とある科学の無尽火炎《フレイム・ジン》 (冬霞@ハーメルン)
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第0話 『男、二人、ゲーセン巡り』

にじファンからの移転組です。どうぞ宜しくお願いします。


 

 

 誰かのために生きる。

 

 そんなことを言った人間が、有史以来どれだけ存在したことだろうか。

 高潔な言葉に聞こえるだろう。それはどこまでも献身的で、道義に法ったモノであり、誰もが賞賛を惜しまない生き方だ。

 いや、この際もう生き方なんて言葉をすっ飛ばしてしまっても構わないだろう。ただ『誰かのため』。そんな言葉の中に感じる響きを、どう思うだろうか。

 

 単純にこの言葉だけを考察するのなら、非常に多岐にわたる解釈があげられる。

 たとえば具体的に何をするつもりなのか。発言の主によってその方向性、方針というものも大いに変化してくるだろうが、それにしても共通理解として、やはり誰かのためにと言う以上は具体的に他者の利益になる行動をとることになるのだろう。

 

 例えば、ある人はご老人に電車やバスで席を譲ると言う。

 例えば、ある人は友人の頼みは快く引き受けると言う。

 例えば、ある人は募金を積極的に行おうと言う。

 例えば、ある人はNGOに参加して直接恵まれない地域の人々を救いに行くと言う。

 

 どれも程度や手段は異なるが、立派に“誰かのために”なることだ。

 何ら恥じるところはない。世間一般では間違いなく“善”とされる心と、その表れである行為がそこには存在している。

 

 しかしここで純粋に思考実験としてこの言葉を考えてみると、不思議なことがわかる。

 つまり当たり前のように誰もが口にするだろう“誰かのための生き方”とは、乃ち“不特定多数の誰かのための生き方”ということになるのだ。

 

 このことから何が分かるか。

 乃ち、人は基本的に“身内以外の他人”に対しての献身を“善”と捉えると、そういうことであろう。

 身内に対しては献身して当然、などと極端なことを論ずるつもりはないが、儒教的な文化が大陸を通じて遥か昔から形を微妙に変えながらも根付いているからだろうか、とかく日本は身内に対しての認識が他国に対して大きく違った。

 身内に対しての親切、献身を『偉い』ではなく『当然』と評価する。これは字面だけ取るとひどく傲慢で理不尽なことのように思えるかもしれないが、日本の風土を紐解けば当然のことで、一概に非難するのも偏った見方だろう。

 

 ある男は言った、『一人でも多くの人を助けたい』。

 ある男は言った、『大切な一人を守りたい』。

 

 この二つの発言に、どれほどまでの違いがあろうか。

 優劣をつけることが、出来ようか。

 どちらも尊く、美しい。後者にしてみたところで、いくら儒学的な精神に染まった日本人だったとしても文句なしに尊さを認めるはずだ。

 

 けれど、どうするのだろうか。

 『一人でも多くの人』と『大切な一人』との利益が食い違った場合は。

 片方を犠牲にしなければ、片方を救えない場合は。

 本来ならばどちらも尊い二人の信念。しかし、手を取り合う可能性はない。二人がどちらも自分の救うべき人を、救うべき人達を譲ることが出来ないのならば、そこには争いが生まれる。

 

 仮に法が存在するならば、

 おそらく多数の利益を少数の利益が阻害することは、好まれない。あるいは状況によって、悪と断ずることもあるだろう。

 しかし二人の間では、そのようなことは関係ない。そこには信念と個人のぶつかり合いがあるのみ。

 

 ならば、きっと、その善悪の判断は、

 

 勝者にのみ、

 

 委ねられることになる。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

  

「―――暑ィ。いや、もう、暑ィつか、熱ィ」

 

 

 ジリジリと太陽が照りつける中、午後の麗らかな繁華街で一人の少年が、こんな天気の中では誰もが抱くだろう苛立ちを呟いた。

 街を歩けばすれ違う人々の五人に一人は同じようなことを呟くだろう。今年の夏は例年に比べても随分と暑く、熱中症などの病人が多い。行政も例年より厳重に指導を徹底している。

 

 

「なンだなンだよなンですかァこの暑さは?! 俺を灼き殺すつもりですかァ?! 太陽サマが人間サマ灼き殺そうだなンて一体なンの冗談なんですかよォ!」

 

「‥‥怒鳴ると血圧が上がって、もっと暑くなるとか思わないのかキミは。周りも変人見る目で見てるし、僕としては少し静かにして欲しいってことです」

 

「あークソ、余計な体力消耗した。だから俺ァ外は苦手なンだよ、似合わねェんだよ、出来れば日陰でのンびりしてたいんだよ‥‥」

 

 

 その服装は決して涼しげ、とは言い難いものであったが、それにしてもこれ以上脱ぐことはできないレベルなのは間違いなく、現状で暑さを凌ぐ手段も持ち合わせていないように見える。

 そも、このような日中に何の日差し対策もしないで外に出ることは乃ち熱中症を予期させるものであるが、それにしても出ずにはいられないのが若者ならではということであろうか。

 少年は帽子の一つもかぶらないままに、フラフラと人並み溢れる歩道を歩いていた。

 

 

「久しぶりに外に出るからって、調子に乗って能力を切るから悪いってことです。キミの能力だったら紫外線はおろか、余計な熱を遮ることだって簡単だろうに」

 

「あン? 分かってねェなァ、テメェは。そういうのは風情がねェって言ったじゃねェか。この殺人的な暑さを感じてこそ、わざわざ夏に外に出る意味っつうのがあンだろうがよォ」

 

 

 駅前の繁華街は、モノレールの高架に隠れないところはビルの陰ぐらいしか日陰がない。

 公園があるにはあるけれど、都市設計の問題か大規模な広葉樹を植えるわけにはいかなかったらしく、緑は目を楽しませる程度の役割しかなかった。

 ベンチや花壇の縁は学生達やカップル達の恰好の語らい場かもしれないが、こと今日この時間においては殺人的な日差しが降り注ぐ拷問椅子だ。

 いつもなら楽しげに街を闊歩している学生達も、どうやら今日は涼しい喫茶店やファーストフード店内へと避難しているらしい。

 

 

「つかそれを言うなら部屋でゲームしててもいいンだよ、別に。大体よォ、家ン中でゲームやるばっかじゃなくて、外を歩きたいっつったのはテメェだろォに」

 

「僕は家に籠もっているのは好きじゃないってことです」

 

「テメェはそうかもしれねェけどなァ‥‥」

 

「まぁ確かにキミの言う通りかもしれないけどさ。とはいえ横で延々弱音ばかり吐かれても困るってことです」

 

 

 歩道を行儀よく縦に並んで歩く二人は、それなりに個性的な顔がそろった街の中でも随分と異彩を放つペアだった。

 

 だるだる~と歩きながら弱音を吐いている少年は、本当に男なのかと疑うくらいに華奢で、細い体つきをしている。白髪と赤目という典型的なアルビノで、顔つきは凶悪の一言に尽きる。

 黒いTシャツには獣の牙か爪、目のような意匠が施され、ブランド物のジーンズをしっかりと履きこなしていた。貧弱すぎることを除けば、モデルのように余計な肉がない。

 

 もう一人は冴えない男だ。精悍で爽やかな好青年といった顔立ちをしているのだが、表情というものがなく、呆れたように笑いながらも目には感情の色がなかった。

 声には十分に抑揚があって、間違っても機械的ではない。しかし、軽い。軽薄なわけでもなく、不愉快なわけでもなく、ただ単純に声の質が軽いのだ。

 そして彼はこの暑いのに長い白衣を着こんでおり、白衣の下には多くの学校で夏服として採用される白いシャツと黒い学生ズボンを履いている。

 シャツの胸ポケットには、今は見えないが名門として有名な長点上機学園の校章が縫い付けられていて、装いは奇抜だがエリートであることを分かる人には悟らせるだろう。

 黒く短い髪の毛は無造作に後ろへ撫でつけられていて、灰色の瞳でぼんやりと目の前を文句たらたら歩く友人を見つめている。

 

 

「というか僕としては、あちらこちらのゲーセンを回るよりも一つのゲーセンを楽しみ尽くした方が良いと思うってことです。こうやって一つで満足しないで他のゲーセン探して歩き回るから、一々外に出て暑い思いをしなきゃいけないんだろう?」

 

「それこそ馬鹿かってンだ。一つのゲーセンでウダウダしてたとこで何が面白ェンだよ? この辺全部のゲーセンを制覇してこそ、ゲーセン巡りの楽しみってもンだろォが」

 

「レトロゲームの醍醐味ってのは、僕にはよく分からないってことです。大体こうして徒歩で探すっていうのも納得できないんだけどな。どうして携帯の検索機能を使わないんだ?」

 

「俺の携帯は通話とメールしか出来ねェンだよ。研究所から支給されたやつだからな」

 

「そいつは無精してるなぁ‥‥」

 

 

 近頃この辺りの学生の中では人気のクレープ屋や、CDショップを通り過ぎる。

 朝早くからこの珍妙な二人組は、この付近に幾つか点在しているゲームセンターを軒並み手当たり次第にハシゴしていた。

 主に標的は対戦ゲーム。オーソドックスな格闘ゲームから、ゾンビを射殺する射撃ゲーム、あるいはレースゲームなど、意外にも二人はかなりの種類のゲームに精通している。

 ‥‥問題としては決して神業と呼べるぐらいまで洗練された腕前ではないということだが、それでも有る程度の勝ち星が得られているのならば、少々の黒星は刺激というものだろう。

 学校をサボってゲームセンターに屯(たむろ)している連中の大体を相手取ったら、移動。また好き勝手遊び回る。そんなことを白髪の少年はやたらハイテンションで、白衣の青年は何処はかとなく呆れた様子で、それでもそれなりに楽しんでいた。

 

 

「しかしなぁ、さっきのでもう五軒目だぞ? そろそろ昼時だし、客も減る。一端休憩した方が良いんじゃないのか?」

 

「‥‥まァそれもそうか。俺でも腹減りまでは“反射”出来ねェし。手近なところでメシでも買って、静かな公園でも探して食うとすっか」

 

「そこまでして外に拘るか?」

 

「騒がしいのが嫌いなンだよ、面倒くせェ。‥‥しかし何を食うかね。ここンところファミレスで洋食ばっか食ってたし、和食ってのも捨てがてェな」

 

「僕はよく分からないが、せっかく外で食べると決めたんだから手軽な物が良いんじゃないかと思うってことです。確かホラ、この辺りにはファーストフードとかも多かっただろう?」

 

 

 購買者達は基本的に、安い商品を探している。

 特にこの辺りはかなりの広さに渡って学生街だ。そしてこれはさらに基本的なことだが、金持ちの学生なんぞ一握りだ。否、そんな奴は学生じゃねぇ。

 学生街では安くて量が多く、気っ風の良いおばちゃんおじさんが店主をやっているような定食屋、というイメージが多いだろうが、駅前の繁華街ではやはりチェーン店が持て囃される。

 特に日本でも全国的に巨大なシェアを我が物としている某ハンバーガーチェーンなどは、ファストフードの代表店と呼べるだろう。

 駅前の一等地を狭いながらも当然のような顔をして占拠しているその店に、白衣の青年の発言に釣られた白髪の少年は自然と視線が吸い寄せられた。

 

 

「‥‥『ナツいアツを乗り切ろう! 南国の香り、新作トロピカルバーガー! 今ならセットで四百九十円!』、か」

 

「なんだい、その無性に背筋が寒くなる煽り文句は?」

 

「さァな。‥‥砂糖漬けの輪切りパイナップルとハンバーグ、あとサニーレタスってところか。へェ、このぶっ飛んだアイデア気に入ったぜ。買ってやろうじゃねェか」

 

「‥‥正気か?」

 

 

 店の正面にはパッと見た感じ一畳よりは一回り大きい布の看板が垂れ下がり、そこには新商品を一押しする文句と写真が並べられている。

 どうやらこの夏、本社が自信を持って送り出した新商品は白髪の少年が今まさに口にした『トロピカルバーガー』らしい。

 

 普通のハンバーガーに使われているバンズよりも分厚い特性のバンズには、ことさら分厚く存在感を主張する砂糖漬けの真っ黄色な輪切りパイナップル。そしてそれと一緒に普通のハンバーガーに使われているのと同じハンバーグと、色も鮮やかに緑なサニーレタスが彩りを添えている。

 見た目自体は、悪くない。実際に何処ぞの某ピザ配達チェーン店ではパイナップルを主役にしたピザを販売したりしているし、肉を柔らかくするからと酢豚にパイナップルを入れる主婦の方々も少なくはない。

 

 しかし、ハンバーガーである。

 さらに言うなら、一緒に挟まれているのは普通のハンバーグである。写真で見ると豪華だが、実際に食べてみると残念過ぎる分厚さ‥‥もとい分薄さのピラピラ牛肉だ。

 ちなみに使っているソースは『ハワイアンソース』らしい。ハワイアンでフルーティでホットサマーな味が楽しめるそうだが、さっぱりちっとも分からない。

 これに手を出すのは相当の強者、あるいは馬鹿、あるいは博打野郎だけだ。

 

 

「いや、でも気になンだろ『トロピカルバーガー』? だってトロピカルなんだぜ、南国だぜ? 南国って言ったらテメェそりゃハワイとかグアムとかサイパンとかそっちだろ?」

 

「まぁ、多分」

 

「さっぱり特産品が分かンねェじゃねェか! そこに痺れるねェ、憧れるねェ! こりゃ俺が直々に味を確かめてやンねェといけねェなァ!」

 

「‥‥それなりに深く付き合ってきたつもりだけど、僕にはキミのそういうところはさっぱり分からないってことです」

 

 

 やはり暑さで頭でもやられたか、と白衣の青年は先程よりも更に呆れた視線を白髪の少年に向けた。

 それなりに前に知り合った友人は、怪我はおろか病気や体調不良にも―――除く不機嫌および低血圧―――縁がないが、確か自分の知る限り、この暑さで能力をOFFにしたのは今日が初めてである。

 先程は偉そうに夏の楽しみ方について白衣の青年に講釈を垂れていたが、今までは能力を使って快適に外歩きを楽しんでいたのだ。

 

 

「よし、ちょっと買ってくるからよォ、そこら辺で待ってろ。なンなら公園を探しててくれてもいいぜ?」

 

「悪いけど御免被るよ、それこそ面倒ってことです。適当にブラブラしてるよ、買い物が終わったら僕の方から探しに行くから、そっちもこの辺りをブラブラしててくれ」

 

「おゥ」

 

 

 やはり暑いのが堪えているのかフラフラと、それでも何処はかとなく楽しそうに歩いていく白髪の少年の背中を見送りながら、こちらも何処はかとなく嬉しげな吐息をついた。

 日差しは相変わらず殺人的な光量と熱量で彼を照らし続けるが、幸いなのか不幸なのか、彼はこの手の感覚には縁がない。

 ただ流れる風景を目に収め、風と人々の声を耳に入れ、無表情に立ちつくすのみである。

 

 

「‥‥さて、昼時はとっくに過ぎてるけど三時のおやつの時間だし、店が混んでたら時間もかかるかな。ちょっとブラブラしてこようか」

 

 

 フワリと白衣を翻す彼を追う視線は、不思議なことに近くを通り過ぎる幾人かだけだった。

 驚く程に、存在感が薄くなっている。それは何かの能力、なんてもんどえは当然ない。ただ、彼という人間の持つ雰囲気が、先程まで友人といた時と比べて、薄くなってしまっているのだ。

  

 

「まぁ、今日も学園都市は平和ってことですよ、みんな‥‥」

 

 

 人混みで溢れた交差点でやけに大きく響いた独り言は、それでも誰の耳に届くこともなく、風に乗って、何処ぞ誰も知らない場所へと、飛んでいった。

 一体その呟きがだれに届いたのか。当然ながら知るのは、呟きを放った当人と、受け取った誰かだけである。

 

 

 

 

 



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第1話 『少女、二人、繁華街』

 

 

 日本には、まるで嘘のような都市伝説が一つある。

 否、言い換えよう、都市伝説のような都市が一つある。

 言葉遊びのように思われてしまうかもしれないが、事実だ。それは紛れもなく、“都市伝説のような都市伝説”だった。

 

 曰く、外界に比べて数十年の違いを見せる圧倒的な科学技術。

 曰く、実用不可能なレベルの研究が平然と実用され、そもそも理論の段階にしか至っていない理論が平然と実験の段階にあり、机上の空論だと検証すら馬鹿にされる理論を、まじめに議題として発表する。

 曰く、東京都の三分の一の面積を、神奈川や埼玉に一部を及ばせながら円形に占拠し、その総人口は二百三十万人にも及ぶ一大都市。

 曰く、学園都市。総人口の八割は学生であり、日夜最高レベルの学問を修めることが出来る世界最先端の実験都市。

 曰く、部外者の出入りは完全に管理された、秘密の園。その学園に通う全ての学生を守るために、ありとあらゆる警備体制が敷かれた完全無欠のセキュリティ。

 最先端科学によってあらゆるものが管理された生活に、誰もが憧れを禁じ得ない。

 

 学園都市は巨大な場所で、相応の人数の学生が集まっている。

 よって日本全国、ありとあらゆる学生は学園都市での生活に憧れる。それなりの情報統制、そしてそれなりの情報公開がされているとはいえ、やはり学園都市での内情というものが正確に流布するわけではない。

 色々な憶測や噂が、その情報の信憑性を大きく揺らがせている。‥‥とはいえ概ね科学技術に対する情報は、主に学術論文などの必要性から比較的正確に外界に把握されていると言える。

 

 如何に科学技術が、それも数十年のレベルで進歩しているとしても、既にある程度は公開されている情報に、噂好きとはいえ学生が過度の憧れを示すことはない。

 それこそ、ほんの触りぐらいの情報しか無く、かつ全く実態が明らかになっていない。そんな情報にこそ学生は想像を膨らませ、仲間内での話は加速度的に肥大化していく。

 ここには噂の広まり、尾ひれがつく様子の真実が含まれているだろう。実際、学園都市については愚にも付かない多数の噂が流布している。

 

 曰く、密かに人体実験が行われていて、学園都市に通う生徒は皆、その実験台として集められているとか。

 曰く、学園都市には警備と称して暗殺機関が存在しており、学園都市に害を為すと判断された者は秘密裏に始末されるとか。

 曰く、その為に学園都市には全体に秘密の監視網が敷かれており、全ての学生の動きは秘密裏に全て監視されているとか。

 

 ‥‥その全てがあながち荒唐無稽な噂話だと、切り捨てることも出来ないのが学園都市であるのだが。

 

 

 

「うぅーいぃーはぁーるーぅぁーっ!!」

 

「きぃやぁぁぁあああ?!!!」

 

 

 さて、そんな科学最先端の街である学園都市でも、世界気候までも簡単に操作できる訳ではない。

 相も変わらず、当然のことながら夏は暑い。初夏に入ったばかりだというのに暴力的な日差しはアスファルトで綺麗に舗装された道路を焼き、優雅に敷き詰められた赤煉瓦の歩道を熱する。

 学園都市においては五、六世代ほど前になる某家庭用据え置き型ゲーム機の第三世代などは、使用時にはその表面で卵焼きが焼ける程に発熱したと言うが、今の歩道も同じくらいには暑い。

 靴の底が焼け付いて路面にくっついてしまうのではないかという暑さ、否、熱さに学生達は皆1人残らず肩を落とし、力なく家路に着いていた。

 

 

「なっ、何するんですか佐天さんっ?! こんな往来でスカートめくるなんて止めて下さいよぉっ!」

 

「いやーごめんごめん、初春ってばまた無防備なお尻さらしてるもんだから、ついうっかり世の中の厳しさを教えてあげようかなーって。

 ていうか相手が絶賛アブラギッシュ四十代な中年親父ならともかく、私のはスキンシップだしねー。初春がしっかりとジャッジメントとして周囲に気を張ってることが出来ているか、チェックするのも友人としての勤めってヤツよ」

 

「いやいや私この前もう止めてって言いましたよね?! ていうか女の子同士でもセクハラって通用しますよね?! 私ジャッジメントだから変態行為現行犯で詰め所まで連れていってもいいですよね?!」

 

 

 学園都市ほぼ中央に位置する、第七学区。

 数多ある学区の中でも最大級に近い面積を持つ学区には、それこそ多数の学校がひしめいており、道を歩く生徒達の制服も多種多様。

 有名ブランドのデザイナーの力を借りた制服も多く、センスも良く独創的な服装は生徒達の自尊心の類を大いに刺激する。中には制服のデザインで学校を決めようとし‥‥結局失敗撃沈した学生も数多い。

 

 その中でもシンプルな部類。真っ白な生地に紺色の襟(カラー)に白いライン。そして赤いタイ。スカートは膝上少し上の落ち着いた丈。

 世間一般的な女学生の制服をパターン化したら、紛れもなくトップ3には入るだろう代表的なデザインのそれは、ある意味では野暮ったいと言えるかもしれない。

 生徒からも賛否両論だ。中には奇天烈なデザインの制服もあるから何とも言い難いらしいが、やはり学生として個性は拭いがたい。

 

 しかし学園都市の清潔なイメージには十分以上にマッチする。そんな制服を着込んだ女子中学生が二人、姦しいという表現がこの上なく似合う雰囲気を辺りに撒き散らしながら騒いでいた。

 

 

「今日のパンツはピンクのストライプかぁ‥‥。別に悪くはないけど、ちょっと王道過ぎない? まぁこれが水色だったら本当にテンプレ乙ってカンジだけど、もうちょっと上品で大人っぽい下着でも文句は言われないっていうか‥‥」

 

「ななななんで私の下着のことまで佐天さんに言われなきゃいけないんですかっ?! もういい加減にして下さいよーっ!」

 

 

 一人は背中の中程まである長い黒髪を真っ直ぐに下ろし、白い花の意匠をした髪留めをアクセントにあしらった少女。

 勝ち気そうな眉毛が特徴的で、今も気っ風の良い姉御肌といった笑みを浮かべ、目の前で慌てふためきながらスカートめくりを抗議する友人をからかっている。

 

 もう一人は百を超える学生の中に埋もれない強烈な個性を放つ少女。いや、顔立ちはそこまで目立つものではない。可愛らしいが、悪く言えば十人並み、良く言えば親しみやすい美少女である。

 一際異彩を放つのは短めに切りそろえたショートカットの頭の上にのせられた、花冠。

 子どもが遊びで作るようなレベルではない、色とりどりの、見事な花の盛り合わせだ。炎天下だというのに頭の上の花は元氣に咲き誇り、見慣れたのだろうか、道行く生徒達からの視線は奇異を含んだものではないが、彼女自身が都市伝説の一つになりかけているのは、知らぬは本人ばかりなりというものであった。

 

 

「ふぅ、初春は毎日毎日ホントにからかいがいがあるよねぇー。‥‥ところで初春は今日も風紀委員(ジャッジメント)のお仕事?」

 

「えーと、今日は確かシステムのチェックとかで支部に入れないんですよね。私、せっかくの機会だから支部のPC根こそぎ魔改造(メンテナンス)しようと思ってたのに、入るなって言われて‥‥。

 だから部屋のお掃除でもしようかと思ってたんですけど。佐天さんは何か用事でもあるんですか?」

 

「ああ、そりゃ良かったわ。ちょうど今日さ、一一一(ひとついはじめ)の新譜が発売されるっていうから、CDショップに寄りたかったのよねぇ」

 

「CDショップって、駅前広場の近くにある店ですか?」

 

「そうそう。最近改装したとかでキャンペーンやってるからさぁ、せっかくだし初春に付き合ってもらおうかと思ってたんだけど、どう?」

 

「いいですよぉ。ヒマでしたし、一人で部屋の掃除するのも寂しいですからね」

 

 

 相も変わらず日差しは暴力的だが、それでも日常は普通に存在している。

 暑いからといって部屋に閉じこもるのは残念な大人の選択肢かもしれないが、現在進行形で青春を謳歌している彼女たちにとってはあり得ない選択肢だ。

 学園都市では技術が進歩している分だけ、家の中にいても娯楽は数多い。特に髪の長い方の少女、佐天‥‥佐天涙子にしてみれば、趣味によってヒマなど簡単につぶれてしまう。というか潰れてはいけない時間まで潰してしまい、テスト前に痛い目を見ることも多い。

 しかし自然に、外に出ることを選ぶのも彼女たちぐらいの年頃だからこそだろう。実際あまり長時間炎天下に居ては熱中症の危険性すらあるのだが、そこまで考えてはいないようだ。

 

 

「トンクス。じゃあ突っ立ってるのも何だし、さっさと行こうか! CDショップに寄る前に喫茶店で涼んでくのもいいし。このまま立ってるとこんがり焼けちゃいそうだわ。日焼けって意味じゃなくてさ」

 

「それもそうですね。早めに行かないと混んじゃうかもしれませんし、急ぎましょうか」

 

 

 第七学区は巨大だが、その分だけ駅やバス停なども充実している。

 涙子や初春、初春飾利の通う柵川中学も駅から微妙に離れたところにあるから、バス路線も通っている。とはいえ生活に必要な設備だから学生は格安で利用できるとはいえ、やはり混む。

 特に朝、一分一秒でも早く学校に急ぎたい時などに混んでいて乗れなかったなんてことになったら悲惨だ。そのためにそれなりの数の学生が徒歩通学を選択していた。

 

 

「あーあ、今日は五限が長引いちゃったから、それだけでも不利よねぇ。教師もプロなんだから時間通りに終わらせるのが職務意識ってものだと思うんだけど」

 

「まぁ先生方にも色々あるんですよ。‥‥ウチの中学は低レベル能力者ばかりですから、指導に熱も入っちゃうって前に別の先生も言ってましたし」

 

「‥‥どれだけ指導に熱入れられても、それだけで能力が伸びたら苦労はしないんだけど、ね」

 

「あ‥‥」

 

 

 何処か自嘲気味に呟いた涙子に、初春は逡巡気味に声を発した。

 彼女の事情からすれば、確かに褒められたものではない発言も納得出来る。だからこそ自分が慰めの言葉を持っていないことにも、自分自身への苛立ちの一種を感じさせられた。

 

 ―――学園都市を、外の世界に対して神秘的な、非現実な存在にしている要素の一つ。

 それは外部との交流を立つ閉鎖的な体質でも、数十年分も進んだ超科学(オーバーテクノロジー)でもなく、秘密警察やら暗殺組織やらの根も葉もない‥‥とも言い難いが、そういった確証のない噂でもない。

 

 

「‥‥すいません、佐天さん」

 

「え? ―――あぁ、別に初春が謝るようなことじゃないでしょ? 私が無能力者(レベル0)なのも、一向に超能力者(レベル5)はおろか低能力者(レベル1)にすらなれないのも、初春のパンツがピンクのストライプなのも、ぜーんぶ誰が悪いわけでもないでしょ?」

 

「私のパンツは関係ないですよぉっ!!」

 

 

 超能力(ESP)。

 近代に入り、科学技術が進歩して、魔術や呪いや占いの類の噂の信憑性が薄らいでいくのに代わり、根も葉もないトリックやペテンの類として広まった噂の一つ、と認識されている。

 

 曰く、手も触れずに物を動かす。

 曰く、人の心を読む。

 曰く、心で会話をする。

 曰く、遮蔽物の向こうのものを見ることが出来る。

 曰く、未来を幻覚として視る。

 曰く、瞬間移動をする。

 曰く、火を出すことが出来る。

 

 昨今ではバラエティ番組などで見せ物のように登場したり、詐欺師としてトリックを暴こうという企画が生まれたり、与太話の一種であった。

 もちろん中には、あるいは本物がいたのかもしれない。けれど当然のようにそれを確かめる手段などなく、結局のところ大抵が正真正銘の詐欺、ペテンの類である。

 ‥‥しかし、そう、つまり、偽物があるということは、本物があるということだ。

 

 乃ち、念動力(サイコキネシス)。

 乃ち、読心能力(サイコメトリー)。

 乃ち、念話(テレパス)。

 乃ち、透視能力(クレヤボヤンス)。

 乃ち、予知(プレコグニション)。

 乃ち、空間移動(テレポーテーション)。

 乃ち、発火能力(パイロキネシス)。

 

 

「薬も脳開発も、なんか自分が能力者に向かって前進してるって実感ないし‥‥。ホント、あんなので実際に超能力者になれるのかなぁって思っちゃうわよね」

 

「まぁ実際にウチの中学からでも異能力者(レベル2)や強能力者(レベル3)も出てますし‥‥。まぁ年に一人か二人いれば良い方だって言いますけど」

 

 

 この、学園都市が外の世界に対して異常と言われる所以が、これだ。

 昔から与太話として信じられていた超能力の、超能力者の開発。それがこの学園都市の最大の特色。

 約二百三十万人の学生は、基本的に残らず能力開発を受け、超能力者への道を歩んでいた。

 

 無能力者(レベル0)。六割方の学生が当てはまる、能力を発現出来なかった学生。全く能力が無いわけではないが、それでも所謂落ち零れとして扱われてしまう大多数が持つ力。

 低能力者(レベル1)。多くの学生が当てはまる、スプーンを曲げる程度の力。

 異能力者(レベル2)。レベル1と程度は大体同じ。日常ではあまり役には立たない力。

 強能力者(レベル3)。レベル1やレベル2とは異なり、はっきりと観測され、日常では便利だと感じる程度。このあたりから、能力的にはエリート扱いされ始める力。

 大能力者(レベル4)。このあたりになると圧倒的な威力を持ち、軍隊において戦術的価値を得られる程の力。

 超能力者(レベル5)。‥‥学園都市でも七人しかいない、一人で軍隊と対等に戦える程の力。

 

 能力者はこのように5段階の区分けがされ、自らが持つレベルによって学園都市から受ける恩恵も様々だ。

 具体的に言えば奨学金の増減やや入学する学校の制限、利用できるサービスの違いなど。特に基本的にはアルバイトをせずに奨学金で生活をする学生にとっては、収入の増減はダイレクトに生活に影響する。

 だが、どちらかといえばそういうことは些事でしかない。結局のところ学生の為の街なのだから、生活必需品の類は非常に安価に設定されているのだから。

 

 

「あれ、でもウチの学校で強能力者(レベル3)なんていたらすぐにエリート扱いで噂になってるはずだけど‥‥」

 

「そういう人って、すぐに他の学校に転校しちゃうらしいですよ。‥‥ホラ、ウチの中学じゃ高位能力者向けの学習環境が整ってないらしいですから」

 

「ああ、エリート様はもっと良い学校に行っちゃうってわけね。‥‥はぁ、大星覇祭でも良いトコなしだし、イマイチ冴えないよねぇウチの学校」

 

「大星覇祭だと、高位能力者の数が勝負を分けますから‥‥。私達の学校は、そもそも無能力者(レベル0)と低能力者(レベル1)が殆どを占めてますから、高位能力者が多い中学相手だとフルボッコですよね‥‥」

 

 

 何処の街にもチンピラはいる。同じように、学園都市の路地裏にも不良が溜まっていて、問題を起こす。

 けれど学生ばかりの都市だから、学生ならではの問題も他に比べて多くなるのだ。

 乃ちそれは、能力による格差と虐待、偏見。それらは能力のレベル別に厳格な区別がされている学園都市だからこそ、外の世界に比べて根強く息づいていると言えた。

 虐める方もそうだが、虐められる方の弱者意識にも、きわめて根強く。

 

 

「最近は高位能力者による、無能力者(レベル0)狩りなんてものも流行してるって上層部でも問題になっているらしいですよ? 佐天さんも、一人で路地裏とか歩いちゃだめですよ!」

 

「分かってるってば、初春は心配性だなぁ。第一このあたりの中学はみんな似たり寄ったりで、高位能力者なんて数えるぐらいしかいないじゃないの」

 

「そうはいっても、第七学区は繁華街とかも多いですから‥‥」

 

 

 暫く歩くと店も増え、日陰側に寄れば日差しも防げる。その分だけそちらに通行人も多めになるから歩道は随分と混むが、それは仕方がないことだろう。

 この辺りはまだまだ長閑で、学生達が繁華街と呼ぶようなところではない。せいぜいが学校帰りによる喫茶店と言ったところあり、野暮ったい。

 それにこの辺りで喫茶店なんかに入ってしまっては、また駅前まで長く暑い道のりを堪え忍ばなければいけなくなる。それは勘弁被りたいところだった。

 

 

「ところで初春、なんかいつもすっごく忙しいけど、風紀委員(ジャッジメント)って具体的に何やってるんだっけ?」

 

「え? 佐天さんだって風紀委員(ジャッジメント)がどんな組織だってことぐらいは知ってるでしょう?」

 

「そりゃ、警備員(アンチスキル)と並ぶ学生主導の治安維持組織っていうお題目ぐらいなら知っているし、パトロールしてる風紀委員(ジャッジメント)は良く見るよ?

 けどさ、初春が仕事してるとこなんて見たことがないし、風紀委員(ジャッジメント)の支部だって見たことないし。そこんとこ詳しく(kwsk)」

 

「‥‥まぁそれは確かにそうですけどね」

 

 

 初春が右袖に付けた緑色の腕章。盾をモチーフに扱った、外の世界では警察官も付ける腕章に似たデザイン。

 学園都市にある二つの治安維持組織の内の一つ、風紀委員(ジャッジメント)。学生達によって組織され、実際の警察官と同じような役割を与えられた事実上の警察組織。

 不完全ながら逮捕権なども持った権力構造の一端でありながら、その殆どを学生だけで占められており、いわゆる文字通り、一つの学園を守る風紀委員という体だった。

 

 

「そうですねぇ、まぁ一番の仕事はパトロールってことになるんですけど、その道すがら色んな仕事をしてますよ?

 ゴミ拾いとか、失くし物探しとか、迷子案内とか」

 

「意外に地味なんだなぁ」

 

「地味言わないで下さいっ! いいですか佐天さん、事件なんて起こらないに超したことはないんです! 私たちは所詮学生なんですから、学生の視点からの風紀管理が必要なんです。押しつけた風紀なんて学生としても楽しくも何ともないですからね。

 私達、風紀委員(ジャッジメント)の本当に仕事っていうのは、そういう草の根からの治安維持とか風紀管理ってヤツですね!」

 

「‥‥すごい難しいこと言ってるけど、自分で分かってる?」

 

「べ、別に研修で教えてもらったことをそのまま口にしてるわけじゃないんですよっ! 分かってないから暗記してテスト乗り切ったってわけでも、ないんですからねっ!」

 

 

 警備員(アンチスキル)は逆に、教員によって構成された治安維持組織である。

 実際の逮捕権や拘留権などは主に大人であるこちらが担当している。しかし如何せん相手は学生、乃ち、超能力開発を受けた学生が相手では所詮一般人である教員には荷が重い。

 何せ生身でトラックをぶん投げたり電撃飛ばしたり火炎放射器よろしく炎を飛ばして来たりする学生である。戦車か装甲車でも持ってこないと相手にならない。

 結局のところ風紀委員(ジャッジメント)の後始末、あるいは後詰めとして存在している点もあった。もちろん、学生では不十分な判断力を補う役割もあるのだが。

 

 

「まぁ総括すると、やっぱりパトロールが基本ですね。通報された場所に急行することも多いですけど、やっぱり支部で籠もっていても出動が遅れますし。

 ‥‥まぁ私は低能力者(レベル1)ですから戦闘は役立たずですし、支部で情報整理とか後方支援をやってることが多いんですけど」

 

「へぇ、そういえば初春ってPCいじくるの好きだったよね。適材適所、ってヤツかしら」

 

「そう言ってもらえると嬉しいですけど‥‥まぁ、高位能力者に憧れはありますよ、やっぱり。学園都市の学生ならみんなそう思ってるはずです」

 

 

 もう十五分ぐらいは歩いたことだろうか、次第にビル街に近くなって来た。

 ここまで来ると学生の数も多くなってくる。様々な制服は、しかし通い慣れた今となっては物珍しいものではない。

 超能力を学ぶ学生達とは言えども、本質は外の世界と全く変わらない。道行く顔が無駄にキリリとしていたり、無駄に理知的であったり、逆に暴力的に見えたりということはなかった。

 結局のところ人間の本質なんてものは早々変わるものじゃないのかもしれないと、佐天はぼんやりと考えながら歩いていた。

 

 

「パトロールって、いつもやってんの? 初春ってば週の半分は風紀委員(ジャッジメント)のお仕事なんですーって忙しいけど」

 

「大体は夕方、暗くなるまでぐらいですね。風紀委員(ジャッジメント)も学生ですから、例外を除いて完全下校時刻になったら軽々しく出歩くわけにはいきませんし」

 

「その後はどうするのよ?」

 

「警備員(アンチスキル)の出番ですね。まぁ基本的には人通りとか無くなるはずですから、仕事も楽で良いって聞いたことがあります」

 

 

 モノレールの駅から少しだけ離れた、しかし繁華街にはほど近く、遊びの前に寄るにはちょうど良い場所。

 そんなところにある大きめの喫茶店。学園都市内でしかないチェーン店のファーストフード。既に放課後を楽しむ学生で溢れている。五限の能力開発が長引いたせいか、二人分ならやっとという席しか空いていない。

 

 

「ふーん、成る程ねぇ。パトロールなんて言葉だけ聞くと簡単そうだけど、色々と頑張ってるんだ、初春は」

 

「まぁ雑用みたいなものばっかりですけどね。

 でもパトロールの最中に因縁ふっかけられることはまぁ、無いわけじゃないんですよ? 路地裏で屯(たむろ)してる不良とかだと風紀委員(ジャッジメント)に恨みを持っている場合も多いですし」

 

「へぇ‥‥って、それって危ないんじゃないの?!」

 

「大抵は白井さんと一緒にいますから、瞬殺してくれるんですけどね。‥‥前に一回、ちょっと一人の時に絡まれちゃったことがあって、その時は通りすがりの人が助けてくれたから問題は無かったんですけど」

 

「通りすがり?」

 

 

 夏場に無性に飲みたくなる不思議飲料、マクロシェイクを頼んで席につく。

 店内は冷房がガンガンに効いていて快適だが、全面ガラス張りの外を見れば暴力的な日光は相も変わらず道を歩く学生達を殺したいのかという勢いで仕事をしており、まるで天国と地獄だった。

 

 

「夏の太陽ってホント殺人的よねぇ‥‥。こうでなきゃ夏! って感じはしないんだけど、それでもやっぱり嫌になっちゃうわよねー」

 

「まぁ学園都市でも天候操作出来るレベルの能力者は限られてますし‥‥。ていうか佐天さん、なに勝手に私のシェイク味見してるんですかっ?!」

 

「私のはバニラだしー、初春のストロベリーはどんな味かなーって。ほら、初春も私のバニラ味見してもいいからさぁ」

 

「そういう問題じゃないです‥‥って、こんなに飲んで! もー仕返しですっ! ポテト下さいねっ!」

 

「あーどうぞどうぞ、お好きなだけ。私ケチャップ貰ってくるねー!」

 

 

 楽しそうに跳ねてカウンターへと向かう涙子に、初春は軽くため息をついて遠慮無くバニラシェイクを啜った。

 確かに涙子は強引でお調子者なところがあるが、やはり良い友人だ。自分は振り回されがちだけれど、不思議なことに何だかんだで楽しい。

 なぜ一緒にいるのかと問われれば、やはり楽しいからだと答えるのだろう。‥‥パンツめくるのだけは止めて欲しいけど。

 

 

「はぁ、ホント佐天さんは台風みたいな人です‥‥。少しぐらい私が佐天さんを振り回せたら、楽しいのに―――ッ?!」

 

 

 瞬間、轟音。そして震動。

 

 机と一体化された椅子を激しい震動が襲い、思わず手にしたバニラシェイクを取り落とす。緩く蓋を閉じられていたのだろう、簡単に中身がこぼれ落ちてしまった。

 

 

「な、何っ?! 何なんですかっ?!」

 

 

 慌てて爆音がした方向へ視線を走らせると、そこは店の入り口だ。

 綺麗にガラスが張られていた自動ドアは無惨にも焦げ付き、爆発し、吹き飛んでしまっている。床まで真っ黒で、かなり高威力の火炎か、あるいは電撃で攻撃されたのだろう。

 基本的にはカウンターの下に、警備ロボットが据えられているのだが、攻撃はそこまで及んだのか、警備ロボットの格納スペースは完全に破壊されてしまっていた。

 

 

「手を挙げろっ! 全員その場から動くなっ!」

 

 

 学生達が自由を謳歌する放課後。

 その放課後に不釣り合いな怒鳴り声を上げたのは、誰が見ても明らかな格好をした二人の男。

 久しぶりの非番から、仕事へ。

 風紀委員(ジャッジメント)の職場が、そこには広がっていたのだった。

 

 

 

 

 



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第2話 『男、少女、第六位』

 

 

 

「手を挙げろっ! 全員その場から動くなっ!」

 

 

 すぐさま風紀委員(ジャッジメント)の腕章に手を添えてカウンターに向かって走り出した初春を、年若い男の怒声が遮った。

 立っているのは二人の男。一人は何の変哲もない白いワイシャツに、学生服の黒いズボン。もう一人は醜悪な髑髏をデザインしたTシャツにジーンズ。どちらも時代錯誤な黒い目出し帽を、この暑い夏のさなかに被っていて、顔は分からない。

 ―――この状況を見て誤った判断をする者は一人もいないだろう。乃ち、強盗。

 

 

「おいコラ、店員のお前! 警報は無駄だぞ、電気系統は俺が電撃で全部潰した!」

 

「レジにある金を全部この袋に詰めなっ! 金庫の金もだ、早くしろ! 早くしねぇと丸焦げにするぞ貴様らっ!」

 

 

 状況判断。

 店の出口は一つだけ。非常口はどうやら、カウンターの向こう、キッチンにあるらしい。

 ガラスを破れば出られないことはないが、もちろんそれは犯人に気づかれる。そうしたら、カウンターの方にまだ残っている客が襲われるかもしれない。

 犯人の能力は、ざっと見て強能力者(レベル3)以上。簡単に人を殺せるだけの能力を持っていることは間違いないのだ。

 

 

「‥‥もしもし風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部ですか? 固法先輩、私です、初春です。第七学区中央駅前ファーストフード店で強盗事件発生、至急警備員(アンチスキル)の派遣を要請します!」

 

『初春さん?! ‥‥分かったわ、急いで白井さんを急行させるから、関係者の安全を最優先に行動しなさい!』

 

「了解しました!」

 

 

 再度、状況判断。

 犯人は二人。どうやら発言から鑑みるに、夏仕様の学生服は発電能力者(エレクトロハンド)、そしてもう一人の能力は不明。だが拳銃を持っている。

 既に店員は抵抗を諦めて金を集めており、犯人達はニヤニヤと自らの成功を確認して笑っている。

 

 

「‥‥佐天さん!」

 

 

 視線を移動すると、あろうことか犯人から一番近い場所に涙子がいる。

 拳銃の銃口は涙子に向けられており、わずかに身じろぎするだけで引き金は引かれてしまうことだろう。

 

 

「これじゃ手が出せない‥‥。お金、取られちゃう」

 

 

 再々度、状況判断。

 ここまで完璧にあいての思惑通りに言ってしまうと、この場での捕縛は不可能。なにせ自分は低能力者(レベル1)であり、戦闘手段は皆無に等しい。

 念のためスタンガンを携帯してはいるのだが、そういえば発火能力者(パイロキネシスト)に熱が効きにくいのと同様、発電能力者(エレクトロハンド)にはスタンガンなどの電気系の武器が効かないと聞いたことがある。

 ましてや拳銃やら能力やらで人質が取られてしまっている状況で下手に動くと、被害を拡大させる恐れがあるのは、風紀委員(ジャッジメント)の研修で耳が痛くなる程に聞かされていた。

 

 

「仕方ありませんね、ここは人質に被害が出ないように注意して、応援の到着を待つしか‥‥」

 

 

 一人の学生にやれることには限界がある。それに、事件を未然に防ぐのと同様に、事件が起こった後、あるいは完了してしまった後にも解決すれば良い話。

 逃げた犯人を追跡し、然る後に捕縛。これも十分に風紀委員(ジャッジメント)の仕事である。

 初春はカウンターから遠い位置のテーブル席にいることを利用して、犯人達から見えないように近くの監視カメラと風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部のPCとの接続を開始した。

 こんな大事件が起きてしまっては、支部のメンテナンスチェックも中止。となると諦めていたPCの魔改造《メンテナンス》だって出来るかも知れない。

 

 

「よし、これで全部か?!」

 

「は、はい、金庫の鍵は店長が持ってますので、開けられませんでしたが‥‥」

 

「ちっ、シケてやがるな。おい、ずらかるぞっ!!」

 

「お、おう!」

 

 

 どうやらレジの金だけを詰めたらしい。用意した袋はぺたりと残念な量を示しており、憎々しげに舌打ちをした夏服の男が、袋を掴んで走り出す。

 Tシャツの男は夏服の男に遅れること数拍、拳銃で回りを牽制してから走りだそうとして―――

 

 

「おっ?」

 

「あン?」

 

 

 ドン、と軽い音がして、あからさまに緊急事態の店内に入ってきた一人の少年にぶつかった。

 見事なまでに真っ白な白髪に、小柄な体躯。牙か爪のようなデザインの黒いTシャツを着て、黒いジーンズを履いている。まるで女かと見まごう程の、華奢な少年だ。

 もしかしたら体重は自分よりも軽いのではなかろうか。腕や足は大の男が握ったら折れてしまいそう。

 ‥‥が、よろめいたのは少年ではなく、強盗の方。

 

 

「な、なんだよこのガキ?!」

 

「‥‥なンだよ、はこっちの台詞ですけどォ? つかホントに何なンですか、この有様はァ? 俺ァ新発売のトロピカルバーガーセット買いに来ただけなンだがなァ。

 あ、ドリンクはコーヒーな。アレ普通のドリンクよりも二十円高いからよ、セットにするとオトクなンだよなァ、そう思わねェか?」

 

「ば、馬鹿にしてんのか貴様!」

 

「‥‥はァ?」

 

拳銃(コレ)が見えねぇのか! さっさと其処を退きやがれ!」

 

「‥‥ハ、ハハ、ハハハ、もしかしてそんなチンケな玩具でこの俺にケンカ売ってやがンですかァ?

 冗談キツイぜおい、俺を殺すつもりなら核弾頭でも持ってきなァ!」

 

「な、嘗めんなこの野郎! ‥‥いいぜ、死ねクソガキ!」

 

「や、やめて下さいっ!!」

 

 

 銃声、二回。

 真っ直ぐに少年の額に向けた銃口から放たれた銃声は、過たず少年の額を穿ち、血の花を咲かせる。

 そう考えた初春は思わず風紀委員(ジャッジメント)の腕章を隠すことも忘れて身を乗り出し、叫び声を上げた。

 まさか、一般人に犠牲を出してしまうとは。こんなの風紀委員(ジャッジメント)失格―――

 

 

「―――が」

 

「え?」

 

「がぁぁああぁぁああぁッ?!」

 

 

 だがしかし、悲鳴を上げたのは少年ではなく男の方。

 拳銃を取りこぼし、自らの足を悲痛な叫びを上げながら押さえる。見ればジーンズは太股の辺りが真っ赤に染まっている。

 

 

「こ、このクソガキ、何しやがったぁぁああ?!」

 

「ハ、別に何もしてませンけどォ? テメェが何かしたンじゃねぇのかァ、ん? “俺に向かってその玩具ぶっ放す”とか‥‥よォ!」

 

「ご、ぉ‥‥ッ?!」

 

 

 一閃、少年の振り上げた足が唸りを上げて男の腹へと吸い込まれる。

 どれほどまでの威力だったのだろうか、その足は過たず“水月”と呼ばれる急所にぶち当たると、男の体を浮かせてカウンターの向こう、キッチンまで軽々と吹き飛ばした。

 

 

「な、何なのよコレ‥‥!」

 

「佐天さん大丈夫ですかっ?!」

 

「あ、あたしは大丈夫、けどコレはいったい‥‥」

 

 

 すぐさま涙子に近寄って安否を確認すれば、幸いにして無傷。ただし腰が抜けてしまったようで、ぽかんと今さっき強盗犯の片割れを蹴り飛ばした少年を目を見開いて見つめている。

 

 

「アー、悪ィけどトロピカルバーガーセット貰えますゥ? ドリンクはコーヒーで。あ、あとコーラ一つ追加で」

 

「す、すいませんお客様、こんな調子ですから、ちょっとご注文は‥‥。こ、こら君、早く警備員(アンチスキル)に連絡を!」

 

「チッ、使えねェ。‥‥オイお前、そこの脳天花咲か女」

 

「そ、それもしかして私ですかっ?!」

 

 

 こんな有様だというのに図々しく注文しようとする少年を、それなりの地位にいるらしい制服の違う店員が冷や汗混じりで丁重に断り、もう一人の店員に檄を飛ばす。

 苛々と舌打ちをする少年は続けて呆然としている初春達に振り向いて、言った。

 

 

「お前さァ、風紀委員(ジャッジメント)だろ? さっき逃げた片割れ、追っかけなくていいのかァ?」

 

「え? ‥‥あ、はい、佐天さん失礼します!」

 

「ちょ、ちょっと初春ッ?!」

 

 

 慌てふためき、走り出す。幸いにしてもう一人の犯人が逃げ出した方向は目にしていた。

 応援が来るまで、せめて力のない自分でも相手の居場所ぐらいは把握しておかなければいけない。風紀委員(ジャッジメント)としての使命感から、初春は自分の出来る限りの力で足を動かした。

 

 

「ま、待って下さい! 風紀委員(ジャッジメント)ですっ!」

 

「何ぃっ?! くそ、こんなに早く‥‥! んの野郎なにしてやがった?!」

 

 

 人通りが邪魔したのだろう、男が通った後は人が疎らになって逃げた方向を見ていたから、追うのは足が遅い初春でも何とかなった。

 そも覆面なんて付けた人間が目立たないわけなどないのだ。どうしようもなく、分かりやすかった。

 

 

「クソが! こんなところで捕まるわけにはいかないんだよっ!」

 

「きゃあっ?!」

 

 

 電撃、疾る。

 流石に逃げながら正確に電撃を追っ手である初春に当てるのは難しかったらしく、それでも低能力者(レベル1)の初春を怯ませるには十分だった。

 

 

「なんだよ、途中まで上手くいってたのに‥‥こんなところで‥‥やめられねぇだろうがぁ!」

 

 

 焦燥感ばかりが先行し、走り続ける。

 粗雑な計画に見えて、実は入念に練っていた。人の出入りをしっかりと観察して、店員のシフトも確認していたし、風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の巡回が無い時間帯も見計らった。

 もう止められないのだ、ここまでやったら途中で投げ出すことなど出来ない。後ろについていた相方は既に捕まってしまったのかもしれないが、ここまで来たら徹底的に、逃げ切ってやる。

 

 

「チィッ、通行人か! おいテメェ、そこを退けぇ!!」

 

 

 そう必死で思いながら走っていると、目の前に人影が見えた。

 長身で肩幅は広く、髪の毛を無造作にオールバックに纏めた男。年の頃は高校生か、ともすれば大学生ぐらいか。この暑いのに長い白衣を着込み、奇妙な存在感を辺りに振りまいている。

 顔立ちはごくごく普通。どちらかといえば精悍な方かもしれないが、表情はぼんやりと、何処か空虚な色をたたえていた。

 細身の体には強大な力が眠っているようには、ちっとも見えない。確かに骨格はがっしりとしているかもしれないが、全体的に肉が足りない印象で、何処はかとなく不自然。

 しかしどんな存在かは知らないが、無視できない。そんな空気を感じ、強盗犯は足を止めた。

 

 

「ん?」

 

「そこを、退けって、言ってんだろうがぁぁあ!!」

 

 

 右手に電撃を収束、放電。

 何条もの、何万ボルトもの電流が立ちつくすままの白衣の男を襲う。人体を感電死に追い込むには、いや、もはや感電などという生温いものではなく、やけどにまで追い込んでもおかしくない威力の電撃。

 それが何の容赦もなく、炸裂した。

 

 

「‥‥ん?」

 

「え?」

 

「‥‥ふむ、何をしたのかな、キミは?」

 

「何ぃ?!」

 

 

 間違いなく全力の電撃だった。自分に放てる、最高の電力だ。

 冷静になって考えてみれば人一人ぐらいなら十分に殺せるだけの威力だったはずなのに、直撃したはずなのに、どうして目の前のこの男は平然と立っているのだろう。

 

 

「‥‥あぁ、なるほど、キミは発電能力者(エレクトロハンド)か。悪いねボーヤ、僕にはそういうの効かなかったりするってことです」

 

「き、効かない?! お前まさか俺と同じ、いや、俺より高位の発電能力者(エレクトロハンド)?!」

 

「お? あー、いやいや別にそんなことはないさ。僕の能力は何の変哲もない『発火能力(パイロキネシス)』だよ」

 

 

 白衣の下に着込んだ白いワイシャツに焦げを作りながらも、合点がいったように白衣の男は笑った。

 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。“とある事情”で自分の能力に最近自信がついてきたというのに、圧倒的な差を感じさせられる、恐怖。

 

 

「―――ただし残念なことに、キミと僕では強度(レベル)が違うってことです」

 

「おああああああああああ?!!!!」

 

 

 瞬間、周りの大気が燃え上がり、強烈な熱を感じた。

 それは自分を焦がすわけではない。が、不思議にも意識―――が―――遠のい―――て―――

 

 

「‥‥ふわぁ~、凄い」

 

「まぁ、こんなモンかな。怪我させないように制圧するのも、僕の能力だと一苦労ってことです」

 

 

 追いかけてきた初春は、その一部始終を見て息を呑んだ。

 白衣の男から疾った炎は強盗犯の周囲を囲み、燃焼によって酸素を奪い、それによって強盗犯の意識を奪ったのだった。

 倒れた強盗犯を見れば、集中的に酸素を奪ったはずの顔面には焦げ一つない。どれだけ精密な能力制御だろうか、尋常ではない精度だ。

 

 

「‥‥おや、キミは確か前に不良に絡まれてた残念な風紀委員(ジャッジメント)?」

 

「残念な?! ていうか貴方はあの時の?! そ、その節は本当にありがとうございましたっ!」

 

 

 ちらりと視線をこちらに移した白衣の男が、ぱちくりと目を瞬かせる。

 初春にとっては、街中ではあまりにも特徴的な服装と、遭遇した状況からしっかりと記憶にあった人物。

 

 

「いやぁ悪いね、街中で能力使っちゃったけど、これ見逃してくれると嬉しいってことです」

 

「あ、それは犯人逮捕に協力してくれたということで処理できるから、問題はありませんが‥‥。って、あぁ早く警備員(アンチスキル)に連絡しないとっ?!」

 

「事情聴取とか、必要なのかなぁ。連れがいるから勘弁して欲しいんだけど」

 

 

 慌てて携帯を取り出し、警備員(アンチスキル)へと逮捕の要請をする。実際に護送などの機材を所持しているのは風紀委員(ジャッジメント)ではなく警備員(アンチスキル)だ。

 犯人を引き渡し、報告書を作成して風紀委員(ジャッジメント)の仕事は終わる。ここからが本番だと言っても過言ではない。

 

 

「‥‥そうですね、そちらは警備員(アンチスキル)の方の管轄ですから私には何とも。でも協力者ってことですから、簡単に終わらせてくれると思いますよ! わ、私も協力しますし!」

 

「そりゃそうかい。いやぁ、ありがたいってことです。連れはすぐに機嫌を悪くするもんで‥‥」

 

「はい、ありがとうございます。‥‥あ、そういえば電撃受けてましたよね?! だ、大丈夫なんですか?!」

 

 

 へらへらと笑う白衣の男の腹を、慌てて初春は確認した。

 傍目に見ても強力な、事故レベルと呼んでも良い電撃だったのだ、某かの手段で防御したのかもしれないけれど、不安は残る。

 

 

「あれ、本当に無傷‥‥?」

 

「‥‥あんまりジロジロ見ないで欲しいんだけどな。少しばかり恥ずかしいってことです」

 

「うわぁっ?! す、すいませんっ!」

 

 

 見ればシャツに焦げ跡はあるが、確かに掠り傷すら見あたらない。一体どういう理屈だろうか、服が焼け焦げていて、肌は無事というのは不可思議なことだ。

 例えば服越しにスタンガンを押し当てられたりしたならば焦げ跡が無いのも納得できるが、実際に服が焦げているのだから、電流を無効化したとしても、熱の跡が残っていておかしくないのである。

 

 

「ホントに、大丈夫なんですか‥‥?」

 

「あぁ、ちょっとした体質ってことです。ああいう攻撃は効かないんだよ。

 それよりも服を焦がされた方がよろしくないね。まぁ、白衣の前を閉じれば問題はない、か」」

 

 

 不思議そうな初春に、白衣の男は苦笑してみせる。

 はぁ~と目をぱちくりさせれば、確かにぴんぴんしている。何か能力が関係しているのかもしれないし、大丈夫なのだろう。

 確かに焦げたのはシャツの腹の部分だから白衣の第三ボタンあたりからしたを閉じれば見えることはないだろうが、まったくもって暑苦しい。

 

 

「しかし二度目となると、何か運命じみたものすら感じるね。名前を聞いてもいいかな?」

 

「あ、はい! 私、風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部の初春飾利といいます! あの、貴方のお名前もお伺いしても‥‥?」

 

「ありゃ、言ってなかったっけ」

 

「はい、前回はドタバタしててお伺いしてなかったので‥‥」

 

 

 ゆらりと首を傾げる白衣の男の仕草は、その外見に似合わず妙に子供じみていて、違和感を感じる。

 いわゆるギャップ萌えというヤツを狙っているのかと、初春は全くもって見当違いのことを考えた。

 

 

「僕は―――」

 

「おう、こンなとこで待ってたのかよテメェは? 探したぜェ、さっきの広場にゃいねェんだからなァ」

 

 

 くるり、と突然聞こえた声に振り向くと、そこには先ほど店で強盗犯の一人を豪快に蹴り飛ばした少年が立っていた。

 片手にはマクロナルドの近くにある牛丼チェーンの袋を提げている。どうやら近場で昼食をとることにしたらしい。

 

 

「あぁ、そういうキミも随分と遅かったじゃないか。何やってたんだ、一方通行(アクセラレータ)?」

 

「うっせェなァ、メシ買いに行ったら絡まれたンだよ。しょうがねェから別の店探して来たンだ、俺ァトロピカルバーガー楽しみにしてたンだけどなァ‥‥」

 

「あれ、お連れさんって‥‥?」

 

「うんうん、コイツってことです。あれ、もしかして二人は知り合いだったり?」

 

「あぁ? 知るかこンな歩く花瓶娘」

 

「花瓶‥‥ッ?!」

 

 

 さもどうでもよさそうに、空気を吐くように自然に悪態をつかれ、思わず衝撃に思考が停止する。

 初対面の人間相手にここまで好き勝手言える人間に未だかつて会ったことがあるだろうか、いやない。(反語)

 そもそも下手すると自分よりも年下の相手から、言いように扱われるのはどうなのだろうか。実際問題、年上の威厳とか何とか。

 

 

「まぁまぁ初春堪えて堪えて」

 

「って佐天さん、どうしてここに?」

 

「この人がフラフラ歩いていったから、私も初春追っかけなきゃって思ってさ。そしたら方向が同じだっただけだよ。‥‥それにしても派手にやったねぇ」

 

 

 周りを見れば確かに、狭い路地裏は強盗犯が放った電撃によってあちらこちらが焼けこげており、白衣の男の炎にしても、強盗犯に怪我を負わせないように配慮はしても周囲は気にしていなかったらしく、見事に焦げを作っていた。

 見るも無惨、というのが当てはまる有様である。

 

 

「オイオイこれはテメェがやったんですかァ? ちょっとはしゃぎすぎだろ、いくら何でも」

 

「‥‥強盗犯の片割れ蹴飛ばしてカウンターの向こうに吹っ飛ばしたアンタにゃ言われたくないと思うんだけど」

 

「ありゃ正当防衛だっつの。俺に楯突くのが悪いンだろォが」

 

 

 全く悪びれもせずに言い放つ少年、白衣の男の呼びかけを信じるならば名前は『一方通行(アクセラレータ)』。

 能力の正体は分からないが、至近距離で放たれた銃弾をはじくところから、それなりの強度(レベル)の能力者らしい。

 

 

「オラ用事が終わったンなら行くぞ。ゲーセン巡りは終わってねェんだからよォ」

 

「やれやれ、マイペースな人に振り回されるのは、残念ながら慣れてるってことです。‥‥悪いね、警備員(アンチスキル)にはキミの方からよろしく頼むよ、初春飾利サン」

 

「え? ちょ、ちょっと待って下さい! せめて連絡先‥‥お名前だけでも!」

 

 

 勝手に歩き出してしまった一方通行(アクセラレータ)に連れられて、白衣の男も歩き出す。

 それは、困る。なんていうか状況的に止めるのも無理そうだが、せめて警備員(アンチスキル)に説明する時のために連絡先、最悪名前だけでも聞いておかなければ風紀委員(ジャッジメント)の仕事が立ち行かない。

 

 

「‥‥あぁ、それもそうか」

 

 

 ゆらり、と男は振り返る。

 何処か空虚な瞳と薄く微笑んだ唇。前に会ったときもフラリと消えてしまった、つかみ所のない姿。

 その男は今回もまた、とらえどころのない様子で口を開いた。

 

 

「―――カガリ、だ。

 みんな僕のことをそう呼ぶよ。僕はよくあっちこっちブラブラしてるから、もしかしたらまた、こうして会うこともあるかもね。

 その時にはまた、よろしくってことです」

 

 

 結局フラリと男‥‥カガリは消える。

 入れ替わりのように警備員(アンチスキル)の護送車のサイレンが聞こえ、初春は自分がしなければいけない仕事を思い出した。

 とりあえず鞄の中に一つだけ持っている手錠を犯人にかけて、もう片方の強盗犯も回収に行かなければいけない。あちらは一方通行(アクセラレータ)が吹っ飛ばした後そのままだが、この短時間で目が覚めるようなことはないだろう。

 

 だからそれは確かに“いつも通り”というわけではなかったけれど、十分に風紀委員(ジャッジメント)としての初春飾利の日常だった。

 

 

 

 



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第3話 『少女、二人、風紀委員』

 

 

「初春、聞きましたわよ! 第七学区の強盗事件、お手柄だったそうですわね!」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部。

 第七学区内は居住区、学校区としては学園都市の中でも一、二を争うほどに巨大な学区であり、故にそこに存在している生徒たちも非常に多い。

 分母が大きければ、それにつられて当然のように分子も増える。それは例えば学区内における犯罪数、および犯罪者の数もそうであるが、もちろん同じように風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の数も多い。

 第一七七支部もその内の一つ。大能力者(レベル4)を一人強能力者(レベル3)が一人、ついでに低能力者(レベル1)が一人という能力者編成は、支部の規模に対しては随分と豪華な面子であった。

 特にその内の大能力者(レベル4)が学園都市内でもかなり希少な空間転移能力者(テレポーター)というのも、この支部の検挙率などの水準に影響を与えている。

 他の支部ではバイクやく車などを使って補っている機動力を、単独で、しかもさらに高いレベルで備えているというのは非常に大きなメリットになっていた。

 

 

「残念ながら店の設備に被害は出てしまいましたが、幸いにして被害者の中に怪我人はおらず、犯人も二人とも逮捕。盗まれた現金もすべて回収完了でしたわ。事後処理も完璧で、警備員(アンチスキル)の方も褒めていましたのよ」

 

「そうですか。でも私はたいしたことしてませんよ、白井さん。ほとんど通りすがりの二人組がやってくれたようなもので、はぁ、こんなんじゃ風紀委員(ジャッジメン)失格ですね‥‥」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部は、全体的にこじんまりとした事務所という雰囲気を湛えていた。

 清潔な白で統一された室内の調装は、アットホームというよりは完全にシステマティックなもので、ところどころにおいてある鉢植えやPC周りの私物などに生活というか、仕事をしている個人の名残を感じることが出来る。

 給湯室の方に行けば個人が有志で持ち寄った紅茶やコーヒー、ココア、お茶菓子の類が整理整頓されており、そこは学生らしい所帯じみた部分が感じられるだろう。

 基本的にはボランティアである風紀委員(ジャッジメント)であるが、その仕事内容は本職の警察官にも勝るとも劣らず、それなりなハードワークを使命感で支えている状態だ。

 決してオーバーワークというわけでもないのだが、かなりの時間を支部で過ごすのだから、可能な限り仕事環境は過ごしやすいように整えておきたい。

 

 

「そんなことはありませんわよ。正直、完全に予想できなかった状況からあそこまでの被害を店に与えられては、慎重になるのも当然ですの。

 結果として犯人を捕らえることもできたのですから補償もあるでしょうし、でしたら店側としても風紀委員(ジャッジメント)をとやかく言うこともないとというものですの。風紀委員(ジャッジメント)とて万能ではありませんから、できることをすればいいのですわ」

 

 

 結局のところ風紀委員(ジャッジメント)は学生に過ぎない。

 そもそも取り締まる相手が能力者であることが多いからこそ、同じ能力者である学生でないと対抗できない場合もある、というものであるが、実際のところ犯罪者の割合は圧倒的に無能力者(レベル0)や低位能力者であることが多く、警備員(アンチスキル)でも十分に対応できる。

 

 むしろ相手が銃火器で武装していたりする場合には学校の制服に腕章をつけただけの風紀委員(ジャッジメント)の装備では対抗できない場合も多い。

 一応学園都市謹製の特殊素材を用いた盾や防具などの装備も無いことはないのだが、パトロールの際にまでいちいち必ず装備しているというわけにはいかないのだ。まず威圧感があっては、元も子もないことであるし。

 そういった相手ならばしっかりとボディアーマーを着用し、こちらも実銃や各種対能力者使用の装備を整えた警備員(アンチスキル)の方が適任だったりする。

 

 そもそもいくら使命感があったとしても学生のボランティア。

 学業優先であることは当然であるし、勿論いくら覚悟があるといっても風紀委員(ジャッジメント)の活動で必要以上に重傷を負うというのもナンセンスである。

 出来ることを、出来る限り。職務中に負傷することは状況が許さなかったのならば決して悪いことではないが、もちろん褒められたことでもないのだ。

 むやみやたらに危険に身を突っ込むのは、勇敢ではなく無謀と呼ぶ。

 

 

「‥‥白井さんがそれを言いますか」

 

「何か仰いまして?」

 

「いえ別に、何でもありませんよ? そんなことより白井さんも、事後処理の後半を代わってくださってありがとうございました」

 

「気にしないで下さいな。現場到着が遅れたのですから、そのまま暇していたりしては私の矜持に障りますの。初春は頑張って犯人を追いかけてくれたのですから、久しぶりに頭脳労働を引き受けただけですわ」

 

 

 第七学区駅前にある某有名ハーバーガーチェーン、マクロナルド。

 学生たちで賑わう、ちょうど放課後に当たる時間帯。そこに突然現れた二人の強盗に、偶然にもその場に居合わせた初春は、犯人を捕縛して警備員(ジャッジメント)に引き渡した。

 

 本来ならこのような荒仕事は背後で感心の声を上げている同僚―――大能力者(レベル4)空間転移能力者(テレポーター)、白井黒子の担当であり、低能力者(レベル1)で戦闘に使えるような能力でもない自分は後方支援が主である。

 だからこそ黒子は、決して強度(レベル)の低い初春を卑下するわけでも何でもなく、惜しみない賞賛の言葉を送った。

 

 

「それにしても初春、さっきから何を調べておりますの? 確かに今日のメンテナンスは中止になりましたが、非番なのには変わりないんですのよ?

