閃乱カグラ -芽生えの少女- (影山ザウルス)
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日影と陽

放課後の教室で彼女は一人、窓の外を眺めている。夕焼けを見ているのだろうか。確かに教室から見える夕焼けは綺麗で、ただ眺めているだけでも時間潰しには充分過ぎる。

 

「教室から見える夕焼けは綺麗だと思いませんか?日影さん」

 

彼は外を眺めている彼女、日影に声をかけた。特に気の利いた返答を期待していた訳じゃない。何も話さずに用事を済ませて帰ることも出来たが、特に理由もなく、ただの気まぐれで声をかけた。

 

「これが綺麗なんか、ワシにはようわからん。ワシには感情っちゅうもんが無いからの……」

 

そう言い残して日影は鞄を持ち、そのまま教室から立ち去った。

 

 

 

 

出会いはそれが初めてという訳では無いが、彼と彼女が接点を持つのはそれが初めてだった。

 

 

 

 

日影は「色白」というには青い、青白い肌と鋭い黄色い瞳が特徴的で、まるで、蛇が女子高生になったような容姿をしている。そして、彼女曰く、自分には感情が無いそうだ。無いかどうかは別として、確かに感情の起伏は無い。喜んでいる所も悲しんでいる所も怒っている所も楽しんでいる所も全く見たことが無い。表情も感情が無いだけあって無表情だ。そんなこともあって、日影は校内でもちょっとした有名人だが、日影が有名なのは見た目や感情が無いということだけではない。その少し不気味な容姿から悪い噂も少なくないのだ。

そんな日影が接点のある生徒が数人いる。その一人は彼も所属する理研部の部長、春花だ。

 

「え?日影ちゃんのこと?」

 

彼は部活中に日影のことを春花に聞いてみた。内容としては本当に漠然とした内容で、春花も回答に困っているようだ。しかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「日影ちゃんのことを知りたいなんて、どういう風の吹き回し?」

 

「い、いや、ちょっと気になるっていうかなんというか……」

 

「へぇ~……どう気になるのかしら?」

 

春花は察したように茶化し始めている。

 

「茶化さないでくださいよ」

 

「うふふ♪つい面白くてね。

そうね……日影ちゃんのこと……私もよく知らないわ。馴染みではあるけど、お互いに昔のことを話したりはしないわ」

 

「そうですか……」

 

「ところで、日影ちゃんのどんな所が気になるの?」

 

春花は身を乗り出して、彼に詰め寄る。豊満な胸を強調するように胸の下で腕を組んだ。悪い人ではないのだが、人をからかうのが好きな人だ。

 

 

 

 

春花からの追及から何とか逃れた後の帰り道。夏が近づいてきて、その分日も長くなった。西の彼方で燃える夕焼けに照らされて、彼の影が地面に細長く伸びている。

彼は徒歩で10分くらい先にある駅に向かっていた。電車の時間まで充分に余裕がある。歩きながら彼はこの後の予定を考えるが、考える程の予定も浮かばず、駅に向かった。しかし、その歩みは三歩も歩かずに止まった。

 

「日影……さん?」

 

見慣れている登下校の道に見慣れないクラスメート、日影の姿があった。だが、日影は一人ではなく、周囲を同じ学校に通う数人の男に取り囲まれている。その男達は学校内でかなり有名な不良達だ。

 

「そんな人達と日影さんが?何で?」

 

日影にはいくつか悪い噂があることは知っている。その内容も。

彼は路地の入口に隠れて中を覗きこんだ。

 

「実は俺、前々からいい女だと思ってたんだよな……」

 

不良達のリーダーの嫌らしい眼差しが日影の頭から足までを舐め回す。餌を前にしたハイエナのように取り巻きも嫌らしい笑みを浮かべている。

一方の日影は相変わらず無表情で、嫌らしい視線を相手にしていない。本当に何も感じていないようだ。

 

「でも、コイツ、"パパ"がいるって噂も聞くぜ?」

 

「"パパ"とよろしくやってるってわけか」

 

取り巻きが嫌らしく笑う。

 

「そうか……でも、そんなオヤジなんかより、俺と付き合えよ」

 

不良達のリーダーは不良ということを除けば確かにカッコいい分類に入るだろう。多少強引で、危険な香りを漂わせ、それでいて強さも兼ね備えている。女子にはあるいは魅力的にも見えるかも知れない。

 

「話は終わったんか?」

 

「はっ?」

 

「この後、用事があるんや。電車の時間もあるし、話が終わったんなら帰らせてもらうわ」

 

それだけ言い残して日影は本当に立ち去ろうとした。しかし、取り巻きが行く手を遮った。リーダーはリーダーで、仲間の前で恥をかかされたことに腹を立てているのがわかるほど、歪んだ顔をしている。

 

「ナメた口聞きやがって……この、淫乱女が!!」

 

路地裏を覗きこんでいた彼はリーダーの言葉が頭に来た。この場面で飛び出すほど無謀で勇敢な質ではない彼は路地裏に飛び込み、日影の行く手を遮る取り巻きに体当たりした。

不意を突かれた取り巻きはリーダーにぶつかった。

 

「痛ってぇな!!誰だ、てめぇ!?」

 

何の考えもなく、飛び込んでしまった彼は頭が真っ白になりながらも、自分の目的はハッキリしていた。

 

「日影さん、逃げて!!」

 

「クソッ!!いつまで乗っかってるんだよ!?退け!!」

 

取り巻きは押し飛ばして、日影に手を伸ばすリーダー。その間に彼は立ち塞がった。

 

「退けよ……」

 

リーダーは威嚇するように睨み付けてきた。

 

「ど、退くわけ……な、ないじゃないか……」

 

「ぷっ……アハハハハ!!コイツ、ビビってやんの!!格好良く出てきたつもりだろうけど、身の程を弁えろ、バカ。アハハハハ!!」

 

「う、うるせえな、このバカ!!」

 

彼がビビっているのを嘲笑っていた不良達から笑みが消えた。緊張した空気が一気に冷えた。リーダーが無表情のまま彼に歩み寄ると、何の前触れもなく、何の躊躇いもなく、彼の左頬を殴った。よろめいた彼の胸ぐらを掴み、持ち上げるともう一度殴った。

 

「調子こいて、しゃしゃり出てんじゃねえよ」

 

無表情のままリーダーは彼の頬を殴った。殴るだけじゃなく、腹部に膝蹴りを入れる。よろめく彼を乱暴に持ち上げ、執拗に暴行を加える。

 

「ひ、日影……ざん……にげ……逃げて」

 

「お前ら、その女も逃がすな」

 

逃げる素振りを見せない日影を取り巻きが取り囲み、状況は振り出しに戻った。

 

「体を張って逃がそうとしたのに、残念だったな」

 

「う、うるふぁい、バカ」

 

「あ"あ"!?んだと!?もう一回言ってみろ!!」

 

「か、感情が……無いからって…………言って良いことと悪いことがあるだろ!!この、バカ野郎!!」

 

「っっっっ!!!!マジでぶっ殺してやる!!」

 

殺気すら感じるリーダーの拳が彼に迫った。しかし、その拳が彼に届くことは無かった。固く閉じた瞼を開くと白目を向いたリーダーが辛うじて立っていた。しかし、数秒後、ついに意識を失って彼と共に地面に倒れた。

 

「生きとるか?」

 

感情の籠っていない声がした。痛む体を庇いながら上を見上げると、さっきまで自分の後ろにいたはずの日影が自分の目の前、リーダーの背後に立っていた。さっきまで日影がいたはずの、路地の出入口の方を振り向けばリーダー同様に気絶する取り巻き。

 

「あんた、酷い怪我やで?」

 

「え、ああ、そ、そうですね」

 

確かに口の中は鉄っぽい味と酸っぱい味が混ざりあって気持ち悪い。殴られた所と蹴られた所はかなり痛む。

 

「立てるか?」

 

「た、たぶん…………あ、やっぱり無理です」

 

「こんなんなってまで助ける必要あらへんかったのに……」

 

「いや、その……居ても立ってもいられなくて……」

 

「感情っちゅうんは難儀なもんやな。ほら、立てるか?」

 

そう言って、日影は彼を抱き抱えて、立つのを手伝った。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

立って、周囲を改めて確認すると不良達が完全に気絶している。

 

「あの、これって……」

 

「この事は他言無用や……それより、一旦、学校に戻って、手当てしてもらったほうがええんとちゃう?」

 

確かにこの怪我を放置しておくのは辛い。だが、学校に戻るのも大変な状態だった。

 

「ほな、学校行くで」

 

「え?日影さん、この後用事があるんじゃ?僕のことは気にせず行ってください。電車の時間もあるんですよね?」

 

「ええよ、急ぎやないし」

 

それ以上何も言えず、半ば強引に日影の肩を借りて学校に戻ることになる。

 

「せや、あんたの名前知らんかったわ。なんて言うん?」

 

「あ、陽(ヨウ)です。同じクラスの鈴木陽です」

 

 

 

 

その後、二人は、いや、陽は保健室の鈴音先生に怪我の治療をしてもらい、帰りは不良達が気絶している路地裏付近を通らないようにして帰路についた。

気絶していた不良達が仕返しに来るのでは無いかと、内心怯えていたが、不良達の仕返しはもちろん学校で目にすることも無くなった。噂では遂に逮捕されたんじゃないかと聞こえてきたが、事実はわからない。

 

「ひょっとしたら、心を入れ換えて可愛いお人形さんになったんじゃないかしら?」

 

「春花さんが言うと本当になってそうで恐いですよ……」

 

春花は冗談っぽく笑い、陽は苦笑いを返した。



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日影と日向

日影は鈴木陽が通う高校の同じクラスに在籍するクラスメートだ。座学は良くも悪くもないが、運動神経は抜群。スタイルも良く、無表情と鋭い眼差しが無ければ人気は爆発的に伸びるだろうと思っている。陽が日影について知っている"事実"はこの程度だ。しかし、彼女には悪い噂がついて回っている。1つは路地裏で不良達が言っていた噂だ。他の噂も似たり寄ったり。どこから湧いた噂なのか見当も付かない。

あの日以来、帰り道で日影を見かけることがある。話かけようにも何と話かけようか迷っている間に同じ駅に着き、同じ電車に乗り、陽が降りる二つ手前の駅で降りていく。住んでいる場所の最寄り駅なのか、あるいは全く違う駅なのか、後ろ姿を見ながらそんなことを考える帰り道。

梅雨が終わろうとした6月下旬。ちょうど下校の時間帯に梅雨が悪あがきするように大雨を降らせた。予報では晴れのはずが、崩れた天気にずぶ濡れになりながら帰る男子生徒もいれば、親を迎えに呼ぶ女子生徒もいる。陽に関しては昨日学校に置き忘れたいた傘があったため、それを使って帰ることができた。

陽はあの日の場所に通りかかる時は、いつも中を覗きこむのが癖になっていた。それは今日も同じだ。また日影が不良達に絡まれていないだろうか、あるいはもっと単純にあの日の不良達が待ち伏せていないだろうかと不安になる。

今日も待ち伏せはされていないが、路地裏に人影が見えた。

 

「あれ、日影さん?」

 

「ん?ああ、陽さんか」

 

路地裏は表より雨の勢いが弱い。どうやら雨宿りしているようだ。

 

「傘、忘れたんですね」

 

「せやね」

 

「あ、良ければ入りますか?今日は駅に行く日なんですよね?」

 

しかし、日影からの反応は無い。陽は苦笑いしながら自分の発言にマズイ部分が無かったか振り返った。そして、マズイ発言を見つけてしまい、内心後悔していた。傘に一緒に入るように誘うなんて、女子が警戒するには充分過ぎる発言だった。しかし、撤回しようにも関わった以上、置いていく訳にもいかない。

 

「あんた、変わりもんやね」

 

「へ?」

 

「なんでもあらへん。それより、助かるわ。今日、用事があるんや」

 

「そうだったんですね。じゃあ、急ぎましょ」

 

「せやね」

 

日影は陽の傘に入った。陽は日影が濡れないように傘をできるだけ日影の方に寄せた。そのため必然的に陽が傘に入っている面積は狭くなり、体の半分くらいが濡れてしまった。

 

「あ、あの、今さらですけど、ありがとうございました」

 

「何がや?」

 

「いや、あの日僕のことを助けてくれたじゃないですか。そのお礼です」

 

「ちゃうで。あれはあんたがワシを助けたんや」

 

「いや、でも、もう少しでどうなってたかわからない状態から助けてくれたのは日影さんですよ。それにわざわざ学校にまで連れて行ってくれて、本当に助かりました」

 

「そうか?んなら、これでちゃらってことにしよか」

 

「え、ええ、もちろん」

 

「それとな、あんた、ワシにあんま関わらんほうがええで。あんたまで変な目で見られてまう」

 

終始感情が籠っていない口調だが、今の言葉にはほんの少し雰囲気が違うような気がした。

 

「どうしてですか?」

 

「ワシには有ること無いこと噂が出回ってるやろ?それであんたまで変な目で見られて、迷惑かける訳にもいかんさかい……」

 

「噂なんて気にしませんよ」

 

陽はけろっとしていた。

 

「噂が本当かどうかなんて、僕には関係ありません。噂なんかで他人を評価するなんて、くだらない」

 

「くだらないんか?」

 

「ええ、くだらないです」

 

「…………せやね。くだらないっちゅうんも、ようわからんけど」

 

「日影さんが自分の噂に対して感じているのと同じですよ」

 

「ワシには感情っちゅうもんがあらへんからな……噂に関して何も感じんよ」

 

「僕もです。日影さんにどんな噂があろうと関係無いんですよ」

 

陽は笑ってみせた。強がりでもなんでもない。それは陽の純粋な価値観だった。

 

 

 

 

二人は同じ電車に乗り、日影はいつもの駅で降りた。いつもと違うのは振り向いて車内の陽に視線を向けたことだ。陽はそれに会釈で返していた。ホームから電車が走り去り、降車した人波に乗って、日影は改札口に向かった。日影が駅に着く頃には雨も止み、濡れたコンクリートの匂いと湿った空気が肌にまとわりついた。

駅から出た日影はバスに乗り込み、ある場所に向かった。向かった先は蛇(クチナワ)総合病院。数年前に設立された大型の病院で、各種手術はもちろん、リハビリテーション、デイケアサービス、新薬開発まで行っている。外見は高級ホテルのようで全室個室で、日影はその一室に用事があった。

 

「日向(ヒナタ)……来たで」

 

「おお、日影!!よく来たね!!」

 

ベッドに横たわりながら満面の笑みを見せる女性がいた。美人には違いないのだが、病気のせいで病的な痩せ方をしている。彼女は日向。日影の母、あるいは姉のような存在だ。

日影はもともと孤児院の出身で、ある日孤児院から脱走したのだ。何日も飲まず食わずで、行き倒れた日影を保護し、数年前まで育ててきた。しかし、三年前に病気を患い、一時は生死の淵をさ迷った。そこに現れたのが、この病院の医院長だった。

 

「一昨日来たばっかりやで」

 

「せやな。こないな場所に閉じこもっとると退屈でしゃあないわ。せやから、今は日影が学校で楽しそう過ごしとる話を聞くんが楽しみなんや」

 

「楽しいて……ワシには感情っちゅうもんが……」

 

「あるで。それを上手く表現出来んだけやて」

 

そう言って日向は笑う。病的な痩せ方をしていても眩しい笑顔は昔のままだった。

日向は現代に生きる"忍"だった。昼は服屋でアルバイト。夜は不定期で忍の仕事、忍務がある。そこで得た報酬で二人は生活していた。

ある日を境に日向は日影に忍の特訓を始めた。日影に忍の才能を見出だしたと共に、自分に万が一のことがあっても日影が生きていけるようにする必要があった。その万が一の時に間に合ったのは良かったのだが、出来ればこの道には進んでほしくなかったという気持ちも日向にあった。当の日影は気にしていないようだが。

 

「さっきまで雨が降っとったようやけど、傘は持っとったんか?」

 

「借りた……いや、入れてもろた」

 

「入れ……!?相合い傘やないか!?相手は!?」

 

「クラスの男子や。ほら、こないだ話したボコボコにされた奴や」

 

「ついに日影ちゃんにも春が来たわけやな!!」

 

「いや、もうすぐ夏やて」

 

 

 

 

病室を後にした日影は看護師とすれ違った。

 

「医院長がお呼びです」

 

この病院の医院長は日向の治療と日影の学費を支払ってもらっている。単なる善意ではない。日向はともかく日影には忍としての利用価値があった。この病院がここまで大型になった裏には日影の功績もある。そのため一部の病院関係者には日影のような忍や裏工作を生業とする人間が溶け込んでいる。

日影は出口には向かわず、病院の最上階に向かった。最上階には医院長室が一部屋あるだけだが、異様な空気が漂っている。

 

「失礼するで」

 

日影はノックもせず医院長室に入る。医院長室は無闇に広く、ほぼワンフロア分を無駄遣いしている。

 

「相変わらず遠慮が無いな」

 

医院長室の奥の机に座る男が口を開いた。年齢の割には鍛えた筋肉質の体に若干小さめの白衣に袖を通している。彼はこの蛇総合病院の医院長、道元だ。

 

「遠慮する必要なんてあらへんからな。利用してるんは、お互い様やから、ワシはあんたに遠慮せんし、感謝もせん」

 

「ふん。日向の受け売りか。まあ、いい」

 

「それで、忍務か?」

 

「いや、忍務じゃない。来ていたようだから、少し様子を見たくてな」

 

医院長には日向の治療の他に日影の学費も払ってもらっている。学校での様子が気になるのは当然かも知れない。日影は勉強は真面目にやっている。利用出来るものは全部利用するのが、日向からの教えだ。この関係を維持するには弱みを見せてはいけないということが重要だ。日向の存在が弱みになり得るが、日向を人質に取られたとしても日影がどんな行動に出るか全くわからない現状では、医院長も日向を無下に扱うことは出来ない。

