ラブコメに女装は必要ですか? (その日見た空は赤かった)
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#1 失恋と女装のアドバイス

 

 

「好きです、付き合ってください」

 

 薄暗い校舎裏の一角。

 俺は想い人を呼び出して、頭を下げて、どうにかこの想いが通じないかと苦悩しながら、三度目になる告白をしていた。

 

 期待をしていたかと言えば否だった。

 既に二度、俺は告白を断られていた。三度目の正直という言葉は教科書の中だけ存在する。それでも鈍重な感情に焼き切れそうな脳神経に手足を震わせつつ、三度目の告白を実行することを選んでいた。

 

 目の前の人物、桂川碧音(けいせんあおね)は小さく嘆息すると、柔らかさと呆れを両立させたような複雑な声音で、渋面を作り上げた。

 

「あのさ、嬉しいよ? でもね、そう何度も告白されても私の気持ち、変わらないから」

「そっか……。来てくれてありがとうな桂川」

 

 断られた。三度目の失恋。いや、これを失恋と呼ぶのはもはや無理があるが。

 分かっていたことだが、落胆はある。でも感情の落差は一度目よりは小さい。二度目とはあまり変わらない。三度目って言うのはそういうことなんだろう。嫌でも理解してしまう。良くも悪くも、きっと俺は告白という行為に慣れを感じていた。そして桂川も同じだ。俺から告白されるのに飽きすらあるだろう。

 

 俺は肩を落としながらこの場から去ろうとする。惨敗兵は去るのみ。心残りももう無い。無いつもりだ。不思議と俺は穏やかな気分になった。

 四度目は考えていない。俺がもう桂川に想いを伝えることはないだろう。なんなら三度でもやりすぎたと思うし、迷惑だったと自省すべきレベルだ。

 

 足早に帰路へ就こうとすると、背中越しに声を投げ掛けられる。間欠泉から吹き出たような、決意を露にするような。そんな一声。

 

「この際だから言っとく! 私、好きな人がいるの!」

「ああ、そうだったのか。なら早く言ってくれれば良かったのに」

 

 今までは忙しいからと濁されてきた部分だった。でもいたんだ、好きな人。普通に心臓にぐさりと刺さった。

 しかし何で隠していたんだろう。好きな人がいるっていうなら、言ってくれれば俺だって何度も告白しなかったのに。

 

「それは……他人に対してこんなこと言う必要ないし、言いづらいじゃん」

 

 あ。更にぐさっと来た。他人はキツイ。それはそうだけどもキツイ。心臓が欠けたかも。気のせいか血行も怪しい。逆流してる気がする。多分桂川のこと直視してたら目から血を流して死んでたぞ俺。死亡保険は入っていたっけ。

 

 ポケットのイヤホンコードみたいに絡まった混乱した脳内をなんとか解きほぐして、心臓に手を当てて静かに大きく深呼吸を二回繰り返す。スーハーと。心臓は辛うじて動いている。

 

「そっか。聞いちゃってごめんな」

 

 これ以上の驚愕の事実は要らない。というか何かあっても聞きたくない。

 そう思い俺は早足で行こうとした。そのまま去れば俺は傷心を抱えつつもまだマシな方法で再起を図れたのだろう。

 

 しかし、残念なことに、俺は桂川が二の句を告ごうとしている気配を感じて立ち止まってしまう。それが俺の致命傷となるとも知らずに。

 

「あとさ、私の好きな子……女の子だから。分かるでしょ。もう告白してこないで」

 

 おんなのこ。

 女のコ。

 女の子……!?

 

 その日、俺がどのようにして家まで帰ったのか覚えていないのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 俺の名前、宗谷穂立(そうやほだち)の由来は漢字そのまま、稲穂から来ている。成った稲穂の如く天に向かって屹立と成長して、荒い風をしななやかに身を曲げることで躱す。そんな柔軟で一本筋の通った人間になって欲しいという両親の願いが込められている。この名前を付けてくれた両親には感謝している。例え第二候補が母方の祖父母の出身でちょっと面白いだろとかいう、非常に勘弁願いたい理由で宗谷常陸(そうやひたち)とギャグみたいな名前を付けられかけたとしても、第一候補がそれを塗りつぶして勝るので問題ない。最終的にも俺は茨城の擬人化キャラの如く地方に媚びた名前にはならなかったわけだし、そこに蟠りは無かった。

 

 ともかくとして、俺は名前負けしないような人生を歩んできたつもりだ。だがそれも今日までかもしれない。

 

「なんか穂立が萎れてる……全然反応しないし……」

 

 姉のがソファーでうつ伏せに倒れる俺をリモコンでつんつんと突く。擽ったい。もう大学生なんだから木の棒で野糞を突く小学生みたいな行動はやめろよと、普段ならツッコミを入れるとこだが今日はそんな気力も湧かなかった。

 

「お母さ~ん、何か穂立が死んでるんだけど知ってる~?」

 

 物も言わない骸に見切りを付けた朱里はお袋に聞くことにしたようだ。勿論お袋は俺の事情を知らない。こんな恐ろ恥ずかしいことを母親に言えるはずが無い。

 

「知らないわよ~! そんなどうでもいいことよりお皿並べてくれる~?」

「うん~!」

 

 おい。どうでもいいって酷いだろ。常日頃から地に足二本付けて立派に生きてきた自分の息子の一大事だぞ。

 朱里は「早く元気になんなよ」と俺の後頭部を一回叩くと夕飯の準備に回った。別に手厚く構って欲しかった訳じゃないが、ここまでぞんざいに扱われるとそれはそれで微妙な気持ちになる。もっと心配されて良い立場だぞ俺って。絶対に自分で言うことではないけど。

 

 死体として横たわっていると夕飯で呼ばれた。余り食欲がないので、普段はお代わりする白飯も今日は一杯だけ。程良く済ませると食器を下げて風呂に入って、自室の勉強机で放心状態で俯せになった。

 

 脳裏でリピートされるは桂川の言葉。女の子が好き。女の子が好きか~そっか~。俺全くのノーチャンスだったじゃん。畜生。何だか悔しいというか虚しいというか悲しいというか。俺の心中は数多の絵具をぶちまけたキャンパスみたくカオスそのものである。複雑怪奇すぎて心の処理が追い付かない。

 女の子が好きならそうと、最初から言ってくれよと思ってしまうのは傲慢なのだろうか。でも絶対本人には言えないけどな。惚れてしまった弱みってのはこういうことなのかもしれない。

 

 ただ只管と感傷に浸っていると、自室のドアが開く。ノックが無いから朱里だ。

 

「あれ、まだ凹んでんじゃん」

「ノックくらいしろよ朱里」

「何があったの本当。ここまで尾を引くの珍しいじゃん」

「無視すんなし」

 

 言っても聞かなそうな姉に俺は溜息を吐いた。今日はちょっと放っておいて欲しい。

 朱里は物珍しさに目を僅かに見開いて、ベッドの上に腰を掛けた。足をパダパタさせている。

 

 若干ギャルっぽい朱里は一応俺の2つ上で大学1年生……のはずなのだが仕草が未だに垢抜けていない。まあこの若干頭が悪そうなギャルっぽい朱里が突然品行方正に方向転換したら戸惑うことこの上ないから、らしいと言えばらしい。

 

 丁度両肩に髪先が付くや否やといった茶髪───余談だけどこの髪型のことを肩ラインボブというらしい───を指で擦るような仕草をすると「あのさ」と珍しく真剣味のある眼で俺を捉えた。

 

「だって気になるじゃん、そう明らかに落ち込まれてたらさ。そこであたしは思った。ここは久しぶりに姉貴として一肌脱いでやろうと」

「必要無いって」

「まあまあ、大船に乗ったつもりで言ってみ?」

「もしかして面白がってないかお前」

「そうとも言う」

 

 顔を顰めそうになる。面白そうなこと見つけたという朱里の表情が普通に嫌だ。

 でも朱里は興味深そうに俺の次の句を待っている。それを聞かない限りは梃子でも動かないと言いたげに。そんな地蔵と化した様相に、俺は仕方なく正直に失恋話を零すことにする

 

「実は告白に失敗して凹んでる」

「ウケる」

「いやウケねえから。三回も告るくらいガチだったんだぞ俺」

「もっとウケる。てかそこまで行ったら軽くストーカーじゃない? よく嫌がられなかったね」

「ストーカーじゃねえやい」

 

 琴線に触れて思わず口調が曲がる。朱里は悪かった悪かったと謝罪だか良く分からない言葉を口にして、俺は仕方なく矛を収める。

 

「それで告白を断られたから落ち込んでるの? 三回目なんでしょ? なら断られるのは予想できてたでしょ」

「いや……それだけじゃなく」

 

 言い淀む。桂川のプライベートな話だから伝えるかどうか迷った。でも匿名として名前を言わなければ、まあ、いいか。終わった話だしな。そう思って結局俺は口にすることにした。

 

「好きな相手がいて、それが女の子だって」

「え、マジ? 女に負けてやんの」

「いや本当にうるせえよ…」

 

 ケラケラと人の気持ちも考えず笑い出す朱里に今度こそ部屋から叩き出してやろうかと俺は軽く睨みつけた。圧を意図的に出しただけあって甲斐あってその気配を感じたのだろう。謝りながら目を擦る。

 

「あ~笑った笑った。いやごめん。まさかあたしの弟がそんな愉快な失恋してるなんて」

「本当に何なんだよ……ほっといてくれよもう」

「ごめんって。でもさ穂立、それ本当だと思う?」

「どういうことだよ」

 

 朱里の言ってることが分からず俺は首を傾げる。

 

「いや好きな人がいるとか、女が好きとか、普通に考えて方便じゃない?」

「でも三度目になって初めて言われたんだぞ。方便なら一回目で言わないか普通」

「それは穂立が鬱陶しくなったからでしょ」

「そう言われると何も言えないけど」

「可能性、全くないわけじゃないと思うよ私は」

 

 朱里は真剣な顔して俺を見て、なんだろうと思った。俺にもう一度玉砕しろと言いたいのかこの姉は。相変わらず適当なことを言う。

 

「言っとくが俺はもう告白する気はないぞ」

「あたしも告白しろとは言わないよ、告って進展するならこうなってないだろうし。でも諦められないんだよね?」

「……んなことねえって」

「いや分かるよあたしには。何年穂立を見てると思ってるの」

 

 目が合う。考えをすべて見透かされてるような気がして、つい俺は目を逸らした。何故か首里は優しく笑みを零す。

 

「重要なのは相手の好みに合わせること」

「突然なんだよ」

「一般論。押し付けるだけが恋愛じゃないでしょ」

「押して駄目なら引いてみろってやつか?」

「いや、じゃなくて」

 

 朱里は心底こいつ理解していないなという表情で大きく首を振った。良く分からない。

 

「その相手の好みに合わせることすらしてないのに、いじいじと悩むのはらしくないって言いたいの。やれることあるんじゃないの」

 

 発破をかけるみたいに朱里は言う。言いたいことは何となく分かった。でも普通に無理だろ。

 

「好み……いや女の子になれって言ってる? 無理だからな?」

「え? それこそ簡単に行けるでしょ」

「どういう計算で言ってるんだよ」

「顔立ちとかそうじゃん。女顔だし。幼稚園の頃なんてノーメイクであたしのお下がり似合ってたし、穂立なら今でも女になれるって」

「いやちょっと待てって。その理論は色々と狂ってる。俺に女装しろと?」

 

 やけに据わった目をして、真剣な面持ちで冗談を口にするのは辞めて欲しい。本当におかしいだろ。相手に合わせるという意味合いは分かる。だが女装は意味不明だ。女装すれば気を引けると思っている姉貴にも意味不明だ。

 

「うん。あたしには見えるよ。化粧は軽くする必要はあるけど、結構見てくれは映えると思う」

「そんなガチでコメントしないで欲しいんだが」

「詰め物が無いからそこだけあんまりだけど、まあ穂立の顔立ち的に無い方が似合うか」

「真面目に考察しないで欲しいんだが!」

 

 ぶつぶつと呟いて俺の身体の節々を観察しながら、何が楽しいのか朱里は目を輝かせ始める。

 

「でもまだ諦めきれないんでしょ」

「……そうだけどさ」

「じゃあ女装くらい試しなよ。化粧とか貸してあげるからさ」

 

 もしかしてこの姉、俺が女装する姿を見たいだけなのでは?

 疑いを持ち始めた俺に対して朱里は綺麗な笑顔を浮かべた。何年も家族として過ごした俺から言わせてもらうと、この上なく胡散臭い笑顔だった。

 

「……はあ。分かったよ。一度くらいならやる」

「よしきた。明日あたし直々にやってしんぜよう」

「何か納得いかないけど……頼むわ」

 

 姉に弟は勝てない。俺は姉に弱みを握られすぎている。例えば性癖とか、黒歴史とか、その他諸々ハッピーセットで親に提出されたらその瞬間に頓死確定のやつ。

 弱点の差で姉に勝てない俺は朱里の翳す屁理屈に負けて、結局女装する流れのまま朱里は自室へ引き返して行った。朱里のお蔭で悲壮感だけは薄れたが、代わりに芽生えたのは危機感だった。女装、本当にやらされないよな?

 

 そんな危惧を覚えつつも寝て、翌朝は土曜日だった。

 

 土曜日という曜日は、今日に限っては俺にとって都合が良くない。仮に平日なら女装なんてする時間もなかっただろうからである。そうして2日か3日、日数が経てば朱里もその事を忘れていたはずだ。だが土曜日は何も無い休日。ついでに前日の記憶をすっからかんと無くすほど姉の頭は悪くない。朝飯後に朱里に手招きされて俺は敗北を悟った。

 

 招かれた朱里の自室にて、早速とばかりに化粧机に座らさせられるとそのまま化粧を施される。

 と、その前に朱里の手が止まった。

 

「穂立ってあたしに似て可愛い顔面だからメイク要らないかもね」

「いま凄い背筋が凍った。それはないだろ」

「良い加減に現実見な?」

 

 呆れたような瞳に俺は睨み返す。化粧するのは嫌だが、それ以上にノーメイクで女装するヤバい人種になる忌避感の方が強かった。朱里はため息を漏らしてしょうがないかという表情で手を動かした。

 

 30分ほどで化粧が終わり、鏡を見た俺は目ん玉を落としかけた。自分で美少女と称するのは奇妙な気分だ。でも事実そうだからそう現すしかない、そうだ、俺は美少女の皮をすっぽりと被っていた。

 直後脳裏に走る男としての敗北感。

 

「ここからイケメンになる方法を知りたい」

「諦めな?」

「優しく撫でるな」

 

 思わず呟くと言って聞かない子供をあやすみたいに頭に手を置かれて、反射的に俺はその手を払った。ただでさえ見た目女の子の出で立ちなのに、輪にかけて尊厳が霧散霧消と化す気がする。

 

「これでウィッグ付けて、あたしの着なくなった服を着せればOKかな」

 

 手際よく俺の装いを新たにする朱里に俺は戦々恐々する他ない。

 女子ならこれくらい基礎教養と想いがちだが、長年間近で見てきた俺はそうじゃないことをとことん知っている。ここまで女装技術に手慣れているのは、実のところ、朱里の趣味に依るところが大きい。朱里はコスプレイヤーだ。だからこそ沢山のウィッグに、服も同学年の女子より多めに所持している。更に遺憾ながら言及すると、俺の現在の身長は大体5年前の朱里の身長と等しい。つまり着るのも憚れるような朱里の女子中学生時代のトップスやスカートが俺の今のサイズと合わさり、ピッタリ身体が収まってしまう訳だ。死にたい。

 

「流石あたしの弟、昔と変わらず可愛いじゃん」

「うっせえやい」

 

 施術が終わると、朱里は一仕事終えたサラリーマンのように額を拭って自慢げに言った。

 いや、朱里が自慢げになるもの、俺がこの場に第三者として見ていたならば理解できる。目の前にいるのは到底男子とは思えない美少女の出で立ちで、優しげにウェーブを描いた眉やぱちりと円らに開いた瞳、ぷくりと膨らむ唇。肌の表面も普段より綺麗に加工され、正しく今どきの女子という雰囲気を醸し出している。

 服こそ自分で着たがそれ以外は全て朱里の手によるものだ。全て朱里のカスタマイズだ。

 

 いやはや、男をここまで美少女に仕立て上げる朱里のメイク技術は凄い!

