Infinite Stratos -Children's small dream- (Tommy)
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Fragment 1
それは始まりの日の出来事。三人の子供が夢を追い求めると誓った夜。
「いつか皆で、空に行こうよ」
八月の下旬。夏休みも終わりが近づき、もうすぐ新学期が始まるという日の夜。夏休みの思い出作りにと無断侵入した小学校の屋上で、篠ノ之束は幼なじみ二人に向けてそう言った。
天を仰げばそこにあるのは満天の星空。皆で見上げるそこから目を離さずに、けれど万感の思いを込めて、束は自分の言葉を二人に伝える。
「ずっとずっと続く無限の空へ。そこには私たちが憧れ続けたものがあって、手を伸ばせばきっと届くんだ。それはとても素晴らしいものだと私は思うから」
「皆で空へ行こうって?」
「うん」
それは束がずっと胸に秘めていた夢。星の海を自由自在に泳ぎたいというもの。言葉足らずに精一杯に、初めて吐露する夢だ。スペースシャトルなんかでは届かないようなもっともっと先の宇宙へ皆で行きたい。
束は星を見るのが好きだった。それは大好きな幼なじみ二人も同じで、三人はずっと一緒に星を見上げながら今日まで生きてきた。デネブ。アルタイル。ベガ。シリウス。アルビレオ。リゲル。レグルス。アンタレス。プロキオン。フォーマルハウト。ペテルギウス。ボルックス。他にも様々な星々を天体望遠鏡で観察してその煌めきに感動してきた。もはや魅了されている。どうしようもなくどこまでも。
ともすればこれは当然の帰結なのかもしれない。子供は夢を見る。叶うかどうかは関係なくそれは当たり前の事のことなのだから。
「柄にもなく詩的だな。なんだ、漫画の影響でも受けたのか?」
笑う事はなく、けれどどこか呆れたような声音で、織斑千冬はそう言った。
「まぁ、面白そうではあるけどな」
思いっきり笑いながら、けれどその光景をを思い浮かべて目を輝かせながら、佐倉弥月はそう言った。
彼ら二人はそういう奴だ。けして束のことを馬鹿にしない。他者から見て、それは無為な事だと断じれそうなものでも仕方ない奴だとでも言いたげに皮肉まじりにつき合ってくれる。それがさも当たり前であるかのように。
「あはは、どうだろうね。私としては別にそんな気はないんだけど」
「つまり本心からあんな言葉を言ったと。束、中二病にはまだ早いぞ」
「そういうお前も割とその気あるけどな」
いつも通りの掛け合い。それは束にとってとても心地よいものだ。己の夢を語っても変わらずそれを行う二人に少し安心しながら、いつも通り一触即発の空気を漂わせだした二人に続きを語る。
「難しい事かもしれないけれど、方法は私が作るよ。どれくらいかかるか分からないし、二人にもいっぱい迷惑かけちゃうかもだけどさ。だから―――」
一緒に行こう。
言った束に二人は、
「当然だな」
「むしろ俺ら置いて一人で行くとか言ったらペナルティだ。どぎついの一発かまさせてもらうからな」
期待してるぜ、とでも言いたげに微笑みながら二人はそう言う。
ああ、本当に変わらない。
篠ノ之束が二人に出会ってどれくらいの月日が経ったのだろう。昔の記憶はおぼろげで霞がかかったかのように判然としない。少なくとも物心がついた時にはもう二人はそばにいたし、束にとってそれは当然の事だったから今まで考えた事もなかった。小学六年生の今現在、覚えているだけで九年はつき合っている。冷静に考えればそれ位は分かるが、いざ出会いの瞬間を思い出そうとすればそれは不可能の一言だった。
束は二人の事が好きだった。ある意味それは依存と呼べる類のもので束自身そういう自覚はあった。今でこそ束は小学校でも同級生達から受け入れられているが、かつてはそんな事あり得なかったから。そのきっかけを作ってくれて、世界を恐れていた束の背中を押してくれたから。
本当の意味で自分の味方をしてくれた二人。本当の意味で自分を受け入れてくれた二人。そんな当たり前をしてくれたから束は二人の事が好きだった。
一緒に行こう。皆で行こう。星々の海へ。そんな言葉が自然と浮かんでくる。何か本当に駄目かもしれないと心の隅で思いながら、束は二人に笑みを返す。
「ただ、言ったからにはちゃんとやり遂げろよ、束。期待させるだけ期待させておいて出来ませんでしたじゃ許さんからな」
「途中放棄もペナルティだ。お前から言い出したんだからちゃんと責任取れよ」
「分かってる。絶対届かせるよ」
篠ノ之束はここに誓う。夢を追い続けると。それを現実にしてみせると。そしてそれは二人にしても同じ事で。
「じゃ、指切りだ」
弥月が小指を突き出して言う。
「お前、そんな幼稚な」
「良いじゃねえか別に。来年から中学つったって俺らまだ小学生だぜ。大人の皆から見たら幼稚も幼稚な
いかにも捻くれた子供のように弥月は千冬を一蹴して、「ほらっ」と二人に催促する。束はそれに迷いなく小指を絡め、千冬は溜め息と共にそれにならう。
「そんじゃいくぞ。せーのっ」
指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ーます。指切った。
夜の学校の屋上で三人が詠った。それが始まりで、きっかけは些細な事。ただ皆でずっと好きだった場所に行ってみたいというただそれだけ。
日本のある科学者が
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Act1 The opening
今回は導入回。つまりはプロローグです。なので短めです。
勘弁してくれ。というのが織斑一夏の心境だった。
周りを窺えば視線、視線、視線、視線。クラスメイトや同学年の生徒どころか上級生のものまで、凄まじい量の視線が客寄せパンダよろしく一夏へと集中している。この中に男の視線があればまだ話は変わっていただろうが、いかんせん感じられるのは女の視線ばかり。男の一夏としては居心地が悪いにも程があった。
物珍しいのは分かる。この学校は明分化されてこそいないものの、実質的に女子校と一緒だ。入学の前提条件として女でなければならず、男が入学する可能性など皆無であった状況で、その男が不可能を可能にして入学してきたのだ。興味がいくのもまぁ仕方ないことではあるのだろう。
しかし、しかしだ。それにしても限度というものがある。こんな途切れる事のない視線の集中咆火を受けては精神が休まる暇がない。ぶっちゃけて言ってしまえば止めてほしいのだ。この状況下で言う勇気はないが。
これでまだ一時間目が終わったあとの休み時間である。昼休みや放課後になったらどうなるかなど考えたくもなかった。
はぁ、と溜め息が漏れる。いっそ病欠しようかなとも思ったがそれは後が恐いので即座に却下した。拳骨程度で済んでくれたらいいが最悪地獄を見る羽目になる。その場合翌日には男子高校生の死体が一つ出来上がっていることだろう。
「随分な人気だな、一夏。大丈夫か?」
精神的な疲労から、一時間目の終了とともに机に突っ伏した一夏に声がかけられた。頭だけ動かして誰だか確認すれば、そこにいたのは本人曰く生まれつきらしい不機嫌そうな目付きをした長い髪をポニーテールにした美少女。六年ぶりに再会した幼なじみだった。
「ぶっちゃけキツい。ただでさえ知識不足であたふたしてるのに、これだけ注目されるとかな。なぁ、箒。なんとかしてくれないか」
「無理に決まっているだろう。まぁ、どうせすぐ治まるだろうし、それまでは甘んじて受け入れておけ」
彼女、篠ノ之箒のにべもない言葉に一夏は項垂れる。いや、一夏自身箒一人の力でこの状況をどうこう出来るとは思えないが、それにしたって気持ち少し位考えてくれてもいいじゃないか。こう、幼なじみの誼的に。
久しぶりに会ったというのに冷たいなとも思ったが、この六年直接会いこそしなかったものの頻繁に連絡を取り合っていた事を考えるとそれも仕方ないのかもしれない。一夏にしても久しぶりと思う反面、まるで昨日会ったかのような気安さも感じている。 正直こんな状況下で箒が同じクラスに居ることは一夏にとって素直にありがたかった。
「ていうか、なんでこんなことになったんだろうなぁ」
「お前がISを動かしたからだろう。ほとんど自業自得だろうが」
「……まぁ、そうなんだけどさ」
納得がいかない、と一夏は頭を抱えた。箒の言葉は反論の余地のない正論で、事実一夏がここに来ることになったのは一夏自身の失敗が原因だ。それでも、頭では分かっていても感情は理解を示さない。
「はぁ……。あの時の俺を殴ってやりたいよ」
思い出すのは約二ヶ月前のあの日。よりにもよって高校受験の試験会場を間違えるなどという大ポカをやらかした日のことだ。
会場で迷ったあげく適当な部屋に入り込んで、全く違う高校の受験を受けてしまったうえに何の冗談か受かってしまった。今ならあの日の自分自身を、容赦も遠慮も一切なく助走をつけて殴り飛ばしても構わないと思ってしまう。
「ま、早々に諦めてここでの学生生活を楽しむんだな。お前好きだろう?ハーレムというのが。よりどりみどりじゃないか」
「箒、お前な」
よりにもよってそんな目で見ていたのかと戦慄する。幼なじみの表情はそう信じて疑っていないそれだ。一体誰がそんなことを教えたのか、ぶっちゃけて言ってしまえば心当たりがありすぎる。思い出すのは箒の姉とその幼なじみ。自由奔放を通り越して常識に喧嘩を売っているとしか思えないような事の数々を実行して、それに一夏と箒を巻き込み続けたバカップル。一夏の姉にして彼らのもう一人の幼なじみであった織斑千冬の制止がなかったらどうなっていた事やら。考えたくもない。
少なくともろくな事にはならない。というか今でさえろくな事になっていないのだ。歯止めが利かなくなった彼らは際限なく暴走する。あれでも大概だったのにあれ以上に巻き込まれるなどごめん被りたかった。
「なんだ?違うのか」
「違ぇよ。人を色情魔みたく言うんじゃねぇ」
「おかしいな。あれだけ女を引っ掛ける一夏は間違いなくハーレム願望があると姉さんと弥月さんが言っていたのだが」
「あの二人は」
予想通りの解答に一夏は項垂れる。これは箒の再教育を考えなければならないかもしれない。
一夏はモテる。ぶっちゃけた話認めたくはないがそれは一夏自身自覚している事であった。なぜなのかは分からないが男三人で歩いていれば一夏だけ逆ナンされた事も珍しくはない。あのときは怖かった。何が怖かったって一緒に居た二人からの嫉妬と殺意にまみれた視線が怖かった。無意識に膝が笑っていたのを覚えている。
「とにかく違う。俺は別にハーレム願望なんて持ってない」
「む、そうか。ならそういうことにしておこう」
駄目だ。分かってない。
◇
『しかし、随分と面倒くさいことになったな』
「同感だよ。仕方なくはあるがな。一夏を守れるなら安いさ」
『相変わらずお熱いことで、このブラコン』
「茶化すな弥月。こっちはこれでも真剣なんだ」
『はいはい』
「それで、まだ原因は分かってないのか?」
『ああ。いろんな方向から解析してはいるんだが流石に一夏本人のデータがないとどうにもな。横流ししてくんね?』
「出来るわけないだろう。これでも私は教師だぞ」
『まぁそうだわな』
くつくつと忍び笑う声が電話の向こうから聞こえてくる。連絡を取るのも久しぶりだが幼なじみの変わらない様子に織斑千冬は苦笑した。
ふと上を見上げれば抜けるような青空が広がっているIS学園の屋上。そこには千冬以外の人影は居ない。故にこそその会話は誰にも聞かれる事はない。でなくば彼女たちもこのような会話はしなかったであろう。
ここは一夏と箒の通う学校だ。世界中からISの操縦者にならんと夢見る女子が集まって来るところ。それはつまり様々な国籍の人たちが集まって来ると言う事で、同時に他国に知られたくない事さえも筒抜けになる可能性がある。当然可能性としては低い事であろうが、今の千冬たちの話している内容が内容だ。用心するに越した事はない。
『取りあえず解析は続けるよ。束も珍しく張り切っててな、もう三徹してるんだよ』
「またあいつは。体は大丈夫なのか」
『そこは大丈夫。俺が見てるし、あいつも倒れるまではしねぇよ。なんだかんだ言って自分の体の限界は分かってるみたいだしな』
「だと良いがな」
『少し位は許してやれって。夢への一歩になるかもしれないんだぜ。あいつが自分を抑えられるはずがないだろ』
それもそうだな、と千冬は頷いた。確かにあいつはそういうところがある。別に悪い事ではないし、千冬個人としてはむしろ好きなところだ。もう少し周囲への被害を考えてくれたら嬉しいところではあるが。
『インフィニット・ストラトス』、通称『IS』。三人の夢を実現させる手段として束が十年かけて造り上げた超高性能マルチフォーム・スーツ。本来宇宙開発用として設計されたものではあるが現在では世界各国の軍事の中枢を担っているそれを発表して世界の常識を根底から覆したのが彼女だ。その行動力は確かに凄いものがある。
