【完結】ゼロの極点 (家葉 テイク)
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序章

「で、最終的にこうなるわけだ」

 

 

 とある研究所。

 体育館ほどもある広さの実験室で、麦野沈利は落ち着き払ってそう言った。

 茶色い長髪をゆるくウェーブさせた優雅な風貌の彼女は、やはり優雅に佇んでいる。実年齢は高校生なのだが、大人びた雰囲気に顔つき、服装などの関係から、彼女が年齢通りに見られることはあまりない。成人女性として扱われることもたびたびあるくらいだ。

 実際のところ、彼女としてもこの展開は大いに予想通りだった。

 木原数多と、彼が横槍を入れて入手したという妹達(シスターズ)の一人。その協力を得て、麦野は『とある実験』をしていたのだ。

『〇次元の極点』。

 次元というのは、『切断』するごとに一つずつ下に落ちていく。

 立体である豆腐を包丁で切れば、その断面はただの長方形であるのと同じように。

 この世界においてn次元の物体を切断すると、断面はn-1次元になる。

 ならば、理論上一次元の『点』を切断すれば、その断面は〇次元になるはずだ。

 そして、もしもその『〇次元の極点』を制御することができたならば。

 理論上、〇次元と三次元の世界は対応しているが、三次元世界の広さに対して〇次元は『一点』しかない。〇次元の『一点』という『世界のすべて』さえ手元にあれば、三次元のすべての座標とリンクが可能であり、そこをワープやテレポートの為の中間地点にすることだって可能なはずだ。

 しかも、テレポートする部分に関しては、能力による現象ではない。

 あくまで能力者が制御するのは『〇次元の極点』で、三次元と〇次元の座標リンク程度のものだ。

 だから通常の空間移動(テレポート)と違い、この方式なら欲しい物、必要な物は銀河の果てからでも手元に引き寄せ、要らない物、嫌いな物は全部まとめて銀河の果てまで吹き飛ばすことができる。しかも能力と違い、いつでも自由に、どこでも好きなだけ干渉することができる。

 麦野沈利は、その『〇次元の極点』を制御する為の実験に参加していたのだ。

 

「……命令通り、麦野沈利を包囲しました、とミサカは連絡します」

 

 そう言ったのは、木原数多に操作されている妹達(シスターズ)、ミサカ一〇〇三二号だ。

 

「別に何も嘘はついちゃいないぜ? 最初に言ったはずだよな。俺に協力すりゃあ、テメェより上位の超能力者(レベル5)をブチ殺す為のチャンスが与えられる、って」

 

 そして、一〇〇三二号の言葉に応じるように、暗がりから金髪の、刺青が目を惹く男……木原数多が現れる。

 第三位、そして第一位。

 実験に参加する見返りとして、彼らを亡き者にする為のセッティングを木原に行わせたのは、他でもない麦野だった。

 その動きに反応してやってきた金髪にサングラスの少年やツンツン頭のヒーローもまた、亡き者にされた超能力者(レベル5)達と同じ道を辿った。

 そのせいで上条当麻を慕っていたとあるシスターや海軍用船上槍(フリウリスピア)を使う少女魔術師、とあるシスターを慕っていた赤髪の魔術師に極東の聖人、最終的にはその存在を危ぶんでローマ正教からやってきた『後方』を司る二重聖人などとも戦ったが、全て例外なく消し炭にした。

 そして今、麦野の前には彼女のサポートをしていたうつろな眼の少女と、金髪の研究者がいる。

 木原は悪びれずに、むしろハメられた麦野をあざ笑うかのようにして、言葉を紡ぐ。

 

「今度はこっちのお願いを聞いてもらう番だ。っつー訳でー、実験機材になりやがれ」

「私の原子崩し(メルトダウナー)は――」

 

 麦野は、そんな木原を遮るようにして言葉を紡いだ。

 

「――電子を粒子と波形のどちらにも変えずに曖昧な形のまま高速で射出する能力よ」

「ああそうだ。ミクロのレベルであらゆる物体を繋ぎとめる電子を、量子論すら無視して強引に操る能力。テメェの言う通り、ある意味で第四位は第三位以上のバケモノって訳だよ。まあ、なんにしても」

 

 麦野が以前その言葉を吐いた意図は半分以上負け惜しみだったが、木原は皮肉にもそれを全面的に肯定していた。

 

「……一次元の『点』をぶち壊すにゃあ、御誂え向きの能力だよなあ!!」

 

 木原は、まるで遠足の前日の少年のようにわくわくした、それでいてその遠足が血と肉でまみれているかのようなむごたらしい期待の笑みを浮かべて吼える。

 もはや麦野は、何も言わなかった。

 此処まで来たら、あとはただぶつかるだけ。

 

「出やがれ、化け物! こいつを能力だけのマリオネットにしちまえ!」

 

 木原数多の言葉と同時に、食塩水の中に突き立てた棒に塩が結晶するみたいにして、一人の少女の姿が浮かび上がって行く。

 かつて、あの〇九三〇事件の中で見た少女。

 木原は、その少女を独力で手中に収めることに成功していたのだ。

 だが、麦野は止まらない。

 獰猛な笑みを浮かべて、

 

 

 次の瞬間、眼前に浮かび上がった『鏡』に呑み込まれた。

 

 

「…………あ?」

 

 土壇場で実験機材が消えた木原は、数瞬の間をあけてそんな間抜けな言葉を吐いた。

 だが、一流の研究者としての木原数多は、『虚数学区』の存在を理解して、研究者としてさらなる『段階』に辿り着いていたので、

 

「……あー、なるほど。つまりそういうことかよ」

 

 正解に思い至ったかのように頭を掻き、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 次の瞬間。

 木原数多の台詞を実証するかのように、二〇〇〇年昔の『彼』が能力を発動させた。

 

***

 

 時間の流れというのは、一本のゴムひものようにあらわされる。

 時間の流れのゴムひもを引き延ばしてピンで留めてしまうと、時間の流れというのはそこで通常ではあり得ない方向へ向かってしまう。

 だから、通常ではあり得ない者が勝利する、『異常な法則の世界』が生まれてしまう。

 それが、『彼ら』の扱う力の正体だった。

 さて、ここで問題だ。

 時間の流れの中から一人の少女が消えうせた時、その少女を元通りに戻すにはどうすればいいか。

 答えは簡単、時間を巻き戻してその少女が消える前まで状況を戻せば良い。

 少女が消えるのは『その位置にピンをとりつけたから』起こったのであって、全く別の位置にピンを留めれば少女は消えずに歴史は再開される。

 実際、今回の問題はそれで解決した。

 だが、仮にもしも、その少女が『消え失せた』のではなく『どこかに移動した』のだとしたら。

 少女は、巻き戻って復活した一人と、どこかに移動した一人の、二人が同時に存在することになるだろう。

 

 

 ……そう。

 これは科学でも魔術でもない、絶対に交差するはずのなかった世界に移動したもう一人の麦野沈利を追う物語である。

 

***

 

序章 異邦より来たりて Begining_with_First_Kiss.

 

***

 

 春の使い魔召喚と言えば、メイジの一生のパートナーである使い魔を召喚する為の儀式であり、魔法学院の生徒は此処で召喚された使い魔を元に自分の属性を見定め、そして専門課程へと入って行くものだ。(尤も、人によってはその時点で既に自分の得意な系統を理解しているが)

 その意味で、彼女――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの召喚した使い魔は異質だった。

 

「あんた……誰?」

 

 と、少女ルイズがそう言ってしまうのも無理はない。

『誰』。

 つまり、少女の召喚した使い魔は『人間』だったのだ。

 ちなみに、使い魔召喚で人間を召喚した例はかなり珍しい。絶無、と言っても良いレベルだった。座学に秀でているルイズをして、前代未聞である。

 召喚された茶髪の少女は、見たこともない服装をしていた。

 ゆるくウェーブがかった茶色い長髪、大人びた顔立ち、そして落ち着いた物腰……どこか上の姉にも近しい雰囲気を持つ少女だったが、前代未聞は前代未聞だ。

 

「……アンタこそ誰よ?」

 

 正体不明の少女は、草原に尻もちをついた状態からそう問い返して来た。

 ルイズは思わずむっとなったが、少女が大人の同性という、ルイズにとって一番強く出づらい存在だったので素直に答えることにした。それに、召喚された直後で混乱しているだろうというのもあった。

 

「……、私の名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」

「――此処はどこかしら」

「此処はトリステイン。トリステイン魔法学院よ。あんたは使い魔になる為に此処に召喚されたの」

「……魔法……」

 

 ルイズの言葉を聞いて、少女はそのまま顎に手を当ててブツブツと考え込んでしまった。

『魔術か?』『あのわけのわからん仕組みなら……』『学園都市に戻るには……』『悪意はなさそうだが……』などとブツブツ呟いている少女に軽く気圧されていたルイズは、しばしその様子を見ていたが、

 

「私、麦野沈利よ」

 

 少女――麦野がそう答えたのを皮切りに、再起動を果たした。

 

「あんた……どこの平民?」

 

 とにもかくにも、素性を知らねばならない。

 そう思いルイズが問いかけると、脇で待機していた少年少女達も騒ぎ出した。

 

「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするんだ?」

「ちょ、ちょっと間違っただけよ!」

 

 ルイズはそう言い返したが、多勢に無勢だった。

 

「間違いって、ルイズはいつもそうじゃないかにゃーん?」

「その使い魔、平民にしちゃあ変わった衣装だけど、やっぱり平民じゃなあー」

「流石は『ゼロ』のルイズだな!」

 

 誰かがそう言うと、人垣がどっと爆笑する。みんなが笑いだして話を聞かなくなると、ルイズは顔を真っ赤にして俯いた。

 

「ミスタ・コルベー、」

「……うるさいわね」

 

 耐えかねたルイズが監督の教師――ジャン・コルベールに使い魔召喚のやり直しを要求しようとした時、じっと周囲の様子を観察していた麦野が唐突に声を発した。

 小さく、しかし重く放たれた言葉は、それだけで笑いこけていた少年少女を黙らせるだけの迫力があった。

 『経験』したことのない彼らには分からなかっただろうが、それは『殺気』と呼ばれるもので――監督の教師であったコルベールが、即座にそれに反応した。

 

「……ミス、あなたは」

「さっき言ったわ。麦野沈利。あー、ここの言い方に合わせるなら、シズリ・ムギノかしら?」

「そうではなく……」

「アンタくらいなら、私が()()()()で何をしていたかくらい分かるんじゃない?」

 

 酷薄な笑みを浮かべ、麦野はそう言った。

 

「ちょ、ちょっと! 何わたしを置いて話を進めてるの? あんたは私の使い魔なんだから。さっさと契約を済ませるのよ!」

 

 再起動を果たしたルイズは、そう言って草原に座り込んでいた麦野と視線を合わせる。

 麦野は、それについて殊更拒否しなかった。

 ルイズはというと、本当は使い魔の召喚やり直しを要求しようと思っていたのにはずみでああ言ってしまったのでもう平民を使い魔にするしかないということで、内心後悔しまくっていたが、持ち前の意地っぱりで『もう此処まで来たらやるっきゃない!』と逆に覚悟を決めていた。

 じっと目を見つめ、ルイズは唱える。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 すっと、杖が麦野の額に置かれた。

 そして、ゆっくりと唇を近づけて来る。

 

「なっ」

 

 これにはさすがの麦野も動揺したようだった。

 

「じっとしていて」

 

 それを制するようにルイズは言うと、そのまま一息に口づけをした。

 一秒か、二秒か。

 そのくらいの時間が経った後、ルイズは口を離し、立ち上がる。同性とはいえ気恥ずかしさがあったのか、ルイズの顔はほんのりと赤く染まっていた。

 

「終わりました」

「はい。……ミス・ムギノ」

 

 コルベールはルイズの返事を受けて、応答もそこそこに麦野に視線を向けた。呆気ない『儀式』に理解が追いついていない様子の麦野はそれにこたえて視線を向け、

 

「!? っがァァああああッ!!」

 

 突如左手を抑えて熱さと痛みに叫び声を上げた。

 

「ど、どうしたの!?」

 

 ルイズはそれを見てすぐさま屈もうとした。

 その瞬間。

 

「ミス・ムギノ! それは使い魔契約の副作用だ! それ以上に害のあるものではない!」

 

 コルベールが叫ぶようにして、麦野に言った。

 今しも罵声を吐きそうなほどに顔を歪めていた麦野は、それで止まった。彼女の身体の陰にあった電子の光もまた、消えうせる。

 『幸運』だった。

 コルベールが叫ぶのがあと数瞬遅ければ、ハルケギニアの空に異質な雷鳴が鳴り響いていたことだろう。

 

「……使い魔契約の副作用?」

「ああ、そうだ。左手の甲を見てほしい。おそらく、そこにルーンが刻まれているはずだ」

 

 『ルーン』。そういえば、前の世界で戦った魔術師の中にルーンとかいうものを扱っていた魔術師がいたな――と麦野は思った。確か、我が名が最強である理由を此処に証明する(Fortis931)とか名乗っていた。勿論、上半身を消し飛ばして殺したが。

 

「……確かに、彫られてあるわね」

 

 左手の甲を見てみると、確かに文字の羅列が刻まれているようだった。麦野はそれに対してそれ以上何も言わなかったが、コルベールは違った。

 

「……珍しいルーンですな。記録してもよろしいでしょうか。それと、詳しい話も聞きたいので、あとで少しお時間をよろしいかな」

「とか言ってるけど、『ご主人様』は良い?」

 

 コルベールの申し出に、麦野は半分茶化してルイズに言った。ルイズは急に水を向けられて驚いていたようだが、こくりと頷いて許可をだした。教師のコルベールが言うのであれば、ルイズは拒否する理由もなかった。本当は召喚された使い魔と色々話をしたかったのだが、これは仕方がない。

 

「では、これで授業は終わりです。みな教室に戻りましょう」

 

 コルベールは踵を返すと、何事かを呟いてから宙に浮いた。他の生徒たちも、麦野を多少気にしつつ浮かび上がった。

 麦野の傍らにいるルイズだけは、飛んでいない。

 

「ルイズ、お前は歩いて来いよ!」

「あいつ、『フライ』はおろか『レビテーション』さえまともにできないんだぜ」

「その平民、あんたの使い魔にお似合いよ!」

 

 口々に、そう言って笑いながら飛び去って行く。飛び上がる自分達をただ見ていることしかできないというので安堵したのか、あるいは扱き下ろすことで自分の優位性を保持したいと思ったのか、どちらにせよ最後にそう言った少女は不幸だった。何故ならその顔を麦野に覚えられてしまったからだ。

 残されたのは、ルイズと麦野だけになった。

 

「これからよろしくね、『ご主人様』」

「…………殊勝でよろしい」

 

 微妙な顔で言ったルイズに付き添って、麦野は建物――学院の中へと歩を進めて行った。

 

***

 

 ――留まる理由もないが、帰る理由もない。

 麦野沈利の現状への評価は、そんな程度の物だった。

 此処が元いた『学園都市』のある世界とは別の世界だというのは、最初に分かった。

 理由は簡単。口の動きだ。

 先程から何故か日本語のように聞こえているが、ルイズ達の口の動きは日本語のそれではない。唇を観察して脳内にある言語と照らし合わせてみたが、地球上のどの言語とも、ルイズ達の言葉は別種だった。ならば当然、此処は地球上のどこでもない場所ということになる。

 だが、学園都市には決して戻れないとして、麦野はわざわざ帰りたいと思う程あの世界に未練がある訳ではなかった。

 まして、()()()()()()麦野の殺気に気付けたのが()()()()()()しかいないような世界だ。学園都市にいるよりも安全という意味では遥かに良い。

 暮らしやすさも、肌の手入れ具合や言動から言って、ルイズが元の世界における『外』の富裕層並の生活水準で過ごしているらしいことはすぐに分かった。使い魔というからにはその財力の庇護にあずかれるという意味である。

 自分が誰かの下につくというのは麦野沈利という人間にとっては納得のいかない話だったが、あの『ご主人様』なら適当におだてておけばそれで誤魔化されてくれるだろう、という算段もあった。

 つまるところ、麦野は生活保護や安全保障などの面から考えて、元の世界を捨て、この世界に永住することを選択したのだった。

 

(『〇次元の極点』なら、別にこの世界でも探究できるからな……。材料は揃っている。気長に研究すれば良い。そして完成すれば、どんな世界だろうと関係はなくなる)

 

 否。

 正確には、『世界がどうであろうとどうでも良い』と言った方が正確か。

 こちらの世界の方が、研究するのに危険がない。その麦野にとって重要なのはその一点だけだった。

 

 本来の麦野なら、『〇次元の極点』を知らない状態の麦野だったなら、たとえ危険だろうと帰還を選んだことだろう。最悪ルイズの上半身を消し飛ばしてでも、元の世界に戻りたいと思ったはずだ。いくら危険であろうと、元の世界の方の環境の方が快適だし彼女の財産もあった。

 だが、『〇次元の極点』を知ってしまったことで、麦野は『自分がその気になれば何でも手に入る』ことを知った。それは逆に、単純な器物への執着を薄めていた。そうなると、今度は『危険であるか否か』という一点で物事を判断するようになる。どうせなら安全に『〇次元の極点』を掴みたいからだ。

 ある意味、『幸運』だったということなのだろう。

 あの時点でなくてはならなかった。

 麦野が『〇次元の極点』の全容を聞いていない状態だったならば、こうはならなかった。

 麦野が木原数多をくだし、完全に『〇次元の極点』をものにした状態ならば、こうはならなかった。

 木原と対峙している状態の彼女だったからこそ、この状態になったのだ。

 

 そして、ルイズと麦野は、いや、『世界』は、これから思い知ることになる。

 『歪んだ時間の流れ』の因子たる麦野が組み込まれた世界が、これからどうなっていくのか。



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第一章

「朝よ、『ご主人様』。起きなさい」

 

 そんな言葉と共に揺さぶられて、ルイズは目が覚めた。

 起きると、メイド服に身を包んだ茶髪の少女がいる。ルイズは思わず呟いてしまった。

 

「だ、誰よあんた」

「麦野沈利。『ご主人様』が召喚したんでしょ?」

 

 麦野はため息交じりに答えた。

 

「あ、ああ。そ、そうだったわね……。っていうか、何であんたメイド服着てるの? そんな服昨日は着てなかったでしょ?」

「いつまでも同じ服を着ている訳にもいかないでしょうが。それに、目立つもの。メイド服ならあんたに四六時中ついて回っても目立たないでしょ」

「それもそうね……、っていうかあんた、さっきから口が悪いわよ! あんたは平民、わたしは貴族。そこんとこ分かってるの?」

「……申し訳ありませんでしたわ、『ご主人様』。これでよろしいでしょうか?」

 

 そう言って、麦野は丁寧な物腰で完璧な笑顔を浮かべた。

 麦野はこれでも元の世界でも高貴な生まれの方だったので、行儀作法に関しては一家言ある。が、それには敬意が伴っていない。当然、こんなことを言えば慇懃無礼になるのは目に見えていた。

 

「……良いわ。逆に寒気がするもの。今まで通りで良いわよ」

「『ご主人様』の寛大なご処置に感謝しておくとするわ」

 

 麦野は適当に言いながら肩を竦めた。メイド服でするにはかなり砕けた動作なのが、妙にアンバランスだった。

 

「じゃあ、着替えさせてちょうだい」

 

 そう言って、ルイズはベッドに腰掛けた状態になった。

 ……貴族は、下僕がいるときにはあえて世話を任せるという。それは雇用対策などの面などがある。そのことは麦野も知っていたので、黙って着替えを続けた。

 そうしながら、麦野は昨日のことを思い返していた。

 

***

 

 召喚のあとの軽い授業を終えた後、麦野はコルベールの研究室へと足を運んでいた。

 ファンタジーには似ても似つかない油臭さに眉をひそめつつ、雑多な発明品の置いてある研究室を進んでいくと、二人は椅子に座って向かい合う形になった。

 

「私は『この世界』の人間じゃない」

 

 麦野は、開口一番にそう言った。

 ある意味爆弾発言だったが、コルベールは眉ひとつ動かさなかった。

 

「『世界』っていうのは、文字通りの意味だ。比喩表現じゃない。こっちにも御伽噺の一つや二つはあるわよね?」

「ああ。分かっている。本来の意図を理解したうえで、私はミス・ムギノの言葉を信じよう」

「…………へえ?」

「服のつくりが精巧すぎるからな」

 

 コルベールは、冷静に落ち着き払った口調でそう言った。

 確かに、魔法の力で貴族の服は綺麗に縫われているが、それでも学園都市の裁縫技術には及ばない。学園都市の服飾はそもそも『縫う』のではなく『編む』のだ。布の繊維をほぐしてから組み直すことで、縫うことなく布と布を繋ぎ合わせる技術があり、大量生産のラインも確保されているので、それで作られた服にデザイン性以外の面で縫い目は必要ない。

 閑話休題。

 

「で、私を此処に呼んだ理由は? 釘刺しか? 安心しろ。さっきは一瞬取り乱したけど、基本的に事を荒立てる気はないわ。素直に使い魔に甘んじるつもりよ」

「…………」

 

 麦野の答えに、コルベールは怪訝そうな表情を浮かべた。意外……というのは勿論として、であるならば何が目的なのか、といった表情だ。

 

「私は、自分の持つチカラを進化させたい」

 

 麦野は、そう言って虚空を見つめた。

 だが、目的を言っているわりに、その彼女の横顔はあまりにも空虚だ。

 

「材料は既に殆ど用意されている。足りない分を補うのは簡単じゃないけど、時間さえあればそのうち出来るでしょう」

「意外と気長ですね」

「手に入りさえすれば時間だってどうにでもなりそうな力だもの」

 

 コルベールは麦野がそこまで言う『力』に興味を惹かれたが、同時に危険にも思った。彼女がルイズの使い魔になることを承諾したのは、その『力』を得るまでの生活基盤を手に入れる為、ということだ。では、『力』の開発が終わった後はどうするのか? その『時間だってどうにでもなりそうな力』は、トリステインの、ひいては世界の未来を脅かすものになりはしないか?

 コルベールもまた本来『この世界』の人間ではない。比喩的な意味で、だが。

 なので、既にやめたが、必要とあればまた人を殺すという選択を躊躇することはない。もっとも、それを目の前の少女が許せば、だが……。

 

(隙がない)

 

 コルベールは思う。こうして何気なく話しているときでも、麦野は油断していなかった。コルベールが何かおかしな行動をとろうものなら、容赦なくその頭を消し飛ばす準備をしていた。

 そして、そうやって一度でも麦野という大きな岩を動かしてしまえば、もう止まることはないだろう。がけ下まで一気に転がり、この国に未曽有の災害をもたらしかねない。

 

(……、ミス・ヴァリエールに、彼女に任せるしかありません、か)

 

 排除が不可能である以上、主人であるルイズが麦野の精神性を変容させる可能性に賭けるしかない。そう結論して、コルベールはこの件について思考するのをやめた。

 

「もう終わりか? なら次は私の質問ね」

 

 そう言って、麦野はずいとコルベールを見た。

 あれほどの殺気を放つ女性だ。どんな要求をされるのか――とコルベールは考える。だが、次に飛んできたのは意外な言葉だった。

 

「着替えの用意をしてほしいのよ。この服は目立つし、何より替えがない。こういうのって、あのお嬢ちゃんに言った方が適切なのかしら?」

 

 なんてことないように言って、麦野は肩を竦めた。思わずコルベールは拍子抜けしたが……麦野にとっては、わりと死活問題だった。彼女は身嗜みに気を遣う現代日本人の少女である。そう、少女。そうは見えないが、確かに少女なのである。着たきり雀など論外だし、ダサい服を着るのも却下だった。

 ルイズは金がありそうだし、貴族なのだからセンスもあるのだろうが、如何せんサイズが違い過ぎる。なので学院の服を都合してもらいたい、というのが麦野の考えだった。

 

「あ、ああ。学院付のメイド服くらいしか、私には心当たりがないが……」

「……フン、まあ、それで当座のしのぎとしましょうか。次は、この世界の情勢。面倒だろうけど全部教えてもらうわよ。何せ私はこの世界の事なんて何も知らないんだから」

 

 そうして、麦野とコルベールの質問会は数時間に渡った。

 お蔭で麦野はこの世界のことを大体把握したが、代償としてルイズは別れてから初めて麦野の顔を見るという奇妙な状況になったわけである。

***

 

「終わったわよ、『ご主人様』」

「……ありがと」

 

 手早く着替えさせた麦野に、ルイズはぽつりと蚊の鳴くような声で礼を言った。

 このようにぞんざいな『敬意』であっても、麦野は確かにルイズに向き合ってくれている。魔法学院で嘲りやからかいを受けて過ごして来たルイズにとっては、たったそれだけのことでも嬉しいことだった。

 

「従者の行いにいちいち礼を言っても仕方がないでしょ。ほら、朝食を食べに行くわよ。私は賄いをもらいに厨房に行ってるから」

 

 従者にそれを諌められるという奇妙な状況に陥りつつ、ルイズは頷いて麦野の開けたドアをくぐる。そこで、目の前に立つ女生徒に気付いた。

 赤い長髪に、褐色の肌。そしてルイズのものとは対照的に豊満な胸。

 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。ルイズの故郷であるラ・ヴァリエール領に隣接しているゲルマニア領フォン・ツェルプストーの貴族だ。

 ツェルプストーは代々ヴァリエールの恋人や婚約者を寝取っているとかで、領土が隣接していることもあり両家は不倶戴天の仲だった。現にルイズとキュルケも犬猿の仲である。

 そのことを前もってコルベールから聞いていた麦野は、あえて控えめに礼をして、先を急ぐことを促した。『戦場で会えばとりあえず攻撃しておく』程度の関係の相手に礼を尽くす必要も会話をする必要すらもないと考えての事だった。

 

「ちょっと、何よルイズ。この無礼なメイドは」

 

 それが間違いだったと気付いたのは、キュルケの言葉が妙に親しげだったからだ。

 

「ふんだ。ツェルプストーの人間なんかに礼を尽くす必要はないってことよ。シズリは私の使い魔だからそこのところちゃんとわかってるのね」

「使い魔ぁ? ……ああ。あんたが昨日召喚したやつね。タバサが妙に気にしてたけど」

「タバサ? あの、あんたといつも一緒にいる青い髪の?」

「そうよ。妙にあんたの使い魔のことを意識してたわ。あの子無口だけど、私には分かるんだから」

「あんた、あの子に何かしたの?」

「…………知らないけど」

 

 麦野は言葉少なに語ったが、内心では何故そうなっているのか理解していた。つまり、その『タバサ』という青髪の少女が昨日麦野が放った殺意に反応した『二人』の最後の一人ということである。

 

「あーあ、ルイズに使い魔自慢してやるつもりだったのに、何だか調子狂っちゃうわ」

 

 そう言ってため息を吐いたキュルケに、麦野は興味を惹かれた。そういえば、ルイズは使い魔召喚をしたのも最後だったから、麦野は他にどんな使い魔がいるのか知らない。

 

「あんたねえ……。どんな使い魔を召喚したんだか知らないけど、わたしはそんなくだらないことに付き合ったりしないわよ」

「そうみたいね。あんた、使い魔を躾けるので精一杯そうだもの」

「むぐう……ッ!」

 

 先程の態度を引き合いに出されて皮肉を言われたルイズは、思わずうなってしまった。ルイズをうまくやり込めたので満足したキュルケは、にっこりとルイズに笑いかけると、

 

「それじゃ、私はこれで失礼。フレイム~行くわよ」

 

 のしのしと、キュルケの言葉に呼応して大きな赤いトカゲが現れた。尻尾には火が灯っている。麦野がこの世界に来て初めて見る魔法生物だった。

 

「やっぱり使い魔はこういうのじゃないとね。それじゃあルイズ、またあとで」

 

 これ見よがしにフレイムと呼ばれた火トカゲを撫でると、キュルケはそのまま去って行った。

 ルイズはその様子を仁王立ちのまま見送り、やがてキュルケが見えなくなるのを確認すると、

 

「あーもー悔しい!! 何よあの乳デカ女! 火トカゲなんか水ぶっかけりゃただのトカゲだってのよ! 何が偉いんだってのよ!!」

「……落ち着きなさいよ、みっともない」

「うるっさいわね!! っていうかあんたも何よ! キュルケに変な態度とるからわたしが皮肉られたじゃないのよ!!」

 

 ルイズだってそれで気を良くしていたのだから、同罪なのだが……麦野はあえてそれを言わなかった。明らかにルイズは癇癪を起しているからだ。こういうときには何を言っても無駄なものである。

 ルイズの癇癪は、その後厨房の前で麦野が別れるまで続いた。

 

***

 

第一章 ゼロと呼ばれる所以は Demi-Explosion.

 

***

 

 厨房で賄いを分けてもらった麦野は、ルイズと合流して授業に出た。

 魔法学院の教室は、大学の講義室のようだった。石造りという点を除けば、まったくそのままだ。講義を行う魔法使いの教師が一番下段に位置し、階段の様に席が続いている。麦野とルイズが中に入って行くと、先にやって来ていた生徒たちが一斉に彼女たちの方を向いた。

 そして、一様に忍び笑いを始めた。中には先程のキュルケもいる。周りを男が取り囲んでいた。どうやらキュルケは、その美貌で男達を虜にしているらしかった。

 

(まるで第五位だな)

 

 と麦野は一瞬顔をしかめたが、よく考えたら例の女王蜂はあんなものではなかった。もっと悪質で、大規模である。それに比べたら、あの程度はまだまだ可愛げがある。

 それよりも目を惹いたのが、使い魔だった。

 みな、使い魔を連れている。

 キュルケのサラマンダーは彼女の椅子の下で眠り込んでいる。肩にフクロウを載せている少年、窓の外には巨大な蛇、鴉や猫もいた。それだけではない。六本足のトカゲ――バジリスク。宙に浮く巨大な目玉――バグベアー。タコの足を生やした人魚――スキュア。他にも空想上の生き物が多数いた。

 それ自体が、麦野にとっては新鮮なものだった。尤も、前日の質問会でその手のファンタジーは図鑑などで一通りチェックはしているのだが。

 

「どうぞ」

 

 そう言って麦野が椅子を引いたところに、ルイズが座る。あれほど笑われていればルイズは当然不機嫌になっているものと思ったが、そんな麦野の予想とは裏腹にルイズはどこか不安そうにそわそわとしていた。負けん気が強い印象があり、前日の質問会でもコルベールからそんな評価を賜っていたルイズだけにこの反応は何かあるな、と麦野は思ったが、あえて黙っていた。

 

「みなさん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 気付くと、既に担当の教師がやって来ていたようだった。紫色のローブに身を包み、帽子をかぶっている、中年の女性だった。多少太り気味だが、それを含めて『温厚そうな顔立ち』と表現できそうだった。

 麦野は、その話し方を見て『ああ、コイツは頭が緩いタイプだな』と判断した。そして、その判断は乱暴だが間違ったものではなかった。

 

「……? ミス・ヴァリエール、あなたの使い魔はどちらに?」

 

 傍らに麦野(メイド姿)しかいないことに気付き、シュヴルーズは怪訝な表情を浮かべた。

 彼女がそう思うのも無理はない。流石にメイドが使い魔とは思い至らないだろう。

 

「先生! ルイズは使い魔の召喚に失敗したんですよ!」

 

 それに答えたのは、シュヴルーズと同じように太り気味の体型の少年だった。

 それを受けて、ルイズは立ち上がった。長いブロンドの髪を揺らして、鈴の鳴るような声で精一杯凄みながら怒鳴る。

 

「違うわ! きちんと召喚したもの! このシズリが私の使い魔よ!!」

 

 そう言って指差された麦野は、瞑目しつつ微動だにしていなかった。寝ている訳ではない。この騒ぎに関わるのが面倒臭いと思っていたのだ。

 麦野は――形式上はルイズの使い魔ということになっていて、業務はこなすが、決してルイズに敬意を払っている訳ではない。だからやるべきことはやるが、それ以外はやらない。主と心から思っていないのだから、ルイズがけなされてもどうでも良いのだ。

 そしてその態度が、小太りの生徒を増長させた。

 

「ははははは! そうは言ってもルイズの使い魔は何も言わないぞ! 主人の名誉がけなされてるのに!」

「ルイズは平民にすら敬意を払われないんだ!」

「そのへんを歩いてたメイドを連れてきただけなんだろ?」

 

 ゲラゲラと、嘲笑の輪が広がって行く。いつもの光景だった。ルイズも負けじと彼らを罵ろうと口を開き――、

 

「いい加減うるさいわね」

 

 と、放たれた麦野の呟きによって、昨日と同じように教室は静寂に包まれることになる。

 平民が、といったありきたりな文句は飛び出してこない。そういった論理が通用しない相手だと、既に理解してしまったからだ。感じたことのない謎の迫力に、『表』の世界を過ごして来た彼らはそれが何なのか理解できずに『戸惑って』しまう。

 チラリと、青髪の少女がルイズと麦野に視線を寄せた。

 麦野は教室が静かになったのを確認するとそれ以上は何も言わずに腕を組んで授業を聞く構えになった。メイド姿には似つかわしくない態度だったが、それを指摘するような人は此処にはいなかった。

 シュヴルーズも多少戸惑ってはいたが、そこからは朗々と授業を再開しだし、その後は授業もスムーズに進んでいく。

 

「先程は使い魔さんと気付けずにすみませんでした、ミス・ヴァリエール。あなたに名誉挽回の機会を授けます」

 

 ……と、シュヴルーズが言うまでは。

 何のことはない。授業中、『土』の系統の魔法である『錬金』を実演することになり、そこでシュヴルーズがルイズを指名したのだ。

 シュヴルーズとしては、先程自分の不手際で名誉を貶めてしまったので、その挽回をするチャンス……というつもりだった。だが、生徒たちの反応は散々だった。

 

「先生、ルイズに錬金させるなんて、そんな恐ろしいことはやめてください」

「先生は『ゼロ』のルイズを教えたことがないからそんなことが言えるんだ!」

「どうか考え直してください」

 

 麦野に黙らされた鬱憤を晴らすかのように、生徒たちは口々にシュヴルーズに訴えかけた。もっとも、本当にヤバいと確信していたというのもあるのだろうが。

 最初こそもじもじしていたルイズだったが、そこまで言われると持ち前の負けん気に火がついた。

 

「私、やります」

「あなたが大変勤勉な勉強家だということは伝え聞いています。さあミス・ヴァリエール。失敗をおそれず、頑張りましょう」

 

 シュヴルーズはそう言ってルイズを教壇近くまで招いた。

 この状況でそこまで言えるシュヴルーズは大した教育者だと麦野は感心したが、それよりも此処まで生徒たちが畏怖するルイズの魔法というのに興味があった。

 だが此処で麦野は、一つ失敗を犯していた。

 

 正直なところ、麦野はルイズが『ゼロ』と呼ばれる所以を既に知っている。

 前日の質問会で、ハルケギニアの風土は勿論、ルイズの家族やその個人の能力までも詳しく質問していたのだから、当然のことだ。

 その中で、ルイズはどんな魔法でも爆発させる魔法成功率『ゼロ』のメイジだということは既に説明を受けていた。だが、麦野はその『爆発』の規模を見誤っていた。精々爆風が五メートル届くか届かないかだろうと甘くみていたのだ。

 そして、その失敗のツケは次の瞬間に払わされることとなった。

 

 

 轟!!!! と。

 生徒たちが机の下に隠れるが早いか、爆音と共に風が吹き荒れる。そしてその爆風は、教室のかなり後ろの方にいたはずの麦野にさえ暴力的な勢いを保ったまま届いた。

 

「ぐッ……! 想定以上だぞ、『ご主人様』……!」

 

 爆風が届くよりも一瞬早く電子の盾を展開した麦野は、額に冷や汗を掻きながら悪態をつく。生徒たちが次々と机の下から出て、ルイズを罵倒しだす。使い魔達は混乱し、共食いを始めていた。

 原子崩し(メルトダウナー)を解除した麦野は、ふうっと溜息を吐いて教壇に立つルイズを見た。

 どうやら爆発には指向性があるのか件の少女はあの爆風の割に殆ど無傷だったが、今にも泣きそうな表情で小石のあったところをじっと見つめていた。



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第二章

 罰として爆発によって発生した瓦礫の後片付けをしながら、麦野はルイズの変調の原因を悟っていた。

 負けん気の強いルイズが授業前にどこかそわそわしていたのは、このことを恐れていたからだ。せっかく自分に(たとえぞんざいでも)敬意を払ってくれる使い魔がやってきてくれたというのに、その結果が『爆発』とあっては、すぐに敬意は失われてしまう。またすぐに、他の生徒たちと同じように自分を『ゼロ』とさげすむに違いない。

 

「……これで分かったでしょう? わたしが『ゼロ』って呼ばれる理由」

 

 そんな感情が、ルイズのその一言から漏れ出ているようですらあった。

 教壇の横で、膝を抱えて突っ伏しているルイズは、明らかにいじけていた。

 麦野は、赤ん坊ほどもある瓦礫を片手で持ち上げ、教室の隅に放り投げていた。

 ルイズの問いには答えなかった。というよりは、答えを持ち合わせていなかった。こういう話し方をする人間は、そもそも会話をする気がないのだと麦野は経験上知っていた。

 

「…………」

「何とか、何とか言ったらどうなのよ! どうせあんたも、わたしのことを心の中で馬鹿にしているんでしょう!?」

「知っていたわよ」

 

 麦野はルイズの心を癒す話術なんて持っていないし、わざわざルイズの心を癒す必要性も感じていない。使い魔のルーンなんて言うがこんなものは実利的な物ばかりで、主人と使い魔の心の絆を育むような役割は一ミリたりとも存在してくれていない。

 だから、麦野がそう言ったのは単純に面倒臭い癇癪から逃れる為だった。

 

「……え?」

「『知っていた』、って言っているのよ。アンタが『ゼロ』って呼ばれる理由は。あの威力は予想以上だったけどね。……昨日私がどれだけの間あのコッパゲに質問していたと思っている? その中で一応とはいえ主人の情報を聞いているとは思わなかったの?」

「あ…………」

 

 劣等感に苛まれていたルイズは、そこまで考えが至っていなかったらしい。いや、麦野が形式上とはいえ丁寧な態度をとっているから、それで気付いていないと思ったのだ。

 だが、正解は違っていた。麦野はルイズが蔑まれる所以を知った上で、ルイズに接してくれていたのだ。つまりそれは、ルイズのことを魔法抜きで認めてくれる存在に他ならなかった。

 

 ……重ねて言うが、麦野は決してルイズのことを慰めるつもりで言った訳じゃない。

 彼女の言動から勘違いしている部分をピックアップし、それを素早く解くことで余計な癇癪に煩わされるリスクを取り除いた、ただのそれだけだ。

 だが、人の心を癒すのに、必ずしも思いやりは必要じゃない。

 今のルイズにとって、麦野の無関心な台詞は特効薬にも等しかった。

 

「……う、う」

 

 無条件に自分を肯定してくれる存在。

 ……いや、厳密に言うと麦野は肯定なんてこれっぽっちもしていないのだが、ともかく『ゼロ』であることとは無関係に自分と接してくれる存在というのは、ルイズの固くなった心をときほぐすのに十分だった。

 

「うあぁああ……!」

 

 ぼろぼろと涙を流しながら、ルイズは半壊した石造りの机を両手で持ち上げている麦野の背中に抱き付いた。『うお!?』と思わず机を取り落としそうになり、麦野は足を踏ん張る。

 ゆっくりと瓦礫を床に置き、麦野はルイズの頭に手を置いた。

 そして、

 

「……片付けの邪魔だ。というかアンタもいじけていないで手伝いなさい」

 

 ピシリ、と何かが軋む音を、麦野は聞いた。

 せっかくいい雰囲気だったのに、台無しじゃないのよ馬鹿メイド!! という怒鳴り声と、呆れたような溜息が教室から聞こえてきた。

 ただ、少なくともルイズの方は、着実に麦野に心を許しつつあった。

 

***

 

 その日の昼食も、麦野は厨房の賄いだった。

 朝も昼も厨房は忙しく、さながら鉄火場といったような雰囲気だったが、麦野は気にせずに食事を済ませた。朝のうちに知り合いになった黒髪のメイドに昼食を片付けるよう頼むと、さっさと立ち上がり厨房から出ようとする。

 

「おい、そこの!」

 

 逞しい声に呼び止められたのは、その時だった。

 呼び止めたのは茶髪の暑苦しそうなシェフだ。名前はマルトー、この魔法学院の厨房を取り仕切る役割を担っていた。

 

「何そこでぼさっとしてんだ。見ない顔だが新入りか? 出ていくならこいつらも運べ、人が足りねえんだ!」

 

 そう言って、配膳車を示した。ああ、と麦野は納得した。どうやら麦野は格好のせいでメイドと間違われてしまったらしい。目立たないのは良いことだが、間違われるのは面倒だな、と麦野は思った。とはいえ、此処で間違いを訂正するのは、マルトーが忙しいせいもあって難しいだろう。変に話をこじらせるよりは、さっさと仕事を済ませてそのままばっくれるのが得策である。

 そう判断した麦野は、あえて何も言わずに配膳車を運ぶことにした。

 

「ムギノさんも大変ですね」

 

 その様子を見ていた黒髪のメイドが、茶化すように言う。麦野も面倒をさせられている自覚はあったので憮然とした表情で返すにとどめる。というかお前が行けば良いじゃないか、と思ったが、どうにも彼女の方も仕事があるらしく、押し付けるのは現実的ではないように思えた。

 

「仕方ない……。行くしかないわね」

 

 あとでルイズにちくって、それなりの給金をもらおうと麦野は思った。

 

「……あんた何してんの?」

「雑用よ、雑用」

 

 食堂に行くと、真っ先にルイズに見つかった。麦野は適当に答えつつ、ルイズのテーブルにデザートを載せる。

 

「デザートになりますわ、お嬢様」

「だからあんたそれ何なのよ……」

 

 ルイズの至極まっとうなツッコミを背に、麦野はてきぱきとテーブルの上にデザートを載せて回った。元々要領は良いタイプだったので、特にトラブルになるようなこともない、と。

 

(ん?)

 

 麦野は、配膳車の向こうに紫色の瓶みたいなものを確認した。

 香水だ。それも、おそらくなかなかの高級品である。

 麦野はそれを拾い上げ、軽くあたりを見渡した。殆どの人はその様子を気にしていないが、ただ一人、金髪でフリルな薔薇男だけが露骨に麦野から目を逸らしているのに気付いた。

 召喚直後に今日の授業と、なかなか凄みまくった自覚のある麦野は一瞬そのせいかと思ったが、他の生徒たちはすっかり麦野に気付いていないようなので、おそらくはこの瓶が原因なのだろうと麦野は考えた。そして、目を逸らしているあたり見つかってはいけないものだということも。

 にんまりと麦野は薔薇少年に嫌な笑みを向けると、頷いてメイド服のポケットにその瓶をしまった。此処で貴族に恩を売る方が、後々便利だろうという思いからである。

 

「ねえあんた、ちょっと待ちなさい」

 

 大方浮気の証拠かそのあたりだろう――とあたりをつけてデザート配りを再開しようとしたとき、背後から声をかけられた。

 振り返ってみると、そこにはドリルツインテの典型的なお嬢様が仁王立ちしていた。

 あたりを見渡してみるが、この少女に話しかけられたというような顔をしている者はいない。

 

「あなたよ、そこのメイド。あんた今、ポケットに何を入れたの?」

「何も……何も拾ってなんていないけど?」

 

 麦野は、しらばっくれることにした。薔薇少年とアイコンタクトは交わしたが、別に言葉を交わしたわけではなかった。此処で白状すると色々と面倒臭いことになる。何を言われてもシラを切り通せば、自分はルイズの使い魔なのだから無理やり服の中を調べられることもないだろうしコトが明るみに出ることもない、と思ったのだ。

 しかし、ドリルツインテの少女は斜め上の行動に出た。

 

「知ってるのよ! あんたがあたしのギーシュへのプレゼントをポケットにしまったこと! バレないとでも思ったの!」

 

 そう言って、ドリルツインテの少女は杖を振った。

 すると、麦野のポケットが淡く光り出した。麦野は此処に至って自分の不備に気付いた。そう、此処は魔法の世界。通常ではあり得ない現象が起こって当然なのだ。もっと厳重に隠しておくべきだった。

 さて、このままだと麦野は盗人の誹りを受けることになってしまう。自尊心の固まりである麦野にとって、それほど腹立たしいことはない。もしも間抜けにもそんなことを言ったのなら軽く『躾けて』やろうかと思った、その時。

 ガタン、と一人の少女が席を立ちあがった。

 

「ギーシュ様……ミス・モンモランシと付き合っているという噂は本当だったのですね……」

「け、ケティ!」

 

 薔薇少年……改めギーシュは、そう少女の名前を呼んだ。

 その言葉を聞いて、ミス・モンモランシと呼ばれたドリルツインテの少女ははっとした表情になった。

 

「……あんた、一年生の子に手を出してたのね」

「い、いや違うんだモンモランシ―! これはだね……」

「そこのメイド、疑って悪かったわね。大方ギーシュの浮気を隠すように言われてたんでしょう。あんたは戻って良いわ」

 

 つかつかと、二人の少女達はギーシュのところへと歩み寄る。

 そして、

 

「嘘吐き!」

「さようなら!」

 

 それぞれ一発ずつ、頬にビンタをかまして浮気男の前から去って行った。

 しばしその様子を見ていた生徒たちだったが、やがて爆笑の渦が巻き起こった。目の前でこれほどまでに見事な浮気男への制裁が繰り広げられたのだから、娯楽に飢えた貴族の子供達がそうなるのも無理からぬことだった。

 だが、ギーシュとしてはそれでは腹の虫がおさまらないのも事実だった。

 二股がバレた挙句笑いものになっておしまいでは、あまりにもミジメすぎる。誰かにこのやるせない怒りをぶつけて、発散したかった。もちろんその発想自体が傍から見ると滑稽極まりないのだが、ギーシュもまた貴族とはいえ思春期真っ盛りの少年なのだった。

 そこで目に留まったのが、麦野だ。

 麦野は既にギーシュから興味を失っており、適当にテーブルに小瓶を置いてそのまま遠のいていくところだった。

 

「待ちたまえ」

 

 その麦野に小走りで歩み寄り、ギーシュはその肩を掴んで振り向かせた。

 

「あ?」

「あ゛」

 

 そして、間近で見たことにより、ギーシュは麦野の正体に気付いた。

 学院で普通にメイドをしているので、ただの平民メイドだとばかり思っていたが、良く見ればその顔は昨日、それから今日、たったの一言で場を静まり返らせたあの不気味な使い魔ではないか!

 ……ギーシュはこの時点で、完全に委縮してしまっていた。

 

「な、なんだ……。る、ルイズの使い魔だったのか……。ま、まあルイズの使い魔であのくらいできれば上出来か……。いや、良いよ、行っても。呼び止めたりして悪かったね……」

 

 チラチラと目を逸らしながらやっとの思いでそう言ってのけるギーシュはあまりにも情けなかったが、麦野の機嫌はそれで怒るほど悪くなかったので、そのまま給仕に戻り、デザートを全て配り終えてから無事ばっくれることに成功した。

 ルイズはその一部始終をしっかり見ていたが、麦野が危ない目に遭いそうな風でもなかったので特に何も言わなかった。

 

 しかし、この場面において一つだけ、決定的な部分があった。

 ギーシュが麦野に委縮して、難癖をすぐに引っ込めてしまった、という部分。

 これは、見様によっては『貴族が平民に屈した』風に映らないだろうか。

 そしてそれは、公衆の面前で行われたのだ。

 

 そんなものを見せつけられて、『誇りある』貴族たちが黙っていられるはずが、なかった。

 

***

 

第二章 決闘はディナーの後で Pride?

 

***

 

 夕暮れ時。

 夕食も食べ終えたので、麦野は湯浴みに行くルイズの付き添いをしていた。

 

「今日のギーシュは面白かったわ~。でもシズリ、貴方って妙にプレッシャーがあるような気がするけど、元いた場所で何してたの?」

「あ~、まあ、色々よ。色々」

 

 あの教室での一件を経て、ルイズは目に見えて麦野に懐き始めていた。

 麦野としてはあの言葉はまるでやさしさなどではないので、あまり懐かれるのも困りものなのだが……どうにも、ルイズにはそんなこと関係ないらしい。同性という気安さと、使い魔と言う優位性、それから麦野の無遠慮な態度が、ルイズの警戒心をうまいこと削ぎ落しているようだった。

 

(しかしこうして引っ付かれると、フレンダの奴を思い出すわね……)

 

 元の世界に置いて来た部下の顔を思い出すが、特に望郷の念はなかった。元々フレンダにしても、換えの利く人員の一人でしかない。それより、せっかく鬱陶しいのを置いて来たのにまた増えた、という思いの方が大きかった。

 と。

 

「ねえシズリ、今度の虚無の曜日なんだけど、やっぱり新しい服を――」

「とまれ、『ゼロ』のルイズ」

 

 声と同時に、ルイズ達を取り囲むように複数の『気配』が現れた。

 現れたのは、神経質そうな金髪の青年をリーダー格とした、六人の生徒たちだ。学年は、三年生。ルイズよりも一つ年上だった。

 

「……一体、何の用?」

 

 その表情から、あまり面白い話ではないだろうと思ったのだろう。ルイズは眉間にしわを寄せて身構えた。

 だが、事態は彼女が想像していたよりも悪かった。

 

「率直に言おう、我々はその使い魔に『決闘』を申し込む」

「…………は?」

「既に準備は済ませてある。ヴェストリの広場だ」

「ええ、と。ちょっと待ちなさいよ。決闘? シズリと? シズリは平民よ? それを貴族が六人で寄ってたかってって……そんなのってないでしょ! いいえ、そもそも貴族が平民と決闘なんておかしいわ。そんなのただのリンチよ!」

「来ないのならばそれで良い。態度がでかくとも所詮は平民。さあどうする? 逃げたとしても、我々は君のことを臆病者とは思わないだろう!」

 

 そう言い切ると、生徒たちはさっさと去って行ってしまった。おそらく、ヴェストリの広場へ行ったのだろう。

 彼らがこう言ったのには、事情がある。

 それは、貴族の誇り。いかにドットとはいえ、将軍家たるグラモンの四男が平民に屈したとあっては、貴族の沽券にかかわってくる。

 だが、必ずしも彼らは決闘などする必要はないと考えていた。ようは、名誉さえ回復できればそれでいいのである。使い魔の方が勝てる訳ないと諦めて広場に来なければ不戦勝。相手は敵前逃亡するしかできない臆病者だったと言えば、名誉は回復する。

 六人で出てきたのも、妙なプレッシャーを放つとはいえ平民、六人の貴族を相手に戦えるはずもなく、すぐに諦めるだろうと考えての事だった。

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 生徒たちが勝ち誇って、麦野に逃げても臆病者とは思わない、と言った部分。

 これは、見様によっては『暗に侮辱した』風に映らないだろうか。

 そしてそれは、麦野に対して行われたのだ。

 

「デカい口叩いて良いヤツと媚び諂うべきヤツ、上下関係の見分け方から教えてやらないといけないのかしら? この学校の馬鹿共は」

 

 そんなものを見せつけられて、『誇りある』麦野が黙っていられるはずが、なかった。



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第三章

「待ちなさい! 待って、待ってってシズリ!!」

 

 歩き始めた麦野のことを、ルイズは即座に制止した。焦って声が上ずっていたが、しっかりと麦野の耳に届いたようだった。もっとも、それで麦野が言うことを聞くかと問われたら『NO』だが。

 

「……何だ? ヴェストリの広場の位置なら昨日コッパゲに聞いて知っているわよ」

「そうじゃなくて!! なんであんたヴェストリの広場に行こうとしてんのよ! あんなふざけた決闘なんて、受ける必要ないに決まってるじゃない! 六対一よ! しかもメイジよ! そんなの、たとえ『メイジ殺し』だって勝てっこないわ! あんた、元の場所で何やってたか知らないし、どこか変わった感じはあるけど、絶対に殺されちゃうわ!」

「問題ないわ」

 

 必死になって説得するルイズの言葉を、麦野は歩きながらバッサリと切り捨てた。あまりにあっさりと言い切られたので、ルイズは頭に血が上る前に頭の中が真っ白になった。

 そんなルイズに言い聞かせるように、麦野は言う。

 

「安心しなさい、迷惑はかけないから。貴族同士の決闘は禁止されているけど、貴族と使い魔の決闘は禁止されていない訳だしね。それにお前の家柄なら、周囲から追及を受けることもないでしょう」

「わっ、わたしは! 自分の問題に家の力を使うなんて……っ!」

 

 麦野の言葉の中に、ルイズの『誇り』をけがす言葉があったから、ルイズは顔を真っ赤にして反論した。

 だから、彼女は直後の麦野の呟きを耳にすることはなかった。

 ルイズの見ている『麦野沈利』とは全く別の側面を持った、『学園都市の頂点に君臨する怪物』としての彼女に、気付くことはなかった。

 麦野はその時、こんなつぶやきを漏らしていたのだ。

 

「――それに、異世界の技術が『〇次元』に使えるか、確認もしておきたいしな。使えなかったら『それまで』だが」

 

***

 

第三章 頂点に君臨する者は Top_of_the_World.

 

***

 

 麦野に決闘を仕掛けた貴族の少年たちのうち、リーダー格の少年は軽く焦っていた。

 何故かと言うと、目の前に決闘を申し込んだ少女使い魔――麦野沈利がいたからだ。

 ……何を言っているのか、と思うかもしれないが、そもそも少年は麦野が決闘に来るとは思っていなかった。六人の貴族に取り囲まれ、決闘を挑むなんて言われたら、想像するのは間違いなく『六対一』だ。そもそもメイジ殺しでもない限り一対一でさえ勝てる訳がないのに、六対一ならどんな手練れだろうと平民ならお手上げだ。麦野の世界で言うなら、無能力者(レベル0)一人を、異能力者(レベル2)が六人がかりで取り囲んでいるようなものである。

 だから、当然少女は決闘には来ず、少し待ってから『ふん、どうやら彼女は決闘から逃げたらしい。諸君! あの使い魔は強がっているが所詮はこの程度、貴族とは平民の上に立つ者なのだ。あの使い魔を恐れた者は恥を知れ!』……と、そう言ってことにケリをつけるつもりだった。

 だが、来てしまうとそれはそれで問題なのだ。何故なら、相手は平民。そんな相手にメイジが六人がかりで勝っても、そんな結果で誇れるはずもなかった。

 

「……よく来たな。その勇気だけは褒めてやろう」

「御託は良い。お前の『魔法』の性能を見に来ただけだからな」

 

 貴族を前にして、なおも不遜にそう言い切る麦野の後ろには、心配げな表情を浮かべているルイズの姿があった。すぐにでも止めに入りたいが、麦野がこの調子なのでそうも行かない――そんな感じだ。

 

「で? 全員でかかるのか? 私としちゃあそれでも問題ないが」

 

 そう、何てことなさそうに言う麦野を見て、リーダー格の少年はふと確信した。

 ……コイツのこの態度は、ハッタリだ。

 平民がこの状況で余裕ぶるのはあり得ない。何か秘策があるにしても、正攻法で勝とうとするなら絶対に一対一の方が良いに決まっている。なのにこの状況であえて自分が不利になるのに多対一に持って行こうとするのは、何回も一対一を繰り返しては種がバレる可能性のある『手品』に勝算を見ているか、あるいは多対一だからこそ成立する何かの策を持っているということだ。

 この平民は、何か策を持っている。逆説的だが、リーダー格の少年はそう思った。

 

「ふん。平民相手を大人数で嬲るなど貴族にあるまじき行為ッ! 神聖なる決闘は『一対一』で決着をつけることが流儀だ!」

 

 なのであえて、リーダー格の少年はそう言い返した。

 表向きには貴族の誇りを弁えた台詞に、観衆は一気に沸き立った。ごく一部の面々――赤毛の少女だったり青髪の少女だったり女好きの薔薇少年だったり――は様々な理由で冷ややかな視線で少年を見ているが。

 

 少年は賢かった。だから、麦野の台詞から最悪の可能性を見出し、そしてそれを封殺する為の選択肢を選んだ。

 現に、同じ可能性を考えていたルイズは麦野の思惑が看破されたと思い、顔を真っ青にして麦野の顔色を窺っていた。

 だが、麦野は微動だにしていなかった。

 少年は賢かった。だが、根本的に彼は普通の貴族だ。だから、当たり前だが誰もが考えないその可能性を考慮しなかった。

 

 ……単純に、麦野が六人のメイジを相手にしても簡単に勝つことができる、という可能性。

 

 麦野が元いた世界風に言うなら、異能力者(レベル2)風情が数万単位で群がったところで、超能力者(レベル5)に勝てるはずなどないのだから。

 

「では諸君! 決闘だ!」

 

 そう言って、リーダー格の少年は杖を取り出す。

 大仰な動作で杖を振ると、少年の周囲に風の流れが生まれた。

 

「我が名は『旋風』のショーン・ド・ラヴィエ。風の系統を司るラインメイジだ! 貴族である私は当然魔法を使う。平民の君に、武器は必要かな?」

「必要ないわ」

「……後悔しても知らないぞ」

 

 麦野は身体の調子を確かめるかのように、指を動かす。パキリ、と少女のものとは思えない音が鳴り、それが開始の合図になった。

 リーダー格の少年――ショーンは杖を振り、風の流れを掌握する。杖の先から放たれた気流の槌は、ちょうど麦野の眼前の地面に衝突するような軌道をえがいて飛んで行った。

旋風の槌(エアハンマー)』。

 まずはこれで麦野を怯ませ、恐怖させる。平民の使い魔が何もできないということを証明する。その上で武器を与えてやり、さらにそれにも勝利する。思い上がった平民は自らの身の程を知り、そしてショーンは寛大にもそれを許す。無能な『ゼロ』に代わって使い魔を躾けてやる、というわけだ。

 ……それは現代日本的な価値観からしたらひどく傲慢だったが、彼らの倫理では当然の発想だった。むしろ良心的な部類ですらある、と言っても良い。

 

 だが、ショーンの目論見は最初の最初から打ち砕かれた。

 ドッ!! と、『エア・ハンマー』が地面に着弾したとき、麦野はさらにその着弾地点よりも前に進んでいた。むしろ、『エア・ハンマー』の余波に乗ったのか、明らかに平民の少女とは思えない速度でショーンに接近する。

 超能力者(レベル5)としての戦力ばかりが注目されがちだが、麦野沈利という少女は、少女とは言い難い身体能力も凶悪さを強める一因となっている。

 たとえば、アスリート選手並の肉体を持つ不良を蹴りだけでノーバウンドで数メートルも吹っ飛ばしたり。

 たとえば、完璧にノーマークの状態から側頭部に鉄材を叩きつけられても、数秒で意識を取り戻したり。

 冗談のように感じるかもしれない。だが、そんな冗談のような身体能力もまた、麦野沈利の『強さ』の一つだ。

 

「……『詠唱』してから異能の力を振るうわけか。『魔術』とも仕組みが違うな。どっちかというと、『暗示型』の学園都市製能力に近いか?」

 

 平静そのものといった風に近づいてくる麦野に、ショーンはすぐさま返す刃で『旋風の鞭(エアウィップ)』を放つ。気流で生み出した鞭で相手を攻撃する、風の近接用魔法だ。鞭の軌道は操作できるので、同じ近接技である『旋風の槍(エアニードル)』よりも低威力だが取り回しは簡単である。

 しかし。

 

「だがこんなのじゃあ『〇次元』には使えないな」

 

 麦野はそんなこと意にも介さず、鞭を右腕で受け止めた。パシィン!! という音が響き、麦野が僅かに顔を顰めるが――それまでだ。それ以上のダメージは、生まれない。

 

「……()てえじゃねえか」

 

 至近距離から、左手を伸ばして顔面を掴む。

 貴族の――メイジの特権である『魔法』を意にも介さず、そして接触。観衆は、思わず騒ぐのも忘れてそれを見入っていた。

 

「クソガキがぁ!!」

 

 ぐん、と。

 その瞬間、ショーンは奇妙な浮遊感を感じた。

 首に引き延ばされるような痛みを感じ、それから下半身が振り回されるような遠心力をおぼえる。顔面を掴まれているので、自分に何が起こっているのか分からないが――端的に言うなら、捕まれた部分を起点に『振り回されている』かのような。

 そして……その自己分析は、限りなく正確だった。

 

 ドゴシャア!! と麦野は、ショーンの身体を振り回して、そのまま全身を地面に叩き付けた。

 超能力者(レベル5)としての能力など、一ミリも使わなかった。

 そんなことをしなくてもこの程度の格下には勝利できると、そう言わんばかりに、麦野はあっさりとショーンの意識を刈り取った。

 地面に思い切りたたきつけられたショーンは体の背面はほぼ全面が打撲し、より遠心力の働く手足については半ば砕けてしまっている有様だった。

 

 そのあまりにあっけなく凄絶な決着に、暫し広場の空気が凍りついた。

 

「で? 次はどうした。私の右腕は痺れているぞ。今なら少しは有利になれるかもしれないなぁ? オラ、残りは五人だろ? どうした? 怖気づいたか? 何なら全員まとめてでも良いぞ?」

 

 悪鬼のような笑みを浮かべ、麦野は自分に喧嘩を売った不届き者を見る。少年たちは顔を青くしていたが、やがてそんな恐怖を振り切るかのように、雄叫びをあげながら突撃していた。

 麦野の迫力に、完璧に呑み込まれていた――というのもあるが、根本的に、貴族というのは『誇り』が絡むと合理的な判断ができなくなる。ムキになったときの麦野と一緒だ。失敗をそれ以上の功績で帳消しにしようとする。その為ならばどんな犠牲を払っても良いと思う。たとえ、本末転倒になったとしても。

 この場合ならば――貴族が一対一の戦いで、ただの平民の体術に捻じ伏せられたという『失敗』を帳消しにする為に、完膚なきまでに麦野を叩きのめそうとした。たとえそれが、『貴族がただの平民を嬲る』という決闘にあるまじき行為で、それによって彼らの『誇り』が失われるという、本末転倒極まりない結末を迎えたとしても。

 

 メイジの一人が、火の弾を放つ。

 メイジの一人が、水の鞭を繰り出す。

 メイジの一人が、土の槍を伸ばす。

 

 様々な魔法が繰り出され、麦野はそれを躱していたが、その表情は見る見る『失望』の色を色濃くしていた。

 

「火、水、土、風……昨日の説明に遭った通りの『四属』。つまんないわね。実地で見れば『〇次元』に応用できるものもあるかと思ったが……まあ、せいぜいがラインかそこらじゃあ早々特殊な魔法も出てこないか」

 

 麦野が、火メイジの方へと走り寄る。火メイジは小さく悲鳴を上げ、麦野に火球を飛ばそうと杖を向ける。が、麦野は寸でのところで身を捻り、その射線から逃れて腕に裏拳を叩き込む。メシメシと嫌な音が響き、火メイジは悲鳴を上げながら杖を取り落とした。

 次に麦野はその火メイジの襟首を掴み、水メイジの方へと投げ飛ばす。恐怖で足がすくんだ水メイジは回避することもできずに火メイジに押し潰され、ともども気絶してしまう。

 

「くははは、何だこの有様は。貴族だ? メイジだ? 絶対的な差だ? 『ただの平民』一人に此処までされておいて、よくもまあそんな口が叩けたものねぇ? もしかして貴族ってのは、全員そろって愉快な誇大妄想狂の集まりだったのかにゃーん?」

 

 麦野が、嘲る。

 決闘に参加している貴族の少年たちだけではない。

 それを見ている、数多の観衆。その全てに向かって、麦野は言っていた。

 ……あの麦野沈利が、鬱憤を感じていないはずがないのだ。

 彼女は超能力者(レベル5)だ。学園都市の頂点に君臨する怪物だ。恐れられこそすれ、『平民だから』なんてくだらない理由で侮られるいわれはない。そんな状況に甘んじていられるほど、彼女は物分かりのいい性格ではない。

 まして麦野から言わせてみればこの少年たちは世界の酸いも甘いも知らない『甘ったれのクソガキ』である。自分より弱く、自分より愚かな存在に舐められて、平静でいられるわけもなかった。

 ……麦野は、ある意味で待っていたのだ。

 こういう状況を。だから目をつけられるリスクを冒して公衆の面前で高圧的な態度をとり、馬鹿な貴族が釣られるのを待った。表向きはルイズに大人しく従っているように見せて、喧嘩を売らせることで『自分は悪くないが思う存分力を発揮できる』場を整えた。

 結果として、超能力者(レベル5)の本領を発揮するまでもないほどの三下だったが、麦野はそれでも満足していた。こうして他を圧倒しているのだから、もはや自分に向けられる感情は畏怖と警戒。他人を足蹴にしそして頂点に君臨することこそ、麦野沈利にとって最も基本的な喜びだ。

 

「言い返す言葉もねえ、か? オラどうした、『ゼロ』の使い魔だのなんだのって言ってたボケはどこのどいつだった? 何が『ゼロ』か教えてほしいわね。テメェらの勝利する可能性か? ハッ! コイツは傑作ねぇ!?」

 

 ――これは、明らかに麦野の悪い癖だった。

 勝利を確信し、勝ち誇る。

 そこに隙が生じ、そこを突かれて窮地に陥る。

 この時点での麦野は経験していないが、彼女はそうやって格下の無能力者(レベル0)に敗北したのだ。

 そして、此処に置いては、

 

「……『エア・ハンマー』」

 

 ゴッ!! と半ば折れた腕で魔法を発動させたショーンの風の槌が、麦野の側頭部に突き刺さった。

 

「し、シズリぃぃぃいいい!!」

 

 枯れ木のように吹き飛んだ麦野を見て、ルイズは改めて彼女が自分と同じ女性であるということを思い出していた。やはりメイジ殺しだったのか、五人のメイジ相手に互角以上に渡り合う技量は流石としか言いようがなかったが――一つ、計算外があった。

 意識を取り戻したショーンが、卑怯にも横合いから魔法を発動したのだ。

 卑怯にも……というか、既に決闘は全員がかりになっていたし、麦野も決闘している意識はまるでなかったので、これは倒したショーンから注意を外していた麦野の迂闊さという要素もあるのだが(少なくとも青髪の少女ならこんなことにはならなかった)、『ルールに則った決闘』を見ているつもりだったルイズからしてみれば、これは卑怯な横槍だった。

 

 すぐさま駆け出し、倒れた麦野に駆け寄る。

 しかし、貴族の少年たちはそれでも止まろうとしていなかった。

 麦野の挑発で頭に血が上っていた――のではない。むしろ逆だ。少年たちは恐怖していた。だから、目下最大の脅威である麦野沈利という戦力をこの程度で無力化できたとは思っていなかったのだ。

 もはや、貴族の誇りという建前はなかった。目の前の恐怖を殲滅しなくては、という意識のみがあった。

 

「もう、もうやめて! 決着はついたでしょう!? あんた達の勝ちよ。シズリはもう気を失ってるのよ、これ以上傷つける必要はないわ!」

 

 ルイズはそう言って、麦野を庇う。

 先程の麦野の言動。普段の冷静な彼女からは想像もつかないくらい苛烈な口調だった。そしてあれが麦野の本性なのだとルイズは悟っていたが、それでもルイズは麦野のことを庇った。

 たとえ本性が残忍だとしても、あの性格では別にルイズに対して好意など抱いていないとしても、麦野はルイズと魔法抜きで向き合ってくれた。そこに好意がないとしても、軽蔑せずに接してくれたのだ。ルイズにとってはそれだけで十分だった。もう戦えない使い魔の為に盾になることに、一縷の迷いもなかった。

 

「それでも続けるって言うんなら…………私が、この『ゼロ』のルイズが相手になるわ!!」

 

 杖を構える。爆発しか起こせないルイズなど、戦ったところで勝てるはずがない。だが、それでもルイズは退く気になれなかった。

 

(貴族って言うのは、魔法が使えるから貴族なんじゃない。敵に後ろを見せないから――貴族なのよ!)

 

 不退転の心持ちで立ち向かおうとするルイズ。

 だが、その覚悟はほんの一瞬で打ち砕かれることになる。

 ぐい、と。

 手加減抜きで、マントが後ろに引かれ、そして思い切り転がってしまったからだ。

 

「な、ぐは! へ?」

 

 目を白黒させながら見てみると――そこには、彼女の使い魔が佇んでいた。

 さっきまで気絶していたはずなのに、もう危なげない足取りで立っていた。

 麦野の表情は、後ろにいるルイズからはうかがい知ることはできない。できないが、きっととても怒っているのだろう、ということだけは分かった。何故なら、彼女の表情を見ている少年たちや慣習は、みな一様に蒼い顔をして麦野の表情から目を逸らしているからだ。

 

「し、ずり……?」

 

 これから、彼らは知ることになる。

 ――麦野沈利が、立っていた。

 そしてそれは。

 怪物が――学園都市に君臨する第四位が、本当の意味で牙を剥いたことを意味していた。



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第四章

 麦野はルイズの呼びかけには答えなかった。

 代わりに。

 

 眩い光が、世界を覆った。

 

***

 

「……おお、なんとしたことじゃ……」

 

 学院長室――。

 白髪の老人、オールド・オスマンは、呻くようにそう言った。

 彼の傍らには、額が著しく後退している中年教師――ジャン・コルベールもいた。

 彼らは壁に立てかけられた鏡――『遠見の鏡』で、決闘の一部始終を見ていた。

 麦野の左手に刻まれたルーン。これが太古、始祖の使い魔の一つであった『神の左手(ガンダールヴ)』のものと完全に一致しているというのは、既に麦野が召喚された当日に突き止め、そしてオスマンに報告している。そして、麦野自身が()()()()()()()()()()()修羅場を潜り抜けてきたということも。

 その上で、彼らは麦野の能力を見定めるべく、あえて秘宝である『眠りの鐘』は使用せずに動向を見守っていた。

 結果は、彼らの想像以上だった。『ガンダールヴ』はあらゆる武器を使いこなすという言い伝えがあったが、麦野は武器すら使わず、全くの徒手空拳でラインメイジを倒し、そして五人がかりで襲ってきたメイジを瞬く間に二人倒してしまったのだ。

 その後、勝ち誇った隙を突かれて倒したはずのメイジから不意打ちを受けた時は、その実力の程が全部見ることが出来ずに、ある種落胆した部分もあったオスマンだったが……その直後に起こった出来事に、自分の致命的な判断ミスを悟った。

 

 滅びの輝き。

 

 そうとしか表現できないものが、確かに彼女の手からは放たれていた。

 

***

 

第四章 そして電子の号砲は鳴る "MELT-DOWNER".

