グルメ時代から異世界に来るそうですよ? (雪月鷹架)
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YES! ウサギが呼びました!
グルメ時代から異世界に来るそうですよ? (前編)


 

 

 

 

 雲を突き抜けて屹立する大木の数々。大木に実る瑞々しい果実や満開に咲く花々ですら全長数百mはくだらない。

 大地に生い茂る雑草すらビルに匹敵するほどの大きさだ。そして、その雑草すら小さく見える巨大な体躯の猛獣たちが多く闊歩していた。

 

 この大陸の名はエリア7。

 グルメ界屈指の大陸の広大さと生物の巨大さを誇り、八王・猿王バンビーナが統べる大陸である。

 

 その大陸に降りたった人間──御波は中性的な美貌に安堵を込めながら息を吐いた。

 

「やっと着いた⋯⋯」

 

 肩口まである艶やかな黒髪に、鮮やかな空色の瞳。黒色のパンツに膝丈まである薄手のコート。

 暗闇に溶け込むような装いは冷たい印象を与えるが、綺麗とも可愛いとも表現できる顔立ちが服装の印象を和らげている。

 グルメ界はおろか、人間界のジャングルでも生存できなさそうな華奢な容姿だが、当の本人はエリア7を目の当たりにしても平然としていた。

 

「⋯⋯本当に何もかもが大きいなぁ」

 

 どこまで伸びているのかすら判然としない大木を横目に歩を進める。

 辺りに生い茂る草ですら天を仰がなければ頂点が見えてこない。人間界ではまず見られない光景だった。

 

「節乃お婆ちゃんに依頼されたコンソメマグマは⋯⋯何処にあるかな」

 

 依頼者である美食人間国宝、節乃の顔を思い浮かべながら呟く。

 御波がグルメ界に来た理由は、節乃とそのコンビである次郎が定めた人生のフルコース。スープに分類される食材の捕獲を依頼されたからであった。

 

 グルメ界でも屈指の捕獲レベルであるそのフルコースの食材。本来であれば次郎が全て捕獲するのだが、節乃曰く別件で手が空いておらず、先んじて御波にスープの捕獲を依頼されたのだ。

 

 御波は懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出して開く。

 はがきサイズの紙にはエリア7の大まかな区分と、この辺! という文字と矢印でコンソメマグマが湧き出ている鍋山の位置が記されていた。

 

「もう少し詳しく書いてくれても良かったのに⋯⋯」

 

 御波は思わず苦笑する。この程度の情報でも捕獲可能であるという信頼の証と喜べば良いのか、それとも大雑把に書いただけなのか。前者である事を祈りつつ地図を見る。

 地図によると大陸は東西南北4つのエリアに分かれており、鍋山は(ノース)マウンテンエリアにあるそうだった。

 

()()()()だとちょうど真反対かな。鍋山がある場所は」

 

 御波の上陸した場所は地図と現在地からするに(サウス)マウンテンエリアだ。節乃によればエリア7の総面積は少なく見積もって人間界の半分はあるらしい。

 

 巨大の一言が不釣り合いな程の大陸を今から最短でも南から北へ横断しなければならないのだ。

 しかし、御波の胸中にあるのは飛行機でも数日を要する距離を移動することでも、その道中に猛獣に襲われることでもなかった。

 

(中央の100Gマウンテン。ボクも此処にだけは近寄らないようにしないと)

 

 節乃は言っていた。猿王バンビーナが住処とする100Gマウンテンには絶対に近寄ってはならない、と。

 

(猿王は100Gマウンテンからあまり動かないらしいし、迂回して鍋山を目指そうかな)

 

 地図を懐に仕舞い、御波は近くの大木を見上げた。山々よりも更に高く屹立する大木は雲に隠れてその全容を窺うことはできない。

 だが御波にとっては大木が高ければ高いほど都合が良かった。

 

「よしっ!」

 

 そう言って御波は僅かに膝を曲げ遥か頭上の大木に向かって───跳んだ。

 

 重力も、空気の壁すらも軽々と突き破り上昇する。

 視界の端に映る山々や猛獣は一瞬で見えなくなり、そのままの速度で雲を蹴散らしていく。それから一拍後、御波は頂上に到着する。

 そこから地上を見渡しながら、御波は人間界について思案する。

 

「早く人間界に帰らないと、子供たちに寂しがられちゃうな」

 

 御波がIGOの協力の下に経営する孤児院。捕獲した食材を売り捌くことで得た莫大な資金と、IGOの後ろ盾によって運営される施設で暮らしている子供たちは年幼い者も多い。

 年長者であれば十代後半の者もおり、御波が依頼しているIGOの職員も多数在籍している。人手という意味では十分だが、御波が見つけて保護したこともあり、御波を親のように慕う子供たちは多い。

 その傾向は幼い子供ほど強く、中には御波が一日でも諸事情で顔を出せない時があると泣きじゃくる子供も存在するのだ。

 

 そんな子供たちのためにも、御波は早く人間界へ帰還しなければならない。

 

 御波は西側を向くと大きく膝を曲げる。体が水平になるような前傾姿勢を取って、

 

「早いところ捕獲して人間界に帰らないと、ね!」

 

 第三宇宙速度で水平に跳躍した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリア7の空を()()()()()()()()()()およそ1時間。

 (ノース)マウンテンエリアに到着した御波は鍋山に向かって歩きながら、〝グルメ細胞の悪魔〟の能力で自身の知覚範囲をおよそ──1000㎞まで拡大させた。

 

 範囲内の生物の姿形や気配は勿論、植物や地形などの情報が一気に御波に流れ込む。

 常人ならば死に絶える情報量だが、御波は平然としながら歩みを進める。

 

(周囲1000㎞の中で、ボクに近付いてくる猛獣はいないけど⋯⋯)

 

 あくまで近付いてこないだけで油断はできない。

 鍋山が100Gマウンテンの近郊に位置している以上、戦闘を起こせば猿王に察知される可能性が高い。

 

 そして鍋山の中腹付近では、捕獲レベルの高い猛獣たちが住処としている気配がある。

 戦闘を起こせば鍋山付近の猛獣たちは間違いなく気付くし、長引けば猿王に察知される可能性が高まるのだ。

 

 警戒を緩めることなく歩き続けて暫く、鍋山の麓に到着した御波は胸中で呟く。

 

(猛獣たちの位置と数は捉えてる。戦闘は最小限に留めつつすぐに終わらせ──)

 

 御波は100Gマウンテンの方角に振り向いた。

 

 知覚範囲に侵入した気配は一つ。それも空からだ。それが尋常ではない速度で接近してきている。エリア7の猛獣たちとは比較にならない程の大きな気配が。

 心臓が早鐘を打つのを感じながら御波は臨戦態勢に入る。この速度なら十数秒後にこの気配と御波は接敵する。

 

(間違いない⋯⋯! この気配の大きさは、猿王────)

 

 気配が加速する。

 

 それを知覚したのとほぼ同時に、猿王バンビーナの拳が御波に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒と紫、二つの軌跡が幾度となく衝突する。

 衝突の度に隕石が落ちたようなクレーターが形成される。拳が交われば雲は消し飛び、台風すら生温い暴風が吹き荒び周囲数十㎞の植物を死滅させていく。

 

 豊かな自然を形成していた土地は見る影もなく、その戦闘の凄絶さはエリア7の猛獣たちが脇目も振らずに逃走する程であった。

 

 そんな戦闘の渦中の御波は、その美貌に焦燥を募らせながら歯噛みする。

 

(身体能力、技術共に明らかに負けている! ⋯⋯正面からの格闘戦だと分が悪いな)

 

 攻防の最中、御波は対峙する猿王に思考を巡らせる。

 

 数多の猛獣たちが犇めくグルメ界。その生態系の頂点に君臨する八王の一角、猿王バンビーナ。

 唯一目を付けられたくなかった存在との戦闘は、猿王の奇襲から数分が経過していた。その間に行われた攻防は数千に及んでいるが、御波が猿王に傷を与えることが出来た攻撃は一つもなかった。

 攻撃は当たっている。だが、攻撃の全てが受け流されているのだ。

 

(間違いなく猿武によるものだけど、いくつか直撃させたのも無傷か。ボクのとは比べ物にならない練度だ)

 

 猿武。

 

 60兆を超える〝グルメ細胞〟全ての動きを統一させて防御や攻撃を行う技術。御波も体得しているその技術だが、猿王はその技術の創始者にあたる存在だ。

 呼吸をするかのように行われているであろうそれは、御波の練度を大きく上回っている。

 

 そして、両者の表情は対照的だ。御波の表情は固く額に汗も浮かんでいるが、対して猿王は楽しそうに笑みを浮かべているのだ。

 現状どちらの方に余裕があるのか、それを証明するように猿王の速度が上がった。 

 

「ウキッ」

 

 放たれた拳を左腕で受けた御波は目を見張る。

 

(重い⋯⋯! さっきまでよりも遥かに!)

 

 猿武は使用している。それにも関わらず腕に痺れるような衝撃がある。

 その事実に驚く間もなく、畳み掛けるような連撃が猿王から放たれる。それらを回避、防御しながら御波も攻撃を試みる。

 

 だが、身体能力の差に加えて猿武による練度でも後塵を拝しているのだ。御波が回避や防御に回ることが増えてきた。

 崩れた均衡は留まることを知らず、御波は瞬く間に守勢に回ることを余儀なくされた。

 御波からの攻撃が無くなったことで、猿王から無数の攻撃が浴びせられる。

 

(これ以上守りに入るのは無理⋯⋯!)

 

 猿王の拳を受ける直前、御波は足の力を緩めた。

 拳を両腕で受けた御波の体は踏ん張ることなく弾丸のように後方に弾かれる。猿王との距離を取った御波は弾かれた勢いを消すことなく身を翻して右へ疾走する。それを見た猿王も御波を追う。

 身体能力で猿王に後塵を拝する以上はすぐに追い付かれるだろう。

 

(今の状況を身体能力で打開する手立てはボクには無い。⋯⋯仕方ない)

 

 再度身を翻した御波は猿王を見る。猿王の表情には先程と変わらずこの戦闘が楽しいと言わんばかりの笑みが浮かんでいる。

 

 御波は〝グルメ細胞の悪魔〟の能力での知覚範囲を、自身を中心に半径500mに限定。そのまま猿王を迎え撃つ。

 迎え撃たれる猿王は微塵も警戒する素振りを見せない。それどころか、力強く地面を踏みしめ加速する。

 戦闘が始まってからの動きが遅くみえる程の加速。御波に肉薄した猿王の拳が────

 

「ふっ──!」

 

 空を切り、御波の拳が猿王に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  




 


 話の都合上、トリコが原作のようになっていますが次回で箱庭に召喚されます。




















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グルメ時代から異世界に来るそうですよ? (後編)

   

 

 

 

 

 

 

「──!?」

 

 驚愕の表情を浮かべる猿王。猿王からすれば、自身の動きに対応できていなかった遊び相手が突如として完璧な反撃を繰り出してきたのだ。

 想定外の攻撃に体勢をくの字に崩す猿王。隙と呼べるものではあったが、猿王ならば立て直すのに一瞬も要さないものだ。

 

 だが、御波が追撃を加えるにはその隙で十分すぎた。

 

「ハァ!」

 

 猿王にされた攻撃をお返しするように怒涛の連撃を加えていく。しかし、猿王の肉体の頑強さは尋常ではない。

 猿武での受け流しも含めれば、猿王に大きなダメージを与えることが出来る存在は地球でも数少ないだろう。

 

 戦闘が始まってから、御波が猿王に与えた攻撃は百を超えている。しかしその肉体には浅い傷が幾つか刻まれているのみ。

猿王の肉体の頑強さが桁外れであることの証左だろう。

 

 だが、御波の攻撃は猿王の体勢は徐々に崩していく。外傷こそ少ないものの、その内部には確かな衝撃が伝わっていたのだ。

 

(更に体勢を崩して勝負を決める⋯⋯!)

 

 猿王が晒した千載一遇の好機。

 御波の攻撃が加速し、一撃ごとの鋭さが飛躍的に上昇していく。防御での受け流しではなく、攻撃で全細胞の動きを統一することで可能とする猿武の奥義。

 消耗を度外視して放たれる連撃は防御の上から猿王にダメージを与え、遂に猿王の体勢が大きく仰け反った

 

(いけるっ!)

 

 大きく引いた右腕に〝グルメ細胞〟の食欲(エネルギー)が漲る。

 猿武で全細胞の意思を統一させ、威力を向上させた一撃はこれまでの攻撃とは比較にならない威力を内包する。

 星を砕いて余りある一撃を猿王に放たんと拳を握り締めた。

 

(ビックバ──)

 

 一撃を放つ直前。御波は反射的に横腹を守った。衝撃と共に御波を襲ったのは鋭い痛みだった。

 見ると、体勢を整えた猿王が横薙ぎの一撃を放っていたのだ。

 

「っ⋯⋯!」

 

 間一髪で防御を間に合わせた御波だったが、体勢が崩れ大きく弾き飛ばされたことで攻撃が不発に終わってしまう。

 御波としては間合いを詰めて戦闘を再開させたいところであったが、それはできなかった。

 

 猿王の姿に変化が起こっているのを察知したからだ。

 

(⋯⋯猿王の腕がさっきまでと違う?)

 

 変化しているのは右腕。全身に蔦のように見える皮を纏っている猿王だが、今は右腕のみが露出している。

 そして変化は右腕のみに留まらなかった。

 

 全身を覆っていた皮が破裂し、巻き上がった煙で猿王が見えなくなる。しかし、御波は猿王の姿を知覚していた。

 

 猿というよりは、体毛のないムササビに近い。体長は変わっていないが、愛嬌のあった姿から何処か不気味な姿に変貌している。

 煙が晴れたことで、御波は猿王の姿を視界に捉えた。

 

 「っ⋯⋯!!」

 

 纏っていた皮は拘束具の役割も担っていたのだろう。先程までも比類ない存在感を放っていたが、今はまるで惑星が目の前に存在すると錯覚するような感覚だ。

 ただ其処に存在するだけで自然が育たぬ程に土地を枯らし、時に豊かにする程の影響を与えると言われる八王。その本気の姿は御波に戦慄を感じさせた。

 

「ウキッ」

 

 猿王が身じろぎをする。久し振りに拘束具を外したのか、戦闘時とはまた別種の嬉しそうな笑みを浮かべている。

 

「ふぅ⋯⋯」

 

 御波は猿王を鋭く見据える。存在を視認するだけで肌が栗立つ。一瞬でも集中を乱せば、その時が御波の最期となるだろう。

 弱肉強食の自然の世界に望んで足を踏み入れている御波に、自分の命が奪われることへの恐怖などない。

 

 ただ、御波の死は施設の人々を悲しませることになるだろう。施設に関しての心配はない。自身がいなくなる程度で経営が立ち行かなくなるような体制を御波は敷いていない。

 施設は変わりなくこれからも経営を充実させ、子供たちは何れ社会に旅立っていくだろう。

 それでも、御波が主導となって創設した施設と保護した子供たちを無責任に放り投げることはできない。

 故に、

 

(此処で、死ぬ訳にはいかない⋯⋯)

 

 両者の頭上で大気が震え、黒い大気の渦が発生する。

 

 それは数多の猛獣、過酷な環境が存在するグルメ界でもごく稀に発生すると言われる現象。

 世界でも最高峰と呼ぶに相応しい実力者が相対した時に発生するその渦は強い引力を発している。不用意に近付く不埒物を引きずり込み、死を与えるグルメ界でも屈指の危険地帯。

 

 エンペラーリングが発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先手を取ったのは猿王であった。その速さは第六宇宙速度──光速にすら匹敵する。たとえ見えたとしても回避はおろか、防ぐのすら同等の敏捷性がなければ困難な攻撃。

 

 真の姿を見せる前の猿王に身体能力で劣っていた御波では、その動きに対応できない。

 

 だがそれは視覚でのみ判断して動いていたらの話である。御波の常軌を逸した知覚能力は〝グルメ細胞の悪魔〟の能力の一端だ。

 

 御波の能力での知覚は、その範囲を狭めるほどに精度を高めていく。現在の知覚範囲は半径500m。その範囲内での知覚精度は御波の五感よりも遥かに高く、視覚では見切れない猿王の筋肉の細かい動きすら感じ取る。

 

 御波はその能力で猿王の動きを先読みすることで、攻撃を正面から受け止めた。 

 

(っ⋯⋯!)

 

 猿武で受け流しても尚、鋭い痛みが腕に走り衝撃が全身を駆け巡る。

 この一撃を受けて、御波は確信した。

 

(猿武無しで直撃したら死にかねないな⋯⋯!)

 

 猿武で受け流し、万全の体勢で受け止めることで威力を減衰させてこれである。猿武での受け流しが遅れれば死は避けられない。

 

(でも⋯⋯生き残る目は十分にある!)

 

 身体能力と技術で完敗を喫しているとしても、猿王の速度には対応出来ている。

 御波は冷静に猿王を、猿王は楽しそうに御波を見据えている。

 

 睨み合うこと数秒。両者は動き出した。

 

 この星でも限られた実力者しか捉えることの出来ない神速の攻防。行われた応酬は数秒も掛からず万を超え、周囲数十㎞にも渡るクレーターを更に拡大させながら激化していく。

 しかしそれだけの攻防を行っても両者に目立った傷は見られない。

 御波は知覚能力による回避、猿王は肉体の頑強さと猿武による防御を行うことで互いの攻撃を無力化しているのだ。

 

 しかし、

 

 互角に見える両者の攻防だが、劣勢なのは御波の方であった。

 

 自身の肉体性能と猿武のみで御波の攻撃を防御する猿王に対して、御波は回避一辺倒の防御手段しか取っていなかった。

 否、取ることしかできていなかった。

 猿王と格闘戦を成立させれる時点で、御波の身体能力はグルメ界でも上位に位置する。

 

 しかし、八王としての本気を見せ始めた猿王との身体能力の差は歴然だ。

 

 加えて、猿王の肉体が段々と大きくなっている。拘束具での抑えが無くなったからだろう。元々は御波とそう変わらぬ体躯だったのが、今では倍以上に大きくなっている。

 それに比例するように、猿王の身体能力が跳ね上がっているのだ。

 

 上昇し続ける猿王の身体能力。その腕力による攻撃は御波の防御を越えてくるだろう。ダメージの蓄積とそれに伴う隙は猿王が相手では致命的だ。

 

(攻撃は通じず、防御も多用できない。それに先読みの消耗も無視できない⋯⋯⋯⋯このままだといずれ押し負ける)

 

 広大な知覚範囲は御波の〝グルメ細胞の悪魔〟の能力としては基本的な能力に分類される。消耗もなく行えるものだが、知覚範囲の拡大や精度の強化は相応の消耗を伴う。

 

 御波は猿王の動きを先読みするために知覚精度の強化を全力で行っている。

 その消耗は長時間の戦闘に支障を来すものではないが、回避を続けるだけで御波は体力を大きく減らしていくのだ。

 

 知覚範囲を縮小したのは消耗を抑えるためのものだが、今の御波には強化を維持しながらこれ以上範囲を狭めることはできない。

 

 精度を下げようにも、身体能力が上昇し続ける猿王を前にその行為は不利を助長するだけだ。

 

 これ以上の知覚範囲の拡大と縮小に伴う精度の強化を行うには、適応食材を食べて〝グルメ細胞〟の壁を越えるか、〝アカシアのフルコース〟を食べることで〝グルメ細胞の悪魔〟の肉体を制御するしかない。      

 

 その選択が不可能である以上、打開策を講じなければ敗れるのは時間の問題であった。

 

 そして、御波が現状を打破できる可能性がある手段は少ない。その中で最も可能性のある手段は、先程不発に終わった一撃であった。

 

(──決めるしかない!)

 

 

 

 回避に専念しながら、右腕に食欲(エネルギー)を再度漲らせる。

 

 それと同時に猿王の体躯が大きくなる。その大きさはおよそ御波の4倍ほどにもなる。体躯が大きくなったということは、身体能力が更に向上したことを意味する。

 

 地面を踏み締めた猿王の姿が御波の視界から消える。視界に残るのは猿王の踏み込みで消し飛ばされた瓦礫の破片のみ。

 猿王の姿を、御波の視覚は捉えることができない。

 

 御波は瞠目する。全力ではなかったのか、今までを大きく上回る敏捷性である。

 

 御波の一撃を阻止せんと繰り出される一撃。想定を大きく上回る速度に虚を突かれ反応が遅れる。

 

「っ⋯⋯!!」

 

 目の前に迫る一撃を、御波は紙一重で躱した。

 

「!?」

 

 躱されるとは思わなかったのか、猿王は驚愕したような表情を浮かべた。

 渾身の一撃を躱された猿王の体勢は僅かに崩れている。

 

 御波は右腕を大きく引く。いかに猿王といえど、僅かとはいえ崩れた体勢では御波の一撃を完全に防ぐことはできない。

 そして、これから放つ一撃は猿王の防御と受け流しを超えてダメージを与える。

 

「──ウキッ!」

 

 だが、八王にはその程度では届かない。

 

 体勢を崩した猿王が唯一自由に動かせる部位──尻尾での攻撃が御波へ迫る。

 

 衝撃だけで山を切り裂き、地平線を越えて宇宙空間に存在する衛星すら破壊に至らしめる一撃。

 

 その一撃が御波を捉えるその時、御波の姿が消えた。

 

 猿王が驚愕する間もなく、

 

「ビッグバン」

 

 宇宙誕生の名を冠する凄絶な一撃が猿王の顎を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生命の残滓すら感じられない荒野。上空から見れば数十㎞に渡るクレーターの中心で佇んでいた御波は、安堵の表情を浮かべて息を吐いた。

 

「何とかなったぁ⋯⋯」

 

 その場でうん、と大きく伸びをする。

 

(本当に危なかった⋯⋯)

 

 猿王との戦闘は、御波に心身共に大きな疲労を残した。

 思わず、二度と遭遇したくない、と心中で吐露する程であった。

 自身を遥かに上回る身体能力に、数多の攻撃を叩き込んでも大きなダメージを受けない頑丈な肉体に加えて、御波の攻撃を受け流す猿武。そして、どれだけ猿武を使っても消耗の欠片も見えない体力。

 

 こと肉体戦闘に於いて、猿王を上回ることは他の八王でも不可能ではないか、などとまだ見ぬ他の八王たちについて思案する。それと同時に、猿王と同格とされる猛獣が少なくとも7匹存在する事実に寒気を覚えるが、頭を振ってその考えを止める。

 

 考えても詮無きことと割り切ったのだ。

 

「猿王が戻ってくる前に、コンソメマグマを捕獲しないとね」

 

 御波の一撃が直撃した猿王は今頃、宇宙を旅行している頃であろう。軽傷では到底収まらない一撃を与えたのだ。暫くは戻ってこないだろうが、相手は猿王である。

 のんびりしていると、宇宙から戻ってきて再度襲ってきかねない。

 

 鍋山に向かって急ごうとした御波だが、突如として頭上に知覚した気配に足を止めて空を見上げた。

 

「なんだ?」

 

 知覚したのは、まるで空間を無理やり抉じ開けたかのような気配。その気配を感じたのはほんの一瞬にも満たない時間だったが、御波はその気配を見逃さなかった。

 気配の消えた位置には一枚の封書があった。通常、高い位置から落ちる紙は空気抵抗を受けるはずだが、封書は見えない力が働いたかのように御波の元まで舞い落ちた。

 

 警戒しながら封書を掴む。質の良い紙を使っていそうな手触りだが、見た目はなんの変哲もない封書であった。

 

 その封書には『  殿へ』と記されていた。

 

「⋯⋯誰宛なんだろう」

 

 御波は呟いた。状況で考えるならば、この封書は御波に宛てて送られた物だと推測できるが、それにしては受取人の名前すら記載されていない。

 

(違う人宛なら申し訳ないけど、中身を見させてもらおうかな)

 

 内容を見て知る人物ならば送り届け、違うなら人間界に戻ってIGOの職員に落とし物として届けよう。そう考えて御波は蝋印を外して中身の手紙を取り出して、記されていた内容に目を通した。

 

『異世界に存在する汝に告げる。その才能(ギフト)を試すことを望むのならば、己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、我らの〝箱庭〟に来られたし』

 

「はっ?」

 

 視界を埋め尽くす眩い光。地面が消失して浮遊感が御波を襲う。視界の機能を取り戻した御波は目を開いて周囲を見渡した。

 

 御波のいる位置は地上4000m。視界の遥か先に見えるのは断崖絶壁。眼下に見えるのは巨大な天幕に覆われた都市とその中に存在する数多の気配。真下には澄んだ湖がある。

 

 そして湖から少し上がった陸に、四つの人間と一つの猫と思わしき気配があった。

 

 御波は手紙の内容と、目の前の状況から推測する。

 知らない数多の気配に知らない景色。加えて手紙に書かれていた異世界という単語。

 

 此処は、正真正銘の異世界であると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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問題児たちとの出会い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、御三人様を箱庭の都市にご案内させていただくのですよ♪」

 

 鮮やかな青髪。上半身にバニーガールのような服装に、膝の中間ほどの丈の煽情的なスカートと黒のガーターベルト。頭に一対のウサ耳を生やした少女。

 黒ウサギは、人懐っこい笑みを眼前の三人──逆廻十六夜(さかまきいざよい)久遠飛鳥(くどうあすか)春日部耀(かすかべよう)へ向ける。

 

 金髪に前を開けた学ラン。首元にヘッドホンを付けた目付きの悪い少年が逆廻十六夜。

 

 長袖の白のブラウスに紺色のロングスカート。赤いリボンで長い黒髪を留めている少女が久遠飛鳥。

 

 白のスリーブレスのジャケットに茶のショートパンツ。三毛猫を抱えている茶髪の少女が春日部耀。

 

 この三人は自分の居た世界からこの箱庭の世界に召喚された者たちであった。

 飛鳥と耀は頷き、十六夜は黒ウサギに問いを投げた。

 

「おい、黒ウサギ」

「はいっ、何でございましょう?」

「箱庭の都市ってのは、此処から歩いてどれ位の距離なんだ?」

 

 十六夜の問いに黒ウサギは小首を傾げながらも答える。

 

「此処からですと歩いて10分も掛かりませんが⋯⋯何故その様なことを?」

「いや別に。湖に落ちて水浸しになった挙句に、長距離を歩かされたら堪ったもんじゃないと思ってな」

 

 チクリとした十六夜の物言いに黒ウサギはアハハ、と乾いた笑いを浮かべる。

 

 他の二人もそうだが、この逆廻十六夜という少年は中々に問題児といった雰囲気を醸し出している。

 黒ウサギが三人と出会って小一時間が経過していたが、その殆んどの時間は自慢のウサ耳を三人に弄ばれた時間であったのだ。

 

 機嫌を損ねようものなら、先程以上の悪ふざけが巻き起こる可能性も捨てきれない。

 黒ウサギがそんなことを思っていると、十六夜に同調するように飛鳥が言った。

 

「そうね。折角だから、その箱庭の都市とやらに着いたら少し落ち着きたいわ。都市と言うくらいなのだから、飲食店ぐらいはあるのでしょう?」

「YES! 箱庭の都市には飲食店も多数ございます。到着しましたら、箱庭の都市の説明も兼ねて休みましょうか。無論代金は黒ウサギの方でお支払いさせていただきますのでご安心ください!」

「そう、じゃあそうしてもらえるかしら」

「YES! それでは皆さん黒ウサギに付いてきてください!」

 

 そう言って踵を返す。話題が別に切り替わったのは僥倖であった。歩き出した黒ウサギに追随するように三人も歩き出そうとする。

 

「あの⋯⋯ちょっと待ってもらっても良いですか?」

『!?』

 

 上空から声が聞こえた。

 四人は一斉に振り向いた。その表情には驚愕、そして警戒が見て取れる。特に久遠飛鳥を除いた三人はそれが顕著であった。

 逆廻十六夜は警戒で。春日部耀は驚愕で。そして黒ウサギは両方が織り交じった表情で声の方角を見る。

 

(そんな⋯⋯〝主催者(ホスト)〟の方は、()()()()()()()()()()と言っていたのに!?)

 

 四人が見上げた空には一人の人間が佇んでいた。空を舞う翼もなく、風やエネルギーで滞空しているようにも見えない。まるで地面に立っているかのような立ち姿。

 

 濡れたような黒髪に黒を基調にした服装。中性的な白皙の美貌に微笑みを浮かべ、一人の人間が黒ウサギたちを見据えている。

 その人物は、上空から飛び降りるように地面に降り立ち、黒ウサギたちに語りかけた。

 

「驚かせてしまったならすいません。ボクの名前は御波。良ければ此処が何処なのかお聞かせいただけませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程⋯⋯」

 

 黒ウサギたちと邂逅してから十数分。

 箱庭の都市に向かいながら、御波は招待状に記されていた箱庭の世界についての説明を黒ウサギから受けていた。

 先頭は黒ウサギが歩き、その後ろを飛鳥と耀。その更に後ろを御波と十六夜が歩いていた。

 

「修羅神仏から存在から与えられた〝恩恵(ギフト)〟に、それを使ったギフトゲーム。そしてそれを行う為にはそのコミュニティに所属する必要があると⋯⋯」

「YES! その通りでございます!」

 

 御波は内心でほっ、と息を吐いた。

 黒ウサギたちから見た御波は背後から、それも上空から話しかけてきた不審な人物に見えていたに違いない。にも関わらず黒ウサギは朗らかに説明を行ってくれており、他の三人も快く付き合ってくれているのだ。

 

 一通りの説明を終えたのだろう。先頭に立つ黒ウサギは歩きながら御波に話しかけた。

 

「それにしても御波さんには驚きました。急に声が聞こえて振り返ったら、()()()()()()()んですもん!」

「確かにな。空を飛ぶ人間なんて俺も初めて見たぜ」

「そうね。あれは御波さんの〝恩恵〟なのかしら? 空を自由に飛べるだなんて羨ましいわ」

 

 御波の前方を歩く飛鳥が振り向いて問いかける。実際は違うのだが、態々それを訂正する必要はないだろう。

 

「ええ、そんなところです。⋯⋯うん?」

 

 御波は首を傾げる。飛鳥と共に前を歩いていた耀が御波の隣に下がってきたのだ。

 

「どうした春日部?」

「⋯⋯」

 

 十六夜が問いかける。無表情で分かりにくいが、耀は何処か興味ありげに御波を見つめている。何かを言おうとしているようだが、口を開きかけては閉じてを繰り返している。

 そんな耀に柔らかな笑みで御波は言う。

 

「ボクに答えられることなら、できるだけ答えますよ春日部耀さん」

「⋯⋯ありがとう。それとフルネームで呼ばずに春日部か耀で良いよ。敬語も別に無くていい」

「えっ?」

 

 御波は思わず呟く。御波には同年代の人間と会話した経験は乏しく、会話する相手の殆どは年上か年下であった。それ故に相手を呼び捨て、それも初対面の相手にするのは初めての経験であった。

 御波が返答に窮しているのはそれだけが理由ではなかったが、答えれずにいるのを見かねたのか十六夜が助け舟を出した。

 

「そうだな。俺はお前のことは呼び捨てだし、黒ウサギやお嬢様みたいに拘りがなければ呼び捨てや敬語は無しで良いぜ。前の二人はどうだ?」

「ええ、私は構わないわ」

「黒ウサギも大丈夫です!」

 

 全員問題ないようである。同年代と話す時はそんな感じでいいのかな? などと考えながら、御波は返答する。

 

「⋯⋯じゃあ、そうさせてもらうね。それで耀は何が聞きたいの?」

「⋯⋯御波がいた場所って何処だったの?」

「⋯⋯質問を質問で返してごめんね。黒ウサギ以外の三人の前半に付いてる単語って名前で合ってるかな? ボクのいたところでは一つの単語で表せる名前が殆んどだったから、耀たちの名前は馴染みがないんだ」

「そうなんだ? 私で言えば春日部が苗字で、十六夜と飛鳥なら逆廻と久遠が苗字だけど」

「成る程ね。⋯⋯ありがとう」

 

(苗字⋯⋯ボクが知らないだけで、人間界にはそういった文化の地域があるのかな?)

