だから彼女は空を飛ぶ (NoRAheart)
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第一章/プロローグ
だから彼女は今日を生きる 【挿絵有り】


ヴィッラ嬢に、カノ飛ぶの宣伝をしていただきました。

【挿絵表示】


youtubeの方では動画バージョンの方もアップしております。
気になる方は活動報告欄よりぜひご覧ください。


挿絵、動画を提供してくださいました華山様には、心から感謝を。




運命というものは何とも奇怪で、そしてとても恐ろしいものだとふと思う。

 

唐突だが私は転生というなんとも世にも不思議な、荒唐無稽な出来事に遭遇してしまった。

しかもおそらく……おそらく二回もである。

 

転生者とは持論で定義すると、それは前世の記憶を持って異なる時代、異なる世界に生まれ変わってしまった者を指し示している。

転生前、一度目の世界においては転生ものの二次小説なるものにおいて、そのような事態に巻き込まれるとき大抵は神様が何かしらの能力を与え、その世界で俺tueeee(意味はよく分からないが、おそらくその世界で最強になることを指す事だと思う)なるものをするらしい。

しかし生憎私にはそういったことは起こらず、気づいたらそこに存在していた……そんな表現がきっとあっているのだろう。

私は目が覚めたら三歳ほどの幼子になっていた。

 

 

 

 

 

一度目の――久瀬優一としての人生はとある島国の“自衛隊”という組織の一戦闘機乗りだった。

幼少の頃、その時の彼の両親が乗っていた飛行機がテロによって墜落した事によって帰らぬ人となった事を受け、空を護る事を強く意識した事もあるが何より彼は空を飛ぶことを幼少より憧れていた節があった。

そうして高校卒業後、航空学校を経て空自に配属され、最初に飛んだ憧れの空は――酷く赤かった。

運が悪かったとしか言いようが無かったが、戦争が始まったのだ。

中国とロシアで同時に起こった軍によるクーデター。

裏にはそれらの動きを操り世界征服を本気で企んだ者がいたとかいなかったとかいう噂があったが、彼には一切合切関係のない話だった。

日本は憲法九条を、専守防衛を守り続けた。

それは自衛隊が反撃に乗り出せない事を指す。

攻め入る中国とロシアのクーデター軍、護ることしか出来ない彼ら。

昼であろうが夜であろうが、晴れであろうが風が吹こうが雨が降ろうが、敵は連日のように日本の領空に攻め入り爆弾を落としにかかる。

否が応でも連日飛び続ける中で、同じ窯で飯を食べた同期の仲間達は、面倒見の良かった先輩方は、兵員不足で招集させられた航空学生の後輩たちも、皆、みんな死んでしまった。

唯一の肉親だった妹も、運の悪い事に唯一爆撃を許した土地で爆撃を受けて死んでしまった。

気づけば十年、空を飛び続け、空を守り続け、漸く戦争が終わった頃には彼の周りには何も、誰もいなかった。

ただ彼にあるのは、胸に輝く“大量殺人者”としての勲章と、増えた横線と星の数だけ。

そんな彼の最期は、スクランブルした先に見た未知の黒い大型航空艦。

多くの犠牲を払いながらも何とか撃墜した艦の破片が彼の機体にぶつかり、その先の記憶は全くない。

恐らく彼はその時に死んだのだろうと納得した。

 

二度目の人生――ヴィルヘルミナ・F・ルドルファーとしての人生の記憶は何処か曖昧で、虫食いだらけのビデオを見せられたかのような何処か他人事のような記憶だが、覚えている限りでは彼女もまた空の人であった。

一度目の人生との違いは、世界が大きく違う、つまるところは異世界であるということか。

一つ、彼女の世界では魔法というものが――殆ど女性限定のようだが――当たり前のように存在している事(何処のメルヘン世界だろうか?)

一つ、史実(彼女の前世)では第二次世界大戦開戦の十年程前に産まれた彼女なのだが、生前の日本と全く同じ形をした島国の名前は大日本帝国や日本国ではなく扶桑皇国となっており、史実(彼女の前世)より積極的に海外進出を行っていて、大規模な海洋貿易国家になって、他にもリベリオン合衆国(アメリカ)ブリタニア連邦(イギリス)帝政カールスラント(ドイツ)など国家の名前や在り方なども大なり小なり前世の歴史とは異なっている事。

一つ、1940年代の時点で人類同士の大戦争が起きていない事。

これについては前世の事もあって大変喜ばしい限りなのだが、それにはしっかり、ちゃっかり、一つ目の世界にはいなかった全人類共通の敵、「ネウロイ」の存在があるからである。

1939年、欧州に突如として侵攻を始めるネウロイ。

それを倒すには、表面装甲を削り、内部のどこかに存在している赤いコアを破壊する事以外の手段は彼女が生きている間では確認されてはいなかったが、その表面装甲を削るのは通常の携行火器では困難で、その難易度はネウロイの大きさに比例する。

大型のネウロイの装甲を効果的に削るには、それこそ戦艦クラスの主砲を持ってくるか、魔法による攻撃しかない。

嘆かわしい事にも戦いの主力は当然魔力を持つ女性が、しかも魔力のピークが来る前の十代の若者たちになってくる。

航空戦力に関しては、より魔力を必要とする「ストライカーユニット」なる兵器の存在によってそれが顕著だった。

彼女もまた、この兵器を履いて戦場の空を駆けた。

彼女にはお世辞にも空戦の才能があった訳では無かったが、彼女の固有魔法「降霊」によって戦線で死亡した兵士を降霊し、戦線の情報を知り取る事が出来たため、気味悪がれはしたが、後方においてはかなり重宝された……が、最後は前線で窮地に陥った仲間を救うために飛び出し、庇って死んだ。

それが二度目の人生の終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「解せぬ」

 

 

そうして迎える事になった三度目の人生。

私は目の前に映る光景の前に、盛大なデジャヴを覚えながら呟いた。

白みがかった銀糸の髪、三歳児というのに将来が期待できる整った顔。

欧州人特有の白色の肌と、空のように淡い、碧眼。

厳しそうな目つき――は、今回は私の意識がはっきりしているせいだろうが……

しかし間違いない。

 

三度目の人生も、何故か再びヴィルヘルミナ・F・ルドルファーとして生きる事になったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナ・F・ルドルファーの人生の分岐点は十歳の頃にある。

彼女と彼女の両親は今現在カールスラントに住んでいるのだが、母方のガリアに住んでいる祖母が病気を患って、開業医である両親が医院をたたんで祖母の治療のためにガリアに引っ越すというものだ。

因みに父はカールスラント人、母はガリア人であり、詰り私はカールスラント人とガリア人のハーフということになる。

前世の私は学校の友人たちと離れるのが嫌で、父方の祖父母の家に残る事になるのだが、ネウロイの侵攻が始まってから、結局死ぬまでガリアに引っ越していった彼女の両親の消息は分からず仕舞いだった。

一度目の人生の時、両親に恩返しをすることなく両親が死んでしまった事もあるので此度の人生でもし同じことがあるとしたら両親についていく事にしようと心に決める。

 

 

「……」

 

 

とはいえその決断を迫られるまで恐らくまだ三年もある。

その間、私のするべきことは……正直言って思いつかない。

周りの同年代、七歳児のするべきことは外で遊んで、遊んで、兎に角遊ぶ事にある。

そうする事で未だ狭い己の見聞を広げる事が子供の仕事の筈なのだが、精神年齢が既に五十近くの私に今更そのような事、無理をしてやろうとしても、周りとの行動に差異が出てどうしても浮いてしまうのが分かる。

だから私の日常は、本の虫になって知識を増やすか、身体を鍛える事が専らになる。

……己が趣味の無さに呆れた。

生前の彼女なら、この年頃の時は花を摘んだり、友人と駆けまわったりしていたものだが、そんな乙女チックな事、今の私には難易度が高いと諦めた。

女になることはできても、乙女になることは正直柄ではないのだ。

しかし家に篭り続けて本ばかり読んでいると、両親に「友達はいないのか?」と心配され、幼少より過度な運動をするのも成長過程であるこの身体にとってもあまりよろしくない。

だから、私は外に出て只々ぼ~と、野原に寝ころんで空を眺める事しかやる事が無かった。

 

空は何処までも青く、雲はゆっくりと西から東へ。

二度の人生において、二度も空で死んだにもかかわらず、私は未だに空に焦がれる。

地を這って生きるのはどうにも性に合わない。

其処が私の帰るべき場所だと、天に届けと手を空に翳し、伸ばし――

 

 

「今日は何してるの、アッツ?」

 

 

空を遮られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エーリカ・ハルトマンにとってヴィルヘルミナ・F・ルドルファーという女の子は不思議な存在だった。

彼女と知り合ったのは何時頃だったか。

気づいた時には知り合っていたという言い方が正しいのかもしれない。

親の仕事の繋がりで彼女とは知り合いになったのだが、その頃から幼いながらも彼女は他の女の子とは何処か違っていた。

彼女は常に静かだった。

他の子とは違い、落ち着きがあって、余計な事は語らない。

彼女は何でもできた。

かけっこも、水泳も、木登りも、運動に自信のある私よりも上手だ。

彼女は物知りだった。

勉強は常に一番で、私たちの知らない事を何でも知っていた。

 

そんな彼女は学校で常に浮いた存在だった。

誰も彼女に関わらず。

彼女も誰とも関わらない。

子どもの中に場違いな大人が混じっているようで、彼女と関わっていると自分が子どもだっていう事を否が応でも意識させられる――というのは我が愛しの妹の話。

 

 

「今日は何してるの、アッツ?」

 

 

野原でただ一人、空に手を伸ばす彼女を見かけた私は駆け寄って声を掛けた。

彼女が何でも知っている事からいつの間にか付いたあだ名、「博士(Arzt)」。

呼ばれた彼女は視線をゆっくりと私に移し、細めた碧眼が私を捉える。

 

 

「さぁ、何も……」

 

 

視界を遮った私に不機嫌そうに、視線で、口調で、訴えるように返すアッツ。

私はまるでお母さんに叱られたような感覚を覚えるが、あそこで彼女を遮らないと、どこか遠くに一人で行ってしまう、そんな気がしてしまったから、私は彼女の視界を遮ったのだ。

ここで引いてしまっては意味がない。

 

 

「それで?」

「え?」

 

 

突然彼女が普段通りの声で話しかけてきたものだから、戸惑い、返答に困る私に彼女は「なにか用じゃないのか?」と問いかけてくる。

 

 

「え、えっと……きょ、今日も、その……何か知らない遊びを教えてくれないかな……なんて、思って……」

 

 

彼女の揺れない真っ直ぐな視線に晒され、ついつい、いけない事なのに言葉がたどたどしくなってしまう。

暫く沈黙する彼女だが、すぐに立ち上がり、埃を払って「分かった」と答え、私に背を向けた。

 

 

「教える。道具を家から取ってくるから待っててくれ」

「……ううん」

「ハルトマン?……あっ」

 

 

私は彼女が答えてくれたことが嬉しくて、つい私は彼女の手を取って駆けだした。

戸惑う彼女に、私は緩んだ頬のままで誘う。

 

 

「一緒に行こうよ!!」

 

 

彼女はいつも独りだった。

でも独りは寂しい。

誰も彼女に近づこうとしないなら、せめて私くらい彼女の友達でありたいと願う。

だって彼女を知らない人からしたら、彼女は確かに怖いかもしれない。

けれども本当の彼女は優しい事を、私は、私だけは知っているから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界に転生して一番不思議に思うのは、女性が皆が皆、パンツ姿で居ることだ。

疑問に思ったことは幾星霜。

しかし皆、明らかにパンツであるこれを「ズボン」だと言い張るものだから、固定観念というものは恐ろしいものだとつくづく思う。

とてもスースーする、ズボンという名のパンツもどき。

男だった私が男物のズボンが恋しいと思う事は当然だと訴えたい。

 

さて、突然私の視界を遮ったエーリカ・ハルトマン。

どうやら彼女は私に遊びを教えてほしいとの事だが、その知的探求心には本当に脱帽する。

彼女は私の通う学校において、その明るい性格からクラスの人気者であることは私でも知っている事だ。

そんな彼女が態々私のような者の所に度々訪れるのは偏に新しい遊びを知りたいからであろう。

そうすれば彼女は友人たちと遊ぶ手段が増えるのだ。

そういった努力を怠らない、彼女は、人気者とは大変なものだとつくづく思った。

 

 

「教える。道具を家から取ってくるから待っててくれ」

 

 

ここから駆ければすぐ近くにある私の家。

道具なんてすぐに持ってくる事はたやすいのだが、彼女はそれを拒否して私の手を取った。

引っ張られ、私は力に従って前のめり。

 

 

「一緒に行こうよ!!」

 

 

振り返り、満面の笑みでそう語るハルトマン。

私はそんな彼女の顔があまりにも眩しかったから、私は思わず目を逸らしてしまった。

そうして手を繋いだまま刹那の距離を駆け抜け、私の家に着いたのはいいのだが偶々外で洗濯物を干していた母にハルトマンと手を繋いでいるところを見られ、からかわれ、二人して逃げるように二階にある私の部屋に。

私の部屋はハルトマン曰く「物が無さ過ぎる」らしい。

確かに私の部屋にはベッドとクローゼットと机とその上に数冊、書籍があるだけだ。

だからと言って特段欲しい物がある訳ではないのだが。

 

 

「アッツ、これは?」

 

 

ハルトマンが指を指したのは木彫りのF-35。

生前の私の、久瀬優一の搭乗機だったものである。

暇を持て余して彫ったものだが、正直に答える訳にもいかなかったので「秘密」とだけ答えた私に、ハルトマンは「上手だね」とだけ答えてベッドに大人しく座ってくれたのでほっとする。

 

私が彼女に今回教えたのは竹とんぼ。

木製だが竹とんぼ。

二人で木の枝を削ってできた物を、外に出て飛ばしてみれば、思いのほかよく飛ぶものだから楽しくなって何度も何度も子供のように――事実子どもなのだが――遊んだ。

 

 

「アハハ。楽しそうだね、アッツ」

「そうか?」

 

 

笑いながら指摘するハルトマンにとぼけてみせると彼女は更に笑う。

 

 

「私の作った物が空を駆け抜ける様を見るのはいいものだ、ハルトマン」

 

 

そう言って私は手に持った竹とんぼを飛ばしてみせた。

飛ばした竹とんぼは今までで一番の飛行を見せたが、やがて回転を失って少し遠くに落下していった。

それはまるで、私の今までの人生を代弁しているかのようで――

 

 

「ならなんでそんなに悲しそうな顔をしているの、ミーナ?」

 

 

いつものように私を「アッツ」ではなく「ミーナ」と呼んだ彼女に、そして彼女の指摘したその言葉に私は驚き、沈黙を経て、私は「一番飛んだ竹とんぼが、しかし落ちたからだ」と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が静かに地平線を撫で、夜の帳を降ろす頃合いが近づいている。

日がかくれんぼを果たす前にエーリカ・ハルトマンは家に帰らないといけない。

しかし彼女は私を何度も振り返り、腕を振っている。

 

 

「ミーナ、また遊ぼうね~!!」

 

 

そう言って地平線に駆けていく彼女。

そんな彼女に応えるように腕を振る私の傍に、母が微笑みながら近づいてくる。

曰く「いい友達を持ったわね」と。

 

 

「私はハルト……エーリカの友達なのですか?」

 

 

名字で呼んでエーリカに何故か怒られたので、慣れる為に慌てて訂正しながら私は母にそんな事を聞いた。

母は私の質問に少し困った顔を見せて、しかしすぐに慈愛をもって私の髪を撫でて私の問いを肯定してくれた。

母の手櫛はとても心地よいものだった。



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だから彼女は嘘を吐く

人が自身の力で空を飛ぶことはできない。

それは太古から現在に至り、そして未来永劫、恒久不変として変わらぬ事実なのだろう。

しかしそれでも人は太古より空を目指した。

イカロスが、ダ・ヴィンチが、ライト姉妹が。

様々な偉人たちが空を目指した訳とは一体全体何なのだろう。

地の覇者といっても過言ではない人類が、空を、翼を求めたる理由とは?

 

 

「それは単なる欲から来たものではないか?」

 

 

向かい側より凛とした声が鳴る。

私は文字の海より顔を出すと、私と同じように本を読みふける一人の少女が座っていた。

いつの間に座っていたのかと一瞬こそ思いはしたが、恐らくそれは単に私が本に熱中して気づかなかっただけ。

いつものことだ。

それよりもなんで私の考えていたことが分かったのか?

そちらの方が私にとって重要な問題だった。

 

 

「貴女の口から問われたものに私はただ答えただけ……なにか拙かったか?」

 

 

それを聞いた私は「ああ、それは恥ずかしい」と少し顔が熱くなってしまう。

が、しかし対面の彼女は私の羞恥など気にした様子もなく、文字に目を落として書を読み進めるだけ。

そんな彼女の反応に、子供だったその時の私はむくれ、けんか腰で「欲とはどういうことか」と言い返す。

 

 

「……私はただ持論を言っただけ。不快に思ったのであれば謝る」

 

 

ゆっくりと面を上げた彼女の、空のように透き通った碧眼が私を捕える(捉える)

 

 

「どういうこと?」

 

 

彼女の言う持論というものが気になり、彼女に説明を求めるが彼女は少し困った顔をした。

なんでも、人に持論を語る事が恥ずかしいとのことだ。

私はそれでも是非にと彼女に頼むと、彼女は少しばかり悩み、そしてゆっくりと語りだしてくれた。

 

 

「人とは業の深い生き物。我々の持ちうる欲は枚挙に遑がない。そして人の欲というものは自然を、動物を、果ては人間同士さえにも影響をもたらす。これほどのものは人以外にはいないだろうと私は思っている」

 

 

そう言って彼女は木製のテーブルを二度、軽くノックしてみせた。

 

 

「人は利便を求めて道具を作った。強き獣や他者を降す為に武具を作った。人は地を総べる為に車や戦車を作った。海を総べる為に船を作った。全ては人の欲によって生み出されたもの。欲とは、言葉自体は単に悪いイメージを受けやすいが、しかし欲が無ければ人類の文明は此処まで発展する事は無かったのもまた然り」

「……」

「えっと、少し難しかったか?」

 

 

彼女の問いに私は首を横に振るが、正直に言うと、彼女の考え方は私にとって難しいモノであった。

彼女の考え方は、とても同年代とは思えないほど難しい。

私は、歳はきっと、まだ私とあまり変わらない筈なのに、そんな考え方が出来る彼女に感心するのと同時に、少しばかりの悔しさを覚える。

 

 

「そう」

 

 

しかし彼女は気づいていないのか、はたまた私の事など歯牙に掛けていないのか、彼女が私の感情の起伏に反応を示す様子はない。

 

 

「人は空を飛べない。飛ぶ必要もない。地を、海を総べた人類はそれで事足りた筈。それなのに人が空を飛ぶことを求めたのは何故か。輸送の利?重力からの脱却?考えてみれば答えはいくらでもあり、故に最終的な答えは私には分からないが……」

 

 

ふと彼女は、窓から外に視線を移す。

彼女の、その視線の先に一体何を見るのか?

気になって、私も追いかけると、番らしき二羽の鳥が窓辺で楽しそうに宙を踊っていた。

 

 

「もしかしたら単に、鳥のように自由に空を羽ばたける翼が欲しかっただけだったのかもしれない」

「……」

「またそれも欲、最初に話した私の持論になる」

 

 

それからしばらく、彼女は本を再び読むことをせず、外で、空で舞う鳥を眺め続けている。

外を眺める彼女のその瞳の色は羨望にも、郷愁にも見える。

そんな彼女に私は声を掛ける事が出来ず、しかし彼女のことが気になって再び本を読み進めることもできず、時間ばかり過ぎてゆき。

そしてとうとう、お昼休みの終わりを告げる、鐘が鳴った。

彼女はゆっくりと席を立ち、「ではまた、ハルトマン」と私に別れを告げて図書室を去っていった。

静かになったこの学校の図書室に残るのは、私だけ。

一人になった図書室で、どうして彼女は私の名を知っていたのだろうとふと思う。

しかしそれよりも――

 

 

「綺麗な髪……」

 

 

私の目の裏に残る白銀色の残滓。

それは彼女が去ってなお、強く私に刻む。

私もまた午後の授業に出る為に席を立ち、図書室から去るのだけど。

図書室から出てすぐ、私は廊下を右左と見た。

もしかしたら、まだ彼女の後姿を捉えることができるかもしれないと期待したけれど。

しかし私の視界には先に出た筈の白銀糸の彼女の後姿は何処にもなく。

その事に、少しがっかりとしてしまっていた自分がいる事に驚いた。

家族以外の人に興味を持ったのは何時ぶりだろうか。

また、会えるだろうかと。

そんな淡い期待を持って、私もまた、自分の教室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エーリカさん、それとヴィルヘルミナさんまで宿題を忘れたのですか!?廊下に立ってなさい!!」

「ごめんなさいぃ……」

「こんな歳にもなって、忘れ物なんて………不覚だ」

 

 

私が白銀糸の彼女と、実は同じクラスだったという事を知るのはそれからすぐ後の授業の時だったりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コトコトと鍋が煮え、ザクザクと野菜を切る音。

フライパンに引いた油のジュッと自己主張をする音。

さまざまな音が台所を支配し、反響し、壮大な音楽、オーケストラを奏でている。

 

 

「くっ……」

 

 

しかし楽しげな音楽に反比例するように、そのオーケストラの指揮者たる料理の作り手、ヴィルヘルミナは苦悶の表情で指揮棒を振るう。

額には大粒の汗。

まるで長距離を全力疾走しているかのように、彼女は肩で呼吸を繰り返す。

 

 

「ミーナ……」

 

 

後ろで見ていたエーリカの不安げな声が掛けられる。

それは彼女を心配してのことか、はたまた料理を心配してのことか。

 

 

「大丈夫だエーリカ・ハルトマン。心配せずともすぐできるから、席で待っていてくれ」

「でも……」

「む、エーリカは私の料理の腕を疑っているのか?」

 

 

ヴィルヘルミナは笑みを浮かべながら彼女にそう問いかけると、彼女は「違うよ」と首を横に振りながら強く否定し、逆に彼女はヴィルヘルミナにこう問いかけた。

なんで料理を魔法でしてるのさ、と。

 

 

「何故、か。言ってしまえばこれは訓練だ、魔法のな」

「訓練?」

「そうだ」

 

 

ヴィルヘルミナには生前より、常人より高い魔法力を保有してはいたが、本人の未熟さ故にそれを十全に扱い切れていなかった。

彼女は今世こそはと魔法の訓練を常日頃行っていたのだが、いかんせん彼女には魔法に関してのノウハウというものが全くなかった。

書籍においても魔法のコントロールに関しては色々と意見がありすぎて参考にならない。

結局魔法のコントロールは自己の感覚に依るしかないと両親に内緒で、ヴィルヘルミナは一人隠れ、訓練していた――内緒にするのは、まだ幼い自分が魔法の自主訓練なんかしていたら十中八九不審がられるだろうと想像に易いからである――が、しかし先月、不覚にも魔法の訓練をしているところを母に見られてしまったのだ。

当然ヴィルヘルミナは魔法を使っていた事を母に問いただされるが、今までしてきたことを正直に、理由は暈し、話すと。

 

 

『なら、私が先生になってあげましょうか?』

 

 

怒られるかもと身構えていたヴィルヘルミナに、意外な事に彼女はヴィルヘルミナの頭を優しく撫でながらそう答えたのだ。

母は治癒魔法の使い手として地元では名の知れている人物であった。

魔力量こそ常人とあまり変わらぬ量なのだが、彼女の魔法のコントロールは、彼女のお父さん、詰りはヴィルヘルミナの祖父に――祖父は世界でも珍しい男性ウィッチであった――厳しい師事を受けた為に繊細かつ無駄のないものであったことを、前世の頃よりヴィルヘルミナ自身がよくよく知っていた為、そんな彼女に指導をして貰えることはこの上なくありがたい事だった。

 

魔法を使って料理を行う。

これは祖父が母に嘗て課した、魔法コントロールの特訓の一つだったそうだ。

一見語ってみれば簡単そうな事ではあるが、その実かなりの魔法を持続させる為の集中力と、料理と正確な魔法の腕が必要になってくるので如何せん難しい。

そもそもこの世界で魔法というものは基本、固有魔法等の例外を除き、(体内)や触れている物に向けて行使するものであり、生前の著名なSF小説、「ハ○ーポッター」のような作品中に出てくる魔法のような、(体外)に向かって魔法を行使する事は何故かこの世界では見られない事に当初彼女は首を傾げていた。

が、しかし彼女のそれについての疑問は母に言われた通りの訓練を始めてすぐ、彼女はその理由を納得した。

魔法を使って物を浮かせるのは、自分の手で物を持って運ぶ事の何十倍、何百倍に集中力のいる事だったのだ。

この特訓をやってみると分かる事だが、(体内)に向けて行使する魔法に比べ、(体外)に向けて行使する魔法は仕事分に対する労力が全く釣り合わない。

故に(体外)に向けて魔法を使うことはないのであろうと、その時のヴィルヘルミナは思った。

だがそれは、魔法のコントロールが未だ下手な証拠であると、母はヴィルヘルミナに教えた。

要は小さく軽い物を持ち上げるのに両手で、しかも全力で持ち上げなくてもいいように、魔法を(体外)に行使する魔力量を必要仕事分、適切に、正確にすれば、いらない労力を使わなくてもよいのだと。

 

ヴィルヘルミナがこの訓練を行うようになって実は一年以上が経つ。

しかしヴィルヘルミナがこの訓練に対して大粒の汗をかき、息を切らしている事から分かるように、未だ余裕を持って取り組めていなかった。

つまり、ヴィルヘルミナの魔法はまだまだコントロールが下手なのだということである。

もしも何の知識もなく取り組めていたならば、此処まで苦労する事はなかっただろうが。

しかしなまじ前世で魔法を下手に使っていた感覚があるだけに、正しい使い方に矯正するにはまだ時間のかかる事だった。

 

指揮者が未熟で、徐々に慌ただしく乱れ始めた音、楽器(調理具)たち。

己の未熟さ故に乱れたそれを、ヴィルヘルミナは悔しそうに見、うなだれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――治癒魔法

 

 

外的ダメージを受け、傷ついた者を魔法で以って治癒し、人を死より遠ざけんとする固有魔法。

使い方や、込める魔力量によってはどんな瀕死の重傷を負っても正常な状態まで回復させる事が可能であるそれは、紛う事無く「神の御業」であると言え、きっとこの魔法は神様が私たち人間の為を思い、与えてくださった素晴らしいギフトなのだろうとマリー・F・ルドルファーはふと思う。

そして今、彼女の両手を光源に、優しくも、暖かな奇跡()が部屋中を満たしている。

それに伴って目の前で腕を抱えて苦しむ患者も少しずつ、少しずつだがその表情は穏やかなものになり、そして。

 

 

「もう大丈夫ですよ」

 

 

彼女の慈愛の微笑みとともに、神の奇跡は今ここに成ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近場の工場で起こった転落事故によって複雑骨折をしてしまった急患の治療を終え、家に帰りついた私を最初に出迎えてくれたのは、白衣を纏った夫のレオナルド。

 

 

「お帰りなさい」

 

 

彼の男性特有の落ち着いた声色が、私の鼓膜をくすぐってこそばゆい。

彼の優しげな微笑みが、私の視界を満たしてついつい嬉しくなる。

だから私も微笑んで彼に返す。

「ただいま、レオ」と。

 

レオと共にリビングに近づくにつれ、次に私を出迎えてくれたのはフワッと仄かに温かい、家庭料理のいい匂いだ。

スンスンと、我慢できずに私はその仄かな匂いをつまみ食いしてみる。

 

 

「ん、はぁ~……ふふ、いい匂いね」

「ああ、そうだねマリー」

 

 

お腹もいい具合に減っている私はついつい駆け出したくなる、逸る気持ちを抑え、私たちはリビングへ。

 

 

「あっ……こんにちは、おばさま」

「おじゃましてま~す」

 

 

リビングには、テーブルに皿を並べているハルトマン家の双子と。

 

 

「お帰りなさい、母さん」

 

 

娘のヴィルヘルミナが、その両手に抱えた料理と共に私を出迎えてくれた。

 

 

「ただいま、ヴィッラ。ウルスラちゃん、エーリカちゃんもいらっしゃい」

「ちょうどお昼ご飯ができたところですが、母さんもいただきますか?」

「勿論よ、もうお腹ぺこぺこだわ」

「分かりました、すぐに用意しますので待っていてください」

「私、お皿取ってきます」

「ああ。頼むよウルスラ」

 

 

席に着いた私の前に並べられる美味しそうな料理。

焼きたてのパンに濃い赤色をしたグーラッシュ。

それともう一品、様々な野菜等の上に半透明の黄金色のカーテンを被せた何か。

私がヴィッラにそれは何かと尋ねると、ヴィッラは「ハッポウサイ(八宝菜)です」と短く答えた。

 

 

「ハッポウサイ?」

「有り合せで作った贋作ですが、野菜を多く、美味しく摂れるという事でチャレンジして作ってみました」

「ハッポウサイ……発音からしてこれは扶桑の料理かい?」

「いえ、これは中華……」

 

 

そこまで言いかけたヴィッラは何故か言葉を詰まらせ、咳込み、そして「おそらく扶桑の料理です」と改めて答えた。

 

 

「おそらくとは……また曖昧だね」

「ごめんなさい父さん、作り方はしっかり見ていたのですけど何処の国の料理かまでは……」

「ああ、別に責めている訳じゃないのだから、落ち込まなくてもいいんだよヴィッラ」

 

 

レオの言葉に申し訳なさそうに答えるヴィッラ。

そんな彼女を見て、レオは苦笑いをしながら私にチラッと視線を向ける。

私も彼に微笑み返す事で応える。

 

 

――ヴィッラは私たちに、何かを隠している

 

 

根拠はない。

しかしどうしてかな、私たちにだけ分かる、愛しい娘の小さな隠し事。

何か悪い事をしでかした訳では無い。

本当に小さな、小さな隠し事。

それでも、ヴィッラに隠し事をされるのは悲しいけれど、それでも私たちは気長に待っていくつもりだ。

彼女が隠している事を私たちに気兼ねなく語ってくれるようになるまで。

私たちはヴィッラの親だから、少しくらいの隠し事ぐらい許容しないとね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず「中華料理」と言いかけた私の口から出たのは、心苦しい嘘だった。

ポーカーフェイスを顔に貼り付ける私だが、その実、内心ではかなり冷や汗をかいていた。

「中華」という言葉は、この世界においては通用しない。

それはその言葉を指すべき“国”が存在していないから故ではあるのだが、それは生前その土地に存在した国とこちらの世界の国との乖離によるものではなく、生前の世界の“中国”という国のあった土地に国自体が存在していないからである。

今現在、元の中国があった土地は、過去に巨大国家があったとされる記録はあれど、異形の怪物――恐らく怪物はネウロイを指すと思われる――に蹂躙されてノーマンズランドになっている。

存在しない国の名をあげる訳がなく、だから私は慌てて八宝菜を扶桑料理と誤魔化した。

料理なんて、その1国とっても地方ごとに在り過ぎるし、扶桑人に「嘘だ」と指摘を受けても扶桑のローカル料理と誤魔化せば、言い逃れとしてはある程度何とかなる筈である。

 

しかし仕方のない事とはいえ、自分の不手際の上に嘘を重ねるとは、私はなんて浅はかな人間なのだろう。

自己嫌悪はあまりよくないが……今後はボロが出ないように、これ以上嘘を重ねないようにもっと自分の発言には注意しないといけない。

 

 

「まあ、このハッポウサイ、おいしいわ」

「そうだね、流石ヴィッラだ」

「あ、有難うございます」

 

 

しかし……もしかしたら両親には私の嘘はバレてるかもしれないなと私は思う。

二人とも私が嘘を吐いた時、二人そろって私に優しげな顔を見せるのだから、もしそうなら二人には申し訳ないとしか言いようが無い。

そして同時に感謝したい。

嘘を笑って許容する包容力、これが親かと私は素直に感心する。

前世では、二度とも幼い頃に両親と死別、又は生き別れてしまったものだから両親がいるありがたみやぬくもりと言うものは全く分からなかったが、今世は精神年齢が成熟している分、それらを確かに、はっきりと感じることが出来る。

親がいるという事は、なんと素晴らしく、心地よいものかと常々思う。

……将来私が親離れできるかどうか、それが不安でならない。

 

 

「モグモグ……ほんとだ、これ美味しい。モグモグ……と言うか全部美味しいよミーナ!!」

「姉さま、お願いですから食べるか喋るかどっちかにしてください」

 

 

私の嘘という無粋な出来事はあったが、その後の昼食は何事もなく、楽しく賑やかに進んでいく。

そうして賑やかな昼食は恙無く終わるかに思われた。

 

 

「ヴィッラ、それとエーリカとウルスラも、おじさんからお話、いいかな?」

「おじさん?」

 

 

和やかな雰囲気は、父さんの真面目な物言いに止められる。

はてさて一体何用だろうかと、私たちは父さんに顔を向ける。

 

 

「父さん、話とは?」

「うん、三人とも突然こんな事言われて戸惑うかもしれないけれど」

 

 

――僕たち、ガリアに引っ越す事になったんだ。

 

 

「……」

 

 

いつかは来るであろうと覚悟していた事とはいえ、父さんのその言葉は本当に唐突過ぎて、返答に困る。

ウルスラは目を見開いて驚いているし、エーリカに至っては。

 

 

――カラン

 

 

その手から食器を落とすほど驚いているみたいだった。

 

 

「引っ越しとは……本当に唐突ですね」

「ごめんよヴィッラ、僕たちも昨日決めたことなんだ」

「おじさま、何故ガリアに引っ越すのですか?」

「ガリアに暮らしているお母さんが倒れたんだ。しかも入院している病院からの知らせでは、お母さんの病名は未だ分からないらしい。僕たちはお母さんの治療を手伝うためにガリアに、というのもあるけどこれを機にいっその事ガリアのお母さん達と一緒に暮らそうと思ってね」

「分かりました。それで、引っ越すのは何時になるのですか?」

「ミーナ?」

 

 

私の言葉に何故か皆驚いている。

逆に私は何故皆が驚いているのか、正直言うと分からず戸惑ってしまう。

 

 

「ヴィッラ、いいのかい?」

「? 何がでしょうか」

「ヴィッラは別に無理をして僕たちについてくる必要はないんだよ?」

 

 

父さんの言葉に、ああ、そういう事かと私は合点した。

 

 

「大丈夫です、私は父さんたちについていきますよ。それにお祖母さまの事も心配ですから」

「そうか。うん、分かったよヴィッラ」

 

 

驚きこそしたが私は今世では、今世こそ両親についていくと、大切にすると、既に決心していた事だった。

今更それを変えるつもりも、理由も、私にはなかった。

ふと、正面に座っているウルスラの顔が目に入る。

少し悲しげな表情を浮かべているが、致し方なしと私は引かれる後ろ髪を振り切るように彼女から目を逸らした。

目を逸らした先にはエーリカがいた。

彼女もまた悲しんでいるのかと思ったが、彼女は小さく、本当に小さく笑っていた。

 

 

「そっか、そっかぁ………ミーナ引っ越しちゃうのか。寂しくなるなぁ」

「エーリカ?」

「あ、あれ?………私いつの間にスプーン落としたんだろう。あはは、馬鹿だな私……ごめんね、ちょっとスプーン取り替えてくるよ」

 

 

そう言って席を立ったエーリカはキッチン――ではなく、反対の玄関方向に走る。

何故にと、私はエーリカの行動に首を傾げていると、母さんにそっと背中を押される。

 

 

「追いかけなくてもいいの、ヴィッラ?」

「……行ってきます」

 

 

エーリカの駆け出した訳は分からないが、ここで私が追いかけないとどの道拙いだろうと私も駆け出す。

家の外に飛び出し、私は遠くなっていくエーリカの背中を急いで追いかけた。



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だから彼女は空から落ちる

「やっと捕まえたぞ、エーリカ」

「わっ、ミーナ!?」

 

 

どれくらい走り続けただろうか?

気づけば森の中を走っていた私を捕まえたのは、今目の前で息を切らしているミーナだった。

 

 

「はぁ、はぁ……まったく、スプーンは森に自生しているものだったか?こんなところまで走らされるとは思わなかったぞ」

「ご、ごめんミーナ、勝手に逃げちゃって」

「……いやエーリカ、貴女が謝る必要は無い。悪いのは、あの場で配慮の足らなかった私だ」

 

 

すまなかった。

そう言って頭を下げて私に謝ってくるミーナだが、「違うよ」と私は首を横に振った。

そう、違うのだ。

ミーナは悪くない。

 

 

「ミーナ、頭をあげて」

「しかし」

「お願い、ミーナ」

「……分かった」

 

 

頭をあげたミーナの顔は、私には何か覚悟をしているような、そんな顔に見えた。

ミーナ、貴女は何を覚悟しているの?

私たちとの別れ?それとも私からの罵倒?

難しいことは分からないけど、人の気持ちを察することなんてまだまだ子供である私にはまだできないけれど、私でもできることがある。

 

 

「ミーナ、聞いてほしいんだ。私の気持ち」

 

 

人の気持ちは分からなくても伝えることはできる。

それが私にできること。

本音を語ることは恥ずかしいことだけど、ここなら二人っきり、他に誰も聞いていないはずだから、私は勇気を出して語りだす。

 

 

「私ね、ミーナが引っ越すって聞いたとき、凄く驚いたよ。ようやくミーナと友達になれたと思ったのに、お別れなんて嫌だって思ったんだ」

「……」

「私ね、レオおじさんとミーナのお祖母ちゃんの事恨んじゃったんだ。『なんでミーナをガリアに連れていくんだ!!』って」

「そう、か」

「でもね、ミーナ。ミーナが迷いもなくおじさん達についていくって言ったとき、やっぱりミーナは凄いなって思ったんだ。私みたいな子どもとは……おお、ちが、い……だって……ぅく」

 

 

笑ってないといけないのに、ミーナに迷惑かけちゃいけないのに、私の目から涙が止まらない。

付き合いは長かった、しかしミーナを理解し、向き合えた時間は短かった。

けど、それでも私にとってミーナが友達であることは変わらない。

思えば私はミーナを一人にしないためと言って、結局ミーナには迷惑かけてばかり、寄りかかってばかりだった。

彼女に私は何も返せていない。

友達だと思っているのも私だけなのかもしれない。

それでも――

 

 

「いやだよミーナ、お別れなんて!!もっとミーナと向き合っていたいよ!!」

 

 

それが私の本音、子どものわがまま。

嫌われるかも知れないけれど、ここで言わないと、私はきっと後悔する。

でも……やっぱり嫌われたらもっと泣いちゃうかも。

 

俯いて泣き続ける私に、ミーナは何も答えない。

森の中には私の泣く声しか響かない。

やっぱり嫌われたかなと、私は俯きながら唇を噛みしめる。

 

 

「えっ?」

 

 

しかし、ふわりと、私の右手がミーナの両手に包まれる。

私が顔を上げると、ミーナは私をまっすぐ見て「ありがとう」と私に告げた。

 

 

「ミーナ?」

「ありがとうエーリカ。そう言ってもらえて私は嬉しい」

「……そうなの」

「ああ、私はこんな性格だから、話しかけてくれるような人なんていなかったんだ。しかしそんな私を見つけて、向き合って、付き合ってくれたエーリカには本当に感謝している」

「そんな、私は別に……」

「それにだ、エーリカ・ハルトマン。確かに私は遠くに行くが、しかしこれが今生の別れという訳じゃない。だから泣くな」

 

 

言われてみれば確かにそうだ。

会えなくなることばかり考えて、私はどうやらとんだ思い違いをしていたようだ。

 

 

「いつになるか分からないけど、私はエーリカに、いつかまた会いに来るよ」

「ほんと?」

「ああ、本当だ、約束する。私は友との約束は破らない」

「!あはは」

 

 

彼女の言葉に私は笑う。

だって、私一人、勝手に泣いていたのが馬鹿みたいだったから。

彼女が別れに躊躇しないのは、また会えるのを信じているから。

そういった事を考えられるミーナは、やっぱり大人だと思う。

 

 

「絶対に会いに来てくれるって約束してくれる?」

「無論だ、たとえ地が私を阻もうと、空を駆けてでも私は君に会いにゆくよ」

「そっか……なら私はミーナを笑って見送らないとね!!」

 

 

涙を拭いて、前を向く。

しっかりと、私はミーナを見て笑いかけた。

きっと今の私の顔は涙と笑顔でぐちゃぐちゃになって酷い顔だと思う。

それでも私は彼女の為に、笑顔で彼女と向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ戻ろう、エーリカ。途中で抜け出してきたからみんな心配しているはずだ」

「あ~、ウルスラ辺りは小言言ってきそうだよ」

「諦めろ、逃げた貴女が悪い」

「え~、助けてよミーナ、友だちでしょ~?」

「断る」

「即答!?」

 

 

さて、エーリカの涙もひとしきり流し終え、落ち着いてきた彼女に、私は歩を進めるようにと促す。

鬱蒼としたこの森、今さら気づいたのだが、地元の人の話では頻繁に木の上から蛇が降ってきたり蜂が襲って来たり狼の群れがこの森に棲み付いていたりと地元の人もめったに近づかない事で有名な森なのだ。

いわばここは自然動物たちのテリトリー、長居するのは余りよいものとは言えず寧ろ危険だ。

だから私はエーリカの安全の為にも早めにこの森を抜けたかったのだが

 

 

――ガサッ

 

 

「「!?」」

 

 

近くの茂みから物音。

私はエーリカを守るように背に回し、近くに落ちている手ごろな小石を数個拾って構える。

小石とはいえ熊が出ようが蛇が出ようが、私の()()()()を使えば牽制程度には使える筈である。

 

 

「誰だ、出てこい」

 

 

茂みに隠れるものに私は威嚇するように声を投げかける。

隠れているものが人なら返事をする筈だし、獣でも何かしらの反応があるだろう。

そして茂みは、私の声に反応するようにガサガサと動き、出てきたのは

 

 

「なに?」

「嘘……」

 

 

傷だらけで満身創痍の狼の子ども。

フラフラとした足取り、しかし眼光はしっかりと私たちを捉えている子狼。

何処で傷を受けたかは分からないが、しかし未だその眼には屈服の意思は見えない。

 

 

「可哀想だ……」

 

 

そう言って子狼に駆け寄ろうとするエーリカを私は手で制す。

多分無暗に駆け寄ったら、子狼は最後の力を振り絞ってエーリカに噛みつくかもしれない恐れがある事をエーリカに伝え、彼女に何とか留まってもらう。

 

 

「でもどうするの、ミーナ。その子、早く助けないと」

「分かっているが……しかしどうしたものか」

 

 

エーリカの言う通り、生傷の多い子狼を治療――母さんの治癒魔法を以ってすれば助かるだろう――しなければ、このまま放置していると死んでしまうかもしれない。

しかし手傷を負っている獣ほど、他を警戒するものである。

子狼は現に私たちに向かってずっと唸り声を上げていた。

さて、どうしたものかと私は悩む。

私が子狼を無理矢理捕えて運んでしまう事も出来るのだが、暴れられて引っかかれるのも嫌だし、暴れる事で子狼の体力を消耗させるのもいただけない。

 

 

「どうするのさ、ミーナ」

「……運ぼう」

 

 

代案が思いつかなかった私は結局子狼を抱えて運ぶしか手はないかと思い、子狼に近寄ろうとするが、子狼は私に対してそっぽを向いた……という訳では無く、今度は私たちとは反対方向、森の虚空に向けて唸り声を上げる。

 

 

「エーリカ、如何やら拙い事になった」

「え、何で?」

「周りを見ろ」

 

 

――囲まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

茂みより身を晒したのは、コワイコワイ狼さん。

ぐるりとウサギたちを取り囲む狼さんは、哀れなウサギをせせら笑うかのように牙を見せた。

牙を見せて、狼さんは得意げに言う。

囲まれたと気付いた時には時すでに遅しと。

小さなウサギさん達に為す術はないだろうと。

 

 

「ど、どうしようミーナ!!」

「……」

 

 

囲まれたウサギに出来る事は、只々その場で震える事、己の哀れを泣き叫ぶ事、血肉になる事のどれか。

だろう、だろうさ、そうだろう。

距離を徐々に縮める狼さんは確信を持ってウサギさんに迫る。

 

 

「済まないエーリカ」

「ミーナ!?」

 

 

ウサギさんを抱えたウサギが一匹。

それを見た狼さんはまた笑う。

諦めの、往生際の悪いウサギさんが一匹紛れ込んでいたようだ。

しかし結果、未来は既に確定している。

それは狼さんのお腹の中だと。

 

 

「グワォウ!!」

 

 

狼さんの誰かが吠えた。

それがまるで合図かの様に、狼さんは、狼たちは一斉にウサギに掛かった。

 

 

――誰が良しと言ったか、伏せも知らない駄犬め

 

 

唐突に狼たちの足元に飛んできた礫を前に、狼たちは怯み、止まる。

その間にウサギと思っていたものは、子狼をひょいと抱えていた。

 

 

「逃げるぞエーリカ」

「えええ!?」

 

 

そしてそれは、真っ白い翼のような物を伸ばし――飛んだ。

それが飛び去った空を、狼たちは呆然と見上げ、そして落胆した。

如何やらあいつはウサギではなく、翼を持った鳥だったのだのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……飛んでる?」

「違うなエーリカ。かっこよく、少しずつ滑るように落ちているんだ」

 

 

狼の包囲網から空に逃げて数秒か、数分か?

脇に抱えていたエーリカが、沈黙を破って尋ねた問いに、私はそう答えた。

 

 

――外部加速

 

 

前世とは何故か異なる、今世の私の固有魔法。

簡単に説明すると、加速させたい物や自分の周りに白いブースターのような物を顕現させ、思った一定方向に爆発的加速を加えるという魔法だ。

上手く使えば恐らく飛行中の急旋回などにも役に立ち、所謂変態飛行みたいな事が出来そうだが、爆発力分魔力消費がかなり激しいのがこの魔法のネックである。

 

 

「その子どうしよう」

「さあ? 私はこの子を母さんの許で治療を受けさせた後は、好きにさせるつもりだ」

 

 

私の左腕で大人しくしている子狼。

狼の群れを飛び抜ける瞬間、茂みの奥に血だらけで倒れていた狼がいたのを私もエーリカも確認済みだ。

恐らくその狼こそ、この子狼の親だったのだろう。

群れの狼たちとこの子の毛の色が違っていた――因みに群れの狼たちの毛の色は茶色で子狼は白色――のに鑑みて、群れの縄張りに不用心に入り込んだところを襲われたといったところか。

 

 

「ワン。ガブッ」

「……痛い」

「わっ、血が出てるよミーナ。大丈夫?」

「うん、痛い」

「ミーナが涙目……そんなに痛いんだ」

 

 

高いところに追いやっている事に対する抗議か、はたまたただの甘噛みか?

どのみちこの子の牙が鋭すぎて、私の腕から血が出始めているのはいただけない。

 

 

 

「……ミーナ」

「どうした、エーリカ?」

「これって高さ大分高いけど、着地大丈夫なの」

「……」

「ミーナ?」

「……すまん、考えてなかった」

「ミーナの、馬鹿ああああああぁぁぁぁぁぁ―――――!!」

 

 

落下が始まり、二名と一匹の悲鳴が青い空に木霊する。

五十mを命綱なしでフリーフォール、悲鳴を上げるのも無理もない話だ。

因みに二人と一匹は奇跡的に川に落ちた事で何とか助かったのだが、その後マリーとハルトマンの母親に二人は大目玉をくらったのは言うまでもない。

 



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だから彼女は驚いた

その日のパリの空は、生憎の雨空だった。

時刻は未だ四時頃というのにパリの街は灰色一色、とても暗く、夏だというのに何処か寒い。

普段は活気のある筈のパリなのだが、こうして見れば何処か寂しいものだと私は思った。

そんな事を思いながら、今日の仕事を既に終えた私はパリの街にしとしとと小さな雨が地に落ちる音をBGMに、宿泊しているホテルへと足を早める。

ああ、早くホテルに帰ってシャワーを浴びたい。

只でさえ娘の誕生日というこの大事な日にパリに向かわねばならず、しかも雨にも降られて憂鬱になっていた私のこの気持ちを熱い、熱いシャワーでもって早く洗い流したいものだと私は思った。

 

私が滞在しているホテルは高過ぎず、安過ぎず、そして外観は一見すると地味なホテルではあるが、内装は昔からしっかりしており、サービスが良いと地元では評判の高いホテル。

何よりそのホテルの一階にあるラウンジに昔から置いてある年代物のグランドピアノは、とても良い音を奏でてくれる。

そんなピアノを目当てに、私は若いころよりパリに来た時はそのホテルを贔屓にさせてもらっているのだ。

 

しかし私が今回訪れた時にはそのグランドピアノは使用禁止になっていた。

昔から面識のあるホテルのスタッフの話によると、ピアノの弦が長年使用してきた故か先日同時に2本も切れてしまったという事で、この際だからと来週末に業者を呼んで弦の総入れ替えをするとの事。

 

 

「残念だ」

 

 

本当に残念でならないと、それを聞いた私は落胆した。

パリに来る楽しみの一つが消えてしまったそんな事も、また私の憂鬱を助長する。

私はため息を一つ、小さく吐いた。

灰色のパリの街景色、そんな街の片隅に、白い靄がポツリと浮び、そして沈む。

 

 

「おや?」

 

 

漸くホテルにたどり着いた私の耳に、使用禁止になっていた筈のピアノの音が微かに聞こえてくる。

修理したのだろうか?

否、ホテルのスタッフ達は確かに来週末と私の前で言ったのだ。

では、はて、ならば、これは一体どうしたと言うのだろうか?

 

 

「お帰りなさいませ、リヅヴャック様」

「あ……ああ、アンドレさんか」

 

 

ホテルのロビーより歩み寄ってきたのは白髪交じりの髪をオールバックにまとめた、初老の男。

名をアンドレと言い、私がここに初めて泊まった頃よりお世話になっているベテランスタッフだ。

 

 

「おやリヅヴャック様、ずぶ濡れではありませんか。そのままではお体に悪いです、すぐタオルをお持ちいたしますのでそこでお待ちください」

「いや、今は結構。それよりだアンドレさん、あのピアノの音は一体?」

「ほほ、あの演奏が気になりますかリヅヴャック様?」

 

 

「無論だ」と、私はアンドレさんに素直に答えた。

気にならない筈が無い。

聞けないと思っていたあの音色が、私の耳に今こうして聞こえているのだから。

 

 

「直していただいたのですよ、とある小さなレディに」

「小さなレディ?」

「ええ……私から話を聞くより、実際に見に行ってみるのが宜しいかと」

 

 

それもそうかと私は納得して早速ラウンジに足を向ける。

 

ラウンジに近づくにつれ、徐々に聴こえてくるのは静かな調べ。

仕事上、演奏を聴くことが多い私の耳にも素直に上手だと思える演奏だ。

しかし聴こえる曲は何処か悲しく、そして切ない、これは恐らく、例えるなら――

 

 

「別れの曲……」

 

 

ラウンジは間接照明によって薄いオレンジ色に染まっている。

故にラウンジは、ホテルの他のフロアより薄暗く落ち着いた雰囲気がある。

しかし今ここでは、ただ彼女の曲の雰囲気をより一層引き出す為の演出の一つにしか見えなかった。

鍵盤を優雅に跳ねさせるは一人の少女。

しかし無心に弾くその様は、少女と言うにはあまりにも似つかわしくなく何処か大人びており、成程、アンドレさんが「レディ」と言った訳がよく分かる。

 

 

――少女の白銀糸が光に照らされ、それが静かに世界を舞う。

 

 

静かな、静かな哀愁曲。

雨音と、鍵盤と、ペダルを踏む音をBGMに、彼女と世界を絵画に魅せて(見せて)、弾き手の彼女は何を思うか?

 

 

――さよなら、さよなら

 

 

問いかけるまでも無いかもしれない。

ただ、彼女は鍵盤上でそれを繰り返すだけだったのだから。

 

彼女の演奏が、終わる。

弾き終え、残心している彼女に私は拍手を向けた。

彼女は私がいる事に気づき、驚き、そして人差し指を口許に寄せた。

「静かに」と、私にそう言っているのだ、彼女は。

どうしてか?

疑問はすぐに分かった。

彼女の影よりのっそりと、一匹の白狼が眠たそうに現れ、私を一瞥。

そして白狼は、彼女と私の間に座り、目を閉じる。

それはまるでいつでも主を護る為に構えている忠臣のように私には見えた。

 

 

「素晴らしい演奏だった」

 

 

私は白狼を起こさないように、声を抑えて彼女を褒めた。

彼女は少し恥ずかしそうにしながらお礼を返した。

 

 

「今の曲は、何だったのかい?」

「……友との別れを()()()いました」

 

 

カールスラントからガリアに引っ越しをしている最中、ここに停泊する事になった彼女は壊れているピアノを見かけ、弦を張り直し、ピアノの音程チェックついでにカールスラントにいた友との別れを思って弾いていたのだと語った。

 

 

「まあそれだけでは無いですけどね」

「と、言うと?」

「今日は私の誕生日。だけど車のタイヤがパンクして、母さんも風邪を引いてしまい、天気も雨空……今日はついていないな、と」

「成程」

 

 

どうやら彼女も憂鬱仲間だったのかと、私はおかしな親近感を彼女に感じた。

 

 

「おやおや、貴方様も誕生日だったのですか?」

 

 

アンドレさんがホットコーヒーとタオルを抱えてやって来て言った。

そんな彼は、タオルとコーヒーの一杯を私に、もう一杯のコーヒーを彼女に渡す。

彼女に渡されたコーヒーは明らかにブラック。

子どもである彼女に果たしてそれが飲めるのかと心配したが、彼女は当たり前のようにそれを飲んでみせたので大丈夫なのだろう。

 

 

「ふむ……()()、とは?」

「ええ、実はリヅヴャック様のお子様も今日がお誕生日なのですよ」

「成程、だからですか」

「そうだ、折角のお誕生日なのですから暗い曲ばかりではなく一曲、明るい曲をお弾きになられてはいかがですか?」

「明るい曲、ですか?」

「そうです、憂鬱な気持ちを吹き飛ばすような、そんな曲をお願いいたしますルドルファー様」

「分かりました、それでは僭越ながら弾かせていただきます……その前に、アンドレさん」

「何でございましょうか?」

「彼女、カルラにも温かいミルクを一杯もらえますか?」

「はい、承知いたしました」

 

 

三人と一匹だけの演奏会が始まる。

弾き手は彼女と私の交代交替。

憂鬱よ吹き飛べと、私、彼女は鍵盤を跳ねさせる。

そうして彼女と娘を祝う陽気で楽しい演奏会は、音楽につられて降りてきた、ホテルの宿泊客を巻き込んで、歌えや踊れやドンちゃん騒ぎ。

夜の帳を突き破り、騒ぐ皆に私と彼女は苦笑い。

そうして楽しい演奏会は、いつまでも続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パリでの一夜より一年経ったある日の事、ガリアのとある家に一つの小包が届けられた。

差出人はウィーンで活躍している、とある著名な音楽家。

届け先はその家に住むとある少女。

はてなと、受け取った夫人は疑問に思いつつ、少女に小包を渡したところ、少女は中身を開けて悲鳴を上げた。

すわ何事か?

悲鳴のもとに駆け付けた夫人は少女の足元に散らばる、点と線ばかりの紙を拾い上げて、それを見た。

 

 

『白銀少女の綺想曲 ヴィルヘルミナ・F・ルドルファー作』

 

 

哀愁と陽気さを織り交ぜた、猫のような気まぐれテンポのその曲は、その時同時に発表された数曲と共に一部の音楽家から高い評価を得て、ヴィルヘルミナの名は後に軍人としてだけでなく、当時を代表する音楽家の一人として残る事になる。

しかし彼女はその時、歓喜を上げながら楽譜の一枚を持って行った母親の背中を眺め、頭を抱えながらこう思った筈だ。

 

 

――穴があったら潜り抜けたい、と

 




リヅヴャックはフランス読み



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だから彼女は困っていた







彼は自身の持てる最高の走りでもって山の中、緑色の世界をただひたすら駆け抜けていた。

 

産まれてから今日にいたるまで、培ってきた生存本能。

乗り越えてきた危機は数知れず。

誰にも頼る事無く、群れにも入らず、今日まで独りで生き延びてきた彼にとって、己の脚とその本能だけが、彼にとっての信ずるに足る物であった。

 

 

「ウォォォオオオオン!!」

「――!?」

 

 

しかしそれは今日までの話。

遠吠えが先ほどより近くに迫っている事を確信し、驚愕する。

そんな、そんな筈はない、と。

彼は自身(自信)の脚を以てしても追ってくる者を振り切れないというその事実に頭を振って否定したい気持ちで一杯になるが、しかし彼の生存本能は大きく、大きく警鐘を鳴らす。

逃げろと、ただ逃げろと。

 

相手はたった一匹の白い狩人。

しかも相手は子どもだった筈である。

しかし現に、彼の脚に、逃走に追いついているのは事実。

 

だから彼は今までで最高クラスの警戒を、追ってくる白い子どもの狩人に向けた。

子どもだからとて慢心はしない。

危険に大も小も存在しない。

どんなに小さな危険でも、命を落とす事だってあるのだから。

彼はそれが十二分に分かっているから、だからこそ彼は迷う事無く逃げるのだ。

そして自身は明日も生きる。

それが、それこそが、今まで生き延び続け、脅威から逃げ続けてきた彼の、生への逃避だった。

 

 

「ふぉ、ふぉ――」

 

 

脚で負けているなら地形を使う。

ずっと暮らしてきたこの山の中で、逃走経路を立てることは彼にとっては易い事。

岩場の多い悪路を走り、障害物で視界を奪い、右に左と駆け抜けて、どんどん、どんどん追いかけてくる者より距離を放していく。

そして走り続けて、走り続けて、気づいた時にはもう、後ろから忌々しい白い狩人の足音は聞こえない。

彼は脚を止めて振り返った。

 

 

――そこには何もいない、誰もいない

 

 

彼は漸く一呼吸。

そして周りを見れば、元居た場所からかなりの距離を駆け抜けていた事に彼は今更になって気が付く。

それだけの距離を走り続けないとあの白い狩人から逃げられなかった事に驚き、そして安堵する。

今日もまた逃げられた。

息を整え、今もまだ自身が生きている今ここにある事実を彼は素直に喜んだ。

 

 

「ピィ……」

 

 

長時間、長距離を走り続けた彼は、小腹が空いていた。

しかし今は冬場。

山に食べ物が少ないのは、彼も重々承知している。

しかし彼は冬場であっても食べ物が沢山実っている場所を知っている。

そしてその場所は、既に彼の目下に見えていた、広がっていた。

 

目下の景色は黄金色。

それを初めて見た時はまるでこの世の楽園かと、彼は大層驚いたものだった。

しかし彼が楽園に入る事は叶わなかった。

二足歩行の気味悪い奴らが、既に楽園を独り占めしていたのだ。

もしそんな奴らの占領している楽園の中に立ち入ろうものなら、奴らは雄叫びを上げて、直ぐに長くて太い木の枝を持ち出して火を飛ばしてくる。

奴らは愚かで、そして浅ましい生き物だ。

彼にとっての彼らの評価はその一言に尽きる。

自然の恵みであろう黄金色した草原を、まるで我が物顔で刈り取ってゆく彼らを山の上から何度見下ろした事か?

あんなにごっそりと草原を刈ってしまっては、地は死に絶え、草は二度とその土地に生える事は無い事は、山に住む動物たちは皆分かり切った事なのに、彼らはそんな愚かな事を毎年繰り返す。

今はその土地の、草原の生命力のお蔭で何とか食い繋いでいても、いつかは黄金の草原は枯れ果ててしまうだろう。

自然の中で、動物は自然に生かされている事を彼らは本当に理解していない。

食べ物を独り占めし、自然を顧みない彼らは、いずれ食べ物が無くなって飢えて滅ぶ事は自明の理だろうと彼は思った。

 

閑話休題。

今ここから見渡せる限りでは、楽園に奴らは見当たらない。

それを確認した彼は小さくほくそ笑む。

この時、この瞬間こそ、あの黄金の草原にありつけるチャンスだと彼は思ったのだ。

トントンと、彼は立っていた岩の上で蹄を鳴らし、早くあそこに駆けたい気持ちを抑えた。

しかし彼はすぐには駆け出さず、もう一度目下の楽園の周囲を注意深く見渡した。

やはりそこには奴らはいない。

そうして二度、安全を確認した彼は「ブルっ」と、喜ぶように声を漏らし、スキップをするかのように下に駆け出す。

いや、駆けだそうとしたのだ。

 

 

「ヴァオオオオオオン!!」

「ピィ!?」

 

 

下から聞こえてきた遠吠えに彼は驚き、思わず自身の身が固まるのを彼は自覚した。

振り切ったと思っていた筈の白い狩人が、彼の前に先回りしていたのだから。

 

何故?

 

どうして?

 

何故?

 

どうして?

 

彼の頭の中にはそんな疑問ばかりがグルグルと、グルグルと回る。

しかしその場で疑問を考えるばかり、という訳にはいかなかった。

こうして考えている間にも、死は、彼のすぐ近くまで近づいているのだから。

だから彼は走り出したのだ。

本来駆け抜けるはずだった方向とは逆の方向に。

まるで楽園を追放され、追い立てられる罪人のように。

 

 

――走って、走って、走って

 

 

――逃げて、逃げて、逃げて

 

 

死を振り切る為に、ただ走り。

明日も生きる為に、ただ走り。

風も音も景色さえ、全部、全部を振り切って。

彼はとにかく上へ、上へとひた走る。

 

そんな彼に、不意に木漏れ日が差し込む。

逃げる彼をあざ笑うかのような、突然の逆光。

彼はその逆光に思わず目を瞑る、立ち止まる。

立ち止まった瞬間、風向きが変わったのを彼は肌で感じ、そして彼は鼻で知ったのだ。

 

 

――死は既に、彼のすぐ傍まで来ていた事を

 

 

轟音

山の上より轟く、耳を壊すようなこの世の物とは思えない音を聴いた頃には彼の世界は90度回っていた。

否、彼自身が世界に対して回っていたのだ。

それを自覚した瞬間、彼は脚に違和感を覚える。

彼は何事かと、視線をゆっくりと脚に向けた。

そこにあるのは見慣れた緑の世界を覆い隠すように、塗りつぶす様に広がる真っ赤な、真っ赤な死の世界。

 

 

「―――――――ィ!!?」

 

 

何が起きたのかを理解した彼は悲鳴を上げる。

脚に襲う激痛と、逃げられない死を、彼は思うがままに泣き叫んだ。

生きたい。

彼は思った。

死にたくない。

彼は思った、そう思ったのだ。

だから彼は必死に痛みをこらえて、もがく。

一歩でも、少しでも、死から逃げる為に。

 

 

「よかった、ちゃんと脚に当たっているな」

 

 

誰かが彼の近くで呟いた。

しかしそんな事は彼にとってはどうでもよかった。

一歩でも遠く、一歩でも遠くへ。

逃げないと、逃げなきゃ、逃げねば。

彼の思考は既にそれしか残されていなかった。

 

 

「すぐ楽にしてやる」

 

 

カチリという音と共に、ツンと嫌な匂いを纏った黄金色の何かが彼の傍に立つ誰かの足元に落ちた。

その匂いを嗅いだ彼は、少しだけ理性が戻ってはたと思った。

はて、私は一体何から逃げていたのだろうか、と。

 

 

「許せ」

 

 

長くて太い木の棒が彼の顔に向けられる。

彼はその木の棒の空洞になっている真っ暗な世界を眺め、頬に流れる何かを感じながら思う。

 

 

――死にたくない

 

 

ただそれだけを。

そして彼の逃避行は、打ち放たれた小さな花火と共にここで幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガリアに引っ越してきて一年がたったが、私の日常が特筆して大きく変わる事はなかった。

本で知識を得て、程よい運動で身体を鍛え、物を浮かせたりなどして魔法の訓練。

あとは母の家事のお手伝いをする事、その四つが私の生活の大半を占めていた。

一番の懸念であった言葉の壁も、前々から予習していたお蔭で問題は無かった。

変わった事といえば偶にお爺様の狩りに連れて行ってもらったり、簡単な魔法の指導をしてもらっている事ぐらいだろう。

 

 

「……ヴィッラ、これはお前がやったのか?」

「いえお爺様、私とカルラの二人で仕留めた物です」

 

 

私たちが仕留めた大鹿を見て、お爺様は唸り声を上げる。

最近麦畑を荒らしている大鹿を狩ってくれと依頼を受けて、折角だから何方が早く目的の鹿を狩れるかと、私とお爺様は競争し、そして勝ったのは私とカルラ。

狩りに慣れているお爺様より早く、山の主と言われ、熟練の狩人たちでも長年仕留める事の出来なかった大鹿を仕留める事が出来て、カルラに手伝ってもらったとはいえ実は少し嬉しかったりする。

 

 

「……いいだろう。約束通り、何でも欲しい物を買ってやる」

「有難うございます」

 

 

私とお爺様の約束。

それは私が競争に勝ったら、何でも欲しい物を買ってくれるというものだった。

 

 

「しかしお爺様、今回頑張ったのは殆どカルラです。私はただ伏せて待ち構えていただけ。ですので、今回は今日の功労一等であるカルラに褒美をいただけないでしょうか?」

「お前ではなく、カルラにか?」

「はい」

 

 

事実、山の中を駆けずり回り、私の伏せていた所まで大鹿を追い立ててくれたのはカルラだ。

私のやっていた事と言えば、ただ大鹿の逃げる時に通るであろうポイントに息を殺して伏せ続け、大鹿に向かって引き金を引くだけ。

故に何方の功が大きいかは明白であると、私はお爺様に説いた。

 

 

「分かった、カルラにも何か褒美を与えよう」

「有難うございます、お爺様」

 

 

早速私はカルラの方を向いて、カルラが何を望むかを聞いてみた。

すると、大人しくその場にお座りして静かに待機していたカルラは大鹿に歩み寄り、大鹿の脚、しかも私が猟銃で撃ち抜いた所をポンポンと前足で器用に示してみせた。

如何やら鹿の肉をご所望のようだが――

 

 

「カルラ? 貴女が仕留めた獲物なのだから、そんな粗末な部位ではなくて、もっと美味しいところを望んでもいいんだよ?」

 

 

私は腰を下ろしてカルラにそう諭すが、カルラは一瞬迷った様子を見せて、やはりカルラは同じ部位を望んだ。

私が勧めても、欲を見せないカルラ。

そんなカルラを見かねてか、お爺様も身を屈めてカルラに勧める。

 

 

「カルラ、遠慮するな。頑張ったお前には此奴の一番美味しい部位をくれてやるぞ」

 

 

ヴィッラの好意を無駄にするなよ?

お爺様にそこまで言われ、漸く頷くカルラ。

そんなカルラを見、私は生き物を飼う事の難しさを改めて実感する。

カルラは言う事を聞かない動物、という訳では無い。

カルラは賢くてとてもいい子である。

しかしカルラの好物や好きな事についてはまだあまり分かっていない。

本当にカルラの望んでいる事をしてあげられているのか?

ちゃんと構ってあげられているのか?

不満は無いだろうか?

そんな不安が私にはあった。

 

私はゆっくりとカルラの頭を、その綺麗な毛並みを梳くように撫でる。

撫でられるカルラは目を細め、私が撫でやすいようにと少し頭を下げてくれた。

 

 

「さてヴィッラ、今度はお前の番だ。ヴィッラは何が欲しい? おじいちゃんに遠慮なく言ってみなさい」

「わ、私もですか?」

「無論だ、カルラに褒美を与えてお前にやらない道理はない」

「むう……」

 

 

欲しい物と言われても、私に今のところ必要な物は正直無いし、十分足りている。

しかしお爺様の性格から鑑みて、約束しておいて今更「欲しい物などありません」では済まされないだろう。

 

私の欲しい物……私の欲しい物と言えば――

 

 

「……クリームパン」

「何?」

「お爺様、私はクリームパンが食べたいです」

 

 

クリームパン

外はしっとり、ふんわり、もちもちパン。

その中に、大事な宝物のように隠された、とろ~りなめらか、あまあまな、きいろい、きいろいカスタード。

口にした瞬間私の舌を包み込む、パンとカスタードのあのデュエットは、私の心を捕えて止む事は、私が死ぬまできっとないだろう。

 

 

「……そんな物でいいのか?」

そんな物(・・・・)が、いいのですよ。お爺様」

「はぁ、そんな恋する乙女みたいな目をしよって。分かった、買ってやろう……まったく、カルラもヴィッラも欲が無いのぅ」

 

 

お爺様はそんな事を呟きつつ、私が既に彼が到着する前に済ませておいた血抜き作業が十全行われ、血が抜けきっているかを確認し、頷く。

如何やら血抜きは上手く行ったようだと、私はお爺様の反応を見てホッとした。

 

 

「血抜きも大丈夫、と。今回はよくやったヴィッラ、それとカルラものぅ」

「はい。お爺様もお疲れ様です」

「おお、お疲れ。まあ、あとは儂に任せておけ」

 

 

そう言ってお爺様は大鹿を一人で抱えようとしているのを見、私は慌ててストップをかけた。

大鹿の体重は、見て呉れだけでも100kg以上ある事は想像に易い。

そんな物をお爺様に担がせる訳には――主に身体と年齢的な理由で――いかないのだ。

もし担ごうとしてぎっくり腰なんてことを起こさせて、お爺様につらい思いをさせる訳にはいけない。

 

 

「お爺様、それは私が運ぶので、お爺様は担がなくても大丈夫ですよ」

「ヴィッラが? ははは、冗談きついぞヴィッラ。いくらお前が身体鍛えているとはいえ、お前はまだ子ども……」

「ふんっ!!」

「……」

 

 

お爺様が私に遠慮する前に、私は大鹿の前足と後足の間に頭を通すようにして、お爺様に大鹿を担ぎ上げてみせた。

無論、私の素の筋力ではこの大鹿を担ぎ上げる事は敵わないだろうが、私には母とお爺様仕込みの魔法がある。

身体能力を底上げし、大鹿自体を多少浮かばせる事で私でも大鹿を担ぎ上げる事が出来た訳であり、私に実質掛かっている重さは体感で10kg程度。

子ども、しかも齢11の女の子の身体からしてみれば10kgも十分重い方の部類ではあるのだが、伊達に私はいつも鍛えている訳では無い。

それに此処から町の肉屋までそんなに遠くもないので――とは言え此処から4,5km程はあるのだが――そこまでなら私でも十分運べるだろう。

 

 

「さて、帰るよカルラ……お爺様も呆けていないで早く帰りましょう、置いて帰りますよ?」

「ワン」

「……最近の女子(おなご)は本当にコワイのぅ」

 

 

お爺様が何やら呟いたようだが、私はそれをあえて無視してカルラと共に、先に山を降りていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――いい年をした自分の母親が、家に帰るとコスプレをしていたら誰だって驚くだろう

 

そう思う私はきっと正しい筈である。

仕留めた大鹿を肉屋に預け、疲れた身体を伸ばしつつ、家に帰ると母さんが、青い軍服らしきものを着て、鏡の前でおかしなポーズをとっていたので、私はゆっくりと、そっと、母さんの邪魔をしないように、開けた扉を閉じて……

 

 

「ちょっとちょっと待ってお願いよヴィッラ!?」

「お母様、大丈夫です。私、分かっていますから。ちゃんと分かっていますから……私は暫く外に散歩に行ってきますので、後はゆっくり楽しんでくださいね」

「ヴィッラが想像している事、絶対に違うからね、誤解だからね!?」

 

 

必死に言い訳を重ねる、そんな母さんの後ろ、奥の方で椅子に座りながら私たちを見て、口を押さえて笑いを堪える父さんを見つける。

コスプレをしている母さん、椅子に座りこの場にいる父さん。

二人を見比べ、私はとある結論に気づいてポンと手を鳴らす。

 

 

「成程……お父様、特殊なご趣味をお持ちのようで」

「ぐはっ!!? ち、ちがっ、僕はそんな……」

「……ごゆっくり」

「「行かないで!!?」」

「何をしておるんじゃ、お前さんたちは……」

 

 

さて、私たちは一息入れ、どうして母さんがコスプレなんかをしていたのかを父さんに――母さんは昼ご飯の仕上げに行くと言ってキッチンに逃げた為に仕方なく――問いただしたところ、元々母さんはガリア軍の軍医として一時期働いていた時期があり、その時の軍服を偶々クローゼットから見つけたので懐かしくなって着てみたのだと私に答えてくれた。

 

しかし恐らくその答えは理由の半分程しか答えていないだろうと私は薄々感じていた。

テーブルに置かれている読みかけの新聞。

一面には大きく『扶桑国、ネウロイの殲滅を宣言せり』という見出しが書かれているそれを、私は見逃しはしなかった。

 

 

――扶桑海事変

1937年に起こった扶桑海に出現したネウロイとの戦闘。

確かその時のネウロイの侵攻は、後の欧州戦線と比べれば中規模程度だったとはいえ第二次大戦下において人類が初めてネウロイに勝利する事のできた貴重な事変だった筈だ。

扶桑がネウロイに勝つことのできた理由は恐らく、扶桑国が島国であった事と、大戦初期のガリアのようなストライカーユニットを保有していなかった国とは異なり、既にストライカーユニットの試作機を偶々製造していた事にあるのだろうと私は前世の記憶を引っ張り出しながら思った。

 

 

――戦争が近づいている

 

 

ネウロイの侵攻が始まるまであと一年程。

その一年の間に私に出来る事とは一体何か?