 

「真面目に勉強しているようで安心したぞ。でなければ、採算が合わないからな」

 

「忍務が無いなら帰るで」

 

「近々大きい商談がある。その時は働いてもらうぞ?」

 

医療で患者を助けるというよりは、金のために医療を行っているような男だ。商談というのも日影が裏工作する忍務のことだ。

 

「ほうか。用事が済んだんなら帰らせてもらうわ」

 

日影は医院長室を出た。

医院長に対して、恐怖や不安という感情は抱かない。それは日影が感情を持っていないからではない。日向を助けるという自分に課した忍務を実行しているからであって、その際に起きた状況に即断即応出来るように鍛えられている。

日影はエレベーターに乗らずに、そのまま屋上に出た。外は既に夜。眼下に広がる町は光に溢れている。だが、どんなに光に溢れていようと誰も日影の姿を見つけることは出来ない。光あるところには影があり、光が強ければ影は濃くなる。

 

「日向はワシが助ける」

 

日影は病院の屋上から夜の闇に飛び込んだ。



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日影と"おしごと"

梅雨が明け、月も変わった7月の最初の日曜日。陽は自転車に乗って、宛もなく走り回っていた。厳密には行きたい場所はあるのだが、いい場所が見つからない。

彼は今、読書出来る場所を探していた。読書なんて、図書館でも家でも学校でもどこでも出来るのだが、その日の気分で場所を変えるのが彼の流儀だ。流儀が大袈裟なら趣味だ。しかし、残念なことに昨日1日走り回って、いい場所が見付からず、今朝早くから再び自転車を漕いでいる。

 

「カフェ・MIYABIで~す」

 

客寄せに不馴れな震えた声で客寄せをしている褐色の少女が目に入った。カフェの制服だろうか。少女はメイド服を着て、腰まである長髪をポニーテールにしている。

陽は自転車を下りて、メイド少女に近づいた。

 

「カフェ・MIYABIで~……す」

 

変な"間"があった。どうやら向こうもこっちに見覚えがあるようだ。名前までは知らないが、二年生の後輩だ。陽の通う学校ではアルバイトは禁止されていない。おそらくメイド姿を見られたことに気まずさを覚えたのかも知れない。

 

「チ、チラシです……」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「あ、あの、これは……だな……」

 

「大丈夫です。誰にも言いません」

 

少し安心した様子で褐色少女は客寄せを再開した。

陽はチラシに書かれている地図を頼りにカフェを目指した。

 

「メイド姿の少女が接客……デカ盛りメニュー多数……メイドカフェかな?」

 

そんなイメージをしていたが、たどり着いたカフェ・MIYABIはシックなデザインの落ち着いた店構えだ。いかがわしさや過度にピンクな感じは無い。

 

「ここにしよ」

 

店の前に自転車を止めて、陽は店の中に入った。

 

「いらっしゃいませ~」

 

聞き覚えのある声がした。出迎えたのはメイド姿の春花だ。

 

「あら~陽じゃない」

 

「春花さん、何でここに!?」

 

「何でってバイトよ。バイト」

 

確かにそれ以外でメイド姿をしている理由は無い。わからないのはバイトをしている理由だ。

 

「お客様、お好きな席にお座りくださ~い」

 

春花は陽を店の中に案内した。席にも付かずに立ち話は他の客に迷惑になる。

陽は日当たりの良い窓辺の席に座った。窓の外は人が行き交い、そう遠くない場所で車が走っているが、店内は静かで落ち着く雰囲気だ。チラシを見ると昼営業と夜営業の時間帯がある。どうやら夜はカフェからバーテンに変わるようだ。

 

「メニューやで」

 

気だるい関西弁が聞こえてきた。

 

「日影さんも!?」

 

「あんたか。焔さんに捕まったんか?」

 

「いや、捕まったというか見つけたというか……チラシを配ってたから気になって……」

 

失礼とは思いつつ、日影のメイド姿を上から下まで見てしまった。他の店員はメイド服だけだが、日影だけは猫耳とご丁寧に尻尾まで付いている。

 

「注文……どないする?」

 

「え?ああ……じゃあ、コーヒーでミルクと砂糖もお願いします」

 

「かしこまりました~」

 

日影はメモを取り、厨房へと向かった。心なしか、日影の言葉にトゲのようなものを感じた。

 

「まさかね……」

 

陽は鞄から本を取り出して、読書を始めた。最近、ネットで人気の仏麗という作家の文庫本が出たのだ。陽はネット小説が好きじゃない。本の重さや匂いを感じ、読み終わった時の達成感を感じたい。

左目に眼帯をした小柄な少女がコーヒーを乗せたお盆を持って現れた。小刻みに震えていて危なっかしい。

 

「こ、コーヒー……お持ち……しました」

 

テーブルにコーヒーを置く手も震えて、カップが音を立てていた。置き終わると安心した様子で笑顔を見せた。

 

「ごゆっくり……あ、それ……」

 

少女は陽の持つ本に視線を向けた。そして、何やら得意げな笑みを浮かべると鼻歌混じりに他の客の接客に向かった。立ち去る瞬間、胸の所にある名札が目に入った。名札には『ミライ』と書かれていた。

 

 

 

 

ミライという店員がコーヒーを置いてからどれくらい読書を続けただろうか。客は入れ替わり、陽が来店してからの客はもういない。

 

「お客様、間もなく昼営業のラストオーダーとなります」

 

金髪の店員が現れた。言葉遣いも丁寧で、ここで働いているのが不思議に思える気品がある店員だ。

 

「あ、もうそんな時間になったんですね。えっとじゃあ、チーズケーキお願いします」

 

「かしこまりました。コーヒーがすっかり冷めているようですが、お取り替えいたしましょうか?」

 

それに凄く気が利く性格のようだ。

 

「いえ。冷やしたコーヒーが好きなんです。だから、このままで」

 

「まあ、私が温めたもやしを冷まして食べるのと同じですね!!ああ、でも、もやしは炒めて良し。冷水で凍めても良し。温かいのも冷たいのも美味しいもやし!!ああ、なんて素敵なんでしょう!!ここで働いたお金を全てもやしに……」

 

「詠さん、お客さんが退いてるで」

 

「はっ!!失礼致しました。コホン……では、ご注文の確認を致します。チーズケーキをお一つでよろしいでしょうか?」

 

「は、はい……」

 

「かしこまりました」

 

金髪の店員は笑顔を見せて厨房へと向かった。

 

「堪忍や。悪い人ちゃうんやけど、詠さん、もやしが好き過ぎるんや。ワシにはあないになるまで何かを好きになるっちゅうんは、理解できんことやけど」

 

昼営業の時間を間近にして、店内にいる客は陽だけになっていた。

 

「ああ、うん……そうみたいだね」

 

陽は昼営業の片付けをする日影に対して苦笑いして見せた。どこぞのお嬢様と言っても差し支えの無い容姿と気品を持ち合わせているように見えるが、主婦の味方もやしに対しての情熱は異常とさえ思える。あのまま日影に助けられずにいたら、一体何時間もやしトークに付き合わされていただろうかと不安になる。

冷めたコーヒーに砂糖とミルクを入れて、味を確認しながらまた砂糖を加えた。

 

「お待ちどうさん」

 

「あ、ありがとうございます」

 

差し出されたチーズケーキには生クリームが乗っていた。コーヒーとチーズケーキを交互に食べ進め、会計を済ませて店を出た。

 

 

 

 

翌日。校内では客寄せをしていたポニーテールの女子生徒を見掛けたが、特に変わった様子もない。クラスに行けば、日影が窓辺の席で外を眺めている。

 

 

 

 

昨日、会計中に春花に話があると呼び止められ、MIYABIの前で少し待っていた。昼営業が終了した数分後、私服に着替えたMIYABIの店員達五人が現れた。客寄せをしていた焔。もやし好きの詠。眼帯の未来。馴染みの春花と日影の五人だ。

 

「話ってなんですか?」

 

「焦っちゃダメよ~。美少女五人に囲まれてるんだから」

 

陽はこういう状況だからこそ早く用件を済ませたい。

 

「あたし達があんな格好でバイトしていたのは内緒にしてくれるんだよな?」

 

焔が不安そうに訪ねてきた。

 

「はい。誰にも話しませんよ」

 

「そうか……なら、安心だな!!」

 

今までの不安そうな様子を一変させ、豪快に笑う焔。

 

「実は陽先輩にお願いしたいことがございます」

 

詠が丁寧な口調で話す。先輩という言葉の意味を知るのは、これより数日後、偶然校内で見掛けることで理解する。

 

「お願い?」

 

「もうすぐ夏休みだから、皆で海に行くの」

 

嬉しそうにしている未来は見た目のせいか子供っぽく見える。

 

「そんで、あんたにも"荷物番"として付いて来てほしいんよ」

 

日影が無表情に本題を突き付ける。蓋を開けて見ればどうということはない。都合の良い使い走りの依頼だった。

若干、他の四人が驚いた様子をしていた。それもそうだろう。四人は色仕掛けで"使い走り"ということに気付かれないように海への同行を頼むつもりだったのだから。

 

「荷物番……ですか……」

 

「もう日影ちゃんったら。でも、あなたにしか頼める人がいなくて……」

 

春花は困った様子を見せる。

 

「いや、いいですよ。どうせ夏休みに予定は無いですから……」

 

 

 

 

そして、今朝。陽と日影しかいない教室。

 

「日影さん、おはようございます」

 

「ああ、おはようさん」

 

朝の会話終了。

後に聞いた話によると、彼女達は海に行くための旅費と水着代を稼ぐために知り合いの店でアルバイトを始めたそうだ。

 

「あんたも変わりもんやね」

 

「え?」

 

「なんでもあらへん」

 

海水浴はちょうど一ヶ月後。



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日影と海 前編

窓から差し込む温かい朝日。レースのカーテンとそよ風が部屋の中で舞い踊る。

朝のようだが、柔らかいシーツの感触と包み込むようなベッドの感触から起き上がるなんて、彼には出来ない。薄く開いた目を閉じて、朝日に背を向ける。

ベッドの端が僅かに沈み、ベッドの軋む音が来客を知らせる。でも、誰だろうか。

来客は彼の肩を揺らす。彼は背を向けていた朝日の方を向き、薄く開いた目で来客を確認した。

色白というよりは青白い肌。無駄な筋肉も脂肪も付いていない細い体格。そして、胸元が大きく開いたワイシャツを着ている。開いたワイシャツからは今にも溢れそうな胸が、大きい胸が見える。だが、来客の顔はよく見えない。

来客の胸が彼の体に触れるか触れないかの所まで接近し、口元が耳に近づいた。

 

「早よ起きんと……遅刻するで」

 

 

 

 

「ウワッ!?」

 

夢から覚めた陽は薄明かりが差し込む見慣れた自室を見渡す。体にまとわりつく不快な蒸し暑さ。滴る汗。手が届く範囲にある扇風機の電源を入れて、風を浴びる。破裂しそうな脈拍と全身の細胞が貪るように酸素を求めた呼吸も次第に落ち着き、ようやくこれが現実だと認識した。

時間は午前4時過ぎ。もう一度寝ようと思ったが、蒸し暑さと汗のせいで眠れそうにない。それに目を閉じるとさっき夢で見たイメージがフラッシュバックする。陽と接点がある人の中で、夢に出てきた来客の特徴と該当する人は一人しかいない。そう考えると、ハッキリ見えなかった顔が"彼女"に見えて、脳内補正された上でフラッシュバックする。

 

「余計なことをするな……」

 

自分で自分に悪態をつく。

 

「今日から海に行くっていうのに……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対面式の座席が連なるローカル線。窓を開ければ爽やかな風と共に、海の匂いが混ざっている。

車両の真ん中辺りで日影達がトランプで遊んでいる。ババ抜きをやっているらしく、焔はポーカーフェイスが使えず、未来と熾烈な最後争いを繰り広げている。ちなみに一番早く抜けたのは日影だ。日影は横目で駆け抜ける景色を眺めている。

一方の陽は同じ車両の隅で五人の荷物の番をしていた。幸い、電車は空いていて、座席を一角占領してしまっていることに文句を言う人はいないが、少し罪悪感がある。

 

「だぁ~!!またババがぁ~!!」

 

「ニャハハハ!!焔は本当にババに愛されているのね!!」

 

「汚いぞ、未来!!」

 

「汚いって、焔ちゃんババ抜きはこういうゲームなのよ?」

 

「くそ……くそぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

「焔さん!!他のお客様に迷惑ですわよ!?」

 

彼女達は夏休みの思い出を楽しんでいるようだ。その一方で荷物番をする陽。家族には友達と海水浴をすると言って、許可を得ている。潮風を感じながら読書するのも、こういう時も無ければ出来ない経験だ。だから、黒子だとしても、陽は現状をそれなりに楽しんでいる。

日影の視線が一瞬、陽の視線と合った。陽は慌てて視線を手元の本に戻す。瞬きの度に、今朝見た夢が余計な脳内補正をかけてフラッシュバックする。そのせいもあってか、若干、読書に集中出来ない部分もある。こんな調子で一泊二日の旅行は大丈夫なのだろうかという心配を他所に電車は目的地の最寄り駅に到着した。

 

 

 

 

「え?僕どうしたらいいんですか?」

 

6人が泊まる予定の旅館に着いて早々に春花から陽の分の部屋が取れなかったと告げられる。

 

「ごめんね~。急いで予約したんだけど、もう部屋がいっぱいで……」

 

春花は珍しく本当に申し訳なさそうにしている。それだけで悪ふざけではないことがわかった。

 

「なかなか言い出せなくて……だから、とりあえず寝袋だけでもと思って持ってきたの」

 

春花は自分の鞄の中から寝袋を取り出した。五人の美少女と一晩同じ部屋で眠るなんて状況を期待していなかったと言えば、それは嘘になるが、野宿は想定していた悪いパターンの一つだ。幸い、この二日間の天気は晴れ。風邪に気を付ければ問題ないだろう。

 

「まあ、そういうことなら仕方ありませんね。その代わり、キャンセルがあったら教えてくださいよ」

 

陽は春花から寝袋を受け取った。

 

「悪いな、陽先輩」

 

「海にキャンプに来たと思えば大丈夫ですよ」

 

「よし、じゃあチェックインを済ませたら、早速海に行くぞ!!」

 

不思議なことにこの五人のリーダーは焔だった。まあ、他の四人には申し訳ないが、リーダーに向いていないと思う。

 

 

 

 

カラフルなビニールシートを広げ、日除け用のビーチパラソルを広げて、五人の到着を待つ陽。我ながら何でこんなことを引き受けたのだろうかとも思った。しかし、断る理由を考えてみるが、特に断る理由も見つからない。強いてあげるなら面倒だと言えるが、面倒というのを理由に、自分を頼った人達を無下には出来ない。

 

「お待たせ~」

 

春花の声がした。

振り向くと日焼けを警戒してか全員ジャージを着て、麦わら帽子を被っている。陽が準備していたビニールシートの上に貴重品とジャージを脱ぎ捨てると日焼け止めクリームを塗り始めた。

 

「だらしないぞ、お前達!!日焼けがなんだ!!」

 

焔はスポーツ用品店で買ったビーチバレーの選手が着る水着を着ている。どうやら本気でビーチバレーを使用としているらしく、サンバイザーとサングラスまで装着している。

 

「焔はもう日焼けしているからわからないだろうけど、日焼けしたら夜の温泉が楽しめないのよ!!」

 

未来は何故か学校指定の水着を着ている。バイト代はどうしたのだろう。

 

「もやしも大事ですが、お肌も大事なんですのよ?」

 

翡翠色の縞模様の水着を着ている詠が未来の日焼け止めクリームを塗るのを手伝っている。

その一方で一人黙々とクリームを塗る日影。

 

「陽~。私にもクリーム塗って~」

 

春花はビニールシートにうつ伏せになって、ビキニの背中の紐をほどいていた。焔は既に準備運動中。未来と詠は仲の良い姉妹のようにクリームの塗り合いをしている。日影は一人黙々とクリームを全身に塗っている。手が空いているのは陽だけだ。

 

「ほら、早く~」

 

「はあ……わかりましたよ、塗りますよ、塗ればいいんでしょ?」

 

春花からクリームを受け取り、必要な分を手に取って春花の背中に塗り始めた。

 

「ん……んあ……ちょっ……もう少し優しく……」

 

「春花さん、人をからかうのもいい加減にしてくださいよ」

 

「何よ?私の魅力的な体にクリームを塗れるのよ?光栄に思いなさい。それとも、私じゃ不満?」

 

「い、いや、そう言うんじゃなくて……」

 

「うふふ……からかいがいがあるわ~。ついでに脚と前もやってもらおうかしら?」

 

「いい加減にしてくださいよ!!僕だって男子高校生なんですよ!?」

 

顔を真っ赤にしながら、陽は乱暴にクリームを塗りたくった。

 

「ワシも頼めるか?」

 

日影がクリームを持って、すぐ隣に現れた。日影の水着は焔が着ている水着によく似ているが、胸元に四角い窓があり、そこから谷間を覗かせている。

 

「え?は、はい。どこですか?」

 

「背中や。手が届かんからな」

 

クリームを陽に渡すが、日影は陽を見つめて背中を見せない。

 

「どうかしましたか?」

 

「いや、ワシも春花さんみたいに脱いだら塗りやすいんやないかと思って……」

 

「そのままでいいです!!そのまま背中を向けてください!!」

 

今朝の夢のせいもあって、日影を直視出来ない陽。手にクリームを取って、柔らかい肌に塗り始める。

陽は視線を日影の頭の方に向けると、日影が振り向いて陽を見ているのに気がついた。

 

「なっ……なんでしょう?」

 

「終わったんか?」

 

「あ、はい。終わりです。お待たせしました」

 

クリームを返して、手に残ったクリームを自分の腕に塗った。

 

