最強魔法師の壁内生活 (雅鳳飛恋)
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入学編
第1話


 その日を境に、人類は滅亡の危機に瀕した。

 

 数多の国がそれぞれの文化を持ち生活を送っていたが、魔興(まこう)歴四七〇年に突如として世界中に魔物が大量に溢れ、人々は魔法や武器を用いて奮戦するも、対応しきれずに生活圏を追われることとなった。

 

 そんな中、ある国が王都を囲っていた壁を利用し、避難して来た自国の民や他国の民など国籍や人種を問わず等しく受け入れ、共に力を合わせて壁内に立て籠ることで安定した生活圏を確保することに成功した。

 

 魔法師と非魔法師が共存して少しずつ生活圏を広げ、円形に四重の壁を築き、壁内(へきない)で安定した暮らしを送れるに至った魔興(まこう)歴一二五五年現在――ウェスペルシュタイン国で生活する一人の少年が、国内に十二校設置されている魔法技能師――魔法師の正式名称――の養成を目的に設立された国立魔法教育高等学校の内の一校であるランチェスター学園に入学する。

 

 少年の入学を境に、雲蒸竜変(うんじょうりょうへん)(ごと)く英傑たちが燦然(さんぜん)と躍動する時代が幕を開ける。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一二五五年一月十五日――この日はウェスペルシュタイン国に十二校設置されている魔法技能師の養成を目的に設立された、国立魔法教育高等学校の十二校全校の入学式が執り行われる日だ。

 

 期待に胸を膨らませ早起きしたのだろうと思われる新入生の姿がちらほらと散見する。――中には余裕を持って早めに登校しただけの新入生もいるかもしれないが。

 

 そして入学式が始まるには幾分か早い時間帯に、一人の長身の少年がランチェスター学園の校門を跨いだ。

 

 ランチェスター学園は国内に十二校存在する国立魔法教育高等学校の中で、三大名門の一つに数えられる学校だ。

 自由な校風を掲げており、生徒の自主性を重んじているのが特徴でもある。人気があり、入学志望者も多い。――無論、定員数に限りがあるので志望者全員が入学できるわけではないが。

 

 まだまだ寒くコートなどで厚着をする必要がある季節にも(かか)わらず、上着を羽織らず上下黒の制服姿の少年は銀色に桃色を混ぜたような綺麗な長髪を(なび)かせ、校内を足取り早く進んでいく。

 

 周りの景色や様子には目もくれず、校内の景観を(いろど)る木々や建物の間をすり抜けて入学式が行われる講堂へ向かって歩みを進めていると、右方向から声が掛かった。

 

「――ジルヴェスター様!」

 

 少年は自分の名を呼ぶ声に応えるように歩みを止めると、身体の向きを声の主の方へと向ける。

 彼の視線の先には、制服の上にコートを着込んでしっかりと防寒対策をしている少女の姿があった。

 

「クラウディアか」

 

 少年改め――ジルヴェスターが少女の名前を呼んだのは、互いに見知った顔だからだ。

 

「申し訳ありません。ちょうど今お迎えにあがるところでした」

「たまたま早く着いたんだ。だから気にするな」

「そうでしたか」

 

 丁寧に頭を下げて謝罪をしたクラウディアは胸を撫で下ろして安堵する。彼女は校門で出迎えるつもりでいたのだが、思いの(ほか)ジルヴェスターが早く登校したので出遅れてしまったのだ。

 

 会話が途切れたところでジルヴェスターはふと疑問に思ったことを尋ねる。

 

「生徒会長がこんなところにいていいのか?」

 

 今日は入学式で色々と忙しいはずなのに、仕事をせずに油を売っていて大丈夫なのか? とジルヴェスターは思ったのだ。

 

「お気遣い頂きありがとうございます。ですが問題ありません。事前に準備は済ませておりますので」

「そうか」

 

 そもそも当日まで慌ただしくしていたらそれこそ問題だろう。しっかりと事前に準備を済ませているのだろうとジルヴェスターは納得した。クラウディアの優秀さを知っているので尚更だ。

 

 クラウディア・ジェニングス――このランチェスター学園で生徒会長を務める女生徒の名だ。

 ジルヴェスターも白い肌をしているが、それよりも白くて日焼けしていないように見える綺麗な肌をしている。透き通るような白い肌と表現するのがわかりやすいかもしれない。

 

 長いエメラルドグリーンの髪は途中から脱力したように緩くウェーブしていて色気と可愛らしさが内包しており、髪色と同じ色の瞳が幻想的な雰囲気を演出している。

 

 鼻筋の通った美少女――いや、美女と表現した方が正しいかもしれない――であり、凹凸(おうとつ)のはっきりとした身体つきをしているスタイル抜群の女性だ。

 

 文武両道、容姿端麗を体現したような才媛で、上下白の制服が彼女の美しさを際立出せている。

 そして彼女の実家であるジェニングス家は、魔法師界でも随一の名家の一つに数えられる名門だ。

 

「それよりクラウディア、俺とお前は今日から先輩と後輩だ。そんな畏まった態度を取らずに先輩として接してくれ。周りの目もあるしな」

「いえ、しかし……」

 

 クラウディアのジルヴェスターに対する接し方は明らかに丁寧すぎる。確かに本来の二人の立場を考えれば彼女の態度は正しいのだが、これから先輩後輩になる関係を考えると如何(いかが)なものかとジルヴェスターは思った。

 

 だがクラウディアの反応は芳しくなく、困ったような表情を浮かべて口籠る。

 

「それに俺も学生生活はなるべく穏やかに過ごしたいんだ。俺からの頼みだと思って受け入れてくれ」

 

 クラウディアが態度を改めるのは難しいと思っていたジルヴェスターは、彼女が断れないのをわかって自分の頼み事として提案した。

 

「ジルヴェスター様、それは狡いです」

 

 困った表情を崩さないクラウディアは、根負けしたのか溜め息を吐いて了承する。

 

「ジルヴェスター君。これでよろしいでしょうか? 言葉遣いはこれ以上崩せません。これが最大限の譲歩です」

「ああ。構わないよ」

 

 クラウディアは最後の抵抗とばかりに言葉遣いを崩すことはなく、敬称を様から君に改めるに(とど)めた。

 

 彼女の譲歩を認めたジルヴェスターは、口許に控え目な笑みを浮かべて悪戯(いたずら)をするように口を開く。

 

「なら俺も後輩として接しないといけませんね。クラウディア先輩」

「――!?」

 

 後輩として接するジルヴェスターの悪戯(いたずら)瞠目(どうもく)するクラウディアは、ふと我に返り慌てて詰め寄る。

 

「そ、それはお止めください! ジルヴェスター様は――いえ、ジルヴェスター君は今まで通り接してくださいっ。お願いします。これだけは譲れません!!」

「お、おう。わかったわかった。すまん。ちょっと揶揄(からか)っただけだ」

 

 ジルヴェスターはクラウディアのあまりの剣幕に圧倒されながら揶揄(からか)ったことを詫びる。

 彼女にとっては拒絶反応を起こすほど譲れない一線だったのだろう。ジルヴェスターに対する敬称を変えただけでも彼女にとっては本当に譲歩できるぎりぎりの境界だったのだ。

 

「もうっ。悪戯(いたずら)は程々にしてくださいね」

 

 肩を竦めて溜め息を吐くクラウディアは、姿勢を正して真面目な表情を浮かべる。

 

「それではジルヴェスター君、新入生代表の答辞について最終確認をするのでついて来てください」

「了解」

 

 ジルヴェスターはクラウディアの後に続いて講堂へと足を向けた。

 

 入学式で行われる答辞は首席合格した新入生が行う仕来たりになっている。なので、ジルヴェスターは首席合格した新入生ということだ。事前に何度か打ち合わせは行っていたが、最終確認を行う為に彼は早めに登校していたのである。

 

 ジルヴェスターの正直な心境としては答辞はやりたくなかったのだが、クラウディアを始め周囲の人間に説得されて渋々引き受けた次第だ。

 



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第2話

 ◇ ◇ ◇

 

 入学式が行われる時間に近づき、新入生たちが続々と講堂に集まっていた。

 

 打ち合わせを終えたジルヴェスターは、他の新入生たちよりも一足早く並べられた椅子に腰掛けていた。答辞を行う為、立って移動しやすい前から五番目の右端の椅子に着席している。ちなみに着席する椅子は各自自由に選んで問題ない。

 

 ジルヴェスターは時間を潰す為に、第五位階の無属性魔法『異空間収納(アイテム・ボックス)』を行使して本を取り出し読書に耽っていた。

 

 ――『異空間収納(アイテム・ボックス)』は異空間収納に物を保管し、出し入れすることができる生活魔法だ。異空間収納(アイテム・ボックス)内の時間は停止している。

 

 壁外で活動する魔法師の多くが習得している魔法だ。必須の魔法の一つでもある。

 壁外では補給がほとんど行えず、活動しやすいように荷物を制限しなくてはならない。なので『異空間収納(アイテム・ボックス)』は壁外で活動する上で欠かすことのできない魔法だ。収納可能量は個人の技量や魔力量に依存する。

 

 魔法には魔法協会が定めた位階があり、強力な魔法や行使難度の高い魔法ほど位階が高くなる。

 第一位階から第十位階まであり、その更に上には極致位階も存在する。当然、位階が上がれば上がるほど行使できる者は限られる。

 魔法協会が発行している魔法大全には全ての魔法が記載されている。

 

「――ジル」

 

 読者に興じていたジルヴェスターに声が掛かった。

 ジルヴェスターは本から目を離して視線を上げると、そこには制服姿の二人の少女の姿があった。

 

 ちなみに、ランチェスター学園の制服は男女ともにブレザータイプだ。ジャケット、スラックス、スカートの色は白、黒、赤、青、黄、緑、橙、紫、茶、桃、灰、紺の中から好きな色を選べ、ワイシャツ、ブラウス、カーディガンの色は自由だ。自由な校風故に生徒が自分の好みで選べる仕組みになっている。

 

「ステラとオリヴィアか。おはよう」

「ん。おはよ」

「おはよう。ジルくん」

 

 ジルヴェスターに声を掛けてきたのは、小柄で表情の変化が乏しい大人しそうな少女――ステラと、胸元をはだけて実年齢以上に妖艶さを醸し出している少女――オリヴィアの二人だった。

 

「隣空いているかしら?」

 

 オリヴィアはジルヴェスターの隣の椅子に視線を向けて問い掛ける。

 

「ああ。空いてるぞ」

「そう。ならお隣失礼するわね」

 

 空いていることを確認したオリヴィアはステラの背を促すように軽く押す。促されたステラは表情を変えることなくジルヴェスターの隣の椅子に腰掛ける。そしてオリヴィアはステラの隣に座った。左からオリヴィア、ステラ、ジルヴェスターの順に座る形だ。

 

「二人に会うのはステラの誕生日以来か」

「そうね」

「ん」

 

 三人は以前から親しくしており、友達と言える間柄だ。

 

「同じクラスになれるといいわね」

「ん」

 

 足を組んで顎に手を当て一々色っぽい仕草をするオリヴィアがクラス分けについての話題に触れると、表情にほとんど変化のないステラが数度頷いて同意を示す。

 

「そうだな。知り合いはお前たちくらいだし、同じクラスだと心強い」

 

 ジルヴェスターにとって新入生の中で顔見知りなのはステラとオリヴィアだけだ。――そもそも彼にとって同い年の友人はこの二人だけなのだが。

 

「――ああ、そうだ。ステラ、マークに新作が完成したから今度持って行くと伝えておいてくれ」

「ん。わかった」

「へえ。また新しいの作ったのね。どんなのかしら?」

「それはじきわかる」

「ふうん。()らすのね」

 

 ジルヴェスターはステラの父であるマークと商売で提携している間柄だ。彼が設計、開発した物をマークの所で量産と販売を請け負ってもらっている。

 なので、近々新作を持ち込むとステラに伝言を頼んだのだ。

 

 オリヴィアは新作という単語に興味を惹かれたのか、色気を振り撒いくように小首を傾げて問い掛けるが、ジルヴェスターはすげなくあしらう。

 

 ジルヴェスターは同年代の数少ない友人である二人といると年相応の少年になる。それだけ二人に心を開いている証拠だ。――もっとも、年相応の少年になると言っても、実際同年代の少年少女と比べるとだいぶ大人びているのだが。他の子たちとは立場や経験値が異なるので仕方がないだろう。

 

「そういえば、ステラ。髪切ったのか?」

「ん。心機一転。似合う?」

 

 ステラはコテンと効果音が付きそうな仕草で首を傾げてジルヴェスターを見つめる。

 

 以前会った時はロングヘアだったが、今はセミショートほどの長さになっている。今回の入学を機に髪を切ったようだ。

 

「ああ。良く似合っているよ」

 

 ジルヴェスターは左手でステラの髪の毛先を撫でるように掬うと素直な感想を伝えた。

 

「ん。ありがと」

 

 ステラは控え目に表情を綻ばせて嬉しさを表す。

 

「良かったわね、ステラ」

「ん」

 

 喜ぶステラのことを慈愛の籠った表情で見守るオリヴィアは、自分のことのように嬉しそうにしている。

 

 ステラ・メルヒオット――彼女はジルヴェスターの数年来の友人だ。

 白くて綺麗な肌に、空気を含んでいるかのような軽やかでふんわりとしたエアリーショートの水色の髪。そして、陽射しに照らされて光輝く水面のように美しい碧眼を宿している。

 

 オリヴィアよりも十センチ近く小さい身長に、凹凸の控え目な身体つきをしている大人しくて庇護欲をそそられるような可愛らしい少女だ。

 

 制服のスカート丈は膝よりやや上で、ハイソックスを穿いている。白いジャケットのボタンを留めて、水色のブラウスに紺色のスカートを大人しい印象を与えるように着こなしている。

 

 彼女の実家は国内でも有数の大企業『メルヒオット・カンパニー』を代々経営している。なので、言うまでもなく実家は大金持ちだ。

 

 オリヴィア・ガーネット――彼女もジルヴェスターの数年来の友人である。

 褐色の肌に、大きなカールが特徴的な女性らしいラフカールロングの紫色の髪をルーズでラフなスタイルに仕上げている。

 

 敢えて無造作な感じを残して髪を整えることで魅力的な印象を高めている。この髪型が余計に色気を増している要因の一つだ。

 そして、髪色と同じ紫色の瞳を妖しく輝かせている。

 

 手足が長く男性の視線を釘付けにするような凹凸の激しい肉体に、色気を醸し出している妖艶さを惜し気もなく振り撒いている。(たち)が悪いのは色気を好き好んで振り撒いているわけではないということだ。彼女は自然体でいるだけにも(かか)わらず、無自覚に妖艶さを醸し出しているのである。

 

 制服は白のブラウスの胸元を着崩しており、ベージュ色のカーディガンの上に着ている黒のジャケットはボタンを外している。赤色のスカートはステラよりも短く、スカートとニーハイストッキングの間から覗くガーターベルトがより一層色気を際立たせている。

 

 彼女とステラの関係は主従関係だ。彼女の一族は代々メルヒオット家に仕える使用人の家系である。父は家令、母はメルヒオット家お抱えの魔法師、兄はマークの護衛兼秘書、叔母はメイド長を務めている。

 

 なので、オリヴィアとステラは生まれた時から実の姉妹のように育ってきた。もちろん(おおやけ)の場では主従関係を弁えた態度で接するが、普段は姉妹のように仲良く過ごしている。

 事実オリヴィアはステラのことを妹のように可愛がっており、ステラもオリヴィアのことを姉のように慕っている。二人は同い年だが、オリヴィアの方が誕生日は早い。

 

 そうして三人が仲良く談笑していると、第三位階の無属性魔法『拡声(ラウドゥ・ボイス)』を用いたアナウンスが講堂内に響く。

 

『――只今より、入学式を執り行います。ご来場の皆様はご着席ください。繰り返します――』

 

 ――『拡声(ラウドゥ・ボイス)』は声を拡声させる支援魔法であり、集団で行動する時や大勢に情報を伝達する際に重宝される魔法だ。

 

「始まるわね」

 

 アナウンスを耳にしたオリヴィアが呟くと三人は談笑を切り上げ、姿勢を正して入学式に臨むのであった。

 



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第3話

 ◇ ◇ ◇

 

 入学式は滞りなく進み、無事終了した。

 

 強いて問題があったとすれば、新入生代表の答辞で注目を集めたことだろう。ジルヴェスターとしては不本意な結果であった。

 

「仕方ないわよ。ただでさえ首席合格者は注目されやすいのに、ジル君は容姿も優れているから」

「ん」

 

 ジルヴェスターを宥めるようにフォローするオリヴィアの言葉に、ステラも同意するように頷く。

 

「魔法師はみな優れた容姿をしているだろう。俺だけ特別なわけじゃない」

 

 嘆息するジルヴェスターは肩を竦める。

 

 魔法師は一部の魔法選民主義者――魔法師は進化した人類であり、非魔法師よりも優れた上位に位置する存在だと定義する思想を持つ者たちの総称――による扇動により進化した人類と呼ばれており、事実魔法師は非魔法師より優れた容姿やスタイルをしている傾向にある。その為、優れた魔法師であればあるほど整った容姿や優れたスタイルを持って生まれてくる。――無論、絶対ではない。

 また、魔法師は非魔法師よりも少々寿命が長く、保有魔力量が豊富な者ほど寿命が長いのも特徴だ。

 

 結果、ジルヴェスターは女性たちを中心に黄色い視線を集めることになったのだ。

 

(魔法師の中でも特に優れた容姿をしているのだけれど、これは言わない方がいいわね)

 

 オリヴィアは内心思ったことを口に出さず心の中に(とど)めた。

 話を掘り下げて面倒を(こうむ)る必要もないと判断したのだ。

 

 優秀な魔法師は男女ともに自然と人気や注目を集める傾向にある。

 魔法師として歴史の古い家門や、名門と謳われる家門などからは特に注目を集める。

 魔法師の家門としての家格を上げたり保ったりする為に優秀な魔法師を引き入れ、言い方は悪いが優秀な魔法師の遺伝子を受け継ぐ道具として利用される一面もある。優秀な魔法師が生まれてきてくれれば未来は明るいからだ。

 

 そのような理由によってジルヴェスターは注目を集めることになった。

 無論、上記した理由で注目を集めたのは参列者である家門を統べる者たちからが大半であり、生徒からの注目は純粋な好奇心がほとんどだろう。

 

 入学式が終わった後は、事務員に身分証を渡して情報を更新してもらう必要がある。

 

 身分証は『国民証明書』の通称である。

 身分証は戸籍を持つ者に等しく配布される自身の身分を証明、保証する大切な物だ。身分証には預金口座の機能も備わっている為、国民の生活にはなくてはならない必須アイテムでもある。支払いも身分証で済ませることができる便利な代物だ。

 

 そして今回は身分証にランチェスター学園の生徒であることを記載してもらう。その時に自分のクラスが判明する仕組みでもある。

 

 この身分証を発行、更新する技術は、世界中に溢れた魔物によって人類の生活圏を奪われてしまう以前の技術を用いている。なので、現在では完全にブラックボックスの技術だ。惜しいことに失われた技術や文化などは数多存在する。

 

 壁外へ遠征した魔法師が遺物――書物や陶器など壁外に取り残された物全てを指す総称――を回収して持ち帰って来ることがある。それらは貴重な文献として国が厳重に管理し、専門家による研究が行われている。また、一部博物館で展示している物も存在する。

 

 身分証の更新は事務員が勤める本部棟へと移動する必要がある。

 故にジルヴェスターたちは他の生徒で殺到する密集地を避ける為、人混みが落ち着くまで待つことにした。

 

 談笑しながら待機していると、ジルヴェスターは目の前を通りすぎた一人の少年の後ろ姿を視線で追った。

 

「どうしたの?」

 

 そんなジルヴェスターの様子に疑問を(いだ)いたステラが小首を傾げて問い掛ける。

 

「いや、今通りすぎた金髪の奴、中々できると思ってな」

「どのくらい?」

「例年なら首席は確実だっただろうな」

 

 優れた魔法師は人の力量を見極める技術にも秀でている。

 なので、ジルヴェスターが優れた魔法師であることを知っている二人は、金髪の少年が如何(いか)に優秀なのかを理解した。

 

 残念ながら今年はジルヴェスターがいる所為で首席にはなれなかったが、例年通りなら首席合格は確実だっただろう。――とはいえ、入学試験には実技だけではなく筆記もあるので確証はないが。

 

「おそらく実戦も経験済みか」

「え」

「へえ」

 

 ジルヴェスターの推測に驚くステラと、意外感を表すオリヴィアは、既に小さくなった金髪の少年の後ろ姿に視線を向ける。

 

「実戦と言っても壁外に出たことあるのかはわからんが、少なくとも壁内では経験済みだろう」

「壁内で?」

「ああ。何も魔法師の仕事は壁外だけではないからな。もっとも、壁内だと仕事も限られるが」

 

 魔法師の活躍の舞台はなんといっても壁外がメインだ。

 しかし、魔法師は壁外だけで活動しているわけではない。犯罪者の確保やトラブルの仲裁に駆り出されることもある。表だった仕事だけではなく、後ろ暗い仕事もある。グレーな仕事や、完全に非合法なブラックな仕事まである。――もっとも、非合法な仕事は魔法協会が関与していないので犯罪行為にあたるが。

 

「ならライセンスを持っているってことかしら?」

「そうだろうな」

 

 オリヴィアの疑問にジルヴェスターは首肯した。

 

 魔法師には魔法協会が定めている魔法技能師ライセンスが存在する。

 魔法技能師とは、『魔法師』の略称で呼ばれ魔法を実用レベルで行使できる人間を指す言葉だ。魔法師はライセンス制によって管理されており、国内ではライセンスを持った魔法師は社会的ステータスが高いエリートとされる。

 

 魔法師はライセンスを取得していないと、魔法師として仕事をすることができない。

 壁外に出られるのは原則魔法師だけなので、当然壁外に出ることもできなければ、決められた状況下以外で魔法を行使することもできない。これらは違法行為にあたる。

 

 ライセンスを所持していなくても魔法を行使して大丈夫な状況は、自分が所有している敷地内、又は敷地の所有者の了承を得た場合、そして魔法教育高等学校内に限られる。例外は存在するが、原則この三つだ。

 

 魔法師とはライセンスを所持している者を指す言葉であり、魔法を使えても、魔法の素質を有していてもライセンスを所持していない者は魔法師ではない。

 だが、魔法を扱える者――魔法的資質を有する者――と魔法を使用できない――魔法的資質を持たない者――を区別する為に、ライセンスを所持していなくても魔法的資質を有する者は総じて魔法師と呼ばれる傾向にある。

 

 魔法技能師ライセンスには階級があり、各階級は以下の通りだ。下位の階級から表記する。

 

 初級五等魔法師

 初級四等魔法師

 初級三等魔法師

 初級二等魔法師

 初級一等魔法師

 下級五等魔法師

 下級四等魔法師

 下級三等魔法師

 下級二等魔法師

 下級一等魔法師

 中級五等魔法師

 中級四等魔法師

 中級三等魔法師

 中級二等魔法師

 中級一等魔法師

 上級五等魔法師

 上級四等魔法師

 上級三等魔法師

 上級二等魔法師

 上級一等魔法師

 準特級魔法師

 特級魔法師

 

 初級魔法師は所謂見習いのような立場で、下級魔法師になって初めて一人前と見なされる。

 中級魔法師は前線で活躍できる一線級の魔法師だ。

 上級魔法師は更に優れた精鋭中の精鋭であり、実質上級一等魔法師が最上位の階級である。

 そして特級魔法師は超人、化け物、怪物、人外などと呼ばれることもある超越者であり、特級魔法師には席次が与えられる。

 準特級魔法師は特級魔法師と同等の地位であり、一線を退き席次を返上した特級魔法師や、なんらかの事情で席次を与えられない者たちである。

 

 なので、金髪の少年はジルヴェスターの推測通り実戦経験を積んでいるのならば、最低でも初級五等魔法師のライセンスを所持しているということだ。

 

 在学中にライセンスを取得する者はいるが、在学前からライセンスを取得している者は少ない。

 

 魔法教育高等学校を卒業さえすれば自動的に初級五等魔法師のライセンスを取得できる。

 だが、個人の判断で在学中や在学前からライセンスを取得することも可能だ。極論、魔法教育高等学校に入学しなくてもライセンスを取得することは可能である。

 

 入学した方が実技と筆記両方で様々なことを勉強できるので圧倒的に有利だが、中には家庭の事情や個人の事情などで国立魔法教育高等学校に入学できない者もいる。

 

「さて、俺たちもそろそろ行くか」

「ん」

「そうね」

 

 周囲を見回して人混みが落ち着いたのを確認したジルヴェスターが席を立って歩き出すと、ステラとオリヴィアもジルヴェスターの後を追って歩を進めた。

 



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第4話

 ◇ ◇ ◇

 

 本部棟へと移動した三人は事務員に身分証を更新してもらった。

 

「二人ともどうだったかしら?」

 

 先に更新を済ませた二人の元へ歩み寄ったオリヴィアの問い掛けに、ジルヴェスターとステラが答える。

 

「俺はA組だな」

「わたしも」

 

 二人の答えを聞いたオリヴィアは自分の身分証を確認する。

 

「あら、わたしもA組よ。三人とも同じクラスね」

 

 三人とも同じクラスになれたことに微笑むオリヴィアと、嬉しそうな表情を浮かべるステラ。

 そんな二人のことを茶化すようにジルヴェスターが口を開く。

 

「まあ、俺は初めからA組だとわかっていたけどな」

 

 首席合格者は自動的にA組に振り分けられる。なので、ジルヴェスターは初めから自分がA組になることはわかっていた。

 

「確かにそうよね」

 

 ジルヴェスターの言葉に苦笑するオリヴィアは肩を竦める。

 

「だとしても二人も同じクラスなのは運がいいのかもしれないな」

 

 ジルヴェスターがA組なのはわかっていたことだとしても、ステラとオリヴィアがA組なのは偶然だ。確かに運はいいのだろう。

 

「とりあえず一年間よろしくな」

「ん。よろしく」

「ええ。こちらこそよろしくお願いするわ」

 

 一年間クラスメイトとして勉学を共にすることになった三人はお互いに握手し合う。

 

「二人はこの後どうするんだ?」

 

 今日の日程はこれで終わりだ。

 なので、ジルヴェスターはステラとオリヴィアにこの後の予定を尋ねた。

 

「わたしたちは町を見て回るつもりよ」

「そうか。俺も付き合おう」

「ええ、一緒に行きましょう」

 

 オリヴィアの答えを聞いたジルヴェスターが同行を申し出ると、彼女は微笑みを浮かべて了承した。隣にいるステラも頷いている。

 

 ランチェスター学園はランチェスター区内のフィルランツェという町にある。

 

 ジルヴェスターたちが生活しているのはウェスペルシュタイン国だ。

 この国は円形の四重の壁に囲われて守られており、十三の区に分かれている。内地に行けば行くほど富裕層が生活を営んでいる。内へ行くほど壁外から遠ざかるので、必然的に壁外の恐怖から遠ざかる。内地に行けば行くほど富裕層が暮らしているのは道理だろう。

 セントラル区以外の区にはいくつもの町や村があり人々が生活しているのだ。

 

 四重の壁は外側の壁からウォール・ウーノ、ウォール・ツヴァイ、ウォール・トゥレス、ウォール・クワトロという名称になっている。

 壁内全体を結界が覆っている為、飛行型の魔物も壁内へ侵入することはない。

 

 ランチェスター区は三つ目の壁であるウォール・トゥレス内の南東に位置し、同じくウォール・トゥレス内に位置するウィスリン区、プリム区と並んで最も富裕層が集まる区の一つだ。

 

 フィルランツェは学園都市だけあって学生に優しい町である。

 手頃な価格の食堂やカフェも多く軒を連ね、学校生活に必要な物を取り扱う店も多い。

 

 国立魔法教育高等学校の十二校全てに当てはまることだが、生徒は学校の敷地内にある寮で生活している。――自宅から通える者は寮に入らず自宅から通っているが。

 

 故に、フィルランツェは町長の意向により、親元を離れて生活する少年少女にとって暮らしやすい町作りを日頃から心掛けていた。

 

 そうして、身分証をしまった三人は連れ立って町を散策しに繰り出したのであった。

 



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第5話

 ◇ ◇ ◇

 

 ジルヴェスターは整然とした石畳の道を、ステラとオリヴィアの二人と一緒に散策している。しっかりと区画整備された街並みを眺めながら三人連れ立って歩き、和やかな時間が流れていた。

 

 三人がこれから三年間生活の拠点となるフィルランツェを見て回り、今後の暮らしに役立てる良い機会だ。

 

「二人はフィルランツェに来たことあるのか?」

「……何度か」

「わたしもよ」

 

 ステラとオリヴィアがフィルランツェに来たことあるのかと疑問に思ったジルヴェスターが尋ねると、二人は記憶を辿って思い出すように答えた。

 

「入学した時のことを考えて生活環境とかを事前に下見に来ていたから」

「そうか」

 

 ステラの言葉を聞いてジルヴェスターは納得する。

 

 十二校ある魔法教育高等学校の中で、試験を受けた学校の所在する町には事前に下見に行くのは理に適っている。

 入学したら三年間はその町で暮らすことになる。当然生活環境の確認は必要だ。学校を選ぶ判断材料にもなるだろう。

 

「ジルは?」

「俺も何度か来たことはある」

 

 ジルヴェスターもフィルランツェには何度か足を運んだことがある。――プライベートだったり仕事だったり理由は様々だが。

 

「そもそも俺はヴァストフェレッヒェンに住んでいるから比較的近場だしな」

 

 ジルヴェスターの自宅があるのは、ランチェスター区にあるヴァストフェレッヒェンという町だ。

 ヴァストフェレッヒェンはランチェスター区で最も大きく、人口も最も多い町である。区内の行政の中心でもあり、区長が勤める庁舎もある。

 

 三つ目の壁であるウォール・トゥレスと、四つ目の壁であるウォール・クワトロに挟まれた位置にあるランチェスター区の中心から、ウォール・クワトロに近い位置にヴァストフェレッヒェンはある。

 フィルランツェはランチェスター区の中心からウォール・トゥレス寄りに位置している。なので、ヴァストフェレッヒェンとフィルランツェは比較的近隣の町なのだ。

 

 こういった立地もあってジルヴェスターは自宅から通学することになっている。鉄道に乗って移動する必要はあるが、充分通学圏内だ。一応学園の寮とも契約しているので、寮で生活することも可能だ。――もっとも、ジルヴェスターには鉄道などを用いなくても楽に移動する手段はあるのだが。

 

「二人はシャルテリアだから、わざわざフィルランツェまで来る用事は中々ないよな」

「ん」

「そうね。生活するだけならシャルテリアにいるだけで充分だもの」

 

 ジルヴェスターの指摘に頷くステラと苦笑を浮かべるオリヴィア。

 

 ステラとオリヴィアの実家があるのはウォール・トゥレス内の南西に位置し、ウィスリン区、ランチェスター区と並んで最も富裕層が集まる区の一つであるプリム区内のシャルテリアという町だ。

 

 プリム区は十三区の中で最も綺麗な街並みをしていると言われており、最も治安の良い区でもある。その中でもシャルテリアはプリム区を象徴する美しさを備えていると評判だ。

 そしてシャルテリアはプリム区内で最も大きく、人口の最も多い町でもあり、区内の行政の中心地でもある。

 

 シャルテリアはプリム区の中心から北西方向のウォール・クワトロに近い位置にあり、用事がない限りわざわざフィルランツェへ赴くことはないだろう。

 

 オリヴィアの家族はステラの実家であるメルヒオット家の邸宅から、外廊下で繋がった離れに住み込みで勤めているので当然実家は同じだ。

 

「あら、ここに寄って行きましょう」

 

 三人で話しながら歩いていると、オリヴィアは通り掛かった一店の店舗に興味を惹かれた。ステラの手を取って仲良く入店する二人の後にジルヴェスターも続く。

 

 三人が入店したのはこじんまりとした雑貨屋だ。

 雑貨はもちろん、文房具や衣服も陳列されている。衣服の数は少ないので、メイン商品は雑貨なのだと思われる。学園都市ということもあって文房具も取り扱っているのだろう。

 

 店内を見て回っていると、ステラが陳列されているとある商品の前で立ち止まった。

 興味を惹かれたのか、商品に手を伸ばす。手に取った商品を見つめていると、オリヴィアから声が掛かった。

 

「それ、気に入ったの?」

「ん。かわいい」

 

 ステラが手に取ったのはマグカップだ。上部から下部へ行くほど青色が濃くになっているグラデーションが特徴であり、ステラの水色の髪ともマッチしている。

 

「そう。なら買いましょうか」

「ん」

 

 購入を促すオリヴィアの言葉に頷いたステラは、別のマグカップを手に取ってオリヴィアへと手渡す。

 

「これも」

「これも買うのかしら?」

「ん。お揃い」

「ふふ。わかったわ」

 

 ステラが手渡したのは、紫色がグラデーションになっているマグカップ。ステラの選んだマグカップの色違いだ。オリヴィアの紫色の髪ともマッチしている。

 

 ステラはちょうど良い色違いのマグカップがあったので、オリヴィアとお揃いにしたかったのだ。それを察したオリヴィアが慈愛の籠った微笑みを浮かべて了承したのである。

 

 学内にはカフェやレストランなども併設されたおり、飲食には困らないようになっている。

 だが、寮の部屋にはキッチンも設置されているので料理などもできる仕様だ。マグカップも今後の寮生活では大いに活躍することだろう。

 

「それ買うのか?」

 

 少し離れたところで商品を見て回っていたジルヴェスターが二人に歩み寄ると問い掛けた。

 

「ん」

「ええ」

「そうか」

 

 返事を聞いたジルヴェスターは二人が持つマグカップを手に取ると、会計を済ませに歩を進めた。

 

「――ジルくん? いいわよ、自分で買うから」

 

 説明もなしに歩き出したジルヴェスターの意図を察したオリヴィアが慌てて駆け寄る。慌てているにも(かか)わらず、淑女としてはしたなくない動作になっているのはさすがの一言だろう。

 

「いや、俺も買うからついでだ。気にするな」

「……そう。わかったわ。ありがとう」

 

 ジルヴェスターはいくつかの商品を入れている買い物(かご)をオリヴィアに見せる。

 

 男性の折角の厚意を無下にするのはいけないと判断したオリヴィアは、男性であるジルヴェスターを立てることにした。もちろん感謝の言葉を忘れない。

 

「ありがと」

 

 オリヴィアの言葉に続いてステラもしっかりとお礼を告げる。

 

 そうして会計を済ませた三人は雑貨屋を後にした。

 



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第6話

 ◇ ◇ ◇

 

 雑貨屋を後にした三人は昼食を摂ることにした。

 ちなみに、雑貨屋で購入した物は全てジルヴェスターが『異空間収納(アイテム・ボックス)』に収納した。ステラとオリヴィアのマグカップは寮に戻ったら渡す予定だ。

 

 入学式が終わった後に町を散策していた三人は今がちょうど昼時ということもあって、昼食を摂る店を探していた。

 

「ここはどうかしら?」

 

 オリヴィアが見つけたのは町並みに溶け込んだ喫茶店だ。

 

「構わないよ」

 

 ジルヴェスターがそう言うと、間髪入れずにステラが頷き、オリヴィアの提案に賛成した。

 

 入店した三人は店内を軽く見回す。

 店内はアンティーク調の骨董品や美術品が置かれ趣のある雰囲気を演出している。

 

 席を案内されて移動すると、三人が使用するーブルの数席離れた席にはランチェスター学園の制服を着ている女生徒二人の姿があった。

 その様子を一瞬横目で視認したジルヴェスターは椅子に腰掛ける。ステラとオリヴィアが隣に座り、ジルヴェスターが対面の位置だ。

 

 各々メニューを注文すると、手持ち無沙汰になった三人は自然と会話に花を咲かせることになった。

 

「二人は最近、調子はどうだ?」

「私は水属性と氷属性は問題ないけど、それ以外は上手くいってない」

「私も得意な属性以外は手こずっているわ」

 

 ジルヴェスターの言葉足らずな質問に、二人は戸惑うことなくしっかりと答える。

 

「そうか」

 

 魔法には属性が存在する。

 ――『地』『水』『火』『風』『雷』『氷』『光』『闇』『聖』『(じゅ)』『音』『影』『木』『鉄』『無』の十五種類の属性に分類されている。

 

 いくら魔法の素質があるとはいえ、全ての属性を扱えるわけではない。属性の適正は生まれた時点で決まる。その為、適正のある属性が多いほど、持って生まれた才能とも言えるのだ。

 

 仮に複数の属性に適正があったとしても、全て同等レベルで行使できるわけではない。適正にも高い適正と低い適正が存在する。

 

 例えば、水、火、雷、氷、無の五つの属性の適正があったとすると、この五つの属性から適正の高い順というものが必ず生まれる。火>雷>氷>水といった具合にだ。

 

 但し、例外も存在する。それは無属性だ。無属性は魔法の資質がある者には等しく備わっている適正であり、得意不得意の差はあれど、全ての魔法師が適正を持っている。理由は解明されていないが。

 

 この他にも魔法は存在するが、ここでは割愛する。

 

 その為、ステラには水属性と氷属性の二つは特に高い適正が備わっているということになる。

 

「誰しも適正に壁は存在するからな。仕方ないと言えば仕方ないが、工夫と努力次第である程度は乗り越えることはできる」

 

 自分の話を真面目に聞いている二人の様子を確認したジルヴェスターは、少々お節介を焼くことにした。

 

「例えばMAC(エムエーシー)のチューニングを見直してみるといいかもな。成長と共に調整していたチューニングが合わなくなることもある」

「……なるほど」

「確かに最近はあまりチューニングしていなかったわね」

 

 魔法行使の技術や術式を理解することばかりに注力していた二人は盲点だったと思い至る。

 

 ――『MAC(エムエーシー)』とは――魔法(Magic)補助(Assistant)制御機(Controller)の略称である。

 MACに術式を保存し、魔法の発動を補助する機械だ。

 

 魔法の行使自体にMACは不要だが、MAC抜きでは発動スピードが極端に低下し、制御難度も極端に上がってしまう。その上、魔法を行使するのには心身ともに負担が掛かる為――使用過多で最悪魔法が使えなくなったり、衰弱したり、死亡するリスクもある――実質的には魔法師にとって必要不可欠なツールだ。更にMACを介する事で能力を十全に引き出してくれる効果もある。

 

 尚、国立魔法教育高等学校での実技試験もMACを使用した結果を評価対象としている。

 

 魔法師の特徴を象徴する魔法発動補助具であり、使用者の特性に合わせたチューニングを始めとして、精密機械であるが故にこまめなメンテナンスを必要とする。その為、使用者や使用用途に合わせてカスタマイズできるエンジニアの需要が高い。

 

 MACの形状は腕輪型、指輪型、武装一体型など多様であるが、大別して汎用型と単一(たんいつ)型に分けられる。汎用型MACは全ての属性に対応しており、単一型MACは単一属性のみに対応していて発動速度に優れているのが特徴だ。

 

 魔法師には――『魔法因子領域』という魔法師の持つ精神の機能の一部が備わっており、これが魔法という才能の本体である。

 

 魔法師は魔法因子領域を意識的に使用するのではあるが、完全に認識することは現代では不可能であり、魔法を発動する過程を意識し制御する必要がある。その上、使用用途や使用強度及び範囲によって難度が変わる為、この過程に優れていればいるほど優秀な魔法師の証でもある。人間の精神の機能は未解明な部分が多く、魔法師自身にとってもブラックボックスであると言える部分だ。

 

 魔法の行使には心身ともに負担が掛かり、強力な魔法であるほど、強度や範囲を上げて行使するほど負荷が掛かる。その結果、使用過多で最悪魔法が使えなくなったり、衰弱したり、死亡するリスクに繋がってしまうのだ。

 

 MACには『魔晶石(ましょうせき)』が埋め込まれている。

 魔晶石は魔力に反応し、術式を保存することができる貴重な鉱石だ。

 

 魔晶石を機械であるMACに埋め込み、魔力を魔晶石に送り込むことで保存してある術式を行使できる仕様になっている。

 現在では魔晶石を人工的に生成することは不可能であり、自然に生成された魔晶石を採取するか、魔物から入手するしかない。

 

 そして、魔法師にとって重要なMACの調整などを請け負うスペシャリストが存在する。

 

 それは――『魔法工学技師』だ。

 MACを含めた魔法機具の作成や調整などを行う技術者のことを指す。略称は『魔工師』または『魔法技師』。

 

 魔法師に比べて社会的なステータスは低いものの、MACの調整一つ取っても魔工師の存在は不可欠であり、一流の魔工師の収入は一部の魔法師をも凌ぐほどだ。

 

 魔法工学技師になる者は魔法師が大半だが、中には非魔法師も存在する。

 

 魔工師にもライセンスが存在し、より階級の高い魔工師は信用や収入も高くなる。

 

 魔法工学技師ライセンスは以下の通りだ。上位の階級から表記する。

 

 一級技師

 二級技師

 三級技師

 四級技師

 五級技師

 

 魔法師ライセンスと比べると簡素だが、そもそも魔法師と魔工師では絶対的な人数の差が存在する。故にこの五つの階級で充分事足りるのだ。

 

 ちなみに、ジルヴェスターは左手の中指に嵌めている指輪型の汎用型MACを用いて『異空間収納(アイテム・ボックス)』を行使している。

 

「一度魔工師に見て貰うといいかもな。なんだったら俺がやってもいいが」

「ん。そうする」

「一度専属の魔工師に見て貰うことにするわ。ジルくんにはまたの機会にお願いするわね」

「ああ。それが良い」

 

 実はジルヴェスターは一級技師のライセンスを所持している。なので、自分がMACをチューニングすることを提案した。

 ステラとオリヴィアは当然ジルヴェスターが一級技師のライセンスを所持していることは知っている。

 

 二人はジルヴェスターの提案を断ったが、ジルヴェスターは当然のこととして素直に引き下がった。

 

 専属契約を結んだり、お抱えとして家に招いたり、常連として依頼したりなど様々な形態はあるが、通常魔法師には依頼する魔工師は決まっている。

 

 ステラの場合は魔法師である母が古くから懇意にしている魔工師に依頼している形だ。その縁でオリヴィアも同じ魔工師に依頼している。

 

 命を預けているに等しいので、そう言った信頼関係で成り立っている魔法師と魔工師の間に、無理に割って入るものではないと心得ているジルヴェスターは大人しく引き下がったのだ。

 



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第7話

「――そういえば、最近反魔法主義と思われる者達の動きが活発になっているな」

「確かに今朝の新聞にも載っていたわね」

 

 ふと思い出したように口を開いたジルヴェスターの言葉に、オリヴィアは今朝の新聞のことを思い出す。

 

「実際、反魔法主義者ってどうなの? 身近にいないからあまり実感がない」

「まあ、俺たち魔法師にとっては身近にいないに越したことはないな」

 

 ステラの言う通り、身近に反魔法主義者がいるとか、被害を受けた者がいるとか、そういった何かしらの関わりがないと実感が湧かないだろう。そもそも魔法的資質を有する者にとっては百害あって一利なしだ。関わらないに越したことはない。

 

「反魔法主義者と言っても様々だ。全面的に否定はしないが、(ろく)なものじゃない」

 

 反魔法主義者とは、魔法的資質を有する者に対して否定的な思想を持つ者の総称だ。

 

 (ひとえ)に反魔法主義者と言っても一括りにはできない。穏健派、中立派、過激派など、様々な派閥がある。

 

 非魔法師からしてみれば、魔法師は人を殺傷できる武器を常時携帯しているようなものだ。

 確かに自分たちは扱えない魔法という超常的な力を扱う魔法師に対して、恐怖心を(いだ)いてしまうのは致し方ないことだろう。

 

 そして、魔法選民主義者がいることも溝を生む原因になっている。魔法選民主義者は非魔法師を劣等種と見なしているからだ。

 対して、魔法師に劣等感や嫉妬心などを抱く非魔法師も存在する。

 溝ができて当然だ。

 

 もちろん魔法師と友好的な非魔法師も存在するし、非魔法師と友好的な魔法師も存在する。むしろ友好的な者の方が大多数を占める。

 

 人々は壁内で共存している。ただ、何事も絶対はない。いくら共存しているとはいえ、上手く行かないこともある。

 

「新聞にはワナメイカー・テクノロジーが襲撃されたって書かれていたわ」

「ああ、そうだな」

「襲撃者の正体は判明していないのよね?」

 

 オリヴィアが質問すると、ジルヴェスターは軽く周囲に視線を巡らせた。

 そして問題ないと判断し、声を潜めて喋り出した。

 

「いや、確かに判明はしていないが、上層部では反魔法主義団体過激派組織『ヴァルタン』の仕業ではないかと当たりをつけているようだ。あくまで推測の域は出ないから情報を開示しない方針らしい」

 

 ――『ワナメイカー・テクノロジー』は、ワナメイカー家が経営する国内有数の魔法技術を取り扱う大企業だ。

 MACの開発、製造、販売はもちろん、魔法の研究や、魔法に関わること全般を生業としており、多くの魔法工学技師や魔法研究者を社員として雇っている。

 

 ステラの実家であるメルヒオット・カンパニーとは、魔法関連に関してはライバル関係にあたる企業だ。

 

「ヴァルタン?」

 

 ジルヴェスターの説明の中に聞き慣れない単語があったステラは首を傾げて呟いた。

 

「ヴァルタンというのは、反魔法主義者の中でも過激な思想を持つ者たちで構成されている組織だ。端的に言うと、魔法撲滅の為ならなんでもやる狂信者の集まりだな」

 

 反魔法主義者が持つ思想には穏健派や中立派などがあるが、その中でも最も過激な思想を持つ過激派の組織の一つが反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンだ。

 ヴァルタンは魔法関連を取り扱う企業などの襲撃を始め、()()()()()()()()()()を襲撃したりすることもある暴力的な組織である。

 

 最も厄介なのは、()()()()()()()()()()を襲うという点だ。

 魔法的資質を有するからと言って、その人が魔法師であるとは限らない。

 

 魔法師なら実力の差はあれど自衛することはできる。

 だが、仮に実戦レベルで魔法を扱うことができても、魔法師ライセンスを所持していなければ当然魔法を行使することは認められていない。その上、戦闘慣れもしていないので自衛も簡単ではない。

 

 そして最も問題なのは、魔法的資質を有するからと言って、全ての者が魔法を扱えるわけではないという点だ。

 あくまで資質を有するだけで、非魔法師とほとんど変わらない者もいる。そう言った者たちは当然魔法を扱うことができないので、自衛も自身の腕っぷしだけが頼りになる。

 

 大人の男性ならば非魔法師相手ならある程度は自衛することも可能かもしれないが、女性や子供にそれを求めるのは酷というものだ。もちろん腕っぷしの強い女性や子供も存在するが、それを基準にしてはいけないだろう。

 

「お前たち自身も、メルヒオット・カンパニーも他人事ではないから気をつけるようにな」

 

 ジルヴェスターは最後に忠告をして話を締め括る。

 

 魔法師である限り、反魔法主義者のことを警戒しておくのは必須事項だ。

 自分だけではなく、家族や友人など身の回りの人たちが巻き込まれてしまう可能性もある。決して他人事ではいられない。

 

「ああ、それからヴァルタンのことはオフレコで頼む。(おおやけ)にしていない情報だからな」

 

 最後の最後に情報を漏らさないようにと釘を指すジルヴェスターに素直に頷くステラと、顔を攣らせながら頷くオリヴィア。

 

 オリヴィアの内心では、国の上層部が内密にしている情報を聞かされたことに対する複雑な心境が渦巻いていた。自分たちのことを信用してくれている証拠だろうと思うことにして、なんとか溜飲を下げた。

 

 運ばれてきた食事に舌鼓を打つ三人はしばし話を切り上げるのであった。

 



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第8話

 ◇ ◇ ◇

 

「――ねえねえ。君、首席くんだよね?」

 

 三人が昼食を済ませて落ち着いたところで、突然声を掛けられた。

 

「そうだが、君は?」

 

 掛けられた言葉に自分のことだと思い至ったジルヴェスターは、声の主に顔を向けて答える。

 

「ごめんごめん。名乗るのを忘れてた。わたしはレベッカ。レベッカ・ヴァンブリート。君と同じ新入生よ」

 

 レベッカと名乗った少女は白い肌にラフゆるロングの金髪に、緑色の瞳を備えている。

 

 凹凸のはっきりとした身体つきをしており、制服は白いブラウスの上に桃色のカーディガンを着て、その上には橙色のジャケットを羽織っている。

 

 制服は着崩して胸元と(へそ)周りを露出しており、赤色のスカートは下着が見えるのではないかと思うほど短い。

 

 そしてルーズソックスを穿いていて、如何(いか)にもギャルといった装いをしている。

 ピアスやネックレス、ブレスレットなどのアクセサリーも身に付けていて、とにかく派手だ。

 

「レベッカって呼んでね」

「ああ。よろしく、レベッカ」

 

 ジルヴェスターに続いてステラとオリヴィアも挨拶を交わす。

 

「こっちはビアンカ、三年生よ」

「どうも~。わたしはビアンカ・ボナヴェントゥーラ。一応生徒会で会計をやってるよ~」

 

 レベッカに紹介されたビアンカという少女は、手をひらひらと振って脱力感を隠そうともしない態度で自己紹介をする。

 

 彼女は褐色肌で、左側頭部をコーンロウにし、他の部分は派手に盛り髪にしている赤みのある黄色い髪が目立つ。髪と同じ色の瞳が輝いていてより一層派手さが増している。

 レベッカと同じように凹凸のはっきりとした身体つきだが、ビアンカの方がより肉感的だ。

 

 紫色のジャケットに黒いブラウス、水色のカーディガンを着ており、胸元が見えている。紺色のスカートも下着が見えるのではないかと思うほど短い。

 そしてルーズソックスを穿いている。アクセサリーも身に付けている正しくギャルであった。

 

 数席離れた所のテーブルを囲んでいた二人の女性生徒――レベッカとビアンカ――はジルヴェスターたちの隣のテーブルへと移動して来たようだ。

 

「三年? それも生徒会役員が入学式の日にこんなところにいてもいいんですか?」

 

 ジルヴェスターの疑問はもっともだ。

 生徒会役員にとって今日は忙しい日のはず。入学式は終わったが、事後処理などの仕事は残っている。

 

「大丈夫大丈夫。今は昼休憩だから」

「なるほど」

 

 ビアンカの説明に納得したジルヴェスターは頷く。

 

「まあ、みんなは学内のレストランやカフェで昼食を済ませてるけどね~」

 

 学内にはレストランやカフェも併設されているので、生徒の大半はそちらで昼食を済ませる。だが、ビアンカは忙しい合間を縫ってわざわざ学外に繰り出していた。

 

「すぐ戻るから制服のまま来てるしね」

 

 学外に出る際に制服着用の決まりはない。服装は自由だ。

 

 いつも制服ばかり着ている学生の為、外出する際は私服で繰り出す者が多い。特に女性はおしゃれをして外出したがる傾向が強い。

 そんな中、ビアンカは着替える手間を惜しんで制服のまま来ているので、一応ちゃんと生徒会役員としての自覚はあるようだ。

 

「ジルくんはA組だよね? わたしはB組なんだ。クラスは違うけどこれからよろしくね」

 

 どうやらレベッカはB組らしい。

 首席合格者はA組に振り分けられるのが通例なので、ジルヴェスターはA組だとレベッカも知っていたようだ。

 

「わたしたちもA組よ」

「そうなんだ。オリヴィアとステラもよろしくね」

 

 オリヴィアがステラにチラリと視線を向けてから自分たちのクラスを告げると、レベッカは笑みを浮かべながらウインクをした。

 その様子にステラとオリヴィアは自然と笑みを返す。

 

「――ところで、二人はどういう関係なの?」

 

 オリヴィアはレベッカとビアンカの二人に交互に視線を向けながら、疑問に思ったことを尋ねる。

 確かに二人はギャルという共通点はあるものの、学年は二つ異なるので一緒にいることを不思議に思うのは当然だろう。

 

「わたしたちは幼馴染みなんだ。ね?」

「うん」

 

 レベッカの言葉にすかさず相槌を打つビアンカ。二人は息ピッタリだ。

 

「へえ。わたしたちと同じね」

「ん」

 

 オリヴィアとステラは、自分たちと同じで幼馴染み同士だというレベッカとビアンカに親近感を(いだ)いた。

 

「ビアンカがいるからランチェスター学園を選んだの」

「確かに先輩に幼馴染みがいたら安心よね」

「もちろん三大名門の一校で、尚且つ自由な校風ってのも理由の一つだけどね」

 

 レベッカがランチェスター学園を志望したのは、ビアンカが在学していたのが最も大きな要因だ。ランチェスター学園が三大名門の一つに数えられているのも決め手である。

 ビアンカからランチェスター学園のことは聞いていたので、志望校選択の際は迷うことがなかった。両親も反対する理由がなかったのか、すんなりと決まった。

 

 もっとも、志望したからといって入学できるとも、合格できるとも限らないのだが。

 ランチェスター学園は三大名門に数えられているだけあり入学試験の難易度が高く、倍率も高い。

 そんな中、レベッカは見事合格してランチェスター学園の生徒になったのである。

 

「三年間の限られた学生生活では程々に勉学に励み、思いっきり遊んで青春を謳歌しちゃいなよ」

 

 下級生の模範となるべき三年生のビアンカが、悪い笑みを内包した表情を浮かべて良からぬことを口走る。

 

「そうそう、今の内にこの限られた時間を有意義に使わないとでしょ!」

 

 ビアンカの言葉に賛同するレベッカは屈託のない笑みを浮かべている。

 

「生徒会役員としてそれでよろしいのですか?」

「ん? いいのいいの。面倒だから問題さえ起こさなければね」

 

 生徒を代表する生徒会役員であるビアンカに疑問を呈するオリヴィア。

 当のビアンカは問題さえ起こさなければいいと軽く受け流す。

 

 生徒の誰かが問題を起こすと生徒会の仕事が増えるので、ビアンカとしては勘弁願いたいことであった。

 純粋に問題行為は慎むようにという注意喚起の意味合いもあるが、単純に面倒事は嫌だという本音が明け透けである。

 



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第9話

「まあ、まずは対抗戦だよね。学校行事で盛り上がるのは」

 

 ビアンカが話題を振る。

 

「楽しみ」

「ふふ。ステラは対抗戦のファンだものね」

「ん。毎年観に行ってる」

 

 期待に膨らんだ眼差しをしているステラの表情を見たオリヴィアが微笑む。

 

 対抗戦とは――全国魔法教育高等学校親善競技大会の通称である。

 毎年春を過ぎた頃に全国十二校の魔法教育高等学校が選りすぐりの生徒たちを集め、学校単位で競い合う魔法の競技大会だ。一般の人々はもちろん、政府関係者や魔法関係者などからも注目を集める一大イベントであり、国中が盛り上がる大会でもある。大会の主催は魔法協会が務め、会場の提供は国が行っている。

 

 ステラのように熱狂的なファンもおり、対抗戦に出場する為にプライベートなどを犠牲にしてでも全力を注ぐ生徒もいるほどだ。

 

「そっか。なら選手に選ばれるといいねぇ~」

 

 ビアンカの言う通り、対抗戦に出場する為には代表選手に選ばれなくてはならない。

 全生徒が無条件で出場できるような優しいものではなく、各校の精鋭が集まるのが対抗戦の特徴でもあり見所でもある。

 

「ん。先輩も二年前の大会に出てた」

 

 ステラが思い出したように口元で呟く。

 

「……良く覚えてたね。確かにビアンカは一年の頃に出てたよ。わたしも観に行ったし」

 

 ステラの呟きをしっかりと耳にしたレベッカは驚いて目を(しばた)いた後、自分も観戦していたと告げる。

 

「まあ一年の頃は新人戦だから選手に選ばれたね」

 

 ビアンカは対抗戦に選手として出場していたことを肯定すると――

 

「さすがに去年は選ばれなかったけど」

 

 と肩を竦めながら苦笑した。

 

 対抗戦には新人戦と本選がある。

 新人戦の出場条件は一年生限定であるのに対し、本選は全学年が対象だ。全学年といっても代表選手に選ばれる一年生は新人戦に出場するので、本選に出場する選手は三年生と二年生が中心になる。

 なので、代表選手の枠は必然的に一年生が多くなり、二、三年生は更に狭き門とならざるを得ない。

 

 従って本選の出場選手枠を三年生と二年生の優秀な生徒から選抜されるわけだが、十代の若者にとって一年の差は非常に大きく、三年生と二年生の間には確かな実力差が存在する。

 真面目に一年間魔法師として心身ともに勉学に励んでいた期間の差はどうしても埋められない壁だ。身体的な成長の差もあるので尚更である。――もちろん中には学年の差など関係ないとばかりに優秀な下級生も存在するのだが。

 

「なるほど。二年生が最も狭き門なのか」

「そうそう」

 

 脳内で情報を整理していたジルヴェスターが何の気なしに呟いた言葉に、ビアンカが相槌を打つ。

 

 前述した経緯があるので、ビアンカが二年生の頃に代表選手に選抜されなかったのは実力が乏しかったからというわけではない。むしろ一年生の頃に新人戦の代表選手に選抜されていたということは、学内でも優秀な生徒の一人である証拠だ。

 

「とりあえず代表選手に選ばれるように頑張りな。きっといい思い出になるから」

「頑張ります!」

 

 脱力感満載なビアンカはウインクを飛ばす。

 ウインクを飛ばされたステラは、わかる人にしかわからないほど僅かな表情の変化で頷く。表には出ていないが、彼女は胸中では大火の如く濛濛(もうもう)と燃えるように熱く意気込んでいた。

 

「さてと、そろそろ戻るねぇ~」

 

 話が一段落したところでビアンカが席を立つ。

 

「じゃ、またねぇ~」

「じゃねぇ~。また学校でっ」

 

 ビアンカの後に続いてレベッカも喫茶店を後にした。

 

「わたしたちもそろそろ戻りましょうか」

 

 ギャル二人を見送ったところでオリヴィアが学校に戻ろうと提案すると、ジルヴェスターとステラは頷いて席を立った。

 

「少し散歩しながら戻る」

 

 すかさず要望を口にするステラ。

 

「そうしましょうか。ジルくんも大丈夫?」

「ああ、構わない」

 

 オリヴィアはステラの要望を叶える為にジルヴェスターに確認を取った。

 

 そうして会計を済ませた三人は、時折寄り道をしながら学校への帰途につく。

 

 ちなみに喫茶店の会計はジルヴェスターが三人分の料金を支払ったが、遠慮した二人と些細な一悶着があったのはまた別の話である。

 



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第10話

 ◇ ◇ ◇

 

 学園に戻ったジルヴェスターはステラとオリヴィアの二人と別れて別行動をしていた。

 彼が足を運んだのは学園長室だ。学園長室に辿り着いて扉をノックすると、入室を促す声が返ってきた。

 

「――入るぞ」

「いらっしゃい」

 

 室内には応接用のソファとローテーブルが置かれており、華美すぎず、質素すぎてもいないバランスの取れた調度品が並んでいる。そして奥には部屋の主が腰掛けるデスクがあった。

 そのデスクから女性の声が掛かる。ランチェスター学園の学園長だ。

 

「わざわざごめんなさいね」

「構わんよ」

 

 学園長は足を運んでもらったことを申し訳なく思っており、気品を崩さない仕草で頭を上げると、笑顔を浮かべてジルヴェスターを歓迎した。

 

「コーヒーでいいわよね? ブラック?」

「ああ」

 

 立ち上がって室内の奥まったところにある必要最低限の設備を備えたキッチンへ、学園長がコーヒーを淹れに向かった。

 学園長はジルヴェスターの好みを把握しているので、軽いやり取りだけで済ませられる。

 

「座って少し待ってて」

 

 学園長は応接用のソファにジルヴェスターを促す。

 

 ソファに腰掛けて数分待つと、二つのカップとお菓子を入れた器を載せたトレイを持った学園長が姿を現した。

 トレイからカップを取り出して一つをジルヴェスターの前に置き、もう一つを自分の前に置く。そして中心にお菓子を入れた器を置くと、学園長がジルヴェスターの対面のソファに腰掛けた。ちなみに学園長のカップの中身は紅茶だ。

 

 まず互いにカップを手に取り、一口(すす)って落ち着いてから学園長が口を開く。

 

「まずは入学おめでとう。これ、入学祝いよ」

 

 祝いの言葉と共に『異空間収納(アイテム・ボックス)』から綺麗に包装された品を取り出す。

 どうやら腕輪型のMACを用いて魔法を行使したようだ。

 

「ありがとう。だが、学園長が一人の生徒を贔屓していいのか?」

「今は学園長としてではなく、ただのレティ・アンティッチとして贈っているからいいのよ」

 

 学園長として一人の生徒を贔屓するのは良くないことだ。それを危惧したジルヴェスターの疑問に、学園長――レティが片目を瞑りウインクをして答えた。

 

「そうか。ならありがたく受け取っておく」

「ええ。そうしてもらえると嬉しいわ」

 

 厚意をありがたく受け取ったジルヴェスターに、レティは慈愛の籠った微笑みを向ける。

 

「開けても?」

「いいわよ」

 

 綺麗に包装された祝い品を解くと、中には懐中時計と万年筆が入っていた。

 

「少し遅くなって申し訳ないけれど、誕生日プレゼントも一緒にしておいたわ」

 

 ジルヴェスターの誕生日は一月七日だ。

 今日は一月十五日なので八日遅れのプレゼントということになる。

 

「これ高かったろ?」

 

 ジルヴェスターは懐中時計と万年筆に目を凝らすと高価な物だと当たりをつけた。

 時計は意匠を凝っているが華美になりすぎず、持ち歩きやすくなっている。万年筆も実用的でありながら細かなところまで繊細に作り込まれているのが見て取れ、どちらも職人の業が遺憾なく発揮されたからこそ完成された一品だった。

 

「お金なら心配いらないわよ」

「そうか。ならいいが」

「それにしても貴方ももう十六歳になったのね」

 

 レティは過去に想いを馳せ感慨に耽る。

 

 彼女との出会いは八年ほど前に遡る。

 レティが特級魔法師第六席になって一年ほど経った頃だ。

 

 現在は一線を退いて席次を返上し準特級魔法師になっているが、当時は若き俊英として名を馳せていた。――『残響(ざんきょう)』という異名は現在も色褪せることなく国内に轟いている。

 

 八年前に初めて出会った時、ジルヴェスターは八歳で、レティは二十一歳だった。

 

 ジルヴェスターは当時八歳ながら魔法師として活動しており、特級魔法師第六席だったレティの世話になったことも多々あった。

 今ほどではないにしてもジルヴェスターは当時から優れた魔法師だった。だがいくら優秀とはいえ、さすがに八歳の子供には限界がある。肉体的にも精神的にもだ。

 

 如何(いか)に経験豊富なベテラン魔法師でも心身ともに過酷なのが魔法師という職務だ。

 そんな中、八歳の子供が魔法師として活動していること自体が本来は異常である。

 

 魔法師ライセンスは年齢関係なく取得できるが、普通は八歳の子供がライセンスを取得しようとは思わないし、周囲の者が反対するだろう。仮に取得を目指しても高確率で落ちるのが目に見えている。全くいないわけではないが、ジルヴェスターは極稀な例であるだろう。――もっとも、彼の場合は自分の意志関係なく周りが放っておかなかったのだが。

 

「あの頃は世話になったな」

 

 当時のことを脳裏に思い浮かべたジルヴェスターは、素直な気持ちをレティに告げる。

 

「当然のことをしたまでよ。それに放っておけなかったもの」

 

 他の同世代の人よりもいろいろと人生経験も豊富で精神的に大人びていたジルヴェスターだが、大人でも過酷な魔法師としての活動を八歳の頃からこなしていたのだ。

 魔法師としての活動はもちろん、精神的にもレティには助けられていた。――それも最初の内だけだったのだが。

 

「八年も前だものね。私も歳を取るわけだわ」

 

 現在二十九歳のレティが溜息を吐く。

 

「まだ若いだろ。外見も魔法師としても」

「あら、ありがとう」

 

 ジルヴェスターは思ったことを率直に伝えると、レティは微笑みを浮かべた。

 

 レティ・アンティッチは女性としては高めの身長でスラっとした長い手足、白い肌に葡萄(ぶどう)のような赤黒い紫色の髪を脱力ウェーブのロングにしており、撫子(なでしこ)のような少し紫みのある薄い赤色――ピンクに近い――の瞳が宿っている。

 

 出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる凹凸の激しい豊満な身体つきだ。

 だらしなくならない程度に着崩したスカートタイプのレディスーツを着用しているが、隠しきれていない有り余る色気を醸し出している。もっとも、隠す気があるのかは本人のみが知ることだが。

 



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第11話

「――さて、そろそろ本題に入るわ」

 

 ジルヴェスターがレティの元を訪れたのは何も談笑する為ではない。

 

「例の件はどうだったのかしら」

「そうだな……」

 

 レティは事前にジルヴェスターに頼み事をしていた。

 ジルヴェスターとしてはレティの頼みというのもあるが、個人的にも気になっていたので快く引き受けたのである。

 今回はその報告に訪れた次第だ。

 

「活発に動いているのは反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンのようだ」

「そう。私の調べでも同じだわ」

 

 何もレティはジルヴェスターに丸投げしていたわけではない。

 自分も情報を探っていた。学園長としても、元特級魔法師第六席としても、準特級魔法師としても人脈や力を持っている。

 国に関する情報収集はお手の物だ。

 

 だが、レティは一線を退いている身でもある。

 それに学園長としての職務もあり、身軽な立場ではない。

 故に魔法師としての実力も地位もあるジルヴェスターに依頼したのだ。

 

「過激派という名に相応しい暴れっぷりだ。少しでも魔法に関わる()()には見境ないようだな」

 

 (もの)(もの)問わず、魔法に関わるものには見境なく過激な行動に出ている反社会的団体である。

 

「生徒たちが巻き込まれないといいのだけれど」

 

 レティが最も懸念しているのは生徒が巻き込まれることだ。

 生徒は若い故に精神的にも実力的にも未熟な者が多い。学園長として心配の種である事実は覆りようがない。

 

「どうだろうな。少なくとも学園内にいる限りは大丈夫だと思うが、絶対ではないからな」

 

 そこでジルヴェスターは一度言葉を止め、レティに視線を向けると続きの言葉を口にする。

 

「普通に考えてレティがいるこの学園に手を出す馬鹿はいないだろう。だが、つけ入る隙がある以上絶対とは言えん」

 

 国内でもトップクラスに位置する実力者のレティが学園長を務めるランチェスター学園に手を出す恐れ知らずはそうそういないだろう。

 だが、手を出す出さないに(かか)わらず、つけ入る隙はある。いくら可能性が低くても対応を怠っていい理由にはならない。

 将来有望な魔法師の卵を失うわけにはいかないのだ。レティ個人としても大事な生徒に被害が及んで欲しくはないというのが偽らざる本心だ。

 

「魔法を忌み嫌っている以上、魔法師になる前の生徒を狙うのは理に適っている」

「そうよね。寮で暮らしている生徒はともかく、自宅から通学している子たちはより注意が必要ね。もちろん寮に住んでいるからと言って、絶対に安全とは言えないけれど」

 

 寮は学園の敷地内にある。学園には警備員もいる上に防犯面の設備も整っている。それに学内にはレティを始め、魔法師ライセンスを有する教師陣もいる。敷地内の教職員寮に暮らしている者もいるので、何か問題があれば迅速に対応することが可能だ。

 

 とはいえ、自宅から通学している者や、寮で暮らしている者も学園の敷地外に出ることがある。買い物や散歩など、学外に赴く用事はいくらでもある。

 学外に赴く者全ての安全を守ることは不可能だ。

 

「おそらくだが、反魔法主義団体には魔法師も加わっているだろうな」

「魔法師が反魔法主義団体に加担していると?」

 

 溜息を吐いて告げるジルヴェスターの言葉に、レティは眉間に少し皺を寄せて疑問を呈す。

 

「ああ。被害にあった場所をいくつか見て回ったが、非魔法師だけでは到底不可能な手際だった」

 

 少し考える仕草を見せたジルヴェスターは、一呼吸置いて続きの台詞を口にする。

 

「それに明らかに魔法の痕跡が見て取れた。巧妙に隠しているみたいだったが、俺の目は誤魔化せない」

「……そう。あなたがそう言うなら事実なのでしょうね。困ったものだわ。魔法師が反魔法活動をするなんて」

 

 溜息を吐いてからカップを手に取り一口二口啜ると、再び溜息を吐く。二度目の溜息は深々としており、その様子から彼女の心情がありありと察せられる。

 

 魔法師が反魔法的な活動をするということは、自分のルーツを否定しているということになる。

 両親や祖父母、更に遡った祖先に魔法的資質を有する者が一人もいなかったとしても、魔法的資質を有する者が生まれてくることはある。所謂、一族の魔法的資質を継承する始祖にあたる人物ということになるだろう。

 そういう人のことを――『第一世代』と呼び、その人を起点に魔法師としての一族が築かれていく。逆に魔法師から非魔法師が生まれることもある。

 

 いずれにしても、魔法師が反魔法的な活動を行うというのは、自身を否定していることと同義である。

 自分で自分たちの立場を悪化させている矛盾な行動だ。

 

 魔法師は社会的な地位が保障されている。全ての魔法師に当てはまるわけではないが、魔法師は一般的な仕事をしている非魔法師よりも収入面で恵まれている。

 

 過酷な訓練を行った先に得た地位で、尚且つ危険の伴う仕事なので収入面で恵まれているのは当然のことなのだが、大半の非魔法師はそのことを知らない。

 

 魔法師は個人の働き次第で収入面も上下する上に、常に死と隣り合わせの環境に身を置いている。対して大半の非魔法師は壁外に出たこともなければ、魔法師が普段どんな生活を送っているのかも知らない。

 

 故に偏見が生まれ、格差を意識してしまう結果にもなっている。知人に魔法師がいても、あくまで話を聞いた上で想像することしかできないからだ。

 

 大多数の非魔法師は魔法師に対して友好的、中立的な態度を示しているが、一部には否定的な立場を取る者がいるという事実は覆らない。そして、その中の更に一部が反魔法的な活動を行っているのだ。

 

 魔法師が反魔法的な活動に加担するということは、魔法師界も一枚岩ではないということの証左でもある。

 

「一概に魔法師と言ってもみな同じではないからな」

「そうね。仕方ないと言えば仕方ないのよね。いろいろと複雑な気分よ」

 

 魔法師――魔法的資質を有する者――とはいえど、同じ魔法師にも様々な人間がいる。

 上級や特級魔法師になれるような非常に優れた者。

 一線で活躍できるが上級にはなれない中級魔法師。

 その中級魔法師にもなれない下級魔法師。

 そもそも魔法を扱えても魔法師になれないような、実戦レベルで魔法を行使できない者。

 魔法的資質を有していても全く魔法を扱えない者。

 といった具合に同じ魔法師とはいえ簡単に一括りにはできない。

 

 才能や実力、地位や立場が異なれば当然価値観や目指すものが違ってくる。なので、魔法師が反魔法的な活動を行うのも多少は理解できるし、仕方のないことだとも二人は思っている。――とはいえ、決して看過することはできないが。

 

「学園内にも反魔法主義団体に加担している者や、加担はしていなくても反魔法的な思想を持つ者がいるかもしれない」

「その辺りはしっかり対応しなければならないわね。何もないのが一番だけれど」

 

 レティには学園を守る責任がある。

 何もないのが一番だが、万が一何かあった時の為に対応を怠って手遅れになるのだけは避けなくてはならない。

 

「引き続きレイに調査させているから、また何かわかり次第報告する」

「ええ。お願いするわ」

 

 話が一段落すると、ジルヴェスターはカップを手に取ってコーヒーに舌鼓を打つ。

 

「レイチェルは働き者ね。ありがたいわ」

「そうだな。良くやってくれている」

 

 レイこと――レイチェルはジルヴェスターの部下である。

 レティとは面識があり、良く知っている間柄だ。

 

「最近会えていないわね。よろしく伝えておいてもらえる?」

「ああ。わかった」

 

 レティは現在進行形で反魔法主義団体の件でも世話になっている。

 直接伝えられないのは申し訳ないが、例え人伝えでも何も伝えないのよりは幾分かマシだろう。礼儀的にも精神的にも。

 

 ジルヴェスターはコーヒーを飲み干すと席を立つ。

 

「それじゃ、失礼するよ」

「ええ。今日はありがとうね」

 

 勝手知ったる間柄なので軽く挨拶を済ませただけで退室しようと扉の取っ手に手を掛けたところで、レティが思い出したようにジルヴェスターの背に向かって声を掛ける。

 

「――ああ、そうそう。落ち着いたらで構わないから一度(うち)に顔を出してもらえる? ()()()が会いたがっているのよ」

「そういえば最近忙しくて会いに行けてないな。わかった。落ち着いたら一度顔を出そう」

「ええ。お願いね」

 

 レティの言葉を受けて()()()のことを思い浮かべたジルヴェスターは、一瞬の迷いもなく了承する。

 ジルヴェスターの返事を聞いたレティは、嬉しそうに笑みを浮かべて彼が退出するのを見送った。

 



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第12話

 ◇ ◇ ◇

 

 入学式の片付けが一段落したところで、生徒会室には二人の少女の姿があった。

 髪の長い方の少女は椅子に腰掛け、もう一人の髪が短い方の少女は腕を組んで立っている。

 

「今年の新入生は粒揃いなんだろ?」

「ええ」

「それは楽しみだな」

 

 髪が短い方の少女が尋ねると、もう一人の少女が頷いた。

 すると、髪が短い方の少女は口元をにやけさせて、楽しみを隠し切れない様子をあらわにする。

 

「今年の対抗戦はランチェスター学園(うち)の三連覇が(かか)っている。新人戦のポイントも重要になるな」

「そうね」

「何より今年から本戦には()()()が出てくる。本戦は厳しくなるから、より新人戦のポイントが肝になってくる」

「プリム女学院のあの()ね」

「ああ」

 

 対抗戦には新人戦と本戦でそれぞれポイントが設けられており、ポイントを得る条件は細かく設定されている。その中で最終的に最も多くのポイントを獲得した学校が優勝を勝ち取ることができる仕組みだ。如何(いか)に多くのポイントを得るかが優勝への分かれ道となる。

 

 プリム女学院はウォール・トゥレス内の南西に位置し、ウィスリン区、ランチェスター区と並んで最も富裕層が集まる区の一つであるプリム区に所在する、国立魔法教育高等学校の十二校ある内の一校だ。

 

 プリム区は十三区の中で最も綺麗な街並みをしていると言われており、最も治安の良い区でもある。そんなプリム区には十二校の中で唯一の女子校であるプリム女学院が存在する。

 

 プリム女学院はランチェスター学園と同じ三大名門に数えられる内の一校だ。唯一の女子校であり、お嬢様学校でもある。

 女学生が憧れる学院で、国立魔法教育高等学校に入学することを考えている女子の八割近くは、プリム女学院を志望しているとも言われている。専願併願問わず受験する女子が多い憧憬(しょうけい)を向けられる学院だ。

 プリム女学院の生徒は、他校の女子生徒から羨望(せんぼう)の眼差しを向けられることが多々ある。

 

 教員や事務員、警備員などの学院に勤める者も全員女性で構成されている徹底ぶりだ。

 女性はもちろん、男性からも別の意味で憧憬(しょうけい)を向けられている。――男性の場合は男子禁制の場所に対する興味本位の視線や、完全に下心満載の不埒な視線などと様々だが。

 

 そしてプリム女学院には、淑女としての礼儀作法や、花嫁教育などを学ぶ授業が設けられている。所謂、フィニッシングスクールというやつだ。専門の学校ではないので、正確にはフィニッシング()()()()ではないのだが、スクール自体がプリム女学院の教育課程に組み込まれているようなものである。

 

「確かに本戦は熾烈(しれつ)な争いになるわね」

「――なあ、クラウディア。正直私は対抗戦に()()()が出るのは反則だろうと言いたいよ」

「カオル、気持ちはわかるけれど仕方ないわよ。他校とはいえ、あの()も私たちと同じ国立魔法教育高等学校の生徒なのだから」

 

 溜息を吐いて思わず愚痴を零すカオルを、クラウディアは苦笑しながら窘める。

 

 どうやらプリム女学院には要注意人物がいるようだ。

 ランチェスター学園の優勝を阻む敵として二人が要警戒している者とは、いったいどのような人物なのか。 

 

「いずれにしても対抗戦までまだ時間はあるわ。選手選考も含めてしっかりと準備をしていきましょう」

「そうだな」

 

 その人物のことは対抗戦を迎えれば(おの)ずとわかることだ。

 

 今は選手選考などの事前準備に注力することの方が重要だろう。

 ランチェスター学園は自主性を重んじる校風なので、対抗戦に出場する選手の選考は基本的に生徒主導で行われる。生徒会などの要職に就いている者たちが中心となって選手選考を行うのが伝統だ。

 

「――そういえばお前もプリム女学院を受験したんだよな?」

 

 カオルは以前聞いたことをふと思い出す。

 

「ええ。受験したわよ。一応、六校受験したもの」

 

 クラウディアは魔法師界の名門であるジェニングス家の令嬢なので、当然プリム女学院も受験していた。

 

「結果はどうだったんだ?」

「ありがたいことに六校全て受かっていたわ」

「……さすがだな」

 

 クラウディアが受験した全ての学校の試験に合格したという事実に、カオルは素直に感嘆した。

 

「それでもランチェスター学園(うち)に来たんだな」

 

 六校から合格を貰っていたということは、入学する学校を六校の中から選べるということだ。

 そしてクラウディアはその六校の中からランチェスター学園を選択した。

 プリム女学院という大半の女性が憧れる学院に合格していたのにも(かか)わらずだ。

 

「ええ。私は元々ランチェスター学園が第一志望だったもの。他は保険で受験しただけよ」

 

 クラウディアの本命は初めからランチェスター学園だった。

 あくまで不合格だった場合のことを考慮して、ランチェスター学園以外の五校を受験したのである。

 

「プリム女学院は第二候補だったわ」

 

 もしランチェスター学園が不合格で他の学校に合格していたら、その中からプリム女学院を選んでいた。

 

「お前がランチェスター学園(うち)に来てくれて良かったよ。もしお前までプリム女学院に行っていたら、対抗戦とか目も当てられない結果になっていただろうな……」

 

 クラウディアがプリム女学院を選んでいた場合の対抗戦を想像したカオルは、現実逃避しているかのように遠い目をして肩を竦める。

 

「あなたはプリム女学院受けなかったのよね?」

「ああ。あそこはな……私は性に合わん。むしろ私があそこで勉学に励む姿を想像できるか?」

「ふふ。きっと女の子たちからモテモテだったでしょうね」

「おい。私は女なんだが……。勘弁してくれ」

 

 カオルはプリム女学院に憧れを抱かなかった少数派だ。元々性格的に毛色が合わないので、(はな)から眼中になかったのである。

 仮にプリム女学院に通っていた場合の自分の姿を想像したカオルは小さく身震いをし、クラウディアの揶揄(からか)うような台詞には顔を顰めて深く溜息を吐きながら肩を竦めた。

 

「……そうか。お前がランチェスター学園(うち)に来ることを決めていたのは、例のお前の()()()が来ることをわかっていたからか?」

 

 少しの間思考を巡らせていたカオルは、合点がいったというように確認の意味も込めてクラウディアのことを弄りながら尋ねる。

 

「ええ、そうよ。私の全てはあの()()に捧げているもの」

「……」

「対抗戦もあの()()がおられるのだから何も恐れることはないわ」

 

 だが、カオルの弄りは全くと言っていいほど通用しなかった。

 クラウディアはさも当然のこととして真顔で肯定したのだ。彼女の瞳には微塵も濁りがなく、むしろ輝きに満ちてすらいるとカオルは思った。

 

 カオルはクラウディアが(くだん)の王子様に敬慕(けいぼ)しているのを知っていたが、ここまで澄んだ瞳を恥じることなく向けられるとさすがにたじろいでしまう。

 

「話には聞いていたが、そんなに凄い奴なのか?」

 

 クラウディアから王子様のことを何度か聞かされていたが、ここだけの話、聞いていたカオルは親友の話には話半分で付き合っていたので、あまり鵜呑みにしていなかった。

 

 改めてクラウディアに問い掛けたカオルだったが、彼女はこの時の言動を悔いることになる。

 

「それはもう素晴らしい()()よ!」

 

 良くぞ訊いてくれましたと言わんばかりに瞳を輝かせて口を開いたクラウディアは、その後しばらく力説することになる。

 何故かクラウディアに謎のオーラのような物を幻視したカオルは、瞼を閉じて目頭の辺りを摘まむ行為を数回繰り返し、自分の視界を疑う羽目になった。

 

 その後カオルは長時間も拘束されることとなり、クラウディアの王子様に対する想いを甘く見ていたことにただただ後悔したのであった。

 



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第13話

 ◇ ◇ ◇

 

 日が沈み外灯が街中を照らす時間帯に、街中から少し逸れた薄暗い場所で(うごめ)く複数の影があった。

 場所はネーフィス区の第二の町であるマーカイウに所在し、ワナメイカー・テクノロジーが所有する魔法技術研究所だ。

 

 ネーフィス区は、ウォール・ツヴァイとウォール・トゥレスに挟まれているウォール・ツヴァイ内の南西に位置する区だ。商業の中心地であり、多くの企業や店舗などが軒を連ねている。

 

「これより任務を遂行する。各自行動開始」

 

 集団を率いるリーダーのその言葉と共に、配置に着いていた者たちが作戦通り各自行動を開始する。

 統率が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、どちらともとれる動きで行動している。

 

 研究所に勤める魔法師や非魔法師達も協力して応戦するが、虚しくもことごとく研究施設を破壊され、その上研究資料や金目の物を一切合切奪取されてしまう。

 

 そして目的が達成されると、複数の影の姿は闇夜に消えていった。

 

 翌日の新聞には、ワナメイカー・テクノロジーが所有する魔法技術研究所が襲撃されたと大々的に記事にされていた。

 

 今回の事件も、連日新聞を賑わせていた反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンによる事件と関係しているのかと事実と憶測を交えた内容で記され、紙面を賑わせている。

 

 研究所には魔法師も非魔法師も勤めているが、無論、魔法技術研究所なので魔法師――魔法的資質を有する者――の割合の方が圧倒的に多い。研究者の大半は魔法師で、非魔法師はほんの僅にいるだけである。その他の非魔法師は事務員など直接魔法や研究に関わらない者たちだ。 

 

 研究者になる魔法師にはどちらかと言えば戦闘向きではない者や研究者肌の者、魔法を実用レベルで行使できない者などが多い。

 

 その研究所に勤める非魔法師と、実用レベルでは行使できないが多少は魔法を扱えるものの研究者故に身体を鍛えていない魔法師に対し、非魔法師だが身体を鍛えている実行犯で構成されるヴァルタンのどちらに()があるのか、いくら研究者といえども魔法師であることに変わりはない者たちが、そんな簡単にヴァルタンに好き放題やられるのか、本当に犯人はヴァルタンなのか、と記者や有識者の意見や憶測が紙面に掲載されている。

 

 この日はこの事件の話題で魔法師と非魔法師を問わず、国内の各所で賑わうのであった。

 



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第14話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月十六日――ジルヴェスターは自宅からランチェスター学園へ登校していた。

 自分の所属するクラスである一年A組の教室へと初めて足を踏み入れる。

 

 教室は教壇から半円形で階段状に席を設けられている教室になっていた。

 扉は教壇の横辺りと、階段状になっている席の最上段の後方にある。この二ヶ所の扉は、どちらを利用しても構わない。

 

 入口から一瞬教室内を見渡し、ステラとオリヴィアの姿を確認する。確認したジルヴェスターは歩みを進めた。

 

「おはよう」

「おはよう。ジルくん」

 

 二人の一つ後ろの席に腰を下ろしたジルヴェスターに、ステラとオリヴィアが立て続けに挨拶する。

 

「おはよう」

 

 挨拶を返すジルヴェスター。

 

「席が自由なのは嬉しいわよね」

「そうだな」

 

 オリヴィアの言う通り席は各自の自由だ。空いている席を各々が自由に選ぶことになっており、その日その時の気分で毎回違う席に座ることができる。――もっとも、段々と座る席は固定されていく傾向にあるが。

 

 オリヴィアの言葉に「うんうん」と頷いているステラの姿を視界に収めながら同意を示すジルヴェスターが自分の考えを述べる。

 

ランチェスター学園(うち)は生徒の自主性を重んじる校風だからな。こういったところにも生徒の自由が認められているんだろう」

 

 ランチェスター学園だからこそ固定の席を定めていない。他校とはまた違った風習だ。こういったところにも各校の特色が表れている。

 

「オリヴィアと一緒にいられる」

「ふふ。そうね。わたしも一緒にいられて嬉しいわ」

 

 各自自由に席に座れ、ステラがオリヴィアと一緒にいられることができるので嬉しそうにしている。そんなステラのことを見て慈愛の籠った笑みを浮かべるオリヴィアも大変嬉しそうだ。

 

「ジルも一緒」

「そうだな。俺も見知った者がいた方が何かと心強い」

 

 視線を向けてくるステラに、ジルヴェスターは口元を緩めながら同意を示す。

 

 彼は幼い頃から戦場――壁内壁外問わず――を駆け回っていたのもあり、一般的な人たちに比べると世間離れしているところがある。その上同年代の知り合いも少ない。なので、見知った者が近くにいるのは心強かった。彼はできるだけ平穏な学生生活を送りたいのだ。

 

「――よっ、首席さん」

 

 三人で話しているところに、ジルヴェスターの横に立った少年が突然声を掛けてきた。

 

「隣いいか?」

 

 少年はジルヴェスターの隣の空いている席に目線を向けながら尋ねる。

 

「ああ」

「失礼するよ」

 

 ジルヴェスターの了承を得た少年は遠慮せずに腰を下ろす。

 

「んじゃ改めて――俺はアレクサンダー・フィッツジェラルドだ。アレックスって呼んでくれ。よろしくな」

 

 アレックスは軟派な態度で自己紹介をする。

 

「俺はジルヴェスター・ヴェステンヴィルキスだ」

「わたしはオリヴィア・ガーネットよ。この()はステラ・メルヒオット」

「よろしく」

 

 三人とも順に自己紹介をしていくと、アレックスはステラの名前に驚いて目を見開いた。

 

「メルヒオットって、あのメルヒオットか?」

「多分そのメルヒオットで合ってる」

 

 アレックスの率直な疑問に、ステラは慣れたものといった態度で端的に答えた。

 メルヒオット家は知らない者はいないというくらい有名な一族なので、同じような質問は良くされるのだろう。

 

「フィッツジェラルド家も有名だろ」

「まあな。メルヒオット家に比べたら蟻みたいなもんだけど」

 

 ジルヴェスターのツッコミに、アレックスはお道化(どけ)た態度で答える。

 

 アレクサンダー・フィッツジェラルドは褐色の肌をしており、黒みを帯びた深く(あで)やかな赤色の髪を長めのウルフカットにし、襟足は特に長めだ。緑色の瞳が良く映えて、端正な顔立ちをより際立たせている。

 

 身長は高いがジルヴェスターよりはやや低いくらいだろう。

 制服は黒のワイシャツに赤のジャケットを羽織って着崩しており、スラックスは黒色だ。所謂、チャラいといった言葉がピッタリと当てはまる人物だ。

 

 彼の実家であるフィッツジェラルド家は、魔法師界でも結構名の通った一族である。代々雷属性と火属性に優れた適正を持つ血族だ。クラウディアのジェニングス家ほどではないが、比較的名門の部類に入るだろう。

 

「それに俺は七男だからな。わりと自由気ままにやらせてもらっているさ。姉も四人いるし、弟と妹も何人もいるけどな」

 

 アレックスは笑いながらそう言うと、軽く髪を掻き上げる。

 

「兄弟多いのね」

 

 オリヴィアが呟く。

 

「ああ。親父は女好きだからな」

「そういえば当代の当主殿は多くの女性を囲っているらしいな」

「あ、俺は本妻の子だぞ」

 

 ジルヴェスターの言う通り、アレックスの父である当代の当主は好色だと知られており、事実多くの女性を囲っている。この国は一夫一妻制なので多くの妾を囲っているということだ。

 そしてアレックスは当主である父と、その妻との間に生まれた息子である。

 

「にしても親父もやるよな~。マジで尊敬するよ」

「「……」」

 

 多くの女性を囲っている父のことを尊敬していると言うアレックスに、ステラとオリヴィアはジト目を向ける。それでも彼は全く動じない。

 

 オリヴィアが一瞬ジルヴェスターに()()()な視線を向けると、その視線の意味を理解した彼は少しだけばつが悪くなって苦笑した。

 



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第15話

 四人で話していると予鈴が鳴り、教壇横の扉が開いて一人の女性が入室してくる。

 その女性が教壇へ向けて歩を進め中央にある教壇に立つと、階段状になっている席へと向き直った。一度各席を見渡してから女性は口を開く。

 

「私はメルツェーデス・バウムガルトリンガーだ」

 

 そう自己紹介する女性は凛々しい佇まいをしている。

 白い肌をしており、鉛白(えんぱく)色のハンサムショートヘアと、空色の瞳が凛々しさを際立たせている。

 

 女性としては高めの身長でスタイル抜群だ。パンツスーツを違和感なく着こなしている姿は、如何(いか)にも女性から人気がありそうな、かっこいい大人の女性といった風貌をしている。

 

「一応、上級三等魔法師だ。これから一年間担任として諸君を指導することになるが、よろしく頼む」

 

 上級三等魔法師といえば、特級魔法師と準特級魔法師を除けば上から三番目の階級であり、魔法師の中でも精鋭中の精鋭であるエリートの証だ。

 

(上級魔法師の教師とは珍しいな)

 

 ジルヴェスターはメルツェーデスへ視線を向けて意外感を表す。

 

 中級以上の階級は上へ行けば行くほど人数が少なくなる。

 初級魔法師は所謂見習いのような立場なので、余程実力のない者でない限りは、ある程度魔法師として活動していればそのうち下級へと昇級できる。

 下級魔法師になって初めて一人前と見なされ、下級が最も人数の多い階級だ。

 中級魔法師は前線で活躍できる一線級の魔法師であり、人数の絶対数はここから減っていく。

 

 上級魔法師ともなれば最精鋭なので、教師にしておくのはもったいない人材だ。なので、上級魔法師の教師は珍しい。

 そもそも上級魔法師で教師になろうとする者自体が珍しいだろう。教師は比較的高収入の部類に入るが、上級魔法師は教師として働くよりも魔法師として活動した方が余程稼げる。

 

 国としてもできれば上級魔法師には教師ではなく魔法師として活動してほしいだろう。可能ならば積極的に壁外へ赴いてほしいはずだ。

 だが、未来の魔法師を育てるのも国としては重要な課題である。その点、上級魔法師でも教師として優秀な者ならば後進の育成に携わってもらいたいという思惑もあるので、上級魔法師の教員も一定数はいる。とはいえ絶対数は圧倒的に少ない。

 

「今日は諸君へ各種簡単なガイダンスを行う。しっかりと聞いておくように」

 

 メルツェーデスはそう言うと、一度生徒一同を見渡してから続きの台詞を告げる。

 

「我が校の授業科目は、一般教養以外は各自自由に選択できる」

 

 言語学、算術、歴史など一般教科はクラス毎に全生徒共通で行われる。一般教科以外は履修内容を各自自由に選択できる仕組みだ。自由な校風であるランチェスター学園だからこそのシステムだと言えるだろう。

 

「自分が学びたいことを積極的に学ぶのか、苦手な分野を克服する為に学ぶのか、自分の考えでしっかりと選択するように。決して友達と一緒がいいからなどというくだらない理由で選択しないように」

 

 学びたい分野も学びたい動機も人それぞれだろう。その点、各自自由に選択できるシステムは理に適っている。

 

 しかしメルツェーデスが言うように、友達と一緒が良いからなどというくだらない動機で選択されるのは困る。学校側にも生徒の側にも全く利点がないからだ。

 

「諸君はまだ若いので三年間は長く感じるかもしれないが、実際は三年間などあっという間だ。この期間に学んだことが将来に直結する。学生時代にもっと真面目に勉学に励んでいれば上級魔法師になれたのに、勉学を怠った結果、中級魔法師止まりだった、なんてこともあり得ることだ。若い時の成長力は侮れない。故に再三言うが、しっかりと考えて自分の意思で選択するように。迷った時はいつでも相談を受け付けるからな」

 

 若い時は時間が経つのを遅く感じ、逆に歳を重ねれば重ねるほど時間が経つのを早く感じるようになる。

 若い時に積んだ経験というのは後に多大な影響を与えるというのも事実だ。

 上級魔法師であるメルツェーデスが言うと説得力がある。

 

「最初のうちは興味のある科目を一通り受けてみるのもいいだろう。時間はあっという間に過ぎると言ったが、焦らずにしっかりと考えることが何よりも重要だ」

 

 確かに何事も焦ると良いことは起こらない。

 

「学内の施設も各自一度は事前に足を運んでおくように。場所がわかりませんでしたと言って授業に遅刻するのは言い訳にならないからな」

 

 学園の敷地は広大だ。

 授業を実施する各教室や施設の場所を事前にしっかりと把握しておく必要がある。

 

「次にクラブについてだ。クラブ活動も学生の内にできる貴重な場だ。加入するもしないも自由だが、是非とも悔いのない学生生活を送ってほしい」

 

 課外活動も学生生活を送る上で需要なファクターだ。

 メルツェーデスとしても、生徒たちには人生一度きりの学生生活を可能な限り悔いなく、満足できるように送ってほしいと思っている。

 

「各クラブは勧誘に必死だ。入学間もない時期は多少手荒くなることもあるので注意するように」

 

 勧誘は一年を通して可能であり、加入することもいつでも可能ではあるが、大抵の生徒は入学間もないうちにいずれかのクラブに入部する。なので、各クラブにとって今の時期は狙い目なのだ。

 

 今の時期は各クラブが勧誘に精を出して、多少行きすぎた行為に出ることも多々あるが、学園側としてはある程度は黙認している。これも生徒の自主性を重んじる校風故にだ。

 

「勧誘でトラブルに巻き込まれた際は生徒会や風紀委員、統轄連に相談するように」

 

 自主性を重んじる校風故に、学園の治安や風紀を守るのも生徒の役目だ。

 学園には生徒で構成された自治組織が四つある。その内の三つが生徒会、風紀委員会、統轄連だ。

 

 生徒会は生徒会長を筆頭に学園の自治を司る組織である。学園の治安を守る役割もあるが、主な職務は文官色の強い内容だ。

 

 風紀委員会は風紀委員長が長を務め、学園の治安を守る為に、校則違反者や不審者などを取り締まる警察と検察を兼ね備えた組織だ。業務内容柄、公正な判断を下せる人格者で、尚且つ戦闘面でも優れている者が選ばれる傾向にある。

 

 統轄連は正式名称をクラブ活動統轄連合と言い、組織のトップである総長を筆頭に各クラブを管理するのが主な職務だ。また、学園の治安を守る役目もあり、風紀委員会から助力を要請されることもある。

 

 学園の自治を司る組織はもう一つあるが、ここでは割愛する。

 

「ちなみに私は魔法実技クラブの顧問を務めている。興味のある者はいつでも歓迎するぞ」

 

 メルツェーデスは担任であるのをいいことに、自分の生徒たちに抜け目なく勧誘を行う。どうやら茶目っ気もある先生のようだ。

 

 その後もメルツェーデスによる諸々の説明が行われていく。

 



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第16話

 ◇ ◇ ◇

 

 企業や店舗が数多く軒を連ね、商業の中心地であることが良くわかるオフィス街に、複数の魔法師の姿があった。

 場所はネーフィス区で最も大きな町であり、区内の行政の中心でもあるリンドレイクだ。区長が勤める庁舎もある。

 

「隊長、これからどうします?」

 

 周囲の建物の中でも一際大きく、経営が好調だとわかるワナメイカー・テクノロジーの本社にいる魔法師の集団の中にいる一人の男性が、自身の上司である隊長に今後の方針を尋ねる。

 

「まずは二人一組になって周辺を調査する」

 

 白い肌に清潔感のある茶色のミディアムヘアの隊長は、茶色い瞳を備えた目で十五人いる隊員一同を見渡して方針を述べる。

 

「二コラは私と本社に待機だ」

 

 隊長は白い肌をしていて、(だいだい)色のベリーショートに髪を整えている女性隊員に視線を向けた。

 

「了解です」

「では、アウグスティンソン隊、各自行動開始」

 

 隊長のその言葉を合図に、十一人の隊員が二人一組になって四方に分散して行った。

 この場に残ったのは隊長と二コラの二人だけだ。

 

「隊長」

「なんだ?」

「ここ最近の事件はやっぱり反魔法主義者が関わっているんですかね?」

「わからん。だが、それを確かめる為にこの任務に取り掛かっている」

 

 連日世間を賑わせている事件には共通項がある。

 

 それは被害にあった()()が全て魔法関連であるということだ。

 ワナメイカー・テクノロジーの施設が襲撃されたように、魔法関連の施設が度々被害を受けている。施設だけではなく、魔法師――魔法的資質を有する者――が襲われる事件まで相次いでいた。

 しかも(たち)の悪いことに女性や子供、魔法を実戦レベルで行使できない者、魔法的資質を有するだけで魔法自体一切扱えない者など、比較的襲いやすい者に狙いを定めている始末だ。

 

 その上、魔法に関わっている非魔法師まで被害に遭っている。ワナメイカー・テクノロジーに勤めている者などだ。おそらく、非魔法師でも魔法に少しでも関わっていると悪と見なされるのだろう。

 

 このような魔法に対して見せる徹底した姿勢が、反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの仕業によるものではないかと目されている理由だ。

 

「襲撃者がなんであろうと、我々魔法師としては決して看過できないことだ」

「そうですね」

 

 魔法師として反魔法主義者による行動を見過ごすわけにはいかない。

 反魔法主義者による行動を許せば、魔法師の地位や立場を脅かされることになる。

 

 何より、魔法師がいるからこそ人類もこの国――壁内――で安穏と暮らせていけているのだ。

 もちろん非魔法師の存在も欠かせない。魔法師と非魔法師の共存があってこそ、この国は成り立っている。

 

 魔法師の存在がなくては壁外に蔓延る魔物の脅威に対応できず、滅亡する未来を待つことしかできない。だが、魔法師――魔法師ライセンス所有者――以外の大半の人間は、壁内から出たことがないので壁外の脅威を知らない。

 

 無知故に壁外のことを甘く考えてしまい、魔法師との違いや差に劣等感や妬み嫉みといった負の感情が生まれてしまう。

 

 そういった擦れ違いの結果、国が亡びるなど目も当てられない。

 

「少しでも尻尾を掴めるといいのだが……」

 

 隊長が希望に縋るような口調で呟く。

 

 アウグスティンソン隊の隊長を務めるマイルズ・アウグスティンソンは、連日の事件を重く捉え、解決の一助となる為に自分の隊を率いてワナメイカー・テクノロジー本社へと赴いていた。

 

 マイルズの左腕には中級一等魔法師の地位を示す腕章がある。

 

 魔法師として活動する際は、階級を示す記章を身に付ける必要がある。タイプは様々あり、マイルズは左腕に腕章を身に付けているようだ。

 

 中級一等魔法師ということは一線で活躍できる優秀な魔法師だ。事実、彼は魔法協会や隊員から厚い信頼を寄せられている。

 そして共に待機している二コラはアウグスティンソン隊で最も若い十九歳で、一番の後輩だ。階級も隊の中で最も低い。マイルズと同じで左腕に記章を付けており、それを確認すると下級五等魔法師だった。

 

 マイルズは隊を分ける時はなるべく二コラを自分と行動させるようにしている。

 彼女は魔法師としてまだ経験が浅く、実力的にも未熟な部分がある。なので、可能な限り隊長である自分がいつでもフォローできるように共に行動させているのだ。直々に指導する意味合いもある。

 二コラはそのことを理解しているので、待機を命じられても不満なく受け入れている。

 

 マイルズは若い魔法師の育成に定評があり、魔法協会も評価している点だ。故に魔法協会も安心して若い魔法師のことを託しており、アウグスティンソン隊への入隊を希望する声も多い。

 アウグスティンソン隊で経験を積み、後に自分の隊を設立する者も多く存在する。

 

「みなさんの報告を待ちましょう」

「そうだな。君もいつでも動けるよう準備は怠らないように」

「はい。わかりました」

 

 マイルズは少しだけ緩んだ空気を引き締めた。

 



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第17話

 ◇ ◇ ◇

 

 ジルヴェスターたち一年A組の面々はメルツェーデスの引率のもと、上級生の選択科目の授業風景を見学していた。

 一年生が履修する選択科目を選考する上で、少しでも参考になればと学園側が用意している授業見学の時間だ。

 一年生と上級生では選択科目の種類に違いはあるが、実際に自分の目で雰囲気を確認しておくのは大事なことだろう。

 

「この専攻科目は工学技術研究という」

 

 一同はメルツェーデスの説明に耳を傾ける。

 

 現在ジルヴェスターたちが見学しているのは、工学技術研究――通称・工技研――という科目を専攻している二年生の授業だ。

 魔法工学に関する科目は他にも複数あるが、工技研は魔法工学技師ライセンスの取得を志す者を対象とした科目である。

 