答えは至極単純明解。

今まで通りに暮らす事、ただその一択しかない。

私のような餓鬼がウィッチの優位性を未だ見出していない筈の今のガリア空軍に口出しする事も、入軍する事も、とてもではないが叶わない事は考えるまでも無い。

私が軍に入隊出来るのは恐らくカールスラントが破れ、ガリアへのネウロイの侵攻が始まり、ブリタニアに避難を始めるダイナモ撤退作戦前後になるのだろう。

 

 

――真っ赤な空を、私は嫌う

 

 

私は空が好きである。

しかし私が望んだ空は、そんな空ではなかった筈だ。

私が目指したのは青空だ。

血に染まった赤ではない。

それでも、このまま前世と同じ歴史を辿るというのであれば、私は――

 

 

「ヴィッラどうしたんだい、そんな難しそうな顔をして?」

「い、いえ……何でもありませんよ」

「そうかい?」

 

 

父さんに言われ、私は思考の海から顔を出す。

暗い話は後でもいい。

今は、扶桑海事変をネタにコスプレなんて出来る程平和な今というこの時間を、私は大切にしたい。

そして護りたいのだ、大切な人たちを、彼らを。

今まで受ける事の無かった温かさを、私にくれた両親たちを。

だから私は彼らを護る為なら真っ赤な空でも飛ぶ事を厭うつもりはなかった。

 

 

「おまたせ、ご飯出来たわ」

 

 

母さんがキッチンから声をかけてきたので、私はキッチンに向かい、料理を運ぶ手伝いを始める。

 

 

「母さん、まだそれを脱いでいなかったんですか?」

「どうかしらヴィッラ、サイズはちょっと大きめだけど、私だってまだまだ着れるものだと思うのだけど」

 

 

そう言って母さんは、いきなり気を付けをして右手を自分のおでこに添えてみせた。

 

 

「ガリア空軍所属、マリー・フォンク空軍中尉であります……なんちゃって」

「……ぷっ」

「笑われた!?」

 

 

母さんの敬礼は何処から見ても立派な敬礼とは言えず、母さんの敬礼からは「へにゃあ」とか「ふにゃあ」とか、そんな音が聞こえてきそうで何より母さんらしいなと私は思った。

ブツブツと文句を言ってくる母さんを適当にあしらいつつ、私はテキパキと料理を運ぶ。

そしてそれを終えると私は席に着いて父さんとお爺様に食事をするように勧めた。

それを聞いて母さんも慌てて席に着く。

 

 

「ヴィッラ、君はとてもいい性格をしているね」

 

 

父さんからは何故か小声で褒め言葉をいただいた。

 

 

食事中に最近話題に上がる事といえば、お婆様の病気の具合であったり、世界情勢であったり、近所の某さんがどうのこうのであったりと、私が口を挟む機会の少ない話題が多い。

と言うより、私は精神年齢こそ成熟していても、外見は子どものそれであるのでそういった話にはのらない方が自然だろうと思い、話に割り込む事は無かったのだが、今日に限っては私の話題で話はもちきりである。

今日の大鹿の話であったり、この間の作曲事件であったり、色々盛り上がっていく話の中で、父さんが私に問う。

 

 

「ヴィッラ、ガリアには慣れたかい? ガリアに来てから一年経ったけど、何か困ったことはあるかい?」

 

 

困った事……私は現在進行形で困っている事が一つだけあった。

ガリアに引っ越してきてから困っている事。

それはエーリカ達と別れる際、必ず守るようにと約束させられた()()()なのだが、それが未だに果たせずにいて、実は私はかなり困っていた。

……この際だから、両親たちに相談してみるのもいいかもしれない。

そう思い、私は「相談があるのですが」と一言断りを入れて、私は彼らに問いかけた。

 

 

「友達とはどうやってつくればいいのでしょうか?」

「「「え“」」」

 

 

その時問いかけられた彼らの、何とも言い難い、表現しがたいその顔を、私は一生忘れる事はないだろう。

 



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だから彼女は友達がいない

我が家の家具が列を為して行進している。

右、左、右、左。

家具達は上手に、上手にテンポに合わせ、肩を大きく揺らしながらの大行進だ。

 

 

「凄いな」

 

 

自分の持っていた荷物をトラックの荷台に載せ、振り返った私はただ一言呟いた。

引っ越しの日、元々業者と私たちだけでやるつもりだった引っ越し作業を、町の人たちの殆どが手伝いに来てくれたお蔭で始めてから一時間しか経っていない筈なのだが既に終わりそうになっている。

そのせいで業者の人達は仕事で来ている筈なのに彼らに邪魔だと押しのけられ、仕事が無くなってしまってその辺でポカーンとなっている訳だが、その分これからの長距離移動を頑張ってほしい。

それにしても町の人達の反応を見た限り、両親共々本当に皆に慕われていたんだなと感心する。

ただ町医者として働いているだけで、頼んでいないというのにこんなに人が手伝いに来てくれる筈がない。

やはり彼らが手伝いに来てくれた理由は、日ごろの両親の患者一人一人に対する丁寧で暖かな対応、それと二人の人柄というのが大きいのだろう。

私はそれを素直に誇らしくあり、そして羨ましくも思った。

私にとって彼ら、両親という存在は、とても眩しく、とても大きな物だった。

 

 

「ミーナ」

「ミーナさん」

 

 

ふと私に後ろから掛けられる声がした。

振り返ると、そこに立っていたのはやはりハルトマン姉妹。

二人とも私の見送りに来てくれたみたいだ。

 

 

「とうとう……お別れなのですね」

「そうだなウルスラ、世話になった」

「ミーナ……」

「なんだエーリカ、泣くのか?」

「な、泣いてないよ!?」

「フフ、姉さま。昨日はあんなに……」

「わ!! わぁ!! ウルスラ言っちゃ駄目だってばぁ!!」

 

 

彼らと笑い合うのはもう何度目になるだろうか?

本当に……本当にこの二人には私は大変良くしてもらったと思っている。

こんな年になっても若い彼らに交じれ、仲良くなれた経験は私にとっては貴重な物で、長年の戦いの中で摩耗しきった私の心を少なからず彼女たちは癒してくれた。

 

 

「ありがとう」

 

 

私のような者なんかと友達になってくれて。

私の口から自然と漏れ出た感謝の言葉。

それを聞いた二人は、目を丸くし、笑う。

 

 

「今更ですね」

「アハハ、そうだね。ミーナ、ミーナはもっと肩を抜いて気楽に生きた方がいいと思うよ?」

「もっと肩を抜いて……気楽にか。覚えておくよ」

「……姉さまのように肩を抜き過ぎるのもいけませんから」

「ひどっ!? ちょっとウルスラ~!!」

「ハハハ……ああ、そうだった。ちょっと待っていてくれ」

 

 

二人にはその場に残っていてもらい、私はある物を家に取りに行き、そしてすぐ戻ってきて彼女たちにそれらを渡す。

 

 

「粗品だが、受け取ってくれ」

「あっ……」

「これは」

 

 

私が贈った物は、ウルスラには自動車等の機械構造が分かりやすいように図による解説が載っている本を、エーリカには木工用の小刀、それとあの時の木彫りのF―35にペイントを済ませた完成品を。

それぞれが興味を示し、尚且つ私のお小遣いで届く範囲の物、本当に粗品である。

 

 

「こんな物しか贈れずに……」

「ありがとミーナ!!」

「むぎゅ!?」

「ありがとうございます、ミーナさん」

 

 

ウルスラにも、エーリカにも、思いのほか喜んでいただけたようだが……エーリカ、苦しいです。

 

 

「姉さま、そろそろ放して差し上げないと」

「あ……ご、ごめんミーナ」

「ゲホッ……まあ、二人に喜んでいただけたようで何よりだよ」

 

 

本当、彼らに喜んでもらえたみたいで一生懸命選んだ甲斐があったなと内心でホッとする。

実はこれらを渡すまで、何度もこれで良かったものかと不安だったのだ。

 

 

「……ミーナ」

「どうしたエーリカ」

「ガリアに行っても、ちゃんと友達作ってね」

「と、唐突にどうしたエーリカ?」

「そうですミーナさん。あちらに行っても必ず友達を作ってくださいね」

「ウルスラまで……」

 

 

急にそんな事を言い出すエーリカたち。

なんでそこまでその事を強調してくるのか?

私にはさっぱり分からない。

 

 

「何故?」

「分からない……でも約束してミーナ。絶対に、ミーナが心から笑い合える友達を作るって。絶対に、また独りにならないって」

 

 

エーリカとウルスラの真剣なまなざしに押され、私は頷き、そしてあの時、約束した。

約束したんだ。

 

 

「分かった、ガリアでもちゃんと友達作ると、約束するよ」

「ホントに?」

「本当だ」

「約束ですよ、ミーナさん」

「ああ、約束だ」

「ミーナ……」

「どうした、エーリカ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ミーナの嘘つき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

ふと目を覚ますと私の家の見知った天井が見えた。

しかし周りはまだ薄暗く、いつも無意識に数える木目の数が上手く数えられない。

そんな中、べっとりと夏場特有らしい嫌な汗が私の身体にへばりついている事に気づき、私はそれを厭う。

しかし、眠い。

普段ならここで眠気が勝って二度寝を行うところなのだが、だが何故かその気になれないのはきっとこの汗のせいなのだろう。

だから私は身体を起こし、目を擦りながら、湿気の篭ったベッドから何とか這いずり出た。

そして外の様子を知るためにカーテンを開き、窓から外の世界を見下ろすと、世界は未だに眠りについていた。

目覚まし代わりの鶏さえも眠りについている。

朝日が上がる前に、私は如何やら目を覚ましたようだ。

朝に弱い私が、だ。

珍しい事もあったもんだと思いつつ、私は何となく、窓にそっと手を触れさせた。

 

 

「嘘つき……か」

 

 

触れた窓に映る私が何かを呟いたようだが、私は何も聴かなかった事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登校時刻。

私はいつものように決まった時間に家を出て、決まった道順を通り、学校に向かう。

小学生の登校時間はいつの時代も早く、町は未だ眠りから覚めきっていないご様子だと、彼女は町を歩きながら思う。

学校は町から外れた少し丘の上の方に立っていた。

そこまで向かうにはまず町を抜け、抜けたそこから少し遠く、北に見えるガリア陸軍の小さな駐屯地を一瞥しつつ、西にあるお婆様の入院しているガリア軍立病院の傍を通り、坂道を上がる。

家から此処までで約5㎞といったところか。

歩いてくるだけでもちょっとした運動である。

そうして校門をくぐって校舎に入り、自分のクラスを目指す。

 

 

「すぅ……ふぅ……」

 

 

自分の教室の扉に手を掛け、一呼吸。

開こうとして……やっぱりもう一呼吸。

そしてゆっくりと、私は教室の扉を開いた。

 

 

「おはよう」

「……」

 

 

返事は……今日もやはり無し。

その場に相手が、人がいない訳では無い。

人はちゃんといる。

視線もこちらを向いている。

しかし返事は返ってこない。

皆私を見て、どう反応していいのか分からないと言った様子だ。

 

 

「……」

 

 

駄目か。

今日もまたそう思いつつ、私は自分の席について小さなため息を吐く。

少しでも息抜きできればと図書室より借りた書物を開くが……まったく集中できない。

 

 

(エーリカ済まない……約束、守れそうにない)

 

 

そんな自責の念が、私を支配していた。

 

ふと、私は生前の彼、久瀬優一の人生だった頃、学生時代の私はどうだっただろうかと今一度思い返してみた。

……思い返してみれば彼もまた今と全く同じ状況だったなと、少しへこんだ。

ただ、彼は両親亡き後引き取ってくれた祖母――祖父は既に他界していたようだ――の負担にならないようになるべく学業に専念し、トップの成績を常に取り続ける事で特待生として授業料を全額免除してもらっていた立場だったので、彼が周りの事を気に掛ける余裕などなかったのだろう。

 

ならば生前のヴィルヘルミナの人生はどうだったであろうか?

 

 

(……あれ、どうだったかな?)

 

 

久瀬の人生よりも後の人生を送った筈の彼女の人生が思い出しづらいのは今に始まった事ではない。

しかし今世では彼女の人生、記憶こそ、今後の私の心強い武器になるというのにその肝心の記憶が虫食い状態というのは本当に困ったものだ。

……ああ、やっと彼女の学生時代については思い出したが、やはり彼女は友達こそいるが、その固有魔法故に周囲からは気味悪がられ、余り交友関係は宜しいとは言えなかったようだ。

と言うか私は如何やら交友関係に関しては外的要因があるとはいえ、前世も今世も壊滅的にダメダメなのかと、またへこむ。

 

周囲が私に近寄らないのは、ちゃんとした理由がある。

それは恐らく前回の大戦、第一次世界大戦によるものである。

ただ此方の世界においての第一次世界大戦は、その大戦までの経緯と大戦初期までの流れは久瀬の世界と一緒だが、中期から小規模だがネウロイの巣が欧州各地に少なからず出現した事によって人間同士で戦い続ける訳にはいかなくなり、戦争が有耶無耶になっている内に終わってしまっている。

しかしカールスラントとガリアが少なからず敵同士として戦った事には変わりない。

中期以降のカールスラントはカールスラント現皇帝であるフリードリヒ四世が、開戦の発端を作り、そしてネウロイ出現によって混乱しているカールスラント首脳部を混乱に乗じて迅速に押さえ、これ以上の継戦を望まず手早くリベリオン合衆国の大統領を通じて和平に乗り出し、ネウロイ相手に劣勢になっていた国々に賠償代わりとして援軍派兵等を積極的に行っていたようだが、それでもカールスラントが様々な国相手に戦争を仕掛け、死傷者が大勢出してきた事は紛れもない事実であり、故にカールスラント人がガリア人に憎まれるのも分からない話では無い。

学校だけでなく、街中の大人達も、私に対する反応は様々だ。

私に問題なく接してくれる人たちもいれば、(かたき)を見るようにずっと睨んでくる人たちもいる。

 

 

(私は友達を作りたいだけなのに……)

 

 

視線を感じ、書物に向けていた顔を持ち上げてみると、こちらを向いていた周囲のクラスメイトは皆、サッと私から顔を背けられる。

 

 

(こうやって自覚してみると、悲しいものだな。独りとは……)

 

 

私は書物を閉じて、席を立った。

そして私は書物を持って図書室に向かう事にした。

……決して私はこの教室の空気に居た堪れなくなって逃げた訳では無く、借りていたこの書物の貸し出し期限が迫っていた事に気づいたから教室を離れたのだと、弁解したい。

 

しかし私が離れた後の教室は、何かに解放されたかのように何処か賑やかで、その賑やかさが何処か羨ましかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

またため息が、意図せず私の口からポロリと漏れる。

こんな年にもなってこんな事で悩むとは、我ながら情けないなと思いつつ、私は図書室に向かう。

図書室に向かう廊下を壁伝いに、最早寄りかかるかのように私は歩き、そして曲がり角を曲がる。

 

 

――目の前には何故か、壁

 

 

「わっ!?」

 

 

今までそこになかった筈の壁に私はぶつかり、尻餅。

そして壁は何故かグラグラ揺らぎ、傾き、雪崩を起こす。

私に向かって。

 

 

「うわぁああああ!!?」

「きゃぁああああ!!?」

 

 

ドサドサと私に降り積もる、壁だったもの。

気づいてみれば、それは分厚い辞書のようで――ガンッ――くっ、痛い。

私は辞書でぶつけた頭をさすりながら立ち上がり、目の前に私同様尻餅ついている女性に手を差し伸べる。

 

 

「大丈夫か?」

「ええと、ありがとうございま……わっ、ルドルファー様!!?」

「え……ルドルファー様?」

 

 

ルドルファー様って……何で?

それよりどうして初対面である筈の目の前の彼女が私の名前を知っているのかが少し気になる。

 

 

「どうして、私の名を?」

「えっと……クラスメイトがルドルファー様のお話をよくしていたのを耳にしていましたのと、一度だけお姿をご拝見させていただいたことがあって……」

「ああ、成程……立てるか?」

「ありがとうございます、よいしょ」

 

 

私の手を取って立ち上がった彼女は思っていたより背がある訳では無く、少し小柄といったところ。

偶々目についた彼女の髪は茶髪、それをミドル程にすっきりと切りそろえられており、枝毛の無さそうな、艶も、毛並みのいい髪だと素直に思った。

彼女は立ち上がると、埃を払って咳払いを一つ。

そして彼女はスカートの裾を両手で少し持ち上げて一礼……あれ?

それって貴族の挨拶じゃなかったっけ?

 

 

「あの、お初にお目に掛かりますヴィルヘルミナ・()()()・ルドルファー様。私はルドルファー様の一つ下、第四学年に在籍していますラ・ペルーズ伯シャルロット・フランソワ・ドモゼーと申します。以後お見知りおき下さい」

「ああ、貴族の方でしたか。これはご丁寧に」

 

 

確かラ・ペルーズ伯言えば、元々このあたりを治めていた領主の名だった筈……じゃなくて!!

彼女とんでもない勘違いをしてらっしゃるよ!?

 

 

「あの、ラ・ペルーズ伯……」

「私の事は気軽にシャルロット、若しくはシャルとお呼び下さい、ルドルファー様」

「……シャルロットさん、私のミドルネームは()()()では無く、()()()()なのですが」

「え? あれ?……ルドルファー様は貴族ではないのですか?」

「誰に聞いたのか知らないけど断じて違うよ」

「そ、そんなぁ~」

 

 

へなぁ、とそんな音を出しながら彼女は壁に力なくもたれかかり、恥ずかしそうに顔を隠す彼女は何処か面白く見えた。

 

 

「ごめんなさいルドルファー様。私、家族以外の貴族の方とあった事が無くて、緊張してしまって」

「い、いえ。誤解が解けてなにより」

 

 

ひとまず緊張が変な形で取れて動けない彼女の替わりに落とした辞書を拾い上げておく。

……結構な量があるなこれ、女性でも背丈の高い私でも前が見えないのだが。

 

 

「わ、ありがとうございますルドルファー様。私が運びますのでこちらにいただけますか?」

「大丈夫か? 結構な量があるけど」

「はい、重さは魔法でカバーできますので」

 

 

そう言って彼女は私から辞書の山を受け取って持ち上げる。

しかしやはりと言っていいか、彼女の視界は辞書の山によって隠れ、歩かせようにも傍から見れば不安しか持てない。

 

 

「やっぱり半分持とうか?」

「むむ……大丈夫、です」

 

 

本人は大丈夫と言ってはいるが足取りは真っ直ぐではないし、明らかに危険である。

しかし無理やり彼女から辞書を取り上げるのも彼女の意思を損ねる事になるので悪手だろう。

 

 

「そうだ、ちょっといいかな?」

「はい?」

 

 

彼女に立ち止まってもらい、私は彼女の持っている辞書の積み方を変えてみる。

すると何とか彼女の視界を保てる程には、辞書の山は低くなった。

 

 

「これでよし、見えるか?」

「わっ、凄いですルドルファー様、ちゃんと前が見えますよ」

「そうか、良かった」

 

 

これで彼女が誰かと接触して雪崩を起こす心配も無いだろう。

 

 

「では、そろそろ授業が始まってしまいますし、これで失礼します、ルドルファー様」

「ああ、此方もぶつかって済まなかった。それと出来れば様付けは止めて欲しいのだけど」

「えっと、では何とお呼びしたらいいですか?」

「普通にヴィルヘルミナさんでいいのでは?」

「わかりました、ヴィルヘルミナさん。辞書、本当にありがとうございました」

 

 

そうして彼女はしっかりと辞書を抱えなおした後、ちょこちょこと歩きながら何度も何度も私にお辞儀をしながら進むが、流石に前を向いて歩かないと危ないのでは?

 

 

「お辞儀はいいから、前向きなさい、前を」

「わっ、はい!!」

 

 

私に注意され、今度はしっかりと前を向いて歩き出すが……本当に彼女一人で大丈夫なのだろうか?

少し心配になって私は見守るように彼女を眺めていたが、暫くすると廊下の奥より一人、女の子が駆けてきた。

その子は遠目でもシャルロットとよく似ている顔をしているのが分かるので、恐らく双子の姉妹なのだろう。

髪はシャルロットより短めのショートカット。

二人は会った傍から楽しそうに話し合いながら廊下を歩いている事から仲のいい姉妹なのだろうという事は想像に易かった。

そんな二人を私はただ何となく、その姿が廊下の曲がり角に消えるまで、ぼんやりと眺めていたのだが――

 

 

「睨まれた?」

 

 

曲がる瞬間、ショートカットのその子が一瞬こちらを睨んできた事を私は見逃さなかった。



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だから彼女にとっての平和は万人にとっての平和とは限らず、それでも今日も世界は廻る






とある秋の日曜日の昼頃。

その日は無論、学校はお休み。

空を見上げてみれば雲一つない快晴。

 

休日の日に天気が快晴というのは、普段こそ思うことは無いがとても恵まれているものではないかと私はぼんやりと思う。

暑くもなく、寒くもなく、今日は丁度いい日向ぼっこ日和。

程よく太陽の日差しに暖められたポカポカ陽気は、私の身体の上にもう一枚、良質な衣服を()かせてくれる。

忘れた頃に、私にしっかりと語り掛けてくれる涼しげな秋風が、長閑な自然の匂いを届けてくれる。

そんな中を、私とカルラは庭にはえている大きめの木の下に居座り、過ごす。

まるで絵に描いたような理想の休日。

そんな恵まれた環境の中、カルラは私の傍で伏せてウトウト。

 

 

「……あふっ」

 

 

彼女が本当に気持ちよさそうに眠っているものだから、ついつい私は欠伸をしそうになって、それをかみ殺す。

周りに人の気配こそないが、外だからこそ、誰が見ているのか分からない外という場所で女の子が口を大きく開いて欠伸をするものではないだろう。

しかし、この穏やかな天気の中でお昼寝に興じる事が出来るならばどれ程よいものであろうか?

きっと想像するまでも無い。

それはそれは、とても良いものであろう。

ならば早くこの作業を終わらせるに限ると、私は今行っている作業の手を早める。

 

 

「よし、終わりだ」

 

 

程なくして、カチンという綺麗な金属音と共に、行っていた作業――猟銃の整備は終わりを告げた。

お爺様によく貸していただいているこの猟銃。

しかし私が借りて使用させていただいている以上、整備は私自身が行わねばなるまいと、こうして月に二、三度、整備を行っている訳だ。

 

 

「よいしょ」

 

 

そうして整備を終えた猟銃を、私は徐に立ち上がってしっかりと構えてみる。

狙うのは、偶々見つけた三百メートル先の木にとまっている一羽の小鳥。

 

 

「すぅ――」

 

 

お爺様に習った通りに息を静かに吸って、銃がブレないように呼吸を止めて、しっかりと猟銃を抱える。

吹きつける北風を私はおおよそで読んで、銃口を修正する。

そして、

 

 

――カチンッ

 

 

 

引き金を引いても、勿論だが弾は出ない。

無論弾を込めていなかったので撃てるわけがなかったのだが――ただの気分である。

狙われた小鳥は私の殺気に気づいたのか、既に何処かに飛び去ってしまった。

飛び立った鳥の軌跡を見届けて暫くし、そうしてやっと私は銃をゆっくりと下ろした。

 

銃の取り回しは、私が将来に向けて備える事のできる、数少ない私の今出来る事。

お爺様には騙す形になってしまい申し訳なく思うが、私がお爺様の狩りに無理を言ってついていく理由は、実はその一点に尽きる。

そうでなければ動物の命を好き好んで殺す事など誰が進んでやるものか。

そういう意味では、私の射撃の腕というものは、多くの血の犠牲の上に成り立っていると言っても過言ではないのだろう。

私の都合で動物を殺す。

私にとってそれは銃の狙撃精度を養うために、来るべきネウロイの襲撃に備えて必要な事であったとはいえ、本当に私は身勝手な人間である。

 

 

「クゥウン……」

「ん、カルラ?」

 

 

寝ていた筈のカルラが、私の傍によって私の太ももに顔を軽く摺り寄せてくる。

一体何だろうと思い、身を屈めてカルラの頭を撫でると、カルラは一度だけ私の顔をぺろりと舐めてくれた。

 

 

「慰めて、くれているのか?」

「……」

 

 

カルラはやはり頭を私に寄せるだけで、何も答えない、答える筈もない。

それでも彼女が私を何となく、本当に何となくだが、慰めてくれている事は理解できた。

 

 

「お~い、ヴィルヘルミナよ」

 

 

家の窓より、お爺様が私を呼ぶ。

丁度こちらも銃の整備が終わっていたので家に入って銃を金庫にしまい、お爺様の許に向かう。

 

 

「どうしましたかお爺様?」

「なに、マリーから買い出しのお使いじゃよ。ほれ、お金とメモじゃ」

「……あれ? 母さんはどちらに?」

「マリーなら、さっきレオナルドと共に婆さんの容体を診る為に病院に行ったぞ?」

 

 

お爺様から差し出されたお金と買い出しのメモを預かる。

メモに載っている食材から察するに、今日は恐らくハンバーグなのだろう。

しかし、母さんがお爺様に言伝を頼んで私にお使いを頼むとは母さんの性格を踏まえると、少しそれは考えられない。

母さんはどちらかと言うと直接事を伝えることを好んでいるので私に直接頼むか、書置きで要件を伝えるかのどちらかと思っていたのだが。

 

 

「お爺様。まさか私にお使いを押し付けて……」

「あいたたた、持病の腰がいたいのぅ~……チラッ」

 

 

おい、お爺様や。

大の大人が自分の孫に仕事を押し付けるとは何事か。

私は呆れ、ため息を一つ吐いて、それでも結局お爺様の頼みを引き受けてしまう私は少し……いや大分甘いのかもしれない。

 

仮病を使って仕事を押し付けようとするお爺様。

その姿からは巷に囁かれている英雄としての、軍人としての彼の姿を少しも、ちっとも、まったくもって連想する事は出来ず、私の目の前にいるのはただ私の祖父としての彼だった。

 

 

「はいはい、行きますよ。行けばいいのでしょう、お爺様?」

「おお、流石はわしの孫じゃ。余ったお金は好きな物に使っていいから気を付けて行ってくるんじゃぞ」

「ん、了解です。いくよカルラ」

「ワン」

 

 

カルラの元気な返事を伴い、私たちはそうして町に足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや?」

「あっ」

「……」

 

 

町に向かう途中の道端で偶然、偶々、バッタリと、私が遭遇したのはこの間ぶつかって迷惑を掛けてしまったドモゼー姉妹だった。

そんな彼女たちの私を見た時に顔に出た反応は両極端と言ってもいい。

シャルロットはパァと花が開いたかのような笑顔を。

もう片方の彼女は露骨に嫌そうな顔を、それぞれ私に向けた。

 

 

「御機嫌ようです、ヴィルヘルミナさん。奇遇ですね」

「ああ、そうだなシャルロット……其方の方は?」

「あ、はい。私の双子の姉のジャンヌと言います」

「……別に僕の名前覚えなくていいからな。と言うか僕の名前を僕の許し無く絶対呼ぶなよ、カールスラント人」

「あわわ!? 駄目だよお姉ちゃん、上級生のヴィルヘルミナさんに失礼だよ。ご、ごめんなさいヴィルヘルミナさん」

「いやシャルロット、此方は別に気にしていないから大丈夫だ。確かに許しも無く人の名を呼ぶのは失礼かもしれないな」

「……ふん、分かっているじゃないか」

 

 

ジャンヌと名乗った彼女はカールスラント人を公然と嫌うクチか。

こういうタイプは出来るだけ刺激しないようにしないといけないのは長年の人生経験で心得ている。

私がどう思われようと別に問題は無いが、この町に少なからず影響力があるだろう貴族様と、下手に波を立てて家族に迷惑が掛かるのはいただけない。

出来れば関わりたくない、厄介な人物。

それがジャンヌに対して抱いた私の第一印象だった。

 

 

「こちらは名乗っておく。ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーだ。よしなに、な」

「そ、自己紹介ご苦労様。一応は受け取っておくよ」

「……」

「……」

「えっと、えっと……そうだ、ヴィルヘルミナさんはどうしてこちらに?」

 

 

剣呑な雰囲気に耐え切れなかったのか、シャルロットが慌てて話題を変える。

私も別にジャンヌと争うつもりはないので、彼女の話題に乗って質問に答える事にする。

 

 

「なに、ただの夕飯の買い出しだ」

 

 

ほら、と手に抱えている籠を彼女に見えるように見せる。

 

 

「あ、じゃあ私たちと一緒ですね」

「一緒?」

「はい、私たちも夕食の買い出しなのです」

 

 

彼女も私がやってみせたように籠を掲げて見せてくれたが、私の疑問はそちらでは無く「貴族の子女が何故そのような事をする必要があるのか?」といった疑問である。

しかし私も貴族の暮らしというものをよく知っている訳では無いのでこれについては私のただの偏見なのかもしれないし、もしかしたらやんごとなき理由があってやっている事なのかもしれないのでそこら辺は深く聞かない方が無難なのだろう。

 

 

「――ですのでヴィルヘルミナさん、ご一緒にどうですか?」

「……は?」

「ですから、私たちと一緒にお買い物、行きませんか?」

 

 

シャルロットはニッコリと笑い、そう言って私を誘ってくれる。

それ自体は、誘ってくれること自体は確かに、確かに嬉しいのだが……しかしシャルロット、貴女の隣でこちらを物凄く睨んでいる彼女、ジャンヌの気持ちを出来れば察してほしかった。

ジャンヌにしてみれば、姉妹で楽しくお出かけしていたところに私というお邪魔虫がシャルロットに誘われたとは言え、ずかずかとそのまま付いてくるというのは気分が良い物である筈が無いだろう。

故に此処はシャルロットには悪いとは思うが、断った方が互いの為だ。

 

 

「済まないシャルロット。私は……」

「どうしてもダメ、ですか?」

「うっ」

 

 

身長差からか、彼女から意図せず向けられた上目遣い。

……頼むからそんな涙目で私を見上げるのは止めてほしい。

そしてそういう事は隣で奥歯をギシギシ言わせている貴女の姉にしてあげなさい。

ジャンヌの視線がさっきよりも増して私の肌にひしひしと刺さってとっても、とっても痛いのだ。

 

 

「貴様、シャルの、誘いを、断るのか!!」

 

 

しかしジャンヌは明らかに無理して、すごく無理して、それこそ絞り出すような声で、そんな事を私に言ってくる。

貴女の為に、折角空気を読んで断ろうとしたのに「ついてこい」とは、全く以って理不尽だ。

 

 

「それでは、シャルロットと貴女のお言葉に甘えましょう」

「本当ですか!! よかったぁ、断られなくて」

「……くっ」

 

 

だからジャンヌさんや。

そんなに私が嫌ならハッキリ断ってくれないか?

流石に面と向かって人に嫌われるのは誰だって気分がよろしくないものなのだぞと、私は内心でそんな愚痴を吐きながら、せっかくの休みの日だというのにこれ以上のストレスを溜めこまないように私はジャンヌの視線から早く逃れたい一心で、シャルロットに町に向かうように急かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガリア南部に位置する私たちが今現在暮らしているこの町は、かつては交易などの商取引、橋の通行料等で栄えていたらしいのだが、近年輸送手段が飛躍的に発展した事によってこの町はそこまでの重要性は無くなった為に一世紀ほど前から町は緩やかに衰退の一途をたどっているという話を以前に聞いたことがある。

そんなこの町の建物は殆どが百年以上前から変わらず建っているものが多く、確かに壁や屋根は町の歴史を語り掛けてくるような、過ぎ去った年月を物語っているかのような落ち着いた色をし、道路や橋は所々が石造り。

それらは単に、悪く言ってしまえば都市の開発が進んでいないだけともとれるのだが、しかし建築物の古めかしさ、落ち着いた色をした町並み、雰囲気を、一年以上暮らしてきた中で私はそれなりに気に入っていた。

 

そんな町の中心に位置する商店街は、言われるほどの衰退を感じさせない程の賑わいを見せている。

休日故か、人の数もそれなりに多く、店も頻繁に店主と客が笑顔でやり取りをしているところを見るに、商売に困っている事もなさそうで何よりである。

 

私たちが今日の買い出しで求めていた食品は大体が同じであったので、あまり別れる事無く共に行動する事が出来た。

しかし私はジャンヌの視界に自身が入らないように前をドモゼー姉妹に歩かせ、私はカルラと共に少し後ろを歩き、時折話しかけられたら答えるだけでこちらからは極力話しかけないように努める。

こっちだって好き好んで地雷原に行って踏み抜いてストレスを重ねる趣味は無いし、ジャンヌだって目障りな私が関わってこなくて幸いだろうと考えた訳だ。

 

 

「……」

 

 

しかし私のそんな配慮を裏切るかのように、ジャンヌは途中から私をチラッチラッと振り返って私に何かを言いたげにしている。

嫌っているなら何故こっちを見るんだ、彼女は?

そしてジャンヌが私をチラッチラッと見てくるせいで、シャルロットもジャンヌと上手く会話を続ける事が出来ず、変な沈黙が先ほどから続いていた。

そんな中、唐突にシャルロットが振り返って私たちに告げる。

 

 

「お姉ちゃん、ヴィルヘルミナさん。私、少し用事が出来ましたのでここで待っていてくださいね?」

「は?」

「え?」

 

 

そんな事を私たちに言い残したシャルロットは、私が理由を聞くどころか止める暇さえ私に与えず、何処かに駆けていってしまう。

そしてそのまま彼女の後ろ姿は、そのまま人ごみという名の森の中へ、あっという間に姿を晦ましてしまった。

ただ見送ることしか出来ず、そして彼女に取り残されてしまった私たちは、顔を見合わせて唖然とするしかない。

またも沈黙。

気まずい関係の二人が取り残されればこうなってしまうのは当然なのかも知れない。

仕方なく、手持無沙汰だった私たちはどちらからともなく近くのベンチに腰掛け、大人しく彼女の帰りを待つことにした。

 

 

「ごめん」

 

 

暫くの沈黙を経て、ジャンヌは私にそう言った。

「何がだ?」と、謝られる理由が分からなかった私はそうジャンヌに聞き返すと、彼女は「シャルの事」と短く答えた。

 

 

「シャルがお前をつき合わせてるのに、勝手に何処かに行ってしまって」

「ああ……いや、私は別に気にしていない」

「そうか」

 

 

まさか彼女が妹の為とはいえ嫌っている相手に謝ってくるとは思っていなかっただけに、内心、私はかなり驚いていた。

貴族の教養故か、はたまた彼女自身の性格故か。

未だ幼い彼女が私に対し、感情に左右されずに謝る事が出来た事には驚いたのと同時に、私は彼女に深く感心する。

兎も角、私の彼女に対する評価は上方修正された事には変わりなかった。

 

 

「この際だから言っておく、カールスラント人」

「なんだ」

「僕は、お前が嫌いだ」

 

 

何を今更言っているんだこいつは――とは、流石に正直には言える訳がなかった。

「知っているよ」とただ短く、私は彼女に返す。

するとジャンヌは予想外にも驚いた顔を私に向けた。

……まさか、気づいていなかったのか?

 

 

「それだけ態度に出ていれば、誰だって分かると思うぞ」

「そ、そんなにあからさまに見える?」

ああ(oui)

「……ごめん」

「気にするな。私の事が嫌いなのだろう? ならば当然の態度だろう」

「そんな嫌われている相手を慰めるお前は一体何なんだよ……」

「さあ?」

 

 

一息入れて、周りに視線を移す。

無論視界に映るのは、相も変わらず活気に満ち溢れた、賑やかな町、人の往来、うつろい。

空から暖かな日差し、オレンジ色に照らされた、黄い色をした穏やかな世界、ただそれだけが広がっていた。

――平和だ。

私は純粋に、そう思う。

 

 

「ところで……」

「ん?」

「お前はなんでシャルに近づく?」

「はて、『近づく』とは、どういう意味だ?」

「どうせお前だってシャルの身分に惹かれて近づいたんだろ。言っておくけどそんなことしても無駄だからな。私たちはお金も権力も無い、今は名ばかりの貴族だからな」

 

 

ジャンヌの言葉に、私は大人げないとは思うが、少しイラっとしてしまう。

私がそういった輩と一緒にされるのは、互いに面識がなく、彼女が私の事を知らないとはいえ、かなり心外である。

しかし同時に、そういう質問をしてくるという事は そういう事が過去にあったという事なのだろう。

そう考えると私は彼女に怒っていいのか、配慮すればいいのか分からなくなってしまう。

 

 

「心配しなくとも君たち姉妹に私は近づくつもりは元から無かったし、今日は偶々出会っただけだ。シャルロットはどう思っているのかは分からないが、此方からは君に睨まれている限り、今後も近づくつもりはない」

「どうだか……口先だけならいくらでもそんな事は言えるよ」

「確かに、そうだな」

「でも「おやおや、そこにいるのはジャンヌかい?」……!?」

 

 

何かを言いかけたジャンヌの言葉を遮るように後ろから声が掛けられる。

振り返ると、車道に寄せられた一台の車よりガリア陸軍の軍服を着た程よく伸びた髭を蓄えているのが特徴的な中年の男が顔を出していた。

 

 

「ああ、やはりジャンヌだったか、会いたかったよ。丁度家に寄ろうかと思っていたところだったんだ……ああ君、ちょっとここで下ろしてくれないか?」

「はっ」

 

 

部下らしき者にドアを開かせ、車から降り、男は私たちの傍に寄る。

男の肩に輝く階級章は准将を示し、着ている軍服には数多くの勲章が彼の輝かしい栄光を自己主張しているようで、私は男にあまりいい印象を持てなかった。

それでも立たないと拙いかと思い、ひとまず立ち上がる事にするが、ジャンヌは俯いて動かない。

 

 

「どうしたんだいジャンヌ、折角久々に会えたんだ。私に君の顔を見せておくれ?」

「……はい、叔父様」

 

 

男に言われ、俯いたままだが漸く立ち上がるジャンヌ。

心なしか、顔が青ざめ、少しだが震えているように見える。

 

 

「大丈夫かいジャンヌ、何処か具合でも悪いのかい?」

 

 

そう言って男は心配そうにジャンヌの肩に手を置き、ギュっと……ギュッと?

 

 

「……っ」

 

 

男の指がジャンヌの肩に食い込んでいるのを私は見た。

そんな中、俯くジャンヌは明らかに苦悶の表情を浮かべ、痛そうにしながらも必死に声を出さないように我慢しているようで、対して男は人の良さそうな笑顔をジャンヌに向け続けている。

……何だ、何なのだ、これは?

 

 

「ふふ、ジャンヌ、私は長旅で疲れてしまったよ。帰ったらたっぷりと私を労ってくれるね?」

「は……はい」

 

 

ジャンヌと男の関係は明らかに異常だ。

男の笑顔はまるで加虐に悦を覚えるサディストのそれにしか私には見えない。

カルラも男の異常性に気づいたのか、男を睨み、唸る。

 

 

(カルラ、刺激しては駄目だ)

 

 

男がカルラに気づかないうちに彼女を落ち着かせ、下がらせる。

カルラの気持ちは嬉しいが、この男が本当にサディストならば、彼を不用意に刺激してしまうと後に被害が及ぶのはジャンヌだ。

だからと言って、この状況をこれ以上見過ごす事も私には出来る訳がない。

私は一歩、彼らに近づいて咳払い。

 

 

「おや、君は?」

「お初にお目に掛かります准将閣下。私はジャンヌ嬢の学友をしておりますヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーと申します」

「へぇ、ジャンヌのお友達かい? ごめんよ、私とした事が気づかなかったよ」

「いえいえ、如何やら准将閣下は久方ぶりにジャンヌ嬢とお会いになられたご様子。お二人は仲も良さそうですし、再会の嬉しさのあまり、私が見えなくなるのも当然かと」

「ハハ、そう言ってくれると助かるよ」

 

 

男はジャンヌの肩から手を放し、此方を向いてくれた。

ひとまずジャンヌがこの場でこれ以上虐待を受ける心配はないだろう。

後は早く彼がこの場から離れてくれるのを祈るばかりだ。

 

 

「紹介がまだだったね、私の名はカジミール・ドモゼーだ」

「なんと、名将と名高きカジミール准将閣下であらせられましたか。ご武功はかねがね、両親より聞き及んでおります」

「ハハハ、きみぃ、世辞が中々上手いねぇ」

 

 

私の世辞に上機嫌になるカジミール。

因みに武功云々は嘘だ。

しかし彼の付けている勲章の種類から、彼がどんな活躍をしたのかを読み取る事は簡単であったので、褒めやすかったのは確かだった。

 

 

「ところで、君の名の()()()()というのは、あのフォンク氏の親族で間違いないのかい?」

「……カジミール閣下の仰られている方がどのフォンク氏を指しているかは存じませんが、おそらく閣下のご想像通りかと」

「そうかそうか……いやいや、幼いながらもしっかりとした受け答え、とても感心するよ。是非とも君みたいな立派な人にこそジャンヌと今後とも仲良くしてもらいたいものだ」

「ありがとうございます」

 

 

私と二、三、言葉を交わしたカジミールは、腕時計をチラッと見て「そろそろ行かなければ」と私たちに告げる。

 

 

「この後、人と会う約束をしていてね。一方的に立ち去る形になってしまい申し訳なく思うよ。また会う機会があればゆっくりと、君とは語り合いたいものだ」

「ええ、私もまた会える日を楽しみにしております」

「それではね……っと、そういえば、去る前に一つ聞いてもいいかね?」

「何でしょう?」

 

 

やっと立ち去ってくれるのかと、ホッとしていた私の不意を突くかのように、カジミールはグイッと一気に近づいて、私の耳元でささやく。

 

 

「ジャンヌから私の事で、何かおかしな事を聞いているかい?」

「……ッ」

 

 

それはジャンヌが私に告げ口をしていないかの確認、ただの言葉。

しかし私はその言葉を耳の傍で受け、言葉を伝える振動を受け、まるでそこから彼に私の身体を穢されていく、そんな錯覚を覚える。

それは不快で、ただ不快で、兎に角不快で。

今すぐにでも家に帰って、耳の穴から身体の内外問わず全てを清め、この不快な何かを取り除きたい思いに、衝動に駆られる。

 

 

「何の事でしょうか?」

 

 

年相応に、まるで無垢な少女の様に、私はキョトンと、何も知らないふりをする。

我ながら迫真の演技だったと思う。

カジミールは私を探るように私を不躾な視線で以て私を見る事数秒。

彼は私が嘘をついていないと判断したのか、ニッコリと笑い、私たちに別れを告げて今度こそ去って行った。

 

 

「ふぅ……」

 

 

まるで呼吸を久方ぶりに行ったような、そんな心地を覚える。

いつの間にか強く握っていた拳をゆっくりと開くと、じっとりと嫌な汗をかいている事に気づいて、それをハンカチで強く擦る様にして拭き取った。

 

 

「とんだ災難だったな、ジャ……おい、大丈夫か?」

 

 

カジミールが去ったというのに、未だにジャンヌは俯き、震えたままで動かない。

彼女に嫌われているとはいえ、流石に心配になってきた私は彼女の肩に手を添えようとして、

 

 

――パンッ

 

 

「私に、触れるなあああああ!!」

 

 

手を叩かれ、睨まれ、そして大きな声―――拒絶

あまりの事に私は驚き、一歩、二歩と、後ろによろめいてしまう。

そして開けた視界で以て、私は気づく。

周囲の活気がまるで時間が止まったかのように固まり、そして数多の視線が私たちに集まっている事を。

 

 

「あ……」

 

 

その事に彼女もまた気づき、更に彼女の震えが大きくなっていくのが分かる。

震えを止めようと、抑えようと、彼女は身体をギュッと締め付けるように己の両腕で自身の身体を抱くが、それでも彼女の身体の震えは止まる事はなかった。

 

 

「わ、わた……ぼく、ぼくは、僕は……うっ」

「おい!!」

 

 

周囲の視線に耐え切れず、明らかにパニックに陥っていたジャンヌは、込み上げる吐き気を抑える為に口元を押さえる。

そんな彼女を見かね、駆け寄り、そして支える私を、彼女は今度は拒絶をしなかった。

いや、する余裕がなかったと言った方が正しいのだろう。

 

 

その後、彼女を近くの店のトイレに連れていった私は、彼女を出来るだけ一人にさせる為に、自身は店の外に待機していた。

その間、私はただ空をぼんやりと見上げ、そしてトイレに連れていく途中で彼女が言った言葉を反芻する。

 

 

「『シャルには言わないで』……か」

 

 

とんだ休日になってしまったなと、目の前で起こっていた出来事を、私は何処か他人事のように捉えていた。

……正直に言うと、事実、彼女の抱えているであろう問題は私にはどうしようもない、関わろうとも思えない他人事でしかなかった。

彼女と私の関係は赤の他人から毛が生えた程度の関係でしかなく、しかも彼女から私は一方的に嫌われている。

そんな相手に手を差し伸べられるほど、私はお人よしでも聖人君子でもない。

故に私は気の毒に思いこそすれ、この問題に関して深く関わっていくつもりはなかった。

 

 

「世の中儘ならないものだな」

 

 

平和な世の中でも、問題を抱える人間は常にいるものである。

自身の周りだけが世界とは限らない。

常に世界のどこかで人の数だけ、その人にとっての世界が存在するのだ。

私にとって平和なこの世界は、彼女にとっては平和でなかった。

ただそれだけの話である。

 

見上げた空は何処までも青く、過ぎゆく人々は、最早先ほど起こった事など忘れたかのように、人々は、それぞれの平和を謳歌しているようだ。

そんな中、何処からか焼き菓子の香ばしい匂いが私の鼻を擽る。

 

 

――平和だ

 

 

その言葉を何度も何度も繰り返し、自分の世界を守って、結局他者の世界の事など知らないフリする私はきっと、とっても、どうしようもない程、臆病な人間だったのだろう。

 



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胡蝶之夢

――ながい、ながい、夢を見ていた

 

――それは、それは、とても幸福に満ち溢れた、幸せな夢

 

――そう、とても、とっても、「  」にとってその夢は、かけがえのない、替えようのない幸せだった

 

 

 

 

 

どうして気づかなかったのだろう?

 

どうしてもっと大切に出来なかったのだろう?

 

幸せは、幸福は、いつもこの手のひらから零れてしまう。

 

大切な人たち――友、家族。

 

それらは皆、みんな、いつも「  」に背を向けてどこか遠くに行ってしまう。

 

「  」にとって大切な物は、大切だと気付く頃には全部、ぜんぶ、無くなってしまうのだ。

 

残るのは――後悔。

 

夢の終わりはいつも、いつも、唐突に。

 

物語の終わりはいつも、いつも、悲劇で終わる。

 

そんな物語を突き付けられ、「  」はその場に佇み、只々悲劇を哭く。

 

それはひとり、スポットライトに照らされただけの真っ暗闇の世界の中で歌う、誰にも届かない独唱歌(アリア)

 

 

 

 

 

スポットライトが引かれていく。

 

物語は「  」の都合など知ったことかと、勝手にも、理不尽にも幕を下ろしていくのだ。

 

それでも、終わってしまうその前に。

 

そして、終わってしまったその後も。

 

誰かに助けてほしくて、誰かに気づいてほしくて、誰かに引っ張り上げてほしくて、「  」は声を張り上げ、歌う、哭く。

 

そうして「  」は、真っ暗闇な世界で一人、それでも、届かぬ思いを哭き続ける―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

目覚めた私の目の前にあるのは白い世界。

そしてその世界に浮かんだ、大きな青い二つの橋。

 

いきなり目の前に現れたそれらに戸惑い、それだけでは何が何だか分からなかった私は、そこから離れて、よりその世界を知ろうとする。

 

 

「ああ、なんだ」

 

 

離れた私はそれらの正体をすぐに知る。

何が白い世界か、何が青い橋か?

白い世界と思っていたものは、私のデスクの面の白さであり、青い橋は私の腕、軍服の青さだったのだと、私は気づく。

どうやら私は腕を枕に、いつの間にやら職務中にも拘らず、居眠りをしてしまったみたいだ。

 

ふと見たデスク上に置かれている黒縁時計の針は丁度22時を廻っていた。

立ち上がり、周りを見渡せば辺りは暗く、明るいのは私の周りだけ。

皆、各々の家に帰宅してしまったようである。

ふと私の周りを天より照らす光源を見上げれば、眩しいほどの白。

 

 

「ランプじゃない……」

 

 

何故か私の口からそんな言葉が漏れる。

科学文明が発達した今の時代、闇夜を明るく照らすのはランプではないのは当たり前の事だろうにと、我が事ながら呆れ……呆れ……?

 

 

「何処だ、ここは?」

 

 

未だ私は寝ぼけているのだろうか?

愚かな疑問が、私の脳裏にふわりと浮かぶ。

そんな事問うまでも無いだろうにと、私は頭を振って、そして思い出す。

此処は、ここは……そう、ここは私が今現在駐屯している空自の基地の一室。

眠る前まで私は……書類整理を行っていた筈だ。

疑う事無く私の現実。

目の前に広がっている現実を、どうして疑う必要があろうか。

 

 

「……疲れているのか?」

 

 

目の前にある疑いようのない現実。

しかし私はその現実を、私は何故か疑わずにいる事が、現実として捉えることが出来ないでいた。

本当に私は此処にいたのか、と。

本当に私は書類整理をしていたのか、と。

例えるならば――『夢現』

そんな常識外れで、訳の分からないもやもやが、私の胸に痞え、そしてそれが気になって、気になって仕方がない。

このもやもやは一体何なのだ?

そんな事を考えながら、私は自身のデスク近くに掛けられている掲示板にフラフラと寄る。

 

 

「今日の宿直は能見二尉と竹下二尉、か」

 

 

確認するように、私は独り言を呟く。

そして誰もいないこの場所を離れ、彼らが詰めているであろう宿直室に足を向ける。

誰かの声が、聴きたい。

きっとそれは私が、この現実が現実だという証明が今すぐにでも欲しいという心理からきたものなのだろう。

 

部屋から出て、蛍光灯に照らされた白色廊下を一人、歩き続ける。

しかし不思議な事に、歩けど、歩けど、誰一人として私が誰かとすれ違うことは無かった。

流石にスクランブルに備えて、幾人かはこの基地に詰めている筈なのだがと、私は首を捻りながらも廊下を進み続ける。

カツン、カツンと、廊下に響く私の歩みの音だけが、この基地に蔓延る無音とせめぎ合う。

 

 

――人がいない、見当たらない。

 

 

宿直室に向かう途中、回り道をし、他の仕事場や休憩所、果ては格納庫にも足を伸ばし、顔を出してみたが、まるで人だけがこの世界から欠落したかのように、誰もいない。

誰も、誰もいないのだ。

歩く距離が伸びていくにつれて、私の歩みは自ずと早くなり、そして駆け足へ。

ますますこの世界が現実なのかという疑念が私を不安にさせ、そして支配していく。

 

そんな私が最後に行きついたのは宿直室。

掲示板の通りなら能見二尉と竹下二尉がここに詰めている筈である。

ドアの前で荒くなっている呼吸を整え、そして祈る様に私はドアノブに手を掛ける。

心なしか、ドアノブに掛けた私の右手は小さく、小さく震えていた。

此処にも人が居なかったら……

そんな不安が表に出ていたのであろう。

 

 

「……ふぅ」

 

 

不安を払うため一呼吸置き、落ち着いた後、ドアノブを捻り、そして私はゆっくりと宿直室のドアを開ける。

 

果たして人は―――確かにいた。

宿直室のソファーに座り、ホットコーヒーに口を付けようとしたまま、私を見て目を丸くしている能見二尉。

能見の対面のソファーで、私が来たことに気づいていないのか、ヘッドフォンを付けたまま、ノートパソコンをいじり続ける竹下二尉。

どちらも私の知る二人の姿と変わらぬ姿でそこにいた。

 

 

「……あの、どうしましたか隊長。今日は非番ですよね?」

「ぅえ、久瀬二佐ぁ!?」

 

 

能見が律儀に立って、私に対応してくれたことで流石に竹下も私に気づいたのか、慌てて彼も立とうとしたせいか、ヘッドフォンのコードがピンッと伸びる。

伸びたコードはノートパソコンに繋がっており、ノートパソコンは弾かれたように、カエルの様にテーブルから飛び上る。

ノートパソコンはそのまま水平投射、そして重力落下。

 

 

『―――――――――』

「……ぅ」

「……ぁ」

「あちゃ~」

 

 

ゴトリと、私の足元に落ちたノートパソコンは、竹下のヘッドフォンが取れたせいか、世にもおかしな声をあげ続ける。

何事かと、私はノートパソコンを持ち上げ、そして画面を見て絶句。

だってそこには綺麗に描かれた俗に言う二次元の女の子があられもない姿を晒している静止画が、そしてノートパソコンのスピーカーからは、その女の子の何ともはしたない声が漏れていたのだから。

 

 

「……」

 

 

だから私は竹下のノートパソコンをそっと閉じ、近くの窓を開き、そのまま振りかぶって……

 

 

「ちょぉ!? 何やろうとしているんですか久瀬さん!?」

「なに、ちょっとした物理の実験だ」

「止め……いや、止めてください!! お願いします神様久瀬様仏様ぁぁぁ!!」

「……冗談だよ竹下、ちょっとしたジョークだ」

 

 

そう言って開けた窓を閉じ、素直にノートパソコンを竹下に差し出すと、彼は奪うようにノートパソコンを受け取る。

 

 

「久瀬さんが言うとガチにしか聞こえませんよ、マジで心臓に悪いっすからそういう冗談は止めてください」

「それは、すまん……くっ、アハハ」

 

 

自然と、込み上げる笑いを抑えきれず、腹を抱えて私は笑う。

そんな私を不思議そうに見て、能見は尋ねる。

 

 

「久瀬さん、どうしましたか?貴方が笑うなんて珍しい」

「なんでもない……ふふ、なんでもないんだよ」

 

 

ホッとした。

誰もいないかもと不安だった先ほどまでの切羽詰まった心持とのギャップのせいか、込み上げる笑いが止まらない。

しかしそれは決して悪い物では無い。

だから私は暫くの間、込み上げる笑いの流れに身を委ね、ハテナを浮かべる二人を置き去りに、笑い続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近のアラート待機というものは昔と違って存外暇なものである。

それは私が戦時中の常在戦場で気を抜く事の出来なかったあの頃の雰囲気に慣れ過ぎたという事もあるが、領空侵犯の常習犯だったロシアと中国の空軍が再編中である事もあり、領空侵犯の回数が戦時前に比べて激減した事もある。

それに未だそれぞれの国内にはクーデター軍の残党がちらほらと残っているらしく、それ故に正規軍も此方にちょこちょこ領空侵犯しに来る暇があるのなら、クーデター軍の残党殲滅の方に力を入れる筈だろう事も領空侵犯が少なくなった理由の一つだろう。

 

時刻は既に零時を廻っている。

この時間になってしまうと流石に自宅に帰る気にもなれず、明日は休みだし折角だからとこのまま朝まで彼らに付き添う事にした。

とは言っても暫く私と談笑していた能見は、迫る睡魔に抗いきれず、先ほどからソファーの上で横になって静かな寝息を立てている。

そして竹下は先ほどの「エロゲー」なる物を自粛して、パソコンで何やら動画らしき物を見る事に専念している。

そんな訳で、早速手持無沙汰になってしまった私はこのまま寝てしまおうかと目を閉じてみるが、先ほどまで寝ていたせいか全然眠れる気がしない。

 

 

「眠れないんすか、久瀬さん」

「ああ、さっきまで眠っていたせいかな。どうも眠れないんだ」

「ん~、なら久瀬さんも一緒にどうっすか?」

「どうって……うっ!?」

 

 

竹下が見せてくれたパソコン画面に映るのは、ズボンを穿いていない、下着丸出しの二次元少女たちが足に機械を履いて空を飛ぶアニメ。

生身で空を飛ぶという製作者の着眼点は素晴らしいと言えるが、やはりパンツ丸出しなのは……

 

 

「久瀬さん、パンツじゃないから恥ずかしくないんだ!!」

「へ?」

「パンツじゃないから恥ずかしくない、恥ずかしくないんだ!!」

「……二度言わんでいい、と言うか叫ぶな。能見が起きるぞ」

「さ、サーセン」

 

 

竹下曰く、明らかにパンツであろうそれは、このアニメの中の世界ではズボンという認識になっているらしい。

確かに我々の概念が常に世界の常識という事は決してなく、他の国ではその常識がおかしい事だと思われる事だってあるだろう。

しかし、だからと言ってこれは……

 

 

「スマン、内容に興味はあるが、やはり、その……」

「ズボン、駄目っすか? なら小説版があるんでそっちを貸しましょうか?」

「ああ、そっちで頼む」

 

 

竹下に渡されたアニメの小説版は、私が日ごろ読んでいる物より一回り小さい、所謂文庫本サイズの物であった。

表紙には生憎カバーが掛かっており、そこから本のタイトルを読み取ることは出来ない。

本の中を開くも、タイトルが書かれているであろうページもカバーの内に飲み込まれてしまっている。

竹下はきっと、本を大切に読むタイプの人間なのだろう。

ならば、普段読む時より大切に、本を傷つけぬように注意して読まねばと、私は本のタイトルを確認する事を諦め、次のページを捲り進める。

 

本の内容は、先ほど見たアニメの明るい感じからは想像出来なかったが、第二次世界大戦を基にした架空戦記物だったようだ。

読み取れる限りでは、突然現れた謎の存在『ネウロイ』によって欧州等の国々の大半がそれらの勢力下に下り、人類滅亡への緩やかなカウントダウンが迫る中、その秒針を止める為、祖国奪還の為、本土防衛の為、様々な思いを抱いた年端もいかぬ少女たちが機械仕掛けの魔法の箒を履き(・・)、武器を手に取り日夜戦う物語……と見せかけて、年頃の少女たちが織り成す様々な日常話の方が大部分を占めており、戦時中という雰囲気をあまり感じさせない明るいコメディ的作品に仕上がっている。

戦争体験者としては随所にツッコミ所盛り沢山な作品ではあるが創作物と割り切れば読めない訳では無く、そして空を飛ぶことを生業にしている為か、興味をそそる物が一つある。

 

 

――ストライカーユニット

 

 

機械仕掛けの魔法の箒。

それは、少女たちを大空へと誘う翼であるのと同時に、少女たちを戦場へと駆り立てる、言わば悪魔の兵器という側面を持つそれ。

現実ではありえない、実に荒唐無稽な空想物。

しかし私はそれを見て、そして思うのだ。

それを履いてみたい、と。

そして飛んでみたい、と。

それで以て空を駆け抜ける。

それはそれは、とてもとても気持ちのよいものなのだろう、と。

そんなストライカーユニットを履いて、飛ぶことが出来る本の中の彼女たちに私は羨望を、そして僅かな嫉妬を抱きながらも、気になる物語の続きを読み進めていく。

 

 

「ん?」

 

 

小説はとうとう最終章「エピローグ」に差し掛かったところで、私はその章を読む手を途中で止めた。

理由を端的に言えば、「エピローグ」の内容、書き方に違和感を覚えたのだ。

言うなれば、この作品に似つかわしくない終わり方。

「エピローグ」に至るまでの雰囲気を台無しにしてしまう終わり方だったのだ。

 

「エピローグ」はほんの数ページ程の短いものだった。

内容は物語の主要人物と思われるカールスラント軍に所属する少女三人が、ネウロイから奪還した基地を視察途中、そこで戦死してしまった仲間を、幽霊になった戦友を見るというものである。

 

 

 

 

 

――ミーナ?

 

――どうしたの、フラウ?

 

――あ、ううん、ミーナの事じゃなくて……

 

――もしかして、ヴィッラ少尉の事か?

 

――うん。今、彼女がそこの廊下を通って……

 

――馬鹿な、彼女は私を……いや、済まないハルトマン。でも見間違いじゃないのか?

 

――でも、でも!! 確かにそこを通ったんだ!!

 

――おい、待てハルトマン!!

 

 

 

 

 

「難しい顔をしてますね、久瀬さん。小説、合いませんでした?」

「いや……ただ、な」

「? ああ、その話ですか」

 

 

本を覗きこんで苦笑いを浮かべる竹下。

「その話、結構読者の批判が多かったんっすよね~」と、独り言に近い形で私に教えてくれる。

 

 

「やはりか」

「折角そのキャラ、立ち絵が可愛い子なのに死んでるなんて設定、勿体ないし許せないんすよ。それに自分、こうもあからさまにお涙ちょうだいみたいに登場人物を死なせる物は余り好きではないっす」

 

 

彼の言葉には同意だ。

この話はあからさまな程に、悲劇を語っている。

何故明るい流れを壊してまで、作品の雰囲気を壊してまでしてこの話を盛り込んだのか?

一体、作者は何を言いたかったのだろうか?

意図は何だったのか?

読み進めても見える事が無い、謎。

結局謎は解けぬまま、残るページ数はあと三つ。

それ以降、あとがき等のページは再びカバーに飲み込まれており、捲る事は許されない。

それに彼の話から察するに、あとがきにこの話を言及する内容が無かったのだろう。

 

ページを捲る。

 

 

 

 

 

――『―――』を庇って死んだことには後悔は無いの

 

――私はあの時、仲間たちの、エーリカたちの力に少なくともなれた

 

――もしそうなら、本当にそうだったのなら私は幸い

 

――でも、でもね

 

――それでも私は……

 

 

 

 

 

幽霊少女の短い独白。

死んだ戦友に別れを告げ、基地から去っていく三人を、基地の窓から見下ろす優しいまなざしをした少女の挿絵。

何となく、何となくだが……私はこの挿絵を何処かで見た事のあるような気がして……少女の独白を……何処か……で聞いたことがある……気がして……

 

 

「あ……れ……?」

 

 

眠くなかった筈なのに……今はどうしてかな?

とても、とても………眠い。

 

 

「久瀬さん?」

「竹下……スマン、少…し……眠っ……て……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倒れるようにソファーに身体を沈ませたその時の私はきっと、物凄く疲れていたのだろう。

だからこの先の、ページの先の最後のセリフを知っているなんていう事も、きっと疲れから来る妄想なのだ。

 

 

――それでも私は、もっと生きていたかった

 

 

それは竹下の声でも、能見の声でもない、紛う事無く知らない誰かの声、まだ年端もいかないような少女の声だった。

しかしどうしてかな、その声を懐かしく思ってしまうのは……

 

 

「ゆ……め……」

 

 

きっと以前にでも、その声を夢の中で聴いたのかもしれない。

その姿を見たのかもしれない。

それなら合点がいく話だ。

何もおかしなことは無い。

そう、おかしなことは何一つ無いのだ。

 

私はその日、そんな事を思いながら、深い深い闇の中に一切の疑問を抱く事無く、闇に意識を溶かしていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そうして私は夢を見る

 

――まだ「  」が幸せだった、あの頃の夢を

 

――夢の中の「  」は笑う

 

――大切な人たちと、本当に、本当に幸せそうに

 

――それを覗いた私は、願う

 

――どうかその幸せが続きますように、と

 

――今度こそ、運命に負けないように、と

 

 

 

 

 




・竹下二尉と能見二尉

久瀬の部下。
戦争中期あたりから足りなくなった人員補充の目的で航空学校から招集され、生き残る事が出来た数少ない人達。
二人は幼馴染という設定。


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だから彼女の平和が終わる

――狂った歯車が二度と同じ歯車に噛み合う事がない様に、物語は狂う











――11月

 

 

その日は冬特有の木枯らしがヒュォっと口笛を鳴らしながら窓をガタガタと、何度も何度もしつこくノックしていたのをよくよく覚えている。

 

その日、白い、白いベッドの上で、真っ赤な一輪の花が満開を迎えようとしていた。

その花の名前が何なのか。

それは私には分からない。

残念ながら私は、花の名前に然程詳しくない。

鑑賞物として花を「綺麗」と思いはしても、それぞれの無数に存在する花の種類、名前に、興味は微塵も無かったのだ。

その花は水を沢山与えられ、肥料漬けにされ、多くの手間暇がかかった上で、そうして今日漸く咲く事が出来た、満開になる事が許されたものだった。

しかし周りの鑑賞者達は、満開になったその花を見て、嘆いている。

 

 

――何故?

 

 

何故彼らは綺麗な、綺麗なその花を見て、そして嘆いているのか?

ぼんやりと鑑賞者達を眺めていた私は暇つぶしをするかのように、不躾に、彼らが嘆く訳を、所以を探す。

己の中の沈黙に潜り、探す事数秒。

ああ、きっと彼らはこの素晴らしい花が満開を過ぎたらすぐに萎み、そして枯れてしまうことを惜しんでいるのだろうと、私は沈黙の中で得る事の出来た勝手な自己解釈を、部屋の端から私は鑑賞者達に張り付けた。

 

 

「……八時二十三分、死亡確認。ヴィッラ」

「はい」

「そんな……ああ、フランツ!! 目を開けてフランツ!! お母さんを、お母さんを置いて行かないで!!」

 

 

父さんの、花の完成を告げる言葉を受け、私は納品書にサインを加える。

これは天に召します我らが父に向けられた納品書。

それを書くことが、今この場に与えられた私の仕事。

そしてそれを書き終えた私に、この部屋にこれ以上留まる必要はなくなった。

私は静かに、そっと、後ろで嘆く誰かを他人事と切り捨てて、聞こえる言葉の意味を理解する事もせず、足早に部屋からの退出をはかる。

彼らだって今はそっと、刹那の美しさを見せる白いリボンに飾られたその花をずっと、ずっと、飽きるまで、愛でていたい筈だ、独占していたい筈だ。

 

私が触れたステンレス製の銀色ドアノブは、暖められた部屋の温度を無視するように、ただ冷めきっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病室から抜け出した私にすれ違いざまにぶつかってきたのは、最近顔見知りになった若い女性看護師。

前のめりに倒れていく彼女の両腕には目一杯に抱えられた薬品の山。

後ろが壁だった事が幸いし、すぐに体勢を整え直す事が出来た私は慌てて彼女に右腕を伸ばし、彼女を支える。

 

 

「すまない、大丈夫か?」

「あ、ありがとヴィルヘルミナさん」

 

 

礼だけを言って去っていく彼女。

謝罪は、ない。

しかし私はそんな彼女を咎めない。

謝罪をする。

そんな暇さえ今は無い事は私も、そして彼女も、互いによくよく分かっているから。

 

 

「包帯と薬が足らないわ!! そう、モルヒネもよ!! あるだけ持ってきて!!」

「いてぇ……いてぇよ……」

「先生!! 追加の急患、急患です!!」

「誰か、誰か整形外科の先生はいませんか!!」

 

 

様々な色をした声が、真っ白な廊下の至る所から聞こえてくる。

色の種類は、赤に、青に……所々に黒色。

それらの色は無造作にキャンバスを汚し、最早それらが何を表しているのか、私には全く理解できない。

 

 

「ワン」

「……カルラ」

 

 

病室の外で待っていてくれたカルラが、私を色の世界から引き戻す為に、呼ぶ。

カルラの顔をふと見ると、彼女の目は「ちゃんと前を向け」と私を怒っているように、責めているように見えた。

現実逃避とは私らしくない。

そう思いつつ、私はカルラの頭をそっと撫でる。

 

 

「そうだな、そろそろ前を見ないと」

「――前を見るって、どういう事だいヴィッラ?」

「! 父さん……いえ、何でもありません」

「そうかい?」

 

 

後ろから声を掛けてきたのは、先ほどの病室での役目を終えたであろう父さん。

彼は私の事を思ってか、労うように優しげな微笑みを向けてくれる。

しかしそんな彼の笑みに、僅かながら陰りがある事を私は見逃さない。

……そういえば彼が休んでいるところをこのところずっと見ていないなと思い出し、一歩、私は彼に寄る。

 

 

「父さん。ちゃんと眠れていますか、休めていますか?」

「……何のことだい?」

「とぼけないでください、疲労が顔に出てますよ?」

 

 

「うぐっ」と、言葉を詰まらせ、父さんは視線を泳がせる。

やはり私の予想通り、碌に休んでいなかったらしい。

 

 

「……ヴィッラ。言いたいことは分かるけど、僕たちは一人でも多く、苦しんでいる彼らを助けないといけないんだ。休んでいる暇なんてないんだよ」

「疲労のせいで手元が狂う、なんて事を私が許すとでも?」

「……」

「私は父さんの為だけではなく、患者の為に言っているのです。お願いですから今は少し休んでくださ……わふっ!?」

 

 

私の言葉を遮る様に、父さんは私の身体をその腕に抱く。

男性故か、私を抱く腕は少し荒々しい。

一体全体何なのだと、私は父さんに文句を言おうとして……止めた。

彼に、他意が無い事は何となく分かったから。

荒々しいその腕に、何処か壊れ物を扱うようなやさしさがあったから。

彼の身体が、少し震えているような気がしたから。

 

 

「父さん?」

「ごめん、ヴィッラ。少し苦しかったかい?」

「いえ、そういう訳ではないのですが……」

 

 

ふと、私は先ほど看取った若いガリア軍兵士とその母親の事を思い出す。

思い出して、納得して、私はそっと彼を抱きしめ返す。

父さんは……うん、少し驚いているみたいだ。

 

 

「大丈夫です、父さん」

「ヴィッラ?」

「私は、此処にいますよ?」

「……はは、これではどっちが大人か分からないな」

 

 

そりゃあ私の方が精神年齢、上ですからね……とは言わない。

父さんの、両親の愛にどっぷり漬かって甘えているのは私の方だから。

 

しかし、私はそろそろ前を見なければならない。

対策を考えないといけない。

彼らを、大切な人達を、また失わないように。

 

 

(さて、どうするか……)

 

 

思考の海に、潜る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1939年、10月

東欧州がネウロイの襲来で混乱する最中(さなか)、西欧州においても突如としてネウロイの巣の出現が確認される。

巣が確認された場所は――()()()()()

 

前世と異なり、ガリア南部に突如として現れ、侵攻を開始したネウロイ。

しかし突然の侵攻にも拘らず、南部ガリア陸軍、空軍の各方面司令部は混乱少なくこれに即応、的確に防衛ラインを段階的に構築、抵抗を開始する。

何故これ程までに素早い反応が出来たのか。

確かにこの時司令部内にいた多くの将兵が前大戦体験者であった事も大きいが、実のところ南方司令部は前大戦の教訓を生かし、南方司令部は独自にガリア南部に存在するヒスパニアやロマーニャ公国等の各国を仮想敵国と想定した、また前大戦のネウロイ襲来時の記録を基に、数十パターンにも及ぶ本土防衛ドクトリンを組み立て、そしてそれらの作戦が恙無く取れるよう訓練を怠らなかった事が大きい。

また1936年のヒスパニア戦役は不介入であったとは言え、国家としても国防として、南方の警戒を更に加速させたのは言うまでもない。

 

しかし南方司令部は、それから一か月余りで陥落する事となる。

理由としてはネウロイの巣と司令部までの距離があまりにも近すぎた事、そして前大戦で現れることの無かった大型航空ネウロイによる制空権の早期失陥が大きく響いた。

それでも多くのガリア国民を北やヒスパニア方面に逃す時間を稼ぐには十分であった事には変わりなかったのだが、南方司令部に最後まで残り、撤退の殿を務め、散って逝った優秀な将兵は少なくなく、それによって明確な司令塔を失った南方ガリア軍兵士の多くは組織的に動く事も儘ならず各々壊走。

結果として南方司令部が陥落以来、僅か半月余りでガリア南部都市の多くはネウロイの勢力下に下ってしまう事となった。

 

今この町のガリア陸軍の駐屯地には、南方司令部より撤退してきた将兵の手によって、この町の近くに存在する防衛ラインを指揮する為の臨時司令部が置かれている。

その臨時司令部の司令官――カジミール・ドモゼー陸軍准将は、此処に司令部を置いて以来、ネウロイの侵攻を各戦線の指揮官と連携して思いの外よく押さえ、また押し返している。

あの一件があって私は彼には良い印象を持っていなかったとはいえ、やはり伊達に准将という地位に着くだけの事はあるなと少し彼に感心しつつも、しかしそれも長く続かない事も私は薄々感じていた。

物資の問題では無い。

兵士の数と士気の問題、特に士気に関しては深刻なものであった。

元々南方から撤退してきた者達の士気は皆高かった。

彼らはガリア国民を一人でも多く逃がす為に戦っているという意識が最初からあった為か、負傷して此処(軍立病院)に送られてきても「まだ戦える!!」と喚き散らす程、彼らはとても元気だ――出来れば治療を行う我々としてはもう少し彼らには大人しくしてほしいのだが。

しかし北部等からの増員、援軍として送られてきた兵士たちは、その逆。

前線へ向かう、この町に立ち寄った彼らを何度か目にした事があったが、彼らの目は既に、戦う前から死んでいる。

ただ、彼らの気持ちは分からないでもない。

勝てもしない怪物に小銃持たされ攻撃を命じられる。

言うなれば第二次世界大戦末期に日本が取った神風特攻……いや、それよりも酷いのかもしれない。

それは端的に言うと「ガリア国民の為に肉壁になってこい」と言われているに等しい命令なのだから。

 

兎も角、前世と大きく異なりこの町が、ガリアが、ネウロイという名の業火に前世より早く飲み込まれるのは時間の問題だろう。

しかし両親は、レオナルドもマリーも何時まで経ってもここから逃げようとはせず、ずっとこの町に送られてくる負傷兵達の治療にあたり続けている。

逃げ出す気は……きっと無いのだろう。

今更だが、彼らが苦しんでいる誰かを見捨て、自分たちだけで逃げ出す事は彼らの性格から考えてあり得ない事だ。

それにこの病室の一部屋にはお婆様が、未だ目を覚ます事無く眠り続けている。

その事がまた彼らの楔となり、足枷となってしまっていた。

このまま残り、当初の目的の通り彼らを守る選択をすれば、私は軍にも入る事も出来ず、それどころか何も出来ずに実にあっさりと死んでしまうかもしれない。

……ハッキリ言うと、今すぐにでも逃げ出したいと思ってしまっているのが私の本音だ。

二度も死に、三度目の人生を迎えられた奇跡。

しかし四度目があるとは限らない。

死に逝く時の、あの寒さ、孤独。

二度と、二度と体験したくない。

 

 

――死にたくない

 

 

ついそんな事を思ってしまうのは、人間として当然の本能なのだろう。

しかし私はそれでもこの場に、彼らと共に留まる事を選んだ。

後悔が無いと言えば、嘘になる。

留まる事は怖かったし、ジワジワと迫っている死から目を背けたい余り、先ほどまで現実逃避していた程だ。

しかし私は、私が死ぬことよりも、何よりも。

大切な彼らが死んでしまう事の方がもっと、もっと、怖かった、恐ろしかった。

だから私は、それでも私は此処に留まり彼らを護る決意をしたのだ。

たとえ私が死ぬことになっても、彼らを護りたいと思ったのだ。

 

なのに。

それなのに……

 

 

「母さん……もう一度、言ってくれますか?」

「逃げなさいと言ったのです、ヴィッラ」

 

 

母さんはどうして私にそんな()()()()を言うのか?

 

 

「逃げろって……どうして」

「ヴィッラ、君はカールスラントの国籍を持っている。撤退するガリア軍と共にパリに行って、カールスラントの大使館を使ってカールスラントにいる父さんたちの所に逃げるんだ」

「違う……違う!! 私が言っているのは手段じゃないんです、父さん!!」

 

 

病院の中であろうと、往来の激しい廊下だろうと構う事無く、私は彼らに大声を上げる。

無論そんな事をすれば周囲の注目が集まるだろうが、今はそれどころでは無い。

 

 

「此処ももう危ない事はヴィッラだって分かっているでしょう」

「だから、何ですか!! それを言ったら母さん達だって……」

「私たちは医者(・・)だもの、傷つき、病気になっている人たちを癒すのが私たちの仕事(・・)。でもヴィッラ、あなたは()?」

「……」

「分かっているでしょうヴィルヘルミナ。どんなに貴女が賢くても、どんなに貴女が取り繕おうと、貴女の身分はまだ子どもである事に変わりないわ」

「それは……」

「ヴィッラ、分かってくれ。マリーは意地悪を言っている訳じゃないんだ。僕たちはただ、ヴィッラに生きていてほしいんだ」

 

 

それはそうだ。

私が彼らに死んでほしくないと思うように、彼らだって私を死なせたくないと思うことは親として当然なのだろう。

だからこそ、もどかしい。

私は母さんの言う通りどんなに私が精神年齢を積み重ねていたとしても、私の外見は、そして身分は、無力な子どものそれなのだ。

子どもである私から大人である彼らに頼る事は可能でも、大人である彼らが子どもの私に頼る事は出来ないのは当たり前の事。

だから「私を頼ってほしい」なんて、「私が護るから」なんて、言える筈が無い。

その言葉は大人である彼らを見下し、馬鹿にしている事に同義なのだから。

 

 

「少し……少し考えさせて、下さい」

「分かったわヴィッラ、でも早く決めないと駄目よ」

「はい……」

 

 

期限を先送りにする。

悔しいが、それしか今の私には出来なかった。

 

 

「ヴィッラ、お願いしてもいいかしら」

「……何でしょう」

「家から、私たちの着替えを取ってきてほしいの。これからはもう、私たちには家に帰る時間もないでしょうし。勿論ヴィッラの分もね」

「分かり、ました」

 

 

今は一人になって考えたかった私に、その母さんからのお願いはありがたいものだった。

無論快諾。

しかし「それじゃ」と言って家に戻ろうとした私の後ろを当たり前のように、そうある事が当然の事のように付いてきてくれるのは、カルラ。

 

 

「カルラ……」

 

 

ああ、そうだ。

私は彼女のこれからの事も考えないといけない。

あの日エーリカと共に彼女を助けて以来、彼女は元居た自由よりも私を選び、ずっと私の後ろを黙って付いてきてくれた。

しかし、もし私が死んだ時、残された彼女はどうするか……

 

 

「カルラ」

「ワン」

 

 

もう一度彼女の名前を呼ぶ。

視線を彼女に合わせるように私は屈んで、彼女に母さん達と此処に留まるようにお願いする。

 

 

「クゥン」

「カルラ、すまないが私がいない間、母さん達を護っていてくれるか?」

「(フルフル)」

「ごめんね、カルラ……今は、一人にさせてくれ」

「……」

 

 

最後まで渋る素振りを見せていたカルラだが、私がそう言うと、彼女は大人しく腰を下ろしてくれた。

 

 

「ありがとう」

 

 

カルラに与える、お礼と一撫で。

暫く私は、カルラを無心でその手の内で転がす。

少し荒くし過ぎたのか、手を離した時にはカルラの毛並みがぐしゃぐしゃになっていた。

しかしそれでも気にした様子もなく私をジッと只々見送る彼女の視線に内心謝りつつ、私はゆっくりとした足取りで家に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り着いた我が家で私を迎えてくれたのは、沈黙。

カチャンと、玄関の開閉音以来家の中から聞こえる音は私の息遣いだけ。

日頃家族との笑いあっていた、笑いが絶えなかった我が家が、しかし家族がいないだけでこんなにも寂しいものかと、少しだけセンチメンタル。

 

 

「……よし」

 

 

作業に取り掛かる。

まずは父さんの衣服を、下着を含めて必要最低限(三着ずつ)鞄に詰め込む。

前世が男だったお蔭で、父さんの下着を何も思うこと無く触れることが出来た訳だが、最低限の物を鞄に詰め込んだつもりだったのに、既に鞄は「もう食べきれぬ」と悲鳴をあげていた。

仕方なく新たに鞄を用意した上で詰め込み始めた母さんの衣服なのだが、彼女のクローゼットから持っていく服を選んでいると、以前母さんが着て見せてくれた軍服を見つける。

 

 

「ん……」

 

 

軍服というものは基本、一般的な服より頑丈に出来ている物である。

当然ネウロイ相手には無意味かもしれないが、少しでも今後の生存率を上げるという意味では役に立つかもしれないと、軍服を手に取りながらふと思う。

……これ、母さんに強請ったら譲ってくれるだろうか?