しかし、同時に色々大変だったのも事実だ。夢を追うために世界を巻き込むなどスケールが大きい事を一切ためらわずにやるのは流石に勘弁して欲しかったというのも本音である。
「男がISを動かす。そんなイレギュラーをよりにもよって一夏が起こすとはな。どこか運命を感じるよ」
『確かに。IS関連って大体俺たちが原因だもんな。血筋って奴?』
「なんのだ」
『こう、世界を変える原因』
「……否定できんな」
そもそもISは女にしか動かせない。なぜそうなったのかは開発者である束本人にも分からない事ではあったが、事実としてそうであった。だというのに男である一夏がISを動かした。あるいは動かしてしまったということか。結果として世界はISによる二度目の変革期を迎えている。
現在の風潮は女尊男卑だ。ISを使える女は強くて、使えない男は弱い。千冬たちにしてみればなんだそれはと一笑に付すものではあるが、少なくともそれが今の世界常識である。それに真っ向から喧嘩を売るその事態は確実に一波乱を呼び込むであろう。
さてどうなるか。先は分からんが少なくとも。
「動くだろうな」
『
「それ以外に誰が居ると」
『それもそうか』
くつくつと幼なじみの笑う声。
どれくらいかかるかは分からないが動く事は間違いないだろう。
『まぁ安心しろ。こっちの準備はできてる。向こうが動けば何時でも行動に移せるさ。だからまぁそっちは一夏のことだけ考えとけ』
「そうさせてもらう」
その言葉を最後に電話が切れた。
別れの言葉もなく唐突に切れたそれに、千冬は苦笑する。いつもの事だがまた束が何かしたらしい。幼い頃から唐突に電話が切れる時は決まってそうだった。その仲は相変わらずなようで実に微笑ましい。
千冬は踵を返して屋上から去った。
結構伏線はってます。なので意味不明なところがあるかと。
オリキャラの影が出てますが、本格的な登場はまだ先ですね。早く書きたい。
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Act2 Racket
お詫びとして今回は二話と閑話の二つ目を同時に投稿します。スランプ気味なためクオリティが低下してますが、楽しんでください。
教科書をめくり、文字を目で追い、教壇に立つ教師―――山田真耶の言葉に耳を傾ける。
それと並行でノートを開き、黒板に書かれた文字を一字一句間違えずに書き写し続ける。
耳に届くのは真耶の声とカリカリとノートにシャーペンを走らせる音だけだ。ふと周りに視線をやればクラスメートの全員が真剣な表情で授業を受けている。これが地元の高校ならば確実に何人かは授業となんら関係ないことをやっているだろうということを考えればある意味感動的な光景であった。
そんな彼女たち様子には当惑や困惑といったものは存在しない。当然のことではあるだろうがこの程度の内容は完全に理解しきっていいるのであろう。自分と彼女たちの間にある差、二週間と数年の差はやはり大きいと改めて認識する。
今までの人生で丸っきり関係なかった専門知識に脳みそはパンク寸前だ。付け焼き刃に詰め込んでもやはり限界はあるということだろう。
「くっそ、キッツイなあ」
なんとか授業に食らいつく一夏の口から思わず愚痴がもれた。
体感して分かったことだがこの内容は今まで習ってきたことの総復習に近い。小学校から中学校へ、あるいは中学校から高校へ、進学した先の学校で次なる勉強を始める前に進学前の学校で習ったことをもう一度やることと一緒だ。一夏が付いて行けているのはそんな理由だからであり、本格的な授業が始まればチンプンカンプンだろうことは予想に難くない。
一夏は視線を教科書に戻し、少し先を覗いてみる。20ページほど進めれば案の定途端に訳が分からなくなった。進むペースを考えて逆算すれば早ければ明後日にはその部分に突入する。
―――補講、申請するべきなんだろうなぁ。
半ば現実逃避気味に一夏は考えた。
想定される週末は休みを返上しての勉強だ。嫌だなぁと心の底から思う。
まぁ、申請しないという選択肢は最初から用意などされてはいないが。
「織斑くん、何かわからないところがありますか?」
そして、ふと真耶が一夏に問いかけた。教師として一夏が四苦八苦しているのを感じ取ったのだろう。
一夏としてはまだ問題ない。なんとか食らい付けていけている。だから取り敢えずはいと答え、そこでですけどと一言付け加えた。
「色々と危ないんで、放課後とか休み時間の暇な時でいいんで補講とか行ってもらって良いでしょうか?」
「ああ、それもそうですね。でしたら後で一週間分の空いてる時間を表にして渡しますので、それを見て来てくれたら補講を行いましょうか」
その童顔をニコリと笑みの形にして真耶はうんうんと頷いた。先生として生徒が自分を頼ってきてくれるのが嬉しいのだろう。一応千冬の一年後輩で、IS学園設立当初から教鞭をとっているはずなのだが、反応はまるで新任の先生のようだ。
「しかし感心ですね、しっかりISに関して勉強してくるなんて。先生ちょっと驚いちゃいました」
大変だったでしょう、と聞いてくる真耶に一夏は頷いた。
実際これがかなり大変だったのだ。
まずそもそもIS学園に行く前にこれで勉強しろと少し申し訳なさそうな千冬に参考書を渡されたのが入学の二週間前。なんでも男がISを動かしたということで関係各所が大混乱に陥り、それの収拾に時間がかかってしまったとのこと。この時期千冬も家を空けがちで忙しそうにしていたのを一夏も覚えているのでそれ自体は仕方のないことだったのだと納得している。問題はその後だ。
渡された参考書は貴方の街の電話帳かと見紛うほどに大きく、完全に鈍器として使えるレベルの物。中を開けば細かい文字がびっしりと並んでおり、かつそれが書かれた紙はページはペラ紙程度の厚さほどしかない。
しかもその内容は専門用語の羅列だ。どうもある程度事前に知識を持っていることを前提とした物らしく、1ページ読むのに数十回辞書を引くのもザラにあったほどだ。二週間をフルに使ってなんとか詰め込めるだけ詰め込んだが、その苦労はもう二度と味わいたくはないと思う。
「先生も協力しますからこれからも勉強頑張りましょうね」
「はい。よろしくお願いします」
一夏は一礼。そして、再び机へと向き直る。
その様子を、箒はなぜかうんうんと頷きながら、千冬は親指をしっかりと立ててみていたのを一夏は知らない。
◇
「時間ですね。じゃあこの授業はこれで終わりにしたいと思います」
キーンコーンカーンコーンと音を響かせて授業終了のチャイムが鳴った。
真耶は委員長に合図を送り、委員長はそれを受けて「起立、礼」とやる。
真耶が退室し、そして途端に騒がしくなる教室。そこら辺りはやはり年頃の女の子と言うことだろう。静かに読書に講じたりするよりは友達同士で寄り集まって話し合うことが楽しいと感じることはここでも同じらしい。
「あ〜〜〜〜」
意味をなさない言葉を言いながら一夏は机に突っ伏す。前の休み時間と全く同じ状況だ。そして当然のようにそばには箒の姿があった。
「お疲れだな、一夏。ほら、これをやろう」
すっ、と手渡される缶ジュース。一体いつ買ってきたのだろうか?甚だ不思議だがここはありがたく受け取っておくことにして一夏はプルタブを開けてグビリと喉を鳴らしてそれを飲んだ。
喉を伝って行く冷たい感触。疲れきった体にそれが気持ち良い。
授業で疲れた脳にすぐさま糖分が回った。全快、とまでは流石にいかないが、それでも随分と意識がはっきりしてくる。
ふぅ、と息を一つ吐き出して一夏は机に突っ伏した体を持ち上げた。漸く周囲からの視線にも慣れてきたのだろう。その顔からは先の休み時間にあった居たたまれなさといった感情は見受けられなかった。
「サンキュー、箒」
「どういたしまして、だ。少しはこの視線にも慣れてきたようだな。さっきまでとは全然顔つきが違うぞ」
「ま、さすがにな。あれだけ見つめられてりゃ嫌でも慣れるさ」
こうしている間も方々から視線は飛んできているのだ。あまり気にしてもいられないというのも確かに事実だろう。にしても順応早くないか、と箒も思わなくもなかったが、幼少期のことを考えて納得できたのであえて口には出さない。
「良い傾向じゃないか。気にするなとも言わないが、しすぎるのも問題だろう?」
「まぁ、な。それに弥月さんや束さんと付き合うのと比べればマシだし」
一夏は箒の言葉に苦笑いを浮かべる。
「箒は弥月さんや束さんが起こす騒動好きだったよな。個人的には疑問しかないけど」
「と言うより、あの人たちに付いていくのが好きだったと言うべきだな。言っては悪いかもしれんが、やることなすこと馬鹿らしすぎて悩んでる自分がどうでも良くなってくるから」
気分転換、みたいなものなのだろう。昔から色々と考えすぎることが多かった箒にとっては良い心の清涼剤だったということだ。
まぁ、そういうことなら言いたいことは分からなくもないし対処法としては極端に間違えているということもないか、と自分を納得させて一夏はもう一口ジュースを口に含んだ。
カシュッ、といった感じの音を立てながら隣では箒も自分の分の缶のプルタブを開けて、ジュースを飲む。それだけの動作ではあるのだが、それが妙に綺麗で一種の気品のようなものが感じられた。
一夏は相変わらず綺麗だなぁ、と思った。
直接会ったのは大体六年ぶりくらいであるにもかかわらず、箒は小さい頃と余り変わっていない。そりゃ身長は伸びたし、精神もそれ相応に成長していることだろうが、根本的な部分は変わっていなかった。
少しばかり天然が入ったその性格も、不思議と周りを魅了するかのような美しさも、さながら肉食獣のように爛々と輝くその双眸も。
単純に美々しいと言うだけではなく、獰猛さが見え隠れする美しさ、と言ったところであろうか。よく美しい花には棘がある、と言われるがようはそれだ。
小学校の頃、箒をいじめていた挙げ句お約束とばかりに返り討ちにされていた男の子たちも本心としては箒と仲良くなりたかったらしい。そういった話を中学校に上がったあと聞いた一夏は少し微笑ましい気持ちになったのを覚えている。
「ん? どうかしたか一夏?」
一夏の視線に気付き、箒が問いかけてきた。
「いや、変わんないなぁと思ってさ」
「む、なんだそれは。相変わらず子供くさいと言うことか?」
喧嘩なら買うぞ、とばかりにファイティングポーズを取る箒。
少々短気なところも変わっていない。
「そうじゃなくて、こう性格というか人格というか、とにかくそういうところは変わらないなぁと思ってさ」
「……それは誉め言葉なのか?」
「そのつもりだけど」
違う違う、と手を振りながらの反論に箒は少々納得がいかないとでも言いたげに拳を下げる。
「複雑な気分だ」
「なにがだよ。別に悪いことじゃないじゃないか」
「確かに悪いことではないが」
難しい顔をして唸る箒。
「個人的にはこう大人っぽくなったとか見違えたよとか言われたくて」
「いや無理だろ」
即答する一夏。
「ず、随分バッサリだな」
漫画とかならガーンと、擬音が入りそうな姿勢で箒が落ち込みを表現してきた。
思わず一夏は取り繕う。
「あぁっと、悪い。ただ大人っぽい箒とかあんま考えられなくて」
一夏の素直な感想に箒はため息を一つ。自分がそういう風な評価を受けていることは知っていたが直接言葉にされること傷つく、そんな感じだ。
「まあそういう箒が俺は好きなんだけどな」
「………そうか。そう言ってくれとこっちとしても多少は気が楽になるよ」
一夏のそういう言葉は冗談で言ったいるわけではないということを知っている箒としては素直にうれしい言葉であった。
「ちょっと、よろしくて?」
そんな会話を繰り広げていた一夏と箒に、突然声がかけられた。二人が同時に振り向けば、そこには知らない女の子がいた。
いや、厳密に言えば知らないと言うことはない。名前までは憶えていないが、顔は朝のSHRにあった自己紹介の時間で顔は見ているし、クラスメイトであることは二人とも理解していた。
綺麗な女の子だ。
端整な顔立ちはどことなく欧州系だ。予想としてはイギリス人。腰ほどの長さの金髪は毛先の方でカールしている。瞳の色は澄んだ青色で、どこか海を思わせた。体つきも出るとこは出て引っ込むとこは引っ込んでいる。俗な言い方をすればボン、キュッ、ボンだ。まぁ生憎胸のでかさに関しては箒の方が上だが、それでも十分な大きさだ。街を歩けば結構な数の男が振り向くんじゃなかろうかと思われる。
少女の第一印象はお嬢様だった。腰に両手を当て、勝ち気そうな視線をまっすぐに一夏へと投げかけている。声をかけたことも相まり、一夏に用があることは明白だろう。
しかし、一夏には少女に声をかけられる理由が分からなかった。少女とは以前に会った覚えはなく、初対面のはずである。では、世界で始めて男でISを扱ったという一夏に興味を持って話しかけてきたのかと問われれば、微妙と言わざるを得ないだろう。親睦を深めるにしては少女の視線はいささか攻撃的すぎる。照れ隠し、という可能性もなきにしもあらずだが。
一夏は箒と素早くアイコンタクトをとった。
―――箒の知り合いか?