 とか、そうこう持ち上げて無責任にSNSでバズらせてはひと稼ぎさせたいところではあるが、大変残念なことに俺の素の顔立ちが際立って女性寄りであることがクオリティーを上げてしまった大部分の要因である。現実逃避できるほど自分の容姿に自覚がないわけじゃないのだ。無論、俺の心情が非常に複雑なのは言うまでもない。口にもしたくない。

 

「声も変えなよ。地声でも聞くに堪えないことはないけど、やっぱりキしょいから変えて」

 

 俺の内心など一切知らんやと朱里は更に要望を重ねてきた。ピキリと来るものがある。だが落ち着け俺。相手は姉だ。下手に口を出せば何が返ってくるか分からないぞ。

 

「はあ……わかったよ」

「おお良い感じ」

 

 熱くなりかけた感情を胸の奥底へ抑えつけつつ、確かに朱里の言うことも少しは理解できる。鏡に映るこの少女から男声が出たらしっくりこない。だがこうも粗野な物言いをされると俺だってキレるんだからなと声を大にして言えない。絶対に言えないけど。

 仕方なく要望通り、一段声を上げて話すと朱里は感嘆するように頷いた。

 

「にしても幼い頃を思い出すよねその髪」

「マジでなんでこれなんだよ……」

「だって懐かしいじゃん穂立のロングヘア」

 

 朱里はサラリと俺の髪を、正確には俺の頭に乗ったウィッグを指で弾く。

 小学生低学年までは俺はロングヘアだった。ただしそれは俺の意志によるものではない。お袋の悪ふざけだ。ロングヘアの方が似合うからと言って態々美容院に通わせて、毛先やらキューティクルなど整えさせられていたのだ。小学三年生当時の友達から「でもそれっておかしいよ。女の子みたいな恰好は普通しないって」という金言をもらわなかったら今でもロングヘアだったかもしれない。そう思うと寒気が走る。良かった本当に真っ当な友達がいて。

 

「それで、これからどうするんだよ。まさかこのカッコで高校に行けとか言わないよな」

「言う訳ないでしょ……それにあたし大学生よ? 母校でもない高校に行ったら不法侵入者になるじゃない」

「ちょっと待て。一緒に来る気なのか?」

「そりゃそうっしょ。安心しなよ。女装した弟を放逐するほど鬼畜じゃないって」

 

 そうかな? 俺は朱里なら平気でやると思うけど。

 そんな率直な感想は胸に秘めたまま訳知り顔でだよねと俺は頷く。

 

「まあこれで満足しただろ。俺、もうこれ脱いでいいか?」

「そう結論を急かすなって」

 

 独りでに納得をしてウィッグを取ろうとすると、その手首を握られる。

 

「取りあえず散歩してみない?」

「なんで?」

「今後穂立の好きな子にその姿を見せる予行練習として」

「いやどんな罰ゲームだよ。絶対にしないからな」

「まあまあ、良いじゃんその辺歩くくらいは。幼い頃はその恰好で良く公園の砂場で城作ってたじゃん。今更でしょ」

「あのな。幼稚園児と高校二年生を同じに扱うのは間違ってるということだけは言っておく」

「大丈夫だって、違和感が無いのはあたしが保証する」

 

 でも違和感が無いのが違和感だよねー、だとか好き勝手に朱里は俺の容姿を詰りながら外出準備を進める。俺はため息を吐いて、窓の外を眺めた。曇天とまでは行かずとも、雲が大部分を占める本日の天気はお出かけ日和とは言えない。この格好で外出とか普通に嫌だけど、姉に逆らうと後が怖い。色々と怖い。

 俺は諦めてされるがまま、気分はリカちゃん人形にだった。

 

 10分で支度を整えた朱里は意気揚々と意気消沈した俺を外へ連れ出した。目的地は多分無いのだろう。ただ駅前に向かっているのは分かる。

 

「まずはステップ1。人目に慣れましょう」

「帰っていいかな?」

「姉の言うことが聞けないんだ。へえー。あたしはいいけど、さてさてどうしよっかな」

「ごめんなさい」

「よろしい」

 

 初手謝罪をすると満足そうに頷く。卑怯だ。朱里のこういうところは好きじゃないなとか思う。弟的に。

 

「安心しなって。あたしから見て、喋っても全然女子中学生に見える」

「俺、高校生なんだけど……なんなら高二……」

「じゃあ自分の身長言ってみなよ?」

「……152cm」

「同い年の男子平均より19cmは低いことを自覚した方が良いよ?」

 

 なんで男子の平均身長知ってるんだよ。もしかしなくても俺を弄るために調べただろ、こんちくしょう。

 身長差を意識させるように見下ろされて、グッと堪える。ここで何か言ったら数倍にして返されるのは明白だった。遺伝子的に低身長だったならどれだけよかったか。しかし俺と違い朱里の身長は170㎝、女子の中でもちゃっかり高身長というステータスを持っているせいで、俺は唇をかみしめるしかない。

 

 何度目か分からない身長コンプレックスを再発しつつ、少し歩いて人通りの多い大通りへ出る。土曜日のショッピングストリートは人々の賑わいが普段の数倍ほど、俺への視線もそれに伴って倍増している。朱里も容姿が良いから視線が分散されるのだけ救いだ。

 

「あたしたち、今姉妹に見えるだろうね」

「そうだね」

「あーあ。あたしもこんなちんちくりんな弟じゃなくて妹が欲しかった」

「勝手に言っててくれ」

「冷たっ。別に本気で言ってるわけじゃないじゃん」

 

 拗ねるように口先を尖らせる。この姉、今日は一段と取り扱いが面倒くさい。

 

「まあいっか。今日はその姿で我慢してあげる」

「はいはい」

 

 偉そうに言い放つ朱里の言葉を俺は受け流した。やっぱり俺の告白云々はどうでもよくて、自分の突飛な思いつきで俺を女装させただろこの姉。時間が経つにつれて疑う余地ばかり増えてくる。あと少しで純度100%の疑念に変わりそうだ。だからといって何も手出し出来ないのが弟の辛いところでもあったりする。

 

「ねえもしかして姉妹? よければお茶しない?」

 

 そうして普通に朱里と会話していれば声を掛けられた。如何にもといった現代風の若い服装の2人組だ。大学生か、その少し上くらいの年齢に見える。

 街頭を歩いていればまあ、こう言うこともあるだろう。ただし誠に残念なことに俺は妹として見られているようで、安堵よりも男としての尊厳が薄れる喪失感の方が強かった。本当に勘弁してほしい。

 

「それってあたし達のこと?」

 

 あ、馬鹿。話に乗るなこの朱里。

 

「決まってるじゃん。お二人とも可愛いからさ。で、どうよ。暇なら行こうぜ」

 

 ほら強めに来た。こういう輩は街中でチラシ配るカルト勧誘員と同じようにスルーが安定だというのに。

 

「あの、そういうの結構なので」

「あーそっか。なら仕方ないかあ残念だ。でも連絡先だけでも交換しない? 暇になったとき連絡くれればいいからさ」

 

 やんわりと断ると、ヤケに素直に言葉を引いた後に二人組の片方がそんなことを抜かす。もしかしてそっちが本命か?

 

「ここから交番近いんですよねー。そんなしつこいようなら一緒に行きます?」

「まあまあそんなこと言わずにさ!」

「なるほど、来てもらう方が良い感じみたいですね、空気を読めずすみません」

「あ~忙しいところ悪かった。じゃあまた機会あったら!」

 

 緊急通報直前のスマホを片手に脅せば、「可愛いけどめんどくせえ女だったな」「絶対オタクだろあの口調」と負け台詞を残して二人組は雑踏へと消えた。国家権力と戦ってまでナンパを続ける気概は無かったらしい。賢明な判断が出来るナンパ師で良かった。

 ほっと胸を撫で下ろしていると朱里が不思議そうな目で見る。

 

「結構こういう場面は強いよねあんたって」

「男だからね」

「その見た目で?」

 

 一応俺のおかげで助かったというのにこの姉は平常運転のようだ。はあ。俺はもっと優しくて男気がある兄貴が欲しかったよ。

 

 それから更に人気が多い場所を歩みを進める。

 駅に併設された商業ビルの三階。そこは男子禁制の場所だ。女性物の服や下着がディスプレイされていて、普段なら直視することなくエスカレーターでその上のフロアへ向かうところなのだが、朱里は意地が悪いから俺の女装耐性を付ける場所として最適と考えたみたいだ。

 気後れしながら歩く俺を面白そうに朱里は見た。

 

「ほーちゃんはどれ見たい?」

 

 俺の居心地が悪いことを分かってて言ってるなおい。だから見た目良くても彼氏出来ないんだ〜、とか今考えたことを口にしたら間違いなく殺されるので目を瞑って忘れることにする。弟に言論の自由などないのだ。

 

 というかだな、

 

「ほーちゃん言うな」

「あんたに男の名前出したら変でしょ」

 

 反射的に言葉を返せば、様相が仏頂面に傾きつつもマトモな意見。

 朱里の言葉も一理ある。

 でも受け入れるかどうかは別物だ。ほーちゃんとはまだ女児のような容姿をしていた小学生の頃の俺の渾名で、俺の名前である穂立を文字った単純なものだ。この呼び名を口にするのは姉の朱里と当時の学校の友人、それから当時公園で仲良くなったけーちゃんくらいである。何れにしても既に高校進学までに縁が浅薄になって、最近では全く連絡を取ってない。あと俺自身も男としての自我を取り戻して以降は女の子っぽいこの渾名に対してNGを出したので、朱里もこの名で呼ぶことは基本なかった。

 

 ただ今回に限っては確かに穂立と呼ばれて俺が困るのも事実だった。男の名前で呼ばれていたら絶対に変な目で見られる。

 プライドと世間からの目を天秤にかけて、仕方なく頷くことにした。姉と話すと一日一度はプライドが折れる。一日一善的な感覚で弟の尊厳を手折らないでほしい本当に。言っても無駄だが、思わずにはいられない。

 

「はー、仕方ないか。いいよそれで」

「ほーちゃん話わかんじゃん~」

「俺のこの顔、しょうがなく受け入れてるように見えない?」

「弟とは思えないほど可愛いほーちゃんの顔に見えるけど」

 

 意地の悪い朱里の発言に俺のこめかみがピクリと動いた。絶対にわざとだ。

 

「その、ほーちゃん連呼は辞めてほしいんだけど。別に前向きに呼んで欲しいわけじゃないからな」

「えーほーちゃんいいじゃん。しっくりくるし可愛いし。ねぇほーちゃん?」

「なんか揶揄ってないか?」

「はあ? 全然? ほーちゃん、被害妄想が豊かなんじゃない?」

 

 とか言いつつ目の焦点が虚空へ飛んで行ったのを見て確信。俺の昔の渾名を弄りにきているのは明らかだ。言っても幾らでも耐えると思って好き勝手しやがって……、そうボルテージが上がりそうになる自分自身を何とか宥める。この姉と生きていれば自然と身に付くアンガーマネジメントである。

 

 このまま目的もなくエリアをぶらつくかと思われたが、朱里は唐突に女性服の一角に足を踏み入れた。敵地で置いてかれたら堪らないぞと思って慌てて付いていく。

 

「あ、ほーちゃんはあたしの買い物に付き合って」

「なんでだよ?」

「ついで。折角駅前来たんだし何もせず帰るのは嫌じゃない?」

 

 女装をさせられている身としてはもう十分スリルは味わったし帰宅したいし、どうにか伝われこの想い! とばかりに朱里にチラチラ目配せしてみるものの、楽しそうに服を見始めた姉は歯牙にもかけない様子でスルーした。言葉にしてもいいが、ここで文句言って不機嫌になられて八つ当たりされた経験幾知れず。こういう時は大人しく待つのが正解だと17年の人生で流石に学んでいる。

 

 呆然と朱里の横に立って付き添いの人と化したり、時折朱里から「これほーちゃんに似合うんじゃない?」とワンピースやら何やら押し付けられて必死に着せ替え人形を拒否したりと、心が削られる思いをしながら一時間くらい浪費して、頃合いを見て尿意を理由に一言断ってトイレに駆け込んだ。別に緊急だったわけじゃないけど、とにかく今すぐこの場を離れないとコラテラルダメージが受容限界を迎える気がしたのだ。

 普段ならばトイレに行くと一言で済ませられるが本日限定でこの格好である。凄くとっても男子トイレには入りづらい。勿論女子トイレは論外だ。必然的に多目的トイレを探して駆け込むこととなった───ちょっぴり吹き出ててきた罪悪感は捨て置いて。

 

 帰ってくると朱里の姿がいない。先程いた店にも、近場の店を探してもだ。

 脊髄反射でスマホを確認してみる。こんなメッセージが飛んできていた。

 

『ごめん、バ先からヘルプ呼ばれたから行くわ。適当に帰ってて』

 

 この姉め……!

 人を振り回すだけ振り回してこの体たらく。俺が弟じゃなかったらこの姉弟仲は存在しなかったと力弁したいまである。まああの姉に感謝を要求しても斯々然々と脅迫を受けるので止めておくけども。横暴魔人に挑む勇気は俺にはない。それは親父に任せた。

 

 そんなことを考えながら即座に帰宅へと方針変更すると、エスカレーターを降りるのとにした。家族連れとすれ違いながら、偶に飛んでくる視線に身を縮めながら人垣を縫ってビルを出る。

 俺に女装趣味はない。当然この姿をひけらかしたいとかいう歪んだ欲望も無い。なのでもう帰ろう。そろそろ視線が怖い。帰って服を脱いでウィッグを取って、化粧もクレンジングで洗って男に戻って昼寝でもしよう。

 そう決意を固めた瞬間のことだった。

 

「ほーちゃん?」

 

 渾名で呼ばれた気がした。何故か聞き覚えのある声音に最初は朱里かと思った。しかし朱里はアレで弟に愉楽を見出して弄ぶ邪悪な悪癖はあれど、つまらない嘘を吐く性格じゃない。つまりバイトに行ったという話は本当のはずだ。朱里のバイト先は大学の最寄り、ここから四駅は隣だ。

 

 うん、人違いか。ほーちゃんなんて渾名は珍しくも無いからな。

 俺は勝手に納得して特に反応することもなくそのままスルーしようとした。しかし再度呼び止められる。

 

「ほーちゃんだよね? 私、覚えてる?」

 

 回り込まれた。ふわりと女性らしいフローラルな香りが舞って、アレ待てよ、そんな疑懼が思考の間隙を刳り貫いた。

 服装こそ私服だから一瞬分からなかったが、この子、桂川じゃん。桂川碧音。俺が振られたその相手。

 

「久しぶりだね、ほーちゃん」

 

 でもなんで俺のことを知った顔でほーちゃんとか呼ぶんだ?

 






二番煎じだけど良ければ読んでいってください。


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#2 幼馴染と再会ののち苦悩

 

 

 桂川碧音は俺が思うこの学校で最も可愛いと思う人物だ。いや、可愛いと称すると誤解を招きそうだから訂正。横顔はモデルのような綺麗系で、それでいて正面から見るとウサギ小屋に住んでそうな可愛さが同居しており、悩む姿は天使のそれだ。

 長い黒髪にはインナーカラーで水色のアクセントが入っている。多分名前から意識してエクステを付けたのだろう。身体は小柄で、とは言っても俺より一回り身長が高い。少々細目気味で、それがドライな印象を与えるが、またそこが俺のドストライクであって、あまり中身も知らないまま告白を何回もしてしまったのだけども。

 

「ねえ。本当に久しぶりだね」

「あ、うん……本当だね」

「今までどうしてたの?」

 

 純粋無垢な眼差しを向けながら当然のように肩を並べられたら、俺も戸惑いつつ答えるしかない。

 何で桂川は俺のこの姿に対してそんなに友好的なんだ? もしかして俺が宗谷穂立だとバレてる?

 でも、それならこんな、まるで友達みたいに話しかけたりしないか。久しぶりでもないし。分からん。分からなすぎるぞ。

 

「えっと……別に普通に過ごしてたよ」

「そっか」

 

 どこか寂しそうに相槌を打った。ここまでのやりとりで俺が宗谷だとバレてない確信は持てているから、自分でもわかる程度に声に覇気が戻る。流石に告ってきた相手が女装していたらこんな自然体な感じでいられるとはとても思えない。今思ったがいつもより声音を高くしているのもバレていない要素の一つなのだろう。

 それにしても桂川が俺を誰かと勘違いしていて、だからこそこんなにも親しげに話しかけてくるのかとも思ったが、でも人違いというにはほーちゃんという渾名を知っているのが謎だ。本当に訳が分からない。

 

「今は何処の高校通ってるの?」

 

 どう対処すべきか考えあぐねていると、早速関門がやってきた。

 正直に同じ高校ですとか答えてしまえば変な疑念を持たれる気がする。かと言って明らかに架空の高校を言うのも良くない。

 

「今は今橋第一高校かな」

「へー。地区で一番の学校じゃん」

 

 悩んでパッと出てきたのは俺が第一志望で落ちた高校の名前だった。名前を出すだけで少しブルーになる。未だに受験失敗の傷は癒えていないらしいとか他人事みたいに考える。

 桂川は信じたみたいだ。まあ、嘘を言われるとも思わないか。

 

 それにしても、本当にどうして話しかけてきたんだ?

 

 取り敢えずカフェに入ろうという話になって、駅近くのスイーツで有名な喫茶店に入ることになった。店まで歩く道中で目立たないようにスマホを操作しておく。何となく嫌な予感がしたからその予防だ。連絡先から身元がバレたら洒落にならない。絶対に気まずいに決まっている。

 

 入店後、木造りのブロック席に対面で座ると俺はコーヒーだけ頼む。一方で桂川は抹茶ミルクラテにチーズケーキと、しっかり間食するらしい。甘いものが好きなんだな。

 

 黙っていても話の主導権が桂川に渡って嫌な質問がくるかもしれない。そんな危惧をした俺は恐る恐る鎌を掛けてみることにする。

 

「最後に会ってからかなり時間空いた気がするけど……いつぶりだっけ?」

 

 内心ビクビクものだったが、特に違和感を見せずに桂川はぱちりと大きく瞬きを一回。

 

「覚えてないの? 小学三年生の頃だったよね」

「小学三年生……ああそんなに経ったんだ」

 

 口では納得しつつ、急いで脳内の検索エンジンを動かす。小学三年生と言えば、まだ俺が朱里はお袋から女の子みたいな恰好をさせられていた頃だ。こんな感じに髪が長くて、服もあまり男っぽくなかった時代をの俺を桂川はもしかして知ってるのか? でもどこで?

 コーヒーをゆっくり啜ると、桂川は懐かしむように言った。

 

「いつもの公園でさ、突然来なくなったよねほーちゃん」

「いつもの公園……!」

 

 語尾が震えそうになって慌てて抑える。

 あ、それだ。分かった。完全に思い出したぞ!

