明星を見上げれば (唐草)
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幻想の喧噪

注意
※この小説には、二次創作、キャラ崩壊、中二病、どこかで見たような文章などの要素が通常よりも多めに含まれています。貴方の健康を害する恐れがあるので、読み過ぎにはご注意しましょう。


 

 

 

 

 

「幻想と現実、どこがどう違うんだ?」

「それに生きることが赦されるかどうか」

 

 

 

 

 

 

 

 嫉妬。

 嫉み、妬むこと。

 おそらくだが、嫉妬というものをしたことがない者は、ろくにものを考えられない者以外ならばいないだろう。

 どんな立場にいる者だろうとも、隣の芝生は青々と茂っているように見えるし、他人の空想が創り出した現実にはないはずの芝生さえも羨む。

 平等であれ。

 こう言葉にすると素晴らしいことなのかと錯覚してしまいそうになるけれど、結局は自分を押し上げ、他人を蹴落とすだけだ。

 人並みの欲望を持っているのなら、逃れられない宿命でもある。

 ───少なくとも、僕が知っている限りの人間は、そうだったのだろう。

 心が壊れたり、狂っていない限り。

 ならば、僕の嫉妬は何なのだろうか。

 生きとし生ける者ならば必ずと言っていいほど持っているその性は、僕が見るどの部分に蔓延っているのだろうか。

 きっとそれは無意識的なものなのだろう。

 お世辞にも自らを把握しているとは言い難い僕ならば、それくらいのことはしている。このことを彼女に話したら「自分と向き合ってないからでしょ」と返された。

 自分と向き合っていない。

 自分を見つめていない。

 自分が見えていない。

 自分が見当たらない。

 どれをとっても合っているような気がするし、間違っているような気もする。

 それもまた、自分を把握しきれていない弊害ということだろうか。難しい。

 まあ、僕がどのような存在にせよ、嫉妬くらいはいくらでもしているだろう。幸いにも───というか、不幸にも。

 僕の周りには僕よりも優秀な存在が揃っていて。

 僕は常に人より劣り続けてきたのだから。

 道化として踊り続けてきた、と言い換えてもいいかもしれない。

 故に、嫉妬しているのだろう。

 自分とは違いすぎた両親にも。

 狂気を演じた演奏家にも。

 自意識過多な傍観者にも。

 何事も受け入れる曖昧主義者にも。

 他人と断絶した元殺人鬼にも。

 目的地を見失った詐欺師にも。

 才能の有り余る巫女にも。

 努力ができてしまう魔法使いにも。

 善意と平等を信じる尼にも。

 運命を絡繰る吸血鬼にも。

 永遠を具現する姫にも。

 ───嫉妬をせずにはいられない彼女にさえ。

 嫉妬していたのかもしれない。

 何とも情けない話だ。いかに僕が人として劣っていようと、お世話になっている人にまで悪感情を向けようとは。

 恩も恥も知らないような人間だ。

 怨と辱しか知らないような人間だ。

 とまあ、ここまで全て憶測にすぎないが、可能性は十分過ぎるほどに存在する。

 何故なら、僕は劣っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妬ましくなんかない───本当に。これっぽっちも」

「そりゃあ───そうさ。羨むところがまるでないんだから」

 

 僕は答える。

 目を地面に伏して。

 懺悔でもするように。

 

「劣っているんだよ。普通に生きてればまずは見かけない0点だって取ったことはあるし、50メートル走っただけで過呼吸になったことだってある。先日は生きてるのが不思議なくらいだって医者に言われたし、外見だってこの通りだ」

「それでも、ちゃんと話せているじゃない。嫉妬に狂っているようでもないし、劣等感に潰されそうでもない。わかる?あなたは異常なのよ」

 

 彼女はただ告げる。

 事実を、真実を、現実を。

 

「───ねえ、あなたはどうして生きていられるの?」

 

 それを言うのが当たり前だというように、さらりと僕に言った。

 緑色の宝石のなり損ないのような目が、僕をじっと見つめる。

 その瞳は、まるで哀れんでなどいない。

 そこにあるのは、未知の何かに対する恐怖心か、それとも、別の何かか。

 僕の答えを待たずに彼女が続ける。

 

「私だったら生まれた瞬間に自殺を考えて───いえ、下手をしたら生まれた瞬間既に実行をしていたかもしれない」

「それは───」

 

 言い過ぎだろう。

 とは、言えなかった。

 なぜなら、彼女はそれができるのだから。

 

「自殺を、考えなかった?誰かを殺したいほどに死にたい、なんて。本当に思わなかったの?」

「───否定は、しないよ。自殺なんて、それこそ数えられないくらい考えた。考えて考えて考えて考えて考えて───やっぱり、できなかった」

 

 ある日偶然、僕の意志とは全く関係なしに殺されたらよかったんだけどね、と柄にもなく笑みを浮かべる。

 彼女もそうね、と笑わずに頷いた。

 

「そうすれば会わずにいられたし───会えなかった。どっちを使ったらいいのかしらね」

「会わずにいられた、で正解だと思うよ」

「それでも、嫉妬をせずにいられるのはいいことよ」

「人に会わなければいいじゃないか」

「人に会わないと生きていけないのよ」

 

 人に会うと嫉妬せずにはいられない。

 だが、人に会わなければ生きていけない。

 それが、彼女の背負ったジレンマなのだろう。

 成立する矛盾。

 精神の曖昧な歪み。

 

「私はずっとそうして生きてきたわ。……人に会ったら嫉妬してしまうけれど、そうしなければ自己が保てないから。そこに憎しみと妬みと苦しみしか残らなくても、生き続けてきた」

 

 どうしようもない独白。

 どうにもならない告白。

 僕は何も言わない───否、言えない。

 彼女がどれだけ憎しみ、妬み、苦しんだのか。

 僕には、想像もつかないから。

 ほんの数瞬、彼女がようやく笑みを作った。

 泣きそうな顔で、僕への憐憫を含みつつ、笑っていた。

 

「でも───私には理解できないの。いくら私の生きてきた道には後悔しか残って無くても、私には他の何かがあった。───だから生きてきたの」

 

 惰性みたいに。

 そう彼女の口が動いた気がした。

 そう言っていたのかもしれないし、もしかしたら別のことを言っていたのかもしれない。

 

「聞かせてくれるかしら」

 

 彼女が真っ直ぐと僕の目を見つめて。

 達観とも諦観とも取れる表情を浮かべつつ。

 僕に言う。

 

「───どうしてあなたは生きていられるの?」

 

 ───わからないよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あなたの隣には、本当に居やすいわ」

 

 そう、彼女は言った。

 言葉だけ捉えれば素晴らしく、舞い上がってしまいかねない台詞だが、その真意を理解するとなると少しばかり鬱屈とした気持ちになる……のだろうか。よくわからないな。

 彼女の言った言葉を意訳すると、「あなたは本当に私よりも優れている部分が何一つなくて、嫉妬心を抱かずにすむ」である。

 彼女───水橋パルスィは、普通の人間ではない。どころか、異常な人間ですらない。人外───妖怪と呼ばれる種族である。

 現代日本で妖怪なんて言われても、信じない人が大半だろう。というか、今も信じている人なんて、頭がコンクリートか何かで固まっているのではないのだろうか。結局、現代日本に妖怪なんて存在しない、と結論づけてもいいかもしれない。

 そう、現代日本では。

 この幻想郷と呼ばれる地では、それが適用されない。

 魍魎は地上地下天空問わず跋扈して、異能を持つ人間に、果ては神さえも居着く、全てを受け入れる場所。

 緑髪の巫女の言葉を借りるのならば、常識に囚われない場所。

 だが、いくら常識に囚われていなくとも、常識は投げ捨てるものではないということを憶えておいてほしい。目を合わせたら決闘とは、彼女たちはトレーナーかデュエリストだろうか。

 

「僕の隣が居やすいんじゃなくて、その他の場所が居づらいから相対的にじゃないかな」

「そんなに変わること?」

「全然違うよ。周りに人を殺す奴ばかりいたとして、そこで人を殺さないことは善にはなり得ないだろう?どこまで行っても普通だ」

「普通なんて、この場所では貴重なのよ。地上の光も巡る風も届かない、荒くれ者や嫌われ者ばかりのこの地底じゃ、特にね」

 

 地底とは言っても、目が退化した地底人が地上侵略を狙っているわけではない。嫌われて、妖怪が蔓延る幻想郷からさえも追いやられた妖怪が多数いるだけだ。

 例えば、僕の目の前にいる彼女は、他人の嫉妬心を増幅させる妖怪。だが、それ以上に彼女自身が嫉妬深く、面倒くさい性格をしている……らしい。僕はそんなところを見たことがないけど。

 むしろ、容姿が大変好ましいうえに友達も多いので、僕からしてみれば彼女自身が嫉妬の対象だ。多分。

 

「というか、何でわざわざ地底になんか来たのかしら。あなたって元々外来人でしょう?」

 

 外来人……そういえば、博霊とかがそんなことを言っていたようないなかったような。語感から察するに、幻想郷の外から来た人間、ということだろう。

 

「逃げた先がここだっただけだよ。ここにいる妖怪の、何分の一かはそんな理由だと思うけど」

「ふうん」

「興味なさそうだね」

「興味なんてないもの」

 

 だったら聞くなよ。

 

「知ろうとさえ思わなかったわ」

 

 何で聞いたんだよ。

 

「別に、あなたと似たような人間なんて今までにいなかったから、知らなくてもどんな受け答えをするか試してみたかっただけよ」

 

 ……つまり、興味があったのは理由じゃなくて反応、と。

 おそらく、彼女も自分が僕に嫉妬しようとしない理由がわかっているのだろう。それを承知で尚聞くというのだから、質が悪い。

 

「僕と似た形の人間なんて探さなくてもいくらでもいるだろ。目と、耳が二つあって、口がついて人型をしてればいい。ほら、これだけで70億だ」

「70億って……外の世界にはそんなに人間がいるの?窮屈で仕方がないんじゃないかしら」

 

 間引きとかしないのかしら、と結構物騒なことを言う水橋。

 人間とは価値観が根本から違うことがわかる発言だ。だからといって、どうということではないけれど。おそらくそれは、僕の全存在をかけてまで否定することではないだろう。

 事なかれ主義。

 どちらかというと、君子危うきになんちゃらと言って欲しいものだ。

 だって、相手は妖怪だぜ?