 あと、危険だからと固法先輩から貴女を必要以上にPCに近づけないように言われてるんですけど‥‥」

 

「何を言ってるのか、さっぱりです」

 

 

 黒子の言葉のとおり、事件があったとはいえ今日は基本的には非番であることから、支部の中に詰めている風紀委員(ジャッジメント)は初春と黒子だけだ。

 その黒子も事件を聞いて駆け付けた後の処理をしてきた帰りであるし、初春はそれこそ調べものがしたくて色々と融通が利く支部のPCを私的利用しようとしようと思ったに過ぎない。

 ちなみに第一七七支部が機能していない内は、他の支部がそれぞれ不足分を埋めていてくれているから、本来ならば事件があったとしても二人が出てくる必要はなかったはずなのだが。

 

 

「‥‥さっきも言いましたけど、犯人だって二人とも私が捕まえたわけではないんですよ。通りすがりの人が協力してくれなきゃ、逃げられてたかもしれません」

 

「通りすがり、ですの?」

 

「はい。名前だけは聞いてましたから、ちょっと気になったんで調べようかと‥‥」

 

 

 支部に戻ってきてからこっち、初春は延々PCに向かってカタカタとキーボードを叩いていた。

 風紀委員(ジャッジメント)の支部においてあるPCは決して最新式のものではなく、むしろ初春が日常的に自宅で使用しているものに比べても旧式の烙印を押されてしまうことだろう。

 しかし使用目的、および使用者が使用者なために様々なことについて融通が利く。たとえばその最たるものが、書庫(バンク)へのアクセスであった。

 

 

「‥‥支部のPCの私的利用は控えるようにと、固法先輩から言いつけられていたような気がしますの」

 

「私的利用なんかじゃありませんよぉ~。だってホラ、せっかく事件解決に協力してもらったのに素性が知れないままじゃ報告書を書くのも大変ですし」

 

 

 書庫(バンク)とは、学園都市の学生達の情報を保存したデータベースである。主に能力について詳しくデータ化されたそれは、基本的に一般の学生には閲覧の権限がない。

 能力はあくまで学業の一環として開発されるが、実際に能力行使を大々的に規制する方法などあるわけがなく、日々の生活に能力は密接に関係している。

 その中の要素の一つは、やはり能力を用いた戦闘だ。決して多くの能力に該当するわけではないが、能力の強度(レベル)は戦闘能力に影響を及ぼす場合が多い。

 何より能力の詳細が知られてしまうことは、乃ち相手に大きなアドバンテージを与えてしまうことになるのだ。

 

 また、学園都市では有る程度以上の強度(レベル)の能力者になると、学内の研究機関と協力して某かの研究に従事している場合がある。

 そのような場合には、やはり能力の詳細を敵対組織に知られてしまうのは、かなりの問題があるだろう。

 例えば研究の詳細を知られてしまうことになるだろうし、そこから対抗策を練られてしまう可能性もある。企業利益が絡んでいる分だけ、むしろこちらの方が深刻かもしれない。

 

 

「やろうと思えば私のノートPCからでも書庫(バンク)接続(ハッキング)ぐらいは出来るんですけど、やっぱり素直に支部のパソコンを使う方が波風立たないですし‥‥」

 

「まずその発想から何とかしなさいと申しているんですの! ていうか物騒なんですわよ貴女は、ことPC関連に限っては!」

 

「やだなぁ、物騒なのは私じゃなくて簡単に突破される学園のセキュリティですって」

 

「その発言が既に物騒なんですのっ! とにかく風紀委員(ジャッジメント)として‥‥といいますか一般市民として犯罪行為は慎んで下さいまし!」

 

 

 唯一例外を挙げるならば、それなり以上の規模を持った研究機関や教師、風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)などの治安維持組織などだ。

 こちらはある程度のレベルまでの閲覧ならば、特に許可を得ることなくアクセス出来る。事件の度にしかるべき場所へ申請などしていては、捜査が滞る。

 もちろん申請無し、というよりは組織に応じて閲覧できる層があり、風紀委員(ジャッジメント)の一支部が許可無しに閲覧出来る層などでは大能力者(レベル4)の能力の詳細程度で、個人情報までは確認出来ない。然しその程度であっても、初動捜査には十分に過ぎた。

 

 

「‥‥しかし初春、貴女が数十分から一時間も検索して見つけられないんですの?」

 

「あ、はい。流石に“カガリ”っていう名前だけですと、ちょっと無理が‥‥。

 名字かなって思って検索したんですけどHITしなくて、名前かなと思っていろいろと漢字を変えて検索しても駄目で‥‥。読み仮名でも検索出来てるはずなんですけど」

 

「それは妙ですの。確かその彼、能力開発を受けた『発火能力者(パイロキネシスト)なのでしょう? だとしたら書庫(バンク)にデータが無いはずはありませんわ。

 たとえば無能力者だとしても、能力開発を受けていれば書庫(バンク)にデータは残りますもの」

 

 

 突然に現れ、強盗犯二人を無力化した白髪の少年と白衣の青年。

 結局のところ自分がしたのは意識を失った犯人の拘束と、警備員(アンチスキル)への連絡だけ。小学生でも出来る簡単なお仕事です。少し前までは小学生だったのも確かだけど、風紀委員(ジャッジメント)としては実に情けない。

 

 白髪の少年の方は自分と同い年か、あるいは下手すれば年下の可能性もあるだろう。身体強化系の能力者だったのか、銃弾を弾き、あの細い体からは予想もつかない程の力で拳銃を構えた強盗を蹴り飛ばしていた。

 

 白衣の青年は間違いなく自分より年上だろう。大学生‥‥いや、高校生か。おそらく三年生ぐらいだろう、背丈は百八十を超える長身だったし、顔立ちも随分と大人びていた気がする。

 彼などは見事に片方の強盗、発電能力者(エレクトロハンド)から大能力者(レベル4)クラスの電撃を食らっていた。

 だというのに、無傷。本人は『発火能力者(パイロキネシスト)』と(うそぶ)いていたが、火や熱で電流をどうやって防いだのだろうか。

 

 

「‥‥二度あることは三度ある。二回も会ったんですから次もあるかもしれませんし、出来ましたらしっかりと調べてちゃんとしたお名前を知って、お礼をしたいところです」

 

「単に興味があっただけではありませんの?」

 

「それもそうですけど」

 

 

 “カガリ”、とだけ彼は言った。

 順当に考えれば名前なのだろう。名字なのか名前なのかは分からないが、普通は自己紹介をするならばフルネームと所属ぐらいは言って欲しい。

 

 

「まさか偽名だったという可能性はありませんわよね?」

 

「だったとしても不思議じゃありません。別に不良の類には見えませんでしたけど、風紀委員(ジャッジメント)に名前を知られたら困るような人って可能性もありますし」

 

「はぁ、だとしたら探すのは不可能に近いですわね。

 学園都市二百三十万人の学生の中から、ひたすらに顔写真を照会し続ける作業なんて、よっぽど退屈を愛する人間でなければ耐えられませんの」

 

「‥‥出来ないこともありませんけど、ちょっと御免被りたいところではありますね」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部所属、初春飾利。

 戦闘などでは殆ど活躍できない低能力者(レベル1)でありながら風紀委員(ジャッジメント)として立派に活動する彼女の本領は、情報処理能力の高さにある。

 幾つものディスプレイを並べながら、並列してPCを操作、現場のバックアップをする。それは監視カメラの映像をチェックしながらの誘導などから、容疑者を書庫(バンク)から検索する作業まで、幅広く何でもこなす。

 今までも目撃情報だけを頼りに正真正銘二百三十万人いる書庫(バンク)のデータから犯人を捜しだしたことだってあった。けれど、それは仕事だからで、正直普段の些細な調べ物からそのレベルの労力を費やすのは馬鹿馬鹿しい。

 

 

「‥‥『発火能力者(パイロキネシスト)』のカテゴリで絞り込みは致しました?」

 

「ポピュラーな能力ですから、それでも膨大な数になりますよ?」

 

「確かに学園都市でもトップ10に入る能力ではありますわね。やれやれ、八方塞がりではありませんの」

 

 

 『発火能力者(パイロキネシスト)』。

 『発電能力者(エレクトロハンド)』。

 『念動力者(サイコキネシスト)』。

 『水流操作(ハイドロハンド)』。

 これらは学園都市でも代表的な能力であり、それぞれのカテゴリに非常に多くの学生が存在している。

 それを一々調べるのでは、結局のところ覚悟が必要な能力であることには違わない。これは正直、キツイ。

 

 

「‥‥ちょっと時間がかかるかもしれませんねぇ。今日明日とかでやる必要もないことだし、後回しにしますか」

 

「その方がよろしいですわね。‥‥そういえばもう一人、協力して下さった方がいらっしゃったんですのよね? そちらの方は調べなくてもよろしいんですの?」

 

「あ、そういえば」

 

 

 二回も会った衝撃的な白衣の男性の方にばかり意識がいっていたと、初春は手鼓を打つ。

 確かに協力してくれた通りすがりの人は二人だった。強盗犯を豪快に蹴り飛ばして全治二週間の怪我を負わせた―――正当防衛とはいえ―――白髪の少年。どちらかといえば書類の処理が面倒だったのは彼の方である。

 

 

「確か名前は‥‥“一方通行(アクセラレータ)”とか呼ばれてたような」

 

「“一方通行(アクセラレータ)”? まるで能力の名前みたいですの」

 

「渾名ですかね? とりあえず検索かけてみましょうか」

 

 

 カタカタカタ、と軽快にキーボードの上を白い指が走る。

 マウスやキーボードなどの前時代的な端末以外にも、学園都市には当然のようにタッチパネルや音声入力式の端末も存在しているが、初春は軽い快音がする黒い板を気に入っていた。

 実際には利便性と汎用性から学園都市内でも殆どの場所でキーボードは未だに使用され続けているが、特に初春はこの端末を愛している。

 何より手首を固定したままに両手の指が届く範囲での捜査で、基本的にはPCの全ての操作ができるのが良い。自分でキー配列を工夫(カスタマイズ)すれば更に自由度や利便性は上がるし、使いこなしているという実感があるのも良かった。

  

 

「あ」

 

「見つかりましたの?」

 

「はい、こっちは意外に早かったですね。やっぱり能力名だったらしいです。

 ‥‥えーと、学園都市序列第一位、『一方通行(アクセラレータ)』―――って、序列第一位?!」

 

 

 ガタン、と椅子の肘掛けを大きく叩いて、初春は思わず体を浮かせた。

 隣に立っていた黒子も組んでいた両腕をだらんと垂らし、はしたなく口と目を丸く開けている。

 

 学園都市序列第一位。

 文字にすると非常に簡潔なものであるが、それも当然、つまるところ学園都市に存在している二百三十万人の能力者の頂点。ただ一人存在する絶対強者ということである。

 大能力者(レベル4)というエリート中のエリートである黒子にしてみても、軽く雲の上の人間だ。いや、もはや人間という表現を当てはめても良いのかすら怪しい。

 何せ学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)というのは、単独で軍隊を相手に出来る戦力を保持しているのだから。

 

 

「お姉様と同じ、超能力者(レベル5)‥‥。しかも、序列第一位ですの」

 

「‥‥はー、確かにいとも簡単に強盗の人を制圧してたから只者じゃないとは思ってましたけど、まさか第一位とは思いませんでした」

 

 

 書庫(バンク)にあるのは、顔写真と能力の名前のみ。

 どんな能力か、ということは一切書いてない。それどころか本名すら無く、写真の中の白髪の少年は如何にも不機嫌そうにこちらを睨みつけている。

 

 

「そういえば白井さんが『お姉様』って読んでる人って、常盤台中学の『超電磁砲(レールガン)』なんですよね?」

 

「ふむ、その通りですわ。お姉様こそ常盤台中学が誇る天下無敵の電撃姫。学園都市序列第三位、『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴お姉様ですわ!

 あぁお姉様、今日はお姉様とお買い物にいけなくて申し分かりませんの‥‥。でも黒子は、黒子は何時でもお姉様のことを思っておりますわ! あぁお姉様お姉様‥‥」

 

「あーあトリップしちゃった。白井さんってこうなると長いからなぁ‥‥」

 

 

 横で体を抱えてくねくねと気色の悪い動きを、気色の悪いだらしない笑顔で始めた黒子を放置して、初春はぼんやりとマウスを動かした。

 そういえば超能力者(レベル5)のリストなんて初めて見る。普段の捜査で使う資料は大能力者(レベル4)が精々であるし、支部にいる間は考えてみれば忙し過ぎて書庫巡り(ネットサーフィン)なんてしていなかった。

 ‥‥その分だけPCを好き放題弄ったりして支部長の頭痛の元を鋭意作成していたりしたのだが、そこは割愛。

 

 

「えーと何々、学園都市序列第二位『未元物質(ダークマター)』。

 学園都市序列第三位『超電磁砲(レールガン)』。

 学園都市序列第四位『原子崩し(メルトダウナー)』。

 学園都市序列第五位『心理掌握(メンタルアウト)』。

 学園都市序列第六位『無尽火焔(フレイム・ジン)』。

 学園都市序列第七位『削板軍覇』。

 ‥‥あれれ? なんで最後の人だけ名前で、能力名がないんですかね―――って、あぁぁぁああ!!!」

 

「ど、どうしましたの初春?!」

 

 

 一人一人、データを呼び出して見ていってみる。

 第三位の御坂美琴以外は顔写真すらない者も多く、能力については当然ながら説明などされていない。

 が、その中の一人。『学園都市最高の“発火能力者《パイロキネシスト》”』である超能力者(レベル5)の項目を開いたとき、初春は思わず歓声というよりは驚きに近い大声を上げた。

 

 

「み、見つけました! 見つけましたよ白井さん!」

 

 

 初春が指さす、ディスプレイ。

 そこには先程口に出した、学園都市序列第六位、『無尽火炎(フレイム・ジン)』という能力名の超能力者(レベル5)

 学園都市最高の『発火能力者(パイロキネシスト)』とだけ説明されている欄の隣、半分近い超能力者(レベル5)が“NO PICTURE”と表示されていた写真の項目。

 

 そこに、つい今日さっき会ったばかりの、精悍かつ爽やかな顔つきながらも無表情な、

 白衣の男の写真が、載せられていたのだった。

 

 

 

 

 



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第4話 『一位、六位、超能力者』

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「いらっしゃいませ、こんばんわ。お客様はお二人様でよろしいですか? 喫煙席でよろしければすぐにご案内できますが‥‥」

 

「あー、ハイハイどっちでもいいですよォ。腹減ったんで早く案内しろっつンだ」

 

「‥‥まったく、キミは腹が減ると途端に機嫌を悪くするなぁ。あ、コイツのことは気にしなくてもいいってことです」

 

「は、はぁ‥‥? それではお席の方にご案内いたします」

 

 

 夜。時刻は大体十時ぐらいだろうか。いくら太陽が出ている時間が長い夏とはいっても、流石にこの時間になると外は暗い。

 基本的に暗くなったら完全帰宅時刻であり、自炊が推奨されている学園都市とはいっても、もろもろの事情で外食を余儀なくされる学生はいるし、当然ながら多数存在する大人たちも利用する。

 そのためにふつうならば学生が出歩かない夜の時間であっても、それなりの数の飲食店が営業していた。

 代表的なものは、ファミレスだろう。外の世界でも全国的なチェーン店が何種類か、学園都市の内部でも軒を連ねている。

 学生の昼食などにはお手軽で安価なコンビニやファストフードチェーン、丼チェーンなどが喜ばれるが、流石に夕食までそれでは心が貧しくなるというものだ。

 

 

「ご注文がお決まりになりましたら、お手元の呼び出しボタンを押してください。こちら、メニューでございます」

 

「どうも、ありがとうってことです。ほら一方通行(アクセラレータ)、水」

 

「おゥ」

 

 

 店内は残業やら何やらを終えたのだろう大人たちで賑わっている。そもそも規模としてあまり大きくない店なのか、既に禁煙席は満席だ。

 ところどころにちらほらと親子連れも見えるのは、学園都市に勤めている教師や研究員たちの家族だろう。二百三十万人の八割を学生が占めているとはいえ、残りの二割は立派に大人。学生たちが快適に過ごすためには彼らの存在が欠かせない。

 

 そもアルバイトなどが推奨されない場所であるから、こういった店の従業員などはしっかりと外部から店員を派遣してきているのだ。

 大学生などになると比較的バイトもするようになるらしいが、特に高校生に対する学園都市のカリキュラムはバイトに現を抜かしていられるレベルではない。

 学園都市は、まさしく学問のための都市であった。 

  

 

「なんつゥか遊びすぎて腹減ったなァ‥‥。昼飯食ったのは三時ぐらいだったはずなンだが」

 

「お開きする頃にはボーリングやったりバッティングセンター行ったりしてたから、疲れるのも当然ってことです。もともとゲーセンなんてそこまで数がないんだから、仕方ないと言えば仕方ないかもしれないけどさ」

 

「最後のゲーセンで会った連中と意気投合しちまったからなァ。大勢で騒ぐのも、たまにはいいもンだ」

 

「よく言うよ、群れるのは嫌いだっていっつも言ってるくせに」

 

「だからたまにはって言ってンだろォが。それに普段からつるむようだと目障りになンだよ。一期一会で会った連中だから、後腐れなく騒げンだ。‥‥いつも大勢でいンのは、俺の趣味じゃねェ」

 

「‥‥ま、そうだね」

 

 

 カラリ、と店員が持ってきたお冷のグラスの中で氷が音を立てる。

 夏だからとキンキンに冷えているグラスは表面が自然と結露していて、手についた水滴を一方通行(アクセラレータ)はベクトル操作で一滴残らず床へ弾いた。

 

 ちなみに当初の予定と違い、昼食はアツアツの牛丼を余儀なくされたので、堪え性のない第一位は早々に熱と日差しの反射をデフォルトに戻している。

 体力を削る要素が一つ無くなったからか元気になった白髪の少年は、そこからさらにペースを上げて遊び倒し、第七学区最後のゲーセンで出会った、おそらくは武装無能力者集団(スキルアウト)の類だろう不良達と意気投合。

 互いの素性どころか名前も喋らぬままに、ボーリングやらバッティングセンターやらで遊び倒した。

 

 もっとも彼らも意気投合した相手の二人が、多かれ少なかれ能力者であるだろうことは勘付いていたし、二人にしても相手が無能力者(レベル0)だろうなと当りをつけていた。

 ここでその勘繰りを確信へと変えてしまえば、軋轢が生じるのは明白。よって互いに空気を読んで一切の個人情報を漏らさなかったのは、懸命であると同時に粋というものだろう。

 

 

「俺が一緒にいンのは、俺が触ってもコワレねェ奴だけだ」

 

「該当するのは僕ぐらいってこと、かな?」

 

「否定はしねェよ。まァいつかはテメェも、コワセルようにならねェといけねェンだろうがな‥‥」

 

「キミは僕を殺せないし、僕じゃキミを殺せない。お互いに能力の相性が悪すぎるってことです。

 まぁ楽しみにしてるよ。僕としても、誰かが僕を消してくれるのが心待ちで仕方ないってことです‥‥」

 

 

 片手の指で足りる友人と自分との視線を遮るように、水の入ったグラスを目の高さに掲げる。

 光のベクトルを操作すれば、水とグラスで偏光して僅かに歪んだ像など簡単に元通りに直すことも出来るが、特にそんなことはしなかった。

 決して長い付き合いというわけではないが、それでも外見上は軽く五つばかり年上に見える友人は、きっと相変わらずの色を感じさせない無表情でこちらを見ているのだろうから。

 

 

「‥‥さて、くだらねェ話は止めだ。腹も減ったし何か食わねェと死んじまう。

 ふつうの定食も飽きたし、何か無ェかな、季節限定とか当店限定とかの面白そうなメニューは」

 

「そのミーハーなところは何時まで経っても治らないね。僕にしてみれば、とっても不思議ってことです」

 

「俺ァ退屈が一番嫌いなンだよ。日々刺激が無ェと、退屈で死ンじまいそうだ。つーかテメェも似たような存在だろォが、いっつもいっつも愚痴ばっかり言いやがって‥‥」

 

「僕のそれはキミとはちょっと方向性が違うってことです」

 

 

 真面目な目を普段の気怠げなソレへと変えて、一方通行(アクセラレータ)はメニューへと視線を落とした。

 学園都市最強の超能力者(レベル5)である彼にとってみれば、日常は実に退屈な代物なのだろう。カガリが彼と知り合ってからずっと変わらず、面白いモノ、目新しいモノ、珍しいモノを探す姿勢は変わらない。

 特に顕著なのが食べ物で、基本的に目の前でメニューの端から端までじっくりと眺めている白髪の少年は、基本的に限定品の類に弱い。

 季節限定の商品には必ず手を出すし、奇抜なメニューがあれば一切躊躇せず、むしろ楽しそうに果敢に挑戦する。

 カガリ自身は体質上その煽りを食らったことはないが、それにしてもいくら珍しいモノが好きだからといって、その姿勢が一体どこから湧いてくるのか、彼にとってみれば不思議で仕方がなかった。

 

 

「お、いいなコレ。“夏を乗り切る新メニュー! 杏仁麻婆!”」

 

「‥‥‥‥」

 

「“ピリリとした麻婆ソースと甘い豆腐がナイスマッチ! 口の中で混じり合う、未知の甘辛メニュー”」

 

「‥‥ホント、僕には全く分からないってことです」

 

「なァに言ってんだ? こォいう少しの間だけ一瞬、だけど閃光のように輝いてアーッ!という間に消えてくメニューだからこそ、挑戦する価値があンだろォが。

 すいませェん、この杏仁麻婆っつーの定食で。あとコイツにメロンフロート一つ」

 

 

 メニューの写真には、杏仁豆腐と麻婆豆腐を合わせたトンデモ料理が載せられている。

 パッと見た感じでは変なところなど何も無いが、麻婆の泥の中に浮いた豆腐がやけに真っ白で、ついでに麻婆の泥はやや透明な汁と混ざり合っていた。

 写真を撮ったプロの腕が相当良かったのだろう。冷静に考えれば信じられない組み合わせなのだが。真っ赤な麻婆の中に純白の豆腐、そしてその周りに悪い夢かとでも言いたげに配置された各種の缶詰フルーツが、色鮮やかで目に美しい。

 

 

「‥‥いやァ楽しみだぜ。どんな味がすンだろォなァ?」

 

「きっと肩の肉が抉れたり、歯が生え替わったりするような味だと思うってことです。骨は拾ってあげよう、成仏するんだぞ」

 

「ったく、フロンティア精神を理解出来無ェ奴だな。そンな無気力な面してやがるから、路地裏歩く度に余計な連中から絡まれンだよ」

 

「あれはどっちかっていうと一緒に歩いているキミのせいってことです。僕は基本的に争い事は好まないんだよ。暴力は振るうのも振るわれるのも、教育上よろしくないってことです」

 

「失礼致します、お先にお飲み物の方をお持ち致しましたー!」

 

 

 やや大きめのグラスいっぱいに注がれた、盛大に気泡を立てる透き通った緑色の炭酸飲料。

 見る目を楽しませる美しい色の液体には目の前に座る少年の髪の毛よりも白いアイスクリームが浮いており、そこにチョコレートを棒状のビスケットに塗りたくった菓子が一本刺さっていた。

 例えばそれは小学生などの子どもが、好んで注文する商品。たとえ今が初夏の、それも尋常じゃなく暑い熱帯夜だったとしても、大の大人が飲むのは少々恥ずかしい代物だ。

 

 まだ辛うじて少年と言える一方通行(アクセラレータ)がそれを飲むのならば、まだ何とか絵になったかもしれない。しかし実に嬉しそうにストローに口をつけたのは、カガリの方だった。

 百八十を優に超える身長を持つ彼がメロンフロートを啜っている姿は、ある意味では十分に第三者が目を見開いてもおかしくはない光景だ。

 一口ごとにニコニコとはにかむ様子だけ見るならば、とても高校生には見えないだろう。精々が中学校低学年、あるいは女子中学生である。

 ‥‥もちろん彼が、身長百八十を超え、肩幅広く、足の長い立派な青年でなければの話なのだが。

 

 

「うん、やっぱり炭酸は美味しいな。この喉を通り抜けるシュワシュワって感覚がたまらないってことです」

 

「テメェは何か飲む時ァいっつもそれだよなァ? 俺には良くわかンねェってことです」

 

「‥‥人の台詞を取らないで欲しいってことです。そういえばキミは食べ物は嫌になるぐらい冒険するくせに、飲み物はいつも決まってブラックのコーヒーだよね」

 

「あァ、俺は至高の飲み物を見つけちまったからな。特に缶コーヒーは最高だ、あの安っぽい苦さがたまンねェ」

 

「―――大変お待たせいたしました、こちら杏仁麻婆定食でございます。熱かったり冷たかったりしますので、お気を付けてお召し上がり下さい」

 

 

 ドヤ顔で笑う一方通行(アクセラレータ)の前に、大皿が一つと小皿が二つ。それに中華スープとご飯の盛られたお椀が一つずつ置かれる。

 小皿が二つあるのは、メロンフロートしか注文していないカガリに対する配慮だろう。もっとも彼は友人と違ってこの手のゲテモノ料理を好かないので、口をつけることはないだろうが。

 

 

「来た来た! なるほどなァ、こいつが杏仁麻婆か‥‥」

 

「こ れ は ひ ど い」

 

 

 実際に目にしてみると、ソレのインパクトは並大抵のものではなかった。

 鉄鍋に盛られた麻婆豆腐は一般のソレとは異なり、血の池地獄と見紛う程に毒々しい赤色をしている。おそらく、いや、間違いなく辛い。それも、相当なレベルで。

 その麻婆豆腐に彩りを添えているのが、これまた目を見張るぐらいに真っ白な杏仁豆腐だ。こちらは麻婆で煮込んだわけではなく、麻婆豆腐の上に盛りつけているらしい。

 おそらくは麻婆の方の豆腐も杏仁豆腐に使われる独特の舌触りのものを用いているのだろうが、それにしても鮮やかな白だ。‥‥血の池地獄に浮かぶ、白骨のようなイメージだが。

 ちなみに鉄板の外周部に彩りを添えるべく並べられているフルーツ達は、当然しっかりと熱せられている。これがパイナップルやリンゴならまだ我慢できるかもしれないが、みかんあどになると十分に悪夢の範疇だ。

 こんなものを食べる奴は、よほどのキワモノか、味覚が破壊された奴に違いない。そう万人に思わせる料理である。

 

 

「いいねェいいねェいい面構えしてやがンじゃねェか! おい見ろよテメェこの毒々しい色をよォ! 食べる奴に食欲ってもンを起こさせねェ見た目、辛い麻婆ソースと甘ったるい杏仁豆腐の混じり合ったカオスな匂い!

 こいつァ俺に挑戦してやがンな。いい度胸だ、学園都市序列第一位の実力ってもンを、祖のみに味あわせてやらァ‥‥!」

 

「‥‥南無」

 

 

 スプーンを取り、ぐるりと一混ぜ。この手のミックス料理は基本的に混ぜ合わせるのが基本的なコンセプトだ。

 よく冷えた杏仁豆腐に、麻婆が絡む。どうやら豚挽肉ではなく鶏挽肉を使っているようで、あっさりとした鶏肉を使うことで甘い汁との調和を試みているらしい。

 

 

「そンじゃまァ‥‥」

 

「ドキドキ」

 

「いただきまーす‥‥っと」

 

 

 パクリ、パクリ、もぐもぐもぐもぐ。

 

 

「‥‥一方通行(アクセラレータ)?」

 

 

 もぐもぐもぐもぐ。

 期待にあふれた表情のまま、まるで凍り付いたかのように、機械にでもなったかのように、黙々と一口目を咀嚼し続ける。

 そもそもからして、そこまで歯ごたえがある食べ物ではないはずだ。豆腐の種類にもよるが、下手すれば飲み込むことだって簡単のはず。

 

 

「おい、そんな調子で大丈夫か?」

 

「‥‥だdだだdだ大丈bだ、mンだィ無ィ」

 

「見るからに問題大ありってことです。‥‥まったく無茶しやがって、僕は知らないって言っただろうに」

 

 

 ごくり、と杏仁麻婆を飲み込んだ瞬間、一方通行(アクセラレータ)は口から白い煙を吐き出して小刻みに震え出す。

 予想以上の味だったらしい。さすがに一方通行(アクセラレータ)とはいえ、味覚から来る精神的ショックまでは反射出来ない。他の能力者からの精神干渉なら話は別だが、この衝撃にはベクトルが存在しなかった。

 

 

「‥‥おいおい、ホントに大丈夫か?」

 

「―――あァ、大丈夫だ。ちょっと意識が良いカンジに飛ンじまったが、乗り切った。

 くそ、まさかこの俺が一瞬でも敗北しかけるとは、とンでもねェ敵だったぜ。俺はコイツを好敵手(ライバル)に認めてやンよ」

 

「随分と安い好敵手(ライバル)もあったってことです」

 

 

 ぶるぶると震えながらも、一方通行(アクセラレータ)は第一位としての矜持を賭けてスプーンを手にする。

 一口、たったの一口食べただけで、あの有様だったというのに。なおも挑戦しようと言うのか。いったい何処からそのエネルギーが沸いて出てくるのだろう、カガリは心底呆れた視線を友人へと向けた。

 

 

「まぁ、食べ物を粗末にしない姿勢は評価できるってことです」

 

「‥‥なァおい、これ炎で燃やせたりしねェか?」

 

「―――前言撤回。自業自得なんだからキミだけで頑張って下さいってことです」

 

 

 震えながらもスプーンを手にして杏仁麻婆に果敢に挑戦する一方通行(アクセラレータ)を見て、カガリは呆れたように溜息をついた。

 彼は生まれの関係上、食べ物を粗末にしたり、お金を無駄遣いしたり、そういう行為に対して非常に抵抗感がある。

 そういう意味では一方通行(アクセラレータ)は基本的に遊び以外ではさほど金を好んで使う生活をしないので、友好的な関係を築けている一助だ。

 

 

「‥‥そういえば一方通行(アクセラレータ)

 

「辛くて甘くてくか、かカ、かカkかカk―――っは、今おかしな世界に意識がとンでやがったぞ‥‥! なンだ?」

 

「今日の“実験”は、中止なのか? 僕の方には連絡が来てないってことです」

 

「‥‥ッ」

 

 

 ―――瞬間、空気が凍り付いた。

 何とか鋼の克己心で以て杏仁麻婆を退けた一方通行(アクセラレータ)から、途端に感情の色という物が消えて無くなる。

 怒りも苛立ちもなく、ただ純粋に氷のような事実がそこにあるだけ。

 あるいは何かの感情があったのかもしれないが、カガリはそれを探る、という姿勢をそもそもにして持ち合わせていなかった。

 

 

「まぁほら、最近この時間帯はキミと一緒にいるからね。僕の方に連絡が来なくてもおかしくはないってことです。

 けど僕としては正直、今日はもう眠らないと負担がかかってしまうので‥‥出来れば早めに用事をすませてしまった方が嬉しいってことです。無いなら無いで、それにこしたことはない。そうだろ?」

 

「‥‥あァ、テメェは夜更かし出来無ェ体質だったな。そりゃ悪かった、今日は散々連れ回しちまってよォ」

 

「‥‥そういうこと言ってるわけじゃ、ないってことです」

 

 

 何とか完食した、綺麗に空になった杏仁麻婆の皿に空虚な視線を落とす。

 その瞳には何も写っていなかった。皿も、机も、視界の上端にちらほらと見え隠れする友人も。

 実際に網膜に映像が投影されているか否か、そんなことは問題じゃない。瞳に移すという意志がなければ、人間はそれを見ているということにはならないのだ。

 

 

「今日で何回目だい、一方通行(アクセラレータ)?」

 

「さァな、百回から数えンの止めちまったよ。いつものお相手がペラペラ喋ンので確認するだけだ」

 

「キミの目標まで、実験完了まで、あと何回だろうね? 僕は正直、飽きてしまったってことです」

 

「‥‥そうかよ」

 

 

 ギロリ、と視線が疾る。その視線だけで人間を殺せるんじゃないかというぐらいに凶悪な視線だが、それを受けたカガリは相変わらずの無表情を崩さない。

 ‥‥あァそうだ、そォいえばこの友人は決してブレることがなかったンだったか。

 その感情の色を見せない無表情を暫く睨みつけた一方通行(アクセラレータ)は、1人で動揺して激昂している自分がまるで道化のようだと、フンと鼻を鳴らしていつも通りの不機嫌を装う。

 

 

「‥‥今日の実験は調整の都合で深夜らしい。場所は第十学区の倉庫、細かい時間は俺の携帯の方に連絡が入るンだとよ」

 

「おいおい、そいつは随分と、何時にも増して適当ってことです」

 

「さァな、俺にも理由なンて知るかよ。‥‥で、どうすンだよ? テメェ長い間起きてられねェ体質だろォが」

 

「‥‥うーん、とはいえ僕は強制じゃないとはいえ見届け役だからなぁ。それに、キミを1人で実験に出すわけにもいかないってことです。‥‥心配だ」

 

「―――ケッ、テメェに心配される程、耄碌しちゃあいねェよ。おい、俺の名前を言ってみな」

 

 

 不機嫌な表情の中に、自嘲を含んだ笑みが混じる。

 本人は自信満々の笑みのつもりなのだろうか。語調は勇ましいが、苦笑いにしか見えなかった。

 

 

「‥‥学園都市序列第一位、『一方通行(アクセラレータ)』」

 

「だろォ? いくら俺と第六位(テメェ)の能力の相性が悪いからってよ、格下に心配される云われは無ェんだよ。

 とっとと帰って、明日に備えて寝ちまいな。‥‥また明日も隙してンだろォが。どっか、行くぞ」

 

「‥‥やれやれ、生憎と振り回されるのは慣れてるってことです」

 

 

 無表情が一瞬崩れて、笑みが漏れる。

 その笑みも結局のところ感情が感じられない、仮面のようなものだ。それはカガリの特徴、個性のようなものなのだから仕方がない。しかし一方通行(アクセラレータ)には、そこに呆れを感じることが出来た。

  

 

「‥‥ホントに、大丈夫なのかい?」

 

「くどい。何もあるわけ無ェだろォが。俺ァ“最強”なンだぜ? なァ、“絶対無敵の第六位”サマ?」

 

「その看板、キミが相手でも下ろしたつもりはないから、皮肉みたいに使わないで欲しいってことです」

 

 

 ガタリ、と音を立てて席を立つ。

 こうして呼び出されて付き合った後は、基本的に飲食の代金は一方通行(アクセラレータ)が持つというのが二人の間での決まり事だった。

 もちろんカガリとて超能力者(レベル5)である以上はそれなり以上の額を学園都市から貰っているわけだが、そのあたりは当人達の感覚というものなのだろう。

 

 

「じゃあ僕はご厚意に甘えて帰らせてもらうってことです。また明日な、一方通行(アクセラレータ)

 

「おゥ帰れ帰れ。ちゃんと明日は朝起きンだぞ」

 

 

 ありがとうございましたー!と元氣な店員の挨拶を背に受けて、カガリは通い慣れたファミレスを出た。

 熱帯夜とはいえ、ビル風は勢いが良く随分と肌寒い温度だ。昼間との温度が違い過ぎて、一日中外に出ていた人などは風をひいてしまうこともあるだろう。

 

 

「‥‥やれやれ、心配な子ども達が多すぎて、お兄さんは心労が絶えないってことです」

 

 

 今し方出てきたばかりのファミレスを振り返りながら、カガリは呟いた。

 ああ言ってはいるが、一方通行(アクセラレータ)が“実験”に関して一定以上のストレス、悩みを抱えていることは間違いない。そしてその原因というのが単純に無いように関するものではないことも分かるからこそ、自分にはどう対処していいか分からない。

 

 そもそも自分は、能動的な存在ではなかったか。

 自分のような存在が、他人の悩みを解消しようと思案するのが、そもそも間違いなのではないか。

 もっと適役がいるだろう。結局のところ自分は、誰かの悩みに共感したり出来る存在ではないのだから。

 

 しかし同時に、実際それが誰かの役に立つか、ということは別にして、自分は誰かを心配する存在ではあった。

 それは純粋に、前提条件だ。自分という存在は、他者の“面倒を見てやる”姿勢を前提条件として植え付けられている。

 だからこそ、最終的にその“誰かの力になろうとする自分の悩み”が労を結ぶかどうかは別として、きっと自分は悩み続けるのだろう。

 

 

「‥‥うん、そうだね。悲しいかもしれないけど、それでもこれが現実ってことです」

 

 

 誰かに言い聞かせるように、教えるようにカガリは虚空に向かって囁いた。

 能動的に干渉する存在ではないから、だからこそせめて、友人として自分は一方通行(アクセラレータ)のそばにいよう。

 きっといつか、彼にも側に居てくれる人物が現れる。自分のような存在ではなく、もっと親身に、自分のことのように彼のことを考えてくれる人物が。

 

 そんなことを考えながら踵を返し、彼は学園都市の路地裏へと白衣を翻して歩き出す。

 一陣の突風、ビル風が白衣を巻き上げて、その次の瞬間には、陽炎のようにカガリの姿は消えていた。

 

 

 

 

 



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第5話 『長点上機、常盤台、超能力者+α』

 

 

 

一方通行(アクセラレータ)

 

「なンだよ」

 

「僕はキミに一つ、言いたいことがあるってことです」

 

 

 宇宙空間に打ち上げられた衛星に搭載されたスパコン、『樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)』によって完全に“予言”された天気が公開される学園都市では、分単位、秒単位で次の天気が分かる。

 そんな学園都市で、わざわざ雨の日を選んで出歩く奴は居ない。故に今日もたくさんの人で賑わう第七学区の大通りは、相変わらず暴力的な日差しが降り注ぐ快晴であった。

 

 

「キミに呼び出されるのは別に構わないってことです。もう慣れてるし、僕としてもキミと遊ぶのは楽しいと思ってる。

 けどね‥‥」

 

「おゥ」

 

「―――研究室で実験協力している最中に、無理矢理呼び出すのはどうかと思うってことです。このままじゃ間に合わないって、研究員の人たち泣いてたんだぞ?」

 

「知るか」

 

 

 日々技術が進化し続ける学園都市。

 最も一日、または短期間での進歩や成長がめざましい少年少女達が住む巨大都市とはいえ、季節の変化を除いては毎日の景色がそう変わることはない。

 それは例のごとく二人そろうと尋常じゃなく目立つ学園都市序列第一位と第六位にしても同じだった。

 ブラブラと歩く白髪の少年は毎度のごとく気怠げだが、今日は紫外線や日差し、熱を反射しているので体調が悪いわけではなかった。

 ただ光は反射し切れてないのか、まぶしそうに目を細めている。

 

 

「いいだろォが、あンなくっだらねェ実験。実験のシュミレーション段階で検証が足りねェから、まだまだテメェが出て協力するレベルじゃ無ェよ」

 

「‥‥そこまで分かってるんなら、言ってあげればいいってことです」

 

「面倒臭ェ。つゥか俺のこのスパコン並の超絶頭脳を貸してやるレベルの実験じゃ無ェよ、連中は」

 

 

 もう1人の青年も、同じくいつも通りだ。

 初夏とはいえこの気温。だというのに長い白衣を着込み、汗の一つもかいていない。

 ただし昨夜が遅かったからか、心なしかユラリユラリと左右に揺れている気がする。あと若干フワフワ歩いている。非常に分かり易い、寝不足の症状だった。                                          

 

「随分と自信満々だね。まぁ納得出来てしまうのがキミがキミたる所以なのかもしれないってことです」

 

超能力者(レベル5)の演算能力なンて大体そンなもンだろォが。‥‥あァ、ワケ分かン無ェ第七位とテメェは違ったか」

 

「確かに。僕自身の演算能力なんてキミの足下にも及ばないだろうね。まぁ僕の本質はそういうところじゃないってことです」

 

「ありゃ演算してるワケじゃ無ぇのか」

 

自動(オート)ってことです」

 

 

 時間は午後。ちょうど今日はどの学校の授業が早めに終わっているらしく、まだ早い時間なのに大通りには学生の姿も多い。

 もちろん二人に関して言うと、どちらも学校なんてものには通っていないから放課後も授業中も関係ない。好きな時間に起きて、好きな時間に歩き回るだけだ。

 たまに学生がいてはいけない時間帯に出歩いてしまったりして警備ロボット、通称ドラム缶から注意を受けることもあるが、大概は片手間に一方通行(アクセラレータ)が能力を使って電気信号を操作し、追い返す。

 基本的に一方通行(アクセラレータ)は日常的に能力を使い、快適な生活を楽しんでいた。学園都市としては建前として能力の乱用を自粛するように呼びかけているが、勿論それを鵜呑みにしている学生などいない。

 特に二人は、超能力者(レベル5)の中でも相当にフリーダムに動き回っている方である。質の悪いことに、この二人は系統こそ違うが、どちらも学園都市において敵無し、と言い切れる存在だった。

 

 

「―――で、キミにとってはどうでもよくても、実験の途中で呼び出されたんだ。まさか何も考えてないってことは、ないはずだよな?」

 

「‥‥おゥ」

 

「ないはずだよな?」

 

「お、おゥ。そりゃ、そォだ。‥‥まァなンだ、とりあえずメシでも食うか」

 

「‥‥やれやれ、振り回されるのには慣れてるってことです」

 

 

 目指す場所は、いつものファミリーレストランだ。

 最近どうやら一見して普通じゃない客の来店が―――二人除く―――増えてきたおかげで店員も肝が据わったらしく、以前一回強盗事件に遭った時も全く慌てず冷静に対処出来たらしいと噂であった。

 おかげで繁盛しているらしいが、逆に濃いメンツばかりが集まっていると密かに店長が冷や汗を流しているのは客には決して見せない裏事情である。

 

 

「いらっしゃいませ、こんにちわ。いつもの席が空いていますが、そちらでよろしいですか?」

 

「おゥ」

 

「‥‥随分と慣れたのは僕だけじゃないみたいってことです」

 

 

 よく見る店員に案内されて、これまたよく座る席へと移動する。

 実はあからさまに怪しい二人組がよくこの席に座っていることを常連の客なら大体が知っていて、意識して座らないようにしているのだが、そんなことは誰も知らない。

 この時間帯にファミレスなどに来る奴は大概がお喋りに夢中で、長居する。だというのにその席はしっかりと空席であった。

 

 

「さァて、何か面白メニューは無ェかなァっと」

 

「‥‥あぁ、コイツはいつも通り放っておいてもいいってことです。僕はコーラを」

 

「はい、かしこまりました」

 

 

 真っ先にメニューの端から端まで食い入るように眺め始めた白髪の少年を完全に無視(シカト)した店員は、比較的常識人だと認識している白衣の青年からの注文をにこやかに受ける。

 しっかりと食事をとる一方通行(アクセラレータ)に対して、この青年が飲み物、それも炭酸しか頼まないのもまた同じくいつも通り。

 たまに新人の店員がしどろもどろに応答してしまうことはあっても、やはり常連としてはこの店の居心地が良いことには変わりなかった。

 

 

「杏仁麻婆で懲りなかったのかってことです」

 

「そンなことで挫けてたら、第一位の名が泣くってもンだろ。おォい店員さン、あんこ入りパスタライス下さァい」

 

「かしこまりました。こちらはご注文のコーラでございます」

 

「ありがとうってことです」

 

 

 もはや一方通行(アクセラレータ)の注文について店員も動じることはない。

 昨日は確かに存在していた杏仁麻婆はメニューから消去されていた。あれの危険性をチェーン店全てに知らしめるには、一日だけで十分だったようである。

 

 ちなみにメニューはタッチパネル方式の近未来型。リアルタイムで料金や商品が表示される上に、会員などは自動的に価格が修正されるので、セールだの何だのと悩む必要が無い優れものだ。

 もっとも様々な実験の恩恵で文字通り、腐るほどの金が通帳に残ってしまっている一方通行(アクセラレータ)や、そもそも炭酸系の飲み物しか頼まないカガリなどには無用の長物かもしれない。

 むしろ白髪の少年にとってしてみれば、面白メニューを口頭で照会してくれる馴染みの店員の方が何割かありがたかったりするのが寂しいところだ。

 最後に頼りになるのはやはり人と人との関わりだというのは、真理の一つなのだろう。

 

 

「お待たせいたしました、こちら『あんこ入りパスタライス』でございます。ミルクの方はサービスですので、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」

 

「来た来た来た来たァ、今日も期待してるぜェ!」

 

「‥‥これまた随分なゲテモノってことです。ていうかそろそろデザートとメインディッシュの組み合わせは止めて欲しいってことです」

 

 

 にこやかに笑う店員が持ってきたのは、大皿に盛られたパスタ。

 かなり分量がある。例の如く小皿が二つ付いているのは、もはや形式美となった同席者への配慮以外にも本来は二人分という理由があるのかもしれない。

 ‥‥いや、むしろ量としては十分に一人分であったとしても、このキワモノを一人で全て食べようとする客がいないからだろうか。

 

 

「‥‥あんこは冷てェのか。冷てェもンと熱いもンの組み合わせって、どォしてドイツもコイツも好きなンだろォな?」

 

「あぁ、気になるのはそこなんだ」

 

「ンだよ、なンか言いたいことでもあンのか?」

 

「いや別に。ただ、味には言及しないんだなって呆れちゃったってことです」

 

 

 期待の通り、あるいは危惧した通り、次のメニューもこれまた見た目に厳しい料理だった。

 『あんこ入りパスタライス』。これほど分かり易いメニューも無いだろう。とにかく見てそのまま、という代物なのだ。

 おそらくは抹茶が練り込んであるのだろうパスタは平べったい麺を使っていて、熱々。その上に白いクリームがかけられていて、白いゲレンデには真っ黒なあんこが敷かれている。

 だが危ぶむ無かれ、パスタの下にはまだボスが潜んでいる。何故かピンク色に着色された得体の知れない、米。それは単体で十分に異色を放つ存在だろうに、さらにおかしなことになっているのだ。

 ああ、なんということだろうか。それ自体は冷たいはずなのに、ほかほかと湯気を上げる生クリームとあんこ。この表現は何度となく使ったが、悪夢以外の何モノでもない。

 

 

「それじゃ、いただきまァす!」

 

「ドキドキ‥‥」

 

 

 ぱくん、もぐ、もぐもぐもぐ。

 あんこと生クリームを抹茶パスタに絡めて一口食べた一方通行(アクセラレータ)の反応を見るべく凝視する。

 呆れながらも、最近は若干この挑戦と友人の反応を見るのが楽しみになりつつあるカガリであった。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「どうだい?」

 

「‥‥普通に美味ェ。なンか表紙抜けだな」

 

「―――はぁ、なんだ良かったじゃないか。クソ不味いのに当たるよりはマシってことです」

 

 

 普段と違い、ぽかんと目を見開いてパスタを飲み込む友人に、こちらもきょとんとしたカガリは当然の反応を返してみせる。

 どうやら今回は麺の方が小細工をしていたらしく、普段の『メインディッシュ+デザート』というイカレた組み合わせではなかったようだ。

 米も決してゲテモノではなく、しっかりと味を計算していちごを使って炊いた餅米は、普通の米よりもこのメニューのバランスを安定させる。

 どうやら見たところ麺の味が、上に乗っかっているクリームやらあんこやらと調和しているらしい。それならば確かに、まぁ、今までの料理に比べればマシだろう。

 

 

「‥‥つまンねェ」

 

「はぁ?」

 

「こんなフツーの味を求めてたわけじゃ無ェンだ、俺は。そンなモンじゃ俺の好奇心は満たされ無ェンだよ」

 

「散々痛い目に遭ったのに、まだ懲りないのかってことです」

 

「痛い目に遭うのも、俺の好奇心を刺激すンだ。満たしてるっつっても過言じゃ無ェ」

 

「‥‥‥‥はぁ」

 

 

 とは言っても味は気に入ったらしい。ぶつくさ言いながらも白髪の少年は黙々とパスタを口へ運んでいく。

 一方通行(アクセラレータ)はゲテモノ料理、キワモノ料理、イロモノ料理の類が大好物ではあるが、それとは別の話として随分と舌は肥えていた。

 

 

「―――お客様」

 

「ん‥‥?」

 

 

 黙々とパスタを処理していく一方通行(アクセラレータ)をぼんやりと眺めながら最後に残った黒い炭酸飲料を飲みきったカガリの耳に、聞き慣れない声が届いた。

 ぐるんと、微妙に人間離れした柔軟加減で首を曲げた彼の目に飛び込んだのは、これまた見慣れない店員の姿。短めに髪の毛を整えた若い女性で、若干不気味なカガリを丸くした目で驚いた、というか怯えたように見つめている。

 

 

「も、申し訳ございませんお客様! 店内が少々混み合って参りまして、もしよろしければ、相席をお願いしてもよろしいですか‥‥?」

 

 

 びくり、と哀れなぐらい震えた店員が涙声にも近い声が漏れる。

 それを聞いた周りの席の客―――大概が常連であった―――から信じられない物を見るような目が集まった。

 この迷惑こそかけないが扱いづらい常連は触れずにそっとしておくのが最良というのが店側と客側、共通しての認識である。

 ‥‥どうやらこの若い店員、新人のようである。もしかしたら大学生のバイトなのかもしれないが、どちらにしても触れてはいけないものに自ら触れに行くあたり、ただ者ではない。

 もっとも、すでに後悔し始めているようなのではあるが。

 

 

「‥‥相席ィ?」

 

「は、はい! 出来ましたらでよろしいんですが、はい、本当に、出来ましたらで‥‥!」

 

「おィ、相席だってよ。どォすンよ?」

 

 

 もはやがくがくと震えつつある店員としては、おそらく無駄に威圧感のある一方通行(アクセラレータ)から「嫌だ」と一言言って貰えれば、それを幸いと一目散に逃げ出すつもり満々なのだろう。

 いくら相手が怒っていない、というか期限を悪くしていない段階にいるとはいえ、正直な話をすれば正体までは知らないだろうとはいえ、この一方通行(アクセラレータ)の前には長いしたくないところだろう。

 

 

「‥‥僕としては新鮮で、それもまた良いんじゃないかと思うってことです。キミはどうだい?」

 

「俺もまァ、たまには悪くねェな。‥‥いいぜ、連れて来いよ、その不幸な奴をよォ」

 

「は、はい! かしこまりましたぁ!」

 

 

 ギラリと目を光らせた一方通行(アクセラレータ)が意地悪そうに、というよりは凶悪そのものと言いたげな顔で笑う。

 何とか外見が中学生程度の体躯と身長だからマシだが、顔だけ見ると犯罪者を通り越してテロリストである。某巨大大国コメリカ当たりから悪の枢軸扱いされても否定出来ない。

 

 

「‥‥まァ子どもに泣かれンのも慣れた」

 

「子どもがいるところ出歩いたが最後、何もしてないのに風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が湧いて出てくるのは不思議ってことです」

 

「あいつら、1人見かけたら10人はいやがるからなァ」

 

 

 ざわりざわりと密かに浮ついていた店内が、今度は怯えるかのように静かになり始める。

 新入り店員の目論見は見事に失敗し、もはや半泣きに近い有様で彼女は『相席でも良いから。風情あるし』と綺麗な笑顔で言ってのけた迷惑な客を迎えに行った。

 店内の客、全てが彼女に向ける視線はこれ以上ない同情を含んでいるが、同時に他人は他人だ。

 出来ることなら一生でも、あんな立場に立たされたくない。皆が皆、そう思っていることだけは間違いないのだろう。

 

 

「お客様、こちらでございます。ご迷惑をおかけしておりますが、どうぞごゆっくり‥‥」

 

「あぁ、ありがとう。ほら黒子アンタも礼言いなさい―――つぅか、ひっついてないで座れっつぅのっ!」

 

「あぁぁお姉様の愛が痺れるぅぁぅぁぅぁあぅあぁぁあ?!!」

 

 

 もはや死んだ目をしていた店員が連れてきたのは、連れだった二人の女学生。

 着込んでいるのは清楚なブラウスと上品なサマーセーター。そしてやけに丈の短いスカート。

 密かに学園都市の男子学生の間でも人気の名門女子中学校の制服。厳しい学則故にほぼ百パーセント外部に出回ることがないというそれは、そもそも外を出歩く学生すら少ないことから神秘的な雰囲気すら纏っている。

 

 

「ごめんなさいね、ご歓談中に邪魔しちゃって」

 

「待ち人が来たらすぐに退出させて頂きますの。少しの間だけ、失礼いたしますわ」

 

 

 1人は茶色の真っ直ぐな髪の毛を、肩にかかるぐらいの短さに切りそろえた少女。活発で勝ち気そうながらも、誰はばかることなく美少女と称するだろう中学生ぐらいの少女。

 いや、来ている制服が中学生のものなのだから当然に中学生なのだが、おそらく連れよりは先輩なのだろう。

 あくまで自然体ながらも、何より印象的なのは瞳。自分自身の道をしっかり真っ直ぐ歩いているのだと伺わせる真っ直ぐな光を宿らせている。 

 きっと今まで一度たりとも、自分が歩いてきた道を、これから自分が歩いていく道を疑ったことなどないのだろう。そう思わせる強い力を秘めた瞳であった。

 

 もう片方の少女は、おそらくは後輩。

 ツインテール……が、枝分かれしてDNAの螺旋構造のようになった特徴的な髪型をしている。

 こちらも美少女。しかし色香……とはまた違う、具体的なんだか抽象的なんだか分からないが、だいたい斜め四十七°ぐらい違う雰囲気を辺りにまき散らしており、実に不可思議というか、違和感を感じる。

 まぁ見たところ間違いなく年下の少女であることには違いない。

 これが三十°や四十五°や六十°などでない辺りが、微妙な理由を端的に表しているだろう。とにかく絶妙な違和感があるのだ。

 もっとも袖に付けている緑色の腕章は風紀委員(ジャッジメント)のものだ。能力者を取り締まる立場にいる風紀委員(ジャッジメント)には腕自慢も多く、この少女も制服が表すとおり、最低でも強能力者(レベル3)であることは確実である。

 

 

「テメェは―――ッ?!」

 

「……はい?」

 

 

 その片方、髪の毛が短い方の少女を見た一方通行(アクセラレータ)が目を見開き、睨み付ける。

 信じられないものでも見たかのような、驚愕に満ちた瞳。いや、驚愕とも違う、まるで宿敵と正対したかのような、神経の張り詰めた目であった。

 

 決してそこに怯えはない。学園都市最強の超能力者、一方通行(アクセラレータ)に怯えるものなど何もない。

 だからあるのは、怯えや同様ではなく、緊張。

 それも閃光のように、電撃のように疾るわけではなく、彼らしく静かに、氷のように、冷たくピリピリと敵意が走る。

 

 小柄で華奢な少年ながらも、一方通行(アクセラレータ)の持つ威圧感は潮一級だ。

 尋常じゃないレベルで目つきの悪い、犯罪者どころかテロリスト一歩手前の白髪の少年に睨まれた短髪の少女は、びくりと震えて一歩後ずさった。

 

 

「……へぇ、こんな巡り合わせもあるのかってことです」

 

「―――あら、貴方はもしや……?!」

 

「うん?」

 

 

 ツインテールの風紀委員(ジャッジメント)が、何かを思い出したかのように白衣の青年、カガリを指さす。

 他人事のように一方通行(アクセラレータ)と、睨み付けられてビビる女子中学生をぼんやり眺めていたカガリは、今度は予期していない自分へのアプローチにびくりと体を震わせた。

 

 

 学園都市序列第一位『一方通行(アクセラレータ)』。

 

 学園都市序列第三位『超電磁砲(レールガン)』。

 

 学園都市序列第六位『無尽火焔(フレイム・ジン)』。

 

 学園都市に五十八人しかいない『空間移動能力者(テレポーター)』の最上位に位置する大能力者(レベル4)

 

 

 それこそ濃いも薄いも様々なキャラクターを持った学生達が集まる学園都市の中でも、特に濃い主人公達。

 本来ならこうして出会うはずのなかった彼ら、彼女らがどうしてここで集まったのか。

 そしてその出会いが、どのようにこれからの物語に関わっていくことになるのか。

 当然ながら当事者であるところの彼らにそんなことは分からず、また同じように、未来もさっぱり分からない。

 