 

 桂川碧音、もしかして通称けーちゃんとは彼女のことだったかもしれない。

 

 けーちゃんとは幼稚園から小学低学年の頃までの友達だった。仲の良さを度合いで表せば親友とも言える。ほぼ毎日のように決まって公園で遊んだ仲だ。

 俺がけーちゃんについて覚えていることは多くはない。少ない記憶によれば、けーちゃんとは家が近くて、幼稚園の頃から本当に仲が良い友達だった。幼稚園も小学校も違ったから学校内ですれ違うことはなく、幼さゆえに本名も互いに話さなかった。だからフルネームを少なくとも俺は知らなかったし、名乗ってないからケーちゃんも知らなかったと思う。ただ会った時からほーちゃん、けーちゃんと互いに呼び合っていたのは覚えている。子供が仲良くなるのに氏名も性別も関係ないのだ。

 

 しかし思春期が混じり始める小学三年生になった時、賃貸アパートから親父が大枚叩いて35年ローンで購入した一軒家へと引っ越すことになった。同じ市内ではあったが、それでも当時けーちゃんと一緒に遊んでいた児童公園からは歩いて30分程度と遠くなって、ついでとばかりに異性と遊ぶことに抵抗感が芽生えた俺は何も言わずにそのまま公園へ行くことを止めたのだ。

 

 それにしてもまさか未だにけーちゃんが俺を覚えているなんて思わなかったし、というか桂川碧音がけーちゃんってどんな因果なんだよ! 全然分からなかったわ!

 

 当時のけーちゃんは今よりも地味で、ボーイッシュな感じだった。髪は短かったし、もっとぶっきらぼうな口調だったし、服装も今の女子女子している面影は欠片も無かった。なんというか、一癖ある影の多い子供って感じ。それがこんな天使に進化してるなんて。全然気づかなかった。確かに目鼻立ちとか何かを憂いている表情に面影はあるけど。

 ああもう混乱してくる!

 理解はしても納得が出来ないって!

 

「ほーちゃん? どうかした?」

「いや、いや、大丈夫だ。問題ないよけーちゃん」

 

 保津川の激流に身を流されているような錯覚を覚えつつ、意識を保とうと心の中で顔を激しく叩いているとと、桂川はほっと息をついて顔を綻ばせた。

 

「やっと私の名前言ったね。私のことなんて忘れて、適当に話合わせてるんじゃないかと思ってた」

「そ、そんな訳無いだろ」

 

 そんな訳がある。

 いや~さっき思い出したばっかだよマジで───なんて口が裂けても言えない。

 流した冷や汗を補充するようにお冷で喉を潤す。コーヒーを頼んだのは間違いだったかもしれない。カフェインと相俟って胃が痛い。キリキリする。

 桂川は俺の否定を軽く肯定してみせた。

 

「だよね。ほーちゃんが忘れるわけないよね」

「ええと、そんな信頼されるとムズ痒いな……」

「そうかな。当然だと思うけど」

 

 桂川の頷きっぷりは迫力すらある。やけに据わった目がちょっと怖い。

 

「自分で言うのも酷い話だけど……何も言わずに消えた友達を信頼できる人間は少ないと思うな」

 

 本心で話せば。

 俺は桂川、いや、けーちゃんから忘れられたと思っていた。想像を働かせれば分かることだ。桂川視点だと幼い頃に突然消えた俺は、精々が『昔仲良かったけど顔も名前も覚えていない太古の友人』ってくらいの枠組みにしか収まらないはず。数年が経った今となっては、そんなやつもいたなとふと思い出して軽く懐かしむ、その程度の影の薄い存在だろうと。

 

「ホント……良く覚えてたね。顔を見て一発で分かるなんて」

 

 俺は更に重ねて言う。

 正確には女装をしてる俺をほーちゃんと認識したわけで、告白した俺は全く無関係の知らないモブとしか思ってないのだろうが、それでも驚愕は驚愕だ。だって、俺とけーちゃんが一緒に遊んでいたのは10年は前の話で───。

 昔のけーちゃんとの思い出を掘り出してはノスタルジーに浸ろうとした時、思考の隙間を縫うように凛々しい桂川の声が響いた。

 

「そりゃほーちゃんのことを忘れるわけない」

「え……?」

 

 桂川は呆れ───というよりは自身満々に瞳を俺へ向けつつ、抹茶ミルクラテに口を付ける。よく見れば頬が赤い。でも流石に変な勘違いはしない。自分の気持ちを表に出すのが気恥ずかしいとか、多分そんな理由だと思う。桂川は自分の心情を赤裸々に語るイメージがあまりないからきっとそうだ。

 手に持った抹茶ミルクラテを少しだけ口に含むと唇を戦慄かせた。

 

「確かに私もその時は哀しかったけど、ほーちゃんはずっと私のこと助けてくれたじゃん」

「うん?」

「公園で虐められてた私を助けてくれたのは覚えてる。それに先に公園に来てた上級生に絡まれた時も助けてくれた。変な大人に付き纏われた時も解決してくれた。学校で浮いてるって相談したら的確なアドバイスもくれた」

 

 頭に文字が躍る。ヤバいな。羅列されても全然覚えていない、昔過ぎて。

 俺にだって言い分はある。幼い頃から女子と見間違いされがちな俺は常に奇異の視線と戦ってきた。誇張すれば俺の学校生活とは戦いの連続である。高校でこそそんなこともないが、中学まではどれだけ実害を伴う揶揄が飛んで、その度に反撃してきたことか。髪が長かった小学校低学年時代は同級生から幼さゆえの純粋な暴言を浴びせられることも多く、なんてことを言うんだお前ぶっ飛ばしてやる! と言い返したりもした。まだ朱里とお袋のセンスを全面的に信頼していた時代の話だ。

 

 だから多少やり合いをしたとか、そんなのは日常茶飯事だったわけで。非常に気まずいながら全然記憶に残っていない。でも否定するのも角が立つ。俺は苦笑を堪えて、意図的に笑みを散らした。

 

「そうだね。そんなこともあったかも」

「そう。だから私がほーちゃんからの信頼を疑う理由なんてないよ?」

 

 コクリと首を傾げた。可愛らしいその素振りにときめきそうになるが、それ以上に罪悪感を覚える。意図せずとも俺は桂川を騙しているからだ。今はその信頼が痛い。

 続けて桂川は言う。

 

「でも来なくなった理由を知る権利はあると思う。聞いてもいい?」

「あーとても真っ当な意見だ」

 

 冷静を装った口調で誤魔化しつつ、あヤベ、そう思った。先程までの友好的で温和な表情は引っ込めて、探るように桂川は視線を送ってきている。内心では愉快な気分じゃないのは確からしい。

 俺が公園に行かなくなった理由は一重に性差によるものだ。そんなことを馬鹿正直に言えば違和感があるし、男だとバレてしまう。

 

「あの時は突然両親の都合で引っ越しがあって……挨拶も出来なくてホントにごめん」

「そうだったんだ、なら仕方ないね」

 

 流れるように突いて出てしまった嘘だが、桂川はすんなり信じたようだった。桂川は恐らく俺が引っ越しで県外に出たのだと自己補完して納得したんだと思う。罪悪感が溜まる一方だ。引っ越したのは本当だから完全な嘘ではないが、それでも本当の理由は欠片も話していない。

 うーんどうしようかこの状況、とか考えていれば桂川はスマホを取り出した。

 

「ならさ、連絡先交換しようよ。これからはこの市にいるんでしょ」

「うん。勿論いいよ」

 

 良くなかった。

 チャットアプリは実名で登録してる。つまりバレる。俺の性別とか名前とか全部。そうなれば超気まずい上に、騙された桂川の反応を考えると、いやマジで予想したくないから考えるの止めた。

 

「とりあえず電話番号でいいかな」

「はあ。RINEでよくない?」

「えっと、RINEはやってないんだ」

 

 ジローっと、お前それはありえないだろと言いたげな目に背筋が震える。

 RINEをやってない中高生なんて今時いない。今の世代、友人同士の連絡は勿論、バイト上での連絡先としてや、果ては仕事のやりとりでもRINEを使う世の中らしい。使わずともアカウントくらいは誰しも所持する時代だ。

 

 疑われるのも真っ当だよなあ。特に女子高生なんて興味ない相手には「いや私RINEはやってないんですよ~」とかきゃぴきゃぴと答えがちだし、俺もそう答えられた経験はある。きっと桂川もその点は敏感だ。噓を疑われて当然と言える。

 それでもRINEの連絡先だけは交換できないので、俺は事前に考えていた嘘を吐く。

 

「うちは厳しくてさ。RINEだけじゃなくてSNS全般、成人するまで禁止なんだ」

「えー、凄い昭和的じゃん」

「だからほら」

 

 そう言って画面を見せてあげた。画面にはSNSなんて一つも入っていないはずだ。

 言うまでもないが、俺がSNSに対して攘夷思想を抱いているとか、そんな事実は1ミリたりとも存在しない。普通に使ってるし、アカウントだって持っている。ただ喫茶店までの道中で念のためアプリを消しておいた、カラクリはそれだけである。こうやって交換を持ちかけられたらバレるなって、そう考えたのだ。少し警戒しすぎだったかなと思ったけど、結果としてまさかこの仕込みが役立つとは……。

 

「ふーんホントだ。今時珍しい。因みにそのアクキーなに?」

 

 スマホの画面を見て納得すると同時に、桂川の視線はスマホカバーについたアクリルキーホルダーに向かう。可愛い顔が仏頂面に歪んだ。

 

 あ、失敗した。これも外しておけばよかった。マズったな……。

 

 そう思ったのはそのアクリルキーホルダーが美少女アニメのキャラをデフォルメしたものだったからだ。

 星霜のアクアロンドというアニメがある。毎週深夜2時くらいにやっているアイドル物のアニメで、主人公の星乃森詠衣(ほしのもりうたい)を中心とした幼馴染み5人組高校生アイドルが10年ぶりに再会を果たし、ひょんなことから全国区のアイドルライブイベント『Aqua Rondo!!』への出場を目指すという内容だ。俺はアニメをあまり見る方じゃないが朱里がコスプレイヤーという趣味であるためその手のサブカルにはどっぷりで、と或る日朱里から「面白いよ面白いから見ないと親にエロ動画の趣味ばらす」と話し相手欲しさだったのか強く脅されもとい勧められてしまい、断れきれず軽く視聴したのがきっかけだったのだがこれがかなり面白い。気づけばアクアロンドのグッズを幾つか買う程度には入れ込んでいた。このアクリルキーホルダーもその一つである。

 

「これは星霜のアクアロンドってアニメのキーホルダーだけど……知ってる?」

「いや……。でもこのキャラ新宿の地下通路で見たことある気がする」

「そういえば大型電子公告打ってたかも」

 

 思い出すように桂川はキーホルダーを注視した。因みに俺はその電子公告を見たことはない。新宿自体はここからそう遠くもないが、用事もないのにわざわざ足を運んでまでアクアロンドの広告を見るほど俺は熱狂的なファンではなかった。

 

 ともかくオタク趣味を垣間見られた気がして恥ずかしい。しかも好きな子に。上手く誤魔化せないかなこれ。

 思考がドラム型洗濯機の如くぐるんぐるん回し始めた俺のことなど露ほども知らない桂川は、養豚場の豚を見るような冷たい目をした。

 

「意外とほーちゃんってオタクなんだ、ふーん」

「な、なにその目!? いやアニメは見てるのこれだけだって! これだって姉から勧められただけで!」

「いや別に私はいいけどさ。久々に会った親友がオタク趣味でも。けーちゃんのことなら全て受け止められる度量はあるつもりだし」

「何の話!?」

 

 なんだか重い発言をされた気がする。桂川にその気が無いのは分かってるけど心臓は正直なものでドキッと鼓動が疼いた。落ち着け俺。俺の事じゃない。こういう時は浄土宗だ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……。

 

「取り敢えず電話番号でいいから交換しよ」

「……あ、そうだったね」

 

 今日のところは極楽浄土は諦めることとして、代わりに桂川の番号を電話帳に登録する。お互いの番号を見せ合った時にチラリと見えたのだが、桂川は電話帳は使わない現代っ子らしい。要するに電話帳の連絡先に現在俺だけということで、俺専用の連絡ツールへと変貌を遂げたことになる。なんというか、桂川の生活を一つ塗りつぶした気がして逸る気持ちを抑え付けるのに精一杯だ。自覚がないだけでもう俺は極楽浄土にいるとか、ないよな?

 桂川はスマホを持ちながら神妙な面持ちで小さく呟く。

 

「これでいつでも会える……か」

「なにか言った?」

「ううん、なんでも。それよりもまた会おうよ。暇な日とかないの?」

「あるとしたら土日かなぁ。平日は忙しいから」

「だよね。私もそうだし、ほーちゃんは進学校だもんね」

「あ、ああ。そうそう」

 

 ぎこちない返事が口から出た。

 いや、違うんだ。もしまた会うとしたら女装しなきゃならないし、その手間を鑑みたら絶対に土日だなと算盤を弾いた末の結論であって、自身に吹っ掛けた設定なんて完全に忘れかけていた。危ない危ない。俺は今橋第一高校に通っている設定だった。

 

 特に気にした様子もなく桂川は自身のスマホを見て、

 

「じゃあ次の土曜日、空いてる?」

「空いてる、かな」

 

 脳内でスケジュール表を浮かべる。今月は何も予定は入ってない。

 桂川は俺の返答に自然と零れたみたいな微笑みを湛える。

 

「そっか。じゃあどこか行こうよ」

「いいね。どこにする?」

「…………公園がいい」

 

 たっぷり二拍ほど溜めて、桂川は蚊の鳴くような小さな声を出した。

 公園、きっとけーちゃんと遊んだあの公園のことだろう。俺達の思い出の場所だ。

 

「懐かしいね……了解、そうしよっか」

「うん……そうだほーちゃん」

「ん?」

 

 紅潮した頬を隠さず桂川は俺の目を直視した。

 

「私……こうしてほーちゃんと会えて本当に嬉しかった。だから絶対にもう勝手に居なくならないで」

「わ、分かったよ」

 

 真に迫った表情で言うもんだから反射的に俺は首を縦に振った。俺だって桂川を悲しませるのは本意じゃない。

 しかし頷いた後に気付いたが、それは即ち、桂川を騙し続けなくてはならないということも意味している。桂川にとっての『ほーちゃん』は『宗谷穂立』では成り得ない。この女装姿の俺が『ほーちゃん』であると、桂川は強く認識している。もし桂川を悲しませないようにするならば、俺が『宗谷穂立』であるという現実から未来永劫遠ざけなければならないのだ。

 

「私この後予定あるから……名残惜しいけど。今日はもう行くね」

「そっか。じゃあまた来週」

「うん、来週」

 

 桂川はそう言って、名残惜しそうに俺に視線を送りながら席を立った。自分の食べた分のお金を席に置くと流麗な歩き方で店外へ歩いていく。

 

 後ろ姿を見詰めながら真剣に悩んでみたが、どう足掻いてもこのジレンマは解消される未来像が思い浮かばない。

 俺は一旦匙を未来に投げることに決めた。未来の俺よ、どうにかこの重大な問題を見事解決してくれ。

 

 余韻に浸ること数秒の後、目線が自分のスマホへ行く。

 少し悩んで、取り敢えずアクアロンドのアクキーはスマホから外すことに決めた。偶然ばったり学校で会って疑われたら一巻の終わりだ。でもこのアクキー、イベント限定物販で手に入れたやつだから結構貴重なんだよな……引き出しに放置するのは勿体ない。

 よし、帰ったらスクールバッグに付け直そう。そうすれば桂川から疑われる理由もないはずだ。

 

 俺はアクキーをポケットに仕舞うと、喫茶店の会計をした後に帰路へついた。

 





書き溜め中なのですみませんが時間を下さい。


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#3 図書と後輩の難儀な関係

 

 翌々日の登校日。日付は4月15日。

 俺は平時と同じように教室に登校すると、早速友人である紺野に絡まれた。

 

「おはようところで告白したって聞いたけどよ、な、どうだった?」

 

 金色に染まった短髪をウルフカットにして、チャラさに極振りしているこの男は紺野梓馬(こんのあずま)。名前の癖に髪の毛金色じゃん、などと一切合切面白くない持ちネタをよく乱用していて、その度にクラスメイトからのっぺらとした笑みを向けられる残念な男子高校生である。

 紺野とは高校一年生の頃からクラスメイトで、高校二年になっても運良く同じクラスだった。苗字のイニシャルが「そ」と「こ」だから名前順だと席が近く、それ起因で話すようになって、以来は特記することもない平凡な友人関係を築き上げている。

 

 ただコミュニケーション能力がちょっと低いのは友人ながら気になる点だ。今だってずけずけと衆目のある中で俺の恋愛状況を聞いているわけだし。この部分さえなければ今頃クラス内カースト最上位で胡坐を掻けただろうに。

 

「振られたよ、フツーにさ」

 

 素直に答えると、同情するように紺野は俺の肩に手を置いた。

 

「ああー……それはまた何と言うか、ドンマイだな。だがその経験がお前をまた一段と強くする! そうだろ宗谷!」

「何様なの?」

「いや慰めようかと思ったんだけど駄目だったか?」

「気持ちは嬉しいけど暑苦しいし正直ウザかった」

「酷くね? 俺の渾身の情熱注入だぞ?」

「要らない要らない」

 

 紺野は愕然とした顔をして凹み始める。何処に意外性を感じたのか聞いてみたい。

 