そんな淡い期待をしつつ、とりあえずその軍服も鞄に詰め込む事にする。

母さんの着替えの詰め込みも終わり、あとは私の着替えだけなのだが、其処はやはり自分の物だけあって特に問題なく準備を終わらせる。

そうして出来上がった肥満体型の鞄が三つ。

それらをひとまず玄関近くに置いて、続いて私は今後の為の準備――ネウロイがこの町に迫ってきた時の為の、必要な物を手早く持って逃げ出せるようにする為の準備を始める。

ランタンなどの必需品、食料、特に保存性に富んだ物等、兎に角私が思いつく限りの、逃げる際に必要になってくるであろう物を片っ端に箱に纏めて、これらもまた玄関近くに置いておく。

 

 

「さて、他に何か必要な物は……ぁ」

 

 

玄関の端に置かれた真っ黒金庫が目に映る。

中にはお爺様の猟銃と弾薬が収められているのだが、私はその金庫に手を伸ばし、しかし途中で止めた。

果たして銃は必要か?

銃を持っていく事で起こるメリット、デメリットを慎重に天秤に掛け、少しして私は再び、今度は迷いなく金庫に手を掛けた。

本当はお爺様に許可を貰わないといけない事なのだろう。

しかし今、彼は此処にはいない。

彼は欧州でのネウロイの出現を機に、軍に復帰しているのだ。

そして彼の配属先は――()()()()()()()()()()

 

 

「……銃、お借りします」

 

 

万が一ネウロイに襲われたとき、誰かが、軍が、必ず私を、家族を守ってくれるとは限らない。

そう考えた私はガンケースに銃をありったけの弾薬と共にしまい、しかしそれは必要物資の上に置かず、肩に担ぐ。

そして置いていた着替えの入ったバッグを更に担ぎ、私はそのまま家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院に戻る為に通る必要のあった町の主要道路は、避難を急ぐ人や車で溢れかえっている。

本当に今更である彼らの避難。

ただ、彼らも避難の為に家を捨てるという決断は中々出来なかったかもしれない。

この町の建物はどれもこれも歴史のある物ばかり。

先祖代々その家や店を護ってきた者だって彼らの中には少なからずいるだろう。

そうでなくても己の慣れ親しんだ家を、訳も分からない怪物からの脅威と天秤に掛けた時、どうしても家に傾きがちになってしまう彼らの気持ちは分からないでもない。

分からないでもないのだが、そのシワ寄せが前線で懸命に戦ってくれているガリア軍の兵士たちに寄ると思うと……

 

 

「はぁ」

 

 

避難する彼らを視界に入れないように、私は近くの壁に背を預け、空を見上げる。

空は相も変わらずの、青。

そのまま暫く、私はぼ~、と空を見上げながら何も考えない。

 

 

「……しまった」

 

 

考えないと言えば、今後についてどうするかについて全く考えていなかった事を今になって思い出す。

折角病院から離れ、一人になる時間を貰ったのに何をやっていたのだと、先ほどまでの自分に呆れつつ、改めて今後について、またどうやって両親を説得するかを考えてみるがすぐに妙案を思いつくような脳のつくりに如何やら私の脳は出来ていないみたいだ。

案は、結局その時その場において何一つも浮かぶ事はなかった。

 

私は考えることを止め、病院に戻る事にする。

こんな所で油を売っている暇があるのなら両親の治療の手伝いをしていた方がよっぽど有意義な時間の使い方だ。

それに何かしら作業をしていた方が、何か良い案を思いつく事だってあるだろう。

そう思って私は壁から離れ、止めていた歩を改めて進めようとして

 

 

――空を切り裂く、音を聞く

 

 

遠くに聞こえた微かな音は何だと、私は空を再び見る。

先ほどは気づくことは出来なかったが、注視すると、確かに何かがあった。

空遠くに見えるのは小さな、小さな黒点。

その黒点は、紙に少量垂らされた墨汁のようにわずか、僅かに広がって、空を小さく、しかしハッキリと、徐々に汚していく。

それに伴って、音は段々と大きくなっていく。

大きくなって、更に大きくなって。

それだけ大きくなれば、流石に人々も気づくだろう。

皆足を止めて、空を見上げる。

 

 

「あれは隕石か?」

 

 

誰かが言った、呟きを聞く。

その言葉が誰によって呟かれた言葉なのかは分からない。

もしかしたら呟いたのは私だったかもしれない。

しかしその言葉を耳に入れた時には、黒点は更に大きくなっていて、私はその意味を漸く理解し、叫ぶ。

 

 

「みんな、伏せろおおおおおお!!」

 

 

――黒点が、落ちる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゲホッ、ゲホッ……クソッ、一体何が……!?」

 

 

小学校があった丘の上に、空から落ちてきた何か。

それによって引き起こされた地震よりも何よりも大きい振動と衝撃。

津波のように巻き上げられ、そして迫ってきた粉塵。

それらが収まり、立ち上がって、開けた視界の先に私は見た。

 

言うなればそれは大きな、大きな一本の黒い槍だった。

明らかにこの世の物ではないであろうそれを、私も、人々も、只々呆然と眺める。

黒い槍には斑点があった。

赤い、赤い、綺麗な正六角形の斑点だ。

 

 

「嘘だ――」

 

 

そして黒い槍は、変化を見せる。

 

 

「どうして――」

 

 

視界の先で、黒い槍はバラバラと、積み上げた積み木を倒すかのように崩れていくのだ。

 

 

「何故――」

 

 

しかし崩れゆくその積み木の大半は、落下を途中で止め、重力を無視し、まるで手品のように宙に浮いてみせた。

黒い槍も崩壊を中ほどで止め、そこから綺麗に包丁に切られたように身を六等分にしてまで何かを産んだ。

産まれた何かは、四脚をその身に生やしてのっそりと、立ち上がる。

 

 

「ネウロイが――ッ!?」

 

 

刹那。

丘よりもたらされた赤い閃光と共に町が――割れた。



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だから彼女は足手纏い

町が、私たちの慣れ親しんだ町が、赤色に染まっている、燃えている。

燃えた町は下から上に、暴力的に、灰色に染まった筆を空に描いているのは、見ずとも分かる。

こんなにも灰色の匂いが、私の呼吸を邪魔するのだから。

 

町の人達は蜘蛛の子を散らすかのように、自分勝手に、ばらばらに、皆あの怪物から逃げようとする大通りは最早濁流と化し、上流に向かって泳いで進む事は子どもの私には困難だった。

だから私は土地勘を頼りに、路地裏を進む事を選ぶ。

目指すのは――

 

 

「お姉ちゃん……ゲホッ、ゲホッ……」

 

 

私の、お姉ちゃん。

この世に()()()()()()()、私の肉親。

行かないと――居場所は、知っている。

行かないと――大丈夫、信じている。

行かないと――まだ、彼女は死んでいない。

 

 

「だって……」

 

 

約束したもの――

 

 

「私を……」

 

 

一人にしないって――

 

 

「あ……」

 

 

曲がり角のその先。

進もうとしたその道は、目的地に行ける筈だったその道は、左右の建物の倒壊によって潰されている。

これでは進む事は出来そうにない事は、考えるまでも無い事。

だけど――

 

 

「ぅ……嫌ぁ……」

 

 

聳える壁に絶望し、膝を折っている暇なんてないのに。

地べたを眺めている暇なんてないのに。

如何して私は泣いているの?

 

 

「ぁ……ぁあ……、お姉ちゃん……」

 

 

他の道は、駄目だった。

此処のように、瓦礫が邪魔をして進めない。

まるで悪魔が意地悪をしているみたいに。

道が、無い。

道が無いから、進めない。

進めないから、絶望して。

絶望しているから、立てない。

立てなければ、何もできない。

……それはただの言い訳。

 

今、私が感じているのは、恐怖。

突然現れた、あの化け物に対する恐怖。

化け物から放たれた閃光。

私の目の前を横切った閃光は、私のすぐ前を歩いていた人たちを、まるで最初からその場にいなかったかのように消し去った。

その光景が脳裏に張り付いて、こびり付いて、剥がれない。

 

――お姉ちゃんの所に行かなきゃ

――化け物が怖い

――死にたくない

それらは、どれも偽らざる私の本心。

私の中でせめぎ合う、家族への思いと化け物への恐怖。

天秤のように揺らぐそれらは時間が経つに連れて、恐怖へと傾く。

だから私はこうして地を見ている事しか出来ないのだろう。

……それもまた言い訳だ。

 

 

「誰か……」

 

 

私にもっと勇気があれば……

お姉ちゃんの事を助けたい……

でも、怖い……怖い……

死にたくない……

 

視界いっぱいに広がる地に涙が飛び込み、溺れて消える。

嗚咽は止まらず、震えは止まらず、涙は止まらず。

いきなり現れ、私たちの町を壊していくあの化け物を私は恨み、そんな物を産み出したこの世界を私は恨み、何より今ここで何も出来ないでいる私自身を恨み。

それでも私は、自分勝手に願った。

 

 

「助けて!!」

 

 

届くはずもない、臆病で身勝手な私の願いは、しかし――届く。

私の前に降りゆくのは、一人の天使。

綺麗なその髪、白銀糸をまるで衣服と言わんばかりに身に纏い、純白の翼をその背に生やした天使は、地をトトンとステップを踏んで、私の目の前に、背を見せながら降り立った。

震える声で、凛とした後姿を見せるその天使の名を私は恐る恐る、呼ぶ。

 

 

「ヴィルヘルミナ……さん?」

「……シャルロット、か」

 

 

振り向きざまにサッと掻き揚げた彼女の髪が、ふわりと宙を舞い遊ぶ。

何処か現実味のないその姿に、気づけば私の涙は、瞳から零れる事を止めていた。

少しして、彼女のキュッと結んだ唇が解け、言の葉が漏れる。

 

 

「逃げろ、シャルロット……此処は危険だ」

 

 

私を憂うその言葉に、私は首を横に振る。

そして私は今一度、彼女に願う。

「お姉ちゃんを助けてください」、と。

 

 

「ジャンヌは、何処に居る?」

 

 

お姉ちゃんは今朝、カジミール叔父様に連れられてガリア軍の基地に連れていかれた事を、私は家にいた使用人から聞いている。

その事を伝えると、ヴィルヘルミナさんは眉を顰めた。

 

 

「お願いします、ヴィルヘルミナさん!!」

「……」

 

 

私の願いに彼女は何も答えず、只々沈黙を守るだけ。

駄目なの、かな……

いや、当然だ。

彼女だって目的があって動いているに決まっている。

誰だって自分の事で精一杯の筈なのに、勇気が無くて進めない私の替わりにと、私の願いを押し付けようだなんて、私はなんて自分勝手なのだろう。

そう思い、諦めかけた私に彼女は背を向ける。

 

 

「私は、行く」

「ヴィルヘルミナさん?」

「シャルロット、君は南の石橋を渡って、出来るだけこの町から離れろ。ネウロイは水を嫌う。橋を渡り切れれば陸戦型のネウロイに襲われる可能性は低くなるし、小型の飛行型も今は大衆の逃げた東の方角に向かっている。この町の地理に詳しい君ならば、今なら君の脚でも十分に逃げる事が出来るだろう……ジャンヌは、私が探すから」

 

 

そう言いながら、彼女は背負っていた荷物の一つから、真っ黒な細長いケースの中から、何かを取り出した。

茶色と鉛色のツートンカラー。

ヴィルヘルミナさんの手に握られたのは紛う事無く、銃だった。

それは人をも殺しうる、武器。

しかし躊躇う事無くその武器を手慣れた様子で持ち、これから向かう先に居る筈であろうあの化け物たちの事など、さも「だから何だ?」と言いたげに、毅然としたその姿は天使と言うより――戦乙女

 

……どうして?

どうして彼女は、他人の為に簡単に死地に飛び込もうとするのだろう。

どうして彼女はそんな平気な顔をして、死地に飛び込もうとするのだろう。

あの閃光を、彼女だって見ている筈だ。

それでもなお、彼女はあの化け物が怖くは思わないのだろうか?

彼女の背中に恐怖の色は見られない。

それどころか、私と年は対して変わらない筈の彼女の雰囲気は、大人の……『()()()()』の背中によく似て、とても頼もしく見える。

 

 

「それじゃあ「待って!!」……何だ?」

「ヴィルヘルミナさん……わ、私も」

 

 

どうして彼女を引き止めたの?

私は一体何がしたいの?

大切なお姉ちゃんの事を彼女に任せた癖に、今更何を言おうとしているの?

思考と私の言葉がかみ合わない。

でも――

 

 

「私も連れて行ってください!!」

 

 

それでもいいと思ってしまった私が居る。

なんと都合の良い人間であろうか。

だけど……

だけど、ヴィルヘルミナさんと一緒なら、出来ると。

何故かそう思えてしまったから。

ヴィルヘルミナさんは、ゆっくりと私に振り返る。

彼女の澄んだ空色の瞳は、邪な私を「ほら見ろ、これがお前だ」と言いたげに映している。

 

 

()()、何ができる?」

「……ッ!?」

 

 

ヴィルヘルミナさんから返ってきたのは問いかけ。

その問いかけに、私は思わず半歩、後退る。

それは暗に「足手まとい」と言われているのか?

いや、きっとそうなのだろう。

 

 

「……」

 

 

問いかけたヴィルヘルミナさんは沈黙を守り、動かず、ジッと私を見守っている。

私が足手まといと言うのなら、そうだと言ってすぐに立ち去ればいいのに、彼女はどうしてそうしないのだろう?

――君に、何ができる

私は彼女の言葉を思い出し、今一度考えてみる。

この言葉には、もしかして他にも意味があるのではないのか、と。

……逆に考える。

ヴィルヘルミナさんは何ができる?

彼女のその瞳には、覚悟と意思がある。

それは彼女が臆することなく死地に飛び込む事が出来るという事。

彼女のその手には銃が、武器がある。

それは彼女が戦うことが出来るという事。

彼女の背中には翼が、固有魔法がある。

それは彼女が地形に関係なく移動し、逃げる事も出来るという事。

 

――私は何ができる?

 

 

「ヴィルヘルミナさん、私は……」

 

彼女はきっと、私を連れていくだけの価値があるのかを聞いたのだ。

ならば私は自分の価値を彼女に示すだけ。

彼女は私に覚悟と意思は求めていないだろう。

それだけでは何も出来ないのだから。

彼女は私に戦う力を求めていないだろう。

そもそも子どもが武器を取り扱えることすら珍しいのだから。

残る答えは――

 

 

「私は、治癒魔法が使えます!!」

 

 

私の答えを聞いた彼女の表情が、少し悲しげに歪む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――失敗したな

 

 

固有魔法を駆使して空を飛び、魔法で強化した脚で屋根伝いに町を駆け抜けながら、私は先ほどの失言を内心で後悔していた。

振り向く。

私の背にはシャルロットが、高所になれていないせいか、少し震えながらも振り落されないようにギュッと背にしがみ付いている。

 

 

「大丈夫か?」

「は、はい。ちょっと怖いですけど……」

 

 

私に気遣ってか、無理をしているのがバレバレな笑みを作る彼女に「そうか」と、私は会話を短く切り上げて前方を注視する事にした。

 

私は彼女の事を見捨てるつもりだった。

路地裏で彼女と出会ったのは本当に偶然。

逃げ惑う人々の波から逃れる為に固有魔法を使ったら、偶々彼女が私の着地地点にいただけ。

ただ、彼女は少なからず私の知り合いである事には変わりなく、死なれてしまうと寝覚めが悪いと思い、彼女に逃げるべき方向を教えたら私はすぐにその場から離れるつもりだった。

彼女のお願い――ジャンヌの事についても、あれはただの大人の嘘。

空から確認したが、駐屯地にはネウロイが少なからず張り付いており、シャルロットが向かっても死ぬのは目に見えていた。

だから私は嘘をついて、シャルロットだけでも逃げられるようにと思っていたが、今度は私に付いてくると言う。

――冗談じゃない

それが私の正直な思いだった。

しかし足手まといが増えるのは御免だと遠まわしに言って、事実彼女を内心で子ども扱いしてその場を納得させようとしたその時の私は、シャルロットを子どもだと少しでも舐めてかかったその時の私は本当に愚かだ。

まさか私の言葉の揚げ足を取ってみせるとは……

 

 

「シャルロット、先に言っておくが、まず病院に向かってから駐屯地には向かうぞ」

「は、はい、分かりました……ですけどヴィルヘルミナさん、病院に何の用事があるのですか?」

「……知り合いが居るんだ」

 

 

思考を切り替える。

まずは両親の安否を確かめる事が、無論第一だ。

出来れば逃げる為の足を確保したかったところだったが、贅沢は言っていられない。

逃げる途中で足が確保できれば御の字だが兎も角、この町からどんな形でもいいから一刻も早く両親を生きて連れださないと……

 

ジャンヌの事は……可能ならば助けるつもりだが、シャルロットには悪いがそれはないだろうと考えている。

先にも述べたが駐屯地には多くのネウロイが張り付いている。

銃声や戦車の砲撃らしき轟音はまだ遠くからでも聞こえてはいるが、そもそも今現在この町にいる動ける兵士の数は少ない。

駐屯地がネウロイに陥落させられるのは最早時間の問題だろう。

そんな中を飛び込める程の、命を張る程の理由が私に無い以上、駐屯地に向かうつもりは無いし、助けて同行するつもりの両親だってそれを許す筈が無いだろう。

シャルロットには恨まれるかもしれない。

騙して本当にすまないとは思っているし、どんな事をしたって許してもらえるとは思っていない。

それは本心だ。

でも私は漫画やアニメなんかに出てくる主人公やヒーローなんかじゃない。

私は、私と私の家族を護る事で精一杯。

それ以上のものを護る自信なんて、今の私には無いんだ。

どんなに内面が熟していようと、私は権力も力もないただの少女のなのだから。

 

病院が見えてきた。

幸いにもネウロイは既に落下地点から離れ、駐屯地のある北と、人々の逃げた東に向かっている。

また空からは、病院周辺にネウロイの姿は見られない。

 

 

「それがせめてもの救い、か……」

 

 

空から見下ろす病院は、最初のネウロイのビームのせいだろう。

半壊し、沈黙している建物からは黙々(モクモク)と、モクモク(黙々)と、黒い煙が立ち上っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院の前に降り立った私は、シャルロットをその場に下ろし、近くの茂みに身を隠すように告げる。

シャルロットは私の言葉に怪訝そうな顔をするがすぐに頷き、私の指示通り茂みに身を隠す。

 

 

「……」

 

 

未だ中に入っていないとはいえ、病院は余りにも静かすぎた。

もしかして、病院の中にいる人たちは全員逃げたのか?

……いやそれは無いだろうと、私は(かぶり)を振る。

ネウロイの襲撃から然程時間は立っていない。

それに病人や怪我人が多くいた筈だから、避難は時間が掛かる筈である。

それなのに、一人も入り口から出てくる人や、物音が全く聞こえてこないというのは……

 

嫌な予感がする。

そう感じた私はすぐに銃を構え直し、扉に手を掛け、そして――

 

 

「ぁ……」

 

 

ゆっくりと扉を開いた先で、私は見る。

病院を支配し、つんと私の鼻腔に突き刺さるのは鉄のような匂い。

病院特有の白色キャンバスは飛び散る赤一色で染まっている。

余りにも強く自己主張をするその匂いに、そして目の前に広がる光景に、私は思わず胃の中の物を吐き出しそうになるのを必死に抑える。

いっそ胃の中にある物をすべて吐き出せたらどんなに良かったものかと思う。

ネウロイが何処に居るかも分からない予断を許さないこの場において、それは不可能な事だった。

吐き気を抑え、私は進む。

一歩進んでは、無心で。

一歩進んでは、赤い海を踏みしめて。

一歩進んでは、海に浮かぶ()()を避けて。

そうして漸く到着する事の出来た赤い海の対岸で、私は大きく息を吐いた。

 

 

「前世で嫌と言う程死体は見て来たつもりだったけど……」

 

 

自嘲気味に呟きながら、思う。

――酷過ぎる

一体何がどうなればこんな惨劇を生み出す事が出来ようか、と。

たちの悪いドッキリか、B級ホラー映画と言われたならばどんなに良かったものか、と。

 

 

「シャルロットを置いてきて正解だったな……ん?」

 

 

階段近くよりふと何かの気配を感じ、私は慌てて下ろしていた銃口をそちらに向ける。

しかしそこには誰もいない。

 

 

「おかしいな? 確かに何かの気配が……」

 

 

――ガタンッ

 

 

物音。

それは階段近くの用具箱からだった。

とりあえず私はその音のした用具箱に恐る恐る近づいて、声を掛けてみる。

 

 

「おい、誰か入っているのか?」

『――誰も……誰も入って、いません……よ?』

 

 

意外にも返事が用具箱の中から返って来る。

しかも声の主は、今日私が病室から出てきた際にぶつかったあの看護師に間違いない。

私は銃を下ろして用具箱を開ける。

中にいたのは、やはりあの時の看護師だった。

ただ、彼女の着ているナース服は血で――恐らく返り血であろう――真っ赤に染まり、顔は涙と恐怖でぐちゃぐちゃになっていたのを除いては。

 

 

「ヴィルヘルミナ……さん?」

「大丈夫か、何があった」

「分からない……分からないの。突然衝撃が来て、爆発があって……訳の分からない怪物が病院に入ってきて……それで……それで、先生方や患者さんたちを…………私、怖くて……」

「……もういい、分かった」

 

 

これ以上思い出させるのは酷か。

とりあえずここで何が起こったかは大体分かった。

後は――

 

 

「両親……ルドルファー夫妻の居場所は何処だ、何処に居る?」

「ルドルファー……ルドルファー先生……………………先生たちは…………よん、ぜろ、なな………です、ドミニク先生………」

「?」

 

 

彼女の視線は私を向かず、一点を見たまま動かない。

彼女が何を見ているのかと疑問に思い、振り返ってみると、彼女が見ている()()が何なのかを私はすぐに理解した。

赤い海の中で、浮かぶようにうつ伏せに倒れ、ピクリとも動かない彼を、私も名前くらいは知っていた。

 

 

「ドミニク先生…………ふふ……だめですよ、そんなところで寝ていたら」

「ぁ……」

 

 

ドンと、後ろから押され、私は尻餅をつく。

何が起きたか分からなかった私は、私の横を通り過ぎていく彼女を、ただ呆然と見送る。

ふらふらとした足取りで赤い海を進み、彼だった()()をその膝の上に拾い上げ、ブツブツと彼女は何かを呟き始めた。

 

ぶつかったのは、二度目。

その事を謝らなかったのも、二度目だ。

そんな事を、今この場で思えるのはどうしてか?

 

 

「行かないと……」

 

 

壊れた彼女に目を背け、背を向けて、急いで、それこそ逃げるように駆け足で、私は階段を駆け上がる。

目指すのは四階。

彼女の言った、407号室――それはお婆様の病室だ。

 



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カルラ

暖かく優しい風が肌を掠め、春の訪れを伝えるのは4月。

その風の流れに逆らって、ゆっくりとした足取りで、草原を歩みゆく者達の存在を告げる音は八つ。

私と、エーリカと、それから白狼。

皆沈黙を守ったまま私の後に続き、歩き続けて彼是、私の感覚が正しければ三十分位か。

それ程歩き、見えてきた目的地は森。

そこまで来て、私は漸く歩みを止める。

後ろに続く彼女たちも、それに合わせて足を止めた。

 

 

「此処までだ」

 

 

振り返りながら、私は彼女達に告げる。

 

 

「ミーナ、やっぱり……」

「何だ?」

「……ううん、何でもない」

 

 

エーリカは何か言いたげに口を開いて、しかし閉じて。

頭の後ろに手を組みながら私を見て、それから白狼を見て。

そして彼女は我関せずと目を瞑る。

そんな彼女の態度に私は心当たりがあるだけに、言葉に出来ない謝罪の言葉を内心で呟く。

 

 

「さてもう一度言うが、此処までだ」

 

 

身を屈め、視線を合わせ、別れを告げる相手は白狼。

私たちの前に見えるあの森の中で、エーリカと共に出会い、助けたあの時の子どもの白狼だ。

母さんの治癒魔法のお蔭で無事に一命をとりとめ、そして体力が回復するまで看病する事一か月余り。

白狼はその一か月余りの間に、その足で大地を悠々と駆け回る事が出来るまでに回復した。

健康状態にも問題はなく、体力も十分。

ならばもう白狼をうちに留めておく故はなく、そしてそれこそが私たちがこの場に来た理由だ。

 

 

「行くといい、自分の世界へ」

 

 

自然の中で生きてきた白狼の世界と、私たちの生きる世界は全く違う。

此方の世界に留める時間が長くなると、白狼はきっと野生の勘を失って、元の世界に戻れなくなってしまうだろう。

私はそれを恐れた。

しかしエーリカはこの白狼に、共に看病をしている内に愛着でも湧いたのだろう。

あろうことか、白狼を私のもとで飼う事を私に勧めたのだ。

そこら辺の意見の違いでエーリカとはひと悶着――口論があった訳だが、結局私の方が精神年齢、人生経験は積んでいる訳で、口先もその分私の方が上手である事は自明であって……

今思い返せば、最終的には納得してくれたとは言え、理論武装をしてエーリカを責めたてた事は、少し、いや物凄く大人げない事をしてしまったと反省している。

しかし後悔はしていない。

ここで白狼を自然に返す事、それが一番良い選択であると私は信じているからである。

ただ――

 

 

「どうした、行かないのか?」

「……」

 

 

白狼はしかし、そんな私の思いを裏切るように、動かない。

私の目をジッと見て、何かを言いたげにして、動かない。

一体どうしたのだろうか?

動かない理由が分からない私は首を傾げ、留まる白狼に今一度元の世界に帰るようにと促す。

……だが動かない。

何故?

何故白狼は動かない?

 

 

「ミーナ、あのさ」

「……何だ」

「あ~、やっぱいいや」

「?」

 

 

先程まで暗い顔をして沈黙を保っていたエーリカは、今度は私を見てニヤニヤ。

如何やらエーリカは白狼の動かない理由を理解しているようだが、私にとってはますます訳が分からない。

……そうして悩む私をエーリカは笑いながら、私が不機嫌だと指摘する。

 

私が不機嫌?

「馬鹿を言え、私は間違いなく平常心だ」と、エーリカの指摘に私は口を尖らせ言い返す。

 

 

「ワン!!」

「あ……」

 

 

不意に一声。

急に私に向かって吠えた白狼は、先程まで動かなかったのが嘘のように、クルリと背を向け森の方に駆け出した。

私はその背中を呆然と見送る事しか出来ず、そして白狼の姿はあっという間に森の中へ。

……『女心と秋の空』とはよく言うが、女になった今でも、女心と言うものは、まったくもって分からないものだ。

それはエーリカ然り、そしてあの白狼然りだ。

――胸の内がモヤモヤする

たぶん、それはきっと女なのに女心が分からない事に対するモヤモヤだろう。

――胸の内がチクチクする

……はて?

モヤモヤだけなら分かるが、それは一体何故だろうな?

兎も角、白狼は立ち去り、私たちはそれを見届けるという当初の予定通りに事は済んだ訳であり、ならば後は家に帰るだけ。

そう思い、踵を返す私に――

 

 

「待って」

 

 

エーリカは裾を掴んで呼び止めた。

「どうして?」と、私は彼女に問うてみる。

しかし私の問いに彼女は「ちょっと待って」と、同じ言葉を繰り返すだけ。

待つ? 何を?

もしかして、あの白狼を?

あの白狼が戻ってくると、エーリカはそれを待つと言うのか。

――胸の内がモヤモヤする

どうしてエーリカは、白狼が戻ってくると言い切れる?

――胸の内がチクチクする

どうしてエーリカは、白狼が戻ってくると信じられる?

 

 

「あぁ~もうっ!! ミーナの鈍感!! ミーナの朴念仁!!」

「なっ!? エーリカ、やめ……痛ッ!?」

 

 

疑問だらけの私を、エーリカは叩き、怒り、怒鳴り――

 

 

「あの子の態度を見てれば分かる筈なのに、どうしてそうやってあの子をちゃんと向き合わないのさ!!」

 

 

肩を掴まれ、揺さぶられ、訴えかけられて。

そうしてエーリカは必死に私を動かす。

身体を、そして心を。

私は……

 

 

「それが、どうした」

「ミーナ……」

「私だってあの白狼の態度に気づいていなかった訳では無いさ。しかしエーリカ、それが思い違いだったとしたらどうする? 私たちの都合のいいように解釈をしていたとして、あの白狼の自由を奪う事になってしまったらどうする?」

 

 

動物と人間の意思疎通は基本出来ないから。

私にあの白狼の思いなど、分かりはしないから。

限られた事から判断する事は、ただの憶測、希望的観測だ。

もし自分の都合の良いように解釈して、白狼の望む自由を奪うことになってしまったら。

そう思うと……怖いのだ、私は。

 

そんな私の思いを聞いたエーリカは、私の肩から手を離し、呆れたようにため息を一つ。

 

 

「難しい事を言っているけど……結局のところ臆病なんだね、ミーナは」

「……ああ、その通りだ」

 

 

意思疎通が出来る人間の思いさえ、私には分からない。

それは私が幾ら歳を重ねても、前世を含めてもそれだけは――いや、前世の事があるからこそ、言葉にしない相手の思いを完全に推し量る事だけは、きっと私には一生出来ない。

 

 

「……?」

 

 

ふと私の肩に、再びエーリカの手が添えられる。

先程の、訴えかける為の乱暴な手ではなく、そっと、割れ物を扱うかのような優しい手。

後ろ向きな事を考えていたせいか、いつの間にか下がっていた視線を上げてみると、エーリカは優しげに私に微笑んでいた。

 

人の邪な気持ちを知らないかのような純真無垢なエーリカの微笑み。

それは疑心暗鬼に黒く染まった私の心を、まるでお日様みたいのように、暴き、晴らし、そして眩しく照らしてくれる。

 

 

「ミーナ、あの子が行ってしまってから不機嫌……ううん、不機嫌って言うより寂しそうに見えるよ」

「そうなの、か?」

 

 

寂しそう。

エーリカはそう言うが、私にはそんな自覚はな……いや、どっちだろうな。

私は今、寂しいのだろうか?

 

白狼を看病している時、私は早く白狼に元気になってもらいたいと、それだけを思って、ただただ一生懸命だった。

しかし白狼が己の脚で立てるようになって、覚束ない足取りで私に付いてこようとする姿を、私は微笑ましく思っていた。

白狼の怪我が回復に向かい、駆け回る姿を見て、私は間違いなく嬉しかった。

思い返せば思い返すほど、確かに私の中にある、白狼との時間、思い出。

白狼と短い時間とは言え共に過ごしてきた時間の中で、あの白狼に対して少なからず、情が私の中に生まれていたのかもしれない。

それは何らおかしい事では無い。

ならば今、私のこの胸に感じているモヤモヤやチクチクは……

 

 

「ミーナはさ、私とケンカした時に私があの子に愛着が湧いたから飼いたいと願っているんだって言ったけど、私よりもあの子を大事にしていたミーナは、本当は私よりもあの子と一緒にいたかったんじゃないの?」

「ぁ……」

 

 

否定は、しない。

悔しいが、エーリカの指摘に私は図星だ。

 

 

「そんなミーナだから、ミーナだからこそ、あの子はミーナが好きなんだって……私はそう信じたいな」

「……どうして?」

「だって――その方が素敵じゃない?」

 

 

そう言って、エーリカはニッコリと笑ってゆっくりと、腕を持ち上げ指を指す。

森の方向に向かって指を指す。

その指の軌跡を、私は追いかけるように視線でなぞってみると、遠くに見える、白い点。

どんどん、どんどん、大きくなっていく白い点が、エーリカが指し示す方向に確かにあった。

 

 

「エーリカ」

「何?」

「私は今、どんな顔をしている?」

「やっぱり……ミーナってば、ものすごく嬉しそう」

「そうか」

 

 

私は、嬉しそうなのか。

ならば、私の感じている今この感情は――喜びだ

『女心と秋の空』

なんやかんや、他者の気持ちなど分からない、分からないとぐちぐち言って、結局その言葉は私に返るのかと思うと、なんともまあ……頭の痛い話だ。

 

白狼は、エーリカの言った通り私たちの許に戻ってきた。

それは間違いなく嬉しい事だ。

しかし戻ってきた白狼を前にして、私は果たして何と声を掛けたらいいのか。

そんな些細な事が、情けないが分からなくなる。

「戻ってきてくれてありがとう」か?――違う

「私の許に来い」か?――違う

 

そうして、悩み、沈黙する事数秒。

白狼はふと、その口にくわえていた何かを地に置いて、自身の鼻先でそっと私に転がす。

そういえば……何故白狼は森に向かったのか?

目の前に答えが既に明らかである筈の疑問を不思議な事に、思う。

 

 

「リンゴだ……」

 

 

私が膝を曲げて拾い上げた物は、白狼があの森から持ち帰った物はとても美味しそうに、真っ赤に熟れた、一つのリンゴ。

 

 

「これを私に、くれるのか?」

「ワン!!」

 

 

今の一声は……うん、きっと肯定と取っていいのだろう。

 

 

「お前は……」

 

 

――私と共に居たいのか?

そこまで言いかけた私の足元に、白狼は私の次の言葉を理解しているかのように歩み寄り、座って、尻尾を大きく振って私を真っ直ぐ見上げる。

それもまた肯定なのか……

 

 

「そうか……分かったよ」

「ミーナ、それじゃあ……」

「いや、エーリカ。私はこの子を()()とは言っていない」

「ミーナ!!」

 

 

エーリカの責める声に私は首を横に振る。

違う、そうじゃないのだと。

ならば何なのか?

そんなエーリカの疑問はもっともだが、それはすぐに分かる事だ。

そう言って私は身を屈め、白狼を真っ直ぐに見据える。

白狼も私を真っ直ぐに見たまま、動かない。

 

 

「私は、お前を束縛しない。お前は、己の意思で私と共にいるだけ」

「……」

「私はお前と対等の立場でありたい。だから私はお前を()()ことはしないし、お前も……お前が自由になりたいと思うのならいつでも私の許を立ち去ってくれて構わない」

 

 

――それがお前と私のこれからの関係

 

 

「お前は己の意思で生きろ。私にも、何者にも縛られず、どこまでも自由にだ……だから私はお前にこの名を付ける。気に入ってくれると嬉しいのだが、期待はするなよ」

「ワン!!」

「私からお前に送るのは、『自由な者』を表す名前。そう、お前の名は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――カルラ」

 

 

四階まで登った私を、静かに待っていたのはカルラだった。

廊下の真ん中で、綺麗だった白い毛並みを煤と血で汚しながらも、ポツンと()()で座っていた彼女は、ずっと私の到着を待っていてくれたようだ。

此処にいると危ない事は彼女も分かっていた筈なのに、逃げもしないで……

 

 

「……………父さんと……母さんは?」

 

 

私の問いかけに、カルラは何も言わずに廊下の奥へと進み始める……かと思えば、彼女は一度止まって私を一瞥し、再び進み始める。

ついてこいと、言っているのか。

彼女の――両親たちが居るであろう407号室に向かう足取りはゆっくりだ。

見たところ、左前足を如何やら怪我をしている。

ひょっこ、ひょっこと、左脚を庇いながらも進む様は、その身を汚す血も相まって、とても痛ましい。

 

カルラが一人で、あの場にいたという事は、つまり……そういうことなのだろう。

カルラがゆっくり進んでいるのは、怪我のせいもあるだろうが、そう言ったことも関係しているのだろう。

私はカルラの後ろを歩き出す――ゆっくりと

私はカルラの後ろを追いかける――覚悟しながら

 

私が両親と、どんな形の対面になったとしても取り乱さないように、心の整理をしながら。

 



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だから彼女は今は泣かない

心の整理をしつつ……と言っても、階段から407号室までの距離は然程ある訳では無かった。

ゆっくり向かったとしても、階段から病室に行き着くまでは精々一分程度の距離しかないのだ。

それでも……それでもある程度の事態を、事前に身構える事の出来る心の余裕を作る時間を得ることが出来た事は、私にとってはこの上なくありがたいことであった。

 

 

「……」

 

 

私は既に、目的の407号室の前に立っている。

しかし折角たどり着いた目的の部屋の前で、私はただただ佇むだけ。

病室に入りたくても、入れないのだ。

 

407号室は、瓦礫の中に沈んでいた。

恐らくはネウロイのビームの影響で、病室の天井が崩れてしまったのだろう。

これでは中に居たであろうお婆様や両親は無事では済まない事は考えるまでもない。

勿論両親がこの部屋に本当に居たかどうか、この部屋の瓦礫に埋まっているのかどうかは、この瓦礫を取り除かないと確認する事はできないだろう。

もしかしたらこの部屋に崩壊当時に居らず、無事に逃げ出した可能性も無きにしも非ずだ。

でも……しかし……

ならば、今、病室の瓦礫の隙間から流れ出ているこの血だまりは、誰のだ?

瓦礫の隙間から僅かに見える、この左腕は、誰のだ?

 

それを確認する為に私は、瓦礫に埋まっているその左腕の、左手の薬指にはめられた結婚指輪を恐る恐る引き抜き……その内側に掘られている名を、見た。

 

 

Leonard(レオナルド)Rudorffer(ルドルファー)

 

 

父さんの名……

間違いなく父さんの名前だった。

 

 

「……」

 

 

涙は、不思議と出なかった。

それは既に覚悟して来たからか?

それは彼の死に目にあえなかったからか?

それは目の前にある腕が、未だ父さんのものだと信じられないからか?

……私にとってはどれでもよかった。

父さんは、死んだのだ。

 

 

「なら、泣けよ……」

 

 

悲しい筈なのに、悔しい筈なのに。

何故私は泣かないのだ。

 

 

「ヴゥワン!!」

「カルラ?」

 

 

呆然と佇む私の傍で、瓦礫に向かってカルラは吠える。

何度も、何度も。

もしかして――

 

 

「誰かが中で、生きているのか!?」

 

 

カルラは吠えながら、怪我をしているというのに、その前足で懸命に瓦礫を引っかく。

もしかしたらカルラは、中に居る誰かを助ける為に瓦礫を退けようとしているのかもしれない。

生きているのは誰か?

お婆様か?

それとも母さんか?

 

 

「カルラ、退け!! 私がやる!!」

 

 

抱えていた荷物を、そして銃を投げ捨て、魔力をその身に纏い、入り口を塞ぐ大きな瓦礫を持ち上げ、退かす。

入り口から出せない瓦礫は、拳で砕く。

そんな事をすればたとえ魔法で身体を強化していようと、痛いものは痛かった。

しかしそれがどうしたと構う事無く、私は瓦礫を砕き。退かし続ける。

何度も、何度も瓦礫を殴り続けた私の拳からは、尋常でない程の血が吹き出す。

拳がミシリと、鈍い音を立てる。

だからどうしたと構う事無く、私は瓦礫を退かし続ける。

 

 

「母さん!!」

 

 

やっとの思いで入り口を塞いでいた分だけだが、瓦礫を除く事が出来たそこに、父さんに庇われる形で床に横たわっていたのは母さんだった。

意識は無いが、彼女は間違いなくその胸を上下――呼吸をしていた。

母さんは、生きていた。

 

 

「良かった、無事だ……」

 

 

母さんが助かったのは、父さんが身を挺して母さんを守ってくれたお蔭だ。

母さんの白衣は父さんの血で真っ赤になってしまっているが、服の上から新たに血は流れ出ていないところを見るに、出血はない。

兎も角、母さんだけでも助かってくれてよかったと、私は胸を撫で下ろす。

 

 

「本当に……よかった」

 

 

私はその時、そう思った。

そう思いかけた、そう思いたかった。

 

 

「はぁ……はぁ……」

「……?」

 

 

母さんの呼吸は何故か、荒い。

顔色も悪い――真っ青である。

まるで……まるで今から死に行く者の様な、そんな顔色。

どうして……

原因を確認する為に、私は母さんの服を捲る。

 

 

「……ッ!?」

 

 

母さんは二か所、下腹部と胸の辺りに内出血をおこしていた。

それもかなり危険――今から治癒魔法の行使や専門医に診せても助かる確率の方が低いレベルだ。

信じたくはないが、私の経験則で嫌と言う程分かる。

母さんはもう、助からない。

母さんは……死ぬ。

 

 

「あ……ハハ…………何でさ?……こんなの、ないよ…………酷いよ……」

 

 

――嗚呼、失敗した。

 

 

「私の、私のこの十二年間は何だったんだ……」

 

 

――助けようと、救おうと頑張ったのに、また、何もできずに零れてしまった。

 

 

「私が再び産まれた意味は一体何だったんだ!!」

 

 

――覆水は盆に返らず、割れた卵は元に戻らない。

それらを映像の向こう側を見せられるだけで、()がそれを止める事は許されない。

どんなに()が画面を叩こうと、画面の向こう側に何の変化も起こる筈が無い。

 

 

「また、私は……独りになるのか?」

 

 

――()の行いは、零れた覆水を元に戻そうと、割れた卵を元に戻そうとするようなものだったのだ。

それを無駄だと知らずに。

そう、だから……

 

 

 

 

 

――だから貴方が落ち込む事はないの、久瀬さん

 

 

 

 

 

「……ッ、誰だ!?」

 

 

誰かが私の耳元で囁いた。

間違いなく囁いた。

それなのに、振り返ってもそこには誰もいない。

その声はどこか遠く、そして一番近くに居た筈の、聞き覚えのある声……その筈なのに、その声が誰のものか、私は何故か、全く思い出せなかった。

 

 

「……ィッラ……ゲホッ、ゲホッ!!」

「母さん!?」

 

 

目覚めないと思っていた母さんが、私の腕の中から、私を呼ぶ。

その声を聴き、私は慌てて母さんの方に視線を戻すと母さんは、泣いていた。

 

 

「ヴィッラ……そういう……事、だったの、ね……ゲホッ…………道理で、大人びて……」

「母さん、喋っちゃ駄目だ」

「ごめん……ごめんね、ヴィッラ……()()……貴女、を独りに、させて……ごめん、ね」

「ぁ……」

 

 

まさか……聞かれていたのか。

 

 

「黙っていて……助けられなくて、ごめんね母さん。私は……」

「いいの」

 

 

母さんの手が私の頬を、慈しむ様になぞる。

母さんの手が私の頭を、慈しむ様に撫でる。

ただ私に触れる、いつもは温かかった筈のその手は、今は酷く、冷たい。

母さんに撫でられるのは嬉しい筈だったのに、今はただ、悲しい。

 

 

「こんなに……大きく……ゲホッ!!なっ……て」

「……まだ、私は十二だ。全然大きくないよ」

「そんな顔……しな………いで、笑って……ヴィッラ」

「……泣いている母さんに言われたくないよ」

「そう……ね…………ゴホッ!!」

 

 

震える唇から何度も吐血して。

苦しそうに、喘いで。

それでも母さんは、喋る事を止めない。

それはこれが私との最後の会話だと分かっているからか。

しかしそれも、長くは続かない。

満足に血を吐き出す事すら最早儘ならない母さんは、とても息が苦しい筈だ。

 

 

「私たち、は……いっちゃ……う、けど…………無事に、逃げて……生きて……幸せに……ね…………ヴィッラ」

「母さん!!」

 

 

そんなの、無理だ……

そう言いかけた言葉を、喉に留めて、そして飲み込む。

母さんの焦点は既に私に合っていない。

もう時間が無い。

ならばそんな言葉よりも言うべきことがある筈だ。

伝えないと、私の思いを。

 

 

「私を愛してくれて、ありがとう!!」

「………………………………」

 

 

私の言葉に母さんは何も言わず、最後は泣きながら、笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父さんも、死んだ。

母さんも、死んだ。

お婆様は……カルラの反応を見る限り、この瓦礫の中で押しつぶされているのだろう。

お爺様の行方は未だ分かっていないが、生存している確率は絶望的だ。

 

十二年……この時の為に備えてきた、生きてきた。

それなのにそれが全部無駄で、大切だった筈の彼らを失ってしまった今、目的を失ってしまった私は一体どうしたらいい?

何をすればいい?

 

……こんな所で死ぬのは御免だ。

その思いは変わらない。

それに母さんは、私に「生きて」と言った。

それが母さんの願いならば、私は何としてでも生きないといけないのだろう。

しかし「生きて」と言われたのはいいが、そもそも……そもそも、だ。

私は一体何のために生きればいいのだ?

今までの標を失った私はそれを見つけない事には、情けないがそんな簡単には立てないのだ。

何か、何かを。

何でもいい、私に立てる理由はないだろうか?

それがあれば、私はきっと立てる筈である。

何か、私が立てる理由を……

 

 

 

 

 

『お姉ちゃんを、助けて下さい!!』

 

 

 

 

 

「……ぁ」

 

 

あった。

あったじゃないか。

私には、立てる……いや、立たないといけない理由が、まだある。

シャルロットの願い――ジャンヌの救出。

それは今、間違いなく()()()()出来ない事だ。

 

……立てる。

まだ私の脚は少し震えてはいるが、如何やらこれは私が立ち上がる理由に十分なものだったらしい。

 

私がこれから目指すべき目的地は、駐屯地。

その駐屯地には勿論、ネウロイがたくさんいる。

生存を望む私の思いとは反対に、そこは間違いなく死地に違いなく、そこに向かうことは自殺行為に等しいだろう。

……だがそれが何だ?

私には武器が、経験が、固有魔法がある。

何てことはない、ちょっとネウロイの包囲網を掻い潜ってジャンヌを助けて脱出する。

簡単な事だ、私ならやれない事はない。

男……じゃないが、女も度胸だ。

大丈夫、やれるさ、大丈夫、大丈夫……

 

いや……うん、本当は全然大丈夫じゃない。

やはり親の死に目にあった直後だからか、私は全然冷静じゃないようだ。

少し感情が抑え切れていないのは分かっていた。

だから……まずは、落ち着こう。

息を吸って、吐く。

焦らず、落ち着いて、気持ちを切り替えて……まずは持ち物の確認を始める。

持ち物は猟銃と、役立つかは分からないけど木工用ナイフ、後は着替えを敷き詰めたバッグが三つ。

着替えは……持っていっても荷物になるだけだろう。

着替えの入ったバッグは此処に置いていく事にする。

 

 

「あ、いや待て」

 

 

母さんに譲ってもらう為に持ってきた、あの軍服は使える。

寧ろそれは、駐屯地に潜り込む為に必要な物だろう。

そう考えた私は、早速自身の上着を脱ぎ捨てて、母さんの軍服に着替える。

服の丈は欧米人故に身長の伸びが早いおかげか、着た感じは少しぶかぶかだが、パッと見、外見に違和感はないので問題はないだろう。

 

 

「よし」

 

 

気持ちを切り替え、準備も整った。

整ったのなら、私はもう行かないといけない。

……本当は侵入経路とかも考えないといけないだろうが、如何せん基地内部の事について私は何も知らないので考えたところでどうしようもなく無駄で、そもそもネウロイが不特定多数、周囲を囲っている以上その包囲網を掻い潜るにはどうしても行き当たりばったりになってしまい、ルートを決めてもまた無駄であろうからそれについては無用と切り捨てた。

それに何時までもシャルロットを待たせるのも拙いだろう。

 

 

「父さん……母さん……」

 

 

両親たちとはここでお別れ。

そう思い、床に寄り添うように並べた動かぬ彼らに、私は最後の別れを告げようとして――止めた。

それを言ってしまうと、きっと私は泣いてしまう。

そう思ったから。

 

私は、今は泣かない事にした。

それは今泣く事よりも、為すべきことがあるからだ。

彼らを思い、泣いて立ち止まるのはまた後ででもできることだ。

為すべきことをして、安全な所まで逃げて……そこまで行ったら私は漸く、思いっきり泣けるのだろう。

だから今は、別れを告げない。

 

 

「ああ、その前に」

 

 

父さんから取っていた指輪を元に戻しておかないと……

そう思い、返すのを忘れていた指輪を元の指にはめようと、しゃがみ込む私の視線の先にとあるものが目に入る。

それは父さんの襟元から零れているペンダント。

デザインはそんなに派手な物ではなく、そこら辺に生えている様なツタのような草が彫られているだけ。

質素を好む、実に父さんらしいデザインだ。

そんな事を思いつつ、徐にそれを手に取ってみると側面をほぼ一周する形で切れ込みが入っているのに気付く。

どうやらこれはロケットペンダントのようだ。

 

 

「……」

 

 

中に入っていたのは写真だった。

父さんと、母さんと、それから赤子。

赤子はたぶん、私だろう。

私を抱えた父さんと母さんは、幸せそうに笑っている。

 

 

「……父さん」

 

 

父さんの首からそっとペンダントを外し、それを私の首に掛ける。

今まで大切にしてくれた人が居てくれた事を、私は忘れたくなかったから。

 

 

 

「クゥン」

「カルラ……」

 

 

カルラは私を気遣ってくれているのだろう。

彼女はそっと私の身体に、頭を寄せる。

今までずっと私について来てくれた彼女。

だけど……もう……

 

 

「さよならだ、カルラ」

「……」

 

 

私が今から向かうのは、死地。

私は死ぬつもりはないが、手負いの彼女を連れていけば、間違いなく彼女は死ぬ。

だからもう彼女を私の都合につき合わせるつもりは私には無く、彼女には逃げて、生きていてほしかった。

それにもうこれ以上、私は私の知っている誰かが目の前で死んでしまうのは耐えられなかった。

それがカルラを置いていく理由。

それは私のエゴで、私の弱さ故の決断だった。

 

私はカルラに背を向ける。

それはカルラの答えは聞くつもりは無いのだという意思表示であり、そしてカルラからの逃げでもあった。

しかし……

 

 

――トンッ

 

 

「……ぇ?」

 

 

ふいに後ろから、誰かに押された。

……いや、押した犯人は分かっている。

犯人は無論、カルラだ。

しかし押されたこと自体には問題はない。

別に彼女は私に害をなそうと強く押した訳では無く、押された力はとても弱い。

ただ、問題は別にあった。

彼女が触れたのは――私の臀部

 

 

「う……ぁああ!?」

 

 

その意味に気づいた時にはもう遅かった。

何かが私の中に入ってきて、電気が私の中に走ったような衝撃を感じたかと思えば、次の瞬間には何かが私の頭部から、臀部から、生える。

 

 

「何で……どうしてだ…………カルラ!!」

 

 

私に生えたのは、白い狼の耳と尻尾。

 

 

「私はこんなの望んでいなかった!! なのに……お前は……!!」

 

 

カルラは私と使い魔の契約をした。

……何故、カルラはこんな事をしたのか?

分からない。

全く分からない。

カルラは喋れないから。

カルラは人間じゃないから。

これではあの時と全く変わらない。

私にはカルラの気持ちが、分からない。

 

 

『ごめんなさい』

「……ッ!?」

 

 

だからだろうか……

届くことの無かった、思いを伝える声がした。

その声は、私の内から。

 

 

『護れなくて、ごめんなさい』

「カル……ラ?」

 

 

その声は、カルラのものか?

凛とした綺麗な声。

しかし声色は悲しげに。

 

 

『お母さん達を護れなくて、ごめんなさい』

 

 

お母さん達を護る事。

それは私から彼女と別れる際にお願いした事。

しかしそれは、彼女を置いていく為の方便だった。

だから、彼女が気に病む事なんて一つもないのに。

それなのに彼女は謝るのか。

 

 

「カルラ、その事は気にしなくてもいい。それよりもカルラ、お前は早くここから逃げ『主』……」

 

 

カルラは私を『主』と呼ぶ。

そんな関係、私は望んでいなかったのに。

 

 

『私の身は主の許に、私の牙は主の為に、死ぬまで……御身の傍に』

 

 

そんな事を勝手に言う。

私に身を捧げられても、私にはどうしようもないのに。

 

……嗚呼、なんだ。

対等であろうとした私の思いは結局、無駄で、独りよがりで、彼女には全く届いていなかっ――

 

 

『私を置いていかないで』

「……」

 

 

置いて……行かないで?

声は――カルラは、必死に私に訴える。

迷子になった子供のように、必死に。

その様は、まるでさっきまでの私にそっくりで……

 

 

「……ああ、なんだ」

 

 

『主』という言葉も、身を捧げるような発言も、きっと全部方便なんだ。

カルラは偏に、私に置いていってほしくなくて。

独りになりたくなくて。

だからそんな事を私に言うのだ。

 

 

「置いていって……ごめん」

 

 

左腕が痛い。

これはカルラの怪我を、契約したせいで感覚が同調したために感じる痛みなのだろう。

しかしこの怪我は、私が頼み事をしなければ負うことはなかった怪我だ。

 

 

「置いていこうとしてごめんね、カルラ。もうお前を独りで置いていかないよ」

『本当?』

「お前がそれを望むなら、それがお前の意思なら、私はお前を拒む理由はない」

『……ありがとう』

 

 

私の答えに満足してくれたのだろう。

お礼を告げたカルラはそれ以上、私に何かを語り掛けてくる事はなかった。

 

……それにしても、生えたこの耳と尻尾。

何だかムズムズして、こそばゆくて、そして何より恥ずかしい。

まあそこら辺は慣れてしまえばどうってことなくなるのだろうが。

ふと、窓に映った私が視界に入る。

窓に映る、白いケモノ耳と尻尾を生やした私は、やっぱり違和感しか覚えない。

 

 

「ああ、やっぱり慣れないと駄目だな」

「ヴィルヘルミナ、さん?その恰好は一体……」

「え……うわぁ!?」

 

 

何時の間に私の傍に立っていたのだろう。

私を不思議そうに見るのはシャルロットだった。

 

 

「……待っていろと、私は言わなかったか?」

「あの、えっと……ヴィルヘルミナさんの帰りが遅かったので、心配になって……その、ごめんなさい」

「あ、いや、私も待たせて悪かった。それより――」

 

 

――あの入り口を抜けて、よくここまで来れたな

そう言いかけ、彼女の顔色が悪い事に気づいて、言葉を慌てて飲み込んだ。

彼女は相当無理をして、それでも此処まで来たのだな。

 

 

「手……」

「ん?」

「怪我してます」

「ああ、これか」

「診せて下さい」

 

 

未だに血が止まり切っておらず、血が滴り続けている私の拳。

殴っている間は確かに痛かったが、殴り続けたせいか、最早感覚が無くなっている。

確かにこれではこの後の事を考えるとかなり拙いだろう。

私は素直に彼女の治癒魔法を受ける事にした。

 

温かい青い光が、私の両手を照らし、癒す。

ただ……やはり母さんの使っていた治癒魔法と比べて彼女の治癒魔法は、正確さ、速さ、どれをとっても劣っているなと思うことは失礼な事とはいえ、どうしても気になってしまった。

 

 

「その……」

「何だ?」

「そちらの方たちは……知り合い、ですか?」

「……」

 

 

シャルロットは不安げに、動かぬ両親を見ながら私に問う。

そういえば彼女には、此処にいるのは知り合いとしか言っていなかった事を思い出して、私は答えた。

 

 

「赤の、他人だよ」

「……」

「大丈夫。病院を一通り探してみたけれども、如何やら知り合いは先に逃げたらしい。知り合いはきっと無事だろう。だからシャルロット、君が気にする事はないよ」

「……はい」

 

 

今から私と共に死地に向かうまだ幼い彼女に、これ以上余計な負担を掛ける事も無いだろう。

そう判断し、私は彼女に嘘を吐く事にした。

彼女はそれを聞いて、少し怪訝そうに私を見たが、すぐに彼女は魔法に意識を戻した。

 

沈黙が支配する私の世界。

その中で存在する私の希望は、今は目の前の頼りない小さな灯だけだった。




・ヴィッラの父、レオナルドが持っていたペンダントに彫られていたツタの名前はアイビー 
花言葉は「永遠の愛」


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だから彼女はその手を握る

『ハァ……ハァ……』

 

 

大きく揺れる、振動音。

繰り返しくぐもる、呼吸音。

機体の振動と共に()の耳に聴こえてくる息遣いは、間違いなく今まで生きてきた中で一番荒い。

それを打ち消すように、重ねるように聴こえてくるのは甲高いアラート音。

その音を聴いて、最早条件反射で迷うことなく操縦桿を大きくきると、瞬間、元いた場所、青色の虚空に眩い閃光が幾つもの軌跡を描き、切り裂いた。

それを見、機体を旋回させながら、息を呑む。

もし少しでも避けるのが遅れていたら……

 

 

『ハァ……ハァ…………ぅ』

 

 

噎せ返りそうなまでの、汗、緊張、絶望。

余りに濃いそれらに、思わず吐き出しそうになる嘔吐物は、今はお呼びでないので喉に留めて押し戻す。

身体に掛かる、地上では考えられない程のG。

それは俺の身体を苦しめ、また、まだ、生きている証を分かりやすく身体に叩きつけてくる。

二つの操縦桿を握る手は、吹き出す汗でぐしゃっと濡れて気持ち悪い。

気持ち悪いッたら、気持ち悪い。

だがそれが、俺がまだ生きている事を否が応でも教えてくれる。

ふと俺の視界に入ったのは、火を噴きながら堕ちていく機械仕掛けの大鷲(イーグル)

隊長機が、堕ちていく。

 

 

『反撃許可を……反撃の許可を!! おい、聞こえないのかよ!!』

 

 

通信機の向こうで大音声(だいおんじょう)を上げるのは、同期の林三尉。

彼の行方を追えば、一機、彼の後ろに取り付かれている。

――助けないと、殺される

――助けなきゃ、ああ助けなきゃ

林を追いかけている後ろの敵機(中国機)に照準を合わせるが、しかしまたもアラート音。

振り返れば一機、俺の背後をまたしつこく狙っている。

舌打ちを小さく一つ。

それから「畜生」と吐いて、すぐさま追いかけてくる敵機(中国機)の視界から消えるように、頭を働かせ、自分の腕を信じて機体を必死に転がし、逃げる。

 

 

『久瀬、久瀬!! うくっ!? 助けてくれぇ!!』

『林!? まってろ、今助け……』

 

 

……助ける?

どうやって?

今この場において、確かに自衛隊の反撃条件『正当防衛』は成立する。

先に銃を向け、撃ってきたのはあいつらだ。

ここで撃ち返しても問題は……無いと言いたいが、そう簡単には反撃が出来ないのが、法律や政治というもの。

自衛隊という組織は兎角ややこしい立ち位置にあり、とても面倒くさい組織なのである。

 

 

『違う……違う違う違う!!』

 

 

そう、違う。

それは只々、汚い、汚い言い訳。

 

 

『くそ、クソ、糞ォォ!!』

 

 

たとえそれがなくても、俺があいつらに銃を構える覚悟は、この手の中におさまっている銃の引き金を引く覚悟が無いから言い訳ばかりを繰り返す。

引いたならば――人殺し

それが分かっているから。

 

 

『頼む、撃ってくれ久瀬ぇぇ!!!』

『……クッ!?』

 

 

林の後ろを追いかける敵機を捉えた。

しかし向こうは俺から逃げる素振りを見せず、林を追いかけ続けている。

それは俺たちが組織的に簡単に撃てない事を理解しての事か、それとも此方に撃ち返す度胸は無いだろうと馬鹿にしているのか。

 

呼吸が、重い。

この手に収まっている、小さな、小さなミサイルの発射ボタン(引き金)が、重い。

押さなければ俺では無く、撃たれるのは林なのに。

なのに、震える手は、何故ボタンを押す事をボイコットするのか。

意気地なしめ、意気地なしめ。

そんな事で迷っている暇は無いだろうが。

なんの為の自衛官か。

さっさと覚悟決めて押さないと林がやられるというのに、迷いは、俺を捉えて、縛る。

その縛りは、今の俺には解けず

 

 

――グチャ

 

 

だから。

 

 

『…………え?』

 

 

時間切れの、音がした。

 

俺の視界を埋めたのは、前に広がる閃光と空の青を覆い隠すのは――赤

機体のガラスの一部に、前方から高速で飛来してきた赤い何かが、グロテスクな音を立ててべっとりとへばり付いていた。

 

――赤いのは何か(見るな)

 

――赤いのは何か(気づくな)

 

――赤いのは何か(考えるな)

 

 

『はや……はや、し』

 

 

それは林三尉の肉塊。

目の前を飛ぶ奴にミサイルで撃墜され、死んだ林の肉塊。

躊躇ったから。

迷ったから。

俺のせいで、林は死んだ。

 

 

『……ッ!!』

 

 

先程までの嘘のように、ミサイルの発射ボタン(引き金)は、軽く、実に簡単に押せた。

それが俺にとって初めての――人殺し

俺の持つこの銃の引き金は、それからずっと、これからもずっと、軽い。

迷えば俺が殺される、だから。

迷えば誰かが殺される、そうなら。

俺はもう、引き金を引く意味を、せめてこの空を飛んでいる間だけは()()()()事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちが基地の内部に侵入するのは、私が思っていた以上に容易な事だった。

それは基地で未だに抵抗を試みる部隊がいたからであり、そこにネウロイの目が集中していたので、何とか私たちは基地を包囲するネウロイたちに気づかれずに済んだ。

とは言え、基地の内部にもネウロイはいない筈もなく、単体でいる場合は此方を視認する前に即座に倒し、複数や危険な場合は無理なく身を隠したりしてやり過ごしたりしてジャンヌの行方を捜す。

二人して、足音を消して物陰を進み、時々段ボールを使ったり、兎に角息を殺して先に進む。

因みにジャンヌが居るであろう居場所は、ある程度の当たりは付けており、恐らくは司令部か貴賓室辺りであろうと私は踏んでいた。

根拠は……あまり当たってほしくはないが、逆に私の見立てが当たってくれないとジャンヌの居場所が予想するのが難しくなるからそれはそれで困る。

 

 

「……チッ」

 

 

司令室前の曲がり角。

その影より足元に散らばるガラス片の反射を利用して司令室前の廊下を確認すると、小型飛行偵察ネウロイが二体、廊下前を巡回するようにフワフワと浮いていた。

此方の武器は猟銃一丁と木工用ナイフが一本。

しかもこの猟銃、弾は二発しか装填出来ず、魔力を込めた魔弾で撃ったとしても今廊下を巡回しているタイプのネウロイを倒すのにこれまた二発銃弾を撃ちこむ必要がある。

だからこそ今まで複数のネウロイとの戦闘を避けてきたのだが、あの司令室に行く為にはネウロイとの戦闘は避けられない。

 

 

「二体、か……」

「ヴィルヘルミナさん、私に何か出来る事はありますか?」

 

 

打開策を思案する私に、覚悟を決めた顔でそう訊いてくるシャルロット。

私は少し考えて、しかし首を横に振った。

 

 

「何か手が?」

「ああ」

 

 

ポケットから取り出す空薬莢。

日の光に当たって四方八方に向かって黄金色に鈍く光るそれを見、シャルロットは首を傾げる。

 

 

「空の、薬莢? ヴィルヘルミナさん、一体何を?」

「浮かべて落として、撃って走って、そんでもってぶん殴る」

「?」

「まあそこで待っていろ。心配せずともすぐ終わる」

 

 

私の短すぎる説明に、益々分からないと困惑しているシャルロットは放置して、私は手元の空薬莢に集中する。

――浮かべ

そう念ずると空薬莢はふわりと、青い魔力を纏い、私の手から重力に抗って、私の意思に従って浮遊を始める。

浮かぶ空薬莢はそのまま天井に近づき残り数センチの所で静止、そしてネウロイのいる廊下をゆっくりと進んでいく。

ガラス片から様子を見つつ、慎重に、息を殺してばれないように空薬莢を進ませるのは中々集中力のいる作業ではあったが、何とか廊下の向こう側、突き当りの所まで空薬莢を進ませることに成功した。

それ見て安堵、小さく息を吐く。

が、しかし作戦はこれからである。

 

 

「ふぅ……すぅ……」

 

 

気持ちを落ち着かせる為に深呼吸を一つ。

失敗は許されない。

振り返り、私はシャルロットに指を三本見せる。

これは「三秒後に動く」という、事前に教えた簡単なハンドサインだ。

 

――さん

 

シャルロットはそれを頷いて、少し後ろに下がって後方を見る。

こういった時に、後ろの警戒をシャルロットには任せてある。

 

――に

 

ガラス片を使って、向こう側を改めて覗く。

二体のネウロイまでの距離、位置は手前に5メートル、奥に15メートルといったところか。

 

――いち

 

カウントと同時に、私は空薬莢に送っていた魔力を切る。

無論空薬莢は重力に抗うだけの抗力を失い、そして

 

――チィィィン

 

廊下に響く、鈴の音を鳴らしたかのような綺麗な金属音。

ネウロイたちの目も何事かとそちらを向く事で、此方側への注意は削がれた。

――今!!

廊下の陰から飛び出し、銃口を構え、私は間髪容れずに引き金を引く、二回。

銃口よりタン、タァーンと、硝煙の匂いをまき散らしながら空間を裂く、二射。

その二つの銃弾はしっかりとネウロイを無事捉え、はじけ飛んだのは()にいたネウロイ。

それを確認したのは、私が既に走り出してから。

弾切れになった猟銃を逆さに持って、手前のネウロイに向かって駆け出してから。

魔力を纏った猟銃を横に大きく振りかぶり、勢いのまま跳躍。

ネウロイは此方に気づき、慌ててビームを放とうとしているが、もう遅い。

 

 

「ッハァァアアアア!!」

『――ッ!?』

 

 

一閃。

魔力で底上げした身体能力、そして身体を上手く捻って放たれた横薙ぎはネウロイをしっかりと捉え、叩かれたネウロイは側面に大きな陥没を作って壁に飛ばされ、弾け、白く砕けた。

しかし猟銃の強化が甘かったせいか、猟銃は筒の中ほどで若干、くの字に曲がってしまってしまい、これでは使い物にならない。

猟銃は此処で放棄するしかなかった。

 

シャルロットを呼び寄せ、司令室の扉の傍に張り付く。

念のため中か安全かどうか、聞き耳を立ててみるが物音は聴こえない。

……飛行タイプのネウロイは無論浮いているので、滅多に物音を立てるものでもないのだが。

 

 

「ヴィルヘルミナさん……お姉ちゃんがこの中に?」

「それは分からん。けど、調べるに越したことはないだろうな」

 

 

唯一の武器となってしまった木工ナイフを抜き、十分警戒しながらドアノブをゆっくりと捻り、中を覗く。

 

 

(敵の気配は……なし。人影もな……いや、まて。あれは……)

「ヴィルヘルミナさん。どう、ですか?」

「……」

 

 

それは中々返答に困る質問だった。

果たしてシャルロットにこの光景を見せるべきか?

 

 

(『シャルには()()()()()』……か。言葉の裏をかくようで悪いとは思うが……)

 

 

どのみちシャルロットはジャンヌの救出を望んでいたのだから、見せない訳にはいかないだろう。

扉は開くが先には入らず、私は後ろにいるシャルロットの背を押して、入室を促す。

不思議そうに私を見るシャルロット。

しかし部屋の中に居る()()を見、シャルロットは驚愕と、悲痛と、それから理解できないと言いたげな、ぐちゃぐちゃしていてよく分からない顔をして彼女を、呼ぶ。

 

 

「お姉……ちゃん?」

 

 

部屋にいたのは椅子にロープで縛られ、ぐったりとしているジャンヌ。

妹の呼びかけに返事は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンヌを拘束から解放し、近くのソファーに彼女を寝かせてシャルロットが彼女を介抱している。

シャルロットが治癒魔法を掛け始めて数十分。

彼女は未だに目覚めない。

 

 

「酷いです。誰がこんな事を……」

 

 

しかし涙を浮かべ、治癒魔法を掛け続けるシャルロットの震えた問いかけに、私は沈黙を守って答える事はしなかった。

勝手ながらジャンヌの身体を改めさせてもらったが、やはり何か所も誰かに殴られたような青痣を見つけ、彼女の治癒魔法が未だ終わっていない事を見るに、内臓さえも傷ついていた可能性がある。

普段は目に着かない衣服の下のみに暴力を振るうところは、犯人(カジミール)の陰湿さがよく分かる。

 

シャルロットが治癒を続けている間、手持無沙汰な私はここの司令官のデスクを簡単に調べていた。

大分慌てていたのか、デスクの上には多くの書類が散乱している。

その中から出来るだけ情報を手に入れようと一つ一つに目を通していくが、どれもこれも戦線の兵站等の情報ばかり。

肝心の戦況についての情報は無く、詰り私たちには関係のない、偏った情報しかなかった。

そんな紙クズの山の中で、私はようやく有益な物をものを二つ見つける。

一つは黒地の手帳。

裏側には『Casimir Demozay(カジミール・ドモゼー)』と金糸で綴られていた。

臨時とは言え、司令官としてここで戦線を指揮していたカジミール。

そんな彼の手帳には、何か有益な情報が書かれているかもしれない。

そう思い、手帳の一番新しいページを捲る。

 

 

『1939年 11月○×日

――私の中でクラムボンが笑った、クラムボンが笑った

 

――私の中でクラムボンは今日も笑う

 

――貴様は何故笑う

 

――答えは何だ?

 

――私の中のクラムボンを殺さなきゃ、クラムボンは死ななきゃ

 

――私の中のクラムボンは死ななきゃいけない

 

――貴様はどう死んだ

 

――死因は何だ?

 

――奴を答えと共に消さないと、本当の私は見えてこない

 

――探してくれ、本当の私を

 

――たわかいしらかわいわなかいらしらしなわかわくんわしらんぼらなわかくんんぼわしいんらいすかんらしいんらわくわくしいなくぼんかならくけしからいくんぼくいらなかしくわくらぼわかいならしわてらんらぼくくんしなわかぼいんく……』

 

 

「……訳が分からん」

 

 

何故か扶桑語(日本語)で書き殴られたページ。

……カジミールは気でも狂っていたのだろうか?

しかしそれ以前のページは達筆なガリア語(フランス語)が羅列している。

異常なのは、パッと見たところこのページだけのようだ。

と言う事は、ここに何か意味があるのだろうか?

……とりあえず理解に苦しむその手帳は、ポケットに仕舞って後回しにするしかなかった。

 

しかしこの手帳よりも更に頭が痛くなるような物が、もう一方のほうだ。

それはこの町を中心とした周囲の地図。

町の南方には長い線が三重に引かれ、南側の下二段にはバッテンが付いている。

同様に、上段の線から南の都市全てに、バッテン。

これらは恐らく、防衛線の動きと陥落した都市を指すのだろう。

 

 

「拙い、な」

 

 

その防衛線から見て更に北、其処に新たに、地図には手書きで最新のものと思われるネウロイの動きが書き加えられている。

この町の周囲には四つの都市がぐるりと取り囲むようにあるのだが、その都市の一つ一つに手書きで防衛線の反対側から大きく飛び出すように矢印が引かれ、全てにバッテンが付いていた。

通常のネウロイにこんな侵攻が出来る筈が無い。

恐らくこれらの都市は此処同様、高高度強襲型ネウロイの侵攻を受け、碌な抵抗も出来ずに短時間で陥落したのだろう。

これらの都市が陥落してから何時間たったかは分からないが最悪、陥落から一日二日は経っていると見込んだ方がいい。

ネウロイは金属を糧として増殖する。

こうしている間にもこれらの都市にいるネウロイの数はドンドンと増しているのは想像するのは易い。

……詰り。

 

 

「私たちは完全に、孤立したのか……」

 

 

カジミールが此処にいないのは、この動きを知っていち早く北に逃げた為なのだろう。

それについては特に責めたてる気にはなれない。

別に司令官が己の危機の為に逃げだす事は悪い事では無い。

戦争では頭を失った方が、必ずと言っていいほど負けているのは昔からの常である。

彼が後方に下がり、また軍の態勢を立て直してくれるのなら文句はない。

ただ、彼のそれが本当に戦略的撤退であるのか。

更に言えば、恐らく包囲されたことを知らないであろう戦線にいるガリア軍にはちゃんと撤退命令は下っているのか……

彼がそれを指示せず逃げ出すような愚者でない事を祈るしかない。

 

……南方に現れ、ここを攻めてきたネウロイは、生前では開戦当初現れる事が無かった筈のビームを放つタイプの()色ネウロイ。

生前では無かった筈のネウロイの巣に、高高度強襲型ネウロイ。

考えてみれば、どれもこれも私にとってはイレギュラーなものばかり。

ビームを放つネウロイは、ウィッチとてかなり苦戦するもの。

これが通常戦力なら猶更である。

もしも、未だ他の欧州戦線に現れているネウロイが生前通り、実弾を放つ銀色ネウロイのままで、このガリアのみしか黒色ネウロイが現れていないのだとしたら、ガリア軍は通常戦力しか保有していない分だけ、他の戦線よりも難しい戦いを強いられている事になる。

だから南方司令部が一か月余りで陥落してしまった事もまた頷け、そしてこのままでは生前よりも早く、ガリアはネウロイの手に落ちてしまうのは火を見るよりも明らかだ。

ガリアが陥落してしまえば、東部戦線で戦うカールスラント等の国々は西からもネウロイの攻勢を受ける最悪の状況に陥り、そして待ち受けるのは――欧州陥落

 

流石にそれは考え過ぎだろうが、それにしても……それにしても、だ。

――『世界線』という言葉があったとしても、果たしてここまで進む歴史が変化するものなのだろうか?

 

 

「シャルロット。ジャンヌの様子はどうだ?」

「治癒は、なんとか終わりました。でも、まだお姉ちゃん、目覚める様子が無くて……」

「……」

 

 

此処に来るまで、私はジャンヌを助けた後、彼女たちを連れて北上しながら逃げる算段を立てていたのだが、此処が既に包囲されていると分かってしまった今、それは悪手。

我々が単独でこのネウロイの包囲網を突破するには余りにもリスクが高いものがあった。

それ以前に、ジャンヌに早急に目覚めてもらわないと私たちは此処から動く事さえ出来はしない。

目覚めない彼女を担いで逃げる?

約三十kg前後あるであろう彼女を誰が担ぐと言うのだ?

無論私になるだろう。

ならば私たちがネウロイと遭遇した時に、誰がネウロイをひきつけるというのか?

シャルロット?

……無理だろうな。

 

このまま目覚めてくれないのは拙いな。

そう思った私は、近くに置かれていた、まだかなりの水が入っていた水差しを持って

 

 

「ふんッ!!」

「な!?」

 

 

――ジャンヌの顔に、迷うことなく思いっきり水をぶっ掛けた。

しかし彼女はまだ起きない。

目覚める気配さえもない。

とんだ眠り姫である。

 

 

「何するんですかヴィルヘルミナさん!!」

「……どけ」

「きゃっ!?」

 

 

邪魔するシャルロットを押しのけ、ジャンヌの襟首を掴み、思いっきりビンタ。

しかし、まだ彼女は起きない。

舌打ちして、再びビンタ。

まだ起きない。

シャルロットが傍で、私を制止しようと涙目になって必死に私を呼ぶ。

しかしそれを無視してまたビンタ。

 

 

「いい加減に、しろ!! 起きろジャンヌ!! 目覚めないと、お前も、そしてお前の大切な妹も、此処で死ぬぞ!!」

「ヴィルヘルミナさん……」

「それでいいのか? いや、嫌だろ? 駄目だろ? なら今すぐ起きろ、ジャンヌ!!」

 

 

――パァン

 

 

四度目のビンタ。

より力んで放ったビンタは、よりジャンヌの頬を腫らす。

しかしジャンヌは

 

 

「……」

 

 

それでも起きることはなかった。

……駄目か。

そう思い、襟首から手を放そうとする、と――

 

 

「……ぅ」

「お姉ちゃん!?」

「ジャンヌ!!」

 

 

ジャンヌが、微かに反応を見せ

 

 

「……か、カールスラント人?」

「ああ私だ、分かるな?」

 

 

彼女は目を覚ました。

 

 

「お前……どうして、此処に」

「それは「お姉ちゃん!!」」

「……お姉、ちゃん?」

 

 

シャルロットに呼びかけられて、コテンと、無垢な子どもの様にジャンヌはシャルロットに視線を移す。

 

 

「よかった、お姉ちゃんが目を覚まして……」

「……」

 

 

ジャンヌが目覚め、喜ぶシャルロット。

しかしジャンヌは反対に、シャルロットを見て、周りを見て、私を見て、徐々に顔を青ざめさせて、震えていく。

 

 

「……ぃ」

「お姉ちゃん?」

「いや……」

「え?」

「いやぁ!!」

 

 

彼女は襟首を掴んだままだった私の手を払い、踏鞴を踏みながら私たちから離れる。

ジャンヌが私たちに向けるその眼に映る色は、怯え、そして怒り。

カジミールの手からシャルロットを護る為、暴力を受けていた事を今までシャルロットに隠していた事がバレてしまった事に彼女は恐怖し、そして関係のない筈の私には首を突っ込まれたことに対して恐らく怒っているのだろう。

 

 

「何で、何でいるんだよぉ……知られたくなかったのに!! こんなわた……僕、シャルに知られたくなかったのに!!」

「お姉ちゃん!?」

「来るな……来るなぁああああ!!」

「おい待て!?……クソ、シャルロットは此処にいろ!!」

 

 

錯乱し、私たちの制止もイヤイヤと耳を押さえて聴こうとせず、部屋を飛び出すジャンヌ。

無論、私は彼女の後を追う。

 

基地内部には少なくない数のネウロイが徘徊している。

そんな危険な場所で大声をあげながら闇雲に走ればどうなるか?

