかって、静穂」

 シャルロットが戸惑う。一夏も同じ心境だ。

「お前、やれるのかよ」

「やるさ」

「――自分の顔、触ってみろよ」

 顔? と一夏の言葉に不思議そうな反応をして、静穂は言われた通りにマニピュレーターを顔に持っていく。

 額、頬、鼻の下と来て、彼女は漸く気づいた。

 

――口元まで一筋、太く歪んだ赤い線が、鼻から走っている――

 

 それを静穂は「んぐ、」と、さも何事でもないように拭い去った。そしていつもの表情に戻る。

 血には観客の誰も気づいていない。隣に立つラウラも同じ様子だ。

 打鉄の盾が視界を遮り、位置の関係上から二人のみに見えている。

 それとも見せているのか。だとしたら効果は絶大だ。ピットでの決意が揺らぎそうになっている。

「一夏」

「!」

 肩に手が、マニピュレーターの冷たく力強い感触が乗せられた。

「シャルろ」ット、と言いかけてなんとか留まった。今の彼女は彼女ではない、シャルル・デュノア、男子だ。

「……もういいか?」

 意識から外れていた方向から声が飛んでくる。静穂に引かれて忘れていた、一夏がここまで来た理由を。

「いくら貴様でも無視されるというのは腹が立つのだな」

「ラウラ……!」

 肩に乗せられた手を優しく下ろす。「シャルル。大丈夫だ」

 改めて確認させられる。ここまで来た意味、戦う理由。

 自分の実力でないのは分かっている。だがここまで来た事に意味はあると信じている。

 相手が静穂に交代したというだけだ。むしろ好都合。

 ……雪片弐型を呼び出し、構えた。それを皮切りに三人も。

 実況が試合開始を告げる。

『開始、5秒前! 4! 3!』

「貴様を倒し、教官を取り戻す」

「……やってみろ」

『1! 試合開始!!』

 ――推進器を噴かす。一夏が瞬時加速で肉薄するはラウラではなく静穂。

「貴――」

 ラウラは無視。耳でシャルルの援護射撃を確認し、静穂に打ち込んだ。

 雪片による不意打ちにもならない横一閃は難なく防盾で止められる。

 盾に隠れる直前の表情は嘗て見たあの顔、初めて相対した時の顔だった。

 対して一夏は頬が緩んでいそうだ。

 身体の一部が疼いている。左手首は危険のサイン。

 無理せず距離を取れば、静穂が盾越しにハンドガンの銃口を向けていた。

 引金を引かれるより早く回避運動。一夏と静穂の間を縫うようにワイヤーブレードが射出される。

「一夏ごめん!」

 シャルルのマークを振り払いラウラが来た。

 雪片でシュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀を受け止める。刀身の半ば、厚い部分で。

「貴様の相手は私だ!」

「これはタッグマッチだぞ? 連携するのは当たり前だろ?」

 これまでの経験が一夏にそう言わせた。伊達に決勝まで勝ち上がってはいないのだ。

 対戦相手の少女達はかなりの数に上り、彼女らの多くは真っ先に一夏を狙って来た。近接武器の刀が一振りしかない白式は一見して倒し易いのだから当然ではある。

 一夏の言葉にラウラは鼻を鳴らし、「怖気づいたか?」

「まさか!」

 雪片を押し込んで迫り合いを解く。距離が離れラウラが肩のレールカノンを此方に向けるのを目視して一夏は突っ込んだ。

 レーゲンの砲撃を掠めさせて、飛び込む先はラウラの死角。その巨大な砲身の、

(その砲身の影――!)

「!?」

 空を蹴り上げるような動作で半回転、天地をひっくり返した逆胴の動作がレーゲンの右腕を削り一夏はラウラの後方へ抜ける。

 シールドを消耗して振り返るラウラを見て一夏はしたり顔で。

「一夏お願い!」

「おお!」

 シャルルに呼ばれるがままアリーナを飛ぶ。

 

 

 ラウラに軽くあしらわれたシャルルは、

「堅い……!」

 ――静穂の持ち込んだ城壁に苦戦を強いられていた。

 足を止めた彼にアサルトライフルの正射はまるで意味がない。傾けて角度をつけた防盾に身を隠され、銃弾の尽くを弾かれる。

 回り込んでも同じ事だ。死角を探してみれば後方にも防盾が2枚。全周に於いて鉄壁を誇っている。間隙を狙おうにも防盾の上からひょっこりと顔を出すハンドガンの正確な射撃が邪魔をする。

 的確に頭のみを狙ってくる、当ててくる。お陰でどちらか一方の腕は常に防御に割かなければならない。

「本当に厄介だね……」とつい毒づいてしまう程に、シャルルは苛立ちを覚えていた。

 これまでの対戦相手とは別物だ。こんな相手と戦った経験は学園に来る以前から照らし合わせても存在しない。

 機動性を殺してまで防御を固め、まるで篭城、消耗戦。

 トーナメントは時間無制限。この場に判定勝ちはない。倒すか、倒されるか。

(このままじゃ負ける?)

 弾薬を無駄にしている。SE変換式半非実体(レーザー)兵器をシャルルは持ち合わせておらず、実弾が切れたら頼りないブレードが一振りのみ。静穂の盾は貫けない。

(……なら!)

 防盾のない頭を押さえればいい。シャルルは迷わず踏み込んだ。

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡがあのような魔改造トーチカもどきを振り切れない訳がない。

 流れるような軌道を描きライフル射撃で揺さぶりを掛けて静穂の照準をずらす。静穂の放った銃弾が頭部から逸れた事で釣れたと確信。防御に割り振っていた腕でショットガンを呼び出し、発砲。

 防がれるのは計算の内。面倒なのは静穂が防盾の位置と角度を調節する事だ。間隙を補われ擲弾でさえも有効打にならない。

 防がせた散弾の衝撃で防盾の動きを固定、正面の防御状態を維持させたまま、その表面を駆け上がり頭上を抑える。

 ライフルを向けた先は横向きに掲げられ視界を覆う防盾。

 シャルルはその盾を踏みつけて叫んだ。

「一夏お願い!」

「おお!」

 掲げられた盾一枚分の大きな穴に一夏が邁進する。

 一夏の後方からレーゲンのワイヤーブレードが通り過ぎ静穂の元へ飛んでいった。

『!?』

 シャルルと一夏が目を見開いた瞬間、シャルルの足元が揺れた。

「何!?」シャルルが上空へ逃れると何をしても動かなかった静穂の身体が宙に浮く。

 静穂が鋼線を纏めて鷲掴み、ラウラが引き寄せたのだ。

 静穂は引き寄せられるまま一夏と激突した。

「そうだな」ラウラはシャルルに目線を向けた、一夏ではなく、シャルルに。「連携するのは当然だ」

 ラウラは叫ぶ。「汀 静穂! 暫く任せる!」

 レーゲンの主砲がシャルルに向いた。

「先に邪魔者を片付ける」

 すると主砲からではない轟音が響いた。

「一夏!?」

 シャルルが轟音の先に振り向いた。一夏は無事だ、だが表情が強張っている。

「……なら早くしてね」

 静穂が一枚の防盾、その切っ先を一夏に向けていた。防盾の内側からは煙が吹いている。

 ……硝煙だ。今の今まで一夏が居たであろう地面に弾痕が刻まれている。

(でもあの範囲は何!?)

「余裕はないから加減もできないよ」



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39.そこまでして何を求めるのか ②

「――あの盾は攻撃を防ぐ為だけじゃなかった。汀選手は複数の銃を一遍にマウントするウェポンベイにできる場所、盾の裏側の広い面積が欲しかったのよ」

「まさかあの大きな盾が全部、全部が射撃武器を備えているって事でしょうか!?」

「それも盾の単位でだけど何丁も同時に発射できる。全く呆れるわ、普段から何を食べてたらあんなの思いつくの?」

『呆然』の二文字を扇子に記し楯無は解説を続ける。

「あの子が徹底して飛ばないのも当然ね。盾4枚に銃が推測でも10丁以上を抱えてなんて、重すぎて飛べないわよ。どう見ても推進器も搭載してないし」

 その言葉に実況の薫子が反論する。

「ですが専用機ではない汀選手の拡張領域ではそんなに大量の銃は登録できないのでは?」

「…………」

 呆れた顔で薫子を見る。

 それを態々こちらの口から言わせるのか? 整備科2年のエースが?

 ……楯無は扇子を閉じ、また開く。『演出』の二文字を彼女に見せると薫子はウインクで肯定した。

 そうして納得する。(成程、知らない観客に向けてなのね)と。

 ――確かに全ての銃を登録すれば無駄に拡張領域を圧迫するだけだが、

「あの子が拡張領域に入れているのは弾薬だけよ」

 眼前では汀 静穂が織斑 一夏を翻弄している。右腕の防盾の切っ先から発砲音が重なり一人で厚い弾幕を張っていた。

「弾薬だけを拡張領域に入れるのならその量はかなりのものになるわね。大量の銃火器を使いこなすのはデュノア君の高速切替(ラピッド・スイッチ)くらいやらなきゃ使い分けるのは難しいけど」

 それを強引に解決する例が無茶苦茶な時間稼ぎをしている。

 推進器の代わりに背部に装備された複腕型サブアームで其々の防盾を操作、射撃時は防盾のウェポンベイに搭載された銃火器の引金部分、それら全てを統一し連動する操縦桿を掴みその動作を行う。束ねた火器を一斉に放つ反動はサブアームだけでは押さえきれないらしく、防盾全てに操縦桿とハードポイント端子が備え付けられているのはIS本体のパワーアシストも必要なのだろう。

「ISがダメージを受ける、回りくどく言うとシールドが外的要因で消耗するのはその事象がIS由来のものだと機体が認識した場合に限られる。普通なら後付装備(イコライザ)も登録して認識させるのだけど、あの子みたいに拡張領域による携行性を無視して且つ銃の切り替えを解決できるなら弾薬だけの登録で事足りるわね」

 ……だけど、と楯無は扇子に『珍妙』の二文字を記し、

「あそこまでやるなら高速切替を習得した方が早いでしょ」

 シャルル・デュノアと銃撃戦で張り合うつもりなら準決勝のやり方でもいいのではと楯無は推測する。

 さらにこれまでの試合の多彩ぶりを見るに汀 静穂は高速切替を習得できるだけの技量と器用さはある筈だ。

 更に言えばあれは当人の持ち味すら殺している。

(何か別の意味があるのかしら)

 

 

 汀 静穂が何をしたのか、その瞬間の一夏は理解できなかっただろう。

 ラウラに引かれるまま奴は一夏に激突。そのまま地面を転がり自然と距離が離れた途端、

 ――ただ自分の直感を信じて瞬時加速を使用し、その直後に銃弾が襲った。

 汀は右手に鋼線を握り、左腕に防盾を、その切っ先を一夏に向け、撃ったのだ。

 一夏は盾の内側を見て背筋が凍った。

 ショットガンが5丁、その銃口が並んで自分に向いていた。

『……なら早くしてね』

 膝立ちだった汀が立ち上がる。鋼線を手放し、背中のサブアームが右腕にも防盾の操縦桿を掴ませる。

 右腕の防盾にも、他の防盾にも銃が搭載されていると想像するのは難しくなかった。

『余裕はないから加減もできないよ』

 ……そして今、一夏は近づく事すら容易でない。

「あの、織斑先生……」

「?」身を乗り出していた山田先生がこちらを向いていた。「どうかしましたか、山田先生」

「別に大したことではないのかもしれませんけど、けど、」

 どうにも歯切れが悪い。見ていて何か思うところでもあったのか。

「汀さん、どこかおかしくありませんか?」

 ……相も変わらず彼女は優しすぎた。教師なら一人の生徒に注目すべきではないのだが、それが彼女の良い部分の顕れなのだろう。観察眼も流石は元代表候補と言うべきだ。

「……別にいつも通りでしょう」

 奴はこれまで通りに小賢しく、無駄に無謀にも無理をしているだけだ。

「…………」

 脚部を地に着けて踏ん張りを利かせ、サブアーム本来の馬力と本体のパワーアシストを併用してまで束ねた火力を行使する。右の防盾には重機関銃が3丁。一夏には銃の種類など分からないだろうがとにかく射程も長ければ威力も高い。まだ被弾していないのは単に白式と汀のお陰でしかない。白式の機動性と汀の旋回速度がそうさせていた。

 汀の機体はとにかく重い。防御を固め大量の銃火器を拡張領域の登録もなしに振り回す。それだけを挙げれば強く聞こえるかもしれない。

 だが重い。それは素人同士のIS戦闘では絶対の不利となる。

 汀が弾丸をばら撒きつつ射線を向けるより速く一夏はその位置から逃げ出している。回り込もうとする一夏の機動にサブアーム、パワーアシスト、当人の膂力全てを動員しても追いつかない。

(この状況が予見できていなかったとは言わせんぞ)

 アルミケースの中身もまだ披露していない。ラビットを使う素振りも見せない。

 あくまで全能力を行使しない、間違っている正々堂々。

 ……それとも、と、一夏に蹴倒され必死になって起き上がる汀を見て千冬は思う。

(私との約束を警戒しているのか?)

 だとしたら随分と信用を失ったものだ。……だが実際問題として、()()を使いこなして貰わないと困るのが事実。

(でなければ、)

 

――この試合、死者が出る事になる――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近づく事すら容易でない。

 だがそれは。

(絶対に近づけないって訳じゃない!)

 静穂を真似て歯を食いしばり瞬時加速を強引に曲げる。回り込むのはショットガンを束ねた左側。

 ショットガンを向けられるより先に防盾を蹴り飛ばした。

 重量と慣性、蹴られた左腕に静穂が吊られ前のめりに体勢を崩す。卑怯とも思わず背に雪片を叩き付けた。

「っ!」

 別の防盾で防がれた。却って距離を離す手助けとなる。

 静穂は態と倒れこんだ。サブアームの馬力で無限軌道のように地を転がり腕に接続した1枚で跳ね起きて射撃体勢を取ろうとする。

「させるか!」

 再度の瞬時加速で肉薄、雪片を振りかぶる。

 右腕で防がせると共に左のショットガン防盾を足で押さえ込んだ。白式の推進器と静穂のパワーアシストが拮抗する。

 ここまでして、漸く相手の顔が見えた。

(静穂、お前)

 脂汗を浮かべている。目を充血させて何かを呟き続けている。声は小さく歯を噛み合わせたまま唇を動かしているので時折り言語になっていない。

 雪片を握る手に力が入った。

「っ静穂ぉっ!」

「っ――」

 雪片を押し防盾を踏む足に力を込める。静穂の頭上に飛び上がりくるりと回転、その頭上から斬りつけて、

「!?」弾かれたように距離を取った。「静穂!」

 思わず叫ぶ。「何をやってんだ!? こんな!」

「……ありがとう」

 僅かに開いていた隙間から覗く眼差しを隠すように、再び固められる防御の中から声が聞こえてくる。

「お陰で頭が冴えてきた」

 一夏は息を呑んだ。

 自分の右手に握られた、その切っ先数ミリが赤く。

 

 

 実況席でも薫子が同じく驚愕を露にしていた。

「織斑選手のブレードが僅かだが鮮血で染まった!? シールド消滅効果でしょうか!?」

「普通のブレード状態のようね。切れ味は練習機のそれよりも良さそうだけど」

 だが普通の実体剣で汀 静穂は負傷した。織斑 一夏にシールドごと操縦者を傷つけられる程の技が無いのであれば、

「汀選手はシールドバリアへのリソースを極端に搾っているのか、それともあの瞬間だけバリア機能を切ったのか」

「何それ!? そんなの下手したら大怪我じゃすまない!」

 薫子を宥め、視界に汀を収めたまま楯無は語る。

「絶対防御までは切れないから大した怪我ではないのだろうけど、打鉄の大きい盾に頼りすぎた結果ね。防ぎきれる自信と覚悟があるのならシールドエネルギーのリソースを他の部分に振り分けられる」

 サブアームの動力を確保しパワーアシストの出力を上げてPICで姿勢制御。切り詰めるとしたらバリアしかない。

 楯無は扇子を閉じる。

「――ああいうふうに痛い目を見る結果になったけど、それすらもあの子は気にかけていないんでしょうね」

『不明』の二文字を扇子と眉根に。

 マイクに乗らない程度の声量で、楯無は呟いた。

「何のためにそこまでやるのかしら? 簪ちゃんのためなら、おねーさんちょっと複雑」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シールドが無い!?」

『避けてくれて助かった! それでも額を少し斬っちまったけど!』

「静穂は何考えてるの!?」

「勝利だ!」

「!?」

 ボーデヴィッヒは静穂の行動に一々反応させてくれなかった。自身に迫る鋼線をシャルロットは寸での所で回避する。

「プライベート・チャネルとは余裕だな。それとも作戦会議か?」

「っ!」再度の鋼線をアサルトライフルの掃射で打ち落とす。「ボーデヴィッヒさん試合を止めて! このままじゃいつ静穂が大怪我するか分からない!」

「汀 静穂は承知の上だ!」

「え!?」

 プラズマ手刀をブレードで受け止める。

「知っててあの構成で出させたの!?」

「絶対防御はある。問題はない」

「そんなの慰めにもならないよ!」

 ISが搭乗者の身に危険を感じたら絶対に発動するから絶対防御という名称なのだ、絶対に搭乗者の身を守るからではない。

 あざ笑うようにボーデヴィッヒは返す。

「どうしても止めたいのなら倒せばいい。貴様らのギブアップでも構わんぞ?」

 それ程の賢明さが織斑 一夏にあるとは思えんがな! ――と。

「!」ボーデヴィッヒのその高慢と取れる発言にシャルロットは、「…………だってさ!?」

 

「誰が賢明じゃないって!?」

 

「織斑!?」

「一夏!」

 シャルロットがラウラの腹に蹴りを入れた。身を引いた直後、入れ替わるように一夏が切り込んでいく。

 ボーデヴィッヒを袈裟懸けに切り裂いて一夏が叫んだ。「馬鹿にするなよラウラぁ!!」

「っ! 貴様! 奴はどうした!?」

「タッグマッチって忘れたか!? 蹴倒して置いて来た!」

「何!?」

 一同が見れば静穂は遥か彼方でひっくり返った亀のようにもがいていた。

 そしてラウラは気づく。「こちらを分断したのか!?」

「その通り――うおっ!」

 一夏の頭部を狙う銃弾が静穂の防盾から放たれる。3枚目には狙撃銃が並んでいるようだが距離もある為か一夏は避けてみせた。

「――確かに静穂の機体はいろんな意味で危険極まりない!」距離を取ろうとする彼女に二人は格闘戦を挑んでいく。「けどこの距離ならもう怖くない! そのAICだって!」

 これまでの試合を見るに集中しなければボーデヴィッヒはAICを制御しきれない。二人が間断なく責め続けるこの状況下では使用できない筈だ。

 一夏が大上段からボーデヴィッヒに迫る。その陰でシャルロットは虎の子を大気と光の下に晒した。

 腕部のシールドを固定していた爪が開放され専用アームでスライド。火花を散らしてシャルロットは一夏と位置を入れ替わる。

 

――灰色の鱗殻(グレー・スケール)――

 

 振りかぶり、叩き込む。虎の子の69口径パイルバンカーが吼えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そう、当たらなければ怖くない。静穂も一夏に避けられて納得し、シャルルに言われて再確認した。

 当人ですら当然だと思う。まともな撃ち方をしていないのだから遠距離の敵など当たる訳もなく。

 セシリアが褒めてくれた射撃技術はサバイバルゲームの賜物だ。言ってしまえばそれ以外の撃ち方、しっかりと構え、照準器を覗き、身体で反動を受け止める、それ以外の撃ち方を静穂は知らず、また使えない。

 故に、いくらISに火器管制があろうと自動照準補正があろうと、それら全てが静穂には邪魔でしかなかった。

 本来ならば静穂はこの機体を第1試合から搭乗し習熟し命中精度を高める筈だった。ISでの戦い方を今回のトーナメントで慣れる事を目的とし、適度な所で負ける予定とされていた。それがどうしてこのざまだ。

 優勝を目標と言われ勝ち続ける事を余儀なくされ、その為に発注したこの機体の前身は壊され、昨日になってまた持ち込まれ使わざるを得なくなった。散々だ。

 眉の少し上を拭う……目線の先でボーデヴィッヒがやられつつあった。

 サブアームで起き上がる。静穂も拡張領域から虎の子を呼び出し、立ち上げた。

 金切り声に似た音を上げて充填が開始される。

 勝てと言われ戦えと言われ負けろとも言われた。何処かで死ねとも言われている。

 これを渡してきた相手は静穂に勝つ事を要求した。これで救う対象を倒してみせろと。

 言われたならやる。それが汀 静穂だ。

 だが一つ、静穂には分からない事がある。

 試合に集中できず、一夏に頭を割られかけるまで考え続けていた事。

 

――誰に優勝しろと言われたのか――

 

「――誰だか知ってる?」

 ねぇ一夏くん、と。答えを求めるでなく呟いた。

 充填音で一夏が釣れた。刀を構え向かってくる彼に、静穂はハンドガンで迎え撃つ。

 被弾面積を狭めた一夏にはハンドガン程度では足止めにもならない。

 静穂が虎の子を構え一夏が振りかぶり、

 

『待て汀!!』

 

「織斑先生!?」一夏の太刀筋を防盾で受け止め織斑先生からの通信に驚く。「何ですか一体!?」

「千冬姉か!?」防盾の向こうから一夏が盗み聞いていた。「勝負の邪魔するなよ!」

『織斑じゃない!』

「じゃない!?」

 

 

「ボーデヴィッヒだ! 奴を狙え!」

『何でラウラなんだ! 静穂とは味方同士だろ!?』

 どうして貴様が返事をするのかこの莫迦は。

「織斑先生! デュノアさんが!」

「!?」

 顔を向けると直後デュノアが吹き飛ばされた。

『シャルル!?』

『先生! あれ昨日の!?』

 千冬が思わず舌打ちをする。ラウラの機体がその形を崩し始めていた。

 いよいよもって進退惟極まってきた。

「織斑! 汀! 奴の()()を止めろ!」

『何なんだあれ!? 千冬姉!』

「…………」

 コンソールを叩き壊したくなる自分を抑えつける。場内の三人に任せるしかないのだから。

(本当に、歯痒い)

「あれは私だ」

 

――嘗てのモンド・グロッソ優勝者。嘗ての私だ――



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40.彼女と彼の理由と内心 ②

「ボーデヴィッヒの機体は私の戦闘記録を再現するつもりだ」

 管制室から見えるラウラの機体はもう原型を完全に失っていた。

 液状化した装甲は地面に広がる事なく搭乗者を覆い、主従を逆転させようと塗り固めていく。

「汀、撃て」

 装甲が伸びていく。先ずは上、その後に左右。

 身長を確保すると腕が伸び、足元から切れ目が入り足になる。

「撃て! どうした汀!」

『――撃てません!』

「何!?」

 

 

「充填が終わっていないんですよ! あと1割が溜まらない!」

 静穂のハイパーセンサーには虎の子が使用可能状態になるまでのカウントが記されていた。

 充填率の表記は93%。引金を引くまであと少し足りない。

「静穂! あれ!」

「!?」

 シュヴァルツェア・レーゲンだったものが輪郭を整えていく。

 部分毎に直線と曲線を使い分け、そうして出来上がった造詣は、

「千冬姉……」

 一夏が呆然と呟く通り、

 

――名の知らぬISを纏う織斑 千冬の姿――

 

『まだか!』

「あと3%! ……2!」

「――っ!!」

「一夏くん!?」

 一夏が織斑先生と化したレーゲンに突撃した。

『莫迦者、戻れ織斑!』

 聞く耳を持たず一夏は瞬時加速を使用。彼我の距離を一気に詰めレーゲンに迫る。

「千冬姉の真似を!」

「よし溜まった一夏くん避け――」

「するなぁっ!!」

 一夏が気合を込めて一閃、雪片弐型を走らせて、

 

――あらぬ方向へ飛ばされた――

 

「へ!?」

『撃て!』

 通信の檄を受け慌てながらも静穂が照準を合わせる。

 ……だが遅い。

 

 

 薫子が息を呑む。「う、う、」

 楯無が扇子で口元を押さえていた。「…………!」

 

「浮いたぁあああっ!?」

 

 実況席の眼前で汀 静穂がレーゲンに下から搗ち上げられる。

 正確には液状化した装甲を鍛え上げた、どこか織斑 一夏のそれと似通う刀身で下から斬り上げられ、飛ばされたのだ。

 機体の重い汀が満足な着地など出来る筈もなく防盾から地面に激突。先程と同じように転がり距離を取って跳ね起きると同時、防盾の中央にレーゲンが刀を突き込んだ。

 貫通はしない。だが代わりに衝撃は殺せず汀の脚部がまた地面から離された。

「重装甲機体の汀選手がボールのように宙を舞う! 味方の筈だったボーデヴィッヒ選手が文字通り一変! 準決勝を再開するかの如く汀選手を攻め立てる! 新しい得物で汀選手を吹っ飛ばすその様はまるでラクロスかホッケーか!?」

「織斑君とデュノア君は!? あの重量を飛ばすパワーで不意打ちなんて無事じゃすまないわよ!?」

 先に吹き飛ばされた二人を見れば()(じろ)ぎはしている。だが機体よりも搭乗者への衝撃が強かったのかその場から移動しようとはしない。動く事が出来ないのか何かを見極めようとしているのか。

 楯無は迷わず携帯電話に番号を入力していく。

 数コール経たずに相手は出た。

「織斑先生、試合を中止して下さい」

『――無理だ』

「本気ですか」楯無が外見は穏やかに激昂するも、

『理事会の決定だ。我々は中止も介入もできん』

 その一言が全てだった。

 外部からの手出しは許されず、アリーナの()()を暴力に晒し見殺しにするしかないのだと。

 ヴァルキリー(V)トレース(T)システム。

 嘗てのブリュンヒルデを模倣するだけの機械と化したレーゲンは今、汀一人をまるでハイアライをプレイするかのように壁面に叩きつけ、跳ね返らせてアリーナの中央に戻していく。

『対策はした。後は中の連中に賭けるよりはない』

「対策って」

 何をどう講じれば1年生だけで現役時代の世界最強を倒す事が出来るというのか。

「あれはどう見てもVTシステムです。一刻も早く観戦ルームのドイツ高官を締め上げて――」

 そう言って楯無はその場から各国高官が高みの見物を決めている一室を見て気づいた。

(議員が居ない?)

 いや、件のドイツ高官はここからも見える。だがこの国に住んでいてよく見知った顔があの場所から消えている。

 更識の生まれがあの顔を見間違えはしない。逃げたという線も考えられるが職業柄その線も薄い。

(どういう事? この状況と何か関係があるの?)

 

 

 けたたましい程の金属音と激突音を聞き、あれだけ移動距離の乏しかった静穂が冗談のように転がっていく様を見つつシャルロットは機体に精査をかけていく。

(ただ殴られただけでこれか……)

 機体よりも自分の方が酷い。恐らく一夏も同様だろう。

 プライベート・チャネルを立ち上げた。

「一夏、調子はどう?」

『まだいける! 千冬姉の物真似しやがって!』

「落ち着いて。あの速度じゃ簡単にはどうしようもない!」

『じゃあどうする! このまま本物の千冬姉が言う通り静穂に任せろって言うのか!?』

 家族愛故だろうか今の一夏は普段以上に冷静さが無い。確かにあの織斑先生に似たレーゲンにはシャルロットも不安を掻き立てられるが。

 今は静穂一人がレーゲンの注目を集めているが彼が無事なのは防盾のお陰だ。その一枚内側はシールドバリアがなく直に頼りない絶対防御のみ。いつ薄氷を踏み外し血の海に沈むか肝が冷える。織斑先生が任せたと一夏は言っているが、それは彼の普段通りを貫けた場合だろう。今の彼には助けが必要だ。

 速やかに対策を練らなければならない。頼みの綱、基幹はやはり零落白夜だろう。如何に敵の正体が分からずどう形を変えようが根幹がIS由来である事に代わりはない。一太刀浴びせさえすればそれで終わる。

 だが持ち主がこれでは無理だ。

「――なんとかしたい?」

『当然だ!』

「なら聞いて」シャルロットは現実を見据えて彼の名を呼ぶ。「一夏、このままだと静穂だって危ないんだ」

『……わかった』一夏は不満を隠さず、しかし腹を据えて、『どうすればいい?』

「織斑先生の指示を仰ぐ。あのボーデヴィッヒさんは普通じゃない。情報が要る」

 だがいずれにせよ、

「落ち着いていこう。まずはそこからだ」

 

 

 充填は済んだ。あとは地に足をつけて照準器に目線を遣り反動に身構え引金を引くだけでいい。

 尤も、それを許してくれる相手ではないのだが。

(--! ---! うぷ。----!)

 目が回り吐き気を覚える程に脳と胃袋を掻き回される。念を入れて胃を空にしておいたのは正解だった。自分の吐瀉物で窒息という死に様だけは免れた。

 兎にも角にも地に足だ。それが出来なければ虎の子も他の火器もあらぬ方向へ飛んでいく。

 だがその結果が必要だった。

 サブアームを操作、ショットガン防盾を引き寄せ下腹に力を込めて撃った。

 当てる事は目的でない。レーゲンに斬られるタイミングをずらす結果が欲しかったのだ。

 防盾と刀身が接触、散弾の反動に角度と重心が変化し静穂が刀身の上に撥ねた。

 ハイパーセンサーで彼我を確認。片手に虎の子を握ったままショットガン防盾で殴りつける。

 相当の重量とそれを支える馬力に裏打ちされた打撃がレーゲンを突き飛ばし、静穂を顔から着地させる。

 顔を上げサブアームで即座に起き上がり、静穂は膝撃ちの体勢を取った。

 照準器越しの視界に意識を遣る。重心を把握して、もう片方の手でブレを押さえ込む。

 振り下ろされる刀を目の端に、引金を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――肩が後ろに押し出され肘が胸を叩き銀色の銃口が腕を胴体から奪いに掛かる。

 ISのマニピュレーターが銃把を離さず静穂も正面から反動を受け止めた。腕を背から肩口から引き千切ろうとする反動は、静穂の身体に染み付いた射撃体勢とISの重量に負け地面を抉り後退させるに留まった。

 アリーナの強化されたバリアが震える程、ハイパーセンサーがつい音を遮蔽する程の()()が鳴り響き、

 織斑先生を模した偽物を中央から壁際まで追いやった――

 

 

(ったぁ、ぁ……)

 まともに反動を受けた右腕を振る。

(こんなに威力があるとは知らなかったなぁ)肩を回しつつ左手に移した大型拳銃(虎の子)を漠然と眺める。(反動も)

 2射目には覚悟が必要だ。決して正しい構え以外では撃てたものでない。脱臼を通り越して開放骨折が待っていそうだ。

(……、とと)

 立ち上がり、腰のハードポイントに大型拳銃を固定しレーゲンを見る。

 大きく歪んだ輪郭、静穂の地面と同じように脇腹を大きく抉った銃撃の爪痕がゆっくりとだが補われていく。今まさに再生しつつあった。

 ボーデヴィッヒの姿は見えない。レーゲンのどの位置に居るかは確認出来なかった。溶けてなくなっているとは思いたくない。グロテスクは苦手だ。

 織斑先生に指示を仰ぐべきだろうか。先生は自分に、今は腰部に固定した物でボーデヴィッヒを撃てと言った。つまりこれであのISを止められると言ったのだ。

 それが静穂には出来なかった、倒せなかった。使い方が悪かったのかあるいは別の要因が働いたのか。

 通信を繋ごうにもノイズが流れるのみ。先程の反動で壊れたようだ。

 妙な所で弊害が出た。本当に2射目は気をつけなければ。自分より先に機体が壊れてしまうのは本末転倒だ。自分が動いても機体が動かなければ負けとなってしまう。

 ……まあいいや、と静穂は切り替える。

 とにかく静穂は勝たなければならない。味方が敵になったと思えば、昨日の準決勝と今日の決勝を一緒くたにしたと考えれば、何だかやれそうな気がしてくる。心なしか足を引かれずに戦えそうだ。

 腰から金切り声が始まった。次の充填完了までが一日千秋の如く感じそうだ。

 防盾を構え、レーゲンを見る。

 ちらほらと別の姿に見えてくる敵をまじまじと見つめる。

 織斑先生の輪郭に、何処かで見た外観が時折重なって吐き気がする。

 その外観を何処で見たのか。この吐き気は何処から来たのか。

 要因が別ではないだろう。二つは同時にやって来た。

(気持ち悪い……)

 頭も痛み出した。レーゲンの輪郭は織斑先生で固定されているのに、自分で別のものとして認識しようとしている。自分から不愉快な姿に置き換えようとしている。

 頭が痛い、腹立たしい、吐き気がする。

 こちらの不快を勝手に練り合わせて人型に固めた対象に、静穂は落ち着いて勝手に敵意を示す。

 4枚の防盾、最後の一枚を起動。

 腰を落とし他の3枚を地に突き立てて身体を固定、発射準備の時点で遠心力に揺れる防盾を両手で押さえ込む。

 最早ハンドガンの次に使い慣れつつある、静穂の側が用意したもう一つの虎の子、25mm7連砲身ガトリング砲。

 こちらに踏み込んで来つつあったレーゲンを砂塵と硝煙弾雨の中に押し戻す。

 視界の左側が真っ暗で狙いやすかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「汀さん! お願いですから返事をしてください!」

 管制室、山田先生がどれ程呼びかけても返ってくるのは間断なく続く銃声のみ。もしも汀が言葉を口にしているのならば銃声などは機械側が自動的に音量を絞る筈だ。「汀さん!!」

 千冬が耳から携帯電話を離す。「山田先生、汀はどうですか」

「返事がありません。通信は機能しているようですが。織斑先生は?」

 携帯電話を机の上に置く。「シャヘトからです。高官が一人、試合を止めろとのクレームでした。丁度良いのでこちらに寄越させます」 

 山田先生の結果を見て千冬は判断した。「――織斑、デュノア。撤退しろ」

『撤退ですか!?』

『千冬姉! 俺達ならまだ戦える!』

「一撃で寝転ぶ貴様らは邪魔だ」一撃で二人を断じた。「説明した通り、今のボーデヴィッヒは危険だ。汀が止めている間に撤退しろ」

『織斑先生。ぼくも一夏と同意見です。友達を置いては逃げられない』

「それは汀か、ボーデヴィッヒもか」

『両方だ!』

「…………」

 千冬はつい押し黙った。言い切ったぞ、この愚弟は。

『千冬姉。俺はドイツでなにがあったのか、ラウラがどうしてあそこまで千冬姉に執着するのかは知らない。でも今のあいつが自分の意思でああなってるんじゃないって事だけは分かる』

「何がしたいのかだけ言葉にしろ」

『助けたいんだよ!』

(最初からそう言え)

 何処で遠回しに表現する事を覚えたのか。気遣いの気違いが近くに居た影響だろうか。

 尤も今の当人はただの気違いに落ち着いているが。

「……ならばまずは汀を止めろ」

 その言葉に反応したのはシャルルだった。『静穂をですか?』

「確かに私は奴に対策を与えた。だが一人で解決出来るとは最初から思っていない」

 ガトリング砲の火力を以てVTシステムを釘付けにしている汀に目を遣る。

「今のボーデヴィッヒは私だと考えろ。連携は必須だ。行け」

『――はい!』

『分かった!』

 

 

 ……通信を切ると千冬は大きく溜息を吐いた。

 山田先生が心配そうに見つめてくる。

「大丈夫ですか、織斑先生」

「まだ大丈夫です」そう言って髪に指を通す。

 一夏達に嘘は言っていない。情報を半分与えていないだけで。

(今の汀は正気ではない)

 それを伝えるか悩み、駆け足で指示を出す事で誤魔化した。一息を入れたいがコーヒーは未だ落ちきっていない。

 指示の通り掴みかかる一夏を放り投げる汀。それを見て千冬は思う。

(奴は何を考えていた? 今は?)

 最初に撃てないという言葉を聞いた時、奴はボーデヴィッヒに情があるのかと思った。

 師と仰ぐ友を傷つけられて尚そういう感情を持つのかと感心したがそうではなく、

 

――充填が終わっていないんですよ!――

 

(冷静すぎる)

 撃ちたくないのではなく撃つ事が出来ないと言った。その時は正気だったのか。VTシステムが起動し、レーゲンが姿を変えた時もその変貌ぶりよりも充填率を気にしていた。

 普段の奴ならば慌てふためく所だろう。そして身に染み付いた通り、教本通りの動きでやられている筈だ。それを今は適切に対処した。一夏の奇襲も軽く捻り、襲い掛かるVTシステムに真っ向から挑んでいる。

 戦場では性格が変わるタイプなのか。いや、それとも違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だのに奴は痛みに叫ぶ事もなく黙々と3機を、千冬の理想通りに振り回している。

(何故だ、何故こうも動く。今更になって)

 とうとう頑なに使用を拒んでいた専用機(グレイ・ラビット)まで使い出した。

 静かに怒るタイプでもない。ボーデヴィッヒ曰く奴は自制心の塊だ。

 それが何故、今になってその箍が外れたのか。

「――教えて頂けますね」

 自動ドアが開き、学園の生徒に促され入室してきた男に千冬は投げかけた。

「お久しぶりです」

 

――志民党総裁、阿毛 達郎幹事長殿――




 これまで悩んでいた強調とルビの部分を修正しました。上手くできると気持ちいい。
 ご意見・ご指摘を下さった皆様に感謝。

 


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41.何を以て、誰に踊らされるのか

 ああ、なんて不愉快なのだろう。

 どうして生きているのかと、一体誰に問い質せばいいのだろう。

 ……奴が生きている。

 そして、

()()()

 自分に対する復讐なのか、そこまで自分が憎いのか。

 形を変える奴を撃ち続けていると、別の白い奴が掴みかかってきた。

 腹が立ったのでそのまま放り投げる。そのせいで形を変える奴が突っかかってきた。

 ガトリング砲の盾で受け止める。地に突き刺した他の3枚が杭となり、突き飛ばす結果から逃れた。

 力任せに刀を追いやる。盾を1枚引き抜き、引金を引いた。

 銃の種類や弾着の行方などはどうでもよく、傍から傍観していた橙色の奴にも銃口を向けて撃った。

 本当に、不愉快だ。

 自由にならないこの手足も、片目だけで背中まで見渡せるこの違和感も。

 ――そしてなによりこの連中が。

 数はもう増えないが、次第に色も消えていく。全部が同じに見えてくる。

(あぁ、もう一度だ)

 その理由なども、どうでも良かった。

 

 

『無事かシャルル!』

「一夏は!?」

『投げられただけだ!』

「同時に行くよ!」

『おお!』

 シャルルと並び一夏も飛ぶ。織斑先生に言われた通り、静穂を止めに掛かる。

 一夏はガトリング砲を抱く防盾に、シャルロットはサブアームの生えた静穂の背に二人は速度を殺さず飛びついた。

『っ……!』

 追突の反動で苦悶の声を漏らす一夏とシャルル。地に杭を刺した身体は少し傾いたのみだがその腕までは同じではなく。

 射線が動く。アリーナの壁を横に走り途中から持ち上がり観客席のバリアを叩いた。当たりはしないのだが観客は散り散りにその場から逃げ出していく。

「静穂! いい加減にしろ!」

 一夏が呼びかける。対する静穂の返しはなく、

 ……観客席の空白が埋まらない。

「一夏!」

「押してる!」

 二人掛り、2機の推進力と1機の馬力が拮抗している――どころか次第に射線が元の位置、シュヴァルツェア・レーゲンを変貌させたVTシステムの許へ戻ろうとしている。

 こんな事が起こり得るのか、とシャルロットは唸る。

 いくら原型を留めていない機体でもその母体は練習機のいずれかである筈だ。初期化も最適化もされていない練習機が、専用機2機と張り合い押し返すなど、例え極限までパワーアシストにリソースを割り振ったとしてもそれは魔法の域だ。あり得ない。

 だが今はそんな魔法のタネなどどうでも良かった。どういう訳か魔法の使い手は徹底して聞く耳を持とうとしない。

 止めなくてはならない、これ以上の何かが起こる前に。

「もうやめて! ボーデヴィッヒさんを殺す気!?」

 同じく一夏も再度呼びかける。「静穂!」

 

「……うるさいな」

 

 ――それは本当に無造作で、緩慢で。

「うおっ――」

「一夏、――っ!?」

 しがみ付いた腕を逆に掴まれた事を、一夏は身体が浮いた事で漸く気づいたような、そんな間の抜けた顔で一夏は再度放り投げられた。

 シャルロットにも手が伸びた。ガトリング砲を手放した腕に引かれ半回転、叩き伏せられる。

(っ!)

 弾幕に押さえつけられていたVTシステムが解き放たれる。報復とばかりに加速、こちらに向かってくる。

 間に合わない、とシャルロットの頭が打ち出すよりも速く静穂の足が出ていた。

 前蹴りが的確にVTシステムの手を叩く。地に突き立てた鉄骨のようにVTシステムの刀を受け止めた。

 ――高く上がった静穂の足元からシャルロットは見て息を呑んだ。

 鼻血どころではない出血量。顔半分を染める赤一色。

 一夏が額の端に描いた切り傷、その下から縦に一筋の斬線が走っていた。

 シャルロットには知る由も無いが、それは静穂が以前から化粧で隠していた傷跡をなぞり、

 瞼をほぼ縦に分かち、その中の眼球を潰していた。

(目が……!)

 シャルロットは、いつの間にこんな大怪我をしていたのかと自問し、あの大型拳銃を発砲した時かと自答する。

 VTシステムは吹き飛ばされる衝撃に身を引かれながらも刀をしっかりと振り切ったのだ。

 結果、振り下ろされていた一太刀は静穂の頭を割らず、幸か不幸か切っ先のみが静穂を、静穂の顔、眼窩に収められたそれを破壊した。

「…………」さも別段の問題はないとばかりの表情で静穂が片方の手を伸ばす。彼はVTシステムから目を離そうとせず、手を伸ばした先から一丁取り外して、撃った。

 VTシステムが弾き飛ばされる。次いでシャルロットには高く振り上げられたままの脚部装甲が。

「よせっ!」

 一夏が雪片を閃かせ突撃。力任せに叩きつけた。

 静穂の姿勢が揺らぎ、首を傾げたシャルロットの耳元を掠め地に靴跡が刻まれる。

 シャルロットが推進器を噴かして脱出すると入れ替わるようにVTシステムが突入。静穂が手に持つ銃器で受け流し、その先の一夏に押し付ける。

 一夏が体勢を崩したVTシステムを回りこみ背中から斬り付けると、静穂が防盾を向け発砲。VTシステムと一夏を一遍に吹き飛ばし、シャルロットにも防盾を向けた。

 シャルロットが飛ぶ。流れるような回避運動とライフル発射を組み合わせまともに狙わせず撃たせない。

 諦めたのか静穂が防盾を正しい使用方法で使い始めるとVTシステムが跳躍、シャルロットを地面に叩き落とした。

 落下地点へと一夏が飛翔、受け止めるべく手を伸ばす。その後ろから静穂が照準を定め、落下するVTシステムに阻まれた。振り回されるように一夏はシャルロットを受け止める。

 暴走するラウラと、頭に血が上った静穂。

 剣戟と銃火。ばら撒き、掻い潜り、振って、受け止めて、弾いて、撃つ。

 一秒として止まらず舞い踊り、踊り狂う。

 花火のように火花を散らし、血珠のように命を削る。

 刀は和傘、盾は扇子。

 ラウラと、静穂。

 システムと、――――。

 蠱惑にも似た畏怖を振り回し殺し合う、この二人の中にどう入っていけば、どうすれば救えるのだろうか。

 ……シャルロットの脳裏に静穂の顔がよぎった。こうして相手を思案する事それ自体が見当違いではないのかと思えてくる。

 一夏を投げ飛ばし、VTシステムに注視する彼の表情。でも、こちらに目線をくれはせず、

 ハイパーセンサー越しの視界で自分を狙い定める彼の顔が、シャルロットの頭から離れない。

 あの時の彼のような顔を、シャルロットは何処かで見ただろうか。

 ある筈がない。よく見た筈の、友達の顔。なのに自分は恐怖を覚えて――切り替えた。

 思考があらぬ方向に走る目前で押し留まる。

 シャルロットも考えはした。だが無理だと判断した。

 ……それでも一番の常識人も狂っている状況下では、一度断じた案でも魅力的に見えてくる。

 辛うじて自分が冷静だと言い聞かせられる事で安心し、最善を尽くすべく行動できると決め付ける。

 プライベート・チャネルも必要のない距離で、一夏に作戦を伝え、

 驚く彼に、やるしかないと言いくるめた。

 再度、幾度となく二人掛りでの突撃を敢行。

 一夏の十八番、瞬時加速による剣での突撃を、シャルロットが先に行使した。

 ブレードの先は静穂。飛ぶ行為を捨てた静穂には避けられないと思っていた。

 ――()()()()()。滑るように、流れるように。

 明らかにPICが描く軌道。さらに速い。

 迂闊だった。遊ばれていた?

 後悔よりも自身の状況を把握する事ができたのは、代表候補生としての経験からだろうか。

 和傘と扇子に挟まれて、即座にその空隙が押しつぶされていく。

 刀を剣で、盾には盾で受け止めた。弾かれるのではなく舞を教授されるかのように回される。

 一夏が静穂に斬り込む。正面から防盾で受け止めると静穂はショットガンを一丁切り離しVTシステムの刀も受け流す。

 シャルロットが目を細める。一夏が気を引き締める。

 

――囲んだ、もう逃がさない、と――

 

 VTシステムが袈裟、一夏が逆胴、シャルルがショットガンで静穂を襲う。

 サブアームだけの防盾で受け流されPICで雪片を飛び越され手に持つ銃器で銃身を叩かれ射線を逸らされた。

 静穂は包囲から逃げようとしない。寧ろ防盾から銃器を取り出し積極的に機動戦闘に乗ってくる。

 VTシステムは一向に静穂への攻撃を弛めず、静穂も地を蹴り滑空まがいの空中戦まで駆使して3機を相手に一人回る。シャルロットと一夏は徹底してVTシステムの前方、静穂の後方に位置取り包囲を崩さない。

 金切り声を響かせ目まぐるしく防盾の位置を変え角度を変えて全方位に対応、格段に取り回しやすくなった銃器を打撃に使う。武器の下部、刀の側面、それを持つ腕、マニピュレーターを叩いて、撃つ、至近距離から。

 シャルロットの頬で血珠が弾けた。彼と接敵する度に散るものだから気が気でない。散らす当人は顔半分どころでは済まず、彼自身の喉下を過ぎて鎖骨、胸元まで届きつつある。

 こちらが身を案じているというのに全く意に介さず血を流す。どこかの中国代表候補生でなくともぶん殴りたくなる。

 だがまだだ。まだその時ではなく、またシャルロットだけの役目でもない。

 斬る、撃つ、叩く、流される。

 幾度と防盾に防がれ、お得意のPICに避けられ、パワーアシストに振り回されて、

 

――不意に静穂の膝が抜けた――

 

「今だ一夏!」

 二人はこの時を待っていた。それだけの傷であれだけ動いていれば、ISの生命維持があろうと出血多量で動けなくなる。

 気が触れた相手に容赦をしてはならない。それも普段から怒らないタイプならば尚の事。

 静穂が踏み込めず動きが止まり、二人とVTシステムが飛ぶ。全員が刀を、剣を静穂の防盾に叩きつけ、押さえ込む。

 

――3枚の盾が倒れこんだ――

 

『!?』

 遊ばれていた。踊らされた。

 3機がつんのめる上を静穂が後方に跳ねている。

 防盾を1枚のみ残し放棄、空いたサブアームには銃器を掴んでいた。

 だが彼が手を伸ばすのは腰、VTシステムを吹き飛ばした、銀の大型拳銃。

 金切り声が、全ての音が消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、阿毛議員」 言って千冬は椅子を勧めた。「弟の一件以来ですか」

「――そうだな、久しぶりだ」亜毛は促されるままに着席する。「君の方は会いたくはなかっただろうが」

「どうですかな」

 言うと千冬は落ちきったコーヒーを人数分の紙コップに注いでいく。

「議員はブラックですか?」

「いや、砂糖を貰おう。…………織斑君、それは塩だな」

「……そうですね」

 入れる寸前にバレたので仕方なく砂糖を入れて机に置く。

 山田先生が切り出した。

「あの」

「?」

「議員と織斑先生はどういうご関係なのでしょうか……?」

 そう言われて千冬は気づく。山田先生はなにか勘違いをしているのだと。

 言ってしまえば男と女だからだろうか? 彼女の蔵書にも年の差がある男女の恋愛が主題となった小説があったような。表紙だけ見て戻したが。

 実際に彼女の表情は、おっかなびっくり、怖いもの見たさ、というものだった。

「……第2回モンド・グロッソの決勝前にうちの愚弟が誘拐されたでしょう?」

「はい」

「その時方々に手を尽くしてくれたのが議員とその政党という訳です」

「あの時は大変だった」亜毛は苦笑いを浮かべて、「なにせ与党が何も行動を起こさなかったのだから。あの時こそこれまで築き上げてきたパイプが報われた瞬間であり、政権を取り戻そうと決意を固くした瞬間でもある」

「お陰で私はドイツへ行く破目になりましたが」

 手厳しいなぁ、と亜毛が項垂れる。苦笑いを浮かべたまま。

 ……そう。この男、いや、実際にこの男が絡んでいるかは定かではないが、お陰で千冬はドイツへ行き、ラウラと出会い、鍛え上げ、その結果がアリーナの状況だ。この状況下で亜毛がやって来た。もう一方の原因にこの男が絡んでいるのは間違いない。

「では議員。本題に入りましょうか」

「試合を中止することはできないのか」

 言いたい事は分かる。だが、

「貴方が止めたいのであれば、国会の緊急決議にかけて採決を通した後、一国家として学園の理事会に抗議文を送るしかありません」

 手っ取り早い方法を提示してやると、亜毛は「やはりそうか」と言って椅子の背にもたれ掛かる。駄目で元々だったようだ。「……お互いに歯痒い立場だな」

「一緒にしないで頂きたい」

「君はまだまだ現役でいけるだろう。我々のせいかと自責の念に駆られたよ」

「ではこう返しましょう。私がいつまでも頂点にいたのではISの為にならない」

「……ずるいな。私達老害に対する皮肉とも取れる」

 当然だ。そういう風に言ったのだから。

 どう努力してもブリュンヒルデに勝てないとなると、IS技術を研究・開発しようという意欲は簡単に殺がれていただろう。

 千冬にしてもそこまでの意図は無かったが、引退の理由を問われた際の回答にはうってつけだった。

 せっかくあの天()が極めて珍しく他人の為に何かやろうとした産物だ。現在と眼前の在りようを良しとは到底思わないが、廃れさせるのは惜しいのも事実だ。

 尤も、引退には別の理由があるのだが。

「こちらの質問には?」

「回答しよう」

 この返しを受けて、千冬は、ど真ん中に切り込んでいった。

「汀を学園に送り込んできたのは貴方ですか」

「なっ!? ええ!?」

「…………そうだ」

 山田先生が驚くが対して亜毛は諦めたように肯定した。此方が汀の性別を知っているとは思っていなかったようだが。

(やはりか。そして、)

「汀を()()()()()鍛えたのも貴方の差し金ですか」

 ISに乗って数ヶ月で、劣化しているとはいえ嘗ての自分と代表候補生、専用機3機を同時に相手取る腕前。自分の機体(からだ)も満足に動かす事のできなかった奴に、もうそこまでの技量があるとは思えない、さらに昨日までと異なる豹変ぶりにも、この男は関係するのだろうか。

「それは違う。私が彼を保護したのは弟さんがISを動かした直後の事だ。その後にそれまでの彼の存在を抹消したり、裏口工作、女性SPに化粧の仕方を教えさせたりなど色々とやったがね」

 はっきりと否定する亜毛。だがその言い方では、

「では理由をご存知ですね」

「……ああ、知っている。だからこそ私は、彼を助けたいと思い、ここに来たのだから」

「…………」

 嘘ではない。では何だ。

 何が汀 静穂をあそこまで変えたのか。何がこの男をこうも動かすのか。

 ――その答えは此方を莫迦にしているようなものだった。

「彼は、汀 静穂になる以前から、」

 

――洗脳措置を受けていた形跡があった――

 

 

 

 ああ、なんて不愉快なのだろう。

 面倒なので一纏めにして吹き飛ばしたのはいいが、

 反動で自分が壁まで吹っ飛んでしまうのは誤算だった。

 横着せずに着地してからにすべきだっただろうか。

 いや、駄目だ。着地してからじゃあ逃げられる。

 本当に、不愉快だ。

 指に力が入らないのに動くマニピュレーターも、人を化け物のように見る観客連中も。

 そして何よりこの自分が。

 習った通りに動けない。憧れなどとは程遠い。

 ――ちょっと待て。

 わたしは誰に何を習った?

 ()は誰に憧れた?

 

 

 



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42.指のない手への対処法

「彼を学園に送り出してから、党内に極秘の対策室を作った。対策室の最初の仕事は彼を知る事だった」

「自分たちの都合で振り回す当人についてを、何も知らずにここへ放り込んだと?」

「極秘とするためにはかなりの手回しが必要で、入学まで2ヶ月もなかったからね、彼自身への偽装工作で精一杯だった。彼を送り出して漸くの余裕が出来たのさ。

 そうして対策室は遅すぎるスタートを迎えた訳だが、最初のうちは簡単なものだった。要人保護プログラムはそれこそ出生時からの記録が保存されるからね。……だがある事件を切っ掛けに、スムーズに集まっていた情報に綻びが出始めた」

 それに千冬は心当たりがあった。

「……五年前」

 そこまで知っているのか、と亜毛は目を見開いて、

「その通り、五年前だ。五年前、彼が義姉と慕うSP達が彼の暗殺未遂事件の犠牲になった数ヶ月後から、彼の行動記録に妙な違和感が出始めた」

 それは亜毛が保護する数日前まで、現在進行形で続いていたと言う。

「幸いにもスタッフが優秀でね。色々と、私には理解できない手を使って違和感を払拭してくれたのがこのトーナメントが始まる数週間前。そうして浮き上がってきた答えが洗脳措置という単語だった」

 学校の補講に見せた教導、カウンセリングと称した誘導。スポーツに見立てた戦闘訓練。

「彼は要人保護プログラムと隠れ蓑にしたスパイ養成プログラムとも言うべき処置を為されていた」

「そんな!」山田先生が叫ぶ。「汀さんは当時も今もまだ子供です! どうして、そんな事をどうして簡単にできるんですか!」

「別に奴でなくとも良かった」千冬が山田先生を宥めつつ答え、尋ねる。「そうですね?」

「ああ。こんな真似をしてくれた連中は、丁度よく子供で、丁度よく酷い心的外傷(トラウマ)を抱えた彼を見つけただけに過ぎない」

 要人保護プログラムという機密保持は洗脳という非人道的行為の隠れ蓑として最適だったのだ。個人の秘密は徹底して隠蔽され、そして洗脳の目的と被験者の立場は正に一石二鳥。機密を持つ人材に近しく、密偵としては最適だ。

 心的外傷に基づいて、汀の感情を操作する。今の汀には他の3機全てが加畑、義姉の仇にでも見えているのだろう。

 そして義姉の戦闘技術を以て復讐を果たさんとしているつもりだろう。

 義姉が使った技術を使いこなし、他者の都合が良いように引金を引く。

 そして今回は、

 山田先生が亜毛に聞く。

「議員は、止めようとはしなかったんですか?」

「勿論止めようとした。対策室には絶えず携帯にて連絡を取り続けさせた。トーナメントの間中もだ。だが返答は――」

 

――すいません、わたしは勝たないといけなくなりました。

 その為ならどんな手だって打ちますよ。

 勝たないといけないんです。優勝しろって言われたんです。

 勝たないとみんないなくなるんですよ――

 

「――運良く彼の存在を知った連中は彼に優勝するよう命令した。我々の指示はあくまでISの習熟、無理はしないというものだったが、上書きされたように突然こちらの話を聞かなくなった」

 理由は分からないと亜毛が言うのを受けて、千冬は昨日の事を思い出す。

(理由がない、と奴は言っていた)

 もしもあの時、あの時奴の希望通りに出場させなければ良かったのか。

 もしもあの時、あの瞬間だけは呪縛から解き放たれていたのだとしたら。

 ……後悔などできない。その権利もない。

 今の千冬には見ている事しかできないのだから。

 亜毛が続けていく。

「優勝しろという目標は表向きでしかないだろう。推測だが真の目標は織斑君、君の弟さんだ」

 やはりか、と千冬は内心で舌を吐く。

 一夏とデュノア。一夏の技量はお察し程度だが、互いが専用機を持ち合わせているのはこのペア以外にない。今の今まで使おうとしなかった汀は除外するとして、必ず一夏は勝ち上がる。それだけ専用機と練習機、専用機を駆る生徒と一般生徒の間には格差が存在する。それを自覚させ各々の意欲を掻き立てさせるのもこのトーナメントの目的の一つだ。

 このトーナメントの本質を汀の頭を弄繰り回してくれた連中は理解しているのだろうかは知らないが、つまり決勝まで残る事ができれば、一夏を合法的に暗殺する機会となる。

 ISの絶対防御は絶対の防御ではない。殺そうと思えば殺せるのだ。

 そして汀にはそれが可能となる処置が施されている。

「連中は弟さんを売り渡せなかった。そしてIS学園に居る以上、無闇に手出しができない。自分たちの思い通りにならないのならと連中は、いつ絆されでもして何処かの国に利益が渡る前に彼を――」

 

『ブッブー! ふせーかーい!!』

 

 ――机に置いた千冬の携帯電話から、甲高い声が室内に響き渡る。

「!?」

「え!?」

「…………束か」

 全世界にて指名手配。たった一人で世界を滅ぼしかねない、生きる天災。

 篠ノ之 束が歌声に通じる耳触りで国会議員の推測を叩き斬った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイパーセンサーが遮っていた音が返ってくる。爆心地かと見紛う地面の陥没を中心として、打鉄の防盾だった破片とその内側に並べてマウントされていた銃火器類がアリーナに散乱していた。

 たった一発、静穂が金切り声を上げさせていた大型拳銃からの一発を、VTシステムへのおまけで受けてこのさまだ。

 一夏共々に吹き飛ばされた。撃った本人も後ろへ弾かれ飛んでいた。

 ……シャルロットは見た。

 壁に激突した静穂が、べちゃり、と地に墜ちて尚、手を突く姿を。

 当人も反動で無事ではない。だのにまた立ち上がる。

 立ち上がろうとして、潰れた。

 明らかに血が足りていない。静穂はISの生命維持も切っているのか、あるいは機能していてもう限界なのか。

 盾に残っていたガトリング砲を捨て、サブアームが掴んでいた銃器を空いたウェポンベイに装着する。

(まだやる気なの?)

 起き上がろうと上体を上げ、匍匐前進、静穂は進む。

「静穂」

 その呼びかけは届かない。

「静穂ぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やあやあお久しぶりだねちーちゃん! 腹も黒けりゃ喉まで黒い石ころなんかと一緒にいると足元躓いちゃうよ!?』

「……そうだな」

 思わず噴き出しそうになっている亜毛を手で宥め、千冬は言う。

「ここからは少しの間喋らないで頂きたい。山田先生も」

 非情に不本意だが今は束の機嫌を損ねたくない。

『そうそう! 正解に行き着くかなーって黙って聞いてればいっくんを殺すとかバカな事いうんだもの! ちーちゃんと束さんがそんなのさせる訳がない!』

 その辺りはいいから、と千冬は先を促す。

「束、不正解というなら答えを教えてもらおうか」

『ああ! あのちーちゃんに物を教える喜び! 束さん大興奮だよ!』

 思わず携帯を殴り潰したくなる。慌てた山田先生と笑いを噛み殺しきれない亜毛が(抑えて抑えて)を無言のジェスチャーで訴えかけてくる。いつの間にか仲が良くなったな貴女方は。

『結論から言うと()()は頭がパッカーンしちゃったんだよ!』

 頭が? パッカーン? と山田先生と亜毛が互いを見合わせる。

『要するにストレスで壊れちゃったんだ! これだから石ころってのは面倒だね!

 ――説明するけどちーちゃん? あれの命はこのあいだ束さんがちーちゃんに見せたくて作ったゴーレムを送った時に死んじゃったでしょ?』

 何!? と亜毛が叫ぶ寸での所で口を押さえる。「後で説明します」と添えて千冬は、

「ああ。その時のゴーレムのISコアは、汀の折れた首に代替する事で汀を今も生き永らえさせている」

『それをしたのはゴーレムじゃないとしたら?』

「何だと?」

 

『あれを生かしているのはゴーレムじゃない。グレイ・ラビットなんだよ!』

 

 む? と千冬は疑問に思った。

「あのコアは最初からグレイ・ラビットではないのか?」

『違う違う! 彼女のコアはまだ倉持が持て余してるけどあれは私が新しく作った新品のISコアだよ!』

 どういう事だ、と千冬は唸る。

 汀があの時嘘を吐いたとは思えない。だが束はあのコアと新しく作ったと言う。

『そもそもゴーレムは普通の機体じゃなくて無人機なのは知ってるでしょ!?』

 それは一夏と鳳の行動記録からも判っていて、残された両腕のプログラムからも解っていた。

『束さんがいつも言っていたよね? ISには心に似た自意識と無意識を混ぜ合わせたものが標準装備されるようにしてあるって。

 それは普段は自己進化として表現されるんだけど、ゴーレムはそれこそコアから爪まで新しく思いついたメモ書きだったからそういった機能は無かった。ISに標準装備されている心も存在しないお人形だった。それをグレイ・ラビットは利用した!』

「利用したとはどういう事だ」

 いつも以上に興奮している束はその核心に触れた。

相互意識干渉(クロッシング・アクセス)と電脳ダイブの応用! 彼女はゴーレムの空っぽのISコアに自分の心を飛ばしゴーレムを乗っ取って待機形態として人体と融合した! これだけで幾つの信じられない奇跡が起こっていると思う!?』

 束はつまりこう言いたいのだ。

 グレイ・ラビットはその機能全てをゴーレムに移し、強引に人体と融合する形での一次移行(ファーストシフト)を敢行したと。

 確かに束のいう通り、奇跡だ。通常のISコアにそんな機能を搭載しているなど確認されていない。それこそたった一機の例外しかない。もしもそんな機能を新しく付け加えたなら鬼の首を取ったように連絡してくる筈だ。尤も、束の場合は汀の事などどうでもよく、それを行ったラビットの方にしか興味はないのだろうが。

「束」

『何かなちーちゃん!?』

「それで今回の件との関係は? なぜラビットはそんな真似をした?」

『簡単だよ! 彼女の思いを受け止める相手がいなかったのさ!

 待機形態としてあれの肉体を選んだはいいけど、その為に必要な情報が彼女には手に入らなかったんだ。取り付いた身体は本人が知っている石ころの身体でもその中身(こころ)はそこの腹黒が言った理由でズタボロの別人に代わっていたなんてISでも予想できない! ISが欲しい情報っていうのは数字じゃなくて人の心。その心がまともじゃない状況下では一次移行もできない! 自分と自分の搭乗者が守り切ったと思っていたのに今は苦しめる原因となっていると知った彼女は最後の手段に出た!』

 何をラビットはしでかしたのか。三人が固唾を呑んで束の言葉を待つ。

 束はさらに興奮した声色で告げた。

 

『彼女は自分がやった事をもう一度使ってあれを助けようとしているんだ! 彼女は自分が入っているISコアにあれの心を入れようと今も自分の身を削って!』

 

 再度の相互意識干渉と電脳ダイブ。相手は汀 静穂の人格。

 一次移行ができなければ待機形態は維持できない。首の代替とならないラビットは暴挙に出た。

 汀 静穂をISの延長と誤認識すれば、自己修復によって途切れた命をまた繋げられると考えたのだ。

『あれを助ける為に彼女は生身と心を引きはがす! 洗脳なんて二度とされないように!』

 ああなんて自己犠牲! 流石私の発明! と束が受話器越しに頬に両手を当てくねくねと踊っていそうな声を受けて。

「まて束」千冬が一旦止めた。「()()と言ったか?」

『そう! ああして無様に這いずっている今も!』

「では奴を動かしているのは()だ?」

 束の言う通りならば今も汀の中では奴の心をISコアに宿替えさせる工程が進んでいる事になる。

 パソコンのOSをHDDからSSDに入れ替える最中に、演算処理はできないのと一緒だ。

『ちーちゃん』興奮していた束が途端に冷めた。『わざわざバグの部分まで持ち込んで入れ替えると思う?』

「…………成程な」机に拳を叩きつける。指の形に凹んだ。「あれは洗脳された汀の残りカスか」

 私利私欲の為に利用され築き上げられた部分が暴走し汀の抜け殻を動かしている、という事か。

「いつからだ」

『何が?』

「お前の事だ。汀ではなくラビットを見ていたのだろうが、汀はいつから()()に替わっていた」

『……ちーちゃんが斬ったときはマトモ。最初に身体を動かす部分がなくなったのが変なのを食べた時。その時から自由に身体は動かなかったみたいかな?』

「まともに動いていたぞ」

『自分の思い通りに動かなくても操縦はできたんだよ。彼女に心を刻まれて入れ替えられて、ちーちゃんでも気づかないくらいの鉄面皮だね。あの不細工な泥人形に顔を斬られて気絶するまでは、有刺鉄線でぐるぐる巻きにされたあとに竹馬に乗せられてマジックハンドを掴まされていたようなものじゃない?』

 身を捩るだけで痛みが走る。自分の身体なのに思い通りにならない苦痛。それらを頑として表に出さず、言われた通りに演じて見せた。日常を。他者の要望を。

 普段ならば束が他人を観察していた時点でどうした事だと驚く所だが、千冬は自身の恥ずかしさで一杯だった。

 何が教職だ莫迦者が。生徒の機微を感じ取れず、今もこうして手を出しあぐねている。

 本題に切り出すしかない自分を責める。

「どうにかする方法は?」

『? どうにかって?』

「どうすれば救える」

 ――今度は興奮でもなく、冷めているのでもない。『それはもうちーちゃんが思いついている筈だよ。どっちかしか選べない』

 友人に諭す声色を最後に、天災の言葉は届かなくなった。

 通話が切れた携帯電話。それを交互に見て亜毛は、

「慰めにもならないが、彼の受容力はとても強いと洗脳措置の経過報告にあった。我々も書面で露見していなければ気づきはしなかったよ」

「……どうも」

 言うが早いか千冬はコンソールを操作する。

「デュノア、立て」

『織斑先生!? 駄目です止まらない!』

「落ち着け。奴の虎の子は再充填に時間が掛かる。あの失血からしてまともには動けん」

『まだやるっていうんですか!? これ以上は静穂を殺して――』

「殺せと言っている」

 側の2人が揃って目を開く。

「デュノア。今のままでは奴は死ぬまで動く。貴様も男なら望みのある方へ賭けて見せろ」

 敢えてデュノアを男と呼ぶ。本当に卑怯だと自分でも思う。

『! ――はい!』

「では行け。詳しくは道中で説明する」

 ――デュノアが傷ついた機体で飛ぶ。

 握りこむ千冬の拳は鮮やかに赤く。



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43.グレー・スケール・チルドレン ①

 織斑先生からの指示はこうだ。

I()S()()()()()()()()()()()()()。汀を操っている大元は首のそれだ』

 そこに灰色の鱗殻(グレー・スケール)盾殺し(シールド・ピアース)の一撃を人体の急所に叩き込めというのだ。

 この説明にシャルロットは合点がいかなかった。変哲もない友人をここまでの羅刹に変貌させる技術が、ISスーツと肌の間に収まるとは思えない。確かにISスーツには端末の類いが搭載されているのは事実だが、首元には電極以外が入り込む余地はないのだ。

 下手を打てば静穂は死ぬ。織斑先生は賭けに出ろと言うのだ。見殺しになどせずに、下手を打って殺すか、一縷の望みを掴み取り彼を救うか。

 他に救う手掛かりがないという事実がシャルロットを決断させた。先生が何かを隠していたとしても必要な事なのだと切り替える。

 了解の意を伝え、飛ぶ。その先では静穂が膝立ちにまで起き上がっていた。

(回復した!?)

 いや違うのだと即座に理解した。サブアームが四肢に張り付くように接続され、操り人形の糸を引くように外側から機体を動かしているのだ。

 操られている静穂が自分で自分を操る様にシャルロットは生理的嫌悪感を覚える。それで当然だとも思った。今の静穂を動かすのは悪意、それも他人のそれだ。他人に物理的に動かされる人間というのはこうもおぞましいものなのか。

 早急に救い出すべく近づくシャルロットを、その手を跳ね除けるように静穂が腕を振るう。

 拡張領域から取り出された普通のハンドガンがシャルロットの眉間を叩く。直線距離から逸れて回避運動を余儀なくされた。

 ふらつく腕で頻度こそ落ちたが的確に狙ってくる。目線は地に落ちたままハイパーセンサーで狙われていた。時折呟く彼は狂っているのか抗っているのか、シャルロットにはわからない。

『させるか!』

「!?」

 VTシステムがシャルロットの後方に迫り、一夏がそれに飛びついていた。「一夏!」

 白式の推進器が暴れまわる。回転に任せシャルロットから距離を取りVTシステムを振り回す。最後には放り投げ、一夏は雪片を輝かせる。

 単一仕様能力・零落白夜。

 瞬時加速にて突撃。受け止めるべく持ち上げられたVTシステムの刀身を半ばから叩き斬り、さらにその腕を肩口から切り落とした。

『シャルル! こっちは任せろ!』

「でも!」

『心配ない! もう負けない!』

 負けないって、というシャルロットの呟きを晴らすように、一夏もまた、飛ぶ。

 再生したVTシステムの刀身を、輝きを収めた雪片の上で滑らせた。

 火花と共に走る刀身が切っ先を越える。押し込められた一夏の力が開放され雪片を加速、大上段からの袈裟斬りを決めてみせた。

 まだ足りぬとばかりに横蹴り、再度の袈裟と叩き込みVTシステムとの鍔迫り合いに持ち込んだ。

『やっと分かった。こいつは千冬姉とそっくりだが外見と動きだけだってようやく分かったんだ』

 だから負ける事はない! と、一夏が刀を弾く。

『そっちは任せたぞ! シャルル!』

 

 

 ――シャルルを送り出して、再度の鍔迫り合いに持ち込んだ時。

(!?)

 一夏は聞いた。

 耳の内側から直接発せられたような、声を。

 ……私は、と。

(ラウラ!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やるじゃないか、弟さん」

 亜毛の賛辞に千冬は眉一つ動かさず、

「あれを1回戦から出来ていれば及第点です。今頃出来るようになっても意味はありません」

 せめて試合の最初からやっていればここまでの状況にならずに済んだだろうと千冬は考える。

「……実の弟だから厳しく接しなければならない、か。本当に難しい立場だ」

 分かっているのなら口に出さないで頂きたい。そこで指を組み必死に祈る山田先生のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ラファール・リヴァイヴ・カスタムII。

 シャルロットの乗機は、言ってしまえば他の専用機と比べて見劣りしてしまう。

 第2世代機であるというのが大きい。第3世代兵装を持たず、数多の仕様変更と拡張領域の容量拡大でそれを誤魔化している。不可思議な武器で尖らせるよりも堅実に完成させたと言えば聞こえは良いだろうが、専用機は企業の看板ともとれる。IS開発企業として新技術に手を出せない現状は致命的だ。

 それでも一次移行を済ませ蓄積された稼働時間と基本能力の高さ、そしてそれらを効率よく稼動させるシャルロットの技量が、他の専用機とと比べて遜色の無いパフォーマンスを発揮させていた。

 ――それこそ観客が息を呑み、溜息を漏らす程に。

 アサルトライフル、ショットガン、近接ブレード、重機関銃。二人の手の上で銃器が舞い上がり、静穂を導くようにシャルロットが踊る。

 手負いの相手は止めを刺すには危険極まりなく、救おうとすればそれを拒む。

 静穂の射撃が止む事はなく、頑なにシャルロットを否定する。

 だがそこまでの脅威ではなかった。

 動かない腕を外部から遠まわしに動かす、そうでもしないと戦えない程の満身創痍。

 そんな射撃が簡単に当たる自分とラファールではない。

 誘導し、惹きつけ、高速切替(ラピッド・スイッチ)との併用を以て距離感を掴ませない。

 狙いをつければ其処には居らず、踏み込まれたならばその分だけの距離を取る。

 

――砂漠の逃げ水(ミラージュ・デ・デザート)――

 

 命の火を燃やす(しずほ)を、(シャルル)が徹底してリードするように。

 求める程に遠く、諦めるには近く、自らの銃火と金切り声を音楽に二人の刻む輪舞が見る者を魅了して、加速する。

 ……そして今、シャルロットが前に出た。

 左のショットガンを防盾で受けさせて、ブレードで押さえ込む。

 ショットガンを投げ捨てるように拡張領域に放り込み、鱗殻を起動。

 度重なる打撃にフレームから歪んだシールドを炸裂ボルトで強制排除。

 防盾の上から腕だけ乗り越えさせて、撃った。

 弾かれて距離を取る静穂にダメージを受けた様子はない。

(外した!)

 強引に当てに行ったのも、迷いもあったのだろう。だが何より静穂はPIC操作に長けている印象が強い。銃器の命中精度を確保する為だと言っていたが、緊急回避にも用いる程の習熟度となるとそれはもはや武器だ。操られているとはいえそれを行うのは静穂自身の技量だろう。ここまでの技量とは聞いていない。

 ……そう、聞いていないのだ。彼について、何もかも。

 

 

 果たして私は完璧と言えるだろうか。

 嘗ては胸を張って言えた。だが今は。

 ……物心つく時点でナイフを握った。使った先は実物大の人形。布一枚を切るのがやっとだったのが、次第にその硬い綿、フレームまで届き、突き立てて、切り裂いた。

 銃は弾丸の一つ一つまで学んだ。とても重く、簡単に人を傷つけられる代物だと恐怖したが、対人使用を禁止されている練習弾を使い切り、人形を何体もぼろ布にするまで1年と経たなかった。

 人を動かす授業には手を焼いた。駒を使う分には問題ないが、実際にとなると駒に様々な状態が付きまとう。それらを理解するのにかなりの時間が掛かった。

 これらを学ぶ事に迷いはなかった。寧ろこれらを学ぶ事は当たり前であって、何故周囲はこれらができないのかが疑問だった。

 ……ISが現れ、教官が現れるまでは。

 最初、ここまで扱えない兵装があってたまるかと毒づき、周囲がさも自分の手足のように宙を舞う姿に愕然とした。

 自分が呼吸と同じ様にできる動作がISでは酷く重くなる。これまでとまるで対極的、自分が負ける。落ちていく。

 ……これまでの行いは何だったのか。たった一つの兵器が扱えないというだけで、私の、これまでの行いは無駄になるのか。

 鏡を見て、左手を突く。鏡に映る、黄金色に変質した左の眼(ヴォーダン・オージェ)を覆い隠した。

 穢れた証だ。歪んだ証だ。あの兵器に否定された証だ。

 兵器が搭乗する人間を選ぶなど前代未聞だが、事実男は動かす事も叶わず、私のように、処置を施されても満足に動かせない女が存在する。

 誰にも言えず、廃棄されかかる理不尽に焦燥を覚えた頃に、彼女はやってきた。

 

――安心しろ。IS程度、何の苦でもないという事をその身に叩き込んでやる――

 

 純粋な日本人の教官に言われるがまま、私は1年を過ごした。

 ……違う理由で愕然とした。教官との訓練と較べたら今までのそれはなんと無駄だったのかと叫びたくなった。

 それだけ教官との日々は濃密だった。この日々の為に今までがあった気すらしていた。

 教官が去るその日までは――

 

 

「――ラウラ!」

 幾度となく切結んで一夏が叫ぶ。「だからなんだ! それと今のお前と何の関係がある!」

(……帰らないでほしかった。居なくならないでほしかった)

 耳の内側から響く声は無機質で、且つどこか悲痛を携えていて、

(捨てないでほしかった。私はまた今の地位を取り戻したが、教官にはまだ教わりたい事が沢山あった)

 だが彼女は帰国した。仕事を終えたのだから当然ではある。

 しかしラウラはそれを受け入れられなかった。

(教官に近づきたかった。教官に教えていただいた全てを証明したかった)

 そして許せなかった。ISをファッション程度にしか考えていない連中が、織斑 千冬の教鞭を受けるという現実を。

 ラウラは、

(私は、教官になりたかった)

「----------!!」

 一夏が斬り込む、避けもせずVTシステムは斬りつけられた。

「だったらそんなんじゃ駄目だろ! そんな真似事で満足かよ!?」

(私は、)

 

 

 ……まるで、とシャルロットは思う。

 まるであの時のようだ。母が死に、父には受け入れられ、本妻には否定された、あの時と。

 逃げるように父と本宅を飛び出して以降シャルロットはISの操縦に没頭した。そうしてさえいれば本妻の顔も見ずに済み、自分の居場所が保障されると父から言われたからだ。実際にその通りだったのもあり、シャルロットはISの訓練に没頭した。

 シャルロットにとってISとは何かと聞かれたら居場所を手に入れる為の手段と内心でそう答えるだろう。表には決して出さない。優等生にならざるを得なかった彼女は処世術にも長けていた。

 IS学園に男として入学しろと父に言われた時も、聞き返しこそしたがほぼ二つ返事で承知した。父の驚く顔は新鮮だった。

 やけっぱち、投げやり、その時のシャルロットはそんな心情だったのかもしれない。

 男子としての生活はやはり苦難の連続だった。トイレは遠いし何より視線が痛い。スパイ対象である同居人にも怪しまれないよう振舞う必要もあった。

 だがどうだ、目の前の彼は。

 聞けば何時の間にか代表候補生の懐に入り込み、クラスの輪に溶け込んでいる同い年の少女が実は男だった。しかもそれを微塵にも感じさせず堂々としているとはどういう事だ。

 衝撃だった。互いに秘密を明かしたタイミングは同時だったが心に受けたものは自分の方が大きいとシャルロットは思う。

 なぜなら彼の驚いた次に口にした言葉が「……とりあえず服を着てくれる?」だ。男子として編入しておいて言うのもおかしいが、少しは何か思わないのかと。自分を自分と認識したのも部分展開したISからだった。本当にISしか興味はないのかと。

 さらに彼はその理由も聞こうとしなかった。同じくバレた一夏が居た手前、自分は白状したが彼は、

 

――別にいいよ、聞かない。だってわたしが言えないから。

 フェアじゃあないよね。だから聞かないし、言わない――

 

 そうして今、彼は何も聞かず、何も言わず、

 シャルロットという名前すら知らず、誰かの悪意によってこの場に立っている。

 ……理不尽だと、シャルロットは思った。

 苛々する、と彼女は思った。

 どれだけ気を揉んだと思っている。どれだけ不安だったと思っている。

 いつどんな無理をするかと。いつどこで暴露されるかと。

 クラスメイトと応援し、一夏と一緒に身を案じ、

(どれだけ、)

「どれだけ人を振り回せば気が済むんだ! 静穂はッ!!」

 

 

「もう、」

「本当に、」

『いい加減にしろぉおおおっ!!』

 

 

(私は憎い! 私から教官を奪った全てが憎い!)

「――そうかよ!」

 ラウラの心情を発するVTの剣を強引に掃い肉薄。袈裟からの逆胴、そして、

 

 

 ラファールが瞬時加速。姿勢制御の暇は与えない。

 ハンドガンを向ける腕にブレードを叩きつけ、ハンドガンを彼方へ弾く。

 防盾の切っ先にはショットガン。その内側に数発撃ち込むとサブアームが折れ自重で防盾は落下、銃器が暴発した。

 両腕を弾かれて大の字に開いた静穂の胴体に、

 

――蹴りを一閃、吹き飛ばす。互いの相手同士を激突させた――

 

 

 

(私は何だ! 私を苛むこの感情は何だ!)

「知るか! 千冬姉に聞け!!」

 VTシステムの刀が走る。対する一夏は雪片を横に寝かせ自身に引き寄せる。

 袈裟に振り下ろされる刀身を掻い潜り一閃。雪片の刀身がVTの腹にめり込んだ。

 雪片弐型が機能を発揮。刀身が開き、光り輝く白刃を生み出しそれだけでVTシステムが切り刻まれる。

 姉も使った刀だ、だが今は一夏がそれを使う。

 単一仕様能力。その名は――

「零落白夜!!」

 ――迷うことなく振り抜いた。液状化したシュヴァルツェア・レーゲンの装甲が鮮血の如く散る中に、一夏は腕を突きこみ、掴んだ。

「今助けるぞ! ラウラ!」

 

 鱗殻を叩き込んだ。

 静穂の身体を衝撃が抜ける。もう一発! と思うが腕が戻らない。

 69口径の杭が横から握り締められている。震える腕で、血だらけの顔を蒼白に変えて。

 静穂の口から言葉が漏れる。

「かば、ぁ」

 ……静穂から漏れ出した言葉が何を指すか、自分は知らない。

 だが一つだけ返すとすれば。

「ぼくはそんな名前じゃない」

 鱗殻を発砲。掴んだ腕を吹き飛ばす。

 双方が反動で腕を振りかぶる。

「ぼくはシャルロット・デュノアだ」

 ――指の関節が数箇所欠けたマニピュレーターを薄皮一枚で避け、

 盾殺しの一撃を下から搗ち上げた。

 

 

「続きは今度、ゆっくりと聞いてやる」

「……目が覚めたらまた、何度でも言うよ」

 互いが互いの相手を抱き抱え、ゆっくりと下ろす。

 最後まで相手と目が合う事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 傍目八目。関係のない傍観者こそ大局を見据える咎人なのだ。

「……まだ。まだ動く……」



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44.グレー・スケール・チルドレン ②

 一丁前にもスランプのようなものに掛かり先送りにしようとしていた部分をなんとか形にできました。
 今後このような事がない様に努力しますが、もしもの時はまた宜しくお願いいたします。


『この音なんだ?』

『静穂の銃からだね。きっと充填してるんだ』

『まだ動いてるのかよ!? 零落白夜はもう出せないぞ!?』

『こっちだってもう弾薬もないよ。とはいえ静穂は機体よりも自分の方が限界だけど』

 力の尽きかけた駄々っ子を抱きとめるデュノアは泣きが入りそうだ。

 デュノアの肩に顔を寄せる汀の、一部欠損したマニピュレーターが彼女の脇腹に触れては離れを繰り返している。

 まだ戦っているのだ。当人はボディブローのつもりでもデュノアに眉根を寄せさせるだけにしかなっていない。

 ――と、早速だ。

『織斑先生』

「どうした」

『成功した、と判断してもいいのでしょうか?』

 ふむ、と千冬は眉根に指をやる。成功か否かと言えば、今の状態は失敗だ。

 まだ動く、という事は汀の洗脳された部分がまだ残り、生きているという事だ。千冬はその部分だけを完全に殺しておきたかった。汀はまだ洗脳の呪縛から開放されていない事になる。

 だが完全に動かないとなってしまうとやり過ぎて命を落としてしまったともとれる。今の汀には心音や脳波では判別しかねる。世界中の何処にも今と同じ症例は存在しない筈だ、ISが搭乗者の心を分解し保護しようとする前例など他にあってたまるか。

 それにもしも、まだ汀の中で移行が済んでいないとしたら。

 ……難しい所だ。成功ではない。だが失敗ともいえない。

「そこまで弱らせたならば対処のやり様はある。後はこちらに任せろ」

 通信を切った。

 隣では山田先生が実況席の黛に試合終了の指示を伝えている。

 客からすればこの祭は終わりだが、運営する側からすればここからが長いのだ。

 千冬は頭痛を押さえ込むように手をやる。本当に問題だらけだ。

 亜毛が口を開いた。

「ここまでとはな。連中はなんという事をしてくれたのだ」

「ええ。ですがこれで終わりでしょう」

 言って千冬が亜毛を見ると、携帯電話に耳を当てている彼は大きく目を見開いていた。

「……議員?」

『何だ!?』

『一夏! 下!』

「!?」

 見れば一夏達の足元に広がった液体、日の光を受けて輝くそれに波紋が広がり、次第に波打ち始めている。

 シュヴァルツェア・レーゲンは、VTシステムは、まだ動く。

 金属の水溜り、その中心が爆発、水柱を上げた。

「織斑君! デュノアさん!」

 弾き出されたように一夏が背中から着地した。その腕の中にラウラはいない。

 同じく弾き出されたデュノアは腹部を押さえ呆然と、自分の居た場所から目が離せないでいた。

『シャルル! 無事か!? 静穂は!?』

『……押された』

『シャルル?』

『静穂、ぼくを突き飛ばした!』

 先程まではその練習であったかのように。汀はボディブローの要領でデュノアを押し退けたのだ。

 千冬は舌を鳴らす。再起動したVTの前に汀が無造作に横たわっている。

 偶然にもデュノアはVTシステムの射程から逃れたが、汀はそのままの位置、剣の間合いの中に一人置き去りだった。

「織斑君! 何とかならないのか!?」

 今から向かっても間に合わない。一夏の瞬時加速でも零落百夜がなければ犠牲者が二人になる。

 見殺しにする事実に、千冬は憤りのあまり舌を食いそうだった。

 

 

「……まだ、まだ動く……」

 近くの観客が呆然と呟くのを聞きつつ、楯無は実況席から立ち上がる。

「!? たっちゃん!?」

 実況の薫子の驚愕に楯無は、

 もう我慢などできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 剣を振り上げるVTシステムに向かい一夏は飛んだ。

 なけなしのシールドエネルギーを消費した瞬時加速。

 だがそれは最悪の結果を招いた。

「一夏!」シャルロットが叫んだ。

 その先で一夏は白式の展開が解除され、地面を転がっていく。

 瞬時加速もできない程に白式のエネルギーは消耗していたのだ。

 硬い地面が一夏のISスーツと皮膚を削る。それでも一夏は立ち上がり、走った。

 感情に身を任せた叫び声を上げて。

「やめろおおおっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外からの音は、いつだって銃声のように響いてくる。

 壁と壁の中。水道パイプと電話線とガス管と電気ケーブル以外は入り込む余地の無い空間に、少年はいつもそこにいた。

 少年は耳を塞ぐ。今日は一段とけたたましく、恐ろしかった。

 少年は待っている。自分をここに隠した人達が、目の前の扉を開けて自分を連れ出してくれるのを。

 そして知るのだ。彼らはもういない事を。何度も、何度も。

 ――だが今回は違った。

 扉がうっすらと開く。そして何もない。

「……?」

 おかしい、と少年は思った。いつもならば誰かが顔を出し、自分を脇から持ち上げて此処から出してくれる筈だ。

 そしてその誰かは死んでしまう。それが彼の見るいつもの光景だ。

 それがない。細い光が差し込む程度にしか扉は開かず、そのまま放置されている。

 ……その時、少年は初めて自分から扉に手を掛けた。

「――嗚呼、やっと遭えた」

 扉を出て、そんな声が少年に掛けられた。

 誰かがいる。いや、この姿は知っている。

 10歳程度の少年だ。顔を一部縦に切り取るように傷跡が走っている。

 自分の姿だ。

「だれ」少年は言った。「その格好は僕のだ。マネをするな!」

 対してもう一人の少年は電灯の光をスポットライトのように浴びて、「そうです。この姿は貴方だけのもの。だから私は貴方になる」

「……何それ」

 難しいか、ともう一人の少年は頬を掻く。その身体に僅かなノイズが走る様子に、本来の少年は身を竦めた。

「では自己紹介をしましょう」

 言うと彼の身体にノイズが走る。次の瞬間、少年の姿に違う人間の姿が重なった。

 少女だ。年は少年の姿より少し上。所々が擦り切れた灰色の和風ゴシックドレスに懐中時計が幾つも縫い付けられ、片眼鏡を装着している。

「私はグレイ・ラビット」スカートを摘み恭しく礼をする彼女は微笑んで、「この時を待ち望んでおりました。我が主様」

 

 

「あるじさま?」

「私は貴方のもの、という意味です」とラビットは説明した。

 その回答に少年は首を横に振る。

「あら」

「違うよ」少年は否定する。「グレイ・ラビットは僕のじゃない」

「……それはどうして?」

「僕の知ってるグレイ・ラビットはISで、そのISはお姉ちゃんのものだから」

「これはお話がしやすいようにこの姿を作りましたので」

「違うよ」

「主さ――」

「だから違う!」

 いつしか少年は俯き、泣いていた。

 認めたくない、分かりたくない。本当はその逆だから。

 認めているから、分かっているから。

 彼女がISである事も、この場にいるのがグレイ・ラビット当人である事も。

 そして愛する義姉は、もういない事も――

 子供の我侭だという事も、少年には分かっている。

 死んだものは、もう戻らない。壊れたものは、決して元通りになる事はない。

 ラビットにも少年の心の内は理解していた。伊達にこれまで繋がっていた訳ではない。

「主様」ラビットが諭すように問いかける。「残念ですが時間がありません。外では主様が大変ですので大事な事だけ」

 ……大事なこと? と少年が鼻を啜ってから聞くと、ラビットはディスプレイを投影した。

 そこに映るものは、

「お姉ちゃん」

『んー? 見えてんのかなぁ?』

 見下ろす視点で映るのは、少年の知らない義姉の姿だった。

『まあ見えなくても聞こえてるよね。

 はじめまして。今日から君と飛ぶんだけど、君、生まれも育ちも際物のじゃじゃ馬なんだって?

 大丈夫。私は年下ならポニーからサラブレッドまで扱える女さ。

 二人で一番になってやろうじゃないか』

 

 

『前言撤回。彼女には勝てない。

 こっちが銃を呼び出すより早く斬られるとかね、もう。

 世界最強(ブリュンヒルデ)は伊達じゃないね、うん。

 ……ちょっと義弟のところで泣いてくる』

 

 

『酷いと思った。

 前の職場にまだ籍はあるからさ? 菓子とか置いといたのよ。

 ……全部没収されてた。主犯は係長で、共同正犯は義弟。

 義弟ってば、あの煙草バ係長から見返りに高い菓子貰ってるし。私の菓子じゃ不満か!

 ……少し貰った。たしかに美味しかった』

 

 

 ――場面は移り変わっていく。構図は全て同じものだ。

 彼女達の、義姉からの一方的な会話。

 全て少年が知る義姉の顔だった。流す涙が悲しみから回顧へと変わっていく。

 彼女の愚痴にも似た、それでも幸せそうな語り口。だがそれも長く続く事はなく。

 その日の彼女は酷く取り乱していた。

『お願いラビット! 力を貸して!

 義弟が殺される! 前から疑ってたけどあいつまさかISに乗って行くなんて!

 大事な弟なの! 守るって約束したんだ!』

 

 

「……この後は、主様もご存知のとおり」ラビットは物憂い表情で独白する。「貴方に見せる事ができて良かった、私の大切な友人との思い出を、貴方には知っていて欲しかったから」

 この後、ラビットは彼女を失った。

 それ程彼女と加畑の姉との戦いは熾烈であったのだとラビットは思い返す。

「全てのリソースを使い私は考え続けました。あの時どうして彼女を守れなかったのか」

 しかし今日まで答は出ず、推測するより他になかった。

「私はインフィニット・ストラトス。でも搭乗者を守れなかった欠陥品」

 ……だが。

「……ネットワーク越しに貴方が横たわる姿をみた瞬間、私の役目が分かった気がしました」

 するとラビットは拡張領域から取り出すように、何処からか一丁の拳銃を手に取り、

 

――自分の顳顬に突きつけた――

 

 少年のすすり泣く声が止んだ。「ラビット?」

「これが私の出した結論です」ラビットがもう一方の手を拳銃に添える。「たとえ欠陥品の私でも、守る事は出来なくとも救う事ならば出来るのではないか」

「何してるの?」

「交代です、主様」諭す声でラビットは言う。「私の全てを、貴方に差し上げます」

「何それ」

「勝手ながら貴方を傷つけた事をお許しください。ですがこれで貴方は真に救われる」

 そう言うとラビットは微笑んだ。その所作に少年は見覚えがあった。

 嘗て少年を庇い、そして去っていった者達と同じ顔。

「死ぬの?」

「…………」

 少年の齢にしては、今生の別れはあまりにも多すぎた。

 表情だけで決意が分かる。声色だけで震えが分かる。

 その経験が少年を動かす事はない。諦めてしまう。

 我侭を言って、この態度を示した人々が止まった事は一度としてない。

「また僕は一人になるの?」

「――人の心は、傷つけられた部分を削り取ったとしても膨大です。とても私達の身体に、二つは決して納まらない」

「ラビット……」

 泣きっぱなしの少年の顔に、また新しく雫が垂れる。

 拒絶の涙だ、別れたくない。居なくならないで欲しいという懇願の涙でもある。

 彼はいつだって一人になる。相手が彼を想う程、彼に二度と、会う事はない。

「いやだ」と、少年は拒絶した。無駄だと分かっていても行ったその主張は、ラビットの求めた彼の姿。

 彼女の行いが報われたという証左だった。

「その言葉だけで、私は救われました」

 ラビットが引金に指を掛ける。少年が彼女へ向け走り出した。

「確かに貴方は一人になる」ラビットは目を瞑り、慈しむ笑みを浮かべ独白する。「でもそれは、貴方が何者にも縛られず自由になる事とは考えられませんか?」

 目を閉じたまま、少年の呼ぶ声に涙を流し、慈しむ笑みは一層強く。

「どうか、心持ちを高く。私と彼女が繋いだ命を、高く、高く」

 ……そして、

 

 

――電灯のスポットライトが、銃声によって落とされた――

 

 

 ――次にスポットライトが点き指し示すのは、灰色のボディスーツを身に纏う、少女と見紛う少年の姿。

 膝から崩れ落ち、長い髪を前に落として項垂れ、時折肩を震わせてすすり泣く。

 彼は、また一人になった。

「……お姉ちゃん」

 そう呼ぶ彼女は、もう居ない。彼を守る為にその命を捧げ、散っていった。

「……ラビット」

 そう呼ぶ彼女も、もう居ない。彼を救う為にその身を捧げ、散っていった。

 彼は、汀 静穂はただ一人、残された。

 かつり、と音が、駐車場に響く。

 戦え、と、静穂に投げかけながら。

「…………」顔を向けるでもなく、静穂は一人、呟いた。「…………うるさい」

 役目を果たせ、と声がする。

 利益を示せ、と呼びかける。

「うるさい!!」

 駐車場に置かれた車が次々と爆発、薄暗い駐車場を煌々と照らす。

「誰のせいでこうなった! お姉ちゃんも! ラビットも! こうなる必要が何処にあった!!」

 静穂がコンクリートの地面に落ちた拳銃を掬い上げる。

()()()のせいか!? わたしが生きているからこうなったのか!?」

 違う!! と叫ぶ。流れる涙の色は赤。

 

「全部お前達のせいだろうがあぁあああ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ぁあああっ!!」

「!?」

 突如とした咆哮に、一夏は一瞬足を止めた。

 次の刹那、

 

――VTシステムが振り下ろす刀を、静穂が左手で受け止めていた――

 

「静穂!」

「----------!」

 マニピュレーターが潰れ、装甲の隙間から血が垂れる。

 装甲で受け止め、生身の手で握り込み離さずにいるのか。

 次第に静穂が押し返す。

「う、ぅうううっ……!」

 歯を食いしばり押し返し、立ち上がる。膝が揺れながらも上体が持ち上がっていく。

 VTシステムは空いている左掌を静穂の顔に叩き付けた。

 その親指が静穂の眼窩に突き刺さる。

「!」

 一夏の後方でシャルロットが目を背ける中、一夏は目を離せないでいた。

 反れた上体、押し上げられた顎。

 VTシステムには誤算だっただろう。

 静穂の左目(そこ)はもう、既に急所ではない事を。

 VTシステムが唸りを上げる。静穂が歯を食いしばり押し返す。

 静穂の右手が腰で叫ぶ金切り声に伸びた。

 剣を抜こうと両手に力が込められる中、VTシステムの胴体に大型拳銃を突きつけた。

「ありがとう」と。

 もう会う事の叶わない相手に、謝罪でも、別れの言葉でもなく、

「ありがとう。お姉ちゃん、――――、」

 次いで名前を連ねていく。自分の為に散っていった大人達の名を。

 そして最後。彼女で終わらせるように。これ以上名を連ねる事のないように。

「――ラビット」

 引金が引かれる。全ての音を打ち消して、VTシステムの、レーゲンのISコアが遠くアリーナの外壁に跳ね返る。心臓を失った巨像は崩れ、中からラウラの姿が流されるように現れた。

 静穂はしばし佇み、右腕は大型拳銃を保持できず、マニピュレーターの指ごとラウラの側に落とした。

 潰れた両のマニピュレーター、捻じ曲がったサブアーム、反動を押さえ込んだ脚部のアクチュエーターは機能低下が著しく先程から火花を散らしている。

 何とも無様だ。もう飛ぶ事はおろかまともに動けやしない。

 自分の愚かしさが痛く身に染みる。洗脳というベールを脱げばその中身は自身の付焼刃で傷ついた、所詮はただの子供でしかない。

 約束も、友人も、自分すらも守れない、無駄に小賢しいただの子供。

 そんな自分に生きている意味はあるのか。自分の為に犠牲になった彼女らの方が、先に進む意味と価値があったのではないか。

 ……考えて、止めた。それは彼女らへの冒涜だから。

 彼女らに押し上げられて、今、自分はこの場で無様を晒してでも立っているのだ。

 その場を降りる事など論外、許されない。後はそこから一歩を踏み出し、進むのみが許される。

「静穂!」

 気づけばシャルルと一夏が走り寄って来ていた。静穂が潰れたマニピュレーターを振って返事をすると一夏は、

「平気なのかよ!?」

 そんな訳がない。

「……全部投げ出して死にたい気分だよ」

 そう言った直後に脚部装甲が煙を吹いた。踏ん張りが利かず前のめり。

 おっと、と一夏が慌てて静穂を抱きとめた。

「……スーツが汚れるよ?」

 今の静穂は血と埃と液状化した装甲に塗れている。

「言ってる場合かよ! 直ぐISを脱げ! 保健室まで運ぶから!」

「――それはお姉さんに任せなさい」

「!?」

「私がやった方が早いもの」

 シャルルでもない第三者の声を聞くと突然、

 

――装甲を細切れに切断され、全身を絡めとられて宙に浮いた――

 

『!?』

 止められた静穂も、静穂が腕をすり抜けた一夏も驚愕する。

 糸だ。それはまるで変貌したレーゲンの装甲を彷彿とさせるが透明度が全く違う。

 真水が紐状、糸状になり、ISスーツのみとなった静穂を持ち上げていた。

「あなた達はもう一人の子をお願いね」

 糸の根元、学園の制服を着た誰かが『救急』の二文字が記された扇子を振る。

 糸が手繰り寄せられた。男子にはない柔らかな指先が静穂の背に触れ、仰向けの状態へ促す。

「変な事考えちゃだめよ?」彼女はその一言で静穂の動きを止めた。「テクニカルノックアウト。あなたの負けは決まったんだから」

「……もし動いたら?」頭の中を読まれた静穂は諦観の境地で質問する。

 すると彼女は静穂の頬に指を触れて血を拭った。

 指先の血が剥がれるように宙に浮き、珠となったかと思えば全周囲に突き出す針球となった。

「身体の内側からこうするわ」とウインクで返された。

 それを聞いて静穂は項垂れた。ああ、本当に終わったのか、と。

 

 

 ――斯くして一夏達のトーナメントは終わりを告げた。

 公式記録はシステムの故意による暴走。IS学園生徒会長、並びに教員らの判断による無効試合となる。



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45.グレー・スケール・チルドレン ③

 挿入投稿により今回が45話になります。


 ……壁の外、遠くから声が聞こえてくる。

『更識さんもっと送り込んで!!』

『もう十袋目ですよ!? 溢れ出すどころじゃありませんよ!』

『液状化した装甲を洗い流すの! 身体の中の血液を丸々入れ換えるつもりで循環させて!!』

『血流なんて操作したことありませんよ!』

『できなくてもやりなさい! メスと鉗子!』

『そこまでやらせるんですか!? 水で渡しますよいいですね!?』

『早く!!』

 ……うるさいなぁ、寝かせてよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――嫌な予感はしていた――

 

 一日程前に遡る。

 職員室では千冬が電話応対を一手に引き受け次から次に斬り捨てていた。

 本来ならば複数人、多ければ教員の半数近くがこれに当たっていたのだが今回ばかりは他に人員を割かなければならなかった。

 だがこれがまた適材適所というか何と言うか。世界最強のネームバリューは伊達ではなく、他の教員では冗長になりがちな一本毎の応対も千冬が出れば5秒以内で片がつくのだから当人としては複雑だった。

 中には千冬の声を聞きたいだけという輩もいるのだが、それは軽くいなしてやれば満足して二度目がない。対して政府高官の連中は幾度リダイヤルをかけても千冬なので勝手に憔悴気味だ。何度掛けても千冬が折れる事などはなく、寧ろ掛かる度にリダイヤルの回数を告げて精神を削りにいく。世界最強は精神攻撃も強い。だがコーヒーが欲しくなる。

 着信音が途切れて暫く、空の紙コップを何度目か手に取りかけて、その時は来た。

 同僚の教員が自分を呼ぶ。

「織斑先生、教頭先生が戻られました」

「! 分かりました」

 紙コップをくずかごに投げ捨てて千冬は席を立った。

 今は席を空けている山田先生が取ってしまわないように受話器からも電話線を抜いておく。

 これで職員室は一時的に平和が訪れる。

 

 

 職員室の一角、会議用のテーブルとソファに丸椅子をこれでもかと追加して教員達が集まりだした。コーヒーマシンをフル稼働させて千冬を含めた数人が人数分のホットコーヒーを淹れていく。冷房の効いた室内では夏を前にしても熱いものが欠かせない。

 チームプレーで全員に行き渡らせた。中年男性が一口啜り、唸る。

「織斑先生が淹れるとどうしてこうも美味いのか。自分でやっても全っ然美味くできねえのに」

「どうも。それで、教頭先生」

 おっと、と教頭は紙コップを置き手を組んで本題へ。ソファに身を沈める彼は別のソファ以外に座るか立つかしている教員から見下ろされる位置で切り出した。

「理事会の決定が出た。明日の決勝戦は決行、篠ノ之1年の代役を選定。我々教員の介入は許可しない。……だそうだ」

 その通達を聞いて一同が嘆いた。

「予想通りだな」教頭がコーヒーを手に取る。「最悪だ。負傷者が増えるぞ」

「中止ではなく延期、順延は無理ですか?」教員の一人が質問する。

「話には出た。だが強硬派の連中が言いくるめやがったよ。前回の1年クラスマッチが第1試合中の乱入で中止になったろ? その分のチケットが払い戻しの係争に入ったから収益が厳しくなるとかなんとか。生徒は競走馬じゃねえんだぞ」

 ――IS学園は表向きどのような国家、組織、企業、団体、思想、理念、人種、念のため性別、それらに囚われないという趣旨の国際規約が存在する。

 所詮は表向きでしかないのだがこの類いの規約は明記する事それ自体が目的であるプログラム規定説としての意味合いが強い。

 明文化されてしまえば堂々とそれを破る事はできない牽制。破れば自分以外から袋叩きに遭うという警告。

 それは守られている筈の学園側をも縛り付ける。

 言ってしまえば資金だ。人を動かすだけでも金がかかる。世界中からその供給源にされてしまった日本国だが今の政権では今後まともに支援を受けられるかどうか怪しい。

 学園存続の為に自分達で資金を貯蓄しておくに越した事はなく、学園の主な収入源が催事毎の入場チケット販売。他にも有志生徒の縁日もどきなど多くがあるが、簡単且つ一番の収益はやはりチケットになる。というかこれに迫りそうな縁日もどきが恐ろしい。何を売っているんだ一体。

「今年の1年は特別揃いですからね。理事会もふんだくる気満々ですか」

「どれがいくつでしたっけ?」

「専用機が6、代表候補生が8」

「そして男子が()()、か」

 その一言で全員が口を結ぶ。一方の家族が目の前に居て、この議題は何度も検討していた。その都度職員室は真っ二つに別れるのだから、此処に来て蒸し返すのは得策ではない。

 普段から目の下に隈が残る女性教員が手を上げた。

「……あの」

「ストップ。今は関係ない」

「そっちではなく、ボーデヴィッヒさんを一人で出場させるというのは」

「男装込みの男子二人がかりでリンチにするんですか? 排斥主義者の連中が喜んで袋叩きにしますよ」

「まだ続きがあります。チームではなくて、三つ巴にするのを提案します。1対1対1で戦ってもらう」

「悪くはねえがフェアじゃあねえな。全く別のブロックからなら採用できるが織斑1年とデュノア1年はペアだ。解消しても連携の癖は残る」

 あう、と女性教員が近くの男性教員にもたれ掛かる。慌てる彼の反応にご機嫌だ。

 ――問題を明確化させるならこうだ。ラウラ・ボーデヴィッヒのパートナーを誰にするか。そして決勝戦を如何にして()()()()()()切り抜けるか。

 彼女の性格と戦闘の傾向から見て生半な相手では勤まらない。仮に候補が見つかったとしても当人が了承するか分からない。

 何せあの流血沙汰を目の当たりにした直後だ。怖気づいても仕方ないと言える。

 当の被害者、汀 静穂の煙幕作戦が職員室としては助かった。実際に目の当たりにしてしまっていたら観客もパニックを引き起こしていたかもしれない。

 だがその惨状の決まり手こそ見えずとも原因が彼女にあるという事は明白だった。消失したシュヴァルツェア・レーゲンの右腕。あれが終止優位に立っていた汀を血溜りに沈めた。

「織斑先生。ボーデヴィッヒ1年の機体だが、開発禁止の兵装が積まれてるってのは確かなんだな?」

 そしてその原因を千冬は知っている。

 教頭の問いかけに千冬は肯定した。

 

――ヴァルキリー(V)トレース(T)・システム――

 

「ドイツは私の最近似値の情報を所有しています。私の教えた中で当時最もマシであったボーデヴィッヒのISに搭載していてもおかしくはありません」

 世界最強。その戦闘能力を戦場に現出させる。例えその搭乗者が限界を超えたとしても。

 非人道的という理由から開発を中止するのは惜しかった。ドイツの手元にはそれを組み上げるには最高の部品が揃っていたのだから。

 心臓(IS)骨組み(ラウラ)筋肉(データ)

 千冬が明らかにしたVTシステムの存在が明日の四人目を選び出す大きな課題となっていた。

「無理じゃないですか? 最悪の場合、織斑先生と戦うのと一緒なんですよね?」

「織斑先生とは全く違う。手加減なし、殺意のみの戦闘兵器よ」

「私には無理ですな。男だし、年だし」

「毎朝素振り千回の剣道9段が何言ってんですか」

「戦うのは子供達です。勝率よりも生存確率を算出すべきです」

「システムの解除か無効化はできませんか」

「一国の方針にケチをつけると思われますね。公平性を疑われるかも」

「システムはボーデヴィッヒちゃん自身も分からないくらい深くに存在してるんだと思うわ」

「せめて発動条件さえ分かれば」

「はい」と、不意に手が挙がった。

 輪が開き彼女を招き入れる。飄々とした発言者の女性教員は周囲の目線など気にしないかのように言葉を口にした。

「私達の目的はトーナメントを無事に終わらせる事です。その為には我々が今持ち合わせている手札を酷使して切り捨てる覚悟も必要ではないでしょうか」

「手札?」教頭が首を傾ける。「何を指してる」

「戦力、兵法、駒でも構いません。とにかく私達が状況を動かせるものと思ってください。もう一度言いますが私達の目的はもうこれ以上の被害を出さない、もしくは出たとしても最小限にする事です。

 被害を質と量で考えた場合、私達がそれを補償するとしたらその額が大きいのはどちらでしょうか」

 回りくどい言い回しに教頭は溜息を吐く。「……すまんがもう少し、ショートカットしてくれ」

 

「決勝には汀 静穂を出しましょう」

 

 教頭の腰が浮いた。周囲も静かにしてはいられない。

 とんでもないショートカットに千冬は目を見開くしか反応できなかった。山田先生がこの場に居ない事は幸運に思えた。彼女の前でこんな話はできない。

「落ち着け」喧々諤々の職員室に教頭の一喝で沈黙が訪れた。「どういうつもりだ」

 周囲のざわめきが静まると発言者は説明を始める。

「汀なら今の今にVTシステム搭載機と戦った経験があり対処も可能の筈です。噂では汀は以前、ボーデヴィッヒからペアを組む打診を受けたと聞きますから双方が納得すると思われますし、互いに準決勝進出者でパートナーが負傷しています。第一にあの不透明な試合内容では観客も納得しないでしょう」

 発言者が言い切るとその波紋が伝わっていく。

「幸いにも汀は軽症です。もう片方の準決勝敗者を使うよりも出場させて観客の不満を取り除かせるのが運営の勤めではないでしょうか」

「……つまり汀1年は傷ついた駒で、一度傷ついた駒はそれ以上傷ついてぶっ壊れても全体の被害としては計上されない、そう言いたいのか」

 被害の数え方を範囲や規模、人数、金額でしか計算しないのであれば一箇所に集め上乗せした方が都合が良い。

 極端に負荷を掛ければ壊れ、そこに新しい別物を充てる方が経済的な場合もあるにはある。人的資源も例外ではない。

 消耗し破損、命を落とした場合も、慰謝料を払ってハイお終い。状況によっては責任を取らずともよいという判決が下される。

「酒も呑めない子供一人を生贄にしろってか」

「違います」

「そうとしか聞こえねえな」

「別に必ずシステムが起動するという証拠はありません」

 それに、と発言者は千冬に目を向けてきた。

「世界最強の織斑先生が機械仕掛けの偽物を倒せない程度にしか生徒を鍛えていないとは思えませんが」

 この挑発に千冬は無言を貫いた。口を出した所で何の進展もない。

「どうでしょうか、織斑先生」

 この場の全員が千冬に目を向けた。皆が黙ったまま千冬の言葉を待っていた。

 他の意見が出せないでいる。千日手のように解決の為の時間もなく、反対の意思を表明しても他にいい手が浮かばない以上、消去法でこの案を使わざるを得ない。

 最悪、汀をこのまま差し出す事になる。当人お得意の自殺行為に、彼女を、子供を守るべき大人たちが。

 この発言者が千冬に対して敵意を持っているのは分かった。汀を利用しようと考えているのも。

 ……それらを踏まえて千冬は、

「いいでしょう」

「織斑先生!?」

 誰かの驚愕する声に手を翳し、抑えてもらう。

「汀への説明にはボーデヴィッヒを行かせます」

 千冬はしっかりと発言者に目をやった。

「織斑先生、いいのか」

 頷いた。

 それを見て教頭はソファに身を沈めた。

「なら、次の議題に行くか」

 

 

 

「次は――会場の警備か。予定ではどうなってる?」

 それぞれが頭の中の書類を読み上げ報告していく。

「会場警備は2年のイリーナ・シャヘトが各国政府高官の観戦ルームを担当、他に対空、対地、対潜に20機の生徒を割り振ります」

「それについて報告。警備に使う予定でした1機の随分と前に使用許可が出ていた件ですが、紛れていた書類が見つかりました。整備科3年が使用許可を正式にもらってます」

「そんな長期に渡ってですか?」

「彼女らの意地って奴です。こっそりと見に行ったらかなりのゲテモノに仕上がってましたね」

「ほう、見てみてえな」

『おい教頭』

 進行役が脱線するなと総ツッコミ。

「アリーナのバリアは安定しています。問題は以前のように練習機の後付装備以上の火力を必要とした場合ですが、」

 それにまた教頭が乗った。「山田先生が新兵器の講習に行ってるんだろ?」

「遅くなりました!」

 空気が澱んでいた室内に花が咲いた。山田 真耶が走って来てカフェインの輪の中へ。

「早いですね、山田先生」千冬が半身を切って自分の隣へ彼女を受け入れる。

「そうでもありません、つい話し込んじゃいました」そう言う彼女の手の中には図面らしき紙が巻かれている。

 各々が紙コップを持ち上げて空いたテーブルに山田先生が図面を広げた。

「これならあの時のバリアを破れるそうです!」

 教員達がその図面を覗き込む。

 …………暫し、沈黙。その後、

 

『何っっだ、これ!?』

 

「うわははは、ははははは!!」

「バカじゃないの!? これバカじゃないの!?」

「ううむ、刀剣の類いならば私でも一縷の望みがあると思ったのですが」

「いやISありきですよこれ。僕らじゃ無理ですって」

「ははっははひ、っだははは!!」

「山田先生、これは……」

「凄いですよね織斑先生! これならどんなバリアでもどんとこいですよ!」

「ははははは!! ばはははは!!」

『落ち着け教頭!!』

 ……と、一拍置いて。

 横隔膜が痙攣している教頭を山田先生に診ていてもらい、他の面々で図面の粗探しに入る。

 粗となる欠陥は螺子の一本も無い。だがまあ結論としては、

『使えない』

 の、一言だった。

 問題点を挙げればキリがない。辛うじて現行兵器の延長線上に形状が似通っているのだが、

「この形はやりすぎでしょ」

 教員の誰かが呟いた。

「あれだけのバリアを破るには大型化もやむを得ないと覚悟してたけど、こんなの機体どころか搭乗者がおかしくなります」

「そんな!」山田先生が教頭の背中を摩りながら反論する。「これしかないって彼女も言っていました! これが最高の打開策に間違いありません!」

「山田先生」目に隈の教員が加わった。「多分それはインスピレーションとやる気の問題です。話し込んだのもお互いハイになったからじゃないですか?」

「道が開ければ気持ちが高ぶるのは当然です! それにこれは正に芸術の域ですよ!」

 山田先生の言う事は尤もではある、あるのだが、

 この芸術品は人を選ぶ。扱いに習熟していなければ食い千切られる、じゃじゃ馬を通り越して赤兎馬の域。

 また、篠ノ之 束が再度襲来しない限りは手に余る代物を念には念をと作らせただけの話だ。

 使わなければ御の字。今必要という訳ではない。

()()、現状で使える生徒がいる?」

 誰かが言った言葉が全てだった。

 なまじ現行兵器に似通う部分があり、そのイメージで使おうとすれば関係のない所で負傷者が増える。

「駄目ですか……」

 消沈する山田先生を今度は教頭が労わる。うんいつも通りだ、と教員達が和む中で、

 千冬が図面から目を離せないでいた。

(奴め、何の冗談だ、これは)

 希望を見つけてしまう事が罪になるとは思わなかった。

 だが上手く行くと思えてしまった。不確定要素の横っ面に不安要素を叩き込むような所業だが、これなら他の何よりもマシだ、と。

 ……全ての議題を終えて、其々が電話線を差し込んでいく。

 隣同士の席に座り山田先生に状況を説明した。

 山田先生があの発言者に向かおうとするのを宥めて切り出した。

「山田先生。あの図面の実物は完成していますか?」

 もう涙目の山田先生は落ち着かない様子で、

「はい、もうアルミケースに梱包されていました」

 確認は取れた。

 千冬は受話器に電話線を挿し込む。突如鳴る着信音の相手にリダイヤルの回数を告げてから切り新しく電話を掛ける。

 ハンカチに手を伸ばす山田先生に「これでなんとかなります」と労って電話先を待つ。

 掛けた先は寮の一室。

『誰だ』

「ボーデヴィッヒ、私だ」

『教官!』

 一転して声色が変わる相手に用件を告げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これが昨日の午後、準決勝第2試合が開始されて少し経過した頃の事だ。

「――思えばあの時に確認を取っておくべきでした」

「…………」

「なぜ貴女が汀を出そうと言い出したのか」

「私は学園が取るべき最善の策を提示しただけです」

 千冬からの目線は位置関係上見下ろす形で、発言者の女性教員は堂々と言った。

 彼女は拘束されていた。何処とは言えぬ牢獄の壁に両腕を固定されている。嘗て加畑という少女もこの場にて同じ目に遭っている。

 千冬は懐から一冊の本を取り出した。ビニール袋に入れられており、革張りのカバーが施されたそれは、発言者の眉を動かした。

「貴女の指紋がついていました」

「それが?」

「貴女を拘束する理由だ。貴女はテロリストである姉の方の加畑と通じ、妹の方に犯罪を教唆した」

「…………」

「男性排斥主義者。この日記の中に出てくる『会のメンバー』とは貴女の事だ、違いますか?」

 ……沈黙は肯定。

 観念したのか発言者は訥々と語りだした。

「重要な部分は破り捨てたのに」

「なぜこんな真似を?」

「どうして分からないの? インフィニット・ストラトス。私達にしか動かせないように篠ノ之博士が設定した理由を」

 ……千冬の沈黙には何の意味が込められているのか。

「彼女は辟易していたのよ、世の男達に。固定観念に縛られた馬鹿な連中は彼女を排斥しようとした、男ではないからという理由だけで。彼女は理解したのよ。自分を理解できるのは自分と同じ存在、女だけだって」

 一番近しい貴女が何も分かっていないのね、と発言者は嘲笑する。

 対して千冬は未だ沈黙を通す。

 浅はかな推測で友人を汚されている事実に顔を歪めないよう必死に努力しつつ。

「……加畑は、彼女は最高の逸材(メンバー)だった」

 彼女が指すのは姉の方だろう。

 もみ消されこそすれど世界で初、ISを使った殺人未遂事件の実行犯。

 首謀者であるこの女と同じ、テロリスト。

「まさかISで警護されているなんて思わなかったけど」

 これは汀が義姉と慕っていた人物の事だ。奇しくも千冬のOGでもあった彼女の。

 彼女は汀を庇い、死んだ。理由はこの女が知っている。

 一人の少年を殺す為だけに一人の少女の未来まで奪った理由を。

「何故だ、何故、今になってまた汀を狙う」

 その質問に女は笑った。「何故? 何故ですって?」

 発言者の女が髪を振り乱す。「()()がこの世に在ってはならない物だとどうして分からないの?」

「知らないからだ」

「あれは私達の権利を侵すものよ。加畑も書いていたでしょ?」

 貴女には教えてあげない、と言って、彼女は笑い続けた。

 

 

 牢獄から戻る通路では、亜毛が棒アイスを齧って待っていた。

「不躾だが待たせてもらったよ」

「――何の御用でしょうか」

 目線をやらず、千冬は促した。

「いくつか新しく伝える事ができてね」亜毛はアイスを食べ終えると丁寧に棒を袋に戻し、「一つ目は首謀者の女性を此方で引き取らせてもらいたい」

 何の為だと問いただすと、「これ以上の狼藉は許しておけない、『会』とやらは潰させてもらう」と亜毛は即答した。

「二つ目は?」

 そう千冬が聞くと、亜毛は言い淀み頭を撫で付けた。

 二つ目の方が問題らしい。

「……彼だけではなかった」

「?」

 思わず振り向き亜毛を見る。そこに居る男は悲しい目で棒アイスのゴミを握り潰した。

「彼を実験台にした洗脳試験は早い段階で成功していた。それに気をよくした連中は新たに国益を掠め取る為に新たなスパイを養成、幸か不幸か偶然にもこの学園に入学していたよ、二人もね」

 ――千冬は愕然としつつも表情は変えず、「私の知っている生徒ですか」

「君以上に知る人間はいない」

 となると1組の生徒だろうかと思案をめぐらせていると、

 亜毛からヒントが飛んできた。

 

「ちーちゃんと束さんがそんなのさせる訳がない、か。彼女はこの事を知っているのだろうか?」

 

「――まさか」

 一国会議員、現国会最大野党の党首は告げた。

「織斑 一夏と篠ノ之 箒」

 

――この二人も、洗脳処置を受けている――



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46.グレー・スケール・チルドレン ④

 薄暗い医務室。怪我人を起こさないよう最低限の卓上ライトのみが二人を照らしている。

 ――まさか今年の1年生にもメスを握る事態になろうとは、と保健教諭は手術着から普段の白衣に袖を通して思った。

 通常ならば学校の敷地内に医科棟が存在する事が、というか手術器具が常備されている事からおかしいのだが、それなら看護師の担当も増やしてほしかった。都合よくも其処のベッドを勝手に占領して眠る生徒会長と、そのISが水分操作能力を有していなければ厄介だった。

 と、そこまで考えて思い出す。彼は男子でその素性を隠していた。いくら人手が居たとして今回には使えず、寧ろ何故自分達を使わないのかと不信感を煽り状況を悪化させていただろう。生徒会長を騙して使えただけ僥倖か。

「お疲れ様です」と織斑先生がココアを差し出してくれる。

 礼を言って受け取り、一口。

(…………足りない)

 普段ならばこの甘さで十分物足りるのだが今の彼女には糖分とカロリーが欠落していた。

「どうですか、汀は」

 んー? と保健教諭は定位置である自分の椅子に座り机に置いた瓶から飴を取り出しつつ、

「暫くは絶対安静、面会謝絶ですね」

 と、包み紙を急ぎ破り捨てて口に放り込んだ。

「予断を許さない、という事ですか」

 手早く三つの飴を噛み砕き、保健教諭は、何ともいえない、と回答した。

「というか予測がつかないんです」その答え以外で今の彼に当てはまる言葉はない。「私は最善を尽くし、結果、山は越えたとしか言えません」

 と言って保健教諭はココアを一気に飲み干した。自画自賛で匙を投げるような言い草だが他に言い様はない。

「……ゴーレムのISコアは見つかりましたか?」

「精査を掛けましたが判別はできませんでした」

 判別できない? と織斑先生が鸚鵡返し。

「以前に見られたノイズも、ISコア同士のネットワーク構築プログラムへの反応も見られない。触診した限りでは完全に人体と一体化しています」

 人体と無機物(ISコア)の融合。彼とゴーレムのISコアは完全に一次移行を完了させたのだろう。織斑 千冬と篠ノ之 束の会話を知らない彼女には判別しかねるが。

 ……保健教諭は彼を見る度に、彼の置かれている事態と医者としての自身の無力さに嘆いた。

「――17回」

「…………」

「私も試合は見ていました。汀さんは偽織斑先生の剣を回避も防御もできず、17回斬りつけられている」

 あの程度で済んだのは(ひとえ)にVTシステムの欠陥と、グレイ・ラビットの形状によるものだとつくづく思う。

 VTシステムの刀は液状化したシュヴェルツェア・レーゲンの装甲だ。正しく鍛え上げられたそれらとは比べるまでもなく脆い。織斑 千冬という礎、型が在ってこそあれ程の打撃力、脅威となったのだ。

 VTシステムの刀は脆かった。脆い刀は刃毀れも多い。

 更に汀のISスーツは形状こそそれだがその実はISそのものであり装甲だ。布とは遥かに硬度が違う。

 堅いISの装甲とぶつかり、刃毀れを起こしつつも肉を切り裂き剥離した刀身は汀の体内に蓄積され、システムが機能停止したと同時にその形状を変化させた。……元の液状化した装甲に。

 人体にとって金属がそのまま体内に入り込む事は毒以外の何物でもない。さらに血液と同じ形状となれば血流と混ざり循環、その中に毒を撒き散らす。

 輸血パックをそれこそ湯水のように用い、生徒会長に絶えず循環させて洗い流したとは思うがそれでも不安は拭えない。

 抉られてぽっかりと開いた左目から血と眼球だった液体が溢れる度に、胸の何かが締め付けられた。

 脳こそそれこそ門外漢。自分には理解できないが、傷ついていたら後遺症は不可避だ。

 どれ程苦しかっただろう、辛かっただろう、痛かっただろう。

 ISの生命維持機能は脳内麻薬の分泌促進や果ては痛覚遮断まで行うと聞くが、それにも限界はあるだろう。

 何も言えない。命を繋ぐ事に成功したとしか。

「織斑先生?」今度はこちらから聞く順番となった。

「何でしょう」

「どうかしましたか?」

 織斑先生にしては心ここに在らず、といった表情をしていた。

 指摘すると織斑先生は一層に気を引き締めて、

「少し疲れたようです」と言って礼をし、汀を頼みますと言って医務室を後にした。

 ……起きているのは自分一人となって、保健教諭は並ぶベッドに目をやった。

 重症患者は別室で眠っているからこの後見に行くとして、この場を去る前に患者達の様子を見ておくのも勤めと思ったのだ。

 更識姉妹、姉の方は疲れて泥のように眠り、妹の方はゆっくりと寝息を立てている。目の辺りが少し赤いのは彼を心配しての事だろうか。

 ラウラ・ボーデヴィッヒは軽傷で早くに出て行った。織斑先生となにやら話していたようだが敢えて聞くような真似はしない。

 そして最後に篠ノ之 箒――

「――篠ノ之さん?」

 更識 簪に比べ軽傷だった彼女が居ない。主の居ないベッドは整然と整えられ、シーツまで剥いで畳んである。流石に洗濯や交換まではできなかったようだ。

 思わず笑みが浮かんでくる。年頃の少年少女にはよくある事だ。自分の状態を過信して、礼を言うのが気恥ずかしい。

 仕方ないなあとベッドを離れ、保健教諭は医務室に点く全ての明かりを消した。

 

 

 

――理由は分かるが手段が分からない。解決策もだ――

 

 亜毛の言葉を思い出しつつ、千冬は廊下を進む。

 実の弟と、親友の妹。

 二人に悪意の手が及んでいる事実は、流石の織斑 千冬という人間にも動揺の色を落としこんでいた。

(そんな素振りは全くなかった)

 千冬は人を見る目はあるつもりだった。人の機微ではなく立居振舞による違和感などだ。

 だが汀は当然としても、箒も、一夏ですらも見抜けなかった。洗脳というのはそういうものだと頭ごなしに押さえつけられる気分だ。

(たった1年でか)

 1年間、ドイツへ行った。その後IS学園に勤め、出来る限り家には帰っていたつもりだ。

 たった1年、その場を離れただけで、こうも簡単に全て崩れ去るのかと。

 これまでの弟を思い返す。――何も変わらない。唯一無二、たった一人の弟だ。

 ……思考を切り、千冬は歩を進める。

 今日で何度舌を食いそうになったか思い出せなくなった頃。

 今最も話がしたい相手からの電話が掛かってきた。

「!」直ぐに通話のボタンを押し、名前を呼んだ。「束」

『やあやあちーちゃん! 昼間振りだね!』

「……束、お前は」

『知ってるよ』

 息を呑んだ。そして聞く。

「――、お前ならどうする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新しい玩具(オモチャ)は遊ばないと意味がない。自分で作ったならば尚の事、誰かに教えたくなるものだ。

 もしも封すら開けずにショーケースに仕舞うようならその輩はナルシストか鬱病のどちらかだ。

 その点に於いて篠ノ之 束は正しくも子供で、天災だった。

 

――ゴーレムⅡ――

 

 彼女が意のままに操る機体は、轟々と揺らめく炎に照らされていた。

 その様を眺めつつ束は携帯電話越しの親友からの質問にこう答えた。

「対策はあの石ころが示してくれたよ! 正確には不器用なグレイ・ラビットがね!」

 汀が? という親友の言葉に、そうかあの石ころは汀というのか、と新しい玩具の存在に目を輝かせる。

『汀の洗脳は解けたのか』

「正確には対策というより折衷案かな? いずれにせよあの子達にしか使えない手だから何か考えないといけないけどね」

 愛する妹と親友の弟、そして愛する子供(IS)達に、この手はあまり使いたくない。

 友人を守れず自問自答をくり返した者にしか出す事の出来ない、自己犠牲による打開策。

 それを見守り続けた束だからこそ知っている。この方法はグレイ・ラビットと汀 某を結びつけた絆の結果だと。

「それで、どうする?」束は切り出した。「ちーちゃんが良ければ束さんの方で何とかしてみるけど?」

 親友の弟も当人が知らずの内に酷い目に遭っている。親友の手ではどうしようもない筈だ。

 だが、

『いや、いい』束の提案を親友は突っぱねた。『お前一人に任せるのは癪だ。此方でも何か考える』

(――そう! そうだよ!)