「でも残念だなマジで。俺は宗谷なら行けると思ったんだがダメかー」

「回数考えてみれば当然じゃないか? 3回だぞ3回。諦めきれないとは言え、我ながら粘着しすぎたとつくづく思うよ」

「ばーかじゃねえの宗谷よ。恋愛ってのは大事なのは回数じゃないだろ! 相手の感情を大きく揺さぶることだ! テレビを見ろよ、とある芸能人なんか女優に何度もプロポーズを繰り返してOKされた事実があるんだ。告白回数を無理な理由にしちゃいけねえって」

「生憎俺はあんまりテレビ見ないし。それに特殊な事例をこの世の理屈みたいに語るのも止めろよな。その人は容姿も良くて貯金もあって人望もある、諸々の好条件が重なって想い人を射止めたわけで、土台からして俺とは前提条件が違うだろ」

「まあ貯蓄どうこうは学生の俺達じゃどうにもならないけど、容姿なら結構良いだろお前」

 

 揶揄ってるのかと目を見れば割と本気で思ってそうだ。

 ……まあ、自分でも見た目が悪いとは思わない。でも中性的な顔立ちだし、あと身長が低い。告白されたこともない。どの視座から眺めても女子から好物件とされる男性像には成り得ないと思う。これまでの経験上、どちらかと言えばクラスのマスコット的な立ち位置になる機会の方が多いくらいだ───自分で言うのは非常に遺憾ではあるが。

 

 本気で俺をイケメンの括りに置いている紺野に反論するのもアホらしいので、話の向き先を変えることにする。

 

「はあ。それを言うなら紺野はどうなんだよ」

「俺か? 俺はまあ、程々だよ。今年に入ってからは数回女子から告白された程度」

「そっか。殴って良いか?」

「何でだよ!? 誰だって月1回くらいは告白されるだろ!? 何か悪いこと言ったか俺!?」

 

 煽りにも聞こえる発言にさらに強く拳を握り締める。でも紺野に当たっても不毛なのですぐに力を抜いた。手ごろな椅子でも投げつけたい気分になったのが正直なところだが、まあ、こいつがモテるのは分かっていたことだ。何を今さら熱くなってるんだ俺は。ただ、一瞬でも撲殺したいという感情に囚われかったかと言えば否であるのは事実なので3アウト制で行くことにする。残り2アウトだから覚悟しておけよこの野郎。

 

「そもそも相手は桂川だぞお前。最後には俺は行けると思うが、落とすまでの道中に艱難辛苦が詰まり切ってることは最初から知った上だっただろ。お前の中の桂川ってそんな告白されたらすぐOKするような奴だったか?」

「いや……そんなことはないな……」

「だろ?」

 

 こんな奴の発言とはいえ、言われてみると理屈は通っている。

 桂川碧音は孤高の人物だ。容姿の良さから色々な人から告白されているらしいけど一度として頷いたことがないというのは有名な話で、同じ中学だった紺野曰く中学時代から桂川はそんなクールな感じだったらしい。思えばけーちゃんも今よりは柔らかい雰囲気を纏っていたとはいえ、その傾向はあって口数も多くなかった。

 友人も少なく、伝手が無い状態から仲良くなろうとして距離を置かれた人間の数幾多。俺もその大多数の一人で、同じクラスにすらなったことのない状態から告白して盛大に自爆している。それも三度も。

 

 しかし今は桂川が断る理由も知っている───好きな女子がいるからだ。

 それを思い出して、僅かに大地へ芽吹いた楽観的な感情は即座に焼き尽くされた。

 

「……けど初めから勝ち目ないんだよな」

「自信喪失するのは早いだろ宗谷、自信を持て! 俺はお前が良いやつだって知ってっから!」

「ありがとう紺野、お前も少々のコミュ障ぶりに目を瞑ればとても良いやつだよ。でもそれとこれは訳が違うんだ」

「何かいま俺、話の途中で滔々と罵倒されなかった?」

「気のせいだよ」

「そうか……?」

 

 聞き違いかな? と紺野は夢でも見たかの如く眼をぱちぱちとさせる。

 俺だって紺野の友人だからその欠点は治してやりたい気持ちはある。でも現実として、インドアで目を合わせて人と話せないとかなら未だしも、天然故のコミュ障は中々治せるものじゃないのだ。それに人と違う気質を世間が何と呼ぶか知ってるだろうか。個性と呼ぶのだ。社会がダイバーシティとして片付けている欠点を俺が指摘するもの違う───と言うか面倒───なので俺も社会に倣いこいつの欠点は個性として静観している。

 

 紺野は結局気にしないことにしたようで、頭を掻きながら口を開く。

 

「まあいいか。んで、既に三度も告白したお前が、土日挟んで一転してそんな頑なに自信無さそうにしてる理由ってなんなんだよ」

「あーこれはあんまり人に言いふらせないからオフレコなんだけど……」

「お、いいぜ。俺に言い触らせるような人脈は無いし安心しろよ」

 

 それは胸を張って言うことじゃないだろと思いつつも、俺は手招きした。紺野は不思議そうな顔をして近づいてくる。

 そのまま小声で言う。

 

「桂川、実は好きな人がいるらしい」

「……りゃ、掠奪愛ってのも乙なもんじゃないか?」

「しかも相手は女子らしい」

「……うーん」

 

 考え込んでしまった。まあ幾ら紺野が良いやつだったとしても、フォローには限度がある。その限界点が丁度この状況だ。

 10秒ほど悩んだ後、バッと顔を上げて俺の顔を見た。

 

「女装すればワンチャン? メス顔じゃんお前」

 

 殴ろうかと思ったけど止めた。一応これでも友人である。

 

「あのな……似たことは姉にも言われたよ。でも女子が好きなんじゃなくて、多分その相手が好きなんだと思う。結果的に相手が女子だったーってやつ。まあちゃんと聞いた訳じゃなくて、雰囲気的にそう思っただけだけど」

「なるほどねえ。そりゃ難しいな」

 

 難しい顔をして手を顎に当てる紺野。別に指摘する気は無いけど、その悩むポーズは致命的に似合っていない。

 

「……ま、気を落とすなよ。女なんて星の数ほどいるんだ、ただ桂川がお前に相応しい女じゃなかったってだけだ。次行こうぜ次。俺は誰相手だろうと応援してるからな!」

「お前───ちょっと失言多いことを除けばホントに良いやつだよな!」

「俺慰めてるつもりなんだけど何で毎度チクチク言われてるんだ?」

「ごめん、つい本音がポロリした」

 

 むしろメス顔とか言われて許している寛大な心を持った俺に感謝すべきだと思う。

 

 話していれば朝のホームルームの時間を告げる鐘が鳴って、俺と紺野は自分の席に戻った。

 

 

 

 

 

 

 その日、5限は総合という科目だった。

 最近知ったが総合の正式名称は『総合的学習』らしい。各教科で学んだことを生かしてそれを応用し、自ら思考を働かせ新たな学びを得る、そんな主目的があるのだとか。

 

「では図書委員は花宮さんと宗谷くんに決定です」

 

 ……でも、現実においてそんな高尚な学習目的は果たされているのだろうか?

 学級委員長となった吉田という男子生徒の声と共に、パチパチパチとあまりやる気のない疎らな拍手が室内に虚しく響いて、思わず俺は唸りそうになった。満足そうに頷く担任の教師がより中身の無さを助長している。

 

 勿論、俺は自ら挙手して立候補だなんて殊勝な行動はしていない。大学を推薦入試で行くなら立候補して損はないがそういうつもりもない。委員会なんて避けようと思えば避けられるし、なら誰かに任せて俺はノータッチ。無責任かもしれないけど学生生活平和に送るのがそれが一番、そう思って昼下がりのポカポカ陽気に身を任せてのんびりと転寝をしていたのだ。

 

 そうして、何やら辺りが騒がしいと起きてみれば俺は図書委員になっていた。

 否、役割を押し付けられていた。マジかと思う。

 

 しかもよりによって図書委員だ。今の図書室の担当教員は阪上先生と言って、学内でも有名な変人教師である。本を異様なほど愛し、少しでも表紙を汚したり貸与中に本のページに折り目を付けた日には生徒指導室での一時間にわたる説教が飛んでくると噂だ。昼休みに図書室で勉強していて消しカスを床に落とした生徒が5限6限ぶっ通しで激怒されたとかいう話もある。そんな生徒たちの声もあって、我が校の図書室は蔵書数が県立図書館クラスの豊富さを持つにも関わらず不人気スポットランキング最上位を固守しており、いつ訪ねても人気は無く伽藍洞としているのである。因みに阪上先生の担当は国語。言わずもがなと言った感じだ。

 

 図書委員はそんな地雷教師と身近に関わらなくてはならない。そう考えると寝てる間に進行した思惑が推測できる。委員決めという貧乏くじを行うにあたり、二年生となってある程度この高校のことを知ったクラスメイトが考えることは一致していて、どうやって図書委員の空き枠を処理しようか、その一点だったのだろう。

 そして丁度良く寝ていた俺が栄えある哀れな羊に選ばれたというのが事の成り行きだった。

 

 黒板には図書委員の担当として宗谷穂立と花宮エリンの名前がチョークで書かれている。何回見ても変わらない。

 ……憂鬱だ。まさか今日が委員会決めの日だったなんて、知ってれば寝なかったな。

 

 その後も他推と自推───九割が他推だ───を交えながら委員が決まっていく。犠牲者になった多くが俺と同じような帰宅部や、それか活動頻度の低い文化部に所属しているぱっとしない人ばかり。運動部に属しているイケイケなクラスメイトは練習だの大会だので忙しいと言い訳をして、ここぞとばかりにクラス内カーストの権威を振り回していた。本当に忙しいは忙しいんだろうが、それと納得できるかは別の話だ。ついつい恨めがましい目で見てしまうが、彼ら彼女らは何一つ気にする様子は無かった。俺なんて彼らからすればいないも同然、幽霊みたいな存在なのかもしれない。

 

 全て委員が決まると担任が教卓に戻る。因みに紺野の名前は無い。あいつも帰宅部の癖に、上手く立ち回って回避したようだった。

 

「委員の人は放課後顔合わせがあるからそれぞれの集会場所に行くように」

 

 うわぁ。本当に嫌だな。無視して帰っていいですかね。

 堪えようとしたが喉で止まらず溜息が出た。

 

 放課後になる。

 やる気は欠片も出てこないが、一応行かないと後から色々誹りを受けると思い、しょうがなく集会場所へ赴くことにする。

 図書委員の指定された集会場所は図書棟だった。実のところこの学校で図書室と言うのは正確ではない。

 何故なら蔵書数10万冊、市の図書館よりも優に勝る冊数を管理するために図書室は単体で建物があるからだ。これを図書棟という。ウチの高校の誇りでもあるらしく、高校受験パンフレットには必ずこの図書棟がアピールポイントの一つとして記載されている。

 ……でもまあ、そんなアピールポイントが生徒たちから敬遠されてるんじゃ意味ないんだけどな。

 

 図書棟は三階建ての造りで、指定された図書棟内の会議室は二階に上がる階段の直ぐ傍にある一室だった。

 スライド式のドアは開きっぱなしで、既に1年と2年の各クラスから2名ずつ選出された図書委員が並べられた椅子に座っている。3年は受験のため委員は免除だ。そりゃそうか。大事な受験期に雑用させて落ちたら保護者からクレームが来ること請け合いだろう。

 

 適当に空いている椅子に座ってから俺は気付いた。

 

「───あっ」

 

 前に座ってるの、桂川じゃん。

 思わず声が漏れる。

 桂川はその声が気になったのか、後ろを振り向いて、すぐに眉を顰める。

 

「あなたも図書委員?」

「う、うん。まあね」

「…………ストーカーなの?」

「違う、本当に違うって!」

 

 両手を上げて激しく否定。でも全く誤解が解けた様子は無い。必死になればなるほどジロリと変質者を見る瞳に変化していってる気がする。

 

「俺はただ教室で昼寝をしてたら役目を押し付けられてしまっただけだって! それ以外の事情も下心も無いんだ、信じてくれ」

「ふーん、まぁ別に構わないけど」

 

 ん、と促すように指を俺の背後へと差した。なんだなんだと首を後ろへ回す。

 

「随分な言いようじゃないか……そこの男子生徒?」

 

 ラフなシャツにジーンズを履き、高身長から不快げな眼差しをこちらを見る女性教師がいた。

 あーうん、阪上先生だ。図書担当教諭の。

 新学期早々終わったなぁ俺。

 

 早くも諦観から目が遠くなる俺に対し、阪上先生は腰に手を当て溜息を盛大に吐いた。

 

「まあな……先生だって分かってる。本気で委員会活動に取り組みたい人間などいない。たかが委員会活動だ、誰しも本を愛している訳じゃないことくらい知っている。読書が好きで来ましただの、大学生になったら本屋でバイトしたいだの、口先だけ綺麗など御託を並べた生徒だって結局は推薦入試のための内申目的だった。先生は別に否定してるわけじゃないぞ。推薦狙いは合理的な手段だし、彼らなりに学力の足りない分を課外活動で補おうという意思も理解している。───ただな、そういう詭弁を神聖なるこの図書棟に持ち込むのが心底気に入らないのだ!」

 

 沸々と感情が煮え滾ったのか最後には言葉尻が強まって、会議室内の空気は一気に五度くらい下がった。

 この先生、事前に聞いていたよりも遥かにヤバいぞ。 

 本にガチすぎる。図書室ガチ勢。本の虫レベル100だ。

 

 阪上先生は自分が盛り上がりすぎていたことに気付くと、

 

「すまない、話が逸れてしまったな。ともかくそこの生徒、クラスと名前は?」

「2年3組の宗谷穂立です」

「そうか。宗谷、そういった生徒よりは君みたいな素直な生徒の方が私からすると好ましい。恐らくこの場の7割以上が考えている実に見事な本音だった」

「ありがとうございます……?」

 

 自然と疑問符が付いた。

 これは褒められているのだろうか。褒められていない気がするが……。

 

「だが、教師の前で本音を口にするのは如何かと思う。社会では簡単に明け透けと本心を語る奴は通用しないからな。罰としてこの集会が終わったら図書館の掃除をしてから帰るように」

 

 やっぱり褒められていなかった。

 

 

 

 

 

 阪上先生から図書委員会の仕事の説明を受ける。あれだけ敬遠されている図書委員だが、仕事自体はそう多くないようだった。

 

 1.曜日当番

 これは誰もが想像する本の貸し借りの受付だったり、本の整頓だったり、そういった日常的な仕事だ。総計48人を占める図書委員全員が参加する仕事で、2週に1度程度受け持てばいいらしい。つまり月に2回。面倒は面倒だけど想像よりは楽だなと思う。

 

 2.「図書棟だより」の作成

 これは有志を募って作成するらしい。図書棟だよりなんて、クラスで配布されてもすぐにゴミ箱に捨てるか取りあえずバックに入れてぐちゃぐちゃにしてから捨てるかのどちらかだったから内容はあまり知らない。多分図書委員がどの本が面白いとか、最近この本を入荷しましたとか、そういうありきたりなコラムを書くんだろうと思う。絶対にやりたくない仕事だ。しかし、有志っていうのは嫌な言葉だな。もし有志が存在しない場合、間違いなくランダムに徴兵されることが目に見えている。阪上先生ほどではなくても本大好きっ子がいてくれるといいんだけど。

 

 3.掃除

 まんまである。図書委員では曜日当番が毎日やるものとは別に半年に1回大掛かりな掃除を行っている。どうやら掃除の対象は図書棟の床や机など調度品のみならず本も対象らしい。一冊一冊愛を込めて乾いた布で埃を拭うのだと阪上先生は熱弁し、何故か実演までして見せた。ちょっと目がマジすぎて怖かった。室内で見ていた全員の総意だったはずだ。それにしても10万冊以上を拭うとか無理ゲーじゃないか? ここだけ見ると図書委員が嫌がられるのは分かるが、まあ年2回だし……耐えるしかないな。

 

 以上の内容を、一時間程度に渡り説明を受けた俺たちは、次の一時間でグループ分けの時間になった。

 その前に図書委員長と副委員長を決めたのが、こちらはクラスの委員決めと違い驚くほどスムーズに自推で決まった。先程阪上先生が言ってたが、きっと推薦とかAOとか、そういう入試方式で大学を狙っている生徒なのだろう。俺は優秀だと思う。だって俺なんかは三年になってから頑張ればいいかなと全く将来について考えてないし、上昇志向もあまり無いから、そうやって二年後を考えて逆算して動ける人間は純粋に凄いと思う。俺には出来ないなあ。

 

 図書委員長の指示の下で四人グループを作る。基本の仕事である曜日当番は、当面この四人で仕事に当たるんだとか。

 

「まだ学校に慣れてない新入生をフォロー出来るよう、基本単位は2年生が2人、1年生が2人でグループを作ろうと思います! みんなもそれで良いですか?」

 

 図書委員長になった花宮(俺と同じクラスの金髪美少女だ、多くは知らない)は室内を見渡して、何も意見が出てこないことに安堵するように息をついた。花宮は真っ先に手を挙げて図書委員長になったのだが、人前に立って指示を出すことにあまり慣れていないようだった。

 

 グループを作る方法はクジ引きだった。これは花宮の指示ではなく代々図書委員はクジでグループを決めているようで、阪上先生は図書棟事務室からクジの入った木製の箱を二つ持ってきた。即興で作ったとは思えないので、備え付けの備品として保管されていたみたいだ。 