 見えている地雷を踏んで爆発を堪能するほど、僕は芸術家じゃない。

 

「あっちの世界には人権っていう概念があるからね。犯罪者一人死刑にするのにも議論が雨霰と巻き起こるんだよ」

 

 水橋は興味なさそうに「ふぅん」とだけ言うと、「どうでもいいけれど、その……モノクル?みたいな仮面……ずっと付けっぱなしだけど、もしかして目が宝石にでもなってるのかしら」どんな思考でそうなったんだ。

 

 仮面の下で、暗闇しか見えない右目をぎょろぎょろと動かしながら答えた。

 

「古今東西仮面を付ける理由なんて、そんなに多いものじゃないだろ。例えば、隠したいものがあるとか、格好を付けたいとか、怪しさを増長させるためとか」

「格好を付けたいのね」

「即断でそう決めつけるのは良くないと思うんだ。もうちょっと考えようぜ」

「じゃあ違うの?」

「間違ってはいないけどさ」

 

 格好なんて付けても付かないに等しいけれど、せめて、だ。醜いものはできるだけ隠した方がいいという僕なりの気遣いかもしれない。

 本人にもわからない真意なんて、存在しているのかどうなのか。

 

「あれかしら、お洒落頑張っちゃってるのかしら?本当ならここでその頑張りも妬ましくなるはずだけど、あなたの場合は哀れみしか感じないわね」

「その称号は今まで評された中でも一番嬉しくない称号だな。せめて似合わないからやめておけくらい言ってくれ」

「罵倒されたいと。マゾヒストね」

「事実は甘んじて受け入れると言ってるだけだよ。痛いのは嫌だし、苦しいのは嫌いだ。辛いことからは逃げたいし、謂われのない罵倒も受け入れがたい」

「ならサディスト」

「人を二種類に分けようとするなよ。一人を二等分にもできないのに、70億を二種類じゃ無理があるだろ」

「あなたを二等分にしてあげましょうか?」

 

 水橋の提案を「遠慮しとくよ」と断って、散歩でもしようかと頭を搔きながら考える。どこかいい暇つぶし場所、あったかな。

 

「じゃあ、顔洗う時とかはその仮面ってどうしてるの?」

 

 何の前触れもなく、僕のものでもなければ、水橋のでもない声が僕の鼓膜を揺らした。じゃあって何だ。その会話は終わったはずだ。

 軽くあたりを見回しても、僕ら二人以外の誰かは見当たらなかったため、ついに脳まで不調が来てしまったかと病院へ行く決意をする。

 ……おや。

 よく目を凝らして見れば、円形の帽子を被った、少しくすんだ髪色の少女が微妙に見えないでもないような気がした。

 幻覚か、能力か。

 どちらにせよ、危険なことには変わりはない。

 前者なら、僕の脳が。

 後者なら、相手の存在が。

 僕の命が危険で危ない。

 

「……古明地のところの妹ね。無意識なのは構わないけれど、彼が豆鉄砲と食らった鳩に頭をつつかれたような顔してるから。姿を現してもいいと思うわよ」

「あれ?今私能力使ってた?ごめーん、無意識だったよ」

「あなたの能力は常時発動だと思ってたけど……違ったかしら」

「そうだっけ?」

 

 水橋の僕の顔に関する評価はともかくとして。

 彼女は気が付いたらそこにいた。

 瞬間移動とか、超スピード───ではなく、そこにいたのに気付かなかったような感じだ。

 まるで、意識の隙間にでも入り込むように。

 認識の外側を迂回してくるように。

 そこにいることがあたりまえのように。

 先ほどまで存在があやふやだったとは思えないほどはっきりと存在していた。

 黄色いリボンが巻き付いた帽子を被っていて灰色の髪をした、何故今まで気付かなかったのかが不思議なほど、特徴的な少女だった。この幻想郷の少女らしく、フリルをあしらった服からわかる体型は起伏の乏しい典型的な子供のもので、とても僕の年上───この地底に住む妖怪とは思えない。

 わかりやすい異常は、彼女の細い体に絡みついた、青い紐───に付いている、閉じた目を思わせるような球体。それが、彼女の左胸。つまりは心臓の部分に、重なるようにあった。

 そしてなにより、わかりにくい異常の方。

 目が、異質だった。

 何を考えているのかわからないような目をした奴になら何人か会った。人をゴミ程度にしか見ていない奴の目だって見たことがある。

 だが、彼女は何も見ていない。

 視覚的な意味ではなく、本質的な意味で。

 僕らを背景と同等にしか見ていなくて、背景をも僕らと同等に見ているような違和感。なんというか、もし仮に万が一僕が彼女と仲良くなったとして、僕が危険な状態にあったとして、だ。彼女は僕を助けてくれるかもしれない───が、同時にそこらの石ころを僕と勘違いして助けてしまうかもしれない。

 そんな危うさが、彼女の目の中にはあった。

 もっとも、全部推測だが。間違っていたら言葉もない。

 

「……えっと、その娘は?」

「古明地こいし。……地霊殿の主の妹よ」

 

 地霊殿……うん?聞いたことがない。

 役職名か何かだろうか。

 

「結構前に言ったはずなんだけどな……」

 

 僕の反応を見て、水橋が額を指で押さえた。

 おかしいな、僕のログには何もないというのに。

 ……しかし、こいしか。小石。

 彼女の親は何を思ってそんな名前をつけたのだろう。人に蹴飛ばされるようにか、それとも人の進路を蹴躓かせて妨害するようになのか。

 どちらにせよ、アレなネーミングセンスだ。僕の親に通ずるものがある。

 いやまて、恋志とかそういった漢字かもしれない。

 平仮名だったら言い逃れの余地もありだ。

 …………。

 やめよう、これ以上は誰も得しないし、僕しか傷つかない。

 いや、傷ついたところで僕がそれを認知する方法はないのだけれど、知らぬ間に削れていって最後には絞りかすしか心が残らないなんてのは勘弁だ。

 幸いというべきか───ここは幻想郷。僕の心を知る手段や方法なんて、探せばいくらでも転がっているだろう。

 今は探していないけれど。

 どんな反応したらいいかわからないから、後回しにする。面倒なものは先送りに。夏休み前半の小学生のごとくだ。

 

「地霊殿ってのはね……ほら、旧都の方に灼熱地獄の跡があるって話したじゃない」

「いや、話されていないけど」

「話したのよ。つい昨日のことよ」

「そんな昔のこと、僕が憶えてるわけないだろ」

 

 記憶なんて、そもそもが劣化しやすいものなのだから。

 

「……まあいいわ。地霊殿は、灼熱地獄跡の上に建てられた屋敷で───偉そうにしてる奴らが住んでる動物園みたいなものかしら。行きたいのなら止めないけど、到着する前に食われるんじゃない?」

「そうかな……。たまに外出するけど、今まで一回も食われたことはないし……」

「なんなら私が食べてあげようか?」

 

 さっきまではまるでここが彼女の家なのかと思わせるほど寛いでいた古明地が、唐突に話に入ってきた。

 ここでの『食べる』は性的な意味ではなく、物理的な意味である。

 承諾したら、文字通り食われるのだろう。

 肉を食いちぎられ、脳髄を啜られ、内蔵を貪り尽くされる。

 妖怪。

 人間を喰らう化け物。

 ある者は感情を喰らい、またある者はその血肉を喰らう。

 それが妖怪としてのあり方だから。文句を付けるつもりなど微塵もない。

 

「……遠慮しておくよ。僕なんか食べたら、お腹を壊しちゃうからね」

「うーん、残念?」

「私に聞かないでよ……」

 

 妬まし……くはないけど、と水橋が頭を搔いた。眉を歪ませて、どことなくばつが悪そうに力なく笑っていた。

 こういってはなんだが、似合っている。

 それは僕がここに来てから幾度となく見ている表情だからだろうか。

 

「ところで、古明地の姿がさっきまで見えなかったのは」

「『無意識を操る程度の能力』」

 

 僕が疑問を口にすると、まるでそれを待っていたかのように古明地は口を開く。

 

「私の能力。……あれ?『無意識に操る程度の能力』だっけ」

「多分さっき言った方で合ってると思うよ。その言い方だとまるでこの世の全てがきみの手の上に、みたいなニュアンスになってるから」

「むむむむむ、もしかしたらそうなのかも」

 

 怖いこと言うな。

 何かを言おうとした形のまま唇が固まり、口内の空気を入れ換えた。

 ───この世界観じゃ、冗談にもなりやしない。

 

「…………『無意識を操る程度の能力』、ね……」

 

 意識するでもなく、それこそ無意識に呟く。

 無意識を操る。

 自分の意識の及ばぬ所を操作される。

 心臓の鼓動、呼吸、脳の認識───その全てを、掌握される。

 おそらく、これまでの彼女の言動から、彼女は無意識で能力を使っているのかもしれない。だが、もし何らかのきっかけで彼女が意識的に能力を使ったとなると、僕はそれが恐ろしい。

 はてさて、無意識に行動するからその能力が発現したのか。

 その能力の所為で無意識下でしか行動できないのか。

 そんなことを考えていると、古明地が諸手を挙げて回転し、ビシッと上を指さしてポーズを取って言った。

 

「…………えちぃことしようぜっ!」

「水橋、なんかこの古明地おかしなこと言い出しやがったぞ」

「無意識のうちにおかしな電波でも拾ってるんじゃない?」

「捨てるよりはいいんじゃない?」と古明地。

「拾っても捨ててもどちらにしろ神以上にはなれないさ」と僕。

「いーじゃん、神様。一度なってみたいよね」

「なったらおしまいだと思うけどね」

「何で?」

「他人に自分の存在を左右されかねないからさ」

 

 信仰なんて不確定なものに自分を任せたくはない。

 他人の信仰で、自分の存在を───評価ではなく、存在そのものを持ち上げられたり、貶められたり。

 信仰がなくなれば消えてしまう。

 不確定で不安定。

 

「でも、他人が認識できなかったらそれはいないのと同じじゃない?」

「虚数だって数字として認識される時代だよ。認識できないものは、『認識できないもの』として認識されるのさ」

「『認識できないもの』があることさえわからないなら?」

 