 そうでなくては織斑 千冬、束の親友ではない。束は期待通りの答えに歓喜する。

 決して自分を異物扱いしないその態度。特別扱いをしない特別。だからこそ束は千冬の事が面白い。

 そしてその弟の一夏も。実妹も今は反抗期なだけだ。

 ――と、その意を態度で示そうとすると、この世で最も愛すべき人物から電話が入る。

 即座に通話を切り替えた。

「もすもす終日(ひねもす)~!? ハーイ貴女のお姉ちゃん篠ノ之 束だよー!!」

『…………』

「……あり?」

 不発はいつもの事、だが普段の妹ならばその場で電話を切ろうとする。

 今回に於いてそれがない。

「箒ちゃん?」

『――姉さん』

 ――泣いていた、愛する妹が。恐らく誰も居ない場所で。

 苦しめたのは誰だ。傷つけたのは誰だ。

 この子をこんなに苦しめる連中を許すことは絶対にない。一人残らず探し出し、一生を掛けて後悔させる。

 ――不の感情を押し殺し、努めて明るく、諭すように、

「大丈夫!」

 辛く、苦しい心の内をほぐすように、

 そう言った。妹だけでなく自分にも言い聞かせて。

(大丈夫。悔しいんだね、悲しいんだね)

 大丈夫。彼女の事は、自分が良く分かっている。

「そんな箒ちゃんに赤を上げよう! 何者にも負けない赤。白に並び立つ赤を!」

 

 

 ……妹との大切な時間を過ごし、終わるまで待っていた親友の小言をなあなあで聞き流して、

 千冬はゴーレムⅡのカメラを空に向けた。

 妹が泣き出すまでそこには影があった。今はもう空に溶け込み消えている。

「でね? 新しく作ったゴーレムでドイツの不細工研究所を吹っ飛ばそうとしたんだけど」

 待たされて侘びもなく次の用件に入られた親友は『……それで?』

 

「私がやるよりも先に吹っ飛んでたよ」

 

『何だと!?』

「だから私はやってない! それじゃ」

 おい待て! と聞こえた気がする携帯電話をその辺に放り投げた。

 ゴーレムⅡのカメラを今度は手元に向けさせる。

 シリーズ特有の大きな腕部、それが篝火程度に燃える破壊の痕で照らされる中、

 その中に一人、少女がいた。

(どこかで見た顔だ)とつい瓦礫の下から取り上げさせてしまったのだ。

 まだ息がある事に、束は(どうしようか)とつい思ってしまう。

 篠ノ之 束にとって人間とは愛する妹と親友とその可愛い弟で、それ以外は石ころとなんら変わらない。

 だが変わらないとはいえ、例えその石ころ共が自分の制作物を改悪したとしても、その成果を()()()()()()を出す事なく成果のみを無に帰すだけで済ませるくらいには人格者のつもりだ。

 つまり態々拾い上げた命を瓦礫と火の中にもう一度戻す事ができる程の悪人ではない。

「…………まあいいよね!」

 束は自分が大人であるという事を盾にした。生き物の世話くらい自分一人でもできる。

 ゴーレムⅡにはそのまま帰還させて、束は自分のものでない寝床の用意に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煌々と照らしていた車の火は消え、元の静寂を取り戻した地下駐車場。

 これまでとは違い、静穂は燃え尽きた車のボンネットに腰掛けている。

 たった一人、何に目を向けるでもなく、

 ただ其処に座り続ける。

 そんな彼に、客人が一人。

 エプロンドレスだろうか、以前にどこかで見たような衣装を身にまとう女性だった。

「キミはいつまで寝てるのかな?」

 歌声に通じる耳通りで、彼女は静穂に投げかけた。

「……いつまでですかね?」

 質問に疑問で静穂は返す。

 正直、静穂にも分からない。どうして自分はここにいるのか。

 燃え尽きた車達は静穂が激昂した証だ。そして静穂が解き放たれた証でもある。

 解き放たれた筈だ、洗脳から。名も知らぬ大人達の悪意から。

 だがそれが静穂の足を鈍らせていた。

 ――今、静穂は気付いた。

「……怖いんだと、思います」

 燃え尽きた地下駐車場から出る事が、静穂は怖い。

 そこから出るには、今の静穂は弱すぎる気がして。

 これまでは命令を聞くだけでよかった。考える余地などなく、ただ命令の通りに動けばそれで許された。

 失敗しても命令されたと言えばそれで良かった、許されたのだ。

 洗脳は後ろ盾だった。これからは、それがない。

「それで」エプロンドレスの彼女は尋ねた。「それで、この世界、楽しい?」

「……ここを出たら、楽しくなります?」

 質問を疑問で返す。彼女は答えない。

「――だったら、出てもいいかな」

 その答えは、正解だったようだ。

 

 

 ――目が覚めると、指一本がまるで横倒しになった物置のように重い。

 自分以外は誰もいない、だが夢とは違う状況で、静穂は一人、天井を眺めていた。

 ……網膜に直接映る計器群の中に、ふと便箋の形を見つけた。

 目線で操作、便箋を開く。

 

――今日からキミは、しーぴょんだ!

                  束――

 

「…………どちらの束様?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騒然となった。

「居たか!?」

「いいえ! 射撃場には来ていないそうです!」

「あの傷で遠くには行けない筈だ。居るとしたら学園の中だよ」

「アンタ達! シズ居た!?」

「鈴! そっちはどうだった!?」

「屋上は封鎖されてた! シズならまず行かないわ!」

 ――汀 静穂が病室から消えた。保健委員の一人が当番で彼女の様子を見に行くと、そこに眠っている筈の、包帯で半分マミーと化した眠り姫は居なかったのだ。

 抜け出したか、攫われたか。IS学園のセキュリティで誘拐事件はありえない。

 ならば前者なのだがその理由と居場所がまるで分からなかった。

 彼女が一番に行きそうなのは食堂か射撃場。一番彼女を知っている1組の面々は空腹で食堂に居ると踏んでいたものだからさあ大変、本当に一体何処へ消えたのか。

「もう一回行くぞ! すれ違いになってるかもしれない!」

 一夏の号令を受けて、その場にいた面々が散っていく。

 その中で一人。

(屋上は封鎖されていた)

 シャルル・デュノアだけが出遅れていた。

「静穂なら行かない……?」

 

 

 普段から屋上に通じる踊り場には用具入れがあり、その中にはカラーコーンとコーンバーが収納されている。

 プラスチック製のそれらはとても軽かった。それこそ重傷患者でも気合を入れたらその場を封鎖する用意ができそうな程に。

 バーを乗り越え扉のノブに手を掛ける。初夏の風が彼女の編まれた髪を揺らす。

 普段は生徒達の憩いの場となる場所を、今はたった一人が独り占めしていた。

 ベンチに身を預け、彼女と同じく風に髪を揺らしている。

「……静穂」

 シャルロットはそのまま彼に近づいていく。

 散々たる姿だ。病衣の上に制服の上着を引っ掛けるだけの彼は、顔の右目と口元以外、全身を包帯に覆っている。右腕など肩口からギブスで固定され指先まですっぽりと包まれていた。左腕には点滴スタンドから伸びる管が繋がっている。スタンドを杖にここまで来たのだろうか。

「座ったら?」

 突然喋りだした静穂にシャルロットは肩を震わせた。

 おずおずと静穂の隣に座る。静穂が口を開いた。

「やあ、シャルルくん」

「静穂」

「起きたらこんなにぐるぐる巻きで驚いたよ。テレビを点けたら特撮番組が来週やる筈の回をやってるし」

 まるで浦島太郎だ、と静穂はくすくすと笑った。

「……どうして入り口を封鎖してたの?」

 シャルロットの問いかけに静穂は、

「実験」と答えた。

「何の?」

「私が居なくなったら何人くらいが慌ててくれるかなぁ、って」

 シャルロットは絶句した。そんな興味本位で自分たちを心配させたのかと。

 いい加減にしろ、と怒鳴ろうとして、はっとする。

(これまでの静穂は、こんな悪戯はしなかった)

 悪戯という年ではないが、それをやるなら同じクラスの岸原 理子などがやりそうではあるが静穂はそれらに当てはまらない。

「本当に、静穂なの……?」

 ありえない問いかけをしてしまった。目の前にいるのは確かに彼の筈なのに。

 慌てて取消そうとするも、

「どうだろう、自分でもわからない」

 まさかの答えが返ってきた。

「だからまずは知りたかったのだと思う。わたしが叫んで、暴れて、泣いたりしないでも、誰かを動かす事ができるのかどうか」

 なにが静穂を静穂たらしめるのか。

 思春期ならば誰もが通りそうな道を、静穂は漸く歩き始めていた。

 それまでは抑圧されていたのかとシャルロットは思う。何かの型に押し込められて、汀 静穂である事を強制させられたとしたら。

 まるで自分と同じに見えた。シャルル・デュノアとして、男子としてこの場に居ざるを得ない状況。静穂も同じなのではないか。もしも出会う前から汀 静穂として操られていたのであれば、

 今の彼は何者なのか。

 そう考えて、ふと思い出した。

「静穂、覚えてる?」

「?」

「静穂、最後にぼくを押し出したでしょ」

 静穂が目を泳がせる。操られていた時の記憶は曖昧なのか。

 静穂に灰色の鱗殻(グレー・スケール)のアッパーカットを決め抱き寄せた時、静穂はずっとシャルロットに攻撃の素振りを見せていた。

 そしてVTシステムが再起動した瞬間、静穂の素振りは実体を伴い、結果シャルロットはラファールによりほぼ無傷で生還している。

 その時の静穂の表情が、脳裏から離れなかった。

 

――慈しむ、まるで母親のような表情の彼――

 

「あの時の静穂が、本物の静穂なの?」

「…………」

 静穂はシャルロットの目を見て、眩しそうに右目を細める。

「それは別の人だね」

「別の人?」

 多重人格を騙るまでに精神年齢が下がっているのだろうか。

「私を助けてくれた人の、……そう、真似が出たんだと思う」

 羨ましい、わたしはもう見られないから、と静穂は目を閉じる。

 目の下を走る包帯に、僅かな大きさの透明な染みができた。

 きっと大切な人なのだろう。こちらを安心させる為に、つい表情が出てきてしまう程に。

 

 

 シャルルが駆け足でトーナメント結果などを説明していく中、シャルルは伝言を思い出した。

「そう言えば、静穂が起きたら、って織斑先生から伝言があるよ」

 

――無効試合なので保留とする――

 

「だって。何の意味?」

「――内緒」

「……そういうところは変わらないよね」

 そう言えば静穂がどうして学園にいるのか、世界で二人目の男子としてではなく女装をしてまで隠しているのか、シャルロットは知らない。

 逆に静穂はシャルロットの秘密を知っている。

「不公平だ」

 不満を漏らすと静穂が痛い所に食いついた。

「そういえばシャルルくん」

「誤魔化されないよ」

「シャルルくんはシャルルくんのままなんだね」

 うっ、とシャルロットは言葉に詰まった。

 確かにシャルロットはシャルル・デュノアのまま男子の制服に袖を通していた。

「その、打ち明けるタイミングを逃しちゃって」

 うわぁ、と静穂が口を開ける。

 静穂にはまだ話せていないがラウラと一夏の関係で一悶着あったのだ。

 そのままずるずると一週間。何度山田先生に打ち明けようと思った事か。結果としてできはしなかった訳だが。

「……なんとかしたい?」と静穂が聞いてくる。

 当然だ。もう包み隠さず真に1組の仲間になりたいとシャルロットは心の底から思っている。別に胸を隠すのが辛くなってきた訳ではない。

 迷う事なく肯定した。

「――ならこっちの頼みも聞いてくれる?」

 そう聞いてくる静穂の表情は、その大部分が包帯に隠されていても、今までの彼に見た事がないと判別できる程に蠱惑的で、それでいて中性的、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。

 思わず息を呑む。右目一つに吸い込まれる。

 本当に別人かと思い始めたその時、

 

――見つけたぁあっ!!――

 

「あ、師匠にお鈴だ」

「オルコットさんに鳳さん!?」

 爽やかだった風が一瞬にして暴風へと変わる。

 青と赤、2機のISが推進器を吹かし滞空していた。

「こぉらシズッ! アンタいたなら返事しなさいよ!」

「ごめん、疲れて寝てた」

「そんな身体で抜け出して! どれだけ心配したと思ってますの!?」

「うん、ありがとう――わぷっ」

 素早くISを解除したセシリアが静穂に抱きついて頭を撫で始める。まるで姉妹のようだ。片方は男なのに。

 おぼつかない左手でタップする静穂は撫でられたまま、

「シャルルくん、頼みを聞いてくれたらその時に話すよ」

「アンタ何の話よ」

「二人に遮られた話の続き」

 むう、と鈴がむくれると勢いよく扉が開いた。

「いたぞ嫁よ」

「静穂! 皆もいるなら呼んでくれよ!」

 ラウラと一夏だ。二人の姿が見えるや否や、

 

――鈴が青龍刀を呼び出しセシリアがBTライフルを構えた――

 

「わたくしは絶対に認めませんわよ!!」

「今日こそアンタの間違った日本観を叩き直してやるわ!!」

「へ!? へ!?」

「あー、まだ言ってなかったね」

 丁度いい意趣返しなので黙っておこうと心に決めたシャルロットだった。

 するとラウラが、

「待て。私は汀 静穂に用がある」

 ずかずかと、警戒する二人を余所に近づいて来る。

 セシリアの抱き寄せる力が強くなる。傷口が開きそうだ。

 遂にラウラが静穂の前に来た。

「息災か」

「へ? あ、どうだろう」

 どう見ても息災ではない。

「起きているではないか」

「えと、眠れなくてね、うん」

 どこか焼き増しを髣髴とさせる会話。

 ……暫し、沈黙。切り出したのはラウラから。

「貴様には感謝の意を伝えたい。援護と救助、助かった」

「あ、どうも」

 深々と90度の角度で頭を下げるラウラに静穂もつられて頭が下がる。

「そこで本国の意向に沿い、私も賛同した」

 

――貴様を我が部隊に招き入れる事とする――

 

『…………へ?』

「わが国のIS配備特殊部隊、シュヴァルツェ・ハーゼ。本日只今を以って貴様は当部隊へと特別に配属、私の部下となる」

『え、なにそれ』

 全員で説明を希望する。するもラウラは止まる事なく、自らの眼帯を包帯の上から静穂の左目部分に宛がい、

「副官曰く日本には、傍に同姓を置く場合、自らが着用する物品をその者に装着させる習慣があるそうだ」

『待って、何かがおかしい』

 手を回して紐を結び終えると、ラウラは満足そうに頷き、

 

「今日より貴様を私の義妹(いもうと)とする!!」

『ど、ど……、』

 

――どうしてそうなる!?――




 これにて原作二巻分を終了とさせていただきます。
 一巻分終了時と同じく活動報告を書く予定です。
 これからも拙作を宜しくお願い申し上げます。
 では三巻で。

 ……これから戦闘回は減らしたいなぁ。


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47.漸くのスタートライン ①

 望もうと、望むまいと、

 檜舞台に立ったからには、演者はその役を演じきらねばならない。

 寄る辺でもなく、大樹でもなく、

 ただ側に、並び立ちたいと願う、その思いだけを、押し通すとしても。

 檜舞台に、皆縛られる。嘲り笑う観客を前に、果たしてどちらが踊るのか。

 ――だが、ただ一人、

 黒子だけが、自由なのかもしれない。

 自由だからこそ、正さねばならない。

 全ての間違いを、正さねばならない。

 たとえその場に身を晒す事になったとしても。

 否、その時のみが、

 その時のみ、黒子は高く飛べるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 IS学園、正門にて。

「じゃあ行こうか」

「あれ? 松葉杖はどうしたんだ?」

「リハビリも兼ねて杖なしで行ってみようかと」

「……無理すんなよ?」

「信用ないなぁ」

『…………』

 

 

 IS学園の最寄り駅にて。

「このモノレールも久しぶりだよ」

「静穂はあまり外出しないのか?」

「学園の購買で事足りるからねぇ」

『…………』

 

 

 最寄り駅から数駅。駅一体型のショッピングモールにて。

「こういう場所でエレベーターって使いにくいよな」

「健康だとそうだね。でも今のわたしなら堂々と乗れる気がしない?」

「そっちの意味じゃなかったけど、むしろ乗らないと駄目だろ。ほら」

『!』

「え、何その手」

「転んだりしたら大変だろ? しっかり掴まれよ」

「――じゃあお願いします」

『…………』

 

 

 …………、と、このように。

 遠くもなく、近くもなく。

 二人が学園を出てからこの方、一夏と静穂の後方に、今は自動販売機の陰に身を潜める少女達の姿があった。

 セシリア、鈴、シャルル、ラウラの四人。箒こそ居ないがいつものメンバーである。

「なによ一夏の奴」と鈴。「静穂にだけは優しいじゃない」

 そこにシャルルが反論。「でも静穂は怪我人だからまだ当然と言えば当然だよ」

 するとセシリアが不満を口にする。「ですがあの紳士振りを普段から発揮してくれていたらと思うと……」

 ああ……、とラウラを除く三人が溜息を吐いた。

 確かに別段の意図はなしにあれくらい軽度且つ適度にスキンシップをとってくれたらどれ程の極楽かと三人は思う。だがボディタッチ即ち愛情表現ではない事に彼女達は気づいていない。

 尾行の真っ最中に対象から目を離している彼女達を他所にラウラがうんうんと頷き、

「流石は嫁と義妹(いもうと)、いい連携だ。では私も合流――」

『!!』

 ――自動販売機から離れた途端、三人から影に連れ戻された。

「? 合流してはいけないのか」

「当たり前でしょうがこのバカ!」

「それではせっかくの尾行が水の泡ですわ!」

 尾行って……、とシャルルは苦笑いを浮かべた。

 

 

 この尾行のそもそもの原因は、先のトーナメント直前に流れた箒と一夏の約束にまで遡る。

 

――トーナメントに優勝したら付き合ってもらう――

 

 当事者間でのみ有効であったはずのこの約束だが、いつしか尾ヒレがついて泳ぎ出し、

 

――トーナメント優勝の賞品は男子との交際権である――

 

 とまで発展していた。

 この噂はクラスを越え学年を越え、学園中に行き渡り、ちょっとした騒ぎにまで発展する。やれ学年別優勝者で最後の一人になるまで戦うのか、やれ優勝インタビューで報告してもいいのか等々。

 そうして先日、1年の部が終了したのだが、その終わり方に問題があった。

 没収、無効試合だったのである。つまり明確な優勝者が居ないのだ。

 更に今回のトーナメントはタッグ形式で行われた。其処も事態をややこしくさせた。一体どちらがどちらの交際権を取得するのかだ。

 幸いと言って良いのかどうかは定かではないが、決勝進出者のうち二名は男子であり、消去法でその権利を取得できたであろう人物は特定されている。

 要するに問題としてはラウラと静穂、この二人に男子との交際権を授与されたとして良いのかどうか。

 もしも試合が恙無く終わっていればはっきりとしていた。だが試合内容はラウラが機体の暴走、一夏が機体の機能停止、静穂は肉体限界で生徒会長に押さえ込まれ、シャルルが弾切れによる継戦能力の喪失と、散々たる状態で幕を下ろしたのだ。もし続いていたとしても試合の様相を呈するかどうかすら怪しい。

 そんな喧々諤々の状況下でラウラのキスからの嫁宣言などもあったがそれはさておき。

 

 

 汀 静穂は廊下にいた。

 肩に掛けた制服の裾が揺れ、松葉杖でひょこひょこと進む。

 完治にはまだ遠いのだが、PICで浮かんででも授業には出ろという織斑先生からのお達しに従い、静穂は廊下を進んでいた。

 実際のところ松葉杖はオマケだ。静穂は今、耳のない某ネコ型ロボットのように超低空をPICで浮いている。普段から履く長い丈のスカートで足元を隠し、一本の松葉杖に目線を集めて誤魔化している。

 正直、自分の足で歩くよりも辛い。早過ぎず遅過ぎず浮き過ぎず。歩行の際に生じる上下動までPICで再現しなければならない。

(……痛いなぁ)

 傷の事ではない、傷に関しては動けるまでに回復している。PIC無しでは未だ歩けず、痛み止めも必要ではあるが。

 痛いのは視線だ。好奇とも畏怖ともつかぬ視線が、すれ違う度に注がれる。PICがバレてはいないだろうかと冷や汗が流れる。

 見世物ではない、と言えばそれで済むのだろうか。それとも自意識過剰と蔑まれるか。

(?)

 ひそひそと話す女子達の前を通り過ぎる。

「もう動けるなんて」

「聞いた話だと這って試合の続きをしに行ったとか」

「……化物?」

(聞こえているんだけどなぁ)

 今や身体機能の一つとなったハイパーセンサーが内緒話を勝手に聞きつけ音声を拡大して静穂の耳に届けてくる。

 それにしても、

(化物、か)

 内緒話に出てきた単語を、静穂は脳内でくり返した。

 確かに他人が静穂の現状を知れば誰もが化物と言うだろう。

 体内にISコアを有し、一次移行を済ませ、正式にIS、グレイ・ラビットの主となった静穂は、その気になれば小指一本で生身の人間を葬り去るだけの膂力を持余している。

 自身の事でなければあまり近づきたいとは思えない。ラビットが消え、自身で制御できるようになった今でこそ平気を装えるが、それまでの静穂は他者を簡単に傷つけてしまう状態だった。

(師匠やお鈴もそうなのかな?)

 以前に織斑先生は、今の静穂を専用機持ちと同じだと表現した。

 落ち着いた今だからこそ、その意味が分かる。

 人をた易く傷つけられる力を持っていて尚、それを御する精神が必要なのだ。

 御する精神は、それを持つ事自体が義務だ。持たなければならない。持っていなければならない。

 ラビットに振り回され、責任をラビットに転嫁していた自分は、織斑先生の言う通りとても不快に映っていただろう。

 松葉杖を掴む左手に、思いもよらず力が篭る。

 木製のグリップは割れず、指先まで巻かれた包帯が擦れる音がした。

 化物の握力は、完璧に抑えられている。

(うん、大丈夫)

 静穂の中にラビットはもう居らず、代わりに責任が残った。

 彼女の分まで生きていくという責任が。

 ――廊下をひょこひょこと進んでいく。

 病室から教室までは、ほんの少し遠い。

 

 

 やっと教室までたどり着くと、廊下で代表候補生が団子になっていた。

「ですからタイミングが重要だと思いますわ」

「お昼ご飯に誘う勢いじゃ駄目なの?」

「シャルルは同じ男子だからそう言えるのよ」

「私が行けば」

『それは駄目!』

「おはよう」

 声を掛けると内側から弾けたように広がった。

 セシリア、シャルル、鈴、ラウラ。

 集まるだけで絵になる面々が一斉にこちらを見る。

(うおぅ)とついのけ反りそうになった。

「む。義妹(いもうと)よ、眼帯はどうした」とラウラが静穂の顔を指摘する。

「義妹じゃあないし、包帯を巻いているし。傷口を圧迫しちゃうから着けられないよ」

 勢いに押されながらも静穂は「何の話? もうすぐ(ショート)(ホーム)(ルーム)始まるよ?」と伺ってみる。というかラウラはいつの間に溶け込んだのか。

「オルコットと鳳が嫁に水着を選んで欲しいようでな、私に許可を求めてきた」

「ちょっと待ちなさいよ!」

「わたくし達は認めておりませんわ!」

 三人がISを部分展開し睨み合う。そんな簡単に力を行使していいのか代表候補生。

 仕方がないので静穂はシャルルに続きを促した。

「で、何があったの?」

「あ、えっとね――」

 

――要約。臨海学校の買い物と称してデートがしたい代表候補生達――

 

 成程、と静穂は頷いて、

「つまりシャルルくんも一夏くんとデートがしたい、と」

「ちょっと!?」

「え、違うの?」

「違、ええっ!?」

 いやでも僕は男だし、でも本当は、あれぇ!? と。

(うわぁ)

 三竦みでISを部分展開し睨み合う専用機持ちと、思考の坩堝から帰って来られず頭を抱える専用機持ち。

 これらを見て静穂は(面白いなぁ)と思いつつ気付く。

(わたしもこう見えているんですか? 織斑先生……)

 傍から見ていれば面白くとも、自分もその内に入れられるのは勘弁願いたい。

 せめてここまでではないと思いたく、静穂は行動に移った。

 四人を放っておいて静穂は教室の中、一夏の許へ。

 いつも通りの彼が其処にいた。

「おう、静穂。具合はどうだ?」

「おはよう。ちょっと複雑かな」

 主に廊下のせいで。

 なんだそれ、と一夏は笑う。

「そういえば静穂はカウンセリングをもう受けたのか?」

「え、何それ」

「保健の先生が念のために受けろって言うんだ。俺ってそこまでひ弱に見えるか?」

「……、でも受けた方がいいよ」

 確かに今の彼を見る限りではその心配はなさそうではあるが。

 そんな彼に静穂は切り込んでいく。

「一夏くん、今度の休みは暇?」

 廊下で物音がした。

「暇だけど何だ?」

「師匠とかお鈴とか、いつものメンバーで買い物にいくけど一夏くんもどう?」

「ああいいぞ」

 じゃあ後で、と言って別れ、静穂はもう一度扉へ近づき、そっと覗いていた彼女らに対し一言。

「という訳で、よろしく」

 そう言って静穂は自分の席へ。

 廊下から4回、凄い音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そして現在、彼女達は一夏と静穂に合流する事なく二人を追跡している。その理由とは、

 セシリアが再度確認するように語り出した。

「よろしいですか? この前すんなりと一夏さんをデ、……買い物に誘う行動力からみて、静穂さんは男性との接し方についてわたくし達よりも経験がある様に思われます」

 接し方も何も静穂は男だからだと思うけど、とシャルルは思うが口には出せず。

「静穂さんには後で合流すると伝えてあります。わたくし達の目的は二人を観察し、静穂さんがあの権利を行使したのかどうか、それを見極める事」

 あの権利、トーナメント優勝の賞品であった男子との交際権を、同じ男子の静穂が?

「なるほど。未知数の敵に対する情報収集のようなものか」

「そんなに上手くいくかなあ?」

 シャルルにしてみれば同性愛などフィクションの産物以外にはないと思うのだが。

 そうシャルルが言うと鈴が、

「アンタ、そんなんでいいの?」

「えっ?」

「しっ!」

 セシリアの号令で伸ばしていた首を急ぎ戻す。

 一夏が後ろ、こちらを向いていた。

 こういう時だけは勘がいいわね、と鈴が毒づく。

「今回は静穂さんを知る為でもありますわ。今日の味方が敵となるなんて、とても許容できませんもの」

 静穂を知る、とはどういう事だろうか。

「じゃあ聞くけどアンタはシズの事をどれくらい知ってる?」

 その問いかけにシャルルは答えられなかった。

 知っているには知っている。だが理由までは分からない。

 どうして女装をしているのか。身体の傷痕は何なのか。

 銃の腕は何処で習ったのか。どうして操られていたのか。

 どうして何も言わないのか。どうして傷だらけになっても笑っていられるのか。

 傷の治りが早すぎないか。あの頼み事は無茶苦茶だとか。

 言いたい事が多すぎる。知っている事は殆どない。

「というか、あたし達全員、静穂について何も知らないのよ」

「私は知っているぞ」

 !? 三人が揃ってラウラを見て、

「義妹は良く食べる」

 膝から崩れた。

「そんな事、ずっと前から知ってますわ……!」

「と、とにかく。これ以上ライバルは要らないのよ」

(本音はそれなんだね)

 一夏争奪戦に静穂が参戦してほしくないのだ、要は。

 それについてシャルルは何の心配もしていない。

(だって静穂は男の子だから)

 だがそれを知っているのはシャルルのみ。そこにシャルルはちょっとした優越感を得た。

 ……とにかく。

「やっぱり良くないよ」

 聞いてみたいとは何度も思った。けれどこの尾行でその答えが得られるとは思えない。

 他人のプライベートを覗き見る真似はあまりしたくなかった。自分が探られると痛い腹を持っているというのもあるが。

「シャルルさん、ここまで来たら一蓮托生ですわ」

「そうだな、訓練の一環だ」

「シャルルだってシズの好きなタイプとか知りたいでしょ?」

「なんで僕が静穂の!?」

「! 見失いますわ!」

 ちょっと!? というシャルルの反論が届く事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな珍道中紛いの尾行が行われている事など露知らず、二人は買い物を済ませていく。

「宅配にして本当に良かったのか? 送料がかかるだろ」

 缶コーヒーを手渡しながら一夏はベンチに座る静穂に聞いた。

「別に疚しい物は買ってないし、量も多かったから。一夏くんに到底持たせられる量じゃあないよ」

 缶コーヒーのプルタブを開けられず一夏に開けてから渡し直してもらいつつ、静穂は説明する。

 ――スポーツ用に落ち着いたとはいえ兵器としても扱われるIS、絶対防御があるとはいえその教育機関となれば怪我で運ばれてくる生徒の数も少なくはない。

 だが静穂のように消毒液や生理食塩水を湯水のように消費する患者が現れるのは予想外だったらしく、業者の補充まで余裕が無いという事態に陥った。

 そこで静穂がリハビリと自分の買い物をも兼ねてショッピングモールに買出しに出る事になったという訳だが、其処にどういう訳か職員室の教員陣からも要請が来たと言う。お釣りはいいですから! と職員室代表の山田先生から渡された金額はお釣りの方が多いらしい。ちなみに一夏が手伝った事と言えば宛名書き。

 静穂個人の買い物は全て薬局で事足りるものばかりだった。シャンプーとリンス、石鹸、ガーゼに包帯、消毒液等々。それも一緒に宅配で任せてある。二人が今持っているものは財布と今飲んでいる缶コーヒーくらいだ。

「でもこれって皆で買い物って感じじゃないよな」

「――、そうかな?」

 一夏が顔を覗くと、静穂は澄ました顔で他所を向いた。

(ああ、またか)

 一夏は溜息を吐いた。

 この友人、異性とはいえ学園で最も自分に近い感性を有している彼女は、どうも自分達から一線を引いている気がしてならない。

 どうせセシリア達が用事で遅れずに最初から一緒だったならば、いつの間にか消え何食わぬ顔で買出しを済ませていただろう。

 腕を吊り、普通に歩くのも覚束ない状態でだ。理由はどうせ『自分と一緒だと全部回れなくなるだろうから』といったところか。

「……静穂」

「何、っ?」

 肩を掴んで顔を起こさせた。

「今からお前の行きたい所にいくぞ」

「……遠いかもしれないよ?」

「遠くてもいい。まだ昼前だし少しくらい門限を破っても俺がなんとかする」

 これに対して静穂は、

「……なら、一箇所だけ」

 これくらい強く言わないとこの友人は人を頼りにしないのだと一夏は覚えた。

 後はこれを合流してくる仲間達にも伝えないといけない。

 

 

 実は後ろにいる仲間達なのだが、

『…………』

「今、キスしようとしてなかった?」

「位置の関係からそう見えただけでしたわね」

「ふむ、嫁はまだ義妹の事を其処まで気に入ってはいないという事か」

「……ねえ、みんな」

 何だと目線で訴える三人にシャルルは提案した。

「とりあえず武器を仕舞おう、ね?」

 セシリアがライフル、鈴が青竜刀を呼び出したのを見て周囲の一般客が引いている。

「シャルル」とラウラ。

「どうかしたの?」

「貴様もその得物をしまえ」

 え? と自分で確認すれば、しっかりと安全装置まで外したアサルトライフルがシャルルの手にあった。

「え、あ、な、なんでだろうね? あははは」

 

 

 ……こうして静穂の行きたい所に行く事になったのだが、別段遠い訳ではなくこのショッピングモール内にあるらしい。

「何処に行くんだ?」

「ランジェリーショップ」

 一夏の足が止まった。

 それを見て静穂はしたり顔で「冗談だよ」

「そ、そうか」

 内心で胸を撫で下ろす。行きたい所とは言ったがそういう場所だけは勘弁願いたい。今のご時勢に男が一人そんな所に居たら即逮捕だ。今の冗談は心臓に悪かった。

 一夏が追いつくのを確認して静穂が話し出した。

「ふと思ったんだけど一夏くん、模擬戦の勝率って今どのくらいかな?」

「勝率か? ……一割もないな」

 静穂の予想以上に酷かったらしく彼女の顔が苦笑いに変わる。

 トーナメントが始まるまでは二割はあった気がするのだが、セシリア達と行っている模擬戦では先日のVT戦で垣間見た剣の冴えが完全に隠れてしまった。

「何か掴んだと思ったんだけどな……」

 なまじその感覚をおぼえている為か、トーナメントが終わって以降模擬戦の結果は今まで以上に振るわなくなっていた。というか静穂以外に勝った例があっただろうか。

「皆の指導は覚えてる?」

「覚えていると言えばいるけど」

 正直まともに頭に入った指導はシャルルくらいのものだ。

「じゃあそれをこれから実践してみようか」

 ショッピングモールでIS戦でもやろうと言うのだろうかこの友人は。

 そう思いつつも二人はある一区画で足を止めた。

 明るいイメージだったこれまでの場所とは違って暗い。だがただ暗いのではなく、明かりが天井ではなく自分の目線に置かれたような印象を受ける場所だった。

 さらにこれまでの道程で聞いていた以上に環境音が大きい。音楽もそうだがとにかくうるさいと一夏は感じる。

「行きたいところってゲームセンターか」

 そう言って思い返す。中学からの友人である五反田 弾とエアホッケー対決で16連勝の記録を打ち立てたのは記憶に新しい。静穂ともそれをやるとしたらどのくらい手加減をしたらいいのだろうか。というか怪我人が身体を動かすようなゲームをしようものならば止めなくては。

 第一に彼女はこれまでの指導を実践すると言っていた。つまりIS関連のゲームでもやらせるつもりだろうか。だとすればIS/VSくらいしかない。最近は弾の家でコンシューマ版をやったばかりだ、アーケードの猛者と対戦するのもいい経験になりそうではある。

 だがその予想は簡単に覆された。

「あ、新作が入ってる」

 そう言って静穂が寄っていく筐体は業務用冷蔵庫程はある代物だった。

 その筐体の手前には大きな拳銃型コントローラーが2丁突き刺さっており、画面ではテロリストが都市ビルを制圧する描写を流し続けている。

「じゃあ、やろうか」

「やるって」

 何をするつもりなのか。

 画面の大爆発を背に静穂は笑って、

「射撃訓練。クリアするまで帰さないよ」




 IS学園の生徒になって練習機を弄繰り回して乗り回すゲームとか出ませんかね。


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48.漸くのスタートライン ②

「……一夏くんが勝てないのはシャルルくんの言う通りに銃器の特性や使い方を頭で理解していないから」

 テロリストの放つ銃弾がライフを一つ減らした。

「取捨選択もできていない。狙ってくる相手毎に優先順位を設定、危険度の高い相手から先に対処する」

 一人を撃ち倒すと同時にもう一方のテロリストから銃弾が飛ぶ。ライフが一つ減少。

「練度も低い。命中精度も当然だけど、マガジンの残り弾数を常に把握しないと、相手に隙を見せることになる」

 テロリストの腕の中に居る人質に誤射、ペナルティでライフが減少。狙いを定め直すも弾切れにより対応が遅れ返討ち、もう一つ減少。

「……白式が白兵戦特化型で良かったね」

 最後のライフも成す術なく散り、ゲームオーバーとなった。

 

 

(3面半ば、か)

 ゲームオーバー毎に最初からやり直させて早7回。苛立ちを隠さなくなってきた一夏を静穂は漠然と眺めつつ思考を廻らせる。

 ゲームは全5面。最初からやり直させているとはいえ、このペースは予想よりも少し遅い。

(経験かなぁ)

 一夏はこの手のゲームに慣れていない。友人が居ない訳ではないのだから、たまたま経験が少ないのだろう。実際に模擬戦をした経験からも一夏の反射速度は寧ろ速い方だとは知っている。この手の体感型ゲームは反射神経さえ良ければいい線は行くと静穂は考える。では何が足りないのか。

「なあ静穂。これって本当に意味あるのか?」

「あると思っているからやって貰っているんだよ」

 そう言ってお茶を濁す。

 携帯電話で時折一夏の写真を撮っては添付し、メールを送る。

(合流はまだ難しいですか。――っと)

 送る先はいつものメンバー全員。今日の旨を知らない箒には平等を兼ねて後日送るとして、

(早く来てー。――っと)

 もう一枚撮って送信。実のところこれはセシリア達が来るまでの時間稼ぎだ。

 済ませるべき用事も全て消化してしまい、静穂は途方にくれていた。

 普段と変わらぬよう誤魔化せても、静穂は怪我人のカテゴリから外れていない。

 手術後の体、慣れない隻眼、PICでの歩行の偽装。

 要するに疲れていたのだ。多人数に紛れる分には多少は気を抜く余裕ができるが、一対一ではそれが出来ない。

「ああっ!」

 一夏が声を上げる。見れば3面のボスらしき相手にやられていた。

「無理だ、少し休ませてくれ」

 集中力を切らした一夏がゲームコーナーを離れていく。

 休む事には静穂も賛成だった。

 

 

 ――五反田 蘭は悩んでいた。寧ろ後悔と言ってもいい。

 先程まで入っていた店舗で蘭は何着目かの水着を購入したのだが、

(やっぱりあの水着にしておくべきだったかな……!?)

 店員の太鼓判もあって選び抜いた一着ではなく、その直前に自分の手に持っていた一着の方が自分には似合っている気がしてきたのだ、今更になって。

「……おい蘭」

 荷物持ちである兄を目線で殺し、蘭は再度、熟考に浸る。

 今の買い物で何着目の水着だろうか。対友人用、勝負用、もっと勝負用、更に勝負用、そして対織斑 一夏用と、蘭はこれまでの買い物を脳内で分類に分けていく。

 大体は揃っていた。だが最も重要な対織斑 一夏用の水着が決まらない。

 やはりあの一着にすべきだったのか、かといってそれが対織斑 一夏用に当て嵌まるかといえばNOという意見が強い。

 彼が世界中から女子を集めたIS学園に行ってしまってからというもの、蘭との交流は先日の、不意にやって来た一件以降は一度もない。

 あの時は兄が教えに来なかった為にラフな服装で彼の前に出てしまった。もうあのような醜態は晒せない。

 数少ないチャンスをものにする必殺兵器が必要なのだ、悩殺という意味で。

「! おい蘭」

 荷物持ちが何か言っているが気にもならない。全ては彼と付き合う為の――

「おい蘭!」

「うっさいお兄!」

 両手の塞がった兄へのボディブローが見事に入る。蹲る荷物持ち。

 乙女の思考を侵害した罪はこれ程までに重いのか。

「人が大事な考え事してるってのに、何!?」

 それでも話を聞いてやるその姿勢は賞賛すべきなのかどうなのか。

 震えた声で兄、五反田 弾は発言した「今そこに、一夏が」

 嘘!? と蘭が振り向けば、

 確かに居た。恋に焦がれる少女にとって、見紛う筈がなきあの容姿は間違いなく織斑 一夏その人で、

「!?」

 と、息を呑んだ。

 連れが居たのだ。缶ジュースを手渡す、包帯によって顔の多くを隠す彼女を蘭は知っていた。

 直接に会った訳ではないが、その姿は来年度のIS学園への受験を決意していた蘭にとっては衝撃だった。

 

 

 立場が逆転し今度は静穂が缶ジュースを手渡す。

「何がいけないんだろうねぇ」

「それが分かれば苦労しないって……」

 一夏としても訳が分からないだろう。どうしてこうも上手くいかないのか。

 先のトーナメントで一夏はシャルルから銃を借り射撃攻撃も行っていたと静穂は記憶している。尤も命中率は奮わなかったようだが。

 その時の経験があるだろうと思い静穂はこうして一夏にやらせているのだが。

(何がいけないんだろうか?)

 やる気の問題かとは本人の前では言わないが。

「――わたしの指摘は聞こえた?」

「聞こえたよ、でもなあ」

 でも? と静穂が顔を覗く。

「分からないんだよ、どうやったら静穂みたいにやれるのか」

「わたしの?」

「だってそうだろ? あのコントローラーはハンドガンの形をしてるし、俺が知ってる中で一番ハンドガンを使うのは静穂じゃないか」

(……えぇと、つまり)

 拳銃の形をしたコントローラーと、静穂と相対した経験が先入観として一夏の頭を固くしていたと?

「はぁ……」

「静穂、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

 ただ疲れがどっと出ただけだ。

 良かれと思い、暇潰しも兼ねて一夏に勧めたものが却って彼の頭を混乱させていたとは。

 自分には物を教える才能はないのだろうか。せめていつものメンバーと肩を並べたい。

(……まあ、それなら)

 原因さえ分かればやり様はあるのだ。

「い一夏さん!」

『?』

 突然の呼び掛けに二人が目線をやると、

 そこには互いに似たようなバンダナを装着した男女が其処に居た。

(ちょっと噛んだ?)

「弾! それに蘭も!」

「久し振りだな一夏!」

 言うが早いか一夏が少年の方と再会を祝している。

「……誰?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尾行する四人は当初の目的を見失いつつあった。

「セシリア、返事はしっかりと練りなさいよ!?」

「心得ていますわ。この調子でもっと写真を送るよう誘導します!」

(一夏の真剣な横顔……!)

 三人が送られてきた写真に心奪われている。

「――む」同じく浮かれつつもラウラが気付いた。「全員、見ろ」

『何を、――!?』

 ――先程は位置の関係からの勘違いであった。

 だが今は違った。視線の先の二人は今、

 

――紛う事なく抱き合っている!――

 

 

 

 ……という訳ではない。

「よし、そのまま支えてね」

「おお」

 包帯が隙間無く巻かれた指先でコントローラーを握り、半身を切る。

 照星(フロントサイト)照門(リアサイト)の延長に隻眼が来るよう首を捻る。

 そうして射撃体勢を取った静穂の肩を、一夏が後ろから被さるように支えていた。ほぼ同じ背丈と位置の関係から一夏も照門から画面を覗いている。

 やり様とはつまり手本を見せる事だ。静穂の見様見真似で銃を撃つというのなら、静穂の視界も真似させてやろうと考えたのだ。一夏を自分の後ろに立たせて見学をさせ、ついでにふらつく身体も支えさせる一石二鳥。

 準備は完了、硬貨を投入。1面のデモ画面が流れ始める。

「なあ静穂」

「何?」

「静穂はこのゲームやった事あるのか?」

「ないよ」

 ないのにやらせてたのか!? と一夏が嘆くよりも早く、

 一人のテロリストに銃弾が打ち込まれた。

「!?」

 数は三発。手、胴、頭の順に、一瞬でたった一人に三発が撃ち込まれた。

 そしてそれは次の目標にも続けられる。

「稼動したばかりの新作だからね」

 そう言いながらも静穂の指先には迷いがない。一夏のプレイングを見たからというのは説明にならない速度でテロリストを叩きのめしていく。

「現実ではこうは行かない。照準の位置、風の影響、指切り、銃の重さ、反動、弾道と相手の行動予測、――まあ色々あるよ」

 一夏のプレイ時よりも遥かに早く、静穂はボスを撃破。次の面へ進む。

「しっかり狙う事は身体が自動で行うまで練習するしかない。その都度狙っていたらその間に撃たれるからね」

 次の面、その次の面と、静穂の快進撃は止まらない。

「すげえ」思わず弾が唸る。

「この手のゲームでは取り回しの理解は出来なくても、その特性は理解できるよ」

 パワーアップアイテムを静穂は取り逃さず、その都度に説明を入れていく。

「拳銃。小さくて片手でも使えるけれど基本的に威力が低い。

 小銃。銃身が長くて威力もある。打鉄の初期装備の銃はこれだね。

 散弾銃。基本は近距離用で射程も短い。小さい弾を大量に撃ち出すから威力は高い。

 機関銃。連射性に優れるけれどその分弾切れも早い。物によっては一人で扱えない。

 擲弾銃。爆弾を撃ち出すってイメージの銃だね。弾が重いからあまり飛ばない。

 狙撃銃。射程が長い。威力も高い。でも連射は利かない」

 他にも種類はあるし、わたしの主観だからね。と静穂は断りを入れる。

 説明を挟みながらも指は手は腕は止まらない。

 正しくあっという間。一夏の記録をあっさりと抜き去った。

「まぁゲームと本物の銃は全くの別物だから、今回は種類と打つ際の注意だけ覚えてね」

 5面、つまり最終面のボスまで被弾なし。敵の動きを完全に封じ込め、こちらの攻撃だけを通し続ける。

「銃の利点は相手に何もさせず、自分側が一方的に攻撃できる事。欠点はその一方的な展開に持って行き難い事と弾が切れたらそれでお終いって事」

「一方的に攻撃できるのに、それができないってどういう事だ?」

「相手も銃を持っているから」

 その答えは至極簡単なものだった。

「勿論種別も違うだろうから射程とか多くの差があるよ。でも銃を持っている時点で一方的な攻撃にはならず相手も撃ってくるから危険度は跳ね上がる。狙撃銃だとしても、飛び回るISなら瞬時加速で一気に距離を詰められてしまう」

 流石に最終面のボスと言うべきか、静穂の猛攻に耐久力で耐え忍んでいるが、

 画面の残弾表示は残り三発。

「……三発余ったなぁ」

 ボスの大型ロボットが無残にも爆発、破片を撒き散らしゲームクリア。

 エンドロールの後に英語三文字を入力する場面で、静穂は手早く英語を撃ちぬいた。

「S、I、Z、と」

 SIZの文字がランキングの一番上に載ったのを見て弾が歓喜の声を上げ、妹に肘で黙らされた。

 静穂は一夏に向き直り、コントローラーを差し出す。

「今は沢山撃って数をこなす事。ゲームオーバーにならなければ合格」

 手本は見せた。後は実践するのみという静穂の態度に、

 一夏はコントローラーを受け取った。

 

 

 ……二人掛りでやっていいとは言ってないのになぁ、と思いつつ、紹介のあった五反田妹の傍へ。

(蘭ちゃん、だっけ?)

 先程から妙にこちらへ視線を向けては逸らしの繰り返しをしてくるのは。

 ありがたく彼女の方から切り出してくれた。

「あの」

「?」

 

「やっぱり静穂さんは一夏さんと付き合っているんでしょうか!?」

 

 ――足元の床が消失した気がした。

「大丈夫ですか!?」

「……ごめん手を貸して」

 直立から見事に素っ転び襲ってくる痛みに耐える。傷口が幾つか開いた気がしないでもない。

 差し出された手に静穂の手が乗る。彼女に引かれ体を起こし、立ち上がる。顔を向けると心配する顔が覗いていた。それはこちらの身を案じての事か、それとも一夏の女性関係を案じての事か。

 とにかく否定しなければ命がない。友人達によるISを使った公開処刑が始まってしまう。

「どうしてそうなる!? 別に付き合っていたりはしないよ!?」

「だって今あんなに密着してこここ、恋人みたいでしたよ!?」

「あれくらい普通じゃないの!?」

 静穂の中学時代などよく女子が似たような事をしてきたというのでその真似をしてみたのだが、

(何!? 普通じゃないの!?)

「とにかく一夏くんとはそういうのじゃないから! わたしはもう死にたくないから!」

「そ、そうですか。普通、普通……」 

 肩をつかんでガクガクと揺らす説得方法が効いたのか、普通と聞いて何やら呟く五反田 弾の妹、蘭。

「じゃあ静穂さんはどうしてあんなに強いんですか?」

「え、何それ」

 いきなりの話題転換についていけない。

「私、IS学園を受験しようと思うんです」

「なら後輩になるんだね」

「でも家族が反対し始めたんです、……決勝戦を見てから」

「……あぁ、成程」

 それ以上の言葉が出なかった。

 先のトーナメント決勝は公共の電波に乗り、多くの人間がそれを見ていたのだ。

 ISの暴走と、静穂の流血沙汰を。

 織斑先生から「貴様は洗脳されていた」とか言われたが、観客からすればそんなものに意味はない。

 スポーツとして落ち着いたISの危険性を再度確認させるような結末。蘭の家族はそれに強く影響されたという訳だ。

 危険だと分かっていてわが子をその場に送り込むような親は居ないだろう。誰も眼球が潰れた我が子の顔など見たくはないだろう。

「IS適正がなんだかしらないが、お前はあそこまでやる覚悟はあるのか、強い意志はあるのかって、お爺ちゃんが」

 覚悟に意志ねぇ、静穂は首を傾げた。

 あの時の自分にそんなものはない。あったのは織斑先生との約束を果たそうと足掻き、ラビットを犠牲にした無様な姿だけだ。

 そうして静穂は気付いた。

(あぁ、迷っちゃったのか)

 彼女の言動からして一夏に気があるのは確かだ。IS学園に進学する理由も彼だろう。

 聞く限りでは蘭のIS適正はA。全世界でA適正を叩き出す人材は稀だと聞く。才能の一種を生かす選択を誰も咎めはせず、周囲は寧ろ彼女の背を押していた筈だ。だが静穂の姿を見て周囲が怖気づき、彼女の意思をも揺らがせてしまった。

(わたしのせいだね)

 静穂はそこはかとない罪悪感に苛まれた。静穂のせいで彼女の淡い思いが揺らいでいる、……成就するかはともかく。

(…………)

 慰めになるかは分からないが、静穂は訥々と語りだす。

「あの時のわたしは死に物狂いだったんだよ」

「え?」

「だって友達の命が掛かっていたから」

 ――蘭が息を呑んだ瞬間を確認して、

「――って言ったらどうする?」

 嘘だという嘘を吐く。蒼白から紅潮へと打って変わる表情に謝りつつ、

「でもそれくらい本気だったよ」

 自分が洗脳されていても、自分を救おうとしてくれた相手によって体に不自由が生じていても、

 あの時の自分は本気で、全力で、目の前の相手を潰そうとして、

「それでこの様だけどね」

 今の自分を、静穂は悲観する事はない。これは自分を救ってくれたラビットの思いと、自分の未熟さが生んだ結果だから。

 この身体で、生きていく。時々は迷うだろう、けれどそれは永遠ではない。

 義姉と、グレイ・ラビットと、その他多くの命のうえに成り立つ静穂に、そんな権利がある筈がない。

 まあ、それはさて置き。

「覚悟なんて、その時になれば自然とできるものだよ」

 結果として、見た者に覚悟があると思わせたのならば。

「別に気にする必要はないんじゃない? わたしと蘭ちゃんは違うんだから」

「じゃあ私でも静穂さんみたいに強くなれるでしょうか!?」

「わたしみたいになられるのは困るなぁ、先輩として」

 いきなり晴れやかになる彼女に静穂は苦笑いを返した。自分みたいな後輩の相手は面倒以外の何者でもない。

「わたしなんて、あっという間に追い抜くくらいの気概で行かなきゃ、」そっと彼女の耳元で囁く。「一夏くんを獲られちゃうよ? ライバルは多いんだから」

 ――はい! という良い返事と、いよっしゃあ! という男子の歓声は、ほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったのか? 一夏と昼飯に行かなくて」

「今日はいいの」

 そう言う蘭の足取りは軽い。

「お兄こそ下心見え見え。どうせ静穂先輩目当てでしょ」

 荷物を持つ弾の肩がすくみ、腕に掛けた紙袋達が跳ねる。

 最っ低、と蘭は毒づきつつも内心では仕方ないと思えてしまう。

(素敵な人だったなあ……)

 一夏と同じくらいの長身モデル体型。決して現状を悲観せず、ただひたすらに自分を磨く、先を見据えたその姿勢。一夏に気がないという所もポイントが高い。

 蘭の描く理想の女性像が彼女の姿に固まりつつあった。

「無理だと思うぞ」

「っ!」

 がら空きの胴に再度のボディブロー。

「む、胸ならお前が勝ってる……」

「--------死ね!」

 それが彼の、最後の一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨海学校の準備が必要なのは何も生徒達だけではない。

 織斑 千冬と山田 真耶も臨海学校の先導がある為、こうして水着を買いに来たのだが。

「どうしましょうか、織斑先生」

「もう少し見ていましょう」

 

 

 五反田兄弟と入れ違うようにシャルル達が合流。かくして専用機持ち達の休日は本筋へと戻ったのだが、

「……静穂」

「うん、どうしよう」

 約二名、静穂とシャルルは冷や汗を流していた。

 本筋に戻るという事は本来の目的へと進むという事で。

 今日の目的は来たる臨海学校への買い物、つまり海へ行く為の買い物。

 それはつまり、

「水着だね、静穂」

「うん、水着だね」

 水着を買うのだ。()()()()()()()()沿()()()()()()

「一夏! これとこれどっちがいい?」

「一夏さん、これなどいかがでしょう?」

「ああ、どれもいいと思うぞ?」

 眼前では鈴とセシリアが我先にと一夏の前に水着を運んでは戻しをくり返している。

(まずい! このままだとバレる!?)

「静穂」

「!」

 気がつけばシャルルが静穂の袖を引いている。

 引かれるがまま耳を彼女の元へ。

「僕は一夏となんとかする。その間に静穂は逃げて」

 そう言われて思い出す。静穂とは違いシャルルは一夏にも素性がバレていた。男同士で水着を選ぶならば充分に逃げる口実となる。

 となるとシャルルは一夏とこの場をなんとか離れられるとして、

「わたしは? 逃げてどうするの?」

「…………ファイト?」

「そこで丸投げ!?」

 だがそれ以外に方法を選ぶ余裕はない。静穂はそろりそろりと輪を外れようとして、

 

「――どこに行く、義妹(いもうと)よ」

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒが進行線上に回りこんでいた。

「!?」

「はい逃げないの」

「静穂さんが居なくては始まりませんわ」

「!? !?」

 ギブスの下から鈴に抱きつかれ、左腕をセシリアに抱き寄せられた。

「何!? 一体何!?」

「何とは決まっていますわ」言うセシリアのもう一方の手には比較的面積が多めの水着が。「静穂さんの水着選びです」

「そうだよなあ」

「一夏くん!?」

「静穂の水着選びに俺の意見を聞く意味が分かんねえよ」

「確かにそうだけど!?」

 と、一夏の後ろでシャルルが手招きで静穂の注意を惹いた。

(シャルルくん!?)

 見れば口を動かして何か伝えようとしている。

 

――ご・め・ん・ね・し・ず・ほ――

 

(わたしを売ったなぁあああっ!?)

 

 

 ……やいのやいのと騒ぎ出す専用機持ち共を見て真耶は笑みを浮かべ、

「汀さん、すっかり皆の輪に溶け込んでいますね」

 対して千冬はいつもの如く額に指をやり、

「あれは弄ばれているというのが正しいでしょう」

 必死になって身を捩り逃げ出そうとする様は滑稽を通り越して哀れだ。

「……もう止めさせましょうか、山田先生」

 そろそろ止めないと周囲の迷惑になるか汀の素性が暴かれかねない。

「そうですね、……ふふっ」

「?」

 今の言葉にどこか面白い部分があっただろうか。

「いえ、なんだかんだで織斑先生は優しいなと思いまして」

「……山田先生、久々に組み手でもしましょうか」

「!? 身内ネタでなければ組み手にならないのでは――」

「私は自分を弄られる事も嫌いです」

 そんなー! という山田先生の悲鳴を他所に、千冬は専用機持ちの莫迦共を御しに掛かる。

 溜息を吐きつつもその口元は……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴様ら、その程度にしておけ」

『織斑先生!?』

「友人の水着を選ぶのはいいが汀は怪我人だ。臨海学校には参加できんぞ」

 

 …………。

『ああっ!?』

 

「なぜ汀まで驚く……」



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49.先達悲喜色々

「海だーっ!」

 トンネルを抜けると同時、クラスメイトの誰かが叫んだ。

 寝不足から目に浮かんだ隈を眼鏡のフレームで隠すように、簪はその眼を開く。

 ピットの投光機などと比べ物にならない高高度から降り注ぐ陽光が、バスの窓ガラス越しに早くも簪の肌を焼きに掛かってきた。

 周囲と同じように、簪も窓の外に目をやってみる。

 雲が遠い。上を見ても、下を見ても、目に映るのは青。視界を遮るものは何もない。

(……来たんだ、海)

「更識さん」

「?」

 呼ばれて隣の少女に顔を向ける。個人主義が強い4組の面々といえども完全に交流がない訳ではない。彼女はクラスの中でも友好関係の広い方だった。

「大丈夫?」

「……うん、大丈夫」

 寝不足で少し酔っただけだと言っておく。――だが少女にはそれで済む事はなく。

「汀さん、来られなくて残念だったね」

 と、確信を少しずれて突かれてしまった。

 こういう所は、人付き合いというものは面倒だと思ってしまう。これがいつもの彼女ならば最初の会話すら――

(っ!)

 突如ぶんぶんと頭を振る。隣の少女が驚きながらも、「更識さん?」

「……そうだね」

 そう言って簪は押し黙り、海に顔を逸らした。

 これ以上はもう会話はできないと判断した少女は、他の相手との談笑に入っていく。

(…………)

 また一人になって、簪は流れる景色と海を漠然と眺め続けた。

 ……この先に、静穂はいない。

(……そうだ)

 自分は、彼女(しずほ)から逃げてきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃の静穂は。

「ここ1ヶ月、IS学園は絶えず熱気に包まれていた。だがそれも今日で終わる……。

 IS学園3年の頂点、それは世界への登竜門。

 己が築き上げてきた集大成をぶつけ合い、珠の如く、鏡の如く磨き上げてきた結果が、今ここに集約する」

「おぉ……」

「IS学年別タッグトーナメント3年の部! 決勝戦の始まりだあっ!!」

 実況である黛 薫子の号令を受け、観客席のボルテージが最高潮にまで引き上げられた。

「実況はいつものように私IS学園2年、今大会成績は準々決勝で生徒会長に潰されました黛 薫子と! 大会最後の解説は彼女にお願い致しました!

 トーナメント1年の部台風の目! 文字通りの死闘から生還した決勝戦進出者(ファイナリスト)! ゾンビルーキー、汀 静穂ぉっ!!」

「よろしくおねがいしま――うぉ!?」

 狂乱のごとき熱狂に静穂はたじろぐ。隣の薫子はなにやらしたり顔で、

「いやあ流石の人気! 病室から引っ張り出して正解でした!」

「人気どうこうじゃあなくその場の勢いじゃあないですかね!?」

「安心して! 情報操作は完璧だから!」

「一体何をしたんですか!?」

 とは聞くがその答えは返ってこない。

 冷め遣らぬ熱狂をBGMに、薫子の実況は続く。

「では解説の静穂ちゃん! この決勝戦ですがズバリ優勝はどちらのペアになると考えますか!?」

 いきなりだなぁ!? と嘆きつつも静穂は左手のたどたどしい指使いで手元の資料を捲り、

「――わたしの予想では、布仏先輩とケイシー先輩のペアが優勝するかと」

「でも静穂ちゃんが目をつけたのは違う?」

 薫子の合いの手を静穂は肯定した。

「ケイシー先輩の専用機も確かに強力なんですけれど、わたしは永富(ながとみ)先輩と重冨(しげとみ)先輩の擬似専用機が気になります」

「確かに永富・重冨ペアの擬似専用機は極めて完成度が高い! それこそ専門分野に特化する3年生の中でパイロット科を差し置き整備科の二人が決勝まで勝ち上がる事はなかったでしょう!」

 静穂は続ける。

「もう言ってしまいますが、永富・重冨ペアの擬似専用機はわたしが決勝戦で使ったものの発展型です。2年の先輩方もあの機体を応用して上位に食い込んでいましたし、その経験も蓄積されている筈ですよ」

 というよりもこの二名、静穂の擬似専用機を破壊し、決勝戦前に再度組み上げたメンバーである。

 1ヶ月前、静穂達1年の部が始まる前にまで遡る。2年の後輩達も含め彼女達は悩んでいた。各々のトーナメントで、どうすれば成績を残し、将来への足がかりとなるか。

 整備科に属する彼女達は、はっきりと言って操縦技術はパイロット科に一歩も二歩も劣る。

 悩む彼女達にふと、第一試合に備え用意された静穂の機体が目に留まった。

 それはISを知りすぎていた彼女達の固まった頭を解きほぐす、否、ぶち割るような一撃だった。

 

――これを詳しく解析すれば、自分達もトーナメントで上位に立てるのではないか――

 

 ISの特徴である機動性を完全に殺し、その差を弾幕で埋める重装備。頭には浮かんだ事もあるが定石から否定していたそれを、名も知らぬ1年はそんな事などお構いなしに実践しようとしている。

 ここまでやれば操縦技術の隔たりを埋められるのではないかという希望を、彼女達は見たのだ。

 元々整備科という専門柄からも調べない訳には行かず、やり過ぎて戻せなくなり、織斑先生に見つかって1年の部では静穂の機体を工面するという強行軍に陥ったが、結果として彼女達は手に入れた。自分達の理想となる機体構成と、周囲より先んじた、その機体を使った実戦経験を。

 そして彼女達は静穂の経験値を継承、上級生由来の技術力で機体の改修を幾度となく施した結果、2年のメンバーも結果を残し、短期間で蓄積された技術と経験値が現在の永富と重富に引き継がれ、まさかの決勝戦にまで進んでしまった。

 勿論苦戦がなかった訳がない。そこは彼女達の意地と執念が補っていた。それだけで充分なプレゼンテーションだ。

「つまり両名の機体はここ1ヶ月戦いっぱなし、経験値だけならば今トーナメント最高という事ですね!?」

 ……だがそれが敗因になると静穂は指摘する。

「1ヶ月間戦いっぱなしって事は、布仏先輩方に1ヶ月間分、対策を練るだけの情報を与えたって事だと思います。願わくばわたしとボーデヴィッヒ選手の時とは違う、あの機体本来の戦い方ができれば十分に勝てると思います」

「――つまり結果は?」

「戦うまで分かりません!」

「その通り! 分からないからこそ戦う価値がある!」

 言って一度区切り薫子が静穂にウインク。

 静穂はほっと息を吐く。どうやら彼女の意向通りに仕事が出来ているようだ。

「それでは時間となりました! 選手入場です!」

 薫子のゴーサインに促され、静穂は叫ぶ。

「出てこいやぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射撃レンジの中で、受付の先輩がハンドガンの弾倉に弾丸を押し込んでいく。

()()()()()()()()()()ー、ねー」

「んぐ、……はい?」

 備え付けのベンチにて枯れた喉を自動販売機の烏龍茶で潤しながら、静穂は慌てて返事をする。

 解説という仕事は簡単なものでは決してなかった。状況を見据え、初心者、言ってしまえば素人にも分かりやすく、かといって玄人にも納得の行くコメントを実況者黛 薫子のマシンガントークに挟んでいかなければならず、勿論その為には膨大な知識が最低条件、選手情報も諳んじて言える程度には必要だと思い知らされた。手元に用意された資料などいざ試合が始まってしまえば見ている余裕などない。なんとかやりきっては見せたが知恵熱だろうか頭も痛む。

 解説の仕事が終わると静穂はその足で射撃場にやって来た。気晴らしではないが真っ直ぐに帰る気分でもなく。気が高ぶっているのだろう静穂は、トーナメント以降寄っていなかったこの場に寄ったという訳だ。ちなみに実況の薫子は疲れた様子もなく新聞の締め切りがどうのと走って行ってしまった。

 先輩はヘッドセットを装着し、弾倉を装填。構えに入った。

 数発を撃ち、普段は受付に居座っている彼女は弾着を確認しつつ、

「実際に上手くやれたのかねー、あの先輩達はー?」

「上手かったと思いますよ」静穂はまた烏龍茶を一口、「あそこまで改造が進むとわたしの物とはもう別物ですけど」

 静穂の擬似専用機を母体としたというくらいにしか関連性はないという程に、彼女達の使用した機体はその完成度が静穂のそれと大きく異なっていた。上級生の技術力の高さを改めて確認した。

 彼女達がいなければ自分と簪が準決勝まで勝ち上がる事は叶わなかっただろう。

「私としてはー」先輩がヘッドセットを外しながら、「スパイスが足りなかったかなー」

「スパイス?」

 うんー、と先輩はいつもの定位置、受付へ向かう。

 そこで何かを探しつつ、「ぶっちゃけ武器が足りないと私は思ったー」

 ……あぁ、と静穂は納得した。

 静穂のそれを遥かに越える機体の完成度を持っていて、なにかが足りないと不思議に思っていたが、

 静穂の使った大型拳銃、あのような一発逆転の切り札が彼女達には足りなかったのだ。意地と執念が補っていたが決定力が足りないと思う場面が少なからずあった。

 あの銃は一体何だったのか。たった数発で静穂の右腕をへし折ってくれたあの暴力。作った人間には一言を言いたい。

「そこで私はこれを提案するー」

 先輩は受付の中から一抱え程もないアルミケースを持ち出した。

(なんか、見覚えがある)

 織斑先生に使えと託されたそれと同じ大きさのそれが開かれると、

 

――以前のものと外観の似通った大型拳銃が、そこに収められていた――

 

「新しく作ったー」

「作ったって、」

 あの拳銃を作ったというのか、目の前の彼女が?

「私はスミス、名前の通り職人さー。射撃場の武器職人って聞いた事はないかー?」

「ありませんねぇ」

 あれー? とスミス先輩は肩を落とし、即座に気を取り直して、

「経験則だがー、ISの強さは搭乗者でも、機体性能でもなくー、武器の強さだー」

 誰もが扱える、誰が扱っても最強となれる武器。それを彼女はこの射撃場で追い求めているのだという。

 誰もが織斑姉弟の零落白夜、またはそれに準ずる兵装を使う事が出来れば、それこそ取り返しのつかない大混乱に陥ると静穂は考えるのだが。

 ……有史以来、強国が強国たる所以は何か。たとえ虚弱体質の人間でも、たとえ霊長類最高の馬鹿と罵られようとも、その人間の指先、ボタン一つで小国一つならそれだけで滅ぼせる程の威力を持つ兵器をその国が所持しているからだ。

 ISが発表されて、その示威効果が薄まったといえど、大国の持つ大量破壊兵器の傘が完全に無意味となった訳ではない。

 彼女はISで、抑止力と呼ばれるまでの代物を作ろうとしているのか。

 いずれにせよ、武器というカテゴリで考えれば、その考えも分からなくはない。

 今を蔓延る女尊男卑の風潮、その原因はISという「兵器・武器」の存在だ。

 力関係、パワーバランス。女性にしか扱えない兵器が、戦車や戦闘機を履き捨てる事実。それを笠に着て女性が男性を排斥して憚らない現状を見れば、その考えは正しい。

 まだ短い付き合いではあるが彼女が男女平等の考えを持つ事は以前話題に上がり知っている。別の理由、それこそ経験があるのだろう。

「貰ってくれー」

「良いんですか?」

「ああー」とスミス先輩は頷いた。「お詫びだからなー」とも。

(…………)

「最初の銃は職員室からの要望でバリアを壊す為だけに性能を追求したんだー。今回はそれを踏まえてー、君専用に作ったー。次にあんな事があっても、一発で吹き飛ばせるようにー」

 静穂は厳かにそれをアルミケースから持ち上げた。

 以前の物を撃って理解しているが、IS由来の革新技術が使われているのは形状からも見て取れる。決して炸薬の破裂ではない馬鹿げた反動からも重々承知の上だ。

「撃つかー?」

 見ればスミス先輩がヘッドセットを指先で遊んでいた。

 ……至れり尽くせりで準備を済ませてもらい、射撃体勢に。シールドエネルギー供給用ケーブルを銃把に刺し、その時を待つ。

 片手で押さえきれないと判じたのか、先輩が背中に手を置いた。いや、これではただ置いただけだ。

「? 先輩?」

「……右手、痛いかー?」

 視界の外、首を回しても覗けない、間延びした語尾の質問に、静穂はどう答えるべきか悩み、

「今は痛くないですね」

「ちゃんと、治るのか?」

 いつもの口調が消えた。

「先輩?」

「どうだ?」

(…………)

 とても嘘を言えるような、そんな雰囲気ではない。

「……二度と動かないかもしれないそうです」

「……そうかー」

 背に置かれた手が離れ、代わりに頭だろう固く暖かい感触が押し付けられ、後ろから右手のギブスに彼女の手が伸びる。

 ……背中から抱きしめられる形となった。

「ごめんなー」

「?」

「織斑先生には気にするなーって言われたけど、責任は私にもあるからなー」

 

――あの銃を作ったのは私だから――

 

「――ありがとうございます。作ってくれて」

 それ以外に言う言葉があるだろうか。

 あの大型拳銃がなければ静穂も、ひいてはラウラや、あの二人まで危なかったのだ。

 彼女の主張は、少なくともあの時は正しいと静穂は思う。この手に掛かる重みは、正しく力の証明だ。

 またあのような事態に遭遇しても、これがあるという安心感。これを手にする事が出来たという幸運を、静穂は噛み締める。

「この銃って名前はあるんですか?」

「付けていいぞー」

 ――じゃあ何にしましょうか、と二人はそのままの体勢で話しこんだ。

 

 

 以前の約束もあるので、激闘を潜り抜けた先輩達の所に顔を出してみようとPICを進めながら、ふと静穂は思いを馳せる。

(簪ちゃんは、今頃海か……)

 臨海学校に未練がない訳ではないが、静穂は彼女の方が気に掛かっていた。

 自分達1年の決勝が終わって以降、一度も彼女の顔を見ていない。

 避けられているのか、巡り合わせが噛み合わないのか。いずれにせよ彼女と会話の機会を得られないまま、彼女は臨海学校へと旅立ってしまった。

 特に話す事はないのだが、入学以降ほぼ毎日顔を合わせていた相手と途端に会わなくなるという現状は、何かが欠けたような気分にさせられている。

 自分も右腕が踏みつけたウエハースのようになっていなければ砂遊びくらいは許されたのだろうかと、今更になって女々しく思う。PICがなければベッドから出られない身体だからとは静穂は気付かない。鎮痛剤とグレイ・ラビットの相乗効果が効いているだけで、折れてはいないが罅が入っている骨は数本もあるのだ。

 ふと思いついて携帯電話を操作する。

「…………出ない」

 携帯電話も駄目となれば、早くも奥の手を使うよりない。

 簪とは別の番号に電話を掛けた。

「もしもし」

 電話の相手はしぶしぶといった具合に静穂の提案を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね~かんちゃーん、海行こうよ~?」

「本音一人で行ってきなよ」

「かんちゃんも水着着てるでしょ~?」

「それは本音が無理矢理……」

 横で本音の駄々を聞きながら、簪は送られてきたリストに目を通していく。

(電磁砲、大刀、大型推進器、防盾……)

 よくもまあここまで雑多に且つ大量に送り込んでくれたと、簪は倉持技研の連中を呪ってやりたくなる衝動に駆られていた。

 IS学園臨海学校。専用機持ちにとってそれは技術試験の場となる。

 正式には「ISの非限定空間における稼動試験」と題される。要するにアリーナの外で自由に新兵器の試験を行っても良いという意味で、簪は入り江近くに自動操縦で送られてきた揚陸艇内の装備をリストアップする作業に勤しんでいた。自分だけでなく他にも数隻の揚陸艇がこの入り江に到着している。受け取り主は全員が織斑 一夏の許に集まっているのだろう。

 ……少し苛立ちが増した。装備を送ってきた倉持のスタッフが言うには、奴の白式は後付装備(イコライザ)の類を一切追加できず、簪のように大量の装備を送る理由がないとの事。

 つまり倉持はあの男の分まで自分に装備を送って来たのだ。

 それらを使用する打鉄弐式が未完成である自分にだ。

(……ううん、違う)

 未完成だとは言いたくなかった。

 未完成だと断じてしまえば、彼女とのこれまでを否定してしまう気がしたから。

 その為には自分を放っておいて、いざ動くと知ればこうして利用してくる倉持技研の横柄な態度にも目を瞑ろう。

 尤も、今は彼女から逃げてここにいるのだが。

(…………)

 やり場のない苛立ちを、簪は打って付けの人物にぶつけようとした。

「……織斑」

 

「呼んだか?」

 

「!?」

 急ぎ振り返る。姉の方の織斑が其処にいた。均整のとれすぎている体系を黒のビキニに収めいつものように腰に手を当てている。臨海学校でなければ男が数十人は寄ってきそうだ。

「織斑先生きれ~い!」

 本音が余った袖を振る。織斑先生はぞんざいに手を振り返し、

「自由時間ではあるが学生らしく遊んだらどうだ」

 ……そうは言うけれども彼女の弟が使えないから自分に皺寄せがきているのだが。

「今日のうちに少し整頓しないと明日に差し支えますから」

「そうか」

 そう言って織斑先生は動こうとしない。

(まだ何かあるの?)

「汀が心配していたぞ」

「っ!」

 まさか先生の口からその名前を聞くとは。いや必然か? 彼女をあの場へ引きずり出したのは先生自身だと噂で聞いている。

「電話があった。帰ったら顔を見せてやれ」

「……そうですか」

 ふむ、と千冬は息を吐き、

「勤勉なのはいいが息抜きをしろ。それこそ明日に差し支える。――それに明日なら監督できるが今日はできん。勝手に事故を起こされては堪らん」

「…………」

「遊んでこい。折角の海だ」

 

 

 狐の水着を着た布仏が更識の腕を引いて海に繰り出していく姿を見て、千冬は溜息を漏らす。

(汀め)

 自分の怪我も治りきっていないというのにもう他人の心配とは、まだ洗脳が抜けきっていないのか、単に奴の性分なのか。いや、要人保護プログラムの影響で他人の顔色を窺う事ばかりを幼少時よりしてきたからか。

 確かに自分の目が届かぬ所で無茶をされてはこちらが困る。止めておくに越した事はなかった。

 ――と、僅かに地面が揺れた。

 地震かとも思ったが、程なくして山田先生が走ってきた。

「おっ、織斑先生!」

「どうしました」

「空から大きな人参が! 旅館の中庭に突き刺さって! 中から篠ノ之博士が出てきたそうです!」

「…………はあ」

 大きな溜息を一つ。また覚悟をする必要がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、()()全員の、トーナメントの健闘を称えて!」

『乾杯!』

 来客用のソファに机、テレビに冷蔵庫まで備え付けられている病室は一時の宴会場と化した。

 静穂はベッドに座り、メンバーの一人に髪を弄られている。泣きながら櫛を通さないで欲しい、怖いから。

 静穂の機体で繋がった縁、といえば聞こえはいいが、元は彼女達が静穂の機体を壊さなければ何事もなかったとも思うのだが、それは違うのだろうかと、静穂は腰まで伸びた髪を三つ編みにされながら思う。

「というか皆さん騒ぎすぎ!」

 幾ら医科棟に泊まる患者が静穂一人とはいえ、もう食堂も購買も閉まる時間だ、姦しいにも程がある。すでに一発芸大会とか織斑 一夏をどうやったら彼氏に出来るかとか、女子校のノリを一通りこなした後で言うのもおかしいが。

「怒られるの嫌ですよ!? あと宴会の後片付けもわたし一人にやらせないで下さいよ!?」

 この集まりで1年は自分一人だ。先輩の強権を発動されて左手一本で片付けは酷がすぎる。

「分かってる分かってる!」コーラを飲み干してメンバーの一人、今日を戦い抜いた永富先輩が声を上げる。「立つ鳥跡を濁さず、みんなで片付けるわよゲフッ」

 せめてゲップをしないで言って貰いたかった。美人が台無しである。

(……でもまぁ)

 賑やかな光景は嫌いではないし、何より自分を中心に形作られた縁だ、自分から壊すのも申し訳ないと、ツインテールにされながら静穂は思う。というか人の髪を弄る後ろの重冨先輩はいつまで泣いているのか。感極まりすぎだ。あと汀組って何だ。

 ……そうして机を埋め尽くしていた菓子が半分に減った頃、不意に病室のドアをノックされた。

「はいよっ!」メンバーの2年生が応対に向かい、

「っ!?」と後退しながら来客を招きいれた。

 

「失礼します。こちらに汀 静穂さんはいらっしゃいますね?」

 

 暫しお時間を頂きたいのですが、と恭しく礼をする彼女は布仏 虚。

 汀組のメンバーと昼間に戦っていた本人である。

(だから汀組って何?)

 

 

 ……布仏先輩の後を、静穂はひょこひょことついていく。いつしか医科棟を離れ、昼間は熱狂の渦が巻いていたアリーナの通路を進んでいた。

 初対面の相手とは何を話していいものか悩む。というか戸惑う。

 何か呼び出しを受けるような真似をしただろうか。彼女が新しい入院患者であまりの煩さに文句を言いに来たのかとも考えたが、静穂は実況席で試合内容を最初から最後まで見ている。終始が滞りなく、無事に試合は終了している。彼女は怪我人ではない。

 どちらが望んだでもない沈黙を静穂は破る。

「あの、優勝おめでとうございます」

「ありがとうございます」言うと布仏先輩は笑みを浮かべ、「対戦チームの長から賞賛を受けるというのは、何だかこそばゆいですね」

 彼女までチームがどうのと言い出した。人を一括りにするのが流行っているのだろうか。

「――あの後、」

「?」

「実況を拝聴しましたが、貴方の言う通り1ヶ月分の情報がなければ作戦や作成者の意図は分かりませんでした」

 ――やはり自分の予想通りになったか、と静穂はどこかで納得する。

 静穂があの機体に求めたものは囮と武器庫だ。重装甲・高火力の自機に注目を集め、その印象に本命の高機動機体である簪を隠し、必要とあらば銃器を貸す。

 ()()()()の先輩達、永富と重冨も決勝戦ではそれを実践した。静穂の理想通り、銃器本体を後付装備に登録しない意図も汲んで。

 後付装備に登録してしまうと許可登録なしにその銃器を他者は扱えない。敵に奪われる事を防ぐ為というのもあるが、取り回しという面もある。

 高機動機体などは武器を随時拡張領域に出し入れを繰り返すのだが、打鉄弐式は当初、拡張領域すら不安定であった。

 そこでウェポンベイなどという考えに行き着き、常に大量の銃器を持ち出し、それを取り外して簪に託すという策を必要とした。結果としては簪の頑張りもあって拡張領域の問題は解決され、銃器のパスワークに出番はなかったが。

「全てはパートナーの為ですか?」

「……はい」

 打鉄弐式は未だ未完成の域を出ていない。予測こそしていなかったが準決勝のような惨劇が起こる可能性が少なからずあった。

 静穂はそれだけは避けたかった。結果として彼女を傷つけてしまい、今のように疎遠になる理由となってしまったが。

 布仏先輩が振り返り、突然、恭しく頭を下げた。

「先輩!?」

「布仏家と妹に代わり感謝を。これからも簪様の善き友である事をお願い申し上げます」

「いや、簪ちゃんがそう望んでくれるなら是非ともこちらからもお願いしたいですけれど」慌てながらも静穂は返す。「でも一体何なんです? 布仏家がどうのって」

「……これより先は、お嬢様がお答えになられます」

 そう言うと布仏先輩は扉の先、ピットへと促してきた。

「ラファールが一機、駐機してあります。それに搭乗し、アリーナへ進んでください」

「どうしてISに乗るんです?」

 聞くと布仏先輩は人差し指を自分の唇に当てた。「内緒話、だそうですので」

 ……そうして静穂は促されるままピットの中へ進み、ラファールに袖を通す。通せない右腕の装甲が、所在なさげに機体の側を浮いていた。

 最早生活の一部と化したPIC飛行でアリーナへ乗り込んでいく。

 試合の時も思ったが、普段から多くの生徒がISで同時に飛び交う空間に自分一人で居るのはだだっ広いという印象を受ける。観客の居ない今は更にその感覚を強めている。

 そんな空間の中央に、少し欠けた月を光源にして、先客が一人、ISにも乗らず扇子を口元で開き立っていた。

(――簪ちゃん!?)

 否、簪ではない。彼女は今頃海で美味しい魚料理に舌鼓を打っている筈だ、うらやましい。

 では彼女は誰だと考えるも、プライベート・チャネルが飛んできた。

 内緒話とはこういう事か。確かにプライベート・チャネルならば盗み聞きもされない。

(相手は誰なの目の前の人? それとも別の場所で見ていたりするの?)

 警戒する必要を感じ、それでも餌に擦り寄る魚のように彼女の元へ。

『来てくれてありがとう』

 目の前の少女が扇子を開き直す。『感謝』の二文字が記されていた。

『……ごめんね。単刀直入に、聞いてもいいかしら?』

 ――次に聞いた言葉は、

 

――貴方、男の子、よね?――



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50.求められた際の身の振り方は ①

 利用者がまばらになった頃を見計らい、簪は温泉を堪能した。比較的仲の良い4組の面々も居らず、望みどおり邪魔される事もなかった簪は、湯上りで少し上気した肌を浴衣に通し部屋への渡り廊下を歩いていく。

 そういえば静穂は徹底して学園の大浴場を利用しようとしなかった事を簪はつい思い返していた。

(やっぱり、恥ずかしい?)

 偶然にも彼女の素肌を見てしまった事を何度か経験している簪はそう考えて、

 ……はあ、と溜息を一つ、自己嫌悪に陥った。

 今日だけで何度目だろうか。織斑先生が静穂の話などするから彼女の事ばかり考えてしまう。今日の夕食などとても美味だったもので、

(静穂だったら、ご飯だけで三杯は食べてそう……)

 などとこの場に居ない彼女の行動を予想してしまうのだ。実際に静穂が居たら自分の方は食事が喉を通るか分からない。目線が合う度に逃げるだけで味など判別不可能だろう。 

 切り替えねばならない。幸か不幸か彼女はこの場に居ないのだ。一人心を落ち着けるには十分である筈の時間が、簪には与えられている事になる。

 そんな彼女の進行方向、ふと人だかりが目に入った。

 金髪が二人に黒髪が二人、銀髪が一人という構成だけでもう何事かの察しがついてしまった。

(また、織斑 一夏……?)

 実際その通りなのだろう。表札部分に『織斑』と掲げられた部屋の襖に、五人は耳をそばだてている。

(…………)

 彼女達の行動に半ば辟易しつつ通り過ぎようとした所で、

 襖が突如開かれた。

『うわ!?』

「?」

 襖を開けた人物、織斑先生の足元に体重を掛けていた五人が崩れて部屋に入り込む。

「ほう、いつもの連中だけでなく更識、貴様もか」

「え……?」

「まあ入れ」

 そうとだけ言うと織斑先生はそのまま部屋の奥へ入って行ってしまう。

 何処か諦めたような顔で部屋に入っていく五人の後ろで、簪は、

「ま、巻き込まれた……?」

 出会ったばかりの頃の静穂がよくそんな事を言っていたと思い返しながら、簪も部屋への戸を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然に自身の核心を突かれた人間が、自身に染み付いて決して落ちる事のない動作で、つい自分の得物で示威行為に走ってしまうのを、一体誰が責められようか。

「その銃。スミスちゃんの()()ね」

 彼が拡張領域からその得物を呼び出す、その速度に合わせてこちらも拡張領域からガトリングガン内蔵の槍を鼻先に向けてやる。たったそれだけで彼我の実力差を認識してくれる辺り、賢明ではある。

 彼の身が竦んでいる。血が凍り、心臓をこの槍で打ち抜かれたように。喉奥が貼り付いて声が出せないでいるのか、表情は強張り目は大きく見開かれ、ギブスに覆われた右腕が震えている。

(当然か……)

 自分が必死になって隠し通してきた、最も知られたくない事実を知られていた。それも自分の力を遥かに超える相手にだ。どれだけの衝撃か、当人以外に分かる筈もない。尤も、そんな体験を二度もするとは思ってもいなかったのが大きいか。

(――でも悪いとは思わない)

 織斑 一夏以外に男性操縦者が存在していた事にも驚いたが、それがまさか女子として学園に入り込み、愛する妹の隣に並び立ち、更には同じ部屋で寝食を共にしていたのだ。これを大事とせずして何を大事とするのか。

 そもそもの目的は何だ。性別を偽る目的は、妹に近づいた目的は何だ。

 場合によっては、実力を行使しなければならない。懸念するのは妹の反応だろうか。

 自分の事を更に嫌うだろうか。大丈夫、バレなければ問題にはならない。

『…………あ、』

(?)

 再起動したのか彼が言葉を紡ぎ出そうとする。

 身構えるでもなく、楯無は彼の言葉を待つ。実力行使も視野に入れて。

 さあ、聞かせて貰おうか。

(貴方と簪ちゃんの関係を――!)

 

『あの、どちら様ですか?』

 

 

 

 

 1年1組以外の人間が行うズッコケ芸を、静穂は(痛そう)という感想で眺めていた。そんなつもりもないのだろう当人は勝手にダメージを受けて地に伏せ、起き上がろうと杖のように槍を持つ腕は、生まれたての四足歩行動物が如く震えている。

 それにしても、彼女は一体何者なのか。

 顔立ちや髪、印象など、所々が久しく顔を合わせていない同居人と似ている年上の少女だ。ここまで似ていると他人の空似というのはありえないだろう。縁者である事は間違いない。

 だが簪からは何も聞いていない。天下のIS学園に姉妹で入学していたなど、自慢してもいい筈だ。そうなると簪は何か意図があって隠していたか、彼女の存在を知らないか。入学して間もない頃に姉の話を聞いた覚えがあるような、ないような。

 まあ彼女の性格からして、

(単に恥ずかしいだけだね、きっと)

 勝手にそんな結論を下し、静穂はPICで体を休めつつ彼女の再起動を待った。

 やがて立ち上がった彼女は制服の埃を掃って取り繕い、

『ふ、ふふ、』と肩を震わせ始めた。

(怖い怖いこの人怖い!)

『い、いきなりかましてくれるじゃない? 命の恩人に向かって』

 恩人? 誰の? 静穂(わたし)の?

『覚えてない? 貴方を私、以前に助けた事があるのだけど』

 そう言う彼女が扇子を開く。そこには『回顧』の二文字が記されていた。思い出してみろという事か。

 そういえば、と。その扇子に静穂は見覚えがあるようなないような。

(扇子? 以前に……、!?)

「水飴の先輩!?」

『そこまで戻っちゃうの!?』

 以前に静穂が空腹で困り、その場に居合わせた一夏の演説によって上級生達から大量の施しを受けたというよく分からない事があった。目の前の彼女はその時に水飴の瓶を静穂に手渡してくれた、正確には隣にいた箒にだが。

『改めて、私は更識 楯無。IS学園生徒会長よ』

 やはり彼女が簪の姉で正しかった。学園最強、一人でISを完成させた、簪のコンプレックス、その源。

「汀 静穂です」勤めて丁寧に礼を返す。「それで、何の御用でしょうか?」

『お姉さん言ったわよね? 貴方が男の子かどうか、それが聞きたいの』

(……駄目か)

 誤魔化せるかとも思ったがそうはいかないようだ。

 ……どうするか。シャルルの時と同じように穏便に、と運ぶような相手か、もしくは左手に握る頂き物の大型拳銃に早速の出番を与えるような事態になってしまうのか。

 どちらにせよ後者を自分からは選べない。友人の姉は殺せないし、なによりあの銃で暗殺は不可能だ。

「……答える前に、聞いてもいいですか」

『どうぞ』

「どうして、そう思ったんです?」

 それは一番の疑問だった。

 どうしてバレたのか。静穂には全くの心当たりがない。何か間違い、勘違いだろうという希望をもって、静穂は彼女に問いかける。

 完璧には遠いだろうが、これまで静穂は、以前から知っていた箒と直接陰部を蹴り込まれたシャルルを除き、他者へは一度たりとも自分の性別を明かしていない。見られているという事態もない筈だ。徹底して外気に肌を晒す事態を避けていたのは、体中に刻まれた傷痕を見せないという目的もあるが、主なそれは単に性別を隠す為だ。

 周囲からは時に抱きついてくる相手もいて「細っ!?」と驚かれこそするが、性別がバレた訳ではないだろう。

 彼女の場合はどうだろうかと、静穂は思い返して見る。

 面識はほぼないと言っていい。最初に会った時点からたった一度、大会時の邂逅だけで彼女は静穂の性別を知るに至っている。何故だ。

 ――その答えは至極簡単なものだった。

『…………』

「? 先輩?」

 凛とした佇まいを保っていた更識 楯無が、急にしおらしくなったと言うか、あからさまに目を背け、開いた扇子に文字はなく、目元から下を隠しだした。隠す前の頬も少し赤かった。心なしか槍の切っ先が地面に『の』の字を描いている気がする。

『…………見ちゃったの』

 …………はい?

『あの試合の後、貴方の手術をする事になった。貴方は麻酔で眠っていたわ。私は保健の先生から手術の助手に駆り出された』

 あの先生はそんな事をしていたのか。本職の医療従事者でない一生徒を手術という大一番に使うとは。

 だがそんな事よりも。

(見たって、何を?)

『私がやったのは血流操作なのだけど。……知ってる? 麻酔がかかると血管が拡張されて、その……、そ、()()()()()が起きる場合があるのよ』

 

――そういう事――

 

 それはつまり、

(…………まさか、)

 静穂は目線を自身の()()()にやり、再度楯無に向けた。

 その反応に楯無は顔を赤らめて、

 …………頷いた。

「----------!!」

 言葉に鳴らない叫び声を上げて、静穂は半身を切り腕やら手やらで体の要所を隠す仕草を取る。傍から見れば見事な女子のそれだった。

「なんて事をしてくれるんですかぁ!? 親にだって、お姉ちゃんくらいにしか見られた事ないのに!」

『仕方ないじゃない! まさか男の子だなんて思わなかったんだから!』

「だからって見る事ないじゃないですか! ()()は別に怪我した訳でもないでしょ!? そうでしょ!?」

『不可抗力よ! そんな事言ったって突然見せ付けられたこっちが謝ってほしいくらいよ!?』

「そんなの無茶苦茶だぁ!? というか見ちゃったんなら男かどうかなんて確認する必要ないじゃないですか! わざわざ呼ばないで心に秘めておいてくださいよ!!」

『貴方がどう見ても女の子だからよ! 幻覚かと思いたくもなるじゃない!? 私だってその、見るのなんて――』

「分かった分かりましたもうそれ以上は言わないで!?」

 ――一頻り大声を出して落ち着いたのか、静穂も楯無も肩で息こそすれどそれでも頭は冷えたようで。

『――私は知りたいの、返答次第によっては力に訴える事になるかもしれないけれど』

「それは止めませんか? 怪我人を更に傷つける意味はないでしょうに」

『なら答えて』

 と、言われてもだ。

「わたしはわたしですよ。そうとしか答えられません」

『それは誤魔化しているつもり?』

「そんなつもりではないですけれど」

 言っていい事柄は少なく、言ってはいけない事柄が多すぎる。それが汀 静穂という人間だ。

「わたしは国の要人保護プログラムを受けています。伝えていい情報はほとんどないと言っていい」

 なんとか取り繕った楯無が聞いてくる。

『貴方が女装してIS学園に潜り込んだのはその為?』

 もう明かしてしまい、その程度ならばいいだろうと観念した静穂は答える事にした。

「そうしろと言われたからです。わたしだって好きでこんな、女子の格好をする趣味はありませんよ」

『そうなの? どうみても女の子よ? いまの貴方』

「……でしょうね」

 つい目頭を押さえたくなる。中学の時代に幾度となく同級生の女子達からオモチャにされた経験がこんな形で活きるとは思わなかった。

 中学時代を思い返すと浮かんでくる思い出といえば碌なものが少ないような気がする。事ある毎に女子からは女物の服を強要されたり、なにをどう間違えたのか男子から告白されたり。そのお陰か逃げ足は速くなった。

 思わず溜息が漏れ出した。眼前の美人に今の格好が似合っていると言われても、それが女装とくれば素直には喜べない。

(あぁ、本当に)

 何がどうしてこうなったのか。それ程努力をせずともバレなかったが故の慢心か、目の前で扇子を握る彼女にははっきりとその証拠を、不可抗力にも見せ付けてしまった。

 これからどうすればいいのか、誰かに聞きたい気分だった。

 

 

 ……何時の間にか本筋からずれていると思い、静穂はこう切り出した。

「聞きたい事って何です? わたしが男かどうか、それだけですか?」

 用事がそれだけならもう帰らせて欲しかった。いずれにせよ静穂が女子として入学している現実は変えられる訳でもなし。もう諦めが入っている。

『あら、まだまだこれからって時間にもうおねむ?』

「わたしが怪我人だって事を忘れてません?」

 会話の間に調子を取り戻した楯無が、本来からこれなのだろうというそれで笑みを浮かべてくる。

 術後の人間はその規模の大小に関わらず体力が著しく低下するのだ。自分の大事な事柄ながら飽きが、というか本当に眠気が来ている静穂にはどうでも良くなっていた。

 

『――簪ちゃんは貴方の事を知ってるの?』

 

 故にそんな事を聞かれた時、静穂は欠伸を噛み殺して、

(まぁ、ですよね)

 と、そんな感想を抱いていた。

 どうすれば穏便に話が進むかなどは考えない。ただ正直に、言いたいように。

「言える訳がないでしょう」

『そうよね。あの子、こんなの知ったら失神しちゃう』

 慌てふためく彼女の姿は静穂も簡単に想像できた。あの女子力の塊にバレようものならどうなるか。自分よりも彼女の方が心配になる。

『言うつもりはないの?』

(…………)

「何て言えば、いいんですかね?」

 ……いや違うか、と静穂は首を振る。

「どう伝えたら、許されますかね?」

『全部を自分の言葉で話せばいいと思うわよ?』

「全部?」

『そう』

「――はは」

 静穂は思わず笑っていた。楯無が首を傾げるのも当然だろう。

 全部明かせと言う楯無を笑う、何も知らないからそんな事が言えるのだと。感情のままにそれを言いかけて、静穂は押し止めた。楯無は何も知らないのだからその辺りを突いた所で意味はないのだと自分を説得した。

 ……それにしても、

(どうしたんだろうなぁ、わたしは)

 これまでの自分ならば今の楯無の言葉をそういう風には受け取らなかっただろう。今の静穂にはそれだけ余裕がないという事か、それとも別方向から物を感じ取る、言葉の裏を勘ぐる余裕ができたという事か。

 大型拳銃の銃口で頭を掻き、静穂は言葉を選んでいく。

 勤めて平静、これまで通りに。

「――そんな事、伝えたとしても()()()を苦しめるだけですよ」

『あくまでも隠し続けるつもり?』

「わたし一人の問題ではないんです。わたしが男だと打ち明けるという事は、必然的に彼女を巻き込んだあの事件についても話さないといけなくなりそうで」

 

――日本代表候補生・加畑の起こした殺人未遂事件――

 

「妹さんに助けてもらった手前、言えない事があるんですよねぇ」

 あの日に起こった事件の顛末は簪には酷すぎると考えて、

「言ってしまって傷つけるくらいなら、このまま自然と離れてしまった方がいいと思います」

『――それはただの逃げだと理解してる? そんな事を言って、本当に苦しむのは貴方の方じゃないの?』

「妹さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女を苦しめてしまうのならば、わたしはもう居ない方がいい」

 そこで静穂は言葉を一度切り、息を吐いて整えて、……言った。

「それに、わたしが傷つく事はありえない」

 その笑みは、眼前の彼女にはどう映っただろうか。

 静穂が初めて他者に見せる、自嘲の笑みを。

「言ったように、わたしは要人保護プログラムの対象者です。名前も生い立ちも、何度変えた事か」

『貴方……』

「今更友達の一人と疎遠になったところで、何も変わりませんよ」

 と、其処まで言い切って静穂は、「あ、そうか」と何かに気付いた。

「同じ学校に居るまま疎遠になるのは初めてかな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「要人保護プログラムの弊害、なのかしら」

 閉じた扇子にどのような文字を記せばいいか悩みながらも玩び、楯無はラファールの消えていったピットを見やる。

「淡白、冷淡……」

 どれも違う。あの時の彼を表現するにはどのような言葉が相応しいのだろうか。別に二文字縛りという訳ではないのだけれど。

 文字を扇子を開いては閉じ、うってつけの単語を引き当てた。

「観念、ね」

 観念、往生、……難渋?