―――いや、違う。少なくとも会った覚えはない。
幼なじみの以心伝心。それで少なくとも自分も箒も会ったことはない人物であることを一夏は認識する。
「訊いてます?お返事は?」
「あぁ、訊いてるよ。なんかようか?」
まぁそれならそれでいいかと一夏は少女へと返事を返した。初対面の女の子を邪険に扱う趣味など一夏にはないし、何より箒とは会おうと思えば会えるし話そうと思えば話せる。箒自身も割り込んできた少女に視線が移っており、今一夏と会話を続ける気はなさそうだ。
一夏は可能な限り爽やかそうな態度を少女へと向ける。ぶっちゃけ爽やかなどとはほど遠いがそれでも失礼にはならない程度にはその返事は礼儀正しかった。初対面の相手としては上出来だろう。
それを受けて少女は――――
「まぁ! なんですの、そのお返事。わたくしに話しかけられるだけでも光栄なのですから、それ相応の態度というものがあるんではないかしら?」
傲慢にそう言い切った少女に、一夏はうわぁといった顔をする。
箒も表情に変化こそないが抱いた感想は似たようなものだったのだろう。随分と強烈なのが来たな、と先と同じように視線で語りかけてきた。
つまりこの少女は今どきのタイプの少女なのだろう。女尊男卑。ISに乗れる女は強くて、乗れない男は弱い。何も腕力等の物理的なものから社会的な立場というものまで。そういった風潮にドップリ浸かっているせいで必然的に男とは情けなくて卑しい存在だと思ってしまう奴。
話しかけてきている少女など正にその典型だ。一夏としてもあまりかかわり合いになりたくない。
「いや、そんなこと言われても。俺君が誰だか知らないし」
そう、正直に言った一夏に少女は露骨に顔を顰める。一夏の言葉がえらく気に障ったらしい。俺、何かマズったか?と一夏は頭をかく。
「わたくしを知らない? このセシリア・オルコットを? イギリスの代表候補生にして、入試主席のこの私を!?」
「ああ、うん。て言うか君セシリア・オルコットって名前だったんだな」
やっぱりイギリスだったのか、と若干的外れなことを考えながら、一夏は力強く頷いた。
「悪いけど各国の国家代表とかだったらまだしも代表候補生までは調べてないんだ。そんな時間はなかったしさ」
その答えが気に入らなかったらしい。セシリアと名乗った少女は一夏への視線を吊り目を細めて睨み付けるようなものに変える。
「その心意気は多少は評価しますが、わたしのような選ばれた人間とクラスを同じくすることだけでも奇跡……幸運なのよ。感謝の気持ちを持ってわたしのことを知っておくぐらいのことはすべきでしょう」
その言葉に一夏はもはや感動すら覚えた。この子はもしかして相当バカなんじゃないかと思う。
クラスメイトに誰がいるかなど当日にならねば知るはずもないだろうに。ましてわたしのことを知っておくべきと言われたところで先にも言ったが代表候補生に誰がいるかなど一夏は知らないのだ。存在を知らない者をどうやって調べればいいというのだ。
「ちょっと、何ですかその目は?」
知らずの内に生暖かい目になっていたらしい。セシリアに怪訝そうな視線で尋ねられ一夏は悪いと言って意識的に視線を元に戻す。
「一夏、もしかしてこの子は相当バカなんじゃないか?」
そこに箒が特大の爆弾を放り込んだ。
あ〜、それ言っちゃう?言っちゃいますか、箒さん。
意見としては同意ではあるが、余りのド直球な言い方に一夏は頭を抱えた。これは絶対に面倒なことになる。
せめてもう少しオブラートに包んで言ってくれませんかねぇ、と思いながら箒を見てみれば悪意とか全然これっぽっちもなさそうな表情で首を傾げていた。
「あ、あなた!!わたしを侮辱するのですか!?」
「いや、そういうんじゃなくてだな」
「じゃあどういう意味ですか!?」
「可愛らしいというかなんというか」
そう思うだろ、とでも言いたげに一夏へと視線を投げてくる箒。一夏は思わず視線をそらした。
「あ、おいこら、一夏」
「可愛らしいってどういう意味ですか!!この場合完全に悪口ですわよね!?」
多分小さい子供を相手してるような気分になってるんだと思うぞ、セシリアさん。
矛先を箒に定めて問いつめだしたセシリアに一夏は心の中で呟く。口に出せば箒の二の前なので言葉にはしない。
まだ入学してから半日も経っていないが随分賑やかなことだ。正直勘弁して欲しいタイプの賑やかさだが。
一夏は平和主義者なのである。別に日々に変化を求めることを否定するわけではないが、かといって急激な変化などは求めていない。緩やかに、けれどしっかりと、そういう静かな変化こそが一夏の望むところなのだ。そういう意味では世界初のISの男性操縦者という肩書きや
目の前でヒートアップしていくセシリアは当初の目的を忘れているかのように見える。別にそれでも一夏としては構いはしないのだがそろそろ箒のこちらを見る目が怖くなってきたので一夏は助け舟を出すことにした。
「えっと、オルコットさん?」
「なんですか!? 今こちらは忙しいのです!!」
だったら声かけてくるなよ、と一夏は思った。
「いや、結局俺に声をかけてきた理由は何だったのかと」
挨拶だけということもあるまい。時間も押しているのでとりあえずそれだけでも聞いておこうと一夏は問いかける。
それにセシリアはあ、とでも言いたげな表情をした。どうやら箒への詰問で完全に忘れていたらしい。んんっ、とわざとらしい咳払いをしてやり直すかのように一夏へと語りかけてきた。
「わたくしは優秀ですから、あなたのような人間にも優しくしてあげますわよ」
「そうか」
で?というように一夏は淡白に返す。セシリアのその姿は精一杯威厳を持って接しようとしている子供のようでなんかいろいろと締まらない。
一夏の態度を見なかったことにしたのかセシリアはそのまま続けた。
「ですから、ISのことで分からないことがあれば、まあ……泣いて頼むのでしたら教えて差し上げても構いませんわ。何せわたくし、入試で唯一教官を倒したエリート中のエリートですから」
「ならいいや」
一夏は即答した。
「な!?」
「まあそりゃISのことを教えてもらえるのは嬉しいことだけどさ」
それでも、と一夏は渋い顔で言った。
「なんつうかそんな奴隷みたいな扱いいやだし」
と言うかそんな剛毅な性格中々珍しいし、ついでに言えばそれを曝け出すような物はもっと少ないと思う。
当然一夏はそんな性癖持ってない。至ってノーマルな人種だ。却下である。人の尊厳にかけて認められない。
それに加えて、
「それに俺も教官なら倒したしな」
「は?」
ポカーン、と間抜けな顔をセシリアが曝した。
訳が分からない。何を言ってるんだこいつ。セシリアの心の声はきっとこんなところだろう。いや、あるいは衝撃で何も考えられないだけか。
「それは本当か、一夏?」
隣で聞いていた箒が訝しげに聞いてくる。一夏としてもまあ納得の反応だ。普通それまでISに触ったこともない人間が教官を倒すなど実際信じられるかどうかでは信じられないだろう。
「ああ。まあ実際運が良かっただけなんだけど」
それでも勝ちは勝ちだと一夏は言う。それに関しては箒も同様で、そういう奇跡的な偶然による勝利なのだというのならまあ分からなくもないとなるほどと頷いた。
反対に納得がいかなかったのはセシリアだ。
「ま、待ってください!! わたくしだけと聞きましたわよ!!」
「女子ではってオチじゃないのか」
実際それしか考えられない。流石に自分の勝利を錯覚するほどこの歳でボケてはいない。判定も勝利となっていた。
一夏の言葉にセシリアの表情が凍った。さっきからころころ表情が変わって忙しいやつだ、と一夏は思った。
「つまり、わたくしだけではないと?」
「そうなるんじゃないのか」
まぐれ勝ちだから勝利に数えられていない、とか言う嫌がらせでもなければそうだろう。
呆然というかなんというか、とにかくそんな表情のセシリアが一夏に詰め寄る。
「貴方も、勝ったと?」
「少なくとも俺はそのつもりだけど」
そしてピシリ、と何か亀裂が入るような音を一夏は聞いた気がした。
「う、嘘でしょう!! そんなはずはありませんわ!! わたくしみたいなエリートならばともかくついこの間までISに触ったこともなかった素人が教官に勝てるはずがありませんでしょう!!」
理屈が通らないとセシリアは言う。
まあそういう気持ちは分からなくもない。決して接していて気分がいいとは思わないが、セシリアは己がイギリスの代表候補生であることに誇りを持っているのだろう。だからこそ、ドがつくクラスの素人が自分と同じ結果を出したことに納得がいかないのだろう。
実際、今年のIS学園の受験者の内で教官を倒したのはセシリアと一夏のみだ。大多数の者が教官に敗れている以上、そういう思いが余計強く感じるのも仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
しかし、現実問題一夏は教官に勝利している。文句を言われても一夏としても困るだけだ。
「そんなこと言われてもな」
どうしろと?
そんな言葉を言おうとした矢先、キーンコーンカーンコーンと三時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。
「クッ! こんな時に!」
とても悔しそうにセシリアは言う。
次の授業が千冬の授業である以上、これ以上席を立ったままなのは流石にまずいと考えたのだろう。セシリアは踵を返して自分の席へと向かう。
その途中、一夏の方を向き直り、
「またあとで来ますわ! 逃げないことね! よくって!?」
そう吐き捨てて去って行った。
「………なんというか、忙しいな」
箒が漏らした呟きに一夏は頷いた。
あと箒、さっさと席に着いた方がいいぞ。
一夏がそう思った瞬間、箒の頭に炸裂する痛み。
「チャイムは鳴っている。さっさと席につかんか」
「………すみません」
やはり痛かったのだろう。千冬の出席簿アタックが直撃したところを抑えながら、箒も自分の席へと帰って行った。
◇
「それでは、この時間は実戦で使用する各種装備の特性について説明する」
千冬が教壇に立ってそう言った。
この三時間目の授業では一時間目、二時間目と授業を行っていた真耶も教室の片隅でノートをとっている。IS学園の教師と言えどもかつてモンド・グロッソで優勝を果たし、今なお世界最強を謳われている千冬の講義は貴重なのだろう。これで教え下手とかなら流石にどうかとも思うが、一夏の知る限りでは千冬は教えることも上手かったはずだ。
そのまま授業に進むかと思ったが、そこで千冬が思い出したように言った。
「ああ、その前に再来週行われるクラス対抗戦に出る代表者を決めなければならないな」
クラス対抗戦? 代表者? 千冬の言葉に疑問を抱き、一夏が手を上げつつ千冬に尋ねた。
「織斑先生、そのクラス対抗戦やら代表者やらってなんなんですか?」
「織斑、質問は当てられてからしろ」
至極冷静な声とともに飛んでくる出席簿。反応とか出来るはずもなく、脳天に直撃する。
脳を揺さぶられるかのような感覚とともに鋭い痛みが走ってくる。先ほどの箒の時も思ったが出席簿はそういう風に使うもんじゃないだろう。
そんな一夏の心の叫びなど聞こえるはずもなく、千冬はで、とでも言いたげに一夏の方を見てきた。
一夏は素直に手を上げる。
「織斑先生」
「なんだ織斑?」
正直凄い茶番に見えてくるから不思議だ。
一夏は先ほどと同じように千冬に問いかけた。
「そのクラス対抗戦やら代表者やらってなんなんですか?」
「クラス対抗戦と言うのはその名の通りだ。クラス同士のISによる対抗戦。各クラス一名を代表として選出し、その者同士で戦ってもらう。形態としては代理戦争に近いか」
さらりと吐かれた物騒な台詞は聞き流して一夏は続きを待つ。
「代表者はそのクラス対抗戦に出てもらう生徒を指す。とは言えそれだけではないぞ。生徒会の開く会議や委員会への出席……まあ纏めればクラス長だな。ちなみにクラス対抗戦は、入学時点での各クラスの実力推移を測るものだ。今の時点で大した差はないが、競争は向上心を生む。一度決まると一年間変更はないからそのつもりで」
千冬の言葉を聞いて、教室がにわかに騒ぎ出した。例外と言えば一夏と箒ぐらいのものだ。
一夏は嫌な予感に背筋を凍らせ、箒は少し目を輝かせている。
千冬はパンパンと両手を打ち合わせ、その騒ぎを収めると、クラスを見渡しながら言う。
「自薦他薦は問わん。やりたいと思うでもやってほしいと思うでも構いはせん。とりあえず名を上げろ」
いやいやいや、待て待て待て、千冬姉それはマズイって。そんなこと言ってしまうと―――
ガンガンと存在を主張してくる嫌な予感。こういう状況下で世界で唯一ISを動かせる男と言うネームバリューがどう使われるかなど、今までの経験上一夏には骨身に沁みて分かっている。
そもそもクラス長、もっとメジャーな言い方をすれば委員長など、選ばれる理由など二つほどしかない。
つまり、そいつがよっぽどクラスの人望が厚い好人物か、はたまた――――――
「はいっ。織斑くんを推薦します!」
その座につけることで何らかの話題性を担える人物かだ。
一夏の場合は無論のこと後者だろう。世界で唯一ISが使える男がクラスの代表者など話題性は抜群だ。
元気よく一夏を推薦した少女に応じるように千冬は黒板に一夏の名前を書いた。つまりは候補者に選ばれたということだろう。
そして少女に続くように教室のあちこちで声が上がる。
「賛成~」
「私もそれがいいと思います!」
「私も~」
次々と上がる声は、まるで共鳴反応のように更なる拡大を呼んだ。ざっと聞いた感じで二十人少々。確証は持てないが賛成の声を上げたのはそれくらいだろう。
ふむ、と千冬は頷く。
「多いな。まあいいか。とりあえず候補者が出そろった時に改めて決戦投票とする」
それで、他にはいないのか?と尋ねる千冬。一夏は手を上げた。
「なんだ織斑。このまま誰もいないならお前の無投票当選だぞ」
「………それ、辞退できませんか?」
正直勘弁してほしい、と言うのが一夏の心境だ。ただでさえ客寄せパンダ状態である。流石に少し慣れたとはいえ、かといって気にならなくなったというわけでは断じてないのだ。
なぜ自分からそんなさらし者にされるようなことをしなければいけないのか。今でさえ一杯一杯なのである。これ以上心労の種を増やしたくはない。
しかし、そのような懇願が聞き届けられるはずもなく―――
「不可能に決まっているだろう。他薦された以上拒否権はない。選ばれた以上は覚悟をしろ」
当然結果はそんなものだ。
理不尽。不条理。感想としてはそんなところ。勘弁してくれ、お願いだから。
周りの一夏へと集中した視線は『彼ならきっとなんとかしてくれる』という思考が刻まれていた。無責任であり、勝手な期待に染まっている。
そんな周囲の期待の眼差しに、一夏は項垂れた。
しかし、そんな時に上がった声が一つ。
「待ってください! 納得がいきませんわ!」
一夏が振り返ってみてみれば、セシリアが机をバンッ!!と叩きながら立ち上がって叫んだ。真剣に不服そうな視線で睨むかのように一夏の方を見ている。
セシリアの性格はさっきの休み時間の間に理解している。自意識が高く傲慢なお嬢様。それこそ漫画や小説とかで出てきそうなタイプ。
多分男がクラスの代表になるということが嫌なのだろう。耐えがたい屈辱だとか、極東の猿風情が粋がるなとか、そんな感じで思っているのではないだろうか。
けど駄目だ。駄目だよオルコットさん。―――一夏は思う。
その態度はいけないということ。結末はつい先ほど一夏が実演して見せた。
しかし、セシリアは己がそんな危機的状況にあるということに気付かず、両手を腰に当てて言葉を継いだ。
「そんな選出は認められません! 大体、男がクラス代表だなんていい恥さらし―――」
「貴様らは学習という言葉を知らんのか」
スパアァン!!といい音が響いて出席簿がセシリアの脳天に落ちた。
いつの間に移動していたのか、セシリアのすぐそばで千冬が立っていた。出席簿を振りぬいた態勢で。セシリアは言葉を中断して「ふぐっ!」という声を発する。
出席簿が直撃したところを痛そうに手で押さえるセシリア。食らった一夏や箒もあれは痛いと理解できるがゆえに少し同情の視線をセシリアへと向ける。しかし、そんなことにも構わず千冬が言う。
「オルコット、貴様つい先ほど私が言った言葉を覚えているか?」
「へ?」
余りの出来事に思考がついていっていないのか呆けたような言葉を発したセシリアに千冬は容赦なく出席簿アタックをもう一発。
今度は「へぶっ!」という声を発した。
「一つ。自薦他薦は問わない」
スパアァン!!