「日影!!あたしとビーチバレーで勝負しろ!!ババ抜きのリベンジだ!!」

 

「ああ、今行くで」

 

「私達も行くわよ、詠お姉ちゃん!!」

 

「はい!!」

 

四人は早速ビーチバレーを始めた。春花はパラソルの下でその様子を微笑ましく見ていた。

 

「あなたも行ってきたら?荷物は私が見てるわよ」

 

「いや、いいですよ」

 

「金槌?」

 

「いや、泳げますけど……」

 

視線が自然と日影に向いてしまう。

 

「とにかくいいですよ。春花さんこそ行ってきてください。この旅行だって、春花さんと日影さんのための旅行なんじゃないですか?」

 

五人にどういう繋がりがあるのかは知らないが、来年の3月には二人は卒業するのだ。

 

「……それもそうね。じゃ、私も行ってくるわ」

 

春花も日差しの下に飛び出し、四人の中に入った。陽は若干、目のやり場に困りながらも弾ける少女達の姿を微笑ましく眺めていた。

その後、五人はビーチバレーをしたり、砂遊び始めたり、水鉄砲で水を掛け合ったり、体力が続く限り遊び尽くしていた。むしろ、体力があり過ぎるとさえ感じた。全力で遊び尽くしているはずなのに、たまの水分補給では息一つ乱れていない。

 

「よう!!兄ちゃん!!」

 

突然背後から男の声がした。振り向くとバッチリ日焼けした肌と筋肉質な体が眩しい二人組の男がいた。

 

「な、なんでしょう?」

 

「兄ちゃん、あそこの可愛い娘ちゃん達のお友達?」

 

「ええ、まあ……今、荷物番やってました」

 

「荷物番?じゃあさ、俺達が荷物番換わってやるからさ、兄ちゃんもどっかで遊んできな?」

 

「いや、遠慮します」

 

「ハァ?せっかくの海だぜ?兄ちゃんも遊べよ」

 

相手の表情が曇った。

 

「いや、いくら親切でも、見ず知らずの人に迷惑かける訳にはいかないので……」

 

「いいから、換われよ」

 

少し前にも感じた冷めた空気が包んだ。特別騒ぎを起こした訳ではないが、海水浴場のど真ん中である。若干、周囲の視線も気になった。

 

「どないしたんや?」

 

音も立てず、日影が現れた。滴る水滴が太陽の光を反射して、日影が煌めいて見える。一瞬見とれてしまったが、状況はそんな場合じゃない。

 

「ええと、いや、その……あ!!飲み物ですか!?」

 

「いや、そうやのうて……あんた、絡まれてるんちゃうかと思って……」

 

「違うよ、お嬢ちゃん」

 

「俺達も君たちと遊びたいなって思ってね。それでこのお兄ちゃんに仲間に入れてって話しかけてた所」

 

「そうなん?そりゃちょうどええわ。今、焔さんがビーチバレーの相手を探しとったとこや。あんさんら、ビーチバレー出来るか?」

 

二人組の男は笑う。

 

「いいのかい、お嬢ちゃん?」

 

「俺達、去年の全国ビーチバレーボール大会で6位入賞したんだぜ?」

 

「そりゃまた中途半端な」

 

「まあ、全国はそんなんでも、ここいらじゃ敵無しだぜ?」

 

「そりゃええわ。焔さんは強い奴と戦うんが好きやからな。ほな、行こか?」

 

日影に誘われて、二人組はビーチバレーのコートに向かった。全国6位とはいえ、この辺りではかなりの有名人らしい。次々とコートに人が集まり始めた。

 

「おい、"また"アイツ等だってよ」

「"また"かよ?」

 

どこからか意味深な内容が聞こえてきた。陽はその内容に不安を感じながらビーチバレーのコートに視線を向けた。

コートでは日影と焔のペアが二人組と対峙している。

 

「ええ、では、今からチーム・MURASAME対チーム・紅(クレナイ)の試合を行います。よろしくお願いします!!」

 

ゲーム開始。



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日影と海 中編

「勝者、チーム・紅!!」

 

急遽行われたビーチバレーの試合は、日影と焔のペアが圧倒的な強さを見せ付けて圧勝した。若干、焔は物足りなささえ感じているようだが、相手は完膚無きまでに叩きのめされて、心まで折れているようにも見えた。

試合は終始日影と焔ペアが主導権を握っていた。日影はいきなり強烈なサーブをMURASAMEの片方の顔面にぶちこんだ。顔面レシーブで辛うじて返ってきたボールを焔がトスして、日影がもう片方の顔面に叩きつけた。

既にその時点で勝負は決まっていたようなものだが、試合は3セット行われ、その間、日影と焔ペアのアタックはMURASAMEに対しての文字通りのアタック(攻撃)になった。

試合終了後のMURASAMEは満身創痍。全国6位の実力者がどこぞの女子高生に体だけでなく、心も自尊心もボコボコにされたのだ。平気でいられるはずがない。MURASAMEは痛む体を庇いながら、その場を立ち去った。

後に聞いた話だと、MURASAMEの二人組はビーチバレーをしている初心者に試合を申し込み、初心者達を完膚無きまでに叩きのめして、二度とビーチバレーをさせないようにしていたそうだ。全国6位という中途半端な実力が二人を間違った方向に進ませたのか、その理由は誰にもわからない。

 

 

 

 

「お待たせしました~」

 

陽は大量の買い物を腕にぶら下げて現れた。

チーム・紅の試合終了後。六人は昼食の時間にした。焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、そして、焼きそばの屋台のオジサンに頼んで、焼きそばのそばともやしの比率を逆転させて、特別に作ってもらった"焼きもやし"。オジサンも不思議そうな顔をしていたが、気分が良かったらしく、快く作ってくれた。あとは飲み物を人数分。

 

「それじゃあ、チーム紅の勝利にカンパ~イ!!」

 

「「「「「カンパ~イ!!!!」」」」」

 

六人は円形になり、それぞれの飲み物を中央に掲げた。

焼きもやしは当然詠の分だ。ソースの香ばしい匂いともやしの食感がたまらないようで、ご満悦だった。その隣でフルーツ牛乳を飲む日影。焔は丁寧に箸を使って、焼きそばを食べている。春花と未来はお好み焼きを半分に分けて食べている。

 

「あ……」

 

陽は自分の分を買うのを忘れていた。

 

「すみません。ちょっともう一回買い物に行ってきます。何か他に欲しい物ありますか?」

 

「この焼きもやしスッゴく美味しいです!!陽先輩も如何ですか!?」

 

「詠さん、興奮しすぎやで」

 

陽はそのやり取りに苦笑いして、自分の分を買いに出掛けた。屋台はいくつもあって、焼きそば以外にもいろいろ売っていた。しかし、自分だけ違うのを買うのは気が引けたため、焼きそばの屋台の列に並んだ。

 

「ちょっと、ええか?」

 

「うおぉい!?ひ、日影しゃん!?」

 

背後にいつの間にか日影が立っていた。気配が全く感じられないから、日影には何度驚かされただろうか。

 

「日影しゃん?」

 

「あ、いや、ビックリして噛みました……」

 

「すまんの。驚かせるつもりはなかったんやけど」

 

「いえ……それで、何か欲しい物でもあるんですか?」

 

「ああ、さっきのたこ焼きが食べたいんや。あれ、どこにあるん?」

 

「なら、僕が買って来ますから、皆さんの所で待っててください」

 

「あんた、並んどるやろ?離れてええんか?」

 

「また並びますから」

 

そう言って陽は焼きそばの列から抜け出して、たこ焼きを買いに向かった。

 

 

 

 

15時を過ぎた頃、ゴミやシートやパラソルの後片付けをして、五人は旅館に向かった。呼吸一つ乱れない無尽蔵な体力を持っていようと、そろそろ温泉も楽しみたいようだ。

 

「じゃあ、キャンセルがあったら、連絡お願いしますね」

 

「わかってるわよ」

 

ジャージを着て、旅館へと向かう五人。その後ろ姿を寝袋を抱えて見送る陽。寂しさが込み上げる。

 

「さて……どこで寝ようかな」

 

海岸から徐々に人が離れていき、押し寄せる波の音がよく聞こえる。

陽は寝泊まり出来そうな場所を探して海岸をさ迷った。下手をすれば不審者にも見えなくもない。そんな危うい雰囲気を漂わせながら、しばらく寝泊まり出来そうな場所を探して歩いたが、見当たらない。頼みの綱の春花からの連絡も無い。旅館は満室のようだ。

 

「少年よ」

 

突然、誰かに呼び止められた。振り向くと立派な髭を生やした老人が立っていた。釣りをしていたようで、クーラーボックスと釣具を肩から下げている。随分重そうな荷物だが、老人は平気な顔をしていた。

 

「少年よ。見たところお困りのようじゃな?どうしたんじゃ?」

 

「えっと……野宿する場所を探していました」

 

「野宿?君のような少年が野宿とは珍しい」

 

「ええ、そうですよね……アハハ……」

 

「少し離れておるが、あっちの方に小屋がある。古いが、一晩明かすことはできるじゃろう」

 

「え?本当ですか!?あ、ありがとうございます!!」

 

「いいんじゃよ。では、元気での」

 

老人は手を振り、歩き去った。歩き去る老人の後ろ姿を見送ると、クーラーボックスを下げている方の肩が上に傾いていた。どうやら釣果は上々だったようだ。

 

 

陽は老人に言われた方に向かって歩くと、海岸から少し離れた場所に古い小屋が見えた。ちかづいてみると、その古さ見てとれた。扉は壊れ、壁や屋根には穴が開き、今にも壊れそうだ。

 

「ま、背に腹は変えられないか」

 

陽は寝袋を小屋の中に入れて、辺りを散策に出掛けた。そのついでに、どこかで夕御飯を買って食べるつもりだ。

たった半日だが、なんだかいろいろあったような気がする。電車の中で楽しそうに遊んで、海は海で遊び、ビーチバレーでは、全国6位の実力者に圧勝した。あとは野宿でなければ尚良かったが、これはこれで楽しい思い出でもある。海の方に視線を向けると、太陽は水平線の向こう側に沈もうとしていた。

 

「あそこなら、夕日が見れるかも」

 

陽は近くの岩場に向かった。そこは遮る物も無く、夕日を見るには絶好の場所だった。しかし、先客がいた。

日影だ。

日影は水着の上にジャージを羽織って、夕日を眩しそうに見つけていた。潮風が吹き抜けると日影は全身に風を纏うように目を閉じた。その姿が綺麗で陽は見とれてしまっていた。

風が止むと日影が振り向き、視線を陽に向けた。どうやら、最初から陽の存在に気づいていたようだ。

 

「あ、えっと……」

 

「あんたもこっち来んか?」

 

「……はい」

 

陽は滑る岩場に気を付けながら日影の隣に座った。

 

「綺麗……ですね」

 

「ワシには、ようわからんけど、そうなんやろな」

 

「いつも学校でも見てるようですけど、夕日が好きなんですか?」

 

「好きっちゅうのも、ようわからんけど、昔、日向に会った日のことを思い出すんや」

 

「日向」「会った」という気になるワードが出てきたが、聞きたい気持ちを飲み込んだ。

 

「それで、夕日を見てるんですね」

 

「まあ、そんなとこや。…………ワシもあんたに聞いてええか?」

 

「聞きたいこと?」

 

「あんた……なんで野宿させられてまで、荷物番したん?」

 

「え?なんでって言われても……う~ん……」

 

陽は返答に困った。

 

「あんた、ほとんど遊んでへんやん。そんなんで楽しいんか?」

 

「楽しいですよ。確かに遊んでないですけど、皆、楽しそうにしてて、僕も楽しかったです」

 

「…………感情っちゅうんは、ほんまに不思議なもんやな」

 

日影は無表情なままだが、どことなく陽の言葉に感心しているようだった。

 

「もう1つ聞いてええ?」

 

「はい。いいですよ」

 

「あんた、今朝からよそよそしいんとちゃうか?」

 

心臓をナイフで刺されたような感覚がした。図星だった。今日は日影のことを避けている。そんなつもりはなかったのだが、無意識に避けてしまっていたようだ。それもこれも今朝見た"あの夢"のせいだ。いや、夢を含めて自分自身のせいだ。あんな夢を見る理由もわかっている。野宿をさせられてまで、荷物番に付き合っている理由もわかっている。

陽は視線を泳がせた。日影の口元。手。脚と足。そして、再び目を見る。

 

「すみません。そんなつもりはなかったんですけど……」

 

違う。言いたいことはこう言うことではない。

 

「ええねん、別に。ワシと違って、あんたには感情があるんや。ワシにはわからんこともあるんやろ?」

 

日影は視線を再び夕日に向けた。その横顔がどこか寂しげに見えたのは気のせいではないと思う。

 

「……日影さん…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きです」

 

波の音がやけに大きく聞こえた。



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日影と海 後編

何の脈絡も無く告白してしまったかも知れないと後悔した。きっと「後悔先に立たず」という諺を作った人もこんな気持ちだったのだろう。

陽は日影の横顔すら直視できなかった。男のくせに情けないと思われようと、彼は恥ずかしさと後悔で身動きが取れない。ましてや、相手は感情があるのかどうかも危うい日影だ。陽の告白が通じる可能性は低い。万が一通じていても、フラレる可能性がある。いや、むしろフラレる可能性しかない。だからこそ、陽は後悔している。

突然日影が立ち上がると何も言わずに岩場から歩き去った。日影を追うべきか、追わないべきか、一瞬迷い、追うことに決めて立ち上がろうとした時には日影の姿はなかった。

 

「日影さん……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。海岸近くのバーでは、MURASAMEの二人がやけ酒をしていた。全国6位とはいえ、この辺りでは無敵だった彼らが、女子高生に完敗したのだ。体もプライドもボロボロに痛め付けられたのだ。飲まずにはいられない。特に日影とかいう方はほぼ確実に故意に顔面を狙ってアタックをしてきた。それだけの精密なコントロールが出来るのならば、真面目に真剣勝負したとしても勝てたかどうか怪しい。

 

「だからって、顔面は無ぇだろ!?」

 

持っていたジョッキをテーブルに叩き付けた。

 

「荒れてるわね」

 

胸の谷間を強調した服を着た美女が大ジョッキを2つ持って現れた。つい今まで苛立ちを露にしていた二人のだが、美女を見た瞬間、その苛立ちがどこかに行ってしまった。

 

「ご一緒してよろしい?」

 

「「ええ!!もちろん!!」」

 

美女は二人の間に座り、持っていた大ジョッキは二人に差し出した。既に十分酔っていた二人は何の警戒心も無く、ジョッキを受け取った。

 

「お姉さんは一人?」

 

「ええ、そうね。……一人よ」

 

美女は少し悲しそうな顔をした。訳ありと判断した二人はその訳に付け入ることにした。

 

「なんか浮かないね」

 

「俺達で良ければ話、聞くよ」

 

「本当?優しいのね…………実は私、蛇総合病院に勤めてるんだけど、そこの仕事が忙しくて、彼氏と逢えないでいたら彼氏が……他の女と……」

 

美女の目には涙が浮かんだ。

 

「ソイツ、マジでムカつく……」

 

「こんな美人を捨てて、他の女作るなんて……」

 

「そんな奴のことなんか忘れようぜ!!ほら飲も飲も!!」

 

「あ、ありがとう。そうね。飲んで忘れちゃいましょ。貴方達も……」

 

「そうだな!!んじゃ、景気付けにイッキ飲み、イキますか!?」

 

「ヤっちゃいますか!!」

 

二人は立ち上がり、互いの腕を交差させて、ジョッキを口に当てた。

 

「その量を一気に飲んだら危ないわよ?」

 

「倒れたら優しく看病してね、看護婦さん」

 

二人はビールに口を付けた。その底に毒々しい紫色の"芋虫"のような生き物が入っているとも知らずに。ビールと一緒に口に入り、舌の上を通ったのにも気付かずに。"芋虫"は二人の体内に侵入した。

 

「ステキよ……この後、三人で"悪いこと"しましょ……」

 

美女は妖しく微笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りに付こうとして目を閉じて、何時間くらい経っただろうか。すぐ近くで聞こえる波の音に耳を傾けても、日中の楽しい光景を思い出しても、全く関係の無いことに意識を向けても、陽は眠れずにいた。何かを考えれば考えるほど、頭が焼ききれるように痛む。逆に考えないように意識しても、自分が犯した過ちが自動的に脳内再生されてしまう。

とにかく、陽は眠れずにいた。

夜風を浴びようか。眠くなるまで歩こうか。しかし、どれも面倒くさい。

 

 

 

 

0時を過ぎ、1時を過ぎ、それでも眠れずにいたが、3時を過ぎた頃、ようやく意識が朦朧としてきた。

 

「ゲホッ……」

 

風邪を引いてしまっただろうか。喉が痛くて、体も暑い。重い瞼を開けて、辺りを見渡すと光源の無いはずの小屋が明るかった。朝日かと思ったが、日の出には早すぎる。それにその光源は小屋が囲むように広がっている。

 

「…………火?」

 

光源はゆらゆらと揺れていき、それが火だと気づいた瞬間には、もう遅かった。火が急激に燃え上がり、小屋を包み込んだ。

小屋から逃げ出そうと起き上がるが、寝袋に入っていることに気がつき、慌てて抜け出そうとする。しかし、気が動転してしまって寝袋のファスナーが外せないでいた。その間にも火の勢いは増し、煙と熱が肺を蝕んだ。体は酸素を求めるが、呼吸をすれば、肺が焼けるような感覚が襲った。さっきまでは、ようやく訪れた眠気で意識が朦朧としていたが、今は迫り来る酸欠で意識が朦朧としてきた。