 なおも食い下がる古明地。

 その目からは意図を察することはできない。

 ひょっとしたら彼女の能力や人格に関係した、何か深い理由があるかもしれない。

 もしかすると、彼女は何も考えていないかもしれない。

 僕は彼女じゃないのだから、彼女の真意はわからない。

 もし僕が彼女だったとしても、僕は自分の気持ちがわからないけれど。

 どちらにせよ、僕に古明地は理解できない。理解する必要もない。

 

「……さあ。そんなこと僕に聞くなよ。そんな哲学的なことは僕にはとても答えることができない。妖怪の賢者っていう……えと……「八雲紫?」そう、それ。彼女に聞いたら意味のありそうでないことを言って煙に巻いてくれるんじゃないかな」

「煙に巻かれたら意味ないんじゃないかしら」

 

 水橋が溜息を吐きつつ苦笑する。

 一般的な価値観だ。

 幻想郷の住人としてはこんなに普通で大丈夫かと問いたくなってくるけど。

 

「こういうのは問答に意味があるんだよ」

「本気で答えを期待してるわけでもないしねー」

「…………はあ」

 

 わかっていなさそうな空返事だ。こころなしか水橋の頭上にクエスチョンマークが見えるような気がする。

 

「つまり古明地が言いたいのは───あれ、古明地どこにいった?」

「さあ、無意識の任せるままに、じゃない?」

「メタルスライムみたいな奴だな……」

 

 エンカウントしづらく、会っても気が付いたら逃げている。

 倒したら経験値多そうだ。

 防御力も高いのかもしれない。

 倒せなかったとしても、幻想郷に教会があるとは聞いていないから、神社か病院に───

 

「───あ」

「忘れてた何かでも思い出した?」

「うん、急用が……できていたのをね」

「へえ、興味ないけど一応聞いておくわね。どこ行くの?」

「焼けない竹藪に」

「火の鳥もいるからたまに焼けるんじゃなかった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 歩けば竹。

 歩いても竹。

 歩くほど竹。

 地底から出発して、永遠亭が存在するこの迷いの竹林までさほど迷わずに来れたのは運が良かったことだった。……後で聞いた話だと、どうやら地霊殿の方から直通で迷いの竹林まで行くこともできたみたいだけれど。

 僕の三時間を返してほしい。

 まあ、今は今現在の話をすべきだ。

 太陽の光は背の高い丈に遮られていて薄暗く、それに加えて深い霧。これで前も見えなければ、方角だってわからない。

 竹に傷を付けて進んでいこうとも、成長の早い竹は一時間も見ない傷のある部分が僕の頭上に来ていたりする。

 迷いの竹林の名は伊達ではない。

 現に僕も今、迷っていた。

 

「前来たときは……どうやって来たんだったか」

 

 僕が徒歩で、しかもこんな土地で。目的地に辿り着けるとは思っていない。

 むしろ目的地に辿り着ける方が稀だろう。

 本当に前回来たのか、僕の記憶力を疑ってみたくなってきた。

 もしかして僕の思っている永遠亭とは、僕の空想上の存在なのではないでしょうか。もしそうだとしたら、僕は統合失調症の疑いが……さすがにないと信じたい。

 

「人ッ間♪見っつけたぁっ♪」

 

 やたらと調子の良く、基本生活レベルが江戸時代の幻想郷に会わないほどのアップテンポの歌が聞こえた。

 歌というよりは、ミュージカルとかのあれに近いかもしれない。あれ、歌で合ってたんだっけ。

 視界が狭まり、暗くなる。

 比較的明るかった竹藪の上部も暗く染まり、元から暗かった部分などは、もはや黒色に塗りつぶされて何があるのかさえわからない。

 先ほどの妙な歌といい、僕───しいては人間の動きを止めて、おそらくは妖怪がすることなど限られている。

 

「うふふ、こんなところで人間を見つけるなんて、今日はついてるわね。当然、ここは人里じゃないんだから、あなたは食べてもいい人間よね?」

 

 先ほどの声が前方から聞こえてきた。姿は暗闇に紛れて見えない。

 しかし、食べてもいい人間とは。

 ルーミアも言ってたぞ。

 そのフレーズ、流行ってんのか。

 

「……食べてもいいかもしれないけれど、食べない方がいいかもしれないね。きみが今後の人生をおもしろおかしく、健康に、不自由なく、安定して、自由で、楽しく、幸せに暮らしていきたいと願うのなら、だけど」

 

 ザリガニみたいに、食べたものに影響されて体が変化するなんてのも、あり得ないとは言い難いのが妖怪だ。

 僕も能力を持ってるのではないかと疑いそうなほど劣っているので、可能性はゼロではない。

 

「……?よくわかんないけど、食べちゃだめなのかしら?できることなら食べたいんだけれど」

「きみの判断に任せるよ。ただ、僕を食べたらもうまともに歌を歌うことができなくなるかもしれない可能性は忠告しておこう」

「えっ!?本当!?」

 

 嘘である。

 さすがの僕も声帯はそこまで劣っていない。

 

「さあ。可能性の話だからね。なんなら、お試しで僕の血液でも少し飲んでみるかい?その結果どうなろうと、僕は何の保証もしないけど」

「いや、ちょっと、来ないで!」

 

 一歩も動いてないのですがそれは。

 能力が解除されたのか、僕の網膜に光が戻る。突然入った多量の光が眩しく、手で左目の上を覆う。右目は仮面のおかげで無事だ。

 しだいに目も明るい環境に慣れてきて、相手が見えてきた。

 特徴的な羽根を持った少女。

 禍々しい色に、禍々しいデザインの羽根。

 耳も羽で、背中にも羽根。至る所に羽根のアクセサリが付いている。

 帽子のてっぺんにも羽根の飾り。

 幻想郷の人々は特徴的な帽子を被ることが多いらしい。

 妖怪としてはまだ若いのか、幼さの残る顔つきに加えて、身に纏うオーラのようなもの(妖力というらしい)も頼りない。

 頭も良くはなさそうだし。

 

「大丈夫だよ、別に取って食われようってわけじゃない。ただ、道を聞きたくてね」

「み、道……?人里ならわかるけど……」

「いや、永遠亭」

「兎が出てくるのでも祈ってみたら?」

「だよなあ……」

 

 そういえば、前回も誰か───うさみみを付けた誰かに案内されたような気がする。確か……鈴仙とか言っただろうか。

 あざとすぎて若干引いた憶えがある。

 

「空飛べそうだし、上から確認とかは……」

「できると思う?」

 

 できないんだ。

 まあ、八意さんが誰かから身を隠すために云々って言っていたような気もするし、妥当かなとも思う。しかし、病院が見つからない場所にあっていいものなのだろうか。

 急患とかどうするんだ。

 

「できたらいいなが正解かな」

「あんなことこんなこと?」

「どこで憶えてくるんだそんなもん」

 

 外の世界と幻想郷って完全に文化が断絶されてるんじゃないのか。

 僕の知識が間違っているのか。

 

「あれ、どこで知ったんだっけ。あれれー?」

 

 指を立てて顎に置きつつ、首を傾げる彼女。……そういえば、名前知らないな。

 

「ところで、名前は?」

「ミスティア・ローレライ。夜雀よ」

「夜雀?」

 

 夜雀。

 彼女から聞いたその妖怪の名は、確か『ぬらりひょんの孫』で見た気がした。

 そういえばあの娘も人の視力奪う能力持ってたな。そこはかとなく鳥っぽかったし。

 

「じゃあ……ミスティア」

「何?」

「一旦人里まで───」

 

 直後、爆音が響いた。

 次いで、熱風。目の前にいたミスティアが紙のように吹き飛ばされる。

 妖怪だから大丈夫かと勝手に納得して、自分が標的になる前にさっさと逃げてしまおうと後ろを向く。

 

「…………」

 

 燃えていた。

 それはもう、ぼうぼうと。

 燃えさかっていた。

 

「…………焼死体になるのは嫌だなあ」

 

 せめて溺死体がいい。

 焼けるのとか、熱そうじゃないか。

 めらめらと竹を焼いて勢力を拡大していく炎を見つめながら、適当にそんなことを思った。

 そう遠くにもない炎の熱気が僕の肌を焼く。焦げ臭い匂いが鼻を突く。

 死にたくはない。

 が、この幻想郷には幽霊もいるし、それでもいいかなと妥協はできる。

 じゃあ、走馬燈が出てくるまで目を瞑って待とうか。

 

「……何満足したみたいな顔してんのさ」

「……はい?」

 

 気が付いたら熱気も感じなくなっていて、炎が消えていた。

 あたりを見回しても、あるのは焦げた竹と───

 赤くて白い女性、だけだった。

 白いが、不思議と老いている印象はない髪の毛。

 白地に赤い模様の入ったリボン。

 燃えそうなほどに紅い瞳。

 至る所に護符の張り付いた、赤いもんぺ。

 同じ紅白でも、博霊とは違い白が強調されている印象を受ける。

 ミスティアはあの攻撃でどこかへ吹き飛ばされたのか、どこにも見当たらない。

 まあ、死んではいないだろう。

 

「夜雀に襲われてたみたいだから一応助けたけど、もしかして自殺志願者?余計なことしちゃったかな」

「いえ……まあ、似たようなものです。助かりました。ありがとうございます」

「どっちに対してよ……」

 

 それにしても、今日一日で新キャラが登場しすぎている。

 明日には何人憶えているだろうか。

 異世界へ召喚されたての勇者の気分だぜ。見知らぬ土地へ引っ越した気分でもいいけど。

 要するに、知らない奴ばっかだってのが伝わればいい。

 

「私は藤原妹紅。まあ───しがない焼鳥屋といったところかな」

「……はあ、そうですか」

 

 火の鳥───水橋が言っていたのは、彼女のことだったのか。

 炎を操る焼鳥屋。だから、火の鳥。

 フェニックスには程遠そうだけど。

 

「さっきまで燃えていた火はどうしたんですか?やっぱり能力とか……」

「うんにゃ、消化器」

「………………」

 

 文明の利器だった。

 確かに、彼女の後ろには見覚えのあるような赤い筒が転がっていた。

 なんと夢のない……。

 僕の微妙な表情を見てか、藤原さんが目をそらしつつ言う。

 