 

 言い知れぬ違和感を覚えた御波だったが、二度も耀の問いを返す訳にはいかない。違和感を気のせいだと割り切って耀の問いに答えた。

 

「ボクはグルメ界に食材の捕獲に出ていて、その途中にこの箱庭の世界に呼び出されたんだよ⋯⋯どうしたの四人とも?」

 

 御波は足を止める。四人はまるで御波が奇妙なことを言ったかのような表情で足を止めていたからだ。

 御波は先程の言葉に可笑しな部分があったのか思案する。だが、御波には四人が不可解な顔をする理由に検討がつかなかった。

 耀は小首を傾げながら言った。

 

「ごめん御波⋯⋯グルメ界って何処のこと? 何処かの国の名前かな?」

「⋯⋯えっ?」

 

 今度は御波が言葉を失う番だった。グルメ界の名前は一般常識とされる程に世間に認知されている名称なのだが、耀はそれを知らないと言うのだ。

 反応を鑑みるに他の三人も同様だろう。耀に続いて十六夜たちも疑問を口にする。

 

「俺もグルメ界っていう国や地域は聞いたことがねえな⋯⋯お嬢様はどうだ?」

「私も無いわ。黒ウサギはどうかしら?」

「うーん⋯⋯黒ウサギにも御波さんの言うグルメ界が何か分からないのですよ。箱庭でも聞いたことがありません」

「成る程な⋯⋯御波、お前は日本やアメリカといった名前を聞いたことはあるか?」

 

 十六夜は御波へ問いかける。御波は聞いたことがないか思い返すが、思い当たる節はない。

 十六夜が敢えてその二つを選んだということは、十六夜にとって馴染みのあるものなのだろう。数秒の思案でも思い当たらなかった御波は十六夜に問いを返す。

 

「その二つの名前は初めて聞いたよ。何の名前なの?」

「国の名前さ。御波、お前が暮らしていた国や地域の名前を聞いてもいいか?」

「⋯⋯ボクが暮らしていた場所の総称は、人間界と呼ばれていたよ」

 

 四人の反応は芳しくない。グルメ界と同じく、聞いたことのない単語だったのだろう。

 

(そういうことか⋯⋯)

 

 四人の反応で、御波は先程の違和感の正体に気付く。十六夜も気付いたのだろう。その顔には随分と楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 

「ヤハハ、通りで話が嚙み合わないわけだ」

「十六夜さんは分かったのでございますか?」

「ああ。⋯⋯御波のいた世界と俺たちがいた世界がまるで別物だってことがな」

 

 十六夜は愉快そうに御波を見る。

 名前の遣り取りの時から違和感はあったが、これ程までに齟齬があるのなら二人の推測は間違っていないのだろう。

 

 

「まあ僕としてはどちらでも構わないけどね」

「そうか? 俺としては、お前のいた世界に興味が尽きねぇけどな」

「それは私も気になるわね。私たちがいた世界とどれだけ違うのかもそうだけれど、そのグルメ界の話はとても気になるわ」

「そっか⋯⋯御波から変わった匂いがしたのはそのグルメ界が原因だったんだね」

「⋯⋯そ、そんな変な匂いするかな?」

 

 御波は頬を引き攣らせる。変わった匂いという表現は、少なくとも誉め言葉ではないだろう。

 余りにも予想外の言葉に御波が次の言葉を発せずにいると、それを見た耀は慌てたように訂正する。

 

「ち、違うよ。そういう意味で言ったんじゃなくて、私が御波に話しかけたのは、御波からそのグルメ界? の環境の匂いが少ししたからなんだ。それが何なのか気になってたんだけど⋯⋯ごめんね、悪い意味じゃないんだ」

「なんだぁ、それなら良かった⋯⋯」

 

 安堵した表情を見せる御波。異世界で出会った同年代にそんな言葉を言われたら、ショックを受ける処ではなかった。

 

「⋯⋯」

 

 そんな遣り取りをしていた御波たち他所に、黒ウサギは地面に視線を落として何かを思案している。天真爛漫とした態度を常としていた彼女が眉を潜めて唸る姿を訝しみながら御波は問いかけた。

 

 

「どうしたの黒ウサギ?」

「⋯⋯あっ! も、申し訳ございません!」

 

 気を取り直したように笑みを浮かべた黒ウサギ。彼女は踵を返して元気に右腕を空に突き出した。

 

「それでは改めて、箱庭の都市に向かうといたしましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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問題児の脱走

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこうなったのか。

 

 御波は天を仰ぐ。

 憂鬱とした心情とは真逆の澄み渡った青空と優しく照り付ける太陽。

 肌を伝うのは眠くなるほどに柔らかな微風。大河の爽やかな流水の音が耳に心地良い。

 

 御波は視線を下げる。視線の先に映るのは愉快そうに口角を上げる逆廻十六夜だった。

 

「まぁ災難というか何というか⋯⋯気にすんなよ御波」

 

 そう言う彼の表情は依然楽しそうである。十六夜に物申したい気持ちはあるが、それを飲み込んで御波は大河に視線を向ける。

 十六夜よりも、視線の先に映る生物が御波の心労の原因であった。

 

 10mに近い巨躯の白い大蛇。それが視線の先の水面に沈んでいたのだ。

 

(⋯⋯どうしよう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ御波。黒ウサギには内緒で一緒に世界の果てを見に行かねぇか?」

「⋯⋯えっ?」

 

 隣を歩く十六夜からの提案に御波は驚きの声を漏らした。

 

 世界の果てとは、召喚された際に上空から見えた断崖絶壁のことだろう。

 しかし、箱庭の都市へ向かい更に詳しい説明を受けようとしている状況でその提案を受けるとは思わなかった。

 御波の疑問を込めた視線が十六夜に注がれる。それを予測していたように十六夜は軽薄な笑みで言う。

 

「黒ウサギはさっきから考え事をしていてこっちを気にしてる様子はない。俺たちが世界の果てに行くなら今しかないと思ってな。それに⋯⋯お前も黒ウサギが何か肝心なことを隠してるのに気付いてるんだろ?」

「⋯⋯」

 

 沈黙は肯定である。少なくとも御波は十六夜の言葉を否定しなかった。

 それを受けて十六夜は更に続ける。

 

「俺たちが此処から離れれば、俺たちをコミュニティに加入させたい黒ウサギは俺たちを追ってくるだろう。そこでアイツの隠し事を聞かせて貰おうと思ってな。まぁ世界の果てを見たいのも本音なんだけどな」

「そっか⋯⋯」

 

 御波は先頭を歩く黒ウサギを見る。

 出会って僅かであるが黒ウサギの人格は善良そのものだと御波は判断していた。

 だが、如何に善人。仮に聖人だとしても隠し事をしている人物を無条件に信じることはできない。

 

 此処は異世界であり、御波たちは何も知らない異邦人だ。対して黒ウサギはこの世界に深い知見があるだろう。黒ウサギがその気になれば、情報を偏らせて印象を操作することなど容易い。

 その考えが十六夜にもあるのだろう。御波は十六夜の提案に頷いた。

 

「分かった。ボクは十六夜と一緒に行くよ」

「よしっ、それならお嬢様と春日部にも聞いてくるぜ」

 

 十六夜は前方の二人に近寄り小声で話しかける。その時間は十数秒ほどで終わり、十六夜は肩を竦めて隣に戻ってくる。

 

「二人は世界の果てには興味がないんだとよ」

「じゃあ、ボクたちは世界の果てに向かおうか」

「ああ⋯⋯ところで御波。お前さっき空を飛んでたが、走りには自信があるか?」

「うーん⋯⋯ボクの世界なら上から数えた方が早いぐらいには走れると思うよ」

「へぇ? なら問題なさそうだな」

 

 二人は立ち止まり黒ウサギたちに背を向ける。

 

「じゃあ行くか」

「うん⋯⋯お先にどうぞ」

 

 御波は先頭を十六夜に譲る。それを受けて、十六夜は挑発的な笑みで御波を見る。

 その笑みは、置いていかれるなよ? という彼の声が聞こえてきそうであった。

 

「じゃあお言葉に甘えて⋯⋯」

 

 さながら疾風の如き速度で十六夜が走り出す。

 

 その速度に御波は目を見張る。明らかに軽い走り出しだったがそれでこの速度である。

 黒ウサギに気付かれないように走り出したことを加味すれば、欠片も本気を出していないだろう。

 あの速度での疾走を可能とする人間は、御波の世界でも多くはなかった。

 

(箱庭の世界には他にもこんな人が沢山いるのかな? それこそ黒ウサギたちも⋯⋯凄いな箱庭の世界って)

 

 感心してばかりもいられない。既に十六夜の気配は遥か先にある。

 御波も黒ウサギに悟られぬように御波も駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ついてこねぇ⋯⋯流石に速すぎたか?)

 

 逆廻十六夜は胸中で呟いた。世界の果てへ疾走する彼の速度は既に亜音速の域に達している。

 森林に住まう獣や鳥類は逃げ出し、草木は大きく靡いている。

 通常の人体では亜音速の衝撃と大気の壁に耐えることはできない筈だが、逆廻十六夜も修羅神仏が集う箱庭に召喚された者ということなのだろう。

 その表情は涼し気で、彼の全速力はこの程度ではないことを如実に示していた。

 

(足には自信があるとは言ってたが⋯⋯あいつは空も飛べるみたいだし少し待つか?)

 

 共に召喚された久遠飛鳥と春日部耀。そして三人を待ち受けていた黒ウサギ。

 御波との邂逅はそれから一刻程後の出来事であった。

 

 その容姿、纏う雰囲気は天空から舞い降りた黒の天使の如く。

 十六夜の母国、日本でも見たことのない程に美しい黒の御髪に、透き通るような白い肌。中性的な美貌が神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 十六夜──他の三人にも気配を悟らせることなく背後を取り、上空から語り掛けてきた御波の容姿は警戒して振り返った四人が一瞬目を奪われる程であった。

 

 だが、十六夜の興味を何より引いたのはその容姿でも飛行能力でもなく御波の出自だった。

 

 十六夜の知識にないグルメ界という土地。食材の捕獲とはそのグルメ界に自生する食物、もしくは野生の獣を狩ることを意味しているのだろう。

 御波が住むという人間界。言葉通りなら人類の生存圏だと推測できるが、グルメ界はその外に存在する場所ということだ。

 

(御波と俺の世界で科学技術の差がどれだけあるかは分からねぇが、服装的にはそれほど離れていなさそうに見える。そんな科学技術を持つ人類でも生存圏にできないのがグルメ界の筈だ。そんな場所に乗り込んで何かしらを捕獲、帰還できる奴が見た目通りの訳がねぇ)

 

「⋯⋯とはいえ速すぎたよな。仕方ねぇ御波を」

「──ボクがどうかしたの?」

「なっ⋯⋯!?」

 

 急停止をして旋回する。其処には、先程まで胸中で話題としていた御波の姿があった。

 頭の上に? が見える表情で小首を傾げるその姿は、幼さと美しさを両立させる相貌と小柄な体躯もあって見る者に微笑ましさすら与えるだろう。

 

 一度ならず二度も気配を感じ取れず、今回に至っては真後ろにいた御波の接近に気付けなかったのだ。その事実に、十六夜は背中に汗が伝うのを感じる。

 

「ヤハハ⋯⋯お前、いつから俺の後ろを走ってたんだ?」

「えっ? ついさっき追い付いたところだよ。十六夜ってば凄い速く走れるんだね! 同年代でこんなに速い人初めて見たよっ!」

 

 嬉しそうな笑みで褒める御波だが、十六夜はそれどころではない。

 

(マジかよ⋯⋯! 追い付くだけならまだしも、気配が感じられなかっただと。こいつどんな手品を使ってやがる!)

 

 気を抜いていなどいなかった。どころか御波を拾いに行こうと背後を意識していたにも関わらず気付けなかったのだ。

 十六夜は戦慄と共に御波を見るが、彼の心境を知る由もない御波は十六夜に笑いかける。

 

「世界の果てに行くんだよね? 黒ウサギが追い付く前に早くいこっ!」

「⋯⋯」

 

 柔和なその笑みに肩の力が抜ける。御波も世界の果てが気になるようだった。

 

「⋯⋯そうだな。早いとこ世界の果てを拝ませてもらおうかね。御波、さっきよりも速度を上げるが構わないよな?」

「うん、大丈夫だよ」

「ヤハハ! じゃあ、行くぜっ!」

 

 地面を蹴って疾走する。初速から音速を超えて更に加速した十六夜は背後をチラリと見るが、御波は難なく追随している。

 

(顔色一つ変えねぇか。面白れぇ!)

 

 十六夜は歓喜の笑みを浮かべる。彼の胸中には、これからの箱庭における生活への期待しか存在していなかった。

 箱庭に召喚されて早々、自身を戦慄させる存在に出会えたのだ。

 飛鳥や耀、そして黒ウサギの存在。そして、箱庭の世界に存在するという修羅神仏たち。退屈に満ちていた逆廻十六夜の人生を潤して余りある出来事がこれから数多とあるのだと。

 そんな高揚と共に、十六夜は世界の果てへと疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十六夜に追随すること暫く。御波の視界の景色は一変した。

 日の光を遮る程に生い茂っていた森林を抜けて、御波たちが辿り着いたのは大河の岸辺だった。

 大河を流れる水の勢いは緩やかで耳に心地良い。人の世俗とは無縁の川の水は澄み渡り、見る者の心も洗うような清らかさだ。

 

「へぇ、中々良い景色だな。これなら世界の果ても期待できそうだ」

「そうだね⋯⋯でもその前に、其処の人? に話を通した方が良いかも」

「あん?」

 

 御波と十六夜は水面を見る。聞こえてくるのは威厳と気品を感じる響くような声音だった。

 

『ほう? 我の存在を感じるか、人の子よ』

 

 水面が揺れる。揺れは瞬く間に大きくなり、その震動は大河の水を溢れさせ岸辺を濡らす。そしてその声、震動の主はその姿を現した。

 

 10m近い巨躯の白い大蛇。その鱗には首から尻尾にかけて金の二重螺旋の紋様が刻まれている。その威容には何処か気品すら漂っている。

 人語を解する点と箱庭の世界であること。世界の果てを守護するように御波たちの前に現れたこと。そして威厳のある振る舞いを踏まえると、目の前の大蛇は高貴な存在なのかもしれない。

 

 大蛇は、自身と比べて遥かに小さな体躯の御波と十六夜を睥睨する。

 

『先程の会話、聞かせて貰ったぞ人の子らよ。この先にある世界の果て、そしてトリトニスの大滝を見たいのならば我が提示する試練を選び、それを乗り越えて見せよっ!』

「へぇ⋯⋯偉そうに言ってくれるじゃねぇか」

 

 大蛇からの挑発を受けた十六夜は獰猛な笑みで前に出る。そんな血の気の多い十六夜に御波は慌てて待ったをかけた。

 

「ちょ、ちょっと待って十六夜っ!」

 

 あん? と十六夜は視線を御波に向ける。静止を受けるとは思わなかったのか、表情には戸惑いが見て取れた。

 この世界に来て初めての汗を額に滲ませながら御波は頼み込んだ。

 

「少しだけ、ボクに話をさせて貰っても良いかな?」

「⋯⋯はぁ、良いぜ好きにしろよ。但しそんなに待たねえぞ」

「⋯⋯! ありがとう十六夜!」

 

 折れてくれた十六夜に感謝を告げて、御波は大蛇と向き合った。

 

「あの、初めまして! ボクの名前は御波と言います!」

『むっ?』

 

 突然の挨拶に大蛇は目を丸くする。試練を選ばせようとする発言の通り、試練を選ぶまでは向こうから襲い掛かるということは無さそうであった。

 

「貴方の言う通り、ボクたちは世界の果てを見に来ただけなんです! 少しだけで良いんです。どうか貴方の寛大な心で僅かのお目溢しを頂けませんか!?」

『⋯⋯』

 

 大蛇へ訴えかける。訴えかけなければならない理由がある。人語を解するならば、御波たちの態度次第では争うことなく場を収めれるかもしれない。

 そんな希望を抱きながら、御波は目を逸らすことなく大蛇と対峙する。そんな御波の態度に感じ入るものがあったのか大蛇は思案している。

 

 背後で十六夜が痺れを切らしそうな気配を感じる。急がなければと御波は声を上げた。

 

「どうか、見逃しては頂けませんか!」

 

 大蛇は瞼を閉じる。嘆願が通じたのかもしれないと、御波は頬を僅かに緩める。

 だが、瞼を開いた大蛇は諭すように。しかし、御波の予想とは的外れな言葉を紡いだ。

 

『後ろの小僧の身を案じ、我の前に立つ其方の気持ちは⋯⋯確かに理解した』

「⋯⋯へっ?」

『その矮小で非力な身でありながら、好いた者のために水神の眷属たる我に立ち向かうその気概⋯⋯好ましくはある』

「えっと、あの⋯⋯」

『しかし、其方にその小僧の身を守りたい理由があるように、我にも此処を退けぬ理由がある! 故に其方の言葉は受けいれることはできん!』

「あの⋯⋯そういう意味ではなくt」

『分かったならば其処を退け。貴様の小僧を想う気持ちと我の前に立ったその勇気に免じて、その小僧を大きく傷付けることはせんと誓おう』

「⋯⋯」

 

 唖然とした御波の肩にそっと十六夜の手が置かれる。優し気な仕草で肩に手を置いた十六夜に御波は振り向く。

 

 御波を憐れむような。どこか笑いを堪えているようにも見えるのは気の所為だろうか。

 いや、よく見ると肩が微かに震えている。気の所為ではないようだ。

 

 肩を落として御波は後ろに下がる。その頬は微かに赤らんでいた。

 

「ま、まぁ気にするなよ御波⋯⋯あの蛇がかっ、勝手に勘違いしただけだ。お、お前はゆっくり後ろで待ってろよ⋯⋯」

「⋯⋯」

 

 出会ってから一番楽しそうな笑みで声を震わせる十六夜。今の彼に何を言っても揶揄われるのは明らかだった。御波は気恥ずかしさや訂正したい思いなど、複雑な感情を込めて十六夜に視線を向ける。そんな視線などどこ吹く風と言わんばかりに、十六夜は大蛇と向かい合った。

 

『覚悟はできたか小僧?』

「クッ⋯⋯ああ。お前をぶちのめして、さっさと世界の果てを拝ませてもらうぜ」

『フンッ、威勢だけは良いようだな! 貴様に試練を選ばせてやる。力、知恵、勇気の中で好きなものを選ぶがよい』

「ハッ、試練を選ばせてやるだと。まずはお前が俺を試せるのか試させて貰おうじゃねえか! かかってこいよ、蛇ヤロウ!」

『⋯⋯後悔するなよ、小僧!』

 

 大蛇の周囲に大量の水が出現する。

 その出所は足元の大河からだ。其処から巻き上げられた水は大蛇の身の丈の半分ほどの大きさとなって水柱を形成していく。

 竜巻のように渦を巻く水柱は木々や岩を容易く粉砕する威力を内包しているだろう。

 

『自分の浅慮を恨むがいい! 小──』

 

 十六夜が大蛇に向かって第二宇宙速度で跳躍する。

 

 十六夜を迎え撃つ大蛇の反応は緩慢としている。動体視力が追い付いていないのか、それとも侮っていたのか。その動きは十六夜の姿を捉えていなかった。

 そんな大蛇の辿る末路は一つしかない。十六夜の拳が無防備な大蛇の腹部を捉える。

 

『ガッ⋯⋯!?』

 

 水面に崩れ落ちる白い巨躯。衝撃は大河を氾濫させ、大地に地響きを齎した。大蛇が周囲に展開させていた水柱は制御を失い明後日の方角へ進行する。水柱は周囲の木々や岩を巻き込みその姿を無残なものに変えた後に姿を消した。

 

 十六夜の一撃を受けた大蛇は立ち上がる素振りがない。気絶しているのは火を見るよりも明らかであった。

 尋常ならざる身体能力を目の当たりにした御波に感慨はない。十六夜の疾走を考慮すれば、この程度の動きは可能だろうと予測を立てていた。

 

 自分の予測が的中してしまった御波は、

 

「やっぱりこうなった⋯⋯」

 

 天を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ノーネーム

 

 

 

 

 

 

 大河に沈んで動く気配のない大蛇と軽薄な笑みで御波を見る十六夜。

 両者を視界に収めながら御波は憂鬱げな溜息を吐いた。

 

(十六夜はともかく⋯⋯この大蛇さんを放置する訳にもいかないよね)

 

 試練と評して襲い掛かってきた大蛇を助ける義理など御波にはなく、見捨てたとしても責められる謂れはないだろう。だが、人語を話す生物が気絶しているのを放置できるほど御波は冷淡ではなかった。

 

 御波は大河に倒れている大蛇に近付いていく。水面を事も無しげに歩くその姿に十六夜は目を見開いた。

 

「へぇ、流れる水の上を歩けんのかよ。てか何する気だ? さっさと世界の果てに向かおうぜ」

「もう、この大蛇さんを放置していったら可哀想でしょ?」

 

 あまりにも慈悲の無い言葉に苦笑する。大蛇の傍まで歩いた御波はコートの内側に取り付けたホルスターに手を伸ばす。

 そこから取り出したのは一振りの包丁だった。その包丁に十六夜は感嘆の声を上げた。

 

「⋯⋯おいおい、どんな材料使ってんだ? そんな綺麗な包丁初めて見たぞ⋯⋯」

 

 日の光を受けて白銀に煌めく刃。形は一般的な包丁と差異はなく装飾なども一切ない。

 だが、鋳造した職人の技巧が優れているのか、それとも使用された素材故なのか。

 光輝く刀身は見る者を惹きつけるような迫力と美しさを放っていた。

 

「これ? これは祖父が若い頃に手に入れたある猛獣の牙から作成された包丁だよ」

「成る程な⋯⋯それはそうとその包丁でどうするんだ?」

「まあ見てて。すぐに終わるから」

 

 そう言って大蛇の傷を確認する。打撲のみで出血は見られず、呼吸も正常であるため命に別状は無さそうである。

 出血をしていないのは遠くからでも確認できたが、内臓も傷つかず打撲のみで済んでいたのは驚きだった。

 

(この大蛇さん結構タフだな。これなら食材がなくても十分な回復が見込めそう⋯⋯)

 

 ──暗技

 

 一瞬の内に包丁を振るう。大蛇の細胞を傷付けることなく細胞の隙間に通された包丁の回数は二桁に届く。

 傍から見れば変化はないが、御波の目には傷ついた箇所が急速に再生するのが見えた。

 

(これでよしっ。目を覚ましたら痛みもなく動ける筈。それに⋯⋯)

 

 この場へ高速で接近する気配を感じながら、包丁を収めた御波は十六夜の立つ岸辺まで跳躍する。

 

「ヤハハ、大した早業じゃねえか! さっきの包丁を使ってあの蛇に何したんだよ?」

「今のは──」

「ようやく見つけたのですよ、問題児お二人様!」

 

 森林から聞こえた声に視線を向ける。そこから跳び出してきたのは、緋色に髪を染めた黒ウサギ。

 此処に来る前は明るい笑みを絶やさなかった彼女は何処へ行ってしまったのか。今は誰が見ても怒っていると分かる表情を浮かべている。

 

 それが見えていない訳ではないだろうが、十六夜は世間話をするかのような声音で黒ウサギに問いかけた。

 

「あれ、お前黒ウサギか? どうしたんだその髪の色」

「⋯⋯そんなことはどうでも良いのです。や、やっと見つけたのですよお二人とも!!」

 

 まさに怒髪天を衝くような迫力で黒ウサギは叫ぶが、気にした様子のない十六夜は肩を竦めた。

 

「まあそんなに怒んなよ⋯⋯それにしてもいい脚だな。道草食ってたとはいえこんなに早く追い付かれるとは思わなかった」

「当然です! 黒ウサギは月の兎の末裔にして〝箱庭の貴族〟と呼ばれる種族なのですから。ってそれよりもお二人ともご無事で良かったです! お怪我はございませんか!?」

 

 二人の姿を上から下まで見る黒ウサギ。つい先程までは怒り心頭といった様子だったが、それは御波たちの身を案じていた故のものであったようだ。

 どんな原理かは不明だが、髪の色も元に戻っている。

 

「そんな柔な体してねえから心配すんなよ」

「心配掛けちゃってごめんね黒ウサギ」

「まったくですっ。十六夜さんはともかく、御波さんは黒ウサギと同じ常識人だと思っていたのに!」

「アハハ⋯⋯ごめんね」

 

 どうやら本当に心配を掛けたらしい。それを知って謝らない程、御波の我は強くなかった。

 

「それと⋯⋯あの大蛇さんを十六夜が殴り飛ばしちゃったんだけど、あれってどうなるのかな?」

「えっ?」

 

 御波が指差す。先を追った黒ウサギは驚愕に表情を歪めた。御波たちに気を取られ、大蛇の姿は視界に入っていなかったようだ。

 

「あ、あれは蛇神!? ど、どういうことですか十六夜さん!」

「別に。随分と偉そうに試練を選べとか言ってくれたから、俺を試せるか試させてもらったのさ。結果は期待外れだったけどな」

「⋯⋯」

 

 御波は神様だったらしい蛇神を見る。

 意気揚々と目の前に現れ、威厳ありげに御波達に試練を提示した姿は神と呼ばれるに相応しいものだったが、十六夜に一撃で倒された今やその面影はない。 

 だが、十六夜の言葉に反応したのか蛇神の巨躯が動き声が聞こえた。

 

『ちょ⋯⋯調子に乗るなよ、小僧!!』

 

 勢いよく起き上がった蛇神。治療を施しはしたが、気絶した状態から短時間で意識を取り戻したのは御波とって予想外だった。

 再起を果たしたのは蛇神の頑強さ故だろう。そんな蛇神は怒りの形相で十六夜を凝視している。

 

 人間である十六夜に一撃で倒され、挙句に期待外れとまで言われたのだ。神の名を冠する存在が怒りに震えるのも無理からぬ話なのかもしれない。

 睨み殺せそうな視線を受けた十六夜は、興味が無くなったのか蛇神に目線しか向けていなかった。

 

「なんだお前、また俺に沈められたくて起きてきたのか?」

『貴様⋯⋯! 図に乗るなよ人間。先程は油断したが、もう手加減はせん。全力で相手をしてやる!』

 

 十六夜の不遜な物言いに蛇神は総身を震わせる。蛇神が人間であったならその顔色は真っ赤に染まっていただろう。

 黒ウサギは十六夜を庇うように前に出た。

 

「い、十六夜さん下がってください! 此処は黒ウサギがどうにかします!」

「あ? 馬鹿言ってんじゃねえよ黒ウサギ。これは奴が売って俺が買った喧嘩だ。お前の方こそ下がってな」

「十六夜なら大丈夫だよ黒ウサギ」

「み、御波さんまで⋯⋯」

 

 更に前に出た十六夜を黒ウサギは不安げに見つめる。十六夜の言葉に侮辱されたと感じたのか蛇神は怒声を上げた。

 

『後悔するなよ小僧!』

 

 蛇神が大河の水を巻き上げて複数の水柱を形成する。

 先程は身の丈の半分程だったが、今形成された水柱は蛇神と同等の大きさだ。可視化される程に激しく渦を巻き、竜巻にも等しい風圧を発生させている。

 先程とは比較にならないその力。手加減していたのは嘘ではないようだ。

 

 神の名を冠するに相応しいその力に、十六夜は不敵な笑みを浮かべた。

 

「なんだよ、やればできるじゃねえかよ」

『フンッ⋯⋯先程見せた実力とその不遜な態度に免じて、この一撃を凌げば今度こそ貴様の勝利を認めてやろう』

「ハッ、寝言はもう一度寝てから言うんだな。決闘は勝者が決まって終わるんじゃない。敗者を決めて終わるんだよ!」

 

 言外に敗者は蛇神であると十六夜は告げる。その物言いに黒ウサギは唖然としているが、御波は無言で事の趨勢を見守る。

 天災に等しい現象を起こす蛇神と、人間の尺度に収まらない身体能力の十六夜がどんな闘いを繰り広げるのか。

 

 十六夜の啖呵に蛇神は鼻を鳴らし攻撃を繰り出した。

 

『その戯言が貴様の最期だ!』

 

 水柱が蛇神の体躯よりも更に巨大化する。水柱は生き物のように唸り高速で十六夜に殺到する。

 

 泰然と立つ十六夜はその激流を、

 

「──ハッ、しゃらくせえ!!」

 

 腕の一振りで薙ぎ払った。

 

「嘘っ!?」

『馬鹿な!?』

 

 驚愕の声が黒ウサギと蛇神から上がる。

 渾身の一撃だったのだろう。それを粉砕され、放心したように固まる蛇神の隙を見逃さず十六夜は第三宇宙速度で跳躍する。

 

「期待外れは撤回してやる。中々だったぜ、お前!」

 

 跳躍の勢いを乗せた蹴りが蛇神の胴体を直撃する。天高く打ち上げられた蛇神は重力に従って大河に落下した。

 大河が氾濫し、その水流は森林まで届く勢いだ。御波と黒ウサギは跳躍して離れることで水に飲み込まれるのを回避したが、蛇神に跳躍した十六夜はそうもいかない。

 

 全身を濡らしながら岸辺に上がった十六夜は服を絞りながら呟いた。

 

「たくっ、今日はよく濡れる日だ」

「お疲れ様十六夜」

「おう、ちゃんとあの勘違い蛇を吹っ飛ばしてやったぜ」

「そのことは忘れてほしいな⋯⋯」

「気が向いたらな」

「⋯⋯」

 

 黒ウサギは目の前の現実が信じられないのか、十六夜を見て呆然としている。

 見た目は普通の人間である筈の十六夜が天災の如き蛇神を真正面から倒したのだ。驚くのも無理はないのかもしれない。

 そんな黒ウサギに十六夜はそっと近付く。

 

「おい、どうした黒ウサギ? ボケっとしてるとそのウサ耳でまた遊ぶぞ?」

「えっ!? ⋯⋯こ、このお馬鹿様! 一度ならず二度までも黒ウサギのウサ耳は好きにさせないのですよ!」

「なんだよ、別に減るもんじゃねえし良いじゃねえか」

「黒ウサギも嫌がってるし、その辺りにしてあげたら?」

「み、御波しゃん⋯⋯」

 

 感動したように黒ウサギは御波を見る。余程嬉しかったのかその瞳は潤んでいるようにすら見える。御波が出会う前の一時間で苦労したのだろう。

 小声で、やはり御波さんは常識人なのですよ、などと呟いている。

 

 そんな黒ウサギに苦笑しながら、御波は黒ウサギに問う。

 

「ねえ黒ウサギ、さっきも聞いたんだけど、十六夜が倒したあの蛇神さんってそのままで良いの?」

「そ、そうでした。神仏とのギフトゲームは基本的に力と知恵、そして勇気のどれかが試されるんですが、力の時は相応の相手が用意されるのが通例なのです。ですが、十六夜さんが倒したのは蛇神様ご本人なので凄い〝恩恵〟が貰える筈ですよ! 早速蛇神様に〝恩恵〟を貰いに行きましょ──」

「待てよ黒ウサギ」

 

 喜びを滲ませた黒ウサギの言葉を冷たい声音で遮ったのは十六夜だった。

 

 態度を軽薄なものから一転させた十六夜を黒ウサギは戸惑いと共に見る。

 

「ど、どうされましたか十六夜さん。そんな怖い顔をされて」

「あの蛇から〝恩恵〟を貰う前に、お前に聞きたいことがあるんだよ。御波もそうだよな?」

「み、御波さんもでございますか?」

「⋯⋯うん、ボクも聞いておきたいな」

 

 御波と十六夜の視線を受けて、黒ウサギの表情が硬くなる。十六夜は黒ウサギのウサ耳を触ろうとしていた時の軽薄な笑みを消して黒ウサギに問いかけた。

 

「お前⋯⋯俺たちに決定的なことを隠してるよな?」

 

 静寂な空気が三人を包む。黒ウサギは表情を動かさない。天神爛漫とした彼女のその反応が却って不自然に感じられた。

 黒ウサギは表情も声音も乱すことなく嘯いた。

 

「なんのことでしょう? 黒ウサギは皆様に隠し事などしておりませんが」

「ああ、遠回しだったか? なら率直に聞くぜ。どうして黒ウサギは俺たちを呼び出す必要があったんだ?」

「それは、十六夜さんたちのような〝恩恵〟を持つ方々に箱庭の世界を楽しんでいただこうかと思いまして」

「確かにな。俺も最初は黒ウサギの好意か、誰かの道楽で呼び出されたのかと思ってたさ。でも、それにしては黒ウサギの俺たちへの態度は必死に見える」

「⋯⋯」

「これは俺の勘だが、黒ウサギのコミュニティは弱小か、それとも衰退したコミュニティなんじゃないのか? そして俺たちはコミュニティを盛り上げるために呼び出された助っ人⋯⋯違うか?」

「っ⋯⋯!」

 

 沈黙が答えだった。十六夜の推測に黒ウサギは反論の言葉を用意できずにいる。素の性格が隠し事に向いていないのだろう。

 そんな黒ウサギに痺れを切らしたのか十六夜は肩を竦めて言う。

 

「話さないならそれでもいいぜ。俺たちは他のコミュニティに行くだけだ」

「⋯⋯話せば、協力していただけますか?」

「俺に関しては、面白ければな」

「⋯⋯分かりました」

 

 これ以上の隠し事は不可能と判断したのだろう。黒ウサギは肩を落とし、自身のコミュニティの現状を語り出した。

 

「私たちのコミュニティには、所属を示す〝名〟とテリトリーを表す〝旗印〟がありません。〝名〟の存在しないコミュニティは〝ノーネーム〟呼ばれその他大勢といった扱いを受けます」 

「それで?」

「加えて中核を担っていた仲間は一人も残っていません。コミュニティ総勢122人中、ギフトゲームに参加できる〝恩恵〟を持っているのは黒ウサギとジン坊ちゃんだけで、後は10歳以下の子供ばかりなのです」 

「もう崖っぷちだな!」

「よくコミュニティが存続できてるね」

「ホントですねー♪」

 

 膝から崩れ落ち、地面に両手を付く黒ウサギ。コミュニティの惨状を語る程に、彼女の笑みが哀愁を漂わせた。

 そんな黒ウサギに反応を見せることなく、十六夜は淡々と黒ウサギに質問を投げかけていく。

 

「にしても、黒ウサギのコミュニティはどうしてそんな事態に陥ったんだ?」

「我々は全てを奪われたのです。箱庭に蔓延る天災──魔王によって」

 

 魔王。黒ウサギが発したその単語に十六夜は淡々とした表情を一変させた。

 

「ま、魔王!? 箱庭にはそんな素敵ネーミングで呼ばれる奴がいるのかよ!」

 

 まるで新しい玩具を見つけた子供のように瞳を輝かせた十六夜に気圧されながらも、黒ウサギは言葉を続けていく。

 

「え、ええ。しかし十六夜さんの想像する魔王とは差異があるかと。魔王は〝主催者権限(ホストマスター)〟というギフトゲームを強制させる特権を悪用する修羅神仏の総称なのです」

「そうなのか? でも魔王なんて呼ばれる奴なら、目一杯ぶっ潰しても文句を言われるどころか、感謝されるような奴ばかりなんだろ?」

「確かに、倒せば各方面から感謝されるでしょうけど⋯⋯」

「その〝主催者権限(ホストマスター)〟で挑まれたゲームは、攻略するしか乗り切る方法はないの黒ウサギ?」

「ありません。魔王にギフトゲームを挑まれたが最後、そのゲームをクリアするか魔王に全てを奪われるかの二択しかありません」

「成る程な⋯⋯しかし、魔王に名と旗印を奪われて困ってるなら、新しく作ったりはできないのか?」

「可能です。しかし、改名はコミュニティの完全な解散を意味します⋯⋯ですが、私たちは何よりも⋯⋯嘗ての仲間たちが帰ってくる場所を守りたいのです!」

 

 黒ウサギは毅然と告げた。隠し事を看破され言葉に窮していた彼女と同一人物かと疑いたくなる程に力強い言葉だ。

 これが黒ウサギの偽らざる本音なのだろう。黒ウサギは御波と十六夜へ頭を下げた。

 

「都合の良いことを言っているのは分かっています! しかし、黒ウサギたちには皆様のお力添えが必要なのです! どうか、どうか黒ウサギたちのコミュニティに加入していただけませんか!?」

 

 その言葉には、万感の思いが籠められている気がした。

 十六夜は目を閉じ腕を組んで考え込んでいる。御波も決断を下さなければならないだろう。黒ウサギの頼みを承諾するのか、それとも拒否するのか。

 

 暫くの沈黙の後、目を開いた十六夜は、

 

「いいな、それ」

「えっ⋯⋯?」

 

 黒ウサギの願いを快諾した。

 頭を上げ、呆然と立ち尽くす黒ウサギ。そんな黒ウサギの態度が気に入らなかったのか、十六夜は意地が悪そうに笑う。

 

「なんだよ。俺が加入するのは不服か? それなら他のコミュニティに行くが」

「い、いえそんなことはありません! 是非、是非黒ウサギ達のコミュニティに加入してほしいのですよ!」

「素直でよろしい⋯⋯それで、御波はどうする?」

「っ⋯⋯!」

 

 黒ウサギは御波を見る。黒ウサギの嘆願も、十六夜の了承にも反応を示さなかった御波を黒ウサギは不安げに見つめている。

 黒ウサギからすれば、自身とコミュニティの未来が左右される状況なのだ。その心中の不安は察して余りあるだろう。

 

 だが、御波の答えは既に出ている。黒ウサギが本心を打ち明けてくれた時点で御波の心は決まっていた。

 

「御波さん。どうか黒ウサギ達のコミュニティに」

「いいよ」

「入ってくださ⋯⋯えっ?」

「これからよろしくね、黒ウサギ!」

 

 不安げだった黒ウサギを安心させるような柔和な笑みで、御波はコミュニティへの加入を宣言した。

 言い切る前に了承されたことに戸惑いを隠せないのか、黒ウサギは再び呆然としている。

 十六夜は御波の答えを確信していたのか、驚いた様子もなく御波へ笑みを向けた。

 

「やっぱりな。お前はお人好しっぽいから、黒ウサギの頼みに頷くと思ってたぜ」 

「そういう十六夜こそ、黒ウサギに対するあの詰め方。断るんじゃないかと思ったよ」

「ヤハハ。魔王なんて奴をぶっ潰して崖っぷちのコミュニティを再建するなんて面白いことに俺が乗らない訳ないだろ?」

「十六夜は快楽主義者だもんね」

「よく分かってるじゃねえか⋯⋯というかお前は何時までボーとしてるんだ黒ウサギ?」

 

 未だに呆然としている黒ウサギを十六夜は呆れたように見る。黒ウサギはその言葉で自失から戻ったようで肩を跳ね上げた。

 

「は、はい何でしょう?」

「俺と御波はお前のコミュニティに入ってやるが残りの二人の説得には協力しねぇからな。お前が何とかしろよ」

「は、はい、勿論でございます!」 

「よし、それならあの蛇を起こして〝恩恵〟を貰ってきな」

「YES! 行ってくるのですよ!」

 

 二人がコミュニティへの加入を承諾したことへの理解が追い付いたのだろう。小躍りしそうに体を弾ませながら黒ウサギは蛇神の元まで跳躍した。

 黒ウサギが蛇神と何かしらの会話をしているのを眺めながら、御波と十六夜は言葉を交わす。

 

「それにしても凄い身体能力してるよね十六夜。特に最後の跳躍なんてボク驚いたよ」

「よく言うぜ。黒ウサギと蛇は驚いていたが、お前は表情一つ変えてなかったじゃねえか。お前からしたら珍しいものじゃなかったんだろ?」

 

 十六夜は何処か不貞腐れたように御波を半目で睨む。

 御波からすれば紛れもない賛辞だったのだが、十六夜はそうは受け取らなかったようだ。

 

「驚いたのは本当だよ。本気を出さずにあの速度と腕力。ボクの世界でもあの動きをできる()は殆どいないんだから」

「ヤハハッ、俺が殆どいないレベル。それに人でかよ⋯⋯なら、そういうお前は──自分の世界でどれ位の実力なんだ?」

 

 十六夜は、興味深そうに御波へ視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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白き夜の魔王(前編)

 

 

 

 

 

 

 箱庭2105380外門。ぺリベット通り・噴水広場前。

 

 洒落た雰囲気のカフェテラスが軒を連ねた通りに、黒ウサギの叫びが轟いた。

 