考えるまでも無い事である。

兎も角、早く彼女を連れ戻さなくてはならない。

 

 

「……ッ、ジャンヌ!!」

 

 

ジャンヌを追って、何度目か分からない曲がり角を曲がった所で私はやっと彼女を捉えられる距離まで追いついた。

此方が魔力を使って身体能力を底上げした上で全力疾走しているにも拘らず、中々捕まらなかったのは、彼女もまた魔力を使っていたからだろう。

しかし全力で逃げていた筈の彼女は、先ほどまでの走りが嘘のように、廊下の真ん中で立ち止まっていた。

 

 

「……ぅ……ぁ」

 

 

立ち止まる、彼女の視線の先には――ネウロイ

 

 

「ああ、クソ!!」

 

 

先程私が戦ったのと同型のネウロイは既に彼女を視界に捉え、今にもビームを放とうとしている。

しかし此方の武器はナイフ一本。

この距離からネウロイを倒すにはナイフを投擲するしか手が無いのだが、そうしようにもネウロイとジャンヌが射線上に重なってしまっており、投擲は不可能。

ならば残された手段はただ一つ。

 

 

「間に合え!!『我が翼よ(メイネ・フィルグゥ)』!!」

 

 

固有魔法――外部加速を顕現させ、一歩踏み込み、跳んで、一気にジャンヌの許まで駆け抜ける。

彼女を後ろからかっ攫う。

同時に、ネウロイのビームは彼女を消さんとし、彼女がいた空間を真っ赤に切り裂いた。

 

 

「うぐぁあああああ!?」

 

 

彼女を抱えたまま私はネウロイのビームを避ける為、彼女にビームが当たらないように身体を捻って時計回りにロールするが、左腕に焼けるような激痛。

熱した鉄板を押し付けられたような痛みを感じながらも、しかし彼女は放さず、そのままネウロイの真下を加速の勢いのまま転がる。

 

 

「ハァ……ハァ……づぅ!?」

 

 

ジャンヌを下敷きにした状態で、私たちの回転が止まった所で、私は直ぐに四つん這いではあるが、身体を起こす。

左腕は……まだある。

私の身体と繋がっている。

しかし左腕は、掠ったとは言えない程の火傷を負ってしまった。

前を、見る。

 

 

『――』

「……ぁ」

 

 

ネウロイが、此方をゆっくりと向くのがよく見えた。

ネウロイが、此方にゆっくりと近づくのがよく見えた。

ネウロイが、此方にゆっくりとビームを放とうとしているのがよく見えた。

……ゆっくり、だと?

馬鹿に、しているのか?

奴らにとって、私は、ただやられるだけのウサギに見えるのか?

あの時と……あの時の奴ら(中国機)と同じように。

 

 

 

 

 

――冗談じゃ、ない!!

 

 

 

 

 

「馬鹿に、するなぁ!!」

 

 

唯一の武器、ナイフを、四つん這いのまま右手で抜いて――投擲

無論ただの投擲では無い。

魔力をありったけ込め、固有魔法をも付加した私のナイフは、青い閃光となってネウロイに向かって直線を描き、ネウロイを、そして天井さえも、大きく穿つ。

青い閃光の通った後のネウロイの身体には大きな穴が出来ていた。

やがて身体が持たなくなったのか、ネウロイは宙で、はじけて消える。

後に残るは、白い粉雪。

 

 

「ハァ、ハァ……どうだ……私は、もう……やられる側じゃないぞ……」

「……」

 

 

呼吸を整えながら、ふとジャンヌを見下ろすと、彼女は私を見て口をパクパクさせている。

その様は、まるでお魚のようで、何とも面白おかしいものである。

 

 

「大丈夫か? 怪我はないか?」

 

 

私の問いかけに、彼女は言葉を発する事無く首を横に振るだけ。

 

……如何やら彼女は、先ほどの事とはまた違った事で、気が動転しているように見える。

そういえば、彼女はこの町がネウロイに襲われている事を知っているのだろうか?

知らなかったとしたら……精神が不安定な状態で、しかもいきなり怪物(ネウロイ)に襲われるなんて事を体験して、彼女の気がまた動転するのも不思議な話ではないか。

 

 

「立てるか? シャルロットの許まで一度戻るぞ」

 

 

差し伸べる手を、彼女は呆然と見て、しかしその手を取ることは無い。

如何したのだろうか?

まさか、やはり何処か怪我をしていたか?

 

 

「……ごめん、なさい」

 

 

突然私に向けられた、謝罪の言葉。

いきなりすぎるその謝罪の言葉に、反応に困ってしまった私は

 

 

「気にするな」

 

 

そんな単純な言葉しか、彼女に掛けることは出来なかった。

 

それを聞いた彼女は、驚いた顔で私を見て。

そして今度こそ。

おずおずとではあるが、しっかりと。

彼女は私の差し出すこの手を、握ってくれた。

 




・林三尉

航空学校時代の久瀬の同期。中国機の領空侵犯を受け、同部隊に配属されていた久瀬と共にスクランブル出撃する。しかし突如領空侵犯した中国機の攻撃を受け、隊長機を失った林三尉は久瀬と共に奮闘するが、それもむなしく撃墜され、久瀬の証言によって戦死と判断された。
久瀬はこの時、中国機を撃墜した事に対する罪を問われて一時拘束。

・クラムボン

宮沢賢治の作品「やまなし」の二匹の蟹のセリフに出て来る何か。クラムボンが何を指すのかは、未だに分かっていない。


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だから彼女は立ち上がる

まどろみの中、そんな中。

しかし僕の瞼は決して落ちず、眠りはしない。

ふと気が付いたら、僕はいた。

辺りには何もない、真っ白な空間。

なんとも現実味のない、場所。

ぐるりぐるりと見回してみても、此処にいるのは僕だけだ。

ぼんやりと「ああ、僕は夢を見ている」と自覚する。

夢の中でそうやって、あれ()それ()である事を自覚することが出来るこれ()を、確か……明晰夢というらしい。

昔、誰かに聞いたことがあるのだけど。

それを教えたのは誰だったのか、思い出せないけれど。

兎も角白い空間だけが広がるこの場所は、気持ち悪い。

 

歩く。

歩くけれど、あては無い。

あても無く、出口も知らない僕だけれども。

けれども、歩いていればいつかは。

いつかは白い境界線の先には、何か。

何かこの空間に変化が起こるだろうと信じて歩く。

 

走る。

この何もない白い空間の中で、僕はやっと見つけた。

見つけたのは、何か。

それが何かも分からない程、それは遠くにあって。

遠くにあるから、走っていく。

走って、走って、走って、止まって。

止まって、足元にある何かを屈んで、持って、拾い上げて。

拾い上げて、そして僕は首を傾げるのだ。

首を傾げる僕の手の中にあるのは、見覚えのあるラジオ。

そう、僕の家のラジオだ。

どうしてこれが、こんな所に?

 

 

『ガガッ――やあジャンヌ、元気だったかい?』

「ッ!?」

 

 

ラジオから、アイツ(カジミール)の声がした。

聴きたくもない、アイツの声が。

アイツの声を僕に聴かせようとするラジオなんかいらないから。

僕はラジオを遠く、遠くに投げ捨てた。

ラジオはガシャンと音を立てて、思った以上にバラバラになってしまったけれど、ラジオからはアイツの『ケタケタケタ』という笑い声が、壊れてしまったせいか妙におかしくなってしまったくらいで止まる様子はない。

『ジャンヌ、ジャンヌ』と、声がする。

人のよさそうな笑顔を仮面みたいにべったりと貼り付けて、きっとアイツは僕を、僕の名を、ラジオの向こう側から呼んでいるに違いない。

壊れたラジオから、壊れた音で、あの男に僕の名を呼ばれる度に、笑い声を聞く度に、一瞬にして身体中を穢されたと錯覚してしまう。

無数の青虫が理由もなく、上へ、上へ、僕の身体を這い上がるかのような感覚を、覚える。

それ程僕は、アイツの事が嫌いなのだ。

 

 

「ああ、その眼……その眼差し!! 堪らん、堪らんよ!!」

「あぐッ!?」

 

 

一瞬何が起こったのか分からなかった。

突然後ろから殴られ「痛い」と思った時にはもう、僕は床にへばり付いていた。

視界一杯に広がる床には木目。

辺りの風景は一変し――先ほどまでの白い空間ではない。

僕はアイツの部屋(司令室)にいた。

剥がれた仮面の下にある、飢えた獣の表情はとても、とても醜い。

アイツは僕を見下し、蹴飛ばし、殴り飛ばし。

僕はアイツに見下され、蹴飛ばされ、殴り飛ばされる。

 

子どもに一方的な暴力を振るって、何が楽しいんだろうか?

……楽しいのだろうね。

少なくとも、足で僕を踏みつけるアイツの顔は今愉悦に浸って、涎が垂れているのにさえも気づいていないのだから。

反抗的に、睨み付けるように、アイツを見上げる僕の頬にグチャりと、アイツの涎が垂れる。

殴られるよりも何よりも、不愉快。

 

 

「ああ……嗚呼!! 私を見下していたあいつ等と同じ瞳!! 何時まで経っても折れることの無い反抗的なその(まなこ)!! 最高だよ、ジャンヌゥ!!」

 

 

だけど抵抗は、しない。

それが無駄だって分かっているから。

子どもの僕が、大人のアイツに敵うはずがないから。

だから僕は黙って、文句を言わず、なされるが儘にされるんだ。

ほら、また、僕の身体が床を跳ねた。

 

だけど心だけは、折られない。

アイツに屈するつもりもない。

アイツも何故か僕の心だけは、折りはしない。

そう、アイツは自分の暴力に屈服する事のない僕を望んでいるんだ。

 

 

「はは……なにそれ?」

 

 

訳が分からない。

木目を見落とし、つくづく思う。

アイツの考えが分からない。

気持ち悪い。

アイツの考えなんて、嗜好なんて、僕にとってはどうでもいいけど、知りたくもないけれど。

アイツの手から、シャルを守る。

あらゆる危険から、シャルを守る。

それが叶うならば、僕は……

 

 

「お姉ちゃん」

 

 

声。

アイツの声じゃない、声がした。

その声がシャルの声だって、僕にはすぐに分かった。

だって、僕たちは双子だもの。

一番、傍で一緒に過ごしてきた姉妹だもの。

聴き間違える筈もない。

僕はその声が、と言うよりシャル自身の事が大好きだけど。

ただ……今の僕をシャルにだけは見られたくなかった。

シャルは今の僕を見て、何て言うのかな?

「気づかなくてごめんね」かな。

「辛かったね」かな。

優しいシャルの顔が、ぐしゃぐしゃに、泣きそうになりながら、謝る姿しか思い浮かべない。

シャルにそんな顔、させたくない。

ずっとずっと、笑っていてほしいから。

 

顔を上げる。

そこに先程までいたアイツはいない。

さりとてそこには、声がした筈のシャルの姿もなかった。

そこにいたのは黒くて、規則正しく赤い部分があって、そして正八面体。

しかもどういう原理なのか、宙に浮いている。

色が違うけれど、昔お父様に教わったことがある。

人類の敵。

それの名は――ネウロイ

 

 

「いや……」

 

 

赤い光が、ネウロイの角の頂点に集まる。

 

 

「嫌だよ……」

 

 

視界がぼやける。

それは目の前に輝く赤い光が眩しいから……ううん。

今まで生きてきた事が嘘みたいに簡単に無くなってしまうのだと思ったから。

死んでしまったら、これからはシャルを守れないのだと思ったから。

涙は溢れて、止まらない。

 

 

()、死にたくない……な」

 

 

強がりを演じる事も忘れて、私は願う。

『死にたくない』

だけどこんな私を、果たして誰が助けてくれるというのだろうか。

……いる筈が無い。

お爺様が死んで、お父様も死んで、今まで誰も助けてくれなかったから、自分の力でどうにかしないととそう思って、今までそうして生きてきたのだ。

今更私を助けてくれる人なんている筈がない。

 

赤い光が、もっと眩しくなる。

だから私は目を閉じる。

諦めたのだ、私は。

生きることを。

死にたくはないけれど、疲れちゃったから。

生きる事も、シャルの事も、もういいやって思ってしまったのだ。

思いは矛盾。

それは強がりを演じていた僕とは違って、化けの皮が剥がれれば、本当の私はこんなにも弱いから。

 

 

「ジャンヌ!!」

 

 

誰かが、私を呼んでいる。

それはきっと気のせいで、ありえない事。

だから私は目を開けず、今にも落とされそうなギロチンを静かに待つ。

 

 

「?」

 

 

しかしギロチンは落ちない。

何時まで経っても、だ。

疑問に思って、私は目を開ける。

そこにネウロイの姿は無かった。

そのかわりに、私はあのカールスラント人に押し倒されていた。

白銀色の髪を私の頭を覆い隠すカーテンのように垂らし、彼女のどこまでも透き通る空色の瞳が私を心配そうに見下ろしている。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

……私の事を、心配してくれるの?

そう言いかけた言葉は、左の耳元で聞こえた水の跳ねる音で詰まってしまう。

水の音? どうして?

気になって、左を向く。

そこにあるのは水溜り。

赤い、赤い水溜りだ。

 

雨が降るから水が溜まる。

雨は彼女の左から。

彼女の左腕が()()()所から降っていた。

その雨が止む様子は、無い。

 

 

「怪我はないか?」

 

 

それなのに、カールスラント人……ヴィルヘルミナさんは私の心配をしてくれる。

純粋に嬉しかった。

彼女に怪我を負わせたのは私なのに。

それでも私のことを庇ってくれた事が、心配してくれたことが。

彼女にお礼を言いたい。

だけども私の口からはお礼の言葉は出ず、結局首を横に振るだけしか出来なかった。

もどかしい。

 

 

「そうか……」

 

 

彼女は一瞬ホッとした顔を見せて、しかしすぐに彼女の目つきは、元の鋭い目つきに戻る。

いつもの……いや、彼女の事をよく知っている訳じゃないけれど、私がいつも見かける彼女の目だ。

いつも何かに構え、いつも何かに備え。

そしていつも何かに怯え、ピアノ線のように張りつめている、そんな目。

私には、分かる。

だって、いつも鏡で見ている私の目と、同じ目をしているから。

 

ふと、いつの間にか自分と彼女の顔の距離がものすごく近くにある事に今更気づく。

いつも嫌悪していた筈の、大っ嫌いなカールスラント人なのに。

酷い事を言ったり、きつく当たっていた相手なのに。

何でだろう……すごく胸がドキドキする。

うるさいくらいに胸が鼓動を繰り返しているけれど、この音は彼女にバレていないだろうか?

顔も心なしか、徐々に熱くなって来ている気がする。

私の顔、大丈夫だろうか? 赤くなってはいないだろうか?

もしそうだとしたら、とても恥ずかしい。

 

彼女の右手が私の頬に伸びる。

反射的に目を瞑ってしまい、身体もビクンって怯えるように跳ねたけど、彼女が私の頬を少し撫でる感触が伝わるだけだ。

彼女を怖がる事はないのに……怯えてしまったのは、いつも私の顔を汚い手つきで撫でるアイツ(カジミール)のせ……

 

 

――むぎゅううううううううううううう

 

 

「痛たたたたたたたたたたた!?」

 

 

頬を撫でていた優しい手が一変、いきなり頬をキリキリと抓る意地悪な手になった。

「抓った!? 何で!?」と驚き、私は瞑っていた目を見開く。

 

 

「さっさと起きろ、眠り姫。全く……お前はいつまで寝ているつもりなんだ」

 

 

呆れた顔で、ため息交じりにそう言って私を見下ろす彼女は、どんなに身体を捩っても、「止めて!!」と私が抗議しても、頬を抓る事を止めてはくれない。

どうして?

 

 

「ジャンヌがさっさと夢から覚めないからだ」

「?」

 

 

夢から覚める?

どうして覚める必要があるの?

ついさっきまで、感じた事もないような、フワフワしていて心地よい気持ちでいたというのに。

そう文句を言いかけて――

 

 

「…………………あ」

 

 

思い出す。

此処が夢の中である事を。

忘れていた。

此処が現実で無い事を。

何時から此処を、現実だと勘違いしていたんだろうか?

 

 

「気が付いたなら早く目を覚ませ。シャルロットがお前のことを待っているぞ」

「……分かってるよ」

 

 

そうだ。

私の大切な妹が、シャルが待っている。

彼女には僕しか頼れる人がいないんだ。

だから、早く目覚めなきゃ。

その事に気づいて慌てて身体を起こすと、いつの間にか彼女の姿がない。

辺りも、また元の白い空間に戻っている。

残っているのは、彼女に抓られた頬の痛みだけ。

抓られていた頬を、私は無意識の内に撫でていた。

……頬は、まだ少し熱を帯びている。

 

彼女が、わた……()の頬を抓って、此処が夢だと気付かせてくれた事にはとても感謝している。

ずっと今まで守る側だった僕が誰かに守られて、特別な感情を抱かないとは限らなかった――吊り橋効果なんて言葉もある。

事実、ネウロイからあんな風にかっこよく僕を守ってくれて、僕を庇ったせいで怪我もしているというのに僕の事を案じてくれたヴィルヘルミナさんに、僕の胸があの時とてもドキドキしたのは確かである。

でも……それじゃ駄目なのだ。

僕はシャルを守らなきゃいけないから。

もしも、あのままヴィルヘルミナさんの事を好きになってしまっていたら……僕は彼女の事で頭が一杯になってしまって、きっとシャルの事を守れなくなっちゃうから。

 

 

――僕はカールスラント人が嫌い

 

 

だから彼女の事も、嫌い……とまでは言わないけれど。

一瞬抱いてしまったこの感情も、どうせ忘れてしまうであろうこの夢と共にポイしてしまおう。

そう、今はこれでいいのかもしれない。

私がまだ、僕である為に。

 

 

――暗転

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何時の間に僕は眠っていたのだろうかと、急速に覚醒する意識と、頬に感じる痛みの中で思う。

夢も見ていた気もするが、夢の内容はなんだっただろうか。

……思い出せない。

思い出せないものは仕方ないけれど、そんな事よりも、どうしてこんなに僕の頬は痛いのだろうか?

瞼を開く。

目の前には何故か、あのカールスラント人がいた。

その彼女がどういう訳か、僕の頬を()()で抓っていた。

 

……ある。

彼女の左腕が――包帯でグルグル巻きにされて、痛々しいけれど――ちゃんとある。

いや、彼女がネウロイのビームを受けた時、酷いけがをしていたとはいえ、それでも彼女の左腕がちゃんとあったのは見ていた筈なのに、どうしてこうもホッとするのだろうか?

 

 

「起きたか?」

「……はにゃひへ(放して)もひゅだひほうぶ(もう大丈夫)

「分かった」

 

 

抓られていた頬が解放される。

ずっと抓られていたのか、未だにひりひりする頬を撫でながら、僕は彼女にもっとやり方というものがあったんじゃないのかと抗議するように睨んだ。

 

 

「抓った事は謝る。が、弱っているとはいえ今お前に倒れてもらっては困るんだ。辛いだろうが、此処を脱出するまで頑張ってくれ」

「……分かっているよ。抓った事は怒ってない」

 

 

寧ろ非があるのは僕の方だってことは重々承知している。

ネウロイに襲われたあの後、部屋に連れ戻された僕は彼女から今、僕たちの周囲に起こっている事について既に簡単な説明を受けている。

ネウロイにこの町が強襲された事。

彼女はシャルから頼まれて、僕を探しに来てくれた事。

軍も突然のネウロイ強襲に混乱していて、軍の助けは恐らく来ないだろうという事。

此処がネウロイに囲まれている事。

周りの町や都市も同様に襲われており、早めに此処から脱出して北に逃げないといけない事。

大体の説明を聞いた後に僕は如何やら気絶してしまったみたいなのだが、改めて彼女から同じ説明を聴いて、起こっている事の重大性を理解した。

確かにこんな所で気絶なんてしている暇はなかったのだ。

時間が一分一秒惜しい中、足を引っ張ってしまった事を彼女たちに素直に謝った。

しかし二人とも気にしていないと返してくれて、逆に私の身体の調子の方を心配されてしまった。

迷惑をかけてしまって、何だか居た堪れない気持ちで一杯になってしまうけれども、それはこれから頑張って失敗を取り戻していくしかない。

 

 

「さて、今後の脱出計画についてだが……」

 

 

既に計画していた事なのか、それとも僕が気絶している間に考えていた事なのか、彼女の口から淡々と語られる脱出計画。

よくもまあこんな状況下で脱出する方法を思いつくものだと、最初は少し期待して耳を傾けていたのだけれど、話が進むにつれて眉間に皺が険しくなっていくのを感じた。

彼女から告げられたこの町からの脱出計画は突拍子もなく、とても成功するとは思えないものであった。

とてもじゃないが子どもに出来るものではない、重すぎる計画。

特に彼女にかかってしまう負担は僕たちの比ではなく、この計画が成功したとしても彼女はこれから過酷な道を進む事を強要されてしまう。

無論僕は彼女に異を唱えるが、ならば生きて安全地帯に向かう為の別の案が他にあるのかと問われると、僕は彼女に何も返す事が出来なかった。

時間があれば、もっといい案が思いつくかもしれない。

けれど今の僕たちには時間が無い事も分かっている。

結局彼女の提案したものでいくしかなかった。

 

 

「私の事は心配するな、既に覚悟は出来ている……それよりもお前は自身の命とシャルロットの事だけを考えていればいい」

 

 

そう言いながら、いつの間に手に入れたのか分からない銃――名前は分からないけれど、あれはごく最近になってガリア陸軍で採用された物だった筈――の点検をテキパキとこなす彼女には、有無を言わせない雰囲気があった。

……彼女の覚悟は本物なのだろう。

僕だって彼女に言われた通り、僕とシャルの事だけを考えていればどれだけ楽だったことか。

けれど、彼女は僕とシャルの恩人だ。

シャルの事は兎も角、酷い扱いをしていた筈の僕の事まで彼女は危険を顧みずに助けてくれた。

本当にこのまま彼女に守られるだけでいいのか、彼女の負担を減らす手は無いものか?

やはり何か別の案はないのかと考えるけれど、悔しいが名案なんてものはそんなにすぐに思いつくものでもなかった。

シャルの方を見ると、シャルもシャルで思いつめた表情をしている。

シャルもまた、本当にこれで良かったのかと悩んでいたらしい。

 

彼女(ヴィルヘルミナ)の左腕に巻き付けられた赤い染みのある白い包帯の端が、出発直前までずっと視界の端で揺れ続けているのが気になってしまって仕方が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、いいか?」

 

 

部屋を出る前に、僕は彼女に呼び止められた。

何か伝え忘れた事でもあったのかと思ったがそうではなく、彼女の腰からL字状の何かを差し出された。

 

 

「ジャ……貴女、銃を撃った経験は?」

「ある、けど……でもそれって」

 

 

彼女から差し出されたそれは、どう見たって拳銃だ。

その事に動揺してしまって、銃なんて撃ったこと無いのにあるなんて嘘ついてしまった。

訂正しようにも、恥ずかしくて今更言い出せない。

 

 

「出来るだけ私は君たちを守っていくつもりではいる……けれど絶対という保証は出来ない。もしもの時は迷わず、撃て」

 

 

そう言って彼女に押し付けられた拳銃は、見た目以上にズシリと重い。

しかしそれ以上に気になってしまったのは――彼女

彼女は僕に拳銃を渡す際に少し躊躇って、渡した後も申し訳なさそうに私を見ている。

そんな彼女の、まさに大人が子どもに接するような態度に、僕は下に見られているようで寂しさと、悔しさと、そしてほんの……ほんの少しだけ憤りを感じた。

前の自分だったら、そんな事を言われたら怒っていたかもしれない。

だけど今は……

 

 

「ジャンヌ、だ」

「……何?」

「『貴女』、じゃない。僕の名はラ・ペルーズ伯ジャンヌ・フランソワ・ドモゼーだ」

「……いいのか?」

 

 

キョトンとして、そう聴き返してくる彼女。

やはり、前に僕が言った事を気にしていたようだ。

 

 

「良いも何も、たとえ君が僕にとって大っ嫌いなカールスラント人でも、これから背中を合わせて戦ってくれる人を、更に言えば僕たち姉妹の恩人を信頼しない程、僕は許容が狭いつもりはないよ」

「そう、か」

「と言う事で、僕の後ろは任せたよ、ヴィルヘルミナ」

「なんだ、私が後ろか……大した自信だな、ジャンヌ」

 

 

クスリと笑って彼女は一歩、僕の前を進む。

彼女は前を譲るつもりは無いらしい。

本当は僕が前に出て……と、言いたいところだけれども、残念ながら僕には彼女のような、ネウロイに正面から立ち向かっていくだけの勇気も、戦闘経験もない。

こんな僕が前に出たとしても、恐らく二人に迷惑をかけるだけだ。

情けないけれど、それらを持っていない僕よりも、やはり彼女に前を任せた方が適任だ。

 

彼女の後姿は、とても子どものものとは思えない程頼もしい。

しかし……彼女のその勇気は、何処から出てくるのだろうか?

それ以前にあの手慣れた銃の扱い、戦闘技術。

彼女は一体、何処でそれを覚えたのだろうか?

そもそも――彼女は、何者なのだろう?

 

そこまで考えて、僕は頭を振った。

そんな事はどうでもいい、と。

彼女にそれらの技術等があったから、僕たちは助かったのだ。

恩人の事について無闇に詮索するのは失礼だ。

 

 

「後ろを頼む、ジャンヌ」

「任せて、ヴィル」

「……ヴィル?」

「『ヴィルヘルミナ』じゃ、咄嗟という時に長すぎて呼びづらい……から…………ほ、ほら!!さっさと行くよ。時間、無いんでしょ!?」

「お、おい!? 急に背中を押すな!? 行く、行くからちゃんと。あまり急かさないでくれ!!」

 

 

恥ずかしい。

これではまるで、友人同士のようなやり取りではないか。

今から私たちは戦いに行くのだというのに、こんな調子でいいものか。

 

 

「ふふ、お姉ちゃん。顔、真っ赤だよ?」

「……気のせいだよ」

 

 

それはさておき……友達、か。

そういえば僕、シャルの事で頭が一杯になり過ぎていたせいか、親しい友達という人は、僕には特にいなかった気がする。

人と人との繋がり、人脈というものは想像以上の武器になることは、昔お父様から教わったことがある。

貴族の人達が開く社交界やお茶会も、その人脈を広げるためにあるという事も。

無論武器にするために友達をつくる訳ではないけれど、流石に一人も友達がいないというのはそう考えると色々拙いかもしれない。

うん、そうだ、機会があるのならば今度友達を頑張ってつくってみようか――もし此処から皆で生きて逃げる事が叶ったならの話ではあるが――と、僕は密かに決意を固める。

 

ふと、前を躊躇う事無く進むヴィルヘルミナさんを見る。

……彼女は、どうだろうか?

彼女には会う度に酷い事を言ってきた僕だけれど、そんな僕と果たして彼女は友達になってくれるだろうか?

ああ……きっと彼女は少し困った顔をして、それでも今までの事を水に流すかのように小さく頷いてくれるのだろう。

それは願望、自分の都合のいい想像だけれど。

友達にはなれなくても、彼女とはいい関係でありたいとは思う。

でも、やっぱり彼女との関係は、友達である方がベストだ。

試しに、彼女と僕がそういった関係になっているところを想像してみる。

 

 

――トクンッ

 

 

「?」

 

 

誰かが、僕の胸を一回だけノックする。

不思議に思って胸に手を当ててみても、ノックした犯人(原因)は分からない。

 

 

「静かに……ネウロイだ」

 

 

頭を振って、邪魔な思考を追い払う。

兎も角、今は此処から脱出する事だけを考えないと。

 

 

「行くぞ」

 

 

静かに、そうして彼女はその手に持った銃を構えて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネウロイに包囲され、一部ネウロイに侵入まで許してしまった基地内部には未だ抵抗を試みる部隊が少なからず存在していた。

しかしこれらの部隊は別に連携した上で抵抗をしている訳では無く、各々が各々の指揮官の下、自分達で自分勝手に決めた作戦に従って動いている。

これは軍隊としてあるまじき行為である事ではあるが、それはそうなってしまう要因が幾つも存在するからである。

兵士が携帯できる無線機の開発や、部隊への配備の進んているカールスラントとは異なり、未だに部隊間の連絡が伝令、手信号、伝書鳩などの前時代的な方法が当たり前になっているガリア陸軍では、必要時に部隊ごとの意思疎通や連携が密に行えない事。

またガリア人のスタンドプレーを好む国民性が仇になっている事。

そして何より、全体に指示を出すべき司令部が彼らをおいてわれ先にと逃げてしまった事。

要因は、挙げていけばキリがないのである。

 

因みに彼らの立てた作戦はどれも大まかに二つに分ける事が出来る。

多数に無勢と早々に見切りをつけて脱出を最優先とするのか。

何とかこの基地を奪還し、ネウロイに押されているこの現状を何とか打破しようとするのか。

この二つである。

その部隊の内の一つを率いているフィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉は、どちらかと言えば後者側の指揮官であった――厳密にいえば彼は率いている部隊の正規の指揮官という訳ではなく部隊の参謀という立場の人間なのだが、ネウロイの攻撃によって本隊と分断された事から臨時で分隊の指揮を執っている。

ただ、彼が後者を選んでいる理由は他の指揮官のそれとは違っている。

彼は参謀という立場故に、既に周囲の町や都市が陥落したという情報を知らされていた。

それを知らされた上で彼は此処に残っている……いや、残されたのである。

彼の所属していた部隊が、司令部の高官から逃げ出す寸前に与えられた任務は『撤退してくる前線部隊の退路を確保する事』、そして『撤退してきた部隊と市民の殿になる事』である。

 

 

「駄目だな、こりゃあ負け戦だ……」

 

 

彼のトレードマークに等しいちょび髭が、苦笑いに近い、諦めの形に歪む。

実のところ、フィリップはネウロイとの戦闘自体、これが初めてという訳ではなかった。

ネウロイと初めて相対したのは1922年のモロッコ。

戦ったのは小規模部隊とはいえ、彼の部隊は少なくない犠牲を払いながらも、彼の機転のお蔭で部隊は勝利を収めている。

その経験を買われて彼は此処に残された訳なのだが、以前彼が戦ったネウロイは無論実弾系の銀色ネウロイ。

携行火器が殆ど通らない装甲に、攻撃のパターンが実弾系でなくビーム系と異なる黒色ネウロイが相手では、流石にネウロイの戦闘経験のある彼の部隊でも分が悪かった。

しかし以前のネウロイとの戦闘経験が全て無駄という訳ではない。

例えば、部隊におけるネウロイの発する瘴気の対策。

ネウロイの発する瘴気はウィッチ以外の人間にとってとても危険な物であるが、ネウロイに対抗する為にはどうしてもこの瘴気の中に飛び込まなければならない。

彼はこの瘴気の対策としてかつて第一次大戦時、カールスラントによる毒ガス作戦が行われた際に対抗策としてガリアで開発された防毒マスクに目をつけたのである。

無論これで完全に瘴気の毒性を抑えられる訳では無かったのだが、瘴気圏内における活動限界時間は飛躍的に伸びている――活動限界時間が伸びたところで、ネウロイを倒せないのは変わりないのだが。

 

 

「……中尉」

「まだだ、まだ諦めるなよ……牽制射撃、そのまま続けろ。あのビームは厄介だ、出来るだけネウロイをこちらに近づけさせるな」

A vos ordres(了解)

 

 

彼らの目標地、戦車などの車両が収められている格納庫には前線に送られる筈だったかなりの量の武器弾薬がトラックに積んである。

分断された本隊も予定通りならばそこを目指している筈だと考え、合流を急ぎたかったのだが、その途中でネウロイによって足止めを受け、彼らは身動きが取れないでいた。

押し返そうにも手持ちの火器では火力が足りず、このまま戦っても徒に時間と弾薬を失い、負傷者は増すばかり。

 

 

(こんな時、何も案を出す事も出来ず、指示を飛ばすだけしか出来ないのか……くそったれ、これじゃぁ参謀失格だ)

 

 

時折、銃のリズミカルな発砲音の縫うように聴こえてくる、あのネウロイのビームを受け、負傷で苦しんでいる仲間の呻き声。

それを聴いて、己の不甲斐なさに歯ぎしりする。

歯ぎしりし悔しさで頭が沸騰しそうになっても、しかし彼は考えることを止めない。

負け戦だと分かっていても、その中でも出来るだけのことをする事を求められるのが参謀の仕事なのである。

 

 

「何か手は、何か手は……」

「中尉……フィリップ中尉!!」

「ああああああああああ糞っ、煩い、煩い!!」

「……落ち着けフィリップ中尉、そうやって考えを中断されたときに癇癪おこすのは中尉の悪い癖だぞ?」

「あ……ああ……いや、すまない伍長。如何した」

 

 

長年同じ部隊で戦ってきた、見慣れた髭面伍長についつい八つ当たりをしてしまった事に罪悪感を覚えつつ、伍長に報告を促すが……伍長は「あ~、その……な」と、説明しづらそうに後ろを振り返った。

彼も伍長の視線の先を追うが……

 

 

「おい……何の冗談だ、伍長」

「知りませんよ、彼女に聴いて下さい。『指揮官に会わせろ』と言って聴かねえんですよ……」

 

 

彼らの視線の先には子どもがいた。

ただの子どもではなく、ガリア空軍の制服を着た子どもが。

普段の彼らならば、「子どもが仮装するにゃあハロウィンはとっくに過ぎてるぞ」と笑って追い返していただろうが。

 

 

(コイツ……ただのガキじゃねえ。一戦どころか二戦も三戦もやらかして来ましたってぇ面してやがる……)

 

 

軍人としての勘が、彼も伍長も目の前の子どもがただの子どもではない事を訴えている。

そんな事などあり得るのかと、フィリップは目を擦ってみるが……しかし消えない。

如何やらこいつは、戦場が見せた幻覚では無いようである。

 

 

「中尉、貴方がこの部隊の指揮官で間違いないか?」

「あ、ああ。そうだが」

 

 

生返事気味の彼の返答を気にした様子は無く、子ども――少女は踵を揃え、額にピッと揃えた手を添える。

――敬礼

半端な真似事では無く、本物そのものの敬礼。

その一挙一動を見ていた彼も伍長も、既に少女を子どもとして見てはおらず、無意識ながらも同じ軍人として意識して、次の言葉を待つ。

 

 

「私はガリア空軍所属、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉だ。これよりそちらの部隊に加勢を願い出たいのだが、宜しいか?」

 

 

 

 

 

――小さくも頼もしい戦乙女が、小銃背負ってやって来た

 

フィリップ中尉はこの時の様子を後の著書にこのように記したという。




・ジャンヌフラグが立ったかと思えば勝手に折れます


・今回出てきた名も無き銃の紹介

>そう言いながら、いつの間に手に入れたのか分からない銃――名前は分からないけれど、あれはごく最近になってガリア陸軍で採用された物だった筈――の点検をテキパキとこなす彼女には、有無を言わせない雰囲気があった。

→MAS36小銃の事(前回から司令室に戻る途中に廊下で亡くなっていた兵士より無断借用)

>「ジャ……貴女、銃を撃った経験は?」
「ある、けど……でもそれって」
彼女から差し出されたそれは、どう見たって拳銃だ。

→M1911A1の事(司令官[カジミールでは無い正規の方]の司令室の机の中から発見された私物。某伝説の傭兵が喜びそうな魔改造が施されている設定があるけど、多分使わない。こちらも無断借用)


・ヴィッラ嬢がジャンヌに銃を渡す。
大人が子どもに銃を押し付けて快く思わないのは当然の事かもしれないけれど、ヴィッラ嬢自身も子どもである事を明らかに忘れてるというオチ。


・実は軍用無線機をたいして持っていないガリア(フランス)。
……通信手段無いの?


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だから彼女は魔女である






――私はガリア空軍所属、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉だ。これよりそちらの部隊に加勢を願い出たいのだが、宜しいか?

 

 

 

 

 

「彼女をどう思う、伍長」

「は? どう思う、ですか?」

「ああ」

 

 

フィリップは格納庫へと繋がる廊下を駆け足で進みながら、隣を並走している伍長に尋ねる。

部隊を先行し、その白銀色の長い髪と真っ白な尻尾を左右に揺らしながら進むのは、例の空軍中尉を名乗る少女。

 

 

「中尉はどう思っているんですかい?」

「怪しい」

「おおぅ、即答ですか」

 

 

あの時空軍中尉と名乗った少女、ヴィルヘルミナ。

しかしそれ以上の事をフィリップたちには教えてはくれなかった。

彼女の所属部隊も、そして何故空軍である筈の彼女があの場にいた理由さえも。

全てを『機密』という言の葉で覆い隠そうとする彼女をどうして信用出来るものかと、フィリップは内心で悪態を吐く。

しかしそれよりも、何よりも。

彼女の見た目が少女であった事が、フィリップの疑心を抱かせるもっともたる所以である。

階級を騙るただの少女ではと疑いもしたが、しかしそんな疑いはすぐに改めることとなる。

苦戦を強いられていたフィリップたちの苦労を鼻で笑うかのように、その場にいたネウロイたちを手慣れた様子で瞬く間に屠ってみせたのだから。

 

ヴィルヘルミナ中尉があの場にいた理由について、フィリップの中では大体の予想はついていた。

それは彼女が連れてきた、十歳くらいの双子の姉妹。

民間人、それも子どもが何故こんな所にいたのか最初は疑問に思っていたが、彼女達の名を聴いて納得した。

ガリアの陸・海・空の三軍に多くの将を輩出してきた名門ドモゼー家、二人はそのご息女であった。

先の大戦で一族の多くを失い、軍への影響力が少なからず衰えようと、ドモゼー家の軍内部における発言力は未だ大きい。

そんなドモゼー家のご息女だ。

大方ドモゼー家の誰か、もしくは空軍の高官がドモゼー家に恩を売る為に彼女らの身柄の保護を命じたのだろう。

もっとも、恐らくそれを命じられたであろうヴィルヘルミナ中尉にしてみれば、軍の高官たちの思惑の為に死地に送られているのだからたまったものではないだろう。

 

不意に先頭を走っていた彼女の脚が止まり、ハンドサインで「止まれ」と指示される。

振り向く彼女の頭に生えている、せわしなくピョコピョコと動き続ける狼らしき白いケモノ耳に、部隊員全員の視線が集まる。

研ぎ澄まされた刃の印象を受ける彼女に生える可愛らしいケモノ耳と尾は、それはそれは何とも言い難いギャップを醸し出していた。

 

 

「左手の通路に小型の陸戦ネウロイ、数はおそらく3……いや、4体」

「あ、ああ……ルドルファー中尉、頼めるか?」

「承知した」

 

 

言い切る前に、ヴィルヘルミナ中尉は身を返して廊下を駆ける。

左の通路に身を晒し、その小さな両手の中で体躯に似合わぬほど大きな銃――FM mle1924/29軽機関銃を激しく躍らせる。

彼女が持っている軽機関銃。

元々はフィリップの部隊員のものであったのだが、その部隊員から「弾の無駄だ」と言って奪われてしまったものである。

そんな彼女の横暴にフィリップは文句の一つでも言いたくなるが、10kg近くもあるそれを彼女は軽々と振り回し、ネウロイをいとも容易く蹴散らしたものだからたちが悪い。

渋々だが、だから彼は口を噤んでいる。

 

 

「気に入らねぇ」

 

 

フィリップにしてみれば、ネウロイをたやすく屠ってしまう少女の存在を喜ぶことは出来ない。

それは苦戦していたとはいえ、目の前の獲物を奪われた事に対する苛立ちもあるが、彼はそんな事よりも、何よりも。

守るべき筈の年端もいかないような少女のその背中に、守る側である筈の大人が守られている事が何よりも情けなく、そして気に入らなかった。

 

 

「それにしても、彼女は一体何者でしょうかね。中尉」

「恐らく、いや間違いなくウィッチだろうな」

「中尉、ご冗談を。じゃああの子は本当に見た目通りの……」

「子ども、だろうな」

 

 

ガリアは昔から幼いウィッチ達の戦力運用を敬遠している風潮が存在している。

無論、ガリア軍内部にウィッチが全くいない訳では無いのだが、彼女らの殆どは成人を迎えているので、一部例外はいるとはいえ彼女らの魔法力はほぼ()に等しい。

ウィッチとしての最盛期である成人未満の少女たちが、何故ガリア軍にいないのか?

理由は大きく四つある。

道徳と抵抗、差別、そして権力の問題である。

道徳とはつまり、「未だ成人に満たぬ幼子、しかも女の子を戦場に立たせるとは何事か」という意識から来る問題である。

ウィッチだからと言って幼い我が子を取られる親の立場からしたら堪ったものではないし、そんな幼子を戦場に立たせる軟弱集団と民衆からの誹りを受けることを恐れた軍が、カールスラントやブリタニア同様にウィッチ導入を躊躇ったこともある――勘違いしていただかないでほしいのは、軍へのウィッチ導入、つまり士官教育等が進んでいないだけであり、ウィッチとしての教育の面に関しては欧州の中では指折りである。

抵抗とは、軍へのウィッチの導入は元々軍内部からも強い反発があり、導入を進めようとする意見の方が少数派である事だ。

ネウロイに対する有効打はウィッチの持ちうる魔力である事をガリア軍は知らない訳ではなく、寧ろ重々承知の上だったのだが、前大戦時にウィッチを持たず通常火力で以てネウロイを跳ね退けてしまった為に、「ネウロイをウィッチ不在で以て戦うことは十分可能」という考え方が生まれてしまい、ウィッチに頼る考え方は軟弱者であるとされてしまったのである――その代わり、ウィッチの戦力を除くとガリア軍は欧州でも有数の戦力を保有する事になるのだが。

そして差別の問題なのだが、これはガリアが扶桑の男女のありかたに似通っていて、どうしても女性は男性の下であるという考え方が昔から存在していることがある。

権力はその差別の問題に近いものであって、ウィッチの最低階級が軍曹である事や、そもそも貴族からしてみれば女性、しかも未だ幼い彼女たちが権力を持つこと自体が面白くないと考えている者は少なくない。

つらつらと理由を挙げてきたが――実際には九割のガリア国民は基本的に道徳の観点から反対し、抵抗や権力を挙げる者は大方軍上層部か、政治家や貴族などといった一部の上流階級の人々である――政府などを担う者達も民衆も軍さえも、様々な思惑があるとはいえ、結果としては等しく『軍にウィッチは不要』という考えに繋がっているのである。

 

 

「子ども……」

「伍長、お前確か」

「ええ中尉。俺、娘がいるんですよ。丁度あのくらいの、娘が……」

「伍長」

「分かってますよ。今は戦争中。使えるものなら何でも使う、兵士ならば猶更。兵士は上から命令受けてただ只管に走るのが仕事、士官は兵に言うことを聴かせるのが仕事。あの嬢ちゃんも本物の軍人ならそれは分かっているだろうし、俺だってそんくらいの分別はついてるつもりですよ」

 

 

――分かっているのと納得しているのは別物だろうが

語る伍長にフィリップは内心でそう呟く。

因みにヴィルヘルミナ中尉を先行させ、前方からの脅威を一手に担わせるような布陣を組ませたのはフィリップ自身である。

残念ながら現状において、ネウロイとまともに対抗できる手段を持つ者は彼女しかいない事を、彼はよくよく理解していた。

理解していたからこそこの布陣を組んではいるが、考えた彼自身がこれに納得しているかと言えばそうでは無い。

彼女の後ろに守られるように配置させられた部隊員達は猶更であろう。

だからこそ、その事をてっきり伍長に責められるかと思っていた彼は、伍長の肩透かしに、何とも言えない罪悪感を覚える。

 

 

「……ただ」

「ただ?」

「子どもに銃を持たせる事を、強要する。そんな状況を作り出すまでに、ネウロイ相手に押されてしまってることが軍人として……いや一人の大人、子の親として、情けねぇです」

 

 

伍長の声は、まるで絞り出すように。

フィリップはその言葉に、咄嗟に何か言い返そうとして、しかし何も言い返す事は出来ない。

そんな彼の視線が不覚にも警戒を忘れ、地に落ちている事に気づいたのは、部隊が既に格納庫前に到着した後だった。

 

 

 

 

 

格納庫に突入した彼らが、いの一番に感じたのは薄暗さと濃い鉄の香り。

鉄の香りが彼らの想像以上に濃いのは格納庫故、という訳では無かった。

故は、彼らの足元に。

 

 

「ヒッ!?」

 

 

短くそして甲高い少女の悲鳴が隊の後方からあがる。

悲鳴をあげたのは保護したドモゼー姉妹の妹の方だった。

広がる、ネウロイに惨殺されたであろう死体の山々。

年端もいかない彼女にとって、余りにも目の前の光景は些かショッキングすぎる。

だから彼女が悲鳴をあげることは何らおかしいものではなく、軍人であるフィリップ自身も流石に吐き気をおぼえるものである。

対して平然として、毅然として、死体を避けて。

そして奥へ、奥へと先行するヴィルヘルミナ中尉の反応こそ普通じゃないのだ。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

部隊員の一人が彼女を心配して声を掛けると、彼女は涙目を浮かべながらも「大丈夫、です」と答えた。

明らかに彼女の身体は震えているが、しかし前に進もうとする彼女をフィリップは「強い子だ」と素直に感心した。

 

しばらくして先行していたヴィルヘルミナ中尉がこちらに戻ってきた。

「敵影なし」と短く告げられ、フィリップは「しまった」と思わず漏らす。

クリアリングを士官、それも空軍所属であるヴィルヘルミナ中尉に一人でさせたこともそうだったが、フィリップ……いや、部隊員全員が己の職務を忘れ、指示を出す事を忘れ、いつの間にかその場に足を止めていたのだ。

惨殺された死体であったので、気づくのが遅れてしまった。

死体を避ける為に向けた視界の中で、漸く彼らは気づいたのだ。

足元に転がる彼らは、はぐれてしまった本隊の部隊員達。

長年共に戦ってきた彼らをどうして見間違うものか?

動揺している部隊員達の様子に首を傾げていたヴィルヘルミナ中尉にフィリップは理由を説明すると、一言。

 

 

「そうか……」

 

 

それだけを言って彼女はチラッとフィリップの後ろに視線を送ったかと思うと、何を思ったのか再び身を翻し、歩いて格納庫の奥へと消えていく。

慌ててその後ろを、何故かドモゼー姉妹も追いかけた。

そんな彼女らを呆然と見送っていたフィリップの後ろから、啜り声がした。

振り返る。

 

 

「あ“……う、ああ”……」

「ノエル……ぐそ……畜生(ぢぐしょう)畜生(ちぐしょう)……」

 

 

男たちが、泣いていた。

大の大人達が、泣いていた。

皆、みんな、泣いていた。

声を殺して泣いているのは、必死に涙を抑えているからだろうか?

彼らの泣き声は、静かだ。

しかし格納庫は静寂が守られている為か、彼らの泣き声は妙に大きく、そしてうるさくも聴こえる。

彼らが泣くのも無理もない。

部隊に所属している者達の大半は、昔から共に幾度も死線を越えてきた戦友であり、彼らの中には友という言葉一つでは語れないほどの絆があった者も多い。

戦友たちが、親友たちが、逝く。

幾つもの戦場を駆け抜けた彼らは、仲間を失うことは初めてでは無い。

しかし古強者らと信じてきた多くの仲間たちが、一瞬にして物言わぬ死体の山々になっているのを見せられて、ショックを受けない方がおかしいのだろう。

だから彼らが泣くのはなんらおかしい事ではない、何らおかしい事ではないのだ。

ヴィルヘルミナ中尉はそれに気づいて、気を遣って離れてくれたのだろう。

フィリップの中で彼女は未だ警戒するべき人物である事は変わらないのだが、それはそれとして、彼女の心遣いには内心で素直に感謝する。

 

 

「……ッ」

 

 

卒爾。

つっ、とフィリップの頬を、何か熱いものが伝うのを感じた。

頬を触れてみた己の指を見ると、指先は少しばかり濡れている。

指先を湿気らせるそれは、照明に照らされ妙に光り輝いていた。

それ見てハッと、フィリップは己の内から込み上げてくるものに気づく。

気づいて、込み上げてくるものを抑えこもうと耐える。

しかし込み上げてくるものを、零れてしまったモノを抑え込もうとしても、今更。

だからせめて、これ以上込み上げてくるものが己という器から溢れないように、フィリップは上を向くのだ。

 

少しばかりの間、戦場の片隅で。

男たちは鎮魂歌を、謡う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルクレール中尉、戦況は言わずもがな」

 

 

戻ってきたヴィルヘルミナ中尉は開口一番に彼にそう告げる。

散々泣きはらし既に気持ちを切り替えていたフィリップだが、今度は重い現状が待っていた。

戦況は最悪である。

彼らの戦力は既に小隊規模の人数しか残っておらず、援軍も期待できない。

対して敵の戦力は大型ネウロイが六体。

小型の数は未だ不明だが、数は決して少なくない。

その上ネウロイの装甲上歩兵が持ちうる大半の携行火器が通じないとなると、歩兵戦においては数の暴力以前に純粋な火力不足で勝ち目がないのは明白である。

 

 

「君らは元々の所属は機甲大隊と言ったか……」

「ああ、そうだ」

 

 

フィリップはあえて口調を強めて返す。

確かにこちらは所属部隊を告げているが、そちら側は秘密にしているじゃないかと言葉裏に責めるが、それに気づいたのか、ヴィルヘルミナ中尉は目を細めて彼を見た。

その視線は「深入りするな」と、釘を打っているようにも受け取れた。

平時なら兎も角、今は協力関係にある以上、安易に彼女に深入りする必要性はないだろうと素直に引き下がる。

 

 

「君らの能力を疑っている訳ではないが、たとえ君らが戦車に乗ろうと今のままの戦力で、小型の陸戦ネウロイなら兎も角、まともに奴らと当たったら勝てる見込みはまずないだろうな」

「ハッキリと……ん?」

 

 

彼女の言葉の端に、「君ら」という言葉に違和感を覚える。

ヴィルヘルミナ中尉ならこの戦況を何とかできると、覆せると言っているとも取れる言葉だ。

まさかと、内心で驚くフィリップに、気づけばヴィルヘルミナ中尉は冷たい笑みを浮かべていた。

ぞくりと、彼の背筋が凍りつくのを感じたのは、なにも冬の寒さのせいだけでは無い。

 

 

「そのまさかだよ、ルクレール中尉」

「……冗談を」

「冗談なぞ言う暇あるか?」

 

 

「まあ、無いな」と、フィリップは肩を落とす。

 

 

「飛行型に大型がいないのは僥倖だ。小型のみであれば、私一人であれども対応は可能だ」

「大した自信だな」

「嘘は言わんさ。私はやれない事は言わない主義だ」

 

 

自信を持って語るのだから、ヴィルヘルミナ中尉には何か策があるのだろう。

確かに空に張り付いている奴らを何とかしない限り、確固とした対抗手段を持ち合わせていないフィリップら機甲部隊は、この基地から飛び出す事も敵わないだろう。

戦車に乗ったとしても、この格納庫から飛び出した瞬間にアウトレンジから一方的にハチの巣にされるのが関の山。

その空の脅威を何とかしてくれるというのだから、彼にとってはありがたい事この上ないことだ。

 

 

「その間に我々が陸を制すると?」

「いや、君らにはこの町を脱出してパリに向かってもらう」

「……町の人々を見捨ててパリに向かえ、と?」

「そうだ」

 

 

平然に、冷酷に、易々と。

目の前の空軍中尉は、人々を切り捨て、パリに向かうことを提案する。

 

 

「……ざけるな」

「なに?………………うぐっ!?」

「ふざけるな!!」

 

 

そんなヴィルヘルミナ中尉の胸倉を掴み上げ、怒鳴り声をあげる彼にとって彼女のその態度が、提案が、彼らを、町の人々を見捨て逃げ出した高官共を彷彿させ。

そして彼の逆鱗に触れた。

 

 

「中尉は戦うというのに我々はネウロイに襲われている人々を見捨てて逃げろだと!? 俺たちを馬鹿にしているのか!!」

 

 

ヴィルヘルミナ中尉が一体何を思ってそんな事を口にしたのか?

その真意を今の彼女から知るには些かの無理があるが、しかし彼女の勧めた通りにここから逃げるという選択肢を取るという事は、フィリップらが帯びている任務を放棄する事と同意であり、何より任務の事があろうとなかろうとこの町の人々を置いて軍人たるフィリップに尻尾を巻いて逃げ出せなど、彼にとっては屈辱の極みでしかない。

 

 

「ぅ…………は……な、せ…………阿呆、が……」

 

 

胸倉を掴まれ思い切り持ち上げられている彼女は頸が締まっているのか苦しそうに喘ぎ、抗議を述べるがしかしそれだけで、抵抗はない。

抵抗なく、このままいけば彼が彼女を殺すことも考えられる――殺されないと高を括っている可能性もあるが――そんな状況でも、彼女は為すがままにされている。

そんな彼女の反応が余りにも不可思議で、どこかおかしくて。

そして彼はそんな彼女の態度に、怒りは急速に冷めていく。

そして冷えていく頭の中でふと気づく。

彼の抱える彼女の体重は余りにも、軽く。

彼の目の前にある彼女の身体はマッチのように簡単に折れそうなまでに、華奢で。

彼が今怒鳴っていた彼女は、子どもで。

彼が頼みとしていた彼女は紛う事無く、少女だった。

こんな彼女が我々を逃した上で、一人で戦おうとしていたのだから、なんの冗談だと言いたくもなる。

 

彼の腕から彼女がするりと逃れ抜ける――正しくは彼が彼女を放しただけなのだが。

酸素を求めて咳き込む彼女は、しかしすぐに何事もなかったかのように彼を見据え、言う。

「すまなかった」と。

ただの謝罪の言葉。

しかしフィリップよりも頭一つ二つ分も異なる彼女が、その鋭いまなざしでフィリップを見上げ、謝る彼女は何処か歪で。

少女を騙るには、彼女はあまりに達観しすぎていて。

大人を騙るには、彼女はあまりに成熟しているとは言えない身体つきだった。

 

 

「さて、ネウロイと我々。彼我の戦力差は圧倒的であるのだが、それでもルクレール中尉はこの町の人々を救うことを望むのか」

「そうだ」

 

 

「どうやって?」と、コテンと首を傾げて無垢な子どものように尋ねるヴィルヘルミナ中尉。

フィリップは高ぶる感情のまま、彼女に言い返すように勢いよく口を開くが、しかし彼の口から言の葉が紡がれることはなかった。

明確な答えなど、もとより考えていなかったのだから当然である。

 

 

「それは……これから考える事だ」

「これから?」

「そうだ」

「これから、だと? ハッ、ハハ」

「何が可笑しい……」

 

 

「何が可笑しい」と、フィリップは自分で言ったにもかかわらず、自身の言っている事の可笑しさには薄々感付いていた。

時間もない、作戦もない、援軍もない、戦力不足……

しかしそれでも、ガリア国民を助けたいと思う気持ちは変わらない。

変わらない気持ち、それはエゴである。

そしてそのエゴの為に部隊を全滅させるであろう決断を、彼は取ろうというのだ。

マヌケだと、彼女に笑われるのも当然である。

 

 

「何が、だと…………笑わせるなよ、青二才」

「ガッ!?」

 

 

そんな事を考えていたからであろうか。

鼻で笑われたかと思うと足首を蹴られ、唐突に床に転がされたフィリップの胸倉を、馬乗りに近い形でヴィルヘルミナ中尉は掴み上げる。

先程とは逆の立場。

彼らのやり取りを周りで見届けていた兵士達も流石に上官が押し倒されている状況は看過できずに止めに入ろうとするが、彼女は気にも留めずフィリップを見下ろす。

 

 

「私の提案に否を突き付けたのだからどんな奇策を捻ったかと思えばただの感情論か…………聞け、青二才。確固たる方針、作戦無くして徒に兵を走らせる、大切な兵士達を傷つけ腐り殺すような上官なんぞ蛆虫以下のクソ野郎だ。気づいているのだろうルクレール中尉? 気づいているのに見ないふりをする。気に入らん、気に入らんよ」

「……」

「ルクレール中尉の意見も尤もだ、我々軍人はガリア国民の為の人柱でなければならない。しかしな青二才、中尉の指揮で動く兵士達にも感情がある、家族がいる。兵士とて死にたくないと思うのは当然だ、彼らは人であって機械じゃない。兵士が一人死ねば少なくとも残された家族、ガリア国民が悲しむ。兵士は指揮官の玩具じゃない事を知れ。貴様一人の都合、理想、エゴを兵士に押し付けるな」

「ヴィルヘルミナ、中尉……」

 

 

そこまで言って、パッと胸倉を放し、立ち上がるヴィルヘルミナ中尉。

対してフィリップは彼女を見上げるばかりで立とうとはしなかった、いや、出来なかった。

彼女の言葉が心に重くのしかかって、彼が立ち上がることを妨げる。

 

 

「私は無益な犬死は認めない。もう一度言うが、君らはパリに向かい、来るべき時の為の戦力として備えろ。これは逃げではない、戦術的撤退だ」

「戦術的、撤退……」

「そうだ、戦術的撤退だ。まあそれ以前に、この町や周囲の都市は既にネウロイの勢力圏に落ちている。町の人々を引き連れパリに向かうとしても、道中でのネウロイとの遭遇戦、食料……様々な視点からどのように考えてみても、彼らは邪魔者以外の何物でもない」

「しかし……」

「まだ駄々をこねるか……ルクレール中尉、我々は神では無い、人だ。人が人である限り、その手のひら以上の水を許容することは出来ない」

 

 

ヴィルヘルミナ中尉の言葉は尤もであり、フィリップはしっかりと彼女の言っていることを理解できている。

しかし、彼はその言葉を素直に頷くことは出来ない。

彼女の言葉は図星で正しい事でも、彼は未だ、心のどこかで町の人々を救うことを諦めきれないのである。

 

 

「もういいだろルクレール中尉、今は一分一秒の時間が惜しい。他に案が無ければ、私の指示した通りにパリに向かう準備を始め…………なんだ、私に何か用か、伍長」

 

 

反論できず、このまま打ち切られるかに思われた話に、ヴィルヘルミナ中尉からフィリップを庇うように割り込んできたのは髭面の伍長。

「ルドルファー中尉。失礼ながら意見具申、よろしいでしょうか」と敬礼を取りつつ述べる伍長に、ヴィルヘルミナ中尉は不機嫌で答える。

 

 

ああ(oui)、伍長。発言を許可する」

「ハッ!! 発言許可ありがとうございます」

「……で、何が言いたいんだ伍長」

 

 

時間が惜しいのか、急かすヴィルヘルミナ中尉とは対照的に、伍長は落ち着いて、吸って吐いてと一呼吸置いて――――大声で叫んだ。

 

 

「小官には、難しい話はよく分かりません!!」

「…………………………は?」

 

 

伍長の突拍子もない宣言に、張りつめていたヴィルヘルミナ中尉も、周りの兵士たちも唖然とする。

伍長はしかし、そんな彼らを置き去りにして続けるのだ。

 

 

「小官は兵士であります。フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉の部下であります。中尉の都合は我々の都合、中尉の理想は我々の理想、中尉のエゴは我々のエゴ、水がルクレール中尉の手のひらに収まり切れないのであれば、我々の手のひらを中尉の手のひらの下から支えましょう。我々はそうやって幾多の戦場を、今までを生きてきたのであります。中尉が『ガリア国民の為に死ね』と命じるのであれば、小官は喜んで拝命するでしょう」

「……それは何故だ、伍長」

「小官はルクレール中尉の許で長年戦い続けてきました……故に信じておるのであります、ルクレール中尉の事を。そして()()もまた、ガリア国民を守りたいと思う気持ちは、中尉と全く同じなのであります!! なぁ、皆!!」

「ご、伍長……」

 

 

「ああ」「確かに」と、多くの部隊員から同意の声が上がり、やがて彼らの声は盛大に、高らかに。

 

 

「ネウロイなんざ屁じゃねぇ!!」

「敵討ちを、敵討ちを!!」

「ガリアを、俺たちの祖国をやらせるか!!」

「中尉、命令を!!」

「撤退なんてクソくらえだ!!」

「中尉、ルクレール中尉!! 行きましょう!! ネウロイ蹴散らして、町の人々を助けましょう!!」

「「「おおおおおおお!!」」」

「お前たち……」

 

 

彼らは自然と、より固い団結を高らかに謡う。

男たちに迷いはない。

その傍らで、腹を抱えて笑い出すのはヴィルヘルミナ中尉。

「阿呆だ!! 阿呆がいるぞ!!」と彼らを指さし、大いに笑いに笑う彼女はしかし、彼らを馬鹿にしている訳ではないようだ。

 

 

「クフフッ…………あんなセリフを恥ずかしげもなく言って。ああ、いかんな。どうにも笑いを抑えきれんよルクレール中尉」

「……ルドルファー中尉?」

「ああ、ルクレール中尉。君は素晴らしい部下を持っていて羨ましい限りだ」

「……」

「さて中尉、時間もないので単刀直入にいま一度聴こう――――勝ちたいか?」

 

 

悪巧みでもするように、悪い笑みを浮かべながらフィリップに顔を近づけて、そして耳元でヴィルヘルミナ中尉はそう囁く。

「助けたいか」とは言わないのは、彼女の意地だろうか。

返答は、勿論(oui)である。

ゆっくりと彼は頷き答える。

それ見て彼女は更に口角を吊り上げる。

そうして笑う様はまるで、悪女……いや、魔女と喩えるのが正しいのだろう。

 

 

「宜しい、ルドルファー中尉。君の意思はしかと聴いた……フ、アハハハ!!」

 

 

彼から離れて、彼女はクルリと一回転。

廻って、止まって、彼を呼ぶ。

 

 

「ああ、中尉…………ルクレール中尉」

「な、なんだ」

「ありがとう。君はやはり私の思った通りの人だった」

 

 

ぞくりと、フィリップはヴィルヘルミナ中尉の笑み、言葉に悪寒を感じた。

自然に漏れたのであろう彼女の甘い誘い文句。

字面だけ受け止めれば、素敵な告白のようだ。

しかしその言葉の裏からは、まるで一連の流れが全て彼女の計画通りで、自分らは彼女の手のひらの上で踊らされている。

どうしてもそんな風にしか、彼は彼女の言葉を受け取れないでいた。

彼は思う。

もし本当に彼女の思惑通りに事ははこばれていたのだとしたら……彼女はとんでもない魔女(ウィッチ)である、と。

 

 

「それでは、ルクレール中尉」

 

 

――素敵な戦争をしようじゃないか

満面の笑みで告げられる、ネウロイに対する宣戦布告。

それに応える者は、誰もいない。



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だから彼女は歪だった

従来の戦車の中というものは、とかく暗く、空気も悪い。

夏場ともなれば戦車の中はサウナに等しく、冬場になれば冬の北国に等しい。

数回砲撃を行えば、砲撃による発砲煙が酷く車内にこもる。

戦車に換気装置が備えられてはいない訳ではないが、それは最低限のものであり、防御上の観点から高い気密性を求められる戦車の内部は、喩えるならば狭い、それも換気口が一つしか備えられていない部屋でサンマを七輪で次々と焼いているようなものであり、そうなってしまえばもはや戦闘どころの話ではない。

戦車に慣れていない者にしてみれば、そこは地獄と喩えるのが相応しい環境。

戦車乗りの多くがよく鍛えられた男性軍人であり、戦車が男の乗り物であると云われる所以は、そのような劣悪な環境下に密閉鮨詰め状態で長時間閉じ込められる事に女性の体力が持たないことが大半であるためである。

 

格納庫の中で唸るようなエンジン音を響かせ、合唱している戦車が三台。

その中の一台は他の二台、一般的な戦車と呼ばれる様な典型的なフォルムとは些か異なる独特なフォルムであった。

鈍重な、重戦車に分類されるであろう車体。

砲塔とはまた別に、車体中心から右寄りに、砲塔に備えられている30口径47mm戦車砲(副砲)よりも大きな一門、17口径75mm戦車砲(主砲)が雄々しく突き出ている。

 

そんな重戦車――ルノーB1の車長を務めているのはフィリップ中尉だった。

彼は座席に深く腰掛け暑苦しいガスマスクを外し、ジワリと汗ばんでいた顔、特に髭のあたりをタオルで拭い、目を閉じて、彼は重たい荷物を吐き出すように大きな一息を吐いた。

目頭をぐにっ、ぐにっと、数回ほぐした彼は、背筋を整えた。

少しだけ外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

『ルクレール中尉――――素敵な戦争をしようじゃないか』

 

 

フィリップは合図が来るまでの間、先程から、先刻の、ヴィルヘルミナ中尉の言葉を思い出していた。

思い出して、思うていた。

 

――戦争だ

 

そう、戦争だ。

きっと。

……いや、間違いなく己が心の底から渇望し、羨望し、熱望した戦争。

人と人とが殺しあうような、粗末で汚れた戦争ではなく。

化け物から人々を救う、英雄譚に描かれているような綺麗で高潔で、それこそヴィルヘルミナ中尉の言ったように、素敵で、素敵な戦争なのだ、と。

彼は戦争が嫌いだった――どうして人間同士で殺し合いをしなければならないのか?

彼は戦争が好きだった――どうして人に仇なす化け物を放置するものか?

そう、彼が憧れたのは英雄で。

それが、身分も生活を捨ててまでして軍人になった故だった。

 

己の身体が酷く高揚し、少しばかり震えているのを自覚した彼は、それを武者震いであると――それが合っているのか、合っていないのかも分からないまま――断じた。

同じ体験を、彼はモロッコで感じたことがあったが、しかし今回は以前よりも分が悪い状況下であるせいか、震えは以前よりも断然大きい。

当然である。

 

――責任も(作戦を成功させる、部下を生きて連れて帰る)

 

――見返りも(町を、人々を救えば英雄だ)

 

――恐怖も(死にたくない、死なせたくない)

 

リスクもリターンも、モロッコの時とは比較にならない程大きいこの戦局で。

様々な、それこそこぼれそうな程の思い、感情、気持ちを一纏めにして抱えざるを得ないこの状況に、無意識にも、故に彼は震えていたのだ。

これが彼自身の望んだ戦争であっても、彼もまた人間であるからこそ、人としての感情に人並みには敏感で。

簡単に言ってしまえば彼は今、人として当たり前のプレッシャーを感じているのであった。

 

高まる感情、落ち着かない身体を誤魔化すように、彼は今一度外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

「予定通り、ルドルファー中尉の合図があるまで、分隊は待機」

A vos ordres(了解)

「あっ……」

「……ルクレール中尉?」

「な、何でもない」

 

 

合図を待ちきれない己に言い聞かせるように呟いた言葉に、フィリップは返事を受けた事に焦って慌てて誤魔化す。

そんな彼の顔は、少しばかり赤い。

それを自覚した彼は顔を隠すために、頭に被るエイドリアンヘルメットを深めに下ろす。

 

これではいけない。

指揮官は何時でも冷静に、状況を正確に理解し、指示を的確に飛ばす能力が求められるが、今の自分はそれを悉く欠いている。

そう自覚した彼は、落ち着く為にも深呼吸を一つ。

吸い込む空気。

彼の肺を一杯に満たすのは、さびた鉄と油、戦車に染み込んだ男の汗………それから仄かに香る、柑橘系のいい匂い。

 

 

「ッ!?……ゲホゲホ!!」

「わっ!?」

 

 

むせた。

普段戦車で嗅ぐことある筈のない、あり得ない筈の匂いに、フィリップの肺気管が驚いたのだ。

ヘルメットを上げて、慌てて彼は、目の前にちょこんと座る装填手に謝罪する。

 

 

「も、申し訳ありません、()()()()嬢」

「気をつけてよ、中尉…………ううっ、汚い」

 

 

フィリップの目の前に座っているのはジャンヌ・フランソワ・ドモゼー。

後方で守られるべきであった彼女は、しかし確かにそこにいた。

 

むせた拍子に飛んだ唾が、前に座る彼女の首元を濡らしてしまったのだろう。

ごしごしと首元を拭きながら、彼を睨み付ける彼女はしかし、子どもである故にかそこまで凄みを感じられない。

寧ろそんな彼女を何処か微笑ましいと、彼は思った。

彼はポケットからハンカチを彼女に差し出す。

それ見た彼女は奪い取るようにハンカチを取ると、今度はそれで首元をごしごし。

拭く度に、その小さな頭に合わないヘルメットが、右に左に大きく振れている。

暫くそれが揺れる様を眺め、ふと、彼は疑問に思った事を口にした。

 

 

「ドモゼー嬢」

「……何?」

「どうして、ドモゼー嬢は……」

「『戦うことを選ぶのか?』って、中尉は言いたいのか?」

「……はい」

 

 

あの時、ヴィルヘルミナ中尉が示した案の一つとして、フィリップはドモゼー姉妹の姉君である彼女を戦車に乗せることを迫られた。

 

曰く――高速運動のできる一部の戦車は兎も角、現代戦車の足では大型陸戦ネウロイの強力なビームを障害物の無い正面から避けるのは至難。

被害を避け、尚且つ大型を倒すには、ビームを受ける前に一撃で大型を仕留める事が必定となってくる。

しかしそれは現行の通常兵器では到底不可能な事。

それを実現する事が出来るのは、魔力を付与した重戦車クラスの主砲くらいのもの――というのがヴィルヘルミナ中尉の言い分だったのだが、それはつまり、戦車にウィッチを少なくとも一人は乗せろという事だ。

そして彼らの周りには、ヴィルヘルミナ中尉を除けば、ウィッチはたった二人しかいない。

民間人を、それも子どもを戦車に乗せる。

軍人であるヴィルヘルミナ中尉なら兎も角、そんな事受け入れることなんて出来る筈がない。

そう言って彼は強く反対したのだが、その反対を押し切ったのは意外にもドモゼー嬢自身だった。

しかし彼はその理由を、真意を未だ知らない。

だからこその、この問いかけだった。

 

 

「……僕はあの時、ちゃんと説明したつもりだけど?」

「『高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)』…………信じられませんよ、そんな言葉」

「中尉。中尉は嫌いなのか? 貴族が」

「……今の貴族なんて、大半の奴らが偉ぶって、過去の栄光に縋って、民から搾取するだけ搾取する。そして肝心な時には尻尾を巻いて逃げ出す。貴族なんて、そんな奴ばかりですから」

「はは、僕も貴族の端くれだというのによく言うよ。それに、まるで貴族をよく見てきたかのような言い方だ」

「……」

「大丈夫だよ、心配しないで中尉――僕も貴族は大っ嫌いだ」

 

 

「似た者同士だね」とそう言って、フィリップに振り向いて、ニッコリと笑ってみせるドモゼー嬢は、ヴィルヘルミナ中尉程の歪さは無いにしても、やはり何処か歪であると彼は断ずる。

彼女も、そしてヴィルヘルミナ中尉も、未だ幼子であるにもかかわらず、ハッキリ言ってしまえば子どもらしくないのである。

ドモゼー嬢は大人の濁を知っている。

そのような表現が彼女にはふさわしい。

 

彼女は振り向いた拍子にずれてしまったヘルメットを外す。

すると頭に生える黒猫らしき耳が、ぴょんと現れ、跳ね伸びた。

まるでその様は、踏まれても、踏まれても、天に真っ直ぐ伸びることを止めない雑草のようで。

それ見て、成程、彼女と己は似た者同士かもしれないと、彼は不思議と納得した。

 

 

「ん、と。ああ、僕が戦う理由だったね」

「ええ」

「理由もなにも、答えるまでも無いよ中尉」

 

 

僕は死にたくない、ただそれだけだ。

彼女の答えは、そんなシンプルなものだった。

 

 

「ほら、理由なんて簡単で、単純明快で、至極当然……そう、人間として死を嫌うのは当たり前の事じゃないかな、中尉。死ねば、何もできなくなる。シャルを護れなくなる。だから僕は死を嫌う。果たしてそれはおかしい事かな、中尉?」

「……しかしドモゼー嬢。だからってそれが戦車に自らが乗ってまで戦う理由にはならないのでは?」

「確かに、ね。でも、僕が戦車に乗らないと勝てないんでしょ?」

 

 

その問いかけを、フィリップは否定する事はなかった。

大型が一体二体であれば、彼ら機甲部隊だけでも策を上手く用いれば苦戦は強いられるだろうが何とかできる自信は彼にはあったが、それが六体ともなれば話は別。

もし勝算があるのであれば、ヴィルヘルミナ中尉の提案など最初から断っている。

それが分かっていて、彼女は彼をからかっているのだ。

 

 

「もしかして、怒ってる?」

「……いいえ」

「ううん、中尉は怒ってる」

「……」

「怒ってる」

「……ふぅ。ドモゼー嬢、態々それを指摘するのは」

「よくない?」

「ええ」

「そうか……うん。成程……」

 

 

「また一つ賢くなったよ」と、冗談めかして彼女は笑う。

その言葉の真偽は、分からない。

 

 

「中尉……ルクレール中尉」

「何でしょうか、ドモゼー嬢」

「本当はね、怖いよ」

「……」

「怖いんだ」

 

 

彼女の告白は唐突に。

「何が」と、流石にそんな無粋な事を問いはしないがしかし、彼女の突然の告白にさてどう答えたものかと困ったフィリップは他二名の隊員(操縦士と砲手)に視線で尋ねる。

尋ねられた二人は、彼からサッと視線を外す。

裏切り者め、と彼は忌々しげに小さく吐いた。

 

 

「怖いから、中尉とこうして騙しだまし話しているんだ。少しでも、恐怖から目を背けようとしてね」

「そう、ですか」

「でも戦わないと、ダメ、だよね……逃げちゃ、ダメ、だよね」

 

 

フィリップは彼女の言葉の端に、震えを見つけた。

それは本当に些細な震え。

その震えが些細であるのは、彼女が必死にそれを隠そうとしているからであろう。

 

震えの原因は恐怖であると、暗に彼女はそう言った。

隠していた事を、告白する。

それは相当の勇気がいる事だ。

中々齢十歳と少しであろう少女に出来る事ではない。

それもまた、歪だ。

 

 

「貴女は、戦わなくていい。私たちが貴女達を護ってみせます」

「駄目……駄目だよ。僕はシャルを、護るんだ。護る為には戦わないと……」

「……」

「そう……そうだよ、中尉。逃げる事だけが生きるための道じゃない。いつだって僕の選択肢は一つじゃないんだ。戦い、立ち向かわないと駄目な時だってあるんだ……」

 

 

まるで自分に言い聞かせるようなドモゼー嬢の言動。

彼女の過去に何があったか、フィリップにはてんで知る由もない事ではあるが、未だ幼子である筈の彼女をそこまで達観的にさせるのは並大抵の過去ではない。

普通の家庭で育ったならば、彼女のような幼子が大人である事を迫られるような事はない。

子が親に愛されているのであれば、子は親という庇護の下、守られ、育つからだ。

子どもが大人である事を迫られるのは、大抵将来的に高い地位を求められるような子か、極端に言うと庇護を乞うべき親がいない又は虐待を受けている子かの何れか。

確かに彼女のように、名門貴族のご息女という立場なら前者である可能性もある訳だが、彼女の口ぶりからすると、どうも彼女は後者であった可能性も捨てきれない。

後者であるならば、彼女の歪さも説明がつくというものだがどちらにせよ、この場においては彼女のその口から真実が語られない限り彼の考えは全て憶測の域を出ることはない。

 

少しの沈黙の後、彼女は手元で弄っていたヘルメットをゆっくりと頭に被り直した。

先程は酷く揺れていた彼女のヘルメット。

手元でベルトを調節したのであろうか。

調節し、被り直した今、彼女のヘルメットは先ほどのようには揺れはしない。

 

 

「中尉……ううん、ルクレール中尉殿」

「何でしょうか」

「僕に敬語なんて、やめて下さい。貴方はこの戦車の車長で、部隊の隊長で、そして何より大人の方、なのですから」

「……」

「先ほど僕は『僕が戦わないと勝てない』と言いましたが、それは僕。そう、僕こそが、貴方方(あなたがた)がいないと僕はただの魔力を持った、ただの生意気で、そして無力な子どもでしかありません。だから言います」

 

 

――助けてください

 

 

「町の人々のついででも構いません。ネウロイを倒す為の駒として使われても構いません。助けてくれるのなら…………僕たちを助けてくれるのであれば、僕が出来る事であればなんだってします。だから中尉……フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉殿。お願いです。僕を、僕たちを、助けてください」

 

 

羞恥も、外聞もかなぐり捨てて、貴族である事を求められてきたであろう彼女にとって、己の無力を自覚して、認め、また他人でしかないフィリップらに助けを求めることもまた、どれだけの勇気がいることであっただろうか?