「前、ちょっとあってね……」

 

 そう呟く藤原さんの顔は、悲哀に包まれていた。

 おそらく、竹藪焼失でもしそうになったのだろう。

 

「えと、この話はいいや。貴方……名前は?」

「本名は嫌いなんですよ。……名乗るのも、呼ばれるのも。胸を張れるような立派な名前じゃない───いえ、名前の方が立派すぎるんですかね。完全に名前負けしちゃってるんですよ。もし呼ぶとしたら、何かしら特徴を見つけて、適当に呼んでください」

「じゃあ、右目仮面くん……とか」

「あなたが呼びたいのなら、それでもいいんじゃないでしょうか」

「…………いや、やめとくよ」

 

 賢明な判断だ。

 僕だって、シリアスな場面とかで右目仮面だなんて呼ばれたくない。

 冗談にもならないほど───冗談みたいだ。

 シリアスはシリアスで。

 洒落は洒落で。

 きっちりと、分けよう。

 

「藤原さん、一旦人里に戻りたいんですけど、案内ってできますか?」

「ん、構わないよ。それも仕事の内だしね」

 

 そう言って藤原さんは僕を案内してくれた。難解に入り組んで、東西南北の区別が付かず、地図があろうとも現在地がわからないような竹林を、迷いもせずに歩いていった。

 時折、彼女が遠くを見て何かを呟いていたような気がするが、僕の気にすることでもないだろう。

 

「……そういえば、さっきの炎は?」

「ちょっとした手品みたいなものかな。長生きしてると、使えるようになってくるのよ」

「長生き……しているようには見えませんけど。妖怪ですか?」

「妖怪、ではないね」

「はあ。つまり人間でもないと」

「…………まあ、否定はしないけど。だけど、遠慮というものも大切だとは思うわね」

「NOとしか言えない日本人ですから」

「日本人以前に、人として根本から間違ってる気がするけど」

「脳としか発せない日本人ですから」

「それは病気だ」

 

 病気、病気……。

 あ。

 藤原さんの言葉で、忘れていた用事を思い出した。

 衝撃的なことがあったとはいえ、さすがに忘れるのが早すぎではないかと、僕の海馬に叱咤をしたくなる。

 病院───永遠亭に、行く予定だったのだ。

 

「藤原さん、この竹林のことよく知ってるみたいですけど、永遠亭って場所も知ってますか?」

「うん?本当に病院に行く気になったの?律儀……とは程遠そうよね、貴方は」

「人を見かけで判断してはいけませんよ」

「これまでの会話からも判断してるから問題はないわ」

「中身で判断するのもどうかと思います」

「じゃあ、どこで判断すればいいの」

「味」

「……………………」

 

 あれ?

 小粋なトークくらいのものだと思っていたけれど、僕の前を歩いていた藤原さんの足が止まり、敵意らしきものがどんどん膨れあがっているような気がする。

 これは、あれかな。

 妖怪だとか、思われてるのかな。

 下手をすれば先ほどの炎を今度は僕が喰らって、吹き飛ばされかねない。

 ミスティアとは違って、肉や骨を。

 

「……い、いや、冗談ですよ?僕はこう見えても、これまでの人生で一度も人を殺したことがないのが自慢なんです。僕にお口の中がカーニバルな趣味もありませんし」

「……まあ、確かにそうは見えないかな」

 

 ふっと彼女がいつの間にか指の先に灯っていた火種を吹き消した。

 外見で判断するなとは彼女に言ったが、この場合は外見で判断してくれて構わない。

 僕に都合のいいことなら、どんどん判断してほしい。

 

「見るからに、根性無しっぽいし」

「……………………」

 

 どうなんだ、それは。

 殺されなくてよかったと安堵するべきか。

 謂われ無き侮辱に憤るべきか。

 当然ながら根性無しの僕は安堵して感謝する方向に収めた。

 

「えっと……どこまで話しましたっけ?」

「確か……永遠亭に行く、ってところまで?」

「永遠亭に行こうと思ったんですけど、どうやら迷ってしまいまして……。道がわかるんだったら、案内をお願いしたいですかね」

「案内……か」

「駄目ですか」

「駄目ってことはないさ。いや、むしろそっちの方が本職って言っていいかもしれない。承諾するよ。私も、護衛に案内は年中無休で無給でやっているし、案内ついでに殺し合いしたりもして───いつもだったら問題なんか何一つないんだけど……」

 

 物騒な単語が聞こえた気がしたが、おそらくは気のせいだろう。

 藤原さんが頭を搔く。

 停滞しそうなほど透き通る白髪がふわりと浮いた。

 

 

「最近は、どうも駄目───というか、永遠亭(あそこ)に居づらくてね……」

「居づらい、ですか」彼女の言葉を反復する。

「顔を合わせづらい───いや、少し違うか。そう、何て言うか───」

 

 困ったような顔をして。

 

「───燃やしたく、なる。輝夜も、薬師も。永遠亭さえも───全部、燃やしたくなるんだ」

 

 困ったような顔をして、ひどく物騒なことを言った。

 

「殺したくなるんじゃないのよ。燃やしたくなる、焼きたくなる。……この前までは殺したいだけだったんだけどねー」

「………………はあ」

 

 どんな反応を返したらいいんだよ。

 下手なこと言ったら僕が燃やされてしまうんじゃないだろうか。

 狂気は感じない。が、しかし、正気にも思えない。

 二律背反は成立していない。

 二つとも成立して───尚かつ、矛盾していない。

 そんな言葉が頭蓋骨の裏側に思い浮かぶ。

 じゃあなんだ、境気?

 ……さすがに適当すぎるか。

 

「……なるべく永遠亭を視界に入れないようにすれば……うん、大丈夫、多分。…………大丈……夫……?心配ね。永遠亭全焼させて輝夜に借りなんか作りたくないし……。……苛々してきたわね、最近輝夜と殺し合ってないし。だけど会ったら燃やしたくなるし……。…………はあ、三割くらいの確立でまた迷うかもしれないけど、永遠亭少し前まででいいかしら」

「……いえ、案内してくれるだけでありがたいですから」

 

 文句なんて、とても言えない。

 その独り言を聞いて尚文句を言える一般人なんているのか。

 文字通り死ぬほどのドMか。自殺志願者か。

 何も考えてない馬鹿くらいのものだろう。

 ……死ぬほどのドMって一般人枠に組み込んでいいんだろうか。

 藤原さんが僕の横を通り過ぎて、手のジェスチャーで着いてこいと示す。素直に着いていく。

 彼女がパルスィだったら一度逆方向へと走り出すボケでもするのだが、僕は生憎と、命を懸けてまでボケを遂行する勇気はなかった。

 多分それは、なくていい勇気だ。

 人生でおそらく使用する機会がないであろう勇気だ。

 というか、それはおそらく勇気ではない。

 考え無しの行き当たりばったりだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 会話がない。

 先ほどの会話が会話だっただけに、居たたまれない雰囲気が流れている。

 それは藤原さんも自覚しているようで、横から見た彼女の頬にはじわりと汗が伝い、目は忙しなくぎょろぎょろと動き回っている。

 

「…………あの」さあ、何か考えるんだ。「えっと」早く話せ、何でもいい。「さっき輝夜って言ってましたけど、蓬莱山輝夜のことですか?」

「…………ええ、そうよ」

 

 いかんな、話題選択を間違えたかもしれない。

 藤原さんが見る間に不機嫌に!

 

「えっと……僕はまだ話だけで、実際に見たことはないんですけど、どんな人なんですか?」

「ただの我が儘姫。確かに美しいとは思わないこともないけど……それだけね」

 

 藤原さんがそっぽを向きながら口の中に溜まった不満を吐き捨てるように言う。

 実際、吐き捨てていたのかもしれない。

 言った言葉は単純でも、そのくらい───不快感を孕んだ言葉だった。

 不快感───?

 いや、少し違うか。

 もっと、こう。

 僕が心の奥底で知っているような───

 

「着いた───とは言い難いけど、よほど運が悪くない限り、ここから真っ直ぐ進んでいけば数分で着くと思うよ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、私は帰るから……うん、帰る時は兎にでも頼めばいいさ」

「はあ」

「それと、また永遠亭に行くときはそうだね……人里の方の上白沢慧音……知ってる?寺子屋をやってるんだけど……まあ、そこに前日までに連絡してくれたら、案内できるから」

「はあ」

「それじゃあ、また会いましょう」

「忘れてなければ、きっと数日中に会いに行くことになると思います」

 

 藤原さんは竹の中を数歩歩くと、すぐに見えなくなった。

 どう考えても迷いやすい以外の何かがはたらいているとしか思えない現象だ。

 天狗の仕業じゃなかろうか。

 

「幻想郷の天狗は随分とジャーナリズム精神旺盛なようだけどね……」

 

 最速の鴉天狗とか。

 何故か携帯電話を使っていた鴉天狗とか。

 ……鴉天狗しか見たことがなかった。これで全ての天狗を新聞記者だと決めつけるのは早計だ。きっと、赤い顔して鼻が高い天狗らしい天狗もきっといるだろう。

 そんなことを考えながら、歩く。

 歩く。

 歩く。

 歩くこと───三十分。

 藤原さんは、よほど運が悪くない限り着く、と言った。

 数分で着くと、そう言ったのだ。

 

「………………迷った」

 

 つまり、僕の運はよほど悪かったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




ついテンションが上がって前々から考えていたものを書こうと思った。
そしたら手が止まらなくなってしまった。
地味に反省している。


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人形姫

 

 

 

 

 

 終わりがない?ふうん、それは終わってるな。

 

 

 

 

 

 

 

 思わず、目を疑った。

 いや───どちらかというと疑ったのは僕の正気かもしれない。

 目を擦り、こめかみを軽く叩く。

 にも関わらずそれはそこに存在していた。

 夢ではなさそうだ。

 悪夢のようではあるが。

 際限のないほどの竹林を背景に、いつの間にかそいつはいた。

 ナース服だった。

 まぎれもなく、ナース服だった。

 それも、ピンクの。

 漫画でしか見ないような、やたらと巨大な注射器も持っていた。

 下着が見えそうなほど短いスカートからはガーターベルトが覗いていて、無駄に扇情的で、彼女の頭は勿論、ナースキャップ付きだった。

 これが初対面の誰かだったら、「まあ、幻想郷だし」と済ませていたかもしれない。いや、本当に初対面なら良かった。

 正直、知り合いだとか思いたくないし、思われたくない。

 それくらいに───

 