「フォ、〝フォレス・ガロ〟のガルドとギフトゲームをする!? しかも相手のテリトリーで!? い、一体どんな考えがあってそんなことになったのですか!?」

『ムシャクシャしてやった。今は反省しています』

「黙らっしゃい!」

 

 黒ウサギのツッコミが飛鳥、耀。幼い体躯を包んで余りあるローブに、跳ねっ毛のある緑髪の少年、ジン=ラッセルの三人に浴びせられる。

 十六夜たちと出会ってから黒ウサギのツッコミは幾度も行われているが、この慣れ様は今までも数多の経験が存在したからだろう。

 

 十六夜たちの存在を加味すればツッコミの回数は跳ね上がり、これからの黒ウサギの心労は計り知れないものになるかもしれない。

 そんな黒ウサギをケラケラと笑って諫めたのは十六夜だった。

 

「まあそんなに怒るなよ黒ウサギ。誰かれ構わず喧嘩を吹っ掛けた訳じゃねえんだしよ」

「い、十六夜さんは面白ければいいと思っているかもしれませんが、このゲームで得られるものは自己満足だけなんですよ? これを見てください」 

 

 黒ウサギは御波と十六夜に一枚の羊皮紙を見せてくる。それに見覚えのなかった御波は黒ウサギに問う。

 

「この紙はなんて呼ぶの黒ウサギ?」

「あ、そうでした。これは〝契約書類(ギアスロール)〟といって〝主催者権限(ホストマスター)〟を持たない者が〝主催者〟になってギフトゲーム行う際に必要になるものです。基本的にはゲーム内容やルール、チップや賞品が記載されていて〝主催者〟のコミュニティのリーダーが署名することで行えるのですよ! ⋯⋯まあ、現在は賞品のみしか記載されていませんが」

「へぇ? 何々⋯⋯」

 

 羊皮紙に記載された内容を見ていく。

 〝参加者〟が勝利した場合〝主催者〟は参加者の言及する全ての罪を認め、箱庭の法の下で正しい裁きを受けた後コミュニティを解散させる。参加者が敗北した場合、〝フォレス・ガロ〟の罪の全てを黙認する。

 

 〝契約書類(ギアスロール)〟にはそう記載されていた。その内容を確認した十六夜は肩を竦める。

 

「確かに自己満足だ。時間をかければ立証できるのを態々見逃すリスクを負って早めるんだからな」

「その通りです。時間さえかければ彼らの罪は必ず暴かれます。だって⋯⋯」

 

 御波たちが不在の間に飛鳥たちがフォレス・ガロとギフトゲームを行うことになった理由は聞いていた。

 

 彼らは歯向かうコミュニティの子供を人質に取り脅迫することでコミュニティを大きくしていたのだ。

 

 そして、

 

「そう、人質は既にこの世にいないわ。それを追及すれば証拠は必ず出るでしょう。でもね黒ウサギ、私はあの外道が私の活動範囲内で野放しにされることを許容できないの」

「僕もガルドを逃がしたくないと思ってる。彼のような悪人を野放しにしちゃいけない」

 

 飛鳥は毅然とした声音で告げる。幼いであろうジンも飛鳥の意見に同調を見せた。そんな二人に、黒ウサギは諦めたように頷いた。

 

「⋯⋯分かりました。ガルドの所業に腹立たしい思いをしているのは黒ウサギも同じですし。まあフォレス・ガロ程度なら十六夜さんがいれば」

「あ、俺と御波はそのゲームには参加しないぜ」

「えっ⋯⋯?」

 

 黒ウサギは十六夜を見て固まる。同じコミュニティである筈の十六夜の協力拒否に驚きを隠せないのだろう。

 飛鳥は小さく鼻を鳴らして言う。

 

「当たり前じゃない。貴方たちは参加させないわ」

「だ、駄目ですよ! 同じコミュニティの仲間なんですから協力しないと」

「そういうことじゃねえよ黒ウサギ。この喧嘩はこいつ等が売ってガルドってヤツが買ったものだ。なのに俺たちが手を出すのは無粋だってことさ」

「あら分かってるじゃない」

「⋯⋯もう好きにしてください」

 

 参加する気のない十六夜に参加させる気のない飛鳥。意見が噛み合っている上に意思が固そうな二人の主張を曲げることは容易ではない。黒ウサギはそう判断したのだろう。

 黒ウサギは諦めたように肩を落とした。そんな黒ウサギから視線を外し、飛鳥は御波に向き合った。

 

「そういう訳だから、()()()()も手出しは無用──」

「ごめん、ボクも参加させてもらっていいかな」

「えっ?」

 

 飛鳥は目を見開いて御波を見る。十六夜も黒ウサギも、静観していた耀も声に出しこそしなかったが驚愕を露わにしている。

 御波が飛鳥の意見を跳ね除けて参加を申し出るとは誰も思っていなかったのだろう。

 

 十六夜は怪訝そうに御波に尋ねた。

 

「どういうつもりだ御波? さっきも言ったが、これはお嬢様たちが売ったゲームなんだぜ」

「うん、それは分かってるよ」

「それなら私たちに任せてもいいのではなくて。それとも御波さんには私たちが信用できないのかしら?」

 

 飛鳥は腕を組んで御波を見据える。不満げに放たれた言葉に御波は首を横に振る。

 十六夜と共に召喚された彼女たちの〝恩恵〟は、十六夜にも劣らぬものの筈だ。飛鳥の話によるとガルドを自白させたのは飛鳥で、それに激昂したガルドを取り押さえたのは耀だという。

 

 そんな彼女たちであればギフトゲームで勝利を収めることは容易だろう。

 

 それでも、今回のギフトゲームだけは静観する選択肢を御波は取れなかった。

 

「飛鳥と耀を信用してない訳じゃないよ。そのガルドって人は、子供たちを人質に取っただけじゃなくて⋯⋯殺してたんだよね?」

「私の〝恩恵〟で吐かせた情報だから間違いない筈よ」

「そう⋯⋯」

『っ⋯⋯!』

 

 噴水広場に一陣の風が吹いた。

 

 全員が沈黙している。黒ウサギやジンは言わずもがな、飄々とすることの多い十六夜も、傲慢なところはありながら凛とした姿勢を崩さなかった飛鳥も、我関せずと静かにしていた耀ですら言葉を無くしていた。

 

 御波は飛鳥を睨んでも、周囲に怒気を向けてもいない。だだ、地面に視線を落とした御波からは静かな威圧感が発されていた。

 

 御波という人間は他者に怒りを覚えることは殆んどない。相手が自身に対してどれだけ礼節を軽んじ侮辱したとしても、御波は然程の感慨を抱くこともなく許容する。

 自身に何か落ち度があったのだろうと自省することはあれど、それで不快に感じる性格ではない。

 

 誰であろうと穏やかに。生来の性格と自身の力の強大さを知るが故に、御波は他者に怒りを覚えることは殆んどなかった。

 

 ──〝フォレス・ガロ〟は駄目だ。

 

 御波は胸中で呟く。

 生きるために他者を害するのは理解できる。自然界での野生の勝負で命が失われるのも理解できる。戦争の過程で命が失われるのも、理解はできずとも飲み干すことはできる。

 

 だが、〝フォレス・ガロ〟は私利私欲のためだけに何の力も持たない子供を攫い殺害した。

 

 御波には理解ができなかった。

 何故、言葉が通じる他者を私欲で害せるのか。何故、無抵抗な子供を殺せるのか。何故、取り返しのつかない悲劇を引き起こすのか。

 

 何故、この世には理解の及ばない邪悪が存在するのか。

 御波には理解できない。それでも言えることがある。

  

「我儘を言っているのは分かってる⋯⋯でも、ボクは〝フォレス・ガロ〟を許すことはできない。お願い、ボクも〝フォレス・ガロ〟とのゲームに参加させてほしい!」

 

 まるで祈るように。二度と戻らぬ平穏を嘆くように。悲痛なまでのその訴えに飛鳥は何を思うのか。

 

 飛鳥は瞼を閉じる。ガルドの悪事を暴いたのは飛鳥で、その彼女が御波のゲームへの参加を認めていない現状では御波の訴えは我儘の域を出ない。

 

 飛鳥がNOと言えば、御波は大人しく引き下がらなければならないのだ。

 

 出会って数時間。出会い方も良いとはお世辞にも言えなかった御波の我儘に、飛鳥が頷く理由はないだろう。

 

 飛鳥が瞼を閉じてから数秒、目を開いた彼女は微笑んだ。

 

「分かったわ。御波さんにも〝フォレス・ガロ〟とのギフトゲームに参加してもらおうかしら。春日部さんもそれで良いわよね?」

「うん、構わないよ」

 

 飛鳥と耀は気を悪くした様子もなく御波の要望を聞き届けた。

 御波は表情を破顔させて二人に感謝を告げる。

 

「あ、ありがとう二人とも⋯⋯!」

「御波さんがあんまりにも必死だったから、仕方なくよっ」

「うん、御波は気にしなくていいよ」

「⋯⋯それでも、ありがとう!」

 

 照れくさそうにそっぽを向いた飛鳥と、微かに微笑んだ耀。御波は二人に改めて感謝を伝える。彼女たちが御波の思いを汲んで意見を曲げてくれたのだ。

 今の御波にできることは精一杯の感謝を伝えることと、ギフトゲームに貢献することだろう。

 

 話が無事に纏まったことに息を吐いた黒ウサギとジン。十六夜は黒ウサギに問いかけた。

 

「それで、この後はどうするんだ黒ウサギ?」

「そうですね⋯⋯ギフトゲームは明日行われるとのことですので、今から〝サウザンドアイズ〟で皆さんのギフトの鑑定をお願いしようと思います。遅くなるかもしれないので、ジン坊ちゃんは先にお帰りください」

「分かったよ黒ウサギ。それでは皆さん、またコミュニティでお会いしましょう」 

 

 ジンは御波たちに会釈をして踵を返して離れていく。それを見届け終わってから、十六夜は黒ウサギに尋ねた。

 

「なあ黒ウサギ。〝サウザンドアイズ〟ってのはコミュニティの名前か?」

「YES! 〝サウザンドアイズ〟は箱庭の上層下層、東西南北の全てに根を張る超巨大商業コミュニティです。幸いこの近くに支店がありますので、それ程時間はかからないと思います!」

「ギフトの鑑定というのは?」

「ギフトの秘めた力や名称を鑑定することです。皆さんも自分の力の出自が気になるのではございませんか?」

 

 黒ウサギは同意を求めるように4人へ問う。

 御波は自身のギフトの能力から大まかな由来まで把握しているが、他の三人は異なるのだろう。黒ウサギの問いに複雑そうに頷いていた。

 

 異論が上がらなかったことを確認した黒ウサギは四人へ告げた。

 

「それでは、〝サウザンドアイズ〟へ向かいましょうか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝サウザンドアイズ〟へ向かう道中は石造りで綺麗に舗装されていた。道の両脇には鮮やかな桃色の花を咲かせる街路樹が存在を主張している。

 澄んだ水が浅い水路を流れているのも相俟って目に優しい景観を形作っていた。

 

 穏やかな日差しに照らされた並木道を眺めていた飛鳥は小首を傾げて呟いた。

 

「これって、桜の木ではないわよね? 真夏にもなって咲いている筈がないもの」

「いや、まだ初夏になったばかりだぞ。気合の入った桜があっても可笑しくない」

「今は秋だったと思うけど」 

「⋯⋯あれっ?」

 

 話が噛み合わず、四人は揃って疑問符を浮かべる。黒ウサギはクスクスと笑って説明を行う。

 

「御波さんもそうですが、皆さんはそれぞれ違う世界から召喚されているのです。元いた時間軸以外にも歴史や文化、生態系など()()異なる部分がある筈ですよ」

「パラレルワールドってことか?」

「正しくは立体交差並行世界論というものなのですが、今は詳しく説明する時間もありませんのでまたの機会ということに⋯⋯あ、あれが〝サウザンドアイズ〟の支店でございますよ!」

 

 黒ウサギが指差した場所に目を向ける。雅な趣のある商店に大きく掲げられた旗は、青を基調とした布地の外枠は金の絹で編まれている。

 中心には向かい合う双女神の旗印が刻まれている。あれが〝サウザンドアイズ〟の旗印なのだろう。

 

 店の前では割烹着に身を包んだ青髪の女性店員が看板を下げようとしていた。

 黒ウサギは焦ったように店員へ声をかける。

 

「まっ」

「待ったなしです御客様。当店は既に営業時間外です」

 

 にべもなく放たれた言葉に黒ウサギは言葉を詰まらせた。

 押し入ろうとする客への毅然とした対応は超大手の名に恥じない。後は愛想がもう少し良ければ完璧だろう。

 だが、店の用事のある御波たちからすれば堪ったものではない。女性店員の対応に、飛鳥は眉尻を上げた。

 

「なんて商売っ気のない店なのかしら」

「全くです! 閉店時間まで5分はある筈なのに、店を訪ねた客を締め出すなんて!?」 

 

 面と向かって文句を吐かれた女性店員は黒ウサギを冷ややかな眼差しで見つめ、侮蔑が込められた声音を発した。

 

「⋯⋯確かに。御客様、それも〝箱庭の貴族〟を無下にするのは失礼でしたね。入店許可を伺いますので、コミュニティの名前をよろしいでしょうか?」 

「うっ⋯⋯」

「俺たちは〝ノーネーム〟っていうコミュニティなんだが」

「ほぉう。ではどこの〝ノーネーム〟様でしょう。よろしければ旗印を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

「うぅ⋯⋯」

 

 女性店員の問いに黒ウサギは言葉を返せない。

 彼女のコミュニティは名も旗印も奪われている身である。そんな身分不確かな客の相手を超大手のコミュニティが対応するかと言われれば、答えはNOだろう。

 

 黒ウサギが言っていた〝ノーネーム〟であることのデメリットとはこのような状況のことなのだろう。

 女性店員は御波たちへの侮蔑の視線を隠そうともしない。彼女からすれば、御波たちは迷惑客以外の何者以外でもないのだろう。

 

 それを理解しているのだろう。黒ウサギは消え入るような声で呟いた。

 

「あの⋯⋯えっと⋯⋯私たちに、旗はありませ」

「いぃぃぃやほおぉぉぉぉぉぉ! 久し振りだな黒ウサギイィィィィ!」

「え、ちょ待っ──ぎゃあぁぁぁぁぁー!」

 

 店内から爆走してきた白い髪の少女に勢い良く抱き着かれた黒ウサギは、悲鳴を上げながら転がって水路まで吹き飛んでいった。

 

 その光景に目を丸くする一同。唯一、女性店員だけは頭痛を堪えるように額に手を当てた。

 十六夜はそんな店員に真剣な顔で尋ねる。

 

「おい店員。この店にはドッキリサービスがあるのか? なら俺にも別バージョンで」

「ありません」

「なんなら有料でも」

「やりません」

 

 毅然と断る女性店員。十六夜は拍子抜けしたように肩を落とした。

 御波たちは水路に落ちた二人に視線を向ける。黒ウサギに抱き着いた少女は、黒ウサギの体を堪能するように彼女の豊かな胸に顔を埋めている。

 それをしているのが()()()()()少女だからまだ直視できるが、これが男性であったなら間違いなく事案だったことだろう。

 

 黒ウサギは全身を水濡れになったことでも、抱き着かれたことでもなく少女の姿を見て驚愕した。

 

「し、白夜叉様!? どうしてこんな下層に!?」

「そんなことはどうでもよいではないか! オホホホ! ほらここが良いかここが良いか!」

 

 白夜叉と呼ばれた少女は黒ウサギの疑問に答えることなく彼女の胸に顔を押し付けている。

 その少女に似つかわしくない仕草や言葉遣いはどこかおじさん臭い。

 

「白夜叉様、ちょ、ちょっと離れてください!」

 

 抱き着いていた白夜叉を引き剝がし、頭を掴んだ黒ウサギは店の方向へ投擲した。

 幼い少女とはいえ、人間一人を軽々と放り投げる膂力。風を置き去りにする脚力もだが、〝箱庭の貴族〟と呼ばれるのは伊達ではないらしい。

 

 投げ飛ばされた白夜叉は綺麗な縦回転で御波の正面に飛んできている。

 御波は白夜叉を受け止める姿勢を取る。そんな御波の前に割り込んだ十六夜は、白夜叉を足の裏で受け止めた。

 

「てい」

「ごべぇ!」

 

 受け身も取れず地面に落下した白夜叉。通常であれば痛みに悶える筈だが、白夜叉は痛がる素振りもなく顔を上げて十六夜へ叫んだ。

 

「おんし、飛んできた初対面の美少女を足で受け止めるとは何様じゃ!?」

「十六夜様だぜ和装ロリ」

 

 軽薄な笑みで十六夜は答える。彼の不遜な態度は老若男女を問わず適応されるようだ。

 見たところ怪我はしていないようだが、余りにも雑な対応をされている白夜叉。御波は十六夜の後ろから出て白夜叉の前に立った。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 御波は倒れている白夜叉に手を差し出す。白夜叉はその手を掴もうとして──固まった。

 

「お、おんし⋯⋯!」

「は、はい?」

 

 白夜叉はセクハラ行為を働いていた時とは一転して真剣な表情を浮かべる。

 上から下まで食い入るように見る白夜叉に、御波は怪訝な色を見せることもなく微笑んだ。

 

「あの、立てま」 

「なんという美少女じゃ!?」

 

 白夜叉は御波に抱き着いた。目にも止まらぬ敏捷さで起き上がり抱き着いた一連の動作は、一切の無駄を削いだように滑らかだった。

 御波の口からへっ? と声が零れる。

 

 一瞬の硬直。状況を理解した御波は顔色を瞬く間に紅潮させた。

 

「な、なな⋯⋯!」

「まさか黒ウサギだけでなく、こんな美少女が私の元にやってくるとはのう!」

「ちょ、は、離れてくださ」

「御波さんに⋯⋯何をしているのですかあぁぁぁぁ!」

 

 水路から飛び出し、御波たちの元へ疾走した黒ウサギは白夜叉の襟首を掴み上げた。

 

「大丈夫ですか御波さん!?」

「う、うん。ありがとう黒ウサギ⋯⋯」

 

 御波はホッ、と息を吐いた。初対面の人物に抱き着かれたことなど無かった御波にとって、白夜叉の行動は驚天動地に等しいものだったのだ。

 御波は白夜叉から距離を取り、近くにいた飛鳥の隣に立つ。また抱き着かれでもしたら堪ったものではない。

 

 そんな御波に苦笑しながら、飛鳥は襟首を掴まれたままの白夜叉に問う

 

「貴方はこのお店の人でいいのかしら?」

「うむ。私こそは〝サウザンドアイズ〟の幹部にしてこの店のオーナーでもある白夜叉様だよご令嬢⋯⋯そろそろ離してくれてもよいのではないか黒ウサギ?」

「⋯⋯」

 

 黒ウサギは白夜叉から手を放す。解放された白夜叉は御波たち四人を見まわしながらニヤリと笑う。

 

「お前たちが黒ウサギの新しい同士か。話があるなら店内で聞こうではないか」

「オーナー、よろしいのですか? 彼等は〝ノーネーム〟の筈。規定では」

「黒ウサギの同士の身元は私が保証するし、ボスに睨まれても責任は私が取る。いいから入れてやれ」

「⋯⋯分かりました」

 

 女性店員は店の扉を開ける。白夜叉は暖簾をくぐって店内に入っていく。御波たちは女性店員に睨まれながら暖簾を抜けて白夜叉に続く。

 

 正面玄関を抜けて中庭を進む。縁側で足を止めた白夜叉は障子を開けて広い和室の上座に腰を下ろした。

 御波たちもそれぞれ下座に腰を下ろす。右から黒ウサギ、十六夜、飛鳥、耀、御波といった順番だ。

 

「改めて自己紹介をしておこうかの。私は四桁の門、3345外門に本拠を構える〝サウザンドアイズ〟幹部の白夜叉だ。黒ウサギとは少々縁があってな、時折仕事を斡旋などしている。まあ、器の大きい美少女という認識で構わぬぞ」

「はいはい、お世話になっておりますよ本当に」

 

 白夜叉の自己紹介を受け流す黒ウサギ。黒ウサギや御波に対するセクハラ紛いの行動や、この自己紹介を鑑みるに悪ふざけの多い性格なのだろう。

 黒ウサギのツッコミは白夜叉のボケによって磨かれていたのかもしれない。

 耀は小首を傾げて白夜叉に尋ねる。

 

「その外門って何?」

「箱庭の階層を示す外壁にある門のことです。数字が若くなるにつれて都市の中心に近く、強大な力を持つ修羅神仏が住んでいるのです!」

「付け加えるなら7と6が下層で、5が中層。それよりも若い数字の階層は上層と呼ばれておるな。更に言うならば、私たちが居る区画は東西南北の中では東側に分類され外門の外には世界の果てがあるのう。あそこはコミュニティに所属こそしておらんが、強力なギフトを持つ者たちが棲んでおる」

「へえ、あの蛇そんなに強かったのかよ」

「なに?」

 

 白夜叉は訝しむように十六夜を見る。十六夜の隣に座る黒ウサギは蛇神から貰ったギフト──水樹を何処からともなく取り出した。

 白夜叉はその水樹に見覚えがあったのか眉を上げた。

 

「むっ、それは確か⋯⋯」

「YES! この水樹は十六夜さんが蛇神様を素手で倒して手に入れたギフトなのですよ!」

 

 それを聞いた白夜叉は目を見開いて驚きの声を上げた。

 

「なんと!? それでは其処の童は神格持ちの神童なのか?」

「いえ、それはないかと。神格保持者なら一目見れば分る筈ですし」

「うぅむ、それはそうか」

「その神格とやらは何なのかしら?」

 

 飛鳥は小首を傾げる。御波にとっても聞き慣れない単語だが、白夜叉の驚きを見るに十六夜が神格保持者を倒したのは尋常ならざることなのだろう。

 

「異世界から来たおんしたちが知らんのも当然か。神格とは神霊のことではなく、神格を獲得した種の最高ランクに肉体を変幻させるギフトを指すのだ。蛇に与えれば巨躯の蛇神に、人に与えれば現人神や神童になるといった具合にのう。あの蛇神に神格を与えたのは、実はこの私なのだぞ」

 

 胸を張り白夜叉は笑う。十六夜は獰猛な笑みで白夜叉を見据えた。

 

「なら、お前はあの蛇よりずっと強いのか?」

「当然だ。私は東側の四桁以下の階層を束ねる〝階層支配者(フロアマスター)〟だ。その区域のコミュニティに並ぶものがいない、最強の〝主催者〟なのだからな」

『へぇ』

 

 十六夜、飛鳥、耀の三人は瞳を輝かせる。獰猛に、挑戦的に、無表情に。三者が浮かべた表情は異なるが、その瞳だけは同じく輝いていた。

 飛鳥は確認をするように白夜叉に問いかける。

 

「ふふ⋯⋯ならば貴女のゲームをクリアできたなら、私たちのコミュニティは東側で最強のコミュニティになるということかしら?」

「そうなるのう」

「そりゃあいい。探す手間が省けたぜ」

「うん、貴女のゲームをクリアすればコミュニティを再建も早まりそう」

「面白い童たちだ。この私にギフトゲームを挑むと?」

「ちょ、ちょっと待ってください皆様!?」

 

 黒ウサギは慌てて三人を制止しようと声を上げる。だが、問題児三人はそんな黒ウサギには目もくれず、好戦的な瞳で白夜叉を見据えている。

 白夜叉は愉快そうな笑みで黒ウサギを制した。

 

「よいよい黒ウサギ。私も遊び相手には飢えているのでな」

「あら、ノリが良いのね。そういうの好きよ」

「ふふ、そうかそうか」

 

 好ましいと言いながらも、挑発するような声音の飛鳥に白夜叉は目を細める。

 しかし、それも束の間。視線を鋭くさせた白夜叉は三人へ問う。

 

「おんしらに一つ確認しておくことがある」

「何だよ?」

 

 着物の裾から取り出したのは一枚のカード。〝サウザンドアイズ〟の旗印が記されたそれを顔の前まで掲げた白夜叉は、幼い美貌に似合わぬ凄絶な笑みを浮かべた。

 

「おんしらが望むのは挑戦か? それとも対等な決闘か?」

 

 箱庭の世界に召喚された時のような光が部屋を満たす。

 御波の脳裏を過るのは、黄金色の穂波が靡く草原、白い地平線を覗く丘。森林の湖畔。様々な景色が移り変わり御波たちは投げ出されたのは、白い雪原と凍る湖畔。

 

 そして、水平に廻る太陽が君臨する世界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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白き夜の魔王(中編)

 

 

 

 

 

 

 

 余りに常識外の出来事に十六夜、飛鳥、耀の三人は絶句する。

 遠い薄明の空にある星は只一つ。緩やかに世界を水平に廻る白い太陽のみ。凍てついた広大な大地は地平線の彼方まで続いており、その全貌を窺うことはできない。

 まるで星を、世界を一つ創り出したような奇跡の御業。

 呆然と立ち尽くす三人に、白夜叉は悠然と問いかけた。

 

「今一度名乗り直し、問おうかの。私は〝白き夜の魔王〟太陽と白夜の星霊٠白夜叉。おんしらが望むのは試練への挑戦か? それとも対等な決闘か?」

 

 圧倒的な存在感を放つ白夜叉に十六夜たちは息を呑む。その超然とした雰囲気は星霊の名に恥じない。

 御波は頬に汗が伝うのを感じながら、それを拭うこともせずに胸中で呟いた。

 

 ──強すぎる

 

 御波は白夜叉への警戒を全力で行う。〝グルメ細胞の悪魔〟の能力は既に発動させ、白夜叉の一挙手一投足を見逃さんと神経を張り詰めさせる。

 白夜叉から感じる気配の大きさは、御波が出会った猛獣たちの中でも上位に位置する。捕獲レベルに換算すれば四桁に達している。

 

 だが、そんなものは表層にすぎないと御波は即断した。身体能力で戦う者が多い御波の世界なら兎も角、ギフトで戦う箱庭の世界では気配の大きさなど大まかな目安にしかならないだろう。

 そうでなければ、普通の少女の気配しか感じない飛鳥や耀が獣人であるガルドを容易に封殺できる筈もない。

 

 故に、気配の大きさだけで脅威の全てを図ろうなどと御波は自惚れてはいない。

 

 それでも、筆舌に尽くしがたい力の差を感じた。白夜叉の内包する尋常ではない気配。それが御波に戦慄を抱かせたものの正体だった。

 その気配は普通であれば感じ取れないだろう。だが、御波が知覚能力に優れていたこと、人生でも弩級の脅威に直感が警鐘を鳴らしたからこそ気付くことができた。

 

 白夜叉の隠された巨大極まる気配に。

 

(理由は分からないけど、今の白夜叉さんの気配は本来のものじゃない気がする⋯⋯)

 

 そして、本来の彼女であれば今の自身では勝てないであろうことも。

 

 白夜叉は威圧しているだけで、敵意も殺意も向けてはいない。試練への挑戦か、対等な決闘かを問いかけているだけだ。

 十六夜たちの返答次第では、白夜叉との戦闘は避けられる可能性が高い。

 だが、仮に白夜叉との戦闘になれば飛鳥と耀は勿論、十六夜であろうと瞬く間に殲滅されるだろう。

 

 黒ウサギを手助けしていた経歴を信じるなら、無暗に力を振るう性格とも思えないが十六夜たちが決闘を選んだとしたら、力を振るう理由ができた本気を出すかもしれない。

 

 そうなれば、

 

(⋯⋯ボクが皆を逃がして、少しでも時間稼ぎをするしかない)

 

 勝算はない。だが、御波が時間稼ぎに徹すれば、十六夜たちが逃げる時間は十分に稼げるという確信があった。

 その代償に、自分の命が尽きたとしても。

 

 

 そんな御波の心境は事態の趨勢には関わりのないことである。白夜叉が十六夜たちに問いかけた以上、部外者である御波では彼らを諫める資格がない。

 無理に口を挟めば、それこそ白夜叉の不興を買いかねなかった。

 

 御波の不安を他所に、十六夜は周囲を見渡して愕然と呟いた。

 

「⋯⋯白夜と夜叉。水平に廻る太陽やこの土地は、お前を表現しているってことか」

「その通りだ。この世界は私が保有するゲーム盤の一つだ」

「こ、これだけ広大な土地がただのゲーム盤だというの!?」

 

 飛鳥は声を荒げて驚愕を露わにする。白夜叉の言葉が真実であれば、このゲーム盤に移動するまでに脳裏を過った景色もゲーム盤である可能性が高い。

 一つの世界と言っても過言ではない世界を幾つも保有するその出鱈目さ。

 それを誇るでもなく、ただ事実を述べるように話す白夜叉は十六夜たちを挑発するように笑う。

 

「どうする? 挑戦であるならば手慰みに程度に遊んでやるが、決闘を望むのならば魔王として命と誇りの限りを尽くして闘おうではないか」

『⋯⋯』

 

 十六夜たちは返事を躊躇っている。

 彼等も気が付いているのだろう。目の前の星霊は、今の自分たちでは到底敵わない超常の存在であると。

 

 暫くの沈黙が流れる。十六夜たちの返答次第では、御波は彼等をこの世界から脱出させなければならない。

 

 だが、そうはならなかった。

 十六夜が諦めたように両手を挙げたからだ。

 

「参った、降参だよ白夜叉」

「ふむ、それは決闘ではなく挑戦を選ぶという意味でよいのか?」

「ああ、これだけのゲーム盤を用意できるんだ。今回は大人しく試されてやるよ、魔王様」

 

 苦虫を潰したような表情で十六夜は言う。飛鳥と耀も同じような表情で頷いている。

 白夜叉は十六夜の物言いを気に入ったのか愉快そうに哄笑する。

 

 御波は大きく息を吐いた。まるで生きた心地がしなかったが、どうやら全員の危機は去ったようであった。

 黒ウサギは胸を撫でおろして、十六夜たちへ苦言を呈した。

 

「ま、まったく驚きましたよ。十六夜さんたちはもう少し相手を選んでください! それに、白夜叉様が魔王だったのは何千年も前の話ではありませんか!」

「なに? じゃあ元・魔王様ってことか?」

「まあ、そんな所だの。⋯⋯さて、おんしらへの試練だが、果たして何が良いかのう⋯⋯」

 

 白夜叉は逡巡するように手を顎に添える。

 決闘ではなく挑戦を選んだ十六夜たちだが、それで彼等が弱者であるかと言われればそれは否だろう。

 

 十六夜は白夜叉が驚愕を示した程の実力者であるし、そんな十六夜を含む三人への試練を準備するのは白夜叉であっても容易ではないのかもしれない。

 白夜叉が唸っていると、遠方に聳え立つ山脈から甲高い咆哮が御波たちの元まで轟いた。

 獣とも鳥類ともとれるその声に誰よりも大きな反応を示したのは耀だった。

 

「何、今の鳴き声。初めて聞いた」

「お、あやつか。おんしら()()を試すには丁度いい相手かもしれんの」

 

 山脈に向いた白夜叉は誰かを呼ぶように手招きをする。すると、山脈の陰から飛んでくる一つの姿があった。

 それは体長5メートルはある体躯の獣だ。それが翼を広げて御波たちの元まで飛翔する。風の如き速さで到着した獣は、白夜叉の目の前に降り立った。

 

 鷲の上半身と獅子の下半身が合わさったような容貌。耀は歓喜の声を上げた。

 

「嘘⋯⋯グリフォン、え、本物!?」

「如何にも。こやつこそ鳥の王にして獣の王。力、知恵、勇気の三拍子を兼ね備えたギフトゲームを代表する幻獣だ」

 

 グリフォンは白夜叉へ恭しく頭を下げた。知恵も兼ね備えるという言葉通り、その所作には高い知性が感じられる。

 白夜叉は十六夜たちに振り向いて説明する。

 

「このグリフォンとおんしら三人で力、知恵、勇気の何れかを比べ合い、背に跨って無事に湖畔を舞うことが出来ればクリアということにしようかの」

 

 白夜叉は双女神の紋章が刻まれたカードを取り出す。それと同時に何もないところから一枚の〝契約書類(ギアスロール)〟が現れ、白夜叉はその羊皮紙に指を這わせて何かしらを記載していく。

 そして、それを御波たちへ提示した。

 

 

『ギフトゲーム名 〝鷲獅子の手綱〟

 

 ・プレイヤー一覧 逆廻 十六夜

          久遠 飛鳥

          春日部 耀

          

 ·プレイヤー側 勝利条件 ・グリフォンの背に跨り、湖畔を舞う。

 ·クリア方法  ・〝力〟 〝知恵〟 〝勇気〟の何れかでグリフォンに認められる。

 ·プレイヤー側 敗北条件 ・降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

〝サウザンドアイズ〟印』

 

「私がやる」

 

 耀は誰よりも早く挙手をした。

 彼女の視線はグリフォンに釘付けされており、瞳はキラキラと輝いて見える。物静かで、無表情なことが多い彼女は、憧れの存在に出会ったような無邪気な眼差しでグリフォンを見つめている。

 耀が抱える三毛猫はそんな彼女を見上げて、心配するような鳴き声を上げた。

 

『お、お嬢。本当に大丈夫かいな? このグリフォンの旦那、えらく怖そうやけど』

「大丈夫」

「ふむ、自信があるのは結構だが、この試練は中々の難易度だぞ。場合によっては大怪我では済まんぞ?」

「大丈夫」

 

 即答した耀は白夜叉の忠告に耳を貸す様子はない。

 梃子でも動かんと言わんばかりの断言振りに、十六夜と飛鳥は苦笑した。

 

「OK、先手は譲ってやる。負けんじゃねえぞ春日部」

「気を付けてね春日部さん」

「⋯⋯頑張ってね」

「うん、頑張る」

 

 御波の声援に頷いた耀はグリフォンへと歩み寄る。自身より遥かに大きい体躯を見上げた耀はグリフォンへ語りかけた。

 

「あの、初めまして。春日部耀です」

『!?⋯⋯』

 

 グリフォンの目を見開く。白夜叉は感心したように笑った。

 

「ほう、あの娘。グリフォンと言葉を交わすか」

 

 耀は毅然とグリフォンと向き合う。緊張した面持ちの彼女は自分を落ち着かせるように息を吸う。

 そして、グリフォンへ言葉を放った。

 

「私を貴女の背に乗せて、誇りを賭けて勝負しませんか?」

『何⋯⋯!?』

 

 グリフォンの言葉が分からぬ御波でも、その驚愕が手に取るように理解できた。

 グリフォンの纏う空気が変わる。耀の挑発に刺激されたのか瞳には戦意が宿っている。

 そんな雰囲気の変化に気付いていないのか、敢えて無視しているのか。耀は言葉を続けていく。

 

「この場所からスタートし、貴方が飛んできたあの山脈へ一周して此処へ戻るまでに私を振り落とせたなら貴方の勝ち。私が振り落とされることなく貴方の背に乗り続けられたなら私の勝ち。どうかな?」

『⋯⋯娘よ。お前は私に誇りを賭けろと言った。確かに娘一人振り落とせないなら、私の名誉は失墜することだろう。だが、私の誇りの対価に貴様は何を賭けるというのだ?』

「命を賭けます」

 

 迷いのない回答だった。

 明瞭に告げられたその答えは、流れに任せて紡がれたものでは断じてない。命を賭ける、その言葉の意味を理解した上で耀は宣言したのだ。その声音、表情には微塵の怯えもなかった。

 

 耀の宣言に、飛鳥と黒ウサギは異を唱えるように声を上げた。

 

「だ、駄目です耀さん!」

「か、春日部さん本気なの!?」

 

 彼女たちの心配も尤もだ。命を賭けようとする同士を制止しようとするのは何も可笑しなことではない。

 だが、それに待ったをかけたのは白夜叉と十六夜だった。

 

「双方下がらんか。これはあの娘から切り出した試練だ」

「そうだな。無粋な真似はやめとけ」

「そ、そんな問題ではございません! 同士にこんな部の悪いゲームをさせる訳には──」

「黒ウサギ、飛鳥。大丈夫だよ」

 

 耀は二人に振り向いて穏やかに言う。

 何か勝算があるのか、余裕ではないが不安を抱いているようにも見えない。

 

(ボクの口出しは、必要無さそうかな)

 

 少しでも迷いが見えたなら介入も辞さなかったが、耀の態度は平静そのものだ。

 御波は耀を信じることにする。彼女も黒ウサギのコミュニティの再建を願って召喚された一人。この試練を乗り越えることを心の中で祈る。

 

 グリフォンは耀へ頭を下げた。背中に乗れということだろうか。耀は頷いてグリフォンの背中の手綱を握って跨った。

 

 グリフォンの背中に跨った耀は、表情に喜色を滲ませてグリフォンへ微笑んだ。

 

「始める前に一言だけ⋯⋯私、貴方の背中に跨るのが夢だったんだ」

『⋯⋯そうか』

 

 御波には、グリフォンが笑みを浮かべたように見えた。

 グリフォンは大きな翼を羽搏かせ、大地を踏み締める。翼を羽搏かせること数度、グリフォンは山脈へ向かって飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリフォンとのギフトゲームは耀の勝利で幕を閉じた。

 空を踏み締めるように飛翔したグリフォンのギフトの神髄は、旋風を操ることにあった。

 そのギフトを行使したグリフォンの速度は非常に高速だ。亜音速にも届く速度は、背中に乗る耀へ容赦のない圧力を与えた。

 

 加えて、白夜の世界は気温が低い。亜音速での飛行は耀の体温を急速に奪っていた。

 二つの要因は普通の人間であれば耐えることの不可能な環境だ。耀はそれを耐え抜きグリフォンとのギフトゲームに勝利したのだ。

 

 黒ウサギと飛鳥は安堵を浮かべて息を吐く。十六夜の表情にも笑みが浮かんでいる。

 

 高所で滞空するグリフォンが降り立とうとした時、耀の手から手綱が外れた。

 

「よ、耀さん!?」

 

 そのまま耀の体は空中に投げ出される。助けに動こうとする黒ウサギを十六夜は制止した。

 

「は、離してくださ」

「待て! まだ終わってない!」

(あれは⋯⋯!)