意識が完全に途切れる瞬間、屋根を突き破って"誰か"が現れた。耳を刺すような音に陽は再び意識を取り戻して、現れた"誰か"に視線を向けた。胸に膨らみがあるから女性だと言うことはわかった。ダメージ加工されたジーンズを履いて、肩と腹部が大胆に開けた黒い縞模様が入った上着を着ている。手にはナイフ。顔は横一直線のゴーグルのような物で隠している。彼女はナイフで陽が入っている寝袋を切り裂き、陽を肩に担ぐと、現れた屋根の穴から飛び出して小屋から脱出した。

着地した砂浜で陽は呼吸をしようともがくが、思うように呼吸が出来ない。心臓は痙攣したように心拍が乱れている。その様子を見ていた彼女は落ち着いた様子で、陽の頭を両手で固定して、顔を急接近させ陽に人工呼吸を施した。続いて心臓マッサージ。数回繰り返すと、ようやく陽の呼吸と心拍が整った。

 

「ゲホッゲホッ!!あ"あ"あ"!!……ハァ……ハァ……ハァ……あ……ありがとう……ありがとうございました!!本当に……助かりました!!」

 

陽が危険を乗りきったのを確認して、彼女はその場から何も言わずに立ち去ろうとした。しかし、すぐに立ち止まった。

 

「ア~ア……シッパイダ……」

 

「ジャマスンナヨ……」

 

聞き覚えがある声がした。声がした方向に視線を向けると、昼間に日影と焔のペアが圧勝したMURASAMEの二人組が立っていた。だが、様子がおかしい。

小屋を燃やしている炎がMURASAMEの二人を照らした。全身、頭から爪先まで血液を浴びたように紅い。瞳は黄色く不気味な眼光を放っている。

 

「マッタク……"ウン"ガイイナ……」

 

「ダケド、ニガサネエ……」

 

二人の体が内側から風船のように膨れ上がり、血吹雪を上げて破裂した。いや、正確に言うならば、内側から"それ"が人間の皮の突き破ったという方が正確だろう。

一人は上半身が本人のままだが、下半身が巨大な蜘蛛の姿をしている。もう一人も上半身は本人のままだが、両腕が巨大なハサミで下半身に六本の脚がある。

 

「ば、化物……!?」

 

二体の化物は狂気を垂れ流した笑みを浮かべた。

 

「「ぶッ殺死てヤる!!!!」」

 

二体の化物が3メートルはあろう巨体に似合わない俊敏な動きで陽と彼女に迫った。怯える陽に対して彼女は冷静だった。彼女は蜘蛛と蟹を引き付けて、襲いかかる瞬間に陽を抱えて跳躍した。砂浜が跳躍力を減衰させるが、蟹の肩に飛び乗り、蟹を踏み台にするには十分過ぎた。彼女は蟹を踏み台にして、十数メートルもの距離を陽を抱えた状態で跳躍してみせた。踏み台にされた蟹はバランスを崩して、砂浜は上を転がり、蜘蛛も脚がもつれて、上手く方向転換出来ないでいた。

彼女は着地したその場に陽を下ろし、ナイフを構えて蜘蛛と蟹に視線を向ける。最初はゆっくりした動きで歩き、蜘蛛の体制が整う直前、一気に間合いを積めた。その動きはまるで蛇が獲物を仕留めるような俊敏で、一瞬で蜘蛛の懐に潜り込んだ。蜘蛛は体制を立て直す直前の不意の攻撃になんとか反応して、前脚で応戦するも、彼女は紙一重で蜘蛛の攻撃を避け、関節部をナイフで切り落とした。

黒板を引っ掻いたような蜘蛛の奇声とともに紫色の毒々しい血液が脚から噴き出す。彼女はそのまま脚を数本切り落とし、蜘蛛が自力で立てないようにすると蜘蛛の頭上から体を回転させながらナイフで切り付けた。両断こそ出来ないものの、傷は致命的な深さと出血をもたらした。

蜘蛛が絶命する直前、蟹がようやく起き上がった。仲間を殺されたことで興奮していたかと思えば、横たわる蜘蛛には見向きもしなかった。

 

「フン!!ヤク立たズメ!!」

 

彼女はナイフの血を振り払い、蟹に攻撃を仕掛けた。直線的に走らず、縦横無尽に走り、相手を翻弄した。しかし、蟹は不敵に笑う。

突然、彼女は跳躍し、腕や脚に仕込んである小型のナイフを投擲した。しかし、そのナイフは蟹の強固な甲羅に弾かれた。

 

「無駄!!ムダムダムダムダ~!!!!」

 

蟹は巨大なハサミを振り回し、彼女に対して反撃の隙を与えなかった。しかし、蟹の甲羅の前に彼女のナイフが通じないように、蟹の攻撃もまた彼女の機動力の前では当たらなかった。彼女を狙っているようだが、ハサミが重すぎて攻撃に隙が出来てしまっている。

その隙を彼女は見逃さなかった。小型ナイフを蟹の目に狙って投擲し、狙い通り蟹の目に刺さった。苦痛の叫びを挙げ、ナイフを抜こうともがくが、ハサミでは上手く抜くことが出来ない。その隙に蜘蛛同様に脚や腕の関節部数ヶ所をナイフで切り落とした。毒々しい血液が切り口から大量に噴き出し、蟹も絶命した。

ほんの僅かな時間で決着がついた。巨大な化物は異臭を放ちながら蒸発してしまった。辺りには血痕も残らず、化物が走り回った跡が僅かに残っているだけだった。気付けば彼女の姿も消え、辺りには陽だけが朝を待つ静寂の中に取り残されていた。

 

 

 

 

その様子を遠くから見ている者がいた。狐の面を被り、太刀を帯びた忍だ。

 

「所詮、勝負を諦めた人間ではこの程度か……まあ、いい。道元様からの指令は挨拶のみ……」

 

忍は朝から逃げるように闇に消え去った。



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日影と忍務 前編

朝が来る前に小屋は全焼してしまった。もう燃える物が無くなると、火はそのまま自然消滅した。

幸い陽には怪我らしい怪我も無く、化物の襲撃から無事に生き延びた訳だが、今も生きた心地がしない。どちらかと言えば夢見心地だ。とにかく五人には心配かけないようにする必要がある。だが、寝袋は春花に返せる状態ではない。そのため、春花には事情を話さなくてはならないだろう。人を茶化したりすることはあるが、根は優しい人だ。火事だけでも大事なのに、化物の襲撃に遭ったなんて言えやしない。もっとも、後半は話しても信じてはもらえないだろう。

 

「なんて説明したらいいかな……?」

 

陽が気になるのは寝袋の説明だけではない。MURASAMEの二人が小屋を放火して、陽を殺そうとした理由。二人が化物になった理由。そして、陽を助けてくれた"彼女"の存在。夢見心地な頭ではどんな可能性も思い浮かばなかった。

 

 

 

 

春花には寝泊まりした小屋が小火で全焼してしまい、逃げる時に寝袋を置いてきてしまったと伝えた。案の定、怪我の心配をされたが、怪我が無いことを知ると安心していた。

 

「他の人には内緒にしてください」

 

「それはいいけど、本当に大丈夫なのよね?帰ったら無理しないで病院に行くのよ?」

 

「病院に行く必要はありませんよ。僕の両親は医者ですから」

 

「あら、そう?」

 

鈴木家は医者が多い家系で、一つの大きな総合病院を経営している。この事実は春花に明かすのは初めてだった。

 

 

帰りの電車の中で五人は相変わらず元気に笑い合い、お喋りやトランプをして遊んでいた。そこから離れた場所で陽は眠っていた。結局、昨夜は一睡も出来なかったのだから当然だ。火事の一件を知っているのは春花だけのはずのため、陽が熟睡している理由は春花しか知らないはず。陽の眠りを妨げないように五人は海に向かう時より、静かに過ごした。その中で日影は陽に背を向ける位置に座り、窓の外の景色を眺めていた。

 

「日影、どうかしたか?」

 

「なんもあらへんよ」

 

いつもと変わらない感情の籠っていない言葉で返事をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏休みが明け、約一ヶ月ぶりに学校に活気が戻った。日焼けしたクラスメートもいれば、全く日焼けしていない人もいる。高校三年生の大半は既に部活動を引退して、来年からの進路に向けていろいろと準備をしている。中には夏休み中ずっと遊んでいた人もいるだろう。

陽は海水浴から帰ってきてから、極力外出を避けた。単純に出掛ける用事も無いのだが、いつどこでまた化物に襲われるかわからない。襲われた時、また"彼女"が助けてくれるとも限らない。正直、学校に来るのも抵抗があったが、陽が一人で野宿している所を襲撃されたため、恐らく学校や登下校中の襲撃は無いと考え、変わらず登校した訳だ。

陽は教室を見渡した。日影の姿を探してしまったが、日影の姿は無い。

 

 

 

 

同時刻。蛇総合病院の医院長室に日影の姿があった。

 

「今日から学校だったのに、すまないな」

 

「別に構わへん。それで、何の用や」

 

「日向の手術だが…………もう間もなく完了する」

 

日影は動揺を見せないように、この状況を何度も頭の中で思い描いていた。果たしてその効果があったのかどうかわからないが、手術の準備の知らせに心臓が高鳴るのを確かに感じた。

 

「その前に一仕事やってもらおうか」

 

脇から看護師が現れ、A4サイズの封筒を日影に手渡した。日影が封筒の中身を確認すると数枚の写真が出てきた。その写真には見慣れてしまった顔の男子が写っている。

陽だ。

 

「写真の彼が誰かわかるな?お前のクラスの鈴木陽だ。ソイツを誘拐して来い」

 

「日向の手術と何の関係があるんや?」

 

日影は道元の下で忍務を遂行して来たが、そのほとんどが日向に関わる忍務だ。だから、忍務の内容をとやかく追求することは無かった。それが忍としてあるべき姿でもある。しかし、日影は忍務の理由を問いただした。問いただしてしまった。

 

「鈴木総合病院はここいらでは、我が蛇総合病院と並ぶ大型病院だ。中でも新薬の開発には力を注いでいる。その技術力は残念ながら我々より勝っている。

そんな鈴木総合病院では、今、体を活性化させ、自然治癒力を増幅させる新薬の開発が行われている。その新薬が日向を治すのに必要不可欠なのだ。だが、新薬の奪取だけでは割に合わない。そこで新薬の開発、販売、使用の権利を譲ってもらおうと思ってね。その商談を有利に進めるために医院長である鈴木晴也(ハルナリ)の息子を誘拐するのだ」

 

日影は視線を写真の陽に向けた。

 

「ワシでええんか?」

 

「なに?」

 

「ワシはコイツを知っとる。お人好しなやつや。ワシやなくても、その忍務、出来るんとちゃうか?」

 

顔見知りの自分では私情を挟むのではないかという可能性は言わなかった。日影には感情が無いのだから。

 

「最後の写真を見たまえ」

 

日影は言われた通り最後の一枚を見た。そこには海で夕日を見る二人の姿が写っていた。

 

「お前達の関係に口出しはしない。だが、それを利用しない手は無い。最近、警戒心が強い小僧でも、顔見知りのお前なら小僧の警戒心も緩むだろう?それとも小僧に情でも沸いたか?」

 

「そんな訳あらへん。ワシには感情っちゅうもんが無いからな」

 

日影は写真を封筒に入れ、脇にいる看護師に返した。

 

「用事が済んだんなら帰るわ」

 

日影は道元に背を向けて、医院長から立ち去ろうとした。

 

「ああ、言いそびれる所だった。商談が上手く行ったら、小僧は殺せ。自殺に見せ掛けてな」

 

それにどんな意図があるかはわからないが、そこまでが忍務ならば日影はそこまで遂行しなくてはならない。

 

「そりゃちょうどええわ。アイツ見てると、なんやイライラしてたとこや」

 

日影は残酷な笑みを見せて、医院長室から出ていった。

 

 

 

 

日影はその足で日向の病室に向かった。

 

「あれ、日影?どないしたん?今日から学校やろ?」

 

「せやね。…………ちょっと呼び出されてたんや」

 

日向は一瞬表情を曇らせた。呼び出しと言えば、道元医院長の所だと言うことはすぐにわかる。呼び出された内容は忍務だろう。

 

「日影、ちょっとええか?」

 

日向は病室の入口に立つ日影に手招きをして、近くに呼び寄せた。日影も呼ばれるまま日向が横たわるベッドのそばに歩み寄り、丸椅子に座った。

 

「なんや?」

 

「ちょっと頭こっちに向けてくれんか?」

 

言われるまま日影は日向に頭を向けた。日向にどんな意図があるのかわからないままだったが、温かい感触が頭に触れた。一瞬驚くが、温かく懐かしいその感触を拒むことはしなかった。

日向が日影の頭を撫でていたのだ。

 

「ど、どないしたん?」

 

「昔はこうして、頭よう撫でたな思てね」

 

『出来るなら与えられた忍務を放棄してほしい。自分のことは忘れ、忍としての道を捨て、普通の少女として生きてもらいたい』とは言えなかった。日向は日影に忍の道で生きる術を教えてしまっている。日向には現状の責任がある。そんな日向がどの口でそんなことを言えるだろうか。とても言えない。

 

「日向……?」

 

「日影は……頭、撫でると嬉しそうになるな」

 

「そうなんか?」

 

「……せやで」

 

「日向、あんな。もうすぐ手術の準備が整うらしいねん。せやから、もう少し待ってや」

 

一方で日影は日向を助けるためならどんな忍務でも遂行してきた。今回もそれは変わらない。

日向を助け終わった後。日影は道元の手足として擦りきれるまで駒として使われることになる。きっと学校に戻ることもなく、春花達にももう会えず、助けた日向にも会えず、名前の如く影で生きていく。その覚悟は出来ている。

不意に陽の顔が脳裏を過る。今回の忍務では彼を誘拐し、準備が整い次第、彼を殺す。数々の忍務を遂行してきたが、人を殺せと命令されたのは初めてだ。躊躇せずに彼を殺す自分の姿を思い描いた。

 

「今度はワシが日向。助けるんや」

 

鮮血に染まる日影と横たわる血塗れの陽の姿をハッキリと思い描いた。



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日影と忍務 中編

陽は気が付くと毎日何度も日影の姿を探してしまい、その度に自己嫌悪した。告白直後の反応を見れば、答えなんて一目瞭然だった。だが、諦めきれないでいた。

 

「一週間……学校に来てないし……」

 

夏休みが明けて一週間が経っていたが、日影は登校していない。だから、陽が日影の姿を探していても、そこに日影はいないのだ。春花にも聞いてみたが、最近、日影とは連絡を取っていないようだ。MIYABIでのバイトも既に辞めている。完全に音信不通だ。

「日影が学校に来ないのは自分のせい」という思い込みもすることがある。だが、それはおそらく自惚れという物だ。

陽は大きいため息を漏らす。どうやら末期のようだ。

 

「なんや、えらいため息ついてんな?どないしたん?」

 

胸が高鳴った。聞き覚えがある気だるい関西弁。視線を上げると放課後の教室に差し込む夕陽で赤みを帯びて見える青白い肌の少女が立っていた。

日影だ。

 

「どないしたん?今度は顔が赤くなっとるで?」

 

「あ、いや、これは……夕陽のせいですよ」

 

どうして放課後なのに学校に来たのか。この一週間どうしていたのか。そんな疑問なんてどうでもよくなってしまった。陽は自覚していたが、改めて自分がどうしようもなく日影のことが好きなのだと再認識させられた。

 

「えっと……帰るところなんですけど、一緒に帰りますか?」

 

「せやね。ちょうど、あんたに話があったんや」

 

日影は立ち上がり、中身が少なそうな鞄を肩に乗せた。陽も机の脇に引っ掻けている鞄を持ち、日影と並んで、教室から出た。出るとき、日影は教室を振り向き、自分の席を見つめるが、すぐに歩き始めた。

 

 

 

 

二人はいつもの帰り道とは違う道を歩いていた。駅に向かうには逆方向だ。

 

「えっと……その……話ってなんですか?」

 

気持ちが浮わついている陽はにやけそうな顔を必死に堪えている。海での反応を見た限りでは、もう二度と話をすることもないと思っていた。それが日影から話しかけられたのだから、嬉しくない訳がない。しかし、日影の話の内容がわからない。改めて断られる可能性も否定できない。

 

「こないだ、日向の話したやろ?」

 

海で二人で夕陽を見た時だ。陽はあの時、聞きたいという気持ちを飲み込んでいた。その後の告白や襲撃の一件で記憶の片隅に残っている程度だが、確かに話していたのを覚えている。

 

「今な、日向は入院しとるんや。もう何年も手術を待っとったんや。せやけど、もうすぐ準備が終わるんや」

 

陽は驚いていた。日影が身の上話を自分から話していることも驚きだが、それよりも驚いたのは日影の口調だ。いつもの平淡な口調と違って感情が籠っている。それだけ日向という人が日影にとって大事な存在で、手術の話が嬉しいのだろう。

 

「良かったですね、おめでとうございます!!」

 

「……おおきに」

 

日影は続けて、日向との関係を語った。

日向と出会ったのは、日影が8歳の頃だそうだ。日向のお陰でなんとか学校に通い、貧しくも幸せそうに生きてきたのが話から聞き取れた。だが、数年前に日向は病に倒れ、手術をずっと待っていたようだ。

 

「でも、もうすぐ手術なんですね。本当に良かったですね」

 

「せやね。…………せやけど、足りんもんがあるや」

 

日影が身の上話をしている間、わずかに表情があった。しかし、再び日影の顔から表情が消えた。

 

「足りない……物?」

 

「あんたんとこの病院で作っとるっちゅう新薬や」

 

この空気が変わる感じるのを最近何度も経験している陽だが、変化を予知したり、察知するのは遅い。気が付いた時にはもう手遅れだった。

今さらだが、自分が化物に襲撃されて、死にかけたのは、ついこないだのことだ。いつまた襲撃されるかわからないから警戒していたはずだが、日影に会えてすっかり忘れていた。