「お久しぶり───二日ぶりくらいでしたっけ。憶えてます?私ですよ、私」

 

 憶えている。

 忘れようにも忘れられない。

 以前見たときは、墨汁で染めたような真っ黒の髪で片目を隠していて、青白いという表現が当てはまれ内ほど真っ白な肌、それとぶかぶかのスーツを着ていて、随分モノクロな人だと驚いた憶えがある。

 もっとも、忘れられなかったのはそれが原因ではないけれど。

 殺人鬼。

 彼女は、自分のことをそう名乗った。

 現実感のない───つまり、この幻想の地では極めて自然な名乗りだった。

 

「ヨモツ……だったよね。名前は憶えてないけど」ヒラサカだったっけ。

「教えてませんからね。知ってたら個人情報保護法発動で殺します」

「その法律じゃあ死刑にはならない気がするんだけど」

「幻想郷に法も何もありませんよ」

 

 そう言って、ヨモツは身の丈もあろうかという注射器を片手で上に投げて、踊るような動きを見せて、投げた注射器をキャッチして僕に突きつける。

 ぎらりと鋭く尖った銀色の光が、薄暗い周りを気にせずに反射して僕の目に入った。

 

「…………えっと、これは」

「新しい挨拶じゃないですか?」

 

 何で疑問系なんだ。

 幻想郷じゃ挨拶かもしれないが、同郷の者としてその染まり具合には苦言を呈したい。忘れるな、常識。

 

「まあいいでしょう。わざわざここに来るってことは、診察ですか?それとも自殺ですか?」

 

 語感は似ていないでもないが、その二つは結構違う。

 

「一切合切これっぽっちも迷うこと惑うことさえなく診察だよ」

「つまり、貴方はわざわざ自然の摂理に反して体内の臓腑を人為的に弄くってまで自然のままに生きる動物が次々と死んでいく中自分だけは生きながらえようとして永遠亭に診察に来たわけですね?」

「………………」

 

 間違ってないけど。

 間違ってないけどさ!

 言い方を一つ変えるだけでこんなにもイメージが悪くなるのか。

 

「一つ聞いてもいいかな」

「はい、どうぞ」

「その服装は?」

「八意さんに作ってもらいました」

「その注射器は?」

「八意さんに作ってもらいました」

「ガーターベルトも?」

「八意さんに作ってもらいました」

 

 ……何を考えているんだ、八意さん。

 何か弱みでも握られているのか。

 

「というか、一つって言いましたよね。何三つも聞いてるんですか。殺されたとしても文句は言えませんよ」

「文句しか言えねえよ」

「貴方が言っているのは我が儘です」

「きみが言っているのは理不尽だよ」

 

 ヨモツが注射器を片手でくるくると回す。

 本当に人間かこいつは。

 人外。

 殺人鬼。

 人殺しの───鬼。

 いや、案外実際に殺人鬼、なんて妖怪がいるのかもしれない。人間から妖怪へと変貌するのだってきっと無いわけではないだろう。

 例えば僕の知っている酒呑童子伝説では、美少年がフラれた女の恨みによって鬼になってしまったというのもあるくらいだ。

 概念。

 おそらくは、これが成立してしまえば、どんなものでも妖怪に成りうるのではないだろうか。

 幻想に追いやられたこの土地ならば、特にだ。

 

「……いやらしい視線を感じます」

「冤罪だ。誰がきみのガーターベルトなんか見るか」

「語るに落ちてますよ」

「しまった!」

 

 くそっ、僕の性癖が露呈してしまった!

 おのれ殺人鬼め、なんて卑劣なんだ!

 

「まあ───ここで貴方を殺してもいいんですけど、生憎と殺人はもう引退した身でしてね。貴方を殺すことが二歳児にサッカーをして勝つことくらい容易くとも、見逃してあげましょう。…………知ってます?サッカー」

 

 馬鹿にした目で見られている。

 いくら僕が記憶力に乏しいからといって、サッカー程度も知らない馬鹿だとは思われたくないため、落ち着き、溜息をつきながら答えた。

 

「いや……さすがにそれくらいは知ってるよ。───足でする野球だろ?」

「………………じゃあ、野球は?」

「一試合に何人か死ぬってのは聞いたことあるな」

「それはアストロ球団だけです」

 

 …………あれ?

 違ったのか。

 じゃあ僕が今まで野球だと思い込んでいたのは一体……?

 教えてもらった知識が間違っているのか、曲解して憶えたのか、記憶力が限界だったのかと様々な仮説が眼球の裏側に浮かんで、ヨモツを背景として捉えていく。

 思考の水面に沈む。

 沈んで、溺れる。

 藁をも掴みたい気分だ。少し、大袈裟だろうか。

 

「……まさか、ボケじゃなく本当に野球を知らなかったとか……?」

 

 ヨモツが追い打ちをかけてきた。

 僕は僕の主観で手が残像を残すほど高速で手首を横に動かす。

 

「そんなわけないだろう。それは僕を見くびりすぎだ」

「ですよね。さすがにそれは貴方が底抜けの馬鹿で愚かで間抜けなオタンコナスだったとしても、あり得ないことです」

「…………………………」

「どうしたんです?」

「いや……気にしないでくれ」

 

 オタンコナスって。

 彼女には別段悪気はなさそうだが、だからこそグサリとくる。

 普通に傷ついた気がした。

 彼女の人形じみた無表情が嘲笑っているように見えるのは気のせいにしても、その顔を真っ直ぐ見ていられない。目をそらしたくなってくる。

 

「───なあ、人を殺すってどんな気持ちなんだ?」

 

 居たたまれなくなって、話題を変えた。

 ひょっとすると、僕は心が弱いのかもしれない。

 弱くとも───それに気付くことも、気にかけることもできない欠陥な弱さだけど。本来なら、弱さや臆病さは強みになるはずなのだが、僕の場合は単なる欠点というだけらしい。

 まあ、それだけではなく、単純に気になったからだというのもある。

 好奇心猫を殺す。

 つまり、殺されるのは猫だけだ。僕じゃない。

 

「どんな気持ちって……何ですか?」

「何ですかって……」

 

 その返答の方が何ですかだよ。

 

「……ほら、色々あるだろ。気持ちいいとか、すっきりするとか、生きていると実感するとか。人殺しの感想みたいなものが」

「……なくちゃいけないんですかね、理由」

「うん?」

「例えば───私が人を殺すじゃないですか。そうですね……」ヨモツがどこからともなくカードのようなものを取り出して。「これは、私がこの前殺した人間の免許証です。管隠円弧(くだかくしえんこ)って名前が珍しくて取って置いたんですけど。妖怪っぽいですよね」

 

 ヨモツがぴらぴらと見せびらかす免許証には、柔和な顔立ちをした、可愛いというよりは美人系の、若い女性が映っていた。……と思ったら、逆算してみるとこの人50超えてるぞ。

 幻想郷以外にもいるのか、こういう外見と年齢が一致しない人。

 

「だから、解体してみました」

 

 ヨモツは言う。

 心底どうでもよさそうに。

 

「徹底的に解剖しました」

 

 淡々と事実のみを告げる。

 

「眼球を抉り出して筋肉繊維を一本一本千切って心臓を林檎みたいに剥いて胃をひっくり返して脳を掻き混ぜて軟骨を微塵切りにして爪を二十枚全て剥がして肺を串刺しにして肝臓を両断して喉を刳り抜いて子宮を掻き出して腎臓を押し潰して小腸を引っ張り出して耳を切断して皮膚を剥いで大腸を体にぐるぐる巻き付けて乳房に限界までナイフを刺して背骨を間接毎に分断して食道と気道を蝶々結びにして生首でラグビーをしても───尻尾の一つも出てこなければ、獣耳さえも皆無でした」

 

 あのときはこの世に妖怪などいないのだと思ってしまいましたよ。

 ヨモツが心底どうでもよさそうな口ぶりで首を横に振る。

 ……話していて気が付いた。───というよりも、思い出したと表現した方が適切か。

 彼女は───誰とも話していない。

 いや、確かに彼女の前に立って会話をしているのは僕なのだが、彼女にとって僕と会話することも、独り言を言うことも同じだ。

 断絶している。

 人との縁を───断ち切っている。

 ヨモツは初対面の時、そう言っていた。

 僕にとって彼女と話すことは壁に向かって話すことと等しく、彼女にとって僕と話すことは天井に向かって話すのと大差ない。

 

「あ、一応言っておきますけど、妖怪っぽい名前だから殺したわけじゃないですよ?殺した相手がたまたま妖怪っぽい名前だったから解体しただけです」

「何を───」

「いえだから理由とか感想ですって。そっちが聞いたんだから最後まで聞きましょうよ。まったく、これだから現代っ子は……まあ、いいでしょう。結論から言いますと、人殺しても何の感慨も湧きませんよ。殺しても、私の人生は大して変わりませんし、私とは関係ない一人の人生が終わるだけです」

「………………………」

 

 正しく───会話が通じないような感じだった。

 きちんと目視しているというのに、本当に彼女がここにいるのか不安になってくる。

 

「貴方は人を殺してはいけないと、何故思うんですか?」

「法律で決められてるから」

 

 間髪入れずに、脊髄反射で答えた。

 もう少し考えて、気の利いた答えでも返せれば良かったかなと思った。

 

「幻想郷では、法律ありませんよ。一応殺人を犯したら私刑に処されるとか、そんなものがありますが、捕まらなければ適用なんてされませんし、単なるルールのようなものですからね。まず能力も妖怪も何でもありのここじゃああまり使われてないようです」

「……じゃあ、あれだ。秩序の問題だろ。誰かが殺人を許容してしまうと、連鎖的に殺人が起こって人類滅亡待ったなし、みたいな。殺されたくないなら殺すなってことだろ」

「いいですよ、殺されても」

「……は?」

「私はいつ何時どのような理由でどのような方法でどのような場所で殺されたとしても、構わないと思っています。だから貴方の理屈だと、私は殺人をしてもいいですね」

「……まあ、理にかなってないでもないような気がするね。あくまで僕の理屈だから、社会じゃ通用しないけど」

 