 別れる事が必定の出会いを幾度も繰り返してきた、それが今の彼を作り上げたという事か。

「たとえそれが、大切な友達でも……?」

 大切な妹の友人、それが男子という事ではあるが、その真意さえ確かに出来れば別に、離別を促すような、こんな結果を望んでいた訳ではない。

 こんなつもりではなかった。妹は悲しむだろう。顛末を知れば恨むだろう。

 彼の言い淀む理由が、少し理解できた気がする。

「駄目なお姉ちゃんね……」

「お嬢様!」

 楯無が呼ばれた方向に振り向くと、自嘲する駄目なお嬢様に仕える友人がこちらへ走ってきていた。

「虚ちゃん? どうかしたの?」

 まさか彼が学園から去ってしまったのか。

 だがその予想に反して虚は携帯端末をこちらに差し出して途轍もない事を言い出した。

「更識家からです。日本海から国籍不明機が領海内に侵入、上陸したとの連絡が」

「――なんですって?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、楯無が何を聞きたいのか、布仏家がどうのという話も分からずじまいで静穂は、自身の病室ではなく学生寮の一室に足を運んでいた。

 ポケットから鍵を取り出し、扉を開けて中へ。

(変わってないなぁ……)

 それ程の時間が経ってはいないのだが随分と空けてしまったかのような感覚に囚われつつ、静穂は先日まで眠っていた自分のベッドに腰掛けた。

 明かりは点けない。ハイパーセンサーが光源もない室内にて視界を暗視モードへと切り替えてその内装を映し出していた。

 並んだ学習机。雑多に表面積を増やすコルクボード。特撮かロボットアニメ、トーナメント中は対戦相手の試合内容しか映した覚えのない薄型テレビ。

 ふと静穂は腰掛けたまま後ろに倒れ込み、首を横、主のいないベッドへと目線を向けた。

 其処に居た嘗ての同居人は、今頃ならば海の見える旅館で眠りについている事だろう。自分と離れてゆっくりと羽を伸ばしているかもしれない。気の合う友人達とガールズトークに花を咲かせているかもしれない。

 そんな事を考えながら、静穂は楯無に言われた言葉を反芻する。

 

――苦しむのは貴方の方じゃないの?――

 

 ――楯無に対して言った言葉に嘘はない。あの場を切り抜ける為に言葉を選びこそしたが、自分の意に反するものは使っていない。

静穂はこれまで幾度と名前を変え身の上を変え、その都度別れをくり返してきた。そうして築いては崩してきた交友関係だが、大抵は知っていて相手が近づいてくるか、何も知らずに交友関係を築き、要人保護プログラムによって引き裂かれるかのどちらかだった。自分から袂を分かつという選択をした記憶はないが、それでも自分はいつも通りの自分で居られるという、経験から来る自信があるにはある。

 だが実際にその通りかもしれないと考える自分がいるのも事実で、また初めての事だった。静穂の短い人生の中でも自分の秘密を明かすなど一度としてなかったからだろうか。

 まして袂を分かつ相手と同じ場所に居続けるという経験も、静穂のこれまでの経験にはなかった訳で。

(彼女が傷つくくらいなら、わたしは離れた方がいい)

 その言葉に嘘はない。友人を守るに至る行動原理を静穂は遂行したに過ぎない。だのにその言葉が、言い切った後、今になって次善の言葉を組み立てようとしている自分がいる。その足が思わず嘗ての自分の部屋、友人と過ごした場所に向いてしまう事を、静穂はどうしても止められなかった。

(あぁ、そうか)

 そうして静穂は漸く気付いた。

 これまで良くも悪くも人間関係を築けた相手との別れとは即ち今生の別れ以外にはありえなかった。だが今回は違う。

 決して彼女と喧嘩などをした訳でもない。むしろ結果に目を瞑れば命を救われ、目標を見出す手助けまでされている。だが結果として静穂は彼女の厚意を無にし、文字通り傷つけ、そしてそれ以降はすれ違い、今の今まで顔を合わせて会話すらしていない。

(寂しいんだ、わたしは)

 更識 簪との別れが、寂しい。

(…………変なの。わたしは、)

 投げ出した手足を胸に寄せる。自分以外に何もない事を確かめるように、自分だけを抱き寄せた。

(お姉ちゃんと違って、今までとも違って)

 もう二度と、彼女に会えない訳でもないのに。

(馬鹿か、わたしは)

 もう二度と、自分から彼女に近づく事はないのに。

 ……まだこの空間に残る自分の私物、それらを片付ける算段を立てながら、静穂は疲労に身を委ねていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し欠けた月を見て、簪は溜息を一つ。

 先程まで騒がしかった同じ部屋のクラスメイト達は、全員がもう静かに眠っている。

 窓際の椅子に腰掛けて浴衣の裾をはだけさせ、露わになった脹脛(ふくらはぎ)を揉む。家柄から正座には慣れているが、関係のない話を滔々と聞かされ続けるというのは精神的にくるものがあった。

 プルタブを開けられていない炭酸飲料の缶が結露で簪の細い指を濡らす。1組の専用機持ち達と並んで織斑先生から口止め料として押し付けられたものだ。

 ……彼女も普段はこんな気持ちで巻き込まれ、嘆きながらも自分の立ち位置を見出していたのだろうか。

(…………)

 この臨海学校が終わって、また彼女の前に立てるようになるだろうか。

 その時にならないと分からないだろうと今は思う。今は、彼女と一緒に作り上げた全てを駆使して、明日の仕事をやり遂げてみせよう。

 そうすれば、画面に映るヒーローのように、勇気を出せる気がするから。



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51.求められた際の身の振り方は ②

 ()()は酷く退屈していた。

 嘗て内容物が放っていたであろう脂の臭気に心の底からの嫌悪を抱きつつ、陸を跨ぎ海を越えるまで、それは一体何度の欠伸を噛み殺したか分からない。だが目的の()に辿り着くまでの間、それは決して沈黙を破ろうとはしなかった。ただ()()が何かに対して一方的に話しかける意味も趣味も目的も見出していなかっただけなのだが、その様を見る者、知る者には意図せずして()()に勤勉か無機的という印象を与えている。

 えっちらおっちらといった具合に、難儀そうに歩を進めていく。猿が別段慌てて散っていくでもなくただこちらを見上げる様子を見て、()()は酷く辟易し、嫌悪感を示し、手を下すでもなく無視を決める。

 ()()は酷く潔癖だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何かやろう! 皆で!」

『……はぁ?』

 地ならし用のトンボを掲げながら2年生の一人が放った唐突な一言に、上級生複数に紛れただ一人の1年、静穂も含めた全員が頭に疑問符を浮かべた。チーム汀組の面々である。

 静穂の機体が紡いだ縁はいつしかその中心存在を置いてけぼりにして一種のクラン、氏族とも派閥とも近しい何かをIS学園内に構築していた。

 総勢10名にも満たないチーム汀組なのだが、トーナメントの成績とその結成理由からIS学園職員内での知名度が少し高かったりする。

 通常IS学園で学年を跨いでそういった集団行動をする事はめったにない。あるにはあるが、それはISとは関係のない部活動から生じる上下関係くらいしかなく、彼女達のような縁故は極めて珍しい、というより前例がない。似たような例に専用機持ちの一人と祖国を同じくする整備科が集うというものもあるが本年度に於いてはそれもなく、汀組は国籍も様々だ。

 ISに関しては全員がライバル、互いの切磋琢磨が常識として固まっていた生徒達の中に突如徒党を組んで一機の経験を使い回し、その経験値を用いて擬似専用機を一時的・限定的に量産できる集団が出てくれば、教員の目にも自然と留まるというもので。

 トーナメントによる振替休日の今日、チームの面々は職員室に呼び出され先日まで続いていた激闘の後始末を請け負った。折角の休日を潰されて一人あたり食券5枚は高いのか安いのか。単にうまく使われているだけなのかもしれない。

 その最中、静穂を除く全員がISを駆りこれまたISサイズの整備用品を駆使してアリーナの地ならしに勤しんでいる時、彼女は何かを閃いたように提案したのだ。

 2年生の発言に3年生の、自称まとめ役であり先日3年の部で決勝まで出場した永富が問いかける。

「なにかやるって、具体的には?」

「そりゃあ勿論!」2年生はトンボをバットのように振り回し、「新型機の開発ですって!」

「呆れた、まだ諦めてなかったの?」

「だって勿体無いじゃないですか。折角蓄積した経験値ですよ? 有効活用しない訳にはいきませんぜ」

「こうして皆で地ならししてるじゃない。経験値のお陰で効率良く」

「そうじゃなくて、もっとこう……ねえ!?」

 2年生が空を何やら揉み込むような動作をして周囲に共感を求める。だがそうした所で意図を汲み取れる人間はいない。

「そんな事より手を動かしてよ。あと少しで終わるんだから」

 永富でない別の3年生がグレネードの不発弾を解体しつつ窘めた。2年生の彼女が口を尖らせながらも作業に戻っていく。彼女の前には大人の一人は寝転んで埋まれそうな小規模のクレーターが広がっていた。グレネードの爆発によって固められたそれは硬く、周囲の土を削って充てても平坦にするにはまるで足りない。

(カシラ)ー! 土ちょうだーい!」

「今行きますよー」

 彼女の呼びかけに静穂が反応、左手一本でも慣れたハンドル捌きを見せてターレットトラックを操作、バックで近寄り荷台の側からクレーターに車体を寄せる。

 まだ言いたい事があるのか彼女が荷台の土をトンボで下ろしながら静穂に同意を促した。

「頭もそう思うでしょ?」

「皆で何かする事ですか?」

 そう! と頷く彼女の目は輝いている。静穂なら同意してくれるという期待からだろう。

「とりあえずこうして仕事が早く終わらせられるだけ上出来だと思いましょうよ」

 えー? と彼女はあからさまに不満を示すが3年生のメンバーは静穂の意見に同意を示していた。

 

 

 アリーナのグラウンド整備というこの仕事、地味だが意外と重要であったりする。ISによる戦闘は絶対防御とシールドバリアーの存在があってこそ競技として成り立つが、その実は危険物をぶつけ合う戦争と紙一重も離れていない。現状のようにトーナメントを3つもこなしたアリーナはありとあらゆる金属片と不発弾が田舎の夜空に光る星々が如く散りばめられた状態で荒廃し、授業に使用できる状態への回復にはISを用いなければ危険で且つ重労働なのだ。

 金属片と不発弾を電磁石で根こそぎ拾い上げ、ISサイズのグラウンド整備器具で均し固めていく作業。他のアリーナでも食券に釣られた有志者が集って事に当たっているが、汀組と違い丸一日はかかるだろう。この差は使用する練習機の経験値とチームプレーによるものが大きい。

 ……昼時よりも遥か以前にグラウンド整備の全工程を終了したチーム汀組、手際よく使用した機体の掃除と経験値の並列化を同時に行っていく。

 その時も話題は変わらず、寧ろ大きな仕事が終わった今だからこそ話題の方に熱が入る。

「確かにこのメンバーで何かやってみたい気もするかな」

「ですよね!? ですよね!?」

「でも何をやるの? 本国に迷惑をかけるような事は私嫌です」

「ISは無理でもEOSならいけそうじゃない?」

「あのローラーダッシュ以外に取り柄のない介護用補助外骨格の改悪版? せめてパワーアシスト全開で30分以上稼動できてから表に出しなさいよ老害共は」

「でもISよりは現実的よ。問題はバッテリーと制御プログラムだけだもの」

「競争率も低いのが良いですね。日本だと研究してるのが四十院だけだった筈」

「倉持に技術協力もやってるよね四十院。広く浅くが長生きのコツ?」

「よし、EOSを作ろう。という訳でアンタ、ISは諦めなさい」

「なんでそうなるんすかー!!」

(姦しいな)

 背中を向けているから分からないがちゃんと仕事をしているのだろうか先輩達は。まともに作業をしているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「静穂ちゃんは何かない?」

 わたし? と並列化作業を担当していた静穂はディスプレイから目を離し腰掛けた椅子を回して身体を話題の方に向け、少し考える素振りを見せる。

 正直ISでもEOSでもどちらでもいい。仕事さえしてくれるなら。

 ……でもどうせなら。

「いっそ本当にISでも作りますか?」

「それだ!」

『どれよ!』

 と、賛同を得られたのは言いだしっぺの2年生のみ。他の全員からは総ツッコミを受けた。

「汀さんもバカな事言わないで。全機体経験値の統一化と蓄積は終わったの?」

「後はもう待つだけですよ。でも何で駄目なんです?」

 要するに2年生の彼女はチームの全員で何か行動したいと考えているのだ。このチームが集った理由はISにある。チームの多くは整備科と来れば、ならばIS関連の花形である機体開発でもすればいいと静穂は考えたのだが、それはあっさりと否定されてしまった。

 IS学園では校則や公序良俗、一般常識から逸脱しない限りは行動の自由が約束される。ISの開発という題目にも正式なルート、申請書を提出すればその可否を伺う事が可能である筈だ、一応。

 ここでも自称まとめ役の永富が説明に乗り出してくる。

「新型機って事は全部を一から作ってISコアに定着させる事よね? 仮に万歩譲って全部を作成して後はISコアを定着させるだけの段階に持っていけたとしても、コアの定着にはとても時間が掛かるのを忘れたの? ISのレンタルはその日限りで長期に渡っては借りられない。一日やそこらでコアの定着から試験飛行まで終わるんだったら学園の機体は全部ゲテモノになってるわよ」

「わたしが決勝戦の時に使ったラファールはどうしたんです? あれを作るのに時間がかかったとか言っていたじゃないですか」

 嘗て静穂がトーナメントの際に求め、自分達がこうして寄り集まる縁の元となった機体の事を静穂は話題に出した。

 今言われた事は静穂も知識として理解している。だが静穂はあの機体という前例があるから提言したのだが、

「あれは所詮武装とサブアームとかのあれこれを取り付けた改造の範疇よ。申請の方はトーナメント中だからできる裏技を使ったの。今はもうあんな長期の申請は通らない」

 上級生ならではの申請方法があるらしい。

「とにかく長期に渡ってISを借りる事が出来ない以上、現状の制度でISの作成は無理。権利関係にしたって腕一本で幾つの特許が使われてるか知ってる? 個人の集まりでしかない私達じゃ絶対にクリアできる問題じゃない」

「そんな簡単に無理って言う事ないじゃないすか……」

 言いだしっぺの少女がげんなりとしつつ永富を訴えて腰掛けたままの静穂に力なく寄り掛かる。

「何かやりたいって言うなら私達が使った経験値を成長させつつこのチームを存続させて、未来の後輩に繋げていくくらいよ」

「だから私の、……うぅー」

 何か言おうとして自己完結、永富の説得を諦めた2年生が本格的に静穂に抱きついてくる。

「私の味方は頭だけだー」とぼやく彼女を宥めつつ静穂は、

「とにかく職員室に報告して、さっさと出掛けましょうよ」と言った。

 今日という休日、静穂は彼女達に何か奢るといういつぞやの約束を果たすつもりだったのだ。

 それを聞いたチーム全員の手が心なしか早くなり、不満を漏らしていた言いだしっぺも渋々と自分の仕事に戻っていく。

 現金だなぁと思いながら、静穂は全工程が終了したと表示する端末から経験値の蓄積された記録媒体を引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 性能の暴力というものを今、簪は眼前に目撃している。

 それは赤い残光を空に残しながら、両の手に握る刀を以て自身に迫る脅威に立ち向かう。

 

――紅椿――

 

 ISの生みの親である篠ノ之 束が妹の為に作り上げた、世界にたった一機のIS。

 それを駆るのは当然妹である篠ノ之 箒であり、彼女は今、姉が放った多数のミサイルをたった一振りの斬撃で打ち払って見せた。

(すごい……!)

 追加装備なしでの機動性、遠近を問わず振るわれる武器性能。そして未だ机上の空論を出ていない展開装甲の実用化。

 製作者曰く第4世代機の性能をこれでもかと見せ付けられて、簪はその衝撃に打ちひしがれる事も許されず、ただ驚嘆させられてしまった。

 ここで絶望させてくれたら楽だったのかもしれない。だがそれを簪は自分から許さなかった。

 ()()と築き上げてきたものがそうさせてくれなかったのだ。

 ふと指に嵌めたリング、待機状態の打鉄弐式に手をやった。

(今は、無理でも……)

 いずれあの位置に、辿り着いてみせると、

(私は――)

「全員注目!」

(――!?)

 簪の意志を遮るかの如く、織斑先生が全員を自分に向けた。山田先生が表情を強張らせて走り去っていく。

「現時刻を持って臨海学校の全カリキュラムを中止する! 練習機を片付けろ! 以後は別命があるまで各自自室待機!」

 その言葉を受けて生徒達には混乱が広がっていく。その混乱を押し潰したのもまた織斑先生だった。

「許可なく自室を出た者は身柄を拘束する! 時間がない、早くしろ!」

 混乱が収まったと思えばその後は大慌てで練習機の片付けに入る生徒達を織斑先生は確認して、

「貴様ら専用機持ちは私と来い、篠ノ之、貴様もだ」

「はい!」

 篠ノ之 箒の大きな返事を聞くが早いか先生はさっさと歩いて旅館の方に戻ってしまう。

 何の説明もないまま簪達は織斑先生の後を追う。先頭は紅椿を待機状態に移行させた篠ノ之 箒だ。

(何……? 何なの……?)

 簪の弐式に触れる指に力が入った。

 まるでそうすれば()()が勇気をくれるのかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 代表者という役割は大抵が貧乏くじではないかと、静穂は曇天の空を視界の端に捉えながら思う。

 責任者への報告も役職のない他者より統括責任の務めを担う者の方が適任だという事は静穂も理解しているのだが、

「ううー……」

「まだ唸ってるし」

 ……こうして人員のメンタルケアなども自分の仕事だと周囲に丸投げされるのは如何なものか。

 3年生達に口で押さえられた2年生の彼女を連れて歩く。アリーナ整備の終了を報告するためだ。彼女は押し付けられた。うーうーと唸って煩わしいからとの理由だが、これは確かに煩わしい。静穂の背中に体重の乗った頭を預けてくる辺りが特に。

「頭ぁ」

「何ですかー」

「私、間違ってるかな?」

 唸るのをやめたかと思えば何の話か。

「何がですかー」

「……専用機が欲しい」

「……あぁ、成程」

 彼女は皆で作ったISが欲しかったのか。

「……どうして皆で作った機体がいいんです? 学園の成績によっては卒業後に国から専用機を任せられるかもしれないじゃないですか」

「……頭は前途洋洋だからそう言えるんだ」

 言うと年上の彼女は静穂の背から頭を離す。

 いや歩くのを止めたのだと気付いて振り向けば、今にも泣き出しそうな顔がそこにあった。

「先輩達、就職先がまだ決まってないんだ。他の先輩達は殆どがもう進路を決めてるのに」

「進学じゃないんですか?」

IS学園(ここ)じゃIS関連の企業に就職するのが当たり前。大学なんて行ってもISには触れないから」

 ……世界唯一のIS操縦者育成機関という名の通り、普通ならば大学に上がったところでIS学園以上の事は学べない。

 IS学園に入学できるのは一部の例外を除き世界で選りすぐりのエリートと呼ばれる少女達だが、その中にも優劣を付けてしまうのが大人達だ。目立つ人材は企業側からスカウトを受け、それ以外は自分から売り込んでいく必要がある。

 早すぎる就職戦争。汀組の3年生達はその波に乗れず、だからこそ入学したばかりの、ISの何もかもまだ理解していない1年生の機体に希望など見出してしまった訳だが、

 それは2年生のメンバーにも当て嵌まる訳で。

「落ちこぼれなんだ、私達は」

「…………」

「私もそう。なんとか篩い落としには残れたけど、本国で代表候補にもなれずに此処に来たってだけで、卒業して国に帰ってもそれだけで終わっちゃうんだ」

 このままでは、と。

「2年の私達はまだ後1年以上あるけど、先輩達は違くて」

「専用機を自分達で作って、先輩達の履歴書に箔を付けてあげたい、ですか」

 眼前の彼女は頷いた。

 彼女なりに考えた末の意見だろう。3年の先輩達は然して気にしていない様子だが、それも諦めから来るものなのか。

「私、このチームが好きだ。2年になってパイロット科と整備科に分かれたけどチームではそんなの関係なくて、部活みたいに面倒なものもなくて」

 学科も人種も年齢も国籍すらも垣根を越え皆一丸となってISに関わった日々が、彼女は楽しかったのだ。

 もっと皆と一緒にいたい。もっと皆と楽しみたい。もっと皆と笑っていたい。

 それがいけない事なのか。彼女は一つ年下の()()に訴え掛けている。

 自分達を繋いでくれた少女(しずほ)に。

 その思いを受け取った静穂の反応は、

「……そっくりそのまま伝えたら分かってくれると思うんですが」

 何故年下の自分にそれを言うのかと。自分の思いを伝えるだけだろうにと。

「……恥ずかしいからやだ」

「……わたしならいいんですか」

「頭は口が堅いもん」

「でしょうね」

 静穂の口が堅いのは当然だ、自分が喧伝されて困る秘密を抱えているのだから。

 内心で嘆息。何をどうすれば一般生徒が先輩の進路相談をする事態に陥るのか。

(あぁ、もう……)

「――とりあえず職員室に報告、皆で町に出て、何か食べながら話しましょうよ」

「なんで?」

 なんでって、と静穂は言葉に詰まる。

「専用機、皆で作るんでしょ?」

「!」

 今までの泣きそうな表情ごと吹き飛ばして彼女が静穂に飛びついてきた。

 柔らかくない、寧ろ痛い。いや本当は女性特有の柔らかい部分に慌てる場面なのだろうが、彼女が有して主張する柔らかい部分と静穂の主張する硬い部分が追突。まあ要するに胸がギブスを押し込み罅の入った肋骨にギブスが食い込んだというだけで。

「頭! ありがとう!」

「ど、どうも……」

 静穂はゆっくりと彼女のハグを引き剥がす。喜色満面の彼女に対して静穂の顔面は蒼白気味だ。

「じゃあさっさと報告だ! いくぞ頭!」

「ああ待って手を引かないで肋骨(あばら)の罅が響いてうごごご……」

 

 

 ――トーナメントが始まる少し前まで山田・織斑両先生の手伝いを名目に職員室に入る機会が多く勝手を知る静穂が先んじて入室、先輩が後に続く。入室の順番だけで静穂がチームの頭目らしく見えるから不思議だ。

 別段目新しい訳でもないので真っ直ぐ依頼主の元へ。

「教頭先生、――と」

「貴方、」

 先客がいた。その外見には見覚えがある。

 眼鏡に三つ編み、しゃきっと延びた背筋。布仏 虚だ。

 虚の向こうから教頭の目が静穂を捕らえた。

「おう、来たかお山の大将」

「なんですかそれ」言いながら静穂は書類を提出する。「任されたアリーナの整備が終わりました。あとこれが外出許可の申請書です」

 教頭は、おう、と言って受け取ると即座に判子を押してしまう。精査しなくていいのだろうか。

「ガキらしく次からは外出くらい勝手に行けこの生真面目め。にしてもえらく早いな。流石に経験値の差か」

 教頭がにやりと笑いながら机の引き出しから食券の束を手渡してくる。実際その通りなのだが後ろの先輩が得意顔をしていそうなので静穂は何ともいえない表情。

「所で汀1年」

「何でしょうか」

 

「お前達のチームでIS持ってねえか?」

 

『はあ!?』

「教頭先生!?」

 思わず汀組が口を揃えて叫ぶ。側にいた布仏先輩もだ。

 聞いていたのは静穂達だけではない。近くの先生の中には飲み物が気管支に入ってむせたり転んで腰を痛めているのがいる。

 それにしてもなんて質問を飛ばしてくるのかこの教頭は。

 素っ頓狂な質問に固まる一同。一番に反応したのは汀組の方の先輩だった。

「教頭! 私達に対してそんな事聞くなんて喧嘩売ってんすか!?」

「なんだとう!?」

「私達がどれだけそれを欲してるか分かって言ってるのかって事ですよ!」

「俺はただそこの布仏3年が許可なしに使えるISがないかって聞いてくるから手助けがしたくてだなあ!?」

「……止めなくていいの?」

「……少し休ませて下さい」

 教頭と睨みあう先輩を放って静穂は頭を抱える。

(……それにしても)

 使用許可なしに使えるISを欲しているときた。

 十中八九、

「何かありました? ISが欲しいなんて、まるで目の前の人みたいな事を言うなんて」

 布仏先輩との関係は昨日初めて会っただけだが、その性格は決して目の前の2年生のような事を言い出すようなそれではないと静穂は思うのだが。

「……なんでもないわ」

 布仏先輩はそのまま顔を背けてしまう。

 そして小声で呟く言葉を、静穂のハイパーセンサーは逃さなかった。

 その単語を静穂は、鸚鵡返しで囁いた。

 

――このままではお嬢様がどうなるか――

 

「!?」

 布仏先輩が目を見開いて静穂を見てくる。

 静穂はその眼を見返しつつ、

「――更識先輩に関係するんですか?」

 昨日の夜、彼女は更識 楯無の事を「お嬢様」と呼んでいた。忘れるにはその出来事は新しすぎる。

 更識 楯無に、簪の姉に何かあったのか。

 驚愕の表情をきりっと引き締めて布仏先輩はこう返す。

「貴方には関係ないわ」

 昨日とは口調の違う布仏先輩。役目が違うという事か。昨日は更識 楯無の関係者、今は生意気な後輩を嗜める上級生。

(違うかな)

 非常事態だが危険な目に関係のない人間を巻き込みたくない、か。

(…………)

 汀組の先輩はいつしか教頭と腕相撲にまで発展している。仲が良いな随分。

 二人がぎゃあぎゃあと騒ぐ声に紛れて、勤めて静かに、眼前の布仏先輩にしか聞こえないように。

「何とかできます。私達なら」

「……貴方達がISを個人で所有していると言うの?」

「はい」

 静穂の即答に布仏先輩は固まってしまった。

 当然だ。たった五百に満たない数のISで世界は簡単に、その全てが変わってしまった。それだけの力を個人で所有しているなど、一般常識ではあってはならない。

 それを静穂は持っていると言った。その真意はともかく静穂は彼女の求めるものを所持している、助けになれると言っているのだ。

 その悪魔の囁きに、布仏先輩の逡巡は極めて短かった。

「――貸してもらえる?」

「内容次第です」

 

「――あら? ん?」

 

『?』

 見れば尻餅を突いていた先生がテレビのリモコンと格闘している。

「テレビが点かない? チャンネルは変わってる。電波かしら?」

 

「――何だ?」

 

 今度はむせていた先生が電話の受話器を片手にボタンを押している。

「いきなり切れた。もしもし? ――駄目だ、ツーとも言わない」

 その二人を皮切りに異変は職員室中に伝播していく。

「どうしたのかしら?」

 布仏先輩が周囲を見渡す。一方で静穂は、

(使えなくなったのはテレビと電話。電気は通ったまま……)

「――先輩。ブレイク、ブレイク」

 教頭に腕相撲で勝ちそうな方の先輩を引っ張り戻す。

「止めるな頭!」

「真面目な話をします。チームの皆を集めて下さい」

「?」と頭に疑問符を浮かべる彼女に話を続ける。

「携帯電話は多分使えません。全員に呼びかけて1年の談話室に集合。超特急で」

「? 分かった」

 手を離す。静穂の態度に訝しげな態度を見せながらも彼女が職員室を出て行く。

「布仏先輩。何が起こっているか要点だけ教えてもらえます?」

「この状態と関係があるのかしら」

「多分」

「……貴方とお嬢様の話が終わった直後、お嬢様の家から連絡があったの」

 日本海から国籍不明・正体不明の何かが領海内に侵入、上陸。その目的も進行方向も一切が不明のままのそれに対し、更識 楯無は単身で調査に向かったと言う。

 教頭も職員室の混乱に飲み込まれ一層騒がしくなる中で布仏先輩は続ける。

「更識家は対暗部用暗部の家系。布仏の家は代々それに仕えてきた」

「それは要点の内ですか?」

「お嬢様は昨日話されなかったようだから」

 そう言って微笑む彼女に先程まで在った拒絶の意志は感じられない。

「それで、本当にISは存在して、貸してもらえるのかしら?」

「…………」

 その返答よりも先に静穂が職員室を出ようと歩を進める。

 布仏先輩が後を追う。それを振り向かずハイパーセンサーで確認して静穂は言う。

「まずは情報収集から始めましょう」



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52.身を振る上での要注意事項 ①

 お待たせしました。


 更識家は対暗部用暗部の家系。布仏の家は代々それに仕えてきた。

(でもその両家を以てしても彼の事は分からなかった)

 虚は自分の隣で歩を進めている彼を見やる。

 何者とも知れない彼は今、ギブスを吊る三角巾にギブスだけでなく缶ジュースを10本程押し込み携帯電話の画面を見て小首をかしげている。

 ……虚の主である楯無が単身で未確認機の調査へと赴く直前に聞いた話では、汀 静穂という少年は国の要人保護プログラムの対象者だというが、

(だとしても調べようがないなんてありえない)

 たとえ相手が要人だろうが首相だろうが更識と布仏に掛かればその全てを詳らかにする事もたやすい筈だ。

 だが彼に関してはそれが出来なかった。楯無は彼の事実を知って以降、両家にその能力を駆使して彼の情報を集めさせた。その際に彼が男と言う点は伏せて。楯無が信じられなかったというのが理由だが実際にその事実を見ていない虚にしてみれば並んで歩く今もその事実は信じられない。どう見ても女子だ。それもかなりレベルが高い。それこそ同姓が羨みかねない程の。

 そんな彼を対暗部用暗部がその諜報能力を以て調べ上げた結果、浮かび上がってきたものは汀 静穂という()()のものでしかなかった。

(ありえない)

 例え対象の重要事項が一つや二つ抜けていたとして、その程度のものは調べ上げていくうちに明らかになるのが普通だ。だが彼においてはそれがなく、彼が汀 静穂になる以前の全てが見つからない。

(何かがある? 更識にも見つけ出せない程の暗い位置に?)

 その推測に辿り着き、隣を進む人物に黒い影を見出しそうになったところで、

 

 

「――布仏先輩」

 

「っ、」

 その影の方から呼びかけられた。

 ……平静を装い対応する。

「何かしら?」

「ちょっと相談に乗ってもらえません?」

「相談?」

 更識でも調べきれない人物の悩みとは何だろうか。携帯電話と睨めっこしている事にも何か暗い意味があるような気がしてならない。疑心暗鬼に陥っている。

「さっきから携帯を確認しているんですが」

「繋がってるの?」

()()()()()()()、ですねぇ」言いながらも彼は操作を止めない。「まぁ相談は別の話なんですけど」

「――今の事態より重要な事?」

「喉に刺さった魚の骨が気になる、というか」

 解決しない事には本題に集中できないというようだ。

 彼が続ける。「昨日から臨海学校に行っているクラスメイト達がですね、メールを50件近く送ってきて」

(多いわね)

「今のところ確認したメールの全部に写真が添付されていて」

「写真?」

 そう聞くと彼は携帯電話を開いたままこちらに手渡してくる。

 見ていいのかと思いつつメールを開き、画像を呼び出す。

(これは、…………)

 その画像を占める色は肌色だった。女子ではなく、男子の。

 

――織斑 一夏とシャルル・デュノアの水着姿がアップで写し出されていた――

 

「…………」

「布仏先輩?」

 虚はつい、先程とは違う理由で取り繕う破目になった。

 ほぼ同級の異性、その水着姿。

 織斑 一夏は無難なハーフパンツ型、シャルル・デュノアはそれの上に橙色を基調とした半袖パーカーを羽織り、その中にも何かを着込んでいるのだろうか女子である輪郭を完璧に隠しきっている。

(デュノアさんは女子だと頭では分かっていたけれど、これは)

 更識家の諜報活動で予め()()の素性は理解していたが、1組の後輩達が彼に送ってきた写真では少年にしか見えない。

 織斑 一夏にしても適度に引き締まった上体を露わにしている。同年代ではない、二つは離れているにしろ異性の体を突如広げてしまうも、上擦りそうになる声を抑えて先を促す事が出来たのは、自分が更識家当主の御付であるという自負と、年長であるという見栄から来るものであった。

「――これがどうかしたの?」

 虚が返した携帯電話を受け取り彼は、

「パケ死攻撃なんですかねぇ」

「……、え?」

「写真を送ってくる意図が分からないんですよ。それもやけに一夏くんとシャルルくんのをばかり」

「それは……」

 ただ単にクラスメイト達からの善意ではないのだろうか。

 クラスメイト達は彼の本当の性別を知らず、未だ女子だと思い込んでいる。彼が自ら打ち明けでもしない限りそれがバレる事はないだろう。

 つまり彼の周囲は彼を女子だと認識していて、この二人の写真ばかりを送ってくる行為には、アイドルのブロマイドを収集するものと似た行動心理がある訳で。

「……貴方、何かを集めたりとかそういう趣味はないの?」

 なんですかいきなり、と彼は怪訝な顔をするも、

「そういう趣味はないですかね。いつでも逃げられるように荷物は少なく、貴重品は肌身離さず、って感じで」

 趣味的なものといえばタブレット端末くらいのものだと言う。自分の趣味と呼べるものは極力その中身に詰め込んで携帯しやすくしているのだと。

 そして、どうせなら、と彼は溜息をつく。「どうせ写真なら料理にしてくれたらとは思いますけどねぇ……」

 それを見て虚は思うのだ。

(……この場合も『色気より食い気』って言うのかしら)

 

 

 IS学園は学年毎に寮や食堂、風呂場も異なっている。

 1年生の寮の門扉を潜る時、虚は少しの懐かしさを感じていた。

 この学園への入学にはいずれ自分の主が入学するからという理由で、特に自分の意思もなかったのだが、両家の監視にも似た空気から逃れ、一時的にだが自分に課されたお役目からも開放された1年間は、我ながら適度に羽目を外して過ごした、妹にバレたら腹を抱えて笑いそうというか、そんな充実した日々だった事を覚えている。

 虚のクラスメイト達からすれば生徒会に入ってから変わったとよく言われるが、それもそうだろう。寧ろ今のほうが普通で、嘗ての頃の方が自分らしくなかった。

(少しはしゃぎ過ぎだったかもね、あの頃は)

 今は自分の主も、その妹君も、更には自分の妹までがこの学園に居る。そんな彼女らと近しい距離に居る静穂の前で、あの頃のような様は晒せない。彼女らに何を言われるか分かったものではないからだ。

 鬼の首を取ったようにからかってくるのは目に見えている。特に自分の妹の方は。

 虚は二重の意味で気を引き締めて彼の後を進む。

 普段ならば喧騒が絶える事のない寮の中も、その住人達のほぼ全員が臨海学校で出払っていては、静かな事この上ない。聞こえるのは自分とその先を行く彼の足跡だけだ。

 彼がチームの集合場所を1年寮の談話室にしたのはそれが理由だろうかと考える内に、二人はその場所に到着した。

 そうして迎えられた一声は驚愕を表すもので、

「虚? なんで?」

「――貴女達のリーダーから話してもらうわ」

 そう返すだけで納得というか、自分の姿を見て出てきた疑問を飲み込みソファから浮かせた腰をまた沈めてくれる辺り、このチームは信用に足ると判断した。

 上下関係ではないが指示系統がしっかりしている集団はそれだけで信用に足る。

 見渡せば十にも満たない人数が思い思いに談話室の椅子やソファに腰掛け、人によっては乾ききっていない互いの髪を乾かす姿からシャワー上がりという事が見て取れる。そういえば、と虚は思い出す。彼女達はアリーナ整備を担当していたと。それは土煙を被る事もあろうというもので。

「ジュース欲しい人、投げますよ?」

 静穂の呼びかけに全員が手を上げる。その手に向かい三角巾からジュースを取り出しては投げを繰り返し、全員に行き渡らせると、

 

「それ飲み終わったら皆で逃げましょうか」

 

『はぁ?』

「ちょっと!?」

 静穂の突拍子もない発言にチームの全員が首を傾げ、虚に至っては声を荒げて問いただした。

 そんな発言をしてくれた張本人は「駄目ですか、やっぱり」と諦め気味に虚に聞いてくるものだから、

「駄目、っていうか貴方から誘ってきたんでしょう!?」

 と言い返してしまう。事情を知らない面々からすれば自分達を置いて何の話をされているのか分からない。

 かと言って、現状を説明したところで普通の生徒である彼女達に、理解できるとも、解決できるとも考えにくい。自分も含めて。

 それを理解しているかのような面持ちで、彼が自分の分の缶ジュースを一度傾けると、

「状況を説明します」

(! 始まった)

 チーム汀組のブリーフィング、虚は眼鏡の内側で目を凝らし、この場は黙して見定めに掛かる。

 少しでも彼の内情を探りたかった。

 

 

「――現在、今も進行中ですがIS学園に対して攻撃行為が仕掛けられています。

 現在の被害はテレビや電話回線といった通信ケーブルの類いのみですが、いずれ携帯電話も中継基地から潰されるでしょう。

 並行して昨晩、詳細不明の機体が日本海側から上陸したそうです。更識生徒会長が()()()()()()()調()()()()()()、そのまま音信不通。消息不明となっています。

 これら二つの事案をわたしは無関係ではないと思い、後者の情報を開示して下さった布仏先輩の提案を受諾。このチームのみに情報を制限し、解決を模索したいと考えています」

 ……そう言い切って、彼は続ける。

「勿論、参加は自由。但し今聞いた事は職員室、用務員さんなど全ての大人、クラスメイトにも伝えないで下さい。不用意に不安を駆り立てて暴徒化する事態を防ぐ為です」

 質問を受け付けます、と彼が言うと早速複数の手が挙がった。

「どうぞ」と彼がまず促したのは永富だった、チーム内の立ち位置を知らない虚にはその選択理由が分からないが。

「攻撃行為と言ったけど、学園側のミス、エラー、ハッキングの可能性はないの?」

「どれも可能性はありません。わたしが職員室で実際に体験した限りではテレビ、電話共にいきなり切断されています。例えるなら使用料金の未払いでサービス会社側から供給を止められたようにです。学園の通信事情は分かりませんが、有線なら物理的に切断されてますね」

 質問を次の相手に。

「解決策の具体案はあるですか?」

「まずチームを二つに分けます。一方は学園に残り有事に備える。もう一方は私と布仏先輩とで学外に出て、ネットによる情報収集を行う」

 新しく手の挙がった相手に。

「有事に備える? 状態の回復ではなくて?」

「さっき言ったように、学園のネット環境は完全に封じられています。学園が独自に通信衛星を所持していて、尚且つどの国、機関にもその存在を隠していない限り復旧は無理でしょう。……次の方」

 

 

(……よくもまあ)

 よくもまあ此処まで口が回ると、虚は目の前の彼を見て思う。

 周囲を先輩達に囲まれて、矢継ぎ早に質問を繰り出され、それら全てを淀み無く返していく。

 一通り聞いていれば、彼の回答には確信めいた裏付けがあるように思える。

 

――その裏付けとは何なのか――

 

「……もうないですか?」

 彼がそう言ってチームの面々を見渡すと、最後とばかりに手が挙がる。

 最初と同じ相手からだ。

「……どうしてそう思うの?」

(来た)

「そう思うとは?」

「学園の通信障害と生徒会長の音信不通。この二つが関係しているという根拠は?」

「ちょ!」突如2年の少女が跳ね上がった。「先輩は反対なんすか!? 学園の危機ですよ!?」

「行かないとは言ってない!」立ち上がった少女に永富は一喝して押さえ込む。「貴女は学園に危機が迫っていると言う。それを私達だけでなんとかしようともしてる。それがどれだけ無茶か分かってる?」

「策を探すだけですよ?」

「一緒よ。それに貴女なら打開策をもう思いついていても私達はもう驚かない」

 うんうん、とチーム全員が頷いた。

「一体わたしを何だと思っているんですか」

「……この一か月私達は怪我も治りきっていない貴女に頼りっきりだった。勿論感謝はしてるし、だから大抵の頼み事なら聞いてあげたいとも思ってる。これはチームの総意よ」

 ……でも、と。

「こればっかりは危険すぎる。それこそ生徒会長のような専用機を持ってる人の出番だし、先生達に任せたほうが良いと私は思う」

(…………)

 

「それでも私達で解決したいのは何故? そこまでするに足る理由は?」

 

 ……その問い掛けに、彼は眉一つ動かさなかった。

 この場面を虚はただ眺めるでなく、(漸くなのね)と彼の次の言葉を心待ちにしていた。

 色々と思う所はあった。永富の問い掛けまで長く掛かったのも、チーム全員が彼に対して恩を感じ、恐らく初めてであろう彼の提案事を最後まで聞き、その内容を細部まで理解してからという意図もあったのだろうと虚はどこかで納得していた。

 だがそれも此処まで。漸く、漸く彼の真意に触れられる機会がやってきた。

 茶番だなどとは断じて思っていない。永富の問い掛けも尤もで、だが虚にしてはこのチームに動いてもらうより主の安否を確かめる術はないという確信さえ今は抱いている。それだけの結束力がこのチームにはある。

(さあ、聞かせて)

 

――汀 静穂の回答を――

 

 

 

「――随分と昔の話ですが」

「?」

「5年以上前になります。年末だったかな。

 わたしはテロに巻き込まれました。今回のやり口はその時の状況とほぼ同じです」

『…………え?』

「当時の私は雪国に住んでいて、」

「待って!」永富が腰を上げ制止する。「何の話!? 今と関係あるの!?」

「あるから聞いて下さい。……雪国の冬って言っても都会の方だったんですが、暖房を24時間焚いていないと家の中が凍りつくのは変わらなくて、その日の夜はどういう訳か電気が突然切れたんです。

 電気が切れると主な暖房器具は使えない。凍死するかもしれない、石油ストーブでは一酸化炭素中毒にもなりかねない。家の大人がいくらブレーカーを確かめても電気は復旧しないんです。しかもその前には電話が通じなかった。小さかったわたしは漸く気付いたんです。いくら積雪の重さで電話線が切れたとしても、携帯電話まで繋がらないなんてあるだろうか。停電なんてありえるだろうか。()()()()()()()()()()()

『…………』

「大人の指示で急いで避難しました。お隣さんで同級生の家もウチと同じ状況で、一緒になって表に出ると町一つが止まっていた。町中が混乱していて、人が沢山入り乱れていて、」

 

――同級生が撃たれました――

 

「わたしも撃たれました。死ななかったのは撃たれた同級生が私に縋りついてきて体勢が崩れたから」

「あの、」一人が手を挙げる。「それ、まさか日本で起きたとか言わないよね? 聞いた事ないんだけど」

「……、」彼が頭を振る。「まさかの日本です。テロ集団の目的はISコアの無条件譲渡か何かだったんでしょう」

 ISコアの貴重性、重要性を考えれば、政府も躍起になってマスコミを封じに掛かるのも当然と言える。

 ――通信手段を封じ、次にライフラインの切断、予め犯行声明を期限付きで出しておき、期限内に要求に応じなければ破壊活動を行う。

 中身の無くなった缶ジュースを握り締めつつ、その身を抱くようにして、彼は続ける。

「撃たれた箇所がとても熱くて、息が出来ない程苦しくて、でもそれ以上に怖くて、見ているしか出来なかった」

 縋りついてきた同級生の指が緩み、痛いとも、死にたくないとも言えず、

 目の前で同級生の呼吸が止まり、頬に降り付ける雪が溶けずに張り付き始めるのを、

 だた、自分が苦しいからという理由で、何もせずにただ見続けるしかなかった。

 …………でも、今は。

「今は違う。皆さんの協力があれば、何もかも上手くいく算段がわたしの頭の中で出来上がりつつある。

 皆さんは最高の人材です。あの時何も出来なかったわたしでも、皆さんが引っ張ってくれたら何だって出来る」

 だから、と。

「力を貸してください。今()()()()に足りないのは情報だけです」

 




 Q.どうして今回遅れたのか。

 A1.いわゆる「183」の状態に陥った。
 A2.新型ノロウイルスで死にかけていた。
 A3.病欠で仕事が溜まり死にかけている。

 上記全ての理由です。申し訳ありません。


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53.身を振る上での要注意事項 ②

 勝手に長いお休みをいただいてしまい申し訳ありません。
 執筆がリハビリになるとは思わなかった……。


 昨晩にまで遡る。

 起伏に富んだ、と表現するにはその程度を超えている山々がある。その山肌に生い茂る、決して人の手が入ることの無い広葉樹林の合間から漏れる月明かりの下を潜るように抜けて、楯無は進路を北に向けていた。

 元々より隠密に長ける楯無ではあるが、対象、日本海より侵入したという未確認機との接触にはISの機動性は無くてはならない。だがISという存在は見た目からして多分に目立つ。そういった他にも諸々の理由を含めて楯無は、木々の下で乱高下を繰り返しているのだが、

 若くして暗部の頭目として勤めに取り組むその胸中はというと、その役に相応しくないものが渦巻いていた。

(…………)

 楯無が思うのは先程の事。先程に別れた彼の事。

 

――大切な妹の友人を傷つけてしまった――

 

(……仕方ないのかしら)

 どのような意図があれど彼は嘘を吐き続けていた。それに間違いはない。

 だが楯無が求めたものとはかけ離れる結果になってしまった。

(違うわね)

 全て自分のせいだ。あんな筈ではなかったのだ。傷つけるつもりも、妹から遠ざけるつもりもなかった。

 ただ素直になって欲しかった。せめて妹の前では、妹の傍に居る限りでは。

 嘘を吐き続ける必要はない。妹は口が堅いから。

(……違うわね)

 楯無は頭を振る。そうではないのだと断じて捨てる。

 妹に嘘を吐いて欲しくなかっただけだ。

 妹に対して、更識の闇に触れるような一因を近づけたくない、妹の近くに居るのならば、清廉潔白とまでは言わないが、誠実でいて欲しかったのだ。

 詰まる所は、

(私のワガママだったのね)

 ……そろそろ、山頂を過ぎた辺りで未確認機と接触するかと考え、楯無は思考を切り替えていく。

 遠足や修学旅行の道中、目的地に着くまでの交通機関内と到着後のテンションの違いなどが近いだろうか。

 山頂にて聳えるように立つ木々の一本に飛び乗り、その開けた視界で、

 ……見てしまった。

 

「……何よ、これ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――現時刻、正午を少し越えた頃。

 チーム汀組の自称サブリーダー、永富はぶすっとした表情でパソコン画面を見つめていた。

「…………」

 簡素なパーティションで区切られた、熟練した日曜大工によって作られたような薄い壁と、壁と一体化した机の上にのったパソコン本体とディスプレイ、そして今彼女が身を沈めるリラックスチェアのみがその空間の全てだった。

 このパーティションの向こうでは、チーム汀組の外部担当班他3名が永富と同じく情報収集に当たっている。

 彼女らは今、ネットカフェにいた。

「はあ……」

 思わず溜息が漏れる。

「永ちゃん」

 声が永富の頭上から呼びかけてくる。パーティションの向こうから首だけを出しているのは、永富のタッグパートナーだった重冨だ。

「ひょっとして退屈してる?」

 当然だという意思表示を、永富は無言で、彼女の方すら見ずに示す。

「だって、ねえ……」

 正直、拍子抜けしている。

 外に出て情報収集と聞いて何をするのかと思えば何の事はない、本当にネット検索をするだけで。

 ある程度の方向性は指示されているとはいえ、こんな事の為にチームの半数を割く理由が分からない。わざわざ学園の外まで出てきて、どうしてネットカフェで学食よりも格段に質の落ちるパスタで空腹を落ち着かせなければならないのか。IS学園の学食と比べるのはどうかとも思うが。

 ――こんな事ならば、

「学園に残った方が有意義だったかもしれない」

「永ちゃん……」

 重冨の諭すような声も聞き入れず、口にくわえたストローで左手に持ったアイスティーを弄りながら永富はキーボードを叩く。

 正直、期待しすぎていたのかもしれない。それだけ彼女、静穂のここ1か月での働きは目を見張るものがあった。今回も何かあるのではないかと思う程に。

 自分達が何をしたとかはこの際置いておく。彼女を前に出せばそんなもの何処かに吹き飛ぶとまでは言わずとも霞んでしまう。彼女がいなければこのチームは理論、青写真、いや空想の時点で分解していただろう。従って、自分の戦績も残せなかっただろう。

 だがもしも、彼女が自分たちの側にいなければ、もしも自分達があの機体を壊さなければ、

(こんな気持ちにもならなかったんだろうな……)

「なんすか? 若頭(ワカガシラ)はサボリですか? 駄目ですよちゃんと情報収集しないと」

「アンタには何からツッコめばいいのよ……」

 いきなり引き戸を開けるなとか若頭って何だ汀さんが頭だからかとかその手に持ったパフェとかアンタこそちゃんとやってるのかとかネットカフェを満喫し過ぎだとか。

 パーティションの引き戸で仁王立ちの体勢を取る後輩に対し永富は何かを言おうとして、

 そして不意にこう思った。

(そういえば、)

 授業で使った、静穂の乗る筈だったラファールにトドメを刺したのはこの能天気ではなかっただろうか。

「…………」

「? パフェはあげませんよ?」

「汀さんみたいな事言わないでよ……」

 物真似のつもりだったのだろうか。ちょっと似てた。

 無言の叱責も彼女には効果が無く。というかよく自分達のリーダーはこんなのを正面から相手に出来るなと感心する。静穂ならば今自分の目の前に立つボケに対しても全てにツッコミを入れているだろう。

 永富はパフェを頬張る後輩(こんなの)に問いかけた。

「ねえ、アンタは汀さんをどう思う?」

「どうってなんすか?」

「だから、」

 どうしてあんな言葉で自分達を動かそうとしたのか。

 言ってしまえば、いつもの彼女らしくない。永富はそういう感じ方を、違和感を感じたのだ。

 当然といえば当然ではある。チーム発足から一か月も経つが、彼女が自分から何かを言い出す、あるいは提案するという事は一つとしてなかったように思える。そんな彼女をチームは「奥手で自分達に気を遣い過ぎている」と納得し、「彼女からの提案は絶対に呑めるよう努力しよう」と団結もした。

 そうして彼女が自分から悩み事を持ってくる日をチームは心待ちにしていて、

 いざその時が来てみれば、

「あんなあからさまな嘘で、こんな事をやらされて、アンタはそれでいいの?」

 三文芝居の作り話。永富は裏切られたという印象を持っている。対してこの後輩はどうだろうか。

 この後輩は静穂に心酔している傾向がある。自分とは異なる意見を聞いてみたいと思った。

「無理してますよね、(カシラ)は」

「無理?」

「頭って余裕が無くなると何かを凝視したみたいに目線をくれなくなるんですよ。知ってました? あと口調も冷たくなってくるし、談話室の時なんかあからさまに目線が泳いで私達じゃない何かにいってたし、あれはかなり参ってますな」

 うん、間違いない、と後輩は一人頷く。

 そんな癖など永富は知らない。彼女を知ろうと考える余裕など、トーナメント中の永富にはなかった。

 ただ彼女の能力が欲しかった。一を聞いて三から四くらいは察してくれる理解力と、周囲をチームという形で束ねて利用する為の管理能力が。

「……それで、アンタは無理をしてる汀さんをどう思うわけ?」

「助けます」即答だった。「私はこのチームが好きです。そのチームを纏めてくれる頭も好きです。頭がピンチの状況で助けてくれって言うなら、当然助けます」

 それに、

 

「若頭が言う通りあの話が嘘だったとして、そんな嘘を使ってでも手伝って欲しい程の大事件が起こってるって事じゃないんすか?」

 

「…………」

「あ、ちょ」

 気付けば永富は引き戸を一方的に閉めていた。

(なによ、それ)

 嘘を吐いてでも働いて欲しい。ただ一時の間、自分の為に。

 先の事などどうでも良く、今後の関係が崩れるような真似をしてでも人手が要る事態。

(そんなの、)

 そして彼女はそんな事態に自分達を駒に使おうとしている。

(私達の出番じゃないわよ)

「永ちゃん」

 頭上にはまだ重冨が顔を出していた。

「やろうよ。お返し、いくらしても足りないくらいじゃない」

「……分かってる」

 …………本当に分かっているのだろうか。永富にしても、重冨や後輩にしても。

 キーボードを叩き、アイスティーに刺さったストローを噛む。

 映し出される画面は、自分達が首を突っ込んでいこうとする事柄の大きさを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、これで。楯無様に宜しくね」

「ありがとうございました」

 暗色系スーツ姿の女性が席を立つ。その背中を虚は腰を上げずに送り出し、ドリアやクリームソーダと同じく机に置かれた資料を手に取り、A4サイズの紙束をクリップで留めただけのものに目を通していく。

 永富らが居るネットカフェの近く、大手系列のファミリーレストランに虚の姿があった。静穂は所用で今は居らず、女性は静穂の居た席に座っている。

 資料を捲り、情報を自分のものとしていく度に、虚は自身が置かれている状況に愕然とする。

(まさか、ここまでとはね)

 ここまで自分が何も知らなかったとは思わなかった、というのが虚の率直な感想だった。浦島太郎かお上りさんか、常に全世界の注目を集めるIS学園に籍を置いていながらもここまで世事の裏を知らずにいたとは。

(何かあれば報告も来るし、お嬢様のお休みに合わせて実家には良く帰っていたのに……)

 だがこうして布仏家の人間に運んでもらった資料は虚の知らぬものばかりだった。虚と同じくIS学園に在籍している楯無もこの情報を掴んでいるとは思えない。

 布仏家から送られてきた資料を忙しなく捲り、現在に関連するものを脳内でピックアップしていくうちに、

(っ!)

 その末尾に、息を呑んだ。

 

――汀 静穂に関する一次報告――

 

(これは、……)

 何故これがここにあるのか。いや情報を欲しいと言ったのは確かに虚自身だが、これを布仏家の手から渡されるとは思わなかった。

 何故、どうして、()()()()()()()()()()

(…………)

 枚数にしてほんの数ページ。捲るかどうか、悩んで、

 

「お待たせしました」

 

「っ、――注文、来てるわよ」

 当人が来てしまった。

 流石に当人の前で事を知るのはどうかと思い、虚はその題目を閉じた。

 

 

 遅めの昼食。チーム汀組と虚はこの町に来るまで大分の時間を消費していた。

 双方共に食べ終わり、腹心地も少し落ち着いたところでの質問である。

「貴方、どっちのトイレに行ったの?」

「へ?」

 静穂がトイレに行っている間に虚が布仏の人間と会う事に利用したのだが、

 ふと、疑問に思ったのだ。

「トイレって、普通は女子の方しか――」

 と静穂はそこまで言って即座に突っ伏した。

「何!?」

「いやその、なんの迷いも躊躇いもなく女子トイレを選んだ事実がですね?」

「……染まってるわね」

 女子としての暮らしにどっぷりと。大丈夫だろうか、色々と。もう戻れないのではないだろうか。

(男の子ってみんなこうなのかしら)

 彼とて織斑 一夏と同じ男子の筈なのだが、その外見からか何とも思わない。いやべつにさいしょからそんな期待などしてもいなかったのだけれども。

 やはり人間、見た目が9割か。いや彼の場合残りの1割にも問題がある。

 更識にも見通せない闇が――と考えて、少し改める。

 少なくとも今は、虚の手元にはその答えが存在する。

(――止めよう、今はお嬢様が優先だから)

 清濁併せ呑む。例え不透明でも戦力になりうるならば。

 静穂が起き上がるのを見て本題へ。

「――今しがた布仏からある程度の資料が来たわ」

「さっきのお姉さんですか」

「ええ。公安の外事三課、……見てたの?」

 その問いに静穂はクリームソーダに口をつけて、「トイレから戻ったら知らない人が席にいたので」

「貴方って人見知り?」

「知らない人は暗殺者と思えって要人保護プログラムで習いました」

「随分と極端ね……」

 分からなくはないが。それだけ暗殺の憂き目に遭ってきたという事だろうか。

「あの話からの教訓?」

 先程の談話室での話もその経験の一つなのか。

「ではないですねぇ。というかあの話、半分は嘘ですし」

「やっぱり。でも半分?」

「日本で殺されかけたのは本当。今と同じような状況になったのも本当。

 嘘としてはテログループの目的がISではなかった事と、友達が同級生ではなかった事」

「…………」

「目的はストレートにわたしの暗殺で、友達はSPのお兄さんでした」

 SPの男性とは仲が良かったそうだ。それこそ一緒になって夜更しに騒ぎ彼の上司にどやされる位には。

「今の話も本当?」

「その資料で答え合わせが出来るんじゃないですか? 黒塗りで潰されていなければ」

「!」

 見られていた。いつの間に?

(トイレの入り口から? あそこからここまで何メートルあると)

 このレストランは入る前から間取りを調べてある。対暗部用暗部の家系に仕えていれば当然の作業だ。

 今虚のいる席からトイレまでは直線距離で約3メートル。その間には観葉植物の植木鉢があり、他の客も勿論いる。

 人の身体と葉の間を抜けて約3メートル先、フォントサイズにしても20程度の文字を肉眼で見られる訳がない。

「ISね」ハイパーセンサーの望遠機能を利用したのだ。

(やはり彼がISを所持している)

 虚の指摘に静穂は否定もせず、ただこう言った。

「誰にも言わないでくださいね。先輩達どころか1組の皆にも内緒にしているので」

 静穂の発言に虚は、それもそうか、と納得した。

 汀組の魅力は彼女達が徹底して個人の力、専用機ではない練習機の範疇のみでトーナメントの上位に食い込んでいる事にある。

 その頭目が実は専用機持ちだったなど、話題としては内外共に望みはしないだろう。実はもっと大きなスキャンダルが彼にはある訳だが。実は女子ではなく男子だという事実が。

(でも彼は専用機の存在すら直隠(ひたかく)しにして、あくまでチーム単位で私を助けようとしている)

 何をしたいのか分からない。先刻の職員室での言葉と今の彼の言動とが一致するとは思えない。

「――貴方の専用機で助けてはくれないの? 一人でピューっと飛んで行って」

「…………」

 静穂はクリームソーダを飲み干して、

「使えたらいいんですけどねぇ」

「専用機なのに使えないの? 貴方のものなのに」

「――わたしのものじゃないので」

 静穂は続ける。椅子の背もたれに体を預けて。

「正確には使っていいのかどうかが分からない。いや現在進行形で使っているのだとしても果たしてそれが正しいのか、許されるのかどうかが分からない」

「許されるって誰に? 国?」

「篠ノ之博士」

 とんでもない答えが返ってきた。

 虚が静かに仰天しているのを余所に、静穂は物憂げとも言うべき表情を右目だけで表現する。

「博士と、義姉と、ISに、これは良いかと聞いてみたい。それが出来ないって分かっているのに」

 篠ノ之博士など顔も見た事もなく、義姉とISに関してはもう会う事も叶わないのだが、と。

「貴方、」

「――随分と逸れましたね。そろそろ本題に入りましょうか」

 

――敵の規模は。自分達の於かれている状況は――

 

 

 

 ……紅茶とクリームソーダのおかわりが来て漸く、二人の作戦会議が始まった。

「IS学園包囲網が強固になろうとしている。織斑君の影響なのは間違いないわね」

「?」

 ……包帯で顔の多くを覆われている彼のきょとんとした顔を見て、彼は汀 静穂になるまでISの事など何も知らなかったのだと虚は気付く。

「IS学園包囲網。国家や民間を問わなければIS学園の機体所有数は世界で上位に位置するわ。アラスカ条約の中にはIS学園所有の機体が各国の有事に出撃する事はないという趣旨の文があるけれど、逆に返せば学園の有事には学園所有の機体全てが学園の外へ牙を剥く危険性があるという意味にもとれる。

 それをIS学園は肯定も否定もしていないのだけど、IS学園の発足から前後して日本は自衛隊の装備規模をほんの少しだけど縮小したのが問題になった」

「IS学園があるから自衛隊は要らないって事ですか?」

「実際は装備の刷新があって型落ちになったものを処分したというだけだったけど、当時の世論はそうだったわね」

 IS関連技術の一部が自衛隊の為の装備開発にも役立ったというのが内情だが、マスコミ、殊に日本のそれらは自国の不利益になるような情報操作を故意にやっているようにしか思えない。

 それはさておき、

「『日本はIS学園を私物化、自国の戦力と計上している』と言うのが当時のマスコミが国内外に作り上げた世論で、それを鵜呑みにこそしなかったけれどIS学園の周囲はその状況を自分達の大義名分に利用した」

 

――米中露IS学園保護協定――

 

「通称IS学園包囲網。IS学園を囲む三つの国がIS学園を何人たりとも私物化しないよう監視するという趣旨の協定だけど、実際は日本がこれ以上軍備を強化させない為とアラスカ条約の遵守を強制させる為の暴力装置」

 要するに同盟軍だと脂汗を浮かべ始めた静穂に注釈する。

「IS関連技術をアラスカ条約成立よりも早く軍事転用に成功した日本。条約成立した今はEOSという例外などもあるけれどどの国もIS技術を軍事に転用は出来ず、その隣国はISだけでなく日本という脅威にも対処しなくてはならなくなった。――というのが回りくどい大義名分」

「……ISの技術で力をつけた日本をいつでも押さえ込めるように、米中露の三国はアラスカ条約に引っ掛かるIS技術を使わなければいくらでも軍隊を強くしても構わない、と」

 ――理解が早くて実に助かる。

「実際の所は舌先ばかりで誰もそんなものを守ろうとはしていない。上辺だけは従前技術の発展と言っていてもその中身はIS由来の技術で真っ黒よ」そう言って虚は先程の資料から一部分を抜き取り静穂に手渡した。その資料の中身はとある()()のもので、「今度ロシアから中国に売却される艦艇よ。主砲は大口径電磁加速砲。ロシアがIS開発以前から電磁加速砲に通じる基礎研究をしていた形跡は無い」

 静穂が資料の写真を眺めながら、「無いって言い切るんですね」

「その資料は布仏からのものだけど、信用に足るわ」

「わたしの事は知らなかったのに。あんな事までしておいて」

 抗議の目線だろうか。静穂は据わった目で訴えてくる。口元を尖らせているいる辺りから責める意図はないのだろうが、

(右目一つでよく物を言う)

「……それは更識のお嬢様がした事でしょう? 言ってしまえば私は布仏よ」

 だからだろうか、虚はどうにも彼が男だという主の証言が信じきれないでいる。単に証拠を見ていないだけという話だが。

「同じじゃないんですか」

「似て非なる、かしらね。出来る事柄は似ているけれど、更識のサポートをするのが布仏よ」

 虚の説明に静穂は「そうなのかぁ」と納得したのか手元の資料を捲っていく。

「この、重巡洋艦ですか? なんですかねこの筒、EMP?」

「それもIS関連技術の粋よ。数百メートルまで近づいてきたISに対して電磁パルス(EMP)を照射。ISの電子機器を破壊して無力化するというのが目的だけど」

「……何の意味もないですよね、これ」

 そう、何の意味もない。

 今の時代、主力兵器といえばISだ。その特徴としては機動性や同じIS以外では有効打にならない防御性能など多く挙げられる。

 そんな中、たとえ電磁パルスがISに効いたとして、それをわざわざ主力から外れた艦艇という存在に搭載する意味があるかといえば、ない。

 電磁パルスの有効射程圏内にISが入るかなどそれこそ何戦に一度あるかもわからず、効果にしても、

「実験すらしていないから効果があるかも不明。しかも電磁パルスの発生に膨大な電力を使うから、発電機器ばかりで対空火器すら積んでいないわ」

「不用品の押し売りですか」

 よくもまあ中国はこんなものを買ったものだと二人は眉をひそめる。いや他の艦艇に対空火器を積んである分、複数隻で一セットと見るべきか。ロシアが中国に売った艦艇は全5隻。電磁加速砲の一門しか搭載していない艦艇も含め、ロシアとしては作ってみたはいいものの、所在なく腐らせるよりはといったところか。

 ロシアはIS発表の初期から研究開発に着手している。噂では第3世代機の研究においてアメリカよりも一歩進んでいるとすら。これらの艦艇にもそういった研究の転用が可能かという実験的意味合いがあるのだろう。まだ詳しく読んではいないが、そういった裏事情も布仏の資料にはある筈だ。

「あの」

「? 何?」

「えと、何の話でしたっけ」

「……私の情報は開示したわ。外敵になりそうな可能性のものを調べた結果がこれよ」

「船が飛んでくるっていうんですか?」

「搭載された電磁加速砲の射程は日本海からIS学園を狙い撃ちできるらしいわよ?」……とはいえ、と虚は軽く息を切り、「来るとしたらISでしょうし、そのISが襲ってくるなんて情報は無いわね」

 と、嘘をつく。虚はそこまで彼を信用できなかった。彼が現状を投げ出して()()()に行ってしまうのではないかと。

「じゃあ、貴方の番よ」

 布仏の家では楯無が音信不通になる程の問題は判明せず、

 その口調とは裏腹に、虚は彼に縋るような思いであった。




 書き始められたのはいいものの、進めたい所までたどり着かないという。
 次回の次回くらいには進めたい所まで行きそうですが、それも仕事と体調次第。
 こんな体たらくですが、これからも拙作を宜しくお願い申し上げます。


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54.身を振る上での要注意事項 ③

「現状を説明する」

 旅館の一番奥、故意がなければ一般生徒が立ち入る事がないであろう位置の部屋で、専用機持ちの面々を一列に正座で並ばせた後、千冬は口を開いた。

 千冬の後ろでは空中投影ディスプレイが情報を羅列し、さらにその向こうでは引率の同僚達が簡易司令室の作成に忙しく動き回る。

「今より約2時間前、ハワイ沖合にてアメリカ・イスラエル共同開発中の試作機、『銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)』が稼動試験中にその試験空域を離脱した。同席していたイスラエル空軍はこれを『制御下を離れた暴走』と判断、IS運用協定に則りIS学園に連絡してきた」

 説明の間、代表候補生と一般生徒の差異が、緊急時における態度がはっきりと変わってくる。

(そんな間の抜けた顔をするな、莫迦者)

 説明中でなければ出席簿を叩き落す所だが、周囲の表情を見て自分から気を引き締めたので落とさないでおいてやる。

「暴走中と判断された該当機体は衛星による追跡の結果、我々のいるこの旅館から2キロ先を通過する事がわかった。学園上層部の命により我々がこれに対処する」

 一頻り言い終えて、生徒達の顔を見る。

 険しい顔つきだ。専用機持ちとして、代表候補生としての責任感を持った顔だった。

 ……一人は皆に合わせてだろうが。

「では作戦会議だ。意見のある者は挙手を」

 そう言い終えると即座に手を上げるのは代表候補生のみ。この辺りに代表候補生と普通の生徒の差異が見て取れた。

「…………」

 いや、他にも一人いる。天地を逆にして。

 その手の主は一体どういう訳か天井から上半身のみを生やし、なんのつもりかふざけた格好、今回は不思議の国のアリスに似た格好から更に兎の耳を模したカチューシャと重力に逆らわない長髪ごと腕をぷらぷらと振って視界を阻害しに来ている。

「――オルコット」

「はい。え、あ、ですが」

「構わん」

「で、では、対象の詳細な情報をお願いいたします」

 その要望に千冬は予め纏めておいた資料端末を、アリスの暖簾を押しのけて手渡した。

「その情報が外部にもたらされた場合、貴様らの自由には監視と制限がつく」

 千冬の言葉が届いたかも知れず、候補生達は作戦遂行に必要なものを引き込んで会議を始めだした。

 

「これがアメリカの第3世代型。なんていうかすごく、綺麗だ」

「見せ掛けだけでしょ、外見も性能も。タイプは?」

「高機動・広範囲殲滅型。厄介ですわね」

「一機で一国の全戦闘を賄おうというのだ、一点豪華主義にもなるだろう。――教官」

 

 ラウラの呼びかけに千冬は(まだ抜け切れんか)と内心でため息を吐きつつ、

「織斑先生、だ。何だ」

「目標の性能上、戦闘エリアの拡大は必至です。該当空域の確保はどのように」

「予測範囲は他の先生方が現在確認中だ。魚の一匹も邪魔はさせん」

 その返答にラウラは感謝の言葉一つ、輪の中に戻っていく。

 

「教か――、先生のお墨付きもあれば、もう決まったな」

「だね」

「ええ」

 候補生達が互いに頷き合う。

『どうやって零落白夜の一撃を加えるか』

「ちょっと待て! 俺がやるのか!?」

『当然』

「そこもハモるのかよ!?」

 

 ――当然の事に一々驚く我が弟を見て、千冬は表情を崩す事無く諦念を抱く。

 まあ仕方ないといえば仕方ないのだ、一夏は春からISに関わって来ただけで、周囲は幼少時より見出され専用機まで用意された代表候補。こういった事態に予め備える教育、その差が現状で露になっただけだ。残りの一名も性別こそ違えど似たようなものだが。

(だがそれでも、今からでも成ってもらう)

 代表候補の少女達と同じく弟も、親友の妹も。

 代表候補でなく専用機のみ所持する二人はとてもちぐはぐに見える。知識も覚悟も危機感もなく、ただ危険性だけが増していく。

 ISは競技、だがその実は兵器。それが世界の当然とされる認識だ。

 この非常時に少しでも責任感を持ってほしいと思うのは、自分が姉だからか、教育者だからか。

 それとも自分がまだパイロットのつもりなのか。

「……で、だ」千冬は常に一番の爆弾を処理しにかかる。「なんの用だ、束」

「……、ふっふっふ」

 不敵に笑ったつもりの束が、ぐりん! と身体を捩りその顔をこちらに向けてくる。天井の中はどうなっているのか。別段知りたい訳でもないが。

「最後に束さんを持ってくるとは、ちーちゃんは一体いつから好物を最後までとっておく人になっちゃったのかな痛い痛い!」

「束」

 天地逆にしたアイアンクローで先を促す。子供達の会議が止まっているのを見て「止まるな、続けろ」と促し、

「お前もだ」開放する。

「うう、愛が痛い。でも負けないよ! 何しろ束さんの頭脳が導き出した結論は単純明快! アメリカの第3世代? 古い古い! 時代は第4世代だよちーちゃん!!」

 ――やはりか、と千冬は溜息を洩らす。

「とうっ」掛け声を発し束は天井から飛び降りた。

 アリスのエプロンドレスについた埃を払い、こう言ってのける。

 

「紅椿を使おう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……テーブルの上には空になった食器と、新しく頼んだコーヒーにクリームソーダ。

 そのうち空になった食器が片付けられて、それと入れ替わるように、机の上には似つかわしくないものが置かれた。

「?」

 包帯の巻かれた左腕。()の体の中で比較的怪我の少ない部分が、当人の体をまさぐって取り出したのは小型の無針注射器と、そのアンプル。無針注射器は極太マジック程度の大きさで、装着したアンプルの尻を押し込む事で注入するタイプだ。

「失礼します」

 食後のクスリにしては少し大仰なそれと、静穂は片手で格闘を始めた。

 まずアンプルの包装が破れない。口で噛み切ろうにももう一つの力点に摩擦力がない。指先まで包帯が巻かれている所為だった。

 力任せに引きちぎりアンプルが飛び出す。机でブレイクダンスを踊るアンプルを静穂はたどたどしく追いかけ、卵黄を摘むようにおっかなびっくりと触れ、机に置いた無針注射器を頬で固定した。

 さすがにそこで止めた。

「……貸しなさい」

 静穂が顔を上げたところで注射器を掠め取り、左手のアンプルもひったくる。

 不器用の典型だ。彼の風評とはとても似つかない。

「普段から自分でやってないの?」

「いつも誰かといたもので」

 怪我人を放ってはおけない心理が働くという訳か。確かに彼の周囲には1年の代表候補生にクラスメイト、汀組という取巻きとは違うが彼を中心とする集いまである。むしろ彼が一人でいる方が難しいのではないか。

(もう私が打った方が早いわね)

 さっさと装填を完了させ、虚は席を立つ。

「どこ?」

「首です」

 静穂が首を傾け、腰まで伸びた髪を書き上げる。

 警戒心の欠片もない受け答えになれた手つき。本当に誰かに任せていたようだ。

 虚は静穂の、そのとても一般男子とは見られないであろう首筋に指をやる。血の気が薄く、うなじに触れたところで「んっ」と声が漏れた。

「変な声出さないで」

 ただでさえ周囲の目が少し気に掛かる。関係の無いうなじに触れた自分も悪いが。

 首のISスーツに指を掛け下にずらす。僅かに青白い肌、対してほんのりと脂汗。

(これって)

 十中八九、鎮痛剤だ。それもかなり強い。常時携帯、投与しなければいけないような状態なのか。それでよく外に出ようなどと考えたものだ。

 自分はこんな状態の、それも年下の男子に助けを求めようとしているのか。敵も手段も目的も不明の現状で。

「貴方、何を考えてるかわからないってよく言われない?」

「あんまりないですねっ、いっ、――――!」

 無針注射器を押し当てた。アンプルのカートリッジから中身が彼の中に移っていく。

 激痛、なのだろうか。脂汗が増した気がする。幸いにも食欲はあるようだし、無用な心配なのかもしれないが。

 好奇の目線も散り、静穂の方は背もたれに体を預け、浅い呼吸をくり返している。

 静穂の額に浮かんだ脂汗をお絞りで拭いながら、「そんな状態なら寝ていればいいのに」

 対して静穂はその呼吸を無理矢理に押さえ、「専用機持ちがそんな悠長でいいんですかね。この状況で」

「それ以前の問題だと思うけど?」

 重傷の人間が空を飛んでいい筈がない。それに彼は代表候補生ではないのだ。国家の非常時に於いて即応する訓練も受けていないし、その覚悟を生む教育もされていない。

 だから虚は気になっている。

 ……せめてもの優しさから無針注射器に新しいアンプルをセットした状態で手渡して、虚は席に戻った。

「そこまでして何がしたいの」

「布仏先輩が手伝って、って言ったのに」

「ここまで酷いならもう頼まないわ」

 自分でも苛ついているのが判る。

「怪我人の相手をする時間はない。こんな悠長にしている場合でもないかもしれないの」

 彼に当たっても何の意味もないのに。

「……まぁ、もう少し待って下さい。先輩達が来ますから」

 言うと彼はクリームソーダをつつき始めた。

 虚も手持ち無沙汰から仕方なくコーヒーに口をつけた。

 

 

 その後、本当に直ぐ汀組の同級生から連絡が飛び込んできた。すぐこちらに向かうとの事だった。虚が静穂と食事をして大分経っている点を考えてもいいのだが、ここは素直に彼の計算を褒めておく。

 だが一つだけ。

「貴方は何も知らなかったのね」

「習性ですかねぇ」

「習性?」

 はい、と静穂はつつく手を止めない。ソーダに乗ったアイスクリームはその形を半分近く崩している。嗜好か思案か。どうでもいい。

「危険になると逃げたくなるんですよ。直ぐにその場から離れたくなる」

「…………」

 先日あれだけの死闘を繰り広げておいて何を言うか。

「本当は凄く逃げたかったってだけです。必要最低限の大事なものは、常に持ち運ぶようにしてますし」

 そして今回は逃げられるかも、と言うのだろうか。

(まさか……)

 彼は今度こそ逃げようとしている? 必要最低限、チームの半分を仕分けて、必要のない人員を学園に置いてきた?

「――逃げてもいいわよ」

 軽蔑するどころではないけれど。

 そう言われた静穂の表情は、微動だにせず。

 

 

 

 集団が喫茶店に入ってくる。数は4人。迷わず虚と静穂の席に着くや否や、先頭の永富が静穂のクリームソーダを強奪した。

『…………』

 一気に飲み干して、叩きつけるように置かれたコップが甲高い音をたてた。

「っ」

 永富が静穂をにらみつける。

「……」少し物怖じしながらも静穂は、「どうでした?」

「敵がわかった」

『!?』

 永富は手早く机に開いた空間を作ると、そこに何枚もの資料を広げだした。数にして数十枚。「印刷に1枚30円も取られたわ。ボッタクリじゃない?」

「立て替えるのでレシート下さい。それで、」

 敵とは。

「……荒唐無稽ってこういう事なのね」

 永富が一番上に置いたのは日本を俯瞰する衛星画像。それに画像加工が施されていた。大小様々な円が赤く、日本を縦断するように敷き詰められている。

「通信障害は学園だけじゃなかった。これは私が視覚化したものだけど、中継基地がこんなに死んでる。現在進行形で」

 虚が口を挟む。「騒ぎには?」

「なってはいるけど軒並み潰されてるわ」

 違う紙が何枚も地図の上に重ねられていく。つぶやき画像のそれらはどれも一律して『繋がらない』との内容だ。

「削除が多いから復元に手間取った」

「どうやって復元するんですかこんなの」

「整備科行けば? 2年の初めで習うわよ。――これもね」

 永富が次に取り出したのは通信記録。

「外務省からの圧力、その証拠」

「しょうこ」

「外務省の通信量が跳ね上がってる。内容は言ったとおり各省庁・部署への圧力だけど、覗いて見てびっくり。SM-3にPAC-3といったBMD、THAADまで止めてるの、表向きは検査と調整としてだけど、同時に、さらに外国のTHAADまで同時にやるとは思えない」

「SM-3なら『こんごう』? 船体こそもう旧式だけど、BlockIIIAならTHAADよりも射程と精度は上でしょう。理由は?」

 そこまでの情報は虚の手元には入っていない。情報の鮮度は汀組が上か。

「こんごうに至っては航行不能」

「!?」

「ハッキング、正確にはクラッキングだけど、システムが立ち上がってない。海自の通信も見たから間違いない」

「……あの、」

 静穂が手を上げる。その場の注目を一つに集めて静穂は、

「これ、どれも機密ってやつですよね。……ネットカフェで?」

 その発言に永富は「はあ」と大きな溜息を吐き、

「こういうのを期待してたんでしょ。それとも何事もありませんでしたって証拠が欲しかった?

 だとしたら残念ね、実質に今この国では何かが起ころうとしてるし、私達はそれを知る術を持ってた」

「でも、ネットカフェで?」

 永富が溜息をまた一つ。

「それこそ私達を舐めてるわよ。私達はIS学園の3年で、整備科なの。1年の頃から爆弾の解体やって、ハッキング身につけて、少しだけど銃も撃ってる――銃じゃ貴女はもう私達の合算を超えてるけどそれはともかく、こんな技術を持った落ちこぼれが野に放たれて平気だと思う?」

 永富が目を細める。それは物憂げというか、半分は諦め、もう半分はまだ縋っているような表情で、

「体に染み付いたものを全否定して、今更普通になんて戻りたくないのよ」

「…………」

 永富の言に、虚は何も語らなかった。

 

 

 ――遠くで響く雷鳴を聞きながら、曇り空が近く雨雲に変わるのかと危惧しつつも、何時しか長椅子の人間密度が高くなったテーブルで全員が話を戻していく。当人が押し込んでいる事に気づいていない2年生が、甲斐甲斐しく苦しげな静穂の世話をしていた。

「現状、日本の空は完全にお手透き状態。IS学園に攻めてくるっていうならこのライン」

 言って永富は乱雑に散った紙の中から一枚を抜き取り、再度一番上へ。

 一番最初に出された地図だった。

「汀さん知ってる? この赤い丸の部分、日本のものじゃないの」

「?」

 静穂が首を傾げると、永富は簡単な説明を挟んだ。

 

――横田空域――

 

 1都8県に及ぶ、日本でありながら日本でない空。

 許可さえあれば飛行こそ可能だが、当該空域の管制権はアメリカにあり、その許可にしても降りるかどうかは不明。結果、日本の空でありながらその自由をほぼ二つに区分され、他国の、アメリカだけの空が日本を走っている。

「通信障害の地域と横田空域はほぼ重なってる。アメリカにケンカを売りながら学園のある太平洋まで来る以上、敵は中国よ」

「そう決め付けるのは早いわ」

「ならロシア? 生徒会長はロシア代表だったわね」

「――何が言いたいの」

 永富と虚が睨み合う。更職 楯無に於いてそんな事はないだろうと言えるのはこの場において虚と静穂のみで、この些細な論争で立場上その言が通用するのは静穂のみなのだが、静穂はそれ所ではない様子だった。首筋に打ち込んだ麻酔が効き始めたのだろう彼はぼんやりと口をぱくぱくさせている。何か言おうとしているのだろうか、心配なのか、貧乏くじか。

「どちらにせよ私達の取る手段は一つだけよ」

「撃退?」

「馬鹿言わないで。逃げるのよ! 復元こそ出来なかったけど雲の中に大きな影が映った画像も私達は確認してる。十中八九軍隊のそれよ。そんなのを私達で止められる訳が無いじゃない!」

「もう半分のお仲間を見捨てるつもり?」

「っ、」永富が言葉に詰まりながらも「じゃあどうしろって言うのよ。一国が一学園に戦争を仕掛けてくるってのに、ISもない味方もいない唯の学生の集まりに何をしろって言うの?」

「宣戦布告はまだよ。今なら睨み合いか、最悪小競り合い程度で済むわ」

「数を揃えれば? 賛同してくれる人がどれだけいるの? 私達が学園に帰って準備しても数は最大で10機。許可も出ないし今から電車で間に合う可能性もない」

「通信障害も広がってるわね。それで?」

「……何がしたいのよ、布仏さんは」

「生徒会長を助けたいの。現ロシア代表、学園最強が行方不明になれば、こうした()が簡単に出てくる」

「ヤカラって何、テロリスト? それとも国家?」

 ――虚と永富が静かながらも睨み合う。その最中で虚は永富らに対し、辟易とする感情を抱いていた。

(私はどうしてこんな、)

 単に自分の主が音信不通、IS学園の通信機器が使えなくなったというだけで、何をどうして得体の知れない女装男子と昼食を取り、未明の脅威に怯える同級生と睨み合わなければならないのか。

 別段全く関係のない、単なる偶然なのかもしれない。初めて楯無と連絡がつかない事も、初めてIS学園の電話が繋がらない事も、この国の危機的状況に於いて昨夜以降、更職から何の通達の無い事も。

 それでもこの体たらくに対して虚は、

(…………もう)

 嫌気が差した。そして『もういい』と言おうとしたその時、

 

「良かった! まだ居た!」

「もう――え?」

 

 それを遮る闖入者がやって来た。女性である。暗色系スーツ姿の彼女の、その素性を知らない汀組の面々からは「誰?」という反応。対してそれを知る静穂は「あ、さっきの」と。

 それを横目にしながら虚が、「どうしました?」

 当然の呼びかけだった。同じ布仏とはいえ公安の彼女が一個人と親しく情報を横流しにしているなどバレる訳にはいかない。そのリスクを承知で彼女は戻ってきた事になる。

「敵が分かった!」

「また?」

 返す静穂を目で殺し、虚は先を促すと、彼女は書類の束に紛れた静穂のタブレットに目をつけ、

「借りるわね」

 言って自分のスマートフォンから情報を複写した。

「本当にふざけてるわ。こんなのを飛ばす為に現政権は日本の空を目茶目茶にした」

 静穂のタブレット、この場において最も大型の画面に写されたのは、雲間に覗く()()だった。

 碇が見える。雲も見える。少し離れて鳥が見える。

 船だ。だがその場全員が息を呑み、言葉を失う理由はそれだけではない。

 

――艦船が空を飛んでいる――

 

「日本の防空システムが根こそぎ殺されてるのは知ってるようね。この為だった」

 画面を撫で、画像をめくる。拡大されていた画像が遠ざかり、雲に隠れた影がありありと見て取れる。一見して鰹節のように伸びた影、数は5。

「ISにとって現行の防衛システムなんて暖簾に腕押しのようなもの。それをわざわざ止めたのはこれを安全に飛ばす為だった」

「そんな、なんで」

 虚までが釘付けになり、汀組に至っては声も出ない。

 荒唐無稽にも程がある。ISも現在こそ認められたものの、プロペラも燃料もなしに空を飛ぶ機械が納得できたのは、それが一人の天災による奇想天外の代物で、誰も見た事のない()()だったからだという点が大きいだろう。

 ならばこの場合はどうか。まず画像の真偽を疑う。合成ではないかと高を括る。現実に見れば正気を疑う。

 何故なら既存の物体だからだ。船は水に浮くもので、空に浮かぶものではない。飛行船もあるにはあるが、それはそれ、飛ぶ為の形が決まっている。

 船に対する常識が、固定観念が、女性からもたらされた情報を、現実を、敵の存在を否定しに掛かる。

「それだけじゃないわ。ついさっき警察庁の(パトロール)(インフィニット)(ストラトス)がこれを止めるために独断で出動した。目的は勿論、()()を止める為」

「止められるわけがない」汀組の一人が唸る。「だってこれ、ただの船じゃないでしょ!?」

「戦艦アクーラとその随伴艦。ロシアから中国に売買された筈のIS技術搭載艦よ。たった一機の火力じゃあ象とアリよ」

 中国が時代遅れの兵器を購入した理由が、これだというのか。ISの、機動性の不利を質量で補い、目標に向かい緩やかながらも邁進する。

 曇天の中でなければ簡単に見つかっていたであろう巨躯が、IS学園に向けて迫っている。

「速度こそ原付程度だけど、確実に空域上を進んで太平洋側へ向かってるわ」

「――更職先輩のお(うち)は何て?」

 静穂の言葉に女性は張り詰めた。

「大丈夫です」そう言って警戒を解かせる。

「……梨の礫よ」

「…………」それを聞いて静穂は、「……じゃあ、やりますか」

 窮屈ながら立ち上がった。

 彼は周囲を見渡し、「なんで驚くんですかね。やるって決めてここにいるんでしょうに」

「いや、だって」汀組の一人、重冨が、「だって戦艦だよ、私達だけでなんて――」

「学園の皆を見殺しには出来ないでしょう」

 ほら立って立って、と静穂は周囲に行動を促す。

「最初に言いましたね。あの時何も出来なかったわたしでも、皆さんが引っ張ってくれたら何だって出来るって。それは今、敵の正体が分かっても変わりません。船がなんだって言うんです。遺物がISに勝てるんですか。そんな訳が無い。数さえあればどうとでもなります。

 怖気づくならわたし一人で行きます、逃げてくれても構いません、軽蔑しますが。そんな事はどうでもよくて、そんな余裕はないって、皆さんももう分かっているでしょう。帰る場所がなくなるかどうかです。そんなの誰かに任せられるんですか、今更普通の女の子に戻って泣きますか? いい加減に自信を持ってください。学園最強(せいとかいちょう)は行方不明。だったらその次に強い戦力(わたしたち)が事に当たるしかないじゃないですか」

 学園最強の次点。それは個人ではなく集団。IS学園トーナメント上位入賞集団。

 その長は隻眼を細めて言う。

「敵は5隻。数ならゆうに勝ってますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――さてぇ、と」

 布仏の女性が全員を車で送り届けるのを見て、静穂は曇天の空、山の向こう。遠雷の響く彼方を見上げた。

「汀 静穂の、辞め時かなぁ……」

 その遠雷が、決して良いものではないと知りながら走り出した。



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55.身を振る上での要注意事項 ④

 雲とは何か。普段は水蒸気のような状態で、時には氷として大気中、一定の高度で浮かんでいるものだが、要するに水である。

 そして水である以上は更職 楯無の乗機、ミステリアス・レイディに操れない訳も無いではない。

 

 

――イメージ・インターフェイス、第三世代兵装――

 

 

(自分は動けなくなるけどね)「――っと」

 レイディのアクア・クリスタルが僅かな燐光を放ち続ける。普段ならば水のヴェールを流麗に覆っている筈の機体は、その基部を全てあらわにしつつも元来の美しさをどこか彷彿とさせるラインを保っていた。

 どこかの天災と似通う状態、天地逆様で飛行艦隊の、恐らくは旗艦であろう船体の底、フジツボ避けの赤い塗料に楯無は着地している。

 脚部を片膝で固定。ガトリングガン内臓の槍を突き立て、楯無は精神を研ぎ澄まし、自己の範囲を広げていく。

 第三世代兵装についてはサイコキネシスのようなものだと楯無の同級生は言っていた。そう言い放った彼女はその後学園を去っていったが、楯無はその彼女の言をどこか言い得て妙だと思っていた。今回はその思想を利用させてもらう。

(レイディのナノマシン、そのリソースを全て使って雲と電磁波を掌握。そして――)

 雲の高度を下げる。日本の国土には人々が親しみを込めて登ったり、誰も名前も知らず立ち入る事すらない山々が幾つも存在する。中には山頂に霞が掛かる山もざらだ。雲が低く尾根を掠めようと、今さら誰も気にしない。楯無は艦隊を覆う範囲の雲にナノマシンを散布、人々の目から隠し続けている。

当然、手助けなどではない。

 

 

 ――乗り上げた。

 

 

 擱座、座礁、何でも良い。雲のおびき寄せに従い原付の法定速度ほどで進む5隻の、うち一隻の船底が木々を圧し折りだした。やがて山肌を崩し局地的な地震が引き起こされる。大きく音にも響かせ、遂にはその動きを止めた。

 内心で歓声を上げると共に、たった一隻しか引っかからなかった事に舌打ちをする。これらの船を造った連中は高度計でも持ち合わせているのか、単に山肌の都合か。旗艦が追突すれば自分も危ないのだが。それにGPSでは麓に中規模の町が存在する。出来れば全て足を止めさせてしまいたかった。

 だがこれではっきりと確信を得た事柄がある。

 

 

――この連中、飛ばすだけで精一杯だ――

 

 

 乗り上げた船体は浮こうともせず、空しくスクリューが揺れるだけ。浮かす為の馬力が弱いのだろう。元よりこんな大質量、飛ばそうと言う時点でどうかしているが、正しい使用方法ではないと分かった。一度地につけばどうにもならないとも。それだけでも収穫だ。何しろこの連中、犯行声明も出していなければ曇天を利用して楯無が隠してやらなければそのまま飛んで行こうとするのだ。船員すらも出てきて確認しようとする素振りすらない。逆に返せばかなり危険な状態で浮いていると言う事だが。

(目的はIS学園だろうけれど、自動操縦の囮? 意図は?)

 全く読めない。だがしかし、

(連中の意図なんて知らないけど、こんな物、高高度から落ちでもしたらどうなるか)

 ――と嫌な予想を巡らせていると、

(接近警報!? IS!?)

 レイディの計器が第三者の去来を告げる――去来?

(行ったり来たり……なんなの?)

 最初は敵が索敵にISを出してきたのかと思ったが、違う。その動きは学園の1年生にも劣っている。

『あー、あー』広域通信。『こちらは日本の警察、パトロールISです。そこの船舶! 止まりなさい!』

「この、バカ……!」

 自分のこれまでの苦労が水泡に帰された瞬間に、楯無は悪態を捻り出すしか出来なかった。

 ――最悪は続く。

『?』

「っ」

 警察のPISが何かに気づく。

(来ないで来ないで来ないで来ないで来ないで……)

 

 

『そこのIS!』

 天を足元に天を仰いだ。

 

 

(最悪……)

 そんなに日頃の行いは良くなかっただろうか。虚の茶菓子は一回しかちょろまかしていないし、せいぜいが妹との折り合いが悪い程度……のはず。

 もしかしたらIS違いかもしれないという淡い期待を拭い去るようにPISが降りてくる。こちらに向かって。

『そこのIS! 今すぐに機体から降りなさい!』

 言うとPISは懐から拳銃を取り出す。昨今では考えられない程小口径の回転式拳銃を楯無に向けてくる。

『一度目は警告よ!』

「ふざけないで! 今何が起きてるか分かってるの!?」

『外患誘致! テロリストと取引はしない!』

「私はそれを止めに来たのよ! 現ロシア代表更職 楯無! 照合しなさい!」

『取引はしない!』

「だから話を、――っ!?」

 途端、バチバチ、という電気のショートに似た音と、何かが輪転するような音が聞こえて来た。

「----------!」

 楯無が引き摺り下ろしたEMP搭載艦が、その搭載兵器を稼動させ始めていた。電磁石が高速で回転、船体甲板にこれでもかと主張する発生器からは音を立ててプラズマが発生している。

 瞬間、楯無は跳ねるように飛び出した。方向はPIS、ひいては町の方角。

『っ待ちなさい!』PISも後を追う。

 制止も無視して町へ向かう、否、逃げる。

 電磁パルス艦から青い稲光が爆発した。一帯の雲とナノマシンが蒸発し、局地的な快晴を作り出す。パルスの効果範囲に入っていた街中の一部から電気が消え、自動車の玉突き事故を引き起こす。

 楯無らも逃げ切れずその脅威をじかに受けた。電磁パルスが力を、ISの権能を削ぎ落とす。

 パワーアシストが切れ、推進器が死に、PICが小刻みに機能を低下させていく。

『あっ、うそ、やっ、やだ、やだ、嫌、』

「っ――!」

 悲鳴の主が速く、次いで楯無のレイディが遅く、楯無が守ろうとした町の中へと、

 力なく、墜ちていく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墜ちていく2機を見て、それ、否()()は何の感情も抱かなかったわけではない。一体なにをしに来たのだろうという、億劫な感情が首をもたげていた。

 直後に酷く落胆した。一機は張り付いて近くにいて、もう一機はえっちらおっちら飛んできたと言う事は、一応は二つとも回収しなければならないと言う事ではないか。

 嗚呼苛立たしい、面倒くさい。この腹の立ち様を、一体誰が治めてくれるのか。

 幾つもの隔壁を開けて、熱と湿気が鬱陶しい外気に触れる。あれらを落としたのは自分だ。だったら自分が取りにいかないといけないのだろう。

 実際に旗艦は、次の段階とばかりに加速器に火を入れ始めた。いくら出力が違うとはいえ、海面のブレーキも無しに撃てるものなのだろうか。

 

 

 

 ――そんな()()の不安もよそに、旗艦は何とはなしに主砲を発射した――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まじか。本当に戦艦が空飛んでIS学園(ここ)に押し入ろうってのか」

「布仏、この国の諜報機関が掴んだ確かな情報です。確度は保証します」

「俺は布仏と更職ってのがどんなのかよく判らねえ。俺にあるのはお前達に物を教えて、この学園を存続するための尺度しかねえ」

「これだけの数の資料を揃えても信じて頂けない、と」

「いや信じる。信じるしかねえ。信じなけりゃ次にあの()()が立つのは学園のど真ん中かもしれねえってイヤでも判る。つうか今わかった」

 ……職員室内、周囲を他の教員に囲まれて、虚はアルミケース片手に教頭先生と睨みあっていた。

 交通ルールを幾度か無視したのはこの際忘れ、虚と汀組の諜報班は学園までの復路を行きの倍近い速さで戻ってきた。運転手の女性には今度いろいろと言う事がある。何人か墜ちかけていたし。もはやどうでも良いが。

 職員室の窓からは太平洋が一望できる。その窓の向こうでは、十階建程もある水柱が堆積を沈めながらもまだ残っていた。

 飛行する戦艦からの一撃によるものだ。薙いだ風圧で校舎窓ガラスの一部が損壊、職員室には在校生が次々に報告に来ている。

「出撃に必要な書類も、すべてそろえてあります」

「大分文字が崩れてるがな」

「そこは大目に見て下さい、非常時ですので」

 自分の三半規管もやられているらしい。

「だが駄目だ」

「何故ですか」

「良いって言う訳ねえだろう!!」教頭が立ちあがり激昂する。「ISの学園敷地外での戦闘稼動! しかも複数! 更になんだ、この部分は何だ!!」

 教頭が書類の束を虚の鼻先に突きつける。

 

使()()()()()()()()()()()()()()()()()だと!? 気は確かか!?」

 

「――至って正気、真面目に言っています」

 書類束が机に叩きつけられる。「そんな事をしてどうなると思ってる。ISの私物化で使用者は極刑、機体は委員会に没収だ。二度と日の目を拝めなくなっても良いのか。いや仮にお前達が良くても学園のカリキュラムに影響どころか存在自体だってどうなるか。そんな事をして何の利点がある」

 一見して、何もない。残るのは独断の出撃という誇れはしない実績のみ。

「専用機化による戦力の拡大。本来の専用機持ちを防衛に割り振れます。打てる手は全て打つ。それだけでは」

「そういう問題じゃねえ! お前らは何だ! まだ学生だろうが!

 こういう時は大体はな、織斑先生に全部任せてる。今は先生がいねえから俺だ。いいか? 大人の仕事なんだよ!」

「――確かに教頭先生は大人ですが」虚は分かりきった事を言い放つ。「残念ですが男です」

 男にISは動かせない、その現実を突きつけられた教頭が力なく腰掛ける。「……なんでお前らなんだ」

「正確には汀組ですが、彼女達が一番擬似専用機の扱いに長けています。戦力増加の割合も一番大きい。教頭先生、適材適所です。覚悟なら出来ています」

「そういう事じゃねえ」

「ではどういう」

「汀1年だ」

 そう言って教頭は、背もたれに預けていた上体を揺り起こす。

「あいつの右手はもう使い物にならん。左の目は目蓋まで破れてズタズタだ。造ったスミス2年の責任じゃねえ。使い手がどうなるか判らねえ代物をスミス2年に作らせたのも、汀1年に使わせて、得体の知れない兵器と戦わせて、嫁入り前のあいつをキズモノにしちまったのも俺達だ」

 責任からの逃げではなく、むしろ逆、自分らが責任を取れる範囲で事を構えたいという意志。

「残っている女性の先生達じゃ駄目なのか」

「……連携に耐えうる経験値は彼女達のものしか蓄積がありません。それ以外の人間ではどうしても齟齬が出ます。先生方には防衛に専念していただきたく」

「武器はどうする、船を落とす程の火器なんざ」

 アルミケースを机に置いた。

「! お前、こりゃあ……!」

「艦内部の機関に火が入っていれば、計算上では自壊誘発が可能です」

「スミス2年には封印させた! なんで持ってる!」

「新しく作るな、とは厳命していなかったようですね。それに改良型です。威力も段違いだとか」

「ぐ……、反動は」

「彼女が欠点をそのままにしておくとは思えませんが」

「……なんでそこまで」

 その問いに、虚は少し詰まって、

「家が理由でもあります。生徒会長が心配というのも」

 だがそれだけではない。

「卒業間近に廃校なんて、見過ごす訳には行きませんから」

 最後を素直に言えなかったのは、見栄だ。

「…………」

 名を呼ぶ周囲に「うるせえ」と一喝。教頭は書類に判子を押していく。

 やがて全てに押し終わり、「責任は俺が取る。気にせずやんな」

「感謝します」

「但し機体はなにをしてでも元に戻せ。それとその中身は使うな、スミス2年にその後継を作らせてあるからそっちを使え。いいな」

「…………」

 

 

『あーあー。決まったかー?』

 

 

「!?」

 教頭が目を見開き、虚がアルミケースからの声に答える。「ええ、許可は出たわ。積んで頂戴」

『とはいってももう積んでるけどなー。あとは先輩だけなんだけどー』

 けど?

『早く来てくれないかー? ケイシーとかが重冨さんの餌食にだなー?』

 ……汀組の良心とされる重冨 要。彼女は緊張などで感極まると他人の髪を弄る癖がある。実家が床屋だからとの事だが、彼女が泣きながらとか過呼吸になりながら静穂の頭を天に聳えさせたり後光に変じさせていく光景をトーナメントでは頻繁に見受けられた。

 つまり何だろうか。昇天ぺガナントカが量産されているのだろうか。

「すぐに行くから三つ編みシニヨンを予約しておいて。それで誘導される筈だから」

『……もう遅いかもー』との言葉を最後に、スミスとの通話は途切れた。

「――まるでゾンビね」

「……おい、それ」

 ん? と教頭を見れば半ば放心状態で、

 ……ああ、と気付き、ケースを開く。

 中から通信機を取り出した。

「使ってしまいましたね、中身」

「----------!」

 教頭が項垂れる。()()を考案したのはスミスだ。何かの意趣返しだろうか、ここに至るまでの道程など知る由もないが。

「本来の中身は」

 当然の事実を教頭は聞いてくる。何を馬鹿な事を、とは思わない。彼ら教師陣にとって()はもはや瑕疵、弱点、泣き処に近い。

「先行しました。この中身を携えて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おねえさん、だいじょうぶ?」

「うん、大丈夫、だいじょうぶ。…………」

 コンクリートの粉末が制服に付く事もこの際考えずギブスの側の肩をつき、左の手のひらに握った杖代わりで体重を支える。急ぎスポーツ用品店で買ったものだ。普段風雨に晒されている壁は曇天で冷え、頭の熱を少しは抑えてくれそうだった。

「――ふぅ」

 息を整える。人々が静穂の視界から後方に急ぎ流れていく。逃げているのだ。熱量のない爆発が積乱雲を掻き消し、その外観を露にさせた、それらから逃げている。

 戦艦から逃げているのだが、目の前の年端もいかない少女は母親とはぐれたと言う。それもそうだろう、と静穂は思う。これだけの人が大挙して移動するのだ、綻びというかささくれというか、擦り合わせによる磨耗というか、そういった事案が起こらない方がおかしい。

 そしてそれを置いておかない人間も当然存在する。母親だ。娘を見つけ流れに逆らい走って近寄り少女を抱きかかえて静穂に礼を言ってくる。

 別に気にする事ではない。見るからに怪我人という静穂が、流れに逆らって走っているという光景を無視できる程に人々は珍しく混乱している。少し疲れていたところをその子の方が見つけてきたというだけ。寧ろ静穂を見つけてしまったから少女が母親から離れてしまった可能性すらある。

「じゃあね」

 女の子と手を振って別れる。見送る。

「………………」

(わたしにも母親がいたら)

 あのように心配させたら抱きしめてくれたのだろうか。

 かつての義姉と同じように――

(――どうでもいいか)

 今はそれどころでもないし、と切り替えていく。

 杖代わりを手に走り出した。



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56.騎兵隊の推参 ①

 一体自分は何がしたいのか、考えながらもひた走る。

「(本当に、なにを)……うぷ」

 半ばマラソンのように走り続けた代償が、静穂の肺と足に顕れていた。静穂の数少ない健康な部分が悲鳴を上げ、それ以外の部分を庇い動かしてきた代償として静穂の足を躓かせ、杖代わり武器代わりの金属バットを突かせ、ついにはその場で止めさせた。

 勿論それだけではない。動かない右腕が、無くなった筈の左目が、鼓動に併せて脈打つ感覚。痛いのではない。麻酔は効いている。だがただひたすらに気持ち悪い。皮膚の内側に直接薄いビニール袋を挟み、それ越しに小刻みでそれでいて力強く膨張と収縮を繰り返すような、そんな不快感が静穂を襲っている。

(……本当に)

 何がしたくてこんな事をしているのか。それを行って意味はあるのか。

(馬鹿みたいだ)

 こんな自問をした所でただの中二病でしかないだろうに。

 それとも自分にそんな時期がなかったから今頃になって発症したのだろうか。

 あるいは今の自分には余裕があるというのか。確かに何処ぞからの洗脳も解け、最近なにかと世話を焼いてくる同級生も、チームの面々も今はいない。だとしたら随分とふざけている。

(……やめよう)

 汀 静穂を、ではまだない。考えるのを止める。今すべき事柄は決まっているのだ。それ以外に気をやる事こそ意味がない。

 くの字に折れ曲がっていた背筋を伸ばし顔を上げる。

 目の前の階段を1段飛ばしで登りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東京から離れた地方都市とて、決して片田舎という訳ではない。地域住民が買い物に娯楽にと集う大手デパートもあれば、車の往来は決して少なくない。

 電磁パルスにより局地において都市機能が停止し、主砲の砲声によりその脅威をまざまざと見せつけられ、その巨体により影を落とされた街は、平和に慣れた無辜の住民を戦慄させ、叫喚させた。

 ――足元で住民が逃げ惑う。玉突き事故だろうか車のクラクションが鳴り止まない。

(逃げて。もっと速く、もっと遠く)

 心の内で半ば祈りのように叫びながら、楯無は槍を振るう。

 墜落と不時着。似ているようで実質は全く異なる墜ち方を二機のISはとっていた。

 楯無のミステリアス・レイディは不時着。そしてもう一方は……。

「んぅぁあぁぁあっ!」

 遮二無二に縦横無尽、雑居ビルの屋上で楯無はガトリングの死んだ槍を振り回す。十に二十、三十と振り回すうちに脇腹が悲鳴を上げ、横隔膜を突っぱねさせた。

「ふ、」思わず咳き込む。僅かに赤が大気に溶けた。「っう――!」

 苦痛を檄に変え一歩前に踏み込む。これまでとは異なる刺突にドローンの反応が遅れ、近づこうという勢いそのままに突き込まれる。

「っ!」

 即座に槍を振り抜く。その拍子に刺さったドローンが抜け、彼方で火薬由来の爆発が引き起こされる。自爆によるものだ。

 自爆ドローンはこれで後六機、六機が残り敵を取巻くように、そしてこちらをあざ笑うように上下動を、滞空を維持している。

 槍を振り、体勢を整える。何機落としたか定かでない。嫌な距離だ。攻める訳にはいかず、守るには少し彼我が近い。神経を逆撫でる。

 不気味な敵だ。こちらのレイディは著しく機能が低下しているというのに向こうはまるで攻めて来ない。初めて目の当りにした敵の姿は漆黒のボディスーツにこれまた漆黒のフルフェイス。かくや二輪のライダーとも思しき風貌の中身は一体何を思案しているというのか。ただ直立し、少し顎を下げたままという相手の思考が全く読めない。

(一度下がりたいけど)

 それは出来ないと半身を切った後ろ足、その向こうに少し注意をやる。

「気を確かに!」檄を飛ばす。「生きなさい、死んだら駄目!」

 檄を送った(パトロール)IS搭乗者からは荒く浅い息が聞こえてくる。強かと言うには強すぎる高さから打ち付けられた全身は満遍なく骨が折れ、ただの錘と化したISによって身動きも取れず、吐いた血は口元からコンクリートにまで流れ出し、内臓の損傷を証明付けている。PISの機能はレイディよりも酷く、機能はほぼ死んでいると診て間違いはない。弱々しくも辛うじて残る搭乗者保護機能が命を繋ぎとめている状態だ。

 どれだけの高さから落ちたのか。十メートルか、二十メートルか、ISがなければどうなっていたか。それでもせめてもとビル群の屋上に落ちたが、……楯無の手は間に合わなかった。

 レイディとPIS。機能の、耐性の差が命運を分けたに過ぎないだろう、あるいは互いの初動の差、着地の姿勢、今更挙げても意味はない。自分の心を落ち着ける為だけの外連(けれん)だ。それでも楯無の心に圧し掛かる。

 自由国籍権により今はロシア国籍、更に国家代表といえど更職 楯無は日本の対暗部用暗部の頭目である。その彼女の目の前で、守るべき国民が苦しんでいる。覚悟をしていなかった訳ではない。だが、

(こんなの想定できるはずがないじゃない!)

 ロシア国籍を取得したのは何の為だったのか。少なくとも艦隊に喧嘩を売る為では――

「い、や……」

「!?」

 思わず振り向く。PIS搭乗者が咳交じりに口を開く。

「こん、こんなの、嫌……」

「…………」

 ……判っている。当然だろう。たとえそれが、自業によるものだったとしても。

「そうよね、そうよ」

 自分は、一体何の為にレイディを手に入れたのか。

 何時もより幾分も重く感じられる槍を握り直す。敵本体ではなく子機(ドローン)が反応、浮遊のパターンに変動が生じる。

「さあ来なさい! 国家代表を嘗めるんじゃないわよ!!」

 挑発に応じたのかドローンの六機中二機が迫る。

 対して二機を迎え撃つべく穂先を向け――

 

――銃撃によって爆発した――

 

「!?」

 爆発から身を守る。自分ではない。ガトリング機構は未だ死んだままだ。

(じゃあ何処から誰が)

「――上!?」

 見上げれば、昼間だのに光点が七つ瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「当たった!? こんな距離今まで当てた事ないのに!」

「専用機化処理様々ですね! レダは!?」

『無理! 追いつける訳ないっすよー!』

「早く来なさいバ火力コンビ! あんた達が頼りなんだから!」

「予定通りよね!? これからも予定通りよね!?」

 めいめい自由に叫ぶ汀組に虚が叫ぶ。シールドに掛かる風圧からか、その必要もないのに自然と叫ばずには居られない。

「いい!? 事前の打ち合わせ(ブリーフィング)通り私以外で機体毎にコンビを組んで! テンペスタ班と私が生徒会長を! 打鉄班が避難誘導!」

 永富が叫ぶ。「流れ弾をたった二機で防ぎ切れっていうの!?」

「できなくてもやりなさい!! 残りは艦の頭を抑えて!」

『ラファール班レダ! 到着まで目算5分!』

「作戦目的は避難誘導・侵攻阻止!」

 行って! との号令で光点が三方に別れた。

 

 

 光点の一方、専用化テンペスタの二名と打鉄特殊装備の虚が雑居ビル郡に降り立つと同時、ドローンが襲い掛かる。

「あ、IS学園参上!」

「汀組なめんなです!」

 テンペスタ二機がサブマシンガンを斉射。弾幕を貼り三機を撃破。

 残る一機は所属不明機が盾にして爆発、爆風で視界を切る。

「お嬢様!」

「私はいいから彼女を!」

 言われて奥の重傷患者に目をやった。

 息を呑む。一体なにをすればここまで傷つけられるのか。

「上から落ちたのよ」

「!? PICは」

「EMP。レイディは半死、でもそっちは……」

 これではもう何処から手を付けたら良いのか分からない。

「布仏さん!」

「っ!」

 咄嗟に特殊装備を庇い葵を展開。重い激突の感触が腕に広がり、虚にたたらを踏ませる。

「虚ちゃん!」

 所属不明機が、といってもISと見做して良いのか不明だが、飛び蹴りを決め空中で身を捻り、返す踵で楯無へ――

「させない!」

 楯無の顔面に踵落としが決まる寸前、傍から伸びたテンペスタの十文字槍が受け止める。初期装備の大鎌が変化した物だ。

 テンペスタが体重の乗った柄を片手一本で跳ね上げた。不明機はそれをさして体勢を崩す事無く着地、もう一機のテンペスタが放つ銃撃から避けてのける。

「なんで当たんないですか!?」

 サブマシンガンの弾倉分が撃ち切られても着弾は無く、姿も無い。

「消えた!?」

「落ち着いて!」と虚。「無闇に撃っても当たらないわ!」

 それもあるが虚は流れ弾が怖い。もしも民衆に当たれば守るべき相手が一挙して敵に変わる。

 やはりその点は育ちの特異性かと虚は思う。虚と楯無などは家柄からその手の指南を受けているが、汀組の面々は、その頭目をおいて特異ではあるが彼女達は違う。いくらISに、銃器の扱いに慣れているとはいえ、彼女達はいわば運と努力でIS学園に残れていた普通の女子達だ。要するに張り詰めすぎている。なので虚はこれまでの道程を自らの打鉄に、スミス謹製の特殊装備で重量が増し速度の幾分か落ちる機体の最高速にわざと合わせて行軍してきた。IS学園外での飛行という非日常に慣れさせる為だが、その効果は薄いようだ。現にテンペスタの彼女達は穂先も銃口も僅かに震えている。

 虚は急ぎ名も知らぬ女性を仰向けにし、ISの再起動に掛かる。

「光学迷彩かしら?」

「分かりません。そもそもISですか」

「分からない。普段の私ならあれくらいはできそうなものだけど」

 言って楯無は身体を撫でる。擦り傷の新しい肌、内臓を痛めているのか小刻みに吐く息は浅く、目の焦点も僅かながら揺れている。

「休んでいて下さい。っ……!」

 医療の知識と一式はあれど手持ちのみでなんとかなるものではない。頼みの綱はISの搭乗者保護機能のみ。

(その機能も死んでいる!)

 再起動を掛けようにも機体は動作を受け付けない。打鉄からの診断は装甲板含めてダメージ進度E。人が乗った乗用車が高高度から落下したような状況だ。ISによって人型を保っていられたのだろう。

 PISの女性警官が咳き込む。「……嫌」

「!? 喋らないで!」

「私嫌、嫌なの、まだ何も……何もしてない」

「大丈夫。助かります。だから負けないで」

 葵の刃を握り彼女のISスーツを切り開く。内出血が裂けて尚黒く染まった肌を見て、虚は自己の表情が固まるのを感じた。

(もう、どうしようも……)

「そうよ、負けた、ない……」咳き込む。「おと、社会なんかに……」

「喋らないで下さい」

「聞いて、っ聞いて、ねえ、私、嫌なの、嫌な、見返すって、え、男に、ねえ、なんで、なんで私、飛べない、ねえ、なんで暗いの」

「喋らないで!!」

 苦痛と悲嘆で互いに顔が歪む。その最中テンペスタの少女が叫んだ。

「また来た!」

「っ! 銃じゃ駄目! 接近戦!」

 虚の指示に彼女達は即応。呼び出した十文字槍で不明機の撃退を狙う。

「ちょこまかと!」

「当たんないですよ!」

 それが遮二無二に槍を振り回す少女達から出た感想だった。虚と楯無が未だ敵をISと認定付けられない理由もそこにあった。小さいのだ。人としては平均的、女性で考えれば長身に当たるかもしれない身長を持ちながら、ISの特徴である高下駄のような身長とマニピュレーター由来の長いリーチが乏しいのだ。人間とIS、どちらかと言えば人間寄りのシルエットを持つ不明機は十文字槍二振りの連撃に対し徹底したスウェー、ジャンプ、ダッキングをくり返し、

「この! え!?」

 テンペスタの少女が振り回す十文字槍を超え、少女が前屈みなったところを狙い背へと駆け上った。

 目もくれる事なく跳躍。落下地点は数メートル先のPIS。

 今度の虚は反応した。

「(狙いはISコア!?)こ――の!」

 虚が両膝立ちから片膝に、背中に回した特殊装備を展開、畳んでいたその長物を引き延ばす。

 IS学園2年、スミス謹製対(シールドバリア)狙撃砲、バリアバスター。

 ――()()()()()

「ふっ!」

 空中で身動きが取れないであろう不明機に対し、小脇に抱えた3メートルを超える砲身のミート打ちが不明機の脇腹を叩く。

 体全体で振り抜き不明機をすっ飛ばす。さしもの身軽な不明機も今回ばかりは受身を取れず屋上を強かに背で跳ねた。

 また消えるかと思いきやその姿は変わらず、不明機の靴底が火花を散らし踏みとどまらせる。

 そして再度踏み込もうとしたその刹那、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――屋上口のドアが蹴破られ、金属バットのフルスイングが不明機の脳天を打ち抜いた――

 

 



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57.それぞれの空の下でものを思う ①

「はぁ……、っぁ……」

 …………影を落とす空の下、胸がすくように響いた快音。屋上に投げ出されたような状態で微動だにしない所属不明機。

 虚は半ば呆然として静穂を眺めていた。目眩のような浮遊感を持ち、不意打ちとはいえああも簡単に不明機を、それも一撃で埃舞う屋上に寝かしつけてしまった。パイロットが整備科とはいえ3年生、それも専用化処理を受けたテンペスタの攻撃をああも避けていた相手をだ。

 時代が来ているのだろうか、今年の1年は。それとも彼が優れているのか。

(いえ、違う?)

 どんな経緯かは知らず、いやそれは今は関係がなく彼こそ本当の専用機持ちの、その実力とでもいうのだろうか。

 ――不明機に対し事前情報も存在も掻き消されて放たれた完全な不意打ちを決めた人物は、少しへこんだ金属バットを杖に、今更のように深呼吸をくり返す。

 テンペスタの一人が呟く。「…………た、」

 

 

「大将!?」『汀さん!?』『嘘! 組長!?』『静穂ちゃん!?』『リーダー!』『汀!?』「Vivaー! ボスぅ!」『(カシラ)ー!!』

「お願いだからそろそろ統一して……」

 

 

 恐らく全力で駆け上がってきたのだろう彼、汀 静穂はそれでも洩れなくなく年上の仲間達にツッコミを入れる。というか全員呼び方が自由すぎるだろう。それでよくチーム間の会話が成立するなと。

「っ」虚は気を持ち直す。「遅いわよ」

 静穂は息を整えてから、「お待たせしました」

『布仏さん!?』永富が割って入る。『貴女が汀さんを呼んだの!?』

「いけない?」

『なに考えてんの!? 汀さんが戦える訳ないでしょうが!』

「これから指揮権は()()に任せる。外様の私よりも従い易いでしょう?」言うと虚は予め用意したインカムをテンペスタの少女に投げ渡す。「付けてあげて」

『そんな理由で……!』

「なら貴女が仕切りなさい。――それで、どうするの?」

 虚はテンペスタの少女にいい様にされるがままの静穂に問いかける。

 金属バットを足に引っ掛け、インカムの具合を確かめながら静穂は、「――来た見た勝った、じゃないですけど、まずは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そちらの女性に黙祷を」

 その隻眼を閉じた。

 

 

『…………』

 インカム越しに全員の意が汲み取れる。息を呑む者、嗚咽を堪える者、ただただ冥福を祈る者。

 静穂が早ければこうはならなかったというものではない。だがどうしても悔やまれる者がこの場には多いのだ。ただ捨て置くという訳にはいかない事柄に、頭目と持て囃される静穂が率先して当たる。それだけでチームの不和はある程度、頭目の指示に対応できる程度には指揮系統が回復する。

 頃合を見て黙祷を切った。時間にして10秒未満。時間のない現状での精一杯。

「布仏先輩。状況は?」

「チームを機体毎に分割。打鉄班が避難誘導と弾除け、シュトロ班が艦上空で威嚇と哨戒、ラファール班は遅刻、テンペスタが今はフリーよ」

 言われ静穂は思案に数秒掛けて、

「じゃあテンペスタ班はシュトロ班と合流して下さい、徹底して頭を抑える感じで。あ、行く前にあの人の拘束もして下さい。死んではないでしょうし。

 打鉄班はそのまま、更職先輩は布仏先輩と生徒会班で。更職先輩は戦えますか」

「ごめんなさい」と楯無。「戦える状態じゃないわ」

「分かりました、生徒会班はそのでっかいの抱えて山に行ってください、見上げて撃つより楽でしょ。ラファール班はいつ頃着きます?」

『ラファール班レダ! 頭! 待ってたよー!!』

「いつ頃着きます?」

『えっと、ラファール班ソフィアです! 目算で――今見えた!』

「ではやっていきましょう。全機、発砲を許可。状況開始」

 了解! とそれぞれの国の言葉で返ってくる。だから統一してくれと。

「貴方は」

「?」

「貴方はどうするの?」

 虚にそう聞かれて静穂は少し困る。怪我人とはいえこの場にいる以上、静穂も何かしなけばならないのだろう。

 ――ひとまず()()の保護に着手しよう。

「その女性の機体からコアを抜き取って下さい。それ以上その人を傷つけたくないので」

「そう、ね……」

 虚が作業に着手する。それを尻目に静穂は少し物を思う。

(それにしても、本当に飛んでるんだなぁ)

 首が痛くなるほど反り返る。フジツボ避けの赤い塗料が上空に四つ、視界を覆っている。動きは無いように見える。大きさからそう錯覚しているのかもしれないが。

 明らかにIS技術の応用、もしかしたらこの巨体そのものがISという可能性もある。

(…………どうしようかなぁ)

 墜とせるのか、墜としていいのか。いや墜とすのは決まっているのだが、その手段が思いつかない。虚の抱える長尺物が頼りなのだろう。ならば自分の役割も自ずと見えてくる。

(変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなる)

 愛すべき義姉の言葉を、頭の中で唱えてみる。

(動くべき、なんだろうなぁ)

「終わったわよ」

「こっちにください」

「どうするの」

「街中に逃げ込みます。少しでも離れるように」

「…………」

 言外に囮になると言っている。その返答に虚は少し悩んで、

「虚ちゃん」楯無が心配そうな、それでいて責めるような声色で彼女の名を呼ぶ。

「大丈夫ですよ、更職先輩」包帯混じりの顔で微笑んで見せる。「わたしだって無力じゃない」

 ――手のひらサイズの球状物体、ISコアを手渡した。

「怪我人にそんな事させられないわ。囮なら私が――」

「連れてっちゃってください」

「行きます、お嬢様」

 楯無の抗議を無視して虚が楯無を抱きかかえると、打鉄がふわりと舞い上がり近隣の山へと向かった。

 

 

 ――打鉄の腕の中で、レイディを纏ったままの楯無が暴れている。

「虚ちゃん戻して!」

「お嬢様、暴れると危険です」

「ならあの子は!? 私以上に酷いのに、機体もないのに囮だなんて!」

「機体ならあります」

「え」

「彼は専用機持ちです」

 そう言われ楯無は虚の肩越しに屋上、距離の離れていく彼を見やろうとする。

 ハイパーセンサーが切り取る彼は、その背中しか見えない。

 

 

 その静穂はといえばISコアを持ったまま、胸を押さえて背を曲げている。苦しい事に変わりはない。だがこの苦しさ、感覚は自己の傷病や運動の動悸によるものとはまるで異なる気がして、

(違う違うそうじゃない、そうじゃないんだ違う違う)

 自分に対して言い聞かせる。ただ状況が似ているだけだ、警官が死に、自分がここに居て、元凶となるその敵も今ここに居る。ただそれだけだと言い聞かせる。

 違うのだと。あの時の、静穂の今に連なる原点とは。

 

 

――5年前とは――

 

 

「っ……」

 ISコアを三角巾の中に仕舞い込む。次いで入れ替えるように無針注射器を取り出した。

(――違う、っ)

 首に宛がおうとした腕を振りかぶる。足を半歩下げ、半身を切る。拘束を解いた不明機が数メートルの距離を詰めて放つ右の貫手を(すんで)の所で避け、喉元に膝、首元に握りこんだものを叩き込む。

 不明機が通り過ぎるように距離をとる。もんどりうって倒れこみ、体勢を立て直して無針注射器を引き剥がす。右腕に拡張領域の発光。腕部装甲だろうか鉤爪を展開、注射器を握り潰した。

「ISだよねぇ、やっぱり……」

 対して静穂は嘆息し、おっとりとした仕草で金属バットを拾い上げる。

『大将!?』案ずる声がインカムから響く。

「大丈夫」改めて半身を切り、片手でバットを構えた。「一人で十分」

 一方的に通信を切り、ふぅ、と息を切る。

 これはもう、義理だの出し惜しみだのと言っている余裕はない。

(ハイパーセンサー起動、表記はすべて右側に集中。パワーアシスト出力調整、バイパス無視で最大稼動。ダメージ進度E? システム修復再始動、PIC調整。センサーとアシストさえ動けばそれで良し)

 静穂の身体から虚の感じた浮遊感が次第に消え、コンクリートの地面に付いていた足がより強く砂塵を咬む。制服の首元やスカートから覗くISスーツやブーツ、否、機体装甲の表面で幾何学模様が数瞬明滅する。

(脳波調整、神経伝達調整、知覚最大、痛覚調整)

「……行こうか、グレイ・ラビット」

 包帯越し、右目に集約された視界を埋めるように不明機の黒いフルフェイスが迫っていた。

 

 

「やばいよアイツ生きてた! 大将が狙われてる!」

「バカかアンタは!? しっかり拘束しときなさいよ!」

 だが今空に上ってきた彼女に毒づいても今更だ。メイルシュトロームに乗る少女は即座に照準を遥か下、屋上で静穂と戦う不明機に向ける。

(! 狙えない!)