日影が陽の正面からゆっくりと迫ってきた。陽は蛇に睨まれた蛙のように動けない。

 

「ひ、日向さんを助けたいんですね?」

 

「せや」

 

「そのために僕が一人になるのを?」

 

「せや」

 

「あ、あの薬はまだ開発途中で、どんな副作用があるかわからないんです!!」

 

「そんなんどうだってええ…………日向を助けるためなら……」

 

陽は逃げ出した。運動音痴で体力測定は常に最下位の陽の全速力で逃げた。

 

「遅いで」

 

その全速力をいとも簡単に追い抜き、陽の目の前に立ちはだかる日影。そして、腹部を貫く鈍痛。意識が遠退いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誘拐される経験はほぼ皆無だろう。だが、陽は誘拐された。しかも、クラスメートの女子生徒に。

両手は細い柱に縛られ、身動きが取れない。周囲を見渡すと埃が堪っていることからもう何年も使われていない倉庫のようだ。目の前には海で襲撃された時に助けてくれた"彼女"がいた。しかし、襲撃の時のようにゴーグルのような物で顔を隠してはいない。素顔のままの彼女がいた。

 

「なんとなく、そんな気がしたんだ…………日影さんだったんだね」

 

目の前にいるのは紛れもなく日影だった。

 

「なんや気付いとったんか。せや、ワシは忍……悪忍・日影や」

 

悪忍。悪徳政治家などを依頼主とし、違法行為も厭わない現代に生きる忍集団の総称。

日影は片手でナイフを弄びながら、もう片手で陽のスマートフォンを操作している。操作し終えると陽の耳元にスマートフォンを押し付けた。どうやら電話のようだ。

 

『もしもし、陽か!?』

 

相手は陽の父、晴也だ。

 

「あ、お父さん……」

 

『お前、今どこにいるんだ!?』

 

「いや、えっと……なんて言ったらいいんだろ……今、どこかの倉庫の中……誘拐された」

 

『なっ!?まさか本当に誘拐されるなんて……』

 

陽の知らない所で鈴木家には脅迫状が届いていた。内容は「息子の命が惜しければ、大人しくして、言うことを聞け」というものだ。下手に警察に相談したことがバレれば、陽に何があるかわからない。そのため、本人にも脅迫状のことは伏せていた。

日影がポケットから紙を取りだし、陽に見せた。

 

「あ、要求が出たから読むね。

明日、蛇総合病院から商談を持ち掛ける。内容は新薬とその特許製法、及び、その販売と使用の諸権利の譲渡。要求が承諾頂けない場合は……息子共々、社会的に抹殺するって……」

 

日影は電話をすぐに切り、スマートフォンを地面に叩きつけた上で、踏み潰して破壊した。恐らく逆探知などでこの場所が露見されるのを恐れたのだろう。

倉庫を見渡すと窓は無い。だが、恐らく外は夜だろう。日影は相変わらずナイフを弄び、時間を食い潰していた。

 

「日影さん……」

 

沈黙に耐えられず、陽は声をかけてみた。日影は鋭い眼差しで陽を睨み付けた。

 

「あんた……今、どんな状況かわかっとるん?」

 

「まあ、一応……」

 

少なくとも呑気に話し掛けられる状態ではないはずだ。だが、あまりに非日常的な現状に陽はある種の興奮さえ感じていた。

 

「…………あんたな…………ワシは商談の結果に関わらず、あんたを殺すように言われてるんや」

 

日影は少し呆れた様子で忍務の内容を明かした。



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日影と忍務 後編

緊張感に欠けていた陽もさすがに危機感を感じた。陽は日影が化物を瞬く間に撃退させたのを知っている。あの容赦ない攻撃から察するに、日影は人を、陽を殺すのもなんの躊躇いも無いだろう。冗談を言っているようにも見えない。

陽は頭が真っ白になった。全身の血から熱が消える感覚に襲われる。

 

「そ、そのナイフ……自分で買ったんですか?」

 

沈黙が辛くて、陽は口を開いた。黙っていると恐怖に押し潰されそうだ。何か下らない話でもしていないと落ち着かない。

 

「これはな……日向のや。今はワシが使っとる」

 

手入れが充分に行き届いているナイフは芸術品のように美しく、あのナイフで心臓を刺されるかと思うと変に気持ちが高ぶった。

陽の体が恐怖で無駄に震える。

 

「日向さんも……悪忍?」

 

「せやな。昼間はアルバイトしとって、夜は忍務に出掛けとった」

 

「日影さんは日向さんから忍の技術を学んだ?」

 

「そうや。ワシが一人でも生きていけるように……」

 

断片的ではあるが、陽は日影に対して一つの結論を出した。

 

「…………日影さんって、優しいんですね」

 

日影の表情が曇った。陽の言葉の意味がわからないからだ。

 

「どういう意味や?」

 

「日影さんは日向さんのことが大好きで、だから、日向さんのことを助けたいんですよね?」

 

「…………あんたの言っとることは、ようわからん。ワシはただ日向を助けたいだけや」

 

陽には日影が日向を助けるという"目的だけ"を認識しているように思えた。その目的を抱き、その目的を達成するために行動している理由は本当にわからないようだ。日影が言う感情が無いというのは、つまり、"動機"となる感情なのかも知れない。

数分足らずの会話で、陽はそんなことを予想した。

 

「ワシも聞いてええか?」

 

「え?ええ……」

 

「あんた、まだワシのこと好いとるん?」

 

吊り橋効果という現象を陽は知っている。死ぬような恐怖を感じている時には心拍数が上がり、好きでもない異性のことが好きになってしまうという"勘違い"の類いの現象だ。今まさに陽は命の危険に曝され、心拍数はかなり多い状態で、吊り橋効果の最中にいるとも言える。だが、そんな勘違いに惑わされず、陽は日影を見つめた。

 

「好きです」

 

思えば、日影と初めて接点を持った放課後の教室で、陽は日影に対して既に恋していた。見た目や性格云々をすっ飛ばして、夕日を見る日影の姿に心を奪われていた。

 

「あんた……ほんまに変わりもんやね」

 

「なんでかな?こんな状況になってるのに、日影さんのことが嫌いになれないんだ。殺されるのは恐いけど、僕を殺そうとしてる日影さんは恐くないし……」

 

「感情っちゅうんは、ようわからんな……」

 

「本当です…………今度は僕が聞いてもいいですか?」

 

「なんやの?」

 

海での告白の答をちゃんと言葉にしてもらいたかった。でも、恐らく「ようわからん」で済まされてしまうだろう。

 

「日影さんの依頼主って…………蛇総合病院の医院長の道元っていう人?」

 

「そうや」

 

道元の噂は聞いたことがある。非合法な手段を使っての事業拡大。膨大な入院費と治療費を患者から巻き上げている。絶対的な需要がある医療を私欲を満たす道具としてしか見ていないような男らしい。その噂の一端に日影が関与しているのは間違いないだろう。

 

「道元のこと信頼しているの?」

 

「信頼なんかしてへん。互いに利用しとるんや」

 

日影は日向の治療と自分の生活の保証。その代わりとして道元の依頼の遂行。それが二人の間で取り交わされた利用関係。

日影の悪い噂に『"パパ"がいる』というものがある。強ち間違いという訳でも無いのかもしれない。ある意味、日影にとって道元は"パパ"みたいな存在とも言える。そこから妙な噂に発展したのだろう。だが、高校生が妄想するような"パパ"でも、父親的なパパでもない。依頼主と忍という表には出ない、闇の一面だ。

陽はそういった闇に疎い。表すら危ういのに、闇には無知と言っていいだろう。だからなのか、素朴な疑問が浮かんだ。

 

「それって、本当に利用しているって言えるの?」

 

「……なんやて?」

 

「なんか、利用されてるだけのような気がして……だって、日影さんが道元からの忍務を遂行して、道元は利益を得る。その利益の一部で日影さんの生活や日向さんの治療費、手術費が賄われてるんじゃないの?」

 

日影は陽の言葉に反応出来なかった。

 

「そ、そんな訳……」

 

日影は陽を否定しようとした。だが、日影が忍務でもたらした利益は一時的なものではなく、継続的な利益として道元の懐に貯まっているはずなのだ。日影には自分が利用されているだけという陽に対して反論出来なかった。

日影はナイフを持ち、陽に迫ると刃を首に押し当てた。今まで見たこと無いほど、日影は取り乱している。

 

「黙れ……」

 

「日影さん……」

 

首が切れない程度にナイフをさらに押し付ける。

 

「ほんまに……あんたを見てるとイライラするんや!!」

 

鋭い眼差しと普段の日影からは想像も出来ない程、感情が爆発した。無表情を剥ぎ、怒りを眉間に集中させるが、目からは焦りの涙が溢れている。自分の思い違いに気付きつつも、気付いた事実を認めたくないのだろう。

 

「あんたを見とるとなんや知らんけど、胸が苦しゅうなるし、ようわからんくてイライラするんや!!」

 

日影は今にも陽の首を切り裂く勢いだ。

 

「それとも何か!?あんたが日向を助けてくれるんか!?」

 

「それだ!!」

 

日影の一言に陽は閃いた。何も道元が経営する蛇総合病院で手術することにこだわる必要は無い。鈴木陽の親も大きな病院を経営しているのだ。しかも、最後に必要な新薬は鈴木家の病院にあるのだ。

 

「日向さんをウチの病院で手術するんだ!!そうすれば万事解決!!」

 

「はぁ!?あんた、本気か!?だいたい手術費はどないするんや!?」

 

「僕がお父さんに頼んで、なんとかしてもらう!!」

 

「そ、そんな話信じられるか!?」

 

「信じなくていい!!僕を利用すればいいんだ!!」

 

日影の顔から静かに感情が退いた。

 

「利用されとるってわかってて、利用されるんか?」

 

「利用されます。まあ、お金もなんとかなるんじゃないかな?」

 

日影はナイフを離し、鼻で笑った。

 

「詠さんが聞いたら怒るで?」

 

日影は陽の背後に回り、縄を解いた。気絶していた間にかなりキツく結ばれていたようで、陽の手首には縄の跡がすっかり残っていた。陽は強ばった体を伸ばした。日影もどこか清々しく微笑んでいる。

突然、日影は小型のナイフを倉庫の隅に投擲した。しかし、投擲したナイフは金属同士がぶつかる金属音と共に弾かれた。

 

「いけませんね、日影さん。道元様を裏切るおつもりですか?」

 

倉庫の隅の影から狐の面をかぶり、太刀を腰に帯びた忍が現れた。顔は見えないが、声から女性だとわかる。口振りから道元の手下だとわかる。

 

「海での一件は、まあ、見逃して差し上げましたけど、日影さん?返答次第ではただでは済みませんよ?貴女が助けたいと言っている日向さんも助けられませんよ?」

 

しかも、どうやら海での襲撃事件の実行犯のようだ。

 

「かまへん。もう道元を利用する…………いや、道元に利用されるんは終いや」

 

「……そうですか」

 

狐面の忍は指を鳴らした。その瞬間、倉庫に隠れていたのか、兎の面をかぶった忍が大勢現れた。手にはクナイやら小太刀やら物騒な刃物を装備している。

 

「裏切りには制裁が必要ですね」

 

「あんた、ワシに制裁すんのに下忍なんて……相手にならへん」

 

「……ふふふ……確かに貴女相手に下忍じゃ役不足でしょうけど、時間稼ぎくらいにはなりますよ?……殺れ!!」

 

狐面の忍の合図と共に下忍が一斉に襲い掛かってきた。その瞬間、狐面の忍は仮面を下で日影を嘲笑うような笑みを浮かべ、倉庫から消えた。狐面の忍の目的は日影を打倒することではなく、日影が最も大事にしているものを奪うことだった。悪人が用いる常套手段。

つまり、狙いは日向だ。

下忍は日向の所へ向かうための時間稼ぎで充分なのだ。しかも、下忍達は変に時間稼ぎするよりも、それぞれが格上の日影を仕留めるつもりでいる。加えて多勢に無勢では如何に実力差があろうと足止めは必須である。

日影はナイフを構え、臨戦体制を瞬時に取った。鋭い眼差しで周囲を見渡し、瞬時に敵の数を把握し、最短で敵を無力化しようとした。しかし、攻撃しようとした瞬間、倉庫の天井を突き破って誰かが現れた。頭に大きなピンク色のリボンを結び、目のやり場に困るレオタードのような服を着た女性。頭上にはボールに腕が生えたような機械が浮かんでいる。

突然の乱入者に下忍の動きが止まった。

 

「あらあら……なんて下品なお人形さん達なのかしら?でも、私に任せて。皆私の可愛いお人形さんにしてあげる」

 

妙な色気を振り撒く彼女を陽は知っている。

 

「は、春花さん!?」



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日影と仲間

「春花さんが何で!?」

 

陽は春花が現れた理由もわからず、春花から恥ずかしそうに視線を反らした。胸には大きなひし形の"窓"があり、今にもはち切れそうな肉体をこれ見よがしに強調している。陽だって健全な男子高校生だ。そんな格好の知り合いを見たら恥ずかしくなってしまう。

 

「あらあら、照れちゃって可愛い♪」

 

下忍の一人が春花に襲い掛かった。しかし、春花が下忍に指を差すと頭上の腕が生えたボールが下忍を殴り飛ばした。殴り飛ばされた下忍はそのまま数人の下忍を巻き添えにして、倉庫の壁に体を打ち付けた。

 

「日影ちゃん、ここは私"達"に任せて、早く行きなさい!!」

 

「頼んだで、春花さん」

 

日影は陽を肩に抱えて、海で小屋から脱出した時と同じ体制になった。

 

「ひ、日影さん!?何を!?」

 

「あんたがいると春花さんの邪魔になるんや。ほな、行くで」

 

日影は凄まじい跳躍で春花が現れた屋根の穴から倉庫を出た。陽の悲鳴が遠ざかる。

 

「さあて、そろそろ出てきていいわよ」

 

物陰から裸同然の男達が四つん這いになって現れた。猿轡や革の首輪や目隠しをして、人間としての尊厳は奪われている。しかし、彼らは現状に満足し、悦に浸っている。

 

「貴方達の学校のオトモダチのためにヤっちゃいなさ~い。頑張ったらご褒美よ~♪」

 

彼らはかつて日影を口説きに失敗して、陽をボコボコにしたら日影に返り討ちにさせられた不良達だ。

 

「「「かしこまりました~!!!!春花様~!!!!」」」

 

春花の可愛い人形と成り果てたかつての不良達は一斉に下忍に襲い掛かった。

 

「さあ、お仕置きの時間よ」

 

豊満な胸を下から持ち上げるように腕を組み、余裕の笑みを浮かべる。

 

 

 

 

日影の肩に乗ったまま、陽は放心状態だった。

 

「どないしたんや?」

 

「いやだって、知っている人が二人も忍だなんて……」

 

「二人やないで?」

 

「え?」

 

日影は陽を肩に抱えたまま夜の町を駆け抜けた。建物の屋根から屋根へ跳躍し、最短経路で蛇総合病院に向かったであろう狐面の忍を追った。陽を抱えている分、遅くなるように思うが、日影にとって他人一人抱えているぐらい問題無い。むしろ、テキトーな場所に置き去りにする方が危険だった。

日影の肩の上で揺られながら周囲を見渡した。町の明かりを眼下に、凄まじい勢いで通りすぎていく。その中に黒い点が見えた。違和感を感じた時は何かの見間違いと思っていたが、その黒い点は瞬く間に増殖して一つの群、否、一つの軍を成して日影達を追い掛けてきた。

 

「ひ、日影さん……なんか、追い掛けてきた……」

 

軍の正体は小型犬程度から大型犬程度の大小様々な大きさの蜘蛛の一群だった。その数は百を超えている。それらが日影達に追い付かんばかりの速度で追い掛けてくる。

 

「蜘蛛!!デッカイ蜘蛛!!」

 

「落ち着きぃな」

 

「でも、もう!!後ろ!!後ろ!!」

 

蜘蛛の軍団は最早日影達の目と鼻の先にまで接近していた。

 

「ヴァルキューレ!!!!」

 

叫び声と共に蜘蛛の軍団の最前列で爆発が起きた。陽は体を捻って進行方向に視線を向けた。その先にゴスロリな服装をした左目に眼帯の少女が巨大な機関銃に股がっている。

 

「行って、日影!!」

 

「頼んだで、未来さん」

 

日影達は未来の横を駆け抜けた。

 

「未来さんまで!?大丈夫なんですか!?」

 

「未来さんはああ見えて強いで。蜘蛛ぐらいどうてことない。それより、見えたで」

 

日影の視線の先には狐面の忍が病院に向かって走っている。既に日影の射程圏内に捉えている。

陽は前を日影に任せて、遠ざかる未来の後ろ姿を見つめる。

 

「蜂の巣にしてやるわ!!」

 

未来は持っていた傘をガトリングに持ち変えて、蜘蛛の軍団に銃口を向けた。しかし、蜘蛛の軍団は見事なほど綺麗に未来を避けて日影を追った。あまりの統率が取れた動きに呆気に取られた未来が動いたのは蜘蛛が通り過ぎた後だ。

 

「ちょっ!?アタシを無視するなぁぁぁ!!!!」

 

持っているガトリングの他にスカートの中から同様のガトリングが4丁現れ、計5丁のガトリングで蜘蛛の軍団を後ろから蜂の巣にした。

突然、蜘蛛の軍団の動きが止まり、一斉に振り向いて標的を日影から未来に変えた。蜘蛛が自分に意識を向けたことに少し嬉しさを覚えるも、思いの外の多さに顔が青ざめた。

 

「ちょっ……これ……多すぎるわよぉぉぉぉ!!!!」

 

蜘蛛の軍団が津波のように押し寄せた。

 

 

 

 

日影が狐面の忍の背後にまで迫っていた。時間稼ぎのための下忍と蜘蛛の軍団を用意していた上に、人一人抱えている状態でも自分に追い付かれたことに相当苛立ちを募らせているようだ。