 

 御波は驚愕に目を見開いた。耀の周囲に風が渦巻いているのを感じ取ったからだ。

 落下していた耀の体が翻る。そのまま纏った風を巧みに操り、耀は飛翔したのだ。

 

『なっ⋯⋯』

 

 この場の全員が絶句する。先程までグリフォンが行使していたギフトと同種の能力を、耀は行使しているのだ。

 まだ空中制動に慣れていないのだろう。緩慢な動きではあるが、耀は落下の勢いを殺して着地を成功させた。

 

 十六夜は軽薄な、しかし悪意は感じない笑みで耀に歩み寄った。

 

「やっぱりな。お前のギフトは、他の生き物の特性を手に入れるものだったんだな」

「違うよ。これは友達になった証」

 

 悪意はないが、言い方が気に入らなかったのか耀は不満げに訂正する。十六夜は軽薄な笑みを消して肩を竦めた。

 

「悪いな、ただの推測。お前、黒ウサギと初めて会った時に風上に立たれたら分かるって言ってただろ? だからそうじゃないかと思ったのさ」

『お嬢! 怪我はないか!?』

 

 十六夜に割って入るように耀に駆け寄ったのは三毛猫だった。耀に向かって跳躍した三毛猫を耀は優しく受け止めた。

 

「うん、大丈夫だよ。服がパキパキになったぐらい」

 

 三毛猫を撫でる耀。グリフォンと白夜叉も耀へ歩み寄った。

 

『見事だ。お前が得たギフトは私に勝利した証として使ってほしい』

「うん、大事にする」

「しかし、大したものだのう。そのギフトは先天性なのか?」

「違う。これはお父さんに貰った木彫りのお陰なんだ」

「ほう? 良ければ見せてもらうことはできるか?」

 

 耀は首に提げていたペンダントを外して白夜叉に見せる。ペンダントは円形で、表面には幾何学的な模様が刻まれている。

 白夜叉は真剣な表情でペンダントを凝視している。御波たちも白夜叉に近付いてペンダントを覗き込んだ。

 

「複雑な模様ね」

「むむ、この中心を目指す幾何学線と中心に空いた円状の空白。もしやお父様のお知り合いに生物学者の方がおられるのでは?」

「うん。私のお母さんがそうだったよ」

「生物学者ってことは、この図形は系統樹を表しているのか白夜叉?」

(凄いなぁ黒ウサギと十六夜。ボクはまったく分からなかった)

 

 十六夜や黒ウサギの博識さに御波が内心驚いていると、白夜叉が十六夜の問いに頷いた。

 

「おそらくの⋯⋯なら、これはこうでこうなって⋯⋯」

 

 耀のペンダントを睨むように見つめながら、白夜叉は系統樹の意味を分析しているようだ。

 唸ること数秒、総身をワナワナと震わせた白夜叉は興奮したように声を上げた。

 

「こ、これは凄い! 本当に凄いぞ娘! 本当に人造ならばおんしの父は神代の大天才だ! まさか人の手で独自の系統樹を完成させてギフトとして確立させてしまうとはのう! おんしさえ良ければ私が買い取りたいぐら」

「絶対ダメ」

「あっ⋯⋯」

 

 耀はペンダントを首に提げ直した。白夜叉は先程までの興奮は何処へやら。肩を落として落ち込みを露わにする。

 黒ウサギは白夜叉に尋ねた。

 

「ところで、耀さんのギフトはどんな能力を宿しているのですか?」

「それは分からん。判明しているのは、他種族と意思疎通を可能にすることと、友となった種族からギフトを授かることが出来ることぐらいかのう。これ以上は鑑定士、それも上層の者に依頼せねば判明せんだろう」

「えっ、白夜叉様にも分からないのですか? 今日はギフトの鑑定でお伺いしたのですが⋯⋯」

「な、何!? 専門外もいいところなのだが⋯⋯」

 

 白夜叉は困ったように白髪を掻き、腕を組んで考え込む。耀のギフトを分析していた時にも劣らぬ頭の悩ませようだ。

 黒ウサギは期待するような視線を向ける。白夜叉は暫く思案した末に名案が浮かんだのか表情を綻ばせて、御波たち四人をじっくりと見つめだした。

 

「ふむ、全員素質が高いのは分かるが⋯⋯ちなみにおんしらは自分のギフトをどの程度把握している?」

「企業秘密」

「右に同じく」

「以下同文」

「そ、それなりには」

「うおぉぉぉぉい!? 御波は兎も角それでは話が進まんではないか!」

「別にいいさ。他人に値札を張られるのは趣味じゃない」

 

 十六夜の言葉に飛鳥と耀も頷く。明確な拒絶の言葉だった。そんな問題児たちへ白夜叉はニヤリと笑った。

 

「まあそう言うでない。試練もクリアしたことだし、何よりコミュニティ復興への前祝いとして受け取っておけ若者たちよ」

 

 白夜叉は柏手を打つ。すると四人の眼前に光り輝く四枚のカードが現れた。

 それぞれ異なる色のカード。カードにはそれぞれの名前と、ギフトの名前が記されていた。

 

 コバルトブルーのカードに逆廻十六夜・ギフトネーム・〝正体不明(コードアンノウン)

 ワインレッドのカードに久遠飛鳥・ギフトネーム・〝威光〟

 パールエメラルドのカードに春日部耀・ギフトネーム・〝生命の目録(ゲノムツリー)〟〝ノーフォーマー〟

 ジェットブラックのカードに御波・ギフトネーム・〝■■■■■■■■〟〝■■〟

 

 四人は眼前のカードを手に取った。黒ウサギはそれを見て驚愕の声を上げた。

 

「ぎ、ギフトカード!?」

「お中元?」

「お歳暮?」

「お年玉?」

「く、クレジットカード?」

 

 相変わらず息ぴったりの三人とやや恥ずかしそうに合わせた御波。黒ウサギも相変わらずのツッコミを入れた。

 

「違います! ギフトカードは顕現しているギフトを収納できるとても高価なカードです! ⋯⋯それはそうと、御波さんは無理に御三人に合わせなくてもよろしいのですよ?」

「う、うん⋯⋯ありがとう黒ウサギ⋯⋯」

 

 黒ウサギの気遣いが胸に痛い。似合わないことは行うものではないと御波は羞恥に頬を染めた。

 白夜叉は微笑んで黒ウサギの言葉を補足した。

 

「ふふ、そのカードは正式名称を〝ラプラスの紙片〟即ち全知の一端だ。そのカードに刻まれたギフトネームはおんしらの魂と繋がった〝恩恵(ギフト)〟の名称。鑑定は無理だが、大体のギフトの正体が分かる優れ物なのだぞ」

「へぇ、全知ね⋯⋯なら俺のはレアケースなわけだ」

「何?」

 

 白夜叉は十六夜のギフトカードを覗き込んだ。

 そこに記されていた名前を見た途端に、十六夜からギフトカードを取り上げた。眉を潜め、険しい表情で十六夜のギフトカード凝視した白夜叉は呟いた。

 

「〝正体不明(コードアンノウン)〟だと? 馬鹿な、全知である〝ラプラスの紙片〟がエラーを起こしたというのか?」

「ま、なんにせよ鑑定は出来なかったってことだな」

 

 十六夜はギフトカードを回収する。白夜叉は怪訝な瞳で十六夜を見据えている。二人の間に入るように、御波は挙手をして白夜叉に自身のギフトカードを差し出した。

 

「すいません白夜叉さん。ボクのギフトカードって、故障してるんですかね」

「む⋯⋯こ、これは⋯⋯!?」

 

 白夜叉は今日何度目かの驚愕の声を上げる。しかし、その声音は今までとは毛色が違った。

 先程も険しい表情だったが、今は目の前の現実が信じられないとばかりに目を擦っている。

 その反応を訝しんだ十六夜たちも御波のギフトカードを覗き込む。

 

「何だよこれ。名前も読めねえじゃねえか」

「変ね。私たちのギフトカードにはきちんと名前が記されているのに⋯⋯」

「確かに壊れてそう」

「そ、それはあり得ません!? 〝ラプラスの紙片〟が名前すら表示出来ないなんて!?」

「黒ウサギの言う通りだ。小僧のようにエラーを起こすことも初めてだが、ギフトの名前すら見通せないというのは⋯⋯」

 

 十六夜たちの反応は薄いが、箱庭の世界の住人である白夜叉と黒ウサギ反応は如実だった。

 白夜叉は睨んでいるのではないかと錯覚する程の視線を御波へ注いでいる。

 

 御波としてはそんな視線を向けられる覚えはないのだが、白夜叉は何か思う所があるようだった。

 白夜叉から視線を受けること数秒。彼女は溜息を吐いて話題を変えた。

 

「まあよい。ところで今更なのだが、おんしらは自分たちのコミュニティがどういう状況にあるか、よく理解しておるか?」

「ああ、名前とか旗の話なら聞いてるぜ」

「それを取り戻す為に、魔王と戦わねばならないこともか?」

「聞いてるわよ」

「そうか⋯⋯では老婆心で一つ忠告しておこうかの。女子二人は、魔王に挑む前に様々なギフトゲームに挑んで力を付けろ。小僧と御波は大丈夫だろうが、おんしら二人では魔王とのゲームを生き残れん」

「「なっ」」

 

 白夜叉の言葉に眉を寄せ、言い返そうとする飛鳥と耀。白夜叉が遥か格上だとしても、侮辱に等しい言葉を吐かれたのだ。

 だが、白夜叉の有無を言わせないような視線に口を噤む。白夜叉は遠い目をして、何かを思い出すような瞳で二人に忠告する。

 

「嵐に巻き込まれた者が無様に弄ばれて死ぬ様は、いつ見ても悲しいものだからな」

「⋯⋯ありがとう。肝に銘じておくわ。次は貴方の本気のゲームに挑みに行くから」

「うん。覚悟してて」

「そうか⋯⋯そうだ黒ウサギよ。この後はおんしらのコミュニティへ帰るだけか?」

「えっ? そ、そうですね。しかし何故そんなことを?」

「御波よ。おんしさえ良ければだが、少し二人で話をしたいのだ」

「えっ?」

 

 御波とは小首を傾げる。黒ウサギも怪訝そうに眉を潜めている。

 白夜叉の提案を御波は承諾した。

 

「⋯⋯ボクは構いませんよ」

「み、御波さん!?」

「感謝する。黒ウサギよ、御波は必ずおんしらのコミュニティへ送るから、先に帰っておいてくれ」

「白夜叉さんもこう言ってるし、大丈夫だよ黒ウサギ」

「⋯⋯もう、分かりましたよ。でも、あまり遅くならないでくださいね!」

「うむ、勿論だとも!」

 

 険しい表情を崩した白夜叉は、着物の裾から取り出した扇子を口元の前で広げて黒ウサギに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十六夜たちが〝サウザンドアイズ〟を退店したのを見届けた御波と白夜叉。

 空は茜色に染まり、水路の流水に橙色の陽光が反射している。桃色の並木道と茜色の日差しは同系色ではるが、そこは並木を植えた者の手腕なのか晴天の時とはまた違った美しい情景を作り出している。

 

 最初に招かれた和室に二人は腰を下ろす。白夜叉は御波へ謝意の言葉を述べた。

 

「すまんのう。どうしても確かめておきたいことがあったのだ」

「お気になさらないでください」

 

 御波は微笑む。一時は警戒を露わにしたが、白夜叉が心優しい性格であることを御波は疑っていなかった。

 星霊である白夜叉に比べれば御波は赤子以下の時しか生きていない。それでも、人生経験の濃さは中々のものだと自負していた。

 その経験と第六感的な感覚が、白夜叉を悪性の存在ではないと見做していた。白夜の世界に招かれた当初は警戒していたが、今ではその警戒は存在しない。

 

 そんな御波に白夜叉は苦笑した。

 

「信用してくれるのは有り難いが、おんしはもう少し警戒をした方がよいぞ。その穏やかな性格は美徳だが、他人を深く疑わないのは心無い者に利用されんとも限らんからな」

「うっ⋯⋯善処します」

 

 痛い所を突かれた御波は項垂れる。心当たりがあったのだ。

 そんな御波を優し気に見つめる白夜叉。しかし、その表情をすぐに引き締めた。

 御波も背筋を伸ばす。白夜叉の纏う雰囲気が、魔王と名乗った時と似通っていたからだ。

 

 白夜叉は獰猛な笑みで一言。

 

「さて──此処では周りに被害が及ぶな」

「えっ?」

 

 御波が疑問を投げかける間もなく、和室は極光に満たされた。

 視界が開けると、其処は先程のギフトゲームを行った白夜の世界だった。違うのは耀とギフトゲームを行ったグリフォンの気配が感じられないことだろう。

 

 このゲーム盤に呼び出された理由を問おうとした御波だが、言葉を発することなく閉口する。

 

 白夜叉から、覇気とも呼ぶべき威圧感が放たれていたからだ。

 御波は身構え、警戒を強めて白夜叉を見据えた。

 

 白夜叉が放つ圧力はグルメ界の猛獣たちと対峙してきた御波が僅かに圧迫感を覚える程だった。

 場所を変え、黒ウサギたちを帰らせた理由に納得がいった。この威圧感を撒き散らせば、十六夜は兎も角、飛鳥と耀の精神を挫くには余りあるだろう。店内に勤務する女性店員へも多大な影響が及ぶことは想像に難くない。

 

 白夜叉の行動を注視していると、御波は自身の頭上から一枚の羊皮紙が落下してくるのを視界に捉える。

 御波はその羊皮紙を手に取り文面に目を通して、

 

 ──硬直した。

 

『ギフトゲーム名 〝太陽からの試練〟

 

 ・プレイヤー一覧 御波

          

 ・プレイヤー側 勝利条件 

 一、太陽の星霊・白夜叉から10分間生存する。

 二、太陽の星霊・白夜叉へ一撃を加える。

 

 ・プレイヤー側 敗北条件 

 ・降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 

 ・ホストマスター側 勝利条件 

 ・なし

 

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスターの名の下、ギフトゲームを開催します。

 

〝サウザンドアイズ〟印』

 

「──」

 

 ──御波へ煉獄の劫火が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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白き夜の魔王(後編)



 白夜叉の戦う姿は描写が少ないので独自設定ということにしています。ご了承ください。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箱庭の秩序の守護者──〝階層支配者(フロアマスター)〟。

 魔王から下層のコミュニティを守護する防波堤としての役割を与えられた存在。

 〝主催者権限(ホストマスター)〟を悪用する魔王と戦う義務のあるその地位には、箱庭第4桁以上を出身とするコミュニティが収まることが殆んどだ。

 

 北の〝サラマンドラ〟、西の〝鬼姫〟連盟、南の〝アヴァロン〟。どれも上層のコミュニティから太鼓判を押されたコミュニティだ。だが、白夜叉は個人で東の〝階層支配者〟の席に着いている。

 つまり、彼女一人で東側の秩序を保てると認められているということに他ならない。

 

 そんな彼女が、一人の人間に突如として攻撃を仕掛けた。白夜叉からすれば大したことのない一撃だが、摂氏数千℃は下らない炎が第一宇宙速度を超えて放たれたのだ。人間など容易く抹殺せしめるだろう。

 

 白夜叉がそのような凶行に出たと彼女の知己である修羅神仏が知れば、驚愕に言葉を失うことは確実だ。

 〝階層支配者〟に就いてからの彼女は善神そのもの。

 

 黒ウサギにセクハラ紛いの行為を働き、黒ウサギを弄り倒し、黒ウサギに自分の変態趣味を押し付けたりすることはあれど、白夜叉の活動は箱庭の修羅神仏と下層の住民から多くの支持を受けているのだ。

 

 そんな白夜叉は、御波を吞み込んでその場で燃え上がり続ける炎を見据えている。

 羊皮紙に目を通したのを確認してからの攻撃だったが、御波は無防備に吞み込まれていった。だが、白夜叉は微塵も油断することなくその炎へ話しかけた。

 

「出てくるがいい。おんしが今の一撃で倒れる存在ではないことは分かっておる」

 

 その言葉の後の変化は劇的だった。

 燃え盛っていた筈の劫火が跡形もなく消し飛んだ。そこから現れたのは、衣服にすら傷を負っていない御波の姿だった。

 白夜叉は動揺することもなく目の前の事実を分析する。

 

(ほう、今の一撃で傷一つ無いか。如何なる〝恩恵(ギフト)〟の護りによるものだ?)

 

 数千℃の炎を受けて無傷で済むなど箱庭に於ける最強種でもなければ、何かしらのギフトでの防御以外はあり得ないと白夜叉は推測した。

 生半可な防御で耐えれるものではない。耐熱か、高位のギフトによる防御だと白夜叉は推測した。

 

 その推測と同時に、白夜叉は何の行動も見せない御波を訝しんでいた。

 炎から出てきた御波は白夜叉への警戒をしていなかったのだ。何かを狙っているのか、それとも既に布石を打っているのか。

 

 そんな白夜叉の警戒は裏切られた。

 

 御波は和室の時と同じ柔和な雰囲気を携えて、白夜叉への謝罪を口にしたのだ。

 

「ボクの何かが白夜叉さんを不快にさせたのなら、ごめんなさい。でも、ボクには見当がつかないんです。良ければその理由を聞かせてはもらえませんか?」

「──」 

 

 白夜叉は瞠目した。御波の声音、表情から微塵も負の気配を感じなかったからだ。

 

 謂れの無い奇襲を受け、手加減をしたとはいえ煉獄の劫火に曝されたのだ。

 糾弾するべき行いだ。憤激に表情を歪めるべき仕打ちだ。口汚く、白夜叉を罵るべき状況だ。

 御波からの信用を裏切った。()()()()()()()命を奪おうとした。

 

 御波から非難を受けるのは覚悟していたし、それが当然だと理解していた。

 白夜叉も同じ行為を受けたなら、誇りを貶められたと怒りを見せていただろう。

 だが、御波からはそんな気配は感じない。自身に落ち度があったのだろう、そう疑っていないように白夜叉には見受けられた。

 

 そうでなければ、白夜叉へ負の感情を向けない理由がない。

 

「⋯⋯」

 

 白夜叉は眩しそうに目を細めた。

 きっと、陽だまりのような環境で育てられたのだろう。溢れんばかりの親からの愛情と教育を、余すことなく血肉と変えて己の魂へ刻んだのだろう。

 そうでなければ、この善性に説明がつかなかった。

 

 白夜叉は己を恥じた。御波は、白夜叉が警戒するような人間ではなかったのだ。

 

(これ以上は不要だな⋯⋯)

 

「⋯⋯謝罪せねばならぬのは私の方だぞ御波よ」

「えっ?」

 

 御波は困惑したような視線を白夜叉へ向ける。白夜叉は勢いよく御波へ頭を下げた。

 

「おんしへ対する蛮行、すまなかった!」

「えっ!? あ、頭を上げてください!」

 

 御波は焦ったようにオロオロと意味のない身振り手振りを繰り返している。

 しかし、白夜叉はすぐに頭を上げるつもりはなかった。自身の行いに後悔はない。だが、すぐに頭を上げるような恥知らずな行動を取りたくなかったのだ。

 

「あ、あのっ⋯⋯ボクは本当に大丈夫なので、頭を上げてください」

「むっ、むぅ⋯⋯」

 

 御波は何処までも穏やかに白夜叉へ囁いた。頭を下げた相手の願いを無下にしたのでは謝罪の意味がない。白夜叉は頭を上げた。

 御波はホッ、と胸を撫で下ろした。そんな御波の姿に白夜叉は改めて謝意を告げた。

 

「おんしを疑い、剰え試す真似をしてすまなかった」

「そんな!? 誤解が解けたようで何よりです。それに⋯⋯黒ウサギの恩人である貴女に警戒されるのは、悲しいですから⋯⋯」

「⋯⋯そうか」

 

 御波の微笑みに白夜叉も頬を緩めた。

 そこで、白夜叉はあることを思い出して声を上げた。

 

「そういえば、まだギフトゲームが終了しておらんかったな」

「確かに。このまま時間切れまで待ちましょうか?」

「そうだのう⋯⋯」

 

 白夜叉は腕を組む。ギフトゲームの時間は5分を経過した。後は会話に花を咲かせるだけですぐに終わりを迎えるだろう。

 だが、ここで白夜叉の好奇心が顔を出した。──そういえば、御波のギフトについて何も判明していなかったなと。御波に聞くという手段もあるが、それでは芸に欠ける。黒ウサギがその思考を知れば、お馬鹿様!? とハリセンで頭を叩かれるだろうが彼女は此処にはいない。

 

 白夜叉は好奇心の赴くままに御波へ問いかけた。

 

「御波よ。おんしが良ければこのまま続けようではないか」

「えっ?」

「折角のギフトゲームなのだ。このまま終わるのは勿体ないと思わんか? それに、このゲームをクリアしたなら相応の褒美を取らせるぞ?」

 

 ゲームの成否に関わらず、白夜叉は御波に詫びとして何かしらを与えようと思っていたがそれを伝えてはつまらないと白夜叉は思案する。

 白夜叉の胸中を知る由もない御波はその提案に頷いた。

 

「──分かりました、ギフトゲームを続行しましょう」

「よし! あと数分で終わるから早速始めるとしよう⋯⋯先程の詫びも兼ねて、先手はおんしへ譲ろう!」

 

 白夜叉は飛び退いて御波を見据えた。このギフトゲームは既に、御波を試すものから褒美を与えるものに趣旨が変わっていた。

 

(まあそれはそれとして、御波のギフトは気になるしのう)

 

 全知の一端である筈の〝ラプラスの紙片〟でも名前さえ表記されない圧倒的未知。

 御波に宿る〝恩恵〟の正体は何なのか。高揚を隠さずに白夜叉は宣言した。

 

「さあ、何時でも構わぬぞ。おんしのギフトを見せてみよ!」

「では、行きます⋯⋯」

 

 御波は律儀にタイミングを告げる。どんな一撃を繰り出してくるのかと、白夜叉は笑みを深めた。その表情は余裕に満ちている。易々と喰らってやるつもりはないが折を見て当たってやろう、などと白夜叉は考えていた。

 

 御波は瞼を閉じて一つ息を吸う。そして瞼を開いて、晴天を想起させる空色の瞳が白夜叉を見据えた。

 

 その瞬間、

 

「──」

 

 白夜叉は、御波の姿を見失った。背筋に悪寒が奔るのと同時に、白夜叉は背後を振り向いた。

 

 其処には掌底を放たんと構える御波の姿があった。

 

「⋯⋯!?」

 

 白夜叉は御波の姿を捉えていなかった。百戦錬磨の感覚が警鐘を鳴らし、白夜叉は反射的に肉体を動かしたのだ。

 

 白夜叉の掌から閃光のように眩い灼熱が迸る。莫大な熱を内包した閃光は紅炎へと変貌し、白夜叉は掌を前方へ突き出した。

 放たれた紅炎が大地を融解する間もなく消失させる。地獄の業火すら生温い埒外の炎熱は下層の修羅神仏で耐えれる者は存在しない程の威力だった。

 

 敢行しようとしていた手加減は何処へやら。それは手加減とは程遠いものだった。

 白夜叉は自身の失態を悟り冷や汗を流した。

 

(しまった⋯⋯!? 予想外の速度に手加減を忘れ──)

「ボクの勝ち、ですね」

 

 声が鼓膜を震わせるのと同時に白夜叉は背中にポンッ、と軽やかな衝撃を感じた。幼い少女の姿で顕現している白夜叉の肉体を揺らしもしない優しい衝撃。

 白夜叉は愕然と背後を振り向いた。

 

 其処には、微笑んで白夜叉を見下ろす御波の姿があった。その姿には傷一つない所か攻撃が当たったような痕跡すら存在しなかった。

 

「おんし、一体どうやって⋯⋯!?」

 

 白夜叉の攻撃は御波を捉えた筈だ。あの距離と速度で放たれた広範囲の攻撃を防御するならまだしも、完璧に回避するのは如何なる俊足でも困難な筈なのだ。

 それこそ、第六宇宙速度に匹敵する敏捷さと反応速度がなければ。

 白夜叉の疑問に御波は隠すこともなく答えた。

 

「今のはボクのギフト? で行った空間転移です」 

「な、なんだと⋯⋯!?」

 

 ──空間転移。瞬間移動、空間跳躍。呼び方は複数存在するが、それはこの箱庭でも非常に稀有な〝恩恵〟の一種であり対策が困難とされる。

 それは、境界を預かる存在しか成しえない〝境界門(アストラルゲート)〟の開門。それを自在に行うことで点から点への空間跳躍を可能とする。

 

 白夜叉の脳裏に過るのは、彼女がよく知る存在だった。

 星々の境界を支配する大魔王。数多の修羅神仏が集う箱庭でただ一人、〝女王(クイーン)〟の王号で呼ばれる太陽の星霊の一角──女王クイーン・ハロウィン。

 

 彼女と同質の御業を行使したと御波は口にしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御波と白夜叉は〝サウザンドアイズ〟の店舗前で向き合っていた。

 ギフトゲームと店内での会話の時間は30分程で終了していた。白夜叉は目を瞬かせて御波へ問いかけた。

 

「〝ノーネーム〟の本拠まで送ろうと思っていたのだが、本当によいのか?」

「ええ、気持ちだけいただいておきます」

「おんしがそう言うならば、私からは何も言わんが⋯⋯」

 

 御波は白夜叉からの提案を断っていた。自分で走った方が速いとの判断だった。

 

「店の中でも話したが、困ったことがあれば私に言うがいい。三度ではあるが、私個人の裁量で可能なことであれば叶えよう」

「ありがとうございます」

 

 白夜叉への三度の願い。それが御波へ提示された褒美の内容であった。〝サウザンドアイズ〟の幹部にして東側の〝階層支配者(フロアマスター)〟である白夜叉は多大な影響力と権限を保有している。

 白夜叉個人の裁量であるため、その二つの立場を脅かすような願いは叶えれないが、それでも絶大な権利である。

 個人への褒美としては過剰に過ぎるが、これは白夜叉から御波への謝罪と感謝の気持ちの表れなのだろう。白夜叉への借りを作れるなど、彼女をよく知る者であれば喉から手が出る程に欲しい権利だ。

 

 箱庭に来て間もない御波にその権利の絶大さを正確に理解することはできない。ちょっとした我儘を聞いてもらえる程度と考えていた。

 

「それじゃあ、ボクはこれで」

「うむ、黒ウサギのコミュニティを頼んだぞ」

 

 御波は一礼して〝サウザンドアイズ〟を後にする。

 店舗から歩いて数分の地点で御波は、人型の新幹線と呼べる速度で疾走する。目の前に生き物が現れれば大事故間違いなしだが、御波は自然体であっても周囲数㎞の気配を常に知覚しているため事故の危険はない。

 

(加減が効かないけど、こういう時は助かるんだよね)

 

 これは御波の意思で行われるものではない。御波の〝グルメ細胞の悪魔〟が御波の意思に反して能力を行使しているのだ。

 既に慣れたものであるため疲労はないのだが、幼少期は肉体的や精神的に疲弊することが多かった。そのデメリットもグルメ細胞の壁を越えたことで解決したが、幼少期は苦労したものであった

 

 白夜叉から〝ノーネーム〟の場所は聞いている。数分も要さずに噴水広場を抜けて、御波は黒ウサギたちの姿を視認した。御波は速度を落として駆け寄っていく。

 

「あっ、御波」

 

 背後から駆け寄る御波にいち早く気付いたのは耀だった。彼女の言葉に他の三人も振り返った。

 

「ヤハハ、結構早かったな」

「白夜叉との話し合いというのはすぐに終わったのかしら?」

「御波さん、お帰りなさいなのですよ!」

 

 黒ウサギはウサ耳をピン、と立てて御波を歓迎する。明るさを絶やさないのは彼女の美徳だろう。

 

「うん、ただいま」

 

 御波が合流した一行は〝ノーネーム〟の居住区画まで歩いていく。彼等の進む方角の1㎞程先には二十数人の気配がある。一つはジンの気配だが、残りは黒ウサギが言っていた〝ノーネーム〟子供たちだろう。

 

 合流してから数分。御波たちは〝ノーネーム〟の居住区画の門前に到着した 

 先頭の黒ウサギは御波たちに振り向いて説明を行う。

 

「この門の向こうが我々のコミュニティになります。本拠に関しては更に歩かなければ到着しませんので御容赦ください。この周辺は戦いの名残がありますので」

「例の魔王との戦いの名残か?」

「は、はい」

「ちょうどいいわ。その魔王とやらが残した傷跡、見せてもらおうじゃない」

 

 不機嫌そうに黒髪を靡かせた飛鳥に耀は頷く。彼女も言葉にこそしないが思う所があるようだ。黒ウサギは躊躇うように門を開いた。

 乾いた風が吹き抜ける。砂塵から顔を庇うようにする五人。

 

 砂塵が止み、五人の視界に広がっていたのは見渡す限りの廃墟群だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 白夜叉の内面描写を入れましたが、肝心の御波を警戒していた理由が何なのかを詳しく描写していないので後書きで補足させていただきます。

 Q 結局、白夜叉は御波の何を警戒して攻撃したの?