 何せ未来なんてものは、能力開発よりもチンプンカンプンなのだ。

 いったい誰の言葉だったか、しかしそれは、真実でもあった。

 

 

 

 



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第6話 『能力者、四人、レストラン』

 

 

 常盤台中学。

 

 学園都市には大小様々な学校が存在する。

 それは幼稚園や小学校は当然として、中学校や高校大学、のみならず専門学校や通常の学校という定義に当てはまらないような多種多様な学問を学ぶ施設をも内包していることを指す。

 何よりカリキュラム自体が特殊で、国の中にあるはずなのに文部科学省の定めた大学設置基準や義務教育で教える科目などすら軽く無視して遙かに高度な勉強をさせる学園都市。簡単に括れるわけがない。

 学生は自分の資質や望む将来に併せて、それこそ無数に存在するカリキュラムや進学先などから好きなものを選んで成長していくことが出来る。

 もちろん自分のレベルが釣り合えばの話ではあるが、こと学問をするということを念頭に置く限り、学園都市は最高の場所であることは間違いない。

 

 だが、やはり当然のように外の世界と同じような常識、体制だって存在する。

 ましてや学園都市で習得する技術の代表的なものといえば、世界でもここでしか実用レベルの研究に成功していない超能力(ESP)。そして能力には当然のように、序列があるのだ。

 明確にランク付けがされた序列が明らかになる学園都市では、当然のように厳しく序列によって様々なことが区別されていた。

 

 それが最も顕著に出るのは奨学金だろう。

 強度(レベル)や研究などに対する貢献度、あるいは成績などによって、額絵性に支給される奨学金は激しい差が生じる。

 例えば大能力者(レベル4)などは学生の身分では考えられないぐらい多額の支給を受けるが、逆に無能力者(レベル0)は最低限に色をつけた程度の額だ。

 もちろん生活必需品の類が相当に安価な学園都市では無能力者(レベル0)でもある程度の常識的な節制さえ心がければ十分に有意義な生活が出来る。

 とはいえやはり奨学金の差はダイレクトに生徒間の格差に影響され、向上心にも影響すれば、逆に嫉妬や劣等感を刺激することにも通じるのだ。

 

 だが他にも、違いはある。

 例えば学力によって入れる学校が違うように、能力の強度(レベル)によって入学できる学生を制限する学校だって、あった。

 その顕著なものが、常盤台女学園。

 学園都市が誇る様々な学校の中でも上位に位置する、正真正銘のお嬢様中学校。その学生はすべからく最低でも強能力者(レベル3)というエリート揃いであり、幻覚な教育と最高レベルの能力開発が受けられる。

 学園都市全体で行われる超大規模な運動会である大覇星祭では長点上機学園に後れを取ってはいるが、それでもエリートの集まりにして、最強のお嬢様学校の称号は変わらない。

 

 

「‥‥えーと、私の顔に何か付いてるのかしら?」

 

「‥‥‥‥」

 

「しょ、初対面でいきなり他人様の顔を睨み付けるのは、よくないと思うんだけど。いや、そりゃ楽しくお喋りしてるところを邪魔しちゃって悪かったとは思うけど‥‥」

 

「‥‥‥別にィ」

 

「ッ、何が言いたいのよ‥‥!」

 

 

 じっと睨みつけたままの目の前の白髪の少年に、常盤台中学の制服を着込んだ短髪の少女は、ぴくりと口の端と眉を歪め、語気を荒げた。

 確かに自分は、目の前の少年とは初対面。まさかここまで特徴的な少年を、忘れるなんてことはありえない。

 とはいえ白髪の少年は何故か自分に敵意を向けてくる。ここに、何も理由がないとも考えられない。極めて不可解、かつ同時に不愉快でもある。

 

 

一方通行(アクセラレータ)

 

「煩ェな、分かってンだよ、そンなことぐらいは。‥‥はいはい悪ゥございましたね、早く座れよそこのツインテ三下もよォ」

 

「三‥‥下‥‥?!」

 

 

 ピキリ、と今度は同じく常盤台の制服を着込んだツインテールの少女が顔をひくつかせる。

 三下‥‥とは随分な言い方ではないだろうか。自分たちは曲がりなりにも素性はさておき見るからに常盤台の学生であり、最低でも強能力者(レベル3)。間違いもしないエリートであるのだから。

 もちろん彼女も三下扱いされたことなど、生まれてこのかた一度たりともありはしない。

 いわば青天の霹靂とも言えるわけであるが、どういう言い方をしても失礼であることには違いが無いだろう。

 

 

「‥‥想像していたのとは随分と違いますのね。しかし確かに私たちはお茶をしに来たのでしたわ。遠慮無く、お邪魔させて頂きましょう、お姉様」

 

「ビリビリビリ‥‥ハッ、ありがとう黒子(ほくろ)、もう少しでコイツに十万ボルトお見舞いしちゃうところだったわ」

 

「名前が違いますのよ、お姉様っ?!」

 

 

 自らのチャームポイントであるツインテールを猫のしっぽのように逆立たせた年下の少女、白井黒子がわめき散らした。

 対してお姉様と呼ばれた方の少女は、大きく数回深呼吸をして漸く落ち着き。カガリの隣に座る。

 ちょうど一方通行(アクセラレータ)とカガリは隣り合わせに座っていたので、どうしても二人のどちらかと少女達がペアにならなければいけないのだ。

 

 

「あ、店員さん私にカフェオレを一つ」

 

「私にはホットティーをお願いいたしますの。お砂糖とミルクもお願いいたしますわ」

 

「か、かしこまりましたっ!」

 

 

 額の辺りからビリビリと、軽く強能力者(レベル3)を超える強度(レベル)の電撃を出し始めた“お姉様”にビビリながらも新人は注文を受ける。

 元々からこの席に着いていた、この店の地雷らしき常連客もそうだけど、新しく連れてきてしまった客もトンデモない連中だ。

 というか、どうして自分はこの濃すぎる組み合わせを相席にしてしまったんだろうか。尋常じゃないレベルで、悔やまれる。

 

 

「あ、それと俺にハラオウン抹茶一つ」

 

「‥‥は?」

 

「ハラオウン抹茶だよ、やってンだろ?」

 

「あ、はい、かしこまりました! すぐにお持ちいたしますぅぅぅぅ!!」

 

 

 ギロリと機嫌悪く睨まれ、可哀想に彼女は逃げるようにその場を立ち去った。

 下手すれば、今までの一連のやりとりで十分にトラウマに近いダメージを負ったことは間違いない。というか今夜の内に辞表を提出していてもおかしくないだろう。残念過ぎる。

 いや、もう残念というよりは不運を通り越して運命だったとしか言いようがない。運がなかったというよりは、そもそも運命という絶対の巡り合わせが悪かった。そう開き直ってくれるより他にない。

 

 

「‥‥ハラオウン抹茶って、何?」

 

「俺も知らねェよ。まァ飲んでみりゃ分かンだろ。丁度あんこで喉も渇いてたところだし、丁度良い」

 

「はぁ‥‥。なんていうか、独特の趣味持ってるわね、アンタ」

 

「煩ェな、人の趣味にグダグダ口出してンじゃねェ」

 

「別にそんなつもりは無いけど‥‥。ていうか口悪いわね、アンタ」

 

「煩ェな、他人の口にぐだぐだ文句言うンじゃねェ」

 

「それは理不尽だと思いますけれど?!」

 

「黙ってろ三下。早く座れ」

 

「三下ァ?!」

 

 

 再度三下呼ばわりされ、黒子は再度髪の毛を逆立たせて怒声を上げるが、当然のように一方通行(アクセラレータ)が気にすることはない。

 むしろテンプレ的なリアクションにさっきまでは何とか反応していた目から全く興味が消え失せ、追撃する気すら一緒に消え失せたようだ。

 

 

「‥‥キミは縄張り荒らされた犬かってことです」

 

「ンだよ、何か言いたいことでもあンのかよ」

 

「別に。けど、そこまで威嚇することもないと思うってことです」

 

 

 六人は何とか座れるだろうボックス席に、二人組が二組。しかも同じペア同士で対面しているのではなく、それぞれ斜めに分かれて座るというあまりにも空気の悪い状況。

 それというのも最初にかがりと一方通行(アクセラレータ)が対面で座っていたのが良くないのだが、この空気でわざわざ席替えを言い出す度胸があるかというと、それは強度(レベル)に関係なく誰もが同じ。

 もちろん傍若無人に見えて意外とチキンな一方通行(アクセラレータ)も、胃痛持ちでストレス性な黒子もそう。ついでに同じく超能力者(レベル5)だが常識的な感性を保持している短髪の少女も同じ。

 非常に気まずい空気の中、誰から口を開こうか、お互いに機を伺い合っていた。

 

 

「‥‥えーと、せっかくだし自己紹介ぐらいはしませんと、お姉様」

 

「ちょ、黒子アンタ‥‥!」

 

「え、えぇ、せっかく同じ席に居合わせたんですもの。これも何かの巡り合わせ、一時の間だけでも親睦を深めることにもちろんお姉様は異論ありませんわよね?」

 

 

 黒子(ほくろ)、裏切る。

 自分から敢えて口を開いたようにも見えるが、実のところ完全にキラーパスだ。一番やばい最初の自己紹介、および今の状況に対する責任を“お姉様”に擦り付けた。

 

 

「‥‥くっ、裏切ったわね黒子、あんなに一緒だったのに!」

 

「お、お姉様が私の想いに応えて下さった?!」

 

「んなわけないだろうがぁぁ! だから暑いのにひっつくなピカチュウゥ!」

 

「痺れるぅぅぁぁああ?!!」

 

 

 目を輝かせ、軽く飛びついた黒子にこれまた軽い電撃が襲う。

 他の客の迷惑にならないギリギリのラインの電撃と叫び声ではあるが、常連である二人が一緒だからか、まだ店員からの注意はない。

 どちらにしても公衆の面前で能力を頻発するのは非常によろしくないと言えるのであるが、まったくもって気にしてはいなかった。何せ、貞操の危機である。

 

 

「‥‥仕方がないわね。私の名前は御坂美琴。常盤台中学の二年生よ」

 

「私は白井黒子。お姉様の後輩で、風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部に所属しておりますの」

 

 

 渋々ながらもしっかりと自己紹介する二人に、特に美琴の自己紹介に、カガリと一方通行(アクセラレータ)は二人して互いに意味深な目配せを交わす。

 それを見た二人は怪訝な顔をするが、もちろん初対面の人間の目線の示す意味など、分かるはずもなかった。

 

 

「自己紹介してもらって黙ったままじゃ、ちょっと礼儀に外れるってことです。僕の名前は―――」

 

「存じておりますわ。‥‥学園都市序列第六位、『無尽火焔(フレイム・ジン)』こと、カガリさんですわね?」

 

「‥‥あれ、なんで僕のことを知ってるの?」

 

「初春から聞きましたの。ほら、先日貴方強盗を退治されたでしょう? その時に居合わせた風紀委員(ジャッジメント)ですわ」

 

 

 

 ‥‥確かに先日、路地裏で自分に絡んできた発電能力者(エレクトロハンド)を撃退した記憶がある。

 そういえばあの能力者の後をジャッジメントが追いかけてきて‥‥。うん、確かに、そいつが強盗で警備員(アンチスキル)との取り調べや事情聴取が云々という話もあった。

 結局あの時は一方通行(アクセラレータ)の機嫌が悪くなりそうだったし、事情聴取も面倒だったからその場の風紀委員(ジャッジメント)‥‥確か初春飾利サンにその場を託して逃げたんだったか。

 

 

「‥‥あのときの風紀委員(ジャッジメント)って、もしかしてキミの同僚だったりするのかい?」

 

「はい。あの後も初春は貴方にお礼を言えないものかと悩んでおりましたの。ですから書庫(バンク)で貴方のことを検索して‥‥」

 

「成る程ね、それで僕が超能力者(レベル5)だってことも知ってるってことか。納得いったってことです」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)の持っているセキュリティレベル、閲覧資格はランクC.

 図書館や公衆端末などのランクがDで、教師達がBであることを考えると、ある程度は十分に書庫(バンク)の検索が出来るのだろう。

 ‥‥もちろん超能力者(レベル5)のリストが見られる程だとは思えないのだが、そこは風紀委員(ジャッジメント)だ。何か特権とかの仕様があるのだろう。

  

 

「‥‥それじゃあコイツのことも?」

 

「えぇ、そのときに一緒に調べさせて頂きましたわ。‥‥学園都市序列第一位、『一方通行(アクセラレータ)』さん」

 

「へェ‥‥。まさか俺のデータまで調べられるなンて、そいつ随分な特技持ってンじゃねェか」

 

 

 ギロリ、と一方通行(アクセラレータ)の目が黒子を捉え、さしもの凄腕風紀委員(ジャッジメント)の黒子もビクリと震えた。

 もちろん仮に初春が違法行為を行っていることを一方通行(アクセラレータ)が知ったとしても、彼に初春をどうこうする権利も、する気もない。

 

 

「序列第一位に、第六位‥‥。アンタ達が?」

 

「間違いありませんわ、お姉様。一方通行(アクセラレータ)さんの方の真偽は証明出来ませんが、カガリさんの方は書庫(バンク)に顔写真がありましたの」

 

「‥‥へぇ、自分以外の超能力者(レベル5)か。随分と久しぶりに会ったわね。常盤台の心理操作(メンタルアウト)はいけ好かない女王様だったし」

 

 

 その情報が真実だと知って、美琴は不適にもニヤリと笑う。

 今まで自分が相手にしてきたのは武装無能力者集団(スキルアウト)の下っ端の下っ端や、そのあたりを転がっているエリート崩れの異能力者(レベル2)低能力者(レベル1)

 常盤台には大能力者(レベル4)なども結構な数、揃ってはいるが、誰も彼もおとなしくて力比べをするような性格ではない。

 

 

「そういうことなら改めて自己紹介させてもらうわね。

 私は常盤台中学の二年生、学園都市序列第三位『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴よ」

 

「‥‥『一方通行(アクセラレータ)』だ。ヨロシク」

 

「学園都市序列第六位、『無尽火焔(フレイム・ジン)』こと、カガリだ。こっちもよろしくってことです」

 

 

 テーブルを挟んで三人、奇妙な体勢ながら握手を交わす。

 考えるとこの場所には学園都市最強の七人の内、半分近くが集まっているということになる。

 超能力者(レベル5)が三人もいたら、国一つぐらいは簡単に滅ぼせる。1人で一国の軍隊を相手に出来る化け物が三人も揃っているのだ。学園最大戦力といっても過言ではない。

 

 

「お待たせしました、こちらカフェオレとホットティー、ハラオウン抹茶でございます。

 お客様、先ほどは新人がご迷惑をおかけしたようで、大変申し分かりません」

 

「あァいいンだよ別に、気にする程じゃ無ェ」

 

「ありがとうございます。今後とも、当店をどうぞご贔屓に。こちら割引券でございます、どうぞ次回ご来店の際にお使い下さいませ」

 

 

 カチャンカチャンと静かに音を立てて三つのコップがテーブルに置かれる。

 カフェオレとホットティーはごくごく標準的なこの店の人気メニューで、おやつ時や放課後のティータイムの時間帯にはガンガン売れていた。

 

 一方、あんこ入りパスタライスに満足できなかった一方通行(アクセラレータ)が頼んだのは、見た目はそれなりに普通の代物だった。

 冷房が効いている店内だから頼める代物は、分厚い茶碗に注がれており、熱々であることを示すかのように盛大に湯気を立ち上らせている。

 中の液体は緑色。いや、ここは素直に抹茶と言えばいいのではあるまいか。とにかくごくごく普通の抹茶であり、サービスでついている小さめの煎餅とセットで頂くのだろう。

 今までのメニューと違って、あの一方通行(アクセラレータ)が頼む品にしては随分と見た目が普通過ぎる。何か、トンデモない味か臭いかをしているに違いなかった。

 

 

「‥‥来た来た、一部で有名なハラオウン抹茶」

 

「あ、私これ自販機で見たことあるわ」

 

「へェ、こいつを知ってるなンて見所があるじゃねェか第三位。コイツは元々自販機オリジナルだったのを、この店でレストランで出せるレベルまでクオリティを追求したものらしいンだよ。

 椰子の実サイダーやらスープカレー缶やら、キングランブータンジュースやらと一緒の自販機傑作シリーズなンだ。

 もう実機の自販機の方じゃ幻の一品らしいンだが、さて、どンな味がすンのか拝見させてもらうぜェ‥‥」

 

 

 先ほどまでの緊張感は何だったのか、一方通行(アクセラレータ)は嬉々として、その細い両手で茶碗を捧げ持つ。

 自販機巡りが立ち読みと同じく趣味の一つである美琴は見たことがあるらしいが、それはうらやましいことだ。レストランなど外食の奇天烈メニューばかり追い求めている上に出不精の一方通行(アクセラレータ)は、未だかつてコイツに出会ったことがなかったのである。

 

 

「そンじゃま、早速。

 ズ、ズズ、ズズズズズ‥‥ズズズズズズズズズ‥‥‥‥‥」

 

「ドキドキ」

 

 

 いつも通りドキドキと興味深そうに注視しているカガリの前で、一方通行(アクセラレータ)はゆっくりと抹茶を啜る。

 一口、二口、三口。

 別にお茶の席ではないので、三口で飲みきらなければならないなんて作法はない。なのに一方通行(アクセラレータ)は何かに魅入られたかのように一息で、長い時間をかけて、抹茶を飲み干した。

 

 

「―――カ」

 

「か?」

 

「カ、カカ、カカカカカカカカカカ!!」

 

「え、えぇ?! えぇぇぇぇ?!!」

 

  

 抹茶を全て飲みきった一方通行(アクセラレータ)が、突然甲高い笑い声を上げ始め、いきなり狂人と化した白髪の少年に、常盤台のお嬢様二人は盛大にビビッて後ずさった。

 いつものことだといえばその通りではあるのだが、やはり突然このような態度を取られると恐い。特に、初対面の間柄ならば。

 

 

「あ、甘ェ! 地獄のように、天国のように甘ェ! てか純粋な砂糖よりシロップよりも甘ェ!! 甘すぎて頭がガンガンする、過糖過ぎて脳みそが自動《オート》で激しく回転すンぞこりゃあ! トンデモ無ェ甘さだァァァあああ!!!」

 

 

 そのあまりの悶えように、思わずメニューのカロリー表示をチェックした三人は絶句した。

 およそ飲み物に、否、1人分の食物として存在してはいけないような尋常ではないカロリー量。それはどんな運動、勉強、苦難を乗り越えればこのカロリーを消費できるのか想像もつかない糖分の暴力。

 味なんて想像できるもんじゃない。下手すれば化学的に合成したありとあらゆる人工甘味料を凌駕するだろう人工的な甘味。

 その暴力の前に晒された一方通行(アクセラレータ)に、あんな症状が発症したとしても頷けてしまう。

 

 

「‥‥ねぇちょっと、あれって本当に第一位? いつもあんなカンジなの?」

 

「信じられないかもしれないけど、正真正銘の真実ってことです。あんな調子で面白メニューを追い求めては失敗する毎日なんだよね」

 

「第一位ともなりますと、個性的ですわね‥‥。いえ、あんな様では個性的などという音便な言葉では片付けられない気も致しますが」

 

 

 それは言わない約束である。

 彼のことを知る者は大概が某かの手段で第一位の情報を知って、彼を殺そうと襲いかかって来た者であり、それらは須く返り討ちに遭っていた。

 よって彼が第一位であることを知る者は、ごく僅か。暗部の人間などは情報を渡されているかもしれないが、その情報と目の前のユニークな白髪の少年が一致することは一生涯無いだろう。

 

 

「それで、第一位と第六位ともあろうものが揃ってこんなところで何をしてんのよ? 長点上機学園の制服着てるみたいだけど、あそこってこの店からは随分と遠くない?」

 

「あぁ、僕も一方通行(アクセラレータ)も学校には通ってないってことです。あっちこっちの研究施設で実験に協力したり、あるいは自分自身に課せられる実験を消化したりの毎日さ」

 

「‥‥くそったれな実験を、な」

 

「あら、気がついたようですわね」

 

「イイ感じに狂ってやがったぜ、この飲み物。これさえあればどンだけ演算しても大丈夫なカロリーがあンな」

 

「そりゃあ恐ろしいってことです」

 

 

 あんまりにも甘かったらしく、気を利かせて、というか当然の未来を予想して店員が持ってきた、暖かい“普通のお茶”を煽る。

 確かに脳は人体で最もカロリーを消費する部分だ。特に能力者の演算は相当に脳を酷使するから、もしかしたら演算能力を拡大する実験などに効果があるかもしれない。

 

 

「今日は実験の途中でコイツに拉致されたから、実は何をするつもりなのか全然分かんないってことです」

 

「‥‥別に何か用事があったわけでも無ェンだよ。ただ、1人は暇だからな。‥‥そういうテメェらはどうしたンだよ。常盤台のお嬢様が、こンなところで油売ってちゃまずいンじゃねェのか?」

 

 

 イライラと質問する一方通行(アクセラレータ)に応えて、黒子が口を開く。

 上品に紅茶を啜っていた彼女は普段から初春の相手で疲れているからか、二人の超能力者(レベル5)の相手を早々に諦め、カオスな部分は全てお姉様に丸投げしていた。

 

 

「ああ、私たちは待ち合わせよ。黒子がどうしても友人に会って欲しいって言うもんだから‥‥」

 

「そう嫌そうな顔をなさらないで欲しいですの、お姉様。もちろん私とてお姉様が普段からファンの人たちの無神経な振る舞いにほとほと呆れているのは存じておりますわ。

 けれど初春は‥‥まぁ、その、優秀な風紀委員(ジャッジメント)ですの。なんといいますか、ちょっと色々と問題なところはありますが。

 それでも分別を弁えた大人であることは違いありませんわ。‥‥それに私、あの子にあの調子でお願い事されると断れませんの。胃が痛くなりますし」

 

「‥‥アンタも苦労してるのね」

 

 

 ゆっくりゆっくり、胃を労るかのようにゆっくり紅茶を啜る黒子に、普段向けているものとは違う同情した視線を美琴は送る。

 いつもなら自分のペースで美琴に変態行為を繰り返す黒子であるが、今の彼女は世間の、というよりは個人の荒波に揉まれて随分と疲れて見えた。

 

 

「‥‥おや、噂をすれば影ですのよ、お姉様」

 

「へ?」

 

 

 と、黒子がゲッと口元を歪め、まるで本当は会いたくないけど、それでもどうしても会わなきゃいけない嫌な上司にでも町中で遭遇してしまったかのような表情で、窓の外を見る。

 その表情はあまりに生々しく、美琴もいつものように軽く悪態の一つもついてやろうかという気分すら湧かず、黒子につられて外を見た。

 

 そこにあるのは綺麗に磨き上げられたガラス窓。

 大きめに設われ、外の光を十分に店内へと導くガラス窓からは、外からこちらを見つめる二人の女学生の姿を写していた。

 1人は背中の中程までのばしたストレートの黒髪と、強気な性格であることを感じさせる自己主張する眉毛が特徴的。

 もう1人はクセのあるショートカットの頭の上に、色も種類も鮮やかで様々な花冠を乗せ、片袖に盾の意匠をあしらった緑色の腕章を付けた少女。

 

 

 ここに登場人物達が出そろい、物語は始まりを告げる。

 なんてことのない巡り合わせか、それとも運命のいたずら、あるいは運命そのものか。

 その判断が彼らにつくのは、これから彼らが何てことのない日常を通り過ぎ、非日常に、それも突発的に始まって終わるものではなく、彼らの歩く道行きそのものを変えてしまうような、事件。

 そんな事件に、巻き込まれてからの話であった。

 

 

  

 

 

 

 

 



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第7話 『常盤台、長点上機、柵川中学』

 

 

 第七学区は、航空宇宙産業に関する研究を一手に引き受ける第二三学区に匹敵する広さを誇る、学園都市最大級の学区である。

 航空宇宙、という非常に大規模な研究をする第二三学区が広大な敷地面積を実験に使用するためのスペースとして確保しているのならば、この第七学区はまさしく学園都市という名前の指し示す通り、学生のために存在しているような学区だ。

 その敷地の中は常盤台中学を代表とするお嬢様学校によって作られた閉鎖的空間である『学舎の園』や、他にも各種様々な学校が犇めく。

 学生の数が増えれば、当然のように学生のための施設も増える。第七学区は巨大なデパートや各種喫茶店、ゲームセンターなどの娯楽施設を多数抱える、学生の為の街であった。

 

 そんな第七学区の中央通り。

 先日、かなり大規模な強盗事件があったファーストフード店も程近い。他にも学生が学校の帰りに寄るのに都合の良さそうな喫茶店やら屋台やらが立ち並び、中央の道は多数の緑が植えられ、ベンチや、腰掛けることを想定された頑強で座りやすい造りの花壇が並ぶ。

 この暑い盛りだというのに、あちらこちらで学生達はクレープやハンバーガーや飲み物を片手に談笑していた。

 結局のところ彼らとしては、そこに腰を落ち着ける場所と馬鹿話が出来る友人達が居れば何も問題ないらしい。いかにも学生らしいと言えようが。

 

 

「‥‥まさか、ここまで大所帯になるとは思いませんでしたの」

 

「つゥか何で俺達まで連れ出されてンだよ? 暑ィ、怠ィ、涼しいとこに行きてェ、むしろ涼しいとこで行きてェ」

 

「自堕落にも程があるってことです。まぁ、あのままだと結局のところ居づらいことには変わらなかったから、どっちにしろ出なきゃいけないことになってたとは思うけどね」

 

 よく使用する慣れ親しんだファミリーレストランから追い出された一行は、第七学区の中央通りの一角、通行人の迷惑にならない都合の良い場所で車座になって対面していた。

 

  放課後ということもあって、人通りはかなり多い。流石に多数の学校を抱える第七学区は巨大であるが、それでも全ての地域に均等に様々な施設が存在しているわけではない。

  だからこそ彼ら学生は学園都市にも数少ない娯楽施設が集中している中央エリアに好んで集まり、完全下校時刻までの僅かな時間を有意義に過ごそうとしていた。

 

 

「あ、あの、その節はありがとうございましたっ! 改めまして、私は風紀委員(ジャッジメント)第一

七七支部所属の、初春飾利と申します!」

 

 

  真っ先に興奮した様子で口を開いたのは、頭の上に花飾りを乗せた少女。

  柵川中学校の極めて一般的かつスタンダートなセーラー服を着ており、右の袖には立て続けをあしらった特徴的な緑色の腕章をつけている。

 

  

「あぁ、あの時は後のこと全部任せて逃げちゃって、悪かったってことです。もしかして何か迷惑かけちゃったかな?」

 

「いえ、それは顔見知りの警備員(アンチスキル)の人が適当に書類を弄ってくれたんて大丈夫だったんですけど‥‥。

  そんなことより、十分なお礼も出来なくて、申し訳ありませんでした」

 

「いやいや、それは別にどうでもいいってことです。大したことも、してないしね」

 

 

  綺麗な長い黒髪と語尾が特徴的な顔見知りの警備員(アンチスキル)は、かなり話が分かる人で、しどろもどろに先ほどまでは確かにいた協力者のことを説明する初春に「気にするな」と笑ってみせた。

  基本的に法律を遵守する存在である外の世界の警察官とは異なり、こちらは転じて基本的にボランティアである警備員(アンチスキル)は、そのあたり随分と融通が利く。

 

 

「それより初春、隣の方は‥‥同じ中学の方とお見受けしますけど、どなたですの?」

 

 

  カガリと初春に対して三角形の位置に、美琴と並んで立っていた黒子が、半ば置いてけぼりの状況に耐えかねたように口を開いた。

  その言葉に釣られるようにして、全員の視線が初春の隣で飄々と笑っていた少女が目をぱちくりさせる。

 

  初春と同じ柵川中学のシンプルなセーラー服を纏い、ツヤのある黒髪を背中の中ほどまで流している。

  側頭部のやや上、アクセントになる位置には白い花弁をあしらった髪飾りが清楚なイメージを添えていた。

 

  何より、美琴とは違う、意志というよりは意思の強さを表す真っ直ぐな瞳。

  超能力者(レベル5)であり、絶対的な実力以外でも本人の資質、あるいは人柄などから滲み出るカリスマのようなものを持った美琴。

  黒髪の彼女の視線に感じるものは美琴のそれとは違い、等身大の人間として共感を覚える類のものだ。

 

 

「あ、自己紹介遅れてすいません。私、初春の同級生の佐天涙子っていいます!」

 

「佐天さん、ね。初めまして、私は初春の同僚で、風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部に所属しております、白井黒子と申しますの。

  こちらは私のお姉さまで‥‥」

 

「御坂美琴よ。常盤台中学の二年生。まぁ一応は黒子(へんたい)の先輩ってことになるわね。でも年上とかは気にしないでくれると嬉しいわ。どうぞよろしくね」

 

「‥‥御坂、美琴? もしかして常盤台の超電磁砲(レールガン)?」

 

  

  驚いた、というよりは“やっぱり”と言いたげな吐息を漏らし、目を見開いて美琴を見た。

  そこに何か嫌な感情を与えられる響きはないが、だからこそ美琴は困惑する。

  自分がそうなりたかったか、そういう扱いを望んでいるか、そういうことには彼女は紛れもない学園都市序列第三位なのだ。

  娯楽の少ない学園都市の中で、巷に情報が公開されている超能力者(レベル5)は、例えば一一一(ひとついはじめ)などの外の世界のアイドル達と同等以上の人気を誇る。

  もっとも超能力者(レベル5)の殆どは書庫(バンク)にも顔写真はおろか本名すら載っていないという体たらくだから、実際に巷に名前が知られている超能力者(レベル5)は美琴ぐらいなのだが。

 

 

「いやー、まさか本当に超能力者《レベル5》に会えるなんて、流石は初春!」

 

「だから私、本当だって言ったじゃないですかッ! それなのに佐天さんが『じゃあこの目で見て確かめるお!』なんて言うから‥‥」

 

 

  泣きべそのような声を上げながら、初春が佐天の胸をポカポカと叩く。

  元々この場は常々黒子がお姉様お姉様と慕う人物が常盤台の超電磁砲《レールガン》だと知った初春が、若干の黒い圧力(プレッシャー)を与えながら黒子に頼んだのであるが。

  あまりの嬉しさに舞い上がって、下校の途中、佐天に話してしまったのが運の尽き。

  基本的に暇をしているので初春に構うか、ネットサーフィンに勤しむしかない佐天が、そんな好機を見逃すはずがない。

 

「学園都市最強の発電能力者(エレクトロマスター)、どんな人かと思ったけど‥‥意外と普通?」

 

「普通‥‥?」

 

「あ、いや、悪い意味じゃないんですよ? ただちょっとホラ、なんか如何にもってカンジの超能力者(レベル5)を想像しちゃってたから、なんか拍子抜けっていいますか。むしろ安心したっていいますか‥‥。ねぇ初春?

 

「あ、は、はいそうですね! 私も白井さんのお話を聞いていたときの印象とは、ちょっと、その、違う様な‥‥。完全無欠のお嬢様を想像してたのは、まぁ、事実なんですけど。

  でも佐天さんの言うとおりです! 別にだからどうこうってわけじゃなくて、むしろ親しみが湧くぐらいです!」

 

 

  超能力者(レベル5)強度(レベル)によって厳格な序列がつけられてしまう学園都市において、5と4、5と3、5と2、あるいは5と1か0。その比較のどれにも違いなどない。

  大能力者(レベル4)であろうと無能力者(レベル0)であろうと、圧倒的な能力を保持する超能力者(レベル5)の前では一様に等しい存在だ。即ち、無力。

  だからこそ、彼らは憧れと畏れを一身に集める。まるでアイドルのように、あるいは独裁者のように。

 

  そしてアイドルのようにと形容されるからには、当然のようにファン達による偶像化という宿命がついてまわるものだ。

  まさか超能力者(レベル5)はトイレに行かないなんて考えている者はいないだろうが、それにしても神格化に近い畏怖を向けられる存在であることには違いない。

  例えば常盤台中学における御坂美琴が、近寄りがたい完全無欠のお嬢様として遠巻きに憧れ、結果として親しく喋る知人が全く存在しない、などという半ばイジメにも近い状況に陥っているように。

 

  

「‥‥はぁ、やっぱり私ってそう思われてたわけね。なんていうか、周りの認識と自分自身の認識との間に随分と齟齬があるんじゃないかとは思ってたけど」

 

「常盤台中学ではお姉様に話しかけることはおろか、近づくことすらファンクラブの間で牽制し合っておりますもの。抜け駆けは村八分ですわ。

  もっとも最近は会員ナンバー001である“この”私が、お姉様にご迷惑をおかけすることがないように、しっかりと統制しておりますのでご心配無ーーーごぁッ?!」

 

「な、ん、で、一年生のアンタが会員ナンバー001なんてものになれんのよッ!!」

ゴインッ、と鐘を叩くような鈍い音がして、失言をかました黒子が頭を抑えて蹲る。今しがた制裁を加えた拳から煙が上がっているのを見れば分かる通り、お姉様の拳骨は尋常ではなく効く。

 

  

「‥‥おィ花瓶」

 

「だから花瓶じゃありません―――って、

貴方は確か‥‥」

 

一方通行(アクセラレータ)だ。あのツインテのペースでうっかり着いて来ちまったが、俺達は何時になったらご無沙汰出来ンですかァ?

  楽しく冷房の効いた快適なファミレスでランチを楽しんでたってのによォ、追い出されちまって不機嫌MAXなンですけど? 責任とってくれませン?」

 

 

  見事な拳骨を喰らって悶絶する黒子を呆然と眺めていた初春は、横あいから聞こえてきた極めて不機嫌そうな声にビクリと身を震わせた。

  小動物のように怯えても仕方がないくらいの迫力がそのドスの効いた、だというのに自分と同年代の程度の声には込められていたのである。

 

 

「つゥかよォ、マジで迷惑なんですけど? 別にテメエらのお仲間でもなンでも無ェのに同類扱いで一緒に会計済まされちまってよォ。俺は冷房に当たり足ンなかったってのに‥‥」

 

「まぁまぁ一方通行(アクセラレータ)、そこまでイライラすることでもないってことです。

  どうせこれからのプラスなんて何も考えて無かったんだろう? 旅は道連れ世は情けってことです。こういうのも一興じゃないか」

 

「またテメェは少しでも楽しそうなもンがあるとホイホイ着いて行きやがって‥‥。

  いいか、いつも散々俺に振り回されてるなンて言ってやがるけどよォ、実際振り回してンのはテメェの方なンだからなァ?!」

 

   

  ダラダラした白衣の胸ぐらを掴み、ブンブンと前後に力の限り振ってみせる。

  ベクトル操作などしてはいないから、これは純粋にモヤシレベルの力のしか持たない自分のスペック。だというのに超能力者(レベル5)の第六位である友人は驚く程に軽く、そんじょそこらの小学生にも例えられるこの腕力でも簡単に揺さぶられていた。

 

 

「そうは言っても、最初に僕の予定も聞かないで無理矢理連れ出すのは君の方ってことです」

 

「俺ァいいンだよ、どうせ大概ヒマしてンだろォが」

 

「その珍しくヒマして無い時が今日だったわけだが。というかその理屈は理不尽極まりないってことです」

 

 

 若干の諦め、というよりはむしろ嬉しそうな響きすら伴ったカガリの言葉が勘に障ったのか、一方通行(アクセラレータ)は友人を揺さぶる手に力を込めた。

 アハハハハと一本調子で笑い続けるカガリの方が、若干、いやかなり身長が高いから、その様は片方が凶悪の権化である一方通行(アクセラレータ)だったとしても、実に滑稽な構図である。

 

 

「‥‥どっちかっていうと、むしろコッチの方が学園都市第一位か、と若干の失望は抱きましたけど」

 

「正直、それは否定出来ないわね。なんていうか、超能力者(レベル5)っぽくないというか、ホントに第一位なの? コイツ」

 

 

 無言で断っていれば年齢不相応の迫力がある少年も、普通に年上の友人とケンカしている姿を見れば、背伸びして粋がっている子どものようにも見える。

 もちろん超能力者(レベル5)という称号、そして学園都市序列第一位という格付けは伊達ではない。

 その能力は書庫(バンク)にも載っておらず、運良く対峙して生き残れた者にも、正体がつかめない。だというのに、間違いなく最強。

 第三位である超電磁砲(レールガン)、御坂美琴に対して、一位と二位は別格と言われている。その理由は不明だが、どちらにしても圧倒的な実力を備えているであろうことは想像に難くない。

 

 

「あン? 疑ってンなら今ここで気持ちよくブッ殺してやろォかァ?」

 

「‥‥ふぅん、良いわね、そういう流れ嫌いじゃないわよ。私も一度、自分以外の超能力者(レベル5)と戦ってみたいと思ってところだし」

 

「ちょ、ちょっと御坂さんも一方通行(アクセラレータ)さんも落ち着いて下さいよっ?! こんな往来で能力使ったりしちゃだめですって!」

 

 

 眼光鋭く睨み合った二人を見て、初春が慌てて間に割ってはいる。

 超能力者(レベル5)が具体的にどんなことを出来るのか、というのは知らないが、どちらにしてもこんな往来で学園都市序列第一位と第三位が一触即発の状態で睨み合っていいわけがない。

 

 

「じゃあ僕が立会人を‥‥」

 

「カガリさんも余計に煽らないで下さい! ‥‥もう、せっかく御坂さんと遊ぼうと思って白井さんにお願いしたのに、これじゃ台無しですよぅっ!」

 

  

 学園都市二百三十万人の中で七人しかいない超能力者(レベル5)

 その中でも特に有名で特に人気の高い、同姓かつ先輩という魅力的なポジションにいる超電磁砲(レールガン)こと御坂美琴はミーハー気味の有為春にとってみれば最高の憧れだった。

 

 

「‥‥しかしなぁ初春飾利サン、いったい遊ぶって言っても何する気なのか分からないってことです。結局こうしてファミレスからは追い出されてきちゃったわけだけど、何かプランでもあるのかい?」

 

 

 ぱちくりと目を瞬かせた初春が黒子の方を向き、それにつられて1人を除く全員の視線が一カ所に集中した。

 確かに、黒子に頼んだのは初春でも、この場をセッティングしたのは黒子の方。もちろん美琴は今日の段取りについて何も聞いていないし、無理矢理連れ出されたカガリと一方通行(アクセラレータ)も同じ。

 

 

「も、もちろんプランは出来ておりますのよ! ちょっと予定とは違いましたが、まずはデパートにでも行きまして、ショッピングを‥‥」

 

「―――ちょっと黒子、このメモ」

 

「って、お姉様?!」

 

 

 おそらくは今日の予定を書き出したメモと思われるものを取り出した黒子の背後に回った美琴が、それを電光石火の速さで取り上げる。

 ザッと素早く目を通せば、女の子らしい丸文字で、とても女子中学生とは思えない欲望丸出しの計画が書き込んであった。

 曰く、初春をダシにしてお姉様とのスーパーいちゃいちゃタイムとか何とか‥‥。媚薬などという言葉を用いている段階で、もはや警察にブチ込んだ方が良いのではないかと思わせるだけの変態っぷりである。

 

  

「‥‥却下。却下却下却下ぁ! 黒子(ほくろ)ぉ! このアンタの欲望丸出しの計画なんかに協力できるわけないでしょうがぁっ!!」

 

「名前が違いますのよお姉さ―――ぴかちゅうっ?!」

 

 

 手加減抜き、とはいえ人体を殺傷しない程度の本気電撃が黒子を襲う。

 天候すら操作できる超能力者(レベル5)だが、絶妙に調整された電撃は執拗に、強烈に、しかし明確な怒りを持った制裁である。

 

 

「‥‥初春さん、佐天さん、こんな奴のことなんて気にしないで、ゲーセンでも行かない? そこの二人も、良いわよね?」

 

「つゥか俺達ァ同行することになってンのか‥‥」

 

「まぁ気にする程じゃないってことです。どうせヒマだったし、やること思いつかないなら一緒に遊ぶのもまた一興」

 

 

 鮮やかな笑顔を浮かべて同意を求めてくる美琴に、一方通行(アクセラレータ)とカガリは顔を見合わせる。

 確かに予定は無かったし、自分たち自身が腐ってしまいそうなぐらいにヒマはしている。カガリにしても、今日はもう実験なんて気分でもなかった。

 それに別に他人と一緒にいるのがことさら嫌いというわけでもない。一方通行(アクセラレータ)は一期一会の馬鹿騒ぎはそれなりに好きな方だし、カガリは人との交流を好む。

 

 

「‥‥まァ色々と複雑な事情はあっけどよォ」

 

「は?」

 

「いや、別にテメェに話すようなことじゃねェ。気にすンな、第三位」

 

 

 ただ、目の前で首を傾げる不思議そうな顔を見ていると、若干のしこりを胸に感じるのもまた事実。

 まさかこの少女は、自分たちのことを知らないのだろうか? あの凄惨な毎夜の出来事を、血煙香る実験を。

 この太陽のような少女は、知らないのだろうか。学園都市に息づく闇を、自分たちが塗れている闇を。同じ超能力者(レベル5)という位階にいながら。

 

 

「‥‥いいぜ、別に、ヒマだし付き合ってやンよ」

 

「あら、本当に良いの? 別に無理してまで来て貰おうとは思ってなかったけど」

 

「ちょうどゲーセンでも行こうと思ってたところなンだ。結局のところ同じ場所に行くことになンだろォが。だったら別に、一緒でも問題無ェ」

 

 

 ‥‥見極める必要がある。

 ここで出会ったのが仮に偶然であったとしても、その出会いが導く結果すらも偶然とは思えない。そこには某かの必然があっても不思議じゃないだろう。

 となると自分たちに出来ることは、ここでの出会いが何を生むのか、それを考えることだ。それを考えなければ、致命的な不幸を、悲劇を生みかねない。

 

 ならば、見極める必要があるのだ。彼女の人柄を、彼女の能力を、彼女の実力を。

 見ているだけでイライラする顔も。感情をめまぐるしく変えるが故に、押し込めていた感情を刺激するその顔も。

 何を思っているのかを、見極める必要があるのだ。

 

 

「おィ、花瓶に没個性」

 

「また花瓶って言ったぁ?!」

 

「ぼ、没個性‥‥!」

 

 

 ギロリと柵川中学の二人に睨み付けるような視線を送った一方通行(アクセラレータ)が口を開く。

 相も変わらず他人につける渾名が酷い。当然二人もいきなりの暴言に、むしろ呆然と目を見開いた。

 

 

「はじめまして、学園都市序列第一位『一方通行(アクセラレータ)』だ。‥‥よろしくゥ」

 

「‥‥は、はぁ、初春飾利です、どうぞよろしく?」

 

「佐天涙子よ。ていうか没個性って何ですか没個性って!」

 

 

 日だまりの中ですら、暗がりを探して息を潜める。

 そんな悪党(アウトロー)な生き方をする必要もないぐらい強すぎる、学園都市の超能力者(レベル5)

 

 しかしそれは、能力での話。

 その精神は、心は、未だに成長途中の少年のものだ。いくら彼が強くても、無敵でも、それは 変わらない。

 そしてそれは学園都市の全ての学生についても、言えること。彼らは全てが不完全であり、成長途上なのだ。

 

 結局のところ、だから、学園都市で起こることは全て、学生達の物語。

 すなわち不完全で成長途上な心と心のぶつかり合い。だからこそ彼らはもがき、あがき続ける。

 

 

 もちろんこれから楽しくゲーセン巡りに洒落込もうとしている彼女たちにそんな自覚はなかろうが。

 その彼女たちを一歩、二歩、下がって見守る超能力者(レベル5)の第六位。

 彼の瞳が妙に優しげに笑っていたのを見ることが出来たのならば、もしかしたら、自分たちの立ち位置というものにも勘づくことが出来たかもしれない。

 しかしそれも当然、仮定の話であるのだ。

 

 

 

 




黒子→胃痛持ち
美琴→無自覚ドS


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第8話 『少年少女、放課後、クレープ屋』

 広い広い学園都市の中でも、格段に広い第七学区。その中央広場には当然のように学生たちが多く集まっている。

 中央広場と言っても、言葉から想像するような開た空間があるわけではない。強いて今、言葉による説明を試みるならば、広い遊歩道の両側に車道が据えられた、暗渠のような公園と表現するべきだろうか。

 実際に一般的な暗渠といえば車道一車線分ぐらいが精々なのだろうが、ここは元々からしてこういう作りである。

 

 故に学生たちが限られた放課後を謳歌する公園は、広々としていて快適だった。

 

「いやぁ遊んだ遊んだ! 久しぶりに遊び尽くしたねー、初春!」

 

「そうですね、佐天さん。最近は風紀委員(ジャッジメント)の活動と勉強で忙しすぎてゆっくり遊ぶ時間もとれませんでしたし、満喫しました」

 

 そんな夕方近く、というには若干早いおやつ時の時間帯。思い思いに寛ぐ学生たちの中に、些か異質な集団が散らばっていた。

子ども連れと思しき、大人である。

 

 学園都市には二百三十万人以上の住人が居住しているが、その八割以上が学生。

 いくら教師や研究員、各種施設の職員なども存在しているとは言っても、二百三十万人中の八割には束になっても敵わない。特に第七学区は学生街ということもあり、纏まった数の大人の姿は目立つ。

 近くにはバスガイドらしき制服をまとった女性の姿もあることから、おそらくは学園都市のガイドツアーであることは予想できるが、それでも物珍しく、それなりに学生たちの視線は集まっていた。

 

「確かに、今日はこれでもかというぐらいに遊び尽くしましたわね。私ゲーセンなんて初めてでしたわ、お姉様」

 

「の割にはシューティングとかイイ線いってたじゃない。やっぱり空間移動能力者(テレポーター)って空間把握能力が高いから、ガンシューティングとかレーシングゲームとか得意なのかもね。

‥‥それに引き換えアンタ達、言った割にはそこまで強くないし」

 

「あン?」

 

「こちとら毎日毎日ゲーセン通いしてンだよ、なんて大口叩いといて、私と格ゲーで五戦中二勝ニ敗一引き分けなんて、随分と残念な戦績じゃない?」

 

「うっせェな、今日は寝起きだから全力出すのが怠かったンだよ。本気出せばテメェなんてイチコロだ第三位。手加減されたことも分かンねぇのか、三下が」

 

「‥‥まぁ経験値が高くても強いとは限らないってことです」

 

 だがその中でも更に異質な集団がいた。

 間違いなく学生であり、第七学区の中央通りを歩いていても年齢的には一切違和感はないだろう。

 しかし彼ら、彼女らの風貌と雰囲気は、それなりに超常現象についての親しみがある学園都市の学生たちでも、思わず二度見してしまう特異さが存在していた。

 

 まず常識の範疇から目立つのは、常盤台中学の制服を着込んだ二人の美少女。

 そも美少女という段階で人類の半分の熱烈な視線を獲得したことは保証されるものであるが、こと学園都市の中においては常盤台中学の制服というものにも大きな意味が存在している。

 誰もが憧れる、強能力者(レベル3)以上の能力者でなければ入学を許されないお嬢様学校。その押しも押されぬ名門校は女子校ばかりで構成された『学び舎の園』という自治区に近い空間の中にあり、全寮制ということもあって、このような広場へは滅多に出てこない。

 もちろん『学び舎の園』の外にも寮はあるのだが、純粋培養お嬢様の多い常盤台中学の生徒は、登下校の途中に寄り道をするという発想がそもそもない者が多かった。

 言わば学園都市的な希少種。お目にかかればご利益があるかもという類の存在だ。

 

 さて、その集団の中にはもう二人組の少女達がいた。

 こちらも常盤台の二人には若干派手さという点でこそ見劣りするが、実際には負けず劣らずの美少女である。

 シンプルな明るい紺色の襟と鮮やかな赤いタイのセーラー服は、第七学区に存在する柵川中学の夏服。

 特に背の低くショートカットの方の少女は頭に色とりどりの花々をお花畑のように乗せており、それが童顔な彼女には非常に似合っており、魅力的であった。

 背中の中ほどまで綺麗な黒髪を伸ばした少女も、白い花弁をあしらったシンプルな髪飾りをしており、清潔で清涼なイメージを自らに添えている。これもまた、魅力的だ。

 

 だが、どちらかといえば、やはり人目を引いたのは彼女達に同行している二人組の男だろう。

 

 片方は目つきの悪い少年だ。だいたい中学校一年生か二年生ぐらいの年頃で、ブランド物の黒いシャツと、これまたブランド物のスリムなデザインのジーンズをシンプルながら見事に着こなしている。

 日本人的な顔つきをしているのに髪の毛は新雪よりも真っ白で、その凶悪な光を宿した瞳は鮮血のよおうに紅い。

 何より今し方、人を殺してきましたよとでも言いたげなピリピリとした空気を辺りに放っており、見ているだけでも圧迫感がある。

 それが同行者達に向けられていないというのが、もはや奇跡なのだろう。少しでも武芸を嗜んでいたり、多少の修羅場を経験したことがある人間ならば、彼に人殺しの匂いを感じることが出来たはずだ。

 

 もう一人は連れの少年よりも少しばかり年上の青年だ。高校生にも大学生にも見える長身で、短めの髪の毛を無造作にオールバックに纏めている。

 着込んでいるのは、このクソ暑い初夏の日中うだというのに長袖の白衣。しかも裾はダラダラと脛の辺りまであるコートに近いものだ。

 顔立ちは精悍で、ハンサム。優しげな微笑みを浮かべてはいるが、その目をよく見れば、実は何も映していない空虚なものなのが分かるだろう。

 初夏という季節に全く不釣り合いな格好と特異な存在感に思わず視線が行くが、実際に目にしてみれば驚くほどに存在感が薄い。

 フワフワと雲か霧のようだ。まるで学園都市の超科学によって現実世界に投影された、立体映像であるかのように。

 

「しっかし、思う存分遊んだら少し小腹が空いちゃったわね。どこかで軽くオヤツでも食べよう

か?」

 

「賛成です! 私、最近@ちゃんでちょっと話題になってるクレープ屋知ってるんですよ! すぐ傍なんで案内しますよ、こっちです!」

 

 やや浮かれ気味の佐天が楽しそうに先行する。普段からネットサーフィンを趣味として愛好している彼女は学園都市の様々な噂や伝聞形式の情報について非常に詳しい。

 もっとも信憑性という点では若干の不安要素があるわけだが、彼女ほどにもなるとガセネタであっても楽しんでしまう豪胆さを併せ持っていた。

 勿論クレープ屋に関してはネットの口コミではあるが、それなり以上に信頼性のあるサイトから仕入れた情報である。個々人によって好みも変わろうが、試してみる価値はあるだろう。

 

 

「佐天さん、随分とご機嫌ですね」

 

一方通行(アクセラレータ)からマルヲカートで三勝もぎ取ったからね。‥‥っとに、誰が没個性だっての誰が!」

 

 どうやら先ほどの暴言をかなり気にしていたようである。

 一方通行(アクセラレータ)に没個性呼ばわりされた佐天は、常々自分の個性はともかくキャラクターが弱いことを気にしていた佐天は、ゲーセンに入るや否や一方通行(アクセラレータ)のプレイスタイルをじーっと観察していた。

 そして彼が苦手にしているゲーム、そしてそのゲームプレイの癖を観察し、分析の結果として見事に勝利をもぎ取ったのだ。しかも、三回も。

 

「けっ、あンなの偶然に決まってンだろォが、調子に乗りやがって‥‥」

 

「へっへーん、『勝負ってのはなァ、その時点での実力がモノを言うンだよ。コンディションとか相性とか場所の不利とか、グダグダ言う奴は負け犬だぜ』なんて大口叩いてたくせに、よく言うよ!」

 

「‥‥クソ、このアマ絶対いつか殺してやらァ」

 

「学園都市序列第一位ともあろうものが、無能力者(レベル0)相手に本気出すんですか?

 そこは空気読むでしょjk」

 

 

 ギリギリと一方通行(アクセラレータ)の口の中から破壊的な音が聞こえる。佐天の軽口には非常に苛々するが、確かに無能力者(レベル0)相手に、それも特段自分に敵対しているとかいうわけでもなく、ましてや先ほどまで一緒にいた相手に能力をふるうのはカッコわるい。

 自分に向かってくる者にはどんな仕打ちをしたところで心が痛むことなどないが、それ以外の弱者相手に暴力を振るうのは品性が下がる気がする。

 何しろそれは、自分が最強であることの証明にはならないのだから。

 

 

「‥‥ふむ、君が言いくるめられてるなんて初めて見るってことです」

 

「煩ェな!」

 

「君がそれにキレないのも、珍しい。なんか随分と丸くなったってことです、一方通行(アクセラレータ)?」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 逆らう奴は、問答無用で全殺し。

 全ての人間が自分に恐怖していればいい。全ての人間が自分を忌避していればいい。全ての人間が、自分に触れなければいい。

 自分はただの恐怖でありたい。自分はただの暴力でありたい。自分はただの脅威であればいい。

 それが自分、学園都市序列“第一位”、一方通行(アクセラレータ)

 

 

「まぁ、この面子だからね。色々と思うところもあるのも分かるってことです。君らしくは、ないけどね。僕としては君が楽しければそれでいい」

 

「‥‥別に、そんなこたァ無ェよ。俺ァいつでも変わンねェ、一方通行(アクセラレータ)だ」

 

「そうかい。それならそれで僕は別に構わないってことです。もともと僕が君にどうこう言う権利なんて無いからね」

 

 

 すぐ近くにあるはずのクレープ屋が、やけに遠くに思える。

 常盤台と柵川組の四人は、背後から漂ってくる不穏な気配に思わず無言。楽しいはずの道中が、突然おかしな空気に包まれた。当然ダラダラ冷や汗を流している佐天の責任では絶対にないのだが。

 

 

「あ、あぁっそろそろ近くですよクレープ屋! ていうかアレですアレ!」

 

「ほ、本当だ! うわぁー綺麗な屋台ですねぇ佐天さん!」

 

 

 ついに空気に耐えられなくなり、佐天は慌てて目の前のクレープ屋に走り出した。

 ごちゃごちゃした装飾が流行る中で、必要最低限のセンス有る外観はクレープの味そのものに自信があるのだという無言のメッセージを発信しており、分かる人には分かる玄人向けな店である。

 もちろん女の子向けということもあり外装は全体的にファンシーな色を用いているが、それでもシンプルなことには変わりない。

 ともすれば男性でも違和感なく来店することが出来るだろう。もちろん外見と服装による個人差と、注文の内容による差もあるだろうが。

 

 

「さぁて、何にしようかなー! イチゴクリームは鉄板だけど、バナナと小豆も捨てがたいし‥‥。ちょっと今月のお小遣いピンチだけど、奮発してデラックス三種盛りとかも―――」

 

「すいませェん店員サン、この『ホイップクリームとお好み三種の豆クレープ』を一つ。小豆と納豆とチリビーンズで」

 

「―――ってちょっと待ったぁぁぁ!!」

 

 

 クレープ屋の大きめな看板を眺めながらメニューを悩んでいた佐天が、隣で何の躊躇いもなくスラスラと注文をする一方通行(アクセラレータ)に待ったをかける。

 自分だってこの店はネットの口コミで漸く知って、今日が初めての来店だというのに。どうしてこの少年はまるで知っていたかのようにメニューを選べたのだろうか。

 しかも、こんなマニアック、というか誰も選ばないだろうチョイスを。

 

 

「あン? そンなの知ってたからに決まってンじゃねェか」

 

「どこで?! どうやって?!」

 

 こともなげに言い放つ一方通行(アクセラレータ)を問い詰める。

 自慢じゃないが自分はかなりの情報通であるのだ。ネット媒体にこそ限られるが、親友の初春のようにハッキング技術こそ持ち合わせていないが、それでもそれなりにネットの世界のことは通じているのだ。

 だというのにこの男、自分が巡回している板の片隅にあった情報を何故知っているというのか。

 

「よく行くサ店の兄ちゃンがなァ、俺がそういう料理とか好きなの知っててよォ。オススメだってンで、この店教えてくれたンだ」

 

「あの人は他にもいくつか紹介してくれてたね。やっぱり最後に頼りになるのは人伝ての情報ってことです」

 

「ま、俺ァそういうメニューばっかりの店ってのは逆に風情が無くて嫌ェなんだけどよ。

このメニュー、豆の種類がお好みで選べっから、逆に簡単にゃ気づけねェ組み合わせってのが気に入ったぜ」

 

「こちらホイップクリームとお好み三週の豆クレープ、小豆と納豆とチリビーンズですねー。お待たせしましたー!」

 自慢げに話す一方通行(アクセラレータ)のの前に、注文した品が差し出される

 それはおよそ、佐天にとってクレープという定義に当てはめることが出来るギリギリのラインというものを、そりゃあもうブッちぎりで、一切の良心の呵責なく斜め上どころか次元すら異なる世界線へと

向かって吹っ飛んでいく代物であった。

 クレープ生地はごく普通の、スタンダートなものだ。昨今では生地に色々と混ぜ物をする風潮もある中で、しっかりと基本を守っているのは好感が持てる。

 クレープのベースはホイップクリームだ。厳選された素材から作られたそれは舌に優しく触れるまろやかな食感を食べる者に与え、ふわりと崩れるクレープ生地と共にこの店のランクというものを悟らせるだろう。

 だが、トッピングがいけなかった。純然たる事故、というよりは人災と言うべきだろうか。ここまで酷い組み合わせを、佐天は未だかつて見たことはおろか、聞き及んだことすらない。

 

 一番最初に目に付くのは、小豆。薄い黄色のクレープ生地と、白いホイップクリームの中で一際に目立つ。

 どうして餡子というのは乳製品との相性がよいのだろうか、よく一緒に使われる。だからこそホイップクリームに小豆という組み合わせはむしろ定番のものであり、今更騒ぎ立てる代物ではない。

 しかし次が不味かった。小豆の隣に見え隠れするのは茶色く、ねばねばと白い糸を纏った日本人の朝ご飯のお供。即ち、納豆である。

 甘納豆、なんて食品も存在するが、基本的にこれは甘味と合わせる食料ではない。そもそも日本人の中でも強烈な臭気から苦手とする者も多いというのに、何故よりによって小豆とホイップクリームに合わせようと思ったのか。

 注文主、否、もはや店主の正気すら疑う。これは

魔の組み合わせと言わざるをえない。

 

 しかし最も恐ろしいのは、それらではないのだ。

 その二つの豆の隙間からさらに強烈に個性を主張する刺客。茶色というよりはまさしく小豆色をした、スパイシーで濃い臭いを放つ物体。

 そう、つまり、これこそチリビーンズである。

 タコスなどに使われるスパイシーな味と食べ応えが持ち味であるこ食べ物は、確かにクレープ生地と合わないこともないだろう。

 小豆と納豆の隙間から見える千切りキャベツと白髪ネギは、おそらくこの組み合わせに対して店員がチョイスしたトッピングなのだろう。何とか全体の味の調和がとれるようにと工夫が見られるが‥‥正直どうなんだろうか。

 

 

「‥‥それ、おいしいの?」

 

「分かンねェから、食うンだよ」

 

「‥‥それ、食べれるの?」

 

「食べられるか、じゃねェ。食べるンだよ」

 

 

 店員からクレープ(謎)を受け取った一方通行(アクセラレータ)が、その物体をしげしげと眺める。

 見るからに毒々しい色合いと、ここまで近くに来れば明確に嗅ぎ分けることができる強烈な臭い。そもそも臭気が強い食材であるチリビーンズ、納豆、ネギ、甘ったるいホイップクリームとこっそり入ったカスタードなどが組み合わさっているのだから当然とも言えるのだが、それにしても酷い。

 あまりのカオスに、思わず意識が遠くなる。とりあえず近寄るなと言いたくなるが、この店に寄ろうと言い出したのが自分である手前、さすがに逃げるわけにもいかなかった。

 

 

「そンじゃまァ、いただきまァす」

 

「ドキドキ‥‥」

 

「もぐ、もぐ、もぐもぐ、もぐもぐもぐもぐもぐ‥‥‥‥」

 

「‥‥?」

 

「‥‥‥‥‥‥‥」

 

「‥‥‥‥???」

 

 

 作った張本人である店員を含め、沈黙が辺りを支配する。

 そんなきわめて特殊な空気の中で一方通行(アクセラレータ)はいつものように、ドキドキと見守るカガリの前で、クレープを一口、そして二口三口、黙々と満足するまで口に運んだ。

 全くの無表情、そして鬼気迫る雰囲気。言葉をかけることすら躊躇われる無言の“行為”。

 「食べる」という行為にここまで真剣な姿を、佐天達は未だかつて見たことがない。

 楽しんでいる、というのとは違う。嬉しい、というような感じでもない。それは言うならば彼の中では趣味を超え、もはや習慣であった。

 

「―――う」

 

「う?」

 

「うごァがァげェぐォgggggg?!!」

 

「「「「えぇぇぇぇ?!!」」」」

 

 突如奇声を上げて悶え苦しみ始めた一方通行(アクセラレータ)に、旧知の仲であり普段の奇行を

よく知るカガリ以外の全員が驚愕の声を発する。

 一応しっかりと立ってはいるのだが、一方通行(アクセラレータ)の両足と上半身はガクガクと震え、痙攣一歩手前だ。

 こと“食べ物”を口にして、やっていい反応ではない。風紀委員(ジャッジメント)である初春などは心配を通り越し、半恐慌状態で慌てふためきながら救急車を呼ぼうと携帯電話相手に悪戦苦闘している。

 

「こ、こ、ここここ、こってりとしながらまろやかな小倉の甘みを中和するあっさりした味つけのホイップクリームとのベストマッチ! そしてそこに去来する粘着質ながらも丁寧な豆の味と芳香! チリビーンズのスパイシーな辛味がその調和にカオスを添えてやがる‥‥。

 何より異なった三種類の豆の異なった食感がたまンなく違和感を醸し出してンぜェ! こいつはパネェ、マジでイかれてやがる! どうしたらこンな組み合わせが選択肢に上がるようなメニューを平気な顔して出してられンだァ?!」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 総括

 どうやら人災レベルとしか思えないこの混沌とした食べ物に、一方通行(アクセラレータ)は随分と高評価を下したようである。

「要するに、おいしかったってわけ? その存在そのものが信じられないクレープ‥‥」

 

「いや、不味ィ。とンでもなく不味ィ。けどその中にも極めて特異な調和が存在しやがンだ。

 こォいう料理はよォ、美味くっても意味が無ェンだ。かと言って不味けりゃいいってもンでもねェ。

 その組み合わせは無ェだろ?!って中に、考え出した奴の個性とか、思わず納得しちまうような部分があってこそなンだよ。

 その点コイツはパーフェクトだ、堪ンねェ! 店といいメニューの裏側をつくようなやり方といい、一流だぜ。いいセンスしてやがる」

 

「‥‥あっそ。もう、よくわかんないから言及しないわ」

 

「テメェみたいな三下にゃ分かンねェだろォな、この興奮はよ。まだまだ成ってねェぜ第三位」

 

「それに関しては真剣に余計なお世話よ、ホント、マジで」

 

 凶悪な顔つきを歪めたドヤ顏でさっぱり共感出来ない、というよりは理解できない持論を滔々と述べる一方通行(アクセラレータ)に、美琴は心底疲れた様子で反応する。

 自分の感性とあいいれない存在はことさら相手するのが疲れるというものだ。基本的に話が一方通行になるのだから。

「ていうか黒子、あんたダイエットしてたんじゃないの? 豆乳ホイップクリームとバナナなんて甘ったるいもの食べて大丈夫?」

 

「‥‥あまりよろしくはないですの。ですがお姉様、私最近ちょっと胃の調子が悪くて‥‥。お腹に優しくてストレス解消になる甘いものでも食べなければやってられませんわ」

 

「アンタも苦労してんのね‥‥」

 

「そう思って頂けるのでしたら、もう少し黒子を労わって貰えますと嬉しいですの。‥‥ぐ、具体的には、そう、身体的スキンシップとかピカチュゥッ?!」

 

「調子にのんなっ!」

 

 クレープ屋の前で騒ぐ六人組はこれでもかという程に目立っていた。既に何人もの学生が、珍しい常盤台の制服に目を付けて写メっていたりしている。

 そもそも五人組という人数の段階である程度目立ってしまう上に、一人一人のキャラクターが外見を含めて非常に濃いのだから、人目を引くのも当然だろう。

 もちろん件の五人は今更そんなものを気にするようなタマじゃない。悠々自適に、クレープ屋の前での馬鹿騒ぎを楽しんでいる。

 もちろん店の前で営業妨害一歩手前の馬鹿騒ぎをされるクレープ屋の方はといえば、たまったものではないだろうが。

 

「‥‥つかよォ、花瓶にツインテ」

 

「人を大雑把に属性で括るのは止めて頂けません?!」

 

「私は花瓶なんかじゃありませんっ!」

 

 好きで頼んだものではあるが、やはりその圧な臭気に耐えられず盛大に噎せていた一方通行(アクセラレータ)が初春と黒子に問いかける。

 トンデモない渾名をつけられた二人は懸命に抗議をするが、そもそもこの男、しっかりと本名で呼ぶ他人なんて片手の指で数えるぐらいしか存在しないので、まったく気にした様子もなかった。

 

風紀委員(ジャッジメント)ってのは随分と暇人なンだなァ? 支部の人員が二人もこンなところでサボってて大丈夫なのかよ?」

 

「‥‥本来、風紀委員(ジャッジメント)の活動は校内の治安維持が主ですの。近年では警備員(アンチスキル)の手が足りないので校外でも活動しておりますが、基本的には越権行為ですわ」

 

「ですから校外の見回りとかは手が空いている風紀委員(ジャッジメント)や研修中の新人とかで自主的にやってるんですよ。

 拘束権こそありますけど、それも現行犯とか指名手配犯とか相手に限りますし、実は普通の学生とあんまり変わらなかったりします」

 

「まぁボランティアに過ぎませんから。もちろん仕事はしっかりとやっておりますわよ?