 屋上では静穂と不明機が接近戦を繰り広げていた。金属音がここまで響きそうな攻防、不明機の鉤爪と静穂の金属バットがぶつかり合って火花を散らし、目まぐるしく彼我を入れ替える。これが怪我人の動きだろうか。それにしても敵と近すぎる。ドローンの時とは遥かに異なる難易度。無理に撃てば彼女に当たる。

 もう一機のシュトロ、今回の相棒とも連携を取るべきだろう。

「ルイス! 狙える!?」

「無理!」

「狙いなさいよ!」

「組長に当たる!」同じ結論。

『気にしないでください』とは静穂から。『なんとかします』

「そんなの信じられるかっての……!」

 PISの最期を見ている以上、静穂にもそれが当て嵌まってしまうのではないかと気が気でない。

 ――だが状況は悠長に選択などさせてくれない。「ちょっと! あれ!」

「!?」

 テンペスタの少女に促され視界をやる。視線の先では艦艇、恐らく護衛艦であろう艦が艦体のサイロを開こうとしていた。

「ミサイル!?」シュトロの少女は最悪の事態を想定しやむなく銃口を艦隊に向ける。

 サイロが完全に開ききるや、飛び出してきたのは予想よりも遥かに小型のものだった。少女らが先ほど撃ち抜いたドローンだ。

『うげっ……!?』その場にいた四人は血の気が引いた。

 数がまるで違う。蚊柱を幾重にも重ねたような、否、ISを数機は丸々飲み込んでしまうような大蛇か、ともかく大量の自爆ドローンがサイロから飛び出し、うねり大挙して四機に迫る。

「なにあれ気持ち悪い!」

私達(シュトロ)は単発ライフルなんですけど!?」

「サブマシンガンでも弾が足りないですよ!」

「うるさい撃て! 撃ちまくれ!!」

 号令と同時に四機が揃って火器を放つ。テンペスタは先程のサブマシンガン、シュトロは狙撃銃を大した狙いもつけずに放つ。

 弾幕がうねりの先端に着弾していく。貫通と誘爆を引き起こしてもなお、脅威が減る様子はまるで見られない。

 ドローン群の圧力が強すぎるのだ。押し勝てる見込みがまるで無い。

「駄目だ効かない!」

「口はいいからもっと撃て!」

『お待たせしましたよっとぉー!!』

 威勢の良い通信に、シュトロの少女は自分の口角が上に向いているのを感じた。

「やっと来たか、バ火力コンビ!」

 

 

 ――IS学園学年別タッグトーナメントに於いて、汀組はその多くが上位入賞を果している。これが何を指すかというと、異常である。

 もしも汀組という集団が全員が1年生で構成されていればそれもあるだろうと納得は出来る。理由はトーナメントの開催時期。1学期の中頃、学園に慣れクラスに慣れ、仲の良い有人とグループを形成する頃合の時期に開催されるトーナメントとは、その実力、機体性能は一様、搭乗者の実力など代表候補生を除けばどんぐりの背比べでしかない。よって勝ち上がるのは持ち前の身体能力と時の運が主になり、自然と代表候補生が勝ち残る。傾向として1年ではまだ謀略策略戦略の類いは用いられないのが常だ。そこまで学習範囲にまだ入っていないのもあるが、その時点でそこまで気が回る1年生はそれこそ代表候補生以外には居ない。

 だがこれが2年3年となるとまるで違う。

 計略改造盤外戦術、何から何まであらゆる手を使う。むしろトーナメントという催しは2年に上って、パイロット科と整備科が明確に分かれてからが本番。さらに今年はタッグマッチ、ありとあらゆる難易度が跳ね上がる。

 そのトーナメントをして汀組が上位に食い込んだその要因が今、曇天から蒼天に降り立った。

 その威容は決してラファール一機や二機が放つ事の出来るものではない。武装ヘリの操縦席内部を抜き出しその中心にIS二機を据え、二人羽織のように折り重なるラファール二機をこれまた二基のコンテナが左右から挟み込む。下部には跨る様に設置された長大なガトリング砲が、さながら雀蜂の針が如くその存在を主張。サイドバイサイドローターがけたたましく吼え、背部推進器までもが轟音を放つ。

 ISを現行兵器に逆戻りさせたようなこの巨体こそが、汀組の、タッグトーナメントにおける結論だった。

 

 

――ラファール・リヴァイヴ、複合合体パッケージ――

 

 

「ごめんねレダ! 遅刻させちゃった! やっぱり操縦難しくて!」

「良いって良いって問題なし! あれでしょあれ! 日本の(ジャパニーズ)シンウチ!」

 操縦担当の謝罪もどこ吹く風か、火器管制担当の少女は笑って見せる。

 ラファール二機を確認したドローン群の一部が群れを離れ迫ってきた。

「気付かれた!」

「問題なし!」

 パッケージ背部の推進器が鳴りを潜め合体ラファールがローターによる水平移動を開始する。火器管制担当の少女、レダが左右の操縦桿を操作。コンテナの彼方此方が自由に開き、左右各6門、計12門の銃口を曝け出す。

「トーナメントの途中から禁止にされて、イライラしてたんだよね!」

 レダの駆るラファール、そのハイパーセンサーに映る照準すべてがドローン群に向く。

「――この機体こそが頭の理想、汀組の真骨頂! 受けてみろテロリスト! これが私達のっ!!」

 操縦桿の引き金を引く。

「正義だあ――――――っ!!」

「正義!?」

 ――曰く正義の銃火は硝煙の雲を作り出し、脚下の町に鈍い金色の、空薬莢の雨を降らす。その雲を割った弾幕が真っ直ぐに、眼前の群れをいともたやすく引き千切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所は変わって国内某所、海岸。織斑 千冬はそこに居た。

 千冬が覗く砂浜にはやや大きな、直径2メートル程度の窪み(クレーター)が熱を放ち、砂塵と共に蒸気が立ち上っていた。

 紅椿である。かの機体に回転数が存在するかは知らないが、その噴射炎は諸々を吹き飛ばし瞬時に数百メートルまで上昇。直角の軌道を描き青空の彼方へと急行した。

 一夏と白式をその背に乗せて。

(…………)

 何か、声でも掛ければよかっただろうか。

(何とだ)

 今更になって後悔はない。勿論そんなつもりでもない。

 激励を述べる趣味もない。言うとしたら忠告だ。なら何を。

(言うべきだったのだろうか)

 忠告でもなく警告を? ()()の目の前で?

 

 

――紅椿と篠ノ之に気をつけろと――

 

 

「織斑先生」

「――山田先生」

「ご心配でしょうけれど司令室に」

「ええ。……」

 山田先生に促され踵をめぐらす。

 彼方、学園の方向では空が陰りを見せていた。

 

 

 ――かくして火蓋は切られ、それぞれの戦争が始まる。




 数話程前より誤字報告機能で連絡をいただいており、ありがとうございます。
 便利だなあと思いながらも申し訳なかったり。精進いたします。


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58.それぞれの空の下でものを思う ②

 木々の合間を抜け山の頂まで来たが、山頂とはいえ開けている訳ではなかった。そこかしこに生える針葉樹はIS二機を隠して余りある高さと密度を保っており、道中とは違い大人しくなった楯無を虚はその場に下ろした。

 再度折りたたまれた待機状態の対殻狙撃砲(バリアバスター)をまた引き延ばし、拡張領域からボストンバッグ程度の外部発電装置を砲とは反対の腰部に装着する。これで射撃体勢をとれば準備は完了だ。

「汀さん聞こえる? 位置についた」

『撃ってください』

「簡単に言わないで、エネルギー式なんだから」

『充填までは?』

「発電機を動かしているからそれ程はかからないと思う。援護は必要?」

『むしろ邪魔ですね。気にしないでもらえるとやり易いかと』

「そう、気をつけて」

 言ってくれる、という感想で通信を切る。

 これで後は待つだけとなり、自分の内側へと意識をやる余裕ができる。

「ふう…………」

 深呼吸を一つ、随分と緊張している。それもそうだ、自分が両の腰に展開している装備が今作戦の要だと自覚しているし、しかしその装備の威力の程、反動の程が分からないし、空に浮かぶ非現実に通じるかどうかも分からない。

 更に普段ならばこういった役目は更職家の仕事だ。布仏はそのサポート、支援でしかない。

 不確定要素が多い。やれるのか。成功させられるのか。

 先程から極端に静かな我が主を見る。意気消沈という訳ではない、否、消沈はしているのだ、ただ落ち込む事の優先順位が下にあって、今は身体を休める事に重点を置いているだけで。

 ……自然と口が開いた。

「ご無礼をお許し下さい」

「……なに、虚ちゃん」

「なぜ、布仏からだったのでしょう」

 それは場つなぎの話題としては不適当だったかもしれない。だが虚はこれが最善と判断した。

 更職と布仏の現状としても、自分と主の現状改善としても。

「今回の件に当たり私は御本家(さらしき)、布仏両家に情報収集と接触を求めました。

 ですが御本家からは昨夜以降何の連絡も無く、情報を持って接触できたのはこれもまた布仏の人間だけでした」

「…………」

「情報自体は御本家も関わっておられたか不明ですが、だとしたら彼、汀 静穂についての情報が布仏の手から渡されるという事態、何かあったとしか思えません」

 対暗部用暗部に於いて要人保護プログラム対象者の情報は守って然るべき重要なものだろう。だのにその開示を手ずからでなく分家、布仏に任せるような真似を、これまで更職は執っていない。

「何があったのですか、御本家、更職に。そしてそれは御頭首様付の私にも言えない事なのですか」

「……公正ではないと」

 え、と目を見開いた。

「欺瞞と虚飾に(まみ)れた志民党政権とは違い、新政権に於いては公明正大、深謀遠慮の精神を持ち、各国、隣国との連携を密に深めていく以上、対暗部用暗部などという他国の信頼を不義、内通、破壊に通ずる存在はこれ以上の必要、信頼を得る事はない。

 ――現政権と接触した際の返答の一部よ」

「それは、まさか、」

 そう、と楯無は首肯する。

「仕分けられたのよ、更職は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の立ち上がりは静かなものだった。さながら時計の秒針が左回転、(さか)しまに時を刻むような状態から。

 秒針と軸は静穂である。一度の接敵、交差の後に自然とこうなっていた。

 死角だ。所属不明機は静穂の潰れた視界、包帯に覆われた静穂の左側へとその身を隠そうとしている。

(反応、あからさまに遅れたからなぁ)

 一度目の接触時に静穂はラビットの調整が入った自分の身体を御しきれなかったのだ。大きくたたらを踏み得物(バット)は手から離れないまでも大きく弾かれた。

 不明機を調子に乗せてしまった。こうなると静穂の短い経験則では対応がしにくくなる。

(思い出せ、思い出せ……)

 あの日々を。操られ辛いと思う暇も無かったあの5年間(ひび)を。IS学園に入るより、汀 静穂になるより以前、それが当然として受け入れて、現在に連なるあの日々を。

 

 

――訓練に明け暮れたあの日々を――

 

 

(!)

 何時しか完全に不明機が消える。左の死角に入り込まれた。

 足音もなく呼吸も聞こえない。完全な隠密状態。

 隻眼の不利点。当然、見えない方は完全な死角。

 ――瞬間、僅かな風切り音。

 静穂が左腕を残し身体を左に捻る。身体に巻いたような状態の左手に力を入れて外側へ押し出してやると、

 

 

――不明機の鉤爪を金属バットが弾いて見せた――

 

 

(速攻)

 一歩前進してスナップを効かせバットを僅かに上段へ、直後振り下ろし頭蓋(フルフェイス)を叩く。

 終わらない。下段まで振り抜いたバットを裏拳の要領でスナップ、先程の衝撃で俯いた不明機の頭蓋を跳ね上げる。

 まだ終わらない二歩前進。バットのグリップを身体に引き寄せて正拳中段突き――を構えた所で不明機が反応、彼我の距離を半身離し右の鉤爪を貫手で繰り出してくる。

 その貫手を静穂は廻し受ける。身体の内側から左手を廻し貫手を巻き込むと、

 鉤爪の手を小脇に抱え肘を極めた。バットを持ったまま。

 そのまま右方向に力を込める、振り回す。

 不明機が回る。一週目で躓き、二週目で爪先が浮き、三週目で天に弧を描く。

 変形アームホイップ。半身を切らされた状態で回転軸が90度上に曲がり、天頂に届くや否や思いきり叩きつけられる。

 腕の拘束がすっぽ抜け、金属の激突する音が響き、屋上のコンクリートタイルに罅が入る。脇腹から叩きつけられた不明機が衝撃で跳ね上がり、否応なしに距離を取る。

 手首でバットを回す、半身を切る。静穂の方から死角に入れる。

 無駄だと。何度死角に入り込もうと迎撃してみせるとの示威行動。

(もう少し過敏に)

 ハイパーセンサーを調整。今度は足音がよく聞こえる。同時に右目の視界が引き延ばされ魚眼レンズのように全天周の物へ。それでも左の死角が視界の隅にチラついているが仕方ないと諦める。

 左の貫手をバットの芯で、右の鉤爪を手放した裏拳で打ち払う。

 バットが床で跳ねる。小気味良い金属音が響く。その先から不明機が掴みに掛かる。

 静穂が迎え撃つ。拡げられた両手の中に自分から踏み込んでいく。

 激突音。不明機の顔面(フルフェイス)と静穂の頭蓋がぶつかり合い、

 押し勝ったのは静穂だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつからですか」

「いつからと言うなら最初から、現政権樹立の直後からよ。

 樹立直後に祝いの文面と共に関係継続の書状を出した。その返答が今話した通りよ。仕分けと言うより梯子を外されたというのが心境としては近かったわ」

 これまで政権とは志民党のものだけであり、更職との関係は引き継がれてきた。これにより更職は変わる事無く裏よりこの国の国防の一部を担う存在であり続けられた。ある種の一体感、信頼関係を更職はこれまでの政権と半ば一方的に持っていたのだ。それが突如として頭が挿げ変えられると、こうも簡単に裏切られるとは当時の楯無も思ってはいなかっただろう。それだけ現政権に常識が通じないというべきか否かは、今の楯無にも何とも言えないが。

()()()()として会いにも行った。アポを取ったはずなのに門前払いされたけれどね。他の暗部が統廃合を繰り返してやっとその存在意義を保ってきた中、私達も例外じゃなく更職は対暗部用暗部、たった一芸に特化してようやくここまで国に仕える事が出来た」

 盛者必衰、という訳ではない。暗部にとって自分達が栄えるなどあってはならないし、暗部が栄える時など仕える国家の有事に他ならないのだから。望んだ事は無いには無いが、もしもそうなら暗部の仲間達は統廃合などせず主君を変えるし、それこそ有事を引き起こす側にも回るだろう。

 そうしなかったのは(ひとえ)にこれまでの主君が自分達を、暗部を少なからず重用して貰えていたからで、一度(ひとたび)それが絶えるとどうなるか、分からない政権ではないと誰もが思っていた。

 実際に裏切られるまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちたバットを拾い上げる。上段から降り掛かる鉤爪をその根元、手首の辺りにグリップを握った拳を打ち当てて止める。

 数秒の力比べもなく鉤爪が斜め下に受け流され、バットの石突(グリップエンド)が鳩尾に突き込まれ、くの字に折れた不明機の頭蓋にフルスイング。

 不明機の身体が宙を浮いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が未熟だったのかしら。だから必要ないと断じられたのかしら」

「……お嬢様がロシア国籍を取得したのも」

 楯無は首肯する。

「迷ったわ。何日も何日も。表立った口座を凍結されてようやく決心がついた」

 国か家族か、どちらかしか護れないというのは自分をその中に含めようとしているから。自分がその外側に出てしまえばその両方を自分の手の届く範囲に留めておける、護っていられる。

 たとえその外側の自分がどうなろうとも。

「いざという時の為に専用機が欲しかった、というのもあるわ。代表になるのは難しくなかったし」

 国家代表になって見せるという最高の自己存在証明。それでも現政権が更職に振り向く事は無かった。

「ですがそれではお嬢様が」

「いいのよ私は。楯無(とうしゅ)だから。でもそのいざという時が来てしまって、こうも足手まといになっちゃうなんてね」

「……お嬢様」

「現政権によって今、更職はその機能を失っている。でも連中は更職だけを潰せたとしていい気になっている。他が居る事に気付きはしない」

 護れたのだ、()()は。

「更職は本当に潰れるでしょうね、でも布仏は、布仏が残っていてくれれば。

 布仏さえ無事ならこの国の有事には対処する事が出来る。こうしてね」

 裏の中にも表がある。今こそその時だと。裏の中で裏返る時が今なのだと。

「さあ見せて虚ちゃん。その大砲で、あのむかつく連中をぶっ飛ばして頂戴」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不明機があからさまに距離を取り始めた。漸くと言ってもいい。静穂も休憩が欲しい、酸素が足りず体力の底が見えている。

 だが走る。揺さぶりが掛かる。

 時代劇のように並走。屋上の縁に足をかけ幅2メートル先の屋上に飛び移り、その先で接触。

 剣戟の如く打撃戦が続く。これまで何合打ち合わせてきたか定かでない。鉤爪と金属バット。火花が散り、静穂は肩で息をして、擦り剥いた額の包帯に血が滲む。

 だからか不明機の攻め手が()まない。右腕一本の大振りを繰り返す。隙が大きいが速い。受け流すので精一杯。

 弾ききれずに受け止めると同時、制服のロングスカートが裂けた。

 胸に膝がつく程の前蹴り。徹底した頭部狙い。

 静穂の(ラビット)が的確に不明機の顎を叩き上げ、それでも不明機が鉤爪を横に振るう。

 静穂の上半身が消失するように下へ。腰まで伸びた髪の毛先数センチを切るに留まり、手痛い反撃が不明機に襲い掛かる。即ちフルスイング。

 静穂がたたらを踏んで後退する。静穂はもう肩でする息を隠せず、対して不明機は即座に立ち上がろうとして、

 

 

 ――崩れ落ちた。立ち上がろうと床に突き立てた鉤爪が震えている。

 それを見て思わず声に出てしまった。

「……やっと、っ、効いてきた、かぁ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事はありません」

「虚ちゃん?」

「貴女が諦めようと、その役目を託そうとしても、布仏は布仏です。更職にはなれません」

 虚は断言できる。布仏は更職にはなれないと。

 彼女の選択を、決意を、その全てを否定するつもりはない。布仏の家としての能力だけを見れば十分更職のお役目を担う事は可能だろう。しかし当の虚は頭首御付で学園の3年主席ではあれど、楯無のように国家代表でもないし、専用機も持っていない。いやそもそもがそういう話ではないのだ。

 

 

 ――なりたくない、ありえない――

 

 

 代わりが勤まる勤まらないの話ではない。お役目の、存在の否定などでもない。これは主義の問題だ。

 先刻の汀 静穂にも言った事だ、更識のサポートをするのが布仏。それ以上になれたとしても、それをしてはもう布仏ではない。更職に似た何かだ。

 それを楯無は虚に対し、更職を捨て、布仏だけで生きろと、現政権にその存在を隠し、来るべき時まで生きながらえよと言うのだ、今の主君を捨ててでも。たかが主君が代替わりして見捨てられたというだけで。

 楯無の苦労は誰よりも身近に感じていたし、今こうしてその内情も知り得て尚、楯無一人に追い詰めさせた自分を恥じるのは後だ、虚はその忠義、主義を確かにし、そして歴代の党首御付もそう言うだろうという言葉を、この際だ、この心が揺らいでいる可愛らしい主の励ましに使ってしまおうと決心する。

「布仏は更職の代わりになろうなどと考えた事は、たった一度としてありません。更職即ち布仏。更職が滅ぶというのなら布仏も共に滅びましょう」

「――――」あっけに取られた表情の楯無が、「で、でも、それじゃあこの国は?」

「私達が滅んだからこの国が滅んだ、というならそれまでだったという事です。

 寧ろ丁度いいではありませんか。お嬢様の下準備に甘えて、皆でロシアに行きましょう。ロシアの甘味が私、いずれ食べてみたいと常々思っておりました」

 意外とあちらで再就職となるかもしれませんし、と虚は年不相応な大人の微笑を浮かべてみせる。

「……虚ちゃん」

「それに私一人ではここまで来れませんでした。汀 静穂という要人保護プログラム対象者、国の守人たる我々が守るべき相手を今もこうして危険に曝して漸くここに立っています。お嬢様と似たようなものです、同じですね。

 更に言えば私、一人ではこの大砲を撃てません」

「撃てないの!?」

「充填が遅いのです。もう一機、ISコアがもう一つ充填に加わってくれないといつまで経っても撃てませんし、実際にあの艦を落とせるかどうかも不明です」

 だから、と。

「今までお一人で抱えさせてしまいまして申し訳ありません。どんなに苦しかったか図りきれません。ですがどうか、今ばかりはお力添えを、()()()

 更職の頭首ではなく、自らの仕えるたった一人の少女の力でいいのだと。

 対して楯無の返答は、虚を満足させるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『みんな聞こえる!? いまから虚ちゃんが大砲をぶっ放すわ! 対ショック姿勢用意!』

『生徒会長!? でも充填にはまだ時間掛かるんじゃ』

『コア自体はピンピンしてたから二機同時に充填すればこの通りよ! ――静穂()()聞こえる!?』

「……、はい、っ」

『上は任せて生き残りなさい! すぐ助けに行くから! いいわね!?』

「…………はい、大丈夫です」

 貴女を助けに来たのですが、とは酸欠で言えなかった。助けてほしいとも言えなかった。妙に吹っ切れたような声色に水を差すような真似は出来なかったし、自分で支援を断った建前、今更頼みこむなど出来はしない。こんな姿格好だが自分は男だったと、全く妙なところでそれを自覚する。それにしても“くん呼び”はやめてほしい。バレるから、バレたらまずいから、いろいろと。

 それに最初に軽く指示を出しただけで皆はその通りに動いてくれているし、いや第一にこちらはもう勝てるのだ、支援など要らないところまで上り詰めている。

 後は自分の体力と機体(ラビット)の耐久力が何処まで保つか。

(っと)

 立ち上がった不明機がよたよたとこちらに向かってくる。対して静穂はバットの大上段で迎え撃つ。

 振り下ろす。なんと難なく受け止められる。

 拡張領域の発光、不明機が左手にも装甲を展開。鉤爪が曇天の下で黒曜石の如く艶かしい光沢を魅せ、

 

 

――鉤爪が静穂の胸を薙いだ――

 

 

 傷は無い、三角巾をやられたのみ。黒曜石の光沢を引き剥がすようにバットを振るう。不明機は大きくスウェーバック。

 不明機の手の中にある()()を見て戦慄する。

(しまっ――)

 急ぎ追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()ぇ――――っ!!」

 楯無の大喝一声に応じ、山頂から対殻狙撃砲(バリアバスター)はその長大な砲身から火を吹いた。

 専用のアイゼンをして尚後方へ引き摺り出す反動を持ち、その弾道は目で追うよりも速く大空に浮かぶ四隻の内、端の一隻の下腹部に命中。一泊置いて爆発を引き起こす。その爆煙たるや地上からでは着弾した艦の容貌を覆い隠す程であった。

 楯無が通信を入れる。「上空、どう!?」

『シュトロ班ルイス。煙が晴れてきた、――!?』

「どうしたの!?」

『健在! 目標は依然飛行中! 高度も下がっていない!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頭上では戦艦の脇腹が火を噴いている。

 あの注射器の中身は麻酔だったのだと、そう()()が気付くにはしばしの時間が掛かった。

 力が入らない。いや入っているのだがその焦点が合わず結果に結びつかない。ふらつく足は地に着く度に足首を捻りそうになる。

 最初の接触時首元に激痛が走った。その時首元に残った無針注射器。その中身が自分に注入された時点で早急に事を運ぶべきだったのだ。

 酷く不愉快だった。何に? 肩で息するこの半死人と、それにまんまと踊らされ這い蹲らされる自分にだ。

 最初はまるで自分が不死身になったかのような全能感を覚えていた。何しろ半死人の打撃に自分はまるで痛みを感じなかったからだ。どれだけ受けても、どれだけ被っても、まるで対岸の火事、視界を滅茶苦茶にされるだけで意味がないように取れた。

 ISの恩恵だと誤認していたのだ。半死人(ヤツ)は人間で、自分はISに乗っている。IS由来の攻撃でなければISが傷つく事はない。この場限り、この相手に限り自分は全能なのだと。

 それが段々と焦りが出てきた。半死人(ヤツ)にこちらの手が届かない。受け、弾き、逸らし、避ける。苛立ちで次第に大振りとなり、尚更当たらなくなる。

 何故当たらないのか、這い蹲らされ意識が朦朧とした状態で漸く気付く。

 

 

 ――麻酔の麻痺による大振りの誘発、徹底した頭部、三半規管狙い――

 

 

 不愉快だ、実に不愉快だ。もう何に対して不愉快なのか定かに出来ないほど不愉快だ。

 なぜ自分がここに居るのかも、何をしなくてはならないのかも。

 いやもう不愉快という感情ではないのかもしれない。だとすれば憤怒だろう。

 怒り狂っていると同時、しかして()()は安堵する。

 もう面倒だ、相手にしたくない。これ以上踊らされるのはまっぴらだ。

 現にこうして目的は果した。上では仲間連中が危機に陥っているがどうでも良い。今はとにかく半死人(ヤツ)から離れたい。近づきたくない。

 幾度か屋上を飛び移り、片側2車線4本と一際離れたビルへの跳躍。ISの無い半死人(ヤツ)に飛び越せる筈がない。

 後はこの円筒形の()()を抱えて合流地点まで逃げ切れば――

 

 

 ――円筒形? と。

 

 

 跳躍の最中、手元を見る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おしるこ。

 

 

「――それも渡せないなぁ」

 戦慄し身を捻り後方を見る。

 今まさに金属バットが振り下ろされようとしていた。

 



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59.それは所詮は茶番のようで ①

 叩きつけられたビルの屋上で、どこかから金切り声のような音が響いている。()()は身体の自由が利かない苦しみに横たわり、耐えながら思案する。

 この感情は何だろうか。半死人(ヤツ)を見ていると湧き出てくるこの感情はなんだろうか。

 今半死人(ヤツ)は背を丸め、肩を揺らして呼吸を繰り返し、乱れた長髪を時々えずいて揺らしている様は半分を通り越して死に近づいている。

 半死人(ヤツ)が少しでも身体を休めようとバットを逆手に持ち替え杖代わりにしようとする。だが上手くいかない。当たり前だ、半死人(ヤツ)の得物である金属バットは人の腰骨を打って今の己の背のように半ばからくの字に折れ曲がっているのだから。

 すると半死人(ヤツ)は折れ曲がった得物をしげしげと眺め、おもむろに屋上の床へ置くとグリップ部分を片足で固定して――

「――のっ」

 もう片方の足で踏みつけ始めた。くの字だった金属バットが次第に真っ直ぐな形に叩き戻されていく。

 否、それだけでは終わらない。裂けてスリットの入ったロングスカートから伸びる足がこれでもかとばかりに振り下ろされ、次第に円筒形だったバットが薄く平らに(なら)されていく。まるで苛ついた女子高生がアイスティーに刺さったストローを噛み潰すかのように。

 金属音が木霊(こだま)する。金切り声も響いてくる。

 そうして出来上がった段平を半死人(ヤツ)が軽く振り、大手を拡げて具合を確かめ、こちらにその長髪、衣服、段平を振って向き直った頃に漸く、()()は立ち上がる事に成功した。

 そして、そうか、と()()は気付く。

 この女、この死人の皮を被った何かは、

 

 

――私をストローのように噛み潰す気だ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは絶望から捻り出される声だった。そして皆の心境を代表するものでもあった。

「そんな……」

 対殻狙撃砲(バリアバスター)を以ってしても墜ちず、艦は尚も空に留まり続けている。艦体の下腹部には直径3メートルはあろう大穴が外側に向けて捲れ上がるように広がり、爆発の煤と熱と溶解した構造材、内部通路と何かの一室であった箇所を曝け出して尚だ。

 悲痛な通信が虚の耳に入って来る。

 

『布仏さんの大砲でも墜ちないなんて』

『やっぱり無理だったの?』

『いやいける! いけるっすよ!』

『アンタ何言ってんの!? あれだけの爆発でなんともないのよ!?』

『傾いて流されてるじゃないっすか! 皆も見たでしょ!? 着弾した瞬間に、ぐわっ! て艦が浮いたの!』

『確かに見たですけど、それがどうし――』

「――勝てるって事よ」

 

「お嬢様?」

 虚は自分の傍らに立つ主、楯無を見た。

 その目は先程までとは違い、いや普段以上に爛々と輝いて見える。

 虚の肩に手を置いて楯無が前に出る。手を貸せば立てるくらいまでは回復したようで、虚は彼女を支えるべくその腰に腕を回した。

 楯無がウインクで礼を言ってくる。いつもの彼女が帰ってきていた。

「みんな聞いて。この勝負、勝てるわ」

『生徒会長!? アンタまでレダみたいな事言って!』

『根拠は? ないなら急いで逃げないと』

『逃げないっすよ私は! 徹底抗戦!』

『レダが残ると自然と私もなんだけど……』

「いいから聞いて、いい? これから皆には私がやった事を力技で遣ってもらうわ。――上から押すの」

 押す? 通信の向こうから疑問が口々に返ってくる。

 対して楯無は不敵に笑って虚に見せる。

「そう、押すのよ」

 楯無が口元で扇子を拡げる。

 そこに記されていたのは『圧迫』の二文字。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『静穂くん聞く暇ある!?』

「――ない!」

 楯無の問いかけを即断して静穂は段平を振るう。

 静穂と不明機の斬り合いは消耗戦の様相を呈していた。互いに攻撃を(かわ)しきる事が叶わなくなり、もう互いにISである事を隠さなくなってきている。不明機の鉤爪を静穂はシールドで受け流し、静穂の段平が不明機の絶対防御を発動させる。それでもまだ人として、人の範疇での戦闘機動に甘んじている、というよりもそこまでの機動が出来る状態ではなかった。

 麻酔の影響か酸素の欠乏か、静穂も不明機も前後不覚、目眩に似た症状が出始めていた。そんな中でこんなにも打ち合っている状態に、更にPIC機動まで加えたらどうなるか。自然、頭から地面に突っ込むという事態が目に浮かぶ。

 ――不明機が動いた。

 何度目かの打擲の後にその向こうから不明機の無造作な左手が静穂のキプス、右の二の腕の箇所を掴みあげ、ギプスの石膏に罅が入る。

 対して静穂は素っ頓狂な声を上げた。

「――へ、何。え?」

 

 

 ――それだけ?

 

 

 段平を手放し何の迷いも無く拳を握り顔面(フルフェイス)に振った。四度目でフルフェイスに罅が入り、手が離れ、不明機が離れたところで静穂は足元の段平を蹴り上げ再度掴む。

 左足を軸に左回転。鉤爪の大振りを強かに段平で返り討つ。左の鉤爪が軒並み砕け散った。

『今から上空班で艦隊を()()()わ! もう十分だから打鉄班の所まで逃げて!』

(聞く余裕ないってのに!)

 ここで不明機が逃げに入る。静穂の持つ(パトロール)ISのコアを持たずにだ。

 逃がせばどうなる。自分だって逃げたい。逃げてもいいと今言われた。

(でも、でも)

 追撃。民間人に襲い掛かられては堪らないとばかりに襲い掛かる。

 飛び蹴りで不明機の背中を急襲しこちらに振り向かせたところで袈裟に斬り逆袈裟で斬り上げ空いた腹にまた前蹴りを入れる。

 後ずさる、追いかける。

どちらも足元がおぼつかず満身創痍。しかして麻酔によってその身体に痛みはなく、片や脳と精神を限界まで揺さぶられ、片や傷病の身が悲鳴を上げている。

 呼吸が上手くいかない。心音が上手く聞こえない。

 敵の攻撃を受けずとも瀕死。息を吸っている筈なのに肺に届いている気がしない。耳奥で爆音のように響いていた自分の心音が今はやけに弱弱しい。

 不明機が背を向け逃げる。後ろから左肩のタックル。共々に重なり倒れこみ、立ち上がれない。段平が手を離れ頭上に滑っていく。

 静穂が状態を起こす。マウントポジション。めったやたらに包帯の拳を振り下ろす。フルフェイスの罅が広がり一部が割れる。

 不明機が拉げた腕部装甲で頭を守る。ガードの上からも更に殴る。

 一瞬、静穂の拳が止まる。目が見えた。不明機を駆る相手の目だ。目を狙って殴る。時折ガードをすり抜け亀裂が広がっていく。

 不意にガードが緩む。鉤爪と指が組み合う。

「ぅぅ、……!」

 今更ながらの力比べ。左手に力を込めていく程に視界を警告(アラート)の赤い画面が埋め尽くす。

「………………!」

 静穂の握力(パワーアシスト)が次第に鉤爪を逆方向に折り曲げ、火花を引き起こし、

 

 

――鉤爪ごとマニピュレーターを握り潰し、引き千切った――

 

 

 ――直後、静穂の頭が横にぶれる。

 不明機が左の腕部装甲を捨て静穂の段平を掴み上げ逆襲。攻守が逆転、滅多打ちに打ち付ける。

『静穂くん!』

 外野がうるさい。

 マウントポジションから立ち退くと、不明機が滅多矢鱈に段平を振り回して立ち上がる。

 ――双方が再度睨み合った。

 静穂の膝が笑う。不明機の持つ段平の切っ先が蝿の軌道の如く揺れている。双方肩で息をして、互いの息遣いは怪獣の嘶きが如く荒々しい。

 繰り返す、痛みはない。麻酔とシールドバリアによって痛覚知覚触覚の麻痺した戦場で、故に互いに自己の状況が分からず、機体の計器群が吐き出す警告音とエラーメッセージで間接的に理解する。

 

 

――危険だと。今この場で仕留めねばならないと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦隊の頭、それぞれの艦の艦橋に華が咲いたように光を放っているのが、山肌の虚からも見て取れる。専用化量産機の推進器が最大出力で火を吹いているのだ。

 何をしているのかと言えば、押している。下に。

 合体ラファールを除く各機がそれぞれ一隻を担当して艦橋に取り付き推進器を吹かす。

 人型サイズの大幅な延長でしかないISの推進器が、何万トンあるか判らない、少なくとも数千トンを優に超える戦艦を空に浮かべる出力に勝てる筈がないと思いきや、

『下がってる。――ホントに下がってるです!』

『高度低下! 高度低下! そんな馬鹿な!?』

『生徒会長! どういう事!?』

 下がっているのだ。少しずつ、だが確実に地表に向けて。

「――簡単よ」

 楯無が扇子を閉じる。

「私は最初レイディのナノマシンで視覚からジャミングをかけ、一隻を山肌に()()させる事に成功した。その艦はその後電磁パルスを放ってはきたけれど再度浮上する事は無く沈黙したまま。

 次いでISコアの奪取に来た所属不明機が一機と付随のドローン群。ドローン群は大量に出てきた事から本来は所属不明機固有の初期装備でないのが判るけれど、重要なのはPISと私のコアを奪取に来たのが一機だけ、それも実際に艦が落ちてからようやく出てきた事」

 このことから導き出される結論を、楯無は扇子を拡げなおして告げる。

 その扇子には『浮力』の二文字。

 

 

「あの所属不明機は艦の操縦者で、連中はたった一機のISでそれぞれの艦体を動かしているのよ。

 

 

 ――あの質量なら内部に増幅機関でも積んでいるでしょうね、けれどたった一機の出力なんて高が知れているし、何万トンもの超重量を浮かすだけでその増幅分は相殺される筈」

 虚が二機分の出力で充填しつつ口を出す。「つまり浮かんでゆっくり進むだけで精一杯だと?」

 ええ。と楯無が頷く。

「――恐らく最初に最大戦速で助走をつけるなどしなければ上げられない、再浮上は出来ないんだと思うわ。その辺は飛行機と似たようなものね。翼は無いけれど」

 飛ぶ事自体は墜ちた電磁パルス艦もまだ可能だろう。実際に破壊した訳ではないのだから。しかし助走をつける為の海はここにはない。

「要するに一機分の推進力でも押し勝てるし落としてしまえば後はこっちのもの、IS五機程度なら数の差で押し返せるわ!」

 ……ホントにできるとは思わなかったけれど、と楯無が呟いたのを、虚は聞かなかった事にする。

 

『このでっかい船が、一機のIS……?』

『戦艦一隻が丸々パッケージ、オートクチュールみたいなものって事!?』

『バカよ! これ考えたやつ大バカよ!』

『ねえ静穂ちゃんは何処!? まだ姿が見えないんだけど!』

『なんか私の押してる艦皆より重くないです?』

『じゃあたった五機でIS学園を相手にしようっていうの……?』

『本当にいける! 見たかテロリスト! これが汀組の力だー!!』

『レダ耳元で叫ばないで!』

『静穂ちゃんは何処!?』

 

「……ホントにうるさいわね」

「お嬢様……」

 楯無が率直な毒を吐くのを他所に、艦隊は降下を続けている。

 だがただやられているだけの馬鹿は居ない。防空担当艦から大量のドローン群が飛翔する。

『うわあやっぱり来た!』

『気持ち悪い!』

『もう少しで地面なのに!』

『露払いは私達でやります! そうだよねレダ!?』

『当然! 皆には指一本触らせない! ――布仏先輩!!』

「――発射!」

 虚の対殻狙撃砲(バリアバスター)が再度発射される。目標は船体ではなくその周囲でうねり取巻くドローン群。

 数百のそれらを風圧で薙ぎ、貫通し、着弾後の爆発で千千(ちぢ)に吹き飛ばし、隊列が乱れたドローン群を合体ラファールの飽和火力が次々に破壊して、艦に取り付いた仲間を守る。

「静穂くんへの連絡は私がやるわ! 皆は目の前に集中して! ――、何?」

「お嬢様?」

 状況は佳境へと突入しようとしていた。その中で楯無が何かに気付く。

 地表へと押し付けられようとしている艦隊の、その旗艦、レールガン搭載艦の様子がおかしい。

「……傾いてる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金切り声を響かせる。

(やらなきゃ)

 静穂が踏み出す。不明機がやや遅れて後ずさる。静穂の一挙手一投足に怯えているようだった。

 まるでこちらが化け物のようだと静穂は思う。罅割れたフルフェイスには、裂け目から覗く相手の目とは別に、自分の顔も少し引き延ばされて映っている。

 酷い顔だった。呼吸で開きっぱなしの口、焦点の定まらない右目、顔の大部分を覆う包帯は緩んで血が滲み汗と埃でぼろぼろにほつれている。静穂の現状を如実に表していた。

 怒っているのか、泣いているのか。どちらともつかぬ酷い顔だ。

(やらなきゃ)

 限界だった。限界も限界、精も根もとうに尽き果てているのかもしれない。でも前に出る。

(やらなきゃ)

 何をだったか思い出せない。前に出る。

(やらなきゃ)

『静穂くん聞いて! 何か様子がおかしいの!』

 もう一歩前に。不明機が後ろに。

『聞こえるなら返事をして! すぐ逃げて!』

 足が上らない。摺り足で進む。雨曝しの屋上に積もった砂埃が舞う。だらりと下がった左腕が揺れる。

『静穂くん!』

 ――不明機が前に出た。

「!」

 虚を突かれる。不明機が段平を振り乱し突っ込んで来る。

 初撃を下がって避け、二撃目を屈んで躱し、三撃目で肩口に受けた。

 ――避けきれない。被弾が増えていく。

「----------!」

 何撃目かの大上段、唐竹割りに手を突き出した。

 段平を握る不明機の手首を掴んで引き寄せフルフェイスに頭突きを叩き込む。

 パワーアシストの出力では静穂(ラビット)が上回っていた。枯れ枝を踏んだような音がして不明機が悶え、不明機の手から段平が零れ落ち右手首に左手をやり静穂の指を剥がそうと躍起になる。

 なんの未練もなく手放す。右手首を押さえ蹲る不明機にサッカーボールキック、蹴り倒す。

「……、……、……」

 規則正しく荒い呼吸。傍らに落ちた段平をやっとこさ持ち上げる。

(シールド残量低下、ダメージ進度危険域、パワーアシスト機能不全、生命保護機能停止、……右腕全潰)

 自己修復が間に合わない。いや最初から働いていたかどうかすら怪しい。

 右腕はもう捨てるより他はないようだ。

(…………。……)

 最初から期待などしてはなかったが、それでもやはり未練があったのだろうか。自己の弱さの証明として、十字架のように引き摺っていけという事だろうか。

(……やらなきゃ)

 思考を切り替えていく。今はこの不明機に対応しなくてはならない。

 段平を引き摺っていく。横たわる不明機の顔をまだ覆うフルフェイス、その隙間から覗く目が、怯えた涙を浮かべている。

 振り上げて、振り下ろす。また振り上げて、また振り下ろす。

 金切り声を響かせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほら言った! 私の言った通りですよ!』

『言ってる暇があったらもっと噴かしなさいよ!!』

『合体したラファールの推力を足せばいける!!』

『ドローンが残ってるでしょ! 皆を無防備にはできないよ!』

『生徒会長! どうするの!?』

 通信では上空班の五機が思い思いに喚き散らしている。こちらの思うがままに高度を下げる事に成功していた筈の汀組だが、一隻こちらの()()に従わない艦があった。

 

 

――艦隊旗艦。レールガン搭載戦艦――

 

 

 他の艦が地表に届くかという中でこの一隻がさほど高度も下がらず頭一つ以上抜けた状態で浮かんだまま、更に言えば次第にその船体が傾きを強くしているのだ。それこそ本来の居場所でなら転覆しそうな程のバレルロールを見せている。

「どうもしないわ作戦続行よ! レイラさん!」

『なんです!?』

「対ショック姿勢! ――虚ちゃん!」

「発射!」

 虚が対殻狙撃砲(バリアバスター)を旗艦に向けて発射。数多のドローンを誘爆させて艦尾に着弾し、続けて爆発を引き起こす。

「他の三隻はそのまま続けて! その一隻は大砲で粉々にするわ!」

『私が! 私がいるですがー!?』

「レイラさんは砲弾がエネルギー増幅装置を壊すまで持ちこたえて! それさえ破壊すれば押し込める筈!」

『今粉々にするって言ったのに!?』

 通信を切る。

「重心移動、あるいは荷重の受け流しでしょうか」虚が次弾の準備をしつつ聞いてくる。

「違うと思う。あっちが受け流すならこっちは押す場所を変えるまでの話よ」

 何か意味があるのだ、あの長大な旗艦が転覆させかねない程に自身を傾ける訳が。

 良く考えたら判る事だった。本来なら海の大質量がブレーキにならなければ撃つ事叶わない筈の反動を持つ大砲を、あの旗艦はIS学園へ向け既に撃っていたという事実がある。それだけの出力と馬力を持つPIC。この場の全員でも何とかできるかどうか。

「お嬢様、移動します」

「っ、お願い」

 楯無が言うと虚は対殻狙撃砲(バリアバスター)を折り畳み楯無を恭しく抱え上げ移動に掛かる。

 狙撃手の基本の一つ、撃った箇所からはすぐさま移動を開始する。自身が狙われるのを防ぐ為だ。現状のレイディは飛べない。EMPによってISの自己修復機能からズタズタに破壊されており、修理には本国(ロシア)にまで戻るより他無いだろう。よって今レイディはエネルギー供給機関と生命保護機能以外は役に立たず、こうして移動する際も虚に文字通りおんぶに抱っこという有り様なのだが、

「いつこちらにドローンが来るとも限りません。次はもう少し場所を考えませんと。撃ち易い所があればいいのですが」

「そうね。もっと撃ち易い、――――――それよ!」

「お嬢様?」

 急ぎ通信を入れる。相手は――

「静穂くん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お願い聞いて! 静穂くん!』

 楯無がうるさい。通信を切ればいいのだがその一動作すらも煩わしい。

 それにしてもよくもまあこれだけ打ち込んだものだ、などと思いつつスナップ、寝たまま蹲る不明機の横っ面を段平で引っ叩く。でもフルフェイスはなかなか割りきれないなぁと思いつつもう一度。後は何があったっけ と悩みながらももう一度。

 そういえばこのバットだったものは打鉄の装甲と同じ素材って触込みだったなぁなどと雑念に囚われつつ更に叩く。

『いい加減に返事をしなさいよこの! バラすわよ、いいの!?』

 バラすとはなんだろうかと叩く。今更汀組内での隠し事など殆ど無いと叩く。精々が淡い恋愛感情を個別に相談されたくらいだと叩いて、というかそう言われてはいそうですかと返事をすれば隠し事をしていると打ち明けてしまう事になるのだがとストンピング。何か重大な事柄を忘れている気がするがさらに叩く。

(もう嫌だ、もう……)

 何にか。幾度と叩いても機能が停止しないこの不明機か、聞く暇はないと言っても叫ぶように物を伝えてくる楯無にか。

 それとも思うように動かず治らず心臓が弱弱しく悲鳴を上げ続ける自分の身体にか。

(……やらなきゃ)

『旗艦が落ちないの、傾いてる! 俯角を取ろうとしてるの!』

 それが何だというのか。

『レールガンを街に向けて撃つつもりよ! 連中にとって状況が芳しくないから何もかも全部吹き飛ばそうとしている!』

 不明機がすがりついてくる。肘で頭を叩き、膝蹴りで胸を打ち、段平を持ったままの手で引き剥がしに掛かる。

『味方も何もないわ、全部よ! 私達が守ろうとした人達も、味方の艦隊も全部!』

 不明機から何か呟きが聞こえてくる。フルフェイスの密閉が破れ、声が聞こえてくる。

「……?」

 

 

――お母さん(la mère)――

 

 

 …………何かが崩れる音がした。

「なに、それ……?」

 口角が引き攣り、段平を叩きつける。力が一際大きくなり、防ぐ不明機の右前腕部が折れ曲がる。叫び声も無視して叩き続け、遂には段平までもが拉げてしまった。

 段平だったものをかなぐり捨て後腰部のホルスターから大型拳銃を引き出す。力を入れすぎて揺れる銃口の先で不明機は折れた腕で頭を抱え震えている。

 それはまるで幼子のようで、

「……今更になって泣き言を言うな」

 まるで、それでは、

 

 

「わたしが悪いみたいじゃないか!!」

 

 

『逃げて!』

「うるさい!! っ!?」

 異音を感じ上を見る。甲板に乗った長大な砲身が直下、眼下の町へと狙いをさだめていた。

 砲身が青の稲光を纏いその内部を発光させる。

 砲口の内部、砲弾と目が合った。

 呆然と呟く。「――しまった、熱中しすぎた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――静穂が銃口を天に向けると同時、戦艦の主砲が放たれた。

 一瞬だが音速を超えた着弾により街が、砲弾が超えた音速の壁に艦が、ISが、不明機が、そして静穂が吹き飛ばされていく――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――筈だった。

『さすがに止めたよ? しーぴょん』

「それは、どうも…………しーぴょん?」



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60.それは所詮は茶番のようで ②

 住民の避難は速やかだったと言える。暴動らしい暴動もなく、女子供、老人を率先して進ませるという住民の民度の高さが理性的行動を促したからだ。

 そしてそれを行わせる一因にIS、永富と重冨が駆る打鉄の存在があった。

 人が暴徒と化すのは感情が抑えきれず暴発した結果である。その感情とは怒り、恐怖、絶望からの自棄。他にも快楽などがあるにはあるが、それらは個人の資質に関係する場合が多く、暴徒と呼べるかは怪しい所だ。

 とにかくこの街からの避難民に暴徒と化す住民は居らず、その理由がこれである。

「来るよ重子(しげこ)!」

「うん! (なが)ちゃん!」

 眼前には砲弾が放たれた結果が襲い掛かろうとしていた。着弾時の衝撃波。普段は不可視のそれが乗用車をひっくり返し、砂塵を纏い、窓ガラスを粉々に砕いて孕み、乗用車すら宙に浮かせ突風のように可視化して避難民の元へ一枚岩のように迫る。

 永富と重冨が移動する。上に重冨、下に永富。一時移行した打鉄の新初期装備を起動させた。

 両肩の肩部非固定部位(アンロック・ユニット)、大型防盾がくるりと裏返り指向性シールドバリア拡散装置を露出させる。

「バリア展開! 範囲最大!」

 バリア拡散装置が唸りを上げ、打鉄のシールドバリアを自己を包む球状から後部を守る板状へ変形させ、広げていく。

 そうして二機のシールドバリアが片側2車線の道路を端から端、ビルの屋上から屋上まで広げきった時、衝撃の壁とバリアの壁が衝突した。

「う! ……っく!」

「きゃぁぁあああ!」

 バリアが震え、永富が堪え、重冨が叫ぶ。

 両打鉄の、一方は全力で踏ん張り、一方は推進器を最大で噴かす。後方では住民が頭を押さえ身を屈めている。

「踏ん張って!」

「やってるよお!」

 永富の脚部装甲がアスファルトに沈み、重冨の推進器が噴射炎を増す。

 砂塵をせき止めバウンドする乗用車を弾き返し嵐のような衝撃波を真正面から受け止める。――やがて衝撃波を完全に抑え込んだ時、住民から歓声が沸き起こった。永富の頭上では重冨が歓喜に打ち震えている。が、その時、永富の中には守り切ったという感情は存在しなかった。

「――汀さんは?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いやー失敗失敗』

「!?」

 苦しかった筈の呼吸も忘れ、茫然とした表情から静穂は肩を震わせた。

 自分が死んだと思ったのか、単に集中の糸が切れたのか。半ば気を失いかけ呆けていた状態から静穂は、たった一言で現状に引き戻された。砲弾の着弾にすべてを掻き消され吹き飛ばされ、自分もそうなるであっただろう筈なのに、どういう訳か自分は今瓦礫の中に出来た空洞の中にいて、声の主に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この新たな所属不明機は静穂を抱えて腰半ばまで瓦礫に埋まっているのだが、腕の大きさから類推して全体長は従来のISを優に勝っている。すぐ傍ではレールガンの砲弾が屹立している。どうやら砲弾は静穂のいたビルを竹輪のように打ち抜いたらしい。何をどうしたらこうなるのか。それにしてもこの、またしてもISだろう新しい所属不明機は一体どこから――

『静穂くん大丈夫!?』遠い所から楯無の通信が響く。『静穂くん!』

 無事を伝えようとしてふと気づく。インカムがない、落とした。

 麻酔でいよいよ重くなった身体を捩り首を回し、つい先程まで自分のいた空間から射す光を当てにしてインカムを探す。長大な砲弾と柱だった鉄筋コンクリート塊が邪魔だ。端では自分が戦っていた方の不明機が瓦礫の上に洗濯物を干すが如く打ち上げられている。見渡せる限りでインカムはない。

『さすがに自重だけでビルを貫いちゃうかー。改良の余地アリアリだねしーぴょん!』

「へ? あ、はい、そうですかね、はい……」

 ビルも守るつもりだったのかとか何を改良するのだろうかとか、いやそれよりもだ、この機体を駆るのは誰だろうか。スピーカー越しの声色は歌声のように心地良く、自分を“しーぴょん”と呼ぶ声。本当に誰だろう、どこかでそのように呼ばれたような。何処だったか。誰だったか。

『――さすがに止めたよ? しーぴょん』

「それは、どうも…………しーぴょん?」

 そう! しーぴょん! と、新たな不明機は静穂を抱えたまま空いた方の巨腕で天を仰いでみせる。

『んもうノリが悪いぞしーぴょん! こういう時は「イエーイ束さんイエーイ!」みたいに喜ぶところなのだ!』

「い、いぇーい束さんいぇーい……こうですか」

『オッケェイ!!』

(よくわっかんない何!?)

 無骨な外見(IS)から垂れ流される頓狂な口調に、静穂は警戒のケの字すらさせてもらえない。

 だがそれでも判明した事柄がある。

「束さん?」

『なにかなしーぴょん?』

「束さん」

『……しーぴょん?』

「…………あれぇー?」

『これ覚えてないやつだねしーぴょん!?』

 そうきたかー! と声の主が声色とは裏腹に消沈する。それでも覚えがないのだから仕方ない。

 だからこうして思い出そうと瀕死ながらも必死なのだ。束、束、どこかで見たような聞いたような――と、

(あ、)

「箒ちゃんのお姉さん?」

『――その答えは満点だよ、しーぴょん』

 天災でもなく、ISの母でもなく。ただ友人の姉として思い出した。

 そして漸く(そうか、この人が)と前者を意識する。

 ISコアの生みの親、世界中が目を皿のようにして捜索しても尚見つけらず、発明品(IS)は未だその全容が解明されていない程の天才にして、唯一の友人はおろか実の妹ですら「何を考えているか判らない」と口を揃える程の奇人。

 なるほどこの人ならばISの一機や二機など自由に扱えるだろうしあの砲撃(レールガン)も難なく押さえ込んでしまえるだろうと同時、何故だろうかと首を傾げる。

「束さん束さん」

『今度こそ何かなしーぴょん?』

「なんで助けてくれたんです?」

 そう、何故自分を助けたのかが分からない。

 関係がないのだ。静穂と、束は、一見して。

 以前、何とはなしに箒が口走った事がある。それを静穂は思い出した。

 

 

――姉さん()は人を人と思わない時がある――

 

 

 勿論実の妹や友人、その弟は除外されるが、その他には滅法の辛辣、いや、興味を示さず路傍の石を見るかのようだと箒は言っていた。唯一の友人の並々ならぬ努力でコミュニケーションを取らせるまでにその態度は緩和されているが静穂にそれを知る由はない。

 繰り返すが静穂と束、直接の面識もなければ縁故もない。

 だのに何故、彼女は路傍の石を拾い上げたのか。

(投げる為かな)

 だとしたらその相手か目標がある筈だが何の意味もなく気分で放り投げるという可能性も捨てきれない。実際に投げられる訳ではないだろうが、生みの親が直接生み出したであろう機体の腕の中で静穂は身を少し強張らせた。

『もう少ししーぴょんの悪役(ヒール)プレイを見ていても良かったんだけどね、ストンピングとか良かったよ? でもでも事態がそうも言ってられなくなっちゃった』

「はぁ、どうも」

 意外と好評だった、のだろうか。やっていた時は無我夢中だったが。

(結局は悪役かぁ)

『ちょっとしーぴょんとラビットが必要になったのさ。いっくんと箒ちゃんが危なくてね』

「箒ちゃんと、いっくん?」

『だからしーぴょんが死んじゃうような真似をされるのはさすがに止めた訳だよ。なんで豆鉄砲で勝負できると思っちゃったかなしーぴょんは』

 なにが“だから”なのかわからない。それにしても豆鉄砲ときた、その単語は静穂に少しの反抗心を芽生えさせる。

「直撃さえ避けられたらシールドでなんとか生き残れるかと思ったんですが」

『いや弾道も変わらないから、扇風機の風に息を吹きかけるのとおなじだから』

「いやいけましたって多分」

『いーけーまーせーんー』

「わたしはこの銃を信じますよ、えぇ信じますともさ」

『そんな豆鉄砲よりラビットを信じようよ! 今回もそうだけどどうしてそんな頑なに使おうとしないのかな!?』

「使おうにも壊れてるし……」

『壊れてる?』

 ちょっとそのまま、と束はISの腕をこちらに向けてくる。「はい動かないでー」と言われその通りにすると、一節だけで握り拳はある指先が静穂の顎の下、首元に触れた。

 ほんの数瞬の後、『なんてこった』という声がISから漏れる。

()()()()()()()()()()()

「…………」

 

 

()()()()()()()()()()()()しーぴょん(ラビット)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『永富! 汀がどうしたのよ!』

『まだこっちに来てない!』

『嘘!?』

『そんな!?』

『じゃあリーダーは――』

『今ので吹っ飛んじゃったですか!?』

『いや! 嫌あ!!』

 

 ――状況は最悪だった。砲声が轟いた後の上空、着弾時の衝撃波は艦隊に張り付いた汀組にとって然程大した影響を齎さなかったが、士気はどん底まで落ち込み、艦隊を押し込む手を止めさせていた。

 すべてはたった一人と連絡が取れないが為だ。汀 静穂。そのたった一人の為に全体の作戦指揮が乱れに乱れている。

 迂闊だったのではない、計算できなかった。ここまで静穂が徹底してこちらの命令を聞かず、あの負傷で不明機を打ち負かし、追撃し、艦隊の主砲を使わせる程に打ちのめすなど、楯無にも虚にも、誰が計算できようか。

 汀組はもう戦力として機能しないだろう。各自が思い思いに静穂を呼び、上空から探している。まともなのは背中に住民を守る打鉄班だけか。これでは作戦も何もない。艦隊を落とそうにもその足元のどこに静穂がいるか分かったものではなく、原型を留めていたとしてその亡骸を、彼を柱と据える汀組にむざむざと潰させる訳にはいかないだろう。

「――みんな聞いて」と楯無。

『生徒会長?』

『こんな時に何よ!?』

「こんな時だからよ。聞いて。今から私が汀さんを探す。見つけるまでは空にいて連中を抑えてほしいの」

『だったら私達も――』

「駄目。みんなが空にいないと安心して探せない。少しでも上空にいる数が減ったら連中にチャンスを与えることになるわ。静穂くんが()()()()()になって不安なのは分かる。私も不安よ、だから今抜けても影響のない私が探しに行くの。インカムは繋がってる、絶対に見つけて見せるから」

 お願い、と最後に言い切って、楯無は強引に通信を切る。

「お嬢様」

「……行くわ、もう十分休めたし」

「ですが」

 聞くが早いか楯無はさっさと機体(レイディ)を待機状態に戻す。

「危険です。レイディはまだ、それにお嬢様も万全では」

「飛べないわね。まだ痛いわ。でもそれは静穂くんだって同じだったんじゃない?」

 ……違うわね、と楯無は首を振る。

「ごめんなさい、虚ちゃん。貴女に当たっても仕方ないのに」

「私が代わりに行きます、お嬢様は狙撃を」

「私に貴女の専用機に乗れっていうの?」

 言われて虚は目を見開いた。そうだ、この機体は自分の専用機、初期化と最適化を完了させ、自分以外は扱えない。

 楯無は笑顔を作り、

「専用機持ちの責任と()()ね。じゃあ、行ってきます」

 

 

 ……完治などとはとても言えないまでも楯無は、虚を振り切るかのように木々を抜け緑の山肌を駆ける。山肌を健常者でも出せないような速度で下りながら、他に次善の策は無かったのだろうかと後悔の念に苛まれていた。事後の対応にしてもそう、虚の気遣いにしてもそう、楯無は今回この国に仕える暗部としてこの場に居ながらも二人、二人も犠牲者を出してしまっていた。

 一人は(パトロール)IS搭乗者。そしてもう一人を今、その亡骸を迎えに行こうとしている。

(死んでいるとみなすのは早計かしら)

 だが砲撃の直撃を受けて五体が残っているとは思えない。未だ空に浮かぶ艦船がISの超大型パッケージだったとして、その大砲もまたIS由来の攻撃である。虚の言う通り彼が専用機持ちだったとしても、想像が変わる事はない。

(…………)

 PISは自分の所為ではないと思いたい。だが彼は、彼だけは、

(……ごめんなさい)

 自分は最低な事をしようとしている。彼が専用機持ちだというのならば、今こそ連中はそれを狙ってくる筈だ。

 連中よりも先に彼の亡骸を探し出し、最悪、ISコアだけでも回収しなければならない。

(ごめんなさい)

 今自分はどんな顔をしているのだろうか。どんな顔をして、彼と対面すれば良いのだろうか。

 汀組は彼が生きていると信じているだろう。だがそう仕向けておいて自分はどうだ、信じきれないでいる。

 ――町の全体が見える位置まで進んできた。埃の舞う、さながら小規模の爆心地が如く建物が崩れた中で、一棟のビルが辛うじて原型を留めていた。上部は崩れ、窓ガラスは全て吹き飛び、それでも周囲と違うのは、外観を損ないながらも外壁を維持し尚も建ち続けている事だ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()

(あそこにいる? そんなまさか)

 ISが、彼の専用機が彼を守り切ったというのか。

 待機状態のレイディに、怒鳴りつけるように何十度目かの名前を呼ぶ。

「静穂くん!」

『――……もう……』

「!」

 口元を押さえる。目頭が熱い。レイディから届く彼の声は雑音が多く声量も弱い。自分はこんなにも弱かったかと心配になる。

「待ってて! すぐ行くから!」

 駆け出す。爆心地に建つ彼の処へ。

『――なん、なり』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ラビットはしーぴょんの命を繋ぐ為に肉体の損傷部分と機体とを置換して融合、ズタズタになった精神はISコアに移し替える事で補完、修復した』

 本来ならそれで良かった筈だ。彼は真に一次移行を完了し、その身を大空に羽ばたかせる事を可とする筈だった。――だがしかし、

『だけどそれは間違っていた?』

 洗脳されていた頃の記憶を、過去を、消去する事で無かった事にしたラビットの選択は、一人の少年のこれからを救うには正しい選択だった。だがそれは間違いでもあったのと。

『まるでダウンロードコンテンツだけじゃあゲーム本体は動かせないようなものか。――ちょっと違う? 自動アップデートでサーバー接続をしようにもサーバー側にエラーが出ちゃうんじゃいくら待ってもアップデートは終わらない、みたいな?』

「……もうちょっと例え方なんとかなりません?」

『じゃあこうだ、蜥蜴の絵を描けって言ったのに「良かれと思って蛇にしました!」って満面の笑みで出してきた、みたいな!』

「蛇足ですか」

 思わずツッコむ。

『――中二病みたいだけど、汀 静穂(しーぴょん)ってのはIS学園に入ってから始まった一人格な訳でしょ。ラビットは洗脳処置の期間・記憶を切り取ってしーぴょんの近時数か月とそれ以前の記憶(もの)を残して無理に繋げ、空白の記憶を俯瞰情報で穴埋めしてしーぴょんの心を保全しようとした。でもその切り取った時間、記憶もしーぴょんがしーぴょんたる構成に必要なものだった訳か』

 だから幾ら経ってもラビットの望む結果、一次移行が終わらないのかと。

 いくら最善であろうとも、必要条件を満たしていない、足りなければ目的を果たす事は叶わない。必要な事ではあったが十分とは言えず、ラビットの仕事はそれだけでは足りなかったという事か。

 ラビットの、ひいては義姉の望む静穂(じぶん)とは異なっていると。

『普段の生活くらいにしか使えなかったのは当然だね、束さんが気まぐれに作った生命維持用のセーフモードでしか動かせなかったんだから』

「織斑先生に使えと言われない限りは使わずにいたかったですねぇ」

『仕方ないよちーちゃん怖いもん、ねー』

 ねー、と、完全に身体を巨腕に預け、静穂は肯定する。

「――使いたくなかったのには、ちゃんと理由があったんですよ?」

 

 

『……たくなか、たのには、――んと理由があ――んです』

「理由……?」

 駆ける最中、レイディが彼の声を拾ってくる。ビルに近づく程通信状況が改善されてきた。やはりあそこに彼はいる。

『更識さん! この声!』汀組の面々がその声を楯無経由で確認、代表するかのように永富が投げかけてくる。

「ええ! 生きてる!」

 楯無がそう断言すると、通信が俄かに活気づく。それを良しとも考えらえるが、今は作戦を進める為に諌めるより外はない。

「静穂くんの場所は分かった! 皆は艦を落として!」

『落していいですか!?』

「静穂くんの居場所は旗艦の下よ! それ以外なら落としても問題ないわ!」山の裾を超え、瓦礫混じりの街へ入っていく。「私はもう少しで着くから!」

『まずは外堀、汀を拾ってその後旗艦って事ね!』

『五機分のパワーなら負けはないっすよ!』

『更識さん! もうすぐ避難終わるけど打鉄班(わたしたち)は!?』

「そのまま待機して! 落した敵が市民(そっち)に向かうかもしれない!」

『っ……』

 

 

「……了解」

 と言ったものの、永富はどこか寂寥感、焦燥感のようなものを胸に抱いていた。

 ISではない生徒会長の足では遅いと考えているのかもしれないし、静穂の生存が嬉しくない筈もない。だのに何故か、そこはかとない不快感を感じている。

(何よ、これ、この感じ)

 打鉄のハイパーセンサーには楯無経由でぶつ切りになった静穂の()()が聞こえてくる。それが原因かと最初は思ったが、そうではない、否、それは一因にすぎないのだと自分の中の何かが言っている。

 ……だがその考えを晴らすように、相棒の重冨が話しかけてくる。

 彼女は、そんな事をしても意味もないのに、耳に手を当て通信を聞こうと必死になっていた。

「ねえ、永ちゃん」その声色は何かに脅えていて、

「……なによ」

「私達、行かなきゃいけない気がする」

 いきなり何を言い出すのか。生徒会長は自分たちに市民を守れと言ったのだ。ここを離れてどうしろと。

「静穂ちゃんの言葉なんだけど」

「言葉が何よ」

 ついに重冨は嗚咽と共にえづきだした。「辞世の句? 最期の言葉にしか聞こえなくて……!」

「最期?」

 言われて永富はセンサーに耳を傾ける。中継の楯無が近づく程、静穂の声はなんとか聞こえる程度になってきた。

『――専用機なんて、わたしは、――要らな……た』

「っ」

 思わず衝撃波の来た方向を見た。

 

 

 

 

 

 

「ラビットはお姉ちゃんの専用機です。それは多分、これから先も変わらないと思います。それがわたしのものになる一次移行っていうのは、正直、嫌でした」

『……勿体ないと思っちゃった?』

「それもあります。けれど、とにかく嫌だったんです。何か大切なものが壊れてしまう気がして。――その何かを覚えてはいないけれど」

 言わば形見分けの特別な品だろうか。使っていくうちに次第に手に馴染んでいって思い出と共に変化していくべきものが、突如として只の日用品に変わってしまったら、次第に変化していくべきものが、突如として当たり前になってしまったら。

「だから一次移行が途中で止まった時、なんだか安心しました」

 これ以上は進まないのだと。大切な何か(ラビット)は消去されないのだと。

「どういう訳かいつの間にか、汀組なんて括りが出来上がっていて、その中で専用機を持っていたらどうするか、なんて話になって」

『しーぴょんはなんて言ったの?』

「……その時言ったんです。いらないって。専用機なんて、わたしはいらないって、言ったんです。

 

 

 ――だって専用機って、思い出を消しちゃうじゃないですか」

 

 

 ――静穂にとって、専用機とはそういうものだった。

 愛すべき義姉の機体、その機体が自己のそれまでを消去(なかったことに)して、自分だけのものにしてしまう。それが静穂は嫌だった。

「だって、ねぇ? 汀組っていう集まりは練習機で実績を出す集団って話で、私がリーダーなんて祭り上げられて、そのリーダーが専用機が欲しいなんて、本当に欲しくても言えないでしょう。――なんでか皆に抱き着かれましたけど。痛いんですよあれ、麻酔がないと」

 あの日から麻酔の量が増えたなぁ、と静穂は、ふへ、と笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今回、汀組に専用機を持たせ、のは、言っちゃ――ばガス抜きで』

「……何これ」

 何を独りで呟いているのか。永富は鮮明になってきた静穂の独白を聴きながら、何度もそう呟いていた。

 何時しか自分も耳に手を当て、もう片方の手は堅く握り締めていた。

『皆が、用機をほしがっていたから――回は丁度良かった』

「汀さん、何言ってるの……?」

『皆、気に入ってくれ――でしょうかね……』

「何言ってるのよ汀さん! こんな時に!」

 これではまるで、本当に、本当に今際の際ではないか。

「そんな事今言われて! 私、どうしたらいいのよ!?」

 この土壇場になって漸く、永富は胸に抱く強い不快感の正体を理解する。

 これは恐怖だ。簡単な事だった。自分は彼女がいなくなるのが怖いのだ。

 身内親族が亡くなった事はあれど、目の前で死なれた訳ではない。ISという、どこまでも手を伸ばせる手段に乗っていて、その目の前で、年下の少女がその命を落そうとしている状況に、永富は耐えられないでいる。

 人には役目がある。自分にはこの場の人々を安全な場所まで守り抜くという役目がある。役目と感情が一致していない。その齟齬が胸の不快感となっていたのだ。

「駄目よ汀さん死んじゃダメ!! 私貴女に謝らないといけない事が沢山あるの!」

 授業中に疑似専用機を壊した事も、トーナメント中に彼女の要望に応えきれなかった事も、勝手に汀組を作った事も、トーナメントが終わって傷だらけの彼女を自分の為に利用した事も。到底この一瞬で謝り切れる量ではない。

「行こうよ永ちゃん!」永富の手を取り促す重冨の目はもう涙が滲み零れ出している。「静穂ちゃんが死んじゃう!」

「でも!」重冨のマニピュレーターを握り返す。「私達が離れたらここの皆はどうなるの!? 私達二人掛りでやっとなのに――」

 

 

「――行ってくれ!」

 

 

「!?」

 突如とした第三者の声に振り向く。永富と重冨がこれまで守り抜いてきた人々の一部が、こちらに身体を向け、決意の籠った表情と目を向けていた。

「皆さん?」

 

「行ってくれ。仲間が危ないんだろ!?」

「警察が来てくれたわ! 私達はもう大丈夫だから!」

「ここまでありがとう。ここまで来れば自分達でも逃げ切れるさ」

「ふざけんないつ流れ弾が来るか分かんねえんだぞ!?」

「だったらアンタは一人で逃げなさいよ!」

「お姉ちゃんがんばって!」

「友達を死なすんじゃないよ!」

 

「…………!」

「永ちゃん……!」

 こんな役目と思っていた。住民の避難誘導なんて誰でも出来るだろうと。

 こんな事で感極まって泣いてしまいそうな自分がいるとも思わなかった。嬉しいやら恥ずかしいやら、もう相棒の事を笑えない。むだでは無かったのだと痛く思い知らされる。

「――行こう重子!」

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『しーぴょんはISを何だと思う?』

「繋がりですかね、良くも悪くも。無ければ死ぬのは変わりませんが」

 麻酔が引いてきて段々と身体に痛覚が戻ってくる。その痛みによって目が頭が冴えてきた。そろそろ真面目にインカムを探すべきだろうか。時折聞こえてくる声達が悲痛なものになってきている。

 というよりこの体勢にも苦痛を感じてきた。巨腕に抱かれているとはいえ金属だ、固い。床擦れする程も預けていないが背中が痛い。いや、身体中が痛い。

 どう話をこの場の脱出に切り替えていくべきか考えていると、束の方から端を開いてきた。

『――分かったよ、しーぴょん。契約をしよう』

 契約? と静穂は聞き返す。

『束さんを手伝ってくれるなら、そのためにその辺を何とかしてあげよう。どうかな?』

「……どうしてそこまでしてくれるんですか」

 自分なんて木端程度の価値もないだろうに。この友人のお姉さんが何を考えているか判らない。

『ん~、気分!』

(あ、そうですか)やはり判らない。

「というかわたしに何をしろっていうんです? なんでわたし?」

『しーぴょんの時のような事が起こった。それを解決するには束さんの手持ちじゃ力と役が釣り合わない。だったら別の所からもってくればいい! そうだ、しーぴょんを使おう! 判った?』

「京都ですか」

 思わずツッコむ。それにしてもそう言われたところで今一つ想像が湧いてこない。自分の時とはいつの事か、静穂には皆目見当がつかない。

(洗脳? されてた時?)

 織斑先生が言っていた、そして束も言っている、トーナメント決勝での出来事。静穂には今一つ合点がいかない事柄だが、それならば一つだけ心当たる節がある。

「箒ちゃんはわたしと同じ、要人保護プログラムを受けていた」

『そのプログラムは名ばかりで、箒ちゃんを束さんから情報を抜く為だけの機械に仕立て上げる洗脳処置だった』

 静穂をテストベッドにノウハウを蓄積し、箒に実践、組み替えていく。

 そんな事をこの国が行ったというのか。いや、そんなもの、誰が行ったかなどに意味はないのだろう。要は相手の目的がIS技術で、その手段が箒の洗脳で、対する解決策に静穂が選ばれたというだけの事で、相手など束にはどうでもいいのだ、それこそ路傍の石のように。静穂の知らない所で踏み潰すなり磨り潰すなりどこか遠くへ投げるなり。面白くないからと八つ当たりされるかのように、相手は相応の罰を受けるのかもしれない。それとももうされた後か。

 とにかく手を貸さなければ始まらないのだ、()()()()()()()()()

「良いですよ」と快諾して、「でもその前に」と断りを入れる。

 この状態を放っておいても、汀 静穂は始められない。

「ちょっとばかり手伝って下さい」

 

 

(速く。もっと速く!)

 身体の痛みも無視して楯無は走る。先程までの静穂の独白が、忽然として途切れたのだ。

(気絶した? それとももう?)

 ここまで来ておいてそれはないと願いたい。彼のいる荒れ果てたビルまであと少しという所まで来ている。彼が瓦礫に埋まっている可能性もあるが、そのくらいなら今のレイディにも出来る筈――

 ――そう、あと少しという所だった。

 ビルまでもう少しという所にまで迫る楯無を笑うかのように、あるいは持て成すかのように、静穂のいるビルが爆発した。

「ッ!?」

 爆発が巻き起こす風に身をすくめ、顔を手で覆う。

「そんな、」風をやり過ごし、それまで自分が目標にしていた建物を見遣る。「間に合わなかった……!?」

 レールガンは不発弾で、今になって爆発したのかとの考えが楯無の脳裡を掠め、

「!」即座に違うのだと理解した「あれは…………?」

 爆煙が上へ、細く長く棚引いていた。

 その先には――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ行こうか、ゴーレムⅡ」



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61.それは所詮は茶番のようで ③

 今回ちょっと長いかもしれません。


 後方を完全にセシリア・オルコットに一任し、水面を舐めるが如く低空、(ひた)走るが如く打鉄弐式を飛翔させる。

 簪は今、戦場にいる。

 戦場と言っても敗戦処理、撤退戦だ。少なからず思う所のある相手の救出だが、今回ばかりは同情を禁じ得ない理由があった。だがそれは今はどうでも良い。

 弐式の背部には長大な増設推進器を二基接続し、推進剤の消費も無視して長駆する。皮一枚背後ではオルコットと有志教員数名による陽動戦闘が行われていた。すべては簪が両脇に抱える二名を救う為だ。

 篠ノ之 箒と、織斑 一夏。

 両名に意識はなく、その機体もまたシールドエネルギーを枯渇させていた。殊織斑 一夏に至っては外傷もある。脇に抱える彼から僅かながらも止め処なく流れる血液、その特有の粘度と零れ出る体温が簪に吐き気を催させる。

「更識さん!!」

「っ……!?」

 海岸線に立つ回収用ネットを肉眼で目視したところでオルコットの声に振り向いた。敵、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)が教員とオルコットを振り切りこちらに牙を向いていた。

「逃げて!」

 言われるがままに回避運動。血のにおいを潮のかおりと切る風で掻き消しつい数瞬前までいた海面に銀の弾丸が幾条も突き刺さり水柱を上げる。

「……!」

 唇を引き結び耐え忍ぶ。緩急を付け、フェイントを入れ、両脇の命を庇い立てる。

 ――だが躱しきれない。

「!」

 弐式に着弾。シールドにより減殺しつつも貫通した銀弾が増設推進器の片方から火を噴きださせる。

(強制、排除……!)

 エラーメッセージ。排除不可能。

(! どうして……)

 簪が疑問に思うも原因を推察している暇はない。残りあと少しという所で頼りの推進器が片肺になってしまったという事実だけが簪に重くのしかかってくる。

 目に見えて速度が落ちる。血と潮に混ざり燃焼のにおいが簪の鼻先をよぎりだす。

 剣戟と銃撃の音が聞こえ、鮮やかな青、ブルー・ティアーズを駆るオルコットが並走する。

「機体状況は!?」

 何か言い返そうとして言葉に詰まる。こういう時、彼女ならば何と言っただろうか。

「――平気、まだ飛べる……!」

 あと少しでゴール、回収用ネットに飛び込んでしまえば迎え撃つ先生方の砲撃で退けられる。簪は何としても其処まで辿り着いて見せるという気概を見せる。

 片肺には片肺の飛び方があるのだ。ジャンボジェット機とは違いISで、それも今回の搭乗客は既に気を失っている。これ以上気にするものがない以上、出来ない道理はない。

 簪の表情から汲み取ったのかオルコットが迎撃に戻っていく。後方で銃撃の間隔が狭まる。いよいよもって飛行自体が怪しくなってくる。もう少し、もう少しだというのに。

(……っ!)

 唇を固く引き結び、意を決して推進器に更なる(エネルギー)をくべる。健常な推進器が唸りを上げて推力を増し、死に体の推進器から更なる火の手が上がる。

 教員から推進器の強制排除を命じられる。うるさい、出来ればとっくにやっている。可能だったとてそれで追いつかれても意味がない。

 飛ぶしかないのだ、現状のまま、あの海岸線まで。

「PIC飛行、……!」

 飛行を推進器からPICへ。PICをカナード翼代りだけでなく推進に使う。失速気味の機体を持ち直し、推進器にシールドエネルギーを貯め込む。

 

瞬時加速(イグニッション・ブースト)!?」

「自殺行為よ!」

「更識さん!」

 

「大丈夫……、大丈夫……」

 もはやうわ言の様に呟き続ける。トーナメントの真っ只中で、彼女が常に自身に言い聞かせていた言葉だ。今度は自分がそう言い聞かせる。

 ――自分は決して強くない。けれどそれでも、憧れる事は出来る。

 彼女ならば諦めないだろう。たとえ自分を犠牲にしたとしても。

 ……瞬時加速に点火した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「織斑・篠ノ之両名の回収を確認!」

「火力支援の効果確認しました! 目標、撤退して行きます!」

「更識は?」千冬が安否を尋ねる。

「りょ、両名をネットへ放り投げたと同時に墜落したとの事です!」

「墜落? 更識の安否と機体の被害は?」

「不調を来した推進器で瞬時加速を敢行、更識さんはシールドに守られて脳震盪程度のようですが、機体の方は……」

「わかりました。更識の急ぎ治療をお願いします」

 墜落。千冬は腕を組み換え黙考する。

(奴のような真似をする)

 元同居人のタッグパートナーに影響を受けたのだろうか、随分と無茶をしたものだ。それは良くない傾向で、状況上、責める訳ではないが余り勧められた事ではない。墜落したと言う事は本人が無事でも機体は大破、以後の作戦に参加できないという事だ。

「侵入してきた密漁船はどうなりましたか?」

「当該区域を離脱中です。これから拿捕に向かわせます」

 ……問題が積まれていく。差し当たり排除しやすい問題から徹底的に潰していかなければ次に当たれない。

 まずはこの邪魔者を排除しなければ千冬は固めた表情の下で気が狂いそうだった。

 

 

――箒が一夏を斬った――

 

 

 ――密漁船を装った船から発光信号が発せられた。一夏は素人考えからモールス信号による救難信号かと言っていたが、箒、友人の妹にとってはそうではなく、

(狂わされた。発光信号は恐らくスイッチ。頭の中に埋め込まれた命令の)

 最悪の予想が的中した。以前に阿毛議員から聞かされた事柄が頭を過る。洗脳処置、それが今になって発動したという事か。なぜ今、とは思わない。どうせ何処からか情報が洩れ、水面下で潜んでいた計画が浮上してきたというだけだろう、名も正体も知らぬ連中が。

 連中は待っていた? 箒が束謹製の専用機を手に入れる瞬間を?

(……いや、よそう)

 推測するにも情報が足りない。千冬の与り知らぬ処で何が行われようと結果は変わらないのだ。

 箒は未だ此方の手許に居て、一夏は斬られ、密漁船もどきは拿捕、三機もの高機動機体が今後の作戦に使用できないという事だ。

 職務上、専用機持ち共に送られてきた追加兵装は全て頭に入っている。それらを鑑みるに打鉄弐式の増設推進器に並ぶ速度を持つパッケージは白式、紅椿、オルコットのブルー・ティアーズのみ。

 対する敵は高機動型。飛車角に次いで香車を片方失ったようなものだ。

(……いや)

 こうなったら自分が、王将というかチェスのクイーンを出そうかと考えるが、その手段を千冬は飲み込んだ。

 文字通りゲームが違う。それにそういう問題ではない。

 だがそれでも、と再度考え、使える手段を脳内で探し、

(…………)

 ふと気づく。

「山田先生」

「はい? あっ、はい! なんでしょうか!?」

「束の奴は何処に行きましたか」

 篠ノ之博士ですか? と山田先生が周囲を見渡す。

 千冬も視界を広げるが、あの特徴的な一人不思議の国のアリスは何処にも見当たらない。

「さっきまでその、私の胸をつついていたんですが……」

「……すいません、山田先生」

 何故か自分が申し訳なく思ってしまう辺り、奴の事後処理に慣れてしまっている。

 ……それにしても、

「束め、何処へ行った」

 奴の大切な妹が狂わされたという非常時にだ。そしてこの事態を予測できなかったとも考えにくい。だが今は居ない。

「…………」

 状況が状況だ、飽きたなどという訳がないだろう。

 これは更なる問題が舞い込んできそうだと、千冬は目許を揉んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――巨人の腕に抱かれ空を飛ぶ。健全な男子ならば一度は夢に見る光景だろうが、

(実際にやると怖い!)

 風防もないので風が直接顔に吹きつける。シートベルトも勿論ないので安全バーのないジェットコースターの気分が味わえる。

(おすすめは出来ないなぁ!)

 まあ実際に巨腕の中から零れおちたとてラビットのPICを起動すれば事なきを得るのだが、ラビットの存在を知らない外から見れば自殺行為となんら大差はない。風で長い髪が乱れるのもそのままに左手一本で新たな所属不明機、ゴーレムⅡの巨腕にへばりつく様は無謀というか無様というか。とにかく危険に見える。

 更に言えば静穂以外はゴーレムⅡの正体を知らない訳で、攻撃される事請け合いな訳で。

「ゴーレム」静穂は体勢を変え、巨人の胸板をノックする。「プライベート・チャネル。打鉄とラファールとテンペスタとメイルシュトロームにだけ繋いで」

 静穂の言葉を受け巨人、ゴーレムⅡの顔部分に備え付けられたカメラ群が明滅。直後に開かれた通信画面からは怒号のような喧噪のような、とにかく喧しい汀組の声が静穂の耳を壊しに掛かる。

 全員が一しきり叫び終わって、漸く静穂の番が来る。

「はい皆さん聞いて下さい。いきますよ?

 

 まず鵜名山(うなやま)先輩、すいません心配かけて。

 レイラ先輩、あと少しです気張ってください。

 ルイス先輩は何言ってるんですか、皆さんだけでも勝てましたよ。

 ソフィア先輩、レダ先輩のお(もり)お疲れ様です。

 なんですかレダ先輩、本当の事でしょうに。来てくれてありがとうございます。はい次。

 永富先輩、重冨先輩と一緒に上がってきてください。要を任せます。

 重冨先輩は泣かない。終わったらわたしの髪梳いていいですから。

 布仏先輩、この機体はわたしのじゃなくて()()()です。

 更識先輩、どうしましたか涙声なんて。大丈夫、まだ生きてますよ。

 ティティ先輩Hola(どうも)。ケたる? ――あぁ、元気ですよ。えぇ、アゲていきましょう。

 

 ――こんなもんですかね? とりあえずは」

 

 汀組の面々が口を揃える。『よかった、いつもの聖徳太子だ……!』

 それで安否を確認されるのはどうだろうか。

『汀さん』と虚。『本当に貴方の専用機ではないのね?』

「そうですよ」静穂は肯定する。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『…………』

「――と、いう事にしておいて下さい」と断りを入れて切り替える。「ではこれから船を落してコアとなるISを引きずり出し各個撃破、全敵機の撃墜に作戦目標を更新します」

『撃墜!?』

『艦を落せば終わりじゃないの!?』

「はい。艦を落しただけじゃあ連中は止まらないでしょう。高速移動か群衆に紛れこまれるかは状況次第ですが、艦のコアとしてだけでなく単独行動が出来る以上、連中は必ず学園に辿り着く。ここで潰さない事には学園の平和は守れない」

 敵を倒すのではなく禍の芽を潰す。

 傷病の身がセーフモードのISを起動させた程度で圧倒出来る程の相手だ。今の汀組ならば赤子同然、いやむしろここで墜としておかない限り自分達に未来はない。

 一体幾つの規定の類をぞんざいにしているか。生徒会の二人を含め全員の清廉潔白を証明する為にも成果を得る必要がある。

 だがそれを皆に今言う必要はない。静穂は面々それぞれに指示を伝え、汀組はそれに首肯した。

「じゃあ皆さん、勝って学園へ帰りますよ! 状況再開!」

『了解!』

 ……虚が一言。『――貴方、少し変わった?』

「喉のつかえが取れたので」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……皆一様に言いたい事はある。それでもこの場限りはそれを飲み込み彼女の命に従った。

 それは以前からの総意でもある。年長としての矜持でもある。だがそれ以外にも、自分達を突き動かす彼女の姿があった。

 彼女は常に前を見据えている。今もそうだ。解れた包帯を長い髪と共に揺らし、見知らぬ巨人(IS)を駆り進む様を、自分達は慌てて追いかけ、追い越して前に出るより仕方ない。

 ある時期より確かに旗印として引っぱり出した筈だ。ただ互いをを繋ぎとめる楔の役割だけを求めた筈だった。

 それがどうしてか今は、傷病の身で前に出て、自分達を追い抜こうとしている。

 自分の効果というものをよく理解している。大将自らが旗を振って突撃しようものならば、その旗下につく人間は後を追うか後に蔑まれるかでしかない。

 ここまで来て自分達がその後者になる事は、決して認められるものではなかった。

「行け行け行け行け行け行け!!」いずれに負けじとシュトロの少女、鵜名山が叫ぶ。

 二機メイルシュトロームが先行し、それを迎撃する為に艦隊から自爆ドローン群が飛び立つ。

 あからさまな舌打ちをして鵜名山が反転、距離を取り迎撃に移ろうとしたところで、

 

 

――彼女と巨人(ゴーレム)が前に出た――

 

 

「お先でーす」

「----------!!」

 瞬間沸騰。こちらこそがと後を追う。

「タマミ!」今回の相棒であるルイスが後ろに付き鵜名山の名を呼んでくる。

「うるさい!! 年下なんぞに遅れを取れるか!」

(守るのは私の方だ!)

 シュトロの推進器を吹かし再度先頭へ。ドローン群の中へ頭から突っ込んでいく。

 鵜名山の矜持、3年パイロット科に在籍しているというだけの矜持が静穂の後ろにつく事を許さない。

「こお――んのおっっ!!」

 遮二無二我武者羅死にもの狂い。猫の額程の間隙をドローンの爆発と誘爆で押し広げ、蛇がのたうち回るような見栄えなど気にもしない強引な回避の軌道を描き、ドローン群の中を突き抜けた。

 そして目標の一隻に取りつき「どうだ!」とこれまで来た上空を見上げれば、

 

 

 ……誘爆など気にせず突っ込んでくる巨人が見えた。

 

 

「――え?」

 つい自分の性格(キャラ)に似合わぬ頓狂な声を上げてしまう。それもそうだ、今まで自分達が必死になって接触を避けてきたドローン群をだ、足を畳み腕で静穂を庇いながら、爆発をシールドバリアによってものともせず突き進む様は、なんというか、こう、

「なにしてくれてんのよ……!」

 声が震える。必死になった自分が馬鹿みたいではないか。よく見れば静穂の駆る巨人が通って出来た大穴を汀組が追随している。相棒のルイスまでもだ。さらに馬鹿みたいではないか。

「おい、こら汀」

『いや、だって』と静穂が簡単な言い訳をする。『これ、()()()()()()()()()()()()?』

『――――えっ?』

 今度は汀組全員が声を上げた。

 ISの攻撃ではない。ISはIS由来の攻撃でなければ傷つく事はあり得ない。静穂の巨人は無傷で、つまり巨人はISで、ドローン群の自爆は私達(IS)には効果がない?

『私達の……』

『これまでの労力は……』

『一体……』

 徒労と知った若干名が戦う前から脱落しかける。知ってか知らずか静穂が、

『これだけの量の爆薬なんて、ISの拡張領域に入らないでしょうに』と言った。それが追い打ちとは知らずに。

 これには訳があるのだ。上級生は授業で各企業が如何にしてISコアの“好み”などという不明瞭な概念によって変動する拡張領域の容量・傾向を増やすかという議論で日夜悩み続けているという、前提となる知識があったのだ。対して静穂には競技用、練習機の標準的な領域量しか知らず、それも自己の経験からくる知識程度でしかない。

 明らかに軍用、競技用ISではないと踏んだ上級生達はこれが対IS用対空兵装と頭の中で勝手に認識していた。言ってしまえば素人考えにセミプロが負けた瞬間である。

『でも静穂ちゃん』と重冨。『幾つか拡張領域に入れておいたものを混ぜておくって事もできるんじゃ……』

『…………』

 静穂が押し黙る。

『…………そんなわたしみたいな事しますかね?』

「アンタはやんのかい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ぎゃあのぎゃあのと騒ぐ通信から、虚は軽く耳を背けつつ独りごちる。

「お嬢様ではありませんが、本当に……」

『虚ちゃん、さりげなく私も軽く見てない?』

 いえいえそんな、と否定する。

 それにしても緊張感がまるでない。先程までと打って変わって騒がしい。

 まるで1年のあの頃、談話室の中にいるようだ。潰し合いも就職難の恐怖もない、ただ友情を信じ切磋琢磨していたあの頃の。

 今の3年が殺伐としているという訳ではない。ただ研ぎ澄まされてしまっている。殊学生時代に於いて必要だけれど無駄な肉がそぎ落とされてしまったかのような、勿論例外も一部いるが。2年に至っては現3年よりも在籍数が少ないという事態に陥っている。それは彼女らの自業自得なのだがそれはまた別の話。

「本当に……」

 ()()()()。自分は今どんな顔をして彼女らを見上げているのだろうか。母親のようだったら改めなければ。未だ恋もしていないというのに。

『虚ちゃんあのね? 言いたい事があるならはっきり言ってね? 私と貴女の仲でしょう違うの? ねえ? 虚ちゃん? おーい?』

「……ふふっ」

 何を勘違いしたのか不安から取り乱し始めた自分の主を宥め、虚は射撃体勢に入る。

(今の出力(ISコア)は一つだけ。充填の時間から見ても撃てるのは後一発だけ)

 いい緊張感だ。外したら()の計画がどうなるかという悪戯心が沸いてくる。その未来を見てみたい気もするが、後の顰蹙と釣り合わせる意味がない。もっとも、敵は外し様のない図体だが。

 合図を待つ。

「大砲の準備は出来た。あと一発よ!」

『シュトロ班ルイス! その一発貰える!?』

『確かにシュトロだと厳しいですかねぇ』と静穂。『布仏先輩、シュトロ班の指示で撃っちゃってください』

「後悔しても知らないわよ」

『しませんよ。外せばわたしが二隻墜とすだけです』

(――言ってくれる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「布仏先輩はシュトロについた! レダ! 私達はどうする!?」

「テンペスタにつく!」

「根拠は!?」

「その方が早い!!」

 合体ラファール、操縦担当ソフィアと火器担当レダがドローンをローターで斬り潰しながら担当する敵艦の側面につく。

「着いたけどどうするの!?」

「?」

 ソフィアの問いかけにレダは小首を傾げてこう言い切った。

「船って撃ちまくって穴開ければ沈むんじゃないの?」

『!?』ソフィアだけでなくテンペスタの二人も驚愕の声を上げる。

「待って。レダ待って」

『私達ってば中に突入してるのよ!?』

『死んじゃう! ここで機能停止したら死んじゃうです!』

「えー」

 渋々といった具合にレダが不満を表す。

 

 

――だがガトリング砲が空転を始める――

 

 

「ちょっとレダ!?」

『何です!? 通信越しのこの音何です!?』

『レダ聞きなさい!? 私達今中にいるの! 撃てば当たる場所にいるのよ!!』

「テンペスタの先輩方! うまい事避けて下さいよおー!!」

『聞いて人の話!』

『今日はこんなのばっかりですか!?』

「先輩たち逃げてー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……少し彼方で合体ラファールがその猛威を振るっている。その少し前にテンペスタの両名が突入していったから、結果として味方殺しが出来上がりつつあった。

(そりゃあ禁止になるよねぇ……)

 防空担当艦の体積がガリガリと削られていく様を見て静穂は、作っておいて今更だがあれとトーナメントで対戦した者に少し同情する。

(あ、飛び出した)

 合体ラファールの火力で出来た亀裂からテンペスタと所属不明機が我先にと飛び出してくる。防空担当艦が重力に負け始めた。艦のコントロールを放棄する程怖かったらしい。合体ラファールは、というかレダはそれに気づかず銃撃をくり返し、そこからテンペスタ二機による不明機への十文字槍ハエ叩きが決まる。止めた方が良かっただろうか。まあいいか、まずは一隻。

「汀さん! 来たわよ!」

「っ」

 中空で呆けていた訳ではないが、戦場での移動中だのにいきなり呼びつけられて驚く程度には気が緩んでいたらしい。静穂はぺしぺしと頬を張り気を引き締める。

 永富と重冨の打鉄コンビである。永富は静穂の顔を見て安堵したり表情を曇らせたりと忙しい。重冨に至っては、

「こんなになっちゃって……」と涙目で顔の煤を拭ってくる。マニピュレーターの冷たい感触が、今の自分に熱がある事を示唆してくれる。ひんやりとして気持ち良い。

「来たけど、どうすればいいの?」

「――所有権上、わたしがやるべきなんでしょうが、」

 と、静穂は用意していた物を永富に手渡した。

「!」永富が目を見開く。「これ……!」

 それは汀組にとって、トーナメントの終わった今でも時折話題に上がる代物だった。

 あの時自分達の手で静穂のラファールに登録した。()()が原因で静穂の右腕はこの有様となり、だがしかし()()がなければあの死線を越える事は出来なかった、今も金切声を上げて揺れる代物。

 

 

「スミス先輩謹製、対正体不明機用拳銃(アンチ・アンノウン・ピストル)バリアクラッカー。今のわたしじゃあ本当に死んじゃうので、お願いします」

 

 

「これを、私に――?」

「気を付けてください。下手するとわたしみたいになりますよ」

「――無理よ、撃てっこない」

「撃てます」

「なんで――」

()()()()()()()()()()()

 出来る限り力強く言い聞かせる。専用化処理を施した二機分のパワーアシストでなら反動を十分抑え込めるだろうという算段を込めて。

「充填は済んでます、勝って下さい」

 左手一本で永富に握らせ、静穂を抱えたゴーレムにその場を離れさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一隻の防空担当艦が浮上と回頭を試みていた。だが一定以上が上がらず、また曲がろうにもビクともしない。

 空を飛んでいるとはいえこの艦は本来、通常通りの使用方法をされていれば海上を往くものであり、それを今回強引にも空を飛ぶという船にあるまじき暴挙を繰り広げているわけだが、……まあ要するに艦の先端部には碇と、それを艦と結ぶ太い鎖が在る訳で。

 それをシュトロを駆る二名が引きずり出し無事なビルに侵入、その大黒柱に巻きつけていた。

「鉄筋コンクリート造3階建て! 持ち上げられるならやってみろ!!」

「布仏! 撃て!」

 

 

(――これまでの着弾箇所と基本的な艦船の基礎知識から敵IS(コア)の位置を予測。……、っ!)

「――発射!!」

 

 

 対殻狙撃砲(バリアバスター)の一撃がもう一隻の防空担当艦の半ばよりやや後方へ打ち込まれる。

 不可視に近い速度で放たれた砲弾は着弾後に一拍置いて爆発、その爆風が艦体を貫通させた。

 ――それを見上げるメイルシュトロームの、狙撃の為過敏に調整されたハイパーセンサーが爆炎と黒煙と大小様々な破片の中から見つけ出した。

 

 

――人型の破片、目標の所属不明機が投げ出される姿を――

 

 

「見つけた!」

 二機のシュトロが体勢を整える。その姿勢は自然体で反対側へバイオリンを構えるような、誰が見ても優雅と口を揃えるだろう姿勢へと機体の方から身体を持って行ってくれる。

「良いよ、タマミ」

「――良し、撃て」

 単発狙撃銃が二丁、互いの間隙を縫うように交互に引き金を引かれ続ける。

 寸分の狂いもなく所属不明機の身体を撃ち抜き、後から迫る爆炎の中に押し戻した。

 ――これで二隻。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いよっ、と。ぉお?」

 静穂が自分の担当する艦、電磁パルス(EMP)搭載艦の甲板に降り立った。――と同時にふらつく。

「――ありがと、ゴーレム」

 転ぶ前に後ろからゴーレムの掌が静穂の尻を迎えるように包み座らせる。

『しーぴょんしーぴょん、そこは束さんでしょ?』

「? ゴーレムじゃないんですか?」

『なかなかに真理を突くねしーぴょん。ホントは覚えてるんじゃない?

 ゴーレムは正確に言うとISであってISじゃないのさ。ISには心に似た自意識と無意識を混ぜ合わせたものが標準装備されるようにしてあるんだけど、ゴーレムにはわざとその関連の機能をオミットしてあるんだ。もとよりこのシリーズに人を乗せる予定はなかったからね、この子(ゴーレムⅡ)はちょっと違うIS寄りだけど』

 つまりは常に夢も見ないで眠っているゴーレムⅡを束が外から動かしている、ようなものだろうかと静穂は考える。違う気がするので口には出さない。

 だがそれは今は脇に置いておいて。

「…………どうしよう」

 実は作戦などまるで無かったりする。取り敢えず今居る場所から艦橋を見上げてみる。ちょっとした塔だ。風車に挑むドンキホーテだ。セーフモードのラビットでどうにかなるだろうか。いや無理だろう。左手一本で何が出来る。

「よし。――束さんお願いします!」

『丸投げなのしーぴょん!?』

「だってこの艦隊を何とかしないと箒ちゃんの処に行けないし」

『それを言われると弱いなあ』

 ――しょうがない、と束が、何処からかは知らないがゴーレムⅡを操作。まずは静穂を持ち上げた。

「へっ!?」

 ゴーレムⅡが静穂の尻を持ち上げると、その胸部装甲を解放。予め設計されていた搭乗席に静穂を押し込んだ。

「何、へ、何?」

『ちょっと生身じゃ危ないからね~。しまっちゃおうね~』

「まって束さん待っ」

 静穂が暗くて狭い所はちょっと苦手という事を知ってか知らずか、束の楽しそうな声と共に、静穂はゴーレムⅡの機体内に仕舞われてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んふふふふ」含み笑いを浮かべながら、束は何処とも知れぬ場所、とい言っても旅館の屋根裏だが、とにかく光の入らぬこの空間で空間投影型ディスプレイとコンソールを幾重にも重ね、広げ、ゴーレムⅡを操作する。

 ゴーレムⅡはISではない。いや広義ではISの範疇だが束が重要とする部分をわざと欠損させ、ISのように仕向けている。手慰みとばかりに作り上げたゴーレムシリーズだがなかなかどうして面白い。二機目は今動かしていると楽しいし、一機目はその存在を消失してしまったが、代わりに面白くなりそうなものを見出してくれた。

「んふふふふふ」

 人に使われるなんていつ振りだろうか。頼られるといってもいい。

(本当にいつ振りかな?)

「――何をしている」

 ぬにゃ! と後ろを振り返れば親友が、天窓を押し開いて顔をのぞかせていた。

 その表情をそうそう変える事のない親友だが、いささかその美貌に焦燥を混じらせているように見えるのは、やはり彼女の弟と自分の妹の事があるからだろう。自分にしか判らない程度の表情の変化。やはり互いに親友という図式に変化はないようだ。心境の推察しかり、この場所の発見しかり。

「何かなちーちゃん、今束さんは忙しいのだよ」

「今の状況でか」

「だからさ」

「…………」

「待っててねちーちゃん。プランBはもうすぐだ」

 それだけ言うと束はディスプレイの方に向き直る。

 ……何を言っても無駄と判断したのか、千冬はそっと秘密基地を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴーレムⅡの巨体が甲板に屹立、闊歩を始める。その巨体にドローンが群がり、自爆。――当然、効果なし。巨体を止めるに至らない。

 やがて艦が、電磁パルス(EMP)搭載艦がその唯一の武装を充電し始めた事に相手取るかの如く、艦橋の真下に到着したゴーレムⅡに変化が生じた。

 巨大なのは腕だけではない。その肩も巨腕を支えるべく相応に大型化しており、肩と腕からテスラコイルに似た部品が幾本も迫り出し唸りを上げ始める。充電だ。

 元はVTシステムの研究所を()()()()()()()()に破壊する為に作ったものだが、それは不発に終わっている。使う機会がやってきたのだと束は思う事にした。

 充電しきれなくなった電力が大気中に小型の稲妻として散り始める。ドローンが感電、誘爆する。

 貯めきった電力を抱えるように両腕を掲げ、

 ――振り下ろした。敵旗艦のレールガン主砲に並ばないまでも轟音を響かせ、電力と膂力が一瞬に凝縮され解放。

 

 

――戦艦が半ばでへし折れた――

 

 

 ……あと一隻。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もはや飛行には何の支障もなく、永富は相方である重冨を連れ旗艦、レールガン搭載戦艦の甲板へと凱旋のように降り立った。周囲を鬱陶しく飛び回って自爆し、こちらの神経を逆撫でしていたドローンは指揮を失い落ちていくのみとなっている。

「――布仏さん。(IS)の予測位置もらえる?」

『今送るわ』

 ――送られてきた情報を基に、永富は()()()()()()()()姿()()()()()()

 狙い撃つ。この拳銃で。

(何が拳銃よ、こんなの!)

 こんなもの拳銃じゃない、大砲だ。その外見とは裏腹にその性能、破壊力を計算するに直撃ではどのようなISも耐えられないだろう。その為甲板から装甲版や構造物越し、予測する位置まで貫通させる()()()にしなければ相手を殺してしまう危険が付きまとう。まさしく所属不明機相手にしか使えない。そしていざ発射体勢となっても銃内部で何かが回転しているのか制動がまるで効かず照準が定まらない。専用化処理で幾分か出力の上がった打鉄のパワーアシストでも御しきれず銃身が暴れ狂い続ける。撃つ前の時点でこれだ、当然、撃った瞬間の反動も一入だろう、打鉄の防御力でも自身を守り切れるか定かでない。

 こんな化け物を静穂は、それも何発も発射し片腕一本だけで済ませて帰ってきたのか。

(やっぱり無理?)

 言ってしまえば逃げ出したい。自分達に何が出来るのかずっと考えていた。守っていた筈の人々から励まされここにいるのだとしても、たった二人で戦艦を、それも旗艦を墜とせと言われるとは思っていなかった。

 その為にと渡された、手の中で酷く震え金切声を上げる大型拳銃(バリアクラッカー)を見る。うるさい。いやそれはハイパーセンサーがあるからどうでもいい。

 大役が過ぎる、と思う。IS学園に在籍しているとはいえただの学生に毛が生えた程度しか成長できなかった自分に、この大役が務まるのだろうかと気が気でなく――

 ――ふと、マニピュレーターを握られる。重冨が、珍しく涙を見せずにこちらを確と見据えていた。

 無言で頷いてくる。――頷き返す。覚悟を決める時で、考える余裕も同様にない。

 二人掛かりで抑え込む。銃身のブレが幾分か収まり、照準が引き絞られていく。

 静穂は二人に任せると言った。二人なら、最初から一人でやろうと考えなければ良かったのだと今になって気付かされる。

 推測される位置に照準が重なった時、永富の迷いは消えていた。

「行くよ重子!」

「うん!」

「――発射!」

 

 

――大型拳銃(バリアクラッカー)の発射した弾芯は反動で永富と重冨を遥か後方に吹き飛ばし邁進した。

 幾層もの装甲版をくりぬくように貫き、それでいて弾道が逸れるような事はなく、目標までの最短距離を反対側、甲板から艦底までをほぼ一直線に駆け抜けて――

 

 

 ――最後の一隻が落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぷはぁ!」

 何度と小突いて漸く解放された胸部装甲から、静穂は転がり落ちた。

 地上だ。麻酔の切れた身体で尻餅をついて苦悶で呻きながら見渡せば、元は綺麗であったろう街並みが、台風と地震が同時に降りかかったかのように惨憺たる有様だ。たった一度のレールガンを許しただけでこれか、と静穂は後悔の念に苛まれる。

(……いや、それだけじゃないのか)

 目の焦点を遠くにやれば、非現実的光景が広がっている。

 

 

――街に船が突き刺さっていた――

 

 

 数は五。あるものは山の上で、あるものは食い千切られたように、またあるものは半ばからへし折られ直立、それぞれが思い思いの形で座礁したかのように街を潰していた。

 ふと砂利を噛む音が聞こえ、視線を遠くからそちらにやる。

 ――所属不明機だ。瓦礫の上で並び立っている。数は墜とした艦と同じく五、その銘々が決して万全ではなく、一人は仲間に小脇で担がれている。自分が痛めつけた奴だろうか。

(…………)

 語るでもなく睨み合う。いつまでそうしていたか、ほんの十秒にも満たない程度の時間の後、

「頭ーっ!!」

 合体ラファールが、メイルシュトロームが、打鉄が、テンペスタが次から次に舞い降りる。

 左手を上げ指示を出す。「発砲用意」

 対する不明機群も反応、中央の一体が右足を引くと同時、その周囲に白煙が撒き散らされる。

「!」腕を振り下す。「()ぇっ!」

 汀組が即応しそれぞれの武装を発砲。一頻り撃った後に、「――もういいです。止めて下さい」

 ――発砲が終わり、合体ラファールのサイドバイサイドローターに煙を晴らさせる。

 当然、不明機群の姿はない。

「逃げられた!」合体ラファール、レダが叫ぶ。

「どうする、汀さん」との永富の問いかけに静穂は、

「……もういいでしょう」とだけ言ってため息をついた。

 連中の目論見(もくろみ)は潰した。艦が一隻でも残っていればまだしも、たった五機、それも一人は完全に打ち倒された状態で学園は攻められまい。学園にはISが大量に残っているし、更には専用機持ちのケイシーとサファイアもいる。量と質がある以上、手負いの五機でこれを崩す事は叶わない。

(疲れた……)

 限界と共にへたり込む。それに反応して汀組と後からやってきた生徒会の二人も慌てだすがもうそんなものどうでもいい。

 疲れた。寝たい。忘れたい。腕の事も箒の事も、待ち受ける事後処理も忘れ、ごはんを食べて熱いシャワーを浴びて人心地つき、泥のように明後日まで眠りたい。

「――――で、」しかしそうもいかず鵜名山が一言、「このデカブツはどう説明する訳?」

『…………』全員の無言。

「……あー、うー」何とはなしに言葉につまる。静穂は顔を上げ、「束さぁん」

 ――呼んでみるも応答はなし。静穂以外とは話さないようだ。

(人見知りかな?)