「現状魔法師を目指す者に比べて、魔工師を志す者は圧倒的に少ない。諸君には少しでも興味を抱いてもらえると、私個人としても学園側としても嬉しい」

 

 魔工師を志す者は魔法師を志す者に比べると絶対数が圧倒的に少ない。どこか魔法師が主役で、魔工師は脇役といった漠然とした風潮があり、そういった印象を持っている者は多い。

 

「魔工師を目指す奴の大半はキュース魔法工学院に行くよな。魔工師関連の授業はわざわざランチェスター学園(うち)で扱わなくても良くないか?」

 

 メルツェーデスの言葉を聞いて疑問を抱いたアレックスは、呟くようにジルヴェスターに問い掛けた。

 

 魔法師は派手で活躍の場を目撃する機会が多いが、魔工師はあまり表に出てこないので、直接お目にかかる機会が少なく、地味なイメージがあるのは拭い切れない事実だ。

 

 実際に見た上で、凄さのわかりやすい魔法師の方が憧れる子供は多いだろう。対して魔工師は直接お目にかかる機会が少ないのに加えて、一定以上の造詣を有していないと凄さを理解することができない。故に、必然的に魔工師に憧れる子供が少なくなってしまうのだ。

 

「確かにキュース魔法工学院を選択する者は多いが、魔工師を志す者の絶対数が少ない現状、少しでも魔工師の人数を確保したいんだろう。それに選択肢を増やすこともできるからな」

 

 キュース魔法工学院はウォール・ツヴァイ内の南東に位置し、キュース区に設置されている国内に十二校ある国立魔法教育高等学校の内の一校だ。

 

 キュース区はウォール・ウーノ内の東南東に位置するワンガンク区に次いで工業が盛んな区だ。工場や工房はワンガンク区ほどではないが、販売店はキュース区の方が多い。

 そういった経緯でキュース魔法工学院は魔法工学に力を入れており、関連したカリキュラムが多く、魔法工学技師を志している生徒が多く在学している。

 

 キュース魔法工学院だけではなく、他の学校でも魔工師の育成に取り掛かれば、それだけ生徒の将来への裾野を広げることができるのでデメリットはないだろう。

 

「対抗戦もあるから尚更だ」

「なるほど。確かにそれはあるか」

 

 ジルヴェスターの説明にアレックスは頷いて納得した様子を示す。

 

 対抗戦に出場する選手のMACを調整するのは、技術スタッフとしてチームメンバーに選抜された生徒の役目だ。MACの調整次第で勝敗を分けることもある。学園側としては勝率を上げる為に優れた技術スタッフを育成したいという思惑もあった。

 

「だから俺たちにこの授業を見学させたんだろう」

 

 ジルヴェスターは学園側の意図を推測する。

 

「さすがだな。お前の推測通りだ」

 

 ジルヴェスターとアレックスの会話を聞いていたメルツェーデスが、彼の推測を肯定した。

 

「いえ、少し考えれば(おの)ずとわかることです」

「そうだな。諸君にプレッシャーを与えるわけではないが、対抗戦は政治的な側面もある。学園側としては、可能な限りいい成績を残してもらいたいというのが偽らざる本音だ」

 

 その言葉に一人の男子生徒が、「それ、プレッシャーっすよ……」という呟きを零した。

 

 対抗戦は生徒が主役の祭典だが、政治的な側面があるのは否定しようがない事実だ。

 より良い成績を残した学校は、十二校ある国立魔法教育高等学校の中でも強い発言権を得ることができる。その影響力は馬鹿にできない。

 

「まあ、今気にしても仕方のないことだ。まずはしっかりと学業に取り組むことだな」

 

 宥めるようなメルツェーデスの言葉に、生徒たちは少し落ち着きを取り戻したようだ。代わりに今後の学業に向けて気を引き締めている。

 

「そもそも対抗戦の出場選手に選ばれるのかもわからんしな」

 

 アレックスは口元を釣り上げ、意地の悪い笑みを浮かべて場を茶化す。

 

「確かに」

「今気にしても仕方ないことよね」

「まずは選手に選抜されるように頑張らないとな」

 

 アレックスの茶化しが功を奏したのか、少々張り詰めていた場の空気が霧散し、生徒たちは気持ちを切り替えるように言葉を漏らした。

 

「次へ移動するぞ。静かについて来なさい」

 

 今は授業見学中だ。

 工学技術研究の授業は見学内容の一部でしかない。見学はこの後も続く。あまりのんびりしていてはいくら時間があっても足りない。

 

 そもそも見学しているのはA組だけではない。各クラス三十人ずつでA組~H組まであるので、効率良く行わないと時間を無駄に浪費してしまう。

 

 メルツェーデスの案内のもと、次々に授業見学を行っていく。

 

 共通科目である魔法実技を始め、術式研究、剣術指南、医学講座、野外活動指南など、様々な選択科目の授業を見学した。

 

 魔法実技の授業に瞳を輝かせる者もいれば、剣術指南の授業を食い入る目で見つめる者など、各自充実した時間を過ごせたようだ。

 

 一同はA組の教室に戻ると各々席に腰掛けた。

 

明日(あす)から本格的に授業が始まる。一般科目はもちろん、選択科目の授業も始まるので各自検討しておくように」

 

 魔法師を育成にするのに時間はいくらあっても困らない。むしろ時間は多い方がいい。

 入学早々だが選択科目の授業も始まる。あまりのんびりしていられないのが実情だ。各自選択科目の吟味に時間を割く必要がある。

 

「先程も言ったが、悩んだ場合は一度体験してみるといい。今はなんとも思わなくても、一度授業を受けてみたら興味が湧くこともあるからな」

 

 初めから選択する科目が決まっているのなら別だが、迷っているのなら一度体験してみるのは大事なことだ。何事も経験してみないことにはわからないことだらけだろう。

 

「相談はいつでも受け付ける。遠慮なく私のもとを訪ねるといい」

 

 そう締め括ったメルツェーデスの号令で、この日は解散となった。

 

 メルツェーデスが退室すると、各自自由に動き始める。

 帰り支度をする者、選択科目について話し合う者、クラブ見学に行く者など様々だ。

 



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第18話

「――ジルくん、この後時間あるかしら?」

 

 出入口の混みあいを避ける為に、人口密度が下がるまで席に座って大人しく待機していたジルヴェスターにオリヴィアが声を掛けた。

 

「ああ。何かあるのか?」

「ええ、これから選択科目について意見交換をしようと思って、よければジルくんもどう?」

 

 意見交換の場に誘われたジルヴェスターは少し考える。

 オリヴィアの隣には当然のようにステラもいる。そして他に二人の女子生徒の姿もあった。どうやら授業見学の間に仲良くなったようだ。

 

 ジルヴェスターは既に選択する科目は決めていたが、せっかく学生になったので学生らしく生活しようと思い至り、オリヴィアの提案を受けることにした。

 

「構わんよ」

「俺もご一緒していいか?」

 

 了承の旨を伝えたジルヴェスターの隣にいたアレックスが便乗して参加を希望する。

 

「ええ、もちろんよ。みんなもいいわよね?」

 

 オリヴィアは一緒にいる三人にも確認を取る。

 三人とも頷いているので、どうやら無事に了承してくれたようだ。

 

「どこで意見交換するのかな?」

 

 授業見学の時に仲良くなったと思われるオリヴィアと一緒にいる二人の内の、髪が深みのある真っ赤な色の凛々しい出で立ちをしている方の女生徒が尋ねる。

 

「そうね……カフェなんてどうかしら?」

 

 学内にはカフェテラスが併設されている。

 ちょっとした話をするのにはうってつけだろう。

 

「いいと思う」

 

 ステラが賛成すると、他の面々も賛成の意を表明したので、場所はカフェテラスで決定した。

 

「先に自己紹介してもいいかな?」

「ああ、そうね。ごめんなさい気が回らなくて」

 

 話が一段落したところで凛々しい女生徒が自己紹介を提案すると、オリヴィアは初対面同士の面々がいるのにも(かか)わらず話を進めてしまったことを詫びる。

 

「私はイザベラ・エアハート。よろしく」

 

 イザベラと名乗った少女は白い肌に赤い瞳を備えており、深紅色のマニッシュショートヘアが特徴的だ。

 

 白いブラウスの上に赤のジャケットを羽織り、赤いスカートは膝よりやや上辺りの長さで、黒のパンティストッキングを穿いている。

 

 女性としては高めの身長で手足が長く、麗人という言葉がピッタリと当てはまる佇まいをしており、同性から人気がありそうな出で立ちをしている。

 

(エアハート家か、名門中の名門じゃないか)

 

 ジルヴェスターはエアハート家について思考を向ける。

 

 イザベラの生家であるエアハート家は、魔法師界でも有数の名門だ。

 アレックスのフィッツジェラルド家も名門だが、エアハート家の方が断然名門である。

 クラウディアのジェニングス家と並んで、この国のトップに君臨する名家なのがエアハート家だ。

 

「わたしはリリアナ・ディンウィディーです。よろしくお願いします」

 

 イザベラと共にいたもう一人の少女が名乗った。

 リリアナは白い肌に黄色の瞳を備えており、白茶(しらちゃ)色の髪はゆるリッチウェーブにしている。

 

 ステラと同じくらいの身長だが、大きく異なるのが凹凸の激しい身体つきだ。

 制服はブラウス、ジャケット、スカートは全て白で統一し、黒のタイツの穿いており、清楚な印象を周囲に与えている。

 

(ディンウィディー家。こっちも名門だ)

 

 リリアナの生家であるディンウィディー家も名門だ。

 エアハート家ほどではないが、フィッツジェラルド家と同等の名門であり、決して侮ることはできない。

 

 その後ジルヴェスターとアレックスも順に自己紹介を済ませると、七人連れ立ってカフェテラスへ移動した。

 



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第19話

 ◇ ◇ ◇

 

 ジルヴェスターたち七人は、カフェテラスへとやってくると各々飲み物や軽食を注文した。

 カフェテラスなので当然、歩道や庭に張り出して客席を設けている。だが、現在は一月だ。外はまだまだ寒い。なので、七人は室内のテーブルに固まって椅子に腰掛けた。

 

 イザベラはホットコーヒーを一口(すす)ると、みなに問い掛ける。

 

「みんなは選択科目、何を専攻するのかな?」

 

 少しだけ首を傾げて問い掛けるイザベラは、まるでとある国の王子様かと見まがう雰囲気を醸し出している。

 

「そうね。わたしは考古学研究よ。他はまだ決めていないけれど」

 

 既に一つは決めていたオリヴィアが真っ先に答えた。

 

 共通科目の授業には歴史学もあるが、考古学研究はより専門的な科目である。歴史学の記録や文献に基づく研究を行うのはもちろん、考古学として人類が残した物質文化の痕跡――例えば、遺跡から出土した遺構などの資料――の研究を通し、人類の活動とその変化を研究する学問だ。歴史学としての一面もあるが、どちらかと言えば考古学の方に注力している選択科目である。

 

 選択科目の単位は一科目だけではない。なので、複数専攻して勉学に励む必要がある。

 

「オリヴィアは歴史好きだもんね」

「ええ」

「いつも何か研究してる」

「時間がある時だけよ」

 

 オリヴィアと共に生活してきたステラにはオリヴィアの私生活は筒抜けだ。――もっとも、オリヴィアは自分の趣味を隠していたわけではないので、筒抜けでも何も問題はないのだが。

 

 オリヴィアの実家の自室には研究に必要な書物や、研究内容をまとめた資料などが整然としまわれている。

 学園の寮にも最低限必要な物を持って来ているので、いつでも研究を続けられる万全な態勢だ。

 

「その点、ジルくんとは話が合うわね」

「良く二人で難しい話してる」

 

 ジルヴェスターも歴史や考古学には関心がある。故にオリヴィアとは良く考察を繰り広げている。その光景をステラは良く見掛けていた。

 

「ジルくんの知識や考察力には到底及ばないわよ。わたしが一方的にお世話になっているもの」

 

 オリヴィアは苦笑を浮かべながら肩を竦める。

 

「俺は実際に現場を見に行ったり、実物を持ち帰ったりしているからな。その違いがあるだけだ」

 

 ジルヴェスターは度々壁外へ赴いて遺跡の調査を行ったり、研究材料として遺物を持ち帰ったりしている。彼はそこが自分とオリヴィアの差だと告げるが、イザベラとリリアナには他に意識を持っていかれる内容があった。

 

「え、壁外に赴いておられるのですか?」

 

 リリアナが口元に手を当てて驚く。

 彼女の視線がジルヴェスターに突き刺さるが――

 

「ああ」

 

 全く動じずに首肯した。

 

「へえ。ならライセンス取得済なんだね」

 

 魔法技能師ライセンスを有していないと、壁外へ出ることは法律で認められていない。ライセンスを有していないのに壁の外へ出るのは違法行為だ。

 

 故に、イザベラはジルヴェスターがライセンスを有していると判断したのである。

 隠す事でもないので、イザベラの言葉にもジルヴェスターは頷く。

 

「階級は――」

「もっとも、ライセンスを有しているからと言って、学生の身分で壁外へ赴く奇特な人はあまりいないと思うわよ」

 

 ジルヴェスターの魔法師としての階級が気になったイザベラが質問しようとしたが、遮るようにオリヴィアが話を逸らした。

 

「確かに学生でもライセンス取得済の人はいるけど、実際に壁外へ赴く人は中々いないよね」

 

 質問を遮られたことを気にしていないイザベラは、オリヴィアの言葉に納得して顎に手を当てながら頷く。

 イザベラの仕草がいちいち凛々しくて周りの女性の視線を釘付けにしているが、一同は完全にスルーする

 

 ジルヴェスターはオリヴィアに視線を向けてアイコンタクトで感謝の気持ちを伝えると、オリヴィアはイザベラとリリアナに気付かれないように小さく微笑みを返した。

 

 ジルヴェスターはなるべく平穏な学生生活を送りたいと思っており、そのことをオリヴィアとステラは把握している。なので、オリヴィアは気を利かせてイザベラの質問を遮って話を逸らしたのだ。

 

 一学生として学生生活を送りたいので特別扱いをされたり、変に壁を作られたりするようなことを自ら行う愚行はできる限りしないように心掛けている。自分に対する扱いや距離感が変わるくらいならいいが、何かトラブルなどが起こりでもしたら、さすがのジルヴェスターも多少は申し訳ない気持ちになる。故に、彼としては特別隠している事柄ではないが、わざわざ言う必要もないと思っている。必要に駆られない限り自分から階級を伝えるつもりはなかった。

 

 イザベラが言ったように例え学生の身分でライセンスを有していたとしても、壁外へ赴く者は中々いない。本人にその気があっても、そもそも両親が認めない。壁の外に出るのは当然危険が伴う。生きて帰って来られないのも日常茶飯事だ。

 身体的にも精神的にも実力的にも未熟で経験値も低い者が壁外に出るのはとても危険な行為であり、周囲の者が反対する理由は容易に理解できるだろう。

 

 ライセンスは試験を受けて合格すれば年齢関係なく取得できる。

 例外を除いて初めは等しく初級五等魔法師のライセンスになるが、魔法的資質さえあれば誰でも試験を受けることは可能だ。

 

 国立魔法教育高等学校を卒業したら自動的に初級五等魔法師のライセンスを取得できるので、卒業までの間にライセンスを取得する者の絶対数は圧倒的に少ない。

 ライセンス取得後は功績や実力次第で昇級できる。昇級試験を受けて合格することで昇級する方法もある。

 



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第20話

「わたしはまだ決めてないけど術式研究かな」

 

 オリヴィアが上手く話を逸らしたところで、ステラが元の話題へと軌道修正する。

 

「もっと術式の理解を深めたら魔法を効率良く行使できるようになるかなと思って」

 

 魔法を行使する為には術式が必要だ。

 直接術式を(えが)いても魔法を発動できるが、戦闘中に術式を(えが)いている暇などない。

 

 そこで魔法補助制御機――通称・MAC――が必要になってくる。

 MACには魔力に反応し、術式を保存することができる魔晶石という鉱石が埋め込んである。

 MACは魔晶石を埋め込み、魔力を魔晶石に送り込むことで保存してある術式を行使できる仕様になっている。

 魔法師には欠かせないアイテムだ。

 

 魔法を行使する為には発動する魔法の術式を理解している必要があり、理解が深まれば深まるほど、消費する魔力量が減り、威力が向上する。魔法師界ではそれを効率が良くなると表現する。

 

「術式研究は私も専攻するよ。他には剣術指南とかも気になっているかな」

 

 どうやらイザベラも術式研究を専攻するつもりのようだ。

 

「剣術指南か。剣術の心得でもあるのか?」

「少しね」

 

 剣術指南を専攻する者は元々剣術の経験がある者が多い。無論未経験の者もいるが、絶対数は経験者の割合の方が多い。

 故に、アレックスはイザベラも経験があるのか気になったのだ。

 

「武闘派なのね」

「いや、そんなことはないよ。ただ、母の方針でちょっと教わっただけだよ」

 

 オリヴィアの指摘をイザベラは苦笑しながら否定する。

 

「イザベラの母君というと、エアハート家の御当主殿か」

「そうだよ」

 

 ジルヴェスターがイザベラの母のことを思い浮かべる。

 

「直接の面識はないが、何度か見掛けたことはある」

「へえ。そうなんだ」

 

 イザベラの母は名門エアハート家の現当主だ。

 魔法師としても優秀な人物だとジルヴェスターは認識している。

 

「エアハート家ともなると親御さんの教育も厳しそうよね」

 

 名門故に厳しい教育を受けているのではないかとオリヴィアは思った。

 

「どうだろうね。他の家のことはわからないし、なんとも言えないよ」

「それもそうね」

 

 イザベラの言うことはもっともだ。他家の教育事情を知らない限り比較しようがないだろう。

 

「リリアナは何を専攻するのかしら?」

 

 オリヴィアはリリアナに視線を向けて尋ねる。

 

「わたしは医学講座を専攻します。他は皆さんと同じでまだ決めかねていますが……」

 

 医学講座はその名の通り、医学について勉強する選択科目だ。

 共通科目には救命救急講座もあるが、これはあくまで基礎的な内容であり、魔法師として活動する上で必要な知識と技術を学ぶ授業だ。

 

 対して医学講座は魔法師としてではなく、医者として必要なことを学ぶ内容である。魔法を用いた治療法も学ぶが、魔法とは無関係な内容が大半を占めており、医者を志す者が専攻する科目だ。

 

 医者になる為には大学に通って資格を取得しなければならないが、高校の内から勉強できるのはメリットしかないだろう。

 

「医者になりたいの?」

 

 医学講座を専攻するからには、医者を志しているのかと思ったステラが尋ねる。

 

「いえ、わたしは教師を志しています。医学講座を専攻するのは、私は治癒魔法が得意なので勉強すればそれを生かせるのではないかと思ったからです」

「へえ、いいね教師。似合いそう」

「ふふ。ありがとうございます」

 

 リリアナの言う通り医学の造詣を有していれば治癒魔法に生かせる部分もあるだろう。少なくとも決して無駄になることはない。

 

「リアは昔から教師を目指していたもんね」

「うん」

 

 イザベラが懐かしむような表情で言うと、リリアナは笑みを零しながら頷いた。

 どうやらイザベラはリリアナのことをリアと呼んでいるようだ。

 

「二人の付き合いは長いのか?」

 

 心理的距離感の近い二人の関係性が気になったアレックスが尋ねる。

 

「物心つく頃には既に一緒にいたよ」

「元々家同士の繋がりがあったので自然と知り合いました」

 

 イザベラとリリアナが順に答える。

 

 エアハート家とディンウィディー家は魔法師界の名門同士だ。元々交流があってもなんら不思議ではない。

 

「ふーん。幼馴染なのか」

 

 アレックスは納得顔でそう呟く。

 

「幼馴染っていいよな。俺は幼馴染いないから憧れる」

「幼馴染だからと言って仲がいいとは限らないだろ」

「確かにそうだな」

 

 ジルヴェスターの指摘にアレックスは肩を竦める。

 

「――話を戻すが、アレックスは選択科目どうするつもりなんだ?」

「ん? 俺? 俺はまだ決めてねぇよ」

「そうか。興味のある科目とかはないのか?」

「これって言うのはないな。とりあえず一通り体験してみようかと思ってる」

 

 無理に今決めることもないだろう。まだ焦って決める時期ではない。時間を掛けて決めるのも正しい選択だ。

 

「ジルはどうなんだ? もう決めたのか?」

 

 アレックスは参考にちょうどいいと思い、ジルヴェスターの専攻科目を尋ねる。

 

 この場は意見交換の場なので、積極的に言葉を交わすのは相応しい行為だ。ただこの場にいるだけではせっかくの機会を無駄にすることになる。

 

「俺は術式講座、MAC講座、言語学、考古学研究は専攻するつもりだ」

 

 術式講座と考古学研究は先述した通りの内容だ。

 

 MAC講座は使用者の特性に合わせたチューニングやメンテナンス、MACの設計や開発について学ぶことのできる選択科目だ。なので、魔法技能師を志す生徒が主に専攻している。

 

 言語学は世界に存在する多様な言語を学ぶ選択科目だ。

 現在ウェスペルシュタイン国で主に使用されている言語を共通語として用いられているが、この国は魔興歴四七〇年に突如として世界中に魔物が大量に溢れた際に、数多の国から逃れてきた者たちの末裔で構成されている。

 

 避難してきた自国の民や他国の民など、国籍や人種を問わず受け入れて来た故に、多様な言語も流入してきた歴史がある。

 現在はウェスペル語という共通言語が主に用いられているが、元々は数多の言語が飛び交っていた。

 

 ウェスペル語が共通語となったことで、時が経つにつれ、異国語や限られた部族が用いていた言語を話せる者が減少していった。

 

 閉ざされた世界であるからこそ、外の世界に関わる文化や風習を重んじようと考えた末に生まれたのが言語学だ。考古学研究もこれに含まれる。

 

 例を挙げると、魔法補助制御機の略称であるMACの正式名称Magic Assistant Controllerという単語もウェスペル語ではない異国の言語だ。

 世界が閉ざされる前に最も魔法技術が発展していた国に敬意を払って、現在もその国の言語を用いている経緯がある。

 

「座学ばかりだな」

「性に合っているんだ」

 

 専攻する予定の選択科目が座学ばかりという事実に嫌そうな表情を浮かべるアレックスの様子に、ジルヴェスターは苦笑する。

 

「ジルくんは研究者肌だものね」

「首席殿は文武両道かよ」

 

 オリヴィアのフォローにすかさず大袈裟な態度で茶化すアレックスの姿に、一同は笑いを漏らす。

 

 国立魔法教育高等学校は筆記より実技の方が重視される傾向にある。

 成績には実技の結果の方がより反映される為、仮に実技五十、筆記八十の人より、実技八十、筆記五十の人の方が総合成績は上位になる。

 

 成績上位に入る為には実技も筆記も好成績でなくては厳しいが、極端な話をすれば実技一辺倒でもそれなりの成績を残すことは可能だ。――無論、筆記の成績が酷すぎるのは論外だが。

 逆に筆記一辺倒だと成績は下位に甘んじることになる。

 

 魔法師として活動するからには壁外に赴くことになる。自分の身も守れないようでは死ぬだけなので、実技が重視されるのは道理だ。

 

 魔法工学技師を志す者もある程度は実技の成績は重要だ。

 直接戦闘することは少ないかもしれないが、MACの調整や設計は調整段階で自分で試すこともある。自分が全く魔法の行使を行えないと試すことができない。それに実際に使う人の身になって考えることができなければ、決して一流になれない。その為には自身が魔法技能師として最低限の実力を身に付けておかなければならない。

 

 実技と筆記の比重は学校毎に異なるが、ランチェスター学園は実技が六~七、筆記が三~四くらいの比重になっている。

 

 わかりやすいところだとキュース魔法工学院は筆記に重きを置いており、筆記が八~九、実技が一~二の比重だ。

 

「だからこそ首席なんだと思うよ」

「うん。ジルは凄いんだ」

 

 イザベラのもっともな指摘に、何故かステラが控えめな胸を張って嬉しそうに威張る。

 そんなステラの姿に場は微笑ましい空気に包まれた。

 

 その後も笑いを交えながら充実した意見交換を行っていくのであった。

 



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第21話

 ◇ ◇ ◇

 

 ネーフィス区のリンドレイクで周辺を調査していたアウグスティンソン隊の面々は、一度調査を切り上げてワナメイカー本社に続々と集合していた。

 

 ワナメイカー・テクノロジーはアウグスティンソン隊の任務に協力している立場だ。

 ワナメイカー・テクノロジーから依頼を受けてアウグスティンソン隊が任務を引き受けたわけではなく、連日新聞を騒がせている事件について調査をすることにしたアウグスティンソン隊に、あくまでワナメイカー・テクノロジーが協力している形だ。

 

 ワナメイカー・テクノロジーとしては警備員も雇っているが、魔法師が自ら調査に乗り出してくれるのならメリットしかないので願ったり叶ったりだった。場所を提供するくらいお安い御用である。魔法師がいてくれるだけで抑止力にもなるので断る理由などない。誰も魔法師がいるところに襲撃しようなどとは思うまい。非魔法師ならば尚更だ。

 

「隊長、アビーとビルがまだ戻ってきません」

 

 隊員の一人がマイルズに伝える。

 

 アウグスティンソン隊は隊長であるマイルズを除いて十五人の隊員がいる。

 この場には現在十三人の隊員が戻ってきているので、二人足りないことになる。

 

「何かあったのかもしれません」

 

 戻ってこないということは、何かトラブルに巻き込まれた可能性が高い。

 

「そうだな。だが、あの二人なら心配ないだろう」

 

 アビーとビルはアウグスティンソン隊の中でも精鋭に分類される優れた魔法師だ。

 二人の実力を把握しているマイルズは全幅の信頼を寄せている。

 

「何かあれば(テレ)――」

『隊長!!』

「――っ!?」

 

 『念話(テレパシー)』を行使すれば離れていても連絡することは可能だ。

 

 『念話(テレパシー)』は無属性魔法の第六位階魔法で、任意の相手に念話(テレパシー)を飛ばして会話をすることができる支援魔法だ。念話(テレパシー)を飛ばす相手と距離が離れているほど魔力を消費する。

 

 第六位階魔法は高度な魔法だが、無属性は魔法の資質がある者には等しく備わっている適正であるが故に、他の属性よりも比較的難易度が低くなっている。

 なので、同じ第六位階の魔法でも無属性魔法は他の属性の魔法より難易度が低い。――例外もあるが。

 

 アウグスティンソン隊の精鋭であるアビーとビルも当然『念話(テレパシー)』を行使できる。

 マイルズは二人のことなので何かあれば念話(テレパシー)を飛ばして来るだろうと踏んでいた。

 

 そしてマイルズの言葉を遮るように念話が飛んで来たのだ。

 

念話(テレパシー)だ」

 

 彼は周囲の隊員たちに念話(テレパシー)が飛んで来たことを伝えると、念話(テレパシー)に意識を傾ける。

 何かあったのだと判断した隊員たちの中に緊張が走った。

 

『アビーか?』

『はい! 私です!』

『何があった?』

 

 優秀な魔法師であるアビーとは思えない慌てぶりだった。

 

 マイルズはアビーを落ち着かせるように悠揚な口調で尋ねる。

 

『反魔法主義者と思われる者を追跡中に、市民が奴らに襲撃されそうになっているところに遭遇しました』

『何!?』

『即座に市民を保護しましたが、現在交戦中です!』

『そうか。良くやった』

 

 アビーは焦っているのか捲し立てるように早口で言葉を紡ぐ。――念話(テレパシー)なので実際には口から言葉を発しているわけではないが。

 

『隊長、奴らの中に魔法師がいます!』

『なんだと!?』

 

 どうやらこれが慌てている原因だと、マイルズは当たりをつけた。

 

 反魔法主義を謳っている連中の中に魔法師がいるとは普通思わないだろう。

 

 この場面での魔法師は魔法的資質を有する者を指す。

 反魔法主義の者なら魔法技能師ライセンスを取得していない者もいるだろう。むしろ取得していない方が理解できる。

 

『目視可能な範囲に四名の魔法師がいます! 奴ら予想以上に手練れで保護対象を抱えたままの現状では厳しいです。至急応援をお願いします!』

『了解した。至急応援を送る』

『ありがとうございます』

『対象の確保も重要だが、市民の保護が最優先だ。無理はするな』

『了解です。場所は――』

 

 情報を集める為には反魔法主義者の確保も重要だが、現状最も優先すべきは保護している市民の安全だ。

 いくら優秀な魔法師であるアビーとビルでも、市民を保護したままでは対象を確保するのは厳しい。

 

 アビーは中級三等魔法師で、ビルは中級五等魔法師だ。

 中級魔法師は前線で活躍できる一線級の魔法師だが、言い換えれば上級魔法師になれない者ということでもある。――もっとも、今後上級魔法師になれる可能性はあるが。アビーとビルは二十代と若いのでまだ将来性がある。

 

「グレッグ、四人付ける。至急応援に向かってくれ」

 

 マイルズは近くにいた壮年の男性に命令を出す。

 

「おうよ。任せろ」

 

 壮年の男性は自分の胸に右拳をドンと当てて了承する。

 

 グレッグはアウグスティンソン隊の発足メンバーであるベテラン魔法師だ。

 階級はマイルズと同じ中級一等魔法師であり、彼が最も信頼している隊員でもある。マイルズ不在時はグレッグが隊の指揮を執ることも多い。

 

 グレッグは三十五歳であるマイルズよりも一回り以上年上であり、良き相談相手で、良き理解者でもある兄弟のような関係だ。

 

 マイルズのことを隊発足以前から支えてきたアウグスティンソン隊の実質的なナンバーツーである。アウグスティンソン隊の中で最年長であり、豪放磊落な性格で隊員からも慕われている良き兄貴分だ。

 

「野郎ども。行くぞ! ついて来い!」

 

 グレッグは号令を掛けると、四人の隊員を伴って駆けて行った。――中には「わたし女なんですけどぉ~」と野郎呼びに対して抗議する者が一名いたが。

 



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第22話

 ◇ ◇ ◇

 

 大通りから逸れた人気(ひとけ)のない路地裏にある空き物件の工場で争う複数の人影があった。

 

「――ビル! 応援を要請したわ!」

「おう!」

 

 アビーは応援の要請が済んだことを前線で相手の魔法を防いでいるビルに伝えると、彼は背を向けたまま返事をした。

 

 アビーはショートパンツを穿き、左脚の太股に地肌の上から中級三等魔法師を示す脚章を身に付けており、ビルは左胸に中級五等魔法師を示す胸章を身に付けている。

 

「市民の保護が最優先よ」

「わかってる!」

「でも、一人くらいは確保しましょう」

「そうだな」

 

 二人の前には四人の魔法師の他に、数人の反魔法主義者の姿がある。

 情報を得る為には全員尋問した方がより多くの情報を得られ確実性が増す。だが、現状それは厳しい。それでも二人にとってはせめて一人は確保したいというのが本音だった。

 故に、二人は市民を守る最重要な役目を全うしつつ、最低限の成果を挙げる方針を定めた。

 

炎柱(バーニング・ピラー)!!」

 

 ビルは後方で柱に身を隠しながら魔法を行使している一人の魔法師に向けて魔法を放つ。

 

 ――『炎柱(バーニング・ピラー)』は第二位階の火属性魔法だ。

 対象の足元から炎の柱が飛び出す攻撃魔法であり、攻撃性能だけではなく、足元のバランスを崩すことができる妨害性能も備わっている。

 

 ビルは左手首に装着している腕輪(ブレスレット)型の汎用型MACを使用している。

 

「ぐわぁ!!」

 

 優れた魔法師にとって遮蔽物は意味を為さない。発生地点を正確に指定できれば、遮蔽物があろうと、離れた場所であろうと精密に魔法を発動できる。

 

 魔法を食らった魔法師が膝をつく。

 後方にいる味方が魔法を食らったことで、前線にいる者の意識が後方に逸れた。

 

 その隙をビルは見逃さない。

 彼は瞬時に『身体強化(フィジカル・ブースト)』を行使すると、敵中に突撃した!

 

 ――『身体強化(フィジカル・ブースト)』は無属性の第五位階魔法で、任意のタイミングまで自身の身体能力を向上させる強化魔法だ。

 

 敵中に突撃したビルは手前にいる魔法師に向けて魔法を放つ。

 

「食らえっ! 焼夷弾(ナパーム)!」

 

 ――『焼夷弾(ナパーム)』は火属性の第四位階魔法で、爆発する火炎弾を放つ攻撃魔法だ。

 

「甘い!」

 

 相手は焼夷弾(ナパーム)が直撃するのを避けた。

 

 しかし牽制することには成功した。その隙に近くにいた非魔法師の男に接近して鳩尾に拳を振るう。

 

「くそっ!」

 

 非魔法師の男は咄嗟に防御の構えを取ったが、身体強化(フィジカル・ブースト)で強化された腕力での打撃に非魔法師の男は吹き飛んだ。

 

 ビルが敵中に飛び込んだことで、意識が傾き背を向ける形になった前線にいる若い魔法師の男の背後から、アビーが魔法を放つ。

 

感電(エレクトリック・ショック)!」

 

 ――『感電(エレクトリック・ショック)』は雷属性の第二位階魔法で、対象を感電させる妨害魔法だ。感電すると魔力が体内で上手く循環しなくなる為、魔法の行使が困難になる。

 

 感電しても元々魔力量が多ければ力業で無理やり魔法を行使することができ、魔力の扱いに長けている者も魔法を行使できる可能性がある。――思ったような威力を出せるかは別問題だが。

 

 ビルが敵中にいる現状で高威力の魔法は行使できない。彼を巻き込んでしまう可能性があるからだ。工場内という限られた空間というのも影響が大きい。

 

 高威力、広範囲に影響を及ぼす魔法を行使できない以上、対象を妨害する効果を持つ魔法を放つのは最善の選択だろう。

 

 アビーの役目は保護している市民を守ることが最優先事項だが、ビルを援護することはできる。

 右手の中指に嵌めている指輪型MACを用いて魔法を行使しているようだ。

 

「ぐっ! しまった!」

 

 感電(エレクトリック・ショック)を受けた魔法師は、感電して身体を上手く動かせないようだ。身体に力が入らず、地面に片膝をついてしまっている。

 

火球(ファイア・ボール)!」

 

 ビルは非魔法師を背後に庇っている四人の魔法師の中で、唯一の女性に魔法を放ったが――

 

「させんっ!」

 

 残りの魔法師の中で最も体格のいい魔法師が射線上に割って入り魔法を行使する。

 

土壁(アース・ウォール)!」

 

 ――『土壁(アース・ウォール)』は地属性の第二位階魔法で、任意の場所に土の壁を生成する防御魔法だ。

 

 ビルが放った火球(ファイア・ボール)は、土壁(アース・ウォール)に阻まれて搔き消える。

 

――『火球(ファイア・ボール)』は火属性魔法の第一位階魔法で、火の球を放つ攻撃魔法だ。

 

 火球(ファイア・ボール)は第一位階の魔法なだけあり比較的気軽に行使できる。消費魔力量が少なく、意識を傾ける割合も削減できる効率のいい魔法だ。言い方を変えれば、片手間に行使できるということでもある。

 工場内という限られた空間での戦闘でも被害を抑えられて使い勝手のいい魔法だ。

 

「チッ」

 

 火球(ファイア・ボール)を防がれたビルは舌打ちをする。

 

 ちなみに、彼が炎柱(バーニング・ピラー)を放ってからまだ一分も経っていない。

 

 ビルが舌打ちをしたのとほぼ同じタイミングで、体格の優れた魔法師が土壁(アース・ウォール)の陰から飛び出してきた。

 

 素の身体能力での飛び出しなので、ビルにとって対応するのは容易だ。

 

風切り(ウインド・カッター)!」

 

 だが、背後からビル目掛けて魔法が飛んでくる。

 

 どうやら焼夷弾(ナパーム)を受けた魔法師が立ち直り、風切り(ウインド・カッター)を放ったようだ。

 

 ――『風切り(ウインド・カッター)』は風属性の第一位階魔法で、風の刃で対象を切り裂く攻撃魔法だ。

 

 ビルは背後から魔法が向かってきているのにも構わず、正面から突撃してくる魔法師に相対するように駆け出した。

 



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第23話

氷壁(アイス・ウォール)!」

 

 駆け出したビルの背後に氷の壁が出現し、風切り(ウインド・カッター)を阻む。

 

 保護している市民を守る為に、少し離れた位置にいるアビーが氷壁(アイス・ウォール)を行使した。

 

 ――『氷壁(アイス・ウォール)』は氷属性の第二位階魔法で、任意の場所に氷の壁を生成する防御魔法だ。

 

 ビルはアビーが対応してくれると信じて背後から向かってくる魔法を無視していた。二人の信頼関係があってこその連携だ。

 

 非魔法師も猟銃を発砲して攻撃してくるが、それにも構わずビルは突撃する。

 

 ビルと体格のいい魔法師が目と鼻の先で相対すると、互いに勢いそのままに拳を振りかぶった!

 

 ビルの拳は相手の左脇腹に直撃し、相手の拳はビルの左頬を殴打する。

 

「ぐっ」

「まだまだぁあああ!!」

 

 素の身体能力で対抗する相手は両手に鉄拳――手に嵌めて拳の外側に等間隔に並んだ三鋲の鉄角を向けて握り、敵を打ったり、突いたり、敵の攻撃を払ったりなどに使用する武器――を装着しているが、身体強化(フィジカル・ブースト)を行使しているビルは一瞬くぐもった声を漏らしただけで、ダメージもお構いなしに攻撃を続ける。

 

 ビルよりもダメージを食らっているであろう相手も、怯むことなく気勢を上げて乱打戦を繰り広げる。

 

 すると風切り(ウインド・カッター)を放った魔法師も乱打戦に加わり、二対一の展開へと移行した。

 

 非魔法師を背後に庇っている魔法師の女性は、援護しようにも近接戦による攻防に手出し出来ずにいた。味方を巻き込んでしまう恐れがあるからだ。とはいえ、彼女には肉弾戦を行う技術も膂力もない。

 

 数度打ち合ったところでビルはバックステップを踏んで一旦距離を取った。

 その一瞬の隙に魔法を行使する。

 

燃え上がる魂(バーニング・ソウル)!」

 

 魔法を行使すると、ビルの身体から燃え上がるような赤いオーラが立ち昇る。

 

 ――『燃え上がる魂(バーニング・ソウル)』は火属性の第三位階魔法で、対象の心を奮い立たせて強気にさせ、尚且つ身体能力を一時的に向上させる強化魔法だ。

 

 ビルは『身体強化(フィジカル・ブースト)』と『燃え上がる魂(バーニング・ソウル)』の重ね掛けで、飛躍的に身体能力を向上させた。

 これで戦況は有利になるが、その分魔力の消費が大きくなる。

 

「行くぞ!」

 

 格段に向上した脚力で風切り(ウインド・カッター)を放った魔法師に一瞬で接近すると、勢いに乗ったまま右脚での鋭い蹴りをお見舞いする。

 

 相手は全く反応できず気づいた頃には吹き飛ばされており、勢いそのままに壁に直撃し、意識を手放した。

 

「くそっ!」

 

 大柄な魔法師はその事実に遅れて気づくと、ビル目掛けて突進しようとしたが――

 

「撤退だっ!! 目を閉じろ!」

 

 感電(エレクトリック・ショック)を受けて動きを封じられていた魔法師は、感電が収まり動けるようになったようで、声を上げて撤退を促した。

 

 そして瞬時に魔法を行使する。

 

閃光(フラッシュ)!」

 

 閃光(フラッシュ)を発動すると、辺り一面に(まばゆ)い光が満ちた。

 

 ――『閃光(フラッシュ)』は光属性の第二位階魔法で、目を眩ませる閃光を放つ妨害魔法だ。

 

「まずい!!」

 

 閃光(フラッシュ)で視力を奪われたアビーは、瞬時に保護している市民を守るように氷壁(アイス・ウォール)を四連続で行使して、周囲を囲むように氷の壁を生成する。

 

 ビルは目を潰されながらも周囲を警戒するのを怠らない。もちろん万一に備えて防御態勢を取っている。

 

 二人は耳に神経を傾けると、複数の足音が遠ざかっていくのを聞き取れた。

 

「アビー! ビル! 無事か!?」

 

 足音を確認していると、自分たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「おやっさん?」

 

 アビーは馴染みのある声の主に確認の意味を込めて呟く。

 

「おう。儂じゃ!」

 

 声の主は応援として駆けつけたグレッグたちだった。

 

「二人とも無事か?」

「ええ。奥にビルがいるわ。あと、後ろにいる二人が保護対象よ」

 

 アビーは氷壁(アイス・ウォール)を解除して保護している市民の姿を見せる。

 そして説明を聞いたグレッグは連れてきた四人に視線で指示を出す。

 

 女性の魔法師は保護されている二人の女性の介抱をし、残りの三人は周囲の確認に動き出した。

 

 保護している二人の女性は、おそらく魔法的資質を有する一般人だと思われる。魔法的資質を有するが、魔法を扱うことができない者だ。だからこそ襲撃対象にされたのだろう。

 

「目をやられたか?」

「ええ。閃光(フラッシュ)にやられただけだから(じき)に視力は戻るわ」

「そうかい。なら良かったわい」

 

 グレッグはアビーたち五人を守るように周囲を警戒する。

 

 少しの間そうして待機していると、周囲を確認しに行っていた三人の内の一人がビルを伴って戻ってきた。

 

「おやっさん」

「お前さんも目をやられたか」

「ああ」

深傷(ふかで)は負っておらぬようじゃな」

 

 グレッグは肩を借りて歩いて戻ってきたビルと言葉を交わす。

 この場で見た限りでは重傷を負っていないようで安堵する。

 

「おやっさん。中に反魔法主義者の二人が倒れていて、二人が一人ずつ監視しています」

 

 ビルに肩を貸している魔法師がグレッグに工場内の様子を伝える。

 

 工場内にはビルが最初に殴り飛ばした非魔法師の男と、最後に蹴り飛ばした魔法師の男が倒れ伏していた。どうやら仲間には見捨てられたようだ。残念ながら気を失っている仲間を連れ出す余裕がなかったのだろう。

 

「残りの連中には逃げられちまったようだ」

 

 ビルは悔しさを内包した声音で言葉を漏らす。

 

 市民を保護している状態だったので、本来ならば応援の到着を待ってから行動するべきだった。しかし、それも難しかった。

 

 待っている間に反魔法主義者が逃走してしまう可能性がある。また、保護対象がおり、自由に行動できない状況だったので、アビーとビルが押し込まれてしまう恐れもあった。

 

 そこで、敵の想定を覆すようにビル一人が敵中に突撃することで動揺させ、その隙に一気に決めにかかる戦法を取った。

 

 反魔法主義者になるような魔法師は、魔法師としての自分に劣等感を抱いている者が多い。そして魔法師としても大した力はないだろう。魔法師として優れているのならば、反魔法主義者になる利点は全くないからだ。

 

 結果としてアビーとビルの戦法は成功したと言えるだろう。

 あの状況下で反魔法主義者を二人確保することに成功したのだから。

 

「ふむ。どうやら二人は仕留めたようじゃの」

「おやっさん、別に殺してはいないぞ」

「がっはっはっは!! わかっておるわい」

 

 グレッグの言いように不満を抱いたビルは、瞼を閉じたまま苦笑を浮かべて訂正した。

 しかしグレッグは全く意に介していない。

 

「良くやったの」

 

 一転して真面目な表情を浮かべたグレッグは、ビルの頭を粗雑に撫でて労う。

 

「おやっさん、俺はもうガキじゃないんだが……」

 

 だが、撫でられた当人は複雑そうな表情を浮かべて苦言を呈する。

 

「儂からしたらお前さんなどまだまだ(わらべ)じゃ」

 

 グレッグはそう言うと、また豪快な笑い声を上げる。

 

「諦めなさい、ビル」

 

 見かねたわけじゃないが、アビーがビルを宥めるような声色で言葉を掛ける。

 

「お前さんら、二人の反魔法主義者を拘束したら戻るぞ。マイルズが待っておる」

「隊長には念話(テレパシー)を飛ばしておくわ」

「私は一応周辺を探ってみます」

「おう。任せるわい」

 

 一頻(ひとしき)り笑い終えたグレッグが指示を出すと、すかさずアビーがマイルズに念話(テレパシー)を飛ばした。

 

 ビルに肩を貸していた男性の魔法師はビルをグレッグに任せると、反魔法主義者が逃走したと思われる方向へ駆け出す。

 

 そして女性の魔法師に保護している二人の女性を送り届けさせ、残りの面々は反魔法主義者の二人を拘束して連行した。

 



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第24話

 ◇ ◇ ◇

 

 グレッグたちと別れて一人で行動し、逃走した反魔法主義者を探っていた魔法師は、目の前の光景に唖然としていた。

 

「これはいったい……?」

 

 アビーとビルが反魔法主義者と交戦していた現場から、一キロメートルほど離れた中心地と比べると閑散としている高層な建築物が減った場所には、複数の人間が倒れていた。

 

 地面にうつ伏せで倒れ伏している者、壁にめり込んで気を失っている者、氷漬けにされている者など様々いる。

 

「―――おや? これはちょうどいいところに」

 

 彼は一帯を見回していると、突然後方から声を掛けられた。

 

「――!?」

 

 突然のことに驚きながらも彼は瞬時に振返ると後方に飛び、声の主から距離を取って臨戦態勢の構えを取る。

 

「いい判断ですが、私は敵ではありませんよ」

 

 彼の視線の先には、女性としては長身で、主張の激しい肉体をスカートタイプのレディスーツに身を包んでいる美女が立っていた。

 白い肌で、緑がかった明るく薄い青色の髪をショートレイヤーにしており、黄色の瞳が典麗な印象を深めている。

 

 その姿を確認して敵ではないと判断したイヴァンは、臨戦態勢を解いて女性に声を掛ける。

 

「あなたは……?」

 

 女性の胸元を注視すると、そこには魔法技能師ライセンスの階級を示す胸章が無視できない存在感を放っていた。

 

「――!!」

 

 胸章が示す階級を確認した彼は一層驚いたが、慌てて敬礼をする。

 

 魔法師は軍隊ではないので、正式には軍隊的な格式は存在しない。だが、上位の階級の者には敬意を込め、礼節を持った態度で接する暗黙のルールが存在する。

 

「楽にして頂いて構いませんよ」

「はっ!」

 

 女性の言葉に彼は敬礼を解く。

 

「自分はイヴァンと申します。中級四等魔法師です」

 

 イヴァンは自分の階級を示す腕章を見せると、先程から疑問に思っていたことを辺り一帯を見回しながら尋ねる。

 

「あの、これはいったい何があったのでしょうか?」

「私がやりました」

 

 複数の人間が倒れ伏している状況を作り出したのは、目の前の女性の仕業であった。その事実を事も無げに自白する。

 

「あなたはアウグスティンソン隊の方ですよね?」

「は、はい」

 

 周囲の状態について尋ねていたにも(かか)わらず、突然話題を変えられてしまう。

 だが、幸いにもイヴァンはなんとか反応することができた。

 

「アウグスティンソン隊が連日各地を賑わせている、反魔法主義者について調査しているのは存じておりました」

 

 女性はそこまで口にすると、自分の目的を告げ始める。

 

「私も上司の命令で調査をしていたのですが、そうしたらちょうど(くだん)の者たちに遭遇したので、こうして対処をさせて頂いた次第なのですよ」

「なるほど。自分は――」

 

 話を聞いて納得したイヴァンは、自分がここに来た理由を説明する。

 

「――では、イヴァン殿はこの者たちを追って来たのですね」

「ええ。そうなります」

「それは尚のこと好都合です」

「と、申しますと?」

「昏倒させたはいいものの、この人数ですからどうしたものかと途方に暮れていたのですよ。よろしければ連行するのを手伝っては頂けませんか? もちろん、この人たちの扱いはアウグスティンソン隊に一任しますので。ただ、尋問には同席させて頂きますが」

 

 周囲には八人の人間が気を失って倒れ伏している。さすがに一人でこの人数を連行するのは現実的ではない。

 

「わかりました。隊長に確認するので念話(テレパシー)を飛ばします」

「よろしくお願いしますね」

 

 イヴァンがマイルズに念話(テレパシー)で連絡を取っている間、女性は侮ることなく周囲を警戒していた。

 

「――隊長から許可が出ました。隊員を数人寄越すそうなので、待機していてほしいそうです」

「そうですか。助かります。では、このまま待ちましょうか」

「はい」

 

 イヴァンがいるとはいえ、さすがに二人で八人を連行するのは厳しい。そこでイヴァンはマイルズに人員を出すように要請していた。

 

「――そういえば申し遅れていましたね」

 

 女性はすっかり忘れていたと申し訳なさそうに居住まいを正し、改めて自己紹介をする。

 

「私はレイチェル・コンスタンティノスと申します。階級は見た通り上級二等魔法師です」

「――!!」

 

 レイチェルの自己紹介を聞いたイヴァンは改めて驚愕をあらわにする。なんとか表に出さずに胸中で驚くことに成功し、醜態を晒さずに済んだ自分のことを褒めてやりたい気分になっていた。

 

 イヴァンが驚いたのはレイチェルの階級にではない。

 

「コンスタンティノス殿でありましたか」

「レイチェルで構いませんよ。コンスタンティノスだと、どのコンスタンティノスのことを言っているのかややこしいですからね」

 

 名前呼びを許すレイチェルは苦笑を浮かべる。

 

「確かにそうですね。では失礼してレイチェル殿と呼ばせて頂きます」

 

 魔法師界だけに留まらず、この国ではコンスタンティノスの姓は有名だ。知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

 

「以前、聖女様にはお世話になりました」

「そうでしたか」

「イヴァンが感謝していたと代わりにお伝えして頂けませんでしょうか」

「構いませんよ。母には責任を持って伝えておきますね」

「ありがとうございます」

 

 イヴァンは頭を下げ、誠意を込めて感謝を示す。

 

 レイチェルの母は特級魔法師であり、『聖女』の異名を与えられている。

 治癒魔法や支援魔法を得意にしている為、普段はあまり壁外に赴くことはなく、壁内で活動していることが多い特級魔法師だ。

 

 おそらくイヴァンも治癒してもらったことがあるのだろう。

 

 そして『聖女』には五人の娘がいる。

 何よりも凄いのは、五人の娘が全員国内でも指折りの魔法師であるということだ。

 レイチェルも『疾風』という異名を与えられている。しかも他の姉妹も全員、異名持ちだ。

 

 異名は偉大な魔法師に敬意や畏怖を込めて与えられる名誉である。

 異名を与えられている人物というのは、それだけ特別な存在という証だ。

 

 レイチェルの母は魔法師としても偉大なら、母としても偉大な聖女であった。

 

「レイチェル殿は上司の命令で動いていると仰っておりましたが、やはり反魔法主義者のことは上層部も懸念しておられるのでしょうか?」

 

 レイチェルの上司は他の姉妹と異なり(おおやけ)になっていない。

 彼女は普段一人で行動することが多く、魔法師界では不思議なことの一つになっている。

 

 元々部隊などに所属することはなく、魔法師としては単独で活動しているのではないかという噂もあるが、こうして本人の口から上司という単語が出た以上は、何かしらの組織に所属していえることが証明された。

 

 とはいえ、イヴァンがレイチェルの上司について直接尋ねることはない。

 何事も知らない方がいいことはあるものだ。

 

「そうですね。魔法師と非魔法師の共存はこの国が抱える至上命題ですから」

 

 魔法師と非魔法師の溝は国の根幹に関わる問題だ。

 この国は魔法師と非魔法師が共存しているからこそ成り立っている。

 

 しかし、非魔法師を見下す魔法師が一定数おり、魔法師を否定する非魔法師も存在するのが現実だ。

 魔法選民主義者と反魔法主義者の存在が、魔法師と非魔法師の対立構造を深刻化させている最大の要因であり、上層部が頭を痛めている原因でもある。

 

「難しい問題ですね」

「ええ。繊細な要素を抱えているので軽率なことはできませんし」

 

 難しい顔で相槌を打つイヴァンに、レイチェルは肩を竦めて言葉を返す。

 

 軽率な行動で国内に大混乱を招くわけにはいかない。

 最悪、暴動や現体制への反乱などが起こった場合は、大混乱どころでは済まない事態になる。

 

「今回は少しでも有益な情報を得られるといいのですが……」

 

 レイチェルは周辺で気を失っている反魔法主義者を見回しながら呟く。

 

 彼女は反魔法主義者について連日探っていた。

 その結果、有益、無益問わず多様な情報を得ることができている。だが、核心的な情報はまだ得られていない。故に、今回こそは核心を突き決定打となり得る情報を求めていた。

 

「そろそろ到着するそうです」

「わかりました」

 

 仲間からの念話(テレパシー)を受け取ったイヴァンが端的に伝える。

 

 その後、アウグスティンソン隊の協力のもと、何事もなく反魔法主義者を連行した。

 



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第25話

 ◇ ◇ ◇

 

 アウグスティンソン隊が反魔法主義者を確保した日の夜。

 日が暮れているにも(かか)わらず、賑やかさを失わない大通りから一つ逸れた通りにある建物の一室には、怒りを爆発させている大柄な男がいた。

 

「また魔法師の野郎が邪魔をしやがった!」

 

 必要最低限の調度品のみが置かれている簡素な部屋でデスクに向き合っている大柄な男が、力強く握りしめた拳を机に振り下ろす姿は、まるで鬼が暴れているかのような錯覚を起こさせる。

 

「俺の可愛い部下たちを連れ去りやがって、絶対に許さん!!」

 

 怒り狂っていたかと思えば、今度は突然滂沱(ぼうだ)する。

 情緒の変化が激しい姿は恐怖すら覚える。

 

「ヴォイチェフ、気持ちはわかるが少し落ち着け。お前が取り乱すとみなが不安になる」

「……そうだな。すまん」

 

 部屋の中にいる細身の男性が大男を宥めると、彼は少し冷静になった。

 大柄な男と一緒にいる所為で一見細身に見えるが、この男も良く鍛えられた肉体をしている。

 

「だが、魔法師の野郎どもには痛い目に遭ってもらわんと気が済まん」

 

 冷静になったとはいえ怒り冷めやらぬ大男は、今にも爆発しそうな感情を必死に抑えているようだ。

 

「そうだな。では、魔法師が最も嫌がることをしてやろうではないか」

「最も嫌がることだと?」

 

 細身の男が口元を歪ませながら告げると、大男は眉を顰めて疑問を浮かべる。

 

「ああ。魔法師は後進の育成に力を入れている。だったら、一生懸命育てている若人(わこうど)たちを潰してやればいい」

 

 魔法技能師は過酷な仕事だ。

 特に壁外遠征は体力的にも精神的にも多大な負担が掛かる。命の保証もない。

 優秀な魔法技能師の数が減ることは多々あれど、増えることは中々ないのが現実だ。

 

 育成の末に初級魔法師や下級魔法師の絶対数を増やすことはできても、中級以上の魔法師を生み出す為には相応の時間と労力が必要になる。莫大な資金の投資も必要になる。

 

 特に上級魔法師が誕生すれば、それは国の財産になる。安易に失うことは避けたいことだ。新たに上級魔法師が誕生する保証などないのだから。

 

 未来を担う魔法技能師の卵を潰されるのは、魔法師界にとって最も避けたいことなのは的を射ている事実だ。

 

「なるほど。確かにそうだな」

 

 細身の男の提案に納得した大男は暫し考え込む。

 

「なら魔法師の学校を襲撃するのがいいよな?」

「ああ。そうだな」

「よし、その案を採用しよう」

 

 細身の男の提案に魅力を感じた大男は決断する。

 そして細身の男に知恵を借りながら計画を練っていく。

 

「だが、魔法師の学校は十二校もある。どこを襲撃する?」

「ふむ……。最も困難だが大打撃を与えるのと、比較的容易だが与える損害も小規模になるものならどちらがいい?」

「前者だ!」

 

 細身の男の質問に大男は一瞬の迷いもなく即断する。

 どうやら大男は細身の男のことを信頼しているようだ。信頼しているからこそリスクの高いことでも即断即決できるのだろう。

 

「そうか。なら――」

 

 大男の決断を受けて、細身の男は自身の考えを述べていくのであった。

 



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第26話

 ◇ ◇ ◇

 

 時同じくして、ランチェスター区内にあるヴァストフェレッヒェンという町の高級住宅街の中でも、一際広大な敷地を有する邸宅の前に一人の女性の姿があった。

 

 煉瓦の塀で囲まれた邸宅の門扉の前に立つ女性はインターホンを鳴らす。

 

 富裕層の邸宅には最新の呼び鈴が備わっている。最新の呼び鈴はインターホンという魔法具であり、住宅の玄関外部の脇に設置する送信子機と、室内に設置する受信親機とで構成され、門扉から室内に対して呼び出して通話ができる代物だ。

 

 仕組みは機械に専用の術式を刻んだ魔晶石と、魔力を溜めておくことができる魔有石を埋め込み、ボタンを押すことで魔力を溜め込んだ魔有石に振動による信号を送り、魔有石が魔晶石へと魔力を送ることで術式が発動する仕組みになっている。

 

 ちなみにこのインターホンはジルヴェスターが開発した物であり、メルヒオット・カンパニーで製造、販売を独占的に行っている。

 そして、その売り上げの一部が永久的にジルヴェスターに支払われる契約を結んでいる。

 

 インターホンを購入できない層は本体側に金属板をつけたノッカーを用いており、更に下のグレードになると直接ドア本体に打ちつけるノッカーが主流だ。

 

『――はい』

 

 インターホンの受信親機から呼び出しに対する返事がくる。返ってきたのは女性の声だ。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。レイチェルです」

『レイかい? 今開けるよ』

 

 インターホンの先から聞こえる女性の声が途切れ、レイチェルが門扉の前で少々待っていると、独りでに門が開かれた。

 

 門扉が開かれると、レイチェルは慣れた足取りで門を潜っていく。

 

 門が独りでに開かれたのもインターホンと同じで魔法具による力だ。

 仕組みもインターホンとほとんど同じである。違いは送信機が室内にあり、受信機が門扉に設置されていることと、通話機能がないことだ。

 

 レイチェルは前庭を進み邸宅の前に辿り着くと、再びインターホンを鳴らした。

 

 すると、玄関の先で待機していたのか、すかさず扉が開かれる。

 

「やあ、いらっしゃい」

「失礼します」

 

 家人が微笑みを浮かべて歓迎の意を示すと、レイチェルは丁寧なお辞儀をしてから玄関の扉を潜る。

 

 レイチェルを出迎えたのは、女性としては長身で、引き締まっていながらも女らしさを備えた肢体に、褐色の肌に銀髪の美女だ。

 

 銀色の髪は襟足と前髪が特に長く、それら以外はショートになっており、凛々しさを際立たせている。銀髪から覗く碧眼は、見る物を引き込む力を備えているかのような不思議な魅力がある。

 

 女性から人気がありそうな容貌で、正しく『麗人』という言葉がピッタリと当てはまる人物だ。

 

「ジルでしょ?」

「はい」

「ジルなら調整室に籠っているよ」

 

 褐色肌の女性が要件を確認すると、レイチェルは肯定した。

 すると家人が苦笑を浮かべながら、レイチェルの目的の人物の居場所を伝える。

 

「いつも通り自由にしていいよ」

「ありがとうございます」

 

 レイチェルは何度もこの邸宅を訪れている。勝手知ったるものだ。

 

「では、お言葉に甘えて失礼致します」

 

 そう言うと、レイチェルは褐色肌の女性と別れて目的の部屋へと歩みを進めた。

 

 清潔さと清廉さを兼ね備えた華美にはならない程度にバランスの取れた調度品で彩られた廊下を進み、地下へと繋がる階段を下りて奥まった場所にある扉をノックする。

 

「――ジル、私です」

 

 ノックの後、一拍置いたタイミングで入室を促す声が返ってきた。

 レイチェルは慣れた様子で入室する。

 

 部屋の中は綺麗に整頓されているが、資料やMACなど、作業に必要な物が所狭しと埋め尽くしていた。レイチェルには見慣れたものだが、初めて見た人には眩暈を催す光景だろう。特に頭を使うことが苦手な者には尚更だ。

 

「少し待ってくれ」

 

 ジルヴェスターは作業の手を止めることなく、何かを紙に書き込むと、武装一体型MACの調整を行っていく。

 

 レイチェルは手近なところにあったソファに腰掛けて待つことにした。

 何もすることがないので、作業するジルヴェスターの後ろ姿を眺めて時間を潰す。

 

 そうしてのんびり過ごしていると、一段落したのかジルヴェスターが作業する手を止めた。

 

「――すまん。待たせた」

 

 ジルヴェスターは席を立ち、レイチェルの対面のソファに移動する。

 

「大丈夫よ」

 

 レイチェルが問題ないと告げると、ジルヴェスターは前置きなく本題に切り込む。

 

「それで、どうだった?」

「そうね――」

 

 レイチェルはジルヴェスターに命じられて反魔法主義者について探っていた。

 今日は今回得た情報を口頭で伝える為に足を運んだのだ。

 

 そして彼女は得た情報を精査しながら詳細をジルヴェスターに伝えていく。

 



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第27話

「反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの代表の名前がわかったわ」

「ほう」

「名前はヴォイチェフ・ケットゥネン。とても感情的な人物らしいわ」

「感情的か……」

 

 ジルヴェスターは少し眉間に皺を寄せる。

 

 感情的な人物は厄介極まりない。何を仕出かすか予測できない恐ろしさがあるからだ。

 

「仲間想いで人望があるみたいよ」

「なるほど。独裁的な人物ではないようだな」

「ええ。部下の言葉に耳を傾ける度量もあるみたいね」

 

 反社会的組織は総じて指導者による独裁で成り立っている例が多い。――それが暴力によるものなのか、弁舌によるものなのか、財力によるものなのか、権力によるものなのか、形は様々だが。

 

 だが反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンは、独裁的な構造で成り立っているわけではないようだ。

 

「ヴォイチェフの右腕なる人物はエックスと名乗っているらしく、残念ながら本名は不明のままよ。どうやら、このエックスが頭脳になっているみたいね」

「思っていたより厄介そうな連中だな」

 

 指導者による独裁の方が潰すのは容易い。優秀な者が下にいない限り、指導者を潰してしまえば後は勝手に崩壊していくからだ。

 

 仲間内の結束が固く、指導者に万が一のことがあっても後事を任せられる人物がいると、例え指導者を潰しても簡単に組織が崩壊することはない。指導者の人望が厚ければ尚のこと亡き指導者の為にという名目の元、結束を強めるだろう。

 

「拠点は国中にあるらしく、本拠地はわからなかったわ。今回捕らえた者の中に本拠地を知っている者はいなかったみたい」

「そうか。連中も用心深いことだ。その点も厄介だが」

 

 どうやら反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンは情報規制に抜かりがないようだ。

 全ての者に組織の弱点となりかねない重要な情報を与えないのは、組織として上手く統制されている証拠だ。

 

「でも、いくつかの拠点は判明したわよ。明日(あす)から順に回ってみるわ」

「無理のない範囲でな」

「ええ。もちろんよ」

 

 レイチェルは複数ある拠点を(しらみ)潰しに回りつつ、ヴァルタンについての情報を集めることにした。

 時間と労力を要するが、確実性は増すだろう。

 

 その後も情報共有をしていき、全てを話し終えたところで、ジルヴェスターは立ち上がって先ほど作業していたデスクへと歩を進めた。

 

「レイ、これを持って行け」

 

 ジルヴェスターそう言うと、先ほど調整していた武装一体型MACをレイチェルに手渡す。

 

「これは?」

「お前用に仕上げた武装一体型MACだ」

「へえ、短剣(ダガー)ね」

 

 レイチェルが受け取ったのは短剣(ダガー)の武装一体型MACだった。

 

 シンプルな見た目だが、業物であることが一目でわかる代物だ。

 短剣(ダガー)としてだけではなく、ジルヴェスターが設計、調整しただけありMACとしても一級品の代物だろうと容易に判断できる。

 

 今後の調査でも大いに役立つことだろう。

 

「既に問題なく使えるように仕上げてある。後はお前に合わせた調整をするだけだ」

「そう」

 

 MACを使用者用に調整する為には本人の協力が不可欠である。

 如何(いか)に優れた魔法工学技師であっても、一人で使用者に合わせた調整を施すのは不可能だ。

 

 ジルヴェスターが設計、開発したMACは『ガーディアン・モデル』と俗称されており、魔法師には根強いファンがいる。メルヒオット・カンパニーで量産、販売を請け負っている。

 

「せっかくだ。この後調整に付き合え」

「人使いが荒いわね」

「お前の為だ」

 

 ジルヴェスターとレイチェルは軽口を叩き合う。

 イヴァン相手には丁寧な言葉遣いをしていたレイチェルだが、ジルヴェスターには砕けた口調で接する。口調の変化も、今のやり取りも二人の関係性が窺える一幕だ。

 

 控え目に微笑むレイチェルは、その後文句を口にすることなくMACの調整に付き合うのであった。

 

 MACの調整を始めた一刻後、最終調整を終えたレイチェルはジルヴェスター宅を後にしようとしていた。

 

「レイ、いつでも協力するから遠慮せずに声を掛けてよ」

 

 見送りに来ていた褐色肌の女性に声を掛けられたレイチェルは、丁寧に頭を下げて謝意を述べる。

 

「ありがとうございます。その時は頼らせて頂きます」

「うん。無理はしないでね」

「もちろんです。ジルのことは放っておけませんし、無理のない範囲でやっていきます。倒れでもしたら元も子もないですから」

「そうだね。君には苦労を掛けるよ」

「いえ、アーデル様ほどではありませんよ」

「いやいや、君の方が大変でしょう」

 

 アーデルと呼ばれた褐色肌の女性とレイチェルは、互いに苦笑を浮かべながら言葉を交わし合う。

 

「アーデル様にご苦労を強いるくらいなら姉をこき使いますよ」

「グラディスかい? それなら私からもレイのことを手伝うように言っておくよ」

「助かります」

 

 グラディスとはレイチェルの姉で次女だ。

 二人のやり取りから、アーデルはグラディスに命令できる立場にあるということが窺い知れる。

 

「それでは失礼致します。お邪魔しました」

「必要ないと思うけど気をつけてね」

「はい」

 

 上級二等魔法師であるレイチェルには不要な心配かもしれないが、夜道の中帰宅することに変わりはない。

 

 アーデルとのやり取りを終えると、レイチェルは帰路に着いた。

 



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第28話

 ◇ ◇ ◇

 

 プリム区のシャルテリアにある自宅に帰宅したレイチェルは自室で部屋着に着替えると、リビングのソファに腰掛けて一服していた。テーブルには紅茶と軽食が置いてある。

 

「――レイ」

 

 紅茶を飲んでいると、廊下からリビングへと入って来た女性から自身の名を呼ぶ声が掛かった。

 

「姉さん」

「さっき隊長から念話(テレパシー)が飛んで来たんだが、なんだか大変そうだな」

 

 声の主はレイチェルの姉―――グラディスであった。

 

 グラディスはレイチェルが座っているソファの斜め横にある一人掛けのソファに腰掛ける。

 

 グラディス・コンスタンティノスは、女性としては高めな身長であるレイチェルよりも更に高い身長で、凹凸の主張が激しい肉体をしている。

 白い肌に水浅葱(みずあさぎ)色のマニッシュショートヘアで、碧眼が凛々しさを際立たせている。

 

「ええ。ジルに色々と頼まれているのよ」

 

 肩を竦めるレイチェル。

 

「ほお。ジルにか。それなら私も手伝うぞ」

「姉さんは本当にジルのことになると協力的ね」

 

 呆れたように溜息を吐くレイチェルは苦笑しながら姉を見つめる。

 

「かわいい()だからな」

「姉さんはジルのことを甘やかしすぎよ」

「む。お前と違っていつも一緒にいられるわけじゃないんだから少しくらいはいいだろう」

「私だっていつも一緒にいるわけじゃないけれど」

 

 グラディスは自分とレイチェルでは立場が違うと口にし、妹のことを羨ましがっているのを隠しきれていない。

 そんな姉の言い草に不満を抱いたレイチェルは否定の言葉を漏らした。

 

「とにかく甘やかしすぎないでね」

「そんなに甘やかしているつもりはないぞ」

 

 姉に注意を促すが、当の本人は全く気にした素振りを見せない。

 

「マリア姉さんに言いつけるわよ」

 

 聞く耳を持たない姉にジト目を向けて強力な手札を切り出す。

 

 マリアとは二人の姉で、長女のマリアンヌのことだ。

 

 すると――

 

「――なっ!? それは反則だろう!!」

 

 どうやら効果覿面だったようだ。

 長女には頭が上がらないのが如実(にょじつ)にわかる。グラディスの慌てふたむく様を見れば一目瞭然だ。

 

 思わず脛をテーブルにぶつけてしまい、足を抱えて痛みに悶えている。

 その姿を見たレイチェルは諸々のやり取りに対する溜飲を下げた。

 

「わ、わかった。気をつけよう」

 

 痛みが引くまで悶えたグラディスは背凭れに体重を預けると、深く溜息を吐いてから両腕を掲げて降参の意を示す。

 

「それにしてもジルが(うち)に来た時からもう十年も経つのか……」

「そうね」

 

 感慨深そうに思い出に浸るグラディスの呟きに、レイチェルは紅茶を一口飲んでから頷いた。

 

「あの頃は私よりも小さかったのに、今や私が見上げなければならなくなった」

 

 昔のジルヴェスターの姿を脳裏に思い浮かべるグラディスは、寂しそうな表情を浮かべる。

 

 幼い頃は小さかったジルヴェスターも、今やグラディスより十センチほど背が高くなった。

 グラディスは女性としては背が高い部類であり、男性に交ざっても遜色のない身長なのだが、今やジルヴェスターのことを見上げなくてはならない身長差になってしまっていた。

 

「まあ、今でもかわいいのは変わらんが」

「姉馬鹿ね」

 

 弟がかわいくて仕方がない姉の様子に溜息を吐いたレイチェルは、頭を抱えたい気分になった。

 

「ジルのことがかわいいと思っているのはお前も同じだろう?」

「まあ、そうだけど」

 

 姉の切り返しに言葉を詰まらせながらもなんとか返事をする。

 

 ジルヴェスターは十年前に両親を亡くし、妹と一緒にコンスタンティノス家に引き取られた過去がある。

 故にジルヴェスター兄妹は、コンスタンティノス姉妹とは兄弟姉妹同然に育った。

 

 グラディスは三人の妹とジルヴェスター兄妹のことをかわいがっているが、歳の離れた末妹とジルヴェスター兄妹の三人のことを殊更溺愛している。

 

 レイチェルもジルヴェスターのことがかわいいと思っているのは偽りのない事実だ。

 

「――レイお義姉様、お帰りになられていたのですね」

 

 二人で話しているところに、突然少女の声が飛んできた。

 

 二人は声が聞こえた方へ視線を向けると、そこには白い肌に透き通るような白桃色の長い髪を垂らした、身長が一五〇センチほどの少女が立っていた。

 白桃色の髪から覗く碧眼は幼いながらも美しさを演出しているかのようだ。

 

「ルナ、こんな時間まで起きていたのかい?」

「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」

 

 グラディスとレイチェルが立て続けに声を掛ける。

 

 既に夜が更けてからだいぶ時間が経っている。子供は寝ている時間だろう。

 

「いえ、横になっていたのですが寝つけなくて……。そしたらレイお姉様のお声が聞こえてきたので、気になって来てしまいました」

 

 グラディスは席を立って少女に歩み寄る。

 そして目の前に辿り着くと、床に膝をついて目線の高さを合わせる。

 

「今、ジルの話をしていたんだ。眠くなるまで少し一緒に話をするかい?」

「お兄様のことですか?」

 

 グラディスの言葉に少女はコテンと小首を傾げた。

 その仕草に心を()られたグラディスは頬を緩める。

 

「ああ。レイがジルに会いに行っていたんだ。ルナは最近ジルに会えていないだろう? せっかくだからジルがどんな様子だったか一緒に聞こうか」

 

 グラディスは少女の頭を優しく撫でる。

 

「はいっ!」

 

 ルナと呼ばれた少女――ルナリア・ヴェステンヴィルキスは、天真爛漫を体現しているかのような笑顔で頷いた。

 

 彼女はジルヴェスターの三歳下の実妹だ。

 コンスタンティノス家に引き取られて以来、現在もこの家で生活している。

 

 ジルヴェスターの家にもルナリアの部屋は用意されているが、普段はコンスタンティノス家で暮らしていた。

 

 そんなルナリアは最近ジルヴェスターに会えていない。

 

「よし。それじゃソファに移動しようか」

 

 グラディスは一度ルナリアのことを抱き締めると、腕に抱え上げてソファに連れて行く。

 

「ラディお義姉様、自分で歩けますっ!」

「まあ、いいじゃないか」

「もうっ!」

 

 恥ずかしそうに若干顔を赤らめるルナリアは頬を膨らませながら抗議したが、無情にも聞き入れられることはなかった。

 

 ルナリアは現在十二歳だ。誕生日を迎えたら今年で十三歳になる。

 抱っこされる年齢ではないだろう。彼女が恥ずかしがるのは無理もない。

 

 そんな二人の姿を微笑ましそうに眺めていたレイチェルは、二人の分の紅茶を用意する為に席を立つ。

 

 その後、女三人寄れば(かしま)しいというが、うるさくならない程度に仲睦まじく話題に花を咲かせて楽しく過ごすのであった。

 



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第29話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月十八日――壁内某所の建物内でお気に入りの男たちを侍らせ、奉仕させている女がいた。

 その女がいる部屋は華美な装飾が施されている。相当な金額を投資しているのが一目で判断できるほどだ。

 

(彼は上手くやっているかしら)

 

 彼女はソファに腰掛けて優雅に寛ぎながら思考に耽っていた。 

 

 彼女の仕事は以外と多い。

 資金源、団員、拠点、武器や資材の確保や、セミナー、政財界との交誼など様々な仕事をこなしている。

 

(次はもう少し大胆なことをさせてみようかしら。その方が面白そうよね)

 

 ロングのスリットスカートを穿いて太股まで大胆に露出し、足を組んで上機嫌に思考を巡らせる。

 

「紅茶を淹れてちょうだい」

「畏まりました。お嬢様」

 

 側仕えの男性の一人に指示を出す。

 男性は慣れた手つきで紅茶を用意する。

 

「紅茶でございます。お嬢様」

 

 彼女が思考に耽る中、男性が新しい紅茶を丁寧な所作でテーブルに置く。

 

「ありがとう」 

 

 男性に礼を言い、カップを手に取り口をつける。

 

 女が一息吐いたところで念話(テレパシー)が飛んできた。

 

『――姫。今よろしいでしょうか?』

『あら? フランコかしら?』

『はい。フランコです』

『大丈夫よ』

『ありがとうございます』

 

 突然の念話(テレパシー)だったが、表情を変えずに慌てることなく応答する。

 

『新たな計画を実行予定なので報告の為、念話(テレパシー)を飛ばしました。姫の望みに添えているかと存じます』

『新たな計画?』

『はい。内容は――』

 

 フランコは計画の詳細を女に説明する。

 説明を聞く女は愉快そうにしているが、真剣さも垣間見える表情だ。

 

『―――以上になります』

『それは面白そうね。()()()にも一泡吹かせられるかもしれないわ』

 

 数秒間考え込むと考えが纏まったのか、組んでいた足を組み替えるとフランコに指示を出す。

 

『その計画を引き続き遂行しなさい』

『畏まりました』

『でも、もし危険を感じたらあなただけでも逃げなさい。最悪、他の者たちは見捨てても構わないわ。私にはあなたが必要よ』

『望外の喜びです。姫を悲しませるようなことは我が命に誓って致しません』

『ふふ。大袈裟ね』

 

 至極真面目な口調で大仰な言い回しをするフランコに、女は微笑みを浮かべる。

 冷酷な単語が混ざっているとは思えないようなやり取りだ。

 

『次帰ってきた時はあなた一人を目一杯愛してあげるわ』

『ありがたき幸せ』

 

 一通りやり取りを済ませて念話(テレパシー)を切ると、女は私室の奥に設けられた寝室に側仕えの男たちを引き連れて行く。歩きながら衣服を脱いで床に置き去りにする。

 

 そして女は側仕えの男たちと夜のお楽しみに励むのであった。

 



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第30話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十日。

 この日、レイチェルはワンガンク区のオルストブルクという町にいた。

 

 ワンガンク区はウォール・ウーノ内の東南東に位置する区だ。

 オルストブルクはワンガンク区の町の中で最も大きく、人口が最も多い町である。区内の行政の中心でもあり、区長が勤める庁舎もある。

 ワンガンク区は十三区の中で二番目に治安が悪いが、区内の町の中でオルストブルクは比較的マシな部類だ。

 

「ここも外れですか……」

 

 レイチェルは周囲を見回して溜息を吐く。

 

 彼女はアウグスティンソン隊と共に尋問した際に得た情報を頼りに、反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの拠点を(しらみ)潰しに回っていた。

 

 建物内にいる反魔法主義者はみな倒れていたり、拘束されたりしている。

 少しでも情報になり得る物は全て回収し、アウグスティンソン隊の手を借りて拘束した者たちを連行して尋問しているが、未だ有益な情報を得られていない。

 

『――レイ、こっちは外れだ』

『こっちもよ』

『そうか……』

『なかなか上手くいかないものね』

『そうだな』

 

 レイチェルのもとにグラディスから念話(テレパシー)が飛んできた。

 

 現在レイチェルとグラディスは別行動をしている。

 グラディスは直属の部下を率いて、レイチェルとは反対側の区にある拠点から回っていた。だが、結果は芳しくないようだ。

 

『まあ、有益な情報は得られていないが、反魔法主義者を拘束できているだけでも収穫だろう』

『そうね』

 

 反魔法主義者は反社会的な思想を持っている者のことだ。

 思想を持つだけなら構わないが、実際に反社会的な行動に出る者は立派な犯罪者だ。逮捕してマイナスになることはない。むしろ、治安維持や国家保安の側面から見ても重要案件だ。

 

 有益な情報を得られていないのは残念だが、魔法師として国家保安の為に働けているので決して無駄な労力にはなっていない。

 

『それに、この国はこれだけの反魔法主義者を抱えていたのだということが判明したのも大きい』

『それも過激派組織のヴァルタンだけでこれほどいるのだものね』

『ああ。他にもいると思うと頭が痛くなる』

 

 レイチェルは念話(テレパシー)の先で姉が溜息を吐く姿が思い浮かんだ。

 

 反魔法主義者がいるというのはこの国では共通認識だ。だが、実際に目の当たりにすると予想以上の人数いることが判明した。

 

 反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンだけでもかなりの数がいる。他の組織や、組織に属していない潜在的な反魔法思想の者も合わせると、途方もない数の反魔法主義者がいることを容易に推測できた。

 

『これは本格的にどうにかしないといけないな』

『私たちにできることなんてほとんどないわ』

『そうだな……』

 

 レイチェルは肩を竦める。

 

 いくら上級魔法師とは言っても、彼女たちは政治家ではない。国としての政策に携われる立場ではないのだ。多少の影響力や発言力はあるが、直接政治に関わることはできない。

 

小父貴(おじき)に話を通すしかないか』

『そうね。小父様(おじさま)に上申してみましょう』

 

 どうやら二人には政治に携わる者との伝手があるようだ。

 自分にできないことならば、できる者を頼ればいい。

 

『とりあえず今は次に行ってみる』

『ええ、こっちも次の場所を回ってみるわ』

 

 回る拠点はまだある。ここで終わりではない。

 

『また連絡する』

 

 その言葉を最後にグラディスは念話(テレパシー)を切った。

 

「――レイチェル様、全て完了しました」

 

 自分のことを呼ぶ声に振り返ると、そこにはアビーの姿があった。

 アウグスティンソン隊の面々は反魔法主義者を連行していた。どうやら無事に連行し終えたようだ。

 

 魔法協会の本部はセントラル区にある。

 セントラル区はウォール・クワトロ内にある最も中央に位置する区で、政庁や魔法協会本部など政治を司る中枢が集まる場所だ。唯一、国立魔法教育高等学校のない区でもある。

 施設を管理する者が住み込みで働いている以外は、セントラル区に居住している者はいない。

 

 本部はセントラル区にあるが、各区にはそれぞれ支部がある。

 拘束した者たちはワンガンク区のオルストブルクにある魔法協会支部に連行した。

 魔法協会の地下深くには牢があるので連行するには最適な場所だ。協会側としても犯罪者を受け入れない理由はない。魔法関係の犯罪者ならば尚更だ。

 

 魔法協会にある地下牢の他にも各町には衛兵隊の詰所があり、そこにも牢はある。しかし、反魔法主義者を連行するには魔法協会の方が都合が良かった。

 

 魔法師にも反魔法主義者はいるが、非魔法師の方が圧倒的に多い。衛兵は非魔法師が大半を占めるので、衛兵の中に反魔法主義者がいる確率の方が高くなる。故に確率の低い方である魔法協会を選択していた。

 

「ありがとございます。では、次もよろしくお願いしますね」

「はいっ!」

 

 レイチェルの言葉にアビーは瞳を輝かせて大仰な態度で敬礼をする。どうやらレイチェルに尊敬の眼差しを向けているようだ。

 上級魔法師のレイチェルに、年が近くて同性のアビーが憧れの気持ちを抱くのは自然なことだろう。

 

「では、行きましょうか」

 

 そうしてレイチェルたちは次の目標へ向けて駆け出した。

 



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第31話

 ◇ ◇ ◇

 

 一段落したレイチェルとグラディスは、合流して目的の邸宅へと足を運んでいた。

 場所はウィスリン区で最も大きな町であり、区内の行政の中心でもあるリンドブルムだ。区長が勤める庁舎もある。

 ウィスリン区はウォール・トゥレス内の北側に位置し、プリム区、ランチェスター区と並んで最も富裕層が集まる区の一つだ。

 

「二人とも今日はなんの用だ?」

 

 家の主が腰掛けている執務室のデスクの対面にあるソファに、レイチェルとグラディスは腰掛けていた。

 デスクに座すのは威厳のある存在感を振り撒いている白髪交じりの男性だ。

 

 執務室の中は最低限必要な物以外は徹底的に排除しており、いっそ質素にも思えるほど簡素である。部屋の主の性格が窺えるようだ。

 

小父貴(おじき)。単刀直入に言うが、反魔法主義者に対して何か効果的な政策をすべきだ」

 

 グラディスはレイチェルと話し合ったように、反魔法主義者に対する政策を執行すべきだと告げる。

 自分たちが見てきたことを詳細に伝え、反魔法的な思想を持つ者が予想以上に存在していることを説明した。

 

「ふむ。そのことについては儂も以前から懸念しておった」

 

 背凭れに体重を預けた男性はグラディスの提案に賛同を示す。

 

「だが、そう簡単にことを運べないのもまた事実」

 

 男性は重苦しく言葉を絞り出すと溜息を吐いた。

 

「やはり、他の方々が足を引っ張っておられるのですか?」

「そうだ。誠遺憾ながらな。七賢人という立場にありながら全くもって情けないことだ」

 

 レイチェルが問い掛けると、男性は重々しく言葉を紡ぐ。

 

 七賢人はウェスペルシュタイン国の頂点に君臨する七人の人物の地位を表す名称だ。所謂、国家元首にあたる地位である。

 

「まともなのはオコギー卿だけだ。七賢人はいったいいつからあのような情けない組織へと成り下がったのか……」

 

 大きく嘆息する男性は頭を抱えたくなる気分だった。

 

「オコギー卿は清廉潔白な方ですものね」

「うむ。オコギー卿はまだ若いが国の為に献身し、信頼に値する好人物だ」

「フェルディナンド小父様(おじさま)からしたらお若いかもしれませんが、私たちからしたらオコギー卿も人生の大先輩ですよ」

 

 フェルディナンドの本名は――フェルディナンド・グランクヴィストだ。

 高身長で、白い肌に白髪交じりの金髪をオールバックにしており、緑色の瞳には確かな知性が窺える。

 七賢人の一人でもあり、その中でも最年長である。現在の年齢は六十三歳だ。

 

 対してオコギーは七賢人の中では最年少であるが、現在四十二歳であり、世間一般的には中年に差し掛かる年齢だ。決して若者ではない。

 

「まあ、若いからこそ私欲に溺れていないのかもしれぬがな」

 

 長い間権力や地位を有していると人は往々にして性格が歪み、堕落し腐敗するものだ。

 権力や地位を都合良く行使したりなど私欲に溺れ、一度美味しい思いをすると手放したくなくなり固執する。

 人間とは醜い生き物だ。全ての者に当て嵌まるわけではないが、総じて人間の心は弱い。自身を律し続ける為には相応の精神力を要する。

 

「あら? 小父様(おじさま)は最古参の七賢人でいらっしゃいますよね? ご自分にも当てはまるのではないですか?」

「うむ。儂も七賢人になってから性格が歪んだものだ」

 

 フェルディナンドは最も在任歴の長い七賢人だ。

 長い間権力や地位を有していると人格が歪むというのは決して他人事ではない。間近で見てきたからこその説得力がある。

 

小父貴(おじき)は昔から腹黒いだろう」 

「儂はお主らが生まれる前から七賢人を務めておるのだぞ。海千山千にもなろうものだ」

 

 グラディスの指摘にフェルディナンドは肩を竦める。

 その様子にレイチェルとグラディスは苦笑した。

 

 長年七賢人を務めてきたのなら大なり小なり腹黒くなるのは仕方のないことだ。

 私欲に溺れず七賢人としての務めを果たしているだけでも立派だろう。

 

「話が逸れたが、反魔法主義者についてだな」

「ああ」

 

 グラディスが頷く。

 

「オコギー卿にも力を借りて可能な限り尽くしてみよう」

 

 後ろ向きなこと言っていた割にはあっさりと提案を受け入れる。

 

「そうこなくっちゃな」

「ありがとうございます。小父様(おじさま)

 

 丁寧に頭を下げるレイチェルと、豪放な態度のグラディスは正反対な姉妹であった。

 



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第32話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十二日――ランチェスター学園は昼休みの時間になり、生徒は食堂やカフェ、持参した弁当などで昼食を摂っていた。

 

 そんな中、ジルヴェスターは昼食を早々に済ませ、生徒会室へと赴いていた。

 扉をノックすると入室を促す声が返ってきたので遠慮なく扉を開く。

 生徒会室は綺麗に整理整頓されており、部屋の主の性格が表れているようだ。

 

「ジルヴェスターさ――いえ、ジルヴェスター君、わざわざ足を運んで頂いて申し訳ありません」

「気にするな」

 

 入室すると部屋の主である生徒会長のクラウディアが、言葉を詰まらせながら謝罪の言葉を口にした。――そもそも先輩が後輩を呼び出すのは何も悪いことではないので、謝る必要などないのだが。それにクラウディアは生徒会長である。尚更謝る必要などない。

 

「まずは紹介しますね。こちらは風紀委員長のカオル・キサラギです」

 

 生徒会長用のデスクの椅子に腰掛けているクラウディアの横には、一人の女性が立っていた。

 ジルヴェスターとは直接の面識がない女性だ。入学式の時と答辞の打合せの時に何度か見掛けた程度である。

 その女性のことをクラウディアが彼に紹介した。

 

「よろしくな。君のことはクラウディアから聞いている」

「自分はジルヴェスター・ヴェステンヴィルキスです。こちらこそよろしくお願いします」

 

 カオルと呼ばれた女性は右手を上げ、軽い態度で挨拶をする。

 

(キサラギ家か。東方から逃れてきた一族の末裔で、槍術の大家(たいか)だな)

 

 カオルの一族は、魔興歴四七〇年に突如として世界中に魔物が大量に溢れ、生活圏を追われることとなった際に、遠路遥々ウェスペルシュタイン国まで逃れてきた一族の末裔である。

 国中に門下生を抱える槍術の大家(たいか)であり、それ相応の影響力を持ち合わせている一族だ。

 

 女性としては高めの身長を白のブラウス、黒のジャケット、脛の辺りまで隠れる黒のスカートに身を包み、黒のハイソックスを穿いている。

 東方人由来の黄色人種の肌色と、黒い瞳とシュートヘアが存在感を放っている。

 

「どうぞ楽にしてください」

 

 クラウディアは椅子に視線を向けて促すと、ジルヴェスターは遠慮なく空いているデスクの椅子に腰掛ける。

 

「学園生活はどうですか?」

「今のところ快適に過ごせている」

「そうですか。それは良かったです」

 

 クラウディアは心底嬉しそうに微笑みを浮かべる。

 

「もし何か困ったことがあれば遠慮なく仰ってくださいね」

「程々にな」

 

 苦笑するジルヴェスター。

 

 至極真面目な顔で告げるクラウディアの姿を見たカオルは、軽く溜息を吐くと肩を竦めて苦言を呈す。

 

「あまり職権乱用するとルクレツィアに怒られるぞ」

「あら、それは困るわね」

 

 クラウディアは本当に困ったような表情を浮かべながら口に手を当てるが、完全に無視を決め込んだカオルはジルヴェスターに視線を向けて口を開く。

 

「監査局局長である三年のルクレツィア・シェルストレームは厳格で手厳しい奴なんだ。だからこそ信頼できるんだが」

「そうでしたか」

 

 学園には生徒で構成された自治組織が四つあり、生徒会、風紀委員会、クラブ活動統轄連合がその内の三つだと以前説明したが、あの時説明を割愛した最後の組織が監査局だ。

 

 監査局は他の組織が公正に職務を全うしているかを取り締まるのが仕事だ。

 不正や適切に資金を使用しているかなどを監査する為、公正で厳格な判断を求められる厳しい職務だ。故に監査局の人員には真面目で公正かつ、厳格な者が選ばれる。

 その為、監査局の人たちは非常に厳しい人柄なのだが、その分、人間としては非常に信用できる者たちなのだ。

 

「――それよりクラウディア、本題はいいのか?」

「ああ、そうだったわね」

 

 話が逸れてしまった為、カオルは軌道修正してクラウディアを促す。

 

「ジルヴェスター君。よろしければ生徒会の一員に加わりませんか?」

 

 本題は生徒会へジルヴェスターを勧誘することだった。

 

「せっかくだが、断らせてもらうよ」

「そうですか」

 

 ジルヴェスターはあまり考える間もなく断るが、クラウディアはあまり残念そうではなかった。

 

「始めから駄目で元々でしたから仕方ありません」

「すまんな」

「いえ、ジルヴェスター君が忙しいのはわかっていますから大丈夫ですよ」

 

 クラウディアはジルヴェスターの正体を知っている。

 普段から忙しくしていることもわかっていたので、断られる前提で勧誘していた。勧誘だけなら自由なので試しに声を掛けてみたのだろう。

 

 生徒会の役員は生徒会長に任命権がある。

 もちろん任命責任も付随するので、誰でも任命するわけにはいかない。能力的にも人格的にも相応しい者を選ばなければならない。

 

「ということは風紀委員も無理か……」

「風紀委員ですか?」

「ああ。クラウディアに遠慮して譲ったが、私も君が欲しいんだ」

 

 カオルが呟くと、その呟きを耳にしたジルヴェスターは疑問を浮かべた。

 どうやらカオルもジルヴェスターのことを狙っていたようだ。

 

「カオル、とても似合っていて素敵だけれど、それはプロポーズかしら?」

 

 カオルの台詞を耳にしたクラウディアはツッコミを入れる。微笑みを向けているが目が笑っていない。

 

「――い、いや、そうじゃない。風紀委員長として、風紀委員の一員に欲しかったんだ」

 

 鋭い視線を向けられたカオルは、若干頬と耳を赤らめながら慌てて否定する。

 

「優秀な者はいくらいても困らないからな。なんてったってジルヴェスター君は首席だしな!」

 

 誤りを訂正するように必死になって早口で言葉を列挙するカオルの姿に、クラウディアは小さく笑う。

 

(愉快な人たちだ)

 

 仲睦まじい二人のやり取りを間近で見ることになったジルヴェスターは、そんな感想を抱いた。

 

「それは光栄ですが、申し訳ありません。お断りさせて頂きます」

「そうか……」

「カオルも振られたわね」

「おい」

 

 断られたカオルをクラウディアが揶揄(からか)う。

 するとカオルはクラウディアの肩を肘で軽く小突いた。

 

 お互いに冗談を言い合える仲であることが容易に判断できる二人の姿に、ジルヴェスターも微笑ましい気持ちになった。

 

 その後も数分間三人で談笑をした後、ジルヴェスターは生徒会室を後にした。

 



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第33話

 ◇ ◇ ◇

 

 放課後になると、ジルヴェスターはステラたちに誘われて魔法の訓練をすることになった。

 メンバーはジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、イザベラ、リリアナ、アレックスの六人だ。

 

 六人は実技棟の空いている訓練室の使用許可を取ると移動した。

 訓練室は空いていればすぐに使用許可を取ることができるが、事前に予約をすることも可能だ。今回はタイミングが良かったのか、偶然訓練室を確保できた。

 

「……レベッカ?」

 

 目的の訓練室に向けて移動していると、ジルヴェスターは見知った顔を発見した。

 

「――あっ! ジルくんじゃん!」

 

 見知った顔の人物は、入学式の日に喫茶店で出会ったレベッカであった。

 

「オリヴィアとステラっちもいるじゃん!」

 

 レベッカはジルヴェスターたちのもとへ駆け寄ってくる。

 彼女の背後から一緒にいた女生徒も後を追うように駆けてきた。

 

「こんなところで何してるの?」

 

 ステラはコテンと小首を傾げてレベッカに尋ねる。

 

「もうステラっちかわいすぎぃ~」

 

 質問されたレベッカはステラの仕草にハートを射抜かれたようで、一直線に駆け寄って抱きついた。

 

「ステラっち~、私たち魔法の訓練をしようと思ってたんだけど、訓練室が空いてなくて途方に暮れてたんだよ~。しくしく、悲しみ」

 

 言葉とは正反対にも見える幸せそうな表情で、レベッカはステラのことを抱き締めている。

 そんな彼女の頭を撫でながらステラは口を開く。

 

「わたしたちと一緒に使う?」

 

 ステラがレベッカに提案すると、オリヴィアが自分たちも魔法の訓練をするつもりだったので、訓練室の使用許可を取っていることを説明した。

 

「えっ!? いいの? やった!」

 

 ステラに頬擦りして喜びをあらわにするレベッカは、抱きついたまま器用に振り返って連れの女性に声を掛ける。

 

「シズカ! せっかくだし、お言葉に甘えさせてもらおうよっ!」

「本当によろしいのですか? お邪魔ではないでしょうか?」

 

 シズカと呼ばれた女性が確認するように問い掛けると、ジルヴェスターたちは頷いて歓迎の意を示した。

 

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてご一緒させて頂きます」

「ありがとねぇ~」

 

 シズカは綺麗な姿勢で美しいお辞儀をして感謝を示すが、レベッカは対象的に軽かった。

 

「改めまして――私はシズカ・シノノメと申します。よろしくお願いします」

 

 一同は順に自己紹介をしていく。

 

(シノノメ家は風紀委員長と同じく東方から逃れてきた一族の末裔だな。そして剣術の大家(たいか)でもある)

 

 シズカの一族もカオルの一族と同じく、魔興歴四七〇年に突如として世界中に魔物が大量に溢れ、生活圏を追われることとなった際に遠路遥々逃れて来た一族の末裔である。

 そして剣術の大家であり、国中に門下生を抱え、相応の影響力を持ち合わせている一族だ。

 

 シズカは白のブラウスの上に灰色のジャケットを羽織り、膝が隠れるくらいの長さの黒いスカートを穿いている。

 肌の色、ポニーテールにしているストレートロングの黒い髪と瞳は、カオルと同じ東方人由来のものだ。

 

 一通り自己紹介を終えた一同は、目的の訓練室へ足を向けた。

 



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第34話

 ◇ ◇ ◇

 

 訓練室に移動した一同は、各々目的を持って訓練に励んでいた。――もっとも、ジルヴェスターは軽く身体を動かすだけだったが。

 

 壁に寄り掛かってみんなの訓練を眺めていたジルヴェスターは、シズカの訓練に視線を奪われていた。

 視線の先でシズカは木刀を手に訓練に励んでいる。

 

「ジルがシズカのこと見つめてる」

 

 ジルヴェスターの視線に気づいたステラがジト目を向ける。

 

「――ん? ああ、彼女の動きに魅入っていた。さすがシノノメ家の御令嬢だと思ってな」

「そんなに凄いの?」

 

 ジルヴェスターの言葉にステラは首を傾げる。

 

「一つ一つの動きが洗練されていて無駄な動きが一つもない」

 

 ジルヴェスターから見てシズカの剣捌きは洗練されており、剣筋が鋭く、流麗で見る物を魅了する美しさがあると思った。

 

「とはいえ、シノノメ家の御令嬢に対して俺が批評するのは傲慢で失礼な行為だな」

 

 シズカは国で一番の剣術の大家であるシノノメ家の令嬢だ。

 如何(いか)にジルヴェスターが優れた人物であっても、幼い頃から剣術の英才教育を受けてきた者に対して批評を述べるのは烏滸(おこ)がましい行為だ。

 

「ジルより凄いの?」

「そりゃそうだろう。俺と彼女では比較するのも烏滸(おこ)がましい」

 

 ステラの中で、ジルヴェスターはなんでも高次元でこなす超人としてインプットされている。なので、自然と出た疑問だった。

 

「純粋に剣術だけの勝負をしたら手も足も出ないだろうな。力押しでどうにかなる次元でもない」

「ふーん。そんなに凄いんだ」

 

 ジルヴェスターも剣術の心得はある。だが、仮に魔法抜きでの真剣勝負をしたらシズカに軍配が上がるだろう。

 

 女性のシズカより男のジルヴェスターの方が膂力に優れているので、力押しでなんとかなるだろうと思うかもしれないが、それは厳しい。

 実力が拮抗していればジルヴェスターに軍配が上がるだろうが、隔絶した実力差があると膂力の差など無いに等しいものだ。

 

「私たちも少し休憩しようか」

 

 イザベラはそう言うと、一緒に訓練をしていたリリアナと一緒に休憩にする。

 それを合図に、他の面々も続々と休憩に入っていった。

 

「――それにしてもレベッカとシズカが一緒にいるのはなんだか少し意外ね」

 

 休憩に入ったオリヴィアが、先に休んでいたレベッカとシズカに話し掛けた。

 

「うん。わたしもそう思うけど、なんか気が合うんだよね」

 

 笑みを浮かべるレベッカ。

 

「私も不思議に思うのだけれど、何故か居心地がいいのよね」

 

 自己紹介をした時よりも砕けた口調になったシズカも同意を示す。

 

 レベッカとシズカは全く異なるタイプだ。

 レベッカは派手な外見でノリが軽いところがある。対してシズカは礼儀正しく清廉な印象だ。一見交り合うことがなさそうな組み合わせである。

 

「まあ、気の合う相手はそんなものよね。自然と惹かれ合うもの」

「うんうん」

 

 微笑むオリヴィアの言葉にステラが頷く。

 

「とても素敵なことですよね」

「そうだね」

 

 リリアナとイザベラも微笑みを浮かべて同意を示す。

 

「こうして見ると二人一組の構図ができてるよな」

 

 ジルヴェスターの横に移動して肩を並べていたアレックスは、苦笑しながら女性陣のことを見守っていた。

 

「そうだな。(はた)から見たら俺たちもそう映るんだろうな」

 

 肩を竦めたジルヴェスターの冗談交じりに言葉に、アレックスは大袈裟に複雑そうな表情になる。

 

「友人としてなら悪くないが、俺は女が好きだからな」

「それは俺も同じだ」

 

 冗談を言い合う二人は既に仲良しであった。

 

「イザベラはやはり火属性の魔法が得意なんだな」

 

 会話が途切れたところでジルヴェスターがイザベラに声を掛ける。

 

「うん。私も一応エアハート家の一員だからね」

 

 魔法師界屈指の名門であるエアハート家は、代々火属性に高い適正を持ち活躍してきている。

 イザベラにもエアハート家の血がしっかりと流れているようで、火属性に高い適正があるようだ。傍目に見ただけでもすぐにわかるほどだ。

 

「一員って……イザベラは直系でしょう」

 

 イザベラの言葉にリリアナがツッコミを入れる。

 

「うん。まあ、そうなんだけどね」

 

 エアハート家の現当主である女性がイザベラの母親だ。イザベラは間違いなくエアハート家の直系である。

 

「こうして見ると、それぞれの特徴が見えて面白いわよね」

「そうだな」

 

 オリヴィアの言葉にジルヴェスターが頷く。

 

 人それぞれ魔法に対する特徴は異なる。

 個人としてはもちろん、血筋でも特徴に違いが表れるので、研究者肌の人間には面白く映るだろう。

 

「ちょっと飲み物買ってくる」

 

 アレックスは持ち込んだドリンクを飲み干してしまったようだ。

 

「俺も行こう。みんなはここで休んでいてくれ」

 

 ジルヴェスターは全員分の飲み物を用意しようと思い、アレックスと共に訓練室を後にした。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 時同じくして、フィルランツェの中で特に人気(ひとけ)の少ない場所に数人の人影があった。住宅街からも表通りからも離れている場所だ。

 

 その中の二人は男性の大人だとわかる。残りの三人はランチェスター学園の制服を着ている。男子生徒二人に女子生徒一人だ。

 

「――わかりました。当日は合図があり次第行動に移ります」

「頼んだぞ」

「はい。同志たちにも伝えておきます」

 