 

***

 

「…………間一髪」

 

 ショーン・ド・ラヴィエが生還することができたのは――幸運なんかではなかった。

 彼が生き残ることができたのは、確実に麦野の手心だった。麦野の放った絶滅の光条は、ショーンの身体ではなくその足元、ほんの一メートルばかりに着弾したのだ。粒機波形高速砲の直撃を受けた地面は当然ながらその抵抗力により爆発的に熱され、膨張し、爆発を発生させた。ショーン・ド・ラヴィエの身体はその爆発に乗ってノーバウンドで五メートルも上空に巻き上げられた。

 きゃあ、と悲鳴をあげたのは一体誰だっただろうか。

 観衆の中にいた青髪の少女が衝突の瞬間、咄嗟に『落力解放(レビテーション)』を使っていなければ、ショーンは背面打撲に四肢骨折の他、脊椎骨折をその負傷リストに刻み込んでいたことだろう。

 

「う、ぐ……」

 

 しかし、ある意味でけがを負って気絶できなかったのは、この上ない不幸だったかもしれない。

 

「お、まだ息があるみたいだなァ?」

 

 麦野の第一声は『それ』だった。

 ルイズは、そのあまりに獰猛な声色にびくりとしてしまう。確かに、それまでの麦野の口調も粗暴だった。だが、これはそれとは異質だ。

 先程までの麦野の声には、嘲りや蔑みがあった。口調は粗暴だったが、理性の光が宿っていた。いうなればそれらは『冷たい粗暴さ』だった。

 だが、今の麦野にそれはない。怒り、憎しみ、本能からくる激情が、生身でメイジ五人を手玉に取るほどの麦野の理性の光を、さらに巨大な光で塗り潰していた。いうなればこちらは『熱い粗暴さ』だ。

 その熱情が、灼熱の狂暴さが、全てのタガを破壊している。それが、今の麦野だった。

 

「まだまだ死なれちゃ困るんだよ。……テメェらには、こっちの受けた屈辱を兆倍にして返してやらなきゃならねェんだからなァああ!?」

 

 次の瞬間、麦野は一〇メートル近く離れていたはずのショーンの真上に移動していた。

 彼女の足元は、先程の輝く死が直撃した地面の様に赤くドロドロに溶けていた。

 ルイズには知る由もないことだが――これは、原子崩し(メルトダウナー)の応用だった。つまり、原子崩し(メルトダウナー)による爆発の勢いに乗ることで、瞬時に加速したり、落下の勢いを落としたりする……という応用である。これによって、通常ではあり得ない加速を実現しているのだった。

 そして。

 次の瞬間、麦野は。

 

 一切の躊躇もなく、ショーンの股間に足を振り下ろした。

 

 ぐちゃり、という湿った音が、いやにクリアに聞こえる。

 思わずその場にいた貴族全員が顔を顰めた。半数以上が、目を逸らしてその光景を視界に収めまいとする。それほどに、その有様は痛々しかった。

 

「っがァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?!?!?」

「良ィーい声だクソ豚ァ! もっと泣け! 喚け! この私に逆らったことを後悔しながらなァ!!」

 

 のたうち回るショーンの腹を思い切り蹴り飛ばしてノーバウンドで数メートルも吹っ飛ばした麦野は、次に放心状態に陥っていた残りの三人の貴族に目を付けた。ショーン以外の五人の貴族のうち、二人は気絶させている。残った三人を気絶させれば、決闘は麦野の勝利だが……。

 

(足りねえ。そんなんじゃ全然足りねえよなァ。ヤツらはこの私に何をした? どんな屈辱を味あわせた? 最大級の恐怖と、苦痛と、絶望! ソイツを体感させて、学園都市の『第四位』に歯向かったこととこの世に生まれたことをこれ以上にないほど後悔させて、それでやっと等価だろうが!! 私を誰だと思っている? 麦野沈利だぞ? 学園都市の頂点に君臨する超能力者(レベル5)だぞ!!)

 

 麦野が、決闘を仕掛けてきた貴族たちを怒りに任せず原子崩し(メルトダウナー)で消し去らなかったのは、そんな思考があったからだ。むしろ怒り過ぎて、単純な死を与えることでは溜飲が下りないレベルだったのだ。

 ……この思考は、ある意味でトリステイン貴族に共通している。麦野は、格下の人間に(不意打ちとはいえ)不覚をとったという『失敗』を、『完膚なきまでに叩き潰す』という『別の功績』で埋めようとしているのだ。たとえば、シューティングゲームでノーコンティニュークリアができなかったから代わりにハイスコアを目指そうと無理なプレイを続けるような感覚。これもまた麦野の悪癖の一つだ。

 

「わ、悪かった……」

 

 貴族のうちの一人が、ぽつりと呟いた。

 その貴族は――いや、ほんの十代半ば程度の少年は、目に涙を浮かべて震えていた。自分達が軽率に踏んだ尾の持ち主が、いかに恐ろしい猛獣か、今更になって思い知ったのだ。

 

「ゆ、ゆ、許してくれ、もう、こんなことはしないと誓う。詫びなら何でもする! だ、だから、どうかもうこんなことはやめてくれ!」

 

 命乞いだった。

 典型的な『貴族』である彼にとって、それがどれほど屈辱的なことだったかは計り知れない。だが、彼もまた人間的に発展途上の『子供』であり――死の恐怖に抗えるほど、強い自尊心はなかった。

 麦野は、その(彼女からすれば)脆弱な精神性を認め、それからにっこりとほほ笑んだ。それは、戦いが始まってから見せたことのない、穏やかな笑みだった。

 そんな笑みを向けられたことに、少年は許されたと思い安堵して、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 直後、本当に凍りついた。

 麦野は即座に笑みを酷薄なものに塗り替え、指先を少年の脚に向け――放つ。

 ギリギリまで範囲を引き絞った原子崩し(メルトダウナー)だ。脚が吹っ飛ぶことはなかった。しかし、少年の太腿には五円玉大の穴が空いた。穴の側面は焼けただれるどころか炭となり、単純な火傷の範囲ならば太腿の半分にも達していた。すぐにメイジに見せなければ足を切断しなくてはならなくなる、そんな怪我だった。治ったとしても、傷跡は一生残るだろう。

 少年が、絶望の悲鳴を上げる。

 他の少年たちも、唯一命乞いした少年の末路を見て、自らの未来を見たような気がした。悲鳴や呻き声すら上がらない。そういった気力そのものが、真の絶望の前では奪われる。

 麦野は、そんな哀れな挑戦者達を見て、初めて少し満足そうに笑った。

 

「分かるか。これで終わりなんかじゃねえぞ。此処までやってまだ序章(プロローグ)! やっとスタートライン! テメェらが相手にした怪物ってのはこういうことだ!! 覚えておけ! これが麦野沈利! これが原子崩し(メルトダウナー)!! 学園都市の頂点に立つ超能力者(レベル5)だ!!!! 」

 

 演説の終了と同時に、麦野の周囲に赤ん坊の頭ほどもある電子の篝火が生まれる。それらはふわふわと浮かび、次の得物を見定めていた。

 

「そんじゃまあ、そろそろ残りのお仲間にも『焼印』をつけてやろうか。二度とこの私に逆らえないように、精神的にも肉体的にも残る傷跡を、――」

 

 麦野は、そこまで言って演説を止めた。

 乱入者が現れたからだ。

 

「シズリ。それ以上やるのなら、わたしはあんたを止めるわ」

 

 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。

 彼女は命乞いをしたとき、麦野が彼らを許すものと思っていた。貴族にとって、命乞いなど一生の恥だ。これが学院の外なら、下手をすれば家を追放されてもおかしくないほどに不名誉なものだ。下手をすれば一生を棒に振るほどの行為。そんなことまでやらせたのだから、当然ながら許すと、そう思っていたのだ。それでさえ、本来ならやりすぎというものだった。

 だが、そうとすらならなかった。

 そこで、ルイズはやっと気付いたのだ。

 麦野は、彼らから『名誉』を奪おうとしているのではない。

 『全て』だ。この茶髪の女性は、彼らから『全て』を奪い去ろうとしている。

 そして、同時に思った。主人として、麦野の為にも、それだけは絶対に止めねばなるまい――と。

 

 ルイズは、無謀にも麦野の目の前に立っていた。

 電子の矛を今にも突き刺そうという麦野の、その眼前に、である。

 ルイズもその恐ろしさは重々承知なのだろう。足は震えているし、顔は青い。ルイズに安全策なんてない。次の瞬間にでも、ルイズは麦野に殺されかねない。

 麦野なら自分を殺さない――なんて甘えは、あるはずもない。麦野が自分に特別な感情を抱いてくれているなんて、そんなものはただの幻想だと知った。完膚なきまでに殺された。でも。それでも。

 

(此処で退いたら――!! わたしは二度と、シズリのことを使い魔だなんて呼べなくなる! これからもシズリと共に過ごしていきたいのなら、どんなに恐ろしくたって、此処でシズリに後ろを向けちゃいけないのよ!!)

 

 諦めなければ、分かり合える。

 そんな幻想までは、殺させやしない。

 

 勝算があるわけじゃない。

 まして自信なんてこれっぽっちもない。

 でも、それでも引き下がることはできない。不合理に見えるかもしれない。馬鹿だと思われるかもしれない。でも、それよりも大事なことにすべてを賭けられるのが、『誇り』だと、ルイズは教えられた。

 

「……どけよ、『ご主人様』」

 

 麦野はそんな人間が最も、最も嫌いだった。

 一瞬にして、全ての怒りがルイズにシフトするくらいに。

 

「今さら何だ? この私を止めることすらできない程度の雑魚が。『光』の中でのうのうと生きてきた程度のガキが。学園都市の『闇』に君臨してきたこの私に意見するってのか?」

 

 初めての、麦野から語られるルイズの姿だった。

 

「…………『ご主人様』じゃない」

 

 ルイズは、ぽつりと言った。

 顔を上げる。

 怯えがある。恐怖がある。だが――彼女の目は、死んでいなかった。

 

「わたしの名前は、『ルイズ』よ。ちゃんと、呼びなさい!」

 

『ご主人様』と呼ぶ麦野に、一片たりとも敬意が込められていないことは、最初から分かっていた。それだけじゃない。麦野の『ご主人様』という言葉には、『お前など名前を呼ぶに値しない』という意図が含まれていることに、ルイズに対して真の意味で『無関心』だと言うことに、ルイズは何となく気付いていた。

 

「学園都市っていうのが、どこかわたしには分からない。シズリがどんな生活をしていたのか、わたしには分からない。シズリがさっき使った不思議な力も分からないし、好きなものだって分からない。わたし、あんたのこと何も分からないのよ。だから、今のわたしはあんたの言ってることに何も言い返せない。わたしは甘ったれかもしれない。理想の貴族には程遠いかもしれない。…………でも、あんたに相応しいご主人様になりたいって思ってる。あんたのことをもっと知りたいって、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

「……テメェ!」

 

 激情。皮肉にも、それが初めてルイズに向けられた感情だった。だが、ルイズは止まらない。顔を真っ赤にして、目には涙さえ浮かべ、それでもルイズは毅然と叫ぶ。

 

「だからあんたも――わたしに相応しい使い魔になりなさい!!」

 

 それは、ただの子供の駄々捏ねだった。話していることは理想論どころか、論理すら成立していないただの要求。

 しかも、麦野に従う理由なんて何一つない。此処で彼女の身体に風穴を開けて身の程を知らせることを躊躇する理由なんて、これっぽっちもないのだ。

 だが、ルイズは言った。命の懸っているこの状況で、尚も臆さず『子供の我儘』を貫き通してみせた。

 震えは、既に止んでいた。

 暫し、沈黙が続く。そして。

 

 ドス!! と。

 麦野は、ルイズの腹に拳を叩き込んだ。

 それを見て、全員の時間が動き出す。青髪の少女が人知れず杖を麦野の頭に向ける。

 全員が、ルイズの説得が失敗に終わったのだ、と悟った。

 麦野は嘲りの笑みを浮かべ、ルイズに問いかけた。

 

「これでも、テメェは私と分かり合えると思うか?」

 

 ルイズは、暫く言葉を口に出来なかった。

 横隔膜に叩き込まれた拳に、呼吸ができなくなり、蹲って呻くことも出来ない状態だったのだ。夕食の中身を吐き出さずに済んだのは、彼女の強靭な精神力の賜物でしかない。

 そしてルイズは、今まさに幻想を殺された少女は、こう答えた。

 

()()()()()

 

 腹を殴られて、息も絶え絶えなはずなのにルイズははっきりとそう言い切る。

 彼女の幻想は、死んでなんかいなかった。この期に及んで、学園都市の『闇』の中に巣食ってきた外道を目の当たりにして、自分にも少年たちほどでないにしてもその牙を向けられて、それでもなおルイズは分かり合う道を選んだ。

 その意味を考え、麦野はさらに恨めし気に表情を歪めた。

 

「――くっだらねェ。興が醒めたわ。テメェらへの刑の執行は、このクソがつくほどの甘ちゃんに免じて許してやる」

 

 それ以上ルイズを試すようなことを、麦野はしなかった。結果が見えている。たとえ肋骨の骨を残らず折ろうが、目を潰そうが、腹に風穴を開けようが、多分ルイズは最後の瞬間まで諦めない。()()()()()()を張っているからだ。

 

「さっさと行くわよ、『ご主人様』」

 

 麦野はルイズに言って、ヴェストリの広場から立ち去る。

 残った多くの生徒達は、しばし呆然と彼女達のいたところを見つめていたが――やがて、現状を理解した。

 『ゼロ』の呼び出した得体のしれない使い魔は、『ゼロ』の言葉に従って、矛を収めたのだと。

 怪物に挑んだ少年たちは、『ゼロ』に命を救われたのだと。

 

 多くの生徒にとってあの決闘は『ゼロ』の使い魔の恐怖を叩き込むだけになったが、それには僅かに例外もあった。

 

「何よあの子、少しは成長してるみたいじゃない」

 

「……危険」

 

「謝罪もかねてレディの危機に颯爽と駆けつけるつもりだったけど、アレじゃ流石になぁ……」

 

 約一名除き、ルイズが動かなければ代わりに自分が止めに入るつもりだったのだが――どうやら、その必要はなかったらしい。それぞれが、ルイズとその使い魔に対する評価を修正する。夜の決闘は、様々な人々にとって一つのターニング・ポイントとなった。

 

***

 

 ――学院長室。

 

『遠見の鏡』を使って一部始終を見ていたオスマンとコルベールは、頭を悩ませていた。

 ……いや、教育者としては満更悪いことばかりでもない。ルイズが諦めない姿勢を見せてくれたことで、麦野も話が通じないばかりの人間ではないということが分かったし。

 だが、それとは全く別次元の問題が、彼らにはあった。

 

「あの『煌めき』……」

 

 オスマンは、まさしく呻くようにそう言った。

 

「わし、これまで数百年くらい魔法を見てきたけど、あんなの初めて見たよ」

「私もです、オールド・オスマン。あんなものは系統魔法にはありません。どう組み合わせたって……」

「エルフの先住魔法も見たことはあるが、彼らのそれはもうちょい穏やかだった気がするしのお……」

 

 オスマンはそう言うが、問題はそこだった。

 あんな強力な攻撃、系統魔法ではスクエアの火メイジであろうと難しい――というのは、魔法をたしなむものなら誰にでもわかる。だが、ではそれが先住魔法なら? ということになると、先住魔法と向き合った経験のある者しか分からない。

『仕事』で先住魔法を使う亜人と戦う機会も多いあの青髪の少女ならば違和感の片鱗くらいは感じてくれるだろうし、コルベールも同じように先住魔法を使う亜人と戦った経験があるのでおかしいとは思っている。だが、それ以外に関しては麦野の発動した光が先住魔法かどうかなんて分かろうはずもない。

 

「参ったのう、アレが先住魔法だと広まったら、必然的にミス・ムギノは亜人かエルフって話になるじゃろうし、前者ならともかくエルフってことになるとチト面倒臭いことになるじゃろうし……」

 

 エルフというのは、はるか遠く、ハルケギニアの地の果て、サハラ砂漠地帯に住まう種族の事だ。

 ハルケギニアの人々にとってエルフは怨敵であり、恐怖と憎しみの対象になっている。それがルイズの使い魔だという噂が出回ったら、ルイズ達の立場はかなり悪くなることだろう。

 

「我々の方で先手を打って、ミス・ムギノは亜人であるという噂を流すのはどうでしょう?」

 

 コルベールがポンと手を打ってオスマンに提案する。

 

「おお、そいつはいいのう。亜人を使い魔にすること自体はあり得ないことではないんじゃしな。その線で行こう。種類は――まあ、適当でええじゃろ。魔法を使うし腕っぷしが超強いから、ハイ・オークとかで」

 

 オスマンは、良い解決策を見つけることが出来たので既に緊張感をなくし鼻毛を抜きながらそんなことを言った。コルベールの方もそれに賛成したので、その場で話し合いは終了となる。

 そんな話し合いを、書類仕事をしながら楚々と聞いていた緑髪の秘書ロングビルは思った。『妙齢の女性が自分をオーク鬼と言われて、何も思わないだろうか……』と。

 

 果たして、そんな彼女の懸念は過たず当たり、噂を耳に入れた麦野が激昂する『魔法学院ハイ・オーク事件』が勃発したりしなかったりなのだが、それは別の話である。



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第五章

 虚無の曜日。

 八日あるハルケギニアの一週間において、唯一の休日だ。トリステイン魔法学院においても、多くの学生が城下町まで買い物に行ったり、浮気相手とラ・ロシェールまで遠乗りに行ったりする。

 麦野は、いつもまだルイズも起き出さないくらいの早い時間に目を覚ます。

 あんな騒ぎを起こした後だったが、麦野は――少なくとも表面上は――決闘以前の態度でルイズに接していた。良くも悪くも、である。乱暴な口調になったりしない代わりに、ルイズに対して心から親しみを向けることもない。

 

「ん……」

 

 麦野の朝は早い。

 まだベッドがない為ルイズと一緒に寝起きしているので、横で寝ている桃色頭を起こさないように静かに起きる。水の準備をして、顔を洗い、それから身体を拭う。

 元の世界では起きたらシャワーを浴びていた麦野だったが、この世界では夜しか浴場が使えない為、朝は身体を拭うしかない。煩わしかったがこの程度は別に我慢できない不満ではなかった。

 

「くァあ~っ……」

 

 

 眠気を取る為に欠伸を噛み殺しつつ部屋の外を歩いていると、前の方から緑髪の女性がやって来るのが見えた。

 ミス・ロングビル――この学院の長であるオールド・オスマンの秘書を務めている女性だ。メイジだが、貴族ではないのでマントは身に着けていない。オスマンは貴族も平民も分け隔てなく接する大人物という話だった。

 

「おはようございます、ミス・ムギノ」

「ん。おはよう、ロングビル」

 

 すれ違い際に挨拶し、そして別れていく。何のことはない日常の一コマだ。

 その裏で、麦野は思う。

 

(……監視されているな。まあ、あれだけ派手に暴れてりゃ当然かしらね)

 

 麦野がロングビルと知り合ったのはここ数日の事だ。

 『魔法学院ハイ・オーク事件』の噂の発生があまりにも素早かったので、何者かが意図的に噂を流した可能性を考慮し、それが可能な人物を探っている中で、麦野はロングビルに行きついた。

 学院長の秘書でありながら、平民。学院のあらゆる人材とパイプが繋がっているといって過言ではないポジションだ。問い詰めると、ロングビルはあっさりとオスマンとコルベールが主犯であることを吐いてくれた。

 ロングビルも女性としてオスマンのやり口には呆れていたのと、普段セクハラされていた鬱憤もあり情報を売ったのだが……それがきっかけで、精神年齢の比較的近い二人は親交を持つようになった。

 当然、仲が良くなったという意味ではない。麦野は勿論ロングビルも、表面上親交を持ったからと言って心を許すほど素直な性格ではない。

 ちなみにオスマンとコルベールについては麦野自らが粛清した。ルイズも流石にアレだと思ったのか止めに入ることはなかったのが哀れを誘う。

 

(確か、情報によるとロングビルのメイジとしてのランクはライン。学園都市の能力者で言えば異能力(レベル2)から強能力(レベル3)ってとこかしら。たとえ不意打ちでもそんな雑魚に私を潰せるとは思えないし、監視として役に立ってないんじゃないかと思うけど……)

 

 とはいえ能力の強さが全てではない。暗部にいる麦野は、そのことを知っている。かつての世界で仲間だった大能力者(レベル4)の滝壺は戦闘などこれっぽっちもできない雑魚だったが索敵能力でチームを助けていたし、無能力者(レベル0)だったフレンダは独力で超能力者(レベル5)を追い詰めることのできる技量の持ち主だった。

 要は、適材適所なのである。

 力には使いどころというものがあり、状況次第で価値など如何様にも変わる。

 

「お、いたわね」

 

 ――――尤も、超能力者(レベル5)はそんなセオリーなど跡形もなく吹き飛ばすが……という思考を最後に、麦野は前方に目を止める。彼女の視線の先には井戸があり、そのほとりには一人の少女がいた。

 黒髪の、そばかすが特徴的なメイドだ。桶に服を突っ込んでいる。どうやら、洗濯をしているらしかった。

 

「シエスタ」

「あ! ムギノさん。おはようございます!」

「ん、おはよう」

 

 シエスタと呼ばれた黒髪のメイドは、屈んでいた体勢から立ち上がると、麦野に向き直った。

 召喚された翌日、ごく当たり前のように厨房に行って賄をもらった時に親しくなったメイドで、名前はシエスタという。人懐こい性格で、お世辞にも温厚とは言えない麦野の態度にも難色を示すことなく接していた。

 実の所、決闘を経ても麦野の平民評が上がることはそんなになかった。

 というのも、『魔法学院ハイ・オーク事件』により麦野は平民から、『オークみたいにとんでもなく腕の立つメイジ殺しの女性』という認識を受けることになったからだ。あの決闘の顛末も、『喧嘩を売って来た貴族の少年六人を化け物みたいに強いメイジ殺しの女性が素手でボコボコにした』という形になっており、どちらかというと『貴族よりも強い化け物がやってきた』という感じで、恐怖の対象が一人増えた程度にしか思われていない。

 並行世界においてボコボコにされても諦めずに戦ったことで『我らの剣』と呼ばれた少年とは雲泥の差だったが、シエスタはというと麦野とわりと最初期の方から交流を重ねていた為、相変わらずの調子で接し続けていた。

 

「いつもご苦労ね」

 

 麦野は素直にシエスタを労う。洗濯など、麦野はこの世界に来て早々にシエスタに押し付けてしまった。

 ちなみに、今のルイズは『意地を張っている張本人の麦野に弱みは見せられない』とかでなるべく自分のことは自分でやろうとしている為、他の貴族同様に学院のメイドに洗濯物を渡しているのだが、そんな事情があるので実質の労力は何も変わっていない。

 ただ一つだけ、朝が弱いルイズは麦野に起こしてもらわなくては朝食ギリギリまで寝てしまっているのだが、どうやら彼女の中で朝起こしてもらうのは『弱み』にはカウントされないらしい。

 

「これも仕事ですので。辛いとか言ってられません」

「それもそうね」

「ムギノさんのお仕事は、ミス・ヴァリエールの護衛ですよね」

「…………そういうことになる、のか?」

 

 麦野がルイズの身の回りの世話をしなくなったのには、そうした認識の変化もあった。徒手空拳でもラインメイジを秒殺できるほどの力量を持つ麦野なのだから、使い魔の役割その三は確実に果たせるということで、身の回りの世話をする大義名分も消し飛んだのである。

 なので、せっかくの決意も実質的には無意味なのだった。

 

「何か変わったことはない?」

 

 洗濯を再開するシエスタを見ながら、麦野は何とはなしに問いかけた。

 何事も、情報収集は大事だ。メイド間の情報網はかなり有益になるので、麦野はこうして朝の時間にシエスタと話をすることにしていた。実際に『魔法学院ハイ・オーク事件』の初動もこのシエスタとの会話の中で判明したくらいである。

 ちなみに、シエスタはこうした麦野の行動を『凄いメイジ殺しの人が自分達のことを気にかけてくれている』と勘違いしており、これが彼女の中での麦野株上昇の一因なのだが、麦野はそこには気付いていなかった。

 

「いえ、特には。……ただ、マルトーさんの話だとアルビオンはかなり大変なことになってるみたいですね。アルビオンからの輸入品が高くなってるってぼやいてました」

「ああ、『レコンキスタ』だっけ?」

 

 麦野は適当そうに言う。

 アルビオンでは貴族派と王党派に別れて内戦が勃発しており、貴族派が圧倒的優勢ということは既にコルベールから聞いて知っていた。さらに戦局が傾いて来ているのなら、そう遠くないうちにアルビオンの王族……テューダー王家は滅亡するだろう。

 

(確か、アルビオンの国王はトリステインの死んだ国王の兄弟だったか。となると、新アルビオンとトリステインはどう頑張っても仲良くはできないわね。トリステインの国力は弱ってるらしいし、早い所手を打たないと次はこの国かしらん?)

 

 科学の発達した世界において尚『一個大隊に匹敵する戦力』と言われる麦野にしてみれば、この世界の技術力ならたとえ数万単位で襲われても残らず殲滅できるのだが、そんなことをする義理などどこにもない。ルイズの実家は大貴族らしいし、もしも戦争が始まったならとっとと里帰りについて行ってそのまま領地に引きこもれば良いだろう、と思っていた。

 

「本当に、恐ろしい話です……。せっかく最近怪盗フーケの被害が落ち着いて来たのに」

「フーケ?」

 

 麦野は首を傾げた。

 コルベールから聞いた『最近のトリステインの情勢』には、そんな怪盗の話はなかったのだ。

 

「ああ、ムギノさんは知らないかもしれませんね。少し前までトリステインを騒がせていた怪盗ですよ。貴族様の持っていたお宝を盗んでしまうんです。どんな堅牢な壁も土くれになってしまうから、『土くれ』のフーケって呼ばれていました。ああ恐ろしい……」

「ふぅん、アンタ平民でしょ。何が怖いの?」

「だ、だってムギノさん! フーケは目撃者を絶対生かしてはおかないって……。しかも、この魔法学院の宝物庫を狙ってるって噂もあるんですよ!」

「なるほど。でも、最近は見てないんでしょ?」

「はい……。数か月くらい前から、ぱったりと」

 

 となると、どこかでくたばったかしたのだろうか? と麦野は思う。何にせよ、死んだと確定していない以上、アルビオンよりはこちらの方がまだしも警戒すべき情報だろう。

 

「ありがと。それじゃシエスタ、またね」

「はい! また」

 

 適当に挨拶し、麦野はルイズの自室に戻って行く。

 

 

***

 

第五章 深まる疑念、深まらない疑念 A_Certain_Holiday.

 

***

 

 十数分後、麦野とルイズは厩舎にやってきていた。

 買い物と言えば都会、都会と言えばトリステインでは首都トリスタニアである。

 ちなみに、トリスタニアは魔法学院から歩きで行けばまる一日はかかってしまう。なので、馬で行くことになった。

 

「シズリ、馬には乗れる?」

「馬術なら一通り修めているわ」

 

 麦野は何てことなさそうに言いながら馬の首を撫でる。馬は嫌がるでもなくそれに従っていた。『馬術』ではなく『恐怖』で従えているのでは? とチラリと思ったルイズだったが、それは言わないでおいた。

 

「でも、シズリって貴族じゃないのに馬に乗れるのね。そういえば『がくえんとし』ってところにいたんだっけ? そこでは乗馬も教えてるの?」

「そっちは関係ない。私の生まれが貴族みたいに高貴だっただけよ」

「へえ。あんたもメイジだったの? もしかして、言ってなかっただけで貴族だったり?」

「いや違う。私は……――あー、一応貴族制がある国もあるのか。貴族か平民かで言えば、制度的には私は平民だったよ」

「何か含みのある言い方ね……」

「アンタに説明しても分からないだろうしね」

 

 そう言って、麦野は話題を断ち切った。そこから麦野のもといた場所などについて聞きだそうと思っていたルイズは、いきなり出鼻を挫かれた形になる。

 

「し、シズリの家って、どんな家だったのかしら」

 

 馬に乗りながら、ルイズはそれでもめげずに問いかける。もはや意地だった。麦野のことを今よりずっと知ってやるという意地が働いているらしかった。

 対する麦野は、楽々と馬に乗りながら、その発言を無視した。

 

「ねえシズリ? 無視しないでくれるかしら?」

「お前には関係ない」

 

 ばっさりと切り捨てた麦野の口調が冷たい色を帯びていたので、ルイズは面食らってしまった。ルイズに対する意地悪とかではなく、本当に本心から言いたくない話題だったらしいと気付く。

 気まずさから、ルイズはついに口を噤んでしまったが、麦野の方は涼しい顔だった。立ち往生しているルイズを追い抜き、門の方に移動していく。

 ルイズは、そんな麦野の後ろ姿を見つめていることしかできない。

 ほかならぬ麦野自身に会話をする気がないのだから、そもそも距離を詰めることさえできない。できたとしても、ほんの上っ面程度の話にしかならない。

 

(こんなんじゃ、いつまで経ってもシズリにわたしを認めさせることなんてできやしないのに……)

 

 歯がゆい思いでいたルイズだったが、麦野が操る馬がその足を止めたことで怪訝な表情になる。

 悠々と馬を駆っていた麦野は、呆れたように振り返って言った。

 

「何止まっているのよ。こっちは道が分からないんだから、アンタに案内してもらわないと先に進めないでしょうが」

 

 ハッとしたルイズは、先に進んでいく。

 そして、道案内をするということはその過程で会話の糸口も見つけやすくなるということだ。

 ルイズは打って変わって意気揚々と馬を駆った。

 

***

 

 そんな二人の姿を、学院の中から見ている影があった。

 

「あの子、あの使い魔相手によくやっているわね」

 

 一人は、赤い髪に健康的な褐色肌が目を惹く巨乳の少女。

 

「…………」

 

 もう一人は、メガネをかけた青い髪の、本が良く似合うおとなしそうな少女。

 

「タバサも、あの子が気になる?」

「使い魔」

 

 青い髪の少女――タバサは、キュルケの問いに言葉少なに答えた。無口な性分のタバサは、あまり多くを語らない。だが、友人として長いことやっているキュルケはそれだけの言葉からタバサの意図を読むことができた。

 

「……確かに、あの使い魔は気になるわね。特に、あの手から放たれた光」

「スクエア以上」

 

 タバサの補足に、キュルケは頷く。

 学院長の配慮によって、あの決闘を見た者や決闘の当事者は麦野のことをハイ・オークだと思っている。それ以外の者は、あまりに腕の立つメイジ殺しをそう錯覚したのだと思っているが……キュルケとタバサはそのどちらでもなかった。

 タバサは、実際にハイ・オークと対峙したことがある。ハイ・オークは先住魔法を使うことができるほどの知能と才能を持ったオークのことだ。そして、先住魔法というのは往々にして『自然と密着した形の』現象を引き起こす。あんな……石造りの城よりも精密で冷徹で人工的な光は、先住魔法に生み出すことなどできようはずもない。

 キュルケは、そんなタバサが警戒するのがただのハイ・オークではないという直感と、それがルイズの使い魔であるという事実から、麦野に対して一定の警戒を持っていた。

 

「何もしなければ、良いんだけど」

 

 とはいえだからといって特別ことを荒げたりしないのは、ルイズがあの使い魔と交流を持とうと努力していて、あの使い魔があれ以降『洒落にならない騒動』というのを起こしていないからだ。

 話を聞けば決闘自体件の貴族の少年たちが吹っかけたものだというし、基本的に刺激さえしなければ無害な存在なのかもしれない。

 

「…………」

 

 そう考える横で、タバサはじっと外を見つめていた。

 窓の外では、ルイズが麦野を先導して何かを話しかけているところが見えた。

 

「……気になる?」

「…………」

「……後、追ってみる?」

 

 その問いかけには、二つ返事が返って来た。

『あたし、女の尻を追いかける趣味はないんだけどなあ……』なんて呟きを残しつつ、二人の少女はルイズ達の後を追った。

 

***

 

「オイ『ご主人様』。アンタ、殺し屋を雇われるようなことをした覚えは?」

「何よ藪から棒に。わたしは人に恨まれるようなことをした覚えはないわよ」

 

 道案内にかこつけた会話を幾度しただろうか。『シャケ弁』なるものが好きだという情報を聞きだしたあたりで、麦野がふいにそんなことを言った。ルイズは意味が分からず、首をかしげてしまう。

 

「そうか……ならあの青いドラゴンを撃つのはやめておくか」

 

 そう言われて、ルイズは弾かれたように上を見た。青い空に紛れ込むようにしていたのでなかなか気づき辛いが、上空に青い鱗のドラゴンが飛んでいるのが微かに見えた。

 

「よ、よく分かったわね……」

「視線を感じたからね」

 

 そこからしてよく分からないルイズである。

 

「でも、あの使い魔は……確か、タバサの使い魔ね。いつもキュルケの横にいる」

「青い髪の?」

「そうよ。知ってるの?」

「ああ……()()()()()()()()

 

 そう言って、麦野は空に向かって手を翳す。すると面白いくらいに青いドラゴンは慌てて急制動を取り出した。くっくと麦野は愉快そうに笑うと、手を降ろして手綱を握った。

 

「ちょっと、そういう悪戯はやめなさいよ。洒落になってないわよ」

「洒落じゃないわ。ちょっと撃とうと思っただけ」

「なお悪いわ!」

 

 ルイズが憤慨するが、麦野はやっぱりどこ吹く風だった。

 ほどなくして、ドラゴンが地に降りて来る。

 

「ほら、降りてきたじゃない。いきなり撃たれそうになったから怒ってるのよ」

「そんな甘ちゃんには見えなかったけどね」

「ちょっと! 何をいきなり撃とうとしてきてるのよ!!」

「追跡していたことは謝る」

 

 軽口を叩きつつドラゴンから降りるのを待っていると、まずキュルケが怒り、次にタバサが頭を下げてきた。

 

「理由を話してくれない?」

 

 キュルケの方は鮮やかに無視し、タバサの方に視線を向けて問いかける。まさか危険分子の監視がしたかったなどとは言えずに一瞬答えに窮するタバサをフォローする形で、キュルケが麦野の間に割って入った。

 

「ヴァリエールが使い魔を連れて王都に遠出なんてしてるから、何を買いに行こうとしてるのか気になったのよ。あたしがタバサを部屋から引っ張り出したの」

 

 そう言って、ただでさえ大きな胸を誇らしげに張る。

 

「覗き見の為に友達を使うなんて必死過ぎてみっともないわよ」

「あーらルイズ、なかなか言うことを聞かない使い魔を物で釣ろうとしているアンタに言われたくないわ」

「ななな、な、なんですってえ!?」

 

 ここぞとばかりにツッコむルイズだったが、あっさりと煽られて形勢逆転されてしまう。麦野は頭に血が上りやすいご主人様にやれやれと頭を振り、そしてキュルケに上手く話をはぐらかされたことに歯噛みする。

 が、相手が麦野を監視しようとする理由も分からないでもないし、此処であえて追及することはしなかった。

 

「まあ良いわ。私達の買い物見物がしたいなら好きにすればいいし。でも、私は高みから見下され続けるのが非常に我慢ならない」

「なら一緒に乗れば良いわ。タバサのシルフィードに」

「ちょっと! それじゃあ馬はどうするのよ!」

「そこの駅に預ければ良いでしょ。帰りはそこに降ろしてあげるから」

 

 この時代の主な交通手段は馬なので、街ごとに馬を置く為の駅がある。一番近い駅は、この近くにある街だった。城下町ほどの規模はないが、それでも王都近くなのでそれなりに栄えていたはずである。

 

「う、ううむ……」

 

 キュルケの仲間の手を借りることはキュルケの手を借りることも同然と考えているルイズだったので、完璧に懸念が払われたあとも渋ってしまう。そんなルイズの膝に、麦野はいつの間にか馬から降りて手を置いた。

 

「さっさと降りましょう。時間を短縮できるなら儲けものだし」

 

 自分の使い魔に諭されたのが決め手になって、ルイズは渋々シルフィードに乗ることに決めた。

 馬はシルフィードが牧羊犬みたいに誘導できるそうなので、早速二人はシルフィードに乗り込む。シルフィードの背中には都合よく掴まれるような凹凸状の背びれがある。それに掴まると、シルフィードはほどなく飛び立った。

 バサバサバサ!! と力強く翼をはためかせると、その翼は明らかに物理以上の風力を叩きつけて浮かび上がる。

 

「触った感じ、骨の中がスカスカってこともないわね。やっぱり全部魔法の力か」

「? 何で骨がスカスカな必要があるのよ? ドラゴンは力が強いんだから骨が丈夫なのは当然じゃない」

「アンタ骨付きのチキンも食べたことないの?」

 

 疑問符を浮かべるルイズを、麦野は適当に切り捨てる。傍から見ていたキュルケは、『ああ、コイツらいつもこんな感じなのかな』とルイズがちょっと不憫になった。

 

「私も興味がある」

 

 そんなルイズの尻馬に乗るかたちで声を発したのは、タバサだった。

 タバサとしてはそう言っておくことで麦野から会話を引き出し、そこから麦野の抱えている『異常性』を分析したいという考えだったのだが、二人に尋ねられては断るのも面倒くさいのか、麦野は渋々話し出した。

 

「アンタ達、鳥が何で飛べるか知ってる?」

「? 翼があるからじゃないの? 何でそんな当たり前なこと聞くのよ」

「テメェはいちいち人の話す気を削いで来やがるな……」

 

 無垢な瞳で問い返すルイズに、麦野はひくりと青筋を立てた。が、すぐに気を取り直して話を続ける。

 

「じゃあ、翼を生やしたら人は飛べる? 想像してみなさい、両手に大きな羽毛の膜を取り付けたコッパゲが塔から飛び降りて羽ばたくのを」

「…………落ちるわね」

 

 キュルケは三人を代表して、地面に人型の穴を作りつつ落下するコルベールを思い浮かべながら答えた。

 

「そうよ。まあ他にも筋力やら航空力学やらいろいろと関係してくるけど、まず一番大きいのは『鳥の身体が軽いから』ってのがあげられる」

「身体が軽いと、飛べるようになるのかしら?」

「正確には『飛びやすくなる』ね。重さが軽いと、飛ぶのに必要な力が少なくて済むのよ」

「じゃあ、小さいものしか空を飛ぶことはできないってことになるわよね」

「まあ概ねは。ただ、鳥とかは骨自身がすかすかになるように進化することで重量を軽減するようになってる。あとは羽毛とか内臓系の進化も関係あるけど」

「ああ、なるほど。それでさっきチキンがどうのって言っていたのね」

 

 ただ、と麦野はシルフィードの翼を撫でながら続ける。

 

「コイツの骨は、叩いても軽い音はしなかったし、翼の大きさもこの巨体を動かすなら一〇メートル単位のものが必要になるでしょうね。そうじゃないってことは単純な物理を乗り越える力……『魔法』が使われてるってことよ」

「私のフレイムも、炎を出すのは火の先住魔法の力があるからだしね」

風竜(ウインドドラゴン)、だったかしら? コッパゲの図鑑で見たけれど」

 

 そう言って、シルフィードの背を撫でる。シルフィードはきゅいきゅい、と存外可愛らしい声でくすぐったそうに鳴いた。

 

(……魔法の力を持った生物、ね。どういう系譜でそんな現象を前提にした生き物が進化してたのか、気になるところではあるけど)

 

 それは、麦野の世界で言えば超能力や魔術による現象を前提にして進化した生き物に同じだ。人間の扱う技術を前提にして適応進化した生物というのは、SFチックではある、が……、

 

(まあ、そんなことはどうでも良いことか)

「ねえシズリ、あんたどこでそんな知識を勉強したの?」

「アンタには関係のない話よ」

 

 麦野はハルケギニアの生物の進化の歴史などどうでも良いので、そこで考えを打ち切った。

 なお、麦野が元いた世界に関する謎はさらに深まるばかりであった。



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第六章

 トリステインの首都――トリスタニアに到着したルイズ達は、城下町を歩いていた。

 

「あのドラゴンは置いて行って良いの?」

 

 歩きながら、ルイズは後ろを歩くタバサに尋ねた。

 シルフィードは流石に大きすぎるので、此処には連れてきていない。町の外れに待機していろとタバサが指示していたが……。

 

「問題ない」

「シルフィードはお利口だからね~。ちょっとした買い物の間くらい放っておいても大丈夫なのよ」

「何であんたが自慢げなのよ……」

 

 涼し気にしているタバサの横で、ただでさえ大きな胸を張るキュルケ。ルイズはちょっとげんなりしたような表情を浮かべ、麦野は完全に無視している。

 しかし、無言であたりを見渡した麦野は、おもむろに口を開いた。

 

「スリが多いね。まだちゃんと財布は持っているかしら?」

「ええ、もちろん。……でもなんで分かるの?」

「雰囲気だよ」

 

 適当そうに麦野は答える。が、それではルイズが納得しないことは分かっているのか、あまり間をあけずに続けた。

 

「職業病ってヤツでね。『警戒心』を持って動いてるヤツは自然と分かる。呼吸の仕方とか、体重の動かし方とか、視線の質とかでね。……たとえばそう、そこにいるアンタ」

 

 そう言って、麦野はタバサに視線を向けた。ピクリとタバサが肩を震わせる。

 

「あからさますぎて挑発してるかと思う程ね。死にたくなけりゃ喧嘩を売る相手は間違えるんじゃないわよ?」

「……分かってる」

 

 この場で麦野の『本質』をあの事件以前に見抜けていたのは、タバサしかいない。だからキュルケは麦野の言っていることの意味が理解できず、タバサを庇うように麦野との間に入った。まるで私が悪役だな――事実そのようなものだが――と麦野は肩を竦め、タバサへの追及をやめる。もともと釘を刺す程度のつもりだったのだ。

 

「そうそう……『警戒心』って言えば、ロングビルもそうね」

 

 話を逸らす意味合いもかねて、麦野は三人にそう話を振った。すると、ルイズ達三人はみな一様に意外そうな表情を見せる。タバサもミリ単位ではあるが驚いていた。

 

「……その様子だとあの女、意外と出来るヤツみたいね」

「だって……ミス・ロングビルはオールド・オスマンの秘書で有能だけど、メイジとしての実力はそれほどでもないわよ。代講で何度か魔法の腕前を見てみたけど……」

「二流」

「ルイズよりはずっとマシだけどね」

 

 散々な言われように、麦野は顔を顰めるにとどめた。他の二人はともかく、タバサまでもがノーマークとなると、流石に違和感をおぼえる。ロングビルの『警戒心』は確かに麦野が簡単に看破できる程度ではあったが、アレはそんな『二流』が放つ警戒ではなかった。むしろ、麦野と同じ。『命がけの戦い』というものを幾度となく経験している『プロ』の警戒だったように思える。

 

(魔法学院の教師は貴族の次男三男か、さもなければ爵位すらない弱小貴族、あるいは犯罪者一歩手前の没落貴族だとコッパゲは言っていた。だからロングビルもコッパゲ同様脛に疵を持ってる輩だと思っていたけれど……はてさて、これはどういうことかしらね?)

 

 タバサが気付かないということは、つまりロングビルは普段そういった『経験者』としての威風をおしこめているということになる。

 タバサが警戒心を見抜くのに劣っている――というのは、あり得ない。彼女は麦野の見立てが正しければ模範的と言えるくらいの『プロ』だ。つまり、考えられる可能性はロングビルがそんなタバサの目をも掻い潜るほどに力量を隠し立てすることに優れている、ということだろう。

 

(おそらく、私が『気付けた』のは偶然。ロングビルが、警戒の『手の抜き方』を知らなかったから、思わず本気で警戒してしまったのを、運悪く私が拾ってしまった。そういうことなんでしょうね)

 

 さて、そうなると気になるのは何故ただの秘書であるロングビルがタバサの目を欺くほどの力量を持っているのか、だ。

 コルベールは、以前麦野と同じように、組織の為に公にはできない汚れ仕事をしていたことを匂わせていた。あるいは、ロングビルもその系統なのだろうか?

「ミス・ロングビルがこの学園で働き始めてから、もう数か月になるけど……わたしの目には、普通の親切な人ってイメージしかなかったわね」

「あたしも、ルイズに同じく」

 

 ルイズとキュルケの二人は、そんなことを言う。一般生徒からすればその程度の認識らしい。いや、麦野がコルベールから聞いた教師評でも、ロングビルは猫を被り通しているようだった。あの戦士であるコルベールすらも籠絡しているのであれば、ロングビルはかなりの凄腕であり……よほどの『事情持ち』ということになる。

 過去にいくら負い目があろうと、今に負い目がなければ、その情報は察しやすくなる。たとえばコルベールも、くぐった修羅場の数ならば麦野よりも数倍はあるし、事実経験値も段違いだろう。だが、それでも麦野に事情を察されているのは、目の前で警戒している姿を見せてしまったというのもあるが、現在の彼が特に罪を犯していないからである。

 

(……だとすると、ロングビルの『偽装』には、何らかの後ろ暗い行動を隠匿する意味合いがある……か?)

 

 別にそれを突き止めてロングビルを糾弾するつもりは麦野には毛頭ない。ただ、好奇心が刺激されるのは確かだった。

 が、差し当たっては、

 

「だから気を付けろっていったわよね、私」

 

 メギ、と麦野はとおりすがった男の手を掴み、そして片手を肘に当てて、てこの原理を使って九〇度でへし折った。無論、関節の動きには真っ向から反逆している。

 

「いぎっ? ぎっ、ぎっ、がボォ!?」

 

 折れ曲がった自分の腕を見て悲鳴をあげそうになった男に、麦野は無事なもう片方の手を掴んで口の中に突っ込ませる。悲鳴はあげられない。周囲の人間は驚愕しているが、それで止まるほど麦野は優しくなかった。

 

「し、シズリ、」

「メイジのスリが出るからってさあ……。私の推論に聞き入るのは良いけど、気を抜きすぎるんじゃないわよ」

 

 ルイズが止める間もなかった。

 くるりと一回転した麦野は、そのまま下手人の腹に回し蹴りを叩き込む。スリはノーバウンドで数メートルも吹っ飛び、酒場の入り口まで吹っ飛んだ。先程の一瞬で懐からルイズの財布を抜き取っていた麦野は、それをルイズに手渡すと、吹っ飛ばしたスリに近づく。

 

「本来なら『貴族様』に対してスリを働いたんだから問答無用で死罪だけど、私は優しいからね……『これ』で『ご主人様』に手打ちにするようお願いしてやるわよ。有難く思いなさい」

 

 耳元で囁きながら、スリの懐から財布と杖を抜き取る。やはりメイジのスリだったらしく、財布の中身はそれなりに豪華だった。紙幣が価値を持たない時代なので、ずっしりとした重さがそのまま財産を感じさせる。

 思わぬ収入(勿論ルイズはおろか公的機関に渡すつもりなど毛頭ない)を得た麦野は、そのまま上機嫌で財布を懐に仕舞う。

 

「ちょ、ちょっとシズリ! あんた何してんのよ!」

「何って、『ご主人様』から財布を抜き取った下手人を処罰しただけよ。使い魔として。ほら、使い魔の役割その三」

 

 『使い魔は主人の身を守る』。確かに、財産を守るという点で麦野は使い魔の業務を遂行したに過ぎない――という風に言えるかもしれない。

 その横で杖を使って男の吹っ飛んだ先を示したタバサは、そんな詭弁を弄する麦野にこう言った。

 

「やりすぎ」

 

 見ると、勢いよく叩き飛ばされたスリによって、テーブルの一つが真っ二つにへし折れている。麦野が下手人を吹っ飛ばした先は、どうやらゴロツキが集まる酒場らしかった。

 視線の先では、食べ物を丸々ダメにされたゴロツキが呆然としている。

 とはいえ、ゴロツキが麦野に対して当り散らすことはなかった。何故なら、彼らの『嗅覚』が鋭いからだ。

 喧嘩を売って良い相手、悪い相手、それすら見極められない者は彼らの世界で生き残ることなどできない。つまり、スリをノーバウンドで数メートルも蹴り飛ばすような化け物に喧嘩を売る馬鹿、命知らず、あるいは切れ者は此処にはいなかった。

 ただ一人を除いては。

 

「おい嬢ちゃん達」

 

 現れたのは、まさしく『傭兵アガリです』といった感じの男だった。ボサボサの髪、無精ひげ、厚めの唇、熊が人間の皮を被っていると説明されても違和感がない程屈強な肉体に、ルイズは思わず身じろぎし、キュルケは舌なめずりをし、そしてタバサは身構えた。

 ゴロツキたちは、その男を見て囃し立てる。男はその酒場のマスターだった。荒くれ者の集う酒場の店主が備品を壊されたとあっては、黙って引き下がることなどできはしない。

 ……とはいえ、店主の男は面子の為に麦野に立ち向かっていた訳ではない。彼にも彼の打算があった。

 

(あの茶髪の嬢ちゃんはともかく、三人のカラフル頭に関しちゃまだ常識が頭にあるみてえだな。しかもさっき『ご主人様』って言っていたあたり、ヒエラルキーは桃色頭の方が上。なら、嬢ちゃんにではなくカラフル頭の方にプレッシャーをかけてやれば良い。勝手にブレーキを入れて、オレの交渉が上手く行く可能性が上がる)

 

 この店主の男ことアル=グリーンバードが傭兵稼業で命がけの仕事を繰り広げること七年。やっと金が溜まり開くことが出来た酒場だ。この五年で軌道にも乗り、段々と客層も危ない客からまだまともなゴロツキに変わりつつあった。こんなところで躓く訳にはいかなかった。

 

「まあまあ、そう身構えるな。安心しろよ。オレも『良心的』な商売を心がけてる酒場のマスターさ。若い頃の貯蓄をもとに商売に精を出して、ジジイになる頃にゃ倅に店を任せて隠居する程度の善良な市民よ。テメェらを取って食いやしない。だが、オレらにも面子ってモンがあるわけだ。テメェの従者が叩き割ってくれたテーブル代、弁償してもらわにゃなあ?」

 

 グリーンバードの目論み通り、ルイズはぐっと小さく呻くだけで、特に反論しなかった。これは行ける、と思いグリーンバードは麦野に視線を向ける。

 ……此処で調子に乗って、ルイズにテーブル代を弁償させるのは簡単だ。だが、貴族が面子を大事にすることは良く知っている。公衆の面前で弁償という『恥』を掻かされた貴族が、逆上してこの途轍もなく腕の立つ(少なくともグリーンバードの経験上では最高レベル)用心棒を差し向けたりすれば、グリーンバードは一巻の終わりである。

 そして、彼は商売勘定のうまい男だった。

 

「『広告料』で勘弁してやる」

 

 その言葉に、グリーンバードは麦野がにい、と口端を吊りあげたのを見た。『正解』、ということだろう。一気に肩の力が抜けるのを感じた。

 

「貴族の舌にゃ、オレらの下賤な味は合わねえと思うが文句は言わせねえ。テメェらにはオレの店で飯を食って、『グリーンバードの酒場は貴族御用達の店だ』って宣伝文句の材料になってもらうぜ」

 

 情報は、いつの世も最大の力となる。

 元傭兵のこの店主の男は、実体験でそれを痛いほど良く分かっていた。

 そして――ほかならぬ元凶である、この茶髪の少女も。

 

***

 

第六章 転がり出した謎 Thus_Spoke_Mercenary.

 

***

 

 さて、酒場での華と言えば客や店主との四方山話である。こういった場に不慣れな(店主曰く)カラフル頭三人娘は居心地悪そうにしていたが、意外にも麦野は平然と店主と会話していた。

 自分は策を弄さないとまともに会話すら成り立たないので、ルイズとしてはかなり面白くない気分だったが。

 

「――しかしアンタ、さぞや凄腕の傭兵だと思うが、なんでこんなちんちく……おっと失礼、お姫様の護衛なんてやってんだ?」

「私も不本意だけど、ちょっと召喚されてね」

 

 アルビオンの情勢について、傭兵視点からの分析を一通り聞いたあとだったか。話の区切れに、グリーンバードは麦野に話を振っていた。麦野は相変わらずのメイド衣装なので、一見すると従者のようにも見えるのだが、身に纏う覇気は明らかに人殺しのそれだ。それも、人殺しを日常とするようなレベルの。

 使い魔――という話を聞いて、グリーンバードは目を丸くした。

 

「使い魔ねえ。こいつは驚いたな。人間の使い魔なんざ聞いたことがなかったが……」

「うちの『ご主人様』は特別製なのよ」

 

 麦野は肩をすくめて言い返す。隣で黙々と(どうやら口に合わないといった心配は無用だったらしい)ポテトとハンバーガーを頬張っていたルイズがむっとしたが、麦野は華麗に無視した。

 

「それにしてもこの酒場、色んな人が来るのねぇ」

 

 そう言いながら、麦野はあたりを見渡す。既にテーブル破壊については『酔っ払ったスリの野郎が派手に転倒したせいでテーブルが壊れた』ということで手打ちになっており――スリの男については本当に同情する、とルイズは始祖に祈りをささげた――、利用客の方は何てことない風で食事をしていた。客層はむさ苦しい男だけではなく、中にはそれなりに女もいたが、麦野の様に(少なくとも見た目は)可憐な風貌ではなく、やはり筋肉質な女性の方が多い。

 

「ああ。オレもこの店を開いて長いからな。……そろそろ女房が欲しいところだが、生憎いろいろな人間が来てもオレの女房は来てくれないらしい」

「結婚したければそのボサボサの髪とむさ苦しい髭をどうにかすることね。毛がセックスアピールになるのは獣までよ」

「せっくすあぴーる?」

「モテ要素ってことよ」

 

 麦野は適当に言って、本題を切り出す。

 

「ところで、色んな人が来ているなら、少し前まで此処に緑髪の女が入り浸ったりはしていなかった?」

 

 麦野の問いかけに、それまで淡々とポテトの山を掘削していたタバサが目の色を変えた。ごくりと一ダースのフライドポテトを食したタバサは、徐に口を開く。

 

「あなた、最初からそれが?」

「どうなの? 見た?」

 

 タバサを無視して、麦野はさらに言い募る。

 麦野がスリを蹴っ飛ばしてテーブルを破壊したのは、彼女の過失ではない。

 故意だった。

 酒場には情報が集まりやすい。荒くれ者の多い酒場に喧嘩を売って、それを適当にしめれば簡単に情報を集めることができる。ロングビルが脛に疵を持っているならば、学院に勤める前は此処に顔を出していた可能性は高い。

 

「……、ああ、緑髪の女なら、入り浸るどころかちょっと前まで此処で給仕として働いていたぜ」

「なんですって?」

「給仕だよ、給仕。白髪と髭のジジイに引き抜かれて辞めちまったがな。あの娘のお蔭で売り上げが上がってたりもしてたのによ……。そうだムギノの(あね)さん、アンタも此処で働いてみねえか?」

「冗談。私は『ご主人様』のお世話があるからね」

 

 そう言って、麦野は立ち上がる。

 ルイズの方は、最後の最後で麦野が誘われた時はヒヤヒヤしていたのだが、あっさりと袖にしたことで気分をよくしていたので、立ち上がった麦野に合わせて立ち上がった。とっくに他の傭兵に色目を向けていたキュルケも、二人が帰り出すのを見て適当に切り上げてきたようだった。

 残るタバサは――、

 

「これ、テイクアウト」

「……毎度」

 

 食べきれなかったポテトの山と肉を袋に詰めてもらっていた。

 

「また来るわ。良い話を聞けたし」

「おう、待ってるぜ姐さん」

 

 手を振り、麦野を先頭にして四人は酒場を後にした。

 ほどなくして、タバサがそんな麦野の横に並び、横顔を覗き込む。

 

「疑ってる?」

 

 タバサは、麦野がロングビルの経歴に何かしらの疑問を持っていると考えていた。確かに、麦野の分析を聞いてみるに、ロングビルには何か秘密があるのは間違いないだろう。だが、それを言ったらコルベールはじめ、教師陣のうち何人かは『事情』を隠している。それ自体はおかしなことではないし、麦野の気を惹くようなものでもないと思った。

 

「さて、何の事かしらね?」

 

 対する麦野は、肩を竦めるにとどめた。

 

「それより、本題に戻りましょう。いい加減、この野暮ったいメイド服にも飽きが来たところよ」

「平民の娘が学院付きのメイドって、かなりの大出世なんだけどね……」

 

 彼女の本来の目的は、着替えの購入だ。既にこの一週間でメイド姿の悪魔という異名が板につきそうな勢いの麦野だったが、そんな余計な異名はないに限る。

 

「此処よ。クラインの服屋。わたしもよく使ってるんだから」

「へえ。『ご主人様』のお墨付きなら、まあ最低限度の品質は保証されてるな」

 

 そう言って、麦野はルイズの服をまじまじと見ていた。

 流石に学園都市製の被服と比較すると物足りないが、ルイズの服――魔法学院の制服は、中世レベルとは思えない被服技術が用いられていることが分かる。おそらく、貴族用にと錬金などの魔法で服を作っているのだろう。金に物を言わせる、というのはまさにこのことだ。

 麦野はそこまでは求めない。オーダーメイドなんか頼んでメイド服で過ごすよりは、多少みすぼらしくとも今すぐ服を得られる方が良い。

 

「それで」

 

 そこまでで、麦野はタバサとキュルケに向き直って問いかける。

 

「此処までで、アンタ達に何かしらの収穫はあったかしら?」

 

 キュルケとタバサはその言葉でこれまでの麦野の言動を思い返し、それから肩をすくめてこう返した。

 

「無論」

「ええ。嫌と言う程ね」

 

 二人が得た結論は一つ。

『触らぬ神に祟りなし』――である。

 

***

 

 かつん、という足音が聞こえた。

 魔法学院にはいくつかの『塔』がある。教室や学院長室のある本塔を中心とし、東西南北に一本ずつ。

 そして此処は、宝物庫のある本塔だった。

 ()()()()()()()女性が、小さく舌打ちする。

 

(クソ……あのコッパゲの話だと、この学院にかかっている『固定化』の魔法は衝撃に弱いって話だったけれど……壁自体の厚みがこんなにあるんじゃあ、あたしの『ゴーレム』でもブチコワシは厳しいわね……)

 

 女は、巷ではこんな風に呼ばれていた。

 『土くれ』のフーケ。

 どんな財宝であろうと完璧に盗み通すという評判の彼女が次に狙い定めたのは、この宝物庫の中にあるものだった。

 『破壊の槍』。

 見た目は、ボロの木槍らしいが、その槍は振るだけで『とある魔法』を扱うことができるらしい。槍としての性能も申し分ないらしく、その強力さはワイバーンをひと突きで跡形もなく消し飛ばしてしまうほどのものなんだとか。売れば公爵家の財政が左右できるほどの財産が得られるという話を聞けば、もはやフーケを止められるものはなかった。

 が、肝心の宝を守る壁がこれほど堅牢なのは、さしもの彼女も予想していなかった。お蔭で数か月も粘ってしまったが……。

 

(ここらへんが潮時かしらね……)

 

 フーケは一流の『プロ』だ。それだけに、引き際も弁えている。どうにもならないものに固執したところで、破滅が待っているだけである。こういう場合、すっぱりと諦めて気持ちを切り替えるのが肝心だった。

 壁から降り立ち、屋内に戻ろうと踵を返したところで、フーケは自分の上って来た階段から足音が聞こえて来ることに気付いた。彼女はすぐさまフードを取り外し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そして、やってきた人物の姿を見た。

 

「あら……どうしたのです? ミス」

 

 その人物は、女性だった。

 フーケは思う。確か、この人物は朝にトリスタニアに買い物に出かけたはずだ。これほど早い帰宅は――いや、確か彼女の『ご主人様』の級友に、ウィンドドラゴンを使い魔にした少女がいたか。

 その女性は、茶色い髪を肩にかけていた。

 服装は普段着ていたメイド服ではなく、平民用の素朴な布地を、何やら奇怪に着こなしていた。彼女は知らないことだが、平民の服で以前持っていた服を再現しているのだ。これは、夏に『第三位』を研究所で迎え撃ったときの服装を再現していた。

 

「どうしたのです? ……っていうのは、私の台詞よねぇ」

「どういうことですか? 私にはどういう意味だか……」

「高位の土メイジは、踏むだけでその地面の質が分かるらしいわね。厚みとか、強度とか」

「っ!!」

 

 思わず息を呑み、そこでフーケは自分の失態に気付いた。

 この状況でそのリアクションは、殆ど自白しているようなものだ。

 

「隠さなくて良いのよ? ()()()()()。いえ、ここは怪盗フーケ……と言うべきかしら?」

 

 麦野沈利は、そう言って三日月のような笑みを浮かべた。



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第七章

「どう、してかしら……?」

 

 絞り出すような声で、ロングビル――いや、フーケは麦野に問いかけていた。

 もはやこの場に至って、言い逃れをすることはできないだろう。確証を持っているからこそ、この女は自分に対してその台詞を突きつけてきたのだから。下手にしらを切っても無駄だ。むしろ、しびれを切れさせることは自らの死を意味するかもしれない。

 

「知りたいかしら?」

「ええ。自慢じゃあないけれど、わたしはこの手の潜入には自信があったのよ」

 

 じりじりと、言いながらフーケは麦野との間合いを測る。

 はっきり言って、この状況は絶望的だ。

 麦野の能力は既に見て知っている。彼女の身体の周辺から放たれる、冷徹な光。アレを浴びせられたら、おそらくフーケは跡形もなく消し飛んでしまうことだろう。

 だが、希望はゼロではない。

 もしも麦野の目的が自分の排除なのであれば、こうやって会話を続けようとはしまい。

 ――この考えは間違いで、麦野はこうしたときにまず相手に対して勝ち誇る悪癖があったのだが、少しでも希望を残したいフーケはそこには気付けなかった。そして結果的に彼女の推測は正しかった。

 

「ま、アンタの行動に落ち度があった訳じゃない。答えを導くだけの道筋はあったけど、私がそれに気付けたのは偶然だったしね」

 

 上機嫌そうに笑う麦野。

 そう、麦野がロングビルに対してある種の疑念を抱いていたことは事実だ。

 だが、それはあくまで『何かしらの事情を抱えている』程度であり、『ロングビルがフーケである』という事実には至っていなかった。

 では。

 何故、麦野はロングビルがフーケであると突き止められたのか?

 それは、今から数十分ほど前のことだ――。

 

***

 

第七章 真実に辿り着いたのは 1st_End.

 

***

 

 帰りの馬(タバサ達とは既に別れた)の上で、麦野は思考を纏めていた。

 先程の買い物で得た情報は、ロングビル(らしき人物)は酒場で働き、そして数か月前オスマンに雇われたらしい――というもの。そして、ロングビルは現在進行形で誰にも言えない程度には後ろめたいこと――おそらくは犯罪を、している。

 ロングビルは『土』のラインメイジということだが、これらの話を総合するに、彼女は自分の実力を隠している。少なくとも『土』のトライアングルからスクエア程度の実力はあると考えて良いだろう。

 

(『土』のトライアングル以上……『数か月前』)

 

 麦野は思う。

『土くれ』のフーケと、符合する部分が多い。

 お誂え向きにフーケは今学院の宝物庫の中身を狙っているという噂も出回っているくらいだ。フーケがロングビルとして学院に潜入し、宝物庫に忍び込む手筈を整えているとすれば、これまで麦野が得た情報のすべてに辻褄が合うことになる。

 しかし、これはあくまで推論だ。それらしく思考の道筋を整えただけで、確実な証拠は状況・物的含めてまだ何もない。勿論、原子崩し(メルトダウナー)を盾に脅して真偽を無理やり確認しても良いが……それは、スマートな解決法ではない。もっというと、学園都市の第四位に相応しい解決法ではない。

 

(とはいえ、私の持っている情報は此処で打ち止め……。これ以上の情報を得ることはできない、……いや、待てよ? そもそも、仮にロングビルがフーケだとしたら、何故わざわざ潜入なんてした? この業界で正体がバレるのは、致命的とまではいかないがかなり面倒臭い事態だってのは重々承知のはず。ツラが割れるリスクを負ってまで学院に潜入したのは……)

「ねえシズリ、さっきから黙ってるけど、どうかしたの?」

「……『土くれ』のフーケの二つ名の由来は、どんな堅牢な壁も土くれに変えて侵入してしまうところからきた。なら当然、本塔にも『錬金』を試したはずよね」

 

 麦野の言葉の意味していることが分からず、ルイズは首をかしげるが、麦野は気にせずに続けていく。

 

「でも、現に『土くれ』はまだ学院の宝物庫に忍び込んだりはしていない。ということは、『土くれ』は何らかの理由で『錬金』を失敗したってことになるわ。そして、だから潜入したのだとしたら、」

「待って、待ちなさいシズリ。やっとわたしにも話が見えてきたわ。あんた、もしかして……ミス・ロングビルがフーケだと思ってるの?」

「ん? そうだけど」

「た、確かに……筋は通っていると思うわ。ミス・ロングビルのやって来た時期と、フーケの被害がやんだ時期は殆ど一致しているもの。でも、証拠がないわ! 確たる証拠がないのに追及したって、間違っているかもしれないし、嘘を吐いて罪を認めなかったらどうしようもなくなっちゃうじゃない」

「あのね『ご主人様』。人間の関節の数は手だけで二一個あるんだし、間違ってたらごめんなさいで良いじゃない」

「それって拷問して自白させるって意味じゃない!! 余計にダメよ! いくらなんでもダメ!! わたしは絶対に許さないわ!! ご主人様権限でそれは絶対にダメ―っ!!」

「冗談よ」

 

 目に見えて焦るルイズに麦野は笑いながら返した。からかわれていたことに気付いたルイズは憮然とするが、麦野は構わずに続けた。

 

「さっきも言ったように、ロングビルがフーケだと仮定して、秘書として潜入したのは『錬金』に失敗したから……つまり宝物庫の壁を破る方法を探る為だったとしたら」

「……当然ミス・ロングビルは、宝物庫の弱点を探るような活動をしていることになるわね」

「その通り。流石ね『ご主人様』。冴えてるわよ。でももう一歩」

 

 勿論、かといってロングビルがフーケだと確定するわけではない。ロングビルは秘書業を始めてから数か月程度。魔法学院が誇る宝物庫に興味を持ったとしてもおかしくはないし、そのことで話を聞きましたと言えばそれ以上の追及は難しくなる。

 だが、それだけではないのだ。

 ロングビルがフーケだとしたら。此処まで数多の貴族を騙して来た一流の盗賊なら、絶対に『ある』はずなのだ。

 

「私の推測通りなら、事態の流れはこんな感じになるわ。まずフーケは宝物庫に忍び込もうと『錬金』を試して失敗する。次に、宝物庫の情報を調べる為に学院に侵入しようと決める。それからオスマンに雇われて『ロングビル』の仮面を手に入れる」

「……? 確かにそうなるけど、それがどうかしたの?」

「間がなさすぎるのよ、あまりにもね」

 

 そう言われても、盗賊の事情になど詳しくないルイズはただただ疑問符を浮かべるばかりだった。

 

「銀行強盗なんかは、金を手に入れてもすぐには使わない。汚れた金っていうのはすぐに足がつくからね。どこかしらで資金洗浄をしないことにはまともに使い物にならない。その為の裏稼業なんかもあったりするわ。盗品なんかも似たようなものでね、実の所、物を盗むことそのものよりもそれを安全に売りさばく方が難易度が高いものなのよ」

「つまり、どういうこと?」

「多分、フーケはまだ手元に盗んだものを置いてあるはず」

「え!?」

「フーケが一流の盗賊なら、確実にそうしているわ。ロングビルの自室かどこか。おそらくもうじき売り捌こうとは考えているはずだけれど、確実に『ある』」

「じゃ、じゃあ……」

 

 ぽつりと呟くルイズに、麦野は我が意を得たりとばかりに頷く。

 

「ええ。ヤツの自室を探索すれば、『動かぬ証拠』ってヤツを見つけることができるでしょうね」

 

***

 

「あの後、念の為コッパゲのヤツにも確認をとってみたわ。アンタが宝物庫にかけてある『固定化』の弱点を聞いて来たことも調査済み。そして当然、」

「わたしの自室に関しても、調査済みって訳ね……」

 

 ロングビルと呼ばれていた女性は、唸るようにそう言った。

 確かに、彼女――フーケにも穴はあったかもしれない。フーケの足取りが途絶えたのとロングビルの赴任時期をずらさなかったのなどその最たる部分だ。『ロングビル』に関しては『フーケ討伐隊』を発足させ次第、討伐隊ごとぺしゃんこに潰れて死んだ扱いになってもらうつもりだったからあまり重要視していなかったのだが、それがまずかった。予定よりも学院に居座りすぎた。いや、というよりも……、

 

「あんたの手腕を褒め称えるべき場面かしらね、此処は」

「おや。そんな余裕がまだあるのね?」

 

 面白そうに言うと、フーケは肩を竦めるばかりだった。余裕なんてものはありはしない。フーケはこういった『どうしようもない』とき、諦めて気楽に振る舞うことのできる気性の人間なのだった。そのことに気付けたのは、たった今のことだが。

 それに、確実に此処で自分が死ぬと限らないのだから、慌てふためくよりも死なない為の方策を練る方がよっぽど重要である。

 

「で、あんたの力ならわたしを次の瞬間にでも消し炭にすることなんか難しくないでしょう? でも、そうしていない。理由は何? わたしに恐怖を味あわせたいとか?」

「そんな悪趣味に見えるかにゃーん?」

「とっても」

「何ならリクエストにお答えするけど」

「『全然』の間違いだったわ」

 

 肩をすくめて、フーケは麦野を見返す。何だかんだで適当に返していた麦野だったが、真面目な顔に戻って徐に話し始めた。

 

「別に無理難題を吹っかけるつもりはないわ。ただ、優秀な手足は欲しいと思っている」

 

 その申し出に、フーケは『やはりか』と思う。

 麦野はこの地においては『異端』だ。仲間は極端に少ないし、情報などメイドの噂話程度。情報はいつの世も最大の力になるということをよく理解しているフーケからしてみれば、そんな状況は非常に心もとないと思う。だから、麦野は『土くれ』のフーケという、裏街道に詳しい情報網に首輪をつけて利用したいと考えているのだろう。

 

「アンタの持っていた金品の一部は私が保管している。何やらマジックアイテムとかいうのが大量にあったからねえ。たとえばこの指環――『バーヴォルの指環』だっけ? つけると姿が見えなくなる効果があるらしいけど。何にせよ、これを然るべき場所に出せばアンタはおしまいよね?」

「……拒否なんて、最初からするつもりもないわよ」

 

 もう、フーケに出来るのは降参だけだった。

 

「そういえば、このことは他の連中には?」

「『ご主人様』には話してある。ただ、物的証拠については見せていないわ。やっぱりなかっただのと言えば適当にはぐらかせるでしょ」

 

 適当に言う麦野に、フーケは『そんな簡単に上手く事が運べるか?』と思ったが、あまり文句をつけて機嫌を損ねられても困るし、他でもない麦野がそう言うのだから、とりあえずその言葉を信じることにした。どうせこの時点で詰んでいるのだ。駄目でも元々というヤツである。

 

「アンタはこれまで通りに生活していれば良い。その過程で、裏街道の情報を仕入れて私に伝えてくれればね。話は終わりよ」

「……そうですね。分かりました。これからもよろしくお願いします、ミス・ムギノ」

「ええ。よろしくね、()()()()()

 

 ロングビルの仮面を新たに被り直したフーケに踵を返し、麦野はその場を後にする。

 

「……やれやれ。『土くれ』のフーケは今日限りで廃業ですかね」

 

 一人残されたフーケ……いや、ロングビルは、元の仮面を被り直してからその後に続いた。

 

***

 

 翌日は夕方くらいから慌ただしかった。

 休日が終わって新しい週の始まりだからかとも思ったが、先週はこれほど慌ただしくなかったので何事だろうか? と麦野は思う。

 

「ねえ、何でこんな騒がしいのかしら」

 

 ルイズも慌ただしそうにしている為、近くを歩いていたロングビルをつかまえて問いかける麦野。本当は彼女もまた秘書業務で忙しいのだが、先日の事情から麦野には頭が上がらないちう力関係を構築されてしまっている為、従わざるを得ないのだ。

 

「フリッグの舞踏会ですわ。一年に一回、この時期に行われるのです。フリッグの舞踏会で踊ったダンスパートナー同士は結ばれるという伝説がありますので、皆さんそれで準備をしていらっしゃるのでしょう」

 

 猫被り一〇〇%のロングビルに、麦野はふうんと気のない返事をした。ルイズはそんなことに興味がなさそうなものだが、あれで彼女も公爵家の三女ということらしいし、半端な格好では居られないのだろう。

 

「ま、使い魔の私には関係のないイベントか。適当にぶらついて時間でも潰していることにしようかしらね。メイド服ならいざ知らず、この格好だと少し目立ちすぎるだろうし」

 

 そんなことを言う麦野の格好は、やはり平民服を現代日本風に着こなしたものだった。服の質もそうだが、着こなしという意味でも著しく『浮いて』しまうことは想像に難くなかった。裏街道で生きてきた麦野としては、そういった注目に晒されるのは――意外に思うかもしれないが――あまり心の落ち着かない状態だったりするのだ。

 

「では、職員が集まるホールがあります。そちらで時間を潰すのはどうでしょう? わたくしもお付き合いしますよ」

「んじゃ、お願いするとしますかね」

「もうすぐ始まります。わたくしは仕事がありますので、先にパーティ会場に行っていてください。場所は分かりますか?」

「ええ。心配いらないわ。コッパゲから聞いてる」

 

 麦野は軽く手を振り、ロングビルと別れた。

 生活水準的にも現代日本とあまり変わらないので、外国にバカンスに来ているくらいの気分だった麦野だが、こういうイベントに直面すると、やはり此処が異世界なのだという気持ちになってくる。だからといって望郷の念を覚えるほど麦野は世界に対して愛着がなかったが、やはり『遠くまできたものだ』という感慨深さに似たようなものはあった。

 

***

 

 気がつけば、フリッグの舞踏会も終わりに近づいていた。

 職員の集まるホールで悠々とワインを飲みロングビルと話していた麦野だったが、ロングビルが席を外したのでぼうっと階下のホール――生徒達が踊っている――を眺めていた。

 キュルケは相変わらず男をとっかえひっかえしているし、タバサは黙々と料理に舌鼓を打っている。薔薇をくわえた金髪の少年は、同じく金髪の縦ロールに何やらアピールをしているようだが、交渉は難航しているらしい。

 ではルイズは――と思い一通り眺めてみるが、それらしい人影は見られなかった。

 

「…………そこにいたのね」

 

 背後からの声に振り返ると、そこにはドレスを着たルイズの姿があった。

 桃色がかったブロンドをバレッタに纏め、胸元の開いた白いパーティドレスに身を包んだ姿。肘までを覆う白いドレスグローブが、彼女の高貴さをいや増ししているように見えた。

 

「馬子にも衣裳とはまさにこのことね」

「うるさいわね」

 

 ルイズは麦野を睨むと、軽く腕を組んだ。パーティももう終わりに近い。普通ならば二、三曲は踊っているところだが、ルイズは汗一つ掻いていなかった。

 

「アンタ、結局誰とも踊らなかったの? もしかして誘われなかったとか?」

「わたしは、普段ゼロゼロと馬鹿にするくせにドレスの一着くらいで簡単になびく馬鹿はお断りなの。だから全員振ってやったわ」

「なるほど、それなら納得だ」

 

 バッサリと切り捨てたルイズに、くっくと麦野は喉を鳴らすようにして笑った。

 そんな麦野に呆れたような視線をやり、ルイズは本題を切り出した。

 

「ミス・ロングビル…………フーケだったわね?」

「さあ、何の事かしら?」

 

 ルイズにしては珍しく――鋭い雰囲気で切り込むが、麦野はあっさりとそれを受け流した。

 しかし、ルイズは諦めない。

 

「昨日、あんたは『自分の推理は間違いだった、慣れない環境で神経質になっていたのかもしれない』って言っていたけど、わたしの知るシズリはそんな人間じゃないわ。仮に間違ってたとしても、間違いを認めずに道理を引っ込ませる。腕の一本を消し飛ばしてでも無理やりミス・ロングビルに自白させるようなタイプよ」

「……」

 

 明確に罵倒され、麦野の視線の『質』が変わる。だが、ルイズはめげなかった。

 

「あんたの目的は分からない。でも、盗賊を匿うっていうんならわたしはあんたの所業を止めなくっちゃならないわ。悪い事を見過ごすことなんてできない。それがあんたのご主人様であり、貴族であるわたしの務めなんだから!」

 

 なけなしの勇気を振り絞って、ルイズは麦野の目を睨み返して言い切る。

 

「たとえばフーケが私利私欲の為じゃなく、弱いものを守るために盗みを働いていたとしてもか?」

「……っ!?」

 

 しかし、麦野の切り返しに、その意思に揺らぎが生じた。

 ……此処で一つ断っておくが、これは麦野のデタラメだ。彼女はフーケが……マチルダ・オブ・サウスゴータが故郷に残して来た子供達を養うために盗賊をやっていることなど知らない。ただ、『こういう正義感に突き動かされる人間』に対してはこの手の問いをぶつけるのが一番有効だと知っているだけだ。

 貴族の『正義』を順守して顔も名前も知らない子供達を不幸にするか? 子どもたちの幸福の為に貴族の『正義』を捨てるか?