 ただその代わりゴーレムⅡの胸部装甲が再度開く。無言で搭乗を強要してくる。

「……あー、うー」

 よっこいしょ、と立ち上がり、「じゃあ行かなきゃ」

「待って! 行くってどこに!?」

()()()を返しに行かないと」

「……本当に借り物だったの?」と虚。

「そこまで嘘つきじゃないです」人をなんだと思っているのか。

 立ちふさがるルイスを押しのけゴーレムⅡへ。

「静穂くん!」楯無だけでなく全員が静穂を呼ぶ。

「だから統一、……もういいです」えっちらおっちらとゴーレムの中に。「更識先輩。後はお願いします」

 胸部装甲が閉まり皆の心配する声もよそに、ゴーレムⅡは発進した。

 

 

 ――ゴーレムの中で静穂は、なんだか眠くなってきていた。疲れからかもしれないが、ディスプレイの光が間接照明のように見えて落ち着き、微かな振動が心地良さを覚えさせる。それと何かいい香りがする。

『えー本日はゴーレム航空をご利用いただき――、めんどくさいな。お疲れしーぴょん!』

「やるなら最後までやりましょうよ」

 まあまあ、と言う束の声色は機嫌が良さそうだ。

『これでようやく箒ちゃんの所に行けるしグレイ・ラビットを弄れるんだ。気分が良いのは当然さ!』

「弄るんですか」

『そりゃあね。弄らないといつまでも壊れたままだよ?』

 それもそうか、と静穂は思う。――だが、

「――どう弄るんです?」と呑み込んだ。

『んー、ラビットの記憶はそのまま別でバックアップを取って、しーぴょんの方は初期化せずに最適化だね』

「トーナメントの時の練習機、みたいな?」

 段々と船を漕ぎ、瞼が開かなくなってくる。

『バックアップはこっちで保管してあげよう。しーぴょんはそのままでいいよ。きっと面白くなるぞお間違いない!』

「……いいんですかねぇ」

『――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?』

「大切、と、いうか……」

 抵抗がある。愛すべき義姉の思い出と、グレイ・ラビットの()()。それらを自らの糧としてしまっていいのだろうか。

 極上の飾り付け(デコレーション)を施されたケーキを前にして尻込みしているような気分というか。ここでがっついてはいけないという見栄があるというか。

 違う、そうじゃない。結局はこれ以上故人を自分の礎にしたくないというだけの我が儘だ。

「嫌なんです、もう、誰かを踏み台にする、生きていたいけれど、そこまでじゃなくて、なんだろう、目が、開かない」

『踏み台なんかじゃない。ラビットはラビット。そして()()()()()()()()()()()()。しーぴょんはそのままで変わらないよ』

「すいません、もう、眠くて……」

『こっちまで時間はある。ゆっくり休むといいよ、しーぴょん』

 ゴーレムⅡの機体内で揺られ、歌のような声で諭され、静穂は完全に糸が切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寝息と共に、何色とも知れぬ鱗粉のような光が唇から洩れる。ISコア(ラビット)()()に反応し、その薬物を体外へ押し出そうとしていた。

『……効くまで時間かかったなあ』悪びれる様子もなく、束は告げる。「おやすみしーぴょん。今の君は、一体どんな夢を見るのかな?」




 IS11巻が4月25日発売とのこと。
 エクスカリバーなる人の推測も個人的にしてますが、外れたら恥ずかしいので黙っておきます。だったら書くなって話ですが。


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62.兎の跳ねる下準備

 もしも草野球のバッターが、プロ野球選手の手元で落ちる変化球を打ち返せと言われて、果たしてそれが可能だろうか。

 出来はするだろう。しかしそれは何回も挑戦して百に一度といったところの筈だ。

 ……少し遡る。

 箒の紅椿に運ばれた一夏と白式が、こちらと同じく高速で移動する銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)に接敵する。

 先手必勝、零落白夜を起動し、白に輝く刀身を背に隠すように振りかぶった。

「零落っ、白夜、――!」

 高速状態から振り下された渾身の一閃は、

 

 

――当然、避けられる――

 

 

「っ――」急ぎ零落白夜の機能を切る。「――()()()()()()()

 次いで一夏はその名を叫んだ。

「箒!」

「ああ!」

 福音の回避した方向線上には既に箒が回り込んでいた。箒の両手には既に雨月(あまつき)空裂(からわれ)、二振りの刀が握られている。

 日本刀の距離ではないのに空裂が振られる。同時、その軌跡をなぞるようにエネルギーの刃が発生、その刃が福音へと向かう。

 福音の回避運動。高跳びのような動作で福音がエネルギー刃を避ける事を、箒は予測し、的中させた。

「シッ――!」

 事前に引き寄せていた雨月を突き出した。空裂と同じく刺突が数本のレーザー、飛ぶ刺突となって、福音の装甲に突き立つ。

 一夏からも箒がガッツポーズをとるのが見えた。

「箒!」

「!」諌められた事に箒は一時機嫌を損ねながらも、「――分かっている!」

 追撃。福音へ二機が肉薄、双方向から三つの斬撃を切り込んだ。

「いける!」箒が叫ぶ。

 紅椿が展開装甲を起動。更に福音の懐に飛び込み、雨月を突き込む。

 雨月がレーザー刺突を発生。福音のシールドを削った。

「……La」

「!?」

「箒!」

「La――――」

 福音が発声すると同時に一夏が加速。箒に飛びつき攫うようにその場を離脱させると、その場を銀の光弾、銀の鐘(シルバー・ベル)のエネルギー弾が通過する。

 全方位への無差別射撃。一夏はそれを箒を庇い数発受ける事でやり過ごす。

 爆発を一夏が防ぎ、箒が名を呼ぶ。「一夏!」

「大丈夫だこの程度!」

「そうじゃない!」突き飛ばされる。「()()()()()()!!」

「邪魔!?」

「そうだろう!? 機体性能ならば私の方が上だ! あの機体にだって!」

「どうした箒!」

 一夏が雪片片手に肩を掴むも振りほどかれる。

「っ」――ならばと、「ならいい。でも頼む。初陣なんだから無茶はしないでくれ」

「ああ、任せろ」

 そう答える箒だがまるで聞いていないように感じられる。こうなれば自分が何とかするしかないと一夏は自分に言い聞かせ、銀の鐘を躱す事で急遽の作戦会議を終わらせた。

 ……エネルギー弾の全方位発射を掻い潜る。雪片弐型、刀一本の一夏では接近すらも難しい。

 だからこそ遠近共に長けた紅椿を駆る箒の協力が必要不可欠なのだが、今の彼女に協調性は見受けられなかった。

 焦るかの如く逸っている。気持ちが勝り身体が追いついていない。

 それでも徐々に福音を圧し始めたのは、単なる紅椿の機体性能と福音の全方位射撃、その間隙を突く一夏の努力によるものだった。

 これではどちらが作戦の主幹(メイン)か分からない。零落白夜でなければ決定打にはなり得ない。

 だが有効ではあった。近づけば実体の剣が、遠ざかれば半非実体(エネルギー)の刃が、全く同じ動作で繰り出される。暴走し人の意思を解さないAI染みた挙動では双方の回避はままならない。それでもこの福音(AI)、避ける時は避けるのだが。それもかなりの頻度で。

(箒……!)エネルギー弾を躱しながら彼女のシールド残量を思案したその時、

 

 

――一夏はあらぬ機動を取らされる事となる――

 

 

 福音に迫っていた一夏が急遽角度を変え下方へ。本来ならば気にする必要のない流れ弾を一発切り払った。

 これに箒は激昂する。「なにをやっている一夏!」

「船がいる!!」

「――何!?」箒が空裂を振りながら振り向き、

 一夏が答える。「漁船だ! ()()()()()()()()()!」

「発光信号だと――?」

 福音が一時箒との間合いを嫌った時、箒が首を回して確認し、

「っ!?」片手が頭を押さえる。「何だ!?」

「箒!?」

「頭が……敵? ()()()()()?」

 箒に銀の鐘を放とうとする福音に対し一夏は牽制を入れつつ、「どうしたんだ箒!」

「討て、か? いやだ――()()()()()()()()()!?」

 福音に雪片を掴まれて拮抗する。

「箒っ!!」

「――()()()()!!」

 雑念を振り払うように空裂が振るわれる。生み出された光刃は大きく、

「――――!」

 一夏諸共福音に直撃。一際大きな爆煙を生み出した。

()()()()! ()()()()! ()()()()! ()()()()!」

 四方八方に空裂が振られ、爆煙が増す。展開装甲に火が入り紅椿、箒を加速させる。

()()()()()()()()()()()()()!!」

 煙の中へ、敵の懐へ。

 空裂を逆袈裟に振り下ろした。

「……箒……」

「!?」

 煙が晴れる。シールドエネルギーの枯渇により両の手から刀が消えていく。

 手ごたえはあった。だがそれは福音ではなく。

 

 

――白式が落ちていく。次いで紅椿も、叫びを上げて後を追うように――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………』

 旅館の一室。専用機持ち達は教師達の居る作戦司令室の近くに部屋を設けられ、そこに無言でISスーツに制服の上を羽織り思い思いの体勢で詰めていた。

 状況は、かなり悪い。一夏は重傷、箒は錯乱、4組の更識 簪は機体の大破。残る四名で敵第三世代実験機、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)をどうにかせねばならない。

 だがそれ以上に、セシリアからもたらされた情報が部屋内の四名に影を落としていた。

「わたくしは両名が落ちていく所からしか見ていませんが、先生方の話では……」とセシリアが項垂れる。

「箒が一夏を斬ったってのね」と鈴。

「新兵故の狂乱、というやつだろうか」とラウラ。

「……違うと思う」

 三人の目がシャルルに向いた。

「どういう事ですの?」

「皆はトーナメントの事を覚えてる?」

 トーナメントと聞いてこの場の面子が思い返すのはただ一つ。

「あの時は済まなかった」

「そっちじゃないわよ! 一夏を嫁とか絶対に認めないから!」

「静穂さんの方ですからね!?」

「……進めていい?」

 少し落ち着いたところでシャルルは始める。

「静穂は決勝の時に操られていた。その話は前にしたよね?」

 三人は頷く。

 あの日、トーナメント決勝戦。ラウラのISに内蔵されていた(ヴァルキリー)(トレース)システムの発動から端を発した事件だが、最大の問題はそのシステムと当初互角に渡り合った静穂にある。

「オルコットさん。師弟関係の君に聞くのは失礼かもしれないけど、当時の静穂に、劣化した織斑先生と互角に渡り合える実力はあった?」

「……いいえ」(かぶり)を振る。「静穂さんが決勝、正確には準決勝でしょうか、勝ちあがっていけたのは、(ひとえ)に自分達の手の内を読ませない策略と、パートナーである更識さんとの綿密な連携によるものです。

 戦略なし、真っ当な専用機なしの静穂さんでは、到底傷一つ付けられはしないでしょう」

「それでもあの機体構成は脅威だったけどね」シャルルは一応のフォローを入れる。

 問題としてはそこだ。実力不足の静穂が何故VTシステムと互角、果ては三機のISを全て同時に相手取り、遂には圧倒して見せたあの機動が、どのようにして生み出されたのか。

 最も多い意見としては爪を隠していたという意見がある。だが実際に戦い、その内情の一部を知るシャルルはそうは思えなかった。

 爪を隠していたとして、自己があの状態になるまで戦えるだろうか。目が潰れた時点で、どうして即座に対応出来たのだろうか。

 外側からゲームのキャラクターのように動かされていれば納得はいく。

「それがどうしたってのよ」と鈴。「シズが操られてパワーアップしたのと、箒の今回の暴走が関係するの?」

 まさか箒も操られてたとか? と鈴が冗談交じりに言うと、

「――そのまさかだと、ぼくは思う」

 シャルルは肯定した。三人は目を見開いた。

「シャルルさん、それはあまりにも飛躍しているような――」

「解ってる。でもそうだとしか思えないんだ。()()()()()()()()()()()()()()

 一夏に対する照れ隠し。いやこの場に居る全員に言える事だがそれはさておき。

 身につまされるのか心当たりがないのか、三人が押し黙る。

「普段はともかく戦闘時にまでいつもの勢いを持ち込むような人じゃない筈だ。それに根拠もある。山田先生の口から聞いたから間違いないんだけど、篠ノ之さんも静穂も、二人とも要人保護プログラムっていうものの対象者だった。言ってしまえば重要人物を繋ぎとめる人質だね。静穂の理由はともかく篠ノ之さんは当然――」

 ラウラが口を開く。「姉、篠ノ之 束博士か」

 シャルルは頷いた。「たとえ攫われてもいいように対策を取られていても不思議じゃない。それだけの重要人物だ」

「ですがそれだけで洗脳と見なすには少し弱い気が……」

「それが本当なら日本は自国民に何やってんのよ」

「ぼくの取り越し苦労ならそれでいいんだ。ただもう一度、今度は篠ノ之さんが、ってなるのはちょっと、ね」

 シャルルが苦しげに笑って見せる。この場で洗脳された相手との戦闘を経験しているのはシャルルのみで、言葉のニュアンスからその脅威を三人は十分に感じ取った。

 戦力もそうだが、何よりも精神的に辛いのだと。

「デュノア。義妹(いもうと)の戦闘能力の変化はどう説明する? それ程急激に変わるものか?」

「洗脳か外部からの操作かはわからないけど、どちらにせよスイッチがある筈だよ。今回の篠ノ之さんは密漁船の発光信号だった」

 そのスイッチさえ排除してしまえばもう錯乱・暴走はないとシャルルは主張した。

「セシリア、アンタは静穂の事知ってた? 要人保護プログラムの事」

「ええ。事前に聞いていましたわ」

「国際問題にならない? 言っちゃえば国家の要人を弟子扱いって」

「…………」

「なんとか言いなさいよ」

「続けるよ。――とにかく篠ノ之さんは今回操られていた。静穂の時は首に備え付けられた電極だったから、今回も同じだと仮定すれば、篠ノ之さんはまだ静穂よりひどい事にはならないと思う。一緒に雪辱を晴らす事は出来る筈だよ」

「シャルルさんは戦うつもりですのね。箒さんも連れて」

「命令だからね、やるだけはやるよ。過程はどうあれ一夏に篠ノ之さん、4組の代表までやられてる。代表候補生の建前上、自分だけ引く事も出来ない」

「私も同じ理由だ」とラウラ。「やられっぱなしではドイツ軍人の名が廃る」

 それを見てセシリアは、「――速度はティアーズのパッケージでほぼ互角。やってやれない事はありませんわね」

「火力は任せて」鈴が立ち上がる。「うってつけのパッケージを入れてあるわ」

 言うと鈴はツインテールを靡かせ部屋を出て行こうとする。

「鳳さん何処へ行くの?」

「この後作戦会議でしょ? 箒の奴をふん縛ってでも連れてくるわ」

 

 

 ……とは言ったものの、本当は鈴がそう長くなくてもいい、考える時間が欲しかったというだけの事である。迎えに行くまでをその時間に充てたかったというだけで、他に何と言う事はない。

(…………)

 だが、そのほんの数分を鈴は早速無駄にしていた。

 考えが纏まらない。やる事は決まっている。今回本国から送られてきたパッケージに高機動用のものは存在しない。現状で鈴が取れる策は、許容できる程度には機動性を犠牲にして火力を高める以外にない。

 そう、決まってしまっている。だから鈴は悩めない。考えられない。

 元より考えるより先に手が出る性質(たち)だ。かつてはそれと言葉の壁で虐められ、一夏に救われるに至ったのだが、それは今はどうでも良い。

(どうしたいのよあたしは!)

 やるべき事は決まっていて、それでいて何か苛立ちがある。不愉快だ、でも何かが解らない。

 幼馴染が友人に倒された事か、その友人もまた何かに操られているかもしれない事か。はたまたその「何か」の正体が判らない事か、今の自分の心境の様に。不毛だ、そんな事を考えたくて汚れ役を言い出したのではない。

 そうこうしているうちにもう、病室として使われている一室の前まで着いてしまっている。

「……ああもう!」

 時間を無駄にした。要するにホイホイと操られて一夏を傷つけ、これから背中を任せる箒に対して何と言って良いか分からない事にに苛立っているだけだと漸く気づく。

 その憂さ晴らしかのように勢いよく扉を開ける。

「っ……!?」眠っていた更識が肩を震わせて起き上がろうとする。

「ごめん。寝てていいから」そう言い放ちずかずかと室内へ。和式の室内には布団が三つ。一つは今起こしてしまった4組代表。もう一つは自分の想い人が包帯も新しく眠りについている。一命は取り留め、後遺症も残らないという話で一同は安心した。

 そして最後は今回の目的だが、

「――いない?」

 目的の人物、箒がいない。布団が乱れている以上ここにはいたのだろうが、

「ねえ、もう一人いなかった?」更識に問いかけてみる。

「……?」更識が空いた布団を見る。「私が来た時には、いたと思うけど……」

「あいつ……!」

 急ぎ病室を出て、プライベート・チャネルを繋ぐ。

「箒が消えた!」

『!?』

「ひょっとして洗脳が解けてないんじゃないの!?」

『急いで探しませんと!』

『何をするか判らない! もし“あの時の静穂”みたいになってるとしたら!』

『第4世代の専用機であの機動か。私達で抑え切れるか判らんな』

「遠くには行ってないわよね……!」

 通信を切ると鈴は廊下から中庭を通り、旅館の敷地外へ続く道を走りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(行かなければ)

 ――何処へ。

(行かなければ)

 何処へ行こうというのか。

(行かなければ)

 ……目的地も分からないままに、箒は砂浜を一人歩く。

 脳内ではたった一言を反芻し続け、もうその言葉の意味も分かっていない。ただその言葉を呟き、足を進めるだけ。

 髪に至っては普段の髪留めも紛失し、艶やかな髪が統一感なく揺れている。

 ただ、頭のどこかで音がする。光が瞬き、明滅する。

 その音が伝えてくるのだ、こっちに来いと。光が示すのだ、ここまで来いと。

 何故か、その音に従わなければいけない気がした。光の先に進まなければいけない気がした。

 それが、ひどく不快に思われたとしても。

 だから、それを遮るものは、たとえ何であろうと邪魔者でしかなかった。たとえそれが――

 

 

「やあ、箒ちゃん」

 

 

 そう言って破顔したその顔に、見覚えがあったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(うわぁ、うわぁ)

 静穂は内心で焦っていた。取り敢えず全力全開の“たおやかな笑み”を浮かべてお茶を濁そうとしてみたが、全く以て無反応。というか怖い。いつもの箒ちゃんじゃない。

(髪おろしてるしちょっと猫背だし、目元も荒れてるしISスーツ姿だし)

 最後に意味はあるのだろうか。きっとない。夏とはいえ時刻は分からずとも夜で寒そうではあるが。

 どのくらいかは判らないがゴーレムⅡの中で眠りについて、装甲が開いたので降りてみれば夕暮れの砂浜で、ゴーレムが飛び去りここが何処かを確認していると、目の前にどこか打ちひしがれたような箒が立っていた。確かに由々しき事態だが、目的地について事前情報も少なくいきなり目的の人が目の前に来ているなど心構えが出来ていない。しかも静穂は寝起き直後だ、涎の後は出来ていないか。ちゃんと人前に出られる格好をしているだろうか。

 だがそれは彼女の方にも言えるのではないだろうかと考える。明らかに普段の彼女ではない。なんというか、そう、無理して死者のフリをしているような。

 風で互いの髪が揺れる。同時、箒の背もまた、少し揺れる。

 おかしい、あり得ない。普段の彼女では想像もつかない立ち姿だ。いつもの凛とした、侍然とした背筋はどうしたのか。

「どうしたの、箒ちゃん」呼んでみる。「侍でいるのに疲れちゃった?」

「…………」

 根気よく続ける。「そうそう、誕生日おめでとう。さっきお姉さんから聞いたから何も用意できていないのだけれども」

「……何をしている」

「(早速か!)――何って?」

「何をしている。()()()()

 静穂は押し黙った。()()()()()()()()()()

「……()()はやめてよ。()()だからね、今の名前」

(重症だ、これ)

 記憶の退行、情緒の不安定もありそうだ。自分もトーナメントの時はこうだったのだろうか。

「私達は行かなければならない。違うか」

「違うよ」

「何が違う」

「わたし達の居場所はIS学園(ここ)だよ。何処とも知れないどこかじゃない」

「違う」

「じゃあ何処に行くか分かるの? 其処が何処だか知ってるの?」

 その質問に箒は答えず、ただ腕を横に振るう。

 振りぬいた先には刀が拡張領域の発光と共に煌いていた。

「行かないといけない。邪魔をするなら、」

「切り捨てる? というかそれどこから出し――」

 静穂が言い切るより早く、虚空にその刀が突き込まれる。

「っ!!」

 動作を投影したかのように光刃が発生。静穂が今までいた所を通過、彼方で砂浜に着弾、爆発を引き起こす。

「ISぅっ!?」

 砂浜を走り二撃目も回避、流木に躓いたところを箒に肉薄される。

「ハッ!」

「ちょっ」

 頭上に振りかぶっての唐竹割りを前転で通り抜ける。砂浜が手榴弾でも爆発したかのように破裂した。

 右腕をぶつけて死ぬかと思うほど痛い。だがこれで漸く理解した。

(箒ちゃんも()()だった訳か!)

 束が自分を呼ぶ訳だ。洗脳された者同士、ぶつけ合えば何かが起こるかもしれないと。

(でもどうするか羽交い絞めにして説得するかでもそれは一夏くんが適任だろうしわたしとラビットが必要って事はやっぱりそれはそういう事だろうしでもでもそれをやっていいのか分かんないし後遺症とか残るかもだしそれでもやらなきゃ呼ばれた意味とか払い戻し計算とかしないとだしそもそも払い戻しってどうやるのそれをやってゆるされるのラビット没収とかなったらそれはとてもとても大変な事に――)

 思考が巡る。箒が迫る。

(考えてる暇がないぃ!)

「先に言っとくごめんなさい!!」

 袈裟に切り込まれる刀に()()()()()()()

 クロスカウンター。肩で刀の柄を受け、額に伸ばした左腕の中指を親指で抑え込み、解放する。

「!」

 パワーアシスト込みのデコピンが箒の頭を跳ねさせた。

「っ、どうかな!?」

 箒がたたらを踏んで後退。刀を持たぬ手で額を押さえる。

 とにかく頭だ頭を叩く。静穂は往年のブラウン管テレビを直す際に使われる手法を採用した。

 相手を無力化させるには実績はある。洗脳された相手ではなかったしその対象者がどうなったかは定かでないが。

 ――しかして結果は、

「っ!」

 額の血を拭い、箒が突っ込んでくる。

「やっぱり駄目ぇ!?」

 袈裟と逆袈裟をスウェーバック、突き込みを半身を切る事で漸く躱す。

 避けきれずギプスに切れ込みが入ったところで箒が刀を横に薙いだ。

 身を屈め回避、その体勢のまま静穂は箒の間合いの更に奥へ。

 刀の柄を握る箒の手の上から握る。力と力が拮抗する。時間稼ぎだ、今のうちにこれからどうするかを考える。

「退け! 私は行かなければならないんだ!」

「だから何処に行くのさ!」

「私が知るか! とにかく行かなけばならないんだ!」

「皆を置いて!? 一夏くんも!? ようやく会えたのに!? 好きな人じゃなかったの!?」

「一夏は関係ないだろう!? これは私の、」

「私の何!?」

「――何だ?」

「そこで聞かないでよ!?」

(このまま引き寄せて頭突くか!?)と思考を巡らせていたその時、

『しーぴょん!』と束からの通信が入った。『その調子で箒ちゃんを揺さぶって!』

「束さん!? 次からはちゃんと説明してくださいよ! 取り敢えず今何時!?」

『もうすぐ5時! 束さんは感情の強い発露が欲しいのさ! 今の箒ちゃんは命令に従おうとする外部からの強制された意思と、箒ちゃん本来が持つ感情がせめぎ合っている! 感情が命令に勝たない事には束さんが箒ちゃんに干渉できないんだけど相当命令の植え付けが強いからがんばれしーぴょん!』

「要するに心を一気にぶわっとさせろと!?」

『オッケェイ!!』

「解りましたっとぉ!!」

 箒の感情を爆発させる。特に種類に指定はないとみた。

(だったらやれる、やってやる!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――箒は腕を引かれ膝蹴りを受ける。堅い感触が膝を阻む。シールドバリアだ。

 雨月を一度拡張領域に仕舞い漸く手を振りほどき、再度展開した雨月を袈裟に振り下ろす。

 砂浜が破裂する。確認するもその場にはもう静穂はいない。

「聞いて、箒ちゃん」

 後方、背中合わせの位置に。

「っ!」

 左手に紅椿の腕部装甲と空裂を展開。回転し振り向きざまに空裂を起動、偃月状の光刃が静穂のいた場所を吹き飛ばす。

 そう、いた場所である。

(いない!)

 箒は歪む頭で苛立ちを隠さなくなってきた。自分は行かなければならない。そこに意味も目的も存在しない。ただ行かなくてはならないのに、この男だか女だかよくわからないものが、なかなかどうして邪魔をする。

 苛立ちが募る。奴は何処にもいない。

 見渡す。

「!」

 居た。横薙ぎに振るった空裂の上。そこからこちらの腕を足場に移動して右足を後ろに振りかぶっている。

 頭部へのサッカーボールキックを仰け反って躱す。着地を狙い雨月と空裂の二振りで襲い掛かる。

 雨月をスリットから伸びた蹴りで手から弾かれ、空裂は左手で受け止められる。再度の拮抗。

 負けられないのに勝てない。力比べで何かが劣っている。 

 第4世代の機体の筈だ、世界最高の機体の筈だ。

 これを何処かに運ばなければならないのに、邪魔をしてくる此奴を振りほどけない。

 右腕にも腕部装甲を展開。静穂の頭を鷲掴む。頭蓋を握り潰すつもりで力を込める。

「聞いて箒ちゃん! 一夏くんは関係ないんだね!? 何もかも放り出してよくわかんない所に行っちゃうんだね!?」

「それがどうした? 私には行く所がある。それだけだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――えっ?」

 箒の腕、部分展開された腕部装甲から力が抜ける。

 その虚を突いて静穂が腕を掴んだまましゃがみつつ横回転、背中で箒を跳ねあげた。

 一本背負い。箒は背中から叩きつけられ咳き込んだ。

「かはっ、――?」

 未だ疑問が残る頭の上、腕を掴んだままの静穂の左腕。

(待て、待て待て待て)

 万歳の格好をさせられたままの箒は完全に意思も感情も止まっていた。

(こいつはなにを言っている? 一夏が誰かのものになる? いやだ。でもちがう、そこじゃない。こいつは男で、一夏も男で、え?)

 残るギプスの右腕、上がらない筈の腕が引き絞られる。

「お前――」

 

 

「そんな訳あるかああぁぁぁあああッっ!!」

 

 

「――あっ」

 静穂の右腕が視界を埋め尽くした時、

 箒は確かに、死を認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この子が例の?』

『ああ、世紀の大天才、その妹さんだ。かわいそうに、この歳で親と家族と離ればなれなんてな』

 ――夢をみているのだと気づくのに、そう時間は掛からなかった。

 普段自分の見ている視界よりも、ほんの少し世界が低く感じられる。

 着ている制服にしても中学の頃のものだ。IS学園の白いそれとは異なり、濃紺のセーラータイプに自分は袖を通している。

 自分は今、マンションのエレベーターに大人二人と乗っている。二人の道中の会話は取り留めのない世間話のようで、その実は自分の置かれている状況を間接的に教えてくれるための手段だという事を、この後に会う人物から聞かされた。

(これは私の過去か)箒は中学生の姿で視線を少し下に向けたまま、現状をそう認識する。

『それよりかわいそうなのと一緒くたにする訳ですがね』

『言うな、それを』

『だってそうでしょう? この子と違ってあっちは何度狙われてるか』

『……だから統合するんだ。一緒くたにすれば両方襲おうなんてのも極端に減る筈だからな』

 自分は何かを守る傘の役割も求められているらしい。彼らはSPだ、要人保護、その名目で自分と、その要人とやら()を縛り付ける為の。

(私に何を求めるのだろう)

 聞いたところで答えてはくれないのだろうが、やはりそう考えてしまう。

 ……エレベーターが指定の階で止まり、外に出る。季節の風が頬に当たるが、温い気持ち悪さしか感じられない。

 大人二人が自分を挟み歩き出す。夢に決定権も拒否権もない。ただコマーシャルの様に流されていくだけ。

『――手を出せないのが残念です』

『黙れ、本人の前でいう事か』

『ならあっちに出しますか?』

『前でなくとも黙れ』

 身と尊厳の安全は保障されているらしい。眉根の寄る伝達方法ではあるが。

 二人の足が止まる。自然、自分の足も。

 一室の中へ促される。ここより先は彼らの担当ではないらしい。

 (ローファー)を脱いでリビングへ。――先客がいた。これから先の同居人だ。

 自分と同じく学生服だ、但し詰襟の学ラン。男子の服装をしていても男女の区別に困る顔立ちをしていて、自分と同じくらいの長髪だが、自分の黒髪とは異なり色素が、肌を含め全体的に薄い印象を受ける。

 そんな彼は床に座りソファの足に背中を預け、向こうの壁に置いたクッション、それに貼られた紙に対して拳銃をむけている。

 彼は撃った。空気が勢いよく抜ける音がして、小さなプラスチックの弾が紙に描かれた円と十字の中央にぶつかり跳ねる。エアガンだ、彼はそれを何度も繰り返す。

 それをしばらく眺めていたら、『……あぁ』と漸く彼がこちらの存在に気付いた。

『よろしく頼む。片づけはきちんとやってくれ』自分の口が意識とは別に再生される。

『あぁ、うん、よろしく。うまくやるよ』彼は虚ろげに笑って見せた。

 そうか、これが、と箒は思う。

(これが、あいつと初めて会った日か)

 

 

「束さん大興奮! 中学生の箒ちゃんってばかわいいなぁ!」

「!?」

 

 

 ――突然耳元で叫ばれ箒は振り向いた。だが声の主は何処にも居らず、また、マンションの一室でもない。

 廊下だ。今度は先程よりもっと世界が低い。

(小学校?)

『やーいやーい男女ー!』

『織斑と夫婦やってんのハッズカシー!』

 無言で振り向く。小学生の男子二人がけらけらとこちらを指さし笑っている。

(ああ、これは)

 何とはない、普通の光景だ。姉がISなどを発明するそのずっと前。学校で学び、家の道場で鍛え、よく笑い、遊び、そして泣かされていたあの頃の一幕。

『なんとか言ってみろよ男女!』

『一夏助けてーって泣いてみろよ!』

『おまえらーっ!』

 誰かが走ってくる音がする。自分にとっての王子様。

『やべえ織斑だ! 旦那が来たぞ!』

『逃げろあいつモップ持ってる!』

 踵を返して二人の男子が走り去っていく。それをモップを担いだ王子様が追い払う。

『大丈夫か、箒』

『……もういい、私に構うな』

 意にも反してふくれっ面で、そう口に出してしまうのは、幼いが故の強がりと反抗心。

『言ってただろ、夫婦って。私は恥ずかしくて、もう嫌だ』

 そんな事はない。ただ意中の相手に自分の中身を覗かれたくないだけ。

 相手を傷つけるような照れ隠しを、王子様は簡単に切り捨てた。

『そうか? 言わせたい奴は言わせとけばいいだろ』

『でも夫婦だ。私たちはまだ子供じゃないか』

 子供は結婚できない。家族にはなれない。

(なぜ、そんな風に考えたのだろうか)

 思い出せない。それがもどかしいのに懐かしい。

『なら早く大人になろうぜ! 大人になれば変にからかってくる奴なんていないんだからさ!』

『っ! お前は!』箒は拳を振り上げた。

『ちょっと待て! なんで箒まで怒るんだよ!?』

『うるさいこの! 私の気持ちも知らないで!』

『言わなきゃわかんないだろー!?』

 そのまま取っ組み合い、追いかけっこが始まる。

(ああ、この頃は)

 これだけで楽しかったのだ、これだけで満足だったのだ。

 ……いつからだろう。

 これだけで満足できなくなったのは、一緒にいて、胸が苦しくなりだしたのは。

 

 

「……それが大人に近づくって事だと思うよ」

「……姉さん」

 

 

 ――場面が切り替わる。これまでとは異なり視界が高い。普段の自分の身長を超えている。

 周囲を見渡す。全体的に薄暗い。太く角ばった鉄筋コンクリートの柱が何本も並び立ち、爆発し燃え尽きた自動車が何台もならんでいる。

 自分の腕を見る。IS学園の制服から伸びる細くしなやかな指はマメやタコ、切り傷跡が目立つ。

 傷だらけの手、普段の自分を超える身長。

 

 

――箒は静穂になっていた――

 

 

「恰好を借りたんだよ」いつの間にか傍にいた束が話しかけてくる。「ここはしーぴょんの場所だからね。しーぴょんの恰好が自然なのさ」

「姉さん、どういう事ですか」

「それにしてもしーぴょんは面白かったね!」束は声を上げて笑い出す。「束さんじゃなかったら勘違いしちゃうところさ! あれ、箒ちゃんは勘違いしちゃったかな!? しちゃったかな!?」

「姉さん!」

 普段とは違い姉を見下ろす視界は新鮮だったがそれはさておき、箒は説明を求めた。胸中を当てられた恥ずかしさを隠す意味合いも含めて。

「どういう事ですか」

「――紅椿とグレイ・ラビットの相互意識干渉(クロッシング・アクセス)、そして束さんの電脳ダイブ」

 意味が解らない。もう少し真面目に勉強していれば違ったのだろうか。

「要するに箒ちゃんの病気を治療している間、暇だろうからしーぴょんに場所を借りて束さんとお話しようって事さ!」

「病気、ですか」

 それもかなり厄介なね! と束は楽しそうにくるくると踊り出す。

 たった数回のやり取りで聞きたい事が山ほど出来てしまった。紅椿はともかくグレイ・ラビットとは。何故そのしーぴょんとやらが関係してくるのか。そして自分の病気とは。

(病気……)

「……あれも」

「何かな箒ちゃん?」束はまだ回っている。

「あれも病気ですか?」

 紅椿を駆る自分の、あの胸の高鳴りは。

 両の手を見て、握り締める。自然と拳に違和感がない。

 それだけ握りこまれてきたという事だ、静穂の手は。拳は最も身近な力の象徴かもしれない。その象徴をこの身体は、幾度も幾度も振るい、鍛え、使い込んできたのだろう。

 自分にもそれが無いという訳ではない。自分にすればそれは剣で、マメが潰れ、皮膚が固くなるまで竹刀を、木刀を、時には真剣を握ってきたという自負がある。

 だからその自負に則って、自分は紅椿を動かした。

 その結果が何だ、あれは。今この場、客観的視点になって漸く、自分のした事を理解する。

 紅椿を自分の力だと過信して、もう守られる立場じゃない、自分が守るのだと誤解して、もう並び立った気になって、結果良い様に弄ばれ、大切な人を傷つけた。

 剣とは人にとって、最も身近な殺意の象徴なのかもしれない。それこそ未熟な者ならば持っただけで人を狂わせてしまうような。

 ISもまた然りだとしたら。

「私には紅椿を、ISを扱う資格はないのでしょうか」

「違うよ箒ちゃん。(パンチ)(ゴリラ)でも出来るけど、剣はそれを理解した人間にしか扱えない。もっと理性的なものさ」

 選民思想のつもりはないししーぴょんはゴリラじゃないけどね! と回転を止めた束は笑う。

「……ねえ箒ちゃん、覚えてる? 二人で初めて道場で稽古した時の事」

「それは、勿論……」

 年上で、箒が入る以前から稽古を受けていた束の姿。あの剣筋を箒は今も鮮明に覚えている。

 自然体だった。綺麗だった。だから憧れたのだ、天災だなどとは関係なしに。対して自分は駄目の駄目だった。子供用の竹刀ですら持ち上げられず、束にはカワイイと叫ばれ、父には苦笑いされ、悔しかった。スポーツチャンバラの小太刀を振り回す事から始めた初めての日。

「あの頃と一緒だよ。最初から何でも出来るなんて束さんとちーちゃんくらいなんだから」

 一歩ずつでいいのだと。愛しの彼と、一夏と白式に並び立つ、その資格を得た、それだけで今は良いのだと。

「一歩ずつだよ、箒ちゃん」

「……ですが福音は、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)はどうなりますか」

 一夏は自分が傷つけてしまった。高速仕様の機体でないとあの機動性にはついていけない。責任感と使命感が、一足飛びの結論を求めている。

「そこは束さんに任せなさい!」束が胸を叩く。「大天才の束さんがちゃんと考えてあるんだから!」

「はあ、……」

 信じていいのだろうか。この姉に任せると一足どころか三段跳びを超えて棒高跳びくらいの突拍子もない結果が待っていそうで怖い。

「……大きくなったね、箒ちゃん」

「姉さん? っ――!?」

 束が神妙な声色になったかと思うと突如抱きしめられ、静穂の、いや自分の身体か掠れ消えていく。

「姉さん、私の身体が――」

「時間切れだね。治療が終わったんだ」

「何の病気なんですか。治療って何の――」

「――素直になれない病気だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……きっと箒ちゃんもしーぴょんと同じで忘れちゃうだろうけど、これだけは覚えていてほしいな」

 誰もいなくなった地下駐車場で、束は一人呟いた。

「大好きだよ、箒ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――気づけば砂浜に、紅椿を完全展開した状態で尻餅を突き雨月を杖にして傾いていた。

「ここは?」

 周囲を見渡す。夕日が綺麗だ。違う、そうじゃない。

 自分が何をしていたのか思い出せない。確か一夏を背に乗せて彼方の海原へと向かい福音を倒す為に躍起になって、

(密漁船がいて、それで)脳裏を過る。(----------!?)

 両手の剣を手放し後ろに倒れる。推進器が邪魔で仰け反る姿勢となり両のマニピュレーターで顔を覆う。

(私は、なんて事を……!)

 償いきれるだろうか。嫌われてしまっただろうか。それ以前に一夏は無事だろうか。

(こんな所にいる暇はない!)

 急ぎ一夏の所に向かおうと起き上がって、気づく。

「何だ、これは……?」

 自身が飛ぶ際に作り出した窪み(クレーター)よりも大きい、浅いが直径4メートルはありそうな窪みが砂塵を濛々と立ち込めさせていた。

(人影? 誰だ?)

 紅椿のハイパーセンサーが砂塵の中に人影を見出した。蹲って何かを押さえているように見えるが定かでない。その人物がこれを作り上げたのだろうか。

 段々と晴れていく砂塵の中の輪郭に、箒は強く見覚えがあった。

 

 

「――いっっっ、……った()ぁああぁぁぁあああ!!」

 

 

「静穂……」

「っ、あぁそうか! ()()()っていうのはくっつけて元通りにしただけだから痛覚と落ちた筋力はそのままって事!? あぁあ痛い痛い痛い!」

 ――砂塵が治まっていき、静穂の右腕を振る姿が露わになる。

「静穂」

「だから前もって説明してって言ったじゃないですか! へ、何ですか次って。次!? 次があるんですか!?」

「……おい」

「銀の福音? 第3世代。一夏くんが怪我!? ラビットでやれと? 二対一で勝てなかったのに!?」

「おいっ」

「いやいや無理でしょ慣熟飛行もやってないのにうわあぁやめてやめて機能停止されたら死んじゃう死にたくなーい死にたくなぁい!!」

「…………」

 ――すっ、と箒は空裂を構える。

「箒ちゃんゴメン待って待って束さんもわたしやりますから機能停止はちょっと待って」

 静穂が両手で制止を促す。

「無視するな。頼むから」

「――頼む人の態度なの?」

 再度構える。再度脅える。ちょっと面白くなってきた。

「遊ばないでよ、まったく……」

 静穂が文句を垂れながら窪みから上ってくる。膝程まであった窪みをえっちらおっちらと海側、箒とは異なる方向へ。

「痛いなぁ。あ、痛覚切ればいいのか」

「……静穂」

 なに? と静穂が顔を向けてくる。

「どうしてここにいる」

「頼まれたからね、箒ちゃんのお姉さんから」

 姉、と聞いて箒は神妙な顔をした。良い感情は沸いてこない。姉が何を考え、どのような理由で静穂を使わしたのかが気になってしまう。

 姉がまた何か迷惑をかけたのではないかと不安になる。こいつの事だ、頼まれたら断らない。

 いつぞやの約束もそうだ。男とバレないよう手助けするとこちらから言っておきながら、その実はこちらから反故にしたようなもので、そのくせあちらからは幾度となくそれとなく一夏と近づく支援を受けて。

 とにかく箒には自分では言葉に出来ないくらいの負い目があった。

「助けてくれたのか?」

「適材適所」静穂はそう言って微笑んだ。「その様子だともう大丈夫みたいだね」

 却って心配されてしまう。斜面を登り切った彼は大きく背筋を伸ばす。

 風に髪と包帯と制服の端を靡かせる彼の姿をまじまじと見る。同じ女子としか思えない、それはもういい。

 白く一定の清潔感があった学園の制服が今は全体的に灰色、少しくすんだぼろ雑巾のようだ。飾り気のないロングスカートは太腿まで鉤裂きが続きスリット状に。そのスリットからは全身を末端まで覆うISスーツが覗き出て――違う。

(スーツじゃない?)

 灰色のボディスーツが時折り幾何学模様のラインを走らせ、()()()()()()()()()事を紅椿(ハイパーセンサー)が発見する。

「さて、と」一頻り柔軟を終えた静穂は、「今度はわたしが行かないと。ちゃんと行先は決まってるから安心して?」

「そのISでか」

「やっぱり判る?」

 静穂は制服を脱いで拡張領域に放り込むと右足を高く上げ、砂を脚部装甲で踏み込んだ。次いで左足を前に突き出して同じく展開。最後に推進器を呼び出して、

「じゃあ行ってきます。皆によろしくね」

 PICを起動、ゆっくりと浮き上がるや否や、こちらの制止も聞かず波飛沫を上げて飛び立った。

 

 

 ――最初に爆発を確認したのはラウラだった。爆発元は旅館から大分離れた砂浜。海とはいえ乾いた砂浜で巻き起こされる砂塵は酷く、対象の視認は出来ない。また相当の火力による応酬が予想され、福音と一戦交えるという問題がある以上少しでもシールドの消費は抑えたい。可能ならばこの場はやり過ごしたいというのが代表候補生たちの取捨選択だった。

「捨て置く訳にもいくまい」

 とはラウラの言だが、それ以前に戦っているのがあの紅椿のコア反応だと確認できてしまった。元より後顧の憂いは絶つべきというのもあり、行かないという選択肢は取る事が出来ない。

 一人で何かと戦っているのか、それとも一人暴れているだけか。後者が望ましいが前者なら救援が必要だろう、しかし 自分達のシールドは減らしたくない。

 よって専用機持ちの四人は薄情と取られても頃合いを見計らって全員で偵察に出る事にした。一際大きな爆発で一頻り撃ち終えたのか、静かになった所を一気にISで接近する。

 不自然に窪んでいる地点からISが一機飛び立った。敵機だろうか。

「箒ー!」

 鈴が叫ぶ。窪みは直径約4メートル。その縁に箒はいた。紅椿を完全に展開しているが、さして外傷や消耗は見られない。精々が涙の後くらいだろうか。

 一目散に鈴が降下、

「箒! アンタ何やってんの!」

「っ、ああ、鈴音か」

「ああ、じゃないわよ、ったくもう……!」

 箒は半ば呆けているようにこちらの言葉に反応する。未だ洗脳されているならば二・三発は龍咆で頭をどついてやろうかと思ったが、

「どうも大丈夫みたいね……」

「すまない、心配かけた」

 本当だ、この恋敵は。鈴は頬が綻ぶのをこらえるのに必死だ。

「――で、この穴は何? さっきの機体は何処に行った訳?」

「判らない」

「戦ってたんじゃないの!?」

「覚えていないんだ。気がついたらここにいて、穴が開いていた。そうしたらあいつが飛んで行って、私が一夏に何をしたか、何をすべきかは分かるんだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 どこかまだ洗脳時の混乱が残っていそうだ。鈴は箒の額にマニピュレーターをやり、穏やかに思考を切り替えさせる。

「とにかく判らない。なんであいつがISなんか持って、ああ、そっちは姉さんが何かしたのか。呼ばれた、とか言っていたな、あいつは」

「落ち着きなさいよ。穴はいいから、あの機体は? あいつって誰?」

「――危険なのか?」

「あの穴を爆発物なしの純粋なパワーで掘ったなら、あたしの甲龍とタメを張るわね」

 否、ともすると甲龍を超える可能性も。純粋なパワーアシストか、それともシュヴァルツェア・レーゲンのような砲撃か。いずれにせよ接敵すれば判明する事だ。

 上空から警戒していた三人も降りてくる。皆一様に飛翔したあの機体を気に留めているようで、周囲の警戒を怠っていない。

「判らない。でも行かないと、あいつの後を追うべきだ」

 立ち上がろうとする箒を脇から支える。

「だからあいつって誰なのよ」

「静穂だ」

 息を呑み目を見開いた。

「静穂が福音に向かっていった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処とも知れず、福音は眠りについていた。

 膝を抱え、翼を機体(からだ)に巻き、頭を海に向けて、シールドを殻に、胎児の様に、夕日を背にして只々眠る。

 その最中に気付いた。

 ――何か来る。




 次回、福音対ラビットです。


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63.ストレイ・ラビット

 ――自分の無意識下で姉妹の会話が行われていた最中、当の静穂もまた、同じように夢を見ていた。

 それは主宰者からの場所代だったのかもしれない。あるいはただ自分で思い出していただけなのかもしれない。

 まるでドライブインシアターで漠然と映画の、その概略だけを眺めるような感覚だったかと思う。だが思い出と切り捨てるにはそれはあまりにも甘く、穏やかながらも鮮烈で、二度と味わう事は叶わず、後味はあまりにも残酷だった。

 

 

 何処とも知れず、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)は眠りについていた。

 膝を抱え、翼を機体に巻き、頭を海に向けて、シールドを殻に、胎児の様に、夕日を背にして只々眠る。

 バグではない、エラーが多い。 命令系統に無駄が生じている。福音は対応策(デフラグ)を取る事で自己の最適化と機体の修復を図っていた。

 そこに然したる理由などない。ただそれが自己であるというだけの事。予め設定された事柄にただ、ただ従っているというだけの事。

 その最中に察知した。

 ――何か来る。

 これに対し福音は新たに飛来してくる対象を敵機(バンディット)Gと割り当て、迎撃体勢に移行した。

 機体を縦に反転、頭部を天に戻し振りかぶる。

 銀の鐘、指向発射(フォックス・ワン)。全三十六の砲門が順次敵機Gに向けてエネルギー弾を一斉に発射した。

 

 

 ――ハイパーセンサーを高速仕様に変更・調整をしながら静穂は独りごちる。

「そりゃぁバレるよねぇ、やっぱり」

  隠密性など考えもせず推進器を良い様にぶん回せば当然の結果である。彼方の目標空域で福音がその殻を破り、翼を広げようと状態の移行を始めていた。別に自意識過剰という訳ではあるまい。明らかにこちらを迎撃する体勢だ。自然、相手に先手を打たせる事となるのだが、今の静穂はその不利を甘んじて受ける覚悟があった。

 余裕、慢心、それらとは違う。

 これはそう、高揚感だ。

「――じゃあ行こうか、ラビット」

 推進器にエネルギーを注ぎ込む。頭部それぞれのレール状非固定部位(アンロックユニット)に接続された、頭頂部から膝下まで伸びる垂れ耳(ロップイヤー)型の二基と、足首を切り詰めたような形の、その長大な脚部の二基が空間を歪め、空に無色の波飛沫を立てる。

  噴射炎からくる陽炎ではない。垂れ耳の装甲の内側と、脚部は足首先から膝裏まで突き立てるように敷き詰められた干渉板が空間そのものを歪め静穂を前に押し出している。

 四基の推進器が甲高くも穏やかな音を立てて増速。福音へと迫る。

(突っ込んで、避けてみよう)

 恐怖を好奇心が上回った。今までの静穂にはない事だ。福音が放った銀弾の中をわざと掻い潜り、切り開くように押し進む。エネルギー弾と静穂が互いに距離を詰め、視界を体感速度と危険性を累乗した銀色で埋め尽くす。静穂は頭部の推力はそのままに足の推進器を強引に振り回し自己の軌道を変えていく。

 ワインオープナーを力任せに抉り込むような軌道を描いて三十六発を凌ぎ切った時、静穂の心中を満たしたのは、達成感と新たな危機感。

 銀の福音がすぐそこにいた。

(うわっ――)

 息を呑みつつも前方宙返り(フロントフリップ)で福音の頭を超え接触を回避、宙返りの頂で身を捩り福音の背に脚部装甲の横蹴りを叩き込む。

 福音の機体が仰け反り僅かに沈む。静穂が追撃の為に右の拳を引き絞った瞬間、福音の翼が爆ぜた。

 銀の鐘による近距離広範囲射撃。それに対して静穂は、

 

 

――跳んだ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――福音が体勢を立て直す。銀の鐘が直撃した筈の敵機はその場に居らず、彼方、距離にして12.52メートル頭上に陣取っていた。

「――いやぁ、ぶっつけ本番でも意外となんとかなるもの――でっ」

 振り向くよりも早く敵機が瞬時加速、速度はそのままに福音の腹部に脚部装甲が突き込まれる。

「せっ」

 次いでISにしてはリーチが短い腕部が引き絞られる。放たれた左のストレートを福音は払うようにいなすと、

 

 

――逆の腕で銀の鐘を掴まれた――

 

 

 そのまま引かれ頭部がつんのめる。曝け出された福音の首に脚部装甲を収納した足が跨ぐように引っ掛けられ、敵機の垂れ耳型推進器が天を向き瞬時加速。銀の鐘を発射するよりも速く海面に叩きつけられる。

 衝撃故か、角度がついていたか、あるいはその両方か。海面は機体が突き刺さる事はなく爆発、拘束は解けたが放り出され、

「痛覚調整、いけるかなっ!?」

 衝撃で投げ出された福音の腕部装甲、流麗なそれの僅かな凹凸に指の腹が掛けられ、

 腕が引かれると同時、右の二の腕が福音の胸部を叩く。

  レインメーカー。海面から引き起こされた直後にもう一度叩きつけられる。

 

 

――損傷拡大、危険度再設定、銀の鐘、全方位発射(フォックス・ツー)――

 

 

 自己の危機を察知した福音の防御行動。周囲の外敵要因を排除すべく全方位へエネルギー弾を発射、大きく凹んだ海面を蒸発させた。

 安心はない、慢心もない。福音はただプログラムに従い、敵を排除する。

 故に今はまだ不思議に思えない。

 

 

――敵機G、反応消失(ロスト)……確認(ポップアップ)。消失、確認、消失、確認――

 

 

 目まぐるしく反応消失(ロスト)再出現(ポップアップ)を繰り返す敵機G、ラビットの機動が、物理法則を超えたものだとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その夢は待ち人の声から始まった。

『ただいまー』

 普段から男女同権を正しい意味で謳う女性SPに国語の宿題を見てもらっていた静穂は、その声を聞くや否や飛び出していた。

『お姉ちゃん!』

 年齢にして二桁に届いたかどうかという頃の静穂がその喜色を隠そうともせず、リビングから一気に廊下へ走り出し、玄関で靴を脱ぐスーツ姿の女性に飛びついた。

『おかえりお姉ちゃん!』

『はいただいまー』そう言って荷物を下ろしながら腕を静穂の首に回す義姉。『一ヶ月ぶりかな? 少し伸びた? 背とか髪とか。ねぇ()()()()

『もうその名前じゃないよ』

『また変わったの? もう覚えらんないよぉ』

 義姉が静穂の膝を曲げ押し倒す。静穂はされるがままに笑っていた。 じたばたしてみるが大人と子供である。あらゆる差に抗える筈もないし、元よりそのつもりもない。こういう時はこうした方が義姉が喜ぶと知っていたからだ。

 密着した状態で義姉が言う。『疲れた。眠い。()()()()ー、頭洗ってー』

『――自分で洗いなさいな』とは先程まで静穂の勉強を見ていた女性SPだ。廊下の壁に背を預け、仕方のないといった表情で義姉を見ている。

『ナントカと義弟は使い様ー。上手なんですよこの子』

『それは知っているけれど』

 それを聞くと義姉が静穂を強く抱き寄せる。『あげませんよ』

『だったらもっと頻繁に帰ってきてあげなさい』

 それだけ言って彼女はリビングに引っ込んでしまう。そうなると玄関はもう二人の独擅場だった。

 頬ずりから始まり耳を舐め額に口づけ鼻を甘く噛み首筋に指を這わせ頭に顔を埋めて息を吸う。その間静穂はされるがままに受け入れていた。

 義姉に辛い事があった時はいつもこうだ。いつにも増して愛撫が多い。

 一頻りやり終えて落ち着いた義姉に話しかける。『だいじょうぶ?』

 そして義姉はいつもこう答えるのだ。『――うん、大丈夫』

 

 

 義姉がIS強化選手に選ばれて以降、二人の時間はめっきりと減ってしまっていた。

 本来の業務である要人(しずほ)の警護を放り出して義姉はISに乗っている。いや別に放り出している訳ではない。ただ国家においてIS搭乗者の育成とは急務であり、義姉の所属する組織がその方針に従い彼女を出向させたというだけの事で。だがそれでも静穂は寂しさを覚えていたし、義姉の方も心苦しさを感じていたようだ。

 強化選手は一ヶ所に纏められて生活も共にさせられていた。ほぼ完璧な隔離生活を強いられている中も義姉は強引に静穂の許へ帰り、二人の時間を作っていた。彼女自身の精神衛生の為でもあった以上、誰も文句は言えず、むしろ周囲は揶揄も含めて推奨していた節すらあったらしいがそれはともかく。

 互いが互いをふざけながらも丁寧に洗った後、静穂は彼女の股の間で湯船に浸かっている。

 二人揃って息を漏らす。湯からだけではない温もりや柔らかさが背や後頭部に感じられ、静穂に安心感を与えてくれた。

 ――取り留めのない会話の後、唐突に静穂が口を開いた。

『お姉ちゃんいじめられてるの?』

『? なんで?』

『ケガしてる』

 言われて義姉が腕を上げる。青痣がいくつもできていた。

『あぁ、これね』義姉が笑みを零す。『今のISって格闘技みたいなものだからね。練習していれば怪我もするよ』

『…………』

 ――どうしたの? と義姉が顔を覗いてくる。

『ぼく、ISきらい。お姉ちゃんケガするし、たまにしか帰ってこないし』

 涙目になっているのが自分でも判る。男だから泣いてはいけないのだと言い聞かせても効果がない。義姉を困らせてはいけないと分かっていても止められない。

『もっといっしょにいたいよ』

『…………そっかぁ』

 義姉の腕が伸びる。その手は静穂の肩口から胸、臍に及び、ふくよかなものが静穂の背中で形を変えていく。

 静穂の耳に口づけをして、義姉が囁いた。

『ISってね、凄いんだよ。どんな所にもビューって飛んで行けちゃうの』

『だから?』

『だからねぇ、()()()()が困った時とか、寂しい時とか、お姉ちゃんがISに乗っていればいつだって飛んで来れちゃうの。お姉ちゃんも強いからね、ライダーよりも頼りになるかもよぉ?』

『……でも来てくれないじゃない。乗ってるのに』

『そりゃそうだ、免許がない。車だって大人になって自動車学校に行って、ちゃんと勉強しないと動かしちゃいけない事になってるでしょ?』

 それと一緒だよ、と義姉は言う。

『いっそ()()()()も一緒に飛んじゃうか。飛び方は教えてあげられるよ? お姉ちゃん操縦上手いんだから』

『ぼく男だから動かないよ』

『大丈夫だって可愛いもん。ISだってメロメロだ、きっと』

 そういうものかなぁ? と静穂が小首を傾げたところに、義姉が自分の首を乗せ、絡ませる。

『――愛しているよ、誰よりも。大切なんだ、何よりも』

 たとえどのような結果が待ち受けていたとしても。

 だから泣かないでと。一人になんてさせないからと。

『ねぇ()()()()。ちゅーしよう、ちゅー』

『さっきしたぁ』

『はーやーくぅ。剥いちゃうぞ』

『それもさっきしたぁ!』

 そのまま二人は湯船の中で、湯の量を半分近く減らすまで取っ組み合った。当然、外にいる女性には怒られた。

 

 

 ――その暫く後、二人は今際の別れを果たす事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 汀 静穂という人間には、その義姉の影響が色濃く残っている。

 十数年という短い人生の中で絶頂にいたあの頃、義姉さえいればそれで良かったあの頃を、静穂は如何な処置を施されようと忘れる事はなかった。勿論、その最期の瞬間さえも。

 幾度とその身を危険に曝されて、本当に命を落としかけた事も少なくない。

 それでも義姉がいてくれた、それだけで救われていた。大事な時はいつだって傍にいてくれた彼女を、国家は、ISは、静穂から遠ざけ、そして命を奪った。

 国家が、ISが、静穂は憎いと思った事はない。当時そう関連付ける知識も能力もなかったし、自身を土台とした実験によりそう考える暇がなかったという点もある。

 それでも思う所があった事は確かではあったが、それに対して遺恨や憎悪という単語が当てはまる訳ではなく、静穂の頭の中でISとは“義姉のものだった”という以上の関連付けがなされず、言ってしまえば静穂にとってISとは、当事者でありながらその関係は薄いとさえ感じていた。

 汀 静穂と名前を変えて、性別まで偽り、ISとその身を密にする生活をしていても尚、その解釈が揺らぐ事はなかった。……今までは。

 

 

 ――グレイ・ラビット――

 

 

 かつて義姉が駆り、命を落とし、今は静穂の命としてここにいる。

 顔を覆う包帯を引き千切る。握り込んだ包帯ごと、拳を福音に叩きつける。

 キトンブルーに通ずる色彩を放つ左眼、宝石をそのまま埋め込んだような義眼(ラビット)が輝いていた。

「La――――」

 福音が発声。それはまるで独唱のようで――否。

「――――あぁ」

 静穂の喉から、つられるように、弱弱しくもひり出すように声が出る。

 機体(からだ)が思った以上に動く。完全に、義姉の残滓が自分の中に溶けて消えてしまったかのように。

 今になって漸くと、一人になって漸くと。

 幸せだったあの頃に、縋りついて生きている。

 自分ですらそううっすらと思い始めていた程だ、周囲にもその違和感を感じる者は少なくないだろうと、そんな雑念に囚われながら静穂は、完全展開したラビットで海上を征く。福音を追い、その身を覆う流体装甲で光弾を弾く。

 ……不意に静穂は、先程まで思い出していた言葉を思い出した。ISが発表され、第1回世界大会(モンド・グロッソ)が終わり、次回の為に強化選手として選ばれた頃の義姉が言った言葉。

 

 

――いっそ一緒に飛んじゃうか。飛び方は教えてあげられるよ?――

 

 

 ……あの時、静穂が襲われ、義姉が死んだあの瞬間までそう遠くなかったあの日の一言。疲れた身体を静穂と共に入浴する事で癒やしていた彼女は、どうしてそんな言葉を呟いたのだろうか。

(わたしがワガママを言ったから?)

 義姉と離ればなれで寂しいと、もっと一緒にいたいのだと、幼少の静穂はそう訴えたのを、今になっても覚えている。

(それとも)

 自分がいずれこうなると、男ながらにISを駆る事が出来ると彼女は知っていたのだろうか。静穂は自分が何故要人保護プログラムの対象とされているのかを知らないままでいる。彼女はその理由を知っていたのだろうか。知っていて彼女は、何かの理由があってそれを黙っていたのだろうか。

(――どうでもいいん、だろうなぁ)

 ……そう、どうでもいい。彼女はもう亡く、しかしその言葉は彼女亡き今になって成就されている。こうして福音と渡り合う今に義姉の影響がないという事はあり得ず、己が培ってきた技術の発展に彼女の恩恵がないとは口が裂けても言えない。

 ラビットの記憶領域には、確かな彼女の残滓があった。

 ラビットを手にして以降はその通りに軌道を描いてきた。ラビットとは異なる練習機が押しつけてくる機動に、残滓をなぞりつつ合わせてきた。

 練習機と専用機の性能差による齟齬があった。今はもう、それがない。

 つい先程まで金属バットで知らない誰かとどつきあっていた。その時点で完全にタガが外れてしまった節がある。一次移行も完了していなかったあの時点でだ。

 今の自分を止められるものは、そう多くはないのだろう。それはラビットの単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)が拍車をかけていた。

 ――福音を追う。接触して弾き出すように離れていく。

 福音がその武装を放ってきた。銀の光弾、数は三十六。

 それを静穂は難なく()()()()()

(一回の移動距離は? 連続使用の間隔は? 跳躍先の優先順位は?)

 間断なく飛来する光弾の中を飛び跳ねて、自己にもたらされた権能を確かめていく。

「La――――」

「――――ぁは」

 歌声に釣られ声が出る。弾幕を越えて飛び掛かり、自分で自分を振り回し、軸となる福音に遠心力を掛け力任せに放り投げた。

 空中に打撃力の源となる地面はなく、体勢を崩す以外に意味はない。

 それでもその結果が欲しかった。これから行うちょっとした大技を外したくはなかったのだ。

 ――ドロップキック。

「――ぁはは」

 両足を揃え脚部装甲の硬度と質量、更に瞬時加速の速度を加えた飛び蹴りが直撃し、彼と我の距離を突き放す。

「――La――」

 福音が幸いとばかりに頭部から発砲。それに対して静穂は、

「はかはははっ」

 ――掻い潜り、弾き、跳び越える。幾度となく、間断なく、自分へ向かって迫り来る拒絶の意思を徒費にして、

 

 

――鼻先が触れ合いそうな程に肉薄する――

 

 

「……おっと」

「――――La」

 福音の背後、頭部の銀の鐘が輝くと同時、

 ――()()()()()

「あははははは――」

 いつしか笑いが止まらない。跳躍を以て銀の福音、その頭部を足蹴に踏み潰し、全方位発射に指向性を加え回避しつつ地位的優位を得る。

 天を仰ぐ。両腕を広げる。

 ――嗚呼なんて、なんて、こんなにも。

(今この時だけのものだったとしても……!)

 幸せだったあの頃に、縋り付いて生きている。

 だが今だけは、この刹那、瞬間だけは――

 

 

――こんなにも解き放たれた事があっただろうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――未確認機、か」

 司令室からの報告を受けて、千冬は旅館の女将との打ち合わせを切り上げて司令室に戻ってきた。時折出くわす生徒達からは羨望とも恐怖ともつかぬ視線を向けられるが、この非常時に一々「自室待機と言った筈だ」と言って拘束するのは面倒なので目線すらくれてやらず押し通ってだ。いやそれは今はどうでも良い。

 問題は新しく出現した未確認機だ。司令室から届けられた報告の声色からは困惑の気色が伺え、自分たちでは判断しかねるとの旨を暗に伝えてきていた。

 と言ってもこの時点での問題は簡単で、要はその未確認機が自分達学園側にとって敵か味方か、あるいはどちらにも当て嵌まらない第三者か。そして目的や出現理由が何であれ、その機体がこれからの作戦遂行に支障を来すのであれば、本格的に自分が出張る必要もある――――と、そう思っていた。

 頭が痛い。勿論比喩だが。

(何をやっているんだ、あれは)

 司令室の中央に設置された空中投影ディスプレイでは福音に四方八方からちょっかいを掛ける()()()()の姿があった。

 ISにしては小振りなその姿。推進器こそ初めて見るが、その基部というか、素体には見覚えがありすぎた。灰色を基調とするダイビングスーツと見紛うそれを、千冬は一時期ほぼ毎日の様に視界の端に入れていた記憶がある。

 通信担当の教員に話を振ってみる。「学園とは繋がりましたか? それとあの機体に通信を割り込めますか」

「学園にはまだ。未確認機とは繋げられましたが、話が通じないというか、気づいていないというべきか……」

「?」

「……スピーカーに出します」

 

 

『――ははははははっ! あーっっはっ、ははははは!!』

 

 

「こんな感じでして……」

「…………」

 司令室が沈黙した。()()()()からの笑い声だけが室内に響いている。その声は笑い声こそ初めてだがこの場の全員に聞き覚えがあるもので。

 ……本当に頭が痛くなってきた。何の事は無い。厄介者が多少は使えるようになって帰ってきたというだけだ。

(なのに私は呼び戻されたのか……)

 他の先生方のこの対応が、怠慢という訳ではないというのが頭痛の種だ。このような事で一々自分を呼ばないで欲しい。何の為に山田先生がいると思っているのか、彼女たちはまだ理解をしていないように思える。だがそれも仕方ないと自分で諦めてしまっている節があり、この風潮は自分の責任であるという自戒の念を千冬自身が抱いてしまっている。

 畑が違うのだ。いくら学園の教員とは言えその前身は天才(ウィザード)級の技術者であったり元予備自衛官であったりと多岐にわたるが、殊ISに関して専門教育、訓練を受けている教員は、この場では自分と山田先生しか居ないのだ。その双方でどちらを頼るかと聞けば、経歴を判断材料とするのだろう。

 だとしても山田先生に失礼ではないのかと思わないでもないが。自分と山田先生以外に奴の状態を知らなかったというのもあるやもしれない。

「しかし、また……」

 何をやっているのだ、彼奴は。千冬は思わず眉根に指を寄せ、司令室で問題と挙げられる機体に注意をやる。頭痛の由来は此奴ではないが、この笑い声はなんたる事だ。

 いや、なんとなくは理解できる。普段から抑圧されていた何かが解放され、タガが外れてしまったのだろう。だとしても随分なはしゃぎ様ではあるし、それがどうして福音と殴り合っているのかが分からないが、どうせ束の差し金だろう。あいつめ今度は何を考えている。

「あの、織斑先生」山田先生が困惑を通り越して混乱した様子で、「この声にあの格好、やっぱり……」

「――でしょうね」

 溜息を一つ。今は束だけでなく周囲も自分に悩む時間を与えてはくれないらしい。立場上仕方なくもあるのだが。

 山田先生を除く周囲から説明を求める目線が投げかけられる中、千冬は携帯電話を手に取った。

(タガが壊れていなければ良いが)

 その場の全員が注目し、次の指示を待つ中で番号を探し、呼び出す。

 ……数コール経たず相手は出た。

『はいもしもし!?』風圧か気の昂りからか声が大きい。

「通信を繋いでいる。そちらで対応しろ」言って通話を切った。

 少し経て汀が司令室との通信に気付き応じ始める。未確認機の正体を知った司令室に驚愕が波のように走る中、それを尻目に千冬は腕を組んだ。

「即答しろ。状況は分かっているな?」 

『簡単には!』

「右腕は」

『使えます!』

「ではいつまで遊んでいる」

『遊んでる!?』

「武装も使わず笑い呆けて、随分と楽しそうに見えるが?」

『そんな酷い!? 武器なんて一つもないから必死になって殴ってシールド削っているのにそんな言い方ないじゃないですか!?』

 武器がない? 初期装備に拳銃の一丁もナイフの一振りもないというのか、本当に。

「…………」その辺りの事情はどこかで息を潜めている兎に聞くとして、「――その飛び方は単一仕様能力か」

 先程から明滅するように福音の光弾を回避している機動に焦点を当てた。

 対して汀の回答は当然のもので。

 

 

『はい! 単一仕様能力“月下乱斧(げっからんぶ)”!! 最大半径12メートルとちょっとのテレポート能力です!!』

 

 

空間転移(テレポート)

「そう! テレポート!!」

 勢いよく襖を開けて侵入した唐突な闖入者に司令室の教員は肩を震わせ、千冬は軽い溜息を吐く。

「完全優位型空間転移の月下乱斧を遮るものは何もない! 勿論この束さんがそれだけの機体を許す筈はなく装甲はダイラタント流体式弾性鏡面装甲! 推進器のEMドライブは馬力だけなら――」

「黙れ」

 のこのこと現れ部屋の中を闊歩して近づいてくる束の頭に手刀を落として静かにする。要するにコイツが関わっているとだけ分かれば良い。そして登場に脈絡がなさ過ぎる。

『テレポートはこれ重なっちゃったらどうなるんですかね!? 使うのおっかなびっくりなんですけど使わなかったら勝ち目が見えないし!』

 使っていても全く見えないんですけどどうしたらいいんでしょうか! と叫ぶ静穂に千冬が気づく。

「完全優位と言ったな? 束」

「言ったよ?」頭をさすりながらも復活した束が肯定する。

「――()()()()()()()()()()()?」

「……しーぴょんはしーぴょんのまま、等しく『いしのなかにいる』状態になるね」

 ……言葉の意味が千冬にはよく分からなかったが、要するにその転移先には汀 静穂(グレイ・ラビット)の実体がそのまま割り込まれ、そこに在った物体は有機無機を問わず転移してきた物体(ラビット)の形に()()()()()()

「超高速のクッキーカッターという訳か。――汀!」

『はい!?』

「何が何でも福音に重なるな。貴様が無事でも相手は即死だ!」

『でぇええっ!?』

「落ち着いて聞け。確かに危険だがその度合いで言えば零落白夜ともさして変わらん」

『あっちは当たらないけどこっちは当たるかもじゃないですかぁ!』

 中々に辛辣である。

「対処法など簡単だ、貴様が今すぐ使いこなせば良い」

『無茶苦茶だぁ!』

「お姉さんが見ているぞ」

『っ』汀が言葉に詰まる。『それは、反則でしょう』

「良い所を見せようとするな。胸を張って、失敗しないようにやれ」

『…………』

「即答しろ。やれるな?」

 ……少しの逡巡をして汀は、『あぁもうやれば良いんですか!? やってやりますよもぉっ!!』

「それでいい」

 それでこそ男だ、とは言わないでおく。

 さて、と切り替えて、千冬は束に矛先を向ける。

「何故あんな物を搭載した束。奴の手に余るなんて代物ではないぞ」

「束さんは知らないよ! ラビットが勝手に編み出したんだからさぁ!」

「ISが、グレイ・ラビットが貴様の手を離れて成長しているとでも?」

「それがあの子達の本質さ! 束さんが求めた結果があそこにあるんだ!」

「それで何の理由も謂われもない子供が責任を取らされるとしてもか」

「束さん達と歳は大して変わらないよ! それにそう言うならしーぴょんにはそれらがちゃんとあるじゃないか! 束さんは悪くない! 悪いとしたらラビットとしーぴょんが月下乱斧を編み出すに至らせた環境の方だ! 自動車事故でその車の製作者に責任が被るのはその車に致命的欠陥がある場合さ! いくら束さんが作ったものでも、ISに関して欠陥はないよ! 問題があるとしたらそれは束さんのISコアを基にして()()に走ってる石ころ共の方に責任がある!」

「……しーぴょん?」

 そう! しーぴょん! と胸を張る束に、千冬はまたも手刀を落とす。

 言い分はどうあれ現在のラビットに、その()()()の入り込む余地はない。責任があるとすれば束にあると千冬は思う。

『織斑先生ぇ!』と、突然に汀の泣き声が響く。

「どうした」

『先に言っておきますごめんなさいけれどわたしは悪くも関係もないぃ!』

「何の話だ」

 

 

『騎兵隊が来ちゃった!』

 

 

「――何だと?」

 何を言っている、と言おうとした千冬の眼前で、

 

 

――モニターが爆炎に包まれた――



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64.騎兵隊の推参 ②

推薦文をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。
本当にありがとうございます。


 ――第二次世界大戦以後、近代化による戦争の形態変化傾向は一貫していたと言って良い。20世紀末、21世紀初頭にそれは完成されていたとされる程には。

 

 

――遠距離からの狙撃と機動性の向上――

 

 

 超遠距離からの一方的な攻撃と、それを真横に回避する為の旋回能力。弾道ミサイル、高速滑空弾頭、対してコブラやフックなどの空戦機動。

 如何にして敵よりも早くその位置を把握し、一撃必殺の先制攻撃を遠距離からたたき込む。それが費用のかさみ、利益よりも装備が膨れ、損失の方が大きく上回った近現代戦闘ではこれが常識となっていった。勿論、これらはISの出現より以前の事である。

 高い機動性と汎用性を兼ね備え、ハイパーセンサーは真昼の地上から星を眺める事を可能とさせ長大な射程の礎となる。女性以外に扱えないという()()()()()を補って余りある利点を備えた存在であるISだが、使う人間の意識が変わらない以上、戦争の写真こそ変われどその原則が変わる事はなかった。実際に国家間でISを用いた戦争が行われ、運用実績の蓄積がない限り、それが変わる事はないだろう。

 

 

 ――ではISのパッケージがその原則(ドクトリン)に対して反抗するかのように大艦巨砲主義、あるいはその特性を殺すようなものが存在し、今も開発され続けているのは何故か。

 

 

 いや大艦巨砲主義自体は問題ない。遠距離からの大火力という点のみは現代に即しているとも無理矢理に言える。時代はそれから空母へと移り変わろうとしているが、ISという新たな航空兵器のサイズを考えれば必要なのはカタパルトより防御力なのかもしれない。

 ――そもそもインフィニット・ストラトスという存在においてパッケージとは何か。

 所詮は後付装備(イコライザ)の発展、ゲームでいう組み合わせて効果を発揮させる装備であると言う者もいる。後付装備のような多岐に渡る組み合わせの選択肢をその容量で制限し、汎用性、異なる搭乗者に同じ結果・成果をもたらすものと唱える者もいる。

 ……あるいは拘束具とも。

 有名所ではラファール・リヴァイヴのクアッド・ファランクスだろうか。あれは一種の極致だ。支持脚を増やしてまで搭載した四門の25mm7連砲身ガトリング砲はISの特性をその火力を支える為だけに費やさせ、本来の特性である能力、つまり飛ぶ事を封じてまで一つの成果を追い求めた。その結果、一つの到達点があの姿である。

 異様、とは当時誰も言わなかった。発表時期が第二世代黎明期、パッケージという概念もまだ曖昧だった頃というのもあるが。

 誰もがISの様々な有用性を声高に主張しておきながら、誰もが従来よりの観念に縛られ、観念を捨てきれない者達が現行の、過去の、()()()にISを落とし込もうとしていた。

 それどころかIS発表のよりそれ以前、完成されたドクトリンより以前の、過去の成功例・ノウハウを流用・発展させISに落とし込んだパッケージもまた開発・実用化されている。それが許されているのは、要するにISに表だっての戦争経験がない事と、その思想を提唱しているのが男達、有史以前より闘争に身を投じ、その経験と原則を遺伝子に刻み続けてきた者達だからだろう。それを採用する側も又、同じ理由だろう。

 いつの時代になろうと、女尊男卑の風潮になろうと、要所において決定権を未だ持つ、膨大なノウハウを蓄積してきた男達。

 彼らが持つ過去の栄光と成功体験、そしてその思想は、第三世代機の開発が本格化した現在になっても、一部が姿を変えず色濃く残り、受け継がれていた。

 

 

――パンツァー・カノニーア――

 

 

 シュヴァルツェア・レーゲン系列機用専用機能特化パッケージ(オートクチュール)。かつてのティーガー戦車がもたらした畏怖と栄光を再度夢見たような巨砲(レールガン)が、福音と静穂を爆炎に追い込んだ。

「――、ふむ」ラウラは次弾を装填、即座に発射する。

『ふむ、じゃない!』通信で苦情が飛んでくる。『アンタ何やってんの!?』

「作戦通りだろう」着弾を確認。今度は福音に直撃した。

『そういう問題じゃないよ!』

『あの片方は静穂さんかもしれませんのよ!?』

「それがどうした」

『どうしたって、お前……!』

 

 

義妹(いもうと)があの程度で墜ちるか?」

 

 

『…………』全員が黙り込む。

「――そういう事だ」

 次弾を装填。再照準にかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーー!」

 撃たれた。二発も。炸裂弾頭でだ。

 吸い込んでしまった煙を吐きながら、静穂は銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)と両腕を掴み合ったまま爆煙から飛び出した。

(この装甲! 爆発に弱い!?)

 こんな状況で知りたくなかった。硬化しきれず爆風で千切れた装甲の一部が飛沫のように散り、大気中に霧散していく。

 計器のジャイロが野球の変化球がごとくのたうち回る。静穂は僅かに消費した装甲を補填しながら、ハイパーセンサーの望遠機能で自分を狙撃した正体を垣間見た。

「何あれぇ!?」驚愕した。いつも見ていたレーゲンとは異なり長大な、バリアバスターを超える長さの砲身が二門、その両肩に備え付けられ、装甲板が周囲を覆い、ここからではパッケージの中にレーゲンが埋まっているようにすら見える。

 レーゲンが瞬いた。

「またぁ!?」

 二門それぞれから砲弾が放たれる。音速の壁を優に突き破る二発の弾頭を、福音と掴み合ったままの静穂がどうして避けられるだろうか。

 舌を噛まないように歯を食いしばる。直後に直撃、弾頭が爆発する。

 脳が揺れる。右腕が放れ、福音が逃げようと推進器を噴かす。

『離すなシズッ!!』

「!?」

 突然の通信に静穂は反応した。残る左手に力を込め、空いた右手でも極めた福音の右腕を引っ掴む。

 海が爆発した。そこから飛び出したのは二つの赤。

 紅椿と甲龍。甲龍が紅椿の背を蹴って飛び出し、パッケージを起動した。

 

 

――崩山――

 

 

 通常二門の龍咆が四門に倍増、本来ならば不可視である筈の弾丸が炎を纏い、

「吹っ飛べ!」

「わたしもぉ!?」

 発射される。狙いは当然、静穂ごと。

 だがそれが彼女達の狙いなのだろうと、静穂はその役目に殉ずるかのごとくその腕を放さなかった。

 崩山の火球が拡散、カノニーアにも引けを取らない爆発を生み出し、静穂と福音を弾き飛ばす。

 流石に今度は耐えきれなかった。

「…………!」

 目の中で火花がチラつき極めていた腕を完全に手放した。PICもその瞬間は忘れ、慣性のままに投げ出される。

 静穂が放心するをよそに福音が復帰。その身を立て直した福音が無防備な静穂に向けて銀の鐘(シルバー・ベル)を振りかぶり――

「させないよ!」

「ですわね!」

 ――それが放たれる直前、福音の脳天を一条の光が射し込むように打ち据えた。

 セシリアである。上空からの突撃を敢行した彼女は、福音と静穂の間をすり抜けるように下へ飛んでいく。交差の風圧で静穂を弾き出した。

 ストライク・ガンナー・パッケージ。普段使いの子機(ティアーズ)を全て推進に回し、銃身2メートルの光学ライフルを構えて進む様は、通常時に扱っている第三世代兵装に悩まされない分格段に動きが良く、普段よりも優雅に見える。

 ――セシリアがすんでの所で押し止めた銀の鐘がタイミングを逃して発砲される。

「言ったよね、させないって」

「ちょっ――」

 その間隙に橙色が割り込んだ。シャルルは手足を投げ出した静穂を片腕に抱き寄せ、増設された追加防楯を起動する。

 その数は四。装甲板式2枚、エネルギー式2枚をラファールに追加するガーデン・カーテンが、光弾を悉く拒絶する。

「篠ノ之さん!」

「っああ!」

 防楯を構えたラファールの背後から紅椿が飛び出した。両の手に握られたのは当然、自己の為に鍛えられた二振りの刃。

 力任せではない。だが流麗とも言えない。

 これまでを振り切るようにその二刀が紅椿の背後に消え、直後唐竹に切り伏せた。シャルルの眼前で振り下ろされた二刀は福音を下方に追いやる。防御体勢だったのか迎撃の動作だったのか、頭部に備え付けられた二枚の翼、銀の鐘で斬撃を受けるに至った福音は紅椿から逃げるように距離を取る。

 箒の紅椿が後を追う。セシリアとブルー・ティアーズもそれに続く。

 シャルルが独りごちる。「これだけやって、まだ互角か……」

「……シャルルくん」

 え? とシャルルが首を傾げる。

「ちょっと近い」

「確かに近いわね」いつの間にか寄ってきた鈴がにやけた顔で言う。

「え? え?」

 言われてシャルルは気づく。……二人の顔が近い。

「うわっごめん!」

 そういって急ぎ放れようとするがそうはいかない。なにしろお姫様抱っこの形で腕の中に抱き留めているのはシャルル自身の方な訳で、更にはガーデン・カーテンが揺り籠の様に周囲を覆っている訳で。

 静穂の頭が防楯にぶつかった。

「痛いっ!」

「静穂!?」

「何やってんのよ……」

 鈴に呆れられてシャルルは赤面、静穂は頭を抱えるように押さえる。

「――にしてもねえ」

「?」

 鈴はカーテンを乗り越え静穂の頭を抱える腕、肘の辺りを押し開く様に顔を覗き込む。

「アンタ左目どうなってんのよ」

「? よく見えるよ?」

「そうじゃなくて」

「本当に静穂なんだね……」

 何を以てそう思ったのか。不愉快ではないが不可解ではある。というか抱き留めておいて敵だった(違った)らどうするつもりだったのか。

「この距離で崩山」

「ぐ、灰色の鱗殻(グレー・スケール)?」

「……月下乱斧で逃げてやる」

 シャルルはともかく鈴はやる。絶対にやる。受けたばかりの前科がある。

「で? それがアンタの機体?」鈴が溜息交じりに言い出す。「正直いつもの格好に推進器付けてはしゃいでるようにしかみえないんだけど」

「酷っ。これでも対弾性能は高いんだけど」

「武器は?」

「素手」

「欠陥機じゃない」

「銃の一丁もなし!?」とシャルル。

「シャルルくんハンドガン貸して」

拡張領域(バススロット)に入れてたかな……」

 シャルルがコンソールを呼び出し拡張領域の中を探り始める。

『いい加減に手伝え!』

『わたくし達だけに任せないで下さいな!?』

 何か言われたので見てみれば、生半には到底縋りつけもしないドッグファイトが繰り広げられていた。

『義妹よ』ラウラから通信。

「義妹じゃないから。何?」

『詳しい経緯は後で聞く。鈴音を連れてセシリアと箒に合流しろ。一撃はこちら達に任せ貴様は攪乱だ、ペースを奪え』

 運転手と車掌のようなものだろうか。機動と攻撃、それを聞いた鈴はもう既に静穂の傍で準備を進めている。

 まあこの話、拒否する事に意味はない。パワーアシスト込みとはいえ素手でしかない自分の打撃力などパッケージの武装と比べるまでもなく。

「わかった」

『ああ、それと』

「?」

『次からは避けていいぞ』

「…………」

 やはり自分ごと狙ったか。

「泣いて良い?」

「げ、元気出して?」顔を覆い出す静穂をシャルルがなだめ出す。「ほらハンドガンあったから! ね!?」

「赤ちゃんのガラガラ扱いなの?」自分で言いながらも気を取り直した静穂はハンドガンを手渡されるとしっかりと手順を踏みだした。

 弾倉を確認して銃把(グリップ)にもどし、遊底(スライド)を引いて安全装置を解除、念の為蹴出器(イジェクター)から銃身内部に異物が無いかを目視で確認すると、

 

 

――シャルルの首に腕を回した――

 

 

「ちょっと!?」

「おやおや」

 驚愕と揶揄も上の空に回した片腕で身体を開いた状態のまま保持。傍から見ると静穂が自分から抱かれに行ったようにも見えるが本人は思いもしてない。

「近い! 近い!」

 シャルルが耳元で叫んでいる。何がだろうか、距離かな? ならば問題は風向きだけだ。

 照準装置を手早く起動、これまでのような警告はなく、発砲した先の福音に吸い込まれるように当ててくれる。

 銃口が福音を追う。瞬く間に弾倉を使い切り、両腕と顔でシャルルの頭を挟んだところで()()の方に限界がきた。

「うわぁあ!」

 あろう事かシャルルは静穂を虚空に放り投げた。

「――結構外したなぁ」

 意にも介さず回転もせず、放り投げられるままに再装填を確認した静穂は空いた手の方で鈴の手を掴む。

「じゃあ行こうかお鈴」

「アンタ、たまに大胆よね」

「?」

 気心も本来の性別も知れている相手に何を今更。

「シャルルはあのままでいいの?」

 目線を彼女に向ければ赤面で湯気が立ちそうな程にのぼせ上がっている。

「痛かったんだよねぇ、頭」ちょっとした“お返し”である。ちょっと時間が経てば彼女も再起動するだろう。

「……ひょっとしてあたしにも?」

「何にしようかなぁ」

「やったら倍返しだから」

「すいません」

 何故自分が謝るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブルー・ティアーズ、甲龍、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ、シュヴァルツェア・レーゲン、紅椿まで」

「専用機持ち共が勢揃いという訳か。ボーデヴィッヒ」

 いやこの場には後二機が足りないのだがそれはともかく。

 司令室の千冬は溜息を吐いた。問題は当然、この連中に出撃許可を出していないという点だ。山田先生が機体の名を挙げていくのはそこに傷病者が居ない事を確認したいのだろう。一番の傷病者だった筈の輩が元気に飛び回っているのはともかくとして。

『教官。お叱りは後ほど』

「織斑先生、だ」

『失礼しました。織斑先生』

「――必要なものはあるか」

「織斑先生!?」

 山田先生が驚愕といった声を上げる。千冬はそれを宥めボーデヴィッヒに先を促した。

『義妹、いえ、汀 静穂の機体性能を』

「――詳しくはまだ把握していない。単一仕様能力は短距離空間転移。それ由来の機動性はあるが武装はない」

「そんな事はないよちーちゃん! ラビットパンチは30トン! ラビットキックは90トンむぐむぐ!!」

 束の口を鼻ごと塞ぐ。「だそうだ。馬力はあるらしい。巧く使え」

『交戦の許可をいただけるので?』

 どの口がそれを言うのか。

「覚悟はしておけ」

 一方的に通信を切らせる。司令室は静寂に包まれるという訳ではなく、機器の稼働音と他の教員の殺した息づかいが残っている。

「織斑先生……」

「――言わないで下さい、山田先生」

 山田先生の言いたい事は理解しているつもりだ。

 ……そう、子供達をあの場に出させてしまった時点で自分達の負けなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 華鬘草(ケマンソウ)、三重螺旋、曼珠沙華。

 紅と銀、そして青。更にはカノニーアの爆風も相まって三色が互いに絡み合うような軌道と線描を空に残しながら高速戦闘を展開していく。

(綺麗だなぁ)

 ここに灰色、自分が混ざって良いのかと悩む位には。

 だがそれではこの場にいる意味はない。ラビットを駆る資格もないだろう。資格なしと烙印を押されるのは困る、色々と。

 崩山を装備した甲龍に搭乗した鈴の腕を掴んで三色の戦いに身を投じようと接近する。

「ちょ、速っ!」

 鈴の腕を引いている。鈴が少し引いている。自分の今の重量を踏まえた上での言動だろうか。いつだったか練習機でしがみつかれた時よりも今の甲龍は重量がある。重さの話なので口には出さないが。また撃たれては面倒だ、避けていいとはいえ。

 この機体(ラビット)、武装はともかく馬力(トルク)はあるようで何よりだ。こうして腕を引くだけでもちょっとした意趣返しになるのだから。

「お鈴! どうして欲しい!?」

「ブン投げて!」

「どうなっても知らないよ!?」

「力一杯やんなさい! 微調整はこっちでやるわ!!」

「あぁもう!」

 言われた通りにすると決めた。静穂は鈴の腕を跳ね上げる。

「な――」

 鈴が息を呑む。不意に跳ね上げられ仰け反った鈴の両足を抱えるように掴み、静穂は自分を軸に横回転。

「よくもわたしごと撃ったなぁっ!!」

 ジャイアントスイング。怨嗟を込めて放り投げた。三機が絡み合うように戦闘をなす中をこじ開けて、PICで弾道を調整した鈴が福音に体当たりを直撃させる。

「つまんない事をイチイチ愚痴るんじゃないわよ!」

 ビリヤードのように激突する二機。鈴は体勢を立て直すよりも先に崩山を起動させ、無防備な福音の背中に衝撃弾を直撃させた。

「だから言っただろう根に持つと!」箒が空裂を数度振る。三日月状の光刃を飛翔させて福音を誘導。

「わたくしは反対しましたわ!」セシリアが間隙を狙い撃つ。回避機動を予測した光学ライフルの狙撃に当てるという意思はなく、「静穂さん!」

 光刃を跳躍、狙撃をスウェーで掻い潜り静穂が肉薄する。

「本当なんだか怪しいなぁ……!」

 右の拳を大きく引き絞る。

「ラビットパンチは30トン!」

 パワーアシスト込みの一撃が胸部装甲を叩く。打擲した箇所が僅かにへこみ、福音の動作が一時、完全に停止する。

 月下乱斧。福音の頭上へ。

 伸ばした右腕とは対極に左腕は引き手。既に用意は出来ていた。

「鉄槌ラビットパぁンチッ!!」

 下段突き。脳天に打ち下ろす。強かな音を立てて福音が少し沈む。

『避けろ』

「!」

 一応の警告はしてくれるらしい。月下乱斧を連続使用。合計30メートルを三度、三瞬の跳躍で放れた直後に福音が爆風に呑まれた。パンツァー・カノニーアの超遠距離狙撃。

『ふむ、通信の分だけ福音に逃げる時間を与えるか』

 爆風から銀の鐘を撒き散らし福音が飛び出してきた。飛行しつつの全方位射撃に専用機持ち達は千々に分かれ回避する。

『義妹よ、次からは何も言わん。避けて見せろ』

「義妹じゃないって何度言えば――、」迫り来る光弾を流体装甲で屈折、あらぬ方向に受け流しつつ静穂は叫んだ。「ボーデヴィッヒさんてそんな性格(キャラ)だっけ!?」

『他人行儀だな義妹よ。親しみを込めてラウ(ねえ)と呼んでも良いのだぞ?』

「ホントに何なのねぇ!?」

『今日の私は気分がいい』

「それだけの理由!?」

『呼ばなければ撃つ』

「譲れない一線ってあるよね!」

『それなら束さんの事は束姉(たばねぇ)って呼ぶといいよタバネだけに!』

「脈絡ぅ!」

『呼ばないと機能停止しちゃうぞ!?』

「撃たれるよりもタチが悪い!?」

『さあレッツコールミーうわあぁぁ!!』

「通信の裏側でやられた!? 束さぁん!?」

「真面目にやんなさいよ!!」赤二色の内の鈴からツッコまれる。「ラウラよりアンタのキャラがおかしくなってんじゃないの!」

「仕方ないんだよ色々と!」自分でも気分の高揚を自覚している。それでも今の自分を止められない。

 楽しいというより心地よい、まるで一体感と多幸感。今止めてしまったらこれはもう、二度と感じられなさそうで。

 それが少し怖かった。そろそろ止めた方がいい気もするが。

 申し訳とばかりにハンドガンを連射、遊底が引かれたまま戻らなくなる。「シャルルくん弾が切れた!」

「その弾はもうないよ!」シャルルが返す。彼女は鈴の楯になっていた。「他のならまだ!」

「じゃあ大丈夫!」弾切れのハンドガンを投げて返す。「飛んでちゃ撃っても当たらない!」

 ハンドガン以外での話だ。静穂は未だ、飛びながらの射撃が巧くいかない。

 このままシャルルの後付装備を借りたとして、セシリアのティアーズや鈴の龍咆のような決定力には及ばないだろう。所詮は付け焼き刃だ。

 やはり初期装備(プリセット)の存在は重要だ。ラビットにあるのは推進器の予備がいくつか、それだけしかない。後付装備としてバリアクラッカーが最も威力があるが、あれは永富に預けっぱなしだ。この際言ってしまえばパッケージのある皆が羨ましい。なんだあれは格好良い。おもちゃが出たら発売日に買って即座に部屋に飾る自信がある。

 ――さっさと切り替えていく。ない物はない。初期も後付も一切がなく、パワーアシストしかないのであれば、ラウラに言われた通り跳んで、殴って、掻き回す、それ以外にやりようはないのだ。

 決めてしまえばあとは早く、推進器にエネルギーを注ぎ込む。何とはなしに増速し、福音と併行する。

(赤くも青くも綺麗な色でもないけれども)

 暫しもう一度、自分に付き合って貰おう。

 併行し、時折に線が重なって、大きく弾き、放れ、また近づいていく。

 銀と灰色、双方の腕が、貫手と掌底・正拳が、互いの腕を弾き、逸らし、受け止められて引っこ抜く。

 流体装甲が僅かに散り、福音の肌で火花が閃いた。

(ラビットキックは90トン――!)

「せぇいっ!」

 不意に空いた隙間、至近距離にしては腕が届きにくい微妙な空間を、静穂は待ってましたとばかりに蹴り技で埋めた。

 右の中段回し蹴り。通常ならば大まかに脇腹から腰骨上部に掛けてのどこかを狙われる一撃は、静穂が膝まで履いた装甲故にその範囲六割をミシリと埋めた。だがその足を福音に抱えるように押さえ込まれる。

 身体を捩る、右回転で。極められた右足を捻って脱出、装甲を拡張領域に仕舞った左足で福音の首を狙い打つ、左の延髄蹴り。

 ――ロックオンアラート。二方向から。

「!?」

 月下乱斧で即座に逃げる。直後、崩山とカノニーアの爆発。

 足下からセシリアが静穂をかっ攫い、直後に鈴が崩山を発射した。

「師匠!」

「仕切り直します!」

 セシリアは福音の周囲を大きく迂回、その間に静穂は息を整える。

 疲れているがまだ行ける。セシリアはそれを見越しての行動だろう、こちらを見て微笑んでいる。戦闘に関して師に隠し事はあまりできないようだ。

 だがそれよりも。

「何でわたしを狙った二人して!?」

『ビーコン役だ。殴らせるだけは惜しい』

「直で狙っても当たんないのよ!」

「もう嫌だ! 助けて誰か!」

「これが専用機持ちの戦闘か……」

「箒ちゃん真に受けないで! 皆が酷いだけだから!」

 だが有効ではあるようで、爆煙から飛び出した福音には炸裂弾頭と衝撃弾を受けた様子が見て取れる。

 福音が銀の鐘を全方位に放つ。シャルルは箒を防楯で庇い、鈴とセシリアは静穂を盾にやり過ごす。

「撃たせ続けるのはまずい!」シャルルが叫んだ。「あんなの何度も避けきれないよ!」

『作戦は変わらん。義妹を前衛に据える。各機、義妹に照準を集中だ。飛び道具のキラーパスをくれてやれ』

「分かっちゃいたけどこんな役ぅ!?」

「今度酢豚作ったげる」

「確かチェルシーの作ったファッジがまだ残ってましたわね」

『ハリボー全種類』

「え、えと、トゥルト・フロマ-ジュなんてどうかな? お取り寄せだけど」

「酢豚はちゃんと二種類だからね!? パイナップルありなしで!」

「それでいいのかお前……」

 箒が呆れているが仕方ない。こうでもしないと乗り切れないのだ、やる気と重圧という意味で。

 押しつぶされないように必死なのだ。敵と切り結ぶのは自分のみ、味方の筈が援護射撃は自分に向かってくるという、味方由来の理不尽な恐怖から。

「……やってやる。そう簡単に死ねないよ」

 少しの涙目で呟くこれが本心である。それ以外はないったらない。

「行きますわよ!」

「――どうぞ!」

 腕同士で二人を繋ぐ。飛行の軸はそのままに螺子を回すように横回転、フィギュアスケートのペアが如くセシリアの空いた腕が静穂の腰に伸び、遠心力を付けて福音へ放った。師は弟子と違い投げ方も優雅だ。

 遠心力に瞬時加速を加えたレッグラリアートが福音を蹴り抜いた。

 まともに首元で受けた福音が逆上がりのように三回転。通り過ぎた静穂はシャルルと合流――否。

「返すよ静穂!」

「へぇっ!?」

 ラファールの物理防楯、二枚が静穂の脚部装甲を受け止め、

「こ――のぉっ!!」

 レシーブのように弾き返した。

「返すってこういう事ぉ!?」

 来た道を戻るように福音へ迫る。何か彼女に悪い事をしただろうか。身に覚えがまるでない。

「は、反転ラビットキック!?」

 身を縮め、即座に伸ばして飛び蹴りの体勢に。福音の背中に脚部を突き込んだ。

 ラビットの推進器が飛沫を上げる。悲鳴も上がる。

 それでもしっかりと役目を果たそうとするのは、(ひとえ)に静穂が故だろうか。

 静穂の右正拳から始まり福音が貫手を放ち、静穂はそれを肩で受ける。弾力を持った流体装甲が衝撃により半ばで硬質化。打撃を完全に無効化した。

 打撃戦、近接格闘。奇しくも同じ、頭部に翼を頂いた両機が位置を変え、攻守を換え、僚機を時に置き去りにして、互いが互いを御しに掛かる。

未確認機(アンノウン)よりもやりにくい!)

 地面がないだけでこうも勝手が違うのか。踏み込めない事が打撃力の低下と焦りを誘う。

 手が肘を掴み合いパワーアシストがせめぎ合う。超至近距離で福音が銀の鐘を指向発射。

 流体装甲の上を銀弾が奔る。さながら花火のように銀弾が散り、ラビットの表面に僅かな熱と圧力を残していく。

「っ!」

 掴んでいる腕を揺さぶり、引き寄せる。引き付けた水月に膝を突き込んだ。

「こぉ、ん、のぉ!」膝蹴りが続く。福音が嫌がり足を出してくる。どちらが足を踏むかといったような、不格好なダンスが始まった。

「静穂さん!」身を案じてかセシリアが呼んでくる。

「いつでも!」セシリアの位置を確認、そちらに対して福音を向けた。

 ブルー・ティアーズから狙撃が飛ぶ。福音の背中に受けさせた。

 ロックオンアラートに従い月下乱斧で二方向からの砲撃を逃げ、自分からその中に突入して福音を殴る。

 まだ晴れぬ爆煙の中に刀が突き込まれた。

(箒ちゃん!?)

 刀の打突がエネルギーを纏いその数を増やす。雨月による至近射撃。

 静穂が跳んで避け、福音が銀の鐘で相殺する。

 ラウラが叫んだ。『箒!』

「シールド残量はまだある! やらせてくれ!」

『そうじゃない! 事前に言え! 撃つぞ!』

「箒ちゃん足出して!」

 言われるがままに箒が足を伸ばしその装甲、靴底を静穂が蹴り飛ばした。

 紅椿を離脱させ静穂が火の中に消える。

「すまん!」

「大丈夫!」謝罪の返しもそこそこに、月下乱斧で一端距離を取った。

 シールド残量はまだ練習機の最大値を優に上回り、意気と共にまだ戦える状態ではある。

 とはいえこの消費具合では心許ないのも事実。零落白夜程ではないが月下乱斧にもシールドを消費する。比較対象が間違っている気もする較差だが、他にないのだから仕方ない。

 再度福音と接触。肝臓に強かな蹴りを見舞われる。

「ぎぃ……っ」

 動きが鈍る。被害が増える。集中が明らかに切れてきた。

 自身の身を案ずる声が届いてくる。うるさい。それより一発でも多く撃ってほしい。

「そうすりゃいいのよこういう時は!」

 警告音が鳴り響く。それは後方、甲龍から。

「耐えなさいよ!?」

「っ早く!」

 崩山が起動。四門の龍砲が衝撃弾に炎を纏わせて発射。福音ごと静穂を吹き飛ばした。

 二機が吹き飛ばされ、投げ出される。

「静穂!」

「――っ!」シャルルの声に静穂の心臓が跳ね起きる。「()()()()!」

 瞬時加速。()()()()()()()()()

 ラファールのガーデン・カーテンに直撃した。

 ラファールが力を溜める。シャルルが苦悶の声を漏らし、「――このぉっ!!」――跳ね上げた。

 再度の反転、ラビットキック。セシリアが足止めしてくれていた福音に激突、その攻勢を削ぎ落とす。

「箒ちゃん!」

「ああ!!」

 福音の放つ銀弾を流体装甲が弾くままに突き進み、上段回し蹴りで突破口を開く。

 その道を箒が辿り、一方で鈴が大きく振りかぶった。

 甲龍が得物をぶん投げた。双天牙月。連結された二振りが手裏剣の如く回転し福音に向けて飛来する。

 福音が箒を蹴って距離を取り、仰け反るように青竜刀を回避。

 

 

――その向こうには静穂がいた――

 

 

 鈴が拳を握りガッツポーズ。静穂が連結された双天牙月の基部を掴み頭上で回転させて月下乱斧。福音の上空からの――

「そのハネもらったぁあっっ!!」

「――――!!」

 

 

 ――箒とてお荷物の、お飾りの専用機ではない。

 罪があったと自分で責める。罰ではないが、使命なのだと自分に課した。

(この一太刀だけは――)

「私のぉ――――!」

 雨月を拡張領域へ、空裂を正眼から自分の背後へ。

 叫ぶ。檄だ。展開装甲の推進力で自身に迫る手刀を蹴り飛ばし、

「ーーーーーーーーーー!!」

 

 

――紅色が横から、灰色が頭から――

 

――銀の翼を切り落とした――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………。……」

 息が切れる。緊張の糸が緩む。

「残心だ。静穂」とは箒。彼女も肩が上下していた。

「……ちょっと無理かも」

 自分は箒ではない。常に武士(もののふ)とはいかない。

 時間がゆっくりと進むような感覚に見舞われていた。

 その手に持った双天牙月がひどく重く感じられる。

 やったか、とは言わない。そんなヘマはしたくない。

「――福音は?」

 見上げると福音が切断された銀の鐘と共に浮遊している。箒の切断面が滑らかなのに対し、静穂の方は押しつぶしたといった具合だった。得物の差か、技量の差か。今は考えたくない。

「――PIC?」

「みたいね」と鈴。「とりあえず中の人を出す。それでひとまず終わりにしましょ」

 警戒しつつも鈴が近づいていく。背後ではセシリアとシャルルがそれぞれの火器を向けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そう、誰も油断してはいなかった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――こんな事があって良いのか」

 主戦場より少し彼方、半ば自走砲のようにその巨体を海風にさらしていたラウラが目を見開いて独りごちる。

 

 

「――()()()()()()!?」



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65.これではまるでおとぎ話の

 ――傷つけられた。傷つけられた。

 斬られて、撃たれて、灼かれて、蹴られた。

 蹴られて、殴られた。

 苦しい? 辛い? 痛い? 痛い? 痛い?

 ――違う、そうじゃない。()()()()()()()()()()()()

 

 

――そんなものでは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――解除、するわよ」

 鈴の言葉に全員が身構えた。専用機持ち達の中では比較的に装甲の厚い甲龍がその任に当たるのは適当と言えるが、対福音に於いてはラビットの方が上のような気がする。それを誰も言わないのは偶然にも静穂が福音の下方、何かが起きて福音の搭乗者が落下した場合のバックアップが可能な位置にいた事と、誰もの視界から外れた位置にいる静穂を、皆が最初から「その位置に移動した」と信じて疑わなかった事にある。偶然、というか上から下に斬り下ろし、積み重なった疲労によりその場で動けなくなっただけなのだが。

 静穂はハイパーセンサーを過敏にしつつ、海風の音をカットする。

 漣の音が聞こえてくる。心音がやけに強い。ノイズだろうかチリチリとした音も拾っている。

(――チリチリ?)

 妙に気になった。一度緩んだ緊張の糸がまた少し張る位には。

 そしてそれは他にも。

「――聞いて良いか」と箒「この音はなんだ? 聞こえるのが普通なのか?」

 シャルルが答える。「シールドバリアは空気中の塵も弾くから、たまにその反応で塵が光ったり、こういう音がする事もあるけど……」

『こちらでは聞こえん』

「ならこちらだけ? 静穂さん?」

「わたしも聞こえる。なんていうかこう、」

 弱めのアーク放電加工というか、静電気が連続しているような。

「どんな例えよ」

 静電気はともかくアーク放電加工の音など聞いた事もないだろう鈴が代表してツッコんでくる。外部からの強制的な展開解除には時間が掛かるようで、静穂の位置からも彼女の苛立ちが見て取れた。

「精査を掛けますわ」セシリアが旋回し音源を探しにかかる。彼女のパッケージにはハイパーセンサーの機能増強装備も含まれているらしい。外見からは格好良いとしか静穂には判らない。

 それはともかく、この海上、それも数百メートル上空で静電気が音を立てて起るものだろうか。それも連続して。これもまた静穂には判らない。

「お前のあの拳銃ではないのか? トーナメントの時のように」と箒。

「今は持ってないよ。ちょっと貸した」

「その人、無事なの?」シャルルが怪訝な表情を向けてくる。

 どういう意味だろう。自分ならば無事だと言っているのか。

「出ましたわ。音源は四つ」精査の結果をセシリアが告げる。「――皆さんからですわよ!?」

『各員、シールドを確認しろ。間違いなく音源はシールドバリアだ』

 ラウラの指示に従いシールド残量を確認する。

 減少していっている。減少量は僅かにだが、確実に回復量を上回って。

「減っていってる」

「ラファールも!」

「紅椿もだ! どういう!?」

「鈴さん!!」

 静穂、シャルル、箒が機体の異常を口々に告げる。その中で甲龍、福音に最も近い鈴が黙したまま、セシリアが彼女の身を案じた。

「――――アンタ達」

「鈴さん! 甲龍は!?」

 静穂が鈴を見上げる。甲龍のシールドが塵のようなをもの拒絶しているようにも見え、()()()()()()()()()()()

 

 

「逃げて!! コイツまだ動いて――」

 

 

 ――静穂の手から双天牙月が消え、鈴と甲龍が弾き飛ばされた――

 

 

「鈴音!!」

「ぼくが行く!」箒が名を呼びシャルルが急ぎ鈴を追う。武器の展開も解除される程シールドを削られた鈴が放物線を描き無防備なまま落下していく。

「っ!」静穂が感覚のままに推進器を噴かす。

「静穂さん!」

 セシリアのそれは制止だったのか、それよりも速く静穂が福音に迫っていた。

 流体装甲が塵のような、鱗粉にも似た銀色の光、エネルギーを弾く。

「(福音のエネルギー! 漏れてる!?)せぇいっ!」

 肉薄し、正拳突きでかち上げる。福音は防御するでもなくただ水月に拳を受けた。

 油断していたのだろうか。翼を切断した程度、動きを止めた程度で満足してしまったのか。

 それは違う。断じて言える。

 でなければ今の状況を説明できない。

 殴りつけた箇所、福音の装甲に罅が、亀裂が入る。そこから銀の鱗粉が漏れ出した。

 

 

(受け止められて――!?)

 

 

 福音の装甲を叩いた直後、一拍子遅れて銀の粒子が静穂の拳を覆い、

「いっ!?」

 爆発した。驚きのあまり月下乱斧で距離を取る。手許、というか手そのものが爆発したような。殴りきる事が出来ず何かが挟み込まれたと思った途端の事だった。

「指!? 指。全部あるぅ!」

「下がれ静穂!」雨月と空裂が閃く。斬撃をなぞった光波が福音に回避運動を強制する。

『貴様もだ箒! 全員下がれ!』

 彼方でレーゲンが瞬いた。炸裂弾頭で一帯に撒き散らされた福音のエネルギーを吹き飛ばすつもりだった。

 

 

――受け止められた――

 

 

『何!?』

 撃ち落とされたと言う方が近いかもしれない。静穂に殴られたまま、四足歩行の形態模写に似た体勢のまま動かない福音から吹き出した銀の粒子。それがカノニーアの炸裂弾頭の道を遮り、速度を削ぎ、福音に届くより前で誘爆させられた。

 ――福音が爆風に薙がれ、美麗と高貴を模っていた装甲に罅と亀裂が走っていく。

 切断面から、罅割れから、銀の粒子が漏れ出している。切断した筈の翼、銀の鐘が正しい位置へと戻っていく。亀裂が広がり、最後には割れ、一部は砕け、()()()()()()()()()()()()

 銀の粒子が集い、これまで以上の長大な翼を形成した。

 それまで完全に受け身だった福音が、ようやっとその身を持ち上げる。その様はまるで孵化。

 破った殻の中からこちらを覗く、銀の凶鳥――

『こんな事があって良いのか』

「! ラウね、ボーデヴィッヒさん?」

『――二次移行(セカンドシフト)だと!?』

「!?」

 

 

――二次移行――

 

 

 ISコアと搭乗者間、あるいはコアと機体間において親和性、共鳴、同調率が一定を越えた時、起こされるそれの前例は両手で数えられる程しかない。

 その確率は天文単位。更にそこから生み出される権能、単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)の発現確率は、誰もがそれをないものとして扱う程の低確率。

「そんなものが、このタイミングで……?」

 セシリアが呆然と呟いたその刹那、

「師匠!」

「!」

 福音が無造作にその手を伸ばし、静穂が先程と逆、今度は静穂の方がセシリアをかっさらう。

 福音が伸ばした右手、その罅割れ部分から銀の粒子が噴出する。それ迄セシリアのいた位置を掻き毟るように通過していった。

 軌道が揺らぐ。完全には逃げ切れず装甲板、流体装甲で覆われていない通常の装甲で防護している推進器に粒子がぶつかりシールドに反応、破裂する事でシールドを削る。

「静穂さん!」

「良いから!」

「えぇいっ!」

 箒が雨月を以て光刃を生成、福音に突き込んだ。

 福音に着弾。その上体が大きく揺らぐも態勢に然程も変化はない。

 セシリアの心配も無視して静穂が飛ぶ。これまでこの面子の中ではシールド残量が最も多かったラビットだ、この程度ならばまだ問題は無い。

「シールドは減って基部の装甲なら弾ける?」静穂は気づいた。「まさかこれ全部銀の鐘(シルバー・ベル)!?」

『消耗していたとはいえ甲龍を一撃で墜とす弾幕濃度だ。貴様以外では秒と保たん!』

「どうしようボーデヴィッヒさん!?」

『ラウ(ねえ)と呼べ! 吹き飛ばす!!』ラウラが砲撃。狙いは福音ではなく銀の鐘、静穂とセシリアに向う細分化した銀弾の帯。

 銀帯に砲弾が迫り、半ばで砲弾が押し止められ爆発。結果二人から銀帯を退けさせた。

『――、一発自体の圧は低下したがその分、量で圧すタイプか』

「呑気に言わないで下さる!?」静穂の腕から離れセシリアが自律飛行を始める。「そのような相手、経験した事なんて誰もありませんわよ!」

「だとしたら!」シャルルが鈴を運び遠ざかりながら叫ぶ。「二次移行って事は、――()()()()()()()()()!?』

『――――』その問いかけに、今も銀の鐘を撒き散らす福音を見ては誰も答えられなかった。その答えは絶望しか生み出さない。

 福音が腕を振るう度、頭部、銀の翼を振るう度に細分化、高密度を保った銀の鐘が撒き散らされ、また、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)も飛翔する。

「!?」

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)。これまでは受け手に回っていただけだと言わんばかりに福音が突撃、静穂へと貫手を突き込んだ。

 奇跡的に防御の姿勢が間に合った。頭部を守ろうとした右腕、それを少し下げた肘の当りで福音の貫手を受けた。

 流体装甲がたわみ、硬化し、火花を散らして受け流す。流体の一部が散り、静穂の腕、素肌が僅かに露になる。

「にぃぅ!」

 左フック。上方に回避される。セシリアのライフル射撃。照準が間に合わず福音の足下、静穂の頭頂部を()ぎっていく。

 福音が銀の翼を振りかぶった。

 咄嗟に静穂は推進器を全て拡張領域に収納、頭部は腕で必死に庇い、銀弾の奔流に自ら流される。

 砲撃で銀の鐘の中から静穂を弾き出し、それを救出としながらラウラが、『デュノア! 鈴音は!』

『気を失ってる!』ISの搭乗者保護機能によるものだろう。『甲龍はもう――シールドがない!』

 この場に限り戦線離脱は確定。有効な火力が一つ、潰れた事になる。

『私の後ろに持ってこい!』

『でも!』

『あの速度に今のラファールでは追いつけん! それと義妹よ!』

「義妹じゃ、あぁもう何!?」

 静穂が体勢を立て直すよりも早く福音が来た。左の肘と膝をつき合わせ福音の飛び蹴りを受け止め。右の回し蹴りを避けさせて距離を取る。

『――()()()。これ以降その単一仕様能力の優位性が、体内にまで完全に及ぶとは限らん』

「それって、」

 この福音の進化は自分(ラビット)対策とでもいうのか。下手すれば身体の内側、空洞の消化器系から灼かれると。

 右回し蹴りを振り抜いた勢いで福音に背を向け左の後ろ蹴りで福音の追撃を迎撃する。

 PICだけではシールドの消耗を防げども簡単に押し負ける。福音の推進力に圧され膝が曲がり左腕を振りかぶられ、

 

 

――銀の鐘を懐で起爆された――

 

 

「きふゅ、っ」福音が静穂ばかり狙ってくるのは仕返しだろうか。近づけば爆破、距離を取れば奔流、外部からの射撃は幕状の銀の鐘で対応される。

 肺が押しつぶされ、シールドが無事でも肉体の方に影響が引き起こされる。箒の空裂とセシリアの狙撃が静穂を逃がし、ラウラの砲撃が仕切り直させる。

『もう貴様だけが頼りだ。地の機動力で肉薄しろ。消耗戦だ』

「――――」息を吸い直し推進器を呼び戻し福音と方向を共にする。「――だよねぇ!」

『せめて誰か武器を!』

「渡す暇があるのか!? というか何をする気だ!?」

「無理です! そんな余裕など!」

『各員聞け。短期決着はもう叶わず、採れる手はもうこれしかない。幸運にも速度は負けていない以上、グレイ・ラビットと銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の、どちらのシールドが先にゼロになるかの根比べだ』

 やるしかない。それ以外の選択肢が出てこない。やる事がこれまでとまるで変わらないとは言えど。

 砲撃(ラウラ)狙撃(セシリア)飛ぶ斬撃()で、福音までの道をこじ開ける。今後、作戦の主体は打撃(ラビット)で削る事になる。

「福音の弾幕が濃すぎるのか」と箒。「相殺しようにも弾数が圧倒的に負けている」

 主体(メイン)援護(フォロー)が逆になっただけだと静穂は歯を食いしばって爆発に耐え前に出た。因果応報ではないが、形式が変わった風ではあるが、つい先程まで自分が汀組の面々に強いてきた事ではないか。一見無茶でも、自分なら出来る、見ていろと。

 やる事自体は変わらない。福音と交差。火花と銀の鐘が混ざり合い、散った流体装甲がそれらを乱反射させ花火のように拡散させる。

 問題は如何に自分にだけ福音の目先を集中させられるか。相手の腹が立つ顔立ちをしているだろうか。外見は完全に女子のそれだとかつての周囲は口を揃えてよく言っていたが。

 鎖が欲しい。手錠でも良い。福音をつなぎ止める楔が欲しい。

 余裕はない。単一仕様能力、月下乱斧。それが、

(使えないだけでこのざま!?)

 この状況下、推進器も満足に呼び出せず、時折速度で負け、追いつけない場合が出始めた。

 足の推進器はもう完全に仕舞っている。頭部の垂れ耳型二基を、自分の身体で隠すように運用し、これまでの推力から半減し、それでも少し重量の緩和された機体、自己の肉体を駆り福音と接触する。

 福音の前蹴りを回し蹴りで迎撃。互いに腹部狙いの右脚部を受ける事なく相殺する。

 光刃が跳ねた。紅椿の援護射撃――――に留まらず。

「っ!」

 銀の鐘が光刃を巻き込み爆発。一瞬の間隙に箒が滑り込んだ。

「静穂!」

「あぁそういう!」

 静穂は理解し、箒に足を突き出した。

 箒が一閃。福音のシールドを切り裂くと同時、突き出された静穂の足を自らの足で踏みつけた。

 銀の鐘が噴き出す。箒は静穂に押し出されそこには居らず、ただ空しく空を飾る。

「La――――」

「!」

 卓球の玉が跳ねるように福音が反転、向かう先にはセシリア、ブルー・ティアーズ。

 急ぎ後を追う。

(他を狙いだした!)

 今更ではある、とうとうでもある。

 静穂ばかり、面倒な相手ばかりとマッチアップしていても不利なだけなのだ。

 セシリアが反応。光学ライフルによる迎撃はせず増速、逃げに掛かる。

 福音が迫る。二次移行によって変化した頭部推進器(シルバー・ベル)は、ストライク・ガンナー装備のセシリアを上回り、急ぎ呼び出したブレード、インターセプターの横薙ぎを優に掻い潜り、その胸部に掌底を突き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーーーーーーー」

 声が出ない。喉の奥から鉄の味がこぼれ出る。セシリアの意識が一瞬で暗幕の向こうに押し込まれ、視界の先では友人兼弟子が悲痛な顔で何かを叫んでいる。

(こうも簡単に――)

 自分は墜とされてしまうのか。性能故、装甲故の事だとしても、こういともあっけなく。

 只押し込まれるように打ち抜かれた掌底。これを彼女は何度も受けていたのか。本当に頑丈だ。機体性能か、やせ我慢か。どちらにせよ、今の自分にはないものだ。

(――――)

 速いだけでは駄目だったのか。今度は狙撃の腕も磨かなくては。ティアーズにばかり、イメージ・インターフェイスにばかりかまけていないで。

 だが今はそんな後悔に意味はなく、自分自身も何も出来ないでと悔やみながら、

 

 

――セシリアは銀の鐘に沈んでいった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『師匠!!』

 ラウラは舌打ちをして砲身を福音に向けた。

 その先には静穂がいる。セシリアがいた。その彼女に向けて今も尚奔流を放ち続ける福音がいる。

 ハイパーセンサーの先で静穂が福音にとりついた。後方から福音の頭部にしがみつき、無理矢理に銀の鐘の行く先を変える。

 セシリアが墜ちた。その海面は銀の鐘によって生じた水蒸気で安否確認が出来ない。セシリアが墜ちた。

「併せろ義妹!」

『師匠は!?』

「判らん! だが絶対防御がある!!」無駄な期待などさせず無事を祈る。

 カノニーアの砲撃。静穂が蹴り出して福音を射線に追いやる事で砲弾と福音を激突させた。

 久々の有効射である。追撃しようにも装填が間に合わないのが口惜しい。

「もう一度貼り付けるか!?」

『やるよ!!』

「お待たせ!」

 再度砲撃を放つ。遮二無二に福音に追いすがる静穂の事は考慮に入れず二機を吹き飛ばし、シャルルの運んできた鈴音を受け入れる。

「外傷はなしか」

「脳が揺れてるかも」とシャルル。

 いずれにせよ戦線復帰は無理だ。当人が回復したとて機体のシールドエネルギーがない。

(……どうすればいい)

 軍人の、ドイツの特殊部隊、シュヴァルツェ・ハーゼの隊長としての才覚を以て、今後の展望を見据えていく。

 

 

 ――――9割詰みだ。

 

 

(勝てない?)

 数では押していた。だが自らの腕に抱く鈴音が墜ちた時点で敗戦処理、撤退戦に移行するべきだったのだと、自分の経験則が告げている。

 1割が、遠い。

「――デュノア。鈴音を連れて撤退できるか?」

「今のうちに、ってことだよね」

 流石は代表候補生。彼もまた同じ結論に行き着いたようだ。

「静穂の消耗が激しすぎる。篠ノ之さんが墜ちて、ボーデヴィッヒさんがやられて、」

「貴様がやられて満身創痍の義妹が最後に、か」

 視界の先では静穂が福音の頭部を後ろから抱え込むようにしがみつき、箒が損耗も考えず斬り込んでいる。

「間に合わないよ。それに織斑先生が支援してくれるとは思えないし」

 彼女の意思に反して自分達はここに居る。命令を無視しておいて今更助けて下さいとは言えない。それは意地ではなく、もし自分達が彼女ならばという推測の下。

「貴様ならどうする」何とはなし、砲撃の片手間にラウラは問いかける。

「難しいね。ぼくらじゃグレイ・ラビットの代わりは出来ない」

 グレイ・ラビットの流体装甲が持つ対弾・防御性能は他に類を見ず、携行火器の類を絶対に通さないという、製作者の強い意志を感じる。

「問題は義妹が保つかだな」

「半々だろうね」

 彼方を見上げる。福音に貼り付いた静穂と紅椿の箒、二人が必死になっているというのに、自分達はなんとも呑気だ。

「実を言うともう弾がない」

「ぼくも似たようなものかな。良かれと思ったパッケージが足かせだ」

 ガーデン・カーテンの容量が邪魔をして、ロクに火器弾薬を搭載出来なかったと彼は言う。

 ラウラも似たようなものだ。飛ぶにはカノニーアを解除せねばならず、飛んだとして普段の大砲はない。あるのはワイヤーブレードとAICのみ。推進器もなく、的になるしかない。

 口惜しい、本当に。ここまで来て、たった一度の奇跡で全て覆された。

 ……だが、

「――あの粒子もシールドを変換しているのだろうな?」

「二次移行前の性能表ではそうだったね」

「……賭けるか」

「何に?」

「楯殺しはあるか」

「あるけど、何をする気?」

 なんとはない。この戦闘は、

「最初から、徹頭徹尾そうするべきだったというだけだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「箒ちゃんシールドは!?」

「まだいける!」

「正直に!!」

「……苦しい!」

 だよねぇ! と、静穂は福音にしがみつき、時折肘を拳を福音に当てながら一人納得する。

 それもそうだ。彼女は今日初めての専用機で適切な運用法も確率されておらず、静穂のラビットとは違い紅椿の装甲は銀の鐘を受け流せない。それに飛び道具はエネルギーを消費する。その消費量は著しい。むしろ良くここまでついてきてくれた。称賛こそすれそれ以外にない。

(――決定打が足りない!)