 適当に、答えにもなっていないような答えを返す。

 答えなんて出せない。

 答えなんて出すべきじゃない。

 そもそも───答えなんて、ないのだろう。

 こればかりは白も黒もない。正当防衛で誰かを殺すのは悪かと聞かれると返答に詰まるし、戦争で家族を守るために他人を殺すのも善かと言われると頷けない。

 

「───別に、殺したかったわけじゃないんですよ。どちらかというと、殺すのなんて嫌いな方ですからね。楽しくもありませんし」

「何かをしようと思ってたんです」

「何かを探そうとしてたのかもしれないし、何かを知ろうとしたのかもしれません。その何かをどうにかすれば、私はきっとどうにかできる気がしたんです」

「殺人鬼の才能でもあったんでしょうかね」

「気が付いたら殺してました───と言っても、意識がなかったわけじゃないですよ。意識ははっきりとしてました。覚醒してたと言ってもいいでしょう。それで、目覚めてしまいました」

「殺しました。ありとあらゆる方法で人間を殺害しました。そしたら、少しだけ何かがどうにかした気がしたんです」

「───その後もずるずると惰性で続けて……まあ、最終的にはバレちゃいました。あの時以外何かがどうにかなった気はしませんでしたし、踏んだり蹴ったりです」

「つまり、私が人を殺すという行動は、結果でもなく、理由を必要とする行為でもなく、単なる過程に過ぎないのですよ」

 

 よく分からない。

 いや───このわからなさこそが殺人鬼・ヨモツであることの証明でもあろう。

 人を殺すことを悪だとも思わず、人を殺すことに特に理由を必要ともせず───おそらくは、悪だと思っていても、理由があったとしても間違いなく殺す。

 生粋の殺人鬼。

 ヨモツが喉の下に手を当てながら言った。

 

「ねえ。人間が死ぬのに必要なものって、何だと思います?人間って───何で死ぬんだと思いますか?」

「さあ。殺意とかか?」

「違いますよ」

 

 即座に否定される。

 彼女の目が猫のように細くなり、口元が三日月型に開かれた。

 

「凶器です。刃物があればいいし、紐があればいい。鈍器があればいいし、銃器があればいい。素手で殺したって構わないし、水や炎なんかを使ってもいい。火薬があれば言うこと無しですね。ただ、凶器があれば、わりと簡単に死んじゃうんですよ。人って」

 

 哀れむように。

 しかし───耐え難い愉悦を噛みしめるように。

 もしかしたら、これが初めて僕が見た彼女の人間らしい感情なのではないだろうか。

 人間らしく───同時に、人間らしくない。

 殺人鬼じみている。

 人でなし。

 

「きみにあるのは、凶器じゃなく───ただの狂気だ。だってそうだろう?ナイフとかは人を殺すために開発されたものじゃないし、いくら凶器があったとしても、それを使って人間を殺すだなんて、正気じゃない。狂ってる。そんなの───人間を捨てている」

「鬼ですからね、人間製の」ヨモツが腰に手を当て、後頭部を掻く。「ていうか、本気でそう思ってるようにはとても見えませんよ。どちらかというと貴方は私側でしょうに」

「ポーカーフェイスなのさ」

「感情に乏しいだけだと思いますが。それとも、表に出てこないだけ───出せないだけなんでしょうかね?」

 

 ぎくり、と。

 見透かされたような目に、思わず背筋にくすぐったく何かが走る。暗く、光さえ反射しない彼女の目が僕を───否、僕の中身をも見通すように細められた。

 誰にも知られたことのない僕という存在の根本を。

 僕さえも知らない僕の心の根源を。

 要するに───ほんの少しだけだけど、似ているのだ。僕と、彼女は。

 片や、自分のやりたいことがわからない殺人鬼に。

 片や、自分の思っていることがわからない人間以下。

 だから、シンパシーを感じる。

 理解してしまったかのような気分になれる。

 理解されてしまったかのような誤解が生じる。

 ヨモツは言いたいことを言って満足したのか、「付いてきてください」みたいなことを言って、僕を永遠亭に案内した。さすがに、出会い頭に殺されるようなことはなかったようだ。まあ、当然か。

 元───殺人鬼。

 何故彼女が殺人をやめたのかは、僕からは予想なんてつかないし、そもそも僕に人殺しの気持ちなんてわかるわけがない。

 ……まず、他人どころか自分の気持ちもわからないから。

 それでも無理矢理絵空事を想像して夢浮橋を空想してみるとするならば、飽きたとかそんな理由じゃないかと思う。

 彼女はきっと、誰が思っているよりも適当に生きている。

 多分何も考えてない。

 歩いてる途中に「人間って片面がウェルダンになっても生きてるんですよ」とか唐突に言ってくるんだから、間違いない。

 焼き肉が食べづらくなるじゃないか。食べられなくなるわけじゃないけど。

 まあつまり───日常的に殺人をする奴のことなんて、わからないというのが一番正しいだろう。

 同じ常人同士だとしても理解なんて不可能なんだ、狂人の思考なんて───理解できる奴は、狂ってるとしか言いようがない。

 共有できない、

 共感できない、

 共鳴できなく、

 共通でもない。

 共存───できない。

 だからこそ彼女は他人と断絶したと言っているのかもしれない。

 決して相容れることはないだろうから。

 理解ができないなら、それなら誰もが異常に見えるだろうから。

 本当は自分が異端だということに気が付いていても、だ。

 

「着きましたよ。……目が飛んでますけど、どうしました?」

 

 意識の外側から、平坦のヨモツの声が聞こえた。

 

「あ、うん?僕の目玉は親父じゃないぜ?」

「目玉が親父になるなら、私の方がらしいですしね」

 

 確かに鬼太郎風の髪型だが、おそらく鬼太郎はミニスカピンクナース服を着用しない。そして理由無く人殺しをしない。

 ヨモツに軽くお礼を言って、永遠亭へと足を踏み入れる。ヨモツは用事があるとかなんとか言って、どこかに行ってしまった。まあ、僕を向かい入れる為にあそこにいたというわけではないだろうから、当然か。

 改めて、永遠亭を見る。

 外観は、この幻想郷で一般的───かどうかはわからないが、古風な屋敷だ。貴族とかが使っていそうとでもいうのか、巨大で荘厳だった。

 内部はほとんど光が入らないために薄暗く、音だってほとんど聞こえない。

 前来た時は風で笹が揺れる音が耳に入ったものだが、今は風が吹いていないので無音状態である。

 

「すいません」

 

 一応、一言断っておく。

 既に中に入っているから遅いような気がしなくもないのだが、遅いか早いかの問題だ。気にすることでもないだろう。

 

「……あれ、いらっしゃ───げ」

「げげげの?」

 

 先ほどの会話があったせいか、思考が妖怪に侵食されてしまったのだろうか。

 いきなり現れては失礼な反応をしたこの少女。

 手入れが大変そうな薄紫色の長い髪。その頭には、顔よりは長いくらいの、へにょりとしてやる気のなさそうなうさ耳。狂いそうなほど紅い目。

 服装は白のブラウスに赤いネクタイを締めて、紺色のブレザーを前を開いている。薄い桃色のスカートヨモツが先ほどまで着用していたナース服と同じくらい短く、全体的には言ってみれば女子高生の制服だ。

 ……もしかしたら、スカートが短いのは八意さんの趣味なのかもしれない。

 ヨモツも八意さんに作ってもらったって言ってたし。

 彼女の名前は、確か───

 

「鈴仙・蕎麦・因幡?」

「鈴仙・優曇華院・イナバです」

 

 ああ、うどんだったか。かなり惜しい。

 僕にしてみれば、これだけ長い名前を雰囲気は憶えているといっただけでも上出来だとは思うんだけれどな。

 

「そうだったか。ごめん、名前間違っちゃって」

「悪いと思ってるなら忘れないでほし……いえ、やっぱり関わらないでほしいわね」

「ごめんは社交辞令だよ。実際はそんなに悪いとは思ってない」

「思ってください!」

 

 怒鳴られてしまった。

 彼女はなんというか───弄られ属性を持ったキャラなのだ。だから僕もついついからかいたくなり、その結果として嫌われる。

 つまり、出会い頭のあの反応は至極正当なものであり、致し方なしなものである。

 僕の自業自得とも言う。

 というか、自業自得でしかない。

 鈴仙・優曇華院・イナバ。

 どうやら苦労人のようだ。

 

「何しに来たんですか?何日か前に来たばかりでしょう。……まさか、遊びに来たとかはやめてちょうだいね。そんなことだったら私の精神が保たないから」

 

 貧弱な精神だった。

 もしくは、そんな言葉を原因に直接言えるあたり、実は強靱なのかもしれない。

 

「心配しなくても、ちゃんと用事はあるさ。用もなく来てきみを追い詰めてみるのも面白そうかもしれないけれど、そんなに頻繁に来れるほど僕は方向感覚に優れていないんだ」

「頭の中にコンパスでも入れてきたらどうですか?」

 

 想像してみる。

 ぐるぐると三半規管が揺れそうだった。

 

「頭の中で円形を書く趣味はないんだ」

「方位磁石のことよ」

「何言ってるんだ、円形を書くために作られたのがコンパスで、コンパスは円形を書くための物だ。コンパスはコンパスとしか呼び名がないからコンパスと呼んでいるが、方位磁石は方位磁針とか羅針盤とか色々呼び名があるじゃないか」

「……別にコンパスでもいいでしょう」

「まあ、別にこだわりがあるわけでもないしね。正直、どうでもいい」

「だったら言わないで」

 

 一文字一文字区切りながら、引きつった笑みで僕に遺憾の意を示す鈴仙。

 握りしめた拳にはピクリピクリと血管が浮き出ていて、いらつきを必死に押さえているのがわかる。それほど会話しないにしても、少し巫山戯すぎたかな。

 

「はあ……お師匠様呼んできますから、ちょっとそこで待っててください」

「お茶とお茶菓子は」

「図々しいわ」

 