 とはいえ毎日毎日風紀委員(ジャッジメント)として活動していては体が保ちませんの。今日は自己申告の非番ですわ」

 

 豆乳で作られた体に優しいホイップクリームのまろやな甘みを味わいながら、澄ました顔で黒子は言う。

 給料や報酬の出ない風紀委員(ジャッジメント)は、自らの正義感を糧にして職務に励むより他ない。ならば自己管理は普通に仕事として治安維持を行っている市政の警察などよりしっかりとやらなければならなかった。

 疲労や無気力を言い訳に仕事をサボることがないように、かといって体を壊すこともないように、学業の妨げにならないように、風紀委員(ジャッジメント)の仕事が必要以上の負担にならないように。

 であるから休暇や非番は基本的に自己申告であるし、その日の見回りのシフトなんてものも、研修などの例外を除き基本的に組まれていない。

 その日いる人員で回す。もちろん助っ人などを非番の人間に“お願い”することぐらいはするが、その姿勢がないものにはそもそも風紀委員(ジャッジメント)など務まらないのだ。

 

「もちろん非番の最中だろうと風紀委員(ジャッジメント)としての自覚はしっかりと保ち、一般学生の模範となるべく行動するのは当然のことですわ。そうですわね、初春?」

 

「え? えぇ当然じゃないですか白井さん! こうやってぼーっとしているように見えて、その実しっかりと周りにおかしなことがないか確認してるんですから!

 例えば‥‥」

 

 本人の言葉とは真逆に、目の前のクレープを食べることに集中しているようにしか見えなかった初春が、黒子の言葉にキョロキョロと慌てて辺りを見回す。

 口の端っこに拭い損ねたクリームがついてしまっているのはご愛嬌だろう。その姿はどちらかといえば風紀委員(ジャッジメント)というよりは、リスやウサギといった小動物だ。

 

 

「あ、ほら見て下さいあの銀行!」

 

「あァン?」

 

 

 キョロキョロと辺りを忙しなく見回した初春は、大通りに建っている何の変哲もない銀行を指さした。

 外見も名前も別に不思議な点などない。学園都市の中でも幾つかの支店を持つ持つ大きな銀行だ。

  

  

「あの銀行が、どうしたンだよ」

 

「もう、しっかりと見て下さいよ! ほら、こんな昼間なのにシャッターを閉じてるなんておかしいと思いませんか―――」

 

  

 瞬間、轟音。

 夜間の重機による強盗すらも防ぐ分厚いシャッターが、内側から大爆発を起こして拉げ、吹き飛ぶ。

 大質量による攻撃もしっかりとシャットダウンするはずだというのに、恐ろしく違和感のある光景であった。

 

 

「―――って、えぇぇぇぇ?!」

 

「おのれ何事、私とお姉様との蜜月をぉ!! 初春! 惚けてないで警備員(アンチスキル)に連絡を!」

 

「ふぇぇぇ?!!」

 

  

 明らかな異常に、黒子は風紀委員(ジャッジメント)として自分の頭を切り換え、手にしていたクレープを一気に口の中へと放り込む。

 確かに非番ではあるが、目の前で異常が起こっているのに見過ごすわけにはいかない。厳密な職務時間の設定が無いというのは、すなわち何時いかなる時であろうと職務中ということでもあるのだ。

 

  

「黒子!」

 

 

 馬鹿騒ぎをする他のメンツを尻目に既に自分の分のクレープを食べ終えていた美琴が叫ぶ。

 今の爆発、例えば爆発物だとしたら自分も相手も危険なものであるし、仮に超能力であったとしたら強能力者(レベル3)は優に超えるだろう。

 

 

「お姉様はそこでおとなしくしていて下さいませ! 毎回毎回申し上げておりますが、超能力者(レベル5)であろうと一般生徒は一般生徒ですの。治安維持は我々風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)にお任せを」

 

 

 二の腕につけた風紀委員(ジャッジメント)の腕章を握りしめ、若干のホイップクリームがついた口元を威勢良く拭うと駆け出した。

 

 

「‥‥なによ偉そうに」

 

「まぁまぁ、彼女の言うことも一理あるってことです。一般人がむやみやたらに能力をふるうと、それこそ自分が風紀委員(ジャッジメント)にとっ捕まりかねない」

 

 

 能力の乱用は禁じられているが、もちろん学園都市の学生がそんなことを守るわけがない。俗に不良と呼ばれる人種にしてもそうだが、真面目に能力向上のために努力している学生にしても、ただ学校のカリキュラムを黙々とこなすだけで能力が上がるなどと考えるはずがなかった。

 それは風紀委員(ジャッジメント)として活動している学生としても同じであるため、ことさら強く言えない部分はある。黒子とてあまりにも便利すぎる能力を持った空間移動能力者(テレポーター)であるから、なおさら乱用の傾向は強い。

 しかし、それも対人となると話は変わる。ただでさえ強度(レベル)によってはっきりと威力が変わる超能力を高位能力者が低位能力者相手に行使するうことは、プロボクサーが場末の不良相手に本気の殴り合いをすることと同義だ。

 

「そりゃ言いたいことは分かるけど、一応は超能力者(レベル5)の私がああやって能力が必要な場面で蔑ろにされるってのは‥‥って、ちょっと待ちなさいよ第一位(アクセラレータ)

 

「あン? 用も無く話しかけンな第三位(レールガン)。俺ァこれからお楽しみなンだからよォ」

 

「お楽しみ、じゃないわよ! 今さっき止められたばっかなのに、どうして何の躊躇もしないで向こう行こうとしてんのアンタは?! 馬鹿なの? 死ぬの?」

 

「はッ、そんなの決まってンじゃねェか。お祭りだってンなら、飛び入り参加も歓迎だろォ? 便乗しねェのは損ってもンだ。違ェか?」

 

「大間違いよッ! さっき黒子が言ってたでしょうが。一般生徒が無暗やたらに能力を使ったら懲罰モノよ? ちょっと癪だけど、ここは風紀委員(ジャッジメント)であるあの子に任せて‥‥」

 

「懲罰ゥ? 笑わせンな、一体どこのどいつに俺が罰せられるってンだよ?」

 

 

 焦ったような美琴の言葉を、一方通行(アクセラレータ)は嘲笑う。

 そこにあるのは絶対の自信。学園都市第一位として、否、ベクトルの支配者である一方通行(アクセラレータ)としての絶対の自信。

 強者にのみ許される傲慢と驕りは、決して馬鹿にされる対象、愚とされる対象ではない。むしろそれは、その者の実力を悟らせる場合すらありえる。

 ましてや彼ならば、それも当然と頷けることだろう。

 

 

「俺ァ一方通行(アクセラレータ)だぜ? 誰も俺を止めらンねェ。俺ァ俺のやりたいようにやるさ、好きなことを、好きなだけな」

 

「それに振り回されるこっちの方の事情も考えて欲しいってことです」

 

「煩ェな! ‥‥オラ行くぞ、久々の鬱憤晴らしだ。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよよアンタ達! 何のこと話してんの?!」

 

 

 おもむろにシャッターが爆破された銀行の方へと歩き出した一方通行(アクセラレータ)とカガリに、ペースを乱されっぱなしの美琴は驚きの声を上げた。

 今、自分が言ったことを忘れたのかコイツらは。風紀委員(ジャッジメント)のお世話になるって話したはず、っていうかソレを私に諭したのはアンタ達だろうが。

 

 

「うーん、でもキミと僕たちとは立場が違うだろう? 悪いんだけど、僕は基本的に楽しそうなことがあったらすぐ首を突っ込むのが信条ってことです」

 

「それに振り回されるこっちの事情も考えて欲しいってことでェす」

 

「別に僕はキミに付き合って欲しいとは、言ってないはずなんだけどな」

 

「‥‥チッ、そォいう細けェことばっかり言いやがって、面倒臭ェ」

 

 

 美琴の言葉など意に介さず、二人は悠々と歩を進める。

 誰も彼らに指図することなんて出来ない。何故なら‥‥」

 

 

「なァに、テメェが気にすることなンて無ェよ、第三位。俺たちは“最強”で‥‥」

 

「“絶対無敵”ってことです」

 

 

  あまりに自信満々に言い放つ二人に、美琴は言葉を失くす。

 別に二人の身が危険だから止めたわけではない。二人共が自分と同じ超能力者(レベル5)であり、なおかつ片方は学園都市序列第一位、もう片方にしても第六位である。

 この二人に勝てる者など、否、まともに勝負が出来る可能性のある能力者でだろうと両手の指で数えられるぐらいしか存在しないのではなかろうか。

 勿論その中には自分も数えられているだろうし、そもそも自分に勝てる人間を考えたところでも、やはり同じくらいの数しか想像出来ない。

 先ほどもちらと言及したが、驕りでも何でもなく、真実として超能力者(レベル5)はそれrだけの実力を持っている。

 

 だから美琴が言葉を失くしたのは、単に彼らの自然な態度に拠るものだった。

 

 彼らは、自分達が能力を振るうことを、ごくごく当然のものとして捉えている。

 自分達の能力を、暴力を正当化出来ている。道端に屯っている不良たちの振るう安っぽい暴力などではない、本当の暴力を自分のものだと正当化出来ているのだ。

 それがどれほどまでに異質なことか。どれほどまでに鮮烈なことか。どれほどまでに憧れることか。

 勿論、決して善いことではないだろう。むしろ悪い、とことんまでに凶悪だ。しかし美琴は憧れるとまではいかずとも、その仕草、在り方に目を奪われてしまった。

 

 あるいはそれは、例えば学校で何の問題もなく生活していた優等生が、放課後の河原で殴り合いをしていた不良たちの生き生きとした姿に惚れるようなものだったのかもしれない。

 言うならば隣の芝生、あるいは他人の持つ花、そのような類の憧れに類する感情だったのかもしれない。

 だが確かに彼らは美琴とは違う在り方をしている人種で、故に止められなかったのも事実。

 そして自分と違う在り方をする人間との出会いとは、往々にして自らの変化をも指し示すものである。

 

 学園都市序列第一位『一方通行(アクセラレータ)』。

 学園都市序列第六位『無尽火焔(フレイム・ジン)』。

 

 彼らとの出会いが生み出す大きな波乱と、物語の変化。

 それらはすぐそこに、迫っていたのであった。

 

 

 

 

 



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第9話 『強盗、少年、天衣無縫』

 

 

 

「おい急げ! 早いとこ退散しねぇと風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が来るぞ!」

 

 

 長閑な初夏の放課後。学園都市でも最大級の敷地面積を誇る第七学区の公園通りで、いつも通りの午後の風景を脅かす事件が発生していた。

 普段ならば学生たちに向けて預金の引き出しやローンの取引などをしている大手の某銀行が、今日に限って完全に営業を停止している。

 それどころか閉店を表す降りたシャッターは中心から大きく外側に向けてひしゃげ、爆発したかのような焦げ跡と、今もなお僅かながらも火が点いた破片が撒き散らされたままだ。

 

 

「へっへっへ、まさかここまで簡単にいくとはなぁ‥‥。お前の能力のおかげだぜ」

 

「無駄口叩くな、時間は無ぇぞ! 今ここで風紀委員(ジャッジメント)やら警備員(アンチスキル)やらに見つかったら終わりだぜ?!」

 

「大丈夫ですよ、車は用意してあるし、乗り捨てちまえば後は簡単に見つかりゃしません。とにかく早くずらからねぇとお縄で―――」

 

「―――お待ちなさい、そこの三人!」

 

 

 銀行から出てきた三人が、口々に勝手なことを言う。この暑い盛りに揃って黒い革ジャンを着込み、口元をスカーフで隠している。

 両手に持ったバッグにはパンパンに札束が詰め込まれており、風体と状況から見て、明らかに銀行強盗そのものであった。

 口元が隠されているためにしっかりと風貌を確かめることはできないが、大柄な男が混じっている割に全体的に若く見える。もっとも、学園都市は八割近くが学生であるから、仮に銀行強盗だとしても犯人が学生であるのは不思議ではないのだが。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの! 器物損壊および強盗の現行犯で拘束します!」

 

 

 多少強引な方法ではあるが、とりあえず何とか強盗を終えて逃走を図る三人の前に、一人の少女が現れた。

 強能力者(レベル3)以上の高位能力者しかいない名門校である常盤台中学の制服を纏い、栗色の髪の毛を波打った特徴的なツインテールに結び、小柄ながら袖につけた風紀委員(ジャッジメント)の腕章を誇示して精一杯に威圧している。

 もちろん常盤台の制服を着ている以上は、彼女もまた強能力者(レベル3)以上の高位能力者であることは間違いないのだが、いかんせん中学生、しかも下手すれば小学校から上がったばかりと見える少女では迫力はない。

 それは銀行強盗の三人組にしても同じであった。いくら風紀委員(ジャッジメント)の腕章があっても、ここまで小さな女の子が相手で恐ろしいなんてことはなかろう。

 

 

「「「‥‥‥‥」」」

 

「‥‥?」

 

「「「ぶははははははははは!!!!」」」

 

 

 風紀委員(ジャッジメント)の少女、白井黒子は強盗三人組の嘲笑を受けてポカンと立ち尽くす。

 今までも外見から実力を低く見積もられることは多々あったが、ここまであからさまに、しかもこの状況で侮られるとは予想外であった。

 

 

「おいおい風紀委員(ジャッジメント)も人手不足かぁ?」

 

「こんなお嬢ちゃんが風紀委員(ジャッジメント)なんて、何の冗談だ?」

 

「ごっこ遊びも楽しいかもしれないけど、あんまりお痛が過ぎると怪我しちゃうぜぇ?」

 

 

 ‥‥風紀委員(ジャッジメント)になるのにどれだけの訓練が必要だと思っているのだろうか。そりゃ専門職としてコンピューター関連の技術を持っている初春などは別だが、黒子はしっかりと訓練を受けている。

 この訓練、やり方さえ工夫すれば無能力者(レベル0)でも能力者を捕縛できるようにみっちりと捕縛術を仕込まれるのだから、基本的に風紀委員(ジャッジメント)はやたらと強い。

 そもそも能力者同士の戦闘術というものは厳密に確立しているわけではないのだから、風紀委員(ジャッジメント)もやりやすいのだ。

 

 

「‥‥舐められたものですわね。相手の能力も強度(レベル)も把握しない内によくもそんな大口を叩けたものですの」

 

「ハッ、舐めてんのはどっちだ? こっちは三人、お嬢ちゃんは一人で三対一。勝ち目なんて―――」

 

「―――なら三対三の互角(イーヴン)ってことです」

 

「調子乗ってンじゃねェぞ、三下が」

 

「‥‥は?」

 

 

 女子中学生相手に大人げなく凄む強盗三人の前に、二人の男が現れた。

 背の高い、生気のない灰色の瞳を持った白衣の青年と、険しいをはるかに超えてもはや凶悪な目つきをした白髪の少年。

 どちらもこの場所にはあまりに不釣り合いであり、あまりにも異質。あるいは唐突な出現に、強盗は三人とも先ほどの黒子同様、ポカンと口を開いて立ち尽くした。

 

 

「な、何をしに来ましたの二人とも?! 治安維持は私たち風紀委員(ジャッジメント)の仕事ですのよ?!」

 

「煩ェなァ、俺達は俺達のケンカをしに来ただけだ。引っ込ンでな、ツインテ」

 

「ま、また人を属性で大雑把にに括って! どんなに強度(レベル)が高くても一般生徒が無闇やたらに能力を振るうのは立派な学則違反ですのよ?!

 風紀委員(ジャッジメント)として、そのような無法は許す訳にはいきませんの。ここは大人しく退いて下さいませ!」

 

 

 少なくとも窮地に陥ったお姫様(ヒロイン)を助け出しに颯爽と登場とした勇者様(ヒーロー)には見えない。

 むしろ印象としては、火事場泥棒に近かった。片や暑い日中に白衣の変態。片や人殺しの目つきをした小柄の少年である。

 

 

「だから煩ェっつってンだろォが。他人のケンカに首突っ込ンでンじゃねェよ、お節介女」

 

「‥‥いつの間にか私が邪魔者みたいになってますの。トンデモないお方ですわ、この超能力者(レベル5)

 

 

 常識的に考えて正当化されるべきは風紀委員(ジャッジメント)としての職務をしっかりとこなしている自分のはずなのに、何故かこっちの方が首を突っ込んでいるかのように言われている。

 もしかして超能力者(レベル5)の人達は自分達普通の人間とは感性が違うんだろうか。

 なんというか若干、敬愛するお姉さまの感性というものも不安になって来た。それだけでも十分損害賠償に値する。

 

 

「っつゥわけで、有り難くも俺達が相手してやンよ。泣いて喜べ、三下共」

 

「‥‥まぁ確実に涙を流す羽目にはなるだろうってことです。喜びの涙とは、限らないだろうけどね」

 

 

 ずずい、と二人が前に出る。自信満々なその態度に、強盗達は揃って顔を見合わせた。

 正直、この二人組をどう評価すればいいのか分からない。判断に苦しむ。

 どこからどう見てもカタギの人間には見えず、だからこそ実力を図りかねる。少なくとも女の子が可哀想だから、カッコつけたいから、という人種からは外れるだろう。

 

 だが同時に、外見から判断できる要素も多い。

 白衣の青年の方は上背こそあるが、ひょろひょろとしていて力など無さそうだし、少年の方はといえば下手すれば女子よりも非力ではなかろうか。

 もちろん学園都市で若者といえば、当然のように能力開発は受けているだろう。しかし、その大多数は無能力者(レベル0)弱能力者(レベル1)が占める。

 油断して潰されてしまうのは本末転倒だが、慎重に行動し過ぎても損をする。勘違いされやすいが、学園都市では強能力者(レベル3)の段階で十分以上にエリート。大学受験にたとえるならば、なれば外の世界における上位国立大学合格者ぐらいのランクなのだ。

 

 

「‥‥おぅ小僧共。もしヒーロー気取りなら痛い目見るからやめときな。そう簡単に漫画みたいにいくわけじゃねぇんだぞ?」

 

「そうだそうだ、痛い思いはしたくねぇだろ? おとなしくお家に帰って晩飯食ったら寝ちまいな!」

 

「‥‥三下共が、好き勝手言ってくれンじゃねェか」

 

「自分の実力と相手の実力、見誤るようだと長生きできないってことです」

 

「んだとテメェら?! 舐めてやがんのかっ!」

 

「舐めてンのはどっちだよ、クソ共。俺を誰だと思ってンだ? テメェら落ちこぼれ風情が適う相手じゃねェんだよ。さっさとケツ振って逃げ出しな、負け犬野郎が」

 

 

 ミシリ、と強盗三人組のこめかみの血管が悲鳴を上げる。

 無能力者(レベル0)やら能力者やらが混じった三人組であるが、腕っ節にはそれなり以上の自信がある。そうでなければ風紀委員(ジャッジメント)やら警備員(アンチスキル)やらと鉢合わせする可能性が高い銀行強盗なんてするつもりはない。

 いくら能力者である可能性が高いとはいえ、クソガキにここまで馬鹿にされちゃ黙っていられない。プライドだって、それなりにある。

 

 

「こっちが下手に出てやってるからって調子に乗りやがって‥‥! お望み通り痛い目に遭わせてやるよ、このクソガキがぁぁぁ!!」

 

 

 遂に耐えられなくなったのか、三人組の中で最も大柄な男が一方通行(アクセラレータ)に向かって走り出す。

 優に身長百八十センチを超え、体重百キロに達するだろうという巨体。対して中学生ぐらいの体格しか持たない一方通行(アクセラレータ)

 そして意外にも俊敏な巨男は既にそのハンマーのような右腕を白髪の少年へ降り下ろそうとしている。

 

 

「あ、危ないっ!!」

 

 

 あまりにも惨い結末を想像し、庇うには一歩出遅れた黒子が悲鳴を上げた。

 学園都市序列第一位という彼の位階は知っている。だが、常識的に考えて目の前の光景は十分悲鳴をあげるに値するだろう。

 咄嗟に動こうとするも、間に合わない。空間移動(テレポート)を行うには両者の距離が近すぎる。

 刹那の内の判断を行う間に、虚しくも大男の拳は一方通行(アクセラレータ)へと振り下ろされ―――

 

 

「―――ああ、そういう手で来ますか。それじゃつまらないな、一瞬ってことです」

 

 

 ゴシャッ、という肉と骨が砕ける音と、無音の驚愕。

 たったの二人を除いた誰もが予想した、限りなく百パーセントに近い想像は、覆されたがためにその者達に思考の空白を強制する。

 

 

「―――が、がかぁぁぁぁ?! 俺の、俺の腕が‥‥ぁ‥‥?!!」

 

 

 能力の発動を許さない奇襲と速攻。

 相手が能力者で、なおかつ能力が判明していない状況ならば決して悪手ではない。むしろセオリー通りだろう。

 しかし今回ばかりは、相手が悪かった。

 

 

「て、てめぇ一体なにしやがった‥‥ッ?!」

 

「あン? 別になンもしてねェよ。テメェが勝手にぶン殴って来て、勝手に怪我しやがっただけじゃねェか。みっともねェなァ、他人様に責任押し付けようなンて」

 

 

 何をしたというのだろうか、黒子は目を見開いていた。

 何をしたようにも見えない。一方通行(アクセラレータ)の言うとおり、ただ勝手に大男が彼に殴りかかり、ただ勝手に同じぐらいの勢いで弾かれた。

 だがしかし、同時にその様はあまりにも不自然。あまりに理解できない痛みに捲った袖から見える大男の右腕は、過度の負荷をかけられたかのようにひしゃげてしまっている。

 

 

「なンだなンだよなンですかァ? 大口叩いた割に無能力者(レベル0)とか、一体なンの冗談だよ?

 つまンねェ、そンなンじゃ全然楽しめねェぞ三下ァ! こいつァとンだハズレくじだぜ、失望だ」

 

「ぐ‥‥ぅ‥‥?!」

 

「おらどうしたよ、それで終わりか? そンな調子じゃアッー!という間に殺しちまうぞ木偶の坊がァ!」

 

「‥‥な、舐めやがって、この野郎ぉぉぉ!!!」

 

 

 衝撃か何かで肩まで外れてしまっているのだろうか、完全に動かないらしい右腕をぶら下げ、大男は一方通行(アクセラレータ)に飛びかかる。

 何故かは分からないが、殴ってしまえば自分が怪我をする。ならば相手は棒みたいな少年、残っている左手でもひっ掴んでアスファルトに向かって投げ殺してやればいい。

 

「‥‥く、くそ! くそ! くそ! な、なんだコイツ、触れねぇ?!」

 

「おィおィ、そりゃ悪手だろ三下。まァ知らねェなら無理はねェけどよォ、俺に触れる奴なンてこの世に一人いるかどうか‥‥」

 

「ぎ、ぎやぁぁぁ?!!」

 

 

 掴もうと必死に手を動かす大男の左手を、一方通行(アクセラレータ)が右手で掴み返す。

 たったそれだけで、さして力を込めていないだろう真っ白な右手に、大男は万力で締め付けられたような悲鳴を上げた。

 

 

「‥‥ちっ、失敗したな、ハズレだコイツ。せめて景気良く‥‥吹っ飛びなァ!!」

 

「ぎゃあぁぁぁぁ?!!!」

 

 

 痛みに耐えかねて前屈みになった大男の腹目掛けて膝蹴りを一発。続けて一歩離れ、豪快にくるりと後ろ回し蹴り。

 たったそれだけで、一体どういう力が働いたのだろうか。軽く倍、あるいは三倍ほども体重差があるだろう大男は、まるで弾丸のように吹き飛ばされて銀行の壁面に突き刺さった。

 

 

「こ、この野郎?!」

 

「おっと、君の相手は僕ってことです」

 

 

 短く針金のような髪の毛を立たせた男が仇を討とうと一歩踏み出すが、その前にカガリが立ちふさがる。

 ゆらり、と体重を感じさせない動きをする白衣の男は、一方通行(アクセラレータ)以上に得体が知れない。

 だが仲間の一人をやられてしまった今、男にも退くという選択肢は存在しなかった。

 

 

「‥‥へっ、あの野郎もお前もどんな能力持ってるか知らねぇが、俺だってなぁ‥‥!」

 

 

 突き出した右掌に、集まる炎。いや、それは自然界に発生する炎ではなく、明らかな敵意を含んだ、人の生み出す焔だ。

 その高温は能力者である男にこそ熱く感じることはないが、物理法則に従って生まれた弱い上昇気流は男の髪の毛を僅かに揺らす。

 

 

発火能力者(パイロキネシスト)。その焔の威力から見て強能力者(レベル3)か、あるいは大能力者(レベル4)か‥‥」

 

「悪いが容赦はしねぇ、仲間を傷つけられたからな。レアかミディアムかウェルダンか、焼き加減ぐらいは選ばせてやるぜ?」

 

「強盗犯が一丁前によく吠える 。‥‥ふむ、僕は料理のことはよくわかんないから、シェフのお勧めでよろしくってことです」

 

「そうかよ。じゃあウェルダンで決定だッ!!」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)を前に敗北した大男の二の舞を警戒しているのだろう。男はその場からさらに大きく一歩飛び退ると、右掌に生み出した焔を突っ立ったままのカガリへと投げつけた。

 質量が固体に比べて圧倒的に小さい焔の玉は、大リーガーの投げるボール並の速さでカガリに迫る。

 

 

「‥‥ハッ、なンだアイツもハズレじゃねェか」

 

 

 男の掌から放れた火球は見る見るうちに大きくなり、ビーチバレーなどにつかうかなり大きなボールよりも大きくなって、カガリの顔面に着弾した。

 着弾と同時に解け、弾ける。顔面だけではなく上半身全体を多い尽くす業火。とても人間に耐えられるものではない。

 先ほどと同じく黒子は口の中で悲鳴を押し殺すが、直後、一方通行(アクセラレータ)の不釣り合いなぐらいにのんびりとした声が辺りに響いた。

 

 

「何ボーっとしてやがンだよ、悪趣味だなテメェは」

 

「‥‥必要以上に痛ぶるキミ程じゃないってことです」

 

 

 ありえない。

 胸どころか腰から上を眩しいくらいの焔に包まれながらも平然と喋り始めるカガリに、黒子は目を見開いた。

 そしてそれは強盗犯の男も、また同じく。

 

 

「う、嘘だ、なんで生きてられる‥‥?!」

 

「生憎と僕も発火能力者(パイロキネシスト)でね。焔の類は効かないんだ。ご愁傷様ってことです」

 

「不可能だ! そりゃ電撃使い(エレクトロハンド)にスタンガンが効かないとかは聞いたことがあるが、発火能力者(パイロキネシスト)が火傷しねぇなんて幻想(ファンタジー)だ!」

 

 

 火傷や、温度による細胞の死。

 基本的に電撃使い(エレクトロハンド)水流操作能力者(ハイドロハンド)発火能力者(パイロキネシスト)空力使い(エアロハンド)などは念動力者(サイコキネシスト)の亜流である。

 特に発火能力者(パイロキネシスト)は原則として空気分子の動きを制御することを基盤に、発火現象を起こしていると考えられていた。

 空気分子に影響を及ぼし、発火させる。そこには『炎を自在に操作する』というニュアンスは含まれないし、当然ながら人体の構造上、火傷や火ぶくれなどの直接的に炎から受けるダメージならともかく、酸素が無くても生きられるなんてトンデモな副作用は備わっていない。

 

 

「‥‥まぁ、小細工してるからね。勿論どうやってるかまで、詳しく教える義理はないってことです」

 

「く、くそっ!!」

 

 

 上半身を包んでいた炎を振り払い、現れたのは完全に無傷な姿。白衣すら、焦げていない。

 強能力者(レベル3)は、大能力者(レベル4)は決して生半可な存在ではない。その自分の能力が、全く効いていない。これがどれだけ絶望的なことか。

 

 

(‥‥服も焦げてない? 私だってさすがにスタンガン押しつけられたら熱で軽い火傷ぐらいはするわよ?)

 

 

 乱入した二人が押しも押されぬ超能力者(レベル5)であることを知る美琴は、その戦闘‥‥というにはあまりにも可哀想なリンチの様子を少し遠くからクレープ片手に観戦していた。

 二人がどんな能力者だ、というのは流石に情報を持っていなかったが、それにしても超能力者(レベル5)である。

 超能力者(レベル5)とは、他の強度(レベル)とは隔絶した存在なのだ。大能力者(レベル4)強能力者(レベル3)とを比べるのとは話が違うん。

 その学園都市の頂点たる超能力者(レベル5)が、何の間違いであっても負けるなんてことにはならないだろう。そういった確信があった。

 

 

(にしてもアレは非常識よね‥‥。一方通行(アクセラレータ)の能力もわけが分からなかったけど、

こっちも同じくらいトンデモよ。

 ホントに発火能力者(パイロキネシスト)なのかしら? どっちかっていうと念動力者(サイコキネシスト)って言われた方がまだ納得できるっての)

 

 

 先程も述べたが、仮に発火能力者(パイロキネシスト)が焔によってダメージを追わない特質を獲得していたとしても、まさか酸素が無くても活動できるなんて化け物ではないだろう。

 しかしさっきのカガリは、上半身を完全に焔に包まれてしまっていた。それこそ呼吸に必要な大気どころか、肺の中の空気すら燃やし尽くされてしまうほどの。

 そんな状態では呼吸なんて出来ない。ならば何かしらの方法で焔を防いでいたということになる。

 

 

(‥‥念動力者 (サイコキネシスト)なら、防壁みたいなものを作って防ぐこともできるわよね。空力使い(エアロハンド)も空気の流れで焔を自分まで届かせないぐらいはやるだろうし。

 もしかして焔の上昇気流で同じことをした? ‥‥いや無いわ、だとしたらああやって焔に包まれるんじゃなくてt、消し飛んだり不自然に流れたりしているはず。

 だとしたら一体どうやって‥‥?)

 

 

 思考に耽る間にも戦闘は続いている。否、先に感じた通り、もはやそれは戦闘と称するものではなかった。

 強盗犯の男は自分が攻撃に晒されないように、格闘技でよく見る小刻みなステップを刻みながら、最初に放ったような火球を大小緩急つけて放っている。

 が、それも最初と同じく無意味。ただボーっと突っ立っているに過ぎないカガリは全ての火球に直撃しているが、まるで僅かの熱すら感じないとでもいうのか、平然と直立したままだ。

 

 

「くそ、くそっ、くそぉっ! なんで効かねぇんだよぉっ?!」

 

「残念だけど相手が悪かったってことです。こと、その手の攻撃が効いた試しがないんだ、僕は。

 キミが相手にしているのは学園都市最強の発火能力者(パイロキネシスト)だよ? それに、これでも絶対無敵の看板は降ろしたことが無いんでね。‥‥そろそろ飽きたし、お終いにしようか」

 

「‥‥ひっ?!」

 

 

 今まで動きがなかったカガリが、ゆらりと一歩前に出る。

 自分の攻撃が一切効かなかった得体の知れない能力者。そいつが始めて攻撃体勢に移る。自分に危害を加えようとする。それがどれだけ、恐ろしいことか。

 男はそれに、死のイメージすら抱いただろう。最初の威勢はどこへいったやら、無様に背を向けると、何時の間にかいなくなっていたもう一人の仲間を気にすることすらなく、がむしゃらに逃走を開始した。

 

 

「―――逃げるのかい? せめて最後の抵抗ぐらい

は期待してたってことです」

 

「うわぁぁぁっ?!!」

 

 

 その次の瞬間、目の前に現れる白衣の男。

 黒子は我が目を疑った。瞬きの瞬間、刹那の間にカガリは数メートルとはいえ移動の軌跡も見せず動いてみせたのだ。

 もちろん空間移動(テレポート)特有の空気を裂く音はしなかった。だというのに、空間移動(テレポート)としか思えない瞬間移動。困惑するに足る現象である。

 

 

「キミの焔はインパクトに欠けるってことです。発火能力者(パイロキネシスト)なら、このぐらいはやらなきゃ‥‥ねッ!」

 

「―――ッ?!」

 

  

 閃光、そして轟音。

 その後にやっと、それらはカガリが翳した両掌から生み出された焔が生み出したものだと知る。

 

 男が放った火球などとは話にならない、轟火。掌というわずかに十センチ四方強×2から放たれたものとは思えない、焔の津波。

 至近距離から放たれたそれは発火能力者(パイロキネシスト)の男の全身を直撃。まるで本物の津波に巻き込まれたかのように、悲鳴すら飲み込んで打ち据える。

 

 

「‥‥立派な公開処刑ですの」

 

 

 驚くべき事に、男は一切の火傷を負うことなく、しかし火焔の津波に押し流され、強かに全身を近くのビルの壁へと打ち付けて見事に気絶していた。

 打ち身や脳震盪はあるだろうが、命にまで別状はあるまい。制圧方法としては乱暴だが、理にはかなっている。

 

 

「‥‥一体どういう手品よ、火傷もしないなんて常識の範疇外じゃない」

 

「それを教える義務はないってことです、御坂美琴サン。キミも超能力者(レベル5)なら自分で頭使って考えて欲しいな」

 

「もちろん、そのつもりではあるけどね」

 

 

 離れて観戦していた身事が、ゆっくりとクレープを食べ終えて近づいてきた。

 後詰めをする気すらなかったらしい。万が一にすら備えないとは、大分良い、もとい太い神経をしている。

 

 

「‥‥おゥ、もう一人はどうしたよツインテ。ありゃテメェの獲物だぜ?」

 

「はっ! そういえば‥‥?!」

 

 

 呆然と戦闘を観察していた黒子が、一方通行(アクセラレータ)の言葉にハッと気を取り直して辺りを見回す。

 突っかかってきた二人組ばかり目立っていたが、そういえば確かに強盗犯は三人組であった。

 

 

「黒子! あそこ!」

 

「あれは‥‥佐天さん?!」

 

 

 美琴が指差した先に、全員の視線が向かう。

 そこには逃がした最後の一人の強盗犯と、その男に腕を掴まれた小学校低学年以下と見える子どもが一人。そして、その子どもをしっかりと抱きしめて、引き剥がそうとしている佐天がいた。

 おそらくは人質にでも取ろうとしたのだろうか、その光景に瞬間、黒子と美琴の頭が沸騰する。

 

 

「いい加減離せよクソガキィ!」

 

「離すわけないでしょjk! 子ども人質にするなんて、脳天お花畑か、この腐れDQNッ!」

 

 

 乾坤一擲、渾身の力と体重で子どもを男から引き剥がした。

 

 

「早く逃げて! さぁ!」

 

 

 すぐさまその子の背中を転ばせてしまうぐらい強く押し、走らせる。

 佐天の必死な瞳に、恐怖を力に変えて子どもはすぐさま近くに停まっていたバスの方へと駆け出した。

 そちらの方にはバスガイドらしき制服を着た女性の姿が見える。どうやらバスツアーに参加していた子どもらしい。

 

 

「て、てめぇよくも‥‥! こうなったらお前を人質にして逃げ切ってやらぁ!」

 

「佐天さん、危ないっ!」

 

 

 顔を庇うように上げた佐天の腕に手をのばす。

 その様子を見て、美琴が叫び、すぐさま黒子が空間移動(テレポート)のための演算を高速で開始した。

 

 

「甘‥‥い!」

 

 

 が、予想もつかないことに、最初に動いたのは危機に陥っていたはずの佐天だった。

 

 掴まれた右腕を支点に、肘を大きく上に掲げて体を入れ替え、空いている左手で男の手の甲を掴む。

 降ろした右肘はちょうど相手の腕の内側だ。器用にそれをつかって、男の腕をまるでアルファベットのSの字のように曲げてやると、そのまま手首をロック、自分の体を沈みこませるようにしながら左足に体重を移動、相手を引きずりこんだ。

 

 

「ぎ、ぎぃやぁぁああ?!!」

 

「「「「―――ッ?!」」」」

 

 

 瞬間、走る激痛。

 見事に手首の急所を極められ、男はみっともなく悲鳴を上げると堪らず自然に膝をつく。

 すかさず佐天は露になった後頭部、頚椎めがけて左拳で、ハンマーのような拳鎚打ちを見舞い、綺麗に男の意識をはるか彼方へと飛ばした。

 

 

「‥‥あ、終わっちゃってましたか。よりによって佐天さんに手を出すなんて、不幸な犯人さんですねー」

 

「おぉ初春、これって正当防衛よね? ちょっと加減効かなかったから不安なんだけど」

 

「問題ないですよ、むしろ協力ありがとうございました」

 

「‥‥え? え? どういうこと?」

 

 

 漸く警備員(アンチスキル)に連絡がついたらしい初春が、ひょっこりと安全な場所から姿を現した。

 さも当たり前のように佐天の鮮やかな手並みを受け止めているが、やっとこさ追いついた美琴や黒子は困惑しっ放しである。

 

 

「あぁ、私ちょっと健康のために少林寺拳法習ってるんですよね。子どものころから、ずっと。

 やっぱり家に篭ってパソコンばっか眺めてると不健康ですし。初春もやればいいのにって、いっつも言ってるんですけどねー」

 

「私は佐天さんと違って似非インドア派じゃないんです。物理的な暴力よりも精神的な暴力の方が好きですし‥‥」

 

「やだなー、暴力じゃないよ。あくまで護身術だってば、護身術」

 

「『知ってる初春? 少林寺拳法ってね、金的、目打ちアリなんだよ。へっへっへ‥‥』とか言ってる人の言葉なんて信用できません」

 

 

 軽くパフォーマンスとしてシャドーボクシングのようなことをしてみせる佐天の拳からは、ヒュンヒュンと鋭く空気を斬り裂く音がする。

 とてもじゃないが数年程度の修行で身に付くスピードではない。下手すりゃ十年近い修行をしているのではあるまいか。

 あんまりにもあんまりな決着に、急いで駆け付けた二人は肩を落として溜息をついた。

 

 

「結局私の取り分、というか出番は無しですの‥‥ってハッ! あのお二方たはいずこへ?!」

 

「あ、そういえば‥‥。さっきまでは確かに一緒にいたような」

 

 

警備員(アンチスキル)の先生に、また上手いこと処理してもらうしかないですかねぇ‥‥」

 

「そんな都合の良いことが、何度も通用するもんですか! ‥‥あぁ、胃が、胃が痛い‥‥」

 

 

 実は件の二人、一方通行(アクセラレータ)の方は彼ご自慢のベクトル操作で、カガリの方はその不可思議な能力で一気に飛び上がり、はるか上空、ビルの上へと逃げていた。

 一瞬のうちに数十メートル上空へと移動されては、流石に黒子とて追いきれない。そもそもそんなところへ逃げているなんて思わないだろう。

 

 ちなみにさして高くないビルだったから、屋上から道路は丸見えである。

 よって怒りのあまり地団駄を踏む黒子の様子はしっかりと二人に見られており、良い笑いモノにされていたわけであるが‥‥。

 

 それを考えると今回の最大の被害者は、

 めちゃくちゃに施設を破壊されてしまった銀行でもなく、過剰防衛に晒された強盗達でもなく、当然のように好き勝手暴れた超能力者(レベル5)二人でもなく。

 

 ここまで現場をしっちゃかめっちゃかにかき回され、ついでに後始末までやらされることになった、

 敏腕風紀委員(ジャッジメント)、白井黒子なのかもしれない。

 



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第10話 『第三位、第六位、超能力者』

 

 

 

 外の世界に比べ、科学技術が数十年の規模で進化している隔絶された世界、学園都市。

 街は各種モノレールで繋がれており、最先端の科学技術があちらこちらでふんだんに使われ、学生たちの生活を豊かなものにしている。

 例えば最も顕著にそのイメージを得ることが出来るのは、街中のいたるところを巡回しているドラム缶のような何かだろう。

 これは未来に憧れる者ならば一度は夢見るだろう、掃除用自走ロボット。ある程度までのゴミならば吸引圧縮し、道端に学生が捨てた空き缶のような固いものであろうと綺麗に食べてしまう最先端の機械だ。

 似たような形のロボットは装備を換えて警備用のそれ、防犯用のそれとして銀行やビルなどに備えつけられており、この型のものにも生徒たちの喫煙を警告したり、不審者のIDを確認したりするAIは備わっている。

 

 もっともこれらにも当然のことながら限界はあった。

 大通りなどは比較的綺麗に保たれている方だが、ゴミが多くなる学生たちの溜まり場などは流石にロボットでも見回り切れずに風紀委員(ジャッジメント)達が自主的に掃除したりしているし、路地裏などはそもそもからして巡回経路から外れている。

 

 簡易ながら警備用ロボットとしての機能も併せ持っているコレらが周り切れない場所。

 則ち其処は、ある程度の無法地帯だ。

 風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が見回りこそすれ、やはり彼らも決して数が多いわけではないから手が足りない。

 特にある程度の能力者を抱えた風紀委員(ジャッジメント)などは学生たちの集まりだ。完全下校時間を超えると、当然のこととして彼らは活動出来なくなる。

 そういった時間には警備員(アンチスキル)やロボット達も集中的に路地裏を見回り出すが、やはり穴は簡単に生じるわけであり、そこにはみ出しもの達は好んで集まった。

 

 

「―――って、そんな説明したら僕がまるで不良みたいに聞こえるってことです」

 

 

 第七学区の表通りから少し外れた裏通り。その更に路地裏に、一人の男の影があった。

 初夏とはいえ暑い盛り。だというのに脛まである丈の長い白衣を羽織り、短い黒髪を無造作に後ろに撫でつけた青年。

 身長は高い。百八十ぐらいだろうか。ハンサムで精悍な顔立ちをしているが、灰色の瞳は驚くほど生気に欠けていた。

 

 

「‥‥あれ、一方通行(アクセラレータ)?」

 

 

 人気のない路地裏に、乾いた声が響く。当然のように反応は無く、青年は困った様に頭を掻いた。

 

 

「おかしいな、どこではぐれたっけ? まったく、僕の知らない内にフラフラ歩いて行っちゃうのは勘弁して欲しいってことです」

 

 

 青年‥‥カガリは呆れたように溜息をついたが、その実本当に起こったのは彼が口にしたのとは全くの逆。

 前を歩く一方通行(アクセラレータ)の後を素直に付いて歩けば良いものを、何を思ったのか虚空を眺めながら考え事をしていた彼が、フラフラと路地裏に入ってしまったのだ。

 彼は自分が友人の保護者代理のような気分でいるが、それも定義づけられた精神面での話。

 実際の生活では世間知らずなのはカガリの方であり、意外に気を遣う性格である学園都市第一位は大きな友人のために何度も溜息をついていた。

 ちなみに可哀想に、今も彼はカガリの姿を探して道路脇の店などを猛然と走り回っている。ご愁傷様である。

 

 

「‥‥あと一軒だけ珍品巡りがしたいっていうから付き合おうと思ったのに、これじゃ意味がないってことです。ふわぁ、眠い‥‥」

 

 

 すでに日が落ちて久しく、街灯はおろかビルの明かりすら入らない路地裏に吹き込んだビル風で、白衣の裾が翻る。

 完全下校時刻には微妙に時間はあるが、こんな時間に路地裏を歩くような学生はいない。基本的には大通りを歩くように推奨されているし、彼らも路地裏にはロクでもない連中ばかりいることを知っている。

 特にこの街では素手に見える学生が、拳銃などより遥かに恐ろしい能力(ぶき)を持っていることなどザラだ。大部分が無能力者(レベル0)低能力者(レベル1)の普通の学生たちは、だからこそ余計な危険に首を突っ込もうとはしない。

 

 もちろんこういう場所にたまっている危険な不良達、あるいは武装無能力者集団(スキルアウト)と呼ばれる連中にも高位能力者など殆ど存在しないだろう。そもそも高位能力者なんてエリートが、こんな路地裏にドロップアウトするのも考えられないことだ。

 だが異能力者(レベル2)ぐらいまでの能力者では、喧嘩慣れした不良達にはとても敵わないだろう。戦闘訓練をしていれば話は別だろうが、普通に能力開発を受ける上で、戦闘能力は付随してついてくるものであって、決して鍛えるものではなかった。

 

 

「‥‥帰っちゃおうかね。あまり長く起きてられないし、明日は実験もあるってことです」

 

 

 盛大な欠伸をしながら、カガリは伸びをして辺りを見回す。

 そろそろ学生向けの店は殆どが閉店する。完全帰宅時刻が近いのでゲームセンターなども一部を除きしまってしまうから、不良のような学生でなければ、つまらないので素直に帰ってしまう。

 面白い物、楽しいこと、珍しいものを見て回ること、余計ないざこざに首を突っ込むことが存在意義といっても過言ではないカガリにとって、夜は一方通行(アクセラレータ)の“実験”の立ち会いをするぐらいしかやることがない。

 ましてや彼は体質として長く起きていることが出来なかった。夜は寝る、まるでお子様だが仕方がないのである。

 

 

「あー、眠い。眠い眠い眠い眠い眠―――」

 

「―――何どうしようもないこと呟いてんのよ、アンタは」

 

 

 人気がないはずの路地裏に溌剌とした少女の声が響く。

 ゆらゆらと不審者の如く揺れていたカガリが振り向くと、そこには名門として有名な常盤台中学の制服を着込んだ少女の姿。

 茶色の髪を肩ぐらいまでのショートカットにし、強気な目には自信と信念が現れている。両手を腰に当てて堂々と仁王立ちしているのは、背伸びしているようにも見えて不思議と年相応であった。

 

 

「‥‥あぁ、御坂美琴サンか。こんなところで、こんな時間に何をしてるんだい? 常盤台のお嬢様が素行不良はどうかと思うってことです」

 

「何よ今の溜めは? ていうかすごくどうでもよさそうな顔してるわね。なんか言うこと無いの? 学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)が偶然にも出会ったっていうのに」

 

「別に、いつも一方通行(アクセラレータ)と一緒にいるから、特に感慨深いものはないってことです。ていうか自画自賛? ちょっと恥ずかしいってことです」

 

「やっかましい!!」

 

 

 常盤台中学‥‥に限らず、基本的に学園都市の中学高校などは全寮制なのであるが、その中でも常盤台はお嬢様学校として知られるだけあって非常に寮則が厳しい。

 特に門限は、ヤバイ。美琴の住んでいる寮は鬼のような寮監が厳しく監督しているため、一分一秒たりとも遅刻は許されない。遅刻したものは、なんかよくわかんない武術の餌食にされる。

 まぁ五分前とかにしっかり帰ってくればいいのだが、やはり学生は時間ぎりぎりまで遊びたがるものだ。

 多かれ少なかれ、ある程度の学生が毎年必ず痛い目に遭っている。

 

 

「で、アンタはこんなところで何してんの?」

 

「それは最初に僕がした質問なんだけど‥‥まぁいいか。僕はいつも通り、一方通行(アクセラレータ)とゲーセン、珍味巡りをしてたってことです」

 

「ゲーセン、珍味巡り? アンタ学校はどうしたのよ? その制服、長点上機学園でしょ?」

 

 

 常盤台中学に並ぶ、学園都市の名門学校。長点上機学園。

 生徒全員が強能力者(レベル3)以上などということはなく、一芸があるのならば無能力者(レベル0)でも入学できる。

 学園都市の全ての学校が競い合う超大規模な運動会、大覇星祭では年齢の差もあり、常盤台中学をも破っていた。

 カガリと一方通行(アクセラレータ)、少なくとも超能力者(レベル5)を二人も有している辺り、名門校の名に恥じぬ顔ぶれである。

 

 

「ああ、僕も一方通行(アクセラレータ)も籍だけ置いててね。学校に通っているわけじゃあないってことです」

 

「はぁ?! じゃあアンタ達、毎日遊び暮らしてるっていうの?!」

 

「別に遊んばっかじゃないってことです。僕も一方通行(アクセラレータ)も研究所に所属してるからね、そっちの方の実験があるから、意外に忙しいよ? ‥‥まぁそれでも、遊んでるのは否定できないってことです」

 

「‥‥呆れた。いくら義務教育は卒業したっていっても、それじゃとても“学生”なんかじゃないじゃないの」

 

「余計なお世話ってことです」

 

 

 軽く溜息をついてみせる美琴に、カガリは唇の端を歪めて笑ってみせる。

 虚無的な瞳には、いつの間にか妹を見守る兄のような、ともすればお節介ながらも優しい光が宿っていた。

 

 

一方通行(アクセラレータ)はさ、学園都市第一位だ。顔写真こそ出回ってないけど、目立つ容姿をしているからね。色々と、いざこざに巻き込まれるのも多いってことです」

 

「?」

 

「そんな彼が、のんびり学生生活なんて出来ると思うかい? キミは運良く光の中で育つことが出来たけど、きっと彼は小さい頃から苦労しっぱなしだったってことです。

 気づいた時には、あんな歪んだ性格になっちゃったんじゃないかな。

 力を持つって、それだけで色々なリスクを負うってことです。大なり小なり、キミにも理解できないかい?」

 

「‥‥別に、ことさら非難したいわけじゃないわよ、そのぐらい、言われりゃ分かるわ、私だって」

 

「よくできましたってことです。キミはやっぱり、賢いね」

 

「―――ッ! 軽々しく女の子の頭触んなっ!!」

 

 

 まるで父親か兄が、娘か妹にやるように頭を撫でられる。

 自分に兄はいないけれど、もしいたらこんな感じだったのだろうか。触れた掌から髪の毛越しにも優しい気持ちが伝わってきて、思わず強くカガリの腕を跳ね除けてしまう。

 ‥‥振り払った腕は、大の大人のそれにしては、やけに軽かった。

 まるで、空気のように。

 

 

「やれやれ、お兄ちゃんは悲しいってことです」

 

「確信犯か! 感電死させられたいの?! この変態!」

 

「あっはっは、キミじゃ僕は殺せないと思うけどね。‥‥ところで最初の質問に戻るけど、どうしてこんな時間にこんなところにいるんだい? 常盤台中学の寮の門限は厳しいはずってことです」

 

 

 ビリビリビリビリと軽く体の表面に電気を纏わせて威嚇していた美琴は、カガリのその言葉にハッと当初の目的を思い出した。

 寮の門限破りは厳罰。そして同室の黒子に不在を誤魔化してもらうのも、それなり以上のリスクを伴う。

 見つかった場合は連帯責任というのと、成功したあとの自分の貞操的な意味でも。

 

 

「‥‥そうよ、そうだったわ、ずっとアンタを探してたの?」

 

「は?」

 

「ちょっとツラ貸しなさいよ。人が来なくて広いところ、行くわよ」

 

 

 だらしなく緩められたネクタイを美琴が掴み、締めあげる。脅しているかのような構図なのだが、美琴の方が遥かに身長で劣っているからか、迫力はない。

 その表情は勝気で、楽しそう。ともすれば悪戯っ子な彼女が彼氏に何かを要求しているような、あるいは妹が兄に何かを怒っているかのような、そんな微笑ましさがある。

 

 

「昨日の一件、一部始終見せて貰ったけどね」

 

「はぁ」

 

「悔しいけど皆目見当っつかなかったのよ、アンタの能力」

 

「へぇ」

 

「炎で人間吹っ飛ばして火傷一つさせないわ、炎に包まれても平然と呼吸してみせるわ、空間移動(テレポート)じみたことまでしてみせるわ、挙げ句の果てには電撃も効かないんですって? 初春さんから聞いたわよ」

 

 

 発火能力者(パイロキネシスト)の強盗犯が放った、高位能力者相当の炎。

 それを受けて火傷しないならまだしも、顔面を完全に覆われてしまえば呼吸ができないはずなのに、カガリは平然とお喋りしてみせた。

 それだけではない。強盗犯が逃げ出そうと背中を見せた瞬間には、反対側へと回り込んだアノ能力。順当に考えれば空間移動(テレポート)以外にはありえないが、この男は間違いなく発火能力者(パイロキネシスト)のはずである。

 まるで噂に聞く理論上のみ存在する多重能力者(デュアルスキル)。あるいはこの超能力者(レベル5)の第六位、発火能力者(パイロキネシスト)であると同時に、空間移動能力者(テレポーター)、そして念動力者(サイコキネシスト)でもあるんじゃないだろうか。

 そうでもないと、あの現象の理由が説明できないのだから。

 

 

「でね、いくら私でも傍目に見てるだけじゃ分からないって思ったのよね。やっぱり実際に相手してみて体で感じると分かることってあるじゃない?

 それに思えば、超能力者(レベル5)相手に戦ったことないのよね、私。経験のないことって、やっぱり早いうちに経験しとかないと後になってやっとけばよかったって後悔することもあるし‥‥」

 

「‥‥要するに、僕と腕試しがしたいってことかい?」

 

 

 かくん、と首を傾けて問うたカガリの言葉に、我が意を得たりとばかりに楽しそうな笑みを美琴は浮かべた。

 バトルマニア、と言われるのは心外だが、やはり超能力者(レベル5)までの道を着実に上り詰めて行き、達してしまった自分である。今更かもしれないが、自分の力を試したい、思う存分に力を振るいたいという思いは常に胸中を渦巻いている。

 何せ超能力者(レベル5)なのだ。天候さえ左右するこの力、燻らせておくのは非常に勿体無い。

 

 ‥‥よく格闘技などをある程度身に付けた人間が、自分の力を試したがるという事例が存在する。

 それは非常に不安定なもので、当然のように危険につながる。何せ事故や不確定な事柄というのはいつ何時でも起こりえるし、上には上がいるのだから。

 それに比べ、美琴の持つ衝動はどちらかといえばスポーツマンのそれに近かった。

 どこまでも正道に基づいた、彼女の思うとおりの言葉を使えば、腕試し。

 戦闘ではある。超能力者(レベル5)は一人で軍隊を相手に出来る能力を持っているのだ。当然、そこには死すら可能性として存在しているだろう。

 だが美琴は稀有にも、それら全てを了解した上でなお、スポーツにも似た清々しいスタンスで力比べを欲していた。

 闇に堕ちてしまった者たちにとって、それがどれほどまでに眩しいことだろう。カガリは昨日、

一方通行(アクセラレータ)が始終ごく僅かながらも居心地悪そうにしていた理由を今になって悟った。

 

 

「見かけによらず、随分と好戦的ってことです。まさか超能力者(レベル5)同士で戦って、今まで通りにいかないことぐらい分かってるよね?」

 

「もちろん知ってるわ。超能力者(レベル5)の序列が実力によるものじゃなくて、研究の有用性が影響しているってこともね。

 だから私が第三位でアンタが第六位だからって、油断する気は一切ないわ。それに、まだアンタの能力の正体も分かってないってのに、油断なんてするもんですか」

 

「‥‥ふむ、参ったね、どうやら退く気はないみたいってことです」

 

 

 困った顔をしてみせるカガリに、美琴はぶんぶんと縦に首を振る。

 元々、気になった相手に対してしつこいまでも干渉しようとする性格だ。基本的に場の雰囲気に流されがちなカガリでは彼女を振り切ることなど出来ないだろう。

 

 

「‥‥はぁ、僕もう眠いんだけどな?」

 

「少しぐらい我慢しなさいよ、大人でしょ? それとも目が覚めるぐらい強烈な電撃流してほしいのかしら」

 

「これだからバトルマニアは‥‥。仕方ないな、ちょっと行ったところに河川敷がある。そこで腕試し、やろうってことです」

 

 

 学園都市の能力者は、強能力者(レベル3)からエリートだ。

 大能力者(レベル4)で既に軍隊において戦略的な運用が出来るレベルなのだ。これが何を表すのかよく分からないかもしれないが、要するに戦闘機や戦車、あるいは戦艦などの兵器が持つ役割を、たった一人の人間が持っているということなのだ。

 

 戦車や戦闘機、戦艦同士のぶつかり合いに、公園程度の戦場では役者不足だ。

 ましてや超能力者(レベル5)は、単独で軍隊と戦うことが出来る。言うなれば、戦闘機を束にした一部隊、そしてそれをさらに束にした軍隊に相当するということである。

 公園どころか、草原でも十分かどうか。超能力者(レベル5)同士のぶつかり合いとは、則ち国同士の戦争なのだから。

 

 

「‥‥なんか視線を感じるわね」

 

「そりゃ名門で知られる常盤台中学のお嬢様が、こんな時間に堂々と繁華街を出歩いてたら注目もされるってことです、‥‥警備員(アンチスキル)に見つからなきゃいいんだけどな」

 

 

 家路を急ぐ学生達が疎らに通り過ぎていく。

 学生寮が乱立している地域とは真逆の方向へ歩く二人は確かに目立つ。常盤台中学の制服単品ならともかく、白衣の不審者と一緒にいると違和感MAXである。

 

 

「ほら、ついたよ。ここなら多少暴れても、加減さえしてれば問題はないだろうってことです」

 

「‥‥確かに、この時間なら人通りもなさそうね。思う存分やれそうだわ、楽しみね」

 

 

 暫く歩いて辿り着いた、河川敷。

 さすがに完全下校時刻を過ぎてしまったので、周りには人気がない。そもそも夜にこんなところに来る連中は大概がリア充であるから、容赦しないで戦うことが出来るだろう。

 

 

「私から仕掛けておいて何だけど、覚悟は出来てるわよね? そりゃ当然加減はするけど、うっかりってこともあるし、熱くなったら加減忘れちゃうかもしれないし」

 

「今更だね、最初にそう言って頼むのが普通じゃないかってことです。

 ‥‥まxその辺りを気にすることはないよ。自信過剰に聞こえるかもしれないけど、君じゃ僕に傷一つだって付けられないだろうってことです」

 

「‥‥へぇ、言ってくれるじゃない。上等だわ」

 

 

 ビリビリビリ、と美琴の全身から電撃が溢れ出る。

 弱能力者(レベル1)から着実に着実に強度(レベル)を上げていった彼女は、下地がしっかりと出来ている分だけ、大能力者(レベル4)とは出力が違う。

 溢れ出る電撃はすでに半径二メートル近い空間を完全に制圧しており、装備を調えていない人間では踏み入る事すら出来ないだろう。

 

 

「さっきは序列なんかで油断しないって言ったけど、分かってるわよね? それでも私が第三位でアンタは第六位なのよ?」

 

「もちろんしっかり理解してるってことです。僕の研究成果の殆どは君から生み出された研究成果と酷似している。そういう意味では君と僕とは似たような境遇に置かれているのかもしれないね‥‥」

 

「‥‥え?」

 

「まぁ君が普通に正道を歩いていくなら関係のない話ってことです。気にすることじゃない、君は光の中に居る方が似合っている。

 でもね、目的にもよるけど基本的に戦闘ってことになったら、僕は『絶対無敵』だよ。この看板は一方通行《アクセラレータ》が相手でも降ろしたことはないってことです」

 

 

 不穏な言葉に一瞬気を取られた美琴の目の前、約十メートル弱の間合いを取ったカガリが能力を解放する。

 美琴の電撃が鮮烈ならば、カガリの炎は豪快。足下から、全身から吹き出した劫火は彼の周囲数メートルの範囲を瞬く間に焼き尽くし、生えていた芝生を灰へと変えた。

 学園都市最強の発火能力者(パイロキネシスト)の称号は伊達じゃない。その火力は美琴と同様に、戦車や戦闘機に匹敵する。

 応用性が低いと言われる発火能力者(パイロキネシスト)だが、能力者の数は多いため理論として高いレベルで確立されており、なおかつ高位能力者になると火力は恐ろしい程に高い。

 拳大の火球が炸裂するだけで、大きなトラックや下手な小屋など吹き飛んでしまう。なにしろこの能力は他の能力者と違ってどこまでも、とことん攻撃的なのだ。

 そういった攻撃的な能力者たちの頂点に、目の前の男は立っている。電撃使い(エレクトロハンド)の頂点に立つ自分と同じように、発火能力者(パイロキネシスト)の頂点として。

 

 

「我が身の心配をしなきゃいけないのは私の方だって言いたいのかしら?」

 

「さぁ? それは是非、自分の身で確かめてみて欲しいってことです」

 

 

 上等!