 何やら声を潜めて話をしていたようだが、学生の中の一人が代表して了承の意を伝えている。

 

「成功すればお前たちの立場は今より良くなるはずだ」

 

 大人の一人が学生たちを言い含めるように、落ち着いた声音で言い聞かせている。

 

「そうですね。少しでもそうなれば幸いです」

 

 頷き合っている学生三人の様子を見ると、覚悟を固めているような雰囲気が感じ取れる。

 

「また近況を伝えにくる。お前たちも中を探っておいてくれ」

「わかりました。できることをやっておきます」

 

 どうやら情報共有の為にまた顔を合わせるつもりのようだ。

 

「これでこの国も少しは変わるはずだ。我々の行いはこの国を正しいあり方に変える。共に頑張ろう」

 

 目的に酔っているかのように自分たちの行いを正しいものだと信じて疑わない一同の姿は、周囲に恐怖心を与えることだろう。

 

「ヴァルタンの名の下に」

 

 大人の一人が呟いて締め括ると、他の面々も同じ言葉を復唱した。

 



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第35話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十三日――ジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、アレックスの四人は、放課後になると連れたってクラブ見学に訪れていた。

 

 国立魔法教育高等学校の各校には課外活動の一環としてクラブ活動があり、各校クラブの種類に違いはあれど、盛んに取り組まれている。

 大別して運動系のクラブと文化系のクラブがあり、各生徒は自分に合ったクラブで日々活動している。

 

 現在ジルヴェスター一行は実技棟にある一際広い訓練室に赴いていた。

 訓練室にある二階の観覧席から眼下に視線を向けて、クラブ活動に汗を流している者たちの姿を見学している。

 

 一同が見学しているクラブは魔法実技クラブだ。

 魔法実技クラブは名前の通り魔法の実技に特化しているクラブである。

 

「我がクラブでは授業とは別に、仲間たちと共に切磋琢磨しながら魔法の訓練に励むことができる」

 

 ジルヴェスターたちと同じように見学に訪れている一年生に対し、魔法実技クラブの解説を務めている男子生徒の先輩がいた。どうやらこの先輩が新入生に魔法実技クラブの説明を行う役割を担っているようだ。

 

「この学園で最も部員の多いクラブでもある」

 

 魔法実技クラブはどの学園でも人気のあるクラブだ。

 例外は魔法工学に力を入れているキュース魔法工学院くらいだろう。

 

「自主練に励むのもいいが、仲間たちと共に訓練に励むことで、互いに競い合うことができるのは魅力的だぞ。互いに教え合ったりすることもできるからな」

 

 国立魔法教育高等学校である以上、各自自主練習に励むのは日常だ。魔法工学技師を目指す生徒でも最低限は訓練に励むものである。

 

 一人で黙々と訓練に励むのは集中できて(はかど)るかもしれないが、仲間たちと共に汗を流すのもまた違った利点がある。

 共に競い合って切磋琢磨する仲間が入れば互いに刺激し合って訓練に励むことができるし、先輩に指導してもらったり、友人にアドバイスをもらったりもできる。もちろん顧問教師の指導を受けることも可能だ。

 

「何よりの魅力は対抗戦の選手選考に有利に働くことだ」

 

 対抗戦の選手選考をする上でクラブ活動の実績も参考にする。特に運動系のクラブの生徒は選考されやすくなる傾向がある。対抗戦は魔法を競う大会なので、当然戦闘面や魔法面の実力を重視するからだ。

 

 魔法師を目指す生徒にとって対抗戦は誰もが憧れる舞台だ。

 その為、魔法実技クラブを筆頭に、運動系のクラブに籍を置く生徒が多くなるのは自然な流れであった。

 

 対抗戦の件は抜きにしても魔法師を志す以上、魔法実技クラブは魅力的に映ることだろう。

 

 眼下を見つめるジルヴェスターは、一際大きな存在感を放つ一人の生徒に注目していた。

 彼の視線の先にいるのは、部員たちのことを鋭い視線で見守る大柄な生徒だ。

 

「いや~、相変わらずオスヴァルドさんは迫力あるなぁ~」

「アレックスはあの人のことを知っているのか? 俺は入学式の答辞の打合せで学園に来た際に何度か見掛けたくらいなんだが……」

 

 ジルヴェスターが率直に尋ねる。

 

「ああ。あの人はオスヴァルド・ヴェスターゴーアさんだ。家同士の繋がりで何度か合ったことがある」

 

 オスヴァルド・ヴェスターゴーアは一際高い身長に分厚い胸板をしており、褐色肌で灰色の髪をバーバースタイルにし、茶色の瞳を宿している。

 威厳の感じる顔つきと醸し出す雰囲気が実年齢より幾分高く見え、頼もしさを周囲に与えていた。

 

(ヴェスターゴーアか、なるほど)

 

 名前を聞いたジルヴェスターは納得した。

 

 ヴェスターゴーア家は魔法師界の名門だ。ジェニングス家やエアハート家と対を為す超名門の家系である。

 

 ヴェスターゴーア家ほどではないにしても、名門の一族であるアレックスと面識があっても不思議ではない。家同士の繋がりはもちろん、社交の場などで顔を合わせることもあるだろう。

 

「わたしも見掛けたことあるかも」

 

 ステラもオスヴァルドのことを見掛けたことがあるらしい。

 

 彼女の実家は国有数の実業家で資産家だ。魔法関連の品を取り扱っている企業を経営している。

 魔法師の家系と繋りがあるのも自然なことだ。それこそアレックスと同じように社交の場で見掛けたことがあってもなんら不思議ではない。

 

 オリヴィアがオスヴァルドのことを知らないのは、彼女はあくまでもメルヒオット家に仕える一族の娘だからだ。使用人がパーティーに出席することも、(おおやけ)の場に出ることもないので知らなくても無理はない。――もしかしたら彼女の両親や兄は面識があるかもしれないが。

 

「オスヴァルドさんはクラブ活動統轄連合の総長を務めているんだ」

 

 クラブ活動統轄連合――通称・統轄連――は生徒会、風紀委員、監査局と並んで学園の自治を司る四組織の内の一つだ。総長は統轄連のトップに君臨する地位である。

 

 統轄連は組織のトップである総長を筆頭に各クラブを管理するのが主な職務だ。また、学園の治安を守る役目もあり、風紀委員から助力を頼まれることもある。

 

「あの人は相当できるな」

「お、良くわかったな。オスヴァルドさんは実戦経験が豊富なんだ。実力も申し分ないぞ」

 

 オスヴァルドから醸し出される雰囲気が只者ではないと感じたジルヴェスターに、アレックスが相槌を打って解説する。

 

「実戦経験というと、壁外での経験ということかしら?」

「ああ。それで合ってる」

 

 確認するように尋ねたオリヴィアの質問に、アレックスはすかさず首肯する。

 

「実力は一線級の魔法師と比べても遜色ないはずだ」

「そうだな。低く見積もっても上級魔法師相当の実力は持ち合わせていると思う」

 

 後輩に指導する為に魔法を実演して見せるオスヴァルドの姿を見て、ジルヴェスターは彼の実力を推し量る。

 

「魔法の発動速度、精密さ、発動に込める魔力量の配分、発動した魔法の効力、どれを取っても一流だ。おそらく術式の理解も深いんだろう」

「今の一瞬でそこまでわかるのか?」

「ああ。こういうのは得意なんだ」

「それはお前の方が凄いと思うんだが……」

 

 オスヴァルドが実演した際に魔法行使の技量を観察したジルヴェスターが解説すると、アレックスが呆気にとられたような表情を浮かべた。

 

 ジルヴェスターはなんでもないことのように言っているが、彼がやっていることは異常だ。

 時間や観察回数を重ねれば他の人にも技量を見抜くことは可能だ。しかし、たった一度見ただけでジルヴェスターのように推し量ることは不可能に近い。

 

「ジルだからね」

「そうね。ジルくんだから気にしても仕方ないわよ」

 

 ステラが薄い胸を張って自分のことのように誇らしそうにしているのに対し、オリヴィアは苦笑しながら肩を竦めた。

 

「その言い方はまるで俺が人外か何かみたいじゃないか……」

 

 ジルヴェスターは女性陣二人の言い草に、苦い表情と困った表情を混ぜ合わせたような複雑な顔になった。

 

「ははっ。確かに俺からしたらお前は充分人外かもな」

「……」

 

 笑い声を上げながらジルヴェスターの肩に手を置くアレックス。

 ジルヴェスターは返す言葉が見つからず、無言で肩を竦める。

 

 そんな二人のやり取りを見ていたステラとオリヴィアは、楽しげに笑みを浮かべるのであった。

 



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第36話

 ◇ ◇ ◇

 

 魔法実技クラブの見学を終えた四人は第一武道場を訪れていた。

 第一武道場に足を踏み入れた四人が最初に感じたのは、室内に籠った熱気であった。

 

「ここが剣術クラブの活動場所か」

 

 アレックスが呟く。

 

「剣術クラブも人気のあるクラブよね」

「そうだな。確か魔法実技クラブに次いで部員が多いと聞いたな」

 

 オリヴィアの疑問にアレックスが答える。

 

 アレックスが言う通り、剣術クラブは魔法実技クラブに次ぐ部員数を誇るクラブだ。

 武器の中でも刀剣類を用いる者が多いのも影響していると思われる。

 

 周囲にはジルヴェスターたちと同様に、見学に訪れている一年生の姿も多く見受けられた。

 

「あら? あそこにいるのはシズカよね?」

 

 武道場の中で見知った顔の人物を見掛けたオリヴィアが、目を凝らしながら声を漏らす。

 

「彼女はシノノメ家の御令嬢だからな。剣術クラブに籍を置いているのはなんら不思議ではない」

 

 ジルヴェスターがそう言うのと同時に一同がシズカへ視線を向ける。

 四人から視線を向けられるとさすがに圧を感じたのか、シズカは違和感の正体を探して振り向いた。

 

 そして四人の存在に気がついたシズカは、鍛錬を中断してジルヴェスターたちのもとへ歩み寄る。

 

「みんなは見学?」

「うん」

「ええ。そうよ」

 

 シズカの問いにステラとオリヴィアが肯定する。

 

「シズカは一人で鍛錬に励んでいたようだけれど、先輩に指導してもらったりはしないのかしら?」

 

 武道場では先輩に指導を受ける者や、模擬戦をしている者などの姿が見て取れた。

 そんな中、シズカは一人黙々と鍛錬に励んでいたので、オリヴィアは疑問に思ったのだ。

 

「それが……先輩たちに(さじ)を投げられてしまって……。顧問の先生にも私だけ自由に鍛錬に励むようにと言われてしまったのよ」

 

 シズカは頬に手を当てて困った表情を浮かべる。

 

「それは仕方ないな。幼い頃からシノノメ家で鍛錬を積んできたシズカに指導できる者はそうそういないだろう」

 

 門下生の間でシズカの実力は師範代相当であると言われており、一族内でも師範代に相応しい実力と技量を備えていると認められている。

 

 だが、彼女は師範代の地位を与えられていない。

 それは彼女がまだ学生の身分であるからで、卒業さえすればすぐにでも師範代の地位を与えられると思われている。

 

 事実、シノノメ家の当主で総師範でもあるシズカの父は、何事もなければ卒業後に師範代にするつもりでいた。精神面での成長も待っているのかもしれない。

 

 そんな彼女に対して誰が指導できるというのか。

 下手に指導して悪影響になったら目も当てられない。

 

 故に、鍛錬に関してはシズカの自由に行うようにと認めざるを得なかったのだ。また、そのことに顧問教師や先輩、同級生にも不満や文句は何一つなかった。

 

 剣術クラブに籍を置いている生徒の大半はシノノメ家の門下生だ。顧問教師も門下生である。

 なので、シズカの実力を把握しており、認められてもいた。故に不満は生まれたかったのだ。

 

 何より、師匠の娘、または妹であるシズカに対して指導を行うなど、門下生の立場からすれば御免被りたいというのが偽らざる本音だろう。

 

 一部シノノメ家の門下生ではない生徒もシズカの実力を目の当たりにすれば、不満や文句など微塵も出てこなかった。門下生である生徒が認めているのも影響している。

 

「そもそもシズカの実力なら剣術クラブに入部する必要はないと思うが」

「そんなことないわ。鍛錬を怠るわけにはいかないもの。それに気兼ねなく鍛錬に励むことができる場所は貴重なのよ」

「確かにそうだな」

 

 日々の鍛錬を欠かすことはできない。

 一日休むと取り戻すのに三日は掛かると良く言うが、日頃から強い意志を持って日々取り組まなければ一向に向上することは叶わないだろう。

 

 鍛錬を行う場所も重要である。

 シズカの場合は実家が道場を開いているので困ることはないが、ランチェスター学園に入学した現在は寮生活を送っているので、実家の道場を利用することは物理的に不可能だ。

 

 その点、剣術クラブに籍を置いていれば第一武道場を利用することができ、鍛錬場所に困ることがなくなる。

 

 学園の敷地は広大なので、外などのどこか空いている場所を利用することはできる。

 しかし人目を気にせずに済み、誰かの迷惑になることもなく、気兼ねなく鍛錬に励む為に武道場を利用できるのは非常に魅力的なのだ。

 

 そうシズカに説明されたジルヴェスターは納得して頷いた。

 

「それじゃ鍛錬に戻るわね。みんなもゆっくりしていって」

 

 シズカは四人に一通り挨拶をすると鍛錬に戻る。

 

 一同はそのまま剣術クラブの様子をしばし見学すると、その後は様々なクラブを見て回った。

 

「――今日はこの辺にしよう」

「そうね」

 

 クラブ見学が一段落したところでジルヴェスターが中断を切り出すと、オリヴィアが頷いた。

 

 たった一日で全てのクラブを見学して回るのは物理的に不可能だ。途中で切り上げる必要がある。

 

「続きはまた次回」

「またみんなで行きましょうか」

「ん」

 

 ステラがクラブ見学の続きについて呟くと、次回もまたみんなで見学しようとオリヴィアが微笑みながら提案する。

 それに対してステラが笑みを返した。――わかる人にしかわからない些細な表情の変化だったが。

 

「まあ、焦る必要はないし、気ままに行こうぜ」

 

 いつも通り軽い調子でアレックスが言う。

 

 クラブには入部可能時期などは設けられていない。一年を通していつでも入部可能なので、焦って決める必要はない。そもそも必ずどこかのクラブに入部しなければならない決まりもない。

 

「それじゃ、また明日」

「またね」

 

 別れの挨拶を済ますとオリヴィアとステラは寮へと帰って行った。

 

「んじゃ、俺も寮に戻るわ」

「ああ」

「またな」

 

 アレックスはジルヴェスターに声を掛けると、軽い足取りで寮への帰路に着いた。

 

 男子と女子は別の寮なので、帰路に着く道は別々だ。

 それに寮は複数ある。グレードが異なるからだ。

 

 その点、ステラとアレックスは実家の経済力的にグレードの高い寮であった。

 オリヴィアもステラの父であるマークの厚意により、ステラと同じ寮を契約してもらっている。オリヴィアは遠慮したのだが、むしろマークから懇願されてしまったので受け入れざるを得なかった。

 

 主人に懇願されたら使用人としては無下になどできないだろう。どうかそばでステラの面倒を見てくれ、という魂胆が明け透けである。――もっとも、マークには隠す気など微塵もなかったし、オリヴィアは頼まれなくてもステラの世話を焼く気満々だったのだが。

 



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第37話

 ◇ ◇ ◇

 

「――代表! また拠点を一つ潰されました!」

 

 限られた者しか知らない本拠で企てている計画の準備を行っていたヴォイチェフのもとに、男性の団員が報告に駆け込んだ。

 

「何!? どこだ?」

 

 眉間に皺を寄せて険しい顔つきになったヴォイチェフは、語気を強めて団員に尋ねる。

 

「ここです」

 

 団員は壁に立て掛けてある地図の一点を指し示す。

 

「……そうか。そこなら……まあいい。今のところ重要な拠点は一つも落とされてないからな」

 

 安堵したヴォイチェフは溜息を吐く。

 

 本拠をはじめ、特に重要な拠点は信用している一部の者にしか教えていない。故に、いくら拠点を落とされても、重要な拠点でなければそこまで痛くはなかった。

 

「その程度なら計画にも然して支障はない」

 

 ヴォイチェフの右腕である細身の男が口を開いた。

 

「そうだな」

「計画通り俺はここで待機するが、お前には現場で指揮を執ってもうぞ」

「わかっている」

 

 細身の男こと――エックスが計画の概要を説明していく。

 

 エックスは本拠で待機し、ヴォイチェフが現場の指揮にあたる計画であった。

 

「我々の計画は外部に漏れていないな?」

 

 エックスが報告に訪れた団員に尋ねる。

 

「おそらく漏れていないと思います。絶対とは言い切れませんが……」

「そうか」

 

 返答を聞いたエックスは顎に手を当てて考え込む。

 そして数秒後には考えを纏め終わり、顎から手を離して指示を出す。

 

「――一応外部に漏れていないか調べろ。人員は好きに使って構わない」

「了解です」

 

 指示を受けた団員はすかさず駆け出した。

 

「確認が終わり次第仕掛けるぞ」

「こっちは今か今かと待ち草臥(くたび)れているくらいだ」

 

 ヴォイチェフは両拳を組み合わせて指の関節の音を鳴らす。

 その様子から、気合に満ちているのが周囲にも感じ取ることができた。

 

「細かな調整は俺がやっておく。お前は団員のケツを叩いておけ」

「おう。俺にはそっちの方が性に合っている。面倒なことはお前に任せるさ」

 

 ヴォイチェフは見た目からもわかる通り、文官より武官気質の人間だ。デスク作業より、現場で身体を動かすことの方が本領を発揮できる。

 

 対してエックスは現場でも無難に役目をこなせるが、文官としての職務の方がより適正が高い。

 その点、ヴォイチェフとエックスは良い組み合わせなのだろう。

 

 会話を終えるとヴォイチェフは部屋を出て行き、エックスは計画の調整作業に取り掛かった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十四日――ジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、アレックスの四人は、放課後になると昨日に引き続きクラブ見学に赴いていた。

 

 四人が最初に訪れたクラブは魔法研究クラブだ。

 今日は文化系のクラブを中心に回る予定である。

 

 一同はクラブ棟にある魔法研究クラブの部室に到着すると、扉をノックしようとする。

 しかし、その前に横合いから声を掛けられた。

 

「――ヴェステンヴィルキス君、見学ですか?」

 

 ジルヴェスターは自身の名を呼ぶ声の方へ顔を向ける。

 すると、そこには一人の女生徒が資料を手に持ちながら立っていた。

 

「セフォローシャ副会長」

 

 女生徒の名をジルヴェスターが呟く。

 

 女生徒は病的なほど白い肌をしている。

 紺色のストレートロングヘアを垂らし、前髪の下にある紺色の瞳でジルヴェスターを見つめていた。

 着痩せするタイプなのか本来の体型の主張は抑えられているが、凹凸の激しい身体を隠しきれていない。

 

「ええ。見学です」

「そうですか。では、私が案内しますね」

「副会長が?」

「ええ。私が魔法研究クラブの部長なのでちょうど良かったです」

「そうでしたか。では、よろしくお願いします」

 

 ジルヴェスターとのやり取りを終えたセフォローシャは、ステラたち三人に視線を向ける。

 

「そちらのお三方は初めましてですね。私は生徒会副会長及び魔法研究クラブの部長を務めている三年のサラ・セフォローシャです」

 

 セフォローシャ改め――サラが三人に自己紹介をすると、ステラたちも順に自己紹介を行った。

 

 ちなみにジルヴェスターは入学式の答辞の打合せ時にサラとは何度か顔を合わせており、自己紹介は最初に対面した際に済ませている。

 

「では、入りましょうか」

 

 自己紹介を済ませた一同は、サラを先頭に魔法研究クラブの部室に足を踏み入れた。

 

「ここは前室です。ここに荷物を置いたり、休憩したりしています」

 

 一同が足を踏み入れた先の部屋には、生徒の鞄と思われる物が棚に収納されていた。中には無造作にテーブルやソファに置かれている鞄もある。

 

 そしてそのテーブルやソファを中心に、部員たちが団欒できるスペースが確保されていた。

 

「こちらの部屋が研究室です。そして反対側の部屋が倉庫になっています」

 

 サラが部室を歩いて行き、左側の扉の前に立って説明する。

 入口の扉から見て左側が研究室の扉で、右側が倉庫へ繋がる扉になっているようだ。

 

「次は研究室に入りますが、備品には手を触れないようにお願いしますね」

 

 サラは一同に注意を促すと、取っ手に手を掛ける。

 

 研究者は資料に触れられるのを嫌う傾向にある。

 一見乱雑に置かれているように見えても、本人はしっかりと場所を把握している。なので、置き場所を少しでも変えられてしまうのは余計な手間になってしまうのだ。

 

 それとは別に、研究資料や機材には貴重な物がある。素人が軽々しく触っていい代物ではない。

 サラが注意を促すのは当然のことだ。

 

 扉を潜った先に広がる光景は、正に研究室といった様相を呈していた。

 議論を交わす者や、資料や書物と睨めっこしている者、術式を(えが)いている者など、様々な姿を確認できる。

 集中していてジルヴェスターたちの存在に気づいていない。

 

「魔法研究クラブの活動内容は広義に解釈しており、魔法に関わること全般を研究対象にしています。工学クラブもありますが、我が部では魔法工学の分野も取り扱っています」

 

 ランチェスター学園には工学クラブがある。

 工学クラブは魔法工学や魔法には関係ない一般的な工学について、研究や製作をしているクラブだ。

 

「工学クラブとは良好な関係にあり、交流も盛んに行われております」

 

 魔法工学の分野にまで手を出している現状、工学クラブの領分を侵食している形になるが、あくまでも工学クラブは工学に特化しているクラブであり、魔法研究クラブは魔法全般を対象にしている。

 時に魔法研究クラブと工学クラブで共同研究や製作に取り組むことがあり、上手く住み分けや共存ができているので両クラブ間に軋轢(あつれき)はない。

 

 その後、一同はサラに先導されながら研究室内を一通り見て回る。

 



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第38話

「――あれは……『状態異常解除(リカバー)』の術式を効率化しているのか?」

 

 研究室の一角で壁に掲げてある大きく(えが)いた術式の前で、複数の部員が陣取って議論を交わしている姿を見たジルヴェスターが呟く。

 

「わかりますか? そうです。彼らは『状態異常解除(リカバー)』の効率化を図っています」

「ええ。だいぶ弄っているようですが、根幹の部分には変更を加えていないようですから」

 

 サラが頷いて肯定すると、それに対してジルヴェスターが理由を述べた。

 

 ――『状態異常解除(リカバー)』は第四位階の聖属性魔法であり、状態異常を治癒又は解除する効果を持つ治癒魔法だ。

 

「……確かに良く見ると、『状態異常解除(リカバー)』の原型が見て取れるわね」

 

 術式に目を通したオリヴィアが、その正体を見抜いた。

 

「俺には全くわからん」

「わたしはなんとなくしかわからない」

 

 アレックスは門外漢だと言わんばかりに思考を放棄している。

 そしてステラは一生懸命術式を読み取ろうとしているが苦戦しているようだ。

 

「少々意見を述べても構いませんか?」

「ええ。もちろんです」

「では遠慮なく」

 

 サラに確認を取ったジルヴェスターは、議論を交わしている部員たちのもとへ歩み寄る。

 

「――失礼します。少々よろしいですか?」

「ん?」

 

 背後から聞こえて来た声に振り返った部員たちの視線に、ジルヴェスターは狼狽えることなく向き合う。

 

 部員はジルヴェスターの後方にサラの姿を捉えた。

 そのまま流れるように視線を向けると、彼女が頷いた。

 彼らはそれだけで状況を一瞬で理解する。

 

「あ、ああ。なんだ?」

「自分にも興味深い研究でしたので、一つ意見を述べさせて頂きたいのですが」

「そうか。君も()()()()の人間なんだな。それで意見とは?」

 

 国立魔法教育高等学校は、キュース魔法工学院以外は魔法技能師志望の生徒の方が多い。絶対数では魔法工学技師志望の生徒の方が圧倒的に少ないのが現実だ。

 もちろん魔法技能師でも魔法の研究などに興味を持つ者はいるが、やはり珍しい部類になる。

 故に、研究者肌の人間に出会うと親近感を抱く傾向が少なからずある。魔法研究クラブの部員もその例に漏れず、心が少し開いたようだ。

 

「少し難しく考えすぎではないかと。先人が積み上げてきたものは侮れませんからね」

 

 ジルヴェスターはそう言うと、傍らにあった筆記用具を手に取って『状態異常解除(リカバー)』の本来の術式を書き込む。

 そして――

 

「もっとシンプルでいいと思いますよ。ここをこうして――」

 

 術式に少しだけ修正を加える。

 

「これで現状での最良の効率化を図れるのではないかと」

 

 図形や文字が複雑に組み合っている術式に少しだけ変更を加えただけだ。本当にシンプルな修正だった。――もっとも、造詣のある者でないと容易に理解はできないが。

 

「これは――」

「凄い! 確かにこれなら発動速度の向上や、魔力消費を抑えられるのでは!?」

 

 部員たちは驚きと共に好奇心や探求心が刺激され、修正を加えられた術式をまじまじと見入る。

 

「実際に試してみれば実感できると思いますよ」

「そうだな! 早速試してみよう!」

「MACを用意しろ!」

 

 ジルヴェスターの言葉に条件反射するかのように相槌を打つと、準備に取り掛かる為に慌ただしく駆け出した。

 

 その間にジルヴェスターはサラたちのもとに戻る。

 

「良く一目見ただけで改良点がわかりましたね」

「いえ、ただちょっと得意なんです。こういうの」

 

 サラがジルヴェスターのことを褒めると、彼は威張るでもなく苦笑を浮かべた。

 

「ジルは一級技師のライセンスを持っていますから」

 

 何故かステラが誇らしげに告げる。

 

「え、本当ですか?」

 

 ステラの何気ない一言にサラは衝撃を受ける。

 はしたなくならないように控え目に驚いているが、内心は衝撃が駆け巡っていた。

 

「ええ。一応持っていますね」

「……そうですか。私も四級技師のライセンスを有していますが、一級とは凄いですね」

 

 サラも四級技師のライセンスを有しているが、それでも学生の身分では充分凄いことだ。

 

「兼部でも構わないので、是非とも我がクラブに入部して頂けると嬉しいです」

 

 サラはすかさず勧誘を試みる抜け目なさを備えていた。

 

 クラブの掛け持ちは認められている。

 魔法研究クラブと工学クラブを兼部している生徒は多い。その他のクラブでも掛け持ちをしている生徒は一定数いる。

 

「そうですね。興味のある分野なので前向きに検討させて頂きます」

「期待していますね」

 

 ジルヴェスターとしても魔法の研究に関しては趣味でもあり、仕事にも関わることだ。なので、特別断る理由はなかった。

 

「私も検討させて頂きます」

 

 オリヴィアも同調する。

 

 元々歴史好きで考古学研究の選択科目を専攻する彼女は、元来研究者気質だ。魔法研究にも興味があり、普段から研究をしている。

 

「私たちはいつでも歓迎致しますよ。是非お待ちしておりますね」

 

 サラは歓迎の意を示す。

 

 魔法研究に興味を持つ者の入部を断る理由などない。

 研究者の数だけ視点や考察がある。数の暴力ではないが、人の数だけ知恵が集まるのだ。

 

 その後、軽く挨拶を交わした一同は、魔法研究クラブの部室を後にした。

 



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第39話

「――あれ? みんなちょうどいいところに」

 

 部室を出たところでジルヴェスターたちは声を掛けられる。

 

「レベッカか、偶然だな」

 

 声の主に顔を向けると、そこにいたのはレベッカであった。

 

「何かあったのかしら?」

 

 オリヴィアがレベッカに尋ねる。

 

「うん。みんなは今、暇だったりする?」

「私たちはクラブ見学をしていたところよ」

「そっか。ならちょっと付き合ってよ!」

「?」

 

 レベッカの誘いに首を傾げる一同。

 

「わたし調理クラブなんだけど、みんな作りすぎちゃって食べきれないの! 捨てるのはもったいないから食べて来てくれない?」

 

 上目遣いで両手を合わせながら頼み込む姿にはあざとさがある。

 

「お前調理クラブなのか? 意外だな」

 

 そんなレベッカのことをアレックスが茶化す。

 

「それ、どういう意味?」

「そのまんまの意味」

 

 ジト目を向けるレベッカと、どこ吹く風のアレックスが視線を交わす。

 レベッカからの視線には、火花が散っているかような錯覚を起こさせる迫力がある。

 

「甘い物ある?」

 

 二人のやり取りのことなど全く気にしていないステラが、レベッカの制服の裾を軽く引っ張りながら尋ねる。

 

「もちろんあるよ!」

「食べる」

 

 レベッカはアレックスのことを捨て置いて質問に間髪いれずに答える。

 するとステラは瞳を輝かせた。

 

「それじゃ、せっかくだしお邪魔しましょうか」

 

 嬉しそうなステラの姿を見て、オリヴィアがレベッカの誘いを受けるように誘導する。

 

「そうだな。レベッカ、案内してくれ」

「ありがとう! 助かるよ。ついて来て!」

 

 助っ人確保に成功したレベッカは、先導するように歩き出す。

 

「あっ」

 

 しかし、数歩歩いたところで何かを思い出したのか、(おもむろ)に立ち止まる。

 そして首だけ振り向くと、感情の籠っていない冷淡な声音で告げる。

 

「あんたは来なくてもいいよ」

 

 レベッカの視線の先にはアレックスがいた。

 どうやら先程の茶化しに対する意趣返しのようだ。

 

「――え、いや、俺も行くし」

 

 一瞬言葉に詰まったアレックスだったが、頭を掻いてから同行を申し出る。

 

「そ」

 

 返答を受けたレベッカは、特に気にした様子もなく再び歩き出す。

 そんな二人の姿にジルヴェスターは肩を竦め、オリヴィアは苦笑した。

 

「レベッカは料理好きなの?」

「好きだよ~。趣味みたいなものだね」

 

 ステラの質問に答える。

 

「美味しくできたら嬉しいし、食べてくれてる人が美味しそうにしているのを見てるのも好きなんだ」

 

 彼女の言う通り、料理が好きな人は自分が料理することが好きなのもあるが、食べている人が美味しそうにしているのを見るのが好き、という人は割と多いだろう。

 自分の為に料理するよりも、誰かの為に料理する方が、気持ちが乗るものかもしれない。

 

「ステラっちも喜んでくれるといいな」

 

 気恥ずかしさを内包した笑顔でレベッカが呟く。

 

「ん。楽しみにしてる」

 

 ステラも笑みを返す。

 

 そうして話していると、あっという間に調理クラブの部室に辿り着いた。

 

「――ここよ。さ、入って」

 

 レベッカを先頭に各自調理クラブの部室に入っていく。

 ジルヴェスターも部室に足を踏み入れようとしたが――

 

『――ジル、今いいかしら?』

 

 突然、念話(テレパシー)が飛んできた。

 

『レイか?』

『ええ』

『少し待て』

 

 念話(テレパシー)を飛ばしてきたのはレイチェルであった。

 

「どうした?」

 

 急に立ち止まったジルヴェスターのことを不審に思ったアレックスが尋ねる。

 

「すまん。少し用事ができた。すぐ戻る」

「りょうか~い」

 

 ジルヴェスターは急用ができたとレベッカに伝えると、調理クラブの部室から少しだけ離れた。

 

『――待たせたな』

『大丈夫よ』

 

 まずはレイチェルに待たせたことを詫びる。

 

『それで何があった?』

 

 レイチェルが念話(テレパシー)を飛ばしてくる時は火急の要件がある時だ。

 ジルヴェスターのプライベートに配慮しているので、不必要な念話(テレパシー)は飛ばしてこない。

 

『ヴァルタンの次の動きが判明したわ』

『ほう』

『どうやらランチェスター学園の襲撃を企てているらしいわ』

『何? それは事実か?』

 

 ジルヴェスターはレイチェルが(もたら)した情報に少しだけ驚きを示す。

 

『ええ。デスロワに頼んだから確実性は高いわ』

『デスロワに? あいつ今()()()()()()にいるはずだよな』

『昨日急用で一時的に帰ってきたみたい』

『そうか。多忙の中申し訳ないが、お陰で有益な情報を得られたわけか』

 

 二人の間で何気なく登場したデスロワという名を他の人が耳にしたら大層驚くことだろう。

 デスロワはこの国では知らぬ者はいないほどの大物だ。

 

『あいつが得た情報なら十中八九事実だろう』

『そうね』

『それにしてもランチェスター学園の襲撃を企てているとはな。連中は命知らずか?』

 

 ランチェスター学園には元特級魔法師第六席で、現在は準特級魔法師のレティがいる。

 仮に襲撃するのならば、レティに対抗できる特級魔法師クラスの魔法師が必要不可欠だろう。だが、反魔法主義団体にそれほどの魔法師がいるとは思えない。

 

『それがレティ様は明日(あす)別件で学園におられないそうよ』

『なるほど。連中がそのことを知っていたら、そのタイミングを狙って仕掛けてくる可能性があるということだな』

『おそらくね』

 

 レティのいないタイミングを狙っているのならば、無策ではないということが窺える。

 

『だが、それでも無謀と言わざるを得んな』

 

 レティがいなくても、生徒会長であるクラウディアを筆頭に魔法師として優れている者は多い。クラウディアのように壁外を経験している者もいる。

 とても非魔法師が大半を占める反魔法主義団体がどうこうできるとは思えない。

 

『反魔法主義者が魔法師の卵を排除したいと考えるのは理解できるが』

『決して許されることではないわ』

『そうだな』

 

 魔法を嫌悪している以上、魔法技能師になる前の生徒を狙うのは理に適っている。

 

『俺の方からレティに伝えておこう』

『お願いするわ。私は引き続き本拠を探るわ。デスロワのお陰で重要な拠点と思われる場所がいくつか見つかったのよ』

『それは重畳』

『もし明日(あす)までに間に合わなければランチェスター学園(そっち)に向かうわ』

 

 本拠を見つけ計画自体を破綻に追い込めればいいが、万が一見つけられなかった場合は生徒を守る方にシフトしなければならない。

 

『こっちでもできる限りの対応はしておこう』

『それじゃ、また何かあれば連絡するわね』

『ああ』

 

 その言葉を最後に念話(テレパシー)を切った。

 

(――さて、まずはレティのところに行くか)

 

 その後、ジルヴェスターはレティとクラウディアのもとを訪ね、反魔法主義団体ヴァルタンの企ての件を伝えに行くのであった。

 



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第40話

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十五日――ランチェスター学園は放課後になり、生徒は各自自由に過ごしている。

 そんな中、生徒会室にはクラウディアを始め生徒会のメンバーが集結していた。

 

「――会長、奴らは本当に来るのでしょうか?」

 

 自分のデスクの椅子腰掛けている赤みをおびた黄色の髪が特徴の少女が、クラウディアに尋ねる。

 

「情報源は確かよ。もちろん何事もないのが一番だけれど」

「うぅ。本当に何も起きなければいいのですけど……」

 

 生徒会長用のデスクに陣取るクラウディアが答えると、茶髪の少女が縮こまって怯えるように呟く。

 

「まあ、なるようになるでしょ~」

「先輩は気にしなさすぎですぅ」

 

 脱力感満載のビアンカにツッコミを入れる茶髪の少女。

 

「クラーラはかわいいなぁ~」

 

 椅子に座っているクラーラと呼ばれた茶髪の少女のことを、ビアンカは背後から抱き締める。

 

 クラーラと呼ばれた少女――クラーラ・チョルルカは、生徒会庶務を務めている二年生だ。

 

 白い肌をしており、茶色の髪は空気感を含んでいて軽やかさのあるナチュラルミディにしている。瞳の色は髪と同じだ。

 

 白で統一された制服を着こなす姿は清潔感と清楚な印象を周囲に与えており、カーディガンだけ茶色の物を身に付けている。きっと髪の色と合わせているのだろう。

 

「いずれにしても警戒を怠ることはできないわ」

「そうですね。各自、気を抜かないように注意しましょう」

 

 クラウディアの言葉に副会長のサラが相槌を打つ。

 

「カオル先輩には伝えておられるのですか?」

「ええ。昨日の内に伝えてあるわ。ヴェスターゴーア君にもね」

「そうですか」

 

 赤みをおびた黄色の髪が特徴の少女は納得して頷く。

 

 風紀委員長であるカオルと、統轄連総長であるオスヴァルドには事前に報告を済ませていた。

 学園の治安維持に関わる問題は、風紀委員と統轄連の職分だ。

 

「それにしても反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンですか……」

 

 綺麗な姿勢のサラが顎に手を当てて考え込むように呟く。

 

「わたしはあまり詳しくないのですが、ヴァルタンとはどのような組織なのでしょうか?」

 

 ビアンカに抱き締められているクラーラが首を傾げて尋ねる。

 

「私にも教えてください」

 

 赤みをおびた黄色の髪の少女も教えを乞い、デスクに身を乗り出して耳を傾ける。

 

「そうですね――」

 

 後輩二人に向けてサラが説明をする。

 

「――なるほど。とにかく関わらないに越したことはない連中ということですね」

「ええ。フェアチャイルドさんはもちろん、私たち魔法師には縁のない存在です」

「私の方から遠慮しますよ」

 

 サラの言葉に、フェアチャイルドと呼ばれた赤みをおびた黄色の髪の少女は肩を竦める。

 

「情報によれば魔法師も組しているみたいね。全く困ったものだわ」

「魔法師の風上にも置けない愚劣な連中ですね」

 

 嘆息するクラウディアにフェアチャイルドも同意する。――フェアチャイルドは少々辛辣だが。

 

「アンジェは手厳しいなぁ~」

 

 そんなフェアチャイルドのことをビアンカが茶化す。

 

「仕方ないですよ。会長もフェアチャイルドさんも魔法師としては無視できないことですから」

「まあ、確かにそうだよねぇ~。大変だよね。お嬢様は」

 

 クラウディアは言うに及ばず、フェアチャイルドも魔法師の名門の家系である。

 

 アンジェの愛称で呼ばれている少女――アンジェリーナ・フェアチャイルドは、生徒会書記を務めている二年生である。

 

 白い肌、緑色の瞳、くびれミディにしている赤みをおびた黄色の髪が特徴だ。

 

 桃色のブラウスの上に紺色のカーディガンと赤色のジャケットを羽織り、灰色のスカートを膝より上の短めにし、黒のオーバーニーソックスを穿いている。スカートとオーバーニーソックスの間に広がる素肌が魅力的で眩しく、異性の視線を釘付けにすること間違いなしである。

 

 フェアチャイルド家は魔法師界の名門に当たる一族だ。

 ジェニングス家ほどではないが、リリアナの家系であるディンウィディー家や、アレックスの家系であるフィッツジェラルド家などと同等に位置する名門だ。――いや、フェアチャイルド家の方が少し上位かもしれない。

 

 クラウディア然り、アンジェリーナ然り、魔法師の名門たる家門にとって、反魔法主義者も反魔法主義団体に加担する魔法師も邪魔な存在以外の何者でもない。

 

 魔法師界の名門として確固たる意志とプライドを持ち、責任を負っている身としては、魔法師ながら反魔法主義団体に組する者など路頭の虫以下の存在だ。

 

「私たちの苦労を知らずに、未熟な己を受け入れられず、境遇を言い訳にして反魔法主義に成り下がるなど厚顔無恥も(はなは)だしい限りです」

 

 アンジェリーナは棘を隠そうともしない口調で辛辣な言葉を吐く。

 

「アンジェの気持ちは痛いほどわかるけれど、大半の人は私たちが普段どのような生活をしていて、どういった活動をしているのかわからないだろうから多少は仕方ないと思うわ」

 

 クラウディアはフォローするように言葉を紡ぐが、内心に溜まった吐きどころのない複雑な感情が滲み出ている。

 

「――とはいえ、反魔法主義団体に加担するような者は、決して許すことも見逃すこともできないわ」

 

 非魔法師の反魔法主義者も無視できないが、クラウディアは一魔法師として、魔法師界の名門の一門として、魔法師でありながら反魔法主義に成り下がる者の方が白い目を向けざるを得なかった。感情的にも立場的にもだ。

 

「まあ、今は反魔法主義者について議論しても仕方ないわね。私たち学生にどうこうできることではないもの」

「そうだねぇ~。クラウディアやアンジェはともかく、私たち一般人にはどうしようもないことだし」

 

 クラウディアの言葉にビアンカが乗っかる。

 

 クラウディアやアンジェリーナは魔法師界の名門として他人事ではないし、影響力や発言力もある。関わりたくなくても関わらざるを得ないだろう。

 

 しかし、ビアンカ、サラ、クラーラなどは魔法師なので全く関係ないとまでは言わないが、彼女たちは一般的な魔法師の家庭の出なので別世界の話に等しい。影響力も発言力もなければ、直接関わりようのない立場なのだ。

 

「そうですね。今大事なのは目先に迫ったヴァルタンの対応です」

 

 サラが話題を軌道修正する。

 

「ヴェスターゴーア君に伝えて、各クラブはなるべく早く切り上げるようにお願いしてあるわ」

 

 既にクラウディアが対応済であった。

 

「学園内に散らばるより、寮で固まっていた方が守りやすいもんねぇ~」

 

 ビアンカの言う通り、生徒があっちこっちに散らばっているよりも、寮に集まってくれた方が守りやすい。寮には寮監もいるので尚更だ。

 

「――先輩、いい加減離してくださいぃ~」

「ダメ」

「うぅ」

 

 ビアンカに抱き締められているクラーラが懇願するが、ビアンカは断固として拒否する。ビアンカの表情は脱力感満載だったとは思えないほど真剣だ。

 

「ふふ。風紀委員には学園を見回りしてもらっているわ」

 

 ビアンカとクラーラのやり取りに(なご)んだクラウディアは笑みを零すが、しっかりと伝えるべきことを説明する。

 

「町の方はどうしていますか?」

 

 アンジェリーナが尋ねる。

 

「統轄連と協力して町の方も見回りしてもらっているわ。ただ、学園の防衛が最優先なので町の方の人員は少ないわね」

「それは仕方ないですね」

 

 クラウディアがそう答えると、アンジェリーナは肩を竦めた。

 

「残念ながら今は学園長がおられません。なので、学園長に頼ることなく対応せざるを得ないわ」

「本日学園長は対抗戦についての会議で魔法協会本部へ赴いています」

 

 クラウディアの説明をサラが間髪入れずに補足する。阿吽の呼吸だ。

 

 ランチェスター学園から、魔法協会本部があるセントラル区までは鉄道での移動になる。そう簡単に戻って来られる距離ではない。

 学園長であるレティの手を当てにしない方が賢明だろう。

 

(正直、()()()()がおられる限り何も心配はいらないと思いますが、わざわざ手を煩わせるわけにはいきませんからね。私たちで可能な限り対処しましょう)

 

 クラウディアは内心で思っていることを決して口にはしない。

 油断されても困るからだ。しっかりと気を引き締めて、自分たちの手で局面を乗り越えなければ成長に繋がらない。

 

「会長、生徒には伝えなくてよろしいのでしょうか?」

 

 クラーラがビアンカの腕の中から質問する。

 

「ええ。余計な混乱を招くわけにはいかないもの」

「そうですね」

 

 反魔法主義団体ヴァルタンがランチェスター学園への襲撃を企てていると生徒たちに伝えても、余計な混乱を招くだけだ。何事も知らない方がいいことはある。

 

「先生方には学園長から伝えられているはずよ」

 

 生徒を守るのは教師の務めだ。

 教師陣には朝の段階でレティから伝えられていた。

 

「各自MACを常備の上、万全の状態で備えておくようにね」

 

 クラウディアの言葉に全員が頷いて各自MACの確認をする。

 

「さて、警戒するあまり仕事を怠るわけにはいかないわ。警戒は風紀委員と統轄連に任せて、私たちはいつも通りの仕事をしましょう」

 

 クラウディアの言う通り普段の仕事を怠っていいわけではない。仕事は待ってくれないのだ。

 

 その後は彼女の号令の下、各自各々の仕事に取り掛かるのであった。

 



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第41話

 ◇ ◇ ◇

 

 風紀委員会委員長であるカオルは、風紀委員室で全体の指揮を執っていた。

 

『――委員長、不審な人物を発見しました』

 

 委員の一人に指示を出していたカオルに念話(テレパシー)が飛んできた。男の声だ。。

 

 風紀委員への選出には、念話(テレパシー)』を行使できる者に限るという暗黙のルールがある。

 

 迅速な対応を行う為に念話(テレパシー)は必須だ。風紀委員に求められる技能であるのは道理であろう。

 

『数は?』

『四人です』

『少ないな……』

『おそらくリスク分散の為に散らばっているのかと……』

『ふむ』

 

 カオルは(もたら)された情報を頭の中で精査する。

 

 全員行動を共にしていては万が一のことがあった場合に全滅に直結する。なので、リスク分散の為に一ヶ所に固まらないのは妥当な判断だ。

 

『――引き続き尾行しろ。但し、決して深追いはするな。危険だと思ったらすぐさま退くんだ』

『了解です』

 

 ランチェスター学園を襲撃する人員がたった四人なわけがないので、尾行して情報を得なければならない。

 だが引き際は大事だ。学生である以上、まずは自身の身の安全を最優先にしなくてはならない。その点は風紀委員に選ばれる実力者であれば心配無用だろう。

 

 デスクに両肘をついていたカオルは、念話(テレパシー)を切ると椅子の背凭れに体重を預けた。そして一つ息を吐いて気持ちを切り替えると、室内に残っている委員に声を掛ける。

 

「――生徒の動きはどうだ?」

「現在各クラブ徐々に活動を終了している模様です」

「そうか。まだ活動中のクラブは解散を急がせろ」

「了解です」

 

 指示を受けた委員は風紀委員室を出て行った。

 

(ヴァルタンが本当に来るのか、と疑わしい部分があるのが本音だが、クラウディアと学園長が確実に来ると断言しているからには間違いないのだろう……。それに警戒した結果無駄足になるのであればそれに越したことはない)

 

 カオルは背凭れに体重を預けて身体は脱力しているが、頭はしっかりと働かせている。

 

 ヴァルタンが本当に襲撃を企てているのか疑問に思うのは当然のことだろう。

 しかし、カオルにとっては親友であるクラウディアと、尊敬しているレティが確信を持って言っている以上は疑う理由などなくなる。

 

 それに警戒した結果何も起こらず全て無駄足になるのならばむしろ良い結果だろう。備えあれば患いなしだ。

 警戒を怠った結果、本当に襲撃を受けて甚大な被害を被ったら目も当てられない。無駄足になるくらいがちょうどいい。

 

『――キサラギ』

 

 思考を巡らせていたカオルのもとへ再び念話(テレパシー)が飛んできた。

 

『ヴェスターゴーアか?』

『ああ』

 

 念話(テレパシー)を飛ばしてきたのは、統轄連総長のオスヴァルドであった。

 重低音の渋い声がカオルの脳内に響く。

 

『何かあったのか?』

 

 カオルが尋ねる。

 

『各クラブの活動が終了した』

『そうか』

 

 どうやら活動していたクラブは全て終了して解散したようだ。

 

『それと配置の最終確認をしたい』

『わかった』

『事前に決めた通り、寮を始め生徒の守護は我々統轄連が主体となって行うので問題ないな?』

『ああ。構わん』

 

 カオルとオスヴァルドは事前に話し合い、風紀委員と統轄連で協力体制を敷いていた。

 

『私たち風紀委員はヴァルタンの捜索と監視がメインで、防衛面は状況に応じて臨機応変に動かさせてもらう』

『わかっている』

 

 現在風紀委員はヴァルタンの捜索と監視をメインに行っている。

 無論、学園を守る為の人員も配置しているが、カオルの性格上守るより攻めろの精神で遊撃的な役割になっていた。

 オスヴァルドとしても守戦の方が得意なので異論はなかった。

 

『――ああ、そうだ』

『なんだ?』

 

 カオルが危うく伝え忘れそうになっていたことを思い出す。

 直前まで思考の海に深く潜っていたので、完全に切り替えができていなかったようだ。

 だが、念話(テレパシー)で話している間にしっかりと切り替えられていた。

 いずれれにしろ伝え忘れずに済んでなによりだ。

 

『街中で(くだん)の連中を発見した』

『何?』

『四人だけだがな』

『それで今はどうなっている?』

『現在も追跡中だ』

『そうか』

 

 (もたら)された情報にオスヴァルドは思考を巡らす。

 その後、数秒経ったところでオスヴァルドが言葉を伝える。

 

『――また何かわかったら報告してくれ』

『ああ。もちろんだ』

 

 協力関係を敷いている以上、断る理由などはない。――そもそも学園と生徒を守る為だし、二人の仲が険悪というわけでもないので、断る選択肢など始めから存在しないのだが。

 

『……なあ、ヴェスターゴーア』

『なんだ?』

 

 カオルは歯切れの悪い口調で言葉を絞り出す。

 

『本当にヴァルタンは来ると思うか?』

『……』

 

 カオルの質問にオスヴァルドは数秒沈黙する。

 

『正直なところわからん。だが、ジェニングスが来ると言っているからには間違いないのだろう。彼女は我々の(トップ)だ。俺たちの役目は彼女について行き支えてやることだ。違うか?』

 

 クラウディアは三年生世代のトップである。

 ただ生徒会長であるということを抜きにしても、クラウディアは中心にいる。彼女の想いや人柄に賛同してついて行っている者も多い。

 オスヴァルドとカオルはその代表格だ。クラウディアの最も近くで支えている両翼と言っても過言ではない。

 

『……そうだな。すまん。少し後ろ向きになっていたようだ』

『気にするな』

 

 オスヴァルドに諭されたカオルは、胸の(つか)えと折り合いがついたような表情になった。

 

『それに大方彼女のことだ。例の人物絡みなのだろう』

『ふっ。ヴェステンヴィルキスか』

 

 カオルは呆れを含んだ笑みに変わる。

 

『彼女があれほど心酔しているんだ。余程の人物なのだろう。二日前にクラブ見学に来ていたので軽く観察してみたが、彼女の言うことが納得できる身の熟しと雰囲気を醸し出していた』

『そうか。ヴェスターゴーアが言うのならば相当できるのだろうな』

 

 オスヴァルドは実戦経験豊富だ。壁外での活動も豊富である。

 その点に限ればクラウディアよりも豊富であり、ランチェスター学園の生徒の中では、ジルヴェスターを除けば最も実践経験を積んでいるだろう。実力を疑う余地などないほど申し分ない。

 

 そんな彼が言うと確かな説得力がある。

 彼の実力を知っており、信頼もしているカオルにとっては充分納得できる言葉だった。

 

『――まあ、今こんな話をしていても仕方がないだろう』

『そうだな。今はまずやるべきことがある』

 

 オスヴァルドの言葉にカオルは同意を示す。

 

『では、また何かあれば連絡する』

『ああ』

 

 そう締め括ったオスヴァルドは念話(テレパシー)を切った。

 

「ふぅ~」

 

 カオルは一度大きく息を吐いて気持ちを切り替えると、素早く席を立つ。

 そして風紀委員室を出て為すべきことに取り掛かるのであった。

 



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第42話

 ◇ ◇ ◇

 

(ここも外れね……)

 

 レイチェルは反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの重要拠点と思われる場所を数ヶ所回っていたが、未だにヴァルタンの首魁であるヴォイチェフの姿と、ナンバーツーであるエックスの存在を確認できていなかった。

 

「時間切れね……」

 

 ヴァルタンの拠点を潰し終わって外に出たところでレイチェルが呟く。

 空は日が沈み始めていた。

 

「――ランチェスター学園に向かいましょう」

「はい!」

 

 レイチェルがそばにいた女性――アビーに声を掛けると、覇気が籠った綺麗な敬礼が返ってきた。

 

「――レイチェル殿」

 

 レイチェルが拠点を後にしようとしたところで、彼女に声を掛ける者がいた。

 

「マイルズ殿」

 

 声の主はアウグスティンソン隊の隊長であるマイルズであった。

 レイチェルは人手不足をアウグスティンソン隊の協力により補っていた。なので、現在も行動を共にしている。

 

「ランチェスター学園には我々が向かいましょう。レイチェル殿は引き続き捜索を行ってください」

 

 マイルズの提案はアウグスティンソン隊がランチェスター学園の防衛に駆け付け、レイチェルはヴァルタンの拠点の捜索を継続することだった。

 

 アウグスティンソン隊にはヴァルタンの目的を伝えてある。

 マイルズを始め、隊員たちはヴァルタンの計画に憤りを感じていた。魔法師として魔法師の卵が狙われるのは到底看過できることではないので当然の感情だろう。

 

(確かにアウグスティンソン隊が向かうのならば戦力的には申し分ないわね)

 

 アウグスティンソン隊には上級以上の魔法師はいないが、実力と実績は確かなものがある。

 今回は反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンが相手なので、アウグスティンソン隊でも過剰と言える戦力だ。

 ヴァルタンには非魔法師と反魔法思想に堕落する程度の実力しか持たない魔法師しかいない。レイチェルでは過剰すぎるくらいだ。

 

 もちろんレイチェルが向かえば戦力としては申し分ないどころか、最高の援軍になる。

 だが、ランチェスター学園が襲われる前に首魁を捕らえることが最も理想な結果だ。

 その為には、一番の実力者で、一人故に身軽なレイチェルが捜索を継続した方がいいだろう。

 

 逆に大勢の生徒たちを守る為には、アウグスティンソン隊の方が人数を分散できるので効率がいい。

 

 二方面に分かれるのは理に適っていた。

 

「わかりました。では、そうしましょうか」

「アビーを付けるので好きに使ってください」

「ありがとうございます」

 

 レイチェルがマイルズに了承の意を伝えると、厚意でアビーをサポートに付けてくれた。

 

 当のアビーはその申し出に驚いてビクッと身体を震わせたが、レイチェルに「頼りにさせてもらいますね」と声を掛けられ、すぐに気を引き締めた。

 

 アビーからは隠し切れない喜びが見て取れる。レイチェルと共に行動できるのが嬉しくて堪らないのだろう。

 

(万が一があってもジルがいる限り心配無用ね)

 

 ランチェスター学園にはジルヴェスターがいるので、万が一のことがあっても対応できると絶大な信頼を寄せるレイチェルに不安は一切なかった。

 

「――では、我々はランチェスター学園に向かいます」

 

 そう言葉を残してマイルズは隊員を引き連れて駆けて行く。

 その姿を見送ったレイチェルはアビーに声を掛ける。

 

「私たちも行きましょうか」

「はい!」

 

 緊張を内包しながら返事をするアビーを伴い、レイチェルもその場を後にした。

 



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第43話

 ◇ ◇ ◇

 

 完全に日が沈んだ頃合いに、フィルランツェには蠢く複数の人影があった。

 場所はランチェスター学園の西門前だ。西門前にある建物の陰に隠れるように待機している。

 

「――合図を送れ」

 

 一団を率いていると思われる男が小声で指示を出す。

 指示を受けた魔法師の男は、西門の上空目掛けて魔法を行使した。

 

 すると、一定の感覚で小さな明かりが三度輝く。

 

 男が使った魔法は――無属性の第一位階魔法『照明(ライト)』であり、辺りを明かりで照らすことができる生活魔法だ。

 

 合図を送った数秒後、ランチェスター学園の西門が開かれていく。

 

「準備は良いな?」

 

 リーダーの男の言葉に一同は頷く。

 

 そして完全に門が開かれると、リーダーが号令を掛ける。

 

「よし。行くぞ! ついて来い!」

 

 リーダーを先頭に、一団はランチェスター学園の西門から続々と侵入していく。

 

「――待てっ!」

 

 その時、侵入者に向かって静止を促す言葉を投げ掛けながら、横合いから全力で駆けてくる二つの人影があった。

 

「先輩! 当たりです!!」

「そのようだな!」

 

 近づいてきた二人は、ランチェスター学園の制服を身に纏っている。

 

「――なっ! 先輩、西門が開いています!」

「何!?」

 

 日が沈んで視界が悪くなっており、目視可能な距離に近づくまで生徒二人は気がつかなかったが、西門が開かれているのを確認して驚愕する。

 

「――足止めしろ!!」

 

 侵入者を率いるリーダーの指示を受けて、生徒二人を足止めする為に複数の人影が立ち塞がった。目視可能な範囲で十五人程度だ。

 

「お前は委員長に連絡しろ! 俺が前に出る!!」

「了解です!」

 

 三年生の生徒がバディを組む二年生に指示を出す。

 

 目を凝らすと、生徒二人は風紀委員の証である腕章を身に付けていた。

 風紀委員として町に出て見回りをしていたら、たまたま明滅する明かりを見掛けたので様子を見に来きたのである。

 

 そしたらランチェスター学園に向かう怪しい一団を発見した、というわけだ。

 

砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)!」

 

 先輩が魔法を行使する。

 

 日が沈み暗くなったことで判別しにくいが、足止めに出た侵入者たちの足元が砂場に代わった。意思を持ったように動く砂の触手が連中の足を絡め取っていく。

 

 ――『砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)』は地属性の第二位階魔法で、指定した地面に砂場を出現させ、足元から伸びる砂の触手で絡め取って動きを拘束する拘束魔法だ。

 術者が魔法を解かない限り、その場に残り続ける持続性を備えている。――持続させる分魔力を消費し続けるが。

 

 足止め要員の侵入者は『砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)』で足元の動きを封じられている。

 

「くそっ!」

 

 砂地獄から逃れようと必死に藻掻く。

 

『――委員長!!』

 

 その隙に後輩は委員長に念話(テレパシー)を飛ばす。

 



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第44話

 ◇ ◇ ◇

 

『――委員長!!』

 

 風紀委員会の執務室で待機していたカオルのもとに、突如念話(テレパシー)が飛んできた。

 

『何があった?』

 

 カオルは慌てることなくすぐさま返事をする。

 念話(テレパシー)を飛ばしきた相手の声音で、何かが起こったのだと瞬時に判断していた。

 

『連中を発見しました! 現在西門前で交戦中です!』

『良く見つけた!』

『それと何故か西門が開かれており、続々と侵入されています!』

『何!? それは確かか?』

『はい!』

『……』

 

 後輩は矢継ぎ早に目の前で起こっていることを伝えていく。

 

(西門が開かれただと!?)

 

 カオルは後輩の委員から(もたら)された情報に少なくない動揺を受けた。

 

(学内に連中の協力者が紛れていたというのか!?)

 

 カオルは思考を巡らすが――

 

(いや、考えるのは後だ。今は優先すべきことがある)

 

 一旦思考を放棄し、侵入者に対する対応を優先する為に思考を切り替える。

 

『――わかった。お前達は引き続き連中を引き付けろ! すぐに応援を向かわせる』

『了解です!』

『無理はするなよ。引き際を見誤るな』

『もちろんです!』

 

 カオルは念話(テレパシー)を飛ばしてきた後輩に指示を出した。

 そして念話(テレパシー)を切ると、風紀委員室にいる委員に指示を飛ばす。

 

「――西門が破られた!! 現在西門前で交戦中だそうだ! 総員西門に向かえ!!」

 

 指示を受けた委員は一瞬動揺するが、すぐに気持ちを切り替えて各自速やかに行動に移る。

 

 西門へ駆け出す者、見回りに出ている委員へ念話(テレパシー)を飛ばしてカオルの指示を伝える者など複数いる。

 

 当のカオルは風紀委員室を出ると、足早に移動しながら目的の人物へ念話(テレパシー)を飛ばす。

 

『――キサラギか?』

『ああ』

 

 確認するように誰何(すいか)する声は重低音の渋い声だった。

 カオルが念話(テレパシー)を飛ばした相手はオスヴァルドであった。

 

『――単刀直入に言う。西門が破られた』

『何?』

『うちの連中を向かわせたが、他の場所からも来ないとは限らん。そっちから数人出して確認に向かってくれ』

 

 侵入者が西門から来たのは確認できたが、他の場所からも来ないとは限らない。

 戦力を分散することになるが、侵入ルートを複数用意している可能性はある。決して安易に決めつけることはできない。

 

『わかった。こちらから人を出そう。余った人員はそちらに回す。好きに使ってくれ』

『ああ。助かる』

 

 短いやり取りだったが、要件を済ませたので早々に念話(テレパシー)を切る。

 二人の間に余計な言葉は不要だった。

 

 オスヴァルドとのやり取りを終えたタイミングで目的の場所へと辿り着く。

 場所は生徒会室だ。

 

「――クラウディア、入るぞ」

 

 無作法だがノックをせずに扉を開けて入室する。

 

「カオル?」

 

 当然の来訪者にデスクの椅子に腰掛けていたクラウディアは、少し驚いた表情を浮かべる。

 

「……何かあったのね?」

 

 だが、カオルの表情と雰囲気を見てすぐに事態を察した。

 緊急事態だと判断した生徒会の面々はカオルの無作法を咎めない。

 

「ああ――」

 

 カオルは侵入者の件を伝える。

 

「西門が!?」

「あわわ」

 

 生徒会室にいたアンジェリーナとクラーラが驚きをあらわにした。

 アンジェリーナは驚きのあまり席を立ち、クラーラは顔面蒼白になり身を震わせている。

 

「あらら」

 

 ビアンカは相変わらず脱力感満載で動揺は見て取れない。

 

「私も現場に向かう。クラウディアは全体の指揮を頼む」

「そう。あなたも行くのね」

 

 カオルが生徒会室に赴いたのは事態を伝えることもあるが、クラウディアに全体の指揮を頼む為であった。

 

 荒事は生徒会ではなく風紀委員の仕事なので、カオルが指揮を執るケースが多い。

 だが、場合によっては別の人間が指揮を執ることもある。今回がその別のケースだ。

 指揮系統を明確にする為に、クラウディアに直接伝えに来たのである。

 

「わかったわ。気をつけてね」

「ああ」

 

 クラウディアとカオルが視線を交わす姿は、互いに信頼し合っているのが傍目にも見て取れる一幕だ。

 

 そして頷いたカオルは生徒会室を後にして駆け出した。

 

「――アンジェ」

「はい」

 

 カオルを見送ったクラウディアはアンジェリーナに声を掛ける。

 

「先生方に事態を報告しに行ってもらえるかしら」

「わかりました」

「職員室にお願いね。今日はまだおられるはずだから」

「はい」

 

 外に出るのは危険なので、同じ建物内にある職員室に向かうように伝える。

 

 普段なら既に帰宅している教師は多いが、今日は反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンがランチェスター学園の襲撃を企てているので、学内に残るようにと学園長であるレティが言い残してあった。

 教師陣も学園内に散らばって警邏(けいら)しているが、職員室に詰めている教師もいる。

 

 頷いたアンジェリーナは生徒会室を出て行った。

 

「――では、私は負傷者の受け入れ準備に取り掛かります」

 

 サラが席を立つ。

 指示を受ける前に自ら行動に移るサラは極めて冷静だった。さすが頼れる副会長だ。

 

「ええ。お願い」

 

 クラウディアが頷く。

 

「チョルルカさん、一緒に来てください」

「は、はい!」

 

 サラに指名されたクラーラはビクッと身体を震わせると、慌てて返事をしてサラの後について行った。どうやらクラーラに手伝いを頼むようだ。

 

「行ってらっしゃ~い」

 

 デスクに上半身をうつ伏せているビアンカが、肘をデスクにつけたまま手を振って見送る。

 

「本当に来たねぇ~」

「そうね。最善を尽くしましょう」

 

 ビアンカの呟きに言葉を返すクラウディアは一層気を引き締めた。

 



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第45話

 ◇ ◇ ◇

 

「――先輩! 委員長に伝えました!」

 

 侵入者と対峙している風紀委員の先輩に向かって後輩が叫ぶ。

 

「了解!」

 

 前に出て念話(テレパシー)でやり取りをしていた後輩を守りながら戦っていた先輩は、背を向けたまま返事をする。

 

「まずはこいつらを片付けるぞ!」

「はい!」

 

 返事をした後輩は前進して先輩の隣に並ぶ。

 

 二人は足止めに残っている者たちを一刻も早く片付けて、学園内に侵入した連中を追い掛けたかった。

 

石飛礫(ストーン・ブラスト)!」

泡瀑(バブル・ボム)!」

 

 後輩が先輩の隣に並んだタイミングで、砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)に囚われている者の中から二種類の魔法が飛んできた。魔法に紛れて猟銃を発砲しており、銃弾が交ざっている。

 

 足元の自由は奪われているが、上半身は身動き可能だ。

 魔法師なら問題なく魔法を行使できるし、非魔法師は猟銃を扱える。

 

 ――『石飛礫(ストーン・ブラスト)』は地属性の第一位階魔法であり、石礫を放つ攻撃魔法だ。

 ――『泡瀑(バブル・ボム)』は水属性の第一位階魔法で、泡を爆発させる攻撃魔法である。

 

 風紀委員の二人目掛けて精確に飛んできた魔法に対し――

 

土壁(アース・ウォール)!」

 

 先輩が魔法を行使して眼前に土の壁を出現させると、二人は土壁(アース・ウォール)に身を隠す。

 

 石飛礫(ストーン・ブラスト)土壁(アース・ウォール)に直撃するがびくともしない。相手と先輩では練度が違う。

 

 石飛礫(ストーン・ブラスト)よりも速度の遅い泡瀑(バブル・ボム)が、遅れて土壁(アース・ウォール)に直撃して爆発する。意図して時間差を狙い魔法を選択したのかもしれない。

 結果、土壁(アース・ウォール)(ひび)が入った。それでも崩壊はしない。

 

 攻撃が止んだ一瞬の隙に、後輩は土壁(アース・ウォール)から飛び出して射線を確保する。

 そして――

 

烈風斬(エア・スラスト)!」

 

 魔法を放った!

 

 ――『烈風斬(エア・スラスト)』は風属性の第二位階魔法であり、大きな風の刃を放って対象を切り裂く攻撃魔法だ。

 

 烈風斬(エア・スラスト)は侵入者目掛けて飛んでいき、砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)に拘束されている前方の三人を切り裂く。

 

「ぐはっ」

 

 切り裂かれた三人は血を流しながら地に伏す。

 その結果、全身を砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)に絡め取られてしまう。完全に身動きを封じた。

 どうやら倒れた三人は非魔法師だったようで、魔法から身を守る手段を持っていなかった。

 

石の大砲(ストーン・カノン)!」

 

 先輩は土壁(アース・ウォール)を解除すると別の魔法を行使する。

 

 ――『石の大砲(ストーン・カノン)』は地属性の第三位階魔法であり、大砲の如く岩石を放つ攻撃魔法だ。

 

氷壁(アイス・ウォール)!」

 

 敵の魔法師の一人が魔法を行使し、石の大砲(ストーン・カノン)の射線上に氷の壁を出現させる。

 

 そして石の大砲(ストーン・カノン)氷壁(アイス・ウォール)に直撃し、衝撃が辺りに(とどろ)いて粉塵(ふんじん)が舞う。

 

 石の大砲(ストーン・カノン)の威力に氷壁(アイス・ウォール)は耐え切れず崩れていく。

 氷の壁を破った石の大砲(ストーン・カノン)は敵中に直撃したが、氷壁(アイス・ウォール)により威力を減衰させられていた。

 

 粉塵が収まると、そこには更に四人の敵が地に倒れ伏していた。そうなるともう完全に砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)の餌食だ。

 

 しかし、まだ八人の敵が残っている。倒れているのは全て非魔法師だ。

 もし石の大砲(ストーン・カノン)が本来の威力を発揮していれば、敵の魔法師にもダメージを与えられていたかもしれない。

 

「チッ」

 

 敵中から舌打ちの音が聞こえてきた。

 苦戦を強いられているからか、苛立ちを隠しきれていない。

 

落雷(ライトニング)!」

 

 間髪入れず後輩が魔法を放つ。

 

 ――『落雷(ライトニング)』は雷属性の第三位階魔法であり、対象に雷を落とす攻撃魔法だ。

 

「――っ! 氷弾(アイス・ショット)!」

 

 敵の魔法師の一人が反射的に魔法を行使した。

 

 日の沈んだ暗い状況の中、上空から垂直に落ちる落雷(ライトニング)の明かりで周囲が一瞬照らされる。

 

「ぐわぁあああ」

 

 落雷(ライトニング)が直撃した魔法師は焼け焦げになり地に伏す。

 だが、彼が最後に放った魔法――氷弾(アイス・ショット)が後輩目掛けて向かっていく。

 

「――っ!? あぶねっ」

 

 後輩は左側へジャンプして間一髪のところで躱したが、氷弾(アイス・ショット)が頬を(かす)った。

 

 僅かながらも後輩に(かす)り傷を負わせた魔法――『氷弾(アイス・ショット)』は、氷属性の第一位階魔法であり、氷の弾を放つ攻撃魔法だ。

 

「気を抜くな!」

 

 先輩から後輩に対して激が飛ぶ。

 魔法は簡単に人の命を奪う。一歩回避が遅れていたら顔を潰されていた可能性がある。術者の実力次第ではあるが、それでも戦闘中は一瞬たりとも気を抜いてはならない。

 

「――睡眠(スリープ)!」

 

 その時、風紀委員の二人の前方――敵の背後――から魔法名を叫ぶ声が辺り一帯に響く。

 

 その魔法は目に見える物ではなく、派手さはないが確実に標的に届いていた。

 何故なら、標的にされた意識のある残りの侵入者が全員眠りについていくからだ。

 



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第46話

「よう。無事か?」

 

 敵が眠りについたのを確認した乱入者が、風紀委員の二人に声を掛ける。

 

「ああ」

「なんとか無事っす」

 

 二人は無事を伝えると、乱入者のもとへ駆け寄った。

 

「運良く全員眠ってくれたな」

「本当にな。非魔法師は魔法に対する抵抗力が低いから勝算はあったが、魔法師まで一発で眠りに落ちるとはツイてるわ」

 

 先輩が敵に視線を向けながら茶化すように声を掛ける。

 その言葉に乱入者が肩を竦めて苦笑すると、先輩と後輩は小さく笑みを浮かべた。

 

 乱入者が行使した魔法――『睡眠(スリープ)』は、呪属性の第三位階魔法であり、対象を低確率で眠らせる妨害魔法だ。込める魔力量や術者の技量次第で眠らせる確率が多少は変化するが、運任せの要素が強い。また、理性のない者、知能が低い者、魔法抵抗力が低い非魔法師など相手だと格段に確率が上昇する。

 

 敵の中にいた二人の魔法師の内、一人は後輩が倒しており、残りの一人さえ沈めてしまえば後に残るのは非魔法師だけであった。

 

 睡眠(スリープ)は非魔法師には効きやすいので勝算はあったが、魔法師に対しては賭けに近かった。だが、その賭けに勝って一発で眠りに落ちてくれたのは本当に運が良かったと言える。

 

「助かりました」

「おう」

 

 後輩が感謝を告げると、乱入者は右手を上げて応える。

 

 その腕には風紀委員の証である腕章があった。彼は風紀委員として援軍に駆け付けていたのだ。

 

「学園内に入っていった連中はどうなった?」

 

 一難去り空気が緩んだところをすぐに気持ちを切り替えて先輩が尋ねる。

 

「相棒が交戦中だ。俺たちはたまたま近くにいたから先行して駆けつけられた」

 

 風紀委員は今回の件では二人一組で行動していた。

 彼がここに一人で来たということは、相方が別行動しているのは明白だ。

 

「えっ! 一人でですか!? すぐに合流しましょう!」

 

 一人で侵入者の相手をしている姿を想像した後輩が慌てて合流を促す。

 

「いや、あっちは問題ない。俺たちの次に近場にいた奴らが既に合流しているからな」

「だそうだ」

 

 先輩が後輩の肩に手を置いて落ち着かせる。

 

「それにそろそろ他の連中も合流する頃合いだ。姐御(あねご)も動いたことだしな」

「委員長がですか……。それは少し侵入者に同情します……」

 

 後輩は安堵して溜息を吐くが、複雑そうな表情を浮かべる。

 

「委員長のことだから活き活きとして締め上げていそうです」

「ははっ。そうだな」

 

 後輩は活き活きと戦闘している委員長――カオルの姿を想像して身震いした。

 

「――それより、こいつらを拘束しちまおう」

「そうだな」

 

 いつまでもこの場で呑気に会話をしているわけにはいかない。

 目の前の拘束している連中の対処が必要だ。

 

「魔法を解除する」

 

 今のままでは砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)の影響で近づくことすらできない。

 なので、先輩は魔法を解除しようとしたが――

 

「――それは我々が引き受けよう」

「――!?」

 

 突如声を掛けられた。

 

 三人は突然のことに驚いたが、瞬時に臨戦態勢に移行する。

 

「驚かせてすまない。我々はアウグスティンソン隊だ。敵ではない」

 

 驚かせたことを詫びながら三人の前に姿を現したのは、隊員を引き連れたアウグスティンソン隊の隊長であるマイルズであった。

 

「アウグスティンソン隊?」

 

 アウグスティンソン隊は有名なので、風紀委員の三人はその存在を知っていた。

 

 だが、この場にアウグスティンソン隊がいることに疑問を抱いた後輩が首を傾げる。そして、その言葉と共に三人は臨戦態勢を解いた。

 

 後輩は今回の件が魔法師、ひいては魔法協会にまで伝わっていたのかと思ったが、それは違うだろうと内心で否定する。

 

 ヴァルタンは反社会的組織ながら今まで存続し続けてきた。外部に計画を漏らしてしまうような甘い情報統制を敷いてはいないだろう。そのようなお粗末な内情ならここまで幅を利かせる組織になどなってはいない。

 

「アウグスティンソン隊のみなさんが何故こちらに?」

 

 同じ疑問を抱いていた先輩が代表して尋ねる。

 

「我々も連日の事件についてちょうど調査をしていてな」

 

 マイルズが説明を始める。

 アウグスティンソン隊の隊員は周囲の警戒を行っている。

 

「その際にたまたま同じ件で動いていた同業者に遭遇して協力体制を敷くことになり、今回の件もその協力者から(もたら)された情報で、我々が駆けつけた次第だ」

「そうでしたか」

 

 マイルズの説明に納得する三人。

 

「その協力者とは?」

「上級魔法師だ」

「「「――!!」」」

 

 アウグスティンソン隊に情報提供した協力者の存在が気になった先輩が尋ねると、予想だにしない単語が返ってきた。三人は驚愕して目を見開いている。

 

「あの御方も上司の命で動いていたようだ。我々もその上司が誰なのかは知らぬがな」

「そうですか……」

 

 上級魔法師が上司の命で行動しているということは、その上司は相当な人物だと容易に推測できる。

 もちろん同じ上級魔法師が隊長を務める隊の隊員という線もあるが、もっと上の地位にいる人物という可能性も大いにある。その場合、学生の身である彼らが安易に踏み込んでいい領域の話ではなくなる。無暗に踏み込むべきではないだろう。中級一等魔法師であるマイルズですら知らないのだから尚更だ。

 

「――さて、話を戻すが、この者らは我々が連行しても構わないか?」

「ええ、大丈夫です。むしろ助かります」

「それは良かった。では魔法を解除してくれると助かる」

「わかりました」

 

 マイルズの提案を断る理由などない。

 三人が連行するのには負担が掛かる。十五人もの人間を三人だけで連行するのは一苦労だし、そもそも反社会的組織の人間を学園内に連れて行くのはリスクが伴う。なので、マイルズの提案は渡りに船であった。

 

 先輩が砂地獄の拘束(サンド・ヘル・リストレイント)を解除すると、マイルズは隊員に指示を出して拘束させる。

 

「連中の仲間がまだ中にいるのだろう?」

 

 マイルズは学園の方に視線を向けて尋ねる。

 

「はい。今から戻って加勢するつもりです」

「そうか。では我々も加勢しよう」

「助かります」

 

 風紀委員の三人は誠意を込めて感謝を伝える。

 アウグスティンソン隊の協力を得られるのならば百人力だ。一線で活躍する魔法師隊の加勢があれば憂いは無くなる。

 

「では案内します」

 

 援軍として後から駆け付けた方の先輩が案内を買って出る。

 

「ありがとう。グレッグ、ここは任せる」

「おうよ」

 

 マイルズはこの場の指揮をグレッグに一任すると、三人の案内のもと数人の隊員を伴って学園内へと入って行った。

 



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第47話

 ◇ ◇ ◇

 

 西門の外で風紀委員の二人が戦闘していた頃、西門内では別の面々による戦闘が行われていた。

 

 リーダーと思われる人物を中心に纏まって行動している侵入者は、学園の治安を守る風紀委員と統轄連の生徒と相対している。

 

「――これ以上侵入させるな!」

 

 風紀委員の一人が叫ぶ。

 

 これ以上深く学園の敷地を踏ませるわけにはいかない。

 生徒を守るという意味でも、風紀委員としての矜持としても認められないことだ。

 

水瀑(ハイドロ・ボム)!」

 

 風紀委員の一人が魔法を放つ。

 放たれた魔法が敵の集団へ向かっていく。

 

 ――『水瀑(ハイドロ・ボム)』は水属性の第三位階魔法だ。この魔法は射出した水の塊を爆発させる攻撃魔法である。

 

「ちっ! 植物の壁(プラント・ウォール)!」

 

 敵の中にいる数少ない魔法師が、水瀑(ハイドロ・ボム)から集団を守るように魔法を行使する。

 水瀑(ハイドロ・ボム)の眼前に出現したのは植物の壁であった。

 

 ――『植物の壁(プラント・ウォール)』は木属性の第二位階魔法であり、任意の場所に植物の壁を生成する防御魔法だ。

 

 水瀑(ハイドロ・ボム)植物の壁(プラント・ウォール)に衝突する。

 その瞬間――水瀑(ハイドロ・ボム)が爆発した!

 周囲に衝撃が舞う。

 

 衝撃が収まると植物の壁(プラント・ウォール)には大した傷がなく、集団を守りきることに成功していた。

 

 植物の壁(プラント・ウォール)は第二位階魔法だが、水瀑(ハイドロ・ボム)は第三位階魔法だ。

 あまり魔法に詳しくない者なら第三位階魔法の方が強力だと思い、目の前の状況に驚愕するだろうが、必ずしも上位の位階の魔法が優位になるとは限らない。

 

 位階による序列は威力の強弱だけで決められているわけではない。

 もちろん位階が上の魔法の方が強力な傾向にあるが、位階は行使難度と魔力消費量、そして魔法としての強力さの三点によって定められている。

 故に、純粋な威力だけだと下位の位階の魔法が優位に立つこともある。術者の力量次第では打ち勝つことも可能だ。

 

 そして属性には相性が存在する。

 今回に限れば、水属性は木属性と相性が悪かった。植物に水を与えるとどうなるか、それは容易に想像できるだろう。植物に食料を与えているに等しい行為なのだから。

 なので、位階の差や術者の力量に隔絶した差がない限りは、相性により優位に立つことが可能なのだ。

 

 第二位階魔法の植物の壁(プラント・ウォール)で、第三位階魔法の水瀑(ハイドロ・ボム)を受けきれた理由はこれに起因する。

 

雷撃(サンダー・ヴォルト)!」

 

 水瀑(ハイドロ・ボム)による衝撃が収まった瞬間に、敵の中にいる別の魔法師が魔法を行使した。

 

 ――『雷撃(サンダー・ヴォルト)』は雷属性の第一位階魔法だ。効力はその名の通り雷撃を放つ攻撃魔法である。

 

 雷撃(サンダー・ヴォルト)水瀑(ハイドロ・ボム)を放った風紀委員へ一直線に向かっていくと――

 

「ぐあぁっ」

 

 狙い(たが)わず直撃する!

 

 直撃した風紀委員は痛みに膝をつく。

 

 そんな仲間の姿に見向きもせずに、他の風紀委員は各自敵と対峙していた。

 

小治癒(エイド)

 

 女性の風紀委員が膝をついた仲間へ駆け寄り、魔法を行使する。

 すると、焼けた肌がみるみると治っていく。

 

 ――『小治癒(エイド)』は聖属性の第一位階魔法であり、対象者一人の傷を癒す治癒魔法だ。

 

 本来対象に近づいて行使する必要はない。

 利点があるとすれば、近づいたことにより魔力の消費量を抑えられ、遠くから対象を指定する手間を省くことができることだ。

 

「すまん」

 

 傷が癒えると、立ち上がりながら礼を告げる。

 

「さあ、戦闘続行よ」

「ああ!」

 

 そして二人とも戦線に復帰する。

 

 見回りに出ていた風紀委員たちと、寮の警備をしていた統轄連の数人が駆けつけて続々戦線に合流し、乱戦を繰り広げていく。

 

 風紀委員は実力者揃いだが、その中でも特に精鋭に分類される者が存在する。

 魔法や剣戟などが舞う戦場において、特に大立ち回りをしている数人の姿がある。その姿を確認すると、風紀委員の中でも精鋭に分類される者たちであった。

 

「――煉獄の雨(ヴォルケーノ)

 

 風紀委員の集団の中心に陣取り、全体の指揮を執りながら魔法を放つ男子生徒がいた。

 

 放たれた魔法――『煉獄の雨(ヴォルケーノ)』は、火属性の第五位階魔法であり、炎弾を雨の如く放つ攻撃魔法だ。

 

 その煉獄の雨(ヴォルケーノ)は味方を巻き込まないように敵の後方目掛けて放たれている。

 

「ぐぁあああ!」

 

 これには敵の中にいる数少ない魔法師も対応し切れず、煉獄の雨(ヴォルケーノ)(もろ)に食らってしまう。

 炎の雨は多くの敵を巻き込んで戦況を一変させた。

 

 学生でありながら第五位階魔法である煉獄の雨(ヴォルケーノ)を苦も無く行使した生徒は非常に優秀だ。

 

「副委員長! 相手の被害は甚大です!」

 

 そばにいた風紀委員が煉獄の雨(ヴォルケーノ)を行使した生徒――風紀委員会の副委員長に戦況を報告する。

 

「このまま一気に押し潰せ!」

「アリスター、俺も行くぜ」

「待たせてすまないね」

「構わんさ」

 

 副委員長の隣で待機していた褐色肌の男子生徒が前に進み出た。

 

 アリスターと呼ばれた副委員長――アリスター・バスカヴィルは、白い肌に茶色の髪と瞳を備え、平均的な体格をしている三年生だ。

 白のワイシャツの上に黒いジャケットを羽織り、黒のスラックスをきっちりと着こなしている姿からは真面目な印象が滲み出ている。

 風紀委員会の副委員長なだけあり、魔法師として優れた実力を有している精鋭の一人だ。

 

「バーナード、好きに暴れていいよ」

(はな)からそのつもりだ」

 

 前に進み出た褐色肌の男子生徒――バーナード・ブラッドフォードは、常緑樹(じょうりょくじゅ)の葉のような茶みを含んだ濃い緑色の髪をポンパドールにしており、髪と同じ色の瞳が存在感を強調している。

 白のワイシャツの上に緑色のジャケットを羽織り、紺色のスラックスを履き、制服の着こなしは全体的に少し気崩している。

 彼も風紀委員の精鋭の一人に数えられる三年生だ。

 

「既に前線ではローゼンタールが蹂躙しているからな。俺もいっちょ暴れてくる」

 

 バーナードはそう言葉を残すと、前線へ駆け出す。

 

「やれやれ、血の気の多い奴らだよ」

 

 アリスターは呆れを含んだ溜息を吐いて肩を竦めた。

 



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第48話

 ◇ ◇ ◇

 

 時同じくして、最前線では一人の女性がヴァルタンを蹴散らしていた。

 

鉄塊散弾(アイアン・ブレット)

 

 その女性が魔法を放つ。

 

 ――『鉄塊散弾(アイアン・ブレット)』は鉄属性の第三位階魔法であり、鉄の散弾を放つ攻撃魔法だ。

 

 放たれた鉄塊散弾(アイアン・ブレット)は敵中目掛けて飛んでいく。

 

身体強化(フィジカル・ブースト)

 

 そして、鉄塊散弾(アイアン・ブレット)を放った女性はすぐさま身体強化(フィジカル・ブースト)を行使すると、槍型の武装一体型MACを手に敵中に突撃する。

 

 無属性の第五位階魔法である身体強化(フィジカル・ブースト)は、近接戦を得意とする者には必須の魔法だ。

 

 鉄塊散弾(アイアン・ブレット)が数人の敵に直撃する。

 直撃した者は激痛に耐え切れず地に伏す。中には軽傷の者や無傷の者もいるが、女性は構わず敵中に突っ込む。

 

 女性は(はな)から鉄塊散弾(アイアン・ブレット)で敵の数を減らせれば儲けもの程度に考え、敵に一瞬でも動揺や混乱を誘発させ、敵中に飛び込む隙を作るのが目的だった。

 

 身体強化(フィジカル・ブースト)により強化された身体能力で、計算通りに敵中に侵入したメイヴィスは槍型のMACを使い、見事な槍捌きで敵を切り伏せていく。

 

 惚れ惚れする槍捌きを披露する女性――メイヴィス・ローゼンタールは、男性に交ざっても遜色のない長身に、白い肌、青みを含んだ白い髪のベリーショート、碧眼を備えている。

 白のブラウスの上に黒のジャケットを羽織り、足首近くまで届く長さの灰色のスカートを穿いている。

 容姿や立ち振る舞いは非常に凛々しく、かっこいい女性という言葉がピッタリと当てはまる女性だ。

 彼女も精鋭の一人に数えられる二年生の風紀委員である。

 

「ふっ!」

 

 メイヴィスは槍で敵の一人の腹部を突くと、すぐに引き抜く。

 続け様に槍を構えながら一回転し、敵を近づかせないように牽制する。

 使用しているのは槍なので、敵と近づきすぎると思うように振るえなくなる。一定の距離を保つのが肝心だ。

 

「キサラギ流槍術戦技――牙崩一穿(がほういっせん)!」

 

 メイヴィスは手元で槍を一回転させると、回転の勢いそのままに槍を斜めに振るう。

 すると、穂先から巨大な斬撃が飛び出す!

 飛び出した斬撃が敵を何人も巻き込み吹き飛ばした!

 

 彼女はキサラギ流の門下生だ。なので、当然キサラギ流槍術を扱える。

 キサラギ流槍術の使い手として優秀であり、風紀委員長でキサラギ家当主の長女であるカオルからは可愛がられており、信頼もされている。

 

 牙崩一穿(がほういっせん)の斬撃は地面を(えぐ)りながら飛んでいき、その衝撃は周囲にまで及ぶ。

 吹き飛ばされなかった敵は態勢を崩された。

 

「キサラギ流槍術戦技――刺突連塵(しとつれんじん)

 

 その隙を逃すことなく連続突きを見舞う。

 

 ――『刺突連塵(しとつれんじん)』は槍先から伸びるように出現した鋭利な穂先を用いて、目にも留まらぬ速度で連続突きを見舞う槍術だ。

 

 牙崩一穿(がほういっせん)然り、刺突連塵(しとつれんじん)然り、斬撃が飛び出したり、鋭利な穂先が出現したりと、普通なら有り得ない現象が起こる。

 だが、それはその道を極めた者にしか成し得ない御業(みわざ)だ。先人が築き上げた技術を生かすも殺すも使い手次第である。

 

 ある人は言う――人が築き上げた技術の結晶だと。

 ある人は言う――空気中に漂う魔力を利用しているのだと。

 ある人は言う――奇跡だと。

 

 実際のところ要因は明らかになっていない。

 最も有力なのは、空気中に漂う魔力を利用しているという説だ。

 

 刺突連塵(しとつれんじん)で前方にいた敵を一蹴したメイヴィスは一息つく。

 激しい動きにより(なび)いていた長いスカートがひらりと揺らめいて落ち着きを取り戻す様は、美しさと凛々しさを周囲に与えていた。

 

 そこへ――

 

「――おうらっ!!」

 

 物凄い勢いでバーナードが突っ込んできて敵を殴り飛ばした!

 彼が直接殴ったのは一人だけだが、何故か後方にいた者たちまで殴られたかのような衝撃を受けて一緒に吹き飛ばされている。

 身体強化(フィジカル・ブースト)で身体能力を強化しているのは傍目にも理解できるが、それだけで納得できる現象ではない。

 

「よう、ローゼンタール」

「先輩……」

 

 殴るだけで複数の敵を吹き飛ばしたバーナードは、何事もなかったかのようにメイヴィスに声を掛けた。

 

「俺が右、お前が左」

「……了解です」

 

 バーナードが視線を右側に向けて指示を出す。

 だが、その指示はなんとも言葉足らずで簡素な物であった。

 幸いメイヴィスにはしっかりと意味が伝わったようでなによりだ。

 

「んじゃ」

 

 バーナードは軽く右手を挙げてそう言葉を残すと、楽しさでウキウキとした内心を隠し切れていない表情を晒しながら敵中に飛び込んで行った。――表面上は真剣な表情を取り繕ってはいたが。

 

「楽しそうですね……」

 

 そんな先輩の様子を見たメイヴィスは溜息交じりに呟く。

 冷気の影響で吐く息が白い。

 

(私はこっちを担当か)

 

 メイヴィスの視線は前方の左側を捉えている。

 

 バーナードの言葉足らずの指示は要約すると――右側の敵は自分が担当し、左側の敵はメイヴィスに任せるということであった。

 

(では、やろうか)

 

 メイヴィスは気を引き締め直すと、愛槍をしっかりと握って敵中目掛けて駆け出した。

 



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第49話

 ◇ ◇ ◇

 

「――これ、私が来る必要あったか?」

 

 西門に到着したカオルが呟く。

 彼女が現場に到着した頃には既にほとんど片が付いていた。

 

「何事もなくてなりよりでしょ?」

「まあ、そうだが……」

 

 アリスターの言葉に不完全燃焼のカオルは複雑そうな表情を浮かべる。

 カオルの出番がなかったのはいいことだ。余力を残して解決できるのならばそれに越したことは無い。

 

 離れた場所でバーナードが最後の一人を殴り飛ばしていた。

 その様子を見届けたカオルが新たな指示を出す。

 

「全員拘束しろ!」

 

 侵入者をこのまま野放しにはしておけない。

 拘束して、然るべき処置を取るまでは油断禁物だ。

 

 風紀委員と統轄連が協力して侵入者の拘束に取り掛かる。

 

「――既に片が付いていたか」

 

 各々が侵入者の拘束に取り掛かっていると、声が聞こえてきた。

 

「ん? 戻ったか」

 

 声のした方に顔を向けたカオルとアリスターは、学園外で戦闘していた風紀委員が魔法師の一団を引き連れて戻ってきたのを確認する。

 

「そちらの方々は?」

 

 カオルは魔法師の一団に視線を向けて尋ねる。

 

「こちらの方々は――」

「――失礼。私はアウグスティンソン隊の隊長を務めているマイルズ・アウグスティンソンだ」

 

 案内を務めた風紀委員が紹介しようとしたが、マイルズが前に出て機先を制する。

 

「アウグスティンソン隊長でしたか」

 

 カオルはマイルズのことを知っていた。

 魔法師界ではマイルズの名は知られているし、カオルの実家であるキサラギ家は多くの門下生を抱えているので人脈も広い。故に情報が集まる。

 他の生徒が知らないこともカオルは知っている。

 

「私は当学園の風紀委員長を務めているカオル・キサラギです」

「風紀委員長はキサラギ家の御令嬢だったか」

 

 カオルが醸し出す堂に入った雰囲気の理由に納得したマイルズが呟く。

 彼女は一般の生徒よりも肝が据わっているように見受けられたので、普通の生徒ではないとマイルズは一目で判断していた。

 

「アウグスティンソン隊のみなさんが何故こちらに?」

「話すと長くなるが――」

 

 アウグスティンソン隊がランチェスター学園に訪れた理由を尋ねると、マイルズが経緯を説明する。

 

「――そうでしたか」

 

 説明を聞いたカオルは納得して頷く。

 

「拘束した者たちは我々が引き取っても構わないだろうか?」

 

 マイルズが一度拘束された者たちに視線を向けてから尋ねた。

 カオルは一瞬考え込んだ後、口を開く。

 

「……私としては構いませんが、一応生徒会長に確認を取ります」

「それがいいな」

 

 カオルの判断にマイルズはいい判断だと鷹揚(おうよう)に頷く。

 

 学園の治安維持は風紀委員会に一任されているが、あくまでも学園のトップは生徒会長だ。

 学園によって異なるが、自主性を重んじるランチェスター学園は生徒会長の権限が大きい。なので、生徒会長のクラウディアに確認を取るのは然るべき対応であった。

 生徒会長としては状況の把握を欠かせないので尚更だ。クラウディアを通じて学園長や教職員にも伝わることだろう。

 

 カオルはすぐさまクラウディアに念話(テレパシー)を飛ばす。

 待つこと一分弱。

 

「――生徒会長も構わないとのことです」

 

 確認を終えたカオルがクラウディアの了承を得たと伝える。

 

「そうか。それは助かる」

「いえ、こちらこそ助かります」

 

 カオルとしてもクラウディアとしてもマイルズの要請を断る理由はなかった。

 学園内に不穏分子を抱え込むリスクを背負うのは可能な限り遠慮したいところだ。むしろマイルズの要請は願ったり叶ったりである。

 

 生徒会も風紀委員会も学園の安全を守れればいい。

 その他のことは魔法師や政治家に任せるに限る。学生の出る幕ではない。

 

「まだ敵がいないとも限らない。うちの隊員を数人町に残す」

 

 西門から襲撃を仕掛けてきた者たちで全員とは限らない。

 今回の件はこれで解決とはまだ言えなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 カオルは頭を下げて礼を告げる。

 魔法師が警戒にあたってくれるのは心強い。

 

 その後、風紀委員と統轄連の一部の者たちは、拘束した侵入者を連行するアウグスティンソン隊の後ろ姿を見送った。

 

「まだ、終わりじゃないぞ。各自配置に戻り周辺の警戒にあたれ!」

 

 一同は襲撃前に各自担当していた場所の警戒に戻る。

 まだ安心はできない。そのことを各々しっかりと理解しているので、カオルの指示を受けた後の行動はみな迅速だった。

 

「――バスカヴィル」

 

 カオルは行動に移ろうとしていたアリスターを呼び止める。

 

「なんだい?」

 

 呼び止められたアリスターが足を止めて振り向く。

 

「私は少し調べることがある。すまないが後は任せる」

「……構わないけど、その調べごとはなんなのかな?」

 

 カオルは調べごとに注力する為に、風紀委員の指揮を副委員長であるアリスターに委ねる判断を下した。

 

「……おかしいと思わないか?」

 

 神妙な面持ちのカオルは西門へ視線を向ける。

 

「ふむ。……なるほど。キサラギは内通者がいると踏んでいるんだね」

「ああ。そうだ」

 

 アリスターは何も説明されていないのにも(かか)わらず、カオルの意図を正確に理解した。

 

「まるで示し合わせたかのようなタイミングで門が開かれた」

「そうだね」

「そもそも外からは容易に門を開くことができないようになっている」

 

 学園の門は厳重だ。

 内からならば簡単に開くことはできるが、外からは限られた者にしか開くことができない仕様になっている。

 門が破壊されたわけでもない。にも(かか)らず門が開かれたということは、誰かが内から門を開いたという事実に行き着く。

 

「内通者か……。全く頭が痛いね」

 

 アリスターが肩を竦めながら溜息を吐く。

 

「いずれにしろ放置はできん」

「わかったよ。こっちは任せて。君はその内通者を探すんだね」

「ああ」

「正直、そういうのは君より僕の方が適任だと思うんだけど」

「それは否定できん……」

「僕が適任というよりは、君には向いていないと言った方が的確かな」

「……どうせ私は腕っぷししか能がないさ」

 

 痛いところを突かれたというように、カオルは渋い顔になりながら頭を掻く。

 

「まあ、いいよ。君は今回不完全燃焼だっただろうし、少しはガス抜きしてもらわないとね」

「……お前はいったい私をなんだと思っているんだ?」

 

 アリスターの言い様に、カオルは心外だと言わんばかりにジト目を向ける。

 

「さあね。ご想像にお任せするよ」

「おい」

 

 アリスターがはぐらかすのでカオルが追及しようとしたが――

 

「じゃあ僕は行くけど、君はやりすぎないようにね」

 

 当のアリスターはそう言葉を残して去ってしまった。

 忠告まで残してだ。

 

「……」

 

 肩透かしを食らったカオルは、納得がいかないまま内通者の捜索に乗り出す羽目になった。

 

 この日の夜はまだ続きそうだ。

 



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第50話

 ◇ ◇ ◇

 

 風紀委員らが西門で攻防を繰り広げていた頃、ジルヴェスターの姿は学園の東門を出て一、二分のところにあった。

 冷気を孕んだ夜風がジルヴェスターの頬を撫でる。

 

「ここか……」

 

 目的の場所を発見したジルヴェスターは建物に視線を向けて小声で呟く。

 建物は住居にも事務所にも使えるタイプの少し古めのアパートだ。

 

(外に二人、中には三十人といったところか)

 

 ジルヴェスターは魔法を行使して建物を探っていた。

 

 使用した魔法は――『音響感知(サウンド・パーセプション)』。

 この魔法は音属性の第四位階魔法であり、超音波を放って周囲の様子を探ることができる探知魔法だ。術者の技量や用いる魔力量により探知範囲や精密性が左右される。

 左手首に装着している腕輪型の汎用型MACを用いた。

 

(西門の方が大人数だったな)

 

 西門から襲撃を仕掛けてきた者たちは大所帯であった。

 それに比べるとこちらの方が人数は少ない。

 

(まあ、人数の差など然したるものではないが)

 

 彼には有象無象の集団など警戒に値すらしない。仮に油断していても些事だ。

 

(しかし、奴らは本当に何がしたいんだ?)