 一年生と二年生で分かれて一列に並び、委員長や副委員長も含めて次々とクジを引く。クラスの席替えならともかく、クラスからランダムに二人ずつ集められ既存のグループもろくに出来て上がっておらず人間関係的には原野状態だからか、どの生徒も特に悩んだり緊張した様子もなく淡々とクジを引いていく。俺の番になった。俺も同じく適当に手を突っ込んで、指先に最初に当たった紙を取り出した。列から外れて紙を広げる。3番と書かれている。

 

 3番を探す。周囲でも自分と同じ番号を探す生徒で会議室後方がざわついていた。俺もその中に入って3番も探す。

 屯ろする中に桂川の姿もあった。あまり意識しないようにしているつもりだけど、我ながら未練がましく、自然と視線が吸い寄せられる。桂川は閉口して、無言で紙と睨めっこしている。時折他の図書委員から番号を聞かれては首を振っていた。

 ……声、掛けてみるかな。

 

「お疲れ。桂川は何番?」

「……なに?」

「いや番号だって」

 

 声をかけた主が俺と分かった瞬間、一歩後退って、目に警戒の色を宿らせる。何だか凄く警戒されているな……分かっていたけどショックだ。

 

「俺は3番なんだ。そっちは?」

 

 無駄話を続けても俺が傷付くだけなので、単刀直入に自分の番号を言ってみる。

 番号を聞いた刹那、飛んできたハエが口の中に入ってしまったみたいな、そんな苦悶に満ちた表情に変化した。

 

「……………………3番」

 

 何度も言うのを躊躇するように下を向いたまま指をさすり、もう一度俺から何か言うべきかと悩んでいたら、諦めたように桂川は俺と同じグループの番号を小さな声で言った。思考が途切れる。

 桂川と同じグループ。いやいや、まさかとしか言いようがない。嬉しいという感情もある。平常心で居ようとする俺と裏腹に勝手に胸は高鳴ってる。でも一方で、本当に困ったなあ。非常に居づらい。告白の当事者と告白された当事者という関係値は大変気まずいもので、その証跡とばかりに桂川は俺と目を合わせようとしない。

 でも俺までその空気に呑まれたら会話にならなくなる。

 

「じゃあ、同じグループだな」

「……かもね」

 

 桂川は会話を終わらせるようにスマホの画面を見始めた。うーん。前途多難だ。

 困り果てた俺は桂川と人一人分距離を開けて再度室内を見渡していると、今度は俺が声を掛けられた。

 

「あの! 先輩たちも3番すか?」

「うん。えっと君たちもそう?」

「そっす! お初にお目にかかります!」

 

 その二人組を見ると、一人は運動部の上下関係を経験したことがあるのか後輩口調が板についている女子生徒と、もう一人はその後ろで背後霊のように佇む前髪の長い如何にも気弱そうな男子生徒だった。

 

「私は渡瀬小切(わたらせおぎり)っす! こっちは同じクラスの榎田くんっす!」

「うわぁ!? あ、ええと、榎田太市(えのきだたいち)……です」

 

 渡瀬に押されて、榎田はバランスを崩したように前に出ると慌てながら自己紹介をした。パワーバランスが何となく分かった気がする。

 

 渡瀬は黒髪ショートカットで如何にも陸上部で短距離を走ってそうな風貌で、見た目から活発な印象を受ける。鍛えているのか、春先だというのに半袖のYシャツから覗かせる二の腕は筋肉質で運動系の部活に入っているのかもしれない。笑顔に愛嬌のある子だ。

 榎田はそんな渡瀬とは真反対な男子生徒だ。今もオロオロとしていて、前髪で隠れて目が見えない。身長は俺より高いが、それでも小動物感を覚えてしまう。根暗っぽい気もするけど悪い後輩ではなさそうだ。

 

「俺は宗谷穂立(そうやほだち)。こっちは桂川碧音(けいせんあおね)だ、これから一年宜しくな」

「はいっす!」

 

 元気な声で渡瀬は返事をした。何か図書委員が似合わない子だなぁ。

 委員会活動は怠そうだけど人間関係に悩むことは無さそうだと満足感を覚えていると、今まで寡黙だった桂川が口を開く。

 

「ちょっと。勝手に私の紹介しないで」

「あ……ごめん」

 

 反射的に謝る。俺が気弱なのか、桂川に惚れた弱みなのか。多分後者だ。

 桂川は俺を見かねて溜息を吐くと、

 

「私は桂川碧音。そこの宗谷とは何も無いけど一応知り合いだから。一年間よろしく」

「……了解っす!」

 

 戸惑いを殺すように渡瀬は返事をした。それと同時に俺の様子を窺うように視線を飛ばしてくる。俺が軽く肩を竦めると渡瀬は神妙な面をして軽く頷いた。事情の詳細は理解せずとも、複雑な関係であることは理解したのだろう。

 にしても、桂川から他人と言われるのは二度目だけど、それでも心にダメージが入るのはもうどうしようもない。思い出してまた胃が痛くなってきた。俺の女装、ほーちゃんが相手ならあんなに優し気と言うか、親友のように接してくれるのに……だからと言って正体を明かせないから余計胃が軋む。うん。

 

「何か仲良さそうだけど、渡瀬と榎田は同じクラスなのか?」

 

 一旦桂川のことは考えないようにして、後輩二人組に視線を振る。この二人、初対面というには気兼ねない関係に見える。渡瀬が一方的に榎田に絡んでいるだけにも見えるけど、多分ここが初顔合わせとかじゃない気がするんだよな。そう思って聞けば渡瀬は頷いて、榎田は視線を落とすという正反対な反応を見せた。

 

「そうっす! 中学の頃から塾のクラスが一緒で知ってて、高校で同じクラスになったって感じっす!」

「……渡瀬さんと初めて話したのはここに入ってから、ですけどね」

「あぁー! またそんなこと言ってこのたいちっちは~!」

「ちょ……!? そこは痛いっ! 痛いです渡瀬さん……!」

「運動不足なのが悪いんすよ!」

 

 榎田の肩を思いきり掴んでふんすと握力を込める渡瀬。

 肩を揉んでいるようにしか見えないけど榎田の顔は苦悶に歪んでいて、見ている以上に大ダメージっぽい。

 渡瀬の手を払いのけると、自身の肩の具合を確かめるように揉みながら非難がましい目線を渡瀬へ向けた。

 

「それとたいちっちは止めてくださいよ……クロアチアじゃあるまいし」

「え~。名案だと思うっすけどねたいちっち。駄目なんすか?」

「ダメって言うわけじゃ……」

「てことはOKっすよね!」

「そうは言ってないですけど!」

 

 不服そうに声を大にするが、嬉しそうに笑う渡瀬に毒気を抜かれたのか、最終的には不承不承といった面持ちで榎田は閉口した。二人の仲が良いというよりは、渡瀬のコミュ力が高いというのが適切みたいだ。実際榎田は渡瀬に大分絆されてるようだし、俺もちゃんと意識的に線引きしないと先輩面して色々奢ってしまいそうだ。気を付けないと……。

 

 そのまま榎田と青春劇みたいなやり取りを続けるかと思いきや、渡瀬は唐突に俺の方を向いた。

 

「あ、あと宗谷先輩ッ! 聞きたいことがあるんすけどいいすか!」

「えっと、いいけども」

「宗谷先輩って男っすよね? いや! 制服的に分かってるんすけどもし間違えていたら今後失礼になるかなあーと思ったんで!」

 

 なんてことを聞くんだこの後輩は。男子用の制服を着てるし、何より顔立ちも確かにちょっとは中性寄りだけど骨格的に男だろうが。

 ここは先輩として厳しく躾けないとな、と威厳のある返答を考えようとしたら隣でスマホを見ていた桂川が噴出した。

 

「ふふふ……宗谷が女子……! 見方によってはそう見えるけど……変なの……!」

 

 えーと。

 意中の女子からめっちゃツボられた。こういう時ってどういう顔をすればいいんだろう。俺には分からない。

 

「ってことは宗谷先輩って一応男なんすね! 了解っす!」

「ははは……女子でもいいんじゃない……! 女装させたら似合いそうだし……!」

 

 冷静に俺の性別を把握する渡瀬と対照的に未だにコロコロと楽しげに笑い続ける桂川。困った俺は無言を貫くことにした。

 と、小声で榎田から話しかける。

 

「……あの、宗谷先輩。先輩と桂川先輩って仲が悪いんですか?」

「大人しそうに見えてさては榎田も大概だな?」

「す、すみません……今後の委員会活動の参考にしようかと思って……」

 

 よく言う話だけど見た目で中身を判断するなとはよく言ったものだなとつくづく実感する。よりにもよって胆力に乏しい見た目をした榎田が火の玉ストレートを飛ばしてくるとは。

 

「敢えて言うなら……なんだろうな。俺が告白して、桂川が振った。そんな関係かな」

「え……ええっ!」

 

 榎田が小さく驚く。言葉にすると恥ずかしすぎて、つい迂遠な言い回しをしかけてしまった。

 悩まし気に目を伏せると、榎田は口を開く。

 

「それはその……分かりました。顔合わせるたびに変な感じになるのも嫌ですし……僕もフォローさせてもらいますね」

「そっか。それは助かるよ、ありがとな」

「いえ、僕自身の為でもありますので」

 

 榎田は案外空気が読める奴なのかもしれない。見た目こそ陰というイメージだったが、人間関係の機微を観察するのは長けている。渡瀬が強引に人と関わりを持とうとすることを考えれば、この二人、結構いいコンビなのかもしれない。何のコンビかは知らないけど。

 

「そうだ! RINE交換しましょう先輩方! グループ作るっすよ!」

 

 渡瀬がスマホを取り出しながらそう言った。

 一理ある。今後このグループで関わる機会が増えるのなら交換しとくべきだ。

 

 そう考えながら俺はそっと桂川の方を見た。そして思う。

 ───心底あの時交換したのが電話番号だけで良かった!

 

「まあ……仕方ないかな」

「さあさあ、お二人とも己のスマホを出すっす!」

 

 その言葉に釣られて懐からスマホを取り出してRINEを起動した。桂川だけは消極的だったが、業務上の理由を出されて仕方なく、といった顔をしながら緩慢な動きでスマホを取り出した。

 

「───ん?」

「どうしたっすか?」

「いや何でも」

 

 桂川は突き出たような声を出して、すぐに引っ込めた。RINEを操作するのに忙しくて見てなかったけど、俺のことを見ていた気がする……まあ気のせいか。そういう思い込みは自分でも気持ち悪いと思うから、そろそろ止めたいんだけどなあ。中々上手く行かないもんだ。

 

 渡瀬が機敏な動きで俺達のスマホのQRコードを読み取って友達登録していく。登録が終わると5秒後にはグループを作成して、10秒後にはグループ名とグループアイコンまで設定を完了させた。これが令和のJKのスマホ操作術か。凄まじきJK力。

 桂川がグループ名を見て声を上げた。

 

「ええと『図書委員No.3!』……これがグループ名なの?」

「はいっす! 分かりやすい方が良いかと思いまして! それとも何か問題とかあるっすか?」

「別に無いけど……安直だなって思っただけ。私はなんでも良いから」

「了解っす! ならこれで!」

 

 俺も榎田も特に反対表明をしなかったため、今後もこの名前で行くらしい。

 それにしたってまるで図書委員の中で三番目の地位にいるみたいなグループ名だなあと思う。権力者の椅子は委員長と副委員長で終わりだから、三番目の地位なんて無いんだけども。

 

 渡瀬は『図書委員No.3!』の面々を見回すと、大きく一度頷いて言う。

 

「じゃあこれから宜しくっすよ皆さん!」

「ああ、よろしく」

 

 答えたのは俺だけだった。榎田は口だけ動いていたが声が小さくて聞き取れなかったし、桂川に関してはそもそもこっちを見てすらいない。渡瀬はそんな散々たる門出にも拘らず変わらない笑顔を浮かべて楽しそうだ。

 

 見た目よりは相性は悪くないはずだが、あまりにもまとまりが無さ過ぎる。あと面々の個性が強くて衝突しまくってる気がする。

 早速難儀な船出になったなあと思って、俺はこっそり溜息を吐いた。

 

 

 



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#4 掃除と本当の姿

 

 グループが決まり、その日の集会が全て終了すると阪上先生は解散を宣言した。曜日当番は来週から仕事開始で、次回の集会は来月だそうだ。周囲の図書委員も帰宅するべく室外へと向かう流れが形成される。

 

 さて、帰ってアクアロンドのアンソロジーコミックでも読むか。

 俺もいそいそと仕度をしてそのビッグウェーブに乗るべく退出を、

 

「宗谷。お前は図書棟の掃除が終わってからだ」

「……はい」

 

 出来なかった。

 いや、あの時の阪上先生の言葉は冗談かと思ったから、本気で残って掃除させられるなんて思ってもみなかった。

 

 せめて同じグループになった桂川には別れの挨拶をしておくか。

 そう考えて見回すが居ない。流石と言うべきか、終わった瞬間さっさと出て行ってしまったようだ。らしいと言えばらしいけども。

 

 阪上先生に着いてこいと言われて仕方なくとぼとぼ歩く。

 掃除用具入れは本の貸借を行うカウンター背後にある部屋にあった。

 

「道具は大体この中にある。ゴミ箱は横のこれだ。ああ云ってしまったが、今日は一階を軽く掃く程度でいいぞ。図書棟のエントランスとか二階まで掃除していたら完全下校時刻を過ぎてしまうからな」

「は、はあ……。分かりました」

 

 おいおい、軽くと言っても結構広いぞ。これを一人でやれと? 戦力不足甚だしいだろ、せめてもう一人欲しい。

 あ、阪上先生も手伝ってくれるってことかな、流石に。

 しかし俺のそんな藁をも縋る視線を振り切り、阪上先生は背中を向けた。まじかよこの人。

 

「じゃあ悪いが頼んだぞ」

 

 悪いって思う感情、あったんだ。

 ついそう思っていれば、俺の生返事にニヒルな笑みを浮かべて阪上先生は図書棟の出口の方へ歩いて行ってしまった。

 先生の癖に仕事を押し付けて生徒を放置かよ……。

 軽く恨み節を零しそうになったが、阪上先生は図書棟専任の司書というわけじゃない。日常業務、つまり国語教師としての仕事も抱えているのだろう。教師という仕事は業務量的に多忙で残業代もほぼ出ないと聞くし、それを鑑みたら多少は溜飲が下がる。

 

 俺は諦めてモップを手に取って、振り向くと花宮が何故か慌てたように立ち竦んでいるのが視界に入った。

 え、いつの間に後ろに立ってたの? 何で?

 

「あの、花宮委員長だよな。何か用でも?」

 

 声を掛けると、花宮は肩を大きく一度揺らした。

 

「あ、そのね! 別に変な事とか何も全然考えてなくて! ただ掃除を一人でやらされるなんて可哀想だから私も手伝ったりしちゃったりしようかなあ~~って思って!」

 

 なぜか俺以上に混乱してるらしく、言い訳がましい弁明と共に凄まじい勢いで両手が動く。余りにアガっているもんだから新種の生き物を見てる気分になった。

 でも手伝ってくれるなら有り難い。図書棟の一階部分だけと言ってもそこそこ広範囲だ。なんたって俺の中学の図書室の5倍以上の広さはある。

 

「俺は良いけど花宮委員長は大丈夫? この広さだと多分時間かかるけど、後の予定とか」

「ううん私は何も無いよ! 心配してくれてありがとね! じゃあさくっと掃除しちゃおう!」

 

 花宮はモップとちり取りを持つと、先導するように足を進めた。何か言おうと思ったが、まだ虚を突かれ思考が中断された後遺症が残っていたこともあり、終ぞ言葉が出てこなかったので俺も無言で後を追うことにした。

 

 一階部分の入り口手前から掃除を始める。軽くで良いと言っていたので、その言葉に甘えてさらっと一回掃いては手早く塵を一か所に集めていく。

 

 俺がモップで塵を集めて、花宮がちり取りで回収する。示し合わせているわけじゃないのにヤケに息が合ってる気がする。相性が良いというと違う気がしたので、多分、花宮が俺に合わせている。

 

 そうして掃除を進める内に花宮のことが気になってきた。不意に目線がぶつかると、華やかながら控えめな笑みを向けられた。可愛い。待て待て俺は桂川単推しだ……!

 

 電子レンジでチンッ! とされかけた思考を整理すべく、俺は目を反らしながら考える。

 花宮(はなみや)エリン。今年度同じクラスになったので、まだ二週間程度の付き合いでしかない。いや、それどころか話したのは今日が初めましてだ。

 

 短い期間で俺が花宮に抱いている第一印象は、性格が良く容姿端麗な優等生。クラスが変わって初日の自己紹介で言っていたのだが、花宮はイギリス人と日本人のハーフらしい。輝かしい金色の長髪は紺野のような紛い物と違って染髪した訳ではない。その遺伝によるものだ。だからなのか紺野のそれより色が鮮やかで、一本一本が絹で出来たみたいに艶やかで洗練されて見える。あと高身長なのもきっと遺伝だろう。滅べ遺伝……じゃなくてだな。俺のコンプレックスは置いておく。

 

 金髪碧眼で完璧超人を体現する花宮エリンに対する周囲の評価は高い。しかも周囲と打ち解ける能力もあって、俺と紺野が教室端で井戸端会議をしている一方で花宮はクラス内でも中心に位置する人物だ。クラスは違うが、或る種では桂川の裏返しみたいな女子生徒である。桂川が孤高を保ち選んだ極々一部の同性としか関わらないのに対して、花宮は誰に対しても優しく手を差し伸べる。だから桂川と違って、花宮は週に1回は告白を受けて週に3回は下駄箱にラブレターを投げられているという噂すらある。現実的にはあり得ないはずなのに、それが憶測と思えないくらい魅力を放っているのが、目の前でちり取りを握り締める花宮エリンに対する俺からの見解だった。

 

 静謐を保つ図書棟で仕事をしていればふつふつと疑問が浮かんでくる。

 何で花宮は掃除なんか手伝おうと思ったのか。優等生を演じるにしてもここまでやる必要はないはずだ。それに図書委員に入った理由も気になる。カースト上位の花宮なら俺と違ってスケープゴートにされるはずもない。まさか自己推薦で図書委員会に?