 格下相手の小競り合いなんかより、負けるかもしれない勝負の方が全然楽しいに決まっている。

 自分はまだまだ頂点なんてつまらない場所にきてしまったわけではない、まだまだ乗り越えなきゃ

いけない壁は、乗り越えたい壁はたくさんある。そんな気分にさせてくれる腕試しは大好物だ。

 

 

「大きな口叩いたんだから、吠えヅラかかないでよねっ!」

 

「それは僕のセリフってことです!」

 

 

 瞬間、辺りに炎と電撃が振りまかれる。

 河川敷の全てを覆うかという破壊の奔流。これが本当にたった二人の人間から生み出されたものかと疑う学生は、学園都市にはいないだろう。

 

 もしこれを引き起こした者がどちらも、学園都市の何百万人の頂点に君臨する、超能力者(レベル5)なのだと知ったのならば。

 

  

 

 



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第11話 『焔、電撃、交叉衝突』

 

 

 

 第七学区を走る大きな川。地図には名前があるだろうが、この川をジョギングや部活動の練習などで使う学生たちは、ただ「川」とだけ呼んでいる。

 朝や昼間にはジョギングをする大人や部活動の外練の場として使う学生たち、あるいは放課後に緑が恋しくなってフラリとやって来る人達で賑わう河川敷も、完全下校時刻を過ぎた今となっては人気も無い。

 ごく稀にませたカップルなどが夜のデートに洒落こもうと訪れることもあるが、今日は普通に平日であるからか、魚が跳ねる水音とビル風しか聞こえなかった。

 

 そんな静かな河川敷に、今夜に限って不穏な気配が漂っている。

 いつも通りのはずのビル風も、何故かごうごうと不気味に鳴り響いている気がしてしまう。ビル風の音と相まって、川の流れも普段よりも速く感じてしまうことだろう。

 河川敷の下、川岸の開けた空間。芝生と砂利石が混在する地面の上に立つ二人の学生。彼らから、その不穏な気配は放たれていた。

 

 

「はぁぁぁああ!!!」

 

 

 片方の人影、名門で知られる常盤台中学の制服を着込んだ少女から、突如何条もの電撃が迸った。

 細かく枝分かれした電撃は、一筋一筋がヒグマをも昏倒させる圧倒的な電気力と電圧を持っている。護身用、あるいは疚しい目的でしようとするスタンガンなど比では無い威力のソレが、飛び道具として放たれた。

 

 

「おっと、先制攻撃とはやる気満々ってことです」

 

「どうせ超能力者(レベル5)ならこの程度は簡単にあしらえるでしょ? 現にホラ、普通に立ってる

じゃないの。

 最初の一発なんて小手調べよ、小手調べ。手加減

してあげたんだから感謝しなさい」

 

「よく言うよ。確かに威力は精々が強能力者(レベル3)相当だったけど、速さは本気だったってことです」

 

 

 放たれた先に立っていたのは、白衣の男性。百八十センチぐらいの長身で痩せ型、精悍な顔立ちをしているが、電撃使い(エレクトロマスター)の少女とは反対に瞳に力はない。

 その彼は瞬間的にこちらに迫って来る電撃をしっかりと目視すると、ゆらりゆらりと不気味にも見える足取りで、しっかりと電撃の全てを躱してみせる。

 

 

「冗談じゃないわ、そこら辺の大能力者(レベル4)と私を一緒にしないで欲しいわね。

 小手調べって言ったはずよ? まだまだ強力になるし、まだまだ速くなるに決まってんじゃないのっ!」

 

「おおっ?!」

 

 

 常盤台中学の制服を着込んだ電撃使い(エレクトロマスター)、御坂美琴の全身から、更に強力な電撃が迸る。

 鮮烈、なんてものじゃない。このレベルの電撃になると近くにいるだけで生命の危機を感じる程のものだ。とてもじゃないが怖くてこの場に居られないだろう。一目散に逃げ出しても誰も責めはしない。

 

 大能力者(レベル4)以上になると、天候すら操作することが出来ると言う。

 水流操作(ハイドロマスター)空力使い(エアロマスター)ならば膨大な質量の水分や風を操ることで嵐を巻き起こし、電撃使い(エレクトロマスター)ならば大規模な雷を生じさせることすら可能だ。

 その能力に誘われたのか、いつの間にか空は曇り、ゴロゴロと雷の音すら聞こえる。

 

 雷撃ではなく、電撃であったのは白衣の男‥‥カガリには幸いだったろう。稲妻の疾る速度はとてもじゃないが常識内の人間では反応できる速度じゃない。

 とはいえそれはあくまで比較して比べたらの話である。携帯電話のスイッチをONにして、起動するまでにどれほどのタイムラグがあることだろうか。

 美琴の放つ電撃は拳銃弾にも匹敵する速度で、カガリを着実に追い詰める。

 

 

「ちょろちょろと鬱陶しい、避けんな!」

 

「いやいや普通は避けるだろうってことです。ていうかキミは普段からこんなトンデモない電気力でケンカしてんのかい?!」

 

 

 しかしカガリは驚くことに、ふわりふわりとまるで体重などないかのような軽快なステップで、全ての電撃を躱してみせている。

 まるで宙に浮いたティッシュを殴ろうとするかのように、掴み所がなく、当てることが出来ない。まるで魔法のようだった。

 

 一見すると不可思議な光景だが、タネはある。

 ある程度以上の出力の電撃を放てば、多少は空気に誘電して拡散してしまうことも多い。故に派手で恐ろしげに見えるが、実際に自分へと向かって来る電撃はそこまで多くなかったりするのだ。

 よってカガリは冷静に、自分に向かって来る電撃のみを判別してスレスレの位置で避けていた。それこそ身体をかするぐらいの距離で。

 

 

超能力者(レベル5)が相手なら加減も“気持ち”で大丈夫でしょ! 大人しく痺れときな‥‥さいッ!」

 

 

 電撃、炸裂。

 相手が上手に避けるならば、絶対に避けられない攻撃をすればいい。正解は避けるだけの隙間すらない、物量による面制圧攻撃だ。

 美琴の全身から、自分の目の前いっぱいの範囲を灼き尽くすかのような勢いで放たれた電撃は、避ける場所も逃げる隙もなく、津波のような勢いで一瞬にしてカガリを飲み込んだ。

 

 

「‥‥さぁて、普通ならコレで一発病院送りいってとこなんだけど。まぁ、そこまで甘くはないわよね―――?」

 

 

 十分に必殺と称されるだろう豪快な一撃を放ち、なお美琴は油断しない。

 あまりの威力に爆発すらしてしまった地面が巻き起こした砂煙の向こう、そこからの攻撃を警戒している。

 普通に考えれば、起きて来るはずなどない。下手すれば病院どころか棺桶送りな威力の電撃をお見舞いした。けれど、油断してはいけない。

 どうしても不可解な光景が、頭から離れないのだ。炎に包まれても平然としているカガリが、空間移動(テレポート)してみせたカガリが、質量すら持っているのかとでも思ってしまう炎の奔流を生み出したカガリが。

 

 

「‥‥やれやれ、本当に容赦しないねキミは」

 

 

 果たして巻上がる粉塵の中から聞こえた声に、美琴の警戒と予想は報われる。

 これで終わり、では物足りなかった、これで終わり、ではなくてtよかったと、美琴は自分でも不思議ながら安堵の溜息をついた。

 

 

「このぐらいでヤラレちゃうなら。それはそれで期待はずれよね。まさか超能力者(レベル5)の質がそんなものだなんて思いたくないんだけど」」

 

「ふむ、それは保証してあげるってことです。確かに超能力者(レベル5)は化け物であるべきだ。学園都市の頂点に君臨するたった七人なんだから、ね」 

 

 

 ぶわり、と熱せられた大気が生み出す上昇気流によって粉塵が吹き飛ばされる。

 美琴の予想通り、そこには焼け焦げ一つも負っていないカガリの姿があった。

 ‥‥ちょっと派手にやりすぎたか? 粉塵が巻き上がってしまったおかげで、自分の電撃を防いでくれる瞬間を確認出来なかったのは痛い。

 発火能力者(パイロキネシスト)の焔を防いでいた時には何の能力を使っている兆候も読み取れなかったけど、あれは同系統の能力者が相手だったからかもしれないのだ。

 相手の能力の系統によって対処方法が違うのか、それとも普遍的に万能に対処出来る方法なのか、どちらにしてもこの第六位は、何かしらの手段によってこちらの攻撃を無効果出来るらしい。

 

 

「しかしどうするんだい、御坂美琴サン? 老婆心ながら忠告しておくと、少なくともそういうやりかたでは僕に勝つことはおろか、ダメージすら与えられないってことです」

 

「ご注進どうも、痛みいるわ。けどね、私ってば先ずはありとあらゆる方法を試してみないと‥‥気が済まないのよねっ!」

 

「―――ッ?!」

 

 

 再び電撃、今度は威力と手数よりも速度を重視した一条の太い稲妻がボーっと突っ立ったままのカガリへと疾る。

 その攻撃を感じてから、脳へと伝わり、それが更に『避けろ』という指令になって身体へ届く、その瞬きよりも短い時間すら許さぬ、速攻。

 その太い稲妻がもたらす衝撃は乱暴ながらも圧倒的な磁力と電力の複合により力場を発生させ、地面をも揺らす。

 カガリに能力の演算すらさせないつもりの攻撃が、違うことなく白衣を貫いた。

 

 

「‥‥なるほど、これでも全然効かない、か」

 

「いやいや、今のは死ぬよ御坂美琴サン。普通の人間なら確実に死んでるよ、立派な殺人未遂ってことです」

 

「死んでないんだからイイじゃない。ていうかどんな化け物よアンタ、今の喰らって小揺るぎもしないなんて」

 

 

 もはや呆れ混じりの溜息しか出てこない。予想通りではあるのだが、またしてもカガリは無傷だった。

 

 

念動力(サイコキネシス)で絶縁したり、空気の壁とかで遮断してるの? いや、でも装甲とか防壁の類じゃないわね。だとしたら電撃が弾かれるところが見えるはずだもの。

 ‥‥能力を無効果してるの? いくら超能力者(レベル5)っていっても、そんなこと出来る規格外な人間がアイツ以外にいるはずが‥‥。ていうかコイツは発火能力者(パイロキネシスト)だし‥‥」

 

 

 威力の大小はさておいて取り合えず電撃を防ぐことが出来る能力者ならば、美琴にもいくらか心当たりがないこともない。

 例えば同じ電撃使い(エレクトロハンド)ならば、まぁ多少は電撃に対する抵抗力もあるだろう。勿論最強の電撃使い(エレクトロマスター)である美琴の電撃を完全に防げるとは思えないが、一番確実だ。

 

 他にも高位の念動力者(サイコキネシスト)空力使い(エアロハンド)などもまた、念動力(サイコキネシス)や真空状態などを利用して絶縁状態を作り上げることも出来るだろう。

 ちょっと現実的ではないが、水流操作(ハイドロハンド)でも電気を通さない純水を生成出来るのならば、考えられないこともない。

 

 だが目の前の男は、発火能力者(パイロキネシスト)なのだ。学園都市に数多いる能力者の中でも最も応用性が無いと言われる、発火能力者(パイロキネシスト)なのだ。

 熱を通して空気の流れを操り、絶縁した? いや、今の攻撃は確実に身体を貫いていた。絶縁状態を作り上げる能力ならば、電流は周囲に誘電して拡散する様が観測できるはずである。

 いや、そのようなことは些事に過ぎない。何せ今、自分の電撃を受けた瞬間のカガリは、『能力を発動しているようには見えなかった』のだから。

 

 

「そろそろ僕のターンかな? 待ちに回ってあげるのも鬱憤が溜まるってことです」

 

「余裕見せてくれるじゃない、そっちの攻撃だって当たりゃしないわよ」

 

「言ってくれるね。確かに発火能力者(パイロキネシスト)は応用性に乏しいけれど、それでも火力は全能力者中でトップなんだけどな。痛い目みるよってことです」

 

「吠えてなさいよ、こちとら最強の電撃使い(エレクトロマスター)よ。ビビッてなんかいられますかっての!」

 

「‥‥威勢だけは一人前ってことです。それじゃ、行かせてもらうよ!」

 

 

 カガリの両手に、現れる焔。ゆらゆらと大気を焦がすそれはガスバーナーなんて真っ青になるぐらいの高温で、すでに赤色を通り越して仄かに青い。

 たったそれだけで、その焔の持つ威力が軽く大能力者(レベル4)クラスであることは明々白々。

 純粋に戦闘においての攻撃力のみを比較した場合、実は超能力者(レベル5)大能力者(レベル4)の間にそこまでの差は無い。 だからこそ美琴は驚きはしなかったし、同じ理由で油断もしていなかった。

 

 

「後味が悪いから、せいぜい焦げないように逃げ回って欲しいってことです!」

 

 

 轟、と空気を焼き尽くす音を伴って焔が迸る。

 まるで龍か大蛇がこちらを狙って飛びかかってくるかのような錯覚を受ける、焔の帯。

 電流と同じく質量らしい質量を持たない気体のようなものであるが故に、その焔は恐ろしい速度で美琴へと迫る。

 

 

「そうこなくっちゃ‥‥ね!」

 

 

 手を突き出し、能力を行使する。

 念動力者(サイコキネシスト)空力使い(エアロハンド)、あるいは水流操作(ハイドロハンド)などであるならば障壁や装甲のようなものを直接作り出すことが出来るだろう。

 水流を使って焔を消したり、突風で消し飛ばしたり。けれど電撃使い(エレクトロハンド)が操り電撃はカガリが操る焔と同じく、個体や液体、また直接に物質へ干渉できる代物ではない。

 

 ‥‥普通の電撃使い(エレクトロハンド)ならば、逃げ回るしか方法はないだろう。なにせ電撃では焔を防ぐことなど出来ない。

 だが超能力者(レベル5)の第三位、最強の電撃使い(エレクトロマスター)である自分なら?

 

 ああ認めよう、確かにカガリの焔は大したものだ。その威力、自分と同じく最強の発火能力者(パイロキネシスト)の名に相応しい。

 だけど自分だって超能力者(レベル5)、それも位階は目の前に立つ白衣の男よりも上なのだ。その能力の本分を出力なんて簡単な尺度で測られちゃ困る。

 ただ身体能力が高いだけじゃ、オリンピックに出て金メダルを取れるような一流のアスリートには成れないのだ。

 

 

「はぁぁあああ!」

 

 

 意識を集中、自分だけの現実(パーソナルリアリティ)を展開し、能力を行使する。

 今度発動するのは今までのような電撃ではない。狙うのはカガリではなく、自分の周りの砂利石で出来た地面。

 更に言うならば、その砂利石の奥にいくらでも眠っている、本来ならば全く使用途の無い、存在すら意識しない砂鉄。

 それに干渉し、自分の力とする!

 

 

「そぉ‥‥りゃあっ!!」

 

 

 美琴の能力に操られ、大地から黒い砂のようなものが大量に湧いて出てくる。

 それらはしっかりと空中を動き、途中で大量の小石を一緒に巻き込み、さながら津波のように、あるいは盾のように美琴の前に展開し、カガリが放った焔の帯を頼もしくも受け止めた。

 

 

「‥‥砂鉄を操り、小石で防壁を作るとは。随分と多芸なんだなってことです」

 

「高位の電撃使い(エレクトロハンド)って、磁力使い(マグネティックハンド)も兼ねるからね。一応は最強の電撃使い(エレクトロハンド)って触れ込みだし、この程度なら手品の領域よ」

 

「石の類は電気を通さないけど、同時に優秀な耐熱性を持っている。それを砂鉄で間接的に操るとは、よく考えたってことです。

 手加減したとはいえ、今のを真っ向から受け止められるとはね‥‥」

 

 

 電撃ではどうしても焔を防ぐことが出来ない。どちらも確たる物質干渉力を持たない存在だ。片や気体の一種で、片や分類が難しい電子の世界のマテリアルである。

 となると、ここからの攻防はお互いに底の見せ合い。単純に戦い方、というよりは、能力の多様性の勝負になってくるだろう。

 

 

(‥‥イケる、と思うわよね、普通なら。相手は全能力者の中でも一番融通が利かない発火能力者(パイロキネシスト)だし)

 

 

 だが自分が相手にしているのは普通の発火能力者(パイロキネシスト)ではないのだ、と美琴は眉間の皺を深くした。

 同系統の能力である焔を寄せ付けないのはおろか、電撃も完全に防いでみせる。なおかつ『絶対無敵』の看板が本当だと仮定するならば、きっとあらゆる能力に対して同じように無効果の手段を持ち合わせているのだろう。

 おそらくは今となっても全く正体の分からない、学園都市序列第一位の持つ最強の能力ですら。

 

 自分の能力が本当に通用するのだろうか?

 

 もしかしたら何をやっても意味がないかもしれない。

 

 けど、負ける気もしない。

 

 

「‥‥ま、取り合えず全部試してみるしかないわよね」

 

 

 気づいたことが、一つある。

 実際に小石混じりの砂鉄でカガリの焔を受け止めてみて分かったのだが、あの焔は見た目の派手さの割には威力がそれ程でもない。

 もちろん鉄なんて簡単に溶けてしまうぐらいの温度はある。実際、防御に使った砂鉄は軒並み溶けて、蒸発してしまっているのだから。小石を混ぜなかったら簡単に自分もミディアムに焼かれてしまったことだろう。

 しかしそれでもなお、その威力は超能力者(レベル5)としては物足りなかった。おそらく目の前に立つ白衣の男の出力は、大能力者(レベル4)とそう大して変わるまい。

 

 だが、それはそこまで特別なことでもないだろう。

 自分は最強の電撃使い(エレクトロハンド)として圧倒的な出力を持ってはいる。けれど自分の真価は、先程カガリにも啖呵を切ったように、決して膨大な出力というわけではないのだ。

 電磁波を用いたレーダー、ハッキング、磁力を用いて間接的に念動力者(サイコキネシスト)のモノマネすら出来て、建物の壁に鉄骨が入っていれば壁を歩くなんてことだって可能だ。

 それは出力系が暴走しただけの大能力者(レベル4)にはとてもじゃないが不可能な、手数の多さ。戦闘能力にも自信はあるが、それはこの手数の多さ、応用性の高さにも由来する。

 

 だから恐らくは、この男の真価も隠し持っている奥の手の数。

 正体不明の防御力や、空間移動(テレポート)。それは出力ではなく、能力の使い方に違いがあるのだろう。

 ならば自分がすることは、一つずつ可能な手を試して行く詰め碁のような戦い方だ。

 

 

「今更だけど、アンタと腕試し出来て本当によかったわ。ここまでワクワクするの、久しぶりよ」

 

「そりゃ良かったってことです。こっちは結構、肝が冷えてるんだけどね」

 

「嘘つくのも大概にしなさいよ。ヘラヘラ笑って、そんな態度で信じられるわけないじゃない」

 

「ふむ、どうだろうね。まぁ絶対無敵は伊達じゃないってことです。試したいなら色々試してごらん? 試すだけなら、君が疲れるだけだからね」

 

 

 美琴と同じく、カガリも今の状況を楽しんいるのだろう。にやりと笑ってみせ、威圧感がひた増した。

 

 

「けどね、いつまでも僕が受け身でいるとは思わないで欲しいってことです。余裕綽々の態度もいいけど、たまにはカッコイイところも見せないとさ、“あの子たち”も残念がるからね」

 

 

 大気が揺らぎ、カガリの周囲にいくつもの火球が浮かび上がる。その数は十や二十を優に超え、三十にも届きそうだ。

 三十、と聞くと大したことのない量に聞こえるかもしれないが、トンデモない! 一つ一つが野球ボールより少し大きいぐらいのサイズとはいえ、それが三十、カガリの周囲に浮かんでいるのをしっかりと想像してみて欲しい。

 ドッジボールとは話が違う。要するに、三十の大砲がこちらに向けられているのだ。とてもじゃないが普通の人間ならば避ける気する無くしてしまうことだろう。

 

 

「さぁ、踊れ」

 

 

 一斉砲火、三十の砲口が遠慮呵責無しに美琴を狙い、その威力を解き放つ。

 速度はてんでバラバラ、美琴の退路を無くそうとするかのように次々と地面に着脱し、焦土に変える。飛び散った小石、砂利が熱せられて肌に熱い。

 しかし美琴はその尽くを砂利混じりの砂鉄の奔流を操って、叩き落していった。

 

 

「レディにダンスを強要するなんて、紳士のやることじゃないわよっ!」

 

「キミからそんな言葉が出てくるとは、驚きってことです」

 

「やっかましい!」

 

 

 ギラリ、と受けに回っていた美琴の瞳が光った。

 いくら小石の類が優秀な断熱材だとしても、そこら辺の何の変哲もない小石では限界もあるのだ。既に操る砂鉄の一部は溶け、美琴の制御を離れてしまっている。

 いや、別に溶けてしまったから操れないというわけではない。しかし磁力は大質量の物体に対しての干渉力に劣る。特に細かい制御を液体に対して行うのは、流石の美琴でも骨が折れた。

 

 

「調子に乗るんじゃ‥‥無いわよっ!!」

 

 

 ちょうど三十の火球が尽きた瞬間。

 今まで大蛇もかくやと動き回って美琴を守っていた黒ずんだ帯が、今度はカガリへ牙を剥いた。

 

 熱せられた小石による質量攻撃。そしてそれを散弾、あるいは爆撃として解放した後の砂鉄はとても周期を計れない程に細かく振動し、触れるモノ皆等しく斬り裂く魔剣と化す。

 上から降り注ぐ小石と砂利の散弾、爆撃。そしてその後ろから迫る砂鉄の超振動カッター。

 電撃や火焔とは異なる、質量による攻撃。美琴は勝利を確信し―――

 

 

「―――よく考えたね。電撃使い(エレクトロハンド)であるキミに、ここまでの質量攻撃が出来るとは思わなかったってことです」

 

 

 巻き上がった粉塵の中から現れたのは、相も変わらず無傷のカガリ。

 裾の長い白衣は粉塵に塗れたはずなのに、純白のまま。たった今アイロンをかけたばかりのようにパリッとしている。当然、体の方に怪我を負っているようにも見えず、消耗しているようにも見えない

 

 

「‥‥化け物」

 

 

 だが、美琴は見た。

 よしんば自分の、今の攻撃が効かなかったとしても、今度こそ能力を使って防御をするところを見ようと、粉塵の中を電磁波まで使ってしっかりと“見て”、“視て”いた。

 

 第一弾の、小石と砂利の絨毯爆撃。第二弾の、砂鉄による超振動カッター。

 

 そのどちらもが、まるで『そこに何もないかのように』、カガリの体をすり抜けた。

 

 

「‥‥どういうことよ、一体何をやったら個体をすり抜けるなんてことが出来るの?」

 

「それを言ったら僕が負けちゃうってことです。それなりに危うい能力なんだよ、僕の『無尽火焔(フレイム・ジン)』はさ。

 絶対無敵だけど、意外に脆くてね。秘密を知られたら、お終いってことです」

 

「じゃあお終いになっちゃえばいいのよ、そんな軟弱な能力」

 

「あっはっはっは! でもその軟弱な能力に、みんな手も足も出ないってことです。それぐらいじゃなきゃ超能力者(レベル5)は務まらないけど、ね」

 

 

 ‥‥熱で空気を操り、蜃気楼を作り出しているのか? 順当に考えればそれが一番可能性が高く、実現性もある。

 つまりは照準を乱させて、自分の遥か前や明後日の方向に攻撃を着弾させるのだ。しかもそれを相手からは自分の攻撃が当たっているのに平然としている、無敵の化け物であるかのように見せる。それはそこまで難しいことではないだろう。

 

 だが、美琴は電磁波を使って周囲を索敵していた。

 確かにカガリの周囲は高温状態になっていて、しっかりと一挙一投足を把握する、なんてトンデモな真似は出来なかった。しかしまぁ、もともとそこまでの演算はちょっと厳しいものがある。

 そして上手く言葉には出来ないけれど、そこに確かに在ることだけは分かる。電磁波が蜃気楼に跳ね返されることはない。

 例えば今こうして見えている背丈や体格が誇張されたもので、それを利用してギリギリを躱しているなんてことがあったとしても、とにかくそこにカガリは居るのだ。

 

 

「さて、万策尽きたかな、御坂美琴サン? だとしたら―――」

 

 

 ぞくり、と悪寒が背筋に疾る。

 決して戦闘者ではない美琴でも感じた嫌な予感。電撃使い(エレクトロハンド)として生体電流などの作用が齎す第六感の研究にも一家言ある美琴は自身の感覚を咄嗟に信じ―――

 

 

「―――もう眠いし、さっくりと終わらせちゃうぞってことです」

 

「くっ?!」

 

 

 しゃにむに前方へと身を投げ出し、一回転して立ち上がる。

 ちょうど綺麗に後方を向いた視界には、一瞬にして空間移動(テレポート)し、美琴の背後をとっていたカガリの姿があった。

 

 

「‥‥この非常識能力者」

 

「まぁいい加減非常識なのは認めざるをえないってことです。で、どうするんだい? まだ手があるんだったら付き合うけど、正直本当に眠いから早く帰ってしまいたいってことです」

 

「眠い眠いって、子供かアンタは!」

 

「あながち間違ってないけど、これは純然たる体質、僕にはどうしようもない衝動ってことです」

 

 

 ふわぁ、と大袈裟な欠伸をしてみせるカガリに、一瞬で顔面が朱に染まる。

 別に恥ずかしかったとか、屈辱だとか、まかり間違っても恋に落ちたなんてものでもない。

 それは純然たる、怒りによるものだった。

 

 

「‥‥嘗めてくれんじゃない」

 

「ん?」

 

 

 スカートのポケットに、いつも数枚入れている“武器”を取り出す。

 それは銀色に光る、一枚のコインだった。安っぽい装飾が施された、ぼちぼちの程よい重みがあるゲームセンターのコイン。別に集めても景品が貰えたりはしない、純粋に遊びを楽しむための擬似貨幣。

 しかしそれは、最強の電撃使い(エレクトロマスター)である美琴の手に渡れば、彼女の代名詞ともいえる、彼女最強の攻撃の砲弾と化す。

 

 

「‥‥正直、加減してたわ」

 

「‥‥‥‥?」

 

「アンタの能力があんまりにもワケわかんないから、先ずはそれをどうにか暴いてやろうと思って色々と試したわけだけど‥‥それってお遊びみたいなものよね?」

 

 

 磁力使い(マグネティックマスター)としての能力を解放し、真っ直ぐに磁力の路を作る。これは砲身だ。地球上のありとあらゆる兵器でも最高速と呼ばれる兵器の、砲身代わり。

 本来ならば強力な電磁石と強力な電力、そしてそれなり以上に巨大かつ洗練された機材が必要なその兵器を、たった個人が再現できるという異常。

 おかしいことだろうか? 否、この学園ならばちっともおかしなことではない。なにせ彼女達は学園都市が誇る超能力者。単独で軍隊をも相手出来る存在なのだから。

 

 

「やっぱり全力でぶつからなきゃ、意味ないわよね。超能力者(レベル5)同士なんだもの、遠慮することなんて‥‥ないわよね」

 

「‥‥それはちょっと、遠慮して欲しいかなと思うってことです」

 

「や か ま し い」

 

 

 無表情で砲弾(コイン)を構える美琴の声色に、怖気を感じたカガリが思わず一歩後ずさった。

 彼とて当然、超能力者(レベル5)の第三位の代名詞とまでなっている必殺技のことぐらい知っている。そしてそれがおそらく、自分に対しては全く効果を表さないだろうという確信もある。

 だけどそれとこれとは別問題だ。だって人間は―――その定義が自分に当てはまるかは甚だ疑問だが―――は生命に危機を覚えるから、ソレに対して恐怖を抱くわけじゃない。

 例え自分の方が強大だったとしても、怖いものは怖いのだ。

 

 

「私、間違ってたわ。ごめんなさいね、アンタを侮ってた。侮辱してたわ。

 でもそれもさっきまで。‥‥こっからは、本気出させて貰うわよっ!」

 

「一生手加減してくれても、僕としては構わなかったんだけど‥‥うぉっ?!」

 

 

 能力によって作られたレールが、砲弾発射のための電力を供給されて唸る。

 磁界と電界と力。フレミングの法則を用いた電磁界は辺りに余波として力場を撒き散らし、突風という結果を引き起こした。

 

 

「真っ向勝負よ、第六位! 受けてみなさい、これが

私の全力全開―――」

 

「―――ストォォォォップ!!」

 

 

 注ぎ込まれた膨大な電力が砲弾を飛ばす準備を全て整え、今にも発射される状態の能力が、何者かの一声によって止められた。

 完全に予想していなかった、第三者の存在。電磁波による索敵もカガリに集中していた美琴では気づけず、完全な不意打ちである。

 

 

「‥‥誰だい、君は? 楽しく戦ってる最中に割り込んでくるなんて、随分と風情がないと思うってことです。消し炭にしちゃうぞ、少年?」

 

 

 そこに立っていたのは、見るからに平凡な少年だった。

 カガリのような不気味さ、虚無さもない。美琴のように清冽な個性があるわけでもない。そんじょそこらを歩いていそうな、特に際立ったところのない男子高校生。

 雰囲気もそうだが、容姿もまたさしたる特徴を上げられなかった、強いて特徴を上げるとすれば、ツンツンとウニのように立った髪の毛ぐらいだろうか。

 白いワイシャツと黒いスラックスは、校章すらついていないが学校指定のものなのだろう。ちょっと離れたところには、慌てて飛び込んだ時に放り出したのかシンプルな学生鞄が投げ捨てられていた。

 

 

「‥‥ん? どうしたんだい御坂美琴さん?」

 

 

 目の前に立つ美琴がフルフルと震えているのを見て、カガリが不審そうに疑問の声を発する。

 手にしていたコインこそ取り落としていないものの動揺は激しい。カガリもそうだが、彼女も頭の中は疑問符で溢れかえっているのだろう。

 というか、どちらかというと、これは動揺、疑問というよりも―――

 

 

「―――ッ! なんでアンタが、こんなところにいんのよ?!」

 

 

 叫びと同時に、砲口が新たな闖入者の方向を向く。

 もしやこの二人は知り合いなのだろうか、とカガリはかくんと首を傾ける。

 

 

「‥‥はぁ、そりゃ見回りぐらいしてるに決まってんだろうがビリビリ。こんな時間にこんな場所でドンパチやりやがって、文句言いたいのはこっちなんですけどね?」

 

 

 大きくため息をつくと、美琴の追及に闖入者の少年はごそごそとポケットを探り、取り出したモノをおもむろに右の袖へと巻く。

 緑の生地に、白い帯と盾の意匠。特に昼間は町中のあちらこちら、校内のあちらこちらを見回る便りになる学園都市の治安維持組織。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)だ。お前ら派手に暴れすぎですよ、そのぐらいにしとけ」

 

「‥‥完全下校時刻を過ぎたんだから勤務時間外ってことです」

 

「まぁ迷惑行為を取り締まるぐらいなら、いいだろ。上条さんの安全のためにも」

 

  

 頼りになるはずの風紀委員(ジャッジメント)の腕章をつけた少年は、一転頼りなさげに肩を落とす。

 いまだ正体の知れない闖入者の介入を受け、カガリと美琴、二人の超能力者(レベル5)の腕試しは、終わるのではなく更なるカオスな方向へと加速していくのであったが、それはまた、次のお話である。

 

 

 

 



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番外話 『第一位、風紀委員、幻想殺し』

 

 

 学園都市は、外の世界と比べて遙かに勝るオーバーテクノロジーを持つ。

 数十年単位で進んだ科学は学園都市に住まう全ての住人達に恩恵を授け、しかしそれでも彼らの生活字体はそこまで変わっては居ない。

 

 もちろんそれも、よくよく考えてみれば当然のことだろう。

 人間、数十年の間に大きく暮らしぶりが変わることはあったとしても、その根本的な在り方が劇的に変わるなんてことはない。あるいは、日本の科学というのも頭打ちになっていたのだという可能性もある。

 例えば2010年代を思い返してみても、数十年前との違いはネット環境や急速に発展した携帯電話の普及によって大きく変化を認識することが出来るが、その実システムとしてはすでにある程度完成されてしまったものであり、あまりにも便利に過ぎたそれは学園都市でも殆ど変わらずに運用されていた。

 

 そして学生達の生活も、また同じ。

 基本的に彼らの生活は、朝起きて学校に行き、帰って予習と復習をするというサイクルに固定されてしかるべきだ。

 当然ながらそんな生活を想定されている以上、彼らの娯楽というものも今までの学生達と大して変わりはしない。ゲームやネット環境が整備されているからインドア派の学生も多いが、外にあるゲームセンターやカラオケなどにも出入りする。

 とはいっても完全下校時間までの営業だから、ささやかなものだ。それに勉強も能力開発もあるのだから、そうそう遊んでばかりもいられない。

 

 学園都市の学生達は、意外に勤勉で努力家なのだ。

 

 

「‥‥‥」

 

 

 ちょうど放課後の時間帯、夕暮れにすらまだ早い。

 学校によってはまだ授業があるところもあるだろうが、一部の学校はカリキュラムの関係で午前授業だったりするから、繁華街にもぼちぼち学生の姿が見えた。

 

 

「‥‥‥‥」

 

 

 学園都市でも最大級の敷地面積を誇る第七学区は、各種学校とそこに通う生徒達が住む寮。そして娯楽施設や商店街などを完備している。

 その中でもカラオケほど滞在時間が長くならず、かつ使う気が起きなければ全く金を使わなくても良い娯楽施設としてゲームセンターは特に人気であった。

 

 まがりなりにも科学の進んだ都市、外の世界に比べてゲームの種類は非常に多い。特に一般的に知られているゲーム会社のゲームもそうであるが、一部に据えられている学園都市の学生たちが作ったゲームもかなりの人気を誇る。

 なにせホログラム映像なども高水準のものが普通に出回っている―――流石に完全な商品化までは達していないが―――学園都市だ。それこそ外の世界ではとても体験できないようなゲームも数多く揃えられていた。

 

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 

 しかし、いくら最先端の科学技術を駆使しているからといっても、ゲームの良さは決して技術力のみに左右されない。そのゲームが“面白いか”というのは、当然のことだが他にも様々な要素に左右される。

 特に学園都市ほど最先端の技術を用いていないというのに、大手のゲームメーカーはそういったノウハウを大量に所持している。もちろん学園都市内部のゲームも面白いかと言われれば面白いが、やっぱり一歩劣ってしまう。

 

 そして何より、ゲーム愛好家の中にはレトロゲームマニアと呼ばれる連中もいて、それこそ下手すれば自分が生まれる前に現役であったようなゲームを好んでプレイするのは、決して稀なタイプではない。

 勿論その傾向を学園都市のゲームセンターとて把握しており、当たり前のようにハイテクな街のハイテクなゲーセンには、十数年前に流行した、いわゆる格闘ゲームの原型を未だに踏襲する古いタイプのゲーム機も備え付けられていた。

 

 

「‥‥おーい」

 

「‥‥‥‥」

 

「おーい、聞いてますかー?」

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

「聞いてんのかって言ってるんですけどー? 聞かないふりか? それとも集中してんのか?」

 

 

 そんな懐かしい系のゲーム、略して懐ゲーのコーナーに、1人の少年が座っていた。

 染めた訳でも、年を経たわけでもない見事な白髪。そして今さっき人を殺して来ましたよとでも言いたげな凶悪な赤い瞳。全体的に不機嫌そうな気配を辺りに振りまき、年頃はおそらく中学生ぐらい。

 あまりにも不穏な気配から、それなりに人が多いゲーセンの中でも彼の両隣の筐体には人影が見られなかった。誰もが彼に怖じ気づき、避けているのだ。

 

 そんな彼の背後に、彼を恐れぬ一人の勇者が現れた。

 特徴的なツンツン頭はウニかハリネズミか、白い無地のワイシャツと黒いスラックスは、女子の制服にばかり気を遣う学園都市の高校にはありがちな夏服で、どこでも見ることが出来るスタンダートなものだ。

 顔つきも平凡で、どちらかといえば冴えない印象を受ける。別に道で肩が触れあったとしても軽く会釈をして何も気にせず通り過ぎてしまうような、そんな只の男子高校生である。

 強いて特別な点を挙げるとすれば、袖に緑色の、盾の意匠が施された腕章を付けていることだろうか。

 

 学園都市の治安維持組織の一つである風紀委員(ジャッジメント)。ある意味では周りに迷惑をかけていないこともない白髪の少年に注意をするというか、事情を聞くぐらいならば仕事の一環だろうが、勇者であることには違いない。

 

 

「‥‥おいアンタ。ゲームが楽しいのは分かるけどさ、いい加減に返事ぐらいしろよな」

 

「―――ッ?!」

 

 

 遂に痺れを切らしたのか、ツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)は白髪の少年の肩を軽く叩き、呆れた声で注意を促す。

 それは別にイラついているとか、相手をどうにかしてやろうとか、そういった悪意を持った叩き方ではなかった。

 例えるならば、電車が終点に着いたというのに眠りこけている乗客を駅員が起こすよりも、さらに気を遣った叩き方。流石に叩かれて痛いなんてことはないが、背後の人物に気づくには十分な圧力。

 

 不良ならば、そのぐらいの叩き方でも喧嘩を売ったかもしれない。ヤのつく自由業の方々でもちょっと嘗められていると思うけどかもしれない。

 しかし白髪の少年が振り返った顔に浮かべた感情は、怒りでも苛立ちでもなく、驚愕。

 

 この世でありえるはずがない、それこそ何の兆候もなく周りのありとあらゆるものが爆発したり、地球が真っ二つになったりするようなレベルの出来事。

 触れられた肩を確かめ、自らの手をしげしげと眺め、次いで目の前でポカンと目をぱちくりさせているツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)を睨みつける。

 正しく仰天動地。彼以外の者がこれほどの驚きに遭遇したならば、おそらくもんどり打って座っている椅子から転げ落ちてしまうだろう程の。

 

 

「‥‥テメェ、何しやがった?」

 

「は?」

 

「だから、テメェ何しやがったって聞いてンだよ、三下ァ」

 

 

 いつもの若干甲高い声からとは異なる、押し殺した低い声。そこには抑制された驚愕と、警戒が含まれている。

 体は十分過ぎるぐらいに警戒を表し、すぐさま飛び退さる、あるいは迎撃が出来るように臨戦態勢。頭脳は相手の一挙一投足を見逃すことのないように、次の策を練ることが出来るように、未だ且つて無かったぐらいに明晰に。

 まるで戦時下にいるかのような最大警戒態勢(レッドアラート)。ツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)は、その猛獣を思わせる気配に思わず一歩後ずさった。

 

 

「何したって‥‥別に、何もしてないぞ? そりゃ肩は叩いたけど、もしかしてアレ痛かったのか?」

 

「そォいうワケじゃねェ。なンで俺に(さわ)れたのかって聞いてンだよ」

 

「‥‥あのなぁ、お前ずっとこの筐体で遊んでるだろ? 連コインはマナー違反だぞ。他に遊びたそうにしてる子どもとかいるだろ? もういい年なんだから、ある程度遊んだら周りに譲るのが気遣いってもんだと上条さんは思うんですがね」

 

「‥‥あン?」

 

 

 白髪の少年の詰問に、ツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)‥‥上条当麻は困惑しながらも返答した。

 確かに風紀委員(ジャッジメント)は多少悪ぶった学生からは厄介者として嫌われてはいるが、警戒されるというのは微妙に普段の反応とは違う。

 しかも白髪の少年は、紛うことなき臨戦態勢なのである。ここまで露骨な警戒を示されたことは、当麻としても覚えがない。

 

 

「ふざけてンのか、テメェ? 俺ァなンでテメェが俺に触れたのかって聞いてンだぞ?」

 

「だから、お前が連コインで周りに迷惑をかけてっからだろーが!」

 

「そうじゃねェっつってンだろォが三下ァ! 俺に、

どうやって、触ったのかって、聞いてンだっつってンだろォがァ―――ッ?!」

 

「うおぉっ?!」

 

 

 白髪の少年は能力を解放、その右手を力任せに当麻へと振るう。

 彼の能力によって、貧弱に見える女子よりも細い右腕は破城槌もかくやという威力を発揮する。人間など木っ端微塵だ。

 

 

「‥‥おィおィどォいうことなンだよこりゃァよォ」

 

 

 ‥‥だがしかし、振り下ろした手はいとも容易く当麻の手によって受け止められる。

 信じられるだろうか、ベクトルを操作する学園都市第一位の大きく振りかぶった一撃を、軽く差し出した右掌だけで受け止めた上条当麻という風紀委員(ジャッジメント)の存在を。

 それこそ天地神明が全く信用ならない事態。それこそ自分の頭の中で行われた計算、1+1が2ではなく、他のトンデモない数に変化してしまったかのような、常識を土台からひっくり返す出来事。

 絶対に通用するはずのことが、通用しない。周りにとってみれば普通に不可解なだけの出来事が、彼にとってみればどれほど、正気を疑うまでに異常なことだったか。少なくとも目の前でポカンとしているツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)には分かるまい。

 

 

「この一方通行(アクセラレータ)様の能力が効かねェなンて‥‥。テメェ一体なンの能力者だ?」

 

 

 白髪の少年、学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の第一位である一方通行(アクセラレータ)は驚愕を通り越して呆れた笑いを浮かべると、挑戦的にそう言った。

 自分の能力が効かないなど、正しく彼にとってみれば、どんな冗談かという出来事である。

 

 確かに今の拳は、単純にベクトルを操ることで“威力を飛躍的に上昇させただけ”の拳だ。

 人間だろうが片手で造作もなく吹っ飛ばし、コンクリートの壁だろうが呆気なく粉砕するだけの威力を持ってはいるが、あれだけならば例えば念動力者(サイコキネシスト)の張るバリアーや、皮膚などを硬質化させる能力者などがいれば防げないことはない、かもしれない。

 もちろんベクトルを操ることによって生まれる威力は生半可な能力者では対抗することが出来ないものである。それは間違いないのだが、理論の段階で話をすれば不可能ではないことだ。

 

 

「あぁ、もしかして今、能力使ってたのか?」

 

「煩ェな、喧嘩売ってンのかテメェ」

 

「わ、悪い。別に嘗めてるわけでも怒らせたいわけでもないんだぜ? ただちょっとほら、俺の能力じゃ打ち消したかどうかなんて分かりやすいエフェクトがないと判断できないからさ」

 

 

 ため息をついて頭を掻く当麻の様子からは、別段おかしなところは見えない。とてもじゃないが一方通行(アクセラレータ)という能力者に挑む態度ではなかった。

 一方通行(アクセラレータ)は、ただ純粋な驚異であるべきなのだ。驚異の前にいる人間が取るべき態度は、すなわち恐怖のみ。

 ならば目の前の風紀委員(ジャッジメント)は一体どうして、どうして自然体で立っていられるのだろうか。

 恐怖を感じない程の実力者か。本人も言っていたが、そもそも風紀委員(ジャッジメント)だというなら何かしらの能力者であることは間違いない。当然のように危険な仕事であるから、風紀委員(ジャッジメント)無能力者(レベル0)はいないのだ。

 

 

「テメェの能力? オイオイ冗談は程々にしとけよ三下ァ。俺の能力を打ち消せるなンてトンデモな能力、見たことも聞いたこともねェぞ?」

 

「まぁ確かに、学園都市の方でも解析出来てないらしいからな、俺の幻想殺し(イマジンブレイカー)は‥‥」

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)だァ?」

 

「あぁ。俺の右手で触れれば、どんな能力でも例外なく消し飛んじまうんだ。それこそ神様の奇跡だって、殺せるかもしれないな」

 

「右手‥‥?」

 

 

 スッと視線を当麻が掲げた右手へと移す。成る程、そう言われてみれば自分の肩に触れたのも、毒手を受け止めたのも、あの何の変哲もない右手だった。

 別段、変わったところなどない。光り輝いているわけでもなければ、変色しているわけでも変形しているわけでもない。

 どこの男子高校生でも持っていそうな、右手だ。

 

 

「どンな能力も、ねェ‥‥?」

 

「まぁ流石に全部試したわけじゃないけどな。学生の数だけ能力はあるし、上条さんが見たことない能力だってたくさんあるでしょうからねー」

 

「実戦経験豊富ってことですか。ハイハイ格好いいですねェ」

 

「‥‥そういう言われ方すると、非常に他意を感じるわけですが」

 

 

 ありとあらゆる能力を打ち消す能力。幻想殺し(イマジンブレイカー)

 その看板には全く嘘偽りない。事実、当麻が風紀委員(ジャッジメント)として活動する中でどれほど世話になったか分からないのだから。

 発火能力者(パイロキネシスト)の炎も、空力使い(エアロハンド)が起こすカマイタチも、水流操作(ハイドロハンド)が操る水弾も、電撃使い(エレクトロハンド)が発する電撃も。

 全て例外なく、当麻の右手の前には無力だった。どんな能力者も自分の能力には自信を持っているもので、その能力が通用しなかった瞬間に必ず囚われる一瞬の驚愕を利用し、当麻はいつも暴れる学生たちを押さえ込んできた。

 

 だが一方通行(アクセラレータ)は、確かに打ち消されたと思しき自分の能力を感じても、当麻に対して懐疑的だった。軽口を叩き嘲笑うような笑みを浮かべながらも、その警戒は些かたりとも緩んではいない。

 能力者は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)に即した能力を振るうものだ。そこには確かに超常現象を能力として操る理不尽が存在しているが、やはり物理の壁は重々しく立ち塞がっている。

 どんなに理不尽で、幻想(ファンタジー)に見える能力でも、そこには確固たる法則が存在するものだ。決して理不尽に、万能に、意味も分からず行使される力ではない。

 圧倒的な地力の差、実力の差によって理不尽が生じることはあっても、それを“理解できない”ことはないのだ。ましてや学園都市最高の頭脳を持つ、一方通行(アクセラレータ)その人にとってみれば。

 

 

「はぁ、とりあえず他のゲームに移れよ。お前なんか気配が怖いし、周りの小学生とか怯えてるんだよ。なんつーか、存在が迷惑? いや、まぁそこまでじゃないけどさ」

 

「おいテメェ殺されてェのか‥‥?」

 

 ミシリ、と一方通行(アクセラレータ)のコメカミが軋む。特に嫌味などが入っているようには思えないのだが、それにしても失礼過ぎる。ましてや自分は学園都市第一位、一方通行(アクセラレータ)なのだ。

 こんなに失礼な奴は今すぐに愉快なオブジェに変えてしまいたいものだが、確かに辺りを見回せば、本気で殺しにかかるには不似合いな場所であった。

 自分の筐体の周りにプレイヤーの姿は無く、かなり離れて遠巻きに他の学生がチラチラとこちらを横目で確認しながらゲームをしていた。何人かは、既に荷物をまとめてそそくさとこの場を離れようとすらしている。

  ‥‥自分は確かに純粋な脅威でありたかった。純粋な恐怖そのものでありたかった。けれど、別に年端もいかない小学生を怯えさせて満足するような人間であるつもりもない。

 というか、どっちかっていうと情けない部類に入るだろう。人は人、自分は自分と分けて考えるにも限界はある。一方通行(アクセラレータ)はその辺り、意外に気を使える大人であった。

 

 

「‥‥チッ、表に出ろ三下」

 

「お、おう」

 

 

 ゲーセンの中、全ての人間の視線を浴びながら二人は出口へと向かった。別に逃げ去るようにでもなく、威圧しながらでもなく、努力して自然体を装って。

 途中で筐体の裏にいる幾人かが小さく拍手をしていて、一方通行(アクセラレータ)はそいつらの

顔をしっかりと記憶した。いつかそれらしい因縁つけて懲らしめてやろうと思って。

 

 

「ふぅ、全く巡回始めてすぐこれだよ。ホント不幸だ、事件に出くわす確率おかしすぎんだろ‥‥。つかどうして上条さんはいつのまにやら風紀委員(ジャッジメント)なんてやることになってるのやら‥‥」

 

 

 ゲーセンから出た瞬間、当麻は人目も憚らず盛大な溜息をつき、掌で顔を覆うと空を仰ぐ。

 なんというか、紆余曲折あって風紀委員(ジャッジメント)として過ごすことになってはいるが、それにしても自分が事件に遭う確率は高すぎるだろう。

 なにしろ外を巡回していれば、必ず事件に遭うのだ。というか、巡回してなくて、非番の時だって必ず何かしらの面倒事には直面することになる。正直、いつもの口癖の信憑性すら揺らぐ。自分が不幸なのではなく、不幸が自分なのではないかと。

 

 

「おいコラ三下、何勝手にどっか消えようとしてやがンですかァ?」

 

「ぐぇ」

 

 

 そのまま溜息混じりにその場からそそくさと立ち去ろうとした当麻の襟を、一方通行(アクセラレータ)がしっかと掴む。

 男子高校生とは思えない華奢な体と低い身長の一方通行(アクセラレータ)ではまともに考えて当麻を止めることは出来ないはず。なにせ当麻は風紀委員(ジャッジメント)としてそれなり以上の戦闘訓練と鍛錬を受けているし、そもそもまともな男子高校生のガタイを持っている。

 

 

「‥‥へェ、右手以外だと能力を無効化出来ねェのか。ホント訳分かンねェ奴だな、テメェは」

 

「上条さんはこれから風紀委員(ジャッジメント)のお仕事が有るんですけど?! ていうか公務執行妨害的な法律に抵触してるんじゃねぇかな、これ!」

 

「いィぜ、なンでもテメェの思う通りに行くってンなら、まずはその幻想をブチ殺す」

 

「なんかデジャブ?! ていうか痛いんですけど?! 襟に引っ張られて首しまってる! 首首首首ビビビビ‥‥!」

 

 

 当麻が襟を引き戻そうとする力のベクトルすら操作して、一方通行(アクセラレータ)はズルズルと当麻を引きずっていく。当然のことだが、自分の全く知らない、正体不明の能力者を前にして学園都市第一位が黙っているはずがない。

 その向かう先は、人気のない路地裏。基本的に学園都市の学生達は目的地に一直線で、必然的に、特に昼間は殆ど人気がない空間である。(そもそも寄り道なんてものは時間に余裕が出来て“しまう”大人になってからするものなのだバーカバーカ)

 

 

「おらよ、ありがたくも離してやったぞ三下。泣いて感謝しやがれ」

 

「痛ぇ?! もうちょっと優しい離し方だと嬉しいんですけどねぇ?!」

 

 

  一方通行(アクセラレータ)に投げ出され、見事に尻餅をついた当麻は恨みがましげな目で白髪の少年を見つめた。

 それなりに鍛えてるとはいえ、流石に尻までは鍛えていない。そもそもいくら寛容な当麻でも、ここまで体格差のある少年に良い様に弄ばれるのは、それなり以上にプライドに障る。

 もちろん相手が学園都市序列第一位という化け物であることを知れば、そんな些細なプライドなんて大抵の人間は吹き飛んでしまうことだろうが、当然、当麻はそんなことを知りはしない。

 あと地面、埃っぽい。ていうか汚い。標準的な男子高校生なら制服は毎日洗ったりしないから替えなんてないのに、あんまりだ。

 

 

「てゆーかさ、マジで仕事あるから勘弁してくれねーかな? そりゃイライラすんのは分かるけど、連コインしてたお前が悪いんだぞ?」

 

「そンなつまンねェことで怒るかよ。嘗めてやがンのか三下」

 

「いや、明らかに機嫌悪くしてんだろ。顔怖いんだよ、顔が」

 

「‥‥ホントに愉快なオブジェにされてェらしいなァ。これァ素だよ、素。顔怖いとか余計なお世話なンですよォ!」

 

 

 コンプレックスの一つを刺激されて、一方通行(アクセラレータ)の眉間に刻まれた皺がまた一つ増える。

 あ、いや、確かに脅威でありたいとは思ったが、別にそこら辺の子どもに泣かれるのは望んでいたことじゃないのだ。

 挙句の果てには騒ぎを聞きつけて既に顔なじみになってしまったガミガミ喧しいメガネで巨乳の風紀委員(ジャッジメント)まで現れるは、現れたが最後、学生なんだから学校に行くべきだと見当違いも甚だしいお説教をされるわ‥‥。

 どこかに隠れても必ず見つけ出されるのは、あのアマ、透視能力者(クレヤボヤンス)か何かなのだろうか?