 どちらに転んでも『正義』はない。

 この世の中には、そんなことがたくさんある。

 

「甘ちゃんだな。テメェにはそのあたりがお似合いだよ」

「……『世界』が違う、って?」

「その通りだ。私とテメェじゃ、そもそも住んでいた世界が違う。たまたま交差しているだけよ。だから深入りしすぎるな。それはお互いの為にならないからね」

「……そうね。確かに、わたしとあんたじゃ『文字通り』住んでいた世界が違うものね」

「……?」

 

 ルイズの台詞から感じられる雰囲気の違いに、麦野は軽く首を傾げた。

 

「『異世界』だものね、あんたがやって来た場所は」

「……情報源はどこだ? あのコッパゲか?」

()()()()()()

 

 ルイズは、はっきりと断言した。

 誰かから正解を教えてもらったのではない。

 目の前にいる麦野沈利という少女から、一つ一つ情報を受けとり、吟味し、そして『理解』したのだ、と。

 

「その『能力』。わたし、魔法が使えないから人一倍魔法のことは調べたわ。系統魔法も、先住魔法も……でも、シズリの能力はどんな魔法にも該当しなかった」

「……、」

「その『知識』。この間の鳥の話なんて、アカデミーで働いている姉さまだって知らないはずよ。いつも良く分からない実験をしているミスタ・コルベールだって」

「……、」

「その『言動』。好きなものはシャケ弁、住んでいた場所は学園都市。……どれも聞いたことのない場所よ。それでいて、とても辺境の大田舎とは思えない。東の果てにあるっていう東方ロバ・アルカリ・イエにだってあるとは思えない。あるんなら、きっとハルケギニア中にその名がとどろいているはずだもの」

「…………、」

「学園都市の頂点、超能力者(レベル5)の第四位――原子崩し(メルトダウナー)。それが、『異世界』でのあんたの立ち位置『だった』。そう言っていたわよね」

「……そうね」

 

 静かに、麦野は頷いた。

 ルイズの視線は、先程の意思を打ち砕かれる前よりも強い眼差しだった。

 すべての言葉は麦野の口から出てきたものだ。別に麦野は自分の出身を隠し立てするつもりはなかったし、こんなものは麦野が行った推理に比べれば子供だまし程度のものだろう。

 だが、ルイズは確かに辿り着いた。

 誰に教えられたわけでもないのに、真実に辿り着いた。

 分かる訳がないと、頭でっかちな甘ちゃんには到底理解できないと思って麦野があえて言っていなかった事実に、自力で辿り着いた。

 

「住んでた世界が違うとか、わたしが甘ちゃんってことは、認めるわ。確かに今のわたしは未熟者で、あんたから見ればちゃんちゃらおかしいでしょうね」

 

 でも、とルイズは言う。

 

「偶然でもただ交差しただけでも、今、わたしとあんたの世界は重なっているのよ。なら、わたしは諦めない。ただあんたの世界がわたしの世界から遠ざかって行くのを見ているだけじゃない。手繰り寄せて、あんたをわたしの世界に引きずり込んでやるわ!」

 

 ルイズは、その白い手袋に包まれた手で、本来なら紳士に手を差し出して掴んでもらう側の手で、麦野の手を荒々しく掴みとった。

 

「あんたの意見は聞かない。だってあんただってわたしの言うこと全然聞かないもの! それで対等! いいわね!?」

「……くっ、はは。あはは」

「なっ、何笑ってるのよ」

「面白いわ。『ゼロ』の癖に、この私を『引きずり込む』と来たか。ま、既に物理的には引きずりこまれているわけだしねえ……」

 

 ぱっと、麦野は手を振るう。

 それだけで、ルイズの手はあっけなく払われてしまう。

 そのまま、麦野はルイズの頭に手を載せた。

 

「どうせ目的を達するまでは暇なんだ。精々期待して待っていてやるわよ、()()()

 

 そう言って、麦野は歩き去っていく。

 

「……っ! 今、あんた……!」

 

 振り返るが、麦野は二度と同じことを言わなかった。途中ですれ違ったロングビルに手を振り、パーティ会場へ出ていく。呆然とそれを見ていたルイズだったが、はっとするとすぐに麦野を追ってパーティ会場を出て行った。

 後に残るのは、ワイングラスを持ったロングビルのみ。

 近くに誰もいなくなったので、ロングビルはその仮面を外して素に戻って呟いた。

 

「……驚いた。あのヴァリエールの小娘が『踊りに誘った』のが、まさか使い魔のムギノとはね。……手を掴むっていう行為の意味、夢中になってたあの子に理解できてたとは思わないけど、こりゃ驚いた」



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第八章

『ルイズ』は――追われていた。

 

『待ちなさいッ、待ちなさい『ルイズ』! お説教はまだ終わっていませんよ!!』

「(はぁー、はぁー……!)」

 

 冷や汗を流し、物陰に隠れた『ルイズ』のすぐそばを、同じ桃色の髪を持つ女性が通り過ぎていく。『ルイズ』はそれを、ただ身を縮めて待っていた。

『ルイズ』の身体は、一六歳のそれではなく、もっと幼い、六歳くらいの身体になっていた。しかし、『ルイズ』はそのことに疑問を抱いたりしない。それどころか、現状――実家であるラ・ヴァリエールの屋敷で実の母親に追いかけられている状況にすら、疑問を挟まない。

 夢だからだ。

 夢だから、夢の中の『ルイズ』は現状に違和感を挟まない。ただ必死になって、母親から逃げる。

 

 ――そんなんじゃ駄目だ、と誰かが呟いた。

 

 いつの間にか、『ルイズ』は中庭の中心にある湖にぽつんとある船の中にいた。

 『ルイズ』は嫌なことがあると、この船の中に隠れ潜む癖があった。静かな中庭は外の世界のような喧騒がない。船に揺られている間だけは、『ルイズ』の心は平穏を保つことができる。嫌な世界のことを、忘れることができる。

 どうして自分だけ、と『ルイズ』は思う。

 母のようなスクエアメイジになどなろうとは思っていない。トライアングルでも、ラインでなくても良い。ドットで良い、ただのドットクラスの魔法が使えるだけで良いのに、何故それすらできないのだろう?

 夢の中の――過去の『ルイズ』はそう思う。現状を嘆き、悲しみ、そして小さな自分の殻を作り閉じこもってしまう。

 

 ――何で立ち上がらないのよ、と誰かが呟いた。

 

「――小さな『ルイズ』。どうしたんだい、こんなところで」

 

 気付くと、船にはもう一人、青年が乗っていた。

 船を少しも揺らさない技術。泣き入っていて気付かなかったのもあるだろうが、それだけでかなりの力量だったと『今のルイズ』は改めて気づかされる。

 

「……、」

「お母様が君を探していたからね。君ならきっと此処にいるだろうと思ったんだ」

「まあ、子爵様……」

 

『ルイズ』は頬を赤らめた。同時に安心していた。目の前の好青年が、『ルイズ』のことをとりなしてくれると思ったからだ。幼い『ルイズ』は、彼のやさしさに依存していた。

 無理からぬことだ。魔法は使えず、使用人の人望はない。肉親である母親は厳しいし、彼女を溺愛する父親でさえ魔法に関しては何も言おうとしない。こと魔法に関して、青年こそ『ルイズ』の唯一の理解者だった。

 

 ――()()()が見たらきっと笑うわ、と誰かが呟いた。

 

「さあおいで、僕の方からお父様にとりなしてあげよう」

 

 そう言って、青年は手を伸ばす。『ルイズ』も、それに手を伸ばし――、

 

「結構。いつまでも子爵様におんぶ抱っこじゃ、いつまで経っても『アイツ』にわたしを認めさせることなんてできやしないわ」

 

 ()()()は、その手を弾くことで答えた。

 その姿は既に現在のものに戻っていて、不敵な笑みをたたえて青年の方を見返していた。

 しばし虚を突かれた表情を浮かべていた青年だったが、ルイズがしたことを理解すると、口端を静かに歪める。その仕草は、まるで彼女がここ一か月足らずで見慣れた『あの使い魔』によく似ていて――、

 

「よく言った。それでこそ私のご主人様よ、ルイズ」

 

 ルイズの目の前にいるのは思い出の中にいた青年ではなく、もっと圧倒的な現実感を伴った少女だった。

 彼女は弾かれた手をぽんと、ルイズの頭の上に置き、口を耳元に寄せて呟いた。

 

「だがなルイズ――アンタにはまだ知らないことがある。障害は私じゃあない。もっとnbv根plkcyqg的な問題がある」

 

 あまりに不自然なノイズに、ルイズが首を傾げた、その時。

 世界が、裂けた。

 

***

 

第八章 馬鹿と失敗は使いよう Princess_Comes_Here.

 

***

 

「……づあー、途中まで良い夢だった気がするのに、最悪の目覚めだわ」

 

 目を覚ますと、そこは見慣れた自室だ。この一年間で随分と学院生活にも慣れた。慣れてはいけないことにも慣れてしまった気がするが、それによって失ったものは、横で眠っている少女との交流の中で取り戻せたような気がする。

 

「わたしの使い魔、か……」

 

 そう呟き、横で眠る少女に視線を向けてみる。何か寒いと思ったら、少女は掛け布団をひとまとめにして、抱き枕のようにして眠っていた。何度か言っているのだが、一向に治る気配はない。彼女にしてみればこれでも足りないくらいらしいのだが、『何』が足りないのかは説明してくれなかった。

 服装は簡素なネグリジェだ。布団を抱きしめている関係で少しずれて、地肌が見え隠れしているのが非常に扇情的だったが――生憎、ルイズは女の肌に欲情するような趣味は持ち合わせていなかった。

 麦野沈利。

 『ゼロ』の使い魔にして、超能力者(レベル5)序列第四位。異世界からの来訪者。

 まだまだ彼女がルイズを主人として認めたという事実はない。

 結局、あの舞踏会の最後で初めて名前を呼んだ麦野だったが、それっきりいつもの『ご主人様』に逆戻り。これで少しは態度の軟化もあるだろうと期待していたルイズは肩透かしを食う形になり、そのことで多少の衝突もあった。(無論、ルイズが完璧に言い負かされる形で終わったのだが)

 

「でも、コイツのお蔭でわたしの歯車は動き出したと言っても良い」

 

 麦野が来る前のルイズは、劣等感に負けない為に意地を張って、自分を侮辱する者には誰彼かまわず噛みつく姿勢を見せていた。キュルケやモンモランシ―、ギーシュ、マルコリヌなどは学友であり本心から嫌っていたわけではないが、それでも表面上の態度は嫌っていたし、ゼロと言われることに対して過敏だった。

 だが、麦野が来てからは――そうしたことが気にならなくなった。というよりは、気にしている暇がなくなった。『麦野に自分を認めさせる』という大きな目標が出来たから、ゼロだなんだと馬鹿にされてもそちらに大きく意識を割くような余裕がなくなっていたのだ。

 それは、最初は単に『意地を張る対象が変わった』というだけの話で、心の成長なんかではなかった。ルイズが本来備えている精神の輝きが、余分なものを払ったから輝き始めたというだけのことだった。しかし、きっかけになったのは間違いなく麦野だ。この残酷な気性の女の行動が、奇跡的に良く働いて、ルイズの中に眠れる光を呼び覚ました。

 ルイズは、おそらく誰よりもそのことを理解していた。

 

「……ありがとね、わたしのところに来てくれて」

 

 そう言って、ルイズは指で麦野の髪を梳く。起きているときはあれほど隙がないのに、こうして見ていると麦野も普通の女性なんだと思わされる。年齢の程は、大体二〇代前半くらいだろうか? そろそろ結婚してもおかしくないだろうに、この女は戦いに明け暮れて、今のような性格になったのだろう。青春時代を殺し合いに費やして来たのなら、ああいう性格になるのも頷けるというものだ。

 ……ルイズはほんの一点だけ勘違いしていたが、他の分析は概ね正しかった。

 と、

 

「……アンタ、いつまで私の髪を梳いてるわけ?」

 

 寝ていると思っていた麦野が、唐突に口を開いた。

 優しげな笑みを浮かべていたルイズの表情が、一瞬空白に染まる。完全にフリーズしたルイズは、やっとの思いで言葉を紡いだ。

 

「あ、あんた、い、い、いつから……?」

「づあー、途中まで良い夢だった気がするのに、最悪の目覚めだわー」

「最初っからじゃないっっっ!!!!」

 

 ガバア!! と跳ね起き、ルイズは顔を真っ赤にしてベッドから飛び降りた。羞恥心が暴走していて、身体を動かさないとやっていられないという精神状態に陥っているらしかった。

 呆れたような視線を向けている麦野のことなど放っておいて、ルイズは頭を振りながら何事かを呟き、途中何度か転びながらも扉を吹っ飛ばす勢いで外に出た。

 

「あー……アイツネグリジェのまま行っちまったよ」

 

 ルイズのネグリジェは、膝まで覆うワンピースのような形だが、ネグリジェの性質としてそもそも布地が薄い。身体がほんのり透けてしまっている為、ルイズのボディラインは丸見えなのだ。

 ……少なくとも、あの格好のまま部屋の外に出るのは、麦野は御免だった。

 

「ちょっとルイズ!! 朝からうるさいわよ! ……ってあんたそれどうしたの、なんでそんな格好で外出てるの!?」

「うるさいわねツェルプストー! あーもうやだやだ死にたい――――!! うーあーうーうー!!!!」

「…………」

 

 羞恥心に負けて叫びながら女子寮を走って行くルイズを、ベッドの上に横たわったまま見送った麦野は、次の瞬間ひょっこり顔を出したキュルケに言った。

 

「青春って素晴らしいわね」

「いや、明らかにそれだけじゃ片付かない様子だったけど……」

 

 お互いに肩を竦める。

 ルイズの方は、あれが恥の上塗りになって延々と羞恥心のループに入るであろうということにはまだ気付けないのだった。

 

***

 

 『幸運にも』と言っていいのだろうか、その後のルイズの痴態を見た人間はいなかった。少しして戻って来たルイズを、麦野は何も言わずに迎え入れた。それは決して無関心からくる行動ではなく、やさしさだった。ルイズはそのやさしさに少しだけ泣いた。

 ともあれ朝の支度を終えたルイズと麦野は、朝食をとってから朝の授業に臨んでいた。

 今朝の授業は風のスクエアメイジである『疾風』のギトー。風最強論を推し進めるメイジだった。

 

「風のどこが凄いのかしら。まあ、空力使い(エアロハンド)でも大能力(レベル4)にまでなれば建物を吹っ飛ばす威力は出せるけど」

「……あんたの世界って凄いのね。それ、スクエアメイジ……いや、お母様でもできるかどうかってところよ」

 

 声高らかに風がいかに最強を話しているギトーを横目に、麦野とルイズの二人は話す。

 

「まあ、アンタのところは空力使い(エアロハンド)というより風力使い(エアロマスター)って感じだしねぇ」

「……それって何の違いがあるの?」

「前者は『空気の噴出点』を作って、そこから風を吹かせることに特化したタイプ。それだけしかできないから、出力も高い。まあ、高位になると複数のベクトルの噴出点を生み出すことでもっとマクロな気流も操れるようになるんだけど」

「ぎ、ギリギリ理解できるわ」

「後者は単純に風を操るタイプ。前者がパワー重視ならこっちは精密さ重視ね。威力は十人並だけど、代わりに通常では有り得ない精密な風を起こすことができる」

「なるほど。それで、どっちが強いの?」

「どっちがどっちということでもないわ。風を操る者同士の戦いなら、どっちがより精密かつ強力に風を掌握できるかが勝負の鍵になる。つまり――」

 

 そこまで麦野が言いかけたときだった。

 

「そこ。何を先程から話している?」

 

 ギトーがそれを見咎めた。やば、とルイズは顔を顰める。

 ギトーはそんな様子は気にも留めずに続けた。

 

「授業中に私語とは感心しないな、ミス・ヴァリエール。そうだな……実技の練習だ。君の『失敗魔法』は、失敗ではあるものの周りに恐れられているほどの威力を持っているらしいじゃないか。しかも、どんな実力者でもそれを防ぐことはできない。それを撃って来い。それを風の力で防御することで『風の最強たる所以』を教えてやろう」

 

 要するに、ルイズをダシにして自分の力を自慢したいというわけだ。まあ確かにギトーはスクウェアメイジなので腕が立つのは間違いないのだが、如何せん彼には勇気が足りない。だからこうして授業という危険の少ない場で、しかも生徒という明らかな格下にしか自慢ができないのだ。この世界とは違う歴史を歩んだ場合の話だが、彼はフーケ討伐隊を募った時に怖気づいて志願する事すらできなかったのだから。

 

「せ、先生!? やめてください、そんなことは先生の為にもあたし達の為にもなりません!!」

 

 たまらずキュルケが声を上げた。

 この構図、前にもあった気がするなあとルイズは頭の隅で思いながら、どうしようか考えていた。どうせ『爆発』を使えば教室はめちゃくちゃになる。そうなれば罰掃除はルイズの役目だ。そういうのはちょっと面倒臭い。

 別にやらなくても、ルイズの名誉が貶められるわけでもなかった。何せ相手はスクウェアで、こっちはゼロなのだ。わたしなんかには到底無理ですわ、すみません授業をちゃんと聞きます――とでも言っておけば、それで丸く収まるだろう。

 キュルケにナメられているのに引き下がるのはムカつく話だったが、それに関してはあとで『ゼロの魔法なんかにビビっちゃって情けな~い』とでも言っておけば溜飲が下りる程度のムカつきだった。

 だから、ルイズは申し訳なさそうな顔を作って辞退しようとした。

 その時だった。

 

「どうした? 来ないのか? ――そういえば、君の父は騎士として名を馳せた有能なメイジだったな」

 

 その台詞は、ルイズを焚き付ける為のものだったのだろう。

 父は有能なメイジで、誇り高い騎士だったのに、その娘であるルイズはメイジとしては無能で、しかもこんな授業の軽い手合せからすら逃げ出すような臆病者なのか? と。

 事実、ルイズに対してその効果は覿面だった。

 

「――――『決闘』ですわ、ミスタ・ギトー」

 

 ルイズの表情に、『激情』はなかった。

 むしろ恐ろしく冷え冷えと冷め切った表情で、ルイズはギトーのことを見ていた。あまりの剣幕にギトーは一瞬たじろぎかけたが、そうでなくてはと思い直し杖を構えた。

 

「合図はそちらの使い魔にお願いしようか。三、二、一で開始だ」

 

 麦野はルイズの様子の変化に少し驚いていたが、肩をすくめて頷いた。ルイズがこうしたことに関して意地を張りやすい性質だということは知っていたし、止めるつもりはなかった。尤も、だからといってルイズに肩入れするつもりも全くなかったが。

 尚、自分が似たような風に侮辱を受けたなら兆倍返しで応じるのが麦野という人間である。

 

「三、二、一……――」

 

 麦野が、軽くカウントダウンをした。

 次の瞬間、ルイズは勢いよく杖を振りおろす。

 同時に、ギトーもまた呪文を発した。

 

「イル・シール・ウィンデ――『風の防壁(エアシールド)』!」

「『自動閉錠(ロック)』!」

 

 宣言通り、ギトーの前に風の壁が生まれた。

 不可視だが、叩き付けるような風で生まれた塵によって、その軌道が読める。杖を振り始めたギトーの頭の上あたりから、教壇の上まで、叩き付けるような軌道で強力な気流が生み出されているのだ。なるほど確かにその風は強く、あれならばルイズの失敗魔法による爆風も封殺できるかもしれなかった。

 

(なら――方向(ベクトル)を絞って)

 

 麦野は言っていた。

 風を操る者同士の戦いならば、より強力かつ精密に風を制御できる方が勝つ、と。ルイズは失敗魔法しか使えないが、爆風という点だけを抜き出せばこの戦いは確かに『風を操る者同士の戦い』ということになる。

 もしもルイズが、失敗魔法によって生み出される爆風の方向性をコントロールすることができるのならば。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 既に威力については強力無比の領域に到達しているルイズならば、ギトーの油断している魔法くらいなら打ち破れるのではないだろうか?

 

(爆発の範囲を、絞る。全方位に爆発させるんじゃなく、一方向にのみ爆発するように、魔法をかける範囲を『選択』して――――)

 

 そして。

 

(――――『解放』する!!)

 

 ――爆発は、起きなかった。

 

「ごっばああッ!?」

 

 生まれたのは、『爆風の槍』だった。

 ギトーが吹き飛んだのを確認したルイズは、勝ち誇ったように言う。

 

「確かにミスタの言う通りだわ。『風』は最強ね。もっとも、わたしのほうが上手だったみたいだけど」

「……なるほどな」

 

 その瞬間を、麦野はきちんと目視していた。

 ドバオッ!! という破裂音が響いたと同時に引き絞られた爆発の光と同じ方向へ、爆風が発せられる。爆風はギトーの展開する『エア・シールド』の気流のうち、叩き付けて空気の流れが乱れている教壇から少し上のあたり目掛けて突っ込んで行った。

 そこは、『エア・シールド』の中でも気流が乱れているせいで、強度の弱っている部分だった。そこに凶悪な暴風を叩き込まれたものだから、『エア・シールド』の気流はさらに乱れる。しかもルイズはその乱れすらも計算に入れて、細い細い穴を通すようにして爆発を発動させたのだ。

 結果――ギトーは、腹に拳を叩き込まれたかのような衝撃を覚え、吹っ飛んだ。

 ルイズの『爆風』の強力さと、それを制御する精密さが、ギトーのそれを上回ったということだ。

 

「……やったわ! やったわシズリ! どんなもんよ! わたしの爆発だって捨てたもんじゃないわね!!」

 

 と、ルイズは喜んで麦野に言った。

 生徒達はぽかんとした様子でそんなルイズの様子を見ていて、麦野は適当にルイズの喜びをあしらっていた。

 ちなみに、生徒達の考えは次の形で一つにまとまっている。

 

『で、この後どうすんの?』

 

 ムキになってギトーを倒したのは良い。だが彼らはルイズの爆発を恐れて机の下に潜り込んでいたので、ルイズの成長のことなど気付いていなかった。まあルイズの失敗魔法はとんでもないし、ギトー程度じゃ抑えられなかったんだろう、と思うだけだ。

 ルイズが凄いのではなく、ギトーが間抜けにも刺激してはいけないものを刺激してしまったというだけのこと。幸い被害はそこまで大きくなかったようだが、結局ルイズの爆発で授業が中断されたという事実に変わりはない――というのが共通認識だった。

 そんな風に生徒一同が途方に暮れていた、ちょうどその時だった。

 

「あやややや! 大変ですぞ!」

 

 頭にベートーヴェンみたいなカツラを被ったコルベールが、慌てて入って来たのだ。

 

「……おや? ミスタ・ギトー、それからミス・ヴァリエール……、……何となく想像はつきましたが今はそれどころではありませんぞ! 畏れ多くも先王陛下の忘れ形見、『トリステインがハルケギニアに誇る一輪の花』、アンリエッタ・ド・トリステイン王女殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされるのですぞ!!」

 

 その一言で、教室中がざわめいた。

 

「したがって、粗相があってはならないので急ですが学院が総力を挙げて歓迎式典を行います。本日の授業は中止! 繰り返します本日の授業は中止! 生徒諸君は正装の上で門に整列すること! 良いですね!!」

 

 身振り手振りでそこまで言い切ったコルベールのカツラは、大きな動作に耐えきれず、するりと落ちた。

 

「正装ってのはそのヅラも含まれているのか?」

 

 麦野がぽつりと呟いた一言で、教室は爆笑の渦に包みこまれた。

 

***

 

 その後、ルイズと麦野は門の前に移動していた。

 麦野は面倒臭いから行かない――と言ったのだが、ルイズはそれを認めなかった。一〇分ほど問答をし、引きずってでも連れて行くとすごんだルイズの気迫に押されて、渋々行くことになったのだ。

 

「しかし、何だってそんなに本気になるかねえ。王女様の歓迎なんざ他の奴らにやらせときゃ良いでしょうに。出て行ったところで覚えがよくなるのかしら?」

「わたしは、殿下が幼少のみぎりに遊び相手を務めさせていただいていたのよ」

 

 ルイズのカミングアウトに麦野はへぇ、とだけ呟いた。同年代なのなら、確かに公爵家の娘は遊び相手には適任だろう。意外と貴族らしいこともしているんだな、と平素のルイズのお転婆っぷりを知っている麦野は思ったが、実のところ彼女が見ているそれは、大部分が彼女自身への意地によって構成されているということを麦野は知らなかった。

 ルイズの方はと言うと何かと姫一行がやってくるであろう門の向こうをじっと見つめていたので、麦野は黙って物思いにふけることにした。

 考えるのは、あの爆発のことだ。

 

(確かに、前々から威力は凄まじいと思っていた。だが、あれほどの精密さがあるっていうのは全く予想外だったわ)

 

 あの爆発。

 以前やったときは、とにかく無秩序に爆風が巻き起こっていた。だが、よくよく思い返してみると、至近距離にいたルイズは爆発ですすけていた程度だったのに、遥か遠くにいた麦野は吹き飛ばされそうなほどの爆風を浴びていたし、少し離れたシュヴルーズは爆風で気絶してしまっている。

 麦野に浴びせられた爆風を近距離から受けていれば、少なくとも骨折くらいの負傷は負っていただろうに、まるで『爆風の方向性が定められている』かのように、被害に偏りがあった。思えばあの時から、既に予兆はあったのである。

 

(……ただ、それでも疑問は残る。ルイズの爆発はあくまで『失敗』の産物のはずだ)

「トリステイン王国王女、アンリエッタ殿下の、おなァァあああああああありィィいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

(『失敗』っていうのは制御できないからこそ『失敗』。爆風の『指向性(ベクトル)』を制御できている時点で、そいつは厳密には失敗じゃない。……ルイズの魔法は、本当に単なる『失敗』なのか?)

 

 王女がやってきたようだが、麦野はそれに興味を示さなかった。

 ルイズが『鳥の骨』とあだ名される枢機卿に苦い顔をし、美貌の王女殿下に真剣な眼差しを向け、それから髭ロン毛の男に懐かしそうな表情を浮かべている横で彼女の人間関係を把握しつつも、ルイズの『爆発』に隠された謎について考えていた。



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第九章

「そういえば、アンタ姫様の遊び相手がどうのとかって言っていたわね」

 

 アンリエッタ王女の歓迎が終わったあたりで、自室に戻った麦野はそんなことを言った。ベッドに腰掛けた状態のルイズはしっかりと頷く。

 

「それっきり会ってもいないけど、姫様には忠誠を誓ってるわ。わたしなりにね」

「へぇ、『ご主人様』の口から忠誠なんて言葉が聞けるとはね。てっきり我儘お嬢様で自分より上に誰かがいるのが我慢ならないタイプだと思っていたけど」

「(……どっちのことだか)」

「あ?」

「な、何でもないわー」

 

 麦野が青筋を立てて問い返したが、ルイズは知らぬ存ぜぬで通すつもりらしい。麦野は不満そうにしていたが、具体的にルイズに追及することはせずに舌打ちするにとどめた。それだけでもかなりの圧迫感をおぼえるルイズである。

 

「で、王女様はゲルマニアに嫁ぐんだったか。『ご主人様』としちゃあ複雑な心境って感じかしら? 確かゲルマニア嫌いだったものね」

「そりゃあ当然よ! にっくきツェルプストーの母国に姫様を嫁がせなくっちゃあならないなんて……! 屈辱以外の何物でもないわ! 何より、そうするしかトリステインに道が残されていないっていうのが一番悔しい!!」

「アルビオン、そろそろ本格的に陥落するものねえ……」

 

 アルビオンの情勢はいよいよ終局に向かっているらしいことが、風の噂で伝わって来るレベルだった。

 先王が死んでからというもの、新王を建てずに外様の摂政が政治を取り仕切っているというところからも分かる通り、トリステインの政治は割とガタガタである。戦争のない平和な状態だから良いものの、それがなければ今頃さくっと占領されてしまいかねないという状況なのである。

 そして、アルビオンが陥落すれば次にレコン・キスタが攻めて来るのは十中八九トリステインである。何せトリステインの先王はアルビオン国王の弟。禍根が残る上に国力に乏しいガタガタの国などさっさと攻め滅ぼしてしまうに限るのだ。

 ……正確には如何にアルビオン軍とトリステイン軍の戦力差が激しかろうとラ・ヴァリエール領にはチートキャラがいるので総力戦になれば戦の行方は分からなかったりするのだが、その前に王宮の方が白旗を上げてしまう可能性があるのが問題だった。

 

「戦争が始まったら、『ご主人様』はどうすんの?」

 

 ついでなので、麦野はかねてより気になっていたことをルイズに問いかけた。

 麦野の第一志望としては、戦争開始と共に領地に引っ込む、だ。トリステインきっての大貴族であり、ゲルマニアからも近いラ・ヴァリエールの領地は、対アルビオンの戦ではかなりの安全度を誇るだろう。魔法学院に閉じこもって敵が攻めて来るよりは、腰を落ち着けるという意味でもそうしたいと思う麦野である。

 ただ、ルイズは、

 

「学徒動員が始まるんなら、志願しようと思っているの」

 

 予想の真逆の回答を引っ張って来た。

 

「はぁ? 『ご主人様』死ぬ気?」

「まさか。確かに生き恥を晒すくらいなら死んだ方がマシだと思うけど、役に立てないような場所に突っ込んでいって死に恥を晒すのも御免だわ。……わたしの爆発魔法、スクウェアメイジのミスタ・ギトーだってやっつけれたのよ。軍隊の中で組み込めば、きっと役に立つと思うの」

「あんな『おままごと』と戦争を一緒にするなよ……」

 

 麦野は飽きれて頭を振ったが、ルイズは聞いていないようだった。

 どうやら、ギトーを倒してしまったことでルイズの中に過剰な自信が芽生えてしまっているようだった。

 

(まあ、無理もないか。今までゼロだなんだと言われてきた落ちこぼれが、そのゼロお得意の爆発でスクウェアメイジに一泡吹かせたんだから。それも自分の創意工夫でな。欠けていたピースが嵌ったとか、今の自分なら何でもできるとか、そういう根拠のない『力が湧き上がる感覚』に突き動かされても仕方ないわね)

 

 結果としてルイズはこれ以上ない程の犬死を晒すだろうが、そんなことはやっぱり麦野には関係ない。まだ『〇次元の極点』も見いだせていない段階でルイズに今死なれるのも困るが、戦争が始まるまではまだあるだろうし、何より行くと言ったところでルイズの親がそんなことは認めないだろう。そんな意味のない仮定で言い争っても仕方がないという気持ちもあった。

 

「おままごとって、そういうあんたは戦争を経験して……、そうよね……」

 

 間違いだがあながち間違いとも言い切れない勘違いをしているルイズをよそに、何となくやる気が失せてベッドに横たわり始めた麦野。ぼうっと扉の方を見ていると、ふとノックの音が聞こえた。

 初めに長く二回、続いて短く三回。

 ルイズがはっとしたように顔を上げたが、裏稼業に長く身を置いていた麦野もまた気が付いた。この手の『おかしなノック』というのは……、

 

「『符丁』か」

 

 そう言うと同時に、扉が開いた。

 黒フードの少女が部屋の中に入って来て魔法探知(ディテクトマジック)を発動するが、ルイズも麦野もそれを咎めることはしなかった。ルイズはその符丁で、麦野はフードの除く顔の下半分で、入って来た人物が誰か既に理解していたからだ。

 

「……どこに目や耳があるか分かりませんからね」

 

 突然の魔法を弁解するように、少女が言う。

 少女がフードを外す。

 同時に、ルイズは恭しく膝を突いた。

 

「お久しぶりです、姫殿下!」

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 にこりと、アンリエッタ王女は人好きのする笑みを返した。

 

***

 

第九章 王女密命 Hard_Mission.

 

***

 

 アンリエッタに一見して非常にお淑やかな印象を受けた麦野だったが、それはどうやら間違いであったと次の瞬間に思い知らされた。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」

 

 膝を突いたルイズを抱きしめるように、アンリエッタが飛びつく。思わずよろめきかけたルイズだが、寸でのところで体重を支えてベッドの上に座った。麦野はさっさと立ち上がって部屋の外に出ようとする。

 

「あれシズリ、どうして出て行こうとするの?」

 

 大方平民の使用人だろうと判断して()()()()()()()()()アンリエッタはそれを普通に流していたが、ルイズの方が気になって呼び止めた。そうなるとむしろ、怪訝に思うのはアンリエッタである。貴族の常識では、基本的に使用人は『いないものとして扱う』のがマナーだ。ルイズは上流階級の人間なのだし、そういったセオリーを考え無しに外すとは思えない。

 

「ルイズ? この方は?」

「私の使い魔です、殿下」

 

 まあ! とアンリエッタは驚きの声を上げた。

 

「使い魔? 人にしか見えませんけど」

「人の使い魔なんです」

「そうなの……ルイズ、あなたって昔からどこか変わっていたけど、相変わらずみたいでちょっと嬉しいわ」

「…………、」

 

 天然なのだろうが、あまりほめられた気がせずに微妙な顔で黙り込んでしまうルイズ。それはさておき、アンリエッタの方はルイズの方を使い魔としてその場にいるものと『意識した』ようだった。

 

「積もる話もあるでしょう。私は退室しておくわ」

「いえ、使い魔とメイジは一心同体。貴方が気にする必要などないのですよ」

「それだけじゃないわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 暗に盗聴の危険性を示唆した麦野の言を尤もととらえたのか、アンリエッタはそれ以上何も言わずに頷いて微笑んだ。こうして見るとなかなかどうして『嫌悪感』という感情の抱きにくい少女だ、と麦野は思う。この少女自身の人柄がどうこうという印象を無視して、第一印象が最低限でも『嫌いじゃない』という方向に持っていかれる――といえばいいか。仕草、視線、声色、語調、ありとあらゆるものが『誰にでも好かれるアンリエッタ王女』という人物像を生み出しているかのようだった。

 

(おそらくは『養殖』だけどね)

 

 そしてそれらは、王女への教育の中で培われたものだろう――と麦野は分析する。

 数年前までトリステイン国王は健在だった。なら、王女に施されるのは帝王としての『人を支配する方法論』ではなく寵妻としての『愛される方法論』であるはずだ。

 ただ。

 

(私に苦も無くそれを分析されちまっているあたり、アイツの中で何かしらの『バグ』が発生しているようだけどね)

 

 そんなことを思いつつ、麦野は扉を開けた。

 扉の横に、金髪の少年が物凄い冷や汗を流しながら座り込んでいるのを見た。

 

「…………」

「…………」

「あの、」

「喋るな」

 

 バダン!! と扉を閉じ、麦野は金髪の少年――ギーシュの胸ぐらを掴み上げた。

 

「(チャンスを三回やる。大きな声を出すな。テメェ、一体どこの誰だ? 学院の制服を着ているようだが、どこかの密偵か?)」

「(いや、ぼくは、ギーシュ・ド・グラモ、)」

 

 ドゴォ!! と麦野の拳がギーシュの腹に叩き込まれる。

 一撃でグロッキーになってしまったギーシュの胸ぐらを掴んだまま、麦野は能面のように感情を表に出さない表情でさらにギーシュに問いかける。

 

「(あと二回。テメェはどこの誰だ? ヒント・私は偽名かどうかも判別できない名前を聞きたい訳じゃない)」

「(ぁ、ぐぁ、ぐ、グラモン家の末弟、)」

 

 ドバグシャ!! と麦野の膝蹴りがギーシュの腹に叩き込まれる。

 非常に情けない顔面になっているギーシュのことを完全に無視し、麦野は今度は掌をギーシュの顔に翳しながら問いかける。

 

「(あと一回。テメェはどこの誰だ? ヒント・私は私の記憶にない、捏造かどうかも判別できない所属を聞きたい訳じゃない)」

「(ふ、不条理すぎる!! そんなの証明しようがないじゃないか!)」

「(ゼ、)」

「(あ、そうだあれだよあれ浮気して恋人二人にビンタされた生徒!! その後君に声をかけただろ!?)」

「(そういえばそうだったな)」

 

 もう貴族の矜持とかそういうの全部放り投げて言うギーシュに麦野はそう言って、あっさりと解放した。

 当然のことだが、麦野は別にギーシュのことなど密偵とは思っていなかった。相手はルイズの学友として散々授業に参加し、『ゼロ』のルイズだなんだと煽っていた生徒である。忘れる方が難しい。

 今の所業は、ただ単に覗き見しにきた馬鹿なピーピングトムを懲らしめる為の芝居である。

 ただ、そんなことはギーシュには分からない。解放されたギーシュは非常に恐縮した様子で、

 

「(そ、それで、ぼくはこれから一体どうなるんでせう……?)」

「(別にどうも。ただ機密の問題もあるから、ルイズの部屋にやって来た『お客様』が出て行って安全の確認がとれるまでは私がアンタの身柄を拘束する)」

「(わ、分かった)」

 

 意外と仕事人めいた麦野の台詞に、ギーシュは素直にうなずいて指示に従うことにした。

『やっぱり何だかんだ言ってルイズの護衛という使い魔の役割はしっかり果たしているんだなあ、いやあこの使い魔を御するなんて「ゼロ」も意外と凄いな』なんて考えていたギーシュだったが、ふいに麦野に話しかけられたので意識を浮上させる。

 

「(ごめん、聞いていなかった)」

「(チッ、もう一度言うわよ。アンタは一体どうして女子寮なんかに忍び込んだ? 男子生徒が女子寮に入り込もうものなら、袋叩きの憂き目に遭うって話だったと思うけど)」

「(それは、あれだよ。夜風に当たっていたらアンリエッタ姫殿下の姿が見えたものだから、ぼかぁ悪いと思いつつついつい花の蜜に吸い寄せられる蝶のようにふらふらと……)」

「(……分かり切ってはいたが、あの馬鹿王女、防諜対策もとっていなかったのか……)」

 

 麦野はギーシュにも分からないくらいの声色で呟いて天を仰ぐ。同時に、不穏な物も感じていた。単にルイズとお忍びで会いたいだけなら、行幸に来るくらいだしルイズを呼び出すなりして、防諜対策もとらないくらいの『お忍び』をする必要はないはずだ。

 そうせざるを得なかったということは、王女自身が他の誰にも話せないくらいの秘匿レベルを持った情報をルイズに打ち明けたいのではないだろうか。本人にその意思がなくとも、心の何処かで打ち明けたいと思っているかもしれない。あれでルイズはそういった感情の機微に鋭いところがあるから、もしかしたら掘り出さなくても良いものを掘り出してしまうかもしれない。

 そう思い耳を澄ませていると、ちょうど部屋の中では話題が変わったところだった。

 

『……ルイズ。わたくし、結婚するのよ』

『ゲルマニア皇帝と、ですね?』

『ええ。それ自体は、良いのです。割り切れている訳ではありませんが……もう、諦めました』

『諦めた……?』

 

 ルイズはアンリエッタの物言いに怪訝な表情を浮かべたようだったが、それは麦野も同じだった。

『諦めた』。それはおよそ他国に嫁いだり、国内の有力貴族と婚姻を結ぶのを前提とした教育を受け、価値観を形成された姫が言う言葉ではなかった。

 そんな二人の心など露知らず、アンリエッタは続ける。ちなみに、ギーシュの方は目と耳を固く塞げ、さもなくば殺すという麦野の有難いお言葉を最後にあらゆる音をシャットダウンしていた。『風力防音(サイレント)』を使えばよさそうな話ではあるのだが、残念ながら麦野は話の内容を盗み聞きしたいのでそれはダメなのだった。

 

『トリステインがアルビオンで革命を起こしている不埒者に対抗するには、もはやこの婚姻による同盟しかないのです。わたしも王女。祖国の為ならこの身の一つくらい投げ出す覚悟はできています』

『…………、』

『……ですが……風の噂によると、トリステインとゲルマニアの同盟を破談にしようと画策している勢力もあるとか』

『! そ、それは……! で、ですが殿下。そうそう簡単に同盟を破談に出来るような材料など……』

 

 ルイズのその発言に、アンリエッタは答えなかったようだった。

 沈黙が、その場を支配する。

 麦野とルイズは、殆ど同時に同じことを思った。

 

(……あるのね……)

 

 アンリエッタは気まずそうに、続けた。

 

『じ、実は……わたし、アルビオンのウェールズ殿下と手紙を交わしていたの』

『ウェールズ殿下? あのプリンス・オブ・ウェールズですか?』

『ええ……』

『ですが、恐れながらそれだけで同盟を脅かすようなものはないのでは? 過去に殿下がどんな……その、恋愛をしていても』

『それが……わたくしはその手紙の中で、始祖への愛を誓ってしまっているのです』

『な、なんですって!?』

 

 それこそ、ルイズは声量など気にせずに声を上げてしまった。扉そのものに防音性能がなければ、学院中に声が響き渡っていたかもしれない。

 

『これがもしも貴族派の手に渡ってしまえば、同盟はご破算。わたしの不始末だとは理解しているのですが、枢機卿に相談しようものならこれ幸いとわたしは様々な制約を課せられてしまうに違いありません。彼はあくまで他国の人間……これ以上弱みは作れません。宮廷貴族は誰もかれも自分の事ばかりで、このことを相談できそうな人などいなく……』

 

 弱弱しく言うアンリエッタに、ルイズは暫し何事かを考えていたようだった。

 しかし、やがて口を開く。

 

『……殿下。その手紙の件、このルイズ・フランソワーズにお任せいただけないでしょうか』

 

***

 

「随分大きく出たものね」

 

 アンリエッタが部屋を辞したのち。麦野はルイズの自室に戻っていた。

『おともだち』を戦場に送ることなどできない、と言うアンリエッタに対し『わたしは今日授業の中とはいえスクウェアメイジにも勝利しました!』という一言で信頼を勝ち取ったルイズは、アンリエッタから受け取った手紙と指輪を机の上に置いて向き直る。

 ちなみにギーシュは話が続いているうちに箕牧にして女子寮の前に捨て置いてある。おそらく明日は風邪だが、それは気にしてはいけない。

 

「アルビオン――今は戦争中よ。本気で向かうつもり?」

「わたしは戦争をしに行くんじゃないわ。ちょっとニューカッスル城まで行って手紙をもらって帰るだけよ」

「その『ちょっと行って帰るだけ』がどれほど難しいか、自覚はあるの?」

「あるわよ。わたしだって、使い魔の諫言を忘れるほど愚かじゃないわ」

 

 憮然とした表情で、ルイズは麦野に言い返した。

 

「ニューカッスル城にはまだ兵士の世話をする為の非戦闘要員がいるはずよ。そして、その非戦闘要員まで討死させることはない。おそらく最終決戦の前に逃走用のフネを出すはずね。それに乗れば脱出は可能」

「……、」

「つまり、この時点で『帰り』は解決する。問題は『行き』だけど……」

 

 とルイズはそこまで言って一呼吸し、

 

「ニューカッスルを包囲しているとはいえ、貴族派の軍勢が常に包囲網が完璧とは思えないわ。だって既に勝ち戦だもの。そんな戦いに労力を割くとは思えない。夜の闇に乗じてなら、包囲網だって抜けられるはずよ。アルビオンの入り口スカボローからニューカッスルまでは、馬で一日だもの」

「死ぬわね」

 

 朗々と説明するルイズに、麦野はばっさりと一言で断言した。

 

「何でよ!? 筋は通っているでしょう!?」

「筋が通っている以前の問題よ。アンタは殺し合いを知らなすぎる」

「どういうこと?」

「この間酒場に行ったでしょう。虚無の曜日のことよ」

「ええ、行ったけど……」

「あの時、酒場の客の何人かがアルビオンについて話していたわ。アルビオンは傭兵にとって良い稼ぎ場らしいわね」

「……だったらどうしたの?」

「傭兵っていうのは、別に王国に仕える軍隊じゃないって話よ」

 

 麦野は思い返す。

『アイテム』は学園都市直属の非公式部隊だった。『仲介人』を通して依頼を受け、それをこなすだけだったが、何回か傭兵を雇って共に仕事をしたこともある。

 そうした傭兵は、決まって仕事以外にも『余計なこと』をするものだ。傭兵の性根が須らく腐っているというわけではなく、そうでもしないとやっていけないのである。依頼を忠実にこなすだけでは、報酬以外の何物も得られない。それでは次の仕事に結びつかない。だから、多少の命令違反をおかしてでも知ってはいけない情報を盗み見たりして、それを起点に次の仕事を掴んでいく。そういう賢さがないと、傭兵稼業はやっていけない。

 情報だけではない。その場にある金品や武器などの技術だって『収穫』だ。そういった『火事場泥棒』も、傭兵として生き残る上での大事なコツだったりする。

 尤も、麦野達『アイテム』の仕事にはそういった『余計な事』をする馬鹿の始末も含まれていたりするのだが。

 

「傭兵が仕事通りに所定の位置にいると思ったら大間違い。実際には、そのへんで略奪なりなんなりしているはずよ」

「そ、そんな……!?」

「通常なら包囲網に穴が出来てラッキーってところでしょうね。でも、アンタは包囲網の『隙間』を抜けるように動くつもりでいる。もし、運悪く傭兵とかち合ってしまったら? その時点でアンタはゲームオーバー。……最高に運任せなギャンブルになると思わないかしら」

「…………、」

「私はアンタのギャンブルに付き合うほど親切じゃないわよ」

 

 麦野は切り捨てるように言った。

 

「……それは、分かっているわ。わたしだって、あんたを引き連れていくつもりはなかったし」

 

 このルイズの言葉は事実だった。というか、麦野の力をアテにするんならわざわざ小難しい理屈など用意せずとも『正面突破』で片付く話である。

 一方、麦野は『マズイ』と思っていた。

 先程も言った通り、まだ『〇次元の極点』は見いだせていない。この世界にある環境では、研究の完成まで最短でも二、三年。長ければ四、五年はかかるかもしれない。完成の前にルイズに死なれては、麦野はラ・ヴァリエール公爵家とは何の縁もゆかりもない状態となってしまい、この世界に留まるのを決意した理由の一つである『かなり高水準の生活レベル』が満たせなくなってしまう。

 完成さえすればルイズなどどうなっても良いが、完成するまでは死んでもらっては困る。

 それに何より、そうした単純な利害を除いても、ルイズの『爆発魔法』には興味があった。

 

(この世界の方式……『四大属性』については期待外れだったが、ルイズの失敗魔法は失敗とは言い切れない、それでいて四つの系統から外れた『何か』がある。もしかしたら、これも『〇次元の極点』に応用できるかもしれないし、こんなつまらないことで失いたくはない……)

 

 そこまで考えた麦野は『はぁ』と観念したような溜息を吐いた。

 

「……何よ? 力づくで止めようっていうの?」

「逆よ、逆。私もついて行くわ」

「……………………………………………………………………………………どういう風の吹き回し?」

「そんなに意外かよ」

 

 麦野は肩を竦めて、

 

「アルビオンに行った場合のリスクと行かなかった場合のデメリットを考えたのよ」

 

 とだけ言った。

 ルイズも麦野の強さは知っているので、それで納得したらしかった。話が一区切りついて、麦野は机の上に置いてある青い宝石の指輪を見た。視線の先にある青い宝石は、宝石のはずなのに液体の様にゆらゆらと不定形に光を反射している。

 

「そういえば、さっきのやりとりで指環をもらったとか言っていたわね」

「ええ。『水のルビー』。正真正銘始祖の時代から伝わる国宝よ」

「……始祖の時代から伝わる国宝、ね……」

 

 確か、路銀に困ったら売り捌け、とか言っていたような気がしたが……と麦野は思う。

 ただ、その表情には単純な呆れ以外の感情も滲み出ているようだった。



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第一〇章

 翌日、朝。

 

「……ねえシズリ、もう出なくて良いの?」

 

 既に日が昇っているのに動こうとしない麦野に、不安そうにルイズが問いかける。麦野の方はと言うと、そんなルイズのことは無視して爪を磨いている有様だった。

 

「ねえ、シズリ?」

「どうせ今日出たとしても、スヴェルの月夜の翌朝まで足止めを食うことになるんだから無駄よ」

 

 麦野は適当に答えた。

 スヴェルの月夜というのは、二つの月が重なる夜だ。この日の次の早朝に、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく。麦野は、月が二つ重なることで月の引力が弱まり、結果としてアルビオンの高度が下がるのだろう、と考えたが、ハルケギニアの人々は精々『満月の夜は潮が高くなる』程度の経験則でしか現象を理解していないだろう。

 

「スヴェルの夜は、確かにアルビオンが一番近くになるけど……」

「効率の問題っていうヤツよ。フネを動かすのにだって燃料は要るわ。確か、風石だっけ? あのコッパゲから聞いたけど、フネの出航は大体がスヴェルの月夜になるらしいの。今から行っても現地で一日足止めを食うことになる。私は、なるべく快適な環境で過ごしたいからね」

「それもそうね……」

 

 と言う訳で、アルビオンへの旅は明日出発という運びになるのだった。

 なあんだ、ということで一気に気を抜いたルイズに、麦野は相変わらず爪を磨きながら問いかける。

 

「で、行かないってことはアンタには授業があるって意味なんだけど、そこんところちゃんと分かってる?」

 

 当然、だらけていたルイズは飛び起きて授業の準備を始めたのだった。

 

***

 

第一〇章 婚約者は近衛騎士 Knight_the_"Flash".

 

***

 

「ルイズ」

 

 授業の途中の移動時間。

 塔と塔の間の中庭を歩いていたルイズは、後ろから声をかけられて振り向き、そして絶句した。

 そこにいたのは、立派な髭を蓄え、帽子を目深に被った貴族の青年が佇んでいた。腰にレイピアを差しているのは、魔法を旨とする貴族にしては珍しく、彼が騎士団に所属していることを示していた。

 ルイズは、驚きつつも恥じらいを見せる、彼女らしくない声色で言う。

 

「ワルド、さま」

 

 ワルドと呼ばれた貴族の青年は、その言葉ににっこりと笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだね、ルイズ。僕のルイズ……」

 

 そっと抱き留めようとされ、ルイズは静かにその胸板に手を押し当てて距離を取った。やんわりとした拒絶に苦笑しつつ、ワルドは再度ルイズとの距離を測り直す。

 

「長い間きみを放っておいてすまなかった。一刻も早く貴族として、騎士として、高みに上ることできみと釣り合うだけの人間になりたかったんだ」

「釣り合うだなんて、わたしの方こそワルドさまと釣り合いのとれる貴族じゃありませんわ」

 

 ルイズは気まずそうに眼を逸らし、そう言った。

 ルイズとジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは、互いの両親が約束した婚約者同士だった。

 もっとも、両親が酒に酔った席で適当に交わした口約束である、という但し書きはつくが。

 

「ところで」

 

 ルイズは、そう言ってそれまでの流れをすっぱりと断ち切った。そのあまりにドライな態度に、ワルドは一瞬目を瞠る。ルイズという少女は、こんなにあっさりとした性分だっただろうか? 彼女ならば、自分が現れた瞬間にそわそわしそうなものだが、まるで別のところに執着しているせいで、他のものへの関心が薄れているような態度だ。

 

「ワルドさまは、どうして此処に?」

「姫様の行幸は知っているだろう? 僕のルイズ」

「そうではなく、わたしのところへやってきた理由ですわ、ワルドさま」

「ああ、僕のルイズ。やはり放っておいたことを怒っているんだね? 婚約者のいる学院にやって来たんだ。挨拶の一つどころか、今日一日くらい一緒にいようと思うのが当然じゃないか」

 

 そう答えるワルドだったが、ルイズは俄かに納得していなかった。彼の言うように、婚約者なのに今まで連絡の一つもよこさなかったことに不満がある……訳ではない。ワルドには憧れているし、彼女の初恋は間違いなく彼だったが、現在進行形で麦野にお熱(認めさせる、という意味でだが)でそっちに情熱が割かれているルイズとしては婚約なんて『酒の席で適当に交わした口約束』でしかないと思っていた。

 というか、実際ワルドだってそう思っていたはずだ。正式に婚約者として振る舞いたいのなら、文通すらしないというのはまずもってあり得ない。何年も放っておくなど、それこそ婚約破棄されても文句は言えない所業である。

 つまり、必然的に、ワルドは婚約したという立場を無理やり使ってルイズに近づきたがっている。

 

(……って考えるのは、ちょっと穿ちすぎよね……。シズリの影響、受けすぎかしら)

 

 そこまで考えて、ルイズは肩を竦めた。流石に、そこまで疑いの目を向けるにはルイズは純粋過ぎた。

 

「……まあ、それもあるんだがね」

 

 ワルドはルイズが納得していないのを理解したのか、肩を竦めるように言った。

 

「ルイズ。きみは昨日、姫様から密命を受けたね?」

「っ、な、なんでそれを?」

「流石に、姫様も学生とその使い魔だけでは心もとないと考えたのだろう。さりとて大人数を護衛に起用すれば姫様の守りが脆くなるし、何より目立つ。そこで、魔法衛士隊の隊長にして一番の腕利きである僕が護衛として選ばれたと言う訳だ。勿論、任務も理解している」

 

 ワルドはあくまで圧迫感を感じさせないように、にっこりと笑った。

 

「ところが、きみたちは日が昇っても動き始めようともしない。これはおかしいと思って、旧交を温めるついでに確認をとろうと思ったのさ」

「まあ、そういうことだったんですね」

 

 あくまで『旧交を温めるついで』なのが、ワルドの優先順位を感じさせる。あるいはリップサービスだろうか。軍人としては任務優先だが、ルイズの覚えを良くしたい今は嘘も方便ということなのだろう。ルイズはそんなことには気付かずにこっくりとうなずいた。

 

「ええと、シズリが……わたしの使い魔が、フネはスヴェルの月夜の翌朝にしか出航しないから、急いでも無駄だって言ったんです。わたしも、下手に早く出発したらその分わたし達の存在が露見する危険があるから、ギリギリまで出発しないでいようと思ったの」

「なるほど。僕のルイズは非常に賢いようだ。……って、使い魔? 使い魔が、その情報を教えてくれたのかい? きみの使い魔は韻獣か何かなのかな」

「いいえ、人間ですわ。ええと、とてもすごい、賢い女性なの」

「……へえ」

 

 その言葉に、ワルドの目が光った。

 

「なあ、僕のルイズ。よければ、僕にきみの頼りになる使い魔を紹介してくれないか。婚約者がどんな使い魔を召喚したのか、気になるんだよ」

「ええ、良いですけれど……」

 

 授業がある、と言いたいルイズだったが、優先順位はどう考えても授業よりワルドの方が上だった。後で先生に届け出を出そう、と思いつつ、ワルドの申し出に頷いた。

 ワルドは、その言葉を受けてぱっと顔を明るくさせた。この時点のワルドは、賢い女性と聞いて、きっと図書館勤めの司書やアカデミーの研究者のように物静かで知性的な女性を想像していた。

 もっとも、その想像は出会って一瞬で叩き潰されるのだが。

 

***

 

「あら、ルイズ。授業はどうしたの?」

 

 シエスタに自室まで紅茶を運ばせていた麦野は、そう言って突然帰って来たルイズに問いかける。まるで部屋の主の様に悠々と腰かけている麦野の傍らには、シエスタが楚々とたたずんでいた。服装さえもう少し煌びやかだったら、女領主とそのメイドというタイトルがぴったりと当てはまっていたことだろう。

 

「あ、の、ねえ。シズリ、何であんたはわたしの部屋でそんなに寛いで紅茶を飲んでいるのかしら?」

「何でって、アンタが留守の間私がこの部屋をどう使おうと私の勝手じゃない」

「勝手じゃないわよ!! 此処、わたしの部屋、あんた、居候!! 主格はわたしにあるの! そこんところ取り違えるんじゃないわよ!!」

「はいはい。シエスタ、紅茶ありがとうね。おいしかったわ」

 

 憤慨するルイズだったが、麦野は完璧にスルーして空のコップを恐縮してしまっているシエスタに渡し、そのまま退室させてしまう。あまりに鮮やかだったので、ルイズは麦野の暴挙を注意することなくただ従っていたお馬鹿なメイドに一言お叱りの言葉を入れることすら忘れてしまっていた。

 せめて『あんたもね、シズリの言うことに逆らうのは大変だと思うけど、注意の一つくらいしてくれないと困るのよ!』くらいは言っておかないと貴族の面目というヤツが立たないのに、本当にこの使い魔の前では貴族社会のルールとかめちゃくちゃになるな……とルイズは思う。下手をすると立場が逆転してしまっているのでは? というくらいに麦野の傍若無人っぷりが板についているのも問題だった。

 

「え、ええと、君は……」

「そういや『ご主人様』。こっちにいる殿方は? 女子寮ってのは男子禁制だって話だったわよね」

「特例よ。この方、わたしの婚約者。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド卿よ」

「へえ、婚約者……、……婚約者ぁ?」

 

 これにはさすがの麦野も目を丸くした。

 そういえば前日の歓迎の折にはこのヒゲロン毛に何やら真剣なまなざしを向けていたので、何かしらの面識はあるものと思っていたのだが、婚約者とは流石に思っていなかった。

 

「このヒゲが?」

「ちょっとシズリ、失礼よ!」

「は、はは。良いよ、気にしないで。僕はそういったことにはあまり頓着しない性質だからね」

 

 苦笑いしながらのワルドだったが、その佇まいにはやはり警戒の色が宿っている。彼は武人だ。麦野が只者ではないと、一目で見抜いたのだろう。

 

「そりゃどうも。私がコイツの使い魔。シズリ・ムギノよ。よろしくワルド卿」

「ああ、よろしく。……しかし、人が使い魔とはね。僕も初めてお目にかかるよ」

「よく言われる」

 

 麦野は適当に言って、席を立とうとした。

 

「どこに行くんだね?」

「婚約者と一緒なんだ。積もる話もあるでしょう? お邪魔虫は散歩でもしていようと思ってね。あ、でもベッドは私も使っているから、妙な事には使わないように」

「ばッ、ばッ、馬鹿ッ、わっ、わわわわわわたしたちまだ結婚もしてないのにそそそそそそそんな!?!?!?」

「いや、実を言うと、僕がルイズの部屋に来たのは君と話がしたかったからなんだ。僕は姫殿下から君たちの護衛をするように言われていてね。スヴェルの月夜のことと言い、僕でも知らないような知識を持っているから、興味を惹かれたんだよ」

「私のは受け売りよ。学院の教師に詳しいヤツがいただけさ」

 

 そう言うが、引き止められるのであれば麦野が出ていく理由もないということで、ベッドに腰掛ける。ルイズもその隣に座り、代わりにワルドが椅子に座った。ただ座るだけでも絵になる男だった。

 

「君は、どこから来たんだい? 変わった服の着方をしているが……」

「辺境。これはそこの文化よ。東方と言ったら分かりやすいかしらね?」

「なるほど、東方――ロバ・アルカリ・イエか……」

 

 麦野はしれっと嘘を吐いたが、ワルドがそれを見破ることはできなかった。ルイズの方も、言って分かるような話ではないと思ったのであえてワルドには説明しない。

 

「……ところで、先程から気になっていたんだが、そのルーン」

 

 そう言って、ワルドは麦野の左手を指差した。

 ああ、これか――と麦野は手を翻してみせる。彼女の手の甲には、召喚の際に刻まれた文様があった。

 

「そういやあ、乙女の柔肌に疵をつけてくれやがった礼をしていなかったわねえ、『ご主人様』?」

「うっ……、じ、時効よそんなの」

「……、時効ねえ。まあ良いわ。それでワルド卿、このルーンがどうかしたか?」

「ハハ、あまり僕の婚約者を虐めないでくれよ。……それでだね、僕の知識が正しければ、それはひょっとして『ガンダールヴ』のルーンじゃないかなと思うんだが」

 

 そう言うワルドに、麦野とルイズは互いに顔を見合わせた。ルイズは博学なので『ガンダールヴ』が何なのか知っているが、そもそも麦野は『ガンダールヴ』が何かすら知らない。社会の仕組みについてはコルベールに事細かに聞いたが、昔話になど微塵も興味が湧かなかったので知らなかったのだ。

 

「ガンダールヴってのは?」

「伝説に登場する『始祖の使い魔』よ。始祖ブリミルは四人の使い魔をしたがえていたの。ガンダールヴは神の左手。あらゆる武器を自在に操って始祖ブリミルを守ったって言うけど……」

「おや、もしかして知らなかったのか」

「ええ。初耳ね。しかし、あらゆる武器を自在に操るとは……」

 

 あながち、間違いではないかもしれない。麦野は銃も使えるし、膂力があるからハンマーや剣も振るえる。学園都市の精密兵器を扱うことだって、できなくはない。

 ただ、いかんせん原子崩し(メルトダウナー)のある麦野には意味のない話に思えた。というか、それを抜きにしても麦野は徒手空拳の方が得意な人間である。

 

「君が女性でなければ、手合せを願ったんだけれどね。流石に、武人としての好奇心があるとはいえ女性に勝負を挑む訳にはいかない」

「あら? 私は良いけど?」

「君が良くても僕が駄目なのさ。婚約者の前で負けてしまっては格好がつかないだろう?」

 

そう言って、ワルドは片目を閉じて肩を竦めて見せる。そのひょうきんな動作に、ルイズは思わずぷっと笑ってしまった。

 

「それはそうと、出発は明日にするとルイズから聞いたが」

「向こうで一日待機なんてやってられないからね」

「良いのかい? ラ・ロシェールまでは普通は馬で二日かかるほどの距離だ。休まず走れば一日で着くが、かなりの疲労になる」

「強行軍による疲労のリスクと任務がバレるリスク、どちらをとるかと言われれば私は強行軍をとる。それにワルド卿、アンタの使い魔がいれば問題はないんじゃないかしら」

「……おや、何でそう思う?」

「魔法衛士隊グリフォン隊隊長。昨日グリフォンを連れて行幸に付き添っていたのを私は見ている。まさか乗せて行ってくれないなんてケチなことは言わないわよね?」

「目敏い女性だ」

 

 ワルドは静かに笑みを浮かべる。定員は二名程度だが、小柄な体型のルイズと女性である麦野くらいなら、乗せることは容易だろう。そしてグリフォンならば、休憩を挟んでもその日の夕方にはラ・ロシェールに着く。

 フネの手配などで手間取ればかなりロスすることになるが、麦野は勿論ワルドも、この手の交渉事を失敗させるほど口下手ではない。

 

「君は、召喚される以前何をしていたのかな」

 

 すう、とワルドはそう言って麦野の瞳を覗き込んだ。

 その表情に、遊びの色はない。ルイズは、そのワルドの真剣さを見て、麦野の態度がカタギではないと判断して警戒しているのだろうか、と思った。現にタバサやコルベールといった、戦いの心得がある人間はみなそうしていた。ワルドだって同じようにするだろう。

 

「傭兵のお仲間みたいなことですわ。卿が聞いてもあまり面白い話ではないかと」

 

 そんなワルドをおちょくるように、麦野は手を振って応える。突き放した態度にワルドは僅かに眉を顰めるが、あまり言いたくないことなのだろうと判断してそれ以上の問いかけをやめた。

 

「僕は、君に感謝したいんだ、ミス・ムギノ。君のお蔭で、僕のルイズはとても成長したらしい。元々素直で勇気のある素敵な女性だと思っていたがね。婚約者として素直に喜ばしいことだと思う」

「だそうね、ルイズ」

「……、……ねえ、ワルドさま。それをわたしの前で言って、わたしにどうしてほしいんですか?」

「おっと、これは失礼したね。ルイズが照れ屋だってことをすっかり忘れていた」

 

 ワルドの台詞に、ルイズは本格的に顔を赤くして何事かを喚くように叫びたてる。

 麦野はあーあと耳を塞いでベッドに倒れ込み、ワルドは笑いながらそんなルイズに対応する。

 実に微笑ましい光景が、そこにあった。

 

 その裏で、麦野は冷徹に思考を進めていく。

 

(伝説の使い魔のルーン、ねえ。四大系統のセオリーから外れた魔法を使うメイジと、それに召喚された異世界の住人。そしてその使い魔に刻まれた伝説の使い魔のルーン……はてさて、この三つ、どんな因果関係があるのかしらね?)



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第一一章

 ルイズ一行が学院を出発したのは、その日の真夜中のことだった。

 本当なら早朝まで仮眠でも取っておくべきだったのだが、早朝出発では他の生徒に出立を感づかれる恐れがあるということで、深夜全員が寝静まった後の出発ということになった。……特にルイズの向かいの部屋であるキュルケは勘の鋭い人間だし、ルイズがお忍びで外出なんてことを知ったら追いかけて来るだろうことは容易に予想できた。

 

「ねむい……」

「だから日中のうちに仮眠をとっておけって言ったのに」

「真昼間から寝られるわけがないでしょ!」

「……こんなに姦しくては夜も早朝も関係ないと思うんだがね……」

 

 そんなこんなでグリフォンに乗り、空の旅。

 尚、原作において登場していた物盗りの襲撃は、予定がズレたことや麦野レベルの頭脳の持ち主に嗾けたりしたらそこから首謀者に行き着かれるリスクがあったので、今回の歴史では消滅していた。ワルドも藪をつついて蛇を出す馬鹿ではない。

 グリフォンを駆るワルドのすぐ後ろで、ルイズを抱えた麦野が乗るという姿勢だ。最初はワルドが抱える役を申し出たのだが、結婚前の若い二人がそんなことしてはならないと固辞したので、仕方がなくこういう形になっていた。ちなみに、麦野は小柄とはいえ自分の膝の上に人を乗せるなんて嫌なのでけっこう渋々である。

 

「綺麗ねぇ、わたし、こんな高いところからの景色は初めてだわ」

「そう言ってくれると光栄だよ。まあ、暢気に遊覧飛行なんてしてもいられないのが残念なんだけどね」

 

 あたりはすっかり真っ暗だった。とはいえ、月明かりや星の明かりがある為、視界が悪いということはない。元の世界では排気ガスなどで見えづらくなっていた星空だが、未だ機械化の進んでいないこの文明世界では、ほぼ原初の通りの姿を残していた。

 

(そうえば、この世界に星座はあるのかしら?)