 

 ジルヴェスターの中では未だに拭えない疑問があった。

 

(反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンとしては魔法師を敵視するのも、強硬な手段に出ることも理解はできる)

 

 反魔法主義を掲げている以上、魔法師を敵視するのも排斥を謳うのも理解できることだ。

 

(だが、国立魔法教育高等学校に手を出すのは自殺行為に等しい。レティのいるランチェスター学園(うち)なら尚更だ)

 

 魔法師の卵が(おも)とはいえ、非魔法師で構成されている反魔法主義団体が、多くの魔法師を抱えている国立魔法教育高等学校に襲撃を仕掛けるなど正気の沙汰ではない。

 しかも元特級魔法師第六席であり、現準特級魔法師である『残響』――レティ・アンティッチを敵に回すことになる。

 正常な判断を下せる者ならば冒すことではないだろう。

 

(まあ、狂信者の考えなど理解できなくて当然か)

 

 ジルヴェスターは考えても仕方ないことだと切り捨てる。

 

 狂信者の考えを理解できるのは同じ狂信者に限るだろう。

 理解しようとするのは無駄な労力でしかない。

 

(いずれにしろ俺の平穏を脅かす者は容赦しない)

 

 ジルヴェスターは今の生活を気に入っている。

 幼少期から壁内壁外問わず戦場を闊歩していた彼は、現在の友人たちと過ごす平穏な学生生活は、とても新鮮で居心地が良く代えがたいものになっていた。

 故に、今の日常を脅かすモノには容赦するつもりなど微塵もなかった。

 

(さっさと終わらせてしまおう)

 

 思考を切り替えたジルヴェスターは、右手の中指に嵌めている指輪型MACに魔力を送り込んで魔法を行使する。用いているMACは単一型だ。

 すると、彼は建物の外で周囲の警戒に当たっている一人の背後に突如として現れた。

 

 彼が用いた魔法――『影移動(シャドウ・ムーヴ)』は、影属性の第八位階魔法であり、影を介して自由に行き来できる移動魔法だ。

 

 第八位階魔法を片手間に行使してしまうジルヴェスターの実力が一目で垣間見える。

 

 標的の背後に移動したジルヴェスターは、左手首に装着している腕輪型MACを用いて別の魔法を行使する。こちらのMACは汎用型だ。

 

 すると標的にされた相手は自分が何をされたのかもわからぬまま、その姿を消した。

 

 もう一人の標的にも影移動(シャドウ・ムーヴ)で瞬時に接近すると、先程と同じ魔法を行使する。

 そして後に残ったのはジルヴェスターの姿だけであり、標的にされた二人の痕跡は何一つとして残らなかった。

 

 対象の存在を消し去った魔法は――『次元封鎖(ディメンション・ロック)』だ。

 次元封鎖(ディメンション・ロック)は無属性の第八位階魔法であり、対象を異次元の空間に閉じ込める拘束魔法である。

 

 物陰から移動して一瞬の出来事だった。

 ジルヴェスターは流れ作業のように行ったが、やっていることは高次元のレベルだ。そんな簡単に第八位階の魔法を何度も使えたら誰も苦労しない。

 

 建物内の人間に気取られることのないように隠密行動を心掛けているのかと思ったが、見張りの二人を消したジルヴェスターはなんの躊躇もなく建物に侵入した。

 

 堂々と正面から建物に入ったジルヴェスターはすかさず魔法を行使する。用いたのは左耳の耳朶に装着している耳飾り(ピアス)型の単一型MACだ。

 すると、彼を囲むように無数の人影が出現した。

 しかし、その人影からは生気が感じられず、とても人間とは思えない様相を呈している。

 

「――行け」

 

 そうジルヴェスターが一言呟くと、無数の人影が動き出す。

 

 彼が行使した魔法――『死者の軍勢(アンデス・アーミー)』は、闇属性の第八位階魔法であり、死者の軍勢を召喚する支援魔法だ。召喚する軍勢の数は術者が用いた魔力量に依存する。

 

 召喚した死者の軍勢が建物内を我が物顔で闊歩する。

 

「――誰だ!?」

 

 その姿を発見した敵が声を上げた。

 

「人じゃない!? ぐわっ!」

 

 驚きで動きを止めた一瞬の間に、死者の軍勢の一体に心臓を()り抜かれてしまった。胸元から血を吹き出し、口からも血を吐き出した末に全身の力が抜けて地に伏す。

 

「――くそっ! 侵入者だ!!」

 

 誰何(すいか)する声を耳にして様子を窺いに来た者が先程の惨状を目にし、侵入者の存在を伝える為に大声を上げる。

 

 その者に対し、死者の軍勢の一体が上段から剣を振り下ろす。

 

「くっ」

 

 相手はなんとか対応し、警戒を兼ねて(たずさ)えていた剣で受け止めるも――

 

「ぐわぁあああ!!!」

 

 残念ながら受け止めきれずに吹き飛ばされ、後方の壁にめり込んでしまった。

 

 ――『死者の軍勢(アンデス・アーミー)』はその名の通り死者の軍勢だ。

 つまり生きている人間とは違い身体的な制限がなく、リミッターが解除されている。

 生きている人間が普段全力で発揮できる力は、身体が負荷に耐えられるように七十~八十パーセントくらいにセーブされているのに対し、自我のない死者の軍勢はリミッターが解除されているので百パーセント、百二十パーセントと人外の力を常時発揮できる。

 とても人間が太刀打ちできるものではない。

 その上、感情がないので容赦がなく、文字通り死兵となる。

 非常に厄介な魔法――それが『死者の軍勢(アンデス・アーミー)』だ。

 

 吹き飛ばされた者は衝撃に耐えられず、両手があらぬ方向に曲って骨があらわになっており、あまりの痛みに意識が飛んでいる。

 

 同じように各所では死者の軍勢(アンデス・アーミー)による蹂躙が行われていた。

 

「――これは!? まさか『死者の軍勢(アンデス・アーミー)』か!?」

 

 すると、辺りに響く声で魔法の正体を言い当てた者がいた。

 その者はどうやら魔法師だったようで、魔法で対抗している。

 

「このような高等魔法がいったい何故――」

 

 だが、(むな)しくも言い終わる前に死者の軍勢(アンデス・アーミー)に捻りつぶされてしまった。

 

 各所で行われている蹂躙には目もくれず、ジルヴェスターは建物の中を悠然と闊歩していた。

 相手の生死を気にも留めない冷酷な一面が窺える。事実、彼は相手の生死には微塵も興味や関心がなかった。眉一つ動かさない表情は彼の心情や覚悟を如実に物語っている。

 

 その後も一方的な虐殺――もとい戦闘が繰り広げられていく。

 



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第51話

 ◇ ◇ ◇

 

 ランチェスター学園の西門では攻防が繰り広げられ、東門近くの建物ではジルヴェスターによる蹂躙が行われている頃、レイチェルも行動していた。

 

「やっと見つけましたね」

 

 隣に控えるアビーが呟く。

 

 二人は反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの本部を遂に見つけた。

 ここに至るまで数々の拠点を制圧し、団員を拘束、尋問を繰り返すことでここまで辿り着いていた。

 

 そして二人は現在、ヴァルタンの本部を目視可能な距離にある建物の陰に隠れて様子を窺っている。

 

「ええ。中を探ります」

 

 頷いたレイチェルは、大腿部(だいたいぶ)に取り付けているホルスターから短剣(ダガー)の武装一体型MACを抜き手に取ると、すかさず魔法を行使する。

 

 この短剣(ダガー)の武装一体型MACはジルヴェスターがレイチェル用に設計した物であり、彼女が最も得意にしている風属性の単一型に仕上げている代物だ。

 

 レイチェルが行使した魔法は――『空間探知(エア・マップ)』だ。

 

 この魔法は風属性の第四位階魔法であり、風の動き、声、音を風の流れに乗せて自身に届かせることにより、地形や生物の有無を探ることができる探知魔法だ。行使し続ける限り魔力を消費する。

 

 室外など風のある環境の方が能力を遺憾無く発揮できる魔法だが、室内でも問題なく使える。

 室内でも人が動けば空気が動く。その動きまで察知することができるので、生物がいる時点で見抜ける。窓が開いていれば尚いい。

 

 レイチェルは空間探知(エア・マップ)でヴァルタンの本部を含む周囲を探る。

 彼女から凪ぐように風が出現すると、(なご)やかに舞い指定した範囲に風が広がっていく。

 

(……一人?)

 

 空間探知(エア・マップ)は建物内の状況を知らせてくれて、中には一人の人間の存在が確認できた。

 

(いえ、本部に一人なわけ――)

 

 ランチェスター学園に襲撃を仕掛けている状況なので人手が足りなくなるとはいえ、まさか本部に一人で待機しているわけがないと思ったレイチェルはより注意深く探ろうとしたが、想定外の事態が起こり瞬時に空間探知(エア・マップ)を解除する。

 

「――気付かれました!」

「え!?」

「どうやら相手を侮っていたようです」

 

 本部に座す相手はレイチェルが行使した魔法を察知したようだ。

 レイチェルが瞬時に魔法を解除したのはいい判断であった。あのまま魔法を行使し続けていれば自分たちの存在を完全に感知されてしまっていた。

 

「レイチェル様の魔法を察知したということですか!?」

「ええ。情けないことですがそうなります」

 

 アビーはレイチェルの魔法を察知した相手に驚愕した。

 優れた魔法師が行使する魔法は察知するのが難しい。それだけ優れた技量を有しており、精密な操作も可能だからだ。――高レベルの魔法師の中には、精密という言葉など知らないとばかりに力押しで済ませてしまう者もいるが。

 

 アビーにとってレイチェルは尊敬の念しか抱かない存在だ。それだけ上級魔法師という肩書は大きい。

 そんなレイチェルの魔法を察知した相手には驚愕するしかなかった。

 

「想定していたよりも手練れかもしれません。気を引き締めましょう」

「はい」

 

 二人は相手の実力に対しての認識を改める。

 

「幸い察知されただけで特定まではされていないはずです」

 

 レイチェルの感触では察知されただけで、行使した魔法や術者の存在、場所までは認識されていないと感じた。

 

「ですが、警戒を強めてしまったでしょう。このまま様子を窺っていたら逃げられてしまうかもしれません」

 

 不信感を与えてしまった場合、相手は警戒を強めて相応の反応を示すだろう。

 逃走、臨戦態勢、先取先攻など、取る手段は状況によって様々だ。

 

 しかし、空間探知(エア・マップ)で探知した通りに相手は一人しかいないのであれば、逃走を選択する可能性が最も高い。一人でできることは限られる。冷静な判断を下せる者ならば逃走一択だろう。腕に自信のある者でない限りは。

 

「そうですね。突入しますか?」

 

 アビーの問いにレイチェルは一瞬考える。

 

「……そうしましょう。時間を掛けるほど相手が有利になります」

「わかりました」

「あの建物には裏口があるのを確認しました。アビーさんは裏手に回ってください。私は正面から行きます」

「了解です」

 

 レイチェルは空間探知(エア・マップ)で探知したことで建物の間取りを把握しており、建物には裏口があるのを確認していた。

 アビーに裏手に回ってもらうことで挟撃し、逃走経路を潰す算段だ。

 

「くれぐれも深追いはしないようにしてくださいね」

 

 レイチェルの言葉に頷いたアビーは建物の裏手へと駆け出した。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンのナンバーツーであるエックスは本部に詰めていた。

 ヴァルタンの代表であるヴォイチェフを始め、団員を送り出した後は必要な後方支援を行っていたが、それも既に完了し手持ち無沙汰になっている。

 

「――ん?」

 

 自分の執務室にあるデスクの椅子に深く腰掛け、コーヒーを片手に休憩していたエックスは違和感を抱き、周囲に視線を彷徨わせる。

 

(見られている?)

 

 何者かに監視されていると悟り、言葉を口にしないように努める。

 言葉を口にすることで自分にとって不利になる情報を与えてしまう恐れがあるからだ。

 

(……潮時か)

 

 そこからのエックスの判断は早かった。

 自分にとって不利になりかねない証拠となり得る物と、欠かせない必要な物を素早く回収し、執務室を出て駆け出す。

 

(初めからランチェスター学園への襲撃が上手く行くとは思っていなかった)

 

 エックスは現在ランチェスター学園で戦っているであろうヴォイチェフたちのことを思い浮かべる。

 

()に喜んでさえ頂ければいい)

 

 敬愛してやまない人物に想いを馳せると、表情が恍惚(こうこつ)していく。

 

(それに奴らは既に手綱が効かなくなってきていたからな。切り捨てるのにはいい頃合いだった。ヴォイチェフたちには悪いが、奴らは所詮道具にすぎない)

 

 エックスにとってヴォイチェフらヴァルタンの団員は、(はな)から目的を果たす為の都合のいい道具にすぎず、いざとなればいつでも切り捨てる腹積もりであった。

 

(後は俺が逃げきれば終わりだ)

 

 自分にとって不利益になり得る証拠物を一つ残さず持ち帰られれば御の字だった。

 

()、すぐに参ります)

 

 まるで自分がこの場を無事に脱することができると確信しているかのようだ。それほど自信があるのだろうか。

 

 エックスは恍惚(こうこつ)した表情で建物の裏口へと近づいていく。

 



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第52話

 ◇ ◇ ◇

 

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)、地獄絵図と化した状況の中、悠々とした足取りで歩いていたジルヴェスターは建物の最奥へと辿り着いた。扉の取っ手を掴むと、なんの警戒もなく無造作に扉を開く。

 すると、扉を開いたジルヴェスターに覆い被さるように影が差す。

 

 影の正体は、最奥の部屋に座していた大柄な男であった。

 大柄な男は扉が開いたと同時に、手にしていた大斧を気勢良くジルヴェスター目掛けて振り下ろす。振り下ろされた大斧は、ジルヴェスターの頭を()ち割り胴体を乱雑に両断してしまった。

 

「――それは偽物だ」

「――!?」

 

 大柄な男の背後に伸びる人影から、突如人が現れて言葉を発した。

 人影から現れて声を発したのは、なんと先程両断されたはずのジルヴェスターであった。

 大柄な男は突然の声に驚きながらも、瞬時に振り向いて大斧を振ろうとしたが――

 

「無駄だ」

 

 それよりも早く、ジルヴェスターは左手首に装着している腕輪型の汎用型MACを目の前の男に掲げる。そして魔法を行使した。

 すると、左手から刺々(とげとげ)しくバチバチと音を立て、如何(いか)にも害のありそうな様相を呈している魔法が放たれた。

 

「ぐっ」

 

 魔法が男に直撃する。

 男は一度痙攣すると身体から力が抜けたのか脱力して床に片膝をつき、大斧を手放してしまう。

 

 ジルヴェスターが放った魔法は――『麻痺(パラライズ)』だ。

 この魔法は呪属性の第二位階魔法であり、対象を麻痺させる妨害魔法である。

 

「な、何故だ。たった今、確かに両断したはず……」

 

 自分が先程両断したはずの人物と全く同じ容姿をした人間が目の前にいる事実に、男は戸惑っている。

 

「偽物だと言っただろう」

「何?」

 

 男の疑問に律儀に答えるジルヴェスター。

 

 さっきの魔法は影属性の第六位階魔法――『影分身(ドッペルゲンガー)』だ。

 

 ――『影分身(ドッペルゲンガー)』は影でできた分身を出現させる支援魔法だ。分身は術者の意思通りに行動させられる。また、分身の数を増やすほど魔力を消費する。

 

 つまり男が先程両断したのは、影分身(ドッペルゲンガー)のジルヴェスターだったということだ。

 その事実に行き着いた男は声を荒げる。

 

「第六位階だと!? 団員に(けしか)けた屍人(しびと)といい、貴様はいったい何者だ!!」

「この姿を見てわからないか?」

 

 どうやら建物内で起こっている惨状のことは把握しているようであり、戦闘を続けるより会話を交えて相手のことを探る選択をしたようだ。

 男の誰何(すいか)にジルヴェスターは自身の格好を強調する。

 

「その姿が一体……」

 

 男は目の前で余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)としているジルヴェスターの格好を改めて見直す。

 

「――!? その格好はまさか……!」

 

 今更ながら男はある事実に気づく。

 

「ま、まさか、貴様は特級魔法師か!?」

 

 魔法師は魔法師として活動する際、自身の階級を示す記章を身に付ける必要がある。そしてそれは当然特級魔法師にも当てはまる。

 

 特級魔法師には背中に序列を示す数字を刻まれ、左腕にも数字を刻まれた腕章が付いているコートが支給される。

 特級魔法師は魔法師として活動する際、このコートを身に付けなければならない。ただのコートではなく、魔法具でもある代物だ。コートには術式により体温調節に優れた機能が備えられており、寒暖差に関係なく活動できるように配慮されている。

 

「そうだ」

 

 男の言葉にジルヴェスターが頷く。

 

「何故こんな所に特級魔法師がいる!」

「それは俺がランチェスター学園の生徒だからだな」

「何だと!?」

 

 男の疑問はもっともだ。出て来る

 ただの魔法師ではなく、わざわざ特級魔法師が出張るほどの案件でない。

 上級魔法師も特級魔法師も貴重な戦力だ。魔法協会としては他に優先してほしいことがあるはずなので、仮に出てきても中級魔法師が関の山だと男は踏んでいた。

 

 だがヴァルタンにとっては不幸でしかないが、ジルヴェスターはランチェスター学園の生徒だ。

 彼は自分の平穏な学生生活を脅かす者を排除する為に出てきたにすぎず、魔法協会は全く関与していない。

 

「――いや待て!」

 

 あることに気づいた男が声を張り上げる。

 

「特級魔法師がランチェスター学園の生徒なわけがないだろう!」

「そんなことはない。事実ここにいる」

「学生の身分で特級魔法師の地位を与えられているのは、現役では『()()』だけのはずだ。だが、『()()』は女だろう!」

 

 ――『紅蓮(ぐれん)』とは、ある特級魔法師の異名で、学生にも(かか)わらず特級魔法師の地位を与えられた才媛だ。

 

 男の言う通りジルヴェスターと『紅蓮(ぐれん)』では性別が異なる。

 

「なら貴様はいったい何者だと言うのだ」

 

 男は眉間に皺を寄せて睨みながら再び誰何(すいか)する。

 

「――ああ、そうか。知らないのは無理もない。むしろ知らなくて当然か」

 

 そこでジルヴェスターは自分があることを失念していたことに気づき、対面している男からは見えない位置にある左腕の腕章を見えるように示す。

 

「――!!」

 

 腕章に視線を移した男は、今日一番の衝撃を受けて驚愕した。

 顎が外れるという言葉を体現するかのような驚きようだ。

 

(いち)……だと……」

 

 目にした腕章に記された数字を見て男は呆然と呟く。

 

 ジルヴェスターの腕章に記された数字は、一の字だった。

 一ということは――つまり特級魔法師第一席ということだ。

 特級魔法師は国の頂点に位置する魔法師である。そして第一席ということは、その特級魔法師の中でも頂点に君臨する存在ということだ。

 

 男が驚愕するのは無理もない。

 

「確かに第一席だけ名は不明だが……」

 

 男は国が抱える特級魔法師を順に思い浮かべると、第一席だけ名前が不明だったのを思い出す。

 男は魔法を毛嫌いしているので、特級魔法師についても最低限必要な情報しか把握していない。魔法に関することは考えたくもないほどだからだ。

 

 特級魔法師は魔法協会と七賢人の意向で威を示す為に異名と名前を公表しているが、唯一(ゆいいつ)第一席だけは異名を公表しているだけで名前は公表されていない。

 これにはジルヴェスター本人の意思、魔法協会、七賢人、三方の意見が一致した結果、公表しない方針になっていた。

 

 ジルヴェスターは元々学生になって平穏な学生生活を送ることを考えていたので、名は知られていない方が都合が良かった。他にも理由はあるが、この場では関係ないことだ。

 

 魔法協会としては、ジルヴェスターが特級魔法師になったのは今よりももっと幼い頃だったので、幼い子供に戦闘を強要していると民衆に思われてしまうことを危惧した故にだ。風聞を気にした結果でもある。興味本位の視線や妬み嫉みといった害になるものからジルヴェスターを守る意味合いもあった。

 

 七賢人は魔法協会と(おおむ)ね同じ理由だが、そもそも現在の七賢人には特級魔法師第一席が誰なのかを知らない者もいる。

 七賢人に関してはフェルディナンドの意向や情報操作が大いに影響している。

 

「……ということは本当に貴様が『守護神(ガーディアン)』だと言うのか?」

 

 男の問いにジルヴェスターが頷く。

 

 ――『守護神(ガーディアン)』はジルヴェスターの異名だ。

 国を守る守り神、最後の砦、という意味を込めて与えられた異名である。

 

「そうか……。ランチェスター学園は手を出してはいけない領域だったか……」

 

 ジルヴェスターが頷いたのを受けて、男は諦めたかのように胡坐(あぐら)をかく。

 特級魔法師第一席であるジルヴェスターが在籍するランチェスター学園は、決して手を出していい相手ではなかったのだと男は思い至った。

 

「『守護神(ガーディアン)』が出てきた以上仕方ない。好きなようにしてくれ」

 

 男は両腕を上げて戦意がないことを示す。

 目の前の人物が特級魔法師第一席であることを認めた男は、どうやら諦めの境地に達したようだ。

 

 それも仕方のないことだろう。特級魔法師を前にしては戦意を保つ方が難しい。

 

 だが男は戦意を喪失したわけではい。勝算がないと判断したのだ。見た目に反して意外と冷静な判断を下せる男のようである。

 

「そうか。手間が(はぶ)けていい」

 

 ジルヴェスターは男が本当に諦めたのだと判断した。

 仮に男が諦めていなくても彼には然したる問題はないのだが、余計な手間が(はぶ)けるに越したことはない。

 

「確認だが、お前が反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの代表――ヴォイチェフ・ケットゥネンで間違いないか?」

「ああ。間違いない。俺がヴォイチェフ・ケットゥネンだ」

 

 ジルヴェスターは男がヴァルタンの代表であるヴォイチェフだと当たりをつけていたが、決して確証があったわけではない。なので、今更ながら改めて確認した。

 

「拘束する。大人しくしろ」

「殺さないのか?」

 

 ヴォイチェフを拘束する為に拘束魔法を行使しようとしたジルヴェスターに、ヴォイチェフは疑問を浮かべる。

 

「お前は殺さない。(おおやけ)に裁く必要があるからな」

「……そうか」

 

 ヴォイチェフを殺すのは簡単だが、殺して終わりというわけにはいかない。

 反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンの首魁であるヴォイチェフを公的に裁くことで、反魔法思想の者や民衆に国の姿勢を示す必要があるからだ。

 牽制や抑制に繋がる為、ジルヴェスターは拘束して七賢人――フェルディナンド――に引き渡すつもりだった。丸投げとも言う。

 

「こんなこと言える立場ではないが、団員には可能な限りの温情を頼む」

「それは俺が決めることではない」

「……そうだな」

 

 ヴォイチェフの懇願をジルヴェスターはにべもなく流す。

 

 そしてジルヴェスターはヴォイチェフを拘束した。

 



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第53話

 ◇ ◇ ◇

 

 レイチェルはヴァルタンの本拠地に正面から堂々と踏み入る。

 先程、空間探知(エア・マップ)で探知した情報を頼りに進んで行く。

 

(人の気配が感じられない)

 

 建物内の様子を窺う。

 

(やはり、いるのは一人だけのようね)

 

 空間探知(エア・マップ)で探知して得た情報に誤りはないと確信する。

 戦場での経験が豊富な者には気配や雰囲気である程度感知できる。その点、レイチェルには確かな経験値があった。

 彼女の経験則に照らし合わせると確証はある。だが、絶対ではない。なので、レイチェルは注意深く辺りを警戒しながら歩を進めていく。

 

『――レイチェル様!』

 

 扉が開いている部屋に差し掛かり様子を窺おうとした時、裏口へ回ったアビーから念話(テレパシー)が飛んできた。

 

『どうしましたか?』

『標的と接敵します!』

 

 どうらや建物に唯一残っていた人物は裏口へ回っていたようだ。

 アビーが存在を察知しているのがその証拠である。

 

『逃げの一手ですか。判断が早いですね』

 

 標的が逃走を決断するのはレイチェルが思っていたよりも早かった。

 

『すぐに向かいます。深追いはせずに引き止めておいてください』

『了解です』

 

 アビーには時間稼ぎを命じる。そこで念話(テレパシー)が切れた。

 自分の身の安全を第一にする方針は揺るがない。しつこいようだが、レイチェルは深追いしないようにと再三伝える。

 

(少し肩に力が入りすぎているきらいがあるものね。何度注意してもしすぎということはないわ)

 

 アビーはレイチェルと行動を共にすることで肩に余計な力が入っていた。

 レイチェルにいいところを見せたいのか、尊敬する上級魔法師といることで緊張しているのかはわからないが、絶対に空回りしないという保証はない。

 何度も注意するに越したことはないだろう。

 

(少し急ぎましょうか)

 

 レイチェルは左手の中指に嵌めている汎用型の指輪型MACに魔力を送る。

 そして指輪型のMACが一瞬光ると、魔法が発動した。

 

 行使した魔法は身体強化(フィジカル・ブースト)だ。

 

 身体強化(フィジカル・ブースト)で向上した身体能力を駆使して裏口へと駆け出した。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「――止まりなさい!」

 

 裏口で待ち構えていたアビーが、姿を現したエックスへ静止を促す声を上げた。いつでも魔法を行使できる態勢で迎え撃つ。二人の間には二十メートルから三十メートルほどの距離がある。

 エックスが逃走する為には、裏口を塞いでいるアビーを排除しなくてはならない。

 

「止まれと言われて素直に立ち止まる者がいるとでも?」

 

 そう言うと、エックスはアビーへ向けて右手を(かざ)す。

 

闇の裁き(ダークネス・ジャッジメント)

 

 エックスの右手首にある腕輪型をMACが一瞬光ると、魔法が発動された。

 

「くっ」

 

 すると、対面にいるアビーが突然苦悶に耐えるような表情に変わった。

 

 ――『闇の裁き(ダークネス・ジャッジメント)』は闇属性の第三位階魔法であり、対象に闇を纏わり付かせている間、身体能力を低下させつつ、精神にダメージを与え続ける妨害魔法だ。

 ダメージは傷などの目に見える形で現れないので、傍目にはダメージのほどは窺えない。

 

 手を(かざ)しているとはいえ、目に見えるように飛んでくるタイプの魔法ではなく、突然自分に闇が纏わり付くので塞ぐのが難しい。

 

 聖属性の第四位階魔法である常態異常解除(リカバー)を行使すれば、闇の裁き(ダークネス・ジャッジメント)を打ち消すことはできる。

 だが、残念ながらアビーは聖属性の適正を有していない。自力で解除するのは不可能だ。

 エックスが魔法を解除するか、行使し続ける魔力が枯渇しない限りは身体能力を低下させられ、ダメージを与え続けられることになる。

 

風の息吹(ウインド・ブレス)!」

 

 アビーもただやられているだけではない。

 裏口に近づけさせない為に魔法を放つ。右手の中指に嵌めている指輪型のMACが一瞬光輝いた。

 

 指輪型MACを起点に風が発生すると、エックス目掛けて勢いよく向かっていく。

 

鉄壁(アイアン・ウォール)

 

 エックスは魔法を行使して自身の眼前に鉄の壁を出現させた。

 

 鉄壁(アイアン・ウォール)風の息吹(ウインド・ブレス)が直撃すると、鉄の壁を幾重にも切り裂く。

 

 ――『風の息吹(ウインド・ブレス)』は風属性の第三位階魔法であり、裂傷能力を持った風を飛ばして対象を吹き飛ばす攻撃魔法だ。

 

 対して――『鉄壁(アイアン・ウォール)』は鉄属性の第二位階魔法で、任意の場所に鉄の壁を生成する防御魔法である。

 

 風の息吹(ウインド・ブレス)が鉄の壁を切り裂き風圧で倒壊させるが、壁の陰には既にエックスの姿はなかった。

 

雷道(エレクトロ・ロード)

 

 鉄の壁から横に逸れて射線を確保したエックスが魔法を放つ。

 エックスの右手を起点に稲光が発生し、アビー目掛けて一直線に雷光が飛んでいく。

 

氷壁(アイス・ウォール)!」

 

 雷撃から身を守るように自身の眼前に氷の壁を生成したアビーの判断は迅速だった。

 

 ――『雷道(エレクトロ・ロード)』は雷属性の第四位階魔法であり、対象を自動追尾する雷撃を放つ攻撃魔法だ。

 

 避けても追尾してくるので回避は意味を為さない。

 実体に衝突するか、迎え撃つかしない限りは防ぐことが不可能な魔法だ。

 

 そして雷道(エレクトロ・ロード)は氷の壁に直撃したが、雷撃の威力が勝り壁を貫通してしまう。

 アビーは油断していたわけではないが、魔法に込めた魔力量が甘かったようだ。雷道(エレクトロ・ロード)の威力に耐えられずに貫通を許してしまった。

 

「――くっ」

 

 貫通した雷撃をアビーは瞬時に右側にステップを踏んで回避し直撃は免れたが、左腕を焼かれてしまう。

 アビーは焼かれた左腕に一瞬視線を向ける。

 

(……駄目ね。もう左腕は使い物にならないわ)

 

 彼女の左腕は既に感覚がなかった。全く力が入らず動かすことすらできない。

 その事実を瞬時に受け入れたアビーはエックスに視線を戻す。

 

 すると眼前には煙が発生しており、辺りを埋め尽くすように広がっていく。

 

(煙……? まずい!)

 

 エックスがいた場所を起点に周囲へ広がっていく煙を見たアビーは焦りを浮かべる。

 

煙幕(スモーク・スクリーン)っ!)

 

 アビーはエックスが行使した魔法を一瞬で判断し内心で舌打ちする。

 彼女の判断は正しかった。

 

 エックスは雷道(エレクトロ・ロード)を放った後に間髪入れず別の魔法を行使していた。

 

 その魔法が無属性の第三位階魔法――『煙幕(スモーク・スクリーン)』であり、煙幕を発生させる妨害魔法だ。

 

 アビーは煙が辺りを包み視覚を確保できない状況の中で、エックスを逃がすまいと裏口を背にして陣取り、神経を研ぎ澄まして周囲を窺う。

 

(どこから来る? 次は何をしてくる?)

 

 思考を止めずにエックスの行動を予測する。

 

(――!?)

 

 すると、突如アビーの身体が重力を無視したかの如く側面の壁に吸い寄せられていく。

 

(これは……)

 

 そのまま吸い寄せられると、壁に(はりつけ)にされてしまった。

 

(……しまった!!)

 

 自分の置かれている現状を理解したアビーは一層焦りを深める。

 エックスが行使した魔法が何かを把握した彼女は、懸命に身動ぎするがビクともしない。

 

 そして煙が辺りを包む中、アビーの目には予測していた通りの光景が広がっていた。

 

(……ここまでね)

 

 その光景を目の当たりにしたアビーは諦念(ていねん)に至り抵抗を諦めてしまう。

 

(レイチェル様、申し訳ありません)

 

 アビーは脳内にレイチェルの姿を思い浮かべると、力になれなかったことを謝罪する。

 

(隊長もすみません。みんなもごめんね)

 

 次にアウグスティンソン隊の隊長であるマイルズと、隊員たちの姿を思い浮かべた。

 アウグスティンソン隊の代表として上級魔法師であるレイチェルの力になれなかったことと、先に逝くことを詫びる。

 

(ビルもごめんなさい。先に()()()で待っているわ)

 

 最後に相棒のビルの姿を思い浮かべて謝罪すると、瞳を閉じた。

 

 そして、壁に(はりつけ)にされている背面を除いた全方位からアビーに向かって雷撃が降り注ぐ。

 

 その時――

 

風裂断(ウインド・デス・ティアリング)

 

 呟くように発せられた言葉と共に、アビーの眼前で衝撃が起こった。

 



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第54話

 アビーは自分が雷撃で焼き殺される未来を想像していた。

 しかしその未来は未だに訪れず、何故か眼前で衝撃が起こっている。

 そして壁に(はりつけ)にされていた自分の身体が、突如重力に誘われるかのように落下している感覚に襲われた。その次には誰かに支えられているかのような感覚を覚える。

 一連の感覚に疑問を抱いたアビーはゆっくりと瞳を開く。

 

「良かった。間に合いましたね」

「レイチェル様……」

 

 すると眼前にはレイチェルがおり、自分の身体を支えていたのだ。

 その事実に一瞬理解が追い付かなかったが、徐々に状況を把握したのか慌ててレイチェルから離れる。

 

「も、申し訳ございません!!」

 

 助けてもらったことと、支えてもらったことを理解して手を煩わせてしまった事実に罪悪感と情けなさが自身の胸中を覆い、大袈裟とも言える態度と勢いでレイチェルに向かって頭を下げる。

 

「構いませんよ。頭を上げてください」

「い、いえ、状況から察するにレイチェル様に窮地を救って頂いたようですので、謝罪させてください! 足を引っ張ってしまい申し訳ありません!」

「本当に構いませんよ。それに謝罪よりも感謝の方が私は嬉しいです。その方がお互い気持ちがいいですしね」

 

 レイチェルは笑みを浮かべてアビーを諭す。

 

「わ、わかりました。すみません。いえ、助けて頂きありがとうございました」

「ええ。どういたしまして」

 

 諭されたアビーは落ち着きを取り戻すと、今度は謝罪ではなく、感謝を伝えた。

 

「――あっ! 敵は!?」

 

 アビーはたった今まで敵と対峙していた事実を失念していた。

 慌てて周囲を見回しエックスの姿を探す。

 

「既に逃走したようです」

 

 レイチェルが伝える。

 

 エックスはアビーを(はりつけ)にする魔法を放ったと同時に、裏口を駆け抜けて逃走していた。

 

「申し訳ありません。私がもっとしっかりしていれば……」

 

 アビーは自分の役目を全うできなかった事実に肩を落とす。

 

「逃走を許してしまったのは仕方ありません。切り替えましょう」

 

 レイチェルはそう言うと、アビーの右肩に手を置いて続きの言葉を告げる。

 

「何よりあなたが無事で良かったです。命がなければ雪辱も果たせませんから」

「……そうですね。ありがとうございます」

 

 アビーはレイチェルの言葉に救われ、(うっす)らと瞳に涙を浮かべる。

 

「――それにしても雷電磁気(ヴォルテックス)ですか……」

「ええ。正直侮っていました……」

「そうですね。私も少し認識を改めないといけないようです」

 

 エックスがアビーを(はりつけ)にした魔法は雷属性の第六位階魔法――『雷電磁気(ヴォルテックス)』だ。この魔法は磁気によって対象を地面や壁に(はりつけ)にし、全方位から雷撃を浴びせる攻撃魔法である。

 

 レイチェルはアビーが(はりつけ)にされていたことで、なんの魔法だったのかを見破っていた。

 

「第六位階の魔法を扱える魔法師が反魔法主義者とは予想外でした」

 

 想定外の相手にレイチェルは嘆息する。

 

「私には第六位階の魔法を扱えるのに反魔法思想になる意味がわかりません」

 

 同調するアビー。

 

「悔しいですが、私でも第六位階の魔法を行使するのは厳しいです。そんな魔法を扱えるのなら魔法師として大成しているはずです」

「反魔法思想になる見当がつきませんね」

 

 中級三等魔法師であるアビーでさえ、第六位階の魔法を行使するのは厳しいのが現実だ。

 それだけ第六位階の魔法は行使するのが難しく、相応の魔力を消費する。

 

 本来第六位階の魔法を扱える者ならば、魔法師として順風満帆の生活を送れるはず。

 魔法師としての自分の地位を手放すことになりかねないのだ。反魔法思想になる理由などないだろう。

 だからこそエックスは不気味な存在に思える。

 

「実力は最低でも中級魔法師以上――もしかしたら上級魔法師相当の実力を有しているかもしれませんね」

 

 レイチェルはエックスの実力を上方修正する。

 そもそもエックスの存在は把握していたが、魔法師なのか非魔法師なのかは判明していなかった。

 魔法師である可能性も加味して行動していたが、エックスは想像以上の実力を有していた。

 

「あの状況を打破できるレイチェル様もさすがですね」

「ああ。少し無茶をしました」

「無茶ですか?」

 

 アビーは雷電磁気(ヴォルテックス)(はりつけ)にされた後は為す術がなく、ただ死を待つのみの状況だった。

 そのような状況を打破したレイチェルの実力もさすがだと思ったアビーは、尊敬の念を向ける。

 

 対してレイチェルの表情は苦笑交じりであった。

 その表情と言葉にアビーは疑問を浮かべる。

 

「ええ。あと少し遅れていれば間に合わない状況でしたので、風裂断(ウインド・デス・ティアリング)で少々強引に雷電磁気(ヴォルテックス)を粉々にしました」

「――風裂断(ウインド・デス・ティアリング)ですか!?」

如何(いか)せん高威力の魔法なのでアビーさんを巻き込む可能性がありましたが、どうせ間に合わなければ待つのは死でしたから構わずやってしまいました」

「……」

「まあ、雷電磁気(ヴォルテックス)が直撃しても死なずに済んでいたかもしれませんが」

「…………」

 

 アビーは巻き込まれていた未来を想像して身震いした。

 

 ――『風裂断(ウインド・デス・ティアリング)』は風属性の第八位階魔法で、あらゆる物を裂断する攻撃魔法である。風属性の魔法の中で最も殺傷力のある強力な魔法だ。

 

 もしあと一歩遅れていたら、アビーは雷電磁気(ヴォルテックス)で全方位から雷撃を食らっていた。直撃しても生存する可能性はあったが、命尽きる可能性の方が圧倒的に高い。

 どうせ間に合わずに終わるのならば、巻き込む可能性はあっても風裂断(ウインド・デス・ティアリング)雷電磁気(ヴォルテックス)を裂断する選択をくだしたのだ。

 

 風裂断(ウインド・デス・ティアリング)煙幕(スモーク・スクリーン)すらも空気を割るかのように裂断してしまい、辺りには煙がなくなっていた。

 

 アビーは雷電磁気(ヴォルテックス)で焼き殺されるのがマシか、それとも風裂断(ウインド・デス・ティアリング)で裂断される方がマシかと思考を巡られていたが、考えるのを止めて現実逃避した。命があるのだからそれで良いではないかと。

 

「――それよりも左腕が焼け(ただ)れていますね」

 

 レイチェルはアビーの焼け(ただ)れた左腕に視線を向ける。

 

雷道(エレクトロ・ロード)にやられました。もう感覚すらありません」

雷道(エレクトロ・ロード)でここまでなりますか……。相当魔力を込められていたのかもしれませんね。やはり私たちが思っていた以上に実力のある魔法師だったようです」

 

 雷道(エレクトロ・ロード)で腕を焼け(ただ)れさせるには、相応の魔力を込める必要がある。

 その為には出し惜しみしなくてもいい魔力量と技量を有していなければならない。

 故にエックスの実力が窺える要素だ。

 

「少し失礼しますね」

 

 レイチェルはアビーの左腕に自分の左手を(かざ)して魔法を行使する。中指に嵌めている汎用型のMACが光ると、そこを起点に水が出現してアビーの左腕を覆っていく。

 すると、焼け(ただ)れた腕が見る見るうちに元の状態に戻っていき、最終的には完全に元通りの綺麗な腕が姿を現した。

 役目を終えたのか左腕を覆っていた水が消えると、アビーは自分の左腕の状態を確かめるかのように数回拳を握る動作をする。

 

「一応治癒しましたが、一度しっかりと診てもらってください」

「はい。わかりました。ありがとうございます」

 

 一連の流れからわかるように、レイチェルはアビーの左腕を治癒した。

 

 レイチェルが行使した魔法は水属性の第四位階魔法――『水治療法(ハイドロ・セラピー)」』だ。治癒能力を有する水が患部を覆い傷を癒す治癒魔法である。効力は術者が込めた魔力量と技量に依存する。

 

 レイチェルが治癒魔法を行使してアビーの傷を癒したが、彼女は治癒魔法のスペシャリストではない。支援を主に担う魔法師でもない。

 彼女の言う通り、専門医に左腕の状態を診てもらうのが賢明だろう。

 

「今日はこの辺にして、一度アウグスティンソン隊のみなさんと合流しましょう」

「了解です」

 

 レイチェルが引け上げを提案すると、アビーは頷いて同意する。

 そして二人は裏口から外へ出た。

 

「もう結構遅い時間ですね」

 

 夜空を見上げながら呟くレイチェル。

 

「満月ですか。綺麗ですね」

 

 彼女が見つめる先には、満月が存在感を主張するかのように光り輝いていた。

 

「そうですね。まるで自分の失態を励ましてくれているかのような気がします」

「ロマンチックですね」

「……」

 

 アビーは満月を見つめて感慨に耽っていると自然と口から言葉が出た。

 その言葉に対してレイチェルが微笑みと揶揄(からか)いを混ぜ合わせたような表情で相槌を打つと、アビーは自分が呟いた言葉を思い出し、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いてしまった。

 

「ですが、とても素敵です」

「……ありがとうございます」

 

 今度は心からの笑みを浮かべるレイチェル。

 

「――さ、さあ、戻りましょう!」

 

 居た堪れなくなったアビーは、誤魔化すかのようにアウグスティンソン隊との合流を促す。

 

「そうしましょうか」

 

 レイチェルよりアビーの方が年上なのだが、年齢差が逆に感じるのはレイチェルの貫禄故なのであろうか。

 

 そうして二人は周囲に漂ったなんとも言えない雰囲気を放置して、その場を後にした。

 



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第55話

 ◇ ◇ ◇

 

 レイチェルとアビーの二人から逃れたエックスは無事逃走に成功していた。

 そのエックスは現在ある女性の前で(ひざまず)いている。

 

()、只今戻りました」

 

 エックスは(ひざまず)いたまま深々と頭を下げる。

 

「ええ。良く戻ったわね、フランコ。怪我はないかしら?」

「はい。ご覧の通り五体満足です」

「ふふ。相変わらず大袈裟な言い回しね」

 

 女は微笑みを浮かべて労いの言葉を掛ける。

 

「詳しい話を聞きたいのだけれど、まずは約束を果たしましょうか」

 

 女が足を組み替えると、スリットの入ったスカートから素肌があらわになり太股が顔を出す。

 

「ありがとうございます。ですが、()のご期待に沿える結果とは行きませんでした。申し訳ありません」

 

 神妙な顔つきで頭を下げるエックスの姿は忠誠心の厚さが窺える。

 

「あら、そうなの?」

 

 コテンと首を傾げる女。

 

「始めから奴らは捨て駒だったのだから気にしなくていいのよ。所詮暇潰しの道具にすぎないわ」

「それは承知しております。ですが、せっかく姫が()()()()()()玩具をふいにしてしまい、ただただ申し訳なく思います」

 

 自分のことが許せないのか、エックスはより一層神妙な顔を深めてしまう。

 

「本当に気にしなくていいのよ? それでもあなたの気が済まないと言うのなら、これからもわたくしの為に誠心誠意尽くしなさい」

 

 女は本当に気にしていないと伝えるが、エックスは納得しない。

 

「それにわたくしにとっては、あなたが無事に帰ってきてくれたことが何よりも嬉しい結果よ」

「もったいなき御言葉」

 

 女は自分の為に身も心も尽くしてくれるエックスのことが愛おしくて堪らない。そばに侍る数多くの男の中でも、エックスのことは特別な存在に思っていた。

 

 エックスは恍惚(こうこつ)した表情を隠すことなく、感動冷めやらずといった具合である。

 

「――さあ、約束通り今晩はあなた一人だけを愛してあげるわ」

 

 そう言って女は立ち上がる。

 

「まずは一緒に汗を流しましょう」

 

 女は側仕えの男性に湯の準備をするように指示を出すと、エックスを伴って奥の私室へと歩を進めた。

 

 その後二人は共に浴室で汗を流すと、離れていた期間の埋め合わせをするかのように激しく愛し合うのであった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一月二十六日――反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンによる襲撃があった翌日、ランチェスター学園はいつも通りの日常を取り戻していた。

 生徒たちは各々いつも通りの生活を送っている。

 

 そんな中、ジルヴェスターの姿は学園長室にあった。

 学園長室にある応接用のソファに腰掛けている。

 

「二人共、昨日はご苦労様。任せっきりで悪かったわね」

 

 ジルヴェスターの対面のソファに腰掛けているレティが労いの言葉を紡ぐ。

 

「いえ、私は何もしていませんので」

 

 ジルヴェスターと同じソファに腰掛けているクラウディアが苦笑する。

 ジルヴェスターが右側で、クラウディアが左側の並びだ。

 

「気にするな。お前の立場なら人付き合いも大事だろう」

「そうです。学園長は替えの利かない御身なのですから」

 

 ジルヴェスターの言葉にクラウディアが同調する。

 

 昨日、レティは対抗戦についての会議の為、セントラル区にある魔法協会本部に赴いていた。

 会議だけではなく、魔法師界のお歴々との晩餐などもあり、泊まり掛けの用事になっていたのだ。

 

「本当にタイミングが悪かったわね」

 

 レティが溜息を吐く。

 

「仕方ないだろう。生徒の中にヴァルタンの一員がいたんだ」

「学園長のスケジュールが筒抜けになっていましたから」

 

 ジルヴェスターの言う通り、ランチェスター学園の生徒の中にはヴァルタンに加わっている者がいた。

 その為、レティのスケジュールはヴァルタンに筒抜けになっていた。

 

「全く頭が痛いわ」

 

 一層深く溜息を吐くレティ。

 

昨日(さくじつ)、その生徒たちをキサラギ風紀委員長が拘束しました。現在は謹慎処分になっております」

 

 昨日、風紀委員と統轄連の一部の者が共闘して襲撃者を撃退し拘束した後、カオルは一人で内通者の存在を探っていた。

 その後、見事に内通者の一人を発見して拘束し、尋問の後に関与した生徒を全て捕らえることに成功していた。

 生徒会、風紀委員会、統轄連が事実関係を査問し、謹慎処分を言い渡して現在に至る。

 

「学園長には改めて処罰を検討して頂きたく存じます」

「そうね。一度その子たちには私も直接会って話すことにするわ。処分はその後に改めて通達します。今はそのまま謹慎処分にしておいてちょうだい」

「畏まりました」

 

 昨日は不在だったレティに改めて内通者の処分を検討してもらうことにする。

 ランチェスター学園が如何(いか)に生徒の自主性を重んじる校風とはいえ、今回の件に関しては学園内だけの問題で収まる話ではない。ヴァルタンなどの反魔法思想者はもちろん、魔法師界や国政にも関わる問題だ。生徒間で安易に済ませていい問題の域を超えている。

 

「――それでジル君、ヴァルタンの首魁は捕らえたのよね?」

 

 レティは紅茶を一口啜った後、ジルヴェスターに視線を向けて問い掛ける。

 

「ああ。面倒だから事後処理は(じじい)に丸投げしたが」

「……」

 

 ジルヴェスターの返答にレティはジト目を向ける。

 隣でクラウディアが苦笑している。

 

「そう。フェルディナンド殿も大変ね……」

 

 ジルヴェスターが(じじい)と呼んだ人物は、七賢人のフェルディナンド・グランクヴィストのことであった。

 

「でも、フェルディナンド殿に任せておけば上手いことやってくれるのも確かね」

「だろ?」

「ええ」

 

 レティも苦笑してはいるが、ジルヴェスターの処置には納得する。

 

「ついでに襲撃してきた連中の件も丸投げしておいた。レイにアウグスティンソン隊との間を取り持つように言っておいたからな」

 

 昨日ランチェスター学園を襲撃した者たちのことも、フェルディナンドに丸投げしたと軽い口調で言う。

 

 昨晩遅くにフェルディナンドに念話(テレパシー)を飛ばして魔法協会本部に呼び出し、事後処理を全て丸投げしていた。細かい事情はレイチェルに尋ねるようにと、(ろく)に説明もせずにだ。

 

 丸投げされたフェルディナンドは深々と溜息を吐いて苦言を呈したが、全てを請け負ってくれた。

 海千山千のフェルディナンドもなんだかんだ言ってジルヴェスターには甘いところがある好々爺(こうこうや)であった。

 

 現在、捕らえた者たちは全員魔法協会本部の地下牢に入れられている。

 魔法協会本部の職員は忙しなくしていると思われる。魔法協会だけではなく、七賢人を始め政治家たちも汗を流していることだろう。

 

「レイチェルのことをこき使ってばかりいないで少しは労ってあげなさい。そして休ませてあげなさいな」

 

 レイチェルはジルヴェスターに酷使されているのではないか、と心配になったレティが苦言を呈す。深く溜息を吐いて額に手を当てる仕草は、心底頭が痛いと言っているように見受けられる。

 

「ああ」

 

 ジルヴェスターは素直に頷くが、本当にわかっているのかと疑いたくなる軽さだった。

 

「今回は風紀委員会と統轄連の尽力により何事もなく済みましたが、今後は体制を見直す必要があるかと存じます」

「そうね。それは私の方でも取り掛かっておくわ」

 

 話が止まったタイミングを見計らってクラウディアが意見を提示した。

 

 今回は何事もなく済んだが、今後同じ轍を踏まないとも限らない。

 襲撃を許したということは、セキュリティ面など何かしらに見直すべきところがある証拠でもある。

 

「すぐにできることと言えばカウンセラーを増員することね。伝手を当たってみるわ」

 

 ヴァルタンの一員に加わる生徒がいた。

 魔法師でありながらヴァルタンに組するということは、何かしらの事情があったのは明らかだ。十代の若者は精神的に不安定なところがある。悩みや葛藤などを抱え込むこともあるだろう。

 

 その為、生徒の精神面のケアを怠れないのがわかった。既に学園にはカウンセラーは常勤しているが、人員を増員する必要があるだろう。

 

「生徒会でも改善点を洗い出してみます」

「ええ。お願いね」

 

 より良い学園にするのはそれこそ生徒会の役目だ。

 生徒がより快適に勉学に励める環境を構築する必要がある。寮暮らししている生徒にとっては生活の場でもある。安心して暮らせる環境は必須だ。生活に不安を抱えたままでは勉学にも悪影響が出る。

 

 その後も三人で報告や意見交換をし、最後には世間話で談笑してその場はお開きとなった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 連日国内を騒がせていた一連の事件は、反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンによるのもであったと政府から公的に発表された。

 

 一月二十五日にヴァルタンがランチェスター学園を襲撃したことなども説明され、新聞にも内容を記載されて市井にも認知されることとなった。

 

 無事にヴァルタンが壊滅し、代表のヴォイチェフを始め、団員たちが拘束されたと知った国民は様々な感想を抱いた。

 

 ただただ安心した者。

 魔法師の活躍に心躍った者。

 ランチェスター学園の生徒の身を案じる者。

 拘束された者たちの処遇を気にする者。

 反魔法思想を一層強めた者。

 この他にも人それぞれ様々な感想を抱いた。

 

 地下牢に捕らえられている者たちの処遇はまだ決まっていない。

 全ての団員を一律に刑に処すわけにはいかないからだ。まずは各人が犯してきた罪や思想を洗いざらい精査しなくてはならない。その後、各々に適した刑を処すことになる。――最も重い刑になるのはヴォイチェフで間違いないだろうが。

 

 全ての刑が確定するまで紙面を賑やかす日々は終わらないだろう。

 

 壁外には魔物が闊歩(かっぽ)している。

 魔法師、非魔法師問わず、せめて壁内でくらいは平穏でみんな安心して暮らせる日常になることを願う者が大半だ。

 

 この事件を皮切りに、ウェスペルシュタイン国は大きな変革の時を迎え、激動の時代が幕を開けることになるのであった。

 



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囚われの親子編
第1話


 一月二十五日に反魔法主義団体過激派組織ヴァルタンがランチェスター学園を襲撃した事件から一月(ひとつき)ほど経った頃には、ヴォイチェフを始め捕らえられたヴァルタンの団員は全て刑の執行が完了していた。

 処された刑罰は禁錮刑だった。団員によって禁錮期間は異なるが、ヴァルタンの団員には禁錮刑が処されている。無論、最も禁錮期間が長いのはヴァルタンの代表であるヴォイチェフだ。

 

 団員によっては死罪を適用するべきとの声もあったが、団員に関してはヴォイチェフら幹部に思考誘導されていた者もいたと診断され、情状酌量の余地ありと見なされて禁錮刑を処すこととなった。

 

 ヴォイチェフら幹部も禁錮刑となったのは、反魔法師思想の者を刺激しない為だ。死罪を適用することで反魔法思想の者が結託する可能性を危惧した経緯がある。

 

 ヴァルタンの全団員の刑が滞りなく済み、それから二カ月ほど経った頃にはランチェスター学園の学生が勉学に励む通常の日常が戻っていた。

 

 常勤のカウンセラーの人員を増やし、警備員も増員した。

 以前よりも生徒は安心して勉学に励み、寝食できる環境を整えている。

 

 ヴァルタンに加担していた生徒は停学処分となっていたが、一部を除いて既に復学している。

 中には自主退学した者や、禁錮刑の対象になった者もいるが、ランチェスター学園襲撃事件に関しては完全に解決したと言っても差し支えないだろう。

 

 それから時は流れ、少しずつ過ごしやすい気温になり、ぽかぽかと暖かい春陽に照らされる季節が到来する。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 三月二十日――ランチェスター学園の並木道に沿うように植えられた桜並木の花弁が色鮮やかに周囲を彩り、春の到来を告げるように揺らめいていた。

 この桜の木は東方から逃れてきた一族の末裔が、ランチェスター学園が創立された際に寄贈した物である。学園の創立以来、巣立って行った生徒たちを見守ってきた桜並木だ。

 

 時刻は昼時、学園内のレストランでジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、アレックス、イザベラ、リリアナ、レベッカ、シズカの八人は二つのテーブル席を囲んで昼食を共にしていた。

 

「そろそろ春季休暇ね」

 

 食事の手を止めたオリヴィアが話題を振る。

 

「みんなは何か予定があるのかしら?」

「わたしたちは帰省する」

 

 オリヴィアの質問を補足するようにステラが呟く。

 

 国立魔法教育高等学校の全十二校は、三月二十五日から十五日間の休暇期間になる。

 春季休暇の期間にはステラたちのように実家に帰省する生徒は数多い。

 

「私たちも帰省するよ」

 

 イザベラがそう言うと、リリアナが同調するように頷く。

 

「もっとも、わたしは数日実家に滞在したら、その後はイザベラの実家にお邪魔しますが……」

「あら、そうなの?」

 

 リリアナは休暇期間のほとんどをイザベラの実家で過ごすつもりだった。

 せっかくの休暇なのに実家でのんびり過ごさないのかしら? と思ったオリヴィアが首を傾げた。

 

「ええ。母に会いに帰省はしますが、実家は居心地があまり良くありませんので……」

「そう。人それぞれ事情があるわよね」

 

 リリアナが困ったような表情と歯切れの悪い口調で答えたので、オリヴィアは空気を読んで深く踏み込まないことにした。

 

 人それぞれ事情がある。特に魔法師界の名門と謳われる家には様々な事情があるだろう。他人が気安く踏み込んでいい領域ではない。

 それにリリアナにはイザベラがいる。何かあれば彼女を頼るだろう。イザベラは事情を把握しているようなので尚更だ。

 もちろんオリヴィアは必要ならばいくらでも力になるつもりだが、軽挙は慎むべきだ。引き際は弁えている。

 

「俺も数日帰省するぞ」

 

 会話が一間空いたところを見計らってアレックスが口を開いた。

 

「すぐ(こっち)に戻ってくるけどな」

「実家でゆっくり過ごさないのか?」

「実家は兄弟(きょうだい)が煩くてな。こっちにいた方がのんびりできる」

「なるほど。確かに賑やかそうだ」

 

 アレックスは兄弟(きょうだい)が多い。年長組ならばともかく、年少組は活発で賑やかなことだろう。

 確かに実家にいるよりも寮にいた方がゆっくり過ごせるかもしれない、と思ったジルヴェスターは納得した。

 

「わたしもビアンカと一緒に帰省するよ」

 

 レベッカは幼馴染のビアンカと共に帰省するようだ。

 二人の実家は近所なので一緒に帰省する予定でいた。

 

「実家で数日過ごしたらビアンカと二人でシズカの家に遊びに行く予定」

「へえ、シズカの実家か。俺も興味あるな。機会があれば是非一度稽古をお願いしたい」

 

 ジルヴェスターがシズカの実家に興味を示す。

 

「ええ。我が道場はいつでも歓迎しますよ」

「その時はよろしく頼む」

 

 シズカは歓迎の意を示す。

 彼女個人としても、シノノメ道場としても、剣術を学びたい者を拒む理由はない。

 

「ということはシズカも実家に帰省するんだね」

 

 レベッカがシズカの実家に遊びに行くということは、当然シズカも実家に帰省しているはずだ。まさかシズカが不在なのに遊びに行くということはないだろう。

 その事実に気が付いたイザベラが口を挟んだ。

 

「ええ。やはり修行には実家が一番都合いいもの」

 

 単純に修行場として実家の道場を使えるというのは利点だが、それだけではなく総師範の父や、師範代の兄や姉から指導を受けることもできる。シズカにとっては実家が最も修行場として適している環境だ。

 

「ジルはどうするんだ?」

「俺か?」

 

 春季休暇の予定をまだ述べていないジルヴェスターにアレックスが問う。

 話を向けられたジルヴェスターは確認の意味を込めた反問をすると、アレックスが無言で頷いた。

 

「俺はいつも通りだな」

「というと?」

「俺はみんなと違って寮暮しではないから帰省する必要がない」

「そういえばそうだったな」

 

 ジルヴェスターは自宅から通学している。学園の寮と契約しているので、忙しい時は寮に宿泊することもあるが、それもたまにだ。自宅から通学しているのに帰省というのもおかしな話だろう。

 

「そもそも普段は何をしているんだ? 魔法の研究やMACの開発とかをやっているのは知っているが」

 

 ジルヴェスターは口数が多い方ではなく、プライベートのことを自分から積極的に話すタイプでもない。訊かれれば答えるが、自分から発信する気質ではないのだ。故にミステリアスなところがある。

 

「魔法の研究やMAC関連以外だと……壁外にいることが多いな」

「そんな頻繁に壁外に行っているのか?」

「頻繁にというほどではないが……」

 

 普段のジルヴェスターは魔法の研究やMACの開発と調整を行っていることが多い。それ以外はほとんど壁外にいる。特級魔法師としての仕事で壁外に赴いていることもあるが、それをここで告げることはない。

 

「遺物を発掘したり、魔物や自然の中から素材を採取したりしている。まだ踏み入っていない場所に赴くのも好きなんだ。気分転換にもなるからな」

「そんな散歩に行くような感覚で向かう場所ではないと思うけど……」

 

 ジルヴェスターが壁外へ赴く理由を述べると、イザベラが呆れながらツッコミを入れる。

 

「ジルに常識を当てはめるのは無駄」

「そうよ。細かいことは気にしないのが一番よ」

「……」

 

 ステラとオリヴィアが畳み掛けるように述べる。

 当のジルヴェスターは何も言い返せず肩を竦めることしかできなかった。

 

「さすが付き合いが長いだけあってジルの扱いはお手の物だな」

「ジルくん、ステラっちとオリヴィアには弱いね」

 

 個人的に完璧超人だと思っているジルヴェスターのことを揶揄(からか)える好機と見たアレックスとレベッカがすかさず口撃する。普段は反目することが多い二人だが、この時に限っては息ピッタリであった。

 

「お前らはいったい俺をなんだと思っているんだ……」

 

 四人の言い様にジルヴェスターは深々と溜息を吐く。

 ジルヴェスターとて普通の人間だ。特級魔法魔法師第一席という肩書はあるが、普段はただの学生である。彼は内心で心外だと少なからず思った。

 

「ふふ。こういうのもいいですね」

 

 みんなのやり取りを黙って見守っていたリリアナが微笑むと、場が(なご)んで一同に笑みが零れた。

 

「そうだね」

 

 イザベラが同意を示す。

 

 友人と他愛もない会話をするのは得難い時間だ。仲間と馬鹿をやるのも、揶揄(からか)い合える関係も貴重である。

 学生時代の仲間が将来魔法師として活動する上で助けになることもあるだろう。

 



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第2話

「――あれ? レアルくんじゃん」

 

 みんなと笑っていたレベッカは、ふと視線を向けた先に見知った人物を発見した。

 その言葉に釣られるように一同はレベッカの視線を辿って顔を向ける。

 固まって食事をしているレベッカたちからは少し離れた場所に(くだん)の人物がいた。

 

「――レアルくん! 何してるの?」

 

 レアルと呼ばれた人物は昼食を載せたトレイを持ったまま立ち尽くし、困った表情を浮かべていた。その表情に疑問を抱いたレベッカが呼び掛ける。

 

 名前を呼ばれた少年が振り向く。

 そして自分の名を呼んだレベッカを発見し、歩み寄る。

 

「やあ、ヴァンブリートさん。シノノメさんもこんにちは」

 

 少年はトレイを持ったままレベッカとシズカに挨拶をする。

 

「やっほー」

「こんにちは」

 

 レベッカは手をひらひらと振って挨拶をし、シズカは綺麗な姿勢を崩さずに会釈する。

 

「それでレアルくんはどうしたの? トレイを持ったまま立ち尽くしていたけど」

 

 レベッカが再度尋ねる。

 

「いや、あまり席が空いていないくて、どうしたものかと思っていたんだ」

 

 その言葉にレベッカは改めて周囲を見渡す。

 

「少しは空いてるよ?」

「いや、まあ、そうなんだけどね……」

 

 周囲を見渡したレベッカは所々に空席を見つけた。

 しかし、レアルは歯切れ悪そうに言葉を濁す。

 

「……空席の周りは上級生ばかりだし、顔見知りもいないから座りづらくてね」

「確かに」

 

 レアルの指摘を受けてレベッカは空席の周囲に目を向ける。

 すると、確かに空席の周囲は上級生ばかりだった。

 

「なら私たちと一緒にどう?」

「え、いいのかい? 迷惑じゃないかな?」

「うん。いいよ。みんなもいいよね?」

 

 見かねたレベッカが相席を提案するが、レアルは部外者の自分が邪魔していいものかと逡巡する。

 彼の遠慮など知ったものかというようにレベッカは話を進めて一同に確認を取る。

 もちろん断る理由はないので、一同は了承した。

 

「ありがとう。助かるよ」

「ほら、席詰めて!」

「お、おう」

 

 歓迎されたレアルが礼を述べると、レベッカはアレックスに席を詰めるように促す。

 そのアレックスは気圧されながらも素直に席を詰める。

 

「失礼するよ」

 

 一人分のスペースを確保したのでレアルが着席する。アレックスの隣だ。

 

「――改めて、僕はレアル・イングルス。ヴァンブリートさんとシノノメさんと同じB組なんだ。よろしくね」

 

 席に着いたレアルが自己紹介をする。

 レベッカはクラスメイトだからレアルのこと知っていたのである。

 

 レアル・イングルスは金髪碧眼の美男子だ。

 綺麗な白い肌に輝くような金髪と、前髪の下から覗く碧眼は彼の端正な顔立ちを(いろど)るかのようだ。

 どこかの国の王子様と言われても疑う者がいないほどの眉目秀麗ぶりで、貴公子然とした立ち振る舞いと雰囲気をしている。間違いなく女性から人気があることだろう。

 

 レベッカとシズカ以外の面々も順に自己紹介をする。

 

「ああ。ヴェステンヴィルキス君のことは知っているよ。入学式の答辞でね」

「ジルくんのことは一年のみんなが知ってるでしょ」

 

 最後に自己紹介したジルヴェスターのことを知っていると言うレアルが理由を述べると、レベッカが口を挟んだ。

 その言葉にレアルは「確かに」と微笑みながら頷いた。

 

「俺もイングルスのことは知っていた」

「え、僕を?」

「ああ。入学式で見掛けたからな」

「そうだったんだ」

 

 ジルヴェスターもレアルのことを知っていたと言うと、彼は驚いて目を(しばた)いた。

 レアルは名家の出ではないし、顔が広いわけでもない。そのことを自覚しているので自分のことを知っていることが不思議だったのだ。

 だが理由は単純だった。入学式には全ての新入生が出席している。中には見覚えのある者もいるだろう。

 

「ああ。あの時の」

「ジルが気にしていた人」

 

 オリヴィアが思い出したように呟くと、ステアも気付いたようだ。

 

「? 気にしていた?」

 

 その言葉に疑問を抱いたレアルは首を傾げる。

 

「ジルくんが通り掛かったイングルスくんを見て、「中々できる奴だ」って言っていたのよ」

「そんなこと通り掛かっただけでわかるのかい?」

 

 説明を聞いてレアルは一層疑問を深めた。

 

「ジルだから」

「ジルくんだから」

 

 ステラとオリヴィアは決まり文句のように同時に言う。

 全く説明になっていないが、レアル以外の面々も「うんうん」と頷いている。

 どうやら三か月ほどの付き合いでジルヴェスターのことをだいぶ理解してきているようだ。

 

「そ、そっか」

 

 一同の反応を見てレアルは無理やり自分を納得させた。何故か気にしたら負けだと思ったのだ。

 

「――そうだ。せっかくだし僕のことはレアルでいいよ」

 

 少しだけ居心地が悪くなったレアルは、苗字ではなく、個人名で呼んでくれと提案することで話を逸らした。

 

「そうか。なら俺のことももっと気軽に呼んでくれ」

「うん。わかった」

 

 ジルヴェスターとレアルが頷き合う。

 

「――それより、レアルくん最近顔色悪いけど大丈夫?」

「私も気になっていたわ」

 

 話が一段落したところでレベッカがレアルに尋ねると、シズカも同調した。

 

「そんなに顔色悪かったかな?」

 

 尋ねられたレアルは苦笑しながら逆に質問する。

 

「うん。悪かったよ。今日は比較的マシそうだけど」

「ええ……そんなに悪かったのか。なんか恥ずかしいな」

 

 レアルは頬を掻くような仕草をして気恥ずかしそうにする。

 

「ここ最近少し忙しくて寝不足気味なんだ」

 

 疲れを吐き出すかのように小さく溜息を吐く。

 

「そうなんだ。ちゃんと休んだ方がいいよ」

「うん。気をつけるよ」

 

 レベッカが休養を促す。

 

「レアルくんは春季休暇の予定は決まってる?」

 

 先程まで話題にしていた内容をレベッカがレアルにも尋ねる。

 

 レアルはレベッカとシズカ以外とは初対面だ。

 なので、レアルがみんなと打ち解けられるように取り計らっているのかもしれない。

 彼女のコミュニケーション能力の高さと器量の良さが窺える。

 

「僕は色々とやることがあるから、それを消化していたら休暇期間が終わってしまいそうだよ」

「休暇期間くらいしっかり休みなよ」

「うん。そうしたいのは山々なんだけどね。状況が許してくれないんだ」

 

 どうやらレアルは春季休暇も忙しないようだ。

 既に忙しい毎日を送っているようだが、それは春季休暇にまで影響しているのだろうか。

 

「もし時間ができたら、私と一緒にレアルくんもシズカの実家に遊びにくるといいよ」

「お前がそれを決めるのかよ」

 

 多忙なレアルを見かね、レベッカが息抜きを兼ねてシズカの実家に遊びに行くことを勧める。しかもシズカに確認を取らずにだ。そのことをアレックスが指摘する。

 

「私は大丈夫よ」

 

 勝手に話を進められたシズカは苦笑しながら了承した。

 

「どうだろ。多分厳しいと思う」

「そっか~」

「でも、もし都合がついたら検討するよ。ありがとうね」

 

 レアルは少し悩んだが、やはり忙しくて都合が合わないようだ。

 誘ってくれたことは素直に嬉しかったみたいで笑みを浮かべている。

 

 その後も昼食の合間に会話を挟みつつ過ごす一同であった。

 



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第3話

 ◇ ◇ ◇

 

 放課後――ジルヴェスターの姿は壁外にあった。

 ウェスペルシュタイン国から南東の方向へ深層に踏み入った先にある、とある城の跡地へと赴いていた。

 

 壁外には、ウェスペルシュタイン国の政府が魔法協会の意見をもとに定めた階層が存在する。

 

 壁外から約十キロほどの距離は浅層に定められている。

 浅層にいる魔物は脅威度の低い魔物だ。壁外に近い場所ほど魔法師が頻繁に間引きを行っている。故に壁外でも比較的安全地帯だ。

 

 浅層の先には下層に定められている階層がある。浅層よりも圧倒的に広い。

 下層も比較的安全地帯ではあるが、安易に踏み入っていい場所ではない。当然浅層とは比べ物にならない危険を伴う地帯だ。

 

 そして下層の先には中層、上層と続いていく。

 上層まではウェスペルシュタイン国にとって既知の世界だ。だが、上層より先にも世界は広がっている。

 それは――深層と呼称されている領域だ。

 

 深層は限られた者しか足を踏み入れることができない世界である。

 未踏の地とまでは言わないが、未踏の地と言っても差し障りがないほど未知の世界だ。人類が到達できる限界地として『人類の限界領域』とも言われている。

 深層から先には途方もなく世界が広がっている。なので、当然深層が最も広い領域だ。

 

 奥の階層ほど強力な魔物が跋扈(ばっこ)しており、浅層<下層<中層<上層<深層という順に危険度が上がり、領域も広くなる。

 

 そんな中、ジルヴェスターは散歩でもするかのような気軽さで深層へと足を踏み入れていた。

 彼は深層へ足を踏み入ることのできる限られた者であった。

 

「これは……」

 

 城の跡地を探索していたジルヴェスターは気になる物を発見した。

 この城は魔興(まこう)歴四七〇年に突如として世界中に魔物が大量に溢れ、生活圏を追われることとなった際に取り残された文明の名残だと思われる。

 城自体が貴重な遺構であり、考古学的な価値が高い。

 

「……肖像画か?」

 

 ジルヴェスターが手にしたのは、高貴な女性だと思われる人物の肖像画であった。埃を被ってはいるが、人の輪郭と思われる部分が透けて見えていた。

 

 彼は肖像画を覆っている埃を優しく払う。

 肖像画は貴重な遺物だ。丁重に扱わなくてはならない。

 埃を払い落とすと、はっきりと肖像画を見ることができた。

 

「金髪碧眼の女性……明らかに高額な物と推測できる宝飾品とドレス。ここはこの一帯を治める貴族が居を構えていた城か?」

 

 改めて城の周囲の風景を思い出す。

 城の周囲には住居と思われる残骸が残っていた。

 城に近いほど富裕層が住んでいたと思われる屋敷の残骸があり、逆に城から離れている建物ほど庶民的な建造物に思えた。

 

 富裕層が住んでいたと思われる屋敷の方が頑丈に建てられていたのか、比較的原型を留めている。――それでも建物によって差があるが。

 庶民的な建物はほとんど原型を留めておらず、見る影もない状態だった。

 

 ジルヴェスターの考察が正しければ、今現在探索している場所は当時この一帯を治めていた領主が居を構えていた領都ということになる。そして城はその貴族の居城だろう。

 

「……」

 

 ジルヴェスターは肖像画に思い至る点があり目を凝らす。

 

「気の所為か……? 見覚えがある気がするが……」

 

 肖像画に(えが)かれている女性と似た人物がいたような気がすると思考を巡らす。

 

(……まあ、今はいいか。持ち帰ってから考えよう)

 

 彼が今現在いる場所は深層だ。

 落ち落ち考えている余裕などない。いつ危険が迫るかわからないのだ。

 今は偶然にも周辺に魔物の気配は感じられないが、油断していい理由にはならない。――もっとも、魔物がいたところでジルヴェスターにとって危険なのかは別問題だが。

 

 ジルヴェスターは肖像画を『異空間収納(アイテム・ボックス)』に収納すると、探索を再開した。

 



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第4話

 ◇ ◇ ◇

 

「――そろそろ帰るか」

 

 翌日、まだ日も登りきらない薄暗い時間にジルヴェスターは動き出す。

 満足するまで探索したので帰路に着くことにしたのだ。

 

 なんともないことのように翌日を迎えているが、他の人が耳にしたら正気を疑うことだろう。

 壁外で野宿すること自体計り知れない危険を伴う。しかも彼が今いる場所は『人類の限界領域』と言われている深層の真っ只中だ。

 そんな場所で夜を越すなど正気の沙汰ではない。良い子は真似するな、の次元を超えている。

 

 ちなみに今日は休日ではないので、いつも通り学園に登校しなくてはならない。

 

 ジルヴェスターは朝日が顔を覗かせ始めた空を一度見上げると、足を踏み出した。

 

 その後、自然の中を数時間疾走していた。

 ただ帰宅する為だけに疾走していたのではなく、他にも用事があったのでいくつも寄り道を挟んでいる。道中には目に付いた魔物を片手間に狩ってもいた。

 

 ジルヴェスターはわざわざ自らの足で長い距離を走らなくても、もっと簡単に壁内と壁外を移動する手段がある。だが、帰りは道中にも用事があったので自分の足で移動していた。

 

 そして用事を全て終えたので、後は『転移(テレポーテーション)』で一気に壁内へ飛ぶつもりでいた。

 

 ――『転移(テレポーテーション)』は無属性の第九位階魔法であり、任意の場所に転移することができる移動魔法だ。任意の場所とはいえ、転移先を理解していないと効果が発揮されない。故に行ったことのある場所や目に見える場所にしか転移できない。また、距離が離れているほど魔力を消費する。

 

 しかしその時、ジルヴェスターは魔法の気配を感じ取った。

 

「約五百メートル西か……」

 

 魔法の気配を感じ取った場所を読み取る。

 彼にかかれば魔法を使わなくても魔法の気配を辿るのはそこまで難しいことではない。

 誰にでもできることではないが、一定以上の実力者であれば、信憑性はともかく魔法の気配の先を辿ることは可能だ。

 

「段々魔法の気配が弱まっている?」

 

 魔法の気配が感じるということは、魔法師が魔法を放っているということだ。

 その魔法師が何度も魔法を放っているが、段々感じ取れる魔法が弱まっていた。

 

 それは(すなわ)ち、魔法を行使している魔法師が弱ってきているか、残りの魔力が乏しくなっているということだ。また、どちらも該当している可能性すらある。

 

 さすがに放置できないと判断したジルヴェスターは、把握した場所へ向けて駆ける。

 

 弱ってきている魔法師がいるとわかっていて無視するほど彼は薄情ではない。

 わかっていて見過ごすのは多少なりとも目覚めが悪いし、特級魔法魔法師第一席としての責任を一応持ち合わせている。

 

 目視可能な距離まで近付いたので駆けながら様子を窺うと、一人の魔法師が魔物の集団に囲まれていた。

 

「ブラッディウルフか」

 

 魔法師を囲んでいる魔物はブラッディウルフの群れであった。

 

 魔物には魔法協会が定めた脅威度を示すレートが存在する。

 レートは高い順にSSS>SS>S>AAA>AA>A>B>C>D>E>F>Gとなっている。

 

 傾向として、浅層にはG、F、Eレートの魔物が多いが、Eレートの魔物は比較的少ない。

 下層はE、D、Cレートが多く、Cレートの魔物は珍しい。

 中層はC、B、Aレートが多いが、Aレートの魔物は滅多に見掛けない。

 上層にはAレート以上の魔物が多く蔓延(はびこ)っている。

 深層に至っては未知の部類だ。

 無論これらは絶対ではない。

 

 浅層の魔物は頻繁に間引いているので低レートの奴らばかりだが、稀に高レートの魔物が浅層まで降りて来ることがある。

 反対に上層や深層に低レートの魔物が紛れ込んでいることもある。

 

 また、魔法協会が定めたレートは絶対ではない。

 情報が百パーセント正しいわけではなく、魔物自体が進化している可能性もある。

 なので、レートは基準にはなるが、鵜呑みにするのは命取りだ。

 

 そして一人の魔法師を取り囲んでいるブラッディウルフは、Bレートに定められている狼型の魔物だ。

 鋭い牙に強靭な顎、俊敏な脚力を持っている。獰猛な性格で血を好み、血の匂いがする場所に良く姿を現す。一度噛みついたら放さない根性もある。

 

 弱い個体だとCレート相当だが、中にはAレート相当の個体が存在することもある。

 だがBレート相当の個体が大半を占めるので、公的にはBレートに定められていた。

 

 また、個体としはBレートに定められているが、群れとしてのレートはAAレートに引き上げられている。個体としても厄介だが、群れになると各段に凶悪な存在に変貌する。

 

 群れで連携を組んで獲物を仕留める賢さがあり、群れを率いるボスの強さや賢さ次第で更に高いレートに引き上げられることがある。群れでこそ真価を発揮する魔物だ。

 非常に厄介で面倒な魔物故に魔法師からかなり嫌われている。

 

 ジルヴェスターは更に現場に近付くと、魔法師の顔を確認できた。

 

「あれは……レアルか?」

 

 襲われている魔法師の顔を確認したジルヴェスターは、見知った人物だったので少しだけ驚いた。

 

「こんな所で遭遇するとはな」

 

 ジルヴェスターはレアルが実戦を経験していると踏んでいた。なので、壁外を既に経験している可能性もあると考えていた。だが壁外は広大だ。こんなところで遭遇するとは中々の確率である。

 

 壁外で魔法師と出会うことはあるが、自分の友人とピンポイントで遭遇するのは中々あることではない。故にジルヴェスターは驚いた。

 



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第5話

「加勢するか……?」

 

 他人の獲物を横取りするのはタブーだという暗黙の了解が魔法師界には存在する。とはいえ、対峙している魔法師が危機的状況に陥っていた場合は救援することを推奨されている。

 

 その二つの境界線が曖昧で判断が難しいところではあるが、ジルヴェスターとレアルは友人同士だ。結果がどちらであろうと両者で争うことにはならないだろう。

 

「一旦待つか」

 

 だが、ジルヴェスターは一応様子見することにした。

 レアルが本当に危険そうなら助太刀することにし、いつでも加勢できるように準備は怠らない。

 

 レアルを取り囲むブラッディウルフの群れは、彼に休む暇を与える隙も無く次々と飛び掛かっていく。

 

 一匹が牙を剝き出しにして飛び掛かると、レアルは手に持つ剣で袈裟斬りにする。

 そして今度は間髪いれずに二匹のブラッディウルフが左右から飛び掛かっていく。

 

(――! まずい!)

 

 挟み撃ちされる格好になったレアルが、剣を頭上に(かざ)して魔法を行使する挙動に入ったのを確認したジルヴェスターは、金色に輝く自分の瞳を守る為に瞼を閉じる。

 

 そしてレアルは瞬時に魔法を行使した。どうやら彼は剣の武装一体型MACを使用しているようだ。

 

 すると、レアルを中心に辺り一面を煌々(こうこう)と照らす閃光が発生する。

 

 ジルヴェスターは危うく視力を奪われるところだった。

 瞼越しに光が収まったのを認識したジルヴェスターは瞼を開く。

 

(魔法の発動速度が速い。さすがの腕だな)

 

 感心するジルヴェスターは口元を緩める。

 

 戦況を把握してから対応方法を選択し、魔法を行使する場合は魔力をMACに流し込む。その後にMACが術式を展開して魔法が発動される。

 戦闘中にこれらの段階を踏まなければならないのだが、レアルはそれまでのプロセスが流動的で素早かった。

 

(既に最低でも中級以上の実力はあるな)

 

 そんなレアルの実力をジルヴェスターは冷静に推し量る。

 

 レアルが行使した魔法は閃光(フラッシュ)だった。

 何故ジルヴェスターが発動する前の魔法を判断し、瞼を閉じることが可能だったのか――それは彼の瞳に理由があった。

 彼の瞳はただの瞳ではない。彼は所謂『魔眼』と呼ばれる希少な瞳を有している。

 一口に魔眼と言っても、魔眼には様々な種類がある。

 

 そもそも魔眼を持って生まれてくること自体非常に珍しい。魔法師でも魔眼持ちに一生出会えないのが当たり前の世の中だ。

 

 魔眼によって様々な能力を持つ。

 一つの能力しか持たない魔眼もあれば、複数の能力を有する魔眼も存在する。

 強力な魔眼もあれば、あまり実用的ではない魔眼もある。

 仮に同じ能力を有していても効力に差があったりする。

 同じ物が存在しない唯一無二の代物なのが魔眼の特徴だ。

 

 そしてジルヴェスターの魔眼が持つ能力の一つには、魔法師が発動する術式を読み取ることができるという物がある。

 故に魔法師が魔力をMACに流し込み、MACが術式を展開する一瞬の間に読み取ることが可能なのだ。

 

 この能力は本来不遇と呼ばれても仕方のない能力である。

 術式を読み取れても、そもそも発動される術式を理解する知識を有していなければ意味がない代物だからだ。

 

 それにMACが術式を展開するまでの一瞬の間に読み取り、どの魔法が発動されるのかを瞬時に理解するなど誰にでもできることではない。

 知識、理解力、思考速度、これらを有するジルヴェスターだからこそ上手く活用できているにすぎなかった。

 

 閃光(フラッシュ)を行使したレアルは反転して逃げの一手に出た。方向は当然、国を囲う壁だ。

 

 対して視力を奪われたブラッディウルフは混乱している個体がいる。

 しかし、ボスと思われる冷静な個体が一鳴きすると、一斉にレアルを追い掛けるように駆け出した。

 

 ブラッディウルフは狼型の魔物なだけあり鋭い嗅覚を持っているので、視力を奪われていても匂いを頼りに獲物を追うことができる。

 

 逃走を試みるレアルと、追跡するブラッディウルフの群れ。

 両者の追い掛けっこの様相を呈すると思われたその時――突然レアルが頭を押さえて(うずくま)った。

 

(――!)

 

 突然の事態にさすがのジルヴェスターも瞠目する。

 

 (うずくま)るレアルは立ち上がる素振りを見せない。

 そんなレアル目掛けて容赦なく猛追するブラッディウルフの集団。

 

(これは……さすがにまずいか……)

 

 ジルヴェスターにも予想外のことはある。

 獲物を横取りするのはタブーなどと言っていられる状況ではない。現在の状況は救援を推奨する場面だ。

 既に様子見する段階は過ぎ去った。

 

 救援が必要だと瞬時に判断したジルヴェスターは、魔法を行使する為に左手首に嵌めている汎用型のMACに魔力を送り込む。そして一秒も経たない速度で目当ての魔法を行使した。

 



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第6話

 ◇ ◇ ◇

 

 時間を少し遡る。

 レアル・イングルスは日を跨いですぐの時間から壁外へと赴いていた。

 しかし、暗闇の中でもわかるほど顔色が悪い。壁の外へと出る際に門を警備する衛兵に心配されたほどだ。

 

「全く、人使いが荒すぎる……」

 

 レアルは深々と溜息を零し悪態をつく。

 

「でも仕方ない。僕がやらないと!」

 

 寝不足と疲労の影響で身体が重い。そんな身体に鞭打って壁外の荒地を駆ける。

 

 その後レアルは多くの魔物を討伐していった。

 彼の目的は魔晶石を集めることだ。

 

 魔晶石は自然に生成された物を採掘するか、魔物から取り出すかの二通りしかない。

 だが採掘は現実的ではない。運が良ければ偶然採掘できる代物なので、主な入手源は魔物からの採取になる。

 故にレアルは壁外へ赴いて魔物の討伐を行っていた。

 

「そろそろ帰ろう」

 

 魔物を狩り続けてから既に四時間ほど経っている。

 

「今日も学園があるから休めない」

 

 本日もいつも通り学園に登校しなくてはならない。いくら忙しくてもレアルは学園を休む気は毛頭なかった。

 

 一呼吸置いて身体を解すように伸びをした後、壁内へ足を向けようとする。

 しかし――

 

「――!?」

 

 魔物の気配を感じ取り、立ち止まって周囲の様子を窺う。

 

(これは……まずいな……)

 

 周囲を窺っていたレアルは、ある一点を見つめて冷や汗を流す。

 彼の視線の先には、ブラッディウルフが群を成して駆けてくる姿が映っていた。

 

「こんな時に限って……」

 

 疲労を吐き出すかのように深々と溜息を吐く。

 

 レアルは連日の多忙さにより疲労が溜まっていた。まともに寝る時間を確保することができないほどだ。今は疲れのピークと言ってもいい。そんな時に限って厄介極まりない存在と遭遇してしまった。

 

(逃げ切れるかな……)

 

 思考に耽る合間にもブラッディウルフの群れは着実に近付いてくる。

 瞬時に判断して行動しなくてはならない。

 

身体強化(フィジカル・ブースト)

 

 レアルが左手首に嵌めている腕輪型MACが一瞬光る。

 身体強化(フィジカル・ブースト)を行使して身体能力を向上させると、振り返って一目散に駆け出す。

 

 レアルは交戦ではなく逃走を選択した。

 現状では正しい判断だ。ブラッディウルフを相手に戦闘を繰り広げられるコンディションではない。

 

(身体が重い)

 

 疲労困憊の身体が思うように動いてくれなくて焦燥感が募る。

 しかもブラッディウルフの群れとの距離が徐々に縮んでいく。

 

 如何(いか)身体強化(フィジカル・ブースト)を行使していようが、人間とブラッディウルフではそもそもの脚力が違う。

 身体強化(フィジカル・ブースト)を行使しているからこそブラッディウルフの脚力に張り合えているにすぎない。

 

 その上レアルは疲労と寝不足で身体が重い。集中力と思考力も低下している。そして既に四時間以上壁外で活動している。壁内からの移動時間を加えると五時間近い。故に相応の魔力を消費している。

 

(逃げ切れない)

 

 このまま逃走を図っても逃げ切れないと判断したレアルは、足を止めて振り返る。

 

 そして左手を前方に(かざ)すと、左手首に嵌めているMACを使って魔法を放つ。

 すると、MACを起点に煙が広がっていく。

 

 レアルは煙幕(スモーク・スクリーン)を行使した。

 煙幕を張ることで目眩ましを目論んだ。

 

 周囲に煙幕が広がっていく中、レアルは右手で握っている剣型のMACに魔力を流し込み、魔法を行使する。

 

 レアルに追いついたブラッディウルフの群れが煙幕の周囲を取り囲む。

 風に流され徐々に霧散していく煙幕は少しずつ見通しが良くなっていく。そして完全に煙幕が晴れると、そこにレアルの姿はなかった。

 

「ワウ?」

 

 一匹のブラッディウルフが首を傾げるように不思議がる。

 

「ギャウギャウ!」

「グルルルルル」

 

 周囲を取り囲むブラッディウルフが吠える。

 そこにいたはずの獲物がいない。疑問を頭に浮かべるブラッディウルフは、確かめるように鼻に意識を傾けて周辺の匂いを嗅ぐ。

 

(……)

 

 その頃レアルは岩陰を背に息を潜めていた。

 彼はブラッディウルフの群れの中心に潜んでいたのだ。だが、レアルの姿は見当たらない。それは何故なのか。理由は簡単だ。彼が魔法を行使しているからに他ならない。ではいったいどんな魔法を使ったのか。

 

 レアルが行使した魔法は――『光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)』だ。

 この魔法は光属性の第六位階魔法であり、光学的に術者自身を透明化することができる支援魔法だ。行使し続ける限り魔力を消費する。

 

 レアルは光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)で姿を隠していた。

 故にブラッディウルフの視界に映らないで潜むことができていたのだ。

 

 しかしブラッディウルフの群れは匂いを頼りに囲みを狭めている。少しずつ中心にいるレアルに近付いていく。

 

 隠れるレアルは一度深呼吸をして酸素をしっかりと取り込む。

 (はな)からレアルは潜み切れるとは思っていない。少しでも体力を回復する為の時間が欲しかったのだ。

 

 ブラッディウルフが徐々に距離を縮めてくる中、レアルはじっと息を潜める。

 そして前方にいるブラッディウルフが隙間なく詰め寄せたところで、剣型のMACを構えた。

 

光の十字剣(シャイニング・クロス)

 

 レアルが小さく呟くと、魔法が放たれた。

 剣型のMACを起点に、周囲を照らすように光り輝く十字の斬撃が飛び出す。

 

 ――『光の十字剣(シャイニング・クロス)』は光属性の第四位階魔法であり、光り輝く十字の斬撃を放つ攻撃魔法だ。

 

 その光の十字剣(シャイニング・クロス)が前方へ一直線に放たれる。

 前方に隙間なく埋め尽くすように固まっていたブラッディウルフを何匹も切り伏せていく。

 

 前方にいたブラッディウルフを切り伏せたことで花道の如く生まれた隙間を抜ける為に駆け出す。すかさず身体強化(フィジカル・ブースト)を行使して脚力を向上させている。

 

 突然のことで呆気に取られたかのように混乱していたブラッディウルフの群れは、正気を取り戻すとレアルを追い掛ける。

 

 群れの中心から抜け出したとはいえ、全てのブラッディウルフが固まっていたわけではない。中には離れた場所にした個体もいる。故にレアルの前方には数匹のブラッディウルフがいた。

 

 その中の一匹が飛び掛かる。

 勢い任せに飛び掛かったブラッディウルフの攻撃は、北東方面にステップを踏んで躱す。だが、続け様に別の個体が飛び掛かってくる。

 飛び掛かってきては躱し、飛び掛かってきては躱しを数度繰り返している内に、群れが追い付いてきてしまった。

 

 再びブラッディウルフの群れに囲まれてしまう。

 

(――ちっ)

 

 内心で舌打ちをするレアルは、思うようにいかない現実に苛立ちを感じていた。

 仕方なく足を止めるが、その時間を無駄にしない。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 

 レアルが呼吸を整えたタイミングで――完全には整っていないが多少は落ち着いている――一匹のブラッディウルフが牙を剝き出しにして飛び掛かる。

 しかし、レアルは危なげなく手に持つ剣で袈裟斬りにした。

 

 そして今度は間髪いれずに二匹のブラッディウルフが左右から飛び掛かってくる。

 

 挟み撃ちされる形になったレアルは剣を頭上に(かざ)して魔法を行使する。

 レアルが行使した魔法は閃光(フラッシュ)だ。

 

 ブラッディウルフの群れの視覚を奪うと、再度壁外へ向けて駆け出す。逃げの一手だ。

 

身体強化(フィジカル・ブースト)だけだと同じことの繰り返しだ。魔力の消費が厳しいけど一か八か――)

 

 身体強化(フィジカル・ブースト)で強化した脚力での逃走だと先程までと変わらない。すぐに追いつかれるのは目に見えている。

 そこでレアルは一か八かの賭けに出て、更に魔法を行使する。

 

光の恩恵(シャイニング・ベネフィット)

 

 レアルの身体が淡い光のオーラに包まれる。

 

 ――『光の恩恵(シャイニング・ベネフィット)』は光属性の第三位階魔法であり、対象の身体能力を一時的に向上させる支援魔法だ。

 

 レアルは身体強化(フィジカル・ブースト)光の恩恵(シャイニング・ベネフィット)の重ね掛けによって更に身体能力を向上させたが、その分相応の魔力を消費してしまう。

 

 壁内までとは言わずとも、せめてブラッディウルフの群れから逃げ切れるまで魔力が持てばいい。

 

(持ってくれ――)

 

 魔力切れの心配を抱える中、足を踏み出して懸命に疾走する。

 しかし八十メートルほど進んだところで、突然頭に激痛が走った。

 

「ぐっ!」

 

 激しい痛みにより思わず足を止めて(うずくま)ってしまう。

 

「はぁはぁ……まずい……」

 

 頭を押さえながらも懸命に立ち上がろうとするが――

 

(駄目だ……身体が動かない……)

 

 無情にも身体は言うことを聞いてくれない。

 

「うぐっ!」

 

 藻掻(もが)いていると一段と激しい痛みが襲う。

 

(意識が朦朧としてきた……)

 

 視界に(もや)がかかる。

 そんな中、群れの先頭を駆けていたブラッディウルフがレアルに追いついた。

 

(くそっ!!)