 

 

「‥‥チッ、おィテメェ、三下」

 

「だから三下じゃねぇって‥‥なんだよ白髪灼眼」

 

「メタっぽい渾名はヤメロ。‥‥名前、聞いてやるよ。言いな」

 

 

 ‥‥この場に彼の親友(ツレ)であるカガリがいたならば、目を丸くしして驚き、続いて空を見上げて天気を確かめたことであろう。あるいは人工衛星の一つでも降ってくることを恐れ、周りの人間に避難を促したかもしれない。

 基本的に他者に無関心、というより関わりを断ちたがる一方通行(アクセラレータ)が、自分から誰かの名前を聞きに行くなど、正しく青天の霹靂と呼んでも何の不足もない事態なのだ。彼が普段会話をするのはカガリと一部の研究者達、あるいは妹達(シスターズ)に対しての一方的な演説じみたお喋り程度なのだから。

 

 

「‥‥風紀委員(ジャッジメント)171支部所属、上条当麻だ。能力はさっきも話した『幻想殺し(イマジンブレイカー)』。強度(レベル)強能力者(レベル3)

 

強能力者(レベル3)ィ?! おィおィどォいう冗談ですかァ? この俺の能力を打ち消しといて、ただの強能力者(レベル3)とか笑いすぎて腹筋崩壊しちまうぜゴラァ!」

 

 

 強能力者(レベル3)

 学園都市序列第一位であり、押しも押されぬ超能力者(レベル5)である一方通行(アクセラレータ)では全くその辺りの実感が湧かないことであろうが、強能力者(レベル3)といえば十分に胸を張って自身の能力を自慢出来る程のものである。

 なにせ強能力者(レベル3)もあれば、念動力者(サイコキネシスト)なら人間ぐらいの大きさのものを持ち上げ、発火能力者(パイロキネシスト)ならば学校のゴミ捨て場にある焼却炉顔負けの炎を発する。

 能力者としては十分にエリート。ここから研鑽を積めば、大能力者(レベル4)だって夢ではない。

 

 

「‥‥しょうがねーだろ、右手だけでしか能力を無効果できないんだから。上条さんとしては強能力者(レベル3)になれたことだって驚きですよ。つい最近まで普通の身体検査(システムスキャン)じゃずっと無能力者(レベル0)の判定だったんだからな」

 

無能力者(レベル0)‥‥? 俺の能力を打ち消せる奴が無能力者(レベル0)? そりゃ腹筋崩壊通り越して悪夢だぜオイ」

 

「まぁ路地裏で喧嘩に巻き込まれてた時に風紀委員(ジャッジメント)の女の子に会ってさ。進められるまま精密な身体検査(システムスキャン)受けて、それでも結果が出なかったから実際に能力者用意して実験して‥‥。なんつぅか、ありゃモルモットの気分だったな」

 

「‥‥そいつァ御愁傷サマ」

 

 

 現在進行形で被験者(モルモット)をやっている一方通行(アクセラレータ)は、無感動に言葉を紡いだ。

 だが確かに、目の前のツンツン頭の能力が『異能を打ち消す』というものならば、身体検査(システムスキャン)に不具合が出てもおかしくはない。

 何せ普通の身体検査(システムスキャン)では結果を見て強度(レベル)や能力の種類を決定する。コイツのように極めて特殊な能力が相手では、いくらプロフェッショナルとはいえ普通の高校の教師では荷が重いことだろう。

 もっとも、それが『超能力である』以上は、専門の研究機関が行う精密なスキャンで結果が出ないなど、どう考えてもおかしいことであるのだが。

 

 

「まぁおかげで奨学金も増えて上条さんとしては万々歳なんですけど、無理やり風紀委員(ジャッジメント)までやらされることになるとはなぁ‥‥。実験に協力するのはまぁ、お金もらえるからいいんだけど」

 

「‥‥小せェなァ」

 

「バイトもしてない普通の学生にとっては、お金は死活問題なんだよ! お前みたいな奴には分から‥‥

って、そういえばどうしてこんなところまで連れて来たんだ? ていうか上条さんはお前の名前、聞いてないんですけど?」

 

 

 おや、と当麻が気づき当然の疑問を口にする。

 確かに自分は強引に釣れられ‥‥もとい連れられて来てしまったが、いくら注意されたとはいえ風紀委員(ジャッジメント)相手に癇に障ったというだけで喧嘩を売られるとは思えない。

 もちろん今まで風紀委員(ジャッジメント)としてそれなり以上の場数を積んで来てはいるが、なんというか、こういう手合いを相手にするのは初めての気がする。

 

 

「‥‥あァ、そォだったな。ついうっかり本題の方を忘れちまってたぜ。悪ィ悪ィ、待たせたなァ」

 

 

 瞬間、突風。

 ビルの隙間にある路地裏は元々ビル風が激しいが、その風は一方通行(アクセラレータ)が、タン、と小気味いい音を立てて軽く振り下ろした足から発生していた。

 

 

「俺ァよォ、今まで何でも自分の思うとおりにしてきたつもりだったンだ。まァ思うとおりっつっても、何も考えなくてボーっと突っ立ってても別に不自由ねェだけの“力”があったわけだよ」

 

 

 何でも“反射”してしまえばいい。

 攻撃も敵意も、好意も。人と人との関わりも、思念すら自分は反射出来る。操作出来る。

 今までそのやりかたで通用しなかったのは一人だけ。だが、それはソイツ自身の中で完結する力だったから、そこまで自分は気にしなかった。

 例えば全力で殴ってソレが壊れなかったとしたら、自分の込めた力よりソレが硬かった、頑丈だったというだけの話。そこに自分が主体になる問題は存在しない。

 

 

「なンつゥか、つまンねェよなァ。そりゃやることは結構あるけどよォ、やりてェことだってあるけどよォ、結局それも作業ゲーみてェなもンだから、そこまで熱くなれねェわけよ」

 

「‥‥何言ってんだ、お前?」

 

「いいから聞けよ三下。今、すっげェ気分がいいンだ、久しぶりにワクワクしてきやがる」

 

 

 妹達(シスターズ)との戦闘も、襲いかかってくる馬鹿共との戦闘も、どれも適当に遊ぶことはあっても熱くなることはなかった。

 だからゲームは楽しい。自分の指先を、タイミングを、効率よく使ってクリアしていくのはベクトル操作とは別の問題で、そこでは敢えて反則的に優秀な自分の演算能力を行使しないで楽しめる。パズルゲームの類は別だが、格闘ゲーやレースゲーム、

シューティングは負けても楽しい。

 だが戦闘は別だ。つまらない、とんでもなくつまらない。自分の能力を適当に現状維持しているだけで終わってしまう。自分に干渉出来る奴なんて存在しない。それこそ、絶対無敵の第六位であろうと。一方通行(アクセラレータ)はいずれ自分が、彼を殺せるようになってしまうだろう確信があった。

 

 

「だってのによォ、クク、だってのによォ、なンだよ『幻想殺し(イマジンブレイカー)』ってのは? クク、ククククク、ヒャッヒャッヒャッヒャ!!」

 

 

 笑いが、止まらない。嗤いではなく、久々の笑いだ。

 知りたい、試したい、未知の存在への興味が尽きない。

 あぁなンてこった、こんなに面白いことが転がってるなンて、やっぱり面倒くさがらずに外に出てみるものだ。

 ‥‥カガリに会う以前の自分なら、こうして人目の多いところまでわざわざ用事もなく出てフラつくようなことはしなかっただろう。

 今日は一緒にいない友人が頭をよぎり、理解していながらも頭を振って脳の片隅へとやってしまう。なんというか、認めてしまうのは癪だった。

 

 

「おいおい勘弁してくれよ、またこういうパターンですか‥‥?」

 

「あァそォだよ三下。分かってンなら話は早いぜ、諦めて俺の実験に付き合いな」

 

 

 ベクトルを操作、砂塵を巻き上げて路地裏の出口を覆う。

 別に壁にこそならないだろうが、人目を避けることは出来る。今はこの楽しみを邪魔してもらいたくなかった。

 

 

「さァ、構えな三下。安心しろよ、殺すつもりはねェ。ただ全力で、俺の実験に協力してくれりゃぁいい。‥‥あァでも、あンまり期待外れだと勢い余って殺しちまうかもなァ?」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 一度巻き上げた風のベクトルを操作して、自分の周りをくるくると回らせる。

 特に意味はないが、一方通行(アクセラレータ)はこういった意味のない示威行為が嫌いではなかった。台詞回しや大袈裟な動きなど戦闘に雰囲気を求めるところがあり、それは十分に弱点と言えるだろう。

 もっとも学園都市序列第一位である彼にとってみれば、それは自分の実力に裏付けされた十分すぎるほど十分な余裕なのだろうが。

 

「‥‥しょうがねーな」

 

「あン?」

 

 

 笑い続ける一方通行(アクセラレータ)を前に、呆れたような顔をしていた当麻が少しの間だけ俯き、顔を上げる。

 その顔を見た一方通行(アクセラレータ)は、少しだけ面食らった。今まで、自分と対峙した者には見ることの出来なかった表情だった。

 

 

風紀委員(ジャッジメント)としてはよくないのかもしれねーが、喧嘩ってんなら相手になる。ていうか自信満々すぎて上条さん恥ずかしくなっちまいますよ、ホント。何が殺しちまうかもしれねー、だ。殺すだの殺さないだのバカバカしいぜ」

 

 

 当麻は、笑っていた。それも嘲笑うわけでもなく、自らの上位を確信した笑いでもなく、ただ純粋に、不敵に笑ってみせていた。

 誰でも一方通行(アクセラレータ)と戦う者は、自らの勝利を確信してニヤニヤしたり、或いはこちらを馬鹿にした笑みを浮かべているものだったが、その誰とも違う、不思議な表情だった。

 

 

「‥‥テメェ、ホントわかンねェ奴だな」

 

「あ?」

 

「普通はよォ、俺みてェな奴に喧嘩売られたら逃げたり命乞いしたりするもンだろォが。右手だけなンだろ? 能力を無効果出来ンのは。だったら俺に、身体の何所か触られただけでアウトだろォが。ヒーロー気取ってンですかァ?」

 

 

 嘗められている、のだろうか。

 学園都市序列第一位と名乗ってこそいないが、ある程度場数を踏んだ者なら対峙している相手がヤバイかヤバくないかぐらいは判別出来て然るべきだろう。

 

 

「まぁお前が殺し合いしたいっていうなら話は別だけどさ、たかが喧嘩だろ? そのぐらいだったら毎日みたいに大立ち回りやってるから、今更身構えろって言われましてもね‥‥。

 もちろん上条さんとしては喧嘩しないで済むならそれに越したことはないわけですが、どうよ?」

 

「ふ ざ け ん な」

 

「ですよねー」

 

 

 じり、と当麻が戦闘体制を取る。狭い路地裏、正直この逃げ場のない戦場で一方通行(アクセラレータ)に勝つことは不可能だ。

 だが一方通行(アクセラレータ)の能力を知らない当麻は愚直に右手を握りしめる。すべての幻想をぶち殺す、彼が持つ唯一の異能を。

 

 

「ていうかお前さ、自信満々すぎるだろ。自分が負けねーとでも思ってるんですか?」

 

「当たり前だろォが。俺ァ学園都市最強だぜ?」

 

「へっ、ご大層なこと言ってくれるじゃねーか。

 いいぜ、お前が何でも思い通りに出来るってなら―――」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)が接地している足に触れたベクトルを操作、巻き上げていた風が一点に収束する。

 その仕草、わずかな仕草が喧嘩開始の合図だった。当麻も、一方通行(アクセラレータ)も、どちらも理解して、すぐさま戦闘へと移る。

 

 

「―――その幻想をぶち殺す!!」

 

 

 ‥‥結果、一方通行(アクセラレータ)が人除けのために撒いておいた砂塵は殆ど意味をなさなかった。

 調子に乗った一方通行(アクセラレータ)による戦闘が巻き起こす轟音はたちまち他の風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)を引き寄せ、二人の喧嘩はめでたく中断。

 研究所や第一位という称号の関係で厳重注意で済んだ一方通行(アクセラレータ)とは違って一介の風紀委員(ジャッジメント)である当麻は相当に絞られ、また、いつもの口癖を叫ぶことになったのだが。

 そのあと二人がごくごくたまに街で出会った際には立ち話をするような関係になったのも、それはまた、別の話である。

 

 

「不幸だぁぁぁあああーーーッ!!!!」

 

 

   

 

 

 



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登場人物紹介

 

■ カガリ

『正体不明、目的不明、“絶対無敵の”学園都市序列第六位』

 

保有能力:発火能力者(パイロキネシスト)/Lv5

所属:長点上機学園

好きなもの:物珍しいもの、面白いこと、弟妹

嫌いなもの:子どもを虐める人間、子どもに害があること

特技:無敵

天敵:不明

 

 学園都市序列第一位である最強の超能力者、一方通行(アクセラレータ)の友人で、自らも超能力者(レベル5)の第六位である。

 珍しいもの、楽しいものに対して興味津々であり、少しでも面白そうなことがあるとホイホイついていってしまう子供じみた性格をしている一方、友人である一方通行(アクセラレータ)や知り合った美琴などに対しては兄のような態度を取ることも多い。

 

 夏場でも常に裾が脛まであるような長い白衣を羽織り、その下に籍だけ置いている長点上機学園の制服を着込んだ格好で昼間でも夜でもフラフラ学園都市のあちらこちらを彷徨いている。

 目つきは鋭く優しげだが生気が宿っておらず、熱でもあるかのようにフラフラ、あるいはユラユラとしていることが多い。引っ張ったりするとまるで体重がないかのように軽いことが分かるだろう。

 基本的に食物を人前では取らず、飲み物、それも炭酸飲料ばかりを好んで飲む。また普通の男子高校生なら当然知っているべき一般常識に欠け、下ネタなどにもアレルギー反応を示す。

 

無尽火焔(フレイム・ジン)

 

 最強の発火能力(パイロキネシス)であるが、基本的に発火能力者(パイロキネシスト)は応用性に乏しい能力者である。

 普通ならそのはずなのだが、カガリの能力は異常な程に応用力がある。

 彼の能力は物質的な質量を持ち、焔を壁代わりにして物体を受け止めたり、ハンマーのように相手を打ち据えたり出来る。またその焔に触れた相手に火傷を負わせることがないという、物理常識を超越したものだ。

 また『絶対無敵の第六位』の看板が示す通りに、ありとあらゆる攻撃が通用しない。全ての攻撃は彼の体をすり抜け、一方通行(アクセラレータ)による攻撃も一切効果が無い。

 これらについての考察は只一人のとある研究者のみが把握しており、彼が超能力者(レベル5)である所以となっている。

 

 

一方通行(アクセラレータ)

『並ぶ者なき絶対を目指す、ゲテモノ好きかつ苦労性のゲーマー超能力者』

 

保有能力:ベクトル操作/Lv5

所属:長点上機学園

好きなもの:ゲーム各種(但し除く頭脳ゲー等)、ゲテモノ料理

嫌いなもの:雑魚

特技:演算、計算、頭脳ゲー

天敵:押しが強い女

 

 学園都市数百万人の能力者の頂点に立つ、七人いる超能力者(レベル5)の第一位。“最強の上を行く無敵であること”を目指して『絶対能力進化(レベル6シフト)計画』に協力している。

 かつて路地裏をフラフラしていたカガリと些細な切っ掛けで戦闘。一方通行(アクセラレータ)にとっては最強であるはずの自分の能力が全く効かなかったこと、カガリにとっては“見過ごせない独りぼっちの弟”と彼を認識したことによって、以降親友として行動の大部分を共にすることになった。

 

 筋金入りのゲーマーで、特に学園都市外レベルのゲームやレトロゲームをこよなく愛するが、腕はどうかと言われれば‥‥お察し下さい。

 本来、彼の尋常ならざる演算能力を用いればどのようなゲームだろうとクソゲーに成り下がるのだが、彼は敢えてゲームを楽しむために、その演算能力はゲームに使用せず、感覚と経験のみで楽しんでいる。そのため、どうしても頭を使わずにはいられない頭脳ゲーは嫌っている。

 

 また同様に筋金入りのゲテモノ料理好きである。

 そのポリシーはとても常人には理解することなど出来ないが、普段は普通のものを食べているので味覚は正常。だからこそ、その趣味が全くもって理解出来ないのであるが。

 ゲテモノ料理好きのコミュニティなどでそれなりに顔も広く、その人脈の全てをゲテモノ料理探索のために用いている。

 『解せぬ』

 

 

■ 初春飾利

『激甘ボイスの天災ハッカー 可愛いバラはトゲだらけ ドス黒風紀委員(ジャッジメント)

 

保有能力:定温保存(サーマルハンド)/Lv1

所属:柵川中学/風紀委員(ジャッジメント)第177支部

好きなもの:甘味、PC、毒を吐くこと

嫌いなもの:自分の思いとおりにいかないこと

特技:PC操作全般

天敵:佐天涙子

 

 頭に乗せた花飾りが特徴的な、コンピューターの操作に長ける凄腕ハッカー。

 本来ならばそれなりの戦闘能力がなければ採用されないはずの風紀委員(ジャッジメント)において、その類い希なコンピューター操作能力と低能力者(レベル1)とは思えないほどの演算能力、現場判断能力を買われて第177支部でもエースの座を担っている。

 実際、黒子も現場をモニターしている初春の指示には問答無用で従い(従わされ)、彼女を制御出来るのは支部長である固法ただ一人だけ。

 

 普段は温厚かつ押しの弱い普通のかわいらしい乙女であるが、ひとたびスイッチが入ると人格が豹変。笑顔のままトンデモない暴言や毒を吐き、時には人格すら軽く否定して命令を下す、初春→黒春と化す。

 この状態の彼女に逆らうことは精神的に地獄に送られることを意味する。

 

 

■ 佐天涙子

『深刻なネラーが発生しました 日本正統少林寺拳法初段JC』

 

保有能力:金剛禅少林寺拳法/初段

所属:柵川中学

好きなもの:@ちゃんねる、@ちゃんねるまとめサイトのまとめ、修行

嫌いなもの:リア充、曲がったこと

特技:体を動かすこと、実力行使、ブラインドタッチ

天敵:飛び道具、能力者

 

 柵川中学に通う、初春の親友。

 日々ネットサーフィンを行う@ちゃんねらーであり、情報の信憑性はさておいて、かなりの情報通。時にソース不明ながらも初春の情報網すら上回る情報を手にしていることもある。

 またネトゲの類にも手を出しており、プレイ時間と全く釣り合わない神プレイの数々に、その界隈ではそれなりに名前を知られていたりして。

 但し性格自体は原作と殆ど相違なく、たまに飛び出る@ちゃんねらー用語以外は、正義感がさらに強くなった頼もしい友人。

 

 物心ついた頃から近所の道院(少林寺拳法で言う、道場)に通っており、今では立派な黒帯を締める少林寺拳士である。

 その技術は演舞においてすら一切の形骸化を排除し、実践に基づいた技術は同年代の中でも修行量も相まって完全に一線を画す。

 下手に彼女の手首やら胸ぐらやらを掴んだが最後、一呼吸の間に急所を極められ、投げ飛ばされてしまうことだろう。そのせいかとにかく昔から手が早く、現在でも正義や人道に悖る行為の一切を許せない正義漢‥‥もとい漢女(おとめ)である。

 

 なお、押しが強いために一方通行(アクセラレータ)はどこぞの巨乳で眼鏡の風紀委員(ジャッジメント)と同じく、彼女のことを苦手としている。

 

 

■ 上条当麻

『あらゆる異能を右手で砕く、このところ立ち位置が不安定な熱血風紀委員(ジャッジメント)

 

保有能力:幻想殺し(イマジンブレイカー)/Lv3

所属:風紀委員(ジャッジメント)第171支部

好きなもの:特売

嫌いなもの:目の前で行われる、理不尽

特技:そげぶ

天敵:巨乳で眼鏡の風紀委員(ジャッジメント)

 

 超能力を打ち消す右手、幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つツンツン頭の風紀委員(ジャッジメント)

 身体検査(システムスキャン)では一切の反応が出ずに無能力者(レベル0)という扱いであったが、街で偶然出会った眼鏡で巨乳の風紀委員(ジャッジメント)の少女の紹介によって専門の研究機関でスキャンを受け、結果として何の反応も出ず、異常性から様々な実験を受ける。

 その後に実験結果から強能力者(レベル3)の判定を受け、通っている高校の中では一番のエリートに。流れで風紀委員(ジャッジメント)まで務めることになり忙しい毎日を送っているが、奨学金は尋常じゃなく増えたので生活は安定。また能力が判明している関係上、無茶苦茶な補習を受けるようなこともない。(頭は相変わらずよろしくないが)

 

 ちなみに不幸体質は当然のことながら変化なし。風紀委員(ジャッジメント)として巡回に出ればたちまちイザコザに巻き込まれ、相当に苦労しているが、全ての事件を解決しているため実戦経験は豊富で頼りにされている。

 その一環で知り合った一方通行(アクセラレータ)とは集に2,3回は繁華街で出くわし、立ち話をしたり非番の時はたまに遊んだりする仲。

 

 

■ 眼鏡で巨乳の風紀委員(ジャッジメント)

 

保有能力:不明/不明

所属:不明

好きなもの:フラフラしている学生、説教、カウンセリング、ムサシノ牛乳

嫌いなもの:フラフラしている学生

特技:スカウト

天敵:不明

 

 一方通行(アクセラレータ)に度々ちょっかいを出し、上条当麻を風紀委員(ジャッジメント)に勧誘した少女。

 かなり図太い性格をしており、あからさまにヤバイ雰囲気を漂わせている一方通行(アクセラレータ)に臆面もなく説教をしたり、あからさまに引け腰な当麻を無理矢理研究所に引きずっていったりと、図太いというよりはイイ性格をしているとも言える。

 ちなみに彼女も佐天と同じく、一方通行(アクセラレータ)の天敵。

 

 

■ “あの子達”

 

 詳細不明。

 

 

 



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第12話 『白髪、拳、一方通行』

 

 

 

「‥‥うわぁ」

 

 

 麗らかな昼下がり、というには若干日差しがキツイ午後。学生ばかりの学園都市では、学生が暇な時間帯には当然、人影は多い。

 実際、特に用事はないのだろう。科学技術が発展している学園都市の中では当然、ネットも盛んに利用されている。基本的に帰省ぐらいでしか学園都市の外に出られない学生達にとっては重要な情報源である。

 というかネットを使えば昨今は何でも出来る。流石に引きこもりを危惧した学園都市によって生活必需品をネット経由で購入することは規正されているが、正直学校から直帰しても一切問題ないのだ。

 

 ‥‥さらにぶっちゃけて言えば、特に彼女、佐天涙子にとってしてみればその方が都合が良い。正直、部屋に籠もってネットをしているだけで彼女にとっては幸せだった。

 やらなければいけないことは結構たくさんある。ブログの更新、@ちゃんねるのチェック、ネトゲの起動、ニヤ動のチェック。とりあえず家に帰って自動(オート)でこなす作業は、最低でもこれだけある。

 ちなみに持っているスマホで出来る作業は全て登下校中にやってしまうが、それでもPCでしか出来ないことというのもあるのだ。特に彼女には、それがやけに多い。

 

 

「‥‥ちょっと一方通行(アクセラレータ)サン、こんなとこで何やってんですか」

 

 

 景観を考慮してか、学園都市には比較的に公園の類が多い。

 学校から自宅である寮に帰るまでの間に丁度ある公園を通りかかった佐天は、そこに見知った顔を認めてふと歩みを止めた。

 

 

「ちょっと、一方通行(アクセラレータ)サンてば」

 

 

 いくつもあるベンチの一つに、だらりと背を預けて脱力する白髪赤眼の少年。下手すりゃ自分より年下に見えなくもない華奢な体躯なのに、秘めている能力(ちから)はトンデモない。

 猛禽類の爪と眼に見えなくもない模様のTシャツは、佐天も見たことがあるブランド物。但しかなりマニアックなもので、ついでに言うと大概の人間は似合わないピーキーなデザインである。

 

 

「‥‥あン?」

 

 

 まるで死んでいたかのように微動だにしていなかった少年の目が開かれる。

 鮮血のような赤い瞳。真っ白な髪の毛や肌と合わせて、かなり重度のアルビノであるようだ。

 体は華奢で、少女のよう。炎天下を歩いていたらフラフラと何処ぞで倒れてしまいそうなくらいに細く、頼りない。

 

 

「なンだよ気持ちよく寝てたってのに‥‥誰かと思えば没個性じゃねェか」

 

「だから誰が没個性かっ?! 年上だと思って下手に出てれば失礼にも程があるんじゃない?!」

 

「そンなのテメェの勝手だろォが。つかなンですか、黒髪ロング勝ち気ってだけでどォやってキャラ立ちすンだっつーの。もっと相棒の花瓶みてェに花乗せるとか考えろよ没個性」

 

「こッ、こッ、この男、殴りたい‥‥ッ!」

 

 

 見下ろしてるのはこっちの方なのに、ひどく不利な立ち位置で馬鹿にされている気がする。

 だが落ち着け佐天、拳士は自己のために振るう拳を持たない! こんなくだらないことで腹を立てるな。体の鍛錬は心の鍛錬だ!

 

 

「なァに震えてんだよ、便所でも我慢してンですかァ? ガキじゃねェだろ、便所ぐらい苦しくなる前に行けってンだ」

 

「くそぅ! くそぅ!」

 

 

 怒りを堪えかね、見た目はごく普通の少女であるところの佐天は近くの街灯をガスガスと音を立てて殴りつけた。

 流石にヘシ折れるまではいかなかったが、日頃から十分に鍛えた拳は金属だってものともしない鉄拳と化しており、街灯は見事に握り拳の形に凹んでしまっている。

 もちろん普通の少女にそんなこと出来るはずはなく、ぼちぼち人通りの多い公園を通る学生達は思わず二人のいるベンチを避けて歩いていった。

 

 

「‥‥気は済ンだか暴力女」

 

「誰がっ、暴力女かっ! ていうかアンタ殴ってないし! あたしが殴ったの街灯だし!」

 

「同じじゃねェか。‥‥で、なンの用事だよ」

 

「は?」

 

「気持ちよく惰眠を貪ってた俺にわざわざ声かけた理由だよボケ。貴重な睡眠時間を邪魔した罪は重ィぞコラ」

 

 

 ギロリ、と不機嫌そうに佐天を睨む一方通行(アクセラレータ)。華奢な体躯に比べて以上に眼力が強い彼に睨まれれば、大抵の人間は怖じ気づいて彼を避けていく。

 人殺しの空気をまとっているのが分かるのだ。とはいっても本職の殺し屋というよりは、殺人犯といった荒んだ空気なのだが。

 

 

「理由って‥‥別にそんなものはないですけど」

 

「はァ? じゃあ何か、なンの用事もねェのに俺を呼び出したっていうのかコラ」

 

「そこに知り合いが死んだみたいに眠ってたら、心配して近づきもするでしょ。あーあ心配して損した。ちょっと隣、失礼しますね」

 

 

 しかし佐天は怖じ気づかず、不満げに鼻を鳴らすと当然のように一方通行(アクセラレータ)の隣に座った。

 麗らかな午後である。中学生や高校生の時間というのは放たれた矢もかくやという速度で流れていく貴重なものであるが、だからこそのんびりとするのも悪くないと佐天は思う。

 ‥‥もっとも、隣にいる白髪赤目の少年は図々しく隣に座った年下の少女を心底迷惑そうな顔で見ているのだが。

 

 

「‥‥‥‥」

 

「あれ、どこか行くんですか?」

 

「隣でうるせェ女がいるからな。耳元できゃいきゃい騒がれちゃゆっくり出来ねェ」

 

 

 あまりにもやかましい佐天に嫌気が差したのか、一方通行(アクセラレータ)はベンチから立ち上がると、おもむろにポケットに手を突っ込んで歩き始めた。

 鞄も何も持っていないが、同じくブランド物であるジーンズの尻ポケットにはやたらと分厚く不格好な財布が入っている。おそらく、ゲーセンで使う小銭入れだろう。

 実際彼は度重なる実験による報奨金と、超能力者(レベル5)としての奨学金のおかげで相当に懐に余裕がある。普段の買い物なら全部真っ黒いカード一枚で事足りるぐらいだ。

 しかしゲーセンとなると話はそうもいかない。学園都市産の筐体ならばカードでピッすれば問題ないが、外部から運び込まれている筐体は昔ながらの、百円玉を入れて動かすタイプである。

 もちろん両替も出来るが、ある程度の小銭を持っておくのは当然の嗜みだろうと一方通行(アクセラレータ)は考えていた。

 

 

「‥‥なンでついて来ンだよ、没個性」

 

「せっかく会ったのにそういう態度とるのはどうかと思いますよ。少し暇つぶしの相手してもらってもいいいじゃないですか。どうせ一方通行(アクセラレータ)サンも、お暇なんでしょ?」

 

「‥‥チッ、好きにしやがれ。面倒に巻き込まれても知らねェからな、俺は」

 

「腕っ節しには自信があるんで、心配してもらわなくても大丈夫ですよ」

 

「心配なンてしてねェよ。勝手に好意的に解釈すンじゃねェ、脳天お花畑が」

 

「それ、初春のことですよね?」

 

 

 並んで歩く少年を、佐天は目線は前にやったまま瞳の端でそれとなく観察した。

 こうして並んで歩くと、ずっと華奢で小柄だと思っていた割には百五十センチちょっとある自分よりも十センチぐらいは身長が高い。手足はそれこそ少女のように細いし肩幅も下手すれば自分よりも狭いのが、身長に対してやけにアンバランスである。

 もっとも胸を張り、背筋はシャキンと伸ばして歩く佐天に比べて、一方通行(アクセラレータ)はまるで獲物を狙うネコ科の猛獣のような猫背だった。それも相まってこの少年を小柄に見せているのかもしれない。

 佐天の発する清澄で快活な気配に比べて、陰鬱で刺々しい雰囲気を漂わせているのも錯覚の原因の一つだろう。もっとも、それが彼を侮らせるという要因には全くなっていないわけなのだが。

 

 

「そういえば一方通行(アクセラレータ)サン、今日は学校どうしたんですか? あそこ、長点上機学園からは随分と離れてますけど」

 

 

 佐天が通う柵川中学と、一方通行(アクセラレータ)が籍を置いている長点上機学園は同じ第七学区に位置している。

 しかし学園都市は東京の西半分、さらに神奈川県や埼玉県の一部も飲み込む巨大な敷地を持つ。特に第七学区は学園都市の中央部に位置し、航空・宇宙関係の開発実験を担当している第二十三学区と共に、学園都市最大の敷地面積を誇るのだ。

 当然、そこに建つ学校の数も尋常ではない。というか学園都市の小中高の殆どは此所にあるといっても過言ではない。

 大学などになると、研究関係で各所との利権、連絡の問題もあるから、それぞれ商業や工業、農業などに特化した各学区に散らばっていたりもするのだが。

 

 

「別に、学校は行ってねェからな。此所ァ繁華街に近ェし、色々と便利だからブラブラしてただけだ」

 

「え? もしかして一方通行(アクセラレータ)サンってヒッキーなんですか? うわカッコ悪い、引きこもりって保険効かないんですよ? 病気になったらどうするんですか? 宇宙戦艦NEET気取ってると絶対痛い目見ますよ?」

 

「テメェは何処からそンな真偽も定かじゃねェ情報を仕入れて来やがンですかァ?! つーか勝手に他人様を引きこもり扱いしないンで欲しいンですけどォ?!」

 

 

 猫背のせいか、一方通行(アクセラレータ)と佐天は殆ど同じ目線で漫才じみたやり取りを交わす。

 年頃の男女が二人組とくれば騒いでいても周囲からは生暖かい視線、あるいは嫉妬を含んだ視線を向けられるものだろうが、ことこのヨクワカラナイ組み合わせの二人だと、周りの人間もこっそり避けて通らざるを得なかった。

 少なくともこの二人を見て、カップルだと思う奴は頭が沸いているに違いない。

 

 

「‥‥はァ、そォいやテメェと花瓶にゃ言ってなかったか。俺とカガリの奴ァ籍だけ高校に置いてンだ。普段は研究所の実験とかで働いてンだよ」

 

「あ、言われてみれば確かに高位の能力者は研究所とか企業で働くって、先生から聞いたことあるかも。流石は超能力者(レベル5)、学校行かなくていいなんて羨マシス」

 

「そもそも高校は義務教育じゃねェだろォが。中卒馬鹿にしてンのかコラ」

 

「籍置いてるだけの人間を高校生とは言わないと思うけど、学園都市一番の演算能力持ってる人間も中卒の称号にゃ相応しくないと思いますけどね、私は」

 

 

 学園都市の能力開発は、企業や国の利権とも深く結びついている。

 例えば空力使い(エアロハンド)ならば航空関連の分野で。発火能力者(パイロキネシスト)なら発電や金属加工の分野で。水流使い(ハイドロハンド)ならば流体力学の分野で。

 様々な能力者が様々な分野で実験環境を操作したり、提供したり、あるいは新たな現象を超能力によって引き起こすことで科学の発展を促す為に貢献する。そんな側面も学園都市は持っているのだ。

 

 流石に無能力者(レベル0)かつ中学生の佐天はそんなものには従事していないが、もちろん超能力者(レベル5)である一方通行(アクセラレータ)も例外ではない。

 彼が主に従事している"とある"実験以外にも、ベクトルを操るという能力はちょっと想像出来ない程の応用性を能力者に、周囲にもたらす。

 というよりも、もはや彼が何かの研究に貢献するというよりは、彼自身を研究することの方が大きな課題である。よって、ぶらぶらしている時間も多いが、当然のように実験に協力している時間も長い。

 ・・もっとも、彼が学校に通わない理由は多分に彼の精神的な要因と、あるいは学校という単純なカテゴリにすら収まりきらない強大に過ぎる能力なのかもしれないが。

 

 

「‥‥チッ、なンでペラペラ喋っちまったンだか。俺にばっかり口使わせンじゃねェ。テメェと一緒にいた‥‥花瓶はどォしたンだ?」

 

「かび‥‥じゃなくて、初春は風紀委員(ジャッジメント)のお仕事ですぐに支部の方へ行っちゃいました。あの()、なんだかんだで週の半分以上は風紀委員(ジャッジメント)の詰め所にいるから、実はあんまり一緒に遊べてるわけじゃないんですよね」

 

 

 支部の設備をある程度自由に使えるというメリットこそあれ、ほぼ完全なボランティアである風紀委員(ジャッジメント)の勤務体系は、支部によって大きく異なる。

 基本的には自分が所属する学校の治安維持が仕事であるから、担当地区以外から支部に所属する増員があるというのはあまり考えられない。よって人手が足りている支部と、足りていない支部が発生するわけだ。

 初春が所属している風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部は比較的人手が足りている上に高位能力者や有能な人材がそろっているが、人員も必要最小限しか確保出来ず、強能力者(レベル3)はおろか異能力者(レベル2)が関の山というところも少なくはない。

 そういうところでは自然と義務感の強い風紀委員(ジャッジメント)達がオーバーワークになりがちなのだが、初春の場合は単純に彼女の趣味だろう。

 

 

「多分、今日も嬉々としてパソコン弄ってるんだろうなぁ‥‥。ウチの中学、一応学業に関係ない物は持ち込んじゃいけないって古風なところなんで、昼間はパソコン弄れなくて悶々してるんですよね、初春」

 

「そりゃ立派な変態だな」

 

「でも実際パソコン使わせるとすごいですよ? あたしもこの前うっかり引っかかっちゃった架空請求サイトのこと相談したら、瞬く間にサイトのセキュリティ突破して色々報復行為を‥‥」

 

「本当に変態だなオィ?!」

 

 

 柵川中学一年、風紀委員(ジャッジメント)第一七七支部所属、初春飾利。

 熱狂的なパソコンヲタクである彼女は支部のパソコンをほぼ自分専用に魔改造(チューニング)しており、何個ものディスプレイを幾つものキーボードで自由自在に操る女傑である。

 一部では機械仕掛けの女神(デウス・エクス・マキナ)なんてトンデモな渾名がついていたりするが、そんなことよりピーピングだと言わんばかりにあちらこちらのコンピュータや書庫(バンク)にハッキングをかけたりしているらしい。

 もはやはっきり言えることだが、彼女が風紀委員(ジャッジメント)として活動していなかったら、学園都市を電子面から引っ繰り返すことも決して不可能ではなかっただろう。というか、既に今の学園都市という体裁が保てていたかどうかも定かではなかったりする。

 

 

「そういえば一方通行(アクセラレータ)サンこそ、カガリさんはどうしたんですか? あたしと初春よりも、そっちの二人の方がいつも一緒ってイメージあるんですけど」

 

「イメージも何もまだ一回か二回そこらしか会ってねェじゃねェか。俺だって別にいつも一緒にいるわけじゃねェよ。アイツはアイツで色々と忙しいンだ。俺と違って、能力に応用性があるからな」

 

「は? でもカガリさんって発火能力者(パイロキネシスト)ですよね? 学校の授業で習ったんですけど、確か発火能力(パイロキネシス)ってあらゆる能力の中でも一番応用性が低いって先生が言ってたはず‥‥」

 

「ハッ、まァ一般論に照らし合わせりゃそォだろうな。でもよ、そりゃ有象無象の低位能力者の話だ。自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)が能力者にもたらす可能性は無限大だって、一緒に習わなかったのかァ?」

 

 

 発火能力(パイロキネシス)とは、単純に発火現象を起こす能力である。

 そこに炎を自在に操作する、というニュアンスはない。例えば火炎放射(ファイアースロアー)という能力者は炎を直線上に伸ばすことが出来るが、これは純粋に火力と、炎の出現方式の違いだ。

 例えば生み出した火球をある程度操作するのはそこまで難しいものではないが、それも発火点の操作が根底にある。見た目で"炎を操っている"ように見えたとしても、その実態は全く次元の異なる話。

 

 

自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)かぁ‥‥」

 

「‥‥?」

 

 

 くりくりとした勝気そうな瞳を曇らせて俯いた佐天を、一方通行(アクセラレータ)は横目で怪訝そうに見る。

 声をかけるような真似は自分らしくない。というか本当ならこうやって普通に一緒に歩いているというのも考えられないことだ。

 ‥‥あァそォか、この女も、いつぞや会った巨乳で眼鏡の風紀委員(ジャッジメント)も、フワフワとした友人も、遠慮なく他人様の中に踏み入って来る。

 胸くそ悪いが、確かに今までそンな奴らは決して多くなかった。だからこそ、こうして自分は一方通行(アクセラレータ)というスタンスを崩さないままに、それでも困惑しているのだろう。

 

 

「学校でも何度も教わったんですけど、あたしって自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)についての理解が足りないみたいなんですよね。能力を発現するための根底条件って言うんですか?」

 

「‥‥まァそォ言えなくもねェな。能力を身につけるためには、先ず自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)の確立が必須条件らしィ」

 

「ですよねー。でも結局のところ、それって妄想みたいなものと何が違うのかなって。妄想で能力が生まれるなんて、馬鹿らしい話だと思いません?

 そりゃあたしだってお伽話やSFみたいな超能力を夢見て学園都市に来ましたけど、それでも科学ってのが根底にないとって意識があって‥‥」

 

 

 自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)

 それは能力者が能力を扱う基盤、感覚のようなものである。例えば野球選手がバットを振る時に、迫って来るボールを狙う時の感覚。音楽家が音というものを捉え、歌に、曲にする感覚。そんなものだ。

 但し、彼らがあくまで現実に即したものについて感覚を張り巡らせるのとは異なり、超能力者のソレは現実世界の感覚とは全く違う。

 むしろ現実世界の法則に縛られたままでは決して創り出すことは出来ない。科学の世界の代物でありながら、科学だけでは説明出来ないナニカ。実のところ、佐天の言うところである妄想というのも、あながち間違いではない。

 

 実際に超能力者の能力というのは、最初に確立する自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)がキーになっている。

 極端な話をすれば自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)が確立出来なければ能力は発現しない。土台が無ければ家は建たないのだ。

 それ故に、簡単に無能力者(レベル0)と括られている学生達の中でも、差が存在している。全く能力が分からない、能力者という階段の一段目にも足をかけられていない学生と、紛りなりにも能力が判明している学生とである。

 一度能力が発現すれば、そこから不確かであった自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)が確立されるというのも珍しい話ではないが、それでも多くの学生が低位能力者に甘んじているのは、やはり超能力者という異能力の難しさが原因なのだろう。

 

 

「ま、演算能力が拡大すればそっから自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)が生まれるっつー話もあるらしィからな。勉強しろ、中学生」

 

「勉強ェ‥‥」

 

 

 間違いなく学園都市で一番の演算能力を持つ超能力者(レベル5)の第一位にそう言われてしまっては、反論のしようがない。

 ただでさえ少林寺拳法の修行で学業の方面はあまり芳しくない佐天は、蛙が潰れたような声を出すしかなかった。

 

 

「‥‥つゥか、テメェ一体何処まで着いて来やがンだ?」

 

「逆にあたしこそ聞きますけど、何処行くつもりなんですか? まさかいつもゲーセンばっかりとか? でもこの辺りのゲーセンって、あまり雰囲気良くないって有名ですけど」

 

「あン? まァそンな噂も聞くな。俺には関係ありませンけどねェ」

 

 

 第七学区は広く、多種多様な学校が集まっている。

 例えば常盤台などに代表されるお嬢様学校が集まった『学舎の園』のような場所もあれば、逆にその地区全体が所謂底辺校と呼ばれる学校の集まりであったりすることも。勿論それだけの学校が集まっていれば、繁華街も広く、自然とテリトリーというものも発生するだろう。

 佐天が下校に使っている路から少し離れたところにある繁華街は柵川中学に一番近いが、そこは繁華街を挟んで反対側の学校の縄張りである。決して立ち入り禁止とおうわけではないが、他所物は地下よりづらい雰囲気があった。

 よって柵川中学は比較的おとなしめの生徒が集まっていることもあり、さらに反対側の、大きな繁華街を愛用している。以前に銀行強盗があった大通りも、ここである。

 

 

「ま、ブラブラしに来たってのもホントだが、今日は別の用事だ。このあたりの中華料理屋で面白いもの出すっつゥ話を聞いてな」

 

「おぉ、ゲロマズ料理ktkr」

 

「ンだよ、その生暖かい目は。別に誰かに理解される必要なンてねェンだ。そこに料理があるなら、食ゥだけだ」

 

 

 たった一回きりの出会いであったが、佐天の目にはしっかり焼き付いている。

 小豆と納豆、そしてチリビーンズという理解不能なトッピングをしたクレープを嬉しそうに―――おいしそうに、ではない―――食べる学園都市序列第一位の姿が。

 あれは衝撃的な光景だった。少なくとも、美味しいという方向性を求めるべき料理という概念に対する冒涜‥‥とまではいかなくても、十分過ぎるほどの反逆、謀反であろう。

 

 

「じゃあなんですか、一方通行(アクセラレータ)サンてば基本的に毎日ゲーセン行ったりご飯食べたりしてばっかりなんですか? うわぁなんて自堕落、羨マシス」

 

「だから実験もあるっつってンだろォが?! テメェに都合のいいとこばっか聞いてンじゃねェよ没個性ッ!!」

 

 

 佐天達が普段使っている繁華街とは異なり、この辺りは随分と狭い路地や少し古く煤けた建物も多い。

 学区の中心部や外部からのツアー客、賓客などが頻繁に見学に来る地域は徹底的な再開発が施されているが、やはり全てを近未来仕様へと改装するのは不可能であった。

 よって他の部分、周辺に対しての外縁部は殆ど昔ながらの東京や神奈川の町並みが残っている。もちろん第七学区も同じである。

 中央区の天高く聳えるビル群とは異なり、せいぜいが五、六階から高くても十階建てぐらいだろうコンクリート剥き出しで、洒落っ気のないビルが並ぶ。

 路地裏も安定の薄暗さだ。この辺りも大きな通りや公園はしっかりとドラム缶型の清掃兼警備ロボットが巡回しているが、流石に数が足りないのか、こんな路地裏まではやって来ない。

 一方通行(アクセラレータ)はそんな埃が目立つ路地を、すいすいとポケットに手を突っ込んだ猫背のまま進んで行く。

 決して速いわけではないから大丈夫だが、もしもう少し少年らしい大股な歩みであったなら土地勘のない佐天などあっという間に離されてしまっていたことだろう。

 

 

「おゥ、あったぜ。此所だ」

 

「‥‥なんか普通の寂れた中華料理屋ってカンジですね。あたしの実家の近くにも普通にありそう。こんなところに一方通行(アクセラレータ)サンのお目当ての品があるんですか?」

 

「あァ、間違いねェ。ひしひしと感じるぜェ、店主の放つ独特のオーラをよォ‥‥」

 

「‥‥オーラ?」

 

「俺が目指す"ああいう"料理を出すような店の主なんてのはなァ、『食えるもンなら食ってみやがれ』っていゥ挑戦的な歪んだ性格してやがンのさ、大概がな。

 しかも連中、その料理に絶対の自信を持ってやがる。要は同類、同胞を見極めてンのさ。同じ志を持った、仲間ってヤツだな」

 

一方通行(アクセラレータ)サンなら仲間って言葉が出るのも違和感バリバリな希ガス‥‥。ていうかどんだけ捻くれてんのよ、料理人ってのは」

 

 

 道連れの少年少女がたどり着いたのは、少し大きめの通りのさらに裏側にひっそりと建っている、見た目はごく普通の、本当にありきたりの中華料理店だ。

 ほどよく薄汚れていて、寂れている。おそらく誰もが認めるところの変人である一方通行(アクセラレータ)が注目する要素など、それだけでは何処にも見あたらない。何故か『冷ヤシ中華始メマシタ』というカタカナ交じりの暖簾が目立つ。

 

 

「おィ、覚悟はいィか没個性」

 

「だからッ! 誰がッ! 没個性かッ?! ていうかあたしも食べることになってんですか?!」

 

「‥‥テメェなンのために着いて来たンだ?」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉に、佐天は自らが許す限りの踏み込みで大きく一歩後ずさった。

 いや、確かにここまで調子に乗って着いて来てはしまったけれど、まさか自分も一方通行(アクセラレータ)と同じ料理を食べなければいけなくなるとは‥‥。

 特殊な食癖を持つ一方通行(アクセラレータ)と違って、佐天は極めて普通の味覚と食べ物の好みを持つ。まだ彼の好む料理には一回しか遭遇したことがないが、今回もアレに匹敵するものであることは間違いない。

 近い将来に確実に訪れる悶絶という結末を思うと、佐天はこめかみを伝う冷や汗を止められず、仕方が無しに嬉々として扉に手をかけた一方通行(アクセラレータ)に続き、言われてみれば何処はかとなく不穏な雰囲気を醸し出している中華料理屋の中へと入っていったのだった。

 

 

 

 



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第13話 『中華、白髪、胃袋崩壊』

 

 

「ごめン下さァい」

 

 

 ガラリ、と懐かしい音を立てて引き戸が開く。

 多くの扉が自動ドアへと変わっている学園都市では、佐天が通う柵川中学の教室の扉と合わせて、懐かしい響きだ。

 

 

「‥‥あれ、やっぱり普通のお店ですね。ちょっと香辛料の臭いがキツイけど」

 

 

 入った中華料理店は、外見に違わずごく普通のお店であった。

 中は小綺麗に掃除してあるが、流石に年季が入っているためか薄汚れている。近くのテーブルに触ると、足が擦れてしまっているのか、ガタガタと揺れた。

 壁には開店当初から貼り付けてあるのではないかと思う黄ばんだ紙にメニューが書かれており、机の上にも同じようなメニューが薄汚れたラミネートで挟まれて置いてある。

 椅子もテーブルと同じ軽い印象のある木製で、机と同じでガタガタしている。確かに若干不気味ではあるが普通には違いない。

 学園都市の多くの店とは異なり、おそらくは一般的な学生向けに営業しているわけではなさそうだ。メニューをチラリと見れば値段は決して高くはないが、大通りに軒を連ねるチェーン店ほどには安くない。これでは懐が寂しい学生のための店とはとても思えなかった。

 

 

(‥‥多分、学園都市が出来る前から細々と続いてるお店なんだろうなぁ。学園都市の方から補助金が出てるかもしれないし)

 

 

 迷いなく近くの席についた一方通行(アクセラレータ)に続き、佐天も彼と相対する位置にある椅子に腰を下ろした。

 ああ、先ほどは古びたとか寂れたとか失礼なことを考えていたが、そこまで悪いものではない。ファストフード店やファミレスでは味わえない、安心感や緊張感がある。

 アットホームな印象と、それと矛盾する未知への期待と不安。

 例えばクラスの皆と昼食に行く、という状況にはあまり馴染まない店だろう。少なくとも佐天のような女子中学生の団体がキャイキャイ騒ぐようなことを許してくれる雰囲気ではなさそうだ。

 しかし一人でフラリと立ち寄ったり、あるいは気心しれた友人と二人で与太話に興じながら食事をとったりするならば、やはりこういった店に限る。

 未成年は居酒屋というわけにはいかないだろうが、こういった定食屋が未だにしっかりと生き残っている理由にはそういうところもあるだろう。

 もっとも未だ老成した価値観を持つに至らない佐天では、そこまで気づけはしないだろうが。

 

 

「いらっしゃーいお二人サン、中学生カナ?」

 

 

 と、物珍しげに辺りを見回していると、目の前にホカホカと湯気を上げるお絞りが姿を現した。

 

 

「こんな時間に君達みたいな若いコが来るなんて珍しいネ。お昼ご飯食いっぱぐれたのカイ? だったらサービスしちゃうヨ?」

 

 

 首を横に回せば、そこにいたのは椅子に座った自分と殆ど目線の変わらぬ少女の姿。

 年頃はそれこそ、もしかしたら自分よりも下かと見まごうぐらい。国籍不明の胡散臭いコック帽を被り、エプロンをつけている。

 

 

「えーと、親御さんのお手伝いかな? 偉いね、学校終わったら遊びたいでしょ?」

 

 

 佐天が選んだ言葉は、彼女なりに状況を判断した結果、最善と思うものであった。

 この場に第三者が居合わせたとして、誰も彼女を責めることは出来ないだろう。しかし、目の前の少女は佐天の言葉を聞くと俄かに眉間に皺を寄せて顔を顰める。

 

 

「随分と言ってくれるじゃないカ、お嬢サン。こう見えてモ、君の倍は生きてル自信があるんだけどナ」

 

「‥‥へ?」

 

「見た目で人を判断しちゃいけないってママに教わらなかったのかナ? まったく、近頃の若い者と来たら皆が皆、君と似たようなことを言うんだカラ‥‥」

 

「え、えぇっ?! す、すいません失礼なことを言って‥‥」

 

 

 途端、しどろもどろになる。

 本来なら子どもの戯れと一笑に付すところだろうが、こうして相対して、言葉を聞けば、雰囲気からそれが本当であることがはっきりと理解出来た。

 信じられないが、おそらくはこの人こそが。

 

 

「‥‥なる程、噂の通りじゃねェか。『第七学区にはチビッ子が店長やってる中華料理屋がある』ってな。眉唾もンだと思ってたが、まさか本当とは」

 

「ウン? その口ぶりダト、もしかして君も“アレ”が欲しくて来たのカナ?」

 

「へェ、分かってンじゃねェか。そォいゥことなら、別にわざわざ注文する必要もねェみたいだな?」

 

 

 ニヤリ、と笑う一方通行(アクセラレータ)とチビッ子店長。

 ただならぬ雰囲気に、佐天は思わず口の端が「ゲッ」という形に歪むのを抑えられなかった。

 果てしなく嫌な予感がする。やはり着いて来ない方が正しい選択肢だったのかもしれない。

 

 

「フラリとウチに立ち寄る客と昔からの常連サン以外で来る連中ハ、大抵が麻婆豆腐カ、“アレ”目当てだからネ。君はどうやらアッチ側の人間ラシイ。

 ここ暫くご無沙汰だったカラ、腕が鳴るヨ。ちょっと待っててクレ、すぐ用意シヨウ」

 

 

 エプロンをまるでマントのように翻すと、小さな影はキッチンへと消える。

 ちょっと遠くて高さもあるから、店長の姿はカウンター越しにチラチラとしか見えない。たまに見えるコック帽の高さから判断するに、おそらくは調理場が特注のものなのか、あるいは単純に台を使って料理をしているんだろう。

 いくらあの人の調理スキルが高くても、身長差を覆すまでには至るまい。

 

 

「ちょっと一方通行(アクセラレータ)サン、一体ナニを注文したんですか?」

 

「黙ってな没個性。店長の粋な計らいってヤツを無碍にすンじゃねェ」

 

「はぁ?」

 

「いくら注文が分かりきってるからって、わざわざ口にしなかったのは理由があンだ。あのチビ、只者じゃねェ。テメェが“コッチ側”の人間じゃねェことまでしっかりと見破ってやがった。

 何が出るのか分かンねェ。そンなドキドキも食事のスパイスだ。俺ァもう何が出るか分かっちまってるから味ぐらいしか想像する余地がねェが、テメェは料理そのものへの期待感も味わえる。

 これこそ粋な計らいって奴だろ? あァ楽しみだ、今のウチから、どンなもンが出てくるかよォ‥‥」

 

「だめだコイツら、はやくなんとかしないと‥‥ッ!」

 

 

 その心意気は買うが、今の自分が抱いているのは期待感ではなく純然たる不安であるということに、何故気づいてくれないのか。

 もとより覚悟は決めて着いて来ているつもりではあるが、それにも限界がある。何より店内に漂う刺激系の香辛料の香り。嫌な予感を助長する。

 

 

「―――さぁ、お出ましだぜ」

 

 

 よたよた、と真っ白い物体が歩いてくる。

 くす玉ぐらいの大きさはあるだろうか。とても子どもの体で一抱えに出来るサイズではなく、ついでに言えば重量も相当にあるようでフラフラよたよたと左右に、前後に揺れている。

 

 

「‥‥何よアレ」

 

 

 弾力がありそうだが、ゼリーとは違う。おそらく杏仁豆腐でもなく、プリンでもない。

 ちくわぶよりも硬そうだ。けど、完全に硬いわけでもない。多分、あ流程度は柔らかいだろう。

 

 

「お待ちどぉアルっ! ご所望の『泰山特製ナルトケーキ』だヨッ!!」

 

「‥‥おぉ、なんという」

 

「きたきたきたきたきたぜェェ!!」

 

 

 ドン、と鈍い音を立ててその謎の白い物体がテーブルの上に置かれた。

 何故かホカホカと湯気を立てる、円柱状の食べ物。上から見ると歯車のような形をしていて、上面にはピンク色の渦巻き模様が描かれていて、眼に鮮やか。

 佐天がめいいっぱい腕を回しても、とても一抱えには出来ないくらいの大きさ。正直言って、トンデモない。

 

 

「‥‥なると」

 

「おゥ。これがこの店の名物、ナルトケーキだ!」

 

 

 ケーキ、というには些か疑問がある。

 正真正銘の鳴門巻きだ。それ以上でも、以下でもない。あえて“以上”の部分を挙げるとすれば、おそらくそれは純粋にサイズ。

 それが特注の皿にドンと乗り、しかも、何故かホカホカと湯気を立てている。いったいどういうことなのだろうか。

 

 そも、鳴門巻きとは鳴門海峡の渦巻きをイメージした模様がある、要は蒲鉾(かまぼこ)の一種である。

 つまりはこんな短時間で出てくるものじゃないし、そもそもケーキじゃない。ていうか先ずサイズがおかしい。

 何もかもがおかしい。ゲテモノ、と一概に言い切ることは出来ない絶妙な料理だが、とにかく色々と存在そのものに疑問符を感じざるを得ない料理だ。

 

 

「これは私自身が定期的に静岡に行って作って来てるんダヨ。アル程度保存が利くからネ。まぁ趣味で出してる料理だカラ、採算は無視してるヨ」

 

「え? だってさっき『腕が鳴る』って‥‥」

 

「こんな大きくて重いんだモノ、そりゃ運ぶの大変ダシ、腕も鳴るサ?」

 

「‥‥うわぁ」

 

「さぁ食べた食べタ。別に暖かいモノじゃあないガ、それでも早く食べた方がおいしいヨ」

 

 

 渡されたナイフとフォークを構えると、目の前の鳴門巻きは更に大きく見えた。

 ナイフが良いのか、特別な鳴門巻きなのか、決意も露わに切り込んだナイフはすんなりと入り、とりあえずは自分のためにカットケーキぐらいのサイズを取り分ける。

 ‥‥何の変哲もない鳴門巻き、のかけらだ。なんとかピンク色の模様の部分まではいきついたが、それも端っこだから殆ど真っ白い謎の物体にしか見えない。

 というかケーキと言ったわりにはクリームもフルーツも乗っかってないし、断面も真っ白で中に何も入っている気配はなく、正真正銘の鳴門巻き。

 こんなものラーメンに添え物のように乗ってるペラペラしたものしか食べたことがないのだが。よくよく思い出してみても、味どころか食感すら思い出せない。

 

 

「い、いただきまーす‥‥」

 

 

 それでも、出されてしまったものを残すのは良くないことだ。着いて来てしまった以上、料理を出されてしまった以上、しっかりと食べる責任と義務がある。

 昨今の若者には珍しい殊勝な心掛けのみを頼りに南無三と唱え、佐天は切り分けた鳴門巻きをフォークに刺し、口に運んだ。

 

 

「‥‥あ、おいしい」

 

 

 以前に見たトンデモなクレープを思い出して決めた覚悟は、しかし意外な方向に裏切られる。

 口に入れた鳴門は、予想に反して実にまともな味をしていた。

 食感は蒲鉾に比べると粉が多いせいか、プリプリというよりはもちもち。では硬くて噛みづらいのかと言えばそんなことはなく、食感を大事にしながらも、噛みしめる時にはフワリと舌にとろける。

 

 

「しかも、仄かに甘い‥‥?」

 

「成る程、ケーキの看板に偽りなしってェことか。良い仕事すンじゃねェか、店主」

 

「ハハ、褒めてもお茶ぐらいしか出ないヨ?」

 

 

 おそらく生地には甘いシロップが混ざっているのだろう。この水気も不思議な食感に一役買っているのかもしれない。

 一番近い味を挙げるならば、杏仁豆腐の優しい甘味。決して自己主張の強い甘味ではないが、だからこそ良い。

 これが本当のケーキのようにしっかりとした甘味をつけられていたら、おそらくはすぐに飽きてしまうことだろう。

 何のトッピングもないが、故にこの控えめな甘味が活きて来る。未だ食に関して年齢相応の未熟な感性しか持ち合わせていない佐天にも分かる、職人芸だ。

 

 

「うん、おいしい。素直においしい。一方通行(アクセラレータ)サンの選ぶ料理にこんなまともなモノがあるとは、驚きだわ」

 

「まだ一回二回しか体験してねェ癖に、一端の口を利きやがらァ。まだまだこンなもンじゃねェぜ、俺の目指す料理達の深淵って奴はな」

 

「‥‥今日は甘んじて受け入れたけど、出来れば謹んでお断りしたいところなんですけど」

 

「あーあー成ってねェなァ。未知のもンに怖気付きやがって、みっともねェったらありゃしねェ。そンなンだと低能力者(レベル1)への道も遠いぜェ?」

 

「“未知”と“道”をかけたつもりですか。誰が上手いこと言えと言ったか」

 

 

 一口、二口、不思議とフォークとナイフは止まらない。

 これほどまでに飽きが来ない味というのも十分に珍味の範疇だろう。まるで駄菓子や乾物のようだ。

 くどくない甘味も慣れてしまえば、店主が出してくれたハーブの香りのする暖かいお茶が洗い流してくれる。こちらも普通の店やチェーン店で出されるものとは、少し風味が違っていた。

 

 

「‥‥とはいえ」

 

 

 しかし、ネックはやはりその圧倒的なまでの量。

 武芸者を自認し、日々修練を怠らないがためにそれなり以上の大食漢女である佐天であるが、いくら飽きが来ない味といっても限度はある。

 ましてやその華奢な体躯から受ける印象に違わず、少食の気がある一方通行(アクセラレータ)は言うに及ばず。もともと肉類など重いものを好む彼だが、意外にも許容量はそこまで多くない。

 如何に学園都市序列第一位でも、満腹までは反射出来なかろう。もし出来たとしても、それはきっと何か別の概念だ。

 

 

「ちょっと、一方通行(アクセラレータ)サン」

 

「‥‥なンだよ」

 

「こういう料理だって分かってたくせに、どうしてそんなに少食なのよ。ていうかあり得ないでしょ、食べ切る自信も無いくせにこういう料理頼むとか、あり得ないでしょ。大事なことなので二回言いました」

 

「煩ェ没個性。そこに料理があったら、食うンだよ。食える食えないは関係ねェ、俺ァ一方通行(アクセラレータ)だ」

 

「駄目だコイツ本当に早く何とかしないと」

 

 

 とても美味しいデザートだったが、やはりサイズがサイズである。最初に見た時に十分、というよりは確定的に明らかだったが、これを二人で食べ切るには無理がある。むしろ無理しかない。

 一方通行(アクセラレータ)はもともと真っ白な顔をもはや青白くしてまで完食を目指して頑張っているが、時間の問題だろう。痩せ我慢ならぬ満腹我慢とはこれ如何に。

 もちろん佐天もとうの昔に限界だ。圧倒的な炭水化物の暴力である。今夜は体重計に乗らない方が賢明そうだ。

 

 

「‥‥ごめんくださーい」

 

「あン?」

 

「あれ?」

 

 

 さて、この白い巨塔をどう制覇しようかと二人して顔を見合わせた時である。

 食事時を完全に外し、人気のなかった店の扉が、ガラリと開く音がした。

 

 

「‥‥あれ? こんなところで会うなんて奇遇ってことです」

 

 

 フラリと現れたのは、この暑い盛りにも関わらず裾が足首近くまである白衣を羽織った男子学生。

 髪の毛は無造作に後ろに撫でつけられ、目は優しげだが光が灯っておらず、生気が感じられない。背はかなり高めだが、ふわふわと頼りなさげに揺れている。

 白衣の下に見えるのは、シンプルだが相当に仕立てが良い制服。胸ポケットの校章を見る人が見れば、名門中の名門である長点上機学園のものであることが分かるだろう。

 長点上機学園の生徒は無能力者(レベル0)でもそれなり以上の額の奨学金が出るから、こんな場末に現れるのは当然のように違和感があった。

 

 

「カ、カガリさん?! どうしてこんなところに‥‥」

 

 

 学園都市序列第六位、無尽火焔(フレイム・ジン)ことカガリ。本名不詳。学園都市最強の発火能力者(パイロキネシスト)である。

 誰もが認める奇人変人の類である一方通行(アクセラレータ)の親友は、不思議そうな顔でテーブルに座っている佐天と一方通行(アクセラレータ)を見ていた。

 

 

「いやぁ、僕の知り合いがココの麻婆豆腐の大ファンでね。たまに届けて貰ってるんだけど、流石に皿まで取りに来てもらうのは申し訳ないから、こうして返しに来てるってことです。君たちは‥‥あぁ、一方通行(アクセラレータ)、君がいるってことはいつもの病気かな?」

 

 

 言われてみれば、確かに片手には中華料理屋の出前がよく持っているおかもちが提げられている。

 もっとも学生服に白衣を羽織った奇抜な格好のカガリが持っていると、何の冗談だと思わざるをえない光景ではあったが。

 

 

「おィこら、テメェこンな店知ってンだったらどォして最初に俺に知らせなかったンだ?」

 

「いやいや、僕もこの店のメニューで知ってるのは麻婆豆腐ぐらいでね。まさか君が気に入るような奇抜な料理を出してるとは、思いもしなかったってことです」

 

「まぁメニューには載せてないからネ。口コミでしか知らないと思うヨ、これ目当てで来るお客さんモ。道楽でやってるメニューだカラ、名物にするつもりもないシ」

 

「僕もその方がいいと思うってことです。コイツみたいなのが珍しいんだから」

 

「煩ェ。俺ァ未知のものに挑み続けるチャレンジャーなンだよ。この崇高な趣味が分からねェ奴ァ、所詮その程度の人間ってこった」

 

「‥‥だとしたら、あたしはその程度の人間で十分です。そうだ、カガリさんもお腹に空きがあったら手伝ってくださいよ。コレ、とてもじゃないけどあたしと一方通行(アクセラレータ)サンじゃ食べ切れませんし」

 

 

 悪態をつく一方通行(アクセラレータ)を横目に、佐天は恥も外聞もなくカガリに助けを求めた。

 いや、確かにこの鳴門巻きは美味しい。美味しいけれど、とてもじゃないが二人で食べれる量では決してない。多分こっち方向に特化してるのが一方通行(アクセラレータ)の関心を買ったのだろう。

 ちくしょう、少しでもまともな料理と思ってしまったのが間違いだったのだ。あの鬼畜クレープのイメージがあったからストンと安心してしまったが、普通に考えれば最初から逃げ出しても不思議じゃないトンデモ料理だったというのに。

 

 

「‥‥うーん、そうしてあげたいのは山々だけど、僕は食べ物を食べられないってことです」

 

「は?」

 

「こういう食べ物はね、食べられないってことです」

 

 

 困ったように笑いながら、カガリは二人と向かい合うように椅子に腰掛けた。

 おかもちは既に店主が回収し、今は厨房で皿を洗っている。

 ‥‥おそらくあの香辛料のキツイ匂いは名物だとかいう麻婆豆腐が原因だろうと佐天は一人心の中で得心した。どれほどまでに辛いのだろう、カガリの持ってきたおかもちからも微かに匂いがするのだ。

 まっとうな客なんて殆どいないのではあるまいか。こんな料理ばかり出していてよくも経営がなりたつものである。

 

 

「僕には生まれつき、味覚と嗅覚が欠けてるんだ。だから今までまともに食事ってものをしたことがないってことです」

 

「じゃ、じゃあ栄養とかは‥‥?」

 

「別に食事じゃなきゃ栄養がとれないわけじゃないってことです。他にもいろいろと手段はあるだろう?」

 

 

 料理とは五感で味わうものだと、とある料理人は言った。

 視覚を見た目の美しさで満たし、食欲をそそる匂いで嗅覚を満たし、焼ける音、したたる肉汁、氷のはじける音で聴覚を満たし、その触感で触覚を満たす。もちろん味は、味覚そのものだ。

 だがカガリはその内、最も大事な味覚と嗅覚が生まれつき存在していない。さらに言えば、触覚もかなり鈍い。物を持ったり握ったりするのはかなり苦手な方である。

 それらは彼自身の出自に密接に関係しているが、彼はその感覚を味わったことがないために、さして不自由と思ったことはなかった。だからこそ佐天の複雑な視線も、困ったように笑うしかない。

 むしろ一方通行(アクセラレータ)の食事に付き合わされた数少ない幾人かが辿った末路を見ると、味覚なんてものは無くて良かったのではとも思っていた。

 

 

「そんなわけだから、僕の体は食べ物をとるようには出来ていないんだよ。申し訳ないけど、手伝えそうにはないってことです」

 

「トホホ、結局これ全部しっかりあたしたち二人で食べなきゃ駄目ってことか‥‥」

 

「泣き言抜かすな没個性。出されたもンは、黙って食うンだよ」

 

「そう言ってる一方通行(アクセラレータ)サンは全然スプーンが進んでないみたいですけど?」

 

 

 希望が絶望に変わり、一気に食欲が失せてしまう。

 なにより付き合わされた自分が頑張って食べているのに、頼んだ張本人の一方通行(アクセラレータ)の方が食べている量が少ないのは納得できない。

 いや、明らかに自分の方が食べられる量が多いことは分かっているのだ。しかし、それでも感情が納得してくれないのである。

 

 

「おやおや、やっぱり食べられなかったカ。まぁ君たちを見た時から予想はしていたけどネ」

 

「‥‥煩ェ、俺ァまだ食えンだよ。放っときやがれ」

 

一方通行(アクセラレータ)、親切心から忠告するけど強がりは止めた方がいいってことです。君も流石に満腹までは反射出来ないし、体調不良も同じだろう?」

 

「だから、煩ェっつってンだろォが」

 

 

 自身の矜持(プライド)に賭けて何とか完食するつもりらしいが、一方通行(アクセラレータ)も明らかにこの辺りが限界である。

 付き合わされている佐天も佐天で限界スレスレであるが、食べ物を食べないカガリは楽しそうに二人が苦しむ様子を見ていた。なんというか、性格が悪いわけではないんだが、愉快犯であることには違いない。

 

 

「まぁカガリ君が言う通り、この辺りが限界ダロウ。お嬢サン、良かったら持ち帰る用にタッパーでも貸してあげようカ?」

 

「え? いいんですか?」

 

「君も彼も、興味本位とはいえ美味しそうに食べてくれたからネ。趣味人としては食べきれないのを見るのは寂しいガ、料理人としては悪い気はしないヨ。カガリ君と知り合いナラ、彼に返してもらえば良いしネ」

 

 

 間違ってもコレに使うモノではない大きな中華包丁で器用に、綺麗に切り分けていく。

 瞬く間に小さめの三角形に切り分けられた鳴門巻きが、タッパーに収まり、なおかつ布巾で上品に包まれた。

 

 

「‥‥って、なんで一つしかないんですか」

 

「そっちの彼は持って帰っても食べないだろうシ。どうせならお友達とかにも分けてあげて欲しいナ。せっかく作ったんだからネ」

 

 

 かなり巨大なタッパーだけど、言われてみればコレは保存が利くし、お腹いっぱいで食べられなくなってしまいはしたけど飽きがくるようなものではない。

 初春や寮の友達に分ければ問題はないだろう。どうせ一方通行(アクセラレータ)の奢りだ。自分の懐は痛まないし。

 

 

「じゃ、じゃあ、ありがたく頂きます」

 

謝謝(シェイシェイ)。何か誤解されてるかもしれないケド、ちゃんと普通の料理も置いてるからネ。もし気に入ってくれたら、他の料理も食べに来てくれるとうれしいヨ」

 

 

 佐天の隣で座る一方通行(アクセラレータ)は既に出された暖かいジャスミンティーを啜り、退席ムードに入っている。

 いつの間にか店主とのコミュニケーションを任されているのが自分だけという状況に、佐天は釈然としない感情を覚えた。一人で家にいるよりは有意義かもしれないが、これもこれでどうなんだろう。

 

 

「じゃあ、ここら辺でお暇しますね。一方通行(アクセラレータ)サン、どうするんですか?」

 

「‥‥俺も帰る。教は十分楽しンだ」

 

「君もまた来てヨ。何か面白い料理があったラ、教えてあげるカラ。カガリ君、彼女にもヨロシク」

 

「また来ますよ。暫くしたらまた食べたくなるに決まってるってことです」

 

 

 当然のように一方通行(アクセラレータ)が勘定をして、店を出る。

 どれぐらいの時間をあの中華料理店で過ごしていたのだろうか、いつの間にか外は夕暮れ時で、学園都市に夜の闇が訪れつつあった。

 中央区のビル街ならば夜でもそれなりに明るいが、やはりこの辺りはこの時間になると人通りも少なくなり、古い建物の明かりは消える。街頭も心なしか薄暗い。

 

 

「‥‥チッ、もォこンな時間か」

 

「面倒な時間帯になっちゃったってことです」

 

「へ?」

 

 

 チラリとこちらを見て渋面を作った二人に、佐天は怪訝な顔をして首を傾げた。

 確かに暗くなってから外を出歩くのは、あまり褒められたことではない。学園都市に来る前の門限は時間に関係なく、日が落ちるまでだった。

 しかし学園都市の学生達は基本的に親元を離れてここに来ている。自然と羽目も外しがちだし、夜遊びだってそこまで珍しいわけではない。

 もちろん完全下校時刻を過ぎれば警備員(アンチスキル)や警備ロボットのお世話になるわけだが、流石にこの時間はまだ全然学生たちの時間だ。もちろん遊び惚けるのは決して褒められたことではないが、ことこの二人がそんなことを気にするキャラには見えなかった。

 

 

「おィ没個性、テメェ家はどっちだ?」

 

「え? あ、いや、ここから東の方に二十分ぐらい歩けば着きますけど‥‥」

 

「ふむ、どうしたものかってことです。今すぐ別れるべきか、あるいは家まで送るべきか‥‥」

 

「‥‥研究所の方からメールが入ってる。次の実験に行くには中央区の駅からモノレールに乗る必要があンな。

 仕方がねェ、方向が一緒だから途中までは行ってやるか」

 

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉に、さらに不可解は募る。

 女性を家まで送るのは男性としてのマナーだろう。しかしこの二人が―――カガリはさておき―――そういうことを知っていたとして実行するかと言えば‥‥微妙。

 

 

 

「‥‥何かあるんですか?」

 

「別に、何もねェ。何もねェなら、俺らも手間ァかかンなくて都合いいンだけどな」

 

「ちょっとちょっと、それって何かあるって言ってるようなものじゃないですかっ?!」

 

「だから、何もねェかもしンねェだろォが」

 

「まぁ寝覚めが悪くなるようなことがあるのは、僕らとしても本意じゃないってことです。それにしても一方通行(アクセラレータ)、君が彼女に気を使うなんてことがあるとは‥‥もしかして、ホの字ってヤツかな?」

 

「バカ言うンじゃねェ、消し飛ばすぞコラ。ただ後始末が面倒くせェ、そォ思っただけだ。コイツが巡り巡って俺のとこに厄介呼び込むかもしンねェだろォが」

 

「ツンデレ乙」

 

「は? おィこら没個性、テメェ今なンて言いやがった?」

 

「あ、ごめんなさい、つい口が自然と。‥‥とりあえず駅まで一緒に帰ればいいんですよね?」

 

「なァンでテメェが俺らに付き合うみてェになってンだよ。逆だ、逆。ありがたくも学園都市の第一位サマが送ってやるンだ、這い蹲って礼を言うのが基本だろォが」

 

「それだけは、死んでも嫌」

 

「じゃあ死ねクソアマッ!!」

 

 

 何故か仲良く帰ることになってしまった三人はじゃれ合いながら足早に道を進んだ。

 佐天の軽口に反応した一方通行(アクセラレータ)が叫ぶたびに小石やら小枝やらが飛び交い、それを見事なスウェーで佐天が器用に避ける。周りに人がいないからか、お互い遠慮がなかった。

 もちろん一方通行(アクセラレータ)が本気を出せば、いくら武道を嗜んでいるとはいっても佐天ぐらい簡単にボロ屑へと変えられる。

 そう考えると、彼は自分の意思でもって、それなり以上の手加減をしているのだろう。二人の隣でたまに流れ弾を喰らいながら、カガリは呑気にもそんなことを考えていた。

 

 

(‥‥まぁ、彼女が特別ってわけでもないだろうけどってことです)

 

 

 学園都市序列第一位。

 例えば学力で一番とかスポーツで一番とか、そんなことなら大したことではなかっただろう。学力と運動神経は比べられない。歌唱力と手先の器用さは比べられない。他と比べることの出来ないカテゴリーは、その中だけで完結する。

 けれど、“学園都市序列第一位”という肩書きが意味するところは、それらのどれとも全く以て異なるものだ。

 

 他のどれとも比較出来る、同じ土俵に立てるもの。それは、暴力、あるいは最も単純な“力”という概念だ。

 本来なら比較出来ないものを、暴力は組み伏せ、吹き飛ばすことが出来る。故に暴力、力による君臨は万人に価値がある。

 価値があるということは、誰もがそれを認め、ともすれば求めるということだ。力を表す最も単純な指標は、既に学園都市に存在している。それは能力者達の、序列だ。

 

 学園都市の序列は基本的に能力の強度(レベル)と威力、そして有用度で決定される。

 主に身体測定(システムスキャン)の結果がこの序列の基準となるが、決して頻度は高くない。むしろ低い方だといえるだろう。

 だとすれば可能な限り早く“成り上がる”ためにはどうすればいいだろうか? 答えは決まっている。しごく簡単だ。

 

 

「‥‥おィ」

 

「なんだい?」

 

「やっぱりこうなったじゃねェか。だからとっととポイして俺らだけで帰りゃ良かったンだ」

 

「一緒に帰るって言ったのは君ってことです」

 

「煩ェ」

 

 

 下の地位の人間が上の地位へと成り上がる簡単な方法は、即ち上の地位の人間が下の地位へと下って来てくれることだ。

 努力するよりも、上の人間を引きずりおろすことの方が簡単だと思うのは、自分に自信の無い人間の常套手段である。しかし、こと相手が学園都市序列第一位だとするのならば‥‥あるいは逆に、根拠のない自信があるのだろうか。

 

 

「え?! ちょ、ちょっとなんですかこの人達?!」

 

「あァ、ダチだよダチ。よく遊ぶンだ、この辺りで一緒によォ」

 

「明らかにそんな雰囲気じゃないんですけど?!」

 

 

 気がつけば佐天達は、五人ほどからなる集団に取り囲まれていた。

 男が四人、女が一人。着崩した学生服や私服姿で、統一性はないが揃って敵意に満ちた視線を佐天達、というよりは一方通行(アクセラレータ)に放っている。

 

 

「‥‥まぁ予想はしてたってことです。佐天涙子さん、覚悟は出来ているかな?」

 

「へ? へ? へ?」

 

 

 この辺りはこの時間になると建物の中にも人はいない。

 ましてや人通りも当然のように無く、ソワソワと不安そうに辺りを見回す佐天を余所に、五人の学生はじりじりと一方通行(アクセラレータ)達へと距離を詰めてくる。

 

 佐天の知らない学園都市の暗い部分が始まりを告げていた。

 

 

 

 

 



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第14話 『跳躍衝撃、重力操作、一方通行』

原作で第六位の存在が示されましたね。いつかは来ると思っていましたが‥‥!
まぁ気にせずに頑張ります!