 

 疑問を口にしようとして、止めた。

 ここは図書棟だ。図書棟では他の生徒の迷惑にならないように静かにしなくてはならない。例え掃除中に読書に勤しむ生徒を殆ど見かけなくてもだ。それにもし阪上先生に花宮と喋っている場面を見つかってしまえば、今度こそ生徒指導室に叩き込まれて説教小一時間。うわぁ、あり得る話だから嫌すぎる。うん、面倒なことはちゃっちゃと終わらせてしまおう。

 

 俺はモップを動かすペースを上げる。花宮にも俺の意志が伝わったのか、ちり取りさばきが素早くなった。

 そうして大体30分ほどして、書架のある1階部分のゴミを集め終えた頃になって阪上先生が戻ってきた。

 

 阪上先生は首はそのままに目の動きだけで辺りを一瞥すると、鼻を鳴らした。

 

「ふん。終わったみたいだな」

「まあ、はい」

「それで花宮まで何で手伝っているんだ? 私は飽くまで罰として、宗谷だけにやらせるつもりだったんだが」

 

 獲物を目にした鷹のような視線が花宮を襲う。花宮は身を強張らせたように右手がピクリと一回跳ねた。いやいや、悪いことしてないのに何でこの人こんな怖いの?

 思わぬ展開に慌てて口を出すことにする。

 

「俺が頼んだんです。1階だけと言えどこの広さ全部を一人でやったら1時間以上はかかるので、つい図書委員長の肩書きを見て花宮さんにお願いしました。なので花宮さんは悪くないです」

「……まあちゃんと掃除してくれたならいいか。初日だしな。よろしい、では君たちも下校時刻までに帰るように」

 

 俺の横槍に眉を顰めたが、最後には自己解決したようであっさりと俺達を放逐すると阪上先生はすれ違って去って行った。事務室に行くらしい。

 ……微妙に口火を切りづらいな。

 

「……花宮委員長、帰ろうか」

「そ、そうだね」

 

 苦し紛れにそう言えば、緊張の残る身体で花宮は肯定した。

 

 俺達は会議室に戻ると、置いたままにしていたスクールバックを肩にかけて、阪上先生のテリトリーたる図書棟を後にした。

 外は既に深い茜空が広がっている。あと30分もしない内に夜が降りてくる。スマホの時計を見れば午後17時半。もうこんな時間か。

 

「あの……! 宗谷くんと帰りご一緒しても良いかな!」

 

 今日は疲れたな、とか平凡な感想を考えていると花宮が緊張した声音で俺へと話しかける。なんか、さっきから積極的なんだよな。本当になんでだろう。

 

「いいよ。あ、そうだ。ジュースか何か奢るよ、手伝ってくれたお礼……にしてはショボいかも知れないけど」

「そんなそんな良いよ宗谷君から奢ってもらうなんてそんな!」

 

 一呼吸で3回も『そんな』と言う人を初めて見た気がする。平常心じゃないのは分かるけど、俺相手にそんな緊張する要素ってあるか?

 

 下校路を歩きながら首をブンブン横に振る花宮を見て、さっき考えた疑念を思い出したので聞いてみることにする。

 

「その前に一つ、聞きたいんだけどさ。花宮委員長って何で俺の事手伝ってくれたの?」

「…………委員長って呼ぶの止めたら教えてあげる」

 

 意地が悪そうな顔をして、唇の前に人差し指を立てた。後ろ日が花宮の顔を赤く染める。

 週一で告白される話の真相が分かった気がするぞ。花宮はこんな感じに親しげな態度で誰にでも分け隔てなく接するが故に、勘違いする哀れな男子生徒を増産しているのだ。つまり魔女だ。花宮は日英同盟が生んだ幼き魔女だ。なるほど、一つ理解を深められた気がする。

 絶対に俺は落されないという強い覚悟を持って俺は仮面を被るように笑みを作った。

 

「花宮、これでいいか?」

「───う、うん」

 

 なんで照れてるんだよ。妙な空気感だし。本当にそうだと勘違いしちゃうだろうが。

 

「それでさっきの答えは教えてくれるのか?」

「も、勿論だよ! そう、これは借りを返しただけ! 去年私が困っていたところを宗谷君、助けてくれたでしょ!」

「……そうだっけ?」

「えぇ覚えてない!?」

 

 目を見開いてショックを受ける花宮を尻目に、思い出してみる。本気で記憶がない。

 だって花宮だろ? その目立つ容姿も相まって、もし関わりがあれば俺だって流石に覚えてるはずだ。

 

「ごめんだけど、本気で覚えが無い。手伝ってもらって申し訳ないけど人違いじゃないか」

「ぜーったいに違うって! 女の子みたいに身長低くて茶髪の男の子なんてこの学校だと宗谷君くらいだよ!」

「は?」

 

 俺が何だって? 身長が低くて誰の視界にも入らないから、集合写真でシャッター切ってから写ってなかったことに気付かれて改めて最前列に並ばされるような存在感のないクソチビ似非メスガキだって?

 

「ご、ごめん……」

「あーこっちこそごめん。ちょっと盛大にイラっと来ただけだから気にしないでくれ」

「あはは……それかなり怒ってるよね……」

 

 ついコンプレックスが刺激されて膝蓋腱反射の如く思考が過去の劣等感で塗り潰されてしまった。花宮にはすまないと思う反面、俺だって好きで低身長に産まれた訳じゃない。そもそも世の中がデカすぎるんだよ。だって今が江戸時代だったら俺くらいが平均身長だ。つまり俺は江戸っ子の血を引く純血ってわけ。はい証明完了。異論は認めない。

 

 真冬の日本海のように荒れ狂うコンプレックスは前頭葉の別室に何とか隔離して、再度考える。

 

「でも本当に花宮と会った記憶なんて無いと思う。ここ1年で話した金髪の女子なんてコンビニ店員くらいだぞ」

「あ……そっか! それじゃ分からないかもね!」

 

 花宮はそう言って長い髪の毛を隠すように覆う。

 

「これで分かるかな?」

「珍妙な女子生徒だなあって思う」

「もー! そうじゃなくってさ!」

 

 頬を膨らませた。これは分かった上で言った俺が悪い。

 

「悪い悪い。つまりアレか、昔は金髪じゃなかったとか、そういうこと?」

「そう! 昔の私は黒髪だったんだよね……それに今みたいに長くも無かったから分からなくてもしょうがないかも」

「黒髪ショートカット……」

 

 再度脳内を検索してみる……あー。思い出したかもしれない。

 

「もしかして去年の4月に先輩に絡まれてた?」

「やっと思い出してくれたんだ!」

 

 正直あまり覚えていなかったから、花宮が頷いて漸く確信する。

 

 1年前の4月中旬。俺はまだ紺野とも大して仲良くはなく、1人で校内探索していた途中だった。

 確か、丁度三階の誰もいない科目別の移動教室付近に足を踏み入れた時だった。黒髪の女子生徒───今思えばそれが当時の花宮だったのだろう、多分金髪じゃなかったのは黒く染めていたからだ───がバスケ部の女子部員から強引な勧誘を受けていた。

 

『申し訳ないんですが姫月(ひめづき)先輩、私は高校ではバスケをやる気はないです!』

『勿体無さすぎる。その才能を腐らせるなんて同中の私は認められない。これ入部用紙』

『要りません……!』

『良いから受け取って』

 

 今思うと凄い内々な話だったと思うけど、揉め事を見て見ぬふりを出来なかった俺はそこに介入した。

 その先輩からは部外者は口を出すな的な事を言われたが部外者から口を出される方が悪いと無茶苦茶な強弁を振るって何とか撃退。その後、花宮と少し話した気がする。当時の花宮は今より暗くて、大人びた空気を身に纏っていた。

 

『私……中学でバスケ部をしてて、でも別にやりたかった訳じゃないんです』

『なるほど、でも何で? 初対面の俺に話せないって言うなら別に良いけど』

『いえ……大丈夫です。寧ろ知らない人の方が楽かも……。バスケは両親の為です。文武両道って手放しで賞賛されるじゃないですか。だから取り合えず中学でバスケをやって、上手くプレイ出来ちゃって、でもそれは本当の私じゃないんだなって思うと息苦しかったんです』

『うん。でも今見た感じだと、君が言う本当の自分にはまだ成れてないんだよな?』

『はい……。本当の自分になるってつまり、自分を変えるってことじゃないですか。言ってしまえば高校デビューみたいな感じになるんですけど……でも変わろうとする勇気が無かったんです。今まで周囲に合わせて来たのにそれを壊すのが怖い……というか。姫月先輩みたいに同じ出身中学の人も少なくないですし、また変な目で見られるんじゃないかと思うと、どうしても一歩が踏み出せなくて』

 

 うろ覚えだけど、こんな感じの会話を交わしたと思う。思い返せば結構、根の部分まで花宮の事情をカウンセリングしてたんだな俺。

 最後はなんて返したっけ。確か、他人は他人を大して注意深く観察していないから、変わった部分がサイゼの間違い探し程度の変化であれば、すぐに周囲も適応するよとか何とか。凄い無責任なことを言ったような、取り繕うようにもう一言二言付け足したような。

 

「そっか……花宮ってあの時の……」

 

 過去回想を挟んで、思わず口から漏れる。あの時は結局互いの名前も交換せず、それっきり関わることはなかった。

 ともかく花宮が俺に妙に関わりを持とうとする理由の一端には納得だ。

 

「そう! こっちこそ数か月後に宗谷君が同級生って知ってビックリしたんだから」

「いや俺、そんな上級生に見えた?」

「だってだよ? 入学一カ月目から堂々と先輩と口先を交える新入生なんていないからね! 凄い度胸だよね、宗谷君って」

「まあ……それは訳有りで」

 

 過去に色々あったんだよ。過度な女扱いをされてブチぎれたり、ロリ扱いされて理性が消えたり、友人とニコイチで男児メスガキ同盟とか纒られて本気で喧嘩したり。俺の小中時代は煽り煽られが起因して喧嘩ばっかしていた。別に不良じゃないのにな。だから非常に遺憾ながら、そういった荒事には慣れっこだ。

 

「まあそれは置いて。その恩返しで掃除を手伝ってくれたって言うなら分かったよ。素直に助かったし、ありがとう」

「どういたしまして! こちらこそあの時はお礼言えず仕舞いだったからさ、ありがとうね! それとさっき阪上先生に怖い顔された時も守ってくれてありがと!」

「大したことはしてないって」

「そこは素直にお礼を受け取るところだよ宗谷君!」

 

 ぷくぷく膨らむ頬に、愉快な子だなあと感心する。

 

「その様子だと本当の自分って言うのには成れたみたいだね」

「うん! 宗谷君の助言のお陰だよ!」

「俺は何もしてないよ。殻を破ったのは花宮の勇気と努力だ」

「だから素直に受け取りなってもー!」

 

 遠慮とかじゃなく事実を述べたつもりだったが、また頬を膨らませてしまった。このペースで頬を大きくしたら破裂しそうで少し心配だ。

 そんな俺の杞憂は「じゃあさ」という花宮の羞恥が混ざった声に遮られた。

 

「連絡先教えてよ。同じクラスの図書委員として連絡する機会もあるだろうしさ」

「う、うん。それもそうだね」

 

 俺は動揺した。こんなに女子って気軽に連絡先を聞いてくるもんだっけ。俺の記憶だと寧ろ渋る傾向にあると思うんだけど、これぞ花宮クオリティーということか。コミュニケーション能力が高い。気づいたら懐に潜られている感じ。ガゼルパンチとかデンプシーロールとか打たれないと良いけど。

 

 下らないことを考えながらも連絡先の交換を終える。今日だけで4つも増えてしまった。個人的快挙かもしれない。

 花宮は自分のスマホを仕舞うと、一度深呼吸をして、良く通る綺麗な声を出した。

 

「一つ、宣言をしてもいいかな?」

「宣言?」

「うん。私、宗谷君と……その、すごく仲良くなりたいからさ! 今度一緒に遊ぼうよ!」

「……え?」

 

 何だ。何を言われているんだ俺は。

 身体から熱が込み上がってきて、脳機能を麻痺させる。

 花宮から誘われた? 遊びってプライベートな遊び?

 

「私こっちだからじゃあねっ! また明日!」

 

 羞恥心からか、弾かれたように花宮は足を動かしてT字路を右へと走り去ってしまう。その後ろ姿はどこか浮かれ気分を感じさせて……。

 

「え?」

 

 俺は間抜けにも1分くらい立ち止まったままになった。

 

 

 

 

 

 思考を立て直して帰宅したその日の夜、一本のショートメッセージが届いた。珍しいと思いつつまたスパムかと辟易しながら開いてみる。

 

【土曜日の午前8時に公園で良い?】

 

 内容に目が点になり、電話番号をちゃんと見直すと桂川からだった。桂川とはRINEでも電話番号でも繋がっているが、ほーちゃんとしての連絡先は電話番号一本である。なのでメッセージを送るにはSMSを使うしかないのだ。

 

【分かった、大丈夫】

 

 そう送るとすぐに返信が来た。

 

【早すぎたりしない? 無理してない? もし難しければ時間遅くするけど】

 

 目がツーンと来た。ほーちゃん相手になると桂川は凄い甘いなあと実感。俺相手だと他人扱いされて、極みにはめっちゃ避けられるのに。自業自得だとはいえ何だかとっても悲しくなってきた。来世があったら女子に生まれて桂川と隠すものなく遊びたかったかもしれない。

 我ながら屈折した願望を考えて、いやキモイから無し無し、などと邪念を振り払ってから返信を書く。

 

【本当に大丈夫だって。心配性だなあ。そっちこそ大丈夫なの?】

 

 これでよしっと。

 俺はSMSの画面から変えずに返信を待つ。まるで好きな子からRINEを待つ乙女みたいだ。まあ乙女以外は合っているのだが。

 次の返信は2分後にやって来た。

 

【大丈夫。私も早く会いたいから早起き頑張る】

 

 ───っ。

 なんて健気なんだ桂川は。今日は花宮に一瞬惚れかけたけど、やっぱり俺は桂川派だ。うん。

 でもほーちゃんとしては友人関係でも、俺としては告白はもう出来ないし恋人になるのも無理に等しいんだよな……。

 

 浮かれた気分が地中へと沈められた気持ちになりながら、俺は諦めて寝ることにした。

 



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#5 ブランコと思い出の公園

 

「朱里、頼む。明日も女装の手伝いをお願いしてほしいんだけど!」

 

 4月20日の金曜日、夜。

 俺は朱里の部屋を訪ねると、恥も外聞もなく頭を下げては、恥も外聞もない言葉を惜しげもなく並べて朱里に懇願していた。

 経緯はシンプルだ。

 土曜日、つまり明日、朝から俺は桂川と遊びに行くことになっている。ただし、『宗谷穂立』ではなく『ほーちゃん』として。

 

 しかしあの時身に付けた服もウィッグも俺の物でなければ化粧の技術も俺にはない。最早ここまで来ると俺が朱里に頼み込むのは運命付けられていた。Wで不本意だ。女装もホントは嫌だし朱里に頭を下げるのも嫌だ。しかし、もしその2つを天秤にかけるならば余裕で女装の方がより嫌だった。俺は男だし、過去にこの中性的な容姿で苦労した記憶は億千万。好ましい思い出がない上に黒歴史でもある。

 

 それでも幼馴染たる『けーちゃん』の前に出るには女装をする他ない。約束を破るのも出来ないのであれば、もう選択肢なんてないのだ。

 

 朱里はそんな悲壮感と屈辱と虚無感が混じりあって複雑な心境を携えつつも徹頭徹尾ていとうな俺を、あちゃー、と言いたげな困った表情で後頭部を掻いた。

 

「まさか冗談のつもりだったのに女装に目覚めるとは……流石コスプレイヤーのあたしの弟。因果な定めって感じ?」

「冗談って……慰めとかアドバイスとかじゃなかったのかアレ!?」

「それもあった。2割くらい」

 

 なら8割は娯楽として消化してるじゃないか! 8割って相当な割合だからな、受験なら大抵の学校を狙えるくらいの!

 理不尽の権化を目前に俺が愕然としている中、朱里は目を一度瞬かせる。

 

「進んで女装を請うようになるとは姉貴としてびっくりだわ。あんたそういうの嫌いだったっしょ。でもその容姿だしいつか好むようになるかもとも正直思ってた、ついに芽が出たかーって感じ」

「いや違う……違うんだけど……でも今は否定しづらいな……!」

「ん? 女装に味を占めたんじゃないん?」

「俺はそんな変態じゃない!」

「信頼性ゼロで草」

 

 うぐっ……!?

 確かに傍目から見れば姉に女装を手伝わせる弟とか業が深いなと思うけど!