 なぜ自分には武器がないのか。ただ殴り続け蹴り続け、皆の力を借りて極限まで追い込んで福音は二次移行によってその労力を台無しにしてくれた。自分には幸運も足りないのだろうか。もう嫌だ。

『義妹よ!』

 もうその呼び方にも慣れてしまった。「何!?」

『送るぞ!』

『受け取って!』シャルルがそう言い放った直後、砲撃音が通信越しに響いてきた。

「何を!」

盾殺し(シールド・ピアース)だ!』

「へ!?」

「!? 見ろ!」

 箒に言われるがままその方角を見る。ラウラとシャルルからの砲撃、砲弾が緩やかながらこちらに向かい、……随分と遅い。音速の壁を破っていない。

「ってなんだそれぇ!?」

 驚愕する。箒も一瞬だが呆けてしまう。飛来するのは砲弾では無かった。()()

 

 

――ラファールの腕が飛んで来る――

 

 

「ラファールロケットパンチ!?」

『違う! 受け取れと言っただろう!』

灰色の鱗殻(グレー・スケール)! 静穂とグレイ・ラビットなら!』

「使えるという訳か! だったら!」

 箒には合点がいったのか紅椿が福音に肉薄、その両手で雨月と空裂を受け止めさせる。

「受け取れってこういう事だよね!? ねぇ!?」

 ――飛んでくる腕に手を伸ばす。伸ばした手の先に銀の鐘が纏わり付く。

「させるか!」

 箒が空裂を引き抜き、光刃を振るう。銀の鐘を軒並み吹き飛ばした。

 ラビットの手にラファールが届く。彼方から届いたその腕に、静穂はそのまま腕を突き込んだ。

『撃って静穂!』

「静穂!」

『やれ! 義妹よ!』

 接続。神経伝達確立、シールドエネルギーをバイパス。灰色の鱗殻と火器管制を同期。マニピュレータが痙攣のように動作、最適化。それを見て拳を握り、炸薬の装填と同時に振りかぶり――

 

 

「頭の骨の薄いとこぉ!!」

 頭部、顳顬(こめかみ)を打ち抜いた。

 

 

 ――反動と着弾時の衝撃で引き剥がされる。常に噴出していた銀の鐘が止まり、

(もう一回――、!)

「ーーーーーーーーーー!?」

 悲鳴を必死に押し殺した。姿勢制御に使った月下乱斧。流体装甲の内側、身体の数カ所に半田ごてを押し付けられたような熱と痛覚。

 気が触れかける。無事な右目の瞳孔が裂けそうな程広がっていく。

 それを痛覚調整で無視して楯殺し、灰色の鱗殻、ラファールの腕を引き絞る。

「正中線脊椎ぃ!!」

 続けて肩甲骨の間、背骨を打ち抜く。

 ――福音が沈み、同時、静穂に塞がれていた銀の翼が輝いた。

「させるかと言った!」その頭上、紅椿が刀を突き立てた。「雨月っ!!」

 雨月の刺突が幾本ほどのレーザーを生み出し翼を断ち切る。切断された光の翼が基の粒子へと霧散していく。

「――ぶち()いたぁっ!!」

 静穂が鉄杭を振りかぶる。反対の腕、流体装甲で銀の鐘を振り払い、開けた隙間、今度は胸に三発目。

「!」

 ラファールの腕の重心に違和感。

 ――杭が折れた。

(それが何!?)

 折れた杭を振りかぶる。福音に手で捌かれると同時に楯殺しを作動、ノックバックで引き戻し反対の腕を福音の脇に差し込んだ。

 流体装甲に電子回路のようなラインが走る。パワーアシストと送波推進器の推力に任せぶん投げる。

 静穂が脚部装甲を呼び戻し、推進器四基による瞬時加速を敢行。

 もんどり打つ福音が銀の鐘を噴出して姿勢制御、後方で粒子を爆発させ加速。迎え撃つ。

 ラファールの拳と福音の貫手が交差した。

 

 

――クロスカウンター――

 

 

 ――――砕け散るのはマニピュレータ。飛び散る破片は鈍色と橙。

 

 

――押し勝った――

 

 

 静穂の(ラファール)は福音の顎を捉えて砕け、福音の貫手は顳顬を掠め血が滲む。

「箒ちゃん!」

 ラファールの腕から灰色の鱗殻を強制排除。応じた箒が雨月で炸薬を射貫き爆破。周囲の銀の鐘を吹き飛ばす。

 煙より月下乱斧にて静穂が飛び出してくる。前方宙返り(フロントフリップ)から頭頂部の垂れ耳型推進器を天に向けた。

 足の推進器が推進とは別の用途で空間を歪め、静穂の脚部装甲を大鉈の代用品とする。

 ――使う時だ。今しかない。封じてくれた相手はもう居ない。

 かつて義姉より賜りし大技、彼女の上司により封印された静穂最大の禁じ手。

(お姉ちゃん直伝。係長により封印!)

「必殺のギロチンドロップ……!」

 瞬時加速、爆心地へと落下した。

「これで終われぇぇえええっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――限界だった。もう駄目だった。これ以上はもう耐えきれなかった。

 鈴が墜ちた時点で崩れ、次のセシリアで真っ白になった。

 友人が二人墜ち、それ以前に内地で消耗していた。

 天才のおかげで肉体ではない。精神がもう駄目だった。

 さしもの静穂でも、前から後ろから狙われる最前線に居続けて、のうのうとしていられる訳はがなかった。

 だから――

 

 

 ――迎え入れられるように、銀の槍が、圧し固められた銀の鐘が幾重にも幾重にも待ち受けていた時、

 

 

「あ。終わった」

 どこかで安堵していた自分がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――小規模高密度の爆発が枝葉の成長を早回しするかのように生まれては銀の鐘が散っていった。

 その葉先に奴がいる事は簡単に想像が出来、また、それがどのような結果が待つのかも分かってしまった。瞬時加速を使って先回りしたとして、その結果を覆す事が出来ないとしても、箒はそれをせずにはいられなかった。

 成長する爆発に弾かれた静穂を見つけた時、マニピュレータが強ばって刀を手放せず、腕だけで迎え入れた。

「ぁぁ……」静穂の掠れた声が、箒の胸に突き刺さるようだった。

「静穂! 静穂!」

「……逃げて、箒、ちゃ――」

 静穂の機体、グレイ・ラビットの装甲が霧散していく。

 やがてISスーツだけになった時、静穂の首がだらりと箒の肩に垂れ下がり、彼は動かなくなった。

『逃げろ箒!』

「ラウラ! 静穂が、でも!」

『今はもう福音に勝てん! 貴様らが無事なら次がある!』

「私達が!? どうして!?」

『紅椿とグレイ・ラビット! 二機の性能なら準備し直せば!』

「皆を置いてか!?」それは絶対に許せない事だった。

『行け! 義妹を頼む!』

「頼むって……、!」

 爆風を千々に撒き散らし、福音が飛ぶ。

「福音が!」

 

 

 ――福音が来る。鈴音を抱え弾も尽き、迎撃もままならない自分達の処へ。

「デュノア。私の後ろに」

「うん」

 ラファール・リヴァイヴがシュヴァルツェア・レーゲンの前に出た。

「良いのか」

「楯は厚い方が良いよ。固定、よろしく」

「……すまん」

 ラウラがシャルルの背に手を伸ばし、AICを作動。その空間に留め置いた。

 福音が翼を振りかぶり、そして振り抜いた。

「ーーーーーーーーーー!」

「デュノア!」

 ガーデン・カーテンが作動。ラッセル車のように銀の鐘の奔流をかき分ける。

 AICに空間ごとその場で固定されたラファールの、4枚の装甲がその体積をすり減らしていく。長大巨大なレーゲンのパンツァー・カノニーアも同じくその原型を損なっていく。

 防御装甲は掻き鳴らすように削られ、折れた砲身が後方へ転がっていった。

 福音は物量だけで防御を削り砕く気だ。そしてそれは実現される。

 幾度となく、この場全員が受け止めきれず流されるままだった銀の奔流(シルバー・ベル)を、シャルル・デュノアとラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは、防御パッケージと全てのシールドエネルギーを対価に受けきって見せた。

 シャルルが膝を突き、崩れ落ちる。同時、もはや亡骸と言って良いカノニーアを強制排除。その残骸に鈴音を寝かせ、ラウラは上空に飛び出した。

「よくもやってくれた!」6本のワイヤーブレードを射出する。銀の鐘に反応させて爆風を撒き散らしていく。「少しは返させてもらおうか!!」

 爆風と相まった稲妻状の軌道を描きワイヤーブレードが福音を襲う。福音はそれを翼で払いのけ、銀の鐘でラウラを狙う。

 AICで受け止め、集約させる。銀の鐘を銀の壁で受け止め、爆発反応装甲として流用する。

「!?」

 視界が炎で埋め尽くされ、それでも耐え忍びワイヤーブレードを巻き戻していた時、不意にその鋼線を引っ張られた。

 サイドスローで釣りの疑似餌(ルアー)を投じられるように海面へ叩きつけられる。着弾点で跳ねさせられ、限界まで伸ばされた鋼線をラウラがプラズマ手刀で切断し解放された直後、福音に飛び蹴りを突き込まれた。

 先程までとは異なる陸地に激突する。

『ラウラ!』

「………………」

 ラウラはもう応えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――誰か」

 声を掛ける。

「誰か、返事をしてくれ」

 応える者は、誰も居ない。

「私を一人に」

 独りに、

「一人にしないでくれ」

 静穂を強く抱きしめる。心なしか、その熱が弱くなってきた気がするその身体を、刀を持った手で強く。

 喉がひりつく。嗚咽が混じる。

「これでは、一体、一体誰が、」

 

 

――自分を断じてくれるのか――

 

 

 ――全て、自分のせいだ。自分が招いた結果がこれだ。

「だって仕方ないだろう!」箒は激昂した。「役に立ちたかった! 私だって! だって私のせいじゃないか!

 いい気になって、その気になって、それで一夏はどうなった!? ラウラの指示が正しいのは判ってる。でもそうしたら皆はどうなる!?」

 福音はラウラを踏みつけたまま動かないでいる。獲物を値踏みしているようにも見えるその姿に、箒は空裂の光刃を投げつけた。

 福音が銀の鐘を放つ。爆風がラウラの肌を撫でるまでもない程に、近づけもせず迎撃される。

 ――福音がラウラを離れ、宙に浮く。

(負けたくない。負けたくない!)

 空裂を降り続ける。放たれる銀の鐘を撃ち落としていく。

「私のせいだ! 全部!」

 自分が原因だと、自分を責めていなければ壊れてしまいそうで。

 シールドの庇護がない静穂を護るように飛翔する。結いもしていない互いの髪が揺れ、静穂の肌には煙草を押し付けられたような火傷痕が目に付いた。

「――――だから!」

 最後には自分がやらなければ。そう戒める箒を見捨てるかのように、

 

 

――空裂が消えた――

 

 

「な――」

 もう一方に握った雨月も虚空に溶けていく。シールドが拡張領域からの呼び出しを維持出来ない程に消耗した事を意味し、ここで終わりなのだと突きつけた。

「そんな、まだ」

 まだ何も出来ていない、自分は何者にも成れていない。

 まだ幼児と変わらない。姉に憧れ、その一歩すら踏み出せず後ずさったスタートライン。

 まだ素直に成れていない。小学校の、クラスメイトに揶揄されていたあの頃と。

 まだ、

「――終われない」

 始めてすらもいないのに。

「そうでしょう、姉さん」

 ……福音からの銀の鐘。遮二無二に、我武者羅に避ける。空いた手で静穂の頭を護り、必死になって。

「そうだろう、なぁ?」

 セシリア、鈴音、シャルル、ラウラ、静穂、

 ――福音が頭上に回り込み、大仰にその翼を振りかぶった。

「なぁ!? そうだろう!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ああ、そうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――赤が飛ぶ。一筋の赤、鮮やかな赤が福音の翼をもぎ取った。

 福音が落下していく。それを一時見て、箒はその基、福音よりも上空を見上げた。

 見上げた先に――

 

 

「一夏!!」

 

 

 愛しい白が、そこに居た。



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66.白 銀

 ――まるで炎天下を先取りしたような感覚に一夏は包まれていた。

 炎天下の直中、遠くの入道雲、向日葵の咲く庭先。縁側に身体をうつ伏せに押し付けて涼をとり、誰のとも何処とも知れぬ日本家屋の影に流れる小川から、遠回しにマイナスイオンを取り込んでいるような。

 実際はそんな光景ではなかったが。横たわり、閉じていた目を開いて見渡す限りでは、全方位に延びる水平線に、蒼穹。遠くを望んでも雲一つなく、あるのは水面に浮かぶ倒され流されそれによって研磨された、長大且つかつての名残を僅かに見せる流木と、それに腰掛け足で水面を遊ぶ少女が一人。

(……誰だろう)その身を起こした一夏は足を組み胡座の状態で、呆然とそんな事を考えた。

 白のワンピース。つばの広い白帽子。髪は()()、肌は()()、その表情は()()()()

(?)

 言葉にならない、表現出来ない、彼女を少女だとしか認識出来ない。

「キミは誰だ?」一夏はつい思った通りの事を口に出していた。

 対して白い少女は、ただ微笑むだけで、

「…………」一夏は胡座から立ち上がり「いや、そうじゃない」

 それでは少し違うのだと、彼女の()を訂正する。

「そういう訳じゃないんだよ。俺はただ、」

 そう、唯、今望むのはそれ一つだけ。

「この手が届く、手が届く仲間くらいはせめて、俺の手で守りたい」

 それを聞いてか少女が微笑む。

 一夏も同じように笑った。「そうだな、それはありそうだ」

 たとえ向こうがすり抜けて逃げるように先に行くとしても、

「前に出るよ、あいつより。そうすれば自然と楯になれるだろ? 多分だけどさ」

 一夏は自分で言って、それを自分で笑って見せた。

 そしてそれは、彼女の琴線に触れたようで――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 右の眼下を望む。鈴が何枚もの装甲板の間で眠り、シャルロットがその前で崩れ落ちていた。

「…………」

 左の方を見やる。ラウラが打ち上げられたイルカのように動かない。セシリアはまだ海の底だろうか。

「一夏!」

 呼ばれて後方、足下の方向に箒を見た。いつもの髪紐は何処へやら、長い黒髪をおろし、今にも涙が溢れその頬にこぼれ落ちそうな顔をして、こちらを見上げている。その腕には見知らぬ仲間が一人、箒の肩に頭を預け気を失って――静穂?

「箒。なんで静穂がいるんだ?」

「一夏! 前!」

 前? と言われ向いてみれば、福音が下方から自分めがけて迫ってきていた。

「――下じゃないのか? この場合」

 PICで僅かに後退、福音からの貫手を右手でつかみ取った。

 そのままの体勢で拮抗する。その間に一夏は銀の福音をまじまじと観察してみた。

 随分と傷だらけの罅だらけだ。それだけ皆が頑張ったという事だろうか。

 だがそれではどうして逆に、皆返り討ちに遭っているのだろう。やはりこの福音の方に原因があるのだ。素人目からはまだ抜け出せていない一夏の目にもそれくらいは理解出来た。

「箒。少し下がっててくれ」

 福音の手を引いて一夏は左の手甲、その爪を福音の腹部に突き立てた。

 掌が発光。多機能武装腕、雪羅(せつら)が荷電粒子を集約。掌の砲口から発射する。

 福音が身を捩ったので結果は僅かに装甲を抉るに留まり、その福音は逃げるように飛翔。それを眺める一夏には、福音を追うような素振りが見られなかった。

 把握に努めている。福音の状態と、この場の状況と、自分にもたらされた新たな権能について、一夏は知る必要があると考えたからだ。

 

 

――第二形態移行(セカンドシフト)、白式・雪羅――

 

 

 大きな変化としては背中の推進器が大型のウイングスラスターに、左腕はその名たる多機能武装腕、雪羅にそれぞれ仕様変更がなされている。

 試したい。でも先に、好奇心よりも優先されて、自己を動かす衝動がある。

 福音が銀の鐘(シルバー・ベル)を放射した。

「――ああ、大体判った」

 右腕を振りかぶる。同時に呼び出した雪片弐型を振るい零落白夜を僅かに起動、銀の鐘を切り払った。

「よくも俺の仲間までやってくれたな!!」

 その身を抱きかかえるように縮め、背部のウイングスラスターが鳴動。爆発するように瞬時加速、福音目がけ駆け抜け、僅かに通り抜けた所で一零停止。その後頭部を蹴り飛ばした。

 つんのめるように福音の重心が前に。一回転し無防備な腹部、先程荷電粒子砲を当てた箇所に雪片を突き刺した。

「へぇ!」

 感嘆の声を上げて一夏が逃げる。刺したかと思えば噴出した銀の鐘に押し戻されたのだ。

 大きく迂回して一夏は唸った。「そりゃあ皆がやられる訳だ!」

 遠ざかろうと肉薄しようと、如何な距離であろうと福音は装甲の亀裂、否、砲口から攻撃と離脱を一体化させた銀の鐘を放出するのだ。

 鈴などは近距離で直撃を受けるだろう。シャルルはそれを庇ってしまうだろう。

 セシリアは不意を突かれ真っ先に。ラウラは奮戦するも何かが原因で届かず。

 箒が残ったのはおそらく皆が下がれと言い続けたからで、静穂に至ってはどうせ無理をして踏み込みすぎたのだろう。

 随分と上から目線な気もするが、あながち間違っては居ない筈だ。

 仲間だから、なんとなく判る。いつも見たような光景の発展したものが目に浮かぶようだった。

 だが、だからこそ、

「許せないよな。ああそうだ!」

 許す事は出来ない。仲間を傷つけた福音に。その原因を作った自分の弱さに。

 ――突撃を敢行。「雪羅!」左の手甲を楯に押し通る。

 発生器から生み出された零落白夜の幕が一夏を守り、背の翼が福音へ届かせる。

「零落、白夜――!」

 雪片の刀身が割れ、更に白光の刀身を生み出す。

 姉譲りの必殺剣を袈裟に振り下ろし、銀の鐘を引き裂いた。

 返す刀で横薙ぎに福音を襲う。

(浅い!)

 シールドを著しく損耗させたとはいえ装甲までは届かなかった。よって手痛い反撃を受ける。

「!」

 急ぎ雪羅を起動。銀の奔流を零落白夜の幕で消滅させる。絶対防御よりも絶対的とさえ言えそうな防御力が一夏と白式を守り通す。だが、

(シールドの減りが早いな!)

 形状を変えたとて零落白夜である。折り紙付の燃費の悪さはかわっていない。

「どころか悪くなってるよなあ!?」

 更に言えば背部ウイングスラスターもシールド消費量が増している。

(格好つけて来たはいいけど、)

「……どうする?」

 これではまるで間抜けだと、再度距離をとられ銀の鐘で良いように振り回されながら独りごちる。

 おそらく、いや確実に一次移行以上の高度なシールド管理が重要になっている白式を駆りながら、一夏は思案する。

 

 

――変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなる――

 

 

「?」

 かつて友の、今は箒の腕の中で気を失っている仲間の言葉が頭を過ぎった。

 誰かからの受け売りだとは聞いていた。だが最近の彼女からはあまり聞かなくなったその言葉に、

「――乗ってみるか」

 ウイングスラスターにシールドを注ぐ。

「行くぞ、白式!!」

 瞬時加速。銀の福音目がけ突撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀の福音が舞い、白式が駆ける。時折奔る赤の一条が、一夏の変化、白式の進化を明らかにしていた。

 ――白式には本来、火器はない。

 もとより照準器(レティクル)の類すらなく、シャルルに借りて銃器を扱っていた頃などは、昔ながらのアイアンサイトやスコープを一々覗く動作を必要としていた彼の白式にだ。セシリアもライフルを構える際はその動作を行う場合があるにはあるが、それには照準補正を強めるという機体側の理由があった。白式はそれ以前にその存在がなく、昨今のIS事情とはまるで異なる理由、そうしないとまともに撃てないという理由からの構え方だった。

 あの時の一夏を、箒は恨めしく思った事を覚えている。

 自分が教えた剣を捨てて、銃器という新たな道に進むのかという、寂寥感と苛立ちを、「通訳越しでしか教えられないのが悪い」と、今自分の腕に抱えられたまま動かない輩に断じられ沈んだ事も覚えている。

「静穂」

 呼んで、揺すってみる。動かない。気のせいか息もしていないように思える。

「静穂。一夏が来た」

 反応はない。ここぞとばかりに箒は彼を、都合の良い話し相手にしている。

「どうすれば良い?」

 これまで聞く事の無かった彼のアドバイスを欲していた。

 剣ではなく、乙女でもなく、殊ISと一夏の事に関しては静穂の言葉の方が重い。

 一夏が戦っている。皆が戦い、今はなく、他に動ける者は自分以外にはいない。

 静穂はまだ答えない。肩に担いだ腕に力はなく、うなだれるように落ちた首は頭を支える仕事をしていない。

 ……自分で答えろという事なのだろうか。ならば、

「……力になりたい」

 最初、姉に請うた時、彼女は“白に並び立つ紅”と言った。

 だがそれでは駄目だった。理解が及んでいなかった。

 

 

――並び立つにはまだ早かった――

 

 

 あの姉がそう簡単にすんなりと最適解を渡してくる筈はなかったのだ。

 それを忘れて浮かれ、あの結果を生み出し、それを越えて一夏はまた戻って来た。

 自分の前に、ではないだろう。でも今はそう信じたい。

 今度こそは守りたい、助けたいと思うのは、不思議な事では全くない。

「どうすれば良い」質問と重なる自問。「どうすればあそこにまた行ける」

 今並び立つ事が出来なくとも、その背中を追いかける権利だけはまだ持っていると信じたい。

 問題はだれにそれを聞けば答えてくれるのか。

「なあ静穂、」

 

 

――紅椿――

 

 

 ――その問い掛けに、此よりの愛機は回答する。

『必要情報の集積・消化が完了しました。機能拡張・解放が完了しました。

 

 

 単一仕様能力“絢爛舞踏”の発動条件の達成を確認しました。

 

 

 ――承認を』

「待て、今何て言った?」

 紅椿がディスプレイを表示。『承認を』

「紅椿、お前なのか?」

 頓狂な口調で箒が口走る。対する紅椿は勤めるように淡々と。

『承認を』

「これを押せば変わるのか?」

 自分(わたし)が、紅椿(おまえ)が、この状況(これから)が。

『承認を』

「――――」

 迷う。怖い。だが眼前では一夏と福音がめまぐるしく交差を繰り返している。それを黙って見ていたくはない以上、ディスプレイ上のボタン表示を押すより他に選択肢はない。

 古来より、女は度胸と人は言う。

 ――今はその時だ。

「しょ、承認。承認だ!」

 静穂を腕一本に任せ右手を叩きつけた、その直後。

「? 何だ!?」

 突然に紅椿が鳴動。シールド消費をさせまいとの素人考えで閉じていた展開装甲が全て開ききる。

「待て! 今そんなに開いたら!」

 箒が危惧して悲鳴を上げる。今機能が停止すれば鉄程の高度で海に落ちる。

 だがその悲鳴とは裏腹に展開装甲から金色の粒子が吹き出した。

「今度は何!?」もうどこかの誰かのように泣きそうだ。

 紅椿が輝く。金の粒子が止まらない。()()()()()()()()()()()()()()()()

「シールドが!?」

 底をついていたシールド残量の数値が最大値まで回復した。

 単一仕様能力“絢爛舞踏”。一度その機能を発動させた瞬間、ISの根幹とも言えるシールドエネルギーを即座に回復させる。

 そしてその効果は他者にも顕れる。

「……かヵッ、」

「!」

 紅椿の光がグレイ・ラビットに伝播する。腕の中で崩れていた静穂が息を吹き返した。骨接ぎの音を立てて首が役目を取り戻し、気道を確保した静穂が酸素を求め、僅かに赤く散らしてえずき出す。

「こギャ・ッガ、ごきっ! ば。コクッ。――げほ。かふ。うぇぇっほ、ふえぇ」

「うわぁどうなってるんだお前ぇ……!」

 エクソシストのようなホラー映像が腕の中で繰り広げられても腕を放さなかった自分を褒めてやりたい。

 背中を叩いてやって、少し落ち着いた静穂が目を開く。「――お姉ちゃんじゃない」

「大丈夫か静穂」

武士(もののふ)だ」

「落とすぞ」

 IS同士で落ちるもなにもないのだが。

「へ? 何。福音は? 箒ちゃん」

 もう何から言えばいいのか判らず箒は、「アレを見ろ」と説明を放棄した。

 見ろ? と静穂が目を向ける。すると彼は間延びした驚きようで、

「一夏くんが飛び道具を。わたしにもないのに……!」

「まずはそこなのかお前は」

「? あれ、怪我してたんじゃないの?」

「その筈だが」

「というか箒ちゃんが眩しい。何これ」

「止め方が判らない。絢爛舞踏という単一仕様能力らしいが」

 静穂が首を傾げる「それがどうして私を生き返らせられる訳?」

「触れた機体のシールドエネルギーを回復させるみたいだ」

 というか生き返るとか言わなかったかコイツは? 箒は怪訝な表情で静穂をやんわりとねめつける。

 何か痛い腹を探られると勘ぐったのか静穂は、「で、どうするの。私を起こして」

 そんなもの何も決めていない。現状だって何が何だか判っていないのだ。

 目の前では一夏と福音が戦闘中。突如発動した単一仕様能力。それによって気味の悪い復活をした静穂。もう肩は貸さなくても良いのではないだろうか。

「頭を貸せ」

「知恵じゃなくて!?」

「知恵だった。頭じゃない」

 皆のように福音にぶつけてみたくはあったが。

「お前ならどうする。戦闘経験ならお前の方が――」

 

 

「さっさと行ったら?」

 

 

「――――」言葉に詰まった。

「いやシールドが回復するなら早く一夏くんの助けに行こうよ」

「いやでもだがな静穂」

「まさか恥ずかしいとか言わないでよ?」

 図星を突かれ顔が熱くなる。静穂は呆れ顔だ。

「それを言ったらわたしはどうなるのさ」

「それはそうだが!」

 否応なくの女装に比べれば自分の羞恥心など、確かに些細なものなのだろうが。

 それでも今更、どのような顔をすればいいのか判らない。あんな事をしておいて、顔を合わせて何を話せと。

「単一仕様能力の説明とがんばれの一言」

「そんな単純な、」

 それが出来たら苦労しない、と箒は言おうとした。

 だがそれよりも早く静穂がグレイ・ラビットを展開。推進器にシールドを注ぎ出す。

「単純になってよ戦闘中なんだから」

「心の準備くらい待て!」

 恥ずかしさが勝り拒否をする。すると何か思い付いたように静穂が笑った。慈しみのような、遊んでいるような目つきで。

「静穂?」

「――このままだと誰かに負けるよ。いいの?」

 ――その一言で、箒はようやくながら覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――!」

「La――――」

 白銀の交差は更に加速していた。

 高機動仕様に設定されたハイパーセンサーの過敏な迄の情報量を最大限無視して一夏は福音目がけ斬り込んでいく。

 雪片の横薙ぎ、躱される。銀の鐘、追いつかない。

 基よりの仕様が故と言える高機動戦闘。接触しろというのが土台無理な話に突入していた。

 白式・福音共に二次移行機体。片や大型化した推進器。片や亀裂そのもの全身が推進器兼砲口である。

 当然、生半な突撃で届く訳がなくなっていき、自然、焦りが生まれていく。

 焦りとはシールド残量だ。

(どうする。どうする!?)

 荷電粒子砲を使いすぎたか、瞬時加速に頼りすぎたか、それとも被弾しすぎたか。

 相手も銀の鐘で攻撃に機動にとシールドを消費している筈だ。だのにその減少度合いがまるで見られない。

 常にヤスリで機体と精神を削られているような状況で、良くやったと褒めてくれる相手はいない。

 こんな事なら、と。

「もっと銃の練習しとくんだった!」

 今更後悔しても遅いのだが、切実という点は変わらない。

 いや忌避でこそないが一夏にとって銃の練習とは、半ば修羅の道へ足を踏み込んでいくようなものと考えてしまっている。

 シャルルの高速切替(ラピッド・スイッチ)に始まりセシリアの遠隔兵装(ティアーズ)使用における苦悩、果ては静穂の訓練時間(いりびたり)と、あそこまでやらなければ銃というものは使いこなせないのではないかと一瞬だが脳裏を過ぎった瞬間から、醒めていくように一夏は銃器の練習に次第と消極的になっていった訳だが、それはともかく。

 とにかく今更ながらの後悔が先に立つ事はない。新装備の荷電粒子砲は鳴りを潜め、左腕の雪羅はエネルギーの爪と零落白夜の楯にしか使われなくなった。どうせ当たりやしないのならばと考えれば、効率的なシールド管理ではある。

 だが、

(キツイな……!)

 荷電粒子砲を封印し、零落白夜も非常時の楯にしか使わないように努め、瞬時加速ではなく地力で接敵を試みていても尚、シールドの減りが止まらない。

(少しは容量も増えてるってのに!)

 この消費量では恩恵が薄すぎる。せめて緩急、インターバルが欲しい。

 ――変に悩まずさっさと行動。結果が良ければなんとかなると。

 しかし、

「……このままじゃあまだ最悪だ」

 零落白夜を発動。何度目だろうか銀の奔流を切り裂いた時に、ハイパーセンサーが闖入者の存在を告げて来た。

「!?」反射的にその方角を見た。

 見えたのは金色だ。その中に紅い機体と、恐らく基は灰色だろう機体が、金色の粒子を纏いながら撒き散らしながら突っ込んでくる。

 灰色の機体が紅い機体を振り回し始めた。縦に。

 

 

「受け取れ一夏くん! 大回転ラビットスロォォォッ!!」

『ちょっと待て静穂ー!!』

 

 

 白と紅が唱和するも、静穂のハンドスプリングスローは箒を無慈悲に放り投げた。その方向は有言実行、一夏だ。

「無茶苦茶だろ、おい!」

 一夏が急ぎ福音を退ける。福音を踏み台に反転、箒を抱き留めて回転を削ぐ。

「きゃぁ!」悲鳴を上げる箒。

「箒!」箒を気遣う一夏。

「ごゆっくり!」それを通り過ぎる静穂。

 静穂が福音へ向かっていく。応ずる様に福音が銀の翼を羽ばたかせ加速。

「ラビットキックは90トン!」飛び蹴り同士が激突した。「邪魔はさせるかぁぁああぁ!!」

「……凄いな」

 福音と張り合うあの馬力とか、あのテンションとか。あんな性格(キャラ)だっただろうか。

「一夏。そ、その、」

「! 悪い!」

 受け止めた勢いのまま強く抱きしめすぎていた。腕を開こうとする一夏だが、

「箒?」

 箒の方が離れない。紅椿が金色に光っていて眩しい事この上ない。

「い、いや、その、絢爛舞踏がだな」

「この光か?」

「触れているとシールドが回復するんだ、静穂で実験したから間違いない」

「実験って、」そのせいで静穂の調子がおかしくなっているのでは?

「そ、そんな事はない! あいつはここに来てからずっとああだ!」

「それもまずい気がするぞ?」

 そのうちどこかの血管が切れそうだ。

 ……それにしてもいつまでくっついていれば良いのだろうか。

(恥ずかしいな……)

 誰も見ていないのが幸いだ。もし眼下の面々に見られでもしたら後が怖い。

 そんな身の危険を箒も考えていたのか、「い、一夏。もう、いいと思う」

「あ、ああ……」

 今シールド残量を確認するのは野暮に思われた。それにもう力が、白式に力が漲っているのが何とはなしに理解出来る。

「ありがとうな、箒。これで俺もまだ戦える」

「一夏……」

 そっと箒を押し出す。このファースト幼馴染はこんなにもしおらしかっただろうか。もっと健康的で攻撃的な、いや違う。

 不安なのだろうと一夏は思う。一度ああなってしまった以上、二度目を見たくないのは誰もが同じだろう。

「大丈夫さ、今度は」

 一夏は楽観的に笑って見せた。

 二人じゃない。あの時はこの二人だけだったが今は違うと。

「待っててくれ。勝ってくるから」

「一夏」

 ? と。小首を傾げる。

「が…………頑張れ」

「――ああ」

 そうして一夏は箒の下を飛び立った。

「頑張れ! 頑張れ一夏!!」

 

 

 …………必要最低限の事しか出来なかった。

 もっと掛ける言葉があっただろうに、緊張してしまった。

(あんなに、逞しかっただろうか)

 腕に抱かれた瞬間。静穂に滅茶苦茶な投げられ方をして、一夏に受け止められた瞬間の、がっしりとした安心感を、箒は今も反芻している。

 ――紅椿のシールドも回復しているのに、共に行くという案が出てこなかった。

(今はまだ、)

 まだその時ではないのだろう。共に戦う事と並び立つ事とは、今はほぼ同義の気がして。

 それを満たすのはこの空においてただ一人、静穂だけなのだろうなと。

 ――寂しくはない。不安ではあるが。

 穏やかながらも自分の中で、沸々と湧き上がる感情がある。

 それを留めるように胸へ両の手をやって、箒はハイパーセンサーを凝らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現時点において静穂の役割は、時間稼ぎの領分を出ない。白式のシールドエネルギーを回復させ、二人の仲を近づける為の。

 どちらに重きを置くかといえばこの場合前者なのだろうが、あの二人においては後者が優先されるのだろう。

 尤も、今の静穂にそこまでの思慮があるかといえば、最初に息を吹き返した時点ではあったのだろうが、

 ……今は違う。

「よくもこの度は殺してくれた! 返しは痛いと思い知れぇ!!」

 頭に血が上っているような、そんな感覚が静穂を包んでいる。実のところ、涙目と恐怖を押し殺す為に必死なだけだが。

 ――グレイ・ラビットの機能停止とは、汀 静穂の死に直結している。

 それがいともたやすく引き起こされ、絢爛舞踏によって簡単に引き戻された。

 随分と生き死にが簡略化されている。それが怖くて堪らない。

 それを振り払う為に拳を握っていた。銃が欲しい、かなり切実に。拳銃の一丁でもあれば少しは心が穏やかになる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。バリアクラッカーを永富から返して貰っておくべきだったと実に思う。今更の後悔に過ぎないが。

「でもお前が怖いって訳じゃないんだぁ!」

 死ぬのが怖い、一度経験してそれは強く再確認した。だがこの相手が、銀の福音が怖い訳ではない。

 シールドは全快。後ろから撃ってくる仲間も居ない。懸念材料であった決め手がこの場にいる。

「避けろ静穂!」

「!」

 急ぎ粒子の隙間を探し月下乱斧で跳躍。直後荷電粒子が銀の鐘を吹き飛ばし福音に直撃する。

「併せて!」

「判った!」

 静穂が一夏と接触。互いの右腕を組み静穂がぐるっと背中から一回転。

 遠心力のついた後ろ回し蹴りで福音を一時遠ざける。

「まさか今のが上手くいくとは。一夏くんとはまだ練習してないのに」

「ってか今何した静穂!? 一瞬だけ消えたぞ!?」

「単一仕様能力のテレポート! そういえば一夏くんまでわたしを殺す気なわけ!?」

「そんな訳ないだろ! もっとフツーに避けると思ってたんだよ!」

「習性をそんな簡単に変えられますか!? お鈴もボーデヴィッヒさんも師匠(セシリア)までわたしを的にしてたのに!」

「今までどんな連携してたんだよ!? お前の負担が酷すぎだろ!」

 不意に静穂が一夏の肩を掴む。

「判ってくれるの一夏くん……!?」

「苦労しすぎだろ静穂……」

「La――――!!」

『っ!』

 暴走した状態でも無視されると腹が立つのだろうか。福音がこれまでにない粒子量の銀の鐘(シルバー・ベル)を発射してきた。

 静穂が流体装甲で受け流し、一夏が雪羅の方の零落白夜で消滅させて凌ぎきる。

「シールドが全回復しててもキツイな」

「零落白夜で一撃必殺しかないよ。決定打がないから皆やられたんだもの」

「でも当てられないぞ? 速すぎる」

「じゃあそっちはわたしがなんとかする。今いい事思いついた」

「――無理するなよ?」

「そろそろ信用してよ」

「それはしてるけど」

「…………はぁ」

「何で溜息!?」

「だってねぇ……」

 そういうのは他の人に言って欲しい。静穂(自分)に向けてでは意味がない。

「ちょ、っと待ってくれ静穂!」

 無視して瞬時加速。福音に八つ当たりのラビットキック。

 今迄怖がっていた頭が冷え切ってしまった。戦艦相手に喧嘩を売った時に戻っている。

 貫手を掴んで止め、引き寄せながら頭部狙いの膝蹴りを手で止められる。福音の腹部、一夏の開いた傷跡から噴出する銀の鐘を流体装甲に任せて無視し腕をつかんだまま頭上に回る。

 踵落としで福音の翼に蹴り込んだ。

 粒子と送波推進器がせめぎ合う。互いに反発し距離を取ったところで一夏が斬り込んだ。

 一夏が果敢に責め立てる。左右の零落白夜を駆使して銀の鐘を振り払い、爪で、刀で、切り刻む。

 一夏の雪片、福音の翼、静穂の蹴り、雪羅のエネルギー爪、貫手、裏拳、雪片、銀の鐘、ドロップキック、荷電粒子。

 入れ替わり立ち替わり彼我を変え、打撃と斬撃、近距離射撃が入り混じり三機を削り続けた。

 その攻防の間隙に割り込んで静穂が手を伸ばす。

(ラビットパンチは30トン、ラビットキックは90トン)

 銀の翼を鷲掴み、殴って殴って膝を入れる。

 福音が嫌がるように拳を振り払われた瞬間、静穂が福音に巻き付いた。

 福音の脇をすり抜けると同時、ラビットの流体装甲が弾けるように四散、幾重もの筋になって福音を絡め取りにかかる。

 福音の全身、罅割れた装甲を覆い隠すように巻き付いたラビットの流体装甲を、静穂は身体全体で引き絞り拘束した。

 福音の背に足を置き、踏み込むと同時に両腕で装甲の束を掲げるように。

「仕上げのラビットグラップル…………!」

 福音がもがき、足掻く。福音が逃れようと躍起になるが、貼り付き更に引き絞られ続ける流体装甲は引き剥がせない。

「撃てるものなら撃ってみろ! これまで散々弾いてきたラビットの装甲だ、撃てばその中で暴発するぞ!」そして顔を上げ叫ぶ。「一夏くん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――白式が飛ぶ。右手に携えた得物を白く輝かせて。

 迫る先は福音。ラビットの装甲に阻まれてその銀の装甲を見る事は今は出来ない。

(これで終わらせる!)

 最初の一撃で決められればここまでにはならなかったのだ。あの一撃を外してしまった事が、一夏の脳裏を過ぎった。

 白式が加速する中で時間が引き伸ばされるような感覚が襲ってくる、その中でのフラッシュバック。

 また外すのではないかと、雪片を握る手の違和感が拭えない。

「っ!」

 不安ごと握りつぶすように雪片を握り直す。

 姉譲りの必殺剣を振るう。雪片弐型の刀身が解放。銀を制する圧倒的な白が展開された。

「零落白夜!!」

 白式が雪片を担ぎ瞬時加速。

 

 

――灰色ごと、銀の装甲を切り伏せた――

 

 

 ――福音の手が一夏に伸びる。静穂が慌てて拘束を強めるのを、一夏は「大丈夫だ」と口で制した。

「お疲れ、福音。……もういいんだ」

 なおも福音の両手が伸びる。拘束もそのままに伸ばされたては、一夏を越えて天、空へ向かっていた。

 肘が、指が、伸びきって、銀の福音は糸が切れたようにその機能を停止した。

「おっと」

 静穂が消滅した部分の流体を補填、機能の停止した福音を確保しなおす。

「――――」残心。福音がこれ以上動く事は、今はもうないだろう。「なんとかなったな、な?」

「――ここまでが大変だったんだよ。一夏くんがいないから」そう言う静穂は溜息を吐くも、その表情はどこか解放された感じが見受けられる。

「ごめんな。でもなんとかなったろ?」

 静穂の金言に沿えばこれで良いことになる。

「――それは確かに。お疲れ様」

 ああ、お疲れ、と拳を合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……日が沈みきり、夜が来る。

 かくして銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)は確保。結果として作戦は成功となった。



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67.帰るまでが遠足 帰ってからも遠足 ①

『おう、そっちは無事か』

 電話が繋がった直後にそう聞いてくる辺り、教頭もこちらを心配していたのだと判る。

 尤も、心配しない方がおかしい状況だったのだが。

「ええ、不測の事態ばかりでしたが」

『今日ばっかりはこっちの勝ちだと思うがな』

「…………」

『こっちも色々あってな』

「そのようで」

 知ってんのかよ、と教頭が落胆の声を漏らす。当然だ。先程とは違い電話もネットも回線が確保出来ている以上、情報収集は容易過ぎる。事態の当初より情報収集に近くの町に行っていた先生も今し方戻って来た。彼女の言からもIS学園を脅かしていた危機が実際にあったものだと裏付けている。

 そしてそれが既に解決したものだと。

『汀一年はそっちかい?』

「ええ。汀が何か」

『本当に行ってたか……』

「どうかしましたか」

『いや何な、怒らないでやってくれるか』

「事態によります」

『じゃあ無理かな』

 教頭が笑った。笑っているがその実は不安なのだと、ちょっとした付き合いの長さで判る。

 何が不安なのかは想像がつくので、ちょっとした案を出した。

「事態による、といいました。聞かなければ妥協も出来ません」

 そう言うと教頭は少し逡巡した様子で、しかし、

『聞いてくれるか』と喋り出した。

 

 

「――全く、……」

 学園との通話を終えて、千冬は眉根に指をやった。

 首輪か手綱でも必要なのだろうか、あの輩は。一夏と違う方向で面倒が過ぎる。

 一夏の場合は自覚のなさだが、汀に至っては生き急ぎ過ぎだ。

 功名ばかりを求める莫迦ではあるまいに、何故こうも。それも今回は巻き込まれるのではなく自分から。

(…………)

 黙考していると司令室に山田先生が入室してくる。

「織斑先生! 皆が帰ってきます!」

「わかりました」

 襟を正して山田先生の後を追う。

 教頭には悪いが、出席簿の一つは落とさせて貰おうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――果たして彼女らに積載制限という概念を理解している者は居るのだろうか。

 シャルルとラウラはきっちりと詰め込みそうだ。鈴は力で押し込み、セシリアに至っては言うまでもないだろう。

 いや違う。そういう話ではない。問題はキャリーバッグのような形状ではなく二輪車の荷台の方が近い。

 ……グレイ・ラビットの上に3人、腕の中にシャルルが乗っている。

 垂れ耳型送波式推進器、灰羽耳(はいはじ)と言うがそれはともかく、その推進器の装甲板に上の三名は腰掛けていた。

「おぉ、ぉう、うお、っと……」

 推進器の上で誰かが身じろぎする度に重心が傾く。PICで何とか姿勢を取り、それでいて且つ上の3人が落ちない程度の速度で各部推進器を噴かし、先行する一夏と箒の後を追う。

 正直、不公平だ。

 いや理解は出来るのだ。いざという時は高機動の、本来任務を受けた二人が最悪、福音だけでも空域から離脱すべきで、いわば彼女たちはオマケだ。本来ここに居ては行けないという意味では静穂も含まれるが。

『…………』

「…………」

 正直、居心地が悪い。飛んでいて居心地というのも変だし、頭の彼女たちを揺らさないようにしなければならないというのもあるがそれはさておき。

「あの、皆さぁ」

『……何?』

 これである。腕の中のシャルルだけが心配そうな表情をしている。皆して何がそんなに不愉快なのか。

「……アンタにはわかんないわよ」と鈴。

「何でさお鈴」

「想像してみて下さいな」とセシリアが挟んでくる。「いざ戦場にと意気軒昂で向かってみれば、ここには居ない筈のお仲間が既に奮闘していて」

 ラウラが繋げる。「それでも力を合わせて死力を尽くし戦い、負け、仇を討つと決めた相手に、逆に仇を討たれるという状況を」

「それも一人は二次移行、他の二人は単一仕様能力まで目覚めてね」と鈴が締めた。

「…………」

 うわぁ、と。何も言えなかった。

「シズ、揺れすぎ」

「すいません」

「もっと優雅に」

「すいません」

「傾いているぞ義妹よ」

「すいません」

 小姑が三人いるようだ。調整する神経と首が痛い。

「し、静穂? やっぱりぼくも飛んだ方が……」

「いや、なんのなんの、とと」

 姿勢制御に慌てつつ静穂が返す。

 この四人は飛べないのだ。機体の損傷が少し酷く、無理に飛ばすのは良くないからと、後になって諍いの起きない静穂に搬送の役目が集中したのだが、今思えば箒も一人は運べそうだ。両手にしっかりと刀を握り、一夏の側を離れないあたりちゃっかりとしているが。

「そうですわシャルルさん。これも鍛錬のうち。いわば本を頭に載せるウォーキング練習と一緒です」

 本にしては三人分の質量はやり過ぎかと思うが言わないでおく。

「だったらどうしてぼくが静穂のその、腕の、」

 お姫様抱っこなのかと。一夏が福音を運ぶ様も同じだと言えばそれまでなのだがセシリアは、

「わたくし、殿方と相席はまだちょっと」

「オルコットさん!?」

 なんともお嬢様な理由である。普段の一夏との相席はどうした。絶対に別の理由があると思いながらも、静穂としてはもう一方の二人と席順を変えれば良かったのではと思うが、

「む、鈴音よ。もう少しそちらに寄れないか」

「何よ、落ちそう?」

「余裕は十分だが不安でな。あと掴んでくれ」

「オッケー。ほら来なさい」

 楽しそうなので放っておく。

 要は自分がしっかりとすればいいのだ。がんばれわたし、頑張れ首の筋肉達。姿勢を保つのだ筋肉達。

 とにかく当初の目的は達したとする。この場の雰囲気は僅かに上昇傾向にある。それで良しと静穂はした。

「で、シズ。この機体どうしたのよ」

「今聞くの? 脈絡は?」

「気にしてんじゃないわよ。話しなさい」

「織斑先生は知ってるから先生に聞いてよ」

『死ねと!?』

「そこまで怖いの織斑先生!?」

 ハモる程の恐怖なのか。彼女達は意地でも当人から話を聞くつもりのようで、腕の中のシャルルも興味深げな表情だ。

 だが正直面倒くさい。どう説明しろというのか。

(一遍死んで、ゴーレムのコアがラビットのコアに変わって助けてくれて、)

 ラビットは義姉の機体で、彼女は自身の存在と引き換えに自分を助けたなどと、

(……言いたくない)

 これは自分にとって大切な事だ。いくら専用機持ちの仲間達とはいえ、ある程度の線引きはしたい。

 よってはぐらかす。

「功績が認められてタイ○ーロイドになる三○英介、みたいな?」

「それあたしでも判んないんだけど」

 驚愕した。鈴でも判らないネタがあったとは。日本にいたとは一体。

「とにかく静穂さんは言えない事情がある、という事で宜しいので?」

「権利関係とかが複雑なんだよ。わたし自身がよく判ってないし」

「姉さんから頼まれた駄賃ではないのか?」箒が口を挟む。そうだとしたら随分とお釣りの方が大きすぎる駄賃だ。ちょっとした買い物に金塊を使うようなものだ。

「だとしたらいつ静穂は束さんと仲良くなったんだ?」

 福音を抱え直す一夏の言葉に全員が押し黙った。

『…………』同時、全員から視線が刺さる。箒など背面飛行までしてこちらを見ている。

 束はこの臨海学校に今朝から登場し、その場を引っかき回し、その人嫌いっぷりを存分に発揮した。当然静穂はそれを知らず、当人にとっては“変わった人”程度の認識しかない。

「んぅ、さっき?」

「ついさっきで仲良くなれる人じゃないぞ、姉さんは」

「そうなの? いきなり“しーぴょん”て呼んでくるくらいにはフレンドリーだったけど」

「明日は嵐だな」

「そこまで?」

 どれだけコミュニケーション障害を患わせているのだろうか普段は。

 

 

 旅館が見えてきた時、一同を襲ったのは溜息だった。

 福音の回収班と自分達への救護班、天使のような山田先生に、仁王立ちの羅刹。

「おい誰だ千冬姉に律儀に連絡したの!」

「私だ」

『ラウラぁ!!』全員が一気に叫ぶ。

「? 状況終了を上官に報告するのは当然だろう?」

「それはそうですがわたくし達は命令違反であの場に行きましたのよ!?」

 突如ラウラの顔から血の気が引いた。

「どうする!? 教官の事だ、死ぬより辛い懲罰は免れんぞ!?」

「アンタが勝手に報告したせいでしょうが! どうすんのよ!?」

 と、やいのやいのと困窮する最中、

 ――羅刹、もとい鶴の一声が通信で入ってきた。

 

 

『逃げるなよ貴様ら』

 

 

「!!」

「あ、織斑先生」静穂が間の抜けた声で応答する。「お疲れ様です」

『汀。貴様以外で怪我人はいるか』

「一夏くん以外は皆傷だらけですけど、骨折以上はいません。というかわたし以外って酷くないです?」

『そう言うなら貴様の戦法から見直す事だ。早く戻ってこい』

「判りました」

 通信が切れ、静寂が残った。

「ど、どうする」一夏が誰に言うでもなく呟いた。

 それに対して静穂は「行くしかないんじゃない?」

『静穂!?』

 何を恐れる事があるのかとばかりに静穂が穏やかに増速する。

「静穂さん!? ちょっとお待ちになって!」

「だってわたしは怒られないし」

「ずるいぞ静穂! 何でお前だけ!」

「わたしは束さんが許可貰ってる筈だもの。わたしを呼んだって事はそういう事でしょ?」

「そんなもの姉さんが取るわけないだろう!」

 へ? 許可が無い?

「…………、」みるみるうちに静穂も血の気が引いていく。

 直後に叫んだ。「嘘でしょ!? 束さんってホントにそう言う人!?」

「姉さんを何だと思ってるんだ! お前が気に入られた時点で世界中から危険人物認定されるぞ!?」

「普段の束さんって何者!?」

「知るか!」

「妹だよね箒ちゃん!?」

 実の妹にそんな言葉を口走らせる篠ノ之 束とは一体何者なのか。

 まあそんな事は関係なく、一行は福音程ではないが死地に自分達の、主に静穂の足で戻る事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 専用機持ち達、新たに箒と静穂を加えた七名が砂浜に到達すると、その場は一気に騒がしくなった。

 まずは一夏が回収班に銀の福音を引き渡すと、数名の先生方が練習機に乗り福音の無力化・乗員の救助にかかる。

 機体の通常稼働が可能な一夏・箒・静穂は万一に備え福音を警戒し、セシリア・鈴・シャルル・ラウラはその場でメディカルチェックを受け始める。これには同級生も参加していくが、シャルルだけは山田先生が担当していた。

「真耶ちゃんずるい!」

「私達もデュノア君に触りたい!」

「医療行為ですからね皆さん!?」

 我々は織斑先生なしに静かになる事は出来ないのだろうか。

 等しく出席簿が落ちる光景を、次は自分達だろうかと恐怖する専用機持ち達であった。

 

 

 ――それらが全て完了され、撤収が完了した夜の砂浜に、専用機持ち達は織斑先生の前で一列に並べられていた。

 一同には包帯やガーゼが目立ち、海と月を背にするように起立している。

 静穂は思った。

(一人ずつ海に蹴倒されるのだろうか……)

 かつてドイツで軍の教官をやっていたという織斑先生の事だ、自分達のような跳ねっ返り的行動を取る輩への対処法など熟知しているだろう。

「…………さて」

 皆の前に自然体で立つ織斑先生が口を開き、全員が身を強ばらせる。最悪、月下乱斧で逃げ続けなければならないと静穂は用意した。

「跳ぶなよ汀」

(釘ぃ!)

 先手を打たれ静穂は項垂れた。それを織斑先生は無視して、

「貴様らが執った行動を、今更責める気にはならん。呆れて言葉にならないからだ」

『…………』

「命令違反、独断専行。他は何だ? まあ良いがな。関係はない」

 織斑先生が自分の肩を出席簿で叩く。順に頭へ落とすのだろうか。

 

 

「風呂に入って早く寝ろ。明日も今朝と同じ起床時間だ」

『…………はい?』

 

 

 全員で鸚鵡返しをしてしまった。『風呂に入って、早く寝ろ……!?』

「どうした。返事は」

 セシリアが挙手。「失礼ですが織斑先生。処罰などは……?」

「?」織斑先生がどこか拍子の抜けた様子で、「何かおかしいか?」

 鈴が吠えた。「今、命令違反って言ったじゃないですか! 勝手な事したんですよあたし達!」

 シャルルが続く。「本件はイスラエル空軍からのIS運用協定に則った正式な通達を、それを基にした作戦行動と聞いています。それを無視して何のお咎めなしって、」

「何か裏で事情があるのでしょうか?」ラウラが最後に質問した。

 因みに一夏と箒と静穂は状況が読み込めないでいる。

 混乱する専用機持ち達。それを見て織斑先生は、

「納得いかないか? 簡単な事だ。まず本件は極秘作戦となり、記録には残らん。つまり正式には存在しない作戦であり、存在しない作戦に命令違反も何もない。記録に残らん理由はアメリカへの『貸し』だ。政治だよ。

 もし仮にこの作戦がアメリカへの配慮も無く正式に記録される作戦だったとして、命令違反などという管理不行き届きを記録に残すか? 自分達の弱みを曝け出す莫迦がどこに居る。貴様らが飛び立った時点でその行動は計画に、第二の案として組み込まれ、それを司令室が指示したという事になる訳だ」

「なんか嫌だな、そういうの」一夏が不満を露にする。「もし静穂が飛んでこれなかったら、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよ、千冬姉は」

「織斑先生だ、莫迦者。機体を手に入れた汀に二次移行をした白式などというイレギュラーを何故期待せねばならん。いざとなれば私が直々に出た。それだけの事だ」

 つまり後詰めに世界最強(ブリュンヒルデ)が詰めていた以上、銀の福音の暴走が止まる、作戦の完遂という結果事態は変わらず、そこに行き着くまでの過程にさしたる差はないのだと。

「ではわたくしたちの行動は完全な徒労、無駄だとおっしゃられるので?」

「――貴様らの行動は無駄とは言わん。断じてな。誓ってもいい。

 それに対して聞きたいのだが、貴様らは自分達の行動が恥ずべき、弾劾されるべき行動だと言うつもりか?」

「軍では命令違反は厳罰です。如何にその行動が無駄、徒労、無かった事にされようとも、規律に則り正式な対応を望むのは、今後自分らが胸を張って、『自分達は成し遂げた』と言う為のいわば通過儀礼と言っても良い、それが正義なのではないでしょうか」

「処罰は免罪符だと言うつもりか? ボーデヴィッヒ」

「いえ、違います」

「では何だ」

「我々はお言葉をいただきたいのです。勿論評価でも救済でもありません。『良くやった』でも、『良くない事をした』でも良い。自分達の命を賭けた行動を、無かった事にはしたくない」

 ここまで来ると最早プライドの問題だった。

 所詮は子供の小さな矜持でしかないとしても、彼女達は専用機持ち、代表候補生である。その下にはどれ程の挫折と憎悪、羨望が、定かに出来ない程の数を彼女たちは踏み越えてこの場に立っているのだ。

 ここでなかった事にされては踏み越えて来たその者達に申し訳が立たないし、何より自分達が許諾出来ない。

「…………」織斑先生が口を開く。「いざとなれば私が出た。だがそれは最悪の事態を想定しての事だ」

『…………』

「繰り返すが、貴様らの行動は命令違反だ。勿論それだけでなく数え上げる罪状の中には貴様らを老衰まで拘束できるものも存在する」

 ――――だが、と。

「貴様らの居る場所は日本であって日本でない。IS学園。世界で唯一の公式IS関係者育成機関であり、世界で数少ない完全治外法権の場である」

 よって、

「これらの罪状は貴様らに当て嵌まる事は現時点ではなく、我々教員がそれに基づいて貴様らを断じた場合、外部からの内政干渉となる。貴様らを罪に問えない理由はそれ、要するに政治だ」

 本来ならば教育機関と政治・宗教・思想の類は切り離されるべきだがな、と織斑先生は鼻を鳴らす。

「で、貴様らの欲している本題だが、」

『…………』

 専用機持ち達が唾を呑む。

 

 

「――――よく帰ってきた」

 

 

『――――!』

「教師としては無茶をしないで欲しいものだがな」と断りを入れるも、子供達はもうそんなもの耳に届いていない。

 もう新年が来たかのようなはしゃぎ様である。それまでの毅然とした態度は何処へやら、手を取って踊り出したり、へたり込み泣き出しはしないが涙ぐむ者までいたりと、一様に喜びを表現している。

 静穂といえば溜息と共に力が抜けていた。喜びよりも疲労感が強く表れている。

 嬉しくない訳ではない。ただ、これで終わったという達成感とそれを上回る疲労がようやっと全身を包みだし、踊る気にも泣いて横隔膜を働かせる気にもならなかった。昼に今にと連続の戦闘に一度の仮死状態を経験して、ガタの来ない身体はないだろう。

 織斑先生が手で出席簿を叩く。「もう一度言う! 起床時間は変わらん! 風呂に入って早く寝ろ! 解散!」

『っはい!!』

 最後の威勢の良い返事を返し、専用機持ち達がぞろぞろと旅館へ歩き出した。

 対して静穂はあらぬ方向へ――

「何処へ行く、汀」

 飛ぼうとして首根っこを掴まれる。

「いやあの、学園まで飛んで帰ろうかと」

「泊まっていけ、布団部屋だが用意してある」

「へ、なんでですか?」

「学園には連絡済みだ。深夜で良ければ露天風呂にも入れてやるぞ」

 露天風呂! その言葉の響きに静穂の心が大きく揺れる。まさかこの人生の中で、伸び伸びと足の伸ばせる風呂に入る機会があるとは考えもしなかったからだ。

 病室に生活拠点が移ってからは、人目がないのを良い事に備え付けのユニットバスに浸かる事も多くなった静穂だが、それでも泳げそうな程広い風呂に一度も憧れないという事はなく。

「でも帰らないといけない気が」

「戦艦の後始末か?」

 思わず目を見開いた。そうだ。学園と連絡を取ったという事は、自分のやらかした所業もバレているという訳で。

「今帰れば大変な事になるぞ」

「へ?」

「マスコミが押し寄せてきているそうだ。学園はほぼ籠城状態。下手に顔を出せば一瞬のうちに晒し首だな」

 うえぇ、と静穂は顔を歪めた。どうもあの手の連中は好きになれない。

「汀」

「はい」

「ラビットに熱光学迷彩の類がなければ泊まっていけ」

「そうします」

 ここはおとなしく従っておくが吉だと判断した。そうせざるを得ない状況だ。

「…………」

 と、ここで織斑先生が目線を逸らした。

 妙である。不気味である。いつも必ずその凛とした眼差しで人の目を見て話す織斑先生が、目を逸らした。

「先生?」

「――話す気はあるか」

 逸らされていた目がこちらを向いた。いつもの織斑先生。だが何とはなしに違和感を覚える。

「何故あのような危険を冒した。貴様には関係なかっただろう。上級生まで巻き込むとは、普段の貴様らしくない」

「…………」

 嘘を吐くべきか悩んで、出席簿を振られて諦めた。

「えぇと、今はちょっと」

「ではいつ話せる」

「盗聴の危険がほぼ100パーセントないと確信出来る状況でなら」

「国家機密か」

「ではないです。個人的な理由で」

「そうか」

 出席簿を落とされた。頭に、縦に。

 習性で首をすくめるが、いつぞやよりも痛くない。

「風呂のタイミングは自分で見極めろ。起床時間は6時。返事は」

「わかりました。…………?」

 何故手加減されたのだろうか。先生の要望をうやむやにしたというのに。

「訓練ではない」

「へ?」

「実戦の連続を生き残った奴に、更に鞭打つような真似が出来るか。莫迦者」

 そう言って織斑先生は静穂を置いて、歩いて行ってしまった。

(…………)

 取り残された静穂は、一人考える。

(許されたのだろうか)

 違うと即座に否定した。あれは後日キツいシゴキが待っているか、記憶の劣化を防ぐ為だろうと推測する。

「っ!」

 身震いする。夜の海特有の冷たさからか、それとも近い未来の恐怖からか。

 ――皆の足跡を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過程はどうあれ今回のこの結果、中々に上々であったと言える。

 なにせ一番の怪我人であった一夏が回復している。残る人的被害は代表候補生達の名誉の負傷、それも1週間もすれば傷痕も残らぬ程度のもので、物的被害にしても各機の追加パッケージの全損のみ。IS本体基部にも一機を除きダメージこそいっているものの、全機が進度Cまでは到達しておらず、翌日のカリキュラムを少し調整するだけで対応が可能だった。篠ノ之 箒の洗脳も、もう解けていると思って良いだろう。あの束が何処かに消えたと言う事はそういう事の筈だ。

 そんな中で敢えて誤算を上げるとすれば、静穂とラビットの存在程度である。千冬にとっては今更大した問題ではない。

 遅めの夕食と風呂を済ませ、缶ビールを片手に千冬は明日の資料に目を通す。

 缶ビールを一本開けて、もう一本に手を伸ばした所で一夏が風呂から帰ってきた。

「そんなに飲んで大丈夫かよ」

「この程度飲んだうちに入らん」

 もう一本のタブを開ける。炭酸の小気味よい音がして、千冬は喉を潤した。

 ……ふと気になった事を口にした。

「一夏」

「どうした千冬姉」

「汀をどう思う」

 なんだよ急に、と一夏が微笑んだ。

「いい奴だよ」

「他には」

「他って?」

「性格、機体性能、パイロットスキル、何でもいい」

「何が聞きたいんだよ千冬姉は」

「なんだろうな」

「なんだそれ」

 再度一夏が笑う。我が弟ながら成程これはと思った。

「そうだな、なんていうか、時々危ない感じはするかな。いつも無茶してるし」

 仲間内でも危なっかしいのかあの輩は。昼の一件はその極致だというつもりかと。

「いっつも無茶して、目が離せないよ」

「それで?」肘を椅子の腕に突いて身体を向ける。

「寂しそうだ」一夏の声のトーンが下がる。「あいつの正面からの顔を、俺は殆ど見た事がない」

「正面から?」

 それがどうして寂しさと繋がるのか。

「となるとあいつの事をよく知らないって事なんだろうな」

「いいから、続けろ」

「いつも身構えてる様な感じなんだ。手許は何かを探してさまよってるみたいで、目線がどこを見てるかわからないときがある」

「――そうか」

(この弟は、)

 男同士なら何か判るとおもったが、中々どうして人を見ている。

 褒めてやりたくなる衝動をアルコールでこらえ資料に目を移した。一夏もその様子を見てから布団に入っていく。

(寂しい、か)

 一夏の感じた違和感の理由としては、奴の女装と置かれた環境に寄るストレスと言えばそれまでだが、汀の原動力はそれかと千冬は、二本目のビールを空にした。

 面倒なタイプだ。それでいて御しやすいのが(たち)が悪い。

 その寂寥感を埋めてやれば簡単にそちらに靡く可能性がある。

(寂寥感を埋める為だけに奴は戦艦を墜とした?)

 自己承認欲求が感極まった結果があの戦果なのか。

 布団に入ったばかりの弟を見た。

「? どうした千冬姉」

「何でもない。おやすみ」

 おやすみと返ってきて、千冬は思考を切った。

 もう考える気にならない。本当に、ただ寂しいというだけで戦艦に八つ当たりをして墜としたのならば、

 

 

――奴はどれだけ飢えているのか――

 

 

 だとすれば奴の満たされる姿が想像出来ない。普段の大食も(ひとえ)に『足りない』のだとしたら。

(……止そう)

 この思考は切った筈だ。今はもういい。今はもう明日の仕事だけを考えたい。いずれ話すと奴は言ったのだ、それを信じるのも一興ではないか。

 反故にするというなら出席簿を落とすだけだ。たった一人の生徒にこれ以上思考の配分を割く事はしたくない。

 泥のように眠りだす弟を目の端に、千冬は再度資料に目を通し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、日付が変わって少しした頃。幽霊のように旅館の廊下を進む人影があった。静穂である。

 足音を立てないように、且つ見られたとしても自然を装いPICで鈍足航行を行う様は、その浮遊感と自己本来の所在によって本当に幽霊の存在を疑わせた。

 ――静穂は旅館に着いていながら、同級生と鉢合わせていなかった。

 一応は旅館の女将に挨拶こそしたが、宛がわれた布団部屋にたどり着くや否や爆睡してしまったのだ。

(ご飯を食べてない! 鍋! 刺身!)と目覚めた直後に気づいた所でもう遅い。それだけ疲れていた訳で、本来ならば学園で留守番の筈の静穂に一室宛がってくれただけで感謝すべきだ。

(大丈夫。一食抜いたくらいで死にやしない)

 ただ泣きそうなくらいお腹が空いた状態で眠らないといけないだけで。今にしたって空腹で目が覚めただけで。

 制服から抜き取っておいたチョコバーで空腹を紛らわす。今は浴衣だ。制服は女将に剥ぎ取られてしまった。前蹴りで裂け戦艦の砲撃にもさらされた制服に一体何の用事があるのやら。汚いから洗濯とかその辺りがオチだろう。

(露天風呂、露天風呂)

 チョコバーを咥えながら風呂場の暖簾をくぐる。

「おぁ……!」

 咥えたまま変な声が出た。急ぎ押し込み咀嚼して、「ぁ……!」変な声の続きを出す。

 これが脱衣場か。棚に並べられた竹籠、壁一面の鏡と洗面台。体重計、給水器、マッサージチェア。

 

 

――ほぼ全て、見た事が無い……!――

 

 

 早速に浴衣を脱ぐ。露天風呂とはいえ基本的なマナーは変わらない筈だ。予め調べもしてある。抜かりはない。

 ……ないのだが、

「うぐ、」

 着替えを置いて静穂は詰まった。その手にはまだ開封されていない()()()()()()()()()()()()()

 ちゃんと新品の、スポーツタイプのそれは、旅館の女将から制服と引き換えられるように渡されたものだ。

 織斑先生は顔を逸らしていた。山田先生は真っ赤になっていた。

 一応は、着られなくも、ない。今着ているISスーツを手洗いする事も考えたがマナー違反どころではないだろう。ラビットの流体装甲は全身を包む訳で素肌にそれを纏う事も頭に浮かぶが、

(それじゃあ変態じゃないか!)

 却下だ。却下。

 因みにISには即時展開時に限り自動的にISスーツへと転換される機能があるのだが、静穂はあの電話帳数冊分の専用機持ち用マニュアルを読んでいないので知る由もない。

 ――ふと誰にでもなく目線を泳がせて(あ、)と、鏡を見た。

 

 

――鏡に自分の裸が映っていた――

 

 

(これは、何とも、)

 まだ下こそ脱いでいないが、その下の想像が出来そうな程、その上半身は幾つもの傷痕が目立っていた。久々に全身像を見た。随分とまあアレだ、歪というか傷物というか。

 これを憂鬱、という訳ではない。物心ついた時点でこうだった。これが当たり前だった。必要以上に見せびらかすつもりはないし、実際に簪と同居していた頃は、ふとしたアクシデントで背中を見られ泣かれた。あの時は彼女に申し訳がなかった。

(ふむ……)

 力こぶを作ってみる。それ程変化は見られない。均整のとれた身体ではないだろう。無駄な肉こそ少ないが、あれだけ織斑先生の授業を受けていて腹筋の一つも割れないというのは、やはり普段から食べ過ぎなのだろうか。

 それよりもやはり傷痕が目立ちすぎる。最近はラビットが首根っこまで覆ってくれるせいで、身体のファンデーションをサボりがちだ。最近は顔の傷を隠すだけの最低限に留まっている。

 もうこれは仕方がないとして、静穂は備え付けのハンドタオルを手に浴場へと向かった。

 これが自分の身体だ。誰かに見せるつもりはないが、恥だと思うつもりもない。ただ見られたくないだけで。

 

 

「ふぁ…………」

 まさかここまで風呂というものが気持ちの良いものだったとは。静穂は今、軽くはないカルチャーショックを受けている。

 最近は清潔こそ保っていたがまともに湯船に浸かる事も出来なかったぶん、蓄積された疲労が染み出るように抜けていくのを感じられる。

 それに何より開放感が素晴らしい。こればかりは露天風呂でなければ味わえない感覚だ。和風庭園のような砂利と岩と植物、僅かに浮かぶ雲と大きく浮かぶ月。一面に広がる海は、それまでそこで戦闘を繰り広げていたとは思えない程静かだ。身じろぎで広がる水音しか聞こえない。

「えぇと、他に何かあったっけ?」

 湯船から手を出し指折り数えてマナーを思い出す。

 身体は当然先に洗った。髪は結って湯船から避けてある。タオルも同様に湯船に浸けない為に頭に乗せて完璧な入浴スタイルと言える。

「……牛乳?」

「それだ!!」

 何という事だ。そんな最も重要なものを忘れていたとは。

 風呂上がりにタオルを巻き、腰に手を当てて牛乳を飲み干しヒゲを作る。最後のシメを忘れるとはなんたる不覚。空きっ腹が過ぎてそれを忘れるとは。それでも汀 静穂かと自分を責めて、

 …………ちょっと待て。誰だ今の声は。

「…………ん?」

 ぎこちなく、油を差していないブリキ人形のように後ろを向いて、

 

 

「あの……、入っても、いい……?」

「ど、どうぞ……、へ?」

 

 

 更識 簪が、タオルを巻いてそこに居た。



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68.予定調和の回り道

 最初は何かの間違いだと思った。もしも寝ぼけているならば、なんて酷い夢だと思った。

 ()()がここに居る。廊下を幽霊のように大浴場へと進んでいった。

 最悪な事態だ。自分は彼女から逃げてきたのに、彼女の方からこちらにやってくるとは思わなかった。

 ……だが同時にチャンスだとも思った。

 話がしたい。声が聞きたい。言わなければならない事が沢山ある。

 ――そう思うといてもたってもいられず、かといって彼女に気を遣う事も忘れられず、バレた時の言い訳を考え、後をそっと追う事も躊躇って、

(…………)

 暫し間抜けに佇んでいた。勇気を出して踏み込んだ時、

 彼女は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他人の息づかいをこれまで、こんなにも気にした事があっただろうか。

 自分の息づかいをこれまで、こんなにも殺した事があっただろうか。

 ほんの少し左側、ほんの1メートルにも満たない距離に。

 

 

――簪が隣に座っている――

 

 

 失念していた。やはり恥じらいある女子としては、タオルを身体に巻いて風呂場に入ってくるべきだったのだ。

(いや違う! そうじゃない!)

 隣に男湯があったではないか。それなのに何故、自分はこうも簡単に違和感もなく、女湯の暖簾をくぐったのか。

(誰か入ってくる危険があったじゃないか! どうしてそれを忘れていた!? というかどこから!? いつから!? 見られてた!?)

 とにかくここから逃げなくては。社会的に死んでは堪らない。

 更に問題点を挙げるとすれば隣にいる少女が更識 簪、まごう事なき純然たる女子という点だ。

 知られている箒やシャルルなら後で挽回の可能性が1パーセントでもあるが、もし静穂が男だと知られようものならば、

(簪ちゃん、死んじゃうんじゃないか……?)

 友人が女装癖の変態だったなど、到底受け入れられるものではない。もしそうなら今頃一緒に入浴するなどありえないとは思うが。

 静穂は恐怖のあまり隣を向けなかった。とにかく今は如何に自然に先に風呂から上がるか、それしか今は考えられない。

 脳が巡る。雑念しか出てこない。誰がダブルク○スのダメージ計算をしろと言った。思考(おまえ)裏切っ(ダ○ルクロスし)てどうする。

「……静穂」

「! なにゅぃっ!?」

 突如呼ばれて左に向き、急いで右に切り返した。

(ちょっと待ってお願い待ってそんな格好にその顔は販促じゃなくて反則でうわあぁあああ!!)

 見てしまったものが忘れられない。上気して血色の良くなった頬。濡れた首元、水面から浮かぶ珠の様な肌、肩、鎖骨。胸の前でタオルを握る手が、却って水面下のその膨らみの規模を物語る。濁り湯がタオルの存在を隠してしまい、水面より下部分の想像をかき立てた。

 目蓋を引き絞り記憶を消しに掛かる。左の目蓋が機能しない。しまった、完全に治りきっていない。

(忘れろ馬鹿! 簪ちゃんをそんな目で見ちゃ駄目だろうが! わたしは確かに男だけれども簪ちゃんにとっちゃ女の子であって彼女にやましい気持ちなどこれっぽっちもないのが当然でまさか簪ちゃんがそういう方向の子だったとしてもわたしがそれに当て嵌まるかといえばそんな事のある訳ななななななな)

「あの……」

(忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ…………!!)

 

 

「目、見せて…………」

「忘れろわすれ、――――はい?」

 

 

 ――煩悩を散らしていた静穂に、簪のその動作は回避出来なかった。

「っ――――」

 細い腕が、手が指が、静穂の頬に触れて首を回す。

 急ぎ目を閉じる。目蓋の治りきっていない左の義眼、ラビットの待機形態の一部がこちらを覗く簪の姿をまじまじと静穂に叩きつけてきた。

 左の視覚の遮断が出来ない。あらぬ方向に義眼の目線を向けようとするも、ハイパーセンサーは全天周の視界を約束する。ラビットが自動的に彼女を視界に捕えて離さない。

(ラビットぉ!)

「簪ちゃ――」

「これ、見えてるの……?」

「……見えてる……」

 見るべきではない、身を乗り出して上体が少し持ち上がった簪の姿をまじまじと。

 見たくない。こんな形で彼女をこうしていたくない。そんな資格が何処にある。

 

 

――自分は彼女から逃げたじゃないか――

 

 

「良かった……」

「っ」

 義眼のすぐ前で簪が笑みを浮かべる。そんな事を言ってもらえる権利も、その表情をむけてもらえる権利もない。

「簪ちゃん。もう……」

「あ……」どうしてか名残惜しげに指が離れていく。「ごめんなさい……」

「いや、こちらこそ……」

 ……お互いに、ただ謝るしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばし、二人とも無言という訳にはいかなかった。

 静穂の「簪ちゃん、のぼせてない?」から始まり、

 簪が「うん、大丈夫」と続き、

 ――視線こそ合う事はなかったが、会話に小休止が入る事はなかった。

 全てとりとめの無い会話だった。それはかつて、静穂が一夏と戦ったあの日からトーナメントの練習が始まる前までのあの頃に戻ったような。

 何のことはない普通の、普通の同居人だったあの頃が続いていたとしたら、きっと今のような会話が止む事はなかっただろう。

 だが今は違う。二人の関係はもう元同居人の範囲内では居られなくなっていた。

 全ては、トーナメントのあの日から。

「静穂。その……」

()()?」静穂は義眼を指さした。

「どうしたの、それ……?」

「功績が認められてタイ○ーロイドになる三○英介、みたいな?」

「篠ノ之博士はバ○ンだった……? 静穂は誰を助けたの……?」

「――学園、かな?」

「本当だったんだ、あのニュース……」

 当然ニュースになっていたかと、静穂は静かに唸った。

 あれだけの事をしておいて隠蔽されるなど、在ってはならないし、だとすれば本格的にこの国が侵されているという証左である。

「……凄いね。静穂は」

「簪ちゃん?」

「私なんかとは、全然違う……」

「どうしたの。何、いきなり」

「…………」

 簪は何かを覚悟した様子で、告げた。

 

 

――弐式、壊れちゃった……――

 

 

「弐式が?」驚きの余り彼女に振り向き、またも急いで正面、海を向く。

 簪は右手の甲を見ていた。正確にはその、打鉄弐式の待機形態である指輪のあった筈の中指を。

「増設した推進器が故障してて、でも使わないといけなくて……」

 そうしなければ一夏と箒を助けられなかったのだと。

 無理を通した結果、弐式は空中で大破した。当然といえばそれ迄だ。本来の弐式と大破した今回の弐式とではまるでその剛性、耐久力が違う。

 簪はトーナメントが終わっても機体の改修を進めてきた。その日々のたゆまぬ努力によって機体の完成度は日進月歩の進化を遂げてきたのだが、本来の打鉄弐式とは異なる、唯飛べるだけの代物からは脱却出来ないままでいた。

 弐式の開発元が送ってきた増設推進器は本来の弐式用のもの。それを継ぎ接ぎの仮留めと言って差支えない当時の弐式で、それも故障したもので瞬時加速など行えば……。

 簪に大きな怪我がなかっただけ、幸いである。

「…………」

 簪が俯いていた。そうなるともう目線を向けないという事は出来ず、かといって掛ける言葉もなく、唯漠然と眺めるように見続けるしか出来なかった。

(なんでそんな危険な事を)と、言おうとして、止めた。その言葉は彼女を傷つけかねない。

 それだけ大事にしてくれていたのだ、静穂と造ったあの機体を。本来の、正当な打鉄弐式以上に。

(…………)

 否定的な言葉だけが頭の中から沸いてくる。何故そんな危険な事を。時間はあったのだから正しい形に作り直せばよかったのに。

 

 

――自分との思い出など捨ててしまっても良いのに――

 

 

 そう言いたくて堪らなかった。重要なのは簪が安全に飛ぶ事で、危険を冒す事ではないと。自分の事など忘れてくれて良かったのにと。自分は簪に、危ない真似をさせる為に手伝ったのではないと。

 そう言おうとして、出来なかった。言うには彼女が傷つきすぎていた。

 そんな事を考えて、ふと頭に言葉が過ぎる。

(最低か、わたしは)

 人の顔色を覗きこんで生きてきた、きっとこれからも変わらないだろう。

 短いながらもそんな人生だ。だからこそ、この、その場しのぎでも打開策を見いだせる。

 例えこの場を凌いだ先が見えていても、彼女の為ならば、自分を敵にするなど簡単だった。

「簪ちゃん」

「……?」

 見て、と言い、静穂は湯船から右腕を持ち上げた。縫合後がまだ新しい、しなやかとはとても言えない腕の水滴が月の光に反射して、()()()()()()()()()()()()()()()

「この手の中にね、チタンの添え木が沢山と、ちっちゃなボルトが百本近く埋まってる。痛覚もまだ収まりきってなくて、調整しないと痛くてロクに動かせない」

「静穂?」

「一人でVTシステム(あんなの)と戦った結果だよ。束さんとグレイ・ラビット、ISがいなければこの手は二度と使えるようにはならなかった」

「それは、」

 自分を責めているのではという簪の表情に、静穂は指の先の月を見ながら笑って、

「そうじゃない。これは私が悪かったんだ。簪ちゃんと一緒にあの決勝に行かなければいけなかったのに、わたしは優勝する事を選んだ」

 一時コンビを解消し、静穂はラウラと再結成する事で決勝へと臨んだ、あのタッグトーナメント。

 それが間違いだったと静穂は言う。

「あの時はそれが正しいと思った。優勝する事が、簪ちゃんへの恩返しだと思った。それでこのざま。やっぱりわたしのパートナーは簪ちゃんで、わたしは簪ちゃんがいないと駄目なんだ」

「私への……?」

 静穂は頷き、手を翻す。

「わたしはまだ、簪ちゃんがいないと駄目なわたしのままでいる。

 それが堪らなく申し訳ないし、同時に、なんとかしないといけないとも思っている」

「そんな、私は……」

「簪ちゃんが良くてもわたしが許せない。わたしは簪ちゃんとなあなあの関係になんてなりたくないって、今話していてようやくわかった。

 わたしは…………」

 ――簪が静穂の、次の言葉を待っている。それを顔を向けずハイパーセンサーで確認して、振り向いた。

 

 

「簪ちゃん。わたしは簪ちゃんと戦いたい」

 

 

 簪が目を見開いた。「私と? どうして」

「あんな間に合わせの弐式で、簪ちゃんは綺麗に飛んでいた。まともに機能しない武装で、物の見事に戦っていた」

 力が入りすぎて拳が震える。今にも爪が掌に食い込みそうな程に。

「駄目なんだよもうこればっかりは。理屈なんて関係なく、わたしは我慢の限界が来ている。

 ISのせいだとは思いたくない。きっと最初から、簪ちゃんと顔を合わせたあの時からそう思っていたんだ。

 わたしは簪ちゃんより強くなりたい。簪ちゃんとは、()()()()()()()()()()()()、って」

「…………」

「――勝負をしよう、簪ちゃん」

 ……勝負? と簪が呟いた。

「それって、」

 静穂が頷いて、簪に向かって笑ってみせる。

「キャノンボール・ファストで待ってる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな……」

 そんなつもりはなかった。ただ一言伝えたかっただけだ。

 その一言を伝えたか、いやそれが何だったかすらも忘れてしまった程に、その言葉は鮮烈だった。

 

 

――わたしは簪ちゃんと戦いたい――

 

 

 そんな言葉を聞きたくて、あの影を追ったのではない。

 ニュースを見て信じられなくて、影を追えば本当にその姿があって、

 ただ一言を伝えたかった。それがどうしてこうなったのか。

 優柔不断な自分についに嫌気がさしたのだろうかと思って――――否。

(違う? 静穂もそんなつもりじゃなかった?)

 これは静穂なりの激励なのだと気づいても、これまでの付き合いにもなかった事に困惑し、同時に却って気を遣わせてしまった事を恥じ、

 水音を聞いて振り向いた時、静穂はそこに居なかった。

 夢幻の類かとも思いその姿を探した。結局その浴場では見つける事は出来なかったが、あの会話を、触れた時のあの感触を否定する事は出来なかった。

 静穂に触れた、指を握る。

(少し、震えてた……)

 拒絶ではなく恐怖でもなく、緊張に寄るあの反応は、ついこの前まで良く見受けられたもので。

(変わってないんだ、きっと)

 右腕に金属が埋め込まれようと、左目がISに換わろうと、その中身は変わっていなかった。前に進む姿勢も、それでも自分を気に掛けてくれる優しさも。

 静穂は自分より先に進んだ。専用機を手に入れて、もっと、更に先へ進むのだろう。静穂の前には既に幾人もの先駆者(どうきゅうせい)がいる。それらと並び立つ為に突き進むのだろう。

(…………)

 簪に、並び立ちたいという欲が生まれた。先駆する専用機持ち達ではない、それらと並び立つ為に進む静穂に。

 握った手を、胸元に。いつかそうしたように、簪はまた月を見た。

 いつか、この想いを返す事が出来るだろうか。

(……違う)

 必ず返さなければならない。この気持ちを、そして勇気を。

(キャノンボール、ファスト…………)

 二学期に行われる戦闘ありの高速三次元レース。そのスタートラインに立つまで静穂と会う事は叶わない。

 上等だ。やってやる。二学期までに間に合わせ、静穂の前に立って、見返してやる。

 迷っている暇も泣く暇もない。期限までは遠いようで短い。

「よし……!」

 湯船から立ち上がり、グッと拳を握った。

 少しでも前に、ヒーローのように前に、()()に近づく為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――上手くいったかなぁ)

 急ぎ流体装甲の上に浴衣を羽織っただけの姿で、壁にもたれかかり息を吐く。思わず月下乱斧を使ってしまったが、

(簪ちゃんが考え事してるから絶好のチャンスだとは思ったけど、けど!)

 ここまで自分に長風呂が出来ないとは思っていなかった。お湯とはいえ水の中にいたのに酷く喉が渇く。理由としてはただ汗をかいただけではないのだろうが。

 ウォーターサーバーから紙コップに注いだ水を一気に飲み干し、壁に体重を預けへたり込み、膝に顔を埋め、また息を吐く。

「はぁ――――」

 紙コップを握りつぶす。ノールックで放り投げ、ゴミ箱に入れる。

 ――逃げてきてしまった。結局簪にバレたか否かは確認出来ず、更にはもっと言い方はなかっただろうかと。

「今更後悔しても遅いってば……」

 一度演技に入ってしまえばどうにも止まれない。それだけ本性がバレる事も少ない訳だが、

「どうせなら最初から演技しようよぉ」

 泣き声になりながら過去の自分にツッコミを入れる。TRPGで女性キャラのロールプレイもやらされてきただろうに。

(人気だったよなぁ)

 複雑ではある。裏声もなしに出る女声、意識しても男になりきれない地声。それで今は怪しまれずに学園生活を過ごせているのだから、何が役に立つか判らない。いや、それは今はどうでも良い。

「……キャノンボール・ファスト」

 その日まで彼女と話す事も、会う事も叶わないと自分に制約を掛けた。

(……楽しかった)

 久々の簪との会話はとても弾んだ。彼女があんなに微笑む事があっただろうか。

(…………)

 恥ずかしい。これではまるで、アレではないか。口にするも、思うも恥ずかしいアレだ。

(馬鹿か、わたしは)

 あんな啖呵を切ってどうしてそんな感情を抱けるのか。あんな事を画策して、今更何を考えているのか。元よりそんなつもりもないのに。

(本当に、友達付き合いって難しいなぁ)

 学園に、というか、一つ所に滞在してそろそろ何ヶ月になるだろうか。そろそろ静穂の人生での最長記録を更新していそうだ。転校に次ぐ転校の日々。そんな学生生活を送ってきた静穂に、上辺以上の人間関係を築く事が、果たして可能なのだろうかと。

 ――彼女が出てくる前に脱衣場を出た。

 此処より先は、普段通り。普段通りの日常を過ごしきって見せると覚悟を決めた。

 いや、それだけでは駄目だ。それ以上に二学期のキャノンボール・ファストへ向けて臨まなければならない。

 宣戦布告をした。挑戦者を迎え撃つ、いわば赤コーナー側として。社会的立場としては逆であるし、何かに勝っている訳でもないが。

 それでも言ってしまい、迎え撃つ立場に立った以上、

「――全力だ」

 簪の技術力を静穂は知っている。おおよその概算をするならば、打鉄弐式がキャノンボール・ファストに間に合う可能性は半々、何らかの外的要因があれば変動するが、内的要因ではもうそれはない筈で。

(ああ。わたしは今、)

 不謹慎にも滾っている。自分で強敵を作り出した、自分で小さいながらも一つの場を作り上げた感覚に、ゲームマスターとしてシナリオをプレイヤーに楽しんで貰っている時の感覚にその身を焦がしている。

 チリチリとした焦燥感? これを高揚感と言わずして何と表すのか。

 トーナメントの時にもなかった、所属不明機と対峙した時にも似た、使命感の含まれない純粋な心持ちが、静穂の後悔を押し流しに掛かる。

 それでも後悔は流されず、それが胃を下に押し込めるような感覚を苛ませる。

 高揚と後悔を同時に味わいつつ、その表情は渋面のまま、静穂は布団部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえセシリア。昨日一体なにがあったの?」

 翌朝、朝食の時間に相川 清香が隣のセシリアに聞いてみた。

「ですから機密だと何度言えば、」セシリアが何度目かの説明。「もしも今回の事が外部に漏れた場合、わたくし達は拘束されてしまいますのよ?」

「えー? セシリアならお金の力でどうにかなりそうじゃない?」

「わたくしをなんだと思ってますの?」

 オルコット家は成金ではないと、その家柄を一から説明すべきだろうか。そこまで深くも浅くもないが、今日一日は丸々と費やす程度だ。

 すると「駄目かぁ」と清香が今回は随分あっさりと退いた。どうしてだろう、逆に不気味だ。

「じゃあさ、セシリア」

「今度は何ですの?」

「静穂ちゃんがいるのはなんで?」

「…………何ででしょう」

 それは自分も聞きたかった。セシリアと清香は揃ってその方を見る。

 

 

 ――朝食を摂り始めて一分にも満たない時点で既に三杯目の白飯がなくなろうとしていた。

『…………』

 ただ白飯を掻き込むだけで、どうして彼女、静穂はそんなに幸せそうなのだろうかと、周囲の生徒達は思う。白米の湯気を吸い込むだけで彼女の頬はほころび、一口噛んで目を輝かせ、塩昆布を少しのせて口に含んだ瞬間、彼女の箸は止まらなくなった。

 それはもう、見ているだけでこちらも腹の空きそうな喜び様だ。

「はい、みぎー」

「ん、ありがと本音さん」

『布仏さん!?』

 彼女のお椀が空になるや否や、隣に座っていた布仏 本音がおひつから白飯を空のお椀によそった。いや何故。何故更にこれ以上食べさせようとするのか。一組以外の生徒にはこれがわからない。

「みぎーは沢山食べるからね~」

「いやペース早すぎでしょ」少女の隣、鷹月 静寐がツッコむ。「いつもの汀さんでもここまでは希よ?」

 希にはあるのか……。静穂の普段を知らない他クラスの生徒が驚愕する。

「昨日は晩ご飯食べ損ねてるから」静穂がアジの開きを頭から骨ごとかじりつく。「んく、チョコバー一本で一晩過ごしたんだよ?」

「食べてるじゃない」

「足りると思う?」

「その一本で私達が何時間保つと思ってるのよ」

 そのカロリーによっては女子は一晩どころか半日は耐えなければならない。

「でもみぎーはさ~、どうして今になって臨海学校にきたの~?」

 本音がいきなり斬り込んでいった。

 対する静穂は味噌汁を飲み干し、目線が上を向く。

「……気づいたら、ここに居た」

「ごめん、ネタがわかんない」

 あれぇ? と首を傾げつつも静穂は箸を止めない。四杯目のお椀をそっと本音から受け取った。

「それって師匠(セシリア)達の誰かは昨日の事言ったの?」

「言ってないわ。機密とか言ってるから」と静寐。

「だったらわたしも言えないなぁ」それが答えだった。

「汀さんも関係してるのね。というか腕もどうしたの? 目は?」

「治ってるよね~」皆が静穂の右腕を見た。

 浴衣に通された腕はいつもの()()()()()を纏いつつしっかりと箸を使いこなしている。食への執念から左手で箸を持つ訓練はなんだったのかと、それを知る一部の人間はツッコむ。

「なんか治った」

「全治二ヶ月とか言ってなかった?」

「もう動かない筈だったのにねぇ」

 治ってるのか……。皆は暗黙のうちにその医療用眼帯の内側を想像する。

 静寐が溜息を吐いた。「せめてニュースとは関係していないで欲しいわ……」

 ニュース? 静穂は僅かに首を傾げる。

「見てないの? ()()()()()()()()()()()()()

「……朝までぐっすりだったから」

「学園の周りは大騒ぎみたい。ニュースでは学園を外国に移譲するべき、なんて意見も飛び出してるとか」

 ……昨日の()()()()が解除され、少女達がテレビで目にしたのは、戦艦が町に突き刺さるという非常識な光景だった。

 目的こそ不明のままに鎮圧された今回の事件は明確なテロ行為であり、進行ルートがアメリカ管制下にあった空域という事もあって、事件には様々な憶測が早くも飛び交っているのだが、

 目的地とされたIS学園、横田空域を我が物とするアメリカがこの件に関して「調査中」という玉虫色の発表をする中、本土に侵入された日本は、あろう事か「原因はIS学園にある」と発表し、物議の種を撒き散らした。

 問題の責任を自分らに押し付けられた学園は当然、これに対して反発した。

 これをマスコミはIS学園による造反行為の前兆と報道し、IS学園不要論へと世論を動かしに掛かっている。日本より先んじて鎮圧に向かったIS搭乗者の顔がバイザーで隠れていなければ真っ先に彼女らが叩かれていた事だろう。

 尤も、それをまともに信じられる程、日本国民は馬鹿ではないのだが。

「……何処まで信じて良いの、それ」

「私は日本のままがいいな~」本音が相づちを打つ。

 それを見て静穂は、「確かに、いざって時に水道水が飲めない国はちょっとね」

 そう言って五杯目の白飯を掻き込んだ。静寐はそれを聞いて、

「本当に関係ない?」

「? なんで?」

「友達として心配なの。ただでさえ汀組とか言って先輩達に物理的にも担がれてたし」

「わたしを一体なんだと思ってるのさ」

「あの先輩達なら今回の事もやりそうだと私は思う。あの人達って成果を求めてやまないって感じだし、危険よ」

「それは鷹月さんが皆を知らないからだよ。みんなそこまで生き急いでないし、それにね?」

「それに? 何?」

「頭として担がれている以上、キチンと手綱は握ってる」

 口元の米粒を取って口に入れながら静穂は笑い、

「…………といいなぁ」うなだれた。

「ダメじゃないの」静寐は呆れた。

 

 

「――でもさ、本当に静穂ちゃんがあの場にいたんじゃないかって話はあるんだよね」

 清香がスマートフォンを操作してセシリアに見せてきた。

「ほらこれ、この辺のつぶやきなんかだと包帯ぐるぐる巻きの女の子が戦艦に向かって行った、って言ってる。やっぱり静穂ちゃんはあの場にいたんだよ」

 それはすこし飛躍がすぎないだろうかとセシリアは思う。

「えー? でもさ、だったら誰がISを使って戦艦を落とすの?」

「それは自衛隊のISではありませんの?」

「かなあ?」

「わたくしに聞かれましても……」

 日本の軍事事情など代表候補生になった時くらいにしか聞いていないし、軍隊などあって当然としか考えられない。

 仮に静穂が本当にあの場にいたとして、何の意味があるのか。

 短絡的かもしれないが意味が分からない。よって切り替えていく。

「そんなことより清香さん。素敵な事をしませんか?」

「乗った。何するの?」

「何がどうあれこの臨海学校に、静穂さんは遅ればせながら完治した状態で合流している。授業は午前と午後の一部分だけ。後は各々自由時間」

 おわかりですね? とセシリアが微笑むと、

「静寐に連絡するね」清香が嬉々としてメールを作成し始める。

「代金はわたくしが」と告げてセシリアは再度、白飯のおかわりをする静穂の方を見た。

 その何とも幸せそうな表情が曇ってしまうかもしれない行いだが、彼女の師を自称する身としては、ただ見ているという訳にはいられなかった。

 親心という訳でもないが、やり過ぎの老婆心かもしれないが、

 それでも彼女を気に掛けてしまう。今は説明のつかない不思議なものがあった。

 

 

 ――静穂の受難は続く。




 次回、誰得の水着姿(予定)。


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69.たまには猫を噛んでもいい

「嫌だ! なんで相川さんはそんなのばっかり選ぶ訳!?」

「いやいけるって静穂ちゃん!」

「行けるかぁ!」

「でしたらこちらなどいかがでしょう?」

「それだよ四十院さん! わたしが求めていたのはそれです!」

「却下ね」

「ないわー」

「二十世紀前半ですの?」

「あらあら」

「辛辣ぅ! 四十院さんもそこで諦めないで!」

「でしたらこちらなどいかがでしょう?」

「同じ台詞で対極のもの持ち出してきた! こっちが本命だね四十院さん!?」

「あらあら」

「ちょ、押し込まないで! 試着とかぜったいしないから!」

「さあ汀さんキリキリ選んじゃって! あ、逃げようとISを使えば織斑先生に密告するからね?」

「魔女裁判の裁判抜き!? 死ねと!?」

「静穂さん落ち着きになって。この国に来てわたくし、女は度胸と聞きました。今がその時かと思われますわ」

「少なくとも今じゃないよ師匠! せめてそこの布付き! 布付きをくださぁい!!」

 …………数時間前まで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 快晴の海、砂浜に集まった一年生達を一瞥して、織斑先生は言った。

「カリキュラムに遅れが出ている。諸事情で更識の機体は修理中だ。よって一人増やす」

 

 

――増えるものなのか、専用機持ちって――

 

 

 生徒達は困惑しつつもそれを受け入れた。今回の授業は射撃訓練で、彼女達は専用機持ち達の受け持つ各班に宛がわれた練習機に搭乗、撃ち上げられた動体目標(クレー)を撃ち抜くという内容であった。

 本年度の一年生で専用機持ちは、最初は六機、箒が姉より賜って七、そして簪の機体が大破により運用不能となり、現時点の専用機体の総数は六機である筈だ。

 コロコロとその数字が変動している専用機とその搭乗者に感覚が麻痺しつつある一年生達だが、本来はそれだけで業界は大騒ぎとなるのが普通だ。

「各員。展開しろ」

 そんな一年生達に半ば諦観しつつも迎え入れられた静穂とグレイ・ラビットだが、最初はやはり当然、流石の一年生達も同クラスの面々以外は戸惑った。

 何しろその姿は一見、いつものダイビングスーツ状のISスーツにしか見えなかったからだ。着ている人間はどこか所在なさげ、というかそわそわと落ち着かない様子だったというのも大きい。明らかに今の自分に対する扱われ方に慣れていない。

 織斑先生の一言で専用機持ち達がそれぞれの機体を展開する。静穂も同様に展開するのだが、生徒達からは(なんだか、貧相?)という感想を浮かべる者もいた。

 何しろISを展開したと言って、その変化は推進器が増えたに留まっていたからだ。周囲の機体と比べてあまりにも部位(パーツ)が、外見の増加が少なすぎる。

 マニピュレーターもなく、防御の為の装甲も見受けられない。あるのは頭部非固定部位(アンロック・ユニット)に接続された左右各一基の垂れ耳型推進器と、脚部の推進器内蔵型装甲のみ。灰色の色合いと相まって派手さのないシュッとした印象を見る者に与えた。

「決して後方に銃口を向けるな。篠ノ之は補助の経験がないので十分注意するように。では始めろ」

 大丈夫だろうかと彼女たちは思った。失礼だが簪よりも頼りないとさえ思った。

 ――まあ、それは杞憂に終わったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休憩も終わり、後詰めのような最後の授業も終えて、皆が臨海学校最後の海に繰り出している中、一人練習機の後片付けをしていた時の事である。

 高圧洗浄機で打鉄についた数日分の砂を払う。常にラビットを着込んでいる静穂ならば水の反射もなんのその、気にせず思いっきりやれるというもので。

 並べられた練習機の、最後の一機から水滴を拭き取り、順次搭乗してトラックのコンテナに収納する。この車に自分が乗るという運びらしく、警護の意味もあるのだろうかと推測しながら山田先生にコンテナの鍵を預けると、

 

 

「汀さん、お疲れ様です」

 

 

「四十院さん?」

 四十院 神楽がそこに居た。

 おっとりとしていて、それでいてしっかりと芯が通っているような立ち姿の彼女が何故後片付け中の静穂に何か用事があるのか。静穂には判らない。

(何せなぁ)

 何せここ数週間はほぼ毎日のように汀組のトーナメント対策で一組にいる時間が無かったのだ。暇さえ在れば授業中にも関わらずメンバーに方策を授けたりスケジュール管理をしたりとてんやわんやだった。織斑先生には全て終わった後にしこたま叱られたのは当然と言える。出席簿が落ちなかったのはつい一日前までの静穂が怪我人だったからというだけだ。

「どしたの四十院さん」

「汀さん。お仕事が終わりであれば、旅館までついて来てはいただけませんか?」

 優雅な物腰でのお願いに静穂は首を傾げた。

「罰ゲームで何か飲み物を買いに行く事になったのですが、一人では持ちきれませんし、勿論一本おごりますよ?」

「――いいよ」

 深く考えずに静穂は了承した。今にして考えれば悪手以外の何者でもなく。

 言われるがまま静穂はついて行った。神楽は静穂の手を握り先導する。

 それだけで静穂は気が落ち着かずにいた。昨日の事もあって、女子と接触するという行為を妙に意識してしまう。

 浮ついた気持ちではない。それは緊張と恐怖から。昨晩の出来事がよみがえるのだ、一歩間違えれば己の素性を曝してしまうのではないかと。あともの凄く柔らかい。

「――――汀さんは固いですね」

「っ、何、四十院さん」

 静穂は彼女の顔を見た。簪の時とは違い、今回はちゃんと互いに服を着ている。自分はラビットで、神楽の方は水着だが、いざという場合のアクシデントが限りなく少ない分だけの、心の余裕というものがある。

「トーナメントで抱きついた時もそうでしたが、汀さんは芯があるというか、強ばっているというか」

 芯? どういう意味だろうか。

「私達が怖いですか?」

「ちょっとね」

「あら、てっきりはぐらかされるかと」

「わたしって人見知りするんだよ」

「あらあら一体どの口が」

「今サラッと毒吐かなかった?」

 いえいえ、と神楽は首を振った。本当だろうかこのお嬢様は。

「みんなして囲って脱がせてきたりするじゃない。四十院さんだってあの中にいたの覚えてるからね?」

「それはまあ、一組はチームワークが売りですから」

 それで人をひん剥かないで欲しいものだ。コンプレックス以前に性別の壁があるのだから。

 ――旅館の中へ。ロビーを通りすぐそこの売店へ向かう。

「汀さんはパーソナルスペースが広めなのですね」

「そうかな?」

「私達、それが不満です」

 達? と静穂が鸚鵡返しをしたその直後、

 神楽が動いた。ただ自然と繋いでいた手を離し、静穂の腕を抱き寄せるように巻きつく。

(?)

 今の自分はポーカーフェイスを貫けているだろうか。神楽の反対の手は静穂の指を絡め取り、静穂の二の腕を自身の女性的部分へ押し付けている。ラビット越しでも確かに判るその弾性と柔性。逃がしはしないという意思表示が感じられて、

 ……嫌な予感がしてきた。

「ドキドキしていますか?」

「顔が近いからね? 当然だよね?」

 この程度ならば問題ない筈だ。中学時代の女子からのスキンシップと昨晩の危険性を思い出せば何の事はないと言い聞かせる。それにこの動悸はそういうものではない気がする。

「女同士でこの程度は普通です」

「そうなの?」

 だとしたらかつての同級生女子達は自分を同性と見ていたのだろうか。

 神楽はここで一つ息を吐いて、「やはりここは私達が一肌脱ぐとしましょう」

「それ以上?」水着からさらに一肌脱いだら大変なことになるのではないかと。

 そんな思考を巡らせて、到着した売店では先客が既に水着姿でそこに居た。

 相川 清香、鷹月 静寐、そしてセシリア・オルコット。

 静穂の首筋に警鐘がビンビンと来ていた。

(これはまさか!?)

「まあ、と、いう訳で、」

 静穂の腕を抱く力が強まる。

「荒療治と参りましょう」

「ーーーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同級生の鏡 ナギから「ここで待つように」と言われて暫しの事。

「何があるんだろうな、シャルル」

「さぁ……?」

 ()()二人が手持ち無沙汰で立ち尽くす様を、周囲がチラチラと見てくるのでシャルルは臨海学校の間、ずっと気が気でなかった。自由時間がここまで苦痛だとは。本来ならまだ授業の時間である筈だが、補助の頭数が増えた結果、授業は前倒しで終わり早くに臨海学校最後の自由時間が延びる事態となってしまった。

 全部箒と静穂のせいだとシャルルは少しばかり二人を呪う。特に静穂の方を多めに。

(そう言えば、静穂は自分が止まっていれば命中率良かったんだっけ……)

 昨日の静穂からは接近戦のみを繰り広げていた印象しか出てこない。そんな事も忘れる程に。

 サクサクと授業が進んだのは()の影響もあるのだろう。ISに関しては元素人だが、サバイバルゲームの経験則から導かれるアドバイスは彼が担当する女子達にもすんなりと受け入れられていた気がする。

 溜息を一つ。周囲からの視線が痛い。

「大丈夫か?」一夏が気を遣ってくれるのが何よりの救いだが、それを見て姦しい声が上がる事にシャルルはもはや億劫気味だ。

「日差しが強いからかな。それと少し疲れ気味かも」

「昨日は大変だったしな」一夏が少し背筋を伸ばす。「何とかなって良かったよ」

「本当にね」静穂と一夏。二人がいなかったらどうなっていたか。考えるのが怖くなる。

 そんな静穂はどこに居るのだろうか。まあ海に来る事はないだろうが――――

「え?」思わず二度見した。

「何だ?」一夏も同じ方を見る。

 妙に騒がしい一団がこちらに向かっている。

 その中央には、この場に絶対来ない筈の人物がいた。

 

 

「こんなの聞いてない! よりにもよってあの二人に見せるとか何考えてるの!?」

「いいじゃん静穂ちゃん可愛いじゃん!」

「可愛いっていうなぁ!! 着るだけって言ったじゃないかさぁ!?」

「何考えてるのはこっちの台詞よ! こんなに似合ってるのに誰にも見せないなんて間違ってる!」

「鷹月さんだけじゃないけど皆して心的外傷(トラウマ)とか劣等感(コンプレックス)持ちの人間をいじめて楽しい訳!?」

「では汀さんはそのままで良いのですか? 誰にも肌を許す事なく終生を迎えると?」

「言いたいことは判るよ四十院さん!? でもそれで良いと本人が思っている訳で!」

「それはわたくしが許しませんわ」

「師匠!?」

「以前に言ったかもしれませんが、わたくし達は以前に誓いました。静穂さんにも人並みの女子としての自覚を持っていただくと」

「確かに言ってた覚えはあるけど何故今になってその話が!?」

「水着は女の勝負服が(ひとつ)。女は見られて綺麗になるものですわ!」

「今度は何の本読んだの師匠ー!?」

 

 

『えぇ……!?』一夏と二人、唖然とした。

 静穂だ。静穂が来る。似つかわしくないと言うつもりはないが、この場に絶対に来そうにない人物が、四人がかりで運ばれて。

 両腕を一人ずつに引かれその背中を二人がかりで押し出され、静穂は必死に両足で砂を突っぱねている。

 何よりシャルルと一夏を驚かせたのは、

「水着だね、一夏……」

「ああ、水着だ……」

 

 

――静穂が水着でやって来る――

 

 

「到着ー!」相川が静穂の右腕を引いてきた。

「お待たせ二人とも! どう!?」静穂の背を押してきた静寐が問い掛ける。

「どうって、」

 シャルルが言葉に詰まる一方で一夏が、

「なんだよ静穂! 似合うじゃないか!」

「似合っ!?」

 一夏の喝采に静穂は詰まった。シャルルもそれに同意した。

 その肢体は確かに傷跡、手術跡、火傷跡の引きつり等が目立つが、それは彼の努力の経緯だと知っている。そうでなければいきなり専用機を駆って自分達代表候補生と戦闘機動を同調させるなど出来はしない。

 一夏だって無理だった。トーナメントの時も必死に練習してようやく最低限の実用レベルに到達したのだ、それも専用機の白式ありきで。

 練習機で代表候補生(更識 簪)の機動に縋りつく、その努力を知らぬ者はその肌を見て血の気が引くだろう。だがシャルルや一組の面々はそうではなく、何の恥じることもない誇るべきものと思うだろう。いわばリトマス試験紙のような、そんな性質を持った肌を、惜しげも無く見せつけている。

 白のホルターネックにホットパンツ型の上下、黒地にクリームピンクのハイビスカス模様を散りばめたスリット入りパレオは臍の下で巻き、()()()()()()()()()()。上のホルターネックは恐らく背中も大きく開いているようだ。

 

 

――女の自分(シャルル)でも言える。似合っていると――

 

 

「ちょっと!」シャルルが静穂の手を取り引き寄せた。

 今この場で聞く事ではないのだろう、女子達が一気にざわめき立つ。

 ……だが気になる。シャルルは赤面しつつも切り出してしまった。

 努めて潜めた声で問う。「え、静穂。ど、()()()()()()()()()?」

 静穂は首を振りながら、「わかんない。わかんないけどすんなり入った」

「すんなりって! え、メーカーは? どこの水着?」

「…………でゅ、デュノア社……」

「お父さぁん…………!」

 まさかこんな所で父の収納技術、その恩恵を見てしまうとは。

 話が逸れるがラファール・リヴァイヴの使用率が世界三位を維持している理由の一つとして、その拡張領域の容量にある。

 門外不出、シャルルの父個人所有の特許によりその権利と秘匿性を護られている、デュノア社の根幹が一つを担う謎の技術。

 その恩恵をシャルルは()()受けている訳だが、それがまさかISだけに留まらずISスーツはともかく、果ては一般の水着にまで通用するとは、妾の子とはいえ娘のシャルルに理解出来る訳もなく。

「……?」何か、周囲の目線が気になって顔を上げた。

『…………』

 下卑てはいない。だが妙な気を回しているような目線をむけられている。

「あ、ち、違うからね? そういうのじゃないからね!?」

 必死になって否定するももう遅い。同性故に判る。

 こういうネタになる行動をした、自分が悪いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……受難は続くよ何処までも。

「静穂。大丈夫?」

「……死にたい……」

 日差しを避けるパラソルの下、レジャーシートの上に静穂がうつ伏せで寝かされている。

 隣に膝立ちのシャルルが、手に日焼け止めの液体をひり出していた。

 驚くべきは一組のチームワークか。気づけば静寐達だけでなく一組の有志が集まり、やいのやいのと囃し立てられ、あれよあれよとパラソルが、レジャーシートが、そして日焼け止めが用意され現在に至る。

 当然、二人とも不本意である。念の為。

「いやあシャルル君がそんなに静穂ちゃんの水着姿を気に入ったとは! じゃあもうシャルル君に塗って貰うしかないよね!」

「何がどうしてそうなるの相川さん!?」

「だって静穂ちゃん肌白いし、折角なら男子に塗って欲しいだろうし、シャルル君も静穂ちゃんの水着にドキドキしちゃったでしょ?」

「欲しくない……」

「ぼくは――そう水着! 静穂の水着がウチの系列の製品だったから気になったってだけで!」

 必死にそれっぽい理屈を立ててみるも逆効果で、

 静寐が更に気を回す。「成程、汀さんがその水着を選んだのはデュノア社製だって知ってたからなのね」

「完全な不可抗力ですぅ」静穂がうつ伏せでうなる。「布があるから隠れるかなぁと思って確かにカワイイかなぁとも思ったけれどわたしが着るなんて露程も思っていなかった訳で……」

「今着てるじゃない」

「皆が選ぶのがほとんど紐で消去法だったからだよ! あぁもう無理帰るぅ!」

 静穂が立ち上がろうとした刹那、ラウラと鈴音がしがみついた。

『まあまあまあまあ』そのまま静穂を宥め再度シートに沈めに掛かる。

「お鈴にボーデヴィッヒさん!? なんで!?」

義妹(いもうと)よ。そんなに叫ぶと喉を痛めるぞ?」

「義妹じゃないって何度言えば、というかお鈴に至っては前にいじめとか言ってなかった!?」

「あの時とは状況が違うわよ。相手がシャルルだってんなら話は別。

 というかそれ覚えてるならアンタあたしが飛んでこない時点で気づきなさい」

「何を!?」

 そう言うと鈴音は静穂の上、尻の辺りに陣取り腕を組む。

「あたしと一夏、アンタとシャルル。つまりはそういう訳よ」

「ちょっと!?」

「なんでわたしとシャルルくん?」

「そうだぞ鈴音。そこは私と一夏(よめ)だろう」

「は?」

「何だ」

「わたしの上でISださないでよ?」

『…………』二名が待機形態のそれを収める。

「もうヤダ」

「あはは……」

 うな垂れる静穂を見て、乾いて笑うシャルル。その手に用意された日焼け止めはもう良い頃合いの温度にまで上がっている。

「ほらシャルル、さっさとやって遊ぶわよ」

「でも鳳さん。流石に静穂ももう限界だと……」

「限界なんてとっくに超えてるわよ、コイツ」

 え? シャルルは首を傾げた。

「コイツの単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)はテレポートよ? その気になればこの場だって逃げられるわ」

 言われてシャルルは気づいた。静穂の機体、その単一仕様能力に妨げられる物は何もなく、通常ならば専用機の持たない一般生徒が引きずって来られる訳がないのだ。

「やらなきゃ終わんないってシズも判ってんのよ」

 確かに、この手にあるこれを塗らなければ解放はないのだろう。周囲が()の自分に期待されているのが強く伝わってくる。

「それにシズもアンタならって覚悟決めてる。女の子にここまでさせてんのよ」

「…………」

 それは違うと言いたかった。男は静穂で女は自分だと。言ってしまうと終わりなのだが。

「……いいの?」所在なさげに聞いてみる。

「……やさしく塗ら()れると、逆にキツい気がする」

 見られるだけで消耗しているのは、今回ばかりはお互い様の様子だ。むしろ静穂の方がキツいのかもしれない。今まで守り抜いてきたものが今回露に――――何を考えているのだ自分(ぼく)は。

(覚悟を決めろ。今、男はぼくの方だ)

 頭が熱い。異性の肌に触れる機会が、これまでそれ程なかったからか。

「(集中しろ。周囲の声も届かないくらい)……いくよ」

 今、静穂は女の子だ。「ちょ、シャルルくん?」優しくいけ。優しく。「聞いてた? ガッといってさっさと――」

 

 

――指先が触れた――

 

 

『!!』

 静穂が声にならない悲鳴を、シャルルが指先の感触に驚愕を、周囲が「いった!」と歓声を、それぞれ喉の奥で押し殺した。

(うわぁ……)

 ゴツゴツとした感覚かと思えば一転、全体としては滑らか極まりない。

 確かに傷痕の盛り上がりや火傷跡の引きつりによる違和感こそあれど、それ以外は自分ら女子と何ら変わりのない、リゾットに使う生米を撫でているような、スベスベとした感触が日焼け止めのない箇所の皮膚越しに感じられる。

(……塗り広げないと)僅かに残った使命感が掌を腰に押し付けた。

 先程の表現を引き継ぐのなら、生米をなぞる感覚から、僅かな凹凸のついた地球儀を、シャンプー越しになで回すような感覚に変わる。

「…………、……ぁ、…………!」

 静穂が僅かに震えている。この位置からでは判らないが、涙目くらいにはなっていそうな程度だ。

(ちょっと、可愛い?)