 

  

 

「‥‥学園都市序列第一位、一方通行(アクセラレータ)。学園都市序列第六位、無尽火焔(フレイム・ジン)で間違いないな?」

 

 

 人通りの殆ど無い、第七学区西の方の路地。

 学生達が中央区へと向かう途中の通り道にあるこの区域は、学生達がちょうど下校する時間帯を過ぎてしまうと殆ど建物が店仕舞をするので、本当に人気がない。

 心なしか街灯までも薄暗くなり、警備ロボットの巡回の間隔も長くなる。

 つまり何か後ろ暗いことをするには、絶好の場所になるということだった。

 

 

「まぁ、その通りってことです」

 

「で、だとしたらお前らは何処のどちら様なンですかァ?」

 

「答える必要は、あるか?」

 

「‥‥うわぁ、なんて傲慢。自分から質問しといて返さないとか、失礼にも程があるってことです」

 

 

 大通りだというのに人通りの絶えたアスファルトの上に、総勢八人の男女が立っていた。

 五人の男女に囲まれるように、三人組。それぞれがそれぞれ、奇抜といえば奇抜、普通といえば普通の格好。だが放っている雰囲気は、そこら辺を歩いている凡百の高校生や中学生とは比べものにならない。

 

 

「ま、分かりきってるっちゃあ分かりきってるがな。最近、どォも俺らに突っかかってくる連中が少ねェと思ったが、出待ちしてやがったってェことかよ」

 

 

 口を開いたのは、白髪赤目の一際目立つ少年。

 猛禽類の爪を思わせる黒地に白のブランドTシャツと下半身にフィットしたジーンズを着込み、華奢な体躯でしっかりと大地を踏みしめ立っている。

 囲む男女に向ける視線は、殺気すら籠もっていない自然なものだというのに、恐ろしいぐらいに胡乱である。まるで、この場の支配者であるかのように。

 

 

「あぁ、そういえばお客さん少なかったね。何か、手でも回してたのかなってことです」

 

 

 白衣を羽織った長身の青年が言う。

 堂々とした白髪赤目の少年、一方通行(アクセラレータ)に比べて、まるで案山子のようにフラフラと頼りない。吹けば倒れる、という言葉がこれほど似合う人間もそういないことだろう。

 

 

「ちょ、ちょっと二人とも、なんですかお客さんって! なんですか出待ちって?! 一体どういうことなんですかこれはっ?!」

 

 

 と、それでも場慣れしている二人に比べて、明らかに気怖じしているセーラー服の少女が叫んだ。

 背の中程まで伸ばした黒髪に、白い花びらの髪飾りがアクセントになっている。意志の強そうなキリリとした眉とはっきりとした瞳が特徴的だが、他の二人とは違い、ごく普通の女子中学生といった様子である。

 

 

「いやぁホラ、僕ら一応は学園都市の頂点というか、一番上の番付にいるわけでしょ?」

 

「俺らを倒して名を挙げようってェ前時代的なこと考える連中がまだ多いンだよ。丁度こンな時間帯に、こンな場所でな」

 

「‥‥うわぁ、今時そんなこと考える人ってまだいたんだ。ていうか立派な学則違反じゃん、そんなことやって本当に序列が上がるの?」

 

「さァな、負けたことねェから分かンねェし、少なくとも今の超能力者(レベル5)で、そォいゥやり方の下克上した奴ァいねェはずだが」

 

 

 学園都市での能力研究のお題目は、科学の発展である。

 実際に高位能力者は研究所や企業での実験などに従事することで学園都市と科学の発展に貢献するし、そも超能力とは科学に根ざした技術だ。

 ただでさえ学生の脳みそに電極を刺してむにゃむにゃという一歩間違えれば非人道的なことをやっているのだから、学術研究や人間という種族の発展という立派なお題目が無ければ許されない。

 しかし能力者の強度(レベル)を表す例えに軍隊での貢献度、軍事上の利点を用いることが多いように、超能力は戦闘、戦略といったものから切り離すことは出来なかった。

 

 もちろん透視能力者(クレヤボヤンス)読心能力者(サイコメトリー)など戦闘に不向きな能力もあるが、おおむねその通りである。

 ならば能力者同士の優劣が、学園都市が定める序列に加えて、腕っ節によって付けられようとするのは至極単純明快なことだろう。

 それが正しいことか、実際に学園都市に認められることなのかはさておいて、短絡的にそう考える学生達が少なくないのは覆しようのない事実なのだ。

 

 

「‥‥あまり我々を見くびってもらっては困る、一方通行(アクセラレータ)

 

「あン?」

 

「貴様を倒せば単純に序列が覆るなど、思ってはいない。学園都市の定める学則、能力やそれに関する種々の定義は盤石だ。イレギュラーなことが幾つか起こったぐらいでは揺るがないだろう」

 

 

 一歩、他の者に先んじて歩み出たんのは金髪の青年。

 鮮やかなその髪の色は、おそらく染めたモノではなく天然。水底のように澄み、湖底のように冷たく凍りついた蒼い瞳がその予測を肯定する。

 学園都市最強の男を前にして僅かも気圧されない様子は、それなり以上の自信と矜恃を思わせる。

 

 

「てゆーか、そもそもそーいうつもりなら1人で来ますってーの。手柄が集中しないでしょーに。アンタ倒した後に共食いなんて笑えないーわ」

 

「‥‥へェ、じゃあ数に頼ってでも俺を倒してェ理由があるってことかよ?」

 

「そうゆーこと。こういう無様なことは、本当ならしたくないーの」

 

 

 洗いざらしのTシャツにボロボロのミリタリーパンツというラフな格好をした女が、これみよがしにガムを膨らませた。

 バンダナで頭の上半分をしっかりと覆い、余った髪は結び目の上から尻尾のように出している。一方通行(アクセラレータ)に負けず劣らず、胡乱な目つきに不適な笑みだ。

 艶のある黒髪が、まるで鴉の濡れ羽である。もっとも鋭い眼差しと油断ない立ち姿は、猛禽類とでも言うのが相応しい。

 

 

「そんな仲悪くて、よく僕らに挑む気になったってことです」

 

「生半可な覚悟じゃねぇんだわ、俺たちもな。こんな腐った街じゃ、こうでもしねぇと何も変わらねぇんだな」

 

「はぁ、どういうことなんだか、僕にはよく分からないってことです」

 

「別に徒党を組むのが嫌というわけじゃないがねぇ。もとより、一対一じゃ君らに勝てないことぐらいは分かってるんだよぅ」

 

「情けないと思われたッて構わないのサ。そういう連中が集まッてここにいるんだから」

 

 

 短くて固そうな髪の毛をツンツンと逆立てた少年は、ことさら真剣に構え、カガリ達の隙を狙っていた。

 全体の総意さえ取れれば、今すぐにでも飛びかかってしまおうと考えているのは明らかである。

 彼に続いて口を開いた薄手のブレザーと、学ランを腰に巻いた少年もまた同じ。しかし、それでもしっかりと統制は取れているのが本気の度合いを伺わせた。

 

 

「貴様は強すぎるんだよ、一方通行(アクセラレータ)。いや、貴様に限らず超能力者(レベル5)という存在が、遠すぎる」

 

「‥‥はァ」

 

「貴様は自覚したことがないだろうな。貴様ほどの能力者になれば、我々のような下の立場にいる能力者のことなど、気にもかけないだろう。

 しかし今の学園都市は、貴様たち超能力者(レベル5)の圧倒的な力の前に淀んでいる。いや、お前たちだけではないか。先行きが不透明な、この都市の体制そのものが原因だ。

 我々はそれを打開すべく、お前を倒す。二つの目的が、利害が一致した同志だよ。個々人の名誉のためではない、学園都市の未来のために集ったのだ」

 

 

 芝居がかった大仰な仕草で、腕を広げる。そんな彼を一方通行(アクセラレータ)は馬鹿らしいと嘲りながら、カガリは興味深そうに、佐天は何が何やら分からずキョトンと見ていた。

 

 学園都市では全ての学生の能力のデータが書庫(バンク)に保管されている。それには原則として一つの例外もないが、では全ての情報を全ての学生が閲覧出来るのかといえば、話は異なる。

 それなりに高い閲覧権限を持つ風紀委員(ジャッジメント)ですら一般の生徒の能力と所属が関の山で、警備員(アンチスキル)にしてもその範囲が少し広がり、住所が表示される程度だ。

 本当に重要な能力者、乃ち超能力者(レベル5)や暗部と呼ばれる学園都市の裏の世界の住人達は、一般の人間では決して覗けぬ深淵に隠されていた。

 特に学園都市の最高位である超能力者(レベル5)は半分が能力名だけ知られている状態であり、多くの学生に知られているのは精々が二人か三人。

 もちろん一方通行(アクセラレータ)とカガリも、書庫(バンク)に能力名と顔写真こそ載っているが、そもそも一般の学生には正当な理由のない書庫(バンク)への接続(アクセス)権限はないから、知られているわけがない。

 

 

「‥‥ハッ、馬鹿馬鹿しい。圧倒的な格の違いがあるから超能力者(レベル5)っつゥンだろォが。羨ましいンですかァ、負け犬サンよォ?」

 

「ふざけてんじゃないのーよ。アンタ達の理屈、学園都市の理屈じゃそうかもしれないけーど、実際それが学園都市の腐敗の原因になってるってわけーよ」

 

「どういうことだか、よく分からないってことです」

 

「圧倒的な強者がいるとな、そこに行こうっていう気がなくなるんだな。憧れるだけじゃ、能力は上がらない。

 結局のところ上を目指すというよりは、前後の強度(レベル)でやり合うだけなんだな。そんなのは学園都市が目指す状態じゃない」

 

 

 超能力者(レベル5)

 学園都市の六つある序列の最高位であり、軍隊において戦略的価値を持つと言われる大能力者(レベル4)に対して、超能力者(レベル5)は軍隊を相手に立ち回れる存在だと定義されている。

 もちろん大能力者(レベル4)も十分過ぎる程に強力な能力者だ。装甲車を一撃で破壊する火球を生み出し、濁流で何もかもを薙ぎ倒す。風の噴射点を作ることにより、タンクローリーを砲弾のように発射出来る者もいるのだ。

 しかし、それでもなお超能力者(レベル5)大能力者(レベル4)強能力者(レベル3)に比べて隔絶した能力を持っている。それは誰もが認めるところだろう。

 

 

超能力者(レベル5)は学園都市の頂点だぁ。たった七人しかいないそいつらを、徒党を組んだとはぁいえ俺らが倒したらどうだぁ?」

 

「それが広まったらどうだい、超能力者(レベル5)といえども、普通の能力者で勝てない存在じゃないッて思うことだろうサ。ボクらの望みは、それサ」

 

 

 たった七人しかいない、超能力者(レベル5)。その中でも公に存在が公表されている学園都市序列第三位。超電磁砲(レールガン)

 その威力は、おそらく報道などで殆どの学生が一度は眼にしたことがあるのだろう。もしかしたら直接見た者もいるかもしれない。

 一直線に目標へと向かう、閃光。向かう途中のものを暴風と溢れ出た電撃と共に薙ぎ倒し、貫く大技。どんな大きなものも、どんなに重いものも、全てを吹き飛ばし、貫く光。

 ただ圧倒される威力。格の違い。あれほどまでに超能力者(レベル5)という存在を表すものはない。

 

 

「貴様達を倒し、全ての学生に前を向く力を! 学園都市を、前へ、未来へ進める力をッ!」

 

「―――ッンだとォ?!」

 

 

 リーダーの金髪が、力強く大地に脚を振り下ろす。

 途端、疾る衝撃。

 路地の両側のビルについていた、エアコンの室外機が外れ、勢いよく三人へと襲いかかった。

 

 

念動能力者(サイコキネシスト)かァ?!」

 

「さぁどうだろうな! それよりも、私ばかりに気を取られていて大丈夫なのか?」

 

「ちィッ!!」

 

 

 大きく飛び退った三人がバラバラになったのを見てとるや、残りの二人を一瞬横目で見たために気が逸れた一方通行(アクセラレータ)に、もう一人の男が飛びかかる。

 小柄だった、学生服を腰に巻いた男。何の能力かは分からないが、体は常の倍以上に膨れ上がった筋骨隆々。丸太のようになった右腕を大きく振りかぶり、一方通行(アクセラレータ)へと迫った。

 

 

「貰ったァァアアアア!!」

 

「―――させますかってぇの!」

 

 

 だがしかし、一方通行(アクセラレータ)に届くはずだった拳を寸前で防ぐ、二人の間に潜り込んだ小柄な影。

 突き出された拳を触れるようにとると、そのまま回転、筋骨隆々の巨体と化した少年をいとも容易く担ぎ、一方通行(アクセラレータ)へと向かっていた力の方向を真横へと逸らし、投げ飛ばす!

 

 

「ぬぁぁああッ?!」

 

「五対一か五対二かは知らないけど、多勢に無勢を見て見ぬふりするのは趣味じゃないんだよね。

 二人とも、余計かもしれないけど一枚噛ませてもらいますよッ!」

 

「あらら、どうする一方通行(アクセラレータ)?」

 

「‥‥知るか。テメェで首突っ込ンだンだ、テメェのことぐらいテメェで守りやがれ」

 

「上等!」

 

 

 俗に言う、一本背負い。柔よく剛を制すとはいえ、自分の倍はあろう体格と体重を持つ相手を投げ飛ばすのは、並大抵のことではない。ましてや、相手が今まさに殴りかかる寸前という瞬間的な状況では。

 自分の身につけた技に自信があるのか、あるいは強がりか。

 佐天は右腕を大きく振るって気合を入れると、不敵な笑みを浮かべて半身に構えた。

 

 

「‥‥なんなのサ、キミは。ボクらの邪魔をするのか?」

 

「あたしの知り合いが襲われてて、黙って見てられますかっての。義を見て為ざるは勇無き也。我ら真の勇者たらんことを帰すってね」

 

「ボクはキミに興味がないんだけどサ。‥‥立ちふさがるというなら相手するまで。キミを倒してあの二人に挑むとしよう。

 参考までに聞いておこうか。キミの強度(レベル)は?」

 

無能力者(レベル0)ッ!!」

 

 

 一息に踏み込み、刹那の内に放った足刀が水月と呼ばれる急所に直撃する。

 だが、男に微塵も揺らいだ様子はない。分厚い筋肉の壁が、矢のように放たれた鋭い蹴りをしっかりと受け止めていた。

 

 

「‥‥無能力者(レベル0)? 学園都市の最底辺で、強能力者(レベル3)のボクを相手にする気か?」

 

「たかだか強能力者(レベル3)で威張ってないでよね。あたしの知り合いには超能力者(レベル5)が三人と大能力者(レベル4)が一人いるけど、少なくともアンタよりは随分と謙虚なのにさ。

 それに、見くびるのも程々にして欲しいかな。あたしが無能力者(レベル0)だからって、あたしが弱い証明にはならないっしょ?」

 

「‥‥ふん。それだけ吠えることが出来るならサ、一方通行(アクセラレータ)無尽火焔(フレイム・ジン)と同じくらいにはボクを楽しませてくれるんだろうねぇ?!」

 

「だから上等って言ってんでしょーがッ!」

 

 

 唸りを上げて迫る剛腕を大きく屈伸して避け、佐天と男は急速に残りの六人から離れていく。

 無能力者(レベル0)強能力者(レベル3)。この二つの強度(レベル)の間には大人と子どもに近い力の差があるというのに、佐天には一切の怖気付いた様子はない。

 そんな知人を横目でチラリと見て、一方通行(アクセラレータ)はこれみよがしに溜息をついた。

 誰も近くに寄せたくないと思っていたのに、どうしてこういう特殊な連中に限ってゾロゾロと徒党を組んで近づいてくるのだろうかと。

 

 

「‥‥ヤツの能力は『身体強化(レイズ・ポテンシャル)』。その名の通り、自分の身体能力を大幅に引き上げる能力だぁ。

 彼女も何某かの心得があるみたいだねぇ。けど、ヤツが相手じゃあ、ちょっと相性が悪いんじゃないかぁ?」

 

「さぁて、どうだろうね。あのコも考えなしに突っ込んだわけじゃないだろうってことです。勝算があるから戦いを挑んだんだろうさ」

 

 

 もっとも、彼女が本当に何の勝算もないのに義によって戦いを選んだというのなら‥‥。

 それはどれほどまでに無謀なことだろうか。どれほどまでに、気高く貴いことだろうか。

 カガリはそんな難しい精神を理解するという成熟した感性を持ち合わせていなかったが、不思議とその姿に、心が昂ぶるのを隠せなかった。

 

 

「‥‥やっぱりまだ子どもっぽいのかな、僕も。お兄さんだってのに、まだまだってことです」

 

「何を言ってるのか知らないがぁ、丁度二人づつで

別れそうだなぁ。相手してもらうぞぉ、無尽火焔(フレイム・ジン)

 

「ふむ、あのコの言葉を借りるなら、“上等”ってことです。思う存分やり合おうよ、挑戦者(チャレンジャー)

 

「そんな余裕な態度が、どれぐらい続くかしらーね!」

 

 

 ユラリと不気味な程に身軽な動きで距離をとったカガリを、ブレザーの男とバンダナを巻いた少女が追いかける。

 すぐに能力を発動したカガリの爆炎が周囲を包み、何も見えなくなってしまった。超能力者(レベル5)が本気で能力を発動すればご覧の通り。

 焔に包まれた街路樹が松明のように燃える。立派な環境破壊だが、一方通行(アクセラレータ)とカガリはそんなものに気を遣って戦ったことなど一度もなかった。

 

 

「‥‥あの野郎、俄然張り切ってやがンな。普段はフラフラしてるくせに俺よりも喧嘩っ早ェンだからよォ」

 

「貴様も余裕だな、一方通行(アクセラレータ)ッ!」

 

「そりゃ余裕だろォが。こンなの日常茶飯事だ。いつものことだっつゥの」

 

「成る程、では私が貴様に、最初にピンチを送る者となってやろうではないか! 吹き飛べッ!」

 

 

 再び大地を踏み付ける、金髪の男。

 その衝撃に呼応するかのように、今度は一方通行(アクセラレータ)の隣に立っていた街灯が真ん中からへし折れ、小柄な第一位を下敷きにせんと倒れて来る。

 

 

「ハッ、面白ェ能力だが効かねェなァ!」

 

「‥‥成る程、噂は事実だったか。第六位もそうだが、お前もありとあらゆる攻撃が効かないと」

 

 

 だが、一方通行(アクセラレータ)に当たった街灯が彼を傷つけることはない。

 一方通行(アクセラレータ)の頭に触れた瞬間に、街灯は根本から不可思議な方向へと吹き飛ばされる。もちろん、白髪の少年は小揺るぎもしなかった。

 

 

「まぁ、そのぐらいは予測してた範囲なんだな」

 

「‥‥あぁ、そうだった」

 

「俺達だって覚悟して来てるはずなんだな。だったら、躊躇う必要なんてないはずなんだよな!」

 

「―――ッ?!」

 

 

 大気が、いや、空間が歪む。

 一方通行(アクセラレータ)は驚愕した。自分にかかる重力というベクトルが、急激に増加したのだ。

 

 

「ちィッ、味な真似ェしやがって‥‥!」

 

「俺の能力は単純明快、『重力操作(グラビトン)』なんだな! 一定空間内の重力を操作出来る、大能力者(レベル4)なんだな!

 ‥‥どうも、あんまり効いてないみたいだけど。ちょっと自信なくなるんだな」

 

 

 自身の体にかかるベクトルを瞬時に計算し、その方向を変換する。

 一方通行(アクセラレータ)にはベクトルの大きさ、スカラーまでをを操ることは出来ない。重力を大雑把に体全体にかかるベクトルと捉えた場合、これを弄ると下手すれば空へと舞い上がってしまう。

 勿論ベクトルというものは、その一部だけを操るなんてことが出来る存在ではない。一方通行(アクセラレータ)の頭脳を以てすれば決して困難なことではないが、一般的な能力を相手することに比べると遙かに厄介であった。

 

 

「ちくしょう、面倒臭ェ。こンなことなら少しぐらい体鍛えとくべきだったぜェ!」

 

 

 重力ベクトルを体の各所で分散して把握、計算。

 可能な限り身体に負担がかからないように注意しながら、上手にそれを分散、流していかなければ立っていることもままならない。

 勿論、可能だ。その計算自体は全く問題なく行える。しかし、相手は重力ベクトルである。どれだけ拡散、分散しても負担自体は無くならないのだ。

 殆ど鍛えることをしていない一方通行(アクセラレータ)にとって、どうしようもない苦行であった。耐えられない程ではないが、常人にとって分かり易い例えを用いると、マラソン中ぐらいの負担はかかる。

 

 

「成る程、貴様も流石にこれは堪えるようだな。だがそれだけではないぞ、私と二人で挑んだ理由を、思い知れ!」

 

「やってみろよォ三下ァ!!」

 

「ならば見るが良い、一人の能力者では出来得ない偉業を今成し遂げる時!」

 

「何ィ?!」

 

 

 街路に響く、金髪の男が街灯を殴りつける音。その衝撃が、今度は多数の小石を、砂利を、空高くへと舞い上がらせる。

 ツンツン頭の能力で高重力と化している空間で、小石とはいえあそこまで高く舞い上がるだろうか。再び一方通行(アクセラレータ)を、驚きが襲う。

 

 

「俺が大能力者(レベル4)だってことを忘れてるんじゃないかな? ただ重力を増すことが出来るぐらいだったら、異能力者(レベル2)強能力者(レベル3)が関の山なんだな」

 

「‥‥自由に能力が及ぶ範囲を設定出来て、しかも重力軽減までやってのけンのかよ。随分と多芸な奴だなァおィ」

 

「余裕でいられるのもそこまでなんだな。いくらお前が俺の重力操作に耐えられても、他の物は‥‥そうはいかないんだなッ!」

 

 

 再び能力によって、高重力空間が展開される。

 空間が揺らぐほどの重力の歪み。重力ベクトルを演算して体全体への負荷を軽減している一方通行(アクセラレータ)には多少体が軋む程度でしかないが、宙に浮かんだ小石にとってはそうはいかない。

 如何に軽いものだとはいえ、一気に何倍もの重力をかけられれば、それが持つ位置エネルギーは元のそれとは比べものにならなくなる。

 当然、支えが無いのだから位置エネルギーはすぐさま運動エネルギーへと変換され、恐ろしい速度で眞下へと落ちる。眞下にいる、一方通行(アクセラレータ)へと。

 

 

「倒れろ、第一位―――ッ?!」

 

 

 追撃にと踏みつける大地。

 重力による加速度と、金髪の男の謎の能力による衝撃。

 両者共に大能力者(レベル4)。学園都市の中でも頂点に近いトップクラスの能力者だ。その全力の能力行使は、まるで流星のように白髪赤目の少年に迫る。

 

 

「―――ざァンねェん」

 

  

 だが、その渾身の攻撃も。少なからぬ覚悟を持って挑みかかった崇高な信念も。

 学園都市序列第一位という、圧倒的な称号の前には通用しない。

 

 

「はじめっからこォいゥやり方してくれりゃあ、コッチも楽で良かったンだがなァ? ま、演算の練習ぐらいにゃなったから、よしとしてやるか」

 

 

 称号とは、残酷なまでに客観的なものだ。

 誰かが誰かに授けるものだというのならば、確かに完全なものではないだろう。理論的には、例えば百という数字が五十という数字よりも絶対値として大きいように、数学的に、論理的に正しい比較でなければ客観的信用性を持たない。

 特に学園都市が定める序列は、科学的、研究的な貢献度を元に決定されている。

 具体的な例を挙げるならば、例えば序列第四位の扱う『原子崩し(メルトダウナー)』の破壊力そのものが、第三位を象徴する必殺技である『超電磁砲(レールガン)』に勝るように。

 

 挑戦者達は忘れていた。

 彼らは知っている。超能力者(レベル5)という存在の遠さを。誰よりも知っていて、誰よりも理解しているからこそ、ソレを覆そうと立ち上がったつもりだったのだ。

 ここで逆説的な証明が行われる。誰よりも知っているのなら、そもそも戦うべきではなかった。

 七人が七人、多くの学生が挑むということすら考えない圧倒的な格の違いを持つ、圧倒的な存在である超能力者(レベル5)

 その彼らの中にも順位はある。そして総じて自分の能力に多かれ少なれ矜恃(プライド)を持つ彼らが、第一位という最強の存在に対して挑みかかることをしない。

 表立って超能力者(レベル5)の中で順位争いが行われていないという事実。それは彼らが自身の序列に興味を持っていないという解釈も出来るが‥‥。

 

 

「どういう、ことだ‥‥? アレは軽く隕石が激突したぐらいの衝撃はあったはずなのに‥‥」

 

「そりゃあテメェ、どンなに衝撃が強くてもよォ、そりゃ単なる物理衝撃だろォが。だったら俺に、一方通行(アクセラレータ)に通用するわけがねェ。詰めを誤ったな、三下」

 

 

 全く同じだけの速度で以て、真上へと跳ね上がる小石。

 確かに攻撃は為されたはずだ。一方通行(アクセラレータ)の真上へと、それこそ瞬間的ながら隕石のような速度で小石は墜落していった。

 だというのに、一方通行(アクセラレータ)にダメージはない。

 小石がスピードと衝撃に耐えられずに圧壊し、粉となって降り注ぐのが二人の絶望の感情を助長していた。

 

 

「くっ、オオオォォォォ!!」

 

「無駄無駄ァ、そンなンじゃ掠り傷一つだってつかねェぞォ?」

 

 

 地面を勢いよく何度も踏みつけ、街灯を拳で叩き、その度に視界に見えるありとあらゆるものが飛び上がって、跳ね上がって一方通行(アクセラレータ)を襲う。

 しかし、全て等しく意味がない。

 彼の体に触れたものは、どんなに速度が速くても、どんなに重くても、全てがまるで録画を逆回しでもしたかのように跳ね返されてしまうのだ。

 

 

「厄介だと思った重力操作も、慣れちまえばたいしたことねェな。一度演算さえ済ンじまえば、あとは日光浴みてェなもンだしよォ」

 

「くっ、俺の能力が効かないんだなッ?!」

 

「どォしたよ重力使い(グラビティハンド)、そンなンでおしまいかァ? 重力弾はどォした?! 重力ブレードとか使ってみせて下さいよォ?!」

 

「そんな都合のいいものがあったら、苦労はしないんだな!」

 

 

 高重力範囲を維持しながら、重力操作(グラビトン)はゆっくりと近づいてくる一方通行(アクセラレータ)から間合いを取る。

 殆ど正体の知れない謎の能力者。根源的な恐怖が、自分の能力に対してそれなり以上の自信を持つ彼をして後退という積極的ではない行動を取らせていた。

 

 

「おのれぇ、一方通行(アクセラレータ)ァァァアア!!」

 

「吠えンじゃねェよ、三下。テメェの種も割れてンだ。吠えると、弱く見えるぜェ?!」

 

「ッ?!」

 

 

 金髪の男が吠え、大地を踏みつけ、それに呼応するかのように叫んだ一方通行(アクセラレータ)が小石を投げた。

 軽く投げられた小石は、たいした力も込めてないだろうに拳銃の弾よりも速く、重く飛び、今まさに浮き上がろうとしていた花壇を粉々に吹き飛ばす。

 

 

「‥‥ハッ、やっぱりテメェは念動能力者(サイコキネシスト)じゃねぇな。自分の体で与えた衝撃を飛ばす空間移動能力者(テレポーター)。そォだろ?」

 

「ぐ、う‥‥!」

 

空間移動能力者(テレポーター)なら、能力を発動するときに空気を押しのける。飛ばすモンが衝撃なンて物体じゃないもンでもな。

 だったらその押しのけた空気を感じ取りゃ、どこに物が飛ンで来ンのかぐらい分からァ。‥‥もっとも、そンなことしなくてもテメェの能力なンざァ俺には効かねェけどなァ!!」

 

 

 自分の体の表面のベクトルしか操れない一方通行(アクセラレータ)

 だが裏を転じれば、表面に伝わるベクトル全てを把握し、演算出来る。ならば空間移動(テレポーテーション)によって押しのけられ、自分のところに届くまでには拡散しきって本当に微かにしか感じ取れない空気だろうが、彼ならば容易に把握出来る。

 もちろん本来ならばそんな周りくどいことをする必要はない。一方通行(アクセラレータ)にはありとあらゆる物理攻撃が通用しないのだ。例え読心能力者(サイコメトラー)であっても彼に干渉することは出来ない。

 だからこの周りくどい説明は、愚かにも“最強”である彼に挑みかかってきた馬鹿者を絶望させるための、ポーズ。彼は、彼を侵そうとする者を決して許さなかった。

 

 

「よォく分かったら、二人仲良く愉快なオブジェになりやがれェ!!」

 

「ひ、ひぃっ?!」

 

 

 効かないと分かっていて、根気よく高重力空間を維持していた重力操作(グラビトン)が怯えを含んだ悲鳴を漏らす。

 どんなに覚悟を決めたつもりでも、出来ない覚悟がある。圧倒的な力の差を前に、人間は根源的な恐怖を感じるものだ。

 

 

「そォらァ!」

 

「オ、オォオォオ?!!」

 

 

 びゅう、と一瞬の内に距離を詰め、風を裂く唸りを上げて迫る一方通行(アクセラレータ)の掌を無様に転がって避ける重力操作(グラビトン)

 あの手に触れてはいけない。何が怖いのか全く分からないが、あの手に触れたら、終わる。そんな恐怖を超える恐怖が、みっともないままに彼を衝き動かした。

 

 

「まだだ、まだだまだだまだだまだだまだだぁっ!」

 

「おしまいだよ三下ァ!!」

 

 

 既に皮は切れ、血に塗れた拳でなお金髪の男は側のビルの壁を叩く。だが、もはや“反射”を前回にした一方通行(アクセラレータ)には何も効かない。

 お返しとばかりに踏みつけた大地から散弾銃のように吹き飛んだ小石や砂利が、二人の全身をくまなく打ち据える。

 

 

「ご‥‥あ‥‥ッ?!」

 

「く、くそ、こんな馬鹿な‥‥ッ!」

 

「馬鹿な、ってよォ、随分と都合のいい言葉じゃねェか。足りねェンだよ、技も力も、何もかもが足ンねェ。そンなもンじゃあ俺は殺れねェなァ!」

 

 

 転がって逃げても、また小石が襲う。

 先ほどの二人の攻撃とは異なり、こちらは殆ど予備動作がいらない。ただ地面を踏みつければいいだけで、しかも金髪の男の攻撃よりも強力だ。

 

 

「い、いったいアイツの能力はなんなんだな?!」

 

「おィおィ、そンなことも知らないで勝負挑みやがったンですかァ? 俺ァ一方通行(アクセラレータ)だぜ? 全てのベクトルを操る、ベクトルの支配者。だから一方通行(アクセラレータ)っつゥンだろォが」

 

 

 タン、と踏みつけた地面から小石が飛び上がる。トン、と叩いた街灯がありえない力を受けたかのようにへし折れる。

 成る程、と勘も頭もいい二人は理解した。あれはベクトルを計測し、それを自在に操ることによって生じていた現象だったのかと。

 すなわち単純にモノを殴るだけでも、そこに生じる瞬間的な拳に対する反発力を弄ってやれば、威力は単純計算で二倍である。数字にすると簡単だが、実際いはそれがどれほどまでに恐ろしいことか。

 

 理解したと同時に、二人は絶望する。

 ヤツはありとあらゆるベクトルを操作する。それこそ、まだ望みがあった重力ベクトルすらヤツの手の内だというのではないか。

 ならば自分たちは、ベクトルに依存しない攻撃をしなければならない。そんなものはあるだろうか? 否。数学的概念でも比較的上位に位置するこの概念を、含まないものなんて早々見つかるわけがない。

 仮に見つかったとして、それでどうやって攻撃すればいいというのか。あらゆるベクトルを操る一方通行(アクセラレータ)の前で、学園都市序列一位の能力と頭脳の前で、何を試みて、成功に移せばいいのだろう。

 

 

「‥‥負けられん。こうやって学園都市の未来を背負って戦いを挑んで、無様に敗走など許されるものか」

 

「おィおィ、分かりやすい死亡フラグ立ててンじゃねェぞォ? ま、そォ思うのも仕方ねェか。

 テメェの能力は“衝撃の伝達“。空気に衝撃を伝達したところでテメェが生身で出せる力じゃ俺にダメージを与えるこたァ無理だ。だったら、直接俺に攻撃することは出来ねェ。

 けどさっきまでみたいに物ォ飛ばしたところで、俺には効かねェよ? デフォじゃ“反射”に設定してあンだ。物理攻撃は効果ねェ」

 

 

 例えば彼が人間を超える膂力を持っているというのなら、モノを殴りつけた衝撃そのものを一方通行(アクセラレータ)に接する大気へと空間移動(テレポート)させ、白髪の第一位を攻撃することも出来た、かもしれない。

 しかし彼は未だ大能力者(レベル4)。自分の生身で殴りつける、踏みつける衝撃しか物体に伝えることは出来ないのだ。それでは物体の結合部や大地に衝撃を与えて跳ばすという攻撃方法しか不可能だ。

 

 

「くそぅ、くそぅ! くそぅ! くそぅ!」

 

 

 威力には自信があった。衝撃を分散化して伝達するなど、大能力者(レベル4)の称号に恥じない応用性も持っていた。事実、通う学校や近隣では名前を知らない者がいないぐらいのエリートだった。

 だからこそ挑んだのに、徒党を組んでまで勝利を目指したのに、この有様か。

 これほどまでに遠いのか、学園都市最強は。所詮自分は、二百万を超える学生達は、ここまでの人間だったのか。

 

 

「―――否ッ!!!」

 

「あン?」

 

「否! 否! 否! 断じて、否ッ!

 そんなことはあってはいけない! 学生達には、私達には、無限の可能性と無限の能力が秘められているべきなのだッ! 貴様を倒して‥‥証明する! 力を! 我々弱者の叫びを知れェッ!!!」

 

 

 ただ吠える。勝算も、秘策も尽きたままに。思いが強ければ勝てると信じるかのように。

 自分は自惚れていただろうか? 周りにチヤホヤと持て囃されるがために慢心し、分不相応な相手に手を出した愚か者なのか?

 断じて違う! 自分は、仲間たちは、崇高な信念の下、学園都市のために立ち上がった勇者である。

 

 そんな金髪の男を、一方通行(アクセラレータ)は心底ツマラナイモノを見る目で眺めていた。

 彼らの言っていることを、一方通行(アクセラレータ)は理解出来ない。彼が目指すのは比類無き存在、即ち無敵であり、弱者を顧みるということをしない。

 それは彼にとっての悪徳ではなかった。彼は、常に進化し続けることを自分で自分に強いている。誰も傷つけないために。それをどうして咎められようか。

 

 

「下だぁッ! 私に能力を使えッ!」

 

「りょ、了解なんだな!」

 

 

 金髪の叫び声に応え、重力操作(グラビトン)が能力を全力で発動した。

 対象は味方のはずの金髪の男。大能力者(レベル4)が本気で高重力を展開すると、人間が耐えられる現界ギリギリの高重力空間となる。

 現に金髪の男は歯を食いしばり、こめかみの血管を破裂させ、全身の筋肉と骨を軋ませながらも耐えていた。

 

 

「ぐ‥‥オォォ! 見ろ、一方通行(アクセラレータ)! これが、私の渾身のぉ、一撃だぁっ!!」

 

 

 自分の体重が何倍にもなったかのような高重力の中で、金髪の男はずたずたになってしまった拳を振り上げる。

 ただそれだけの動作でも体への負担は並大抵のものではない。ビキ、という嫌な音をたてて一方通行(アクセラレータ)の攻撃で罅が入っていた肋が悲鳴を上げるが、そんなもの、気にしてなどいられるか。

 どうしてこのまま無様に逃げ帰れようか。この五体が砕けようとも、必ず第一位に一矢報いなければ死んでも死にきれない。

 

 ‥‥金髪の男は気づいていただろうか。既に自身の中に、“勝つ”という気概そのものが消えてなくなってしまっていることに。『これだけ苦労したんだから、痛い思いをしたんだから許してもらえるだろう』という甘えへと変わりつつあることに。

 いや、おそらくは気づいていまい。彼にとって最初に目指した目的の成功こそが確定的な事象であり、他は全て成功へと辿りつくための道中に起こる不測事態(イレギュラー)に過ぎないのだ。

 謂わば妄想とでも言うべき視野狭窄の具現。一方通行(アクセラレータ)がつまらなそうに眺める彼の瞳は、まるで霧がかったかのように曇っていた。

 

 

「ッシャアアアアァァァァァ!!!!」

 

 

 何倍もの重力を受け、その重み自体で軋む拳が唸りを上げる。

 彼の能力、『跳躍衝撃(ジャンプインパクト)』は自身の体で物体に与えた衝撃を他の場所へと空間移動(テレポート)させるものだ。乃ち、ハンマーのような重い物体を使って、自身の身体能力や体重を超える衝撃を生み出すことは出来ない。

 ならばどうやって衝撃を強化するのか。答は簡単だ。自身の腕力を強化するか、あるいは自身の重量を増加させるか。それが、この、自爆のような手段である。

 

 能力を発動させ、狙うのは先ほどまでのような、花壇や室外機などの結合部、接地部ではない。目標は、一方通行(アクセラレータ)が立っている地面そのもの。

 彼は衝撃を対象とする敵に対して直接伝達することも出来ない。与えた衝撃は、物体にしか空間移動(テレポート)出来ないのだ。つまり何かの物体に与えた衝撃で、一方通行(アクセラレータ)を攻撃するしかないのである。

 一方通行(アクセラレータ)に接している、何か堅い物体。彼が分かり易く壁などに接してくれていたり、大きな堅いものを抱えていたりしてくれるのならば話は別だが、そんなことはない。ならば、狙えるのは一つしかない。

 

 

「―――はァ、つまンねェ」

 

 

 足下からの衝撃を、ベクトルを、どう反射するというのだろうか。

 金髪の男、跳躍衝撃(ジャンプインパクト)はその問いに対して自身で否と応える。

 単純に考えて一方通行(アクセラレータ)は、何種類ものベクトルを彼の肌で計測し、演算しているものと推測される。おそらく酸素や重力などの生活に最低限必要なベクトルについては反射しているはずがない。

 だが、地表からのベクトルはどうだろうか。

 大地に接しているならば、そこに何か有害なベクトルが挟まれる隙間はない。“真下”からのベクトルは、微量な放射線や熱量以外を除いたならば理論上は自身の体重によって生み出される垂直抗力だけだ。

 その垂直抗力を反射してしまえば、一方通行(アクセラレータ)は足を踏み降ろす度に激しく跳躍を繰り返さなければならない。そんな状態でまともな生活を送れることだろうか。

 いくら学園都市序列第一位の頭脳を持ってしても、ありとあらゆるベクトルについて常に演算をし続けるというのはナンセンスだ。ならば、足下などという日常範囲の概念について、普段からベクトルを計測しているとは思えない。それこそ、日常的に高重力範囲に紛れ込んだり、自身の体重がめまぐるしく変化したりするのでなければ。

 ならば、奴の死角は―――

 

 

「死角ゥ? ありませン、無敵でェす」

 

 

 だが、その希望は無惨にも破られる。

 跳躍衝撃(ジャンプインパクト)は一つ勘違いをしていた。それこそ、子どものような、物理や数学、科学に基づくわけではない感嘆な理屈を勘違いしていた。

 

 

「おィおィ大能力者(レベル4)ともあろうもンが耄碌したンですかァ? 俺が垂直抗力を反射してたところでな、俺が与えるベクトルは反射したりゃしねェ。

 なら俺が生きてくのになンも不都合はねェよ。俺の体重が二倍に増えたところで、アスファルトがへこむかァ? 砂とかなら別ですけどねェ!」

 

「―――がぁ?!」

 

 

 ガッ、と一瞬のうちに距離を詰めた一方通行(アクセラレータ)に頭をわし捕みにされる重力操作(グラビトン)

 自分より一回りも小さな矮躯の少年の掌が、どうしても外れない。いや、掴むその手を外そうと試みる事すら出来ない。まるで強力な磁石の同極同士を接しようとしているかのように、触ることも出来ない。

 

 

「ひ、ひぃ?! やめろ、やめろぉっ!!」

 

「さァて、テメェはどのくらい飛ぶか‥‥なァッ?!」

 

「うううわぁぁぁああ?!!!!」

 

 

 振りかぶり、伸ばす腕。

 まるで発泡スチロールか、あるいは風船で出来た人形でも持ち上げるかのように軽々と重力操作(グラビトン)を持ち上げた一方通行(アクセラレータ)は、下手なピッチングフォームで成人男性の体格を持つ高校生を、呆気なく、いとも簡単に放り投げる。

 歪な軌道を描いて飛んでいく大の大人。趣味の悪いアニメーションでも見ているかのように現実感のない光景を、跳躍衝撃(ジャンプインパクト)は呆然と眺めていた。

 

 

「‥‥さァて」

 

「―――ッ?!」

 

 

 振り返る白い悪魔。思わず漏れそうになる悲鳴を押さえるだけで精一杯だった。

 どうしてこうなってしまったのか。策は十分に弄したはず。自分の能力は超能力者(レベル5)に挑むに不足ないものだったはずだ。今までどんな能力者にも負けたことがなかった。

 自慢の能力を、崇高な信念で固めたはず。大能力者(レベル4)が二人だぞ。それがどうしてここまで易々と蹂躙されているのだ。

 

 

「だから言ったろォが三下。足りねェンだよ、何もかも。力も、技も、策も、心もな」

 

「なん‥‥だと‥‥!」

 

 

 ゆっくりと、散歩でもするかのように歩み寄ってくる一方通行(アクセラレータ)。だが、跳躍衝撃(ジャンプインパクト)の足は動かない。金縛りにあったかのように、蛇に睨まれた蛙のように。

 あぁそうか、今更ながら理解出来た。自分は、所詮は蛙だったのだ。井の中の蛙だったのだ。上には上がいることを理屈では、頭では分かりながら、本当の意味では理解していなかった愚か者だ。

 

 

「本当に勝ちてェンなら、もっと数を揃えて来ただろォが。本当に勝ちてェンなら、テメェのチンケな能力使うために地雷でもなンでも埋めただろォが。本当に勝ちてェンなら、そンな何かを飛ばすだけってェなチンケな能力を自慢しねェだろォが。

 テメェは甘ったれだ。努力してるフリをすりゃ、苦痛を我慢してりゃ、勝利が手に入ると妄想するバカタレだ。そンな奴に負けてやるわけにはいかねェし、そンなことは逆立ちしたって成功しねェンですよォ!」

 

「そ、そんな、そんなことは、そんなことは‥‥!」

 

「ハッ、救ェねェなァ三下ァ? テメェは所詮テメェの世界の中でチヤホヤされてりゃ良かっただけのチンケな人間なンだよ! 図に乗ンじゃねェよ、猿山の大将の分際でよォ!!」

 

「ひぃっ?!」

 

 

 ぐい、と胸ぐらを掴まれる。それでも最早、漏れるのは悲鳴だけだった。

 砕けてしまった拳が痛くて、もう握れない。足の骨にも罅が入っているのだろうか、もう立っているだけでも痛くて痛くて尻餅をついてしまいそうだ。疲れ切って、体には力が入らない。

 病院に行って治療を受けて、家に帰って眠りたかった。傷が癒えたら学校に行って、またカリキュラムをこなしていこう。伸び悩む者には助けを、互いに鎬を削り合う者とは切磋琢磨の志を持って磨き合おう。

 そう、いつもの性格に戻ろう。

 

 ‥‥そんな現実逃避を、いや、妄想からの離脱を、一方通行(アクセラレータ)は曇りきってしまった跳躍衝撃(ジャンプインパクト)の瞳の中に確かめ、今度こそ心底つまらないと言いたげなため息をついた。

 所詮、こんなものか。少しは期待したが、結局コイツもこの程度。自分に並び立つには至らない。

 

 

「おゥ、もォ分かっただろォが。分不相応な夢から醒めろよ三下。無様にケツ振って、元の居場所に引き返しやがれェ!!」

 

「ああああぁぁぁぁぁぁあああ?!!!!」

 

 

 重力操作(グラビトン)と同じように、跳躍衝撃(ジャンプインパクト)も無様に宙を舞う。

 同志は意識さえ失っていなければ、重力を操作して軽減することで怪我なく着地出来ただろう。だが、自分はどうだ? 何かに衝撃を与えて着地のダメージを軽減することも出来なければ、緩衝剤となる何かを用意することも出来ない。

 使い方さえ心得れば万能だと信じていた自分の能力も、こんなものか。今までは用意が万全だったから、環境が万全だったからこそ無敵だったのか。

 あぁ、でもそれでいい。これでもう悪い夢は醒める。また、元の生活に戻ればいい。何事もなかったように。

 

 

「‥‥ハッ、本当につまンねェ。ちったァ楽しめると思ったンだがな」

 

 

 今までの連中に比べれば、まぁ骨はあった。最近は同じ相手ばかりと戦っていたから新鮮ではあったが、それまでだ。

 ご大層な信念とやらも一方通行(アクセラレータ)には届かない。そんな言葉だけでは、こうやって少し撫でられただけで諦めてしまうようなチンケなものでは一方通行(アクセラレータ)は動かない。

 ただ前へ。頂点へ。最強を超える、無敵へ。

 

 

「さて、カガリと没個性の奴ァどォしてンだ? ま、あのヤロォは天地がひっくり返っても負けちゃいねェだろォが‥‥」

 

 

 だから彼にとって、さっきまでの十数分はさして気にとめることではない。埃もついていない手をパンパンと払うかのように打って振り返ったら、既にあの二人のことは忘却の彼方だった。

 どこまでも純粋に、彼は一方通行(アクセラレータ)である。きっといつまでも、このままだ。

 勿論その理屈も幻想もいつかはぶちこわされることになるのだが‥‥それはまた、別の話である。

 

 

 

 

 



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第15話 『無尽火焔、空間固定、座標掌握』

お待たせいたしました、『とある科学の無尽火焔《フレイム・ジン》』最新話をお届け致します。
アニメ2期も見所たっぷりですが、こちらも同じく濃い一話に仕上げております。今回はカガリの能力の秘密が遂に!
どうぞ、お楽しみ頂ければ幸いです。


 

 

 

 

「―――さて、こちらも始めるかなってことです」

 

「最初にぶちかまされたのはコッチだけどーね。それにしても随分と余裕なのーね」

 

「嘗められたもんだなぁ、無尽火焔(フレイム・ジン)

 

「おっと、気に障ったのなら失礼。けれど僕は君達を嘗めてるんじゃあなくて、ただ単純に戦いが楽しみなだけってことです」

 

「あら、意外に好戦的。ちょっと想像と違うかしーら?」

 

「こいつに関しては、そこまで情報はないがなぁ。しかし、それを余裕‥‥そして油断と言うんだぁ超能力者(レベル5)

 

 

 バンダナを巻いた少女と、薄手のブレザーを羽織った少年と対峙する白衣の青年。若干ゆらりゆらりと頼りなげで、隙だらけでありながら油断は出来ないと彼らは見ていた。

 学園都市二百万人の学生の頂点に、たった七人君臨するのが超能力者(レベル5)。その称号は決して実力以外で与えられることはない。風評や、根回しや、小細工や、そんなものでは決してありえない絶対の称号。

 戦闘開始のゴングもいい加減なままにブチ撒けられた紅蓮の焔の、様子見程度の初撃の威力は、未だ超能力者(レベル5)という絶対的実力者の力を知らぬ二人でも、十分以上に戦慄を覚えたほどのもの。

 故に彼らは油断しない。この日のための準備は十分にした。あとは、それを可能な限り万全に発揮するだけなのだから。

 

 

「それだけのことを、見せて欲しいってことです」

 

「やってやるわーよ!」

 

 

 互いに一歩踏み出し、再び能力の行使のための演算を始める。

 先手を取るのは、演算が単純で速い発火能力者(パイロキネシスト)であり、超能力者(レベル5)。白衣の青年、カガリの掌に焔の渦が巻き起こり、すぐさま奔流となって二人の学生を襲った。

 

 

「先ずは小手調べってことです!」

 

「嘗めんなぁ!」

 

 

 人間一人を巻き込むには十分過ぎる、焔の竜巻。ぎりぎりまで引きつけ、弾かれたように横へと跳んで避けた二人が一拍遅れて能力を行使する。

 大きく左腕を振りかぶったブレザーの男が、かぎ爪のように折り曲げた掌で空中を薙いだ。

 

 

「―――念動力者(サイコキネシスト)。応用性が広くて優れた能力だけど、ただ単純にモノを飛ばしてくるだけなら、僕には全く効かないってことです」

 

「へっ、そんなことはわかってるんだぜぇ。そっちも言ったように、小手調べだよぉ!」

 

 

 振るった手の動きに数瞬遅れて、弾丸のように吹き飛ばされてきたのは道端に据えられていた古風なゴミ箱。

 本来ならば殆どのゴミは学園都市ご自慢の自動清掃ロボットが回収するが、大きなゴミや、近くにロボットがいなかった時のためにアナログなゴミ箱も少なくはない。しかしそれらは本来は地面に固定されていて、生半可な力では動かせないはず。

 勿論生半可ではない力を生身で発揮するのが超能力者であり、そのこと自体に不審な点は何もない。どちらかといえば―――

 

 

「‥‥噂には聞いてたけど、本当に物理攻撃が効かないのーね」

 

「訂正させてもらうと、焔だって雷だって効きやしないってことです。そのくらいのリサーチは済んで、ここにいるんだろうね?」

 

「勿論だぁ。しかし、だとすると俄然やる気が出るってもんだぜぇ」

 

 

 念動力(サイコキネシス)で弾く、発火能力(パイロキネシス)で燃やし尽くす、水流操作(ハイドロハンド)で和らげる、空力操作(エアロハンド)で逸らすなど、物理攻撃を防ぐ方法はいくらでもある。

 しかし目の前で起こったことは、実に不気味で衝撃的だった。例え事前に十分な情報を得ていたとしても、まさか人間を、何の抵抗もなく頑強で重厚なゴミ箱がすり抜けるなんてこっとがあっていいものか。

 

 

「とりあえずは様子見だなぁ」

 

「そうね。一つずつ試していくわーよ。冷静に、着実にね」

 

 

 今度は粉塵が巻き上がり、続けてへし折れた街灯、花壇の煉瓦が放たれる。

 しかしそれも全て無駄。等しくすり抜け、粉塵の動きにも変化はなく、何か気流操作や蜃気楼で幻影を作り出しているわけでもない。

 成る程、やはり、コイツに物理攻撃は通用しない。たった十秒にも満たない効率のよいやり方で、二人はひとまず納得出来るだけの結論を得た。

 

 

「満足かい?」

 

「とりあえずはなぁ」

 

「じゃあ僕の番ってことです。黙って突っ立ってるのは、つまらないからね」

 

 

 学園都市最強の発火能力者(パイロキネシスト)が遠慮なくその猛威を振るう。大袈裟に振り抜いた掌から生み出された焔の弾丸。一直線に、恐ろしい速度で敵を穿つ。

 一つ、二つなら避けられる。三つ、四つ、五つも身のこなしによっては。しかしそれが、十や二十に達したら?