「二つ。他薦された以上拒否権はない。強制的に候補入りだ」
スパアァン!!
「三つ。質問は当てられてからしろ」
スパアァン!!スパアァン!!
続けざまに食らった合計六発の出席簿アタックによりセシリアが撃沈する。体罰?なにそれ美味しいの?の見本のような状況だ。
あまりにもあまりな状況にしん、と静まり返った教室の中で一夏は再度手を上げた。
「織斑先生、質問があります」
「なんだ織斑」
「最後のはちょっと違うんじゃないですか?」
「同じようなものだろう」
何を言っている、とでも言いたげな表情で言ってくる千冬にいや違うだろう、とクラス中が心の中で突っ込んだ。
一夏は続けて尋ねる。
「先生、なんで最後のは二発だったんですか?」
「何故って、それは」
千冬は一拍置いて言う。
「ノリだ」
そんなもので出席簿アタックを一発増やすんじゃない、と一夏は思った。
千冬はあまりにも堂々と言い切ったままに「それで?」とセシリアを促す。
「文句があるんならちゃんと手を上げて言え、オルコット」
「は、はい!!」
千冬の声にセシリアが切羽詰ったように返事をする。そして手を上げた。
千冬は「オルコット」とセシリアを指名する。それを受けてセシリアが言葉を発した。
「そ、そのような選出は認められません。男なんかをクラス代表に任命するなど恥さらしもいいところですわ。だ、第一実力から行けばわたくしがクラス代表になるのは必然。それを、物珍しいからと言って、きょ、極東の猿にされては困りますわ」
「オルコットさん、大丈夫か? 声が震えてるぞ」
「う、煩いですわ!!」
余程痛かったのだろう。ガタガタと震えつつ言葉を発するセシリア。思わず一夏は声をかけてしまっていた。
いやだってしょうがないだろう。千冬姉に耐性がないんだし。
幼い頃から千冬と接し続けてきた一夏や箒はともかく、付き合いの浅い、まだ耐性のできていない者にあの理不尽は恐ろしいなんてものではないだろう。一言で表すならば千冬は暴君なのだ。確かに面倒見はいいし、優しさだってしっかりと持ち合わせてはいるが、本質を表す言葉としてこれほど的確な言葉は他にない。
「つまりオルコットは織斑が候補にあがったのが許せないということか」
「お、大まかにはそのようなところです」
千冬の問いにビビりながら返答するセシリア。
千冬が作った表情は呆れた、みたいなものだった。こいつは分かっていないんだな。そう言いたげである。
「また意味が分からんことを言い出すものだなオルコット。貴様は織斑の何が不満だ」
千冬は一夏の方を顎でしゃくって言う。
「正直な話、ここにいる全員そう大した差はない。どいつもこいつも等しくひよっこだ。入試の時の成績なぞ当てになどできん。ましてや、自己申告の実力など論外だ」
自分に自信を持つこと自体は千冬も否定しない。それは上を目指すうえで必要なものではあるし、出来ると信じ込むことは決して悪いことではないからだ。
けれど、自己の過大評価は毒にしかならない。自分がどれくらい強いのか、そういうものは正確に測ってこそ意味がある。
千冬は他人の実力は実際に見て、あるいは戦って判断する。紙の上の数字は意味がない。
「であるならば機会は平等にとるのが道理だろう。差はないのであるならば、そうしないことは不公平だ。オルコット、貴様の持つ思春期特有の病気的な自己特別視思考は害にしかならん。早々に捨てることだな」
辛辣な千冬の言葉にセシリアは顔を真っ赤にしていた。恥ずかしくて悔しくて、そんな感じに感情がごちゃまぜになっている。
そんなセシリアを見てふむ、と千冬が思案顔になった。
「納得しかねるようだな」
「あ、当たり前です。男がクラス代表になるだなどと。それにわたくしはイギリスの国家代表候補生です。クラスメイトの皆さんを侮辱するわけではありませんがそれでも皆さんよりかは強い自信はありますわ」
「大した自信だな」
国家代表候補生としての自負がそう言わせているのであろう。国を背負って立つ立場、今はまだ可能性の段階としてではあるがそこに至れる可能性を持っているということがセシリアの根幹にあるのだ。
自分は特別である。選ばれた人間である。そういう思想なのだろう。残りの生徒同様未だひよっこであるという評価は変わらないし、千冬が言っているのはそういうことではないのだが、それでもそれも確かに事実ではある。
ならば、と千冬はセシリアに一つの提案を持ちかけた。
「オルコット、織斑と戦え」
「はあぁ!?」
唐突に話を振られ、一夏が叫んだ。話の流れからどうしてそういうことになるのかが理解できない。それはセシリアも一緒なようでこちらもポカン、と呆けた表情をしていた。
反応は周りの生徒たちも似たようなものだった。千冬の言葉の真意が見えず、「へ?」とでも言いたげである。
千冬はそんな周囲の反応など意に介さず続けた。
「織斑がクラス代表に就任することが不満なのであろう。ならば織斑は代表にふさわしくないと証明してみろ。お前の理論でな」
男なんかにクラス代表を務めさせることが恥になるということが一点。そして実力的に自分が代表を務めることが順当であるということがもう一点。
セシリアの不満の原因はそれだ。ならば手っ取り早くそこのところをはっきりさせてしまえばいい。
「ちょっと待って下さい、織斑先生!! そんな急に言われても困りますって!!」
若干焦ったように一夏が言う。それもそうだろう。一夏はISを触った時間なんて一時間にも満たないのだ。
千冬はああは言ったが、一夏としてはセシリアは同じひよっことか言うレベルではない。知識も技術も経験も、どれをとっても一夏よりはるかに上なのだ。そんな相手とまだまともにISに触らない内から戦えという。どんな無茶ぶりだと一夏が思っても仕方のないことではあるだろう。
ギロリ、と一夏を一睨み。あ、やっべと一夏は思考する。
さっきから自分もセシリアも当てられてから発言しろ、という千冬姉の言葉を守らなくて出席簿アタックを食らっているのだ。反射的とは守らないということは千冬姉は容赦はすまい。
しかし、千冬からの攻撃は来なかった。ため息を吐いただけである。言うことがしんどくなったのだろうか、考えられるのはそんなこと。
「その方が手っ取り早いだろう。ISを使えるという点で条件は五分五分だ。勝率としても決して悪くはない」
何をどう考えたらそういう答えに至るのか、一夏としては甚だ謎ではあるがそれでも千冬はそう言った。どこか確信を持っているかのような声で、妙な自信に満ちている。
いやいや、そんなことはないしありえない。ISを使える云々で条件が五分五分となるなら苦労はしないし、勝率が決して悪くないなどとふざけているとしか思えない。
勝負の世界がそんなことでどうにかなるような甘いものではないのだと一夏は知っているのだ。まあどうにかしてしまいそうな人物を二人―――いや三人ほど知っているが彼らを通常の価値観に当てはめることなどしてはいけないだろう。
「いや、無理ですって」
「織斑、私は言ったぞ。拒否権はない」
「いや、それは他薦のことでしょう」
「同じようなものだろう」
だから違うって。そんな風に考えながらこれは無理だ、と一夏は思った。
こうなった千冬は主張を曲げない。いいことではあるのであるが、こういう時にはひたすらにめんどくさい。
一夏は溜め息をついた。もうこの一日でどれだけついたのか分からない。ここまで精神的に疲れたことはマジに久しぶりだ。
「日時は、そうだな。一週間後の月曜日。放課後。第三アリーナで行う。織斑とオルコットはそれぞれ準備をしておけ」
「て言うか決定なのかよ」
「当然だ。それにお前もぐちぐちぐちぐち言われ続けるのも面倒くさいだろう。他に立候補者もいないようだしな」
さっきから反応がないことをそう判断したようだ。正確には一名を除いてポカーンとなっているだけなのだが。
力を示せ。黙らせろ。そういう意味合いの言葉を躊躇わずに言えるのは教師としてありなのかどうか。
いや、もういいや面倒くさい。こうなればその通りにしてやるまで。
諦観が混じった覚悟を一夏が決めた時、セシリアも再起動していった。
「上等ですわ」
声には屈辱に打ち震える響きがある。ふざけるなと、言外に言い放っていると直感できる。
確実に千冬に一夏でもお前と戦えると言われたことが原因だろう。
「後悔させてあげます。わたくしに喧嘩を売ったことを」
俺が売ったんじゃないんだけどな、という言葉は一夏は飲み込んだ。
なんつうか、日常シーンを書くの難いです。と言うよりセシリアみたいなキャラが書きづらくて仕方ない。
一応性格改変食らってるのは一夏、箒、千冬、束などの幼い頃からオリキャラと接する機会があった人たちです。それ以外は基本変えていません。書けてるかはわかりませんが。
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Fragment 2
……ただ批判はなるべくオブラートに包んでくれると嬉しいです。
その少年の名前は佐倉弥月といった。
少年は何処にでもいる子供だった。別段何かが特別に秀でていたわけではなく、家が特別にお金持ちだったというわけでもない。父親は公務員で母親は専業主婦の至って普通な家庭に生まれ、普通の子供のように笑って泣いて怒って、当たり前な人生を歩むはずだった当たり前に存在する子供だった。
そんな弥月の人生に転換期が訪れたのは小学校に入学した時だった。
そこで始まる生活に子供らしく胸をときめかして、振り分けられた教室に足を踏み入れた時に真っ先に目に入った少女。世界の何もかもに興味を持っていないような、自分と世界がズレていると認識しているような、余りにも無気力で無関心な目をした少女。
異物であり異常。子供ながらにそう理解させられてしまう。そんな強烈な違和感を纏った一人の少女。
弥月はその日から彼女から目を離せなくなってしまった。
学校では気が付けば彼女を目で追っている。そのせいで授業中に先生に注意されたことも一度や二度ではない。
学校以外では常に少女のことを考えている。それが当たり前になりすぎて、両親の言葉が耳に入ってこなかったのもしょっちゅうだった。
それは一目惚れと呼べるものであり、佐倉弥月という少年の初恋だった。
何時からか弥月は恋をした者として当たり前のように少女と話してみたくなった。その頃には少女は既に学校では浮いていて、友達になった子たちは皆弥月が少女に関わろうとするのを止めた。
気味が悪い。要約すれば理由はその一言だ。実際この場合、誰も子どもたちを責められないだろう。イジメ、かっこ悪いとかの言葉でどうこう出来るような、そんな可愛らしいものではなかったのだから。
どこの世界に、小学生でありながら量子力学を完璧に理解する子どもがいるだろう。
どこの世界に、小学生でありながら偉人たちがその生涯をかけて解き明かしてきたものを全て理解する子どもがいるだろう。
少女は聡明過ぎたのだ。それが少女の纏う違和感の正体。
少女にとってこの世界はレベルが低すぎる。何から何まで簡単で、優しすぎて、つまらない。
つまり少女にとって生きるということは既に解き明かした数式を何回も、何十回も、何百回も、何千回も、延々と繰り返し繰り返し解きなおし続けることと大差がないということだ。そこで生きる人たちも数字や記号の羅列にしか思えない。
なまじ優秀すぎるが故の苦痛。歴史上にもそのような人物はいたであろうし、そのような人物はそれでも何らかの形で世界と折り合いをつけて生きていったのであろう。少女にとって不幸だったのは余りにも幼すぎて折り合いのつけかたが分からなかったということだ。
だから、友達の制止を振り切って少女へと話しかけてきた弥月も認識としては変わらない。取るに足らない有象無象。相手をするだけ無駄である。
―――何?