 

 ふと、麦野は疑問に思った。元の世界では、確か『星座を用いた魔術』というのも存在していた、という話を聞いたことがある。……暗部の噂でしかなく、〇次元の極点の為に行動していたあの一連の事件で魔術に触れて初めて事実だと気付いたのだが、大覇星祭では星座――正確には星空一面の星の並びだが――を用いて、学園都市を支配しようとした魔術師もいたらしい。

 

「ねえジャン、方角は大丈夫?」

 

 ルイズが、ワルドにそう問いかける。

 今日一日で、ルイズはだいぶワルドと打ち解けていた。『ワルドさま』なんて他人行儀な呼び方ではなく、ファーストネームで呼んでくれ――と言うワルドに対し、自分を過度に子ども扱いしないという条件を提示したうえで応じたルイズは、今は級友たちと接するのと殆ど同じテンションでワルドと話せるようになっていた。

 

「ああ、心配いらないよ。今日は星がよく見えるからね、サラマンダー座の方角に行けばラ・ロシェールさ」

「へえ。こっちにも星座はあるのね」

「おや、東方にも星座の考え方があるのか。やっぱり文化はどこに行っても変わらないものなんだね」

「ああ。こっちじゃ占いだとか(まじな)いに使われるけど」

 

 そう言って麦野はワルドの様子を伺ってみたが、ワルドは大した反応を示さなかった。どうやらこの世界では星座を使った魔法というのは存在しないらしい――と内心で結論付ける。ルーンを詠唱する魔法に特化しているのだから当然と言えば当然だが。

 

「ねえシズリ、星座で呪いってどういうこと?」

「十字架をブッ建てるだけで国盗りが成功したりするわ」

「じゅうじか? 何それ?」

「骨董品よ」

 

***

 

第一一章 ラ・ロシェールにて Secret_Wind.

 

***

 

 到着には丸一日ほどかかった。

 途中何回かの休憩を挟んでいたが、ルイズは結局移動時間の殆どを寝て過ごしていた。ワルドはグリフォンを操っているので抱えるのは麦野の仕事だ。お蔭で麦野は殆ど一睡もしていなかった。

 尤も、それくらいでパフォーマンスが落ちるほど生温い職場で働いてはいなかったので、特に問題もないが。

 

「やれやれ、ミス・ムギノは本当にタフだね」

「そうでもしないとやっていられなかったんでね。で、どうする。出発まで二、三時間ほど余裕があるみたいだけど」

「二、三時間くらいならどうということはない。僕が交渉して出発を早めてもらおう」

 

 そう言って、ワルドは船着き場の方へと移動していく。

 そんなワルドと入れ違いになって、やっとルイズが起き出して来た。

 

「ん~……、もう着いた?」

「やっとお目覚めかよ眠り姫。ご覧のとおりもうラ・ロシェールだ。……しっかし、枯れた巨木を港代わりとはあからさまにファンタジーね」

「わたし達にとってはこれが普通よ?」

「知ってる。カルチャーショックってこと」

 

 適当に言いながら、麦野はルイズを抱えたままグリフォンから降りる。

 ワルドの使い魔であるグリフォンは、麦野とルイズにも従順な態度を取っていた。本来は荒い気性なので手懐けるのに苦労した、とはワルドの言だが、それをこれだけ御しきれているというのは、やはりワルドの実力ゆえなのだろう。

 

「ジャンは?」

「交渉に行った。上手く行けばこれからフネよ」

「よかった。明日の朝にはニューカッスルに着きそうね」

 

 ルイズを降ろし、そんな会話を交わしていた、ちょうどその時だった。

 会話をする為に小柄なルイズの顔を見ていた麦野は、すっと顔を上げてあたりを見渡す。ルイズもまた、異常な気配を感じていた。

 風が強い。

 それも自然な風ではなく、渦巻くような――竜巻。

 麦野よりもこの世界の魔法に詳しいルイズが、その名前を言った。

 

「『刃巻烈風(カッタートルネード)』よ!!」

「チッ! 襲撃のリスクを減らしたってのに結局これかよ!」

 

 それは、天災といっても差支えなかったろう。

 高さ三メートルにも及ぶ風の刃を含んだ竜巻が、三方向からいっぺんに麦野に襲い掛かった。

 

「シズリ、これ、躱せると思う!?」

 

 殆ど悲鳴のように言うルイズに、麦野は無言で首を振った。

 一つだけだったならまだ話は違うだろう。グリフォンに乗って回避することは十分に可能だった。ただ、三方向からいっぺんに、となると、流石に不可能だ。何より、

 

(これだけの破壊力がある魔法を、一人のメイジが一度に三発も出せるとは思えない。敵は複数いる)

 

 物量で押してくるなら、躱したところにもう一発撃たれてしまえばもう躱すことはできない。それならば、もっと簡単でお手軽な解決策が麦野にはある。『それ』は麦野にとって最大の矛であると同時に、唯一の切り札だ。ゆえに敵が観察しているであろう状況で簡単に見せたくはなかったが、しかしやるしかない。

 

「『ご主人様』、躱す必要はないわ」

「……! まさか、あんたアレを……!? 駄目よ、アレを使ったら周りの被害が……!」

「『必要経費』よ。弁償は日和見主義のお姫様がやってくれる」

 

 キュガッ!!!! と。

 麦野は、そう言って腕をぐるりと一周させた。

 冷え冷えと輝く光の迸りが、まるで一本の大剣のように周囲を席巻した。

 その爆発的な威力により、運悪く光条が通過してしまった石造りの建物が赤熱と共に切り落とされる。だが、結果として風の刃を伴った嵐もまた、一振りのもとにあっけなくかき消されてしまった。

 たった一人で三つのスクウェアスペルをあっさりと消し飛ばした麦野は、歪んだ電子を振り払うかのように手を振るい、そして腕を組み直す。

 

(……風のスクウェアが三人、か)

 

 一旦は敵の攻撃を撃退した麦野だが、まだ敵の壊滅を確認した訳ではない。もしかしたら今の一撃で一人くらい身体を真っ二つにしているかもしれないが、死亡確認をしていない以上気は抜けない。

 

(……だが、スクウェアっていうのはかなりの人材だ。魔法学院にもギトーの他にはオスマンのジジイしかいなかったはず。国の最高峰でさえこの有様だ。傭兵などの裏街道を歩く人間にスクウェアが一体何人いる? そんなにこの任務の妨害は重要か?)

 

 トリステインを潰す方法など、それこそいくらでもあるように思える。風のスクウェアばかり三人も集めるほどの重要度ではないだろう。

 となれば

 

(――『偏在』か)

 

 風のスクウェアならば、偏在を出して同時に風のスペルを放てる。そうすることで多人数戦と思わせているのだろう。だとするならば、どこかにいる『偏在の本体』を見つけ出せば、敵の脅威は簡単に壊滅できる。ただ、問題なのは既にワルドがフネの交渉に入っていることだ。此処で大騒ぎを起こせば、出立が遅れる危険性がある。

 

「どうする。敵にこっちの素性が知られている以上、ワルドと合流すべきかしら」

「た、た、たてものが……」

「……チッ」

 

 小さく舌打ちし、麦野はルイズを抱えると、そのままグリフォンに跨る。首を掴んで耳元に口を近づけ、『主人のところに行け』と囁くと、驚くほどグリフォンは素直に飛び上がった。

 何もない空中は、麦野にとっては安全地帯に等しい。何故ならメイジは複数の呪文を一度に唱えられないので、飛んだメイジは丸腰だからだ。何事もなく巨木の港に辿り着くと、ワルドと船長が交渉を終わらせたところだった。

 

「ルイズ! ミス・ムギノ! そちらの様子は使い魔の目から確認済みだ。良かった、どこも怪我はないかい?」

「ええ、ジャン。大丈夫よ。それより、さっきのは一体……」

「おそらく、貴族派の尖兵でしょう。どうやら既に手紙の件は掴んでいたみたいね」

「そんな……! 手紙のことは、姫様しか知らない事実でしょう!?」

「……手紙のことはともかく、あのガキが今まで王子様への恋心を完璧に周囲から隠せていたと思うか?」

「……、」

 

 それはない、と残念ながらルイズは断言できてしまった。だって、先日アンリエッタから聞いた思い出話によると、ルイズが園芸会で影武者をしていたその当時には既に、アンリエッタとウェールズは夜に秘密の逢引をしていたというのだから。

 

「トリステインの内通者、か……。頭の痛い問題だね」

「想定内よ。気の休まらない旅だったのは元々だからね。で、交渉はもう終わっているのよね?」

「ああ。僕がフネを浮かせる手伝いをするということで決まったよ」

「メイジってそんなこともできるの?」

 

 そんなことを言いながら、三人はフネに乗り込む。勿論、フネに既に貴族派の追手が紛れ込んでいる可能性も考え、警戒は怠らない。しかしフネの中にいても襲撃は全く起こらず、二〇分が経過した。

 代わりに、驚くべきものが見えた。

 

「あれがアルビオンね」

 

 白の国。

 大河から溢れた水が、空に落ち込んでいる。その際白い霧が生まれ、大陸の下半分を包んでいるのだ。霧は雲となり、大雨を広範囲にわたってハルケギニアの大陸に降らすのだという。

 かつてハルケギニアの地理を聞いたときにコルベールが話した説明だが、このとき麦野は『どうして大陸が空に浮かぶのか?』ということと『何故雲の上なのに水が尽きないのか?』ということを問うたことがある。

 コルベールの答えはそれぞれ『風石がたくさん大陸に埋まっているから』『アルビオンにも雨は降る』だったが、麦野は納得していなかった。たまに降る雨で、あの大河から流れ落ちる水を埋め合わせできるとは到底思えない。

 

(……ついでに言うなら、『風石が埋まっている』のがあそこだけだと考えるのも危険だと思うけど、これに関しては少なくとも六〇〇〇年は音沙汰なしだった点から考えても問題ないかしらね。まあ、()()()()()()()()()()()場所の周辺は危ういかもしれないけど)

 

 ファンタジーだと思って思考を止めることを、麦野はしない。腐っても彼女は超能力という不条理(ファンタジー)を科学的に解明し、自分達の技術とするような科学者の街の住人なのだ。何にせよ、そんな科学者の視点からしてみると、目の前の大陸はまさしく研究材料の宝庫だったと言えるだろう。

 

「……あの野郎なら、見た瞬間興奮しすぎて死にそうね」

「あの野郎?」

「『ご主人様』には決して出会わない輩よ。……そういえば、アイツを殺し損ねていたな……」

 

 最後の方は殆ど憎しみに表情を歪めていた麦野に、ルイズはこれは触れない方がいい話題だと思ったのか、それ以上は言わなかった。しかし同時に、あの麦野がこれほど感情を露わにするような相手が――たとえ不倶戴天の仇だとしても――いたのだというのは、ルイズにとっては意外なことだった。

 あまりにも元の世界への未練がないものだから、てっきり元の世界での麦野は世捨て人のような、絆や因縁とは遠い生活を送っていたのだとばかり思っていた。

 いや、この場合、麦野の言う『あの野郎』が、この使い魔に『そういったもの』を感じさせるほど強大な敵だった、ということか。原子崩し(メルトダウナー)を扱うこの女性にそこまで意識させるとは、一体どんな強大な能力を持つ人間だったのだろう――とルイズは想像をめぐらせて、それでもいまいちつかめなかった。原子崩し(メルトダウナー)の時点でルイズの想像を絶しているのだ。『これ以上』なんて、考えろと言われても無理だ。

 

(あれ、そういえば麦野は『第四位』なんだっけ? ……ってことは、少なくともその『上』には三人いるのよね)

 

 麦野が聞いていれば『ああ、一位と三位は殺したから、実質は私が一位だけどね』なんてことを言っていそうなことを考えたルイズは、そこで甲板が騒がしくなってることに気付いた。

 

「空賊だ! 抵抗するな!」

 

 見ると、近くにまで空賊のフネが迫っていた。ばっと麦野を見ると、にやりとした嫌な笑みを浮かべていた。

 

「シズリ、言っておくけどやめるのよ。わたしが打開策を探すから」

「べっつに撃ちおとしてやっても良いんじゃないかにゃーん」

「空賊の命なんてどうでも良いけど、あいつらのフネに積んでる火薬でこっちまで巻き込まれるって言ってんのよ!」

 

 本音としては一日に二発もあんなものを撃たれては麦野がアレを使うのに慣れてしまいそうで怖かった、というのが大きい。原子崩し(メルトダウナー)は間違いなくこの世界において最強の矛だが、その最強の矛はあらゆるものを薙ぎ払う。……勿論、薙ぎ払ってはいけないものも。下手に慣れられて被害を拡大するのは、ルイズの望むところではなかった。

 

***

 

 結果として、ルイズとワルドは杖を奪われた。麦野も杖を持っていないことからメイジ殺しと判断され、両手を後ろに縛られたまま船室に放り込まれた。

 

「縄紐とは甘っちょろいわね。引き千切って欲しいのかしら?」

「そんなことできるのはあんただけだって……」

「君たちは本当に緊張感がないね……。いや、その気になればどうにでもなる、ということかな? ミス・ムギノの扱う『魔法』からして」

「……、」

 

 そこでやっと、ルイズはワルドが麦野の能力をグリフォン越しに見ていたことに思い至った。というか、ルイズ達の襲撃を知っているのだから普通に考えてそこも見ていないとおかしいのである。あまりに慌ただしくて気付いていなかったが。

 そして、妙な能力を使う相手に無条件の信頼を寄せるほど、ワルドは甘い性格ではない。

 

「君は……エルフなのか?」

「学院じゃ、ハイ・オークってことになっているわね。この姿は先住魔法によって取り繕ったもので、本当の姿は全長三メートルの巨大なオークなんだとか」

「ハイ・オークだってあんな規格外の魔法は撃てないよ」

「信じてもらえるか分からないけど、シズリはエルフじゃないわ。あれは東方の魔法なの」

「魔法じゃなくて超能力ね」

「……、分かった。婚約者の言だ。信じようじゃないか」

 

 ふう、と瞑目してワルドはそう言った。納得はしていないが、これ以上は有益な情報どころかチームワークに亀裂すら入りかねないと判断した結果だった。それに、今までの言動から言って麦野が敵対因子になることは早々ないだろうと思ったのもあるだろう。

 ……『真相』を知る者からしたら三文芝居も良いところだと嘲笑が沸き起こりそうな一幕だったが、この場においてそれを知るのは一人だけである。

 ただ、その一人は『あれ』を見て、自分の選択が心底正しかったと思い知ったのだが。

 と、そこで扉が乱暴に開かれる。

 痩せぎすの空賊の男だった。男はにたにたと、いっそあからさますぎるほどに嫌な笑みを浮かべて三人に問いかけた。

 

「おめえらは、アルビオンの貴族派かい?」

「そんなわけないでしょう。あんた馬鹿?」

 

 ルイズは即答した。

 あまりの調子に麦野は手を縛られたまま溜息を吐いた。こういうときはあえて貴族派のふりをしてチャンスをうかがうものだが、ルイズはそういった駆け引きなど知ったこっちゃないようだった。ただ、

 

「……それで良いわ、『ご主人様』」

「ああ。それでこそ僕の婚約者だ」

 

 ……当のルイズは、逆に不安そうな表情を浮かべていた。別に、彼女は麦野の力をアテにしてこんなことを言ったわけではない。ただ、生き残る為とはいえ貴族派を名乗ることがどうしても許せなかったのだ。しかし、その暴挙を、自分よりも賢い二人は許容する。一体どういうことだろう? と思ってしまうのも無理はない。

 だが、もう引けない。

 

「わたしはトリステインから王党派への使い――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。まだ王党派が潰れていない以上、アルビオンの正統政府は王党派よね。ならば、わたしは大使としての扱いを要求するわ。すぐにシズリの縄をほどいてわたしたちの杖を戻しなさい! これが証拠の『水のルビー』よ!!」

 

 ほとんどヤケクソで、ルイズは一息に言い切った。



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第一二章

 結果、ルイズは信じられない光景を目にしていた。

 

「(あれ……? あれー……?)」

「(何の計算もしてなかったのならそれはそれで凄いわね。まあ、私は身のこなしを見ただけで何となく分かったけど)」

「(空賊にしては『がっつく』様子も見られなかったしね)」

 

 こそこそと話している三人の目の前にいた空賊の頭は、ヒゲを生やした縮れ黒髪の屈強な男ではなく、高貴ささえ感じられる金髪の精悍な青年だった。ヒゲは付け髭、眼帯は伊達、黒髪はカツラというわけだ。周りにいる空賊も、先程までのニヤニヤ笑いはどこへやら、真面目な顔をして直立している。明らかに、軍隊の統率のとれた動きだった。

 

「大使殿に失礼な行いをしたことを詫びさせてもらいたい。私はアルビオン王立空軍大将にして本国艦隊司令長官……もっとも、この一隻限りの無力な本国艦隊だがね」

「あ、あの、えっと……」

「おっと、大使殿にはこういった方が分かりやすいかな。――ウェールズ・テューダー。アルビオン王国の皇太子さ」

「は、え……?」

 

 呆然とするルイズへ説明するように、空賊の頭――いや、ウェールズは話し出す。

 敵の補給線を断つのは戦の基本、しかしながら王軍の軍艦旗を掲げたのではあっという間に狙われてしまうから、空賊を装うことでカモフラージュをしていること。

 外国に王党派の味方がいるというのが信じられず、あえて粗末な扱いをして本当に味方なのか確かめたこと。

 そこまで言っても、ルイズは呆然としているばかりだった。今まで敵だと思っていた人間が目的の人物だと知って、まだ好悪の反転に感情がついていけていないのだ。そんなルイズをよそに、ワルドが本題を切り出す。

 

「アンリエッタ姫殿下より密書を言付かってまいりました」

「ふむ。姫殿下とな。君は?」

「トリステイン魔法衛士隊グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。子爵にございます」

 

 それからワルドはルイズと麦野を手で示し、

 

「そしてこちらがトリステインの『勇敢』な大使、ラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の女性にございます」

「はっはっは! 全く先程の勇敢さには驚かされたよ。もっとも、君たちの方は真相を既に理解していたようだが。して、その密書というのは?」

「あっはい、こちらに……」

 

 ルイズは懐から手紙を取り出し、ウェールズに手渡そうとしたが、寸前で止まった。怪訝な表情を浮かべるウェールズに、ルイズは戸惑いがちに口を開く。

 

「え、えっと……」

「どうしたんだね?」

「し、失礼ながら、本当に皇太子さまでいらっしゃいますか?」

 

 その言葉に、ウェールズは苦笑した。

 

「まあ、そう思うのも無理はない。僕は正真正銘、ウェールズ・テューダーさ。何なら証拠を見せよう。先程君が見せたようにね」

 

 そう言って、ウェールズははめている指輪を翳した。指輪は水のルビーと同じように、内部で風が渦巻くような不思議な輝きを持っていた。

 ルイズの指にある水のルビーと共鳴し合い、虹色の光を周囲に振り撒く。ワルドがおおっと呻き、麦野は無言のままにその光を見ていた。

 

「この指環はアルビオン王家に伝わる秘宝、『風のルビー』だ。水と風は虹を作る。王家の間にかかる虹というわけだね」

「た、大変失礼をばいたしました」

「はっは、気にしないで良い。無理もないことだよ」

 

 その言葉に深々と礼をして、ルイズはウェールズに手紙を手渡した。

 何か芝居がかったやりとりが行われているが、麦野の視線はそこには注がれていなかった。

 彼女はただ、指環の方だけを見つめていた。

 

***

 

 ウェールズ皇太子がアンリエッタとの恋文を携帯している訳もなく、保管されているというニューカッスルの城まで向かうことになった。流石にそんなことをしたら身元がバレてしまうのでは……と思ったルイズだったが、どうもそうはならないらしい。

 アルビオンの下半分は大河から漏れる水が散らばった霧が覆っている。その為、アルビオンの真下は頭上の大陸と霧による視界の悪さによって、座礁の危険性が非常に高い危険地帯となっている。その為、貴族派は近寄らないのだ。

 経験のある航空士であれば造作もないことらしいが、どうやら貴族派にそうした経験を持ったものはいないのだろう。

 まるで空賊だな、とワルドはそんな話を聞いて呟いていたが、まさしくだった。

 

「……もう、訳が分からないわ」

 

 ルイズが、城のホール近くのバルコニーでそんなことを呟いた。傍らには麦野がいる。ワルドは、何やらウェールズと会話を交わしているようだった。

 あの後、城に着いたルイズは手紙を受け取る際、ウェールズに亡命を勧めた。かなり熱っぽく、声さえ荒げて言った。しかし、ウェールズはそれを固辞した。それどころか、叛徒どもに手痛い打撃を与えて死ぬことこそ誇りだ、と言ったのだ。ウェールズの侍従パリ―はウェールズが商船から奪い取った硫黄の樽を見て『これで名誉の戦死を遂げられる』なんて喜ぶし、夜にはこうして明日の決戦に向けてパーティまで開いている始末。……明日には、全員死んでしまうというのに。

 

「わたしだって貴族だから、名誉の戦死って気持ちは、分からなくないわ……」

 

 恋文は、確かに受け取った。大使としての任務は、これで果たせる。だが、それ以外は何も得られなかった。ウェールズも、アルビオンも、明日にはこの空に散ってしまう。……何も残せずに。

 

「……でも、こんなの犬死じゃない! 名誉なんてどこにもない!! それだけじゃない。ウェールズさまが死んだら、姫さまだって悲しむのに! どうしてあの人たちはあんな風に笑っていられるのよ!? みんなみんなみんな、自分のことしか考えてないんだわ!!」

 

 感情が爆発したのだろう、ルイズは隣にいる麦野にそう言った。

 麦野はそんなルイズには頓着せず、喋りはじめた。

 

「……なあ『ご主人様』。すこし私の世界の知識を話してやろう」

 

 麦野はそう言って、話し始めた。ルイズは怪訝に思ったが、話を聞くことにした。

 

「――ルビーやサファイアとかいった宝石がある。それは分かるわね?」

「……ええ」

「こいつらはコランダム――酸化アルミニウムの結晶に不純物が混ざったもので、成分的には全く同じなのよ」

「えっ? でも、ルビーもサファイアも全く色が違うじゃない」

「コランダムってのは本来無色透明なんだけどね――結晶に組み込まれる僅かな不純物――イオンによって色がつき、ルビーだのサファイアだのと呼ばれる。本質的には殆ど同じなんだよ。アンタだって水のルビーだの風のルビーだの、赤じゃないものもルビーって呼んでるでしょ」

「……」

 

 言われてみれば、といったように頷くルイズに、麦野は鼻を鳴らして続ける。

 

「ここからは私の世界でもかなり『深い』ところの話だが――『天使の涙』っていう宝石が、見つかったことがあってな」

「……てんし?」

「こっちで言えば、始祖の使い魔みたいなモンだよ」

 

 麦野は適当に言い、

 

「『天使の涙』。基本は無色透明。中心部のみが黄金に輝いているっていう、普通じゃあり得ない色の鉱石よ」

「……ダイヤモンドの中に黄金が埋まっているってこと?」

「そうじゃない。組成は同じなんだよ。ただ、結晶構造の中に()()()()()()()()()()()()()()()があるから、そんな風に見えるの。勿論、科学的にそんな振る舞いをする物質は存在していない」

「…………それで、何か凄いっていうのは分かったけど、それがどうしたのよ?」

 

 ルイズは首を傾げた。話を聞く限り何か普通でないことは分かるのだが、だからといってそれだけでは『珍しい』以上の評価は得られない。この使い魔がわざわざ前の世界のことを話すのだから、たとえ世間話でも何かしらの特別な『何か』があるはずだ。

 

「デカい宝石ってのは、それだけで逸話ってのがあるもんだ。この世界にはないか? この宝石は不幸を呼ぶとか、この宝石を身に着けているものは幸せになるとか」

「……まあ」

「この宝石にもある。ただ、面白いのは『リスクが明示されている』ところでね。……『天使の涙は、正しく利用すれば天使と会話できる。ただし、失敗した場合は確実に死が訪れる』。そんな逸話があったんだ」

「……」

「とんだオカルトだろ? 私も信じてなかったんだが……だが、あの一連の事件で『魔術』の存在を知っちまったからね。……そうなると、あながち間違いじゃないんじゃと思ってね」

 

 そう言って、麦野はルイズの指先に視線を落とした。

 それで、ルイズは何となく麦野の言いたいことが分かった。

 

「オカルトを呼び込む宝石。……なら、そこに組み込まれている『何か』っていうのも、オカルト絡みであるのが道理よね?」

「……そうね」

「残念ながら現物を持ってはいないが……此処には、『天使の涙』と同じように通常では考えられない振る舞いを見せ、そしてオカルトじみた効力を発揮するルビーの亜種がある」

「こ、これはダメよ。トリステインの国宝なんだから、あげないわよ」

「分かってるわよ。だが、あの風のルビーなら良い。どうせ明日には滅んでる王家なんだ。国宝を保護するとかの名目で回収したって問題ない。お誂え向きに前トリステイン王はアルビオンの王族なんだし、本流が途絶えたんならこっちが所有権を主張したって良いんだし」

「……ねえシズリ、何であんたそんなにそのルビーに固執してるの?」

「目的の為」

 

 麦野はそう断言した。

 

(――〇次元の極点っていうのは、ミクロを超えた最小単位の概念だ。原子崩し(メルトダウナー)でソイツに干渉するのも、一次元の極小の線を切断するって方式だし。なら、物質の構成単位になるほどの極小サイズのオカルトを解析することで〇次元に応用できる可能性はかなり高い。……クク、とんだ期待外ればかりだと思っていたら、此処に来てツキが向いて来たわね。運が良ければ、研究にかかる時間をかなり短縮できる)

 

 まるっきり捕らぬ狸の皮算用だったが、しかし『極小サイズの異能』が存在するという証拠があるのはどちらにせよ有難かった。前例があるなら資料探しだって捗る。

 

「シズリ……シズリの目的って、何?」

「アンタには関係ないことよ。まあ、悪いようにはしないから安心しなさい。悪いようには、ね……」

 

 上機嫌の麦野はそう言って、シャンパンを煽った。

 自分の目的とやらを語るつもりは、毛頭ないらしい。なら良い、とルイズは思う。まだ自分はそこまで信頼されていない。言うべきと思う程、この女性の中で大きな役割を持っていない。それなら、認めさせてやるだけだ、とルイズは思う。

 

「……それで?」

 

 話も終わったらしいので、ルイズは麦野に問いかけた。何で、いきなりこんな話をしたのだろう。ルイズの話とは全く関係のない話だったが、これがどういった意味を持つのだろうか? 麦野は、何かをさとして伝えようとしているのだろうか?

 しかし、問われた麦野はあっさりと聞き返した。

 

「それでって?」

「いや、いきなりこんな話したから、どういうことなのかなって……」

「あん? 意味なんてないわよ。ただの世間話。まさかアンタ、私がアンタのことを慰めるつもりだとでも思った? 馬鹿なこと言っちゃいけないわ。ソイツはアンタの問題。アンタが自分で勝手にどうにかしていなさい」

 

 そう言って、麦野はシャンパンを飲む。

 麦野は、やっぱり麦野だった。

 だが、彼女の明け透けな物言いは、却ってルイズの負けん気に火をつけた。そうだ、こんなところで落ち込んでいるなんて、自分らしくない。納得がいかないなら、とことんまで、納得がいくまで噛みつくのがルイズだ。

 そうして、ルイズはホールの中へと歩を進めた。

 まるで、それまで逃げていたものに改めて向かい合うかのように。

 

***

 

第一二章 敗戦の流儀 The_Duties_of_Losers.

 

***

 

「亡命の決断を」

 

 パーティホールに戻ったルイズは、ワルドと談笑していたウェールズにそう切り出した。

 突如現れたルイズに唖然としていたウェールズは、ぽかんとしてルイズの方を見ていた。

 

「ルイズ、此処でそういうことは……、」

 

 ルイズの様子に気付いたワルドが、戸惑いがちにルイズを宥めにかかる。しかしルイズはその手をやんわりと抑えた。聞かない、ということだ。ワルドは助けを求めるようにバルコニーに視線を向けたが、そこには肩を竦める性悪女の姿があるだけだった。どうやらルイズを焚き付けたのはこの女らしい。

 

「……ミス・ヴァリエール。場所を移そうか。その話題は此処には相応しくない。他の兵士たちの士気にも関わることだ」

 

 神妙に言うウェールズに、ルイズはこくりと頷き、先導に従ってパーティホールから出る。そんな二人を気遣うように、ワルドも後に続いた。

 ホールから出たウェールズは、困ったような苦笑を浮かべた。

 

「……それで、その件については既にお答えしたはずなんだけどね」

「それでも、です。殿下、どうかトリステインに亡命を」

「――ミス・ヴァリエール。忠告しておくが、君の『それ』は単なる子供の癇癪のようなものだ。考えてもみてくれたまえ。僕が亡命したところで何になる? 僕の力である『王族』というステータスは、反乱軍が国を征服すれば何のメリットにもならなくなるんだ。むしろ、貴族派がトリステインに攻め入る口実になってしまう」

「そんなことは分かっています」

「いいや、君は何も分かっていない」

 

 ルイズはかっとなって、敬語も忘れて元の口調で噛みついた。

 

「あんたが死んじゃったら!! もうハッピーエンドなんかあり得なくなるっつってんのよ、この分からず屋!! 何で最初っから勝つことを諦めてるのよ!! 最後の最後まで、汚い手を使ってでも足掻きなさいよ!! 今! この瞬間!! どうせ死ぬんだからなんて諦めたりせず、泥に塗れてでも戦いなさいよ!! 恋人なら姫さまを、アンを泣かせてんじゃないわよ!!」

「それが、分かっていないと、言っているんだッッ!!!!」

 

 叫んだルイズに被せるように、ウェールズが一喝した。温厚な皇太子の突然の激情に、ルイズは思わず怯む。

 それから優しく穏やかに、ウェールズは諭すような調子で口を開いた。

 

「怒鳴ったりしてすまない。……だが、ハッピーエンドなんかとっくのとうにあり得ないんだよ。此処に至るまで、いったい何人の我が下僕が死んだのだろう。その家族も。無辜の民も。両手両足を使ったとしても、数えることはできまい」

「…………、」

「分かるかい、ミス・ヴァリエール。『幸せな結末』なんて、こんな状況を引き起こした僕には許されないんだ。この上、逃げ回って戦争を先延ばしにする? 冗談を言わないでくれ。そんなことをしたら、民はさらに疲弊する。此処で死ぬことで、貴族派に手痛い打撃を与えて滅びること、それが僕にできる最良の選択なんだ」

「…………」

 

 ウェールズは、笑顔を浮かべて言った。

 死ぬしか、ない。

 そうすることでしか、救いがない。

 ウェールズ自身が諦めているのではない。もはやそうするしか道がなくなっている。ルイズと何歳も違わない少年が、そんな状況に追い込まれて、それでも誰かの為に笑っている。

 ルイズは、そんなこと考えたこともなかった。

 ルイズは部外者の、ただの学生だ。こんな戦争なんかどうにもできない。ハッピーエンドなんか作れない。そもそも、始まりからしてハッピーエンドなんかあり得なかった。ルイズは、悲劇の真っただ中にちょっとやってきただけの観測者でしかないのだ。箱の中にいる猫が死んでいるかどうか、確認するくらいしかできることはない。

 ルイズは、ただただ俯いた。

 

「…………、感謝するよ、ミス・ヴァリエール。君のお蔭で、自分の心の中にある決意を吐き出すことができた。改めて、覚悟を決めることができた。君の様に純粋な少女が大使で、本当に良かったと思う。だから――」

「……めない……」

 

 どうしようもない。

 …………本当にそうか?

 この状況は、本当にどうしようもないか?

 何か、あるんじゃないか。麦野の力を借りる、なんてことではない。もっと、この状況を覆せるピースがどこかにあるんじゃないか? そして、それに気付ければ、戦争にだって勝てるんじゃないか?

 

「……? ミス・ヴァリエール?」

「……認めない。確かに、もう完璧なハッピーエンドなんか生み出せないのかもしれない。死んでしまった人達は戻らない。でも、そのことであんたが幸せになっちゃいけないなんて、そんなこともっとあり得ないでしょうが!!!!」

 

 ルイズの目には、もはや迷いは存在していなかった。

 確かに、王族である以上、配下の貴族を制御しきれなかった責任はある。そのことによって民を疲弊させた責任もある。だが、だからといって死ぬことでしかその罪を贖うことができないなんてことはない。勝ち残り、生きて、その後の国を一刻も早く再生させることでも、償いになるはずだ。

 

「……そんなことはない。内憂を払えなかった王族には、相応の責任が、」

「それに、どうせ貴族派は止まらない。貴族派のスパイは既にトリステインにもいるのよ」

「な、んだって……」

「アンタ達が此処で滅んだところで、アルビオンは止まらない。さらに戦火を拡大させていく。此処で食い止めないと、さらに悲劇が広まるのよ!!」

 

 ウェールズは、暫しそんなルイズのことを見つめていた。

 そしてやがて、震えながら口を開く。

 

「……なら……なら、どうしろと言うんだ……。相手は五万。こちらは精々数百の兵しかいない。こんな状況で、どう勝てというのだ。僕にはもう、死ぬことしかできないんだ! それすら民やアンの為にならないというのなら、僕は一体どうすればいいんだ!!」

「言いなさい」

 

 ルイズは、瞳に燃えるような輝きを湛えて言った。

 

「恥も外聞も捨てて、頼りなさいよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを!! たったの一言あれば、わたしは戦う。あんた達に、勝利を授ける!」

 

 ――馬鹿げた提案だった。

 現実を見ていない小娘の戯言。誰だってそう思うだろう。相手は五万。ルイズ一人が加わったところで、それは何の意味もない。たった一人の戦力増加で勝ちが拾えるほど、戦争は甘くない。

 それに、ルイズが参戦したら、それはもう外交問題だ。トリステインの大使が内政干渉したとなれば、貴族派は大手を振ってトリステインに攻め入るに決まっている。

 ……ただ、ワルドはそれを見て、ひとり歪な笑みを浮かべていた。ウェールズは、不思議な信頼感をおぼえた。本当にこの少女ならそんな結末を生み出しかねない。そんな気持ちになった。

 

「…………」

 

 ウェールズは、ただただ俯いた。

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、悩みに悩んで、あらゆるものと天秤にかけて、そしてやがて、口を開いた。

 

「……助けて、くれ」

 

 ぽつり、と。

 ただの少年が、小さく呟いた。

 

「助けられるものなら、助けてくれ! この国を。そして民を! 助けてくれ!」

「――――分かったわ」

 

 ルイズは頷いた。ワルドが小さく笑う。

 どうやら、ワルドもまたそんなルイズに付き合うつもりのようだった。こんな危ないことに付き合わせてしまって悪いな、とルイズは心の中で思ったが、そんな弱気は振り切ってウェールズの瞳を見つめる。

 

「任せなさい。このわたしが、この国を救ってみせる」

 

 そう、言い切ったルイズの姿はまるで聖女のようで――――。

 

 ――――そんな聖女の耳には、どこからかオルゴールの音色が聞こえていた。



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第一三章

「正気かよ?」

 

 ウェールズとの話を終わらせてホールに戻ったルイズは、まず最初に麦野に事情を説明した。すると、麦野は案の定眉を顰めてそんなことを言ったのだった。

 ルイズは、そんな麦野にまったく迷いを見せずに頷いた。麦野が溜息を吐くが、それでもルイズの意思は変わらない。

 この期に及んでルイズが麦野の力をアテにしているとは、流石に麦野も思っていないのか、そんなルイズにわざわざ釘を刺すことはしなかった。

 

「で、どうするつもり?」

「……別に、あんたは付き合う必要ないのよ?」

「冗談。アンタが私を頼るつもりないのは理解してるけど、別に私は『ご主人様』の力量を信頼している訳じゃない。そして、私はまだアンタに死なれちゃ困るの。いざってときには、アンタだけでも攫って脱出する。だから此処で離れるわけにはいかない」

「……ありがと」

「その台詞を吐くのは、もう私なしじゃどうしようもなくなったときね。アンタは精々『どうだ見たか!!』って私に勝ち誇れるように努力しておけばいいのよ」

「……そうね、その通りね」

 

 ルイズは頷いて、前を向いた。

 同時に、おかしい、とも思った。麦野沈利とは、こういうときに皮肉交じりとはいえこんな風にルイズを激励する人間だったか? 麦野の言動が原因で精神を持ちなおしたことは今までにも何回かあるが、それらは別に麦野の心遣いとかではなかった。単純に麦野が適当に言った言葉を、ルイズが勝手に受け取って勝手に奮起しただけだ。今回の様に激励の言葉を出されるのは、今まで一度としてなかった。

 どうにも麦野は上機嫌のようだった。風のルビーの話をしていたときもそうだったが、今はそれ以上のように思える。……この作戦が成功すれば、風のルビーは得られなくなるのに。

 そんなルイズに、麦野はもう一度同じことを問い掛ける。

 

「で、もう一度聞くけど、アンタこれからどうするの? 尻拭いをするリスクがある以上、作戦内容は聞いておくべきでしょ?」

「ああ、そうね。これから兵士たちを集めて説明するけど、一応シズリには先に教えておかないとね……」

 

 そう言って、ルイズは口を開いた。

 

 その作戦内容を聞いて、麦野は思わず目を丸くする。

 

「……正気かよ?」

 

 くしくも先程と同じ言葉を、戦慄の表情と共に言った麦野に、ルイズはさっきと全く同じ不敵な笑みで頷いた。

 

***

 

第一三章 目覚める虚無、極点の胎動 Awaken_of_ZERO.

 

***

 

 翌日、正午前。

 それは、レコンキスタからの攻撃開始の予定時刻だった。本来なら戦の前だと慌ただしくしていたであろうニューカッスル城は、それとは違う方向で慌ただしくなっていた。

 大砲を用意し、その中に鉄板を錬金で生み出し、その中に置いてあった硫黄を積む。そんなことを数百人がかりで行っている。

 

「……随分嬉しそうね? ワルド卿」

 

 そんな様子を見ながら、麦野は隣に立つワルドに言った。昨日から、ワルドはどうにも上機嫌そうだった。婚約者であるルイズの成長を喜んでいる――と言いたいところだが、麦野は『それはない』と思っていた。ワルドは武人だ。つまり、戦争のプロと言っても良い。その彼なら、たった一人の特記戦力に戦の命運を任せることなど愚の骨頂と切り捨てて当然なのである。

 麦野のような、『強力な個』が『優秀な全』を当たり前のように淘汰していく世界ならまだしも、このハルケギニアではやはり『全』が幅を利かせているのだから。

 

「そう見えるかね?」

「ええ、不気味なくらいに」

 

 はっきりと言い切った麦野に、ワルドは思わず苦笑した。いつも通り、麦野の辛辣な皮肉だろうと思っての笑みのようだった。しかし、麦野は表情を緩めない。ここ数日でワルドに見せていた、冗談のやりとりを楽しむような姿勢ではなく、何か少しでも不審な動きを見せようとしたら、即座に殺しにかかる動き。

 ――どこで選択を間違えた? とワルドは思う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それはバレないように顔を出さず魔法だけを放つ形で行った。風のスクウェアが三人いるという情報から、その三人が全員偏在である可能性を看破したところで、ワルドは最悪でも容疑者の一人。しかも自分のグリフォンを巻き込むような攻撃までしており、この作戦自体マザリーニ枢機卿からの依頼だ。信頼度はかなり高いはずだったのに。

 

「……そう身構えるなよ、私はそんなに話が通じないって訳でもないわよ?」

 

 そんなワルドに、麦野は肩を竦めた。

 それを見て、ワルドは内心だけでほっと安心する。ワルドが裏切者だと特定していたならばこんな悠長なことは言わないはずだ。すぐにでも殺す。あのラ・ロシェールで躊躇なく殲滅の光輝を振るった彼女なら絶対にやる。

 そうでないということは、彼女自身『ワルドがスパイである』とは思っていないのだろう。何かしら怪しむ要素はあるが、そこまで踏み込んだものではない。なら、此処で誤魔化せれば逃げ切れる。

 

「……どういうことかね?」

「アンタ、ルイズの魔法について何か知っているだろ」

 

 ひくっ、とワルドの喉が僅かに痙攣し、それを見た麦野が何故か機嫌をよくした。

 

「……何の、」

「最初から不自然だなぁとは思っていたのよね」

 

 答え合わせをするように、麦野は言う。

 

「どういう、」

「アンタは最初からおかしかったって言っているの。婚約者ですって? なら何故数年間も放っておいたりしたのよ? あんな風にルイズのことを想った()()接し方ができるなら、文通だってお手の物だったでしょうに。……ルイズの姉なんかはツンデレこじらせただけで文通してるってのに破局寸前らしいわ。なら、アンタは?」

「……、」

「『親同士が酒の席で冗談交じりに決めた正式なものではない』から、何年も手紙を出さなくてもわざわざ婚約を破棄されたりはしない。それを利用して、アンタは()()()()()()ルイズに婚約者を名乗って近寄った。……何の為に?」

 

 ワルドの表情から、すっと感情の色が失われる。代わりに、麦野の表情がさらに愉悦に歪む。

 

「決定的だったのは今回の一幕。ただの学生の思い付きを、軍人であるアンタが何故通す? ぶっちゃけアイツの作戦は不確定要素に弱すぎるわ。何か想定外の出来事が起こって一つで要素が取り除かれただけで全体が崩壊しかねない。にも拘わらず、アンタは作戦の成功を確信している。……お遊びでスクウェアに一撃を与えただけのメイジには、過剰評価よね」

 

 そして、麦野は決定的な答えを導き出す。

 

「アンタは言ったわね。私の左手にあるルーンは、あらゆる武器を操る『神の左手(ガンダールヴ)』――虚無の使い魔のルーンだと。……虚無の使い魔が此処にいるなら、そのメイジは当然――」

「…………『虚無』、ということになるな」

 

 ワルドは観念して白状した。

 

「クック、テメェ、面白いよ。誰も信じなかった御伽噺の虚無が、あのクソガキだって? まともな頭してりゃあそんなの()ァれも信じねえっつの! それを大真面目に信じてこんなところにまでいるだって!?」

「御伽噺かどうかは、これから分かる」

 

 嘲弄する麦野に、ワルドはそれこそ大真面目に断言した。

 

「ミス・ムギノ……僕は狂人じゃない。そして我々は、これから伝説の再来を目にするんだよ。僕はその為にいるんだ」

 

 今度は、ワルドが話す番だった。

 

「……俺は聖地に行かなくてはならないんだ」

「それとルイズと、何の関係が?」

「聖地はエルフが守護している。打倒には――虚無の力が要る」

「呆れた。それをルイズに言ったら、一発で振られるわよ」

「知っている。だからこそ本心を隠し続けていた」

 

 ワルドは、少しも悪びれる様子なく答えた。麦野はそんなワルドを楽しそうに笑いながら見ていた。

 伝説の虚無すら、目的を達成する為の通過点。

 似ている、と麦野は思う。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと麦野沈利は、その身に秘めた野望の中におけるルイズの捉え方がよく似ている。

 

「勿論、今のルイズのことは俺も好ましく思っている。……ただの道具として見れなくなってきているのも、否定はしないさ。あの子は、あまりにも素晴らしく成長しすぎた」

「ウェールズ皇太子のことか?」

「……、」

「あの子なら、自分も救ってもらえると思った、か」

 

 麦野は馬鹿らしいことを見つけたような調子で呟く。ワルドは、否定も肯定もしない。それが答えを言っているようなものだった。

 ここだけは――麦野とワルドで違う場所だ、と麦野は思う。尤もルイズは麦野のことも救ってみせるつもりでいるが、麦野はそんなことはルイズには期待していないのだし……何より、麦野はワルドよりも自分の目的に忠実だ。

 

「……君は……君も、ルイズの『虚無』を……」

「欲している」

 

 麦野は、ニィ、と笑みを浮かべた。不敵な笑みだ。しかし、それはルイズが困難に立ち向かう時のそれとは根本的に異なる。自分の弱気を押し殺して、勇気と矜持で自らを奮い立たせるそれとは全く異なる不敵さだ。

 

「だからだよ、わざわざ目的だった『風のルビー』を捨ててでもルイズの動きを許容したのは。……それに、私の予想が正しければ、『始祖の秘宝』ってヤツはまんざら虚無と無関係って訳でもなさそうだ」

「どういうことだ?」

「『天使の涙』は天使と対話する為のものだった、って話だよ」

 

 麦野は適当そうに嘯くが、ワルドは理解できなかった。それで良い、と麦野も思う。端から理解させる為の言葉でもない。

 ただ単に。

 『天使の涙』が天使と対話する為のものだったなら、『始祖の秘宝』は何と対話する為のものなのか、という話なのだ。

 

***

 

 開戦直前とあって、ニューカッスルの近くには一隻のフネがやって来ていた。

『レキシントン』。

 レコンキスタが手に入れた最初のフネ。過去の名は、王権(ロイヤルソヴリン)。あのフネの反乱から、全てが始まった。ウェールズ達にとっては反乱の象徴である忌々しいフネだ。おそらく、この王党派壊滅の記念すべき戦に反乱の象徴を持ってくることで、完全な勝利だと言いたいのだろう。

 そして、地上には数万の兵。流石に五万ではないようだが、フネに搭乗している人数と合わせれば同じだけの数はあるはずだ。

 

「……くっ、やはりこちらの砲台を警戒している」

 

 兵士の一人が、そんなことを言った。

 ルイズに言われて特殊な『砲弾』を用意して砲台を並べているのだが、向こうはこちらの思惑を読んでいるのか、砲台の射影数百メートルには絶対に入らない。ルイズに言い渡されていた作戦はこれきりだった。これを封殺されてしまえば、こちらはどうしようもできない。

 ルイズは、何も言わなかった。

 兵士の一人の脳裏に、『こんな小娘の言うことを聞いたのが間違いだったのでは?』という思いが現れる。こんな戦争のせの字も知らないような子供には、やはり無理だったのだ。自分達は見事に担がれただけだったのだ、と。

 その時、ルイズが動き始めた。

 徐に一〇はある砲台のうちの一つに近づくと、砲台の後部に杖を突き立てたのだ。

 ぎょっとした兵隊が、何か言うのも待たずに、ルイズは言った。

 

「『アンロック』」

 

 次の瞬間、爆轟が響いた。

 砲弾は通常では有り得ないほどの威力で、『レキシントン』の船体下部に突き刺さる。

 

「なぁっ!?」

 

 兵士の一人は、思わず驚きの声を上げた。他の兵士たちも同じように驚愕に包み込まれる。当のルイズは、自分の起こした爆轟にひっくりかえってはいるものの、不敵な笑みは崩していなかった。

 ――これが、ルイズの作戦。

 『爆発』の威力だけでも、ただの火薬よりよほど強い。その『方向性(ベクトル)』を一方向に集中させたなら? ……砲撃は、劇的な進化を遂げる。間合いを見誤った敵のフネは、格好の的だ。

 

「今ので誤差も把握したわ。どんどん行くわよ!」

 

 立て続けに、ルイズの爆発が砲弾を超音速で吹っ飛ばしていく。弾丸が音速を超えた証が、アルビオンを席巻する。

 それらが終わった時には、既にレキシントンは落ちつつあった。砲弾がフネを浮かせる為の風石を直撃したのだろう。黒い煙をあげながら、反乱の象徴が墜ちていく。

 それだけでも、王党派にとっては奇跡だった。勝てない戦だった。にも拘らず、敵のフネを撃墜することにすら成功したのだ。王党派の誇りは、意地は、もう十分に示すことができた。

 

 ……そう。

 彼らは無意識に気付いていた。フネを落としたところで、地上の数万がどうにかなるわけではない。手痛いダメージは確かに与えられるが、戦の大勢が変わる訳ではないのだ。

 だから、無意識にそう考えることで、ルイズの助力に感謝していたのだ。『あなたはもう十分我らに奇跡を見せてくれた、これ以上の奇跡は望むまい』と。そう考えることで、『この国を救ってみせる』と、そんな馬鹿げたことを言ってくれた優しい少女に見当違いの恨みを向けないように。

 だが、兵士たちは勘違いしていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 ……ルイズには、ずっと聞こえていた。

 あの時。この国を、ウェールズを絶対に救ってみせると決意したときから、どこからか聞こえる声だった。

 

『これより我が知りし真理をこの書に伝える。この世のすべての物質は、小さな粒より為る。四の系統はその小さな粒に影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。――』

 

 これじゃない、もっと先だ、とルイズは思う。

 

『――四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。我が系統はさらなる小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり』

 

 何て皮肉だろう、とルイズは思う。

 

『四にあらざれば(ゼロ)。零すなわちこれ「虚無」。我は神が我に与えし()()を「虚無の系統」と名付けん』

 

 『ゼロ』のルイズ。

 確かにその通りだった。ルイズは、四つのうちの一つもたせない『ゼロ』だった。だが、同時に――四つのうちのどれでもない、零番目の系統の担い手だったのだ。

 

『これより、我が扱いし「虚無」の呪文を伝える。初歩の初歩の初歩――――』

「……エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 

 ルイズが呟いたのは、それまでの『コモンマジック』ではなく、詠唱だった。

 しかし、それは誰も聞いたことのない呪文だ。何の呪文だ? と兵士たちは首を傾げる。

 

「オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド」

 

 呟きながら、ルイズは自分の意識がどんどんと拡散していくのに気付いた。

 これは、ルイズにとっても誤算だった。

 ルイズの作戦というのは、簡単だ。たくさんの硫黄をフネに叩き込み、そこ目掛けて爆発魔法を叩き込む。そして硫黄を誘爆させ、爆風の反動でフネを横滑りさせ軍勢のど真ん中に落とす。

 ルイズの魔法の射程がどれほどあるかは分からないが数百メートル程度なら届きそうだった。正史でフーケを呼び込む原因になった塔の爆発では、現にそれだけの距離があっても魔法は発動したのだから。

 しかし、これはどうだろうか。

 ルイズの意識は拡散され、どんどんと知覚範囲が広がっている。まるで世界全体を掌握したかのような感覚が、ルイズを襲っていた。

 

「ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ」

 

 ルイズは、真っ暗に広がった世界の中でただ一人、指揮棒を振るうような感覚ですべてを見ていた。

 今のルイズには分かる。自分は、全世界のあらゆる場所に、自由に爆発を『送り込む』ことができる。ルイズの爆発は、あらゆるものよりも小さな小さな小さな小さな、零の一点に干渉できるのだ。

 

「ジュラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル……」

 

 そして、長い詠唱が終わる。

 その瞬間、ルイズはその呪文の真価を完璧に理解していた。

 この呪文の真価は、爆発にはない。そこではなく、その前段階。自分の認識する世界のすべてを対象にしたこの魔法には、二つの選択肢がある。

 巻き込むか、巻き込まないか。

 その気になれば、世界全てを消し飛ばせるが、逆にたった一つの何かを破壊することもできる。

 考えてみれば、最初からルイズはそれを知っていたように思える。

 爆風の制御も、今にして思えばできて当然だったのだ。それが呪文の真価だったのだから。ルイズは、爆発を応用していたのではなく、本来の使い方をしていたというだけの話だったのだ。

 くすり、と笑う。

 

「行くわよ、反乱軍ども……」

 

 呪文の名前は、知っている。

 ルイズは、ずっと前からこの呪文を知っていた。

 

「――――『虚無の光(エクスプロージョン)』ッッッ!!!!」

 

 その瞬間。

 新たな虚無が、この世界に産声を上げた。

 

***

 

「く、くくくくくく」

 

 その光景を見て、その女は嗤っていた。

 全てが想定通り。それが、たまらなく面白いという笑みだった。砦の上に立った女は、超弩級の爆風によって軍勢の中心に叩き込まれ爆発炎上したフネを見て大爆笑寸前だった。

 本来なら、硫黄を制御した『失敗魔法』によって爆発させ、その爆風によって敵軍の真っただ中まで墜落させる算段だった。それが、フネの横一面が全て爆発し、その反動によって移動、硫黄の方は、落下の衝撃で大爆発だ。当初よりもずっと被害を撒き散らしたと言えるだろう。

 

「くはは、あーっはははははははははははははは!!!! やりやがった!! あの馬鹿野郎、ついにやりやがったわ!! ゼロ? 落ちこぼれ? ――あれのどこがだよ!!」

 

 麦野は嗤う。面白くて仕方がない、とでも言うかのように。

 

「ゼロ。虚無(ゼロ)(ゼロ)。一体なんの因果だ? やっぱり、あの女は私に必要なパーツだった。今の爆発を見りゃ分かる。『〇次元の極点』に片足を踏み込んでいた私には分かる。〇次元への近道は、ちっぽけな宝石なんかにゃない。……私の目的は、ルイズだ」

 

 そこまで言ってから、麦野は眼下に見える『それら』を見た。

 

「……まあ、なんだ。その為に、差し当たって無粋なゾンビどもを蹴散らすとしますかね」

 

***

 

 ルイズの『虚無』は、此処に開花した。

 しかし、兵士たちが見ていたのは、絶望の光景だった。

 『レキシントン』の爆発によって発生した、一面の火の海。その中から、ぞろぞろと兵士たちが現れるのだ。焼かれているはずなのに、死んでいなくてはおかしいのに、腕が吹っ飛んでいるのに、まるで逆再生のように再生し、精気を映さない眼差しで、よろよろと進軍を続けるのだ。

 

「ば、馬鹿な……」

 

 兵士の一人が呟いた。

 

「そうか……そういうことだったんだ……! おかしいとは思っていた、何で反乱軍があれほどの短期間でこの国を掌握できたのか!! 答えは此処にあったんだ、ヤツら、『生きる屍』を兵士にしていたんだ!!」

 

 自分の兵士は死なず、死んだ敵兵は自分の兵士になる。

 なるほど、それならこれほどの勢いで勝ち進んできた理由というのも説明できるだろう。だが。

 

「だが、これをどうしろというんだ……? あの爆発でも死ななかった不死身を、どうすれば倒せるっていうんだ…………」

「……くっ」

 

 ルイズは、悔しそうに下唇を噛み締めた。もう、先程の一撃でルイズの精神力は打ち止めだった。もはや、立っているのも精一杯という有様だった。にも拘らず、敵兵は健在。勝ち目なんて見えなかった。

 

「わ、たしが、もう一回……もう一回『虚無』を撃つ。今度は、地面を対象に。そうすれば、敵兵を残らず爆発で吹っ飛ばして、大陸の外まで押し出せる。殺せなくても、そうすれば……」

「待ってください!! 貴方はもう立っているのが精いっぱいなのではないですか!? これ以上そんなことをすれば死んでしまいます! あなたがそこまでする必要はない! 十分やってくださった!」

「でも、こんなところで、引き下がるわけには――――」

 

 ふっと、そこまで言いかけたルイズの横を誰かが横ぎった。

 茶色い髪。

 この世界では見ない着こなし方の服を身に纏った、異邦人(イレギュラー)

 禍々しい笑みを浮かべたその女は、ぽん、とすれ違いざまにルイズの肩を叩いて歩く。

 

「――そこで休んでいなさい、()()()。此処から先は、使い魔の出番よ」



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第一四章

 麦野は目の前にいる軍勢を見た。

 流石に、全員が全員ゾンビというわけでもなかったらしい。数としては、一万かそこら。多分、ゾンビだったとしても爆発に巻き込まれて粉みじんになった連中は再生しきれずに死んでいるのだろう。

 歌を歌うような調子で、麦野は言葉を紡いでいく。

 

「っつーかさぁ、こっちに来てから、チカラぁ制御しなくちゃならねえわクソ生意気なガキの子守をしなくちゃならねえわでこちとら鬱憤が溜まりまくってんのよ」

 

 まるで散歩でもするみたいな足取りの軽さで、麦野沈利は、学園都市が生んだ正真正銘のバケモノは、一万の軍勢に歩み寄って行く。一万対一。桁がいくつ違うとかいう話ではない。そもそも比較にすらならない勝負。

 もはや一を全体の中から見極めることが難しいレベルの構図でも、麦野は笑みを崩していなかった。

 不敵な笑み、ですらない。彼女は、目の前の『これ』を障害と認めていない。久しぶりにハメを外せる。そんな感覚しかない。

 

「だから、ちぃーっと憂さ晴らしに付き合ってもらいましょうかぁ!!」

 

 麦野が、右手を突き出す。

 ――瞬間。

 光が、席巻した。

 ゴヒュガバゴッッッ!!!! と、それだけで一万の軍勢の一角が『消滅』した。麦野が突き出した右手の先から放たれたまばゆい光が、不死身のはずのゾンビを跡形もなくこの世から消し飛ばしていた。

 それを認めた麦野は、ただ右手を振る。それだけで、大剣と化した光条が横薙ぎになる。ボバッッ!! と散発的な爆発を発生させながら、冗談みたいに敵兵をなぶり殺しにしていく。

 

「オラ、どうしたどうした! ハルケギニアのメイジってのはこの程度かァ!? もっと骨太なのはいないのかしらねえ!?」

 

 後には――何も残らない。

 そこは、妙に現実感の薄い世界だった。悲劇なんか、どこにもない。腕を消し飛ばされて悲鳴を上げる敵兵も、上半身だけが転がっている不運な被害者も、そこにはなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 麦野沈利は、そんな安易な悲劇を認めない。

 血飛沫も、悲鳴も、人間らしさなんてどこにも残さない。

 『眼に見えない』レベルまで引き上げられた殺戮。

 そこに人間がいたという証さえ、殺し尽くす。

 死体として戦場に転がるという、人間に残された最後の尊厳さえも失わせるのが、第四位の異能だ。

 

「くだらねえなあ、一万の軍勢? こんなのなら二万でも三万でも持って来いよ! この私の前に立ちふさがったのが運の尽きだ! いくら有象無象を積み重ねたところで、私に勝てる訳がねェんだよ!!」

 

 その時、軍勢の生き残りから複数の雷が放たれる。

 雷光輝槍(ライトニングクラウド)。風のトライアングルスペルで、雷を相手に撃ち込む攻撃だ。

 その飛来速度はまさしく『雷速』。伝説の使い魔『ガンダールヴ』でさえ、咄嗟に剣を構えることしか許されなかった神速の領域。躱すどころか、防御する事さえ凡人には許されない。

 それが、複数。たとえどんな達人であろうと、防御できるはずがない。それどころか、生存さえ危うい一手。

 しかし、

 

「釈迦に説法って知ってるかァ脳筋どもォ!」

 

 本質的には電撃使い(エレクトロマスター)でもある麦野に、それは無意味だった。麦野に当たる前にそれは弾かれ、返す刃で放たれた滅びの光がまた人間の尊厳を毟り取って行く。

 麦野は高笑いしながらも、頭の中ではものすごい速度で思考を巡らせていた。

 考えるのは、あのルイズの『エクスプロージョン』のことだ。

 

(あの時、私は見た。『レキシントン』の側面だけが、まるで切り抜かれたみたいに局地的に爆破されたのを。アレは、『爆発』を『送り込んでいる』んだ。『〇次元の極点』を介してな……。……ルイズはそのことに気付いていないだろう。あの魔法を開発したのは『始祖』――ブリミルであって、ルイズはいわば用意されたプログラムをただ走らせただけだ。プログラムの一部分に使用されているにすぎない『〇次元』関連を抜き出させるのは、アレがいくら勤勉だからって無理でしょうね)

 

 魔法を撃ち込むだけでは侵攻は不可能と判断したのか、二割ほどが消し飛ばされたゾンビの軍勢は数に物を言わせて麦野に突撃を始める。だが、それこそ麦野の思うつぼだった。地面に適当に放射された地獄の熱線が、地面をグツグツのシチューのように沸騰させてしまう。ゾンビたちは構わず進むが、当然ながら人間が溶岩の上を歩けばどうなるかなど知れている。燃え上がったゾンビたちは溶岩地帯を渡り切る前に消し炭になっていく。

 

(だが、そこは重要じゃない。重要なのは『ルイズが〇次元の極点に干渉するスキルを持っている』っていう一点だ。スキルの解析は、理論を知る私がやれば良い。もともと、ネックは『〇次元の認識』だった。それを片付けるピースが揃っていれば、あとは簡単に話が進む)

 

 燃え上がる仲間の死体を足蹴にして溶岩地帯を突破してきたゾンビ達のど真ん中に突撃した麦野は、そのまま右手を突き出して一回転した。ラ・ロシェールの時に放った物の数倍の規模の絶滅の大剣が振るわれ、麦野の半径五〇メートルから生命の痕跡を削り取る。

 麦野が陣中に入って来た今、彼女を無視して侵攻すべきと判断したゾンビ達はそのまま進軍を再開した。しかし麦野がそれを許さない。両手を広げた体勢を取った麦野は、今度は両手から莫大な光を放つ。

 

(つまり)

 

 ゴールテープのように広げられたそれは長さにして一〇〇メートルを超え、麦野が腕を振るった瞬間、後方部隊を除くすべての軍勢――つまり、全体の六割がこの世から消滅した。

 

(あと一回だ。あと一回、ルイズが『あの爆発』を発動させれば、私の『〇次元の極点』も完成する)

 

 であるならば、どう動けば良いのかは明確だった。

 ルイズの様子を見るに、『あの爆発』は連続して発動することはできないのだろう。一発撃てば精神力は尽き果てる。回復にどれほど時間がかかるかは不明だが、通常のメイジが空っぽになるまで精神力を使い切った後、全快になるまで二日から三日はかかるということから、最低でもそのくらいはかかると考えられる。威力からさらにかかる可能性も考慮して最大でも一か月程度と仮定して、最短でルイズに『あの爆発』をもう一度使わせるにはどうすればいいか。

 簡単だ。戦争を起こして、それにルイズを巻き込めば良い。

 ルイズの身の安全など、究極的にはどうでも良い。『〇次元の極点』さえ開花してしまえば、ルイズはおろかこの世界のすべてに用はない。精々飽きるまでこの世界の頂点とやらを楽しんで、飽きてしまえば捨てて新たな『世界』に目を向けよう。

 

「しっかし歯ごたえがねェよな。有象無象は死んでも有象無象かよ。『黒幕』ももうちょい歯ごたえのあるヤツを用意してくれたら面白かったんだがなあ――」

 

 麦野は、呆れるような声色で呟いた。

 これが『虚無』でないことは明らかだ。ルイズの魔法を見れば、分かるだろう。あの桁違いの威力を。アレに釣り合うようなレベルでなければ、虚無とは到底言い難い。出来損ないの生きる屍を生み出す程度では、『虚無』とは言えまい。

 ならば系統魔法かと言えば、そうとも言えない。数万にも及ぶ生きる屍を生み出すのは、スクウェアでも不可能だ。

 では――最後に残るのは、『先住魔法』の可能性だ。だが、反乱軍の長オリヴァー・クロムウェルはただの聖職者であり、エルフではない。だとするならば、彼は傀儡であり、それを操る『何者か』がレコンキスタを裏で操っていると考えるのが自然だろう。

 

「――あん?」

 

 そこで、麦野は気付いた。

 ふらふらとよろめくばかりだったメイジの向こう側に、『おかしなもの』が存在している。

 それは、この世界ではとんと見ない形状のものだった。

 全体的なシルエットとしては、カマキリが近いだろう。両手に巨大な重機を抱え、何本もの足を生やしたそれはどこか生物的な印象を感じさせる。しかし、その材質はどうしようもなく無機物だった。金属的な光沢、そして無機質な駆動。その全てが、ハルケギニアにはあり得ない『機械』の存在を示している。

 

 麦野は、『それ』が何なのか知らない。

 無理もないだろう。『それ』は彼女がこの世界に移動したときよりも幾分先の未来において、発展を遂げた『その街』が作り出した、新たなる兵器なのだから。

 FIVE_Over.Modelcase_"RAILGUN"。

 第三位の最後の切り札、レールガンを超える出力の弾丸を一分間で一〇〇〇発放つ、正真正銘のバケモノ。

 限定的とはいえ第三位を上回った『それ』が、第四位に牙を剥く。

 

***

 

第一四章 科学の発展は日進月歩 VS_"3rd"_Over.

 

***

 

「な、なあ、ミス・シェフィールド。我々は本当に大丈夫なのかね?」

 

 光の殺戮を操る女がいる戦場より、馬で数時間ほどの地点。

 そこにレコンキスタの本陣はあった。本来ならばアルビオンの首都に居を構えているべきなのだが、今はまだ戦争中だ。士気を高める為にも、首領であるクロムウェルがのんびりとしている訳にはいかなかった。こういった『サービス』を積極的に行っているからこそ、クロムウェルの求心力も高まっているのだ。

 

「問題ありません。『あれ』を投入いたしましたので、何かしらの成果はあるでしょう」

 

 シェフィールドと呼ばれた黒髪の女性は、そう言って不安そうなクロムウェルを宥める。

 長い前髪によって隠されたその額には、伝説の使い魔『神の頭脳(ミョズニトニルン)』の証であるルーンが刻まれている。つまり、正真正銘、彼女もまた虚無の使い魔ということになる。

 

(……しかし、私達『ガリアの虚無』ばかりが強化を受けていると考えるのは少しばかり早計だったようね……)

 

 シェフィールドは無能な傀儡を宥めながら、そう思った。

 『場違いな工芸品』、というものが存在している。

 どこからか東方から流れ着くもの、という認識が大半だが、実際にはそうでないことをシェフィールドは知っている。

 『場違いな工芸品』とは――ガンダールヴの『右手』にあたる武器のことだ。

 ガンダールヴの左手には、常にデルフリンガーという魔法の剣が携えられ、右手にはそのとき世界で最も強力な武器が与えられる。六〇〇〇年前はそれが『長槍』だったが、今はそうではない。それだけのことだ。

 始祖の『虚無』は東方の果てに世界を繋ぐ扉を生み出し、そして『長槍』となるべき武器を呼び込んでいる。それが、『場違いな工芸品』が現れる理由だった。

 

(我が主――ガリア王ジョゼフ様は、エルフと契約を結んでおられる)

 

 だから、ジョゼフは『場違いな工芸品』のうち幾つかを所有していた。今回、シェフィールドが洗脳した兵士を収容して自在に操れるようにした『あの兵器』も、そうした手駒の内の一つだった。

 ジョゼフとしては、玩具をシェフィールドに貸し出して適当な場所で試し打ちでもさせるつもりだったのだろうが、予想外にトリステインの虚無は強力だった。『エクスプロージョン』なんてものを撃ち出した挙句、その使い魔は一万の軍勢をたったの一人で消し去る勢いだ。こちらも隠し玉を投入しなくてはならなくなった、と言う訳である。

 

(とはいえ、『場違いな工芸品』を抑えている以上、ガンダールヴの左手は封じられている。あの能力でどこまで行けるか見ものだけど)

 

 シェフィールドはそんなことを考える。

 

(名も知らぬ異世界の兵器の基本スペックはこちらも調査済み。アレは人間を食い、そして人間の知能を利用する鉄のバケモノ。『破壊の暴風』を撒き散らす、これまでの『場違いな工芸品』とは隔絶したもの。さらにそれにスクウェアメイジの固定化をかけている――最強の矛に、最強の盾。いかにあの使い魔と言えど、)

 

 そう考え、もう一度戦場に目を向けたシェフィールドは、驚愕すべき光景を見た。

 

***

 

「おーおー、学園都市製の兵器が紛れ込んでいたとはねえ」

 

 麦野は、鋼鉄製のカマキリを目の前にしてそんなことを呟いた。

 流石にハルケギニアのメイジは歯ごたえがないと思っていたが、その結果出て来るのが元の世界の産物というのは少々皮肉がききすぎだ。

 暗部に身を置いている麦野をして、この兵器は見たことがなかった。どうやらガトリングを両手の鎌に一門ずつ装備しているようだが、たかがその程度の機械が『学園都市製兵器』として完成するはずもない。何かしらのゲテモノ科学が組み込まれているはずだ――、と。

 ヴン、という音が聞こえた。

 見てみると、それは鋼鉄製のカマキリが宙に浮いた音だった。機体背部にある翅型のパーツが高速振動し、それによって超音波を生み出し、渦型の気流を生み出して浮かび上がっているのだ。

 麦野は、なるほど――と思った。

 彼女の能力の欠点として、照準にほんのわずかな『ラグ』があることがあげられる。その為、高速移動する敵に対してはなかなか狙いを定めきれず、不発に陥ることがままある。(尤も、これは躱されるたびに彼女が熱くなって偏差射撃といった手を考えなくなってしまうこともあるのだが)

 その点で、空を縦横無尽に動くという性質を持つ兵器はなかなかそれなりに相性のいいチョイスと言えるだろう。

 

「しっかし、どこから出て来たコイツは? まさか私の様に使い魔召喚でこんなブツが出て来るとは思えないし……何かしら、召喚されるルートがあるってことか? 確か、『場違いな工芸品』とかって話をコッパゲがしていたが……」

 

 麦野が分析する間もなく、鋼鉄製のカマキリは攻撃を開始した。

 その攻撃を難なく電子の盾で防ごうとした麦野は、次の瞬間驚愕に目を見開くことになる。

 

 直後、暴風。

 

 ドドドドガガガガガガガガガガガガガザザザザザザザザザザザザギギギギギギギギギギ!!!! と。

 地盤さえ粉砕するのではないかと錯覚するほどの『弾丸』の嵐が、周囲を席巻した。

 とてもではないが、まともな科学の代物とは思えなかった。

 麦野がいた世界の科学では、こんなものは作れなかったはずだ。

 そして、麦野は不意に気付いた。

 翅を格納する為と思しき腹部パーツに刻印されていた、その名前。

 ファイブオーバー、というその言葉。そして、それに続く文字の羅列。

 その意味を理解した麦野は、

 

「……ぷっ」

 

 笑った。

 

「あはははははははははははは!!!!!! そう、か、そうかそうか、なるほど、学園都市ってのはついにそこまでやっちまったか!! 単純な科学で、第三位の、お株を奪うって? くくっ、あのクソガキ、何だよこれ、滑稽にもほどがあるぞ! それをこの『第四位』の私にぶつけるって、あは、あははははははは!!」

 

 もはやまともな文法すら成立していない有様だったが、それほど麦野の感情は揺さぶられていた。

 そう。

 

「――――――この私をナメんのも大概にしろよ」

 

 これ以上ないほどに、キレていた。

 

「よりにもよって!! 『第三位を超えた兵器』だと!? あんな応用性だけが取り柄のメスガキをレールガンの一点突破で超えただけの兵器を、この麦野沈利に!! 最悪の破壊力を誇る原子崩し(メルトダウナー)にぶつけるだって!?」

 

 『前の世界』において、麦野沈利は完全に第三位に勝利した。

 麦野と共闘した御坂妹(シスターズ)に対し白井と美琴が本気を出せなかったこと、上条当麻の死亡によって御坂美琴の自分だけの現実(パーソナルリアリティ)に大きな揺らぎがあったこと、木原数多による妨害工作など、様々な偶然や要因が重なったものの彼女の自意識に置いて第四位は第三位を超越した。

 しかし、それでもなお麦野沈利という人間にとって、『第三位の能力』は拭いがたいコンプレックスだった。御坂美琴は克服できたかもしれない。だが、それでも原子崩し(メルトダウナー)が第四位であることに変わりはない。自分の才能では、超電磁砲(レールガン)の後塵を拝し続けるしかない。そういう意識が、麦野の中にはこびりついていた。

 だから、その『第三位』を『スペックの上で超越した存在』というものが現れた時、彼女の自尊心は激しく刺激されたのだ。

 

「オラぁご自慢のレールガンでコイツが防げるのかよォ!?」

 

 一筋の光条が放たれるが、これはファイブオーバーによって回避される。

 返す刃でファイブオーバーが死神の鎌を振るうが、これもまた電子の盾が遮る。ただ、それでも余波を抑えきることはできず、麦野の頬に一筋の切り傷が生まれた。

 電子の盾では、防ぎきれない。いや、正確には()()()防ぐことが出来た。しかし、流れ弾が弾いた瓦礫だけでも殺人級だ。麦野の身体に細かな破片が幾つも突き刺さる。

 一万の不死者の軍勢を無傷で消し飛ばし、あまつさえ最後の尊厳さえも無慈悲に毟り取った怪物が、いとも簡単に傷を負っていた。

 

「逃げてんじゃねえぞ羽虫ィ!! ブンブンブンブン飛び回りやがって逃げ足まであのクソガキみてェだなオイ!」

 

 このままいけば、麦野沈利は敗北する。

 

 確かに、麦野の攻撃は最強だ。スクウェアが固定化をかけようと、そんなものは関係ない。それ以上の力で機体をブチ抜くだろう。だが、最強の矛も当たらなくては意味を成さない。対してファイブオーバーは、着実に死神の鎌を首筋に押し当てつつある。たとえほんの少しずつでも、ファイブオーバーは機械で麦野は人間。そのスタミナの違いは、やがて大きな差となってくる。たとえファイブオーバーの弾丸に限りがあったとしても、それが尽きる前に麦野沈利の命が尽きる。

 消耗戦にすら勝機を見出すことができない。

 ファイブオーバー。

 第三位を超える兵器に、第四位は勝利することができない。

 

「わ・け・が・ね・え・よ・なァ!!」

 

 勝利することができない――はずだった。

 少なくとも、スペックシートを見れば誰もが絶対にそう言うはずだ。麦野沈利はファイブオーバーには勝てない。頼みの綱の能力は当たらず、そして徐々に体力は削られていく。そんな状況で勝機を見いだせるほど、学園都市の兵力は甘くない。他がどうだとしても、此処だけは法則が違う。此処は剣と魔法の世界ではない。もっとどす黒くもっとうすら寒くもっと救いようのない何かが渦巻く法則に支配されているのだから。

 だが。

 

 ガグン!! とファイブオーバーが空中で傾いた。

 

「……テメェのその浮遊方法。その翅の振動で空気をどうにかしてんだろ? なら簡単だ。それを徹底的に乱してやればいい」

 

 勿論、ファイブオーバーにもその対策はなされていた。ガトリングレールガンはその威力の関係もあって空気を多大に撹拌する。そんなものを撃ちながら空を飛ぶことができるのだ。生半可な気流の乱れは意味を成さない。

 なら、麦野はどうやってファイブオーバーの動きを止めることに成功したのか?