蛇総合病院が視界に入っていた。もうすぐ到着する。しかし、その手前に金髪の少女が立っていた。ただの少女ならば通り過ぎたのだが、ふわふわなメイド服のような格好に、背丈ほどはあろう大剣を担いだ少女だ。少女が両腕に取り付けた小型大砲と手裏剣発射機を狐面の忍に向けると、何の警告も無しに砲撃してきた。突然の攻撃に狐面の忍も驚いたが、手裏剣を太刀で弾き、砲撃を避けた。しかし、全ては避けきれず、手裏剣が肩や脚を掠めていた。

 

「もやしを笑う者はもやしに泣くと言います。ここから先は通しませんわ」

 

金髪の少女は大剣を狐面の忍に向けた。

 

「詠さん、もやしは関係あらへんとちゃう?」

 

少し呆れた様子の日影が陽を担いで現れた。狐面の忍にようやく追い付いた。

 

「何を言いますか!!もやしは栄養満点!!食べて良し、見て良し、安くて家計に優しいお野菜なんですよ!!」

 

詠が一瞬狐面の忍から目を離した瞬間を狐面の忍は見逃さなかった。

 

「もやし、もやしってうるさいのよ!!」

 

狐面の忍がコンクリートの屋根に手を叩きつけると、屋根に黒い穴が広がった。得体の知れない物に詠も日影も狐面の忍から距離を取った。

その直後、黒い穴から全身が岩石でできた巨大な化物が二体現れた。狐面の忍は現れた化物の肩に乗っている。

 

「この妖魔はさっきの下忍や蜘蛛の軍団、海の化け蜘蛛、化け蟹とは訳が違うわよ!!」

 

岩石の巨兵が巨体に似合わない素早い動きで日影と詠に襲い掛かった。日影は陽を担いだまま攻撃を避け、詠も大剣を担いで攻撃を避けた。その隙に狐面の忍は蛇総合病院に向かった。肩と脚にケガを負っているせいか先程より速度は遅い。だが、岩石の巨兵にいつまでも手間取っていれば日向に危険が迫る。

 

「秘伝忍法・ニヴルヘイム!!」

 

詠が両腕の小型大砲と手裏剣発射機から連続砲撃を岩石の巨兵に加え、爆弾まで投げつけた。岩石の巨兵は猛烈な砲撃と爆撃に耐えられず、倒れた。

 

「日影さん、今です!!」

 

詠は大剣を持ち、後方下段に構えると視線を狐面の忍に向けた。

 

「頼んだで、詠さん」

 

日影は陽を担いだまま、詠が構える大剣の上に飛び乗った。

 

「え?嘘でしょ?」

 

「口閉めんと、舌噛むで?」

 

陽は嫌な予感しかしなかった。他の方法を提案しようと思った時には既に遅い。

 

「行きますわよ!!えぇい!!!!」

 

「嘘でしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!???」

 

詠は日影達が乗った大剣を前方に振り下ろし、日影達を投げ飛ばした。恐怖で酷い顔をした陽を見送ると振り向いて倒れていた岩石の巨兵に視線を向けた。岩石の巨兵はまだ十分動ける状態のようだ。

 

「さて、持たざる者の強さ、見せて差し上げますわ!!」

 

 

 

 

日影達は狐面の忍の頭上を飛び越して、そのまま蛇総合病院に直行した。しかも、詠の正確な狙いのお陰で着地地点は日向の病室だった。日影は数本の小型ナイフを病室の窓に投擲して、脆くなった窓を蹴り破って中に飛び込んだ。

 

「日向!!」

 

「グエッ」

 

担いでいた陽を乱暴に床に落とし、病室を見渡した。病室には未来が引き受けてくれた蜘蛛の死骸が散乱して、その中に日向が立っていた。

 

「日影?どないしたん?」

 

日向は病衣に毒々しい返り血を浴び、手に持っているカッターを役目を終えたように投げ捨てた。

 

「よかった……間に合ったんやね……」

 

「なんやいきなり、治療は中止や言われてな……襲ってきたから、看護婦さん返り討ちにしたったわ」

 

病室のベッドの上にお尻を突き出すように気絶している看護師がいた。

 

「一体何が……」

 

突然、日向の脚がふらつき、すかさず日影が受け止めた。

 

「日向!?」

 

「だ、大丈夫……めまいしただけや……それより、そっちの男子、誰や?」

 

「ああ……クラスメートや」

 

雑な紹介に苦笑いを隠せないが、今はそれどころじゃない。陽も日向に肩を貸して、立ち上がらせた。

 

「説明は全部後回しにしましょ!!早く逃げないと!!」

 

「せやな」

 

二人は日向を連れて病室を出た。

この騒ぎで他の患者も起きていそうだったが、病院の中は深夜の病棟のように静まり返って、耳が痛い。

 

「そこまでだ、裏切り者!!」

 

病室を出てすぐのフロアに狐面の忍が現れた。

 

「貴様に先を越されるとは想定外だった。だが、ここまでだ!!貴様ら三人と、邪魔者三人!!生きて朝日を見れると思うなよ!!」

 

狐面の忍が指を鳴らすと、フロア中の病室の扉が開き、中で寝ているはずの患者が現れた。しかし、様子がおかしい。全身、血を浴びたように赤く、黄色い不気味な眼光を放っている。

 

「ここはな、病院に見せ掛けた妖魔の製造工場だ!!」

 

「なんやて?」

 

「その日向も、鈴木家の新薬が入れば、より完成度の高い妖魔として生まれ変わるはずだった……だが、もう許さない。道元様を裏切った罪!!貴女方の命であがなわせてやる!!」

 

患者達が一斉に蜘蛛や蟹に変身して、三人に襲い掛かった。

 

「秘伝忍法・魁ぇ!!!!!」

 

三人に襲い掛かった化物達が次々と斬られていく。数秒後。日影達と出遅れたことで生き残った化物達と狐面の忍の間に、両手に三本ずつの刀を持った少女が立っていた。腰まであろうポニーテールと黒いセーラー服を着た日焼けした少女だ。

 

「私を忘れてもらっちゃ困るな……」

 

「ほ、焔さんまで!?」

 

現れたのは焔だけではなかった。それぞれの場所で、それぞれの敵を殲滅して駆け付けた春花、未来、詠の三人も現れた。

 

「き、貴様ら…………一体何者だ!?」

 

焔は三本の刀を狐面の忍に向けた。

 

「焔!!」

 

詠は大剣を狐面の忍に向けた。

 

「詠!!」

 

未来はガトリングを傘に変えて、狐面の忍に向けた。

 

「未来!!」

 

春花は腕が生えた球体の機械に腰を下ろして、優雅に座ると視線を狐面の忍に向けた。

 

「春花!!」

 

日影はナイフを空中に投げ、数歩歩いた先でナイフを掴み、その切っ先を狐面の忍に向けた。

 

「日影!!」

 

「「「「「我等、焔紅蓮隊!!いざ、悪の定めに舞い殉じる!!!!!」」」」」



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日影と決着 前編

「焔紅蓮隊……だと?焔紅蓮隊だと!?ふざけるな!!よくも……よくも道元様の邪魔をしてくれたな!!全員生きて帰れると思うな!!」

 

病院中の病室という病室から妖魔化した患者達が現れた。既に日向以外の患者達は妖魔化されていたようだ。

 

「道元様は妖魔の力で以て、世界を支配される御方!!その野望を邪魔させない!!殺れ!!」

 

狐面の忍の号令で妖魔達が紅蓮隊に襲い掛かった。

 

「相手は既に妖魔化した人間だ!!容赦無く斬り刻む!!」

 

紅蓮隊の面々は各々の武器を扱い、次々と妖魔達を撃退した。焔は六刀を駆使して、次々と妖魔を斬り捨てる。詠は大剣で妖魔を両断し、両腕に装備した小型大砲と手裏剣発射機を連射した。未来はガトリングを乱射して蜂の巣にした。春花は頭上の機械に命令を出して妖魔達を蹴散らした。そして、日影はナイフで妖魔を切り刻んだ。これには狐面の忍も驚きを隠せなかった。

 

「ふざけるな……たった五人に……こんなことがあってたまるか!!」

 

「ぬるい……ぬるいぞ!!もっと私を燃え上がらせる敵はいないのか!?」

 

「こんなことでは腹ごなしの運動にもなりませんわ」

 

「アタシを無視するからこうなるのよ、バァカ!!」

 

「こんなんじゃ、実験材料にもならないわ」

 

「これで、終いや」

 

日影が最後の妖魔を脳天から串刺しにして、抜き取ったナイフから血を振り払った。

 

「もう容赦も手加減も出し惜しみも無しだ!!」

 

狐面の忍が懐から小瓶を取り出した。小瓶の中には丸々と太った赤黒い芋虫が入っている。海でMURASAMEの二人のビールに混入した妖魔と同じ物だが、狐面の忍が持つ物の方が何倍も強力な妖魔だ。この妖魔を体に取り込むことによって、妖魔の力を得ることができるのだ。

狐面の忍は小瓶の妖魔を丸呑みした。もちろん、すんなり呑み込めるはずがなく、妖魔が呑まれまいと口の中で暴れ、呑み込まれた後も喉や腹の中で暴れている。やがて、体内の妖魔が落ち着くと狐面の忍に異変が起きた。爆発のような鼓動。滲み出る禍々しい空気。

 

「ハァ……ハァ……これが妖魔の力か……素晴らしい……素晴らしいです!!道元様ぁぁぁぁぁ!!!!」

 

狐面の忍が太刀を構え、物凄い勢いで日影に迫った。日影は先程の大量の妖魔との戦闘からずっと日向と陽を守りながら戦っていた。そのため今も日影の後ろには病人の日向と、足手まといの陽がいる。日影だけなら攻撃を避けることもできるのだが、二人がいてそれもままならない。

 

「制裁ィィィィィィィィ!!!!!!!」

 

狐面の忍が太刀を振り下ろした。しかし、焔と詠が日影の目の前に現れ、六本の刀と大剣で狐面の忍の太刀を受け止めた。続いて、未来のガトリングの射撃と春花の機械の打撃で吹き飛ばされた。

 

「こっちは最初から手加減も出し惜しみも無しだ。やっと面白くなってきたな!!」

 

「もやしを侮る貴女には私達は必ず勝ちます!!」

 

「アタシ達を無視したらどうなるか教えてやるわ!!」

 

「日影ちゃん、ここは私達に任せて貴女の決着を付けてきなさい!!」

 

日影達を守るように紅蓮隊の四人が狐面の忍と対峙する。

 

「……わかった。頼んだで、みんな」

 

日影はその場を他の紅蓮隊に任せ、道元がいる医院長室に向かって走り出した。

日向は病人と言えど、少なくとも自分の身を守ることは出来るだろう。しかし、陽はこの場にいるのがおかしい人間だ。自分の身も自分の力では守れない脆弱な一般人だ。だから、勝手に動く危険性を一番理解している。しかし、陽は何故か日影の後を追って走り出した。いや、理由はわかっている。決して日影に加勢出来るような立場ではない。追えばきっと足手まといになる。だが、陽にはこの"決着"を見届ける責務があると感じた。だから、陽は日影の後を追った。紅蓮隊も日向もそんな陽を止めることはしなかった。

 

 

 

 

狐面の忍が道元を信仰し、人間でいることを捨ててまで道元に忠誠を誓うのは、かつて道元に救われた過去があるからだ。道元にとっては、狐面の忍もただの実験材料や駒の一つとしてしか見ていなかったかも知れない。だが、彼女にとっては恩人であり、忠誠に値する主人である。だから、日影が現れたことに嫉妬した事実もある。何より、信頼し忠誠を誓った道元に対する裏切りはどう転がっても許しようのない事態だ。

 

「だから、私は日影から全て奪ってやる!!そのためなら人間であることだって止める!!それが私の忍の道だ!!」

 

狐面の忍が再び襲い掛かった。未来がガトリングで牽制するが、狐面の忍はフロアを縦横無尽に走り回り、避けきれない僅かな弾丸は太刀で弾いた。妖魔の力を得たことで身体能力が格段に上昇している。中距離戦闘に向いているガトリングでは狐面の忍の相手は不向きだ。

 

「面白い!!だが、他人が引いた忍の道で私達に勝てると思うなよ!!」

 

焔と詠が迫り来る狐面の忍に立ち向かった。未来と春花は後方からの支援。

焔は六刀を駆使して連撃を浴びせ、その背後から詠が飛び出すと強烈な斬撃を叩き付けた。狐面の忍にはそれらを太刀で捌かれたが、反撃には至らない。未来がガトリングで牽制したからだ。続いて、春花の機械が殴りかかる。狐面の忍はたまらず腕でその攻撃を防御してしまった。小枝が折れるような音がして、そのまま狐面の忍は病院を縦に貫いている吹き抜けのエントランスまで吹き飛ばされた。

 

「皆、追うぞ!!」

 

焔に続いて、全員がエントランスに飛び降りた。

エントランスには春花の攻撃で狐面を割られた狐面の忍が立っていた。割れた面の端から素顔を見え、腕は骨折しているようで、両腕が力無く垂れている。

 

「まるで、勝ち誇ったような顔をしているな……」

 

現れた紅蓮隊は狐面の忍の様子を見て、戦闘出来るような状態ではないと判断していた。しかし、狐面の忍は未だに戦意を失わずに笑みを浮かべている。

 

「追い詰めたつもりかも知れないが、追い詰められたのは貴様らだ!!」

 

折れた腕で狐面を剥いだ。その下には過去に受けたであろう火傷の跡が顔を覆っていた。

 

「見よ!!これが妖魔の真の力だぁぁぁ!!!!」

 

折れた両腕が瞬時に治癒し、右腕は右手に持っている太刀と一体化した。左腕は黄金色の体毛に覆われた獣の腕になった。全身も左腕同様の黄金色の体毛に覆われ、口先が尖り、歯は牙になった。腰の辺りからは尾も生えて、その姿は二足歩行する狐だ。変わったのは姿だけではない。滲み出る禍々しい空気が濃さと"鋭さ"を増した。

 

「かつて、私は金色狐と呼ばれていた……だが、今は違う!!

我が名は金色妖狐!!

闇夜に舞い駆ける!!」

 

金色妖狐が四人に襲い掛かった。しかも、先程の何倍も速い速度だ。エントランスを縦横無尽に走り回り、腕と同化した太刀と鋭い爪を四人に浴びせた。

 

「くっ……速い……!!」

 

「皆!!背中を合わせるわよ!!」

 

春花の提案で四人は四方向を向いて、互いに背中を合わせた。これでどの方位からの攻撃にも対応出来るようになった。しかし、身動きが取れず、反撃が出来ない。詠の手裏剣発射機と未来のガトリングが金色妖狐を追うが、追い付かない。目の前に現れたと思えば消え、攻撃を受ける度に服が少しずつ破けていく。

 

「ハハハハハ!!!!さっきまでの威勢はどうした!?」

 

金色妖狐が四人の周囲を走った。あまりの速さに金色妖狐の姿が複数に見える。

 

「喰らいなさい!!」

 

詠が残り僅かな手裏剣を全て発射した。しかし、その全てが弾かれてしまう。

 

「ハハハハハ!!!!無駄よ!!そんなもの私には当たらないわ!!今度は貴女達が終わる番よ!!」

 

金色妖狐が四人に襲い掛かる様子はまるで、分身が全方位から襲い掛かるようだ。

しかし、突然頭上から銀色に煌めく雨が金色妖狐に向かって降り注いだ。突然の攻撃に金色妖狐の対処が遅れ、降り注いだ銀色の雨が身体中に刺さった。雨の正体は何十本ものメス。それを投擲したのは日向だった。

 

「あとは任せたで」

 

金色妖狐の動きが止まり、意識がほんの一瞬、頭上の日向に向けられた瞬間を四人は見逃さなかった。

 

「「「「秘伝忍法!!!!」」」」

 

「魁!!」

 

火炎を帯びた焔の六刀が金色妖狐を斬り刻んだ。

 

「シグムンド!!」

 

詠の大剣がさらに巨大化して金色妖狐に叩き付けた。

 

「ヴァルキューレ!!」

 

未来のスカートの下から巨大な機関銃が現れ、金色妖狐の四肢を吹き飛ばした。

 

「ハートバイブレーション!!」

 

春花の頭上の機械が警告音を放ちながら、金色妖狐に抱き付き、彼女を巻き添えにして爆発した。

爆煙が晴れると金色妖狐が元の人間の姿に戻っていた。体内の妖魔が四人の秘伝忍法に対応しようとしたが、対応しきれずに妖魔の力を失ってしまったのだ。狐面の忍は辛うじてまだ生きているが、満身創痍だ。今度こそ戦う力は残っていない。

 

「へ……へへ…………へへへへ……ハハハ……ハハハ!!アッハハハハ!!こんな!!こんなことが……クククッ……アッハハハハハハハ!!」

 

狐面の忍が笑う。体を数ミリでも動かせば激痛が走り、体の一部が崩れ落ちる状態の体で笑っている。そして、静かに呼吸を整え、仰向けに倒れた。

 

「お役に立てず申し訳ありません、道元様……」

 

狐面の忍は奥歯に仕込んでいた毒薬で自害した。



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日影と決着 中編

下の方から爆発音が聞こえてきた。どうやら下の決着は付いたようだ。結果は見なくてもわかる。それだけ仲間の実力を知っている。相手が妖魔の力を駆使しようと四人は勝っている。

だから、日影は目の前にいつもと変わらない様子で椅子に深々とふてぶてしく座る道元との決着に専念出来る。

 

「裏切りか……面白いことをしてくれるな」

 

「おもろいかどうかは知らんけど、あんたにはこれでも感謝しとるんや。ワシに"怒り"っちゅう感情を教えてくれたからな」

 

「感情か……つまらん女になったな」

 