 そう言いながら、鈴仙は長すぎる廊下を歩いて、ここから見て何番目かもわからない襖を開けて、わざとなのか僕にも聞こえる声で「ししょー、虚弱脆弱貧弱三拍子揃った患者が来ましたー」と八意さんに伝えていた。

 患者なんて、三分の一くらいはだいたい虚弱か脆弱か貧弱、どれかには当てはまると思うのだが。きっと僕が特別酷いというわけでは……ないと言い切れないのが辛いところだ。

 しかし、確かあの兎少女。

 初対面では酷くびくびくとしていて、少しでも話しかけたら物陰に隠れるような小動物チックなところがあったはずなんだけど、どうしてこうなってしまったのか。

 はいはい、僕のせいですね、わかってるよ。

 十分後。

 八意さんがやって来た。

 長い三つ編みの銀髪。

 左右に赤と青で色が違う、幻想郷で見た中でもトップクラスにアヴァンギャルドな服。

 本人はナース帽のつもりなのか、青色の帽子には、赤色の十字架が描かれている。

 服のあちこちには星座らしき模様も付いていて、これまた幻想郷らしく、フリルもふんだんにあしらってあった。

 冷酷な目。

 柔和な笑み。

 そして───幾年経っても変わらないと思えるような、寒気がするほどの美しさ。

 八意永淋。

 妖怪ではないと聞くが、人間らしさは微塵も感じられない。

 鈴仙は見あたらなかった。

 僕と関わるのが嫌で逃げたのだろうか、あいつ。

 

「待たせちゃったかしら。御免ね、少し研究に熱中しちゃって」

 

 『ごめんね』ではなく、『御免ね』と聞こえるような口調で、八意さんが言った。

 

「いえ、それほど待ってませんよ。……ところで、鈴仙は?」

「貴方が嫌いだからって、逃げちゃって」

 

 予想通りとはいえ、もう少しオブラートに包めなかったのか。

 包むべきだろう、医者として。

 

「からかいすぎましたからね。嫌われるのも仕方ありませんよ」

「あら、それだったら私が一番嫌われてることになると思うけど。ウドンゲをからかった量なら、私とてゐが一、二位を争ってるのは明白だから」

「もう少し彼女に優しくしてあげましょうよ……」

 

 僕が言うのもなんだけど。

 本当に僕が言うのもなんだけど───この世界は、些か常人には厳しいきらいがある。

 何だろう、逆差別?

 

「からかうのと嫌われるのに、全く因果関係はないと言っていいわ。行為と好意なんて、善悪だの好き嫌いだのといった二つの種類で分けられるようなものでもないからね。からかうのだって、行き過ぎなければそれは立派なコミュニケーションよ」

「はあ…………」

 

 彼女の言った理屈よりも、自分は間違いなく鈴仙に嫌われてはいないだろうといった、彼女の自信に感銘を受けて、驚いた。

 信用、信頼。

 おそらくはそういった類のものなのだろうということがわかる。

 僕の心の奥底の何かが反応した。

 

「それで、貴方が嫌われている理由だけど───まあ、結構単純ね」

「つまり、僕の存在が不快だと」

「……間違ってはいないけど……ニュアンスが違うわね。例えば───目の前に蠅が不規則な動きで飛び回っていたら、不快になるでしょう?」

 

 ……つまり、僕の存在は蠅レベルなのか。そう思われているのか。

 

「あと───見ていると不安になる絵とか、見たことあるかしら」

「一応、外の世界の友人に」

「貴方はそれなのよ」

「…………………………はあ?」

 

 僕が、蠅や見ていると不安になる絵。

 虫けらに、無生物。

 あれ、もしかして僕って人として見られていないのか。

 確かに、人間っぽくないとか目が死んでるとかそういったことは言われたことはあるが、人間扱いされなかったのは初めてかもしれない。

 

「そこにいるだけで見る者の均衡を崩して、強制的に自分という異物を介入させて、その一部を与えつつも根こそぎ奪う。異常性を無理矢理───暴力的に理解させ、無意識の内に崩壊させる。貴方の前ではどのような強さも無為になって、どのような願いも叶わず、どのような主義も曖昧になる。永遠亭(ここ)では外部からの悪影響を断ち切っているから平気だけど、波長を観測できるあの娘がそんな異常を見せられて平然としていられると思う?」

「……………………」

 

 劣っている───だけだと思っていたのだが。

 違うのか。

 違うようだ。

 外の友人に言われた「もう少し自分の異常性を理解すべきだ」という言葉が身にしみて、頭蓋骨の内側をノックする。

 彼女の言うことは抽象的すぎてわかりにくいが───それでも、言いたいことは伝わる。

 人間───この場合は、妖怪などの人外も含めてのことだが、人間は、共感する生き物だ。

 悲しい話を見れば自分を投影する。

 痛ましいものを見れば目を逸らす。

 おそらくは、中途半端だったら笑われる程度で済んだのだろうけど、それにしては僕は劣りすぎていたのだろう。

 欠点が投影されて、醜くなってしまった自分を見ているかのような。

 そんな錯覚を感じていたのかもしれない。

 理解させて崩壊させる。

 介入して根こそぎ奪う。

 そんな存在があるのだとしたら、それはまさしく───悪じゃないか。

 そんなのは───生きているだけで害悪だ。

 

「───まあ、七割方嘘や想像だけど☆」

「僕の葛藤を返せ!」

 

 冗談のようだった。

 活字にするとしたら、語尾に星が付くほどの冗談だった。

 ていうか、冗談じゃねえ。

 ちょっと本気で考えてしまった僕が馬鹿みたいじゃないか。いや、実際馬鹿なのだけれども、馬鹿にはされたくない。

 八意さんはくすくすと楽しそうに笑っている。実年齢はわからないけれども、二十代前半らしき見た目に反して、無邪気な子供のような笑い方だ。

 そう、悪戯に成功した子供の笑い方と表現すれば伝わるか。

 

「それでも、ウドンゲが貴方を嫌っている理由はさっき言ったようなものだと思うわよ?あの娘、貴方のこと『波長が出鱈目過ぎて気持ちが悪い』なんて愚痴ってたし」

「はあ。……ところで、波長っていうのは何ですか?───いえ、意味は知ってますよ?記憶力は皆無ですが、無知なわけではありませんから。…………すみません、やっぱり不安になったんで、確認してもいいですか?」

 

 八意さんは「ええ、いいわよ」と快く頷いてくれた。心なしか口角が震えている。

 

「例えば電波とか音波とかの、空間を伝わる不可視の波のことですよね?」

「一般的にはそう認識されているわね」

「だとすると、鈴仙が見ている波長は別のもの───普通は見ることができなくて、その人間の異常性がわかるもの───つまり、脳波ですか?」

「少し───いえ、結構違うわね」

 

 あれ。

 わざわざ言い直すほど、結構違うらしい。

 自信があっただけに、妙な気分だ。

 八意さんが指を立てて、出来の悪い教え子にものを教える教師のように言う。

 

「さっき言っていた通り、音も光も波で出来ているわね。だけど、それだけが波長の全てじゃない。空間も、生物も、物質も、思考も、感情も、存在だって。この世のほとんど全ては波で出来ていて、それの違いが種族や性格の違いとなって現れる。ウドンゲはその全ての波を観測して、操ることができるのよ。例えば、感情の波長が短ければ短気になって、逆に長ければ暢気になる。存在の振幅を増やせば存在が過剰になって、振幅を減らせば存在が希薄になる。───貴方は、貴方を構成する波長の全てがぐちゃぐちゃなようね」

 

 ほんと、生きてるのが不思議ね。解剖してみたいわ、と。

 八意さんが物騒なことを言う。いや、それはあまり重要視しべきことではないが。

 それよりも、危険なのは鈴仙の能力の方であろう。

 波長を操る───今教えてもらったことを鵜呑みにするのなら、この世のほぼ全てを操るに等しい能力じゃないか。

 ……今までからかっていたことを謝るべきかな。

 しかし、博麗に水橋、八雲さんにルーミア。あと、射命丸に星熊さんに古明地。

 不干渉、永久機関、境界、闇、大気、説明不能な力、無意識。

 幻想郷女の子たちの能力は、バトル漫画のインフレも真っ青だ。

 ……あの緑髪の巫女は、手品レベルの奇跡しか起こせないらしいし、僕が知る中でも例外だが。

 もしかしたら僕の出会った彼女たちだけが特別能力が強かっただけなのかもしれないけど。

 ちなみに、姫海棠はあれだ。

 妖怪のくせに、緑巫女よりも能力がしょぼい。

 使える場面も随分と限られているし。

 まあ、妖怪の強さは能力だけでは決まらないらしいから、能力以外のことに関しては何とも言えないけど。

 八意さんは考えを廻らせる僕をひとしきり眺めた後、

 

「それで、今日はどこが悪いのかしら?」

 

 と、聞いてきた。

 どこが悪いのかと聞かれると、性格ですと答えたくなってしまうのだが、ここは逸る脊髄をぐっと抑えて返答をする。

 

「全身に倦怠感があって、吐き気、頭痛、熱っぽさがある以外は至って健康ですよ」

「不健康っていうのよ、それ」

 

 脊髄に任せないにせよ、僕の思考は既に巫山戯ていた。

 八意さんはどこからか錠剤を取り出すと、それを強引に僕の口へとねじ込む。水は用意してもらえなかったので、薬っぽいじわりとした苦い味が口の中に広がり、口角を無意識の内に上げて口内に空気を取り込もうとする。

 そんな僕を尻目に八意さんは僕の服の袖を捲り、いつの間にか───おそらく薬の影響だが、浮き上がっていた模様を見た。

 

「肝機能に……それと、小さいけど脳腫瘍……?こんな短期間に、よくもまあこんなに体調を崩せるものね。逆に尊敬するわ」

 

 彼女が言うには、肝臓は『鬼殺し』を飲んだのではないかと疑うほど急激にアルコール性肝炎になっていて、脳には本当に小さな腫瘍が見つかったらしい。

 初めてここに来た時よりはずっとマシな状態だが、放っておいたらやはり死ぬらしい。

 幸い、薬でどうとでもできる範囲の病状だったらしく、すぐに薬を処方してもらえた。八意さんは治しても治してもすぐに病気を患う僕の体に興味があるらしく、これからも定期的に検診に来るのを確約することで薬代を免除してもらえている。

 今は僕の細胞を使って、何やら怪しげな実験をしているとのことだが、僕に害が及ばない限りはさほど気にすることでもないだろう。

 

「そういえば───姫が貴方に会いたいと言っていたのだけれど、どうかしら?」

「……姫?」

 

 蓬莱山輝夜のこと……だろうか。

 名前もかぐや姫を意識した感じだったし。

 しかし、前は名前を呼び捨てにしていた気がするが、僕の記憶違いだっただろうか。

 僕がそう言うと、彼女はふふっと笑って、

 

「これでも私、従者なのよ。仕える姫の一人や二人、いたって不思議はないでしょう?」

 

 と言った。答えになっていない。

 その言い方だと蓬莱山の他にも別の姫がいる感じだ。

 ……とすると、やはり彼女の言う姫とは蓬莱山のことではないのか。永遠亭は以前迷ったときに一通り散策したと思っていたのだが、まだまだ見ていない部屋があったのか?