 簡単だ。()()()()()()()乱した。

 麦野の原子崩し(メルトダウナー)は凶悪な威力を誇っている。触れたものそのあまりの抵抗力に激しく熱され、跡形もなく消し飛ばされてしまう程だ。

 では、空ぶったからといってその威力はまったく無意味になるかと言うと、そうではない。何もない部分を通過しているように見えても、原子崩し(メルトダウナー)は空気――より正確には、空気中の塵を焼き尽くしているのだ。

 平時なら全く問題ないとしても、断続的にガトリングレールガンを叩き込まれ、粉塵が多く舞っているこの状況下、原子崩し(メルトダウナー)の残光はファイブオーバーの翅に致命的なダメージを与えた。

 そしてその結果が、この隙だ。

 

「フン。ま、テメェもあのガキと同じようにそのあたりでくたばってるのがお似合いの最期だよ」

 

 本来ならば。

 本来ならば、この展開はあり得ないはずだった。そもそも、怒りに我を忘れた麦野沈利はこんな搦め手を使うことができないはずだった。コンプレックスである第三位を超えた兵器という肩書に対し、真っ向勝負で叩き潰さないと気が済まないとばかりに馬鹿の一つ覚えで能力を使い続け、それで消耗して敗北する、それが麦野沈利という少女の持つ精神性の欠点だったはずだ。

 にも拘らず、麦野沈利は勝利した。まるで、そういう形に、彼女が絶対に勝利してしまうように『運命』そのものが歪められているかのように。

 

「んじゃ、そういうわけで――」

 

 麦野は、これ以上ないくらいに愉悦に顔をゆがませて、勝ち誇って呟く。

 ゆっくりと、唇が最期の言葉を紡いでいく。

 

 ――ブ・チ・コ・ロ・シ・カ・ク・テ・イ・ね。

 

***

 

「何だ、あれは……」

 

 誰かが、呻き声をあげた。

 そこにあったのは、ルイズの虚無を見た時のような希望ではない。まず、『あんなものがこの世に存在していていいのか』という恐怖。そして『あれが向けられているのが自分達でなくて良かった』という安堵。

 それが、今、彼らを支配している感情だった。

 だが、彼らを薄情者と罵ることが出来る人間がどこにいようか。一万もの不死者の軍勢をものの十数分で蹴散らして、鉄の暴風を吹かせるカマキリの怪物との死闘を制して、それでもなお愉悦と嗜虐の禍々しい笑みを浮かべる人間のどこをどう切り取れば、救国の英雄と手放しで称えられるだろうか。

 

「シズリ……」

 

 それはルイズも同じだった。

 いや、ルイズが物憂げな表情をしているのは、他の兵士たちと同じような理由からではない。ルイズの心配の種は、麦野の『奇妙なやさしさ』にあった。

 あの麦野が、どうして急に優しく豹変したのか。そして、何故あれほど機嫌が良くなったのか。聡いルイズは既に理由が分かっていた。『虚無』だ。麦野は、ルイズの『虚無』を見て機嫌をよくしたのだ。

 その『虚無』をこんなところで失いたくないから、麦野は一万の軍勢を消し飛ばした。麦野にとって『価値』が生まれたから、ルイズのことを認めた。

 それは、ルイズにとってはとても悲しいことだった。だって、こんな形で麦野に認められたって、それは麦野がルイズの成長を認めた訳ではないから。ただ、麦野はルイズが生まれつき持っていた()()の『虚無』を認めただけだから。

 

「私は……私は、こんな形でアイツに名前を呼ばれたかったんじゃないのに…………」

 

 もう、麦野はルイズの『虚無』しか見てくれないのではないか。表面上は、自分と対等の存在として尊重してくれるだろう。上っ面だけ見れば、今までとは比べ物にならないくらい充実した関係になるだろう。

 だが、麦野はその裏でルイズのことを体の良い『道具』としてしか見ない。そして、その状態でルイズの『価値』は固定されてしまい、もうどうしようも動かせなくなるのではないか。そんな不安が、ルイズに襲い掛かる。

 伝説の系統に目覚め、『ゼロ』の汚名をそそげるはずだったのに、ルイズの心はちっともはずんでくれない。本当の本当に認めてほしかった相手は――もう二度とルイズのことを見てくれない。

 そこまで考えて、ああ、とルイズは腑に落ちた。

 何で、麦野に認めてもらうことに、あんなに躍起になったのか。

 使い魔にいつまでも舐められる主人なんて貴族として失格だからとか、自分を侮る麦野を一言ぎゃふんと言わせたいからとか、そんな理由だと、ルイズは今の今まで思っていた。だが、違った。これは、この喪失感は――。

 

「皆の者!!」

 

 そこで、ウェールズの檄が聞こえた。

 見ると、長剣を携えたウェールズが勇ましい顔をして恐怖に囚われた兵士たちを鼓舞していた。

 

「道は『虚無』の聖女とその使い魔が切り開いてくれた!! 伝説とはいえただの学生が勇気を振り絞って立ち上がってくれたのだ!! 軍人たる我らが此処で怖気づいてどうする!! アルビオンの誇りを見せようという昨晩の気概はどこへと消え失せたのだ!?」

 

 ウェールズの言葉に、一人、また一人と戦意が奮い起こされる。数秒と経たないうちに、アルビオンの兵士たちはルイズの『虚無』を見た直後と同等以上の士気を取り戻した。

 未来の王の掛け声と共に、たった数百の兵士が進軍を開始する。

 ルイズは、ただその後姿を見ているだけしかできなかった。

 

***

 

『……して、どうだったね? 愛しの女神(ミューズ)よ』

「……レコンキスタは、もう駄目でしょう。アンドバリを以てしても、跡形もなく死体を消し飛ばされては再生のしようもございません。ワルドからの連絡もありませんし、王党派も本拠地めがけ進軍を始めています」

『そうか。ならそれで良い、余のところへ戻るが良い。そんなところでミューズを失う訳にはいかんからな』

「ジョゼフ様、勿体なきお言葉です……」

 

 シェフィールドは、頬を赤く染めながら歩いていた。

 その手には鏡のようなマジックアイテムがあり、中には青髭がたくましい壮年の男――ガリア王ジョゼフの姿があった。

 その彼女はレコンキスタに見切りをつけ、緊急脱出用のフネで空の国アルビオンを後にするところだった。ちらと後ろを振り返ったシェフィールドは、ふとあの使い魔に思いを馳せる。

 あの様子から察するに、どうにもあの機械と因縁があったのだろうが、アレは『場違いな工芸品』。この世界ではないどこかから来ていることを、東方ロバ・アルカリ・イエの出身であるシェフィールドは知っている。あの妙な能力と言い、あの使い魔は異世界の人間らしい。

 ジョゼフはそのことを知り、早くもあの使い魔とトリステインの虚無に興味を示したようだ。せっかくの遊び道具が壊れてしまいどうなることかと思ったが、結果としてジョゼフを楽しませることができたのだからこれで良かったか、とシェフィールドは思う。

 

「あのお方を喜ばせる為に――精々、頑張ってね。トリステインの虚無」

 

 この時、シェフィールドは気付いていなかった。

 自分達が盤上で見ている『駒』が、盤面の上どころか、駒を操る『プレイヤー』にさえ牙を剥きかねない存在だと言うことに。

 

 ――レコンキスタが壊滅し、アルビオンの内戦が終結したのは、翌日の朝のことだった――――。



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第一五章

 麦野とルイズ、そしてワルドはアルビオン内戦の終結をその目で見ることはなかった。

 というのも、貴族派がルイズ達の動向を把握していた以上、今回のアルビオン内戦の逆転勝利にルイズ達が関わっていると感づかれるのは少々拙いのだ。何故拙いかというと……、

 

「――御三方とも、お疲れ様でした。……なんと、なんと礼を申し上げればよいのやら」

「姫さま、礼なんていりませんわ。我々は臣下としての務めを果たしたまでです。当然のことなのです」

「臣下としての務めだなんて! ああ、ルイズ! 謙遜も過ぎれば白々しいわよ! 貴方達は『手紙を受け取る』という任務だけでは飽き足らず、ウェールズ様の御命まで救ったじゃない! ありがとう、本当にありがとう!」

 

 ――という話はさておいて、宮殿。

 アルビオンを後にした麦野、ルイズ、ワルドはトリスタニアの王宮に戻り、事の次第をアンリエッタに報告していた。アンリエッタの他には誰もおらず、殆ど密会のような状態だ。だからなのか、アンリエッタは『王女という公人』ではなく、『恋人を救ってもらった少女』としての感情を滲ませていた。

 ワルドが肩を竦め、麦野に視線を寄せて来る。まったく困った王女さまだ、とでも言いたいのだろう。麦野はふっと皮肉げな笑みを返すにとどまった。苦言を呈するほど麦野はアンリエッタに忠誠を抱いていないし、自覚の足りない王女様にいちいちつっかかるほど機嫌が悪いわけでもなかった。

 

「――それに、まだ問題は終わっていませんわ」

 

 ルイズは、浮足立つアンリエッタを宥めるように声色を変えた。その雰囲気の変化に、アンリエッタも何かがあるのだと思って顔を引き締める。

 

「わたしは、あの戦いにおいて『虚無』に目覚めました」

「! ルイズ、それは……」

 

 アンリエッタは動揺するが、否定はしなかった。彼女とて、不思議に思ってはいたのだ。スクウェアを倒すほどのメイジとはいえ、たった三人で負け戦を勝たせることなどふつうは(ふつうじゃない使い魔が此処に一人いるが)無理だ。だから、ルイズにはただのスクウェア以上の『何か』があるのかもしれない。そう考えてはいた。

 

「そして、『虚無』に目覚めたからこそ分かります。アレは……『偏りすぎている』」

 

 これは、麦野からの進言がもとで気付いたことだ。

 あの『生ける屍』は虚無ではない。それにしては、明らかに現象の『規模』が小さすぎる――とは、麦野の言葉だ。ルイズはその『規模』という考え方は分からなかったが、虚無に目覚めたからこそ分かる『魔法の質』については気付いていた。虚無が完全なるニュートラルだとしたら、『生ける屍』を操るあの魔法は幾分か『水』に偏っている。規格外ではあるが、虚無ではない。

 

「おそらく、先住魔法の力を封じ込めたマジックアイテムを使い、虚無を騙っていたのではないでしょうか」

「……で、でも。それはつまり……」

 

 そこまで言われれば、アンリエッタもルイズの言いたいこと――危惧していることが分かる。

 そして、最初の『内戦終結にルイズ達が関与しているとバレるのがマズイ理由』に繋がる。

 

 つまり――『第三国』の存在だ。

 ただの一介の聖職者でしかないオリヴァー=クロムウェルが、先住魔法の力を封じ込めたマジックアイテムを手に入れられた理由。そして、あれほどの兵士を手に入れることが出来ただけの理由。それは、そのバックに国が着いていたからだ。その財力を盾にしていたと考えれば、クロムウェルの台頭にも納得がいく。……納得がいってしまう。

 そして第三国の目的は分からないが、これほど大掛かりな手を使っておきながらアルビオンの転覆を今さら諦めるということはしないだろう。これからもアルビオンへの攻撃を続けるはずだ。そこに『トリステイン』という異物があれば、当然排除しようとする。

 ……排除しようとするのだ。『トリステイン』が反乱の鎮圧に一枚かんでいるとバレれば。だから、バレないうちに撤退した。これが、反乱終結の前にルイズ達がアルビオンを後にした理由である。

 

「戦争は、まだ終わっちゃいないわ」

 

 そこで、黙っていた麦野が初めて口を開いた。

 

「この事実はアルビオンの王子様――もとい王様にも教えてある。『ありがとう、反乱の手引きをしてアルビオンの民をいたずらに傷つけた者たちを僕は絶対に許さない』だとよ。……そして当然、トリステインもそうなるよな?」

「勿論ですわ」

 

 アンリエッタの私怨以外にも、トリステインがいつ反乱の鎮圧に加わっていたとバレるか分からない以上、先手を打って叩く戦略的必要性も発生する。――そういう意味で、無用な外交リスクを生み出したルイズの決断は一見迂闊にも見えるのだが、レコンキスタがアルビオンを統一してしまえばどのみちトリステインも遅かれ早かれ侵攻されていたと考えると、あながち迂闊とも言い難い、むずかしい状態だった。

 

「……下手人を調べるんなら、『指環の出所』と『場違いな工芸品』を調べな」

「……? 指輪の出所を調べる意図は分かりますが、何故場違いな工芸品を? あれはただの骨董品では……」

 

 骨董品、と言った瞬間、ルイズとワルドの顔が強張る。まるで『何を言ってるんだお前は』とでも言いたげな反応だったが、無理もない。ハルケギニアに一般流通している『場違いな工芸品』は、あくまで場違いな『工芸品』でしかないのだ。

 ともあれその表情の変化でアンリエッタも自分の言っていることがどこかピントのズレた指摘だと気付いたのか、

 

「もしかして、反乱軍は『場違いな工芸品』を用いて何かしたのでしょうか?」

「……機械で出来た蟲を操っておりました」

 

 答えたのは、ルイズや麦野と違い一人戦争の行く末を見守っていたワルドだった。何もしていなかったワルドだが、彼はこれでも戦争のスペシャリストだ。見ているだけでも、分かっていることはたくさんあった。

 

「大地を割るかのような『弾丸の嵐』を放つ二つの鎌を持ち、軽快に空を飛び回ってこちらの攻撃を回避していたのです。……、()()()()いなければ、今頃どうなっていたことか」

 

 ワルドがルイズ、と言ったのは麦野の指示だった。今この時点で能力を国に晒すつもりはない。だから適当に上手いこと言って誤魔化してくれ。勿論言わなければ――と脅迫、もといお願いされ、ワルドは当然それを快諾した。

 アンリエッタは大地を割るほどの弾丸の嵐、という言葉を聞き、俄かに想像力が追いつかないようだったが、それでも戦力の強大さは思い知ったのだろう。軽く顔を青褪めさせていた。

 

「……何より恐ろしいのは、敵国はそれを『ただの玩具』として扱っていたという事実です」

 

 ワルドはゆっくりと語り出す。これは誰の受け売りでもない、彼自身のオリジナルの発想だった。

 

「軍属として活動しているから言えるのですが、軍隊というのは突出した戦力を好みません。ムラはあるが時と場合によって一〇〇%の力を出し切れる人間の集まりよりも、いつでもどこでも確実に八〇%の力を出す方が、軍隊としては信頼できるからです。……ですが、それでも突出した戦力を組み込んだ方が有益と判断された場合には、その突出した一を徹底的にサポートする形で軍隊を編成するのです」

「……凄い武器がある場合、それをただ軍隊に組み込むのではなく、それを中心に軍隊そのものを作り替える、ということですか?」

「左様でございます。姫様のご慧眼、御見それいたしました」

「おべっかは必要ありません。続きを」

 

 ワルドは敬服したように頭を下げ、続きを話し始める。

 

「そのセオリーを前提に考えると、あの機械の蟲の運用はあまりに歪でした。まるで他の駒が全部とられてからクイーンを動かすような、あるいは出す予定のなかった出し物を急遽出したような登場の仕方でした。……たった一つしかない隠し玉の運用としては、あまりにも杜撰にすぎる」

「…………、」

 

 アンリエッタもまた、その意味を理解した。

 

「で、ではまさか……。ルイズがいなければ、それだけで王軍が壊滅していたかもしれない機械を、その敵国は……、」

「他にも持っているでしょうな。少なくとも一〇。最悪それ以上」

「………………………………………………………………」

 

 絶望的な情報だった。

 そんなもの、適当にトリステインに全部放ってしまえばそれだけで一夜にして国盗りがなされるだろう。

 

「ですが、アルビオンにその手を使わなかった以上、相手には迂闊に機械の蟲を動かせない理由があります」

「そ、その理由というのは?」

「それは――ミス・ムギノから説明してもらった方が早いでしょう」

 

 麦野に話を向けると、アンリエッタは素直にそちらの方を向いた。

 

「――弾数の問題よ」

 

 麦野はこの純粋な少女に言っている意味が分かるだろうか? と疑問に思いつつ、話し始める。

 

「『場違いな工芸品』は知っての通り東方から流れて来たもの。つまり、ハルケギニアには製造技術がない。……加えてあの弾丸は特別製だから、錬金で作ろうにもおそらく一人のスクウェアが一か月に一〇発程度が精々。……まあそれだけでも十分脅威だけど、後先考えずに連発していたらすぐに弾切れを起こすでしょうね」

 

 もちろん敵国の方でも弾丸の備蓄は行っているだろうが、何せ一分間に四〇〇〇発だ。どれだけ作ろうが大量生産しない限り物の数ではない。だからこそ、最強の兵器のはずなのに敵国は『使いどころ』を慎重に見極めているのだ。逆にそれは、『ここぞ』というところで使って来るということだが、そこにルイズをぶつければ確実な勝利を手にすることができるということでもある。

 

「……ルイズ。貴方の『虚無』に、それらを打開できるかどうかが懸っている、ということなのね」

「その通りにございます、姫さま」

 

 ルイズというジョーカーに頼らざるを得ない状況というのは、国としては不健全と言わざるを得ないが、そんなことを言っていられないのがこの状況だ。

 ――とはいえ、アンリエッタには迷いもあった。

 大切な『おともだち』を、戦地に送り込むという決断をした後、アンリエッタは後悔した。それしか方法がなかったとはいえ、自分は友人を戦場に送り込んだのだ。王族としてなら『信頼でき、戦闘力の高い臣下』であるルイズを戦地に送り込む決断は決して間違っていない。だが、王族ではない、ただの少女アンリエッタはその決断を深く後悔した。

 ……この状況。

 まるで誰かがそう(しつら)えたかのように、すんなりとルイズが戦争に参加するような『流れ』が出来上がっている。

 これ以上、ただの学生であるルイズを戦いの世界に巻き込みたくない、とアンリエッタは思う。こんな泥沼の政治世界の犠牲になるのは、自分だけで良い。ウェールズを助けてくれたこの『おともだち』に、これ以上汚いものを見せたくない。

 ……正史と違い、愛する人との悲劇なき『離別』を経験したアンリエッタは、そんなことを考えるようになっていた。

 だが、そんなアンリエッタの変化などお構いなしに状況は進んでいく。現状、件の戦力に対抗できそうなトリステインの戦力は、今はどこにいるかも分からない『烈風』くらいのものだ。そうであればこそ、ルイズの虚無に頼らざるを得ない。

 

「……その時が来たら…………よろしく、お願いします」

「はい。私は必要な時が来れば、いつでもトリステインの為にこの『虚無』を捧げるつもりです」

 

 憧れだった『貴族らしい義務』を背負い、杖を掲げるルイズ。そして、最愛の『おともだち』の献身をこの目で確認することが出来たアンリエッタ。

 ……しかし、二人の少女の表情は、いずれも明るいものではなかった。

 

***

 

第一五章 そして日常は始まる And_the_Dark_Wriggles.

 

***

 

「ねえ、シズリ」

「なあにルイズ」

「ううん、なんでもない」

「……変なヤツね」

 

 ワルドと別れ、無事に学院に戻って来たルイズと麦野は、事の顛末をオスマンに説明したのち、自室に戻って来ていた。それからしばらく、ルイズは不在の間の授業の課題をやりつつ、こうして麦野にときどき話しかけているのだが……やはり、麦野はルイズのことを『ルイズ』とちゃんと呼んでくれる。高圧的なのは変わらないが、親しみのようなものも感じられる。

 麦野を自分達の世界に引き込む、と断言した時の様に、一時的なものではない。

 

「はぁ」

「溜息が多いわね。そんなに課題の数が憂鬱?」

「……そんなところよ」

 

 普段は鋭い麦野なのだが、今に限ってはルイズの本心を見抜くことができない。――いや、既に見抜く必要すらないと、心の底からコミュニケーションをとる必要性がないと思われているのか。そう思って、ルイズはまた暗澹とした気持ちになった。

 

「……ねえルイズ。ちょっと辛気臭すぎるわよ。気分転換でもしたらどう?」

「気分転換、ね……」

「旅行にでも行けば良いわ。シエスタから聞いた話だけど、彼女の故郷、タルブってけっこう良い旅行地らしいわよ」

「授業を休んだばかりなのに、旅行なんていけないわよ……」

「あら、そう? この間のはノーカンみたいなモンだし、ちょっとくらい旅行に行ったところでどうにでもごまかしはきくと思うけど」

「……、」

 

 ルイズは黙った。

 基本的に悪いことのできない優等生タイプであるルイズは、学校を『サボる』ということに強い忌避感をおぼえる。だがここ最近の激動の日々で彼女自身常識が緩くなっている部分もあり、何よりこうしてひとつの場所に留まっていると、否が応でも思考が進んでしまい、考えたくないことを考えてしまう。

 

「じゃあ……タルブに旅行に行く?」

「そうしなさい。私は学院に残っているから。案内役にシエスタをつけておいてやるわ」

「え……何で? シズリは行かないの?」

「私は学院で調べたいことがあるから。それに、私がいたら気分転換にならないでしょう?」

 

 麦野は興味なさげにそう言った。――が、ルイズはその言葉に思わずドキリとしていた。

 ……見透かされている。

 ルイズが現状に不満を持っていることも、見透かされている。勿論麦野はルイズを気遣っているわけではない。これは――『管理』だ。人間が家畜や作物の状態を良好に保とうとするように、麦野はルイズから『〇次元の極点』という成果を摘み取る為に良好な状態を保とうとしているのだ。それが、麦野の無機質な態度から分かる。どうしようもなく分かってしまう。

 もはや、全然対等ではない。気遣ってもらうどころの話じゃなかった。こんなのは、対等どころか、同じステージに立ってすらいない。生産者と生産物の関係。……人と物だ。

 

「…………っ」

 

 できるはずだ、とルイズは思っていた。

 ルイズが不敵に勝ち誇り、そして麦野が不機嫌そうに、それでいてどこか満足げに笑って、そして二人が一緒に歩いて行ける未来を、実現できると思っていた。

 でも、そんなのはくだらない幻想だったのだ。もう、ルイズの心は完全に『折れて』しまった。最後の意地で、ルイズは涙を見せる前に部屋から飛び出す。

 

「……、……ま、あれくらいなら許容範囲か」

 

 最後に聞こえた麦野の呟きで、ルイズの瞳は決壊した。

 

***

 

「……ミス・ヴァリエール?」

 

 女子寮の裏庭で、一人座り込んでいたルイズに、少女の声がかけられる。

 艶やかな黒髪に、温和そうな瞳。そばかすが愛らしいメイド。シエスタだ。

 

「……あんた、確か、シズリのお気に入りの……」

 

 顔をあげたルイズは、ぼんやりとした口調でそんなことを言った。

 目は赤く腫れ、可憐な顔は涙で髪が貼りついていたりと酷い有様になっていた。シエスタは何も言わずにルイズの髪を整えると、ハンカチで優しく涙を拭っていく。

 

「……シエスタでございます、ミス・ヴァリエール。……最近お見かけしないと思ったら、一体どうしたのですか?」

「…………ぅ、」

 

 ささくれだった心に、シエスタの優しさが沁みる。彼女が麦野と縁の人物だったこともあったのだろう、ルイズはシエスタの胸に顔を押し当てて涙を流した。

 

「…………」

 

 シエスタは、彼女が故郷の弟や妹にしたように無言で、背中を撫で続ける。

 やがて、感情が落ち着いたのか、ルイズはゆっくりと顔をあげ、自分のハンカチで涙をぬぐった。泣きすぎて酷い顔だったが、小さく笑って言う。

 

「……ごめんね、シエスタ」

「いえ、そんな……。……ミス・ムギノのことですか?」

「ええ……。ちょっと、自分があまりにも情けなくて」

 

 そう、ルイズは静かに自嘲した。ルイズとの関わりは薄いシエスタだったが、それだけでルイズが何か大きな困難に直面しているということだけは分かった。

 

「それでね……旅行に行こうと、思ってるの」

「旅行、ですか?」

「ええ。勘違いしないでね。旅行と言いつつどこかに逃げるとかじゃないから」

 

 逃げる、という言葉を意図的に使ったのは、自分の心を抉る為だ。気分転換と麦野は言っていたが、あのあとのやりとりで完璧にルイズは麦野から『逃げて』いた。そんな自分がたまらなく腹立たしいのに、麦野と向かい合うことが怖くて怖くて仕方がない。

 

「……あんたの故郷。タルブに行こうと思ってるの。良かったら、案内役、してくれないかしら」

「ええ、良いですが……。……ミス・ムギノは?」

「あいつは、良いって。学院で、調べ物をしたいんだって」

「そうですか……。……ううん、それでいいのかもしれませんね。私はお二人の関係をよく存じ上げてないのですけれど……きっと、ミス・ヴァリエールはミス・ムギノと近づきすぎちゃったんだと思うんです。それで、今そうやって悲しい思いをなさってる」

「…………、」

「近づくだけじゃ、押し続けるだけじゃ分からないことだってありますよ。ひいおじいちゃんが言っていたそうです。『押してダメなら引いてみろ』って」

「『押してダメなら引いてみろ』……」

 

 神妙な顔をして呟くルイズに、シエスタは軽く笑って続ける。

 

「ふふっ、まあ、それは恋愛の格言らしいですけどね。……ミス・ヴァリエール、今の顔、恋する乙女みたいでしたよ?」

「ばっ!! そ、そそそ、そんなんじゃないわよ!!」

 

 ぼふっ、とルイズは顔を赤らめて、必死になってシエスタの言葉を否定した。確かにワルドには恋愛感情を全くと言っていいほど感じていなかったが、それは別に『そう』だからではない。ルイズはきちんと男性に魅力を感じる感性を持っているし、彼氏がいないのは『ゼロ』の醜聞と、あと学院に魅力的な男性がいないからだ。決して、そう、女性が好きとかいうわけではない。

 

「あはは、冗談です。申し訳ありません、ミス・ヴァリエール」

「……もうっ。本当にそんなんじゃないんだからね」

 

 ――そんなんじゃないなら、何なんだろう?

 確かに、ルイズは麦野に懸想している訳ではなかった。だが、自分で言うのもなんだが麦野への感情は一介の主従関係を超えていると思う。それこそ、シエスタにこうやってからかわれるほどには。ムキになっているから? 意地になっているから? ……そんなプライドは、今しがた残らずへし折られたはずではなかったのか? では何故?

 

「…………、」

「その様子ですと、どうやらミス・ヴァリエールはまだご自分の感情に気付けていないようですね」

 

 考え込んでしまったルイズを愛おしいものを見るような目で見つめたシエスタは、そう言ってにっこりとほほ笑んだ。ルイズはその真意が分からず、首を傾げる。

 

「……? シエスタ、それどういうこと?」

「では、この旅行で見つけましょう。私も不肖ながらお手伝いさせていただきます」

 

 分からないルイズを放って、シエスタは話をどんどんと進めて行ってしまう。

 

「タルブは良い所です。きっと、ルイズ様の探し物も見つかることでしょう。……ルイズ様は既にそれをお持ちのはず。きっと、どうやって手に入れたかお忘れになられているのです。……それを思い出すことができれば、きっと何かが変わるはずですよ」

「??? だから、あんた何言ってるのよ?」

 

 肝心なところをぼかしたような説明に首を傾げ続けるルイズだったが、シエスタはついぞ答えを言おうとしなかった。むすっとしつつも、とりあえず旅行に行く話が立ち上がったので学院長に取り合おうと立ち上がった、ちょうどその時――、

 

「話は、聞かせてもらったわよ!!」

 

 物陰の向こうから、ルイズにとっては久々に聞く声が聞こえて来た。

 嫌そうにそちらを見ると、そこには見ただけで顔を顰めたくなるほど赤い紅の髪がたなびいていた。

 

「旅行ですって? しばらくいなくなったと思ったら面白そうな話をしているじゃない。その話――――このキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・ツェルプストーも乗ったわあッ!!」

 

 今、一番聞かれたくない相手の登場に、ルイズはこの上なく嫌そうな表情を浮かべ……、

 反対に、キュルケはにやりと、不敵な笑みを浮かべた。



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第一六章

「何であんたなんかと……」

 

 タバサのシルフィードの背に乗りながら、ルイズはため息交じりに呟いた。

 

 あの後、ルイズは勿論反対したものの、シエスタの『旅は多い方が良いです! 皆様おもてなしいたしますよ!』という笑顔に押し切られ、タバサのシルフィードを足役に使うという条件まで提示されてしまったので二人の同行を了承してしまっていた。

 ただ本意でないことは間違いないので、こうして空の上にいながらもぶちぶちと愚痴を呟いているのだが。

 

「良いじゃない。あたしだってあんたに聞きたいことがけっこうあるしね~」

「……話すつもりはないわよ。話せることじゃないし」

「そ。まあ誰にだって話せないことはあるから別に良いけど、いずれ聞きだしてやるからね。あの婚約者とか」

「なっ!? あんたどこでその情報を……、」

 

 しかし、こんな風にしてキュルケはルイズの愚痴をのらりくらりと躱してしまうだけだった。というより、ルイズも半ば愚痴を躱されると分かっていて言っている節がある――とシエスタは分析する。シエスタが傷心中であり繊細なルイズの旅行に二人の同行を認めたのも、こうしたキュルケの一面があるのが大きい。お互いに無自覚だが、ルイズはキュルケに対してはいっそう遠慮のない態度を見せるのだ。

 

「授業をサボってこそこそ何かやってるみたいだったもの。あんたの所に来る男なんて、親が決めた婚約者くらいでしょ。……俄かに信じがたかったけど」

「……、」

「はあ、あの二人がこっちの動きを牽制しまくっていたから、てっきり気付いてるもんだと思ってたんだけど」

 

 考えてみれば当然のことだった。ルイズは自分の迂闊さに歯噛みしていた。……あの頃は、アンリエッタからの密命を遂行することで頭がいっぱいになっていたのだ。

 言われてみれば、ワルドと麦野が出発の時間にかなり気を遣っていたようだったのを思い出した。アレは、キュルケがこちらの動向をマークしているのに気付いたからだったのだ。自分だけ気付いていなかったことに、ルイズは恥ずかしい気持ちになった。

 

「で、で、あんたどうなの? あの男と結婚するの? いつ?」

「し、しないわよ」

 

 ずずい、と顔を寄せて来たキュルケに、ルイズは軽く気圧されながらも答えた。

 

「……わたし、まだジャンに相応しい貴族じゃないし……。……ちょっとは相応しくなれたかもって思ったけど、……結局、駄目だったし……。……今のわたしなんて…………」

 

 話していくうちにマイナスな気持ちが盛り上がったのだろう、ルイズはどんどんと尻すぼみに声を小さくして、落ち込んで行ってしまう。そんなルイズを見てキュルケは『はぁ』と溜息を吐いて、ピン、と指でルイズの額を小突く。

 

「辛気臭い」

 

 何を言われるのだろう、と一瞬身構えていたルイズだったが、キュルケはたったの一言文句を言うだけだった。ルイズのマイナス思考に、正しい貴族の在り方を説いたりするでも、らしくないと叱責するでもない。『普通の文句』だった。

 一瞬何を言って良いのか分からなくなったルイズだったが、意図的に勝気な表情を作って、ぷいとキュルケから視線を背けることにした。

 

「……、わ、悪かったわね!」

 

 と言ったルイズの声色は、まだ僅かに震えていたが――口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。

 

***

 

第一六章 縺れ始めた糸 Imagine-Breaker.

 

***

 

「今は何を読んでいらっしゃるのですか?」

「ああ、これ?」

 

 学院図書館。

 多くの本が貯蔵されているというそこで、麦野はロングビルを伴わせて調査をしていた。

 既にロングビルには麦野達が学院を空けていた理由――アンリエッタから下された密命――については説明している。また、その顛末についても。

 そのロングビルは鉄製のゴーレム数体に何十冊もの本を持たせている。こういうときに人手を増やせるゴーレム使いは便利だな――とハルケギニアの魔法を評価しつつ、麦野は本をロングビルに見せる。

 それは、麦野が今まで価値なしと断じて興味すら抱いていなかった『始祖と虚無の使い魔』という伝承を編纂した本だった。

 ちなみに、麦野は既にハルケギニア語を習得している。既に異世界から召喚されて一か月以上、第四位の頭脳を以てすれば異世界の言語をマスターするには十分すぎる時間である。

 

「……アンタには説明しても良いか」

 

 麦野は僅かに逡巡した様子を見せたが、勝手に納得して話し始めた。

 

「大きな声は出すなよ」

「分かっていますよ。そんなに念を押さなくても図書館で大きな声を出すのはご法度です」

「ルイズは虚無だ」

「…………っ!?!?!?」

「ほら見ろ、自分で咄嗟に口を押えてなかったら叫んでたでしょ」

 

 ロングビルが情報に対して適切なリアクションをとることができたのは、ルイズの使い魔がこの女だったから、というのが大きい。ただ、驚いたのは『まさかあのガキが虚無とは』という『意外性』ではなく、『この女にこの上虚無の主人という戦力までついたら世界が終わる』という絶望感からだった。本当に、麦野の部下になっておいて良かったと思った瞬間である。

 

「……ものは相談なのですが、」

「今はこっちよ」

 

 決死の覚悟で『とある少女』の命乞いをしようとしたロングビルだが、麦野はそれよりも先に説明を済ませたいようだった。麦野が見せたのは、伝承の一節だった。

 

「何ですか、これは」

「『ガンダールヴはあらゆる武器を扱う』。まあ、要約するとこうなるね。簡単に言うと、虚無の使い魔の能力説明だよ」

「は、はぁ……」

「いろいろある。『ヴィンダールヴは動物を従える』『ミョズニトニルンは魔道具を支配する』……」

 

『「記すことも憚られる四つ目」については不明のようだがな』と続けて、

 

「……ガリアの『無能王』は、このうちの『どれ』なんだろうな――と思ってな」

 

 今度は、声すらあげられなかった。

 今、この女は何と言った? ガリアの『無能王』が『どれ』なんだろうな? ……それはつまり、『無能王』が『虚無』ということか?

 

「ルイズは『ゼロ』と呼ばれていた。だが、結局は『虚無』だった。だから調べたのよ。ガリアの王が『ゼロ』なのは知っていたからな、調べてみたら……ガリア王の弟は優秀なスクウェアだったらしいじゃない。魔法は完璧じゃないにしても遺伝する。弟がスクウェアなのに兄がゼロっていうのはおかしいわよね?」

「…………、」

 

 言われてみれば、正論だ。能力の多寡など、ただの落ちこぼれとしか考えておらず、そこに何らかの『理由』があるなど、ロングビルを含めて誰も考えていなかった。ジョゼフ王の娘であるイザベラが魔法の才に乏しいから、落ちこぼれの血筋が生まれたのだ――という程度にしか考えていなかったが、ルイズの例を考えてみれば、そして王族であるという事情を鑑みれば、十分にあり得る推測だ。

 

「この分だと、ロマリアやアルビオンにも虚無がいるはずなんだけど…………アルビオンの王族は死んでるかしらね。問題はロマリア、か」

 

 その言葉を聞いて、ロングビルは自分の感情を表に出さないように必死になりつつも、ほっと内心で安堵のため息を漏らした。今の話を聞いて、ロングビルは思い出していたのだ。彼女がアルビオンに残して来た『彼女』のことを。

 今は亡きアルビオン王弟モード大公の忘れ形見、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()彼女のことを。

 確か――彼女は、『記憶を消去する』という妙な術を使ってはいなかっただろうか。記憶――魂の領域に関わる魔法。それならば、まぎれもなく『虚無』の力だと言えるだろう。

 『あの少女』の命乞いをしなくて良かった、とロングビルは心の底から思った。そんなことをしていたら、遅かれ早かれ『あの少女』の『虚無』は麦野にその存在を認知されてしまっていただろう。

 

「……どうして、虚無を確保しようとしているんです?」

 

 思案に暮れる麦野に、ロングビルは恐る恐る問いかける。その答え如何によっては、これからの自分の身の振り方も変わっていく。だが、そんな緊張などおくびにも出さずに問いかけた。ロングビルはこれでも何年も貴族を騙して手玉に取って来た大盗賊だ。このくらいの修羅場なら、表情一つ乱さずに対応できる。

 麦野の方はやはり隙らしきものは見当たらないが、警戒はしていないのか、あっさりと真意を話してくれた。

 

「まあ、色々と理由はあるけど……一つは『スペア』ね。ルイズの虚無は私の目的の為に絶対必要だが、たった一つのものに私の目的の全命運を預けるのも馬鹿らしい。『虚無が他にいるかもしれない』のなら、それを出来るだけ多く確保したい。もしもルイズが()()だったときの為にね」

「……恐ろしい話ですね」

「万が一の話よ」

 

 麦野は世間話のように適当に言って、

 

「もう一つは――レコンキスタの黒幕は、虚無の担い手である可能性が高いから、よ」

「…………黒、幕?」

「ああ、そこからか。面倒()せえから説明は省くけど、まあとにかくレコンキスタはただの貴族派同盟じゃないってこと。裏側には『第三国』がある。それがロマリアなのか、ガリアなのかはわからないけど……まあ、そっちは今ワルドに調べさせてるから追々分かるでしょう」

「ワルドって、あのミス・ヴァリエールの婚約者ですか?」

「ああ、そのワルドだ。ちょっと弱みを握らせてもらった」

 

 改めて、この女は化け物だ、とロングビルは実感した。何で極秘任務の最中に味方の弱みを握っているのだろうか? しかもアルビオン反乱を鎮圧する片手間に、である。

 

「私としては、ガリアの方がアヤシイって睨んでいるけどね」

「それはまた、何故?」

「ロマリアは『新教徒教皇』サマが絶賛改革中だ。汚職枢機卿を裁いたりなんだりで、内部の浄化と集権化は進んでいるようだが、一国のクーデターまで面倒を見るような余裕はない。翻ってガリアの『無能王』サマは就任と同時に不穏分子は全部抹殺。今は至って平穏にハルケギニア最強の王国をやってるわけだ。……そろそろ、野心ってモンが芽生えてきてもおかしくない頃合いだろうよ」

「…………、」

「ま、一番は私の勘だけどね。こういう業界で過ごしていれば、一番最後に頼りにするのはそういう感覚になる」

 

 アンタなら言わなくても分かるだろうけど――と適当そうに言って、麦野は読んでいた本を畳む。

 

「……まあ……順当に考えれば、ミョズニトニルンかしらね」

 

 どうやら、彼女は既に敵の『虚無』を見極めたらしかった。ロングビルは突然の飛躍に首をかしげるしかない。それを補足するようにして――あるいは説明することで自分の考えを纏める意味もあるのか――麦野はいちいち懇切丁寧に話してくれた。

 

「逆説的に考えた結果よ」

 

 生徒に理論を説明するみたいに、麦野は人差し指を立てる。その姿があまりに様になっているので、ロングビルはむっとするしかなかった。

 

「『記すことすら憚られる』使い魔は除外して考えるとして、今回の一件に『虚無』が関わっているなら、何らかの形で『虚無』が使われているのはほぼ間違いないわ」

「……確かに、大規模なクーデターなんて所業、『虚無』以外じゃあり得ないですからね」

「仮に神の右手(ヴィンダールヴ)が今回の一件に関わっているのだとしたら、向こうの使ってくる『特別』はオーク鬼だのといった亜人とか、ドラゴンやらなにやら、ともかくそういう類になってくるはずよ。でも、今回はそうじゃなかった。つまり消去法的に、向こうの『虚無』は神の頭脳(ミョズニトニルン)になる、ってことね」

「……そんなに簡単に話が進みますか?」

「それに、『死者蘇生』が相手の『特別』だって考えたら、向こうが使っているのは十中八九先住の力を使った『マジックアイテム』になる。……ミョズニトニルンが手を引いてるって考えるのは、妥当な判断じゃない?」

 

 得意げに笑って見せる麦野の推論は、推論の域を出てはいないが、致命的な穴はないように思える。しかし……どこか、結果ありきのような気がした。何か、不自然な違和感がある。言われてみれば確かにその通りだ。その可能性が高いようにも思えるし、『そうとしか考えられない』と思えるような部分もある。

 だが、まったくヒントのない状態から、こんなことを思いつけるか? 様々な可能性のある現実から、こうも的確に正解のルートを拾えるか?

 

「私なら、そうするしね」

 

 それを、そうした諸問題を、麦野はこの一言で片づけてしまう。経験に裏打ちされた、というのも違うように思える。……一種の、『天啓』。脳裏にふっと浮かんだインスピレーションがこの上なく正確だから、あとはそれを裏付ける情報を掻き集めるだけ。

 麦野沈利の言動から感じられる違和感を端的に言い表すなら、そう言うのが適切だろう。

 

(恐ろしい女だ……。まさか、ギーシュと決闘していた時は、こんなバケモノだったとは思わなかったけど……)

 

 ほんの一か月前に起こった出来事を思い返して、ロングビルは思わず身震いした。

 

 ……それから。

 さらに恐ろしいことに気が付き、顔色を失った。

 

***

 

 トリスタニアに、一軒の武器屋がある。

 業突く張りの親父が切り盛りしている店だが、品質はそれほど悪くない。目利きのできない貴族と見れば即座にぼったくるような性悪だが、『違いの分かる』プロにはそれなりに誠実な態度をとるからこそ、彼はこの業界でもやっていけるのだ。

 

「よお、此処に来るのは久しぶりだな」

「アルか。どうした? 酒場に飾る剣でも欲しいってのか? ウチは骨董品屋じゃねえんだぜ」

 

 武器屋の親父は、やってきたゴロツキ然とした男にそう気安く声をかけた。アル――アル=グリーンバード。麦野達が以前訪れた酒場の店主だ。

 

「いや、違げえよ。普通に武器が入り用だっただけだ」

「おや? 酒場の店主は廃業かい」

「それも違げえ。昨日、貴族――いや、軍人の男が顔を隠して酒場にやって来てな。いくつか話を聞いているようだったが、ありゃどこぞの密偵だ。俺の勘がそう言ってる。……きっと、戦争か何かの事件かの前触れだぜ。護身用の武器を揃えたくもなる」

「用心棒を雇った方が早い気もするがね」

「まだそこらのゴロツキより自分の腕の方を信用してるんでね」

 

 くだらないことを言い合いながら、男は武器を見繕っていく。前に何度も利用していたことがあるのか、男の物色はかなり手慣れた様子だった。新しい武器を入荷しているなとか、この武器はなまくらだなとか、一つ一つ分析していく姿は酒場の店主というよりは傭兵の元締めとでも言った方がよさそうな風体であった。

 

「ん? 『アレ』がねえじゃねえか」

 

 ふと、武器の一角に目をやった男は、あることに気付いて声を上げた。

 そこには男の記憶が正しければ一本の錆びた剣が刺さっていたはずだが、今は影も形もなくなっていた。途轍もなく口の悪い『物思う剣(インテリジェンスソード)』で、客に喧嘩を売ることで(悪い意味で)有名だったのだが、ついにこの武器屋の店主の堪忍袋の緒が切れたか? と男は思う。

 しかし、店主はどこか寂し気な表情を浮かべ、

 

「ああ、アイツなら買われていったよ」

「どこの誰が? 友達にでも飢えていたのか?」

「かもな。黒髪の女だったよ。剣なんか振るえそうにないから、『良いのか?』って聞いたんだが、『この剣だから良い』の一点張りでな」

「そりゃあ……奇特なヤツだ」

「ああ、違いねえ。()()()()()鹿()も、コイツにだけは振られたくねえって喚いてたっけな」

「剣は使い手を選べねえからなあ。こればっかりはデルフに同情するぜ」

 

 そんなことを言いながら、男は剣を見繕っていく。

 この男達は、物語には直接かかわらない。

 物語に関わるのは、一本の剣と、それを見出した女だ。

 

 ――此処ではない、とある世界で。

 魔神になるはずだった男は、こう言った。

 幻想殺しは、それとよく似た力は、かつて時代のあちこちに顔を出した……と。

 

 たとえば。

 

 武器の形になって英傑たちの手に渡り、

 壁画の形になって触れた者の悪病を払うと噂され、

 洞窟の形となって試練の装置として機能した。

 

 そして、この世界においても。

 

 『それ』は、確かにあった。

 かつて、五〇〇〇年も昔に、ガンダールヴの左腕と称され。

 ここではない歴史においても、ガンダールヴの相棒となったその剣。

『彼』の名は、魔剣デルフリンガー。

 

 またの名を――()()()()

 

 幻想殺し(デルフリンガー)は、魔法に満ちた世界において一つの『世界の基準点』として機能する。

 

 ――今度は『神の左手』ではなく、『神の頭脳』の左腕となって。



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第一七章

 シエスタの故郷、タルブへ向かっていた一行は、途中の道で野宿することになっていた。

 いかに風竜といえど、学院からタルブまでの距離はかなり長い。一日で行けるほどの距離ではないのだ。とはいえ、途中に宿屋のある村もない。……あるにはあるが、ゴロツキのたまり場であったりなので却って野宿の方が安全、というタバサの進言によりこうして野宿することになった。

 

「まあ、メイジなら野宿でもそれなりに快適な環境が作れるしねえ」

 

 たき火を囲みながら、キュルケはそんなことを言った。

 あたりはタバサの風魔法によって草が刈られ、水魔法によって清められ、最低限野宿はできそうな環境が作られていた。貴族である彼女達からしたらかなりひどい状態だが、流石に一晩だけならそう文句も言っていられない。タバサはこんなこと慣れっこだし、キュルケだって軍人の心得はある。ルイズも、あの戦争の息苦しい夜に比べたらまだしもマシだ、と思えた。シエスタなどは言うまでもない。

 

「メイジなら、っていうかタバサなら――よね。わたし、あなたのこと全然知らなかったけど、意外とこういうの得意なのね」

「……昔取った杵柄」

 

 自分が焚火を起こしているからか、その豊満な胸を張っているキュルケの気勢を削ぐかのように、ルイズはタバサに水を向けてみる。実際、意外な気持ちはあった。クラスでも秀才であるということは知っているが、こんなにサバイバル技術に長けているとは予想できていなかったのだ。

 まるでこんなこと日常茶飯事だとでもいうかのように、今も眉ひとつ動かさず自然体だ。ルイズは勿論、キュルケだって多少の不快感はあらわにしているというのに。

 

「あーら、なんにもしてないヴァリエールと違って、あたしは火を起こしてるんだけど?」

 

 なんてことを考えていたら、キュルケがずい、とルイズに寄って来た。キュルケは自らを『微熱』を称するだけあり、魔法の事を抜きにしても平熱が高い。おそらくその胸部に強力なエネルギータンクがあるからだろう――とルイズは忸怩たる思いで常に分析しているのだが、そのキュルケに近寄られたものだから、夜の涼しさを何気に満喫していたルイズは思い切り眉を顰めた。

 

「うっさいわね、ツェルプストー。今回の旅行はわたしのリフレッシュなんだから、あんた達はついて来た分働くの!」

「はいはい、そういうことはコモンマジックの一つでも使えるようになってから言いましょうね~」

「ぬぐぐぐ……!! そ、そ、そこまで言うならやってやるわよ!! 見てなさいわたしの鮮やかな『ロック』を……!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいルイズ! ロックって此処、鍵なんてどこにもないでしょ! 爆発魔法撃つ気満々じゃない! 早まらないで!!」

「ええい鬱陶しい! じゃあライトで良いわよ! 見てなさいもうわたしはゼロじゃないんだからね!」

「あ、あたしが悪かったから! だから此処で爆発は本当に勘弁――、」

 

 必死でルイズを留めるキュルケだったが、意地になったルイズは麦野でも止められない。一応誰もいない場所に杖を向けて、それから呪文を唱える。

 

「『自在発光(ライト)』!」

 

 ――『ライト』とは、簡単に言うと光を灯す呪文だ。杖の先から小さな灯りの玉を浮かべることができる。これに殺傷力はないし、単に灯りがぽうっと浮かぶだけの、火の魔法とも呼べない子供だましのコモンスペルである。

 ルイズがこれを選んだのは、単純に呪文がたったの三文字で短いからである。爆発魔法はどんなものでも発動するので出来るだけ短いコモンスペルを選ぶ癖がついているのであった。

 ちなみに、実際にはそんなことはないのだが、ルイズはコモンスペルによって爆発にも微妙な癖が出るような気がしていた。あくまで気分の問題である。つまり今日はライトの気分なのであった。

 ……とまあそんな感じで、完全無欠に爆発させるつもりだったルイズだが――事態は、誰も予想のしていなかった展開を迎えることになる。

 

「ひい! ルイズ、恨むわよ!! ………………」

 

 恨み言と共に頭を庇ったキュルケだったが、果たして、いつまで構えていても爆発はない。

 ついに時限式爆発を習得したのか、とおそるおそる目を開けてルイズの杖先を見て、キュルケはさらに驚愕した。

 

「……嘘、でしょ」

 

 ぽう、と。

 ルイズの杖の先には、仄かな灯りの玉がついていたのだ。

 それは、『ライト』の呪文が成功したことに他ならない。

 

「……どうしたの?」

 

 そこに、いつの間にかちゃっかりこの場から離れていたタバサが顔を出す。どうやらキュルケがルイズを煽り出した時点で身の危険を感じ退散していたようだ。我が友人ながら抜け目ない――とキュルケは心の何処かで思いつつ、改めてルイズを見る。

 ルイズ自身呪文が成功するとは思っていなかったらしく、呆然とした様子で杖の先を見つめたり、灯りをつっついたりしている。

 

「……ねえ、キュルケ」

「……なあに、ルイズ」

「わたし、成功、してる……? ……普通の、魔法」

「ええ……ええ!」

 

 呆然として、現実かどうかまだ判別がつかない様子のルイズとは対照的に、キュルケは段々とルイズが魔法に成功したという実感が湧いて来た。『ゼロ』と呼ばれていたルイズが、ついにコモンマジックを成功させることができたのだ。わざわざ『普通の』と付け加えたところが何か不自然にも感じたが、そこは普段から爆発という形で魔法は使えていたからだろう。

 

「やったじゃないルイズ!! 魔法、使えるようになったのね!! これでもう、誰もあんたのことゼロだなんて呼べないわよ!」

「ちょっ、ちょっと、キュルケ、苦しい! くるっ、くっ、……ああもう!! 胸で顔が押し潰されてるってのよ!!」

 

 がばっ! と抱き付かれたルイズは、そう言ってキュルケの豊満な胸を押しのける。女所帯だからか、全体的に色々と遠慮がない。でも、ルイズはこうされても不思議と悪い気はしなかった。いつも憎まれ口ばかり叩きあっているキュルケとルイズだったが、こうやって抱き合うことにも違和感をおぼえていない。

 お互いに、どちらかが本当に困っていれば助けるし、どちらかが本当に嬉しいことがあれば一緒になって喜ぶ。そういう関係の『犬猿の仲』だからだ。そのことを改めて感じることができて、ルイズは胸の中がぽかぽかと温かくなった気がした。

 

「コモンスペルだけなの? レビテーションとか、風のスペルは? ファイアボールとかいけそうじゃない?」

「ちょ、ちょっと、試して、試してみようかしら!」

 

 二人は、興奮したように手を取り合って話している。

 まるで、年の近い姉妹みたいだな――と、その様子を脇から見ていたタバサは、ゆるんだ表情を浮かべて楽しそうに話している『仇敵』二人を見て、呆れたように溜息を吐いた。

 

***

 

 ちなみに、四大系統の呪文は全て爆発で終わった。

 使えるのはコモンスペルであって、四大系統の呪文は使えないということなのだろう。ルイズは虚無の系統だから、他の四つが使えないというのはある意味当然だった。浮かれすぎて、そんなことにも思い至らなかったらしい。キュルケはその頃にはすでにいつもの調子に戻っていて、『あーあルイズに期待したあたしが馬鹿だったわー』とか『ゼロじゃなくてイチのルイズね、おめでと』とかと言った憎まれ口を叩いて大いにルイズを怒らせ、また口喧嘩が繰り広げられていたが――、

 それがルイズを落ち込ませないための気遣いだということに気付けたのは、この場ではタバサだけであった。

 

「はい、皆さんお疲れ様でした。お料理が出来ましたよ」

 

 そんな喧騒から少ししたころ、調理を終えたシエスタが鍋を持って現れた。鍋の中に入っているのはシチューだ。それをよそって、ルイズ達に配り始める。何だかんだ騒いでいたりして疲れていたので、シチューの匂いはルイズ達にとって格別だった。

 

「おいしいわ! これ、何の肉かしら?」

「ウサギの肉ですわ。さっきそこでとってきました」

 

 感激したようにキュルケが言うと、シエスタはそう言って右腕で力瘤を作って見せた。……その手でシメたのか、とキュルケは調理現場を想像して、少し気分が落ちた。だが、料理はうまい。

 

「シエスタって、意外とパワフルなのね」

 

 ルイズは普段それ以上にバイオレンスな女の近くにいるからか、そんなに気にせずにウサギ肉を頬張っていた。ウサギの肉くらい今さらである。麦野ならオーク鬼だって屠殺しかねない。もっとも、そんな肉の入ったシチューはたとえ死んでも口にしないが。

 

「田舎育ちですので。学院のお勤めをする前は野原を駆けまわるような生活をしていました」

「そういえばシエスタってけっこうしっかりしているけれど、どこで職業訓練とかしていたのかしら?」

 

 王宮のメイドは貴族の子女が花嫁修業の為に行う――といえば分かるように、高貴な場所で務める者は下賤な職業であってもある程度の高貴さ、有能さを求められる。学院では流石にメイドまでもが全員貴族とはいかないが、それなりに裕福な平民が同じく花嫁修業がてら働いている。タルブといえば確かにそれなりに裕福ではあるが、まだ田舎の部類だ。そんな土地からシエスタという人材が輩出されるのは、不自然とまでは行かないまでも意外な出来事ではある。

 

「いえ、職業訓練というか……ひいおじいちゃんが変わった人で、その話をお父さんから聞かせてもらっていたんです」

「……へぇ?」

 

 話しづらそうに言うシエスタに、ヨシェナヴェに舌鼓を打っていたキュルケが身を乗り出して来た。こういう身の上話にはぐいぐい首を突っ込んでいくのが、彼女の悪い癖であった。

 

「うちのひいおじいちゃんは東方からやって来たんです」

「東方? 確か、ルイズの使い魔もそうだったわよね」

「え、ええ。確かに……」

 

 何でもなさそうにキュルケに水を向けられ、ルイズは背筋が凍るかと思った。麦野が東方ロバ・アルカリ・イエの出身というのは、実は真っ赤な嘘で、彼女は異世界の出身なのである。もしも本当にロバ・アルカリ・イエの出身の人間がいたら、麦野の出自が嘘だとバレてしまう。バレたから何だという話でもあるのだが、ただでさえ麦野は異端だ。何かの拍子に色々と面倒な事態になる可能性は、否定しきれない。

 

「私のひいおじいちゃんの名前は、タケオ・ササキって言うんです。変わった名前ですよね。平民なのに名字があったり……ミス・ムギノと似ていますよね」

「確かに、名前の響きが似ているわよね。アンタの使い魔とシエスタのひいおじい様は同郷とみて間違いなさそうねぇ」

「そ、そうね」

 

 何でもない風を装いながら、ルイズは内心で驚愕していた。麦野はロバ・アルカリ・イエの出身ではない。異世界の出身だ。その麦野と似た響きの名前を持つということは、シエスタの曽祖父は異世界の出身ということになるのではないだろうか?

 麦野の様に誰かの使い魔として召喚された訳でもなく、異世界から召喚された人物。

 ……普通に考えて、そんなことがあり得るだろうか? 『虚無』であるルイズが使い魔召喚を行ったからこそ、異世界の人間が召喚されたのである。自然に異世界から人間が紛れ込んでくることなど、とうてい考えられない。ならば、考えられるのは……、

 

(何か、虚無の力が関わっている? だとしたら、何が……?)

 

 ルイズは疑問を解消する為、気持ちシエスタに詰め寄りながら問いかける。

 

「ねえ、シエスタ。ひいおじい様のことについてもっと聞かせてほしいの。あなたのひいおじい様は、本当に東方から来たの? 本人は何て言っていたの?」

「ええ。ひいおじいちゃんは、東の地からやって来たと言っていたそうです。ただ、ときたま異界がどうのっていっていたらしいですわ。まあ、東方から来たら、確かに此処は異界ですよね」

「ひいおじい様は、どうやって此処に来たって言っていたのかしら? やって来た瞬間のことは、覚えている?」

「さあ……そこまでは聞いていないので分かりません。あ、でもお父さんなら何か知っているかも。どうせタルブへ行くのですから、その時話をお聞きになりますか?」

「…………ええ、是非」

 

 そう言って真剣に頷くルイズに、シエスタはふっと笑みを浮かべていた。

 この旅行は、ルイズが麦野と一旦距離を置いて、彼女が本当は麦野と『どう』なりたいのかを見極めさせるためのものだ、とシエスタは思っている。その為に、麦野と同郷であるらしい彼女の曽祖父の話を聞き、その故郷について理解を深めるのも悪いことではないだろう。

 貴族で、えらいからとシエスタはルイズ達のことを恐ろしい存在だとばかり思っていた。反動で、強くて頼りになる麦野に懐いてもいたのだが……こうしてみると、なかなかどうして、ルイズ達にだって血の通った心があることがシエスタには分かった。こうして、人間関係一つに必死になって頭を悩ませる、普通の少女なのだと。

 やっぱり貴族と平民だから、そういう立場上気を遣わなくてはいけない最低限のラインはあるが、でも心はずっと気安い気持ちだった。こういう人にこそ、心から仕えたい――とシエスタは思う。業務上だけでなく、心までも尽くしてやりたいと思う。

 

 ――一方、ルイズが気にしていたのはそんなことではない。

 勿論、麦野の素性に関する手掛かりを知れる機会というのは有難い。しかし気にしていたのはそこではなかった。

 『虚無』の秘密。

 ルイズはそこに興味を惹かれていた。

 何故、麦野は異世界から召喚されたのか。何故シエスタの曽祖父は異世界からこの地にやって来たのか。このハルケギニアの世界に点在する『場違いな工芸品』はどこに現れるのか。

 すべての点は、一本の線で結べるのではないか。

 何故か、そんなインスピレーションが湧いてくる。何の根拠もないのに、それが正しいことだと思える。

 

「ルイズ、どうしたの? そんな難しい顔して」

「えっ、あっ、わたし、そんな顔してた?」

「ちょっと、しっかりしてよね。色々考えたくなるのも分かるけど、そういうことから気分転換する為の旅行でしょ?」

 

 呆れた表情をつくるキュルケに苦笑しつつ、ルイズは気持ちを切り替えることにした。

 このことについては、シエスタの父から詳しい情報を得なくてはならない。

 だが、今この時くらいはそんな難しいことは忘れて、しばし彼女達と戯れるのも悪くはないだろう――。

 

***

 

第一七章  タルブで見つけたものは ???_and_???.

 

***

 

 翌日の昼頃には、無事タルブに到着した。

 先に帰還の挨拶に向かったシエスタが戻って来ると同時に、ルイズ一行は歓待を受けた。貴族だからと盛大な宴が始まりかけたが、それはルイズ達が固辞した。突然やって来たのだから、無理にそんな催しを開いてもらうのは気が引けるという考えからだった。

 

「……静かでいい場所ね」

 

 一通り歓迎が終わった後、ルイズはシエスタを連れて草原にやって来ていた。シエスタは学院のメイド服ではなく、茶色のスカートに木の靴、そして草色の木綿のシャツを着ている。典型的な平民用の服だ。麦野のように奇妙な着こなし方をしているのではない、普通の。

 村人たちの歓待は嬉しかったが、少し疲れてしまった。キュルケとタバサが相手をしてくれているので、ルイズはシエスタを伴って静かなこの場所に移動したのだ。

 既に日は傾きかけていて、タルブの草原は黄金色に輝いていた。

 

「この草原、とっても綺麗でしょう?」

 

 シエスタは悪戯っぽい笑みを浮かべて、ルイズの顔を覗き込んだ。平民と貴族。ただのそれだけだったならありえない関係性だったが、それも悪くはないかな、とルイズは思った。『これ』が答えなのかな、とも思った。どうして自分が、麦野にこんなにも執着しているのか。彼女に認めてもらいたがっているのか。旅の途中で見せてしまったキュルケへの態度、そしてシエスタに感じるこの感情、『それ』が何なのか。

 

「自然を見ていると、なんだか自分の悩みなんてちっぽけなんだなぁって思うんです。そう思うと、どれだけ辛くても頑張れるなわたし、って思うんです」

 

 シエスタが、笑う。

 ルイズも釣られて笑い返し、草原を眺めた。

 ――綺麗な景色だった。心が洗われるような気持ちがした。シエスタの言う通り、大自然の中ではルイズの抱えている悩みなんてちっぽけなのかもしれない。確かに、そう言われると気分が楽になるような気がしてきた。麦野との間柄も、自分の思い悩んでいたことなんて実はたいしたことのない問題なのかもしれないと思えて来る。

 

「……る、ルイズさん?」

「ひゃっ!?」

 

 突然名前を呼ばれたので、ルイズははっとして飛び跳ねてしまった。

 

「ご、ごめ、シエスタ。ぼーっとしてた。……っていうか、今あんた、わたしのこと名前で……、」

「す、すみません。何度呼んでも反応がなかったので……」

「ああ! いや、良いの。悪くなかったから、その、名前で呼んでも」

 

 照れくさそうに笑みを浮かべ、ルイズは手を差し出す。

 

「その、ありがとう、シエスタ。あなたのお蔭で、気持ちが楽になった」

「そ、……そう言ってもらえると、嬉しいです」

 

 シエスタは嬉しそうに言って、差し出された手を握りしめる。

 

「実は、ルイズさん達に見せたいものがあるんです。……眉唾ものの『お宝』なんですけど、ひいおじいちゃんの『遺品』だから、もしかしたらミス・ムギノの故郷の事を知るのに役立つかもしれないですし」

 

 シエスタはルイズの手を引きながら、この村に伝わる『場違いな工芸品』の話を始める。

 父から話を聞いたのか、先に聞いたときは出てこなかった情報もちらほら出て来た。

 『竜の羽衣』。

 その『場違いな工芸品』は、そんな名前で呼ばれているらしい。

 曰く『竜の羽衣』は空を飛ぶためのマジックアイテムであり、人間を呑み込んで凍りつかせ、どんな風竜よりも素早く空を駆けるのだそうだ。もっとも、村人たちはただのほら話だと断じてしまっているようだが。

 シエスタの曽祖父は生前これをいたく大切にしていたらしく、固定化の呪文を何回もかけて安置していたそうだ。シエスタの曽祖父が村の仕事を熱心に手伝っていたことも助け、彼の死後は村人たちが勝手にご神体か何かのように祀っているらしく、今は森の中に神殿のようにして保管されているそうだ。

 

 そんな話を聞かされながら歩いていると、ちょうど件の神殿モドキに辿り着いた。

 

 その外観は、槍のようだった。

 細長い槍のようなものに、薄っぺらい翅が生えている。竜というよりは羽虫の類の方が近そうな形状だ。

 しかし、桁違いなのはそのサイズ。羽虫どころか、その大きさはドラゴンをも大きく超えていた。ドラゴン三体を縦に並べてもそれより体長は大きい。そんなものを森に安置しているものだから、周囲の木々を斬り倒すことで無理やりスペースを空けている状態だった。

 

「これは……?」

「わたしのひいおじいちゃんは、『これ』に乗ってタルブまで来たそうです。ええっと、先程お父さんに聞いたんですが、ひいおじいちゃんはここにやって来た瞬間のことは覚えていないそうです。どこかの国と戦争をしていたら、いつの間にか砂漠にやって来ていたんだって言っていました」

「砂漠……」

「まあ、誰も信じてませんけどね。大体こんな大きなもの、飛べるわけないですし」

 

 この奇怪な、それでいて洗練された生物的ですらある機械は、あの戦争において現れた『機械の蟲』と似ている――とルイズは思った。多分、技術水準的には向こうの方が上だが、これも麦野の世界――『学園都市』の産物と見て間違いないだろう。

 であれば、これは飛ぶ。シエスタや村の人達は信じていないようだが、ルイズには信じられる。というか、あの機械の蟲だってどんな理屈か分からないが羽虫の様に自在に空を舞っていたのだ。それに比べれば、これが空を飛ぶと言われても何ら不思議ではない。

 

「…………」

 

 なんてことを考えていると、ふとシエスタの言葉が止まっていることに気付いた。

 気になってみてみると、シエスタはどこか怪訝そうな表情を浮かべてあたりを見渡していた。

 

「……? どうしたの、シエスタ。何か気になることでもあった?」

「いえ、別にそういうわけではないんですが、何か違和感が……」

「違和感? 何それ」

「いえ、そんなはずないんですけど、此処って、確かもうちょっと狭かったような……」

「しばらく空けていたから、記憶が薄れてるんじゃないかしら?」

 

 怪訝そうな表情のシエスタに、ルイズは半ばあきれてそう言った。地面の感じからして、新たに木を伐採して範囲を広げたということはないだろう。というか、このままでもかなり『竜の羽衣』を入れるのにギリギリなのだから、これ以上狭めたら『竜の羽衣』が木々に埋もれてしまう。

 

「何にしても、気のせいじゃないかしら」

「多分、そうですね。すみません、変な事言って」

 

***

 

 その夜、ルイズ達はシエスタの生家に泊まることにした。

 流石に貴族の客を泊めるのだから、ということで村長まで挨拶に来る騒ぎにはなったが、こういうのは評判とかが大事なのだろうとルイズ達は麦野と酒場の諍いの件で学習していたので特に何も言わなかった。

 

「……そういえば、もうあれから一か月近く経つのね」

 

 そんな騒ぎがひと段落したところで、ルイズはぽつりと言った。

 タルブ産のワインで酒盛りしていたので、ルイズの頬はぽうっと赤く染まっている。タバサなどはすっかり酔いつぶれてぐっすりだ。起きているのは、お酌をしていたシエスタとお酒に強いキュルケだけだった。

 

「色々あったけど、トリステインは平和そのものねぇ。アルビオンの反乱も何故かおさまっちゃったみたいだし。アレは絶対革命が成功すると思ってたのにねぇ」

「……、あんた、戦争の事とか分かるの?」

「そりゃあ、ツェルプストーは軍人の家系ですもの。公爵家のヴァリエールと違って多少知識は備えていますわ」

 

 キュルケは悪戯っぽく微笑み、

 

「しっかし、そうかぁ。まさかとは思ってたけど、その様子だとあんたが革命をどうにかしちゃったのね」

「っっっ!?!?!?」

 

 突然に言い当てられて、ルイズは呼吸が止まった。

 完全に図星だった。

 その様子を見て、傍に控えていたシエスタも目を丸くする。

 

「図星。あんたってホント、嘘吐けないわよねぇ。そんなんじゃこれから貴族として大変よ?」

「わ、分かってるわよ……。それより、」

「ええ。誰にも言わない。それと、あんたが『特別な魔法』を使えるってことも、言わない」

 

 キュルケは何てことなさそうな顔で、次々と衝撃の事実を漏らしていく。

 

「あんた、魔法が使えた時に『普通の魔法が』って言ってたでしょ。あのときは『爆発魔法じゃない魔法が』って意味だと思ってたけど……ただの爆発魔法で、革命を終わらせることなんて出来ないもの。なら、あんたはあたしには言えない『特別な魔法』を使えるようになったってことになるでしょ」

「……、その、」

 

 ルイズは、言葉に詰まった。

 隠し事は、いけないことだ。それも、こんな重大なことを隠し通しているなんて、不義理かもしれない。キュルケが此処に来てそれを捲し立てたのは、そのことを糾弾する為ではないか――と不安に思ったのだ。

 ルイズだって、たとえばキュルケがそういう大事なことを隠し通して、勝手に思い悩んでいたのなら怒る。どうして自分を頼ってくれないのか、どうして一人で抱え込もうとするのか、そんなに自分は頼りないのか、と。キュルケだってルイズに負けず劣らず熱血気質だから、当然そういう思いはあるだろう。

 しかしキュルケは曖昧に微笑んで、

 

「馬鹿。別に怒ってなんかいやしないわ。あたしはあんたと違って大人なの。……言えないことがあるんなら、それで良い。前も言ったでしょ」

 

 ぴん、とルイズのおでこを突いた。

 その言葉を聞いて、ルイズは肩の荷が下りたような思いがした。同時に、多分初めてキュルケのことを明確に尊敬した。

 

「あんたは、何をするにも肩肘張りすぎてんの。あんたの使い魔とのこともそう。義務感とか責任とかそんなのに縛られ過ぎて雁字搦めになってるの、見てて痛々しいわ。そういうのが一概に悪いとは言わないけど、あたしと話してるときくらい、『色ボケのツェルプストーなんかに!』とか言ってる感じで肩肘張らずにぶつかってきなさいよ。隠し事の一つや二つくらいで遠慮してんじゃないわよ。私、そんなので怒るほど器の小さな人間じゃないわ」

 

 キュルケは、そこまで言うと一旦言葉を止め、そっぽを向く。

 照れ隠しをするようにルイズから視線を逸らしたキュルケは、蚊の鳴くような細い声で、小さく小さく呟いた。

 

「――――と、友達なんだから、ね」

 

 それは多分、ルイズほどでないにしても意地っ張りなキュルケにしてみたら、勇気の要る一言だっただろう。普段憎まれ口を叩いているだけに、素直な好意をあらわすのはかなり恥ずかしいものだ。

 それでも、柄にもなく頬あんて赤らめて、歩み寄ってくれている。

 ルイズは、思わず吹き出してしまった。

 

「……ぷっ、馬鹿みたい」

「な、何よ! せっかく人が慰めてやってんのに――――」

「でも、ありがと」

 

 多分。

 きっと、そういうことなんだろう。

 ルイズが求めているものは、こういう関係なんだろう。

 

 シエスタと笑い合っているときに感じる、温かいもの。

 キュルケと言い合っているときに感じる、温かいもの。

 

 そうした感情を、麦野とも共有したい。

 誰よりも強く誰よりも傲慢なくせに、誰よりも寂しいあの少女と、笑い合って、言い合って、そして認め合って――『友達』になりたかった。

 きっと、だからルイズは麦野に認めてもらいたかったのだ。

 認めてもらって、『やるじゃんかルイズ』なんてあの不敵な笑みで、主人を主人とも思わない傲慢な態度で小突かれて、それでルイズは『何よ偉そうに』なんて憎まれ口を叩いて、そして二人で笑い合いたいのだ。

 何でそう思ったかなんて覚えてない。きっかけは多分些細な――突き詰めてしまえばつまらないただのボタンの掛け違いなんだろうけど、ルイズにとっては大切な思いであることに間違いはない。

 

(……ああ、なんだ)

 

 ルイズは自分の胸に手を当てて、思う。

 確かに、こんなのは些細な問題だった。考えてみれば、馬鹿らしいことだ。何で自分がこんな小さなことで悩んでいたのだろうと、今更ながらにおかしくなってくる。

 

(まだ、わたしの幻想は殺されてなんかいない。シズリがわたしに特別な価値を見出したからって、それが何? その価値が最終決定なんて、誰が決めたのよ? なら、それが上書きされるくらいのことをわたしがすれば良いだけじゃない。たったそれだけのことで諦める必要なんて、どこにもないじゃない)

 

 胸に当てた手を、握りしめる。

 ルイズは、まだ折れていなかった。その思いはこの拳の中に、しっかりと握り込まれている。

 

「やるべきことは、もう決まった?」

 

 にやにやとからかうような笑みを浮かべて、キュルケが尋ねてくる。その横では、シエスタが安心したような笑みを浮かべていた。

 二人には、かなり心配をかけてしまった。だが、もう大丈夫だ。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールはもう立ち直った。あとは、やるべきことを――いや。

 

「やるべきことなんか、ない。――貴族も平民も、虚無さえ関係ない。アイツの思惑なんて知ったことじゃないわ。わたしは、わたしのしたいことをする。それだけよ」

 

***

 

「まあ、大方の所はきみの予想通りだったよ」

 

 同時刻。

 日も没した頃、場末の酒場で精悍な顔立ちの青年がそんなことを言った。

 彼の対面には、一人の女性が座っている。背丈だけなら青年の肩までしかないが、その威圧感は他のすべてを圧倒していた。酒場の喧騒も、彼女の周囲はまるで別世界のように遮断されていた。

 

「ご苦労だったな、ワルド」

 

 気怠そうな表情を浮かべながら、女性――麦野沈利は鷹揚に言った。

 

「しかし、これで確証が持てた。ヤツが使っていたのは『アンドバリの指輪』。そしてそれを扱うのは『ミョズニトニルン』、ね……」

 

 ワルドが調べていたのは、簡単に言うと敵勢力の詳細だった。

 ひとくちに調査と言っても、並の人間では危険が伴うどころか命さえ危うい。プロの中でも一流のワルドだからこそ出来た所業だった。

 

「ああ。『レコンキスタ』の台頭の時期と前後して、ラグドリアン湖の水位が上昇している。調べてみたところ、『蘇生の宝』であるアンドバリの指輪が盗まれているようだ。それで宝の番人だった『水の精霊』が怒って水位をあげているらしいな。色々と嗅ぎまわってみたら、痛い所に突っ込んでしまったのか少し手荒い歓迎を受けたよ」

 

 ワルドは肩を竦めた。だが、その襲撃の結果がどうなったのかは目立った傷の見られない彼の今が物語っているだろう。

 

「戦い方から察するに、アレはガリアの手勢だろう。強力な魔法による波状攻撃をしてくるのは、人材が豊富なあの国ならではの戦法だからな」

「なるほど、ガリアの『虚無』がミョズニトニルン。上出来よ」

「お役に立てたようでうれしいよ」

 

 王宮の方でも、色々と情報収集はしていることだろう。しかしワルドほど正確な情報は得られまい。せいぜい、『敵は情報が殆ど得られないほどの国力を備えている国家だろうから、ガリアではないだろうか?』くらいのふわふわした推測が限界だろうか。

 そんな状態では、当然ながら国と言う大きな組織は舵を切ることができない。つまりこの情報を得た麦野は、誰よりも先に動ける機会を手にしたという意味だ。

 

「――本当に、行くのか?」

「ああ。トリステインには、最低限『戦争』をやってもらわないと困るからな」

 

 麦野はそう言って、立ち上がった。

 トリステインは、『ファイブオーバー』という兵器を過小評価している。

 といっても、それはトリステインが愚かだという意味ではない。ましてそれを伝えるワルドの理解力が低かったわけでもない。

 なまじ『機械の暴風』という『数』のイメージが大きかったから、一発一発のダメージを過小評価してしまっているが――本来、『レールガン』というのは地球においてもド級の威力を誇る攻撃なのである。一発だって、人肉どころか城一つを『固定化』の魔法ごと貫通するほどの威力を秘めている。

 ワルド達はそれを知らず、あれほどの火力は連射しているからこそなせる業だと考え、だからこそ『弾数の問題で「ファイブオーバー」を投入する機会は限られる』と考えた。

 だが実際にはそうではない。レールガンの一発で城が破壊できるなら、向こうは確実にそうする。そして、分間四〇〇〇発という恐ろしい連射力はそのまま膨大な弾数になる。連射ならあっという間になくなる弾数だが、一発一発で運用してくるのであればトリステインの全貴族に打ち込んでもお釣りが出る。

 それを麦野が教えずに、わざと相手の戦力を過小評価させるように仕向けたのは、そうしないとトリステインが戦争をしないからだ。早々に降伏して被害を減らそうとするだろう。それではだめなのだ。少なくともルイズを引きずり出して『虚無』を使わせるまでは、トリステインには戦争をしてもらわないと困る。

 

 だから、麦野が動く。

 万能のデウス・エクス・マキナが、ガリアの力を『トリステインとの争いが戦争になるレベル』までそぎ落とす。

 

「始めるとしますか。最初で最後の、楽しい楽しい茶番劇をね」

 

 そう言って、麦野沈利は酒場を後にする。

 雑踏に消えた彼女を見送ったワルドの目には、三日月の様に引き裂かれた笑みがいつまでもこびりついていた。



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第一八章

「はあっ……! はあっ……!」

 

 少女は、息を切らして走っていた。

 友人たちが後を追ってきているが、そんなことは彼女にはどうでもよかった。何か、特大の嫌な予感が彼女の胸に重くのしかかっていた。

 原因は、あるたった一つの人物の『消失』だった。

 たった一人だが、彼女にとってはそれが何よりも重要な人物だった。その人物と向き合う為に、少女は友人の力を借りて、失意の底に叩き落された精神を奮い立たせていたほどに。

 

「どこよ、どこに行ったのよ……!」

 

 少女は焦燥感に眉をゆがませて呟く。ついにスタミナが切れて足が止まり、友人たちが追いついて来た。褐色赤毛の『親友』が何か少女を咎めながら追いついてきたが、彼女に耳を傾ける余裕はなかった。

 少女は、小さく、それでいて隠しきれない焦りと恐怖を露わにして呟く。

 

「一体、何を考えているの……? ……シズリ……!」

 

***

 

第一八章 静けさの中、降り注ぐ閃光 What_visits_Before_the_Storm.