何度も言うが、彼女はまだ子どもだ。

普通ならば子どもであるならば、未来ある子どもだからこそ、大人が子どもを護ってあげることは――

 

 

「当然だ、任せろ……とは言わん」

「……何故?」

「ドモゼー……じゃなかった、ジャンヌ。あんたに力を借りないと情けない事に、碌に戦えもしない俺たちにそれは言えないセリフだ」

 

 

そう。

本当に情けない事に、大人なのに、成り行きとは言え戦場に少女たちを駆り立ててしまっている事を結果として是としているフィリップにはそんな言葉を吐く権利があるはずがない。

しかし……

 

 

「………ああ、そうだな」

「?」

 

 

彼女達のように力なく、戦えなくても、大人として。

 

 

「もしあんたらが危険な目にあったら、俺たちが絶対に身体張って盾になってみせるさ」

「……そう」

 

 

振り向いていたドモゼーはそれだけ言って前を向く。

「言葉を誤ったか?」と、フィリップは少し心配になるが。

 

 

「信じるよ……信じるから、だからお願いだ。僕たちを、死なせないで」

 

 

どうやら彼の心配は杞憂だったようだ。

ぼそりと、真っ直ぐ向いたまま独り言のように呟いた彼女の言葉に対して、フィリップは声を出さずに心の内で、大きく応えた。

「勿論だ」と。

その声は、言葉にせずとも頭の良い彼女のこと。

きっと声は届いているのだろうと、彼は思う。

 

町の人々を全て、助けることは出来ないかも知れない。

自分らはネウロイに、敵わないかもしれない。

しかし彼女らは、彼女らだけはせめて護り通そうと、彼は密かな誓いをたてる。

護るべきものは、目の前に。

寧ろ彼女たちを護れずして、どうして他の人々を助けることは出来ようか?

己がなるべきなのは、大衆の為の英雄でなく隣人を護る為の軍人で。

隣人を護れずして大衆を護ろうと意気込んでいた己は、英雄を騙ろうとしていた己はきっと軍人として失格だったのだろう。

隣人を護り、助ける。

一人で出来る事は限られているから、己のその手は二つしかないから、全ての人々と手を取り合うことは出来る訳がないが、隣人同士が手を取り合って互いに互いを助け合う事で、結果として大衆を助けることに繋がるのだろう。

 

ああ成程、ヴィルヘルミナ中尉が言う事も、今なら理解が出来るものであると、彼は呟く。

英雄に憧れて、徒に兵を、大切な隣人達を浅はかにも死に追いやるような決断をしてしまったのだから彼女に「青二才」と言われる事は仕方のない、当然の事なのだろう。

仲間達は己に付いていくと言ってはくれたが其処に彼らの意思はなく、ただ彼らは己の理想に染まっていただけなのだ。

酷い事をした。

止めるべきは、己だったというのに。

結果として己はそこを彼女に煽られ、付け込まれ、ネウロイと相対する事を謀られてしまったのだと彼は気づく。

それに気づく事は出来た彼だが、同時にもう手遅れである事もまた理解した。

最早彼らは止まることも、後戻りすることも出来はしないのである。

 

彼はヴィルヘルミナ中尉の目的は当初、ドモゼー姉妹の保護だと彼は思っていたが、護るどころか彼女らを進んで戦場に駆り立てた彼女の所業を見てそれは間違いである事を知る。

そして彼の徹底抗戦に強く反対していた筈なのに、兵らが徹底抗戦を叫んだ途端手のひらを返したように進んでネウロイと争う構えを見せたヴィルヘルミナ中尉。

はたして、彼女の目的は何なのか?

ネウロイに進んで抗戦を望む故とは……

今一度、彼は彼女の言動を思い起こす。

 

 

(……まさか)

 

 

彼は不思議に、疑問に思っていた。

何故空軍である筈の彼女が、この駐屯地にいた事を。

この町の近辺に空軍基地は存在しない為、普段ならばこの町の中で空軍の士官を見ることは無い筈であるのだが、しかしここ最近では、確かに少なからず彼らをちらほらと見る施設があった。

施設、それは軍立病院だ。

前線で負傷した者達が頻繁に送られて来ていたあそこなら、ヴィルヘルミナ中尉が負傷した誰かの付き添いとしてこの町に来ていたとしてもおかしくはない。

彼女が士官である事と言動から、彼女は何かしらの部隊長であった可能性は十分にある。

しかし彼女がこの部隊と合流した時点で、彼女の傍には空軍の者は誰もいなかった。

一人も、一人もである。

もしも彼女が本当に何かしらの部隊長であったならば、流石にそれはおかしい事ではないか?

であるならば、考えられる理由はただ一つ。

そして彼女がネウロイと戦おうとしている理由も自ずと分かる。

憶測でしかないが、そうでなければ説明がつかない。

彼女が進んで戦う理由。

そう、それは

 

 

――復讐

 

 

(……馬鹿らしい)

 

 

そこまで考えて、やはりこれはどうでもいいことであるとフィリップは断じた。

彼女にどんな思惑、背景があったとしても、これは既に乗り掛かってしまった船である。

己らが彼女に謀られて、踊らされているだけだとしても、最後に選択したのは己自身。

なればこそ、選択した責任は最後まで果たさなければいけないのだ。

 

それに彼女に謀られはしたが、それについて彼は別に彼女を責めたてる気にはなれなかった。

少なくともヴィルヘルミナ中尉があの時、己の本質に気づき、叱った言葉に決して嘘偽りは無いだろう。

そうでなければ彼女に己が踊らされている事に気づくこともなく、また謀られている事を気づかせたくなかったのであるならば、彼女はもう少し違った言葉で己を叱っていただろうと彼は思う。

だから己は彼女を責めたてる事はないのだ、と。

 

 

「すぅ……ふぅ……」

 

 

思考を打ち切って、自然に行われる深呼吸の後、彼はふと気づく。

先ほどまでの彼の身体の震え、高揚は、嘘のように消えている事に。

思考も随分と落ち着きを取り戻しているように彼は感じた。

それらは、まるで憑き物が落ちたかのように。

 

彼は今一度、外を覗く。

ヴィルヘルミナ中尉からの合図はまだ、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――時は少し、遡る

 

 

僕らが格納庫に着いた時、目の前に広がっていた死体の山がルクレール中尉達の仲間達であった事は、彼らが皆泣いている事からそれを察するのは容易であった。

そんな時に僕たちが彼らの傍にいるのは良くないだろう。

そう思い、僕たちはヴィルの誘い(アイコンタクト)に従って暫くあの場を離れる事にした。

 

 

「うう……えぐっ…………うっ……」

 

 

先程から隣を歩くシャルが、何度も何度も嗚咽と涙を堪えてる。

あの場所で、死体を見た時には大丈夫だと言っていたけれど、彼らの目が無くなった途端に耐え切れなくなったのだろう。

シャルが心配になった僕らはシャルの背中をさすりながら歩みを止めようとするけど、シャルは歩いている方が楽だと言って、先に、先にと進んでいって歩みを止めようとしなかった。

もしかしたら、シャルはあの場から、あの匂いから一刻も早く離れたいのかもしれない。

……その思いは、僕もまた同じであるのだが。

 

 

「……ふぅ」

 

 

暫く歩いて、格納庫の端にまでたどり着いた僕の隣で、ヴィルが小さくため息を吐いた。

大方ヴィルは現状とこの後の事を考えて、思わずため息を吐いたのだろう。

 

 

「せめて……せめてあの場で死んでいた彼らが生きていてくれれば……いや、それはないものねだりか」

 

 

そう言ってヴィルは胸のポケットから手帳を取り出し、目を落とす。

彼女が持っているその手帳に僕はものすごく見覚えがある気がしたけれど、その手帳に綴られている名前にものすごく見覚えがある気がしたけれど、彼女がそれを持って、目を通しているという事は何かしらの役に立つ情報がその手帳には書かれているのだろう。

彼女は視線を手帳に落としたまま、何を思ったのか近くに停めてあるトラックの荷台に、幌を捲って乗り込んだ。

彼女の行動が気になった僕は、彼女の後を追って荷台に乗り込む。

 

荷台の、幌の中は僕が思った以上に薄暗いものだった。

そんな中で、彼女は荷台に積んであった木箱の一つ、その上辺をなぞっていた。

彼女がなぞった所にはブリタニア語らしき文字が書かれていたが彼女の後ろからでは、この暗がりの中では、それが何と書かれたものなのかまでは分からなかった。

 

 

「ふんっ!!」

 

 

ヴィルはその木箱を素手で無理やりこじ開ける。

彼女がそこまでして欲した物が何なのか。

僕は少し気になって、彼女の後ろで背伸びして覗きこんでみると、その木箱の中に入っていたのは一メートル近くもある大口径の銃だった。

その銃を彼女は片手で持ち上げ、用が済んだのか、彼女はトラックの荷台から降りる。

結果として、彼女は二つの大型の銃を抱えていることになる。

ネウロイを相手にするのに火力が必要になることは僕にも理解できる事だが、しかしいくらなんでも二丁の、しかも大型の銃を同時に取り回す事なんて素人である僕からしてみてもはたしてできる事なのだろうかと首を傾げてしまう。

僕は思い切って、彼女にその疑問をぶつけてみた。

 

 

「ああ、いや……いくらなんでもそんな愚かな事はしないさ。しかし数がいる小型相手には手数が多い機関銃がいる。対戦車ライフルでは、どうしても手数が足りなくなってしまうからな。また装甲の堅い大型陸戦型相手には対戦車ライフルがいる。機関銃ではどうしても大型、しかも装甲の特に堅い陸戦のネウロイの装甲を……まあ剥がせない事はないが、装甲を剥がし、その上でコアを探すとなるとどうしても時間が掛かる上に多くの弾薬が必要になる」

「小型と大型を機関銃のみで倒すにしても、それでは弾薬が足りなくなる……」

「そういう事だ。しかしジャンヌの疑問も尤もだ。二つ持っていれば取り回しづらくなる上に、リロードも碌に出来はしない…………負い紐があればよかったのだが」

「あ、あの……ではどうするのですか、ヴィルヘルミナさん?」

 

 

体調がある程度回復したのか、傍に寄ってきたシャルが今度は尋ねた。

 

 

「あまり気は進まんが、まあこうするしかないだろうな」

 

 

ヴィルはそう言うと、突然対戦車ライフルと語った方を上に放り上げた。

「どちらも必要だと言ったのに、まさか捨てる気なのか!?」と、驚く僕ら。

しかしそのまま地面に落下すると思っていたライフルは、驚くべきことに重力に逆らって空中に静止。

そのままヴィルの右肩後ろ辺りで、ふわりふわりと浮遊し続けている。

成程これなら嵩張らず、二つの銃の持ち運びが可能だ。

 

 

「これで持ち運びに関しての問題は解決だ。魔力の残量が些か心配だが、こればかりは仕方あるまい」

「……ヴィル、君は固有魔法を二つ持っているのか?」

「いや違う、これは固有魔法ではないのだが…………今は時間がないから説明はまた生き残ってから、な」

「うん、分かったよ」

 

 

生き残ったら……

はたして、僕たちはこの戦場から生きて脱出する事が出来るのだろうか。

今更だけど、ヴィルを信じていない訳ではないのだけれども、そう思うと段々と戦場に出ることに恐怖を感じてしまう。

少しばかり身体が恐怖で震えているのが分かる。

だけどこれから一番大変なのはヴィルだ。

だから僕がこんな所で震えている訳には、彼女に僕が怯えている事がバレる訳にはいかない。

僕は腕を組むようにして身体を押さえ、震えを無理矢理止める。

 

 

「さて、これからの方針をもう一度確認するぞ。我々がこの町を抜け、ネウロイの勢力下を抜ける為には軍の協力が必要だ。しかし軍……つまり戦力だけでは、ある程度の防衛手段は得られても、それだけでは長距離行軍は不可能。移動の為には無論食料と水がいる」

「はい」

「ネウロイの占領下であると思われる他の町での補給は当然ながら期待出来ない。ならばこの町で食料を掻き集め、纏めて運ぶ必要性があるが、纏めて運ぶのはやはり食料等を運び出す為の車両と、それらを運ぶ為の人手が必要だ。しかしただでさえ数がギリギリな軍から人を割く訳にはいかない、つまり別の人手がいる。ただ、いずれの目標を安全に達成する為に必要な事は――」

「町の解放、だな」

「そうだ。しかし町を完全に解放は出来なくてもいい。確かに解放できるのであればそれが理想的だが、現実的なのはネウロイの脅威を少しでも減らし、食料と水、それらを載せる車両、それと一緒にパリに逃げる人を多すぎず少なすぎず掻き集め、早急に脱出することか」

 

 

それでも難易度の高い目標ではあるがと、ヴィルは頬を掻きながら呟く。

 

 

「我々には多くの問題がある。戦力が足らない。火力が足らない。士気も明らかに落ちている。そして何よりの問題は、我々が子どもである事だろう。しかし解決策が無い訳ではない。戦力はこの基地に残っているだろう残存部隊を掻き集めることが出来れば一個中隊程度にはなるだろうし、火力は…………すまないが司令室で言った通り、ジャンヌにも前に出てもらうぞ」

「分かった」

「ヴィルヘルミナさん!! 私も、私も戦います!!」

「シャルロット、君も司令室で言っただろう。君の治癒魔法は貴重だ。だから君は後方で頑張ってほしいと」

「で、でも……」

「シャルロット、君が後方に控えているからこそ、私たちは前に出れるんだ。分かってくれ」

「うぅ……」

 

 

ヴィルの言う通り、僕としてもシャルには後方にいてくれた方が、戦わないでくれていた方が安心できる。

ヴィルだって作戦の成功率を上げたいならば、たとえシャルが治癒魔法を使えたとしても、戦力を増やす為にはなりふり構っていられない以上、シャルを前に出す方がいい筈なのに、それでも後方にシャルを下げるのは、シャルを気遣ってくれているからなのだろう。

 

 

「で、ヴィル。僕たちが子どもである事の問題ってなんだ?」

「そもそも子どもである我々が、はたして戦場に出ることを許されるのか、だ」

「……あ」

 

 

まったく失念していた事に、僕は思わず頭を抱えてしまう。

確かにその問題が解決しない限り、ヴィルの計画は全て無駄になってしまうではないか。

しかしヴィルは、その事は然程問題では無いと言いたげに笑って続ける。

 

 

「心配するなジャンヌ。そこは私が何とかしてみせる」

「何とかって……本当に大丈夫なの、ヴィル」

「ああ大丈夫だ。一芝居うつことにはなるだろうが、上手く行けば士気の問題についても何とかできるかもしれない」

 

 

ヴィルが自信を持ってそう言うのだから、本当に大丈夫なのだろう。

しかしどうしても彼女の事が心配になってしまうのは、僕がただ心配性なだけなのだろうか?

……恐らくは違うだろう。

 

 

「そろそろ戻るべきか…………行くぞ、二人とも」

「あ……ああ。分かった、ヴィル」

 

 

今は考えるべき事では無いかもしれない。

しかし僕は、彼女が心配だ。

作戦に臨む彼女が心配なのではない。

どうしてか、彼女自身が心配に思えてきたのだ。

 

当然のように僕たちの前を歩くヴィル。

その後を僕たちは続いて歩く。

僕たちは何の疑いもなく彼女の後を歩くけれど。

彼女が前を歩く理由はない。

だって彼女は元々僕たちとは赤の他人で。

彼女が僕たちを助ける理由なんて、本当は無い筈だ。

それでも彼女は前を歩く。

前を歩く事は大変な事だ。

少なくとも今の僕たちが歩いているのは茨道。

その道を彼女は進んで切り開く。

どうしてか?

どうしてか?

付き合いが短すぎる僕に、彼女の心理を見極めることは出来ないけれど。

 

 

――そんな彼女の後姿に、僕は少しだけ歪さを見た。




・フィリップ「復讐の為か!!」
 ヴィッラ嬢「よし、逃げる為の戦いをしようか」

フィリップがヴィッラ嬢の事を読み違えたのはヴィッラ嬢が軍人である事を前提としたため。そもそもの出発点が違っていたというお話。


・フィリップ「彼女達は歪だ」
 ジャンヌ「彼女は歪だ」
 ヴィッラ嬢「……?」

ジャンヌは家庭環境のせいで、ヴィッラ嬢は前世持ちで精神年齢がかけ離れているせいで、他人から見たら歪に見えてしまうというお話。
……というか君たち本当に12、3歳なの?


・今回出てきた銃の紹介

>僕は少し気になって、彼女の後ろで背伸びして覗きこんでみると、その木箱の中に入っていたのは一メートル近くもある大口径の銃だった。

→ボーイズ対戦車ライフル


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だから彼女が囮となる

時折遠くで鳴り響く銃声と爆音をBGMに、私は三名の護衛を引き連れ、走る。

目指すのは、格納庫から離れた基地側の屋上。

格納庫から屋上までの距離は遠く、その分だけネウロイと遭遇する機会が何度もあった。

しかし時間と弾薬の消費、それからリスク回避の為に極力ネウロイとの戦闘は避けながら進んでいる為、此方側の消費は然程無く、今のところ問題はない。

そう、今のところは。

 

 

『……………ぁぁぁぁあああぁあぁぁぁ!!?』

 

 

後方。

正確には私たちが通り過ぎた通路、その途中の曲がり角からの悲鳴を聞く。

名も知らぬ兵士が、また死んだ。

私は悲鳴を上げたであろう兵士がネウロイに襲われていたところを目撃している。

助けを求める声も聴いていた。

しかし私は、迷うことなくその兵士を見捨てた。

その結果が悲鳴だ。

 

悲鳴、絶叫、罵詈雑言。

見捨てた私に投げかけられる全ての言葉を、私は聴かない。

見つけて、見捨てて、を繰り返し。

それらがどれ程私たちに投げかけられようと、私が前に進むその足を止めることはなかったが、しかし今回は後ろで誰かが足を止めた。

振り返る。

足を止めたのは、未だ幼さが抜け切れていない、私の護衛としてついてきた筈の二等兵だった。

「ルドルファー中尉」と、彼は呼ぶ。

その口ぶりは、私を明らかに責めていた。

仕方なく、私は足を止める。

 

 

「何も言うな、耳を貸すな。目の前の作戦に集中しろ、二等兵」

「……魔女め」

「ブリス、貴様ッ!!」

 

 

諭す私にぼそりと、彼はそんな事を告げる。

それを傍で聴いた彼の上官である軍曹が、顔を真っ赤にして彼を怒鳴りつけた。

当然である。

二等兵がそんな態度を空軍とは言え、上官である私に向かって反抗的な態度、抗弁をするという事は、上官である軍曹の教育が行き届いていないという事のあらわれで。

少なからず二等兵は、軍曹に恥をかかせたのだ。

抗弁が抗命に繋がることも気づかぬような、未だ訓練学校を出たばかりの新兵だと思われる二等兵。

私にしてみればそんな事知ったことではないが、嘗て部下に同じような我の強い者がいたことがあったため些か軍曹には同情を禁じ得ない。

 

 

「二等兵。貴様は私を魔女と言うが、ならば逆に問う。貴様は何者だ?」

「なに?」

 

 

極力戦闘を避ける。

たとえ、道の傍で抵抗空しくネウロイに殺されかかっている兵士がいたとしても、その方針が変わることはない。

ネウロイを倒す為の弾も、魔法力も限られている以上、見つけたモノを一々片っ端から拾い上げていてはキリがないのだ。

ただ、新兵にそれを求めるのは難しい事であるのは分かっている。

私とて助けられる命を、分かっていて見捨てる事に何の躊躇いが無い訳ではない。

彼らの助けを求める声に、視線に、私の心が動かない筈がない。

 

しかし、それでも、そうだとしても、私は彼らを助けない。

私は大局の為ならば、個を切り捨てられる。

それは己という個の感情さえも含まれる。

長年戦争を経験し、指揮を執るようになり、命を任され、只々国民を護って。

否が応でも己のやるべき事を心得えさせられ。

目の前に助けられる命があったとしても、目的や守るべきモノの為に個を「切り捨てる」決断を、私は迫られてきた。

何回も、何十回も、何百回も強いられて、繰り返してきたそれは、もはや()()としての私にとって、何のためらいなく下せるものでしかない。

 

 

「答えろ二等兵。貴様は何者だ?」

「……軍人だ」

「軍人。成程、貴様のような者が軍人か。それはそれは、御大層な事だな」

「なに?」

「二等兵、気づいているのか? いや、気づいていまい。貴様は国から与えられた軍服と銃をひっさげ、命知らずな蛮勇を働くのが軍人と言っているに等しい。私に言わせてみれば、己の役割を忘れ、呑気に寄り道など冗談じゃない。英雄ごっこがお望みならば、勝手に一人でやっていろ。勝手にやって、一人で死ね。我々を巻き込むな」

 

 

私の言葉に、二等兵は只々私を睨み返す事で返答とする。

彼の軍人としてあるまじき、()の意見を優先するような反抗的な態度。

それを見て私が、これ以上彼に何を言おうと無駄である事を察するのは易かった。

軍として、このような者が軍にいるのが一番困る事だ。

彼が私の部下であるならば、私が陸軍の偽装をしていたならば、戦時中であろうとなかろうと彼を即刻断罪に処するところである。

しかし今の私は空軍中尉。

言葉で分からぬというのであれば、私が彼にこれ以上のお節介を掛ける気はない。

 

説得を諦め再び進む。

進む私たちの後ろに、二等兵はしかし、いる。

流石に彼一人で残って戦う蛮勇は持ち合わせていなかったのか。

彼が私に付いてくるのは致し方なく、と言いたげだ。

 

二等兵は若い故、面だって反発する。

若い故に、表立って己の正義を主張するのだろう。

彼は私の事を、心の中で「人殺し」だと罵っているに違いない。

彼は私に「人殺し」を強要させたと思っているに違いない。

何度も、何度も、繰り返してきた決断の中で。

彼の目が生前、久瀬のであった時も、そしてヴィルヘルミナであった時も、部下や仲間達に等しく晒されてきた見覚えのある目だからこそ、二等兵の心の内を察する事はあまり難しい事ではなかった。

 

私が「人殺し」である事について、たとえ二等兵に指さされ、正面向かって糾弾されたとしても、私は決して否定しない。

何故なら、生前に久瀬として私がしてきた事を棚に上げたとしても、今この場で見捨てた彼らがネウロイに殺されることは、私が彼らを殺したことに変わりはしないのだから。

ならば私に罪を押し付ける事で、二等兵に余計な負担がかからずに済むのであるならば、二等兵が私を「人殺し」だと思う(押し付ける)事は、寧ろ二等兵の精神的安定を考えると好都合な事かもしれないと考え直す。

 

そんな感じで私と二等兵との些細で、下らない衝突がありはしたがその後は特に問題は無く、私たちは無事に屋上の扉前にたどり着く。

護衛だった三名とはここで別れ、彼らはこれから基地内に残る部隊に、伝令として向かう任がある。

 

私はこの基地に残っている他の部隊に、そこまで期待している訳ではない。

ルクレール中尉も同意見だったが、ネウロイに突然強襲され、囲まれ、碌な抵抗もできずに一方的に蹂躙された彼らの士気は、下がりに下がり切っているであろう。

だから彼らは精々、我々にネウロイが集中しないようにする注意分散の為の二次戦力くらいにしかならないだろうと考えていた。

が、此処までくる間に見かけた兵士たちの姿を見て、私は彼らの戦力を更に下方修正した。

士気がもはやストップ安を起こしている今の彼らにネウロイの注意を引けと頼むのは些か酷だろう。

しかし人手が足りていない以上、少なくとも軍人であるならばせめて、町の人々を避難誘導をするくらいには役立ってほしいものである。

 

 

「了解しました、ルドルファー中尉。各部隊には基地包囲が解かれ次第、人々の避難誘導をするようにと伝えれば宜しいのですね」

 

 

私が部隊を下方修正した事で変更した命令を聞き返す軍曹の言葉に私は頷く。

 

 

「人手が足りていない以上、他の部隊の助けは絶対に必要だ。頼むぞ軍曹、必ず伝えてくれ」

「は、了解であります。おい、二人とも行くぞ!!」

 

 

敬礼し、軍曹は部下を引き連れ、来た道を駆け足で戻る。

果たして彼らはネウロイの目を掻い潜り、無事に伝令役を務められるのか?

私は此処までたどり着くまでの基地の悲惨な光景を思い出し、彼らを心配するが、彼はルクレール中尉の部隊の中でも多くの戦場を共に駆けてきた信頼できる部下の一人だと、ルクレール中尉が言っていた事を思い出す。

ここは中尉の言葉を信じ、必ず役目を果たしてくれる事を期待しておこう。

 

屋上に向かう為に私は、走去る彼らに背を向ける。

向けた瞬間、後ろの方でゴッ、と鈍い音。

何の音かと振り返ってみると、軍曹が二等兵の頭に容赦のない拳骨を落としていた。

それ見て私はクスリと笑う。

跳ねっ返りな二等兵の教育は、上官である軍曹に任せるとしよう。

 

 

 

 

 

屋上へ続く扉を開いて、外へ出る。

視界に広がる、街は、火焔と黒煙と、それから破壊で満ちていた。

この地に移って二年。

たった二年しか暮らしていなかったこの街を、それでも私は好きだった。

両親やお爺様と、暮らし、幸せな思い出が沢山あったこの街の事を……私は、好きだった。

 

 

「………すぅ」

 

 

吸い込む空気は、酷く灰に汚れ、穢れている。

しかし何処か、懐かしい。

 

 

「………ふぅ」

 

 

吐き出す息は、熱を帯びた白になる。

私が手放した、白は、灰の虚空を泳ぎ、刹那に儚く消える。

儚く消えた白を見届け、私は手に持つFM mle1924/29軽機関銃のコッキングハンドルをゆっくりと引く。

少し上を見上げれば、基地を包囲するように飛ぶ小型ネウロイ。

見える範囲でおおよそ十七、八体くらいか。

しかしそれだけの数のネウロイがいるにも拘らず、此方には今だ、一体たりとも気づいていない様子である。

 

今一度、深呼吸をする。

相も変わらず、酷く濁った空気が私の肺を埋めていく。

しかし、私がまた吐き出す息に、白はいなかった。

 

 

「嗚呼………」

 

 

燃える街を眺め、思わず声を漏らす。

同時にブルリと、私の身体が震える。

すると私の内から形容しがたい感情が、徐々に湧き出てくるのを感じた。

はじめはその感情が何なのか、私自身の事だというのにまったくちっとも分からなかったが。

少しずつ、少しずつ、押し付けられるように。

最初からそうであったかのように。

私の感情が、湧き出たそれに、塗り替えられていく。

 

 

「………ふ、ふふ」

 

 

はじめに抱く、感情は――歓喜

 

帰ってきた。

私は帰ってきた。

戦場へ。

懐かしの戦場へ。

先程まで無かった筈の高揚感、歓喜が、妙に私を支配していく。

 

後に抱く、感情は――憎悪

 

ネウロイよ、お前らは何故そこにいる。

私は、静かに、蚊が啼くようにそう問うた。

ネウロイよ、覚悟しろ。

私は、今度は大きく、高らかにそう告げた。

先程まで思うことのなかった筈のネウロイに対する憎悪が沸々と、私の内、五臓六腑の隅々まで広がっていく。

 

私より高く飛ぶネウロイを、地べたに這いつくばる蛆虫の如く只々見上げる事は、私にとっては屈辱の極みだ。

破壊されていく街を眺め、両親の事を思い出す私にとって、ネウロイが目の前に存在するだけで恥辱に耐えられない。

これから目の前にのうのうと浮いているネウロイの阿呆面を思う存分、己が手でぶちのめせると思うと、嬉しさのあまり、身体が震えて仕方がない。

ネウロイのその身を、私が持つ、このFM mle1924/29軽機関銃で無慈悲に、バラバラに、切り裂けるのだと考えるだけで、私の腹の底から笑いが溢れて止まらない。

私が浮かべたこのボーイズ対戦車ライフルの徹甲弾が、ネウロイの腹に大きな、大きな風穴を穿つ瞬間を想像するのは愉悦の至りだ。

 

 

「ふ、あははははは!!」

 

 

殺す。

殺してやる。

たとえネウロイ共が痛みを感じなくても、ネウロイ共に感情など無くとも。

絶対に、後悔させてやる。

恐怖を刻んでやる。

父さんと母さんを殺したことを、絶対ぜったい、許すものか!!

 

 

『―――じ』

 

 

私の思考は狂っていく。

もはや私のこの逸る気持ちを抑えることは叶わない。

勇む脚は、ネウロイに進む。

言葉にできない憎悪を抱え、私は無謀な行進を止めない。

感情に任せ、憎悪のまま、本来の目的を蔑ろにして。

私怨で銃を振るうなんて、普段の私なら、私らしくない。

こんなの、私らしくない。

分かっている。

頭では分かっている。

だけどこれが一番正しい。

正しい事なのだと、誰かが頭の中で繰り返すのだ。

繰り返されるたびに、自分の感情が、自分のモノでなくなっていく気がする。

感情が支配され、己の内の、正体分からぬ第三者にコントロールされていく。

そんな事あり得ない筈なのに。

己の内に潜む第三者? 二重人格?

本当にそんなモノが私の中に存在したとしたら、とてもとても恐ろしい事だ。

もしそうだとしたら、そいつらにとって今の私はただの都合の良い復讐人形でしかない。

だからこれは、己の意思だ。

そうだ、そうに決まっている。

今の今まで冷静を装って、他人に叱咤してきたはずの私は一人になった途端、本当の私は復讐をしたかったのだ!!

 

 

『――るじ!!』

 

 

宙に浮かぶ、ネウロイたちの腹の下。

とうとうそこまでやってきた。

ネウロイたちは私に気づいているようだが、しかし何故か攻撃はしてこない。

ジッと私を観察するように、見下すように、ふわりふわりと宙を漂う。

そんなネウロイたちの反応に、私は不思議だと思ったが、今はそんな事はどうでもいい。

ネウロイたちが自ら腹を見せるなら、私は只々奴らに鉛玉をくれてやるだけ。

 

機関銃を持ち上げ、銃口をネウロイの一体に向ける。

指先はトリガーに。

そして私は、指先に力を込めて――

 

 

『――主!!』

「ッ!?」

 

 

己の内から呼ばれた誰かの声にハッと我に返った私は、目の前のネウロイたちに気を取られて今まで気づく事の出来なかった、分かりやすいほど単純な、しかし圧倒的な殺気を感じとって、咄嗟に大きく横に飛ぶ。

 

 

――瞬間、私のもと居た場所が吹き飛ぶ

 

 

爆風を背に受け、更に転がっていく私だが、すぐに受け身を取って体勢を立て直す。

立て直した私は攻撃を受けた、私の背中だった方向に目を向けると、いつの間にいたのか、大型ネウロイが一体。

基地よりも遥かに大きな、まるで堅牢な城を想起させるようなその体躯を、見上げる私は思わず舌打ちを一つ鳴らす。

 

 

『……大丈夫?』

「すまないカルラ、助かった」

『ん』

 

 

油断していた。

言い訳しようのない程、愚かな復讐に囚われ、周囲への注意が散漫になっていた。

死んでもおかしくなかったあの一撃。

カルラがついていなかったら、間違いなく私は死んでいたに違いない。

 

すぐさま私は大型ネウロイとは反対側の、小型ネウロイたちがいる方向へと駆け出す。

小型ネウロイより放たれる紅い閃光が、数撃ちゃ当たると言いたげに、数条もの軌跡を私に向かって描くがしかし、魔力に強化された私の脚を捉えることは叶わない。

そのままビームを避けながら、屋上の端まで駆け抜けて、手すりを飛び越えるように大きく跳躍。

小型ネウロイたちの、正面へ。

跳んで、身動きの取れない私は格好の的。

無論ネウロイたちは一斉に、私を狙ってビームを放とうとする。

しかし――

 

 

「『我が翼よ(メイネ・フィルグゥ)』!!」

 

 

固有魔法――外部加速でもって、ネウロイたちの頭の上を飛び越えるように山なりに加速。

回避したビームは私に当たることはなく、代わりに反対側にいた大型ネウロイにビームは当たる。

何条ものビームを受けた大型ネウロイの身体は弾け、崩れるように倒れていった。

これで大型ネウロイを倒せたとは思っていないが、時間を稼ぐには十分だろう。

 

小型ネウロイたちの頭を飛び越える、すれ違いざまに私は機関銃を躍らせ、その数を少しでも減らす事に努める。

ほんの少し、一瞬でしかないすれ違い。

しかし至近距離でFM mle1924/29軽機関銃から放たれる、毎分450発もの弾丸が少なくない数のネウロイを屠るには十分な時間であった。

小型ネウロイたちの頭の上を越える頃には、私は1マガジン(25発)を撃ち切ってしまう。

撃ち切った後は只々、只管、振り返る事無く固有魔法を駆使して近くの家の屋根まで飛んで逃げる。

そのおかげか、ネウロイたちとは大分距離を稼ぐことが出来たことを確認した私は、落ち着いてマガジンのリロードを行う。

 

 

「ふむ……」

 

 

ふと、私は先ほどまでの私の異常さを思う。

気持ちは先程とは異なって、異様なまでに冷めている。

思考も先程とは異なって、驚くほどクリアになっている。

感情も先程とは異なって、今の私には何かドロドロしたモノに囚われ、執着するものはない。

先程までの私は、一体全体何だったのだろうか?

 

 

『主、大丈夫』

「カルラ?」

『私の主は、主だけ』

 

 

それは一体どういう意味か?

カルラの唐突な言の葉を疑問に思いこそすれ、今は問わない。

今の私は、為すべきことを全力でするだけだ。

他一切の思考は言わずもがな、邪魔である。

 

基地を包囲していたネウロイたちが、こちらに向かう。

しかしそれらが全てという訳ではない。

此方に向かってくるのは、基地を包囲していた約五割と、いったところか。

それでは少ない。

より注意を引いて、ルクレール中尉らが安全に出撃できる状況を作らなければ。

 

太腿に巻いたホルスターより、一丁の銃を取り出す。

中折れ式のその銃に、私は弾を込め、そして上に向かって引き金を引いた。

 

青い空を、眩い緑色の光がより照らす。

 

眩い信号弾は、昼であろうと目立つ。

目論見通り、基地を包囲していたネウロイたちの殆どが、私に気づいて此方に向かう。

その様は、まるで緑に群がるイナゴの大群。

 

 

「一対、ひぃ、ふぅ、みぃ……約五十か。中国のクーデター軍に囲まれてしまった時の倍とは、流石に一人でそんな数を相手にするのは初めてだ…………しかし!!」

 

 

臆してなんていられない。

大きく息を吸って、ネウロイたちに、私は叫ぶ。

より、もっと、すこしでも、ネウロイの注意を引く為に。

 

 

「ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーだ!! 死にたい奴から来るといい!! 私は、此処だ!!」

 

 

絶望的な囮作戦が、始まる。

 



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だから彼女は訴える

――果たして、目の前を飛びつづけていた奴は人間だったのか?

 

 

大きな爆音と共に粉々になって落ちていく()()()鋼鉄の塊は、空に地獄の釜を開いたかのような。

そんな大げさな表現が、しかししっくりくるほど。

鉄塊が――嘗ては大空を羽ばたいた鳥が、その身に破滅の炎を纏い堕ちていくさまを、我々はただただ無言で見送る。

無言で見送る事しか出来なかった。

 

 

「誰か、(キョウ)上尉が脱出するところを見たか?」

 

 

カラカラに乾いてしまった喉の奥から、漸く絞り出した私の質問に答える者は誰一人としていなかった。

残された十九名、誰一人。

それが、彼らの答えだった。

 

 

 

 

 

米日両国にとっての主要防衛拠点の一つ、サセボ、イワクニ基地への強行爆撃作戦。

強行する爆撃機の直掩機として日本に向かうことが、今回我々に与えられた任務だった。

正直命令を受けた時、私は馬鹿げた任務だと思った。

私が率いる部隊は人民解放軍の――今はクーデター軍だが――中でも国内外からエース部隊だと評されるだけの実力を有していると言われ続けてきた。

またクーデターに参加して以来、私が率いる部隊が数々の戦果を挙げていたことからますます己らがエース部隊であるという意識も高まってきていた。

しかしだからと言って軍備の進んでおらず、練度の低い軍しか持たない国への強行作戦ならまだしも、兵器も機器も練度さえ少なからず世界上位である日本を横断、爆撃して太平洋上に航行する商船偽造改造空母に着陸して逃げるなんて誰もがとんでもない自殺行為だと口をそろえていうだろう。

本格的に日本への攻撃を考えるなら、人的損害が被る危険性のある直接爆撃よりも、巡航ミサイルなどで攻撃を加えた方がより安全であり、まるで第二次世界大戦中、アメリカが行った東京空襲の再現のようである事を考えれば、この作戦は我々の士気を上げるための完全なパフォーマンスである。

確かに作戦が成功すれば、我が軍の士気は大いに高まるであろう。

実行する我々にとっては迷惑以外の何物でもないのだが。

 

しかし、上の連中は何を考えてこの作戦を立てたのであろうか?

作戦の再現と言うが、当時のアメリカの置かれていた状況と今の我々の置かれている状況は全く異なっている。

そもそも日本は、我々と直接戦争を行っている訳ではないのだ。

確かに日本と我が国は因縁の中にあり、アメリカにいたっては我々ではなく重慶に逃げた旧中国政府を支持する姿勢を見せ、日本を経由して中国国内に軍を派兵する動きもまた知っている。

しかしながら日本の国民は過去の戦争を思い、平和を謳い、大半の者達が戦争を嫌う傾向にある。

世論は日本政府に、アメリカによる我が国と、同様にクーデターを起こしているロシアへの派兵を援助する行いを断固として反対している。

民主主義である限り、いや日本の民主主義だからこそ、日本政府は世論を無視する事は出来ず、批難はしてくるだろうが、大々的に我々の国に対する干渉はできないだろう。

それは我々にとっては都合の良い話である筈。

だが今回の任務は態々平和ボケした眠れる獅子を態々叩き起こしに行くようなモノだ。

ヘタな刺激はA.S.E.A.N.等の周辺諸国の反感を生むだろう。

必要以上に敵を作るべきではないこの戦いで、一体上は何を考えているのか?

この作戦が終わり次第、一度上の動向を調べる必要があるだろうと、出撃前の私は呑気な事に、頭の中では既に作戦後の事を考えていた。

日本を――自衛隊を舐めていた訳ではなかった。

クーデターに参加して以来、目に見えて数々の功績を挙げてきた故に。

我々がエースだという事に対する自負を持ち始めていたのと同時に、我々には驕りが芽生え始めていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

作戦には私が率いる一個飛行大隊の直掩組に加え、爆撃隊が二個中隊加わる。

それをサセボ方面とイワクニ方面、二手に分ける事で実質は二個中隊強の戦力だけで爆撃作戦を決行する事になる。

日本の内側にあり、より難易度の高いと思われるイワクニ方面。

私はイワクニ方面の爆撃隊の直掩指揮に回る事を選んだが、はたして数多のレーダー網を掻い潜り、察知される事無く日本国内深くに侵攻し爆撃を加える事は可能かとブリーフィング時に何度も何度も疑問に思った。

そんな疑問を、航空自衛隊内情に最も詳しいと言われ、今作戦のアドバイザーとして派遣されてきた、日系人らしき若い女は私の内心を察してか、「万事OK、大丈夫だって」と少し鈍りの入った中国語でへらへらと笑いながら言っていたが。

 

 

「何が、大丈夫だ!!」

 

 

我々イワクニ爆撃班は予定通りのルートで日本領海に侵入、レーダー網に注意しながら進行していた。

しかし我々が細心の注意を払って飛んでいたにも拘らず、我々は航空自衛隊所属のF-15四機、F-35一機編成の飛行小隊と接敵、戦闘に入る。

 

 

『ミサイル!!……駄目だ、当たらない!!』

『な!? あいつ、我々に囲まれているこの状況でも平然とこちらをロックしてきやがった!? 各機ブレイク、ブレイク!!』

 

 

もしや自衛隊側に情報が漏れていたのか?

そんな考えが私の頭の中をよぎるが、それにしては敵機の数が少なすぎる。

ならば彼らは恐らく領空警戒の為にこの空域を飛んでいたと考えるのが自然なのだろうが、しかしおかしなことだ。

あのアドバイザーの女がブリーフィング時に告げた、この日の自衛隊における現空域の巡回タイミングが予定と大幅にずれているのだ。

 

 

『グッ、至近弾!? 直掩何やってるんだ!! 二度と俺たち(爆撃隊)に奴を近づけさせるな!!』

『言われなくてもやっている!! くそ、我々はエースだぞ!! たかがF-35一機、速やかに排除できんのか!?』

『掠ってはいます!!』

 

 

我々の存在がばれた事で自衛隊はすぐさま此方に戦力を向けてくるであろうが、我々は既に目標空域まで目と鼻の先まで迫っていた。

それにたかが五機編成、一個小隊。

ならば物量と練度でもって速やかに敵機を撃墜したのち、コースに復帰すればよい。

そんな楽観的な提案した部下の意見を受け入れたその時の私を、今すぐぶん殴ってやりたい。

F-15四機は確かにすぐに落とす事ができた。

しかし残ったF-35のパイロットはたった一機にも拘らず、奴はそれでも我々に食い下がる。

たった一機で大多数の敵機に追われているにも拘らず、奴はそれでも、先行しようと背中を見せた味方爆撃機を二機、私の部下一人を容赦なく海に叩き落としている。

ミサイルを避け、致命打を許さず、しかし機体が少なからずボロボロになっているにも拘らず、奴はそれでも国を護る為に飛び続けている。

私が当事者でさえなければF-35のパイロットのその不屈の精神、並外れた戦闘技術に、たとえ日本人であったとしても高い敬意を払って賛辞を送りたいところだ。

F-35のパイロットは、まぎれもなく我々を超えたエースであると。

だからこそ。

 

 

「我らが大義の為に、我が国の為に、障害になる貴様は此処で死ね!!」

 

 

F-35の後方頭上を抑えた私は、迷うことなく機銃を発砲。

パイロットにとって死角となり、更には太陽と重なるように位置取りした上での、完璧な攻撃のつもりだったのだが、それさえ奴は避けてしまう。

しかしそれを避ける事は、既に読んでいた。

私の攻撃の意図を汲んで既に位置についていた姜上尉の小隊が全方向からF-35に向かって一斉射、F-35に幾重の火線を描く。

互いに射線に重なる事無く行う、三次元完全包囲射撃。

流石のF-35のパイロットも火線の全て避けきること敵わず、その身に幾重の風穴を広げ、F-35からは煙が上がる。

 

 

『ヒット!! ヒット!!』

『もう一度だ、今度は仕留める』

『いい加減、落ちやがれぇ!!』

 

 

姜上尉の小隊が再び包囲を固め、F-35に牙を立てようと迫る様を眺め、最早奴は此処までだと私は早くも安堵する。

しかし。

 

 

『――トラエタ』

 

 

私は確かに声を聴く。

その声は大きな喜びを孕み、溢れる狂気に歪んでいた。

 

 

「駄目だ、姜上尉!! そいつは――」

 

 

叫ぶ言葉を遮るように、瞬間、異常な爆発がこの身を揺らす。

F-35は姜上尉の機体に迫り。

 

 

「じ、自爆……」

 

 

姜上尉を巻き込んで、奴はあろうことか自爆してみせたのだった。

恐らく、F-35のパイロットは積んでいたミサイルを用いたのだろう。

でなければF-35が突然、それも周囲を巻き込むほどの大きな爆発を起こす事などありえない。

 

 

「なんて奴だ……」

 

 

唖然とし、顎を閉じる事も忘れ。

私はただ茫然と、嘗ては大空を羽ばたいた鳥が、その身に破滅の炎を纏い堕ちて行くさまを見送る。

その中で、F-35の尾翼部らしき残骸を見る。

その尾翼に描かれているエンブレムは『狐に喰らいつく白い狼』。

自衛隊のエンブレムの大体は把握している私だが、それは知らないエンブレムだった。

 

 

「誰か、姜上尉が脱出するところを見たか?」

 

 

答えは誰からも、返ってこない。

それが彼らの答えだった。

 

 

「……撤退するぞ」

『隊長?』

「敵増援だ」

 

 

私のレーダーに映る斑点は、二個飛行大隊規模を示している。

一機相手とはいえ、燃料弾薬を大いに消耗してしまった我々には、此処を突破した上イワクニを爆撃し、追っ手を振り切って太平洋上に逃走する余力はない。

残念ながら、我々は作戦を中止せざるを得なかった。

 

『狐に喰らいつく白い狼』

そのエンブレムを抱えたF-35。

作戦後、我々は正式に日本と開戦した際、奴は再び我々の前に現れる。

そして我々の前に何度も立ちはだかり、戦争が続く限り、奴と我々は幾度も矛を交え、争うことになる。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

無謀にも思えた作戦は、意外にも順調に進んでいるようである。

私が飛行型のネウロイ達の注意を引き、空を逃げる間にも、ルクレール中尉の部隊が大型ネウロイを仕留めている様が、遠くでもよく見えた。

戦車に乗り込み、有効打になる手段(ジャンヌ)を彼らが得たとはいえ、少数部隊で大型ネウロイを倒すその奮闘ぶりはまるで水を得た魚。

以前にネウロイとの戦闘経験があったとは聴いていたが、いやはや流石と言うべきだろう。

また、メッセンジャーとして走らせた軍曹らも基地内の残存勢力に上手く指示を届けられたのか、基地内から続々とガリア兵が東に向かって走り出しているのも、上空から確認した。

此処までの、彼らの動きは上々と言えるだろう。

それでも戦況は未だ此方が不利である事には変わりない。

戦える戦力が、ルクレール中尉の部隊もしくは私に大きく依存している為、どちらかが倒れてしまえば均衡は一気にネウロイ側に傾くことは免れず、気を一瞬たりとも抜くことは許されないのが現状だ。

 

ただ正直に言ってしまえば、私を囲むネウロイたちに、私は歯ごたえの無さを感じていた。

ネウロイたちの狙いはフェイントもなく正直で、動きも単調、殺気は分かりやすく向けてくるので察知するのも容易い。

数はいても自分勝手に動いているから、数の利を活かしきれてもいない。

寧ろ私が群の中で動き回るとフレンドリーファイヤーが頻発する事がざらだ。

屋上で見せた狡猾さが、まるで嘘のようで。

それは指揮官の指示が無く、私相手にどう対応すればよいか分からずオロオロしているかのようにも見えた。

ただネウロイの生態がまったく分かっている訳ではないので、慢心はしない。

それに敵の戦力評価が大きく下方修正されても、私もそれ程余裕がある訳では無い。

固有魔法――外部加速は元々魔力消費の激しい魔法である。

幾らネウロイたちの攻撃が避けやすいものでも、それは固有魔法あってのもの。

魔力が無くなってしまえば私は翼を失って、地を這うことになる私は瞬く間にハチの巣にされてしまうだろう。

魔力量には自信がある私だが、そんな私でも魔力残量はあと三割といったところである。

これ以上戦闘を望むのなら、シールドのような魔力消費の激しい魔法の使用を控え、余計な消費を抑えなければならないだろう。

また、弾薬の消費も顕著である。

FM mle1924/29軽機関銃は1マガジン25発。

そんな弾数では引き金を引いて数秒もかからないうちに撃ち尽くしてしまう為、マガジンの減りが思ったよりも早い。

また交戦距離が必然的に近くになる基地内で戦っている時には気づかなかったが、私の機関銃の命中精度もそこまで褒められたものではなかった。

弾の収束を高める為、また弾薬消費を抑える為に数発撃っては引き金を上げるなどして工夫はしているが、それでもネウロイの数を中々減らせずにいた。

前々から猟銃を扱っていたとはいえ、連続的に弾を放つ機関銃とではどうも勝手が違う。

逆に対戦車ライフルの命中精度は思ったよりもいいのは救いだが、持ってきているライフルの弾の数は少ないので多用は出来ないし、もとよりこれは大型ネウロイ用だ。

泣き言ではないが、生前に使っていたMG34のドラムマガジンが、今更ながらとても恋しく思う。

 

 

『主、左手に敵の群れ』

 

 

カルラの報告を受け、ネウロイの攻撃を避けつつ左を向くと、確かに小型飛行ネウロイの(ぐん)がいた。

距離は300m程、数は20体程度の規模である。

 

 

「私も確認した」

『主、悲鳴も聴こえる』

 

 

カルラの報告を受けて、グッと心臓の辺りが潰されたような錯覚を覚える。

人の命を見捨てる事は、やはり気が進むものではない。

しかし私の魔力の残量が少ない現状、襲われている人々を助けに行くことにはたして利があるのか?

そのように人命さえ量りに掛けて、結果を求めてしまうのは戦争慣れしてしまった私の悪癖か。

 

 

「ん?」

 

 

そんな時、私の視界の端、街の路地裏に動くものを見た。

人々の救出に走っていた基地の残存部隊である。

彼らの進む先には襲われている人々、そしてネウロイの群れ。

残存部隊は路地裏を進んでいる為か、ネウロイの群れには気づいている様子はないが、そのまま進めば鉢合わせしてしまう。

ネウロイと彼ら、まったくの遭遇戦となってしまえば部隊は間違いなく壊滅するだろう。

しかし彼らはネウロイに対して決定的な対抗手段を持たないとはいえ、きちんとした部隊運用、指揮下に置けば、私にとって貴重な戦力である事には変わりない。

ルクレール中尉の部隊が良い例である。

 

 

「助けるぞ」

『ん』

 

 

折角掻き集めた戦力をこんな所でみすみす失う事は看過できるものではなく、故に私は助けに向かう。

それは結果的には襲われている人々を助ける事にもつながるが、それは決して感情に絆されたモノではない限り、問題は一切ない。

 

ネウロイに追いかけられている現状。

しかし別にこの現状から離脱する事ができないという訳ではない。

寧ろネウロイたちの注意を常に引く為に敢えて加速のスピードを落として戦闘を行っていた為、本来の加速を以てすればネウロイたちを引き離す事は容易なのである。

ただ離脱したのち、あのネウロイの群れの注意を引き、素早くその場から離脱しなければ、今度は後ろに迫っているネウロイたちが残存部隊や逃げる人々に追いついてしまい、最悪多大な被害が出てしまうことは想像するまでもない。

私の責任で人々に被害が出る。

とてもではないが、それは許される事ではない。

 

意思の決まった私は、ネウロイの包囲を越え、火線を越えて。

私は外部加速を命一杯吹かせ、残存部隊に向けて一気に飛ぶ。

放物線を描きながら、私は部隊の先頭に転がりながらも着地する。

部隊の先頭へ突如降り立つ私に彼らは一瞬警戒を見せるが。

 

 

「空軍のウィッチ………ルドルファー中尉か!!」

 

 

指揮官らしき先頭の男が私の名を呼ぶ。

如何やらメッセンジャーの軍曹が上手く話を通してくれていたらしい。

時間が惜しい今、私の身分を説明する手間が省けた事は大いに私を助け、必要な分の情報のみだけ彼らに伝える事が出来る事はありがたい。

 

 

「この先の道にネウロイに襲われている人々がいる。私がネウロイを引き受ける。その間に救助しろ」

「りょ、了解した!!」

 

 

指揮官らしき男の返事に覇気はあれど、些か声が震えている。

周りの者達も同様、ネウロイの名を聞いて身をわずかに震わせているようだ。

やはり彼らがネウロイ相手に立ち向かうことは、まだ難しいだろうか?

私は追ってきているだろう、ネウロイらを見上げる。

ここまで一気に駆け抜けてきた為、奴らが此方に追いつくまでほんの少しばかり時間があるようだ。

 

私がネウロイを引きつける事は出来ても、人々を救助するのは彼らに掛かっている。

どんなネウロイに恐怖を抱いていようが、彼らには頑張ってもらわないとならない。

 

 

「諸君。私は今、大変失望している」

 

 

声を、後ろに続く兵たちにも聞こえるように張り上げる。

 

 

「何故なら、貴様らがあの(ネウロイ)どもに怯え、今の今まで引きこもっていたからだ」

 

 

私は彼らを指差し、罵倒する。

私の罵倒の言葉に、兵たちの脚は止まり、注目は一気に私に傾く。

掴みはOK。

人間耳あたりのいい言葉より、悪口の方がより耳に入りやすいものだ。

 

 

「諸君。私は今、大変悲しい――護るべき、愛すべき隣人である筈のガリア国民が、無残にもあの鬼畜(ネウロイ)どもに殺される様を眺める事など、私は耐えられない。嗚呼……だというのに、いの一番に身を挺するべき者達は一体何をしていたというのか? 民衆の救いを求める声が上がる中、軍の者達は一体何をしているというのか?」

 

 

私は空を仰ぎ、大げさに嘆き、捲し立てる。

反論、異論は許さぬ速さで、しかし聞き取りやすく捲し立てる。

私に罵倒されてムッとなった彼らだが、その言葉で私が何を言いたかったのか分かったのか、ほとんどの者達は顔を私から背ける。

 

 

「諸君。私は今、深く同情している――ネウロイは確かに強いだろう。諸君らはそれを身をもって知っている事かとは思う。各々、奴らには泥汁を吸わされる思いをしただろう。しかし我々は軍人だ、一人でも多くの隣人を救うため、勝てぬ相手でもそれでも前に進まねば、我々に一切の価値はなし。何のための軍人であるか? 諸君、今一度考えよ。諸君らは如何あるべきかと。怖ければ、周りに構うことは無い。今すぐ尻尾を巻いて逃げるがいい。しかし諸君らが未だに軍人でありたいのであれば、此処が絶好の名誉挽回の場だ。今この場では命などもはや無いモノと思い、これよりは隣人の為に喜んで死ぬ覚悟で進め。諸君、私に続くのであれば心得よ。軍人である諸君らの死地は、今日、此処であると」

 

 

――怖いのか? それを理解できない訳ではない。

――だが人が目の前で死んでいる間に、何もできなかったお前たちはそれでも男か?

――こんな幼女に此処まで言われて悔しくないのか?

 

綺麗な言葉で着飾ってはいるが、私の言いたいことを纏めるならこうだ。

月並みの発破掛けではあるが、私みたいな見た目が明らかに幼女である者に、ここまで言われて悔しいと思わなければ彼らは本当の玉無しだ。

私に怒りを覚えてもらっても構わない。

一瞬でもネウロイに対する恐怖が、私に罵倒されたことに対する怒りに上書きされたなら、彼らもまた恐怖に支配される事もなく動きやすいだろう。

 

 

「諸君。己が軍人であると言うならば、今すぐ救いを求める隣人に手を差し伸べよ。しかし諸君らだけを進ませる事はしない。忘れるな、私が身は常に諸君らの先陣に在りて、諸君らの道を切り開こう」

 

 

言い終わると同時に、私は空に飛ぶ。

些か彼らに時間を掛けてしまったのか。

撒いたネウロイの群が、もうすぐそこまで迫っていたのだ。

 

追いつかんとするネウロイたちはもはや致し方ないので、そのまま引き連れて、私は人々を襲うもう一つのネウロイの群に向かう。

幸い追いかけてきたネウロイたちのヘイトは未だ私に集まっているようで、一体も残存部隊に見向きもせずに、漏れる事無く私の後ろを追いかけてきていた。

 

部隊から離れてすぐ、私は群衆を襲うネウロイらを射程に捉える。

その内の一体がまだ幼い少女を撃たんとしているのを見、私はすぐに、今日何度目かになるか分からない、機関銃のトリガーを引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も、誰もが嘆いていた。

皆、突如に襲い掛かってきたあの黒い悪魔に怯えていた。

周囲は酷いありさまだった。

男は勿論、女、子どもも。

家族、親せき、友だちも。

ひとかけらの慈悲もなく、あの悪魔たちに殺されたのだろう。

住み慣れた家、よく出かけた店、思い出の場所。

容赦なく、あの悪魔たちに粉々に壊されたのだろう。

 

人々は走り、逃げる。

怒りは叶わないから捨て、逃げる。

私もそうして逃げてきた。

ずっと遠くより逃げてきた。

しかし私はもう、逃げる事も叶わないらしい。

なぜなら私は瓦礫に躓き、転び、酷く足を挫いてしまったから。

 

膝の外側から感じる痛みが、じくじくと私を苦しめた。

足首の内側から感じる痛みが、私が立ち上がることを妨げた。

 

見上げた空には、空を覆い隠すほどの悪魔たち。

奴らは此方を、見下ろして。

動けない私に淡々と、死の鎌を振り抜かんとする。

嗚呼、私も此処までなのだろうか。

折角此処まで逃げてきたのに。

そんな事を思いながら、私は静かな覚悟を決める。

 

そんな時にか?

私が救済の音を聴いたのは。

 

空から乾いた音が鳴り、閃光の雨が突如降る。

私の目の前にいた悪魔は、雨に撃たれて弾けて消えた。

絶えず三拍子のリズムを取るその音は、手拍子のように軽やか。

時折響く、鈍く、大きな音も鳴り、それは三拍子を忘れた頃に。

それは我々が捨てる事しか出来なかった激しい激情、怒りを代弁し、悪魔たちに叩きつけるみたいに、響く。

 

二つ音。

ただそれだけで行われる音楽会。

しかし聴衆を飽きさせず、皆を引きつけてやまない。

聴衆(男達)はその姿に歓喜し、吠え。

聴衆(女達)は彼女に救われたと、咽び泣き。

聴衆(悪魔達)は苛立ち罵声を上げれども、最後は奏者によって壇上から叩き落されるのみ。

 

 

「ハッ!!」

 

 

音の奏者は空を舞う。

楽器(武器)を従え、音を奏で。

白い翼を、蒼くも小さなその身に纏い。

白銀糸の髪は太陽に映え。

幾重の火線を越えて、魔を払う。

その姿は、まるで悪魔に苦しむ我々の声を聴き届け、救済の為に地上に舞い降りた天使様のようで。

そんな風にしか言い表せないその神秘的な姿は、見上げる私たちをとらえてやまない。

彼女は舞う。

私に救いの福音を告げるために。

私たちの、あの青き空を取り戻すために。

 

 

戦乙女(ヴァルキリー)……」

 

 

彼女を追いかけて、悪魔たちが去っていったあと。

余韻に浸るかのように、誰かがその名を口にする。

『戦乙女』と口にする。

絶望と死が支配していたこの戦場で。

目の前で助けられた、おとぎ話のような奇跡に。

その名、その姿は、私の、皆の希望になる。

私は、そんな彼女に憧れを抱く。

 

 

 

「おいそこの子、大丈夫か!?」

「……え?」

 

 

男の人が、転んだままの私に駆け寄りながら、呼んでいる。

その人は軍人さんで、気づけば周りにも軍人さんがいっぱい来ていて。

軍人さんたちは何故か興奮気味であるのがちょっと気になるが、軍人さんたちが私たちを助けに来た事には間違いない。

周りの皆は、明らかな安堵の色を見せていた。

だけど私に呼びかけ、こっちに駆けてきた軍人さんだけ、私を見て少し驚いた顔をしていた。

 

 

「あの……」

「あ……いや済まない。それよりも、大丈夫か? 何処か怪我をしているのか?」

「は、はい。足を………あれ?」

 

 

挫いた足は先ほどまで、痛みのあまり立つことを拒んでいた。

だけども今は、感じない。

痛みが嘘だったかのように、何も。

膝などにもあった擦り傷もまた、無くなっていた。

まるでさっき転んでしまったことが無かった事であるかのように。

 

 

「まさか………君、名前は?」

 

 

軍人さんは、私に聞く。

知らない人に聞かれても言わないようにと、お父さんから教わってきたけれど。

けれど、軍人さんならきっと大丈夫だと私は思い、告げる。

私の。

お父さんたちが付けてくれた、私の愛すべき名前を。

 

「……ジョーゼット」

 

 

――私は、ジョーゼット・ルマールと言います

 




――久瀬さんの話、おまけ――




自分という人間を振り返ってみると、随分と遠くまで来てしまったものだと偶に思う。
そして人生や運と言うものは、とことん、ひたすら自分を悪い方向へと流したがるものらしい。

『一度目』から数年が経って、事件のせいで『二度目』のたった一人になってしまった俺に、上から下った指令は、なんてことはない通常の哨戒任務だった。
それまでいた部隊のせいで非常識な任務ばかり受けていた俺は久々のまともな、自衛隊らしい任務にぬか喜びし、F-15一個小隊に同行してみれば、ばったりと見つける、堂々と越境する二個飛行中隊強の中国国籍の爆撃部隊。
中国国籍と言えど、今は中国国内において大規模なクーデターが起こっている為、正規軍とクーデター軍のどちらの所属かは分からないが、少なくとも開戦の通告もなしに日本に攻め込んで来るなんて誰が予想しようか?
更に言えば、どうしてよりにもよって自身が哨戒任務中に来るものか?
まったくもって迷惑甚だしい話である。

しかも本国に緊急連絡を入れてみれば、返って来たのは『友軍飛行大隊がスクランブル発進している為、その場に留まり、遅滞戦闘へ移行せよ』である。
それも十分、十分間もである。
因みに、連絡を入れ、その返答を受けるまでに、既に伴っていたF-15小隊は撃墜されている。
詰り、二個強もの部隊の遅滞戦闘を一人で努めろと?
いや、死ぬ。
絶対に死ぬ。
一人の力なんて高が知れている事など、言うまでも無いだろうに。
どうせそう言うなら、いっそ『お国の為に死ね』と、はっきりと言って欲しいものである。
アメリカ人ほどの愛国心は、残念ながら無いが。
しかしここで敵前逃亡して、民間人に被害が出ようものなら俺は今度こそ社会的に抹殺されるに違いない。
嗚呼、どれもこれも全てあの『女狐』が裏切ったせいだと叫びたい気持ちで一杯になる。
……大の大人が責任転嫁など、見苦しいだけなのだが。







結果だけ言うと、遅滞戦闘は成功した……が、本当に生きた心地はしなかった。
今までの、蛆虫の様に無様に這って戦ってきた経験が無ければ、本当に死にかねなかった瞬間が何度あったか、それを数えるだけでもぞっとする。
残り少なかった、燃料。
あれ以上戦っても、燃料切れで墜落は免れなかっただろう。
そんな中で、敵機を巻き込んで自爆し、パラシュートで脱出できたことは幸運である。
しかし不運な事に、俺は今、出血多量で死にかけていたりする。
あの部隊が最後に見せた、同時包囲による機銃斉射。
その内の一つがコックピットの窓を割って、大きめのガラス片が頭をかすめ、また左腕を中心に、幾らかそれが深く刺さってしまっているのだ。


「ぐ………ぅ……」


意識は朦朧としている中、友軍が到着したのを見、敵の遅滞成功したことに胸をなで下ろす。
今回の敵の目的はどうやら岩国の爆撃を狙っての事だったのだろうが、レーダーなどはさておき、岩国は些か中国からは遠方すぎるのではないだろうかと、ふと思う。
自分が狙うとしたら、米軍も駐在している沖縄か、佐世保辺りになるだろう。

しかし敵が岩国を選んでくれて、本当に助かった。
今、妹が学校の修学旅行に行っているのだが、本日の日程に佐世保の海上自衛隊の基地見学なんてものがあったはずだ。
もしも敵が佐世保を爆撃する事を選んで、スクランブルが間に合わないなんてことになってしまったら……


「考えたく………ない、な……」


兎に角、自身に任された役目は果たした。
後は救助を待つばかり。
ならば後の事は友軍に任せ、今は気長に待とうかと、俺はゆっくりと目を閉じた。


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とある歩兵分隊+αの戦い・前編

――後ろの石道が吹き飛んだ

 

 

背に猛烈な爆風を感じ、車体はその重さが無かったかのように。

一瞬車体はふわりと浮いて、そしてがしゃんと派手に、道に落ちる。

 

 

「あぅ!?」

「口閉じてねぇと、舌噛むぞ!!」

 

 

助手席の、小娘の悲鳴。

キーンと、耳鳴りがする中でも、そいつの悲鳴は確かだ。

ちらりと見たが、幸いにも大事はない。

 

だから付いてくるなと言ったんだ。

と、いくら愚痴を漏らしたところで仕方ないのだが。

要人なんだから、警護組はちゃんと見とけよと。

警護を言い付けられた同僚たちの顔を思い出して、吐き捨てた。

 

サイドミラーで後ろを見る。

大型陸戦ネウロイが二体、まだ俺たちの後ろを追いかけているのをしっかりと確認する。

此処は街の大通り。

街の中心を割るのは立派な石道。

しかし追いかけてくる奴らにとってはその道さえも、窮屈で。

一体ずつ、並んでくるしかないようだ。

 

前方を走るネウロイが、サイドミラー越しで発光。

それは分かりやすくも、奴らの必殺の兆候。

 

 

「ビーム警戒、歯ぁ喰いしばれぇえええ!!」

「きゃぁあああああ!?」

 

 

ステアを切って、ブレーキ踏んで。

アクセル踏んで、道を曲がる。

瞬間、爆音と閃光だけが、俺らの世界を支配する。

振り返るまでも無く。

きっと元来た道は吹き飛んで、後に残るはデコボコ道。

 

 

「あ、あの、伍長さん!! 時計塔から緑の信号弾がうみゃあ!?」

「舌噛むって言っただろ!!」

 

 

小娘の言った通り、時計塔から緑の信号弾がよく見えた。

あれは間違いなく中尉達の準備が調った合図。

ならあと少し。

あと少しの辛抱だと、小娘を安心させるように言い聞かせ。

時計塔を目指し、俺はアクセルを吹かす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地出立前、フィリップ中尉の招集を受け、俺を含めた分隊四名は中尉の戦車前に集まっていた。

真っ直ぐな目で、俺たちを見る中尉。

彼の腹を決めた雰囲気から察するに、何かしらの算段がついたらしい。

 

 

「ルドルファー中尉が空を抑えている間、我々のするべきことは言うまでもなく、友軍が市民の避難と物資の確保を安全に行う為の脅威の引き付け、または排除にある」

「中尉。言わん事は分かりますが、どうするので?」

「グローン伍長、我々はルドルファー中尉のようには戦えない。いつもの通り、泥臭い戦いしかあるまい」

「まぁ、それしかねぇですよね」

 

 

自慢の――娘には不評だが――髭を撫でながら、俺は中尉に同意する。

陸上での大型ネウロイとの戦闘において、現場の兵士が取れる対抗手段は爆薬や、もしくは戦車等の大火力に頼ることが精々だ。

しかし戦車の速力ではとてもではないが大型ネウロイ相手に正面戦闘など行える訳がなく、寡兵の俺たちが取れる手段はただ一つ。

アンブッシュによる必殺だ。

 

 

「グローン伍長の分隊には大型ネウロイをアンブッシュポイントまで、誘導してもらいたい」

 

 

一切の澱み無く命令を伝えるフィリップ中尉だが、やはり彼はこの短時間にずいぶん成長したように思えてならない。

以前は大層な作戦を立てられはしても、部下の命を命令一つで殺してしまうことや、立場の重圧にビビッてしまって、発言の歯切れが悪くなったり、遠慮があったりしていたものである。

戦場での迷いは命取り。

だからこそ中尉は参謀の立場に甘んじていたが、それさえなければ中尉は部隊を率いる素質は十分に持っている事は、俺たちも、死んだ大隊長も含めた部隊の誰もが認めていた。

しかし、そんな中尉がこの土壇場で成長できたのは、気に喰わないが、やはりルドルファー中尉のお蔭か。

 

 

「アンブッシュポイントは、此処だ」

「時計塔、ですか……」

 

 

この街の地図を広げた中尉が指し示したのは、街の中心よりもやや北側にある時計塔前広場。

そこは街の大通りの終着点となる場所で、見通しが良く、広場の入り口もその大通りに限られている。

また街中から確認できる目印として十分な高さを持つ時計塔の周りは、地図で見る限りは建造物が広場を囲むように密集して建っている為、建物内に戦車を潜ませるには絶好と場所と言える。

 

 

「時計塔近くに、戦車は付近の建物の内や死角に配置。また時計塔などにはトラップも仕掛ける予定だ」

「時間がかかりますかね?」

「もちろんだ伍長。こちらの準備が完了したら、時計塔より緑の信号弾を放つ。各員、他に質問は?」

 

 

俺たちは無言でもって、中尉に答える。

失敗すれば、戦車は身動きの取れない状態で、全滅は必至。

黒色のネウロイは、以前見た銀色の奴らよりも装甲が厚い。

それが大型ともなれば猶更で。

生半可な攻撃が通用しないからこそ念を入れ、確実に仕留めなければならない。

確実に仕留めるためには、俺たちの動きは成功の為の絶対条件になるだろう。

 

 

「此処が正念場だ。この街を脱出して、皆で生きて帰るぞ」

「「「「A vos ordres(了解)」」」」

 

 

失敗が許されない作戦を任されたのは、中尉が誰よりも俺たちの分隊を信頼しての事だろう。

分隊員たちもそれを理解したのか、応える声には熱意を感じる。

無論、それは俺も同様で。

死んだ、そして残された部下のため、仲間たちの為に、生きて帰るには失敗はできないのだと、俺は一層気を引き締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敬礼を交わした男たちは、各々の覚悟を決める。

その後、ルドルファー中尉が基地を包囲していたネウロイを引きつけに成功したとの報告を受け、グローン伍長の分隊は先行するが。

しかしそんな彼らの後ろに。

彼らを密かに追いかける、小さな影が一つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一次世界大戦時には歩兵の輸送に自動車を本格的に導入するなど、欧州の中でもっとも近代的な軍隊と称されたガリア軍。

しかし戦後、ガリア軍はむしろ先祖帰りとも言える迷走を始める。

例えば、折角導入していた自動車に変わり、馬匹(ばひつ)が歩兵輸送の手段となり。

戦車についてもカールスラント等の各国が、戦車を求められる任務の大半をこなせる主力戦車に集約・転換しはじめていた頃に、未だ戦車を塹壕戦突破などが主目的であった第一次大戦時の頃と同様に歩兵の支援兵器と位置づけ、戦車を各歩兵隊に分散配置する始末。

また傑作戦車として名高く、第一次世界大戦時代に活躍した軽戦車FT-17の後継数的主力戦車として開発された、ルノーR35軽戦車。

この戦車に用いられていた主砲が、歩兵と機関銃陣地に対する使用を主目的とした、対戦車能力の低いモノであった事からもそれはうかがえる。

陸軍だけ見ても、迷走ぶりは十分に分かり得る事だろう。

 

何故ガリア軍全体において、このような迷走が起こってしまったのか?