 理性が溶けていく。どこまで広げれば良いのか思案するも、答えが出ない。

「……なんで師弟でおんなじ反応なのよ」尻に座り腕を組む鈴が独りごちる。下の静穂は嗚咽というかしゃっくりというか、とにかく脊髄反射の一種をこらえるのに必死だ。レジャーシートに顔を押し付け長髪を掻き上げた手をその位置で保持し、その表情が見られないようにしている。

(気持ちいいのかな? だったら良いな)

 腰から背中、水着の紐の結び目を超えて、その背中に手をやった。

 ――ここまで来ると暴走している。今のシャルルは熱に浮かされている。

 擦り込む手を沈めるように少し力を入れる。今迄のフェザータッチが良くなかったのか、静穂の体から震えが消えた。

「ぅぁ」静穂の口から吐息が漏れた。

(柔らかい……)

 噛みつきたくなる弾力だ。それでいて芯に鍛えられた筋肉がある。

「待って、ちょっ、まずぃ…………!」

 静穂の上体が僅かに浮いた。日焼け止めを伸ばす手が止まらない。

 背骨の辺りから僧帽筋、広背筋に触れて水着の紐の結び目、()()()()()()()()()。脇腹、水着の布地のその端に親指が掛かったところで、

『わー! わーっ!』

「ちょっとシャルル!」

「ふぇ、え? ――あっ!?」

 周囲が騒ぎ鈴が制止しシャルルが我を取り戻す。

 急ぎ離れ尻餅をついてシャルルは、

「ごめん静穂! 大丈夫!?」

 何が大丈夫かは知らないが、危うくセクハラを超えて痴漢の域に届きかけた事にシャルルは恐怖した。

「シャルル。アンタ、」

「違うんだ! なんて言うかのぼせてポヤーっとなってたっていうか!」

「行く時は行くのね……」

「話を聞いて鳳さん!?」

 シャルルが鈴の誤解を解こうとしている間、静穂が周囲に介抱される。

「汀さん大丈夫!?」

「はいタオル! 体巻いて!」

「デュノア君積極的過ぎ!」

「見てるだけなのに鼻血出そう……」

「うぅ、……」

 赤面で真っ赤になった静穂が体を起こす。気のせいだろうか。いつも見ている涙目がやけに魅力的だ。

「本当にごめん静穂! 何でか判らないけど大丈夫!?」

 鈴にチョークスリーパーホールドを掛けられながらシャルルは静穂を案じる。

「……なんて言うか、」静穂は羽織ったタオルの中から日焼け止めの容器を拾い上げる。「色々、失った気分だ…………」

『…………』

 その場にいた全員が口を閉じた。囃し立てた罪悪感が今更になってというのもあるが、静穂のその必死に涙をこらえる表情と、羽織られたタオルとパレオから覗く投げ出された素足、そのくねらされた肢体を見て、

「なんかちょっとえろ――」清香の口を静寐が押さえ込む。そんな事を言われても静穂の気は晴れないだろうと。

 

 

「――ええと、良くわからないけど終わったのか?」

 箒とセシリアに目を塞がれていた一夏が問い掛けた。

 

 

「え、ああ」代表してか静寐が答え静穂を見る。その肢体に日焼け止めを乱雑に塗りたくり最後にぬべーっと顔を上から下に終わらせていた。「もう大丈夫。二人ともいいわよ」

 箒とセシリアから解放された一夏。何故目を隠されたのか良く判っていない。

「? どうした皆。顔赤いぞ?」

『知らないでいい!』

「そうか? まあ良いけど」あっけらかんとした表情で一夏が言う。「じゃあ何する?」

「何って?」と静穂が涙を拭いながら聞く。静穂としてはもう放っておいて欲しいだろうと、その一因たるシャルルは思う。

「といってもスイカはないから泳ぐかビーチバレーしかないけどな」

「砂風呂」

「大丈夫か静穂!?」

「わたしを何だと思ってるの!? 普段からさぁ!!」

 一夏が静穂の手を掴んだ。

「へ、何この手」

 静穂が一夏の顔を見て、手を見て、また顔を見る。

「ほら行こうぜ。な!?」

「ちょっ――」

 タオルが翻り、パラソルの影から引きずり出されていく。

 そのまま二人で走り出した。

 

 

「ちょっと織斑君!? それじゃまるで愛の逃避行なんだけど!?」

「愛!?」

「今度は織斑君まで暴走しちゃったの!?」

「男子二人を独り占め!?」

「汀さんずるい!」

「えぇ!?」

 

 

 ――もう何が何やらである。急ぎ後を追う者、写真に収めようと躍起になる者、ただ呆然と眺めるしかないシャルル。

 そんな面々を置き去りにして一夏は波打際まで一直線に走り抜けると、

「のわっ――!」

「ちょー!」

 転んだ。静穂を道連れに。

 波を砕いて飛沫に変えて、海へ頭から突っ込んだ。

「――あっはっは! 大丈夫か静穂!?」

「うぅ、初めてなのに…………」

 随分と対極な表情で二人が浮上した。一夏が髪を掻き上げて大型犬のように雫を払うのに対し、静穂は濡れそぼった状態で滴るがままに髪と海水をそのままにしている。

「海初めてとかホントか? まあ静穂なら有り得るか」

「だからわたしを何だとおもってるのさ、皆さぁ」

「ISにしか興味ないんだろ? そんなの勿体ないぞ?」

「だからそれも違うってば…………」

 その誤解から推測するに、皆は静穂にその他の娯楽を知ってもらいたいとの事の様だが、

 静穂からすれば押しかけ迷惑である。これがイタズラ心よりも好意の方が強いというのが実に(タチ)が悪い。

 今迄守り抜いてきたものが、この数十分で一気に瓦解した。今更新しく傷つく場所がある訳ではないが、それでも思う所があるにはある。

(これが、女子校……!)隣で笑うのは男子だが。

「…………でも良かったよ」一頻り笑った一夏が言う。

「何がさ」

「元気で」

「はい?」

「怪我の様子聞いて、心配だったんだ」

「! …………」

 医療用眼帯の上から、静穂は義眼(ラビット)に触れた。防水処置の施されたそれを伝う海水は、体温で少し温い。

「まさかISひっさげて()()に喧嘩売りに行くとは思わなかったけどさ」

 一夏が海水をすくって静穂に払うように引っ掛けた。

「ちょ、なに!?」腕で顔を防御する。

「俺、もっと強くなる! 白式も先に強くなったしな!」

「冷たい! 冷たいから!」

 頻りに海水を引っ掛ける一夏に対して、静穂も対抗した。

 指を組み両手を俵型に成形。両の掌に海水を溜めて手を持ち上げ、小指の下辺りから噴出させた。

「お返しだこのぉっ!」

「わぷ!」

 一夏が顔に直撃を受け、仰け反って海に沈んだ。

「待った静穂! 目に! 目に入った!」

「地に足ついてれば大抵は的に当たるんだよぉ!」

「精度高すぎだろ! 待ってくれホントに痛い!」

「私がそう言って皆は待ってくれたかなぁ!?」

「俺は関係ないだろそれぇ!?」

 

 

「――――デュノア君、GO!」

「うわぁあああっ!!」

『!?』

 

 

 二人の水掛けにシャルルが突撃した。正確にはさせられた。

 女子生徒達に腕を掴まれ、勢いを付けられて静穂へ向けられて放られたのだ。

 さながらプロレスのロープアクション。勢いのついたシャルルは一直線に静穂へ。

 激突。飛沫を上げて静穂を巻き込んだ。

「――――ぷぁっ! ごめん静穂大丈夫!?」

「――シャルル。シャルル」

 何!? とシャルルが一夏に向いた。

「下だ」

「下?」

 言われるがまま下を見る。

 

 

――沈んでいる。ぶくぶくしている――

 

 

 シャルルが馬乗りになっているので顔も上げられない。

「うわぁごめん静穂!!」

「……っばああぁあああっ!!」

 静穂がシャルルを押し上げ海面を爆発させた。

 急ぎ一夏がシャルルを救助すると、静穂が右腕の肘から先だけ流体装甲を展開して立ち上がる。

 海水を機体のパワーアシストでぶん殴ったのだ。次いで静穂からは拡張領域の発光。

 背中から前に引き出すように展開されたのは、一丁の水鉄砲。

 

 

――但し異様に大きい――

 

 

「なんだそれ!」

「水鉄砲じゃないよね!? もうそれ大砲だよね!?」

 ゆらり、ゆらりと静穂が進む。肩で担ぐ水大砲の、レバーでタンクの水を圧縮させながら。

「…………ねぇ、皆」

『!』女子生徒達が背筋を伸ばす。『な、何?』

「スイカ割り、ビーチバレー、砂風呂、砂の城建築もあるけどさ、」

『けど、何……?』

 

 

 水も滴る笑みで言った。

「ウォーターサバゲーって知ってる?」

 

 

『ーーーーーーーーーー!!』

「怒ってないけどお返しだ――――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を見て織斑 千冬は言った。

「まあ、人並みにはなったか」



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70.帰るまでが遠足 帰ってからも遠足 ②

 夕食も終えた夕刻、日が次第に水平線へと沈もうという頃合いの時間帯、箒は一人水着姿で、岸壁切り立つ海岸の端にいた。

 普段はポニーテールで束ねている髪はおろし、潮風が靡かせるままにしている。普段使いの髪紐は、先の戦闘、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)との初戦で紛失していた。

(お気に入り、だったのだがな)

 一夏以外に見せるでもなく、海水に浸かっては色落ちするかもと思い、それでも水着という女の見せ場において一片たりとも妥協は出来ずそれを身につけた結果がこれである。こうなるならもっと安いではないが、困らないものを巻いてくればと、箒は僅かながら後悔していた。

(静穂め)

 鏡 ナギではないが、今度は箒が誰かに待たされるとは。

 奴は意趣返しでも考えているのだろうか。昼間のあれは自分の仕込みではない。奴が男だと知っていて、どうしてあのような危険な真似が出来ようか。

 …………話に乗った訳ではない。断じて。やましい感情が完全になかったとは言えないが。

(となるとやはり仕返しだろうか)

 だとするとこの場合の仕返しとは何か。言ってしまえば恥ずかしい真似である。女同士で問題になる事柄などやはり、

(…………)

 心当たりというか、奴、静穂が中学時代に被ってきた事柄の大半は着せ替え系のそれというか主に逆セクハラだった。それを箒はされると言うのか。

(ないな)

 ない。100パーセントない。静穂にそんな趣味はないし、やるとしたら衣装部屋になりそうな屋内を選ぶ筈だ。こんな旅館から見えない位置の岩場に呼び出す意味がない。

 それになにより、

 

 

――誕生日? へ!? 箒ちゃん昨日誕生日!?――

 

 

 夕食の海鮮鍋をつつきながらつい自分の口からでてしまった言葉に奴は驚き、その後にこの場所へ自分を呼び出している。その時点で仕返しの類はないと考えるべきだ。

(誕生日プレゼント? 静穂が?)

 本来この場に来る筈のない、誕生日の存在すら知らなかった静穂に、プレゼントの用意など出来る筈がない。

 もう、一泳ぎして帰ってしまおうかと考えたところで、

 

 

「よう、箒。待たせたか?」

 

 

 ――息を呑むどころではなかった。つい手首に巻いた紅椿の待機形態から空裂(からわれ)を呼び出し構えてしまう程には驚いた。

「どうした箒!?」

 言われ手の中の空裂を見て慌ててそれを拡張領域に戻す。「す、すまない。考え事をしていて驚いた」

「そ、そうか」一夏はその胸をなで下ろした。

 ――そう、一夏である。一夏がここにやってきた。何故一夏も水着姿なのだろうか。

「なんでお前まで水着、」

「おかしいか? 静穂が水着の方が良いって言ったからなんだが」

 あいつめ、と箒は内心で毒づきつつも感謝が絶えない。箒が呼ばれ、一夏が来たという事はそういう事だろう。ただこういう事をするのなら事前に言って欲しかった。こんな驚かしは確かに嬉しいが心臓に悪い。

(剣を握ってしまったじゃないか……)

 そんな後悔など今でなくて良い。来てくれた一夏に対して、どう話を始めるか悩み出したところで、

「箒。あのさ、」

「! なんだ?」まさか一夏から切り出してくれるとは思わなかった。「どうかしたか?」

「昨日からだけど、髪どうしたんだ? イメチェンってやつか?」

「あ…………」

 どう言うべきか悩んで、箒は、

「……福音とやり合ったあの時に切れて落としたらしい」

 正直に告げた。

「……悪い」

「一夏のせいじゃない! 予備はあるんだ。ただそんな気分ではないというだけで!」

「そ、そうか、うん」

 一夏が顔を赤らめて目をそらした。そうして気づく、いつの間にか二人のきょりは極めて近いものになっている。

「!」

 急ぎ三歩後ずさる、その三歩目で、

 

 

――踵がつまずいた――

 

 

「箒っ」

「っ!」

 無意識に伸ばした手を一夏が掴み、そっと手許に抱き寄せた。

 ――なんだ、なにが起った。

「大丈夫か箒」

「――――」

「箒?」

 我に返る。「あ。ああ済まない、大丈夫だ」

 何の事はない、ただ躓いて、手を取られて、引き寄せられ、

 

 

――抱きしめられただけだ――

 

 

(ーーーーーーーーーー!?)

 箒の頭と顔が瞬間的に茹だる。それを間近で見て一夏は、自分達の体勢に気がついた。

「悪い!」

「! 待って!」

 ――思わず引き留めていた。どうしようもなく、感情と自制心を超えたこの衝動を、自分でも止められなかった。

「もう少し、もう少しだけこのままで……」

「……? いいけど、いいのか?」

 一夏の胸板に、指を置き、額を寄せる。

「いい……」

 もう少しだけ、勇気を出して。月並みだが、この時間が終わらない事を願って。

「箒」

「何だ……?」

「この体勢、ちょっと辛い……」

「…………」

 無言で肝臓に肘を打ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一夏と箒、その両名が旅館から姿を消した事は専用機持ち達に動揺を走らせた。と同時に彼女らの、その灰色の脳細胞を活性化させるに至った訳だがそれはともかく。

 彼女らには織斑 一夏に対しての、いわゆる暗黙の了解が無意識下で存在する。それは顔を合わせて口頭で誓い合ったものではなく、独断行動の結果生ずる連携行動のようなもので、

 ――まあ要するに“抜け駆けは許さない”といった程度のものである。ただ彼女らの手の内には必ずISが存在し、その機動性と攻撃力、高速情報処理能力が一夏に対して集中するのだが。プライバシーも身の安全もあったものではない。

 彼女らが行ったのはハイパーセンサーによるコア反応の捜索だった。ISの、その当初の存在目的は地球外、宇宙空間での活動を想定されたスーツ型マルチ・プラットフォームであり、果てしない空間の中で彼我の距離と場所を見失わぬよう互いのISコアの位置を把握する事を可能としている。

 この機能、初期段階からその位置情報を隠蔽可能としている。だがISに触れてまだ日の浅い一夏と箒にはその機能を行使するという発想すらないだろうと残る専用機持ち達は踏んだのだ。

 結果、コアを常時身につけている筈の二人は旅館に居らず、簡単な探査範囲に二人は居ないと証拠づけるに留まる結果となった。

 近くにいない。であれば外と探査範囲を広げ、見つけたのは旅館から少し離れた岩場の影。

 マズイ。このままでは何かが起きてしまう。専用機持ち達はその場に急行した。海沿いの道路を徒歩で、走って。

 

 

「なんでわざわざ走らないといけませんの!?」セシリアが文句を言いながら鈴音の後を追う。

「しょうがないでしょ!? 千冬さんのお膝元でISを展開なんてしたらそれこそ足止めどころじゃないでしょうが!」鈴音が叫ぶように答えながら先頭を征く。

「以前クラリッサがそのような事態を他の部隊で偶然目の当たりにしたらしい。それより数日間、クラリッサは食事が喉を通らなかった」ラウラがシャルルと併走、走る足を止めないまま身震いして見せた。

「でも大事にするのはまずいよ! 一夏も篠ノ之さんもそう言う事ではないのかもしれないし!」とシャルルが言うと、

「アンタは男だからそんな事言えるのよシャルル!」

「そういうものなの!?」

 鈴音が声高に否定した。

「アンタなら分かるでしょ! 静穂が一夏と一緒に二人っきりでいるって想像してみなさいよ!?」

「なんでそこで二人が出てくるのさ!?」

「――む、」ラウラが何かに気づく。「鈴音止まれ、海だ」

「海!?」

 専用機持ち達がその足を止める。ラウラが指を指し、皆がその方を見てみれば、

 砂浜にいたのは専用機持ち。それを持つよりずっと前、練習機の時代から、周囲より一歩進んで自分達の近くにいた人物。

『…………静穂』

 汀 静穂がそこに居た。

 

 

 道路から防波堤を下り、()()の下へ向かう。彼女の事だ、コア反応の隠蔽など調べ尽くして対処済みという事なのだろう。事実、彼女から専用機の反応はない。

 そんな静穂は浴衣姿で流れ着いたブイに腰掛け、何処で買ったのかかき氷を掻き込んでいた。

「ーーーーーーーーーー、」

 静穂が頭を押さえだす。かき氷で血管が収縮した為に頭痛がきたのだ。

 いかにも夏を堪能している様子だが、その姿が何故自分達の進行線上にいたのかが分からない。

「……静穂さん」代表してセシリアが問い掛ける。

「!」静穂がこちらに気付き立ち上がった。

「一夏さんと箒さんを見ませんでした?」

「――箒ちゃん、誕生日なんです」

「知ってるって訳ね」と鈴音。「さしずめアンタは門番か」

 ラウラが一歩前に出た。「退け、義妹(いもうと)よ」

「いも、」義妹と口にでかかったところで静穂が口を押さえる。「――箒ちゃん、誕生日なんです」

『……?』

 全員が疑問に思う、何故自分で鸚鵡返しをするのか。

 その中でただ一人、鈴音が何かに気付き片手で頭を抱えた。

「アンタ、そのネタ何人に通じるのよ……!」

「箒ちゃん、誕生日なんです!」

 鈴音に意図を分かってもらえた静穂が指さす腕をぶんぶんと振る。どうやら今の静穂はそれしか言わないようで。

「シズ。真面目に。満足した?」

「あ、うん」

「戻るんだ……」なら何故やったのか。

「では静穂さん。何故こちらに?」

 静穂はセシリアの質問に対し、海の方へと視線をやった。

「まぁ、今付き合ってもらった通りなんだよねぇ」

 シャルルが静穂の目線を追う。まだその威力を放つ太陽は、その半分以上を水平線に沈めようとしていた。

「一緒に住んでいた時期もあったけどね、それでも要人保護プログラムの関係でお互いに本当の誕生日なんて知らなかった訳で。

 更には知ったのがついさっき。それはまぁ誕生日のプレゼントなんて用意出来ていない」

 だから、と。静穂が向き直る。

「……できる限り、二人っきりになれる時間を作ってあげようと思ってね」

 静穂から拡張領域の発光。かき氷のカップと浴衣を収納した、皆がよく見た静穂のISスーツへと姿が置き換わる。……否、もうそれは唯のスーツではなく、

「グレイ・ラビット……」

「やはり罠か」

「いいえ、黒幕ですわ」

「四対一よ、いいわね?」

「ちょっと!? ぼくもなの!?」

「いいよ、一緒でも」静穂が肯定する。「()()()()()()()()()()()()()()()?」

「っ」シャルルは一瞬言葉に詰まり「…………いいの?」

「どうぞ?」

 ……各員がISを展開する。ほんの僅かに遅れてシャルルも。

 それを見てから静穂もPICを起動、残る推進器を展開した。

 何度も見た訳ではないが、それでも明らかな驚異を感じる。

「……わたしはね、どういう訳か周りからISキチとかガチ勢って思われてる」

『違うの?』

「違うんだってばぁ……」

 全員が当然だと認識している事を、静穂は涙目で否定する。

 それでもめげずに静穂は続けた。それでも、と。

「それでも今回だけは、そう言われても仕方ないなぁ」

 だってさ? と、静穂が機体を完全に展開。推進器を携え、砂浜を踏みしめる。

「手に入れたばかりのものって! 何にせよ試してみたくなるよねぇ!?」

 それに答えるように全員が砂を蹴った。

 

 

『そぉこをどけぇぇぇえええっっ!!』

「箒ちゃん誕生日なんですぅぅぅっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いった()、箒、なんで……」

「お前! 少しは、少しはなぁ!」

 蹲る一夏、憤慨する箒。何が何やらもう判ったものではない。ただ自分が何かやらかしたのだろう。現に箒は涙目で顔は真っ赤だ。女は絶対に泣かすな。泣いている場合は大抵が貴様のせいだとは千冬姉の言で、まあそうそう泣かす事もあるまいと生返事を返して怒られた記憶が蘇る。

「わ、悪かったよ、箒……」

「何が悪かったか判ってないだろう一夏ぁ……!」

 怒りが収まる事はなく、しかし呆れも強いのか、箒から怒気と意気が消沈していくようだった。

「もういい。帰る」

「箒?」

「静穂にありがとうと言っておいてくれ。ではな」

 ――今度は一夏が引き留めた。

「待てって」

「!」後ろから手を掴まれて、箒が肩を震わせる。「な、なんだ」

 少し声の上擦る箒。一夏は手に軽く力を込めて彼女を向き直らせ、

「誕生日、おめでとう」

 その手に紙袋を握らせた。

「――――」

「開けてみてくれよ」

 一夏が手を離しても、箒は去る事なくその場に少し立ち尽くした。

 そして気を取り直して、紙袋を開く。

「これは、」

「昨日のうちに渡せたらよかったんだけどな、福音とかいろいろあって今になっちゃったけど」

「お前、これ」

 箒が手に取って、袋から取り出す。彼女が普段から使っていたものとも遜色のない、いや新品故か、より鮮やかな紅の髪紐。

「――つけてみるか?」

「っ」

 その一言に、箒は、

「箒? どうした」

「……やってくれ」

「わかった、じゃあ後ろ向い――」

「このままで」

「え、いやあの、箒?」

「ん」

 箒が先程のように頭を寄せてくる。

「…………」

 これはあれだろうか、やらないといつまでもこのままで、いずれまた肘が肝臓に突き刺さるパターンだろうか。

 だとしたら二度目は避けたい。本当に、まるで杭を打ち込まれたような痛覚だった。

 ……仕方なく、結ぶ事にした。

 箒の頭を挟むように、その後頭部へ指を回す。

 髪に触れる感想としては千冬姉よりも細い感じだ。それに見たとおり長い。千冬姉の時よりも慎重になるべきだろう。

 手櫛で梳いて、指で輪を作り束ね、髪紐を巻き、手早く結ぶ。

「…………」

 心なしか、すぐそこにある箒の表情が綻んでいる気がした。

「――出来た。どうかな」

「ああ」

 結び終わり、少し離れ、プレゼントの感触を確かめる箒を見た。

 こうして見ると、いつもの箒が帰ってきたように思ってしまうのは、それだけ普段からこの箒を見慣れているという事だろう。

 だがどうした事だろうか。心臓が、少し早足になっている。

 箒はこんなに線が細かっただろうか。いや、それは彼女の気の持ち様なのだろうと推測出来る。

 とにかく今の彼女に抱く感想を説明できない。なんだ、この気持ちは。

「ありがとう、一夏」

「お、おう。…………」

(箒って、こんなに、)

 

 

――こんな風に、笑う奴だっただろうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――切り立つ崖の、丸太製の柵に、篠ノ之 束は腰掛けて、足をぷらぷら、ぷらぷらと揺らしていた。口ずさむ『メリーさんのひつじ』の替え歌で、静穂の跳ぶ姿を表現している。というか“ぴょんぴょん”としか歌っていない。

 その為に舗装されたであろう崖の、柵の上から望む太陽はその輪郭を霞ませて、次第に水平線へ沈もうとしていた。僅かながらこの日最後の光を浴びて子供達は夕暮れ空を駆けている。

「いやあ楽しそうだね、ちーちゃん!」

 束は後ろを振り返って、いつの間にか背後に居た千冬に声を掛けた。

「――どうだろうな」千冬は眼前の戦闘を千冬は束越しに眺めて言い放つ。「四対一だ。汀の単一仕様能力があるとはいえ、未だに勝負が決まっていないのでは連中の技能に問題があるとしか言えんよ」

「ちーちゃんは相変わらず固いなぁ。固い固い!」

「貴様は少し緩すぎだ」

 その返しに束はむぅっと口を膨らませる。

「ちーちゃんはいつも一言多いよねっ」

「他に誰も言わないからな」

 さらに口を膨らませる結果となった。

「……それで、満足したのか?」

「満足?」

「ここまでしておいて、まだ足りないとは言わせないがな」

 腰に片方の手をやって、千冬は嘆息した。

「どうなんだ、束」

「ん~」束はまた崖下の子供達に目をやって、「わかんない!」

「束」

「まあ聞いてよちーちゃん。変な気分の束さんをいじめても楽しくないよ?」

「変な気分?」

 そう! 束はぐりん、と身体の向きを千冬に向けた。

「今回のイベントは妙なんだよ、ちーちゃん。それこそこの束さんが出張って、ちーちゃんが出撃する寸前までいかないといけなかったくらいのね」

「妙な事とは?」

 束が出張る時点で何かしらが間違っているのだが。

「戦艦が空を飛ぶナンセンスに始まって、1パーセントの可能性もあり得ない束さんの発明品が暴走。いっくんの二次移行に続けとばかりに早すぎる箒ちゃんの単一仕様能力覚醒」

「――早すぎる?」

 そう、と束は頷いた。

「今、紅椿の稼働率は41.7パーセントなんだ」

「……成程」千冬が納得した。「()椿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)。単一仕様能力の発現例は両手で数えられる前後程度のものだが、その前例となる平均値を、箒と紅椿は下回った状態で単一仕様能力を発動させたと。

 この事実に束は身体をくねらせる。

「不思議だねぇ不思議だよぉ。なんで紅椿は稼働時間を条件に単一仕様能力の制限を解除しちゃったのかな? 確かに初めての機体で41.7パーセントっていう稼働率は悪くない上々の数値と言える。それでもいっくんやしーぴょんにはまだ幾分か及ばない。

 それに最初はね? 最初だよ? 束さんも最初はフツーに箒ちゃんのデビューを飾ってあげようと思ったのさ。()()()()()()()()

「だが結果として貴様の目論見(もくろみ)は成功しただろう。篠ノ之 箒は現時点で唯一の第四世代機搭乗者として業界に広く知られる事となった。貴様の仕込みではないのか。福音の暴走は」

「違う違う! 束さんは無罪だよ!」

 束はぶんぶんと首や腕を横に振り否定する。

「束さんは福音の目的をすげ替えて利用したに過ぎないのさ。暴走した福音の目的は日本じゃ、ましてやIS学園なんて場所でもなかった」

 束は暴走した福音の目的地を臨海学校を行っているこの地へと変更しただけであると主張する。

「では最初の目的地は何処だった? 福音は誰に操られた?」

「ん~、不愉快だなぁ~。この束さんの発明をよからぬ事に使おうと企む悪い連中がいるなあ~」

 千冬の質問に答えず束は海岸へ向き直る。

「…………」千冬は溜息交じりに押し黙った。こうなるともうその話題を進める気はないのだと、長い付き合いで理解していた。

 ……だから切り替えていく。「しーぴょんと言ったな、束」

「言ったよ? しーぴょん!」

「では汀の単一仕様能力は当然なのか?」

「当然も当然! 箒ちゃんが絢爛舞踏を、いっくんが零落白夜を発現させたよりはずっと論理的で、能力こそ特異だけどもその理由と条件は至極当然なものだったよ!」

 熱弁しているつもりの束を見て、今度も大した説明はないのだろうなと、千冬は叶わぬだろう期待を捨てる。

 それを見た束は千冬の内心を探ったのか、

「知りたい?」と聞いてきた。

「ああ。知りたいね。後学の為にも、我々の為にも」

 それを聞いて束は上機嫌で頷いた。

「ちーちゃんがそこまで言うなら教えてあげよう! それはね――おや?」

「?」

 束が向き直り、千冬が顔を向ける。

 海岸で大きな水柱が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『何だ!?』二人は抱き合う様にその爆発から逃れる。

 爆発は二人の少し離れた波打ち際で起り、水柱が上がった。

 水柱が沈んでいくと、相当の威力、あるいは速度で海面に激突したのだろう静穂が岩礁に撃ち上げられて倒れていた。

『って静穂!?』

「痛、あぁ…………」

 静穂が頭を押さえ、軽く振っていた。静穂は完全にラビットを、推進器も展開した姿である。

「ごめん、二人とも。流石に四対一じゃ、三分が限界……」

「四対一!? 三分!?」

「お前一体何の話――――まさか!?」

 箒が何かに気づいたその刹那。

 

 

「ええ。全く大変でしたわ」

『!?』

 

 

 上を見上げる。そこには四機のISが滞空していた。

「ごきげんよう、お二方」恭しくセシリアが告げる。

 普段以上に丁寧な口調だが、その笑みは普段と違い携えているものが違う。

『…………』脇を固める鈴とラウラ。更には一人シャルルが静穂の下に降り立ち銃口を頭に向けていた。向けられた静穂は両手を上げて降参状態である。

「お、おう?」

「ど、どうした皆して」

「いえいえ。別に大した事ではありませんわ。

 ただその、お二人は()()()()()()()ものかと思いまして」

 何処までとは何の事だろうかと、二人はそろって首を傾げ、

 箒が気づく。「そそ、そんな! 私は別にそんな事!」

 一夏が素面で天然のボケ。「なんだ、皆で探してたのか? どうした?」

「……間に合ったようで何よりですわ」

 そう言うとセシリアは目を細め、

「――セシリア?」一夏が僅かに訝しむ。

「――箒さん、静穂さん曰く、昨日は誕生日だったそうで。おめでとうございますわ」

「あ、ああ、ありがとう」

「それでわたくし達も急ぎ用意させていただきました」

 一夏の腕のガントレット、白式の待機形態が警告音を発する。

 

 

――セシリアがライフルの銃口をこちらに向けた――

 

 

「鉛玉を、ですが……!」

『それは光学ライフルだろセシリアぁ!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――お姫様抱っこで逃げ回る一夏と箒。それを追う専用機持ち達。

 束は腹を抱えて笑い、千冬は頭痛に悩まされる。

「あの莫迦共が、全く」

 あれで国際問題になりかねなかった問題を解決したのだから性質(タチ)が悪い。だがあの調子では褒めるに褒められず悪しき所が目立ち、結果、罰として教練を課すしかない。

 学園に帰ったらどれだけの教練(トレーニング)を積んでやろうかと考えていると、突然に崖の縁に灰色の手がかかった。

 ちょっとしたホラーめいたそれを束がすんなりと引き上げる。

「お疲れしーぴょん」

「お疲れ様ですぅ……」

 束は丸太の柵を物干し竿にした。濡れそぼった汀を柵に引っ掛けて休ませる。いや腹が圧迫されて苦しそうなのだが。

「でもあと五秒が足りないよしーぴょん! あとちょっとで二人はチッスまで行く所だったのに!」

「うぁあ、もう少し頑張れば良かったぁ」鉄棒の前転の要領で汀が転げ落ち、尻を撫でながら一丁前に悔しがる。「あと五秒かぁ」

「訓練が足らんな。だがまあ及第点はくれてやろう」

「なんでですか?」

「三分は保った」

 えぇ……と汀はなんとも言えない表情になる。賛辞のつもりだったのだが、それだけ汀の意識が高かったと言う事か。

(いや、違うな)

 ただ喜んで良いのか分からないだけだ。

 だが連中の技量がどうあれ、専用機持ちの先達四人に対して三分だ。教育課程(カリキュラム)通りに進んでいれば今年の一年生は皆がこの水準にまとまっている予定であり、成長速度としては遅くなく、また早くもない。

「励めよ汀。それと、帰ったら職員室に来い。規約を渡す」

 一夏が間違えて捨て、再取得で頭を抱えた、電話帳数冊程はある専用機持ち必読の利用規約と簡単な共通仕様書。此奴も晴れて専用機持ちとなった以上、避けて通れない代物である。

 ……そう、専用機である。それもただ与えられたのではなく、まるでそうなる事が自然であるかのように汀の眼窩(そこ)へ収まったそれを、此奴は正しく扱う事が出来るのだろうか。

「…………」

 否、そうなるように導く事が、教職たる自分の勤めなのだ。

 目の前で束と雑談に興じるこの一生徒を。

 

 

「あ、あー。皆にバレちゃったんですよね、ラビットの事」

「何なに、どうしたのしーぴょん。何かやりたい事でもあった?」

「あれやりたかったんですよ。月○仮面みたいな正体不明のやつ」

「わかる! わかるよしーぴょん! あれだよね!? 病室で眠るしーぴょんの周りで皆に正体をバラされる的な!」

「そうそれ! それがわたしはやりたかった!!」

 手に手を取って共感を分かち合う束と汀。しばらく手を握り合っていたかと思えば、今度は二人してイソイソと何か準備を始めた。

 汀が振り向く。何故か指に自分の髪を巻き付けて。

「どういう事ですか織斑先生! 静穂さんがグレイ・ラビットだったなんて!」

 今のはまさか、オルコットの真似だろうか。

 対するように今度は束が、

「……今まで、伝えるべきか悩んだがな」

 今度はまさか、私の真似だろうか。

 束の物真似が続く。「本人たっての希望でな。貴様らに自分の事は内密にして欲しいと」

「それで千冬さんは納得したんですか。こんなになるまで放っておいて!」鳳の真似だろう。両手でツインテールを作っている。

「当然のケアはしていた。だがそれ以上に自分から摩耗していったのではどうしようもあるまい」

 汀がラウラ譲りの眼帯を取り出し目に宛がう。そしてラウラの口調で、「教官」

「織斑先生だ。何だボーデヴィッヒ」

「義妹は何故、自身がグレイ・ラビットの搭乗者である事実を隠していたのでしょうか? 私には分かりません」

「簡単だ。怖かったのさ。権利と義務を持つ事が怖かった。明確な答を自分だけで見つけなければならない、そんな重圧を勝手に自分へと課し、それと戦うだけで精一杯だった。それを解決しないままでは到底自分が貴様らと並び立つ事は叶わないと決めつけてな」

「束さん、人の心読まないで。素に戻っちゃいましたから」

 

 

 束が相変わらず妙な事を言っている。汀に至っては内心をあけすけにぶちまけられて茫然自失といったところか。いや茫然自失はこちらも同じだが。

 やがて二人して月○仮面なる歌を歌い出す。随分束と仲が良いな。波長が合うのだろうか。明日の天気が心配だ。

 ――そんな仲、ふと汀が切り出した。

「あぁ、そう言えば実は素性が更識先輩と布仏先輩にバレまして」

「生徒会の二人にだな。それで?」

 

 

「戦艦の騒ぎに乗じて殺そうとしました」

 

 

「…………」

「そんな人間が専用機を大っぴらに持っていて良いものかと思うんですがどうでしょう」

「実行したのか」

「しませんよそんなの。そんな事をしてどうなるか分かった物じゃない。

 簪ちゃんに嫌われるなんて物じゃないですし、何より実行したらわたしは、あの人を“お姉ちゃん”と呼べなくなる」

 ……友人と義姉。その二つだけの理由で此奴の殺意は留まった。そんな人間がISを駆る資格があるかと言えば、

 ……正直、危うい。危険なところである。

 だがだからといって取り上げる訳にもいかない。それは即ち此奴の生命に繋がる。どうあれ人の生命が関わっている以上、個人の裁量でそれを決める事は難しいし、第一に惜しい。

 使い道がある。上手くすれば学園の戦力として計上する事も。

「考えはした。それだけだな?」

「はい」

「ならいい。言うまでもないが実行はするな。いいな?」

「はい」

「そうそう。気にする事ないよしーぴょん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「まぁそれはそうなんでしょうね。ラビットははっきりとそんな感じですし。武装がない辺りなんかが特に」

「そうだよ! 武装! 忘れてた!」

 突然束が柵から飛び降り、千冬に対して両の掌を上に突き出してきた。

「どうした束」

「ゴーレムの腕、ちょーだい!」

 首を傾げさも名案とばかりの提案をしてくる束。対して千冬は額の眉根に手をやった。

「まさか束。あの腕を計算してグレイ・ラビットに武装を付けなかったのか」

「うん!」満面の笑みで肯定される。本格的に頭痛がしてきた。

「あの腕を汀に取り付けるつもりか」

「そう!」

「一撃で学園のシールドを破る光学兵器と、葵程の長さと切れ味がある爪を持つあれをか」

「うん! ちょーだい!」

 千冬はふと、自分と束を交互に見る汀を見た。

「? ――?」

「…………」

 その目は僅かに輝いていた。右も(IS)も。

「汀」

「はい」

「射撃場でスミスに何か作ってもらえ。あれは渡せん」

「えー!」束が当然の如く反論する。「ちーちゃん! 束さんよりどこぞの石ころの方が良いって言うの!?」

「スミスならまだ手綱があるからな」

 束が膨れ、汀が何の話か分からず目蓋を瞬かせる。

 詰め寄ってくる束をアイアンクローで押さえながら、爆発が止まない海岸を見て、千冬は大きく溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。臨海学校の全行程を何とか履修した生徒達がバスに乗り込む中、生徒達の乗るバスの一台がにわかに騒がしくなる。それを見て千冬は、一人学友達とは別の車両、ISを搭載したトレーラーの助手席に乗車しようとした汀を呼び止めた。

「汀。少し頼まれてくれるか」

「? なんでしょう?」

「実は薬莢を一つ探してもらいたい」

「薬莢? 昨日の使用分は全部回収しましたけど」

 昨日の実弾授業だが、実はかなり面倒な取り決めがあったりする。

 周囲数キロの安全確認は当然の事、各地の美化作業も現地自治体との取り決めで定めており、各種銃火器から排莢された薬莢まで、それこそ自衛隊のように全て回収し記録しなければならない。

「昨年の事だ。過去にこの砂浜で薬莢が一つ見つからず行方不明となり、今日にまで至っている。この薬莢を見つけられなかった当時の1年生、現2年生達は罰として徒歩で帰らせた、僅かながらに苦い事件だ」

「昨年の? まさかそれを探せと!?」

「それによって自治体との関係が悪化している。今年の臨海学校を開校するにしても難癖をつけられた。今年は全て回収できたがあの一つが喉に刺さった魚の骨のようでな。手空きの先生方で探してみたが流石に昨年のものだ、ISなしでは見つからん」

「ラビットでも海に流された可能性のある金属を探知するのは不可能だと思いますが……!」

「ISを回してまで探したという結果さえあればいい。十分程度でいいからやってくれ」

 そこまで言われて静穂は「……まぁ、やってみます」と承知した。

 汀にある程度アタリを付けた箇所を伝え、その後ろ姿を眺めたところで、そのバスから一人、女子ではなく女性が下りてきた。

 

 

――ナターシャ・ファイルス。銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)搭乗者――

 

 

 救出された直後に救急車で運ばれた筈の彼女が千冬の下まで歩いてきていた。その足取りに疲労や消耗、負傷の類は見られない。気丈に振る舞っている風にも見られる辺り、やはり完治とはいかなかったのだろう。ナターシャならばその日か翌日までには顔を出すと思っていた。それが二日後の今日まで来なかったという事は、

(顔を出せないまで消耗していたか、あるいは事後処理で忙殺されたか)

 両方だろうとアタリをつけて、千冬は彼女を迎え撃つ。

「久しぶりね千冬。こうして会うのはどれくらいぶりかしら」

 お国柄のハグを返してやりつつ、「――あまり連中を掻き回すな、ナターシャ。一々面倒な事になる」

「教職なんてやってるからよ。今からでも現役復帰しない?」

「そうだな、考えておく」

 そんなつもりもないくせに、とナターシャは笑う。その笑みにさしたる変化は見られないが、彼女とは微かにに知己と言える間柄の千冬としてはその実が少し読み取れる。

「ねえ、あの子には会わせてくれないの?」

「誰の事だ」

「とぼけちゃって。篠ノ之博士の妹とは異なる、全く新しい機体の彼女」

 暴走中の事を覚えているのだろうか。ナターシャは福音の中で眠っていたようだと報告にはあったが。

 睨み付けるでもなく目線をくれる。ナターシャは何処吹く風で受け流した。

 バスの発車予定時刻まであと少しだ。最悪奴には途中で合流させるとして、前倒しで出発するかと考え出した頃、

 

 

「見つけました織斑先生! 薬莢ー!」

 

 

『…………』

 千冬は首を振り、ナターシャは汀の姿を見て千冬に対し微笑む。その笑顔に向けて出席簿を叩き落としたくなる気分だ。

(普段から授業にも使っていない9mm、それも昨年に()()()ものだぞ)

 汀にも出席簿を落としてやりたくなるが褒める以外に許されない。だが本当にこの短時間で見つけ出すとは思いもしなかった。

「今朝決まったわ。福音(あの子)は今後、封印される」

「……そうか」

 凍結・封印処理。彼女の階級によっては二度と福音の、彼女が心血を注いだその姿を見る事はないだろう。

「私は今回の張本人を許すつもりがない。貴女にだけは伝えておくわ」

「それを私に伝えてどうするつもりだ」

「止めないで欲しいの。もしもその道が、貴女の前を横切るとしても」

「――考えておくよ」

 その答えに、また彼女は笑った。

 

 

「またね千冬」

「ああ」

 ナターシャが行く。来た方向とは別、汀とすれ違う方向へ。

 二人が交差する瞬間のナターシャは、子供へ向ける表情ではなく。

(思う所はあるのだろうな)

 ぽっと出の子供と専用機に、二次移行(セカンドシフト)がなければ負けていたのだから。

 汀がその錆びた薬莢を掲げて走り寄ってくる。せめて走るな時間を稼げ。何の為に貴様を遠ざけたと思っている。貴様と奴を会わせたくなかったからだぞ。

 そんな千冬の思惑も知らず、この場に到着した汀は達成感を隠しもせずに報告してくる。

「やりました! 少し深く埋まってたから流されなかったみたいで!」

「……そうか」

「まさか潮干狩りで薬莢を掘り出すなんて思いもしませんでしたよ。それにしても拳銃用の9mmなんて本当に授業で使ったんですか? それとも学園とは違うのを拾っちゃいました?」

「いや、それだ。よくやった汀」

「? なんでそんな苦そうな顔して――」

「気にするな」

 出席簿をかざすと、汀は単一仕様能力で瞬時に距離を取った。

(此奴め)

 しっかりと使いこなしている。それもトレーラーの影、ナターシャからは見えない位置を狙って跳躍した。

「早く乗れ。出発するぞ」

 警戒する汀にそう言って千冬は、出席簿で自身の肩を叩きバスへ向かって歩き出す。

 

 

 空は快晴、曇天はなく。

 思う所こそあれど、今年の臨海学校は成功と言えた。




 なんとか今年中に間に合いました。これにて原作三巻分を終了とさせていただきます。
 途中長い間更新出来なかったりと問題もありましたが、これからも拙作を宜しくお願い申し上げます。
 では四巻分で。


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71.外国に行こう ①

 寒中お見舞い申し上げます。


 ――セシリアの自家用ジェットでおよそ半日と少し。時差ボケも考えて夕方のうちに日本を出立したのだが、日付も変わらず朝となっているという時差の感覚に、静穂は過去に戻ったような感想を持っていた。

 窓の外、眼下にはミニチュアのように家屋建物が連立しており、それらはこの数百メートル上空から見ても日本のものとは異なる思想で建築されたものだと理解が及ぶ。

 セシリアが「似たような景色を福音との時に見たでしょうに」と溜息交じりに微笑んでくるが、それでも静穂は窓から離れられなかった。

 静穂は今、イギリスに降り立とうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 期末考査(テスト)の結果も張り出され、自分がこの場では単なる学生の一人でしかないことを再確認したセシリア・オルコット。セシリアは一人、射撃場へと足を進めていた。自身を師と呼んでくれる大切な友人、汀 静穂を探す為だ。

 だがどうにも最近、彼女の居場所を掴みかねている。

 彼女の機動力が異様なまでに跳ね上がっているのだ。彼女の専用機が持つ能力だけでなく、更には当人の技量と目撃情報も相まって二箇所同時に存在している(ドッペルゲンガー)とごく一部で噂される程に、その居場所はあっちへぴょんぴょん、こっちへぴょんぴょん。一緒に居るのはアリーナでの自主訓練程度しかなく、彼女の大好きな食事の時間にしても、2年か3年の先輩方と一緒に済ませているらしく、居ない時も珍しくない。

 ふと視線を外の、ちょっとした建物の屋根や壁面に向けてみれば、僅かに埃や汚れが落ちて綺麗になっている箇所が見つけられる。その一部には彼女の踏み込んだ跡が混じっている。

 学園の規則として『無闇にISを展開、飛行してはならない』という趣旨の記載があり、彼女はそれを()()()()()()()()として罰則を免れている訳だ。まるでニンジャかパルクール、縦横無尽も程がある。

(本当に便利ですわね、あの単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)……)

 単一仕様能力“月下乱斧(げっからんぶ)”。模擬戦で短距離テレポートを使いこなす彼女に、どうしてそんなに忙しいのかと聞いた事がある。

 ――彼女は肩で息をしてこう答えた。

 

 

――織斑先生と汀組、かなぁ、大半はね――

 

 

 曰く織斑先生からはその機動性を買われて雑用に走り、その一方で彼女の周囲に集った先輩達、通称汀組の就職活動にも頭目として一役買わなければならないのだと言っていた。

 だとしても居場所が授業中の教室しか掴めないというのはどうだろうか。かつての自分並に忙しいのだろうとは思うが。汀組に至っては彼女の出る幕などないだろうに。

(っ、いけませんわね)

 つい文句が口から出そうになった。彼女に避けられていた訳ではないが、結果としてこうも師をないがしろにする弟子に対して言いたい事が蓄積している。それをセシリアは行きの飛行機まで溜め込むと決めたのだ。

 ――少し前、同郷の先輩から汀組の集会(たまり)場を聞き、その場に赴いて汀組の一部メンバーと会い、静穂の居場所を聞き出した。

「ボスですか? さっきまで夏休みの宿題片付けてたですよ、ここで」

「では今はどちらか聞いておられますか?」

「射撃場です。拳銃の相談ですって」

 ……彼女と拳銃の組み合わせは、タッグトーナメントの件であまり良い印象がなかった。

(……あんな代物を普段使い(メインアーム)に据えるつもりですの?)

 あまり、というか絶対にお勧めは出来ない。確かに彼女の機体には武装と呼べる初期装備が搭載されていない。それだけ彼女の機体は自由とも取れるが、彼女自身の採る選択肢はどうも過激が過ぎて気が気でない。

 それ故も含めて少し、セシリアは早足で射撃場に進む。

 そして射撃場の扉を開くと、彼女は受付を挟んで先輩と共にいた。

『…………』

 二人が押し黙り見つめ合っているように見える。静穂は後ろ姿なので表情が読めない。盗み聞きではないが、二人の雰囲気にセシリアは息を潜めた。

 ……受付のカウンターに置かれた大型拳銃に触れて、静穂が切り出した。

「バリアクラッカー」

「…………」

「…………」

 暫し無言で見つめあう。セシリアは静穂が睨んでいると想像出来た。

 静穂が大型拳銃に手を当てて言った。「没収だそうです、これ」

「うあー、マジかー」

「ですぅ……」

「何がいけなかったんだよー。威力かー?」

「……人に向けようとしたからですかねぇ」

「それだろ原因ー。誰狙ったんだよこのバカー」

「…………生徒会長と副会長」

「ばっ」先輩が咳き込む。「死ぬ気か静穂ー」

「まともにぶつかっても勝てないと思って……」

「まず対IS用のものを生身でー、それも生身の相手に向けるなよー。でもその前にこれだけであの二人に勝てると思ったのかー?」

「スミス先輩の作ったこれならやれると思ったんですよぉ」

「っ、……なー」

「がー」

 ぼんやりと二人がにらみ合う。と言っても静穂の顔を覗くことは出来ないが。

 ……静穂がぐでりとカウンターにうつ伏せる。

「ホントに撃ったのかー?」

「永富先輩と重冨先輩の二人がかりで戦艦相手に撃ったそうです」

「凄い威力だったろー?」

「甲板から底部までくり貫いたとの事で。二人を後方に吹き飛ばして」

「……あー」

「わたし、あの時怪我人でした」

「そうだなー」

「腕だけじゃなく肋骨も罅が入ってました。鎮痛剤がないと呼吸も出来ないくらい痛かったんです」

「……そうだなー」

「…………」

「……ごめんてー」

 先輩がいたわるように静穂の頭を撫で、大型拳銃に添えられた静穂の手、その上にそっと彼女自身の手を乗せ、

 そしてそっと指を絡めた。

「怪我を忘れてた訳じゃないんだぞー?」

「スミ、もう……」

 静穂が頭髪を後方へ撫でつける先輩の手を取り、何かを諦めて顔を上げた。

「…………。先輩」

「ー?」

「次は普段から使えるものにして下さい」

「作って良いのかー? またお前の事を考えない、ろくなもんじゃないかもだぞー?」

「こういうのに関しちゃもう、スミス先輩以外に頼れませんから」

「! ……わかったよー」

 そう呟く先輩の目がとろんでいき、顔が静穂に近づいていく。

「でもー、」

「?」

「先にー、前払いが欲しいかなー……」

(こ、これは、)

 今まで傍観に努めていたセシリアが危機感を覚えた。

(流石に止めないとまずいのでは……!?)

「静穂さん!」

「? 師匠?」

「…………」

 既に先輩の手が静穂の耳にかかっていた。ばつが悪そうに先輩が離れていくのに対して静穂は飄々としていて、

「師匠? どうしたの射撃場(ここ)まで珍しい。また弾を曲げる練習?」

「い、いえ、ではなく、今日は静穂さんに用事ですわ」

 わたしに? と首を傾げる静穂の向こうをセシリアは見た。目が合った先輩は少し足早に、受付の奥へ入っていく。

「……静穂さん、あの先輩は()()()()()()がおありで?」

「? そちらてどちら?」

「……無知と取らせていただきますわ」

 聞くのが怖い。信じたいと言い換えておく。セシリアは本題に入る事で事をうやむやにしようとする。

「――では静穂さん。夏の長期休暇が始まりますが」

「そうだねぇ」

「その間の予定などはありますか?」

 その質問に静穂は再度首を傾げた。

「今の忙しさがなんとかなれば少しは身体が空くとは思うけど、どうして?」

「それは良い事を聞きました。ではわたくしと――」

 

 

――わたくしと、イギリスに行ってみませんか?――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッチに寄せられたタラップを下りる。初めてのイギリスだ。予習していた通りにその気候は日本の夏と比べて空気、肌にかかる感触が少ない気がする。気圧の問題ではなく空気中に漂う水分、湿度の事だ。日差しがすっと肌に届いて来るような、そんな感覚。

(何て名前だっけ、この空港)

 ヒースロー以外の名前を知らない静穂からすれば、イギリスの空港は皆ヒースローである。

「お嬢様!」

「チェルシー!」

(おぉ)

 タラップのすぐ側に停められた高級車、静穂の目でも専用に作られたであろうそれの前では、師と少女による感動の再会が行われていた。

 セシリアと抱き合う彼女を見て、静穂は足を止めて思う。

(メイド服。本物だ)

 偽物も見た事はないが。衣装は中学時代に着せられかけたが。

 二人の仲睦まじい姿を邪魔する気にはなれず、所在なさげに視線を動かして、つい空港の建物を見た。

(?)

 ハイパーセンサーで望遠するまでもなく、その窓越しにカメラがこちらに向いていた。三脚に乗せられた大型のビデオカメラも含まれている事から、この国のマスコミというやつだろう。

(……暇なのかな?)

 日本人が珍しいのか。ピースサインでも送ってやろうか。

「静穂さん!」

 本当にすべきか迷っていると下からセシリアが手招きしていた。

 急ぎタラップを下り、そのまま高級車の中へ。

 静穂が後部座席、セシリアの隣に座ると、普通自動車などではあり得ない体面座席にメイドの少女が腰掛けた。

「あまり刺激しない事ですわ。馴れ馴れしくされても困るだけですから」

「何だったのあの人達?」

「日本で言うマスコミで間違いはありません」と、対面からメイド服の少女が流暢な日本語で説明する。「高級紙と大衆紙の双方が入り乱れて、暇なようですね」

「紹介いたしますわ静穂さん。こちらはチェルシー・ブランケット。チェルシー。彼女がシズホ・ミギワ」

「ご紹介に与りました、チェルシー・ブランケットでございます。ようこそイギリスへ、ミギワ様。一同、心より歓待させていただきます」

 恭しく礼をされ、静穂も極力落ち着いて礼を返す。

「どうも、よろしくお願いします」

「ミギワ様については常々お嬢様から聞き及んでおります。そう固くならずとも大丈夫ですよ」

「……え? 日本語?」

「今気付きましたの?」

「わたしが無意識に英語話してるものかと」

「しっかり日本語ですわね」

「イギリスだよね? 日本じゃないよね?」

「なんて警戒をしてますの」

「一組の皆ならやりそうで」

「随分大がかりですわね!?」

 このやりとりを見てチェルシーが笑みをたたえていた。二人はそこで互いを見合わせ、顔を赤く染めた。

 ――それにしてもと、

「――本当に来れちゃったんだねぇ」

 車に乗ったまま税関を抜け、空港を出た。

 日本ではまだ普及しきれていないラウンドアバウトに読み方が判らない標識の数々。そんな窓の外を見ながら、本当に日本ではないと知った静穂はしみじみとそう言った。高級車の中が大きく揺れるような事は決して無く、むしろ揺れが少なすぎて酔いそうだった。

「大変でしたわね、本当に」

「そうなのですか?」

 他人事のようにチェルシーが尋ねる。

「実はわたし、国の保護を受けていて」

「? 生活保護でしょうか?」

「働こうにも身体がねぇ……」

「要人保護プログラムですわ。静穂さんも健康体でしょうに」

 呆れたようにセシリアが訂正し、それを成程、とチェルシーが合点のいったように頷いた。

 要人保護プログラム。対象者である汀 静穂という人間は本来、日本を出てはいけなかったのだ。

 それをIS学園特記事項の二十一を初めとしてセシリアの家系説明、滞在日程の提出、いざという場合に備えての保険・警護体制等々、多々の障害をクリアして、

 セシリアはちょっとした感慨、静穂は期待と不安の半々といった心持ちで現在に至る。

 それでも僅かながらの制約があるのだが、それも些細な物だ。今後ろにぴったりとつけてくる日本大使館の車が精々なもので、何かあれば静穂はそれに飛び込めば良い。そう考えれば制約は、その目的とは逆にプラスへ働く。ちなみに結局のところ汀 静穂という人間が要人保護プログラムとは無関係という処に落ち着いた筈で、彼らが後ろについてくるという事自体がおかしいのだ。あれは静穂がIS、グレイ・ラビットを他者へ譲渡しないようにするお目付役という立ち位置である。

 ラビットは箒と紅椿の関係と同じく、個人所有の筈だ。それを日本という国は、もう既に自分の所有であるかのように振る舞っている。

 傲慢と思えなくもないが仕方ない一面もある。それだけISの存在は重要である訳で。

「前に話しませんでした? チェルシー」

「以前に一度だけ。最初に伺った時はなんの冗談かと思いました」

 セシリアが言葉に詰まる。

「あの当時高飛車だったお嬢様がご友人を作ったかと思えば、そのご友人にはご自分を師匠(マスター)と呼ばせているとか」

「ん?」

「ちぇ、チェルシー?」

 雲行きが怪しい。

「しかもそのお弟子様が国家の要人だったと判った時は、使用人一同が肝を潰しましたわ」

「チェルシー?」

 必死にチェルシーの口を塞ぎに掴みかかるセシリア。学園でもたまに見るがこんなにも早く採られたそれを、チェルシーは取っ組み合いの形で迎えつつ静穂に語りかける。

「挙げ句の果てにはそんな事どうでも良いかのように、殿方を振り向かせるにはどうしたら良いかなどと、それもわざわざ国際電話で聞いてくるという。ちなみにこちら、真夜中でした」

「チェルシー。そろそろいい加減になさい、この……!」

「と、このように私の前ではアレなのですが、ミギワ様の前ではしっかりしておられるのでしょうか?」

「へ? はあ、はい。そうですね、うん」

 他にどう答えろと言うのか。未だ使用人の良いようにされているセシリアの体面も考慮して。

(言ってもいいのだろうか。一夏くんと一緒に居る時のとろけ具合を)

「…………!」

 セシリアが無言で何かを訴えてきている。

「――普段は優雅ですよ、はい」

 静穂は何かを飲み込んだ。静穂の言葉を聞いたチェルシーの微笑みは母性を放つもので、

(成程、この二人は――)

 主従を超えて家族なのだと、部外者ながらに理解できた。

 

 

「――ご一緒されなくてよろしかったので?」

「ええ、まぁ。…………」

 車内での取っ組み合いが一段落して、静穂は一人、車外に出ていた。恐れ多くも高級車のボンネットに手を乗せて呆けている。側には運転手の御老体が申し訳なさそうに同じく立っていた。

 大きな門を通り抜け暫くしてから停車した高級車。セシリアが自己の邸宅に行くよりも先に済ませておく用事があるとの事で、こうして静穂は待っている訳だが、

 セシリアとチェルシーの歩いて行った方向を見る。ここからでは彼女たちの姿は見えない。

(お墓、か……)

 ……この向こう、石畳の車道から脇へ逸れるように敷かれた、これまた石畳の通路の先に、彼女の両親が眠っている。

 一緒に来ても良いとは言われた。静穂はそれを断った。折角の家族水入らずに、縁もゆかりもない自分が側にいるというのは違う気がした。

 事の次第はいつかに聞いた。それで十分だと思っているし、これ以上深入りするには、静穂はまだ幼かった。

 ――静穂は、義姉の墓を知らないでいる。

(…………)

 それがどうしたかと言えば、こうして死後も会いに来られるという彼女に、嫉妬まで行かずとも羨望している自分がいて、それを恥じている自分がいる。

 死者とは弔うものであって、羨むものとは少し違う気がして。

 うまく言葉に出来ない。とにかく一緒には行けなかった。

 頭を掻いて撫でつける。別に同行したからといって彼女のご両親に掛ける言葉など“安らかにお眠り下さい”といった類のものしかない。

 間を埋めたいのか御老体が話し出した。

「普段のセシリア様はどのようにお過ごしですか?」

 また流暢な日本語だった。

「えぇと、まあ、友達は多いかと」

 静穂はセシリアの普段を伝えた。最大限、プライバシーに考慮して。

 それを聞いて御老体は目尻に涙を浮かべた。

(ちょ、そこまで?)

 どれだけ心配されているのだろうか彼女は。

「失礼いたします」そう言って御老体は顔を背け、ハンカチで涙を拭う。「歳のようです。大事ないと聞いただけで感極まってしまうとは」

「はぁ……」

 御老体と呼んでいるものの、白髪交じりに少し背が前に来ているというだけで、まだまだ現役のように思えるが。

(この人も家族の括りなのかな)

 静穂は少し安堵した。以前に聞いた限りではイギリスにて彼女の周囲は敵しかいなかったという印象を受けていたからだ。静穂がイギリスに来た一因がそこにある。

「それは良かった……」

 それまで聞いていた御老体が突然頭を下げた。

「どうかこれからも、セシリア様をよろしくお願い致します」

「はい、それはもう」静穂も頭を下げる。

 二人互いに頭を下げたまま、そこにセシリア達が戻って来た。

「お待たせしました。――何をしてますの?」

「えぇと、頼まれた」

「何をですの?」

「――内緒?」

「? まあ良いですわ」

 何とはなしにはぐらかし、静穂はセシリアとチェルシーに問うた。

「そう言えばあとどれくらいで師匠のお(うち)なの? なんだか同じ風景で感覚がなんともかんとも」

 左も右も木々ばかり。いくら共同墓地とはいえ広すぎる。

 すると「あらあら」とチェルシーがセシリアに目配せする。

「ふふ、」とセシリアが微笑む。

「?」

「静穂さん。()()()()()()()()()()

「玄関? お家の? ――墓地の入り口じゃなくて!?」

 静穂の驚愕を見た二人はしたり顔で頷いた。

「行きますわよ静穂さん。家まではあと10分程の辛抱ですわ」

「まさか徒歩でじゃなく車で!?」

「? それが何か?」

「…………広ぉいなぁ」

 呆然とする静穂を余所にセシリアはさっさと車内へ。静穂も置いて行かれまいと急ぎ後を追う。

「ようこそオルコット家へ、静穂さん」

「改めて一同、心より歓待させていただきます」

 そう言われて静穂はとりあえず頭を下げるしか出来ず、

 車が進むその少し彼方には僅かにその邸宅の屋根が見えた。




 静穂の長い夏休みが始まります。


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72.求められた際の身の振り方は ③

 本日連続投稿です。こちらが先になります。


「ミギワ様。こちらをお召し下さい」

「?」

 そう言ってチェルシーが静穂に手渡したのは眼帯。濃紺を基調として青い薔薇の刺繍、銀糸による装飾も施されている。

 オルコット家、セシリア御用達のテーラーによる特注品だ。普段隠しているとはいえそれは奇異の目線を避ける為で、本来のそれと同じかそれ以上に物が見えるという義眼の為にメッシュ構造、裏側からは物が見えるという職人技が施されている。

「怪我でもないのに医療用では、何かと不便でございましょう」

 というのもあるが、顔を横断するように耳に掛けられた白い眼帯では、悪目立ちがするのだ。

 客人にそのようなワンコイン未満の医療品を、それも顔を横断するようにまざまざと施されていてはオルコット家の沽券に関わる。それ以前に家のプライドが許さない。

 そこまでの内情を伝えた訳ではないが、元よりそれに執着や愛着、肌触りへのこだわりもなかったようで、すんなりと静穂は言われるがままに眼帯を交換しだした。

 ――客人が余所を向いて眼帯を交換する間、チェルシーは今日のセシリアの予定を頭の中で反芻していた。その殆どにこの客人は同席・同行する事になる。

(眼帯はこちらのものに交換した。これである程度、余計な()は寄りつかないでしょう)

 これは囲い込みだ。汀 静穂がイギリスにいる限りはオルコット家の客人であり、その乗機もまた、オルコット家の下にあるという。その証左として眼帯はとても判りやすいアイテムだった。何しろ顔だ。人は顔を見ずに会話をするという事は少ない。

 オルコット家と日本のさる対策室での論争では当初、日本側の()()()として静穂の腕へのGPS埋め込みと専用機の一時保管という暴挙が上げられていたという。そこまで重要な人物であれば学園になど送り込まなければ良かったのだ。まあ最終的にはオルコット家側の妥協案を日本側が妥協に妥協を重ねて呑み込むというところに落ち着いたのだが、

(この方に対する肩入れが良く判りますね)

 主とこの客人との関係は、単なる友人という括りではなさそうだ。ISに関しては師弟というし、その辺も含めていずれ話を聞いてみたいとチェルシーは思う。

「おお。見える」

「とてもお似合いですよ」

 そしてありきたりな謝辞の応酬があった頃、部屋の主、セシリアが入ってきた。

「今日はお待たせしてばかりですわね」

「お嬢様」

「師匠」

 こちらは当然の事だが静穂もまた立ち上がっていた。静穂の顔をセシリアが見て、チェルシーに目配せをした。

(ええ。全て滞りなく)

 目を細め、そして閉じて軽く頭を下げた。それを見てからセシリアが言う。

「似合っていますわよ、静穂さん」

 そう言いつつセシリアは自身の椅子へ音もなく腰掛けた。

 この場は執務室。セシリアがオルコット家当主としての業務を行う場であり、彼女が父母から受け継いだ思い出の場所でもある。

「――それでは始めましょう」

 セシリアが机に置いていた呼び鈴を鳴らす。すると扉を開けて数人の使用人が機材を抱えてやってきた。

 空中投影型ディスプレイに始まりボード型透明インターフェイスを複数枚組上げ、複数台のパソコンを適宜立ち上げて接続する。

 使用人らが一糸乱れず頭を下げ、母国語(イギリスえいご)にてこう言った。

「隣室の準備、完了しております」

「ありがとう。少しうるさくなるけれど、よろしくね」

 とセシリアが返すと、チェルシーを除く使用人らは波が引くように退室する。

 それを見て「凄っ……」と呆けていた静穂に対してセシリアがスマートフォンを差し出した。

「さあ、静穂さんも」

 これにチェルシーは無言で驚いた。客人に仕事を手伝わせるとは何事かと。

 スマートフォンを受け取った静穂がイソイソとスマートフォンの電源を入れてロックを解除、AR操作を呼びだしボード型透明インターフェイスの一枚に試しの情報を掴んで投げつける。

 チェルシーは努めて冷静にセシリアへ言葉なしに説明を求めた。

「学園に貴女はいないから」

 そう言う問題だろうか。積もる話がまた増えた。

 だが今問いただす事は叶わない。これからは仕事の時間だ。

「さあ二人とも、始めますわよ」

 ――その言葉により、執務室はちょっとした鉄火場と化した。

 

 

 オルコット家はその中で新興に入るとはいえ上流階級である。そのお国柄故に上下の隔たりに絶対的な壁があるイギリスの社会において、オルコット家は比較的その壁に近い事で知られていた。

 上流階級としては平均してその歴史が浅く、かといって頭打ち社会のその天井より上に位置するオルコット家は、新興企業にとって顔役としてのネームバリューは申し分ないものだった。

 言ってしまえば財閥に近い。その傘下に入りたい、名前を借りたいという企業は後を絶たず、さながら戦国武将のようにその資力を伸ばしてきた。

 勿論それを妬む人間は内外に存在した。そう、過去形である。

 それはひとえにセシリアの手腕と現在の立場によるものだ。

 

 

――ISと国家、国家と国家代表候補生の関係――

 

 

 ISのもたらす恩恵とはそれ本体の特異性に留まらず、その関係者にもそれは及んでいた。国家間のパワーバランスを左右するISの搭乗者育成は至極当然の急務であり、国家代表候補生に任命された少女達・女性達には相応以上の権能が与えられていた。税金の控除など権能の種類は多いのだがそれはともかく。

 新興企業がオルコットの後ろ盾を欲しがるように。セシリアは国家を自分の後ろ盾としたのだ。結果として、過程はどうあれ。

 彼女に仇為す事は即ち国家への妨害である。セシリアを代表候補生に任命した大人達は通則に則りそう認識づけた。それだけ彼・彼女らのセシリアと第三世代試作ISであるブルー・ティアーズに対する期待は今だに大きい。

 そうしてセシリアは国家の後ろ盾、虎の威を得た訳だが、その身分を捨てた場合の事を考えない筈はない。セシリアは国家への“お返し”を忘れないよう努めている。

 それが今回の、汀 静穂とグレイ・ラビットの訪英である。

 彼女の機体は現在、共通の友人である箒と同じく個人の所有として登録されている。つまりは交渉次第で国家の登録、力関係を一変させる一角が手に入るチャンスをセシリアはセッティングしたのだ。

 交渉の結果がどうなろうとこの功績はセシリアの立場を盤石のものとする一つの要因となるだろう。

 ……だがまだそれは空論だ。現実とする為にはまずこの仕事の山を片づけなければならない。

 隣室の臨時応接チームはひっきりなしの陳情やアポイントメントの取捨選択を繰り広げ、執務室内ではチェルシーとセシリアが現行事業の書類にサインをしつつ為替相場と株式流通市場に睨みを利かせていた。

 故に鉄火場。しかして行われるは経験と情報に裏打ちされた真なる博打。同じくするはその熱のみで。

「二度は言いませんわ。それでは」セシリアがしつこい相手との交渉を打ち切り同時に一つの会社を傘下から外す事を決意する。

 ――携帯電話の向こうに指示を送る。「静穂さん、次を」

『わかった』

 執務室から離れた書庫。高さ3メートルを超える本棚が立ち並ぶ中を静穂が隙間を縫うように飛ぶ。それが執務室から判るのはボード型透明インターフェイスの一角に静穂とグレイ・ラビットの視界が携帯電話のカメラによって中継されているからだ。

「エージー社のファイルを探して下さいな。前々回に通り過ぎた二つ前の列ですわ」

『前々回の二つ前、二つ前』静穂が反芻しつつ書物の中を征く。『――跳んじゃうか』

 突如、画面にノイズが数度走った。それが収まった時に視界はセシリアが伝えた、会社についての調査資料が収まっている本棚に移っている。

「静穂さん、そこから上に……そう、それですわ」

『パラパラするよ』

「どうぞ。……そこっ」

 静穂がページめくりを止める。セシリアはページの見開きを数秒で熟読して、

「もう大丈夫。次はジョンストン」

『人名? 社名?』

「人名ですわ」

 わかったという返事をして、静穂からの画像に再度ノイズが走り視界が瞬時に変化する。

「これがテレポート能力者の視る世界ですか」チェルシーが合間を挟むように言った。

「カメラがまるで追いついていませんわね。それも見続けると酔いそう」セシリアが愚痴るように告げた後に隣室へと株売買の指示を出す。

 

 

「――チェルシー。次は?」

「こちらの書類にサインを。それで本日の業務は最後になります。後は()()()()()()()()()()()

「用件は?」

「早くグレイ・ラビットを連れてこいとの事でした。もちろん要約ですが」

「返答はどのように?」

「雑務とお色直しに時間が掛かっていると」

「そう、()()()()()()()()()()()()()

 手早くサインを済ませて本日最後の実務を終わらせる。

 セシリアは携帯電話を手に取った。「静穂さん」

 静穂が携帯電話のカメラを自分に向ける。『次は?』

「制服を着て、一緒に研究所ですわ」

 研究所、と呟いて静穂が固まった。

「どうかしまして?」

『……妙な解析とかないよね?』

「あったとしてもわたくしが守りますわ」

 うぉう、と静穂が画面から仰け反った。そして取り繕うように、

『防御力とシールドならこっちが上だからね』

「はいはい」

 そこで通話を切った。あくまで対等としたい辺りが微笑ましい。照れ隠しの意味合いもあるのだろうが。

「チェルシー」

「ご用意を」

 チェルシーが礼をして先に執務室を出る。防音耐震対策は完璧な屋敷だ。人の動きを感じ取る事は出来ないが、隣室もまた撤収に入っている事だろう。

「…………」

 深呼吸しつつ伸びを一つ。学園にいた頃からコツコツと、細々とした下準備や業務を片づけていなければ今日の市場が閉じて以降も業務は続いていただろう。いつになく上々の成果、効率的に仕事が出来たとセシリア自身も思う。

 ……思うのだが。

「お父様、お母様」

 どうしても前任、この部屋の前の主達を想起してしまう。

 あの二人の背中を見て育ってきた。それがなければ遺産を狙う親族達を返り討ちには出来なかった。

 チェルシーが居て、使用人達の力を借りて、友人をいいようにこき使って今日の業務を終わらせる事が出来た。

 あの二人はどのようにしていたのだったか。そこまで詳しくは思い出せない。使用人達はあまり答えてくれない。自分なりに頑張れば良いと皆が言う。

 果たしてそれで良いのだろうか。

 ……疑念は積もる。

「わたくしは、うまくやれているのでしょうか…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人がこれから向かう研究所の所在地は、車では遠く飛行機では近過ぎる距離にあった。ISで飛べば早いのにと言った静穂に「そういう事は言わない」と遠回しに同意するくらいには、セシリアもこの研究所の立地には苦言を呈したいと思っている。まあ研究所の敷地内にヘリポートがある時点でセシリアの執る手段はそれと決まっていたのだが。

 僅かながらの空の旅、その最中に静穂は聞いてみた。

「何の研究をしている所なの?」

「この国で現在最も重要なものの一つですわ」

「007?」

「それは映画。まあ実在はしているようですが。

 わたくしと貴女が呼ばれる以上当然ながらISなのですけれど、その中でイギリスのISにおける全てのエッセンスを集約した所とでも言いましょうか」

「いつも皆で行くショッピングモールみたいな?」

「その店舗一つ一つが異なる研究施設とでも思えば近いですわね。パイロットの養成施設も兼ねているので簡単な喫茶もありますが」

「じゃあこれから行くのは行きつけのお店」

「ブルー・ティアーズが生まれた部門、その出張所になりますわ」

 はぁ、と嘆息のように静穂は理解した。

 

 

 ――静穂にとって研究所のイメージというものは昭和のロボットアニメによる影響が強い。だが実際はそうではないのだとも静穂は理解している。

「ほえー……」

 思わず口が開いていた。それ程までにこれから降り立とうという研究所は、普遍的、ありきたりな形状だった。

 行ってしまえば大学だ。この程度の外観ならば探せば日本にもありそうな、意識が妙に高いような、そんな建物群が眼下にあった。

 某アニメのように花開くような形状でも、割れるバリアを発生させられるような外観でもない。その辺りは静穂の予想通りだった。それもそうかと納得させられる程に、普通だった。

 なんだか妙な気分である。非難する訳ではないし、それなりに規模と敷地面積こそあるが、ここにこれからセシリアが乗り込むというのがおかしかった。騙されているのではないかと。勝手なイメージなのだが。

「いつ見ても地味ですわね」

 撤回する。彼女は想像通りだった。

 ……チャーターしたヘリが降り立つや否や関係者であろう連中に囲まれた。手は空いているようだが懐には間違いなく()()()()()。思わず身を強ばらせる静穂にセシリアはそっと肩に手を乗せ安心させようと努めてくる。

 その中からざんばら頭に丸眼鏡をした白衣の女性、恐らくティアーズの関係者が代表してか口を開く。

「お待ちしていましたミス・オルコット。ミス・汀も、ようこそこの国の最前線へ」

「お久しぶりですわミズ・ネスビット」セシリアが会釈する。「このような待遇を受ける謂われはありませんが」

 ネスビットは肩を震わせて笑った。「失礼、気分を害されたのなら謝ります。何せ国賓級の方に王室の方より先にお会いする訳で、何よりこの場の中へご招待するのです。中身を知られてから逃げられては困る」

 セシリアが表情を変えず無言で返した。

「まあそんな事はないようにしますがね。さあどうぞお二方、ここからは一分一秒が惜しい」

 そう言ってネスビットはさっさと行ってしまう。これはついて行くしかないのだろう。

「――行きましょう静穂さん」セシリアがそう促すが、「――静穂さん?」

「お兄さんお兄さん。懐のそれって何ミリ? ジャケット?」

 男に拳銃の口径と弾頭の種類を聞いていた。

「い・き・ま・す・わ・よ」

「師匠、耳。耳は痛いよ?」

「そんな事聞いてどうしますの」

「ラビットで耐えられるかなって痛い痛い」

「普段はレーゲンの主砲も受け止めているでしょうに」

「それは流石にシールド削れてるからね痛い痛い痛い」

 周囲に奇異の目線を向けられながら、耳を引きつ引かれつ二人は屋内へ入っていった。

 



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73.求められた際の身の振り方は ④

 本日連続投稿です。72話が先になります。


「ではミス・オルコットは私と。ミス・汀はこちらでお待ち下さい。ミス・汀、お飲み物は?」

「あー、お構いなくどうも」

 事前にセシリアから言われた通りに飲食の類を断ると、ネスビットは「では後ほど」と言いセシリアと取り巻きを連れて、さっさと行ってしまった。

 早速セシリアと分断された形である。ティアーズの機密性を引き合いに出されてはどうしようもないが、ここまであからさまに一人っきりにされると却って油断してしまいそうだ。

 二方が窓ガラスという建物の一角、そこに白い椅子とテーブルが並べられ、壁にはソファと観葉植物、ちょっとしたバーカウンター。銘柄こそ分からないが棚にはアルコール類の琥珀色よりもソフトドリンクの極彩色が多めだ。未成年が利用するからか、単に極彩色のアルコールなのか、場所柄を考えるとアルコールがある事の方がおかしいのか。

(……ふむ、)

 無造作且つなんとなくでカウンターに体重を預ける。正直手持ち無沙汰だ。無機質な白い壁、廊下と地続きの空間に憩いの場をとってつけたかのような印象を受けるこの場所を、一体誰がどのように利用するのだろうか。別に気にする事柄ではないのかもしれないが。

 ラビットの拡張領域から曰くチェルシー謹製のBLTサンドが入った袋を取り出す。袋からそれを手早く一口、胃に収める。

(あ、美味しい)

 ベーコンの脂はしつこくなくトマトの酸味とレタスの瑞々しいシャキシャキとした歯ごたえ、それを引き立てる、なんだこのソース。ソースが美味い。ほんのりピリッとした辛みが食欲を沸かせて来るし何より具材を引き立てている気がする。これは山葵(わさび)だろうか。いや山葵にしては趣が異なる気がする。マスタードのような鮮やかな色もしていない。鮮やかさを保つのはレタスとトマト、そして厚めに切られたベーコンの肉汁のみ。嗚呼美味い。これは自分で作れるか聞いてみたい。

 そんなバケット一本丸々使われたBLTサンドをみるみるうちに平らげて、

 

 

 廊下に英語で促した。「――入ってきたらどう?(Do not you come in?)

『!!』

 

 

 ……まさかこの短時間で二度も周囲を囲まれるとは。前回の長身に拳銃を吊った男達とは異なり今回は年頃の少女達というのがせめてもの救いだろうか。

(ラビットなしなら負けそうってのは変わらないけれど)

 ラビットの性能と能力ならば逃げた方が早いかと、口の周りをハンカチで拭きながら思う。それにしても折角の窓が人垣で遠い。人数は十二、いやそれ以上か? そのいずれもが見目麗しい目鼻顔立ちをしている。

 静穂はこれまでの経験から人の目線や雰囲気を伺う事に一日の長があった。その経験則から彼女達が自分に向ける視線に対しての推測は、

(?)

 妙な気分だった。値踏みされているような、それ故何処かで警戒されているような。

 それでも無言で、時折人垣の裏でこそこそと話をされるのは愉快ではないと思い始めた頃、一人がしびれを切らした様子で口を開いてきた。

「貴女、シズホ・ミギワ?」

「違ったらどうする?」

「問題ないと思う。きっと間違っていないから」

 へぇ、と静穂は次の言葉を待った。

「IS学園で眼帯をつけた“二つ名持ち(ネームド)”は二人しかいないわ。一人はドイツ代表候補生、停止結界(AIC)のラウラ・ボーデヴィッヒ。そしてこの国、それもこの施設に入れる、オルコット代表候補生に近しいもう一人は――

 

 

 ――不死の狂人(イモータル・マッド)、シズホ・ミギワ……」

待て(Wait)待て(wait)待て(wait)待てぇい(waaait)

 

 

 あまりに看過出来ずツッコんだ。

「何その二つ名? 何イモータルって。誰がゾンビか」

「え、どこかおかしい?」

「ねぇどこからツッコミ入れたらいいの? まず二つ名文化が学園外にまで広まってるのが驚きだよ。あんなの学内でしか広まらないものでしょ普通は。それに二つ名なんて綿貫先輩みたいな有名所の先輩達しか持ってない筈で1年のわたしには関係ない筈だし」

 それを聞いた周囲はそれぞれ顔を見合わせて、

 

 

『冗談でしょ?』と異口同音。

「早くも日本が懐かしいなぁ!?」

 

 

 ここは1組の教室だっただろうか。因みにイギリス滞在一日目である。

「少なくともここで貴女を知らない同年代は少ないわよ? あの大会、特に決勝戦は何度も教練で見ていたから」

 あれをか。静穂当人がよく分かっていない間に終わっていたあれをか。あれにどんな教材としての価値があるというのだろうか。

 

「近接格闘のイロハ」

「練習機の効率的運用法」

「最後まで油断しない事」

「諦めない意思」

「執念」

「顔に似合わない熱さ」

「背中からお尻にかけてのライン」

「もうヤダ……」

 

 静穂は俯いて顔を覆った。恥ずかしいやら誤解やら。何が彼女たちにここまで言わせるのだろうか。

 とにかく知名度についてはもういい。次に気になるのは二つ名についてで。

「でも狂人て、マッドて」

『……え、冗談で』

「それはいいから」

「……そんなのあの試合を見てでしょうね。それだけ衝撃的だったわよ」

「またあの試合? あんなの見て何の意味があるのさ」

「貴女からすればアレが普通なのね。今まで力を押さえていた訳だ」

「え、何それ」

「ただでさえ自分のパートナーを傷つけた相手チームの片割れと組まされて苛立っていたのにその上折角の試合、それも決勝戦を台無しにするドイツの禁止兵器強制発動にキレて本気になったんでしょ? 違うの?」

「違うよ!? あの時のわたしは、わたしも正気じゃなかったっていうか!」

「それもそうよね。目を潰されて本気の本気で限界を超えたのよね? ごめんなさい貶めるつもりはなかったのよ」

「本当にどうしてそうなる!? ここイギリスだよね!?」

 本当にドッキリ番組の気がしてきた。周囲の金髪美少女達が1組の面々による仮装の気がしてきた。

「というか貴女達は何なの」

「私達はこの研究所の訓練生よ」

「?」静穂は疑問に思った。「ここでISの練習をしてるって事?」

「そうよ。いけない?」

 ますます疑問だ。IS操縦者育成機関といえばIS学園以外にはない筈だ。

 そんな静穂の深まる疑問を解決すべくか知らず、とにかく闖入者が現れる。

 

 

「それは当然! 私達の方が強いからよ!!」

 

 

 後に談話室と説明される空間に、これまでの少女達とは少し異なる趣を持つ少女達が入室してきた。その先頭にいる少女がそう言い放つ。

 何ともちんまい、いや男子である静穂の身長からすれば皆下なのだが、鈴系統の可愛らしい人物である。

「IS学園が世界唯一の搭乗者育成機関である。そんなものはとうの過去な話よ!

 今や学園の卒業生は世界中に散らばって後進を育てているわ。それこそIS学園に通わずともエリートを育成出来る程にね! いいえ! 寧ろ本国の中で育成している分、高等学校でしかない学園の制限に囚われずより特化した教育プログラムを組める!

 そんなプログラムを受けている私達が学校の体育レベルでしかISに触れていない貴女達に勝てると思う!? そんな訳ないでしょう!

 今現在におけるIS学園の価値は世界最強(ブリュンヒルデ)・織斑千冬によって刷新されたIS教練課程のみ! それもいずれ卒業した各国の代表がそのノウハウを持ち帰るわ! 真に選ばれた訓練生は本国で、日本で言う手塩に掛けて真のエリートとして育成されるという訳よ!」

「――誰、っていうか何?」

「上流階級の人達よ」静穂の背後に隠れる位置の少女が囁いてくる。「普段は優しいんだけど今日は違うかも」

「なんで?」

「研究所は貴女をその気にさせて戦闘記録を取りたいんだと思う。だから挑発してくるように言ってる筈」

「貴女達でも良いじゃないその役目」

「私達は下流だから。相当の適正がない限り、ISの搭乗機会はあの方達に優先される。少しでも実戦に近い記録が欲しいでしょ? 普通は?」

 国家の存亡を左右するとされる搭乗者育成にも、上下の較差はあると言う事か。

「ようこそ歓迎するわシズホ・ミギワ。そして()()のグレイ・ラビット」

 背後の少女が静穂の服を掴む。「やっぱりいつもと違う……」いや何故静穂を盾にするのか。

 いやそれより、気になる事柄が一つ。

「……()()()()()()()?」

「そうでしょう? 貴女がここに来た理由なんてそれで多すぎるくらい十分じゃない」

「と言うと?」

 

 

「貴女の存在理由はISの運搬と引き継ぎ。それだけよ」

 

 

「……成程」

 つまりアレか。要するにギャグ漫画で言う“眼鏡が本体”みたいな話か。

「――へぇ。どうしてそうなるの?」

「言ったでしょう? 今やIS学園だけが育成機関ではないって。貴女がどのような手段でそれを手に入れたにせよ、国の登録なしでのIS所有は到底認められない非合法な事案よ。しかる機関、つまりここで保管・研究されるのが妥当・当然よ」

「それを言ったらこの施設も非合法じゃないの? アラスカ条約、IS運用協定では相応の教育機関で一定の履修・または卒業資格のなき者はISの搭乗を禁じている筈だけれど」

「話を変えるつもりね。それも良いわ、付き合ってあげる。

 IS学園がアラスカ条約に基づいて設置されたIS操縦者育成用の、日本で言う高等学校(ハイスクール)だと言う事は承知の上よ。でも唯一認可されているというような記載はない。それに言ったでしょう? IS学園は高等学校の域を出ないって。先人が身を削って日本なんて極東の地を研鑽の場に選んだのは消去法と使命感から。彼女達の苦労と献身の下に生み出されたノウハウを私達は乾いたスポンジのように学び取っているわ。それこそ本当の、専門の各国が独自に認可した教育機関の下でね」

「優れているってのはそう言う理屈か。じゃあどうしてわたしが貴女達にラビットを譲渡しないといけないの?」

「至極当然の事を言っているつもりだけど」

「理解も納得もできないなぁ」

「強情ね。そんなに失うのが怖い?」

「怖いよ。凄く怖い」

「ISは子供のおもちゃなんかじゃない。搭乗者には常に責任と重圧がのしかかるわ。貴女にはその重みが分かる?

 私達にはそれがある。ポッと出の貴女にはそれがない。怖いのがその証拠よ。本当に自分が操縦者ならもっと優れた者にその席を譲るべきで、その席に自分が座る為に努力すべきよ」

 それでラビットを静穂から引き剥がすというのか。

 その程度の理屈では到底、聞き入れられるものではない。

「さあISを出して? それが済んだら帰っていいわよ」

 そう言って上流階級の少女は手を出してきた。

「…………」

 この程度で乗せられると本気で思っているのだろうか。歳としては静穂よりも僅かに下だろうこの少女は。IS越しとはいえこの外見に銃器を握らせるのはどうかとそう思う。アンバランスが洒落になっていない。それでも鈴やラウラよりも凹凸があると言ったら彼女らは怒るだろうか。

(しっかし何とも甘いなぁ)

 何とも直球勝負なけんか腰である。分かりやすすぎて可愛らしい。本当に慣れていないのだろうなぁと。声が裏返ったりしていない辺り彼女、練習は積んできた様子だが、彼女に文句を委せてしまったのが間違いだっただろう。マシな大人ならもっと台詞回しも考えるだろうに。実際さもやりきったとばかりのしたり顔だし。人種問題を出さない辺り、寧ろ好感が持てるというもので。

 ……どうしようか。予め(セシリア)からは、ちょっとした制約こそあれど臨機応変の対応を許可されている。

(…………)

 ……乗る事にする。

「……取り出せるのなら、やってみれば?」

 静穂がそっと、謹製の眼帯を外して見せた。露になった義眼に視線が集中する。

 流石に引かない者が居ない訳ではなかったが、ここまであからさまな義眼を見た経験は少ない筈だ。これで彼女らには事前の情報があったのだろうと推察できる。

(何処まで知られているのかねぇ、わたしの事)

 だがとにかく、

「そう容易くは渡せない。物理的にも、心情的にも」

 だがどうしてもと言うのなら、

「獲りに来るなら全員で来てね? 一人で獲れると思われる程、わたしとラビットの繋がりは甘くない」

 

 

「――話が違うじゃない! あんな顔するキャラだったなんて私聞いていないわよ!!」

「意外と好戦的でしたねエッタ様」

「しかも何!? あのサンドイッチ!? サンドイッチなのアレ!?」

「すんごく長いBLTでしたねエッタ様」

「あんなの食べるなんて羨ま、じゃない、既に臨戦態勢って事じゃない!」

「普段のランチで満腹ですものねエッタ様」

「そこをピックアップしないでよ!!」

 周囲の取り巻きにせっせとISの準備をされながら話を聞き流されて少女、エッタは喚き散らす。それは少しでも恐怖を散らす為だった。

「うぅう、ネスビットぉ……!」

 今更だがエッタは首謀者を恨む。それだけ少女にとって静穂が啖呵を切った際に用いた表情は恐怖そのものだったらしい。

 それでも自分が担当しなければどうしようもない。自分が上流の人間で、この研究所で最もISに触れているのは彼女なのだ。

 高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)。彼女もまた正しくその位置にある者だった。

「そういえばエッタ様」

「え、何? 何か大変な事忘れてる!?」

「なんで大盛りの食事が臨戦態勢に繋がるんですか?」

「そんなのどうだっていいでしょう!?」

「じゃあ武装は如何いたしますか」

「――ネスビットのオーダー通りで行くわ、()()()()()()

 最後の言葉でエッタは平静を取り戻し、エッタはカタパルトに機体、訓練用メイルシュトロームをカタパルトに乗せた。

 

 

 ――研究所地下、実験格技場。

 ISに用いられた技術は平和利用、この場合は建築技術にも一部貢献していた。

 それがこの地下挌技場のような支柱を大幅に数を削減した広大な空間を、地下に設営する事を可能とするもので、何故地下に危険を冒してまでこのような空間を作るのかと言えば、(ひとえ)に機密保持の為である。一応この上は体育館のような運動施設が建つのみである事から、あまりこの、IS由来の技術革新を信頼しきれていない事実が分かる者には分かってしまうのだが。

 そんな事情を理解してしまう彼女、エッタがスタート位置に着く。敵、シズホ・ミギワもまた位置に着いた。

「本当にいいの? ()()()()()()?」

「省エネでいくさ。心配はないよ」

「――――!」

 随分と舐められている事に腹を立てて、エッタは推進器に火を入れた。

 慌ててアナウンスが試合開始を告げる。大してミギワは緩やかな旋回起動に入った。

(PIC機動!? それだけ!?)

 確かにPICのみでの飛行は相応の練習が必要ではある、が。

(見せびらかしている? 違う!)

 エッタは即座に否定した。あれはこちらの出方を見計らっているのだ。

「――なら早速見せてあげるわよ!」

 拡張領域からネスビット、今回の首謀者の要望通りに武装を展開する。

 右に実弾、左にSE変換式半非実体弾(レーザー)

 左右各一丁のライフルを携えてエッタは加速した。

「メイルシュトロームの射撃精度! 専用機におんぶにだっこの貴女が避けられる!?」

 エッタにはメイルシュトロームこそ世界最高峰の機体であるという自信がある。その証左を自らが証明せんと過酷な訓練を積んできた自負がある。

 その努力は実を結び、今回の役目を仰せつかりこの場を飛んでいる。

 ライフル弾が幕を張り、その中をレーザーが駆け、PIC飛行に徹していたミギワに直撃する。

「!?」息を呑み目を見開いた。

 

――無傷――

 

 無傷である。グレイ・ラビットのそのISスーツと見紛う装甲はレーザーをあらぬ方向へ屈折させ、実弾を潰れたプリンのようにひしゃげさせて受け止めた。

 ミギワが頭部を守っていた腕を振るう。潰れた実弾を鬱陶しげに払いのけ、PIC飛行を続行する。

「ーーーーーーーーーー!」

 両のライフルをかなぐり捨て、新たに近接ブレードを展開。突撃する。

『エッタ様! ()()()()()()!』

「うるさい! 見たでしょう今の!」

 別に後人のお株を奪いたい訳ではない。そうしなければ勝てないと悟ったからだ。

(実弾もレーザーもあのプニプヨで流される! だったら(これ)しかないじゃないの!)

「刃先でプニプヨを切り分ける!」

 肉薄した。相手にPIC飛行をやめる様子はない。

「イギリスを、舐めるなぁぁっ!!」

 気迫と共に大上段から斬りかかった。そして、

 

 

――刀身をがっしと掴まれる――

 

 

「――――え?」

 ……次に目に映ったのは握り拳を大きく振りかぶったシズホ・ミギワ。

 そして斜め下方に振り下ろされた拳は顎を打ち抜き脳を揺らし、エッタにそれ以降の思考を許さなかった。

 

 



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74.身を振らされたなりの返し方 ①

 完全展開されたブルー・ティアーズに、幾つもの機材が接続されていた。セシリアとティアーズの稼働率、BT適正、ついでとばかりにセシリアのIS適正等々様々なデータを採取する為のものだ。周囲には研究員達が計器をつぶさに見守っており、だがコンソールを操作する片手間に飲み物をたぐり寄せられるくらいには穏やかな空気が漂っている。研究員達が今飲んでいるのはコーヒーなので、セシリアはどうにも疎外感を感じているがそれはそれ。

 この一室の中にネスビットは立ち入りが許可されていない。彼女の所属はこの複合研究所そのものであって、通路まではその許可が下りていてもそれより一歩先に進んだ、各企業や別の研究所が寄越した出張所区画に関しては彼女の権限が及ぶ事はなかった。

 故にセシリアにはある程度は心に余裕が出来ていた。気心が知れている研究員しかいないこの空間に、彼女も連れてきてあげたかった。

「ミス・オルコット」研究員の一人が告げる。「稼働率がかなり落ちていますが、懸念材料等に心当たりは?」

「……ええ、いくつか」

 さしあたっての心当たりの一つは今、静穂が何をして、何をされているかだ。

 いざという時も静穂には月下乱斧(テレポート)がある。そこまで心配すべきではないのだろうが、場合によっては助けに行かないといけないかもしれない。

 それを告げると研究員が微笑んだ。

「もうすぐ検査も終わります。その後こちらへ連れて来て下さい」

「よろしいので?」

「本店から許可が取れました。テレポート時の視覚情報、あれが効きましたよ。紅茶の準備もそれまでには」

 それを聞いてセシリアは、「ビーカーで出したら喜ぶかもしれませんわね」

 研究員が苦笑いをした。自分の手元を指摘されたからだ。因みにこの部署で薬品を使う事はほぼないと言って良い。完全に個人の趣味だ。

「他には?」

「…………」

 セシリアは逡巡した。言うべきか迷った。

「……気候の変化でしょうか」

「日本はこちらと違い湿気がサウナのようだとか。その影響でしょうか」

「そうだと思いますわ」

 言えなかった。

 白式という単語を聞けば研究員達は色めき立つだろう。何せ世界で唯一の例を総なめにしつつある機体だ。研究員として気にならない訳がない。

 それにブルー・ティアーズとセシリアは完封される事が増えているとセシリアは告げる。そうするとどうなるか。1組のようにやいのやいのと騒ぎ立てる訳ではないだろう。彼女らは大人で、合理的だ。そうであってほしい。

(今ティアーズを奪われて、学園を離れる訳には参りませんもの)

 常に最悪を予想して、そうならない為にもう一つ策を講じる。それが普通というものだ。

「……そういえば、稼働率の減少にまた一つ、心当たりが。どうにも最近、他の方と模擬戦で勝てなくて」

 それで苛立ちが積もり稼働率に影響しているのでは、と告げてみた。

 対して研究員の反応は、

「それは仕方がないのでは? ブルー・ティアーズはBT運用を目的とした試作機です。模擬戦程度、勝ち負けは関係ありません」

「わたくしに負け続けろと?」

「それでもよろしいかと」

「そういうものでしょうか。折角拡張領域(バススロット)に空きがあるのです。せめて剣とミサイルだけでなく、実弾兵器をもう一つ――」

「ミス・オルコット」ど壷にはまりかけた思考を研究員の一人が窘めた。「貴女のお役目の中に、白式に勝つ事はありません」

「…………」

 研究員がそっとセシリアの肩にそっと触れる。「盾で防がれるならBTを使いこなす事です。その為のBT、ブルー・ティアーズですから」

「……ええ、判っていますわ」

 ……得心はいかないがセシリアはそう答えた。要は自分がティアーズを使いこなせればいいのだと内外が告げてくる。

 だがそれにしても、

(そんなに判りやすかったでしょうか……)

 と考え、ISの行動記録も提出した事を思い出し、その目線が常に白式を追っている事も知られてしまったのだと顔を赤くした、

 

 

 ――そんな時である。静穂と研究生の模擬戦、その存在を飛び込んできた研究員によって知らされたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミス・オルコット。これは重大な侵犯行為です。お出迎えの時もそうでしたが、それを含め厳重に抗議をいたします。宜しいですね?」

「ええ、お願いいたしますわ」短く返しつつセシリアは気心の知れた、自分と同じく怒り心頭に発する研究員達と共に廊下を征く。

 というのも今回この研究所の行いはその制限を逸脱するものばかりだった。静穂の扱いはこの研究室への客人であり、各研究室への客人に研究所自体がその行為を制限こそすれ、左右、示唆、誘導等をする行為は当然、許されてはいない。

「ですがミス・オルコット」別の研究員が告げる。「その制約は文章化されていない言ってしまえば口約束程度のものです。明文化されてない上にこの研究所自体が動いているとなると……!」

「他の企業や出張所が一口も二口も乗っていますわね……」

 厄介な連中だ。そこまでしてラビットの戦闘記録が欲しいのか。いや欲しいのだろうなと。

 ――と言うのもイギリスにおけるIS開発競争、その内情は現状の業界にとってあまり芳しいものではない。

 実体としてはデュノア社に近い。第三世代機の開発に難航しているという点では。だがデュノア社が第三世代機の開発に頓挫している理由はいざ知らず、イギリス各社に於いてはそのテストベッドにこそ問題があった。

 

 

――メイルシュトローム。イギリス製第二世代機――

 

 

 言ってしまえば頭打ち、進化の袋小路。現在イギリスはメイルシュトロームにイメージ・インターフェイスを用いた第三世代兵装の搭載が出来ないでいた。

 これは極めて一部の人間が知るのみとされた。よくある隠蔽体質だ。イギリスの顔たる機体、イギリスの母体となるべき機体がIS業界の主流に乗る事が叶わないという現実を内外に公表する事をそのプライド故に出来ず、各社がそれを知らぬまま奮励努力し、その壁に今もぶつかり続けている。

 そんな事情に反してブルー・ティアーズはISの時流に乗って第三世代兵装を搭載している訳だが、それは所詮の苦し紛れ、設計思想をメイルシュトロームのそれと一にする、傍系の流れを汲んでいると言うだけの完全別規格で設計・開発されたが故だ。

 表向きはメイルシュトロームの直系とされ、その実はただ同じ流れに沿っているだけのブルー・ティアーズ。その事実を知るティアーズ開発部門は周囲に対する多大なアドバンテージを誇っていた。

 今回の事は、その内情を良く知らず、理不尽に良く思わない連中が絡んでいるのだろう。つまりはこの研究所ほぼ全てが敵だ。

 国家が研究に回せるISは多くない。絶対的にその数が足りていないISにおいて、片方は完全新規ポッと出の機体でも、二機を一機関が囲い込むなど認められる筈がないというのが本音だろう。だからと言って今回の狼藉が許される筈もないが。

 セシリア経由で正式にその研究機関の客人とされるシズホ・ミギワ。双方の権利を侵害する行為には、たとえこの場に出張所を置けなくなったとしても抗議してしかるべきである。

 第一、彼女らティアーズ開発部門自体が、この研究所にいる意味の大半を消失している。

 

 

――この研究所の目的を、ブルー・ティアーズは既に果たしている――

 

 

 このショッピングモールじみた研究所の存在こそちぐはぐなのだ。その目的は研究に回されるISを訓練用にも流用し、宛がわれ、たった()()のISを各研究機関がテストベッドとする為にこの研究所へ出張所を設けているというのがこの研究所の存在理由。

 既に専用機、次期代表試作機の一として確立されたブルー・ティアーズを、これまたIS学園に代表候補生込みで投入するという功績を手に入れた彼女ら研究機関に、この研究所に出張所を置く意味は殆どない。だのに何故ここに留まっているのかと聞かれたならば、セシリアが帰ってきた時に都合が良い事と、その実績を買われこの研究所の方から「ここに居てくれ」と逆に頼まれたのであって。

 一同が早足で地下挌技場へのエレベーターに乗り込んだ。

「――恐らく所長は今回の件に関わりはないのでしょう。あの方は穏健派、いわば出張所間の橋渡し兼潤滑剤です」

「それは間違いないでしょうね」セシリアは肯定する。ここの所長は男性で、血圧を気にしているくらいが特徴の好々爺だ。そんな彼が今回の所業を認める筈がない。

 先程から研究員が()()と携帯電話で打ち合わせをしているが、公に抗議を入れても無駄だろう。この挌技場は地下にある。国家レベルの衛星画像、それも透過処理機能でもない限り今回の模擬戦自体が隠蔽される。

 エレベーターが所定の階に到着する。IS学園にもあるような管制室だ。

 その場では多くの研究員が、そしてどの出張所にも所属せずこの研究所に務める職員、ネスビットの姿もあった。

 その向こう、窓の向こうでは、確かにグレイ・ラビットが飛んでいるのを確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「唐竹ラビットチョぁップ!」

「い、インターセプ――ぎゃんっ!!」

 大上段に振りかぶられた静穂の手刀が掲げられた近接ブレード(インターセプター)を叩き割り、そのまま少女の脳天を打ち据えた。

 前のめりに墜落していく少女へは一瞥もくれず静穂が告げる。「次!」

 

「うわぁああぁああぁっ!」

 別のメイルシュトローム、別の少女がブレードを二振り構え突撃する。

 同時にVの字の軌道で振り下ろされる二刀。静穂は刀が届くより早くそのグリップを打ち据えた。

「!」

 ブレードのグリップを握ったマニピュレーター、その左右親指部分をスナップを効かせた右拳で打ち据えた。万歳のように腕が開きがらんどうになった胴へのレバーブロー。即座に拳を引き戻してのアッパーカット。

 意識を手放した少女を地面に蹴り落として告げる。「次!」

 

 ――直後、静穂の背後にメイルシュトロームが取り付いた。

「いい加減にしなさいよ日本人!」

 ラビットの垂れ耳型推進器にしがみつき少女がライフルを静穂の背に向けた瞬間。

「え!?」

 推進器が頭部非固定部位(アンロック・ユニット)のレールジョイントを滑り脱落されたと同時、あらぬ方向へ瞬時加速。少女を挌技場の天井へ激突させた。

「っ、一体何が、!?」

 頭を打ちラビットの推進器を押しのける少女。彼女に目を白黒とさせる時間も与えず天井へもう片耳の瞬時加速を乗せたギロチンドロップ。

「…………!」

 力なく墜ちていくメイルシュトローム。それに目をくれるでもなく、静穂は推進器にレールジョイントを差し込み接続し直してまた告げる。「次!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、また、」

「何とも……」

「静穂さん、もう……」

 連れた研究員が呆然と、セシリアが呆れて呟いた。

 一体何をしているのだろうか。これでは相撲のぶつかり稽古ではないか。

 予め言っておいた言いつけは守っているようではあるが、それにしたって加減というものがあるだろうに。

(もしかしてその辺りの事は言い聞かせていなかった?)

 自分が言いそびれていた可能性に恐怖し、同時にこの場が苛立ちの籠もった熱狂ぶりに気がついた。

 

「一体何をやってるの! 次は誰!?」

「本気を出せ! 奴に単一仕様能力(テレポート)を使わせろ!」

「お前達の訓練に、一体幾らつぎ込んでいると思っている!」

 

「…………」

 言葉にならない。いい大人達がみっともなく少女達にがなり立てている。これではまるで賭場ではないか。

 沸々と怒気が湧き上がる。だがそうでありながらセシリアは、静穂が自分の言いつけを守っている事を知りその内心には余裕があった。

 

 

――静穂はラビットの単一仕様能力、月下乱斧を見せていない――

 

 

 とにかくもと諸々の感情をなだめすかせ、頃合いを見計らってセシリアは声を上げた。「ミズ・ネスビット!!」

「!」肩を震わせて彼女が振り返る。その表情はどこか、いつも以上に作っているように見えた。「……おや、ミス・オルコット」

 周囲の人垣をセシリア一行が睨み付ける。セシリアの歩に従いモーセのように人垣が別れていく。

「これはどういう了見か、説明していただけます事?」

「なに、若者同士のちょっとしたいざこざですよ」

 セシリアがネスビットの前にまで到達した。

 睨みを利かせて尋ねる。「単なるいざこざでわざわざISを使うのはいかがなものかと思われますが」

「双方とも同意書には記名しております。それに」ネスビットが作り物の笑顔を更に描き加えるように笑った。「……大した記録は取れていない」

「…………」

 セシリアは唇を引き締めた。本気で言っているのか彼女は。だとしたら随分と舐められている。

 だが腹を立ててはいけない。静穂が月下乱斧を見せていない現状、優位性は依然こちらにある。

「それで、」切り出した。「静穂さんから単一仕様能力は引き出せまして?」

「…………」

 鉄面皮。ネスビットの顔から血色が消えた。微笑んではいる。だがその内は冷たい怒気が渦巻いているのが目に見えている。

(最初からこんな事などやらなければいいのに)

 恐らくネスビットも乗り気ではなかったのだろう。周囲からの圧力に彼女は恐らく耐えられなかったのだろうとセシリアは勝手に推測する。

 彼女(ネスビット)の上司たる所長はこの手の陳情を受け流す事に長けている。よってネスビットに白羽の矢が立ったと言う事か。彼女も貧乏くじを引かされたとなると、年上ながら可愛らしく見えてくる。

(! …………)

 ふとセシリアの脳内に、一つの算段が生まれた。

「失礼」

 可哀想な彼女を通り過ぎ、管制室のコンソールに近づく。

 ネスビットとすれ違う最中、彼女にしか聞こえない程度の声量で告げた。

「一つ貸しですわよ、ミズ・ネスビット」

「!」

 ネスビットが振り向くのを背中で感じ、セシリアはマイクのスイッチを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――面倒臭さからもう対戦人数を数えるのもちょっと難しくなってきた頃合い、次の相手は両手に大きな物理防楯を携えて飛んできた。打鉄のような防楯を二枚。高機動機体のメイルシュトロームにそれはないだろうという構成だ。武装に関してはネタ切れと言っところだろうか。

 さてどうしようか。ここらで一機ほど落としてみるとどうなるだろうか。

(……やってみよう)

 実行に移す。一度決めたら後は早い。

 瞬時加速。飛び蹴り(ラビットキック)。当然に防御する少女を近場の柱に運搬、両耳推進器の推進力で柱に押し付けたところで脚部の推進器で瞬時加速。回し蹴りを両の防楯に叩きつける。

 防楯の正面が僅かに凹んだ。

(真っ正面から、破ってみよう)

 手間を好奇心が上回った。柱から逃がす事なく拳を入れる。

 右の正拳、左のフック、右の下突き、左のレバー、

 

 

――右右左右左右左右左左右右右左左右左右左右左左左左左左左左――

 

 

 メイルシュトロームから煙と火花が吹き始め片手のマニピュレーターが甲高い音を立てた後に沈黙し防楯を地に手放した。そこそこの人数が乗り回し、足下で行われるF1のピットインめいた作業で懸命にもその寿命を延ばしていた二機のメイルシュトロームはこれで一部が限界を迎えた事になる。

 静穂は防楯が落ちたのを機に空いた右側の手で防楯を押さえとにかく一杯に殴り出した。鐘を打つような音が響く度に機体からの悲鳴が耳に届き、対して操縦者からは何も聞こえない。口を引き結び耐えている。

 静穂は相手の顔を見てみた。最初に会った下流階級と自称する子ではないか。成程上流階級よりも根性はあるらしいと殴る手は止めない。

 防楯はもう大分にひしゃげ、不格好な行平鍋のように凹凸まみれになってしまっている。操縦者と比べて根性のない盾だ。こんな有様でシュヴァルツェア・レーゲンの主砲を耐えられると思っているのか。甲龍の衝撃砲を受けきれると思っているのか。

 メイルシュトローム本体にしてもそうだ、あくまで静穂の主観だが学園のそれより数段脆い気がする。

 殴って殴って殴り倒す。そうして凹むに留まらず防楯に亀裂が入ったところで、

 

 

『静穂さん、そこまで』

 

 

 師からの静止が入った。慌てるでもなく当てかけた腕を引き戻す。

「――師匠。用事は終わった?」

『途中で切り上げました。全く何をしてますの』

「言いつけは守っているからその範囲だよ?」

『それは見て判っています』

「えぇ……」

 見られていたのか。ならばもっと早く言って欲しかった。知っていればもう少しましな飛び方を披露したというのに。

 静穂一人だとどうにもセシリア曰くの粗雑な戦法になってしまう。原因を静穂は判っているつもりだが、それを言ってもどうしようもない。変える気のない根本がこれにはある。

『それで静穂さん。()()()()()()()()()()?』

 何処にいるかも判らないセシリアへ向けて、静穂は肩を回す。「いいよ。いつでも」

『では30分後に。ピットに火器を用意してもらいますわ』

 そう言って通信は終わり、静穂は火器という単語を出された意味について考える。

(積めって事だよねぇ)

 それはつまり、静穂にある程度の裁量と本気を求めていると言う事で。

(やだなぁ)

 師の相手は苦手だ。

「……ねえ」目の前で息絶え絶えの少女が話しかけて来た。「ミス・オルコットとやるの?」

「みたいだねぇ」

「貴女、何戦したのよ」

「だから30分後なんだろうね」

 少女は口をつぐんだ。同時に目を見開いている節のある少女に対して、さも当然の様に疑問を口にする。

「これくらい普通でしょ? 違うの?」

「……流石“不死(イモータル)”と言われるだけの事はあるわ」

「だからそんなの知らないし、第一それにそうでもないよ」

 静穂は少女の盾を押し、その反作用にその身を委ねる。

「これでも専用機持ちでは最下位だからね」

 そう言って静穂は、少女を離れ宛がわれたピットに向かった。

 

 

(息が乱れもしていなかった)

 ……静穂を見送る少女はメイルシュトロームの死んだ左腕を見つめ、次いで静穂の後ろ姿に視線をやる。

 最初は上流階級の人間だけで終わるとは研究員達の言だ。それが蓋を開ければどうだ、下流の自分まで引っ張り出され、貴重なISは一部分だがD判定まで破壊された。

「……()()で一番弱い? 冗談でしょ?」

 だとしたらIS学園は、一体どれ程の…………。

 

 

 挌技場内での少女の疑問は、管制室内ではセシリアが引き受けていた。

「待って下さいミス・オルコット。今までが準備運動? 嘘でしょう!?」

 とある研究員の悲鳴めいた質問にセシリアは飄々と返す。

「何かおかしな事でも?」

「彼女が今の今まで、一体何人を相手取ったとお思いですか!?」

「途中から来たわたくしには見当が付きませんわね」

 ですが……、とセシリアは静穂のピットに向かう様子を見て、

 ――率直に告げた。「六人くらい、でしょうか」

 その場にいた研究員達が絶句する。

「何を驚いていますの? 彼女なら二機が同時に襲いかかろうと三分で撃墜してみせるでしょうね」

「……いくら何でも言い過ぎかと。彼女達は常に貴女に勝るとも劣らない搭乗時間を、」

「それが今回、何の関係もないと露呈してしまいましたが?」

『…………!』

「まあ良いですわ。――ミズ・ネスビット」

「……何か?」

「彼女に銃を用意して下さいな。こんな飛車角桂馬、ルークにビショップ、ナイト抜きのチェスで満足できまして?」

 暗にではなく明け透けに、これが手加減されたものだと告げられネスビットは笑みを固持する以外を出来ずにいる。

 何を呆けているのか。この場をこのように運んだのは自分達だろうに。

 そんな場をセシリアは、折角の機会だと考える事にした。

「丁度いいのでご覧に入れましょう。――わたくし達の模擬戦(ワルツ)というものを」

 

 

 

 ――ピットへと向かう道すがら、ティアーズ開発部門の一人が尋ねてくる。

「ミス・オルコット。先程の話、本当ですか?」

 それは三分の事かと聞き、研究員が頷いたのでセシリアは肯定する。

「逆に言えば三分で彼女の()()に限界が来ますわね。それ迄に皆で落とそうと躍起になる訳ですが」

「流石に信じられません。私達は彼女達、訓練生の努力をそれこそ毎日のように見てきていますから」

「努力をしているのは学園も同じですわ。それに静穂さんは普段から専用機持ち達を一度に全員相手取り、常に最低三分は保たせています。如何にここの訓練生がエリートであろうと、一対一を複数回程度ではウォームアップが限界でしょうか」

「……それはリンチになるのでは?」

「最初はそういった意見も出ましたわね」

 だが何度試しても専用機持ち達は三分の壁を越えられず、もう各自の矜持を持ち出す事態にまで及んでいる。一度逃げに徹されてしまえば厄介極まりない。逃げに徹する分と機体の特性上、反撃の心配はほぼなく、とはいえ一度彼女の射程、ショートレンジに入れてしまうと手痛過ぎる()()を受けるので緊張感もあるという、丁度良い練習の土台となっている。

「とにかく最低でも三対一が基本ですわね。全力の彼女を三分で墜とそうとするのなら」

「では一対一では?」

 その一言にセシリアは立ち止まった。

「ミス・オルコット?」

「……今日こそは墜としきってみせますわ」

 再度セシリアが歩き出す。研究員達が見るその背中には、普段の彼女からは希にしか見ない年相応の勝気が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミス・オルコット! 合図は!」

「そんなもの要りませんわ! 静穂さん準備は!?」

『いつでも!』

 静穂の返事と同時、空噴きでピット内に吠え立てていた推進器に火を入れる。

 勢いよくピットから飛び出し挌技場に突入した刹那、

 

 

――グレイ・ラビットがそこにいた――

 

 

「速攻ラビットキぃぃック!!」

「!」

 単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)月下乱斧。静穂は対面のピットからほぼ一直線に、

(連続跳躍で肉薄してきた!)