 

***

 

 タルブから数日かけて帰還したルイズ達は、まず学院長のところにやって来ていた。

 今回の一件はルイズに対する『ご褒美』という扱いで許可が出ていた為、まずは学院長に挨拶することが先決になっていたのだ。しかし、挨拶しにいった先では学院長のオスマンが何やら苦い表情を浮かべていた。

 

「どうしたんですか学院長。今回の旅行なら、ちゃあんと許可はもらってますけど?」

「いや、そうじゃないんじゃよミス・ツェルプストー。チト面倒なことになってのう」

 

 オスマンはあごひげを右手でしごきながら憂鬱そうに眉を顰めた。この老人がこんな表情を浮かべたことなど一度も見たことがなかった。それだけで、おそらくかなりの想定外が巻き起こっているのだろうことは想像に難くない。

 

「実はのう、おぬしたちが旅行に出ている数日間のうちに、『土くれ』のフーケが現れたのじゃ」

「ふ、フーケですって!?」

 

 困ったように眉を顰めたオスマンの言葉に、ルイズは目を剥いた。土くれのフーケ――と言えば、どんな防備だろうと関係なく潜り抜けて物を盗むと言われるメイジの怪盗だ。魔法学院の『破壊の槍』を盗もうとしている、という噂を耳にして以来、ぴたりとその活動を止めていたが……。

 

「で、ですがオールド・オスマン。魔法学院の宝物庫には、スクウェアメイジがかけた『固定化』の魔法があるって聞いたことがあります。フーケは大体トライアングル程度のメイジだったという話では……」

「じゃが、現実に『土くれ』は宝物庫の壁を突破した。『固定化』をかけたメイジ――つまりわし以上の魔法力を、フーケは持っているのじゃよ……おそろしいことに」

 

 オスマンは、肩を竦めてそう言った。

 ルイズ達は、言葉を失う。この髭の老人の腕前の程は、正直なところ三人の誰も知らない。使い魔としているのはただの鼠である為力量はさほどでもないと思われがちだが、本当に使い魔が実力を表しているのであれば彼に学院長など務まりはしないだろう。数十年前から少しも歳を取っていないという噂もあるほどである。

 『メイジの実力を見るにはまず使い魔を見よ』なんて格言があるが、この老人はそのセオリーに真っ向から反抗しているイレギュラーなのだ。

 

「盗まれた物は『異彩の駒』『聖なる兜』『破壊の槍』『異界の書』『封印の杖』『竜王の爪』。じゃが、それは問題ではない。盗まれた品々は取り戻せば良いからの。問題は、その後だったのじゃ」

 

 それこそ気が重たそうに、オスマンはそう言って言葉を一旦切る。

 キュルケとタバサが次の言葉を待っているその時、ルイズはふっと疑問に思った。何故、この場に麦野がいないのだろう。彼女はルイズの使い魔だ。戻って来たときに色々と生徒と話したりもしたし、彼女のことだからどこからか話を聞きつけて戻って来てもおかしくない。

 まして『土くれ』のフーケなんて盗賊が近くにやって来たのだ。ルイズのことを大事な『道具(アイテム)』として見ている彼女なら、当然ながらその身を案じるだろう。案じるというよりは、『どこかに不具合がないか確認する』と言うべきだが。

 

「……実は、ミス・ムギノが失踪したんじゃよ」

「……っ、何ですって!?!?」

「落ち着け、ミス・ヴァリエール。レディがそんなはしたないことしちゃいかんぞ」

 

 ルイズは、思わず立ち上がった。オスマンはそれを宥めるようにして座るよう促す。

 ルイズが一応落ち着いたのを確認したオスマンは、改めて仕切り直して話を始めた。

 

「ミス・ロングビルを引っ張ってのう……。事が発覚したのは、そのミス・ロングビルの書置きからじゃった。フリッグの舞踏会前後から二人の仲が急接近しておったのはわしも知っておったのに、それに気付けぬとは、最近彼女が落ち着いていたせいで油断しておったわい」

「そ、それで、ミス・ロングビルの書置きには何と!?」

「『ミス・ヴァリエールが聞いたならすぐにでもフーケ討伐に出向くのは想像に難くないから、そのリスクを潰す為に旅行に出向いている間に始末をつけてくる』――とミス・ムギノが言っていたと書いておったよ」

「…………、」

「ミス・ヴァリエール。悪いがわしはミス・ムギノに同意じゃよ。彼女は確かに狂暴な一面を持っているかもしれぬが、彼女が相手ならそうそう不覚をとることもあるまいて。ぶっちゃけ、あの子わしが逆立ちしても勝てそうにないしのう」

 

 そう言って、オスマンはおどけて見せる。しかし三人の少女からしてみたら、あのオールド・オスマンでさえ『逆立ちしても勝てそうにない』という麦野の実力に怯えざるを得ない場面だった。顔色を失っている三人の少女を見て自分の失言を悟ったオスマンは、こほんと咳払いをする。

 

「ともかくじゃ。お主らは此処で待機して、ミス・ムギノの帰還を待つことじゃ。それでなくとも、休暇の間に溜まった課題があるし、のう?」

「……げ」

「ほっほほ、それでは堅苦しい話はこれでしまいじゃよ。それぞれ自分の部屋に戻って、旅の疲れをいやしておきなさい」

 

 オスマンの好々爺めいた笑いに背中を押され、三人の少女達は学院長室を辞した。麦野が動くとあれば、オスマンの言う通りフーケが捉まるのは時間の問題だろう。裏街道を生き抜いて来た経験を持つ麦野と何かと有能なロングビルのコンビがいれば、フーケの潜伏先を特定することだって容易なはずだ。

 問題はフーケの死体が残るか否かというところだが、それに関してはロングビルの手綱捌きに期待するしかない。尤も、フーケが『消えて』もマジックアイテムさえ無事であれば問題はないのだから、そこは重要ではないかもしれない。

 そんな感じで、既にキュルケとタバサの表情から一刻を争うような危機感は失われていた。キュルケに至っては『脅かすようなこと言いやがってあのエロジジイ』という憤りすら滲ませている始末だった。

 ――しかし、その中でただ一人。

 ルイズの表情だけは硬く、ただ前を見据えていた。

 

***

 

 そして、それからほどなくしてルイズは学院からの逃亡を企て、そして冒頭に戻るのだった。

 

「ルイズ、一体どうしたって言うのよ!? あんたの使い魔は黙っていても戻って来るわ! あの女に限って不覚を取るなんてありえないでしょう!? なんでそこまで焦っているのよ!!」

「あんた達は、分からないの!?」

 

 ルイズは、そう言ってキュルケの方に向き直った。ルイズは、信じられないものを見るような表情を浮かべている。何故、キュルケが慌てないのか理解が出来ない――そう、目で言っていた。

 

「何を、言っているの……?」

「シズリ達が出て行った、()()()()()よ……! まさか、オールド・オスマンが言っていたアレがシズリの本音だとでも思っているの!?」

「は? ルイズ、あんた一体何を言って、」

「もう、良い!」

 

 ルイズは、キュルケの手を振りはらって走って行ってしまう。

 ……ルイズは今、『とあるインスピレーション』に突き動かされていた。

 麦野がロングビルを伴って学院から出て行ったと聞いたとき、直感で理解できてしまったのだ。『麦野沈利は、フーケの討伐になんか向かっていない』と。

 何故、オスマンにも黙ってロングビルを同行させたのか。地理や情報収集に詳しい人材なら、他にもいるはずだ。オスマンに依頼しても良いし、コルベールに依頼しても良い。どちらにしてもそれなりに――少なくともロングビルよりは有能な人材だし、彼ら自身が動けずともそれに準じる有能な人材を紹介してくれるはずだ。それに、そもそも学院の人材でなくともワルドあたりなら、ロングビルよりずっと有能であろう。

 それに、黙って行ったのも不可解だ。学院の中でフーケ討伐に出向く度胸のある人材の心当たりを考えれば、麦野がフーケ討伐に出向くと言えば頭ごなしに制止したりはしないだろう。にも拘らず、何故黙って、そしてロングビルを伴って出たりしたのか。先程も挙がったがワルドあたりを連れて行けば、そもそも麦野の失踪自体発覚は遅れていただろう。それこそ、ルイズが帰って来るまでは発覚しなかったはずだ。

 

 まるで――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう思った時、ルイズの中ですべてのパズルが組み合わさった。

 何を企んでいるかは、分からない。

 だが、麦野は確実に、何かを企んでいる。フーケ討伐に向かったと見せかけて、何かをしようとしている。だとしたら、そもそもこのフーケの事件自体、ただの狂言かもしれない。麦野の能力ならば固定化など無視して穴をあけることなど造作もないし、それで断面に土くれを錬金しておけば、『土くれ』のフーケの仕業だと誰もが思い込むだろう。

 麦野なら――――きっとそうする。

 そんな確信にも似た『インスピレーション』が、ルイズの中に芽生えていた。

 何のヒントもない情報から一直線にそんな発想に至れたことがまず不自然だったが、ルイズはそんなことに頓着する余裕がない程、その発想そのものの意味することに衝撃を受けていた。

 この一件が狂言なのだとしたら、麦野は宝物庫の中からわざわざ無数のマジックアイテムを回収して失踪して、麦野は一体何をするつもりなのだろうか。彼女は『ガンダールヴ』だ。マジックアイテムもまた『武器』だとするなら、一見すると意味不明な武器だって使い方を理解し、扱うことができるのかもしれない。あれほど強いのに、この上さらに武力を蓄えるなんて、一体何をするつもりだというのだろうか。

 

「『戦争』……」

 

 走りながら、何故だかルイズはそんな確信を持っていた。

 麦野沈利は、戦争を起こそうとしている。

 どこと、かとかそんな詳しい事情は分からない。だが、麦野はきわめて大きな争いを勃発させようとしている。あるいは、その争いを前倒ししようとしている。

 そして、それはやらせてはいけないことだ。

 彼女のやることなのだから、短い目で見れば良いことかもしれない。ルイズだってトリステインだって彼女の所業を有難がるかもしれない。だが、それは一時的なモノだ。最終的には、それによってルイズが、トリステインが、この世界全体が真綿で首を締めるようにじわじわと追い詰められていく。

 

「止めなきゃ……止めないと……! 他でもない、わたしが!!」

 

 ルイズの呟きは、いつしか叫びになっていた。

 祈りにも似た、叫び声。

 

「でないとアイツ、きっと取り返しのつかないことになっちゃう!!」

 

 ルイズの胸に去来した、インスピレーション。

 それが予見したのは、この世界の悲惨な未来だけではない。

 とある少女の、永遠の孤独の確定。

 ルイズが何よりも許せないのは、たった一つ、その事実だけだった。

 

***

 

「……何で、貴女がこれを持たないんです?」

 

 馬を駆りながら、ロングビルは麦野に尋ねていた。

 彼女達二人組の姿は、異様と言うほかなかった。

 まず、ロングビル。白いフードのようなものを被り、二メートルになろうかという長い杖――地球人なら、それが『刀』と呼ばれる長剣であることが分かる――と三つ又の槍をクロスするように背中に携えている。服装も白いフードに合わせて新調したのか、白を基調としてところどころに金のラインの入った線の細い印象の修道服だった。動きやすいようにスリットが入っているのが、清楚な中に色気を感じさせる。

 これだけでも異様だったが、その印象を真っ向から打ち砕くのが、麦野のいでたちだった。彼女は服装こそ平民の服を学園都市風に着こなしているいつもの姿だが、杖を突くようにして持っている『物』が異常だ。

 ズリザリザリザリ……と、馬の動きに従って地面を真一文字に抉っていく、それ。

 全長三メートル以上にも及ぶ、巨大すぎるほど巨大な剣。

 その側面の根元には、紋章が取り付けられていた。青の上に緑を重ね、ドラゴンとユニコーンとシルキーが三つ巴を構成する、とある傭兵の紋章だった。

 

「私は『魔術』は使えない。コイツだって『ガンダールヴ』の力がなければ振り回すことだって出来なかったろうしね。『〇次元の極点』が完成するまで、私は根本的に近距離戦が苦手だ。だからコイツは使うけど……他のものに関しては、『魔術』を使えるお前が持っておくべきでしょう」

「まあ、確かにレクチャーは受けましたが……」

 

 そう言って、ロングビルは肩を竦めた。

 彼女は、麦野に付き従ってガリアに向かっていた。その為の戦力を集める為、宝物庫に侵入して風変わりなマジックアイテムを集めていたのだが、どうやらこれは麦野の故郷にあったものらしい。

 

「しかし、何の因果かしらね。『前の世界』で私がぶつかった連中の持ち物ばかりが呼び出されてやがる」

「戦ったんですか?」

「ああ。全員殺した」

「…………」

 

 この大剣の持ち主も殺したのか――とロングビルは改めて目の前の女性のバケモノ具合を再確認していたが、それよりも気になることが彼女にはあった。

 

「……一体、どうして私を連れだしたのですか?」

「質問が多いわね」

 

 麦野が溜息を吐くと、ロングビルは困ったように肩を竦めた。『質問が多いのではなく、お前の説明が足りないのだ』――と言っているようだった。麦野は軽く苦笑し、

 

「バックアップよ」

 

 あっさりと、そう答えた。

 

「私の戦力は、元の世界において『一個大隊に匹敵する』という判定を受けてる。……私としちゃあ五個大隊くらい余裕で平らげられるんだけど、学園都市の武器を仮に数百数千と持って来られたら、流石の私も負けはしないまでも無傷じゃ片付けられないと思うのよ」

 

 多分に自惚れに満ちた見解だったが、ロングビルはそもそも麦野が地力の差で苦戦する様というのが想像できない。慢心してピンチに陥る光景なら簡単に目に浮かぶのだが。

 

「だから、戦力の強化が必要だった。強力なマジックアイテムを扱う仲間に、ガンダールヴのブースト。それさえあれば、一国を落とすことだって容易でしょう?」

 

 実際に不可能ではない、と言い切れないのが恐ろしい限りだった。

 

「とはいえ、本当に一国を落とすつもりはないわ。適当に国力を削いで、トリステインでも戦争になる程度にするのが今回の目的だからね。ただ、繊細なコントロールっていうのはお互いの力が拮抗していては難しいものよ。だから、ここまで戦力を蓄えた」

「……盤石な布陣すぎて恐ろしくなってきますね。何かの間違いで全てがひっくり返りそうで」

「生憎、私にフラグは立たないわ」

 

 麦野は笑いながら答える。『フラグ?』と聞き慣れない言葉に首を傾げるロングビルはスルーして、麦野は馬を駆る。学院を発ってから数日。そろそろ、ガリアとトリステインの国境――ラグドリアン湖近くだ。

 馬に揺られながら、麦野は笑う。

 戦争は、すぐそばまでやって来ている。

 麦野の目的も、成就の時はすぐそばまで来ていた。

 

***

 

 ルイズは学院から馬を引っ張り出して走っていた。キュルケ――そしてタバサ――は追いかけていないようだった。今追いかけたとしてもルイズがまともに話を聞く状態ではない、と判断したのだろう。それは賢明だし、ルイズにとっても有難かった。今キュルケに話しかけられても、冷静な対応が出来る自信がない。

 

「シズリ、シズリ……っ!」

 

 うわ言のように呟きながら、ルイズは馬を走らせる。

 麦野とロングビルは数日前には学院を出たという。馬に乗っているのだとしたら、もうトリステインから出ているかもしれない。もはや、一刻を争う事態だった。

 日は既に傾き、太陽の代わりに二つの月が地上を照らしていたが、ルイズはそれでも馬を走らせ続けた。

 

 何故だか、ルイズは馬を走らせる方向に迷いがなかった。行先はガリアだ。何となく、そんな気がした。理由はない。ただ何となく、そうとしか思えない感覚が湧いて来たのである。

 一人で宝物庫のマジックアイテムを持った麦野とロングビルを止められるか、と問われれば、ルイズは正直自信がない。あの旅で自分のしたいことについて自覚は芽生えたものの、だからといってルイズが急に強くなるわけでもない。まともに戦えば、ルイズなんて一瞬で蹴散らされてしまうだろう。

 

 ひゅん、と風を切る音が聞こえた。

 ルイズは咄嗟に『ロック』と呟き、地面から爆風を発生させる。

 吹き飛んだのは、一本の矢だった。ルイズは慌ててもう一度爆発を起こして塹壕を作り、その中に馬ごと避難する。

 夜盗だった。

 見ればあたりには人がいないし、旅の準備もしていない女の子が一人。これで狙われないわけがなかった。麦野に意識が行き過ぎていて、そんな単純な事にも気付けなかったのか……とルイズは歯噛みした。どうやら、ルイズは自分で思っている以上に取り乱していたらしい。

 

「よう、お嬢ちゃん。トライアングルメイジのようだが、この数を相手にするのは無謀すぎるだろ? 大人しく杖をこっちに投げて降参すりゃあ、身ぐるみ剥ぐだけで許してやるよ」

 

 夜盗から声が聞こえて来る。

 ……確かに、状況は厳しい。だが、『虚無』の力を以てすれば完全でなくとも夜盗くらいなら蹴散らせる。その為には戦略が重要だ。どうやって此処を乗り切ろうか――そう、考えていたまさにその時だった。

 轟!! と暴風が席巻し、夜盗たちを吹き飛ばしてしまう。バサバサと何かが羽搏く音が聞こえ、ルイズは空を見上げた。

 そこにいたのは、一頭のグリフォンだ。

 

「……やあルイズ。夜の散歩かい? 奇遇だね、僕もなんだ」

 

 夜盗をものの一秒で殲滅したその男は、グリフォンの上から顔を覗かせて、悪戯っぽくウインクした。

 

「……ジャン?」

「ああ、そうだルイズ」

 

 ワルドはグリフォンを緩やかに着地させると、馬よりも巨大なその身体の上からルイズを見下ろす。

 

「――ミス・ムギノを追っているようだね」

「……! あんた、何でそれを……」

「僕は……彼女の本当の目的を知っている」

 

 ワルドはそこまで行って言葉を切った。

 ルイズの心に、希望が広がる。どうやら、ワルドは麦野が戦争を起こそうとしていることまで掴んでいるらしい。そしてここに来たということは、麦野のたくらみを阻止しようとしているルイズに共感してくれたのだろう。

 ルイズ一人なら、麦野には歯が立たないかもしれない。だがスクウェアメイジの中でも特に有能なワルドの助けがあれば、あるいはそれをこなすことができる可能性だって出て来る。

 ぱあっと顔を明るくさせ、ルイズはワルドに駆け寄ろうと馬を下りようとして、

 

「ジャン、ありが、」

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 次の瞬間にかけられた言葉の意味が理解できず、思考が空白に染まった。



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第一九章

「と、止めにって……ジャン、それ一体どういう意味?」

「そのままの意味だよ、ルイズ」

 

 動揺するルイズに、ワルドは落ち着き払った様子で答える。その表情に、常のような物腰柔らかな雰囲気はない。――これは、『兵士』だ。尋常な決闘を望む貴族の戦士でもなければ、ルイズのことを慮る年上の婚約者でもない。ルイズが見たことのない、冷たい決意を備えた……『敵』だ。

 

「ミス・ムギノは戦争を起こそうとしている」

「! ……やっぱり……」

「……、どうやらその様子だと薄々感づいていたみたいだが……そうだ。彼女はトリステイン魔法学院からいくつかのマジックアイテムを盗み出し、それを使ってガリアに戦争を仕掛けようとしている。……いや、正確にはガリアの国力を殺いで、トリステインと戦争を起こさせようとしている」

 

 ルイズにとっては、ガリアの国力を殺いでトリステインとの戦争を勃発させようとしているということは初耳だったが――疑問が生まれる。そこまで掴んでいて、どうしてワルドは麦野のことを止めようとしないのか? 否、いくらワルドでも麦野と面と向かって事を構えるのは分が悪すぎる。そういう観点から戦いを避け、ルイズと合流するのは分からなくもないが、何故ルイズの参戦まで止めようとするのか。遠距離からの虚無魔法に徹しているだけでもルイズの戦力は非常に有用だ。だから、ルイズが足手まといになるとか、ルイズの身の危険を必要以上に案じているとか、そういうことではないはずである。

 

「分からないかい? ルイズ。そもそも余人が此処までミス・ムギノの計画を知っておいて、生き残れるはずがないだろう?」

「……!」

 

 それは、そうだ。ルイズのように何もヒントがないところから麦野の企みを察知するならともかく、一から情報を集めていくやり方では核心に辿り着く前に絶対麦野にその存在を補足されるだろう。そして、彼女に疑わしきは罰せずなんて言葉はない。たとえワルドでも、怪しい動きを察知されたならすぐに拷問か、あるいは問答無用で頭部を消し飛ばされるはずだ。

 つまり、それが意味することと言うのは。

 

「ジャン、あんた……!」

「ああそうだ。僕は――――俺は、ミス・ムギノの側に着いた」

「どうして⁉ 今のシズリがしようとしていることは、この世界を混乱に陥れることにしかならないわ! 脅されて協力させられていたにしても、今ならシズリの目がない。逆らうことだって出来るはずよ!!」

「そうじゃない。そうじゃないんだ、ルイズ」

 

 ワルドは頭を振りながら、グリフォンを降りる。その表情には悔恨が浮かんでいるようにも感じられた。

 

「俺はね、ルイズ。……善人じゃないんだ」

 

 ワルドは、そう言いながら右手で自分の顔を抑えた。表情を隠す――というよりも、暴れ出した感情を押さえつけようとしている、と表現するのがぴったりな動作で、ルイズは思わず自分も馬から降りて臨戦態勢に入った。

 その表情は、未だにワルドの言っていることが分からない、と言っているようでもあった。『善人ではない』……それは武人である以上、当然のことだとも思う。『悪』というのが『人を傷つけること』という意味ならば、ワルドは大悪人だ。世間一般の認識でそうではないのは、『人を傷つけること』によって、それよりもずっと多くの人間を『救っている』からに他ならない。それでも、他国からすれば大悪人という認識は覆せないだろう。

 しかしワルドは、そうではないとばかりに目を伏せて続ける。

 

「俺は……ルイズ、君を利用していた」

 

 その言葉に、ルイズは思わず目を丸くした。

 利用していた――何に? と、ルイズは当たり前な疑問に行き着く。……正直なところ、この期に及んでルイズはワルドに何か事情があるのだと思っていた。何かのっぴきならない事情があって、それで知らぬ間に自分のことを国の平和の為に使っていたのだと。この心優しい青年は、そのことをわざわざ気に病んでいるのだろう――と。ルイズは、そんな希望的観測に()()()()()

 

「自らの目的の為にだ。君は俺が急に婚約者だのと口約束を持ち出していたことに違和感をおぼえていたね。それは正解だ。俺は、最初から君に接近する為にわざわざ昔の約束を持ち出した。……ルイズ、君の力を手に入れる為にだ」

「…………、」

 

 その言葉を聞いて、ルイズは俯く。

 自分の力――虚無の力を手に入れる為に。思えばワルドは、最初から麦野のことをガンダールヴとか言って意識していたように思える。ジョークではぐらかされていたが、よくよく考えればアレはおかしな態度だったと言えるだろう。

 そう考えてしまえば、ワルドの行動に対する一切の疑問が解消されていく。……されていってしまう。そしてそれは、証明にも繋がっていく。あの旅でワルドに感じていた親しみが、絆が、全て薄っぺらな嘘だったという証明に。

 

「おかしいとは思わなかったかい? ラ・ロシェールでの戦闘。スクウェアメイジなんて一国に二ケタいるかいないかっていうレアな戦力だ。それをわざわざ、それもよりによって内戦中に、他国に投入する訳がないだろう。しかも、お誂え向きにあの時襲撃を仕掛けて来たのは『風のスクウェア』だった」

「…………やめて、ジャン」

「いいや、やめないよルイズ」

 

 ルイズは絞り出すように呟くが、ワルドは止まらない。饒舌になった彼はさらに言葉を紡いでいく。……いや、言葉でルイズの心を抉り取っていく。

 

「俺はレコンキスタのスパイだったんだ。ミス・ムギノの実力を確認した時点で早々に見限った程度の忠誠心だったがね。俺には、そうしてでも達成しなくてはならない目的がある。辿り着かなくてはならない場所がある。ルイズ、君との関係も、その為の演技だったんだよ」

「やめて、ジャン、ねえ……」

 

 ルイズは殆ど泣き出しそうになっていた。だが、ワルドはそれを認めて表情をさらに愉悦に歪ませる。

 

「『聖地』だ!! 俺はそこに辿り着かなくてはならない! そのためにはルイズ、君の『虚無』が必要なんだ! だからこんな戦争で君を『消耗』させる可能性はあってはならない! だから俺は――お前を止める必要があるって訳だ!!」

「やめて、お願いだから……」

 

 右手を離したワルドの顔には、狂相が浮かんでいた。ルイズの心を言葉で切り刻むことに愉悦を感じているかのような表情だ。上目づかいでその目を見てしまったルイズは、今度こそ本当に目を瞑る。

 自らの顔を晒したワルドとは対照的に、目を逸らすようにして両手で顔を覆ったルイズは、ふるふると震えていた。ワルドはさらに畳みかけるように、ルイズの心に言葉の槍を突き刺していく。

 

「分かったか、ルイズ。これが『絶望』だ。君の感じている『希望』なんてものはな、この俺の言葉一つでさえ簡単に覆される程度のものでしかないんだ。その程度の『希望』で、ミス・ムギノに立ち向かう? 冗談もほどほどにするんだ。そんなつまらない感情で君を戦争に行かせ、むざむざ『虚無』を失うなんてことは認められ、」

「――――その、くっだらない嘘をやめろって、さっきから言ってんのよ!!!!」

 

 ワルドの言葉を遮るように、ルイズは吠えた。

 ()()()()()()()()()抑えていた感情を解き放ったルイズは、そのままワルドを見据えた。

 何一つ迷いのない表情だった。

 

「…………っ、何を言って、」

「もし今までのことが全部本当だったなら、あんたはどうしてそれをわざわざわたしに教えたりしたの?」

 

 一寸の迷いもなく、ルイズはワルドを見据える。その場に縫い留められたように動けなくなったワルドは、返答に窮した。つまり、それが答えということだ。

 

「それは……、」

「それを言うことで、わたしの心を折ろうとしていたんじゃないの?」

「…………、」

 

 ワルドが次の言葉を紡げないうちに、ルイズはさらに言葉をつづける。言葉でワルドの心を抉り取り、切り刻み、突き刺すのではなく……砕き割る。ワルドの心が纏っているその上っ面を打ち砕き、本当の気持ちに肉薄していく。

 

「確かに、あんたの話にはいくつか本当のことが混じっていたかもしれないわ。元々はレコンキスタの人間だったとか、わたしに近づいて来た理由だとか、わたしの『虚無』を必要としていたことだとか。でも、本当に虚無()()を必要としていたのなら、そもそもわたしに全て話さず、適当に騙して、別の場所に隔離しておくことだって出来たはずよ」

「…………それでは、何かの拍子に君が真相に気付いた場合のストッパーにならない」

「でも、戦争に間に合わせなくすることはできる。『虚無』をキープする為っていうのなら、精神的にわたしを折るんじゃなくて、物理的にわたしを封殺する方法をとっていたはずよ」

 

 今度こそ、ワルドは沈黙に陥った。

 

「それをしないってことは……あんたは、本当は自分を止めてほしかったんじゃないの?」

「……、」

「今、此処で! 軍人の合理的な思考のせいで、シズリに立ち向かうことができない自分を!! 打ち砕いてほしかったんじゃないの!?」

「…………………………」

「残念だったわね、ジャン。こちとら物扱いはあの馬鹿使い魔のせいで慣れっこなの。使い古された手っていうのは陳腐にしかならないわ。お蔭で必死に隠そうとしていたあんたの本当の気持ちを見ることが出来た」

「――――ああ、ルイズ」

 

 ワルドは静かに、自らの顔を右手で覆った。それはもはや抑えるというより、隠すようだ。抑えることができないから、せめて溢れ出す感情を隠そうとしているような、そんな姿だった。

 ワルドはレイピア状の杖を握る手に、さらなる力を込める。ルイズはそれを認めて、すぐさま自分の足元の地面を爆発させた。

 

「あぐっ!」

 

 局地的かつきわめて指向性の高い爆風に吹っ飛ばされたルイズは、転がりながらもワルドから二〇メートルの距離を無傷で確保した。

 

「……どうやら、俺の見立てはどこまでも間違っていなかったようだ。ルイズ……君は本当に、魅力的な女性に成長した。まさかこの俺の所業を聞いて糾弾するんじゃなく、そこにあったただの身勝手な気持ちを見てくれるとは。……君は、本当に優しい子だ」

 

 手を離したワルドの表情は、慈愛に溢れた笑みを形作っていた。

 先程までの演技の狂相ではない。本心から、心の底から溢れ出た自然な表情だった。

 しかしワルドは、次の瞬間にその表情を仕舞いこむ。冷徹な兵士の仮面を被り直し、ルイズに杖を向ける。

 

「だからこそ! 此処で君をミス・ムギノのところに行かす訳にはいかない! もう二度と……()()()()をこの手から零れ落としたりはするものか!!」

「ワルド…………!」

 

 互いに、杖を構える。

 相手は――――風のスクウェア。

 トリステインでも一〇本の指で数えられる程度しかいない『スクウェア』の、さらに五本の指に入るプロの軍人メイジ。

 対するは、伝説とは名ばかり、爆発しか能のない素人メイジ。

 それでも、ルイズは立ち止まるわけにはいかない。

 この青年の心を固く覆い尽くしている幻想を、ひとつ残らず殺す為に。

 

***

 

第一九章 『閃光』のワルド The_Capability_of_Her_Betrothed.

 

***

 

 最初に動こうとしたのはルイズだった。

 まずは先手必勝。『爆発』の威力伝達速度は文字通り音を超越する上、衝撃半径は不完全なものでも最大で半径五メートルに及ぶ。自分とワルドの間に一発撃ち込むだけで、それは牽制として十分な威力を発揮するのだ。

 ……そう思っていたルイズは、次の瞬間に自分の考えがあまりに甘かったことを思い知る。

 

「――――我が二つ名は、『閃光』」

 

 瞬きする前までは二〇メートル先にいたはずのワルドが、既にルイズの目の前から五メートル先にいた。

 

「『音』を超えた程度で、勝った気になるのは早いぞ、ルイズ!!」

「くっ!!」

 

 ルイズは咄嗟に杖を自分に向け、魔法を開放する。破壊力を最小限に抑えた爆風のみの爆発魔法だ。ルイズは自分の身体が浮き、内臓がせり上がって来るような不快感を覚えるが、背に腹は変えられない。ここで間合いを詰められてはどうしようもない。多少強引であっても、とにかく逃げなくてはならないのだ。

 ――が。

 

「……言ったはずだ。我が二つ名は『閃光』だと」

 

 ワルドが、並走していた。

 人間の身である以上、ルイズも流石に音速は出せていない。だが確実に人を超えるスピードで、体勢制御すら考慮に入れないでとにかくやみくもに放った最高速度に、人間の身であるワルドはいともたやすく並走していた。

 静かに、レイピアを振り上げるワルド。

 殺しはしないだろう。だが、確実に失血で気絶するような部位に、ワルドは精密な一撃を叩き込むはずだ。そうなれば、もう何もかもおしまいだ。此処で麦野を止めることができなかったら、全てに取り返しがつかなくなってしまう。

 

「これが『閃光』たる所以! 魔法なしでこの速度を誇るからこそ、俺は衛士隊の隊長となった!!」

「くっ、ああああ!!!!」

 

 ルイズは苦し紛れに足を持ち上げると、レイピアに足の裏を向けた。間一髪、足裏がレイピアを防ぐ。レイピアは肉を断つ為のものであって、革を刺し貫くようにはできていない。だから守ることができたのだ。……尤も、

 

「……ならば、風の短槍(エアニードル)を使うまでだが」

 

 ワルドにとって、それは小さな問題でしかない。

 そう呟くように杖を振った瞬間、ワルドの杖に透明な気流の渦が纏われる。攻撃力に優れた風のスペルの中でも、近距離タイプの呪文だ。その威力は、スクウェアメイジであればダイヤモンドであっても貫くことができるとまで言われている。

 当然、革製品など紙と同じように貫いてしまうだろう。

 

「くっ!?」

 

 ルイズは咄嗟にもう一度自分に向けて爆発魔法を唱えて加速する。……とはいえ、余裕の様子で自分に並走していたワルドをこの程度で振り切れるとも思えない。同時に、ルイズは足裏をワルドの方に向け、せめて胴体への攻撃だけは防御しようと動く。足はいくら潰れても『爆発』で代用できるが、胴体からの出血は文字通り致命的になるからだ。

 

 だが、予想していた追撃は来なかった。

 ゴロゴロゴロ! と受け身を取りつつ様子を確認してみると、ワルドは先程ルイズがいたところにエア・ニードルのレイピアを突き立てていた。まるで、そこにルイズがいると確信していたかのように。

 ワルドはゆっくりと顔を上げると、立ち上がって土ぼこりを払っているルイズを認めて感心したように頷いた。

 

「なるほど……二段階移動か。詠唱速度が速くなっている証拠だな。それに判断力も鋭い……成長しているね、ルイズ」

「なら……、」

「だがまだだ! まだ足りぬ!!」

 

 ワルドはエア・ニードルを消し、そのまま先程と同じように素早い速度でルイズとの距離を詰める。

 これは予測できていたことなので、今度はルイズも逃げの一手ではなく攻めの一手を打つことにした。

 

「『ロック』!!」

 

 ルイズの言葉と同時に、地面が爆散した。

 無数の散弾となったそれらはワルドの方に殺到していく。その数は少なく見積もっても数百、いかにワルドが素早く移動できようと、上下左右すべての方角に撒き散らされた爆発の散弾を回避することはできないだろう。ワルドもそう考えたのか、口の中で何かを小さく呟き、レイピアを前方に向けたまま直進を続行した。

 瞬間、散弾の全てがワルドの事を避けて飛んで行った。

 

「エア・シールドね……。厄介な……!」

 

 シールドに集中する為か若干ワルドの足は遅くなったが、しかしそれでも凡人を遥かに超えた身のこなしをするワルドだ。あっという間にルイズとの距離を詰める。

 

「さあ、もう逃げ場はないぞルイズ。どうする――?」

 

 ワルドはそう言いながら、杖を振ってエア・シールドを解除した。

 その瞬間。

 

「……いいえ、この瞬間を待っていたのよ! ――『ロック』!」

 

 ルイズは――杖を後ろに向けると、自分の背後で爆発を起こし、あえて前方に吹っ飛ぶことでワルドを迎え撃った。

 メイジは、一度に一つの魔法しか使用することができない。そして、系統魔法の発動には絶対に呪文の詠唱が必要になる。いかにワルドが閃光のごとく矢継ぎ早に魔法を繰り出せるとしても、詠唱する以上一瞬から一秒程度の隙は生まれざるを得ないのだ。

 対してルイズはその間に一言言えば良い。たったそれだけで、ルイズの魔法は終了するのだから。

 

「なッ!?」

「エア・シールドを解いたその瞬間なら、わたしの攻撃を迎撃することも、防御することもできないでしょう! まずは――一発よ!」

 

 そう言って、ルイズは肩からワルドの腹に体当たりを叩き込む。運動エネルギーが全てワルドに伝わりルイズはその場に静止するが、代わりにワルドは勢いよく吹っ飛んだ。

 

「ぐごっ、がァァああああッッ!!」

 

 転がりながら、ワルドは一回転ごとに体勢を立て直して起き上がった大勢のまま数メートルほど滑る。口端から血を流しているようだったが、その戦意には陰りは見られない。

 

「……どうやら……横着をしすぎたみたいだ。素人だからと言って甘く見ていたよ、ルイズ。君は『伝説』…………それ相応の心構えで行かないと、負ける」

 

 空気が、変わった。

 ヒュゴッ!! という風切り音と共に、ワルドの姿が掻き消えた。ルイズはほぼ勘で今までワルドがいた前方に爆発移動するが、ルイズの背後に回り込んでいたワルドはさらにそれに追い縋って行く。

 

「もう下手に小細工を弄するのはやめだ。そもそも、そんなことをしなくても俺とルイズには地力だけでこれほどの差がある。下手に魔法に意識を割くから、つけいる隙を見つけられる。こうすれば、君が移動にしか攻撃を使う余裕がなくなるのは先程の攻防で分かった。あとは君がボロを出すまで、このやり方を永遠に続けるまでだ」

 

 機械のようにそう言ってのけるワルドに、ルイズは歯噛みした。

 ワルドの分析が、何から何まで図星だったからだ。

 

(いくらなんでも、速すぎる……! スクウェアメイジで親衛隊の隊長にまでなると、これほどの力になるっていうの……!? こんなの、麦野の『あの移動』よりも速いわよ……!?)

 

 原子崩し(メルトダウナー)による爆発に乗っての移動。ルイズが先程から使っている緊急回避も、そこにヒントを得て見出したものだったりするが、ワルドはそれより早く、しかも安定した高速移動を見た限り生身で行っている。そんなの、いくらなんでも人間をやめすぎている。『閃光』という二つ名とはまさしく彼の為にあるんだ、と思ってしまう程に。

 

(いったい、どうすれ……、……いや、待って? おかしいわ)

 

 ワルドの追撃を躱し、そして徐々に追い詰められながら、ルイズは疑問に思った。

 

(もしそうなら……『あれ』はおかしいわ。『あの時』起こったことは、普通なら絶対にありえないはず。それから『あれ』も。だとすると…………、)

「どうしたルイズ! もうおしまいか!?」

「あ、ぐう!」

 

 脇腹に突き立てるように振るったレイピアを、ルイズは寸でのところで身を捻って回避する。しかしそれで決定的にバランスを崩してしまい、そのまま転がってルイズは崖の横に自分の移動力で叩きつけられてしまう。

 

「かはっ、がは!」

「どうやら、此処で打ち止めのようだな。……トリステインでも指折りのスクウェアメイジに、よくやったと言っておこう。……おそらく、俺以外のメイジでは君の奇想天外な発想に振り回されるだけで、実力を発揮しきることすらできなかったろうからな」

「…………、」

「安心してくれ、ルイズ。目を覚ます頃には、全てが終わっている。君が気にすることなんて何もないんだ。だから……此処で眠っていてくれ」

 

 そう言って、ワルドはレイピアに力を込める。

 ルイズはその様子を、ただ見上げていた。

 

「…………あんたのそれは、……ただの体術なんかじゃ、ない」

 

 ぽつり、と。

 ルイズは小さく呟いた。

 ワルドの手が、止まる。

 

「あんたはあの素早い身のこなしを魔法を使わずって言っていたけど、それは違う。証拠に、あんたはあの身のこなしを使う時絶対に他の魔法は使わなかった。わたしが二段階爆発で回避したときも、もしあの身のこなしが使えていたなら、普通に追走してわたしにエア・ニードルを振り下ろせたでしょう。もう一度あの身のこなしを使った時も、エア・ニードルを消さなくたって良かった。あんたなら、エア・シールドの凶悪な威力を加味してもわたしを殺さず生け捕りにするなんて簡単でしょ」

「……それが分かったところで何だと言うんだ? 確かに、あの動きは魔法を使っていた。……ついでに言うと、あれのお蔭で俺が魔法衛士隊の隊長に上り詰めた、なんていうのも嘘だ。アレは、アルビオンで見た『機械の蟲』の翅の仕組みを俺なりに解析して開発した新魔法だ。だが、それが分かったところで何になる? まだ新魔法――『エア・ブースト』は継続している。ルイズ、君に俺の動きを止めることはできない」

 

 そう言い切ったワルドに、ルイズは首を振る。

 

「いいえ、違うわジャン……。動きを止めることくらいなら、私にだってできる。私が崖まで転がったのが、本当にただのミスの結果だと思ってるの?」

「…………? ……、はっ、まさか!」

「もう遅いわ! 『ロック』!!」

 

 ルイズの言葉と同時に、彼女達の頭上で崖が爆発する。……そう、彼女たちの頭上で。

 当然、爆発を受けた崖は多少なりとも崩落する。下敷きになれば、ワルドはともかく華奢なルイズが生き残れるという保証はない。そして、ワルドは最初からルイズを殺すつもりなどこれっぽっちもない。むしろ、この戦いはルイズを戦争に行かせない為の戦いなのだから。

 

「くそっ、無茶なことを、エア・シールド!!」

 

 不可視の盾が展開され、気流によって大小さまざまな瓦礫が受け流されていく。それによって、ルイズもワルドも無事のまま崖の崩落を乗り越えることができた。

 ……ただし。

 

「チェックメイトよ、ジャン。……魔法を使っているときには、他の魔法を使うことはできない。この距離なら、わたしの爆発魔法の方が速い」

「……く……こういう状況になれば、俺がルイズを守るというのを見越して……」

「卑怯、とは言わないわよね。わたしは、あんたっていう強敵と戦う為に、あらゆる条件を利用しただけなんだから」

 

 拗ねるようにして言ったルイズに、ワルドは思わず吹き出してしまう。

 

「くっ……ふふふ、してやられたよ、ルイズ。君は…………本当に、俺の想像を超えて強くなっていたんだな……」

「それじゃ、悪いけど気絶してもらうわ。わたしはシズリを止めなくちゃいけない。あんたはわたしを止めなくちゃいけない。互いに相容れないんだし、」

「いや、それには及ばない」

 

 そう言ってルイズが杖を向けたとき、既にそこにワルドはいなかった。代わりに、ルイズの真横に立って、ルイズの鼻先にレイピアを突きつけていた。

 

「……え?」

「詰めが甘いぞ、ルイズ。これが単なる力比べだったら確かに君の勝ちだったが、今回の勝利条件はあくまで『相手の無力化』。鼻先に杖を突きつけただけで勝利と勘違いしていては――――」

 

 そう言って、ワルドはレイピアを振り…………、

 

「――この先が、思いやられるぞ」

 

 こつん、とルイズの頭に、軽く置いた。

 

「……ジャン?」

「俺はもう、君がくだらない心配なんてしなくて良い程に強くなったと理解した。なら、わざわざ止めに入るまでもないってことだ。荒削りではあるし、詰めも甘いが……そこは、俺が補ってあげるよ。……俺のフィアンセ様?」

「…………もう、最後のせいで台無しよ」

「ははは、あまり格好つけすぎると、どこかで気を抜きたくなってしまうんだ。こればっかりは勘弁してくれ」

「……でも、それじゃあ」

 

 期待の眼差しを向けるルイズに、ワルドは今度こそ笑みを浮かべて頷いた。

 

「…………ありがとう、ジャン」

 

 手を伸ばし、先程言えなかった言葉を、今度は万感の思いを込めて。

 ワルドは目を細めて、その手を掴んだ。

 

「どういたしまして、ルイズ」



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第二〇章

 もうもうと立ち上る煙の中、『その女』は悠々と凱旋していた。

 その表情は満足げで、それは何もかもがこの女の掌の上で進んでいることを意味している。

 あたり一帯は元々は市街地だったのであろう。赤熱した建物だったものがそこらに点在しており、その瓦礫が街道のいたるところに散らばって、戦いの凄惨さを見るものに伝えていた。

 

「クク……まさかこれほどとはね」

 

 麦野は上機嫌で呟く。腕を組んだ彼女は足元に転がったカマキリの前足のような機械の破片を無造作に蹴り飛ばして街道の端に退けると、そのまま彼女のすぐ後ろを歩く緑髪の女性に視線を向ける。

 白いシスター服に身を包んだ緑髪の女性――ロングビルは、その視線に居心地悪そうに身じろぎしてから、周囲を見て頷く。

 

「……確かにこれは、凄まじい。馬を潰してしまったのは痛かったですが」

「足ならいくらでも調達できる。試しに竜でも捕まえてみるか? 足の一本でも焼けば嫌でも従うだろ」

 

 ――――この状況を生み出したのは麦野の原子崩し(メルトダウナー)ではない。そもそも、麦野沈利の異能では『瓦礫』なんていうありふれた痕跡は残らない。つまり。

 ……ブワッ!! と風が巻き起こり、無数の紙片がロングビルの懐へと戻って行く。

 異界の魔術師が用いていた術。科学とは相いれない魔術の力。それが、この惨状を生み出した元凶である。

 

「ペンキで塗りたくったような髪のヤローが使っていた魔術だが……まさか、『土』の魔法とこれほどまでに相性が良いとはな」

 

 行く手を阻むようにうねる土煙を能力で無造作に打ち払った麦野は、足元に転がる破片を適当に蹴り飛ばしながら歩いて行く。この世界には似つかわしくない重厚な金属音があたりに響いた。

 焼け溶けたような断面の()()()()()()()が転がって行くのを横目で見た麦野は、小さく舌打ちをする。

 

「相性もあるとは思うが……拍子抜けだな。ま、何にしてもこれで第一目標は達成って訳だ。あとは……適当にガリアを焦土にして国力を殺いでいけば良い」

 

 第一目標の達成。

 それは、現状確認されているガリアの最高戦力を無力化した、ということに他ならない。

 そして、ガリアの最高戦力とは、以前の世界においてはこう呼ばれていた。

 

 ――ファイブオーバー、と。

 

***

 

第二〇章 その名は炎、その役は剣 Earth_And_Fire.

 

***

 

 ラグドリアン湖を越え、オルレアンへと入った麦野とロングビルは、そのままガリア内部を進んでいた。

 本来なら密入国者はすぐさまガリアの国境警備部隊に察知されるのだが、そこは盗賊で馴らしたロングビル――フーケの経験が物を言った。巧みに警備の穴を掻い潜り、二日――つまりルイズがタルブから魔法学院に戻る道を進んでいる頃には、オルレアンを発ち完全にガリア国内に侵入してしまったのだ。

 

「いっそ笑えるくらい拍子抜けね」

「そうでなければ待っているのは延々と続く迎撃戦ですよ」

「そっちの方が退屈しない分マシかもね」

 

 麦野は適当に言っているが、ロングビルからすれば笑えない話だった。

 麦野から自分の持っている『霊装』と呼ばれる異世界のマジックアイテムの性能の程は聞かされているが、それを実感として認識できるかどうかはまた話が別だ。むしろ異世界の理論で構築されたアイテムの使い方を『ガンダールヴ』の詳細な説明付とはいえきちんと把握できているロングビルの状況判断能力が褒められるべきところである。

 

 そういうわけで、現在二人はオルレアンから数リーグの街『ラ・オセール』にやって来ていた。

 ラ・オセールはオルレアンの東、リュティスの西に位置する街で、東西に広いガリアの交通の拠点の一つとして栄えている。その為風竜の貸し出しも行われており、二人は此処までの旅路で確実に疲労している馬を此処で捨て、竜による移動に切り替えようかとも考えているのだった。

 

「でも、流石に国境警備隊を誤魔化せるのもあと数日というところだと思います。私がやっているのは、入国の痕跡を一時的に隠しているだけですからね。盗賊時代は、そうやって国の目を誤魔化しているうちに別の所に高飛びしてお茶濁しをしていたのですが……」

「心配要らないわよ。此処が目的の場所だから」

「……私が心配しているのは、目的を達成した後の帰路ですよ。こちらの存在もバレた上に、此処は敵地。無事に帰れるのか……」

「敵の戦力の目玉がごっそり潰されるんだもの。相手だって多少足並みが乱れるでしょ」

 

 麦野はそう言って、目の前の竜舎に目をやった。

 

「――――そう、ファイブオーバーっていう目玉をね」

 

 常識的に考えて、ファイブオーバーという機材をそのままの形で動かしていく訳にはいかない。いくらあのバケモノ兵器の燃費が良いとはいえ、一国を横断するレベルの飛行をさせるのは兵器運用としては間違っている。さりとてフネを使った移動は時間がかかりすぎ、ファイブオーバーの利点の一つである『信じられない戦力を迅速に向かわせる』という点が失われてしまう。

 であれば、ガリアはどういう運用を考えるか。

 答えは簡単。ステンレス等で徹底した軽量化を施されたファイブオーバーの機体重量を生かし、竜で運搬する、だ。

 

「……此処で間違いない?」

「ええ。地下に空洞があるのが分かります。此処の下にファイブオーバーとやらが格納されていますね」

「……便利よね、土メイジの『特技』とやらは」

 

 隠し場所の目星がつけば、あとは簡単。

 ロングビルに地面の厚さを感知させ、ファイブオーバーの位置を突き止める。そして――あとは蹂躙だ。

 

***

 

 その日、ラ・オセールの市民はいつもと同じ日常を過ごしていた。

 街道は人であふれかえり、店の客引きや出店での注文の声、ひったくりを糾弾する悲鳴なんかが聞こえて来る。馬車がガラガラと音を立てて走って行くその上では、竜籠が人やモノを乗せて飛んでいく。

 最近はレコンキスタとかいうアルビオンの貴族派連盟が反乱を起こし、それをトリステインの貴族が王党派と協力して鎮めたとか何とかという噂が聞こえており、色々ときな臭い情勢だが――彼らの多くは自分達がそんな大きな流れには関係ないと思っており、いつまでもこんな日常が続くと特に何の根拠もなく思っていた。

 その時までは。

 

***

 

 ドジャオオオォオオオオオオオオオオッッッッ!!!! と、熱したフライパンに油を流したような音がラ・オセールの空に響き渡った。

 遅れて、世界全体を引き裂くような爆炎が立ち上って行く。

 

「……本当、貴方の能力は悪目立ちしますね」

「これが超能力者(レベル5)の流儀よ。本当の強者は卑屈に隠れたりはしない」

 

 地面に原子崩し(メルトダウナー)を叩き込み強引に道を切り開いた麦野とロングビルは、そのまま地下へと降りていく。

 

「不意打ちだから真っ向勝負で叩き潰せねェのは少し不満だけど……まあ量産型相手に勝ち誇っても意味ないしね」

「お願いですから、少しでも楽な方向に行かせてください」

 

 軽口を叩きつつ、麦野は手を振る。

 それだけで彼女の手の先から輝く大剣が生み出され、地下に『駐車』されていたファイブオーバー達を一気に爆破していった。

 しかも、この狭い中では同士討ちの可能性があるとAIが判断したのか、彼らの中心に降り立った二人の少女はガトリングレールガンの餌食になる気配すらなかった。

 尤も、事実原子崩し(メルトダウナー)の盾で致命傷を回避できる彼女達相手に撃ったりすれば、自分達が破滅する結果にしかならないのは間違いないが。

 ただし、ファイブオーバー達も馬鹿ではない。

 残り五機と言ったところで、何を思ったのかカマキリの鎌のような両腕を上に向け、狂ったようにレールガンを撃ち出したのだ。

 

「? 一体何を……?」

「マズイ! 野郎ども、上の連中の被害も無視して上に退路を見出したんだ!」

「は!? ってことはもしかして……、」

「チィ!」

 

 慌てて麦野は追撃の滅光を繰り出すが、それでも二機潰せただけだった。残りの三機は、そのままラ・オセールの大空へと飛び立ってしまう。

 麦野の原子崩し(メルトダウナー)は圧倒的な破壊力が強みだが、一方で弱点も存在する。それは、攻撃範囲の小ささだ。原子崩し(メルトダウナー)は自分の周囲から粒子でも波形でもない曖昧な状態の電子を高速で射出する能力。つまり、根本的に原子崩し(メルトダウナー)の本質は点による攻撃なのである。

 循環させるなどといった小技によって辛うじて『線攻撃』にする程度の応用性は存在するが、その程度では空中を高速かつ三次元的に移動する――ファイブオーバーのような敵に対しては滅法弱い。

 

「……ロングビル、行けるか!?」

「やってみます!」

 

 ……まあ、だからこその『バックアップ』――ロングビルなのだが。

 ゾゾゾゾゾ!! と、麦野達の立つ地面が隆起していく。

 瞬く間にそれは巨大な人間となり――二人はその巨大な人間の肩に乗った。

 ロングビル――いや、『土くれ』のフーケの十八番、『クリエイト・ゴーレム』の呪文だが、今回は一つだけ、普段とは違う部分がある。

 それは――――

 

 ゾバァ!! という音を立てて展開された、無数の紙片の存在だった。

 麦野の故郷で『ルーンカード』と呼ばれていたそれは、三〇メートルはある土くれのゴーレム全体を疎らに覆っていく。そして、

 

()界を()()築す()()五大()()素の()()とつ()()偉大()()る始()()りの()火よ()

 

 ロングビルの口から、異世界の呪が紡がれる。

 

それ()は生命()を育()む恵み()の光()にして()、邪()悪を罰()する()裁きの()光なり()それは()穏やか()な幸福を()満たす()と同時()、冷たき()闇を滅()する凍()える不()幸なり()()()名は()炎、()その()()()()顕現()せよ()、わが()身を()食ら()いて()力と()為せ()!!」

 

 現れるのは、土の巨人ではなく――――火の巨人。

 

「――――魔女狩りの王(イノケンティウス)!!!!」

 

 土の巨人から、まるで枝分かれするようにして現れた炎の巨人は、今まさにゴーレムから離れようとしていたファイブオーバーの一機の胴体部分に目にもとまらぬ速さで腕を突き立てる。小爆発を連続させたファイブオーバーは、最後に大きな爆発を起こして粉々に砕け散る。

 魔女狩りの王(イノケンティウス)は本来、ルーンの結界内でしか活動できない。しかし、ゴーレムという移動可能な立体に結界を描くことで、自在に活動範囲を広げることができるようになったのだ。その上――

 

 ゴポガボボボ!! と、魔女狩りの王(イノケンティウス)がゴーレムの腕にその腕を突き立てる。炎の体の灼熱で、土くれはあっという間に熔岩に変貌する。

 危険度の高さゆえか、ファイブオーバーは愚直に魔女狩りの王(イノケンティウス)を狙うが、この魔術の本質はルーン。結界を壊さない限り重油の悪魔は永遠に再生する。

 人間であれば思わせぶりに貼られたルーンに気づきそうなものだが、生憎自動操縦のファイブオーバーは『紙にはリスクがない』と判断してしまう。

 

「学園都市の科学力でとっとと魔術サイドを制圧できないのはおかしいと思っていたが……こういうフォーマットの噛み合わなさが関係しているのかもな」

 

 魔女狩りの王(イノケンティウス)が放った熔岩の濁流を躱しきれずに飲み込まれていくファイブオーバー達を眺めつつ、麦野は呟いた。

 何にせよ、こうして麦野達は恙無く目的を完了させるのだった。

 

 しかし――ガリアがそれを黙って見過ごしているハズがなかった。

 ハルケギニア最大の国家。レコンキスタの黒幕。そんな大国が、ついにその牙を剥く。

 

***

 

「ほう?」

 

 部下からの報告を聞き、青髪の壮年男性――ガリア王ジョゼフ一世は思わず楽しげな声を上げてしまった。トリステインに出撃させるはずだった『機械の蟲』達が、根こそぎ破壊されたというのだ。

 アレを出せば確実に戦争に勝利していただけに、部下達にとっては多大な痛手だろう。

 

「……して、どう思う? ミューズよ」

 

 部下を下がらせたジョゼフは、傍らに控える黒髪の女性――ミョズニトニルンに呼びかける。ミョズニトニルンは『はっ』と短く答えてから、

 

「状況から言って、アルビオンでの反乱に加担したトリステインの手のものだと思われます。現地ではアルビオンでも確認されたという『光』が目撃されたとか」

「ふむ、なるほどなるほど。……くくく、これは面白い盤面になってきたな」

 

 ジョゼフは本当に愉快そうに笑い、

 

「むこうが『クイーン』を使うなら、こちらもそれに応えねばなるまい。元帥に伝えよ! トリステインと戦争だ!」

 

 そう高らかに宣言したジョゼフは、今度は蜜月のときのように優しく、ミョズニトニルンに囁く。

 

「お前も行ってくれるか? 余のミューズ……。トリステインの『ガンダールヴ』を始末できるのは、お前だけだろう」

 

 そう言われたミョズニトニルンは、恍惚とした表情を浮かべて頷く。

 その背に担がれた大剣の鍔が、カタリとひとりでに動いた。



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第二一章

「ガリアがトリステインに宣戦布告ですって!?」

「ああ……どうやらラ・オセールで爆撃テロ騒ぎがあったのを、トリステイン側の破壊工作だったと言いたいらしい」

 

 その知らせをルイズが聞いたのは、ワルドのコネを使ってガリア行きの準備を整えていたまさにその時だった。

 事実――ラ・オセールで確認された光は麦野の能力であるし、麦野の所属はトリステインということになる。麦野の能力をガリア以外の諸外国が知らないから国際的な非難は免れている状態だった。

 

「そんな……このままだと、シズリを追うのは余計厳しく……!」

「それについては俺に考えがある」

 

 焦るルイズに、ワルドはそう言って不敵な笑みを浮かべた。すっと口を閉じ、あたりの気配を探ったらしきワルドは、

 

「……それは君も分かってるだろう……? シャルロット・エレーヌ・オルレアン……いや、此処では『タバサ』と名乗ってるんだったか」

「!!」

 

 そう、ゆっくりと口を開いた。

 その言葉に呼応するようにして、物陰から一人の少女が現れる。

 タバサ。ルイズにとっては、キュルケの横にくっついている青髪――程度の認識だ。あのタルブの旅行で行動を共にしたため、今は立派な友人だとも思っているし、遠慮もなくなっていたが……。

 

「オルレアンって……あんたそれ、ガリアの王弟の……っていうか、何でここに……!?」

「ルイズ。彼女はガリアのエージェントだ。まあ……トリステインの虚無である確率の高いルイズの監視ってところかな?」

「……何故?」

「なぜわかった、ってところか。流石に……匂いが隠しきれていない。俺のような『一流』には分かってしまう。暗殺者には向いてるけど、密偵には向いていない性質だね」

「………………」

 

 ルイズにすべてを説明するワルドに、タバサは諦めにも似た沈黙を続けた。

 実際には、ガリア王――ジョゼフの思惑はともかく、タバサはルイズが虚無であるなど知らなかったどころか、『特別な才能がある』ということすらあのタルブの旅行での初耳だったのだが……それに対して訂正することはなかった。事実ジョゼフはおそらくそう考えていて、自分はその為の駒だったから、否定する余地はないと思っていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()! あんた、ガリアのエージェントってことは、国に顔が利くのよね!?」

 

 しかし、ルイズはそんなことに頓着せずにそう問いかけた。

 ガリア王弟家オルレアンは不名誉印で貴族の称号を剥奪されているから、エージェントとして働かされているタバサはおそらく不合理な扱いを受けているので、ガリアに対してあまり良い感情を持っていないだろう――という計算があったわけでは、勿論ない。

 そうではなくて、単純にタバサがどこの誰で今まで自分達にどんな隠し事をしてきたかなど、これっぽっちも興味がなかったからだ。

 自分の馬鹿な悪友は、そんなこと気にせず自分にぶつかってきてくれた。

 だからそんなことよりも重要なのは、タバサが()()()()()で、何ができるかという部分。

 

(やはりルイズならそう動くと思った……流石は俺のフィアンセだ)

「お願いがあるの……タバサ! わたし達をガリアに連れて行って!」

 

 ワルドの温かい視線を背に、ルイズはさらに言い募る。

 此処が無理ならば、ルイズが麦野に追いつくのはいよいよ絶望的になる。そうなれば、さらに酷いことが怒ってしまうかもしれない。

 それに対し、タバサは――――。

 

***

 

第二一章 雪風の決断 Opening_Ceremony.

 

***

 

 タバサにとって、ルイズはただの、級友とも呼べない程度の知り合いだったはずだ。

 少し前まではキュルケのついでに挨拶を交わす程度の間柄でしかなく、親しくなった経緯もキュルケの旅行について行ったついで。だが、それでも彼女はタバサが分かるほど目に見えて成長していった。

 自分と同じように、誰も信じられず差しのべられた手を突っぱねることしかできなかったのが、今となっては自分一人でしっかりと立ち、差し伸べられた手を掴むどころか、他の誰かにその手を差し伸べられるような存在になっていた。

 

 だから興味を惹いた、という部分もあったのだろう。

 

 タバサにとって、成長したルイズはもはや今までのような背景の一つではなく、キュルケと同じような――自分にはない強さを持っている興味の対象になっていたのだ。

 その彼女が、理由は分からないがガリアを脅威に感じ、麦野を救うためにそこに向かいたいと言っている。

 

「…………、」

「このままだと、トリステインとガリアは戦争になっちゃう――いや、それ以上に酷いことが起こっちゃう! それだともう何もかも手遅れになっちゃうの! その前に止めないと……!」

 

 ルイズの必死の願いにも、タバサは無言を貫き通していた。

 否、無言のタバサの胸中では、様々な思いが巡っていた。

 

 母。

 仇。

 責務。

 願望。

 過去。

 

「わたしは……、」

 

 一瞬のうちに胸中を駆け巡る思いを一つ一つ、ゆっくりと吟味していったタバサは、やがて一つの決断を下す。

 

(わたしは……かあさまを助け出す。その為には、解毒薬を手に入れないといけない……だから、ジョゼフに逆らう訳には――いかない。ルイズを、ジョゼフのもとへ連れていく訳にはいかない……!)