それは酷く冷めた声だった。とても小学生の女の子が出していい声ではない。聞くだけで悪寒が走るかのようなそんな声。
今までその声を聞いた人は誰一人の例外もなく少女から離れていった。
だから少女は弥月が離れていくことを疑いもしなかった。
―――ぼ、僕と友達になってください。
だからそれは少女にとっての予想外。弥月は頬を赤らめつつそう言った。
少女は初めてのことに戸惑った。今まで声をかけてきた人はその一言でいつも離れていったというのに。
こいつは一体何を言っているのか。本気で意味が分からない。
けれど少女が人と関わりになりたいなどと思うはずもなく、口をついて出たのは拒絶の言葉だった。
―――嫌。
―――ど、どうして!?
―――その必要性を感じないもの。
にべもない言葉に弥月は傷ついたような表情をするが少女にとってはだからどうしたという。
少女の世界は「自分」という要素で埋まっている。そこに他が入り込む余地はない。人が地を這う蟻の気持ちを知らないように、少女もまた他人の気持ちなどは知らないのだ。
少しの怪訝、少しの驚き、それを感じたところでそれでも根本が変わることはありえない。愛の反対は憎悪ではなく無関心とよく言うが、至言だと少女は思う。
―――低俗で劣等。あなたたちみたいに普通過ぎてつまらない、どころか苛立ちしか湧かない相手と話すことなんてないじゃない。
心の底からそう思っている。少女の弥月を見る目は本気だった。
弥月は少女の言っていることの半分も理解できなかったが、それでも伝えたいことは理解した。
要は自分が彼女に相応しくないのだ。話すだけの価値がなくて、友達になるだけの興味もない。だからこそ自分は少女と友達になれないのだと。
だったら、
―――じゃ、じゃあさ。僕が君に釣り合うだけの価値を持てたら、僕と友達になってくれる?
その結論、いささか以上に突飛過ぎではあるがそれでも弥月はそう考えて、少女へとそう言った。子供ながらの恋心は純粋であるがゆえに留まることを知らない。
―――なれたれ、ね
少女はそう言う。なれるはずがないと、そう断定しながら。
期待はしない。少女にとってその約束は長い長い暇つぶしのようなものだ。
しかし、弥月の反応は劇的だった。とても嬉しそうな表情でうんうん、と頷いて教室から走り出していく。さっそく勉強か何かに行ったのだろう。その安直な精神に少女は呆れ顔をした。
そしてそれからの弥月は人が変わったようだった。友達と遊ぶことなどせず、ひたすらに知識を詰め込んでいく。友達も両親も先生たちも弥月のことを心配するようになったが、それでも弥月は大丈夫と言って一心不乱に突き進んでいった。元から素質はあったのだろう。瞬く間に少女との差を縮めていき、小学三年に上がるころには少女とそう大した差がないくらいになっていった。
少女にとっては驚愕だった。絶対に無理だと思っていたことを成し遂げた弥月。少女にとっての世界に初めて現れた不文律。気が付けば少女の方から弥月へと近寄っていた。
それがすべての始まり。少女―――篠ノ之束と佐倉弥月との間に生まれた縁の原点だった。
◇
その日、弥月はドイツの軍事施設にいた。
ISの研究所を兼ね備えた基地だ。それなりに高い機密保持で守られており、存在を知る者は多くも実際に赴ける者はそう多くない。
研究者や常駐の職員を除けば入る資格を持つ者は将官クラス。一般人は当然として、士官や一兵卒でも入る資格はない。ここに入ることが出来る者は総じてエリートと呼べる者なのである。
そんな施設の廊下を弥月は進んでいた。要は襲撃だ。目的はこの基地にあるデータバンクへのアクセス。それによる情報の正誤の確認。
「きな臭ぇなぁ。嫌な予感がしやがる」
最後のセキリティを解除してゲートを潜り、目的地へと向かう通路を歩きながら弥月は一人ごちた。
通路には弥月を除き誰もいない。随所にカメラが設置されてはいるが今や完全に動きを止めている。お陰で通路に響くのは弥月が立てる足音と声だけだ。
口には煙草が銜えられており、手元でナイフを弄びつつ歩く姿は非常に堂に入った気楽なものでまるでどこか友達の家に遊びに行くかのようだ。もっとも、戦闘服をカスタマイズした内側に銃やら
『一応その通路には敵性存在はいないけど』
耳に装着したインカムから聞こえてくる
確かに彼女の言うとおりではある。施設の目は潰したし、ガードメカは全機スクラップに変えてある。ここの職員たちもひと纏めにして部屋に閉じ込めた。敵性存在は理屈上存在していない。
「理屈でいけばな。ただ何となく最後のセキリティが甘いような気がしてよ。この先にあるのは施設の
一言で言えば勘だ。虫の報せと言ってもいい。コレばっかりは戦場で鍛えるしかないため、ほぼ戦場に出ない束には分からないものだろう。弥月としては分かってほしくはないものではあるが。
『うーん、確かに一理あるかもね。けどセキリティそのものはかなりしっかりしてたし、束さんやくーちゃんみたいなのを想定してないだけかもよ。こう技術力の誇示のためにあえて外からハッキング出来るようにしてたとか』
「よっぽど阿呆ならそういうこともするかもしれねぇけどな。俺がそいつの上司なら一発でクビにする位の下策だよそりゃあ。となると考えられるのは」
罠か囮か。前者であるならばともかく後者であるならば、
「こりゃ一波乱ありそうだわ。疲れるからいやなんだけどなぁ」
戦いの予感がある。血と硝煙の匂いが漂ってくるような気配がある。
障害は排除して敵は排撃すると確定はしているが、別に弥月は戦闘狂ではない。負けるつもりも死ぬつもりもないし、いざとなれば逆に敵を殺すことも躊躇うことはないがないにこしたことはないのだ。
弥月は平和主義者なのだ。必要にかられて戦う
『死なないでね、みーくん。嫌だよ私、みーくんの葬式するの。くーちゃんだってそう思ってる』
インカムの向こうから束は心配そうに弥月へとそう言った。
束と千冬と弥月、三人で空へと行くという夢はまだ叶っていない。世界各国に指名手配されているから結婚式も挙げていない。それに、弥月との間に子供だって作っていない。まだやりたいことは一杯あって、まだまだ一緒にいたいという気持ちは胸の内でずっと存在している。
そういう束の気持ちを理解しているからか、弥月の返答も真摯なものだった。
「当たり前だろ。お前残して死ぬかよ」
微笑みを浮かべてインカム越しに束へと語りかける。
「飯でも作って待っててくれや。んで、くーの野郎と一緒に三人で食おうぜ」
優しい声音で言われたその言葉は束にとっては殺し文句だったらしい。「はうっ//」という声がインカムを通して聞こえてくる。
相変わらず低耐性だなぁ、と弥月は思った。つき合いだして結構な時間が経つが束はこういう台詞に哀れなほど耐性がない。端から聞いたら別に大した台詞でもないのに今のようになる。
まぁそこが可愛らしいんだけどなぁ、と弥月は微笑ましい気持ちになった。
『……またやってるんですか?』
インカムの向こうで「あうあうあう//」と赤面していることが丸分かりな束の声を堪能しながら通路を進んでいると、別の回線を通じて通信が飛んでくる。束と弥月の二人へと向けた直通回線。当然束の方にも聞こえているはずなのだが、トリップしているせいで通信に気付いていないようだ。
仕方なく弥月が答える。
「別に良いだろ、くー。減るもんじゃないし」
『良いことありません。いちゃつくなとは言いませんが時と場所を弁えて下さい』
聞こえてくるのは少女の声だ。それは弥月の記憶の中にある束の小さい頃の声にとても似ている。
くー、と呼ばれた少女の声は畳み掛けるように言葉を紡いだ。
『そもそも貴方はIS持ってないんですよ。こんな場所に拳銃一丁とナイフ三本、各種手榴弾を少量で乗り込むなんて馬鹿ですかと言いたい位です。挙げ句の果てに私に施設の中枢の制圧を任せてデータバンクに直行。ええ、貴方の実力は分かってますよ。こういう閉鎖空間だったら大抵のISにだって負けることはないでしょうよ。しかしですね、貴方だって戦場に絶対はないって知ってるでしょう?貴方は耐久力的には普通の人間なんです。普通の人間ってことはIS級の攻撃は一発でも直撃すれば良くて重傷悪くて即死です。分かってるんですか?貴方は戦闘では基本的に一発も貰ったらいけないんですよ。一般の兵士を相手にするんだったら私だってとやかく言いませんが貴方は基本的にISを相手にすることを想定しているじゃないですか。普通の価値観で言わせてもらえれば無理ゲーとかクソゲーとか言われるくらいの無茶ぶりですよ。流されるままに貴方が言うように動いた私も私ですが一緒にいる時位私を頼ってくれても良いじゃないですか。もう終わってしまってことですし仕方ないですけれど、単独行動しているんですからもう少し警戒して―――』
「ふわぁ〜あ」
『聞けよ』
あまりの長口上に思わず弥月は欠伸をしてしまう。くーは底冷えするような冷たい声で文句を言った。
弥月はそれに反応を返さず、ナイフを回すのを止めて、一旦歩くのを止める。弥月の視線の先には通路の終わりが見えてきていた。弥月はナイフを仕舞い、腰のホルスターから愛銃を引き抜く。
M1911A1。コルト・ガバメントの通称でも知られる、一世代前のアメリカの拳銃だ。弥月が持つものは正確にはそれのカスタムモデルであり、使用者である弥月に合わせて照準周りと安定性を底上げし、耐久性能を特化させてある。しっかりと照準を合わせさえすれば高速機動中のISであっても当てることが可能であるし、並大抵のことでは壊れることがない。
最も、ISを相手にする場合当然のように真っ当な武器としては使えない。ISのシールドシステムは堅牢だ。
「なぁ、くー」
『…なんですか?』
いかにも不機嫌です、と言いたげにくーは答えた。
「お前に良い男の条件って教えたっけか?」
『は?』
あまりに唐突な話題の転換にくーは思わず間抜けな声を出した。
弥月が通路を抜ける。着いた所は少し開けていた。広間、というほど大きいわけではないがそれでも銃撃戦をするには十分すぎるほどの大きさがある。加えてそこらかしこに何の目的があるのか弥月の腰ほどの高さのあるコンテナが転がっている。遮蔽物としても申し分ない。弥月はガバメントを両手でしっかりと構えつつクリアリング、周囲の安全を確認する。
人影はない。当然ガードメカも存在しない。管制室がくーにより抑えられているためセキリティも機能していない。
とても静かだ。弥月が床を踏みしめる足音がとても大きく聞こえる。一見してそこには何もないように見えた。
「良い男の条件って言うのはな、女を嬉し泣き以外させない男のことを言うんだ。くー、お前は俺が
部屋の奥の方には扉があった。12桁のパスワードを打ち込むタイプの電子錠だ。目指すデータバンクがあるのはそこであろうと目星をつけて弥月は一歩一歩ゆっくりと進んでいく。
『腹立たしいことに見えませんね』
「だろ?俺はこれでも良い男を自称してるんでね。自分の価値観に背くようなことはしないさ。だから―――」
かつん、という音を弥月は聞き逃さなかった。弥月から見てほぼ真後ろ、ちょうど入ってきた通路の方へと向けてガバメントを連射する。
乾いた音が三発、連続で響く。マズルフラッシュと同時、銃口より吐き出された弾丸が弥月の背後まで迫っていた
「俺は相手がISだろうが戦車だろうが負けてやるつもりはないし、死ぬつもりはもっとない。有言実行。俺が好きな言葉だよ」
黒光りするメタリックフレームの装甲。それでいて相手の肉体の大部分は見方に寄ってはタイツにも見える体にぴったりとフィットした専用のスーツに包まれている。装甲が着いているのは両手足と胸部の一部で、それ以外は全て露出していた。
それはISだ。弥月と束と千冬が心血を注ぎ、共に造り上げた空の果てへと飛翔するための機械仕掛けの翼。
弥月が撃ち込んだ弾丸は肉体の体表面で止められていた。物理的にあり得ない現象ではあるが、弥月としては見慣れた光景だった。
だからその後の弥月の反応は早かった。45口径弾を極至近距離で受けても怯むことなく落としてくる白熱光を後ろに跳び退って回避する。
白熱光は弥月が数瞬前までいた空間を薙ぎ払い、そのまま床に突き刺さる。しかし抵抗らしい抵抗はなく、そのまま床を融解させた。その正体は超高温のプラズマブレード。並大抵の装甲などバターも同然に切り裂ける。
相手は突き刺さったプラズマブレードをそのまま上へと突き上げる。その動きはとても速い。相手が戦闘慣れしていることは明瞭だった。
狙うのは弥月の頭部だ。それが分かるからこそ弥月は先んじて動く。深く沈み込みながら開けた距離を一息で詰める。そのまま弥月はコートから取り出した
強烈な熱波が弥月と相手を襲った。生身ならそのまま相手を焼殺しかねない。
その熱波を突き破って、弥月が躍り出た。耐火性能を持つコートで熱波を防ぎつつ、至近距離で熱波を直撃させた相手から距離をとる。
熱波は相手に対して大した効果はないだろう。ISの装甲もシールドも対人用の
別に構いはしない。要は一瞬動きを止めることが出来れば良いのだ。僅かに稼いだ時間に弥月は即座に動く。