日影はナイフの切っ先を道元に歩み寄った。

 

「純粋に、無慈悲に、無感情に忍務を遂行していたからこそ、お前は強かったのだ」

 

「そうかも知れん。せやけど、感情があったから出来ることもあるで」

 

「ほう?例えば?」

 

「あんたを自分の意志で殺すとか」

 

日影は一気に道元との間合いを詰めた。しかし、ナイフは道元の首に刺さる寸前で止まった。

今まで日影はこの医院長室で道元を間近で見ることは無かった。だから、そこに座っているものが道元だと思っていた。しかし、そこにあったのは精巧に造られた人形だった。

今まで自分は人形と会話をしていたのかと思考を巡らせた。だが、日影には確かに道元の気配、存在感を感じていた。今も確かに感じている。日影は全方位に意識を向けた瞬間、背後に殺気を感じた。

日影は背後からの殺気に気付いたが、避けることが出来ず、咄嗟に体の右側を防御した。直後、強烈な力で殴り飛ばされた。日影はそのまま医院長室の壁に体を打ち付けた。

 

「さすがは日影。今の攻撃をよく防御したな」

 

日影は視線を声のほうに向けた。視線の先には身長2メートルはあろう大男が立っている。灰色の肌。常人の何倍も膨張した筋肉。瞳が血のような紅い眼光を放つ妖魔化した道元だ。しかも、これまで倒してきた妖魔化した人間とは違い、体内で妖魔が無理矢理人体に作用している雰囲気ではない。

 

「長年妖魔の研究をしてきた中で、ようやくここまで妖魔との融合が可能になったのだ。どうだ?素晴らしいだろ?だが、まだ完成とは言えない。私以外では上手く適合せず廃人化してしまう。そこで、例の新薬で人体を活性化し、妖魔との同調を……」

 

小型ナイフが道元目掛けて飛んできた。ナイフは寸分の狂いも無く、道元の口に飛び込んだ。しかし、道元がナイフを歯で受け止め、そのまま噛み砕いた。

 

「人が話している所にナイフを投げ込むとはな」

 

日影は立ち上がり、口に滲んだ血を吐き出して、手首で口を拭った。

 

「あんたの話はようわからん」

 

「そうか?なら、簡単に言おう。この忍務終了後、日向とお前を完成度の高い妖魔衆として一生私のモノとして使い潰すのだ!!」

 

道元が両拳を床に叩きつけると、衝撃波が日影に向かって一直線に走った。

日影は衝撃波の直撃寸前に避けた。衝撃波が壁に到達すると、壁に亀裂が走った。凄まじい破壊力ではあったが、その威力に見向きもせず、日影は道元に向けて三本の小型ナイフを投擲した。一本は頭。一本は脚。最後の一本は心臓を狙った。狙いこそ正確だが、道元が巨大な腕で振り回すとその風圧でナイフの勢いが殺された。

日影は舌打ちをして、道元との間合いを詰めた。道元が巨大な腕を振り回して攻撃してくるが、日影は道元の股を潜り抜け、背後に回るとナイフで背中を切りつけた。しかし、強靭な筋肉の前にナイフの刃は浅く傷付ける程度だった。

 

「ハハハハハ!!!!どうした!?その程度の攻撃は私には通じないぞ!!」

 

道元が振り向いて、鉄球のような拳を振り下ろした。日影は後方にバク転をして、道元と間合いを取った。標的を失った拳は床に激突し、床に亀裂を入れた。

 

「なるほど……こうして力を使うのは初めてだが、やはり素晴らしい!!この妖魔の力で私は世界を牛耳る!!……お前にはその手伝いをしてもらうつもりだったのだがな……欲しくはないか?この力」

 

「そんなもん、いらんわ」

 

「だろうな!!この力の素晴らしさがわからぬ小娘にはな!!」

 

道元が再び衝撃波の攻撃をしてきた。日影は道元の攻撃を避けて、道元に攻撃をしようとするが、既に道元が間合いを詰めていた。

道元が黄ばんだ歯を見せながら嘲笑った。

強烈な打撃が日影を捉えた。日影は風に揺られる木の葉のように宙を舞い、床を転がった。うつ伏せに倒れる日影は身動き一つしない。

 

「むっ?もう終わりか?」

 

道元がゆっくりと日影に歩み寄る。

 

「もう少し楽しませてくれると思ったのだがな。まだ力を上手く制御出来ていないようだな。しかし、それにしても……」

 

道元が横たわる日影に視線を向ける。くびれた腹に無駄な脂肪の無い引き締まった脚。攻撃を防いでいた腕すらどこか艶かしい。そして、胸に実る二つの果実。道元の嫌らしく下卑た視線で日影をなめ回す。

 

「妖魔の力で甦らせるとするか……忍としては使えなくとも、"玩具"ぐらいにはなるだろう」

 

道元が日影の首を掴み、その体を軽々と持ち上げた。しかし、違和感に気付いた。体は力無くうなだれているが、ナイフだけはしっかりと握られている。無論、死後硬直ではない。

突然、日影は目を見開いた。その瞳は普段の黄色い鋭い瞳ではなく、紅い狂気に満ちた眼光を放っている。そして、ナイフで空を薙いだ。そのたっぷり三秒後、道元の肩に深い傷が走り、紫色の血液が吹き出た。

 

「なっ!?バカな!?」

 

「ヘヘヘ………ヘヘヘヘヘヘ……アハハハハハハ!!!!」

 

思わぬ深手に道元が日影を放した。切られた腕が力無くうなだれ、血液が止めどなく流れている。

日影はナイフに付いた血を振り払った。その時、ナイフの刃が複数に分かれた。刃同士は細いワイヤーで繋がれていて、その動きはまるで蛇のようだ。先程の一撃はこの蛇のように動くナイフで切りつけられたものだ。

日影は今現在"狂乱"の状態にある。身体能力を格段に上昇させ、痛覚さえ遮断する状態だ。無論、受けた攻撃が無効化されるわけではない。一時的に痛みを感じないだけで、ダメージは蓄積される。だが、狂乱の日影はそんなことも厭わない。

 

「行くで……行くでぇぇぇぇ!!!!」

 

日影は床も壁も、天井さえも縦横無尽に駆け抜けた。その速さに道元はついて行けず、防戦を強いられた。しかも、先程とは違い、日影の攻撃一筋一筋が致命的な傷を与えた。

 

「こ、こんなことが……あって、たまるかぁ!!!!」

 

道元が半ば捨て身で日影に向かって拳を突き出した。日影も応戦するように正面から突撃した。しかし、接近する拳を紙一重で避け、道元の腕の腱を切りつけた。両腕が力無くうなだれる道元のアキレス腱も切りつけ、完全に道元の動きを封じた。

 

「エヘヘヘヘヘ!!!!終いや!!

秘伝忍法!!ぶっさし!!!!」

 

日影は既に凄まじい速度ではあるが、さらに速い速度で道元の全身をナイフで切りつけた。傷口からは毒々しい血液が噴き出た。

 

「バ、バカ……な……」

 

道元が仰向けに倒れた。それに遅れて日影が膝を付いた。道元から受けた攻撃を抱えたままでの狂乱状態。身体への負担は大きい。

 

「せやけど、終いや」

 

「何が終わりだと?」

 

日影の背後で道元が何事も無かったように立っていた。



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日影と決着 後編

陽はこんなに階段を上ったのは初めてだった。せいぜい学校の一階から三階まで昇るのが日常的で、それですら体力的に厳しいものがある。だが、今、彼はその限界を超えた階数を階段で昇っていた。この騒ぎで院内が停電になってしまい、階段の使用を余儀なくされた。

しかし、遂に体力的な限界に達した。医院長室は目前ではあったが、もう動けなかった。

陽は階数を確認した。医院長室まであと三階分ある。現在の階には薬品の保管場所がある。

 

「何かあるかな……」

 

陽は呼吸を整え、保管場所を目指した。先程の妖魔化した患者達の数からして、おそらく入院中の患者は全て妖魔化したのだろう。院内は耳が痛くなるほど静まり返り、下の方から戦闘の音が微かに聞こえてきた。

薬品の保管場所に到着するとドアノブに手を掛けた。こういった危険物や取扱いに注意が必要なものが保管されている部屋には大概鍵がかかっている。

 

「ダメ元ダメ元……」

 

陽はドアノブを捻った。ドアは開いていた。不思議に思いながら恐る恐るドアを開けて、中に侵入した。

中は暗闇だったが、一点だけ懐中電灯に照らされて明るくなっていた。そこには明らかに何者かによって用意されたであろう注射器と筋弛緩剤の小瓶が置かれていた。

 

「まるで、使えって言われてるみたい……」

 

陽は医者の息子だが、注射器の使い方は知らないし、筋弛緩剤の適量も知らない。だが、過剰に投与すれば人を死に到らしめることぐらい知っている。とにかく注射器に入るだけ筋弛緩剤を入れて、保管場所を後にした。

 

 

この時、陽は急いでいたために気付いていなかったが、保管場所のドアノブは内側から壊されていた。まるで、鋭利な刃物で斬り裂かれたように。

 

 

 

 

下からは爆発音。上からも大きい衝撃が複数回伝わってきた。それだけで戦闘の凄まじさが窺える。しかし、陽が最上階に到着する頃には静まり返っていた。既に戦闘が終了してしまったのだろうかと思案するが、見た方が早い。

陽は昇り終わった階段からすぐに医院長室に向かった。手に持った注射器を確認して、勢い良くドアを開けた。

 

「日影!!……さん?」

 

まず目に飛び込んできたのは身長が3メートルはあろう大男。いや、それ以上かも知れない。濁った青色の肌と肩には蒸気を噴き出す煙突のような器官がある。下で見た狐面の忍と比べて禍々しさも、帯びている雰囲気も違う。本能を忘れて久しいはずの人間だが、陽は大男を見た瞬間、全身に『逃走』の信号が走った。しかし、理性がその信号を実行に移させなかった。なぜなら、大男の足下に日影が横たわっていた。上着が半分破れて、水着に覆われた片方の胸が露になっている。ジーンズも同様に破れて、傷を負った脚が露になっている。

陽の脳が理性と本能の意思を総合的に判断して、弾き出した答を全身に信号として送った。答は『日影を助ける』。そのための行動は『注射器を使う』だった。それ以外に武器は無い。戦う技術も無い。

陽は大男に向かって突進し、注射器を射した。

 

「むっ?」

 

大男がようやく陽の存在に気づいたように振り向いた。紅い瞳が陽を捉えて離さない。

 

「ハハハハハハ!!!!これはこれは、王子様のご登場か!!」

 

とても人間とは思えないその容姿でハッキリと人語を話す大男。初めて見る顔だが、何者かは見当が付いている。

 

「あ、あんたが、道元か!?日影さんに何をした!?」

 

「ハハハハハハ!!この女は元々私の"所有物"だ!!何をしようと王子様には関係あるまい?」

 

 

陽が医院長室に現れる少し前のことだ。

日影は道元を倒したと思っていた。狂乱状態での秘伝忍法でトドメを刺したと油断しきっていた。しかし、ものの数秒で道元が立ち上がり、反撃に出たのだ。

自らに傀儡の術を施すことによって、思考と行動のタイムラグを極限まで"0"に近づけた。つまり、攻撃のイメージをするだけで勝手に体が動くのだ。そのイメージに合わせて道元の体内の妖魔が力を増大させた。容姿の変化はそのためだ。

道元は日影を痛め付けるイメージをして、それが実行された。巨大な拳を下から上に振り上げて、日影を殴り飛ばした。続いて、宙に浮いた日影に向かって突進して、飛ばされた先に先回りすると再び突進して吹き飛ばした。それを数回繰り返し、日影が力無く床に横たわったのを確認して現在に到る。

 

 

「安心しろ、この女はまだ生きている」

 

陽は日影に視線を向けた。虫の息ではあるが、確かにまだ息がある。相当な重傷のはずだが、まだ確かに息があるのは修行の賜物だろう。

 

「殺してしまっては"玩具"としての質が落ちるからな。ハハハハハハ!!!!」

 

道元が先の尖った無駄に長い舌で自分の唇を湿らせながら嫌らしく笑った。

脳裏に体の限界を超えて弄ばれる日影の姿が過った。ただのイメージでしかないが、煮えたぎる怒りを感じた。武器はもう無い。だが、陽は道元に再び突進した。自分の倍はあろう体格差がある。当然勝ち目は無く、突進した陽は道元に難なく掴み上げられた。

 

「王子様は勇敢だな。それでいて愚かだ。だが、お前が来てくれたのは好都合だ。お前を傀儡にすれば、新薬の入手も可能だろう」

 

「無駄だ……いくら息子でも新薬の入手なんか出来ない。それに僕の誘拐の関与がハッキリしている時点で、あんたの敗けだ!!」

 

道元が新薬を手に入れようと、陽の誘拐の関与が公になるのは間違いない。そのため、道元は然るべき裁きを受けることになる。たとえ陽が死んだとしてもだ。裏工作をする暇も無いだろう。

しかし、道元は陽を嘲笑う。

 

「青いな、小僧。非合法を重ねながらも今まで咎められなかったのは何故だと思う?妖魔の力を使って、半分人体実験のような治療を行っていたのに、裁かれなかった理由は考えたか?裏工作?確かにそうだが、もっと重要なことを見落としている。"需要"だ。この業界で、私のビジネスは需要があるのだよ!!だから、咎められない!!誰も私を裁けない!!」

 

道元の手に力が入り、陽の体を締め上げた。

 

「お前には利用価値は無いだろうが、そうだな……お前の意識を残したまま置物にしてやろうか。毎晩、私があの女を弄ぶ様子の一部始終を見せ付けてやろう!!どうだ?惚れた女が自分以外の男に弄ばれるのを見れるんだ!!お前も高ぶるだろう!?」

 

締め付けがキツすぎて、陽には道元が話している内容はわからない。だが、ろくでもないことを言っているのはわかった。

 

「しかし、解せん。確かに日影は魅力的な女だ。見た目もそうだが、感情が無いこの女を調教する楽しみもある。だが、お前はこの女のどこに惚れた?やはり、たわわに実った胸か?」

 

道元の手から力が緩んだ。

 

「み、見た目に興味が無いって言ったら嘘だ……確かに……魅力的だ……でも、でもな!!感情が無いって言ってる割に、楽しそうにしてたり、嬉しそうにしてたり……嫌なこと言われて嫌な思いをしたり、焔さんの客引きに引っ掛かって嫉妬したみたいになったり……水着を脱ごうとしてからかったり、感情が無いって言ってるのに、感情が上手く表に出せない不器用さが可愛いんだよ!!"本人が聴いている"前で恥ずかしいこと言わせるな、バカ!!!!」

 

狂気に満ちた紅い眼光を放つ日影が、空中でナイフを用意していた。

 

「秘伝忍法・ぶっかけ!!」

 

陽にすっかり気を取られていた道元に向かって、容赦ない数十本のナイフが降り注ぎ、道元の背中にナイフが突き刺さった。

不意の攻撃を受けた直後、道元が陽を日影目掛けて投擲した。日影は何とか陽を受け止めることは出来たが、着地までは上手くいかなかった。

 

「こ、このガキ共が!!もう玩具にするのも止めだ!!消し炭にしてくれる!!」

 

道元が二人に向き直り、両拳を自分の胸の前で合わせた。体内の妖魔の力が両拳に集束していく。凄まじい力の奔流に床や窓に亀裂が走る。

 

「血界の盟約の下に!!喰らえ!!