 ……まあ、必ずしも僕が散策をした時間帯に外出していないとは限らないのだけど、少なくとも生活の跡は四人分しか見あたらなかったのは記憶している。

 しかし、従者。従者か……。

 

「従者───のスタイルなんですか?その服……」

「趣味よ」

 

 言い切った。

 断言した。

 

「……さいですか」

「さいですよ」

「………………」

「………………何か問題でも?」

 

 天才の趣味は、常人には理解できないらしい。

 というか、鈴仙やヨモツの服もあんたの趣味じゃねえだろうないや絶対そうだろ。

 

「いえ、えっと、その姫に会えばいいんですね?幸い、時間なら切って売るほどはなくても、余ってはいますから、構いませんよ」

「ええ、じゃあ、付いてきて」

 

 僕は八意さんに案内されるままに、おそらくは無意味に長い廊下を、彼女の後ろに付いて歩いていく。古くさい造りのわりには随分としっかりした廊下で、この手の家にありがちな、廊下を歩くと鳴る嫌な音がしない。

 僕と八意さんの足を運ぶ小さな音だけが耳に入る。

 それ以外に音はしない。

 屋敷の外側と隔離されているような印象だ。

 

「……そういえば、その右目は───」八意さんが聞いてくる。

「気にしないでください。病気でも怪我でもありませんから」

「…………そう、ならいいわ。……けど、視力が正常なのにそうやって仮面で隠していたら、仮面を外した時に目が痛むわよ」

「そのことについては心配ありませんよ」

 

 外すつもりはない。

 外すことはない。

 この仮面を初めて着けた時から、この右目は暗闇しか見ていない。

 僕は僕の所有する右目で外の世界を覗くことはこれからもないだろうし───見ることをしなくとも、僕の右目を外の空気に触れさせることさえ論外だ。

 数少ない、僕の譲れない部分の一つなのだ。

 

「私は医者じゃなくて、薬師だから」

 

 あまりに唐突で、脈絡が無く、一瞬何を言っているのかわからなかった。

 というか、医者じゃなかったのか。

 

「───治すことじゃなくても、変化させることもできるのよ」

「……医者だって変化させること、しませんか?手術とかそのもっともたるものじゃないですか」

 

 僕が言うと、八意さんはプッと吹き出し、可愛らしく口元を押さえて笑った。

 

「貴方が言ったんじゃない。『医者はもとからあったものを変化させるものじゃなく、治すものだ』なんて」

「はあ……そんなこと言いましたっけ」

「言ったのよ」

「言ってません」

「言ったのよ」

「言ったかもしれませんけど」

 

 言った覚えはない───が、それ以上に僕の記憶力は信用ならなかった。

 ……おそらく、彼女が言ったのは僕の右目のことなのだろう。気にしていないと言ったら嘘になるのだが───それももう、受け入れている。

 諦めている。

 これはもう、どうにもならない。

 どうにかできても、しなくてもいい。

 どうにかしてしまったら、どうにもならなかった過去が否定されたような気がして。

 そんな風に自分の中で折り合いを付けて、現実を知った気になる。

 僕なりの処世術。

 意味は少し違うかもしれないが、そこはかとなく伝われば、言葉としてはそれで十分だろう。

 八意さんに付いて歩いていくと、他の襖よりも一回り大きな襖に行き当たった。

 八意さんがそれを開けて、手で僕に中に入るように促してくる。

 どうやら八意さんは入らないらしい。

 部屋の中に入ると、八意さんが襖を閉めた。

 どんな姫がいるのかと期待半分もなく不安が七割を突破したところで、奥の座敷を見る。

 美しい少女だった。

 和風仕立ての洋装を纏った───とても美しい少女だった。

 『人形めいた』という表現がぴたりと当てはまるほどその容姿は人間離れしていて、美術品のような美しさを醸し出している。

 好奇に煌めきあらゆるものを嗤っていそうなその目から読み取れるものは不明瞭。

 腰を通り越すほど長く、黒い艶を出す髪はヨモツのそれとは対称的に、光をわざわざ集めて反射しているようでもある。

 純然たる美しさ。

 美の究極系にしてハイエンド。

 だが───その美しさには好感を抱くでもなく、ただただ美しいという感想があるのみだ。

 美術品を愛する人はいても、美術品と結婚したいという人がいないのと同じ。

 人間らしさの欠如。

 宇宙人とでも相対している気分になる。

 

「よく来たわね」

 

 彼女がこちらを真っ直ぐと見据え、口を開いた。

 鈴を転がすよりもずっと美しく、凛とした声だ。

 

「よく来たっていうか───どちらかというと、必要に迫られて来ているんだけどね」

「病気の誘発体質だっけ?大変よね。……貴方さえ良ければ今の健康な状態で保ったまま固定化することが可能だけれど?」

 

 彼女の目が妖しく光る。

 僕も既に現時点で彼女を人間として捉えていない───宇宙人みたいなものとして捉えているが、彼女だってまた、僕のことを面白い玩具としてしか見ていない、そんな気がする。

 まあ、これはどっちもどっちなのだろう。

 団栗の背比べや五十歩百歩の表現を用いるには、些か僕のスペックが足りないかもしれないけど。

 

「やめとくよ。最近はここに来るのに竹林で迷うことにも妙なやりがいを感じてきているからね。わざわざ自分でその楽しみを潰すわけにもいかないさ」

「ここに住めば迷い放題なのに?」

「迷い過ぎて餓死しそうだ」

「……うん、まあ、ありそうよね」

 

 初対面でそこに納得されてしまうのも些か問題があるような気がしないでもないのだが、せっかく納得してくれたのに水を差すこともないだろうと、口を噤む。

 そういえば名前を聞いていなかったなと彼女を見ると、僕の意を察してか、座敷から優雅に立ち、優婉にスカートの裾を摘むと、優美にお辞儀をして自己紹介を始めた。

 

「申し遅れましたわね。わたくし、蓬莱山輝夜と申します」

「……おや、きみが蓬莱山だったのか」

「他に誰がいると思って?」

「まだ見ぬ誰かじゃないか?」

 

 蓬莱山がくすりと笑い、口元を服の袖で隠しながら歩み寄ってくる。

 威圧感を感じたわけでは断じてないし、僕が僕よりも少し年下の外見をした女の子(幻想郷では外見年齢が当てにならない)に近寄られて気圧されるほどチキンなわけでもなかったが、特に理由もなく一歩半ほど足を後ろに動かした。

 近寄るのは間違っている気がした。

 触れることはさらに違う気がした。

 考えてみれば、高価な美術品などを見て、触るのは少し気が引けるのと同じようなものだったのかもしれない。

 

「ふぅん───そうね、そう……。……名前を聞いてもいいかしら?」

 

 彼女は何か納得したように頷いた。

 ヨモツのときのように見透かされたような感覚はなかったが、よくわからないままに不快だった。

 

「本名は嫌いでね。だからといって自分で自分に名前を付けるのも変な感覚だから、ここの住人には好きなように呼んでもらってるよ」

「例えば?」

「今のところは、一般的な代名詞に、嘘吐き、どろどろ、欠損体、ファントムさん、あとはおにーさんって呼ばれてる。もっとも、僕が忘れてるだけで他にもあるかもしれないけど」

 

 ちなみに、あだ名は星熊さん、ルーミア、八雲さん、射命丸、古明地の順だ。……欠損体やファントムさんはギリギリわからないでもないが、どろどろって何だどろどろって。

 僕はくさったしたいかよ。

 

「やっぱり───ええ、面白い。本当に面白いわ。こんな存在がいたなんて。永琳はもちろんこれを理解しているのだろうけど、ああ───勿体ない。こんなのを放っておくなんて、勿体なさ過ぎる。そうね、今後は貴方のことを───ヤチホコ、いえ、これだと鈴仙が怒りそうかしら……。それじゃあ、マガツイ、モノイミ、ハハキ、……やっぱりカガセオかしら。うん、貴方をカガセオと呼ぶわ」

 

 彼女はその歩みを止めないまま、たっぷりと悩んで結論を出したのだが、僕にはどれがどう違うのかがさっぱりだった。

 蓬莱山がじわりじわりと近づいてくる。

 一歩ずつ踏みしめるように。

 一歩ずつ追い詰めるように。

 既に襖は閉まっているから、逃げれない───逃げようと思えば逃げられるのだが、それは大変な失礼だろう。外には蓬莱山の従者を自称する八意さんもいることだし、もし出たとしても逃げられはしないだろう。

 だから、動けない。

 蓬莱山の雰囲気が変わり、彼女の妖しい微笑がいやに脳内にこびり付く。

 彼女の唇が僕の顔に触れてしまいそうなほど近づいた。

 僕の眼球に映る彼女の半眼から目が離せなくなる。

 いや───目を離したくないと思い始めている(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 意識が彼女の魅力から目を離すことを拒否するようにコントロールされているのだ。

 艶やかな黒髪が僕の手にかかり、これを自分のものにしたいという衝動が沸き上がってきた。

 彼女がどんな存在であろうと、どうでもよくなってくる。

 

「ねねぇ、カガセオ」

 

 蓬莱山輝夜は言う。

 甘く優しく蕩けそうなほどに。

 思わず従いたくなってしまうほどに。

 

「───私の玩具(モノ)になってみない?」

 

 それは、抗いがたい誘惑だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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