 A 別の話で描写するため詳しくは語れませんが、白夜叉は〝御波と出会う前から〟箱庭に召喚された四人の内の誰かを警戒していました。












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魔王の残滓

 

 

 

 

 

 

「こ、れは⋯⋯」

 

 絞り出すような声を漏らしたのは飛鳥だ。門を開ける前の気丈な姿は其処にはない。目の前の光景は、それ程の衝撃を彼女に与えたのだ。

 

 朽ちた建築物。屋根や外壁は軒並み剥がれ落ち、残った骨組み部分もその殆んどが形を保っておらず、僅かに残った鉄筋や針金は錆び付いて元の輝きを取り戻すことはない。

 街並みを彩っていた筈の街路樹は白骨のように枯れ、生命の息吹を感じられない。豊かで活気で満ちていた筈の街並みは廃墟群へと変貌し、嘗ての面影すら感じられない。

 

 十六夜は木造の廃墟に近付いて僅かに残る柱に触れた。摘まむような仕草だったにも関わらず、木柱は砂のように崩れ落ちた。

 不遜で軽薄な態度の目立つ彼が、その一切を消した固い面持ちで黒ウサギに尋ねた。

 

「黒ウサギ。魔王とのギフトゲームがあったのは今から何百年前の話だ?」

「⋯⋯3年前でございます」

「ハッ、そいつは怪奇的だ。この風化しきった街並みが3年前だと?」

 

 御波には、姿も名前も知らない魔王の能力について心当たりがあった。この惨状を作り出せる猛獣を、御波は知識として覚えていたのだ。

 その名は、鹿王・スカイディア。八王の一角にして時間に干渉すると噂されるその猛獣の能力と、〝ノーネーム〟を壊滅させた魔王のギフトは似通っていた。

 

「ベランダにティーセットがそのまま出ているわ。まるで、人だけが突然消えてしまったみたいに」 

「生き物の気配もない。無人で野晒しにされた建物に、獣が寄ってこないなんて」

 

 二人は暗い表情で廃屋を見つめている。この街並みを3年間見続けてきた黒ウサギは、感情の消えた表情で説明を行った。

 

「かの魔王がこの土地を取り上げなかったのは魔王としての力の誇示と、一種の見せしめでしょう。僅かに残った仲間たちも、魔王の力に心を折られて、コミュニティを去っていきました」

 

 それだけ言って、黒ウサギは歩みを進める。この場所は、彼女の心に癒えない傷痕を残したのだろう。飛鳥と耀も無言でそれに続いた。御波も後を追いながら、その魔王について考えを張り巡らせる。

 

(自分のギフトの情報を敢えて誇示するように残していったのは、その魔王にとって隠すまでもない力だということ。⋯⋯低く見積もっても、八王級と思わないといけないか⋯⋯)

 

 それは、御波をして致命の覚悟で戦わなければ勝ち目が存在しないのと同義だった。

 唯一立ち止まっていた十六夜は頬に汗を伝わせながらも、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「魔王、か。想像以上に面白そうじゃねえか⋯⋯!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟の居住区画を抜けた御波たちは巨大な貯水池のある広場に到着した。そこで御波たちを待っていたのは、ジンと〝ノーネーム〟所属の子供たちだった。

 彼等は清掃道具を持って水路の清掃に従事していた。

 

「あ、皆さん! 水路と貯水池の準備は万端ですよ!」

「ありがとうございますジン坊ちゃん♪ 皆も掃除をきちんと手伝っていましたか?」

 

 黒ウサギは水路を掃除していた子供たちに笑いかける。子供たちは親鳥に集まる雛のように黒ウサギの前に集合した。黒ウサギの説明通り、子供たちの年齢は10を下回る程に幼い。その人数は20人。その半分の子供には狐耳や猫耳、犬耳など獣の耳と尻尾が生えていた。

 

「黒ウサのねーちゃんお帰り!」

「わたし眠いけどお掃除頑張ったよ!」

「ねえねえ、新しい人たちって後ろの人たち!?」

「強いの!? カッコいい!?」

「YES! とっても強くて可愛いくて綺麗な人たちですよ! 皆に紹介するから、一列に並んでくださいね」

 

 黒ウサギがそう言うと、子供たちは年齢に見合わぬ機敏で無駄のない動きで横一列に並んだ。

 御波たちを見上げる子供たちの目はキラキラと輝いている。まるでヒーローを見るような純粋な瞳だ。

 黒ウサギは御波たちを子供たちへ紹介していく。

 

「右から逆廻十六夜さん、久遠飛鳥さん、春日部耀さん、御波さんです。皆も知る通り、コミュニティを支えるのは力のあるギフトプレイヤーたちです。ギフトゲームに参加できない者は、彼等の生活を支え、励まし、時には身を粉にして尽くさねばなりません」

「あら、そんなに肩肘を張る必要はないわよ」

「それでは組織は成り立ちません。それに、コミュニティはプレイヤーたちがゲームに参加し手に入れた恩恵で初めて生活が成り立つのです。これは箱庭の世界で生きていくには避けて通れない掟。子供の内から甘やかしてはこの子たちの為になりません」

「そ、そう」

 

 黒ウサギは真剣な表情で飛鳥に言う。それは、コミュニティを一人で維持してきた者だからこその言葉なのだろう。有無を言わせない圧力に飛鳥は口を噤んだ。

 〝ノーネーム〟の身分にありながら、122人の子供たちを一人で養うなど想像を絶する努力なくては成しえない。子供たちはそれを理解しているのだろう。彼女を見るの瞳は敬愛に満ちている。

 優しく、時に厳しく。魔王に奪われた子供たちの親に代わって黒ウサギが育ててきたのだろう。

 

「此処にいる子供たちは年長組です。ゲームには出られないものの、獣のギフトを持っている子もいるので何か用事を言い付ける時はこの子たちに伝えてくださいな。皆も、それでいいですね?」

『よろしくお願いします!』

 

 子供たちの大声が広場に響き渡る。

 鼓膜を盛大に揺らす声量に好感を示したのは御波と十六夜だった。飛鳥と耀は複雑そうに眉を顰めている。

 二人は子供が得意ではないのだろう。彼女たちの年齢を考慮すればそれは不思議なことではない。ヤハハと笑う十六夜と、微笑ましそうに子供たちを見つめる御波が例外なのだ。

 

「元気がいいじゃねえか」

「そ、そうね⋯⋯」

「⋯⋯」

「皆、良い子たちだね~」

 

 柔和な性格の御波だが、今は殊更に優しい目付きで子供たちに微笑んでいた。

 黒ウサギは黒白のギフトカードから水樹を取り出して、貯水池の中心の台座へ跳躍する。

 

「十六夜さん! 水門の屋敷への水門を開いてください!」

「あいよ」

 

 十六夜は貯水池に下りて水門を開け始める。黒ウサギは中心の台座に水樹を置いて苗の紐を解いた。

 すると、水樹から莫大な水が激流となって貯水池を瞬く間に埋めていく。

 その水は貯水池を流れて水門へ殺到する。水門を開け終えた十六夜は血相を変えて叫んだ。

 

「ちょっと待て! これ以上は濡れたくねえぞ!」

 

 激流に吞み込まれそうになった十六夜は跳躍して回避する。跳躍した十六夜は御波たちの元に着地した。

 水樹から溢れ出た水も勢いが予想より凄まじかったのか黒ウサギは台座の上から喜びの声を上げた。

 

「この子は予想以上に元気ですね!」

 

 水樹の水は夕焼けの日差しに反射して燦然と輝いている。嘗ての光景を思い出しているのか、ジンと子供たちから歓喜の声が上がる。

 

 それを見て御波は拳を握り締めた。

 この子供たちは、本来であれば親の愛情を何の憂いもなく受けて、健やかに成長を重ねていた筈なのだ。魔王は、そんな子供たちの当たり前にあるべき幸せを奪い去った。

 

 御波は改めて己に誓う。コミュニティを再建し、〝ノーネーム〟を壊滅させた魔王を討って旗印と名を取り戻す。その為に、自身の持てる力を存分に振るおうと。

 コミュニティに立ち塞がる万難を跳ね除け、数多のギフトゲームを攻略し、この異世界で出会った仲間たちと魔王を打倒する。

 

(コミュニティの土台を作るまでは、向こうの世界へ帰る方法を探す程度しか出来なさそうかな⋯⋯)

 

 コミュニティを再建する、その思いに偽りはあり得ない。だが、己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨てて箱庭に来い。箱庭への招待状にはそう書かれていた。

 十六夜たちは定かではないが、御波はその文言を承諾していない。招待状に目を通した時点で箱庭の世界に召喚されたのだ。

 

 それ自体を不満に思ってはいない。だが、元の世界への帰還はコミュニティの再建と並行して探すべきだ。御波には、元の世界へ帰還する手段が存在しないのだから。

 

(箱庭の世界には、ボクたちを召喚した人がいる筈だ。その人に会うことができれば、帰る手段に目途が付くかもしれない⋯⋯)

 

 元の世界には、残してきたものが多すぎる。

 御波は、水樹が貯水池を満たしていくの眺めながら胸中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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グルメ時代

 

 

 

 

 

 

 陽は沈み、燃えるような茜の空は星々が煌めく夜空に姿を変えた。月明かりに照らされた〝ノーネーム〟の本拠はホテルのような佇まいで、12階まである巨大な屋敷は嘗てのコミュニティの構成員の多さを感じさせた。

 コミュニティの伝統ではギフトゲームの実力によって序列が与えられ、プレイヤーたちは上位から最上階に住むのが通例だ。上階である程に部屋も広く、嘗てのコミュニティが拵えた専用の家具が多くあるらしい。

 

 だが、移動に不便なこともあり御波たちは3階の部屋を希望した。

 各々は選んだ部屋の確認を終えて、来客用の貴賓室に集合して寛いでいた。

 

 貴賓室というだけあり、意匠の凝らされた絵画や精巧な彫刻の花瓶などが飾られている。部屋も相当に広く、家具や調度品も高級感ある材質だ。

 御波たちが腰を下ろしたソファは、柔らかくも程よい反発感で御波たちを迎えている。

 

 4人が座っても余裕のあるサイズのソファが二つ。御波と十六夜、飛鳥と耀の組み合わせで座り、湯殿の準備ができるのを待っていた。

 御波は兎も角、十六夜たちは召喚された時に水に濡れ、十六夜に至っては二度も全身を水に濡らしている。

 風呂に入りたいと思うのは当然であった。黒ウサギは御波たちを歓待するために、子供たちと大浴場の清掃に励んでいる。凡そ一刻で準備が整うとのことだった。

 

 耀に撫でられていた三毛猫は何かを訴えるように鳴く。

 

『な、なあお嬢。ワシもお風呂に入らなアカンか?』

「駄目だよ。ちゃんとお風呂に入らないと」

 

 御波にはニャーニャ―と聞こえるだけだが、耀は三毛猫と言葉で意思疎通ができるようだ。十六夜は興味深げに耀へ視線を向けた。

 

「ふぅん。白夜叉が言ってたけど、お前は本当に猫の言葉が分かるんだな」

『オイワレェ! お嬢をお前呼ばわりとはどういうことやねん! 調子に乗るやないぞ!』

「駄目だよ。そんなこと言うの」

 

 十六夜へ激しく鳴いた三毛猫を耀は諫める。

 御波に三毛猫の言葉は分からないが、十六夜の発言が気に入らなかったようだ。

 それを三毛猫と耀の反応で察したのか、十六夜はケラケラと笑っている。

 

 すると、貴賓室に黒ウサギが入室してきた。

 

「湯殿の用意ができました! 女性様方からどうぞ!」

「ありがとう。先に入らせてもらうわよ十六夜君」

「俺は二番風呂が好きな男だから構わねえよ」

「三人共行ってらっしゃい」

 

 御波の言葉に全員がピタッ、と硬直した。

 

 ソファから立ち上がった飛鳥と耀も、扉の前に立つ黒ウサギも、十六夜すらも固まっている。

 飛鳥はまるで、潤滑油が切れたブリキ人形のような動きで御波を見た。ソファに座る御波を見下す視線には何とも言えない迫力があった。

 飛鳥は淑女とは思えない、地の底から出たような声音で御波に問いかけた。

 

()()()()、まさかとは思うけれどお風呂に入らないつもりなのかしら? 水に濡れていないとはいえ、入浴できるならするべきだと思うのだけれど⋯⋯」

「えっ⋯⋯」

「御波、私もお風呂に入った方が良いと思うな」 

「えっ⋯⋯」

 

 飛鳥と耀の物言いに困惑する御波。何時の間にか、扉の前で立っていた黒ウサギが目の前まで近付いてきていた。彼女は眉尻を上げて御波へ説いた。

 

「御波さん! お風呂に入り心身共に汚れを流すのは、()()にとって重要でございますよ!」

「⋯⋯⋯⋯えっ?」

 

 御波は眼前の女性3人を呆然と見上げた。

 何を言っているのか理解が追い付かなかったのだ。彼女たちの言い方はまるで、御波を同性だと言っているようだった。

 思考の硬直から復帰した御波は、箱庭に召喚されてから出会った者の言葉を思い返していく。

 

『その矮小で非力な身でありながら、好いた者のために水神の眷属たる我に立ち向かうその気概⋯⋯好ましくはある』

『そういう訳だから、御波さんも手出しは無用』

『なんという美少女じゃ!?』

 

 思い返せば、出会った者たちは御波を女性として扱っていたように思える。

 白夜叉など、御波をハッキリと女性と見做した発言だった。御波の背筋に冷や汗が伝う。女性陣は明らかに御波を同性と疑っていない。

 

 御波は自分の顔が中性的な美貌である自覚は薄い。()()()()()()や今の年齢になるまでの人間関係が、御波の容姿に言及される状況を招かなかったのだ。故に、身嗜みを整えることはしても、自分の容姿が女性的に見られることへの自覚がなかった。

 

 だが、今その自認は崩壊した。しかし、勘違いをそのままにする訳にはいかない。

 この流れで浴場に付いていけば、御波は白夜叉以上の変態の誹りを受けなければならなくなる。御波は3人の認識を訂正しようと声を上げた。

 

「⋯⋯ボク、男だよ?」

『はっ⋯⋯?』

 

 今度は黒ウサギたちが呆然となった。十六夜も言葉を失っている。

 気まずい空気とはこのような状況を言うのであろう。だが。そんな空気を切り裂いたのは天真爛漫な性格の黒ウサギだった。

 

「ふふ、御波さんもそんな冗談を仰るのですね! 黒ウサギはビックリしてしまいましたよ!」

「えっ?」

 

 朗らかに微笑んだ黒ウサギに、御波は呆気に取られた。黒ウサギはうんうんと頷き包容力を感じるような笑みで言葉を続けていく。

 

「こんなに綺麗で可愛らしい御波さんが男性だなんてそんな訳がないのですよ! ねぇ飛鳥さん耀さん!?」

「え、ええ。御波さんが、御波君だなんて!? ねえ春日部さん!?」

「う、うん。御波は女の子の筈⋯⋯そうだよね御波?」

 

 3人は未だに現実を直視できていないようである。それを見た御波は次の手段を試みる。言葉で足りないなら行動で示すまでである。御波は冷静さを欠いていた。御波は立ち上がって高らかに宣言する。

 

「もうっ、そんなに疑うなら黒ウサギがボクの胸元を触ってみてよ!」

「「「えっ!?」」」

 

 眼前の女性3人は驚愕に声を荒げた。

 指名を受けた黒ウサギは頬を赤らめて御波の胸元を凝視した。

 

「えっ、いや、それは⋯⋯えっ?」

 

 黒ウサギの視線は御波を上から下へ行き来している。まるで、御波を食い入るように見ていた白夜叉のようだ。どうやら、彼女も冷静さを失っているようだった。

 

 黒ウサギの目に映る御波の容姿は、艶やかな黒髪に、美麗さと可憐さを兼ね備えた中性的な美貌。白皙の肌に澄み渡った空色の瞳。露出する首筋と僅かに覗く鎖骨は、衣服で隠されるその下の肢体を想起させた。

 

 黒ウサギは息を呑む。そんな彼女だったが、ハッとして背後を振り向いた。黒ウサギの反応に平静を取り戻した2人が冷たい視線を送っていたのだ。

 

「黒ウサギ、貴女まさか⋯⋯」

「⋯⋯ふぅん、黒ウサギは言われたからって触るんだ⋯⋯」

 

 二人からの視線に黒ウサギはウサ耳を跳ね上げて反論した。

 

「そ、そんなことはしないのですよ!? 黒ウサギは箱庭の創始者である帝釈天の眷属にして〝箱庭の貴族〟! 我が主神に誓って同士を疑った挙句に、そのような破廉恥な行為には及ばないのですよ!」

「へぇ? でも帝釈天といったら性に奔放な伝承に事欠かないと記憶してたんだが⋯⋯」

「そ、それは⋯⋯!」

 

 十六夜の知識に黒ウサギは言葉に詰まる。黒ウサギにも心当たりがあるようだ。その伝承を聞いた飛鳥と耀は息を合わせたように笑った。

 

「主神がそれなら、破廉恥なことを考えていた黒ウサギは〝箱庭の貴族〟(笑)ということかしら?」

「〝箱庭の貴族〟(笑)? 斬新⋯⋯」

「ち、違うのですよ!?」

 

 黒ウサギは顔を赤らめて否定する。御波はそんな遣り取りの時間で冷静さを取り戻していた。

 言葉で伝わらなかったとはいえ、あの発言は軽率だったと自省する。とはいえ自分の発言を思い返して恥ずかしさに頬を朱に染めた。

 

 一方の黒ウサギも顔とウサ耳を赤く染めていた。〝箱庭の貴族〟(笑)など呼ばれては彼女も羞恥に身を悶えさせてしまうようだ。その姿に、十六夜は力強く立ち上がった。

 

「待てよ! お嬢様に春日部。黒ウサギは〝箱庭の貴族〟(笑)なんかじゃねえさ」

「い、十六夜さん⋯⋯!?」

 

 黒ウサギは思わぬ援護に瞳を瞬かせた。問題児筆頭である彼からこのような言葉が出ることに驚いたのだろう。黒ウサギは表情を明るくさせる。十六夜が自分の疑いを晴らしてくれると思っているのだろう。

 

 だが、逆廻十六夜が黒ウサギを弄れる状況を見逃す筈がなかった。

 

「黒ウサギは〝箱庭の貴族〟(恥)だろうが!」

「「それだ⋯⋯!」」

「違うのですよこのお馬鹿様ぁぁぁぁぁ!?」

 

 黒ウサギがギフトゲームから取り出したハリセンの一閃が、問題児3人の頭を捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御波と黒ウサギの誤解は解け、女性陣は大浴場に向かって行った。御波が男性であると知った黒ウサギと飛鳥は落ち込んだように肩を落としていた。

 

 御波には聞こえなかったが小声で、

 

「あ、あんなに華奢で美しい方がだ、男性だなんて⋯⋯」

「髪だって私たちよりサラサラで綺麗なのに⋯⋯」

 

 などと呟いて貴賓室を出て行った。耀はそんな2人の肩に慰めるように手を置いていた。

 御波は小首を傾げたが、十六夜は落ち込んでいた二人の心情を察したのか笑いを噛み殺していた。

 

「あの2人はある意味災難だったな⋯⋯」

「黒ウサギと飛鳥はどうしたんだろう?」

「まあ、風呂から戻ってきたら何時も通りになってるだろうさ」

「そうだといいけど⋯⋯」

 

 彼女たちが落ち込んでいた理由が判然としなかった御波は、黒ウサギたちが出た扉を見つめている。十六夜は肩を竦めてソファに座る。

 

「まあそれより、俺はお前の世界について聞いてみてえな」

「ボクの世界?」

「ああ。お前が言ってたグルメ界や人間界っていう場所には興味がある」

「⋯⋯いいけど、長くなるかもよ?」

「構わねえよ。どうせ黒ウサギたちが風呂から出てくるまで時間があるんだ」

 

 御波もソファに腰を下ろして十六夜と向かい合う。十六夜は待ちきれないといった様子の笑みを湛えている。快楽主義者の名乗りに偽りなく、彼は好奇心に素直な面がよく見られる。そんな彼は御波の世界について余程の興味があるようだ。

 

「じゃあ、まずはお前の世界の人間界って場所がどんな所なのか聞いてもいいか?」

「うん。何から説明していこうかな⋯⋯」

 

 御波は自分の世界の情勢、常識、地理や猛獣などを頭の中で掻い摘んでいく。全部を一気に語るには情報が多すぎる。聡明な頭脳を持つ十六夜ならば必要はないかもしれないが、まずは触りだけを説明していこう。

 整理を終えた御波は十六夜に語り出した。

 

「ボクの世界はその時代に生きる人たちから──グルメ時代って呼ばれているんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平均気温-50℃を下回る極寒の大陸に眠る天然の冷蔵庫!? 地上数万mの雲の上に存在する天空の野菜畑!? 気温60℃を超える砂漠の中心に聳える巨大ピラミッドとその地下に存在する巨大宮殿!? おいおい何だよそれ、滅茶苦茶面白そうじゃねえか!!」

 

 身を乗り出して捲し立てる彼の瞳は爛々と輝いている。御波の話が十六夜の琴線をこれでもかと刺激したのは明らかだった。

 まるで、宝石箱を初めて見てはしゃぐ子供のよう。御波はそんな十六夜の反応に嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「楽しんでもらえたみたいで良かったよ」

「当たり前じゃねえか! 神話でも聞かないような自然界の話を生き証人から聞けたんだ。これに興奮しない奴はそういねえさ! お嬢様や春日部も俺と似た反応をするだろうぜ」

 

 興奮冷めやらぬ様子の十六夜は背凭れに寄りかかる。

 これだけ良い反応が貰えたなら話した甲斐があったというものだ。十六夜は自分を落ち着かせるように息を吐いて御波へ問いかけた。

 

「それに、今の話で挙げられた場所でもほんの一部なんだろ?」

「そうだね。十六夜の好きそうな場所を挙げたけど、他にも雄大な自然は沢山あるよ。その土地に生息する生物や食材についてはまだ話してないしね」

「その土地に生息する猛獣に食材か。ヤハハッ、本当にグルメ時代の名に恥じない世界なんだな」

「まあね。ちなみに、十六夜はご飯を食べるのは好き?」

「ああ、これでも縁日荒らしの二つ名を勝ち取ったぐらいには好きだぜ」

「それなら、次はさっき説明した場所で捕獲できる食材について──」

 

 御波は貴賓室の窓へ振り向いた。十六夜は訝しんだように同じ方角を見遣る。

 

「どうした御波?」

「⋯⋯コミュニティの敷地内に入ってきた気配がある⋯⋯人数は6人かな」

「なんだと?」

「結構速い。あと5分もあれば屋敷に到着しそう」

 

 十六夜の纏う気配が鋭くなる。通常、侵入する者たちの目的は金目の物を窃盗することだが、〝ノーネーム〟に高価な物があると思う者はいないだろう。にも関わらず、寝静まった夜を狙って複数人で侵入してきた。

 

(人攫いか、ガルドの手下かな)

 

 御波の知る情報で推測できるのはその二つであった。立ち上がった御波は十六夜に提案する。

 

「十六夜。入ってきた人たちを迎え撃とうと思うんだけど、手を貸してくれるかな?」

「いいぜ。返り討ちにしてやるか」

 

 2人は屋敷の外に出る。

 本拠の屋敷の隣には子供たちが住まう館が居を構え、その中では子供たちが既に寝静まっている。御波は侵入者たちがいる方角を見た。

 

「此処で騒がしくすると子供たちが目を覚ますかもしれないし、少し離れた場所で迎え撃とう」

「構わないが、侵入した奴らの正確な位置は分かるのか? 最悪擦れ違うことになるぜ」

 

 十六夜の疑問は尤もだ。侵入者は本拠に向かって進行している。本拠で待ち構えれば確実に迎え撃つことができる以上リスクを犯す必要はない。

 だが、それは御波には当て嵌まらない。御波は侵入者たちの気配を正確に捉えていた。

 

「大丈夫。ボクについてきて」

「OK。侵入者共は倒す方針で良いよな?」

「うん、目的を聞く為に数人の意識があれば十分だと思うよ」

「了解。じゃあ、お前の戦う姿を見せてもらおうかね」

 

 2人は侵入者たちへ向かって同時に走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大して期待はしてなかったが、想像以上に想像以下だったなコイツら⋯⋯まあ、お前の戦い振りを少しでも見れただけで良しとするかねぇ」

「これから見る機会は沢山あるよ」

「ヤハハ、そりゃそうだ。あ、コイツらとの交渉は俺がしてもいいか?」

「えっ? 構わないけど⋯⋯」

 

 侵入者たちの半分を気絶させ、残りの半数を動けなくした御波と十六夜。2人は動けなくなった6人の衣服掴んで本拠の前まで運んできていた。

 地面に置かれた侵入者たちは犬耳が生えた者もいれば、爬虫類の瞳を持つ者など獣の特徴を有している者たちで構成されていた。意識のある3人は畏怖の籠った目で御波たちを見上げた。

 

「な、なんという力だ。一瞬で我ら6人を無力化するとは⋯⋯!」

「あ、ああ。蛇神を倒したというのは本当だったのか⋯⋯!」

「それに、体が首より下から動かない。如何なるギフトによるものなのだ⋯⋯!」

 

 彼等は首より下がまともに動かせていない。微かに痙攣したように体を震わせていた。

 そんな彼等を不思議そうに見つめていた十六夜は御波に尋ねた。

 

「意識のある奴を倒したのはお前だったけど、どんなギフトを使ったんだ?」

「今のはギフトじゃなくて、ノッキングっていうボクの世界の動きを止めるただの技術だよ」

「オイオイ、そんなトンデモが技術なのかよ!?」

 

 十六夜は愉快そうに笑う。無力化された侵入者たちは冷や汗を額に滲ませて2人を見上げている。

 十六夜は思い出したように声を上げ、子供たちが眠る館に足を向けた。

 

「何処に行くの十六夜?」

「中の御チビを起こしてくるのさ」

 

 御チビ、というヘンテコなあだ名は、十六夜がジンに名付けたものだった。十六夜はジンをコミュニティのリーダーとは認めておらず、貯水池でジンへその旨を伝えていたのを御波は目撃していた。

 館に入ってから十数秒で、十六夜はジンを連れて戻ってきた。普段着のローブを着てはいるが急に叩き起こされて眠気眼を擦っている。そんなジンだったが、倒れる獣人たちを認識して眠気が覚めたようだ。

 

「か、彼等は一体⋯⋯!? 何があったんですか十六夜さん!?」

「侵入者さ。例の〝フォレス・ガロ〟の連中じゃないか?」

「そ、そうだ。我々は〝フォレス・ガロ〟の傘下のコミュニティだ」

「やっぱりな。それで、一体何の用で此処に来たんだ? さっさと話しな」

 

 侵入者たちは顔を見合わせて頷いた。体の自由を奪われた彼等にはその選択しか残されていないのだろう。彼等は懇願するように御波たちへ叫んだ。

 

「恥を忍んで頼みます! 〝フォレス・ガロ〟を叩き潰していただけませんか!」

「嫌だね」

 

 彼等の懇願を十六夜は一蹴する。ジンは呆気に取られたように半口を開けた。

 交渉をするとは言っていたが、これではそれ以前のように見える。だが、聡明な十六夜には何か考えがあるのだろう。交渉を任せたのもあり、御波は事態を静観する。

 

「お前たちはあれだろ? ガルドって奴に命令されて此処のガキ共を拉致しに来たって所だろう?」

「は、はい。そこまで御見通しだとは。我々もガルドに人質を取られている身分。ガルドの命令に逆らうこともできず」

「ああ、残念だがその人質はもうこの世にいねえらしいぞ」

「「「──はっ?」」」

「い、十六夜さん!?」

 

 余りにも無慈悲に事実を告げた十六夜にジンは声を荒げる。十六夜はそんなジンと侵入者たちを感情の映らない瞳で見下ろし、彼等を鼻で嗤った。

 

「気を使えってか? 冗談キツイぞ御チビ。考えてもみろよ。殺された人質を攫ってきたのは誰だ? コイツらだろうが」

「っ⋯⋯!」

 

 ジンはその言葉に口を噤む。十六夜に反論する言葉は持ち得ないのだろう。侵入者たちは愕然とジンへ尋ねた。

 

「そ、それでは人質は本当に⋯⋯?」

「⋯⋯はい。ガルドは人質を捕らえたその日に殺していたようです」

「そ、そんな⋯⋯何てことを⋯⋯!?」

 

 侵入者たちはその場で項垂れた。自分たちは人質の為に手を汚してきたいうのに、その人質はもうこの世にいないと告げられたのだ。彼等の心中は察するに余りある。

 御波は目を伏せる。彼等の行いは決して擁護できるものではないが、子供たちを失った彼等の心情を思うと、同情せざるをえなかった。

 

 十六夜は何かを閃いたように項垂れる侵入者たちを見下ろし、胡散臭い笑みで人質たちに尋ねた。

 

「お前たち、〝フォレス・ガロ〟が潰れてほしいか?」

「と、当然だ! だが、奴の背後には魔王がいる。仮に勝てたとしても、魔王に目を付けられたら⋯⋯」

「そうかそうか! なら、安心するといい!」

「えっ?」

 

 十六夜は隣のジンの後ろへ回る。ジンの肩を掴み、彼を前に突き出して宣言した。

 

「このジン=ラッセルが魔王を倒すコミュニティを作ってくれるってよ!」

「えっ⋯⋯ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 目をこれでもかと見開いたジンの叫びが周囲一体に轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 


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吸血の獣人(前編)

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギフトゲーム名 〝ハンティング〟

 

・プレイヤー一覧 久遠 飛鳥

         春日部 耀

         ジン=ラッセル

         御波

 

・クリア条件 ホストの本拠内に潜むガルド=ガスパーの討伐

・クリア方法 ホスト側が指定した特定の武具でのみ討伐可能。指定武具以外は〝契約(ギアス)〟によってガルド=ガスパーを傷つけることは不可能。

・敗北条件 降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

・指定武具 ゲームテリトリーにて配置。

 

宣誓 上記を尊重し誇りと御旗の下、〝ノーネーム〟はギフトゲームに参加します。

 

〝フォレス・ガロ〟印』

 

 場所は〝フォレス・ガロ〟の住居区画。建築物が軒を連ねているその区画は、今やジャングルもかくやの様用を呈していた。鬱蒼と生い茂る木々の枝が煉瓦造りの建築物群の外壁を割り砕き、石造りの街路に根を伸ばしている。

 

 御波たちの先頭に立つジンは、門前に貼られた〝契約書類(ギアスロール)〟を見て声を震わせた。

 

「ガルドを指定武具で打倒!?」

「これはまずいです!?」

 

 ジンの声に同調するように、黒ウサギも声を荒げた。

 召喚された時とは異なり、真紅のドレスに身を包んだ飛鳥は不思議そうに小首を傾げた。

 

「このゲームってそんなに危険なの?」

「いえっ、問題はクリア方法です! このルールでは指定武具以外ではガルドを傷つけることができません。飛鳥さんや耀さん、御波さんのギフトではガルドを傷つけることが不可能になっているのです!」

「恐らく彼は、自分の命をクリア条件に組み込むことで僕たちのギフトを無効化したのです!」

「⋯⋯そう」

 

 飛鳥は厳しい表情で呟いた。指定武具でしか傷つけられないとなると、その武器が何かから探さなければならない。その間に襲われれば、御波たちは防戦に徹さなければならなくなる。

 

「敵は命がけで五分に持ち込んだってことか。楽勝だと思ってたが、中々面白くなりそうじゃねえか」

「まったく、十六夜君は簡単に言ってくれるわね」

「大丈夫。私も頑張るし、御波もサポートしてくれるから」

「⋯⋯そうね。寧ろこれだけのハンデがあって勝ったなら、あの外道のプライドも粉々に粉砕できそうだわ」

 

 耀の励ましに飛鳥は奮起する。ゲーム内容に不安げだった彼女の姿は其処にはなかった。

 昨夜の大浴場で何かしらの会話を弾ませたのか、2人は仲を深めたようだ。

 

 そんな2人を尻目に、御波はゲームテリトリー内の気配について思案する。

 ゲームテリトリー内の最奥に建つ屋敷の二階。階段を上った先の部屋にガルドは居た。

 2mはある虎の体躯。飛鳥たちの話では二足歩行の獣人だったが、今は逞しい四肢で部屋を守るように座っている。

 

(飛鳥たちの話と姿が違う。それに背負ってる物は⋯⋯剣か) 

 

 ガルドはその背中に、一振りの十字剣を携えていた。

 安直に考えれば、その十字剣が指定武具だろう。だが、御波はその可能性が高いと踏んでいた。そうでなければ、態々ガルドが背負う必要がない。

 自身を唯一傷つけられる手段だからこそ、御波たちに奪われないようにしていると考えれば納得がいった。

 

 そして、屋敷の真上。生い茂る樹木で地上からは視認できないが、屋敷の上空に佇む人物の存在を御波は知覚していた。

 

 背丈はジンと同じ位。背中に大きな翼を生やした人物が滞空していたのだ。

 

(誰だろう? 蛇神さんよりも強い気配の人だ〝契約書類(ギアスロール)〟にはガルドの名前しか書かれていないから、ゲームに参加はしなさ──)

 

「おい御波」

「──何、十六夜?」

 

 謎の人物への思考を中断させ、御波は十六夜の言葉に耳を傾けた。

 

「昨日の話を覚えてるよな? お前には悪いが、今回は御チビたちのサポートに回ってくれ」

「⋯⋯分かっているよ。ただ、場合によってはボクがガルドを倒すことになるけど⋯⋯」

「それで十分だ。お前が参加する以上勝ちは見えてるが、お前主導でしか勝てないならコミュニティの方針を改めないといけねえからな」

 

 御波は昨夜の出来事を振り返る。

 

 十六夜が宣言した、魔王を倒すためのコミュニティ。

 十六夜の言葉に希望を抱いた侵入者たちは、その宣言を広めるのを条件に大人しく〝ノーネーム〟を去っていった。

 その後、十六夜の宣言にジンが猛反対した。彼からすれば当然だ。魔王を倒す、ではなく魔王を倒すためのコミュニティを作ると十六夜は宣言したのだ。

 

 その言葉が広まれば、何れ魔王にも目を付けられる。ジンはコミュニティの長として、ギフトゲームで地盤を固め、力を付けてコミュニティを大きくしてから魔王と戦うべきだと言った。

 

 それを机上の空論だと、十六夜は鼻で嗤った。

 ジンの方針は大前提だと十六夜は酷評したのだ。嘗てのコミュニティには旗も名もあり、力も持った巨大な組織だったにも関わらず魔王に敗れた。

 

 その魔王に勝利するには、最低でも嘗てのコミュニティを超えるのが必須。

 

 だが、今の〝ノーネーム〟には旗も名も無い。ギフトゲームで力を付けるのは兎も角、大きくするには限界がある。

 組織を大きくするのは人材だ。だが、箱庭の出身で旗も名も無い組織に籍を置きたいと願う有能な人材はいない。

 

 そんな条件下で先代コミュニティを超える。

 それには魔王を倒すと大々的に宣言し、組織の長の名を広めるしかないと十六夜は提案した。

 その宣言は、同じく打倒魔王を胸に秘めた者たちに届く筈だと。ジンの名と目的が広まり、信用を得れば同じ志を持った者たちがコミュニティの門を叩く可能性が高いと。

 

 このギフトゲームは、ジンの名前とコミュニティの目的を広める為の大事な一戦だ。

 その一戦で御波に補助の役目を求めたのは、飛鳥と耀。そしてジンの力でガルド程度に勝てないなら。打倒魔王を掲げるのは困難との判断だった。

 

 この場の全員がその条件に頷いている。黒ウサギは世界の果てから帰る道すがらで御波の身体能力に気付いていたため異論はなかった。

 他の3人はそれを知らないため懐疑的だったが、十六夜の条件を挑発と捉えて闘志を燃やしていた。

 

 ジンが門を開けて中に入り、それに御波たちも続く。

 〝ノーネーム〟のこれからを賭けたギフトゲームが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金銭を費やしたであろう豪奢な外観の屋敷は、居住区画の建築物と同じく木々に浸食された末路を迎えていた。

 塗装すら剥がれ落ち、代わりに木々の蔦が外壁に纏わりついている。 

 

「この屋敷の2階にガルドがいるのよね春日部さん?」

「うん、姿が見えたから間違いない」

 

 猛禽類のような金の瞳で耀は2階を見据える。〝生命の目録(ゲノムツリー)〟で鳥類の視力を体現しているのだろう。

 ガルドが何処に潜伏しているかを知覚していた御波だが、補助に回る都合上3人へ居場所を伝えるのを控えていた。

 尤も、様々な動物の五感や特徴を体現できる耀の働きで、ガルドの居場所を特定するまで時間は掛からなかった。

 

「それじゃあ、中に入るわよ。春日部さん、御波君にジン君も準備はいいかしら?」

「うん」

「何時でもいいよ」

「僕も大丈夫です」

 

 4人は屋敷に足を踏み入れる。室内には贅を尽くしたであろう豪奢な家具の数々が、大きく破損して散乱していた。

 天井に備え付けられていたであろう大きなシャンデリアも床に散乱しており、屋敷の中は薄暗い。窓から差し込む僅かな陽光が室内を照らす光源となっていた。

 

 飛鳥はその有様に目を細めながら歩を進める。指定武具がないか慎重に周囲を探索していく一行だが、それらしき武具は存在しない。

 階段の前まで辿り着いた一行。飛鳥は御波へ提案した。

 

「御波君。補助役である貴方には此処で退路を守ってもらいたいのだけれど⋯⋯」

「勿論、構わないよ。3人共気を付けて」

「ありがとうございます、御波さん」

「ふふ、勝ってくるから安心して待ってなさい御波君」

「行ってくるね、御波」

 

 3人は階段を上っていく。御波はその3人を視界から外して屋敷の真上へ視線を向けた。

 

 謎の人物の気配は屋敷から上空数百m程の地点で依然佇んでいた。

 御波は知覚精度を強化する。精度を増した知覚能力は、上空の人物の姿形を御波へ鮮明に知覚させた。

 

 腰まで伸びる長髪をリボンで結んだ幼い体躯の少女が、鳥類を思わせる双翼を携えて屋敷を監視していた。

 

 御波の能力は気配や動き、構造などを知覚するが、視覚を用いて知覚している訳ではない。知覚範囲内の存在の事細かな情報。例えば人相や衣服などを知るには視認しなければならない。

 

 上空の人物から敵意などは感じないため、御波は警戒しながらもその場を動かない。

 

 階段を上がった飛鳥たちがガルドの部屋の扉を開けようとしていたからだ。

 飛鳥と耀、ジンは頷いて勢いよく部屋に跳び込んだ。

 

 その瞬間、

 

「──GEEEEYAAAAaaaaaaaaaaaaa!!」

 

 虎の咆哮を上げ、ガルドは飛鳥たちに突進した。

 部屋に突入した3人の内、風の如き疾走で距離を詰めるガルドに反応できたのは耀だけだ。

 彼女は一番近くにいた飛鳥を階段に突き飛ばす。俊敏な動きで飛鳥を退避させた耀だったが、飛鳥の隣に立っていたジンを退避させれていない。

 

 耀の身体能力は通常の人類に到底収まるものでないが、一瞬で二人を助けれる領域にはない。

 ガルドはジン目掛けて突進している。一番小柄な彼を、獣の本能で狙ったのかもしれない。

 

 御波の身体能力なら助けることは容易だ。だが、御波は動かなかった。現在の彼等には傷一つない。

3人が危機的状況に陥るまで、御波は補助の役割から逸脱するつもりはなかった。

 

 何より、耀がジンを庇おうとガルドの前に立ち塞がっていた。

 

 彼女はジンを後方へ蹴飛ばした。ジンは飛鳥と同様に部屋の外に弾き出される。

 無理に庇おうとした代償なのか、耀は体勢を崩している。あの体勢では、ガルドの丸太のように太い腕と鋭い虎爪を防ぎ切ることはできないだろう。

 

 耀は体勢を崩しながらも回避しようと試みる。

 

 だが、体を逸らし切る前にガルドの虎爪が耀の左腕を捉えた。

 

「──」

 

 その直後、御波はガルドの眼前へ出現した。

 

 傍から見れば、突如として御波がその場に現れたように映るだろう。事実、飛鳥やジン。耀もガルドも御波の動きに反応を示していない。

 この場の誰もが、御波の動きを捉えていないのだ。

 

「──耀から離れろ、外道!!」

 

 御波の拳撃がガルドの胴体を捉える。

 ガルドの巨躯は第三宇宙速度で屋敷の壁を突き破り、樹海の木々を薙ぎ倒しながら数百m先まで吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ⋯⋯!」

「しっかりして春日部さん!?」

「気を確かに持ってください!」

 

 飛鳥たちは、屋敷から数十mの場所に退避していた。

 飛鳥とジンは激しい痛みに顔を顰めて蹲る耀へ呼びかける。ガルドの爪牙は耀の左腕を引き裂いたが、直撃する直前に後退したのだろう。その傷は骨まで達してはいない。

 

 だが、少女の柔肌に奔る裂傷と多量の出血に、飛鳥とジンの表情を険しくさせた。

 

「傷もそうですが出血が酷い⋯⋯! 飛鳥さん、髪留めのリボンをください。それで止血します!」

「え、ええ⋯⋯」

 

 飛鳥は結んでいた二つのリボンを解いてジンへ手渡す。それなりの大きさのリボンは包帯としての代用を果たすだろう。ジンは緊迫した声音で耀へ語りかけた。

 

「耀さん、かなり痛むと思いますが我慢してください⋯⋯!」

「う、うん、お願い⋯⋯!」

 

 ジンは止血しようと試みる。それを傍観するしかない飛鳥は歯噛みした。

 

(私を庇わなければ、春日部さんが怪我をすることもなかった! ⋯⋯いえ、せめて部屋に突入するのが二人なら、ガルドの攻撃を凌げたかもしれないのに、サポートに徹してくれていた御波君に甘えてしまった⋯⋯!)