その理由の一つとして、マジノ要塞線建設が挙げられる。

第一次大戦時、カールスラントとの戦いにおいてガリアは、生身の人間の貧弱な防御力と近代化によって産み出された兵器の絶大な攻撃力のあまりの違いによって生じた甚大な物的、人的損害を被り、国内では厭戦感が蔓延していた。

ネウロイの登場にカールスラント政府の混乱、フリードリヒ四世の政権奪還などによって大戦自体が有耶無耶に終わってしまった第一次大戦だが、ネウロイの脅威が去った欧州で、カールスラントの軍事的脅威が去ったと捉える国は少なく、ガリアでもカールスラントに対する軍事的劣勢の解消が喫緊(きっきん)の課題とされていた。

そんな中で挙がったのが、以前より構想として存在していた、カールスラント国境に要塞線建設する案であった。

先の大戦後に起こった深刻な少子化、人口減少、戦闘員不足問題。

その経験から消耗戦を恐れ、防衛重視の戦略に傾倒したガリア軍が、嬉々として建設案を推し進めるには十分理由になった。

 

1936年、マジノ要塞線がカールスラントとの国境近くに竣工する。

しかしこの時のマジノ要塞線建設に総工費約160億フラン。

維持費・補強費として更に約140億フランが投じられており、この膨大な総工費や維持費が軍事予算を圧迫して、新型の戦車や戦闘機などの調達に資金を充てる事が困難になり、結果として兵器が旧式化し、またマジノ要塞線の存在がガリア軍に「これだけお金を掛けたから大丈夫だろう」という過信を産むことになったのである。

 

そんなガリア軍の状況下で、死亡した、フィリップらを率いていた大隊長などの一部将校らは、長くカールスラントの様な戦車を集中配備した機甲師団の創設を唱えていた。

機甲部隊という戦車を主力とし、歩兵をその支援にまわすことで機動力と打撃力を得るという部隊運用の考え方は、軍の方針と相反する事、またマジノ要塞線建設の件もあり、機甲師団の創設は当然中々受け入れられるものではなかった。

作られたとしても少数、または規模の小さな大隊規模のもので。

特に規模の小さな部隊は腫物のように、行く先々では「金食い虫」、「戦争屋」と言われぞんざいに扱われることが多く、フィリップらの機甲大隊もまた例外ではなかった。

しかしぞんざいに扱われ、多くの理不尽な作戦を経験してきた彼らだからこそ、その練度はガリア軍、ひいては欧州の機甲隊の中でも戦車を用いた戦闘においては十分高い水準に磨かれており、フィリップらの部隊においてはその伴随歩兵もまた同様であった。

 

 

「分隊長」

 

 

とある酒場。

基地を先行して飛び出し、直後、ヴィルヘルミナ中尉が誘導したのとは別の群れであろう小型飛行ネウロイの襲撃を受けたグローン伍長たちは、基地に潜むフィリップ中尉らの本隊を悟らせないよう基地からの引き離しを行い、逃れ、今はその酒場で息をひそめていた。

出鼻を挫かれる形となったグローンの分隊だが、基地内のような閉鎖空間での戦闘とは異なり、開けた、更には遮蔽物の多い市街地戦闘である以上、また彼らは無理な戦闘をする必要が無かった為、分隊に特筆した被害はなかった。

 

 

「マテオか、どうだった?」

 

 

カウンターの奥より息を殺してグローン伍長たちの許に戻ってきたのは、二十代後半にさしかかったマテオ上等兵だった。

伍長に任され上の階より確認してきた彼は、少し言葉早に周囲の状況を伝える。

 

 

「周囲に敵影はなし。上手く奴らを撒けたようです」

「目標は?」

「分隊長が向いている方向が丁度南になりますから、分隊長から見て十二時方向、橋の向こう側に二体。十一時方向、橋近くに一体。後は七時の方向、此方からから約500メートルに一体確認できました」

「……あと二体は如何した?」

 

 

ヴィルヘルミナ中尉の情報が正しければ、この街にいる大型は六体の筈だとグローンは問うが、しかし高さが十分ではない此処からでは残り二体の居場所を確認できなかったと、マテオは首を横に振って答えた。

 

 

「……それから」

「なんだ?」

「つい先ほど、橋の向こう側のネウロイが何者かと戦闘を開始したようです。戦車の砲撃音が数発、橋の向こう側より確認できました」

 

 

未だ橋の向こう側で、戦える友軍が存在していた。

マテオが嬉々として伝えた情報に、しかしグローンの表情に変化はない。

自分達以外の友軍の存在は朗報ではないのかと、マテオはグローンの反応を疑問に思う。

 

 

「『確認した』のは、砲撃音だけか?」

 

 

ハッと、グローンの言いたい事に気づいたマテオは、自分の愚かさに気づく。

無いモノと思っていた友軍の出現に、自身の心の何処かで助かったのだと錯覚を起こしていたのだと。

 

 

「申し訳ありません、分隊長」

「マテオ。友軍の存在を喜ぶ気持ちは分かる。分かるが、その友軍の規模が分からない以上、不明な戦力に期待を持つな」

 

 

しかし大型ネウロイと正面戦闘を行えるほどの戦力となると、その友軍の規模は決して小さなものでないだろう事は十分に予想でき。

そして今更南方より現れた少なくない戦力となると、それは元々この街にいた戦力ではなく、もしかしたら戦線より撤退してきた戦力ではないかと、グローンは思う。

もしその戦力が大隊以上の規模のものなら、四の五の言わずに連携を図りたいところではあるが、グローンがマテオに言った通り、不明な戦力に期待することはあまり得策とは言えず。

更に、フィリップらにこれ以上人員を割く余力がない為、伝令が送れない以上こちらから連携を図るなどできない。

どの道、グローンらは目の前の事に集中する他ないのである。

ただ、その友軍のおかげで橋の向こう側のネウロイの注意はそちらに向いている事は、十分グローンたちの助けとなっており。

理想で贅沢を語るならば、友軍とこちらでネウロイを挟撃する形をとれるなら上出来だと考える。

 

そう。

『理想は』、である。

フィリップ中尉とヴィルヘルミナ中尉が決めた方針が市民の救助と街からの脱出である以上、これからの為に戦力の消耗は避けるべきで。

フィリップ中尉もまた不明な戦力と連携することよりも、初志貫徹の方針を取るであろう事をグローンは中尉との長い付き合いから理解していた。

 

 

「よし、これから時計塔に近い方を引き付ける。各員、雑魚に見つからない今のうちに――」

 

 

そこまでグローンが言葉にした瞬間、不意に透き通った鈴の音が鳴る。

その鈴の音は、酒場の入り口のドアに取り付けられていた物で。

つまり入り口のドアが、何者かによって開かれたのである。

彼らの抱える銃、銃口は一斉に入り口に向けられる。

突然の出来事に、それでも慌てる事無く臨戦態勢に入った彼ら。

しかし彼らが向けた銃口の先にいた、予想外のモノに、多くの戦場を駆けた百戦錬磨の彼らであっても流石に驚きを隠せなかった。

 

 

「おい、冗談だろ」

 

 

彼らが向けた銃口の先にいたのは、涙目のシャルロット。

ヴィルヘルミナ中尉に任され、フィリップたちが守っている筈の、守られなければならない筈の彼女は、何故かそこにいた。

 




――その頃、シャルロットがいなくなった格納庫では――


「おい二等兵、中尉に任されていたドモゼー嬢は何処だ?」
「は!!尿意を催したとのことで、今は御手洗いに……」
「おい、貴様まさか、彼女一人でトイレに行かせたのか!?」
「ひ、一人で行きたいとの事で「馬鹿野郎!!ネウロイがトイレに出てきたらどうするんだ!!今すぐトイレに行って見張ってろ!!」し、しかし……」
「なんだ!?」
「少女がトイレしている所に、行くのでありますか?」
「……」
「……」


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とある歩兵分隊+αの戦い・中編

「あぅ……」

 

 

伍長さんたちの後を追いかけて、伍長さんたちが入っていった建物に入った私は、伍長さんたちに銃を向けられていた。

今は驚いた顔をしている伍長さんたち。

だけど私が建物に入った瞬間に見せた伍長さんたちの表情は、今まで見たこともないほど恐ろしい顔で。

射殺さんとばかりに私を見る八つの目に。

恐怖を覚えていなかったと言えば、嘘になってしまう。

 

 

「おい、小娘」

 

 

伍長さんの低い声は、とても私を歓迎しているものじゃないのは、その一声で分かった。

びくびくと怯え、返事もできない。

そんな私に伍長さんは、どしどしと足音を荒げながら近づいてきて。

 

 

「なんで、お前が、ここに、いるんだ、ぁあ!!」

「ごめんなさっ………いひゃい、いひゃいへふ(痛い、痛いです)!?」

 

 

両頬を思いっきり抓られながら、怒られた。

 

ぐりぐりと、ぐりぐりと、弄繰り回される頬は。

痛みを感じ、そして熱を帯びる。

 

誰かに頬を抓られたことなんて。

誰かに怒られたことなんて、初めてだった。

容赦のない、伍長さんの指。

容赦のない、伍長さんの怒鳴り声。

抓られることが、こんなにも痛いことで。

怒られることが、こんなにも怖いことだったのかと思うと。

そのことを知れた事に、恐怖を覚えていた筈の私は不謹慎にも、心の何処かで嬉しさを覚えた。

ただ。

どうせ抓られるなら、怒られるなら。

初めてはお姉ちゃんか、もしくはヴィルヘルミナさんが良かったなんて、贅沢を思う。

そういえば、ヴィルヘルミナさんもお姉ちゃんを抓っていたけれど。

それはそれは羨ましかったなって、今、ちょっとだけ思う。

 

 

「……何でお前は頬抓られて笑ってるんだ、気持ち悪い」

「へっ?」

 

 

そう言って、伍長さんは大きな溜息を吐いて、抓っていた頬を放してくれた。

私は、笑っていたのだろうか?

本当にそうなら、伍長さんに呆れられるのも当然なのかもしれない。

 

 

「まあまあ分隊長、ここは自分に任せてください。自分、子どもの扱いには慣れますんで」

 

 

入れ替わるようにして私の前に来たのは、格納庫で私を心配して声を掛けてくれたマイクさんだった。

マイクさんは腰を折って、私に視線を合わせてニッコリと笑いかけてくれる。

その笑みは優しいものだけど、私はその笑みの意味を理解する。

私を子どもとしてしか見ていないことを。

 

 

「あのね、シャルロットちゃん」

「はい」

「どうして俺たちに付いてきたのかな。外はお化けがいっぱいいて、危ないことはシャルロットちゃんも分かっていた筈だよね?」

 

 

嗚呼、やっぱり。

優しく話しかけてくれるマイクさん。

気遣ってくれている事は分かるけれど、その口調はそれが無意識であろうと、マイクさんは私を子ども扱いしているのは明らかだ。

 

 

「ヴィルヘルミナさんやお姉ちゃん、マイクさんたちがネウロイと戦っているのに、私だけマイクさんたちに守られるなんて、お荷物になるなんて嫌です」

 

 

マイクさんの言うとおり、外が危険な事は知っていた。

身をもって、よくよく知っていた。

だけどヴィルヘルミナさんも、お姉ちゃんも戦っているというのに、私だけ安全なところで守られているなんて、どうしてもできなかった。

できるはずがなかった。

 

 

「シャルロットちゃん、それは違うよ。ルドルファー中尉が言っていたじゃないか。シャルロットちゃんの役割は、誰かがケガをした時に、その傷を治すことだって」

「ただ後ろで守られて、ケガした人が運ばれてくるのを待つことが、ですか? マイクさんたちに何かあったら、動けないような事があったら、助けられないかもしれないのに?」

 

 

……分かってる。

私がわがままを言っていることを。

私がマイクさんたちを困らせていることを。

 

 

「それはシャルロットちゃんにも言えるんだよ? シャルロットちゃん自身がケガをして、動けなくなってしまったらどうするの?もしもシャルロットちゃんが動けなくなったら、誰が僕たちを治してくれるんだい?」

「そうならないように、頑張ります」

「頑張るって………どうやって?」

 

 

きっと分かっていたのだと思う。

ヴィルヘルミナさんは、私がネウロイに怯えていることを。

ネウロイに、立ち向かえないことを。

だからお姉ちゃんには、前に立つことを求め。

私には名ばかりの衛生員になることを命じたんだ。

 

 

「……戦います」

 

 

だけど分かっていないんだと思う。

お姉ちゃんも、そしてヴィルヘルミナさんも。

二人が私の無事を願うように、私も二人の無事を望んでいることを。

だけど、今の私がそれを望む権利がないこともまた、分かっている。

 

お姉ちゃんは私にとって大切な、残された唯一の肉親だ。

私は私に優しくしてくれるお姉ちゃんを愛しているし、お姉ちゃんもそうだと信じていた。

だけど、いつからだろう。

お姉ちゃんが自分の事を『僕』と言うようになったのは。

お姉ちゃんが私を守るために、いつも何かに抗っていることに気が付いたのは。

いつもどこで怪我をしたのかも分からない傷を隠して、溜め込んで。

それでも私のために、気づかれないように笑ってくれたことに気が付いたのは。

……私は、本当に酷い妹だ。

気付いていたのに、ずっと気づいていないフリをしていた。

今の幸せが壊れるのが怖くて、日常の裏でずっと苦しんでいた筈のお姉ちゃんのことを、蓋をして見ないフリをしていた。

その結果が、お姉ちゃんを探しに来た時に見せた、あの動揺なのかもしれない。

きっと私がお姉ちゃんの力になっていれば、お姉ちゃんは苦しまずにすんだ筈なのに。

唯一の家族なのに。

双子の姉妹なのに、それなのに。

お姉ちゃんを助けなかった私は、本当に、薄情な人間だったと思う。

 

ヴィルヘルミナさんは、私たちにとっての恩人だ。

数度の付き合いはあったけれど、赤の他人と殆ど変わらない筈の私たちを救い、そして今も私たちの為にネウロイと戦ってくれているヴィルヘルミナさん。

そんなヴィルヘルミナさんをまるで、英雄譚に出てくる主人公のようだと錯覚して。

『お父さん』の姿を、勝手に重ねて。

ヴィルヘルミナさんにすべてを任せていれば、ヴィルヘルミナさんの後ろについていけば大丈夫なのだと、自分勝手にも思ってしまっていた。

ヴィルヘルミナさんも、私たちと同じ、子どもであるにもかかわらず。

同じ子どもであることに、目を背けて。

私は都合の良い人間だ。

病院で亡くなっていた誰かの前で膝をつき、愕然とし、茫然としていたヴィルヘルミナさん。

きっとあそこで亡くなっていた誰かは、ヴィルヘルミナさんにとってとても大切な人達で。

そんなヴィルヘルミナさんの姿を見なければ、私はヴィルヘルミナさんが私たちと同じ子どもであることを忘れて、今も頼り切ったままになっていたと思う。

 

私は狡い人間だ。

お姉ちゃんとヴィルヘルミナさんに頼り切って、私だけがいつも安全な所にいる。

そんな私が、二人を心配する権利なんてあるだろうか?

………なんてことさえも、以前の私なら思いもせずに、当然のように二人の影に隠れていたと思う。

だけど今日一日、色々な事があって。

色々な人達の死を見て。

このままの私じゃ駄目なんだって気づいたから。

守られてばかりの弱い私のまま、二人の無事を思うなんて、とても図々しい事だって気づいたから。

ヴィルヘルミナさんに止められた時には、言い返す勇気が足りなかったけれど。

今度こそ変わらなければ、臆病な私は変われることなく。

二人を思うことなんて許されないと思ったから。

だから私はここにいる。

だから私は――

 

 

「私も、戦いま―――がっ!?」

 

 

そこまで言いかけた言葉の続きを、最後まで言うことは叶わなかった。

 

 

「ぶ、分隊長!? あなた、なんてことを!!」

「……マイク、ちっと黙ってろ」

 

 

殴られた。

お腹を殴られた。

それは突然の出来事で。

そのことに気付いたのは、私が宙を舞っていることに気づいてからだった。

 

 

「あ……うぁ………」

 

 

喉の底から、何かが込み上げてくるのを感じる。

それは吐き気。

酷い吐き気。

そんな酷い吐き気がするのは、伍長さんに殴られたからで。

殴られて感じるのは、痛みで。

そしてグルグル、グルグルと。

痛みのせいでまとまらないのは、思考。

 

 

「どう……じで………?」

 

 

それでも、お腹に抱える全て吐き出したくなる、あまりの痛みを抑えながらも。

嗚咽を漏らしながらも、私は聴く。

私を殴った伍長さんに。

私を殴った理由を聴く。

 

 

「どうして、だって?」

 

 

私が見上げる伍長さんは、私を見下す。

その眼に孕むモノは、冷たさにも見え、そして温かさにも見える、矛盾。

 

 

「お前が何を考えて俺たちのもとに来たのか知らねえけどな、ちったぁ周りのことを考えてから行動してくれ。今のお前は俺たちにとって迷惑で、足手まといだ」

 

 

めい、わく?

足手まとい?

私が? どうして?

だって。

私はウィッチなのに。

お姉ちゃんやヴィルヘルミナさんと同じ、ウィッチなのに。

伍長さんたちと違って、ネウロイに対抗できる絶対の力があるのに!!

 

 

「あ、あなたに……言われたく、ない!! ヴィルヘルミナさんがいないと、ろくに戦いもできなかった、伍長さんなんかに!!」

「嗚呼、確かにな。小娘の言う通りだ。だけどな、今のお前ならそう言うと思ってた」

「……ぇ?」

 

 

そう言うと、『思ってた』?

 

 

「俺に殴られて、痛かったか?」

 

 

疑問なんか気にする暇もなく、伍長さんは聴いてくるが。

何を当然のことを言っているのか?

殴られて痛いのは当然のことなのに。

 

 

「殴っといて謝るつもりはない。が、手加減したパンチも避けられないようじゃあ、痛みでそんな様じゃあ、とてもじゃねえけど俺たちと来るには力不足だな」

「手加減……」

 

 

あれで、手加減。

なら伍長さんの本気は、あれよりももっと痛いものなの?

 

お腹は痛い、まだ痛い。

だけど言われてみれば、確かに痛みが引かず、立てなくなってしまうほどの痛みではないように思えた。

よくよく考えてみれば、伍長さんの体格からして、私みたいな子どもが伍長さんのパンチを受けて『痛い』だけですむとはとても思えない。

 

そんな事を考えていると、伍長さんは私に手を差し伸べてきた。

それ見てビクッと、思わず殴られた身体が反応してしまう。

私が伍長さんに殴られたのは何も訳がなくての事じゃないということは、伍長さんの言葉からなんとなく分かったけれど。

それでもどうしても、伍長さんの手を取るのはおっかなびっくりになってしまう。

 

 

「お前さんが俺たちを情けなく思う気持ちは分かる。お前さんの言うとおり、俺たちはルドルファー中尉が来るまでろくな抵抗も出来なかった訳だしな。そう思ってしまうのも当然だろうな」

「ご、ごめんなさい伍長さん。そういうことを言うつもりは……」

 

 

伍長さんに、謝る。

 

伍長さんたちに悪口を言うつもりはなかったのに。

どうして私はそんな酷いことを言ってしまったのだろうか。

たとえ殴られて腹を立てていたとしても。

だからといって、言っていい事と悪い事があるのに。

 

 

「ところで小娘。俺はお前を力不足とは言ったが、俺が言いたいことは分かるか?」

「へ? えっと……」

 

 

伍長さんが私に言った、『力不足』。

それは私がただ邪魔なだけの『役立たず』という意味では言っていない?

 

 

「お前は確かにウィッチで、お前にはネウロイに抗う力があるだろうよ。だけどよ、だからといって今からお前に銃を持たせてお前だけでネウロイと戦えるか? あそこで戦っている、ルドルファー中尉のように戦えるか?」

 

 

窓の外、伍長さんが指さす遠くの先に、ヴィルヘルミナさんは戦っていた。

ただ一人、孤独で。

空で。

多くのネウロイに囲まれて。

 

ヴィルヘルミナさんみたいに戦えるか?

その答えは、答えられない私が答えだ。

だけどそれは、伍長さんたちにも言えること。

 

 

「伍長さんたちはどうなんですか? 伍長さんたちも、ヴィルヘルミナさんみたいに戦えません、よね?」

「……今のは比べる相手が極端すぎたが、たとえば、だ。あるところに化け物がいたとしよう。大の大人をも喰らう、強くて恐ろしい化け物だ。さてそいつを倒しに行くわけだが、魔法の剣を持った、だけど剣など触ったことないようなそこら辺の餓鬼と、ごくごく普通の剣を持った、剣術の使える屈強な兵士。どっちが化け物相手に上手く戦えるか、分かるよな?」

 

 

分かりやすくも、認めたくない。

ウィッチである私だけど、伍長さんのパンチを避けられず、痛みに苦しんだ私は明らかに前者だった。

 

 

「俺たちは軍人だ。もとから国民を守るために戦う覚悟はあるし、そのための技術や経験だって積んでいるが、お前はどうだ小娘? お前にネウロイと戦う技術はあるのか? ネウロイと戦う覚悟は? 意思は?

 

――そもそも、今のお前に、何ができる?」

 

 

ハッとする。

『お前に、何ができる?』

それはヴィルヘルミナさんが、私を連れていく価値を求めた時に聴いた時と同じ言葉。

 

……嗚呼、なんて馬鹿なんだろう。

あの時、ヴィルヘルミナさんに聴かれた時には、自覚していた筈なのに。

覚悟も。

意思も。

力のない私には無意味不必要であったことは、知っていた筈なのに。

そんな私が、どうして?

 

 

「齢の近いルドルファー中尉に憧れるのは分かるが……」

 

 

……憧れ?

そうなのかな?

だけど伍長さんが言ったことを思い、心の何処かで「きっとそうなのかもしれない」と納得する私がいた。

そう。

私を凶行たらせしめたのは、まさに二人に劣るはずの私が、憧れたヴィルヘルミナさんのように二人を救うなんていう烏滸がましい、英雄願望なんかを抱いたからなのかもしれない、と。

 

幼くも雄々しく戦う、ヴィルヘルミナさんを見て。

ならば私にもできると、身の丈も忘れて勘違いした。

お姉ちゃんやヴィルヘルミナさんに頼ってばかりでは駄目だと気づいた、それはいい。

だけど、どうして私みたいな子どもが、伍長さんたちと肩を並べて戦えるなんて思っていたのだろう?

どうして力のない私が、二人の前に立って戦おうなんて思ってしまったのだろう?

 

私の勝手で伍長さんたちに迷惑をかけてしまった。

これは謝ってすむような、問題じゃない。

だけど、俯く私の頭をポン、ポンと、誰かが優しく触れた。

見上げると、私の頭に触れていたのは伍長さんだった。

頭に触れる伍長さんの手は、許されない筈の私を、まるで許すとでも言っているかのように。

 

 

「お前は子どもだろうが。できることだって、そりゃあ限られてんのは当然だろうが」

「でも……」

「そんなに落ち込むな小娘。今てめぇにできることを見極めて、そいつを一生懸命にやりゃあいいんだ」

「……」

 

 

結局。

私はどうしたら良かったのだろうか?

今、伍長さんが言った通り、いつ来るか分からない怪我人を待っていればよかったのだろうか?

それでは二人の為に役に立てないというのに。

最初と何も変わらないというのに。

 

もう私には、分からない。

分からない。

私は。

どうしたらよかったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁあああ……」

「おっきい溜息ですね」

 

 

自然と出たにしては、我ながらまるで身体の中身全てを吐き出さんと試みるような大きな溜息を、マイクは俺に聴こえるか聴こえないかくらいの小さな声で、ボソッと評した。

その言葉の裏には、「自分のせいだろ」とか聴こえてきそうだ。

 

俺たちは酒場を離れ、マテオが時計塔に一番近くにいたと確認した大型ネウロイを目指している。

ここらは建造物が多く、なかなか大型ネウロイの姿を確認することができずにいるが、奴はその図体故に歩くたび大きな振動が響くことから、大体のいる方角を目指すことは易かった。

 

 

「……殴っちまった」

 

 

手加減したとはいえ自分が子どもに手を上げてしまったことは、自分がしでかしたこととはいえ少なからずショックだった。

どうして俺は、手を上げてしまったのだろうか?

……いや、理由は分かっている。

 

ふと、小娘がちゃんと俺たちについてきているかと心配になって振り返るが、小娘は俯きがちだがしっかりとついてきていた。

 

俺たちに同行させることは危険なことだということは、言うまでもない。

とはいえ、流石に何処にネウロイがいるかも分からないこの状況下で「一人で帰れ」なんて言える訳がなく、しかし小娘を置いていく訳にもいかず、結果、小娘を隊に同行させざるを得なかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 

小娘――シャルロットは、元々の育ちが良いおかげか、子どもにしたら十分に聡明ではあると言える分類に入るのだろう。

シャルロットが今も俯いているのは、己のしでかしたことの重大さに気づき、悔いているからだろうが、それは彼女の齢から考えてみれば、赤の他人から指摘されたことを素直に反省することは中々できることでない。

俺たちのところに来たことも、ただ何も考えなしに来たのではなく、何かしらの決意や事情あってのことだということも、彼女の眼や言動を見れば十分に分かった。

だが。

彼女がいくら自身がウィッチとはいえ自分の力量を考えもせず、どうして俺たちの方に来るという最悪としか言いようのない選択をしたのか?

どうしても力になりたいのであれば、ルドルファー中尉が彼女の姉をそうしたように、戦車隊の方に行くことが、より利口な判断であることは、彼女であれば気づくことはできたはずだろうに。

どうしてわざわざ前へ出て、戦うことだけが絶対唯一の選択肢と考えてしまったのか?

 

いや、分かっている。

おそらく彼女を狂わせたのは、ルドルファー中尉だと。

何度思い出しても俄かに信じがたいことだが、中尉はシャルロットと同年代でありながら、その齢にして既に戦歴の兵士の風格を思わせ、そして風格に違わぬ活躍を、単機でありながらやってのけ。

同時に指揮官としての器、機転、更に言えば兵士が指揮官に「この人ならば」と思わせるカリスマ的なものを持ち合わせていた。

伊達にあの齢で中尉という立場を拝している訳ではないのだろう。

信じられないが、本当に信じられないことだが。

ルドルファー中尉の軍人としての格は、俺は言わずもがな、フィリップ中尉をも超えていると断言せざるを得ないだろう。

これはフィリップ中尉を庇った際に、彼女の前に立った俺だから分かる事だ。

たった少しの間でも、理解できた。

間違いなく、疑うことなく、この人は幼女の皮を被った軍人であると。

誰よりも、なによりも、この人は徹頭徹尾、正しく軍人であると。

 

……正しく軍人? あの齢で?

あまりに早熟すぎるとかぶりを振りたいが、それが現実だった。

ガリアではあまり認められていないとはいえ、カールスラントなどの軍隊では二十歳前後でほとんどの魔法力を失ってしまうウィッチ故に、早くは幼年学校生程の齢で前線に配置されるのは知っている。

しかし世界広しといえど、ウィッチで既に正しい軍人として完成している人間など、中尉ぐらいのものだろう。

もしも世界中のウィッチが皆、中尉のようなら……

考えることすら、そら恐ろしいにも程がある。

 

しかしその本質を知らず、表面だけなら英雄らしいルドルファー中尉を、純粋な眼で見たならば憧れるのも。

齢の近いルドルファー中尉に彼女が引き付けられるのも、無理のない話だ。

ましてや、一番近くで守られ、その勇姿を見てきたのなら猶更で。

結果、直接的ではないとはいえ、彼女に影響を与えてしまったのだろう。

 

……いや、あれは影響なんて可愛らしい類のものなんかじゃない。

勿論シャルロットに言った、『憧れ』なんていう可愛らしいものでもない。

思考をすることもなく、前に出て戦うことが絶対唯一の選択肢だと信じて疑っていなかったあれは、最早妄信、狂信と呼べるものだ。

 

シャルロットとマイクとのやり取りの中で、彼女は自身の行動がどれ程周りに迷惑を与えるかを気づいている様子はなく。

明らかに妄信し、周りのことが見えていなかったであろう彼女をそのまま連れていけば、何をしでかすか分かったものではなかった。

だから彼女を手加減したとはいえ殴ってしまったのは、俺にはもう、妄信から彼女の眼を覚まさせるには強烈なショック、つまり暴力に訴えた手段しか思いつかなかったからだった。

 

 

「恐ろしい人だ」

「分隊長?」

「……なんでもない」

 

 

それほどの妄信を与えたルドルファー中尉が、もしも部隊指揮するようになってしまえばどうなってしまうのか。

そもそもいくら能力が高かろうと、まだ幼年学校を卒業したくらいの幼女に、部隊を任せること自体が考えただけでも末恐ろしいことなのだが、それよりよ。

そんな彼女が作るのは、まさに軍とはかくあれと言わんばかりの軍団――狂信集団が出来上がるに違いない。

そのことの方が、なお恐ろしいことだ。

友軍としては頼もしいだろう。

指揮官としても、十分頼りになるのだろう。

だがまっとうな人間としては、正しい軍人――軍機構が理想と求める、国への忠誠を十全に果たせる献身的資源――と、皆かくあれと高らかに謳いながら喜び勇んで戦場に飛び込む英雄に続くような、考えなしの狂人の仲間入りするのは御免だ。

 

 

「はぁ……」

 

 

己の気苦労を吐き出すための、三度目の溜息は、小さく。

そろそろ意識を切り替えて、意識は前を向く。

 

吐いた息の、少しばかり白い靄は、何度もなんども置き去りにする。

しかし何度目かわからない置き去りを、しようとして、止めた。

 

 

「近いな」

 

 

地に伝わる振動が、はっきりと感じる距離になっていた。

おそらく大型ネウロイとの距離は、だいたい百メートルも切っただろう。

大型ネウロイの姿は、未だ見えない。

だが振動から察するに、ネウロイは俺たちのいる道から一本、立ち並ぶ建物の向こう側にいるのは確かだろう。

 

時計塔を臨む。

ここから時計塔までの距離は、だいぶ近づいたとはいえ決して徒歩ですぐ向かえるような距離ではない。

そもそも、徒歩で大型と相対すること自体、自殺行為に等しい。

 

 

「マテオ」

「なんでしょう?」

「トムを連れて、向こうに放置されている物の中で動かせる()を探せ。急な襲撃だったんだ、一台くらい鍵のついたままの物があるだろう」

A vos ordres(了解)

「マイクは小娘を守れ。俺はこっちを探す」

 

 

散開し、足を探す。

ネウロイの襲撃を受けた時、街の住人たちは避難を行っていた。

車を使っていたものもいるが、襲撃の際、道は混雑していた筈だから、逃げる為にやむなく乗り捨てられた、キーのついた動かせる車が一台くらいは必ずあるはずなのだ。

 

使える車を探していると、風が吹きつけ始める。

冬だというのにどこか生暖かい風は、モノや生き物が焦げた臭いがした。

嫌な風だ。

 

 

「……お姉ちゃんとヴィルヘルミナさんの、力になりたかったんです」

 

 

小娘の声がした。

俺と彼女たちとの距離は離れているが、声が聴こえたのは風のせいか?

 

 

「でも力のない私じゃ足手まといで………私はどうしたら良かったんでしょうか?」

「シャルロットちゃん……」

 

 

彼女たちの会話をBGM程度に聴き流しながら、動かせる車を探す。

一台、キーのついたままのトラックを見つける。

だが荷台には多くの家財が積まれていて、速力を期待できそうにない。

そのトラックは保留にし、別のを探す。

 

 

「大切な人の役に立ちたい、守りたいと思うシャルロットちゃんの気持ちは、よく分かるよ。俺も、昔はシャルロットちゃんとおんなじだったから」

「昔は?」

「ああ、ごめん。今も、だけどね」

「そうですか」

「そうそう昔と言えば、俺の家は昔から貧乏でね。いつも家族全員が満足いく量のご飯は出せずに、服はめったに買えないからボロボロなお古とかが殆どだったんだ」

「そんな………大変、だったんですね」

「いや、そうでもなかったよ。何故なら俺たちはどんなに貧乏でも、それでも俺の家はとても暖かかったんだ。家族は皆とても優しくて、どんなに貧乏でも笑いだけは絶えなかった、そんな家族が大好きだったんだ」

 

 

……マイクは孤児院出身で、軍に入隊したのは収入の乏しいその孤児院に、お金を入れる為だったと聞いている。

貧しいながらも孤児院のスタッフはみな優しく、マイクの下には弟妹同然の子が大勢いて、兄貴分としてよく慕わられていたらしい。

 

 

「子どもの頃、俺は家族に黙って夜中にバイトを始めたんだ。子どもを雇うようなところだ、労働環境は最悪で、賃金も安かった。だけどお金があれば、俺が働けば、家族に今よりも多くのご飯を食わせられると、親たちにらくをさせられると、その時の俺は思ったんだ………すぐに、親にバレてしまったけれど」

「怒られましたか?」

「……泣かせてしまったよ」

「え?」

「『ひもじい思いをさせてごめんなさい』『働かせてしまってごめんなさい』って、何度もなんども謝られたよ。今思えば、親には本当に酷い事をしたと思う」

「……働いて養う大人の役目を、子どもであるマイクさんがやってしまったからですか?」

「そうだよ、シャルロットちゃん。その通りだ――」

 

 

マイクなら、上手く小娘を説得できるだろう。

安心した俺は、もう少し離れたところへ足を延ばす。

 

流石に二人の会話が小さく聞こえなくなった距離。

ようやく使えそうな足を見つける。

ドライエ・135。

国産の高級レーシングカーとして名高いこれならば、足としては申し分ないどころか最高の足である。

さっそく乗り込んで、エンジンをかけてみる。

するとエンジンは素直にかかり、エンジンの細かくも大きな振動が、腹に心地よく響いた。

 

 

「おーい、マイク!!」

 

 

ドライエをマイクたちの方にゆっくりと転がしながら、マイクを呼ぶ。

しかしマイクたちは俺の呼びかけに気付いた様子はなく、二人して何かを見上げ、話している。

何を見ているのか?

と、俺もそちらを見上げようとした、その時。

 

 

「シャルロットちゃ――!!」

 

 

突然叫びだした、マイク。

しかしその声を遮るように。

世界は。

俺の目の前は。

真っ赤な閃光と、爆音に埋め尽くされた。

 




・シャルロット「私も戦います!!」
伍長ら「「「「帰ってくれ!!」」」」

子どもである故に、見えている視野の狭さも影響していたり。


・シャルロット「子ども扱いしないで!!」
マイク「よーし、よし」

孤児院で子どもたちに接していたように、シャルロットに接していたマイクさんだけれども、お年頃のシャルロットには不評の様です。


・伍長「ルドルファー中尉、なんて恐ろしい子……」

伍長さんには、ヴィッラ嬢が第三帝国のちょび髭の人の如く見えているようです。


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とある歩兵分隊+αの戦い・後編  【挿絵有り】

『気配』という、言葉があります。

私がその言葉を頻繁に見かけているのは、英雄譚等の物語の中でした。

 

気配、けはい、ケハイ………

その言葉を見る度に私は「どうやって、気配なんてものが分かるの?」、なんて。

疑問に思い、首を傾げていました。

自分に出来ないことを、あるかどうかも分からないモノを。

感じろ、だなんて。

信じろ、だなんて。

想像しろ、だなんて、無理だったから。

第六感(シックスセンス)というモノを、信じていなかったから。

私は『気配』という言葉もまた、信じていなかったのです。

 

でも。

気配というモノは、私が今まで感じていなかっただけで。

確かに存在するものなのかもしれないのではと、今では思っているのです。

最初は気のせいだと思った、けれど。

首裏に感じる、このチリチリとした嫌な感じは絶対に気のせいではなくて。

私の中にいる使い魔さんも、しきりに何かを訴える。

だから私は、振り向きます。

私が感じる、気配というモノを信じてみて。

 

けれど、私の後ろで動くモノは、何もなくて。

以前よく訪れていた、本屋さんだった建物で行き止まり。

やはり、気のせいだったのかな?

そう思ったのですが、『そうじゃない』と。

『そうじゃないんだよ』と、私の使い魔――白猫さんは、訴えます。

 

視線は、自然と、上へ。

建物には、当たり前のように、窓。

四角くて、平凡な、窓ですが。

日中だというのに、その窓の中は光が届いていないのか、闇に満たされていました、だけど。

窓が。

不意に。

紅く光る。

 

 

「………っ!?」

 

 

錯覚するのでした。

 

私の息が。

時間が、意識が、思考が。

その全てが、止まるのを。

 

なんで?どうして? と。

止まった私の意識を守るように、繰り返される、安直な疑問。

でも、それよりも。

窓に光る紅い光は、眼に。

大きな入り口は、口に、見えて。

大好きだった本屋さんが、化け物の顔に、化けて見えて。

理性的に行われる、自己防衛の為の疑問よりも。

それ見て、私の中で先行するのは。

原始的で、本能的な、恐怖でした。

 

 

「マ、マイクさん……」

「どうしたの、シャルロットちゃん?」

 

 

動けない躰、震える声。

それでもなんとかマイクさんを、呼ぶ。

でも、マイクさんを呼べても。

理解が、恐怖に追いつかなくて。

言うべき言葉が、見つからない。

それはまるで、天敵に睨まれて、唄う次のメロディーを忘れた、小鳥のよう。

 

 

「マイク、さん!!」

 

 

もう一度呼ぶ。

必死に。

声は甲高く、悲鳴みたいな声だったけれど。

マイクさんは、本屋さんを見る。

彼に伝えたかったことは、伝わります。

 

本屋さんは、唸りをあげ、揺れ。

窓から漏れる、紅い輝きは、なおも増す。

 

 

「シャルロットちゃん!! 逃げるんだ!!」

 

 

マイクさんがすぐ傍で、叫ぶ。

けれどその声は、やけに遠くに聴こえます。

 

伝えたいことは、伝わっても。

思いまでは、届いていなかった。

私はただ、『逃げて』を言いたかっただけ。

でも、言いたい思いはあっても。

言いたい気持ちはあっても。

私の口は、身体は、震えて少しも動かない。

 

嗚呼。

覚悟を決めて、飛び出したのに。

私も戦えると勇み、飛び出したのに、これだ。

伍長さんの言った通り、結局私は足手まとい。

お姉ちゃんとヴィルヘルミナさんを見て、湧いた筈の勇気は、まさに偽りの衣服。

勇気の、ゆめまぼろしを着て。

伍長さんたちに威張り散らしていた私は、まるで裸の王様。

だから簡単に、恐怖を前にして。

ネウロイを前にして、それは霧散するのだ。

霧散した後に残るのは、裸の私だけ。

裸の私は臆病だから、死を見上げ、震えるばかり。

だから、私は思うのだ。

 

――私は、弱い

 

 

「シャルロットちゃん、ごめん!!」

「………え?」

 

 

突然。

私の躰は、空を舞う。

マイクさんは、見た目よりもずっと、力持ちだった。

だって、私をこんなにも。

遠く、とおくに投げ飛ばしたのだから。

 

 

「マイクさ―――!?」

 

 

死線を描く、紅い閃光は。

やけに遅く、見えました。

閃光に飲み込まれていく、マイクさん。

そこにはどんなに手を伸ばしても、届かない。

助けるつもりで来たのに、助けられた。

自分の無力が悔しくて、情けない。

 

でも、そんな私の思いとは裏腹に。

どうしてか?

私が最後に見たマイクさんの表情は、穏やかに見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはネウロイによる、欺瞞であった。

合わなかったネウロイの数。

大型ネウロイの、その巨大な体躯故、すぐにでも見つかるであろうという慢心が。

ネウロイをただの化け物と思っていた決めつけが。

「まさか」を、考える事を怠らせ。

今ここで、俺たちを死地に追いやるのか?

俺の侮りが、部下を、死なせたのか?

 

 

「畜生……」

 

 

ドライエから飛び降りた俺はすぐさま投げ飛ばされ、吹き飛ばされた小娘を回収する。

小娘は動かないが、胸が上下を繰り返すのを見る。

どうやら、ただ気絶しているだけのようだが。

しかし投げ飛ばしたマイクは、跡形もなく消し飛ばされ。

後に残るは光線の爪痕と、黒炭。

 

崩れゆく、建物。

中から現れる、ネウロイ。

俺を見下ろすそれは、新たな獲物を見つけて歓喜したのか、絶叫。

耳を塞ぎたくなるほどの、大絶叫。

 

俺は即、小娘を抱えていない方の腕で、FM mle1924/29軽機関銃を構え、撃つ。

片腕の中で、暴れ狂う照準。

だが的が大きく、こうも近ければ外すことなどまず、ない。

しかし放たれた25発の銃弾も、ネウロイの厚い装甲の前には無意味であることを改めて証明して見せるだけ。

ネウロイは、平然と。

俺の前に、聳える。

 

 

「……ちったあ痛がれよ」

 

 

その悪態は、精一杯の強がり。

ネウロイを生身で相手にしたことはあっても、流石に正面から堂々と戦った経験は乏しい。

駐屯地内での戦闘でも、そうであったように。

ルドルファー中尉のようなウィッチではない俺たちでは、小型であっても、正面からでは分が悪いからだ。

 

周りを見る。

壁になりそうな障害物はなく、両側の建物までの距離もある。

脇には、気絶した小娘。

これはまさに、紛うことなく窮地だ。

 

 

「……ははっ」

 

 

荷物を抱えた状態で。

笑いがこみ上げる程の、絶望的状況。

俺は、果たして。

この化け物と戦えるか?

……この際だ。

小娘を、見捨てるか?

 

 

「ふざけろ」

 

 

いや、俺にその選択肢を選ぶ権利など、無い。

「戦えるのか?」ではない。

戦うしかないのだ。

見捨てる事は、許されない。

マイクが最後に繋ぎ、託した命。

無駄にする訳には、いかないのだ。

 

 

「かかってきやがれ、くそネウロイ。人間なめんな………」

 

 

絶対強者へ吐き捨てる、挑発。

吐き捨てる己の、恐怖。

 

勝ち目がないのは分かっているが。

脇に抱える小娘を救うためには、俺が囮に。

『小娘を投げ飛ばし、ヘイトを集めながら小娘を投げ飛ばした逆方向に走る』しかない。

投げ飛ばした小娘は、マテオかトムが拾ってくれることを願うばかりだ。

とにかく俺には一か八の賭けを――

 

 

「――貴様ら何をやってるか!!」

 

 

空から突然の、叱り声。

なんだと思う、が。

瞬間。

響く炸裂音と共に、大型ネウロイが、横にぶっ飛ぶ。

 

 

「……………………………は?」

 

 

唖然。

開いた口が塞がらないとは、このことか。

ネウロイの巨体が目の前で、突如飛来してきた蒼い閃光に弾かれ、いとも簡単にぶっ飛んだのだ。

驚くなと言われる方が、無理だろう。

 

大型ネウロイは、脇の建物に突っ込んで、沈黙。

しかしその身体の大半を欠損しているにも拘らず、未だ白い欠片に変えないという事は、コアを仕留め損ねているためか?

 

空を見上げるのは、飛来してきた蒼い閃光を辿る故。

そこにいたのは、対戦車ライフルを片手に構えたルドルファー中尉。

その表情を、喩えるなら、悪鬼か。

 

 

「早くドモゼー嬢を連れていけ大馬鹿者!! 何のために私が――ッ!?」

「中尉!?」

 

 

突然に、黒い群集に飲み込まれていく、ルドルファー中尉。

黒は全て、ネウロイであった。

数はゆうに五十を超えるだろう。

それに飲み込まれたのだ。

まさかを、俺は思わず疑ってしまうが。

 

発砲音。

 

驚くべきことに中尉は、あの中でもなお、健在だったのである。

俺の抱いた一瞬の心配は、杞憂で。

中尉が死ぬ? それこそまさかであると。

俺には想像出来ない事だと、思ってしまうことは間違いか?

 

 

「分隊長!!」

「マテオ――!?」

 

 

マテオとトムが、戻ってくる。

が、俺たちを分断するかのように、もう一体。

今度は向こう側にいた大型ネウロイが、建物壊して横断してきたのである。

 

 

「マテオ!!」

「分隊長構いません!!先に!!」

 

 

先に行け、と。

そう叫ぶマテオはトムと共に、こちらに向かんとする新たな大型ネウロイに発砲。

ネウロイは奇声をあげ、マテオらの方に向く。

 

 

「マテオ、すまんッ!!」

 

 

囮となったマテオらの意思を読み取り、ドライエの助手席に小娘を乗せ。

己も乗り込み、急発進。

と、視界の端のバックミラーに映る、紅き閃光。

ハッと見れば、それは、マテオらがいたはずの場所を吹き飛ばしていた。

 

……マテオとトムは、どうなった?

後にネウロイは、こちらを向き、脚を進め迫る。

それが、答えかもしれない。

 

発光。

 

 

「ッおおおおおお!!?」

 

 

ステアを右に切って回避するも、近くを掠めるビームの爆風が、ドライエの片輪を持ち上げる。

すぐに何とかバランスをコントロールして運転を回復するも、そんなことをしている内に、ネウロイはより迫っていた。

 

どうする?

欲を言えば、このままアンブッシュポイントまでネウロイを誘導したいところではある。

しかしこのまま直進しても、いずれあの光線にやられてしまう。

脇道を使いたい。

だが土地鑑もなく、主要路以外の街の道を完全に把握している訳ではない俺には、どこに至るかも分からない脇道を使うという選択はできない。

 

ならどうする? と。

考えが浮かばない内に、再び、ネウロイは発光して――

 

 

「次の曲がり角、右折」

 

 

声を聴く。

弱弱しい声だが、はっきりと聴く。

考えるよりも先に。

俺は指示通りにステアを切って、光線を回避。

脇道に入る。

 

 

「次、37メートル先まで直進。曲がり角、左折」

 

 

続けざまに新たな指示。

俺は素直に指示に従い、幾つもある曲がり角の内の、37メートルのもので左折。

するとどうだ、大通りに復帰できたではないか。

 

 

「助かった、小娘。そのままナビゲートを頼む」

 

 

声の主――気絶から復帰した小娘に言葉を掛けつつ、バックミラーを覗く。

バックミラーにネウロイの姿はない。

しかし足音は、こちらにしっかりと向かってきている。

 

このまま付かず離れず見失わない距離を保ち。街に詳しい小娘の案内通りに引っ掻き回せれば、上手く。

上手く、アンブッシュポイントまで安全に誘導できるはずだ。

そう、考えるも。

 

 

「……小娘?」

 

 

声を掛けた筈の小娘から、返事がない。

気になって、助手席を見れば小娘は、震えていた。

 

……あの時に。

小娘はマイクに助けられ、目の前でマイクが死ぬ様を見ていたのだ。

ショックを受けていることは、言うまでもない。

なら、小娘は思うか?

己の無力を。

そして助けられ、そのせいで目の前で消されていった、マイクの事を。

 

 

「……マイクが死んだのは、てめぇのせいじゃねえ」

 

 

自然と出た、言葉。

それと共に、震えを抑えるように、慈しむようにくしゃりと。

小娘の頭を押さえ、少し乱暴に撫でる。

 

 

「マイクは、軍人としての職務を全うしたんだ。てめぇがそれを気に病むことは筋違いと言うやつだ」

「でも」

「でも、じゃねえ」

「……でも」

 

 

あれは仕方のなかったことである。

いったい誰が、あんなところに大型ネウロイが潜んでいるなんて想像できるものか?

誰が、ネウロイが欺瞞を行うなど思おうか?

だから小娘が、マイクに助けられたことを気に病んで、抱える問題ではない。

寧ろ、その責任を負うべきは……

 

と言っても、小娘は自分を責め続けるのだろう。

元々戦うつもりで飛び出したのに、何もできなかった事を。

 

 

「そんなに自分が許せないのなら、マイクの分まで生きのびろ」

「え?」

「生きて、誰かの役に立て」

 

 

これは小娘を縛る、呪いのようなモノなのかもしれないと、言いながらに思う。

こんなことを言ってしまえば、小娘は真に受けて、これからを歪に生きてしまうことは、簡単に想像できた。

だが俺には、こんなことでしか此奴を助ける手立てが思いつかない。

小娘の抱えた罪悪感を、別の方に向ける事しか、思いつかなかった。

 

 

「……」

 

 

小娘は無言で、頷く。

罪悪感が、俺の心に積もる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緑色の信号弾を確認し、時計塔まで走る俺たち。

追いかけ、迫ってくるのは二体の大型ネウロイ。

 

……二体?

目の錯覚かとバックミラー越しにもう一度見るが、やはりネウロイは二体追いかけてきていた。

いつの間に、と言いたい。

一体増えているのは、ルドルファー中尉に撃たれた奴か?

はたまた別の個体か?

しかし数が増えたとしても、俺のやることは変わらない。

ネウロイの攻撃を避け、アンブッシュポイントまで向かう。

ただそれだけだ。

 

 

「伍長さん!!」

 

 

小娘が、呼ぶ。

「なんだ?」と返せば、この先時計塔に至るまで道は、今走る、この直進一本道しかないと言う。

時計塔までの一本道、目測500メートルくらいか?

それは短いようで、遥か遠くに感じる、距離だった。

 

繰り返す、バックミラー越しに見る発光と、即時行われる回避。

光線は奇跡的に全て避けきれていて。

このままいけるかと思えば、その直後に一発の至近弾。

抉られ、壊され、弾き飛ばされた石道の礫は跳ね――

 

 

「グッ!?」

 

 

そのうちの一つが俺の額を霞めた。

パッと、勢いよく吹き出る血飛沫が、俺の視界を遮る。

眼に入った血は、すぐに拭い、視界の確保。

ついでに傷の程度も、軽く触れて調べる。

傷は………たいしたことはなさそうで、表皮を切った程度か?

 

と、俺がそんな事をしていると。

隣から不意に、かしゃんと乾いた音が鳴る。

なんだ? と見れば小娘が、後ろを向いてシートに俺の銃の腹を当てて、いざ撃たんと構えていて―――

 

 

「ちょっ、おまっ――!?」

 

 

止める前に、引かれたトリガー。

俺は連なった発砲音を聴く。

しかしネウロイに放った弾丸は、一発たりとも当たらない。

短い小娘の悲鳴が上がる。

それは銃が、小娘の細腕の中で暴れるからだ。

蛇行を繰り返し、爆風に煽られ続ける不安定な車上。

更に小娘の細腕である。

いくら的が大きいとはいえ、扱いの難しい機関銃では、とても当たるとは思えなかった。

 

 

「おとなしく座ってろ馬鹿野郎!!」

「次は、外しません!!」

 

 

「何ねごと言ってんだ!!」と。

今度こそ怒鳴りかけた言葉は、またも詰まる。

小娘は、俺のポケットから盗んだのか、マガジンを手際よくリロード。

コッキングハンドルを難なく引いて、次弾を装填してみせ。

さらに銃身をシートに載せた体勢からフロントに背を当て、シートに銃床を開き載せ、また足を突っ張り。

ネウロイの攻撃を避ける為に激しく揺れる車上でも、ブレ少なく撃てる体勢をとる。

 

しかし俺が驚いている暇はない。

ネウロイは、再び発光。

 

 

「たああああああああああああ!!」

 

 

だが、それに先んじて小娘が発砲。

 

雄叫びに呼応するかのように、仄かに蒼く輝く小娘の身体。

そこから放たれた25発の銃弾は、蒼き弾丸となって今度こそ。

迫るネウロイの、巨体を捉えた。

ネウロイの絶叫を、背に聴く。

小娘の全力、その魔力を込めた弾は、思いのほかネウロイに致命打を与え。

撃破とまではいかなくとも大きく、ネウロイの身体は弾かれて。

そして弾かれたネウロイの、寸前に放った光線は、見当違いの方向へ。

 

 

「なんだお前、軍事訓練でも受けていたのか!?」

「う、受けて、いません」

「だったらなんで銃なんか扱える!!」

「ヴィルヘルミナさんが、扱っているのを、見て、知っている、だけ、です」

 

 

そんな馬鹿な事、あってたまるか。

それが、小娘の言葉を聴いた、俺の率直な感想だった。

 

ただ、そんな馬鹿げたことをやってのけた小娘は、銃を撃っただけとは思えないほど息が荒く。

身体から放たれ、輝きを見せていた蒼い光は、弱弱しく点滅を繰り返す。

おそらくは、魔力を弾丸に込めすぎたのか?

対して、小娘の銃撃を受けたネウロイだが。

フラフラと足取りおかしく、しかし未だ追いかけようと走っている。

が、遂には失速し、後ろを走るネウロイに道を譲るように避けていき。

そして俺は、後ろを走る、ネウロイの姿を見る。

後方を走るネウロイは既に―――発光

 

 

「なっ――」

 

 

前を走るネウロイを影に、攻撃の兆候たる発光を、隠していたのである。

回避は、間に合わない。

 

 

「っ!?」

 

 

放たれる、光線。

かつてない衝撃を、車体に、身に感じる。

しかし身構えていたことよりも、予想していたよりも。

意識が消えたり、吹き飛ばされたりすることはいつまでも、なかった。

ただ、衝撃が俺の身を震わせる。

 

 

「小娘!!」

 

 

ネウロイの光線の直撃を受け、なおも我が身が健在である理由は、すぐに知れた。

小娘が………シャルロットが、シールドを発現させ、ビームを防いでいたのだ。

 

 

「もう…………死なせない、誰も………」

 

 

より息、荒く。

より発光、弱弱しく。

 

 

「伍長さん………私は……今度こそ、絶対に………」

「こむすっ……シャルロット!!」

 

 

しかし全力を尽くし、防ぐ意思。

それは自分の為ではなく、俺の為。

此処で力尽きようと、貴方だけは守る、と。

その意志だけは、はっきりと知れた。

 

 

「頑張れ!!」

 

 

対して俺は、何もできない。

言葉を掛ける事しか、できない。

 

時計塔前の広場まで、残り少しの距離だ。

そう言って、小娘を少しでも励ます。

しかし残り少しの距離が、やけに遠くに思えてならない。

踏ん張っている小娘は、俺よりもこの時を、永遠に感じているのかもしれない。

だから、はやく。

はやくと。

俺はエンジン吹かしてドライエを急かす。

ステアは、きれなかった。

シャルロットの体力と集中力を切らさない為に、俺にはまっすぐ走らせることしか。

それだけしか、俺にはできなかった。

 

あと50メートル。

もう少しで、広場だが。

小娘の苦悶の声。

果たして、広場まで小娘の魔力は持つのか?

 

あと25メートル。

そこまで走って、シャルロットの張るシールドの大きさが既に、半分まで小さくなっていた。

急げ急げと、はやる気持ちの片隅で。

俺はふと気づく。

この一本道に入ってから、此処までの道に、一台も車を見なかった事を。

 

あと15メートル。

目の前に、突然増えだす車は、不自然である。

まるで、意図的にそこに集められたかのように。

密集したその中で、何故か車一台が通れる道は、意図があるように。

 

 

 

 

 

そして俺が。

ルクレール中尉の意図に気づくのは、広場まで残り5メートルの距離。

 

 

「シャルロットォ!!」

 

 

俺は、叫ぶ。

叫んで、報せ。

 

 

「対爆警戒!! 掴まれぇええええええ!!」

 

 

そして俺たちが。

密集していた車の群を抜け、広場に出た瞬間。

この世全ての音を消すかのように、炸裂した暴音が、俺たちの鼓膜を塗りつぶす。

 




前回話投稿後、スクルド様が、ヴィッラ嬢を描いたとのことで、拙者に挿絵を送ってくださいました。
スクルド様には、この場をお借りして、今一度感謝を。



【挿絵表示】




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とある+αの ・エピローグ






ルドルファー中尉が空の注意を引き付けている間。

ルクレール中尉隷下戦車隊は当初の作戦通り速やかに時計塔前広場に、はぐれネウロイと交戦しつつも移動を開始。

安全の確保が取れた後、陣を構築する。

ルクレールは格納庫内から持ち出し、そしてジャンヌ・フランソワ・ドモゼーが魔力を込めた爆薬を、時計塔前広場入り口に集めた車両。

それから別にもう一か所にセットすることを指示。

また各戦車は、広場を囲む建造物内に隠蔽。

各々の射線は広場入り口に集中するよう、扇状の配置となっていた。

陣の構築を完了したのち、彼は信号弾の発砲と、その場からの撤収を時計塔に昇らせた部下に指示する。

指示し、上げさせた色は、緑。

 

後はグローン伍長の分隊を、息ひそめ、待つばかりとなっていた彼らだったが。

しかし戦車に乗り込み、沈黙するルクレールの心中は、決して穏やかであるとは言えなかった。

作戦に不安?――否。

分隊が心配?――否。

彼の不安、心配は現時点において、決して対ネウロイに関する事ではなかった。

 

目下、彼にとっての第一番の問題はシャルロット・フランソワ・ドモゼーの失踪であった。

部下が目を離した隙に、いずこかに消えてしまった彼女。

今もまだ、見つかったとの知らせを、彼は聴かない。

彼が恐れていることは、この件がルドルファー中尉の信用に対する裏切りにあたることにある。

ルドルファー中尉の一騎当千の戦闘力に、ジャンヌの魔法力の提供。

その見返りとしての共同戦線であり、またシャルロットの護衛であったはずなのに、この失態である。

シャルロット嬢が何故姿を消したか?

それは定かではないが。

たとえそれが何事かに巻き込まれた故であったとしても。

たとえそれが己の意志で姿を消した事であったとしても。

しかし注意を怠り、事態を許したのはルクレールの部下であり。

そして結果的に注意を怠った責任は、上官たる彼にある。

 

ルクレールにとってルドルファー中尉との関係悪化は、なんとしても避けねばならないことであった。

この街からの、脱出。

戦いはそれだけで終わる訳ではなく、寧ろその後の撤退戦こそ苦しい戦いになるだろうことは想像するに易く。

となれば、ルドルファー中尉らの協力は、彼らにとっては絶対に必要なモノであって。

離別―――とまではいかずとも。

ルドルファー中尉らとの関係の悪化の弊害はいずれ、肩を並べて戦うにあたって出てくるに違いなかった。

それを思い想う、だからこそ。

ルクレールはなんともはや頭痛いと、頭を抱えた。

 

 

「中尉、来ました」

「ああ、分かっている」

 

 

暫くし。

揺れる大地は、ネウロイの接近を。

そして広場入り口に待機するルクレールの部下もまた手旗信号を振って、潜む彼らに報せる。

だが信号は、それだけでは終わらない。

部下は、慌てた様子で繰り返すのだ。

『前』『前』『前』、と。

何度も、何度も。

そんなに必死に知らせる事は何か?

 

 

「おいおい……」

 

 

その理由は、すぐ明らかになる。

コマンダーズ・キュポラー―――戦車長が車外を見るための展望塔―――から双眼鏡越しに覗いた彼は、見たのだ。

追いかけてくる二体のネウロイ。

……ではなく。

 

 

「なんでそこにいるんだ」

 

 

追いかけられている、グローン伍長と。

それからどういうことか、シャルロット嬢を。

紅の光線が嫌にまぶしい中でも、何度見ようとそれは見間違いではなかった。

 

 

「……爆破用意」

 

 

それでもルクレールは戦車の近くに控え、起爆用のハンドルを持つ部下に指示する。

 

 

「し、しかしながら中尉」

「なんだ」

「伍長らとネウロイの距離が近く、伍長らが爆発に巻き込まれる危険性が……」

 

 

勿論そんな事など、ルクレールは承知していた。

それでもなお、ルクレールが部下に指示したのは、部下の心配を聴くまでもなく。

彼が、その上で爆破を決めたからに他ならないからであった。

伍長を巻き込む。

シャルロット嬢を巻き込む。

その危険があっても、彼の頭に浮かぶ天秤の傾きが変わる事はない。

 

 

「爆破用意」

「………A vos ordres(了解)

 

 

もう一度。

彼は、今度は言葉強めに指示を出す。

続いて、ジャンヌに砲弾の指示。

弾種は、徹甲弾。

 

 

「いたの?」

「……何がだ?」

 

 

ふと。

ジャンヌの問い。

 

 

「シャルロット」

 

 

彼女はシャルロットが抜け出していることを、ルクレール自身から聴かされていた。

故の、問いだったのだがルクレールはその問いに答えず。

無言を、その問いに対する肯定とした。

 

戦車隊のこれからと、町の住人のこれから。

安全圏までの逃走。

それが十全に行われる為には大型ネウロイの排除、つまりこのアンブッシュに。

彼の指示一つに掛かっていた。

今更作戦の変更はできなかった。

ふたりの、女の子と部下の命と。

その他大勢の命。

天秤に幾らかの要素―――ルドルファー中尉らとのこれ以上の関係の悪化―――を考慮しても。

双方の、その絶対的な傾きが変わる事はない。

 

 

「爆破しろ」

 

 

だからルクレール中尉は、一人の軍人として。

己が果たすべき職務を全うするのだ。

「せめて、死んでくれるな」

そう願い、彼は令した。

 

 

 

 

 

そして彼らが聴いたのは、この世の音すべてをかき消す爆音と。

 

届く、肌で死を感じきれるほどの圧。

 

それから、目が眩むほどまばゆい蒼の閃光。

 

 

 

 

 

「……………は?」

 

 

目の前の。

ルクレール自身が指示し、創りだした光景。

だが、その爆破威力がルクレールの想像をはるかに上回るモノであった事は、彼の呆けた顔からひと目で分かる。

 

ルクレールらが仕掛けた爆薬の量は、約100kg程度。

それはなんら特別な爆薬でもなく、ガリア陸軍が一般的に配給するモノで。

威力も、彼らは親の顔よりもよく熟知し、見慣れたものであった。

だから、彼は断じる。

威力を保つために極力集中して仕掛けていたとはいえ、燃料の入った車に誘爆と部品の炸裂を狙って仕掛けていたとはいえ。

あんな爆発威力は起こり得ない、と。

彼が想定していたのは、あくまでネウロイの機動力を奪う程度の威力で。

機動力を奪い、砲撃の的にする為のものでしかなかったのだ。

それが大型ネウロイの巨体を吹き飛ばすほどの威力に、どう考えたとしてもなり得るものではない。

ならば原因は何か?

第一に挙げられ、考えられる事は、直前に込められたジャンヌの魔力。

または彼女の気づかぬ固有魔法の影響。

 

 

「シャル!?」

「まだだ、ドモゼー!!」

 

 

飛び出そうとする、ジャンヌ。

しかしルクレールは、彼女を止めた。

あの爆発に巻き込まれたのだ。

ジャンヌが叫び、車両から飛び出そうとするのは当然の行動である。

爆発に巻き込まれ、吹き飛んだ伍長らの車両は奇跡的にも横転することなく地に着地したようで。

ふたりとも車両から投げ出されていないことを、ルクレールは確認した。

おそらく、二人は無事であるだろうと思うも。

一方で、爆発でネウロイの一体は跡形もなく吹き飛ぶも。

もう一体は、前脚を失えど未だ健在であるのだ。

 

 

「各車奴を撃て、撃てぇ!! 此処で息の根を確実に止めるんだ!!」

 

 

言葉早に、大声で。

唾が飛ぶほどの、号令。

その号令は乾いた空を伝い、伝わって。

それを聴く、潜む三砲は火を噴いた。

 

思い思いに、ネウロイを嬲る。

砲手がその為の狙いを一発と外すことはない。

叩きつける砲火は、抵抗も許されず殺された仲間たちの敵討ちの為。

無慈悲にも殺された、市民の敵討ちの為である故に。

そして。

残るネウロイも、突然の砲撃に為すすべなく撃たれ続け。

悲鳴に似た何かを叫び、遂には砕けて消える。

 

 

「大型ネウロイ、撃破ぁ!!」

「やりましたな、中尉!!」

 

 

部下の喜び。

ルクレールに語り掛けて来る彼らであったが。

しかしこの結果。

そして言葉にし難い呆気なさを、ルクレールは何と言って良いものか分からず。

ただ、「ああ」と返すだけにとどまった。

 

様々な想定外。

しかしそれらは結局、このような形に収束したのは、まさか戦場の神でも微笑んだのだろうか?

そう思ってしまうほど、上手く行きすぎた結果。

果たして信じていいものかと、ルクレールは疑う。

 

 

「シャル!!」

 

 

ジャンヌが、今度こそ飛び出してゆくのを眺めながら、「いや、そんな事もあるものだ」と、彼の中で落ち着く。

 

 

「伍長もシャルロット嬢もケガしているだろう。衛生兵を向かわせてやれ」

「分かりました」

 

 

戦いに勝った、作戦が上手く行った。

ひとまずその安堵感のままに、彼は胸を撫で下ろす。

そして彼はホッと、一息吐くが。

しかし吐いたその息に、白はおらず。

吸い込む空気は、未だむせかえるほどの硝煙の匂い。

だから、気付いたのだろう。

だから彼は、気付けたのだろう。

此処が戦場である事を忘れなかった故に。

砕けたと思っていた筈の。

 

――そして倒したと思っていた筈のネウロイの、再生に。

 

 

「そんな馬鹿な!?」

 

 

彼の叫びは、もはや悲鳴に近い。

確かに、ルクレールらはネウロイを撃破したものの、ネウロイの弱点たるコアの破壊は確認してはいなかった。

また躰の大半を失えど、コアさえあれば幾らでも復活するネウロイの回復力を考えれば、復活が、コアを破壊できなかった為と考えるのが当然であるのだろう。

しかしながら彼らは、ネウロイを跡形もなく。

それこそコアさえ残さないほど叩いた上、撃破確認もその回復力の恐ろしさを知るだけあって怠ってはいない。

それでも躰が完全破壊されたネウロイが、復活しようとするのだ。

 

 

「まさか……」

 

 

思い出すのは、ネウロイの襲撃時の事。

そこから彼は、一つの仮説に至る。

 

 

「撤退………いや、移動するぞ」

「中尉?」

「これ以上、此処で奴らと戦っても無駄だ」

 

 

戦って、倒せる相手であるならいい。

勝てない、倒せない相手であるならば、弾を使うだけ無駄であるのだから、極力戦わずに注意を引く程度の戦闘で十分。

それが最善と考えたルクレールは、すぐさまこの場からの移動と、消極的遅滞戦闘を選んだ。

遮蔽物がなく狙いやすいこの場の広場ではあるが、逃げる為には適さないのだ。

 

 

「ああ、残しておいたとっておきはくれてやれ。置き土産だ」

A vos ordres(了解)!! 総員退避!! 時計塔、爆破用意!!」

 

 

別の個所―――時計塔に仕掛けられた爆薬は、万が一砲撃でネウロイを撃破出来なかった時に、時計塔を倒し、押しつぶす為に仕掛けられたものであった。

 

退避の声を聴き、広場にいたジャンヌらは退避していく。

しかし落下地点にある車、乗ってきた車にグローン伍長は動かず未だそのまま残っている。

はてなと、ルクレールは事に首を傾げ。

 

 

「伍長は?」

 

 

と、治療の為に行かせた、衛生兵に聴くも。

答えのかわりにと差し出されたのは、伍長のドッグタグ。

 

 

「退避確認完了です、中尉」

 

 

部下の、報告。

しかしそれを聴くはずだったルクレールは、伍長のドッグタグを見るばかり。

 

 

「中尉?」

「………爆破しろ」

 

 

急かす部下に、ただ淡々と命令を返し。

ルクレールは、戦車長席に力なく腰を下ろした。

そしてルクレールが無意識にも、感情の限りに握るドッグタグは。

彼と、伍長の血が混ざりにじみ、滴る。

 

湧き出る、言葉と思いはただ一つ。

 

 

「……畜生」

 

 

やはり戦場にいるのは、死神だけであったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネウロイに、街が襲われた時の事。

目の前で大好きだったワッフル屋のおじさんが、ネウロイの紅い閃光に飲まれた時の事を、私は忘れられない。

脳裏から、離れない。

あの時、必死に逃げて転んだおじさんは、私に救いを求めて手を伸ばしていたのに。

迫るネウロイが怖くて、私は後ずさった。

その一歩が、おじさんを死なせ。

私は、助かった。

おじさんを見殺しにした私は、悪い子だ。

 

ネウロイに、気付いた時の事。

マイクさんが私を投げ飛ばして、あの紅い閃光に飲まれた事を、私は忘れられない。

マイクさんには、帰りを待っている人たちがいた、それなのに。

そんな人を、私は死なせた。

それは、私を救うため。

私のわがままだったから。

私に勇気がなかったから。

マイクさんを死なせた。

殺したも、同然の事だ。

 

 

「マイクさん……」

 

 

そんなマイクさんの。

消える瞬間の、あの穏やかな顔。

その意味は、私は未だに分からない。

気になって、仕方がない。

 

 

『生きのびろ』

 

 

そして。

そんな私に、伍長さんが言った言葉は。

 

 

『生きのびろ』

 

 

誰かの為に。

 

 

『生きのびろ』

 

 

誰かの役に、立つ為に。

 

………ああ、そうか。

もう私は、普通の道なんて選べない。

今の私は、誰かの血の上で成り立っているのだから。

もはやお姉ちゃんや、ヴィルヘルミナさんの為ではない。

誰かの為に。

万人の為に。

伍長さんたちのように強く。

そして彼らのように献身でないといけないのだ。

それが誰かを見殺しにして、伍長さんとその仲間の血を啜った私の、罰だ。

 

 

「そうですよね? 伍長さん」

 

 

私を守るように抱きしめている、伍長さん。

頼もしかった、伍長さん。

彼の頬を撫でて、私は問うけれど。

その問いに、虚ろな瞳のままの伍長さんは、答えてくれない。

代わりに。

私にくれるのは、命の源。

突起物の生えた伍長さんの首から勢いよく流れ出るそれは、綺麗に紅くて。

 

 

「さようなら」

 

 

そして私のように、真っ黒だ。

 






伍長すまん、(プロットを見ながら)こんな筈では……



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幕間 少女よ、クリスマスを唄え

クリスマス。

それはキリスト誕生を祝福する年に一度の恒例行事。

毎年カールスラントでもクリスマスに近づくにつれ、各々の家々ではクリスマスの準備を始める。

それはヴィルヘルミナが暮らす街でも同様で。

寧ろ、キリスト教圏内であるカールスラントであるからこそ。

クリスマスは、より盛大に行われるものであった。

 

 

「……クリスマス」

「ミーナ?」

 

 

ヴィルヘルミナとハルトマン姉妹の関係が、ただの知り合いでなくなって、暫く経つ。

いつものように集まり、いつも通りの日々を過ごす彼女たち。

その日、彼女らは街に出てぶらぶらと色々な店を廻っていたが。

しかし、その日のヴィルヘルミナの様子は少しばかり、おかしかった。

時々、ふと立ち止まっては道行く人達に目が行くヴィルヘルミナ。

目が行くのは、仲のよさそうな親子ばかり。

そのことにエーリカが気付き、ウルスラが疑問に思い始めたころ。

ヴィルヘルミナはポツリと、切り出した。

 

 

「両親に何かプレゼントを贈りたいのだが――」

 

 

街は、迫るクリスマスを謳い、色めくも。

ヴィルヘルミナの表情は、晴れやかではない。

 

 

「どうしたらいい?」

「どうしたらいいって……」

 

 

この頃のヴィルヘルミナは、カールスラント政府より帝室士官学校編入の推薦を受けていた。

 

カールスラント帝室士官学校とはカールスラント皇帝が直々に管理する、幼年教育と士官育成を目的としたウィッチ養成機関であった―――士官教育を目的としているが、カールスラント軍が保持する士官候補生学校とは混同されがちだが、異なる。

入学を求める者は、やはり連年多い。

が、しかし入学の為に求められるハードルは名だたる有名学校でさえ比ではなく、あまりにも高いものがあった。

入学時に求められるのは、まず第一に貴族階級の子女であることで。

第二に、歴史的にウィッチの家系であると、カールスラント政府に公認されている家の子女であること。

あともう一つの条件として、ウィッチとしての能力と学力から鑑みての、カールスラント政府の推薦といったものがあった。

挙げた前者二つの条件――後者の条件において殆どの家系が貴族階級にあたる為、条件は事実一つしかないのだが――にあてはまる者はカールスラント国内を見渡せど少ない事は言わずもがな。

しかしそれでも入学者数の99パーセント以上が、貴族階級の子女が占めていた。

そこを見ればエリートウィッチ養成を謳い、設立された当初の目的を忘れ、貴族階級の道具(おもちゃ)に成り下がったと疑われるだろう。

だが士官の養成機関としての教育の程度は極めて高い事には疑いなく、卒業した者の悉くは軍団指揮、運用、政治能力をはじめとして総じて高いレベルを保持した状態で卒業する為、ウィッチとしての飛行適性年齢を超えたとしても高級士官、官僚としても期待できる彼女たちは引く手数多である。

だからこそ箔としても能力としても、なんとしても己が娘にと。

貴族らは少ない枠を競って、時には金にモノを言わせて手に入れようとする結果が、庶民の付け入るスキのない状態を産んでいるのであった。

 

そんな庶民の立ち入るスキのない、入学すれば勝ち組間違いなしのその士官学校からの推薦。

しかも入学ではなく、編入の、である。

これがどれほどの事であるかは、知らせを受けたヴィルヘルミナの母のマリー・F・ルドルファーがあまりの事に気絶し、父のレオナルドもまた絶句して顎が外れかけんとしたと言えば、だいたい察する事ができるか?

 

ヴィルヘルミナは確かに優秀であった。

平均的なウィッチの二倍以上の魔法力を持ち、また学力も、前世からの持ち越しで非常に高いレベルである。

しかし()()()()、国内を見渡せば、必ずヴィルヘルミナ以上の素質を持つ者は少なからずいるものである。

では何故ヴィルヘルミナが、カールスラント政府からの編入を推薦されたか?

 

この頃、マリーの祖母は病魔に侵され。

その知らせを聴いたマリーとレオナルドは病院をたたみ、ガリアへの移住を決めていたが。

それを知り、よく思わなかったのがカールスラント政府であった。

カールスラント政府としては、マリー―――というよりも、その子であるヴィルヘルミナにはカールスラントに残ってほしいという願望があった。

彼らが欲したのは、ヴィルヘルミナの祖父、先の大戦の英雄フォンクの名。

先の大戦時において、カールスラント空軍パイロットを脅かし、男ながらもネウロイを多く撃ち落としたガリアの英雄は、今もなお有名で。

その名を今度はカールスラント軍の、言わば広告塔にと政府と軍部は欲していたのである。

 

既にウィッチとして魔法力を発露しているヴィルヘルミナは、順当にカールスラントで暮らし、年を重ねれば求めずともウィッチとして士官候補生学校に通う義務が生まれ、何もせずとも政府と軍部の手に転がり込んでくるはずであった。

だが、ガリアにヴィルヘルミナを連れていかれては、折角の有力な広告塔候補をみすみす失ってしまう。

ヴィルヘルミナへの帝室士官学校の編入推薦は、そういった政府と軍部の焦りから切られたカードであった。

たかが一人の為に、そこまでするかと思えど。

しかしそれだけ、フォンクのネームを持っていたヴィルヘルミナには、そこまでして引き止めんとする価値があったという事であった。

無論、ヴィルヘルミナらには、彼らの思いなど知る由もない。

 

ヴィルヘルミナは、推薦を伝えに来た役人の目の前で断りを告げた。

 

それは帝室士官学校の推薦を受ける事の価値を、ヴィルヘルミナが知らなかった故にではない。

寧ろ前世においてカールスラント軍にいたヴィルヘルミナは、それがどれほどの価値があることかは重々承知していた。

しかしヴィルヘルミナは、いずれ両親がガリアに行くことを前世の記憶をもとに知っており、共に往く事をずっと前より決めており。

一瞬の迷いは生まれど、思いは強く、故に推薦の辞退をその場で告げたのであった。

 

これに憤慨したのが、マリーであった。

ヴィルヘルミナにしてみれば、両親と共にいたいと願い断ったことも。

マリーらにしてみれば、宝くじ一等に相当するほどの、出世の叶う折角の大チャンスをヴィルヘルミナが何も考えずに断ったように見えたのだ。

子の思いを、親は知らぬように。

親の思いもまた、子は知らず。

そしてそのすれ違いが結果的に、ヴィルヘルミナとマリーの関係は険悪。

と、まではいかずとも、疎遠になっているのは確かであった。

 

 

「それは、ミーナさんがよくよくご存じではないのでしょうか? 少なくとも私よりも、そして姉さまよりも、ずっと………」

 

 

少し棘のある、突き放した言い方。

そんな言い方になってしまうことをウルスラ自身、そのような言い方を望んだのではないが。

その口ぶりは、ウルスラの性格をよくよく表していた。

ウルスラは。

エーリカもだが、ヴィルヘルミナとマリーの関係の悪化を知らない訳ではなく、故もまた知っていた。

ただウルスラにしてみれば、やはり他者の家の事で。

関係が密なヴィルヘルミナの事であれど。

望まねど、他者と一線を引きたがるウルスラにはそのような言い方しかできなかった。

 

ヴィルヘルミナはウルスラの意見を聴き「確かに」と頷くも、表情は晴れず。

親友と言える彼女の力になれなかったことに歯がゆさを覚えながら、ウルスラは己とは対照的な姉に、助けを求めて視線を向ける。

 

 

「う~ん………ぶっちゃけ真心込めたプレゼントを贈れば、私ならなんでも嬉しいんだけどなぁ」

「姉さま………」

 

 

エーリカにしてみれば、一生懸命に考えて発した言葉かもしれないが。

やはりエーリカの言ったことも、ヴィルヘルミナへの放り投げであった。

もうちょっとましなアドバイスはなかったのかと、姉妹共々の残念さをウルスラは嘆くも。

 

 

「真心、か………」

 

 

意外な事に、ヴィルヘルミナには何かが琴線に触れたらしい。

 

 

「そうだな………真心を込めて、気持ちを伝えなきゃ。相手に思いなんて伝わらないな」

「何か思いついた?」

「ああ、ありがとうエーリカ。それからウルスラも、たいしたカウンセラーだ」

「いえ、私は別に………って、何処に行くんですかミーナさん!?」

「ちょっと待ってよミーナ!?」

 

 

「それじゃ」と告げて、駆けださんとしていたヴィルヘルミナを二人は呼び止める。

 

 

「なんだ?」

「何処に行くのさ?」

「………クリスマスは目前。準備は、急がねば」

「いや、ミーナ一人でやることないと思うけど?」

「私たちも、手伝いますよ?」

 

 

ぱちくりと。

目を見開き、驚くヴィルヘルミナ。

我が事である。

ヴィルヘルミナは何故二人が手伝いを申し出るのか、分からないといった顔である。

二人はそれを察して、苦笑した。

 

 

「私たちは、友達でしょ?」

「マリーさんたちとの仲直り、私にも手伝わせてください」

「エーリカ、ウルスラ………」

 

 

ヴィルヘルミナは、迷い。

やがて「ありがとう」を、二人に送って協力を頼む。

人にものを頼る。

それは以前のヴィルヘルミナでは到底ありえなかった事ではあったが。

ハルトマン姉妹を、友だと。

ヴィルヘルミナが二人に信頼を、寄せてはじめていた証でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、クリスマス当日。

避け続けてきたものの、日ごろ我が子は目にいれても痛くはないと公言するマリーにしてみれば、ここ数日ヴィルヘルミナと会話がなくなっていたことは、苦痛でしかなかった。

子を思って怒ったことも、今では言いすぎたと思い、後悔でしかない。

 

ヴィルヘルミナが賢い子であることを、マリー自身がよく知っていた。

そんな我が子が何も考えず、断るはずがないと。

なのにヴィルヘルミナの為と、帝室士官学校の推薦を押し付けた私は果たして許されるものか、と。

 

 

「大丈夫だよ、マリー」

「レオ……」

「そうじゃなければ、君にこれが届いたりしないだろう?」

 

 

レオナルドが手に持つのは、シンプルなメッセージカード。

「午後7時―――学校にて、待つ」

差し出し人は、ヴィルヘルミナであった。

 

 

「ほら、もう学校だ。いい加減顔をあげて、暗い顔はやめた方がいいだろう」

「レオ、それはどういう?」

 

 

レオナルドに引かれるままに、俯いて此処まで歩いてきていたマリーだったが、彼に言われた通り顔をあげた。

 

 

「何かの、イベント?」

 

 

学校には続々と人が、集まっている。

イベントが、あるのか?

しかしマリーは知らない。

今日という日に、学校で何かしらのイベントがあるなんて。

 

 

「おお、ルドルファー。よく来たな」

 

 

声を掛けてきたのは、ハルトマン夫妻であった。

学校から出てきた彼らは何を知るか?