 

 ぼやけた視界の中、レアルが気力を振り絞って最後に見た光景は、ブラッディウルフが牙を剥き出しにして自分に飛び掛かってくるところであった。

 そこでレアルの意識が途切れた。

 



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第7話

 ◇ ◇ ◇

 

 ブラッディウルフがレアル目掛け牙を剥き出しにして飛び掛かる。

 その瞬間――

 

反射(リフレクション)

 

 飛び掛かったブラッディウルフが空中で見えない何かに勢い良く頭からぶつかった。衝突したブラッディウルフは頭を強打し、目を回している。

 

「間一髪か」

 

 いつの間にかジルヴェスターがレアルを守るように立っていた。

 

 ――『反射(リフレクション)』は光属性の第五位階魔法であり、光の膜を出現させて攻撃を跳ね返す防御魔法だ。

 

 反射(リフレクション)に衝突したブラッディウルフは、衝撃を自分で受ける羽目になった。

 

 正に間一髪であった。もし少しでも遅れていればレアルは危なかっただろう。

 ジルヴェスターはレアルが頭を押さえて蹲ったと見るや、転移(テレポーテーション)を瞬時に行使した。そしてレアルの背後に現れたのだ。

 

 ジルヴェスターはレアルの肩に手を掛けると再び魔法を行使する。左手首に嵌めているMACが一瞬光り輝く。

 すると、ジルヴェスターとレアルの姿が忽然(こつぜん)と消失した。

 

 一連の動作にはジルヴェスターの技量の高さが垣間見える。

 判断の速さ、魔法の発動速度、魔法の精密性、どれを取っても一流だ。

 

「バウ?」

 

 目の前にいたはずの獲物が忽然(こつぜん)と姿を消したことに、ブラッディウルフが瞠目する。

 

 ブラッディウルフの群れはしばらくの間レアルがいた場所で右往左往するが、匂いが完全になくなった頃には別の獲物を求めて移動し始めたのであった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「んん……」

 

 窓から覗く日差しが顔を覆う。

 無意識に腕で目元を覆って日差しを避ける。

 

「んん……ここは……」

 

 寝惚け(まなこ)を擦りながら横になっていた上半身を起こして伸びをする。凝り固まった筋肉が解けていくのが骨身に染みる。

 

「――起きたか」

「ん?」

 

 完全に意識が覚醒する前に突然声を掛けられ、驚いて一瞬身を震わす。

 声のした方に顔を向けると、そこには友人の顔があった。

 

「ジル……吃驚(びっくり)したよ……」

「驚かすつもりはなかったんだが……」

 

 ジルヴェスターが苦笑する。

 

「レアル、体調はどうだ?」

「ん? 少し身体が重いけど、問題ないよ」

「そうか」

 

 ジルヴェスター質問されたレアルは、自分の身体の調子を確かめる。

 少し疲労感は残っていたが、特別問題はなかった。

 

「――それよりここは……?」

 

 自分が寝ていた部屋を見渡して見覚えのない部屋に疑問を浮かべる。生活感の感じられない簡素な部屋だ。

 

「寮の俺の部屋だ」

「そうなんだ」

「もっとも、普段はほとんど使っていないがな」

 

 現在いる場所はランチェスター学園の敷地内にある寮の、ジルヴェスターが契約している部屋であった。

 

「なんで僕は君の部屋で寝ていたのかな?」

 

 ジルヴェスターの部屋で眠っていた理由に心当たりがないレアルは首を傾げる。

 

「覚えていないか? お前は壁外で突然倒れたんだ」

「……」

 

 ジルヴェスターにそう言われたレアルは自分の記憶を探る。

 

「――そういえば、ブラッディウルフの群れに追われている途中で激しい頭痛に襲われたような……」

「ああ。そうだ。意識を失って倒れたんだ」

「ええ!?」

 

 蒼白するレアル。

 

「本当に!? まずいじゃんそれ……」

 

 壁外で意識を失うということは、即ち死を意味する。

 仲間がいれば別だが、一人で活動している場合は目も当てられない。運良く魔物に見つからない場合もあるが、そんな強運を期待しても意味がないだろう。

 

「そうだな。俺が偶然近くを通らなければ、今頃は獣の腹の中だったろうな」

 

 ジルヴェスターの言う通り、偶然近くを通って交戦中の魔法師がいると気づかなければ、今頃はブラッディウルフの群れに四肢を食い千切られて胃の中にいたことだろう。

 

 その点、運が良かったと言える。ジルヴェスターが壁外へ赴いたのも、翌日まで過ごしたのも、近場を通ったのも、交戦中の魔法師の存在に気づいたのも、意識を失う前に発見できたのも、全て偶然だ。

 

 何か一つでも違う行動をしていたら、レアルが助かることはなかっただろう。

 

「……」

 

 最悪のパターンを想像したレアルは再び蒼白し、深々と溜息を吐く。

 

「そっか。ジルに助けてもらったんだね。ありがとう」

「ああ。貸し一つな」

「……そこは「気にするな」って言うところじゃない?」

「無論、冗談だ」

「無表情で言われても冗談に聞こえないよ……」

 

 無表情で揶揄(からか)うジルヴェスターの姿に、レアルは苦笑するしかなかった。

 

「おそらく過労で倒れたんだろうが、一応医者に診てもらえよ」

「……そうするよ」

 

 ジルヴェスターは医者ではないので専門的な知識はないが、診た感じだと過労で倒れたのだと判断した。とはいえ病気の可能性もあるので、一度しっかりと医者に診てもらうのが賢明だろう。

 

「――それより今何時?」

「今はちょうど昼時だな」

「え!?」

 

 焦りを浮かべるレアル。

 

「遅刻じゃん!」

 

 慌ててベッドから飛び起きるが、この後ジルヴェスターが告げる言葉に硬直する。

 

「お前丸一日寝ていたから今更だぞ」

「え」

 

 レアルは聞こえてきた言葉に耳を疑う。

 窓の外からは心地良い鳥の鳴き声が聞こえてくるが、レアルの耳には全く届いていない。

 

「い、今なんて?」

 

 一度深呼吸をしてから改めて聞き返す。

 

「お前丸一日寝ていたから今更だぞ」

「……」

 

 先程と一言一句同じ言葉が返ってきて、聞き間違いではなかったのだと悟る。

 

「今日は何日?」

「二十二日だな」

「嘘でしょ……」

 

 本当に丸一日寝ていたのだと理解して愕然とした。

 

「ってかやばい! 早く帰らないと!!」

 

 レアルは顔面蒼白になり、尚且つ冷や汗を搔きながら慌てて帰り支度を始める。

 日差しがレアルの顔を照らして蒼白具合は薄められているが、それでも今日一番の蒼白ぶりだ。

 

「ああ! でも授業も出ないと!!」

 

 傍目に見てもパニック状態に陥っている友人に、ジルヴェスターは肩を竦めながら声を掛ける。

 

「とりあえず落ち着け」

「ああ、そうだよね。ごめん……」

 

 落ち着かせる為にレアルをベッドに座らせる。

 一応落ち着きを取り戻したところでレアルはあることに思い至った。

 

「――そういえば、ジルは授業どうしたの?」

 

 今日も学園は登校日だ。

 そんな中、ジルヴェスターは寮の部屋にいる。授業はどうしたのか疑問を抱くのは道理だろう。

 

「今は昼休憩の時間だからな。ちょうどいいからお前の様子を見に来たんだ。だから心配するな」

「そっか……。良かった」

 

 今は昼休憩の時間なので、寮の部屋に戻ったところで咎められる謂れはない。

 時間ができたのでレアルの様子を確認しに来たら、ちょうど目が覚めたところだったのだ。

 

「それとお前が壁外で倒れていたことと、昨日の欠席の件は学園長に伝えてあるから担任にも伝わっていると思うぞ。今日の件も理解しているだろう」

「……重ね重ねご迷惑をお掛け致しました」

 

 さすがに無断欠席させるわけにはいかない。

 なので、ジルヴェスターは事前にレアルが欠席する旨と経緯を学園長に伝えていた。

 

 レアルが所属するクラスであるB組の担任ではなく、学園長のレティに伝えたのは、ジルヴェスターがB組の担任との面識が薄かったからだ。それにレティの方が気軽に訪ねることができるというのもある。

 

 何より、自分が壁外に出向いていたことを指摘させるのが面倒だったので、自分の素性を知っているレティの方が何かと都合が良かったのが本音だ。

 

 助けてもらったことといい、色々と根回ししてもらったことといい、完全に迷惑をかけっぱなしである事実に、レアルはベッドに正座して頭を下げた。

 

「これは本当に貸しでも仕方ないね……」

 

 日差しに照らされて一層光り輝く金髪を(なび)かせながら頭を掻いて苦笑する。

 

「とりあえず体調が問題ないのなら、午後からは授業に出らたどうだ?」

「……そうだね。そうするよ」

「早く帰らないと、と慌てていたわりには素直だな」

「うん。早く帰らないといけないのは事実なんだけど、授業をサボると母さんに叱られるから……」

「なるほど。確かにそれは一大事だ」

 

 ジルヴェスターとレアルは肩を竦めて苦笑し合う。

 

 母親に頭が上がらないのはこの世に存在する全ての息子の共通点かもしれない。

 

 ジルヴェスターの実母は既に亡くなっているが、生きていたら頭が上がらなかったであろうと容易に想像がつく。

 それに実母はいなくても、育ての親はいる。レイチェルとグラディスの母親だ。ジルヴェスターも育ての母には弱いところがあるので、レアルの気持ちは良く理解できた。

 

「――さて、そろそろ教室に戻る」

「僕も行くよ。一度寮に戻らないといけないし」

 

 いつまでも悠長にはしていられない。時間は有限だ。昼休憩の時間が終わってしまう。

 

 レアルは普段、寮で暮している。――頻繁に母の様子を見に帰宅しているが。

 なので、自分の部屋に戻って支度を整えないといけなかった。

 

 レアルとジルヴェスターの寮は別の建物だ。

 二人が契約している寮はグレードが異なる。

 

 ジルヴェスターが契約している寮は最もグレードの高い寮だ。

 対してレアルが契約している寮は平均的なグレードの寮である。一般家庭出身の生徒が多く契約している寮で、所謂庶民的な寮だ。故に二人が契約している寮は間取りも内装も異なる。

 

 そしてジルヴェスターは教室へ、レアルは自分の寮の部屋へと向かうのであった。

 



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第8話

 ◇ ◇ ◇

 

 放課後――レアルの姿はプリム区のティシャンという町の住宅街にある一際大きい豪邸にあった。

 

 ティシャンは、最も美しい区と謳われているプリム区の中でも、最も美しい町と称されている。

 荘厳で神秘的な建築物が堂々とした存在感を放っているが、住宅街はモダンな建物が建ち並び、互いに邪魔せず交り合っている。

 場所はプリム区の中心から数キロほど北東に行った辺りにあり、交通の便が良くて観光客に人気のある町だ。

 

「はぁ~」

 

 レアルは気が重かった。

 母に会うのは嬉しいが、別の用件が彼の足取りを重くしており溜息が止まらない。

 

 ジルヴェスターの寮の部屋で目覚めた後、遅刻はしたがしっかりと授業には出席した。

 教室に移動した際はレベッカやシズカなどクラスメイトに心配されたが、いつも通り真面目に勉学に励んだ。

 普段なら寮の自室に戻るところだが、今日は済まさなくてはならない用事があった。その用事が彼の足取りを重くしている。

 

 レアルは逃避するように真っ先に母に会いに行くことにした。

 豪邸の廊下を慣れた様子で歩いていくと、次々といろんな女性とすれ違う。女性たちとは特に話したりはしない。面識はあるが大して親しくないからだ。中には良くしてくれる人もいるが、ほとんどは赤の他人である。

 

 そして母の私室の前に辿り着くと扉をノックする。

 母と会うのはランチェスター学園に入学する前が最後だったので約三カ月振りだ。その所為か気が逸り少しノックが強くなってしまった。

 

「どうぞ」

 

 扉の向こうから入室を許可する声が返ってきたので、遠慮なく扉を開く。

 

「母さん、ただいま」

「あら、おかえりなさい」

 

 部屋の中にはソファで寛ぐ女性がいた。

 

 彼女はレアルの母――カーラ・イングルスだ。

 レアルと同じ白い肌に碧眼を宿している。髪の色は息子とは違い茶髪だ。

 レアルが端正な顔立ちをしているのが納得できるほどの美女で、妖艶さと可憐さを兼ね備えている上に、理知的な印象も窺える。

 

()()()は?」

 

 レアルは入室するや否や目的の人物の所在を尋ねる。

 彼の声音には苦々しさが溢れている。

 

「今は外出中よ」

「そうなんだ。ならしばらくゆっくりすることにするよ」

 

 せっかく母に会えたので談笑することにし、歩を進めて空いているソファに腰を下ろす。

 

「紅茶でいい?」

「うん。ありがとう」

 

 カーラは席を立って息子の分の紅茶を用意する。

 

(どうせあのスケベオヤジのことだから娼館にでも行っているんだろうけど……)

 

 レアルは用のある人物の外出理由を脳裏に思い浮かべる。

 

(いや、考えるのは止めよう。気分が悪くなる)

 

 気分が急降下して苦々しい感情が胸を締め付け始めたところで、頭を振って思考を切り替える。

 (くだん)の人物に対するレアルの評価はただただ辛辣であった。

 

 真面目で裏表のない好青年であるレアルにここまで悪感情を抱かせる人物とは、いったいどのような人間なのか。

 

「学校はどう?」

 

 紅茶を淹れながら尋ねるカーラ。

 思考に耽っていたレアルは不意を突かれ、内心で慌てながらも笑顔を浮かべて答える。

 

「楽しいよ。友達もできたし」

「そう。それは良かったわ。今度お母さんにも紹介してね」

「機会があればね」

 

 年相応の笑顔を浮かべるレアルは楽しそうだ。

 母親との会話を心から楽しんでいるのが表情と声音から伝わってくる。

 

「はい」

「ありがとう」

 

 カップを載せたトレイを手に戻ってきたカーラは、カップをレアルの前に置く。

 

「美味しい」

 

 レアルはカップを手に取り一口啜ると、ほっと息を吐く。

 

「母さんこそ最近どう?」

「お母さんはいつも通りよ」

()()()に変なことされてない?」

「変なことって……大丈夫よ」

 

 息子の質問にカーラは微笑みを浮かべながら答える。

 息子の言い方に少し思うところがあったのか一瞬表情に影が差したが、すぐに笑みに戻った。

 

「あなたこそ無理しないようにね。お母さんは大丈夫だから」

「僕は大丈夫だよ。心配しないで」

「そう。それならいいけれど……」

 

 カーラは息子が連日忙しそうにしているのを把握している。故に心配していた。

 笑みを浮かべて答える息子が気丈に振舞っているのがわかり、心が痛む。

 

 いくら息子が母を心配させまいと気丈に振舞っていたとしても、母の目は誤魔化せないものだ。自分の腹を痛めて産んだ子のことは手に取るようにわかる。子供のことを愛していないのならばともかく、愛しい息子のことである。一目瞭然だ。

 

「姉さんには会った?」

「会っていないわ」

「そっか……」

 

 レアルには姉が一人いる。しかし、現在三人は諸事情により離れて暮らしている。

 レアルは時々母の様子を見に来ているので会えているが、姉は会いに来ていない。正確には会いに来ないのではなく、カーラが来させないようにしている。

 カーラとしては娘の顔を見たいが、身を案じて離れさせていた。カーラの表情には寂しさが滲み出ている。

 

「時間ができたら僕が会いに行ってくるよ」

「ありがとう。よろしくね」

 

 レアルは時間があれば時々姉に会いに行っている。

 姉の様子を確認しに行き、代わりに母に近況を伝える。そして、逆に姉には母の近況を伝えるという役割をこなしていた。

 ただでさえ最近は多忙な日々を送っているのに、更に苦労を抱え込もうとしている。これでは休む暇がないだろう。

 

「でも無理はしないでね。お母さんは二人が元気ならそれだけで幸せだから」

「うん。わかっているよ」

 

 母としては娘と息子が元気に過ごしていてほしい気持ちでいっぱいだった。

 レアルは母に心配を掛けたくないので、素直に頷いて笑みを浮かべる。

 

「でも、母さんももし何かあれば遠慮しないで言ってね」

「ええ。ありがとう」

 

 レアルからしてみれば、最も心労が絶えないのは母だと思っている。事情が事情だとはいえ、気掛かりがある事実は揺るがない。もし何かあればすぐにでも駆け付ける心積もりでいた。

 

 そんな息子の優しい想いを感じ取ったカーラは嬉しくなり、慈愛の籠った微笑みを浮かべる。

 

「さあ、暗い話はこの辺にして楽しい話をしましょう」

「うん。そうだね」

 

 息子とは暗い話よりも楽しい話をしたい。沈んだ空気を切り替える意味を込めて、少し大袈裟に話題転換を図った。

 レアルも同じ気持ちだったので、すんなりとことが運ぶ。

 

 そしてその後は、久々に親子水入らずの楽しい時間を過ごすのであった。

 



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第9話

 ◇ ◇ ◇

 

 レアルが母と楽しく談笑している頃、ジルヴェスターはフェルディナンドに呼ばれて邸宅に赴いていた。

 フェルディナンドの執務室に備え付けられているソファに腰掛けている。

 

「それで本題は何だ?」

 

 ジルヴェスターがフェルディナンドに尋ねる。

 二人は世間話に興じていたが、そんなことの為にわざわざフェルディナンドが自分を呼ぶわけがないと思っていた。

 

「うむ。そろそろ本題に入ろうか」

 

 一度頷くとより一層真面目な表情に切り替える。

 海千山千で老練のフェルディナンドが表情を引き締めると、場の雰囲気をも変質させる異様さがある。慣れない者なら萎縮してしまうだろう。

 

「実はな、昨今有能な政治家が立て続けに亡くなっておる」

「みたいだな」

 

 偶然にも身近な人が連日亡くなってしまうことはある。病死、事故死、戦死など死因は様々あれど、不幸が重なることはあるものだ。

 政府は情報規制をしており、政治家が連日亡くなっているのは公にはなっていない。だが、ジルヴェスターの耳には届いていた。

 

「うむ。偶然ならば致し方ないが、どうやら暗殺の線が濃厚でな」

「それは確かか?」

「確証はない。だが、亡くなった者の遺体と現場を検分した結果、不自然な点が見つかった」

「不自然な点?」

「ああ」

 

 不自然なものとして挙げられた点をフェルディナンドは説明していく。

 

 元々持病を抱えていたわけでもないのに急死した者。

 三十代で健常者にも(かか)わらず病死として処理された者。

 巧妙に隠蔽しているが、争ったと思われる痕跡が残されていること。

 極めつけは、亡くなったのは揃ってフェルディナンドが目を掛けていた者たちであったことだ。

 

「要するに、まともな政治家が揃って処理されたわけか」

「誠に遺憾だがそうなるな」

 

 フェルディナンドが目を掛けている政治家は有能で清廉な者たちだ。彼等が揃って突然死しているのを偶然と処理するのは無理があった。

 何より、このまま見過ごしていては腐敗した者ばかりが政府中枢を占めることになる。それは到底許容できないことだ。

 

(じじい)が疎まれているんじゃないのか?」

「……」

 

 ジルヴェスターの言い様にフェルディナンドが押し黙る。

 

「耳の痛い指摘だな……」

 

 腕を組んで眉間に皺を寄せ、難しい表情をしながら絞り出した言葉は重々しかった。

 

 フェルディナンドが目の上のたん瘤だが、地位、権力、影響力、人脈、人望、そして魔法師としての実力を加味して、直接本人に手を出すことはできないと判断し、ならば周りから崩していけばいいと考える者がいたとしてもなんら不思議ではない。

 

 故に、もとを辿ればフェルディナンドが原因なのではないかとジルヴェスターは端的に指摘したのだ。そしてフェルディナンド本人も自覚があるだけに否定しがたかった。

 

「それで俺に対応をしろということか」

「単刀直入に言うとそうなる」

「だよな」

 

 フェルディナンドがジルヴェスターを呼んだ理由は、連日の不審死に対する対応を頼む為であった。

 

(じじい)の頼みだ。可能な限り尽くしてみよう」

「すまんな。助かる」

 

 ジルヴェスターとしてはフェルディナンドの頼みを断るつもりはなかった。

 フェルディナンドには普段から世話になっている。無理難題でもなければ断る理由はない。

 

 フェルディナンドはしっかりと頭を下げて感謝を告げる。

 親しき中にも礼儀ありだ。

 

「目星はついているのか?」

「いや、情けないことだが現状は何もわかっておらん」

「そうか……」

 

 少しでも手掛かりはないものかと尋ねてみたが、結果は空振りだ。思わずジルヴェスターは肩を竦める。

 

「だが、(じじい)の目を欺けるということは、相応の手練れが関与しているということだな」

「うむ。儂が耄碌(もうろく)していなければだがな」

 

 フェルディナンドは政治家としてはもちろん、魔法師としても優秀で階級は上級一等魔法師だ。場数の豊富さと実績は申し分ない。

 そんな彼の目を欺くことができる者が関与している可能性があるとわかるだけでも収穫だろう。

 

「遺体には目立った外傷はなかったのか?」

「それは見当たらなかった。故に病死と判断された」

「なるほど。ということは精神系の魔法を用いた可能性が高いか」

「おそらくな。少なくとも表面に影響を及ぼす(たぐい)(すべ)ではないだろう」

 

 死因が人為的なものだとすれば、表面上に影響が表れない手段を用いたと推測できる。

 真っ先に思い浮かぶのは精神系の魔法だ。精神系の魔法は直接精神に影響を及ぼす為、外傷は生じない。

 

「いずれにしろ、一度現場をこの目で確認しないことにはなんとも言えんな」

「そうだな。それは手を回しておこう」

 

 問題の現場を自分の目で確認しないことには何も判断できないが、出先で亡くなったのならばともかく、自宅で亡くなった者の場合は勝手に押し入るのは憚れる。

 

「それと今後標的にされる可能性がある者のリストをくれ」

「承知した。すぐに用意する」

 

 既に亡くなった者の死因を調査することも重要だが、最も優先しなくてはならないのは今後狙われるであろう人物を守ることだ。ことが起こってから対処するよりも、未然に防ぐことが肝要だ。その為には事前に標的にされる可能性のある者を把握しておく必要がある。

 

「しばし待て」

 

 フェルディナンドはジルヴェスターの要望通りにリストの作成に取り掛かる。

 

 ジルヴェスターはリストの作成が終わるまで待機することになり、テーブルに置かれたカップを手に取りコーヒーを啜る。

 その後もリストの作成が終わるまでの間、ソファで寛ぐことになった。

 



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第10話

 ◇ ◇ ◇

 

 母と談笑していたレアルは、家主が帰宅したので執務室に出向いていた。

 執務室には一目で富をつぎ込んだとわかる装飾品が設置されており、絵画やオブジェなどが一際存在感を放っている。

 

「遅かったな」

「申し訳ありません」

 

 執務室のデスクに腰掛けている壮年の男性が冷めた目で出迎えると、対面にいるレアルは頭を下げたまま微動だにしない。

 

 壮年の男は特筆すべき特徴のない男であった。大勢の中にいると埋没してしまいそうな印象を受ける。

 

「それで成果はどうだ?」

「ご満足頂けるかと。倉庫に運んでおきましたので後程ご確認ください」

「そうか」

 

 レアルの帰還が遅れた理由には然程も興味がないようだ。自分が命じていた件の成果にしか興味を示していない。

 

(あれで足りないと言われたらさすがに文句の一つでも言ってやる)

 

 レアルは能面を貼り付けたかのような、全く感情の籠っていない表情で頭を下げたまま悪態をつく。

 

(こっちは死にかけたんだ……)

 

 レアルは対面に座す男の命で魔晶石を集めていた。

 壁外に赴き魔物を討伐して魔晶石を回収する。最も効率良く一般的な手段で掻き集めた。

 

 その際に疲労と寝不足が原因で意識を失うという失態を犯し、運良くジルヴェスターが近くを通らなければ今頃魔物の胃の中にいたはずだ。

 

 集めさせた魔晶石をどうするのかは知らないが、おそらく金儲けにでも使うのだろうとレアルは勝手に思っていた。

 

(来る日も来る日もこき使われて……いい加減にしてくれ……)

 

 連日休む間がないほど働かされているレアルは疲労困憊だった。

 

「お前にはまたやってもらうことがある」

 

 だが、そんなレアルの状態など微塵も気に掛けていない男が次の仕事を命じようとしている。

 

(嘘でしょ……)

 

 レアルは顔だけ上げて男の方を向いたが、内心は愕然としていた。少しは労われよと。

 

「詳細が決まり次第動いてもらう。それまでは好きに過ごしていろ」

「……承知致しました」

 

 予想外の言葉に返事が一拍遅れてしまった。

 

(良かった……少しは休める時間あるかな)

 

 レアルは心底安堵した。

 まさか次の仕事までの空いた時間を自由に過ごさせてもらえるとは思っていなかったからだ。

 

 ここ最近は信じられない量の仕事を命じられて多忙な日々を送っていたが、普段はこんな毎日のようにこき使われているわけではない。

 連日の多忙さに感覚が麻痺しているが、今まではちゃんと休める日があった。なので、今回自由な時間を与えられたのは特別珍しいことではない。たまたま最近が異常だっただけだ。

 

「下がっていいぞ」

「畏まりました」

 

 男に退室を促されたレアルは振り返って扉へ歩を進めた。

 

「失礼致します」

 

 扉に辿り着くと、一度男の方へ向き直り礼をしてから退室する。

 そして丁寧に扉を閉めたレアルは、盛大に溜息を吐いた。

 

「はぁ~。よし、寝よう。眠れなくなるまで寝よう。絶対に」

 

 確固たる意志の宿った眼差しで惰眠を貪る決意をする。

 

(寮に戻ろう。今すぐ戻ろう)

 

 この屋敷では安眠などできない。彼が心から安眠できるのは寮の自室だけだ。なので、惰眠を貪る為に大急ぎで寮へ戻る。その前に母に会いに行くのを忘れない辺りはしっかりしていた。

 



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第11話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の三月二十三日――ジルヴェスターの姿はランチェスター学園にあった。

 

 ランチェスター学園内にある桜並木を歩いて通学していると、突然背後から声を掛けられた。

 

「おはよう、ジル」

「ああ、おはよう」

 

 声の主はレアルであった。

 レアルはジルヴェスターの横に並んで歩みを共にする。

 

 ちなみにジルヴェスターは突然声を掛けられても全く動じなかった。

 レアルが近付いてきているのは気配で感じ取っていたからだ。

 

「体調はどうだ?」

「快調とはいかないけど、少しゆっくりできそうだから大丈夫だよ」

「そうか」

「ジルには本当に世話になったね。ありがとう」

 

 レアルは心の底から感謝していた。

 一歩間違えば命が無かったのだから、いくら感謝してもしきれないだろう。

 

「体調が万全でない時は壁外には出向かないことだな」

「はは……耳が痛いよ」

 

 魔法師にとって体調管理は怠れない要素だ。義務と言ってもいい。

 体調次第で生死を分けることが多々ある。少しでも身体に違和感がある場合は素直に休むのが賢明な判断だ。

 

 事情が事情だったとはいえ、体調管理を怠った自覚があるレアルは苦笑するしかなかった。

「――ところでジルは壁外で何をしていたんだい? 答えられないなら言わなくてもいいけど」

 

 レアルは気になっていたことを率直に尋ねる。

 

 魔法師には極秘の任務があるので、その場合は答えられない。

 極秘ではなくても答えたくない場合もあるだろう。

 それに魔法師は自分の手の内を明かすのを忌避する傾向にある。故に、探られるのを嫌い自分の活動内容を口外しないことは良くあることだ。

 

「別に大したことではないぞ。ただ知的探求心を満たしに行っただけだ」

「そんな散歩にでも行くかのような気軽さで壁外に行くのは君くらいだよ……」

「そんなことはないだろ」

「そんなことあるよ」

 

 盛大に呆れるレアル。

 

(特級はみんなそんなものだと思うが……)

 

 ジルヴェスターは他の特級魔法師のことを脳裏に思い浮かべる。

 特級魔法師を基準に物事を考えては確実に齟齬(そご)が生じるのだが、そのことについて指摘できる者はこの場には不在であった。

 

(特級……?)

 

 特級魔法師のことを一人一人順に思い浮かべていると、記憶にあるとあることが引っ掛かった。

 

(深層で見つけた肖像画……あれはもしかすると――)

 

 思考に耽って黙り込んでしまった友人の姿に疑問を抱いたレアルが声を掛ける。

 

「ジル? どうかした?」

「――あ、いや、すまん。なんでもない。少し考え事をしていた」

「何か光明を見出したような表情だね」

 

 レアルはジルヴェスターの些細な表情の変化を読み取った。

 

「ああ。お陰様でな」

「そっか。それは良かったね」

 

 記憶の片隅で引っ掛かっていた疑問の真相に近付くことができ、胸の(つか)えが下りる気分だった。

 

(都合がついたら確認しに行ってみるか)

 

 ジルヴェスターは脳内で予定を確認する。

 

「今日を含めて後二日で春季休暇だね」

「そうだな」

 

 今日は二十三日だ。二十六日から春季休暇を迎える。

 

「とりあえず僕は寝まくるよ」

「ああ、それがいい。今度は壁外で倒れることがないようにな」

「はは、本当にね」

 

 ジルヴェスターの揶揄(からか)いにレアルは笑みを返す。

 彼の春季休暇の予定は、とにかく時間が許す限り寝ることだった。仕事を命じられるかもしれないが、それまでは惰眠を貪る気満々である。

 レベッカにシズカの実家に遊びに行かないかと誘われているが、満足するまで寝てから決めるつもりでいた。

 

 そうして並木道を通り抜けた二人は校舎に入っていく。

 

「僕はちょっと職員室に寄って行くからここで失礼するよ」

「そうか」

「改めて先生に謝罪してくる」

「真面目だな」

 

 レアルは、二十一日は欠席し、二十二日は遅刻している。

 欠席と遅刻をしたこともだが、担任に心配を掛けてしまった。遅刻した時に謝罪しているが簡易だったので、今から改めて話をしに行くつもりだった。真面目な彼らしい誠実さだ。

 

「それじゃまたね」

「ああ」

 

 別れの言葉を告げるとレアルは職員室を目指して歩みを再開する。対してジルヴェスターは自分の在籍するクラスの教室へ向けて歩を進めた。

 



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第12話

 ◇ ◇ ◇

 

 同日の夕刻――壁内某所。

 

「姫、邪魔な輩は排除致しましたが、次は如何(いかが)なさいますか?」

「そうね……」

 

 背後に控えるフランコが尋ねると、ソファで寛ぐ女は手に持つカップをテーブルに置いた。

 

「トーマス卿にとって都合の悪い者は大方消せたかしら?」

「いえ、まだ残っています」

「そう……」

 

 女は顎に手を当てて考え込む。

 

「あまりやりすぎるのは問題よね」

「そうですね。過度に刺激してしまうと明らかに不自然になるかと」

 

 女は無意識に組んでいた足を組み替える。すると、ロングスカートが小さく靡く。

 

「対象者のリストをちょうだい」

「畏まりました」

 

 フランコは(うやうや)しく頭を下げると、資料がしまわれている棚の前に移動した。

 目当ての資料を手に取り、一度中身を確認する。紙を捲る音が室内に小さく響く。

 

 資料に間違いがないことを確認したフランコは女のもとに戻る。

 そして女の斜め前に(ひざまず)いて(うやうや)しく差し出した。

 他にも周囲には複数の側仕えの男が控えているが、フランコは敬愛する主の世話は自分がする気満々であった。

 

「ありがとう」

 

 資料を受け取った女は記されている内容に目を通す。

 

(流石にグランクヴィスト卿は除外ね……オコギー卿も除外しましょう)

 

 資料に記されているのは人物名であった。

 上から順に目を通していくが、最初の二人は七賢人であった。さすがにこの二人には手出しできないと判断し候補から除外する。

 

(大物すぎるのは駄目。小物すぎるのは意味がない。狙うべきは中堅どころかしら……)

 

 大物だと人望や影響力などを考慮すると手を出すのは躊躇われる。

 逆に小物だと排除する意味がない。いてもいなくても変わらないからだ。

 大物すぎず、小物すぎず、尚且つ存在すると厄介な者。条件に当てはまる人物を探す。

 

(いないのならそれでも構わないのだけれど……)

 

 必ずしも誰かを排除する必要はない。

 条件に当てはまる者がいないのならば何もしないだけだ。

 

「マーカス・ベイン……」

 

 リストに目を通していた女の目が、ある一点で止まった。

 

「その者はグランクヴィスト卿の腹心の一人ですね」

 

 女の目に留まったのはマーカス・ベインという名の者であった。

 

「標的にするのならば条件に沿う人物かと」

「そうね……」

 

 女は名前を見つめたまま考え込む。

 

 マーカス・ベインはフェルディナンドの腹心の一人だ。

 フェルディナンドからの信頼が厚く、清廉潔白で真面目な性格をしており、政治家としての能力も優れている。

 

 年齢は四十歳で比較的若い部類に入るが、政府中枢にもそれなりに影響力を有しており、小物ではなく、大物すぎることもない。

 しかし、フェルディナンドの腹心であることからわかるように、後ろ暗いことを企む者にとっては目の上のたん(こぶ)になる人物でもある。

 正に女が求める条件に合致する人物だった。

 

「ベイン卿は魔法師なので、派遣する者の人選には気をつけなければなりませんね」

 

 中級二等魔法師のベインを消すには、相応の相手を送らなければならない。

 

「なんなら私が赴いても構いませんが」

「いえ、あなたにはしばらくわたくしのそばにいてもらうわ」

「光栄の極みです」

 

 フランコに任せれば滞りなく役目を果たすだろう。

 だが、女はしばらくフランコを離す気がなかった。

 そのことを伝えられたフランコは、仰々しく片膝をついて恍惚(こうこつ)としている。

 

「――そういえば、トーマス卿は腕の立つ子飼いの魔法師がいると仰っていらしたわね」

「本人の弁が正しければ、中々できる者のようですね」

「今までは彼にとって都合が良くなるように手を回してあげていたけれど、今回は自分でやってもらいましょうか」

「自分でと言っても実行するのは子飼いの魔法師なのですがね」

「ふふ。トーマス卿は非魔法師なのだから仕方がないわよ」

 

 女は今まで何度もトーマスという名の人物にとって都合が良くなるように暗躍し、お膳立てをしてきた。トーマス自身が把握していることも把握していないことも含めてだ。

 

「彼とは相互利用する関係とはいえ、少し肩入れしすぎたかもしれないわね。今度はこっちが利用させてもらいましょう。彼の為にもなることなのだからちょうどいいでしょう」

「そうですね。それでよろしいかと。使いを出します」

「ええ、お願い」

 

 女とトーマスは互い利用し合う関係だ。都合のいい時に相手の地位、権力、人脈などを頼る。そうやって相互利用し、この国で好きなようにやってきた。

 女が話を持ち掛ければ余程のことでもない限りトーマスは断らないだろう。トーマスも必要な時は女を頼るのだから。

 

 フランコは代理で書をしたためると、派遣する使者の選別に取り掛かった。

 

「はてさて、どのような結末になるのかしら」

 

 女はこの先の顛末(てんまつ)を想像して笑みを深める。

 

(成功しても失敗してもわたくしはどちらでも構わないのだけれど)

 

 今回の件の成否に(こだわ)りはない。

 極論、面白くて暇潰しにさえなればそれで良かった。

 



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第13話

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻、アークフェネフォール区のメルクカートリアという町にある邸宅の前に金髪の男がいた。邸宅は一般的な庶民が暮らす家屋よりも大きくて広いが、豪邸というほどではない。庶民でも少し無理をすれば暮らせる程度の邸宅だ。

 

 アークフェネフォール区は、ウォール・ツヴァイとウォール・トゥレスの間の北西に位置する区だ。

 この区は芸術が盛んであり、多くの芸術家が活動拠点にしている。劇場や美術館などもあり、芸術の都ならぬ芸術の区だ。

 

 メルクカートリアはアークフェネフォール区の中で最も大きく、人口の多い町でもあり、区内の行政の中心地でもある。無論、芸術も盛んだ。

 町そのものを芸術品として考えられており、区画整備や建物の建築段階から芸術家と相談して作られている徹底ぶりだ。また、自宅の壁に芸術家や芸術家の卵が絵を(えが)くことも頻繁に行われており、邸宅の持ち主も快く了承する文化がある。

 

「大変な時に申し訳ありません」

 

 家人が出迎えると、男が突然の訪問を詫びる。

 

「いえ、わざわざお越しくださりありがとうございます」

 

 男を出迎えたのは三十代くらいに見える女性だ。女性は丁寧な対応で出迎える。

 

「どうぞお上がりください」

 

 頭を上げた女性の顔色は傍目に見てもわかるほど悪い。

 

「早速ですが、ロバートさんの執務室に失礼してもよろしいですか?」

「はい。どうぞご自由になさってください」

「ありがとうございます」

 

 男は女性の案内のもと廊下を進む。

 質素になりすぎず、華美にもなりすぎないように調度品が廊下を(いろど)っており、家人のセンスの良さが窺える。だが、今は家中に沈んだ空気が充満していた。

 

「こちらです」

 

 目的の部屋の前に辿り着くと、女性は一歩引いて扉の前のスペースを空ける。

 

「失礼します」

 

 男が扉を開くと、部屋の主の性格が窺えるようにしっかりと整理整頓された書物や書類の数々が並んでいた。

 

「アナベルさんはご無理なさらずに」

 

 一度振り返って優しさの籠った声音で女性――アナベルに声を掛ける。

 

「お気遣い頂きありがとうございます。ですが、大丈夫ですのでお気になさらないでください」

「……そうですか。ご無理はなさらないでください」

 

 アナベルが気丈に振舞っているのが、男には心が痛むほど鮮明にわかった。

 

(可能な限り早急に終わらせよう)

 

 手早く済ませてアナベルが少しでも早く休めるようにしようと心に決めた男は、室内に視線を戻す。

 まずは部屋の主が腰を据えるデスクを注視して歩み寄る。

 

(ロバートさんは椅子に座ったまま亡くなっていたと聞いたが、争った形跡はないか……)

 

 デスク周りには傷などが見当たらないので、争いがあったとは思えない。

 引き出しを全て開けて中を確認するが、どこにも不自然な点は見当たらない。

 

 男は一先ずデスク周りを諦めて別の場所を調べることにした。

 壁際に並んでいる本棚に目を向ける。

 

(持病があったとは聞いていないが、本人が言っていなかっただけの可能性もあるか……)

 

 目についた書物を一つ一つ手に取って不自然な点がないか確認しながら思考に耽る。

 

「アナベルさん、ロバートさんは持病を(わずら)ってはいませんでしたよね?」

「ええ。主人が持病を患っていたとは聞いていません」

「そうですよね」

「それに主人は普段から健康には気をつけていましたから」

「それは私も良く知っています」

 

 亡くなった部屋の主は普段から健康には気をつけていた。

 食事に気を配り、時間がある時は運動をしていたので、持病を患っていた可能性は低いと思われる。

 

(突然の心臓発作の線もあるが、遺体を検分した者の話によるとその線は薄いらしい。やはり暗殺の線が濃厚か……?)

 

 持病を(わずら)っておらず、普段から健康に気を使っている者が突然亡くなった。

 それだけならば、何か事故や突然の発作が原因という線もある。

 しかし、ここ最近は立て続けに不審死する者が出ている。明らかに不自然だ。

 

(明らかに不自然だが、かと言って確たる証拠があるわけでもない……)

 

 顎に手を立てて考え込む。

 

「しばらく調べてみるので、私のことは気にせずアナベルさんは休んでいてください」

「……そうですか、わかりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます。何かありましたら遠慮なさらずにいつでもお呼びください」

「ええ。ありがとうございます」

 

 アナベルは丁寧にお辞儀をすると執務室を後にした。

 

 誰が見ても女性が疲労困憊の状態であることがわかる。化粧で誤魔化しているが、明らかに顔色が悪く、目の下には隈があった。

 それも仕方のないことだろう。第一発見者として夫が自宅で亡くなっているのを目の当たりし、葬儀の手配や子供たちの世話など忙しない日々を送っていたのだから。

 肉体的にも精神的にも疲弊してしまうだろう。いくら気丈に振舞っていても隠し切れるものではない。

 故に男はアナベルを気遣った。少しでも休むことができればいいと。

 

 アナベルが退室した後、男は部屋を隈無く見て回った。

 飾ってある絵画の裏、アンティーク調の調度品の隅々まで目につく場所を全て確認する。

 

(やはり確たるものは見つからないか……。だが、違和感が拭えない……)

 

 室内をいくら見回しても確たる証拠は見当たらない。だが、彼には拭い切れない違和感があった。しかし、その違和感の正体が掴めない。もどかしさが胸中を這いずり回る。

 

「仕方ない。申し訳ないが()を頼るか」

 

 これ以上自分の力だけでは何も進展がないと判断し、溜息を吐いた後に考えていた選択肢を自然と呟いていた。

 

 善は急げと執務室を退室すると、休んでいるアナベルのもとへ向かう。

 男はこの邸宅には何度か足を運んでいる。客が足を踏み入れる範囲の間取りはしっかりと頭に入っていた。

 

 目的の場所であるリビングに辿り着くと、目当ての人物がソファで寛いでいたので声を掛ける。

 

「――アナベルさん、失礼します」

「あら? ミハエル様、何かありましたか? 呼んで頂ければ私が赴きましたのに」

 

 ソファで寛いでいた女性が立ち上がって出迎える。

 

「今、紅茶をご用意致しますね」

「いえ、お構いなく。アナベルさんはゆっくりなさっていてください」

「ミハエル様にそんな粗相は致せません」

 

 男こと――ミハエルは、アナベルのことを気遣って断りを入れたが、逆に気を遣わせてしまう羽目になった。

 

「本当にお構いなく。もうお(いとま)しますので」

「……そうですか。わかりました」

 

 アナベルは不承不承ながらも引き下がる。

 

「その前に一つ伝えておくことがありまして」

「なんでしょうか?」

 

 首を傾げるアナベル。

 

「ロバートさんの死因はやはり不自然です。ですが、情けないことに私では違和感の正体を掴めませんでした」

「……そうですか」

 

 夫の死の謎が少しでも判明することを期待していたアナベルの表情に影が差す。

 

「なので、次は頼りになる友人を連れてきます」

「頼りになるご友人ですか?」

「ええ」

 

 続け様にミハエルが告げた言葉に、アナベルは再び首を傾げた。

 

「ミハエル様が頼りにされる御方ならきっとご立派な御方なのでしょう。私はミハエル様を信用していますので全てお任せ致します」

「アナベルさんもご存じのように、ロバートさんは私の恩人であり友人でもありました。本人に直接恩を返すことは叶いませんでしたが、少しでも彼の恩に(むく)いる為に誠心誠意応えてみせます」

 

 ミハエルよりロバートの方が年上だが、互いに気心の知れた友人同士だった。ミハエルにとってロバートは恩人でもある。ロバートは非魔法師だったが、お互いに尊敬し合える関係でもあった。

 

 ミハエルはロバートに招かれて自宅にお邪魔することが多々あり、その都度、妻であるアナベルとも顔を合わせている。

 彼女には良く手料理を振舞ってもらったし、子供たちの遊び相手にあることもあり、家族ぐるの付き合いがあった。

 

 アナベルはミハエルの肩書と為人(ひととなり)のことは、交流を重ねてきたので理解している。なので、夫であるロバートを除けば最も信頼している相手だった。子供たちも懐いているので尚更だ。

 

「ええ。ミハエル様のお気持ちは痛いほそ伝わっておりますよ。お心遣い感謝致します」

「友人に頼ろうとしている時点で説得力はありませんが……」

 

 ミハエルが自嘲交じりに冗談を言うと、女性は口元に手を当てて笑みを浮かべた。

 

「――では今日のところはこれで失礼致します」

「お手数をお掛け致しました」

「いえ、こちらこそお手間を取らせて申し訳ありません。また近いうちにお伺いします」

「わかりました。お待ちしております」

 

 互いに別れの挨拶を済ませると、ミハエルは玄関へ移動した。

 アナベルは一歩下がった位置から共に移動し、玄関先まで見送る。

 

「では、改めて失礼致します」

「はい。重ね重ねありがとうございました」

 

 ミハエルが邸宅を後にすると、アナベルは彼の姿が見えなくなるまで見送っていた。

 



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第14話

 ◇ ◇ ◇

 

 三月二十四日――この日は春季休暇前最後の登校日だ。

 ジルヴェスターはたまたま早く目が覚めたので、いつもより早い時間に登校していた。朝のホームルームまで一時間ほどの猶予がある。

 

 ホームルームは重要な事柄の話がある日や、大したことのない内容の日もある。

 ホームルームの主な目的は担任が生徒の顔を確認することだ。寮生活をしている生徒が多い環境なので親代わりではないが、教育者として親元を離れて暮らしている生徒の様子を直接確認することにあった。

 

 広大な敷地を有するランチェスター学園には各所にベンチが設置されている。

 時間に余裕のあるジルヴェスターはベンチに腰掛けて、読書でもしてのんびり時間を潰そうかと考えていた。

 

 人気(ひとけ)のない場所を求めて散策しており、現在はランチェスター学園の敷地の中でも外れの方にある場所にいた。

 その場所は広場になっており、所々にベンチが置かれている。生徒が息抜きするのにはもってこいの場所だ。

 寮暮ししている生徒にはちょっとした公園の様な役割を果たしており、昼休憩の時間にはこの広場で昼食を摂る者もいる。もちろん、休日にも利用可能だ。

 

 ジルヴェスターは広場から逸れるように歩を進め、木々に囲まれている緑豊かで人気(ひとけ)のない場所へと向かっていた。

 この場所は普段からあまり人が訪れないスポットであり、のんびりと過ごすのにはうってつけの場所である。

 

 しかし、この時のジルヴェスターは完全に油断していた。

 普段の彼なら人の気配は敏感に察知できる。如何(いか)に優れた魔法師で実戦経験豊富だとはいえ、彼もただの人だ。気を休ませる時や気が抜けている時もある。

 故に、突如聞こえてきた言葉に足を止めてしまった。

 

「――好きです! 俺と付き合ってください!!」

 

 ジルヴェスターの視線には、一人の男子生徒が対面する女生徒に告白している場面が移っていた。

 

「ありがとう。君の気持ちは素直に嬉しい」

「じゃ、じゃあ――」

 

 ジルヴェスターからは男子生徒の背中しか見えないので顔は窺えない。

 だが、女生徒とは対面する位置取りであった為、しっかりと顔を確認できた。

 

 顔は確認できないが、男子生徒が緊張しているのは雰囲気から犇々(ひしひし)と伝わってくる。

 女生徒の返答に喜色をあらわにしているのだろうということは察することができた。

 

「でもごめんなさい」

「え」

 

 女生徒は精一杯の誠意を籠めて断りを入れる。

 脈ありだと思っていた男子生徒は呆然として言葉にならない声を漏らす。緊張した表情から喜色に変わり、更に呆然とした表情に忙しく変わっていく一幕であった。

 

「な、なんでか理由を訊いてもいいかな? もしかして好きな人がいるからとか?」

「それは――」

 

 振られた男子生徒が気力を振り絞って断られた理由を尋ねる。

 女生徒の顔を見ることすらできないのか、目線が下がっている。

 

(タイミングが悪かったか……退散しよう)

 

 偶然とはいえ、プライベートな場面に出くわしてしまったジルヴェスターは邪魔にならないように静かに退散しようとした。

 ――しかしその時、女生徒と目が合ったしまった。

 何を思ったのか、女生徒は男子生徒に気づかれないようにジルヴェスターにウインクを飛ばす。

 ウインクを飛ばされたジルヴェスターは自分の直感が警鐘を鳴らしていた。厄介なことになると嫌な予感が押し寄せてくる。

 

「あ、ちょうどいいところに」

 

 女生徒はごく自然にそう呟くと、ジルヴェスターのもとへ駆け寄っていく。

 対面する女生徒の突然の行動に、男子生徒は呆気に取られながらも視線で追い掛ける。

 

(……これは逃げられんな)

 

 諦めの境地に達したジルヴェスターは、この後の展開を想像して内心で盛大に溜息を吐く。

 

(この際だ。厄介ごとに付き合ってやろう)

 

 逃げられないのならば、いっそのこと人助けだと思って割り切ることにした。

 

 駆け寄ってきた女生徒はジルヴェスターの左腕に手を伸ばすと、自身の両腕を絡めて豊満な胸で挟むように押し付けてしがみつく。胸の形が変形するほど押し付けられている左腕には、はっきりと感触が伝わっていた。

 

「こういうことだから。ごめんね」

「――っ! お幸せに~!!」

 

 想い人が別の男にしがみついているところを見せつけられた男子生徒は全てを悟り、逃げるように駆け出した。逃げ出してしまったが、想い人の幸せを願うだけ立派なのかもしれない。

 

 男子生徒の姿が見えなくなると、女生徒が口を開く。

 

「いや~、ごめんね。巻き込んで」

「事故だと思うことにするから気にするな」

「ふふ。ありがとう」

 

 女生徒はジルヴェスターのことを自分の恋人だと偽ることで男子生徒を振ったので、利用したことを素直に詫びる。

 

「――それにしてもいいのか? さすがに酷なやり方だったと思うが……」

 

 確かに女生徒のやり方は褒められたものではない。男子生徒の気持ちを踏み躙るようなやり口だと言われても仕方がなかった。

 

「彼には以前から視線を向けられてはいたけど、わたしの胸とお尻しか見てないんだよ? 下心丸出しで完全に身体目当てじゃん」

「……俺は彼のことは知らんからなんとも言えんが、お前がそんな格好しているのも悪いと思うぞ」

 

 男子生徒は女生徒の胸と尻ばかり見ていたそうだが、思春期の男子なのである程度は仕方がないのかもしれない。とはいえ、女生徒からしたらいい気はしないだろうし、御免被りたいことだろう。

 

「それは耳が痛い……。でもこれはわたしのポリシーだから!!」

「何がポリシーなんだ……」

 

 自分にも非があると認めながらも改める気はないようだ。むしろ開き直っている。

 そんな彼女の様子に、ジルヴェスターは肩を竦めて溜息を吐くしかなかった。

 

「それに彼は別のクラスだから気まずくもならないし大丈夫!」

「……そうか」

 

 女生徒が呆気らかんと言い放つので、ジルヴェスターはそう呟くことしかできなかった。

 

「噂になっても知らんぞ」

「あ~、それはまあ、余計な虫が寄って来なくなると思えば好都合かな。ジルくんは迷惑かもしれないけど」

「このくらいなら別に構わんが」

「なら良かった」

「役得だと思っておく」

「ふふ」

 

 振った男子生徒が余計なことを言い触らす可能性がある。その場合は学園中にジルヴェスターと女生徒が交際していると事実無根な噂が広がってしまうだろう。全ては男子生徒のモラル次第だが、可能性がある以上は気に掛けておく必要があった。

 

 女生徒としてはむしろ都合が良かったので問題はなかったが、ジルヴェスターを巻き込んでしまったことには少なからず申し訳なさがあった。

 

 ところが、当のジルヴェスターは全く気にしていなかった。

 彼のことなので些事とでも思っているに違いない。噂など言いたい奴には言わせておけ、くらいにしか思っていないのだろう。

 

「それよりもいい加減腕を放し――」

「レベッカ~、もう終わった~?」

 

 いつまでも腕を絡ませ続けている女生徒に放すように促そうとした時、近くから別の女性の声が聞こえてきた。

 

 先程告白され、現在ジルヴェスターの左腕を独占しているのはレベッカであった。

 ジルヴェスターが指摘した通り、彼女なら格好に苦言を呈されても仕方がないだろう。

 

 レベッカは下着が見えるのでないかと思うほど胸元を開いて見せつけている。同じくスカートも下着が見えるのではないかと思うほど短い。(いや)らしい視線を向けられても自業自得である。

 

「――あ、ビアンカ」

 

 レベッカは聞き慣れた幼馴染の声を瞬時に把握した。

 



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第15話

「あれ~? あれれ~?」

 

 姿を現したビアンカは目にした光景に一瞬目を瞬かせたが、すぐに面白いものを見たとでもいうような表情を浮かべる。

 

「モブ男くんに呼び出されて出向いたかと思えば……いつの間に二人はそんな関係に?」

「モブ男くんって……」

 

 ビアンカの言い様にさすがのレベッカも同情する。

 

「ジルくんとタイミング良く遭遇したから利用させてもらっちゃった」

「なるほど~」

 

 レベッカの言葉足らずな説明をビアンカは正確に読み取り状況を把握した。

 

「ジルくん、レベッカが迷惑掛けたようで悪かったねぇ~」

「いえ、先輩が謝罪することではないのでお気になさらず」

「ふふ。ありがとう~」

 

 ジルヴェスターがそう答えると、ビアンカは微笑んだ。

 

「なんならこのままレベッカのこと貰ってくれてもいいんだよぉ~?」

「確かにジルくんは将来有望で見た目がいいし、性格も悪くない。ありよりのありじゃん! どうする? 貰っちゃう?」

 

 ビアンカの提案にレベッカもノリノリだ。

 より一層ジルヴェスターに胸を押し付けて屈託のない笑みを向ける。冗談なのか本気なのか判断が難しいところだ。

 

 ジルヴェスターの顔面偏差値は高い。尚且つ背が高くてスタイルもいい。魔法師としても優れており、勉学も優秀だ。間違いなく将来有望である。――将来有望どころか現在進行形で特級魔法師第一席なのだが。

 

「それは魅力的な話だが遠慮しておく」

「ありゃ、それは残念」

 

 ジルヴェスターは考える間もなく断りを入れる。

 断られたレベッカも全然残念そうではない。やはりその場のノリの意味合いが強かったのだろう。

 

「お前は間違いなくいい女だし、一緒にいるとさぞ幸福なことだろう」

 

 ジルヴェスターは真面目な顔でそう言うと、自分の金色に輝く瞳でレベッカの目を見つめながら続きの言葉を口にする。

 

「だから幾人もの男が放っておかないさ。それこそ俺よりもいい男がな」

「あ、ありがとう?」

 

 告げられた言葉にレベッカは照れを誤魔化すように顔を伏せ、(ども)りながら言葉を返す。

 

(凄く綺麗な瞳……)

 

 至近距離で見つめ合う形になったレベッカの脳内に、ジルヴェスターの瞳の輝きが刻み込まれた。

 

(――あ、落ちた)

 

 後輩二人のやり取りを見ていたビアンカは、レベッカの表情を見て察した。

 長い付き合いだ。幼馴染のことは手に取るようにわかる。

 

(後輩くんやるなぁ~。狙ってやっているようには見えないし、天然ジゴロかな?)

 

 妹のように可愛がっている幼馴染のことが微笑ましくなり、成り行きを黙って見守る。

 ジルヴェスターのことはある意味感心していた。

 

 事実、ジルヴェスターは無自覚でやっているので、天然ジゴロと言われても仕方がないのかもしれない。

 

「先輩を待たせているし、俺はこれで失礼する」

「あ、うん」

 

 いつまでもビアンカを待たせるわけにはいかないと思ったジルヴェスターは、この場を退散することにし、自分の左腕に絡めているレベッカの両腕を優しく解く。

 当のレベッカは無意識に少し残念そうにしていたが、幸か不幸かジルヴェスターには気づかれていなかった。――もっとも、ビアンカには筒抜けだったが。

 

「わたしのことは気にしなくてもいいんだよ~」

 

 ビアンカはレベッカの後押しをするのを兼ねて自分のことは気にしないように促す。

 朝のホームルームまでまだ時間がある。少しでも一緒にいさせてあげようという姉心だ。

 

 それにビアンカはレベッカのことを抜きにしても本当に気にしていないので、ジルヴェスターがこのままいてくれても一向に構わなかった。

 

「いえ、折角の申し出ですが今日のところは遠慮しておきます」

「そっか~。それは残念」

「ではまた」

 

 そう告げると、ジルヴェスターは颯爽と去っていった。

 

 ジルヴェスターの姿が見えなくなると、ビアンカがレベッカに語り掛けるように告げる。

 

「きっと彼は競争率高いよ~?」

「――そ、そんなんじゃないって!」

 

 姉貴分の揶揄(から)いと真剣さが内在した言葉に、レベッカは赤面しながら慌てて否定する。全く説得力がないのが微笑ましい。

 

(クラウディアがいるしこの子には厳しいかな~)

 

 ビアンカはレベッカの最大のライバルになる同級生のことを思い浮かべる。

 

(この子もかわいくていい子だけど、さすがにクラウディアには勝てないよね~)

 

 ビアンカはクラウディアほど完璧な女性はいないと思っている。

 容姿、成績、実力、家柄、人格、器量など、どれを取ってもクラウディアは完璧な才媛だ。

 間違いなくレベッカにとって最大のライバルになる存在であろう。

 

(そもそも既に後輩くんにパートナーがいたら意味のない話なんだけど)

 

 ビアンカとレベッカは、ジルヴェスターのプライベートのことを知らない。

 既に彼にパートナーがいた場合は全くもって無意味な問答であった。

 

(まずはそこから探らないとね~)

 

 姉貴分として可能な限りかわいい妹分に協力するつもりだが、結局のところは本人次第だ。

 

「ふふ。まあ、そういうことにしておくよ~」

「いや、だから――」

 

 心底楽しそうなビアンカと、必死に取り繕うレベッカの二人の間には全く壁がない。完全に心を許しているのが良くわかる。

 

 その後も姉妹のように仲のいい二人の賑やかな声が辺りにこだまするのであった。

 



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第16話

 ◇ ◇ ◇

 

 本日の学園は午前までに全てのカリキュラムが終了する。遠方に帰省する生徒の事情を考慮しての配慮だ。

 

 いつもより早い時間に放課後になり、生徒は各々行動していた。

 帰省する者、帰省の支度をしている者、自習している者、友達と談笑している者など様々だ。

 

 そんな中、ジルヴェスターは急用があるとレティに呼び出され、学園長室へ赴いていた。

 学園長室まで辿り着くと、扉をノックして返答を待つ。

 室内から入室を促す声が返ってきたので扉を開けて入室する。

 

 室内を見渡すと、応接用のソファに対面で腰掛けている二人の人物がいた。

 一人は当然レティであり、もう一人は金髪の男性だ。

 レティの顔ははっきりと確認できる。対して金髪の男性はソファの位置的に背後を向く形になっており、ジルヴェスターの方へ振り向いている。

 

「――やあ、ジル。久しぶり」

 

 金髪の男性は、右手を顔の位置まで上げて親しい関係だとわかる簡素な挨拶をする。

 

「久しぶりだな。ミハエル」

 

 ジルヴェスターは目線を合わせるだけの簡素すぎる態度で、金髪の男性――ミハエルに挨拶を返す。

 

「まあ、まずはジル君も座って」

 

 二人のやり取りを見守っていたレティが、自分の座っているソファの空いている右側のスペースに腰掛けるように促す。

 促されたジルヴェスターは遠慮することなくレティの隣に腰掛ける。

 

「少し待ってて」

 

 そう言ってレティは席を立つ。

 

「いい茶葉が手に入ったの。今日は紅茶でもいいかしら?」

「ああ。任せる」

 

 レティは簡易的なキッチンでジルヴェスターの分の紅茶を用意する。

 

「ジル、背伸びたかい?」

 

 ミハエルがジルヴェスターの頭頂部から足先まで視線を流すと、以前会った時との違和感に気がついた。

 

「さあな。自分ではわからん」

「それもそうか。以前会った時は私と目線が変わらなかったけど、今はもう抜かれていそうだ」

 

 二人は以前会った時はほとんど身長に差がなかった。

 だが、今はジルヴェスター方が高くなっていた。

 その事実にミハエルは肩を竦める。

 

「お前は少し老けたか?」

「――え」

 

 ジルヴェスターの言葉に男性は言葉が詰まる。

 

「ほ、本当かい? 最近忙しかったから少し疲れているだけだよ……」

「安心しろ。冗談だ」

「冗談か……」

 

 冗談だとわかり、ミハエルは小さく安堵する。

 

「そもそも私よりレティ先輩の方が先に老けると思――」

「何か言ったかしら?」

 

 ミハエルは浅慮にも余計なことを口走ってしまい、ジルヴェスターの分の紅茶を手に持って戻ってきたレティの怒気を孕んだ声を浴びせられた。

 

 レティが無表情でジルヴェスターの隣に腰掛けるのを、ミハエルは冷や汗を流しながら見ていることしかできなかった。

 彼にとっては物凄く長い時間に感じ、小さく目線が彷徨っている。言い訳でも考えているのかもしれない。

 

「それで私がなんて?」

「――い、いや、先輩は今日もお美しいなと……失言でした! 申し訳ございません!!」

 

 最初は機嫌を窺うように美辞麗句(びじれいく)を並べ立てようとしたが、途中でレティの無感情の視線に耐えられなくなり、ソファの上で正座するという器用なことをして深々と謝罪する。ちゃんと靴を脱いでいるのは几帳面だ。

 

「どうやらお仕置きが必要なようね?」

「どうかご慈悲を!」

 

 レティの言葉にミハエルはただただ戦々恐々とするしかなかった。

 必死に慈悲を請う彼の姿を国民が目撃したら驚愕のあまり卒倒することだろう。

 

 そんな様相を呈する中、ジルヴェスターは紅茶を堪能し我関せずを貫いていた。

 

「そうね……。今度、我が校で講演でもしてもらいましょうか。もちろん無償でね」

「それくらいならお安い御用です! お任せください!!」

「そう。なら先程のことは水に流しましょう」

「ありがとうございます!!」

 

 レティの提案にミハエルは逡巡することなく即答する。

 どんなお仕置きが待っていても彼には受け入れる道しか残されていなかった。

 

「どのみち卒業生として後輩を教え導くのに否はないですから」

「そうね。我が校の卒業生には生徒の育成に積極的に尽力してもらえると助かるわ」

 

 ミハエルはランチェスター学園の卒業生だ。

 卒業生として後輩を指導することに否はなかった。むしろどんどん優秀な魔法師が育ってくれると彼個人としても国としても大助かりであり、教育機関としても面目躍如(めんもくやくじょ)であった。

 

「ミハエルが協力的なら他の卒業生も断ることはできないだろうな」

「そうね」

 

 黙って我関せずを貫いていたジルヴェスターの言葉にレティが頷く。

 ミハエル本人の人望と肩書による影響力は絶大だ。ミハエルが無償で協力しているのに自分が断るわけにはいかないと思う卒業生は数多くいると思われる。

 

「始めからそれが狙いですか……」

 

 レティの策略に嵌められたことにミハエルは溜息を吐く。

 

「まあ、学園の為なら構いませんが」

 

 嵌められたことだとしても、ミハエルには断る理由がなかった。――そもそも断れない状況に持ち込まれてしまったので文句など到底口にはできないのだが。

 



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第17話

「相変わらずお前はレティに頭が上がらないな」

「そりゃ先輩がいなければ今の私は存在しないからね」

 

 今のミハエルがあるのはレティのお陰と言っても過言ではない。

 二人の間には切っても切れない関係性がある。

 

「先輩に散々(しご)かれたのも今となってはいい思い出だよ。卒業してからも(しご)かれたけどね」

「私の後釜として情けない姿を晒されたら困るもの」

 

 ミハエルは学生時代にレティに散々扱かれた過去がある。

 彼は元々優秀な生徒だった。優秀故にレティに期待されていたのだ。

 現在ではレティの期待に応えるように彼女の後釜として素晴らしい活躍をしている。

 

「そんなに情けなかったかな……」

「そんなことはなかったと思うぞ」

 

 自分の過去を振り返って自嘲するミハエルをジルヴェスターがフォローする。

 

 二人の付き合いもわりと長い。

 今よりも若かったミハエルのことはジルヴェスターも知っている。

 

「二人が本気で戦ったらどちらに軍配が上がるかわからんだろ?」

「それはどうだろうね。私としては散々(しご)かれた記憶が鮮明に残っているから戦いづらさがあるし」

 

 ミハエルはレティに(しご)かれた過去の記憶の影響で、レティに対して苦手意識がある。

 もちろん日常生活では苦手意識を抱くことはないが、(しご)かれていた頃は一方的に打ちのめされていたので、魔法師として相対した場合は苦手意識を抱いてしまう。

 

「今の私には荷が重いわ。私は一線を退いているのよ」

 

 レティは一線を退き特級魔法師第六席の地位を返上してから既に数年経つ。

 現在は準特級魔法師の地位にいるが、そもそも準特級魔法師は特級魔法師と同列に扱われている。なので、彼女の現在の実力は特級魔法師相当だ。

 だが、一線を退いているのでブランクがある。腕が鈍っていてもおかしくはない。現役バリバリのミハエルと相対するのは確かに荷が重いかもしれない。

 

「先輩なら今でも特級魔法師に交ざっても遜色ないどころか、上位陣とも渡り合えると思いますよ」

「それは間違いないな」

「だよね?」

 

 ミハエルの見立てでは、現在のレティでも特級魔法師に相応しい実力を有していると踏んでいる。むしろ特級魔法師の中でも上位の序列に君臨する者たちとも渡り合えると思っていた。

 それに関しては特級魔法師第一席の座に君臨するジルヴェスターもお墨付きを与えるほどだ。

 

「ふふ。まあ、私もそんな簡単にやられる気はないわよ」

 

 持ち上げられたレティは微笑みを浮かべる。

 なんだかんだ言いつつも彼女は自分の実力に確固たる自信を持っていた。

 

「そもそも荷が重いのは私の方ですよ」

「あら? 第六席ともあろう者が情けないことを言うわね」

 

 ミハエルが溜息を吐いて愚痴ると、レティが揶揄うような口調で言葉を掛けた。

 

「特級魔法師第六席として暴れ回っていた先輩の後釜に据えられたんですよ? 私には荷が重いです」

「お前は真面目だもんな」

 

 特級魔法師第六席として好き放題暴れ回っていたレティに対し、ミハエルは真面目で責任感が強い。必要以上に重圧を感じてしまうこともあるだろう。

 ジルヴェスターの指摘は的を射ている。

 

「私が真面目ではないみたいな言い方ね」

「ミハエルと比較したら真面目ではないだろう?」

「ミハエルが生真面目すぎるだけで私も真面目よ」

 

 自分は真面目ではないと言われているような気がしたレティが苦言を呈するが、確かにミハエルと比較すると真面目ではないと言われても仕方がないのかもしれない。

 決してレティが不真面目だったわけではなく、ミハエルが生真面目すぎるのだ。

 

「私が席次を返上した後に第六席にあったのだから立派に務め上げてほしいわ」

「……善処します」

 

 レティが第六席だった頃、ミハエルも既に特級魔法師だった。

 レティが席次を返上したことでミハエルが第六席の座に繰り上げられ、引き継ぐ形で第六席の座に就いた。それが後釜と言われている所以(ゆえん)だ。

 

 ――『貴公子(プリンス)』の異名で親しまれているミハエル・シュバインシュタイガーは、特級魔法師第六席の地位を与えられた国内でもトップクラスの魔法師で、第六席の地位を汚すことのないように懸命に務め上げている好青年だ。

 

 白い肌をしており、ショートとミディアムの中間くらいの長さの金髪を清潔感のあるヘアスタイルに整え、前髪から覗く碧眼がより彼の整った顔を魅力的に演出している。

 

 貴公子然とした立ち振る舞いと雰囲気、そして真面目な性格から男女問わず尊敬されている。

 

 特に女性からの人気は絶大だ。特級魔法師の中で最も女性人気が高い。特級魔法師に限らず、全ての魔法師を含めて女性人気ナンバーワンの魔法師であり、常に黄色い眼差しを向けられている人気者だ。

 女性の影が全くないことで更に女性人気に拍車を掛けているのだが、そのことに本人は全く気づいていない。

 

 ミハエルがランチェスター学園の一年生だった頃、レティは大学一年生だった。

 当時から教師を志していたレティは魔法師として活動しながら大学に通っていた。教師になる為には大学で勉強して教員免許を取得しなければならないからだ。

 

 勉学でも優秀だったレティは早々に単位を取得し、在学中に見事教員免許を取得した。

 魔法師としても活動していたので多忙だった彼女は、当時のランチェスター学園の学園長の計らいで、大学に在学しながら非常勤講師として勤務していた。

 

 当時の学園長がレティのことを放っておかなかったのだ。それも当然だろう。特級魔法師になれるほどの実力を持つ人間を教師に招くチャンスをみすみす逃すわけがない。高校時代から飛び抜けて優秀だった教え子なので尚更だ。

 

 当時のレティは魔法師、大学生、非常勤講師と三足の草鞋(わらじ)を履いている状態だった。

 そのようにとても多忙な日々を送っていた頃にレティとミハエルは出会った。

 

 ミハエルの才能に目を付けたレティは彼をしこたま(しご)いた。――日々のストレスを解消する為に多少過激になっていたのはレティだけの秘密である。

 故にミハエルにとってレティは逆らえない先輩であり恩師でもあった。

 



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第18話

「――それで本題はなんだ? わざわざミハエルが来たのには何か理由があるんだろう?」

 

 ミハエルがなんの理由もなしにランチェスター学園を訪れるわけがないと思ったジルヴェスターが尋ねる。まさか談笑する為だけにやってきたわけではあるまい。

 

「もちろんだよ」

 

 ミハエルは先程までの(なご)やかな雰囲気を払拭するかのように居住まいを正して表情を引き締める。

 

「実はジルに頼みがあって来たんだ」

「俺に頼みか?」

「ジルはここ最近、謎の不審死が続いていることは知っているかい?」

「ああ」

「それは話が早くて助かるよ」

 

 手間が省けて少しだけ表情が緩んだミハエルに、ジルヴェスターは続きを促すように視線で合図を送る。

 

「その不審死した人の中に私の友人がいてね。昨日、自宅を訪ねて現場を調査してきたんだ」

 

 調査してわかった現場の状況を、ミハエルは推測を交えながらジルヴェスターに説明していく。

 

「――なるほど。争った形跡はないが、生前の被害者の様子を見るに、なんの理由もなく突如亡くなるのは不自然だということだな」

 

 ミハエルの説明を聞いたジルヴェスターは脳内で情報を整理する。

 

「他の被害者が亡くなった現場もいくつか見て回ったけど、拭い切れない違和感があった」

「そうか」

 

 最近頻発している不審死した者が亡くなった現場を事前に調べに行っていた。その結果、やはり確たる証拠は得られなかったが、不自然な点があるのは共通していた。

 

「情けないことに私では力及ばないようでね。そこでジルに頼みに来たんだ」

「俺の()で視て来いということだな?」

「単刀直入に言うとそういうことだね。頼まれてくれるとありがたいかな……」

「いいぞ」

「本当かい!?」

「ああ」

 

 ジルヴェスターは話の流れからミハエルが自分に何を求めているのかを察した。

 

「ちょうど(じじい)にも頼まれていたからな」

「そうだったんだ」

 

 ジルヴェスターは一昨日にフェルディナンドから頼みごとをされたばかりだ。

 今回ミハエルから頼まれたことと同じことだったので、彼からの頼みを断る理由はなかった。

 

「助かるよ」

「大したことではないから気にするな」

 

 ミハエルが誠意を込めて感謝を告げる。

 

「――それにしても、わざわざ学園にまで足を運ばなくても良かったんじゃないのか?」

「直接家の方に行こうかと思ったんだけど不在かもしれないし、ここに来てしまえば確実に会えると思ってね」

「確かに擦れ違いになっていたかもしれないな」

 

 ランチェスター学園が登校日である以上、ジルヴェスターは当然登校するだろう。

 なので、ミハエルは確実に会えると踏んでいた。そしてその通りになったというわけだ。

 

念話(テレパシー)で訪ねることを伝えておけば良かったと思うけれど」

 

 レティが当然の疑問を口にする。

 事前に念話(テレパシー)で予定を尋ねて約束を交わしてしていれば問題なかったはすだ。

 だが、ミハエルは念話(テレパシー)を使わなかった。

 

「いや~、それだとジルが何かしら理由をつけて逃げるかもしれないと思ってね……」

 

 ミハエルはジルヴェスターのことなので、忙しいのなんのと色々理由をつけて逃げるかもしれないと思った。故に、逃げる選択肢を潰す為に事前情報なしで直接会いに来たのだ。

 

「それは確かにあり得るわね」

「おい」

 

 納得して深く頷くレティにジルヴェスターはもの言いたげな目を向けるが、自分でも可能性があると思ったので何も言い返せなかった。

 

 MACと新魔法の開発、術式や歴史の研究などやりたいことが多々あり、厄介事は御免被りたいのが本音だ。とはいえ、友人や世話になっている人の頼みを無下に断るほど薄情ではない。

 

「――それじゃ私はこれで失礼するよ」

 

 話が纏まったところでミハエルが席を立つ。

 

「講演の件は忘れずにね」

「……もちろんです」

 

 レティに釘を刺されたミハエルは重々しく頷く。

 彼の胸中は絶対に忘れてはいけないと深刻な心境だった。

 

「俺も失礼する」

 

 ジルヴェスターもミハエルの後に続くように立ち上がる。

 そして二人は共にレティに見送られながら学園長室を後にした。

 



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第19話

 ◇ ◇ ◇

 

 三月二十五日――ウィスリン区の外れに位置するクリステントという町で、連れ立って歩く男女の姿があった。

 

 クリステントはウィスリン区の西部に位置し、区内の町では最も西方にある町だ。

 比較的小さめの町ではあるが、鉄道が通っており、西部の周辺地域で暮らす者にとっては欠かすことのできない町となっている。

 ウィスリン区の中では最も西部に位置する町だが、更に西方に行くと村があるので区内で人の営みがあるのはクリステントが最西端ではない。

 

「ジル、ここよ」

 

 連れ立って歩いていたのはジルヴェスターとレイチェルであった。

 レイチェルの先導のもと、目的の場所へと辿り着く

 

「普通の公園だな」

 

 二人が辿り着いたのは何の変哲もない一般的な公園であった。

 子供が遊べそうな遊具があり、大人でものんびりと過ごせるようなスペースもある。家族揃って楽しく過ごせる公園といった印象だ。

 

「例の不審死があった影響で今は閑散としているけれど、普段は子供たちの元気な声で賑わっているそうよ」

「そうか」

 

 公園を見渡すと人の姿はちらほら確認できるが、子供の姿は見当たらない。

 レイチェルの言葉を肯定するかのような状況だ。

 

 この公園に二人が赴いた理由は、昨今問題になっている謎の不審死が続出している件の調査の為である。

 

「このベンチで亡くなっているところを発見されたみたいね」

 

 二人が注目したのは、人々がのんびりと過ごせるような拓けたスペースに置かれている一つのベンチだった。

 

「見通しは良さそうだな」

「ええ、遮る物はないし人通りも少なくはないみたいよ」

 

 (くだん)のベンチがある場所は、周囲から視線を遮る物がなく、見通しがいいように見受けられる。

 もし人が争っていたら人目につくことだろうと容易に推測できた。

 

(じじい)の情報通り争った形跡は見当たらないな」

 

 ベンチを始め、周囲には争ったと思われる形跡は一切見当たらない。

 

「なるほど。俺にお鉢が回って来るわけだ」

「そうね。おそらくあなたにしか()()ないと思うわ」

 

 争った形跡がなく、健康体であった者が次々と突然亡くなっている。

 しかもフェルディナンドが目を掛けている政治家に限ってだ。誰がどう見ても明らかに不自然である。

 

 不自然な点が見当たらないのならば、普通では見えない物を()ればいい。

 

 ジルヴェスターはベンチへ眼を向ける。

 彼の金色の瞳が一層光輝く。

 すると、ジルヴェスターの視界には色鮮やかな(もや)のような物が映った。色鮮やかな(もや)のような物が空気中を漂っている。

 

 彼の瞳に映る色鮮やかな(もや)のような物の正体は、空気中に漂う魔力だ。

 色鮮やかなのは、空気中に漂う魔力は各属性による影響を受けているからだ。例えば、火属性の影響を強く受けていると漂っている魔力は赤くなる。色鮮やかということは複数の属性の影響を受けているということだ。

 

 基本的に人が生活している場所では色鮮やかな魔力が空気中を漂っている。なので、この場に漂う魔力に特別可笑しなところはない。

 火山や豪雪地帯などは例外だ。例えば、火山は火属性の影響を強く受けている為、空気中に漂う魔力は赤一色といっても過言ではないくらい赤みを帯びている。

 

(これは……)

 

 空気中に漂う魔力に視線を()らすジルヴェスターは、ある一点を注視した。

 

 色鮮やかな魔力が空気中を漂う中、ジルヴェスターが見つめる先には濁った色の魔力が僅かに漂っていた。濁っている色の元の色は紫だと思われる。紫が濁っておどろおどろしい色になっていた。

 

(紫の魔力が濁っているということは、何者かが(じゅ)属性の魔法を行使した痕跡か……)

 

 紫色の魔力は(じゅ)属性の特徴だ。

 空気中に漂う魔力には二通りある。

 まず一つは元から空気中に漂っている自然発生の魔力だ。

 そしてもう一つは、魔法師が魔法を行使した際に自身の体内から放出される魔力だ。

 

 魔法師の体内から放出された魔力は共通して濁っている特徴がある。

 故に、濁っている紫色の魔力が空気中に漂っているということは、何者かが呪属性の魔法を行使した後だと推測できるわけだ。

 

「何かわかったかしら?」

 

 ジルヴェスターの表情に僅かながら変化があったのを見逃さなかったレイチェルが尋ねる。

 

「ああ。おそらく暗殺の線が濃厚だな」

「やはりそうなのね」

「とはいえ、ここは外だから確証はない」

「それもそうね」

 

 外だと風による空気の流れが影響して、空気中に漂う魔力が流されてしまう。

 今回は僅かに残滓(ざんし)が残っていたが、そもそも別の場所から流れてきた物の可能性がある。

 魔法師の体内から放出された魔力は時間が経てば自然と濁りがなくなり、自然発生している魔力と同化していく。

 故にあくまで可能性があるだけで、確証となるものではなかった。

 

「別の場所も()()みないことにはなんとも言えんな」

 

 現状はまだ整合性がない。

 関係のある現場を全て確かめる必要があった。

 

 ジルヴェスターの『魔眼』には複数の能力が宿っている。

 一つは魔法師が発動する術式を読み取ることができるというものであったが、彼が先程用いたのは魔力を可視化する能力だ。

 空気中に漂う魔力はもちろん、体内に内包している魔力まで可視化することができる。

 相手の魔力量や適性のある属性まで判別することが可能な為、非常に汎用性の高い能力だ。

 

「では、次の場所にも行ってみましょうか」

「ああ」

 

 次の現場に向かう為にレイチェルが先導するように歩を進める。

 



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第20話

「その前に昼食を摂りましょう」

「そうだな。時間的にもちょうど良いタイミングだ」

 

 現在の時刻は正午をすぎた辺りだ。

 この後もいくつもの現場に赴かなくてはならない。しっかりと栄養補給しておくべきだ。

 

「近くの喫茶店にでも寄りましょうか?」

「任せる」

 

 二人は石畳みの道を歩いていく。

 

 人が通行する分には充分だが、馬車が通るには厳しい道幅だ。

 一見入り組んでいるように見えるものの、しっかりと計算されて区画整理されているのがわかる。

 

 住民が生活する際の利便性は考慮されているが、町自体の作りが一昔前の物なので不便な点があるのも事実だ。例を挙げると、大通りは問題ないが小道に入ると馬車が通れない場所がある点だろう。とはいえ、どの町にも馬車が通れない小道などはあるものだ。

 

「――ここにしましょう」

 

 二人は街並みに溶け込んだ喫茶店の前で立ち止まる。

 あまり人通りの多くない小道を通った先にある、こじんまりとした喫茶店は隠れ家のような(おもむき)を感じられた。

 

 二人は喫茶店の扉を潜る。

 扉の上部に取付けられた鈴が鳴り、店内に来客を告げる。

 

「――いらっしゃい」

 

 カウンターの奥にある厨房から店主と思われる紳士的な男性が出迎えてくれる。

 

「ご自由にどうぞ」

 

 給仕を務める女性のウエイトレスが自由に席を選んでいいと促す。

 

 その言葉に従って二人が店内を見回すと、他には三名の先客がいた。

 他の客から比較的離れたテーブル席に移動して腰掛け、メニューに目を通して注文する商品を吟味する。

 

 二人が注文する商品を決めると、レイチェルがウエイトレスを呼ぶ。

 注文を取りに来たウエイトレスに二人ともそれぞれ目当ての商品を頼む。

 

「畏まりました。少々お待ちください」

 

 注文を受けたウエイトレスが下がっていく。

 

「少しはゆっくりできるわね」

「そうだな」

 

 対面に腰掛けている二人は向き合う形になっている。

 

「あと何ヶ所あるんだ?」

 

 今日のジルヴェスターは、不審死した者が亡くなった各所を赴いて調査することに予定がびっしりと埋まっている。

 

「ミハエル様に頼まれた現場を除いて六ケ所よ」

 

 レイチェルはジルヴェスターに言われ、事前に情報を入手していた。

 

「そうか」

 

 ジルヴェスターがそう呟いた後、二人は言葉を交わすことなく注文した商品を待つ。

 

「――失礼致します」

 

 沈黙を打ち破るようにウエイトレスがカップを載せたトレイを持ってやってきた。

 レイチェルの手前には紅茶とケーキを、ジルヴェスターの手前にはコーヒーとサンドウィッチが置かれる。商品をテーブルに置くとウエイトレスは下がっていった。

 

「頂きましょうか」

「ああ」

 

 レイチェルはカップを手に取り一口啜る。

 

「美味しいわね」

 

 ほっと一息吐くレイチェルは心が落ち着く気分だった。

 続けてフォークを手にし、ケーキを一口サイズだけ取り分けて口に運ぶ。

 

「これも美味しいわ。甘すぎなくて食べやすいのがいいわね」

 

 生クリームを使っているが、甘さを控えめにして作られていた。

 スポンジ部分はふんわりと柔らかく口当たりがいい。

 

「ここは中々の穴場かもしれないわ」

 

 いい喫茶店を見つけて得した気分になったレイチェルの表情が緩む。

 

「楽しそうだな」

 

 そんなレイチェルの姿を見守っていたジルヴェスターが、コーヒーカップを片手に口を挟む。

 

「ええ。せっかくゆっくりできるのだから少しは楽しまないと」

 

 レイチェルは多忙な毎日を送っている。なので、少しでも落ち着いてのんびりとできる時間は貴重だった。――もっとも、彼女が忙しいのはほぼジルヴェスターの所為なのだが。

 

 ジルヴェスターはカップをテーブルに置いてサンドウィッチを手に取る。

 

 二人が軽食で済ませているのは、あまり食べすぎると動けなくなるからだ。

 とはいえ、栄養補給を怠っても動けなくなるので、軽く食べるくらいがちょうど良かった。

 

「あなたとこうして過ごすのは久々ね」

「そうだな」

 

 二人は元々共に行動することが多かった。

 姉弟のように育ったのもあるが、特級魔法師と、そのサポーターという立場上、共に行動する機会が多い。だが、ジルヴェスターがランチェスター学園に入学して以降は、共に行動する機会が減っていた。

 

「アーデル様に申し訳ないわね」

「お前相手にか? それはないだろ」

「まあ、私たちの関係は姉弟くらいにしか思っていないわよね」

「だろうな」

 

 自分がジルヴェスターを独り占めしている現状に、彼の同居人であるアーデルに対し申し訳ない気持ちがあったが、レイチェルとジルヴェスターの関係は姉弟のようなものだ。気にすることではないと思っているだろう。

 

「そもそもお前とアーデルは姉妹みたいなもんだろう」

「それはそうね。確かに妹のように良くしてくれているわ」

 

 アーデルとレイチェルではアーデルの方が年上だ。

 レイチェルの姉である長女のマリアンヌとアーデルは同い年で幼馴染でもある。そういった関係上、マリアンヌの妹三人――年の離れた末妹は除く――は、アーデルには昔から妹のようにかわいがってもらっていた。

 

「そもそもあいつの(ふところ)はそんなに狭くないしな」

「ふふ。あなたは本当にアーデル様のことが好きね」

「まあな」

 

 ジルヴェスターのアーデルに対する絶対的な信頼を垣間見たレイチェルは笑みを零す。

 レイチェルの言葉に即答するだけあり、ジルヴェスターがアーデルのことを心の底から想っているのが良く伝わってくる。

 

「なんだかちょっと妬けるわ」

「……」

 

 含むところのあるレイチェルがそう呟くと、ジルヴェスターは何も言い返せなかった。

 何も言い返せない理由があるので、黙るしかなかったのだ。

 

 沈黙が場を満たしたところでレイチェルがカップを手に取り紅茶を啜ると、つられるようにジルヴェスターもカップを手にしてコーヒーを飲む。

 

「――そうそう、あなたにお願いがあったのよ」

「なんだ?」

 

 紅茶を楽しんでいたレイチェルが思い出したように呟くと、カップをテーブルに置く。

 ジルヴェスターもカップをテーブルに置いて聞く態勢を整える。

 

「そろそろ人を増やしてほしいのよ。もう少し私の負担を減らしてくれないかしら」

「つまり隊を率いろと?」

「それも一つの選択肢ね。せめて一人か二人くらいは部下を増やしてもいいと思わない?」

 

 ジルヴェスターはレイチェルに様々な仕事を任せている。

 優秀な彼女は滞りなくこなしているが、さすがに負担が大きい。なので、人員を増やして少しでも負担を軽減してほしかった。

 

 特級魔法師には隊を率いている者が多い。

 ソロで活動している者もいるが、ほとんどの特級魔法師は隊を率いている。

 

 ジルヴェスターの場合はサポーターとしてレイチェル一人を従えているだけであり、隊を率いているわけではない。

 

「検討しておこう」

「お願いね」

 

 ジルヴェスターとしてもレイチェルに負担を掛けていることは理解している。

 レティにも少しは労ってあげなさいと釘を刺されていることを考慮すれば、一考の余地があった。

 

「――さて、そろそろ次に行きましょうか」

「ああ、そうだな」

 

 この後もまだ赴かなくてはならない現場が複数ある。

 休憩は程々にしておかなければ時間がいくらあっても足りない。

 

 席を立った二人は会計を済ませると、喫茶店を後にした。

 



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第21話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の三月二十六日――ジルヴェスターとレイチェルは、アークフェネフォール区のメルクカートリアにある魔法協会支部にいた。

 

 二人は魔法協会支部の応接室にあるソファに対面する形で腰掛けている。

 ジルヴェスターが上座でレイチェルが下座だ。

 勤しむ

 時間を潰す為にジルヴェスターは読書に興じ、レイチェルは紅茶を楽しんでいる。

 室内を(いろど)るオブジェが置かれている室内は静寂が場を満たしているが、二人には全く苦ではなかった。

 

 そのまま数分の時を過ごすと扉がノックされる。

 

「――失礼するよ」

 

 扉を開いて室内に足を踏み入れたのはミハエルであった。

 

「待たせてすまないね」

「気にするな」

「来て早々だけど、外に馬車を待たせているんだ」

「そうか。なら待たせるのは悪いな」

 

 ジルヴェスターは書物を異空間収納(アイテム・ボックス)に収納して立ち上がる。それに合わせるようにレイチェルも席を立つ。

 

「早速行こう」

「そうしてくれると助かるよ」

 

 応接室を出ると、ミハエルが先導するように廊下を歩く。

 

 魔法協会支部には職員はもちろん、魔法師の姿もある。

 ミハエルは名と顔を知られているので視線が集まっていた。

 

 そうなると当然、共にいるジルヴェスターとレイチェルも注目を集めてしまう。

 二人のことを知らない者ならば、ミハエルと共にいる人物に好奇心を向けてしまうことだろう。――もっとも、ジルヴェスターの正体を知っている者はほとんどいないので、この場にも当然いなかったが。

 レイチェルは名――主に姓――を知られているが顔はあまり知られていない。なので、彼女も好奇心の対象にされている。

 

「二人ともあまり目立ちたくはないだろうに申し訳ないね」

 

 ミハエルが詫びる。

 

「仕方ないだろう」

「そうですよ。お気になさらないでください」

 

 ジルヴェスターは肩を竦め、レイチェルはミハエルを気遣うように言葉を掛ける。

 

「そもそもお前と街中で落ち合う方が面倒なことになるだろう」

「はは、面目ない」

 

 ジルヴェスターの指摘にミハエルは苦笑するしかなかった。

 

 魔法協会支部ですら好奇の視線に晒されているのだ。これが街中だった場合の結果は容易に想像できるだろう。

 

「支部長にも申し訳ないことをしたかな」

「……そうだな」

「ふふ。支部長は大層驚かれておいででしたよ」

 

 申し訳なさそうに言うミハエルの姿にジルヴェスターは再び肩を竦め、レイチェルは支部長とのやり取りを思い出していた。

 

「二人と合流するには魔法協会支部(ここ)が都合いいと思って支部長に取り計らってもらったんだけど、さすがに相手が第一席だと無用に緊張させてしまうよね。しかも想像していたであろう人物像よりジルはだいぶ若いし」

 

 ミハエルに落ち合う場所を事前に指定されていたジルヴェスターとレイチェルは、魔法協会支部に訪れた際に支部長の出迎えを受けている。

 

 支部長はミハエルに特級魔法師第一席と約束を取り付けているので、滞りなく合流できるように魔法協会支部の応接室を使わせてくれと頼まれていた。

 特級魔法師第六席の頼みなので支部長は最優先で取り計らった。

 

 支部長はミハエルとは交流があり人柄を知っていたが、ジルヴェスターとは全く接点がない。

 そもそも名前も顔も知らないのだ。故に人柄も当然知らない。

 

 万が一粗相があった場合はどのような対応をされるかわからないので、支部長は不手際がないように努めようと終始緊張しっぱなしであった。

 

「もちろん支部長には、ジルの正体は内密にするように頼んでおいたから安心していいよ」

「気が回るな」

 

 ジルヴェスターは自身の正体を積極的に(おおやけ)にする気はない。

 フェルディナンドの意向もあるが、可能な限り本性は隠しておきたった。平穏な学園生活の為に少なくともランチェスター学園を卒業するまでは。

 そのことを理解していたミハエルは抜かりなく釘を刺していた。

 

 廊下を歩いていた三人は魔法協会支部を出ると、馬車を停めてある停車場に向かう。

 

「さ、乗って」

 

 停車場に停めてある馬車に辿り着くと、ミハエルが乗車を促す。

 

 促されたジルヴェスターが先に乗って上座に腰掛け、後に続いて乗車したレイチェルはジルヴェスターの隣に腰掛ける。

 そして最後に乗り込んだミハエルが下座に腰掛けた。

 

 立場はジルヴェスターが最上位なので彼が当然上座だ。

 次に高い地位なのはミハエルだが、レイチェルはジルヴェスターの隣である上座側に腰掛けた。

 

 本来ならレイチェルが下座に座るべきなのだが、彼女は自分がミハエルの隣に座るわけにはいかないと判断し、ジルヴェスターの隣を選択した。

 そしてミハエルはレイチェルの配慮を理解していたので、当然のように下座に腰掛けた。

 

 そもそも地位は関係なく、今回はミハエルがジルヴェスターを頼った末の行動だ。なので、彼は端から下座を選択するつもりでいたので結果は変わらなかった。――もっとも、この場にいる三人の関係性上そのような堅苦しい気遣いなど必要ないのだが。

 

 三人を乗せた馬車は手綱を握る御者の操縦のもと走り出した。

 



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第22話

 ◇ ◇ ◇

 

 ジルヴェスター、レイチェル、ミハエルの三人を乗せた馬車は目的地に到着した。

 三人は一軒の邸宅の前で馬車から降りる。

 

 ミハエルが玄関扉の横に設置されているインターホンを押した。

 インターホンを通してミハエルと家人がやり取りを交わす。

 

 ミハエルの後方で待機しているジルヴェスターは、邸宅の全貌を視界に収めていた。

 

(極一般的な邸宅だな。住宅街だから人通りはあまり多くないか……侵入自体はそれほど難しくはないな)

 

 住環境について考えを巡らせていると、玄関扉が開かれる音が鳴る。

 

「――お待ちしておりました」

 

 扉を開けたのは家人の女性であった。

 三十代に見える女性の姿を目にしたジルヴェスターとレイチェルは、隠し切れていない疲労感を抱えてるように見えた。

 

「何度もすみません」

「いえ、お気になさらないでください」

 

 大変な時に何度も時間を取らせてしまって申し訳ないとミハエルが詫びる。

 

「どうぞお入りください」

「はい。失礼します」

 

 女性に促されてミハエルが玄関扉を潜り、ジルヴェスターとレイチェルも後に続く。

 

「今日はミハエル様のご友人がお見えになるとのことでしたが……」

 

 女性がジルヴェスターとレイチェルに視線を向ける。

 

 今日三人がこの場に赴いたのは、ミハエルの頼みを聞き入れたジルヴェスターを連れてくることだった。

 昨日から不審死の件の調査を行っていたジルヴェスターたちは、既に一通り調査を終わらせている。だが、一ヶ所だけまだ調査していなかった。それが今いる場所だ。

 

 三日前にミハエルが訪れた時は、残念ながら目ぼしい成果を得られなかった。

 

「ええ、紹介しますね」

 

 ミハエルがジルヴェスターの方を向いて女性に紹介する。

 

「こちらが私の友人の特級魔法師第一席――ジルヴェスター・ヴェステンヴィルキスです」

「お初にお目にかかります」

 

 ミハエルの紹介に合わせるようにジルヴェスターが挨拶する。

 

「――え」

 

 対して女性は目を見開いて驚きをあらわにし、口から言葉にならない声を漏らした。

 

「……『守護神(ガーディアン)』様ですか?」

「そうですよ」

 

 女性が言葉を絞り出すように質問すると、ミハエルが首肯した。

 

「……驚きの余り眩暈がしそうです」

 

 女性は廊下の壁に手を当てて身体を支える。

 ミハエルは女性を支える為に慌てて手を取った。

 

 冗談のように感じてしまうが、女性はミハエルの人柄を知っているから信用している。

 彼がこのような場で冗談を言うわけがないと思っている女性は、ジルヴェスターの正体を疑わずに信じた。

 

「驚かせてしまい申し訳ありませんが、彼の素性は内密にお願いします」

「……わかりました」

 

 女性は平静を装っているが、内心は天手古舞(てんてこまい)だった。

 ミハエルに紹介された友人が素性の知られていない特級魔法師第一席であり、しかも内密にするように釘を刺される。天手古舞になってしまうのも仕方がないだろう。

 

 特級魔法師第一席は、異名以外は(おおやけ)になっていない。

 その理由は知らないが、何かしら事情があるのだろうと女性は思っていたので、内密にする件はすんなりと受け入れられた。

 

 ミハエルは事前にジルヴェスターに第一席と明かす承諾を貰っていた。

 女性がいくらミハエルのことを信頼しているとはいえ、特級魔法師であるミハエルでも手をこまねいている件を、普通の人間が解決できるとは中々思えないだろう。

 

 それにミハエルのことは信用していても、彼が連れてくると言っていた人物のことまで信用しているわけではない。

 だが、その連れてくる人物が特級魔法師となると話が変わってくる。しかもミハエルよりも上位の第一席だ。

 

 手っ取り早く最低限の信用を得る為に、ジルヴェスターの身分を明かすと事前に打ち合わせしていた。

 特級魔法師の肩書は伊達ではなく、その効果は覿面(てきめん)だ。

 

「そしてこちらの女性は彼の部下のレイチェル・コンスタンティノスさんです」

 

 ミハエルは続けてレイチェルを紹介する。

 

「『聖女』様の御令嬢の?」

「はい。三女のレイチェルです。以後お見知りおきを」

 

 コンスタンティノス家は有名な一家だ。特級魔法師である母を筆頭に、全員が国内有数の魔法師である。

 なので、コンスタンティノスについては女性も当然知っていた。

 

「私はアナベルと申します。こちらこそよろしくお願い致します」

 

 レイチェルに関しては、コンスタンティノスの名が信用を得る手段となる。

 彼女の母である『聖女』の人望がなによりも影響しており、コンスタンティノスの名は国内に深く根付いていた。

 

「それでは早速ですが、ロバートさんの執務室に失礼しますね」

「はい。全てお任せします」

 

 いつまでも立ち話していては本来の目的を達せられない。

 ミハエルが要件を切り出すと、女性――アナベルは一同を先導するように歩き出した。

 

 ロバートの執務室に到着すると、ミハエルが扉を開けて真っ先に入室する。

 彼の後に続いてジルヴェスターとレイチェルも室内に足を踏み入れる。

 

「私が調べた限りだと不審な点は一つ見当たらなかった」

 

 ジルヴェスターはミハエルの言葉に耳を傾けながら室内に視線を巡らす。

 レイチェルは扉の近くで待機して二人の様子を見守っている。

 

「確かに事前に聞いていた通り争った形跡は見当たらないな」

 

 納得したジルヴェスターはそう言うと――

 

「一つ尋ねても?」

 

 アナベルに視線を向けた。

 

「はい。なんなりと」

「ご主人が亡くなって以降、窓を開けましたか?」

「窓ですか? いえ、一度も開けていません。現場は手付かずのまま残しておいた方がいいかと思いまして」

「なるほど。それはいい判断でした」

 

 アナベルは質問の意図がわからないまま答えた。

 

「何かわかったのかい?」

 

 ジルヴェスターの口ぶりに疑問を抱いたミハエルが尋ねる。

 

 実は、ジルヴェスターは邸宅にお邪魔した瞬間から魔眼の力を行使していた。

 彼の眼ははっきりと証拠を捉えていたのだ。

 

「ああ。結論を言うと……」

「構いません。包み隠さず本当のことを仰ってください」

 

 結論を告げようとしたジルヴェスターは途中で言葉を止め、アナベルに視線を向けた。

 彼女の前で真実を口にしてもいいのか迷いがあった。彼女には酷なことになると思い、確認の意味を込めて視線を向けたのだ。

 

 そして覚悟を決めた表情のアナベルが了承したので、ジルヴェスターは続きの台詞を口にする。

 

「――ロバート殿の死因は暗殺だ」

「やはり……そうですか……」

 

 ジルヴェスターから告げられた言葉に、アナベルは力なく床に崩れ落ちる。

 近くにいたレイチェルが慌てて支えるが、身体は力なく脱力していた。

 

「……何がわかったんだい?」

 

 ミハエルが説明を求める。

 

「この部屋には(じゅ)属性の魔法を行使した痕跡が色濃く残っている」

「やはり――」

「ああ。別の現場にも残っていた(じゅ)属性の魔力の残滓(ざんし)だ」

 

 ジルヴェスターの言葉の意味を察したレイチェルが声を漏らしたが、彼は構わずに言葉を続けた。

 

「どういうことだい?」

 

 二人のやり取りについていけないミハエルが詳しい説明を求める。

 

「ここ以外の不審死した者が亡くなった現場を昨日全て回ったが、七ヶ所中五ヶ所で同じ魔力の残滓(ざんし)を確認した」

「それが(じゅ)属性の魔力だったと……」

「そうだ」

残滓(ざんし)のなかった二ヶ所は?」

「屋外だったからな。既に風に流されてしまったか、自然発生している魔力と同化してしまったのか、はたまた本当に偶然にも事故や病なりで突如亡くなってしまったかのどれかだろう」

「そうか……」

 

 ロバート以外の不審死した者は全て屋外で亡くなっていた。

 故に魔力の残滓(ざんし)を確認できない場所もあった。こればかりは仕方がない。いくらジルヴェスターでも不可能なことは存在する。

 

「……犯人は必ず私が捕らえる!」

 

 崩れ落ちているアナベルの姿を見て心が苦しくなったミハエルは、拳を握り締めて決意をあらわにする。

 そんなミハエルに対して、ジルヴェスターが犯人像を告げる。

 

「おそらく犯人は相当な手練れだろう」

「確かに……(じゅ)属性の魔法で暗殺したということは、高位の魔法を行使したということになるね……」

 

 (じゅ)属性の魔法で暗殺に適した魔法はいくつか存在するが、どれも高位の魔法だ。

 その魔法を誰かに気付かれることなく難なく行使できる者が犯人ということになる。

 腕の立つ者が絡んでいるのは確実だ。

 

「可能な限り俺も手を貸そう」

「ありがとう。助かるよ」

 

 ジルヴェスターは助力を申し出る。

 乗り掛かった舟だ。一先ず問題が解決するまでは協力することにした。

 フェルディナンドに頼まれたのもあるので手を引く気はない。

 

 黒幕はまさか特級魔法師の二人が自分を探しているとは思いもしないだろう。

 

 その後、ジルヴェスターとレイチェルは邸宅を後にし、ミハエルはアナベルをケアする為に残ることになった。

 



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第23話

 ◇ ◇ ◇

 

 三月二十八日の黄昏時――ペトルグルージュ区のクイントバーンという町の歓楽街を居心地悪そうに歩いている者がいた。

 

 ペトルグルージュ区はウォール・ツヴァイ内の北東に位置し、国内最大の歓楽街を有する区だ。

 

 クイントバーンはペトルグルージュ区内で最も大きな町であり、区内の行政の中心で、区内最大の人口を誇る。国内最大の歓楽街を有するこの町は、夜になると人々が活気に溢れ賑わうのが特徴だ。

 

(場違いがすぎる……)

 

 黄昏時になり徐々に活動的になっている歓楽街を肩身が狭そうに歩く者は、余計なトラブルに巻き込まれない為に、行き違う人々と目線を合わせないように気をつけながら定まらない焦点で目的地へと向かっていた。

 

 慣れない場の雰囲気に場違い感が拭えず、一刻も早くこの場かた立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。

 

「――そこの君、これからどう?」

 

 まだ肌寒い季節にも(かか)わらず、露出の多い身形をしている街娼と思われる女性に声を掛けられる。

 

「――!? い、いえ、結構です」

 

 顔を赤らめて視線を逸らしながら断りを入れ、歩くペースを上げて逃げるように去っていく。

 女性慣れしていない初心な印象が窺える。

 

 夜の街とも言われるクイントバーンは欲望渦巻く場所だ。

 歓楽街を外れれば住宅街なども広がっているが、町の外からも多くの人が足を運ぶ歓楽街が何よりも目玉であり、強烈な存在感を放っている。

 

 居酒屋、バー、娼館、カジノ、はたまたどのようなコンセプトなのかわからない店など、様々な店舗が乱立している。

 

「――レアル・イングルスだな」

 

 店舗の照明や街灯が徐々に点灯し始めて街を(いろど)っていく中、娼館を通り過ぎたところで店舗脇の路地から突然声を掛けられる。()れた男の声であった。

 

 声のした方に視線を向けると、そこには浮浪者のような身形をした男がいた。

 視線の先にいる男に無言のまま頷いて肯定する。

 

「ついて来い」

 

 男は間髪入れずにそう言うと、路地裏に消えていった。

 レアルは慌てて後を追い掛ける。

 路地裏の入り組んだ細い道を足早に進んでいくと、一層薄暗くて人目につかなくなっていく。

 歓楽街に足を踏み入れた時から不安でいっぱいだったレアルは、より一層不安と緊張で動悸が激しくなる。

 

 レアルにはとても長い時間に感じ、どこまでついて行けばいいのか、と思った時、前を歩く男が突然立ち止まった。

 

「これを」

 

 男が懐から封筒を取り出してレアルに手渡す。

 

「確認したら焼却するように」

 

 レアルは男の言葉に頷くと封を開け、中から一枚の便箋を取り出した。

 そして便箋に目を通す。

 

「……!?」

 

 記されていた内容に目を見張る。

 

「これは命令書だよね……?」

 

 平静を装いつつも内心は動揺が占めていた。

 

「知らん。俺は金を貰った見返りに人目のつかない場所でそれをお前に渡すよう言われただけだ」

 

 目の前にいる浮浪者は報酬として金を前払いで受け取り、その代わりに命令書を手渡すように命令されていただけだ。なので、事情は全く理解していない。面倒事に巻き込まれるのは御免なので、命令書には一切目を通していなかった。

 事前に知らされていたのはレアル・イングルスという名前と外見的特徴だけである。

 

 わざわざこんな場所にレアルを呼び出して浮浪者に命令書を渡させるように細工したのは、万が一を考慮してのことだろう。

 クイントバーンの歓楽街に巣食う浮浪者なら命令を出した者への足がつきにくいし、もしもの時は簡単に消せる。

 欲望渦巻き、善悪が混在する場所だからこそ、後ろ暗いことをするのにはうってつけであった。

 

 浮浪者の返答を耳にしたレアルは一度深呼吸をすると、再び命令書に目を通す。

 

(本当に僕がこれを……? こんなことが許されると?)

 

 自分に下された命令に葛藤する。

 眉間に皺を寄せながら考え込むが、考えれば考えるほど気が沈む。現実逃避したい気分だった。

 彼の気が沈んでいくのを表しているかのように日も沈んでいき、夜が深くなっていく。

 

(くっ、でも僕がやらないと……!!)

 

 レアルは考えれば考えるほど良心が痛んだ。

 歯を食いしばり葛藤する姿が痛々しいが、この場に彼を心配する者はいない。

 

 都合良く使われている事実だけでも勘弁願いたいのが彼の本音だ。

 その上、自身に下された不本意な命令を実行しろと言われれば全く気が進まない。

 そもそも良心的にも道徳的にも許されることではないので、ただただ嫌悪感が募るばかりだった。

 

(……駄目だ。一度帰って落ち着こう)

 

 とにかく一度冷静になる為にも落ち着ける場所に行きたかった。

 それも仕方がないだろう。彼は一般的な感性を持つ若人(わこうど)だ。

 嫌悪感でいっぱいな胸の内に蓋をしてでも実行に移さなくてはならない理由が彼にはある。覚悟を決めなくてはならない。その為の時間が必要だった。

 

 一層歯を食いしばったレアルは、命令書を焼却せずに異空間収納(アイテム・ボックス)にしまうと、逃げるように脇目も振らずに駆け出した。

 



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第24話

 ◇ ◇ ◇

 

 三月二十九日――ネーフィス区のレイトナイトにはシズカ、レベッカ、ビアンカの姿があった。

 

 レイトナイトはネーフィス区の中心から南西方面のウォール・ツヴァイ寄りに位置する町だ。

 レイトナイトはあまり大きい町ではない。小さい町でもないが、長閑(のどか)さがあり地元民同士の距離感が近い印象を受ける。

 

 半木骨造の建築物が多く建ち並んでいる中、中心部から少し逸れた場所には一際広大な敷地を囲っている塀と、その内側にある東方式の寝殿造の建物が存在感を放っていた。

 広大な敷地の中には家主一族が暮らす住宅の他に、門下生が暮らす建物や道場、蔵に池などいくつもの施設がある。

 

 広大な敷地を有する土地の主はシノノメ家だ。

 地元の人々から慕われ、レイトナイトの顔とも言える存在になっている。

 

 東方から逃れてきた一族の末裔の中でも特に力のあった一族は、祖先が建てた立派な寝殿造の住宅で暮らしている者が多い。

 正にシノノメ家がそれに当てはまる。

 

 今回レベッカは幼馴染のビアンカと共にシズカの実家に遊びに来ていた。

 初めてシノノメ家を訪れた際は、想像以上に立派な邸宅に度肝抜かれたほどだ。

 

 そして現在は三人連れ立って街中を散策しているところであった。

 

 シズカは半端丈で足首が見え、華奢な印象で女性らしさを演出でき、スリムシルエットとセンターシームですっきりしている黒のクロップドパンツを穿いている。

 また、白のブラウスはタックインすることで、より一層美脚が映えるスタイルだ。

 清楚さとラフさを上手く融合させている。

 

 レベッカはデニム素材のショートパンツに、青、黄、黒、白の四色が(いろど)っていて大人な雰囲気を演出してくれるVネックシャツを合わせている。

 ダメージの入ったショートパンツと合わせることで、ほどよくカジュアルに見せることができている。

 ショートパンツから覗く美脚と、胸元が開いているVネックシャツからあわらになっている豊満な胸が視線を釘付けにしており魅力的だ。

 

 ビアンカはボディラインを強調するようなベージュのタイトなタートルネックのニットワンピースを着ており、丈の短いスリムなワンピースがフェミニンな印象を演出している。

 黒のロングブーツを履いて、太股は露出している。

 可愛らしさと色っぽさが魅力を引き立て、蠱惑的(こわくてき)で男性の心を掴んで放さない妖艶さがあった。

 

 この国は北に行けば行くほど寒くなり、南へ行けば行くほど暑くなる。

 レイトナイトは南寄りの町だ。

 現在、北方はまだ寒さが残っているが、レイトナイトは比較的過ごしやすい気候の時季である。なので、三人の服装でも問題なく過ごすことができていた。

 

 三人が連れ立って歩いていると場が華やかになり、男女問わず視線が集まってくる。

 

「レアルくん来られなくて残念だねぇ」

「そうね。少しでも休めているといいのだけれど」

 

 石畳の道を歩いている中、レベッカが残念そうに呟く。

 隣を歩くシズカが頷き、心配する言葉を漏らす。

 

 元々レベッカはレアルのことを誘っていた。

 本人は都合がつけば検討すると口にしていたが、生憎と外せない所用が入ってしまい断念している。

 

「せめて何かお土産でも渡してあげるといいよ~」

 

 来られなかった代わりに、何か労いになるお土産を贈るといいとビアンカが提案する。

 その提案にレベッカとシズカが頷く。

 

「何が良いかな~」

 

 レベッカが頬に手を当てて考え込む。

 

「この辺りの名産となると、食べ物なら(うなぎ)、工芸品なら焼き物ね」

 

 シズカがレイトナイト周辺の名産を挙げる。

 

 レイトナイト周辺には水質の綺麗な川がいくつも流れており、活きが良く栄養価の高い新鮮な(うなぎ)が手に入る。

 周辺には鰻を使った名物が多々あり、近くを訪れた者なら必ずと言っていいほど食べていく代物だ。むしろ(うなぎ)を食べる為だけに来る者もいる。

 

 レイトナイトはシノノメ家が居を構えているだけあり、共に東方から逃れてきた東方人が多く根付いている。

 その中には代々焼き物を生業(なりわい)にしている一族もいた。その一族の名はイスルギ家という。

 

 イスルギ家が作った焼き物は現在では名産になるほど価値の高い物となり、イスルギ家及び暖簾(のれん)分けした者が作った焼き物はイスルギ焼きという銘柄で親しまれている。

 

(うなぎ)は厳しいだろうし、焼き物がいいかな?」

「彼のイメージには合わないわね」

「ジルくんには合いそう」

「彼、雰囲気が落ち着いているものね」

 

 レベッカの言う通り(うなぎ)は厳しいかもしれない。

 異空間収納(アイテム・ボックス)に収納しておけば品質を保てるとはいえ、感情的になまものは受けつけないだろう。そもそも調理が難しいので現実的ではない。

 加工品ならば問題ないかもしれないが、食べ物である以上は好き嫌いが存在する。好みを完全に把握していないのなら食べ物は避けた方が無難だろう。

 

 その点、焼き物なら問題はない。

 問題があるとすればレアルに送るのに相応しい焼き物があるのかということだ。

 なので、レベッカはシズカの指摘に頷くしかなかった。

 

 落ち着いた雰囲気を纏っているジルヴェスターには合うかもしれないと二人は思ったが、彼の場合は東方人の文化や歴史を調べる為の研究材料にしてしまうのではないか? という懸念が湧いてきて一抹の不安を覚えた。

 

「まあ、二人以外のみんなのお土産も用意しないとだし、ゆっくり考えようよ」

 

 後輩二人の会話を聞いていたビアンカが口を挟む。

 

 確かにジルヴェスターとレアルの分だけではない。

 ステラやオリヴィア、イザベラにリリアナなど他にもお土産を用意する対象はいる。クラスメイトの分だってある。

 もちろんビアンカも友人に渡すお土産を用意するつもりだ。

 

「レベッカはジルくんのことで頭がいっぱいかな?」

「――そ、そんなことないし……!」

 

 ビアンカの揶揄(からか)いにレベッカは(ども)りながら否定する。

 髪の隙間から見える耳が赤くなっているのがかわいらしい。

 

「ま、まあ……ちょっとだけ気合が入っているのは否定しないけど……」

 

 レベッカは二人には聞こえないほど小さな声量でポツリと呟く。

 

 実は他の人に渡すお土産よりも、ジルヴェスターに送る物だけはより厳選するつもりでいた。

 少しでも喜んでほしいと健気にも思っていたのだ。

 

「――と、とにかく!」

 

 恥ずかしさから逃れる為に話題転換しようと力の籠った声を発する。

 

「レアルくんは少しでもゆっくり過ごせていたらいいなって話だよ!」

「そうだね~」

「ふふ、そうね」

 

 ビアンカは慣れたものと軽く受け流し、シズカは微笑ましげに表情を緩める。

 

「――それじゃ、少しお店を見て回りましょうか」

 

 シズカが案内を買って出ていくつもの店を覗いて行くことになった。

 

 しかし三人の想いも(むな)しく、レアルは心身共に追い詰められていた。

 



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第25話

 ◇ ◇ ◇

 

 この日、ジルヴェスターはフェルディナンドに貰った標的にされる可能性のある者のリストを参考に見回りに赴いていた。

 彼だけではなく、レイチェルやミハエルも見回りを行っている。

 

 現在ジルヴェスターはネーフィス区の第一の町であるリンドレイクにいた。

 レイチェルはプリム区、ミハエルはペトルグルージュ区にいる。ミハエルが率いる部隊の隊員も各地に散って見回りをしている。

 

 暗殺を未然に防ぐ為の労力は惜しまない。

 だが、政治家が暗殺されていることは(おおやけ)にされておらず、魔法師であっても一部の者にしか情報を(もたら)されていない。

 混乱を避ける為に、確実に信用できる者にしか情報を流せないからだ。なので、割ける人員にも限りがあるのが辛いところである。

 

 ジルヴェスターやレイチェルたちが各地で見回りを行っているが、確実に犯人が姿を現すとは限らない。

 無駄足になる可能性もあるが、無駄になるに越したことはない。被害者が生まれなかったということなのだから。

 

 今日のジルヴェスターは特級魔法師の証である席次が記されているコートを羽織っている。

 魔法師の身分を証明する為の物なので、魔法師として活動する際はコートを羽織らずに私有地以外で魔法を行使することは認められていない。特級魔法師にとっては必須アイテムだ。特級魔法師以外の魔法師は記章を身に付ける決まりとなっている。

 

 コートの左腕の部分には一の字が入った腕章が縫い付けられており、背中には大きく一の字が刻まれている。

 大変目立つ身形だが、ジルヴェスターは人目に付かないように心掛けて行動していた。

 まるでアサシンと見紛うような隠形ぶりだ。

 

 暗殺対象になり得る者が住んでいる自宅が目視可能な、五十メートルほど離れた場所にある建物の上にジルヴェスターはいた。彼が見守っている暗殺対象になり得る人物はマーカス・ベインだ。

 

 ベインの自宅は一般的な邸宅だった。フェルディナンドの腹心に相応しく豪奢な暮らしを好まないタイプらしい。

 自宅の周囲を塀が囲っているということもなく、玄関は路地に面している。

 煉瓦造りの邸宅は一家族が暮らすには充分な広さだ。部屋を持て余したりするような広すぎる邸宅ではない。必要最低限といった印象だ。

 フェルディナンドの話では、質素倹約というほどではないが、普段から特別な日以外は贅沢をしない性分なのだそうだ。

 

 ジルヴェスターは現在、光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)の二つの魔法を用いて存在感を消している。

 

 光学的に術者自身を透明化する事ができる支援魔法――光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)で姿を消し、指定範囲の音を消すことができる妨害魔法――消音の包容(サイレント・インクルージョン)で自身が発する音を消して完璧な隠形をこなしていた。

 

 ――『消音の包容(サイレント・インクルージョン)』は音属性の第三位階魔法であり、指定範囲の音を消す妨害魔法だ。範囲を広げるほど魔力を消費する。

 

 二種類の魔法を寸分の狂いもなく常時行使し続ける腕前はさすがだ。

 未熟な者ならば複数の魔法を同時に行使することすらできない。

 ジルヴェスターは片手間にやってのけているが、複数の魔法を同時に行使するのは高等テクニックだ。決して容易ではない。

 

 ベインの自宅を見つめていると、周囲を何度も行ったり来たりしている者がいることに気づく。

 自宅内の様子を窺うような仕草をする姿は如何(いか)にも怪しい。人目につく行動は明らかに不自然だ。

 

(素人か……?)