 

 ガルドが部屋の中で待ち構えているのは、耀のお陰で分かっていた。奇襲の可能性は考慮してしかるべきだったのだ。

 だが、先日ガルドを完封できてしまったことが心の何処かで慢心を招き、飛鳥たちは全員で突入してしまった。

 

(それに、御波君の手を借りることになってしまった。これじゃ、白夜叉や十六夜君の言う通りじゃない⋯⋯!)

 

 飛鳥と耀は魔王との戦いに生き残れない。

 

 白夜叉はそう言っていた。思い返してみれば、御波は十六夜と同様に忠告を受けていなかったではないか。

 十六夜も御波を信用した発言が随所に見られていた。この事態に直面するまで飛鳥は半信半疑だったが、今なら理解できる。十六夜には分かっていたのだ。御波だけで、このゲームを圧勝できると。

 

 ジンの処置で飛鳥の出る幕はない。飛鳥は屋敷に視線を向けて、ガルドを足止めしているであろう御波について思案する、

 

(ガルドの動きは見えていたけれど、私では回避することができなかった。でも、御波君の動きは認識さえできなかった。春日部さんが怪我をしたと思ったら、何時の間にかガルドが目の前から消えていたわ⋯⋯!)

 

 飛鳥とそう変わらぬ体躯に華奢な背中。

 御波の美貌は飛鳥が自信を喪失しかける程に美しく、柔和な性格は包容力に溢れ、浴場で黒ウサギや耀と──あの容姿と性格で男の子だなんて反則よ!? などと話題のタネになっていた。

 

 だが、飛鳥たちを守るために現れた漆黒の背中。ガルドを一蹴し、飛鳥たちを救ったあの背中は昨日の印象を覆す程の衝撃を飛鳥に与えた。

 

 飛鳥は悔しさと情けなさに肩を震わせる。先日の噴水広場で、御波はガルドを絶対に許せないと宣言していた。

 

 このゲームに対する気持ちは、飛鳥よりも大きかったに違いない。

 

 その気持ちを飲み込み、コミュニティのために飛鳥たちへギフトゲームの趨勢を任せてくれたのだ。

 その事実を正しく認識せず、御波の力を借りずとも勝てると慢心し、剰え御波に危機を救われている。

 

(情けない⋯⋯御波君たちと同じく箱庭に召喚されたのに、私は足を引っ張ってばかりじゃない⋯⋯!)

 

 誇り高い飛鳥にとってその現実は受け止め難く。しかし、歴然とした事実を飛鳥は受け止める。

 自分の未熟に目を背けるような惰弱を、彼女の誇りが許さなかった。

 飛鳥は屋敷から視線を外し、耀の治療を行うジンを見た。

 

「ジン君、春日部さんの容態はどうかしら?」

「⋯⋯どうにか止血はできましたが、一時的なものです。恐らく半刻も持てば良い方でしょう。戦うなどとてもできません⋯⋯!」

「⋯⋯ごめんなさいね、ジン君」

「えっ?」

 

 ジンは虚を突かれたように飛鳥を見上げた。凛としていて、気位の高い彼女が落ち込んだ声音でジンへ謝罪したのだ。

 普段の彼女であれば、その反応に不満げな声音で返したことだろう。だが、そんな気持ちは少しも湧かなかった。

 

「このゲームはおそらく、御波君が決着を付けるでしょう。私たちの危機を直接助けたんだもの。明らかにサポートの範疇を超えているわ。魔王を倒すコミュニティを作る。十六夜君が考えたその宣誓は、撤回しなければならないでしょう。⋯⋯ごめんなさい、私の責任よ」

「そ、それは違います! ボクが逸って飛鳥さんたちと一緒に跳び込みさえしなければ、耀さんも無事だった筈です! ガルドはボクを嫌っていました。ボクを狙ってくるのは予想できたことでした⋯⋯!」

「⋯⋯違うよ。一番動ける私が、ガルドの動きに対応できなかったから⋯⋯」

「それは違うわ春日部さん!?」

「そうです! 耀さんが動かなければ、ボクか飛鳥さんが命を落としていた可能性が高いです! 作戦を詰めておかなかった、ボクの失態です⋯⋯!」

 

 激痛に苛まればがら絞り出した耀の言葉を、飛鳥とジンは否定する。

 脂汗を浮かべながらも耀の表情は悔しげで、自分の至らなさを嘆いているのだろう。その気持ちは飛鳥にも痛い程に理解できた。

 

 ギフトゲームで何の役にも立てず、耀の治療にも碌な手助けをできない。嘗てない無力感に襲われながらも、飛鳥は耀を励ますために己を取り繕った。

 

「春日部さんは、私とジン君を救ってくれたじゃない。だから貴女が気に病む──」

 

 ことは無いわ。その言葉は突然の爆音に掻き消された。

 森林全域に轟くような爆音は、屋敷の方角から聞こえてきた。3人は屋敷の方角を見て驚愕に言葉を失った。

 

 屋敷の2階部分が粉塵を巻き上げて吹き飛び、その衝撃で屋敷その物が倒壊していた。その衝撃は風圧となって飛鳥たちの頬を撫でる。

 だが、飛鳥たちが呆然とした姿を晒しているのは、屋敷の倒壊によるものではない。

 

 吹き飛んだ2階から数十m上空。

 

「「「なっ⋯⋯」」」

 

 ガルド=ガスパーが、天高く舞い上がっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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吸血の獣人(後編)



 


 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷から飛鳥たちを退避させた御波は、ガルドの姿に訝しんでいた。

 御波の拳は確実にガルドを捉えていた。御波の攻撃で吹き飛ばされたガルドは樹海の中で倒れ伏している。

 

 御波の本気の攻撃に伴う風圧は、捕獲レベル3桁の猛獣をも殺戮せしめる。ガルドに放ったのは、重傷を負った耀や、背後の飛鳥やジンへ拳圧が及んではならないと加減を幾重にも重ねた一撃だった。

 それはガルドを吹き飛ばし、屋敷の壁と樹木を薙ぎ倒すのみに留められた。

 本来の威力の1割にも満たないその拳でも、捕獲レベル2桁までの猛獣全てを粉砕するだろう。

 

 だが、ガルドは無傷で立ち上がった。

 

(〝契約書類(ギアスロール)〟に書かれた通り、この剣でないとガルドを傷付けられないのかな?)

 

 御波は左手に握った白銀の十字剣に視線を向ける。ガルドを殴る直前、ガルドの背中から十字剣を奪っていたのだ。

 

 御波が十字剣に視線を向けていると、ガルドが鮮血のように紅い双眼で御波を睨み、憤怒の形相で疾走してきていた。強靭な四肢で大地を跳ねるように駆け、ガルドは自身の領地を踏み荒らす不届き者を仕留めんとする。

 その姿には、為す術なく吹き飛ばされたことへの警戒も、自身を唯一打倒しえる十字剣への恐怖も無い。

 

 数秒も要さず屋敷に到達したガルドは御波へ目掛けて跳躍する。御波に肉薄したガルドは爪牙を振り下ろした。

 空気を切り裂くような一撃が御波を直撃した。

 

「GYE⋯⋯!?」

 

 渾身で放たれた一撃は確かに御波を捉えた。鉄筋すら紙切れのように切断する爪は、華奢な胴体を引き裂いて血と臓物を撒き散らす筈だった。

 ガルドは愕然したように目を見開く。己の爪牙が御波を切り裂くこともなく、コートの表面で動きを止めていたからだ。

 

 着地して次の行動に移る間もなく、御波の拳がガルドの下顎を打ち上げた。

 

「GYA──!?」

 

 弾丸のような勢いで吹き飛んだ巨躯は天井を貫通し、屋根すら吹き飛ばして天高く打ち上げられる。先程と異なるのは、御波が建物を気にせず攻撃した点だろう。

 振るわれた一撃は衝撃波を伴い、一瞬で屋敷を倒壊させていく。

 

 屋敷が崩れ落ちて、瓦礫が数多と降り注ぐ。それらを意に介することもなく、上空を見上げた御波は胸中で呟いた。

 

(──貴女が、ガルドに力を与えた張本人か)

 

 御波の視線が、ガルドの遥か上空で佇む金髪の少女を射抜く。

 

「──」

 

 紅玉のように燦燦と輝く瞳と、晴天の如き澄んだ瞳が交錯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛鳥たちは呆然と、自由落下に抗えず地面に激突したガルドを見る。

 

 落下してから数秒。自失したように身動ぎ一つしていなかったガルドは、突如として素早く起き上がった。

 弾かれるように跳び起きたガルドは、飛鳥たちに見向きもしない。だが、自身の屋敷の無残な姿に呆然とする訳でもなく、威嚇するように唸りを上げてもいない。

 

 ただ、何かを恐れるように眼前の崩壊した屋敷を凝視していた。屋敷の瓦礫が音を立てて微かに揺れる。

 

「GYE⋯⋯!?」

 

 それだけで、ガルドは悲鳴を上げて後退した。飛鳥たちを襲った獰猛な獣の姿は其処にはなく、その巨躯を恐怖に打ち震えさせていた。

 

 その様に、飛鳥たちは困惑の声を漏らす。

 

「一体、御波君はガルドに何をしたというの⋯⋯」

「⋯⋯分からない。ただ、御波がガルドを圧倒してるのだけは分かる」

「⋯⋯っ! そうです、御波さんは何処に!? まさか、屋敷の倒壊に巻き込まれて!?」

「ボクがどうかしたの?」

「「「っ⋯⋯!?」」」

「GYE⋯⋯!?」

 

 飛鳥たちも、瓦礫の目の前に立ち尽くすガルドも同様に背後に振り向いた。

 小首を傾げた御波が、飛鳥たちの背後に立っていたからだ。耀は目を見開いて御波に問いかけた。

 

「ま、全く気配を感じなかった。御波、一体どうやって」

「うん? まあ⋯⋯ボクのギフトとだけ言っておこうかな」

 

 鈴を鳴らしたように御波は笑う。本来ならさぞ絵になる笑みだったが飛鳥はそれ処ではない。ガルドの怯えようは尋常ではなかった。御波が、ガルドに恐怖を刻む余程のことをしたと飛鳥は睨んでいた。

 

「御波君、貴方はガルドに何をしたの⋯⋯?」

「ただ2回殴っただけだよ? そんなことより耀の怪我は大丈夫⋯⋯そうじゃないね。耀、腕を見させてもらうよ?」

「う、うん」

 

 御波は耀の傍に屈んで左腕を真剣に見つめる。鮮血に染まっている左腕の容態の観察し終えたのか、御波は耀へ言った。

 

「耀、治療のために傷口を圧迫している布を外すよ。布を外す時にかなり痛いと思うけど、我慢してほしい」

「⋯⋯分かった。お願い」

「⋯⋯御波君。春日部さんを、助けられるの?」

「布を外せば、傷口から血が溢れ出します。外してからの出血が長引けば命の危険も⋯⋯」

「大丈夫」

 

 不安げな2人に御波は即答する。その表情は飛鳥が息を呑むほどに真剣だった。飛鳥は頷いて、耀を御波へ託すことにした。

 

「分かったわ。頑張って、春日部さん」

「うん。御波、お願い」

 

 御波は耀の左腕を縛る布に手を掛ける。痛みに苛まれている耀は勿論、飛鳥とジンも緊張した面持ちで傷口を見つめている。

 集中しているが、気負った様子はない面持ちの御波は、懐から一振りの刃物を取り出した。

 

(綺麗⋯⋯)

 

 それは、白銀に輝く包丁だった。一切の澱みも存在しない美しさには、如何なる名刀の輝きも膝を屈するのではないかと飛鳥に思わせた。目を奪われるような煌めきを放つ包丁を、一番近くで目の当たりにした耀は見惚れるように息を漏らす。

 

「⋯⋯」

 

 御波は片手を用い、嫋やかな手付きでそっと布に触れる。元々赤かった色を深紅に染める程に血を吸った布は、御波の純白の指を赤く汚す。それに顔色一つ変えるどころか、一切の乱れもなく御波は結ばれた布を解いた。

 

「っ⋯⋯!」

 

 左腕から布が取り払われ、傷口が露わになる。

 

 そこで飛鳥は一つ瞬きをした。気を取り直すためではなく生理的な瞬きだ。

 その時間は凡そ0.2秒。耀の腕から再度出血するよりも速い。一瞬と呼べる暗闇は、飛鳥が認識する間もなく訪れ、そして去っていく。

 

 だが、暗闇が晴れて飛鳥が次に目にしたのは──傷口が完全に塞がった耀の左腕だった。

 

「えっ?」

 

 それは、飛鳥の口から漏れたものだったかは彼女にも判然としない。御波を警戒して動かないガルドの存在が意識の外になる程の衝撃が飛鳥を襲った。

 

「か、春日部さんの怪我が⋯⋯治ってる?」

 

 鮮血に染まってこそいるが、耀の腕には傷一つ見当たらない。

 飛鳥は屈んで耀の腕を間近で確認する。紛れもなく、完全な治癒が施されていた。

 

「⋯⋯うそ⋯⋯本当に治ってる⋯⋯」

 

 耀は確かめるように自らの腕を動かす。一切の不具合なく滑らかに動く自分の腕に困惑を隠せないのか、何度も腕を振って確かめている。

 

 飛鳥は思わず耀に尋ねた。

 

「か、春日部さん。痛くないの?」

「⋯⋯うん、痛みも出血も全部治ってる⋯⋯!」

「うん、問題ないみたいで良かった!」

 

 御波は朗らかに笑いながら包丁を懐に仕舞う。ジンは、畏怖か驚愕か定かではない声音で御波へ問いかけた。

 

「い、一体、どんなギフトを⋯⋯!?」

「それはまた後でね。まだ、このギフトゲームは終わってないでしょ?」

 

 震えた声で問うジンを宥めるように御波は説く。飛鳥たちは沈黙を続けるガルドへ視線を向けた。

 

「GYE⋯⋯」

 

 飛鳥たちからの視線を一身に浴びたガルドは、依然として御波を注視していた。

 理性は感じられないが、獣の本能が御波を警戒しているのだろう。指定武具を手に持たない以上、御波にもガルドを傷つけることは不可能だというのに。

 御波に襲い掛かる素振りもないその姿は、牙を抜かれた獣のそれだ。

 

 御波はそんなガルドではなく、飛鳥たち3人を真っすぐに見つめて告げた。

 

「飛鳥、耀、ジン君⋯⋯ボクはあくまで補助役だ。ガルドの足止めと耀の治療。ボクにできるのはここまでだよ」

「御波君、それって⋯⋯」

 

 御波の口振りはまるで、飛鳥たちへ戦いはまだ終了していないと言っているように聞こえた。

 

「ボクじゃなく、3人がガルドを倒すんだ」

 

 飛鳥は己の耳を疑った。御波は、無様を晒した飛鳥たちにまだ機会があると言っているのだ。

 異論を唱えようとした飛鳥は口を噤む。御波の毅然とした眼差しは、飛鳥たちを信じていると明瞭に告げていたからだ。

 

「3人なら、このゲームをクリアするのなんて簡単だと思っているよ」

 

 立ち上がった御波はギフトカードを取り出して白銀の十字剣を顕現させた。

 

 御波は十字剣を地面に突き刺し、これ以上の言葉は不要とばかりに居住区画の方角へ歩を進め、その背中は飛鳥たちの視界から忽然と消失した。

 

 飛鳥は身を震わせながら立ち上がり、耀とジンに向き合う。

 

「春日部さん、ジン君。このまま終わる、だなんて思っていないわよね?」

 

 飛鳥の胸中に満ちるのは悔しさと自分への怒りだ。飛鳥は、自身の未熟で耀に怪我を負わせ、補助に収まってくれた筈の御波に危機を救われた。

 

 御波からすれば、飛鳥の姿はさぞ情けなく映っていたことだろう。

 ガルドと対峙するまでは傲慢とすら思える立ち振る舞いだった少女が、蓋を開ければ自分の身も守れず、仲間を危機に至らしめたのだ。飛鳥であれば、そんな醜態を晒した小娘にチャンスなど与えない。

 

 危機に瀕した同士を救うことはあるかもしれない。だが、能力の足らぬ身でありながら、慢心して万全を尽くさなかった愚か者を直後に励まし、再戦の機会を与えるなど飛鳥には考えられなかった。

 

 これは互いの命と誇りを賭けたギフトゲーム。御波はそんな戦いに万全を期さなかった者に対して、お前ならできると言ったのだ。

 

 それ程まで信じてくれていた同士の期待を裏切ってしまった。飛鳥は自分へ怒りを募らせた。

 だが、飛鳥は自分への 責は後回しにする。このゲームをクリアするため、耀たちと協力するべきだと判断した。

 

「御波君は、私たちならこの程度のゲームをクリアするのは簡単だと言った。その信頼、応える以外に道はないわ!」

「うん、私もそう思う⋯⋯!」

「ただ、考えてる時間はそうありませんよ。御波さんが居なくなったことで、ガルドの怯えが消えています」

 

 飛鳥は鋭くガルドを見据える。御波が消えたことで勝機ありと判断したのか、ガルドは牙を剥き出しにして飛鳥たちを睨んでいる。今すぐに襲ってこないのは、飛鳥たちの眼前に指定武具の十字剣が突き刺さっているからだろう。

 

 耀は立ち上がり飛鳥たちの前に立ち十字剣を抜く。十字剣を片手で構えた彼女は、物静かな雰囲気からは想像できない気迫を漂わせて言った。

 

「私がガルドの気を引くから、飛鳥とジンはガルドの動きを抑えてほしい。そうすれば後は私が、この剣でガルドを倒す⋯⋯!」

「ええ、任せたわよ春日部さん!」

「僕も微力ですがサポートします!」

「ええ、来るわよっ!」

「──GEEEEYAAAAaaaaaaaaaaaaa!!」

 

 咆哮を轟かせたガルドが飛鳥たちへ疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 読んでくださるのは勿論、感想やお気に入り登録、評価などもありがとうございます!
 
 感想欄で聞かれたことなのですが、私の描写の未熟もあり読者の方から文章の違和感や不自然な点について指摘を頂きました。

 感想欄でも言及させていただいたのですが、その箇所は敢えて不自然に描写した箇所でした。
 これからも、その様な不自然な描写が気になったら感想欄で聞いていただけると幸いです。
 私のミスであれば修正。そうではなく、敢えての描写や伏線の類であれば作者の気分次第なのですが後書きにて描写を入れようかなと思っていました。

 私の個人的な好みですが、ただのQ&Aでは味気ないかなと思い試験的ではありますが、下記の後書きで登場人物たちに触れられる伏線について少し触れてもらいたいと思っています。
 形式としては台本形式。問題児シリーズ公式Xのアンケート回答の文字だけ版をイメージしています。
 アンケートでも確認させていただいていますが、好評であれば続けていきたいと思っています。

 興味のある方はご覧いただけると幸いです。






















黒ウサギ)それでは、感想欄で質問されていた、御波さんが白夜叉様からギフトカードを貰えた件について語っていくのですよ♪

十六夜)そういえば、ゲームプレイヤーは俺とお嬢様と春日部だけで、御波は参加してなかったな。でもあれは、白夜叉がコミュニティ復興の前祝いって言って渡したものだろう?

白夜叉)うむ。だがそれは表向きの理由だの

黒ウサギ)というと?

白夜叉)私はおんしたちに出会う前から4人の内の誰かを警戒しておった。そして、私の星霊としての予感が一番怪しそうと睨んだ御波に抱き着き、そしてその身に宿る気配に気付いた訳だ。流石はこの白夜叉様の慧眼だのう!

黒ウサギ)はいはい、あまり尺もありませんので短くお願いしますね

白夜叉)う、うむ。最近黒ウサギの私への扱いが雑なような⋯⋯まあよい。御波が怪しいと踏んだ私は、前祝いを口実に御波にギフトカードを与えてギフトの名前から正体を探ろうとして⋯⋯⋯⋯⋯⋯確信を持った訳だ

十六夜)あの黒塗りのギフトネーム名か?

白夜叉)あのような事例は絶対にありえん。絶対にだ。おんしのギフトネーム名より不可解だったからのう。〝ラプラスの紙片〟は全知の一端。それが名前すら記せないなどそれこそ⋯⋯

黒ウサギ)白夜叉様?

白夜叉)いやすまん! ともあれ、私がギフトカードを御波にも渡した理由はコミュニティ復興の前祝いと、ギフトネーム名から正体を知りたいという理由からだのう!

十六夜)ヤハハッ! やっぱり御波の奴は面白いな

黒ウサギ)後書きでのコーナーは以上となります! 各話の後書きでアンケートも実施されているようなので、よろしければ回答をお願いしたいのですよ♪










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箱庭の騎士

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノーネーム本拠・談話室。

 

 3階の一室で御波、十六夜、黒ウサギはソファに腰掛けていた。

 

「元・魔王のお仲間が出品される予定だったゲームが取り消されたぁ?」 

「は、はい。ギフトゲームが終わり、その後ゲームの申請に向かった先で黒ウサギも知りました。白夜叉様に聞いたところ、多額の買い手が付いてしまったとのことです⋯⋯」

 

 十六夜の鋭い視線に黒ウサギはウサ耳を萎れさせて頷く。

 ガルドとのギフトゲームを制した飛鳥たち3人。ガルドに人質を取られ、旗印すら奪われていた者たちに旗印を返還し、ジン=ラッセルの名と打倒魔王を大衆に宣言することに〝ノーネーム〟は成功した。

 

 そのゲームで重傷を負った耀だったが傷は完治していた。だが、傷が癒えても流した血までは戻らない。

 コミュニティの工房に置いてある治療用のギフトを用いて、黒ウサギに増血を施された耀。彼女は治療室で1日は安静にするよう黒ウサギから念を押されていた。

 

 飛鳥とジンは彼女に重症を負わせてしまった事実を気にしているのだろう。耀に暫く付き添うようだった。

 黒ウサギの語った内容に、十六夜は不機嫌な様を隠すことなく吐き捨てた。

 

「所詮は売買組織か。ホストとして提示した景品を、金を積まれたからって取り下げるなんてな。〝サウザンドアイズ〟にプライドはねえのかよ」

「仕方がないのですよ。〝サウザンドアイズ〟は群体コミュニティです。白夜叉様のような直轄の幹部が半分で傘下のコミュニティの幹部が半分。今回のゲームの主催だったのは、傘下コミュニティの幹部である〝ペルセウス〟でした。恐らく、自分たちの看板に傷が付いても構わない程の多額の金銭かギフトを提示されたのでしょう」

 

 黒ウサギの表情は達観としている。だが、その両拳は強く握り締められていた。

 嘗ての仲間を取り戻す千載一遇の好機が無くなったのだ。仲間想いの彼女が悔しさを感じない筈がなかった。

 

 そんな黒ウサギを揶揄うことは、問題児筆頭の十六夜もできなかったようだ。十六夜は髪を掻いて黒ウサギに問いかけた

 

「次回を期待するしかないか⋯⋯ところで、その仲間ってのはどんな奴なんだ?」

「⋯⋯そうですね。端的に表すならスーパープラチナブロンドの髪の超美人さんです。指を通すと絹糸みたいに肌触りが良くて⋯⋯兎に角、大変お綺麗な方なのです!」

「へえ? 見応えはありそうだな」

「それはもう! しかも思慮深く、黒ウサギのことをとても可愛がってくれました⋯⋯とても、素敵な方なのです」

「それって、バルコニーにいるあの人のこと?」

「えっ⋯⋯?」

「何⋯⋯?」

「ほう? 気付いていたのか」

 

 十六夜と黒ウサギは勢い良く窓の外を見た。其処には、金髪の少女が微笑んでいた。

 その少女を視認するや黒ウサギは跳ね上がり、持ち前の俊敏さで窓に駆け寄って叫んだ。

 

「レ、レティシア様!? どうして此処に!?」

「様などと呼んでくれるな。今の私は他人に所有される身分。〝箱庭の貴族〟であるお前がモノに敬意を払っているのを、誰かに見られたら笑われるぞ」

 

 黒ウサギはレティシアと呼ばれた少女を部屋に招き入れる。

 彼女は美麗な金髪を揺らして御波たちを見た。長い御髪をリボンで結び、紅いレザージャケットの下に拘束具を彷彿させる白のロングスカートを着用している。

 

 その幼くも、気品に溢れる雰囲気と容姿に御波は見覚えがあった。

 

「さっきのギフトゲーム振りですね。まさか、貴女が黒ウサギと同じコミュニティだったとは思いませんでした」

「ああ、私も君のような実力者が〝ノーネーム〟に所属していたとは思わなかったよ。ガルドを歯牙にも掛けない実力に、仲間を一瞬で()()()()()()()⋯⋯そこの十六夜もそうだが、黒ウサギは随分と力のある者をコミュニティに加入させたようだ」

「へえ? 俺のことだけじゃなく、御波のことも知ってるってことは、お前がガルドのゲームに細工したのか?」

「ああ、その通りだ」

 

 レティシアは黒ウサギに先導されてソファに腰を下ろして御波たちに向き合った。黒ウサギは、隣の彼女に困惑を滲ませて問いかける。

 

「レ、レティシア様、十六夜さんの言葉は本当ですか? 貴女がガルドとのギフトゲームに細工をしたというのは⋯⋯」

「⋯⋯事実だ」

「な、何故そのようなことを?」

「黒ウサギたちがコミュニティの再建を掲げたと耳にしてな。その時はなんと愚かな真似を⋯⋯と思いお前たちを説得しようと私は考えていたんだ。そして接触のチャンスを得た時、ある話を耳にした。神格保持者を打倒した者が黒ウサギのコミュニティに加入したとな」

 

 御波、黒ウサギ、レティシアの視線が十六夜に注がれる。十六夜が蛇神を打倒したのを知るのは、御波たちを除けば白夜叉しかいない。

 黒ウサギを支援していた白夜叉は、〝ノーネーム〟の同士であったレティシアにその情報を伝えたのだろう。

 

「そこで私は試してみたくなったんだ。その新人たちが、コミュニティを救えるだけの実力を持っているのかどうかをな」

「へえ? それで結果は?」

 

 十六夜が挑発的な視線を向ける。レティシアは苦笑しながら首を横に振った。

 

「ガルドでは当て馬にもならなかったよ。彼女たちはまだ青い果実で判断に困る。⋯⋯尤も、そこの御波からは既に完成された実力を感じたがな」

「成る程⋯⋯それじゃあ、アンタの懸念は取り除かれたのかな?」

「⋯⋯いや、まだそれだけでは足りないな」

 

 レティシアは立ち上がり、ソファに座る十六夜を見下ろした。幼い外見に見合わぬ威圧感に十六夜は獰猛に笑いながら立ち上がった。

 

「面白れぇ。自分の目で実力を見た御波は兎も角、俺に関しては半信半疑って訳だ」

「そういうことだ」

「レ、レティシア様? それに十六夜さんも⋯⋯」

「止めてくれるなよ黒ウサギ。それで、ルールはどうする?」

「どうせ力試しだ。互いに一撃ずつ撃ち合い、そして受け合う。それでどうだ、元・魔王様?」

「いいだろう」

 

 2人は笑みを交わして窓から外に出る。十六夜はバルコニーから飛び下りて中庭で仁王立ちした。

 地面に立った十六夜とは対照的に、レティシアは漆黒の両翼を背中に生やして浮遊する。

 

 御波と黒ウサギはバルコニーに出て中庭の二人を視界に収める。御波は黒ウサギに尋ねた。

 

「ねえ、黒ウサギ。レティシアさんって元・魔王らしいけど、実際どれだけ強いの?」

「⋯⋯レティシア様は吸血鬼の純血にして神格を保有しています。魔王と自称できるだけの実力を持っているお方です。十六夜さんといえど分が悪いかもしれません⋯⋯」

「成る程⋯⋯」

 

 そういう黒ウサギの表情は不安げだ。黒ウサギがレティシアを深く尊敬しているのは、彼女がレティシアを語る姿を見れば理解できた。

 そんなレティシアと、新たな同士である十六夜が力比べで争うことに不安を抱くのは当然だ。

 

 だが、御波にはレティシアが突き抜けた実力者とは思えなかった。

 

 立ち振る舞いに目立った隙は無く、空を自由に飛翔しながら攻撃を行えるのは厄介だ。強力なギフトなども隠し持っているだろう。

 それでも、レティシアが十六夜に勝る予感を御波は感じなかった。

 

 レティシアが取り出した、金と紅と黒のコントラストで彩られたギフトカードが輝く。光の粒子が収束して、爆ぜたような音と共に長柄の槍が顕現する。

 黒ウサギは息を呑む。彼女は口元を震わせ、顔色を蒼白に変えてレティシアを見つめていた。

 

 レティシアは自身の体長よりも大きい鉄塊を軽々と振りながら、十六夜に微笑みかけた。

 

「互いにランスを投擲し、受け止めることができなければ敗北だ。悪いが先手は譲ってもらうぞ」

「好きにしろよ」

 

 制空権を握られ、先手を譲っても十六夜は余裕の笑みを崩さない。レティシアがどんな一撃を放つのか楽しみにしているようだ。

 レティシアはランスの柄を逆さまに持ち替えて掲げる。両翼を大きく広げてランスを振り被り、

 

「ハァ──!」

 

 全身を撓らせて投擲した。

 

 衝撃波が視認できる程の速度で放たれた槍は、空気中の摩擦で高熱を帯びる。流星の如き一撃を前にした十六夜は牙を剥くように笑った。

 

「カッ──しゃらくせぇ!」

 

 十六夜の拳と、鋭利に研ぎ澄まれた音速の槍が衝突する。

 

 軍配は十六夜に上がった。拮抗することすらなく、十六夜の拳は槍の先端を拉げさせて只の鉄塊へと変貌させたのだ。殴り付けられた鉄塊はレティシアへ跳ね返される。

 レティシアの投擲は音速を超えた一撃だったが、跳ね返された鉄塊は第三宇宙速度でレティシアへ殺到している。その埒外の威力にレティシアは反応できていない。

 

 第三宇宙速度という速度の鉄塊が直撃すれば無事では済まない。

 

 しかし、レティシアを粉砕せんと迫る鉄塊は、バルコニーから跳び出した黒ウサギによって撃ち落された。

 片手に握り締めた金剛杵からは雷が放たれている。

 

 金剛杵を握り締め、金色の雷を放ちながらレティシアを守った黒ウサギ。レティシアは黒ウサギを抱き留めて地面に着地する。

 

「く、黒ウサギ! 何をする!?」

 

 それは決闘を邪魔されたことへの叫びではなく、黒ウサギがレティシアの懐からギフトカードを抜き取ったことに対する抗議だった。

 黒ウサギはその言葉に聞く耳を持っていない。彼女はギフトカードを凝視して声を震わせた。

 

「ギフトネーム・〝純潔の吸血鬼(ロード・オブ・ヴァンパイア)〟⋯⋯やはり、ギフトネームが変わっている。鬼種は残っているものの、神格が残っていない」

「っ⋯⋯!」

 

 黒ウサギの沈痛げな視線に射抜かれ、レティシアは目を背ける。レティシアがギフトカードを取り出した際に、黒ウサギが血相を変えたのはそれが原因だったのだ。

 十六夜は2人に歩み寄り、拍子抜けしたように尋ねた。

 

「もしかして元・魔王様のギフトって吸血鬼のしか残ってねえのか?」

「はい。多少の武具は残っているようですが、自身に宿るものは⋯⋯」

 

 十六夜は舌打ちをした。そんな弱体化した元・魔王に勝ったとしても彼にとっては不満でしかないのだろう。

 黒ウサギは痛ましげにレティシアを見つめ、レティシアは俯いて口を閉ざしている。

 十六夜は肩を竦ませ、やれやれと頭を振って2人を励ますような軽い声音で言った。

 

「まあ取り敢えず屋敷に戻ろうぜ。積る話は腰を落ち着ける場所でするべきだ」

「⋯⋯そう、ですね」

「ってか御波! お前は何時まで高みの見物を⋯⋯⋯⋯アイツ何処に行ったんだ?」

「えっ⋯⋯?」

 

 十六夜はバルコニーを訝しげに睨んでいる。黒ウサギもその視線を追った。彼女がレティシアを救う直前には隣に立っていた筈だ。黒ウサギも困惑を隠せないように眉を上げた。

 

「御波さん⋯⋯一体何処へ?」

 

 2人が見据える先。其処に御波の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝ノーネーム〟本拠から数㎞地点・上空。

 

 吹き付ける風が黒髪を撫で、身に纏うロングコートが靡く。星の煌めきしか届かない上空で御波は佇んでいた。

 その表情には常日頃の柔和な微笑みは存在しない。静謐さを感じさせる程に、静かに眼前を見据えている。

 

 その視線の先。100を超える軍勢の前に、御波は泰然と立ち塞がっていた。

 

 彼等は一様に軽装の鎧を纏い、光り輝く片翼の具足と頭部を覆う兜を身に着けている。その背後には蛇の髪を持った女性の首が記された旗印が掲げられていた。

 行く手を遮る御波を、彼等は怒気を滲ませて睨みつけている。だが、数多の害意に晒されても御波の表情に変化はなかった。

 

「皆さん、そんなに大勢でどちらまで? 此処から先には大きな屋敷しかありませんが」

『⋯⋯』

 

 彼等は口を開かない。御波を排除せんと剣呑な雰囲気を発しているにも関わらず、不気味なまでの沈黙を続けている。

 御波は溜息を吐く。このままでは埒が明かないと判断して、御波は自分から名乗り、目的を話すことにした。

 

「ボクは〝ノーネーム〟所属の御波です。ボクたちの敷地に無断で入り、本拠へ足を進めていた貴方たちの所属と、その目的を聞かせていただいても?」

「〝ノーネーム〟だと?」

 

 真紅の外套を纏った先頭の男が御波の言葉に反応する。

 背後の兵士たちは嘲笑を隠すことなく御波を見た。

 

「〝ノーネーム〟如きに我らが名乗ると思っているのか?」

「さっさと其処を退くといい⋯⋯それとも、貴様一人で我らを止めるとでも?」

「自分たちの旗印はおろか、名すら守れなかった名無し風情が身の程をしれっ!」

 

 最初の兵士たちの声を皮切りに、無数の怒声と侮蔑が御波へ注がれる。

 100人以上の兵士たちの表情にはそれぞれ、嘲り、怒り、そして数名が焦燥を浮かべている。

 

 外套の男などはそれが顕著だ。彼は御波を嘲笑することもなく、背後の兵士たちを叱責した。

 

「お前たち! 我らが此処まで足を運んだ理由を忘れるな!」

 

 その一喝に兵士たちは閉口する。御波を睨んでいる者は多いが、外套の男に異論を唱える者はいなかった。

 この男は私情に流されることなく、目的を果たそうと行動しているのだ。

 

「其処を退け。貴様に事情を話している暇はない」

「⋯⋯所属も目的も明かさない、武装した大勢。そんな貴方たちを大人しく本拠に行かせるとでも?」

「貴様が止めるとでも言うのか。100人を超える我々を?」

「⋯⋯少なくとも、所属と目的を明かさない貴方たちを通すつもりはありません」

 

 断言する御波に、先頭の男は目を細める。背後の軍勢から殺気が放たれると同時に、彼等は武器を取り出した。刀剣に槍、戦斧や戦鎚を持つ者もいる。先頭の男も抜剣して構えた。

 

 御波も懐から白銀の包丁を取り出して身構えた。夜空に在ってもその一振りの輝きに陰りはない。

 外套の男は感心したような声を漏らした。

 

「そのナイフ。名のあるギフトと見た⋯⋯お前たち、名無しとはいえ油断するなよ」

『はっ!』

 

 兵士たちは徐々に陣形を広げていく。統率の取れた動きは、彼等が積んだ鍛錬の賜物だろう。

 〝ノーネーム〟を嘲り罵倒したのは、彼等が積み上げてきた功績と自信によるものなのかもしれない。

 

 彼等は御波を取り囲むように陣形を組む。御波は神経を研ぎ澄ませる。

 一触即発の空気がこの場の全員を包む。外套の男は兵士たちに号令を出した。

 

「皆の者、掛かれぇ!」

 

 御波に襲い掛からんと飛翔する兵士たち。御波は外套の男を目掛けて接近しようと走り出そうとする。

 

 その瞬間──

 

「ガッ⋯⋯⋯⋯!?」

 

 御波の背後。うなじ部分に痛みと衝撃が奔った。

 

 うなじ部分から感じるのは激しい熱と切り裂くような痛みだった。うなじから噴き出した鮮血が撒き散らされ、御波の体は衝撃に逆らわず落下していく。

 

 落下する直前、御波が視界の端に捉えたのは──嘲りに満ちた兵士たちの表情だった。

 

 御波は重力に従って落下していく。徐々に加速して風が肌を打つ。その感覚に感慨を抱く間もなく、御波は鈍い音を立てて地面と衝突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし。このまま〝ノーネーム〟へ向かって吸血鬼を捕獲するぞ」

「あの名無しの者はどうしますか?」

「放っておけ。どうせあの出血では生きてはいない。今は時間が惜しい」

「了解」

 

 彼等──箱庭第5桁に本拠を構えるコミュニティ、〝ペルセウス〟の構成員だ。

 彼等は、コミュニテの長であるルイオス=ペルセウスの側近である男の言葉に頷いた。

 彼等は自分たちが主催するギフトゲームの景品として、レティシア=ドラクレアを売り払おうと画策していたが、そのゲームは多額の買い手が付いたために中止となった。

 

 だが、その混乱に乗じるようにレティシアが突如として消息を眩ませた。

 

 ルイオスはレティシアの逃走に加担した疑いのある白夜叉の元へ。彼等はレティシアの未練にして、〝ペルセウス〟が彼女を所有する原因となった〝ノーネーム〟の本拠へ向かおうとしていた。

 

 思わぬ邪魔が入り、不意討ちによる強行的な手段を取らざるを得なかったが、側近の彼は感慨を抱くことなく前を見た。

 

 〝サウザンドアイズ〟から依頼され、コミュニティの名を掲げて開催しようとしていたギフトゲームを取り消したのだ。それは双女神の旗に泥を塗る行いに他ならない。

 傘下コミュニティがそのような狼藉を働けば、〝ペルセウス〟は懲罰として降格する恐れすらあった。

 

 それらを承諾するだけの大口の商談ではあったが、故に吸血鬼を逃す失態だけは犯せなかった。

 

 名無しのコミュニティの、人間一人の命など顧みる余地すらない。彼等は本気でそう思っている。

 自分たちのコミュニティの利益と、箱庭の多くで蔑まれ、尊重されることのない〝ノーネーム〟を比べる必要すらない。

 

 そのために名無しの人間の犠牲が必要なら、彼は何人であろうと斬り捨てる覚悟だった。

 側近の男は真紅の外套を翻して背後の兵士たちに告げた。

 

「よし、行くぞ──」

 

 彼等は一斉に足を止めた。瞬時に武具を取り出し、臨戦態勢に移行する。側近の彼も抜剣して身構えた。

 側近の男の号令の直後、突如として身を凍えさせるような悪寒が彼等を襲ったのだ。矢継ぎ早に彼等に降り注ぐのは、まるで重力が何倍にもなった感覚。

 

 彼等は一切の例外なく宙に膝を突いた。

 

「はっ⋯⋯はっ⋯⋯はぁ⋯⋯!」

 

 呼吸が浅くなる。寒気がする筈なのに、汗が滝のように流れていく。酸欠に因るものなのか、視界が暗く染まって体の節々が痛む。

 この場から離れ、吸血鬼を捕獲しなくてはならない。理性はそう告げている。だが、彼の本能は全く異なる警鐘を鳴らしていた。

 

(動けば⋯⋯死ぬ⋯⋯!)