 

 

「聞かされてないので?」

「何を?」

「何を、って………お宅のヴィルヘルミナだよ」

 

 

どうも人々が集まるのは、ヴィルヘルミナの仕業らしい。

 

 

「知らないなら、今は知らない方がいい。お楽しみは、取っておくことこそ楽しめるものだ。先に知っていては、意味がない」

「はぁ………」

「ささ、行った行った」

 

 

ハルトマン夫妻に促され、進むレオナルドとマリー。

彼らが人々の流れに身を任せ行きついた先は、講堂であった。

しかしいつもの講堂とは雰囲気が違う。

内装は、手作りの飾りでクリスマス色に彩られ。

講堂に置かれていた筈の長椅子は取り払われ、代わりに円卓と、その上にあるクリスマス料理のよい匂いで講堂を占めていた。

 

 

「これは、一体?」

 

 

レオが疑問を呟く刹那。

講堂が、暗転。

そしてパッと、壇上に集まるのは、光。

皆の目がそこに集まり、無論ルドルファー夫妻の意識もそこに向くも。

二人は「あっ」、と声をあげる。

 

光のもとにいたのは、ヴィルヘルミナ。

彼女は二人が今朝見かけた普段着ではなく、群青色のイブニングドレスを身に纏う。

 

 

「綺麗」

 

 

誰かが、口にする。

 

ヴィルヘルミナは、未だ齢10にも届かぬ子どもである。

しかしドレスを身に纏う彼女に、何ら違和感などなく。

寧ろ、集まった彼らは魅せられていた。

光に映える、そのドレスに。

その白銀色の、髪に。

その真っ白な、肌に。

そして淡く飾られた(化粧された)、その美しい微笑みに。

 

ルドルファー夫妻はそこにいたヴィルヘルミナを、二人の知る子として見る事はできず。

ヴィルヘルミナを、一人の女としてしか見ることができない。

遠い、誰かとしか見ることが、できない。

 

 

『Attention, please』

 

 

マイク越しに、注意を促すも。

もとより誰も、喋ってはいない。

 

 

『まずは集まってくださいました父兄の皆さまに、感謝を』

「父兄?」

 

 

そういえば、と。

レオナルドが周りを見渡せば。

此処にいるのはこの学校に子を通わせている親ばかりである。

 

 

『今日はクリスマス。本来なら家族で集まって、お祝いするのが常でしょう………ですが今宵は私たちの、わがままを』

 

 

壇上の、閉じていた幕が上がる。

そこに並ぶは、子。

子ども達である。

 

 

『どうか私たちのプレゼントを、お楽しみください。私たちの思いを、お楽しみください。私たちが父兄に贈る、日ごろの感謝―――クリスマスプレゼントを、心ゆくまでお楽しみください』

 

 

ヴィルヘルミナが言い終わるのと、同時に。

壇上の中心に、元気よく飛び出すのはエーリカ。

サンタ姿の彼女は、言う―――私たちが謳うは、クリスマス

恥ずかしげに飛び出し、隣に立つのはウルスラ。

トナカイ姿の彼女は、問う―――プレゼントを贈るのは、親ばかりか?

否である―――思い思いのクリスマスの姿を着た、子らは元気よく答える。

 

そして始まるのは、余興。

謳われるのは、聖歌。

行われるのは、劇。

子どものやる事だ。

拙いところは多々見られるが。

彼ら、親には関係のない事であった。

我が子の一生懸命を、彼らは見て、楽しんで。

そして、喜んだ。

まさか、子からこんな素敵な贈り物を貰えるとはと。

これ以上ない、プレゼントだと。

 

 

「レオ」

 

 

そんな中、浮かない表情をし、隅に寄る者がいた。

マリーである。

 

 

「私は本当にあの子の、ヴィッラの親を…………十分、やれているかな?」

「マリー………」

「私は本当に――」

 

 

――あの子に、必要なのかな?

 

この企画を立てたのはヴィルヘルミナだと聴かされた以上、彼女が何を望んでいるのかは察することは難しい事ではない。

しかし彼女たちには壇上で見たヴィルヘルミナが、遠くに見えたが。

やはり今、よりその思いが強くなっている。

それはレオナルドも同じで。

そんな彼には、マリーの問いに対する答えは持たない。

しかし二人の近くに。

答えを知る者が、二人。

 

 

「大丈夫だよおじさん、おばさん」

 

 

掛けられた声。

二人が見る、声の主はエーリカで。

そしてその隣に立つのは、ウルスラ。

 

 

「エーリカちゃん、でも………」

「大丈夫。おばさんたちとミーナの今は、ただの言葉足らずのすれ違いだよ」

「すれ、違い?」

「だから、聞いてあげてください。ミーナさんの思いを」

 

 

二人が指し示す、壇上にはヴィルヘルミナ。

今まで上がっていた子らは、いない。

彼女一人である。

暗転し、スポットライト浴びた彼女が座るのは、グランドピアノ。

彼女は一呼吸し、そして弾き出し、唄う。

 

 

 

 

 

私の背がどんなに成長しようと

私の思いは変わらない

「知って」

私は贅沢を言う

どんなに思えど

どんなに好きでも

言わなければ、伝わらない

ならば此処で言おう

「愛してる」

言おう、ただそれだけを

 

私の心がどんなに成長しようと

私の気持ちは変わらない

「知って」

本当の私の気持ち、伝えるから

私は変わらないよ

どんなに背が伸びようと

私は変わらない

私は此処にいる

此処にいて、唄いたい

「愛してる」

まだ私は、此処にいたい

 

私はいつか、大空を飛ぶ鳥となるだろう

しかし今は巣で貴方を待つ、雛である

それを「知って」欲しい

今は貴方の愛が欲しい

こんなことを言うのは、贅沢かな?

でも、お願い

私をまだ見ていて欲しい

そして私を愛して欲しい

「愛してる」

 

 

 

 

 

「………っ」

 

 

やさしいバラード。

短い曲の、歌詞の中いっぱいに込められた、ヴィルヘルミナの思い。

それを精一杯に唄う彼女を見るマリーは、十分だった。

もう、十分だった。

だが――

 

 

『母さん、父さん』

 

 

曲が終わり。

そこで仕舞かと思っていた二人だったが。

ヴィルヘルミナが壇上から二人を、呼び。

 

 

『私はまだ、貴方達の子でありたい………そう望む事は駄目、かな?』

 

 

告げる。

それが、あの時の推薦を断った理由。

それを知った二人の思いは、遂に身体から溢れ、零れだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成功だね~」

「お疲れさまでしたミーナさん」

「どうしてこうなった………」

 

 

終わらないパーティーなど、この世にはなく。

楽しかったパーティーの幕は、つい先ほど降りた。

無事にパーティーが成功したことを祝い、声を掛けるエーリカ達だったが。

しかし前準備からパーティーの司会進行などのほぼすべてを取り仕切っていたヴィルヘルミナは、疲労困憊であった。

 

 

「元々は、私たちだけでやるつもりだったのに……」

 

 

そうである。

ヴィルヘルミナが語るように、元々の計画はささやかな料理を作って、両親に曲を贈る。

それだけに終わるはずのことであった。

にもかかわらず、学校におかれたピアノの使用許可を先生方に頼みに来たところから、いつの間にかこんな形になってしまったのだ。

先生方が協力し、授業時間の一部を使ってまで準備を進める事を許してくれたのは救いだったが。

それでもヴィルヘルミナは数日の準備、特に生徒らの取りまとめに苦労させられる。

ヴィルヘルミナの、化粧を落とした目の下に浮かぶ隈が、その証拠だった。

 

 

「ミーナさん、実はもがっ!?」

「……どうした?」

「たはは、なんでもないよ~」

 

 

実は姉さまが犯人なのです。

そう言おうとしたウルスラの口は、エーリカによって遮られる。

普段のヴィルヘルミナであるならば遮ったエーリカを不審に思うところではあるが、ヴィルヘルミナは疲れていた為か、それ以上の追及はなかった。

 

 

「全く、先生方め………人が疲れているからって、私にドレスを着せたり化粧して、楽しむとは………全く」

 

 

文句に、いつもの覇気がない。

目的を達成した安堵もあるのだろうが、やはり疲労が第一にくるのだろう。

 

 

「ミーナ」

「なんだ?」

「あ、あのね………これ」

 

 

エーリカにしては、珍しく。

もじもじしながらも、ヴィルヘルミナに差し出されるのは、パン。

パンである。

 

 

「クリームパン!! パン屋のおじさんに教えてもらって………それで……その………」

「頑張ったミーナさんに、私たちからのクリスマスプレゼントです。二人で、一生懸命作りました」

「ほう……」

 

 

差し出されたクリームパンを、ヴィルヘルミナは受け取る。

形は、少し不格好に見えれど、そこに二人の一生懸命さと努力がうかがえた。

 

 

「ありがとう、ふたりとも。いただくよ」

「う、うん」

「ど、どうぞ」

 

 

エーリカ、そしてウルスラも。

ヴィルヘルミナの反応を気にしてか、緊張していた。

そんな二人に苦笑しながら、ヴィルヘルミナは、クリームパンを一口。

口に、含んだ。

 

 

「――――――――――――――ッ!!?」

 

 

ヴィルヘルミナは、見た。

 

宇宙を。

 

壮大な、宇宙を。

 

彼女は、地球を見た。

 

太陽を見た、月を見た。

 

そこから、どんどん離れていく。

 

離れていった彼女は太陽系を見た、銀河系を見た。

 

そして、全てを見た。

 

そこまで行って、その宇宙のすべてが彼女に吸い込まれてゆく。

 

一気に。

 

一気にだ。

 

全ての事が濃縮していく。

 

全ての宇宙が彼女に集まる。

 

その壮大な宇宙の濃密さに、彼女は―――

 

 

「―――――――ゴフッ!?」

「ミーナ!?」

「ミーナさん!?」

 

 

むせて、果てた。

彼女の舌がそのクリームパンに追いつくのは。

いや。

人類がその味に追いつくのは、きっとまだ早すぎたのだろう。

 




Q:結局、何がやりたかったの?

A:ハルトマン姉妹がくれる、最後のご褒美を書きたかった(真顔)







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梯団

「報告!! 二コラ中隊、欺瞞後退を開始!! 前進するネウロイを右翼フェルナン中隊、エロワ機甲中隊が展開。各個撃破中との事!!」「クレマン中隊、役所を確保!! 現在、大型多脚ネウロイと交戦中!!」「左翼、敵中隊規模の飛行型ネウロイ群と接敵、進行に遅れ!!」

 

 

街の南側の郊外に張られた幕舎、簡易野外指揮所には、有線通信を主とした状況報告がひっきりなしに飛びかう。

ヴィルヘルミナが予想した通り、街の南側で戦っていた彼らは南方司令部より撤退してきた()であった。

その規模、二個大隊ほど。

一見すると大戦力にも思えるそれは、しかし純粋な一軍ではなく陸・空軍の混成梯団で、空軍が基地防衛群を頼りとして撤退中、壊走する他部隊を吸収し結果、梯団を形成した背景があり、指令系統はある程度の統一化を図ってはいるも、陸・空軍、別に指揮権が存在するという、なんとも特殊な梯団であった。

 

 

「戦果は、上々」

 

 

展開する各隊から送られる戦局優勢の報告に、カイゼル髭を蓄えた陸軍士官の一人が破顔し評し、嬉々として机上の地図に乗せられた駒を動かす。

地図上に配された駒の動きは、左翼側は遅れぎみ。

されど、右翼側は順調に進出浸透。

中央から応戦するため突出するネウロイを表す駒は右翼側に展開する駒に半包囲され、背面を取られる形となっている。

元の隊、組織、指揮系統が異なる彼らであったが、しかし駒の動きは、そんな背景など元からなかったかのように、彼らがよく連携し、善戦している事を示していた。

 

現時点において、事実上彼らがガリア南方における最前線の部隊であった。

それはこの梯団もまた逃げ遅れた少なくない民間人を伴って、行軍速度は民間人らの体力を考慮したものにせざるを得なかった為であった。

そのため彼らは撤退中、遅速故に幾度もネウロイに捕捉され、出血を強いられた。

しかしそれ故にと言うべきか、隊、組織が違えども、ここまで共に戦ってきた彼らにはそれらを超えた、心理的団結と言えるもの生まれていたのであった。

 

無論、団結だけで勝てる相手であれば、人類はネウロイに劣勢を強いられる事はない。

彼らがここにきて善戦する理由は、もう一つ。

 

 

「やはり大佐の指示通り、民間からウィッチを徴発したのは正解でしたな」

 

 

壮年の士官の言葉に、地図を囲む陸・空の将校らは同意する。

それは勿論、何の訓練も受けておらず年端もいかない民間のウィッチに銃を握らせ、無理矢理矢面に立たせているわけではない。

徴発した彼女らには、事前に兵士が携行する弾薬に可能な限りの魔力を込めさせていた。

つまるところウィッチの徴発と言うよりも、それは魔力の徴発と言った方が正しい。

 

 

「なに、孫のアイディアが良かっただけだ」

 

 

賛辞に誇ることなく返すのは、「大佐」と呼ばれた白髪交じりの髪を隠すようにベレー帽を被った初老の男。

空軍服の彼は、梯団の事実上の指揮官であった。

それは梯団において、大佐以上の上級階級位の人間がいなかった事もあるが、彼が持つ名声は、()輿()としては十分な価値があったからである。

彼は空軍の人間であるが、元は飛行連隊を預かっていた立場上、陸戦戦術にも理解と見解を示せるだけの知識は持ち合わせていたのでただの神輿という訳ではないのだが、傍から見ればやはりその側面が大きいという指摘は避けられない。

 

 

「しかし、浮かれてばかりではいられませんな」

「戦況は我が方が有利。懸念するところは、いつこちらの弾が尽きるかですな」

 

 

補給班の見立てではこのまま何事もなく事が済むなら弾薬は足りるでしょうがと、将校の一人は希望的観測を述べるも、それがまったくもって甘い考えであることは、この場に列する誰もが理解するところ。

 

 

「我々だけで勝てるのなら、徹底抗戦の構えで前線を支えていたドモゼー将軍から撤退命令なぞあるものか。それ以前に、敵はやつら(ネウロイ)なのだ。人間の常識での推測がかなう相手なら、我々は始めからこのような生き恥など晒してはおらんよ」

「ははは、尤もですな」

 

 

「大佐」の皮肉に、カイゼル髭の陸軍中佐は返す言葉がないと笑う。

梯団が保有する弾薬は士官の一人が懸念するように、これまでの民間人を抱えた遅速の撤退、及びそれに伴って必然的に捕捉されるネウロイとの戦闘によってそのほとんどを使い果していた。

それでもこの街に進入する事を選んだのは、この街に置かれている基地が南部前線の臨時司令部であり、同時にその前線に送られる物資の唯一の物資集積基地として使われた事は周知のことであり、故の進入であった。

巣からのネウロイの侵攻を食い止めていた前線は、高高度強襲型ネウロイの前線を無視した侵攻により、ネウロイ側の包囲戦略を察知したドモゼー准将が残存戦力の無意味な出血と孤立を避ける為、前線を形成していたものを含むほとんどの軍団を急撤退させた為、南部の各前線を維持できるほどの物資、少なくとも暫くはネウロイに対する馳走の振る舞いに困らない程度には残されていると、彼らは踏んでいた。

 

ちなみに、兵站の一点集中は戦略的な面では明らかな愚行ではあるのは言うに及ばずなのだが、しかし南方司令部の早期陥落によって指揮系統を預かる人材が軒並み戦死。

南方でまともに組織として機能する上位指揮系統がドモゼー准将のソレしかなく、准将もまた()()な事に、軍団を分割し、その指揮を許せる能力を持つ部下は、南方司令部の攻防戦において多くが行方不明(MIA)

更には麾下軍団を分割する余力もなく、集中する物資問題への対応は、少なくとも現場では困難であった。

余力のある南方方面軍を除いたガリア各方面軍、正確には中央司令部が然るべき対処を取れば、結果はまた違ったのであろうが、司令部は粘るドモゼー准将の戦局を見てそれで良しとし、兵団を送れど戦略、上位指揮系統を構築できる将軍クラスを送らなかった。

これは中央が南方の戦局とネウロイの存在を未だ楽観視していることの、明らかな証左であった。

 

中央の怠慢と幾重の不運が重なり、結果としてガリア南部の大部分の失陥を許した現状であるが、失陥のタイミングは寧ろ、()()()()と言える。

ガリアは、欧州列強国と比べれば軍属のウィッチを最低数しか抱えていないのだ。

それでも高高度ネウロイによる前線を無視した強襲包囲がなければ、ウィッチを抱えない通常戦力で新種のネウロイ相手に善戦。

しかもまともな援軍の無い中でそれでも持ちこたえたドモゼー准将、彼の知略が本当にこれを為したのであれば、もはやそれは()()の御業と言えるだろう。

 

 

「あちら側との連絡は?」

 

 

未だ抵抗しているこの街の残存部隊の存在は、梯団側もまた確認していた。

その残存部隊との連携が叶えば、戦局はまた梯団側に優位に進み、更に言えば残存部隊側は貴重な軍属のウィッチを抱えていることもまた同様であった。

そのウィッチにより制空権が未だネウロイ側に渡らず、梯団も大いに助けられているのだが、そのウィッチは単身で、小型とは言え百前後のネウロイと交戦しているのだ。

リスクを一人で背負い、間接的にも梯団を助けているウィッチ。

対ネウロイ戦における貴重な戦力という点においても、これを失う事はなんとしても回避したい梯団側にとって、残存部隊との連携を急務とする理由の一つであった。

 

故に「つながった」、と。

通信兵のその返答に、面々は安堵する。

 

 

「指揮官は誰か? そちらとの連携は可能か?」

 

 

通信兵はカイゼル髭の将校の問いに、少しのやり取りをし、答える。

 

 

「街に残存する梯団を指揮するヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー空軍中尉は現在、飛行型ネウロイと交戦中のため、陸軍のルクレール中尉が代理で応答すると―――」

「―――ッ!?」

 

 

通信兵が答えた時、幕舎内で、声にならない何かが響く。

戦場でありながらも、ただ事とは思えない声らしき音は、幕舎内にいる者の耳によく届くものだから、将校らは皆何事かと音の主を見るのだが。

 

 

「大佐?」

 

 

音の主は「大佐」であった。

意外な主に、幕舎にいた誰もが驚くが、一際驚きを見せたのは「大佐」の麾下で、最古参の者たちであった。

前大戦時には『冷血』『精密機械』とまで言わしめ、どんな危機にも平然としていた「大佐」を、彼らはよく知る。

普段の「大佐」ならその立場から、戦場で感情を見せて、他の者の不安を煽る事を何よりも恥辱としていた事も、彼らはまたよく知るのだ。

そんな「大佐」が今まで見せた事の無いほどの変容だからこそ、彼らは驚の色をその顔に湧かせた。

 

 

「――――ヴィルヘルミナ?」

 

 

この場に列する彼らの前にいたのは、ただ立ち尽くし、外聞も忘れ。

その空軍中尉の名を、ただ茫然と呟く「大佐」。

軍人としての彼はそこにはなく。

そこにいるのは、明らかに、ただひとりの老人。

 




大佐とはだれじゃろ(すっとぼけ)


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だから彼女の闘争は・前編

硝煙と灰で穢れてしまった空を翔ける。

そんな私の目の前に広がる光景は、圧巻の一言に尽きる。

 

制空権保持、及び遅滞戦闘を始めてしばらく経つが。

彼我の戦力差は、もはや数えるのも億劫になるほど、絶望的なまでに広がっていた。

視界には、景色全てが真っ黒になるほど数多のネウロイが埋め尽くし。

そして視界が眩しくなるほどの数多の紅光線が四方八方より、私一人を目指し、降り注ぎ、殺到する。

幼気な、ただ一人の幼女には過ぎた歓迎であることは言うまでもないが、しかし此処までのもてなしをしてくれる彼らは、なんと紳士的なのであろうか?

感動のあまりに、涙が止まらない。

 

 

「おあいにくだが、のーせんきゅーだ!!」

 

 

迫る、歓迎の火線を最小動作で躱し。

囲まれるようであれば、そうならないように立ち回り。

そして隙あらば応射して敵の動きを限定、こちらに利のある状況を作る。

 

戦闘は終始、その繰り返し。

言葉にすれば、感動してしまうほど簡単な作業にも思えてくるが。

一挙一動その全てを、全身全霊でもってあたる。

喩えるなら、今私がやっている事は、命綱のない綱渡りに等しい。

あれだって見た目、ただ歩を進めるだけの行為である。

だがこれはストライカーユニットを履いたとしても、大抵のウィッチ………

いや、熟練の航空ウィッチでさえも、ヘタをすれば十秒も持たずに撃墜されるかもしれない。

そんな、綱渡りだ。

 

しかしこの綱渡り自体は、私にとってさほど難しいものではないと確信している。

慢心ではない。

確信するに足る技術と固有魔法を、己が持っているのは事実である。

圧倒的数的不利の中、数多の火線を越えては超えて。

今もこうして生きているのはソレらがあるからで、普通のウィッチと私の違いがあるとすれば、そこだ。

一度目のヴィルヘルミナが、カールスラント軍人として戦争初期からダイナモ作戦終盤に仲間を庇って戦死するまで、明日も分からぬ撤退戦を死に物狂いで戦ってきた二年近くのウィッチとしての戦闘経験。

自衛官として、久瀬が現代戦闘を十年もの歳月を常に数的不利、対多数状況下戦闘を強いられ、なお生き延び培われた様々な空戦技術。

その二つの貴重な前世における経験と、疑似的飛行を可能とする固有魔法を有する私だからこその、確信である。

もしも何方か片方でも欠けていたのなら、確信など持てず。

今この瞬間まで、遅滞戦闘を続けていることなど出来なかっただろう。

 

ではこの綱渡りを、私が完遂できるかと断言できるか問われれば、答えは残念ながらNOである。

 

大きなアドバンテージを持って、大群相手に単独であたるなどという、我ながら化け物じみた遅滞戦闘を続ける私だが、流石に人を止めた覚えはない。

戦闘機が燃料なしでは飛べないように。

私の魔力残量、そして体力は、限界が近い事を自覚していた。

そして弾薬も、同様。

FM mle1924/29軽機関銃は既に弾が切れ、放棄。

残る武装は、弾数が心もとないボーイズ対戦車ライフル一丁のみとなっていた。

その上敵は、撃墜した傍から逆再生の如く回復し、即時復帰してくるのである。

それは狡く、それは卑怯。まさにチート。

思いつく限りの罵詈を彼らの前に並べられる時間が許されるというのであれば、幾らでも吐き出せる自信があるのだが、彼らはそれさえ許してはくれない。

ともあれ、ネウロイに撃墜されずともこのまま戦闘を継続すれば、魔力枯渇か体力的限界で墜落するだろうことは火を見るよりも明らかである。

なるほど、これもまた南方の戦線や都市が早々に突破され、陥落した要因の一つであろう。

そしてウィッチを配備しないとはいえ仮にも、そう仮にもである。

欧州屈指の軍事力を持っていた筈のガリア軍が、短期間に此処まで押し込まれるのも道理だと納得し、理解できる。

 

分離した数多のネウロイの中に一を隠されては、倒せるものも倒せる訳がない。

 

その一を見つけなければ、半永久的に敵を減らすことが出来ない状況。

民間人の避難が終わる合図があるまで、撤退の許されない私がとれる選択肢は二つ。

遅滞戦闘を諦め尻尾を巻いて逃げるか、ヴァルハラかである。

しかし前者は、ない。

無論、私の固有魔法の速力をもってすれば、即時離脱は出来ないことはない。

しかしドモゼー姉妹をルクレール中尉に任せている事もあるが、大勢の人々の命もまた私の双肩にかかっているのだ。

それを知っていてなお逃げ出す事など、良心の呵責に耐えられない。

それにこれは、私が志願してやっている事だ。

しかも、敵をロクに知らずに、である。

ルクレールらに大口を叩いておいて、敵を知らず。

故に一人勝手に負けて、逃げる無能っぷり。

そんな私を、人はどう見るか?

私なら、浅慮な判断で己が役目を完遂できなかった法螺吹きと、記憶するだろう。

それは私のプライドが、許さない。

であるからに、選択肢は二つに見えて残念ながら後者しかないのだ。

 

ここで私は死ぬかもしれないのだろう。

しかしそれにしても、私はよくやった方だと自負できる。

長時間、大軍を私一人に釘付けにし。

別動隊――――ルクレールらや、その他の残存部隊―――への浸透包囲を単独で阻止。

生き残れば、正規の仕官であったなら、受勲も確かと言える程の武功だ。

………いやそれよりも。

私一人の()()で、大勢の人々が助かる。

一人と、数多。

天秤がどちらに重しと表すかなど、考えるまでもない。

 

()()()()()()()()である。

 

嗚呼本当に、大変に喜ばしい事である。

これほど喜ばしい事など、気分が良い事など、今人生で初めての事かもしれないと、確信。

死ぬかもしれない? 断言する、結構であると。

我が身一つで数多の命が助かる結果となった今この瞬間、別に我が身はかわいくない。

十分な戦果に、助かる数多の命。

果たしてこれ以上のモノを求める事があろうか、いやないと。

そう私は断言して――――

 

 

 

 

 

――――はて? 喜ばしい? 献身?

 

 

 

 

 

………いや待て。まて。

これは一体全体、どういうことか?

 

 

「く、はっ!!」

 

 

自問し、抱いたおもいを思うと、嗤ってしまう。

そして嗤いは、ますます止まらない。

傍から見れば、狂ったようにも見えるだろうか?

自暴自棄、躍起になったかにも見えるだろうか?

勿論、これ以上の遅滞戦闘を続ければ確実に死ぬ。

そんな自殺に等しいことを理解しながらも、分かった上で踏みとどまる。

そんなことなど、もはや嗤っていないとやっていられないという思いも、ある。

もちろん長時間の戦闘で、脳内麻薬がこれでもかと分泌されている為に、自身の気分が高揚していることも自覚している。

しかし、いやはや我ながら可笑しなもので。

これを嗤わずにはいられない。

 

 

「はぁ? よろこばしい? けんしん?」

 

 

あまりにも、馬鹿ばかしい事である。

いつから私はそのような高尚な人間になったのだろうか?

些か、「生きる」事を望み「生きて」と願われた私とは、ソレ、行動はあまりに大きく矛盾している。

 

 

「ほんとうに、なんとあほうな」

 

 

その矛盾行動を想うと、穴があったら入りたいなどという、優しいレベルの話では済まされない。

思考と理性の放棄は、人間の尊厳の放棄。

そしてこの場では自殺行為だと知っていてもなお、できるものなら今すぐ実行したいと願う。

これはそれ程の、羞恥である。

しかしそれは戦いが長引けば長引くほどに、嫌なくらいにクリアになって。

思考と理性は私の矛盾行動を、より鮮明にさせてくださるのだ。

律儀にも、ありがたい事で。

お礼に、今すぐ敵前で舞でも舞って、仕舞には己の脳天に鉛玉をキスさせてやりたい気分である。

残念ながら、小心者の私にはそんな度胸も、それどころか今は時間的余裕さえも何処にもないが。

 

 

「みずからせんじょうにむかうようなぐこう!!」

 

 

これはさて、どういうことか? と、己を疑う。

可笑しな話ではあるが、自己の在り方は羞恥するほどに、どうにも得心のいかないものがある。

生き延びたいと望みつつも、死地に飛び込む愚行。

それ以前の、ジャンヌの救助の件もそうであった。

私が此処で戦っているのは何故か?

献身的前進? それは私が軍人であったからか?

いや少なくともそのような意識は、今は兎も角、はじめはなかったはずであった。

救助の決心? それは私が立てなかったから?

いや、そも、私はそこまで弱い人間であっただろうか?

己が思いつく限りの現実的行動理由は、どれも決め手に欠けていた。

 

………これは突拍子もない、暴論に近いものであるが。

一番に考えられるのは、私の根本的な問題。

ヴィルヘルミナと久瀬、その二つ前世のアイデンティティーの違いである。

一度目の人生であると認識している久瀬の記憶を、二度目の人生である一度目のヴィルヘルミナは、覚えている限りでは気付いていなかった。

その為に二人のアイデンティティーは独立した、全くの別人のものとして確立している。

久瀬は人並み当然の利己主義を、ヴィルヘルミナは依存的利他主義を。

私のアイデンティティーは、記憶がはっきり残っている久瀬をベースとしているが、無意識にも奥底に眠るヴィルヘルミナの思考が混じってしまえば、知らず知らずのうちに矛盾するのは当然の結果とも言える。

勿論これは憶測の話でしかない。

しかし最悪の場合、アイデンティティークライシスなんて事もあり得る。

それは嗤えない結末だ。

どの道、今後の為に私の意識と二つの前世の意識の違いをはっきりとし、レーゾンデートルを確固たるものとして持っておかなければならないのだろう。

まあそれも、生きて此処を出られたらの話ではあるのだが。

 

ひとまず、フラストレーションは目の前のネウロイへ。

撃っては壊し、撃っては壊す。

何度壊しても無くならない的は、それはそれでよいものだが。

無くならない、倒れてくれない敵は、それもまたフラストレーションでしかない。

つまるところ、逆効果であった。

まとわりつくように、私の視界をうねり動く黒は、煩わしい。

 

 

「ええい、ルクレール!! 奴は死んでも一発殴る」

 

 

今度はルクレール中尉にも矛先を向ける。

そも、私がネウロイの引き付けていたというのに、彼に任せたはずのシャルロットが何故あの場にいたのか?

その点に関して、少なからず思うところが無い訳ではない。

シャルロット(子ども)のやる事だ。

そして基地での言動を思い返せば、彼女が勝手な行動をしたと十分に推測はできるが、しかしそれでもである。

彼には、任されたベビーシッターくらい、果たしてほしかった。

 

さて、問題はルクレールら、そして戦局の動向である。

彼らが起こしたと思しき、時計塔方面からの二度の大規模爆破―――果たしてどれほどの爆薬をつぎ込んだのだろうかと問い詰めたくなるほどの爆発であった―――の後、彼らが戦闘を行っている様子がない。

撤退したのか? 全滅したのか?

ハッキリ言えば、不安である。

そしてその代わりというように、南側より激しさをます砲撃音。

私たちとは別の、不明の部隊が南にいるのだ。

その部隊は驚くべきことに、徐々にこちらに進出しているようで。

それはこの街の残存部隊か? はたまた此処より南方から撤退してきた部隊がただ遭遇戦を繰り広げているのか?

おそらくは後者であると、私は考えていた。

空のネウロイは私が引き付けているとはいえそれは全てではない。

またその部隊がいると思われる近くには大型ネウロイの姿も二体見られ、発光が絶えない。

大型のネウロイとあたり、それでも押し込める程の部隊となると相当の精鋭部隊か大規模、大隊以上の部隊となるだろう。

 

気になる。

一体戦局は、どうなっているのか?

分からないこと程、不愉快な事はない。

それは現代戦、無線があって当然の恵まれた環境を知っている故の恋しさで、苛立ち。

 

 

「ちっ」

 

 

と、ここでライフルの弾切れ。

手早く弾倉を入れたはずのポケットを探るも、なく。

見ればポケットの底が、抜けていた。

ビームをかすったときにでも、落ちてしまったのか?

たった一門でも、抑えていたネウロイの動きは手早くリロードが行えなかった分だけ自由になって、待っていましたとばかりに激しくなる。

堪らず、仕切り直しの為にも一度離脱を図る。

しかし離脱、その先で着地した屋根の上で。

私の膝は不意に、カクンと落ちる。

 

―――体力の、限界

 

脚に幾ら力を込めても。

対戦車ライフルを杖にしたとしても、力の入らなくなった足ではすぐには立ち上がれず。

立ち上がれない私を素直に待ってくれるネウロイである筈もない。

たちまち、包囲されてしまう。

 

 

「呆気ない結末だ」

 

 

此処で死ぬ? いや、認めたくはない。

だが、打開策がない私には、それが現実。

「此処で終わりなのか?」という、呆気なさ。

もう少し、あと少し。

私はやれると思っていた、それだけに、思うのだ。

 

子どもである、我が身を呪う。

これからと言うときに、子どもの、己の体力の無さ。

ほとほと呆れるも、しかし文句一つも口に出せないのは、ひどく、荒い呼吸を繰り返す故。

 

 

「………カルラ」

『なに?』

 

 

見上げる空には、数多のネウロイ。

彼らは無力な私を嘲笑うかのように、すぐにトドメを刺そうとはせず。

ただ私の上を、フワフワと浮遊し、廻る。

 

 

「すまない」

 

 

カルラだけでも逃がしたい思いはあれど、しかし隙無く包囲されている状態ではとても望める事ではないと、判断。

息も絶え絶えながらも、故に謝罪。

私にとって死は、自衛官として。

そして軍人として仕事(戦争)をしていた以上、いつでも覚悟していたことである。

いや、覚悟せざるを得なかったと言うのが正しいのだろうが、しかしカルラは違う。

カルラは、私に巻き込まれただけでしかなく。

彼女を私の道連れにしてしまうと考えてしまうと、心苦しくて仕方がないのだが。

 

 

『いい』

「カルラ?」

『ついていく。主の行くところが、私のいき先』

 

 

カルラの答えは、半ば予想していたものであった。

しかし思いは、違った。

 

『置いていかないで』

病院で、私が彼女を置いていこうとしたときの言葉。

しかしその言葉の意味を、どうやらはき違えていたようだ。

カルラの思いは、彼女とつながって、馴染んできて。

そして本当の意味で、伝わるのだ。

今の彼女には、恐怖も、怒りも、寂しさも、悲しみもなく。

ただ彼女の奥底にある思いは。

私と『共にありたい』と願う、とても純粋で、眩しいほど綺麗な思い。

 

 

「ばか」

 

 

彼女の思いは些か、私には眩しすぎた。

だから、多少の憎まれ口は許してほしい。

 

私は、ここで死ぬのだろう。

しかしただ黙ってヤられるつもりはない。

たとえここで死ぬとしても、無駄だとしても。

抵抗だけはヤめるつもりはない。

だから私はライフルを杖に、生まれたての小鹿のように震える己の脚を叱咤して。

今度こそ、立ち上がる。

そして見上げ、ライフルをゆっくりと構える。

その先にあるはずの空は、硝煙と灰で穢れて、灰いろ。

そして、ネウロイに埋め尽くされて、黒いろ。

私たちの蒼空は、もはや誰も見上げる事は叶わないのだろうか?

 

私がその先を知ることはないのだろう。

しかし思うのだ。

もう一度、あの空を。

叶うなら、望みたかった、飛びたかったと。

それだけが、心残り。

 

ライフルのトリガーに、指を掛ける。

最期の足掻きをせんが為に。

そして。

私を見下ろすネウロイ達は――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――私を無視して、去っていく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………………………………は?」

 

 

ネウロイは、去っていく。

南へ。

ライフルの先には、何もいなくなって空しい。

構えた先が、空だけに。

いや、なんの冗談だ。

 

 

「………は?」

 

 

今一度、疑問。

ネウロイの、突拍子もない行動。

そのおかげで、私は助かったが。

本当に助かったのか? これは夢ではないか? と。

その疑いが、ぐるぐる巡ってなかなか晴れない。

 

 

『主』

「なんだ?」

『主は、生きてる』

「そう、なのか………っと」

 

 

カルラに事実だと教えられ、ようやく生きている事を自覚できた安堵からか。

腰が抜け、その場にへたり込む。

内股で座る私は安堵に加えて体力的にも、そして死の緊張から不意に解放されたこともあって、しばらくは立てそうにない。

遠くに去る、ネウロイを見送る。

突然私を無視して去っていった奴らだが、そこに理由は無い筈がない。

その理由を探す為に、奴らの動きを注視する。

 

分裂したネウロイ、南の不明部隊の攻勢、私という脅威を無視しての撤退。

 

予想の域はでないものであるが、理由は、案外すぐに思い至る。

数多に隠された一が、あそこにあるのだ。

と、ここで北の方角より二発の信号弾。

色は、緑。

ルクレールより漸く、撤退の合図である。

 

 

「やっとか」

 

 

とはいえしばらく動けそうにないがと、肩を落とす。

私はそのまま脱力し、今は体力の回復に努めた。

 



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だから彼女の闘争は 中編

クラクラと、朦朧とする意識。

疲労困憊な身体に鞭打ち、ルクレール隊が信号弾を発射したと思われる地を、私はなけなしの魔力を振り絞っては淡々と目指す。

そして行き着いたそこは、街の郊外にある小高い丘。

そこに集結する人の数は想像していたものよりも些か、多い。

それはルクレールの部隊だけでなく、他の残存部隊と逃げ遅れていた民間人もまたそこに集結しているからだろう。

 

ルクレールを発見する。

飛んでくる私にルクレールもまた気付き、こちらに自身の存在を報せる為か大きく手を振っているを見、私はそちらに着地をはかるのだが。

 

 

「―――ぶっ!?」

「中尉!?」

 

 

しかし着地時。

生きて此処まで来れたという安心感からか、体力的限界か、思うように踏ん張る事が出来ず、勢い余ってオーバーラン。転倒。

地に顔面を強打してしまう。

咄嗟に張った保護魔法のおかげか幸いにも怪我はないが、ぺっぺっと吐き捨てたところでじゃりじゃりと口に残って広がる土の味は、プライスレス。

お味はいかが? いや、誰が土など喜び勇んで食べるものか。

 

恥辱だ。

先ほども後悔したが、ルクレールに出撃前に大口を叩いておいてこのざま、ボロボロのさま。

大衆の中に空から降り立ち、無様に転んだ私に、大衆の視線もまた集まってしまう。

恥辱だ。

あっちこっちから。兵も民間人も関係なく。

寄って、囲って、思い思いに彼らは喚く、喚かれる。

皆がみな、妙な熱気を持ってあまりに寄って集って喚くものだから上手く聞き取れないが、私の無様を、大衆に晒していることには変わりはない。

だから、恥辱だ。

それが十割の自己責任であろうと、恥ずかしい思いは変わらない。

 

 

「良く生きて帰ってきてくれた、ルドルファー中尉………流石の貴女でも無事に、とはいかなかったようだが」

「なんだ? それは嫌みか?」

「冗談だ………いや、中尉の怪我は、冗談では済まされないが。すぐに衛生兵を呼ぶ。立てるか?」

「大丈夫だ。問題ない」

 

 

軽いジョークを交えつつ、しかしルクレールの差し伸べる手は、払いのける。

ネウロイとの交戦過程において数多の火線を越える中で、何度か至近弾にならざるを得ない回避状況に陥り、母の形見であった軍服はボロボロ。

その上少なくない出血で、軍服は血で濡れ染まっている。

だが、傷のほとんどはかすり傷の範囲、さほど重大な怪我を負っている訳ではない。

一人で立つことに、なんら問題はない。

 

 

「それよりも、だ。ルクレール中尉」

「なんッ―――」

 

 

それに。

私がたとえ弱っていたとしても、今のルクレールにその手を借りるわけにはいかないのだ。

 

立ち上がりざまに、私は拳を固めては、ルクレールの胸元に向かって拳を振るう―――顔面は、彼と私では身長差があり過ぎて残念ながら断念せざるを得なかった。

しかし殴った胸元はポスッと。

とても本気で殴ったようには思えない音が鳴るだけで、ルクレールを倒すことは叶わない。

魔力に頼らなかったとはいえ、全力で振るったつもりであったのだが、嗚呼クソッたれ。

やはりと言うべきか、所詮は子どものグー。

それも疲労困憊状態では大した勢いも出ず、せいぜいちょっと押された程度のソレ。

 

殴った私を、茫然と見下ろすルクレール。

見上げる私、差は歴然。

やはり子どもである我が身が恨めしい。

 

 

「私の言いたいことは分かるな、ルクレール」

「………ああ」

 

 

まあそれでも、約束の不履行。

殴るという行いで示す、彼の不履行に対する憤慨の明確な意思表示は、やらないよりかはマシだ。

 

 

 

 

 

人が多い場では話は出来ないと、場所を移そうとして人垣を超えようとするが、ルクレールに突然肩を引っ張られ、腰を貸される。

そう、肩ではない。腰だ。

彼と私の身長差は、何度も言うが、決定的。

だが流石に誰かに支えられるほど、私は弱ってはいない。

支えられるまでもなく余計なお世話だと訴えるが、「そんなフラフラでよく言う」なんて返されて、有無を言わせない為か引っ張られるように歩かされてはどうしようもない。

「後で覚えてろ」と、文句を垂れるのが精一杯だった。

 

ルクレール中尉にグイグイ引っ張られ、歩かされる。

あては知らない。

話が出来る所と言うが、彼はどこまで行くつもりなのか?

 

それにしても彼の、私の歩幅を考えない歩みは正直辛い。

弱った女子―――私を果たして正しく女子と呼べるのかはさておき―――に、無理にでも支えを申し出てくれる点は評価できても、その点で評価を落とさざるを得ない。

ぶっちゃけ気遣いができるのかできないのか、はっきりしない男のレッテルを張られても文句は言えんだろうなどと考えていると、いつの間にか人の川のほとりまで、私たちは来ていた。

そう、人の川だ。

 

 

 

 

 

痛い。苦しい。助けて。

 

 

 

 

 

川は、ドロリと唸る。

濁っていて、そして腐っていた。

硝煙とモノの焦げる匂いにも勝る、血と、薬品のツンとした匂いが、鼻腔にその場の異様を強く訴える。

 

 

「………なんだ此処は」

 

 

思わず出た言葉に、ルクレールは単なる「野戦病院」と答える。

いや、それは辛うじて理解できる。

辛うじて、だ。

そこは「野戦病院」と呼ぶにはあまりにも、粗末。

ベッドなんて贅沢なモノは勿論ない。

重傷者はかろうじて適当な布を敷いた上に寝かせられているが、怪我人の多くは野に寝かせられている。

目に映る限りの敷かれた布の色の悉くは、朱、いや黒。

だがそれは、私の着ている軍服と同じ。

布の元の色ではないのだろう。

 

 

 

 

 

先生。先生。誰か。痛い。助けて。

 

 

 

 

 

医師と衛生兵が、声に急かされて、走らされている。

しかしいかんせん患者数が多く、手が足りていないのは見るからに明らか。

 

嗚呼と、私も思わず頭を抱え、唸ってしまう。

苦しむ彼らを想い、これからの事を想い。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

大丈夫かだと?

否。否、否。

多くの怪我人を抱えての、ネウロイ勢力圏からの脱出。

どれほどの労力と出血が伴うか、ルクレールは理解しているのか?

この場にいる患者たちを、場合によっては見捨てなければならない。

その選択を迫られている事を、ルクレールは理解しているのか?

 

………いや、それは泣き言か。

街の住人の利用を考えた時点で、人手を得る一方で負傷者もまた背負う可能性を考慮していなかった訳ではない。

いまさら負傷者が予想していたよりも多く回収したところで、泣き言をなどどうして言えようか?

それは単に、私の見込みの甘さと計画性の無さの露呈でしかないというのに。

 

 

「?」

 

 

と。

足に、何かが触れる。

ふと見れば、私に手を伸ばしていたのだ。

ダレかが。

男とも、女とも判別のつかない程に、酷い火傷を負った誰かが。

「腐って、咲いたザクロの実」などと、おおよそ人に向けるべきではない喩えがまさに正しいと思ってしまうほどの、火傷。

ルクレールは、どうやらその人には気付いていない。

 

 

「………ぉ」

 

 

その誰かは見るからに、苦の渦中。

聴くからに、呼吸が危うい。

見るからに、生きている事が不思議な。

明らかな、危篤の人。

直視することが躊躇われる酷い火傷であるにもかかわらず、私はその人から目が離せない。

 

医師らは。

医師らは彼に気付いていないのか?

それとも手遅れと分かっていて見捨てているのか?

医師らの様子を見るに、前者であるのだろうが。

誰か手の空いている者はいないか探すが、ふとその人は、私に必死に何事かを言う。

それは――――

 

 

「すまない」

 

 

この人は、もはや自分が助からないことを知っていたのだろう。

しかし手元に適当な銃がなく、刃物もなく。

願いに答えたくても答えられない、だから首を振る、ぽつりと謝罪する。

それ見た何某の目は、絶望一色に染まる。

 

パク、パク

 

刹那に、無音で叫ぶのは、この世の、タスケなかった私への、私にだけ届く呪怨。

しかし、やがてその人の目の色は無色へ。

救いを求めて伸ばした手も、役目を終えて、地に落ちる。

 

私は人だったモノから、そこでようやく視線を外すことが叶う。

そのまま、私の視線は、天へ。

 

彼はどの道、助からなかった。

分かっている。

己のせいではない。

分かっている。

だが、しかし………

 

呼吸が僅かに乱れ。

何故か、頭痛。

 

 

私は。

 

 

 

 

 

 

――――――――ん

 

 

 

 

 

 

………?

 

 

「ルクレール中尉、何か言ったか?」

「いや、何も言っていないが………それよりも本当に大丈夫か?顔色が真っ青だぞ」

 

 

誰かが()を呼んだ気がしたのだが、気のせいなのか?

 

 

「おい、誰か!!」

 

 

突然ルクレールは声をあげた。

そうして呼ばれ駆け寄ってきたのは小太りぎみの中年の医師。

 

 

「なんだ中尉また患者か!! もうこれ以上見きれないぞ!!」

「先生、すまないが彼女の止血だけでも頼めないか?」

 

 

医師に私の治療を頼み込んでいるが、まさか此奴、わざわざ治療を受けさせるために私を此処に連れてきたのか?

また余計なお世話をと呆れ、医師を追い払おうとするが、その医師。

名は知らないが、間違いなく両親がいた軍立病院で見覚えのある医師であった。

その何某医師もまた、私を知っている事を徴証するように瞠目しているが、これは拙い。

覚悟していた事だが、拙い。

「あんたは――」と、何某医師は驚きながらも言葉を紡ごうとしているが、次の言葉は考えるまでもなく「何故、どうして」の、疑問の類。

ルクレール中尉がいる手前、この場で階級を騙っている事がバレてしまうのは、言うまでもなく拙い。

 

 

「けが人のひとふたり程度も受け入れられないのか?」

「………何が言いたい」

「随分と、手際が悪いな」

 

 

咄嗟に話題変換。

何某医師の問いを、無理矢理に誤魔化す。

しかしそれは咄嗟の、考えなしの愚直な、それも外野からの指摘だっただけに、何某医師の受けは宜しくないのは、彼の顔を見れば一目瞭然。

本人は抑えているつもりのようだが、口端が引きつっている。

 

「子どもの言う事。ムキになるな」とは言えない。

これだけの患者を見、必要であろう資源も限られた中で、我々同様にまた戦ってくれている彼も、余裕がない事は重々承知している。

感謝はすれど、恨みはない。

それだけに、我が身の為だったとは言え、嫌みのような指摘だけしてこの場から去るのは後味が悪かった。

ただ、手伝いを申し出たいことは山々だが、まだ戦場であるこの場で戦力として唯一確かに数える事の出来る、戦えるウィッチの私が治療に従事することは出来ない。

だから、私が直接手を貸すこと以外の何かを考えなければならない。

 

さて。

パッと思いついた私の取れる手として、民間から治癒魔法を持つウィッチを「空軍中尉」という、騙っている己の立場を使った挑発の発動だろう。

これは身分詐称で捕まってしまった際の処分がさらに重くしてしまう行いだが、目の前の人命を考えれば仕方ないと諦める。

処分の事を気にするなど、もはや今更だ。

 

ただし、それは決定的な解決策とは言えない。

そもそもウィッチの中でも固有魔法持ちは貴重な存在で、その中でも治癒の特性を持つ者となると、避難させた民間人の中にひとふたりもいれば万々歳か。

更に、たとえ治癒魔法持ちであったとしても、行使できる治癒の効力程度は個人差があって不明なのだ。

まあどちらにせよ、治癒魔法持ちのウィッチの徴発は、少しでも治療要員を欲している彼らの為には掛けるべきだろうと、近くにいた兵を呼んでその旨を伝える。

 

 

「尽力してくれている先生らにこんなことを言うのは悪いが、ルドルファー中尉の指摘は尤もだ」

 

 

おい馬鹿止めろ、ルクレール。

そこは便乗するところではないぞと彼を睨めば、彼はそれ以上の口出しを慎んだ。

 

 

「私の事はともかくだ。本当にこれ以上の患者の受け入れはできないのか? 些かそれは拙いのではないか?」

「なんと言おうとこれ以上受け入れられないものは受け入れられない………とまでは言わないが、治療を待つ患者が多くて、治療はすぐに行えるものではないな。医師も、薬品も不足して満足な治療は行えない上に、情報も錯綜気味ではな」

 

 

医師と私達の間でさらに溝を掘ってしまったことに内心で焦っていると、何某医師の興味深い言葉を聴く。

錯綜?

つまり情報が、患者全体の情報が取れていないから、医師同士での情報の共有が出来ていないから先ほどの様に、優先すべき重傷患者であるにもかかわらず、治療が受けられなかったと?

なるほどと、理解。

しかし納得はしていない。

 

 

「ところで、そちらでは適切なトリアージは行われているのか?」

 

 

素朴な疑問を医師にぶつけてみる。

聞かれた時は質問の意図が分からなかったのか、一瞬彼は呆けた顔をするが、しかし次の瞬間には顔を真っ赤にして「患者に向かって同じことを言えるのか!?」と怒鳴られ、聴こえていたのであろう他の医師には睨まれてしまった。

何故だ?

 

 

「ルドルファー中尉」

「なんだ?」

「流石に軍医でもない民間の医師に、選別(triage)を強要するのは酷では?」

 

 

………はて?

ルクレールの言は、私の望むモノとは大きくことなるのだが、もしかして彼らと私の間で、トリアージ―――災害等で対応できる救助者に対し患者の数が特に多い場合、救急事故現場において患者の重症度に基づいて患者の治療順位決定などに用いられる識別救急―――に対する認識に差異があるのではないか?

ルクレールに問うてみれば、その答えは是。

 

ナポレオントリアージ。

彼らにとっての一般的なトリアージとは、端的に言えば軍人優先。

戦場において軍隊の組織力保持を追求するために、即時戦線復帰できる比較的軽症者や、組織の中核を担う部隊指揮官の治療を優先させるものだと言う。

無論、軍事的価値の低い民間人は後回しとなる訳で、基本として「平等」な医療を目指す民間の医師にそれを求めてしまっては怒られるのも道理。

そも、トリアージがガリア(フランス)語の「選別」を語源とする時点で、私は気づくべきだったのだろう。

久瀬であった頃のトリアージがどういったものかは知っていても、その歴史までは知らなかった。

要は、勉強不足。故の、誤解。

 

ナポレオントリアージと、私の知るトリアージは異なるものだ。

だが、誤解を晴らすためにその説明を十全に行い、必要性を主張したところで、彼らの根本にあるナポレオントリアージの印象が邪魔をし、受け入れられるかどうかは難しいところだ。

それでも、受け入れてもらうしかないのだが。

 

咄嗟に言ったこととはいえ、私から見ても、おそらく素人目であるルクレールから見ても、バラバラだと判断された彼らだ。

決して彼らの腕を疑っている訳ではないが、彼らに足りないものがあるとすれば、それは彼らを纏めうるリーダーの存在。

もしくはこの場の医療行為の方向性を決定づける、決定的な方針だろう。

だから後者を満たすトリアージは、彼らにとって必要なモノだ。

では、どうやって受け入れてもらうか?

互いに時間が惜しく、説得に時間を掛ける余裕は、何処にもない。

ならば、私にできる事は一つしかない、一つしか思いつかない。

 

軍権を笠に着て、傲慢にもただ「やれ」と命令する。

それだけだ。

 

彼らは私に、軍権に強制させられるのだ。

トリアージ、極端に言えば差別治療をさせる私を恨みこそすれ、これで強制させられた彼らが自己に罪悪感を抱くことはあるまい。

仕方のない事である。

本来ならば今の今まで明確な受け入れ態勢を整えず、取り繕うような治療行為を行ってきたとも取れる彼らの怠慢を強く訴えたいところだが、結局それは第三者の勝手な主張。

この混乱の中でも他人の為に、医療行為に従事してくれる彼らに、そのような余裕があるはずがない。

どうしてそれ以上を求める事ができようか。

 

彼らには、足りないモノがあった。

第三者の主張だけではなく、第三者だからこそ見える改善策が、意見が、彼らには必要だったのだ。

だから私が意見する。

いや、正しいと驕って強制するのだ。

愚かな行為。だけど必要だから。

 

強制する私は、誰から見ても、独裁者か。

しかし後の撤退戦を生き延びるには誰かがやらねばならない、ならねばならない、必要なこと。

罵倒? 侮蔑? どんとこい。

それもまた必要なら、甘んじて受けようではないかと身構える。

 

しかし、来るであろうと身構えていた侮蔑と罵倒は、一つもなかった。

目の前にいる医師からも、周りで聴いていたはずの医師らからも。

 

無言だ。

 

………それならば。

罵倒も侮蔑もないのなら、用のない私にはこれ以上ここにとどまる理由はないと、踵を返し、一歩。

 

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 

去ろうとした私を、いまさら何某医師が呼び止めた。

 

 

「………致命傷を負っているわけではなさそうだが、些か出血が多い。せめて止血はしておけ」

 

 

差し出されるのは包帯と酒瓶。

お酒は、消毒薬の代わりのつもりか。

これらを差し出されるのは、おそらくは私を治療する余裕などないだけとは思えない。

「医師の娘なのだから自分で止血はできるだろう」と、暗に言っているつもりなのだろう。

私の事を黙っていてくれることはありがたい。

しかし己に向けるその憐みの目は、余計である。

強制させた責任を取るのは、当然の義務だろう。

しかしそれは自分が助かりたいから、必要だからしているだけなのだ。

 

 

「………いや」

 

 

少しだけ嘘をついたと、白状する。

助けを求める多くの人達に、思うところがなかった訳ではない。

苦しみ死んだ誰かの最期に、思うところがなかった訳ではない。

つまり、あれだ。

所詮これは、彼らの苦しみと死に絆された私の、偽善。

自分だけ助かりたいと考えるのなら、そもそも責任を取るなんて考えるはずがないのだ。

自然と他者の為に自己犠牲する行いは、また生前のヴィルヘルミナの影響のせいか。

 

 

「何がレーゾンデードルだ」

 

 

有言不実行ではないかと、苛立ち、舌打つ。

しかしそれが合図であったかのように、不意にまたズキリと、頭痛が襲う。

 

 

 

 

 

 

―――――――さん

 

 

 

 

 

 

………また声。

 

私の背後で、誰かが私を確かに呼ぶ。

呼んだのは、ルクレールか?

ほんのささやき程度の声。

ソレが聞こえるくらいの距離にいて、私を呼ぶ必要があるのはルクレールくらい。

だからルクレールが私を呼んだのだと決めつけ、振り返る。

その声が彼の声ではない、明らかな女の子の声だと分かっているにもかかわらず。

 

 

「なんだ、その目は」

 

 

結果として、私にささやいた声の主はルクレールではなかった。

だが、私を望むルクレールの目は、何か言いたげだ。

同僚に、後輩に、上司に、国民に。

望むように見られることは生前よくあったことだ、別に初めてではない。

が、かつて望まれた者たちとはまた異なったものもある。

それは、同情。

彼の目に僅かな憐憫が混じっているのだ。

 

 

「不愉快だ」

「………すまない」

 

 

謝罪は、直前の呟きに対してのものだけでは無い事を、何となく察する。

だが、ルクレール。

私は誰に聞かせる訳でもなく、それを呟いたのである。

つまりそれもまた、何も彼だけに向けられたものではないのだ。

 




なお、ヴィルヘルミナが提案したトリアージは軍民間問わず、ヴィルヘルミナ方式として採用されていく模様。


………なんて妄想をしてみたり。


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だから彼女の闘争は 後編

途中の余計な寄り道があったが、今度こそルクレールに案内されるのは指揮所、と思わしき所であった。

指揮所と呼ぶが、幕舎や、明確にそれだと分かる何かがある訳ではないので、言うなれば、指揮所カッコカリか。

無理矢理引っ張ってきたであろう通信機材やらが乱雑に集められ、その中心で士官らが集結している。

 

 

「中尉、お待ちしておりました!!」

「ルドルファー中尉、よくぞご無事で!!」

「あ、ああ」

 

 

士官らは、敬礼。

此方も儀礼的に敬礼で返そうとするのだが、彼らの誰もがどこか熱のこもった敬礼と目、そして声色に、戸惑ってしまう。

戦場での興奮が、未だ冷め切っていないのか?

あまり宜しくない傾向だと留意しておく。

 

彼らの階級を明らかにしてもらったところ、幸か不幸か、佐官クラスの人間はこの場にはおらず、私とルクレールの中尉が最高位だという事が判明。

この梯団の指揮は、ルクレールの辞退により改めて、私が指揮する事となった。

 

 

「では早速だが、ながら聴きですまないが、現状報告と戦況報告を頼む」

「了解しました、中尉。現状報告から先に致しますが、残存勢力と民間人の回収はおおよそ完了。軍立病院がネウロイに占拠され、薬品類の回収が上手く行かずにこちらは不足しておりますが、その他の物資、燃料弾薬、食料等におきましては十分量を確保。それから―――――」

 

 

止血処理を行いながら情報を入れる。

あまり褒められた聴きの姿勢ではないが、戦場が未だ近く気が抜けない以上、リカバリーは出来る時にさっさと済ませるに限る。

他の士官らからも、それを理解してか、これについては特に何か言ってくることはなかった。

 

報告を聴きながら、私は自然と深く息を吐いていた。

それは漸く此処までたどり着いた安堵からくるものだと、自覚する。

 

戦力を得て、長距離撤退を遂行できるだけの必要な物資は十分に確保。

少なくない負傷者を抱える結果となってしまったが、人手も集まった。

私も負傷を負ってしまったが、大多数のネウロイ相手に遅滞戦闘を無事に果たし、生きている。

これをもって当初の撤退条件は十分に揃い、この場の私たちの「勝利」は決定したも同然。

後は、ネウロイの勢力圏を抜ける為、北上するのみである。

 

 

「問題は、南方に現れた部隊だ。ルドルファー中尉」

「………やはりか」

 

 

と、言いたいところであったのだがと、私は再び息を吐いた。

それは溜息だ。

折角此処まで着たというのにそんなものが出るのは、我々がこの場から撤退するには、ルクレールの語るように問題がある。

 

街の上空で長時間派手に暴れ、大規模爆破を起こして盛大に時計塔を倒壊させておいて、あちら側に我々の存在が認知されていないはずがない。

私が不在であったとき、街の南側の梯団側から有線通信でのコンタクトを受けていた。

たまたまルクレールの部下が拾ったそれは、あまりにも。

そう、あまりにもタイミングの悪いもの。

 

 

「あちら側は、なんと言っていた」

「端的に言えば、『ネウロイからの街の解放の為の戦力捻出を願うと』」

「で、なんと?」

「『そちらの要請を理解し、尊重する』とだけ」

 

 

ルクレールの返答は、賢明だ。

『要請を理解し、尊重する』

肯定ぎみに聞こえる曖昧なそれは、平時の正規作戦時には許されない、混乱の今だから許される言い回しだろう。

我々よりも明らかな大戦力を抱えているだろう梯団側との合流は、望むべきところだ。

だが、と、私はこの場に集う兵士らを見渡す。

疲弊していない者など誰一人としておらず、負傷者も少なくない。

自身が部隊を率いていたのであれば、その戦力をあてにして梯団との合流を考えないことはないが、コンディションが明らかに低下している見ず知らずの他部隊員をすぐさままとめ上げ、指揮できる自信は、残念ながら持っていない。

彼らを率いて博打を打つには、失敗時のデメリットが大きすぎてあまりにもリスキーであった。

 

 

「誰か、双眼鏡を」

 

 

士官の一人から双眼鏡を借りて、梯団の戦局を見下ろす。

梯団は歩兵を中心とし、大型ネウロイ相手には、戦力の中軸に戦車を置いて堅実な交戦しているようだが、その中にはちらほらと空軍兵が混じっているのが見えた。

もしや彼らもまた寄せ集めの群かと危ぶむが、ウィッチの姿がないにもかかわらず、梯団はとても通常戦力だけで当たっているとは思えない破竹の攻勢を見せている。

現に中央の部隊などは、街の中心地まで前線を押し上げている。

特殊な装備を用いているのか? はたまた部隊として精強なのか?

それとも、梯団をまとめ上げている指揮官が有能であるのか?

しかしだからこそ、危ういと見た。

 

 

「ルクレール中尉」

「どうした?」

「彼らはあのネウロイのタネを加味した上で交戦して………いや、忘れてくれ」

 

 

尋ねるまでもないか。

最初から加味しているのであれば、包囲戦など布くはずがないのだ。

 

復活するネウロイのタネ。

ルクレールらの情報と、私の経験を統合し吟味したが、やはりあのネウロイの正体は分裂型であると断定した。

他者を納得させるだけの確証を示すことは出来ないが、確信はあった。

それは私の生前の、一度目のヴィルヘルミナのカールスラント撤退戦の時の記憶。

その時のモノと今回のモノでは多少の差異はあるが一度だけ、同型のネウロイと交戦経験がある。

分裂型ネウロイの厄介なところは、コアのある本体を叩かなければ、何度叩こうが復活することだ。

当時、復活するトリックが分からなかった分裂型ネウロイに、所属していた部隊は壊滅し、私もあわやのところまで追い詰められたが、たまたま救援信号を受けて駆け付けてくれたミーナ大尉の部隊と、分裂型である事にいち早く気付いて、私にそのことを知らせてくれた()()()がいなければどうなったことか。

 

 

「………ん?」

 

 

あの人?

あの人とは、誰だ?

 

 

「中尉? どうした」

 

 

なんでもないと、ルクレールの問いかけに手を振って返すが、内心では引っ掛かりを覚えていた。

その誰かを何故か思い出せない、不思議。

ヴィルヘルミナであった時の頃の、記憶の欠落。

それは確かに今に始まった事ではないが、その誰かは私にとって重要な人物だったはずなのだ、戦いでぼろぼろだった私の傍にいて、支えてくれた人だったはずなのだ。

忘れるなんて、許されない。

それなのに、思い出そうとすると頭痛がする、頭痛がひどくなる。

あまりにもタイミングの良すぎる頭痛は、まるで私が思い出すことを妨げている。

私が記憶を思い出すことに何か不都合があると警鐘を鳴らしているかのようで。

しかも今回の頭痛は、一瞬だけだった先ほどとはまるで異なって、中々収まる気配がない。

 

 

「ルドルファー中尉、梯団側から再度コンタクト」

 

 

通信兵から、報告。

収まらない頭痛と、まさに今懸念していた問題に迫られて舌打ちし、通信兵からひったくるように受話器を受け取る。

 

 

「こちらは、ガリア空軍所属、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉、であります。貴官の官姓と、用件を告げられたし」

『………驚いた。本当に子どもか………』

 

 

ゆっくりと、頭痛に耐えながら言葉を紡ぐと受話器の向こう側から聞こえてきたのは、渋い壮年男性の声。

カイゼル髭でも似合いそうなナイスガイであろうことは受話器越しでも容易に想像つきそうな声色は、若いころはよく女性を魅了したのだろう。

元男としては、さぞこの人はモテた方なのだろうと内心うらやむ。

 

しかし質問を無視されるのはいただけない。

もう一度、官姓を問う。

 

 

『失礼した、こちらはガリア陸軍南方方面軍所属第十七戦闘団のエヴァンス中佐だ。通信を取っているという事は、貴官もまた無事という事か。ルドルファー中尉、君の声が聴けて、我々は大いに安心している』

「? と、言いますと」

『中尉が単独で制空権を保持していた事を、我々は確かに認知している。貴官が制空権を保持していてくれたおかげで、我々も間接的にだが助けられていた』

 

 

なるほどと、理解する。

 

 

「小官は、軍人として果たすべきことを、したまでです。礼を言われる、までもありません」

 

 

そんなに礼がしたいのであれば、この通話を今すぐ切らせてほしい。

これ以上の面倒事はごめんである。

……なんて、口が裂けても言えないだろう。

あたりさわりのない謙遜で返し、本題に入る事を避ける。

 

 

『………中尉、貴官は些か忘れているようだが今一度思い起こしてほしい。貴官の死は我々と、そして国にとっての決定的な損失とイコールとも言えることを』

 

 

エヴァンス中佐と名乗った男の言葉の意図するところにハッと気付き、慌てて今一度双眼鏡で戦況を見下ろす。

梯団が見せた破竹の勢いは、本当にただのソレか?

 

 

 

「失礼ですが、貴方がたはネウロイが分裂型であることを把握されているのですか? それに伴う脅威の程度は理解しておられるのですか?」

『勿論だ。既にそちらのルクレール中尉から聴き、把握している』

 

 

馬鹿な質問だと決めつけて、質問を切り上げた事を悔やむ。

つまり彼らは、分裂型だと分かった上で、無理矢理前線を押し上げていたのだ。

私を一度、ネウロイの目から離させる為に。戦力の捻出の為に。

 

そして私を、助ける為に。

 

先ほどのルクレールの曖昧な返答をしたおかげで、なんとか戦力の捻出は回避できたと思っていたのだが、あちらはどうしてもこちらの戦力、と言うよりも、私の出動を求めているようだ。

狙いは、この街の解放。

だから分かった上で、包囲戦を布いているのだ。

 

 

『既に先ほどそちら側には用件を伝えたが、貴官らには、我々が囮としてネウロイを引き付けている間に、背面よりコアがあると思われるネウロイを叩いてもらいたい』

 

 

簡単に言ってくれるものだと内心で吐き捨てる。

ネウロイを引き付けておくと言うが、だがそれは地上型のネウロイに限った話。

また私が戦場に飛び込めば、飛行型は、私を優先して襲ってくるのは考えるまでもない。

唯一の空の脅威である私を、身をもって知っている奴らが警戒しない筈がないのだ。

コアのあるであろうネウロイの特定は、今になっては問題ではない。

あちら側が戦線を押し上げた事により、大型ネウロイの一体にだけ、多くの飛行型ネウロイがそれを護るかのように浮遊しまわっているのだ。

おそらくあの大型ネウロイにコアがあるのだろう。

だがコアを持つネウロイを特定できても、百前後の飛行型ネウロイ群を突破し、追いかけられながら、その大型ネウロイを始末する。

たとえ万全の状態であったとしても、一人で生きて達成するには、あまりにも困難極まりないミッションだ。

 

 

『………中尉、無茶な頼みであることは理解している。()()()()()()また同様だ』

「ッ!?」

 

 

ここで出てくるとは思いもしなかった最後のワードには、驚き、身構えざるを得ない。

まさか、身分詐称がバレたのか?

 

 

「身の上? それは、どういう意味でしょうか?」

『とぼけずとも大丈夫だ、中尉。貴官がディジョンで進められている新型国産ストライカーユニットの開発に合わせて訓練を受けていた秘匿部隊所属の身であることは、既に聴いている。軍内部では、残念ながらウィッチの価値はそこまである訳ではない。その価値観を変えるであろう、ウィッチの優位性を証明する起爆剤ともいえる貴官は、己の軍事的価値が分かっていた筈だろう。それにもかかわらず、民間人を見捨てることなく、そして己の処分を厭うことなく単身奮起し、戦ってくれたその挺身の発露には、私個人の感謝など到底足りるものではないだろうが、本当に感謝している』

 

 

………話が見えない。

一体どういうことだ?

身分詐称をしている私だが、秘匿部隊などという設定を騙った覚えはない。

 

 

「それを、どなたから?」

 

 

おそるおそる、聴く。

聴けば、きっと後悔すると知りながら。

 

 

『――――大佐だ』

 

 

エヴァンス中佐が答えた名は、頭を金属バットにでも殴打されたのかと勘違うほどの、衝撃的なものであった。

何故いまさら!! どうして今頃!!

受話器を放り出して叫びたくなる思いと、込み上げる吐き気。

そして酷さを増す頭痛を同時に抑えようとでもしたのだろうか。

右手は、自然と私の顔を覆っていた。

 

 

『中尉、非常に苦しい要請をしている事は重々承知しているが、我々もまた多くの民間人を抱えている。ここで負けるわけにはいかないのだ』

「………」

『中尉、返答を』

 

 

エヴァンス中佐に、解答を迫られる。

私の中では、返答は決まっている、変わらない。

たとえあの人が生きていたとしても、今の私には私情で動くことは許されない。

ここで何もかもを放り出して彼の下に駆けようにも、今の私には多くのモノを抱えすぎているのだ。

他者の人命を、私が握っているのだ。

勝手は出来ない。

 

 

「づっ!?」

『………中尉?』

 

 

返答は、変わらない、決まっている。

NOだ。

NOと言えばいい。それで終わりだ。

しかし頭痛が更にまして、返答を妨げる。

くそ、一体何なんだ、この頭痛は!!

 

 

「返答は…………返答は………」

 

 

 

 

 

―――――――――瀬さん

 

 

 

 

 

「返答は……………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………あれ?

 

 

 

 

 

世界が、傾いて………

 

 

 

 

 

 

 

ルクレール?

 

 

 

 

 

 

 

 

どうした、そんな目で私を見て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルラ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何故私に吠える?

 

 

 

私は、ワタシだ。

 

 

 

 

敵ではないぞ………?

 

 

 

 

 

 

 

 

…………違う。

 

 

 

 

 

 

 

そうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――久瀬さん

 





ミーナの階級を資料を反映して少佐から大尉に修正


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『彼女』

いいかね?『ウィッチ』という、我々にとって何とも都合の良い存在の台頭は、その瞬間、嘆かわしい事にも我々にとっての当たり前な、人として守るべき最終道徳を破壊したのだ


――――オートクローク陸軍大将 ガリア戦線について――――


西暦1963年9月22日 パリ 『ル・タン』本社

 

 

 

 

ガリアには、多くの謎と陰謀が渦巻いている。

若かりし頃、ル・タン誌で結成当初の第506統合戦闘航空団の専属記者をしていた私は、奇しくもそれを知る。

リベリオン、ブリタニア、ガリア諜報部、王政復古派。

さまざまな思惑、陰謀、理念、利害。

華々しい506の彼女たちの裏でうごめく汚い何かの一端を、少なからず私は知る。

 

もっと知りたいと思った。

 

知ってどうするか?

506の彼女たちを傷つけた者らへの報復か? 断罪か?

そう問われれば、私は否と答える。

私は、単に知りたいだけなのだ。

真実を欲しているのだ。

崇高な志なんてありはしない。

そこにあるのは記者としての性分、私個人の根本にあるもの、欲。

知識欲、探究欲、エトセトラ、えとせとら、etc……

『虎穴に入らずんば虎子を得ず』

たとえそこが人を飲むこむ底なし沼であったとしても、そこに求める禁断の果実があるのなら、どうして手を伸ばさずにいられようか?

だから私は、真実を追う。

 

 

「ふん、ふんふふーん♪」

 

 

鼻歌を歌って、スキップをするのは、私。

通り過ぎる同僚たちは「ああ、いつもの事か」と私を見送るが、気にしない。

羞恥心は人並みにはある、そんな私が羞恥心なんて知った事かと、気にならない程に気分が良かったのは、『ル・タン』でネウロイ大戦の特集を組むことがようやく編集部会議で決定したからだ。

発議に、手回しの苦労。

それが無駄に終わらずに済んだことはやはり嬉しいが、ここからが本当のスタートライン。

これで私は、大手を振って表立って取材ができる訳だが――――大手を振ってと言っても、それは社内限定の話である。何処で、誰が私を見ているのか分かったモノではないのだから、なおさらだ――――今回、二十年前の大戦に焦点を置いたのは、その大戦が、ガリアの裏で暗躍する国々、そして組織の思惑の原点。

それは各々違っても、二十年前の大戦はそれぞれの思惑が収束し、跋扈することを許した大きなターニングポイントだと認識していたからだ。

二十年前の大戦に焦点を置いたのは、それが理由だ。

 

余談だが、やはり取材に使う必要経費は、極力会社のお金で落とすに限るのは言うまでもない。

何処に行くにも何をするにしても、やはりお金は必要で、嵩むそれはなかなかどうして馬鹿にならない事は、同業の者なら誰もが感じる事だろう。

さらに余談だが「他人のお金で食べるご飯は、それはもう、大変に美味だ」と宣わったクニカ中尉には、大いに同意の意を示すところだ。

食費を気にしないで良いというのは、良いものだ。

またまた余談だが、取材経費で頂いた三ツ星レストランのフルコースは、大変に美味でした。

 

さて。

正直なところ、ガリアを渦巻く謎、陰謀、真実と、随分たいそうな事を宣っている私であったが、ただ506での出来事のほんの末端を知っているだけで、何か確固とした取材方針があった訳ではなかった。

対象が漠然としすぎて、なにから手を付けてよいものか?

そう、恥ずかしながら、未だ定まっている訳ではなかったのだ。

そもそも謎とは何か? 陰謀とは何か? 真実とは何か?

そんなもの、尋ねるまでもなくガリアでなくともおおよそ高度な政治文化を持つ国々には到底ありふれたモノではないか?

上司部下同僚に尋ねたところそんな答えが、同様の答えが返ってくるが、それはそうだ。

言われるまでもなく、そしてそれは期待した答えでもない。

ガリアを渦巻く陰謀を暴くという大いなる私の計画は、一歩目にして頓挫した。

 

いつまでも悩んでいたところで仕方がない。

そう思い、私は己の持っていた陰謀のイメージを一度横において、まずは20年前の大戦の歴史への理解を深める為に当時の戦況や資料などを調べる事から始めたのだが、すると調べれば調べるだけ、私はふと奇妙な、名状し難い違和感を得られたのだ。

 

1944年9月のガリア解放。

欧州のネウロイ反抗のターニングポイントとなった第501統合戦闘航空団、()()()のエースらの大いなる活躍は欧州だけでなく世界各国を震撼させ、祖国奪還の叶ったガリア国民からは地を揺らすほどの礼賛称賛で迎えられた当時のことはよくよく覚えている。

さて問題はそこから約二年前、パリが陥落した1942年の5月だ。

第501統合戦闘航空団がガリアを解放する以前。

ガリア軍は1939年の11月から、その1942年の5月までの2年間半もの間、ネウロイと相対し、戦線を保つどころか一時的であったが、ネウロイの勢力圏からの解放を果たしており、共和国の戦時記録においても

 

 

『―――1941年8月、ガリア軍を中核とした連合軍は第一次欧州反攻作戦を開始。これにより1939年11月ジロンド県に出現したネウロイの巣を崩壊せしめる。

 

―――しかし翌年4月、黒海より出現したネウロイ群はカールスラント陥落の勢いそのままにベルギガ、及び本国に侵攻。

 

―――同月、ガリア北東部にて新たな巣の出現を確認。これにより、ヴィシー政権はガリアの放棄を決定』

 

 

とある。

これは各国の歴史教科書にも同様の記載がなされている。

 

ガリアは、1939年11月から1941年8月、連合軍の第一次反攻作戦が実施されるまで、敗戦が続く欧州中で唯一ネウロイと互角に戦っていた、事実。

しかし私が違和感を覚えたのは、そこだ。

その時点では、未だ違和感の形はおぼろげでしかなかったが、その後の当時のガリアの戦局状況を、取材をした専門家や軍関係者のほとんどが当時のガリア軍の善戦に、異を唱えてくれたことで、やっと形に出来た。

取材を行ったとある大学の軍事研究家は、さも当然のように吐き捨てた。

曰く「ド・ゴール氏が軍体制を大きく刷新する共和国設立以前の、大戦初期当時のガリア軍の練度、装備、指揮系統、そして各欧州戦線と比べて断然ネウロイが有力であったことに鑑みれば、些か当時の戦局を優勢にするどころか、維持する事さえ困難であった」と。

取材を行ったとある元陸軍中央作戦部付参謀は、告白してくれた。

曰く「当時の上層部の無能さ、それによって支払われた人的リソースの消費レベルを見れば、誰がどう見てもガリアの敗北は明らかであった」と。

 

そう。

私の違和感とは、ガリアは欧州各国が劣勢敗北をしている中でただ唯一、その戦局を維持していた事だ。

語るまでもなく事実として、結果として出ているソレだが、しかしながらそれでも軍事専門家や、特に現場にいた軍関係者の証言は到底無視できるものではない。

 

当時のガリア軍には、信じられない事に戦線を保つ事の出来る軍事力を保有していなかった。

にも拘らず、二年もの間ネウロイと互角に戦い、戦線を保った。

実力と結果がかみ合わないのだ。

それを矛盾と言わずに何か?