 

 不慣れな感じが犇々(ひしひし)と伝わって来るほど、(くだん)の人物の迂闊な行動には疑問が浮かぶ。まるで暗殺などとは無縁な素人なのかと疑うほどだ。

 

 しかし素人を装う意味などない。もしかしたら本当に素人なのかもしれないとジルヴェスターは思ったが、頭を振って考えを改める。

 油断していいことなど何一つとしてない。常に最悪を想定しておくべきだ。

 

 いくら怪しいとはいえ、その理由だけで拘束することはできない。

 当人が行動を起こすまで待つ必要がある。現行犯で捕らえるのが最も理想だ。もちろん未然に防いだ上でだ。

 

 その後、数分間怪しい人物の姿を眺めていたが、何もせずに退散してしまう。

 

(下見か?)

 

 もしかしたら今この時に暗殺に乗り出すのではなく、下見に赴いただけなのかもしれない。

 事前準備は重要だ。その辺は抜かりなくこなしているのだと思われる。――それにしては素人感丸出しであったが。

 

(そもそも全く関係ない可能性もあるが……)

 

 単に怪しいだけで、暗殺者とは全く関係ない人物の可能性もある。

 建築物マニアで気になった邸宅を見学していただけという線や、留守を狙った空き巣の線など、(くだん)の人物の正体についてはいくつもの可能性が考えられる。

 故に暗殺者と決めつけるのは時期尚早だ。

 

 ベインから目を離すわけにはいかないので追跡することはできない。

 いざ実行に移した時に阻止すればいいと割り切り、(くだん)の人物から視線を逸らす。

 

 暗殺される可能性のある者は他にもいる。全く別の場所で別の人物が暗殺されている可能性もある。

 別の場所で見回りしている者から連絡が来るかもしれない。

 今はただ待つのみだ。

 



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第26話

 ◇ ◇ ◇

 

 二日後、ジルヴェスターは再びリンドレイクにいた。

 見回りを開始して三日目だ。もちろん途中で見回りを交代してもらっているので、しっかりと休憩を挟んでいる。

 二日前と同じ場所から暗殺対象になり得る人物の自宅を見張り様子を窺う。

 

 暗殺を実行するなら人目につきにくい夜が相応しいだろう。

 ジルヴェスターも日が沈んでからが勝負だと思っていた。

 しかし――

 

(奴は――)

 

 ジルヴェスターの視線の先には二日前と同じ格好の例の人物がいた。

 マントを羽織り、頭にフードを被せている。

 距離があるのでわかりにくいが、目元から下も布を被せて隠していると思われる。

 

(当たりか……?)

 

 二日前にも目撃した怪しい人物がベインの自宅の脇で立ち止まり、様子を窺うように見据えている。

 暗殺者の可能性が格段に上がった。

 少なくとも建築物マニアの線はなくなっただろう。空き巣の線は拭えないが、仮にそうであっても侵入したら捕らえるので問題はない。犯罪者だ。躊躇う必要など一切ない。

 

 ジルヴェスターは光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)を行使したまま(くだん)の人物に近付いていく。

 数戸の建物を屋根伝いに飛び移っていき、(くだん)の人物の背後に位置する建物の屋根へと移動した。

 そして見下ろすように眼下へ視線を向ける。

 

 怪しい人物は眼前の邸宅を見上げたまま動こうとしない。

 ジルヴェスターはそのまま数分の間監視を続けることになった。

 右脚から小さく一歩踏み出すが、すぐに足を引いて立ち止まるのを何度も繰り返している。

 

(やはり素人か……?)

 

 ジルヴェスターは首を傾げる。

 確かに様子を観察する限りでは素人感が強い。迂闊な下見の仕方、煮え切らない態度。そのような様子を見て疑念が増々確信に変わっていく。

 

 その時、(くだん)の人物は葛藤を振り払うかのように突然頭を振った後、周囲の様子を探るように視線を彷徨わせる。そして人目がないのを確認し終わると、忽然(こつぜん)と姿を消した。

 突如姿を消したが、ジルヴェスターの()はしっかりと捉えていた。

 ジルヴェスターと同じように光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)で姿を消したのだ。

 

(あれは……)

 

 眼下で魔法を行使したのを()ていたジルヴェスターは違和感を抱いた。

 魔法の質に既視感を覚えたのだ。

 

 魔法の質は魔法師毎に異なる。

 所謂、癖というやつだ。

 

 どのように術式を解釈しているか、MACへの魔力の流し方、純粋な技量などによって魔法行使時に各々特徴が出る。

 とはいえ、普通は魔法行使の際に出る各人の特徴などわからない。

 行使者のことを熟知していて、魔法や術式に対する造詣(ぞうけい)が深く、尚且つ観察眼にも優れている極一部の者にしか見極めることは不可能な芸当だ。

 

 だが、ジルヴェスターには魔眼がある。

 彼は魔法や術式に対する知識があり、観察眼もある。そして彼の瞳に宿る魔眼が有する術式を読み取る能力、魔力そのものを視認するという能力。これらが合わされば魔法師の癖を見抜くなど容易いことだ。

 

 そのジルヴェスターが既視感を抱いた。

 つまり、眼下にいる人物は既知の者の可能性があるということだ。

 

 ジルヴェスターは一先ず考えるのをやめて目の前の人物の行動に意識を傾ける。

 

 怪しい人物は姿を消しているので一般人には視認できないが、ジルヴェスターにははっきりと()()ている。

 だが、姿形をはっきりと視認しているわけではない。あくまでも人型の魔力が動いているように()()ているだけだ。

 

 いずれにしろ魔力を使って光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)を行使している以上、ジルヴェスターの魔眼から逃れることはできない。

 

 謎の人物が姿を消した数秒後に邸宅の扉が開かれた。

 扉の先からマーカス・ベインが姿を現す。怪しい人物は家人が外出するのを察して姿を消したのだろう。

 

 扉を開けたマーカスは一度振り返った。

 ジルヴェスターは距離があるのではっきりとは聞き取れないが、どうやらベインは奥方に見送られているようだ。

 そして奥方と一言二言言葉を交わしたマーカスは自宅を後にした。

 

 マーカスには見えていないからか、怪しい人物の方へと歩み進めている。

 姿を消している人物は路地の端へと移動しており、マーカスは横を通り過ぎていく。

 

 二人の距離が五メートルほど離れると、怪しい人物は尾行を開始した。

 距離感を保ったまま尾行を続ける様子をジルヴェスターは頭上から確認していた。

 

(確定か)

 

 ジルヴェスターの疑念は確信に変わっていた。

 暗殺者か空き巣の線があったが、こそ泥ならマーカスのことを尾行したりなどしないだろう。

 ベインを襲い金品を奪うという線もあるが、それならベインを狙うよりも自宅に侵入する方がリスクが低い。

 

 魔法を抜きにしたらの話だが、身体的な能力上、大人の男よりも女性の方が対峙する際のハードルが低い。

 つまり、空き巣ならベインから金品を奪うよりも、自宅に侵入した方が効率がいいのだ。しかもマーカスは中級二等魔法師だ。彼が不在の隙に盗みを働くのが賢い判断だろう。

 

 これらの状況から察するに、怪しい人物の正体は空き巣ではなく暗殺者の可能性が格段に上がった。

 



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第27話

 確信を得たジルヴェスターは二人の後を追跡する。

 マーカスが向かっている先は中心部の方だ。住宅街と中心部の間には鉄道の駅がある。

 フェルディナンドの情報では、マーカスは休日のはずだ。

 仕事なら中央政庁のあるセントラル区に向かう為に駅を目指すだろうが、休日なので判断が難しい。

 

 ベインはスーツを着用しているわけではないので、やはり仕事の線は消していいだろう。

 遠出するとも思えないラフな服装だ。ポロシャツの上にジャケットを羽織り、スラックスを穿いている。

 推測するに中心部まで買い物に出向いているというところであろうか。

 

 住宅街を歩いていたが、途中で若葉が芽吹く春の新緑が揺らめく木々が並ぶ公園を通過する。

 中心部へ赴くなら公園を通過する必要はない。近道にはなるのかもしれないが、それは地元民にしかわからないことだ。

 

 そして都合の悪いことに今日は人気(ひとけ)がなかった。

 木々が視界を遮っているので周囲からの視線が届きにくく、住宅街のように建物が密集しているわけでもないので多少の音なら発しても問題はない。

 暗殺者にとっては好都合な環境だろう。

 

 公園の中心辺りまで進んでいくと、好機とみた暗殺者がマーカスとの距離を詰める。なるべく音を立てないように気をつけている。

 

 暗殺者が姿を消したままマーカスの背後に近寄ると、マントの内に隠したダガーを取り出して右腕を振り上げた!

 

 その時にマントを(ひるがえ)す音が鳴った。

 背後から音が聞こえたマーカスは驚きながら振り返ろうとするが、自衛する為にはタイミング的に間に合わない。

 

 だが、当然ジルヴェスターがただ傍観しているわけがない。

 二人に気づかれないようにそばまで近寄っていたジルヴェスターは、暗殺者が振り上げた右腕を自分の右手で掴んで止めた。

 

「――!?」

 

 暗殺者は突然自分の右腕を掴まれたことに驚き、小さく声を漏らす。

 そして不覚にも行使していた光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)を解いてしまった。

 

「――何者だ!」

 

 突然背後に現れたにも(かか)わらず、自分が置かれている状況を瞬時に把握したマーカスはバックステップを踏んで距離を取り、戦闘態勢を整えた。

 魔法師として一線を退いていても、状況を瞬時に理解して冷静な判断を下せるのはさすがだ。

 

「……」

 

 右腕を掴まれて身動きできない暗殺者は押し黙るしかなかった。

 

 対して、ジルヴェスターは自ら光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)の行使を止めて姿を現す。

 

「――!!」

 

 暗殺者は姿を消した誰かが自分の右腕を掴んでいることは把握していた。

 しかし、目と鼻の先に姿を現した人物の顔を見て大いに動揺した。顔は隠れているが驚愕しているのだろうと容易に判別できるほどだ。

 ポーカーフェイスを保てないところも素人感丸出しである。

 

「貴方は……!」

 

 突如姿を現したジルヴェスターの存在に驚きながらも、自分のことを守ってくれたのだとマーカスは瞬時に判断した。

 だが、目の前の人物が羽織っているコートを見て、誰なのかを察したベインは失礼があってはならないと居住まいを正す。

 

「ここは俺が引き受ける。詳しい話は(じじい)――七賢人のフェルディナンドに訊いてくれ」

「はっ!」

 

 自分の呟きに答えるように返ってきたジルヴェスターの言葉に、マーカスは敬礼をして走り去っていく。

 詳しい話を追及することなく、ジルヴェスターの言葉に恭順するマーカスは終始冷静であった。

 

 マーカスは自分がこの場にいたら足手纏いになるということを理解していた。

 理解していても中々素直に応じられることでない。

 その点、マーカスは感情に作用されることなく、冷静に状況を判断できる大人であった。

 

 また、昨今自身が尊敬するフェルディナンドの腹心が立て続けに不審死していることを把握しており、それで今回は自分が狙われたのだろうと察していた。

 故に状況説明を求めることもなく、邪魔にならないように避難する選択を迷わず選んだ。

 それだけ特級魔法師第一席の肩書が他者に影響を与えるという証左でもある。

 

 自分たちの話し声が届かなくなる距離までマーカスが離れたのを確認したところで、ジルヴェスターが口を開く。

 

「――大変そうだな、レアル」

「――!?」

 

 ジルヴェスターが口にした言葉に暗殺者――レアルは一層驚きと動揺をあらわにする。

 ただでさえ自分の右腕を掴んでいるジルヴェスターの存在に動揺していたレアルは、自分の正体が見破られているという事実に焦りと困惑が合わさり、頭の中が真っ白になっていた。

 

 ジルヴェスターはレアルが魔法を行使した際の既視感と、身体を動かす際の所作、そして体格から暗殺者の正体はレアルではないかと当たりをつけていた。

 もちろん確証はなかったが、右腕を掴む為に近付いたら確証を得た。

 

 本来ならば、わざわざ近付いて右腕を掴むことなどせずに、魔法を使って対処すればいいことだ。

 だが、正体がレアルではないかと疑念を抱いていたので魔法を使わなかった。

 

 ジルヴェスターが知っているレアルなら暗殺などするわけがないと思ったからだ。

 やむを得ない状況に追い詰められているのではないか? 以前、体調が悪いにも拘わらず無理して壁外に赴いていた理由にも繋がるのではないか? と考えた。

 

 以上の理由により、レアルを傷つけずに止める選択を下した。

 

 そしてレアルが右腕を掴まれたまま抵抗しなかったのは、相手がジルヴェスターだったからだ。動揺していたのもあるが、単純に友人に危害を加えることができなかったからだ。

 

 レアルは真面目で誠実な人間だ。仮に自分が不利な状況になるとわかっていても、友人に危害を加えることなどできないだろう。

 

「すまんな」

 

 そう一言詫びを入れたジルヴェスターは、レアルが動揺した隙を見逃さずに魔法を行使する。

 左手首に装着している腕輪型の汎用型MACが光り、時間差を感じられないほどの速度で魔法が発動された。

 結果、眼前にいたレアルの姿が消失した。

 



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第28話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の四月二日――リンドレイクにある魔法協会支部の一室にジルヴェスターはいた。

 職員用の休憩室として用いられている部屋だが、建物の隅にあり利便性が悪く普段はあまり使われていない。それでもソファとテーブルはしっかりと設置されているので、休憩室としての役割は果たしている。

 

 ジルヴェスターは時間を潰す為に趣味の読書に勤しんでいた。

 テーブルにはコーヒーと菓子が置かれている。支部長が用意してくれた物だ。気を遣わせてしまい申し訳ない気持ちもあったが、厚意に甘えることにした。

 

 支部長としては特級魔法師第一席であるジルヴェスターに粗相のないようにと精一杯の歓待を心掛けていた。

 

「――んん……」

 

 ジルヴェスターの対面のソファから吐息が聞こえてくる。

 

「起きたか」

「ここは……?」

 

 対面のソファで横になったままレアルが目を覚ます。

 

「リンドレイクの魔法協会支部だ」

「――ジル!?」

 

 自分の独り言に対して言葉が返ってくるとは思っていなかったレアルが瞠目する。

 慌てて上半身を起こしてソファに座り直す。

 

 ジルヴェスターは本を異空間収納(アイテム・ボックス)にしまうと、テーブルに置いてあるティーポットを手に取り、中身が空の新しいカップにコーヒーを注ぐ。

 

「とりあえず落ち着け」

 

 そう言いながらコーヒーを注いだカップをレアルの手前に差し出す。

 

「あ、ありがとう」

 

 一先ずカップを手に取ってコーヒーを一口啜ると、ほっと一息吐いて落ち着きを取り戻す。

 

「昨日のことは覚えているか?」

 

 様子を見守っていたジルヴェスターがタイミングを見計らって尋ねる。

 

「うん……」

 

 レアルは相槌を打つと、顔を下げて悲壮感漂う表情になった。

 

「なんかデジャヴ……」

 

 つい最近にも同じような場面があったなと思い、自然と口から言葉が漏れた。

 

「そうだな。お前が壁外で倒れた時と重なるな」

「はは、それか……」

 

 レアルは既視感の正体がわかり苦笑する。

 

 以前レアルは体調不良にも(かか)わらず壁外に赴いた。

 その際に迂闊にも気を失うという失態を犯し、偶然出くわしたジルヴェスターが救助したお陰で事なきを得たが、非常に危険な状態だった。

 そして気がついた時には寮の自室におり、ジルヴェスターに事情を説明してもらった経緯がある。

 現在の状況は正にその時と酷似したシチュエーションであった。

 

「――まさかジルが『守護神(ガーディアン)』様だったなんて……」

 

 ジルヴェスターは本名を公表していないので世間には知られていないが、『守護神(ガーディアン)』という異名は国内に轟いている。この国には知らぬ者はいないと言っても過言ではないだろう。

 

 レアルは昨日(さくじつ)、特級魔法師の証であるコートを羽織ったジルヴェスターと対面している。その時の光景ははっきりと覚えていた。

 

「――それで、何故お前が暗殺などと柄にもないことをしていたんだ?」

 

 ジルヴェスターの目的とは別の話題になったので、本来の疑問を単刀直入に尋ねる。

 この為にレアルが起きるのを待っていた。

 

 昨日の光景を頭の中で思い浮かべていたレアルは、ジルヴェスターの質問に冷水を浴びせられたかのように頭が冴えて冷静になった。

 そして現在自分が置かれている状況を改めて理解した。

 

「それは……」

 

 レアルは唇を噛んで言い淀む。

 眉間に皺を寄せ、胸中で葛藤しているのが犇々(ひしひし)と伝わってくる。

 それも無理はないだろう。

 

 レアルも大勢の人と同じで特級魔法師には憧れを抱いている。それも第一席ともなれば憧憬(しょうけい)を抱くのも烏滸(おこ)がましいと思ってしまうほどの存在だ。

 

 そのような人物に自分が暗殺という不道徳なことを行っていると知られてしまった。

 一魔法師として顔向けできず、恥じや情けなさなどの負の感情が胸中を占める。憧れの存在に軽蔑されてしまうのではないかと恐れを抱いてしまう。

 

 特級魔法師という肩書を抜きにしてもジルヴェスターは友人だ。

 単純に友人には軽蔑されたくない。

 何よりも友人を暗殺者の友人にはしたくなかった。

 

「お前のことだ。何か事情があるんだろ?」

 

 ジルヴェスターとレアルの付き合いはまだ短い。

 だが、その短い付き合いでもジルヴェスターはレアルの人柄を理解している。彼は真面目で誠実、そして努力家だ。

 そのレアルが暗殺という不道徳なことをするとは思えない。やむを得ない事情がない限りは。

 

 レアルはジルヴェスターの言葉に心が救われた気がした。

 罪悪感などの負の感情で心が押し潰されそうになっていたレアルには、軽蔑せずに寄り添おうとをしてくれていることが何よりも嬉しくて心が軽くなる。

 

「何も遠慮することはない。気にせず話せ」

 

 レアルは友人を厄介事に巻き込んでしまうと思い、口が重くなっていた。

 一度ジルヴェスターと視線を合わせてから深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

 改めて考えると、特級魔法師であるジルヴェスターには大した障害にはならないのかもしれないと思い至り、観念したのか、覚悟を決めたのか、はたまた自棄(やけ)になったのかはわからないが、重い口を開いた。

 

「――実は……」

 

 ぽつりぽつりと現在自分が置かれている状況を語り始めた。

 



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第29話

 レアルは二年前まで家族四人で仲良く暮らしていた。

 しかし、魔法師である父が壁外で亡くなってしまったことにより環境が一変してしまう。

 

 魔法師である以上はいつ命を落とすかわからないので、家族はみな覚悟できていた。

 とはいえ、覚悟はできていてもすぐに切り替えられることではない。

 

 残された家族が消沈していた時に、父が亡くなったと耳にしたと一人の男が突然現れたのだ。

 

 男の話によると、父が男に借金をしていたというではないか。

 借金など身に覚えがない。母でさえ知らないことだった。

 だが、確かな証拠となる借用書があった。

 

 借用書には何度も目を通して確認した。

 確認はしたが、本物かどうかはわからない。

 

 いや、この際本物か偽物かはどうでも良かった。

 何故なら、借用書を持ってきた相手が最大の問題だったからだ。

 

 その男の正体は、この国の統治者たる七賢人が一人――ビリー・トーマスであった。

 

 反論したくても七賢人を相手に抵抗などできはしない。

 国で最も大きな権力を有する七人の内の一人だ。

 

 仮に借用書が本物であったら取り返しのつかないことになる。最悪この国で暮らせなくなる恐れすらある。

 一般的な魔法師の家系であるレアルの家族は、圧力を掛けられれば事実がどうであれ受け入れるしか選択肢は残されていなかった。

 

 受け入れるにしても多額の借金を返せる当てなどない。

 不本意ながら頭を下げることしかできなかった。

 

 そこでビリーがとある案を提示した。

 その案とは、レアルの母がビリーの妾になることであった。妾になれば借金はなかったことにすると言い出したのだ。

 

 この時レアルも、レアルの姉も眼前の男の正気を疑った。

 夫を亡くして未亡人になったばかりの母になんという仕打ちをするのかと。

 当然二人は猛反発した。

 

 当時国立魔法教育高等学校を卒業したばかりであった姉が一緒に借金を返済しようと母を必死に説得し、まだ十三歳であったレアルは魔法技能師ライセンスを取得しておらず金銭的な協力はできなかったが、家事全般の雑事を受け持つと提案した。もちろん魔法師としては働けなくても、別の働き口は探すつもりだった。

 

 しかし、母は自分の可愛い娘と息子に苦労を掛けさせたくはなかったのだろう。不承不承ながらビリーの妾になることを受け入れた。

 

 そして三人はビリーの屋敷に移り住むことになる。

 母は自分について来る必要はないと娘と息子に告げた。別の場所で二人一緒に暮らせばいいと。

 しかし二人は断固として受け入れず、母について行くことを決めた。二人の意志が固かったので、その想いを母は尊重してくれた。

 

 そうしてビリーの屋敷に移り住むと、そこには多くの女性がいた。

 自分たちに良くしてくれた女性に詳しい話を聞くと、全員ビリーに囲われているのだと言うではないか。

 五十代から十代の年齢層の女性が数多くいたのだ。開いた口が塞がらないほど驚いたのは記憶に新しい。

 

 レアルは未だに正確な人数を把握していない。把握している人数は三十人ほどだ。実際にはもっと多くの女性がおり、少なく見積もっても五十人はいるのではないかとレアルは思っていた。もしかすると百人近くいるかもしれないとまで思っている。

 

 母もこの数多くの女性の一員になるのかと思うと不憫(ふびん)でならなかった。

 仮に妾になるにしても、母だけを愛してくれるのならばまだ良かった。せめて数人くらいならまだ我慢もできたものだ。

 これほどの人数がいるのならおそらく愛のない関係なのだろうと思い、ただただ母が不憫になった。

 

 多くの女性たちには様々な境遇の者がいた。

 母と同じように借金のカタとして連れて来られた者。

 貧しい故に家族の為に自ら身売りした者。

 弱みに付け込まれて諦めるしかなかった者。

 金に困らない生活を得る為に自ら愛人になった者。

 政界での出世の足掛かりとしてビリーに取り入った者。

 純粋にビリーを愛しているという奇特な者など多岐に渡る。

 

 ビリーは現在五十一歳だ。いったい彼の下半身はどれほど元気なのだろうか。

 ちなみにレアルの母は四十二歳だ。

 

 ビリーは女たちとの間にできた子供は自分の子としてしっかり認知している。

 女たちの連れ子は自分の子として認知していないが、生活の面倒は見ている。

 そして女性たちがいくつ年を重ねても追い出さない辺りは、経緯や女癖などはともかく、甲斐性はあるのかもしれない。

 

 そんなこんなで三人は不本意ながらもビリーの屋敷で生活していた。

 お金に困ることがなく、レアルたちに良くしてくれる女性もいたので不便を感じたことはない。――母のことが心配な毎日ではあったが。

 

「母さんがどう思っていたのかはわからないけどね」

 

 夫を亡くしたばかりにも(かか)わらず、好きでもないスケベ親父の妾になったのだ。

 辛酸(しんさん)をなめていて自分が一番辛い立場だろうに、娘と息子に心配を掛けない為に気丈に振舞っているのだろうとレアルは思っていた。

 そんな環境でも家族三人寄り添って暮らしていた。

 しかし――

 

「一年くらい経った頃に状況が変わったんだ」

「と言うと?」

 

 沈んだ表情で語っていたレアルが一層悲壮感を深めると、怒りが籠った口調で話し出す。

 

「あいつ今度な姉さんに手を出そうとしたんだよ」

 



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第30話

 姉が国立魔法教育高等学校を卒業してから約一年後の出来事だ。

 当時十九歳の姉は、魔法師としての道を本格的に歩み始めて順調に活動していた頃である。

 

「その時は母さんがあいつの気を自分に向けさせることで事なきを得たけど、こっちはあいつに迫られたら断れない立場なんだよ……」

 

 レアルは爪が食い込むほどの力で拳を握り締める。

 

「あの時の覚悟を決めた姉さんの顔は今でも脳裏に焼き付いているよ」

 

 現代ではフリーセックスは過去の遺物となっている。

 結婚まで純潔は守るものになっており、特に魔法師はその傾向が強い。

 

 魔法師としての才能は遺伝的な要因が強い。 

 より優れた魔法師を輩出したいなどの思惑が絡み、純潔を重視するのは名家になればなるほど多くみられる。魔法師の名家ともなると親や当主の決めた婚約者がいることも多い。

 

 そういった考えは風化していっているが、純潔を重視するという部分だけは徐々に一般層にも浸透していった。

 その結果、純潔を重視するという思想が一般的な常識になって今に至る。――無論そうではない奔放な者もいるが。

 

 純潔を重視するということは、生娘でないと結婚することが難しくなるということだ。

 もちろん初婚の場合に限る。再婚は例外だ。当然、後添いを迎える男性もいれば、新しい夫を作る女性もいる。

 

 つまり姉が覚悟を決めたのはビリーの女になって抱かれることだけではなく、結婚を諦めるということだ。

 ビリーに抱かれるのが一時のことならば、後添いの道は残されているかもしれない。

 もちろん、生娘ではないことを気にしない男性と結婚できる可能性は残されている。

 

 しかし、そもそも一時のことではなく、ずっとビリーに囲われるかもしれない。むしろ、そうなるのが現実的だった。

 

 未亡人や離婚歴のある女性でも辛いことだ。

 そのような逃げられない現実に生娘である若い娘が直面したら、相当な覚悟を決める必要があるだろう。それも悲壮な覚悟だ。――自ら望んでビリーの女になる者には無縁の覚悟だが。

 

 今となっては父の死もビリーが関与しているのではないかとレアルは疑っているが、真偽のほどはわかりようがなかった。

 

「――それで今は問題ないのか?」

「一応ね」

 

 ビリーがレアルの姉に手を出そうとしたのは約一年前の話だ。

 その時はなんとかスケベ親父の魔の手から逃れられたが、現在はどうなのかが最大の懸念点だ。

 

「今も母さんが自分に気を向けさせることでなんとか(しの)げているよ」

「そうか。手玉に取るとはお前の御母堂は中々やるな。きっとそれだけ魅力的な方なのだろうな」

「そうだね。母さんが一番辛いだろうに尊敬するよ」

 

 現在も母の献身で姉の身を守っている。

 母親の愛は偉大だ。

 

「姉さんは一年前から親友の家に居候させてもらっているから大丈夫」

「一先ずは安心か」

 

 姉の親友はレアル一家の境遇を知っている。当初から心配を掛けてもいた。

 姉の身に危険が及んだ際、ビリーの屋敷から離れた方がいいという結論に至り、そこで親友が「自分の家においで」と手を差し伸べてくれたのだ。

 

 以降、姉は親友のもとに身を寄せている。

 ビリーの屋敷とは別の区なのでレアルたちとは離れることになった。離れて暮らしていても、切っても切れないほど強い絆で三人は繋がっている。

 

「そして僕があいつの駒のとして動くことで憂さ晴らしをさせて、別のことに意識を向けさせているんだ」

「なるほど。それが今回の件に繋がるわけか」

 

 優秀で従順な駒を手に入れたビリーは悪巧みがしやすくなる。その影響で陰謀を企てることに意識が傾き、姉への興味を逸らさせることができた。

 

「でも冷静になった今改めて思うと、ジルに止められて良かったよ。暗殺なんて許されることじゃない」

「世の中綺麗事だけで回っているわけではないが、少なくともお前には向いていないな」

「そうだね。今回身に染みて実感したよ」

 

 レアルは重荷から解放され、深く安堵の溜息を吐く。

 彼は真面目で誠実な人間だ。良心に反することを行うことはできない。むしろ彼の心を(むしば)む毒にしかならない。

 

 中には道徳に反することを行ってもなんとも思わない者もいるが、そのような人種はレアルとは対極に位置する存在だ。

 頼りなさを感じるかもしれないが、彼の感性は褒められこそすれ非難されることではない。

 彼のような人間の方が信頼でき、人間的な魅力があるだろう。

 

 その点、今まで後ろ暗いことを何度も行ってきて既に良心が麻痺してしまっているジルヴェスターには、レアルのことが眩しく見えた。

 

 世の中に蔓延(はびこ)る闇の部分など普通は知らなくていいことだ。

 レアルもビリーの件がなければ一生関わることはなかったかもしれない。

 

「他に暗殺対象になっている者と、お前以外の実行犯はいるのか?」

「ごめん……それは僕にもわからないんだ」

「そうか」

 

 ジルヴェスターの問いにレアルは首を左右に振って答える。

 

 今回はジルヴェスターが暗殺を阻止できたが、そもそも暗殺対象にされているのがマーカス一人だとは限らない。また、実行犯がレアル一人だとも限らない。

 現在もレイチェルやミハエルたちが各地で見回りを行っているが、問題が解決するまでは引き続き警戒をする必要がありそうだ。

 



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第31話

「事情は理解した。後は任せろ」

「え?」

 

 ジルヴェスターの言葉にレアルは驚きと疑問が混ざり合い、なんとも表現できない複雑な表情になる。

 

 幸い暗殺は未遂に防げた。

 また、事情が事情だ。

 今回暗殺対象にされたマーカスに話を通せば、レアルが罪に問われることはないだろう。

 マーカスは真っ当な政治家で信用できる立派な大人だ。レアルの事情を話せば訴えることはないと思われる。

 最悪フェルディナンドが説得すれば素直に首を縦に振るであろう。

 

 問題はビリーの件だ。

 ビリーが七賢人である以上は容易に解決できることではない。

 何かしらの悪事に関する確たる証拠を手に入れない限りは、問い詰めることすらできない。

 問い詰めたところで罪に問えるかは別問題だが、可能性がゼロではない以上やらない理由にはならない。

 

 特級魔法師であるジルヴェスターとミハエル、そして最古参の七賢人であるフェルディナンドの三人が動けば解決できる確率は格段に上昇する。

 ジルヴェスターは脳内で今後の行動方針を思い描いていく。

 

「お前には俺の言う通りに動いてもうことになるが、問題ないか?」

「う、うん。それで状況を打破できるのならなんでもするよ」

 

 ジルヴェスターの問い掛けにレアルは若干気圧されながら頷く。

 唐突な展開について行くので精一杯であったが、自分たちの為に手を差し伸べてくれているのだということはわかった。

 

「まず、お前は暗殺に成功したと報告してこい」

「わ、わかった」

 

 レアルは素直に頷くが、疑問があったので問い掛ける。

 

「でも、ベイン殿は健在だけど問題ないの?」

 

 ジルヴェスターが暗殺を阻止したのでマーカスは健在だ。

 なので、存命しているのに虚偽の報告をしても問題はないのかとレアルは思った。

 

「ああ。一度雲隠れしてもらう」

 

 ジルヴェスターは自分の考えを述べていく。

 

 まずはマーカスに事情を説明して協力を仰ぐ。

 説得はフェルディナンドに頼めば問題ないだろう。

 

 そして人相が判別できないマーカスに似た体型の遺体を用意する。

 遺体を用意するのには少々手古摺(てこず)るかもしれないが、用意することは可能だ。

 貧困街には死体が転がっていることも珍しくない。闇ブローカーに遺体の用意を依頼することも可能だ。なんなら死刑囚を使う手もある。

 

 偽物の遺体で誤魔化せれば最良だが、最悪一時凌ぎにさえなればいい。

 マーカスが表に姿を現さなくなれば信憑性が上がるはずだ。

 

 時間を稼げている間に可能な限りの手を打つ算段である。

 

「そしてお前は何食わぬ顔で過ごしていろ」

「ポーカーフェイスに努めるよ」

「手荒な事態にならないように最善を尽くすが、いつでも御母堂を連れて逃げられるようにしておけ」

「わかった」

 

 レアルの母には危険が及ばないように行動するつもりだが、何事も絶対は存在しない。

 最悪の事態を想定していつでも逃げられる心構えをしておいてもらう必要がある。

 

「えっと……姉さんはどうすれば?」

 

 母の身は自分が守れば問題ないが、万が一報告が虚偽だとバレた場合、姉の身にも危険が及ぶのではないかと思い至ったレアルが懸念点を口にした。

 

「そっちも抜かりはない。手を打つ」

「そっか。ジルを信じるよ」

 

 レアルはジルヴェスターを信じることにした。

 心配はあるが、任せると決めたからには最後までついて行くと覚悟を決める。

 

 ジルヴェスターには既に腹案があった。

 それで姉の身は守れるはずだ。

 ビリーが引き際を誤らない限りは。

 

 ジルヴェスターにはちょうど一週間前にレイチェルに頼まれたことにも応えられ、一石二鳥だろうと思った考えがある。

 

「一先ず代わりの死体を用意するまで待っていろ」

 

 行動を起こすにも偽装の為の死体を用意してからでなければ動けない。

 

「特に期限を指定されてはいないから、それは大丈夫だと思う」

「そうか。それは好都合だ」

 

 ベイン暗殺の命を下されたが、執行期限は設けられていない。

 あくまで実行犯であるレアルが暗殺できると踏んだ時で構わなかったようだ。とはいえ、あまりにも遅すぎるのはよろしくない。レアルもあまり引き延ばすのは良くないと思い早々に実行に移っていた。

 

 ジルヴェスターからすると期限がないのは好都合だ。

 あまり悠長にはしていられないが、猶予があるのは助かる。

 

「監視はされていないな?」

「うん。多分だけど……」

 

 レアルがしっかりと任務をこなすか監視している者がいた場合は、全て意味がなくなってしまう。

 ジルヴェスターは事前に監視の目がないか調査しているので問題はないと思っているが、いくら彼でも絶対はない。見落とすことも相手に上回れることもある。

 故にレアルに確認しておきたかった。

 

「少し待て」

 

 確認にしておかなければならないことを全て終えたジルヴェスターは、レアルに待つように告げる。

 頷いたレアルはカップを手に取り、既に温くなっているコーヒーを啜った。

 

 ジルヴェスターはレイチェル、ミハエル、フェルディナンドに順次念話(テレパシー)を飛ばして打合せを行う。

 その様子をレアルは漠然と眺めていた。

 



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第32話

 ◇ ◇ ◇

 

 話を終えたジルヴェスターとレアルは魔法協会支部を後にして、リンドレイクの街中に繰り出していた。

 現在の時刻は正午を過ぎた辺りだ。

 

 レイチェル、ミハエル、フェルディナンドにそれぞれ頼み事をした。

 ミハエルには引き続き隊を率いて見回りを行ってもらうように頼み、フェルディナンドにはマーカスに事情を説明することと、偽装用の死体を用意することを頼んだ。

 レイチェルにはまた別の用件を命じている。

 

 ミハエルは現在進行形で行っていることなので何も問題はない。

 フェルディナンドには死体の用意を可能な限り急いでもらう必要があるが、彼に任せておけば何も心配はいらないだろう。

 レイチェルへの命令は何事もなければ明日には済ませられるはずだ。

 

 とにもかくにもジルヴェスターとレアルは時間が空いてしまった。

 レアルの心情を(おもんぱか)って気分転換でもさせてやろうと思い散策に赴いていたのだ。――効果があるかはわからないが。

 

 特にどこかの店に寄るでもなく、商業区のメイン通りを目的もなく散策していた。男二人なのでウィンドウショッピングを楽しむということもない。

 賑わっている雰囲気を味わうだけでも気が紛れるだろうという考えだ。

 

 リンドレイクは商業の中心地だけあり、近代的な建物が多い。

 旧商業区は昔ながらの(おもむき)があり、建築物も煉瓦や石材を用いて建てられている。対して新商業区と呼ばれるエリアは、近代的なビルやショッピングモールが建ち並ぶ。

 

 居住区も旧居住区、新居住区と呼ばれる(ふた)つのエリアに分かれており、邸宅の建築様式が異なっている。

 ちなみに、魔法協会支部は旧商業区と新商業区のちょうど中間地点にある。

 

 そして現在、ジルヴェスターとレアルの二人は新商業区にある最も高層な商業ビルにいた。

 シンボリックセンターという名の商業ビルには、様々な企業及びブランドの店舗が入っている。MAC関連の店、アパレル、雑貨屋、書店、飲食店、日用品を扱う店などだ。

 

 二人が書店から出て、自動階段(エスカレーター)に乗って下の階へ降りていく。

 

 ――『自動階段(エスカレーター)』は魔法具の一つである。

 仕組みは機械に専用の術式を刻んだ魔晶石と魔力を溜めておくことのできる魔有石を埋め込み、送信機をオンにすることで魔力を溜め込んだ魔有石に振動による信号を送り、自動階段(エスカレーター)本体が受信機となり内蔵されている魔有石が魔晶石へと魔力を送ることで術式が発動する仕組みだ。

 ビル内の自動階段(エスカレーター)の送信機は全て制御室に設置されている。

 

 この自動階段(エレベーター)はジルヴェスターが開発したものだ。

 彼の収入源の一つであり、懐事情を豊かにしている。

 

「――あれ? ジルくん?」

「レアル君もいるわよ」

 

 階下に到着したところで、自動階段(エレベーター)と店舗の間の通路から二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

 ジルヴェスターとレアルが声のした方へ視線を向けると、そこにはレベッカ、シズカ、ビアンカの姿があった。――もっとも、ジルヴェスターは声を掛けられる前から三人の存在には気付いていたが。

 

 最初にレベッカがジルヴェスターの存在に気づき、遅れてシズカが反応していた。

 

「レベッカはジルくんのことで頭一杯だから」

「――ふ、二人は何しているの!?」

 

 ジルヴェスターのことしか目に入っていなかったレベッカにビアンカがツッコミを入れる。

 すると、レベッカは誤魔化すように慌てて男二人組に問い掛けた。

 

「レアルくんは忙しかったはずだよね?」

 

 レアルは春季休暇に入る前にレベッカに誘われていた。その際に多忙を理由に保留にしている。

 後日改めて断りを入れたが、普通なら自分の誘いを断ったはずなのに何故商業ビルにいるのか? という心情になる。しかも友人と一緒なら所用とも思えないだろう。嘘を吐いて誘いを断り、友人と遊びに来ていたのかと思われても仕方がないことだ。――レベッカ本人は、彼女の大きな器故に全くそのようなことは気にしていなかったが。

 

「奇遇だな」

「わたしたちはちょっと足を延ばして買い物にね」

 

 レベッカたちはシズカの実家に滞在している。シズカの実家があるレイトナイトはネーフィス区だ。

 そしてリンドレイクもネーフィス区にある。同区なので比較的近隣に位置する。

 三人は鉄道に乗ってリンドレイクまで買い物に訪れていた。

 

 レベッカは空色のオフショルダーシャツを着て肩を露出し、黒のハイウエストデニムスキニーパンツを合わせている。そして黒のショートブーツを履いており、派手すぎずない身形で自分の魅力を最大限生かしていた。

 

 シズカは黒のTシャツの上に同じく黒のジャケットを羽織り、白のスラックスを穿いている。黒のオープンバックパンプスを履き、仕事のできる大人な女性を思わせる装いだ。

 

 ビアンカは片方の肩が空いた黒のタイトワンピースを着て、紫のショートブーツを履いている。片方の肩のみ空いたアシンメトリーが色気を演出しており、落ち着いた雰囲気と色気を上手く両立させていた。

 

 三人とも自分の魅力を良く理解しているからこそ可能なコーディネートだ。

 

「ちょうどいい。少し頼まれてくれないか?」

 

 ジルヴェスターはレベッカの疑問に答えずにそう言った。

 

「いいけど、何かあったの?」

 

 女性陣三人は互いに目を見合せて疑問を浮かべる。

 

「少々事情があってな。数日こいつを預かってくれないか?」

 

 ジルヴェスターはレアルに視線を向ける。

 当のレアルは突然のことに驚いている。

 

「レアルくんを?」

 

 説明を省いたジルヴェスターの頼み事にレベッカは疑問を浮かべるしかなかった。

 

「構わないわよ」

 

 怪訝な顔をするレベッカを差し置いてシズカが了承の旨を告げる。

 

「助かる」

 

 シズカは雰囲気から詳しく説明できない事情があるのだろうと察した。

 しかもおそらく厄介事であり、説明しないのは自分たちは知らない方がいいことなのであろうと推測した。

 

 彼女は剣術の大家であるシノノメ家の令嬢だ。

 シノノメ家の一門として、世の中の綺麗な部分だけを見て生きていくことはできなかった。闇の部分に触れることも少なくない。

 また、門下生には様々な立場の者がいる。本人の意思に関係なく善にも悪にも触れざるを得ない環境で育った。

 故に、なんとなくだが雰囲気を察することができていた。

 

「シズカちゃんがいいなら私たちも問題ないよ~」

 

 ビアンカが間延びした口調で了承すると、レベッカも一拍遅れて頷いた。

 シズカの実家だ。確かにお邪魔している立場のレベッカとビアンカには、家人であるシズカが許可しているのに否を言う道理はなかった。

 

 その後はジルヴェスターもレアルも時間が余っていたので、女性陣と合流することになった。

 ジルヴェスターとレアルは親鳥の後を追う雛鳥のように女性陣について行くだけだったが、共にショッピングを楽しんだ。合間に昼食を済ませている。

 

 ジルヴェスターとしては同世代の友人と買い物することは滅多にないので、新鮮で楽しめた。――レアルは女性陣に気圧されて居心地悪そうにしていたが。

 

 女性陣が買い物に夢中になっている間に、ジルヴェスターとレアルは打合せをしていた。

 

 レアルはこの後一度ビリーの屋敷に戻って報告を済ませ、すぐに母を連れてシズカの実家に向かう手筈になっている。

 万が一ジルヴェスターたちの工作がビリーに勘付かれた場合は、レアルと彼の母の身に危険が及ぶ恐れがある。

 そこでシズカの実家に匿ってもらうことにしたのだ。

 

 そのことをシズカたちには説明していないが問題はない。

 シノノメ家道場には多くの腕利きがおり、心強い用心棒になる。

 シズカもジルヴェスターたちが厄介事に巻き込まれていると察してくれているので、不審者がいたら道場の者を率いて対応してくれるであろうと考えた。

 

 そうしてジルヴェスターはレイチェルから連絡が来るまでの間、四人と行動を共にしたのであった。

 



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第33話

 ◇ ◇ ◇

 

 四月二日の夕刻――フリージェス区のオーランシグレディという町にある魔法協会支部に向かう女性二人組の魔法師がいた。

 

 フリージェス区は一枚目の壁であるウォール・ウーノと、二枚目の壁であるウォール・ツヴァイに挟まれた区だ。

 十三区の中で最も南に位置しており、人口も一番多い。

 

 オーランシグレディは区内で最も大きく、人口の最も多い町でもあり、区内の行政の中心地だ。また、国内で最も人口密度の高い町でもある。

 

 ウォール・ウーノ、ウォール・ツヴァイ、ウォール・トゥレス、ウォール・クワトロという順に壁が築かれており、壁外(へきがい)は魔物で溢れているので、必然的に内地へ行けば行くほど安全になる。なので、より内側に行くほど富裕層が暮らしている。

 内地に行くほど物件の価格が上がるからだ。つまり、お金で安全を買うということだ。

 もちろん収入に余裕があっても内地で暮らさない者もいる。

 

 ウォール・ウーノに接する区は五区あるが、その中でフリージェスが最も人口が多いのは裕福でなくても暮らしやすい環境だからだ。

 ウォール・ウーノ内の五区は最も広大な土地を有している。土地に余裕がある為、五区には様々な特徴がある。

 他の五区はそれぞれ産業があるが、フリージェスにはこれと言ったものはない。

 

 フリージェスの特徴は目立った産業がない代わりに、生活水準が高くないので暮らしやすいという点だ。移住もしやすく、区自体が内地で暮らせない人々の受け皿になることを政策の一つとしている。

 

 オーランシグレディは人々が入り乱れて雑多な雰囲気があるが、景観は悪くない。

 建築費を抑える為に高額な石材などは用いず、比較的安価な木材、土、煉瓦などで建てられた建物が多い。

 意匠の凝った建築物は少ないが、その代わりに素朴さがあり安心感を与えてくれる。

 このような工夫があるからこそ物件の価格を抑えられ、裕福ではない者でも暮らせる環境を実現していた。

 

 閑話休題。

 

 女性二人組の魔法師は魔法協会支部に入っていく。

 

「この後はどうする?」

「少し食材の買い出しをしようかな」

「ならそうしましょう」

 

 茶髪の女性が尋ねると、もう一人の金髪の女性が予定を答える。

 

 横に並んで会話をしながら歩く二人は、エントランスにある窓口へと向かう。

 いくつかある窓口では魔法協会支部の職員がそれぞれ受付業務を行っている。

 

 魔法協会では魔法師に対して仕事の斡旋を行っており、内容は様々あるが、二人は今回壁外での仕事を行っていた。

 

 受付業務を行っている女性職員に仕事完遂の報告を行う。

 

「ご苦労様でした」

 

 報告を済ませると受付の女性職員が労いの言葉を掛けてくれる。

 

「報酬は振り込んでおきますね」

 

 報酬は預金口座の機能が備わっている身分証――国民証明書の通称――への振り込みで行われることが一般的だ。

 手渡しを選択することもできるが、大半の者は振り込みを希望する傾向にある。

 

 魔法師は魔法協会に国民証明書で身分を登録しているので、預金口座も登録されている。なので、報酬のやり取りはスムーズに行える環境が整っていた。

 

「――イングルスさん、お待ちください」

 

 窓口でのやり取りを終えた二人は立ち去ろうとしたが、受付の職員に呼び止められた。

 既に振り返りかけていた二人は再び職員と向き合う。

 

「何かありましたか?」

 

 イングルスと呼ばれた女性が首を傾げる。

 

「はい。イングルスさんにお客様がいらしています」

「私にですか?」

 

 イングルスは一層疑問を深める。

 直接自分のもとに来るのではなく、職員を通して訪ねてくるということは面識のない人物だろうか? と彼女は思った。

 

「そうです。第二応接室にイングルスさんお一人で向かってください」

「わかりました」

 

 疑問に思いながらも頷くしかなかった。

 

 来客は第二応接室でイングルスのことを待っているようだ。

 あまり待たせるわけにはいかないので、すぐに向かうことにした。

 

「というわけなので、ちょっと行ってきます」

「うん。待ってるよ。わたしはお呼びじゃないみたいだし」

「悪い話でなければいいけど」

「そうだね」

 

 イングルスは連れの女性に声を掛けると、第二応接室へ足を向けた。

 

「大丈夫かな?」

 

 去っていく友人の後ろ姿を眺めながら、茶髪の女性は心配で自然と言葉が漏れた。

 友人は色々と大変な状況に身を置いているので心配になる。

 今は何事もないことを祈って友人の帰りを待つことしかできなかった。

 



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第34話

 ◇ ◇ ◇

 

 友人に心配されているイングルスは内心不安になりながら歩を進めていた。

 何かしでかしてしまっただろうか? と色々な可能性が脳裏を掠めていく。

 職員にお客様とは誰なのかと尋ねるのを忘れたことに少し後悔した。

 

 不安で足取りが重くなっている。

 それでも一歩一歩進んで第二応接室を目指す。

 

 第二応接室はエントランスからそれほど離れていないので、すぐに辿り着いた。

 イングルスは緊張しながら扉をノックする。

 

「――どうぞ」

 

 室内から入室を許可する声が返ってきたので、丁寧に扉を開いて入室する。

 

 すると、イングルスは中にいた人物と目が合った。

 わざわざソファから立ち上がって出迎えてくれている。

 

 そして自分が待たせていた相手の胸元にある胸章が視界に入り、魔法師だということがわかった。

 しかし、良く見ると胸章が上級二等魔法師の階級を示していた。

 まさかの大物の登場に驚きながらも慌てて敬礼をし、失礼のないように努める。

 

「フィローネ・イングルスです。ただいま参上致しました。お待たせして申し訳ありません」

「気にせずに楽にして頂いて構いませんよ」

 

 イングルス改め――フィローネは自己紹介をし、待たせてしまったことを詫びる。

 上級二等魔法師が楽にして構わないと告げるも、フィローネの肩には力が入っていた。

 

「まずは座りましょうか、イングルスさんも遠慮せずにお掛けになってください」

「……失礼します」

 

 着席を促されたフィローネは、上級二等魔法師が腰掛けたのを確認してから自分も恐る恐るソファに腰を下ろした。

 

「突然呼び出して申し訳ありません」

「いえいえ! こちらこそお待たせして申し訳ありません」

 

 謝罪されたフィローネは恐縮し、自分こそ待たせて申し訳ないと頭を下げる。

 東方人の影響で謝罪する際は頭を下げる文化が少なからず浸透しているが、そもそも頭を下げる行為は屈服や降参を意味する。

 故に、過度に頭を下げすぎるのは要らぬ誤解を生む恐れがあるので、気をつけなければならない。

 

「頭を上げてください。ここはお互い様ということにしておきましょう」

「は、はい」

 

 あまり恐縮しすぎるのは失礼に当たると思い、フィローネは素直に頭を上げた。

 

「自己紹介がまだでしたね。私はレイチェル・コンスタンティノスです」

 

 フィローネのことを待っていた上級二等魔法師は――レイチェルであった。

 

 フィローネは待たせてしまったことを詫びたが、レイチェルはそれほど待っていない。

 事前に調べてフィローネがいつ魔法協会支部に姿を現すのかは見当がついていた。なので、頃合いを見計らって訪れている。

 

「コンスタンティノスって『聖女』様の……?」

「ええ、そのコンスタンティノスで合っていますよ。私は三女です」

「――!!」

 

 ただでさえ緊張していたフィローネは、上級二等魔法師という階級に更に緊張し、その上コンスタンティノスの名にも緊張する羽目になった。一瞬眩暈(めまい)がしたのは本人だけの秘密だ。

 

 対してレイチェルは苦笑していた。

 このようなやり取りが恒例になっていたからだ。

 コンスタンティノスの名を告げる度に行われる問答なので無理もないだろう。

 

「早速ですが、単刀直入にお伝えしますね」

「は、はい」

 

 フィローネは何を言われるのか不安で無意識にと唾を飲み込んだ。緊張で背筋が伸びている。

 

「イングルスさん、あなたをスカウトしに参りました」

「――え」

 

 予想だにしない言葉に、フィローネは思考が追いつかずポカンと口を開けてしまう。

 

「私をスカウトですか……?」

 

 なんとか絞り出した言葉は自分に言い聞かせるようなニュアンスだった。

 自分に言い聞かせることで言葉の意味を理解しようとして、無意識に呟いていたのだ。

 

「はい。そうです」

 

 レイチェルが首肯する。

 

「あの、失礼ですが……いったい何にスカウトされているのでしょうか?」

 

 スカウトと言われても、何にスカウトされているのかがわからなかった。

 

「イングルスさんは『守護神(ガーディアン)』はご存じですか?」

「も、もちろんです! 特級魔法師第一席であらせられる『守護神(ガーディアン)』様ですよね!?」

「ええ、そうです」

 

 『守護神(ガーディアン)』のことを知らない者の方が珍しい。むしろ魔法師ならば知っていて当然だ。

 特級魔法師の中で唯一名前が公表されていないが、雲の上の存在として知るのも烏滸(おこ)がましいと自然と受け入れられている。

 

「私はその『守護神(ガーディアン)』が率いる隊の隊員です。いえ、私一人しかいないので、正確にはサポーターになりますね」

「えぇえええ!」

 

 フィローネはまさか目の前にいるレイチェルが、誰もが憧憬(しょうけい)を抱く『守護神(ガーディアン)』の関係者だとは思いもしなかった。

 驚愕して目を見張っている。

 

 そもそも『守護神(ガーディアン)』には謎が多い。いや、むしろ謎しかないと言っても過言ではない。

 一般的に知られているのは『守護神(ガーディアン)』という異名だけだ。なので、部下がいることも当然知られていない。

 

 フィローネは普通に生活していたら知り得ないことを知った。

 

「そして本日は、『守護神(ガーディアン)』の命であなたを我が隊にスカウトしに来たのです」

「は? え?」

 

 レイチェルがフィローネに会いに来た理由は、ジルヴェスターが率いる隊に加わらないか、と勧誘する為であった。ジルヴェスターがレイチェルにスカウトしに行けと命じていたのだ。

 

 当のフィローネは状況が理解できていなかった。

 必死に状況を整理して言葉の意味を理解しようと思考を巡らせている。

 

「えぇええええええええええ!!」

 

 そしてなんとか状況を理解したフィローネは、驚きのあまりひっくり返りそうになった。

 そんな彼女の反応にレイチェルは苦笑する。

 



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第35話

「つ、つまり、『守護神(ガーディアン)』様が率いる隊の一員になれるということですよね!?」

「その通りです」

「ですよね。すみません……急展開で眩暈(めまい)がしそうです」

 

 特級魔法師が率いる部隊の隊員になるのは魔法師なら誰もが憧れることだ。

 憧れの特級魔法師の部下になれるというのは名誉なことであり、ステータスにもなる。

 

 特級魔法師が率いる部隊に入隊する方法は、特級魔法師自身にスカウトされることだけだ。

 つまり特級魔法師が率いている部隊の隊員は、特級魔法師に認められた精鋭というステータスを得ることができる。

 魔法師として一目置かれるようになり、何よりも特級魔法師に認められたという事実が自信にもなる。

 

「それにしても、何故私なのでしょうか?」

 

 フィローネは純粋に疑問を抱いた。

 

「私は下級三等魔法師の下っ端で、『守護神(ガーディアン)』様とお会いしたこともないはずですし……」

 

 特級魔法師が率いる部隊の隊員としては確かに不釣り合いだろう。最低でも中級以上は求められてもおかしくない。

 面識すらないのに何故自分が? と疑問を抱くのはもっともだ。

 何よりも自分では分不相応だと(はばか)られた。

 

「何から話しましょうか……」

 

 レイチェルは顎に手を立てて何から説明したものか、と思考し、少しの間沈黙が場を支配する。

 この沈黙はフィローネにはとても長い時間に感じ、驚きで霧散していた緊張が再び押し寄せてきた。

 

 そして彼女が居心地の悪さを感じ始めた時、考えが纏まったレイチェルが口を開いた。

 

「イングルスさんには弟さんがいらっしゃいますよね」

「え? 確かにいますが……」

 

 何故に今、弟の話が出るのか? と不思議に思う。

 そもそも何故、弟がいることを知っているのかも疑問だった。

 

「実は昨日(さくじつ)、弟さんのレアル君からご家族の事情を伺いました」

「――!」

 

 フィローネの姓がイングルスということから察せられただろうが、彼女はレアルの実姉だ。

 

 レイチェルがことの経緯を説明する。

 

 まずはレアルが七賢人のビリー・トーマスの命で暗殺に手を染めたことを伝えた。

 

「そんな……あの子が……」

 

 予想だにしないことを告げられて沈痛な面持ちになったフィローネは、両手を口に当てて言葉に詰まった。

 

 何故暗殺を行うに至ったのか経緯を説明する。

 レアルが暗殺を実行したのは姉を助ける為と、母の負担を軽くする為だ。

 

 フィローネに迫るビリーの気を自分に向けさせることで母は娘を守っている。

 レアルは自分がビリーにとって都合のいい駒になることで憂さ晴らしをさせつつ、陰謀を企てることに意識が傾くようにして姉の身を守っている。

 

 フィローネは母が自分の為に献身してくれているのは知っていたが、弟が自分の為にビリーの駒になっていることは知らなかった。

 姉が気兼ねなく安心して暮らせるようにと配慮して、レアルと母はフィローネには内密にしていたのだ。

 

 そしてレアルがビリーの命で暗殺を行うことになったが、その時に『守護神(ガーディアン)』が阻止して未遂に終わったと告げる。

 

「そうでしたか……弟を止めてくださりありがとうございました」

 

 フィローネは瞳に涙を溜めているが、零れ落ちないように堪えながら頭を下げる。

 自分の為に悪事に手を染めた弟の想いが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。

 弟が心身共に疲弊しながらも歯を食いしばって献身してくれていたのかと思うと、心が苦しくなる。

 

 彼女にとってレアルはかわいい弟だ。弟の為なら自分の身を削る覚悟がある。

 今も必死に魔法師としてお金を稼いでいる。ビリーに借金を返済する為でもあるが、可能な限り弟に不自由させたくない一心で懸命に働いている。それで何度か死に掛けたこともあるくらいだ。

 

 しかし、それは弟も同じだったのだと理解した。

 レアルも慕っている姉の為に身を粉にしている。

 

 姉想いの弟と、弟想いの姉。

 二人の間には確固たる姉弟の絆があった。

 

「私が阻止したわけではありませんよ。なので、代わりに伝えておきます」

「はい。よろしくお願いします」

 

 レアルの暗殺を阻止したのはレイチェルではなくジルヴェスターだ。

 

「――それで、弟はどうなるのでしょうか……?」

 

 フィローネが恐る恐る尋ねる。

 

 彼女が今、一番気掛かりなのは弟のことだ。

 未遂とはいえ、暗殺に手を染めた。しかも相手は政界の人間だ。

 罪を犯せば裁かれるのは避けられない。

 

「それなら心配ありませんよ」

 

 レイチェルが安心させるように優しい口調で答える。

 

 暗殺対象にされたマーカスには既に話が通っている。

 フェルディナンドを介しているのでジルヴェスターは心配していなかったが、無事レアルの置かれている状況を理解してくれた。むしろ同情し、味方になってくれたほどだ。何よりもビリーの人権を無視した行いに怒りをあらわにしていた。

 

 マーカスはレアルを訴えることなく、事件を(おおやけ)にするつもりはないようだ。

 これで一先ずレアルが罪に問われることはない。

 



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第36話

「良かった……安心しました」

 

 フィローネはほっと胸を撫で下ろす。

 だが、一安心したことで疑問が浮かび上がった。

 

「あの、それで、私がスカウトされたこととどう結び付くのでしょうか?」

 

 弟の事情はわかった。

 自分たちの置かれている境遇をレイチェルたちが知っているのも理解した。

 しかし、それと自分がスカウトされることになんの関係があるのか? と思い至った。

 

「それも順に説明しますね」

「はい」

 

 慌てなくてもレイチェルはしっかりと説明するつもりだ。

 

 まず、時間稼ぎをする為に偽装用の遺体を用意する。

 これは今もフェルディナンドが動いてくれている。

 

「グランクヴィスト様まで……!!」

 

 再び大物の名前が登場してフィローネは瞠目する。

 まさか最古参の七賢人であるフェルディナンドまで尽力してくれているとは思いもしなかった。

 自分の想像以上に大事(おおごと)になっているのだと認識を改め、尽力してくれている人たちに対する感謝の念が堪えなくなる。

 

 遺体を用意した後、レアルは母を連れてシノノメ家に匿ってもらう。

 シノノメ家は仁義を重んじる気質をしている。彼等だけではなく、東方から逃れてきた民族は総じて仁義に厚く、その気質は末裔にも引き継がれている。

 

 そしてシノノメ家には手練れの門下生が数多くいる。何よりもシノノメ家の一門は全員師範代相当の実力を有しているので侮れない。

 門下生の中には政財界や魔法師界の中枢で活躍している者もおり、各界への繋がりが強い。

 いざとなったら心強い後ろ盾になってくれるだろう。シノノメ家の令嬢の友人に関わる問題なので尚更だ。

 

「それは心強いですね。私にもシノノメ家に縁のある知人がいるので安心です」

 

 シノノメ家の一門に限らず、門下生にも仁義を重んじるように説いている。

 門下生の知人がいるなら、その気質に触れる機会があるだろう。それだけで信頼度に違いが生まれる。

 

 これでレアルと母の安全は確保できる。

 そこで残る問題はフィローネだけだ。

 

「いくら七賢人と言っても、特級魔法師の部下には軽率に手出しできませんからね。それが『守護神(ガーディアン)』の部下ともなれば尚更です」

「なるほど。つまり私をスカウトするのは、『守護神(ガーディアン)』様の庇護下に置く為というわけですね」

「その通りです」

「合点が行きました」

 

 フィローネは話を聞いて自分がスカウトされた理由を理解した。そして納得もした。自分の身を守る為にスカウトしてくれたのだと。

 

 自分の実力が認められたわけではないとわかり少し残念な気持ちになったが、何よりも厚意が嬉しかった。

 良く知りもしない下っ端のことを気に掛けてくれているのだ。それも誰もが憧れる特級魔法師にである。それだけでも望外の喜びだ。

 

 そして自分がスカウトを受けることで弟の負担を軽減させることができる上に、自分の身まで守ってもらえる。しかも特級魔法師の部下にもなれるのだ。

 何一つとして断る理由がなかった。

 

「私としてはお受けしたいと思っておりますが、日頃お世話になっている友人に相談する時間を頂けないでしょうか?」

 

 フィローネには自分の身を案じて自宅に居候させてくれていて、魔法師としても共に活動してくれている友人がいる。

 自分だけ特級魔法師の部下になり、「はい、さようなら」とはいかないだろう。なので、友人にはちゃんと事情を説明しなくてはならない。何よりも恩のある友人には筋を通すべきだ。

 

「ヘレナ・ブランソンさんですね」

「ご存じでしたか」

「ええ、もちろんです」

 

 フィローネが世話になっている親友の名は――ヘレナ・ブランソンという。

 

 ジルヴェスターがレアルからヘレナの名を聞いていたので、事前に知らされていたレイチェルも把握していた。

 

「構いませんよ。友人に不義理は働けませんからね」

「ありがとうございます」

 

 友人に事情を説明する時間くらいはある。

 二人でしっかりと話し合うべきだ。

 

「それともう一つ」

「なんでしょう?」

 

 首を傾げるフィローネ。

 

 今回はフィローネをジルヴェスターの部下としてスカウトするだけではなく、もう一つ別の用件があった。

 

「もしスカウトを受けてくださるのなら、イングルスさんには『守護神(ガーディアン)』の内弟子になって頂きます」

「……」

 

 レイチェルと言葉を交わしている内に場の雰囲気に慣れ、緊張が解れてきていたフィローネは、再び思考が停止してしまう。

 それでもレイチェルは構わずに説明を続ける。

 

「正直、今のイングルスさんでは『守護神(ガーディアン)』の部下として実力不足なのは否めません」

 

 下級三等魔法師であるフィローネでは、特級魔法師の部下として活動するには実力が伴わない。

 それはフィローネ自身も理解していることだ。

 

「そこで、『守護神(ガーディアン)』が直々にイングルスさんを鍛えます」

 

 実力が伴わないなら鍛えてしまえばいい。至極単純な結論だ。

 それを特級魔法師第一席であるジルヴェスターが直々に行う。

 自分でやるのが最も効率がいい、というのがジルヴェスターの弁だ。

 



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第37話

「そんな! 畏れ多いです!!」

 

 思考が追い付いたフィローネは慌てて両手を振って恐縮する。

 

「『守護神(ガーディアン)』に指導してもらえる人は滅多にいませんし、弟子を取ったことすらありません。非常に貴重で名誉なことなので、この機会をみすみすの逃してしまうのはもったいないと思いますよ」

 

 ジルヴェスターに限らず、特級魔法師が直接指導を施すことは中々ない。しかも弟子を取るのは更に珍しい。

 

 積極的に弟子を取る魔法師はいるが、特級魔法師ともなると取る弟子の基準が高くなる。見込みのある者の中でも更に厳選されてしまう。

 

 故に、恐縮しきりのフィローネにとっては千載一遇のチャンスなのである。

 特級魔法師第一席の弟子は誰もが手にしたいと願う立場なので、余程の事情がない限り断る者はいないだろう。

 

「外弟子ではなく内弟子なのは、イングルスさんのことを守る上で都合がいいからですね」

 

 弟子の待遇は二通りある。

 それは内弟子と外弟子だ。

 

 内弟子は師匠の自宅に住み込むので、指導を受ける機会が増えるのに加え、食住(しょくじゅう)が保障される。その代わりに師匠の自宅で雑用などをこなさなくてはならない。

 

 そして、外弟子は通いの弟子だ。

 内弟子と違い指導を受ける機会が減り、食住の保障はされないが、自宅での雑用を免除される。もちろん指導時の雑用は行わなくてはならない。

 

 師匠によって指導法や課す雑用などには違いがあるので、あくまでも基準だ。

 

 フィローネを内弟子待遇で迎えるのは、弟子にして鍛えたいのもあるが、最大の理由は守る為だ。

 ジルヴェスターの内弟子として住み込むことで直接見守ることができ、尚且つすぐに駆けつけることが可能なので物理的に守りやすい。

 

 また、特級魔法師第一席である『守護神(ガーディアン)』の弟子という肩書があれば、ビリーは軽率に手出しできなくなる。

 弟子に危害を加えて師匠の怒りを買うことになるからだ。しかもその師匠が特級魔法師第一席ともなると、いくら七賢人でも自分の首を絞める結果になりかねない。

 

「私が『守護神(ガーディアン)』様のお宅で寝食を共にするなんて……畏れ多くて想像すらできません」

 

 フィローネは顔を引き攣っている。

 誰もが憧憬(しょうけい)の念を向ける雲の上の存在と寝食を共にするなど、現実味のない話だろう。

 

「『守護神(ガーディアン)』本人は自分でなんでもこなせてしまう人なので、過酷な雑用はさせないでしょうから、そこは安心していいですよ」

「いえ、それは心配していないので大丈夫です」

 

 レイチェルの言葉に、フィローネは両手を振って慌て気味に答える。

 

 ジルヴェスターはどのようなことでもそつなくこなす。

 手が足りない時は人を頼るが、自分の手さえ空いていればなんでも自ら行ってしまう。

 

 内弟子の際、師匠によっては弟子に無体を働くことも(しばしば)あるので気をつけなければならない。

 

「強制はしませんが、この話を受けてくれると助かります」

 

 レイチェルは安心させるように穏和な笑みをフィローネに向ける。

 

 ジルヴェスターの部下になる件と、内弟子になる件を受けてくれると助かるのは本心だ。

 

 ジルヴェスターの部下として同僚が増えれば、今まで一人で行っていたことが分担できてレイチェルの負担が減る。内弟子になることで鍛えられ、同僚が優秀になってくれれば更に負担が減る。

 レイチェルにとっては願ったり叶ったりであった。

 

「私はお受けするつもりです」

 

 表情を引き締めたフィローネは前向きに検討していた。

 

「一応、友人に話してからになりますが……」

 

 ただ、恩のあるヘレナに筋を通してからの話だ。

 心配せずともヘレナなら応援してくれるだろうとフィローネは思っている。

 

「なので、友人をこの場に呼んでも構わないでしょうか?」

「ええ、もちろん構いませんよ」

「ありがとうございます」

 

 レイチェルが優しい笑みを浮かべながら頷くと、表情が緩んだフィローネは軽く頭を下げた。

 

 この場にヘレナを呼び、レイチェルも交えて話をしてしまおうと考えたのだ。

 その方がスムーズに話が進むだろう。

 

 レイチェルの許可を得たフィローネは、ヘレナに念話(テレパシー)を飛ばす。

 左手首が一瞬光ったので、腕輪型のMACを用いて魔法を行使したのだと思われる。

 

 そしてヘレナと一言二言言葉を交わすと、念話(テレパシー)を解除した。

 

「すぐに来るそうです」

「では待ちましょうか」

 

 ヘレナが来るまで少しだけ時間ができたので、フィローネはずっと気になっていたことを尋ねることにした。

 

「――あの、一つ尋ねてもよろしいでしょうか」

「もちろんです」

 

 だいぶ場の雰囲気に慣れ、既にレイチェルを相手にしても緊張が和らいでいたフィローネは、自分から声を掛けるのに勇気を少し振り絞るだけで済んだ。

 

「『守護神(ガーディアン)』様はどのような御方なのでしょうか? 私たちの為にこれほど尽力してくださるのが不思議でして……」

 

 彼女の疑問はもっともだろう。

 普通は暗殺未遂を犯すような者と、その家族に手を差し伸べたりはしないだろう。

 相手が家族や友人なら助けようと奔走することはあるかもしれないが、どこの誰とも知れない下っ端の為に尽力してくれるのが不思議でならなかった。

 相手が特級魔法師でなければ何か裏があるのではないか、と勘繰ってしまいかねない。

 

「そうですね……」

 

 レイチェルはどう説明するかを思案する。

 視線を少し下げてテーブルに焦点を合わせていたが、思考に耽る時間はあっという間だった。

 すぐに目線をフィローネに戻して口を開く。

 

「それは本人に会えばわかりますよ」

 

 一先ずこの場では濁しておくことにした。

 

 レイチェルがジルヴェスターのことを始終『守護神(ガーディアン)』と呼んでいたのには理由がある。

 まだフィローネが正式にジルヴェスターの部下になったわけではないからだ。

 

 ジルヴェスターは特級魔法師として自分の名を公表していない。

 これは本人とフェルディナンドの意向によるものだ。

 

 つまり、まだ正式にジルヴェスターの部下になっていない者に正体を明かすことはできないということだ。

 先に正体を明かし、後で部下になるのを断られたら機密を漏らしてしまうことになる。

 

「なるほど。納得しました」

 

 確かに今の段階では自分に話すことはできないだろうと、説明を聞いたフィローネは得心した。

 

 その時、扉をノックする音が鳴って室内にこだました。

 

「ヘレナですね」

 

 そう呟いたフィローネはソファから立ち上がって扉へ向かう。

 そして出迎える為に扉を開いた。

 

「――お待たせしました」

 

 茶髪の女性――ヘレナが入室早々に敬礼する。

 

 ヘレナは事前に上級二等魔法師であるレイチェルがいることをフィローネに伝えられていたので、失礼があってはいけないと礼節を尽くす。

 

「さ、まずは腰掛けてください」

「失礼します」

 

 レイチェルに促されたヘレナは緊張しているのか動作が硬い。

 

 フィローネとヘレナがソファに腰掛けたところで、レイチェルは改めて自己紹介をする。

 

 そしてその後は、フィローネにしたような説明をヘレナにも行う。

 

 話を聞いたヘレナは、驚愕して言葉にならない声を室内に響き渡るほどの声量で発し、更に膝をテーブルにぶつけてしまい悶絶する羽目になった。

 

 フィローネに最初説明した時よりもヘレナの方が一段と大きなリアクションだったのは、二人の性格の違いが表れた一幕であった。

 



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第38話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の四月三日――フィローネはレイチェルに連れられてヴァストフェレッヒェンに赴いていた。

 

「ここに来たことはありますか?」

 

 レイチェルが隣を歩くフィローネに尋ねる。

 

「駅まではありますが、街に出たことはありません」

「そうでしたか」

 

 フィローネは初めて訪れた町の街並みに圧倒され、忙しなく頭を動かして周囲を観察している。田舎から都会に出てきた者のような様相だ。

 

「これからはこの町で暮らすことになるので、すぐに見慣れますよ」

 

 レイチェルがフィローネの様子に苦笑しながら告げる。

 

 初めて訪れた町はどこでも新鮮で目新しく映るものだ。

 そして時間が経てばじきに見慣れてしまう。

 

 ヴァストフェレッヒェンは様々な文化が入り乱れている町だ。

 それは建築物にも表れており、多種多様な建築様式の建築物が街並みを(いろど)っている。

 多様な建築様式が入り乱れているにも(かか)わらず、上手く融合して幻想的な街並みを演出させているのは見事と言う他ない。

 

 駅のある中心地から徒歩で移動し、高級住宅街へと向かっていく。

 

「場違い感が凄いです……」

「慣れますよ」

「慣れたら駄目な気がします……」

 

 フィローネが居心地悪そうに縮こまる。

 高級住宅街の雰囲気に圧倒され、自分には不釣り合いに感じてしまい居た堪れなくなっていた。

 

 高級住宅街は道幅が広く、各邸宅も大きくて敷地も広い。

 道幅が広いのは馬車がすれ違っても通れる幅を確保する為に、予め区画整理されているからだ。環境が整っているので自前の馬車を所有している家庭も多い。

 

 この高級住宅街の環境に慣れてしまうのは人として駄目になる気がしたフィローネは、初心を忘れないようにしよう、と心に誓った。

 自分の力で手にした環境ならともかく、あくまでも棚から牡丹餅にすぎないということを脳裏刻みつける。

 

 高級住宅街に建ち並ぶ立派な邸宅を視界に収めながら目的地へ歩いていくと、一際広大な敷地を囲う塀が見えてきた。そのまま塀に沿って歩いていくと門扉が見えてくる。

 そして門扉の眼前まで到着すると、レイチェルが立ち止まった。

 

「ここです」

 

 門扉に向かい合うレイチェルの姿に、フィローネは口を開けて愕然としている。

 それも仕方がないだろう。

 彼女がいま目にしているのは、ヴァストフェレッヒェンで最も広大な敷地を有する邸宅だ。敷地だけではなく、建物自体も大きい。

 

 レイチェルはフィローネの様子に触れずにインターホンを押す。

 そして呼び出し音が鳴る。

 

『――はい』

 

 その場で待機していると、インターホンの受信親機から呼び出しに対する返事があった。

 

「お待たせ致しました。レイチェルです」

『待っていたよ。今、開けるね』

 

 受信機から聞こえてくる女性の言葉通りに門扉が開かれていく。

 完全に門扉が開かれると同時に、レイチェルが歩き出した。

 

「行きますよ」

「は、はい」

 

 呆気に取られていたフィローネは慌ててレイチェルの背を追い掛ける。

 レイチェルにとっては見慣れた前庭だが、フィローネは周囲へ忙しなく視線を彷徨わせてしまうほど縁のない光景だった。

 

 前庭を(いろど)る植栽が別の世界へ(いざな)われている錯覚を引き起こす。

 視線を上げた先には、現代的な豪邸が存在感を放っていた。

 

 邸宅の前に辿り着くと、レイチェルは再びインターホンを鳴す。

 

「――いらっしゃい」

 

 すぐに邸宅の扉が開かれて、家人の女性の出迎えを受ける。

 

「さあ、入って」

「失礼致します」

 

 家人に促されて敷居を跨ぐフィローネ。

 レイチェルはその後を追って恐縮しながら玄関を潜った。

 

 レイチェルは自分の斜め後ろにいるフィローネを促すように背中を優しく押す。

 背中を押されたフィローネはレイチェルより少しだけ前に出ると、緊張して重くなっている口を開いた。

 

「は、初めまして、フィローネ・イングルスと申します。本日よりお世話になります。よろしくお願い致します」

「うん。よろしくね」

 

 深々と頭を下げるフィローネに答えるように家人の女性も名乗る。

 

「私はアーデルトラウト・ヴェステンヴィルキスって言うんだけど、長いからアーデルでいいよ」

「アーデルトラウト……?」

 

 聞き覚えのある名前を耳にしたフィローネは首を傾げながら呟く。

 

「『麗人』様と同じ……?」

「それは私のことだね」

 

 フィローネの呟きをしっかりと聞いていたアーデルが首肯する。

 

「……」

 

 肯定したアーデルの言葉の意味をフィローネは理解できずに黙りこくる。

 暫しの間、思考が追い付かず沈黙が場を支配したが、やがて理解が追い付いたフィローネは驚愕してしまう。

 

「えぇええええええええええ!!」

 

 驚きで目を見開くフィローネの姿に、アーデルは苦笑してレイチェルに視線を向ける。

 

「伝えていなかったのかい?」

「はい。余計に緊張させてしまうのではないかと思いまして」

「それは確かにそうだね……」

 

 レイチェルの返答に納得して肩を竦めるアーデル。

 

「……あれ? でも『麗人』様のお名前はアーデルトラウト・ギルクリスト様だったような……?」

 

 自分が記憶している名前との相違点に気がついたフィローネは再び首を傾げる。

 

「ああ、それは私の旧姓なんだ」

「あ、なるほど」

「魔法師としては旧姓のまま登録しているんだよ」

 

 アーデルトラウト・ギルクリストと、アーデルトラウト・ヴェステンヴィルキスの違いは姓だ。

 ギルクリストはアーデルの旧姓なので、現在の姓はヴェステンヴィルキスになっている。

 

「市民には旧姓が浸透しているからね。途中で別の姓に変えると混乱させてしまう恐れがあるから、魔法師としは旧姓のままにしているんだ」

「アーデル様の場合は世の女性が発狂して暴動を起こしかねませんから」

「それはさすがに大袈裟だよ……」

「いえ、間違いないと思いますよ」

「……」

 

 レイチェルが揶揄(からか)い交じりに補足すると、アーデルは頭を掻くような仕草をして力なく否定する。

 しかし、レイチェルの力強い念押しに反論できず黙り込んでしまった。

 

 アーデルは褐色の肌をしており、銀色の髪をショートからミディアムの中間くらいの長さのスタイルにしている。特に長めの襟足と、吸い寄せられるような碧眼が特徴だ。

 

 女性としては高めの身長で、凹凸のはっきりとした身体つきをしている。

 胸元を開いている白のワイシャツに、黒のジャケットとスラックスを合わせていてとても凛々しい外見をしている。

 

 『麗人』という異名からもわかる通り、中世的な外見と、貴公子然とした紳士的な立ち居振る舞いから女性から絶大な人気を集めている。

 中世的だが、人妻特有の色気やお淑やかさもあり、更にファンの女性の心を掴んでいた。

 

「確かに想像できます……。『麗人』様は女性から絶大な人気がありますから」

「君までそれを言うかい……」

 

 フィローネもレイチェルの弁に同調するので、アーデルは溜息を吐いて肩を竦めるしかなかった。

 

 姓が変わるのは、結婚か養子に限られる。

 アーデルの年齢的に養子よりも結婚したと思われる確率の方が高いだろう。なので、女性から絶大な人気を誇るアーデルの場合は、ファンの女性たちが暴動を起こしかねなかった。

 

「も、申し訳ありません」

 

 自分の発言がアーデルの機嫌を損ねてしまったかと思ったフィローネは慌てて謝罪する。

 

「いや、気にしないで。これからは一緒に暮らすことになるんだから、もっと肩の力を抜かないと疲れちゃうよ」

 

 アーデルはフィローネの頭を上げさせて、緊張を解させる為に言葉を尽くす。

 

「それに、これくらいの冗談を言い合えるくらいの距離感の方が私は嬉しいからね」

 

 これから生活を共にするのなら、冗談を言い合える仲の方が気を遣わずに済んで暮しやすい。

 それがアーデルの本音であり、フィローネには自分の家だと思って生活してほしかった。

 

「ありがとうございます」

「これからよろしくね」

「こちらこそよろしくお願い致します」

 

 フィローネは再び深く頭を下げたが、今度は頭を上げさせるような無粋なことはしなかった。

 親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように今は礼を尽くす場面だからだ。――もっとも、彼女の場合は大袈裟に頭を下げすぎなので、相手によっては服従したと捉えられてしまいかねないが。

 



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第39話

「――そういえば、アーデル様が『麗人』様ということは、私のお師匠様になられる『守護神(ガーディアン)』様は別の御方になりますよね……?」

 

 ふと思い出したように疑問が浮かんだフィローネは、アーデルとレイチェルへ交互に視線を向けた。

 

 フィローネは最初、自分たちを出迎えてくれたアーデルのことを『守護神(ガーディアン)』だと思った。

 しかし、アーデルが『麗人』である以上、『守護神(ガーディアン)』は別人ということになる。

 彼女はその事実に気がついたのだ。

 

「うん。そうだね」

 

 アーデルは頷くと――

 

「『守護神(ガーディアン)』は私の夫だよ」

 

 再び爆弾を投下した。

 

「――え」

 

 案の定、フィローネが瞠目してしまう。

 

「『守護神(ガーディアン)』様と『麗人』様がご夫婦でいらしたなんて……!!」

 

 フィローネは口に手を当てて驚いているが、はしたなくならないように気をつけられる程度の余裕はあった。

 

「まあ、一部の人しか知らないことだからね」

 

 アーデルの言うように、二人の関係は(おおやけ)にされていない。知っているのは限られた者だけだ。

 

「凄い組み合わせですよね」

「ですね。本当に」

「特級魔法師第一席と第三席の二人なので最強夫婦ですよ」

 

 レイチェルの言葉にフィローネは何度も頷いて同意する。

 

 特級魔法師第一席で『守護神(ガーディアン)』の異名を持つジルヴェスター・ヴェステンヴィルキス。

 

 特級魔法師第三席で『麗人』の異名を持つアーデルトラウト・ヴェステンヴィルキス。旧姓――アーデルトラウト・ギルクリスト。

 

 特級魔法師第一席のジルヴェスターと、第三席のアーデルは正しく最強の夫婦であった。

 この二人ほど強い夫婦は存在しないであろう。

 

 さすがにアーデルもその自覚はあったので否定できなかった。

 

「一先ず、ずっとここで話しているのもなんだし、リビングに移動しようか」

 

 いつまでも玄関で話しているわけにはいかないと思ったアーデルは、二人をリビングに誘導する。

 

 アーデルの案内のもと、廊下を進んでいく。

 随所に絵画やオブジェ、植木などが置かれており、空間を(いろど)っている。

 そして、廊下を抜けた先に一際広いスペースが姿を現した。

 

「好きな場所に座って」

 

 リビングに辿り着くと、そこには複数のソファと椅子、テーブルか置かれていた。

 植木などの緑色の物もあって目に優しく、快適に過ごせる空間になっている。

 

「失礼します」

 

 フィローネは恐る恐るコーナーソファの端に腰を下ろす。

 

「では、私は飲み物を用意しますね」

「助かるよ」

 

 レイチェルには勝手知ったる場なので、率先して雑用を買って出る。

 慣れた足取りでキッチンへと向かった。

 

「私は主人を呼んでくるから少し待っていて」

「わかりました」

 

 アーデルは研究室に籠っているジルヴェスターを呼びに行く。

 研究室は地下にある調整室の隣にある。研究室と調整室は室内にある扉で繋がっているので、室内からでも廊下からでも行き来が可能だ。

 

 念話(テレパシー)で呼べば手っ取り早いが、それは虚しいだろう。

 せっかく同じ屋根の下で暮らしている夫婦なのだから、面倒臭がらずに直接言葉を交わす方が素敵な関係だ。

 

 それに何か大事な研究をしていたら、突然の念話(テレパシー)に驚いて失敗してしまうかもしれない。事故に繋がったら目も当てられないので、安全性を考慮したら念話(テレパシー)は控えた方がいいだろう。

 

 フィローネはソファに座っているが落ち着けずにいる。

 如何(いか)にも高級そうなソファや調度品、広いリビングに緊張で一杯だった。

 

 実際は全ての物が高級品というわけではなく、一部の物だけが高級品なのだが、フィローネには判別する余裕も審美眼も持ち合わせていなかった。

 

 その後は数分緊張したまま大人しく待機していると、ティーセットを載せたトレイを持ったレイチェルが戻ってきた。

 

「お待たせしました」

 

 テーブルにトレイを置くと、空のカップを手に取ってフィローネの前に置く。

 そのまま流れるような動作でティーポットを手に取り、カップに紅茶を注ぐ。

 

 レイチェルの姿は流麗で、同性でも見惚れてしまうほどの手捌きであった。

 

「ありがとうございます」

 

 フィローネは自分の前に置かれたカップを手に取って一口啜る。

 

「美味しい」

「それは良かったです」

 

 ほっと息を吐くフィローネの姿に、レイチェルは微笑みを浮かべる。

 

「お待たせ」

 

 ちょうどいいタイミングでアーデルがジルヴェスターを伴って戻ってきた。

 彼の服装は黒のスラックスに長袖のティーシャツを着ており、ラフでありながらも、客人を迎えるのに失礼にならない身形をしている。

 

 ジルヴェスターはフィローネの対面にある一人掛けのソファに腰掛ける。

 そしてアーデルはコーナーソファの端に座った。フィローネとは反対側の端で、ジルヴェスターとは斜めで隣り合う形だ。

 

 二人が来たので、レイチェルはトレイに載せてあるカップにそれぞれ紅茶を注いでいく。もちろん自分の分も含めてだ。

 

 ジルヴェスターの登場にフィローネは一層緊張して表情が強張り、肩にも力が入った。

 

 レイチェルは紅茶の用意を全て終えると、フィローネとアーデルの間の空いているスペースに腰掛ける。大きいソファなのでまだまだスペースには余裕があり、全く窮屈ではない。

 そしてレイチェルが音頭を取って話を進める。

 

「こちらが特級魔法師第一席――『守護神(ガーディアン)』のジルヴェスター・ヴェステンヴィルキスです」

「初めまして。フィローネ・イングルスと申します」

 

 ジルヴェスターはフィローネに目を向ける。

 

 輝くように鮮やかで綺麗な金髪をワンレンロングにし、赤い瞳が神秘的な印象を与えている。

 凹凸のはっきりとした身体つきで、膝丈のワンピースが清楚さと色気を上手く融合させて彼女の魅力を引き立てていた。

 



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第40話

「レアルから話を伺いました。色々と災難でしたね」

 

 災難という言葉だけで簡単に片付けて良い境遇ではないが、気休めくらいにはなるであろう。

 

「一先ずは安心してください。あなたのことは俺が守りますので」

 

 特級魔法師第一席に守ると言われることほど安心感を与えるものはない。

 

「御母堂とレアルのことも最善を尽くします」

「ありがとうございます」

 

 二年間という短いようで長い期間に、父が亡くなり、母が望まぬ相手の妾になり、その相手の家に家族揃って暮らさなくてはならなくなり、自分の貞操を捧げる覚悟をし、身を守る為に家族と離れて暮らすことになり、弟が都合のいい駒にされた。

 

 怒涛な日々を過ごし、気が休まる時がなかった。

 その二年間の記憶が走馬灯のように脳内で再生されていき、今まで気を張って堪えていた涙腺が安心したことにより緩んでしまう。

 

 心に余裕が生まれたからか、ずっと気掛かりだったことが自然と口から漏れる。

 

「あの……本当に私なんかを部下にして頂いても構わないのでしょうか?」

「私なんか、と自分を卑下することはありませんよ」

 

 自分では『守護神(ガーディアン)』の部下に相応しくないのではないかとずっと不安に思っていた。

 しかし、ジルヴェスターの言うように自分を卑下する必要など全くない。

 

「レイに人員を増やしてくれと頼まれていたのもありますし、レアルの姉君だからという理由があるのも事実ですが、大丈夫です。心配することはありません」

 

 レイチェルに人員を増員するように頼まれていたことと、レアルを助ける為、二つの事情がタイミング良く重なったというのは偽らざる事実だが、フィローネ自身に見込みがないわけではない。

 

「レアルの姉であるあなたには確かな才能があります」

「そうでしょうか?」

「ええ」

 

 ジルヴェスターの見立てでは、レアルは特級魔法師になれる才能があると踏んでいる。

 保有魔力量は申し分ない。だが、技量の拙さや経験の浅さ、術式の理解度などまだまだ未熟な部分が多々ある。

 

 そして彼の最大の弱点は甘さだろう。彼はとにかく優しい性格だ。優しいのは美徳だが、時には割り切らないといけない場面がある。

 メンタル面の成長が彼にとっては最大の課題であった。

 

 魔法師の才能は遺伝的な要素が大きい。

 両親が優れた魔法師だと、相応の才能を受け継いだ子が生まれやすい傾向にある。

 無論絶対ではないが、可能性は上がるのだ。

 

 つまり、レアルが才能豊かということは、彼の両親もそれだけ優れた魔法師である可能性が高いというわけだ。

 

 レアルの話では、彼の父は上級魔法師だったらしい。そして母は中級一等魔法師だそうだ。

 母は結婚してからほとんど魔法師としての活動はしていないそうなので、階級を上げる機会がなかっただけで、実際はもっと上位の階級になれる素質があったのかもしれない。

 要するに、フィローネは両親の才能を受け継いでいる可能性が高いのだ。

 

 実際にジルヴェスターが魔眼で()()ところ、フィローネには上級魔法師になれるだけの魔力量があった。

 なので、後は技術を磨き、術式の理解を深め、経験を積み、メンタルを鍛えれば魔法師としても特級魔法師の部下としての実力も伴ってくるだろう。

 

「焦る必要はありません。一歩一歩着実に鍛錬を積めば、レイと肩を並べられるようになりますよ」

 

 ジルヴェスターは一度レイチェルに視線を向けてからそう告げる。

 

「少しでも見込んで頂けているのなら、足を引っ張らないように粉骨砕身精進していきたいと思います」

 

 多少なりとも自分のことを買ってくれているのだとわかったフィローネは意志を固めた。

 特級魔法師に見込まれているという事実は魔法師にとって確かな自信になる。

 

「その意気です」

 

 ジルヴェスターはフィローネの瞳を見つめながら頷く。

 

 話が一段落したところでフィローネはカップを手に取って一口啜る。

 

「これからは自分の家だと思って遠慮せずに過ごしていいからね」

 

 趨勢(すうせい)を見守っていたアーデルがフィローネに優しく語り掛ける。

 

「はい。お気遣いありがとうございます」

 

 緊張で表情が強張っていたが、微笑みを浮かべられるくらいには余裕が生まれていた。

 

「では改めて、これからは上司、そして師匠として接しますので、以後はフィローネとお呼びします」

「はい。よろしくお願い致します」

 

 ジルヴェスターは先程までフィローネとは年上の相手として接していた。だが、これからは上司、そして師匠として接することになる。なので、今後は敬語を使わない。 

 

 名前呼びなのはレアルとフィローネの判別をしやすいからだ。

 二人が共にいる時にイングルスと呼んだらどちらのことを指しているのかわからなくなる。

 

「すみません……失礼ですが、一つ質問してもよろしいでしょうか?」

 

 フィローネはジルヴェスターの姿を見てからずっと疑問だったことを尋ねようと思った。これも心に余裕が生まれたからこそできたことだ。

 

 ジルヴェスターは頷いて質問することを了承し、続きを促す。

 

「お師匠様はお若く見えるのですが、お年はいくつになられるのでしょうか? 確か奥様が二十代後半だったと記憶しているのですが……」

 

 フィローネは現在二十歳である自分よりもジルヴェスターのことが若く見えていた。

 

 確かに若く見えただろうが、ジルヴェスターは同年代の者と比べるとだいぶ大人びて見える。

 実際、彼は顔つきも立ち振る舞いも実年齢より上に見られることが多い。

 

 しかし、フィローネは自分が想定していたよりもジルヴェスターが若かったので驚いていた。

 特級魔法師第一席ともなると、もっと年齢的に上の人物を想像しても仕方がないかもしれない。

 

 特級魔法師の年齢は秘匿していない限りは(おおやけ)にされている。

 アーデルは秘匿していないので、フィローネが年齢を知っていてもなんら不思議ではない。

 

「伝えていなかったのか?」

「ええ」

 

 ジルヴェスターの問いにレイチェルが首肯する。

 

「俺はレアルの同級生だ」

「え」

「クラスは別だが」

 

 弟の同級生ということは年も同じだよね? とフィローネは脳内で情報を整理する。

 

「なるほど。弟とご友人だったので助けて頂けたのですね」

「それもある」

 

 赤の他人を助ける為に面倒事に首を突っ込むのは避けたがる者が多い。

 フィローネは弟と友人だったからこそ、自分たちは助けてもらえているのだと腑に落ちた。

 

「はは、恥ずかしながらジルは私より一回りも若いんだ……」

 

 居た堪れなさそうに苦笑しながら頭を掻くアーデル。

 

「そ、そんなことありませんよ! 夫婦に年齢は関係ありませんから!!」

 

 フィローネは咄嗟に立ち上がり慌ててフォローする。

 

 ジルヴェスターは現在十六歳で、アーデルは二十七歳だ。

 アーデルは今年誕生日を迎えたら二十八歳になるので、二人の年はちょうど一回り離れていることになる。

 

 女性としては自分より一回り年下の夫を持つのは、恥ずかしい部分があるかもしれない。

 若い男に手を出して、と(そし)られてしまう恐れもある。

 

 だが、特級魔法師第一席のジルヴェスターと、第三席のアーデルのカップリングは、国としては諸手を挙げて祝福することであった。

 国で最強の男と最強の女の組み合わせだ。二人の間にできる子供は魔法師として優れた素質を持って生まれてくる可能性が高いので将来が明るい。

 国としてはどんどん子供を作ってくれ、というのが偽らざる本音であった。

 

「ありがとう」

 

 アーデルは必死にフォローするフィローネの姿が可笑しくてつい笑ってしまう。

 場が(なご)んだことで冷静になったフィローネははしたないと思い恥ずかしくなり、赤面して縮こまりながらソファに腰を下ろす。赤くなった耳が髪の隙間から見えている。

 



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第41話

「一先ずこれからの話をしよう」

 

 フィローネの気を逸らさせる意味合いを込めてジルヴェスターが口を開いた。

 

「申し訳ないが、例の件が落ち着くまでは可能な限りこの家から出ないようにしてほしい」

 

 例の件とはビリー絡みのことだ。

 確実に安全を確保できるまで外出は控えた方がいい。

 万が一、現在行っている工作がビリーに露見した場合は、フィローネの身に危険が及ぶ恐れがある。

 また、仮に上手く行ったとしても、辛抱できずに気が逸ったビリーに迫られる可能性もあるだろう。

 

 なので、フィローネの身を守る為にはジルヴェスターの邸宅に籠ってもらうのが最も効率がいい。

 ジルヴェスターはイングルス一家を救う為に奔走するので外出する機会が多いが、彼が留守でも家にはアーデルがいる。

 アーデルがフィローネのことを守ってくれる。むしろ同性な分、ジルヴェスターよりも護衛に適しているだろう。

 

「もし外出する際は、アーデルかレイのどちらかと行動を共にするように」

 

 護衛が同性だと、お手洗いや下着屋などにも同行できる。

 現在の状況下でわざわざ下着屋に赴くことはないであろうが、食材や日用品など生活に欠かせない物は買い出ししなくてはならない。

 フィローネ一人を家に置いて買い物に行くわけにはいかないので、アーデルに同伴する必要があった。

 

 レイチェルはジルヴェスターの命で動くことが多いので、あまり同伴はできないかもしれないが、タイミングが合う時は行動を共にするつもりだ。

 

「しばらくは辛抱してもらうことになるが、(こら)えてくれ」

 

 外出できないことがストレスになる者もいれば、外出することがストレスになる者もいる。

 まだ付き合いが浅いのでフィローネがどちらのタイプかはわからないが、事前に我慢を強いることになるのは伝えておくべきだ。

 

「心得ております」

 

 フィローネは助けてもらっている立場であることを理解しているので、我が儘を言う気は微塵もなかった。

 

「ことが片付いたら本格的に活動してもらう。心構えはしておいてくれ」

「わかりました」

 

 ビリーの件が片付いたら部下として、弟子としての活動が本格的に始動する。

 今はその為の準備期間だと思っておけばいい。そもそも部下になるのも弟子になるのも突然のことだったのだ。むしろ時間的猶予ができてちょうどいいだろう。

 

「俺の命がない時は友人と行動しても構わない。ヘレナさんと言ったか?」

 

 特級魔法師の部下は常に上司の命令で動いているわけではない。

 命がない時は個人として活動しても問題はなく、基本的に自由だ。但し、招集された際は迅速に参上しなくてはならない。

 

 フィローネの場合は友人のヘレナとコンビで活動していたので、普段は今まで通り二人で活動しても問題はなかった。

 

「助かります」

 

 フィローネはヘレナに恩がある。今まで何度も助けてもらった。

 なので、微々たるものでも彼女の力になりたいと常々思っている。

 今後も二人で活動できるのは願ったり叶ったりであった。

 

「今日のところは以上だな」

 

 いま話しておくべきことは全て伝え終えた。

 

「後は部屋だな。アーデルに案内させるから自由に使ってくれ」

 

 残りはフィローネが使う部屋を案内するだけだ。

 内弟子になる以上は、当然同居することになる。

 

「必要な物があればアーデルに言ってくれ、用意させる」

「手厚いご配慮ありがとうございます」

 

 案内させるのも物を用立てるのも異性であるジルヴェスターより、同性のアーデルの方が何かと都合がいいだろう。異性だと言いにくいこともある。

 その辺りのことは配慮して然るべきだ。

 

「それじゃ、ついて来て」

「はい」

 

 立ち上がったアーデルはフィローネに声を掛けてから先導する。

 そしてフィローネはアーデルの後を追い掛けて行った。

 

 フィローネは異空間収納(アイテム・ボックス)に荷物を収納してあるので、引っ越しは手ぶらで行える。――元々ヘレナの家に居候している身分だったので荷物自体少なかったが。

 

「賑やかになるわね」

 

 レイチェルは小さくなる二人の後ろ姿を一瞥(いちべつ)するとそう呟き、カップを手に取って少し温くなった紅茶を啜る。

 

「退屈しなさそうだ」

 

 今後師匠としてフィローネを指導することになったジルヴェスターは、忙しくなるな、と肩を竦めた。

 



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第42話

 ◇ ◇ ◇

 

 四月四日――レアルは前日から母と一緒にシズカの実家でお世話になっていた。

 

 シノノメ家の朝は早い。

 敷地内にある道場では複数の木刀が打ち合う音が響いていた。

 男女問わず住み込みの門下生が早朝から鍛錬に励んでいるからだ。

 

 レアルはせっかくの機会なので鍛錬に参加させてもらっていた。

 そして現在はシズカの兄であるマサハルに稽古をつけてもらっている。

 

「踏み込みが甘いぞ」

「はい!」

 

 レアルは対面するマサハルに木刀を打ち込む度に改善点を指摘されてしまう。

 

 シズカは七人兄弟であり、現在二十三歳のマサハルは長兄だ。

 誤解のないように説明すると、マサハルは兄弟の中で上から二番目だ。

 順に、長女、長男(マサハル)、次男、次女、三女(シズカ)、三男、四女となっている。

 

 マサハルはシノノメ流剣術の師範を務めており、腕前は家門でもトップクラスだ。

 師範として多くの弟子を抱えており、指導力には定評がある。

 東方人の末裔らしい黒髪を靡かせているマサハルは好青年といった印象だ。

 身長は百七十センチ後半で、そこまで大きくはないが、引き締まった身体と熟練者特有の存在感が実際の身長よりも大柄に錯覚させられる。

 

「力任せに振るな」

「はい!」

 

 気合を込めた一撃をマサハル目掛けて振り下ろしたが、余計な力が入っていたのか注意されてしまう。

 

 レアルは武装一体型MACである剣を愛用しているが、剣術を習ったことはない。全て独学で基礎がなっておらず、マサハルにとっては指導し甲斐があった。

 

 マサハルがレアルに指導しているのはあくまでも基礎の段階だ。

 何もシノノメ流剣術が剣術の正解でも完成形でもない。

 独学が悪いわけではなく、自分に合ってさえいればそれが正しい技術だ。

 

 レアルが正式にシノノメ家の門下生になるのならば、シノノメ流剣術の専門的な技術を指導するが、客人である以上は基礎を教えるに(とど)める。

 未熟な者には危険な技術もあり、客人に危険の伴う鍛錬を課す無責任なことはできないからだ。

 

「よし、少し休憩にしよう」

「は、はい」

 

 肩で息をしているレアルの様子を見た上での判断だ。

 

「俺はみなの様子を見て回るが、気にせず休んでいなさい」

「わかりました」

 

 マサハルには師範としての役目がある。レアル一人に構っていはいられない。

 もちろん師範はマサハルだけではないので、決して門下生を疎かにしているわけではない。

 

 現に、シノノメ家の当主で総師範を務めるシズカの父――シゲヨシと、兄弟で上から三番目の次男――タケフミが指導を行っている。タケフミは師範代だ。

 

(マサハルさんは凄いな……)

 

 レアルは邪魔にならないように壁際に移動して腰を下ろすと、鍛錬に励む門下生の様子を見て回るマサハルの姿を目線で追い掛ける。

 マサハルは鍛錬が始まってからずっとレアルと打ち合っていた。だが、マサハルは呼吸一つ乱れていない。レアルは自分との格の違いを実感した。

 

(いい経験だ)

 

 マサハルに改善点を指導してもらう度に自分が成長していっているのがわかり、充足感に満ちて清々しい気分だった。

 近頃は気の沈む毎日を送っていたが、シノノメ家にお世話になって良かったと心の底から思った。

 



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第43話

 ◇ ◇ ◇

 

 時同じくして、シノノメ家の台所では女性陣が(せわ)しなくしながらも和気藹々と朝食の支度をしていた。

 

 シノノメ家の決まりで、娘たちは花嫁修業を兼ねて料理を担当することになっている。

 なので、現在台所にはシズカの母であるツキコはもちろん、姉たちもいた。

 

 ツキコは現在四十六歳。

 長女のアヤノは二十六歳。

 次女のミヤビは十九歳だ。

 

 ツキコは元々シノノメ家の門下生だったが、現当主のシゲヨシに見初められて妻になった。現在は師範としても、母親としても日々働いている。

 

 長子のアヤノは普段穏やかで優しくお淑やかな姉だが、師範を務めており、剣術の腕は兄弟随一だ。下の兄弟たちにとっては第二の母のような存在でもある。

 

 上から四番目のミヤビは兄弟の中でちょうど真ん中なので、中間管理職のような立場になっており、上と下、両方の兄弟の板挟みなってしまうことが多い。準師範の地位でもあり、門下生の指導もこなしている苦労人だ。

 

 女性陣が食事の用意を担当しているが、男性陣はその分門下生の指導を引き受け、力仕事も請け負っている。無論、まだ幼い下二人の兄妹は例外だ。

 

 門下生は自分たち用の生活区画にある厨房で食事の用意を行っている。当番制で役割を分担しており、性別は関係ない。

 

「お二人とも手伝わせてしまって申し訳ないわね」

「いえいえ、お世話になりっぱなしは申し訳ないですから」

「わたしは料理が趣味なのでむしろ嬉しいです!」

 

 台所で料理をしているのはシノノメ家の女性陣だけではない。

 ツキコは朝食の支度を手伝ってくれているレアルの母――カーラと、レベッカにお礼を述べた。

 

「それにしてもレベッカちゃんは手際がいいわね」

 

 慣れた手付きで食材を切っていくレベッカの姿に、カーラは感心したように呟く。

 

「息子のお嫁さんになってほしいわ」

「えぇっ!?」

 

 カーラの言葉にレベッカは驚き、危うく包丁を手放してしまうところだった。

 

「そうね。うちの息子とかどうかしら?」

 

 ツキコもカーラに賛同してしまう。

 次男か三男はどう? などと提案する始末だ。

 

「うちは姉さんが先でしょ」

「それもそうね……」

 

 ミヤビの指摘にツキコが難しい顔をして黙り込んでしまう。

 

 アヤノは現在二十六歳だが、未だ独身だ。

 これには理由がある。

 シノノメ家の方針上、娘の夫になる者は剣術の腕を当主に認められなくてはならないからだ。

 

 そもそもアヤノは師範である。

 彼女の夫になろうと意気込むのは自由だ。しかし、彼女より剣術の腕前が劣る者はアプローチする気概すら持たない。

 

 また、アヤノは魔法師としても優秀であり、上級一等魔法師の階級を得ている。

 剣士としても魔法師としても彼女に敵わないとなれば、情けないことに男は萎縮してしまう。

 アヤノの夫になる者は魔法師としても剣士としても彼女より優れていなければ認めない、と当主であるシゲヨシも公言しており、婚期を逃してしまっていた。

 

 アヤノ本人は男なら誰もが見惚れてしまうほどの美人であり、穏やかで面倒見がいいのも合わさって非常にモテるのだが、悲しいことに浮いた話は全く縁がなかった。

 

 自分が話題の中心になってしまったアヤノは困り顔になっている。

 

「駄目ですよ~、ママさん方」

 

 台所にはいなかったビアンカが襖の先から姿を現して口を挟む。まるで見計らったかのようなタイミングだ。

 

「レベッカには意中の相手がいますから」

「――ちょ! ビアンカ!!」

「あらあら」

「まあまあ」

 

 レベッカは顔を赤らめてビアンカに詰め寄る――包丁を持ったまま。

 カーラとツキコのご婦人二人組は興味深そうに微笑んでいる。

 

「ほ、包丁はヤバイって!」

 

 ビアンカはレベッカの形相に顔面を蒼白させて後退る。

 

「落ち着いて」

 

 ミヤビが横合いから包丁を掠め取ってくれたことにより事なきを得て、ビアンカはほっと息を吐いて安堵する。

 華麗な手際であった。さすがは準師範。――関係あるのかはわからないが。

 

「すみません……」

 

 冷静になったレベッカは包丁を返してもらい、食材を切る作業に戻る。

 包丁で俎板(まないた)を叩く音が小気味好(こぎみよ)い。

 

「それで意中の相手はどんな子なの?」

 

 恐れ知らずにもカーラが尋ねる。

 

「いや、ちょっと気になるってだけなので……」

 

 実際にレベッカが好意を寄せている相手――ジルヴェスター――のことは、まだ好きという段階までは行っておらず、気になる人の範疇に収まっていた。

 

 カーラとツキコだけではなく、密かにアヤノとミヤビも聞き耳を立てている。

 女性はいくつになっても色恋の話に色めき立つものなのかもしれない。

 

 耳が赤らんでいるレベッカの姿に、ビアンカは微笑みを浮かべて見守っている。可愛い妹分の恥じらっている姿が愛おしくてならなかった。

 

 その後、レベッカは質問攻めにされて辟易してしまう。それでも手際よく調理を行っていたのはさすがの一言であった。

 なお、その間シズカは我関せずを貫き、藪蛇となるのを避けていた。

 

 レアルとカーラは、ビリーの屋敷にいる時よりも表情が柔らかく穏やかに過ごせている。

 二人にとっては久方振りに気を張らないで過ごせる貴重な時間になっていた。

 



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第44話

 ◇ ◇ ◇

 

 夜が更けた頃、ジルヴェスターはプリム区のティシャンに赴いていた。

 現在は一際豪奢な屋敷の前にいる。ビリー・トーマスの屋敷だ。

 

「趣味が悪いな」

 

 屋敷を見回した第一印象がそれだった。如何(いか)にも金をふんだんに費やしたと思われる外観に目を逸らしたくなったほどだ。

 

 時間的に人気(ひとけ)がないので、隠密行動には適している。

 その上、ジルヴェスターは光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)無臭(オーダレス)を同時に行使し、万全の態勢を整えていた。

 

 ――『無臭(オーダレス)』は無属性の第二位階魔法で、対象の臭いを消す生活魔法だ。

 

 魔法の効果で誰もジルヴェスターの存在には気づかない。

 

 趣味の悪い外観に辟易しながらも、目的を果たす為に足を踏み出す。

 身体強化(フィジカル・ブースト)も行使して屋敷を囲っている塀を飛び越える。

 

 敷地内に入ると、屋敷に侵入できそうな場所がないか見て回る。

 完全に不法侵入だが、ジルヴェスターは気にした様子もなく平然としていた。

 

(ん……?)