 

 理屈ではなく本能で理解できた。背後の兵士たちは呻き声を上げて苦悶に喘いでいる。その中で、側近の男は思考を巡らせた。

 

(な、何者だ⋯⋯! 触れることすらなく我らを無力化し、身動きを取れない程の重圧を与えるとは。ま、まさか最強種なのか!? いやっ、最下層にそんな化け物が存在する筈が──)

「全員、意識はありそうですね」

 

 側近の彼は反射的に顔を上げた。その声は、先程まで耳にしていた人物のものと同一だった。

 

 驚愕と恐怖に表情を歪めた彼が見たのは、

 

 ──全身を鮮血で染め、自身を見下ろす御波だった。

 

 黒のロングコートからは、夥しい程の血液が流れ落ちている。その発生源である首元からの流血は止まることなく溢れ、白皙の肌を紅く汚している。

 

 誰が見ても致命傷だ。目の前の人間(バケモノ)から流れ落ちる血液の量は、出血多量で間もなく息絶えるのではないかと側近の彼に思わせた。

 

 だが、御波の顔色は一切変わっていない。致命傷に至る血を流しながら、その美貌の顔色は青褪める所か正常なようにすら見える。

 今にも息絶えそうな程に凄絶な有様でありながら、その姿勢は一本の芯が通ったように揺るぎない。

 

 殺気もなく、怒気すらない。只、御波から放たれる圧力に彼等は封殺されていた。

 生物として天地にも隔たっていると、否が応にも直感するその迫力に、側近の男は言葉を紡げなかった。

 

 彼等を見下ろしながら、鮮血に塗れた御波は冷淡に問いかけた。

 

「さぁ、話をしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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ペルセウス



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 ぺリベット通り・〝サウザンドアイズ〟2105380外門支店。

 

 蛇皮の上着を身に纏った線の細い男。亜麻色の髪に整った顔立ちの青年、ルイオス=ペルセウスは机を隔てた先の人物。東の〝階層支配者(フロアマスター)〟である白夜叉に軽薄な笑みで向かい合っていた。

 

「そういえば、あの吸血鬼の古巣にはウサギが居るんだったっけ?」

「ふん、だからどうした?」

 

 白夜叉は声も聞きたくないとばかりに顔を顰める。ルイオスは〝サウザンドアイズ〟から依頼されたギフトゲームを独断で中止にした。それは〝ペルセウス〟だけでなく、双女神の旗印にも泥を塗るに等しい。

 白夜叉の中では、既に〝ペルセウス〟が双女神の旗印を掲げて商売を行うのを許すつもりはなかった。殆んどの幹部たちはその意見に同意するだろう。

 

 それ程までに、ルイオスの狼藉は目に余った。これ以上を行うのであれば、〝ペルセウス〟は〝サウザンドアイズ〟からの後ろ盾を失い、箱庭第5桁から第6桁に降格するだろう。

 

 それを想定していないのか、想定内だからこその余裕綽々の態度なのか。ルイオスは負い目がある筈の白夜叉を前にしても軽薄な態度を崩さない。

 首元のチョーカーにぶら下がっている金の装飾。蛇の髪を生やした女の首を模ったそれを白夜叉に見せつけるように手で触っている。

 

 此処に至るまでルイオスが働いた白夜叉への狼藉は複数あった。

 

 白夜叉の部下を侍らせ、自身に売ってくれないかと持ち掛けるに留まらず、部屋を出ようとした彼女を遮るように茶器を放り投げて部屋を汚し、あろうことか部屋に細工を施して扉が開かないようにした。

 

 仲間を何より大事とする白夜叉に、仲間を金銭で売ってほしいと宣い、彼女を侮辱した行為が2つ。今は秩序の守護者である彼女だが、その来歴は押しも押されぬ大魔王だ。彼は自身の行いの代償として、白夜叉から攻撃を受けても文句は言えない立場にあった。

 

 にも関わらず、余裕綽々な態度を崩さないのは彼が頻りに触れている装飾にある。

 

 あの装飾に宿る存在であっても、白夜叉は歯牙にも掛けずに打倒するだろう。

 

 戦闘の余波を無視すれば、の話だが。この支店には店員が何人も勤務している。ルイオスは白夜叉が自身を害そうと動けば、彼のギフトを解放すると脅したのだ。

 故に白夜叉は動けない。ルイオスがこの場を離れるまで、白夜叉は彼とこの部屋で過ごさなければならなかった。 

 

 白夜叉からの鋭い視線を受けながら、ルイオスは肩を竦めた。

 

「いやぁ。生のウサギなんて見たことないからさ、是非見てみたいと思ってね⋯⋯」

「生憎だが、レティシアを所有するおんしたちへの黒ウサギの心象は最悪だろうよ」

「そんなこと僕らに言われても困るね。あの吸血鬼を捕まえたのは僕たちじゃないし、ギフトゲームに負けたのはアイツらの自己責任だろう?」

「ふんっ、精々粋がっているがよい。双女神の旗を汚したおんしたちのコミュニティには、相応の罰が下されるだろうからのう」

「ハイハイ。分かっていますよー」

 

 ルイオスの煽るような物言いに、白夜叉は青筋を立てた。彼女の堪忍袋の限界に届きそうなその時、部屋の外から男の声が聞こえた。

 

「る、ルイオス様! よろしいでしょうか!」

「あ、どうやら吸血鬼は確保できたみたいだねぇ。いいよ入って」

「⋯⋯失礼します」

 

 そう言って扉を開けたのは、真紅の外套を纏ったルイオスの側近だった。だが、彼は額に汗を浮かべて跪いたまま部屋に入ろうとしない。

 ルイオスはそんな側近に怪訝げに話しかけた。

 

「さっさと入ってこいよ。そんな所で膝突いてないで──」

「失礼致します」

 

 ルイオスの声を遮るように、凛とした女性の声が白夜叉とルイオスの鼓膜を揺らした。

 白夜叉は知己の声に目を見開き、ルイオスは眉を潜めた。

 

 側近の男の後ろから現れて部屋に入ったのは、怒りを表情に滲ませた黒ウサギだった。

 

「黒ウサギ!? おんし、何故此処に!?」

「おいおい、黒ウサギだけじゃないぜ白夜叉」

 

 そう言って黒ウサギに続いて入室したのは、逆廻十六夜と久遠飛鳥だった。白夜叉は虚を突かれたように二人を見た。

 

「おんしたちまで⋯⋯」

「は? 誰だよこいつら。つかお前、何こんな奴ら連れてきてんの? 吸血鬼は?」

 

 ルイオスは機嫌の悪さを隠すことなく側近の男に捲し立てる。その視線と声音は冷たく、側近への落胆が感じられた。

 

「きゅ、吸血鬼は確保できたのですが⋯⋯」

「なら良いじゃん。何でウサギは兎も角、後ろの2人も連れてきてるんだよ?」

「⋯⋯それは」

「そこから先は黒ウサギが答えさせて頂くのですよ」

 

 黒ウサギは睨むようにルイオスを見下ろした。ルイオスは眉間に皺を寄せる。先程までは黒ウサギに興味津々な様子だったが、彼女の態度は気に入らなかったようだ。

 

 黒ウサギはギフトカードから厚みのある布を一枚取り出して足下に敷く。

 そして、その上に一振りの西洋剣を顕現させた。白夜叉は刀身を覆う大量の血液を見て驚愕に声を漏らした。

 

「こ、これは⋯⋯!?」 

「我らが同士、御波さんの血液が付着した剣でございます」

 

 黒ウサギは端正な顔立ちに憤怒を滲ませ、ルイオスを鋭く見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝ノーネーム〟本拠・中庭。

 

 100を超える軍勢を連れて、中庭に降り立ったのは血塗れの御波だった。談話室でレティシアから事情を聞いていた黒ウサギは、それを見て顔を青褪めさせた。

 

「み、御波さん!?」

 

 談話室の窓を開け、中庭に跳び下りた黒ウサギは御波に駆け寄る。十六夜とレティシアもそれに続く。御波の容態を見た黒ウサギは、口に手を当てて悲鳴を押し殺した。

 

「⋯⋯っ!」

 

 黒のロングコートから流れ落ちている血液の量は、存命であることが不思議な程の量であった。

 首元を刃物で斬られたのだろう。首から下を鮮血で染めている。コートから滴る血液と此処に戻ってくるまでの時間を考慮すれば、一刻も早く止血して治療を施さなければ死に至るのは想像に難くなかった。

 

「貴方たちは⋯⋯!」

 

 黒ウサギは思わず、御波と共に中庭に降り立った軍勢を睨んだ。彼等の纏う装備と、掲げる旗印は先程まで話に上がっていた〝ペルセウス〟のものだ。

 彼等の狙いはレティシアだと黒ウサギは推測した。彼等は、レティシアの身柄を確保しようと〝ノーネーム〟の敷地内に侵入し、それを察知した御波と対峙したのだろう。

 

 その結果、御波は命の危機に瀕している。御波の流血は、重要な血管に傷が入っているとしか思えない量だ。

 

 〝ペルセウス〟は黒ウサギの同士に刃を向けるだけに留まらず、殺す気で刃を振るったのだ。

 

 それを悟った黒ウサギの髪が緋色に染まる。怒髪天を突かんと怒りを滲ませた黒ウサギだが、彼女を静止したのは十六夜だった。

 十六夜は軽薄な笑みを潜め、険しい表情で黒ウサギを叱責する。

 

「おい黒ウサギ、早く御波を治療室に運べ! 時間がねえぞ!」

「は、はい!」

 

 怒りに身を震わせていた黒ウサギは冷や水を浴びせられたようにハッとする。

 御波を救うための治療用ギフトは黒ウサギしか使えない。彼女は〝ペルセウス〟への怒りを噛み締めて御波に近付いた。

 

「御波さん、気をしっかり! 今から治療室に運ぶためにお体を抱えさせていただき」

「大丈夫。見た目は凄いけど、止血は終わってるから⋯⋯」

「えっ?」

「何?」

「ほらっ、出血自体は収まってるでしょ?」

 

 御波は屈んで、黒ウサギと十六夜にうなじ部分を見せてくる。白い肌は鮮血に染まり刀傷は痛々しいが、確かに出血しているようには見えなかった。

 黒ウサギは御波が此処に到着するまで生存していた理由に得心がいった。

 

(そ、そういえば、御波さんは治療用のギフトを所持されていたんでした⋯⋯!)

 

 黒ウサギは表情を綻ばせるが、すぐに気を引き締める。止血されているだけで、傷が何時開くかも不明。そして、出血量は昼間の耀の比ではない。増血を施さなければならなかった。

 体を抱えようとした黒ウサギを御波は手で制して、〝ペルセウス〟の軍勢を指差した。

 

「ボクは大丈夫だから、あの先頭の人が側近みたいだから話してみてよ」

「え、ええ?」

「本当に、ボクは大丈夫だから」

 

 そう言って微笑む御波だが、黒ウサギは気が気ではない。仲間の言葉を信じたい気持ちは強いが限度がある。放置するには、御波の出血は夥しかった。

 傷の痛みと出血による倦怠感は凄まじい筈だが、微笑む姿は無理をしているようには見えない。、顔色も正常そのものだった。

 今すぐに御波を治療室に運びたい気持ちを抑え、黒ウサギは御波の言葉に頷いた。

 

「⋯⋯分かりました。しかし、少しでも異常があればすぐに治療室に運びます! よろしいですね?」

「うん、ありがとう黒ウサギ」

 

 黒ウサギは御波の前に出て、御波が指差した紅い外套の男と向き合った。額に汗を浮かべ、顔色の優れない男を黒ウサギは睨みながら問いかける。

 

「⋯⋯貴方たちが、御波さんに重症を負わせたのは間違いありませんか?」

「⋯⋯事実だ」

「何故か? とは貴方には問いません。御波さんを早く治療しなければなりませんし、責任の所在は貴方たちの長に問わせていただきます⋯⋯貴方たちの目的は、レティシア様ですね?」

「その通りだ。後ろの吸血鬼を捕獲しようと行動した我々を妨げようとしたその者を、我らは斬り捨てようとして⋯⋯制圧されたのだ」

「えっ?」

 

 黒ウサギは兵士たちを見る。黒ウサギは兵士たちが御波を連れて本拠に来たと思っていた。だが、事実は逆のようだった。

 彼等は総じて顔色は優れないが、その体には傷一つ無い。彼等が自分たちを卑下する言葉を望んで吐くとは思えない。本当に無傷で制圧されたのだろう。

 だが、この数を無傷で制圧する方法を、黒ウサギは咄嗟には考えつかなかった。

 

 外套の男は黒ウサギではなく御波に視線を向けた。

 

「制圧された我々に、そこの御波という者が交渉を持ち掛けたのだ。吸血鬼は元々我々が所有権を有している。その身柄を確保するのと、自身に重症を負わせたことを引き換えに⋯⋯〝ペルセウス〟と交渉をさせろとな」

「ほ、本当ですか御波さん!?」

「本当だよ黒ウサギ。ボクを()()()剣も確保してある。〝サウザンドアイズ〟に鑑定に出せば、それが〝ペルセウス〟の武器だと証明できるでしょ? それに、ボクを斬った人の指紋も付いているしね」

「ヤハハ! 自分が斬られたのを逆手に取ったのか。只では転ばねえってことか?」

「そうなるね⋯⋯」

 

 愉快そうに笑う十六夜に御波は答える。そして、突如としてレティシアに頭を下げた。

 突然の御波の行動に、レティシアは叫んだ。

 

「お、おい何故頭を下げる!?」

「貴女の許可なく、身柄を引き渡す交渉を進めてしまいました。ごめんなさい」

「⋯⋯いや、元はと言えば所有物である私が行方を眩ませたのが原因だ。君が頭を下げる必要は皆無だとも。頭を上げてくれ、君の体に障ってしまう」

 

 レティシアは微笑んで御波を諫める。御波は今回の騒動の被害者と言える立場だ。そんな御波を責めるなど、黒ウサギが尊敬するレティシアが行う筈がなかった。

 

「⋯⋯ありがとうございます」

 

 頭を上げた御波に、レティシアは安堵したように息を吐く。十六夜は鋭く〝ペルセウス〟の軍勢を睨んだ。

 

「御波を治療し終わったら、お前たちのボスに直接落とし前を付けに行かせてもらうぜ」

「⋯⋯無論だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒ウサギは鋭くルイオスを見据え、声音に怒りを籠めて宣言した。

 

「我々の同士が受けた暴挙に暴言。そして傷は、謝罪で済む問題を超えています。我々が望むのは、〝ペルセウス〟が所有するレティシアの所有権です。それを賭けて、両コミュニティでのギフトゲームによる決闘を申し込みます!」

「チッ⋯⋯! しくじりやがって!」

「⋯⋯申し訳、ありません」

 

 ルイオスは傍で跪く側近を罵った。側近は顔を伏せて謝罪の言葉を口にするが、ルイオスは苛立たしげに毒づいた。

 

「お前らが無能だから、ボクが出張らなきゃいけなくなったんだぞ!」

「それで、ルイオス殿よ。これだけの暴挙を働きながら、〝ノーネーム〟とのギフトゲーム。よもや受けないとは言うまいな?」

 

 白夜叉は覇気を纏いながらルイオスへ問いかける。

 その目付きは、YES以外の答えを許さないとばかりに鋭かった。ルイオスは冷や汗を頬に伝わせながらも、飄々とした声で答えた。

 

「ええ、構いませんよ。流石にこんな証拠を提示されたんじゃね。ただ、決闘は〝ペルセウス〟が誇る最高難易度のゲームで決着を付けさせてもらいますよ」

「〝ノーネーム〟としては異存はありません」

「うむ。両者の決闘の承諾は、〝サウザンドアイズ〟幹部の白夜叉が見届けた。仮に〝ペルセウス〟が前言を覆すようなことがあれば、〝サウザンドアイズ〟の〝主催者権限(ホストマスター)〟で以って強制的にゲームを執り行う。ルイオス殿は努々忘れることないように」

「勿論ですよ。⋯⋯ゲームの日程は──」

「ル、ルイオス様!」

「はあ⋯⋯何だよ?」

 

 ルイオスの言葉を側近の男が遮った。ルイオスは側近の男を睨むが、彼は臆することなくルイオスに忠言した。

 

「お耳に入れたいことが⋯⋯」

「何だよ?」

 

 側近の男はルイオスの耳元で何事かを囁いた。訝しげだったルイオスはその表情を顰め、そしてニヤリと笑って黒ウサギに視線を向けた。

 側近の男を下がらせ、ルイオスは黒ウサギに尋ねた。

 

「ねえ黒ウサギさ。一つ聞きたいんだけど」

「⋯⋯何でしょうか?」

「そっちの御波、だっけ? 本当に重症なんだよね?」

「それは貴方の側近が一番知っている筈ですが」

「うん。うちの馬鹿が君の同士に重症を負わせたことは聞いたよ。でもさ、その御波って奴は平気そうに立っていたってうちの側近が言ってるんだけど⋯⋯まさか、そんな重傷者がゲームに参加したりはしないよね?」

「そ、れは⋯⋯」

 

 黒ウサギは答えに窮する。彼女の想定では数日あれば御波はギフトゲームに参加できるまで復調する見込みだった。

 〝ペルセウス〟の軍勢を無力化した御波と、神格保持者を圧倒した十六夜の2人ならギフトゲームでの勝機も十分にあると考えていたのだ。ルイオスはそれを封じる手立てを講じてきたのだ。

 

「こっちはその御波って奴が重症を負った罰も兼ねてギフトゲームを行うんだぜ? なのに、重症だった奴がゲームに参加するなんてそんなことは無いよなぁ?」

「っ⋯⋯」

 

 黒ウサギは歯噛みする。ルイオスとその側近は冷静だったのだ。どう返答しようかと黒ウサギが思案していると、隣の十六夜が前に出て黒ウサギの代わりに答えた。

 

「何当たり前のことを言ってんだ? 重症なうちの仲間をゲームに参加させる訳ねえだろうが」

「い、十六夜さん!?」

「ふん、なら話は終わりだ。ゲームは2日後に行う。僕たちはこれで帰らせてもらうよ」

 

 ルイオスは側近を伴って足早に部屋を後にする。黒ウサギは怒りを、十六夜は落胆を、飛鳥は侮蔑の視線を向けて見送った。

 

 〝ペルセウス〟の2人が店舗から出たのを確認し、黒ウサギは十六夜に問いかけた。

 

「十六夜さん、どうして御波さんの参加を⋯⋯」

「御波のゲーム参加についてはあの七光りの言い分が正しいだろうが。それに、御波の力が無くても、俺とお嬢様、春日部で十分勝てるさ」

「な、何を根拠に!?」

「あら? 黒ウサギは私たちを信じてはくれないのかしら?」

「えっ!? い、いえ、決してそういうことでは⋯⋯!」

 

 ニヤニヤと黒ウサギを揶揄うように問題児2人は笑みを向ける。黒ウサギはあたふたと忙しなく腕を交差させて否定するが、問題児たちは意地の悪い笑みを崩さない。

 そんな遣り取りを微笑ましく見つめていた白夜叉。彼女は肩を竦めて黒ウサギに助け船を出した。

 

「そういえば、御波の容態は大丈夫なのか?」

「は、はい。出血が非常に多かったため増血を施しましたが、御波さんのギフトのお陰で怪我自体は深刻ではありません」

「む、御波は治癒のギフトも持っておるのか?」

「ああ。見た目は包丁だが、斬った箇所の怪我を治す類のギフトらしいぜ」

「ふむ。⋯⋯あの実力だけでなく、治癒のギフトまで⋯⋯」

「えっ?」

 

 小声で呟いた白夜叉に黒ウサギは小首を傾げた。黒ウサギたちは白夜叉と御波の間で行われたギフトゲームについて知らない。それは内密にしてもらうと御波とも確約していたのだ。

 

 白夜叉は咄嗟に話題を変えた。

 

「そ、そうだ! その剣なのだが、私が預かっても構わないだろうか?」

「構いませんが⋯⋯」

「そ、それと、御波に言伝を頼みたいのだ」

「御波さんに?」

「うむ」

 

 白夜叉は頷いてその内容を口にした。

 

「2日後のゲーム当日、御波にはこの店に足を運んでほしいのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝ノーネーム〟本拠・入口

 

「皆、お帰りなさい!」

 

 〝サウザンドアイズ〟から帰った黒ウサギたちを迎えたのは、後ろ髪を結びエプロンを着用した御波だった。

 

 艶やかな黒髪はうなじで纏められ、厨房から出てきた際に尻尾のように揺れた。エプロンの下は黒を基調とした普段着ではなく簡素な紺色で上下を揃えた長袖を着ている。

 首元は白い包帯で覆われていて痛々しいが、御波は朗らかに黒ウサギたちを出迎えた。

 

「お疲れ様。ご飯できてるけどすぐに食べる?」

「ま、まさか御波さんお一人でお作りになったんですか!?」

「うん。今日はボクが怪我した所為で皆に迷惑を掛けちゃったから、今日ぐらいはボクがご飯を担当したいと思ってね」

 

 洗い物も殆んど終わってるよ。

 

 そう言って微笑む御波だが黒ウサギは驚きを隠せなかった。コミュニティの総勢は126人にも及ぶ。御波一人でその人数の食事を用意するなど尋常ではない作業量だ。

 黒ウサギ達が本拠と〝サウザンドアイズ〟を往復するのに要した時間は2時間を切っている。それだけの人数の料理と食器の洗浄をその短時間で熟したと御波は言っているのだ。

 

「子供たちはご飯を食べ終わって別館で寝てるよ。ジン君が年長組の子たちと協力して子供たちを寝かしつけてる筈だから、ジン君はそれが終わったら戻ってくるってさ」

 

 そう語る御波の表情は涼しげで、重傷者が重作業を短時間で熟した後にはとても見えなかった。

 

「それで、先にご飯を食べる? それともお風呂?」

「御チビが戻ってきたら主力全員で話がしたい。先にメシにしとくぜ」

「そうね⋯⋯それに、とても美味しそうな香りがするものね」

「それじゃあご飯を持ってくるから、食堂で待っててね」

 

 御波は厨房に消えた。黒ウサギたちは食堂の席に腰を下ろして待つことにした。

 十六夜はワクワクした様子で厨房に視線を向ける。

 

「さて、グルメ時代から来た御波の料理。どんなもんかね⋯⋯」

「グルメ時代? それは御波君の世界についてよね?」

「黒ウサギも初ウサ耳です!」

「そういえば、御波が自分の世界について話してくれたのはまだ俺だけだったか」

 

 御波の世界については飛鳥と黒ウサギも興味が尽きないようで、やや身を乗り出して十六夜の言葉に耳を傾ける。

 十六夜はそんな2人に苦笑した。

 

「まあ、そこら辺を俺の口から話すのは野暮だな。御波に聞いてくれ」

「あらっ、面白そうな話を独り占めかしら?」

「そういう訳じゃねえさ。ただ、本人の口から聞いた方が面白いだろうぜ」

「それなら、折を見て御波君に聞かせてもらうしかないわね」

「お待たせ―!」

 

 厨房から御波の声が聞こえた。扉を開け、配膳ワゴンを押しながらテーブルの前に立った御波は料理を3人の前に配膳していく。

 献立は野菜炒め、味噌汁、白米の三種で構成されていた。見た目は普通極まりないが、主菜から漂う香りが食欲を刺激し3人は喉を鳴らした。

 

「3人の口に合えば良いんだけど⋯⋯」

 

 自信なさげに御波は言う。3人は箸を手に取って野菜炒めを口に運び──その表情を綻ばせた。

 

「美味いな⋯⋯!」

「ええ⋯⋯! お肉もとても柔らかいし、野菜も歯応えを残しつつソースの味が染みてて食べやすいわ!」

「う~んっ! これはご飯が進みますね~!」

 

 十六夜は感嘆したように、飛鳥と黒ウサギは頬に手を当ててその味を賞賛した。

 

 噛み切れる程に柔らかい肉と、食べやすい大きさに切られた野菜。濃すぎないソースは食材全体に絡み合い、味の濃淡を感じさせない一体感を醸し出している。

 3人は白米を口に運んで頬を緩める。3人が料理に舌鼓を打つ様子に、御波は安堵したように息を漏らした。

 

「良かったぁ。皆の口に合ったみたいで良かったよ」

「コミュニティの金で買える食材でこれだけのメシ作れるんだから自信持てよ。余裕で金を取れるレベルだぜ」

「そういえば、コミュニティはまだお金が無いから安価のものしか買えてないって言ってたわよね黒ウサギ?」

「そ、そうでした⋯⋯! 御波さんの料理が余りにも美味しくて失念していました。粗雑では決してないですが、相当安価であったあの食材たちで一体どうやって⋯⋯」

「そんなに喜んでくれたなら作った甲斐があったよ!」

 

 御波は喜色満面といった様子で笑った。彼も料理人の端くれ。己の料理を褒められるのは嬉しいようだ。

 そんな御波の背中から、春日部耀が顔を出した。

 

「美味しそう⋯⋯」

「か、春日部さん何時から其処に!?」

 

 突如として現れた耀に飛鳥は驚愕の声を上げる。耀は口の端から涎を見せながら料理に熱視線を送っていた。

 そんな彼女に御波は苦笑する。

 

「耀は沢山食べたでしょ?」

「うん。凄く美味しかった⋯⋯でも、美味しそうなのものは仕方ない」

「ヤハハッ、春日部は色気より食い気なんだな」

「うん。子供たちと黒ウサギが作ってくれるご飯も美味しいけど、御波のも凄く美味しい」

「ありがとう、また機会があったら作るね」

「楽しみにしてる⋯⋯!」

 

 耀は料理が余程お気に召したのか、キラキラと瞳を輝かせて御波を見る。

 

 ジンが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



















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太陽の女王(前編)

 

 

 

 

 

 

 

  

 〝ペルセウス〟とのギフトゲーム当日。晴れ渡る空の下、御波は〝サウザンドアイズ〟の支店に足を運んでいた。

 桃色の並木道は今日も変わりなく咲き誇り、水路の清流は道を歩く者の心を穏やかにするように美しい。

 

 御波がこの店に来たのは、箱庭に召喚されてからこれで2度目になる。

 1度目は白夜叉に肝を冷やされ、奇襲を受けたり波乱万丈と呼べるものだった。

 今回呼ばれた理由も皆目見当が付かなかった。黒ウサギも聞かされていないとのことで、今更だが御波は不安を抱いていた。

 白夜叉が〝階層支配者(フロアマスター)〟として精力的に活動しているのは知っている。面倒見も良く、黒ウサギが子供たちを養えたのは白夜叉が彼女に仕事を斡旋していたからだろう。

 だが、黒ウサギ曰く相当な問題児でもあるようで、それを御波は初めての邂逅で骨身に染みていた。

 

 〝サウザンドアイズ〟支店の前に到着した御波を出迎えたのは、青髪の女性店員だった。

 

「お待ちしておりました。白夜叉様が中でお待ちです」

 

 彼女は慇懃に一礼する。初対面の時とは真逆の対応に御波が面食らっていると、女性店員は不服そうに眉を動かした。

 

「私とて双女神の旗本で従事する者。真っ当なお客様。特に、主のお客様に対しては丁重に接します」

 

 以前の態度は、御波たちが〝ノーネーム〟の身分で閉店間際に押し入ろうとした故の接客だったようだ。

 

「白夜叉様からも本日お越しになるお客様()()を、丁重にお出迎えしろと仰せつかっています。それは貴方も例外ではないというだけです」

「全員? そういえば、他のお客さんは来ていないんですか?」

 

 超巨大商業コミュニティの支店であれば売買や換金、商談で足を運ぶ者は数多の筈だ。それに対応するには相応の数と質の従業員を揃えなければならない。だが、店内からは客の気配はおろか、白夜叉の気配と数名の従業員の気配しか感じなかった。

 現在の時刻は正午を過ぎた所。来店する者は後を絶たない筈なのだがその様子はなかった。

 

「本日はお越しになるお客様に失礼がないよう、当店は休業とさせていただいています」

「⋯⋯成る程。さっきの言い方だと、ボク以外にも来店する人が?」

「⋯⋯その件に関しましては、白夜叉様に確認された方が宜しいかと」

 

 女性店員は扉を開けて御波を招き入れ、白夜叉の元まで案内していく。

 御波は胸中で呟いた。

 

(ゲームの開始はそろそろか⋯⋯皆、大丈夫かな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝ノーネーム〟本拠・食堂。

 

 

 御波、十六夜、飛鳥、耀、黒ウサギ、ジンの6人は2日後に行われるギフトゲームについて話を進めていた。十六夜は手元のコップから水を一口飲んで全員の顔を見渡した。

 

「治療室で聞いた()()()()()()()、〝ペルセウス〟とのゲームに漕ぎ着けた訳だが⋯⋯御波、お前が〝ペルセウス〟と戦った時に奴らが使ったギフトの情報が知りたい」

 

 ルイオスたちの機転により、御波はゲームに参加できない。2日後のゲームは、レティシアの所有権を賭けたコミュニティにとって負けられない戦いだ。

 ゲームに参加こそできないが、御波も可能な限り協力するつもりだ。十六夜の問いに御波は頷く。

 

「確か⋯⋯あの人たちは空を飛ぶ靴と、ボクを奇襲した人に関しては気配も音も感じない透明化のギフトも使ってたよ」

「恐らく、彼等が保有するハデスの兜によるものでしょう」

「えっと、ハデスというのは神様の名前だったわよね?」

 

 飛鳥は小首を傾げる。御波も聞いたことがない名前だが、神ということは箱庭に伝わる伝承、神話に登場するのだろうと当たりをつける。

 黒ウサギはウサ耳をピン、と立てて飛鳥の疑問に答えた。

 

「YES! 〝ペルセウス〟の創設者である英雄ペルセウスは、ギリシャ神群の神々から〝恩恵(ギフト)〟を授かり、功績を為すことで箱庭に召喚された経緯があります。ルイオスさんも、先代から与えられた神話に名高い神々からの〝恩恵〟を所持している筈です。加えて、オリジナルには及びませんが、それらのレプリカも多数所持しているそうです」

「そのハデスの兜はどんなギフトなの?」

 

 次いでの耀の問いにも黒ウサギは軽快に答えていく。

 

「装着者の姿を透明化させ、気配や音。熱すらも遮断する隠者の恩恵だと聞き及んでいます」

「御波の体験談と一致するな」

「そうね。2日後のゲーム内容は不明だけれど、その隠者の恩恵を如何にかしないと面倒そうね」

「そういえば、治療室では詳しく聞けなかったが、御波はどうやって()()()()()()()()したんだ?」

 

 十六夜は訝しげに御波を見た。御波が斬られたように傷の偽装に成功するには、最低でも2つの前提条件を満たしている必要があるのだ。十六夜はそれに気付いているのだろう。

 御波はギフトカードから包丁を取り出してこの場の全員に見せた。全員の視線が白銀の包丁に集中する。

 

「改めて見ても綺麗な包丁だけれど、これは斬った人の傷を治癒できるのよね?」

「私もこの包丁のお陰で助かったしね」

「黒ウサギは初めて見ますが、本当に美しい包丁なのです!」

「名のある名工が造った一品だったりするんですか?」

「お前ら気になるのは分かるが、それじゃあ御波の話が進まないだろうが⋯⋯」

 

 十六夜は呆れたように黒ウサギたちを諫める。そんな彼の視線も御波の包丁へ向けられていた。

 御波は苦笑しながら、〝ペルセウス〟との事の全貌を明かしていく。

 

「まず、ボクが斬られた傷を偽装しようとした理由は、彼等かと何らかの交渉を行おうと思ってのことでね。そしてボクは、彼等に悟られることなく自分自身を斬ることに成功したんだよ」

「⋯⋯でも、それには幾つかの条件が必要なのではなくて?」

 

 飛鳥は額に手を当てて目を瞑っている。考えを整理しているのだろう。ジンも頭を捻っていた。

 飛鳥は額から手を放して御波に問いかけた。

 

「まず、さっきの言い方だと御波君は隠者のギフトを見破っていたということかしら?」

「そうだよ。ボクは自分のギフトで隠者の恩恵を見破っていた」

「避けなかったのは、被害者の立場になることで交渉を図る目的のためというのは分かります。ですが、自分で自分を斬って傷を偽装、というのは? 攻撃を受けるのでは駄目だったんですか?」

「それに、〝ペルセウス〟の連中に気付かれないで自分を斬るなんて、一体どうやったんだ?」

 

 飛鳥に次いでジンと十六夜が尋ねた。この場の全員の疑問が視線となって御波に向けられている。

 彼等の言う通り、御波が傷の偽装に成功するにはそれらの条件が必要になる。

 御波は淀みなく話していく。

 