何も距離と時間を稼いだのは襲いかかってきた敵に対応するための体勢を整えるためではない。寧ろ敵性ISが一機だけであるのなら弥月はそのまま畳み掛ける。であるならばなぜか。その答えを示すように弥月は何もないはずの空間に向けて発砲した。
「つうわけで、だ。出てこいよ。隠れたところで意味がねぇ、ってのを理解してくれるとこっちとしても面倒がなくて助かるんだけどな」
響いたのは銃弾が何かに当たった金属音。そして次の瞬間何かが回る駆動音が聞こえてくる。
弥月は本能が命じるままに横に跳んだ。その直後弥月が発砲した方向から銃弾の嵐が飛んできた。
凄まじい轟音を立てながら、回避行動をとりそのまま駆け出した弥月をそれが追随する。弥月はステップを交えた軽快な動きで銃弾を全て躱した。そのままコンテナの裏側へと回り込む。
弥月が遮蔽物の向こうに消えたからか銃弾の斉射がやんだ。コンテナの影からチラリと弥月が向こうを見れば現れたもう一人が弥月に投げ飛ばされた相方を助け起こしていた。既に
「しかし、予想していたとはいえ熱烈な歓迎だな」
一息ついて弥月は改めて現れた敵二名を観察する。両方ともまだ幼い。十代の半ばから後半程度の年齢だ。最初に弥月へと手首に存在するプラズマブレードユニット、多分プラズマ手刀とか言われているやつで斬り掛かってきた少女は赤毛に金色の目をしており、目元にある泣き黒子が特徴的だ。弥月にガトリングの射撃と思わしき銃撃を放ってきた少女はブロンドの髪に赤色の目をしており、右ほほから首筋にかけて斜めに切創の痕と思わしき傷が残っている。
二人は弥月が隠れたコンテナを黙って睨みつけていた。その姿からはIS操縦者が生身の人間を相手にした時の油断などは伺えない。初撃も何もさせずに一撃で決着を付けようとしていた魂胆が丸分かりな攻撃であったため、一般的なIS操縦者とは心構えの段階から桁が違うと弥月は思う。
正直な話こういう人種は稀だ。弥月は今まで何回かISと戦ったことがあるが、どいつもこいつも生身の人間を相手にするということで隙と油断がでかすぎて話にすらならなかった。こいつらにはそれがない。勝てる勝てないは別として端的に戦いづらい相手である。
弥月はインカムで束とくーに語りかける。
「おーい。束、くー、聞こえてるか?」
『万事オッケー、聞こえてるよみーくん』
『……一応』
束はトリップから回復していた。いつもならもう少し浸っているであろうところではあるが流石に弥月が戦闘に入ってしまった以上いつまでもそういう風に惚けているわけにはいかないと切り替えたようだ。何事もなかったかのような態度ではあるが声からして少し恥ずかしくは思っていたらしい。
くーからの反応が薄かった。というよりも少々怒ってるようにも感じる。
「何だよ、その言わんこっちゃないみたいな反応は」
『その通りですよ。言わせてもらいますね、言わんこっちゃないじゃないですか』
「何だよ、お前。怖えーよ。これからIS相手に一戦交えようとしてるお父さんを怖がらせないでくれる」
全然怖がってないような声音で言う弥月。
『帰ってきたら説教です』
「え、マジ?」
『マジです。私の堪忍袋にも限界はあるんです。覚悟しておいて下さいよ』
本気で言ってくるくーに、弥月はうわーといった顔をした。完全に自業自得である。
それはともかく、
「奴ら
『了解しました、警戒しておきます。そちらは一人で大丈夫ですか』
「問題ねぇ。いつも通りにやりゃ良いだけの話だ。かわんねぇよ」
状況を説明して警告する。弥月の声音が真剣なものに一瞬で変わったことを理解したくーも態度を切り替えた。先までの怒気を沈めて冷静に言葉を返す。
先ほどの長口上ではああは言ったが、くーも弥月の戦闘力はしっかりと理解している。だからこういう状況になれば自然と弥月のサポート、もっと言えば弥月がもっとも望むアシストを理解して実行する。
この場合はしっかりと管制室を抑え続けることを弥月は望んでいる。もしもISと戦っている時にガードメカやセキリティが回復などでもしたらいくら弥月と言えどもヤバい。さらに言えばもし外と連絡でもとられでもして増援がきようものなら、勝利は絶望的だろう。安心して弥月が戦えるようにすることがこの状況の最善であるのだ。
『御武運を』
「任せろ。そっちは頼んだ。束もくーのサポートを頼む。頼りにしてるぜ」
『了〜解〜』
通信を終えて、弥月はガバメントを構え直した。通信中に既にリロードは終えている。何発か無駄になったが、中途半端に弾倉に弾が残っているよりかははるかにマシだ。
二人は動いていなかった。油断なく弥月が隠れたコンテナを伺っている。焦れた弥月がコンテナから飛び出してきたところを狙うつもりらしい。嫌に冷静だ、と弥月は二人を評価した。
「んじゃ、始めるとするか」
乗ってやるのはしゃくではあるが、状況はこちらから動かすべきではあろうと弥月自身思う。生身対ISに限らない話ではあるが、技術や精神性を無視して単純に性能差で判断する場合、彼我の性能差が圧倒的な状況で勝ちを拾おうとするならばまずは機先を制することが重要だ。戦いにおける流れを掴むことが出来ないということは受け身に回らざるを得ないということであり、そんなことをすれば性能差で押し切られて敗北することは分かりきった結末である。主導権を握ってそれを放さない。大事なのはつまりそれだ。
弥月は勢いよくコンテナの影から飛び出した。まず来るのはブロンド髪の少女からのガトリングの斉射。ガトリングの集弾性の悪さを逆に使って牽制の弾幕をひたすらに張り続ける。弥月の着ている服の方にはコートと同じ要領で防弾・防刃の機能が付けられているが、ISの持つ大口径のガトリングの前には効果は本当に申し訳程度しかない。直撃など貰おうものなら重傷だ。やはり大前提、全弾回避しかない。
先ほどくーも言っていたことだが、生身でISと戦うならば一発も攻撃を受けてはならない。当然防御も駄目だ。当たり前の話ではあるがIS用の武装は基本的に人間が耐えれるようには出来ていない。
走る。走る。走る。弾幕を恐れずただ走る。こういう状況下で機先を制するなら恐れず踏み込むことが重要だ。回転するガトリングの銃身、その銃口の向く方向とブロンド髪の少女の筋肉の動きから直撃コースの弾丸だけを正確に見切って最小限の動きで躱しながら弥月はブロンド髪の少女の懐まで潜り込んだ。
「なっ!」
ブロンド髪の少女が驚愕の声を上げた。先ほどまで嫌に冷静だった顔からの変化に、弥月はしてやったりとニヒルに笑んだ。
彼我の距離は約七メートル。それが一瞬で詰められる。それもガトリングの弾幕を真っ向から被弾なしで突っ切って。人間離れした動きをあっさりと行った弥月に驚くなというのも無理な話であろう。
「ほら、いくぜぇぇ!!」
景気よく声を上げて弥月はコートを翻しつつ射撃。リロードしたガバメントの薬室と弾倉の計八発を一息に至近距離でぶちこんだ。
動揺と距離、そしてISの非装甲部位への着弾ということもあってブロンド髪の少女が僅かによろめく。弥月はその隙を逃さない。そのまま体をひねって回転し、ブロンド髪の少女の腹部を目がけて後ろ回し蹴りをたたき込んだ。
「ぐっ!」
呻き声とともに少女が後退する。
生身の人間の蹴りとはとても思えないほど強烈な蹴り。衝撃がISの
何故?という疑問が少女の脳裏をよぎる。ISのシールドにも
その疑問に答えがでる間もなく、ブロンド髪の少女へと攻撃を加えたことで一瞬無防備になった弥月へと泣き黒子の少女がプラズマ手刀で斬り掛かる。
「…………」
無言で弥月の頭部目がけて横一線の斬撃。その動きは先と同様やはり速い。
味方が攻撃を食らったというのに動揺は見られない。いや、この程度で戦闘不能にならないと確信しているのか。もしそうであるならば味方を信用しているということではあろう。
泣き黒子の少女の攻撃は完全に死角をついた攻撃だった。物理的にも、意識的にも。攻撃を見てからでは先ほど驚異的な反応を見せた弥月であれど躱すことは不可能である。
だが―――
「…っ!?」
弥月はそれさえ躱した。姿勢を元に戻すと同時に頭を下げる。プラズマ手刀が弥月の頭部があった空間を空振った。捉えることが出来たのは髪の毛の数本だけだ。
あり得ない。プラズマ手刀による一撃は見てからの反応では避けることは出来なかった。ならば弥月はこの攻撃を予測して躱したということだ。完全な死角に入っていたというのに何故?
「目だよ」
泣き黒子の少女の心の内を読んだかのように、弥月はぼそりと言葉を発した。
瞬間、泣き黒子の少女の顔面へと拳を突きだす。
その拳を受けて鼻の骨が折れるいやな音がした。やはりISのシールドを貫通している。骨折の痛みに泣き黒子の少女がたたらを踏んだ。
「なるほど。
何かに納得したように言葉を発し、弥月が攻撃を畳み掛ける。体の正中線に沿うように拳と蹴りを連続でたたき込んだ。連続する激痛。時間にして僅かに二秒ほどではあったが、意識がおちそうになる。悲鳴は堪えたが感触から考えてあばらの数本も折れていることだろう。
「ぐっ、つぅ。は、なれろぉぉ!!」
ブロンド髪の少女が立ち直り再度ガトリングを斉射した。距離として二メートルほどしか離れていないにも関わらず、弥月はまたも鋭く反応し射撃が始まる前に横に跳んで銃撃を回避する。
「おおぉぉォォ―――!!」
ブロンド髪の少女はそのままガトリングを横に薙いだ。
吐き出される弾丸の嵐がまるで蛇のように弥月を追う。
回避行動と同時にガバメントのリロードを済ませた弥月は追いつかれまいとそのまま駆け出す。その動きは決して速くない。ガトリングの雨を真っ向から突っ切った時もそうだった。細かいところでの動きは速いが、それでも総合的な意味で弥月の動きは速くないのだ。なのにガトリングが当たらない。この調子ならアサルトライフル等でも差はないだろう。
人間じゃない。ブロンド髪の少女が咄嗟に思ったのはそんな感想だ。弥月の成した行動はどれも確かに物理現象を越えていないが、かといって人間じみてもいない。常軌を逸している。
それこそ神業、あるいは魔性の業とでも言うべきであろう。人間が出せる限界値ギリギリを無理矢理捻り出し、一見して不可能と思えることを可能にしているのだ。
打撃を通した理屈も銃撃を避けきった技も少女には分かりなどしないが、それでも異常なことだとは理解できる。自分は人間としての性能を強化された
弥月はコンテナへと走り込み、すかさずガバメントで射撃する。全弾直撃するが今度は大したダメージにはならなかった。
上手い、と思う。いっそ苛立たしいほどに。ヒット&アウェイとして実に的確だ。無茶と定石を上手く噛み合わせISを相手によく立ち回っている。
泣き黒子の少女がISを飛翔させる。広いとは言っても大して高くもない天井だ。当然飛べる高さも大してことはないが、上空から躍りかかるかのようにコンテナへとプラズマ手刀を奔らせた。
「おっと」
コンテナごと切り裂かれる前に弥月は退避する。しかし遮蔽物が無くなったことによってガトリングの弾幕が弥月へと襲いかかった。躱すこと自体は出来るが泣き黒子の少女の攻撃も合わさるとなると少々マズい。
思案は一瞬。弥月は泣き黒子の少女へと迫った。来るなら来い、とでも言うように泣き黒子の少女も身構えて迎え撃つ。
近距離戦。それも泣き黒子の少女を盾にしながらだ。ブロンド髪の少女に仲間意識があるのであればこれで少しは動きを抑えることが出来るだろう。
「馬鹿ッ!離れろッ!!」
ブロンド髪の少女が叫ぶ。当たりだ。ガトリングの攻撃が止んだ。この間に泣き黒子の少女を落とすと弥月は攻め込む。
つまりフラグ立てだ。この間に勝負を決める。
唐竹、袈裟切り、逆胴、右斬り上げ。連続で繰り出してくるプラズマ手刀を捌き、要所要所でカウンターを撃ち込んでいく。ISの攻撃に比べて弥月の一撃一撃は軽い。だが、いかなる原理かシールドを貫通してくる以上ダメージは蓄積する。
「ッ、ッッ!!」
そして限界。泣き黒子の少女のプラズマ手刀の突きに、クロスカウンターで突き出された拳が少女の顎を捉える。
泣き黒子の少女が意識を喪失した。ISも解除され、地に倒れ伏す。
「まずは一人ってなぁ」
悪役っぽく呟いて弥月はガバメントを残ったブロンド髪の少女へと連射する。
「く、そおおお!!」
少女の射撃。もはや無駄だと本能で理解しつつも弥月へと攻撃する。
少女がとても長いとは言えない人生の中で会った男の中で、明らかに弥月は異常だった。
普通の人間とは思えないほどの戦闘能力。ISという今の世界の絶対に対し、怯えるどころか真っ向から突き進んでくるその精神性。人間性が欠如しているように見えて決して精神的な異常者というわけでもない。
つまるところよく分からない。理解不能だ。いっそ恐怖さえ覚える。
「そぉら!!」
弥月がコートから
「あっ、ぐう!?」
うめき声をあげて少女が目を抑えた。視界が白で染まる。何も見えないし、余りの光量にどうしようもないほどの隙ができた。
終わったな、と自分でも驚くほどに他人事のごとく少女は事実を悟った。そして、顔面に痛み。