 

 明かりが漏れている窓を見上げると、カーテンが揺らめいていた。

 暗くて判別しにくいが、千里眼(クレアボイヤンス)を行使して確認する。

 すると僅かに窓が開いており、風でカーテンが揺れていたのだ。

 

 ――『千里眼(クレアボイヤンス)』は無属性魔法の第六位階魔法で、遠くを視ることができる支援魔法だ。より遠くを視るほど魔力を消費する。

 

 窓の場所は三階であり、普通は侵入口に使えない。だが、魔法師には関係ないことだ。

 魔法を行使できれば簡単に三階へ飛び移れる。

 

 ジルヴェスターは難なく窓がある外壁へ飛び移ると、窓の隙間から手を伸ばしてカーテンを捲り、室内の様子を窺う。

 窓の先は廊下だった。幸いなことに人の姿は見当たらない。

 

 室内の様子を確認したジルヴェスターは、窓を開けて侵入した。

 廊下に出ると、不法侵入しているにも(かか)わらず堂々と歩いていく。

 

 光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)で姿と音を消し、更に無臭(オーダレス)で匂いも消しているが、歩いた際に生じる空気の流れまでは消せない。なので、人とすれ違う際はさすがに足を止めている。

 

 目指す場所はビリーの執務室だ。

 どこが執務室なのかわからないので、手当たり次第部屋を確認していく。

 

 その最中(さなか)、途中でビリーが複数の女性と乱交している場面を目撃してしまう。

 乗り気な女性もいれば、諦念して表情が抜け落ちている女性もおり、様々な境遇の人がいることを物語っていた。

 

 堂々としながらも気づかれないように細心の注意を払い、いくつもの部屋に入って行くと、遂に目的の場所へと辿り着く。

 

(ここか)

 

 その場所はビリーの執務室だった。

 部屋に侵入すると、目当ての物がないか見て回る。

 

 今回ビリーの屋敷に侵入したのは、後ろ暗いことに手を染めている証拠を探る為だ。

 もちろん悪事を働いていない可能性もあるが、それは調べれば判明する。

 

 デスクの引き出しや、棚などを一通り探っていく。

 

(目ぼしい物はないか……)

 

 悪事の証拠になりかねない物を残しておくほど浅慮ではないのか、成果は芳しくなかった。

 

(仕方ない……できればこの手は使いたくなかったが……)

 

 証拠を見つけられなくても、取れる手段は他にもある。ただ、少々強引な手になってしまうので、可能なら避けたかったのが本音だ。

 

 強硬策に出るとしても、ビリーが一人の時を狙わなくてはならない。

 

(一先ず今日のところは退散すべきだな)

 

 乱交がいつ終わるのかわからない。

 いつまでも待ってなどいられないし、他人の行為を観察する趣味もないので、大人しく日を改めることにした。

 



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第45話

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻の壁内某所。

 

 裸でベッドに俯せ、侍らせている男にマッサージをさせている女のもとへフランコが姿を現す。

 

「姫」

「あら? 何かあったの?」

 

 女は俯せの状態で器用に首を傾げる。

 

「はい。ご報告を」

「そう」

「トーマス卿から例の件、滞りなく済んだと連絡がありました」

 

 例の件とは、マーカス・ベイン暗殺のことだ。

 

「遺体は確認したのかしら?」

「二時間ほど前に住民が発見したそうです。被害者がベイン卿だと政府は内密にしているようですが、要人でなければ秘匿する理由はないかと」

「そうね」

 

 要人が暗殺されたなどと知られれば騒ぎになる。

 政府が秘匿するのは、(おおやけ)にすると市井に不安や混乱を招く恐れがあるからだと推測できる。

 

「まあ、成否はどうでもいいわ。結果がどうであれ、わたくしには全く影響ないもの」

 

 マーカス暗殺の件に成功しようが失敗しようが、彼女にとっては大した影響はなかった。

 邪魔者が減って多少は動きやすくなるが、仮に失敗しても今と状況が変わるわけではない。

 

 不審死が立て続けに起こっている現状、政府は疑惑の目を向けるだろう。

 万が一原因を突き止められても、今回の件に関してはビリーに全責任が行くように仕向けている。

 なので、成否に(かか)わらず、彼女にとっては微塵も痛手にならなかった。

 

「姫の()がある限り、トーマス卿は傀儡でしかありませんからね」

「その通りよ」

 

 女にとってビリーは操り人形でしかなかった。

 彼女の()が働いている限りは逆らえない。いや、正確に言うと逆らいようがない。

 何故なら女に対して()()()()()()()()()()()のだから。

 

「何も心配はいらないわ」

 

 女はマッサージが気持ち良くて時折吐息を漏らす。

 

「わたくしが楽しめればそれでいいのよ」

 

 顔を赤らめて悦に浸る女は自分の都合しか考慮していない。

 

「また何かあれば報告をお願いね」

「畏まりました」

 

 フランコは(うやうや)しく頭を下げてから退室した。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「――カーラはどこだ!」

 

 複数の女性と乱交に興じていたビリーは、侍る女たちを無視して大声を上げる。

 

「ビリー様、カーラさんは不在ですよ」

 

 一人の女が(なだ)めるように告げる。

 

「そう言えばそうだったな……」

 

 カーラはビリーに外出の許可を取ってからシノノメ家へ赴いている。息子がお世話になっているクラスメイトの親御さんに招待されたと偽ってだ。

 

 ビリーはお気に入りであるカーラの頼みを無下にはできず許可を出していた。――興奮の余り失念していたが。

 

「私では物足りませんか?」

 

 胸を押し付けて上目遣いする女が尋ねる。

 

 この女の年齢は二十代後半で、政界で出世する為の足掛かりとしてビリーに取り入っていた。

 七賢人のビリーが後ろ盾になってくれれば心強いのは間違いない。

 

「……」

 

 ビリーは女に目を向ける。

 

「興が冷めた。今日は一人で休む。お前らは出て行け」

 

 散々奉仕させ、愛情のない行為を強要していたにも(かか)わらず、自分の都合で女たちをぞんざいに追い出してしまう。機嫌が悪いのか荒々しい態度だ。

 

 女性たちは文句を言える立場ではないので、唯々諾々(いいだくだく)と従うしかなかった。

 残念がる者もいれば、解放されたと安堵する者もいるが、総じてビリーを怒らせないようにそそくさと退散していく。

 

 ビリーは女性を侍らせたまま眠ることが多いが、この日は一人で休みたい気分だった。

 お気に入りのカーラがいなくて苛立っている。自分で外泊の許可を出したが、今になって後悔していた。なんとも女々しい男だ。

 

 そして、つい先程まで乱交三昧だったこともあり、すぐさま眠りについた。

 



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第46話

 ◇ ◇ ◇

 

「――ん?」

 

 ビリーの屋敷から立ち去ろうとしていたジルヴェスターは、複数人の気配に気づく。

 

 執務室から出て気配の正体を探る。

 探知魔法を使えば早いが、万が一優れた魔法師が屋敷内にいた場合は勘付かれてしまう恐れがある。なので、安易に探知魔法は使えなかった。

 

 光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)消音の包容(サイレント・インクルージョン)無臭(オーダレス)の三つの魔法を行使しているジルヴェスターは、堂々と気配のする方へと近付いていく。

 

 すると、同じ階にあるビリーの寝室から複数の女性が退室しているところに遭遇した。

 追い出されて慌てていたのか、衣服を着る暇もなく手に持って全裸のままの者や、下着だけ身に付けている者ばかりだ。

 

(ちょうどいい)

 

 ジルヴェスターは日を改めようと思っていたが、タイミング良くビリーが一人になってくれた。

 チャンスだと思い、女性たちが退散して扉が完全に締まる前に素早く室内に侵入する。

 

 室内は薄暗かった。

 近付かなくても寝息が聞こえてくる。

 

(熟睡しているな)

 

 ビリーに近付くと、良く確認するまでもなく深い眠りについているのがわかった。

 ジルヴェスターはビリーへ左手を翳す。

 そして――

 

精神干渉(メンタル・インターフェアレンス)

 

 魔法を発動した。

 

 魔法行使時にはMACが光るが、光学迷彩(オプティカル・カムフラージュ)の効果で光っているのが周囲には見えなくなっている。そのお陰でビリーを起こしてしまう心配がない。

 

 ――『精神干渉(メンタル・インターフェアレンス)』は呪属性の第六位階魔法であり、対象者の精神に干渉する事ができる妨害魔法だ。

 

 ジルヴェスターはビリーの精神に干渉し、思考を誘導して必要な情報を自白させようと企てていた。

 しかし――

 

(ん? これは……弾かれた?)

 

 思考誘導しようとしたが、割り込む余地がないかのように魔法を弾かれてしまった。

 今度はより魔力を込めて割り込もうと試みる。

 しかし、再び弾かれてしまう。

 

 ジルヴェスターは一度魔法を解除し、顎に手を当てて思考するが、数秒後には結論に辿り着く。

 

(まさか……既に思考誘導されている?)

 

 既に思考誘導されている者を新たに思考誘導しようと試みても優先順位が発生し、後から割り込むのは厳しくなる。精神に刻み込まれた事象は基本的に上書きできないからだ。

 しかし、優れた技量と魔力量を有していれば割り込むことは決して不可能ではない。

 

(しかもこれは思考誘導より強力な代物だ。洗脳に近いか)

 

 ジルヴェスターですら割り込めなかった。

 これらのことから推測するに、彼よりも豊富な魔力量と技量を有する者が先に思考誘導を行っていることになる。

 しかし、その線は考えがたい。いや、むしろ不可能だ。

 

 ジルヴェスターは特級魔法師第一席である。

 魔法師によって得意な魔法の種類に違いがあるとはいえ、彼には得手不得手が存在しない。どのような魔法でも難なく行使できる。

 

 そもそもジルヴェスターより優れた魔法師が存在するとも考え辛い。

 ジルヴェスターは自分のことを過信していないが、周囲からの評価を鑑みても覆りようがない事実だとは理解していた。

 

 以上の理由から、残された可能性は思考誘導よりも強力な力が作用している線に絞られる。

 しかし、精神干渉(メンタル・インターフェアレンス)には洗脳する効果はない。

 また、洗脳の効力を持つ魔法そのものが現状存在しない。

 

(考えるのは後だ)

 

 ジルヴェスターは一度思考を放棄して、別の手段を試みる。

 

(できればこの手は用いたくなかったが、仕方ない)

 

 行使する魔法は先程と同じ精神干渉(メンタル・インターフェアレンス)だが、別の効力を用いる。

 

 ジルヴェスターはビリーの精神に深く侵入し、記憶領域にまで踏み込む。

 そしてビリーの記憶を覗き込む。

 

 精神干渉(メンタル・インターフェアレンス)には対象の記憶を覗くことができる能力もある。覗くことができるだけで、記憶を改竄(かいざん)したりなどの介入はできない。

 また、記憶を覗くと対象の記憶を追体験することなる。対象に過酷な過去がある場合、術者も同じ出来事を追体験しなくてはならない。過酷な過去などなくとも、術者にとって不快な記憶を追体験してしまう恐れもある。

 

 それこそビリーの場合は、様々な女性と乱交している時の記憶などを追体験してしまう。なので、この手は避けたいのが本音だった。

 

 それからしばらくビリーの記憶を追体験する。

 一部洗脳の影響か(もや)が掛かっていてはっきりと見えない箇所があったが、概ね見ることはできた。

 

(黒か)

 

 その結果、ビリーは完全に黒であった。

 

 レアルの父がビリーに借金しているというのは全くの出鱈目(でたらめ)であり、偽造の借用書であった。

 レアルの父が亡くなったのは完全に不幸な偶然だったようだが、元々カーラに目を付けていたビリーは絶好の機会だと思い工作に乗り出したようだ。

 

 また、別の女性にも様々な工作をして手籠めにしたようである。

 中には真っ当な件もあるが、ほとんどは非合法だ。

 

 そして七賢人の立場を利用して横領も行っていたようだ。

 基本的に大掛かりなことは行っておらず、小物感が漂っている。

 

 おそらくレアルに暗殺を命じたのは洗脳の件が関わっており、ビリー本人の意思は介在していない可能性が高い。

 

(最早遠慮はいらんな)

 

 ビリーが合法の上で行っていた場合を考慮して穏便にことを進めていたが、完全に黒だとわかった以上遠慮する必要はなくなった。

 



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第47話

 ジルヴェスターは自身を対象にして発動している消音の包容(サイレント・インクルージョン)のみ解除し、改めて今いる部屋一帯を指定範囲にして消音の包容(サイレント・インクルージョン)を行使し直す。

 すると、包容力のあの魔力の幕が部屋全体を覆っていく。

 これでこの部屋で発生した音は室外へ漏れない。

 

 問題なく魔法が行使されたのを確認したジルヴェスターが口を開く。

 

「ビリー・トーマス」

 

 あまり声量は大きくないが、ジルヴェスターの低音ボイスが鮮明に響く。

 しかし、それでもビリーは目を覚まさない。

 二、三度名前を呼ぶが全く反応がない。

 

「……」

 

 いくら名を呼んでも埒が明かないと判断したジルヴェスターは、左耳の耳朶に装着している耳飾り(ピアス)型の単一型MACに魔力を送る。

 そして魔法を行使した。

 

苦痛の行方(ロード・オブ・ペイン)

 

 ジルヴェスターがそう呟くと、彼を起点に禍々しい魔力の波動が発生し、ビリーへと降り注ぐ。

 すると――

 

「うぐ、ぐぁあああああああ」

 

 ビリーは胸を押さえて悶え苦しみ始め、段々と絶叫へと変わっていく。

 目からは涙が、口からは唾液が、身体中から汗が滂沱と流れ出していく。

 

 ――『苦痛の行方(ロード・オブ・ペイン)』は闇属性の第六位階魔法であり、対象者の精神に苦痛を与える攻撃魔法だ。身体的ダメージはないが、身体にダメージを受けたと錯覚させることも可能で、魔法抵抗力や精神耐性の弱い者ほど苦痛を味わう。

 

 今のビリーは精神に激痛が襲い、身体中が焼かれているような錯覚を身に受けていた。

 非魔法師であるビリーには当然魔法抵抗力がない。普通なら自我を保てず、精神が崩壊し廃人と化してしまう。

 しかし、ジルヴェスターはビリーが耐えられるギリギリのラインを保っていた。

 

「ビリー・トーマス」

 

 ジルヴェスターは苦しむビリーのことなど欠片も気にせずに声を掛ける。

 

「だ、ぐあ、誰だ!?」

 

 歯を食いしばり激痛と闘っている中、自身の名を呼ぶ声に反応するのは億劫だった。

 視線を向けても誰もおらず、苛立ちが募る。

 

「お前が口を割れば苦痛から解放してやる」

「な、何を言っている!」

 

 あまりの激痛にのた打ち回る気力すら湧かない。

 

「お前が今まで働いた悪事についてだ」

「か、隠れていないで姿を見せろ」

 

 口を割る気がないようで、息も絶え絶えながら話題を逸らしてくる。

 

「まあいい。お前の心が折れるまで苦痛から与え続けるだけだ」

 

 しらばっくれても構わない。

 心が折れて自ら話させてくれと懇願するまで激痛から解放させなければいいだけだ。

 

 精神が崩壊しないギリギリのラインを見極める必要があるので、ジルヴェスターはソファに腰掛け、ビリーが悶え苦しむ姿を興味なさげに眺める。

 

 それからどれほどの時間が経っただろうか。

 ビリーは既に意識を保てていない。

 身体が痙攣して脱力している。

 

「限界か」

 

 ジルヴェスターは一度苦痛の行方(ロード・オブ・ペイン)を解除する。

 

 激痛から解放されたことにより、ビリーの意識が少しずつ戻っていく。

 呼吸が安定して来たところで、ジルヴェスターは再び苦痛の行方(ロード・オブ・ペイン)を行使する。

 

「ぐぁぁぁあああああああああ」

 

 再び抗いようのない激痛が身体中を襲い、ビリーは絶叫する。

 

 その後、ビリーの心が折れるまで同じことを数度繰り返していく。

 ジルヴェスターが眉一つ動かすことなく淡々と行う姿は、見る人が見れば悪魔の所業と表現するだろう。

 やっていることは完全に違法行為だが、心は微塵も痛まない。

 

 そして遂にビリーの心が折れた。

 

「も、もう……やめてくれ」

 

 ベッドから転がり落ち、ジルヴェスターへ縋るように這い寄る。

 

 ジルヴェスターは異空間収納(アイテム・ボックス)を行使して、水筒を取り出す。

 そして水筒をビリーへ投げ渡した。

 

 ビリーは絶叫し続けた上に身体中の水分を放出してしまい水分不足だった。

 故に必死の形相で水筒に手を伸ばし、あっという間に飲み干してしまう。口からは勢いで溢れてしまった水が垂れている。

 

「――さあ、俺の質問に答えてもらおうか」

 

 瞳から光が消えたビリーはすっかり従順になり、素直に問いに答えていく。

 

(覗いた記憶との相違はないな)

 

 話しを聞き終えて、追体験した記憶との違いがないことを確認できた。

 

「俺の言う通りにするなら解放してやろう」

 

 ビリーは泣き喚きながら首が捥()げるのでないかと思うほど何度も上下に振る。

 

「まずは(おおやけ)の場で全ての罪を自白しろ」

 

 残念ながらビリーをこの場で処断することはできない。

 また、七賢人である彼には無視できない影響力と人脈がある。彼を安易に七賢人の地位から引き摺り降ろすと、政界へのダメージが甚大だ。

 

 悪事を働いてはいたが、七賢人としての職務はしっかりと全うしているので安易に切り捨てられない事情があった。

 少なくともビリーがいなくなっても問題なく世の中が回るようになってからでないと、処断はできない。

 故に罪を自白して市井からの信用を失墜させ、尚且つ自ら悪事から手を引かせることが現段階で選択できる最善手であった。

 

「そして騙して手籠めにした者らを解放しろ」

 

 自らビリーの元に身を寄せている者や、正規の手続きで身売りした者らを除いて、カーラなど違法な手段で手籠めにした者たちは解放させてやる必要がある。

 共に生活を送る上で情が芽生えた者もいるかもしれないので、もし自らの意思でビリーのもとに残ると決断した者は除外する。

 

「今後は清廉潔白に務めることだ」

 

 また同じことを繰り返しでもしたら意味がない。

 

「俺の目があることを常々忘れるな」

 

 しっかりと釘を刺す為に、常に監視していることを示唆しておく。

 

「最後に、被害者には今後一切関わらないことだ」

 

 今後の為にも不安の芽を絶やしておく必要がある。

 

「わ、わかった。命に代えて誓う!」

 

 ビリーは土下座をして必死に許しを請う。

 

「言質は取ったぞ。万が一違えた際は地獄に叩き落してやろう」

 

 約束を違えた際は、先程の苦痛が甘いと感じられるほどの地獄へと招待するつもりだ。

 

「では、日が空けたら直ちに行動に移れ」

 

 そう最後に言葉を残すと、ジルヴェスターはビリーのもとから音もなく立ち去る。

 そして、その場には裸のまま気絶したビリーだけが残された。

 



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第48話

 ◇ ◇ ◇

 

 四月五日の午前――政府中枢は混乱に包まれていた。

 七賢人のビリー・トーマスがやつれた顔で登庁したかと思えば、突然自身の過ちを叫び始めたからだ。

 全て自白し終えると、とても正常な精神状態だとは思えない狂乱ぶりで自身を裁くように懇願し始める始末であり、場は一層混沌と化した。

 

 七賢人であるオコギーがタイミング良く現場に居合わせ、彼の判断で一先ずビリーは医務室に連れて行かれた。

 そして現在は七賢人に緊急招集を掛け、全員が集まるのを『賢人の間』で待っていた。

 

「オコギー卿、待たせて申し訳ない」

 

 最初に姿を現したのは、最古参の七賢人であるフェルディナンドであった。

 

「いえいえ、急でしたので仕方ありませんよ」

 

 オコギーは恐縮した様子で答える。

 同じ七賢人でも二十歳以上の年齢差があるので、彼は目上の者に対する礼儀を弁えていた。

 

 席は円卓になっており、フェルディナンドは最奥の席に腰掛ける。

 オコギーは扉に最も近い位置の座席に陣取っていた。

 各々の席は決まっており、古参の者から順に奥の座席が指定席となっている。

 

 フェルディナンドは事前にジルヴェスターから話を聞いていたので、混乱が起こることは予測していた。故に、迅速に登庁できたのだが、それは内緒である。

 

「全く、トーマス卿にも困ったものだな」

 

 フェルディナンドが嘆息する。

 

「正直、私は戸惑っています……」

 

 困惑顔のオコギーは言葉に詰まってしまう。

 

「卿はまだ七賢人としての在任歴が浅いので無理もないが、私たちを除いた七賢人はみな腐っておるぞ」

「そんな身も蓋もないことを……」

「事実なのだから仕方あるまい」

 

 一切取り繕うとしないフェルディナンドの態度に、オコギーは苦笑するしかなかった。

 

 オコギーの本名はジェイコブ・オコギーだ。

 七賢人の中で最年少である彼は、老獪(ろうかい)な面々と日々渡り合い気苦労を重ねていた。

 フェルディナンドが良くフォローしてくれるが、他の面々には手を焼いているのが偽らざる現実だ。

 

 また、薄々七賢人が腐敗していることには気がついていたが、改めてフェルディナンドが毒づくのを目の当たりにすると、今以上に認識を改めなければならないと思った。

 

「トーマス卿を裁くのは簡単だが、そんな容易に済ませられる話ではないのも頭が痛い」

「それには同意します」

 

 ビリーの件に話が移行し、フェルディナンドが肩を竦めて愚痴を零す。

 

「明らかにトーマス卿に非があるとはいえ、彼奴(きゃつ)が非魔法師である以上裁けば反魔法思想の者が黙ってはおるまい」

「トーマス卿自身の影響力も無視できませんからね」

 

 大半の反魔法主義者は理解を示すだろうが、中には話の通じない輩も存在する。

 一部の自分に都合のいいようにしか物事を判断しないご都合主義者が筋の通っていない抗議をするのが目に見えている為、ビリーを安易に裁くことができない。

 放っておけば市民に危害を加えるのだから手に負えず、簡単に切り捨てるのは許されなかった。

 

「儂らが反魔法主義者に対する政策について腐心しておると言うのに……足を引っ張りおって」

 

 以前グラディスとレイチェルに指摘された通り、フェルディナンドはジェイコブと共に反魔法主義者に対する対応を煮詰めていた。

 それが今回の件で検討し直さなければならなくなり、遺憾千万であった。

 

「一先ずは謹慎処分が妥当と言ったところか」

「そうですね。その間に対策を模索すべきかと」

 

 安易に切り捨てることが許されないのがもどかしい。

 一度事態に対処する時間が必要だ。

 

「何より他の面々が協力的か否かも問われるな」

 

 フェルディナンドとジェイコブを除いた七賢人が共同戦線を敷いてくれるとは限らない。

 ビリーを追い詰めることが自分にとって不利になると判断した場合は、保身に走り妨害してくる可能性すらある。

 決して一枚岩ではなかった。

 



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第49話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の四月六日――政府は公式に表明を出した。

 その内容は、本日付でビリー・トーマスから七賢人の地位を剥奪する、というものであった。

 

 本人が自白したことにより罪が明るみとなり、政府としては取り繕うことのできない段階に至っていた。故に有耶無耶(うやむや)にはできず、明確な処分を下す必要があった。

 

 但し、ビリーに非があるのは明らかなのだが、非魔法師であり世間的に名の通っている彼に処分を下すと反魔法主義者が黙っていない。

 話の通じる相手ならばいいが、中には意思疎通できない厄介な者もいる。そういった者にはいくら言葉を尽くしても無駄だ。とはいえ、何を仕出かすか予測のつかない連中なので無視を決め込むこともできない。

 

 そこで反魔法主義者を過度に刺激しない範囲で処分を下すことになった。

 まず、口惜しいが逮捕することは諦め、七賢人の地位を剥奪し、降格処分を下した。

 ビリーには一議員として身を粉にして国の為に働いてもらう。

 

 また、彼が横領した金額はしっかりと返納させ、その上で横領罪による罰金を科す。

 詐欺などで女性を弄んだ件には当然詐欺罪が適用され、罰金刑を科した。それと被害者に対する慰謝料の支払いを命じた。

 それが反魔法主義者を過度に刺激しない限界点だった。――どちらにしろビリーの場合は罰金を支払える資産があるので、仮に逮捕してもすぐに釈放される運命であっただろうが。

 

 ビリー本人は下された処分を甘んじて受け入れている。むしろ刑が甘すぎると叫んでいるくらいだ。

 厳罰に処してくれないと謎の人物――ジルヴェスター――に、また生きたまま地獄を体験させられると怯えていた。

 だが、彼の要望が通ることはない。

 本来なら刑が軽くなるのは誰にとっても望ましいことなのだが、彼にとっては望みとは対極の判決なのはなんとも皮肉なことであった。

 

 囲われていた女性たちは無事に解放されたが、例外もいる。

 正式に法的な手続き踏んだ上で身売りをした者は当然解放されない。

 ビリーのことを愛して妾になっていた者で、愛想を尽かさなかった者も残った。

 そしてビリーとの間にできた子供がいる女性の中で、まだ幼い子を抱える者は独り立ちするまで育てなくてはならないので、彼に責任を取らせる為に敢えて残った者もいる。仕方なく残るとはいえ、今までとは違い立場が逆転するので、思う存分こき使って溜飲(りゅういん)を下げることはできるだろう。

 政界での出世を目論んで近寄った者は、ビリーが七賢人の地位を失った途端に去っていった。利用価値がなくなったと判断され、見限られたのだ。

 

 結果、ビリーは地位、権力、人望を失い、莫大な罰金と慰謝料を支払い、馬車馬の如く働かされ、子育てに奔走し、謎の人物――ジルヴェスター――に怯える生涯を送ることになった。

 

 この日は紙面と市井を大いに賑わせた。

 しばらくはビリーについての話題で持ち切りとなるであろう。

 それもすぐに飽きて忘れ去られてしまうのであろうが。

 



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第50話

 ◇ ◇ ◇

 

 四月七日――ジルヴェスター宅には複数の人物が集まっていた。

 客間にはジルヴェスター、アーデル、ミハエル、レアル、フィローネ、カーラの六人の姿がある。

 

 ジルヴェスターとアーデルが同じソファに並んで腰掛け、対面のソファにイングルス一家が三人並んで座っている。そしてミハエルは一人掛けのソファに腰を下ろしていた。

 

 既に全員自己紹介を済ませている。

 

 ジルヴェスターが既婚者だったことにレアルは物凄く驚いていた。

 彼の驚きようは滑稽で、一堂に笑いを(もたら)したほどだ。

 

「この度は本当にお世話になりました」

 

 カーラが深く頭を下げる。

 隣に腰掛けているレアルとフィローネも母に倣って頭を下げた。

 

 カーラは茶色の髪をミディアムくらいの長さで纏め、上品で落ち着きのあるフェミニンな印象の女性だ。鮮やかな碧眼に吸い込まれそうになる。

 

 レアルとフィローネは金髪だが、おそらく二人の髪は父親から遺伝したのだろう。

 そしてレアルの碧眼は母から、フィローネの赤眼は父からの遺伝だと思われる。

 

 三人はビリーのもとから解放され、久々の再開を果たしていた。

 今回はジルヴェスターがレアルとカーラを迎えにいき、自宅に招待している。

 

「頭を上げてください」

 

 ジルヴェスターが頭を上げるように促す。

 

「この御恩には必ず報います」

「あまりお気になさらずに」

「いえ、そういうわけにはいきません」

 

 ジルヴェスターとしては本当に気にしなくていいことだった。

 感謝される為に手を差し伸べたわけでも、恩に着せる為に助けたわけでもない。

 

 しかし、それではカーラの気が済まなかった。

 

「受けた恩を返しもせずにのうのうと過ごすなどと、そんな恩知らずな真似は致せません」

「そうですか……ご無理はなさらないように」

 

 カーラの意思を無下に扱うのは野暮だ。

 しかし、恩を返すのに奔走して日常生活を疎かにしては、せっかく自由の身になった意味がない。

 

「ジル、僕からもお礼を言わせてほしい。本当にありがとう」

 

 レアルが改めて頭を下げる。

 

「今度は僕がジルの力になれるように精進するよ。正直、ジルに僕の助力が必要かはわからないけど……」

 

 確固たる意志の宿った眼差しをしていたが、途中から苦笑交じりになっていく。だが、それも仕方がない。

 特級魔法師第一席であるジルヴェスターが危機に陥る状況は、最早常人には手に負えない状況だろう。

 しかも、ジルヴェスターには第三席であるアーデルが付いている。彼女ほど心強い味方はいない。

 

 その上、第六席であるミハエルとも良好な関係を築いており、元第六席で現在は準特級魔法師であるレティも生徒の為に尽力してくれるはずだ。

 レアルは国のトップに君臨する面々が助力をしてくれるのに、普通の学生である自分の手が必要になるとは到底思えなかった。

 

「正直に言うが、今回助けたのはお前が飼い殺しにされるのを防ぐのが最大の目的だった」

「どういうこと?」

 

 ジルヴェスターの言葉にレアルは首を傾げる。

 

 ジルヴェスターがイングルス一家を助ける決断を下した最大の理由は、レアルがビリーに飼い殺しにされるのを防ぎたかったからだ。

 

 現在のレアルは優秀な生徒の域を出ないが、魔法師としての才能は豊かで、将来的には化ける素養があるとジルヴェスターは踏んでいる。それこそ特級魔法師の座も夢ではないと。

 

「そ、そうかな?」

 

 予想以上に自分のことを買ってくれていることが嬉しかったレアルだが、それよりも驚きと疑問が上回っていた。

 特級魔法師などと現実味のない話を持ち出されたのだから仕方のない反応だろう。

 自分にそれほどの才能があるのか? とレアルは考え込む。

 

「ああ、それは俺が保証する」

「……ジルのお墨付きなら事実だと思うことにするよ」

 

 レアルはジルヴェスターのことを信用している。また、特級魔法師第一席が保証すると言っているのだ。その言葉を疑うのは烏滸(おこ)がましいと思い、素直に信じることにした。

 

「その才能溢れる若者が飼い殺されるのは国にとって痛手だ」

 

 優れた魔法師は何人いても困らない。むしろ多ければ多いほど助かる。

 特級魔法師になれるほどの素質を有する者なら尚更だ。

 国防に関わる以上は軽視できない。

 

「それに有能な者が多ければそのぶん俺が楽できるだろ」

「それが本音か……」

 

 ジルヴェスターの台詞にレアルは呆れて溜息を吐く。

 

「気持ちはわかるが……」

 

 横で聞いていたミハエルはそう呟くと、苦笑しながら肩を竦めた。

 心情的には同意するが、中々言い出しにくい本音であった。

 

「フィローネにも言ったが、才ある者を世に出さないのは損失以外の何物でもない」

 

 (くすぶ)っている者を見出(みいだ)すのも上に立つ者の務めだ。

 見出すことで国力が増し、個人の負担が軽減するのなら見す見す放置はできない。

 

「そうだね。僕も一層励むことにするよ」

「是非とも俺を楽させてくれ」

 

 少しでも力になれるように努力しようと意気込むレアルは肩に力が入っていたが、ジルヴェスターが口にした言葉に思わず脱力してしまった。本音が駄々洩れでつい笑ってしまったのだ。

 

 レアルの心に余裕が生まれたところで、ジルヴェスターが口を開く。

 

「そこでだ、ミハエル」

「なんだい?」

 

 唐突に話を振られたミハエルは慌てることなく答える。

 

「お前がレアルを鍛えてやれ」

「――え」

 

 予想外の言葉にレアルが瞠目して声を漏らす。

 

「私がかい?」

「ああ」

「理由を訊いても?」

 

 当然の疑問だろう。

 突然話を振られ、今日初めて対面した相手の面倒を見ろと無茶ぶりされているのだ。

 即座に断ることなく、話に耳を傾ける辺りミハエルはできた大人である。

 ジルヴェスターとの関係値があるからこその対応なのかもしれないが。

 

「レアルの魔法師としての特徴がお前と酷似しているからだ」

「ほう。それは興味深い」

 

 実はレアルとミハエルには類似点が多かった。

 

 レアルの魔法属性の適正はミハエルとそっくりだ。

 ミハエルの方が適正属性の数が多く、適正の高い属性の順も異なるが、レアルが適性を持つ属性はミハエルも全て備えている。

 また、二人が最も高い適正を有していて、得意にしている属性は同じ光属性だ。

 

 そして属性の適正だけではなく、戦闘スタイルも似ている。

 レアルは剣型のMACを用いるスタイルだ。

 剣で敵を切り伏せ、魔法を駆使して攻撃、防御、牽制、支援を行う。

 攻防、遠近のバランスがいい王道な戦闘スタイルだ。マニュアル通りとも言う。

 

 要するに、レアルは基本に忠実なマニュアル通りの魔法師と言うことだ。

 そしてミハエルは基本に忠実を限界まで極めた結果、特級魔法師第六席の座を手にした傑物だ。――もちろん、魔力量などの努力だけではどうにもならない持って生まれた才能があってこそだが。

 

 以上の理由により、レアルを鍛えるのに彼ほどの適任は存在しないとジルヴェスターは思っていた。

 



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第51話

「――なるほど」

 

 理由を聞いたミハエルは顎に手を当てて考え込む。

 難しい顔ではなく、面白そうな表情を浮かべている。

 

「一度試しに見てみよう」

「ああ。まずはそれで構わない」

 

 ミハエルはいきなりレアルを預かるのではなく、一度指導してみてから正式に預かるか否かを決めることにした。

 預かる以上は責任が伴う。安易に請け負うことはできないので当然の判断だろう。

 

「――ちょ、ちょっと待って、話について行けないんだけど……」

 

 自分のことを放置して話が進んで行くことに、レアルは戸惑っていた。

 

「お前をミハエルの弟子にしようって話だ」

「いや、説明になってないんだけど……」

 

 ジルヴェスターが勝手にレアルの今後を決めようとしているのだから、彼の反応はもっともだ。

 

「いい話じゃない。感謝こそすれ、こちらが拒む理由はないでしょ?」

「そうだけど……」

 

 カーラの言葉にレアルは釈然としないが反論はできなかった。

 

 実際問題、特級魔法師の指導を受けられるように斡旋してくれているのだから、ジルヴェスターの提案は魅力的な話だ。普通に生活していたら到底得られないチャンスである。

 誰もが手にしたい立場が棚から牡丹餅(ぼたもち)で転がり込んで来ているのだ。好機をふいにするのは愚かですらある。

 

 カーラとしても息子を特級魔法師の弟子にしてもらえるのは喜ばしいことだった。

 しかも特級魔法師の中でも人気、人望、人格が備わっているミハエルなら尚更である。

 

「ジルに恩を返せるように頑張って力をつけるよ」

 

 レアルは覚悟を決めた。

 自分の意思を無視して進められる話に釈然としなかったが、せっかく貴重な機会を頂けるならと好意に甘えることにした。

 

「その意気よ」

 

 息子の判断にカーラは微笑みを浮かべて背中を押す。

 

「ミハエル様もよろしくお願いします」

 

 レアルは世話になることになったミハエルに頭を下げる。

 

「まずは合格か不合格かを見極めさせてもらうけどね」

「はい」

 

 まだ弟子にするとは決まっていない。

 それは見極めてから決める。

 

「息子のことをよろしくお願い致します」

「はい。一度息子さんをお預かりします」

 

 カーラが頭を下げると、ミハエルも失礼のないように誠意の限りを尽くす。

 

「一先ずレアルの話は終わりだな」

 

 話が一段落したタイミングでジルヴェスターが話題転換する。

 

「カーラさんにはしばらく我が家で生活してもらいます」

 

 ビリーの件が片付いたとはいえ、今後手出ししてこない保証はない。

 ジルヴェスターが匿うのが最も安全だ。なので、しばらくは生活を共にしてもらうつもりでいた。

 

 それに関してはカーラも理解しているので言う通りにするつもりだったが――

 

「承知しております。ですが、ただお世話になるだけの立場に甘んじるつもりはありません」

 

 一方的に世話になる気は毛頭なかった。

 既に何度も助けてもらっている。その上、今後も厚意に甘えるだけの人生を享受するほど性根は腐っていない。

 

「お世話になっている(あいだ)は、お二方のそばで身の回りのお世話をさせて頂ければと思います」

 

 世話になる代わりに、カーラは使用人としてジルヴェスターとアーデルに尽くすつもりだった。

 

「娘と共にご奉仕させてくださいませ」

「――私も!?」

 

 突如巻き込まれたフィローネは吃驚して声が裏返った。

 

「まあ、今と変わらないから構わないけれど……」

 

 フィローネはジルヴェスターの内弟子として掃除、洗濯、料理などの雑用を日々こなしている。

 今と生活がそれほど変わるわけではないので、反論する理由がなかった。

 

「こちらとしては構いませんが……」

 

 ジルヴェスターとしても断る理由はない。

 広い家なので信用できる使用人がいるのはむしろ助かる。

 

 だが、家中での奥向きなことは大部分をアーデルに一任しているので、彼の一存で決めるわけにはいかなかった。

 なので、アーデルに意見を求める為に視線を向ける。

 

「私も構わないよ」

 

 もっとも、アーデルはジルヴェスターが決めたことに反対する気は元からなかった。

 基本的に彼女はジルヴェスターに対して従順だ。逆らうこともなく、一歩下がった位置から支えてくれるタイプである。彼女が従順なのには理由があるのだが、今は関係ない話だ。

 

 いくら従順であっても、ジルヴェスターはアーデルのことを疎かにすることなく、日頃から彼女の意思を尊重している。

 

「なら決まりだな」

 

 アーデルが構わないなら、それこそジルヴェスターには断る理由がない。

 カーラの要望はすんなりと受け入れられた。

 

「ありがとうございます。これから娘共々よろしくお願い致します」

 

 これでイングルス一家の今後は全て決まった。

 イングルス一家には平穏が戻り、これから新たな生活が始まる。

 



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対抗戦編
プロローグ


 六月十五日――季節は夏になり、新緑の輝きが目立つようになった。段々と蒸し暑くなってきている。来月には更に気温が上昇し、辟易する日々を送ることになるだろう。

 

 外は蒸し暑いので室内で過ごすことが増える。

 例に漏れず、ランチェスター区のヴァストフェレッヒェンにあるジルヴェスター宅の訓練室には、ミハエルとレアルの姿があった。

 

「今日はこの辺にしよう」

「ありがとうございました」

 

 レアルはミハエルに頭を下げる。

 

「今日は早く切り上げてすまないね。この後、所用があるんだ」

「いえ、大丈夫です。師匠が悪いわけではありませんから」

 

 レアルはミハエルに認められ、無事、弟子にしてもらえていた。

 既に外弟子として約二カ月の間、指導してもらっている。

 

 ミハエルはレアルの実力と将来性を買っており、時間がある時は師匠として熱心に指導していた。その甲斐もあり、レアルは魔法師として著しく成長している。

 

 二人は日頃からジルヴェスター宅の訓練室を使わせてもらっている。

 

 魔法協会にも訓練室はあるが、ミハエルがいると注目の的になってしまう。

 ランチェスター学園の訓練室を利用しても同じだ。

 

 また、ミハエルは元々贅沢をする性分ではなく、独身でもあるので一般的なアパートで暮らしている。なので、当然個人所有の訓練室などは持っていない。

 

 以上の理由により、ジルヴェスター宅の訓練室を活用させてもらっていた。

 

「アナベルさんの様子を見に行くんですか?」

「そうだよ」

 

 レアルが質問するとミハエルが頷く。

 

「そうですか……すみません」

「君が謝ることではないさ。むしろ君も被害者なんだから」

「全く無関係と言うわけではありませんので……」

 

 ロバートが亡くなって以降、ミハエルは度々アナベルのもとを訪ねていた。

 彼女の心をケアする為でもあるが、子供たちの様子を見に行く目的もある。

 

 ロバートを暗殺した者はまだ捕まっていないので、彼女たちの心が晴れることはない。

 仮に捕らえても失った命が戻るわけではないので完全に心が晴れることはないのだが、多少なりとも溜飲(りゅういん)を下げることはできるだろう。

 

 レアルが暗殺したわけではないが、関係者であった事実は変わらない。

 その事実が彼の心に重く圧し掛かっていた。謝罪を口にする気持ちもわかる。

 だが、ロバートの件に関してはミハエルの言う通りレアルも被害者だ。

 

 暗殺の件でレアルに非があるとすれば、マーカス・ベイン暗殺未遂に関してだけだ。

 ビリー――正確にはビリーを利用した黒幕――に命じられて仕方なく行ったことだとしても、関与した事実は変えられない。

 それがレアルに罪悪感を与える要因となっていた。

 

「真面目だね。でも君のそういうところは好感が持てるよ」

 

 ミハエルも真面目な性分なので、レアルには親近感を抱いていた。

 

「犯人は私が必ず捕らえる」

 

 確固たる意志の宿った瞳で握り締めた拳に目を向ける。

 犯人を捕らえることでアナベルとその子供たちの無念を晴らすことができ、レアルの罪悪感も多少は薄れるだろう、とミハエルは思っていた。

 その為にも自分が犯人を捕らえてみせると心に誓っている。

 

「僕もお手伝いします」

 

 レアルが少しでも罪滅ぼしになるのならと協力を申し出る。

 

「ありがとう。だが、その為には今より強くなってもらわないとだね」

 

 ミハエルの足を引っ張らない為には確かな実力が必要だ。

 今のレアルではまだ相応しい実力を有していない。

 今後も鍛錬を重ね、ミハエルと肩を並べられるようにならなくてはお荷物になるだけだ。

 

「はい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」

 

 ミハエルは深く頭を下げるレアルの肩に手を置いて口を開く。

 

「あまり焦らないようにね。一歩一歩着実に進んでいこう」

 

 そう言うと、ミハエルは背を向けて歩き出す。

 

「はい!」

 

 レアルは顔を上げてミハエルの背に向けて覇気のある返事をした。

 



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第1話

 ◇ ◇ ◇

 

 六月二十日――一年A組の教室には登校した生徒が続々と集まり、各々思い思いに時間を潰していた。

 

 ジルヴェスターは既に指定席同然になっている後方の席に腰掛ける。

 そのタイミングで前方の入口からステラとオリヴィアが入室してきた。

 二人は慣れて足取りで席へ向かう。

 

「おはよう」

「おはよう、ジルくん」

 

 ステラとオリヴィアはジルヴェスターに挨拶すると、一つ前の席に並んで腰を下ろす。

 

「おはよう」

 

 ジルヴェスターが挨拶を返すと、椅子に腰掛けたステラは後方に半身を向けて見上げる。階段状の席になっているので、顔を上向きにしなくてはならないからだ。

 そしていつも通りの無表情で口を開く。

 

「もうじき対抗戦だね」

「そうだな」

 

 対抗戦は七月に開催される。約一か月後だ。

 

「ふふ、ステラは楽しみで仕方ないみたいね」

「ん」

 

 ステラは傍目に見ると無表情にしか思えないが、姉妹同然に育ったオリヴィアには機微の変化がお見通しである。

 実際ステラは対抗戦が待ち遠しくて気が逸っていた。

 

「本当に好きなんだな」

「ん。好き」

 

 オリヴィアほどではないが、ジルヴェスターもステラの表情の変化を読み取れる。

 故にステラが対抗戦を心の底から楽しみにしているのを感じ取れた。

 

「新人戦の選手に選ばれるといいな」

 

 いくら好きだとしても、対抗戦の出場選手に選ばれるかはわからない。

 一年生の場合は新人戦に出場することになるので、同学年の中でも魔法師として優秀な者から順に選抜される。

 絶対ではないので断言はできないが、少なくとも戦力にならない者を選ぶ理由はないだろう。

 

「ん。オリヴィアとジルも一緒」

 

 ステラは三人一緒に対抗戦に出場したかった。

 その気持ちを表すかのように、二人に交互に視線を送っている。

 

「そうね。せっかくの機会だし選ばれると嬉しいわ」

 

 オリヴィアはどちらかと言えば研究者肌であり活発なタイプではない。

 だが、対抗戦は国立魔法教育高等学校にとっても国にとっても一大イベントなので、素直に楽しみたいと思っていた。

 それに魔法協会へのアピールの場でもある。将来のことを考えれば貴重な機会だ。――もっとも、オリヴィアはステラの側付きを辞める気がないので、進路を心配する必要はないのだが。

 

 アピール云々(うんぬん)を抜きにしても、対抗戦は在学中にしか経験できないことなので、出場選手として参加できれば代えがたい思い出になるだろう。

 

「俺はどうだろうな……正直遠慮したいところだが……」

 

 ジルヴェスターは特級魔法師である自分が出場してもいいのか、と気が引けてしまう。

 実際、彼が出場したら戦力バランスが崩壊するのは間違いない。他校にとっては勘弁願いたいだろう。

 

 それに単純にあまり目立ちたくないとも思っている。

 明らかに実力の違う者がいたら目立ってしまう上に不思議がられてしまう。

 

 別に自分の正体を何がなんでも隠したいわけではないが、無用なトラブルを避けるに越したことはない。

 ジルヴェスターは平穏な学園生活を送りたいだけなので、対抗戦に出場することが必ずしもいいことにはならなかった。

 

「それは……確かにそうね……」

 

 オリヴィアとステラはジルヴェスターの正体を知っている。

 故にオリヴィアは難しい顔になった。

 

「残念」

 

 乗り気でないジルヴェスターの様子に、相変わらず表情の変化が乏しいステラは落ち込んで肩を落とす。

 それでもジルヴェスターの気持ちを尊重したいので素直に受け入れている。健気で愛らしい。

 思わずジルヴェスターも笑みを零す。

 

「その前に期末試験があるが、大丈夫なのか?」

「……」

 

 ジルヴェスターの言葉に黙り込んでしまうステラ。

 

 国立魔法教育高等学校の全校は長期休暇に入る前の三月、七月、十二月に期末試験が実施される。

 

「実技は当然だが、筆記の結果が芳しくないと対抗戦の選手には選ばれないと聞いたぞ」

 

 対抗戦の出場選手は期末試験後に発表される。

 例外はあるが基本的に普段の実技科目の授業成績、クラブ活動での実績、期末試験の実技試験での結果を重視して選考されるが、筆記試験の結果があまりにも芳しくない場合は、選抜されなかった生徒に示しがつかないので選考対象から外されてしまう。

 

「せめて赤点は取らないようにしないとな」

 

 筆記試験の順位は学年全体が高得点を取ると必然的に上がりにくくなってしまうので、そこまで重視はされない。

 なので、赤点さえ取らなければ問題はないだろう。赤点は成績表に記録されてしまうので言いわけができないからだ。

 

「まあ、大丈夫だと思うわよ? 前回の試験結果も悪くなかったものね?」

「ん。それにオリヴィアが教えてくれる」

 

 ステラは普段からオリヴィアに勉強を見てもらっている。

 今回の試験も対策を練っているので、余程のことがない限りは大丈夫だと踏んでいた。

 



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第2話

「そういえば、前回の試験結果はどうだったんだ?」

 

 試験毎に結果が発表される。

 総合順位、実技順位、筆記順位をそれぞれ発表して生徒間で競わせ、競争心と向上心を養うのが目的だ。

 

 ジルヴェスターは自分の順位に興味がなかったので、発表された順位に軽く目を通しただけで詳しくは確認していない。なので、他の人の順位は把握していなかった。

 

「私は実技九位、筆記十二位で総合は八位」

 

 ステラは首を傾げながら記憶を辿って順位を思い出す。

 

「それなら次の試験も大丈夫そうだな」

「ん」

 

 前回の成績を(かんが)みれば次の試験も余程のことがない限りは大丈夫だろう。――日頃から訓練と勉強を怠っていなければの話だが。

 

「お前は?」

「わたし?」

 

 ジルヴェスターに話しを振られたオリヴィアは首を傾げると、右手を頬に添えて記憶を辿る。

 

「わたしは実技十五位で筆記は二位、そして総合は十二位だったわ」

 

 筆記よりも実技の結果を重視する傾向にあるので、筆記の結果が良くても順位は上がりにくい。オリヴィアがわかりやすい例だ。

 

 二人とも学年上位の成績を残しており、順当に行けば対抗戦の代表選手に選抜されるだろう。――もちろん絶対ではないので断言はできないが。

 

「ジルくんは全て一位だったものね」

「ああ」

 

 オリヴィアの言う通り、ジルヴェスターは実技と筆記ともに一位だった。なので、当然総合でも一位だ。

 ジルヴェスターが大したことではないと言うかのように平然と頷くので、オリヴィアは肩を竦めながら苦笑する。

 

「ジルだから」

「そうね。ジルくんだものね」

 

 驚くことなくお決まりの台詞を呟くステラと、慣れた調子で相槌を打つオリヴィア。

 

「おい……」

 

 小さく溜息を吐いたジルヴェスターは二人に抗議の視線を送る。

 

 二人にとってジルヴェスターは、なんでも高水準でこなす完璧な人として認識されている。

 文武両道(ぶんぶりょうどう)眉目秀麗(びもくしゅうれい)冷静沈着(れいせいちんちゃく)博識多才(はくしきたさい)八面六臂(はちめんろっぴ)蓋世之材(がいせいのざい)を地で行くと思っているからこその反応だ。

 

「俺も普通の人間なんだが……」

 

 ジルヴェスターがそう愚痴を零すと――

 

「ふふ、そうね。ジルくんにも至らないところはあるものね」

 

 とオリヴィアが意味深な表情と声色でフォローする。

 

「……」

 

 だが、ジルヴェスターは黙り込んでしまう。

 実のところジルヴェスターはオリヴィアに対して後ろめたいことがある。

 それに関してオリヴィア自身は容認しているのだが、どうしても割り切れないのだ。

 

 沈黙が場を支配しようとした時、背後から声が掛かった。

 

「よっ。おはようさん」

 

 後方の入口からアレックスがやって来た。

 彼はジルヴェスターの隣に腰を下ろす。彼が座る席も既に指定席同然になっている。

 

 三人が挨拶を返すと、アレックスが口を開く。

 

「何を話していたんだ?」

「対抗戦について」「試験について」

 

 対抗戦を楽しみにしているステラと、試験に集中しているオリヴィアは同時に異なった返答をする。

 

「どっちだよ……」

 

 アレックスは呆れて溜息を吐くが、思い出したようにジルヴェスターに視線を向ける。

 

「そうだ。ジル、試験勉強見てくれないか? 主に筆記の方を」

 

 オリヴィアが言った試験という単語で思い出したのだろう。

 アレックスはジルヴェスターに頼み込むが、相変わらず態度と口調は軽い。

 

「意外だな」

 

 ジルヴェスターは意外感をあらわにする。

 アレックスがあまり真面目なタイプに見えないからだ。

 実技はともかく、筆記は二の次という印象がある。

 

「まあ、好き好んで勉強はしないが、俺も一応フィッツジェラルドの名を名乗っているからな。最低限の成績は残しておかないと家名に傷がついちまう」

 

 アレックスは名門――フィッツジェラルド家の直系だ。

 不甲斐ない成績を残すと家名を貶めることになりかねない。

 

「俺はどう思われても構わないが、家名に恥じない成績を残した兄たちと姉たちに申し訳ないし、何より下の兄弟たちに汚名を着させてしまうのはプライドが許さん」

 

 今まで上の兄弟が優秀な成績を残して家名を高めて来たのに、万が一自分の所為で貶めることになっては面目が立たなかった。

 最悪、下の兄弟に「自分たちが頑張らないと」と余計なプレッシャーを与えてしまうかもしれないし、兄の不甲斐なさを嘲笑(あざわら)われたり、揶揄(からか)われてしまったりする恐れもある。

 それだけはなんとしても避けたかった。

 

「お前も大変なんだな」

「まあな」

「そういうことなら協力しよう」

「助かるわ。恩に着る」

 

 友人の助けになるなら断る理由はないので、ジルヴェスターは協力することにした。

 

「せっかくだし、私たちもご一緒させてもらえないかしら?」

 

 オリヴィアも勉強会に参加を申し出る。

 いずれにしろ勉強はしないといけないし、ステラの勉強を見なくてはならないので渡りに船だった。

 

「構わんぞ」

「ありがとう」

 

 ジルヴェスターが了承するとオリヴィアは微笑んだが、ステラは無表情を貫いていた。

 おそらく対抗戦のことで頭の中が埋め尽くされているのだろう。

 

 そして見計らったかのように会話が一段落したタイミングで予鈴(よれい)が鳴り、前方の扉から担任のメルツェーデスが姿を現した。

 



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第3話

 ◇ ◇ ◇

 

 放課後になると一年A組の教室で勉強会を開いた。

 参加メンバーはジルヴェスター、ステラ、オリヴィア、アレックス、イザベラ、リリアナ、レアル、レベッカ、シズカの九人だ。

 

 前回の試験では全員上位の成績を残している。

 

 一度前回の試験結果の順位を整理しよう。

 

 実技

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・シズカ

 四位・イザベラ

 七位・アレックス

 九位・ステラ

 十一位・リリアナ

 十五位・オリヴィア

 十七位・レベッカ

 

 筆記

 一位・ジルヴェスター

 二位・オリヴィア

 三位・リリアナ

 五位・イザベラ

 七位・シズカ

 八位・レアル

 十二位・ステラ

 二十二位・レベッカ

 三十一位・アレックス

 

 総合

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・イザベラ

 四位・シズカ

 八位・ステラ

 十位・リリアナ

 十二位・オリヴィア

 十七位・アレックス

 二十一位・レベッカ

 

 以上のように九人は学年でも上位の成績を残している。

 

 みんな元々優秀なので勉強は滞りなく進んでいた。

 時折わからない箇所をジルヴェスターやオリヴィアなどに尋ねるくらいだ。

 

「ジルは勉強しなくていいのか?」

 

 みんなが真面目に勉強している中、ジルヴェスターは一人だけ読書に興じていた。 

 それがアレックスは気になった。

 

「ああ。全て頭に入っているからな」

 

 ジルヴェスターは本から目を離さずに答える。

 

「マジかよ。さすが首席殿は違うな」

 

 余裕綽々としているジルヴェスターの態度にアレックスは溜息を吐く。

 

「ジルくんは一度見聞きすれば完璧に覚えてしまうのよ」

「――は?」

 

 オリヴィアが軽い調子で言うと、アレックスは呆気に取られてぽかんと口を開いた。

 

「なんか人として備わっているスペックが違うよね」

 

 話を聞いていたレアルが苦笑しながら呟く。

 

「完璧は言いすぎだ」

 

 ジルヴェスターは活字の羅列から目を離して顔を上げると、至極真面目な表情で訂正する。

 

 いくらジルヴェスターでも見聞きしたことを全て瞬時に記憶することは不可能だ。

 見聞きしたことを自分の意思に関係なく記憶してしまうと、さすがに脳の許容量を超えてパンクしてしまう。――それでも常人とは比較にならないほどの記憶力を有しているのだが。

 

「俺だって忘れることはあるし、興味のあることを優先的に覚える」

 

 脳は記憶領域が壊れないように、勝手に取捨選択して記憶を整理してくれている。なので、しっかりと覚えていることもあれば、忘れてしまっていることもある。

 

 本人が大事だと思っていることや興味のある事柄に関してはしっかりと覚えており、逆に切り捨ててもいいと判断したことは優先的に覚えないようにしてくれたり、忘れさせてくれたりするので、自分の脳は中々気が利くと思っていた。

 お陰でジルヴェスターの脳は壊れないで済んでいる。

 

「ジルくんにも人間味があって良かった」

「人間だからな」

「ふふ」

 

 レベッカが揶揄(からか)うような口調で言うと、ジルヴェスターは肩を竦めながら冗談交じりに答えた。

 

 確かにあまりにも完璧すぎると機械のようで不気味に感じるかもしれない。

 その点、自分の興味を優先したり欠点があったりすると人間味を感じられる。

 

「レベッカ、イチャついていないで手と頭を動かして」

「――イ、イチャついてないけど!?」

 

 隣に座っているシズカに指摘されて慌てふためく。

 

「勉強しないならもう教えないわよ」

「ひえ」

 

 レベッカは苦手科目をシズカに教えてもらっていた。

 シズカは前回の試験で筆記七位の成績を残しているので、教えを乞う相手としては申し分ない。

 

「見捨てないでよ~」

「はいはい」

 

 突き放すような言い方をされたレベッカは反射的にシズカにしがみつき、胸に顔を(うず)める。

 当のシズカは溜息を吐くが、レベッカを引き剥がそうとはしない。

 

「ふふ、仲良しですね」

「そうだね」

 

 真面目に勉強していたリリアナが二人のやり取りを見て微笑むと、隣にいるイザベラも笑みを零した。

 

「ほら、二人を見習って」

「は~い」

 

 シズカは黙々と勉強しているリリアナとイザベラに視線を向けながらそう言い、レベッカを促す。

 

「飼い馴らされてるペットかよ」

 

 アレックスが率直に思ったことを口走ると――

 

「わたしより筆記の順位低いあんたはペット以下ね」

 

 間髪入れずにジト目を向けながら言い返すレベッカであった。

 

「……」

 

 正鵠(せいこく)()る指摘にアレックスは何も言い返すことができず、顔を引き攣らせながら黙り込んでしまう。

 彼も友人に教えを乞う身だ。しかもレベッカより筆記の順位が下なのは偽らざる事実なので、否定も反撃もできなかった。

 

「アレックス……」

 

 (あわれ)みの籠った眼差しを向けるレアル。

 

「その目はやめてくれ……」

 

 居た堪れなくなったアレックスは目を背けて肩を竦めた。

 

「レベッカならかわいいペットだな」

「ええ!?」

 

 様子を見守っていたジルヴェスターが唐突に呟く。

 単語だけ見ると中々に酷い言葉だが、言われた本人は赤面して照れていた。

 

(――キュンとした! わたし、もしかしたらマゾかもしれない……!)

 

 不意打ちを食らったレベッカは足腰の力が抜けてしまっている。

 ゾクゾクしている胸中に、自分の新たな性癖を垣間見た気がした。

 

「いや、他意はない。ただ純粋に愛らしいと思っただけだ」

 

 ジルヴェスターは言い方が悪かったと思い補足を口にする。

 

「ジルくん、レベッカのこと口説いてる?」

「そんなつもりはなかったんだが……」

 

 オリヴィアは呆れて溜息を吐き、若干棘のある口調で尋ねる。

 どうやら照れているレベッカの様子に思うところがあったようだ。

 

「天然ジゴロ」

 

 我関せずを貫いて勉強に集中していたステラは、視線を手元に固定したままぽつりと呟くと――

 

「オリヴィア、ここ教えて」

「んーと、ここはね――」

 

 興味を失くしたかのようにオリヴィアに教えを乞う。

 ステラの頭の中は対抗戦のことで埋め尽くされている。だが、勉強を終えれば実技の練習ができるとやる気に満ちていた。

 

 実技試験は対抗戦の選手選考に影響があるから練習を怠らずに結果を残したいのだろう。

 

「……」

 

 言った後は放置するステラの態度に、ジルヴェスターは肩を竦めるしかなかった。

 

 その後も照れるレベッカを茶化しながら勉強会は進んでいく。

 仲がいいのは微笑ましいが、果たして身になったのであろうか。

 



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第4話

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻――生徒会室でも勉強会が開かれていた。

 

「会長とサラ先輩は試験勉強しなくてもよろしいのですか?」

 

 アンジェリーナが手元から顔を上げて質問する。

 みんなが勉強している中、クラウディアとサラだけは生徒会の業務を処理していたからだ。

 

「ええ、大丈夫よ。みんなは気にせず勉強していて」

「ですが……」

 

 クラウディアは微笑んでいるが、アンジェリーナとしては先輩に仕事を押しつけて自分たちだけ勉強していてもいいのだろうか、と気が引けていた。

 

「気にするな、気にするな」

 

 肘をデスクについて左手に顎を乗せているカオルが、右手を軽く振りながらそう言う。

 

 風紀委員長のカオルは良く生徒会室に入り浸っている。

 役職柄生徒会とやり取りすることが多いというのもあるが、単純に暇潰しに来ることも多い。

 なので、今日は彼女も一緒に試験勉強に励んでいた。

 

「二人に試験勉強は必要ない」

「そんなことないわよ」

 

 カオルの言い様にクラウディアが真面目な顔で否定する。

 

「いやいや、二人は筆記で一位と二位から落ちたことないだろ」

 

 クラウディアとサラは入学以来、筆記試験で一位と二位を独占していた。

 二人が一位と二位で入れ替わることはあるが、三位以下に落ちたことはない。

 

「さすがですね」

 

 素直に感嘆するアンジェリーナ。

 

「ちゃんと授業を聞いていればできることですよ」

「いやいやいやいや」

 

 サラにとっては、授業を真面目に受けていれば試験の度に焦る必要は微塵もないことだった。

 だが、納得がいかないカオルは顔を左右に二回ずつ振ると、呆れたように愚痴を零す。

 

「授業を真面目に聞いていたところで全て覚えられないだろ」

 

 確かに一から十まで覚えられたら誰も苦労はしない。もっともな指摘だ。

 

「覚えられなくても要点をまとめ、出題されるであろう箇所に焦点を絞って復習すれば済む話ですよ」

「出題される問題を予測できたら苦労しないんだよ……」

 

 カオルは深々と溜息を吐いて肩を竦める。

 サラにとっては簡単なことでも、カオルには真似できないことであった。

 

「私も完璧に予測しているわけではありませんよ」

 

 とはいえ、いくらサラでも出題される問題を完璧に予測することはできない。

 全てをピンポイントで予測するのは不可能だ。

 

「ある程度の範囲に絞っているだけです」

 

 (おおよ)その範囲に限定してしまえば復習する負担は減る。

 

「その予測が外れたらどうするんだよ……」

 

 確かに予測が外れたら目も当てられない。

 

「今のところ予測が外れたことはありませんね。それにもし外れたとしても、普段から授業を聞いているので大体は答えられます」

 

 書類整理する手を止めないで答えるサラの姿には余裕が感じられる。焦る必要などないと言っているかのようだ。

 

「クラウディアはどうだ?」

 

 カオルは堪らず親友にも尋ねてみる。

 すると、クラウディアは困ったように眉尻を下げた。

 

「私はサラとは違うわよ」

「と言うと?」

「私は普段から欠かさずに勉強しているだけだもの」

 

 つまりは努力の賜物(たまもの)というわけだ。

 

 努力だけではどうにもならないことはある。

 それでも一位と二位から落ちたことがないのだから、そもそも頭のできが違うのかもしれない、とカオルは思った。

 

「座学に関してはクラウディアが秀才型で、サラは天才型ってことだよ~」

 

 デスクに上半身をうつ伏せて脱力しているビアンカが述べる。

 

「なるほど。わかりやすい例えですね」

 

 得心したアンジェリーナが頷く。

 

「先輩はちゃんと勉強してくださいよ~」

 

 クラーラが涙目になりながらビアンカの身体を揺する。

 みんなが勉強する中、一人だけ焦る様子もなくのんびりと過ごしているビアンカが心配で、試験は大丈夫なのかと不安になっていた。

 

「まあ、大丈夫でしょ~」

 

 それでもビアンカはマイペースを保っている。

 表情にも態度にも焦り一つ見受けられない。ある意味肝が据わっていた。

 

「そんなお前が意外と筆記の成績いいから世の中理不尽だよな……」

 

 カオルが遠い目をして嘆く。

 

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)としているビアンカだが、これでも筆記の成績は悪くない。

 焦ることなくのんびりしているのは確たる自信故だった。

 

「先輩~」

 

 いくら成績がいいとはいえ、心配なのは変わらない。

 なので、クラーラは勉強させようと必死で身体を揺する。

 

「クラーラはかわいいな~」

「ふえ~」

 

 当のビアンカは、涙目のクラーラの頬を摘まんでふにふにと(もてあそ)ぶ始末だ。

 

 (もてあそ)ばれても文句一つ言わないクラーラは、愛らしくていい後輩であった。かわいがられるのも納得だ。

 

 クラーラのお陰で場が(なご)み、一同に笑みが零れた。

 

 その後も和気藹々(わきあいあい)と緊張感に欠けたまま勉強会が進んでいくが、果たして一同の試験結果はどうなるのであろうか。

 



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第5話

 ◇ ◇ ◇

 

 七月中旬の某日。

 夏季休暇前に立ちはだかる試験が全て終了し、生徒たちは思い思いの休日を過ごしていた。

 試験の鬱憤を晴らす者、魔法の鍛錬に励む者、勉強する者など様々だ。

 

 そして休日明けの登校日。

 この日の放課後には試験結果が発表される。

 

 結果が気になって仕方がない者は、授業に集中できない一日を送る羽目になった。

 中には発表前から諦めムードを醸し出している者もおり、生徒それぞれ面持ちには差異がある。

 

 期待や不安を抱えて試験結果を確認した者たちは様々な反応を示した。

 喜びをあらわにする者、悲嘆に暮れる者、悔しくて歯を食いしばる者などが散見された。

 

 そんな中、カフェテラスに集まってテーブルを囲み、談笑している者たちがいた。

 

「みんな予想以上にいい結果だったね」

「そうね」

 

 足を組み替えたイザベラの言葉にオリヴィアが相槌を打つ。

 

「総合順位の上位四人は変わらずか」

 

 アレックスは頭を掻きながら呟くと、ジルヴェスター、レアル、イザベラ、シズカに視線を向けた。

 

「僕とジルの間にはアーガンス山脈よりも高い壁があると思うけどね……」

 

 苦笑しながらそう呟いたレアルは、グラスを手に取ってアイスコーヒーを啜る。

 

 アーガンス山脈はウェスペルシュタイン国内で最高峰の山脈だ。

 ウォール・ウーノ内の北東にあるユトント区と、同じくウォール・ウーノ内の東南東に位置するワンガンク区にかけて跨り、多くの鉱山を抱えている。

 

 つまり自分とジルヴェスターの間には歴然たる差がある、とレアルは言っているのだ。

 

 一旦ここで今回の期末試験の結果を確認しよう。

 

 実技

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・シズカ

 四位・イザベラ

 六位・アレックス

 八位・ステラ

 十位・リリアナ

 十三位・オリヴィア

 十五位・レベッカ

 

 筆記

 一位・ジルヴェスター

 二位・オリヴィア

 三位・リリアナ

 五位・イザベラ

 七位・シズカ

 八位・レアル

 十一位・ステラ

 十七位・レベッカ

 二十四位・アレックス

 

 総合

 一位・ジルヴェスター

 二位・レアル

 三位・イザベラ

 四位・シズカ

 七位・ステラ

 八位・リリアナ

 十位・オリヴィア

 十五位・アレックス

 十八位・レベッカ

 

 ――以上だ。

 

 ジルヴェスター、レアル、イザベラ、シズカ以外は前回よりも順位が上がっている。

 努力の成果が発揮された証拠だろう。

 上位四人は順位を維持していることが素晴らしい。

 

「私とレアル君との間にも結構な差があると思うけどね」

 

 イザベラが肩を竦める。

 相変わらず仕草が一々凛々しくて、周囲にいる女性の視線を釘付けにしている。

 

「お二人は格が違いますもの」

 

 リリアナが同意を示す。

 

 ジルヴェスターは例外だとしても、実際レアルも一年生の中では飛び抜けて優秀だ。

 筆記はともかく、実技は格が違う。

 

 レアルは元から優れた魔法師だったが、ミハエルに弟子入りして以降、急激な成長を遂げている。

 正直ジルヴェスターとレアルは順位から除外した方がいいだろう。

 アマチュアの中にプロが交ざっているようなものだ。しかも特級魔法師第一席と特級魔法師になれるだけの才能を有している二人がである。

 

 ジルヴェスターとレアルがトップに君臨しているので、他の生徒は同級生故に必然的に順位が二つ下がってしまう。可哀想だが仕方がない。同い年なのは抗えない現実だ。

 実質イザベラが総合一位と考えても差し障りないかもしれない。

 

 筆記の結果で僅かに上回っているイザベラが総合順位で三位になっているが、実技で順位が上のシズカの方が魔法師としては優れていると言えるかもしれない。

 とはいえ、シズカの場合は剣術や身体能力の面で圧倒的に勝っているのであって、魔力量や魔法行使の技量に関してはイザベラの方が上回っている。

 故に、イザベラとシズカの間にはほとんど差がないと言っても過言ではない。

 

「わたし、やればできるじゃん」

 

 総合順位で二十位以内に入ったレベッカが自画自賛する。

 胸を張っているので彼女の豊満な胸が強調されていた。

 

「はいはい。良くできたね」

 

 そんなレベッカのことをシズカは軽く受け流す。

 

「シズカが冷たい……」

 

 肩を落とすレベッカのことを無視してアレックスが口を開く

 

「順当に行けば全員対抗戦の選手に選ばれるんじゃね?」

 

 今回の試験結果も対抗戦に出場する選手選考の参考資料になる。

 

「対抗戦に出られるのは三十人だよな?」

「ん」

 

 アレックスの問いにステラが無表情で頷く。

 

 対抗戦は新人戦と本戦にそれぞれ三十人ずつ出場できる。

 全学年合わせて六十人だ。

 

 一学年約三百人ずつおり、全校生徒は九百人近くいる。

 その中で対抗戦に出場できるのはたったの六十人だけだ。

 

 その点、今この場にいる面子は対抗戦の選手に選出される可能性が高い。

 試験の結果、クラブでの実績、実技科目での成績などを(かんが)みれば、余程のことがない限りは選出されるだろう。

 それでも絶対はないので確信を持てるわけではない。

 

「楽しみ」

「新人戦だけでも優勝できるといいわね」

「ん」

 

 わかる人にしかわからない些細な表情の変化でステラが微笑むと、釣られるようにオリヴィアも笑みを零す。

 

「そうだね。正直、本戦優勝と総合優勝は厳しいだろうし……」

 

 眉間に皺を寄せるイザベラ。

 

「まあ、今年と来年はプリム女学院が本命だろうな」

 

 アレックスの顔には諦めの色が浮かぶ。

 

ランチェスター学園(うち)の主力も手練れなんだが、さすがにプリム女学院には勝てないだろ……」

「正確には『紅蓮(ぐれん)』様一人なんだけどね」

「だな」

 

 クラウディアを筆頭にランチェスター学園も精鋭揃いだ。

 しかし、それでもイザベラが指摘したように『紅蓮(ぐれん)』がいる限り厳しいと言わざるを得ない。

 

「反則と言いたいところだけれど、『紅蓮(ぐれん)』様も生徒である以上は出場資格があるものね」

「そうですね」

 

 オリヴィアが肩を竦めると、リリアナが苦笑しながら相槌を打つ。

 

 黙って話を聞いていたジルヴェスターは、『紅蓮(ぐれん)』という単語に引っ掛かりを覚えていた。

 

(どこかで聞き覚えがあったような気がするが……)

 

 手掛かりを探る為に思考を巡らす。

 

(そういえば、アーデルとレイが話していたか……?)

 

 無意識に首を傾げるジルヴェスター。

 

「ジルくん? 何か気になることでもあったのかしら?」

 

 ジルヴェスターが首を傾げたのを視界に捉えたオリヴィアが、風で靡く前髪を左手で押さえながら尋ねる。

 



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第6話

「いや、『紅蓮(ぐれん)』という単語に聞き覚えがあったんだが、なんのことだったかと思ってな」

「……」

 

 ジルヴェスターがそう言うと、全員が瞠目して言葉に詰まり沈黙した。

 

 アレックスはちょうどアイスコーヒーを飲んでいるところだったので、驚きのあまり口から吹き出しそうになっていた。

 なんとか吹き出さずに飲み込んだが(むせ)ている。

 

「本気で言ってる?」

「ああ」

 

 いち早く沈黙から復活したオリヴィアが確認すると、ジルヴェスターはすかさず頷いた。

 

「本当にジルくんは興味を引かれないことに関しては無頓着よね」

 

 オリヴィアが深々と溜息を吐く。

 

「はは、ジルらしいね」

 

 苦笑したレアルが表情を引き締めて説明する。

 

「『紅蓮(ぐれん)』というのは、特級魔法師第十五席のエレオノーラ・フェトファシディス様のことだよ」

 

 レアル、オリヴィア、ステラの三人は他の面々とは驚きの意味が異なる。

 三人はジルヴェスターが特級魔法師第一席だということを知っているからだ。

 

 ジルヴェスターは同じ特級魔法師のことを把握していなかった。

 しかも第一席は、非常時に際して同格であるはずの他の特級魔法師に対する命令権を有する。上司と部下の関係と言っても差し支えない。

 

 だからこそ、『紅蓮(ぐれん)』のことを把握していなかったジルヴェスターに対する驚きと呆れが胸中を占めていた。

 他の面々は純粋に驚いているだけだ。

 

「なるほど」

 

 ジルヴェスターが頷く。

 彼は以前、アーデルとレイチェルが新しい特級魔法師が誕生した、と話していたのを耳にしていたが、興味がなかったので記憶の片隅に追いやっていた。

 

「昨年の対抗戦では圧倒的だった」

 

 ステラは昨年の対抗戦を現地で観戦していた。

 なので、当時の記憶は鮮明に残っている。

 

「対抗戦で鮮烈なデビューを飾って、そのまま特級魔法師の地位を与えられたんだよね」

「本当に凄いですよね」

 

 イザベラの言葉にリリアナが続く。

 

 昨年の対抗戦で当時一年生だったエレオノーラは新人戦に出場した。

 そこで圧倒的な力で他校の生徒を蹴散らし、プリム女学院に新人戦優勝の栄誉を(もたら)した。

 

 本戦優勝と総合優勝はランチェスター学園が死守したが、新人戦はエレオノーラの独壇場であり、彼女の為に用意された舞台と化していた。

 

 そのエレオノーラは現在二年生なので、何事もなければ今年からは本戦に出場してくる。

 本戦の方が新人戦よりも獲得ポイントの割合が多い。なので、他校にとっては本戦だけでなく、総合優勝も厳しいのが現実だ。

 

「会長たちでも厳しいのかな?」

 

 クラウディアを筆頭に精鋭が連携を組んで挑めば勝機があるのではないか、と思ったレベッカが首を傾げる。

 

「さすがに一人では太刀打ちできないと思うけど、複数人で立ち向かえば一矢報いることはできるかな? ジルはどう思う?」

 

 レアルは推測を立てるが、実際にエレオノーラと相対したことがないので曖昧にしか答えられない。

 そこでジルヴェスターに意見を求めることにした。

 特級魔法師のことは同じ特級魔法師に尋ねるのが一番だ。

 

「俺はクラウディアの実力しか知らないからなんとも言えんな」

「そうだよね」

 

 いくらジルヴェスターでもわからないことはある。

 対面すればある程度相手の力量を推し量れるが、完全に見極められるわけではない。

 そもそもエレオノーラのことは全く知らないので比較のしようがなかった。

 

「新人戦を優勝して本戦に勢いを持って行ければいいかもね」

「だな」

 

 レアルの言葉にアレックスが頷く。

 

「その前に出場選手に選ばれないと意味ないけどな」

「正論ね」

 

 ジルヴェスターのツッコミにオリヴィアが相槌を打つ。

 

 確かに気が早い。

 まずは出場できるか否かを気に掛けるべきだろう。

 

「今は鍛錬に励むのが一番よ」

「シズカにとっては日課だもんね~」

「『十年一剣(じゅうねんいっけん)を磨く』がシノノメ家の家訓だもの」

 

 まだ選ばれるかはわからないが、対抗戦に向けて鍛錬に励むべきだ。

 仮に出場選手に選ばれなかったとしても糧にはなる。

 

 とはいえ、レベッカが言うようにシズカにとっては努力するのが当たり前だとしても、誰もが毎日頑張れるわけではない。

 

「シノノメ家らしい家訓だな。俺には無理だわ」

 

 アレックスが顔を顰める。

 彼は必要以上の努力はしない主義だ。何事も程々が一番だと思っている。

 もちろん必要に駆られればいくらでも努力するが、できることなら遠慮したいのが本音だった。

 

「うわ、クズじゃん」

 

 レベッカがアレックスにジト目を向ける。

 

「うるせ」

「なによ」

 

 二人は火花が散っているかのように錯覚するほど睨み合う。

 

「ほんと二人は仲いいわね」

 

 オリヴィアが微笑む。

 

 喧嘩するほど仲がいいではないが、二人は良くいがみ合っている。

 最早(もはや)、恒例行事と言っても過言ではない。

 

「仲良くねえっての!」「仲良くないってば!」

 

 否定するタイミングが見事に合致する。

 

 全く説得力がない二人の様子に、場が笑いに包まれた。

 

 

 

 一方その頃、会議室では生徒会、風紀委員会、統轄連、監査局の面々が集まって対抗戦に出場する選手の選考を行っていた。

 ランチェスター学園は生徒の自主性を重んじているので選考も生徒主導で行われる。――その分、選考に関わった者には責任が伴うが。

 

 果たして対抗戦に出場する選手は誰が選ばれるのであろうか。

 



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第7話

 ◇ ◇ ◇

 

 二日後、遂に対抗戦に出場する六十人が発表され、校内は騒然としていた。

 出場選手に選ばれて喜ぶ者や、落選して肩を落とす者、選ばれた友人を祝福する者など様々だが、騒然としている最大の理由は別にある。

 それは――

 

「何故、俺が本戦のメンバーに選ばれている?」

 

 学園長室で眉間に皺を寄せたジルヴェスターが苦言を呈していた。

 対面のソファにはレティとクラウディアが腰を下ろしている。

 

 実は一年生のジルヴェスターが本戦のメンバーに選ばれていたのだ。

 その件が校内を騒然とさせている最大の要因であった。

 

 そしてジルヴェスターは自分が本戦の出場選手に選ばれている理由を問い質す為に、クラウディアに声を掛けた。

 すると、学園長室で話をしようと言われて今の状況に至っている。

 

「新人戦ならともかく、本戦は反感を買うだろ」

 

 学年一位のジルヴェスターが新人戦のメンバーに選ばれても全く不思議ではない。むしろ選ばれて当然だ。

 しかし本戦だと話は変わってくる。

 

 新人戦には一年生が三十人出場できるが、本戦は二年生と三年生合わせて三十人だ。

 ただでさえ狭き門である。一年生のジルヴェスターが本戦に出場するとなれば、二、三年生からしたら不満が出てもおかしくはない。

 

 そもそもジルヴェスターは新人戦でも乗り気ではなかったのだ。

 特級魔法師である自分が出場してもいいのかという思いと、単純にあまり目立ちたくないという思いがある。

 出場者は否が応でも注目されてしまう。平穏な学園生活を気に入っているからこそ気が進まなかった。

 

「申し訳ありません」

 

 クラウディアが慌てて頭を下げる。

 

「私が頼んだのよ。ジェニングスさんを責めないであげて」

「お前が介入したのか?」

 

 クラウディアを庇うレティの姿に、ジルヴェスターは一層疑問を深めた。

 

 ランチェスター学園は生徒の自主性を重んじているので、対抗戦に出場する選手の選考は生徒会、風紀委員会、統轄連、監査局が中心になって行われる。

 生徒が教師に助言を求めることはあるが、本来教師の方から介入することはない。

 

「我が校が優勝する為にはあなたの力が必要なのよ」

 

 プリム女学院に特級魔法師であるエレオノーラがいる限り、他の学校が本戦優勝と総合優勝を手にするのは厳しいと言わざるを得ない。

 

 対抗戦は政治的要素を含んでいるので、レティが学園長としてランチェスター学園を優勝させたいという気持ちは理解できる。

 優勝すれば十二校ある国立魔法教育高等学校の中で発言権と影響力が増すからだ。

 そういった思惑を抜きにしても、レティは純粋に生徒たちを優勝させてあげたかった。

 

「だからと言って俺は一年だぞ?」

 

 ジルヴェスターが二、三年生から反感を買いかねない。完全にとばっちりだ。

 

「それは大丈夫だと思います」

「何故だ?」

 

 クラウディアはそう言うが、ジルヴェスターにしてみたら心配無用の根拠がわからない。

 

「私、カオル、ヴェスターゴーア君、ルクレツィアが推薦したので反対意見は出ませんでした」

 

 ランチェスター学園の頂点に君臨する四人の影響力と人望は校内で無視できないものがある。

 その四人が認めた以上、表立った不満は出なかった。――陰で不満を漏らしている者はいるかもしれないが。

 

「お前と委員長はわかるが、総長と局長もか?」

「はい」

 

 クラウディアとは付き合いが長いので理解できる。ジルヴェスターの実力と正体を知っているからだ。

 カオルはクラウディアと親しいので、ジルヴェスターに関することは話せる範囲で伝えている。

 そもそもカオルはクラウディアの味方をする傾向にあるので、話を聞いていなくても賛同していたかもしれない。

 

 だが、オスヴァルドとルクレツィアは接点がない。

 一方的に姿を見掛けたことがあるだけだ。

 

「ヴェスターゴーア君は、ジルヴェスター様のことを見掛けた際に実力を理解したそうです」

 

 優れた魔法師は実力を見極めることにも長けている。

 オスヴァルドは自分では推し量りきれないほど、底知れない実力があるとジルヴェスターのことを評した。

 普段からクラウディアが絶賛していることに納得し、優勝を目指す以上は推薦するべきだと判断したそうだ。

 

 ちなみに今、学園長室にはジルヴェスターが特級魔法師第一席だと知っている者しかいない。なので、クラウディアはジルヴェスターのことを君ではなく様付けで呼んでいる。

 

「ルクレツィアは学年に関係なく実力のある者を選ぶべきだと言っていました」

 

 厳格で公正なルクレツィアらしい言葉だ。

 

「彼女もヴェスターゴーア君ほどではありませんが、実力を見抜く目がありますから」

 

 ルクレツィアもジルヴェスターのことを見掛けた際に実力を見極めていた。

 実技科目での成績や、実技試験の結果を(かんが)みても推薦するに足ると判断している。

 あくまでも公正に判断した上での推薦だ。

 

「それにプリム女学院の学園長からお願いされたのよ」

「……何故プリム女学院の学園長が出てくる?」

 

 ジルヴェスターが首を傾げる。

 プリム女学院の学園長がレティにお願いする意味がわからなかった。

 

「ジョアンナさんと言うのだけれど、私が昔お世話になった人なのよ」

 

 レティがことの経緯を説明する。

 

 ジョアンナはレティのもとを訪ねて、相談も兼ねた愚痴を零したそうだ。

 彼女は約一年間頭を抱える日々を送っていた。

 その原因となっているのはプリム女学院の二年生で、特級魔法師第十五席のエレオノーラ・フェトファシディスであった。

 

 何故エレオノーラのことで頭を抱えているのか、それは単純な理由だ。

 エレオノーラは幼い頃から魔法師としての才能に恵まれ、なんの努力もせずに順風満帆な人生を送ってきた。

 他人より優れており、尚且つ苦労を知らない故か、プリム女学院に入学した時点で既に生意気な上に他者を見下す傲慢な人格が形成されていたのだ。

 

 当時から問題児であったエレオノーラだが、事態が更に悪化したのは昨年のこと。

 彼女が特級魔法師になったことだ。

 特級魔法師になったことで一段と調子に乗り、手が付けられないほど傲慢な性格になってしまった。

 

 今では先輩の言葉に耳を傾けないどころか、教師のことすら見下している。

 同級生や後輩に対しての接し方は人を人とも思わない態度だ。先輩に対しての態度は多少柔らかいが、それでも酷いと言わざるを得ない。

 学園長であるジョアンナの言葉にすら耳を傾けない始末だ。

 いくら注意しても全く聞く耳を持たない。

 

「そこで同性であり、準特級魔法師でもある私が注意することになったのよ」

 

 ジョアンナは中級一等魔法師だ。

 魔法師としての階級がエレオノーラよりも下だから見下しているのかもしれない。

 故に、元特級魔法師第六席であり、現在は準特級魔法師であるレティに一度注意してほしいと頼み込んだのだ。

 同性でエレオノーラよりも実績と実力のある者の言葉なら耳を傾けると思ったのだろう。

 

「でも、あれは私でも手が付けられなかったわ」

 

 深々と溜息を吐いたレティは、頭が痛いと言いたげに悩ましげな表情になる。

 

「まるで世界は自分を中心に回っていると疑いもせずに本気で信じ込んでいるようだったわ」

 

 レティの言葉には溜め込んだ物を吐き出したかのような重々しさがあった。

 

「痛々しい奴だな」

 

 ジルヴェスターが棘のある感想を漏らす。

 

「勘違いして調子に乗るのは幼稚以外の何物でもない」

 

 大人でも調子に乗ってしまい至らない態度を取ってしまうことはある。

 それでも自分のことを客観視できる理性があれば反省して改める。

 

 しかし、エレオノーラは何度注意されても歯茎にもかけない。

 まるで自分は何をしても許されると思っているかのような態度だ。

 

「本当に困りものよ。特級魔法師の地位を貶めかねないもの」

 

 特級魔法師には相応しい振る舞いがある。

 憧れの的になるからこそ、特級魔法師として自覚のある態度でいなくてはならない。

 私生活までとやかく言われることはないが、他者を重んじることのできない者は特級魔法師として相応しくない。

 

「ご両親からも持て(はや)されていて、それが余計に彼女を勘違いさせているわ」

 

 エレオノーラの父は中級四等魔法師で、母は下級一等魔法師だ。

 魔法の才能は遺伝的な要素が大きい。もちろん例外はあるが、優れた魔法師からは才能のある子が生まれやすい。その逆も然りだ。

 つまりエレオノーラは、(とんび)(たか)を生む、の実例というわけだ。

 

 魔法師として平凡な自分たちから特級魔法師にまで成り上がれるほどの才能を持った娘が生まれて歓喜した両親は、エレオノーラのことを殊更甘やかしてきた。

 その結果、自己中の塊のようなエレオノーラが誕生したのだ。

 

「両親にも問題があるのか……」

「そうなのよ」

 

 ジルヴェスターは溜息を吐いて肩を竦める。

 

 子の人格形成には親の教育が影響を及ぼす。

 時には子を甘やかすことも大事だが、飴と鞭の使い方を見誤ってはいけない。――もっとも、エレオノーラの両親は飴しか与えていないようだが。

 



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第8話

「俺は見掛けたことも会ったこともないが、魔法師としてそれほど優れているのか?」

「そうね――」

 

 ジルヴェスターの問いにレティは顎に手を当てて考え込む。

 少しの間だけ沈黙が場を支配するが、すぐに考えが纏まって(おもむろ)に口を開く。

 

「特級魔法師として相応しい才能があるのは確かよ。ただ、現状は才能に胡坐(あぐら)をかいて、力任せに魔法を行使しているってところかしらね」

 

 エレオノーラは恵まれた魔力量とセンスだけで特級魔法師になった。

 なんの努力も苦労もしていない。

 故に技量は乏しい。

 

「お前と相対したらどうなる?」

「あの()は手も足も出ないわよ」

「そうか」

「いくら私が一線を退(しりぞ)いているとはいえ、まだ耄碌(もうろく)していないわ」

 

 レティは考える間もなく即答した。

 

 同じ特級魔法師でも実力差が存在する。

 少なくともエレオノーラではレティに敵わない。

 

「いろいろ話したけれど、あなたにフェトファシディスさんの鼻っ柱を圧し折ってほしいのよ」

 

 レティは真剣な表情でジルヴェスターのことを見つめているが、どこか申し訳なさそうにしているのが垣間見える。

 世話になったジョアンナの為にできることをしたいという想いと、あまり目立ちたくないというジルヴェスターの気持ちを天秤に掛けて葛藤しているのだろう。

 

「自分より優れた者はいないと勘違いしているフェトファシディスさんが、年下のジル君に敗れたら考えを改めるのではないかと思ったのよ」

「なるほど。事情は理解した」

 

 ジルヴェスターは眉間に皺を寄せて考え込む。

 レティの頼みなら叶えてやりたいが、できることなら波風を立てるようなことはしたくない。

 非常に悩ましい問題であった。

 

「ジョアンナさんにも提案したら賛同してくれたわ」

「プリム女学院の学園長としていいのかそれは……」

 

 ジルヴェスターが出場するということは、ランチェスター学園の優勝が現実味を帯びる。

 ジョアンナは学園長としてプリム女学院の優勝を願うところだろう。

 しかし、優勝を逃してでもエレオノーラに冷水を浴びせてやりたいのかもしれない。

 

「ジョアンナさんには、まだ若いフェトファシディスさんを預かっている責任があるのよ」

 

 十代で将来性しかないエレオノーラを生徒として預かっているジョアンナには責任がある。

 彼女を心身共に一人前の魔法師に養成する責任だ。

 

 エレオノーラは魔法師界だけではなく、国中から期待を寄せられている。

 国を守護する要の特級魔法師だからだ。それも若いとなれば、今後長期的に国を壁外の脅威から守ってくれる。

 

 ジョアンナは現在プリム女学院に通っている生徒から対抗戦優勝という栄誉を奪ってでも、エレオノーラを矯正しなくてはならないと判断した。

 非情だが、エレオノーラ一人の価値を(かんが)みれば仕方がない決断だろう。

 それがエレオノーラのことを預かる学園長としての責任だ。

 

「その際にあなたの正体を明かしてしまったのはごめんなさいね」

「それは別に構わん。お前が必要だと思ったのならな」

 

 正体を勝手に明かしたことを申し訳なく思っていたレティが頭を下げるが、ジルヴェスターは全く気にしていなかった。

 彼はレティのことを信頼しているので、彼女が必要だと思って明かしたことなら責める気は微塵もなかった。

 

「ふふ、ありがとう。ちゃんと内密にするよう釘を刺しておいたわ」

 

 ジルヴェスターの信頼が伝ってきたレティは嬉しそうに微笑む。

 

「それで、俺がエレオノーラ(そいつ)を叩きのめせばいいんだな?」

 

 ジルヴェスターは溜息を吐いてからレティに確認を取る。

 溜息には重たい物を吐き出すかのような重々しさがあった。

 

「ええ。お願いできるかしら?」

「ああ。気は進まないが、俺にも第一席としての責任があるからな」

 

 ジルヴェスターは苦虫を噛み潰したような顔つきで頭を掻く。

 

 平穏な学園生活を死守する為に目立ちたくはないが、第一席としてエレオノーラのことを野放しにはできなかった。

 特級魔法師であるエレオノーラが、反魔法主義者から反感を買うような事態になっては目も当てられない。魔法師界全体の問題に関わるからだ。

 

 特級魔法師の知名度、影響力、責任は馬鹿にできない。

 決して軽い地位ではないということを叩き込んでやり、特級魔法師としての自覚を持たせてやる。

 それが第一席であるジルヴェスターなりの責任の果たし方であった。

 

「だが、みんなの見せ場を奪う気はない。俺がやるのは勘違い娘の教育だけだ」

「もちろんそれで構わないわ」

 

 対抗戦の本戦に出場することは了承するが、それでも譲れない一線はある。

 ジルヴェスター一人で戦力バランスが崩壊するのは間違いない。

 彼一人で優勝を手にすることも不可能ではないだろう。

 

 しかし、それでは他の出場者がせっかくの晴れ舞台で活躍する機会を奪ってしまう。

 魔法協会や国に対するアピールも兼ねている場なのにだ。

 

 対抗戦に出場する為に日々努力を怠らないこと、出場して活躍する為に万全の準備を整えることで魔法師としての成長に繋がる。

 仲間やライバルと切磋琢磨することで向上心を養う。

 その貴重な晴れ舞台をジルヴェスター一人に台無しにされては、他の生徒のやる気を殺いでしまう恐れがある。

 

 そうなってしまっては魔法師を養成する機関としても、将来活躍する魔法師が数多く欲しい魔法協会や政府にとっても、意味のないイベントになってしまう。

 ジルヴェスターにとっても自分が楽をする為に優秀な魔法師はいくらでもいて欲しいので、生徒たちには是非とも頑張ってもらいたいところであった。

 故に、対抗戦ではエレオノーラの相手をする以外は手を出す気がなかった。

 

「ジェニングスさんもそれでいいかしら?」

「はい。ですが、ジルヴェスター様がどこまで介入するかは改めて検討しましょう」

 

 クラウディアは頷いた後に懸念点を提示する。

 

「出場しているのにチームの一員として動かなかったら不自然ですから」

「そうだな」

 

 ジルヴェスターがエレオノーラの鼻っ柱を圧し折る為に出場することを知っているのは、ジルヴェスター、オリヴィア、クラウディア、ジョアンナの四人だけだ。

 もしかしたらジルヴェスターの行動が仲間にも観客にも不自然に映るかもしれない。

 なので、チームの一員として最低限違和感のない行動を心掛けるべきだ。

 あくまでも対抗戦は生徒たちが真剣勝負を行う場なのだから。

 



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第9話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日から対抗戦に向けての特訓が始まった。

 新人戦に出場する三十人は顔合わせとミーティングを済ませた後、各自特訓に励んでいる。

 

 同級生が訓練に励んでいるところをジルヴェスターは見学していた。訓練室が並んでいる実技棟の通路に設置されているベンチに腰掛けている。

 そして隣に座っているクラウディアから対抗戦の説明を受けていた。

 

 対抗戦は国中が盛り上がる一大イベントなのだが、残念ながらジルヴェスターは興味がなかったので知識が乏しかった。なので、クラウディアの説明は大変助かっている。

 

 対抗戦は夏季休暇の期間に行われる。

 開催場所はウォール・ツヴァイ内の南東に位置するキュース区の、サントロローデという町にあるオーベル・フォルトゥナート・コロシアムだ。

 

 オーベル・フォルトゥナート・コロシアムに、魔法協会本部が厳重に管理している仮想(Virtual)空間(space)創造(creation)転送(transfer)装置(device)を設置する。

 

 仮想(Virtual)空間(space)創造(creation)転送(transfer)装置(device)は、突如として世界中に魔物が大量に溢れ、人類が生活圏を追われることとなった魔興(まこう)歴四七〇年よりも古い時代からある魔法具の遺物だ。

 

 過去の技術と知識で作られた物であり、現代では増産することができない貴重品でもある。

 多くの技術者と研究者が増産できるように究明しようと試みているが、未だに芳しい成果が出ておらず、現代では完全にブラックボックスの技術となっている。

 ジルヴェスターも研究しているが成果は出ていなかった。

 

 仮想(Virtual)空間(space)創造(creation)転送(transfer)装置(device)という名称は魔法協会が名付けた。

 Virtual space creation transfer deviceという単語はウェスペル語ではない異国の言語だ。

 魔法補助制御機(MAC)の正式名称であるMagic Assistant Controlleの単語と同じで、世界が閉ざされる前に最も魔法技術が発展していた国に敬意を払って現在もその国の言語を用いている。

 