「わたしは、あなたたちを、」

「あらあら、こんな屋外に『サイレント』の結界が~?」

 

 タバサが口を開いた瞬間、聞き慣れた声が間に入って来た。

 

「……キュルケ……」

「こんな学院の中で物騒な話をくっちゃべってるんじゃないわよ。『サイレント』を使ってても、分かる人には分かるんだからね」

 

 現れたのは、誰あろうキュルケ・フレデリカ・アウグスタ・フォン・ツェルプストーだ。最近のタバサの様子がおかしいことを察知していたキュルケは、たびたび彼女が不審な行動に出ていないかさりげなく観察していたのだ。そんな中で『サイレント』による静音領域が見つかったのだから……好奇心旺盛な彼女が立ち止まっている訳がなかった。

 キュルケはその場にいる面子の顔を一瞥した後、呆れたように赤髪をかき上げ、

 

「そんな怖い顔してたら、聞いてくれるお願いも聞いてもらえないわよ。ルイズはともかく、子爵様も説得は苦手みたいね?」

「面目次第もないな。…………『聞いてくれない』ものと、思ってたもので」

 

 指摘を受けたワルドは、そう言って肩を竦めた。

 そこまで言われて、タバサは自分に向けられている、巧妙に隠された『殺意』の片鱗に気付いた。彼が馬鹿正直に『ガリアのエージェント』に声をかけたのは、協力を得る為ではなく『目の前でわざと敵対しやすくすることによって、自分のコントロールできないところで敵対され襲撃を受けるリスクを減らす為』だったのだ。

 おそらく、その上でタバサを撃破し、彼女を人質に使うなりして風竜のコントロールを得る算段だったのだろう。

 

(おそらく……この人は、わたしが既にガリアからルイズの動向を観察するように密命を受けてることに感づいてる……)

 

 ルイズの友人であるタバサにする仕打ちにしては非情にすぎるようにも思えるが、現にタバサは友情よりも母への愛情をとり、そして二人は軍人だ。ワルドの選択は正しかったというほかない。もっとも……この場にキュルケが現れるまで、の話だったが。

 

「タバサ」

 

 キュルケは油断なくワルドの一挙手一投足に集中しているタバサに向き直った。

 

「あんたが何を考えてるのか知らないけど……どんなことになったとしても、私も()()()()()()、あんたの味方よ」

 

 その言葉を聞いて、一瞬タバサはあきらめにも似た安堵の表情を浮かべたが、次に『多分ルイズも』と言われたことを思い出して怪訝な表情になった。

 この局面で『私はどんなことがあってもあんたの味方よ』と言うのは、つまり『ルイズ達の申し出を断って離別したとしても、自分はタバサの味方でいるから安心しろ』という意味にとれるだろう。だが、『ルイズも』というのはどういうことだ? たとえ申し出を断っても友情は終わらない、という意味なのだろうか? それは少し違うように思える。それなら、キュルケの性格ならもっとはっきり言うだろう。

 では…………、と考えて、タバサはキュルケの視線に気付いた。

 まるでルイズを見ているときのような、呆れが滲み出た視線だった。『こんな簡単な事にも気付かないの?』とでも言うような。

 

 ――不意に、タバサは思った。

 もしもこのキュルケの一言が、タバサ自身も気付いていないタバサの本音を言っているのだとしたら。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 差しのべられた手を、掴んでも良いと言ってくれているのだったとしたら。

 本当は一番の望みだったくせに、そうであれば母も守り抜けるほど強く在れたハズなのに、巻き込むことなんてできないと遠慮して最初から選択肢から弾いていた可能性。それを、キュルケは最初の最初から見抜いていたのだとしたら。

 

 ……流石に、自分の親友なだけはある。

 

 タバサは分かる人にだけ分かる微笑みを口元に湛えながら、しかしいつものように冷淡な調子で言った。

 

「――――条件がある」

 

 それは、彼女なりの『快諾』だった。

 

***

 

 そして、タバサは全ての顛末を話した。

 

 父の殺害と、自らの毒殺未遂。そして、自分の代わりに毒を受け、自分のことを認識できなくなってしまった母。それを人質に取られて、信じられないような過酷な戦場を渡り歩かされたこと。

 同情を誘いたくて言ったわけではないので、母の心が死んだ部分以外は極めて簡潔に(というか説明が足りないとキュルケに文句を言われるくらいに)話したが、それでもルイズは目に涙を浮かべるくらいに憤ってくれた。

 タバサは、それを素直に『嬉しい』と思えた。

 

「それで――条件、というのは、その母君のことかな?」

 

 タバサは、こくりと頷いた。

 

「私がガリアを裏切って、貴女達の入国を手引きしたことがバレれば……まず間違いなく、お母様は殺される。だから、トリステインにはお母様を匿ってもらう。それが、わたしがあなたたちに協力する『条件』」

「…………フム。なるほど、面白い――ああいや、君のことじゃないよ。ちょっとね」

 

 決死の表情のタバサに、ワルドは何かを考えるような表情でそう言った。

 その表情は魔法衛士隊隊長ではなく、ワルド子爵領領主としての――政治家の顔だった。

 

「君の母上に関してはおそらく問題ないだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()。おそらくは渡りに船とばかりに歓迎されるはずだ……連絡に関しては、これから王都に行く。姫様に話をつければ、あとはトリステイン軍が上手くやってくれるさ」

「……ジャン、そんな簡単に行くものなの?」

「そりゃあそうさ。トリステインだって――ガリアの次期国王には、恩を売っておきたいからね」

 

 そう言って、ワルドはタバサに目配せをした。

 ――そうだ。トリステインとガリアが戦争になるとすれば、トリステインとしては勝利した暁にはガリア王は国王の座から引きずり降ろさなくてはならない。その時にタバサを代わりに王として建てる動きを見せれば、今回のガリアとの戦争に『王位を簒奪した暴君に、正統なる王の血筋を引く者が鉄槌を下す、その手伝いをトリステインがする』という大義名分が成り立つ上に、実際にそうした後、戦後のドタバタで不安定なガリアに戦争協力の恩を思い切り売りつけることで有利に外交関係を構築することができるのである。

 

「…………」

 

 タバサも、それを了解の上だった。

 彼女が政治を知らないというのもあるが、ガリアはそもそもそのくらいで揺らぐ程度の国ではないということもある。ハルケギニア最強の大国という触れ込みは伊達ではなかった。

 

「話はまとまった。それでは、まずは王都トリスタニアだ――――皆、心してくれよ。これから俺達が向かうのは…………」

 

 ワルドは、隣に立つルイズの肩を抱き、厳かに言った。

 

「戦争だ」



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第二二章 ①

「もうファイブオーバーとやらも壊せたんですし、これ以上この国に留まる必要ないんじゃないです?」

「何言ってんだよ今さら。そもそもファイブオーバーがあろうとなかろうとトリステインはガリアには敵わないんだ。王様のところに行って恐喝するついでに手勢をブチコロシでやっとイーブンだろ」

「もうやだこの人……」

 

 半泣きになりつつ、ロングビルはドラゴンの御者をしていた。

 ドラゴンには大剣アスカロンを初めかなりの重量物が乗せられていたが、流石に魔法生物と言ったところか、本来では飛行機でもなければ運ぶことのできない荷物もまるで重量を無視しているかのような快適具合だった。

 当然、ロングビルや麦野にドラゴンを操る技能などない。だがこの手のドラゴンは『定期便』として一定の航路を行き来するようにしつけられており、一度飛ばせば目的地まで一直線であることを竜舎の番をしていた親切な人に教えてもらい、今に至る。

 ちなみに、その親切な人も最初はとても恐ろしい態度をとっていたが、人間というのは手足の一本がなくなれば誰しも驚くほど親切になるものである。

 

 そんな彼女達が向かっているのは、ガリアの首都――リュティスであった。

 今は、リュティスから数キロの位置だ。このあたりになってくると人の活気も多くなっており、当然ながら麦野達の行動も目立っていた。

 

「そろそろこのドラゴンでの移動も無理筋になってくる頃か」

 

 麦野はそう言って、怯えきった様子のドラゴンの首筋を撫でる。

 ただでさえ、麦野のファイブオーバー爆破によってガリアはトリステインに宣戦布告しているので、現在のガリアは戦時中ということになる。不眠不休で飛ばしているから此処まで近づけたようなもので、このまま行けばまずリュティスに突入する前に砲撃されて墜ちるだろう。

 

「一旦降りるわよ。数キロなら歩いて行ける」

「このドラゴンはどうしますか?」

「そのまま飛ばしておけば良いでしょう。目晦まし程度にはなるかもしれないわ」

「了解」

 

 麦野の残忍な指令に肩を竦めつつ、ロングビルはドラゴンを操る為に握っていた手綱から手を放す。尤も、ドラゴンは勝手に飛行していたので、手を放したからと言って何が変わると言う訳でもないのだが。

 準備が出来たのを確認した麦野は、そのままロングビルを乱暴に肩に担ぐ。

 

「……え? ちょっと待ってください。あなたの能力で落下の衝撃を殺すという手筈なのは分かっていますが、この姿勢はちょっと――」

「問答の手間が面倒だわ。さっさと降りるわよ」

「え、いや、この体勢だと減速のときの慣性が思いっきりおなかに――――ひゃああああああああっ!?」

 

 ロングビルの抗議も聞かず、麦野は鮮やかにドラゴンから飛び降りた。見る見るうちに森に覆われた地面が近づいてくるのを間近に見て、ロングビルはどうして自分がこんな目に遭うのだろうと大して信じてもいない始祖ブリミルに呪詛を吐く。

 そして――――、

 

***

 

第二二章 激突 Brain_V.S._Left-Hand.

 

***

 

「……うげぇっ!?」

 

 ドヒュン! という発射音と共に、麦野の至近から異界の光芒が放たれ、その反動で二人の身体は一気に減速した。代償に、ロングビルは妙齢の女性が出してはいけない感じの声をあげる。

 減速するとしても慣性自体は生きている訳で、いきなり遅くなったらその分ロングビルの腹に麦野の肩がめり込むのだった。しかし、優雅ささえ感じさせる所作で着地した麦野は全く悪びれた様子を見せない。

 

「まるで潰れたカエルね」

「そんな声を出させた本人が何を……」

 

 適当にロングビルを立たせると、麦野はまず空に放ったままのドラゴンの様子を見た。

 

「このまま囮役を全うしてくれると良いけど」

「すぐにバレると思いますけどね。まあ、私達の捜索が始まるまで多少時間は稼げるんじゃないですか。向こうはドラゴンによる接近そのものがブラフだった可能性まで疑わないとなりませんし」

 

 そう言いながら歩き始めた二人だったが、すぐにその目算が甘いということを悟った。

 ズガン、と頭上で飛んでいたドラゴンの首が斬り落とされたのを目撃したからだ。

 

「……おいおい、マジかよ」

 

 麦野は肩にかけていた大剣アスカロンに手をかけ、ガンダールヴの力を供給し始める。彼女の眼は、ドラゴンの首を切り落とした攻撃が地上からの遠距離攻撃ではなく、飛び上がった人間による至近距離からの斬撃であることを認識していた。それはつまり、地上から一気に跳躍して一息にドラゴンの首を刎ねることが出来る身体能力の持ち主(バケモノ)、という意味である。

 

「下がってろロングビル。アンタじゃ手に負えないわ」

「言われずとも」

 

 言葉と同時に、ロングビルはズズズ……と地面にめり込むようにして消えていく。高位の土メイジともなれば、地面の中に潜行することだって実の所難しくはないのである。

 さて、一人になった麦野は、目を瞑り周囲の気配を探る。『ガンダールヴ』は単純な筋力や敏捷性の向上にも役立つが、そのほかにも五感の精度を上げる能力も持っていることを、麦野はこれまでの経験で分かっていた。考えてみれば当然のことである。たとえば眼がよくなければ、いくら素早く動けても判断の方がそれに追いつかない。それでは片手落ちだ。

 

「……そこか」

 

 言って、麦野は大剣アスカロンを思い切り前方に振り下ろした。

 まるで爆撃かと錯覚するような轟音が轟き、叩き付けた衝撃で前方に無数の瓦礫片は飛来する。

 カカカンカンカンカン!! という細かな金属音が連続した。

 

「フン……。どうやら何発かは弾いたみたいだが、散弾銃を剣で弾くなんて土台不可能な話よ」

 

 麦野の視線の先には、全身に無数の銃創――といっても麦野がアスカロンを叩きつけたことによる小瓦礫片の散弾によるものだが――を作った、黒髪の女の姿があった。両手に立派な大剣を構えている。おそらく、これによって散弾の直撃を回避したのだろう。

 表情こそ余裕――というか無表情だが、全身から血を流している姿は間違いなく人間として耐えられるダメージを大幅に超えている。

 

「どうやらお得意のマジックアイテムでブーストをかけているみたいだが……その負傷でどこまでやれる? 肉弾戦特化の神の左手(ガンダールヴ)に接近戦を挑むってのは少し脳筋すぎるなぁ……神の頭脳(ミョズニトニルン)

 

 女の額には――麦野の左手甲にあるようなルーンが浮かび上がっていた。

 

「――『場違いな工芸品』には面白い品が多いわね」

 

 自分の負傷状況を確認した女は、それでも眉ひとつ動かさず――体幹ひとつぶれさせず、そうごちた。

 此処に至って、麦野も気付く。――異常だ。アレは人間が食らって平気でいられるダメージではない。麦野だってあれほどの数の銃創、出血が生まれればよろめきはする。それで戦闘不能になるほどヤワな麦野ではないが、相当キツイ戦いは強いられるはずだ。

 にも拘わらず……彼女は実際に佇んでいる。マジックアイテム主体の戦闘を得意とし、肉体的な脅威はさほどないはずのミョズニトニルンが。それに、遠距離戦・情報戦が専門の神の頭脳(ミョズニトニルン)がこうやって接近戦に打って出るという発想自体が、よくよく考えてみれば不自然だ。

 

「……何だそれは……? 学園都市製の変わり身機械でも用意したってのか?」

 

 麦野は耳を澄ませ、あたりを見渡す。何かがこちらを狙っているような様子はなかった。念の為、原子崩し(メルトダウナー)によって周囲の木々を焼き払い死角を消し去ってみるが……特に何もない。

 隠れている、というわけでもない。では遠隔操作か――と考えてみるが、それならば原子崩し(メルトダウナー)の照射時に発生する膨大な電磁波で行動にノイズが走って然るべきだ。となると、遠隔操作でもない。

 

「学園都市、か……。『あれ』の出所はそう呼ぶのね。でも、残念。違うわ。これはその発展形。私達が、アナタ達の技術をただ流用するだけに留まると思っているのかしら? 魔法も――進歩するのよ」

 

 ジュオオオオオオオ……! と絶滅の輝きによる不気味な陽炎が立ち上る中で、女――ミョズニトニルンは不敵な笑みすら浮かべてそう言った。その言葉を受けて、麦野は考える。

 

(この能力は……学園都市の技術を参考に、ミョズニトニルンの能力でマジックアイテムをチューンナップしたってのか? ……この世界の連中でも『一流』になればこっちに対応してくるってことか)

 

 麦野は知らないことだが、彼女と共にファイブオーバーの脅威を目撃したワルドは、その飛行技術を応用した高速移動魔法の開発に成功している。このように、学園都市の技術はただ異物として存在するのではなく、それ自体がこの世界の存在に影響を与えかねないのだ。

 ともあれ、何であろうと学園都市の技術が根幹にあるとなればそれらは例外なく『えげつない』。アスカロンを牽制代わりに掲げて、様子を見る。次の瞬間――ミョズニトニルンの姿が麦野の目の前から掻き消えた。

 

「っ!?」

 

 その初撃を躱すことが出来たのは、ガンダールヴゆえの感覚機能の機敏さからだ。

 本能から来る危険信号に反応して即座に飛び退いた麦野がいた地点を、ミョズニトニルンの大剣が通過する。麦野がアスカロンを構えたその一瞬で、ミョズニトニルンはそれによって発生した『前方の死角』に潜り込んで麦野の視界から消え去っていたのだ。

 空振り――それも大振りでありながら、ミョズニトニルンの攻撃は剣の回転が体の回転に繋がって即座に反撃を考慮した行動になっていた。

 尤も、

 

「その剣で私の能力が回避できるわきゃねェがなァ!!」

 

 麦野の殺意が、万物を消し去る滅光となって眼前に迸る。

 しかしミョズニトニルンは回避行動をとらなかった。むしろ、それに対してただ防御をするかのように剣を構え――、

 

 ズゾン!! と。

 

 構わずに、振り下ろした。

 本来であればその行動は全く無意味となるはずだが――あろうことか、ミョズニトニルンの剣は今まで何物であろうと消し去って来た麦野の最強の矛を切り分け、そしてその先にあるアスカロンと衝突して火花を散らした。

 

「な、はっ……!?」

 

 驚愕の抜けきらない麦野は、ガンダールヴの身体能力を使って一気に飛び退く。

 麦野の経験において、自らの能力を『無視される』なんて事態は――生まれて初めてだった。

 防御してきた存在は、これまでにも何人かいた。

 この世界に来る前に克服してやった第三位も電磁波を応用し原子崩し(メルトダウナー)を受け流して来る厄介な輩だったし、その前に戦ったツンツン頭の黒髪少年も何やら右手を翳して原子崩し(メルトダウナー)を受け止めていた。得意の肉弾戦メインでやったら途端に圧倒できたので興醒めも良い所だったが。

 だが、これは違う。

 受け止めるのではなく――切り開く。

 防御の必要性すら感じていない、という挙動だった。そして事実、攻撃自体が麦野への最大の防御として機能している。

 

「テメェ……どんな技術を使いやがった」

「これ自体は、マジックアイテム本来の能力よ」

 

 ミョズニトニルンはタネがバレようと問題ないと思っているのか、あるいは別の思惑があるのか、あっさりと口を開いた。

 

「デルフリンガー……『神の左手の左腕』。本来はアナタが手に入れることになっていたハズの武器――そしてまたの名を、『幻想殺し』」

「何?」

 

 麦野は、ピクリとその言葉に反応した。

 そういえば、木原数多がツンツン頭の少年と対峙した時に、あの能力を受け止める不可思議な右腕を差して『幻想殺し』と呼んでいたことを想いだした。

 アレは、学園都市の中で使われていた麦野の世界の存在のハズ。何故それが――この世界に現れるというのか。

 

「フフフ……どうやら情報の利はこちらにあるみたいね。まあ、当然かしら。アナタはこの世qonge特異lbwy――異常な存在……この世界における『違和感』は、全てアナタの召喚を中心に発生しているからね。座標においても、時系列においても。中心点は逆に異常が感じられないといったところかしら」

「ああ、つまりこういうことか? 『テメェを半殺しにすりゃ全部の種明かしがしてもらえる』」

「興味を、持ってもらえたかしら?」

 

 興味は――確かにある。異常な存在とは? この世界における違和感とは? 麦野からしても、これまでの出来事の中でいくつか腑に落ちないことはあった。それらすべての原因に自分があるという事実は、確かに幾ばくかの危機感とともに興味を感じさせる。

 何より、ミョズニトニルンが具体的にどこで、どうやってその情報を知ったのかという点についても。

 ただし……それは、あくまで本筋に関するものではない。

 確かに不気味ではあるが、麦野の『計画』が成った暁にはそんな細かな疑問など簡単に調べられるし、何があろうと指先一つで面倒な問題は銀河の果てまで遠ざけることができるのだ。

 

 だから、麦野はあえて獰猛な笑みを前面に押し出して、訳知り顔のミョズニトニルンにこう言い切った。

 

「全然。だから――――アンタはここで、ブチコロシカクテイよ」



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第二二章 ②

 ドッパア!! と麦野は地面目掛けて原子崩し(メルトダウナー)を叩き込む。

 幻想殺し(イマジンブレイカー)対策に、以前やったことのある応用だった。

 相手の至近距離に原子崩し(メルトダウナー)を浴びせることで、直近の地面を爆発させる。幻想殺し(イマジンブレイカー)は異能を殺すことはできてもその二次被害まで殺すことはできないから、爆風に対する耐性が存在しなかった。同じ幻想殺しであるというのであれば、これが通用する。

 そして、原子崩し(メルトダウナー)の攻撃時間はまさしく電瞬の刹那。撃ってからどうこうしようとしても無駄であり、自分への攻撃のリスクを考えデルフリンガーを防御に使わざるを得ない以上、この攻撃を防ぐことはできない。

 

 が。

 

「なァっ!?」

 

 ミョズニトニルンは、麦野が原子崩し(メルトダウナー)を浴びせる一瞬前には、そこから飛び退いてしまっていた。

 そして、今度は返す刃で、ミョズニトニルンの猛攻が始まる。素早い剣閃が麦野を襲ったかと思えば、今度は死角に回られる。麦野はアスカロンのその巨大な刃を盾に使うことで辛うじてその猛攻を凌いでいくが――それでも防ぎきれない太刀筋が、麦野の身体に切り傷となって蓄積していく。

 明らかな劣勢だったが、今度は原子崩し(メルトダウナー)を撃つことができなかった。

 麦野は能力の行使に、照準と照射の二工程を必要とする。本来は気になるほどのものではないのだが、しかしこの接近戦の最中においてはその照準に使わなくてはいけない『一瞬』が命取りとなる。その上攻撃は全て無効化されるとあっては、使うに使えないのが現状だった。

 

「くっ……!」

「どうしたのかしら? 身体能力はガンダールヴであるアナタの方が上のハズ。何故防戦一方になるのかしらねぇ?」

 

 まるで刀が自分の手足であるかのように振るうミョズニトニルンは、そう言って優越感からか勝ち誇って見せる。それが麦野のことを逆上させる為の罠であると自覚しつつも、麦野は自分の裡にふつふつと沸き起こる怒りの炎を自覚した。

 

(……クソ! なんだ、あれは……? ミョズニトニルンの使う異能は異能を殺す幻想殺しのハズだ。術者そのものは戦闘の心得なんてない。なのに、さっきもそうだったがあまりにも動きが機敏すぎ――いや、戦い慣れしすぎてる)

 

 その炎に無理やり蓋をする形で、麦野は相手の動作を観察する。無数の切り傷というカードを支払うことで、一つずつ相手の情報を積み重ねていく。

 

(さっきの死角に潜り込む動きにしても、爆発の回避にしても、その後の立ち回りにしても、動きの前兆を見ているんじゃなくて明らかに経験則からこっちの戦法を読んで対応している。であれば……それを得る為に、何かしらの細工が施されている?)

「そろそろ気付いて来たかしらね」

 

 麦野がその違和感を明確に認識したところで、ミョズニトニルンは笑った。まるで、麦野の思考の足跡などお見通しであるとでも言うかのように。

 

「教えてあげるわ。デルフリンガーには二つの能力が存在している。一つは、異能の無効化――幻想殺し。そして二つ目が、それに宿る人格」

『ウグ、アア、ウアアアア…………』

 

 ミョズニトニルンが剣を動かすと、鍔がカタカタと動いたのが分かった。

 それはまるで、囚われた哀れな犠牲者の呻き声のようだった。残忍な気性の麦野をしても、その有様はあまりに痛々しく――同情と言うよりは、その美意識から『醜い』と感じて眉を顰める。

 

「これは……インテリジェンスソードよ。この人格が持つ能力が、『持ち主の操作』。数多の英雄に振るわれてきたこの剣の経験を、そのまま持ち主にフィードバックすることができるというわけ。ちょっとした剣の達人という訳ね。化け物じみた身体能力も、その応用よ」

「あり得ない。幻想殺しはあらゆる異能を問答無用で無効化する能力のハズよ。ならその『持ち主の操作』だって打ち消されないとおかしい」

 

 そして、麦野は考える。

 その『おかしい』部分を支える『何か』があるハズだ、と。それを打ち崩せば持ち主の操作の異能は失われ、相手に残るのは幻想殺しのみ。そうなれば麦野に勝てない相手ではない。

 だが、その麦野の思考を見越してか、さらに絶望的な情報をミョズニトニルンは突きつける。

 

「――幻想殺しだって、万能ではないのよ?」

 

 その口元が、三日月のような笑みを形作る。

 本来は泣きごととして使われるであろう言葉を、勝利に近づく為の布石として用いる。

 

「アナタの異能の余波を打ち消せないように、人間を斬っても魂を殺せないように、幻想殺しにも殺せないモノは存在する――たとえば、そうね……この世界に深く根付いた『先住魔法』とか。幻想殺しは、世界のサイクルの一部。だから同じ世界のサイクルの一部分を破壊することはできない」

「……世界の、サイクル……?」

「ま、それで異常な存在たるアナタを殺せないのは疑問なところではあるんだけど…………そこまではマジックアイテムを支配する私では専門外ね。ま、ある程度見当はついてるけれど……」

「何言ってやがる、テメェ」

「言っても分からない人に一から一〇まで説明してあげるほど、話好きじゃないの」

 

 その後、やや沈黙があった。

 しかし、それはただの停止ではない。交わしあった視線の中で、彼女達は無数の手をシミュレーションする。それは、眼前で行われる幻影同士の戦闘でもあった。

 そして、動きがあった。

 

 ドッ!! と両者がほぼ同時に地を蹴る。間合いの上では、有利なのは麦野だ。アスカロンの長さは三・五メートル。対するデルフリンガーの射程は精々が一メートル超と言ったところだから、先に相手を間合いに収めるのは麦野の方ということになる。

 しかし、二人の強者の戦いは、互いが互いの間合い内に入る前に始まっていた。

 

「一つ、言っておくが」

 

 ギン、と大剣を構えた麦野は、片手でアスカロンを握ったまま、肩と片手で耳を塞ぐ。

 

「『達人の経験』を利用できるのは、テメェだけじゃねえぞ」

 

 次の瞬間。

 ボバッッッッ!!!! という轟音が周囲の大気を振動させた。

 何のことはない――ただ、アスカロンの平で地面を()()()だけだ。だが、三・五メートルの巨大な物体が超絶的な破壊力で地面に叩きつけられたとあれば……当然ながら、その衝撃波は想像を絶するものとなる。たとえば――防御なしで食らえば、一撃で鼓膜が粉砕するような。

 

「が、ばッッッ……!?」

「『ガンダールヴ』。テメェが使い魔の能力をフルに使うってんなら、私も傭兵の流儀(ハンドイズダーティ)で応じさせてもらおうかァ!」

 

 次の瞬間には既に大剣を構え直していた麦野は、両耳から血を垂れ流すミョズニトニルンを袈裟切りにすべくアスカロンを振り下ろす。しかし麦野の思惑はある意味で無意味だった。両耳の鼓膜が粉砕したとしても、デルフリンガーによる体の外部制御をおこなっているミョズニトニルンの動きが鈍るわけではないのだ。ギギギ、と身体が不自然に軋むような動作の直後、目にもとまらぬ速さでデルフリンガーを構え直し、

 

 ガギィン! という金属音が響いた。

 

 受け止めていた……のではない。もしも受け止めていれば、アスカロンの重量でミョズニトニルンは叩き潰されてしまうだろう。ミョズニトニルンは、最小限の力でアスカロンの受け流し(パリィ)を成功させたのだ。

 

「ッチィ!!」

 

 攻撃が受け流されたのを直感した麦野は、柄を握ったまま手を滑らせ、三・五メートルの剣身を盾に使う。ギィン! と追って放たれたミョズニトニルンが、寸でのところでアスカロンに阻まれた。

 麦野は即座にアスカロンを下から上に振り上げ、ミョズニトニルンを数メートル単位で吹っ飛ばして状況を仕切り直す。ズザザザ!! と地を滑りながらも二本の足で持ちこたえたミョズニトニルンは、余裕さえ感じられる構えで麦野の方を一瞥した。

 

「まだまだこんなモンで終わりじゃねェぞォお!!」

 

 戦闘が小休止に入った一瞬の隙を突いて、破滅の雷光が電瞬の速度でミョズニトニルンに迫る。しかしミョズニトニルンはそれに対して剣閃を翻すだけで既に対応していた。デルフリンガーに触れた瞬間、何物をも消し去るはずの輝きにヒビが走り、粉々に砕け散るが――最初から麦野の狙いは、原子崩し(メルトダウナー)の直撃ではない。

 能力を消し飛ばす一瞬ではあるが――ミョズニトニルンは、麦野の姿を見失う。

 

(目晦まし……とすると、向こうが来るのは)

 

 原子崩し(メルトダウナー)を潜るように――はない。アスカロンは巨大だ。身体を低くしつつ振り回せるほど細かい取り回しができるようなものではない。

 右、左――もない。ミョズニトニルンは原子崩し(メルトダウナー)を消す為に眼前に剣を構えている。その為内側(ミョズニトニルンの正面)目掛け剣を振るえば容易に受け流し(パリィ)されるので不意打ちの意味がなくなるから、外側から剣を振るわざるを得ないのだが――その場合、アスカロンの巨体が原子崩し(メルトダウナー)で隠しきれなくなる。この場合も、不意打ちの意味がなくなる。

 となると、残る答えは――、

 

(――上っ!?)

 

 弾かれたようにミョズニトニルンが上へ視線を移すと、そこには大上段にアスカロンを振り上げた麦野の姿があった。

 

(でも、あの大振りでは攻撃に時間がかかる……今からでも対処は十分に間に合、)

 

 確かに、『達人の経験』に裏打ちされたミョズニトニルンの推測は正しい。ガンダールヴの膂力があると言っても、それでデルフリンガーのブーストを得たミョズニトニルンと互角。大振りの攻撃は相応の隙が発生する為、防御どころかカウンターすら狙える、ということになる。しかも、空中では足場が存在しない為、機敏な動きが出来ない。どんなに素早く動ける生物だろうと、落下の速度は変わらないのだ。

 しかし――次の瞬間、麦野はそんなミョズニトニルンの思考を上回った。

 

 ダン! と。

 空中で()()()()()()()()()さらに加速したのだ。

 

 アスカロンの重量は実に二〇〇キロにも及ぶ。女性の麦野が思い切り蹴り飛ばしたところで、ぴくりとも動かない重量だ。それはつまり、地面が存在しない空中に置いて麦野が蹴ることができる『足場』になりうるという意味でもある。

 当然剣は手放され、ガンダールヴの能力は一時的に失われるが……平常時でもアスリートレベルの身体能力を誇る麦野にとって、たった一瞬の能力低下はあまり意味を成さない。ミョズニトニルンが虚を突かれたその一瞬で肉薄した麦野は、そのままの勢いで腕を振りかぶり、

 

「やっほお、子猫ちゃあん☆」

 

 ドッゴォ!! と思い切り顔面に拳を振り下ろした。

 

「ごっがァァああ!?」

「これで終わりだ、クサレ売女(バイタ)ァ!」

 

 遅れて落下してきたアスカロンを後ろ手で掴んだ麦野は、頭部を地面に叩きつけられたミョズニトニルンにトドメを刺すべく最後の一撃を振り下ろす。

 ――身体の構造上、人間は四足での移動に向かない。地に付した状態での移動速度は、二足でのそれに比べて大きく低下すると言わざるを得ない。そしてその移動力の差は、達人同士の戦いではまさしく『致命的』だった。

 ズドォン!! と、アスカロンが振り下ろされ――、

 

「あ、()ァ、い」

 

 鼓膜を粉砕された為か、妙に舌足らずな呟きが、麦野の耳に入った。

 直感で恐れを感じた麦野は、ビギン、と右足に無理な力がかかるのも無視して、瞬時に飛び上がった。上体を振り下ろし、下半身を振り上げる体勢の為に麦野の身体は大きくぶれて空中に浮きあがるが――そのお蔭で、麦野はたった今回避を選んだ自分の判断が正しかったことを思い知った。

 そこにはゾザザザ! と、不利なはずの四足による移動でアスカロンの一撃を回避するばかりか、デルフリンガーで麦野の足があった位置を切り裂いているミョズニトニルンの姿があった。



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第二二章 ③

 そのまま距離を取ったミョズニトニルンは、何事もなかったかのように立ち上がりデルフリンガーを構え直す。

 遅れて着地した麦野も、すぐさまアスカロンを構え直し、肉薄していく。

 

(何だ……? コイツの今の動き)

 

 攻撃の手を緩めずに剣閃を瞬かせながら、麦野は怪訝に思っていた。

 今の動きは――人間というよりは、獣の動きの方が近い。まるで、目の前の存在が不定形の存在であるかのようなつかみどころのなさ。不可視の殻のような本質が別にあって、自分が今見ている彼女の姿自体はどうにでも変更可能なような――そんなおぞましさを感じる。

 まるでちょうど――学園都市兵器の持つ、人間を人型という当たり前の形式から逸脱させる恐ろしさのような感覚を。

 

「テメェ……!」

「……フフフ」

 

 呻くように言う麦野の言葉に、麦野の突進を紙のようにひらひらと躱したミョズニトニルンは剣を振るいながら応じた。

 

「……『駆動鎧(パワードスーツ)』の技術の応用か!」

 

 ギィン! と金属音が響き、二つの剣が衝突する。

 

 麦野が学園都市にいた頃にお目にかかったことはなかったが、暗部にいた彼女は『それ』を知っている。人間以外の生物の生態を参考にすることで、単純に人間を模した鎧を纏うよりも先鋭的な強化を得る技術論の存在を。そして、直感した。彼女の知らない『超能力者の先(ファイブオーバー)』に辿り着いた学園都市なら、その領域に至っているであろうことを。

 おそらくミョズニトニルンは、ファイブオーバーの技術を解析していたのだろう。麦野は自動操縦だったからあのファイブオーバーを無人機と考えていたが、学園都市の技術力なら中に意識を失った人間を入れておけば、その人間の脳を使って自動操縦くらいはしそうだ。

 技術の原理が分からなくとも、『人間の身体意識を人間以外の外殻で補強する』という方法論さえ理解できれば、マジックアイテムを、それを構成する先住魔法の力のレベルまで分解して応用することが可能なミョズニトニルンなら如何様にも応用することが可能なはずだ。

 

「遅、い……遅ォい」

面白(おもし)れえ……この私を踏み台扱いか。越えられるモンなら越えてみろ三下ァあ!」

 

 剣同士を衝突させた勢いで、接触点を支点にしてくるりと回転し麦野の後ろに回ったミョズニトニルンは、そのまま振り向きざまに剣を振るう。麦野はそれを身体を前に倒すことで回避し、そのまま後ろ足で腕を蹴り上げる。

 

「ッ!!」

 

 ブゥン! と倒れたままの麦野が、横合いからアスカロンを振り回す。無理な体勢で技術も何もない状態だったが、それでも二〇〇キロの鋼鉄の塊は殺人的な威力を持つ。ミョズニトニルンは咄嗟にデルフリンガーを盾にするが……あっさり力負けして吹っ飛ぶ。

 

「……チッ」

 

 しかしながら、麦野の表情に明るい色はなかった。

 

(手ごたえがねえ……。大方、ネコ科の動物の身体の構造でも参考にして衝撃を吸収したか……)

 

 それでも、吹っ飛ばしたことによって生まれた僅かな時間を使って思考を巡らせる。

 

(相手はおそらく、魔剣デルフリンガーが今まで見て来た生物の身体構造を応用した身体操作が可能だ。となるといくら武術の達人ガンダールヴの能力があったとしても、単純な『手数』の分野で分が悪くなってくる……能力が効かない以上、このままだとじり貧になるのは目に見えているわね)

 

 しかも、ガンダールヴの恩恵があるとはいえ人間としての体力の限界がある麦野と違い、おそらくミョズニトニルンはデルフリンガーの操作によってスタミナの問題を解決している。もちろんデルフリンガーの操作を解けばただでは済まないだろうが……問題なのは今だ。

 

(かといって、ロングビルの援護は期待できないし……何より問題なのは、アスカロンの大きさね……)

 

 アスカロンの巨大さは麦野の武器にもなっているが、先程からミョズニトニルンはその巨大さを逆手に取った攻撃をとっている。人間以外の生物の身体機構を応用した身軽さを獲得しているとなると、余計にその差は広がっていくだろう。

 

(……いや、待てよ? …………これは利用できるわね)

 

 麦野がほくそ笑んだのと同時。

 ガササササ!! と、麦野が焼き切った倒木から音が聞こえて来る。そこに気付いて麦野は思わず舌打ちした。倒れた樹木の陰を通って、麦野のことを攪乱しているのだ。音のする方に原子崩し(メルトダウナー)を放っても無意味だろうし、むしろ逆に相手はその隙を突いて麦野の死角に回って攻撃を仕掛けて来るはずだ。

 ならば接近戦を挑む……というのも当然考えたが、ミョズニトニルンは木の近くにいる。大剣で枝を鋭く切り落とした木槍でも作っていれば、接近戦を挑んできた麦野にそれを投げつけ、対処に『一手』使わせるという策を撃ってくることも考えられる。デルフリンガーでブーストした木槍の投擲とはいえ麦野ならいくらでも対処できるが、その対処に使う『一手』は達人同士の戦いにおいては致命的な差だ。

 

(なら)

 

 決断した麦野は、思い切りアスカロンを地面に突き立て、

 

(こっちも飛び道具で応戦するまでだ!!)

 

 ボバッ!! と。

 ガンダールヴの膂力を用いて、大小様々な瓦礫片を高速で撃ち出した。所詮は土の塊だが、焼けた木の幹程度は余裕で貫通する威力だ。これならば接近するまでもなく攻撃を仕掛けられる――と考えていたが……実はそれこそが、ミョズニトニルンの狙っていた展開だった。

 ズガガガガガガガガガガガガガガガ!!!! と散弾が突き抜けていくが……肉を貫く音は聞こえない。葉が擦れる音もない。それはつまり、倒木の向こうにミョズニトニルンはいないということだ。

 麦野は即座に判断した。

 

「――跳躍か」

 

 麦野が瓦礫の散弾を放った直後には、ミョズニトニルンは既に天高く跳躍し、麦野に迫っている最中だった。

 先程の麦野の攻撃の焼き直し――と言うべきか。麦野はニタリと笑みを浮かべ、

 

「どれだけ素早かろうと、落下速度は一定だ。テメェが最初にそれを利用したんだからな?」

 

 思い切り剣を振った。

 しかし、その攻撃は――一瞬だけ早かった。

 まだミョズニトニルンが射程距離に入っていないのに、一瞬早くアスカロンを振り始めたのだ。そのことを瞬時に察知したミョズニトニルンは、怪訝な表情を浮かべる。

 

「フン。テメェが無策でこんな真似してくるとは私も思っちゃいないわよ。大方何かしらの策があったんでしょうが……それにしたって、自分が設定したタイミングでないと『準備』ができないわよね?」

 

 瞬間。

 麦野の剣閃が『伸びた』。

 

「手、放ッ!?」

 

 それを、アスカロンを手放すことでリーチを伸ばす作戦と判断したミョズニトニルンには、しかし打つ手は残されていなかった。首を正確に狙った最後の一打は、麦野が狙った通りの位置を精密に通過していく。

 

 そしてその瞬間を、ミョズニトニルンは五体満足で過ごしていた。

 

「……な、んだと?」

 

 むくり、とミョズニトニルンはゆっくりと身体を起こす。

 

 確かに、最後の一撃はミョズニトニルンの想定外だった。ゆえに蛇の動きを参考にした柔軟な身体の動きによる剣閃の回避を使用する余裕はなかった。

 しかしそもそも、身体制御の魔法に限らずミョズニトニルンの用いる異能は彼女自身のものではなく、デルフリンガーによるものだ。そして、デルフリンガーには操られてこそいるものの『自我』が存在する。

 つまり、自分で考え、操縦者のことをサポートする知能が。

 その知能が、土壇場でミョズニトニルンの身体を『操作』して回避を成功させたのだった。

 

 グチュルグチュルという水音を響かせながら、ミョズニトニルンは笑う。

 

「ん、ん。フフ……ヒヤヒヤさせたけど、これで終わり。大剣を手放した貴女にもはやガンダールヴの力はない。この勝負、終わりよ」

「ああ、終わりだな。ただし――私の勝利で、だけど」

 

 ――――その瞬間、ミョズニトニルンは自分の身に何が起きたか理解できなかった。

 じわり、と腹に暖かいものが滲むような感覚が生まれ、それがやがて熱として暴走しだす感覚。

 言葉にして説明すれば、そうなる。

 

 ……視線を落としてみると、アスカロンの柄が、腹に突き立っている。

 麦野がとっくに手放していたはずの、アスカロンが。

 

「……な、……んで? ……ガッフ!!」

「コイツはな、ドラゴンを殺し尽くす為に必要な理論上の機能を叩き込まれた仕込み大剣なんだよ」

 

 最上級の威力を発揮する刀身での攻撃しかしていなかったが、ワイヤーやピックなど、ドラゴンの部位を破壊するのに最適な形状や機能が一本の剣に叩き込まれているのがアスカロンだ。そして、そのアスカロンには最後のギミック――刀剣射出機能が備わっていた。

 元あった世界において、とある傭兵がとある騎士団長に用いた最後の手。刀剣が抜けた後には、細剣が備わっており、これでの戦闘も可能という代物である。

 

「理解したかしら? それじゃあ負け犬らしく――――無様に死になさい」

 

 ゴリ、と麦野は致命的な領域まで剣を差し込んでいく。

 その刹那、不意に麦野はある違和感に気付いた。

 

(……そういえば、どうしてコイツは急に流暢に会話できるようになったんだ? 鼓膜が破れていたはずなのに。というかそもそも、最初の散弾による負傷はどうした? 身体操作にしたって、アレは明らかに関節とかに『動かしようがない』ダメージを与えていたは、)

 

 瞬間。

 頭部に受けた衝撃で、麦野は意識を失った。



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第二二章 ④

 言いようのない浮遊感で、麦野は目を覚ました。

 気付くとミョズニトニルンは既に剣を構え終え、トドメの第二撃を放とうとしているところだった。

 

(……クソ! 一瞬だけ意識を飛ばしていたってのか!? 一体どうやって……いや、考えるのは後だ!!)

 

 麦野が攻撃を受けて生きていられたのは、二人の距離があまりにも近かった為だ。距離が近かった為にデルフリンガーの間合いの『内側』に入って来てしまい、刃が当たらない位置に立っていたのだ。それでも構わずミョズニトニルンが剣を振るったため、デルフリンガーの鍔が思い切り麦野の側頭部に命中し、結果として意識を失った――と言う訳である。

 

(だが、このままだと受け切れない――)

 

 今から剣を振るったところで迎撃はおろか防御すら間に合わないのは分かり切っている。かといってデルフリンガーの幻想殺し(イマジンブレイカー)原子崩し(メルトダウナー)の直撃は無力化する。倒れかけた体勢からでは四肢を使った回避など不可能――麦野に残されていた手は一つしかなかった。

 

 ドッ!! と地面が爆裂する。原子崩し(メルトダウナー)の爆発を応用した移動だ。強烈な衝撃に、麦野の身体がノーバウンドで一〇メートル以上も吹っ飛ぶ。強烈な浮遊感で意識が吹っ飛びそうになるが、どうにか気合で持ちこたえた。

 しかし……原子崩し(メルトダウナー)は本来照準を経て放つ能力。そうしないと、強すぎる火力が自分を焼くリスクすらあるのだ。剣を迎撃するまでの一瞬で無理やりに能力を使った代償は、確かに麦野にのしかかって来た。

 ジュウウウ……! と。

 消し炭――ではないが、しかし確実に重傷と判断できるレベルの火傷が、麦野の右足に広がっていた。

 

「クソったれが……! テメェ……!」

 

 戦慄。

 麦野はこの世界に来てから始めて、その感情を抱いていた。達人の剣裁きと、能力を無力化する魔剣。それだけでなく、人外の挙動すら可能にする身体構造の外部制御。そして――、

 

「……不死身か、ミョズニトニルン……」

 

 ぐちゅ、ぐちゅ……と、湿っぽい音が響く。

 それは、ミョズニトニルンの腹が独りでに蠢くことによって発せられた音だった。

 ミョズニトニルンの腹は、アスカロンの短槍を突き刺した状態で麦野の頭を思い切り殴り飛ばしたため、短槍の刃によって胴体の中ほどから完全に斬られていた。今や、身体の左半分だけが繋がっている状態だ。……無論、そんな状態では人間が生存することは不可能である。

 

「これも動物の機構の応用よ」

 

 そんな致命的な状態にあって、ミョズニトニルンは尚あっさりとそう言った。

 

「蟹の甲羅と同じ……魔力の『外殻』を使って、内部の肉体を強引に修復してるってのか……!」

 

 考えてみれば、今までの戦いで奇妙な点は幾つかあった。散弾による無数の銃創のダメージを無視して戦闘したり、鼓膜が破れているはずなのに普通に会話していたり。それらは全て、この能力による治療の結果だったという訳である。

 

「これも、ファイブオーバーの中に備え付けられていた『もう一つの鎧』の機能のようでね……『外部から肉体を操る』という方向性においては、この魔剣(デルフリンガー)も貴方の故郷の技術も変わらないでしょう?」

 

 麦野は知らなかったが……このミョズニトニルンの機能の元となったのは、学園都市にて『奴ら』――『グレムリン』を相手にする為に開発された技術を応用して作られた駆動鎧(パワードスーツ)『エマージェンシー』である。

 此処とは違う世界において、『新入生』の一件でシルバークロース=アルファが駆動鎧(パワードスーツ)の武装の下にさらに着込む形で装着していた武装。のちに無人機化することに成功したものの、『ファイブオーバー』は元々『駆動鎧(パワードスーツ)二重着込み』をして操縦するタイプだったのだ。この世界に流れ着いたものは、駆動鎧(パワードスーツ)の二重武装を前提としたタイプだったのであろう。

 ――不死身。刀傷では殺すことはできず、さりとて能力でも殺すことはできない。つまり、麦野にミョズニトニルンを殺すことはできない。

 一度に複数の動物の生態を参考にした活動をすることはできないという制約こそあるものの、『達人の剣技』は『猛獣の動き』や『自動再生』と併用することができるし、根本的な解決にはならない。

 

「貴方は、私に勝てない」

 

 ミョズニトニルンは、ただただそれだけを告げた。

 

「勝て、ない…………?」

「戦意を削ぐ為のハッタリじゃない。単純な事実を積み重ねていった予測演算の結果として、貴方の勝利はあり得ない。そういう風に戦場の構築は完了している。……聡い貴方ならもう分かるでしょう? 能力を打ち消され、単純な剣戟においても後れを取る現状……貴方が私に勝利することは『不可能』なのよ」

 

 致命的に、相性が悪い。

 麦野沈利という存在の全てに対抗できる手札を備えた上で、ミョズニトニルンはこの場に立っている。否、()()()()()()()()()()()()、麦野の前に立ったのだ。

 戦闘が始まった瞬間から、既に勝負は決していた。

 ――それが『戦争』というものであり、二人の戦闘は既にその規模に到達していたのだ。

 

「く、」

 

 その事実を突きつけられた麦野は。

 

「くはは、くは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!!!!!!」

 

 ――哄笑した。

 

「私が、勝てない? この麦野沈利が、テメェごとき三下に敗北する、だと?」

「ええ、間違いないわ」

「ふざ、けるなよ……ふざけるなよ!! 私を誰だと思ってる、学園都市の第四位、原子崩し(メルトダウナー)であるこの私がテメェごときに負けるハズがねェだろうが!!」

 

 瞳孔を限界まで縮めた麦野は、いっそ猛獣の一種と表現した方が近い表情で、ミョズニトニルンに噛みつく。

 しかし、既にその姿からは先程の、滾るような戦意は感じられない。――麦野も、馬鹿ではない。だから、心の底で理解してしまったのだ。これはもう、勝てないと。麦野沈利は、原子崩し(メルトダウナー)を備えた神の左手(ガンダールヴ)は、異界の技術で改造した幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つ神の頭脳(ミョズニトニルン)には敵わない、と。

 

「足の一本が何だ……こんなモンはかすり傷だ!! 能力の無効化も治癒能力も達人の技術も、それがどうした!! 私は第三位を消した! 第一位を消した! 幻想殺し(イマジンブレイカー)も消した! 今更こんな場所で負ける訳がねェェェんだよォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ‼‼‼」

 

 それはもう――現実を認めたくないが為の、ただの悲鳴だった。

 完全に戦意が折れた麦野を見て、ミョズニトニルンはせせら笑う。

 

「所詮、これが現実。勝利の方程式が崩れれば、ガンダールヴもただの少女よ。惨めなものね、ここまで脆いなんて」

「……認めねェ」

 

 麦野の呟きを聞きながら、ミョズニトニルンは最後の仕上げに入る。確かに折れてはいるものの、それでも麦野はただの雑兵以上の力を持っている。何かしらの自爆技を使ってくる可能性だって十分にある。念には念を入れて――確実に殺しきる必要がある。

 

「認めない!! こんなっ、私がこんなところで終わるなんて、認めてたまるかよォォォ!!!!」

「次で最後にしましょう。このデルフリンガーで、貴方の首を刎ねる。貴方に土壇場で私と切り結ぶ余力はないし、能力は全てこれが吸収してくれる。貴方の負けよ――異界から来たガンダールヴ!」

 

 ミョズニトニルンの言葉は、それで終わりだった。

 一瞬ののちには、麦野の頭は胴体から切り離され、それで生命は完全に終了する。原子崩し(メルトダウナー)を撃つ暇も、もはやない。ミョズニトニルンはもはや戦士ではなく、ただの麦野を殺す一つの機構として、踏み込み、腕に力を籠め――、

 

「……ぁえ?」

 

 そこで。

 

 剣を持つ自分の腕の、肘から先が――既になくなっていることに気付いた。

 

 ひゅん、ひゅん、ひゅん、と。

 どこか遠くて、何かが宙を舞っている音が聞こえるような気がした。

 ミョズニトニルンの右腕があった位置には、土くれで形成された腕が、鋼の剣を持っていた。

 麦野は。

 数瞬前まで絶望の淵にいたはずの少女は、俯いたまま、こう言う。

 

「な・あ・ん・ちゃ・っ・て☆」

 

 その表情は――絶望ではなく、愉悦に歪みきっていた。

 

「麦野沈利が、ミョズニトニルンに勝利できねェだと? ――最初の最初っから知ってんだよ、ンなことはよぉ!!」

 

 瞬間、絶滅の輝きが迸り、ミョズニトニルンの両足が消失する。

 女性の悲鳴が、ガリアの空に響き渡った。

 

「だがソイツは彼我の力量差を確定するワケじゃあねェ。元の世界にも『キャパシティダウン』とかいう子供だましはあったからな。最強ってのも難儀なものよ。世の凡人どもはソイツを引き摺り下ろすことに躍起になるからねえ。アンタみたいに、私に極端に『刺さる』スキルの構成を用意したり、さ」

 

 悲鳴を上げながら崩れ落ちたミョズニトニルンの髪を掴み、麦野は彼女を宙吊りにする。

 

「が、あば、……な、にが……?」

「何が起こったのか? とか? アンタも大概脳味噌が緩いわねえ。勝利の方程式が崩れれば、ミョズニトニルンもただの女。なるほどね、()()()()()()

 

 先程まで勝ち誇っていたミョズニトニルンを思い出し、麦野は嘲弄しつつ話を始める。

 

「アンタは知らないだろうけど、私は最初からそのつもりで『アイツ』を連れて来た。単なる道案内人に終わらせるつもりもなかった。ファイブオーバーのガラクタのような私の世界のモノを敵が運用して、追い詰められた時の『バックアップ』……ロングビルの『用途』は、最初からそれよ」

 

 そう呟く麦野の背後から、浮かび上がるようにして緑髪の女性が現れる。

 戦闘開始と同時に姿をくらましていたはずの、ロングビルの姿だった。

 本来、いくら不意打ちとはいえロングビルの――トライアングル程度の魔法の攻撃では援護にもならない。だから麦野はロングビルの援護を期待していなかったし、ここまで一人の力で戦ってきた。しかしそれは、ロングビルの戦力を全く無視していたというわけではない。……どれほど用心深くとも、人間である以上気が緩む瞬間はある。そして、ロングビルもプロだ。壮絶な戦闘を制したと判断したときに生まれるその一瞬を見抜き攻撃することくらいならば、造作もないことだ。

 

「私のレベルになれば、戦いの規模は戦争並に広がる。そうなると当然、『強い奴に強い奴をぶつける』んじゃあなく『強い奴をいかに少ない労力で屠れる戦力を送り込む』かが重要になってくるわけだ。そんな状況でやって来た単独の敵――敵も私の情報を知っているという前提で考えれば、そのスキルが私という戦力を完封するモノだってくらい容易に予測はできるよなぁ?」

 

 だから、麦野はあえて演じた。

 『頭脳』によって敗戦に追い込まれる、哀れな巨人という役割を。

 そうして戦闘開始前に引っ込ませたロングビルの存在をミョズニトニルンの意識から廃し、完璧なタイミングでの不意打ちを成功させたのだ。

 それでもミョズニトニルンを完璧に騙すには、足の大火傷という対価を支払わなくてはならなかったが……それは致し方ない犠牲だったと言えよう。

 

「足はなく、頼みの綱の魔剣も手元にない。もう、テメェに勝利はない。……じゃあ、後は口を動かすだけだよな? 言え。テメェは私について何を知っている? 『世界の特異点』ってのは一体なんだ? 言えば楽に殺してやるぞ」

「……ふ、……ふ……何よ、結局、気になる、んじゃない」

「御託は良い。次は残った腕を消し飛ばすぞ」

「言っても、無駄よ……貴女には、理解できない」

 

 瞬間、無慈悲な閃光がミョズニトニルンの左腕を呑み込む。悲鳴すらあげられずに、ミョズニトニルンは苦痛にもだえた。

 

「理解できないかどうかは私が決める。このままダルマのままに死ぬか下半身から徐々に蒸発していくか、どっちが良い? 選ばせてやるぞ」

「……く……は……ふ…………、貴女はこの勝利を自分のモノと勘違いしているようだけど、それは大きな間違い。貴女から見れば必然でも、貴女を知らない者からすれば自然でも、貴女を知る者がこの状況を見れば異常だと感じるはずよ。何故ならこのnge系qihgは本来ならばあり得ないrfd向lgeへ捻じlahdfaいるから。この戦いの結果で確信した……この世界はそうなるように調roqiyれgiimbcmz配さzbeurいる。貴女roiyxblkエラーをbvxy異点にして、貴女がoinxg世界でfhumnはずだったldvwedjfsahcの近似orenvこの世bxc時系oreksl歪めoiebvxとしているんだわ」

「……? コイツ、言葉が……」

「ほら……ね? 言った、でしょう? 真実を伝えるには、この世界は()()()()()()()()()()

「麦野さん。あまり長く話を聞いてはいけません。この女は、何を企んでいるか分かりませんから。情報は必要ですが殺せる時に殺した方が……」

「ああ、そいつは分かってるよ」

 

 と、麦野は諫言するロングビルに頷き、

 

「……本当に、テメェは不死身だよな」

 

 麦野はそう言うや否や、短槍と化したアスカロンを振るう。

 直後、ガイィン! という音が響き、()()()()()()()腕が投げたデルフリンガーを弾く。

 

「斬り落とされた腕で、最後まで私の命を狙うとはな。いや……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 結局、ミョズニトニルンも麦野と同じだったということだ。万策尽きたふりをして、か弱い女のふりをして甚振られて――最後の最後に一発逆転を狙っていた。

 そしてもしも麦野が最後の最後に勝ち誇って油断したりすれば、おそらくだがデルフリンガーと接触したミョズニトニルンは突き刺さった瞬間に能力を取り戻し、筋肉の収縮とかで麦野にデルフリンガーを高速で射出し、突き立てようとしただろう。そしておそらく、麦野はそれに反応することが出来なかったはずだ。……麦野であれば大いにあり得る末路だった。

 しかし、それも最早回避した。

 

「これで、完全に万策尽きたな。言い残すことはあるか?」

「…………フフ、そうね……」

 

 本当の本当に万策尽きたミョズニトニルンは、心の中で愛する男の名前を小さく呟き――――、

 

 そして、一つの情報を麦野に伝えた。

 

 直後、極大の光条がガリアの空を引き裂いた。



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第二三章

「いたぁ……」

「安静にしていてください。まったく、『この霊装』の使い道に『火傷治療』が存在していてよかったですね」

「あるって分かってたからこんな派手な火傷を負う戦略を許容できたのよ」

 

 負け惜しみのようにつぶやく麦野に、ロングビルは『あれ以外の戦法を選ぶ余裕なんかなかったくせに』と心の中でだけ思った。

 

 現在、二人は森の中に潜伏した上で疲労の回復にいそしんでいた。

 アスカロンは既に短槍から元の大剣に戻っており、麦野の足の火傷は火傷治療のルーン魔術によって修復している真っ最中であるが、戦闘によって消耗した体力や精神力まで回復してくれるわけではない。そんなわけで、二人は首都リュティスを前にして足止めを余儀なくされていた。

 

「しかし、現状はまずいのでは? 使い魔の視聴覚はメイジと共有されています。そして生死についても、契約の解除という形でメイジ側からはすぐに確認できるはず。ミョズニトニルンは死んでいるのですから、私たちがこの周辺に潜伏していることに気付かれて波状攻撃を受ければ、分が悪いと思うのですが」

「その時はアンタが相手をしてやりなさい。何のために霊装を持たせていると思っているの?」

 

 人のことを使い潰す気満々な麦野に閉口するロングビルをよそに、麦野はさらに小さく付け加えた。

 ――自分がトリステインに置いてきた、あの桃色髪の生意気な少女を脳裏に描きながら。

 

「それに、『虚無』の使い魔に視聴覚の共有はない。…………多分、あいつの主はどこで自分の使い魔がくたばったかも知らないはずさ」

 

***

 

第二三章 邂逅、そして Beginning_of_Finale.

 

***

 

 麦野がミョズニトニルンを撃破したその翌日、戦争が始まった。

 発端は、トリステイン軍がガリアの辺境オルレアン領に侵攻、占領したことだった。だが、何よりも諸国の注目を集めたのは、オルレアンを占領したトリステイン軍が、自軍の先頭に今は亡きガリア王弟シャルルの忘れ形見、シャルロット=エレーヌ=オルレアンが立っていると発表したことだ。

 

 現ガリア王はシャルル皇太子を謀殺するだけでなく、その忘れ形見であるシャルロット嬢にまで手ひどい仕打ちをしていた。そのため、彼女はトリステインに亡命してきた。

 そしてガリアはそれだけに飽き足らず、レコンキスタなる組織を率いて先のアルビオンで発生していた革命を裏から手引きしていた。

 また、レコンキスタはトリステイン内部にもその根をはびこらせており、かの組織と内通している者が組織からの指示で汚職に手を染め、トリステインの国益を害する事件も存在していた。

 これは許されざる暴挙であり、トリステインは国としての自立性を守るためにも、悪辣な現ガリア王家を認めない。始祖の光を浴びる血統はシャルロット=エレーヌ=()=オルレアンに存在している。

 現ガリア王家はすぐさま王権を彼女に譲るべきである。

 それがなされない場合、トリステインは始祖の名誉を守るため、現ガリア王家を倒さなくてはならないだろう。

 

 ――声明の内容を要約すれば、このような形になる。

 そして追従するように、トリステインの同盟国ゲルマニアの辺境伯ツェルプストーが、この発表が事実であることを認める声明を発表。次いで、ゲルマニアが同盟国として正式にトリステインと共同戦線を組むことも表明した。

 さらに遅れて数時間後、アルビオンも革命軍から国難を救ってくれた『勇敢なる大使』への恩義を果たすためとして、トリステインと共同戦線を張る声明を発表。ここに、トリステイン=ゲルマニア=アルビオン同盟軍対ガリアの構図が完成したことになる。

 

「状況はかなり良い」

 

 ルイズと共に馬を駆っているワルドは、そう言い放った。あたりは森の中だったが、二人は少しも止まらずに走って行く。

 タバサはこの戦争に大義名分を与えるため、今はオルレアンに留まっている。キュルケもまた、ゲルマニアに働きかける為にオルレアン近くで留まり、本国と連絡をとっていた。

 二人とも用事が終わればすぐ最前線に駆けつけると息巻いていたが、正直ワルドとしてはルイズと二人きりという状況のほうが気が楽だった。

 単純に気心が知れているというのもあるし、『敵国への潜入』は少人数であるほうが成功率が高い。

 とはいえ、潜入自体の難易度も低下していた。

 

「どうやら、アンリエッタ王女が水面下でいろいろと働きかけていたようだね。いくらミス・ツェルプストーからの働きかけがあったとはいえ、このタイミングはあまりにも早すぎる。おそらく『外交努力』で口説き落としていたところに、ミス・ツェルプストーからの働きかけがあったことで最後の決断に踏み切れた、といったところか。アルビオンについても同じだ。どう考えても、あのタイミングの表明はひそかにアルビオンに同盟の打診をしていたとしか思えない」

「アン……」

「きみが貴族として成長しているように、あの王女様も今や立派な為政者というわけだ」

 

 実際、この盤面は麦野と通じていたワルドでさえも予測していなかった。

 麦野はガリアとの戦争にトリステインが単独で臨むものと考えており、だからこそ戦力をそぐために先んじてガリアに向かっていたのだ。

 だが、この状況。

 三国からの同時攻撃であれば、いかにガリアとはいえ五分五分の戦いを強いられることになる。いや、三国から輸入に制限をかければ、いかに広大な国土を持つとはいえただの一国。徐々に干上がっていくことは想像に難くない。この上麦野がさらに戦力をそげば、さすがのガリアも敗北必至となるだろう。

 だが、ガリアには不気味な武器が存在している。

『場違いな工芸品』。

 このまま行けばガリアは間違いなく『それ』を使用するだろう。そうなれば、盤面は分からなくなる。将棋の中にチェスの駒を投入すれば、予測が崩壊するのと同じ。それだけで、当たり前だったセオリーが働かなくなる。

 だから、麦野は真っ先に『それ』があるだろう場所へ向かうはずだ。

 王都リュティス。

 本来であれば、ガリアはもう少し余裕を持って戦争に入ることが出来たから、国内の至る箇所に『場違いな工芸品』を配置しているはずだった。ゆえに麦野の動向を予測するのは、合っているかも分からないルイズの『勘』に頼るしかなかったが……今は、違う。

 ガリアは極力消耗を抑えて、ここ一番のタイミングで勝負を仕掛けるしか戦争に勝つ術がない。だから、必然的にそれは最も巨大な都市に集中せざるを得なくなるのだ。リュティスは元々王都であり、その分国防は他よりも強固になっている。戦力は集中させやすいだろう。

 

「……待てルイズ! 何か妙だ」

 

 状況を整理しつつ馬を駆っていたワルドだが、不意にそう言って馬を止める。

『風』のスクウェアであるワルドには、感じ取れた。まだしばらくは森が続くはずなのに、空気の流れが違う。まるで森の中の一部で木が消し飛んだような、そんな空気の流れを感じるのだ。

 

「……何かの戦闘の痕かもしれない」

「! それって……」

「分からない。ミス・ムギノかもしれないし、そうでないかもしれない。既に戦争は始まっているからな。ガリア国内に潜伏していたシャルル派が戦闘を始めている可能性もある」

 

 言葉を交わしつつ、二人は慎重に馬を操って件の場所に辿り着く。

 

 そこは『戦場跡』だ。

 半径五〇メートルほどの円形型に、木々が殲滅されている。ワルドをして『空気の流れがおかしい』とするのも無理はない。ここまで木が伐採されていれば、もはやそこは『森』とは呼べないだろう。

 そして、こんなことができるのは一人しかいない。

 

「シズリ…………」

「どうやら彼女は此処で戦闘していたようだな。……だが、彼女が此処まで派手に地形を破壊するほど激しい戦闘が、起こり得るものか……?」

 

 ワルドは油断なく周囲を観察するが、弾痕の類はない。破壊の痕も、概ね原子崩し(メルトダウナー)の焼け焦げと……何やら巨大なシャベルで地面を掘ったような無骨な穴くらいしかない。

 と、

 

『おぉーい!! そこ、そこの!』

 

 木の陰から、人間の声が聞こえて来た。

 それに対し、ワルドの返答は実にシンプルだった。

 

「『エア・カッター』!!」

『うおぉ!?』

 

 木ごと切断して声の主を切断せんとした風の刃だったが、それはパキィン! という何かが割れるような音と共に打ち消されてしまう。

 

「何……? 魔法を打ち消す、だと? いや、それよりも……」

『こっこの野郎! いきなり魔法とかどういう神経してやがるんだ!』

 

 ところで、木が切断されるということはその向こうにある『何か』の姿が分かるということだ。

 ズシン……! と音を立てて倒れた木の向こうには――、

 

「……『インテリジェンスソード』……?」

 

 新品のような輝きを放つ大剣が地面に突き立っていた。

 

***

 

『……ったく、妙な女に拾われたと思ったら化け物みてえな使()()()と戦うハメになるわ、出会い頭に魔法を撃ち込まれるわ、あのおやじの店を出てから散々だぜ。おう娘っ子、お前さん、俺のこと振るってみねえかい?』

 

 切断されて横たわった木のすぐ横に突き立てられた大剣――デルフリンガーは、そんな風に捲し立てていた。

 あれからワルドが攻撃したことを詫びて、それからこうして話をしているのだが、二人は早くもデルフリンガーの性格について掴んできていた。

 

「貴族は杖を振るのよ」

『けちくせえこと言うなって! あの女のお蔭で俺っち新技習得したからよ、杖を振りながら剣を振るうくらい余裕だぜ。それにお前さん、()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()

 

 デルフリンガーのその言葉に、ルイズは思わず息を呑んだ。咄嗟に言葉が出てこないルイズに代わって、ワルドが切り出す。

 

「きみは何者なんだい?」

『あん? 何だヒゲ。俺様はデルフリンガー。「ガンダールヴの左腕」ってヤツさね。あの女に色々いじくられたショックでけっこー思い出してるんだぜぇ?』

「ガンダールヴの、左腕……ですって?」

『何だ娘っ子、お前さん虚無の担い手だってのにそんなことも知らねえのか? いや、知らなくて当然か……? もうけっこう経ってるしなあ』

「どういうことよ! ちゃんと分かるように話して!」

 

 強い剣幕で詰め寄るルイズに、デルフリンガーは鍔をカタカタと震わせた。肩を竦めているつもりらしい。

 

『ま、俺本来の役割に「ガンダールヴの左腕」って機能はねえんだけどよ。まあコイツはブリミルの野郎が勝手に設定してくれやがったせいで今もなお続いているってことかね。虚無ってのはホントどうしようもねえぜ。「幻想殺し」の機能じゃ()()()()()()()()()()()しよ』

「そういうことじゃなくて! あんたがいないとシズリに勝てないってどういうこと!? シズリのこと知ってるの!? シズリと此処で戦ったの!? シズリはどうなったの!?」

『質問が多いなあ、娘っ子。……ま、順々答えて行ってやるけどさ』

 

 デルフはそこで言葉を切って、

 

『まず結論から言うと、使い手のあの女は無事だ。なんか自爆で足に大火傷を負ってたが、一緒にいた緑髪の女に治してもらってたしよ』

「そ、そう……」

『んで、その時俺を使ってたのはもう一人の「虚無(ゼロ)の使い魔」。神の頭脳「ミョズニトニルン」だ。まあ、あの女に残らず消し炭にされちまったけどよ』

「ミョズニトニルンが、だと?」

 

 デルフリンガーの言葉に反応したのは、ワルドの方だ。

 ガリアの虚無がミョズニトニルンであろうということはワルドも突き止めている。だが、それならミョズニトニルンはガリアの持つ手札の中でも最上位に位置しているはずだ。そして、あらゆる異能を打ち消す機能を持つデルフリンガーも。

 それが今こうして宙ぶらりんになっているということは……今、ガリアはワルドたちが考えているよりも劣勢に入っているのではないだろうか?

 

『ああそうだ。ヤツの能力は「あらゆるマジックアイテムを使う」こと。……つまり、武器である前に「インテリジェンスソード」っていう「マジックアイテム」の俺も範疇ってこった。んで、支配された俺はあの女に機能の一部を改造された上で「使われて」いた』

「それで、シズリとかち合ったと……?」

『そゆこと』

 

 答えると、ルイズの視線に恨みがましいものが混じったが、これはデルフリンガーからすればどうしようもないことだ。むしろ自分も被害者だと分かって欲しい、とデルフリンガーは思う。

 その意を汲んだのか、ワルドはルイズの肩に手を置き、

 

「ルイズ。彼は悪くない。それに彼もまた、ミョズニトニルンに操られて意に沿わぬ相手と切り結ばされた被害者だ」

『おうヒゲ、話が分かるじゃねえか。……ま、娘っ子の気持ちも分かるがね。そこでだ、娘っ子。お前さん、俺を振るってみねえかい? 詫びに色々サービスするぜ』

「……さっきも言ってたけど、そもそもわたし、剣なんて持ったことないんだけど。あんたみたいな大きな剣、とてもじゃないけど扱えないわ」

『大丈夫大丈夫、ミョズニトニルンも大概インテリって感じの女だったけど、俺のことを達人並に使いこなしてたぜ』

「それは『あらゆるマジックアイテムを操る』能力のお蔭でしょ! わたしはただの虚無の担い手なの!」

『ミョズニトニルンの機能は「マジックアイテムを使う」ところまでで、別に剣を振るうのはマジックアイテムそのものの機能じゃねえのにかい?』

 

 そう切り出したデルフリンガーに、ルイズは思わず言葉を止める。

 つまりそれは、このデルフリンガーに『達人の剣技を授ける』機能が存在している――ということか?

 

『元々は、あんまり濫用できるようなものでもないんだがね。アイツに色々いじくられたお蔭で、俺の方でも使い方がマスターできた。あの使い手……シズリっていうのか? ソイツにおっそろしい光を何回も叩き込まれたお蔭で、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 流石に、ミョズニトニルンがやっていたような『獣の機能』や『自己再生機能』についてはデルフリンガーにはできないが、使い手の身体を動かすことくらいならばできなくもない。

 これはこの場にいる全員が()()()()()()()()ことだが、デルフリンガーは正史において気絶したサイトを動かしている。きっかけさえあれば、平時に行うことだって出来ると言う訳だ。それも、達人の剣技つきで。

 

「……何でわたしなの? それならジャンのほうが、わたしなんかよりもずっとあんたのことを……」

「いや。それは違うな、ルイズ」

 

 尤もな疑問を言うルイズを遮るように、ワルドが返す。

 

「彼の話を聞くに、なれるのは『達人まで』だ。それ以上にはなれない。これでも俺は自分の剣技を達人並と自負していてね。これ以上余分なオプションをつけても、元々の技能と競合してしまうだけなんだ」

『そーゆーことだ。それに、多分あの使い手に太刀打ちできんのは「虚無の担い手」だけだしな』

「……どういうこと?」

 

 デルフリンガーの意味深な物言いに、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。それに対し、デルフリンガーはカタカタと鍔を揺らしながらつづけた。

 

『あの使い手は今までの使い手とは違う。あの力……かなり歪んじゃあいるが、虚無の力と同種の物を使ってる。アレに本当の意味で対抗できるのは、虚無の担い手くらいだろ。「幻想殺し」がなけりゃ始まらないが、俺にできるのは負けないことだけだし』

 

 ルイズには言っていることの半分も理解できなかったが、とにかく『虚無』だけでも『幻想殺し』だけでも勝てず、両方が揃わないといけないということは分かった。であれば。

 

「…………わたし、で……良いの?」

『娘っ子じゃなけりゃできねえよ』

 

 ルイズはデルフリンガーの横に立ち、大剣を掴む。

 

「なら……力を貸して、デルフリンガー」

『おうともさ。担い手に力を貸して、使い手と戦うなんざ初めての経験だが――』

 

 そして、引き抜く。

 まるで聖剣を引き抜く若き王のように。

 鮮やかに、すんなりと剣を翳す。

 

『今回の使い手はお前さんだ。よろしく頼むぜ、ゼロのルイズ』

 

 伝説の魔剣は、口元を吊り上げるように鍔をカタカタと震わせた。



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第二四章

「さて、ルイズ」

 

 デルフリンガーとの邂逅の後、また馬を使って移動を始めたワルドは、おもむろにそう呼びかけた。

 その表情は、婚約者を慮る優しい青年のものではない。部下に対し、覚悟を求める厳しい上官のものだ。

 

「これからリュティスに入る。覚悟はいいか」

「ええ、もちろんよ」

 

 ルイズはそれをむしろ頼もしく思った。これから自分と共に戦ってくれるのは、トリステインでも屈指の風メイジである魔法衛士隊隊長・ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドなのだから。

 

『俺の方も準備は万端だぜ』

「あんたは剣なんだから当然でしょ」

『ひでえなあ……娘っ子』

「その娘っ子っていうの、やめてくれない? わたしにはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールっていうちゃんとした名前があるんだから」

『ああん? 何だって? 長くて覚えきれねぇよ。やっぱ娘っ子で十分だ』

「…………ウンジュー・ハガル……」

『ああっ! ごめん! 悪かったから虚無はやめて! 虚無で直接爆発を送り込まれたら幻想殺し(イマジンブレイカー)でも対応できないから!!』

 

 慌ててカチカチと鍔を鳴らしながら弁解するデルフリンガーに、ルイズは渋々詠唱を止める。

 

『っつーか、これから「虚無」を使うってのにこんなところで精神力使っちゃダメだぜ。虚無だって無限じゃねえんだ』

「分かってるわよ。でもこの後城に侵入するんだし回復するでしょ駄剣を消し飛ばすくらい」

『さらっとひでえこと言うなお前! ……っつか、わざわざ城に入らなくたって、ジョゼフが城にいるって分かってんなら直接「虚無」を撃てばいいんじゃねえのかい?』

「二人とも、雑談するのは良いが気合を入れてくれよ」

 

 寸劇を演じるかのような調子の二人に、ワルドは思わず笑いながら肩を竦める。

 そしてそれから、こう続けた。

 

「あの城にジョゼフがいると目されているが、実際には違うかもしれない。もし違った場合、ルイズの精神力が回復するまで数日は待たなくてはいけなくなる。それに、ジョゼフだって虚無だ。得体のしれない術で対策されるかもしれない。……リスクを承知で、ヤツの虚無を見極める必要があるのさ」

 

 それに、とワルドは前置きし、

 

「トリステイン……いや、それだけじゃない。アルビオン、ゲルマニア、果てはガリアまで……戦争が本格化すれば、多くの人が傷つくことになる。それを止められるか否かは、俺達の手に掛かっているんだ。雑な仕事は出来ない」

 

 その言葉に、ルイズは唾を呑みこみ、前を見据える。

 眼前には、丁寧に舗装された広い街道が目を惹く大都市――リュティス。

 これが、最後の戦い。

 

 ジョゼフと……ではない。

 もっと大きな何かとの戦いの気配に、ルイズは改めて気を引き締める。ともすれば、引き締め過ぎてしまうほどに。

 

『……娘っ子、ビビってんのかい? 意外とカワイイとこあんじゃん』

「…………」

 

 ゲシ、ゲシ、と蹴りの音が連続した。

 まあ、この相棒と一緒にいる限り『気を引き締めすぎる』ことは、なさそうだが。

 

***

 

第二四章 ある復讐の終わり Charlotte's_War.