 

「一先ず、どうしてそうなったか聞いて判断するわ」

 

 依然と半目のままの朱里は腕を組みながら俺を見下して言った。それもそうか。朱里にはこの前俺が桂川と会って、桂川が昔の幼馴染であると判明したことを話してないもんな。

 

 俺は土曜日の出来事を掻い摘んで話す。朱里は途中までは興味なさげに話を聞いていたが、話題のスポットライトが告白相手の桂川が幼馴染で、俺を『ほーちゃん』という女子高生として認識してる話になった瞬間、水が突沸するかのように爆笑した。

 

「あはっは! なにそれ! どうしたらそうなるん!? 面白すぎるでしょ!」

「当事者的には笑いごとじゃないというか……」

「あたし当事者じゃないもん!」

 

 喉が枯れる勢いで笑いまくって、俺はその間何も言えない。冷静に顧みても本当にどうしてそうなるのかと悩んでしまうからだ。

 

「まぁー理解した。あたしとしてはそんな千載一遇のコメディーを逃したくないし、いいよ、手伝ったげる」

「ああ、助かるよ」

「じゃあ千円」

「え?」

「コスメと服レンタル代。千円徴収するから」

 

 金取るのかよ。

 でもここで渋ることも出来ない……足元を見られている気がしてあまり良い気分じゃないが。

 予想外の出費に項垂れつつも支払うことに決めると、朱里は笑顔で頷く。

 

「分かったよ……」

「毎度あり。おけ、明日は何時に行くつもりなの?」

「午前8時に待ち合わせだから、出るのは7時半くらいだと思う」

「早くない? 部活の朝練じゃん。店どこも開いてないっしょ」

「それはそうなんだけど」

 

 桂川の可愛いチャットに無思考でYesと返してしまったけど、そうだよな。ファミレスも何もやってない時間だし、公園でまさか店が開くまで何時間も過ごすなんてことにもならないだろう。流石にもうちょっと遅い時間を指定すればよかったかもしれない。

 

 俺の考えが浅いと思ったのか朱里はやれやれとばかりに首を振って、呆れてみせた。

 

「全くうちの弟はそんな様子で大丈夫なんだか……」

「別にいいだろ……ともかく本当にありがとうな」

「それと老婆心から一つ言っとくけど」

 

 最低限の目的を達したと思って自室に戻って明日の準備を整えとこうと思ったのだが、俺が動く前に朱里が言葉を挟んだ。

 

「あんたがどうするつもりかは知らないけど、ずっと歪な関係を続けるわけじゃないでしょ。その子を騙しているわけだし。何であろうと頃合いを見て真実を伝えるべきだと思う。───信じてた相手から騙されるってキツいんだよ? これ姉からの助言ね」

 

 それだけだからと言い、朱里は俺を部屋から追い出した。

 それから暫く、朱里の言葉が楔となってジクジクとした嫌な情感を覚えた。

 ……真実を言うべき、か。

 俺だって分かってる。薄氷の上で歩いている現状が望ましくないことくらい。況してや桂川の心情を鑑みれば早々に暴露したほうが良いことも。

 

 少し考えて、俺は意図的に考えないことにした。その『いつか』はきっと今じゃない。然るべき時期というものがあるはずだ。朱里の忠告を忘れるわけじゃないが、今はまだ───。

 

 思考を先延ばしにすると、俺はベッドに寝転がって電気を消した。

 

 

 

 

 翌日。

 6時になっても起きて来なかった朱里を叩き起こす。まあ時間が早いし、今回に限っては俺の事情に依るものだ。少し申し訳なさはある。でも叩き起こす。こうでもしないと首里は目を醒まさないだろうから。

 

 口数少なく起きた朱里に野口さんを渡して、のそのそとした動きで化粧や服一式をコーディネートしてもらうと、準備万全、家を出た。朱里は二度寝した。

 

 玄関扉を開くと春の空気が雪崩れ込んだ。朗らかでのんびりした空気。何かが始まりそうな予兆があっていいな。春が好きな理由の一つだ。

 

 家から公園まで30分ほど。本当はバスを使ってショートカットしようと思っていたのだが、こんなに天気が良いならのんびり散歩とするのもいいかもしれない。それで俺はバス停を通り過ぎた。元より早めに出ようと思っていたから時間はある。

 

 正直なところ、緊張はしている。

 『けーちゃん』と会うのもそうだし、『ほーちゃん』として会うのもそうだ。諸々の事情を隠してこれから『けーちゃん』と遊ぶと考えたら、気が気でない。些細な仕草からバレないか心配だ。

 事情を明かすこともだって考えた。でも、それをしてどうなるって言うんだ。真実が全て良いとは限らないはずだ。今そうしたところで、きっと『けーちゃん』はガッカリして、その後憤慨して、酷い別れ方をするだろう。お互いのためにならないと思う。永久に隠し切ろうとは思ってないけど、少なくとも今じゃない。

 

 考え始めると不安に押しつぶされて気分が沈みそうになって、一回深呼吸。

 こんな直前でナイーブになったら終わりだぞ俺。こんな気分で行っても楽しめないし、ボロを出すかもしれない。そうだ、デートとでも思えばいいじゃないか俺。ほら好きな子とのデートだぞ俺。

 

 架空の人参をぶら下げることに成功したので、気分転換ついでに公園までの道程を思い出す。今歩いている二車線道路をもう少し進んで三つ目の信号で右折、県道に入ってすぐ細道へ左折。住宅街が織りなす複雑な裏道ををくねくねと歩けば目的地の公園が現れる。

 

 そういえば公園の名前を俺は知らないな。多分忘れた訳じゃない。当時も興味が無くて覚えようとすらしていなかった気がする。何という名前なんだろう。地域の名前なのか、それとも第一公園とかつまらない名前なのか。公園自体が大きくないから運動公園みたいな、如何にも大規模な敷地を誇りそうな名前は無いだろう。

 

 考えながら早朝の春風とすれ違っていれば、程無くして公園が目に入った。公園内が見えて、人影が一つ、格子状にデザインされた屋根の下にあるベンチで座っている。桂川だろうか。

 近づくと輪郭がはっきりして、桂川だった。詰まらなそうな顔をしてスマホを弄る横顔が見える。屋根の隙間から漏れだす朝日によって、ステージ上のように照らされた桂川がとても幻想的だった。

 

 更に桂川の爽やかな服装もその容姿を際立たせている。淡い水色のトップに、ミルクみたいな純白のロングスカート。似合い過ぎていて、見ている内に直前まで何を考えていたか忘れてしまった。

 

 気配で分かったのか、桂川は顔を上げて俺の姿を認めると自然な笑みを作った。

 

「あ、来たんだ。おはよう」

「おはよう……早くない?」

「普通でしょ」

 

 公園にある時計台は7時45分を示していた。まだ約束まで時間があるが、桂川も俺と会うことを楽しみにしていたということだろうか。何だか嬉しいな。勘違いは流石に今更しないけども。

 

「そっか」

「そっちこそ今日何時に家出たの?」

「7時過ぎくらいかな。起きたのは6時前」

「私より早いじゃん」

「けーちゃんと同じ気持ちだったからさ」

 

 そう言うと頬を紅潮させて俺を睨んだ。普段なら動揺するところだけど今の桂川は怖くない。猫みたいだ。

 

「はあ……ほーちゃんは何時からそんなやり手になったんだか」

 

 溜息を一度吐くと、桂川は公園に視線を移した。釣られて俺も顔を動かす。

 ベンチからは小さな公園の全貌が見える。改めて全体を視界に入れると何だか思っていたよりも公園が小さい気がした。子供の頃は全てがもっと大きく見えた。高校生になって身体が大きくなって、申し訳程度の数しかない遊具が敷地の大半を占めていて、何だか密度が高く混々とした印象を受ける。

 しかし、遊具に変わりはないみたいだ。各地で危険だからとブランコやシーソーが撤去されるトレンドもあったけど、この公園は時が止まったようにそのままの姿を残している。

 去来した暖かなノスタルジーに穏やかな時間を感じていれば、桂川が言った。

 

「本当に懐かしい」

「けーちゃんもこの公園に来なかったの?」

「一人で来ても面白くないでしょ。それにここは特別な場所だから。けーちゃんと一緒じゃないと意味ない」

「確かに一人じゃ来ないか。同じ立場ならそうするかも」

「うん」

 

 桂川は頷いて、スカートを払って立ち上がった。

 

「ブランコ乗ろうよ」

「え?」

「懐かしいでしょ?」

 

 ふっと笑った。何か言う前に歩き出してしまう。

 ブランコに乗るなんて何年ぶりだろう……それこそ桂川とここで遊んでいたぶりになるかもしれない。

 

 桂川の隣に座ると、軽く漕いでみる。

 

「私達、こんな感じで放課後色々話したよね」

「うん。その日あったこととか、先生の悪口とか」

「あったあった。学校違うのにそんな話ばっかしてた」

「ホントに懐かしいよね」

 

 ぎこぎこと、ブランコが軋む音が響く。気を付けて聞いてみると、昔より音が大きくなってるかもしれない。

 錆びが進行したんだろうなとか予想して、過ぎ去った時間をまた懐かしみかけたその時だった。

 桂川が言いづらそうに口火を切った。

 

「ほーちゃんってさ、恋人とかいるの?」

「こい……びと?」

 

 斜め上へ話が飛んで、つい言い慣れない単語を繰り返すみたいに発音してしまった。

 いやでも恋人? まあ女子って恋バナ好きだしな。小学校からそれは変わらない……そう言えば似たことを昔も桂川から聞かれた気がする。その時は「いやいや、いるわけないじゃん!」とか大声で言い返して呆れさせた記憶があるけど。

 少しばかりどう返すか悩むと、

 

「全然いないよ」

「そう。そっか。そうなんだ」

「……なんで3段活用したの?」

「ほーちゃんが気にしなくていいことだよ」

「そっか。でもそれならけーちゃんなんて恋人いそうだけど?」

「居ない。告白も全部断ってるから」

 

 キッパリと言われて呻きそうになった。耐えた俺はこの世界で一番偉い。

 言ってから気付いたけど何で俺はそんなことを聞いたんだろう。過去の傷を抉るだけなのに……。

 よし、忘れよう。今の俺はほーちゃんだ。穂立じゃない。告白ってなんのことですかね。

 

「そうなんだ。なんか勿体無いね」

「別にそうでもないよ。どうでも良い男ばっかだったし」

 

 好きな子からどうでもいいって言われた。ごめん無理だ。俺今からブランコで自殺試みてもいいかな?

 衝動的に破滅へ向かおうとする俺を諫めるように桂川は俺のブランコの鎖を掴んだ。

 

「……でもさ。安心した。ほーちゃんは昔から何も変わってないんだね」

「そ、それは失礼じゃないか? 学力上がったし精神年齢も上がったからね」

「身長は変わらずちっちゃいまま」

「身長のことは言うな」

 

 なんか可笑しくて笑みが込みあがってきた。普段ならキレかけているところだけど桂川から言われるのはあまり琴線に来ないな。これが惚れた弱みってやつか。失恋してまだ心の折り合いが付いていないみたいで、少し複雑な気分になる。

 

「大学はどこに行くつもりなの?」

「大学……?」

「進学するつもりでしょ」

 

 話題を大きく変えてきた桂川に、まあそうだけど、と中途半端な返事をしてしまう。

 突然言われてもなあと思う。大学なんてさっぱり考えていない。取り合えずそこそこの学校に入っておけばいいかな、そうすれば就活でも苦労しないかな、程度の考えはあるけど、頑張って粉骨砕身の思いで難関大学を目指すのも違う気がする。学力も高いわけじゃない、正直こだわりはないかな。

 

「まだ二年生じゃん。分からないよ。あんまり考えてもないし」

「ふーん」

「何だよその生返事」

「別に。教えてくれないんだって思っただけ」

「だから志望校すら決めてないんだから教えようがないだろ?」

「じゃあ偏差値。今の偏差値教えてよ」

「恥ずかしいからヤダ」

「……ケチ。昔のほーちゃんならもっと堂々としてた。この十年で随分と女々しくなったね」

「女々しくはなってないと思うけどなあ」

 

 桂川は拗ねた口調で悪態をつく。

 男に磨きがかかったとは自分でも思わないけど、初対面で女児扱いされることは少なくともなくなった。真反対だ。絶対に真反対だ。口には出せないけど。

 

「そういうけーちゃんこそ志望校でもあるの?」

「教える必要ある? ほーちゃんは教えてくれなかったのに」

「そう言わずに」

「どれだけ言っても無理だよ。けーちゃんが話さなかった時点でこの話は終わってるの」

 

 桂川が気難しい。いやいつもだけど。女心と秋の空とはよく言ったものだ。

 

「でも志望校決まったら教えて。絶対。今年は良いけど三年の春には一回聞くから私」

「いやなんでさ」

「なんでも」

 

 未だに俺の志望校に固執する桂川に脊髄反射で素の返答をしてしまう。桂川が過去一頑なだ。まあ、過去を語るほど俺は桂川のことを知ってるわけでもない。空いた期間は10年だ。しかも人生で最も繊細な思春期の10年だ。そう考えて、俺は『けーちゃん』と『高校以降の桂川』しか知らないんだなと改めて身に染みる。

 

 またもや感傷に浸ると、子供達の甲高い喋り声が聞こえてきた。公園に向けて歩いてくるようで、次第に話し声は大きくなる。

 不意に時計台を見てみた。午前8時30分。もうそんなに経ったんだ。

 

「そろそろ公園出ようか」

「うん」

 

 移動を提案すると桂川も須臾の間を置かず二つ返事で頷いた。

 別に言葉が嫌いなわけじゃない。或いは、この狭い公園に俺達がいても子供達が思い思いに遊べないだろう───とか殊勝な年上としての配慮でも勿論無く、ただ俺と桂川の2人だけの空間が崩されるのが嫌だっただけだった。なんて心が狭いんだろう俺は。

 

 一度地面を蹴っ飛ばして、勢い良く俺はブランコから立ち上がる。

 桂川も続いて地に足を付けて、すると唐突に俺の臀部を手で払った。

 

「土が付いてる」

「あ、ありがと……」

 

 ええっと、その、ボディータッチされた……?

 理解が現実へ追い付いた頃には桂川は俺を追い越していた。振り返って俺を見る。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもないけど!」

「……変なの」

 

 桂川は奇怪なものを見る目で俺を見た。

 こちらの気持ちも知らない癖に……いや知ってるのか。はい。

 

「それでどこ行く?」

 

 変な顔になってる気がしたので顔と話を逸らして、これからの予定があるか聞いてみる。無ければまた適当に駅前で散策というパターン通りの動きとなる。俺に女子同士でどんな風にお出かけをするのかなんて知識はない。あったら純粋に気持ち悪い。

 桂川はスマホをちょちょいと操作して画面をこちらへ見せる。

 

「映画とかどう? 今ならこの映画やってるけど」

「映画かあ」

「不満?」

「そういうわけじゃないけど」

 

 画面には今話題の恋愛映画のあらすじが表示されている。

 意外だった。桂川って恋愛映画とかメロドラマとか、そういうポップなコンテンツに興味ないですみたいな澄ました顔をしてるから。『けーちゃん』もテレビよりも本な子だった。余談だが図書委員に入ったのもそういうことだと思っている。

 だから、ついつい指摘した。

 

「その映画、見たいの?」

「……まあ、多分?」

 

 何故か疑問形だった。苦虫を嚙み潰したように歯切れが悪い。

 ……もしかして俺を慮っているとか?

 

「一応言っとくけどこっちに合わせる必要とはないからね。けーちゃんがしたいことで良いよ」

「そう言う訳じゃないんだけど……折角の忠告だし。分かった。そうする」

 

 桂川は溜息を吐いて頷いた。

 

「なら、本屋がいい」

「おっけー」

 

 その言葉で駅を移動した。数駅移動して、県内でも5本の指に入る敷地面積を誇る書店へと足を運ぶことにする。

 土曜日の朝の電車は混んでいた。殆どの人がこれから何処か遊びに行くんだろう気軽な装いをしている中、2割程度の学生服やスーツ姿の乗客に哀愁の念を覚える。視界に入れては刹那の仄かな申し訳なさを感じつつ、桂川と他愛もない話(といっても何処からバレるか分からないから気が気でない)を交わしながら、20分で最寄り駅に到着。

 

 目的の書店はショッピングモールの3階だ。モールまでは駅から直通しており、2階通路を渡って店内へと入店が可能である。この周辺は3年前に竣工した駅周辺の大規模再開発でアップデートとされて、利便性が上がったのだった。おかげで俺も買い物をするときは良くこの周辺に来たりする。

 

 本屋に入る。学校の図書棟とまではいかなくとも、売り場面積は優にその辺の平屋のスーパーを超えるくらいに広い。微かに香る本の匂いに桂川の顔も緩んで、ふらふら新刊コーナーへと吸い寄せられていった。

 

 書店に入ると桂川は徐に肩に掛けていた小ぶりなバッグを漁ると眼鏡を取り出した。すっと装着する。

 

「けーちゃんって視力良くなかったっけ?」

「下がったの。本の読みすぎで。日常生活は眼鏡がなくても何とかなるけど、細かい文字を読むときはどうもね」

 

 何でもないように言う。

 まるでおばあちゃんの発言だ。言ったら睨まれそうだから黙しておく。

 

 知性がプラスされた桂川と30分くらいは一緒に本を見て漁った。しかし桂川は乱読家らしく、小説のみならず経済書、実用書、果てはITの資格本まで手にとってはペラペラ捲り始める。これには俺も参った。読書が嫌いなわけじゃないけど、進んでするほど傾倒している訳でもない。良く読むのは漫画くらいだし、小説を読むのは年に一回か二回程度。最初こそ物珍しさから付き合えたけど、徐々に飽きがやってくるのはどうしようもない。

 そろそろ無理かなあ……一旦気分を変えよう。

 

「ちょっと漫画コーナー行ってくる」

「うん」

 

 一言断ると、返って来たのは譫言みたいな返事。桂川は夢中だった。本の妖精のようだった。

 今もなお書籍に魅入られて離れられない桂川はそこに置いたまま、漫画コーナーへと旅立つ。売り場が広いからコーナーを一つ見つけるのも大変だ。

 10分少々かけて探して、新刊漫画を確認。知ってはいたけど追ってる漫画の続巻はまだ出てない。でもアクアロンドのアンソロジーがまた出てるのは見つけた。よし、これは買おう。買いの一択だ。

 

 それで俺はこっそり漫画を買った。隠れる必要なんてないとは思うけど、桂川にこれ以上オタクだと思われるのは嫌だった。

 

 さて、気になっていた漫画も全部チェックし終えたらいよいよやることがないぞ。手持ち無沙汰だ。どうしようか。

 桂川の元へ戻って物色姿でも見物しようかと思ったが、それも趣味が悪い気がして、あと元の木阿弥でしかないのもあって、結局適当にモール内を彷徨うことにした。

 

 SMSで一報、見終わったら連絡をくれとだけは送っておく。既読はつかない。いつもは気怠そうにほんのり細く絞られた目を今日ばかりは大きく見開き、今もなお本の山に埋もれていることが容易に想像つく。桂川が満足するまでは待機するかあ。

 

 モール内をぶらぶら歩く。目新しいものはない。このモール自体、俺もそこそこの頻度で通っているのもあって、どの店が何階のどのエリアにあるかくらいまで何となく把握できるレベルまで達している。

 見るものも無いのでウインドショッピングは諦めて二階のバルコニーに出た。雲一つない春に迎えられて、大勢のショッピング客で食傷気味だった気分が一気に搔っ攫われる。普段は休日あんまり外に出ないからこそ、こういった季節の外気を新鮮に感じる。

 

 そんなことを考えていると春風に乗って知ってる声が聞こえてきた。

 

 



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#6 女装バレと詰めの甘さ

「あれ、宗谷くん? ……宗谷くんだよね?」

 

 ……バレた?