 

 

「よく動けるものだけど、そろそろ終わりかな?」

 

「ちっ、姉貴!」

 

「分かってるわーよ!」

 

 

 人通りのない、寂れた通りは存外に狭い。すぐに避ける隙間もなくなり、数多の炎弾が二人を襲う。

 とはいえ防ぐ策も無しに挑むはずがない。攻勢に出ていたブレザーの男子と交代で前へと飛び出したバンダナの女子が、大きく掌を突き出した。

 

 

「‥‥空力操作(エアロハンド)? それとも念動能力者(サイコキネシスト)かな? ここまで綺麗に防がれたのは一方通行(アクセラレータ)以来ってことです」

 

「お褒めあずかりどーも。あたしの防壁はそう簡単には抜けないわーよ」

 

「それは試してみないとわからないってことです。遠慮なくヤレるってんなら、容赦はしないよ僕はっ」

 

 

 続けていくつも宙に生じた火球が次々に二人を襲い、しかし全てが防がれた。まるで透明な壁があるかのように、何かに阻まれて火球は二人に当たらない。

 透明な防壁。乃ち、念動能力(サイコキネシス)か、空気の壁を用る空力操作(エアロハンド)か。あるいは他の手段かもしれないが、防壁、シールドを用いて防御をしていることは間違いないだろう。

 

 

(しかし‥‥)

 

 

 だとしても、些か疑問な点はいくつもある。

 まず空気の壁を作っているなら、あんなにきれいに火球が弾かれることはないはずだ。大気の噴流によってかき消されるとしても、あるいは固定化した空気に弾かれるとしても、コンクリートの壁にぶち当たったかのような綺麗な反応を見せるとは考えづらい。

 所詮、空気は空気。風は風。それらがどれだけ強固に能力によって操作されたとしても、空気、壁という概念を破壊するまでには至らない。能力とは決して己の欲するままに、思うがままに操作できるものではなく、物理という大きな壁を乗り越える必要があるのだから。

 

 

念動能力(サイコキネシス)あたりが妥当なところだと思うけど‥‥。にしても、能力の及ぶ範囲が広いとキャパシティいっぱいいっぱいになっちゃうだろうってことです」

 

 

 能力は万能ではない。

 それは及ぼす効果の話だけではなく、個人が保有する能力の枠までも至る概念だ。

 例えば二つ以上の能力を保有する例は今のところ観測されておらず、能力は等しく一人に一つ。出来ることも、また同じ。

 例えば最も応用性のある能力の一つに念動能力(サイコキネシス)である。単純に念動能力(サイコキネシス)によって物体や物理に影響を与えるものを指す。が、だからといって万能ではなく、個人によって可能なことには違いがある。

 防壁を作るものなら、防壁を作ることに。衝撃を与えるものならば、衝撃を与えることに。物を投げるものならば、物を投げることに特化しているのが普通だ。オールラウンドに全てのことを高いレベルで実現できるならば、それはもはや超能力者(レベル5)の称号を戴くに相応しい。

 しかし、やはりそれは考えにくい。能力の幅を広げることは、つまりは器用貧乏の側面を持つ。圧倒的な実力差というものがある超能力者(レベル5)ならばともかく、大能力者(レベル4)であるならば、きっと‥‥。

 

 

「もっと変則的な何かってことです‥‥!」

 

 

 カガリは攻撃の手を休めない。点攻撃の火球から、今度は面攻撃の火炎放射へ。もちろんそれもすべて、見えない防壁に遮られる。まったく届きはしない。

 しかし―――

 

 

「‥‥遮られる面が、随分と手前になったなってことです」

 

 

 火球を防ぐ時はだいたい一メートル程度の距離にあった防壁らしきものが、三メートル以上もこちら側へと近づいてきている。バンダナの少女からしてみれば、随分と前の方に防壁を張ったものだ。

 些細な、ほんの些細な違いが不思議だった。そして不思議ならば、試してみるのがカガリという男の性分だった。

 

 

「ちょっと火力を増すってことです‥‥!」

 

「―――ッ?!」

 

 

 せいぜいがトラック一台分くらいの大きさしかなかった、火炎の放射。それが一気に姿を変える。

 もはや火炎放射などでは断じてない。火炎の津波。何もかもを巻き込み、飲み込む波濤が二人を襲った。視界全てを覆い尽くす程の劫火である。流石にバンダナの少女も顔を青褪め、必至で演算を加速させた。

 

 

「‥‥流石に、今のはキツかったわーよ。ちょっと髪の毛の先っぽ、焦げちゃったじゃない」

 

「俺は鼻が焦げたぞぉ、姉貴」

 

「だまらっしゃい」

 

 

 だが、その怒濤をも彼女は防ぎきった。防壁を回りこんできた炎の端っこに少々炙られはしたものの、致命傷では断じてない。

 能力行使の演算が重荷だったのか、バンダナで隠れた額からは脂汗が零れ、吐息は荒かった。しかし、それでも彼女は超能力者(レベル5)の攻撃を防ぎきったのだ。

 

 

「‥‥なるほど。空気を固めているわけでも、単純な念動能力(サイコキネシス)でもない。君は空間を操る能力者だったってことです」

 

「―――ッ?! よく気づいたわーね‥‥!」

 

「君の手品は上手だったよ。でも、見たところ学園都市じゃあ二番目だ。何回も見れば、種明かしも必要ないってことです」

 

 

 ただただ能力の強大さで防いだように思われがちな一瞬を、カガリは見逃していなかった。

 確かにカガリの焔を防いだのは、透明な壁だったのだろう。だが、正確には壁ではない。それは壁というよりは、箱と言うべきだった。平べったくはないのだ。厚みがある。特に最後の焔の波濤を防いだ時、ほとんど立方体のような壁が生まれていたのだ。

 そしてカガリは見ていた。その防壁の中で、ついさっき舞い上がった土埃が完全に停止して、微動だにしていなかった様を!

 

 

「空間を固定する能力。さしずめ、空間掌握(ディメンジョンハンド)とでも言うのかなってことです」

 

「残念、惜しかったわーね。あたしの能力は『空間固定(キューブスペース)』。あんたの言うとおり、立方体状に空間を固定する能力よ」

 

「‥‥空間という概念に干渉する能力は、極めて高位ってことです。レアって言い換えてもいいけど、君らも本気だね。約束されたエリートの地位を捨てるなんて、生半可な覚悟じゃないってことです」

 

「まるで俺達がお前に負けるのが確定してる、なんて言い方だなぁ‥‥!」

 

「それはどうしようもないってことです。僕は超能力者(レベル5)で、君達はどう足掻いても最大で大能力者(レベル4)。これは覆せない差ってことです。なにせ相手が僕だ」

 

「絶対無敵の第六位、ね」

 

「伊達や酔狂で名乗ってるわけじゃないってことです」

 

「それは俺達がここで決めることだぜぇ!」

 

 

 格上の相手からの挑発に応え、再び弟が腕を振るう。吹き飛ばされる瓦礫、そして風。しかし全て物理攻撃。等しくカガリには意味がない。

 もはや避けることもせず、全てを受け、全てがすり抜けていく。無論、カガリとて攻撃を止めず、それもまた同じように空間自体を固定することで無敵の防壁とした姉によって防がれる。

 

 

「それじゃ、趣向を変えてくってことです‥‥!」

 

 

 火焔の奔流と無数の炎弾のコンビネーションも、鉄壁の前には効果はない。だが、カガリに出来ることはそんなに単純なことばかりではない。ただただ見かけの炎を操っているだけでは、とてもじゃないが恥ずかしくて超能力者(レベル5)は名乗れない。

 焦った様子も、機嫌を損ねた様子もなく。余裕を見せた、楽しそうな笑みを浮かべ、カガリは己という存在に与えられた能力を行使する。

 

 

「―――この手品は、見たことあったかな?」

 

「ッ!!」

 

 

 言い終わるや否や一瞬で消え失せる、百八十センチを超える長身。それは爆風と炎を目眩ましにしての、瞬間移動。

 ただの発火能力者(パイロキネシスト)には到底不可能な業。否、空間移動能力者(テレポーター)以外には断じて不可能な業。瞬きの間に背後へ移動し、掌を振りかぶる。

 

 

「そこ‥‥かぁッ!!」

 

 

 空間移動(テレポーテーション)による攻撃は、絶対不可避の速攻。だが二人はまさにカガリが背後に現れた瞬間、ほぼ同時に飛び退いてすぐさま防壁を張った。

 超反応、神経伝達速度の違い、そんなものでは断じてない。あらかじめ予測していたかのような、計算された回避である。攻撃を防がれたこと自体はどうでもいい。しかし、もしかしたら自分の能力を把握されたのではないか? カガリは俄に表情を険しくした。

 

 

「‥‥何故、僕が“発生”する場所が分かったんだい? 僕の“発生”は、普通の空間移動(テレポーテーション)とはワケが違うってことです」

 

「なぁに、簡単なことだぁ」

 

「強敵と戦う以上、準備をするのは当然なのーよ。ここを舞台にするって決めた時、もう既に仕込みをするつもりだったってことーよ」

 

 

 通常、空間移動(テレポーテーション)では空気を切り裂く、押しのける音がするものだ。そして十一次元座標変換による計算、そして次元の移動に伴うコンマ0秒以下のタイムラグが存在する。

 しかしカガリが語るところの“発生”にはそれらがない。

 まず空気を切り裂く音がなく、音を確認してからの回避は不可能。そしてタイムラグは、あろうことか逆にやたらめったら長くすることが出来るという奇天烈極まるものだった。どこかに一度転移をして、タイムラグを生じさせているわけではなく、転移が完了するまでに“そこに存在しない”という真似が可能なのだ。

 通常の空間移動(テレポーテーション)への対処法では決して予測出来ない、特殊過ぎるカガリの攻撃を、どうやって回避出来たというのか。

 

 

「これ、便利よーね。学園都市の外でも実用化され始めたらしいけーど」

 

「‥‥スマートフォン? 何の変哲もない携帯電話の一つってことです」

 

「その通り。でもコレって、要は小さなコンピュータなわけーよ。色んなことが出来て、結構便利よーね」

 

「‥‥‥‥」

 

 

 フッ、と再びカガリの姿が消える。しかも、今度はすぐさま姿を現さない。謎のタイムラグは、疑心暗鬼を相手に呼び起こし、不安や焦燥による負荷は生半可なものではないはずだった。

 だが、二人は全く焦った様子がない。あろうことか瞼を下ろし、目を閉じている。まるで第六感で、出現場所を予知しようとしているかのように。

 

 

「―――嘗めてくれるってことです」

 

 

 そして再び現れるカガリ。今度は二人の間に、両手を突出し出現する。

 一切の遠慮容赦なく放たれた、レーザービームのような火炎放射は、しかし、やはり空を斬った。

 

 

「嘗めてたのは、どっちかしらーね」

 

「‥‥!」

 

 

 むぅ、と唸る。確かに、完全に出現を予測出来ている。

 否、おそらくは、ほぼ同時の感知。しかしどうしても生じる、“発生”から攻撃までにかかる微妙なタイムラグ。ほぼ同時に“発生”を感知出来るなら、熟練の腕前を持つ者ならば対応は用意だろう。

 

 

「どうやってるのか、聞いても?」

 

「簡単なことだぁ。仕込みは上々だったわけだぜぇ」

 

「あんた、発火能力者(パイロキネシスト)の常として、いつも高温放ってるのーよ。空間移動(テレポート)する時もーね」

 

「流石に一瞬消える時は補足出来ねぇけどなぁ、現れる瞬間を熱探知レーダーで捉えて、その情報をスマホに送るんだぁ。そのぐらいのこと、簡単だろぉ?」

 

 

 簡単か、どうかで言うなら確かに難しいことではないだろう。彼らのスマートフォンは近距離短波によってセンサーからの情報をほぼリアルタイムで受け取り、それをバイブレーターに出力するだけなのだから。外の世界でだって簡単だろう。

 しかし実際にそれなりに離れた空間の温度を、正確に検知するだけの設備を揃えたというのは並大抵の準備のレベルではない。簡単な機械ならば入手も簡単だろうが、一世一代の大勝負に賭けるための準備は、生半可なものではなかったはずだ。

 

 

「これで、あんたの空間転移(テレポート)の対策は万全。発火能力(パイロキネシス)もあたしの空間固定で防げるわーね」

 

「そして俺の能力でぇ、おまえもここまでの運命だぜぇ」

 

 

 スマートフォンをズボンの後ろのポケット‥‥一番振動を感じやすい場所に入れ、弟が身構えた。

 再び突き出した掌を、ゆっくりと動かす。先程までと何ら変わらぬ仕草。ただ、その仕草に只ならぬ迫力を感じ、その長身からは思いもよらぬ身軽さで後方へと飛び去るカガリ。

 

 そしてその飛びのいた場所の石畳が、ぐにゃりと歪んで破砕されたのを、しかと

見てとった。

 

 

「大気、いや、空間の圧縮‥‥?! トンデモない高位能力者ってことです」

 

 

 念動力(サイコキネシス)によって起こされたものでは断じてなかった。物体にかけられていた圧力、捻じ曲げる力は、とてもまともなベクトルではなかった。意図してかけられる力ではない。複雑で、広範囲に及ぶ力だ。もっと大きな次元を介して大きな空間に対して干渉している。

 

 空間そのものを捻じ曲げる。そして捻じ曲げた空間を元に戻すとき、座標の相対関係をずらすことが出来る。

 

 例えば捻じ曲げる前に(a,b,c)という座標にあった物体が、捻じ曲げられて(a',b',c')へと移動したとしよう。

 しかしこの間、捻じ曲げられた空間内で如何に物体の座標が、物体の各パーツ―――例えば人間ならば胴体や足や手や頭―――の座標がてんでばらばらにされたとしても、この物体が破損するわけではない。

 通常の空間から見れば捻じれ狂っているように見えても、その空間の中では問題なく存在が出来ている。傍目に見れば(a',b',c')の位置に動いているように見えても、空間範囲の指定によってつくられた新たな座標視点から見れば、(a,b,c)は(a,b,c)のままだ。

 紙の上にいくつか点を書いてみて、ぐしゃぐしゃに丸めてみたところを想像するとわかりやすいだろう。一見ぐちゃぐちゃにばらばらになったように見えて、丸めた紙を元通りにしてみれば、点の位置は変わっていない。

 

 

「―――だけど、それだけじゃ話が片付かないってことです」

 

「そうだぁ。要は空間というよりは、座標を操る能力なわけだからねぇ。歪ませた空間、座標をそのまま普通に戻してやれば、何の影響もないがぁ‥‥」

 

「歪ませたままにしてやれば、どんなに硬いものでも壊せるってことです」

 

「正解だぜぇ。戻してやるにしても、一工夫いれてやればよぉ、その時の戻ろうとする力で吹き飛んでくって寸法さぁ」

 

「‥‥なるほど、色んなものが飛んできたのは、そういう仕掛けだったのかってことです」

 

 

 空間へと干渉する能力で最もポピュラーな空間転移(テレポーテーション)ともまた違う、それでいて同質な座標の制御。概ね空間移動能力者(テレポーター)は座標のみを扱い、ベクトルは保存するものとして計算には用いないのが通例だった。

 しかしこの男の場合、座標はおろか座標が形作る空間、そしてベクトルまでをも操っている。限りなく超能力者(レベル4)の一人、俗に『届きそうで足りない(ニアレス)』と呼ばれる超高位能力者の一人。本来ならば、こんな場所で喧嘩などしているべき存在ではない。

 

 

「ま、それは僕も同じかってことです」

 

 

 空間準拠の、座標操作を媒介にしてのベクトル付与。何もない場所に、何も関係のないベクトルを与えることは難しい。能力とは万能ではなく、あらゆる制限によって縛られる存在なのだから。

 だからこそ、関連性のある計算式をしっかりと作り、実行出来る能力者は高位能力者と呼ばれるようになる。その例外である、第七位やカガリを除いて。

 

 

「さて、流石にお前もただの念動力(サイコキネシス)ならともかく、空間そのものに干渉する能力は防げまい」

 

「逃がしもしないわーよ。その厄介な空間移動(テレポート)、察知するだけじゃなくて、防がせてもらうーわ」

 

 

 手を翳したバンダナの女性の能力行使。如何なる演算から生まれたものか、脂汗を流しながらも、恐ろしい程に素早い計算で空間の制御を行う。

 空間の固定と解放。それを限りなく短い間隔に微分し、高速で繰り返す。それこそ傍目には何の変化も見られない。あらゆる能力者も理解出来まい。

 例外は只少し。空間を操る能力者。或いはそれに準じる、或いはそれを超える特殊な高位能力者のみ。

 

 

「これで‥‥あんたの演算の連続性は失われたーわ‥‥ッ!」

 

「姉貴は空間移動能力者(テレポーター)の天敵だぁ。お前の能力、発火についてはさておき不死身性は空間移動能力(テレポーテーション)の恩恵と見たぜぇ。この密閉空間で、俺の全力の空間歪曲‥‥受け止めきれるかぁッ?!!」

 

 

 ゆらりと徐々に空間が歪む。まるで波でも生じたかのように。それが周囲から徐々に近づいていく。

 三人が存在していられる場所を制限していくように“普通の”空間が狭められていく。無論、他人の能力の影響にある歪んだ空間に空間移動(テレポート)することは出来ない。なるほど、地味だが着実に逃げ道を防ぐ。

 

 

「さて、これだけ精密に歪めてしまえば、お前も逃げ場はねぇだろぉ」

 

 

 もはやカガリの周囲には、ほんの少しの隙間しか残されていなかった。途轍もなく精密な操作によって、歪みはたった三人分を残して閉鎖された空間全てを満たしていた。

 この歪みに指一本でも巻き込まれれば、ただでは済むまい。しかし自分達の周りに安全な空間を作ってしまえば、そこにカガリが空間移動(テレポート)してくるかもしれない。ならば、そのぐらいのリスクは負わなければ。

 だらだらと滴る脂汗は能力行使と計算の影響だけでは断じてない。不具の覚悟を背負い、恐怖に怯え、それでも二人は勝利を目指す。

 

 

「言い残すことは、あるかしーら」

 

「‥‥お見事ってことです」

 

「あ、そ。―――やりなさい」

 

「応!」

 

 

 殆ど限界に達していた脳を、更に酷使して最高の行使をする。

 歪ませるだけではない。“閉じて”しまう。空間そのものを“無かったことにしてししまう”最強最悪の攻撃。

 ゆっくりと向かい合わせにした掌が合わされて―――

 

 

「―――勝った」

 

 

 

 派手な効果音も、閃光も無しに。

 まるでその部分のコマだけ切り取られてしまったかのように。

 最初からそんな事実は何処にもありはしなかったように。

 

 そこには何も残ってはいなかった。

 表面を数センチ削り取られた石畳と、空間そのものが消失したために流れ込んだ空気が生んだ風の音。それだけだった。

 中に在ったものは一切合切が失くなってしまった。ほんの一瞬だけ息苦しかったのは、自分達の周りの酸素も失くなってしまったためだろう。もっとも。

 

 そんなものはすぐに入り込んできた新たな空気で塗り潰されてしまったけれど。

 

 

「‥‥勝った、勝ったぜぇ姉貴! 俺達、超能力者(レベル5)に勝ったんだぜぇ!」

 

 

 溢れ出る歓喜を、普段なら気怠そうな仏頂面に浮かべて叫ぶ弟を余所に、姉は身震いを抑えられずに沈黙していた。

 超能力者(レベル5)に勝ったという実感は、同時に一人の人間を殺してしまったという事実を否応無く彼女に突きつけていた。総身の力が抜け落ちてしまったかのような恐怖があった。後悔もまた、同じように。

 

 跡形もなく消え失せてしまったのが、逆に恐ろしかった。

 死体という現実なしに、現実を受け止めなければならないのは苦痛だった。

 きっと恨めしげに自分を睨む死体があれば、罪を背負う覚悟も出来たのかもしれない。

 けれど、まるでゲームのように何も失くなってしまったのを見ると、もしかして自分はこの先、ただの空っぽの空間を見るだけで罪悪感に駆られなければいけないのかという不安があった。

 

 

「すげぇ、本当に俺達やったんだ‥‥。もしかしたら、俺たちも超能力者(レベル5)に―――」

 

 

 若さだろうか、熱病に浮かされたかのような呟き。

 あまりにも不自然な現実に迷うかのように尻切れになった、その空白。

 無言、無音の空白に、よく響く、それでいて軽い声が入り込む。

 

 

「それは、どうかな」

 

 

 ぴたりと、呼吸はおろか、心の臓の鼓動までもが、確かに止まった。

 ありえない。そんな言葉も喉から這い出て来ない程の驚愕。否、もはや恐怖。信じられないものを見た、そんな顔だった。

 

 

「おまえ、どうして‥‥!」

 

 

 生気の感じられない、ハイライトの消えた瞳。嘲笑うわけでもない自然で、感情の見えない緩んだ口元。風もないのにはためく白衣。

 一切の傷を負うこともなく、汚れの一つもなく、今までの苛烈な戦闘などまるで無かったかのように。

 ごくごく自然体で立つ、カガリの姿がそこにはあった。

 

 

「嘘よ、空間転移(テレポート)なんて出来なかったはずーよ。あたしの支配してた空間には、何も干渉なんてなかったーわ。十一次元探査の痕跡だって!」

 

 

 空間を固定するという単純明快な能力は、実は空間を支配するという絶対の概念を持つ。固定した空間の境界平面は、何の誇張もなく彼女の支配下にある。そこから抜け出すことも、そこに入り込むことも、彼女の知らぬ間に出来ることでは断じてない。

 彼女の能力行使の半径から抜け出すならば‥‥。否、そんな議論など何の意味もない。彼女にとって、うぬぼれなくそれは“不可能”以外の何でもないことだった。

 

 

「俺だってぇ、確かに空間は“閉じ”ちまったはずだぜぇ‥‥!」

 

 

 閉じられた空間には、何も残りはしない。空気も、物質も、人間も。

 そして彼はしっかりとその目で見ていた。カガリが、超能力者(レベル5)が、空間と一緒に閉じられて、消え失せて無くなってしまうところを。

 

 

「うん、そうだね」

 

 

 ゆらり、と近づいてくるカガリの痩身を前に、思わず一歩、いや、三歩は下がる姉弟。

 確定していた勝利を簡単に覆された。それだけではない。溢れてしまった水が独りでに盆の中に帰ってきたのを目撃してしまったような気分だった。

 確かに空間を閉じた時、その中のものを実際に潰し消した感覚なんてものがあるわけではない。しかし彼らからしてみれば、超能力者(レベル5)の不死身性のキモであるはずの空間転移(テレポーテーション)を封じた状態で、空間の揺らぎから逃げだせるはずがないのだ。

 

 

「実際、かなり効果的だったと思うよ? 少なくとも、空間を閉じるっていう攻撃自体を無効化することは僕にも出来ないってことです」

 

「‥‥どーゆうことーよ」

 

「だから、その通りなんだよ。僕にも無効化することが出来ない攻撃、お見事だったってことです。君達の作戦は間違いなく成功していたのさ。‥‥問題は、それでも僕を“倒す”ことは出来ないってことなんだけど」

 

「くっ―――ッ!!」

 

 

 ぴしり、と微かに鋭い音が疾り、攻撃するためだろうか、ゆっくりと掲げられていたカガリの腕が止まる。

 ピンポイントでの空間の固定。体の一部を問答無用で固定されることによる拘束。同じ空間操作系の能力者でも外すのは至難の技。

 

 

「‥‥ふむ」

 

 

 しかし、さも何でもないことであるかのように。

 なんということだろうか、カガリはその拘束からするりと抜け出してみせる。

 

 

「馬鹿、な―――ッ!!」

 

 

 空間から抜け出すわけでも、拘束を破壊するわけでもなく。

 信じがたいことに、そう、まるで信じられないことに。

 カガリの拘束されていた右腕は、空間ごと宙に浮いていたのだ。

 

 

「あんた、その腕いったいどうなってんのーよ?!」

 

「どうなってるも何も、動けないようにしたのはキミじゃないか。しょうがないから、捨ててしまったってことです」

 

「こ、こともなげに言うんじゃねぇぜぇ‥‥!」

 

 

 切断されたのか、あるいは分離したのか。どちらにしても訳が分からない。そもそも彼女の行う空間固定には、指定した空間面に対して切断の効果を持つような操作が出来るわけではないのだ。

 となると目の前の光景は、カガリ自身によって行われたことなのだろう。血も流れず、痛みも覚えず、しかし確かに腕は切り取られている。

 

 

「まぁホラ、別に問題はないってことです」

 

 

 次の瞬間、瞬きを一回するぐらいの短い時間で、元通りになるカガリの腕。

 そして固定を解除された空間に浮かぶ、自ら切り捨てた腕が炎に包まれ、消えた。

 燃やされたわけではないように見えた。まるで糸がほつれるように、炎として分解されるように消えたのだった。

 

 

「まさか、テメェ‥‥!」

 

 

 限界まで見開いた瞳の中に、口に出来なかった言葉は全て納まっていた。

 そうだ、そうだったのだ。物理攻撃だろうと能力による攻撃だろうと、ありとあらゆる攻撃が効かないのは小細工があったからではない。ただ単純に、本当に“効かなかった”だけだったのだ。

 よく考えれば簡単なこと。能力の名前は、決して無意味につけられるわけではない。

 彼の能力は『無尽火焔(フレイム・ジン)』。決して尽きることのない火焔の化身。炎の精霊(ジン)

 拳も、電撃も、杭も、刃も、炎を消すことは出来ない。水で、風で炎が消されても、再び燃え上がるのならば何ら意味などありはしないのだ。幾度消されたとしても尽きることのない火焔の化身。故に彼は、“絶対無敵”の看板を背負っていられるのだ。

 

 

「嘘だ、そんな、何かカラクリがあるに決まってるぜぇ‥‥!」

 

「そりゃあるさ。そうじゃなかったら僕はファンタジーの存在になっちゃうってことです。もっとも、キミ達がそれを解明出来るかな? あの第一位(アクセラレータ)ですら、僕と対面してそれを解明することは不可能なのだぜ?」

 

 

 人間の体が炎そのものになってしまうだなんて、そんな馬鹿げた話があってたまるものか。自分の体の回りを炎で覆ってカモフラージュしている? それとも、遠隔操作?

 なるほど確かにカガリの言う通り、そこには必ずカラクリがある。しかし断じて小細工ではない。

 

 

「キミら、僕の能力に惑わされ過ぎってことです。僕を倒したいなら能力じゃなくて、正体について考えないとね‥‥」

 

 

 ぽつり、ぽつりと火の玉が宙を舞う。先程のお返しのように、空間を覆い尽くすかのように。それこそ再現なく、節操なく、常識無く、どんどんと増える。

 二人の姉弟を取り囲むように、逃げ場はなく、防壁すら意味をなさない多角的、多面的、多方向からの物量攻撃だった。

 

 ―――発火能力(パイロキネシス)とは非常にメジャーで、かつ威力が高く、やたらめったら応用の利かない能力である。

 その由来から言えば、本来彼らには炎を操るというニュアンスはない。古くは発火能力者(ファイヤースターター)と呼ばれ、要は発火させるという一点に特化した能力であった。それも、多くは人体発火、要は自身の体や他人の体を発火させるという報告が多い。

 しかし学園都市の能力開発は従来の超能力(ESP)の概念を進化させた。炎を意のままに操る能力者も、強度(レベル)によってはいないこともなかった。

 とはいえ限度はある。大気自体を発火させることが出来る者は少なく、多くは塵やら何やらの媒介を要するし、その彼らも発火の起点、火種は概ね自身の周りに限定する場合が殆どである。

 元は人体発火である。どうしても、拡張性にも限界はあった。

 

 だから、これほどまでの多量の火球を、これほどまでに広範囲に展開出来るのは常識外だった。

 不死身性(アンデッド)だけではない。空間転移(テレポート)だけでもない。物理性能のある謎の炎だけでもない。とにかくコイツは、発火能力者(パイロキネイスト)ではない!

 

 

「だから教えてあげたってことです。―――能力ばっかり探るから、失敗するんだぜってね」

 

 

 一気呵成に、悲鳴も怒号も塗り潰す勢いで殺到する全ての炎弾。一切の情け容赦なく、炎は二人の姉弟を襲う。

 必死になって防ごうとしても、全く意味がない。自分の周りの空間ごと固定してしまえるだけの間合い、余力は既になかった。空間を歪ませて弾き飛ばすには、あまりにも多く、そしてあまりにもあらゆる方向から押し寄せていた。

 

 

「ぐ、が、あ―――ッ?!」

 

「こんな、そんな、馬鹿にされて―――ッ!」

 

 

 焔は焼かない。燃やさない。ただ打ち据える。

 『無尽火焔(フレイム・ジン)』の能力の一つ。燃やさない焔は、まるで野球ボールのように二人の体に激突していく。当然そりゃ軽い火傷ぐらいはするだろうが、実に優しい。というよりは、嘗めきっている。

 途端に二人の頭は沸騰するが、それもすぐさま顎やらコメカミやらを直撃した炎弾によって強制的にシャットダウンさせられた。‥‥優しい、なんて言葉は間違いだったかもしれない。尽きることがないかと錯覚するほどに大量の硬式ボールを、凄まじい速度で全身にあちらこちらから叩きつけられることが、優しい所行であるはずはないのだから。

 

 

「‥‥ま、こんなところかなってことです」

 

 

 聞くに堪えない断続的な殴打の音の後に、その場に残っていたのは全身を真っ赤に、あるいは真っ青に、いやしかしやっぱり火傷で真っ赤に染めて、もはや満身創痍の虫の息で横たわる二人の姉弟だけであった。

 超能力者(レベル5)と喧嘩をした数少ない連中の末路に比べれば遙かにマシだっただろうが‥‥。そいつらは暗部の闇に消え失せたので、おそらく表の世界では『最も酷い末路を迎えた』身の程知らずとして噂されることだろう。

 

 

「さぁて、いつになったら僕のことを消し飛ばせる人が現れるのかなってことです。一方通行(アクセラレータ)すら、真っ向勝負じゃ僕に勝てないんだからなぁ‥‥」

 

 

 やれやれ、とこともなげに頭を振ったカガリがゆらりと振り向いた。

 その視線の先には、いっそ超能力者(レベル5)よりもド派手な激闘を繰り広げる二人の姿。能力者の街である学園都市での能力バトルでは珍しい肉弾戦。

 それもそのはず、なにせ黒髪を流麗に振り乱して戦う片方の少女はれっきとした無能力者(レベル0)である。いくら異能力者(レベル3)が相手とはいえ、本来ならば比べることすら間違った組み合わせ。

 

 

「‥‥少し心配ではあるけど」

 

 

 助けに行くべきか、行かざるべきか。

 しかしそのさらに向こうでお気楽に缶コーヒーなんぞをグイ飲みしている友人を見るに、どうやら焦って手助けするほどのことでもないようである。

 あの白髪赤目の少年は、流石に一度見知った相手を見殺しにする程に冷徹ではない。それに自分などよりは余程戦いというものに精通している。彼が楽観を決めつけているなら、特に問題はなさそうだ。

 

 

「ま、啖呵を切っただけの腕前は見せて貰おうかなってことです。ね、佐天涙子サン?」

 

 

 圧倒的な実力を以て当然のように勝利を攫った二人の超能力者(レベル5)に見守られ、学園都市最弱に過ぎない少女が、また大きく髪を振り乱し、清冽に舞う。

 勿論こちらの決着も、同じくもうすぐのことであった。

 

 

 

 

 



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第16話 『身体強化、没個性、少林寺拳法』

遅くなりましたが最新話をお届けします! 今回は没個性‥‥もとい佐天さん無双です!趣味爆発です!
アニメ二期も熱い展開目白押しで、見ていて疲れてしまうぐらいですね!拙作もとっとと原作の流れに入ってしまいたいものです!


 

 

 

「おおおおおおおおお―――!!!!」

 

 

 ぶぅん、と大気を斬り裂く唸りをあげて拳が迫る。

 もはや人間の腕とは思えない、丸太そのものと化した凶器。その先についた拳は岩塊か何かだろうか。

 当たれば骨はおろか、内臓まで持っていかれそうな一撃。まともに受けるのはどう考えても下策。佐天は横合いから大きな円を描いて迫る豪腕を前に、ヒョウ、と短く息を吐いた。

 

 

「え゛ぁッ!!」

 

 

 狙われた顔面をカバーするように、相手の攻撃に対して真っ直ぐに手刀を突き出した。

 手首の裏側にある“寸脈”と呼ばれる急所めがけて、適切な角度、適切な速度、適切な威力の鋭い一撃。攻防一体の受け技。だが―――

 

 

「―――ッ?!!」

 

 

 一瞬の判断。瞬きの間に覚えた悪寒を頼りに、大きく後ろへと飛び退る。

 ミシィ、と骨が鳴る前に、肉の悲鳴が本能に警鐘を鳴らした。少なくはない経験もまた同じく。

 

 

「止められない! なんてパワーなの?!」

 

 

 吹き飛ばされた勢いを利用して素早く後転し、隙なく起き上がる佐天。その表情は実に渋い。

 受けた左手はジンジンと痺れていた。幸い、骨までは痛めていない。しかし寸分の狂いなく急所を打ち抜いたはずが、まったく効果はなく、こうして自分が圧し負ける。

 確かに体重は軽く倍は違うことだろう。とはいえ今の攻撃は、予測していたものよりも協力。それは認めなければいけない。たった一撃とはいえ、武道家たる自分が競り負けたのは実に悔しかった。

 

 

「‥‥さっきも聞いたが、心得があるみたいだネ。流派を聞いても?」

 

「金剛禅少林寺拳法准拳士初段、佐天涙子」

 

「少林寺‥‥? それはアレかい、サッカーの映画で有名な?」

 

「それは少林拳。よく間違われるけど、あっちは中国拳法で、こっちは一応純国産の武術よ」

 

 

 強く拳を握り、痺れを堪える。骨まで達していないなら、肉の傷みは我慢の範疇だ。力も入る。問題はない。

 それよりも問題なのは、予想外にも強い相手の力。

 見た目以上に協力だった。ただの馬鹿力、といえばその通りではあるが侮れない。力が強い、体重が重い相手との稽古は十分に積んだつもりである。しかしこれほどまでとは。

 

 

「聞いたことない武術だけど、マイナー武道家相手でも手加減はしないヨ?」

 

「上等って言ってんでしょうが。そっちこそ腕っ節だけで真っ当な武道家に勝てるとは思わないでよねッ!」

 

 

 音もなく踏み込み、中段と上段への回し蹴り。脛でも脚の甲でもなく、しっかりと指を立てて前足底での刺すような強烈で素早い蹴り。だが、こともなげに垂らされた腕と、くいっと竦められた肩の筋肉で止められる。

 如何に佐天の体重が軽いとはいっても、踏み込みの勢いだけではなく純粋に速度の威力が凄まじい。生半可な受けでは、その隙間を強引に通してしまうだけの力がある。‥‥そのはずだった。

 

 

「‥‥へぇ、意外にやるねぇ」

 

「くっ!」

 

 

 効かなかったことは蹴った瞬間に理解した。蹴り足をそのまま下ろさず再び水月へ一直線に吸い込ませる、三段蹴りも、分厚い筋肉の前に弾かれた。

 本来ならば大きく踏み込んで逆突きにいくべきところを、踏み込めない。能力によって異常なまでに膨張し、鋼のように硬直した筋肉が持つ迫力が佐天をして踏込を躊躇わせる。

 

 

「本当なら蹴りを受け止めて、ぶん投げてしまおうかと思ったんだケド‥‥。それが出来ないぐらい速い。そこらへんの不良とはワケが違う。戦い応えがあるみたいで、安心したサ」

 

 

 大きく間合いをとった佐天にゆっくりと近づいていく。あまりにも無造作で、あまりにも無防備。しかし佐天は動けない。

 もともと彼女のスタイルは待ちを基本とするカウンターファイターだ。今まで多くの相手はすぐに殴るなり蹴るなり掴むなりしてきたので、対処は容易だった。ある意味では、体格や腕力においてはさておき、彼女は常に自分より弱い相手としか実戦をしたことがなかったのだった。

 

 

「まぁ、遠慮なく叩き潰させてもらうけどネッ!」

 

「‥‥ッ!」

 

 

 動くに動けない緊張の中、漸く自らの間合いへと入った男が拳を振り上げた。

 宣言通り、上から叩き潰すかのような大振りな拳槌打ち。無論その威力は実際のハンマーのそれと何ら変わらないことは疾うに理解出来ている。受けては潰れる、躱す! 佐天は大きく横へステップを踏み、顔面を防御しながら蹴りで反撃。しかし、やはり効かない。

 

 

「硬過ぎんでしょjk!!」

 

 

 打ち下ろした腕を八方目の端で確認すれば、見事に砕けた石畳。そして息つく暇もなく襲ってくるバックブローを鼻先を掠めさせて何とか避ける。

 だが、膨れ上がった筋肉を盾に使って、男の攻撃は止まらない。バックブローの勢いをそのままに、下からすくい上げるようなアッパー。溜まらずこれは前方に大きく身を投げ出して躱した。

 

 

「くるくるとよく動くねぇ、君はサ」

 

「そりゃこっちの台詞よ、コマみたいに回って!」

 

 

 躱し際にさりげなく蹴りを腕に叩き込んでいるが、大して効果はなかったようだ。流石に堪えた様子はあるが、的が大きい分、砕くつもりで蹴っているのにそれだけの効果が得られない。

 あの独楽のような動きも厄介だった。胴体は筋肉の鎧で守られており、そうそう簡単に守りを突破出来ない。その分だけ大胆に、出来る限り威力やスピードを殺さないような動きに特化している。

 どんな武術とも格闘技とも違う。術、技というのは弱い者が強くなるためにあるといっても過言ではなく、彼の動きはひたすらに、強いものが強いままであるために洗練されたものだった。

 

 

「独楽とは酷いな。もっとこう、風車とか何とか勇壮な例えを使って欲しいものだネ」

 

「どっちでも変わらないじゃないの。ていうか独楽ディスりっぷり半端ない件について」

 

「女の子の玩具っぽくて好きじゃないのサ」

 

「男の子の玩具にもあるじゃない」

 

「僕は世代じゃないからなぁ、アレッ!」

 

 

 軽口も程々に、再び二人は動き出す。

 まるで赤ん坊をあやす時に使う、でんでん太鼓のように両腕を振り回し、ひたすら愚直に佐天を殴り倒そうとする身体強化(レイズポテンシャル)に対し、左右や背後に気を配りつつ、追い詰められないように佐天は立ち回っていた。

 基本的には体を反らして顔面の寸前を拳が掠めるような反身。あるいは鋭い踏み込みに対しては、頭を大きく横に躱す振身。さらに体の動きに加えて腕を使って攻撃を受け、あまつさえ相手の体勢を崩して反撃する。

 

 

(‥‥侮れないネ)

 

 

 高度に完成された法系に支えられた、最適な防御と最適な反撃。筋肉の鎧によって守られているとはいえ、こちらの攻撃が当たらず、向こうの反撃は当たるという状況はなかなかに苦々しいものだった。

 まともに当たればコンクリートですら砕ける一撃が、まったく当たらない。自分の攻撃は単純な馬鹿力ではない。生半可な攻撃はしていないはずである。

 彼の立ち回り方は、既存のどんな武術とも整合しないものだった。そもそも一般的な体型を想定した武術と異なり、非常識なまでに膨張した筋肉を使った、非常識な動きなのだ。馬鹿力に任せた戦いではなく、馬鹿力を有効に活用するための戦い方である。そうそう馬鹿にされるつもりはない。

 しかし彼女には通用しない。いや、通用はしている。事実、自分の受けているダメージは微々たるものだ。彼女も防戦一方であり、おそらく防御()けている腕も決して万全ではないだろう。少なからぬ痺れや打ち身があるはずだ。

 だが―――

 

 

(あまり認めたくもないけど、こっちも無視できるほどのダメージじゃないのサ‥‥!)

 

 

 何故か打ち込んでいるはずのこちらの、はるかに重いはずのこちらの、はるかに速いはずのこちらの腕がしびれている。

 主に手首から数センチ上の、内側の部分。この辺りが、防御()けられた時に強く打ちつけられている。そのから伝わる痺れが、打ち付けられるごとに次第に肩へと伝わり、おそらくこのまま続けていれば拳は握れなくなる。

 彼の能力は微弱な電流によって筋肉を膨張、硬直、強化するものであるが、更に攻撃の重さを増すために特殊なリストバンドを巻いている。大きさのわりにやたらめったら重い学園都市の特別性だ。これがあるからこそ、彼の攻撃は並の格闘家の威力を超えるわけだが、このリストバンドぎりぎりを打ち据えられ、だんだんと眉間の皺も深くなっていた。

 

 

(‥‥痛い。やっぱり真っ向から殴り合える相手じゃなかったか)

 

 

 一方の佐天もまた、それ以上に歯を食いしばって耐えていた。ただでさえ細見で華奢の部類に入る佐天にとって、まるで太くて硬くて重い鉄の棒を叩きつけられているような気分だった。骨で受ければこちらが折れてしまうから、掌を広げ、腕の筋肉を張って受け止めていた。

 無論、ただ受け止めるだけでは吹っ飛ばされてしまう。だから彼女は初撃を受け止めた時と同じように、相手の手首や腕の内側にある“急所”を狙って防御をすることで僅かにその勢いを逸らすことに成功していた。

 それは相手が佐天と同じような、或いは普通の人間と同じような腕の作りをしているならば実に効果的だったことだろう。今のところ身体強化(レイズポテンシャル)は微かな痺れを感じているぐらいだが、常人ならば既に両手の間隔が消え失せていたっておかしくはない。

 

 しかしいくら熟練の拳士である佐天を以てしても、この体格差、体重差はどうしようもないほどに拭いがたい差。

 物理の世界の常識として、重いものと軽いものがぶつかり合えば、軽いものが吹き飛び、場合によっては壊れてしまうのは道理。

 故にもはや脂汗すら流し、佐天はこの状況を打開する策を考えていた。

 

 

「―――、―――。―――、―――」

 

 

 鼻から肺いっぱいに息を吸い込み、その七分ほどを口から出して呼吸を整える。

 ジンジンと響く腕の痛みを意識の外へと追いやり、キッと目の前の敵を睨み付ける。辛い時、キツイ時、痛い時、苦しい時。それを我慢して、えぇい、と気合いを入れる稽古は十分に積んでいた。

 

 

(ちょっとえげつない方法で―――ッ?!)

 

 

 びゅおん、と唸りをあげて再び拳が飛んでくる。先程までと何ら変わらない普通のストレート。だが、考えがまとまっていなかった佐天は大きくスウェーバックでそれを躱す。

 二撃目、三撃目が来ても十分に対応出来る安定した姿勢は教科書のようで、さっきまでもそれで十分以上に対応出来ていた。

 

 

「かかったナ‥‥ッ!」

 

 

 ニヤリ、と嗤い二撃目を放つ。

 初撃と同じ軌跡を描きながらも、狙う場所は遙か手前。石畳の地面。

 

 

「―――ッ?!」

 

 

 砕かれる石畳、飛び散る破片。

 もはや飛び散った、などと形容しがたい程の破壊と勢いは、何の変哲もない石の欠片を散弾銃の如き威力へと変貌せしめていた。

 一つ一つが掌よりも大きな、砕けた石畳の砲弾が佐天を襲う。躱すには数が多すぎるし防ぐには重すぎて速すぎる。佐天に出来たのは顔面と肋骨、胸骨などの部位をとにかく守って堪えることだけ。

 

 

「‥‥と、飛び道具は卑怯でしょjk」

 

「jkは君‥‥いや、中学生かナ。どうでもいいケド、卑怯だなんて言葉は嫌いだヨ。使えるものは何でも使うのが戦いってものだロ」

 

「それでも嫌いなものは嫌いなのよッ!!」

 

 

 軽く切れた額から血が滲む。稽古での怪我は日常茶飯事であるが、やはり実戦での怪我は心理的圧迫の度合いが桁外れであった。

 骨まで折れてはいないだろうが、あの鋼のような腕を受け止めるよりも遙かにダメージが濃い。もはや受け止めるという体裁すら繕うこと適わず、ただ打ち据えられる無様な失態を描いた己が情けなくて、涙が出る。

 

 

「さて、手痛い思いをしてもらったところで悪いけれど、容赦はしてあげないヨ。君は中々の手練れだけど、二度と無能力者(レベル0)が高位能力者に挑もうなんて考えないように、徹底的にヤらせてもらう」

 

「この変態!」

 

「何故そうなル?!」

 

 

 叫ぶと同時に、宣言通り一切の容赦をしない右腕が今度はコンクリートの壁を削り取って弾丸にする。地面よりは砕きやすくて飛ばしやすいからか、先程よりも苛烈だった。

 だが佐天とて同じ手を二回喰らうような愚か者ではない。自らの左前方から瓦礫の砲弾が飛んでくるのを見てとるや否や、素早く体を投げ出した。

 

 

「く‥‥ッ!」

 

 

 地面についた右掌から腕を伝って肩へ、そして反対側の腰へと地面を転がり立ち上がる。転がる時に何個かの瓦礫が脚を掠り、痛みはそれほどでもないが傷は深く、出血が心配だ。

 佐天は稽古の量も人並み外れているが、喧嘩の数もそれなりだった。そして飛び道具は死ぬほど大嫌いだった。死ぬ、というのは、相手が、という意味である。

 

 

(遠くにいれば何でも砕いて投げてくるし、無理して近づいたらその隙を狙われる。っとに、冗談じゃないっての!)

 

 

 ぎしり、と音がなるぐらいに歯を食い縛り、ちょっと年頃の女の子としてはどうなのかと思ってしまうぐらいに苛烈な殺気を滲ませる。その強烈な目つきに、思わず身体強化(レイズポテンシャル)も後ずさった。

 だが容赦はしないと言った手前、それこそ礼儀として手加減は許されない。殺すわけにもいくまいが、再起不能ぐらいは覚悟してもらわないと。

 

 

「これ以上怪我はさせたくないナ。降参してくれないカ?」

 

「冗談。そのいつまでも上から目線の気に食わない根性叩き直すまでは諦められますかっての」

 

「そういう態度だけは嫌いじゃないゼッ!」

 

 

 地面が砕けるほどの踏み込みから、さっきと同じような左右の腕による連続攻撃が再び佐天を襲う。余裕があるように見えて、彼へのダメージも次第に蓄積されていた。佐天ほどではないが、あまり長引かせたい勝負ではない。

 一方の佐天も限界ぎりぎりだ。拳を握ることも辛くなってきた程に両手は痺れ、あちらこちらの皮膚が切れて血が流れていた。

 

 

「ッ指弾‥‥! あーもう許さない、絶対に許早苗!」

 

 

 拳による攻撃に、小石を指で弾いての小技も馬瀬始めた男に、佐天の怒りも爆発する。

 もちろん卑怯を謗っているわけではない。単純に自分が苦手な部分を突かれ、イライラが頂点へ達した。そして今まで彼女は飛び道具を使ってきた相手に容赦したことはない。

 

 

「よし、ちょっとタンマ! ザ・ワールド!!」

 

「‥‥?」

 

 

 唐突に佐天が吠えた。

 ビリビリと空気の震えが伝わってくるかのような大音響。武道家は肺活量と瞬間声量も半端ではない。両手を使ってTの字を作り、清々しいまでのストップをかけた佐天に、思わず身体強化(レイズポテンシャル)も呆気に取られて攻撃の手を止めた。

 

 

「‥‥容赦しないって言ったわよね。あたしも限界近いから、手加減やめるわ。全力で戦わせて貰うよ」

 

「―――まさか、今まで手を抜いてたってことカ?」

 

「そういうわけじゃないけどね。ただ、ベストじゃなかったってこと。使ってない技もあるし、用意も足りないし。ちょっと調子に乗ってたのもあるし」

 

 

 手早く髪の毛をゴムで括り、白い花びらの飾りを外す。靴を脱ぎ捨て、靴下すらも放り投げた。

 スカートの下は最初からスパッツを履いているので特に気にした様子はない。そもそも中が見えてしまう程、遅い蹴りを佐天は放たない。

 

 

「これ、意味わかる?」

 

 

 靴を脱いで地面を踏みしめた足を指差し、ニヤリと笑った。

 

 

「グローブを外したのよ」

 

「‥‥はぁ?」

 

「あ、馬鹿にしてるでしょ。言っとくけど、さっきまでと同じように私の蹴りを受け止めない方がいいわよ。ちょっと、いや、かなり痛いと思うから」

 

 

 呆気に取られた様子の身体強化(レイズポテンシャル)を前に、不敵な笑顔を浮かべながら揃えた指先でクイックイッと挑発する佐天。

 なんとも珍妙な気分だった。先程まで明らかに自分が優勢だったはず。現に目の前の年端もいかない症状は全身に怪我を負い満身創痍の体でいる。或いはからかわれているのかと、みしりと身体強化(レイズポテンシャル)の奥歯が鳴った。

 

 

「やってヤル―――!」

 

 

 安い挑発だと思った。だからこそ乗ってやろうと殴りかかった。

 真っ正面から、顔面を守る佐天のガラ空きになった腹部へのストレート。腰の捻りと上半身の筋力を余すことなく使った全力の突き。まともに食らえば内臓なんてひとたまりもない。

 

 

「―――ッ!」

 

 

 佐天が鋭く息を吐いた。

 顔面近くを守っていた掌が素早く下がり、コロのような捻りを足して身体強化(レイズポテンシャル)のストレートを受け流す。

 そして間髪いれずに、ほぼ同時に跳ね上がる膝。その膝の勢いを使って前へと伸び上がる脚。狙いは分厚い筋肉に包まれた中段。何を馬鹿なことを、同じ真似を、とニヤリと口が緩む。

 

 

「え゛ぁッ!!」

 

 

 そのニヤリと緩んだ口が、母音に濁音をつける佐天の独特の気合と共に、驚愕の形に歪んだ。

 全幅の信頼を寄せていた圧倒的な厚さと硬さを持つ自らの腹筋。その腹筋を通り抜けて、内臓へと達する蹴りの衝撃。

 痛みよりも先に眩暈と吐き気が込み上げる。衝撃で体から力が抜ける。そして同じく緩んだ拳に感じる、嫌な予感。

 マズイ! このままではマズイ!!

 

 

「お、おおおおぁ―――ッ!!」

 

 

 遮二無二、両手を振り回し、その勢いを使って大きく少女から距離を取る。

 先程までの佐天の突きや蹴りの衝撃を、さらに強くした鈍い痛み。断じてそれだけで戦闘不能になるような威力ではない。筋肉はさておき、自分は頑丈だ。

 ―――だが、今までのように筋肉の鎧を頼りに、受け続けて良い威力では決してない。

 

 

「‥‥突き蹴りに大事な要素って、色々あるんだよね。本当はパワーなんて二の次。一番大事なのは、適切な箇所を最速のスピードで、最適な角度で打ち込むこと。それも、面じゃなくて点でね」

 

 

 横一文字に見えるように、五本の指を張った掌を腰の前へと構えた独特のファイティングポーズ。淡々と、或いは自信たっぷりに佐天は口を開いた。

 身体強化(レイズポテンシャル)は動けない。筋肉の鎧に防御を任せて突っ込んでいた、今までとは話が違う。蹴り一発で思い知った、互いの戦闘能力が拮抗しているという事実を。ならば、安易な踏み込みはカウンターを旨とする彼女相手では逆効果なのだ!

 

 

「靴履いてると怪我しないで済む分だけ、蹴りづらいのよね。靴って重いし、足が思う通りに動かないし。だからグローブを外したって言ったわけ。

 素足だったら筋肉の隙間を狙って、足首を上手く動かして、最速で蹴り込むことが出来る。ちょっと瓦礫で怪我しちゃうけど。短時間で決着付けて手当しちゃえばいいわけだし」

 

 

 ジリ、と佐天が間合いを詰める。だが身体強化(レイズポテンシャル)は下がれない。

 下がったら負けだと思った。いくら自分が能力によって膨張させた筋肉によって常人離れした運動能力を手にいれているとはいえ、どうしても小回りは効かない。追い詰められてしまえば、そこで終わる。

 

 

「本当は守りに徹したかったんだけど、血も流れすぎたし、こっちから行くよっ!」

 

「ッ!」

 

 

 一息で踏み込み、跳ね上がる脚。

 狙いは上段、反射的に大きく膨れ上がった肩の筋肉を使ってガードする。だが筋肉の隙間に打撃を喰らい、ミシリと骨まで悲鳴を上げた。

 

 

「おぉおっ!!」

 

 

 ガードした腕を使い、必死の叫びを上げてのストレート。だが知っていた、するりと暖簾に腕を通したように躱され、先程と同じ位置に中段突きが刺さる。

 

 

「ぐ‥‥ッ!」

 

 

 否、突きだけではない。次の瞬間には蹴りも入っていた。殆ど間のない二連攻。しかもこちらのストレートを受け流された時に生じた、一瞬の隙、筋肉の弛緩を狙っての攻撃だった。

 普通の人間に比べて能力を使って筋肉を膨張させている彼には、無意識における弛緩もそこまでの差ではない。とはいえ今までのそれと比べると、グローブなしの打撃は堪える。

 

 

「まだまだぁ!!」

 

 

 蹴り足をそのまま再び体に引きつけ、体重のかかった膝の裏を狙った足刀。いわゆる洗練された膝かっくんに、思わず倒れそうになりながらも彼は耐えた。

 ここで倒れてしまえば無防備に背面を晒すことになる。それがどれほどまでに危険か、もはや本能で察していた。

 

 

「っしゃあ!!」

 

 

 敵が近いのを見てとるや、腰を捻って渾身の裏拳、バックブロー。

 だが肘の付近を掌で打たれ、佐天はその勢いのまま無傷でフワリと間合いを取る。洗練された武の動き。まったく掴めない、焦りが生じる。

 まるで得体のしれない何かを相手にしている気分だった。動きは先程までと変わらないのに、圧倒的有利と共に、身体強化(レイズポテンシャル)の余裕も吹き飛んでいた。

 

 

(あれだけ大口叩いて、不利になった途端に引け腰なんて無様は晒せるかヨ‥‥!)

 

 

 肉体を頼みに戦う連中は須くプライドが高く、そして彼は特に自身の実力に比して誇り高かった。

 何か理由や言い訳をつけて負けや不利を誤魔化すなんて絶対に許せなかったし、そしてそれ以上に、負けを認めるのも嫌いだった。

 だから、吼えた。

 

 

「でりゃあああ!!!」

 

 

 大きく体を振って、フェイントも何もない上段からの振り下ろし。

 だがどれだけ気合いを入れても変わらない。さっきまでだって決してことさら手加減していたわけじゃない。しかし当たらなかった。ならば、今だって当たるはずがない。

 

 

「ぐ‥‥ッ!」

 

 

 跳ね上げた掌が切り上げるようにして振り下ろしをいなし、再びの蹴り。もう何回、同じところに蹴りを入れられたのか分からなかった。

 確かに蹴りの威力は上がった。だが問題はそちらよりは、完全にペースを佐天に掴まれてしまったことか。動揺はどうしても治まらず、気ばかり焦る。元々まったく攻撃は通用していなかったという事実を実感させられる。ただただ翻弄される。

 だが―――ッ!

 

 

「掴んだヨ‥‥ッ!」

 

 

 例え威力が増し、的確な位置に的確な角度と最速のスピードで突き蹴りを入れることが出来るようになったとしても、身体強化(レイズポテンシャル)によって強化された筋肉の鎧の防御力は絶大だ。

 ただの一撃も堪えられないはずはない。そう覚悟を決めた。そして、耐えた。

 その成果は大きい。間合いを取られる寸前で、間一髪掴むことが出来た、右腕。容赦はしないと放った、その言葉を証明する。

 

 

「悪いケド、この腕を貰うゼ‥‥!」

 

 

 関節技なんて知らないが、この腕力で無理矢理へし折ってしまえば良い。ちょっと勝ち方としてはエグい部類になるけれど、容赦はしないと確かに言ったのだ。

 流石に腕の一本も折れば観念するだろう。そう思って力を込めた時だった。

 

 

「―――浅薄」

 

 

 掴まれた場所を支点に、自分の手首を回転する。そのとき掴まれた手の甲を覆ってやり、固定。キュ、という音がするぐらい鮮やかに腰の捻りを使って手首を圧迫、その動きに連動して肘と肩もロックされる。

 

 

「ッ?!」

 

 

 引っ張ろうとしたのに、引っ張れない。まるで地面にアームをついたユンボだ。自分の体が引っ張られ、ぐらりとバランスが崩れた。

 肘と肩のロックも相まって、お辞儀のように膝をつく。ミシリ、という音が手首から聞こえた気がした。

 

 

「が、あ―――ッ?!!」

 

 

 Sの形に極まった手首に切り込むように体重をかける。故に龍華拳が一、切り小手。

 疾る激痛に、思考が乱れる。前にも後ろにも逃げられない。二人分の体重がかかっているのだ。バランスは既に佐天によって制御されるが儘。しかしこのまま無防備な首筋を晒してしまっていては更にマズイ。

 

 

「畜生がぁぁああッ!!」

 

「ッ?!」

 

 

 もはや形振り構わぬとばかりに、握り込んだ左拳を全力で地面に叩き込んだ。

 その豪腕、佐天の脚を狙ったものではなかった。乾坤一擲の一撃は、石畳を割り砕き、深く罅を入れる。

 流石の佐天も足場へ一瞬にして罅が入れば隙も生まれる。ただその隙を狙い、再び吼えた身体強化(レイズポテンシャル)が極められた腕ごと佐天を放り投げる!

 

 

「極まったと、終わりだと思ったかテメェエエ―――ッ!!!」

 

 

 フワリと猫のように、しなやかに隙なく着地した佐天を追って身体強化(レイズポテンシャル)は跳んだ。

 振り上げるのは右腕。そして振り下ろすのは左腕。近代武道やスポーツにはない、両手による完全同時攻撃。まるで狼か、或いは虎か獅子か、はたまた龍か。鋭く牙の生えた顎が閉じれば、どんな腕自慢であってもひとたまりもなかった。

 

 

「フ―――ッ!」

 

 

 だが猛獣の顎を前にも怯む気配もなく、鋭い呼気と共に、ひゅおんと佐天の腕が撓った。

 蛇のようにしなやかで素早く、音のない疾風。拳ではない。掌でもない。揃えた指先が狙ったのは、むき出しになった眼球。

 

 

「目つぶしだとッ?!」

 

 

 清冽な戦いっぷりとは反転、こちらも容赦のない急所狙い。対戦相手の今後の生涯など知ったことか、と言わんばかりの技に思わず身体が硬直する。

 しかしもはや退けない。正確無比な狙いならば逆に躱すは容易い。ぎりぎりまで引きつけ、額で受け、指を砕き、その隙に両腕を叩き込む!

 まるでコマ送りのように、眼前へと迫る佐天の白くて細く、長く、美しい指先。整えられた爪。一秒にも見たぬ呼吸の隙間が永遠のように感じられ、正に爪が睫に掠るか否かの瞬間。

 

 

「‥‥か、あ‥‥そんな‥‥ッ?!」

 

 

 ぐらり、と身体強化(レイズポテンシャル)の身体が傾く。

 今まさに飛びかからんとしていた勢いを完全に殺され、全身の力が抜けたかのように崩れ落ちる。

 戦いに興奮し、紅潮していた顔は一転青ざめ、歯の根は合わず、ただただ震えるばかり。もはや立つことも、走ることも、殴ることも適わぬ。ひたすらに苦痛を堪え、衝撃を押さえ込む。それしか出来ない。

 ‥‥さもありなん、佐天の目突きに集中していた彼は気づけなかったのだ。目に見えない速度で放たれた、佐天の金的蹴りに。

 

 

「卑怯‥‥者‥‥!」

 

「卑怯も何もないのが、あんたの流儀じゃなかったの?」

 

「だからといって、こんなのがあるかヨ‥‥!」

 

 

 男は女より一つ急所が多いとされている。言うまでもない、睾丸、金的である。

 ここを素早く、つま先で引っかけるように打たれてしまえば堪ったものではない。大した力も要らないから速度は普通の蹴りと比較するまでもなかった。

 身体強化(レイズポテンシャル)の両手突きも不可避の必殺技であったが、こちらも同じく、必殺の目潰しを囮にしての不可避の必殺。いわば二重の構えである。

 その効果ときたら、ご覧の通り。

 

 

「どんなに鍛えても、鍛えられないところはあるってね。潰れてはないはずだけど、とても動けないでしょ?

 こうなってしまえばあとは簡単。この佐天はこのようにゆっくり近づき、花を摘むようにあんたの命を刈り取るまでよ」

 

 

 身体を起こせば殴れる、掴める距離に近づかれても、男は動けない。事故で金的を打つことはあっても、それそのものを目的として、最適な一撃を金的に受けたことがある者はそうそういないはずだ。

 我慢して、すぐに身体を起こせるような生半可なものではない。故に必殺。相手を必要以上に傷つけず無力化するのに、これほどまでに適した攻撃があるものか。

 

 

「ま、そんなことはしないけどね。降参も聞けなさそうだし、軽く眠って貰おうかしら。言うこと、ある?」

 

「‥‥!」

 

 

 腹の中へと引き上がった睾丸の痛みに苦しめられながら、身体強化(レイズポテンシャル)は脂汗に覆われた顔を歪めて笑った。

 無能力者(レベル0)の少女一人を倒せないで、どうして超能力者(レベル5)に勝てると思ったのか。ばかばかしい、やられてしまった、あぁ畜生、こんなものだったのかよ。悔しさ、憎しみ、ある意味では喜び。色んな感情が駆けめぐった顔だった。

 

 

「次は負けないヨ‥‥!」

 

「あ、そう。じゃあまたね」

 

 

 互いにニヤリと笑みを見せ、佐天は拳槌を振り下ろした。

 後頭部の、髪の毛の生え際。軽く、しかし体重をしっかり落とした一撃は青年の意識を簡単に吹き飛ばし、地面へと打ち倒す。

 だが、佐天もそれで限界だった。体中が痛い。出血も酷い。もしかしたら残っちゃうかもなぁ、せっかくの美少女なのにと独りごちて、フラリとよろめいた。

 

 

「あ―――」

 

「おっと」

 

「派手にやったなァ、生きてンのか没個性?」

 

 

 足を縺れさせ、ぐらつき、倒れそうな佐天を支えたのは同じく一戦やらかした超能力者(レベル5)の二人。

 もっとも支えたのは年下にはめっぽう優しいカガリであり、一方通行(アクセラレータ)はそっぽを向いたっきり。あまりにも薄情に見えながらも、その言葉からはどうやら佐天の戦いっぷりはしっかり見ていたことが分かって、思わずヘッと笑いが溢れる。

 

 

「かっこつけちゃって、超能力者(レベル5)共が」

 

「そりゃ僕らは余裕あるってことです」

 

「じゃなきゃ超能力者(レベル5)じゃねェだろォが」

 

「知ってるけどね。あーあー、先は遠いなぁ」

 

 

 よいしょ、と佐天を背負ってカガリが歩き出した。二人は無傷だが、佐天は結構な大怪我。病院に連れていかなければならないだろう。

 良い医者に診せなければ傷が遺ってしまうかもしれない。女の子にそれはつらかろう。もっとも、そういう気遣いが出来るのはカガリだけで、一方通行(アクセラレータ)はまるで気にした様子はなかったが。

 

 

「‥‥まさかテメェ、超能力者(レベル5)にも勝つ気かよ?」

 

強能力者(レベル3)に勝ったぐらいで、随分とまた剛毅な女の子ってことです」

 

「うっさいわね。夢はでっかく、よ。説明はしんどいから、また今度ね」

 

「はぁ、凄い子だ」

 

「一度痛い目でも見ねェといけねぇンじゃねェか、この没個性はよォ‥‥?」

 

 

 いったい何がそこまで彼女を戦いに駆り立てるのか。或いは単に意地の張り合いなのか。

 どちらにしても自分たちの周りには濃い人間ばかり集まるものだと顔を見合わせた二人の超能力者(レベル5)。無論、自分たちのことは棚に上げているのはお約束。

 この拳法少女についてはまだ色々と話すことはあるのだが‥‥。それはまた、次の機会に回すこととするのであった。

 

 

 

 



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