「〝ペルセウス〟の人たちの剣だとボクは斬れなさそうでね。首に攻撃を受ける直前、あの場の誰にも気付かれない速さでボクは自分のうなじを斬ったんだよ」

「⋯⋯お前が世界の果てのヘビや、春日部の傷を一瞬で直したのと似た方法か?」

「確かに、御波は私でも何時斬ったのか分からない速さで怪我を治してくれた」

「そういえば、春日部さんも何時の間にって驚いていたわね⋯⋯」

「動体視力に優れる耀さんでも視認できない程の速さなら、確かに〝ペルセウス〟たちにも気が付かれずに傷を偽装できるかも⋯⋯!」

「その直後に、首に攻撃を受けたのは本当だしね」

 

 御波は包丁を収納してギフトカードを仕舞う。一先ず信じてくれたようだ。これで駄目なら、自身の腕などを斬って実演しなければならなかった。内心で安堵し、御波は話を再開していく。

 

「状況的にレティシアさんを探しに来た人たちとは予想してたけど、所有権まで彼等が持ってるのは運が良かったよ」

「本当に、御波さんが血塗れで戻ってきた時は心臓が飛び出るかと思ったのですよ⋯⋯」

「御波の機転で、レティシアを合法的に奪う算段が付いたんだ。あんまり言ってやるなよ」

「皆も、心配を掛けてごめんね」

 

 御波は申し訳なさに頭を下げる。仲間からの自身を案じる視線は素直に嬉しいものだが、その理由が自傷で齎されたものなのもあり、御波は複雑な心情だった。

 そんな御波の心情を察したのか、十六夜は薄く笑って肩を竦めた。

 

「まあ、これからは体を張り過ぎないように気を付けるんだな」

「うん、気を付けるよ」

「ならいい。ギフトゲームまで2日ある。御波や黒ウサギからの情報を元に、〝ペルセウス〟への対策を考えていくぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中庭を抜けて、貴賓室の前まで案内された御波。女性店員は室内の白夜叉に確認を取る。

 

「白夜叉様。お客様をお連れ致しました」

「うむ、入るがよい」

「失礼します」

 

 扉を開けた女性店員。入室しようと足を踏み出した御波は、

 

 ──視界を埋め尽くす光と、浮遊感に襲われた。

 

「っ⋯⋯!」

 

 白夜叉のゲーム盤に呼び出された時とは似て非なる。白夜叉のゲーム盤の召喚はギフトカードを取り出す一瞬の間が存在するが、彼女がそれに該当する行動を取っていなかったのを御波は知覚していた。

 何より、御波にはこの気配に覚えがあった。

 

(この気配は⋯⋯)

 

 御波が、箱庭に召喚された時に感じた気配だった。

 

 光が収まり、御波の視界が機能を取り戻す。御波が召喚されたのは、白亜の城の中庭だった。

 

 大理石が敷き詰められた石畳は、靴で踏むのを躊躇う程に美しい。中庭を横断する石畳の先の景色は、白絹のヴェールで隠されている。

 石畳の両脇には四季折々の花々が花壇を形成し、御波の鼻腔を花々の香りが擽った。

 

 天を見上げれば、薄い天幕が城を覆い、中庭の部分のみ天幕が解放されている。燦々とした太陽が照り付けるが暑さはなく、絶好の昼寝日和といった日差しの強さだ。

 

 周囲を見渡す御波の胸中に驚愕はない。油断せず、冷静に現状の把握に努めていた。

 知覚できる範囲に生命の気配はない。女性店員の姿も気配も感じられなかった。この場に召喚されたのは御波だけということだろう。

 不気味な程の静寂は警戒を、陽だまりの庭園の美しさは感嘆を御波に与えてくる。

 

 御波はヴェールへ向かって歩を進める。中庭で待っていても状況は動かない。この城を探索して情報を得ようという考えだった。

 

 御波が1歩前に進む。すると、花壇の花弁の色が変化した。花の種類自体は変わっておらず、花弁の色にのみ変化している。

 御波は目を瞬かせる。花壇の花々や足下の石畳、城壁が怪物に変貌して襲いかかっても問題ないように警戒していたが、想像よりも可愛らしい変化だった。

 この場に御波を召喚した人物に害意はないのかもしれない。 

 

 中庭を抜けようと歩き続け、御波はヴェールの目前まで来た。上質な絹で編まれたヴェールに触れ、御波はそれを捲った。

 

 ガチャリ、と扉が閉まる音が聞こえ、御波の視界に映る世界が一変する。眼前に現れたのは、高級感ある木製の扉だった。

 

「──いらっしゃい、御波」

 

 背後に現れた気配は4つ。御波は勢いよく振り返ってその4人を視界に収めた。

 御波と彼女たちを隔てるように置かれた円卓。上座側に座る2人と、その背後に立つ2人の姿があった。

 

 1人目は白夜叉。

 椅子に腰を下ろした彼女の表情は、扇子を口元に当てているためその全貌を窺うことはできない。だが、目元は愉快げに細められている。表情から察するに、彼女はこの状況の片棒を担いでいるのだろう。

 

 2人目は白夜叉の背後に立つメイドエプロン服を着用した女性だ。

 背中まである紫紺の長髪。それを1つに纏め、三つ編みにしている。完成された大人の女性、といった雰囲気。長身でメイド服の上からでも分かる抜群のプロポーションは男女共に目を引くだろう。凛とした美貌に柔和な笑みを浮かべて御波を見ている。

 

 3人目はメイド服の女性の隣に立っていた。

 顔の上半分を白黒の舞踏仮面で隠した少女。美しい純白の髪を黒の髪飾りで頭上に纏め、精緻な意匠が施された白銀の鎧を身に纏い、その下に白のロングドレスを着用している。

 白夜叉とメイド服の女性とは異なり、表情から感情を推察することはできなかった。

 

 最後の4人目。白夜叉の隣に座る少女。

 腰まである黄金の御髪に、蒼にも翠にも見える瞳は宝玉のように輝いている。紅を基調に金の装飾が散りばめられた服装。双肩は大きく露出し、胸元も上半分近くは素肌を晒している。

 それでも下品に感じないのは、彼女の纏う超然とした雰囲気によるものだろうか。美しくも何処か幼さが垣間見える美貌も、彼女が醸し出す雰囲気に一役買っているのかもしれない。

 

 御波と黄金の彼女の視線が交差する。沈黙が場を支配しようとしたその時、見計らったように黄金の彼女は言葉を紡いだ。

 

「初めましてね。私の名は〝クイーン・ハロウィン〟。貴方を箱庭の世界に召喚した者よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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太陽の女王(後編)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調度品に囲まれた王室のように絢爛な洋室。その部屋の扉を背に、御波は自身を見据える黄金の彼女の言葉を反芻していた。

 

 ──御波を召喚した。

 

 それは、白亜の城に転移した際の感覚で半ば確信していたことだ。招待状という触媒ありきであっても、世界の境界を超越して干渉するという尋常ならざる御業。それを可能にした存在の気配を、御波は鮮明に記憶していた。

 

 そして、相対した彼女の気配と言葉は御波の疑念を確信に変えた。

 

 〝クイーン・ハロウィン〟。その名前に聞き覚えはない。この2日間、コミュニティの蔵書で箱庭の世界に神話、伝承を読み漁った御波だが、その殆んどは対峙した〝ペルセウス〟に所縁のあるギリシャ神話に関してだった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。十六夜はその手の知識に造詣が深く、時折尋ねては知識を収集していったが、生憎とその中に彼女に関する情報はなかった。

 

 だが、白夜叉が女性店員に丁重に出迎えろ、と言っていたのは彼女のことだろう。

 

 内包する気配の大きさはさながら星の具現。現在の白夜叉を上回る程の気配を御波は感じた。

 加えて、〝階層支配者(フロアマスター)〟である白夜叉が丁重に出迎えようとする人物。箱庭でも高い知名度や、影響力のある人物なのだろうと御波は推測した。

 

「ご存じのようですが改めて。ボクの名前は御波、現在は〝ノーネーム〟に所属しています」

「知ってるわ。白夜叉から貴方たち〝ノーネーム〟については聞かせてもらったから」

「突然この場所に呼び出されて驚かせただろう。女王がどうしてもと聞かなくての」 

 

 苦笑しながら、白夜叉は〝クイーン・ハロウィン〟に視線を向ける。女王と呼ばれた彼女は眉を潜めて白夜叉の言葉に反論した。

 

「そういう貴女も楽しそうにしていたじゃない」

「おや、そうだったかのう?」

 

 白夜叉は肩を竦める。揶揄われた女王は小さく唇を尖らせて白夜叉を見ている。

 その表情は超然とした雰囲気と、秘める巨大な気配とは裏腹に子供っぽく、初見の時とは異なる印象を御波に抱かせた。

 

「ボクは気にしていませんよ。歩く度に花の色が変わるのはすごく綺麗で、見ていて楽しかったです」

「⋯⋯そう」

 

 御波は微笑んで素直な感想を述べる。それに偽りがないと感じたのか、女王の表情から棘が抜けた。

 

 御波は白夜叉たちの背後に立つ2人を見遣った。

 

「よろしければ、後ろの御二方の御名前も聞かせていただいても?」

「そんなに畏まる必要はないわ。堅苦しいのは嫌いなの。それに、()()()()()()()余程の無礼でなければ不問にしましょう。⋯⋯2人も名乗ってあげなさい」

 

 女王の許可に2人は首肯する。最初に名乗ったのはメイド服の女性だった。

 

「私はスカハサ、メイド長兼女王のお目付け役よ。貴方に会うのを楽しみにしていたわ。何せ女王が」

「スカハサ?」

 

 女王は振り返ってスカハサをジト目で睨む。スカハサは紫紺の髪を揺らして肩を竦めた。本気ではないだろうが、主である女王に睨まれて肩を竦める態度を取れるのは、彼女と女王の付き合いが長いからだろう。お目付け役というのは伊達ではないらしい。

 

 女王もそれ以上を言うつもりはないらしく、再度御波に向き合った。

 

 スカハサの名乗りが終わり、次は仮面の騎士といった風貌の彼女の番だ。

 彼女は優雅に一礼し、静謐さを感じさせる声音で名乗りを上げた。

 

「初めまして、私の名はフェイス・レス。女王騎士の称号を賜る者です」

 

 スカハサもそうだが、彼女の所作も品が感じられる。女王に仕えるが故なのか、メイドと騎士を名乗っても違和感が欠片も感じられなかった。

 そして、両者共に立ち振る舞いに隙がない。白夜叉と女王の存在もあり、その振る舞いはより顕著に見えた

 白夜叉や女王、御波の身近では問題児3人。御波にすれば、彼等の立ち振る舞いは隙だらけに映っている。

 

 彼等からは武練の跡が感じられない。先天的か後天的かは置いておいて、彼等は存在としての能力が極めて優れるが故に、武の研鑽を必要としなかったのだろう。

 だが、スカハサとフェイス・レスはそれとは真逆。産まれ持った能力だけでなく、練達した武を感じさせていた。

 

「よろしくお願いします、スカハサさん、フェイス・レスさん」

「互いの自己紹介も終わったことだし、貴方も座りなさい」

 

 女王に促され、御波は椅子に腰を下ろした。

 

「気が付いていると思うけど、貴方を此処に呼び出したのは白夜叉ではなく私の意思によるものよ」

「ええ。あの城に招かれた時から、そうではないかと思っていました」

「あら、そんなに前から気が付いていたのね。理由は?」

 

 女王は美しい双眸で御波を見据える。その口元には笑みが浮かび、御波の回答を楽しみにしている雰囲気が感じられた。

 御波としては隠す理由は皆無のため、嘘偽りなく答えていく。

 

「女王様の」

「女王でいいわ。他の2人は自由だけど、私には敬称は不要よ」

「⋯⋯女王がボクを城に呼び出した時の気配が、ボクの世界に招待状が送られてきた時と酷似していたからです」

「⋯⋯! そう⋯⋯」

 

 一瞬、女王は驚愕したように目を見開き──喜悦を滲ませて目を細めた。

 

 出会ってから今に至るまで、女王は何処か上機嫌に御波に接している。御波には邪険にされる謂れはないが、初対面の相手にこうまで上機嫌で接される覚えもない。

 表情にこそ出さないが、御波は眼前の女王を訝しんだ。

 

 女王は足を組み、美しく御波に微笑む。

 

「やっぱり、私の予感に狂いはなかったわね」

「え?」

 

 御波は疑問の声を漏らした。女王の言葉の真意が掴めなかったからだ。女王は御波の疑問に取り合わずに御波に笑みを向けている。

 御波を突如として城に召喚し、場所を移動しようとした御波を自身の元に転移させた。白夜叉とも気が合うような遣り取りを見るに、彼女も白夜叉と同じく問題児気質なのかもしれない。

 

 女王は僅かに背凭れから離れ、この場の全員が驚愕する一言を御波に投げかけた。

 

「ねえ御波。〝ノーネーム〟を脱退して、私の元に来ない?」

「っ⋯⋯!」

 

 予想外の言葉に御波は瞠目する。まさか、初対面の人物がそのような提案をしてくるとは想像もしていなかったのだ。

 何が女王の琴線に触れたのか、御波には見当がつかず言葉を失った。スカハサとフェイス・レスも訝しげに女王に視線を向けている。

 女王の部下である2人にとっても、彼女の言葉は予想外だったのだろう。

 

 そして、それとは比較にならない程の驚愕を露わにしたのは白夜叉だった。

 彼女はガタッ! と席から立ち上がり、怒気を滲ませて女王を睨んだ。女王は興が削がれたように笑みを消して、白夜叉へ鋭利な眼光を向ける。

 

「⋯⋯おんし、私と話した内容を忘れたのか? 御波に悪影響を与える類の行動はしない、所属に関して口を

挟まない。おんしはそう私の前で宣言したではないか。それを覆すなど、何を考えている?」

「仕方がないでしょ。この子のこと、欲しいんだもの。それに、御波は私が望んで召喚した。本来ならこの子は黒ウサギの元ではなく、()()()()()()()()()()()()()のよ」

「だが、既に御波は〝ノーネーム〟に所属しているのだぞ!」

「決めるのは御波。そうでしょう?」

 

 白夜叉の言葉を封殺し、女王の視線が御波を射抜く。彼女は美しくも幼い美貌に笑みを浮かべていた。

 

「どうかしら? 勿論只でとは言わないわ。貴方から提示される条件は可能な限り叶える。〝ノーネーム〟への補償も十二分に行うと約束するわ。箱庭第3桁、〝クイーン・ハロウィン〟の名と旗印に誓いましょう」

「身に余るお話ですが、お断りさせていただきます」

「「「っ⋯⋯!」」」

 

 即決した御波に、白夜叉は安堵の笑みを、スカハサは目を見開き、フェイス・レスはピクリと肩を跳ね上げた。

 そして、女王の纏う雰囲気が変貌する。白夜叉が御波へ放った威圧と遜色ない圧力が御波を襲う。

 女王は先程までの笑みを潜め、無表情で御波を見据えている。理由を述べろということなのか、女王は言葉を発する素振りはない。

 彼女の機嫌は急降下していることだろう。これ以上ない待遇と〝ノーネーム〟への補償をコミュニティの看板に誓ったにも関わらず、僅かな逡巡もなく断られたのだ。女王と呼ばれる彼女が気分を害するのは当然なのかもしれない。

 

 それでも、御波は毅然と女王に告げた。

 

「〝ノーネーム〟に所属し、コミュニティの復興まで力を貸すと約束したんです。それを終えるまで、コミュニティを辞めるつもりはありません」

 

 御波の行動を、愚かだと嗤う者もいるかもしれない。最下層、それも〝ノーネーム〟の身分でありながら、3桁のコミュニティから好待遇の勧誘を受けるなど前代未聞だろう。それを逡巡もせずに断るのは、箱庭の常識では愚かと言う他にないことは御波にでも分かる。 

 

 何より、女王は御波を召喚した張本人だ。彼女のコミュニティに所属すれば、御波が元の世界に戻る道は開ける可能性が高い。

 それでも、御波は女王に否を突き付けた。コミュニティを復興させるという約束に噓偽りはあり得ない。私情で〝ノーネーム〟を裏切り、元の世界に戻ったとしても、御波は胸を張って子供たちに向き合えなくなるだろう。

 

 元の世界に戻るのは御波の中で確定事項だが、今すぐに戻る必要はない。経営者である御波が消えて、それで孤児院や子供たちが不利益を被るような欠陥は残していない。

 コミュニティを復興させるまで、御波は箱庭の世界を去るつもりはなかった。

 

 女王は確認するように御波へ問いかけた。

 

「⋯⋯私が何を言っても、自分の意思を変えるつもりはないのかしら?」

「ありません」

「そう⋯⋯なら仕方がないわね」

 

 女王から放たれていた威圧感が霧散する。依然として表情に変わりはないが、更に機嫌を損ねた訳ではないようだった。

 御波は胸中で息を吐く。白夜叉の知己であろう女王の勧誘を断ったのだ。譲れないが故の判断だったが、それで不興を買う恐れもあった。女王が寛大だったことに感謝すべきだろう。

 

 2人の遣り取りに、白夜叉は胸を撫で下ろした。

 

「一体どうなることかと思ったぞ。女王よ、驚かせてくれるでないわ」

「⋯⋯」

「女王? どうかしましたか?」

 

 白夜叉の言葉に反応を示さない女王を訝しんだのか、スカハサが尋ねる。女王はその言葉にも反応を示さない。御波に視線を向けたまま動こうとする素振りもなかった。

 

 白夜叉も困惑を露わに女王に問いかけた。

 

「どうしたのだ女王よ。おんしらしくな」

「──無理矢理にでも奪いましょうか」

 

 は? そんな言葉を呆然と漏らしたのは、御波か白夜叉か。或いはスカハサやフェイス・レスだったかもしれない。そんなことが些事と思える言葉を、女王は口にしたのだ。

 奪う、誰を? 先程までの会話を考えれば、女王の目的は明らかだった。 

 

 脈絡なく放たれた言葉の意味を御波が理解するのと同時、白夜叉は白髪を逆立てて叫んだ。

 

「おんし、巫山戯るにも限度があるぞ⋯⋯! 御波は断ると言ったではないか!?」

「ええ、御波の意思は聞いたわ。でも欲しいんだもの。仕方がないでしょう?」

「貴様⋯⋯! そのような理由が通ると」

「──もういいわ。また後で話しましょう」

 

 白夜叉の姿が音も無く消えた。直後、背筋に奔った悪寒に従い、御波は椅子が倒れるのも構わず女王と距離を取った。

 

 白夜叉の気配はない。恐らく、空間跳躍によって何処かに転移させられたのだろう。

 前兆を感じなかった。その事実は、御波の肌に粟を生じさせるに十分だった。御波は警戒を強め、知覚精度を最大にして女王と相対する。その警戒度は、猿王との戦闘時にさえ比肩している。

 

「白夜叉さんを転移させて、どうするつもりなんですか?」

「他人の心配? 白夜叉には何もしないわ。私の目的は、貴方だけだもの」

 

 女王は先程の無表情が嘘のような笑みを浮かべた。見惚れる程に美しい笑みだが、それが却って不気味に映った。

 何の思惑でこの行為に及んだのかは不明なのだ。警戒を緩めることなく、御波は女王に問いかけた。

 

「何故、このようなことを?」

「貴方が欲しいのよ。それこそ、白夜叉の不興を買うことになったとしても」

「それでも、ボクの答えは変わりません」

「そうね。貴方の意思は変わらず、そして私の意思もまた変わらない。なら、取る手段は1つでしょう?」

 

 虚空から現れた黄金に煌めくギフトカードが女王の手に握られる。そして、瞬く間に極光が部屋を支配した。

 脳裏に過るのは庭園を囲むように聳え立つ白亜の城、幽鬼と影の化生が蔓延る死の世界、春夏秋冬の季節が共存する広大な花畑。

 

 そして御波が降り立ったのは、暗黒の夜空に黄金の太陽が君臨する世界だった。

 

 夜空に燦々と太陽が輝いている。降り注ぐ陽光は鮮明に大地を照らしているが、本来なら晴天である筈の空が暗闇を保っていた。明らかに物理法則に反するその光景。

 如何なる法則が働いているのか定かではないが、箱庭であれば物理法則を覆す修羅神仏も存在するのかもしれない。

 少なくとも、眼前の女王はその実例だろう。白夜叉のゲーム盤が白夜と水平に廻る太陽で彼女を表現していると十六夜は言ったが、この世界は正に女王を表現しているのだろう。

 

 従者の2人を連れず、御波の眼前に立った女王は悠然と微笑んだ。

 

「さあ、始めましょうか」

 

 瞬間、上空の太陽から炎が迸る。黄金の炎は宙を焦がすように燃え盛り、その熱波が伝播して大気を振動させる。意思を持つように揺らめく炎は上空に黄金の円環を形成し、その空白には暗黒の夜空が顔を覗かせていた。

 そして、黄金の炎が空白を埋め尽くした。眩い程に輝く円環は流転を繰り返し、

 

「KYYYYYYYYYYYYYYYEEEEEEEEEEEEEEE!!!」

 

 血を想起させる双眸が御波を睥睨する。漆黒の表皮は金属のような光沢を放ち、4対8足の脚はビルを上回る程に逞しい。

 触肢の先端の鋏角は、万物を切り裂くのではないかと思わせた。胴体から生える尾は毒々しい色合いで、この生物を構成する要素で最も禍々しい気配を放っていた。

 

 その威容、その気配。その生物は、御波に臨戦態勢を取らせるに十分な迫力で御波の前に降臨する。

 

 円環から召喚されたのは、視界に収まらない程の巨躯の大蠍だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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太陽の星権

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ギフトゲーム名 〝ZODIACSIGN HEAVENLY SCORPION〟

 

          

・プレイヤー一覧 御波。

 

・プレイヤー勝利条件。 

 1、天蠍の星獣の打倒。

 2、天蠍の星獣から30分生存する。

 

・プレイヤー敗北条件。

 上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 

宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗とホストマスタ―の名の下、ギフトゲームを開催します。

〝クイーン・ハロウィン〟印』

 

 黒い〝契約書類(ギアスロール)〟の文面に目を通した瞬間。

 

 大蠍の鋏角が横薙ぎに振るわれた。触肢は初速から第三宇宙速度に達し、御波の華奢な体躯を切り裂かんと迫る。

 体長数百mの巨躯と比べれば、御波など豆粒と変わらない。巨大な触肢が第三宇宙速度で振るわれれば、発生した風圧で常人は死に至るだろう。

 

 そんな一撃を、御波は跳躍し身を翻すことで回避した。

 

 鋏角が体の真下を通過するように行われた回避だが、空中で風圧に耐えることは不可能だ。暴風と形容できる風圧によって、御波の体は紙屑のように吹き飛ばされた。

 

 大蠍は追撃を開始する。その巨躯からは想像できない程の俊敏さを発揮し、逆廻十六夜を彷彿とさせる速度で肉薄した大蠍は触肢を振り下ろした。

 地殻変動すら超えるその一撃を、御波は身を翻し裏拳の要領で迎え撃った。

 

「ハッ!」

 

 両者の一撃による衝撃は可視化される程の大気の震えとなり、大地に数百mの罅割れを齎した。

 大蠍の触肢は跳ね上がり、御波は地面に叩き付けられた。地面に埋没した御波だが、瞬時に跳び起きて後方に跳躍して距離を取った。

 

 その姿には傷一つ無い。御波はロングコートに付着した砂埃を払いながら、大蠍に対して思考を巡らしていく。

 

(硬い。それに、あの巨体で十六夜と同じ位の速さで動いてくる)

 

 御波と同じく大蠍の肉体にも傷は見当たらなかった。ガルドの時とは比較にならない力を籠めた一撃を相殺する膂力と、攻撃で傷付かない頑強さ。御波の見立てでは、純粋な肉体性能なら十六夜を上回っている。

 

(何より、あの蠍はまだギフトを使ってない)

 

 御波は大蠍の尻尾に視線を向ける。如何なる恩恵を身に宿しているかは不明だが、禍々しい気配を放つ蠍の尻尾は猛毒を秘めている可能性が高い。尻尾による攻撃は避けるのが賢明だと御波は判断する。

 

(さっきは殴ってきたから受けたけど、あの鋏も相当鋭そうだし刃は受けない方がいいかな)

 

 御波は女王を一瞥する。黄金の御髪を靡かせながら、彼女は愉快げな笑みを浮かべていた。

 

 御波はゲームの内容を読んでから、女王の行動を訝しんでいた。〝契約書類〟の内容は星獣の打倒と記載されていた。星獣がどんな存在なのか御波は知らないが、状況的には目の前の大蠍を指しているのだろう。

 

 だが、その内容に女王に関する記載が存在しなかった。彼女は御波を奪う、と宣言した。ならば、大蠍の召喚だけでなく、女王自身もゲームに参加した方が勝率は高い筈だ。

 しかし、彼女はゲームに参加しなかった。ならば、其処には理由が存在する筈なのだ。

 

(もしかして、女王は──)

「KYYYYYYYYYYYYYYYEEEEEEEEEEEEEEE!!!」

 

 御波は推測を中断する。咆哮を轟かせ、大蠍が距離を詰めてきたからだ。その速度は追撃の時よりも数段速い。御波の視線が女王に向けられていたのを侮辱と判断したのか、紅い双眸は輝きを増している。

 大蠍は初撃と同じ横薙ぎを放った。御波は先程の攻防を再現するように、身を翻して回避する。しかし、このままでは先程の焼き直しになるだろう。

 

 御波は鋏角が真下を通り過ぎる直前、刃ではない箇所を掴んだ。生半可な力では風圧に曝されて吹き飛ぶところだが、御波は万力の如き握力で鋏角を掴んで離さない。

 

「KYE!?」

 

 大蠍は驚愕したように鳴き声を漏らした。大蠍にとって初めての経験だったのだろう。だが、驚愕はすれどその動きに陰りはない。大蠍は鋏角に掴まる御波を地面に叩き付けようと触肢を掲げた。

 その動きに対し、御波は鋏角を手放した。身を捻って鋏角に着地した御波は大蠍の胴体に向かって、

 

 ──第五宇宙速度で跳躍した。

 

 大蠍は御波の動きに反応できず、無防備な胴体を晒している。御波は腰の捻りを十全に生かした拳を振るう。

 

 拳撃は強固な外殻を砕き、その巨躯を彼方へと吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲーム盤に召喚はされず、洋室で待機していたスカハサとフェイスレス。師弟関係にある彼女たちは椅子に腰かけていた。

 彼女たちの眼前には、直径20㎝程の水晶玉が鎮座していた。ゲーム盤に転移する際に女王が置いていった水晶玉である。

 七色に色彩を放つ水晶玉に映るのは、ゲーム盤で行われているギフトゲームの光景だ。そこに映る光景に、スカハサは感嘆の声を上げた。

 

「とんでもないわね。女王がご執心なのも頷けるわ。まさか──太陽主権で呼び出された星獣を、圧倒するだなんて」

「⋯⋯」

 

 フェイス・レスはそんな師の言葉に反応を示さない。スカハサが見遣ると、彼女は無言で水晶玉を食い入るように見つめていた。正に一瞬も見逃さないとばかりの集中力だ。スカハサはそんな弟子に肩を竦め、水晶玉に視線を戻した。

 

 其処には、箱庭の修羅神仏なら驚愕せざるをえない光景が映っていた。

 

 箱庭世界の事象や概念には恩恵の上位に位置する力、主権が存在する。そして、太陽や月などの星の主権は星権と呼ばれ、この神々の箱庭でも絶大な力を誇るのだ。

 

 女王が行使した主権──太陽主権は黄道が13。赤道で12。合計25個の主権に分散している。様々な神話、伝承の神仏が最も多く集うこの主権は箱庭でも最高峰に位置するだろう。

 共通する能力として、太陽主権は黄道・赤道それぞれに対応する星獣を召喚することができる。

  

 女王が召喚したのは黄道の12宮の天蠍──蠍座の太陽主権に宿る星獣だった。彼等は単独で上層の修羅神仏に匹敵し、中には最強種の星獣すら存在する。

 

 そんな星獣が、人間一人に圧倒されていた。水晶玉に映るのは無傷の御波と、胴体の外殻に大きな亀裂が奔り、血を流す大蠍だった。

 

『KYYEEEE!』

 

 大蠍が触肢を振り回し、眼前の人間を粉砕せんと猛撃する。その一振りは正に星の息吹。空を裂き、大地を砕き、海を割る攻撃が無数に放たれている。その速度も尋常ではなく、第三宇宙速度を軽々と上回っている。

 中層までの修羅神仏の殆んどが鏖殺されるであろう怒涛の連撃。対抗できるのは〝階層支配者(フロアマスター)〟を始めとする僅かな存在だけだろう。

 

 それを、御波は全て回避していた。一切の無駄を排した動きは、攻撃が繰り出される前に行われている。

 流麗な舞踏のような軽やかさは、まるで大蠍の攻撃が御波を避けているかのようだった。

 触肢が振るわれる度に吹き荒れる暴風を物ともしないのは、御波の身体能力の高さによるものだ。だが、この回避を身体能力だけで行うのは至難。大蠍の動きの全てを見切っていなければ為しえない絶技だろう。

 

 闇雲な攻撃は無意味と察したのか、大蠍は後方に跳躍して、

 

 空中でその動きを止めた。

 

 大蠍の跳躍に合わせて距離を詰めた御波が、鋏角の先端の外側を掴んだからだ。あの巨躯を空中で静止させるなど、巨人族も真っ青な怪力だ。

 

 空中で静止する大蠍を、御波は勢いよく腕を引いて引き寄せた。それと同時に、御波は弓を引き絞るように腕を引いて拳を握り締める。

 だが、それを黙って見る大蠍ではない。掴まれていない触肢を御波に振り下ろした。

 

『KYE!』

 

 大蠍を掴んでいる以上、御波はその攻撃を回避することはできない。直撃すれば、手痛い傷を負うことは想像に難くない。少なくとも、スカハサが無防備で直撃すれば相応の怪我を負うだろう。

 

『ふっ⋯⋯!』

 

 そんな一撃を、御波は腕の一振りで粉砕した。

 文字通り、御波の拳が大蠍の鋏角を粉砕したのだ。御波は間髪入れずに次の拳を放つ。大蠍が苦悶の悲鳴を上げる間もなく放たれた拳は触肢を直撃した。

 ビルを上回る逞しさの触肢は、外殻ごと一撃の元に破壊された。触肢は胴体から吹き飛ばされて宙を舞い、遥か後方に拉げた肉塊となって落下する。

 

『KYYYYYYYYYYYYYYYEEEEEEEEEEEEEEE!?』

 

 大蠍は甲高い悲鳴を上げ、大きく後退した。激痛に苛まれているのか、その巨躯は痙攣したように震えている。

 

 手早く勝負を決めようと追撃しても可笑しくないが、御波は身構えて警戒を怠る様子を見せない。

 

 泰然とした立ち振る舞いは、大蠍にとって恐ろしく映っていることだろう。果敢に攻め立てる手合いなら反撃を加えることもできるが、落ち着き払った立ち回りの御波に隙は存在しない。

 攻撃の須らくを見切られ、身体能力で遥か後塵を拝し、重傷を負うだけの反撃を受けた大蠍が身体能力に任せた攻勢に出た所で、更なる反撃を受けて敗北するだろう。

 

 別の攻撃手段を用意しなければ敗色は濃厚だが、大蠍が行動を起こす様子はない。何かを思案しているのか、御波と睨み合う形に落ち着いていた。

 

 それを眺めながら、スカハサは水晶玉を凝視するフェイス・レスに問いかけた。

 

「ねえ、あや──フェイスレス。貴女はこの戦いをどう見るかしら?」

 

 弟子からの一睨みで言い直した彼女に問いに、フェイスレスは僅かに考える素振りを見せた。

 

「⋯⋯現状、御波殿の優位は揺るがないでしょう。信じられないことですが、()()は純粋な肉体性能で星獣を圧倒しています。対して星獣は武器である筈の腕も片方を欠き、大きな傷を負っている。このままなら、御波殿が勝利するのは時間の問題でしょう。このままなら、ですが⋯⋯」

「貴女はそうは思っていないと」

 

 フェイスレスは頷いて言葉を続けていく。

 

「太陽主権で召喚された星獣は私も初めて見ますが、何れも最強種かそれに匹敵する星獣たちだと聞き及んでいます。御波殿も恩恵を使用している様子は見られませんが、それは星獣も同じです。両者共にまだ真価を見せていない以上、勝負はどちらに転んでも可笑しくはないかと」

 

 フェイスレスは改めて水晶玉に視線を向ける。スカハサの問いを無視することはしないが、この戦いの趨勢が気になるようだ。

 スカハサは唇を上げて微笑んだ。

 

「貴女の言う通りね。とはいえ、この戦いは御波の勝利で終わるでしょうね」

 

 その言葉が想定外だったのか、フェイスレスはスカハサに視線を戻した。

 

「何故です? 白夜叉の不興まで買って強制したギフトゲームを、このまま敗北で終わらせるとは思えませんが」

「白夜叉の怒り様を見たでしょう? 本当に御波を奪うと敵対しそうだもの。それに、女王の目的は御波の実力を確かめることらしいわよ。どうしても欲しいなんて言って〝主催者権限〟を使ったのは、御波に少しでも本気を出させるための方便ってところね。御波が欲しいのは本当でしょうけど、本気で欲しがるなら女王自らゲームに参加していた筈よ」

「⋯⋯星獣が権能や恩恵を使わないのも、今回があくまで品定めだからでしょうか?」

「ええ。それらを使わせなくても、御波の実力の試金石にはなるしね。互いに身体能力だけとはいえ、太陽主権の星獣を圧倒できるならそれだけで第4桁。使っていない恩恵も含めれば4桁最上位──戦闘力だけなら3桁にすら届く可能性もあるかもね。それが分かっただけで十分でしょう」

「⋯⋯成る程」

 

 2人は水晶玉に視線を向ける。御波と大蠍のギフトゲームは終盤を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『KYYYYYYYYYYYYYYYEEEEEEEEEEEEEEE!!!』

 

 天蠍の星獣が大地を駆ける。体長数百mの巨躯が疾走して迫る光景は、その質量を想像すれば恐怖以外の何者でもない。

 だが、迎え撃つ御波の胸中に感慨は存在しない。集中を微塵も切らさず、冷静に思考を巡らせていく。

 

(明らかに重症なのに、まだギフトを使う気配すらない。やっぱり女王が指示を出しているのかな?)

 

 振るわれた触肢を回避していく。先程と変わらぬ速度と威力で、地面に巨大な亀裂を発生させていく。片腕を失い、腹部から多量の出血をしている状態でもその猛威は依然としている。

 その頑強さは紛れもなく脅威だ。〝契約書類〟が御波の勝利を告げるまで警戒を緩めないのは当然だが、頑強な体を生かした反撃を繰り出す可能性も考慮しなければならない。

 

(とはいえ態々ギフトを使わせる必要もないし⋯⋯)

 

 猛攻を続けていた大蠍だが、何かに弾かれたように御波から距離を取った。重傷を負っても手を緩めなかった大蠍が初めて消極的な行動に出たのだ。

 警戒する素振りを見せる大蠍。御波は一歩前に出た。

 

「!?」

 

 大蠍が駆け出した。御波の周囲を駆け回り、純粋な速度で無数の残像を発生させていく。御波に的を絞らせず、自身が好機を狙うための行動だろう。真正面からの攻撃が通用しなかったが故に、その俊足で攪乱する作戦を選んだようだ。

 この期に及んでも、ギフトを使用する素振りはない。御波は胸中で呟いた。

 

(終わらせよう)

 

 ギフトゲームが開始されてから初めて、御波から戦意が放たれた。

 

 物理的な圧力を伴った気迫が爆風のように大蠍を襲う。御波に殺意も敵意もない。それでも、御波から放たれる圧力は惑星の如し。

 大蠍は更に加速して御波の真後ろに回った。人体に於いて、最も死角となる角度にして、振り向くまで極僅かな時間を要する場所からの突進を大蠍は選択した。4対8本の脚を軋ませ、大地を踏み締めた大蠍は御波に襲いかかり、

 

「ビッグバン」

 

 ──星を砕く一撃が放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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