弥月の拳が泣き黒子の少女と同じようにブロンド髪の少女の顔面を捉える。あとはもう先ほどの焼き直しだ。ブロンド髪の少女は倒れ、ISの展開が解除される。
「ま、こんなもんかね」
ISを二体相手に勝利をおさめ、弥月は静かに呟いた。
コートから端末を取り出して、それをコンソールへと接続した。
インカムにより束へと話しかける。
「接続完了した。束、頼むわ」
『まっかせて~、みーくん。この程度のセキリティなら束さんにかかればちょちょいのちょいなのだ』
束のちょっと楽しそうな声とともにインカムから高速でタイピングする音が聞こえてくる。弥月はコンソールの床に座り込んで懐から煙草を取り出した。
口に銜えて火をつける。肺腑に染み込んでくる臭いを堪能しつつくーへと回線を繋げた。
「こっちは終わったぜ、くー。そっちはなんもなかったか?」
『いっそ暇なぐらいでしたよ』
帰ってくるのは淡白な声。
『どうやら貴方が戦ったので最後だったみたいですね』
「ならよかったよ」
ふー、と煙を吐き出しつつ弥月は言う。
「いやー、疲れた。今回の相手は手強かったなぁ」
がしがし、と頭をかく。
今まで弥月が戦ってきた敵のように人間相手だからと言って侮ることもなく、油断することもない。敵の種類は関係なく己の役割としてある侵入者の排撃を絶対の使命として襲いかかってきた相手。
心当たりはある。と言うよりも確定だろう。
生命倫理やら道徳観念やら偽善者めいた言葉を吐くつもりは弥月にはない。故当然嫌悪感もない。素直に恐ろしいというのが感想だ。今回初めてそういう存在と戦ったが、未熟ではあれど覚悟があった。
怯えを持つ雑兵や敵を侮る愚者とは違うからこそ強い。今回は勝てたが次はどうなるかまったくもって不明だ。
『あっさり勝っておいて何をほざきますか貴方は』
「あっさり、ね」
『それにどうあったって負ける気はないのでしょう? 生身でISと戦うとか普通なら医者に診てもらうのを勧められるくらいの無謀を何回もやっておきながら今更白々しすぎます』
「言うなおい」
遠回しにキチガイ認定してくるくーに弥月も少々呆れた。
そこで、束が声を上げる。
『オッケー、終~了~。どうかなどうかな、新記録だよみーくん』
「ドイツ政府がこの現状知ったら結構な数が卒倒すると思うぜ」
ドイツの中でも重要な拠点だ。そこのセキリティが柔いわけはない。表の物は明らかに抜かれることを前提とした作りをしていたことを考えるとこっちが本命。ならば相当強力なセキリティが仕掛けられていたはずなのだが。
まぁ、こういうことができるから束は「大天災」などと呼ばれるのであろうが。
「で? 結果はどうだ?」
『うん、大当たりだね。今トライアル中のシュヴァルツェアシリーズの一機にVTシステムが搭載されてるよ』
弥月が口笛を吹いた。
くーは呆れたようにため息を一つ。
束はむしろ感心していた。
だが三人の心は一つだった。よく載せる気になったな。
「ま、無駄足踏まなくて良かったということにしとくか」
『いいんですか、そんなんで?』
『いいのいいのくーちゃん。まったくもって問題なーし。どうにかすればいいだけの話だしね』
『能天気ですね』
「いつものことだろ、気にすんな」
『少しは気にしてください』
とは言え聞いてはくれないんだろうな、ということもくーはしっかりと理解していた。
「ま、早急に手は打っとくとするさ。お前は大船に乗った気でどっしり構えてろ」
『すごく不安です』
「はっはっは」
くーの呟きに弥月は棒読みな笑いで返した。
戦闘シーンで弥月が無双してますが普通に戦ったら弥月負けます。あくまで条件を整えたうえでの勝負ですのでそこら辺りが上手くいかなければフルボッコです。
重要なのは勝利フラグを重ねること。まあ、それでも普通の人には弥月みたいには出来ませんが。
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Act3 Pre-preparation
勝負ならば勝ちに行くべきだろうと一夏は考える。
まあ、意地だ。負けず嫌いと言うのもあるし、男であるならそれぐらいの気概を見せるべきであろうと思っている。勝負そのものをどれだけ望んでいなかったとしても、勝ち負けにはとことん拘るべきだとも。
若干矛盾している気がしないでもないが一夏は己をそういう人種だと認識しているし理解している。今回の一戦、正直やりたくなどないが後に退けないのであれば押しつぶして通るまで。
今のご時世、男の立場と言うものはとことん低い。だからこそ、折れない男がいるべきであろうというのが一夏の自論だ。別に男がISを使えないことにいちいち嘆くようなこともしないが、だからと言って遜るということもナシだろう。
一本芯を通して真っすぐ生きる。それが一夏の生き方だ。
影響は受けていると思う。こういった思考をするようになったのは間違いなく姉の幼なじみのせいだ。
普段は近所の気のいい兄ちゃん的なくせに、恋人の前では恰好をつけて斜に構える。どこか捻くれた千冬姉曰くの救いようのない大馬鹿である人。
佐倉弥月。
そういえば最後にあったのは何時だったかと一夏は考えたが今は関係ないと首を振って思考から除外する。
ともあれ、一週間後と決まったクラス代表決定戦、正直クラス代表などやりたくないが馬鹿にされたまま終わるということもしたくない。最悪クラス代表の座をセシリアに押し付ければいいだけの話だ。やることが決まってしまった以上は勝ちに行く。少なくとも一泡吹かせてやろう。一夏はそう決意した。
「けど、具体的にどうするかだよなぁ」
放課後、一夏は一人廊下を歩きながらぼやいた。
向かう先は図書室。ISに関する勉強がしたかったのと、静かに一週間後のセシリア戦に向けた対策を考えるためである。
まず、はっきりしていることは一夏ではセシリアに勝てない、ということである。
少なくとも普通に戦えばその結末は確定だろう。一夏本人としても自分とセシリアの実力差を小細工なしで覆せるとは思っていない。そこまで自惚れれるほど一夏は自分を過大評価は出来なかった。
所詮は素人。確かにセシリアは格下に足元を掬われそうなタイプではあるが、かと言って一夏を相手に油断だけで負けるということもないだろう。もしそうであるのならばセシリアはイギリスの国家代表候補生などにはなっていない。
まず土俵が違う。戦うことのできる領域が違う。当然戦術には差ができて、下手をすれば圧殺される。
土俵が違う相手と戦う場合取れる手段は二つだけだ。相手の土俵に上がるか、もしくはこっちの土俵に引っ張り込むか。先にも述べた通り前者は無理だ。となれば消去法で必然取れる手段は後者一択である。
正直苦手な行為だ。いや、これがもし喧嘩などの何でもありならばいくらでも小細工を考えれるのであるが、今回は試合である。そこにはれっきとしたルールが存在して、小細工をかまそうにも下手なものを行えば即座に失格、敗北である。
こういう時弥月さんならいくらでも手段を考えれるんだろうなぁ、と一夏は思った。あの人はそういうのが上手い。
「とりあえず情報収集してからか」
ドツボにはまりそうだった思考を、一夏はその一言で切り替えた。
こういう場合まず相手のことを知ることから始めるべきだ。前情報がない状態で思考を続けても上手くいかない場合は確かにあるのだから。
一夏は歩調を早める。図書館ならばISのこととかにも詳しい本もあるだろう。
流石にないとは思うがセシリアの専用機について調べるのもいいかもしれない。
少なくともイギリスのIS開発がどのような傾向にあるか調べればおおよその予想はつくだろう。そういう意味ではテスト対策と変わらない。一夏はそういうことは得意だった。
「あっ、織斑君見つけましたよ」
「はい?」
後ろからかけられた声に一夏は振り向いた。
真耶だ。あちこち走り回っていたのだろうか、肩で息をしている。すぐ後ろには千冬の姿もあった。こちらは真耶と違って息が乱れているということはない。平素と変わらない凛々しい姿で腕を組んで立っている。
「なんか用ですか? 山田先生」
一夏は疑問に思って問いかけた。本日の二時間目に補講の申請はしたが、こんなに早く予定を作ってきてくれるとは思えない。割と失礼なことだとは一夏自身自覚しているが、今日の授業を受けた結果としての真耶への評価である。
となると果たして何なのか。まだ入学一日目であるし、セシリアとの決闘騒ぎ以外特にこれといった問題は起こしていないはずなのだが。
そう考えていた一夏の頭上に迫る出席簿。「ん?」とおぼろげながら一夏がそれを認識した瞬間には硬い表紙が脳天を直撃していた。
スパアァン!!と今日一日で大分聞いた音が鳴る。
「いッ!!!!」
「お、織斑先生!?」
不意打ちの出席簿アタックに一夏が短く悲鳴を上げた。真耶も突然のことに驚いている。下手人である千冬は先ほどまでと変わらない。
「い、痛いです織斑先生」
「当たり前だ。痛くしたんだからな」
頭を押さえながら一夏の言った言葉に千冬は呆れたように言葉を返した。さも当然のように。
チクショウ。馬鹿になったらどうしてくれるんだ。
口に出さずに心の中で一夏が呟けばもう一発飛んでくる出席簿アタック。この教師容赦のよの字も知らないらしい。
「今日の三時間目の分だ。これに懲りたらルールは守れ」
「は、はい」
悶絶しながら一夏は言う。
真耶は大丈夫ですか?と一夏を心配してくれた。その心遣いが一夏にはとても嬉しかった。
一夏は大丈夫です、と真耶に言って頭を押さえながら真耶に聞く。
「二回目になりますけど、何か用ですか山田先生」
未だにちょっと心配そうではあるがその様子に一応は納得したのだろう。真耶は一夏に番号の書かれた紙とキーを手渡した。
「織斑君の寮の部屋が決まりました」
へ?と一夏は呆然とした。聞いていた話と違う。
IS学園は全寮制の学校である。だから当然一夏もIS学園の寮に住まうことになる。そういう意味ではこの状況はかなり正しいのだが、一夏が当初聞かされていた話だと入学から一週間は自宅から通学することになっていたのである。
「えっと、俺が聞いた話だと一週間は自宅から通うことになっていたはずなんですけど」
率直に一夏は疑問を口にしていた。
真耶はああ、と納得したように言う。
「確かに当初はそうなる予定でしたんですけど事情が事情でしたので一時的な処置として部屋割りを無理矢理変更したらしいです。連絡が行ってなかったようですね、すみません」
「ああ、いえいえ。先生が謝るようなことじゃありませんし」
と言うかちゃんと仕事しろよ日本政府。明らかにかなり重要なことじゃねえか。危うく何も知らずに帰るところだったぞ。
「と言うことは荷物用意しなければいけないですね。分かりました。一回家に帰って取ってきます」
「その必要はない、私が手配しておいた」
それならば仕方ないと図書館に行くのを取りやめて一回家に帰ろうとした一夏に千冬が言った。
随分と手際いいな。
「あっと、どうもありがとうございます」
「いや礼はいい。私も何を持ってきたらいいのか分からなかったのでな。生活必需品しか持ってきていない」
「え?」
「具体的には携帯電話の充電器と着替えだけだ」
つまり娯楽のための物は一切持ってきていないということか。何たることか。せめて何か本でも欲しいかったところだ。
ああ、けどいろいろと見られたらマズいものもあったしそれを見られなかったと考えればこれでも良かったのかもしれない。具体的には千冬にばれれば折檻されるかからかわれ続けるかの二択しかないであろう青春の教科書とか。
「まあ、あれだ。お前が後生大事にタンスの中に隠していたエロ―――」
「それ以上は勘弁してください」
どうやらしっかりばれていたみたいである。続きに何を言おうとしているのかは知らないがこれ以上言わせてはマズイと廊下にも拘わらず一夏は土下座した。こんなところでばらされれば周りからの視線が好奇心に溢れたものからゴミを見るような視線に変わりかねない。いや、当然それくらいでと理解ある者も多いだろうが一応
「いや土下座はしなくても」
「いやほんとマジでお願いします」
千冬が珍しくちょっと引いていた。隣では真耶が千冬が何を言おうとしたのか理解したのか赤面してなにやらぶつぶつ言っている。いや青春の教科書を所持していたという事実だけでいったい何を連想したのか。完全に墓穴を掘りそうなのでやらないが一夏はちょっと聞きたくなった。
んんっ!と千冬はわざとらしい咳払いで仕切りなおした。一夏は千冬の意図を理解して立ち上がる。真耶はまだトリップしていた。なんであれだけの単語でここまで妄想できるのか知りたくなった。千冬が容赦なく出席簿アタックをかます。声にならない悲鳴を上げつつ真耶が戻ってきた。
真耶はちょっと気まずそうに続きを話す。
「じゃあ、時間を見て部屋に行ってくださいね。夕食は六時から七時、寮の一年生用食堂で取ってください。ちなみに各部屋にはシャワーがありますけど、大浴場もあります。学年ごとに使える時間が違いますけど……えっと、織斑くんは今のところ使えません」
「え、何でですか?」
大浴場があると聞いてちょっと期待した直後に言われた事実に一夏は少し呆然としたように聞いた。千冬が答える。