 現代では未知の技術で作られた仮想(Virtual)空間(space)創造(creation)転送(transfer)装置(device)は、フィールドとなる仮想空間をランダムに作り出し、その空間に人や者を転送できる代物だ。

 仮想空間で受けたダメージは精神ダメージに変換されるので、身体的ダメージを負うことはない。

 ただし、死亡判定を下されるほどのダメージを負った場合は、三十分経過した時点で仮想空間から強制的に排出される。

 また、対抗戦の場合は自ら棄権した場合も排出される仕様だ。

 

 仮想空間で死ぬことはないので、昔は訓練用として一般的に用いられていたのではないかと考えられている。

 それが現代では貴重な遺物なので対抗戦や重大な行事でのみ用いていた。

 

「対抗戦は各校の選手全員参加の総当たりで行われます」

 

 出題選手は全員仮想空間に送られる。

 転送前に各校それぞれ三十人の中から旗手になる者を五人だけ選んでおく。

 送られる先はランダムであり、近くに味方がいる場合もあれば、敵に囲まれている場合もある。

 

 その中で旗手の一人がフィールドのどこかにチームの証である(フラッグ)を立てて、本拠となる陣地を築く。どのような陣地を築くかはチームの作戦次第だ。

 旗手が五人いるのは陣地を築く前に戦闘不能になって脱落する可能性があるからだ。リスク分散である。

 

 そして陣地を制限時間が切れる(タイムオーバー)まで死守するか、他校の生徒が全員脱落するまで守りきれれば五十ポイント獲得できる。

 陣地を築く前に五人の旗手が全員脱落したら当然五十ポイントは貰えない。

 敢えて陣地を築かずに防衛の手間を省く選択肢もあるが、五十ポイントを獲得できるチャンスをみすみす逃すのはもったいないだろう。

 

 逆に他校の陣地を占領したら新人戦の場合は二十五ポイント、本戦なら三十ポイント獲得できる。

 相手の陣地の(フラッグ)を破壊し、占領用の旗を立てたら攻略成功だ。

 占領用の旗は事前に三十人それぞれに十一枚ずつ配布される。

 

 占領された陣地を取り返したり、別の学校が占領したりすることもできるので、占領地が増えるほど防衛の負担になってしまう。

 占領した数ポイントを獲得できるので、攻めに転じるか防衛に徹するかの駆け引きが重要だ。

 

「なるほど。事前の作戦を加味しつつ、状況に応じて臨機応変な判断が求められるということだな」

「その通りです」

 

 脳内で情報を整理したジルヴェスターが頷く。

 

「そして相手を一人脱落させる毎に十ポイント獲得できます」

「逆に味方が一人やられる度に相手に十ポイント与えてしまうわけか」

「はい」

 

 相手を脱落させればポイントを獲得できるが、反撃を食らう恐れがあるので、無理に攻めず十ポイントを与えないようにする作戦もある。

 

「見事な作戦や連携、魔法行使などで技術点を、観客を魅了すると得られる芸術点もあります。どちらも五ポイントずつですね」

「それの基準は?」

 

 技術点と芸術点を得られる基準がわからないと、獲得ポイントを計算できない。

 

「残念ながら公表されていません」

「そうか」

 

 クラウディアが首を左右に振る。

 

 技術点と芸術点の獲得基準を公表すると、二つのポイントを得ようと無駄に派手な行動に出る可能性がある。

 派手さを意識しても、卒業後に魔法師として活動する上で無駄にしかならない。派手な演出をしている最中に魔物に襲われてしまうので命取りになる。

 

 対抗戦は魔法師を養成する為に行われるイベントだ。本末転倒になりかねない。

 それが基準を公表しない理由だ。

 しかし、イベントである以上は観客を楽しませないといけない。エンターテインメントとビジネスが絡んでいるからだ。故に芸術点も設けられている。

 

 そして一年生よりも二、三年生の方が練度に優れているので、技術点と芸術点による加点が必然的に多くなる。

 加点は上限なく獲得できるので積極的に狙っていきたい。

 あくまで真剣に戦った上で加点を貰えれば儲けもの程度に考え、意識するあまり隙を作らないようにするのが肝要だ。

 

「一先ず概要は把握した」

 

 対抗戦についての詳細を理解したジルヴェスターは、腰掛けているベンチから見える訓練室に目を向ける。

 

 そこではカオルが一年生に指導を行っていた。

 別の場所ではオスヴァルドとアリスターも指導役を務めている。

 

「お前たちは訓練しなくてもいいのか?」

 

 指導役を務めている者は自分の訓練時間を削っているはずだ。

 

「もちろんしますよ。ずっと付きっきりで指導するわけではありませんから」

「そうか」

 

 新人戦と本戦を合わせてのチーム戦なので、後輩の指導をするのは総合優勝に向けて欠かせない。

 それに対抗戦を抜きにしても、純粋に先輩として後輩を教え導くのは当然の役目である。

 



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第10話

「メルヒオットさんとガーネットさんが出てきましたよ」

 

 ジルヴェスターとクラウディアがいる場所からは室内の様子が窺えない位置にある訓練室から、ステラとオリヴィアが出てきた。

 その姿をクラウディアは視界の端で捉えた。

 

 二人はジルヴェスターたちのもとへ歩み寄ってくる。

 

「休憩か?」

「ん」

 

 ジルヴェスターが問うと、ステラが無表情で頷く。

 

「会長もおられたのですね」

「ええ」

 

 オリヴィアが会釈すると、クラウディアが微笑みを返す。

 

「隣、失礼するわね」

「ああ」

 

 二人はジルヴェスターの隣のベンチに腰を下ろす。

 ジルヴェスターとオリヴィアでステラを挟む形になった。

 

「二人とも調子はどうかしら?」

 

 クラウディアが尋ねる。

 

「そうですね……」

 

 そう呟いたオリヴィアは、頬に手を添えて困った顔のまま想笑いを浮かべる。

 

「一対一ならいいのですが、多対一になると対応が追いつかなくて……」

「私も……」

 

 ステラもオリヴィアの弁に同調する。

 

「多対一か」

 

 ジルヴェスターが呟く。

 

 ステラとオリヴィアは魔法師として優秀だ。

 少なくとも同い年に限定すればトップクラスの実力である。

 

 だが、如何(いか)に優秀と言えど二人には実戦経験がない。

 一対一なら対応可能でも、複数人を同時に相手取るとなると技術だけではなく経験も必要になってくる。

 それだけ思考することが多くなるからだ。思考を巡らせながら集中力を保つのは難しい。経験がない分は訓練で補うしかないだろう。

 

「二人なら多重行使(マルチキャスト)で対応できるんじゃないか?」

「難しい」

 

 ジルヴェスターの言葉にステラが肩を落とす。

 

「妨害がなければ多重行使(マルチキャスト)できるけれど、戦闘中だとさすがに厳しいわね……」

 

 オリヴィアは首を左右に振って悩まし気な顔になる。

 

 多重行使(マルチキャスト)は複数の魔法を同時に行使する高等技術だ。

 ジルヴェスターは流れ作業のように難なく多重行使(マルチキャスト)を使いこなしているが、本来はそう簡単な技術ではない。

 

 ステラとオリヴィアは集中力を乱されない環境なら二、三種類の魔法を多重行使(マルチキャスト)できる。だが、戦闘中に多重行使(マルチキャスト)できるまで待ってくれる者など存在しない。

 

「相応の努力は必要だけれど、二人ならできると思うわよ」

 

 慈愛に満ちた微笑みを浮かべながらクラウディアがそう言うと、不思議とできるような気がしてくる。

 

「頑張る」

「そうね。頑張りましょう」

 

 拳を握って気合を入れるステラの姿に、オリヴィアが笑みを零す。

 

 クラウディア、ステラ、オリヴィアの三人は幼い頃から交流がある。

 魔法師界の名門中の名門であるジェニングス家と、国内でも有数の大企業であるメルヒオット・カンパニーを代々経営しているメルヒオット家に繋がりがあるからだ。社交の場で顔を合わせることも多々ある。

 故に、クラウディアが二人ならできると言ったのは、彼女たちの人柄と魔法師としての才能を知っていたからだ。決して口先だけの無責任な発言ではない。

 

「お前が鍛えてやったらどうだ?」

「構いませんよ」

 

 ジルヴェスターがクラウディアに視線を向けると、彼女は渋ることなく了承した。

 

「会長はお忙しいのではないですか?」

 

 オリヴィアの言葉にステラが「うんうん」と頷いている。

 

「大丈夫よ。生徒会の仕事はサラに任せておけば滞りなく処理してくれるもの」

 

 どうやら副会長であるサラに仕事を丸投げするつもりのようだ。

 

「それならお願い致します」

「お願いします」

 

 オリヴィアとステラは表情を引き締めて頭を下げる。

 

「では、早速始めましょうか」

 

 そう言うとクラウディアは立ち上がり、空いている訓練室へと足を向けた。

 

「それじゃ行ってくるわね」

「またね」

 

 二人はジルヴェスターに一声掛けてからクラウディアの後を追った。

 

 ジルヴェスターが自分で二人のことを鍛えずに、クラウディアに話を振ったのには理由がある。

 

 ジルヴェスターは特級魔法師なので、自分の弟子以外に無償で指導するのは憚られるからだ。

 特級魔法師の指導を受けたいと願う者は山ほどいる。

 

 今は身分を(おおやけ)にしていないので問題ないかもしれないが、もし正体が世間に知られた際に、弟子でもないのに指導を受けたとして、二人が要らぬやっかみを受ける恐れがある。

 

 友人だからこそ、そのような厄介事に巻き込みたくはなかった。

 仮に指導を買って出ても、ステラとオリヴィアは自分たちだけ特級魔法師の指導を受けるわけにはいかないと遠慮していただろう。

 

 三人が訓練室に入ったのを見届けたジルヴェスターは席を立ち、その場を後にした。

 

 数時間後の訓練室の一室には、ボロボロな身形になっていて、尚且つ疲労困憊な様子でまともに立つことができない二人の女生徒がいたとかいないとか。

 



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第11話

 ◇ ◇ ◇

 

 訓練室を後にしたジルヴェスターは、ランチェスター学園の敷地内にある図書館にいた。

 

 数々の蔵書が本棚に並べられているが、ジルヴェスターは見向きもせずに素通りする。

 辺りに目を向けると、椅子に腰掛けて読書している者、自習室で勉強している者、談話室で談笑している者などがいた。

 

 ジルヴェスターが求めているのは対抗戦関連の書物だ。

 過去の記録が載っている物や、ルールや歴史などが記されている物など様々ある。

 出版社が発行している物もあれば、ランチェスター学園が――主に文芸部や新聞部――独自に作成した記録本もある。

 

 ジルヴェスターは今回仕方なく対抗戦に出場することになったが、出るからには真剣に取り組むつもりでいた。

 しかし、残念ながら彼は対抗戦について無知であった。

 故に、対抗戦に関する書物に目を通しておこうと思ったのだ。

 

 ジルヴェスターは読書が好きなので普段から図書館を利用している。

 なので、目当ての書物の在処は把握しており、足取りが軽い。

 

 目的の場所に辿り着くと、そこには先客がいた。

 

「――副会長」

 

 ジルヴェスターは周りの迷惑にならないように小さな声で呼び掛ける。

 

 先客は副会長のサラであった。

 書物を読み込む姿が彼女の知的な印象と相まって美しい。

 

「ヴェステンヴィルキス君ですか」

 

 サラは手元の書物から顔を上げる。

 

「目的は同じみたいですね」

 

 そう言ってサラは一歩横に移動し、対抗戦関連の書物が並んでいる棚の前のスペースを空ける。

 

「そのようですね」

 

 ジルヴェスターは苦笑しながらサラの横に並ぶ。

 そして本棚に目を向けて、手に取る書物を選別する。

 

「生徒会の仕事は大丈夫なんですか?」

「会長の確認が必要な書類以外は全て処理済みです」

「さすがですね。仕事が早い」

 

 会長であるクラウディアは訓練室で油を売り、サラに仕事を丸投げしている。

 故に、ジルヴェスターはサラが図書館にいても問題ないのかと疑問を抱いた。

 

 だが全く問題ないようだ。

 書類仕事を苦にしないサラには造作もないことであった。

 ちゃんと自分の職務をこなした上で図書館に赴いている。

 

「そういえば――」

 

 ジルヴェスターは本棚に目を向けながら(おもむろ)に口を開く。

 

「副会長は対抗戦に出場しないんですね」

「ええ」

 

 サラは対抗戦の出場選手に選ばれていなかった。

 

「辞退しました」

 

 いや、正確に言うと候補には選ばれていたし、クラウディアを筆頭に何人も推薦していた。

 しかし、サラには出場する意思がなかった。

 

「私は作戦スタッフと技術スタッフに専念します」

 

 対抗戦に参加するのは出場選手だけではない。

 作戦や訓練内容を考案する作戦スタッフと、出場選手のMACを調整する技術スタッフも選抜されて参加する。

 

 サラは作戦スタッフと技術スタッフにも選ばれており、そちらに専念する為に出場選手としては辞退していた。

 

「そもそも私は戦闘向きの魔法師ではありませんし、研究者肌なのでサポートする立場の方が性に合っているのですよ」

 

 魔法師が全て戦闘向きとは限らない。

 治癒魔法が得意な魔法師もいれば、性格的に不向きな者もいる。

 

 魔工師を養成するのも魔法協会と国にとっては重要課題だ。

 また、魔法師はそれぞれ専属の魔工師にMACの調整を依頼していることが多い。

 だが、それだと学生同士が競う対抗戦でプロの魔工師が調整したMACを用いることになる。

 

 実家が魔法師の名門である生徒の方が腕の良い魔工師に調整を頼むことができるが、それだと公平ではない。

 なので、公平を期す為に生徒が技術スタッフとして参加することになっていた。

 それに魔法工学技師を志す者が活躍できる舞台にもなっている。

 

「なるほど」

 

 納得して頷いたジルヴェスターは気になった書物に手を伸ばす。

 

「副会長なら選手としても活躍できると思いますが」

 

 サラは魔法師として申し分ない実力を有しているとジルヴェスターは見ている。

 

 それでも本人の意思を無視して無理強いすることはできない。

 クラウディアたちもサラの意思を尊重して辞退を受け入れたのだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 笑みを零すサラ。

 

「ヴェステンヴィルキス君は技術スタッフにも選ばれているので大変ですね」

「本当は技術スタッフとしてだけ参加したかったんですが……」

 

 嘆息して肩を竦めるジルヴェスターには哀愁が漂っている。

 

 そのまま二人は互いに書物に目を通しながら会話を続ける。

 

 ジルヴェスターは選手としてだけではなく、技術スタッフとしても参加が決まっていた。

 主に一年生のMACの調整を担当することになっている。

 

 技術スタッフとして参加することは元々前向きだった。

 MACを弄れるのは研究になるし、趣味も兼ねているので技術スタッフは最高の立場だ。

 

 だが作戦スタッフと技術スタッフは二、三年生が務めるのが通例になっている。

 にも(かか)らずジルヴェスターが技術スタッフに選ばれたのは、サラが強く推薦したからだ。

 その推薦にクラウディアも賛同したことにより、一悶着ありながらもジルヴェスターは技術スタッフに選ばれた。

 

 サラはジルヴェスターが一級技師であることを知っている。

 クラウディアに至っては、『ガーディアン・モデル』の開発者であることを知っている。

 二人がジルヴェスターを技術スタッフに推薦したのは確たる理由があった。

 

 しかし、一年生を技術スタッフに据えたことは今まで一度もない。

 故に当然反対意見の方が強かった。 

 

 そこでジルヴェスターが一級技師のライセンスを有していることを伝えた。

 すると面白いくらいに反対者がいなくなり、むしろ賛成派に回ったくらいだ。

 結果あっさりとジルヴェスターの技術スタッフ入りが決定した。

 

「技術スタッフとしての役目が気晴らしになるといいですね……」

 

 サラが横目で同情の眼差しを向ける。

 

 ジルヴェスターは不承不承ながら出場するのに、彼女は出場を辞退している。なので、申し訳ない気持ちになってしまう。

 せめて技術スタッフとして参加することが有意義なものになればいい、と祈ることしかできなかった。

 

 そんなサラの心情を察したジルヴェスターが苦笑する。

 

「そうですね。技術スタッフとして楽しませてもらいますよ」

 

 様々なMACを弄れることで溜飲(りゅういん)を下げることにした。

 

「たまにはクラブにも顔を出してくださいね」

「ええ、近いうちに顔を出します」

 

 ジルヴェスターはサラが部長を務めている魔法研究クラブに入部している。

 あまり活動には参加していないが、一応部員の一人だ。

 ちなみにオリヴィアも入部している。

 

 サラとしては一級技師のジルヴェスターには積極的に参加してほしいのが本音だった。

 しかし無理強いはしない。一級技師としての仕事もあるだろうと配慮しているからだ。

 

「お待ちしていますね」

 

 サラが微笑む。

 

 怜悧(れいり)で冷静なサラは普段あまり表情が変化しない。

 無表情ではないが、表情が変化するのは珍しい。

 その彼女が微笑む姿には神秘的な美しさがある。

 

 二人はその後も会話を交えながら書物に目を通すのであった。

 



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第12話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日の放課後。

 訓練室の一室に多くの見学者が詰めかけている。

 

「あー、手も足も出ねぇ!」

 

 バーナードが床に大の字になって悔しげに声を荒げる。

 額からは汗が流れて呼吸が乱れている。

 

「……委員長たちが推す理由がわかりました」

 

 メイヴィスは片膝をつき、槍型の武装一体型MACを杖代わりにしている。

 

「いや……私もここまでとは思わなかったぞ……」

 

 胡坐(あぐら)をかいているカオルが苦笑しながら頭を掻く。

 

「カオル、胡坐(あぐら)ははしたないわよ」

 

 訓練室の隅に立っているクラウディアが苦言を呈する。

 胡坐(あぐら)をかくのは淑女として相応しくないと思っての指摘だ。

 

「そういうの、私はいいんだよ」

 

 だがカオルはあしらうように片手を振る。

 

「嫁の貰い手がなくなるわよ」

「そもそも私より弱い男のもとに嫁ぐ気はない」

「確かにカオルより強い男性は限られるけれど……」

 

 断固としたカオルの態度に、クラウディアは頬に手を添えて困り顔になる。

 実際問題、同世代でカオルより強い男は然程いない。

 すぐに思い浮かぶのはオスヴァルドくらいだろう。

 

「いや……目の前にいるか」

 

 カオルは口元をニヤつかせて正面にいる人物に目を向ける。

 

「どうだ? 私を嫁にする気はないか?」

 

 カオルの視線の先には悠然と佇むジルヴェスターがいた。

 

「カオル……?」

「い、いや、冗談だぞ」

 

 クラウディアに感情の籠っていない瞳を向けられたカオルは、恐怖を感じて背中に悪寒が走った。

 

「ふふ、わかっているわよ」

「お、脅かすなよ……」

 

 当のクラウディアは、カオルが冗談で言ったのは理解している。

 揶揄(からか)われたからやり返しただけだ。だがカオルは本当に恐怖を感じていた。

 クラウディアを揶揄(からか)う際に、ジルヴェスターのことを色恋方面でのネタに使っては駄目だと心に刻んだ。

 

(相変わらず二人は仲がいいな)

 

 二人のやり取りを見ていたジルヴェスターは微笑ましい気持ちになった。

 

「――そ、それよりもジルヴェスター君は私の想像以上だったよ」

 

 カオルは話を逸らすように早口で言葉を紡ぐ。

 

 今回一同が訓練室の一室に集まっていたのは、カオルがジルヴェスターと模擬戦をしたいと言ったことに端を発する。

 彼女は耳に胼胝(たこ)ができるほどクラウディアにジルヴェスターの話を聞かされていた。

 

 クラウディアのことを信用しているので疑ってはいないが、ジルヴェスターがどれほどの実力者なのかは気になっていたのだ。

 故に模擬戦を申し出た次第である。

 

 ジルヴェスターとしては対抗戦でエレオノーラの相手をする為に、ある程度は自由に動けた方が都合がいい。

 対抗戦全体のリーダーであり本戦のリーダーでもあるクラウディアが許可しても、一年生であるジルヴェスターがエレオノーラの相手をすると言って納得する者はいないだろう。

 

 なので、自由に行動できるように自分の実力を見せつけておいた方が話が早いと思い、カオルの提案を受け入れた。

 

 無論、全力ではない。当然力を抑えて相手をした。

 全力で相手をしたらカオルがただでは済まないからだ。何より正体がバレてしまう恐れがある。

 

 最初はカオルと一対一で戦っていたが、ジルヴェスターには手も足も出なかった。

 そこで見学していたバーナードが参戦を申し出た。共に見学していたメイヴィスを巻き込んでだ。

 

 その後、ジルヴェスターは三人を相手に手古摺(てこず)ることもなくあしらった。

 そして今に至る。

 

 大の字になって悔しがっているが、楽しかったのか口元が緩んでいるバーナード。

 片膝をついて槍型の武装一体型MACを杖代わりにして、肩で息をしているメイヴィス。

 胡坐(あぐら)をかいて「参った」と言うかのように頭を掻くカオル。

 冒頭の場面のできあがりだ。

 

「次は一矢報いてやるからな!」

「相変わらず戦闘狂ですね」

 

 バーナードが上半身を起こして右手の拳を突き出すと、メイヴィスが呆れて溜息を吐く。

 

「楽しいからな」

「だからって巻き込まないでくださいよ……」

 

 彼女は戦闘が大好きなバーナードにいつも振り回されている。巻き込まれる身としては堪ったものではないだろう。

 

「これで誰も文句はあるまい」

「そうだな」

 

 模擬戦を見学していたオスヴァルドの言葉にカオルが頷く。

 

「ジェニングスの目に狂いはなかったようだ」

 

 日頃からジルヴェスターのことを賛美歌の(ごと)く熱く語っていたクラウディアの言葉が正しかったと証明された。

 オスヴァルドも以前観察した際に推し量った実力が誤りではなかったと確信を得られた。

 

 ジルヴェスターが本戦に出場することは決まっていることだが、未だに懐疑的な目を向ける者もいる。一年生なのだから仕方がない。

 

 しかし、ランチェスター学園でも指折りの実力者であるカオル、バーナード、メイヴィスの三人を相手に汗をかくこともなくあしらうほどの実力を目の当たりにした。

 これで誰も異論を述べることはできなくなるだろう。

 現に見学者の中でどよめきが広がっている。

 

「カオルはこれで満足したかしら?」

「ああ」

 

 クラウディアの問いに頷く。

 

「なら模擬戦は終わりね」

「いや――まだだ」

「ブラッドフォード君?」

 

 模擬戦を終わらせようとしたクラウディアを静止する声が掛かった。

 彼女は声の主へ顔を向けて首を傾げる。

 

「ヴェステンヴィルキス。模擬戦じゃなくていいから、この後訓練に付き合ってくれないか?」

 

 バーナードは手も足も出なかった後輩に頼み込む。

 後輩の実力を素直に認め、自分の糧とする為に頭を下げられるのは彼のいいところだ。

 その姿はジルヴェスターにも好印象だった。

 

「構いませんよ」

「よろしくな!」

 

 ジルヴェスターはバーナードのようなタイプが嫌いではない。むしろ好ましく思っている。

 予定があるわけでもないので、彼の頼みを断る理由はなかった。

 

「よろしいのですか?」

 

 クラウディアが尋ねる。

 彼女にとってジルヴェスターの手を煩わせるのは我慢ならないことだが、他人にまで同じ価値観を強要する気はない。

 

 それに特級魔法師であるジルヴェスターが弟子でもない者の訓練に付き合っても問題ないのか? という意味合いも含まれている。

 

 バーナードの場合は、ジルヴェスターが特級魔法師であることを知らないので問題ない。

 知っていて頼むのなら確信犯だが、知らないならあくまでも後輩に頼んでいる形に過ぎないからだ。

 それに訓練に付き合うだけで本格的に指導するわけではない。

 

「ああ。俺も身体を動かしておきたいからな」

 

 身体が鈍らないように動かしておきたかったジルヴェスターには、バーナードの提案は好都合だった。

 

 クラウディアはジルヴェスター至上主義なので、彼に対しては信者の(ごと)く従順だ。

 本人が問題ないと言っているのなら彼女が口を挟むことはない。

 

「では、始めましょうか」

「おう!」

 

 ジルヴェスターが声を掛けると、バーナードは立ち上がってやる気に満ちた顔つきになった。

 

「私たちは仕事に戻りますね」

 

 生徒会、風紀委員会、統轄連、クラブ活動、自主練習など、各々予定があるので見学者はクラウディアの後に続くように退室していく。

 詰めかけていた者たちがいなくなり、室内の熱気が下がったように感じる。

 

 そして数人の見学者を残したまま二人は訓練を始めるのであった。

 



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第13話

 ◇ ◇ ◇

 

 七月下旬。

 遂に対抗戦の日がやってきた。

 

 出場選手は期待と不安を胸に抱えている。

 作戦スタッフは可能な限りのサポートを行った。後は作戦会議を行ったら見守るだけだ。

 技術スタッフはMACの調整を完璧に行ったが、対抗戦開始直前まで担当している魔法師と二人三脚で調整を確認する。

 その他の対抗戦に関われない生徒は応援に駆けつけたり、夏季休暇を謳歌したりするはずだ。

 

 そしてキュース区のサントロローデに場面を移す。

 サントロローデにあるホテルに各校の生徒が集結していた。

 これから懇親会が開かれるからだ。

 

 ちなみに学校毎に宿泊先として提供されるホテルは異なる。

 サントロローデは観光地としても人気なのでホテルの数が多い。なので、十二校毎に別々のホテルを用意できる。

 

 とはいえホテルによってグレードが異なる。高級ホテルもあれば、良心的な価格のホテルもある。

 前回の対抗戦の順位が上だった学校からグレードの高いホテルを提供してもらえる仕組みだ。

 その為、今回はランチェスター学園が最も高級なホテルを利用させてもらうことになっている。

 

 そして各校の出場選手、作戦スタッフ、技術スタッフは、各々が泊まるホテルの部屋に荷物を置いた後、ランチェスター学園の生徒が利用するホテルに足を運んでいた。

 懇親会が行われるホテルは、協力してもらっているホテルの中で最もグレードの高いホテルで行うことになっているからだ。

 前回の優勝校はわざわざ別のホテルに足を運ばなくてもいい。優勝校の特権だ。

 

 ジルヴェスターが会場に足を踏み入れると、既にほとんどの生徒が集合していた。

 ランチェスター学園以外の制服に身を包んだ者が多くいるので不思議な感覚だ。

 

 ジルヴェスターは入り口近くの壁に背中を預ける。

 

 懇親会は立食形式のパーティーだ。

 各々自由に軽食や飲み物を手に取って舌鼓を打っていた。

 

 少し離れた場所ではアレックスがプリム女学院の生徒をナンパしている。

 オリヴィアは甲斐甲斐しくステラのお世話をしているようだ。

 レアルは他校の女子に囲まれて困り果てており、助けを求めるような視線を周囲に向けている。

 イザベラとリリアナはデザートに夢中だ。

 料理が趣味のレベッカは興味津々に味を研究している。ビアンカとシズカは付き合わされているようだ。

 

 その他の面々も思い思いのひと時を過ごしていた。

 

 みんなが飲食や談笑に興じている姿を眺めていると、前方から両手に一つずつグラスを持ったクラウディアが歩み寄ってくる。

 足音一つ立てない足取りは優雅であり淑女然としていて美しい。

 

「楽しんでいますか?」

 

 そう言うと、クラウディアは右手に持ったグラスを手渡す。

 グラスを受け取ったジルヴェスターは中身を一口啜る。

 中身は白葡萄(ぶどう)のジュースだった。

 

 味は甘味が強く、後味がさっぱりしている。

 渋みが少ないので甘い葡萄(ぶどう)ジュースを好む人や子供などにおすすめだ。

 

 クラウディアも同じものを飲んでいる。

 

「正直こういう場はあまり好きではないんだが……」

「ふふ、そうでしたね」

 

 ジルヴェスターは賑やかな場所を好まない。

 静かな場所で一人黙々と研究や開発、読書などをしていたいタイプだ。

 だからこそ輪に加わらずに隅で静観していた。

 

「お前はこんなところにいてもいいのか?」

 

 クラウディアは生徒会長としても、ジェニングス家の令嬢としても、交誼(こうぎ)を結んで親交を育む必要があるはずだ。

 そういった政治的側面を抜きにしても、純粋に懇親会を楽しんだっていい。

 

「俺に付き合わなくてもいいんだぞ」

 

 もしかしたら一人でいる自分に気を利かせてくれているのだろうか? とジルヴェスターは思った。

 

「いえ、少々嫌気が差していたところでしたので……」

 

 クラウディアは苦笑しながらさりげなく数ヶ所に視線を向ける。

 その視線の先を追うと、こちらを窺うように見ている他校の男子生徒が複数人いた。

 いや、正確に言うとクラウディアのことを見ている。

 

「なるほど。お前も大変だな」

 

 クラウディアは誰が見てもまごうことなき美女だ。

 彫刻のような整った顔立ちに、凹凸のはっきりとした身体つきをしている。手足が長くてスタイル抜群だ。

 お淑やかで品位があり、落ち着いた雰囲気をしている淑女の代表のような立ち振る舞いに誰もが視線を奪われる。

 

 魔法師としての実力も同世代の中で随一だ。

 正に容姿端麗と文武両道を体現している才媛である。

 しかも魔法師界の名門であるジェニングス家の令嬢というおまけ付きだ。

 

 そんな彼女のことを放っておく男の方が少ないだろう。

 男が夢中になるのもわかる。振り向かせたいと思うのは道理だ。

 色恋の話だけに限らない。家同士の繋がりを構築したいと目論む者もいるはずだ。

 

 ちなみにランチェスター学園の男子生徒がクラウディアを口説くことはない。

 畏れ多いのもあるが、彼女がジルヴェスター至上主義なのを知っているからだ。

 崇拝している相手がジルヴェスターだとは知らなくても、慕ってやまない相手がいることは周知の事実である。

 

 クラウディアは他校の男子に囲まれ、粗相のないように愛想笑いをしていた。だがあまりにも人数が多く、その上しつこかった。

 それに辟易してしまい、ジルヴェスターのもとに避難して来たのである。――男と楽しそうに話しているところに割って入れる勇気のある者がいないとも限らないが。

 

 諸々の事情を察したジルヴェスターは、クラウディアに同情の眼差しを向けた。

 



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第14話

 その後もクラウディアと談笑していると、出入口から会場に足を踏み入れる者がいた。

 会場にやって来た人物の存在に気がついた者から波及していくように騒がしくなる。

 

「なんでわたしがわざわざ足を運ばないといけないのよ。そもそもこのホテルはわたしにこそ相応しいでしょ」

 

 一人でやって来た人物は髪を掻き上げながら悪態をつく。明らかに不機嫌だ。

 

「これも全て前回の対抗戦で総合優勝を逃した所為ね。いくらわたしが天才でも他が足手纏いじゃ孤軍奮闘でしかないし」

 

 その者は入口近くの壁に背中を預けていたジルヴェスターの横を通りすぎていく。

 

「邪魔よ。凡愚(ぼんぐ)の分際でわたしに余計な手間をかけさせないで」

 

 不遜(ふそん)な態度を隠そうともしない。

 他者を等しく見下している目つきをしており、同級生や先輩のことすら()()ろす始末だ。

 しかも自分が人垣を避けるのではなく、周囲の者たちに道を譲らせている。他校の生徒だろうがお構いなしだ。

 

「彼女がエレオノーラ・フェトファシディス様です」

 

 クラウディアが小声で告げる。

 

「……なるほど」

 

 傲岸不遜(ごうがんふそん)な態度を垣間見たジルヴェスターは無表情で頷いた。

 

 (くだん)の人物――エレオノーラは、特級魔法師である自分に最もグレードの高いホテルを割り当てるべきだと考えているようだ。

 それで不満を隠そうともせずに文句を垂れている。

 

 ジルヴェスターは遠ざかっていくエレオノーラの後ろ姿を目線で追う。

 

 エレオノーラは肌が白く、胸元に届かないくらいの長さで毛先が緩くカールしている、燃えるような赤い髪が存在感を放っている。本当に燃えているかのように錯覚するほどだ。

 

 彼女の他者を見下したような目つきは、妖しく光る赤い瞳も相まって高飛車な印象が強まっている。

 

 プリム女学院の制服はタイトなワンピースなので身体の線が良くわかる。

 細身でスラっとしていて手足が長い。優れた魔法師故に顔立ちが整っており、間違いなく美少女だ。

 しかし明らかに性格に難があるので、男女問わず好かれないだろうことは容易に想像がつく。

 

「あれは……駄目だな」

 

 そう呟いたジルヴェスターは首を左右に振って肩を竦める。

 

「プリム女学院の学園長が頭を抱える訳がわかった」

 

 エレオノーラの態度は看過できない。あれでは特級魔法師の地位を貶めてしまう。責任感が欠如している証拠だ。

 特級魔法師として最低限は相応しい態度を取ってもらわなければならない。

 

「俺は彼女になんの恨みもないが、第一席の責任として鼻っ柱を()し折ってやろう」

「やりすぎないでくださいね」

「善処する」

 

 元々頼まれていたこととはいえ、あまり乗り気ではなかった。

 だが実際にエレオノーラの態度を目の当たりにして認識を改めた。話には聞いていたが、想像以上に酷かった。

 性根を叩き直してやらねばならない、とジルヴェスターは気を引き締めた。

 

 少々度がすぎてしまうかもしれないが、それは大目に見てもらいたいところだ。

 仮想(Virtual)空間(space)創造(creation)転送(transfer)装置(device)のお陰で死ぬことはないのだから。

 

「二人で何話しているんだ?」

 

 風紀委員の面々を従えていたカオルがひとりでやって来た。

 

「大したことじゃないわよ」

「そうか」

 

 クラウディアが軽くあしらも、カオルは詮索することなく引き下がる。

 元々話題の内容に興味があったわけではなく、声を掛けるきっかけの言葉にすぎなかったのだろう。

 

「ジルヴェスター君、すまないがクラウディアを借りてもいいか?」

「構いませんよ」

「すまんな」

 

 何故かジルヴェスターに了承を求める。

 断る理由はないので首を縦に振るが、釈然としない。

 

「ご主人様の許可が下りたことだし、クラウディアは少し付き合ってくれ」

「ご主人様だなんて……」

「冗談で言ったのになんで嬉しそうなんだよ……」

 

 照れながら身体をくねらせて恍惚(こうこつ)としているクラウディアの様子に、カオルは若干引く。

 多幸感に打ち震える姿が妙に色っぽい。

 

 敬慕してやまないジルヴェスターが自分のご主人様になった光景を妄想して悦に入っている。

 ジルヴェスター至上主義の彼女らしい反応だ。冗談が全く通用していない。

 

 カオルは深く溜息を吐くと、クラウディアの手を引っ張る。

 

「プリム女学院の生徒会長を待たせているんだ。さっさと行くぞ」

 

 カオルはプリム女学院に友人がいる。

 その友人を介し、プリム女学院の生徒会長に頼まれてクラウディアを呼びに来たのだ。

 どうやら大事な話があるらしい。

 

 クラウディアはカオルに連れ去られていく。

 二人の後ろ姿を見送ったジルヴェスターはグラスの中身を飲み干す。

 

 すると、今度はオリヴィアがやって来た。

 

「ジルくん」

 

 困った顔のまま愛想笑いを浮かべている。

 

「どうした?」

「申し訳ないのだけれど……ちょっと付き合って」

 

 オリヴィアはジルヴェスターの左手を引っ張る。

 そして自分の腕を絡めた。

 

「あそこにいる三人のアプローチがしつこくて」

 

 オリヴィアの視線の先を辿ると、同じ体型、同じ顔の三人組がいた。

 

「三つ子か」

 

 区別がつかない容姿から察するに三つ子なのだろう。

 

「ええ。そうらしいわ」

 

 オリヴィアは首肯すると、三つ子がいる方向へと歩き出す。

 ジルヴェスターは歩幅を合わせてついて行く。

 

「男からアプローチされるのはいつものことだろ」

 

 オリヴィアは男性からの人気が高い。

 整った顔立ちに男好きのする主張の激しい身体つき。色気のある立ち振る舞いと雰囲気。面倒見が良くて包容力がある人柄。

 男の視線を釘付けにしている要因はいくらでも思いつく。

 

 彼女は男の視線を浴びることにもアプローチされることも慣れているので、普段は意に介していない。

 

「あの三人は全く引き下がる気配がない上に露骨で……」

「そうか」

 

 ほとほと困っていたようで、左手を頬に添えて深く溜息を吐いた。

 

「だから相手がいるって言えば引き下がると思ったのよ」

「なるほど。俺は男避けか」

「そういうこと」

 

 ジルヴェスターは近くにいたウェイターに中身が空になったグラスを預ける。

 

 事実はどうであれ、恋人がいると伝えることで諦めてくれないだろうかと思った。

 その為に(てい)良く使われるのがジルヴェスターの役目というわけだ。

 

「というわけでお願いね」

「ああ」

 

 オリヴィアはジルヴェスターの顔を見上げながらウインクする。

 

 彼女がジルヴェスターを頼るのには訳があった。

 ジルヴェスターが色恋沙汰に関する彼女の頼みを断れないのにも理由がある。

 

 その訳はオリヴィアの両親、兄、叔母、ステラの両親、アーデル、レイチェル、レティしか知らないことだ。

 いずれはステラにも話すことになるが、今はまだ時期尚早だ。

 

「ステラはいいのか?」

 

 いつも一緒にいるはずのステラがいない。

 

「ええ。レベッカたちに預けたわ」

 

 言われた場所に視線を向けると、そこにはレベッカに餌付けされているステラがいた。

 幸せそうに食べ物を詰め込んで頬を膨らませている。

 

 面倒事に巻き込まない為に避難させたのだろう。

 ステラはオリヴィアの言うことは素直に聞くので、手間を掛けずに避難させることができたのは幸いだった。

 



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第15話

 (くだん)の三人の近くまで辿り着くと、会話が聞こえてきた。

 

「いやー、凄い美人だったな!」

「オリヴィアさんか……」

「叱られたい」

 

 三人はオリヴィアに夢中なようで、自分たちの世界に入っている。

 ジルヴェスターたちが近付いていることに気がついていない。

 

「めっちゃタイプだ!」

「女神のような御方だ……」

「踏まれたい」

 

 一人変態的な発言をしている者がいるが、聞こえなかったことにした。

 

 声の届く位置まで辿り着くと、オリヴィアが背後から声を掛ける。

 

「マクダニエルズさん」

 

 名前を呼ばれた三人が一斉に振り返る。

 

「オリヴィアさ――」

 

 顔を赤くして嬉々とした様子の三人は言葉に詰まった。

 意中の相手の隣に知らない男がいたからだ。

 

 呆然としている三人のことは放っておいてオリヴィアは言葉を続ける。

 

「好意を持って頂けるのはありがたいのですが、私には彼がいるので申し訳ありません」

 

 オリヴィアは軽く頭を下げる。

 頭を上げた後、自分の胸をジルヴェスターの左腕に押し付けた。

 腕が胸に挟まれ、豊満で柔らかい胸は形が歪む。

 それでも張りがあるので綺麗な形を保っており、余計に妖艶(ようえん)さが増していた。

 

 三人は固まった身体を動かすことなく、頭だけ動かしてジルヴェスターに視線を向ける。

 ぎこちない動きなので、まるで機械のようだ。

 身長差の関係で三人はジルヴェスターのことを見上げている。

 

「高身長で、しかもすんげぇイケメンだ」

「神々しくて眩しい……」

「睨まれたい」

 

 三人が順に呟く。

 

「これは俺たちの出る幕がないな」

「そうだな……。その方がオリヴィアさんは幸せだろう」

「諦めの感情もまた興奮する」

 

 頷く三人の動きが揃っている。さすが三つ子と言ったところか。

 

 話の流れから察するに、どうやらオリヴィアのことは素直に諦めるようだ。

 意外と聞き分けがいい。もっと粘着するかと思っていたのでジルヴェスターは意外感に包まれた。

 

 オリヴィアが幸せなら二人の関係を引き裂くのは野暮だと考えているようだ。

 あくまでもオリヴィアの幸せが第一ということらしい。

 

「イケメン君、俺はジェイソン・マクダニエルズだ。オリヴィアさんのことをよろしくな!」

「俺はジェイレン・マクダニエルズ。二人は美男美女でお似合いだな」

「俺はジェイデン・マクダニエルズだ。興奮した。ありがとう」

 

 ジェイソンから順に握手を交わし、ジルヴェスターも名乗った。

 一人だけ変態がいるが気にしないことにする。

 

 ジェイソンが長男で、ジェイレンが次男、ジェイデンが三男だそうだ。全く見分けがつかない。

 

 ジェイソンは長男らしく纏め役のようで、三人の中では一番しっかりしていて朗らかな印象だ。

 次男のジェイレンは仕草と言動がいちいち芝居がかっているが、最も頭が切れるらしい。

 三男のジェイデンは少し残念なところがあるように見受けられる。しかし、やる時はやる男だそうだ。

 

「だが、機会があればまたアプローチするぞ」

「二人がいつまでも仲睦まじいことを祈るよ」

「焦らしプレイ」

 

 打ちひしがれても完全には諦めていないのか、虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺っているようだ。

 それでも二人の幸せを祈るあたりは人の良さが滲み出ている。

 

「では、オリヴィアさんお幸せに! 対抗戦を楽しみにしているよ!」

 

 ジェイソンが代表して告げると、三人は素直引き下がって行った。

 

「悪い奴らではなさそうだな」

「ええ。だからこそ無下にするのはどうかと思ったのよ」

「なるほどな」

 

 失礼な輩なら遠慮なく突き放すが、三人は終始オリヴィアのことを第一に考えてアプローチしていた。

 無遠慮なことをせず、常に紳士的な対応だっただけに突き放すのが憚られたのだ。

 

 可能な限り穏便にことを収める為にジルヴェスターを頼ったというわけであった。

 

「それにあいつらは中々腕が立つと思うぞ」

「あら、そうなの?」

「ああ」

 

 オリヴィアが首を傾げる。

 

 マクダニエルズ三兄弟の魔法師としての実力は侮れない、とジルヴェスターは見て取った。

 魔眼を使わなくてもわかる。一定以上の魔法師なら誰でも可能だ。

 

「対抗戦では気をつけておくことだな」

「ええ、そうするわ」

 

 三兄弟はエル魔法教育高等学校の一年生なので、オリヴィアとは新人戦で相まみえる可能性がある。

 もしかしたら対抗戦を荒らす存在になるかもしれない。気に掛けておいて損はないだろう。

 



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第16話

「――ジルくんとオリヴィアがイチャイチャしてる……」

 

 聞き慣れた声が背後から掛かったが、やけに力のない口調だ。

 疑問に思いながら振り返ると、そこにはステラ、レベッカ、シズカ、ビアンカがいた。

 マクダニエルズ三兄弟がいなくなったのに気がついたステラたちがやって来たようだ。

 

 そして先程の力のない呟きはレベッカの声であった。

 おそらく嫉妬や羨望が胸中で渦巻いたが、自覚がないので上手く処理できなかったのだろう。それで無意識に呟いてしまったのだと思われる。

 

 一方で、ステラは腕を組む二人のことを無表情のままジーっと見つめていた。

 

「おやおや」

 

 ビアンカがにんまりと愉快そうな笑みを浮かべて口を開く。

 

「これは……レベッカはお呼びじゃない感じかな~」

「な、なんのこと!?」

 

 ジルヴェスター本人に気があることを勘付かれたくないレベッカは、動揺を誤魔化そうとする。

 

 二人が言い合っているのを無視してステラが喋る。

 

「終わったの?」

「ええ」

「そ」

 

 小さく頷いたステラは、オリヴィアとジルヴェスターが組んでいる腕の解いて、自分が間に割って入る。

 自分の右腕をジルヴェスターの左腕に絡め、左腕をオリヴィアの右腕に絡ませた。

 二人に挟まれる形で腕を組み、ご満悦だ。幸せそうで何よりである。

 まるで兄と姉に甘える末っ子みたいだ。

 

 オリヴィアは「あらあら」と言いながら慈愛の籠った眼差しでステラのことを見守っている。

 ジルヴェスターも拒絶することなく受け入れていた。

 

「もう、ステラっちはかわいいな~」

「羨ましいの間違いでしょ」

「ビアンカは黙ってて!」

 

 レベッカは言い争いながらもステラの行動を視界に収めていた。

 そしてどうやらステラの行動が琴線(きんせん)に触れたようで目尻が下がっている。

 ビアンカのことを睨む目つきとは雲泥(うんでい)の差だ。

 

「オリヴィアは大変だったわね」

「ジルくんのお陰で助かったわ」

 

 シズカがオリヴィアを労う。

 マクダニエルズ三兄弟の件はステラから聞いていたので把握していた。

 

「ジル君もお疲れ様」

「俺は突っ立っていただけだがな」

 

 ジルヴェスターは苦笑するが、役に立ったのは事実だ。

 シズカの労いを受ける資格はある。

 

「――みなさんご一緒だったのですね」

 

 今度はリリアナがイザベラを伴ってやって来た。

 

「ステラはご機嫌だね」

「ん」

 

 ご満悦なステラの様子を見たイザベラが微笑む。(なご)む光景に肩の力が抜けた。

 

「――やっと解放された……」

「何がそんなに嫌なのか」

「僕はアレックスみたいにはできないよ……」

 

 げっそりした顔のレアルと、彼の肩に腕を回しているアレックスもやって来た。

 

「レアルは随分とお疲れだな」

「ジル、聞いてくれよ。こいつ女子に囲まれてウハウハの状況だったのに、通り掛かった俺に助けを求めてきやがったんだよ」

「お前なら嬉々としてそうだな」

「そりゃそうだろ。ハーレムで羨ましい限りだったぜ」

 

 二人が一緒にいたのは、ナンパに奔走していたアレックスがたまたまレアルの近くを通り掛かったからだ。

 レアルがこれ幸いと助けを求めると、アレックスは「やれやれ」と言いながら助けに入った。

 

 しかし、アレックスは善意だけで助けたわけではない。

 レアルのことを囲む女子たちをナンパし始めたのだ。ナンパするのにちょうどいいと思って助けに入ったのだろう。

 

 アレックスが会話の主導権を握ると場が盛り上がったが、レアルは相槌を打つだけの機械と化していた。

 

 最終的にはアレックスが上手く場を収めて穏便に退散したという次第だ。

 

「ちゃっかりしているな」

「当たり前だろ。せっかくのチャンスだったからな」

 

 呆れと感心が同居した複雑な表情のジルヴェスターが肩を竦める。

 

 隙を見てはすかさずナンパするアレックスはさすがと言うべきか、節操がないと呆れるべきか。

 男から見たら感心する部分もあるが、女性からしたら白目を向けたくなるだろう。

 

「お陰で複数人とデートの約束を取り付けられたし、懇親会は最高だな」

「程々にな」

 

 ほくほく顔のところに水を差すようで申し訳ないが、友人として釘を刺しておく。

 

「ジルくんが人のこと言えるのかしら……」

 

 オリヴィアが誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。

 

「……」

 

 ジルヴェスターの耳にはしっかりと届いていたが、一部の者しか知らない事情により何も言い返すことができなかった。

 (くだん)の事情に関してオリヴィア自身は納得しているし不満もない。なので、揶揄(からか)っているだけだ。

 それはジルヴェスターも理解している。

 しかし返す言葉がないのは変わらない。

 

 オリヴィアの呟きが他の面々には聞こえていなかったのがせめてもの救いだろう。

 

「一先ず、お前は美味いもんでも食ってストレスを発散しろ」

 

 アレックスがレアルの背中を押す。

 

「うん。そうするよ……」

 

 疲れ果てて肩が下がっているレアルは、近くのテーブルに置かれているケーキに手を伸ばした。

 



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第17話

 ◇ ◇ ◇

 

 懇親会が盛上りを見せる中、一人の男性が壇上に姿を現した。

 気配がなく、会場にいるほとんどの人は気づいていない。

 

 壇上の中心に立った男が口を開く。

 

「――みなさん、懇親会を楽しんでいますか?」

 

 男性の声は鼓膜に残り安心感を与えてくれる低くて渋い声だった。

 

 突然室内に響いた声に驚きの声がこだまする。

 ジルヴェスターとレアルは気づいていたので平静だが、一緒にいる面々は驚いていた。

 

「いま私が声を発する前に、私の存在に気がついていた人は数人しかおりませんでしたね」

 

 男性は数人に視線を向ける。

 目が合ったジルヴェスターは肩を竦めた。

 

「つまり私が襲撃犯だった場合に対応できたのは、その数人だけということになります」

 

 男性の言葉に場が騒然となる。

 務めて穏和な口調だが、言っていることは辛辣だ。魔法師として未熟と言っているに等しいのだから。

 

「とはいえ、みなさんはまだ学生です。少しずつ魔法師としての自覚を養ってください。焦りは禁物ですよ」

 

 優しい笑みを浮かべる。

 その笑みには人を惹きつける不思議な力があった。

 

「挨拶が遅れましたが、私は魔法協会本部長のマクシミリアン・ローゼンシュティールです」

 

 壇上の男性――マクシミリアンが名乗ったことで(ざわ)めきがより大きくなる。

 

 マクシミリアンの名を知らない者はほとんどいない。

 魔法協会の本部長は、魔法協会のナンバースリーである。支部のトップである支部長よりも本部長の方が立場は上だ。本部長よりも上位の地位は会長と副会長しかない。

 

 魔法協会の重役が現れたのだ。騒然となるのは道理だろう。

 しかもマクシミリアンは三十八歳の若さで本部長の座まで登り詰めた才人だ。

 

「本来は別の者が来る予定でしたが、無理を言って変わってもらいました」

 

 穏和な笑みに、会場にいる大勢の者の視線が釘付けになる。

 

 懇親会では主催を務めている魔法協会の者が登壇して激励するのが恒例になっているが、例年ならマクシミリアンほどの大物が来ることはない。なので、今は正に異例の事態である。

 

 彼は本部長という魔法協会の重役を務めているが、腰が低くて穏和な性格だ。

 お陰で生徒たちは過度に緊張することなく話に耳を傾けることができている。

 

 収拾がつかない事態になっていたらどうしていたのだろうか、と思いながらジルヴェスターは冷めた視線を向けて静観していた。

 

 ジルヴェスターとマクシミリアンは面識がある。だからこその冷めた視線だ。

 視線の意味は、「本部長なのにフットワーク軽すぎだろ」という呆れの表れだった。

 

「相変わらず本部長は年齢不詳だね」

 

 イザベラが苦笑する。

 

 面識があるからこその言葉だ。

 普通は簡単に本部長に会えたりはしないのだが、さすがは魔法師界の名門であるエアハート家の令嬢だ。エアハート家だからこそ会う機会があったのだろう。

 

 マクシミリアンは白い肌をしており、肩に掛からないくらいの長さの茶髪が特徴だ。少し癖がありカールしているが、丁寧にセットしてあって清潔感がある。

 

 長身でスラっとしているのでスーツが良く似合う紳士だ。

 実年齢よりも十歳ほど若く見える為、年齢不詳と言われることが多い。

 

 魔法師としても優秀であり、文武を兼ね備えた頼れる男だ。

 人望が厚く、将来的には魔法協会の会長の座に最も近い人物とも言われている。

 

「せっかくみなさんが楽しんでいる場を長話で遮るのは野暮なので、一言だけ私から言わせてください」

 

 マクシミリアンは会場にいる生徒たちを見回してから続きの台詞を紡ぐ。

 

「今は純粋に対抗戦を楽しんでください。仲間やライバルと楽しく切磋琢磨することで成長できると私は思っています。もちろん魔法師としての自覚は忘れないでくださいね」

 

 最後には年甲斐もなくウインクをする。

 実年齢よりも若く見える外見の所為で違和感がなく、女性陣の心を鷲摑みにしていた。

 優れた魔法師故の整った顔立ちも影響している。

 

「それではおじさんは退散しますので、みなさんは引き続き懇親会を楽しんでください。ただし、羽目を外しすぎないように気をつけてくださいね」

 

 そう言うとマクシミリアンは壇上から降りて出入口へと足を向けた。

 すれ違う生徒一人一人に声を掛ける気遣いを自然と行えるあたりが、人望を集める所以(ゆえん)なのかもしれない。

 

 マクシミリアンが会場から退室すると、室内の盛り上がりが戻っていく。

 

「まさか本部長が来るとはなー」

「そうだね。僕も驚いたよ」

 

 アレックスが後頭部で腕を組みながら呟くと、レアルが相槌を打った。

 

「本部長って、めっちゃイケメンなんだね」

「若く見えるけど、三十八歳なんだよ」

「――え!?」

 

 レベッカは本部長に会ったこともなければ見掛けたこともない。――マクシミリアンだと気づいていないだけで、遠くから見掛けたことはあるかもしれないが。

 少なくとも本人と理解した上で会ったのは今回が初めてだ。

 故に、「イケメンだな~」と軽い気持ちで眺めていた。

 だからこそイザベラが口にした言葉に驚いて目を見開いている。

 

「三十手前くらいだと思ってた……」

「人を見た目で判断してはいけないってことよ」

「だね~」

 

 シズカの指摘はもっともだ。

 人を見掛けで判断すると痛い目に遭うこともある。

 何より相手に失礼だ。

 

「ま、今は懇親会を楽しもうぜ」

「今回ばかりはあんたに賛成」

 

 反目し合うことの多いアレックスとレベッカだが、珍しく同意見のようだ。

 

「みんなも一緒にね」

 

 レベッカの声掛けに一同が頷く。

 

 他校と交流できる貴重な機会だが、結局は仲良しグループで同じ時を過ごすことになるのであった。

 



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第18話

 ◇ ◇ ◇

 

 みなが懇親会を楽しんでいる中、ジルヴェスターは会場を抜け出していた。

 彼は人を探しており、廊下を歩きながら視線を彷徨わせている。

 

 さすがグレードの高いホテルなだけあり内装が豪奢だ。

 絵画、オブジェ、照明器具、絨毯、家具など、どれも意匠の凝ったデザインで価値の高い代物だと一目でわかる。

 ただ豪奢なだけではなく、派手すぎずに心の休まる落ち着いた雰囲気を作り出しているのは内装をデザインした者のセンスが成せる業だろう。

 

 ジルヴェスターがエントランスに辿り着くと、探していた人物の後ろ姿が視界に映った。思いの(ほか)、労せずして見つけることができたのは僥倖だ。

 その者はエントランスで部下と思われる男性と話していた。あまり距離が離れていないので会話の内容が聞こえてくる。

 

「本部長……急に予定を変更されては困ります」

「いやー、すまないね」

 

 部下に注意されて申し訳なさそうに頭を掻いている。

 

「もう少し早めに仰って頂ければ、こちらも余裕を持って調整できるので思い付きで行動しないでください」

「ははは、耳が痛い」

 

 部下に口酸っぱく注意されても嫌な顔一つしない辺りに懐の深さが窺える。

 

 いつまでも機会を窺っていては埒が明かないので、ジルヴェスターは背後から声を掛けることにした。

 

「――マクシミリアン」

 

 既におわかりのことだろうが、ジルヴェスターが探していた人物は魔法協会本部長のマクシミリアンであった。

 

 名を呼ばれたマクシミリアンが振り返るが、元からジルヴェスターと向かい合う位置にいた部下が先に口を開く。

 

「――こら! 君は学生だろう? 本部長のことを呼び捨てにするとは何事――」

「ジェフリー君」

「……なんでしょうか?」

 

 部下の男性はジルヴェスターに対して厳しい目線を向けて注意するも、途中でマクシミリアンに遮られてしまう。

 当然、部下は怪訝な顔になる。

 

「お気持ちはありがたいですが、彼は私の友人です。なので、注意は控えてください」

「……差し出がましいことを致しました」

 

 マクシミリアンが努めて穏和な口調と表情で言うと、ジェフリーと呼ばれた男性は戸惑いながらも頭を下げた。

 

 ただの学生と魔法協会の本部長が友人関係を築いているのが不思議なのだろう。

 年が近いわけでもなければ立場も違うので尚更だ。

 

 もしジルヴェスターが特級魔法魔法師第一席だということを知ったら卒倒するかもしれない。

 

「ジルヴェスター君、うちの者が済まないね」

「気にするな。むしろ当然の対応だろ」

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

 本部長であるマクシミリアンでも、ジルヴェスターの不興を買うのは避けたいことだった。なので、頭を下げることを厭わない。

 そもそもそんなことでジルヴェスターが怒ることはないとマクシミリアンは承知しているが、だからと言って詫びを怠る理由はなかった。

 

「ジェフリー君、少し彼と話すので先に戻っていてもらえるかな」

「わかりました」

 

 ジェフリーは頭を下げるとホテルを後にし、魔法協会本部へと戻って行った。

 

「気を遣わせて悪いな」

「構わないさ」

 

 マクシミリアンが部下を下がらせたのは、ジルヴェスターが自分の立場を気にせずに会話ができるように配慮してのことだ。

 そのことに気がついたジルヴェスターはマクシミリアンに感謝した。

 

「それで私に何か用かい?」

「ああ」

 

 マクシミリアンの問い掛けにジルヴェスターが頷く。

 

「わざわざお前が来るとは思わなかったからな。何かあったのかと疑問を抱いただけだ」

「なるほど」

 

 日々忙しくしている本部長のマクシミリアンが、学生の懇親会で激励する為に足を運ぶのは過分な対応だ。

 

「何、大したことではないよ」

 

 マクシミリアンが微笑む。

 

「君が対抗戦に出場すると耳にしたから様子を見に来ただけさ」

「それだけか?」

「疑わなくても本当さ」

 

 予想外の答えに少しだけ怪訝な表情になったジルヴェスターの様子に、マクシミリアンは苦笑する。

 

「君が戦う姿は滅多にお目にかかれないからね」

 

 ジルヴェスターは一人で行動することが多い。故に人前で力を振るうことはほとんどない。

 共に行動するとしたら部下のレイチェルとフィローネくらいだ。

 

「明後日の本戦も観に来るよ」

 

 どうやらジルヴェスターが新人戦ではなく本戦に出場することも知っているようだ。

 

「お前は意外と暇なのか……?」

「はは、それだけ貴重な機会ということさ」

 

 マクシミリアンは決して暇なわけではない。

 事前に仕事を片付けて都合をつけているだけだ。

 

「それにエレオノーラ君の様子も見に来たんだよ」

「ああ……なるほど」

 

 マクシミリアンは苦笑しているが、表情を観察すると悩ましげにしているのが察せられた。

 どうやら魔法協会もエレオノーラには頭を痛めているらしい。

 おそらく彼女の件が本命なのだろうと思い至ったジルヴェスターは、マクシミリアンがわざわざ足を運んだ理由に納得した。

 

「やはり協会としても問題視しているんだな」

「手を焼いているのは事実だね」

 

 魔法協会でも手に負えない状態なので、エレオノーラから特級魔法師の地位を剥奪したらいいと思うかもしれない。しかし、ことはそう簡単ではない。

 特級魔法師になれるほどの実力と才能を有している者を遊ばせておく余裕がないからだ。

 

 それに一度特級魔法師にした者からネガティブな理由で地位を剥奪するのは、世間に悪い印象を与えてしまう。

 不安を煽るのはもちろんだが、何よりも反魔法主義者に攻撃される材料を提供するだけだ。

 

 広い視野で物事を考えると、エレオノーラから特級魔法師の地位を剥奪する方がデメリットが大きかった。故に頭を痛めている。

 

「君に手も足も出ずにやられて頭が冷えてくれることを願っているよ」

「逆に面倒なことにならなければいいんだがな……」

 

 プライドの高いエレオノーラがそんな簡単に心を入れ替えるとは思えない。

 今回の対抗戦を経て少しでも態度を改めてくれれば御の字だ。

 万が一、逆効果になってしまった場合は人目につかない場所で調教してやろうか、などと物騒なことを考えていた。

 

 二人共ジルヴェスターが手古摺(てこず)ることなく、容易くエレオノーラのことをあしらえる前提で話している。苦戦したり負けたりすることなど全く考慮していない。

 

 傲慢に感じるかもしれないが、それだけマクシミリアンはジルヴェスターの実力を認めていて信頼している証拠だった。

 

 そしてジルヴェスター本人も驕っているわけではなく、ただ自信があるだけだ。

 幼い頃から死線を潜り抜けてきており、死にかけたこともある。幾度もだ。

 生まれ持った才能に恵まれているのもあるが、宝の持ち腐れにしないように血の滲む努力をしてきた。

 その結果、今の実力と地位を得るに至っている。

 だからこその自信だ。

 

「そもそもお前なら力づくで黙らせることもできると思うんだが」

「いやいや、私は文官肌だからね。争い事は御免だよ」

 

 苦笑しながら頭を掻くマクシミリアンはそう言って謙遜するが、彼は上級一等魔法師であり、ジルヴェスターも認める実力者だ。

 むしろ何故特級魔法師にならないのだろうか? と思っているほどで、魔法協会の本部長を務めているのは伊達ではなかった。

 

「俺も争い事が好きなわけではないんだが……」

 

 ジルヴェスターが肩を竦める。

 彼も本質は研究者肌であり、戦闘を好んでいるわけではない。

 好き好んで争いの場に赴くタイプではなく、必要に駆られて仕方なく戦っているだけだ。――研究が目的で自主的に壁外へ赴くことが多々あるので説得力に欠けるが。

 

「戦闘を好む特級魔法師が少ないのは意外だよ」

「そうだな」

 

 マクシミリアンの言う通り、実際に好き好んで戦闘を行う特級魔法師は少ない。

 第一席であるジルヴェスターが戦闘を好んでいないのが影響しているのだろうか。

 

「――さて、私はそろそろ失礼するよ」

「時間を取らせて済まないな」

「またタイミングが合えば話そう」

「ああ」

 

 マクシミリアンは暇ではない。いつまでも談笑しているわけにはいかなかった。

 忙しいことはジルヴェスターも理解しているので引き止めたりはしない。

 

「それじゃ、また」

 

 そう言うとマクシミリアンは軽く手を振ってホテルを後にする。

 去っていく後ろ姿を見送ったジルヴェスターは懇親会の会場に戻った。

 



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第19話

 ◇ ◇ ◇

 

 懇親会が終わった後、ジルヴェスターは自分に割り当てられたホテルの部屋にいた。椅子に腰を下ろして読書に興じている。

 

 静寂が室内を支配する中、ページを(めく)る音だけが鳴り、耳心地が良く心が穏やかになっていく。心なしか読む速度が上がっている気がした。

 

 本来は二人一部屋なのだが、人数の関係でジルヴェスターは一人で一室を使っている。

 お陰で誰にも邪魔されることなく読書に没頭できていた。

 

 もしかしたら裏でクラウディアが手を回したのかもしれないと思ったが、都合が良かったので問い詰めることはしていない。

 真実はどうであれ、ありがたく一人部屋を満喫させてもらうつもりだった。

 

 次のページを(めく)ろうとした時、扉をノックする音が室内に響く。

 ジルヴェスターは本をテーブルに置くと立ち上がり、来客を出迎える為に扉へ向かう。

 

 そして扉を開けると、そこにはステラがいた。

 

「ジル」

「こんな時間にどうした?」

 

 今は既に夜が更けている。

 寝るのが早い人なら既に休んでいてもおかしくない時間だ。

 

「MACのことで相談」

「そうか」

「中……入ってもいい?」

 

 室内を窺うようにステラが尋ねる。

 

「今からか?」

「ん」

 

 今の時間帯に女性が一人で男の部屋を訪ねるのは外聞が悪い。

 故にジルヴェスターは渋っていた。

 そのことに気が付いたステラはいつもの通り無表情で言う。

 

「ジルはわたしの担当だから大丈夫」

 

 ジルヴェスターは技術スタッフとしてステラのMACを調整する担当を務めている。

 なので、彼女がジルヴェスターを頼るのは何もおかしなことではない。

 例え夜分遅くに部屋を訪れていたとしても勘違いされる可能性は低いだろう。

 

「それに仮に誤解されたとしても相手がジルならいい」

「そういう問題ではないだろ……」

 

 ステラとしてはジルヴェスターと男女の仲だと疑われても一向に構わなかった。

 

 しかしジルヴェスターとしては簡単に流されるわけにはいかない。

 自分が既婚者だからというのもあるが、ステラの場合は大企業の御令嬢なのが最大の問題であった。

 

 処女性を重んじている魔法師界とはいえ、一般家庭出身の魔法師は男女交際に関して名家ほど厳しくない。

 

 ステラの実家であるメルヒオット家は魔法師界の名門というわけではないが、財界では確固たる地位を築いている。

 財界の名家であるメルヒオット家の令嬢として異性に関する外聞は足枷になってしまう。婚姻問題にまで発展しかねないので安易な行動は控えなくてはならない。最悪、一生結婚できなくなる恐れもある。本来は自由な恋愛を許される立場ではないのだ。

 

 もっとも、ステラの父であるマークは実力と実績で先代当主――ステラの祖父――を黙らせて想い人と添い遂げている。相手が優秀な魔法師だったのも認められた大きな要因だ。

 

 マークは自分が自由恋愛だったので、子供たちの恋愛事情には比較的寛容だ。――もちろん相手が誰でもいいわけではなく、認めた相手に限るが。

 

 その点、既婚者でさえなければジルヴェスターは縁談を持ち掛けられていたであろう。マークとは友人関係を築いているので尚更だ。

 

「せめてオリヴィアが一緒ならいいんだが……」

「オリヴィアは今お風呂」

 

 良く見るとステラの顔が火照っている。

 おそらく二人でホテルの浴場に行き、ステラだけ先に上がったのだろう。

 

「……そうか」

 

 二人きりよりは三人でいた方が誤解は生まれにくい。

 最悪誤解されてもオリヴィアが泥を被ればステラの評判は守られる。

 オリヴィアはステラのことを守る役目があるので文句は言わないだろう。

 そもそもステラのことを実の妹のように可愛がっているので自主的に守るはずだ。

 それにジルヴェスターとオリヴィアの関係上――一部の人しか知らない事情――仮に二人の間に良からぬ噂が立っても問題はなかった。

 

「なら、また後でオリヴィアと来てくれるか?」

 

 せっかく足を運んでもらったのに申し訳ないが、オリヴィアと共に出直してもらうことにした。

 ステラの名誉を守る為には致し方ない判断だ。

 

「……わかった」

 

 ステラは少しだけ残念そうな表情になったが素直に頷いた。

 

「それじゃまた後でな」

「ん」

 

 その言葉を最後にステラはホテルの自室に足を向けるが、少し寂びそうに見える背中が彼女の心情を物語っていた。

 



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第20話

 ◇ ◇ ◇

 

 約三十分後、ステラはオリヴィアを伴ってやって来た。

 風呂上がりのオリヴィアは身体が火照っており、男なら誰もが見惚れてしまう色気があった。

 石鹸の匂いだろうか? オリヴィアから鼻腔を擽るいい香りがする。

 ジルヴェスターでなければ間違いなく鼻の下を伸ばしていただろう。

 

「こんな時間にごめんなさいね」

「気にするな。これも俺の役目だ」

 

 オリヴィアが申し訳なさそうにしているのは無理もない。

 本来、夜分遅く訪ねるのは非常識だ。

 三人の関係値があるからこそ許されることである。

 

「それに技術スタッフは好きでやっているからな」

 

 ジルヴェスターは技術スタッフを務めている以上、ステラを始め担当している人の要望には可能な限り答えるつもりだったし、趣味も兼ねているので全く迷惑ではない。むしろ嬉々としているくらいだ。

 

「ふふ。ジルくんらしいわね」

 

 クールであまり表情が変化しないジルヴェスターだが、内心は楽しみで仕方がなかった。

 それがオリヴィアには筒抜けであり微笑まれてしまう。

 彼女に対しては何も恥じ入ることはないので、ジルヴェスターはこそばゆくならない。

 

「それでステラの相談はなんだ?」

 

 ベッドに腰を下ろして二人のやり取りを傍観していたステラに視線を向ける。

 

「わたしは攻撃魔法が得意だからMACはそれを中心に構成していたけど、治癒魔法や支援魔法も組み込めたらと思って」

 

 ステラが喋っている間にオリヴィアもベッドに腰を下ろす。ステラと横に並ぶ形だ。

 

「なるほど」

 

 腕を組んで耳を傾けていたジルヴェスターが頷く。

 

「苦手な魔法を無理に組み込む必要はないんじゃない?」

 

 オリヴィアが心配そうな表情になる。

 

「でも、その方がみんなの力になれる」

「攻撃魔法に特化しても力になれると思うわよ」

 

 支援魔法や治癒魔法は仲間の為に使ってこそ真価が発揮される。

 しかし、攻撃魔法に特化して敵を倒すことも仲間の力になれる。

 

 無理に苦手な魔法を行使しなくてもいいのではないか? とオリヴィアが心配するのは道理だ。

 それで本来の力を発揮できなければ本末転倒なのだから。

 

ランチェスター学園(うち)のエースはレアルくんだから、彼をサポートした方がより多くのポイントを獲得できると思う」

 

 ステラはジルヴェスター以外の同級生の男子は君付けで呼んでいる。おそらく付き合いの長さの違いだろう。

 

 それはともかく、彼女の言う通り新人戦のエースは間違いなくレアルだ。彼だけ実力が突出している。

 レアルのサポートに徹すればより多くのポイントを獲得できるのは間違いないだろう。

 

「だけどステラは対抗戦を楽しみにしていたわよね? 本当にそれでいいの?」

「ん」

 

 サポートに徹するのは誰にでもできることではない。

 派手に魔法を繰り出して戦う人や場面に注目が集まってしまうので、どうしても地味な立ち回りのサポーターは目立たない存在だ。性格的な適正が伴う役目でもある。

 

 元々控え目な性格の人や目立ちたくないという者にとってはうってつけの立場なのだが、ステラは対抗戦のファンだ。

 自分が出場する日をずっと楽しみにしていたに違いない。サポーターとしてではなく、前線で戦いたいはずだ。

 

「わたし個人のことよりもチームが勝つことの方が大事」

 

 ほとんど表情が変わらないのでわかりにくいが、オリヴィアとジルヴェスターにははっきりとわかった――ステラの瞳には確固たる意志が宿っていると。

 

 対抗戦のファンだからこそ、出場する個人個人が自分の役割を把握した上でチームを勝利に導くことが大事だとわかっているのだろう。

 

「そういうことなら俺もできる限り力になろう」

「ありがと」

 

 苦手な魔法でもMACに埋め込んである魔晶石に刻む術式の精度によって上手く行使できることもある。

 そこは技術スタッフを務めるジルヴェスターの腕の見せ所だ。

 

「お前の適正属性を考慮すると……そうだな、いくつか試してみるか」

 

 ジルヴェスターが考え込む時間はあっという間だった。

 数秒で考えを纏めると、早速作業に取り掛かる。

 

「MACを貸してくれ」

「ん」

 

 ステラは身に付けている指輪型のMACと、腕輪型のMACを取り外して手渡す。

 

 魔法師は異空間収納(アイテム・ボックス)に多くの私物を収納している。

 なので、異空間収納(アイテム・ボックス)の術式を保存してあるMACは常に身に付けていることが多い。

 就寝中もだ。仮に取り外しても手の届く範囲に置いておくのが常である。

 

「しばらく待っていてくれ」

 

 デスクに向き合ったジルヴェスターは、異空間収納(アイテム・ボックス)から紙の束を取り出し、必要な術式を書き出していく。

 

 慣れた手付きで術式を書き込んでいき、ステラは目で追うのもやっとな速度だった。

 研究者肌のオリヴィアはステラよりは理解が追い付いている。

 

 そうして二人はしばしの間ジルヴェスターが作業する姿を見守るのだった。

 



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第21話

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻――壁内某所の淫靡(いんび)な匂いが充満した一室では、生まれたままの姿である女が、同じく生まれたままの姿である十人の男と夜の営みに興じていた。

 

 特注で作られた非常に大きなベッドの上でお気に入りの男たちと乱れる女に声を掛ける者が一人いた。

 執事服を身にまとっているフランコだ。

 

「――姫」

 

 フランコは愛しの女が十人の男と楽しんでいるところを目の当たりにしても、眉一つ動かくことなく平然としている。

 彼にとっては女の幸せが自分の幸せだ。

 故に、他の男とよろしくやっていようと彼女が幸せそうならフランコも心が幸福感で満たされる。

 

「あん……何かしら?」

 

 快感に喘いでいるが、フランコの言葉はしっかりと耳に届いていた。

 一瞬だけフランコに視線を向けると、すぐに侍る男たちに視線を戻す。

 

明日(あす)から対抗戦が始まりますが、如何(いかが)致しますか?」

 

 各校の優秀な生徒が対抗戦に出場するので各学園が手薄になる。

 仮に襲撃があった場合は被害が大きくなる恐れがあった。

 

 逆に言えば、過激的な思想を持つ反社会的な組織にとっては襲撃する絶好の機会でもある。

 つまり、フランコは十二校ある国立魔法教育高等学校のいずれかを襲撃しますか? と尋ねているわけだ。

 

 無論、そういったことを想定して各校はそれぞれ対策を講じている。

 警備員を増員したり、宿直する教員を増やしたりなどだ。

 元々学園の敷地内にある教員寮で生活している教員もいるが、住宅街で暮らしている者もいる。なので、街中で暮らしている教員に対抗戦の期間だけ宿直勤務を命じていた。

 

 これだけ聞くと街中で暮らしている教員だけ宿直を命じられて不公平に感じるかもしれないが、教員寮で生活している教員は日頃から警備の一旦を担い、生徒の暮らしを見守る役目をこなしている。

 その代わり教員寮の家賃は格安で、学園の敷地内にある施設を利用できる。

 

 教員寮を利用する教員は独身者が大半を占めており、街中で暮らしている者は家族と生活している者がほとんどだ。

 

 宿直勤務中は家族と離れることになるが、その分の宿直手当は支給される。

 教員寮で暮らす者は少々負担が大きい代わりに、格安の家賃と利便性のある場で暮らせている。

 どちらも一長一短だが不平等による不満は出ていない。みな納得しているからだ。

 

 また、今は夏季休暇中なので実家に帰省している生徒が多い。

 守る対象の数が少なくなるので、万が一、学園が襲撃されても残っている生徒を守る負担が減る。――もっとも、人手が足りずに施設に対する被害が増す可能性はあるが。

 

 他にも各校毎にそれぞれ対策を講じている。

 防衛面に関して抜かりはなかった。

 

 そもそも生徒がいないなら襲撃する意味がないと思う者もいるだろう。

 しかし、国立魔法教育高等学校が襲撃された、被害を負った、という事実だけでも魔法師界にとってはダメージになり、反社会的な組織にとってはパフォーマンスとなる。

 有力な反魔法主義者が支援を申し出るきっかけになるかもしれない。

 故に学園側としては軽視できない問題だった。

 

「そうねぇ……今回は静観しようかしら」

 

 女は一人の男に跨りながら吐息を多分に含んだ声色で答える。

 身体と身体を打ち付け合う音と粘り気のある音が室内に響く。

 両手はそれぞれ別の男に伸びており、女のことを男たちが囲っている。

 

「魔法師の卵の実力を見させてもらうことにしましょう」

 

 今後の計画を練る上で情報を集めることは欠かせないので、対抗戦で生徒たちの実力を推し量ることを優先する。

 

「それに対抗戦の人気と注目度は侮れないわ。下手したら反感を買ってしまいかねないもの」

 

 国立魔法教育高等学校を襲撃するメリットはあるが、当然デメリットもある。

 国中で盛り上がる対抗戦の隙を狙って襲撃した事実が反感を買う恐れがあった。

 

 反魔法主義者は魔法師から反感を買うことは(いと)わない。

 しかし、非魔法師からの悪評は無視できないものがある。

 

 反魔法的な思想を持つ者は非魔法師が大半だ。

 コミュニティも主に非魔法師で構成されている。

 故に反感を買うと生活基盤が揺らぎかねない。

 

 反魔法主義者は魔法師に対して友好的、中立的な態度を取っている非魔法師が完全に魔法師の味方になってしまうことを最も恐れている。

 

「今は敵を作るリスクを負う時ではないわ」

 

 そもそも女は反魔法主義者ではない。

 だが、支援者や懇意(こんい)にしている者の中に反魔法主義者がいるので、無関係だと知らん振りするわけにはいかなかった。

 

 彼女は自分の望むままに行動している。それでも最低限の配慮は欠かしていない。

 こういったバランス調整が今でも組織を維持できている理由であった。

 

「暇になったらその時に考えればいいもの」

 

 以前ヴァルタンを使ってランチェスター学園を襲撃させたのは、単なる暇潰しにすぎなかった。

 使える駒自体はいくらでもあるが、ヴァルタンのように大規模な組織で使い潰せる駒を現状は持ち合わせていない。

 今は機会を待ちつつ準備を整えるべきだと判断した。

 

「畏まりました」

 

 慇懃(いんぎん)な態度で頭を下げるフランコ。

 

「面白い子がいたらいいのだけれど」

「それは始まってからのお楽しみですね」

「ふふ。そうね」

 

 女は気に入った男子生徒がいたら手籠めにする気だった。

 タイプではない男や、そもそも対象外の女は手駒として飼うのも悪くない、と皮算用している。

 

「それでは私は失礼致します」

「ええ」

 

 フランコが物音一つ立てずに退室する。

 

「さあ、もっと楽しみましょう」

 

 女は侍らせている男たちに期待と興奮を宿した眼差しを向ける。

 すると、(とろ)けた表情に吸い寄せられるように男たちは女に手を伸ばす。

 

 その後、行為は一層激しさを増し、夢中で淫奔(いんぽん)に耽って朝方まで静まらなかった。

 



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第22話

 ◇ ◇ ◇

 

 翌日――対抗戦に出場する各校の選手、作戦スタッフ、技術スタッフは、開催場所のオーベル・フォルトゥナート・コロシアムにいた。各校毎に割り当てられた控室で待機している。

 

 ちなみにオーベル・フォルトゥナート・コロシアムは、十万人以上収容可能な国内最大のスタジアムだ。以前はコロシアムと呼ばれていたが、現在は剣闘以外にも様々な用途で使用される為、スタジアムと呼ばれている。

 

 オーベルは魔物が大量に溢れた魔興(まこう)歴四七〇年の時点でチャンピオンだった最強の剣闘士の名で、フォルトゥナートは当時サントロローデ周辺を治めていた貴族の姓である。

 

 コロシアム内は隙間がないほど観客で埋め尽くされており、対抗戦開始前から熱気に包まれているが、とある場所だけは優雅な時間が流れていた。

 

 その場所の入口に(たたず)む影が四つ。

 

「ほ、本当に私が入ってもよろしいのでしょうか?」

「問題ないよ。フィローネは第一席の弟子でもあり部下でもあるんだから」

 

 恐縮しながら尋ねるフィローネに、アーデルが落ち着きを与える優しい声色で答える。

 

「それに我が家の使用人でもあるから尚更問題ないよ」

「なんにしろ、隊長の連れってことなら問題ないさ」

 

 何故かグラディスが得意顔で補足する。

 彼女は特級魔法師第三席であるアーデルトラウト・ギルクリストが率いる隊の副隊長を務めている。

 

 アーデルとグラディスの姉が幼馴染であり、その縁があって二人は昔から姉妹のように育った。

 豪放な性格のグラディスだが、彼女には頭が上がらない人が四人だけ存在している。それは、母、姉、グラディス、フェルディナンドの四人だ。

 

「フィローネさん、姉さんの言うことはあまり真に受けないでくださいね」

「姉の扱いが雑じゃないか……」

 

 レイチェルの言い様に、グラディスが不服そうに肩を竦める。

 

 フィローネからしたらレイチェルもグラディスも雲の上の存在だ。

 どちらか片方だけを立てるようなことはできない。なので、愛想笑いで誤魔化すことしかできなかった。

 

「姉妹仲がいいのは微笑ましいけど、そろそろ中に入るよ」

 

 いつまでも扉の前を陣取っているわけにはいかないので、アーデルが先を促した。

 

「アーデル様……」

「隊長……」

 

 姉妹仲がいいという言葉を素直に受け入れられなかった二人は、反論できずに口を閉ざしてしまう。

 

 アーデルが特級魔法師というのもあるが、二人にとっては姉のような存在だ。

 幼い頃から面倒を見てもらっていたので完全に頭が上がらない存在だった。

 

 何より、万が一アーデルの幼馴染である長姉に口答えしたと伝わったら、二人はこの世の終わりとでも言うかのように顔面を蒼白させてジルヴェスターの背に隠れることになる。

 

 二人にとっては長姉が最も恐ろしい存在であった。母よりもだ。――もちろん尊敬はしているが。

 さすがの長姉もジルヴェスターには甘いところがあるので、盾にするのにちょうど良いのだ。

 

「――失礼しました……!」

 

 一番下っ端のフィローネが慌てて扉を開ける。

 年齢も階級も彼女が一番下だ。

 

 開かれた扉の先には、フィールド側だけガラス張りになっているVIP室が広がっている。スタジアムの高層にある場所なだけあり見晴らしがいい。

 

 四人はアーデルを先頭に室内へ足を踏み入れる。

 すると、室内には数人の人影があった。

 

「アーデル先輩も来られたのですね」

 

 ガラスの前に突っ立ってスタジアム内を見下ろしていた特級魔法師第六席の『貴公子(プリンス)』――ミハエル・シュバインシュタイガーが振り返って声を掛けた。

 

 アーデルはランチェスター学園の卒業生であり、ミハエルの一学年先輩だ。

 彼女は三年生の時に生徒会長を務めており、当時二年生だったミハエルを副会長に任命して共に仕事をしていた仲でもある。故にミハエルは直属の先輩であるアーデルには頭が上がらない。

 

「私の本命は明日だけど、フィローネにとっては今日の方が大事だからね」

 

 アーデル、グラディス、レイチェルにとっては、今日の新人戦よりジルヴェスターが出場する本戦の方が大事だった。

 しかし、今日はフィローネのかわいい弟が出場する日だ。なので、観戦に連れて来てあげたのである。

 

「なるほど」

 

 諸々の関係性を把握しているミハエルは、事情を察して納得顔で頷く。

 

「そういう君も同じ理由でしょ?」

「そうですね」

 

 アーデルの指摘通り、ミハエルも目的は同じだった。

 フィローネの弟は彼の弟子なのだ。

 

「ミハエル様、弟がいつもお世話になっております」

 

 アーデルの背後に控えていたフィローネが前に出て頭を下げる。

 

「弟君は真面目でしっかりしているからあまりお世話はしていないよ」

 

 苦笑するミハエルの言葉は本心だ。

 レアルの性格もあるが、本当に手間の掛からない弟子であった。

 

「ご迷惑をお掛けしていないようで安心しました」

「むしろ私が迷惑掛けていないか心配だよ」

 

 ほっと息を吐いて安堵するフィローネに対し、ミハエルは笑みを浮かべながら冗談めかしに言う。

 

「どんどんこき使ってあげてください」

「程々に頼りにさせてもらうよ」

「今後とも弟のことをよろしくお願い致します」

「こちらこそ」

 

 挨拶を済ませたフィローネは下がってアーデルの背後に控える。

 

「私のことは気にせずに自由に過ごしていいんだよ?」

「いえ、そういうわけには……」

 

 アーデルが気遣いは無用だと告げるも、フィローネは困り顔になってしまう。

 使用人として同伴している以上は、しっかりと務めを果たさなければならないと思っていたからだ。

 

「ラディほどとは言わないけど、レイくらいは肩の力を抜いてもいいと思うよ」

「うちの姉はいないものとして扱ってください」

 

 VIP室にはドリンクや軽食などが用意されている。

 それをグラディスは遠慮なく味わっていた。

 

 レイチェルはドリンクを片手にグラディスの背後に控えているので、彼女が姉に対して辛辣な発言をしてしまっても仕方がないだろう。

 本来は直々の部下であるグラディスがアーデルの背後に控えるのが筋なのだから。

 

「――若人(わこうど)は元気なくらいが(じい)としては嬉しくなるがのう」

「さすが老師、良くわかってる」

「ほほ、お主は相変わらずじゃの」

 

 L字型のソファに座っている老人が孫を見るような温かい眼差しを向けながら会話に割って入ると、グラディスが快活に笑い返した。

 

「姉さん、失礼よ」

「別に構いやしないだろ。老師は私らの祖父みたいなもんなんだから」

「だとしてもよ。親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないのかしら」

 

 レイチェルは鋭い視線を向けるも、グラディスは全く意に介さない。

 

 その様子を横目で見ているフィローネは、緊張で冷や汗が止まらなかった。

 何故なら、グラディスが粗雑に対応している人物が彼女でも知っているほどの大物だったからだ。

 いや、むしろこの国で暮らしている人間で、この老人のことを知らない者がいたらそれこそ驚きだろう。

 

「うちの姉が申し訳ありません」

 

 レイチェルが申し訳なさそうに老人へ頭を下げる。

 

「ほほ、お主は少し肩の力を抜きなさい」

「はい。ありがとうございます」

 

 全く気にした素振りのない老人の言葉に安堵したレイチェルは頭を上げる。

 

「それにしてもお主が対抗戦を観に来るとは珍しいの」

 

 老人がアーデルに視線を向ける。

 

 アーデルが対抗戦を観に来るのは非常に珍しいことだ。彼女が対抗戦を観戦しに来たのは、コンスタンティノス姉妹が出場した時だけである。

 

「今回は観に来る理由がありましたから」

「ほう?」

 

 興味深げな視線を向ける老人。

 

「そのうちわかりますよ」

 

 しかし、アーデルは理由を述べずに話を切り上げてしまう。

 

「そういうことなら楽しみにしておくとしようかのう」

 

 すげなくあしらわれても全く不満を抱かないあたりは老人の懐の深さが窺える。

 

 特級魔法師のアーデルが丁寧な言葉で話している時点で、老人が只者ではないということがわかるだろう。

 

 老人の名は――ボグダン・パパスタソプーロスと言う。

 『賢者』の異名を持ち、特級魔法師第九席の地位を与えられている。

 現在七十歳の彼はさすがに年齢の問題で壁外へ赴くことは滅多になくなったが、五十年近く特級魔法師として国を守り続けてきた生き字引だ。

 

 白い肌に白髪(しらが)を蓄えた黒い瞳を持つ老人だが、膨大な魔力を有しているので実年齢よりだいぶ若く見える。

 また、多くの弟子を持ち、優秀な魔法師を数多く輩出していることから、魔法師としての実力だけではなく、指導者としても多くの尊敬を集める存在だ。

 



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第23話

「師匠は毎年対抗戦を楽しみにしていますし、そんなことを言われては待ちきれないのでは?」

 

 L字型のソファの面積が小さい側に腰掛けているもう一人の男が苦笑気味に問い掛ける。

 

「魔法師の卵たちのことを見守るのは、老い()れの趣味みたいなものだからのう」

「そんなこと(おっしゃ)って……目ぼしい人材を探しておられるのでしょう?」

「儂はもう魔法師として国に貢献できることは限られておるからの。未来の魔法師を育成することが今の儂にできる最大の貢献なんじゃよ」

 

 ボグダン自身は壁外へ赴くことに精力的だ。

 しかし、家族や弟子、政府が中々許してくれなかった。

 

 家族としては年齢を考慮するとただただ心配だし、弟子としてはもちろん心配もあるが、いつまでも年配の師匠に頼ってなどいられない、という気持ち故だ。

 

 政府としては特級魔法師をみすみす失いたくはないので、全盛期がとっくに過ぎているボグダンを壁外へ行かせるのは、余程のことがない限りは避けたいことである。

 また、人望厚い『賢者』が壁内に常駐しているという事実が国民に安心感を与えてくれるし、指導者としても優れているので若手の育成に注力してほしいという目論見があった。

 

 諸々の事情を理解しているボグダンは、見込のある若者を見付けては自分の弟子にして育て上げている。それが彼にとっては趣味と実益を兼ねていることだったので、誰も不満を抱かずにちょうどいいバランスのもと成り立っていた。

 

「お主もそろそろ弟子を持ったらどうじゃ?」

「私にはまだ早いですよ」

 

 男は師匠の言葉に苦笑を返す。

 

「私は特級魔法師になって日が浅いですからね。今は自分のことで手一杯です」

「確かにまだ一年経っておらんかったか……。じゃが、器用なお主なら上手くやれると思うがのう」

「……考えておきます」

 

 愛想笑いを浮かべて話を受け流す男の正体は、昨年特級魔法師第十六席になった『導師』の異名を持つ――トリスタン・アデトクンポだ。

 昨年特級魔法師になったのは第十五席のエレオノーラも同じだが、トリスタンの方が少し時期が遅かった。故にエレオノーラが第十五席で、トリスタンが第十六席になっている。

 もっとも、エレオノーラとトリスタンでは保有している魔力量に歴然とした差があるので、その一点に関しては席次通りの順序で間違いはない。

 

 黒い肌に茶色の髪と瞳を持ち、清潔感のある見た目から真面目な印象が窺える。

 二十八歳の彼はボグダンの弟子の中で最も出世した最高傑作だ。

 

「話を蒸し返してしまいますが、ギルクリスト三席が注目していることには私も興味がありますね」

「アデトクンポさんは相変わらず堅苦しいですね……。昔みたいに「さん」でいいですよ」

「いえ、三席は特級魔法師としての先輩であると同時に、上位の席次でもありますから」

「非常時ではない限り特級魔法師は席次関係なくみな同格なので、そう畏まらなくても……」

 

 アーデルはむず痒そうにしているが、それには理由があった。

 

 彼女は現在二十七歳なので、トリスタンの一つ下になる。

 アーデルがランチェスター学園の二年生だった時に、トリスタンはサジコート魔法学園の三年生だった。

 

 当時二年生にしてエースだったアーデルは、対抗戦の本戦で生徒会長を務めていたトリスタンと相対している。

 なので、彼女にしてみれば、他校の上級生だった相手に畏まられているというわけだ。

 昔と今とでは立場が異なるとはいえ、どうしたってむず痒くなってしまう。致し方ないことだろう。

 

「そうか……お主らは学生の頃に対戦しておったか」

 

 ボグダンは目を細めて思い出したように呟く。

 

「ええ、私は三席に手も足も出ませんでしたけどね」

「それは大袈裟ですよ」

 

 トリスタンの言葉に肩を竦めるアーデル。

 

「私からしたらお二人とも別格でしたよ」

 

 しみじみと語るミハエルは当時一年生だった。

 当時から才能溢れる生徒だった彼からしても、アーデルとトリスタンの実力は雲の上の存在に感じられるほど抜きん出ていた。

 

「シュバインシュタイガー六席にそう(おっしゃ)って頂けるのは光栄ですが、お二人と違って私は凡人ですから……」

 

 特級魔法師になれている時点で決して凡人ではないのだが、アーデルとミハエルの二人に比べたらトリスタンの実力は明らかに劣る。それは覆しようのない事実だ。いくら努力しても越えられない才能の壁というのは存在する。

 

 とはいえ、特級魔法師の彼が自らを凡人と卑下するのは皮肉と取られかねない。

 今この場には彼より下の階級であるグラディス、レイチェル、フィローネがいるのだから。

 

「――ところで、そちらのお嬢さんはどなたかな? 先程の会話からアーデルトラウト殿とミハエル殿の関係者というのは察せされたが……」

 

 ボグダンがフィローネに視線を向ける。

 すると、フィローネは緊張で身体が強張ってしまう。一介の魔法師が大ベテランの特級魔法師に見つめられて硬直してしまうのは無理もない。

 

「も、申し遅れました……! 私はフィローネ・イングルスと申します!」

 

 自己紹介が遅れたことに焦りを覚えたフィローネは勢いよく頭を下げた。

 

「彼女の弟はミハエルの弟子で、今日の新人戦に出場するんですよ」

「ほう」

 

 アーデルの補足にボグダンの視線が鋭くなる。

 

「お主が弟子を持つとはのう」

「縁がありまして」

「それは対抗戦が楽しみじゃの」

「ですね」

 

 対抗戦に出場する弟子の姿を見ることが初めての体験で、内心緊張しているミハエルの返答は歯切れが悪かった。

 

「そして事情があって我が家で使用人をしてくれています」

「ついでに『守護神(ガーディアン)』の内弟子でもあります」

 

 アーデルとミハエルが立て続けに追加の情報を述べると――

 

「――なんと!?」

 

 トリスタンが驚愕に満ちた表情で立ち上がった。

 

「それは……儂も驚いた。まさか、あやつが弟子を取るとは思わなんだ」

 

 ボグダンとジルヴェスターは旧知の仲だ。

 なので、ジルヴェスターが第一席の『守護神(ガーディアン)』であることを知っている。

 

「私は『守護神(ガーディアン)』様のことを存じ上げませんが、師匠でも驚くことなのですね……」

 

 残念ながらトリスタンは『守護神(ガーディアン)』の正体を知らない。面識すらなかった。

 

「あやつは基本的に他人に興味がないからのう……」

「酷い言い様ですね……」

 

 ミハエルが苦笑する。

 

「あながち間違ってはいませんが、自分のパーソナルスペースに入っている人以外は、という但し書きが付きますね」

 

 レイチェルがジルヴェスターのことをフォローするも、トリスタン以外の全員が苦笑したり、溜息を吐いたり、肩を竦めたりしていた。

 

 その反応に、まだ見ぬ『守護神(ガーディアン)』に対するミステリー度がトリスタンの中で一層格上げされてしまった。

 



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第24話

 ◇ ◇ ◇

 

 時同じくして、スタジアムのフィールドでは魔法協会会長――ボニファーツ・アーベントロートが開会の挨拶を行っていた。

 

 第三位階の無属性魔法――拡声(ラウドゥ・ボイス)を行使しながら演説する声は、威厳がありながらも高圧的に感じない包容力がある。

 現在七十二歳のボニファーツは年の功なのか話術にも長けているようだ。

 

 その様子を選手たち――作戦スタッフや技術スタッフを含む――は各校毎に割り当てられている控室に設置されている映写板(スクリーン)で眺めていた。

 

 この映写板(スクリーン)は魔法具であり、同じく魔法具の投影機(プロジェクタ)とセットで用いられる。

 投影機(プロジェクタ)で撮影しているものをリアルタイムで映写板(スクリーン)に映し出すことができる代物だ。また、録画撮影もでき、任意のタイミングで映像を映し出すことも可能である。

 しかも録画した映像を記録媒体である記録円盤(レコードディスク)に移植して受け渡しすることも可能だ。ちなみに記録円盤(レコードディスク)も魔法具である。

 

 仕組みは機械に専用の術式を刻んだ魔晶石と、魔力を溜めておくことができる魔有石を埋め込み、スイッチを押すことで魔力を溜め込んだ魔有石に振動による信号を送り、魔有石が魔晶石へと魔力を送ることで術式が発動する仕組みになっている。

 

 記録円盤(レコードディスク)だけは例外であり、投影機(プロジェクタ)の再生、移植、それぞれの機能を作動させたら自動で起動する仕組みだ。

 

 今ではこれらを利用して映画や音楽を撮影するようになり、記録円盤(レコードディスク)に移植して一般向けに販売するようになっている。

 市井の娯楽に一役買っているのが影響してか、役者、音楽家、映画監督などを志す人が増えたという。

 

 国民の娯楽を豊にさせた三つの魔法具はジルヴェスターが開発した物で、メルヒオット・カンパニーが製造と販売を請け負っている。

 

 閑話休題。

 

 ランチェスター学園の出場選手に割り当てられた控え室では、新人戦の最終準備に取り掛かっていた。

 

 出場する一年生は作戦スタッフの言葉に耳を傾け、技術スタッフにMACの調整や確認を行ってもらっている。

 

 そんな中、技術スタッフの一員としても対抗戦に参加しているジルヴェスターは、ステラのMACの最終確認を行っていた。

 昨日の夜に急遽MACに保存してある術式の構成を変更したので、問題なく機能するか念の為確認していたのである。

 

「これで問題ないな」

 

 ジルヴェスターは作業台に置かれた腕輪型のMACを手に取ると、そばで作業を見守っていたステラに手渡す。

 

「試しに一度魔力を流してみてくれ」

「ん」

 

 頷いたステラは腕輪型のMACを右腕に装着すると、魔力を流して動作確認を行う。

 MACは魔力を流すだけでは魔法が発動されることはないので危険はない。もっとも、素人が調整したMACの場合は暴発する恐れがあるが。

 

「前よりスムーズに魔力が流れる」

「それは良かった」

 

 ジルヴェスターの作業は完璧だったようで、ステラの頬が緩んでいる。

 

「せっかくの晴れ舞台だ。楽しんで来い」

「ん。頑張る」

 

 ステラは両手の拳を胸の前で握って気合を入れるが、相変わらず表情の変化が乏しい。

 

「どどどどうしよう! 緊張してきた……!!」

「落ち着いて」

 

 少し離れた場所では、ベンチに座っているレベッカが緊張で青白い顔をしていた。

 そんな彼女のことをシズカが落ち着かせようとして声を掛けているが、残念ながらあまり効果がないようだ。

 

「お前そんな繊細な性格だったのかよ」

「うるさいハゲ」

「ハゲてねぇよ!」

 

 通常運転のアレックスは標的を見つけたとばかりにレベッカのことを揶揄(からか)って笑っている。

 しかし、レベッカに睨まれて反撃を食らってしまった。

 

「おいでレベッカ」

 

 緊張で生まれたての小鹿のように震えているレベッカのことをみかねた姉貴分のビアンカが、温かみのある優しい声で呼び寄せる。

 

 ベンチから立ち上がったレベッカは、幼馴染に導かれるままに胸に飛び込んだ。

 ビアンカの豊満な胸に顔を(うず)めるレベッカの動悸が少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 

 そんなレベッカのことを抱き締めるビアンカが耳元で囁く。

 

「今のレベッカはとてもかわいくてわたしは好きだけれど、このままだと愛しのジルくんに情けない姿を晒すことになるよ」

「……別に愛しのジルくんではないけど、かっこ悪いところを見られるのは嫌かな」

 

 ビアンカの胸に包まれながらボソッと呟く。

 

「ふふ、そうだね。レベッカなら大丈夫。なんたってわたしのかわいい妹だもの」

 

 慈愛の籠った眼差しを向けながらレベッカの頭を撫でるビアンカ。

 

「がんばる」

 

 そう小さく呟くレベッカの瞳には薄らと闘志が宿っていた。

 

「リアは大丈夫かい?」

 

 近くでレベッカの様子を見守っていたイザベラがリリアナに尋ねる。

 

「ええ」

 

 リリアナは微笑みながら頷くと――

 

「そういうイザベラはどうなの?」

 

 と首を傾げながら問い掛けた。

 

「はは、私も問題ないよ」

 

 イザベラはエアハート家の長女として表舞台に立つことに慣れている。なので、今も平常心を保つことができていた。

 

 その点、リリアナもディンウィディー家の娘としてある程度は表舞台に立つことに慣れている。

 彼女の場合は長女ではないし、家庭の事情もあってイザベラほど表舞台に立つ機会はないが、対抗戦で緊張してしまうようなことはない。

 

 魔法師界の名門出身の二人と、一般家庭出身のレベッカとの違いが、今の精神状態に表れている。

 

「お前は大丈夫か?」

 

 友人たちのやり取りを視界に収めていたジルヴェスターがステラに尋ねる。

 

「ん。オリヴィアが一緒だから大丈夫」

「そうか」

 

 ステラは社交界などの表舞台に出ることに慣れているし、対抗戦に出場するのを目標にしていたからイメージトレーニングを欠かしていなかったので、自分のメンタルをコントロールできていた。

 

「むしろわたしの方が緊張しているかもしれないわね」

 

 そばにやって来たオリヴィアが苦笑しながら吐露する。

 

「お前がか?」

「ジルくんはわたしが図太いとでも言いたいのかしら?」

 

 オリヴィアは意外感をあらわにするジルヴェスターにジト目を向ける。

 

「そういうわけではないが……」

 

 若干気圧され気味のジルヴェスターは言葉に詰まる。

 

「オリヴィアは大人びていてかっこいいから、余裕があるように見えるってことだと思う」

 

 ステラがお馴染みの無表情でフォローする。

 ジルヴェスターにとってはありがたい助け舟だったが、ステラ本人はフォローしているつもりはなかった。純粋に思っていることを口にしただけだ。

 

「ふふ。今回はステラに免じて、そういうことだと思っておくわ」

 

 オリヴィアは一度ステラに穏やかな笑みを向けた後、ジルヴェスターに意味深な視線を向けた。

 

 その視線に晒されたジルヴェスターは反射的に「あ、ああ」と頷く。

 

 彼はいつも余裕があって冷静な態度を崩さないが、やはりステラとオリヴィアといる時は年相応の少年に戻るようだ。

 本来の彼なら相手の機嫌を損ねるような失言を口にすることは滅多にない。しかし、二人と一緒にいると幾分か気が緩んでしまい、口が軽くなってしまうのであった。

 

 もっとも、オリヴィアは機嫌を損ねていたわけではなく、冗談を口にしていただけだ。それをジルヴェスターは理解しているから真に受けてはいない。

 

「――さあ、みんな、今のうちに作戦の最終確認をしよう」

 

 一度手を打ち鳴らして注目を集めたレアルが声高に提案すると、新人戦に出場する選手と、作戦スタッフの二、三年生が賛同する。

 そして新人戦のリーダーを務めるレアルを中心にして一同が集まっていく。

 

「行ってくる」

 

 ステラはジルヴェスターにそう声を掛けると、オリヴィアの手を取ってレアルのもとへ足を向けた。

 



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