 慎重に確認するように二度ほど俺の名字が呼ばれる。他人のふりをしたいが、無理だ。もう俺は呼ばれた方向を確認しようとしてしまっている。

 

 顔を向けた先にはラフな私服姿の花宮がいた。桜柄が特徴的なワンピースを着て、様子を見るに一人らしい。

 俺を認識すると花宮は「やっぱり!」と華やかな笑顔を散りばめた。

 

「絶っっ対これ宗谷くんだと思ってさ! 自分を信じてよかった~!」

 

 嬉しそうに言う桜宮とは反対に俺の心境は奈落一直線である。どうすんのよこれ。女装がバレたが。つまり待つのは社会的死という見えきった結末だけだが。

 

「にしてもよく似合ってるね~凄いかわいいじゃん! え、肌とか元からこんなつるつるだったっけ? 全女子から羨まがられるよそれ」

「ほっといてくれ……」

 

 諦観を覚えつつ、しかし、一向に来ない『キモい』『キショい』という罵詈雑言に内心首を傾げていればそんな事を言われる。俺にとっては褒め言葉ではない。というか大抵の男にとって褒め言葉ではない。

 

「でも何で女の子のふりなんてしてたの?」

「その前になんで俺だって分かったんだ?」

「え? だって宗谷くんの顔は知ってたし。それに私、昔から人の顔を覚えるのは得意なんだよね。それもあるかも」

 

 頬に指をつけて考えながら桜宮は言った。

 最悪だ。俺、これでも自分の女装姿には自信というか、バレないだろうという奇妙な確信があったんだけどな。髪色も髪の長さも違うし、化粧だって多少はやってもらっている。

 見抜かれた理由も理由だ。男っぽさが隠せてないからとかであればまだ受け入れられたのに、よりによって顔を覚えているからとは……探偵真っ青の記憶力だ。白旗を上げるしかない。

 桜宮は俺を見ると、再度似た質問を投げかける。

 

「それで何でそんな恰好してたの?」

「それはか──────」

「か?」

 

 危ない。桂川のことを話すところだった。

 桂川と俺の複雑怪奇を極まりすぎて骨折しそうな関係性は抜きにしよう。俺の恋愛事情をありのままひけらかすのも恥ずかしいし。

 

 よし、俺、考えろ。この場で女装していてもおかしくない理由を!

 一先ず「なんでもない」と誤魔化すように首を振る。幸いにも花宮もさして追及する気はないみたいだった。

 3秒くらい考える。しかし、女装をする理由なんて全然思いつかないぞ。

 

 うん、諦めた。女装する正当な事情なんてこの世には存在しない。

 口に出した勢いのまま言葉を紡いでみる。

 

「───趣味なんだ。女装するの」

「へ、へえ。そ、そうなんだ……」

 

 明らかにドン引きされた気配。選択肢を失敗した気がする。ただ俺の発想が貧困なこともあってこれ以上に相応しい理由も見つからない。俺の名誉と社会的イメージを生贄にこの場を乗り切るか。さらば華の高校生活。こんにちわ暗黒の時代。

 

 そう覚悟を決めていたのだが、花宮はくつくつと漏らすように笑い出した。

 

「あははは、なんてね。分かってるよ。言えないんでしょ?」

「え?」

「顔に描いてあるもん」

 

 居ても立っても居られず、ベタベタと頬を触ると「実際に描いてあるわけじゃないって!」とまた揶揄うように指摘が入った。手玉に取られている感じがして少し居心地が悪いな。むず痒い。

 花宮は考えるように「うーん」とか唸って、

 

「まあ私からすればどうでもいいかな。だって宗谷くんの女装とても似合ってるし」

「あ、ありがとう?」

「うん、どういたしまして!」

 

 ここでお礼を言う俺も、それに合間も置かず返答する花宮も、何かが決定的に間違っている気がしてならない。何を言ってるんだろう俺は。

 

「じゃあさ、今度遊びに行くときは宗谷くんは女装だね!」

「それは勘弁してほしいんだけどな」

「もちろん冗談だよ?」

 

 悪戯っぽく舌をちらっと出して、すぐに引っこめると花宮はにこりと微笑みを湛えた。あざとい。あざといけど多分天然だこの子。だから男から告白されまくるんだろうな……。アドバイスしてやりたい気持ちもあるけど、それをしたら世界自然遺産に石油工場を建設するのも同じくらい無粋で愚行な気がする。少し考えて、相槌を打って曖昧に溶かすことにした。

 

 花宮は吹いてきた風に揺れる髪を右手で抑えると、

 

「私そろそろ行くね。ノアのご飯を買わなきゃいけないんだ」

「ノア? ペット飼ってるのか?」

「うん! ゴールデンレトリバーでね、今年で五歳で凄いおっきいんだよ!」

 

 花宮は腕を広げて大きさを表す。成犬ということもあって、中々のサイズらしい。うちは朱里や親父がアレルギーでペット飼えないから少し新鮮だ。

 

「じゃあまた学校でね! その女装、凄い可愛かったよ!」

「その誉め言葉は嬉しくはないけど、また明後日な」

「えへへ……うん!」

 

 そう言って軽く手を降って花宮はモールの中へと歩いて行った。うーん天然のあざとさが凄い。将来の彼氏は花宮の一挙手一投足に嫉妬しそうだな。

 

 二階の北側にペットショップがあるからそこに行くんだろうなとかアタリをつけつつ、俺もそろそろ戻ろうかと考える。その前にスマホを見ると桂川から着信があったみたいだ。三回ともに花宮と会話をしていたタイミング、つまりド直近のタイミング。合わせてメッセージの返信も来ていた。

 

【終わったけど、どこ?】

【漫画のとこにいないし。ねえどこいるの?】

【帰ってないよね?】

【でんわでて】

 

 圧が強い。圧が。最後の平仮名とか現代ホラーかよ。

 俺はすぐさま電話をかけることにした。

 

 少々不機嫌な桂川が1コール目で電話に出て、場所だけ共有してすぐ切った。2分後に俺のいるモール外廊下のバルコニーで合流した時には、桂川は眉間に皺を寄せて非常に不機嫌そうだった。

 

「なにしてたのほーちゃん」

「漫画も見飽きたから散歩してた」

「それにしては反応遅かったけど?」

「スマホをマナーモードにしていてさ、着信に気づかなかったんだ」

 

 我ながら言い訳がましい響きがあるけど一応真実でもある。基本的に音はならないような設定にして常にスマホは携帯しているためだ。それでも着信時はバイブレーションはあるからその点に指摘が入ると困りものだったが、桂川は仏頂面を深めるだけに留めて特段言及することはなかった。

 

 その後、時間もいい頃合いということで昼ご飯を食べることとなった。

 普段ならば二階にあるフードコードで軽く済ませてしまうことが多いのだが、今日はそうはならなかった。きっと俺と再会して初の外出ということで特別感を意識しているのだろう、店は学生の身からすれば少々お高めの予算3000円程度のハンバーグハウスに決まった。

 

 ……決まったはいいが、行ってみれば凄い並びだった。

 

「本当にここにする? けーちゃんが気にしないなら他のほうが良いと思うけど」

「気にする」

「あっそうでしたか……」

 

 陳言は敢なく撃沈。並ぶことになった。

 暇潰しに数を数えてみる。店外約40人程度、店内7人、計47人の行列だ。この人数とだとどのくらいの時間がかかるだろうか。一回の食事が30~40分程度と考える。人数こそ多いがほとんどがグループ客であるので、1グループおおよそ3人と考えて、16グループ程度。席数はそう多くない、外から見た限りは8つだった。計算完了。となると待ち時間は1時間は最低でも見積もるべきだな。

 

 ……1時間かぁ。

 つい辟易として、ため息が出そうになる。超人気有名店とかなら味に期待して長蛇でも並ぶ覚悟は出来る。でもここはそうじゃない。値段分の味はあるだろうがそれ以上の期待は持てない、そういう極々平凡な店だ。さっきネットのレビューサイトを見たらそんな感じだった。うーん。なんとも言えない。

 

 でも桂川は梃子でも動かない構えを取っていて、俺はまた諦めることにした。桂川は昔よりも決めたことに頑固なところがあるみたいだ。ともかくさっさと並ぼう。

 

 そうやって最後尾に俺と桂川は並んだ。椅子は空いてなく、立ち並びの状況だ。

 最初こそ取り留めのない会話がぽつぽつとあったが、30分もすれば話題も尽きる。桂川がスマホを取り出したのを見計らって俺もスマホを弄ることにした。終わりだ。一対一で遊んでこうなったらもう気まずいことこの上ない。

 

 耐えかねてさりげなく桂川を様子を確認してみる。全然微動だにせず指だけ動いている。と思ったら桂川の目が動いて、視線が合った。

 ここで無言なのも変だよな。

 

「……何を見てるの?」

「別に。国内ニュース、冷凍餃子に毒が混入してたって」

「そうなんだ。それは怖いね」

「うん」

 

 話は広がらず、そこで会話終了。桂川の視線はスマホに戻った。深海で息も出来ず溺れてるみたいな鈍重な空気。とても気まずい。助けてほしい。

 そう思っていれば桂川が口を開いた。

 

「ほーちゃん、それって」

「なに?」

「キーホルダー。アクア……なんちゃらってやつさ、外したの?」

 

 俺と同じく気まずさを感じていたのかと思ったけど、単純に俺のスマホに前付いていたキーホルダーが外れていることが気になったらしい。指を指されて、やべ、と心臓の鼓動が早まる。些細な変化に気づいてくれて恋の予感が疼いたとか、そんな甘いものでは断じてない。どちらかというとヘマをした時の焦燥感。

 

 ───アクアロンドのキーホルダー、付け直すの忘れてた!

 

 冷や汗が出る。

 そもそも最初の邂逅の後、俺はアクアロンドのキーホルダーはスクールバックに付け直していた。『宗谷穂立』が『ほーちゃん』と同様にスマホに同じアクキーを付けているのは流石に違和感があるからだ。しかし、それを今日スマホに装着し直すことを完全に忘れていた。なんで忘れたんだ俺。完璧に凡ミスだ。

 まあでも、救いなのは桂川の顔にはそこまで疑懼の兆しが浮かんでいないことだ。多分純粋に気づいて引っかかっただけだろう。それなら幾らか誤魔化しようもある。

 

「えっと、あのアクキーだよね。ちょっと汚れちゃってさ、改めて思うと貴重なものを汚れやすいとこに付けておくのもどうかと思ったから外して今は机の中に閉まってるんだ」

「ふーん」

「にしてもよく気づいたよね、そんな細かいこと」

「普通でしょ」

 

 桂川は普段と変わらぬ平坦な声ながら姿勢だけ胸を張った。よかった。特に疑念は抱いていないみたいだ。

 

 キーホルダー繋がりでアクアロンドの話になる。何でも意外なことに、桂川が最近『星霜のアクアロンド』を見ているというのだ。意外も意外だ。さっきも思ったが桂川はカテゴライズするなら文学少女の部類だ。それがアニメ、しかも男性向け深夜アニメを見るなんてどういう心境なのだろう。

 

 まあいいか。俺としては話せる相手が一人増えるのは歓迎すべきことだし。今までは朱里としか話題を共有できなかった。紺野もアニメは全話見たらしいけどあいつはそのシーズンの気になったアニメを全話薄く見て、雰囲気だけ楽しむ、所謂アニメライト勢だ。見てるアニメの展開もあまり覚えてないから俺の求める対話相手のレベルにまで達していないし、それにあいつのメインコンテンツはVtuber鑑賞だ。推しは秋夏春雪(あきなつはるゆき)という女性Vtuberで、その話題になるとヒートアップして推せる部分を猛烈な勢いで話し始めるから気持ち悪い。そういうのが無ければもっとモテていただろうに、いや、あってもモテてるからムカつくな。やっぱ本当に殴ろうか。閑話休題。

 

 全話見ているわけではないというからネタバレを避けてアクアロンドの話をしていれば、漸く店内の席へ案内された。

 注文はメニューを見て決める。まあハンバーグだろう。デミグラスハンバーグの180gのランチセットにした。桂川も俺と同じものにするようだ。

 

 注文の品が来るまでの20分ほどは無言の再来だった。ただ先ほどよりは空気は重くない。複合的な要因があると思う。周囲の家族連れが楽しそうな雰囲気を醸し出しているのとか、さっきは立って待ち時間も分からぬまま並んでいたが今は座って料理を待つだけといった状況が、俺と桂川の心を軽くしている。

 

「ねえ、カップルドリンクだって」

 

 手持無沙汰にしながらメニュー表を眺めていた桂川が唐突に言う。

 カップルドリンクね。どういう意図で言ったのか分からないけど、若者向けの喫茶店とかであればともかく、モール内のレストランにあるのは珍しいかもしれない。

 

「ハンバーグハウスにそんなのがあるんだね。珍しい」

「……ね」

 

 気のせいか、桂川は肩を僅かに落として残念そうにメニュー表を閉じた。

 まさか頼みたかったとか?

 いやいやまさか、それこそあり得ないだろ。俺の願望が混じった見解になってるってそれは。

 恐らく本当に興味があっただけだろう、味も南国ミックスサイダーとあまり見ないジュースらしいし、と俺が察しを付けている間にやっとハンバーグが運ばれてくる。

 

 石焼ハンバーグだ。皿代わり鉄板の中には熱された円柱上のストーンが置かれていて、ハンバーグからはコンソメ色の肉汁がだくだくと流れ落ちている。

 

 いただきますとだけ言って、肉を切り分けて口に含む。熱いが美味しい。なるほど。アレだけ並ぶのは土日だからかと思っていたけども、多分、味が良いからだ。ネットのレビューだけ見て食べた気になるのも良くないな。

 俺と桂川は一言も感想を共有することもなく、ただ夢中で食べた。ガヤガヤする店内で唯一の特異点だったことだろう。

 

 20分ほど喫食。口周りを拭って、満足感を覚えながら退店。

 

 さて、何をしようか。桂川とまたモールに放り出されてしまった。

 頭を悩ませ始めようとしたとき、桂川に手を握られる。ドキッとして思考が止まった。

 

「どうしたの?」

「ハンバーグ、美味しかった」

「そうだね。あんな旨いものだとは思わなかった」

「カップルドリンク……」

「ん? 何か言った?」

「……何でもない」

 

 小さな声で聴きとれなかった。プイとそっぽを向いてしまう。小さい子供みたいで可愛い。

 

「けーちゃん、ペットショップ行かない?」

 

 柔らかくすらりとした手の感触に思考回路を掻き乱されながら提案してみる。特に考えたわけじゃない。何となく、女子ならペット好きだろうな~という雑な決めつけから言ってみたのだが、桂川は小さく頭を振る。

 

「わたし、犬アレルギーだから」

「そっか。それじゃ無理か」

 

 思い返せば昔公園で遊んでいた時も犬にはあまり近寄らなかったかもしれない。

 気恥ずかしさが勝ってきたので手を離すと、ぽつりと桂川は言う。

 

「それよりその……なんでもない」

「え?」

「なんでもないから!」

 

 なぜか顔を赤くして目を鋭くした。何を言おうとしたかはさっぱり分からないけど、とても理不尽に睨まれてることだけは分かるぞ。

 困った俺は頭を振って、

 

「手、繋いでたかったの?」

「違うし……! 何でもないって言ってるでしょ!」

「じゃあ繋がない?」

 

 桂川は批難するような目。

 

「なんでそうなるの。……予定もあるしもう帰る」

 

 俺を咎めるように溜息を漏らすと、踵を返して駅方面に歩いて行ってしまった。

 えぇ……。なんか俺やっちゃったか。

 理解困難な言動に呆然と見送るしかなかった。

 



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