「お前はアホか。
「いえ、そんなことはないです」
ちょっと蔑んだような視線を向けてくる千冬に、今度は一切動じることなく一夏は答える。実際そんなことこれっぽっちも考えていないから嘘くささはなかった。ただ、またしても顔を赤くした真耶がまくしたてるように言ってくる。どうでもいいがこの人少々妄想力が高すぎないか。もしかすると腐女子の類かもしれない。
「だ、駄目ですよ織斑くん! 同年代の女子と一緒にお風呂に入りたいだなんて!!」
「いやだから違うと言ってるじゃないですか。え、もしかして山田先生ってあれなんですか? こう男同士の恋愛が好きとかそういう。それで焦ってるんですか?」
「そ、そそそそそそそんなわけないじゃないですか! 私そういうの苦手なんですよ!!」
首を高速で横に振りながら必死に否定する真耶。動作的には必死になって事実を隠そうとしているように見えるがなんとなく白だと思った。勘ではあるが秘密に感づかれて焦っているというよりは恥ずかしくて動転しているように見える。なんか涙目だし。
「真面目な話、寮に入れられるんでしたら風呂の時間ぐらい調整してくれると思ったんですが」
「悪いが、そこまでの調整は出来ていない。諦めて部屋のシャワーで済ますんだな」
「はぁ、分かりました」
仕方ないか、と一夏も諦める。実際学園側も頑張ってくれたのだろう。そうであるならば仕方ない。一夏一人のために入浴の時間を再度調整しなおすというのも冷静に考えてみればアレな話だ。
「要件は以上だ。まあ、あれだ。実質的な女子高に入学することが出来て嬉しいだろうとは思うが問題だけは起こしてくれるなよ」
「先生は俺をどんな奴だと思ってるんですか」
からかい混じりだと思われる言葉を残し、千冬は真耶を連れて去って行った。いつものことだとは思うがどうも嵐みたいな人だ。いろんな意味で被害がデカい。
「とりあえずアレだな。図書館だ」
一夏は当初の予定を果たすべく学校の図書館へと足を向けた。
◇
「流石に豊富だな」
図書館の椅子に座り、本棚から取り出してきたIS関連の本を読みながら一夏は独りごちた。
一夏の目の前の机には他のIS関連の本が四・五冊積み上げられている。一応は読破済みの本であり、一夏が今読んでいる本で持ってきた分は終わりだ。流石に量的な問題で全部を完全に読んだわけではなく、重要と思われる部分を読んだだけなので理解とは程遠いがそれでも一夏が知りたかった情報は大体がそろっていた。
豊富といったのはそういうことだ。昔のものから(とは言っても十年前であるが)つい最近発売したばかりのものまでIS関連の本は大体ここに存在していた。絶対的に情報が不足していた一夏にとっては嬉しい限りである。
「どうすっかなぁ」
一夏は頭を掻く。
一夏が調べた限りイギリスのISは中・遠距離戦を軸とするものが多いようだ。と言うことはセシリアも多分そうだろう。本人の適性もそんな感じだと個人的に思う。
そこまではいいのだが問題は一夏の方にある。
一夏は当然のことではあるが銃なんて触ったことはない。ついでに言えば扱える気もしない。つまり射撃戦の場合上手い下手以前に勝負にならない。
可能性があるとすれば接近戦だ。昔やっていた剣道の腕は大分錆びれてしまっただろうが箒に鍛えてもらえば全盛期とはいかなくてもある程度は戻ってくるだろう。向こうの実力にもよるがまあある程度は何とかなる。伊達にあの魔窟で剣を習ってはいない。
だが今度は近づけるかと言うことが問題になってくる。単純に一夏の技量が低すぎるというのが接近戦を行う大きな壁になるだろうと簡単に予測できた。
割と手詰まりだ。なんかこう、一気に接近できるような技はないかね。
「はあ」
溜め息を一つ。あまり実戦機動には手を付けていないため探せばあるとは思うが流石に疲れた。今日はもう中断して部屋に帰ろう。時計を見てみればもう一時間ほどで夕食である。
「よしっ」
気合いを入れなおすかのようにそう言って立ち上がる。手早く片付けて図書館を出て寮へと向かおうとして、そして―――
「おっ」
「あら」
目が合った。誰と? セシリアと。
一体こんな時間に何をしていたのか、彼女は図書館のすぐそばに立っていた。見かけた以上挨拶をしないなど失礼にあたるので一夏は軽く手を上げながらセシリアに言う。
「よう」
言葉自体かなり軽いものであったが、あまり畏まるのもアレだろう。そういう考えで一夏はそんな挨拶をしたのだが、それを受けてセシリアは不機嫌そうに顔を歪ませる。
「貴方でしたか」
「おう、俺だ。何してたんだこんなところで」
「別に、何でもいいでしょう。貴方には関係ありませんわ」
「まあそうだけどさ」
その言葉には棘があった。どうやら友好を深めるような会話はお望みではないらしい。仕方ないか。どうやらプライドの高い性格のようなので、昼に一夏に負ける可能性を千冬に示唆されたのが余程悔しいのであろう。
「そういう貴方は一体何をしていたのかしら。今更勉強でもしていたと?」
「そんな感じだよ」
実際特に間違っていないので一夏は素直に頷いた。するとセシリアの言葉に棘だけでなく嘲りの感情も混ざる。
「ふん、どうやら無駄な努力が好きなようですね。いくらやったところでわたくしには勝てませんわ」
ド直球のその言葉には自分への自信がありありと見て取れる。千冬はこういうのを嫌う性質だが一夏としては正直な話嫌いではない。
セシリアと初めて会話をした時に抱いた感想と矛盾するように見えるかもしれないが、実際には全く違う。
あの時は一夏を男と言う存在だからと格下に見下していたので嫌いであったが、今回は自信からくる自負からこんなことを言っているのだ。端的に言えば自分に酔っているということで、やりすぎは毒ではあるが自分をしっかりと確立する手段としては最上である。
己にかけて素人には負けない。セシリアが言っているのはそういうことで、そういうプライドは見ていて気持ちがいい。
「まあ、無駄な努力ってやつが好きなのは否定しないさ。しないよりはマシだと思ってるし」
無駄だと断じてやらないのと、無駄かもしれないと思いながらもやり通すのでは確実に後者の方がいいだろう。無か有か、二者択一の問いに一夏はそう結論付けている。
加えて勝敗には徹底的に拘る以上かすかな努力であろうとやるべきだとも。やらないのでは勝てないのだから。
「負けませんわよ。貴方みたいな素人がクラス代表など認めませんわ」
「俺も負けないさ。勝負である以上俺は勝ちを狙わせてもらう」
一夏の言葉を聞いて、セシリアは言ってなさいと短く吐き捨てた。そして別れの挨拶もせずに踵を返して歩き去る。
一夏はそんなセシリアの態度に肩を竦めた。
「やれやれ」
ああいう感情を前面に押し出している時の彼女は決して嫌いではないが、付き合いやすいと言えないのもまた事実。最長で三年の付き合いになるのにこんなんで大丈夫かと一夏は心配になった。
「あ」
そこではたと気づく。セシリアにもしこっちが勝ってもクラス代表をやってもらうということを約束するの忘れた。
◇
寮まではあまり時間はかからなかった。
少しの緊張を孕みながら寮の中へと足を踏み入れてみれば廊下にはほとんど人はいない。
ちらほらと見える人影も基本的にはジュースを買いに来たりおそらく友達のであろう部屋へと遊びに行っている途中のようですぐ別の部屋に入っていった。
一夏は真耶に渡された紙を取り出して部屋を確認する。部屋番号は1025。すぐそばにあった部屋の番号を確かめてみると1012と書かれていた。と言うことは一夏の部屋はここからそんなに離れていないだろう。
「しかしまぁ」
凄いな。
一夏が歩く廊下は凄まじく綺麗だった。流石は国立、それも今や国防の中枢を担うまでになったものの操縦者を育てる学校と言うわけか。床も壁も天井も磨き抜かれて輝いているようにさえ見える。清潔そのもので一切汚れというものが存在しない様は、ある種潔癖症の表れのようにも感じられた。
「1025。1025。ああ、あった。ここだ」
一夏の部屋はすぐに見つかった。時間にすれば五分ほど。真耶に渡されたキーを使って部屋の鍵を開ける。
中はかなり広かった。大きめのベッドが二つ並んでいる。どこぞのホテルのよりは遥かにいい代物であることは間違いない。これが本当に寮であるのかと疑問に思ってしまうほどだ。
一夏はとりあえず床に荷物を置いてベッドに腰を下ろす。ふかふかだ。今までこんなベッドに触ったことなど一度もないので一夏は僅かな感動を覚えた。
時計を見てみる。夕食が始まるまではまだ四十分近くあった。それまでどうするか。まあやること自体はそれなりにあるが。
「誰かいるのか?」
その時部屋の奥の方から声が聞こえた。
次いでドアを開ける音。なにか嫌な予感がした。
待て、待て待て待て待て。おいこらまさか。
冷や汗が垂れたような気がした。
「スマンな。シャワーを浴びさせてもらっていたので気づかなかった。これから一年間よろしく頼むぞ」
そう言って体にタオルを一つだけ巻きつけてシャワー室から出てきたのは箒だった。
かなり引き締まった肢体が最低限だけタオルで隠されているのが酷く艶めかしい。こういう状況でなかったら実にエロティックだ、と冷静に楽しんでいただろう。実に一夏の好みだから。
しかしこの状況、そんなことしている余裕などない。
「ほ、箒?」
ガタガタと震える体で思わず問いかける。相手の正体など分かっているのだから正直に言って意味などない。つまりは現実逃避の類だ。この状況が受け入れられない。
マズイ。マズイ。これはマズイ。ほとんど不可抗力かもしれないが思春期真っ只中の女の子のほぼ半裸を直視してしまうなど。言い訳なんてまず出来ないだろう。
「ん?」
そこで箒も目の前にいるのが一夏だと気付いたようだ。逆に何故気づかなかったしとも思うが、それはともかくきょとんとしたような表情を浮かべる。
「一夏?」
「お、おう」
たった一言。それも確認のような意味合いを含んだそれで、一夏は土下座を繰り出したくなる。かなりかっこ悪いだろうがこれは最早そういう問題ではない。
箒がもし怒り狂って襲って来たら一夏は死ねる自信があった。今の剣の腕がどれ程であるのか。流石にそこまでは分からないが、少なくても最後にあった時より弱いということはないだろう。
確実に殺られる。
しかし、そんな風に戦々恐々としていた一夏にかけられた声は実に軽かった。
「もしや私のルームメイトは一夏か?」
それはただ単純に疑問に思ったから聞いただけのようだった。声音には一切の怒りが感じられない。それが逆に一夏にとっては恐ろしい。
嵐の前の静けさと言う奴だ。この後一体どうなるのか。一夏はごくりと唾を飲み込んで箒の問いに答える。
「ああ。なんでも政府の指示らしくてな。本当は一週間は自宅から登校する予定だったんだが、急遽寮へと入ることになったらしい」
「それで、私のところにか」
こくり、と頷く。
それに箒は、そうかと一言言ったきりだった。
なんかもう耐え切れなくなって一夏は言う。
「スマン箒!! 悪気はなかったんだ。いやマジで。決して箒の体が魅力的ではないとかそういう意味ではないし見たいか見たくないかで聞かれたら見たいとは思うけど見てやろうと思って見たわけじゃ―――」
途中自分の欲望が噴出してしまったような気がしたが気にしない。こういうのは誠意が大切なのだ。平身低頭。と言うより土下座で許しを公。もしかすると平手の一発くらいで済むかもしれない。
けれど箒の反応はあっさりしたものだった。
「ああ、別にいいぞ。相手を確かめもせずにバスタオル一枚で出てきた私も悪い。そうだったな。今年は一夏もいるのだからこういうこともあるか」
さして怒気も抱かずに一夏の謝罪を受け入れる。なにか納得したかのようだ。そして心なしか嬉しそうに見える。
その反応に逆に困惑したのは一夏の方だった。
「ゆ、許してくれるのか? 別にいいぞ、平手の一発や二発」
いや一夏の主観としてみればそれでも安い方だ。普通年頃の(歳をとっていたらいいというわけではないが)女の子の半裸など見てしまったら半殺しものだと自分でも思っている。ちなみに全裸は死刑だ。勿論同意があればまだいいとは思うが。
平手で済ませてほしいのは単純に箒の本気だと下手をすれば死にかねないと思っているからだったのだが。
「不可抗力なのだろう?」
「いや、そうだけど」
いいのだろうか? 正直一夏としてはそういうことはあまり関係ないようにも思える。不可抗力であろうといけないものはいけない。
「まあ、それはともかくだ」
箒はこの話は終わりだと言うように、そう言った。
「これから着替えるので向こうを向くか部屋から出ていってくれれば助かるのだが」
「え? あ、ああ!!」
なにか釈然としない気持ちではあるが着替えるのにいつまでもここにいるというわけにいかないだろう。一夏は急いで部屋から出る。部屋の外で待っている間、部屋の中から聞こえてきた口笛は一体どういう意味があるのだろうか。
ああ、早くバトルやりたい。
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