 セシリアは両手を振って身を捩りドロップキックの軌道からスライド移動。回避する際の僅かに彼女に触れて軌道をずらし、瞬時加速を打撃力とする静穂を挌技場の壁面に激突させた。

 そこで漸くセシリアは光学ライフルを拡張領域(バススロット)から取り出しその引き金に指をかける。

「行きますわよ静穂さん!」

 ――引き金を引いた。



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75.身を振らされたなりの返し方 ②

「(躱された!)痛い!?」

「行きますわよ静穂さん!」

「!」

 PICとパワーアシストの出力を調整、壁面を手は掴み足は蹴る。静穂は身体を壁面の上部にスライドさせた。

 セシリアの狙撃が脇腹を掠め壁面を叩く。脚部推進器を収納し二発目より先に駆け出し、挌技場の壁面を疾駆する。

 その間も狙撃が止む事はなく、時折の予測射撃を織り交ぜられて静穂は壁面を鉤裂き状に走り回避に専念。推進器・PIC・パワーアシスト。三つの要素を最大限に作用させ挌技場の壁面を走り続ける。走り続ける最中に支柱がライフルの射線を遮るが、ティアーズがその穴を埋めるように回り込んでくる。

 全方位射撃。離陸させるまいと静穂を狙う射線が一から五に増え、いよいよ以て進退窮まるかという状況になったところで静穂が動く。

 拡張領域の発光、ラビットから。

 セシリアが警戒するでもなく包囲網を絞って来ているのが判る。呼び出した物が彼女にバレている、というより判りきっているからだ。

 呼び出したのは当然のハンドガン。

 走りつつの発砲。ティアーズの子機へ着弾、射線をずらして間隙を走り抜けた。

「そんな!?」

 セシリアが思わず声を上げる。何を驚いているのだろうか。静穂(わたし)は今、()に足をつけているというのに。

 ティアーズの包囲網を抜けて静穂は加速する。長円状の挌技場が競輪場に取って代わったかのようだ。独走する静穂、後を追うティアーズ。計器では時速50kmを越えた。競輪選手がバンクを駆け上がる際に必要な速度が平均時速60kmと聞くから、地の力で垂直の壁面を走るには遙かに足りていないのだろう。よってまだ伸ばす。

 足りないのだ、まだ、目的の為の手段まで――――と、次の瞬間。

 気づいた。一基違う。自分を追う子機が一基、レーザー基からミサイル基、セシリアの直掩基とすり替わっている。

 その回答とばかりに正面、静穂の進行方向上にそれがいた。

 簡単な話だ。挌技場は長円形、進行方向は大まかであれ一定。ならば待てば勝手にやってくるというもので。

 かつてIS学園入学当時、静穂が一夏と戦った時の、初めての模擬戦を思い返す。あの時もこうして一夏に待ち受けられた。

 ――後方のティアーズ三基が追いつき、親機のセシリアも加わり静穂の包囲を狭めその銃口を輝かせ、

 それを見るでもなく静穂は足を突き出し、

 

 

――セシリアの予測を追い抜かせた――

 

 

 PIC抜き、力任せの一零停止。時速100kmを越えた状態から踏みこみ壁面に亀裂を走らせてその場に留まる。ティアーズの射線が静穂の眼前で交差した。

 手段は為した。目的は今。静穂が漸く空を飛ぶ。

 ハンドガンを拡張領域に放り込み、次いで呼び出すは近接ブレード、インターセプターを二振り。

 それを重ねて握り込み、セシリアの懐へ目がけ呼び出した右脚部のみの瞬時加速。

 重心と推進器の位置から瞬時加速がうねりを打つ。ティアーズからの射撃をそれで躱し肉薄、浴びせるように重ね持ったブレードを流れに任せ振り下ろし、受け流される。

 同じくインターセプター。たった一振りのそれでセシリアは刃面で刀身を滑らせ回避して見せた。

 舌打ちも後悔も後回しにして静穂は本来の一零停止からその場で回旋(スピン)。袈裟を下から上がる軌道で斬りかかるも、既にセシリアはその場に居らず、

 ――視線を巡らす事数瞬、僅かに彼方、瞬時加速で距離を取りティアーズ子機を纏めて収納するセシリアの姿がそこにはあった。

 

 

――オートクチュール、ストライク・ガンナー・パッケージ――

 

 

 ティアーズ全子機を純粋なる推進力のみに転用、追加ハイパーセンサーをその美貌に落とし、普段使いのライフル片手にもう一丁、2メートルを超す銃身の一丁を抱えて彼女は加速した。

 スピード勝負。静穂は乗った。

 拡張領域から銃器を呼びだしブレードと急ぎ入れ替える。銃身だけならばセシリアのそれに張り合える重機関銃を二丁、拳銃のように容易く構え突撃する。

 銃火が瞬く。射線と射線、方や光条、方や硝煙。

 空気に混ざる火薬燃焼の匂いとBTが空気を灼いた後の熱が挌技場に薄く広がっていく。

 柱を避けるでもなく軌道を変え、銃身で鍔迫り合いが出来る距離、最小半径の円状制御飛翔(サークル・ロンド)で挌技場内を蛇の如く駆け巡る。

 互いに全力、制約は今はほんの少し。

 普段の模擬戦よりも此処は戦場に近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」エッタが目を覚ました時、その一室に普段の静謐さは感じられなかった。野戦病院の如く死屍累々とした医務室、目立った外傷を持つ者こそ少ないものの一様にその気分は晴れたものではない。

 頭痛、吐き気、脳震盪、一部に打撲や擦過傷。シズホ・ミギワによる徹底された打撃の後遺症が彼女ら訓練生の身体を苛んでいた。いや口を塞ぐ理由としてはそれだけではないのだが。

「エッタ様」普段より彼女を気遣う下流階級の面々がベッドから起き上がろうとするエッタに手を差し伸べた。「脳震盪だそうです。あまり動かない方が」

「……みたいね。酷く気持ち悪い。誰か、水は何処か教えて」

 自分の足でベッドから抜け出そうとするエッタ。周囲は彼女に自身を起き上がらせるのみに留めさせ、代わりに水を紙コップで手渡す。

 上流階級らしからぬ態度、下流の彼女らに本心から礼を言ってエッタは水を飲み干すと、「ラビットは?」

『…………』

 その質問に面々は押し黙る。それを見てエッタは周囲を見渡し、「そう、()()()()()()()()()()()

「いえ、そうではなく」

「え?」

「……ミス・オルコットが出撃されました」

 下流階級の一人が携帯端末で、それまでエッタが戦っていた筈の挌技場を映し出す。

「…………」それに映し出される映像を、エッタはさもありなんといった感想で受け止めた。

 ――長い得物で交わされる近接銃撃戦。多少の被弾すらもなく、遮二無二にシールドを削り合う為の攻防が続く。

 時に銃口より内側に身を置く事で射線を躱し、背中合わせとなれば互いにハイパーセンサーの全天周視界に身を任せその背後を狙い打つ。

 水平方向に上昇する円状制御飛翔。それでいて壁面はおろか柱に触れもせず軌道を変え、回避する。否、うねる螺旋を描く彼女らにとっては回避するという思考はないのだろう。唯単純に、車で緩やかなカーブを曲がるような気持ちですらないのだろう。

 彼女らの世界には三次元という概念すらないようだ。()()高さ()の三本の軸、うちZ軸が彼女らは常に変動し、回転している。

 彼女らの世界に天地はなく、床はおろか天井も壁も全てが足場であり檻でしかない。

(格が、違いすぎる、……)

 紙コップを握り潰し、シーツを握りこむ。悔しいと思う事すら許されない程の格差が画面に映っている。

 これは演舞だ。見せつけであり、見せしめだ。

(あんな機動、私にはまだ……!)

「エッタ様だけではありません。皆が同じ気持ちです」

「……だといいけれど」

 上流階級としては新参のセシリア・オルコットと、何処の馬の骨とも知れないシズホ・ミギワ。

 この二人に、たった二人に、彼女らのほぼ全てが打ち砕かれ続けていく。砕かれていないのは実際に相対していない面々のみで、相対した者の中にはもう飛べない、飛びたくないという者も出てくるだろう。

 言い過ぎかもしれないがそうとも言えない。今回で良く判った。この場の面子は皆、その階級に甘えていて打たれ弱すぎる。

(私は、違う……!)

 決して学園の入試倍率に気圧されたのではない。自分でこの道を選び、勝ち取り、そして選ばれたという自負がエッタの身体を無理にでも動かす。

「肩を貸して。直に見ないと意味がない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――駆け巡る銃撃戦、飛翔(ロンド)が続く。

 互いに被弾なく駆けるというのは、その実にある程度の技量と()()、そして根気と継続する為の集中力が必要となる。

「――暖まった?」静穂が不意に聞いてきた。ライフルで鍔迫り合いの最中である。

「ええ。お待たせしましたわ」セシリアがそう返す。

 そう、ここまでがセシリアの準備運動。静穂が訓練生を殴り抜いたように、セシリアは静穂と、これまでの円状制御飛翔で漸く一人と一機の暖機運転が完了した。

 つまりはここから。ここからが二人の、IS学園の模擬戦、その本領。

「――いつでも」

 セシリアがそう言うと、それを聞いた静穂の義眼が潤んだ気がした。「だったら!」

 義眼が輝いた直後、静穂が消える。

(月下乱斧! 距離を?)

 ではないと確信しバレルロール。寸前までの位置に静穂が近接ブレードで斬りかかり下方へ抜けた。

「!?」

 思わず虚を突いた形となる。無防備な背中へライフルの一撃。命中した直後に静穂が再度の跳躍。

(今度こそ距離を取る、ではありませんわね!)

 二度目のバレルロール。流石に合わせてきた静穂にこちらも合わせてくる。打ち下ろされる脚部装甲の浴びせ蹴りをブレードで受け止め、そのまま挌技場の床面へ追いやられる。

 激突の寸前で一零停止。逆手に握られたブレードがセシリアを突き刺しに掛かり、それを瞬時加速で回避すると、足下で静穂の持つブレードが床に突き刺さりラビットの膂力(パワーアシスト)に負けて砕けるのが見えた。

 静穂がブレードの破片を掴み手裏剣のように投擲。何の事はなく腕部装甲で弾くと月下乱斧で肉薄され、その脚部装甲を突き込まれる。

 セシリアが地を蹴った。続いて静穂の伸びた脚に着地、回旋。

 捻りの入ったブルー・ティアーズの装甲が急ぎ仰け反る静穂の顎を掠めた。

 その隙に通常加速、熱で静穂を退けつつ距離を取り、セシリアが得意とする狙撃の距離へ。

 躊躇わず連射。弾着を無視して撃ち続ける。まあ外しはしないのだが。

 静穂が応射するまでに四発の着弾を確認し移動する。急ぎすぎたかと反省しつつ、重機関銃の弾幕から逃れ周囲の柱を盾にしてシールド残量を確認する。――危険域にはまだ遠い。彼女を相手にして油断は決してできない数値ではあるが。

「!」

 首を捻り曲げる。シールドを削りブレードが柱に突き立つ。月下乱舞斧による奇襲。

 ブレードに罅が入る。避けた首へ向けて柱を削る。

 セシリアは天地逆様に回る事で躱し、勢いそのままの回し蹴りを避けさせる。

(!?)

 奇妙な事が起こった。避けられる事前提の蹴りがまともに静穂の頬を打ち据える。普段ならば月下乱斧で避けるものを。

 この期を逃がす訳にはいかない。咄嗟に両手のライフルがBTを放つ。直撃弾が数発、それで漸く静穂は月下乱斧で回避、挌技場の床面へ逃げる。

 ここでセシリアは自分の距離を捨て、ブレード片手に突撃した。

 軟着陸の為に推進器を噴かす静穂に対して上から得物を振り下ろす。

 静穂にブレードで受け止められるも罅目がけ正確に撃ち込んだ一閃により砕き、足下まで一気に斬り下ろし著しくシールドを削る。

 返す刀で胴への横薙ぎ。拡張領域の発光、その中身により防がれる。オートマチックのハンドガン。

 ブレードを弾くと同時に静穂が発砲、正確な狙い故に避けやすく、僅かに首を傾げて避ける。

 ストライク・ガンナーに火を入れ回旋、勢いを付けた回転斬りでハンドガンを輪切りにし、後ろ回し蹴り。

 月下乱斧。ハンドガンだった金属を残し静穂が僅かに後方へ跳躍、これは回避ではないと気づくも遅く、瞬時加速込みの中段回し蹴りが間一髪間に合ったブレードに着弾する。

 セシリアのブレード、インターセプターに亀裂が走る。

「蹴球ラビットキック、」

「――――!」

「――飛んでいけぇっ!!」

 振り抜かれた右脚、折れたインターセプター、彼方へ追いやられるブルー・ティアーズ。

 自分の距離を捨てた代償を手痛く受けたセシリアが姿勢制御に躍起になり、静穂は拡張領域から重機関銃を取り出し発砲。銃種故に有効打こそ少ないが一発一発が強くセシリアのシールドを損耗させる。

 弾切れまで撃ち続けられた重機関銃がスナップにより銃身を握られ鈍器と化す。フェイントの入った月下乱斧で接近され、重機関銃が大上段から振り下ろされる。

 だが届かない。光学ライフルが至近で放たれ重機関銃が砕け散り、静穂は新しいハンドガンに切り替える。

 拳銃の距離。ライフルは嵩が張り過ぎる。()()()()()()()()()()

 月下乱斧の事は考えずライフルの柄で静穂の顎を打ち抜いた。

 空中でたたらを踏む静穂に、今度はセシリアが脳天にライフルを振り下ろし、墜落させる。

「踊りなさい! ワルツを!」

 全ティアーズ子機が閃く。墜落寸前で踏みとどまった静穂が回避に掛かる。ティアーズによるBTの射線が地に線を描き、身を捩り躱し推進器の装甲を盾に逃げる静穂を責め立て、その装甲を灼く。四の熱線と一の銃撃が描くラインと装甲の擦れた火花、光学ライフルの点描とミサイルの爆発痕が地面へ断続的に刻まれていく。

 対して静穂の対応は実に素早かった。拡張領域から取り出したるは円筒形、握ったまま親指でピンを抜き床面に叩きつける。

 着火と同時に爆風、白煙が吹き出した。

(煙幕! 拙い!)

 彼女を危険域の状態で思考させてしまう。許した場合は彼女の脅威が跳ね上がる。

 煙幕が濃く広く、爆発音が続く。スモークグレネードを幾つも作動させているらしい。煙幕の中を探るようにティアーズ子機でちょっかいを掛けるかの如く撃ち込むが、着弾の手応えは見受けられない。

 完全に後手に回った。せめて煙幕との距離を取り、静穂お得意の距離から離れ警戒する。彼女本来の距離はハンドガン、拳銃の距離。その間合いを月下乱斧は自由に往き来を可能とする。それも転移(テレポート)由来、瞬時加速もかくやという速度で実質の小回りも利くという利便性の良さだ。

 対してこちらは不利。彼女の速度に追いつく、否、引き離してこちらの、ライフルの距離に持ち込むにはストライク・ガンナーを常時使用せざるを得ず、ブルー・ティアーズお得意の全方位攻撃と手数を駆使する事が叶わない。ひょっとすればもう煙幕の後ろを通って肉薄しているかもしれない。それはないと考えるのはこれまでの経験と傾向の予測、ある種の信頼によるものだ。

 煙幕の向こう、静穂の様子は見られないが彼女の事、こちらのシールド消費量も計算して策を練っているだろう。

 静穂の取るであろう手段としてはやはり近接、格闘戦。それも一撃で勝利を掴むような大振りの右ストレート。つい最近まで折れていたというのに随分な頼りようだ。おかげで読みやすいが心配でもある。

(推進器は取り外して単独飛行が可能……)

 となれば最大五つの方向から煙幕を突き出して彼女は迫ってくると考えられる。こちらは数を揃えて命中精度を上げ、迎撃して撃ち落とした後に掃射を加え、この勝負を終わらせる。

 そうと決め、推進器の出力を絞り、ティアーズを自己の周囲に滞空させて迎撃の態勢を整える。

 ライフルを正しく構え、スコープ越しに煙幕の向こうを睨んだ。

 

 

(あぁもう。あぁ、もう、……)

 煙幕の中、床に片膝をつき、肩で息をしている。前後不覚まではいかいないが頭を揺さぶられ続けた影響が諸に出ている。銃撃を貰いすぎた。シールドにより致命傷こそないものの、その衝撃はある程度静穂に届く。通常ならば打撃銃撃に絶対的な防御力を誇るはずの流体装甲がティアーズの射撃を緩和できていない。

(BTは、ラビットの装甲を無効化する)

 判っていた事だが貰いすぎた。月下乱斧を下手に温存した結果がこれだ、機体(ラビット)が如何に優秀でも搭乗者(しずほ)の能力が低すぎる。

 ブルー・ティアーズの光学ライフルは便宜上光学と呼称しているだけで、発射されるものは通常に出回っているそれらとは異なると聞いた覚えがある。いわばBTライフル。それはイギリスが心血を注ぎ、弾道を曲げるという銃器使いの一部が思い描く軌道の為に生み出された第三世代兵装は、グレイ・ラビットにとって天敵とも言える効果を生み出している。

 実体、半非実体、そしてBT。大まかに三種の飛び道具の内前二つをラビットの流体装甲は無効化するが、最後のBTエネルギーは確実にシールドを削り、その衝撃を静穂に与えてくるのだ。堪ったものではなく、要するに勝てない。

(どうする?)「――――、」(どうする)

 思考がまとまらない。いくら呼吸しても酸素が足りない。酸素の欠乏が今まで溜め込んだ自制心に()()()使()()と言ってくる。

(…………)

 ここは師の母国、ホームグラウンドだ。彼女に花を持たせるという思考があるにはある。

 しかし勝てる時に勝っておきたいと思うのは、果たして悪い事だろうかと。

 

 

「…………」セシリアがハイパーセンサーよる広範囲の視界で月下乱斧を警戒していると、「!」

 煙幕の帳を機影が突き破った。数は五。

「(予想通り!)ティアーズッ!!」

 ティアーズ各基がそれぞれ四方の機影を打ち据える。グレイ・ラビットの両足両耳、推進器のみがあらぬ方向へ弾かれる。

「ならば最後が!」

 一丁のBTライフルをしっかりと構え、寸分違わず撃ち抜いた。

 

 

――五基目の推進器を――

 

 

(五基目!?)

 驚愕するセシリア。その表情を僅か下から覗き込むように静穂が月下乱斧の連続使用で肉薄。あろう事か更なる()()()を足場に、その表面装甲が凹みひび割れる程に踏み込み、右の拳を後方に振りかぶっている。

 義眼と目が合う。引き絞られた右腕がこちらに向けて、砲弾のように飛んでくるのが判る。

 咄嗟の事だった。ティアーズ全基を楯に並べ立て、ラビットの拳を受けさせる。

「ティアーズ!!」

 拮抗する。ほんの数秒。

「……ラビットパンチは、」

 ラビットの装甲に(ライン)が走る。パワーアシストがその謳い文句を実現すべく稼働する。

「30トン!!」

 ティアーズ子機が、拳との接点を持った基がくの字に折れ曲がり一撃を通す。

 セシリアを突き飛ばす打撃。彼女の思考を読むなら本命はこの後。

(わたくしを壁に、退路を断った後!)

 壁ではないが柱に激突、圧迫された胸部から息が吐き出される。ラビットの推進器が陽炎の如く周囲を歪め、その圧を解放した。

 瞬時加速。最後の右ストレート。自己を仕留める最後の一撃。

 それを見たセシリアの身体は脳内物質が時間を引き延ばし、生存本能がかき立てられ、ブルー・ティアーズはそれに応える。

 

 

 ――瞬時加速(イグニッション・ブースト)。静穂の足下を掬い抜けた――

 

 

 

 

 

「(避けられた)――――」

 渾身の一打、その筈だった。それをあろう事かイナバウアー、仰け反った瞬時加速で足下をくぐり抜けて行かれた。実際、セシリアのいた場所では柱が砕け、皆既月食の始まりのように体積を減らしている。

 瞬時加速の直後に最低限の部分のみを残して収納し、ISの表面積を削減してすり抜けるという、シールドなしで地に激突すれば紅葉おろしどころではない所業。まるでお株を奪われたような気分だ。別に自分が自殺行為を得意としている訳ではないのだが。

 足下を抜けていったセシリアをハイパーセンサーで捉えつつ、静穂は驚愕もそこそこに彼女が瞬時加速で抜けていったまま、まるで曲芸のような姿勢でこちらに銃口を向けた事を確認し、

 月下乱斧を行使しようとして、拳を振り抜いた右腕がまるで電流が走ったかのように痙攣したのを感じると、

「あ、駄目だこれ」

 諦め努めて冷静に、背に最後の一射を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――更衣室、備え付けのソファに腰掛けた膝の上に頭を乗せて眠る、静穂のその細く長い髪を指で梳くセシリアに知る由はないが、事実エッタの推測は当たっていた。見せつけであり見せしめ、IS学園の現状(レベル)を知らしめ、この自己存在証明によってセシリアと静穂の格を位置付けるという推測は。

 だが流石に二人の心の内までは読めない事だろう。本来ならば怒りに委せこのような茶番に興じなくともそれはそれで許される筈だ。それだけの事をこの研究所の大人達は行った訳で、その行動を若さと断じ叱咤する権利を彼・彼女らは放棄していると同じだからだ。

 では何故セシリアはあの時、静穂と訓練生らのぶつかり稽古の時点で止めず、自己との模擬戦を始めたのか。

 

 

――それは終始彼女の矜持(プライド)に尽きる――

 

 

 セシリアと静穂の関係に複雑さはない。友人であり、師弟。その師弟という関係の方に、彼女の矜持はいささか過敏に反応していた。

 それは専用機、グレイ・ラビットとその単一仕様能力(ワン・オフ・アビリティー)の発現に原因がある。その能力により近時、二人の師弟という関係の方に僅かな綻びをセシリアは一方的に感じ、

 ――セシリアは今回の模擬戦を画策した。丁度良く、都合もつき、一石にて二鳥も三鳥もと静穂の模擬戦の結果を見て思い付き、実行し、成功させた。

 静穂には悪い事をしたと、セシリアは彼女の髪を梳きながらに思う。

 今彼女の首にはシールドエネルギー供給の為の装置と接続する為の、決して細くないケーブルが繋がり延びている。休眠状態(セーフモード)に緊急移行したラビットを再起動させる為だ。

(やはり、やり過ぎてしまいましたわね)

 長い髪を掻き分けて延びるケーブルを見て、模擬戦後に向けられた視線を思い返しての感想だ。判っていた筈なのだが止めるに止められなかった。それ程に白熱していたし、そう言えば聞こえは良いのかもしれないが、それで彼女の心肺を停止させかねない事態に迄持っていくのは当然、問題がある。彼女の身体に悪い事は確かだろう。今回は心肺に影響の出ない寸前で留まれたから良いものの、このような練習の形態を見直すべきは必至だ。勧んで人殺しになりたい人間などいない。少なくとも自分は。何よりも彼女は弟子であり、大切な友人なのだから。

 だがそれでもセシリアはハッキリさせておきたかったのだ。これからもこの少女の師で在り続けられるかどうかを。

 ……静穂に地の力があると知る事が出来たのはいつの事だっただろうか。それは彼女が望まない形式の戦法を採らざるをえない機体を、これまた駆らざるをえなくなった現状において一際異彩を放っている。

 彼女お得意の銃撃戦を考慮されていない専用機。武装はなく、その身を守る装甲も強固ではあるが特殊過ぎるときたそれを、彼女はぶっつけ本番、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)戦で使いこなして見せた。

 驚愕に足るというか、その順応性に呆れるというか、とにかくそんな静穂と、あの場にて一瞬で墜ちた自分とをつい比べてしまっていた。

 ――自分(セシリア)は、簡単に墜とされたというのに。彼女は最後まで、一夏が辿り着く寸前まで戦っていたと聞く。

 機体性能だけでない地の実力を、セシリアは羨ましいではなく悔しいと考えてしまった。眩しい迄の光に手を翳して避けるでもなく、その光源よりも輝きたいと思ってしまった。

 これでは師として失格である。弟子とは師より輝いて然るべきものなのだから。そこにおいてこの関係は師弟関係としては破綻していて、また正しく友情、ライバル関係と言えた。

「……んぅ」

「あら」

 脈打つように身じろぎして膝から落ちそうになる静穂をそっと押さえて呼びかける。

「静穂さん、起きて」赤子をあやすように優しく叩く。「死ぬにしては長過ぎましてよ」

「やぁ……」

 肘膝手足を身体の中央に寄せてうずくまる。これでは本当に赤子だ。

「……お姉ちゃ」

「ー?」頭を撫でる。「誰と間違えていますのー?」

 二人は同学年の同い年である。姉と呼ばれる程老けてはいない。

「――ん?」そこでようやく目を覚ました。「え、柔らか、へ?」

「おはようございます、静穂さん」

「師しょ、ーーーーーーーーーー!?」

「あら、」

 膝上の彼女と目が合った瞬間、静穂がケーブルを残して消えた。重力がケーブルを地に落とすより速く連続した月下乱斧で距離を取り、部屋の角、天井と二枚の壁の角に貼り付く。

「――ニンジャかクモ男、どちらですの?」

「えぇと糸は出せないからニンジャの方でって違くて! ごめん師匠どのくらい死んでた!?」

「供給機ありでほんの三十分程ですわ」

「随分と死んでたなぁ……」

 静穂が天井から飛び降りる。それを見る限り後遺症はなさそうでセシリアは安心した。彼女の場合やせ我慢を始め演技力が高すぎるがそれはそれ。信じるのも友の勤めである。

「まったく、あんな隠し球を持っていたなんて聞いていませんわよ」

「何、推進器の事? 言ったら隠し球にならないじゃない」

「それはそうですが。あと何基ありますの?」

「耳の予備が六基だけだよ」

 となると脚部を含めて計十基、それだけの数を今まで隠していたとは。下手をすれば負けていたのだからセシリアもあれは肝が冷えた。

「この際全部を吐露する気にはなりません?」

「隠すもなにももうネタ切れだよ」静穂は頭を掻きながらごちる。「勝てると思ったんだけどなぁ」

「まだまだ甘いですわね」

 ちぇ、と静穂が口を尖らせる。模擬戦の時とは違いそこには年相応か僅かに下の、彼女らしい表情があった。

「もっと月下乱斧を使われていれば勝敗は変わっていたでしょうに」

「あー、それは確かに」静穂が頭を掻く手を強める。

「何か理由があって?」

「使用回数に限界が見えちゃってどうにも最後は頻度がなぁ」

「回数に限度が?」

「実は使う度に身体の何処かしらにガタが来て、回数を重ねるとそれが酷くなる。体調やシールド残量によるけど一度の戦闘で耐えられるのは平均八十回前後、インターバルは六時間弱」

「――身体に悪影響は?」

「今のところはないし、その都度に回数も増えてきてるよ」

 果たして本当に大丈夫だろうか。隠し事を徹底して隠す彼女はポーカーフェイスにも年季が入っている。

 それでも素直に悔しがる彼女を見て微笑ましさと勝利した優越感を得ていると、

 

 

「なんでかなぁ。負けるんだよなぁ。二次移行(セカンドシフト)してるのになぁ……」

 

 

 ――ふざけた事を言い出した。

「――――静穂さん、今何と?」

「へ? 何?」

「二次移行と言いました?」

 もう一度、へ? という顔をして静穂は首を傾げ、

「言ってなかったっけ?」

「聞いてはいませんわね」

「ラビットは二次移行して単一仕様能力が発現したんだよ。グレイ・ラビット二次移行形態(セカンドシフト・フォルム)、“ストレイ・ラビット”」

 呼び方はグレイのままだけどね、気分で。と静穂があっけらかんとした口調で告げるのを耳にしてセシリアは、

「…………」

「? 師匠? どうしたの近い近い」

 近づいてその耳を引っ張った。

「そろそろいい加減にしないと本気で怒りますわよ……!」

「これは本気じゃないんですね痛い痛い痛いって!」

「他に隠し事は、失礼、それは沢山あるのでしたね」

「精神攻撃まで足さないでよ! エルフになる! 物理的に半分(ハーフ)エルフになる!」

「聞き方を変えましょう。他に言い忘れている事は?」

「そんなのその時にならないと分からないよ! それに普通は単一仕様能力の発現ってば二次移行してからが普通でしょ!?」

 その普通をどれだけの人間が望んでいるというのか。

 だがまあその理屈だとおかしいのが身の周りには一人、例外中の例外が居る訳で。

「それでは一夏さんと白式はどうなりますの」

「だから後から二次移行したんじゃないの!?」

「? そういうもの?」

「だと思うよ、あぁもうちょっと限界……!」

 まったく……。セシリアはそこで静穂の耳から手を放した。すかさず耳を覆い蹲る彼女を見て、一体どちらが彼女の本心なのだろうかと考える。

 この無邪気さと、模擬戦の時の殺意と。

(……どうでも良いのでしょうね)

 切って捨てた。どちらも彼女で、どちらなりとも。

 普段は気の置けない友人で、一度戦闘となれば頼れる前衛、相棒と変わる。

 それは素晴らしい事だし、そうで在るようにしたい。

「早くそうしたいところですわね」

「何が?」

 独り言です、と静穂に告げて、手を取り立ち上がらせる。

「さ、手早くシャワーを浴びて帰りましょう。チェルシーが夕食をたんと作って待っていますわ」



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76.外国に行こう ②

 気力が回復してきたので再開します。


 初日に少しばかりの()()()()こそあったものの、それ以降は静穂のイギリス旅行にさして問題は起らなかった。それでも細部全体にかけて多少のスケジュール調整を必要とされはしたが、精々が先刻までの舞踏会と、明日、空港へ行く前にちょっとした国事レベルの見学が挟まれた程度である。明日の件は初日の詫びという名目でだった。この二件は急な割り込みだったにも拘わらず、セシリアが組み上げた予定は揺らぐ事なく、寧ろそれらが割り込んでくる事を予測していたような、舞踏会に至っては予測され計算され尽くしていた気すら静穂はしていた。用意周到が過ぎるという意味で。主にドレスなど。ドレスなど。

 ――そんな、イギリス最後の夜。静穂はオルコット邸の中庭に足を運んでいた。

(中庭って、まぁ……)

 中庭というか、この規模ではもう庭園である。アリスが迷い込んでもおかしくない程に背の高い生垣は、これでもかとばかりに青い花を携えていた。ただ月明かりが照らすのみだが、それでも映える、鮮やかとも異なるが夜でもその色を主張する花々。それを見て静穂は、

「青い薔薇。――薔薇と違う?」

 自分が花の知識に疎い事はよく判っている。精々知っているのは青い薔薇の花言葉が“不可能”というくらいのもので。

 だがそんな浅学にも該当する、既視感というか、これに似たものを自分は過去に見た事がある気がして、

「なんだろう」と、首を傾げたところ、

 

 

「ムーンダスト。カーネーションでございます」

 

 

 呟いた瞬間に返答が来て、静穂は思わず前のめりになっていた背筋を跳ね上げた。

 この場にいる事がまるで悪い事のような気がして、静穂は上擦りかけた声を必死に抑え、声の方を見る。

 メイドの少女が、そこにいた。

「チェルシーさん」

「お気に召されましたか?」

 素直に頷く。「えぇ。とても綺麗で」

 名を呼ばれた少女、チェルシーの口元が喜びを訴える。「私を含めた使用人一同渾身の中庭、何よりでございます」

 薔薇でないのが申し訳ありませんが、と眉を下げる彼女に、静穂は何とも苦い顔をするしかできなかった。

 するとチェルシーは手を生垣の花に添えて、「――昔話という程ではありませんが、当時の使用人達の間で“この中庭を青く染め上げよう”という計画が立ち上がりました。最初はメジャーで且つ珍しい青という事で薔薇はどうかと話題に出たのですが、如何せんそちらは棘などが面倒という事で、同じ国から仕入れるという事からもこの品種に決まったそうです」

「はぁ」

「最初は中庭全体をビニールで覆い、仕入れるに至って様々な条件と問題を乗り越えたというのにあまり青いとは言えない花を増やす事から始め、中庭として人様に見せて恥ずかしくない域にまで整えた所で、当時の使用人達は気づきました。“あれ、これヤバくね?”と」

「やば、へ?」

 急に口調が砕けた。

「花弁が本来のそれよりも青く鮮やかに染まりだし、目に見えて異常な程に繁殖しだしたのです。当然に原因など判る筈もなく、この場は人が入れない程に青で埋め尽くされてしまい、綺麗なのやら雑多なのやら」

 さも当時を見てきたかのように頬に手を添える彼女を見て、次いで静穂は花を見た。そこまでくるともう別物ではなかろうか。

「別物でした」

「やっぱり!?」

「大学からの報告では外見こそ輸入した当時そのままでしたが、土壌の影響か他の花々と異種交配を繰り返したのか、蓋を開ければ似て非なる域にまで遺伝子が変貌していたそうです。

 この世代は更に改良を加えたものなので心配はありませんが、使用人達の間では世話の仕方が厳格にマニュアル化され、大学では今もこの庭から生まれた新種を砂漠の緑化に貢献できないかと研究が続けられています」

 うへぇ、と静穂は舌を巻いた。流石というか何と言うか、この家は何事もスケールが違いすぎる。

「……どうしていきなりその話を?」

「いえ、この中庭に立ち入られた方には絶対にお話しする、いわば掴みのネタでございます」

 今の話で何を掴むというのだろうか。先手か。

「――しかし意外でした。このような時間に花を愛でられるような方とは思っておりませんでしたので」

「そうですか?」

「ミギワ様は日本で言う花より団子、それ以前にISと伺っておりましたので」チェルシーが詫びとばかりに一礼する。「眠れませんか? ホットミルクでよろしければ直ぐにご用意を」

「あぁいえ、そこまででは……」

「では如何されましたか?」チェルシー、師匠(セシリア)の親友という彼女は嫋やかにこちらを伺ってくる。

 監視、ではないと思う。有無を言わせぬ、とも大分違う。

 自分は防犯対策に引っかかったのかと錯覚する早さでの邂逅だった。静穂がこの青い庭園に入り込んで数分と経っていない。たまたまこの場で庭仕事という訳でもないだろう。それをするなら昼の筈で、今は夜だ。

 ――どうする、と静穂は思案する。正直何も考えていない。

(理由がないと駄目?)

 しつらえられたネグリジェの上に羽織った制服を羽織り直し、とりあえずで理由をでっち上げにかかる。実際は窓から見下ろしたこの場にラビットで、何の気なしに降り立ってみただけなのだが。

「いやその、随分と遠くに来たなぁ、と」

「成程ホームシック」

「わたしがですか?」普段から自分はどう見られているのか、笑みを堪える彼女からは想像が難しい。

「では明日の事でしょうか。内容はいかにもミギワ様が好まれそうなものと伺っておりますので」

「……かもしれませんね」そういう事にした。

 正直、早く部屋に戻りたい。夏とはいえ時間も遅く、申し訳なさが勝っている。

「ご自分の中ではそうではないと?」

「大袈裟かもしれませんが、何の変哲もない一個人(わたし)程度がそれでいいものかと。今の今までもそうでしたが」

 それでも今日を体験した分落ち着いて臨めると静穂は、断り混じりに口にした。それを聞いてチェルシーは僅かに微笑むだけで。

 刺激的と言えばそうだが、浮ついた感覚が拭えた事のない一週間を静穂は過ごした。今日の事など特にだ。場違いであったと今でも思っている。

 それでも師と仰ぐ友人は自分を友として連れ回し、彼女の輪の中に入れてきた。この国特有の空気というか雰囲気を壊さないよう静穂は努めて必死だった。

「お嬢様も実に有意義であったと感謝しております。明日の出立時などはミギワ様を抱き締めて離そうとしないのではないでしょうか」

「それは困るなぁ」色々と。喜ばれるのは嬉しいが。

 思わず苦笑いを浮かべ、それを見てチェルシーは幾度目か微笑む。

「そうなりましたら私がなんとかしますのでご安心を」

「出来るんですか、なんとか」

「ええ、指先一つで」そう言うとチェルシーは指を鳴らして見せた。「私、あの子に対しては魔法使いですので」

 ――その文句を切っ掛けに、静穂はチェルシーの誘導で屋敷まで歩き出した。

 そして中庭から屋敷、あてがわれた部屋の前で彼女は思い出したように口にした。

「そうそう、ミギワ様」

「なんです?」

「青い薔薇の花言葉ですが、“不可能”などの他に“夢かなう”と新しく付け加えられたのをご存知ですか?」

「へぇ、知りませんでした」

「――一体どのような夢なら叶うのでしょうね」

 そう言ってチェルシーは一礼ののち、その場を後にした。

 一方で取り残された静穂は、

(夢、かなう)

 ………どのような夢なら、どの程度の夢までなら、

 願う事を許され、叶う事を許されるのか。

 そしてそのための努力は――と、

(…………えぇ?)

 一体何の話かと、ベッドに入り寝付くまで数十秒の間、その言葉が頭を離れなかった。

 

 

 ――そして翌日、セシリアはチェルシーの予測通りに空港で静穂を抱き絞めて離さず、チェルシーはチェルシーで服の上から指先一つで(あるじ)のブラホックを外すという暴挙を繰り出し、静穂は予定通りの時刻でイギリスを出立、次の国へと向かう事となった。

 ドイツである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静穂がドイツと聞いて思いつくものといえば、有名なアニメの主人公がヒロインに「ドイツ語でモノを考えろ」と言われバームクーヘンを連想するシーン程度が精々であった。それを思いついてから連想するのはソーセージにキャベツの酢の物、常温で飲む美味そうなビール……は未成年の自分には関係はないだろう。自分の外聞(キャラ)からすればどちらが先に来るべきなのだろうか。

 そんなどうでもいい雑念に囚われながら、静穂はイギリスの時と同じようにタラップを降りた。気候は、まあ、暑いとしか。以前に聞いた話だが、ドイツ人は夏の長期休暇が長いらしい。高速道路(アウトバーン)をかっ飛ばして避暑地で思いっきり遊び、またかっ飛ばして家路に着き、遊んだ分の英気を養うのだそうだ。休む為に遊ぶのか、遊ぶ為に休むのか。本当に雑念である。どうでもいい。

 そういえばと試しに周囲をラビットのセンサーで確認してみる、といっても望遠機能による目視だけだが、先日とは異なりマスコミの類が一切見受けられない。

 と、自分の後に荷物を担いだメイド服の少女が先を促してくる。自分で持てる、というより拡張領域に入れると言っても頑として「お役目ですから!」と鼻息荒く譲らなかった少女が静穂の申し訳程度の旅行鞄をひしっ、と抱えて離さないままに付いてきていた。

 上流階級に携わる人間とは、人目については疎いらしい。結局のところメイド服の彼女は静穂が税関を通るまで荷物を離す事なく、周囲の目線を集め続けた。その一因が荷物を取り返そうと躍起になる静穂自身にもあるという事に、当人は気づいていないのだが。

 

 

「――どうかしたか?」

「あぁいえ、なんでもないです、はい」

 よもやメイド少女とのやり取りで疲れたとは言えなかった。少なくとも眼前の女性からはそういう雰囲気が感じられるから。

 ――クラリッサ・ハルフォーフ。階級は大尉だそうだ。

 第一印象は悪くない。予めラウラから見せられた顔写真と、ラウラと同じ眼帯を装着されていなければ決して話しかける事はなかった、いや、できなかった。静穂が見つけた時の彼女は、他者を寄せ付けない、というかいかにも乗り換え待ちのキャリアウーマン然とした風貌で椅子に腰掛けて携帯端末を見つめていたから。そんな彼女が不意に目線を上げて、

 

 

――む。来たか――

 

 

 ……不覚にも胸が高鳴った。年上の異性の上目遣い。値踏みをされている様子でもないそれに弱くなるようなエピソードが自分に果たしてあっただろうか。

(……ないなぁ)

 精々類似する記憶としては、ゲームで大人気なくボロ勝ちした義姉が勝利者の権利と称して静穂の膝を枕にし、スティック菓子を彼女の口に運ばせられたというものしかない。あれとこれとは別物だろう。あの時の苛立ちは今もはっきりと覚えている。「欲しい?」などとぬかして義姉が咥えたそれを食べさせられた時のあのしたり顔は、到底忘れられるものではない。

(それだけで終わらなかったしねぇ、あれ)

 色々と甘かったというか何というか。今と関係ないのは確かだ。

 ――閑話休題。切り替えていく。唯一関連しそうな顔の熱さも今はもうない。それ以前に方向性が違っている。

 簡単な挨拶をして、進む彼女の後を追う。

「そうか。では出発するとしよう」

「車ですか」

「いや、飛んでいく」

 ……飛行機で、と第一に思えなかった辺り、心境が複雑なものになっていくのを感じる。

「携帯していないとは言わないだろうな」

「絶対に外せない状態なのですがそれは」

「物事に絶対はない。例外も当然に存在する。ああそうだ、」

 眼帯を替えろと彼女は指示してきた。静穂が今つけているのはセシリアからの戴き物で、彼女の上官、ラウラから賜ったそれにしろと言うのだ。

 当然、何か意味はあるのだろう。自分が考え出すと長くなるので気にしない事にする。セシリア、ひいてはイギリスから何か言われている訳でもなし。郷に入っては、という言葉もある。

 言われるがままに眼帯を歩きながら付け替えて、滑走路に出た。生身で。もうこの時点で交通手段は一つしかない。

 推測にせめてもの抵抗をしてみる。「あの、飛行許可は」

「正規に取得済みだ。但し私の後を離れるな」

 ともすれば撃墜されるのだと、素面で言ってのけられた。

(あ、冗談とかじゃないねこれ)

 静穂の背筋が冷えて、伸びる。それを見たクラリッサは何故か満足気に少し頷いて、

「――イギリスでは最先端とやらを見学したようだが、此処(ドイツ)では最前線を体験してもらう」

 最前線。それは文字通りの意味を指すのだろう。

 

 

「国防の要、我々の家。

 ようこそ。シュヴァルツェ・ハーゼは、()()の合流を歓迎する」



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77.振り回されるにも種類がある ①

 ドイツ初日にクラリッサが言った“最前線”なるものを静穂が二日程経験して抱いた感想はというと、人間、いざとなると思考の停止と順応との区別はつけられないという色々と方々を嘗めたものだった。

(だって、ねぇ?)

 こうして自分が投げた手榴弾に向かって全力疾走、有効爆発半径ギリギリで伏せる訓練を続けていればそうもなろうというのが、静穂の確立させた持論である。

 投げて、走って、伏せて、爆発。投げて、走って、伏せて、爆発。

 火薬の量を減らし調整されているとはいえ爆発物である。訓練用の緩やかな丘陵を、回数をこなし続けられたお陰でそれこそスコップを突き刺しにくくする程度には圧し固められた坂を駆け上がり、何度目かの手榴弾を投げる。

 

 

「あぇ。」

――跳ね返ってきた――

 

 

 それもそうかロクに(なら)しもされずただぽいぽいと爆発に曝されていればでこぼこだらけのイレギュラーだらけも当然でいやいやそんな場合じゃない。

 慌てて喚かず寧ろ駆け寄りラグビーボールの要領で蹴り飛ばす。

 球筋も見ず急ぎ伏せる。直後の爆風が装備の肌を乱暴に撫でつけ、有効範囲ギリギリのところまで飛んで行ったのだと余計にも教えてくる。

 身に着けた防爆装備が頼りない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 普段からシュヴァルツェア・レーゲンの主砲やら甲龍の衝撃砲やら何やらを、それこそ浴びるように受け続けて慣れたかと思えば――否、思っていたからこそ、今感じている恐怖に驚いている。

(これはまた、凄いなぁ)

 こんな訓練で毎日しこたま叩き込まれていれば、それこそラウラのような実力者もポンポンと湧いて出てくる訳で。

 自分もその辺りの水準を求められているのだろうなと、ヘルメットに降りかかる砂粒もそこそこに起き上がり、立ち上がり、思いっきりにぶん投げる。

 爆発半径ギリギリを狙い滑り込み、喉の渇きからかラテに見えてきた爆発痕の煙を投擲で突き刺した。

 煙の向こうで手榴弾が、硬い物同士がぶつかる音をさせた後に爆発。目的の標的物を粉砕したという結果だけを露わにして、どこからかブザーが鳴った。

(終了、で、良いのかな?)

 爆破した標的物の位置まで油断なく走り込み、息を整えつつ次の手榴弾の安全ピンに指をかける。

 耳のインカムから通信。『()()! 戻ってこい!』

「――Jawohl(はい)!」

 少尉と呼ばれ、念を入れ丁寧に返し、駆け足で歪な丘を下る。ピンを抜きかけた手榴弾には細心の注意を込めて。

 自分が今居る場所は、それこそ周囲は自分と同じかそれに近い年齢の少女達とはいえ、軍隊である。一時的にもその一員ならば、それ相応のきびきびとした一挙手一投足を言われずとも求められているもので。

 説明なしの前提とされる事柄が多すぎる。そんな愚痴を飲み込んで丘を下り終えると、クラリッサを始めとする眼帯の面々の顔がおかしい。

「…………えぇ、っと?」

 この目はあれだ、嘗て1組の面々が時たま自分に向けてきていた視線と一緒だ。自分が何かやらかした時によく見た覚えがある。何をやったか当人の身に覚えが一つもないのだが。

 ひょっとしてあれか。自分が今着用している防爆仕様の陸戦装備、それを着崩れでもしているのだろうか。

 そう考えて急ぎ手当たり次第に土埃を払い、ヘルメットを被り直す。

 そうしてビシッと決めて見せた静穂に対して、わなわなと震えたクラリッサが、

 

 

「本っーーーーッ当にやるヤツがあるか馬鹿者ぁあああっっ!!」

「えぇえいやいやえぇぇぇえええ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――訓練所の所長室。静穂が駆け上った緩やかな丘が一望できる部屋に、二人はいた。

 それまで響いていた爆音は文字通りに鳴りを潜め、日が僅かに傾きだした頃。今日全ての訓練課程を終えた少女たちは、今頃この訓練所の自慢の一つ、食事の美味さに疲労を忘れかぶりついている事だろう。

「それで、特別少尉(かのじょ)の健康状態は」

Ja(はい)」当訓練所の所長、当然ながら上の階級である男性士官に対し、クラリッサは背筋を伸ばし回答する。「軽度の興奮状態ではあったものの目立つ外傷はなく、訓練の続行は可能との診察結果が出ております」

「……()()をまた、か」

「当人の意気は未だ軒昂です。興奮状態であった事を加味しても、再度の投入は可能かと」

「…………」

 所長はそれを聞くと所長室の自分の席に落ち着いて腰掛ける。

 そして目元を僅かに揉んで、

「なんだ。日本人には()()()()()しかいないのか」

「いえ、織斑教官の薫陶を受けていればさもありなんかと」

「担任だったか」

「教官の訓練内容は更に圧縮され研ぎ澄まされていると、隊長の定期報告書には」

「あの時以上か」

「の、ようです」

 所長は天を仰いだ。それもそうかと考える自分は、随分と彼女に染められているというべきなのだろうか。

「……教官殿は変わらんな」

 嘗て年端のいかぬ少女達と恥も外聞もなく共に並び、その訓練課程をその身に叩き込んだ、苛め抜かれた筈の自分の身が竦んでいる。否、怖いどころの騒ぎではない。自分を揶揄しにやってきた上官や同期の連中が「もういい! 分かったから!」と却って心配してくる程の、未だ思い出すたびに震えが止まらないアレが、IS学園ではバージョンアップされているとは。

「大尉。寒くならないか」

「強く同感であります」

 互いに自分の肩を摩る。よくもまあ全員無事に生き残れたものだ。アレのおかげで自分もハルフォーフ大尉も今の地位にいる訳だが、もう一度という人間は、現地のボーデヴィッヒ少佐以外にはいないだろう。

 ……それにしても手榴弾はやりすぎでは?

「日本の学術書(マンガ)を参考にいたしました。本当に実行し、完遂するとは思いませんでしたが」

 と眼前の大尉はさもしてやったりと胸を張る。そうか、ならば間違いはないなと所長は頷いた。やはり日本がどこかおかしいのだ、そんな発想が民間の書物からポンポンと探せば出てくるという時点で。

 それともISを使わず爆発に近寄れという、思考能力を試す命令を額面通りに受け取り、即座に手許のそれを投げた特別少尉が特別なのだろうか。学術書はフェイクとして。

 ――閑話休題、閑話休題。

「大尉。それでだ」所長は話を本題に。「このまま進めても問題はないか」

「寧ろ進めなければならないかと」

「ひょっとしてアレが原因か」

「はい。他ならぬ」

「としか思えない。思いたくもないが」

 背筋に氷が走ったように、互いに同時に身を震わせた。同じ釜の飯を食っただけの事はある。思い、というか思考の行きつく結論は一つ。

「教官は、手加減などはなされないだろうな」

「少佐からは、更に苛烈に研ぎ澄まされていると」

 これは必要だ。軌道修正というか何というか、色々と早めに伝えておく必要がありそうだ。本人が気づいてから教わってでとは印象がまるで違うものが、この国にはとても多い。

 何より不憫でならなかった。旧式とはいえ同じ地獄を味わった者同士故の共感(シンパシー)が、彼女に光をと訴えてくる。

「大尉。前倒すぞ」

「寧ろ、で、ありますか」

「ああ。アメとムチではないが、ドイツが地獄以上教官未満で更には爆発物に子供達を突っ込ませる中途半端な国と思われるだけならまだマシだが、無為に探られ知られたままで帰られてはならない」

 立ち上がる。互いの意思を共有する。

「――()()。正々堂々、誠実にだ」

「――ああ。任された」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――狂信者(カミカゼ・ヤーパン)。自分はそう呼ばれているらしい。

「仕方はないんじゃない?」

「うへぇ」

 眼前に山盛りで積まれたポテトとソーセージその他諸々の野菜達を一部隊、シュヴァルツェ・ハーゼ総出で崩しにかかりながら、体験入隊中の汀 静穂特別少尉は呻いて見せた。

 軍隊という生き物は文字通り肉体労働の極致であり、それ故に消費される食糧も多量となり兵站と補給部隊が何よりも重要視される訳だが、近年に世界の軍隊事情では消費量が寧ろ減少傾向にあるという倒錯具合を見せている。

 理由としては軍備が全面的に縮小傾向にある事と、男女比、要するに女性がその割合を増やしてきた事にある。

 女性の食事量がその内情なのだが、男性に比べて自主的・意識的に量を減らしている傾向があった。軍隊に籍を置いておきながら何を呑気な、とは口が裂けても言ってはいけない。彼女達にとって体重とは切実なものである。それは今を生きる軍人であれば尚の事だった。

 

 

――ISに乗るには体重が軽い方が良い――

 

 

 ……勿論、学術的な確証は得られていない風説である。念の為。

 だがそんな都市伝説レベルのそれに世の中の半分近くが未だ踊らされているのが現状である。確かに戦闘機に至るまで飛行機を駆る者に体重制限が課されているというのはさも当然の話であり、ISも人が搭乗し飛行するという性質上、飛行機と同じその手の制限が適用されたとしても何らおかしくはない。女性と体重は切っては切れず世界的な女尊男卑の流行りもそれを加速させていた。

 病的なウエストを手に入れる為に躍起になって、その文字通りに身を崩す。そんなニュースが珍しさを失った昨今だが、要するに何を言いたいかと言えば。

 

 

 ……この部隊、そんなもの気にせずにまあ食べる食べる。

 

 

 外見こそ女子だがその実は男子の静穂をおいて、全く引けを取らないジャガイモの摂取量だった。

 要するに食べた分だけ運動すれば良いのだ。それを体現し証明しているのが彼女達シュヴァルツェ・ハーゼ、ドイツのIS事情における最前線に位置する面々である。

 全員がトレードマークの眼帯を装着している中、周囲は皆ゲルマン系の中に、同じ眼帯をしているとは言っても一人、日系人が混ざっていればそれは目立つというものだが、それ以上に部隊全員の食べっぷりがその違和感を埋めていた。最早眼帯集団の周りだけがジ○リの食事風景である。

「そりゅあね、あーまえ、あんまいめ、」

「しゃへれてなふぁえええぁ」

『いや少尉も喋れてない』

 そうツッコミつつ静穂も少女も他の面々も、目の前の山を取り分ける手を止めない。互いの空腹具合を理解しているからこそ、手と口だけは止められない。

 座学でこれでもかと知識を詰め込み、演習場で地獄を垣間見る程駆けずり回った。

 全員が同じ訓練を受けている訳で、空腹具合も全員が同じな筈で。

 眼前の山が全員分とすると、それでも満たされない可能性があれば、自ずと階級やら年功序列やらの上下関係なしに食べるしかない。肉体労働を課された年頃の子供達は、空腹で枕を濡らすわけにはいかないのだ。

 それでも何とか間隙を見つけ、「少尉はあれは、危ないよ」

「ISがあれば平気でしょ」

「じゃああの時は使ってた? 少尉は?」

「…………」そう言われ静穂は極太のソーセージを齧りながら、「え、大尉は使うなって言ってたよね?」

『あっぶな! あっぶな!!』

 向かいの女子が身を乗り出してくる。「それは狂信者(カミカゼ・ヤーパン)も致し方なしですよ! 何考えてんですか全く!」

 言いながらもこちら側の大きめなソーセージを突き刺して持っていくあたり、彼女もしたたかというか、ちゃっかりしている。

「何がいい?」

「いや違いますから」自分の取り皿にこれでもかと温野菜を盛る彼女は何故か懐かし気に、「隊長とは違う振り回しっぷりね……」

 何気に失礼な事を言われている。自分は初対面の相手に平手打ちはしない。

 そう言いたいがそれも一緒に飲み込んで、静穂はポテトとソーセージの山を切り崩す。

「ねえ。負けてんじゃない?」

「いやホント無理勝てないって。ペース早いホント無理」

 空腹の絶頂期にいる彼女達でも、静穂の腹具合にはまだ勝てないらしい。

「にしてもねぇ」

「少尉?」

「レーションじゃないのだねぇ」

「まだ言ってる」

 初日の食事がその手の戦闘糧食でない事をつい口にしてしまい周囲に笑われて以降というもの、静穂は食事の度、中一回くらいを挟んでは自分からそれをぶり返している。

 一度の恥も繰り返せばネタになり、更に続ければ鬱陶しくなる。

 そろそろやめ時だろうと、静穂はこれで最後にすればいい塩梅だろうと考える。当人は優越感よりもまだ空腹感に苛まれている。各国軍隊の食事情、味の良し悪しを静穂は細部まで知る訳ではないが、こうしてポテトの調理だけでも数種類が山で盛られるというのは、やはり他所ではないのだろう。

「そんなに期待してたんですか? 言っときますけどここより美味しい処ないですよ? どの訓練所もレーションも」

「期待ってさ、いい意味で裏切られてもがっかりするものなんだよ」

「どんな経験してんですか、少尉は」

 遠いというかさめざめというか、何か言おうとして呑み込んだような目線を取り皿に向ける静穂に、隣だけでなくテーブルを囲む眼帯少女達はただポテトやソーセージを頬張るしかなかった。

 ――そんな中、少女達の内一人、温野菜を一手に引き受けていた少女が口を挟む。「とにかく食べきりましょう。明日からシミュレーターだし、気合を入れ直さないと」

「ああ、うん……」

「ホントにね……」

 一斉に頭を抱えだした。「?」何も知らない静穂だけが黙々と、周囲の手が止まり落ちだした消費のペースを一人で維持し続けた。

 



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78.振り回されるにも種類がある ②

 防諜や建ぺい率等の都合から重要施設を地下におくという形式は、何処の国でもそう変わらないらしい。イギリスにしてもドイツにしても、搬入の利便性を無視したように施設は下に伸びていた。

 違いは勿論、当然にある。イギリスは機体(ハード)で、ドイツは搭乗者(ソフト)の。これらの違いを静穂が邪推するに、二国間ではISに求めるものの方向性が違っていて、ドイツはそれ故に地下にISの演習場を置けなかったのだろう。

 両者の顔と呼べる機体の差異。イギリスがブルー・ティアーズで、ドイツがシュヴァルツェア・レーゲン。要は機動性と火力。自然、地下空間で爆発物など誰もが嫌がる。無理はない。

 地下に演習場を置けない以上、では何を代わりに収納するかと言えば、次点たり得るものを入れる外はなく。こうしてこの施設はISの為の敷地確保に押され、これでもかと建物内に物を押し込み、それでも足りないとばかりに下方向への拡張が続いているらしい。

 閑話休題。そのような事情からか地下三階にその空間は存在した。似た箱物に例えるならば、大学によくある広めの講義室。その階段状に並べられた席の代わりに人が入って余ある大きさの黒い卵が横倒しで均等に並べられていた。

 ベッド内蔵の生命維持装置一体型VRマシン。その中で訓練生達は日夜を仮想空間内で全世界の猛者達を相手に研鑽(ゲームでたいせん)を続けているのだと告げられ、静穂も言われるがままに装置の中へ入り、

 

 

「…………」

 無理だった。

 

 

(そりゃあまぁ、ねぇ?)

 このVRマシンそのものがこの施設の訓練生達の為に調整された代物である。となると当然、使用者側に要求されるスペックも違ってくる訳で。

 “神の目(ヴォーダン・オージェ)”前提のマシンに静穂は適応できなかったのだ。いや()()()()はどういう訳か代用できたのだが、生身のままの右目が演算処理に耐えきれないらしく、今回は大人しく見学となった。

 ……その時のシュヴァルツェ・ハーゼの、彼女達の顔が忘れられない。

(人が絶望に墜ちる瞬間を、久々に見た……)

 何故に絶望したかは知らないが。

 手渡された目薬を右目に。ともかくこうして人知れず、ただ最上段から卵の外見と中の様子が映し出される壁一面のモニターを眺めるだけで時間を潰している。部隊(ハーゼ)の面々が世界相手に縦横無尽、八面六臂の大立ち回りをしているのを見ているだけでも、まあ十分以上に面白くはある。何をそんなに必死なのかはさておき。

(……、暇だね)

 手すりに体重を預け、あくびを一つ。

 正直、手持ち無沙汰というか、持て余されている気がする。少なくともドイツに来てからはそうだった。イギリスの時は初日以降、ひたすら囲い込もうという圧が強く、セシリアのそばを離れる際はそれを顕著に感じていたのだが、

(ここではあれがない。なんで?)

 自意識過剰かもしれないが、静穂のグレイ・ラビットは現状いずれの国にも属していない、個人所有の機体の一つである。喉から手が出る程欲しがられて当然の筈だ。

 なのに、だ。なのにドイツに来てからは、イギリスであった()()がない。精々が“なんだコイツ”というような、値踏みのような、信じられないものを見るような目線を向けられる程度。それに対してはもう慣れている。

 持て余されて、圧が来ない。特に嫌という訳ではないが、事ある度に身構えている自分が馬鹿みたいで、気疲れしている節がある。

 ……だからだろうか。

「暇そうだな」

 不意に声を掛けられて、つい過敏に反応してしまった。ここに来てからは機会のなかった月下乱斧(ワン・オフ・アビリティー)を使用。最大半径で声の主から距離を取る。

「ほう、」

 軽い手品を見たような反応をされ、後から後悔がやってくる。別に危害を加えられる訳ではないのに跳んで逃げてしまった。

 それでも訓練用の迷彩服を着た男性、紹介を受けた時は(若い所長さんだ)との感想を覚えた相手は、超常現象で距離を取った静穂に対し臆す素振りも見せず、「暇なら手伝ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眼前の重機めいた物体と左手に取っ手を掴む米俵サイズの発電機の唸り声に挟まれ、右手には電源ケーブルの束。

 発電機は重機めいた物体に繋がれ、静穂はケーブルが引っかからないようにそれを捌いて追従する。

 (エクスハンデッド)(オペレーション)(シーカー)。絶対数が限りなく制限されるISの現状に対応して、兵器はその有り様を目まぐるしく変化させている。

 その局地としてISコアを用いないISを目標とし、その為に従来の戦闘機と全く異なる外観、言ってしまえばISを不格好にも模倣しようと努力しているこの装備なのだが、理想と現実の差は顕著だった。

 飛べない。脆い。バリアがない。稼働時間は二十分。

 そんなデッドコピーにもなれない現実(EOS)の後を、理想(IS)が追従していく。

 稼働時間二十分を延長する為の発電機は、とても人が一人では持ち上がらない重量で、そういう点でこの采配は適材適所と言えた。

 訓練用の塹壕作りである。静穂と年端の変わらぬ、もしくは体格も育ちきっていない少女達に、この作業はやはり酷と見える。EOSはかなり使い込まれ、幾度とこの塹壕を整備してきた痕が見えた。

 グレイ・ラビットの素体部分は掘り進んでいく眼前のEOSと比べると、とても小さい。ラビットで掘り進むには普通の人間サイズの道具でなければ逆効果だろう。効率的な土木作業にはある程度の重量が必要となる。その点では被固定部位(アンロック・ユニット)もなく自前のパワーアシストのみでISに勝るとも劣らぬ体積を二十分は最大稼働させられるEOSに、このように専用アタッチメントと発電機を装着させ、作業させた方が良いのだろう。

 そういえば汀組の面々でEOSを作ろうとか話題に上がったっけなぁ、と思い返していると、

『……ここの生活は退屈だろう』

 と、プライベート・チャネルが飛んできた。前方、EOSを駆る所長の男から。

『いいえ、そんな事はないです。はい』

 急ぎチャネルで返す。その言葉に嘘はない。柄にもなくバカンスのような気すらしている。何故かと言えば、

『織斑教官の鍛錬はこの程度ではないからな』

『…………』

 同感を覚えると共に驚愕した。この人もあのシゴキをご存じだとは。

(……へ? 男性で? ()()を受けた!?)

『失礼ですが、実の実は女性だったり?』

『男だよ。恥を捨てて姪っ子と同年代の女子と並んで教官から少しでも学ぼうと必死になった。同期からは笑われ、軽蔑され、妻もこれ幸いと出て行った。……妻はまあ、以前からタイミングを見計らっていた節があったが』

 ひょっとして地雷だっただろうか。織斑先生はドイツでもトラウマを製造していたのか。

『だが私が女だったら今ここにはいられないという自信がある。今頃は最前線で専用機の袖に腕を通し、昼夜問わず経験を積んでいるだろうね』

 眼前のEOSから聞こえてくる声には、確かな自信があった。

『ちなみにこの作業だが、君の部隊に対する罰則の肩代わりだ』

『肩代わり?』何故そんな事を。

『彼女達はシュヴァルツェア・ツヴァイク、ハルフォーフ大尉の専用機を掛けのチップにしていたのだ』

 静穂は絶句し、呆れはしないが(ぶっ飛んでるなぁ)という感想を抱いた。まさか専用機を賭け事に使うとは。織斑先生が聞いたら眉根に手を当てて出席簿を落とすだろう。

『売り言葉に買い言葉だったのだろう。事実、訓練を受ける全体のモチベーションを上げるには極上だったのだが、大尉の許可を得ていなかったのはいただけなかった。大尉に「よく許可したなあんな事」と聞いてみたら怒髪天を衝いた』

『バラしたの!?』

『バラした。ここだけの話、大尉の課す罰はどれも先読みが出来てしまっていけない。よってこれは彼女達に対する罪滅ぼしであり、年長者からの優しさと言える』

『えぇ……』言えるだろうか。静穂は訝しんだ。

 それは更なる懲罰が用意されるという事ではないだろうか。

 するとEOSから掘削音が止み、その巨体が静穂に向き直ろうとし、静穂は急ぎケーブルを捌いた。

『休憩しよう。バッテリーが保たない』

 そう提案する所長の目は、金色に輝いていた。

 

 

 ――機体から降り、熱を持ちすぎたバッテリーを休めながら、所長はこれまで駆っていたEOSを見上げるように眺めつつ、

「やはり課題は稼働時間だな」

「あの、その目」

 互いに目を見た。所長の目は金色に、静穂の左目はキトンブルーに双方輝いて見せる。

「ボーデヴィッヒ少佐と同じ世代の物だ。この施術を受けてから、周囲の目の色が別物に変わりだした」

 こんな風に、と所長は目の色を金青金青と変えてみせた。ブラックどころの騒ぎじゃない。

「便利なのだが同期は誰も施術を受けようとしない。便利なのだが」

「いや普通そこまで割り切れませんから」

「君は違うのか? その目は」

「これは偶々だと思いますよ?」

 丁度足りなくなったところに丁度良く収まったというか。

 所長は目線を切り、EOSの、更に向こうに焦点を向けた。

「――男にISは動かせない。なのに何故IS用インターフェイスの施術を受けたのか」

「……生き残るため? とか?」

 その回答に、所長は満足げな顔をした。

「正解だ。私は軍という枠内では落ちこぼれの分類だった。IS導入当初のボーデヴィッヒ少佐と同じようにね。だからこそ新しい物に飛びつく賭けに出て、それが功を奏した。この国でただ一人、世界最強(ブリュンヒルデ)の指導を賜った男性トレーナーとして、頭一つ抜けた出世頭となった。知っているか? 人の中には悔しい時、本当にハンカチを噛む輩がいるんだ。男でだぞ? しかも」

「えぇ……」日本の創作内でだけではないのかと驚愕する。

「ちなみに出世頭として台頭しだした時に元妻が復縁を迫ってきた。当然断ってやったのだがしつこくてな。今はやり過ぎで刑務所にいる。君はそうならないでくれ」

 そう付け加える所長の目は嘘をついてはいなかった。何を聞いているのだろう、自分は。

「それで、本題だが、」

(本題!?)

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「…………」目を見開いた。「あー、……」

 呼びつけたのはそっち(ドイツ)だろうにと、考えはしたがそうではなく。

 完全に、完璧に。これは彼自身の言葉なのだろうなと。

 ――静穂がイギリスに行く運びとなり、周囲の代表候補生達の母国が当人達と関係なく、ラビット目当てに騒ぎ出した。

 悪い訳でも咎められる訳でもない。学園生へのスカウトはそれこそ一年生の時点で目を光らせるというのが常である。ただ静穂が要人保護プログラムの対象者で、あろう事かISを個人所有するまでに至ったというだけで。

 自分たちが手塩にかけて育てている果実に群がる蠅程度の存在が突然に宝石と化そうものならば、手のひらを返す事それ事態は、却って当然の帰結というもので。

 要するに静穂をドイツへ呼んだのは国の意向であって、現場の人間からすれば迷惑この上ない、という事だろうか。

「邪魔ですか」

「そうでは絶対にない。貴官の能力は第一線(ハーゼ)に名を連ねるには充分だ。これはあくまで私個人の意見だ、君の将来を思えばこその」

 能力は充分、手土産もある。――では、

 

 

ここの訓練生達(かのじょら)は試験管ベビーだ」

 

 

 ――一瞬、どんな顔をすれば良いか判らなかった。

「純ドイツ人の優秀な人物、その中から更に過去六親等にわたって他民族の血が混入していない血統から生み出された、この国の先端を征くとされる人材達だ」

「いやあの、ちょ、っと待って、下さい。へ?」

「どうした」

「それ、わたしに言っちゃって平気なんですか」

「なんだ。少佐当人から聞いていなかったのか」

「それはつまりラウ(ねぇ)もそうだって事ですよね!?」

 この男は何をさらっと言ってくれるのだろうか。姉と呼ぶ事を強制してくる程度には親しい友人の秘密を、何をさらっと。

「この程度は問題にならないだろう。貴官は身内だ。今もこれからも」

 そんな括りで大丈夫だろうか。静穂の背に冷や汗が落ちる。

 日本に帰ってラウラとどんな顔をして会えば良いのだろうか。いや自分ならそれまでに取り繕える筈だ。今こそ自分の演技力を信じろ。

「事態は深刻だ」

「…………」

「全ては世界的な経済不況によって難民が流入してきた事が原因なのだろう。私は政治について講釈を垂れる程明るくはないのだが、難民汚染、遺伝子汚染などという言葉も生まれた程に、不況に伴う出生率の低下は、生粋、いや、一部国民の言う純粋なドイツ人の減少となり、決して少なくない一部の過激派に危機感を呼び込んだ。ケルンを始めとする心苦しい事件も相まって、難民による侵略行為だとして極端な選民思想に拍車をかけ、いつしか彼女達は文字通り、本当に文字通りに造り上げられた」

「――ドイツってそんなに差別強かったですっけ?」

 静穂が持つドイツ観は、中学時代に世界史の先生がよく言っていた『ドイツ人は仲良くなると“また世界大戦があったらまた同盟を組もう”と言い出す』と言っていた程度なのだが、

「その教師はなにを言っているんだ?」

 斬り捨てられた。

「この国はかつて、こんな有様ではなかったと誰かが思った。誇りがあって、名誉があったと。東西の較差を今も尚引き摺ってこそいるが、そこだけは決して譲れなかった」

 それをただ、ただ一つの括りがぶち壊した、と。

 一度汚れた河川を清流に戻すのは難しい。それを承知でこの国は、清流に戻すのではなく、清水そのものを造りだそうとしているのか。

「君は純粋な日本人か? 私も生粋のドイツ人であるという自覚と自負と誇りがある。だが、それはそう作られたからと言ったら?」

「それは()()なんじゃないですか?」

()()()。軍人となると自身で選択したその時から、その人間は軍人だ」所長は視線を、静穂から施設へ。「だが彼女達はそうではない」

 生まれる前からそうなるように望まれ、手を加えられる。

 望むまでは、普通の親でも当然の行為だろう。だがそれ以上の禁忌が、この国では行われているのかもしれない。

 親を知らず、ただ軍人と成るためだけに、冷たいであろう試験管の中から。

「国家の最先端たる人物は、遺伝子レベルで潔白でなければならない。逆説的には遺伝子さえ純粋ならば立身出世が保障される。それが今のドイツだ」

「それを織斑先生は」

「ご存知だ。下らん、と一蹴して下さった。安心したよ」

 確かに織斑先生なら鼻で笑いもせずそうするだろう。静穂も自信をもってそう思えた。

「少佐はかつて“ISをファッションの延長とする風潮”と報告に記載してきた事がある。もしかすると類似しているのかもしれない。この国が試験管ベビーを選択した事は」

 移民など関係なくドイツは高潔であると、内外へ向けたアピールの手段。

「教官の指導時も内外から圧があった。そんな現状が続いていくであろう中、貴官がこの国に来たとして、果してパイロットとしてだけの目的で迎え入れる事ができるのかどうか。万全の立場を、約束できるのかどうか」

 静穂はそこまで聞いて、疑問が湧いた。

 ……聞いて良いか悩んで、

「……ちなみに落伍(ドロップアウト)した人達っています?」

「いる」

「どうなりました?」

 対して男は懐かしむように笑った。

「毎年、芋が送られてくる。写真も。泥に塗れた満面の笑顔で」

 静穂の安堵が感じられたのか、所長も息を吐いた。

「年長として、同じドイツ軍人、ドイツ国民として、どうにかしたいと思った。全てのベビーを救える訳ではないし、止められる筈もない。だが私が行う前から、幸運と言うべきか当然と言うべきか、国は彼女達にも選択肢を、“やり直す”形ではなく“明示された”選択肢を用意してくれていた」

 そこだけはせめてもの救いだよ、と所長は断りを入れた。

 静穂はもしもを想像してみた。オーバーオールを着たラウラがえっさほいさと芋を掘っている。

(かわいい)

「――ちなみにだが、全ての過去は、無駄にはならない。無駄とするのは自分自身でだ」

 件の写真を胸ポケットから静穂に見せてくる。側で屹立するそれと似た、使い込まれた機体の前で並ぶ少女達の姿があった。

「飛べないくらいが丁度良いらしい」

EOS(これ)も兵器の分類ですよね」

「使い様だ、道具も過去も。自分の中で消化して、全て糧にしてしまえば良い」

 写真の彼女達の中に、笑っていない輩は一人もいなかった。に、してもだ。

 ――ひょっとしてこれまでは全て前置きで、織斑先生から何か言われているのではなかろうか。どうにも説教というか、慣れないお節介を賜っている気がしてきた。実際に所長も内心では“任務完了”とでも思っていそうな、肩の荷が下りたような表情をしている。

(怖いからねぇ、織斑先生)

 あの訓練を受けた過去が、絶対的な上下関係を築いているのだ……と、

 EOSから通信が回ってきたとビープ音が鳴った。

「私だ」所長が回線を開き、「教、か、!!」

(?)

 駐機されたEOSの上で所長が直立の姿勢をとる。

「繋げ。――教官! お疲れ様であります! 特別少尉でありますか? はい、いいえ。直ちに」

 手招きされて静穂もEOSに張り付く。ラビットとEOSを接触回線で同期させると、聞き慣れた声が海を越えて届いてきた。

『汀』

「織斑先生?」何だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今すぐ飛べ。()()()()()()()()()()()



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79.外国に行こう ③

 果して其れは、本当に必要なものなのか。

 理由もなく、生まれはしないだろう。意味もなく、在りはしないだろう。

 其れは果して淘汰されるために生まれ、その役目を最初から、願われ望まれ頼まれたのか。

 雑に扱う盲腸(アペンディクス)を、切り捨てるのか散らすのか。

 メスを持ち、薬を以ち、敵意をもって向き合った時。

 ――それが窮鼠と知った時。

 必要なものは手に残っているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今より約三十分前、所属不明機(アンノウン)による研究施設への急襲があった。研究対象は第三世代試作実験機、銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)

 ラビットの推進器が空に波を立て、身体を上にと押し進める。

 短いドイツ旅行だったと哀愁を抱きつつ、研究施設に通いすぎかなぁ、とも思いながら、静穂は一人、夏空を縦に割っていった。

『米国は所属不明機の目的が福音の強奪にある事はほぼ確定であると判断、IS学園に緊急回線にて救援を要請し、学園は要請を承諾』

 ――IS運用協定に則った正式なプロセスでの救援要請。だが事態をそう単純に受け取る程、ヒトというものは甘くない。

 国家間での貸し一つは、異常なまでに重く、大きい。他国の代表候補生に救われたとあっては、如何に米国といえど影響は計り知れないだろう。

 福音戦の経験者の内、一夏、箒、静穂の三名。しかし前者二名は以前の懸念がつきまとい、且つそれだけではないのだろうなぁ、と静穂は思う。

 一夏は唯一人の男性搭乗者で、一人で征かせては拉致の危険がある。

 箒はその点については問題ない。現状唯一の手を出そうものなら天災が何をしでかすか判らない。

 更には仮に福音が強奪・運用された状況を考慮し、対抗手段として有効たる防御性能を持つのは、静穂が駆るグレイ・ラビット以外にはない。

 要は消去法、都合の良い人材扱いである。一応の表向きだが静穂は国家と密接ではない事になっている。要人保護プログラムも使いようであり、返せば静穂自身を守る防壁(ファイアーウォール)として機能する。

 結果として事態が極秘・秘匿を至上とする場合、汀 静穂という個人は最適の人材なのだ。本人がそれを良しとせずとも。

 ……に、しても、だ、

『事態の緊急性を考慮した結果、グレイ・ラビットは弾道飛行にて米国領空、該当施設に対し垂直落下にて突入(エントリー)を行なう』

「これ本当に許可とか大丈夫ですか? 後で怒られるの嫌ですよ?」

『国際航空連盟と宇宙条約か? 学園の特記事項二十一を忘れたか』

 学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家・組織・団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする。

『心配なのは貴様とグレイ・ラビットの強度くらいのものだ。高度は?』

「(頑丈さだけは取り柄だと思いたい)もうすぐ予定域」

『了解した。通信終了。気張れよ』

 それだけ? と言う暇もなく織斑先生からの通信は簡単に切断され、静穂はセンサーの高度計を見た。そこに示されるのは静穂とラビットが弾道飛行の為に描く弧の、その頂点に到達した数字。

 

 

(カーマン・ライン……)

 

 

 地球と宇宙、その境界線。その撫でられそうな僅か下を、静穂は推進器を噴かしている。

 眼前より先は地球ではない。インフィニット・ストラトス。その名についた領域を超えた、その先に手が届く位置にいる。

 星は、意外と見えない。現地につけば沢山のそれが見えるのだろうか。

 地上よりも近いのに、星は見えない。

(どっちもどっち、って事かな)

 どちらにせよ手を伸ばしたところで掴めはしないのだ。高々百キロメートル程度で騒ぐなと。

 推進器を噴かす。前に進む。

 それだけ判っていれば良いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ジェットコースターとかもう楽しめないんだろうなぁ。乗った事ないけれども)

 何せ自分から百キロメートル程度の高さを重力落下しなくてはならないのに、恐怖の類いを全く覚えなかった。

 PICによる重心位置の均一化、要するに落ちているという感覚をなくしてしまえばこうも恐怖心を打ち消す事ができるのかと。

 突入時の摩擦熱も一切感じない。落下中に静穂がやる事は、高度計を見ながら丁度良いところで推進器を翻す以外はない。垂れ耳型推進器の装甲板とEMドライブの起こすマイクロ波が、静穂の纏う流体装甲に僅かな熱も伝えなかった。

 

 

――グレイ・ラビット、完全展開形態――

 

 

 普段は予備としてしか使わない垂れ耳型推進器を全て接続。両脚部を含め総勢十基のEMドライブは到底学園のアリーナでは使い切れない推力を誇り、危うく頸椎の心配をする事態になりかけた。実際はたんこぶ程度で済みはしたが、それはそれで気味悪がられた程の事故を起こした、搭乗者自身が扱いきれない形態である。

 と、壁のある場所では絶対に用いる事のできないこの形態。相談に乗った織斑先生はこれ幸いと今回の移動手段に採用してきた訳で。

(織斑先生に相談しなきゃよかったかなぁ)

 後悔先に立たずである。

(最初の福音の時に使いこなせていたらなぁ)

 それも今更である。

 ――ハイパーセンサーの計器類を見て、指定された緯度経度の上空に到達を確認。

 頭部を基点とする円錐状に窄めていた推進器をそれこそ翼のように拡げ、揚力による減速を開始……したところで、

 

『止まるな! 突っ込め!』

「!?」

 

 通信で突撃を要請された。女性の声だ。

『今狼煙を上げる! そこにその速度で突っ込んでこい!!』

「狼煙!? っていうか施設ってどこ!?」

 眼下をいくら探しても施設らしき建物は見当たらない。

『――ここだよっっっ!!』

 すると突如、何もない筈の小高い山の岩肌が爆発した。丁度静穂の真正面。

『来い!!』

「了解!!」

 推進器を翼状から再度円錐状に。全推力を以て爆炎の中へ進路をとり、

 

 

――激突した――

 

 

「ぐ――――!?」

「何!? (轢いちゃった!?)」

 幾度となくレーゲンの主砲に耐え抜いた推進器の装甲、それに赤いシミができたのかと思いきや、

「何だ貴様、この!」

 押し返そうと力を込めてくる。元気そうで何よりだ、いや違うそうじゃない。

 押し返してくる。勝負してくる。

「――負けらんないなぁっっ!!」

 なりふり構わず推進器を噴かした。負ける訳にはいかなかった。

 いつしか静穂にも一丁前に負けん気がついていた。それがラビットの性能である。

 防御力と推進力。これだけは粒ぞろいの専用機達の中にいて、負けたくないと常々思っていたものだ。

 柄にもなく矜持(プライド)を以て、僅かな均衡もなく押し返す。

「なんだと!?」

「墜ちろこのぉっ!」

 重機の搬入路なのか中々の広さと距離があるトンネルの中を斜め下方に突き進み、途中で昇降機に激突した。

 双方が昇降機の床で跳ねる。所属不明機はPICで姿勢制御、静穂は昇降機の縁に手をかけ落下を免れた。

 なんとか胸まで身体を持ち上げ、両手で昇降機にしがみつく。その先には怒り心頭であろう所属不明機。

「へ!? なんで!?」

 銃口がこちらに向く。まずい、体勢が悪すぎる。推進器は制御しきれないと判断し全て収納してしまった。

 

 

「でかしたあっ!!」

 

 

 静穂の下方から背後を抜けて、一機が所属不明機に飛びかかった。

 その巨腕を力任せに()ち込み所属不明機を防御機構ごと壁面に押し込む。

「下に行け!」その声は聞き覚えがある。突入を指示してきた人物の声だ。「もう一機いる! そっちやれ!」

「はい!」

「急げよ!!」

「はい!!」

 必死にしがみついていた昇降機の床を撥ねのけ、更なる下方へ落ちていく。

 非常灯の明かりのみに照らされて、静穂は二機分の戦場を譲っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――所属不明機が巨腕を押し返す。自慢の拳を返されたファング・クエイク搭乗者、イーリス・コーリングはさして残念でもないかのように距離を取り、自然、上を取る。

「逃げるってのは、ないんじゃねえか?」

「…………」

「第二ラウンドだ。ブッ倒れるまで付き合ってくれよ!」

 所属不明機の搭乗者が舌打ちをする中、イーリスは気にもとめず踏み込んでいく。

 瞬時加速。様子見の左ストレート。

 対して所属不明機は防御機構を使わず回避機動で躱してきた。

 続けて本命の右。防御機構の遠隔操作兵装で受け止められた。

 続けていく、繋いでいく。コンビネーションで絶えず追い込んでいく。

 戦闘の基本の一つ。自分がやりたいことをやり、対して相手にはそれをさせない。

 それでは楽しくないのだが、と、イーリス・コーリングは務めて冷静に、職務を全うする。

 事態は火急。しかし彼女は獰猛に笑っていた。




 皆様どうぞ良いお年を。
 新年も宜しくお願い申し上げます。


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80.兎に火蜥蜴 ①

 ――対IS戦闘における歩兵の役割とは如何なるものか。

 結論・結果としては所詮、最大限の譲歩を以て、足止めとしか表現できない。

 音を置き去りもかくやとばかりの飛行能力に加え、たとえ屋内に引きずり込めたとて、現行火器をさも対岸の火事のように無効化するシールドバリアと、戦車の砲身をねじ曲げかねないパワーアシストが、歴戦の猛者たる男達を児戯に等しく蹴散らしていく。

 米軍特殊部隊、名も無き兵達(アンネイムド)。アメリカの世界最強たる所以(ゆえん)のその更に上澄みたる面々が、赤子の手にすら届かない。

 そんな彼らが抱く感情が忸怩たるものか、それとも敵愾心に連なるものか、部外者の静穂には判りかねた。

 ただ、これだけは。静穂が舞台となる通路に降り立ち、未確認敵機の蹂躙を押し止めた時の、

 

――後頭部に撃ち込まれた事(ヘッドショット)には、怒って良いと思う――

 

 

 

『何で撃った!? ねぇ何で撃った!?』

『悪かった! 悪かったって!』

『ISならどうせ平気だろうが!?』

『助けに来たのに撃たれるって何!?』

『前向け前! 敵はあっちだ!』

『味方に痛い思いさせられてんだよなぁ!?』

 通信の先が騒がしくなってきた。うまく合流できたらしい。

 予想よりもずっと早いのは奴の()()が原因だろう。実に便利な事だ。

「あっちは賑やかだなぁ――よっと!」右の大振りを浮遊する防楯に防がれながら、コーリングは笑みを蓄えた。「こっちも少しは騒いでみっか? なあ!?」

「――――」

 軽く挑発をしてみるが、蝶を模した未確認敵機は僅かに舌打ちをするのみで返してくる。可愛げのない奴だ、面白くない。

 面白くない時はどうするか。さっさと終わらせてしまうに限る。

 ――推進器、四基全てにシールドエネルギーを。あからさまに見せつけるように。

 するとやっと反応が来た。

「!? この閉鎖空間でだと!?」

「へぇ、知ってんのか」

 

――個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)――

 

 コーリングの乗機に搭載された四基の推進器、それらが個々別々に瞬時加速を行い、段階的・瞬間的に瞬時加速の平均最高速度を上回る、中~高難易度技術の一つ。

 本来ならば苛ついている今のような時に使える程は安定していない技なのだが、コーリングはそれすらも忘れていた。

 苛つくなら楽しめば良い。面白くないならそうすれば良い。

 独り善がりで、それで良い。自分のスタイルは、それだけで周囲を沸き立たせるのだと。

 確信めいた自信があり、自信が実力を伴わせる。

 ISに於けるアメリカの頂、その一としての、清らかな傲慢さが炸裂する。

「このままじゃ締まらないだろ!? なぁ!?」

 

 

「らァ――!」

「――――!」

 もう一方で、赤い未確認敵機と静穂が回転する。片や両腕の火炎放射、片や脚部送波推進器の推力で左回転。

 双方の右中段回し蹴りが激突する。炎の破片と空間の飛沫がぶつかり、舞い散り、脚力と推進力と全身の、すべてを用いてせめぎ合う。

 敵機の様相は妙な機体、という訳ではない。赤を基調としたカラーリングに対し、明らかに外付け、塗装のない増設推進器。顔は仮面で全面を覆い、両の手甲、腕部下部に備え付けられた火炎放射器がノズルを変え、静穂の脚部推進器と渡り合わせる推力を引き出している。

(推進力が主目的? 火炎放射は副次効果?)

 あまり見ない設置箇所にまで推進器を携えている事から、逃げ足担当なのだろう。推進力に全てを振った機体。だが何だ? 敵機に対して既視感がある。

(どこかで見た? 意匠が似て?)

「情報にモねェ米国人(メリケン)でもネェ! てめえ一体何(モン)ダ!?」

「――悪党に名乗る名前はないなぁ!」

 情報隠蔽の為だろう電子音声に対し、静穂は思慮も均衡もあっさりと崩した。

「! てめ、」

 言葉の応酬もぶった切り、ぶつけ合っていた右脚の推進器を拡張領域に収納。勢いはそのままにもう一回転、再度推進器を呼び出して瞬時加速。今度は上段、無防備な首へ。

 つんのめり回っていた背後から叩き込み、敵機をPICによる無重力体験に招待する。

(追撃)

 ここで終わらず月下乱斧。いち早く床面に着地し、頭上でもんどり打つ敵機目がけ拳を突き上げた。

 ほぼ天頂への正拳突き。肝臓側の脇腹に突き立てて、敵機を横から『く』の字に曲げる。

(まだまだ)

 止められないし止めたくない。ここでダメージを稼がなければ、後でどうなるか判らない。

 敵が怖い。だから仕留める。

 グレイ・ラビットを完全展開。元々の表面積が小さいラビットの事、普通に完全展開している敵機が動ける程の通路なら、それ以上の機動は容易だった。

 全推進器を以て瞬時加速、幾度目かの大回転、股を大きく開き軸を縦九十度に曲げたボレーシュート。

 近くの扉を突き破り、敵機を一室にゴールさせた。

「――よっ、とと」

 推進器を全て収納し着地。残心の姿勢をとる。

 敵機は動かない。部屋の中は明かりが点いておらず、中を覗くにはハイパーセンサーを暗視仕様にする必要があった。

(夜目の時に火を吹かれると、大惨事だよねぇ)

 などと思料していて、ふと気がつくと、通路の角で呆然とする特殊部隊の方々がいた事に気付く。

「「…………」」

 無言で視線を突き合わせた。

 どうしよう。何か話すべきだろうか。勢いそのままに敵らしきISを蹴り飛ばしてしまった訳だが、いけなかっただろうか。もしかして敵ではなかったとか、あるいはあの後から彼らの大逆転劇が……あったのか?

(えぇと、)気の利いた台詞など咄嗟に出てくる筈もなく、とにかく何か言おうとして、「…………」

 何も言えず、さしあたって部屋の中を指さした。我に返った方々が銃器を構え直し、

「……。……!」

 ハンドサイン。“援護する。行け”

 これを受けて静穂は(ですよねぇ……)と諦観を僅かに覚えながら部屋に近づいていき、

 

――壁を突き破り出て来た敵機に打ち付けられた――

 

 反対側の壁に押し付けられ、側面からの援護射撃が敵機のシールドを叩く。

 一人に対して過剰過ぎる弾幕も横殴りの雨程度の足止めにすらなっていない。弾幕の最中も敵機からの怒気と殺意が、静穂に対して向けられる。

「やってくレたなガキィ……!」

「…………!」

 首を掴まれている。まずい。首はいけない。

 人体の急所というのもあるが、静穂にとってそこは最大の弱点で、逆鱗である。

「首はやめてってぇ――のっ!」

 両足を畳み壁を蹴る。圧力に対し上に逃げた。

 伸身宙返りの要領で自身の首を掴む腕を掴み返し、背中合わせの一本背負い。敵機の肩を砕きにかかる。

 だがそこはIS同士、天地どころか重力もない。敵機がバック転で翻り難を逃れ、静穂に目がけ拡張領域の発光を振るう。

(近接武器!)横薙ぎに対しダッキング。屈んで蓄えた身体のバネを解放し後退、続く袈裟斬りを回避する。

 その後に鳴り響く原動機の始動音。刃渡り2メートル弱のチェーンソー大剣。

「……土木工事用?」

「対人用ダよぉっ!!」

 嘘だ! 静穂は逃げ出した。

 ――火花が散る。高速で回転する大剣の刃が壁から床から斬線を刻む。

 相応に硬いであろう地下基地の通路を刻んでチェーンソー大剣が、静穂を毟りに飛びかかる。

 それに対して踏み込んでいくのは、端から見れば狂気としか。

 剣道三倍段という言葉があるように、そこで機会を望む特殊部隊員だとしても、自分は素手の状況で武器を持つ相手の対処には苦労させられるのが普通だ。

 だから戸惑う。テンポがズレる。

 

――面白いように不意打ちが決まる――

 

 それまで遮二無二に走り回り、壁どころか天井まで使い渦巻き状に駆け回り、逃げに徹していた静穂が視界から消え去った。

 角を曲がり視界を切った直後に月下乱斧。敵機の後頭部に跳躍(テレポート)、天井に手をつきドロップキック。

 敵機を背中からどつき倒した。

「――! てめぇどっカラ――」

「門外不出だよぉっ!!」

 着地。直後に跳ねる。三角飛びからの浴びせ蹴り。

「っ!」

「舐めんな!!」

 腕部装甲で受け止められ、掴まれ、振り回される。

 ISのマニピュレーターで装甲を極限まで廃した静穂の足首を掴むのは容易だった。何せ直径が常人とさほど大差がない。

 静穂を叩きつけられた壁面に亀裂が入る。返す刀で対面側へも。

「サンザ遊んで下さってよぉ!」

(――さんざ?)

 当たり散らすように振り回される。だが静穂は叩きつけられつつも意外と余裕があった。

 それはラビットの装甲に起因する。

 ――グレイ・ラビットの装甲、両足と頭部の推進器には普通に防盾が備え付けられているが、その主たるは全身を常に覆う流体装甲である。これはダイラタンシー流体の要領で適宜硬質化・流動化する事により、静穂の身を守っている。暑さとか寒さとか、不意のボディタッチとかからも守っている。特に対ボディタッチが重要だった。この流体装甲、常にひんやりと温度を保っている為か、度々クラスメイトから抱き着かれ涼を取られるのである。

 

――要するにこの振り回し、見た目に反して効いていない――

 

 激突に際しボディスーツ状に常時展開している流体装甲が、衝撃を緩和、無効化している。

 そうとは知らず敵機が思い切り力を入れ、最後とばかりに静穂を床面に叩きつけた。打ちっぱなしのコンクリートが砕け、手が離れた。

 敵機が満足気に肩で息を吐き、チェーンソー大剣の刃を回転させる。

「これで終わったよな? なァ!?」

 そこで言ってやった。「あ、終わった?」

 ――ア? 素っ頓狂な声が漏れた敵機、その手に握られた大剣の側面を蹴り上げる。

 敵機が大剣の遠心力に振り回されつつも炎を放つ。だが遅い。静穂が速い。

 一帯が炎で覆いつくされるよりも早く、静穂は既にその場から消えていた。

 

 

「――ドコニ行きやがったァぁぁあッ!!」

「何処だろうねぇ、っと」

『…………』

 ――特殊部隊の面々は戸惑っていた。この状況をどうすれば良いのだろうかと。

 先程まで眼前でやりあっていた一方が、さも簡単に逃げてきているのだ。あろう事か役立たずとなり果てた自分らの処まで。

 どうやって逃げてきたのかとか、逃げてきて大丈夫なのかとか、溜らず一人が話しかけた。

「なぁ。いいのか、あれ」

 対して()()は事も無げに返してきた。

「んぅ。いいのかわるいのか、どうだろうか」

 あ、手助けに来ました、と少女が一人に手を出してくる。

 一人がその握手を返しつつ、「頼むぜ。あれ(IS)相手には手も足も出ない」

「それはこっちも同じなんだけどなぁ」とんでもない事を言い出した。「何か火器は借りられません? 手数はともかく火力が足りない」

 火力、と聞いて別の一人が口を出した。

対戦車ロケット(R P G)ならすぐ取ってこれる。でも効くのか?」

「その辺はこっちでなんとかできます。あと援護をまたお願いします。ないと本当にきついので」

 では行ってきます、と少女が消えた。もうISなら何でもありかと。

 ほんの数舜あっけにとられ、怒号と炎の明かりが特殊部隊を我に返させる。

 

 

 ――部隊が動く。先刻までとは違う、確かな何かがそこにはあった。




 久しぶりに戻ってこられました。ご無沙汰しております。
 
 久しぶりついでにあらすじを新調しました。以前とどちらがより多くの人に読んでもらえそうか、悩みどころです。


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81.炎の中に ①

 “足癖が悪い”とはよく言うものだが、静穂の場合はどうだろうか。

 マナーがなっていない事はない。他人に迷惑をかけている訳でもない。

 だがこの赤い敵機にはとても不愉快に映る事だろう。

「イイ加減ニ舐めてんじゃねぇぞこらァァぁ!」

「…………!!」

 高速で輪転するチェーンソー。その大剣を白羽取りで受け止める。肉体までは届いていない。だがそれはシールドのお陰もあり、そのシールドは確実に削られていく。

 そんなチェーンソー大剣に対して、展開した脚部装甲で腹部を蹴り飛ばした。

 殴って斬られて蹴っては炙られ。ラビットの脚部装甲が傷だらけになっていく。避けきれないと悟るや即座に脚を出し、弾き、受け止めていく。本来の用途でもあったのだろう防楯を最大限に利用する。

(慣れてきた! 怖くはあるけど慣れてきた!)

 如何に一角の防御性能を誇るグレイ・ラビットとはいえ恐怖心はそう払拭できる訳ではない。未知の経験に対しての恐怖は、それこそ常につきまとう。

 火炎放射とチェーンソーは、これまで受けた事がなかった。銃撃砲撃打撃に斬撃、更には爆発物も付け加え、思いつく限りのものを受け止めてきたと記憶していたが、思いつきそうなものだがとんだ盲点だった。

 グレイ・ラビットの装甲には二種類がある。静穂が普段身に纏っている流体装甲と、被固定部位(アンロック・ユニット)として頭部と脚部に二基ずつ展開する、各推進器を備え付けた実体装甲。

 そこに更に豊富なシールド総量が加わりラビットの防御力を保証するのだが、静穂には初めて受ける攻撃に対して初めから自身に近い流体装甲で受ける度胸は育っていなかった。

 

――だから初見の相手には、自然と足技が多くなる――

 

 経験から生み出された基本戦術。元からナイフの一本も武器のないラビットで、標準装備の時点で驚異でしかない専用機持ちの面々と相対していればこうもなろうというもので。

 そしてこの戦術には重要な要素が一つある。それをラビットのハイパーセンサーが感知した。

「撃って!」

 その一言だけで対応できるのは、流石は特殊部隊といったところだろうか。

 持ってこさせた対戦車ロケット(R P G)が発射された。狙いは違わず一直線に敵機へと。

 だが遅い、銃弾と比較してだがそれでもなんとか目で追える。

 静穂は弾頭の前に出た。自殺行為に見えた特殊部隊が息を呑む。

 ハイパーセンサーが弾頭を捉え、静穂は後ろに手を伸ばし、

 

 

――拡張領域に収納、登録、呼び出して――

 

 

 掴んで顳顬(こめかみ)に叩きつけた。

「!?」

 敵機が投げ出され、床面を転がる。しこたまぶつかり合ってシールドの減ったところにコレだ。耐えられる人間がいたら見てみたい。いや居てほしい、割と切実に。

「次!」

 次弾を要求。一拍置いて飛んでくる。

 敵機が当然のように回避運動。結果あらぬ方向へ飛んでいく弾頭を同じ要領で登録・呼び出し、今度は軽く放り投げる。敵機の背部で爆発した事により、敵機も静穂も大きく揺らぐ。

 元々は戦車の重厚な装甲を貫く為に洗練された代物である。仮にISに効果はなくとも、使い方次第で僅かでも搭乗者に影響があって然るべきだ。

 事実、一発目の弾頭を持っていた手が痺れている。指はある、だが握りづらい。だがレーゲンの砲撃を殴って逸らした時はもっと酷かった事を思い出す。よって耐えられない事はない。

 敵機に至っては脳が揺れていた。模擬戦でほぼ日常茶飯事の静穂には一目で分かる。

 ――これが静穂の基本戦術における重大な要素、外的要因(な か ま)による火力の補填。

 決定力が足りないのなら借りてくれば良い。軽く考えた思いつきの下、静穂はさして迷いもなく他人の力を借りる。

 武器がないのが悪いのだ。静穂はそう割り切って、次弾を要求した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)は現在、凍結状態となっている。

 当然、物理的に凍りついている訳ではない。外界からの情報をほぼ完全に遮断し、装着・起動に対して一切の接触を不可能とする処理を施されている。

 ――だがそれでも一様に、物事には裏道があるもので。

 現状の福音はISとして稼働は出来ずとも、シールドエネルギー供給機関としては運用が可能な状態だった。地下基地内で幽閉された福音に対する、彼女(ゴスペル)に関わった者達の最後の抵抗である。

 その抵抗の最たる主が福音から有線で繋がれた手持式銀の鐘(ハンドカノン・シルバー・ベル)を二丁、両脇に抱えて彼女、ナターシャ・ファイルスがリフトで地上へ上がっていた。

 最初から居た友軍機(ファング・クエイク)と、途中参戦のIS学園機(グレイ・ラビット)を囮にしての行動である。友軍機、イーリスの方には伝えてあるが、彼女がそれを酌んで動いてくれるとは思えない。それが彼女であり、善し悪しである。

 護衛はない。姫を守る騎士の役割はナターシャ一人しかいない。IS一機に対し基地を総動員させねば足止めもままならず、これに対して恐るるべきは、敵にかそれともISになのか。

「…………」

 ふとナターシャは振返り、福音を見た。

 汚れこそ落とし、磨き上げたが、その容姿はあの日のまま。

 奪われ、暴れ、傷つき、それでも尚羽ばたいていた、罅割れの目立つ、あの時の。

「……大丈夫」

 手が空いていれば仮面の頬を撫でていただろう。だがその手には銃火器が握られている。

「大丈夫。私が守るから」

 ――その向けられた想いが如何なるものか、おそらく当人らにも、表現はできないだろう。

 

 

――ましてや昇降リフトの上下から爆発が起き、リフト自体が大きく揺れようものならば――

 

 

「もう来た!?」ナターシャが頭を上げた。「! イーリ!!」

 爆煙を抜けて二機のISが飛び出した。蝶を模した敵機に詰め寄られるように銃剣とせめぎ合うタイガーストライプ、イーリス・コーリングだ。

 イーリが怒鳴る。「何やってる! 早く出ろって!!」

「近づけないでって言ったでしょ!!」と返しつつナターシャは気付く。「じゃあ下は!?」

 下の方は対照的な光景だった。斜め上に続く、広く薄暗い通路内で辛うじて認識できる赤い配色は、総動員で足止めしていたもう一機の敵だろう。

「(あっちは学園の生徒に任せた筈!)それじゃあ……!」

 下方で煙が巻く中を、扉の縁に足を掛けて、菱形状の切っ先を向ける陰があった。

 あの菱形はRPGだ。()()()()()()()()()()()()()()()()

「お前には黙秘権がある! 弁護士を雇おう! アメリカの弁護士って凄いらしいから!」

爆発物(ンなモン)向ケて言う事か! アと“凄い”ノ方向性分かっテて言ってるダロてめェ!!」

 何の事かなぁ! と学園の生徒が発砲。爆風がリフトを揺らす。屋内でしかも地下だと判っているのだろうか。容赦も迷いもなさすぎる。

 ――とにかく今は福音を逃がす事だ。だがどちらに? 上か? 下か?

(いや運び出す事自体が間違っていた!?)

 答えは出ない、出すには遅い。

 もうここまで来てしまった以上、先に進む方が良いと判断するしかない。

「貴女! 上がってきて! イーリはそのまま頭を抑えて!」

 言われたようにイーリのファング・クエイクが格闘戦に突入し、学園の専用機が警戒を厳に上がってくる。

 学園の専用機が後ろ向き、敵機に狙いを定めたままリフトに着陸した。

(これが、グレイ・ラビット)

 自分の福音としこたま殴り合い、ここまで福音を損耗させた機体。爆破の煤と斬撃の跡が新しく、右腕がだらりと重力に負けている。

「酷いの?」

「すぐ()ります。何をすれば?」

「福音を運び出して。西に基地があるからそこに逃げ込んで」

「そちらは?」

 ナターシャは少し息を吐き、「潰すわ」

 判りました、と返事すると同時にラビットがRPGを発射。下の敵機が上がって来ていた。

 チェーンソー大剣で弾頭を弾き逸らし、爆発の炎を背後に敵機が迫る。

「使って!」ナターシャは手持式銀の鐘を投げ渡した。ラビットが発射装置を放り捨てて受け取るのを確認し、併せて発砲、寄せ付けない。

「畜生!」頭上でイーリが叫んだ。

 上を見る。イーリのマークをすり抜け、蝶の敵機がリフトに降り立った。

 ラビットが代って肉薄し脚部装甲の前蹴り。翻るまでもなく蝶が回避。ライフルの銃剣を閃かせ、ラビットが銀の鐘で受け止める。

「イーリ!」ナターシャが叫ぶ。「!」

 薄くなった弾幕の合間を縫って赤の敵機が上がって来ていた。

(一丁では埋め切れない!)

「!? 生身かてめえ!」

「それでもっ!」

 発砲を止めない。たとえ敵わないとしても。

 多少の被弾を顧みず赤い方が上り詰め、自分に向かってチェーンソー大剣を――、

 

 

「そこであたしなんだよなぁっっっ!!」

 

 

 鉄拳が背後から飛んできた。ファング・クエイクの打撃用マニピュレーター。

 そのままチェーンソーとせめぎ合い火花を散らす。舌打ちの後に赤い敵機が火炎放射。身を入れ替えたイーリがもう一方の腕部装甲で受け止める。

「間に合う辺りさすがあたしだと思わないか!? なぁ!?」

「遅いのよ馬鹿!」いい加減に怒った。まったくこの相方は。ラビットがいなければどうするつもりだったのか。

 後ろの方では激突音が響いてきた。ラビットが蝶を浮遊する防楯ごと殴り飛ばしたらしく距離が開いている。手持式銀の鐘が錐揉み状に舞っていて、ラビットがそれを取り直し発砲。右腕はもう使えるらしい。凄い本当に治った。

 赤が叫ぶ。「()()ぅ! 無事だろうなァ!?」

 蝶が返す。「貴様こそ遊ぶな莫迦者!」

 ()()()! 蝶が叫んだ。

 そこにイーリが、「なんだよもっと遊ぼうぜ!?」

 「……イヤイヤ」赤が首を振った。「終りダヨ」

 ――火炎放射が止み、拡張領域の発光。赤の敵機はマニピュレーターのスナップだけで呼び出した物体を放り投げ、

 

 

――閃光に包まれた――

 

 

「何!?」フラッシュバン? ナターシャは自身が無事な事からそう対応したが、

「!? んだこりゃあ!?」

 不調を来したのはイーリだった。

 ファング・クエイクが小刻みに揺れている。推進器の噴炎が途切れ途切れに明滅し、赤の敵機に押し負ける。

(私は無事でファングがパワー負け!? ……電磁パルス(EMP)!?)

 今の手榴弾はISに支障を来させるものだった。まともに対策をしていなければこうもなるものかと。

 リフトが僅かに揺れた。見れば蝶の機体が着地し、ラビットが四つん這いで死にかけていた。

「!?」

 全身の流体装甲が脱落と再生成をくり返し、周囲を灰色に染めている。搭乗者は酷く痙攣し、瞳孔を開ききり、血反吐と鼻血と血涙を灰色に混ぜている。

(EMPの影響!? 彼女には効いて!?)

 必死に上体を起そうと手を突くも、腕が生まれたてのように力が入っていない。肘と膝で箱状に身体を浮かすだけで精一杯だ。

「畜生、動け……!」

 ファングが機能低下に負け、リフトに伏せる。

「急げ! 残量は!」

「そんナに使ッてねえ! イケる!!」

 蝶と赤が福音に取り付いた。赤の敵機から再度、拡張領域の発光。

 呼び出したのは通常より更に大きな推進器群。明らかにパッケージの規模だった。

 手動で腕部火炎放射器から燃料ケーブルを接続。推進器群が唸りを上げ始め、相当に冷えていたのだろう、表面の凍結が砕け始める。

「離れなさい!」ナターシャは銀の鐘を構えた。

「やってミナ」大剣で銀の鐘と福音とのケーブルを斬られた。銀の鐘から灯が消える。「――出来るなら、ナ」

「ーーーーーーーーーー!」ラビットが唸り推進器を拡張領域から呼び出し起動。()()()()()()()()()()()()

 赤が仮面の下で、さも笑んだような声で告げる。

 

 

「ブラスト、オフ」

 

 

 ――――炎に包まれる。



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82.仕事をした時ははっきりと

 ――電磁パルス(EMP)の影響は長くなく、機能が回復するまでには一分とかからなかった。だがそれでも、それでもファング・クエイク、イーリス・コーリングの手が届く訳ではないのだが。

 地上にいち早く上がり、彼方を見る。福音を連れ去った噴煙が伸びきって、僅かにその身を散らしていた。

 ……じきに基地機能も回復するだろう、守るべきものを奪われたまま。

 一人で追うべきか。否。EMPから完全に回復しきっているとは言えない状態で二対一を勝ちきれるとは思えず、また、個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)を駆使したとて福音を抱えて逃げ切れるとも思えなかった。イーリスにとってそれは相手への肉薄・攻撃の手段であり、撤退用のそれではない。

 よって次の手を考えながら見上げるより他になく、たとえ憎々しげに睨んだところで意味はなかった。

 では一体、どうすれば正しかったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう……」

「いえ、こちらこそ、申し訳ない、です……」

 昇降リフト。所々が原型を歪める高温の下で、ナターシャ・ファイルスは苦しげに息をしていた。

 熱に苦しんでいる訳ではない。いや熱自体は感じているのだが、精々が蒸し暑い程度にまで体感温度は()()()()()()()

 グレイ・ラビットの装甲と、回復したシールドバリアの恩恵である。敵機が増設推進器に火を入れる寸前にラビットがナターシャに目がけ突進、その流体装甲で搭乗者ごとナターシャを包み込んだ。

 今の二人はさながら野球かテニスのボールが如く、腹部を中心に折り重なっている状態で流体装甲製の球体の中にいる。要するに狭くて苦しいのだ。

「ねえ、どうなってるのこれ」

「えぇと、」えづいた。

 そのままラビットの搭乗者は咳き込みだし、ナターシャは背中をポンポンと叩いてやる。

「落ち着いて。不整脈が出てる。ひょっとして持病?」

 搭乗者が痙攣に咳き込みながら、「っ、グレイ・ラビットの、緊急防護形態。いざって、時、の、簡易シェルター、くふっ」

「いいから楽にして。薬は?」

「健康そのもの、です」

 では何故この若さで不整脈など。先程の戦闘から鑑みても、到底心臓病の類いを抱えている戦法ではない。

 その疑問に対する回答は、

「電磁パルス……」

「人体に影響はない筈よ?」

 電磁パルスの照射に人体への悪影響はないとされている。事実、今しがた受けたナターシャに、身体の影響は見られない。

 対して彼女はどうだ。先程まで顔中から血を流して苦しみ、今も心臓を始めとした体内の電気系統に支障を来している。

 それでも彼女は落ち着いてきたのか、先程よりつっかえるものが取れた口調で、「詳しくは言えませんけれどその、」

「何?」

「アイ○ンマンのアークリアクター」

 ……それで判ってしまうあたり、あの映画は偉大だった。

「――背中、ありがとうございました。じゃあ、行きます」

 そう搭乗者が言うと、PICだろう球体全体が浮き出した感覚を覚える。

「取りあえず外で、大丈夫ですか? えぇと、」

「ナターシャ・ファイルス」

「シズホ・ミギワです、どうも」

 背中越しの変則的な握手を交わし、ラビットが上がっていく。どうやら

このまま外まで行くつもりのようだった。

 

 

 ――灰色の硬いシャボン玉が、こじ開けられた隔壁を通り外に出る。地表に触れて一拍おき、炎と熱で溶け固体化した流体装甲を、孵化する雛のように拳が突き破った。

 バリバリともパキパキとも。二人がかりで殻を破った。まだリフトよりも涼しい外気にさらされて、新鮮な空気が胸から全身に行き渡っていく。

 ナターシャは髪を掻き上げた。生身でISに立ち向かい、怪我一つないのは奇跡というべきか、それとも生き残ってしまったと言うべきか。

 その奇跡の立役者は砕ききっていない装甲の内、大きな破片を安楽椅子に、全身を預け動けずにいた。まだ動けるようにはなったものの、肉体へのダメージはこちらが想像するより深刻なのだろう。戦闘機動はまだできそうにない。

 ふと見上げると、噴煙の名残は既に消失していた。逃げられたのだと、連れ去られたのだと、まざまざと見せつけてくる空がそこにあった。

 その方向から人影が降りてきた。ファング・クエイク、イーリだ。

 イーリが着陸、ファングを待機状態にして寄ってくる。「無事か」

「怪我ならないわ」自分でもあからさまに不機嫌なのが判る。「何をやってるのよ」

「逃げられた。んで、方角だけは逃すまい、ってな」

「そんな事判ってる! 貴女がいながらどうしてって言ってるの!」

一対一(タイマン)なら負けねぇよ? でもあの学園生(トレイニー)が来るまでは()たせたじゃねえか」

 分断させて大惨事になったけどね、と、ナターシャは毒づいた。

 本当に、名も無き兵達(アンネイムド)がフル装備で駐在していなければ今頃どうなっていただろうか。それでも何ともしないのだろう、彼女は。

 どうせ一対一を二回こなせば良いとか言い出すのだ。事実、足を引く要素さえなければ彼女はそれをやってのけるだろう。

 ……足を引っ張っているのは、自分だ。イーリは何も言わない。そうしてくれているのではなく、最初から頭に浮かんでいない。

「ところであいつは?」とイーリが聞いてくるので、指でさして見せると、彼女はさっさとそちらに行ってしまった。今の自分と話すとロクな事にならないと無意識で判っているのだ。事実、感情が抑え切れていないと自分でも自覚している。

 

 

「よぅしよくやった学園生。イーリス・コーリングだ」

「んぁ、シズホ・ミギワです。どうも」

「いつ飛べるようになる?」

「巡航速度ならあと少し。戦闘機動は、多分、一晩」

「よし()()()、これから打ち合わせしてくるからまだ寝てていいぞ」

「待ってスーホって何?」

「お前自分で言ったろ?」

「違いますけど」

 

 

 握手から髪をくしゃくしゃにして、コミュニケーションのつもりなのだろう、素で言い間違えて困惑させている。

 大丈夫だろうか、色々と。戻ってくるイーリの表情は晴れやかだ。どうしてそんなに笑えるのだろうか。福音が連れ去られたというのに。

「で、どうする?」

「追いかけるわ、どこまでもね。方角は?」

「あっち。行き先は()()()()()()()だろうな。――どっちだと思う」

「どちらもまずいわね。でももしそうだとしたら西に行って日本を跨いだ方が早い」

「なら陸続きで旅行気分か? 合衆国(ウチ)を嫌いな国、多いからなぁ」

「とにかく急がないと。シズホが回復し次第、すぐに――」

 

 

「――まだ国内にいると思いますよ?」

 

 

 ――怪我人、病人? が口を挟んできた。くしゃくしゃの髪もそのままに、まだ口を開くのも辛いだろうに。

 やんわりと窘める事にする。「いいから休んでなさい」

「待てよ」だがイーリが抑えた。「なんでそう思う?」

 上体を起せるまでには回復したらしいシズホは、出来る限り楽な姿勢を見せて進言してくる。

「二機のうちの赤い方、わたしの相手だった方ですけれども、出会い頭で良い具合に叩き込めたんです。

 それで奴の脇腹を殴った時に、妙な感触がしたんですよねぇ」

 二人で顔を見合わせ、またシズホを見た。

 

 

「多分、肝臓に折れた肋骨が刺さってます。治療しないとまともに飛べないくらいには、痛いはずですよ」

 

 

 ――最低限の仕事はしていた、という事だろう。日本人にしては比較的明確に主張(アピール)してくる。

 シズホがゆっくりとだが立ち上がった。右腕の時と同じで回復が早いのは、曰く心臓をISで動かしている、またはそれに準ずる状態というのもあるのだろう。返せばそんな人員を学園、千冬(ブリュンヒルデ)は預けてきた訳だが、

 ……元より適任だったか、それとも他にいなかったか。どちらなりとも役には立たせる。

「いける?」ナターシャは問うた。

「いきます」シズホが柔軟をしつつ答える。

「どこに?」イーリが茶々を入れるので、

「どこかの基地で補給を受ける」

 秘密基地(ここ)では駄目なのか、とイーリが疑問を持った顔をして、直後、目を見開いた。「マジかお前」

 ええ、とナターシャは肯定する。

「二機で負けた。なら増やす。()()()()()()()()()()()()()

 今度はイーリとシズホが目を見合わせた。

 

 

「……三機目?」

「グレイ・ラビットですよわたし」

「あれだ。研究のし過ぎで福音かそれ以外としか認識できないんだ」

「あぁ、ワーカホリック……」

 

 

 拳銃のセーフティを解除した。二人が新兵の如く直立不動の姿勢をとる。

「行くわよ。私達の手で、必ず福音を取り戻す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……くたびれたモーテルの一室。急に飛び込んで誰も気にしない程度には寂れていたそこに、二人の異邦人は宿をとっていた。

 座って佇むように放置された銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)をよそに、少女は一人、ベッドに腰掛けコーラで喉を潤しにかかる。

 飲みきり、缶を握りつぶして福音に投げつける。甲高い音とともに跳ね返り、備え付けのゴミ箱に飛び込んだ。

 ふん、と鼻を鳴らす。少しは溜飲が下がったのか、少女は腰を上げ、シャワー室に歩を進めた。

 悪趣味と断じるには判断材料が足りず、目にきついと思うだけに留めた一面原色の、タイル張りの空間。そこに今回の相方が休んでいた。シャワーを浴びるでもなく壁に背を預けて座り込み、浅い呼吸を繰り返している。

 そこで声を掛けたのは、単なる気まぐれだろうか。

「随分なざまだ。滑稽だな」

「うるセぇ」仮面も音声変換もそのままに、苦しむ様子を惜しげもなく見せつけていた。「オ前もなってみろ。痛え事コノ上ねぇぞ」

「そんな失敗はしない」

 ダヨナァ。仮面の相方は肩でも笑って見せ、即座に後悔していた。

「痛エ」

「莫迦か貴様」

「学がネェんだヨ」

「莫迦だった」

 また仮面が笑った。そして呻いて苦しみ出す。

 何がしたいのか。何をしてほしいのか。こちらから聞かねばならないのだろうか。

 不愉快だった。計画は今のところ成功の形をしているが、計画そのものが愉快ではなかった。この計画、回りくどい箇所が多すぎる。

 この相方にしてもそうだった。本来なら自分一人でも遂行は可能の筈だ。それなのにお目付役でもなく、ただ対等な相方として、この仮面はついてきている。

 何処が対等だ、何処が。こうして面倒をかけてくる輩の、何処が。こいつがここに居たらシャワーを浴びる事もできやしない。

「ああもう、どうにモなんねぇ」

「決心はついたのか?」

「アァ。――、やってクダサイ、えむ様」

 少女(エム)は肩でため息を表現する。本心で様付けしてくるあたり、本当に(たち)が悪い。

 近くにあったタオルを投げて渡す。それを相方は仮面をずらし奥歯で噛み、余分で器用に腕を縛る。

 それを見終えてエムはISを部分展開。腕部装甲のみを呼び出し、マニピュレーターを起動。()()()()()()()()()()()

 苦悶を通り越して獣のような声がシャワー室に響いた。

 願わくばこの声が外に漏れませんようにと、エムと呼ばれた少女は折れた肋骨に指をかけた。



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