デウス・エクス・マキ…………!?」

 

道元の視界が揺らぎ、集束していた力は分散して消え去った。

 

「よかった……ちゃんと効いてくれた」

 

陽が勝ち誇ったように微笑む。

道元は自分に何が起きているのか思い起こした。そこでようやく陽が現れた時が自分に何かしたことに気がついた。背中に手を回すとナイフに紛れて注射器が刺さっている。

 

「筋弛緩剤だ!!」

 

「き、きしゃまぁぁぁぁ!!!!」

 

どうやら筋弛緩剤の影響で発声の機能にも影響が出たようだ。陽が用いた量は常人ならば心停止を引き起こす量だ。それでも尚、筋力の弱体化しか起きないのはやはり妖魔の力だろう。効果もどれくらい持続するかわからない。

日影はナイフを道元に向けて歩み寄った。

 

「くりゅな……くりゅなぁぁぁぁ」

 

現状になってようやく道元の顔に恐怖が溢れた。

日影の体から紫色の光が溢れ、残っていたわずかな服も脱ぎ捨てた。忍装束を脱ぎ捨てることで、防御力を著しく低下させる代わり、攻撃力と敏捷性を格段に上昇させる術。その名も"命懸"。加えて、日影は現在狂乱状態でもある。その攻撃力は計り知れない。

 

「秘伝忍法!!」

 

日影はナイフと残っていた小型ナイフを持った。

 

「おおよろこび!!!!」

 

ナイフで竜巻を巻き起こし、道元はその中で全身を切り裂かれた。しかし、道元の体内の妖魔が日影の攻撃を治癒しようともがいていた。傷を負った瞬間から治癒が始まる。

だが、日影も敗けていない。狂乱に加えて命懸状態がもたらす体への負荷など構わず、渾身の力をナイフに籠めた。

 

「終いや!!」

 

道元の巨体がナイフの竜巻と共に天井を突き破った。



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芽生える日影

天井を突き破った穴から道元が降ってきた。その姿は妖魔の力を使い果たして人間に戻っている。どうやら道元は筋弛緩剤の作用や日影から受けた傷を治癒するのに妖魔の力を全て使い果たしたのだろう。パンツ一丁の姿ということ以外は体に目立つ外傷は無い。

床に横たわり、思うように体が動かない様子の道元を見て、日影は今度こそ確実に道元を葬るためにナイフを構えた。道元に向かって歩く足取りはふらついていて、今にも転びそうだ。

 

「今度こそ、確実に……仕留めたる……」

 

しかし、道元の下に辿り着く前に日影の体は大きく傾いた。体制を整える力も残っていない。そんな日影を後ろから誰かに抱き抱えられた。

陽だ。

 

「日影さん……もう終わりです……」

 

「まだ終わってへん……」

 

「終わりです!終わってください!!」

 

相手がどんなに極悪人で、人を道具か玩具か実験材料としてしか見ていないゲスだとしても、だからこそ、ちゃんとした裁きを受けさせる必要がある。少なくとも陽はそう思っている。だから、今、陽が日影を抱き抱えているのは倒れそうな日影を支えているだけでなく、日影がこれ以上手を汚さないためだ。これは単純に陽のエゴだろう。

 

「くっ……こ、これで終わりだと思うなよ!!」

 

道元が痛む体に鞭打ちながら逃走した。だが、日影も陽も道元を追おうとはしなかった。医院長室には日影と陽だけが取り残され、静寂の向こう側から何事もない日常の騒音が聞こえてきた。

 

「陽さん……そろそろ手ぇ放してもろてええか?」

 

「手?」

 

陽は自分の手がどこに触れているか辿った。手は何か柔らかいものに触れていた。大きくて弾力があって、触り慣れていないもののせいか、ずっと触っていたくなる温かい"それ"。陽は日影の胸がガッシリと鷲掴みにして彼女の体を支えていた。

陽は声にならない叫び声を挙げて、後退り、すぐに土下座した。

 

「すすすす、すみません!!!!本当にすみません!!!!」

 

「ええよ。陽さんも悪気があった訳や無いやろ?気にせんと。ワシには感情っちゅうもんがあらへんからな」

 

陽は顔を上げて、日影を見つめた。日影の言葉に違和感を覚えたからだ。

 

「陽さん、どないしたん?変な顔してるで?」

 

「いや、日影さんから名前で呼ばれるの久しぶりな感じがしてさ……」

 

「嫌なん?」

 

「いえ!全然!!そ、それよりそんな格好じゃ風邪引きます。貸せるのはYシャツしかないですけど……」

 

陽は日影に自分のYシャツを貸した。

 

「日影、無事か!?」

 

医院長室に焔達が現れた。四人も服のあちこちが破けていて、激戦を物語っている。

焔が周囲を見渡して道元の姿を探した。どうやら、医院長室に来る途中ですれ違わなかったようだ。

 

「日影、道元は?」

 

「逃げた」

 

「何!?今なら間に合う!皆、追うぞ!!」

 

「待って、焔ちゃん」

 

道元を追跡しようとした焔を春花が止めた。この中で一番日影との付き合いが長い春花には、日影の気持ちを察したようだ。

 

「もうええんや、焔さん。忍務終了や」

 

焔は弱冠不満そうだが、追うのを止めた。

 

「では、もう夜も遅いことですし、帰ってご飯にしましょう!!」

 

「賛成!!詠お姉ちゃん、アタシ、鍋が良い!!」

 

「さっ、焔ちゃんも行くわよ」

 

「あ、ああ……行くぞ、日影」

 

「わかった……陽さん、ほな、また学校で」

 

焔紅蓮隊は天井に開いた穴から夜の闇に飛び込んだ。しばらくして、外からサイレンの音が聞こえ、陽と日向は警察に保護された。

 

 

 

 

道元は自宅の隠し金庫に保管してある現金をボストンバッグに詰め込んだ。道元のビジネスには確かに需要があった。しかし、今回の失態は大きい。実験材料は全て消失し、自分の力まで消失した。現状では"出資者"から命を狙われる可能性もある。"出資者"にとって道元は数ある商品の一つでしかないのだ。

 

「どこへ逃げるつもりだ?」

 

背後に何者かが現れた。振り向くと紫色の髪を後ろで束ね、顔をマスクで隠した女の忍が立っている。両肩には巨大な手裏剣がカラスの翼のように広がっている。

 

「な、何者だ!?」

 

「貴様が知る必要は無い。まったく……うちの学校の生徒はトドメもさせないのか?」

 

侵入者はあきれた様子でため息をついた。

道元の自宅には侵入防止の罠や警報が設置されている。相当の実力者であることは間違いない。

 

「貴様、運がいいぞ!!いずれ世界を牛耳る男の駒になれるのだからな!!」

 

道元は侵入者に傀儡の術を使おうとした。しかし、道元の術は侵入者に届かなかった。

否。術が発動する前に道元は侵入者が持つ巨大な手裏剣で体を両断されていた。

 

「私の辞書に情けと容赦の文字は無い……」

 

侵入者は自分がいた痕跡を一切残さずに姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道元との死闘を繰り広げた夜から2週間が経った。

陽は何事もなく学校に通っている。もちろん、2週間前はそれなりに騒ぎになったが、今は以前と変わらない日常を送っている。学校では焔紅蓮隊の人達を見掛けることもあるが、あまり接点は持たないようにしている。また違う理由で誘拐されでもしたらたまらない。接点があるのは春花と、たまに日向のことで日影と話す程度だ。

日向に関しては約束通り鈴木家の病院で手術が行われることになった。治療費も後払いということでなんとかしてもらい、現在は検査入院中だ。体調が急変するようなことは無いそうだが、日影は放課後に毎日見舞いに行っているそうだ。父の話では日向が"以前"の体調に戻ることは無いそうだ。だが、日常生活には何ら支障は無いそうだ。

陽が日影とあまり話せないのは道元との戦いの中で恥ずかしいことを言ってしまったせいだ。本音とはいえ、この2週間ろくに日影の顔を見れないのが現状だ。

 

「そういえば、告白の答ってどうだったんだろう……イライラするって言ってたけど……」

 

「告白がどないしたん?」

 

「ウェホォイ!?」

 

陽は不意を突かれてしまい、変な声を挙げてしまった。

「さすがは忍」と言うべきか、それとも単純に陽が鈍いだけなのか、一人でぼんやりしていたはずの放課後の教室に日影が現れた。

 

「いえ、なんでもないです!!それより今日は日向さんのところに行かないんですか?」

 

「せやね」

 

「そんな日もあるんですね。あ、そう言えば聞きましたよ!日向さんの手術の日程!!来週中だそうですね!!」

 

道元の所で数年掛かっていた準備を数週で用意出来たのには訳がある。単純に道元が施そうとしていた手術と来週中に行われる手術の主旨が違うからだ。前者は日向を完成度の高い妖魔にするための手術であり、日向の病気の治療は二の次だった。しかし、後者は純粋に日向の治療を目的としている。準備期間が異なるのは当然である。

 

「せやね」

 

「なんかいつもと変わりませんね。もっと嬉しそうにすると思ったんですけど……やっぱり感情が無いからですか?」

 

「それはちゃうで」

 

日影は真っ直ぐ陽を見つめた。いつになく鋭い視線で見つめられているせいか、少し居心地が悪い。

 

「日向の手術の話を聞いて、嬉しいっちゅう感情がわかったんや。それとな、ワシが陽さんを見ててイライラしとる理由がわかったんや」

 

教室に差し込む夕日のせいか、日影の頬が紅く染まって見える。普段無表情な日影だが、何か言いたげな表情をしている。しかし、上手く言えなくてイライラしているようにも見える。

 

「日影さん?」

 

「やっぱ、イライラするわ。……つまり、こういうことや」

 

電光石火の素早い動きで陽の首を捉え、陽の動きを封じた。そして、そのまま陽が抵抗する間も無く日影は彼の唇を奪った。

 

 

 

 

 

 

ワシもな、陽さんのこと好きやで……

 

芽生えた少女の口付けには、そんな思いが籠められていた。

 

Fin




最後まで愛読ありがとうございました。
本作品は感情が無い日影が、主人公の鈴木陽と関わる中で感情が芽生えるという物語を描いたつもりですが、上手くいったかどうかは不明です。ただ、自分が満足する作品が書けたと思います。
裏設定というわけではありませんが、海で陽に小屋の場所を教えた老人は実は半蔵様でした。書いてて半蔵様らしさを出すのが難しかったので、ただの釣り好きの老人になってしまいました。お気づきの人もいるとは思いますが、最終話に凛が登場していましたが、実は1話で既に名前だけ登場しています。
こういう感じで小ネタを折り込んだ作品に仕上がったので、満足する作品が書けました。

物語の構成上、描かれていないエピソードがありますので、番外編として1話は書こうかなって思っています。

最後になりますが、読者の皆様から間違いのご指摘を受けながらも、無事に完結することが出来ました。皆様の応援があったから、この1ヶ月は本当に楽しかったです。
本当にありがとうございましたm(__)m


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番外編1 陽の夢

番外編第一弾です。
最終話、「芽生える日影」の後日談になるため、日影のキャラクターが崩壊しております。ご了承ください。


朝。温かい陽光が差し込み、目覚めへと誘うが、陽は陽光を避けるように背を向ける。

慣れない柔らかさと温かさが陽の顔を包んだ。その気持ち良さが陽を再び眠りへと誘う。しかし、陽は眠気でぼんやりする思考で自分の顔を包んでいる"これ"が何なのか考えた。クッションでも枕でも、布団、毛布でもない"これ"は一体何なのだろうか。陽には皆目見当も付かない。だが、寝ぼけながらも"それ"にもっと顔を近付けたいと思い、自分の方に寄せようと手を伸ばした。

触れたのは柔らかい手触りのシャツ。シャツ越しに体温を感じる。僅かに飛び跳ねるような鼓動が聞こえる。陽は恐る恐る目を開けた。

 

「おはようさん。よう寝れたか?」

 

そこにいたのはYシャツ1枚身に纏い、胸を大胆に開いた日影が横たわっていた。陽は日影の胸に顔を埋めていた。

眠気が一瞬で吹き飛び、目覚めた脳がフル回転して、現状を把握しようとした。しかし、急激に回転させたために、逆に混乱して、思わず叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁぁ!!!!」

 

陽は叫びながら起きた。しかし、日影の胸からではない。ちゃんと自分の枕から起き上がった。

 

「ゆ、夢?」

 

陽はどうやら夢を見ていたようだ。冷静に考えれば当然だ。隣にYシャツ1枚身に纏った日影がいるはずがない。

 

「ん……」

 

脇で小さく呻く声が聞こえた。陽が恐る恐る視線を向けると、Yシャツの半分がはだけて露になった日影が横たわっていた。その露になった胸を陽は大胆に鷲掴みにしていた。

 

「陽さん……意外と大胆やね……」

 

日影が恥ずかしそうに視線を反らす。

陽、思考停止。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗な思考の海で陽はどこまでも沈んだ。僅かに稼働する思考が今起きた出来事を"夢"だと結論付けた。現実な訳がない。海に行く日の朝も似たような夢を見た。だから、これも夢だ。

 

「夢なら起きないと……」

 

陽はゆっくりと目を開けた。起きればそこには自分一人しかいない部屋。目覚まし時計のアラームより少し早めに目が覚めているに違いない。陽は覚醒しつつある思考でそんなことを思いながら目を開けた。

視界に飛び込んできたのは緑色の髪の少女の顔。あまりに近いが、日影だとわかる。そして、"あの日の放課後"と同じ感覚が唇と口の中を蹂躙している。

 

「お目覚めのキスやで」

 

日影のキスで陽の思考は再び停止した。停止する瞬間、陽は思ってしまった。

 

『こんなに気持ちいい夢なら覚めなくていいや……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目覚まし時計のアラームが部屋に鳴り響いた。騒がしい電子音が陽の思考を無理矢理睡眠から引きずり起こした。

重たい瞼を開け、アラームを止めると部屋を見渡した。いつもの部屋。適度に散らかり、適度に整頓された自分の部屋には自分以外誰もいない。

 

「ああ、やっぱり夢か……」

 

最初は胸に顔を埋め、次は胸を鷲掴み。最後は日影からの熱烈なお目覚めのキス。思考が停止する程の"夢"ばかりだったが、こうしてちゃんと目が覚めてしまうと"夢"であることを実感し、少し残念に思う。

 

「さて、今日も張り切っていかないとな」

 

陽は"夢"の内容を振り払い、部屋から出ていった。

 

 

陽がいなくなった部屋に天井裏に隠れていた日影が現れた。その姿はYシャツ1枚身に纏った、陽が"夢"だと思っている出来事に出ていた姿と同じだった。

 

「ほんま、陽さんはおもろいわ」

 

日影は小さく笑うと、着ていたYシャツを陽のベッドに脱ぎ捨て、自分はいつもの忍装束に着替えた。

 

「次はどないしよかな」

 

日影は陽の部屋から姿を消した。



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番外編2 陽と七人の忍妖精 前編

番外編第2弾です。
文化祭エピソードになりますので、そんなイメージで読んでいただけると幸いです。


陽が通う高校で文化祭が開催された。数々の模擬店やお化け屋敷、文化部の展示が行われる中、陽は暗い体育館のステージ脇に立って、出番を待っていた。

 

「どうして、こんなことに……」

 

舞台の幕が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔々、ある所に"春花様"と呼ばれる女王様がおりました。春花様は"お人形"と遊ぶのが大好きで、目隠しと猿轡で拘束した城下町の若い男を弄んでいました。そんな春花様には特別なお人形がいます。ピンク色の髪と華のような形の不思議な瞳が特徴的なそのお人形の名前は雲雀と言います。雲雀だけには特別に可愛らしいお洋服を着せて、毎日のように朝から晩まで過ごしていました。

ある日、雲雀にはどんな質問にも答える不思議な力があることがありました。春花様は早速質問してみました。

 

「雲雀よ、雲雀。私は綺麗?」

 

雲雀は嘘無く答えます。

 

「うん!!春花さんはスッゴく綺麗だよ~♪」

 

「あ~ん♪可愛いわ~♪食べちゃいたい♪」

 

「食べちゃダメ~♪」

 

毎日、朝、昼、晩と春花様は自分が綺麗か雲雀に質問しました。

ところがある日、春花様は気まぐれに聞いた質問の答に驚きます。

 

「雲雀よ、雲雀。この世で一番美しいのは、私かしら?」

 

雲雀は少し言いづらそうに答えます。

 

「う~ん……ごめんね、春花さん。春花さんは世界で一番綺麗じゃないよ。でもでも、凄く綺麗だよ!!」

 

春花様は雲雀の答に驚きませんでした。女王様と言っても、そこまで自信過剰ではありません。

 

「いいのよ、雲雀。そんなこと私もわかっているわ。じゃあ、この町ではどうかしら?」

 

一気に範囲を絞れば一番くらいになれると春花様は思っていました。しかし、雲雀は悲しそうな顔をして言います。

 

「ごめんね、春花さん。春花さんはこの町では二番目に綺麗だよ」

 

「ホゲ!?ワタシ、ニバンメ!?」

 

春花様は驚きのあまり言葉が片言になってしまいました。

 

「ダレヨ!?イチバン、ダレヨ!?」

 

「一番はね……町外れに住んでる陽っていう人だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

町外れにある家には凛と大道寺という女性の他に、住み込みで働いている陽という"メイド"がいました。

意地悪な凛と大道寺は毎日のように陽を虐めて楽しんでいました。

 

「我らをいつまで待たせる気か!?」

 

「遅いぞ!!」

 

「は、はい!!只今お持ち致します!!」

 

陽は毎朝二人よりも早く起きて朝食の準備をしています。しかし、すっかり作り終えて待っていれば「うぬは我らに冷えた飯を食えと言うのか!?」と言われ、今朝のように少しでも遅くなれば、早くしろと急かされます。

 

「うぬは我が好みを熟知しておらぬのか!?肉はどうした!?量も足りんぞ!!」

 

「今朝も不味いな……私の辞書には情けも容赦も無い。料理の感想も同様だ」

 

陽は今朝も二人に散々言われました。

朝食を食べた後、二人は狩りに出掛けます。静まり返った家で陽は一人、涙を流しながら掃除と洗濯を行います。こんな辛い毎日ではありますが、いつか王子様と綺麗なお城で暮らすことを夢見ていました。

ある日のことです。夕方に陽が家中の掃除を終わろうとした時、恐ろしいことが起きました。突然、食器棚の皿が床に落ちて割れてしまったのです。しかも、1枚だけではありません。食器棚の戸棚が全部開いて、食器という食器が飛び出し、音を立てて割れてしまいました。それだけではありません。二階の二人の寝室にあるクローゼットの服までクローゼットから飛び出し、家中に散らかりました。陽はその様子を怯えて、ただただ眺めているだけしか出来ませんでした。

全部の食器が割れて食器棚が空になって、クローゼットの服も全部飛び出して空になって、ようやく家が静かになりました。しかし、陽はすっかり怯えてしまって動くことが出来ません。目の前で起きた出来事もですが、もうすぐ帰ってくる凛と大道寺がこの有り様を見た時の反応を恐れていました。

その時、家の扉がゆっくりと開きました。外には熊を担いだ大道寺と十数匹の兎を両手に持った凛が鬼の形相で陽を睨み付けていました。

 

「貴様……何か言い残すことはあるか?」

 

担いでいた熊を下ろして、大道寺が指の骨を鳴らしながら近付いてきます。

 

「お、お待ちください!!僕は何も!!」

 

「問答無用!!」

 

凛が兎の血が乾いた大きな手裏剣を構えます。

陽は逃げました。きっと二人にとって陽は邪魔者でしかありません。二人が望むような家事が出来ていないだけでも二人は陽に対してイライラしています。そこに追い討ちをかける今回の怪奇現象です。二人の堪忍袋は完全に切れてしまいました。

陽は日が暮れた暗い森の中を逃げました。森は暗くて寒くて凍えてしまいそうでした。後ろを振り向いたら二人に追い付かれてしまうと思って、陽は一心不乱に走ります。木の根っこに躓いても足が縺れても、陽は体力の続く限り深い森の中を走り続け、遂に力尽きました。

 

「大丈夫ですか~?」

 

外に跳ねた短いポニーテールの少女が立っていました。



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