 

***

 

「待て、止まれ」

 

 リュティスの中心街にほど近い街道を先導していたワルドは、そう言って足を止めた。周囲には既に街が広がっていたが、戦時中だからか人通りは殆どなかった。そのうち幾つかは、戦火が広がる前に田舎に逃げたりもしているのだろう。

 

「……どうしたの? ジャン」

「…………出てこい。そこにいるのは分かっている」

 

 問いかけるルイズだったが、ワルドはそれに答えない。彼の視線は路地裏に続く角に集中していた。ルイズに背負われたデルフリンガーが、カタカタと鍔を震わせる。

 

「人だよ、娘っ子。そこのヒゲは風メイジだから、空気の流れで物陰に誰かがいるって分かったんだ」

「三人だ。人間三人分の気流の乱れがある。……一人は……子供か。ルイズ」

「分かってるわよ。死なない程度に爆発を調節するくらい、朝飯前なんだから」

 

 そう言った瞬間、物陰の向こうにいる者たちがあからさまに反応した。そして次の瞬間、物陰から三人の人影が躍り出る。

 

「出たわね……! イル、」

「待って! ルイズ! ストップ! タンマ!!」

 

 ルイズが杖を振りおろそうとしたその直前、聞き慣れた声が彼女の耳に飛び込んできた。

 それから、目が眼前の三人の容姿を認識する。

 赤い癖毛の長髪を持つ、褐色の美女。

 青い髪を肩で切りそろえた、眼鏡の少女。

 そして――同じように青い髪の、活発な印象を感じさせる美女。

 

「キュルケ! タバサ! ……あと一人は誰?」

「ああ、この子は、」

「きゅいきゅい! シルフィなのね!」

「…………私の使い魔。シルフィード」

 

 飛び跳ねる美女を押さえつけて応えるタバサに、ルイズは目を丸くする。

 

「ええっ!? でもあんたの使い魔ってドラゴン……人、あれ? 再契約???」

「なるほど……『韻竜』というわけだね」

 

 落ち着き払って言うワルドに、タバサは無言で頷いた。

 

「……って、そうじゃないわ! それも重要だけど、何であんた達が此処に?」

「ちょっと、それが急いで戦場に駆けつけて来た親友にかける言葉? 労いの一つでも言えないのかしら? ヴァリエールの娘っ子は」

「こ、この、ツェルプストーは口の減らない……!」

「キュルケ、話を混ぜっ返さない」

 

 タバサはキュルケの頭に大きな杖をコツンをぶつけ、

 

「ガリア国内にいる反乱勢力の扇動は、もう済ませた。ジョゼフ王を倒すのはわたしの役目。あなた達だけに押し付けるつもりは――ない」

 

 そう、静かに言った。

 その瞳の中には、静かな決意が湛えられていた。

 ワルドはその目を見て満足そうにうなずき、

 

「こちらとしても、訓練を受けたトライアングル二人というのは助かる。先程は隠れるつもりがなかったからやっていなかったようだが、本来風メイジというのは、周囲の気流を操ることで風メイジからの探知を逃れることもできるからな。高位の風メイジに韻竜がいるなら、我々全員の気配を完全に消すことができる」

 

 ワルドはそう言って、街道の向こう――ジョゼフがいるであろう王城を見据え言う。

 

「面倒な過程は省略して、一気にボス戦と行こうか」

 

***

 

 ワルドの言葉に嘘はなかった。

 王城に入り込んだルイズ一行は、本当に誰にも気づかれずに城の中を進んで行ってしまう。トリステインでも指折りのスクエアメイジに、ガリアでいくつもの死線を潜り抜けて来たトライアングルメイジ。戦時で強力なメイジが出払ってしまっているガリア王城の戦力程度を欺くのは、それこそ簡単なことだった。

 

(……でも……)

 

 だが、城の中を進んで行くルイズの心は晴れていなかった。何と言うか、それだけで終わるはずがないと思うのだ。相手は、自分と同じ『虚無』の担い手。であれば……いや、仮に相手が虚無の担い手でなくとも、何かがあるはずだ、と。

 

「此処だ」

 

 ワルドが扉の前に立ち、指を差す。

 勿論、声も気流の壁に防がれて外部に漏れることはない。

 

「……風のメイジっておそろしいわね。ギトーが最強って言うのも分かるかも」

 

 キュルケがそう呟いてしまうのも無理はないだろう。そんなキュルケを横目に、ルイズは心配そうにワルドの裾を掴む。

 

「ジャン……」

「分かっているさ。可愛いルイズ。俺だって馬鹿正直に扉を蹴破ったりはしない」

 

 ワルドはレイピアでもある杖を振るい、

 

「ミス・オルレアン――――魔法発動後の隙は頼んだよ」

 

 瞬間。

 不可視の刃によって、目の前の扉どころか壁全体がバラバラに切り刻まれた。その呪文は……、

 

「『カッタートルネード』!?」

 

 風圧の騒音に紛れ、キュルケの声が聞こえて来る。

 ワルドだって、虚無の担い手を軽く見ることはない。むしろ、ワルドは虚無の担い手の恐ろしさを味方視点から十分に承知している。あれほどの爆発が『初歩の初歩の初歩』であるということも、知っている。

 ならばこその、完全なる不意打ち。

 ならばこその、回避できない制圧魔法。

 ワルドはまさしく、プロだった。

 

 だが。

 

「ふむ。やはり読み通りだったな」

 

 ガリアの無能王は、それすら上回った。

 

「な、馬鹿な!? 前兆はなかったはず、何故――――」

「一つ教えておこう、子爵。政治の世界では、『対応』というのは前兆を察知してからするのではない」

 

『カッタートルネード』の、その破壊が届かない安全域。

 そこに、ジョゼフは『まるでそうなることが分かっていたかのように』佇んでいた。

 

「相手の思考を読んで『先回り』して行うのだ」

 

 そう言って、ジョゼフは手に持った短剣をワルドに向け……それから飛び退いた。

 瞬間、それまでジョゼフがいたところにいくつもの氷の槍が突き立つ。

 

「ありがとう、ミス・オルレアン。君にバックアップを頼んでおいて助かった」

 

 その場の全員が驚きの余り硬直していたその時、事前にワルドに声をかけられていたタバサただ一人だけは、行動を止めていなかった。それは、タバサの中にも確信があったからだ。

 ――あの男がこの程度で仕留められるわけがない。

 ――もしそうだったら、わたしが今までで()っていた。

 

 だから、ジョゼフを発見した瞬間に魔法を発動することができたのだ。

 

「流石に強者だな。だがその程度で覚醒した『虚無』に勝てるか――?」

 

 ジョゼフの姿が、その言葉と同時に掻き消える。ワルドは事前に会話の間に詠唱していた『エア・ブースト』を発動させる。キン! カキィィィン!!!! と金属音が連続する……が、ルイズ達は二人の戦闘に介入することはできない。それどころか、目で追いかけることすら困難だった。

 同じ風メイジであるタバサでギリギリ……そんな境地だ。

 

(前にジャンと戦ってた時は、『わたしを倒す』っていう目的に愚直に向かってきていたからどうにか対応できてた。でも、今は違う。ジャンとジョゼフの戦いは、ただ向かうだけじゃない駆け引きがある……私じゃ、その駆け引きに付き合いながら戦うことはできない……!)

 

 だが、それはルイズには何もできないということを意味するのではない。

 

「――――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ」

 

 『虚無』。

 どんな場所にでも問答無用で爆発を叩き込み望んだものだけを消し飛ばすことができるあの魔法なら――ジョゼフがどれほど素早く移動しようと関係なくジョゼフの杖のみを消し去ることができる。そして、いかに虚無といえど、杖を消し飛ばされてしまってはもう何もできなくなる。

 

「……と、考えているであろうことを読まれていないとでも思ったか?」

 

 ギュバッ!! と、ワルドを躱したジョゼフがルイズに肉薄する。

 実際の所、ワルドの『エア・ブースト』よりもジョゼフが扱う『虚無』の方が素早い。それでもワルドは衛士隊の隊長であり、ジョゼフはただの王だ。だから二人の力量は拮抗していると言えたのだが――――ジョゼフの持つ短剣には、毒が仕込まれていた。ワルドはそれを見抜き、一撃も食らわないよう慎重に戦っていたのだ。だから、その隙をジョゼフに突かれてしまった。

 だが。

 

「――――!!」

「軍人なめんな、ガリア王ッ……!!」

 

 轟!! と寸前のところで、キュルケの杖から火が噴いた。ジョゼフの姿は掻き消え、その後をワルドが追い縋って行く。

 

「……ルイズ! あんたはその呪文を唱え続けてなさい! あたしとタバサで此処は止められるけど、あんたのフィアンセだって正直じり貧でしょ! さっさとしないと勝ち目なくなるわよ!」

「……! オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド……」

 

 詠唱を再開したルイズを尻目に、少女たちの周囲を炎と氷が渦を巻くようにして取り囲む。

 その様子を見たジョゼフが、鷹揚に笑う。

 

「トリステインの虚無は、随分と頼もしい仲間を用意したようだ」

「ガリア、ゲルマニア、そしてトリステインからだ。……あの子はいずれ世界を変える。その為には、貴様は邪魔だ、ジョゼフ!」

「ふん……粋がるのは良いが、『虚無』相手に少し動きが大胆すぎやしないかね?」

 

 下段への突きを繰り出したワルドに対し、ジョゼフは飛び上がってそれを回避する。およそ政務に追われていた王の動きとは思えない機敏な動きだったが、それは引き締まった筋肉から容易に推測できたことだ。それより、ワルドはその回避を誘っていた。

 いかに素早くとも、空中では落下する以外にすることがない。そして、落下速度はどんなに素早くとも平等だ。

 

「いいや、『風』は最強だ。……時には、『虚無』すらも凌駕するほどにな!!」

 

 そして、ワルドはジョゼフの腹目掛けて剣を突き出す。

 

 その次の瞬間に起こった出来事に、その場の全員が目を疑った。

 

「――――ミューズはおれにとって、素晴らしい情報を齎してくれた」

 

 トッ、と。

 ワルドが剣を突きだした時既に、ジョゼフは地に降り立っていた。

 当然、ワルドの剣は虚空を貫くに留まる。ジョゼフは、その横を悠々と通り過ぎる。

 

「な、なんで……落下の速度すら早い……!?」

「『虚無』が司るもの、それは『ゼロ』だ」

 

 ジョゼフの短剣は、いともたやすくワルドの脇腹に突き刺さった。

 ジョゼフは突き刺した短剣をあっさりと引き抜き、そして三人を見据える。

 

「『次元』についての話をしよう。お前達には分からないことだろうが――……『次元』というのは、『切断』するごとに一つずつ下に落ちていく」

 

 そして、浮かべる。

 笑み。

 狂ってしまった者の――――というより、()()()()()()()()笑みを。

 

「立体である()()を包丁で切ればその断面はただの長方形になるのと同じように、n次元の物体を切断すると断面はn-1次元になる。ならば、理論上一次元の物体を切断すればその断面は〇次元になるはずだ。そうだろう?」

「…………!!」

「たとえば――――『時間』だって、一本の線と考えれば一次元の物体だ。時間の流れは一本のゴムひものようなものだからな。おれの『虚無』はその『時間』という一本の線を切断したその断面を掌握する」

 

 つまり、切断した『時間線の断面』の中を自在に活動する魔法。

 その言葉が本当ならば、時間停止すらも可能な恐ろしい能力になるが――そうなっていないということは、切断が正確でないと考えるべきだろう。『―||―』というように『時間の向き』に対して垂直に切断されているのであれば時間停止も可能だろうが、現状のジョゼフの魔法では『―//―』というような斜めの切断が精いっぱいなのだ。その結果、断面は『時間の向き』に対して完璧に垂直にはならず、ジョゼフは『数瞬という曖昧なくくりの中を自由に移動できる』状態になる。つまり、完璧な時間停止にはならず外部から見れば高速移動――いや、『加速』のように見えているのだ。

 『加速』。

 ……速度が上がるのではなく時間の流れそのものが早まっているのであれば、落下が速くなってもおかしくはない。

 

「…………!!」

「ルイズ! アンタは詠唱を続けなさい! 此処はあたしが――」

「遅いな、ゲルマニア」

 

 トッ、とその肩にナイフが突き立つ。ナイフの表面に塗られた麻痺毒が一瞬にしてキュルケの筋肉を痙攣させる。

 タバサは――――その場にへたりこんでいた。戦意を失った主を庇うように、シルフィードが必死に盾になっている。

 

「そんな……」

 

 万全を期していたはずだった。

 自分を含め、『虚無』が一人、スクウェアが一人、トライアングルが一人、韻竜が一体。負ける要素なんてないと思っていた。物量で纏めて押し潰せるものだと思っていた。――復讐が成し遂げられると思っていた。

 なのに、ルイズの詠唱は未だ終わらず、ワルドもキュルケも倒れた。その事実が、少女の心をへし折ってしまったのか。

 

「…………ッ!! ジュラ! イサ! ウンジュー! ――!!」

 

 それでも、ルイズは詠唱を諦めていなかった。最後の最後に『虚無』さえ成功させれば、絶対に勝てると……そう信じてただ無心に呪文を唱え続ける。

 そんなルイズに向かって、ジョゼフは懐からさらに短剣を取り出す。

 

「もう遅い。『加速』は投擲物にも影響を及ぼす――――トリステインの虚無……『チェック・メイト』だ」

 

 ヒュッ、と風を切る音がルイズの耳に届いた。

 その次の瞬間、短剣がルイズの胸を貫いた。

 

 

「……ハガル・ベオークン・イル…………」

 

 

 ――――それでも、ルイズの詠唱は続いていた。

 短剣は確かにルイズの胸を貫いた。

 だが…………それは本物のルイズではない。

 

「!? なんでなのね!?」

「……ぬう!? これは……なるほど、シャルロットお前――」

「…………キュルケが放っていた炎魔法の熱を利用して、事前に蜃気楼を生み出しておいた……。ジョゼフ、あなたが貫いたルイズの姿は、わたしが別の場所に作り出した虚像にすぎない」

 

 タバサがへたり込んだのは、絶望して勝負を諦めたからなんかではない。

 用意していた蜃気楼はルイズの周囲にしか展開していなかったから、最後の瞬間に交戦の意志ありと見做されて攻撃されれば自分はダメージを受けてしまう。そうすると魔法で生み出した蜃気楼を維持することができなくなってしまう。だから心が折れたフリをして、ジョゼフの意識の外に出たのだ。

 ジョゼフは自分に降りかかる困難に興味を示し、そうでない相手は無視する。その性格を知っていたタバサだからこそとれた戦略だといえよう。……シルフィードまで騙されているのはご愛嬌だが。

 

「……そして、これだけ時間を稼げばもう十分」

「行くわよ、虚無の初歩の初歩の初歩―――!!」

「……チェック・メイトをかけた気になって、逆にかけられていたというわけか」

「『虚無の光(エクスプロージョン)』ッッッ!!!!!!」

 

 ルイズの詠唱とともに、彼女の杖の先から莫大な光が生み出される。

 そしてその瞬間、ルイズの意識は飛躍的に縮小し、同時に飛躍的に拡大した。

 手元にあるどんな存在よりも極小の一点。それがこの世界の全てであると、ルイズは自覚する。この世界のたった一つに『光』を送り込むことができるし、逆に全体を『光』で包んでしまうこともできる。

 その中で、ルイズは選ぶ。ジョゼフの持つ杖、……だけでなく、キュルケに刺さったナイフ、そしてワルドとキュルケの身体の中をめぐる毒素。それらに狙いを定め――『光』を、放った。

 

「――――チェック、メイト」

 

 広く狭い空間からルイズが意識を戻すと、あらゆる武器を失ったジョゼフにタバサが杖を突きつけているところだった。

 

「うっ、ぐ……タバサ、あなた」

「おれを殺すか。それも良い……おれが殺したシャルルの娘に憎しみをぶつけられ果てる、というのもなかなか悲劇的でおれ好みだ……」

 

 ジョゼフは自嘲の笑みを浮かべていた。だが、その表情に恐怖はない。歓喜もない。ただ、諦観を以て自分の死を受け入れる――此処までの策略を披露した稀代の王とは思えない無気力な姿があった。

 

「……いや、お前は殺さない」

 

 タバサは杖を突きつけたまま、憎しみの炎を目に灯してそう言い放った。

 

「殺して終わりなんて、そんな安易な終わりは認めない。お前はこれから自分が苦しめたハルケギニアの全ての民に償いをすることになる。一生かけても終わらない償いに、一生を費やしてもらう」

 

 慈悲ではない。ジョゼフが有能だから利用するといった実利的な思考でもない。単純に、これがジョゼフにとって最も苦しい結末だと、考えに考え抜いて生み出した一つの結論。

 小さな復讐者は、そうして己の復讐を締めくくる。

 

「――――このつまらない世界の為に、一生を使い潰せ。それがお前への罰だ」

 

 振り下ろされた長大な杖が、死神の鎌めいてジョゼフの意識を断ち切った。

 

***

 

 ぱち、ぱち、ぱち、という軽薄な拍手の音がその場に響いた。

 それは、今までルイズ達が戦っていた部屋の中から聞こえていた。毒が抜けて復活したワルドにキュルケ、復讐に決着をつけたタバサと気絶したジョゼフを縛り上げるシルフィード、そしてルイズがそれぞれ拍手の方を見やる。

 そこには誰もいなかった――――が、ルイズ達はそこに誰がいるのか既に気付いていた。

 

「流石だ、ルイズ」

 

 ズゥ、と。

 虚空が突然揺らぎ、そこに麦野とロングビルが現れる。

 

「ミス・ロングビル? どうしてあなたが……」

「…………やっぱりね」

 

 事態を把握しきれないキュルケとは対照的に、ルイズは特に慌てた様子もなく突然現れた麦野を睨みつける。

 

「蜃気楼だよ。まぁ、魔法の応用によって物理現象を起こしたそこの青いガキのそれと違ってこっちは蜃気楼も含めて魔術の現象だから『完璧に姿を消す』っていうふざけた芸当までできるがな」

「そうじゃなくて……何で、どうやって此処に」

「どうやっても何も、事前に潜伏していたに決まっているでしょ。私の目的はガリアの無能王なんかじゃない。最初の最初から、ルイズの『虚無』の為に動いていたんだから」

「…………、」

 

 そして、此処でその事実を開陳するということは。

 

「……ミス・ムギノ、貴方は」

「ワルド、どうやらお前は裏切ったみたいね」

「……!」

「でもそんなことはもうどうでも良い。結果としてお前のお蔭で虚無を見れたんだからな……帳消しってことにしておいてやるわよ」

「…………〇次元の極点は?」

 

 そこで、それまで無言だったルイズが初めて口を開いた。

 あらゆる状況確認をすっ飛ばしての本題に、麦野はぷっと吹き出してしまう。

 

「流石に『虚無の担い手』か……話が早くて助かる。っていうか、私も早いとこ新しい玩具を見せびらかしたくってさあ!」

 

 そう言って、麦野は右手を突き出す。

 そこには、白く輝く『何か』が確かに収まっていた。

 

「〇次元の極点。世界のすべて。進化した原子崩し(メルトダウナー)は、これに干渉することで世界の万物を好きなところに吹っ飛ばし、引き寄せることができる。まさしく! この瞬間! 私はこの掌に世界を収めたって訳だ!!!!」

 

 麦野の哄笑が、城中に響き渡っていた。

 ひとしきり笑った麦野は、それからゆっくりと、ギアを切り替えるようにルイズの方に向き直る。

 他の者は、言葉を発することすらできなかった。何か余計なことをすれば、死ぬ。麦野と共にこれまで行動し続けて来たはずのロングビルですら、そんな確信があった。

 

「私がお前との使い魔契約に甘んじたのも、全てはこの時の為。〇次元の極点を手中に収めた今、私にできないことはなくなった。元の世界を探して帰るもよし……いや、その前にハルケギニアの全土を統一するのが先かしら? あー、魔法やらなにやらを色々取り出して不老とかに挑戦してみるのもアリかもね? そのへんはどうでも良いわ。重要なのはルイズ、お前よ。目的を果たした使い魔契約の主……ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 

 生来気位の高い麦野が使い魔という『従えられる側』に甘んじていた理由。

 それは、ひとえに『〇次元の極点』を手に入れる為だ。それまでの間の社会的地位を担保する手段。世界のすべてを手に入れられるのであれば、その為に少しくらい生意気なガキの子守をしたって良い。その程度の考えでしかなかった。

 では、目的のもの――『世界のすべて』を手に入れてしまった麦野が次にすることは、いったいなんだろうか?

 

 麦野沈利という人間は、気位の高い人間だ。

 

「――――私はさァ、どうも自分の上に誰かが立つって状況が気に入らないみたいでね。だからさ、ルイズ……」

 

 すべてを手に入れた今、麦野にとって世界のすべてがどうでも良いものとなっている。

 ……ただ一つ、『使い魔契約』という裏技で、たとえ形だけででも麦野の上に立っているルイズを除けば。

 

 だから、麦野は獰猛な笑みを浮かべる。

 実に彼女らしい、悪鬼のごとき笑みを。

 

 そして次に、彼女の口はこんな言葉を紡いだ。

 

 ブ・チ・コ・ロ・シ・カ・ク・テ・イ・ね。



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第二五章

 麦野が凄絶な笑みを浮かべた、その直後。

 

「させると思うか、この俺が――!!」

 

 言うが早いか、ワルドの剣閃が奔った。

 ヒュバ! と金属の輝きが閃き、余裕――いや、もはや『油断』とすら表現できるほど悠長な構えをとっていた麦野に肉薄する。容赦など一片もない、完全に殺す気の一撃。

 ルイズが制止する間もなかった。

 

 しかし、ワルドの剣が麦野の柔らかい肉を裂くこともまた、なかった。

 

 ………………彼の姿が、一瞬後にはその場から、跡形もなく消え失せたからだ。

 もちろん彼の卓越すぎる足運びや速すぎる身のこなしによるものではない。目の錯覚などではなく――――もっと単純に、素朴な意味で、その場から消えた。

 ()()()()()()()()()()

 

「……私が目視することも難しいくらいの高速で動けば、あるいは能力を使わせる前に殺せるとでも思ったのかしらね? ……()めェなァ。斬りかかってくるってことが分かってりゃ、待ち伏せして『私の周囲にある固体』を指定して無差別に吹っ飛ばせんだよ」

 

 その掌に『この世の全て』を収めた女は、愚かなヒーロー気取りを冷笑するかのように溜息を吐いた。

 

「…………じゃ、ジャン……? シズリ、あんたジャンをどこにやったの……?」

「安心なさい。殺してないわ。あの程度のボンクラ、わざわざ太陽系の外に飛ばしてやるまでもないからね。…………おっと、この世界じゃ太陽系と言っても通じないか」

 

 麦野はせせら笑いながらそう付け加える。逆に言えば、殺そうと思えば殺すことができたということだ。そんな、単なる憎しみよりもよっぽど冒涜的な感情でその力を振るうことができるということだ。

 

 麦野沈利は、『完成』してしまった。

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、『間に合わなかった』。

 

 ルイズが認めようと認めなかろうと、後戻りできる段階は終わっている。

 これまでの――『〇次元の極点』を求めるだけだった状態の麦野なら、まだ大丈夫だっただろう。その状態でルイズが勝利すれば、あるいは麦野を説得し、引き返すことができたかもしれない。

 だが、今はもう駄目だ。

 〇次元の極点を手に入れてしまった麦野は、この世が自分の思い通りにできることを知ってしまった。これからは、それを実感するだけだ。そして彼女がすべてを手に入れた後にすることは、こことは違う歴史がすべてを証明してしまっている。

 

『何だよ…………もう色褪せてんじゃん、この世界』

 

 ――――〇次元の極点を手に入れ、世界の頂点に立った麦野沈利が実際に言い放った言葉だ。

 それから麦野は自らが手中に収めた世界を『派手にブチ壊す』という選択を躊躇なく選んだ。つまり、麦野沈利はそういう人間ということだ。そして『〇次元』を手にしてしまった以上、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……っ! ルイズ、此処は――」

「蜃気楼ならどうにかなるとでも思ってんのかァ?」

 

 言った瞬間、キュルケが、タバサが、シルフィードが、ジョゼフがその場から消え失せる。

 この場にいるのは、麦野とルイズ、それから麦野の仲間であるロングビルのみ。

 

「……()めェっつってんだろ小娘が。蜃気楼で誤魔化そうが数メートル程度のズレなら『蜃気楼も含めた座標ごと』テレポートさせちまえば無意味だ。……あ、もしかしたら腕だけ飛ばし損ねちゃったりするかもしれないけどね?」

 

 文字通り世界そのものを掌握している麦野は、意外にもただそう吐き捨てる以上のことはしなかった。その気になれば世界の全てを片手間で捻りつぶせる怪物なのに、こうしてルイズと向き合っている――そんなちぐはぐな状況が続く。

 

「他の有象無象どもを殺してやっても良かったけど…………そんなことやってアンタの『純度』を損ねたら勿体ない。…………万全じゃない状態のアンタを潰して、後から勝敗にケチがつくのも面白くないからね……♪」

 

 ただし、麦野のそれは決して善意なんかではない。

 彼女の悪癖だった。

 狙うなら、ノーミスクリア。後から自分が嫌な気分にならないように、完璧に舞台を整えた上で不純物を取り除いた『一〇〇%のルイズ』を叩き潰すと言っているのだ。

 そこには、ルイズ個人を見る視点はない。目の前に立つ彼女を『処理すべきタスク』としか扱っていないからこその言動。もはや『道具』とすら見ていない――極大の傲慢が、そこにある。

 

「……………………」

 

 その後姿を、ロングビルはじっと見つめていた。そして彼女が何か言おうとした瞬間、

 

「あ、そうだ」

 

 麦野は、ふっと何かを思い出したような調子で口を開いた。

 そして何気ない様子でロングビルに視線を向け、

 

「…………ルイズの側を一人にしたってのに、私に仲間がいたら片手落ちじゃない」

「…………っ! ムギノ、あんた……っ!!」

 

 麦野の一言に、ロングビルは取り繕った口調もかなぐり捨てて、呻くように言った。

 確かに、ルイズは麦野が他の面々の命を奪っていないと確信している。彼女の人間性をある意味で深く理解しているからだ。

 だが、ロングビルの視点からではそんなことは読み取れない。麦野は何やら勝ち誇って意味の分からないことを喋っているが、消された人達が『どこか遠くに飛ばされた』なんて分かりようがないのである。

 

 だから、彼女は動いた。

 

 『聖なる兜(あるくきょうかい)』のフードから吐き出されるように放たれた『異界の書(ルーン)』が四つの異なる『異彩の駒(おりがみ)』を乗せて舞い、『破壊の槍(フリウリスピア)』と『封印の杖(しちてんしちとう)』を両手に持ったロングビルがその中心で舞を踊るように二つの得物を構える。

 

 麦野が何かを言う間もなく吐き出されたルーンは部屋中に張り巡らされ、そして彼女の背後には六体のゴーレムが生み出される。

 ――ただし、それは土くれではない。

 青銅によってつくられた、女騎士――ワルキューレだ。

 

 ルイズは知っている。

 

 それは、『青銅』の二つ名を持つ浮気がちな少年の専売特許だ。

 確か、ルイズの記憶では、彼は浮気がバレてボコボコにされた腹いせ(と、暴言への報復)の為に決闘を仕掛け、そこで七体のワルキューレを振るっていたはずだ。

 結局、七体のワルキューレで終始優勢な状況を作っていたのはよかったが、情けをかけて与えてしまった青銅の剣でガンダールヴに覚醒されて敗北を喫したのは記憶に新しい。

 

 ――――()()()()()()()()()

 

 その瞬間、ルイズの脳裏に情報が弾けて、

 

 しかし、ロングビルの反抗はそこで終わった。

 

 時間にして、一秒もなかっただろう。

 コンマ数秒の抵抗の末、ロングビルの身体が編集でカットされたみたいに消え失せてしまう。

 

 ――そして、後には二人以外の誰も残らなかった。

 

「シズリ、ミス・ロングビルは――フーケはあんたの仲間じゃなかったの!?」

「ああ……アンタの側から見ればもうロングビル=フーケは確定してたんだったか。クク……その観察眼もそうだが、まったく面白いことになったもんだ」

 

 これで、この場にいるのはルイズと麦野の二人だけ。

 味方のはずのロングビルさえも退場させた麦野にルイズは思わず驚愕するが、麦野はそんな小さなことはどうでも良いと言わんばかりに話し始める。

 

「なあ、お前は時間ってヤツについて考えたことはあるか?」

 

***

 

 第二五章 そして訪れる終末 Defind_Catastrophe.

 

***

 

「…………時、間?」

「そうだ。さっきジョゼフの野郎が言っていただろ? 『時間というのは一本のゴム紐のようなものだ』ってなァ。……いいね、ヒントが勝手に転がって来てくれるってのは。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「………………、」

 

 ルイズは少しだけ考え込んで、

 

()()()

 

 すんなりと、麦野の軽口を肯定した。

 

「このカタストロフは、あんたが召喚された瞬間から確定していた」

 

 ルイズは、ただの小娘であったはずの少女は、きっぱりとそう断言してみせた。

 

「…………あんたは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。本来わたしの隣には、あんたじゃない誰かが立っていて、そいつと一緒にわたしは冒険するはずだった」

 

 麦野は、そんな台詞にくっくとくぐもった笑いを浮かべる。

 何一つ間違いではなかった。

 科学の都市から召喚された少女? ヒロインのことを徹頭徹尾人間扱いせず、力を手に入れたら即座に殺害する主人公?

 そんな歪な物語が、あるはずない。そんなもの、物語として成立していない。

 

 そんなイレギュラーが実現してしまうとすれば、

 

「…………そして、わたし達の時間軸は、あんたの召喚によって『通常では有り得ない方向』に捻じ曲がっている」

「そ。並行世界ってヤツね。アレは世界が何個もあるんじゃなくて、一本の時間軸をどこの未来(ピン)で固定するかって話だし。この世界は、正しい時代とは全く別方向の未来を進んでいるわ」

 

 ギーシュ・ド・グラモンの決闘の消失。

 マチルダ・オブ・サウスゴータの凋落の阻止。

 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドの反逆の撤回。

 そして、アルビオン王国の敗北の妨害。

 

 『正しい歴史』においては『確定事項』として扱われていたはずの事件の数々は、今に至るまで完璧に打ち崩されてきた。

 それこそが、今起きている歴史が正しいものではないという証左だ。

 

「……おそらくは、こんなイレギュラーが生じたのは私が原因でしょうね」

 

 麦野は、落ち着いた様子で自らの歩んできた道を振り返る。

 ただし、それは彼女の表面的な行いに原因を求めるものではなかった。

 そんな次元の話では、ない。

 

「………………私は、『前の世界』に居た頃から捻じ曲がった歴史の中にいた。いや、ある意味で中心点にいたと言っても良いかもしれないわね。どこぞの誰かに選ばれた『勝者の立ち位置』。そこに、私はいたわけだ」

「………………、」

「……そして、何の因果か『歪みの中心点』にいた私はお前に召喚された。だが、ここで一つ疑問が生じるわけだ。…………果たして、そんな狂った歪み(シナリオ)の中心点たる因子を持った私が混じった歴史が、本当に真っ当な道筋を進めるのか?」

 

 麦野の表情を、笑みが彩る。

 ただし、彼女の笑みは、狂っていた。

 

「そんなワケがねェよなァ! それも、ただ歪むだけじゃない! その歴史の歪み方も、『私』っていう歪みの頂点を元に構成される! つまり、『元の世界』で私がやり残していた『歪み(シナリオ)』をそのままなぞるって訳だ!!」

 

 ――――つまり、これはそういうお話だったということ。

 落ちこぼれの少女が、異世界から来た殺し屋の女と交流し、その中で少しずつ成長していく物語などではなく。

 そんなのはただのおまけで。

 麦野沈利がやり残した、『世界の頂点』に辿り着き、そして世界を滅ぼすというカタストロフこそが世界に用意された『本筋』だったのだ。

 だから、配役が用意された。

 彼女が前の世界でやり残していた、『狂った科学者(マッドサイエンティスト)』の始末。

 ()()()()()()()()()自身も気付いていないようだったが――本来彼は『豆腐』などという言葉は知らない。にも拘わらず、彼はその言葉を口にした。前の世界で同じ配役だった木原数多が口にしたからだ。

 そして、そのジョゼフは倒れた。

 麦野沈利は、『〇次元の極点』を掴んだ。

 

 掴んでしまった以上、あとは根本の歪み(シナリオ)通り、世界が一度滅ぼされるだけだ。

 『〇次元の極点』により、一度米粒サイズまで圧縮され、どうしようもなく消滅する。空虚な少女の『自殺』に巻き込まれる、という形で。

 

「させないわ」

 

 ――――阻止する方法は、ないわけではない。

 つまり、現時点でおかしなピンに引っかかっているゴム紐を取り外し、元に戻せばいいのだ。

 想定されるカタストロフは『その位置にピンをとりつけたから』起こるのであって、全く別の位置にピンを留めればカタストロフもまた消滅する。

 もちろん、未来や過去などの『時間』を操る技術はこの世界には存在していない。だが、未来はまだ確定している訳ではない。

 だから、此処で麦野を止めることができれば、世界が崩壊することも食い止められるだろう。

 しかし、

 

「――――どうやって?」

「……、」

 

 その麦野の行動は、歴史によって後押しされている。

 〇次元の極点がどうとかいう、表面的な問題ではない。

 そもそもこの物語は、麦野沈利が主人公の、世界を滅ぼすという救いようのない筋書きによって構成されているのだ。

 ――――勝利が約束されている『主人公』に、どうやって勝つ?

 

 それも、出来損ないの虚無魔法以外には、()()()()()()()()()程度の幻想殺ししか持たない少女が。

 

「………………」

 

 ルイズの脳裏には、あの日見た夢の内容が蘇っていた。

 ロングビルが生み出した青銅製のワルキューレによって、全ての真実に気付いたからこそ呼び起された記憶だった。

 

『だがなルイズ――アンタにはまだ知らないことがある。障害は私じゃあない。もっとnbv根plkcyqg的な問題がある』

 

 あの日、麦野はそんなことを言っていた。

 あの時は、すぐ目覚めたこともあり何のことなのかさっぱり分からなかったが……、

 

「…………『根本的な問題』」

 

 今のルイズは、いや、世界は、既に()()()()()()()()()

 

 それはある種危機的状況でもあったが、ルイズにとっては『ようやく敵が見えてきた』というにすぎなかった。

 敵は、麦野沈利ではない。

 世界の全てを掌握するとかいうゼロの極点でもない。

 最大の敵は、そんな彼女の背中を押し続ける、残酷な世界の歪み(システム)だったのだ。

 

「そう、ね。確かにそうだったわ。あんた個人に敵対心を燃やして、向き合っているだけじゃ片手落ちよね」

「…………何の話をしている?」

「あんたを倒すってことよ」

「だから、」

 

 麦野は掌の光の球をこれ見よがしに突きつけ、

 

「どうやって?」

 

 握りつぶす。

 

 それだけで。

 

 世界は一度、完膚なきまでに圧搾された。



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第二六章

「…………忌々しいな」

 

 そこは。

 

 暗闇だった。

 

 一面、見渡す限りの闇。黒一色の世界。どういうわけか、縦横無尽に平面が広がっていることだけは認識できるが、それ以外の情報は皆無。そんな純粋な黒の世界に、彼女は佇んでいた。

 

「まったく、忌々しい」

 

 麦野沈利。

 この世のすべてを文字通り掌の中に収めた少女は、世界そのものを圧搾しておいて、なお不満げな表情を浮かべることができていた。

 否。

 それは違う。むしろ、世界そのものを圧搾できなかったからこそ、少女は不満げな表情を浮かべていた。

 

「…………、」

 

 彼女と相対しているのもまた、一人の少女。

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

 厳密に言えば、彼女は世界の圧搾を止めることはできなかった。

 その手にある幻想殺し(デルフリンガー)は確かにあらゆる異能を殺すが、それには限界がある。あまりにも強すぎるチカラを前にした場合、完全に打ち消しきることはできず、異能の『エネルギー』そのものを運動エネルギーとして抵抗を受けることになる――など、イレギュラーな反応が返ってくることになる。

 今回も、そうだった。

 世界全体を圧搾するような事象の改変と、その無効化。

 この両方が同時に、しかも断続的に行われた結果――――世界のシステムが歪んだのだ。

 つまり、この状況。世界は()()()()()()()()()()()()()()()()()ということになる。

 

「シュレディンガーの猫。ったく、この私の能力の原理を考えたら、これほどの皮肉はないわね」

 

 麦野はそう言って、せせら笑いながら肩を竦める。

 この時点で、世界には二つの未来が残されている。一つは麦野が勝利することで、世界が滅びるという未来。もう一つは麦野が敗北することで、世界が存続するという未来。

 とはいえ、この状況は麦野にとっては忌々しいことこの上なかった。

 幻想殺し。この存在によって、自分の完全なる世界崩壊に水を差されたのだから、当然のことだ。イレギュラーの中心点、カタストロフの象徴としての麦野沈利は、自らが与えられた役割を邪魔されることは、忸怩たる思いだった。

 

「ま、こうなった時点で私の勝ちは決まったも同然だがな」

 

 しかし、それでも麦野は愉快そうに笑う。

 何故なら、事ここに至って、ルイズの掲げた幼稚な理想は完全に行き詰ってしまったのだから。

 

「こうなれば、お前にとれる選択肢は一つ。どうにかして私を殺し、そして能力者の死を以て事象改変の終了していない能力現象を中断させ、世界を救うこと。でもなければ、お前は私の『自殺』に巻き込まれて世界ごとお陀仏だ!」

 

 究極の選択だった。

 第三の選択、そんなものは存在しない。

 そもそも、麦野沈利が世界を滅ぼすのは、彼女の自由意思がどうこうという問題ではない。彼女は、歪められた歴史の特異点なのだ。ゆえに、彼女が存在している限り、彼女が属している歴史は同じように歪められる。即ち、世界の滅び、という結末を迎えざるを得ない。

 それを回避するための方法は、麦野沈利を殺す以外に存在していないのだ。

 

「…………まだよ」

 

 ぽつりと、ルイズは呟いた。

 余裕など全く存在しない表情だったが、それでもルイズは、まだ呟くことができた。

 

「まだ! まだ何も終わっちゃいないわ! わたしは、諦めない」

「そうかよ」

 

 それでも、麦野は眉ひとつ動かさなかった。

 敗北を認めない愚かな敗残者に、決定的な結果を突き付けるように、一言。

 

「なら死ね」

 

 麦野が腕を振った瞬間、黒の世界に輝きが生まれ、

 

 そして、光の雨が降り注いだ。

 

***

 

第二六章 少女位相、原点上 ZERO_V.S._ZERO.

 

***

 

「………………ッッ!!」

『ダメだ娘っ子! 防御に回るんじゃねぇ!!』

 

 咄嗟にデルフリンガーを構えようとしたルイズは、デルフリンガー自身の叱責を受けて、反射的に転がるように移動する。それだけでも、達人の技能を有したデルフリンガーのサポートを受けて左腕は勝手に動き、光の雨を逸らしてくれる――が、そこで気づく。

 

「異能のチカラなのに……打ち消しきれて、ない……?」

 

 ルイズも、デルフリンガーのふれこみくらいは聞いている。そもそも彼は〇次元に到達する前の麦野と戦い、その能力を無効化していたはずだ。にも拘らず、今回は達人の技能を使って逸らすのが精いっぱいとは、どういうことだろうか。

 

「ッハハハ、まさか私が使ってるのがただの原子崩し(メルトダウナー)とでも思っていたのか?」

 

 戦慄するルイズを見て、麦野は楽しそうに笑い声をあげた。

 

「バカが。そもそも『〇次元の極点』を掴んだ――全次崩し(メルトダウナー)に移行した時点で、『電子を粒子でも波形でもないあいまいな状態で放つ』とかいう能力からは脱してんだよ!」

 

 勝ち誇っているのだろう。

 あるいは自分の話を聞かせたいのか、いったん光の雨を止めた麦野は、両手を広げて話し続ける。

 

「分かるか。コイツはただの応用だ。全体論の超能力って言ってなァ……全宇宙のあらゆるものを動かせる私は、この世のすべてを操れるのと同じ。つまり、マクロな世界を歪めることでミクロな世界に異常を及ぼすこともできるってわけだ」

「…………、」

 

 ルイズに、その言葉の意味は分からない。

 だが、それでもいいとばかりに麦野は続ける。

 

「なら後は簡単。私の脳内っていうミクロな世界の動きを参考にして、マクロな世界を歪めてやる。そうすりゃ、原子崩し(メルトダウナー)がマクロな世界のマクロな歪みに則って発露してくれるってわけだ!!」

 

 ――ただし、と麦野は嘯き、

 

「〇次元を得る前の私と同じにするなよ。今の私は、神のチカラを手に入れた。全体論の超能力ってのは、そもそも本来一人によって齎されるモンじゃねぇ。そいつを〇次元の極点によって無理やり一人のチカラでやってんだ。当然、そんなチンケな剣ごときに受け止められるようなチカラの質はしてねぇんだっつの。…………分かったら」

 

 腕を、振り下ろす。

 

「とっとと散りやがれェ!!」

「いやよ!!」

 

 同時に、降り注いでいく光の中を縫うように、ルイズは走って麦野に近づいていく。ドジュジュジュジュジュオアアア!! と、何もないはずの領域が蒸発するような地獄の音が響き渡る中、それでもルイズは前に進んでいく、が――。

 

「きゃあ!?」

 

 麦野が後ろに飛び退くと同時にそこから生み出された巨大な光の奔流をモロに浴びて、デルフリンガーでかろうじて防ぐものの、一気に一〇メートル近く押し流されてしまった。

 なんとか態勢を立て直して前を見直すも、そこには相変わらず腕を組んで余裕綽々といった様子の麦野の姿しかない。

 それが、ルイズと麦野の力の差だった。

 

 たかが幻想殺し。異能を殺す程度のチカラしか持たない身。

 かたや全次崩し。人の身で神のごときチカラを手にした身。

 

 力の差は歴然だった。いや、むしろ、ここまでで勝負になっているのが奇跡とすら思えるレベルだった。

 

(………………いや、待って?)

 

 そこで、ルイズの思考が、何かに引っかかった。

 

 奇跡。

 

(……おかしい。この局面でその言葉が出てくるということ自体が、おかしい)

 

 ルイズの脳内で、思考がすさまじい勢いで駆け巡っていく。

 

(だってそうでしょう。もともと、この世界は()()()()()()()()()()に歴史の流れが歪められているはず。奇跡なんて、シズリの都合のいい形でしか起こらないのに。……だとすると、わたしにとって都合がよく見える現状は、実は都合がいいのではなくて、わたしに見えていないだけで、実はあっちの落ち度……?)

 

 しかし、麦野はそれ以上考える時間を与えてはくれない。

 再び、豪雨のように光の柱が降り注いでいく。ルイズは辛うじて転がりその豪雨を躱し、躱しきれなかった攻撃をあえて受け止めることで、反動で吹っ飛ぶ。

 もはや、魔法を使う余裕は存在しなかった。

 そんなことに余力を使おうものなら、即座に消し飛ばされていただろう。

 

「ッハッハッハァ! どうしたルイズ! こんなモンなら、同じようにデルフリンガーを振るってたあのデコっぱちの神の頭脳(ミョズニトニルン)の方が楽しませてくれたがなァ!? テメェの長所は威勢だけか! 虚勢だけは一人前の弱虫ルイズ様、よぉ!!」

 

 そう嘲り、麦野が腕を振り下ろす。

 その瞬間、特大の光の柱が、まるで神の振るう怒りの鉄槌のように、ルイズを押し潰した。

 

「――訂正しなさい」

 

 …………かに見えた。

 

「わたしは、あんたのご主人様。ゼロのルイズなんだから!!」

 

 ルイズはあの一瞬で、デルフリンガーの補助を受けて剣を正確に構えていた。

 幻想殺しの特性、打ち消しきれない異能を受けると、そのエネルギーを運動エネルギーとして受け止めてしまうという、弱点。

 これを剣で受け止めることにより、意図的に方向を定めて『弾かれる』ことに成功したのだ。

 

 そしてその方向は――――、

 

「…………くっ!?」

 

 他でもない、麦野沈利の佇んでいるその場所だった。

 

 ガシイッ! と、回避は不可能と判断した麦野が、剣の柄による殴打を両腕で防ぎ、そして瞬時に飛び退く。

 その表情には、喜色が浮かんでいた。

 

「なるほどなぁ」

 

 今まさに攻撃を加えられたにもかかわらず、麦野は逆に、手ごたえのある障害にぶつかれたことに喜びすら覚えていた。

 

「私は確かに特異点だ。だが……この場にはもう一つの特異点がある。そうだよなぁ、ルイズ。テメェは、この世界の正しい基準点。この世界の中心には、テメェがいるからな。テメェだけは、私っていう特異点を取り巻く異常な法則の影響を受けない。だから、第一回戦で死んだ幻想殺し程度しか持ってなくても戦える」

 

 つまり、麦野にとっては最初で最後の『自分と対等な可能性を持つ相手』というわけだ。

 今までの人員は、多少苦労させられることはあっても、彼女の敗北という未来を選び取ることはできなかった。しかしルイズは違う。この圧倒的不利な状況にあっても、フィフティフィフティの現実を麦野に齎してくれるかもしれないのだ。

 

「…………ただ」

 

 と、そこで、麦野は喜色で潤った声色をがらりと変え、まるで背筋が凍りつくかのような酷薄なつぶやきを漏らした。

 

「……今、なんで刃を使わなかった」

「…………、」

「あそこで柄じゃなくて剣を振るっていれば、私を切り裂けたかもしれないだろ。なんで、わざわざ手を抜いた?」

 

 麦野にとって、そこは一番の重要項目だった。

 せっかく自分に敗北を齎せるかもしれない相手が本気を出さなければ、殺したときに箔がつかない。それでは、『全力で戦っていなかったから負けたのだ』という言い訳を相手に与えてしまうことになる。

 

「決まってるじゃない」

 

 ルイズは真っ直ぐに麦野を見つめたまま、当たり前のことを言うように答える。

 

「あんたを、救おうとしているからよ」

 

 きっぱりと。

 まだ確定していないとはいえ、確実に世界を滅ぼした女を前に、ルイズは少しも臆面なく断言してみせる。

 

「…………はぁ?」

「あんたを、世界を滅ぼす大災厄なんかにはさせない。ここできっちりあんたを倒して、それで連れ帰る。そして、元の世界でまた一緒に過ごすのよ」

「…………………………………………………………………………お花畑頭もここまで来るといっそ尊敬できてくるな」

 

 麦野は呆れたように呟き、

 

「だから、どうやって? 確かにテメェは私に対抗できる。殺す資格くらいはあるだろう。だが! 私はカタストロフを背負っている! 私が存在する限り、歪んだ歴史は再現される! 世界を救うためには私が死ぬしかないんだよ! これは単純な二択だ! 世界を救って私を殺すか! 私を救って世界を殺すか!」

「そんなことない」

 

 残酷な現実を突きつける麦野に、ルイズはそれでも即答した。

 麦野の口元が、初めてひくついた。

 

「……、…………ハハ、面白くねえな。全く面白くねぇぞ、それ」

 

 そして麦野は、怒りに目を剥いて叫ぶ。

 

「大体!! テメェは私に勝つことはできない! 私は神の領域に足を踏み入れた! たかが幻想殺しを持った程度で粋がってんじゃねぇぞ!!」

「果たしてそうかしら」

「…………あ?」

 

 麦野の言葉が、止まった。

 ルイズは人差し指を立てて、こう言う。

 

「あんたのその能力……完璧なように見えて、実はそうじゃないわ。……一つ、世界を圧搾してみせたくせに、デルフリンガーやそれを持った私自身は圧搾できていない点」

「…………、」

「つまり、あんたは幻想殺しや、それを持った者を動かすことができない。だから私だけは、わざわざ手間のかかる全体論の超能力とやらを使って始末せざるを得なかった」

 

 さらに立てた人差し指を麦野に突き付ける。

 

「そして次に――あんた自身は、移動させられない。だからこそあんたは私の攻撃に対して飛び退いたり、ガードしたりする必要があった。多分、あんた自身を基準にしてものを移動させたりしているんでしょうね」

「ハッ、それがどうし、」

「ライト!!」

 

 言いかけた麦野の言葉を遮るように、ルイズは詠唱を行う。

 まるで早打ちのように引き抜かれた杖から灯された光によって、麦野の視覚は一時的につぶされる。

 

「なっ!? こいつ魔法を……!」

「あんたはわたしに能力を使えない。だからこうすれば、目視で照準を定めてる原子崩し(メルトダウナー)の雨は降らせられないわ。そしてあんた自身は移動できないから、目がつぶされた状況でわたしの攻撃を防ぐことはできない!」

 

 片手で両目を抑えた麦野に、剣を構えたルイズが肉薄する。

 デルフリンガーの技量のサポートを受けたルイズは、ただの少女とは思えない身のこなしで以て、鮮やかに麦野に近づいていた。

 そして――

 

 ゴッ、と。

 

 剣の鞘が、麦野の顔面にめり込んだ。

 

「ごばッ…………がァァあああああああッ!?」

 

 突進の運動エネルギーを一点に集中させた殴打に、麦野はそのまま後方へ数メートルも吹っ飛ばされる。

 しかし、それだけで終わる麦野ではない。

 転がったまま、まるで猛獣のように四つ足で地面に踏ん張った麦野は、そのまま顔を上げた。

 鼻からは血が流れ、振り乱された髪は先ほどまでの優雅さなど微塵も残していない有様だったが、それでも麦野は闘志を捨てていなかった。

 

「………………だからどうした」

 

 手負いの猛獣は、それでも牙を剥いた。

 

「だからどうしたってんだ!! 資格があるからなんだ! 見ろ、この実力差! 分かるか、テメェみてぇな蟻んこが粋がったところで、その努力の一兆倍の隔絶がここにはあるんだよ!!」

 

 麦野が叫ぶたび、光の鉄槌が無造作に黒の世界を抉る。

 

「大体、私がいる限り世界は救われない! 歪んだ世界の特異点を背負った私に!! これ以外の道なんかねぇんだよ!!」

「――あるわよ」

 

 そこで初めて、ルイズは麦野に刃を向けた。

 

「…………自害しろ、ってか?」

「ある意味では、そうかもね」

 

 ルイズは厳しい表情を浮かべながら、そう言った。

 

「確かに、アンタの背負っている特異点は、幻想殺しでもどうにもできないところにある。普通のやり方じゃあ、殺すことはできないわ」

「……、」

「でも、それなら普通のやり方を使わなければいいだけの話よ。…………たとえば、あんたの手にある『〇次元の極点』とかね」

 

 そう言って、ルイズは麦野の手にある光を杖で指し示す。

 

「この世のあらゆる場所に繋がる光。……そんなすごいものなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「………………は? おい、待て、お前、何を言って、」

「根本的な問題よ」

 

 ルイズの瞳は、敵意に燃えていた。

 しかしそれは、麦野に対して向けられたものではない。

 

「敵は、あんたじゃない。……あんたを歴史の特異点にした、何者か。その悪意の残滓。それさえ切り捨てれば、あんたを切り捨てなくてもよくなる。あんたを逃れることのできない滅びの運命から救い上げられる」

 

 麦野は言った。

 この状況は、彼女が迎えるはずだった世界の運命を焼き直ししているだけだと。

 …………ならば、結局のところ。

 このカタストロフの形成に、彼女の自由意思などないではないか。元の世界でそうなる運命だったから、結果的に麦野がその通りに動かされているだけ。それが、この状況のすべてだ。ならば、その元凶さえ切り捨てることができれば。

 

 世界とつながっている〇次元の極点と、幻想殺し。この二つを使えば、それができる。

 

「…………馬鹿な、この光は異能のチカラだ。そいつが触れた瞬間に消えるぞ」

「ええ、でしょうね。でも、その光はあらゆる場所に繋がっている。つまり、触れた瞬間に繋がった先にも触れたことになる。幻想殺しは触れた瞬間にすべての異能を殺す……らしいわ。なら、問題ないでしょう」

「……………………、」

 

 麦野の言葉が、止まる。

 

「だから、協力しなさい! あんたが協力すれば、わたしが全てを終わらせてみせる。どこの誰とも知れない馬鹿野郎の、くだらない幻想――その残滓を、終わらせてみせるから!」

 

 協力しろ、と。

 ここまで自分を裏切り、そして傷つけてきた少女に対し、ルイズは手を差し伸べた。

 それに対し、麦野は。

 

「…………くだらねぇ」

 

 あくまで嘲るように、その言葉を切り捨てた。

 

「くだらねぇ! くだらねぇなぁルイズ・フランソワーズ! 今更言葉で止まると思ったか!? この麦野沈利が!! そんなお涙頂戴の陳腐な説得なんかで、止まるとでも思ったのかよぉ!!」

 

 嘲笑う醜い笑みを浮かべた女は、拳を握った。煌々とした光を封じるように。そして、()()()を握りしめながら、麦野は走り出す。

 交渉は終了した。

 結局のところ、これが彼女の生き方の全てだった。それは、ルイズも重々承知していた。

 だから、ルイズも観念して、剣を握りしめた。

 

 

「分かったわ、シズリ。ならわたしも――――あんたの幻想を、終わりにしてあげる」



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終章

 ――結論から言おう。

 

 世界は、救われた。

 

 より正確には、ルイズ・フランソワーズの命がけの挑戦によって、世界は救われた。

 全次崩し(メルトダウナー)という一つの少女の幻想を殺したことによって、世界の圧搾はなかったことになった。一つのカタストロフは決着し、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは文字通り救世主となった。

 ただし、正義の勝利の裏側に邪悪の敗北があるように。

 救われたものの裏側には、とある一つの犠牲があった。

 それは、ゼロの極点――その所持者、カタストロフの中心としての麦野沈利。

 その存在の、『死』である。

 

***

 

終章:失ったもの、失わなかったもの ZERO's_Familiar.

 

***

 

「ルーイーズー!」

「ぅなぁ!?」

 

 朝。

 隣人の喧しい声によって夢の世界から追い出されたルイズは、素っ頓狂な声と共に目を覚ました。

 

「うー……」

 

 起き上がったルイズは、寝ぼけ眼を擦りながら顔を起こす。ぼんやりした視界が鮮明になっていくと、目の前に赤髪の女が見えてきた。

 夢の中に後ろ足を残してきたようだったルイズの表情はそれを見てしなびた果物のようなしかめ面になる。

 

「……キュルケ。わたしは寝る前ちゃんと戸締まりしたつもりだったんだけど」

「アンロック」

 

 あっさり言ったキュルケに、ルイズは思わず肩を落とした。

 

「あれ、何よしおらしい反応しちゃって」

「ねむいのよ……」

 

 目をこすりながら、ルイズはベッドから降りて自分の眠りを妨げた不届き者に不機嫌そうな眼差しを向ける。ルイズとしてはわりと本気で遺憾の意を表明していたつもりだったのだが、キュルケはというと飄々とした笑みを崩さないまま、手に持った懐中時計をルイズに見せてきた。

 

「アンタ、そんな顔して恩人のことをねめつけていいの? あたしが起こしてなかったら完璧、遅刻よ?」

「え゛っ!?」

 

 そこでようやく、ルイズの脳が完全に覚醒する。見れば、既に朝早いと表現できる時刻は過ぎていた。身支度の手間を考えると、もう幾ばくの猶予もないと言わざるを得ない。

 そのことにルイズが気づいたのを見て取ると、キュルケはにんまりと笑みを浮かべてこう畳みかけた。

 

「ほらほら。ねぼすけさんを起こしてやった立役者様に何か言うことはない?」

「……ええい! 感謝してるわよ!」

 

 吐き捨てるような感謝を宿敵に投げつけたルイズは、そのまま急いでネグリジェを脱ぎ捨てた。

 世界を救った英雄とはとても思えない、格好のつかない朝だった。

 

***

 

「おや、ルイズ」

 

 そんなギリギリの朝を終え、その日の授業をこなした後。

 自室に戻る道すがら、ルイズの目の前に見知った青年が現れた。

 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。ルイズからはジャンと呼ばれている、彼女の婚約者だった。ルイズは軽く目を見開いて、

 

「ジャン! どうしてここに?」

 

 と言いながら、駆け足で彼の元まで駆け寄った。

 ワルドはにっこりと自らの婚約者に笑みを浮かべ、こう返す。

 

「婚約者の元に会いに行くのは、当然のことだろう?」

「その婚約者を一〇年も放っておいた人間の口から出たとは思えない言葉ね」

「……その件、一生言われ続けるのかな?」

「一生言ってもらえることに感謝しなさいよ」

 

 軽口を叩き合い、互いに笑い合っていた二人だが――ひとしきり笑った後、ワルドは真面目な表情に戻る。それを見て、ルイズも口を真一文字に結んで次の言葉を待った。

 

「……ここに来たのは、現状報告といったところだね。俺には、君にそれを伝える義務があるから」

 

 実のところ──ルイズはあの戦いから今の今まで、ずっとワルドとは顔を合わせていなかった。それは心理的な問題ではなく、単純に軍人であるジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは先の戦争の功労者として、婚約者と顔を合わせることもできないほど多忙を極めていたことを意味する。

 もっともそのおかげで、ルイズはこうして学園にて日常を再開することができたのだが。

 

 ──いや。

 

 日常を再開することができた、というのは少し語弊のある表現だ。

 たとえばあの戦いを境にフーケは──ミス・ロングビルは学園から姿を消してしまった。オスマンは残念がりながらもどこか彼女の事情に感づいていた様子をにじませており、今も代わりの秘書を雇うことなく一人で寂しげに髭をしごいている。

 タバサも流石に元通りというわけにはいかず、ジョゼフを牢獄塔に幽閉した後は彼女だけガリアに残り、革命をきちんと収束させた。今や彼女は新政府の中核的存在である。おそらく国王にはタバサがなると思われ、その意味ではもう『キュルケの友人である謎の少女・タバサ』はもうどこにもいないという事実に、ルイズは少し寂しさを感じる。

 

「……伝える義務、ね」

 

 ──ルイズの日常は帰ってきた。

 一度現実に起きたことは決してなかったことにはならない。ルイズがやっとの思いで帰ってきた日常も、きっと厳密な意味で『元の現実』にはなりえないだろう。

 それでも、ルイズは守りたかった日常へと帰ってくることができた。

 

「ああ。いわば俺は──窓口のようなものだ。フッ、軍人をメッセンジャー扱いとは本当に贅沢だね。……ともあれ。一応、二つほど言伝を預かっているよ。()()()()()()()()

 

 言いながら、ワルドは窓枠に肘をつき、外を眺め出す。まるで、遠い国に思いを馳せるような態度だった。

 なんとなくそれを見ながら、ルイズもワルドに倣って外を眺める。

 

「一つはタバサ。彼女からのメッセージは簡潔だ。『すぐに遍在を覚えてまたそっちに行く。待ってて』だそうだよ」

「あはは、タバサらしいわね」

 

 仮にもスクウェアの高等呪文なのだが、確かにタバサが言うとじきに覚えてしまいそうな気がする。というか新政府の色々で忙しいというのに、それでもなおトリステインに戻って来る気満々というのが凄い。まぁ、元々騎士の身分で外国に留学していて、異国の友人の手で宿願を果たした彼女にとっては、国境なんてそんなものなのかもしれないが。

 

「それともう一つ──」

 

 もうじき、タバサが帰って来る。そのニュースはルイズにとって心が晴れるものではあった。

 だが、そこからは一つピースが欠けてしまっている。

 

 麦野沈利。

 

 全てが順調に戻りつつあるルイズの日常から、ただ一つ零れ落ちてしまった存在。

 

()()からの伝言はこうだ」

 

 遠い空に、ルイズが一人の少女の姿を幻視した、次の瞬間。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 獰猛な笑みを口元にたたえているのが丸分かりな言葉が、ワルドとは違う方向からルイズの鼓膜に届いてきた。

 それを認識した瞬間、ルイズは弾かれたように声の主の方を見る。そこにいたのは────

 

 

 麦野沈利。

 ガリアの地でルイズに敗北したはずの、この世界のカタストロフだった少女だ。

 

「……ったく。ほんとにシケたツラしやがって。確かに? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? たったそれだけでまるで私が死んだみてェなツラしてんじゃねェわよ。縁起が悪い」

「し、シズリぃ……!」

 

 相変わらずの憎まれ口に、ひどいことを言われているにも関わらずルイズの頬が綻ぶ。

 というか、もしかしなくてもワルドの唐突な動きはルイズの注意を外部にそらしてサプライズの成功率を上げる為だったらしい。一挙手一投足に何かしらの意味がある男である。

 

「──っつーかさぁ」

 

 そんなワルドやルイズの感傷など完全に無視して、麦野は目の前の少女に冷たい眼差しを向ける。そして、決定的な一言を吐き出した。

 

 

「『私』を殺したくせに燃え尽き症候群とか言い出したら、本物の消し炭にしてやるぞ」

 

***

 

 ──あの時、あの局面で。

 

 漆黒の暗闇の中──それでも、麦野の拳からは()()()()()()()()

 そう。極点を経由し、あらゆるものを望む場所へ飛ばす力──その力の象徴である光が、彼女の拳からは漏れ出ていた。

 そして麦野沈利は、その状況を許容したまま、最後の激突へと臨んだ。

 それは一つの世界を終わらせたカタストロフの因子ではなく、一人の少女が掴んだ一つの選択だった。

 

 最後の最後まで麦野を『斬る』のではなく『受け止める』ことを選択したルイズは、剣の腹でその光に触れ──『幻想殺し』は、漏れ出た光を通じて〇次元の極点に接続し、麦野とつながっていた魔術の残滓を殺し尽した。

 それはそれまで麦野沈利を縛っていた『彼女の役割』を破壊する行為で、これを以て『極悪非道、あらゆる善性を嘲笑い異世界を蹂躙する悪党』としての麦野沈利は殺された。

 今『ここ』にいるのは何者でもないただの麦野沈利でしかない。

 

「後悔することになるぞ」

 

 ほかの何者でもない一人の少女は、吹雪の中で凍えているかのように冷え切った声で、一言そう呟いた。

 

「……ガリアをはじめ、ハルキゲニアは私の影響でかなりの被害をもたらした。私には、その罪を背負う義務がある。分かっているのか。そんな私を見捨てないっていうことは、一緒に歩むってことは、お前も一緒に私の罪を背負うってことだ。…………お前も、私の罪過に呑まれるぞ」

「構わない」

 

 そんな少女の心を温めるように、桃髪の幻想殺しは断言してみせた。

 

「強がって偉ぶって、そうやって世界のカタストロフを抱え込んで、勝手に一人で死んでいこうとしてる馬鹿を引っ張り上げる為なら────わたしは一生かけてでも、あんたの罪を背負ってやるわ」

 

 世界を一度は滅ぼしかけた女に対し、ルイズはあまりにも真っ直ぐにそう言い切ってみせた。きっと幾千億と繰り返したとしても 彼女の答えが変わるわけではない。

 それを悟った麦野は、ぽつりと呟いた。

 

 シェフィールドを殺し、戦争を齎し、多くの人命を失わせた。

 麦野沈利は元来、そのことを『悪』だと感じることのできる人間だ。

 正史でもがんじがらめになったプライドから解放された彼女は自分の罪と向き合っていた。

 もっとも、『この』彼女は浜面仕上によって変わったその精神性とは全く異なるが――

 

「本当に、お前は大馬鹿野郎よ。……()()()

「あら。今更気づいたのかしら。あんたも意外と馬鹿なのね、シズリ」

 

 そうして、一つの『幻想』が殺された。

 

***

 

「で、なんで帰ってこれたのよ」

 

 そして、ルイズは本題を切り出した。

 結局あの後、麦野は自分が引き起こした戦争の責任をとると言って持ち前の頭脳を生かし、今回の戦争の事後処理を手伝っていたのだが――当然ながら、戦争、国と国のぶつかり合いの事後処理となれば、途轍もない時間がかかる。

 まして革命後のごたごたである。きちんとのちのちに禍根を残さない形にしようとするとなれば、すべてが終わるまで数年はかかるというのが当初の見通しだった。

 ルイズが日常に戻ってきたにも拘わらずアンニュイな雰囲気だったのも、このためである。要するに、麦野との学校生活はほぼ実現し得なくなって──ルイズはそのことを残念がっていたわけだ。

 

 だが、現実はどうだろうか。

 そんなアンニュイな気持ちなど粒機波形高速砲で滅殺してやると言わんばかりに、目の前の麦野沈利は現実だ。多分幻想殺し(デルフ)でも殺すことはかなわないだろう。

 

「──いやぁ、その件なんだけど、ちこーっと自分の頭脳をナメすぎてたみたいでね」

 

 疑問を顔面いっぱいに広げていたルイズに答えて、麦野はチッチッと指を振る。

 

「そもそも、償いっつっても別に私は『出てくる書類仕事を片っ端から片付ける』とか『自分が破壊した箇所へお礼参りをする』なんて自分自身に依存したその場しのぎの非効率的なシステムを組んでいたわけじゃない」

 

 麦野は自分の側頭部を人差し指でコンコンと叩き、

 

「私が目指したのは、『よりよい社会システムの構築』。つっても、貴族がどーとかって話に興味はねぇ。学園都市の社会学を応用したカネ回りの操り方……ってとこかね。細かいことは省略するが、要するに『私が将来的にいなくなっても問題なく回せるシステム』の構築をしてやったってわけだ」

「……ってことは、つまり……」

「ああ。一通り完成したら、別に私がその場にいなくてもよくなった」

 

 だから帰国した、と麦野は何の臆面もなく言った。

 普通の人間であればそれでも『償いは終わっていない』とその場に残りそうなものだが、そこは麦野沈利。こことは違う未来を辿った歴史でも、フレンダの姿を装って騙し討ちしにきた敵を一切の逡巡なく焼いたのが彼女の根本の精神性である。

 とはいえ──。

 

「……それに、償いはガリアにいなくてもできるしな」

 

 ──かの歴史でフレンダの姿を焼き払った背景に理由があったのと同じように、彼女の言動にも理由はあるのだが。

 

「素晴らしい心意気だよ、ミス・ムギノ」

 

 そんな麦野に、ワルドは壁に背を預けながら言う。

 あの局面では邪悪そのものといった振る舞いを見せた麦野に上空五〇〇メートルまでふっとばされていたワルドだったが、彼の態度に麦野への憎悪は感じられなかった。

 

「ガリアの脅威は過ぎ去ったが――アレはこの世界にはびこる問題の一部でしかない。僕は今後もそれらを調べるつもりだが――同志が増えるのは有難いね」

「勘違いするなよ、私は正義の味方ごっこをするつもりはない」

「おや、奇遇だね。僕も自分が正義の味方だとは思っちゃいないさ」

 

 悪態をつく麦野に、ワルドは肩を竦め、

 

「……だが、そこの小さなヒーローの味方ではありたいと思っている。そこは君ももう同じだと思うけどな?」

「…………っ」

「はは、ようやく君を言い負かせた気がするよ」

 

 一瞬言葉に詰まった麦野を見て、ワルドは破顔一笑し、ふっとその場で消え去る。……遍在だったらしい。

 

「……婚約者との連絡役に遍在を寄越すとはな」

「ジャンはあとでオシオキね」

 

 …………そして男がかっこつけたと思っても、女から見ればたいていはズレていたりするものである。

 哀れなヒゲがあとでツンデレの餌食になる未来が確定したところで、麦野は真面目な表情に戻って、ルイズに語り掛ける。

 

「あのワルドの懸念は多少的を外しているが――だが、()()()()()()()

「……どういう意味?」

()()()()()()()()()()()ってことだよ」

 

 それはもはや、カタストロフとの接続が断たれた麦野にとってはいずれ消え去る知識でしかない。

 だがそれでも、麦野はルイズに警鐘を鳴らさずにはいられなかった。

 

 確かに、世界を終わらせた一人のカタストロフとルイズ・フランソワーズの物語は幕を下ろした。

 だが、ルイズを中心とした物語は、これからも続く。いやむしろ。彼女を取り巻く物語は、ここからどんどん加速していくことになる。カタストロフの影響が色濃く残るこの世界で、誰にも予測のできない未来が紡がれていくことだろう。

 

「……その時、お前の傍にいるのはガンダールヴの少年じゃない。世界を終わらせた、勝利を約束されたカタストロフでもない。──もはや何者でもなくなった、ただの麦野沈利でしかない」

 

 そこに、ご都合主義なんてない。

 彼女を世界の破滅(しょうり)へと押し上げる運命の作用もない。此処から先は、彼女達自身が、彼女たちの実力で未来を勝ち取っていかなくてはいけないのだ。

 

「運命の後押しを失った、ただの小娘でしかないんだよ」

 

 確かに、麦野沈利は強い。

 ハルケギニアに元来存在する技術は、彼女の超能力(レベル5)と比べるにはあまりにも『規模』が小さい。

 ……だが、この世の争いは力比べだけで決まるわけではない。

 世界の後押しを受けていたときの麦野がそうだったように、相手の弱点を見つけ出し、それを的確に突くことができれば、格上だって倒すことができる。かつての浜面仕上がそうであったように。

 だからこそ、麦野は思うのだ。此処から先に『安心』はないと。

 麦野はこの戦争であまりにも目立ちすぎた。相手が考えることのできる人間である以上、麦野への対策がなされるのは確定だ。つまりこれからの戦いは、『麦野に対して極端に有利な力を持った兵力』が差し向けられることになる。

 

 そしてそんな兵力の前では、麦野沈利という一人の少女はあまりにも無力、

 

「……あんた、どの口でただの小娘とか言ってんのよ?」

 

 ──という感じのしおらしい話をしようとしていた麦野に対し、ルイズはじとーっとした目でむしろ呆れ返っていた。

 

「ビームを撃ったり、生身でメイジをボコボコにしたりできるヤツは、ただの小娘とは呼ばないわ。野蛮人とか、女傑とかって言うのよ」

「……テメェ、いま私はそんな話をしてるんじゃ」

「何より!」

 

 反駁しようとした麦野を遮るように、ルイズは彼女に拳を突き付ける。

 

「……何より、滅びを決定づけられた最悪な運命の中で、あんたはそれでも足掻いてくれたじゃない。極点を消せば、わたしとの殴り合いに応じなければ、世界を終わらせることができたかもしれないのに」

 

 あの時点の麦野沈利は、まだカタストロフとのつながりを殺されていなかった。それでも麦野は、最後の最後にルイズを光に触れさせる選択を選んだ。

 ──その最後の一歩を踏み出した『ヒーロー』のどこが、ただの小娘だというのか。

 

「それに」

 

 そして最後にしめくくるように、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、自らの使い魔の胸に拳をぶつける。

 

「忘れたとは言わせないわよ、シズリ」

「……ああ。そういえばそうだったわね……クソったれなことに」

 

 そのことに思い至って、麦野は思わず苦笑する。

 ──そこに思い至ってしまう程度には、彼女もこの桃髪の貴族に毒されてしまったらしい。

 

 確かに、この先は何が待っているのか誰にも分からない。

 さらなる脅威、強敵がこれから先も立ちふさがって来ることだろう。

 だが、それがどうしたと、今の麦野は心の底から思う。

 何故なら────

 

 

「あんたは。麦野沈利はこの私の――ゼロの使い魔なんだからね!」




長らくのおつきあいありがとうございました。
活動報告にあとがきを用意してありますので、ご興味のある方はどうぞ。


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