 

矛盾。

その私の疑問に答えてくれる人は、残念ながらいなかった。

研究者は、「知らない」を恥とする。

疑問を問えば、途端に部屋からたたき出される形で取材を切られてしまった。

軍関係者には、何かしらの箝口令が布かれていたのか。

取材を行った何名かは、事ありげにそれ以降の質問に口を閉ざされ、取材を断られてしまった。

 

ガリアのトップエースであるクロステルマン氏をもってして、後の取材では『あそこは()()()()を除いて、どこまでも仲間の血肉で満たされた赤空』とまで言わしめ、多くの軍人が、ウィッチが、戦い、狂い、文字通りの肉壁となった狂気のガリア戦線。

当時の欧州最激戦区であったガリア戦線で、一体何があったのか?

 

奇しくも今年は、ガリア軍の保有するいくつかの機密文書の機密指定が解除された。

疑問を自ら晴らす為、解除された機密文書に、にもなく飛びついたのは言うまでもないだろうが、そうして抱いた疑問は正しくも間違いでなかったことが、機密文書を漁っていく中で証明された、証明されてしまったのだ。

酷く血腥い命令書、報告書に目を通す中で偶然にも私は、ガリア戦線の謎につながる、そのほんの一端に指を掛けられたのだ。

 

それは、なんの変哲もない報告書、敗北の記録。

しかしそこに挟まれていた一枚のメモには、到底見過ごす事出来ないモノが書かれていた。

咄嗟にポケットに盗み取ったそのメモに書かれていたのは、おおよそ官僚的ではない、感情的に書きなぐられたであろう、一言。

 

 

 

 

 

―――――ガリアの栄光は『始まりの大隊』によって思い起こされ、ガリアの失墜は『彼女』の敗北によって決定づけられた―――――

 

 

 

 

 

メモをもとに私は今一度、ガリア戦線の各種文書を一から見直す事にした。

『始まりの大隊』、そして『彼女』。

ガリア戦線の真相を解き明かすピースは、きっとこの二つのワードに隠されているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西暦1939年11月11日 タルヌ県 ドモゼー伯領郊外

 

 

 

 

 

民間人の逃走補助の為の遅滞戦闘は、街の郊外を抜けて、その役目を完了した。

ネウロイの目的はあくまで、我々を殲滅する事ではなくこの街を占拠することにあったのだろう。

郊外まで後退した俺たちをネウロイらは深追いすることはなかった。

 

 

「俺たちは、勝ったのか」

 

 

今ここで成立した、勝利と言う結果を確かに理解する為に、俺は呟く。

本物の勝利ではないが。

ネウロイにこの街の占拠を許そうとする俺らは、疑うことなく、紛うことなく、一般常識的には敗北者であることは逃れようもない事実だが。

しかし、次と次の戦争を戦うための戦争。

そのルドルファー中尉が求め、定義したこの戦争の勝利条件は十二分に達成したのだ。

 

この戦争の、勝利の定義。

それは極力我々の現状戦力を保持しながらも、我々が長距離撤退を完遂できるだけのモノもの(物・者)を回収することと、ルドルファー中尉は語った(オーダー)

困難極まりないオーダー。

モノ()はまだいいとして。

ただ、もの()の回収は、ネウロイを足止めしながらも、ソレの肉壁となって戦うことが求められていたのだ。

無論ネウロイと正面から相対すれば、ウィッチではない我々各々、生き残れる確率は低い。

民間人を救えても――――勿論自身の率いる部隊員、仲間達を死なせるつもりはさらさらなかったが――――戦線に復帰できない負傷さえ避けなければならない。

だからこそ部隊を指揮する自身に求められる動きは更なる繊細さを求められて、そして自惚れではなくこの戦争の重要なファクターの一つだと、認識させられざるを得なかった。

時計塔でのアンブッシュで、ネウロイの半不死性が判明してからは、更にその重要度が増したのは言うまでもなく、改めて考えてみても。

十二分に完遂した今でも、このオーダーの完遂は困難であると断言できた。

 

では、自らが困難だと断言しているにも拘らず、勝利を達成できたその要因はどこにあるか?

一つは南側に現れた、不明な梯団の存在があるだろう。

しかしながら、それよりもより直接的な要因として挙げられるのは、やはりルドルファー中尉の動きが大きいと俺は考えている。

「出来ないことは、言わない主義だ」と彼女は語ったが、なるほど。

伊達に己と同尉官位に、彼女は幼いながらも昇ってはいなかったのだ。

彼女は自らの役目を、数多の暴力に単身晒されながらも、しかし達成した。

囮という役目を、ネウロイの目を引き付けるという役目を、彼女は完全に理解し、そして十全に果たした。

その前提条件がなければ、我々は彼女のオーダーを完遂することなどできなかっただろう。

 

 

「ルドルファー中尉に撤退信号を」

「はっ!!」

 

 

極論。

今の我々は、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉がいたからこそ、ある。

そう言っても過言ではないだろう。

 

感謝せねば。

 

残存部隊を取りまとめ、疲弊した人々を労う中、俺はそのことばかり気にしていた。

そしてルドルファー中尉は、人々の喝采に迎えられ帰還を果たしたが、その時の俺は悠長な事しか考えていなかった事を思い知らされたのは、言うまでもない。

 

 

「良く生きて帰ってきてくれたルドルファー中尉」

 

 

帰還を果たしたルドルファー中尉は、満身創痍であったこと。

それは俺の頭を冷まさせ、醒まさせ、覚まさせるには、十分だった。

 

 

「流石の貴女でも無事に、とはいかなかったようだが」

「なんだ? それは嫌みか?」

 

 

なるべく平然を装って、冗談を。

彼女は笑って返すが、本当は彼女の有様は痛々しくて、直視しかねたのが本音である。

 

英雄たる彼女の帰還に大衆は未だ喝采でもって彼女を褒め称えていた。

だが彼女の姿を目視できる者はそれを止めている、沈黙している、目を背けている。

帰還さえ奇跡と呼べる囮・遅滞作戦、生存が見込めない作戦に身を投じたのだ。

帰還出来たとしても、無事であるはずがなかったのだ。

 

分かっていた筈だ。

目を背けるなと、己を叱咤する。

 

 

「すぐに衛生兵を呼ぶ。立てるか?」

 

 

叱咤して、叱咤して。

彼女を直視したことで、さめた頭で考えて、俺は気付いた。

 

――――目の前にいるのは小さく、幼い、少女

 

ルドルファー中尉がどのような考えを持っていようと、未だ幼い事には変わりない。

にもかかわらず、ウィッチとして、未来ある少女に銃を握らせ戦場に立たせている。

 

 

「私の言いたいことは分かるな、ルクレール」

 

 

振るわれた、拳。

有力かと思っていたソレは、しかしあまりにも弱弱しい。

とうに限界であるにもかかわらず、それでも俺を叱咤する。

それは彼女の職務故か。

軍人であれと、迫られたからか。

 

 

「我々に、トリアージを行えと?」

「私は『お願い』をしているのではない。杜撰な現状の治療体制を打開する有効な対策案を貴方方(あなたがた)が明確に提示できない以上、トリアージを『やれ』と、私は、私の名で以って命令するしかない」

 

 

士官として、人が一人でも助かるようにと、責任を負う、全うする。

それらは全て、全く以って、可笑しなことだ。

少女のするべきことではない。

 

それらは全て、大人がするべき、負うべき事ではないか。

 

彼女の軍人としての、士官としての資質は己以上であることは認めている。

指示も、心理把握も玄人然とし、共に戦場に立つ身としてはこれほど頼れる人はいないだろうことも断言できる。

しかし、しかしだ。

彼女を大人に、ウィッチに、軍人に、英雄に仕立て上げ、戦場に送り出す。

それは大人として、いや。

それ以前に、道徳的に、子どもを戦場に送り出すことは、人として最悪な恥ずべき事ではないだろうか。

 

 

「この場にいる士官の中での最上位は、ルクレール中尉とルドルファー中尉でありますが――――」

「梯団を纏めるべきは、ルドルファー中尉だ。それは疑いようもなく、また、()()、自分ではない。お願いできるかルドルファー中尉」

「………了解した」

 

 

疑問を抱いた、抱いてしまった。

しかし疑問を抱けど。

残念ながら自身は未だルドルファー中尉の代わりにはなれず。

そしてどちらが指揮することがこの場にいる皆の為になるかは、考えるまでもない。

 

だが、見ろ。

彼女を。

子どもの彼女を。

ボロボロの彼女を。

命を削るかのように懸命な、彼女を。

 

そんな彼女に頼らざるを得ない己は不甲斐なく、情けなく、そして彼女を仰ぐことを疑う事もしない他の士官らもまた同様。

彼らは彼女を英雄としか見ていない。

子どもであることを忘れている。

 

本当は誰かに異を唱えてほしかった、おかしいと訴えてほしかった。

他力本願。

しかしながら俺自身は彼女と同尉官位で。

その俺が進んで個人感情に左右される訳には、少なくとも団結を求められるこの場では、いかなかったのだ。

せめて。

せめて我々よりも上位階級者がいてくれれば、大隊長が生きていてくれればと、贅沢を思う。

 

求めるならば。

南側にある梯団と合流することも、合流要請もあったことから、一時は考えたが却下した。

駄目なのだ。

通信した時に理解したが、あの梯団の指揮官は、ウィッチの戦術価値を正しく理解していた。

それ以前に、梯団との合流を目指すには、ネウロイが広げる戦線を越えなければならない。

ルドルファー中尉が定めた戦力保持の方針に反していたからこそ。

 

 

「糞だな、俺は」

 

 

南側の梯団からの再通信に受話器を、苦しみながらも、受け取るルドルファー中尉をまた望む。

先ほど不快に思われた望む目は、しかしそれ以外に向けるべきものを知らないから。

 

何故に。

この世にウィッチなどというモノがあるか。

何故に。

彼女のような幼子に人を導く才を与えられたか。

ソレは我々大人では駄目なのか。

もしもそれが運命と呼ぶのなら、神よ、それはあまりにも無慈悲が過ぎる。

だが、それを俺が責める事はできない。

 

そうだ。

恥ずべきと、外道だと。

この場にいる誰よりも理解していながらも、最もな戦力として、指揮官として。

満身創痍のルドルファー中尉を神輿に祭り上げる俺こそが、畜生だ。

しかしそれこそが。

人が守るべき最終道徳を破り常識人をやめて。

国家とその国民の盾となるべき軍人、その本懐なのだろう。

 

 

 

 

 

そう言い訳をし。

ルドルファー中尉が倒れるその瞬間まで俺は言い訳をし。

背負うべき責任から目を背け続けた。

その自分勝手な怠惰が、傲慢が、自業自得を産むと知らずに。

 

 

 

 

 

「大丈夫か、ルドルファー中尉」

 

 

倒れそうになったルドルファー中尉を、咄嗟に支える。

めまいでも起こしたのか。

いや、彼女が貧血と疲労困憊で限界なのは把握していた。

力なく、枝垂れかかる彼女。

そんな様を見れば、彼女には少しでも休んでもらいたいと、理性では思う。

しかし今此処で、彼女に倒れてもらっては困ると、軍人としては思う。

 

 

「ルクレール、()()

 

 

焦点の合わない目で、弱弱しく俺を見上げる彼女。

違和感。

弱っていても、覇気があった先ほどとは打って変わって、腕の中にいるのはまさに見た目通りの少女の様、別人の様。

そんな様を、他の士官らには見られないようにする。

我々は、残酷な事を言うが、そんな彼女を求めていないのだ。

 

 

「しっかりしろ、ルドルファー中尉。立てるな?」

「は、はい………あ、いや。勿論だ、ルクレールさ………中尉」

 

 

言葉の覇気と口調が、はっきりしないのは気になる。

俺を支えに立つ。

立って、再び受話器を持った彼女、見送る彼女に抱く違和感は拭えない。

 

 

『おい、おい。聴こえるかね中尉。何があった』

「いえ、失礼しましたエヴァンス中佐。少々不都合がありまして」

 

 

望まず、見送れた。

『見送れた』

可笑しなことではない、本来なら正しい筈の事だ。

故に。

嫌な予感がする。

 

 

『不都合? いや、通信がこうして正常に出来ているなら既に問題ではないのだろうが………』

「はっ、一切少しも何事も」

 

 

その違いはあまりに大きい。

だからこそ。

嫌な予感がした。

 

 

『では、中尉。今ここで、確かな、明確な、紛うことなき返答をいただこう』

「ルドルファー中尉!!」

 

 

嫌な予感がした。

だからだろう。

俺は、彼女を呼び止める。

そんな俺に気付いた彼女は、こちらに振り向いて、笑む。

 

 

「要請、()()()()()()()()中佐殿。あの糞虫共に、一泡吹かせてやりましょう」

『貴官の賢明な判断に感謝する中尉。武運を』

「はっ、武運を!!――――――っ!?」

「ちゅういいいいいいいいいいいいいいい!!」

 

 

なんだこれは!? いったいなんだこれは!?

今の梯団側への返答(裏切り)に憤り、言葉で詰め寄るよりも、手が早い。

彼女の襟首を乱暴に掴み、彼女の身は宙に浮く。

 

 

「どういうことか、説明は勿論あるのだろうな!? まさか貴女が勝利の使い方を忘れたわけではないだろうな!? なあぁおい、ルドルファー中尉ぃ!!」

「………」

 

 

自ら定めた方針を自分一人、勝手に歪めた。

直前に手のひらを返し、俺たちを裏切った。

この場にいる兵を、勝てるかどうかもわからぬ戦場に突撃させることを自分一人、勝手に決めた。

少なからずの血と肉の贄があっての勝利を、全て台無しにするやも知れぬ判断。

それは指揮官として恥ずべき行い、愚行。

 

 

「いや、違う? なんだ?」

 

 

違和感。そう、違うのだ。

怒りの焦点は、ソレだと思っていたが、違う。

焦点は、俺が思う点とは、また別にある。

しっくりこない。

 

 

「『なんだ』、だと? それはこちらのセリフだ、ルクレール中尉。何か言いたいことがあったのではないのか? んっ?」

「………」

 

 

しかし表すには酷く曖昧で、言葉、形にならない。

 

 

「ないのであれば、この手をはな――――――」

「ヴゥワン!!」

 

 

と。

いつの間にか、傍に現れていた白狼が、唸り吠えた。

この白狼、何処から現れたのか? いや、先ほどまでルドルファー中尉に生えていた耳と尻尾が、ない?

ルドルファー中尉の使い魔、しかし吠えた。

俺に、ではない。

彼女にだ。

つまり。

 

 

「貴様は、誰だ?」

 

 

問う。

言ってから気付くが、我ながら可笑しな質問だと思う。

だが問うべき疑問の解は、これが一番しっくりくる。

 

 

「………」

 

 

沈黙。

それはこの場をやり過ごそうとする為か。

だが問われた彼女は俺を睨むが、やはり覇気がなく。

己の使い魔には、唸り続けられる。

暫くして、彼女は観念したかのように口を開いた。

気味の悪い、笑みを浮かべながら。

 

 

「『誰だ』、とは。可笑しな質問をするのですね」

 

 

あまりの気味の悪さに、思わず手を放すが。

変わる口調。

それは、彼女が今までの彼女とは別人である事を認めたも同然だ。

 

 

「貴様は誰だ」

「誰?と問われましても、私はワタシ。いや、ワタシこそが『ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー』であるとしか言いようがないのですが……………取りあえずはじめまして、未来の英雄さん。フィリップ・ルクレール・ド・オートクロークさん」

 

 

優雅に頭を下げて、クスクスと笑う。

そして、それだけで理解しろと言いたげだ。

………二重人格の一種か?

そう勝手に解釈し、銃を彼女に向ける。

 

 

「物騒ですね。ソレ()、下ろしていただけません?」

「今の貴様に、この梯団の軍権は渡さん!!」

 

 

もはや、目の前にいるのはルドルファー中尉ではない誰かだ。

彼女を乗っ取り、折角生き残った皆を地獄へ引き連れようとする悪魔だ。

そのようなモノに、此処まで来て、めちゃめちゃになどされて堪るか!!

 

 

「今の貴方に、果たしてそれが言える立場であるとでも?」

 

 

周りを見ろと、彼女は楽しげに舞う。

彼女の言われた通りに俺は周りを見るが、するとどうだ。

此処にいる士官ら全員が、俺に向けて銃を構えている。

 

 

「………彼らに何をした」

「何をした? またまた可笑しなことを言いますね。彼らはもとより正気ですよ、そして同時に狂気なのですよ。それは貴方が、貴方達が望んだことでしょう?――――英雄であらん、私を」

 

 

何てことだ。

俺は間違っていたのか?

 

 

「………そんな」

「気付いたのですか? そう、そうですよ!! 彼らはもはや、私の信奉者!! 哀れにも可哀想な、そして可愛想な、私に救われ、私を崇め、私に縋るしかない信者!! さもなければ生きられない、それに彼らは気づいている故に、故に!!」

 

 

迫る顔面、見開かれた眼球。

大きく聳え、見下ろされ、覗きこまれるその目は、淡い空色なのに、濁って見えた。

見下ろされる? いや、屈しているのだ、俺が。

俺の持つべき狂気が、軍人としての覚悟が、彼女の理性に責められ屈したのだ。

そして見透かされている。

 

 

「そう、あなたが!! あなたがあなたがあなたがあなたがぁ!! 気付いていながらも!! 無力だからと諦め怠惰にも私に逃れ押し付けた結果がコレなのです!!」

 

 

突き付けられた、怠慢。

信頼したのは過ち?違う。

彼女を信頼することは、過ちではない。

問題は―――

 

 

「諦めたのはどうしてです?」

「俺は」

「私に押しつけたのはどうしてです?」

「軍人として」

「責任を取らないのはどうしてです?」

「ルドルファー中尉が適任だと」

「ちっがあああああああああああああああああうぅ!!」

 

 

否定。

 

 

「貴方は、恐れるあまり、逃げたのです!! 仲間の死から、グローン伍長の死から、死の責任から。そして諸々すべての責任から。自信がないからと、力がないからと、私がいるからと!!」

「ご、ちょう?」

 

 

茫然とする。

伍長の死を、何故知るか?

教えた覚えはない。

彼女は知る由もなかった。

なのに、なのになのになのに。

何故知るか?

虚空を眺め、そして涙する彼女。

見えているとでも言うのか?

死んだグローン伍長の事が。

それは、それは。

なんと恐ろしい。

 

 

「嗚呼、なんて可哀想。私も、貴方も。ですから、ワタシは私と貴方に心から同情するのです。ええ、ええ、分かりますとも、分かりますとも。私は、貴方よりも実に救いようもない、可哀想な思いをしてきたのですから。ワタシはソレを知る。そしてワタシは、分かるのです。ワタシは貴方と同類ですから。私に運命の全てを押し付ける、同類ですからね」

「ぁぁぁああああああ!!」

 

 

そう、恐ろしい。

ルドルファー中尉の中に潜む誰かが、恐ろしい。

俺が死なせた仲間のその顔が見えている事が、恐ろしい。

俺の心の奥底を濁った、いや、濁らされた眼球で覗かれているのが、恐ろしい。

その上理解されて、同情されている事が恐ろしい。

恐ろしさのあまりに、だから、這う。

地を這って逃げるのだ。

みっともなく、情けなく。

 

だが、ルドルファー中尉の皮を被る誰かは、追いかけてきて、捕まえて、囁く。

 

 

「だから、さぁ、恐怖から逃れましょう? みんなで突撃しましょう? 終わりにしましょう? 突撃しながら、ガリア国歌を高らかに歌いながら。きっと楽しいですよ。ねぇルクレールさん?」

「や、やめろ………」

 

 

それだけは駄目だ。

 

 

「やめてくれぇ」

 

 

彼女が突撃を号令するなら、誰もかれもが付き従うに違いない。

皆、彼女に魅せられている。

疑問に思う者は誰もいないだろう。

そしてそれが活路だと皆信じて付き従うのだ。

地獄に導かれていると知らないまま。

いや、知っていても従うしかないのだ。

それが俺と、この場にいる皆が作り上げた、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー(英雄)というモノ。

俺に彼女は止められない。

 

 

「ぁああああ、ルクレールさん!! 私に全てを押し付けた罪を棚に上げ、その上ワタシに他者を慮れと、思えと頼むなんて、なんて傲慢!!」

「頼む、頼むからやめてくれぇ」

 

 

だから「やめてくれ」と懇願しかない。

みっともなく、彼女の足に縋りついて。

 

 

「………己は逃げたというのに、それでもなお偽善を行おうとするとは。まるでワタシを見ているようで、同族嫌悪とでも言うべきでしょうか。ええ、ええ。不愉快ですが、非常に不愉快ですが聞きましょう、聴き入れましょう。そもそもワタシも、私も、無意味な人の死なんてこの場にいる誰よりも、何よりも望んではいませんから」

「本当、か?」

「ですが、一つ条件があります」

 

 

また、彼女の顔面が、眼前に、寄る。

寄って、告げる。

 

 

「ワタシの邪魔をするな」

 

 

それだけ告げて、彼女は立つ。

その両足で、しっかりと。

 

 

「諸君!! 私はこれより単身、この街を占拠する糞虫共に鉄槌を下しこれを打破し、未だ戦う我らが同胞を迎えに行かんと思う!!」

「中尉!!」「ルドルファー中尉!!」「我らも共に!!」

「否!! 諸君らは此処に残り、ただ私の帰還を待て。そして見極めよ!! 私が、貴官らを率いるに相応しい者か、否か!!」

「まて………待て!!」

 

 

邪魔するなとは言われたが、このまま彼女を行かせるわけにはいかない。

この梯団には、彼女が必要なのだ。

だからこそ、一人で地獄へ向かおうという行為を見逃す訳にはいかない。

 

 

「単身で、あのネウロイを打破するだと? それが自殺行為だと分からないのか?」

「言われるまでもなく」

「なら」

「ルクレールさん、ワタシは邪魔するなと伝えましたよ」

「……っ」

 

 

「この場の指揮は任せました」

そう言って、去る彼女を俺は見送る。

これ以上、彼女をとどめる事は、俺にはできそうにないからと、諦めた。

それもまた、怠惰だ。

 

 

「ぉぉぉぉおおおおおおおお!!」

 

 

拳を地に打ち付けた。

俺は人か? 軍人か?

 

 

「づあああああああああああ!!」

 

 

頭を地に打ち付けた。

俺は正気か、狂気か。

もう一度、打ち付ける。

彼女に指摘された、逃げ。

恥じた、それを償うように。

 

 

「ふー、ふー」

 

 

明らかにしなければいけない、覚悟しなければいけない。

俺は、人か、軍人か。

俺は、正気か、狂気か。

それを。

彼女がこの場に再び、帰還するそれまでに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『主を返せ』

 

 

再び戦場へと主を誘う者に、カルラは吠えた。

全ては、主を思う愛と忠誠故に。

逃げて、主に全てを押し付けた元凶の者の勝手を、許さない為に。

 

 

「返せ? この身を? ワタシが、私に?」

『返せ』

「面白い冗談ですね、カルラ。ワタシが、ワタシこそが、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーであるにも拘らず、返せと言う。なんと傲慢。私に、貴女はソレに気付いていながら伝えなかった怠慢の罪を持っているにも拘らず」

 

 

指摘に、カルラは口を噤む。

押し黙ったのではない、噤んだのだ。

カルラは、気付いていながら確かに己の主にソレを伝える事を怠った。

怠慢であると言うが、しかしそれは主を思ってこそ、理由があるからこその怠慢。

だが、それでも怠慢だと彼女は罵った。

怒りさえ、呆れ、収まる。

カルラは察したのだ。

目の前の者は、今、思いを無視した結果だけしか見れない程に、焦っている事に。

 

 

「カルラ。主を助けたいのなら、ワタシを助けなさい。ワタシも、私を助けるから。こんな所で死ぬつもりはないから」

『なら、此処にとどまる事が最善。主も、それが一番だと』

 

 

彼女は首を大きく振る。

まるで、子どもが嫌々と、駄々を捏ねるように。

そして、見下ろす。

その見下ろす先には、ネウロイ。

彼女の空色の瞳に、燃える街が映る。

それは彼女の内の憎悪を表すかのよう。

 

 

「憎い」

『何が?』

「私を苦しめるネウロイが、利用する大人が、この世界が、そしてワタシが、全てが」

『そう』

「ごめんなさい、私。聞こえていないと思うけれど、勝手だと思うけど、謝るわ」

『本当に自分勝手』

「ええ。でもね、個人感情を殺して大衆の為の英雄になる道を選んでくれた私には悪いけど、ワタシにはそんな判断できないの。大切な人は、誰よりも大切だから。眼前の(かたき)を討たないままに去るなんて出来ないから」

 

 

それ以上カルラは何も語ることをやめた。

思いは、語る彼女と同じであった故に。

そしてカルラは、元居たヴィルヘルミナの中へと戻り、ヴィルヘルミナは再び戦場へと飛び出した。

 

 

 

 

 

白銀と朱の軌跡が、再び灰色の空を描く為に、飛ぶ。

 



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だから彼女は決着をつける

なんで私は、また、まだ、戦場に立っているのか?

自分の今現在の行いに、可笑しな話だが疑問を抱く。

いまさらな話、滑稽で不思議な話ではある。

しかし、いやいやどうして、我が事ながら本当に可笑しな話だが、解答を持つ者がいるのなら尋ねたい。

どうして私は、また、まだ、戦場に立っているのか?

 

 

「はて?」

 

 

気付いたら、またネウロイと空でダンスを踊っていた。

それもまた、両脇にはFM mle1924/29軽機関銃とボーイズ対戦車ライフルを抱えて。

寝ぼけた? 夢遊病?

いつの間に?なんてツッコまない、ツッコみたくない。

だけどツッコまななければ気が済まない。

 

私は何故、また、まだ、戦場に立っているのだ?

 

笑うしかない。

エヴァンス中佐との通信からの、前後の記憶が酷く曖昧なのだが。

しかし僅かにもその時、自らの定義した筈の勝利を自ら捨て、勝手に要請を受け入れ。

更には私のバカげた行いに正しく憤慨し、問い詰めたルクレール中尉に何事かの罵倒を、己の口から紡いだことは、覚えている。

 

だから、嗚呼。

何てことをと、己で己を嘲り笑う。

 

 

「クソッ!!」

 

 

思わず吐き捨て、発砲。

馬鹿か。

 

 

「クソッ!!」

 

 

歯ぎしり、発砲。

ボケたか、私。

 

 

「クソッたれ!!」

 

 

憤り、発砲。

我ながら、取り返しのつかないことをしてくれたものである。

台無しだ、全て。

 

まとわりついていたネウロイ群を退けて、一度民家の屋根上に着地する。

それは自らの荒い呼吸を整える為であった、が。

泣きたい、なんて。

同時に思わず弱音まで漏れてしまう。

 

 

「何故だ!!」

 

 

どうしてこうも、上手く行かない!!

その思い、そして漏らした弱さを想い、髪をくしゃりと搔き、潰す。

 

………思考の件は置いておくとしても。

自己の行動まで制御できないとなると、これはいよいよ重体。

早急に、精神科に向かった方がいいのかもしれない。

信じたくはないが、問題は、それほどのレベル。

 

 

「ああそうだ………」

 

 

確かパリには父の知り合いに高名な精神科の医師がいた事、幸いな事にその医師とは面識がある事を思い出す。

己が正常でないのなら、パリまで逃げられたのなら、その人に診察と検査をお願いしよう。

そうしようと、決意。

 

 

『主、――――』

「黙れ」

 

 

カルラの言葉を、何を語るのかさえ分からぬまま、拒絶した。

無意識下での自己防衛、とでも言うべきか。

ともかく、私は彼女の言わんとしたことを拒絶した。

今の私には心の余裕がない、それ故に。

 

今の私の異常が、精神的な何かであるだけで済むのであれば、まだいい。

ずっと戦場で命のやり取りをして、何百もの人間を殺してきたのだ。

護ろうと備え、愛していた両親を、少しの抵抗の努力も許されずに呆気なく殺されたのだ。

目の前の他者を救う為に、大切な人を見捨てるような事を選んだのだ。

とうとうか? それとも今更と言うべきか?

己が壊れていたとしても別に驚く事ではない。

ただその異常が私の思いもよらず、理解が及ばない。

そして自分ではどうしようもないような超常的な何かだとしたら。

 

今の己の異常性は、どうしようもなく恐ろしい。

 

私の及ばぬところで、誰かを巻き込んで、破滅に進ませているのではないのかと。

それを考えれば、カルラさえぞんざいに扱ってしまう。

それほどまでに。

 

 

『気にしてない』

 

 

………そうか。

 

ひとまず、その話もまた一度脇に置くとしよう。

それよりも、今は眼前の敵である。

ネウロイと交戦する中で、いや、それ以前に薄々と感じていた事だが。

街の中央、正確には本体があると思しきネウロイに近づけば近づくほどに、分体たるネウロイの機動もまた良くなっている。

分裂型である仮説が、また一つ信憑性が増したわけだ。

 

 

「さて」

 

 

この街全てのネウロイが、一個のネウロイ。

コアに支配され統制されている分裂型、これをどのように打破するか。

厄介な相手に、どのように仕掛けるかを思案する。

 

本来なら、単独戦闘を避けるべき敵だ。

分裂型それ自体の厄介さはあるが、何より問題なのは、本体と思しきネウロイに随伴する数多の飛行小型ネウロイにある。

数の問題もあるが、本体に近い事で統制が格段に上がり、遅滞戦闘戦時よりも脅威程度は確実に増している筈だ。

しかしこれをどうにか突破しなければ、本体には近づけない。

だからこそエヴァンス中佐が語ってくれた、梯団が「囮となる」と言う言葉には大いに期待している。

が、しかしはたして航空戦力無しで、それを有言実行できるのか。

疑問ではある。

 

 

「?」

 

 

と。

私は口笛を想起させるような、空気を切り裂く音を聴く。

それはこの街にネウロイが飛来してきたときのものよりも、より甲高い音であった。

見上げれば、放物線を描いている、ナニカ。

それは彼方より飛来し、本体と思しき大型ネウロイに落下したと思えば、瞬間、火炎と轟音と化す。

空間を震わせ、紅蓮を作り上げるのは。

 

 

「なるほど、迫撃砲か」

 

 

この短時間でよくもまあこんな支援を考えたものだと感心する。

迫撃砲は面制圧兵器であるが、迫撃は初弾から大型ネウロイからの誤差少なく、あの梯団が抱える部隊の練度も確かだと見て取れる。

あれならば確かに十分な支援であり、あれだけの威力はネウロイの注目を集めざるを得ないモノ()となれる。

 

支援だ。

彼らの迫撃による打撃は一見威力があるが、しかし撃破には到底届かないものでしかない。

 

迫撃は、空しくもコアがあると思しき大型ネウロイに随伴する小型ネウロイに食い止められているが、彼らが迫撃を続ければその破壊力は、いずれ小型ネウロイ群の回復力を上回り、確かに大型ネウロイを撃破することが敵うだろう。

だがもとから梯団単独で撃破できたのならば、もとより私の出動は不要だ。

故に私は彼らが行う迫撃を、撃破を目的としない、支援と取った。

彼らは迫撃砲、それに戦車等の打撃力のあるモノを保有しながらも、私の協力を求めたのだ。

それは彼らの継戦能力、主としては弾薬類が芳しくない事、それに伴って明らかな決定打がない事を匂わせる。

 

私の前進に合わせた迫撃、此処にきての大盤振る舞い。

それはあの梯団が、この一戦に全てを掛けている意思の表れで、そして私に決着の一手になる事を掛けている事の証左………いや、それは流石に言い過ぎだろうが。

しかしながらあの分裂型を打破する作戦の軸として、少なからず私を組み込んでいるのは、これで明らかである。

 

 

「まさか、大佐の過保護でもあるまい」

 

 

あちらの梯団の支配は、大佐と呼ばれていたあの人にあるのだろう。

この局面、そのような事ができるのは、あの人くらいだ。

私の戦闘ぶり、大型ネウロイに確実に大打撃を与えうる能力があることは、あちら側にも勿論見られていたとは思う。

だが私のような得体のしれない小娘に、大隊以上の戦力、そして少なからず抱えているだろう民間人の命運を任せるには、些か信用するには足らない。

大佐が私を知るからこその、個人的信用、信頼。

そして信用と信頼の上で、たとえ私が失敗したとしても最低犠牲は私というひとひとりで済むと考える、私にとっては非情で、しかし梯団の戦力保持と民間人の事を考えた上では合理的なこの判断は流石だ。

おそらくは私が負けたとしても、梯団が勝つ次の作戦、漁夫の利を得る作戦は既に展開してあるのだろう。

私なら、そうする。

 

 

「………はっ」

 

 

少しばかり胸に苦しさを感じて、息を吐き、胸を押さえる。

物理的な苦しさではない。

私の胸は、幼いから。

そう、まだ己が幼いから、母の軍服に収まっている。

 

思うのは、大佐の事、あの人の事。

 

私は彼を見捨てようとしていた。

その判断を、今でも間違いだとは思っていない。

それはドモゼー姉妹の為、逃げ遅れた民間人の為、ルクレール中尉のような残された兵士達の為の判断だった。

同じことを、し返された。

その程度で悲しく思うのは、我ながら、自分勝手だ。

それ以前に、私はあの人の娘を守れず、むざむざ死なせてしまったのだ。

私に悲しむ権利なんて、どうしてあるだろうか?

 

ある訳がない。

 

迫撃は、未だ続く。

梯団の迫撃によってネウロイ群の動きは拘束され、戦力を削いでくれている事で、幾らか接近の難易度は下がってはいるだろう。

だが、それでも私があのネウロイを撃破できる確率は、低い。

これまでの戦闘で、私のコンディションが著しく低下しているのは明らかだ。

可笑しなことに、枯渇寸前であった筈の魔力残量が何故か二割ほど回復しているが、体力、そして私の固有魔法による無茶な機動に、これ以上は体が持たない事は自覚している。

全力で戦える、つまり、分裂型に接近を図れる機会はおそらく一度きりだろう。

 

コアのあるネウロイ撃破の鍵を握るのは、右手に持つ、ボーイズ対戦車ライフル。

シャルロットを発見した際に放った一射。

あれは無意識に力み、たまたま完成した高純度の魔法弾と、固有魔法で加速させたことで生まれた偶然の一発だったが、あれを再現し当てる事が叶えば、魔力もまた枯渇するだろうが、上手く行けば大型ネウロイとて一撃で屠れる可能性が高い。

ボーイズ対戦車ライフルの有効射程は、使用した感覚からして、おおよそ90、100mほどか。

ならば、外すことなく確実に仕留める為には最低50m圏内には接近する必要があるだろう。

 

50mのキルレンジ。

 

それは簡単に届きそうで、しかしそこはもう、大型ネウロイの懐なのだ。

そこまで近づく道のりは、困難を極めるのは考えるまでもない。

大型ネウロイのビームによる迎撃能力は、生前の頃より熟知している。

小型ネウロイ群に包囲され、四方八方からビームを撃ち込まれる恐ろしさは、さきほどの戦闘で身をもって知っている。

寧ろ、あれよりも統制された迎撃をされるのだ。

果たして、私は生き残る事ができるだろうか?

正直に言えば、生き残れる自信は、ない。

 

 

「………いや」

 

 

寧ろ。

この結末は、私にとっては好都合なのかもしれないと考える。

ちらりと視線を移せば、此処からでも見える、軍立病院。

私の大切な両親の、墓場。

 

 

 

 

 

私は、弱くなった。

 

 

 

 

 

死の恐怖を感じるのは、いつ以来だろうかと嗤う。

死にたくない。

感じるそれは、人として当然の思いだ。

死んでほしくない。

伝えられて、受け止めたそれは、人として当然の願いだ。

けれどそんな当たり前の感情を感じて、受け止められたのは、大切な人達のおかげだろう。

両親がいたからこそ、私は弱くなれた、弱くなることが出来た。

大切な人を護る強さを求める中で、私は、再び人になれた。

それは喜ばしくも、悲しい事。

 

赤の他人を救う為には、軍人でなければならない事を私は知っている。

 

だけどそれを今、この瞬間だけは、忘れる。

軍人であるのなら、私は今すぐにでも踵を返すだろう。

ルクレール中尉らに頭を下げて、梯団を無視してでも。

あの人が死ぬことになろうとも、それさえ無視して撤退を指示するのだ。

それが、救う事の出来た他者を、確実に生かす道だ。

 

それをしないのは、私が弱いから。

 

弱いから、両親の仇討ちが出来る。

二度と来ないだろう、思わずも巡ってきた機会を前に、だから個人感情を優先してしまうのだ。

それがたとえ、あのネウロイと刺し違える事になろうとも、だ。

死にたくないという思い、死んでほしくないという願いとは些か矛盾しているだろう。

だけど、その根幹にあったのは、両親。

だから。

 

 

「嗚呼、なんだ」

 

 

私が此処にいる、異常だと思っていた行動の正体。

今思えば、それはなにも。

 

どこも。

 

異常も。

 

矛盾も、なかった。

 

両親の敵を討ちたい。あの人の助けになりたい。

軍人になり切れていなかった、弱くなった私の心の何処かでその思いがあったから、今ここにいるのではないのか?

 

 

『主』

 

 

カルラが心配そうに、私を呼ぶ。

呼ぶ、それだけの行為。

しかしそれだけで、私にその先に進むなと、警告をしているかのように思えた。

カルラ自身の感情なんて、そっちのけだ。

 

 

「カルラ、ありがとう」

 

 

彼女が本当は何を望んでいるのかなんて、繋がっているのだから分かっている。

彼女が私と共にいたいと心から思っている事も知っている。

 

 

『主………』

「これが私の意志で無かったとしても、私はこの結末を心の何処かで期待していた。納得しているよ」

 

 

だから。

 

 

「カルラ」

 

 

残酷な事を願う。

 

 

「私と、心中してくれ」

 

 

迫撃が、止む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迫撃が止むと同時にヴィルヘルミナは駆け出し、飛ぶ。

彼女の背には白く、天使の翼を連想させるような固有魔法が現れ、飛び出す彼女を後押しする。

 

彼女の淡い蒼眼に唯一映るのは、コアがあるであろう大型ネウロイ、ただひとつ。

 

迫撃を耐えきったと思っていた大型ネウロイは、此処にきて再び現れた敵に、人間の感情で言うところの驚きに近いモノを抱く。

残りわずかになった、分体、小型飛行ネウロイ群。

それを差し向け、盾にし、壊れてしまった自らの分体の修復を急かす。

 

本体に近ければ、分体の動きが向上するというヴィルヘルミナの推測は、間違いではなかった。

残された小型ネウロイ群は少数であれど、彼女が遅滞戦闘時よりも小型ネウロイ群、分体群の動きが良くなっているのは明らかで、その脅威は、遅滞戦闘時よりも確実に上であった。

しかしヴィルヘルミナは、大型ネウロイへと迫る。

 

遅滞戦闘戦時と、現在の彼女には大きな違いがあった。

それは抱えているモノの、違い。

 

遅滞戦闘時は囮として護るべきモノがあったが、今の彼女にはそれがなく。

それは決死の機動ができる事を意味し、無茶な突貫ができる事もまた同様。

その違い。

かつて戦場に死を振りまいた死神に枷があるか、ないかの違いは、あまりに大きすぎた。

 

天使のワルツを思わせた先ほどまでのヴィルヘルミナの飛び方は、今では打って変わって暴風のように荒々しい。

小型ネウロイ群は、四方八方放たれる弾丸の暴風に飲まれ、為すすべなく次々と砕けていく。

暴風を抑えようと、捕らえようと、囲ってみても抑えられない。

背中に目でもついているのか?

背後から仕留めようと動いた分体には、その瞬間、銃弾が叩き込まれた。

 

ノールックショット

 

彼女が背面に迫る分体の位置を、一切、一度として見ることはない。

彼女の目は、顔についた双眼だけではないのだ。

危機察知能力。空間認識能力。

長く空で戦争し、不利的状況下で戦って、生き延びてきた結果か。

彼女のソレは、常人と比べると異常なまでに発達し、対多数戦闘下ではこれ以上ない武器となる。

彼女にとっての武器は、ネウロイにとっての凶器である。

そしてその凶器は、そのままネウロイにとっての、脅威。

 

 

『―――――――――――――――!!』

 

 

ネウロイは、迫る脅威に噛みつくように、吠えた。

ネウロイの咆哮は空間を大いに震わせ、遠くにいながらも、それを聴いた人々にこの上ない恐怖感を与える。

しかし、飛び、迫る彼女は止まらない。

大型ネウロイは、直感する。

 

己にとっての紛れもない、死が、来る。

 

最大の脅威だと感じていた先ほどまでの迫撃さえ、迫る目の前の敵と比べたら生ぬるい事であった。

他の大型ネウロイの応援は、間に合わない。

壊れた分体の修復をあえて少数に絞って急がせ、己は敵の接近を防がんと光線を放とうとする。

が、光線が狙い通りにいかぬほどの衝撃が、大型ネウロイを襲う。

原因は、分かっていた。

目の前の忌々しき白銀である。

 

ヴィルヘルミナと大型ネウロイの相対距離は、残り100mをきっていた。

 

ヴィルヘルミナは大型ネウロイの攻撃を、ボーイズ対戦車ライフルを用いて妨げる。

流石に陸戦型、魔力をさほど込めずに放たれた13.9mm弾では装甲を貫けず、撃破とはならない。

だが13.9mm弾のストッピングパワー、そして大型ネウロイの体勢を意図して崩す為に放たれたそれは、大型ネウロイに思う通りの攻撃をさせる事はない。

しかし大型ネウロイも、ただ黙ってやられる事はない。

ヴィルヘルミナがボーイズ対戦車ライフルを構えた銃口、その直線上に分体群を動かすことで、対策とした。

 

相対距離、残り75m。

 

ボーイズ対戦車ライフルへの防御対策が立てられたことによって、大型ネウロイは何十条もの光線をヴィルヘルミナに向け、放つことが叶う。

互いの距離が近い事、大型ネウロイの光線が大口径であることもあって、ヴィルヘルミナの接近はここで足踏みする。

それでも少しずつ、身を削り、焦がしながらも。

ヴィルヘルミナは大型ネウロイに迫る。

 

相対距離、残り60m。

 

此処にきて遂に、小型ネウロイ群を抑えていた機関銃の弾が尽きる。

ヴィルヘルミナは弾の切れた、機関銃を放棄。

無論、それを見過ごす大型ネウロイではなかった。

大型ネウロイは機関銃の拘束を解かれた分体群を前面に押し出し、ヴィルヘルミナの視界と退路を素早く遮る。

遮って、大型ネウロイは間髪容れずに最大火力で以て、集束して完成した巨大な光線を放った。

斜線上に己の分体群がいる事も構わずに。

 

その時点でのヴィルヘルミナと大型ネウロイとの相対距離は、残り55mであった。

 

しかし光線の斜線上で、爆発と、悲鳴。

そして光線の後には、光線と分体群の残滓が降る中には、白銀の姿は見えない。

 

死は去った。

 

 

『―――――――――――――――!!』

 

 

その事を喜び、ネウロイは、勝利を高らかに吠えた。

己の勝ちだと、世界に知らしめるかのような咆哮は、また世界を震わせる。

 

遠くから見ていたものらは、ヴィルヘルミナが敗北したかと、絶望した。

近くから見ていたものらは、ヴィルヘルミナが落ちた事に、驚愕した。

 

相対距離は、残り50m。

 

 

「じゅう………ぶん、だ」

 

 

大型ネウロイが蒼く輝くヴィルヘルミナの姿を認めたのは、安堵し咆哮を上げた、刹那の後。

ヴィルヘルミナは、確かに落ちた。

正確に言うなれば、光線を回避する為に己もまたダメージを受ける事も覚悟した上で、持っていた全ての手榴弾をばらまき、突破口の出来た下へと彼女は飛んで、光線を逃れていたのである。

そして、相対距離50m。

大型ネウロイを仕留めるのに十分なキルレンジに、瀕死の状態でも、彼女は届いたのである。

 

そしてありったけの魔力を弾丸に込め、ヴィルヘルミナは、ボーイズ対戦車ライフルを大型ネウロイへと向け………

 

 

 

「ぐふっ!?」

 

 

しかし同時に、ヴィルヘルミナの身体も限界を迎えた。

身体が悲鳴を上げ、耐え切れず、彼女は崩れるように倒れていく。

倒れる寸前のところで手を着き、完全に倒れる事は免れた彼女だが、口からは多量の血が溢れる。

今までの出血。

さらに手榴弾による負傷。

そして軌道を無理矢理変更し、飛ぶことも叶う彼女の固有魔法。

本来そのような飛び方を続ければ、少女の身では無論命にかかわる。

保護魔法で軌道に耐えてきた彼女だが、最後の光線を逃れる為に行った軌道変更はほぼ直角。

その決死の軌道が、ヴィルヘルミナの命運を分けた。

 

 

 

 

 

結果、彼女の最期の一歩は、ネウロイには届かなかった。

 

 

 

 

 

大型ネウロイは眼前で這う忌々しき死の白銀にとどめを刺す為に、迫る。

ヴィルヘルミナはもがき、何とかボーイズ対戦車ライフルの銃口を大型ネウロイに向けんとするも。

 

だが無力にも。

 

しかし無慈悲にも。

 

そして残酷にも。

 

光線が発射されるその瞬間までに、再び銃口がネウロイのその身の位置まで持ち上がる事は、無かった。

 

 

 

 

 

そしてヴィルヘルミナの決死も空しく、大型ネウロイの光線は、彼女に向けて発射された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしその光線は狙いは逸れ、彼女の後方を撫でた。

 

 

「撃て」

 

 

光線発射直前の事。

 

 

「撃て!!」

 

 

迫撃を避ける為に後退していた梯団の戦車部隊の前進、合流が、ヴィルヘルミナが落下した時点で間に合っていたのだ。

ヴィルヘルミナの落下を遠くで見ていたものらが、ルクレール中尉らなら。

近くで見ていたものらとは、彼ら梯団戦車隊の事。

 

 

「彼女を死なせてはならん!! 中尉の決死を無駄にしてはならん!!」

 

 

吠えたのは、空軍の将校服に身を包み、白髪交じりの髪を隠す為にかベレー帽を被る初老の男。

彼の号令に戦車隊は一斉に砲撃をはじめ、砲撃は大型ネウロイの身に多大な衝撃を与えた。

故に、ヴィルヘルミナを狙った筈の光線は、大きくその軌道を外した。

 

軌道を外し、ヴィルヘルミナを仕留めきれなかった。

 

その僅かな時をつくってしまったことが、大型ネウロイの命運を分けた。

たとえ僅かでも、ヴィルヘルミナが再び銃口を持ち上げるには、十分な時間。

命を燃やすような蒼い輝きが、ヴィルヘルミナの身から放たれ。

 

 

Auf Wiedersehen(さようなら)

 

 

 

そして魔力の限りを込められ、固有魔法の加速を加えられ放たれた一射は、大型ネウロイの光線に比類するほどの蒼い光跡を描き、大型ネウロイの身を吹き飛ばす。

 




分裂型ネウロイとの戦い、遂に決着。



























































って、思うじゃろ?


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end

街を覆い尽くしていた地獄の業火は、いつしか降り始めた雨で鎮火されていく。

 

 

長く続いた戦火の音も、今では聴こえず。

 

 

代わりに雨音が、世を支配する。

 

 

ぽつぽつ、ぽつぽつと。

 

 

地を鳴らす雨音は、何処か寂しい。

 

 

 

 

 

死を振りまいていた化け物が、蒼い希望の光に撃たれ、その身を砕かれた。

 

ネウロイに必敗を繰り返した人類、敗北するしか無かった絶望の中で。

たとえ局地戦であっても、あり得なかった勝利をもたらした偉業。

それを果たしたのは、ただ一人の少女。

少女の偉業を見ていた誰しもが、その時その瞬間を喜び、少女を称えて勝利を謳い、酔う。

 

 

「ヴィッラや」

 

 

しかし、少なくとも。

 

 

「ヴィルヘルミナや」

 

 

ベレー帽を被った初老の男、ルネ・ポール・フォンクは、勝利に酔いしれる事ができない、数少ない例外であった。

 

あの大型ネウロイを討ち果たした後、操る糸の切れた人形のように地に倒れた孫娘。

戦車から飛び出し、軍に復帰したことでしばらく見なかった彼女を抱きかかえた彼は、そこで初めて彼女の状態を知った。

 

満身創痍。

 

小さな少女はその身の至る所に打撲、裂傷、火傷を創り。

疲労は勿論、魔力は枯渇寸前。

出血もまた留まるところを知らない。

 

 

「どうして………」

 

 

ルネは問いたかった。

聴きたい事は、沢山あった。

彼女がマリーの軍服を着ていた訳を。

彼女が身分を騙ってまでして戦っていた故を。

彼女が残存部隊の指揮官になっていた理由を。

山ほど、今すぐに。

しかし今は、それ以上の言葉を紡ぐことなく、彼は腕に抱く孫娘を慈しむ事に努める。

娘らの行方は知らない。

けれど、孫娘が戦場にいるという事は、きっと………

 

 

「お――――――じぃ―――――さ、ま」

 

 

蚊の啼くような、か細い声。

焦点の定まっていない、淡い蒼眼。

彼女の蒼眼には、彼の目に涙が溢れ、零れる様がはっきりと映る。

 

可愛がっていた孫娘との再会がこのような形になるとは、誰が予想できるだろうか?

どうして好き好んで、自ら孫娘をこんな目に遭わせなければならないだろうか?

残酷だと、彼は泣く。

 

僅かに顔を動かした時、ヴィルヘルミナの汚れた白銀糸が、雨粒と共に彼の腕からハラリと零れて落ちる。

それはヴィルヘルミナの命の儚さを思わせて、目を逸らしたくなる衝動に駆られる。

しかし今は彼女を少しでも安心させようと、直視して、微笑もうと努める。

 

 

「ヴィルヘルミナや、よく頑張ったな」

「―――――――――――――が」

「すぐに衛生兵のところに連れて行ってやる、今は安心して眠っておれ」

「――――――あ―――――――――――だ」

 

 

何度も安心するように言い聞かせようとする。

しかしヴィルヘルミナは、眠らず、ルネに何かを訴えようと言葉を必死に発する。

だが、か細い声では聴き取れない。

だからルネは、彼女の口元に耳を寄せた。

 

耳を寄せた。

 

その筈であった。

 

それなのに何故、目の前にあった雨粒は、もはや点でさえも見えない程に、遠いか?

 

何が起きたのか理解する頃には、何もかもが遅すぎた。

愛すべきものは手を離れ。

己は己で、宙を舞う。

ルネの身は、彼の行動に反発するかのように。

強力ななにかが背に働き、はるか後方に飛ばされていた。

こんなことが出来るのは、ただ一人。

 

 

「ヴィルへ―――――――――」

 

 

刹那。

 

 

 

光の柱が、地を割る。

 

 

 

柱、その光の色は、朱。

 

 

 

地より伸びる禍々しい熱量を帯びた柱は、空の彼方さえ穿つモノ。

 

 

 

ヴィルヘルミナがルネの腕から離れた事で地に落ちて、そして朱色の柱に飲まれていく様を、彼は目の前で見せられる。

いやに、スロー。

しかし何も出来ぬ、その中で。

届かぬと知りながら、それでも手を伸ばし、叫ぶ。

それはヴィルヘルミナの名か? ただの悲鳴か?

響く轟音の中では、彼自身でさえそれは判断が付かない。

しかし、聴く。

孫娘の最後に紡いだ言の葉を。

ただ一言。

笑って、紡ぐ

 

 

 

 

 

―――――「さよなら」を

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナが最後の力を振り絞り、使った固有魔法。

それによってルネが飛ばされたのは、待機していた戦車隊の傍であった。

飛ばされて強く背中を打ち付け、茫然としていた彼を、すぐさま部下の一人が抱えて起こした。

起こしたのは、勿論部下の善意だろう。

 

しかし絶望を見ろ。早く見ろ。

 

見ろ、視ろ、みろ、ミロ。

 

現実は、部下を使って、彼を急かす。

彼が見るのは、地より這い出た大型ネウロイ。

そして周囲で復活する、小型ネウロイ群であった。

それが意味するモノは。

 

 

「本体じゃなかったのかっ!!」

 

 

ヴィルヘルミナの撃破した大型ネウロイは、つまりは欺瞞。

まんまと釣られた彼らは、格好の的だった。

 

 

「大佐、退避を!! 此処は私たちが喰い止めます!!どうか、大佐は!!」

 

 

ルネをなんとか逃がそうと部下は必死に彼に呼びかける。

ハッとし、彼は軍人として、指揮官として己がなすべき事を果たそうとする。

 

が。

その時、彼は見た。

彼はソレを見てしまった。

 

 

「―――――――たい、ひ? 退避だと?」

 

 

きっとソレを見なければ、彼の運命も違っただろう。

しかしソレを視界に捉えたまま、彼は動かず、動けず。

呟き、震えるばかり。

茫然、それは思考放棄か?――――否。

震える、それは恐怖か?――――否。

 

彼の心は、きっと。

ソレを見て、壊れるには十分なほどに、既に脆くなっていたのだろう。

 

 

「お、おの、おのおのれおのれおのおのれおのれぇえええ!!」

「ひっ!?」

 

 

部下は思わず悲鳴をあげたのは、ルネが叫んだ、それだけではない。

部下もまた、見たのだ。

 

 

「友が奴らに殺されたぞ」

 

 

彼の握りしめた拳から、血が滴っているのを。

 

 

「妻が奴らに殺されたぞ」

 

 

彼の噛みしめた唇から、血が漏れているのを。

 

 

「愛娘も、義息も殺されたぞ」

 

 

彼の見開かれた眼から、血が流れているのを。

 

 

「その上決死で戦っていた孫娘まで、儂は見殺しにして………だが儂は、儂だけはまだ生きておるのか!? ふざけるではない!!」

「大佐!! 落ち着いてください、大佐!!」

「だまれぇ!! こんな屈辱!! まさに眼前に敵がいるのに、ヴィルヘルミナを助ける事も出来ず、雪辱も果たせずに儂はのうのうと逃げるだけなどっ、こんなこと………こんなことっ――――――――ぬぉおおおっ!!」

 

 

ヴィルヘルミナをむざむざ見捨て、しかし何もできない己への怒り。

ルネのすべてを奪う、目の前のネウロイへの怒り。

 

 

「くそっ!! 殺す、殺してやる!! 貴様だけは儂が、このルネ・フォンクが!! 絶対に殺してやるっ!!」

 

 

ぐちゃぐちゃな感情を吐き捨てて、血と共に吠え捨てて。

やっと彼は、敵に背を向けた。

そして内臓物全てが飛び出てさらけ出すような唸り声で、下された撤退命令。

あまりの恐ろしさに、傍に居た部下は、ただ何度も頷いて後に続く。

 

彼の撤退命令は、逃げるためではない。

後退し、再び決戦を挑むためであった。

死んでも、此奴を仕留める。

ネウロイは、一匹残らず根絶やしにする。

そう決意するルネの目は、復讐の炎が燃え盛っていた。

炎は彼の目を溶かし、いずれ何も見えなくなるだろう。

憎悪し、復讐に駆られ始めたルネの進む先は、間違いなく自滅への道であった。

 

そして。

 

彼が歩む道には血が描かれ、疑うことなくその上を歩み続く兵らの運命もまた―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大型ネウロイに分裂した時の事。

私は見ていた筈だ。

その数は6。

そう、6体に分裂したはずなのだ。

最期にルクレール中尉らとの話の中で、位置が確認できた大型の数は、5体。

ならば、あとの1体は?

 

ソレに気付いた時には、あまりにも遅すぎた。

 

大型ネウロイを撃破したというのに、消えない気配。

見えなかったあと1体は、撃破した大型ネウロイの真下、地中に隠れていたのだ。

欺瞞だ。

グローン伍長の分隊の時と同じモノ。

気づけなかったのは、私が、私たちが、この期に及んでなおネウロイという存在を甘く見ていた故。

ネウロイの垂らした疑似餌に引っかかった私たちは、なんと滑稽な事か。

 

驕っていた。

私なら、決死で挑めば倒せると。

浅はかだった。

私なら、全てを掴めると。

 

 

「………げほっ」

 

 

うつ伏せで感じる、曖昧な苦痛。

しかしその苦痛こそが、まだ私が生きている事を教えてくれる。

寸前でその存在に気付けたことで、地中より光線を受けたが、シールドは張れた。

それが役に立ったか。

 

さて、立とう。

 

戦いが終わっていないのならば、また戦えばいい。

命がある限り。

まだ、私は立てる、戦える。

 

 

「――――あ?」

 

 

そう考えていた。

しかしそれは、甘い考えだ。

とても甘い甘い考えだ。

 

 

「えっ、あぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう地に立つ為の脚も無いくせに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう銃を握る為の腕も無いくせに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして戦えるなんて、立てるなんて騙れる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ―――――――――――――――――っ!?」

 

 

激しさを増す雨の中。

少女はただ一人、誰にも届かない悲鳴を上げる。

彼女が目にするのは、己の左腕足の消失。

咄嗟に張ったシールドは、しかし彼女のソレを守り切れず、光線の餌食になって焼失することを許した。

身体半分近くを、消し飛ばされたのだ。

そんな状態では、もはや何もできる訳がない。

 

彼女にできるのは、ただ死を待つことばかり。

 

痛みは曖昧。

それが消失による痛みかどうかさえ、彼女にはもはや分からなかった。

意識は朦朧。

しかし全身を支配する曖昧でも確かな痛みと、迫る死という(やすり)に神経を侵され、簡単に眠る事を許してはくれない。

口内に満ちた血の味と、近くから臭う強烈なたんぱく質の焦げた臭いが、またそれを助長した。

冬の気温、そして降り出した雨は、残酷にも彼女のなけなしの体温を奪う。

流れる血液は、そのまま彼女の命の源と同義。

 

奇跡など、あるはずもなく。

どんなに嘆き、もがき、足掻いても。

彼女の。

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーの死は変わらない。

 

 

「ぁ……………ぅぁ」

 

 

死が迫る。

懐かしい死が迫る。

 

久瀬の死因は、コックピット内での焼死であった。

身の焦げる匂い、逃げ場なく身の焦げる熱さはまさに懐かしさがあった。

前世のヴィルヘルミナが死因は、ネウロイの銃弾を受けての出血死であった。

流れ出る血、だんだんと身体が寒くなっていき、気は遠くなる感覚はまさに今のような状態であった。

 

だから、知っている彼女は死が怖くなかった。

今更、死に恐怖する彼女ではない。

 

しかしヴィルヘルミナは、恐怖を抱き始める。

死、それよりも恐ろしいもの。

得体の知れない、何か。

死ではないナニカが、彼女に迫っている。

そう感じたからである。

 

逃げても無意味と知りながら。

しかしヴィルヘルミナは、訳も分からずに。

いや、むしろ逃げる意味など分かりたくなかったから。

逃れる為に残った右手足を使って、残る命の灯火さえ燃やして。

 

這う。

這う、這って。

這って這って這って這って這って這って。

そして彼女が行き着くのは。

 

 

「ねぅ………ろ……い」

 

 

異形の化け物。

見上げるには、既に体力も尽き、見ることはできず。

しかし己に大きな影を落とし、純粋な殺気を隠すことなく放つそれはネウロイだと、朧げな意識で理解する。

仰向けに倒れる。

地から見上げたネウロイは、あまりに巨大で、あまりに圧倒的。

 

ネウロイは足元に転がる天敵を前に、静止していた。

今の今まで己に脅威を与えていた、小さなちいさな白銀。

それを興味深く、観察でもするように、ネウロイは彼女を見下ろしていた。

 

 

「ころ…………せ」

 

 

彼女は生を諦め、死を懇願した。

本来魔法なんてものがなければ、人の身ではどうしようもない存在。

ネウロイと人では、抵抗する事さえ烏滸がましい程に圧倒的に、差が、格が、歴然であるのだ。

何よりも、今の彼女は満身創痍である。

抵抗なぞしようもない。

 

だから、早くと。

早くはやく己を殺してくれと、彼女はネウロイを急かす。

きっとそれは。

迫るナニカに、気付きたくない一心。

しかし。

 

 

 

 

 

「殺す、殺してやる!! 貴様だけは儂が、このルネ・フォンクが!! 絶対に殺してやるっ!!」

「っ!?」

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナは、叫びを聴く。

ルネの叫び。

残酷にも彼女の耳に届いてしまったソレは、迫っていたナニカまでも、彼女に気付かせてしまう。

 

 

「ま…………て………」

 

 

叫びに釣られてか。

ネウロイが、彼女から去る。

脅威ではなくなった彼女には興味がないと、捨て置き、去る。

 

 

「ころし……………………て………」

 

 

雨か、涙か。

死か、影か。

ヴィルヘルミナの視界が歪む、眩む、暗む。

 

もはや発音さえできぬ、声か音かもわからぬもので、何度も、なんども、彼女は去りゆくネウロイに懇願する。

殺せ、殺してくれと。

 

 

 

 

 

己が、あまりに惨めだからと。

 

 

 

 

 

彼女は気づいたのだ。

 

転生してから十二年。

 

備えてきたすべてが無駄であって。

 

命を張って戦っても、足掻いても、すべてを無駄にされ、無駄にして。

 

最期に助けた者さえ、己を思って復讐に走ろうとしている。

 

なにも為さぬまま、むしろ不幸さえ振りまいて。

 

己はこんな所で一人、物言わぬ糞尿袋に成り下がる。

 

はたして、私の人生に、意味があったか?

 

なんの意味もある訳がない。

 

犬死だと。

 

 

「―――――――」

 

 

もはや涙する事さえ億劫。

だから彼女はただ空を見上げ、雨に打たれ、命を流し、うわごとのように何事かを呟き続ける人形に成り下がる。

 

 

 

 

何故なら、彼女の生は、全てが無駄。

 

 

 

無駄で、無意味で、無価値なのだと突き付けられてしまったのだから。

 

 

「―――――――」

 

 

視界の端には、影。

 

 

 

見下ろす、ネウロイではないらしいモノの正体は、逆光で見えないが。

 

 

 

じっと彼女を見下ろす存在は、あの大型ネウロイに比類するほどに、巨躯なモノは何か?

 

 

「―――――――」

 

 

ケタケタ、ケタケタと。

 

 

 

遠くなったはずの耳でも確かに聴こえる。

 

 

 

己を嘲け、同時に悲しむような、矛盾した笑い声。

 

 

 

それはそれは可笑しな笑い声だと、重い意識下で、彼女は思う。

 

 

 

嗤うのは、目の前の影か?

 

 

 

だが、それにしてはあまりにも近すぎて。

 

 

 

だから、嗚呼、なんだと。

 

 

 

彼女はすぐに、誰が嗤っていたのかに気付いてしまう。

 

 

 

嗤うのは誰でもない、他でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

己自身。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこでプツリと、糸が切れるように彼女の意識は切れて、全てが終わる。

切れた後には、暗闇で。

後はまっすぐそこに向かって沈むだけ。

 

しかし。

最後の最後の暗闇で。

彼女は聴く。

 

声を。

同情と、憐みを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――嗚呼、本当に可哀想な久瀬()だ、と

 




というわけで皆様、今までご愛読していただきありがとうございました。
約二年近くかかった訳ですが、「だから彼女は空を飛ぶ」はこれにて完結となります。



























んな訳あるかい(´・ω・`)
勿論、今作品は此処で終わりではありませんです、はい。





>ルネおじいちゃんが見つけてしまった「ソレ」

半身で地を這うヴィッラ嬢、まさにホラー。


>三十話突破にあたって


いずれ来る、皆さんが期待するあの部隊への合流まで、今作品の話は続く訳ですが、まずは読者の皆様には感謝を。

二年かけて、たったの三十話という亀更新っぷり。
しかも今回話を見てこれからもお付き合いしてくださろうとしている方には、より感謝を。

自分で語るのもなんですが、文構成は他者様に比べると明らかに異端で。
更にはストパン作品の作風から真っ向から対立して、末期戦に泥臭い撤退戦、それどころか「幼女?知らんね絶望しろ」を平気で行う、かなりのゲテモノだと重々理解しております。
そんなのストパンじゃないと思われる方は………ここで読まれるのを止められた方が時間の使い方としては建設的ではないかと。

それでもここまで読み続けてくださった皆さまへ。
感謝した上で、「貴方がたは勇者様であらせられましたか?」と言わせてください。
そしてこれからもお付き合いくださる皆さまへ。
より感謝した上で「ようこそ同志諸氏、ようこそこちら側へ」と言わせてください。


沢山の感想、叱咤、評価、励ましのお言葉、考察、そして挿絵、ありがとうございます。
未だ拙い部分が多々ある私めではありますが、相変わらずの亀更新ではありますが、これからも精一杯頑張らせていただきます。


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死してなおも赫く

雨はさらに激しさを増して、世界は降りしきる雨に、灰色に閉ざされた。

 

細かい雨粒は望むことを妨げ、雨音は遠くより聴こえるはずの悲鳴と轟音をかき消す。

 

そこは灰色に閉ざされた世界。

 

そこに在るのは、ただ一人。

 

生まれ変わり、抗い、戦い。

 

そして敗北した、少女だった『モノ』。

 

命の源は既に、小さな少女のその身より流れ尽くした。

地を濡らし、雨に流され広がる灰色のキャンパスの上で描く朱は、もはやかつての鮮やかさはなく、ほぼ黒色。

目は光を失い、虚ろ。身も冷たく。

倒れ、身も心臓ももはや微かな彼女は、もはや二度と物言えぬ身体へと成り果てた。

 

しかしケタケタ、ケタケタと。

響く嗤い声は、雨音さえもかき消す。

 

可笑しなことに、不可思議な事に。

死にかけの筈であるにもかかわらず、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーは三日月に口元を歪ませて、嗤う。

雨音にも勝るそれは、哄笑か、嘲笑か、憫笑か、狂笑か、嘲笑か。

 

確かなのは。

嗤うのは、我が身の愚かさを嗤う為。

 

 

『この結末を見て満足か、魔女』

 

 

不意に投げかけられた声。

閉じた世界を席巻する、底冷えするほどの怒りの唸りと、憎悪。

雨風は、嗤う魔女に向けて吐き捨てられた憎悪を受けてか、激しさを増す。

 

 

『黙るといいヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。主の声で、主の姿で嗤う君は、とても不愉快だ』

 

 

迫るごとに響く重音は、地を揺らし。

姿見えぬ影は、小山のよう。

 

ヴィルヘルミナは、光の消えた両眼をぐるりと操り動かし見開いて、ソレを見。

嗤いを、止む。

一瞬、彼女は語るべき言葉の一切を、その存在に奪われた。

那由多の雨粒の向こう。

迫る、周囲の建物をまたぐほどの、巨躯な影に。

 

 

「貴女は………」

 

 

震えるのは、地。

震えるのは、空。

震えるのは、雨。

震えるのは、声。

地上に存在する、種のどれにも当て嵌まらないソレは、明確な『死』を、常人では瞬きの間でさえ耐ええぬ殺意と圧を伴って、振りまいて、魔女に迫る。

それには狂笑していた魔女さえも、その表情を大いに歪ませ、正気に返る。

 

 

「………あぁ、嗚呼っ!! たかが獣風情が使い魔になったとはいえ、人語を解して会話するなんて。なかなかどうしておかしな事とは思っていましたが。くふっ、そうですか。あなたは、貴女は――――」

 

 

影は雨粒の壁を越えて。

ついに昂然と姿を露わにするのは、四足獣。

 

 

「ばけも、――――――がっ、あああぁ!?」

『うるさいよ、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー』

 

 

その正体に、罵声を浴びせんとした刹那。

彼女の下半身は、四足獣より振り下ろされた前足に潰されて――――くしゃり。

前足の下に、綺麗に地に広がる、あかピンク。

 

その獣。

一点も曇りのない白色の毛並は見事としか言いようがなく。

尾は、振るわれる度に暴風を生み。

四足の歩みは例外なく、大地を大いに震わせる。

 

巨躯の白狼―――――カルラ。

 

煌々と輝くその緋色の双眼に魔女を見定め、睥睨し。

その身の正体を世界にさらす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨はますます地に降り注ぎ、灰色に世界を閉ざす。

 

 

『嗚呼、本当に可哀想な主。とうとう己が捕らえられ、利用されて、操られている事さえわからないままに死んでしまうなんて………』

 

 

巨躯の獣、カルラは悲嘆の色を隠すことはなく。

暗い空を見上げ、ただ亡き主を思う。

「心中してくれ」と言ってくれたのに。

最後の最後で、彼女の主が祖父のルネにそうしたように、カルラもまた投げて、()()()

それが、カルラが未だ、生きる故。

 

共に心中させてくれた方がよかった――――呟き。

投げたのはきっと、結局、彼女の主のやさしさだったのだろう。

しかしそれは、カルラにとっては全くのやさしさとはなり得なかった。

 

 

『主よ。貴方は私の友で、家族で、母で、恩人で、そして私の存在理由の全てだった。それなのに………』

 

 

主のやさしさを、カルラが理解していない訳ではない。

しかしカルラの思いを知ってなお、捨てて。

独りのうのうと生き続けろとは、残酷。

たとえそれが愛しているからこその行為であったとしても、カルラに心中を許さなかったのは、カルラにとっては愛していた彼女に、捨てられたのと同義。

 

 

『………主と心中できないのなら、せめて、世界と心中して、主への手向けとしよう』

 

 

世界への宣戦布告は、もはや子供の八つ当たり、無茶で、無謀で、無意味な事。

でも、それでもかまうことはないのだろう。

カルラに、この世界で生きる意味など、主のいないこの世界で生きる意味など、もうないのだから。

 

 

『主を殺したネウロイを殺す、利用した大人たちを殺す、子どもも殺す、この国を殺す、世界を殺す、例外なく殺す。でも――――』

 

 

踏みつぶした下半身をすり潰すように、カルラは前足を捻れば、悲鳴。

 

 

『まずは君からだ、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。すべての元凶たる君を、私は許さない』

 

 

ヴィルヘルミナの口元からは絶叫と共に血泡がこぼれ、白銀はますます血に染まる。

鮮血が噴水のように溢れ、雨がそれを洗い流すことで、そこはすっかり血の海と化す。

 

 

『さあ、地を揺らすものの歩みを聴け。それが貴様の地獄への(しるべ)だ』

「なに、を―――――――」

 

 

カルラの囁いた、一見脈絡のない言葉。

その言葉を聴いてその身その思考をすり潰されていたはずのヴィルヘルミナの悲鳴がふと止む。

何を? いや、まさか――――

その意味に引っかかりを覚え、思いだし。

至るのは、その言葉の意味するところの、答え。

 

 

「………っ、汚らわしい!!」

 

 

カルラの正体に気付いたヴィルヘルミナの反応は、劇的であった。

あらゆる苦痛に支配されていたはずの彼女の心は、今は怒りと殺意に打ち震える。

目の前の強大な存在を前にしても、死にかけであってもなお抵抗を選ぶ。

感じる痛みよりも、何よりも。

それは彼女にとって、受け入れがたい、唾棄すべき事実である故に。

 

 

「あはっ、あははっ!! あの人の、ワタシのあの人の使い魔が、こんな汚くて醜くて、陋劣で賤劣で、口にするのもおぞましいモノだったなんてっ………」

 

 

何かが砕ける音。

吐いて捨てられたのは、罵倒だけでは無い。

白い欠片。

知ったカルラの正体、それを嫌い、憎悪するあまり噛みしめ砕けたヴィルヘルミナの奥歯だった。

 

毛細血管が破けたのか。

淡い蒼色の双眼は朱く染まり、彼女の目じりからは血の涙を流れる。

力は残されていないにもかかわらず、握りしめ、押さえる前足を嬲るように振り下ろす右手は血がにじむ。

 

 

「よくもその汚らわしい口で、ワタシの愛しの私に愛を囁いたな!! きたないきたないきたないきたないっ!! 化け物め、死ねっ!! 疾く死ねっ!! そんなに死にたいなら、勝手にみじめに一人で死ねっ!!」

 

 

憎悪の声をまき散らし、身の自由を奪われてなおがむしゃらに力を振るうヴィルヘルミナを見下ろすカルラは、目を細める。

抱く感情は、呆れ。

 

 

『………私を化け物と呼ぶか。失われた事実とはいえ、敵味方もわからない狂信者共の戯言なんて信じるなんて。まぁそんなことは建前でしかなくて、君にとっては至極どうでもいいことだろう。君の抱く感情は愛じゃない、その本質はまさに―――――』

 

 

前足を嬲るその手が煩わしかったのか。

カルラはもう片方の前足を横薙ぎに振るえば、棒状の何かが朱色の放物線を描き、彼方へ。

灰色の雨粒の向こうへと、消える。

ヴィルヘルミナの右腕は上腕骨の中ほどから千切れ消え、それもまた地を濡らす黒血の噴水と化す。

 

 

『まあそんな事はさておき。魔女、君はつくづく度し難い。一周廻って、可哀想だね。死に瀕して、まだ見当違いで身勝手な憎悪を私に向けるなんて、君にはいささか死への恐怖が薄いらしい』

「ふ、ふふ………死? 恐怖? そんなモノ、今更ワタシにあると思って?」

 

 

四肢はもがれ、身はその半分を潰された。

動けない彼女は抵抗などできないだろう。

 

 

「縊死、壊死、圧死、餓死轢死割死頓死爆死悶死惨死脳死刑死凍死感電死ガス毒死墜落死リンチ死失血死っ!! ワタシが一体何回、何十回、何百回、死を繰り返したと思っているのです!! 何もかもを捧げてきたその果てで、何も救えなかったワタシの絶望が貴女に分かってたまるものですか!! 『可哀想』なんて、ひとかけらも思ってない貴女が、同情なんて出来もしないことを騙るな、化け物!!」

 

 

それでも彼女は抵抗を止める意思はない。

 

 

「ワタシに同情していいのは、私だけ。私だけが、ワタシを助けてくれる」

『依存か。君はそんな自己中心的な理由で、主を巻き込んだのか』

「私なら、上手くやってくれる。だって私は、スペシャルで、300機で――――」

 

 

否。

止められないのだ。

彼女は、壊れた蓄音機のように「抵抗しないといけない」という意思しか繰り返すことが出来ない、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーというモノの残滓である。

残滓でなければならなかった。

 

 

『巻き込んで、押し付けて、そして土壇場で邪魔をして。君は一体何をしたかったんだ?』

「―――――」

 

 

 

カルラの問いに、ヴィルヘルミナは答えない。

言葉に詰まって、ただ沈黙。

 

眼元より流れる血は、流れつくしたのか、朱より透明へ。

目尻から水が今なお滴り流れ続けているのは、はたして雨にうたれているからか?

それとも――――

 

 

『これは………』

 

 

――――ただの見せかけの、演技だったのか。

 

彼女の流した膨大な血は、不意に彼女を中心として難解な図形と文字を形成し、(かがや)く。

完成するソレは、魔法陣。

 

 

『………今ここで固有魔法? 君の魔力は尽きている筈だ。何故――――』

「『最後のとっておきは、味方にも黙っておくもの』なのデスよ!! 私が死に、前提条件は整って、ワタシの死は揺るぎなく、そして魔力がないのなら、その大元から絞り出せばいい!!」

『………君の魂が擦り切れてしまっているのは、そういう事か』

 

 

世界の理を覆す、前代未聞の大魔法。

その魔法を使うにはいささか魔力が足りず、己の魂さえも削り行使する彼女の目には、一切の迷いも曇りもない。

 

 

「私はあと少しで勝てた。なら、ワタシがするべきことは決まっている!! 僅かでも、一人くらいなら、今のワタシでも私を送ることくらいわけないのです!!」

『魔女、君はそこまでして主の魂をまだ弄ぶか』

「まだ? いえ、まだですよ!!」

 

 

赫く水面に不気味な三日月が再び浮かぶ。

震える声は、嗤う声。

伸ばすのは、先無き両腕。

両腕が伸ばされるのは、カルラにではない。

その先は、遥か空。

 

 

「ワタシの悲願は達成されなかった。私でもどうしようもなかったのなら、ワタシもまた諦めましょう。ですが、私はまだ、まだ、まだまだまだ、私はワタシになっていない、絶望していない!! ああ、だから愚かで矮小なワタシは私に身も心も全てを捧げ、貴方に託すのです!! ワタシでは果たせなかった試練、でも貴方なら―――――」

 

 

ヴィルヘルミナの身体は、無茶な固有魔法の行使の為か、濡れた砂の城のようにボロボロと崩れてゆく。

肉体さえも、骨さえも。

しかし彼女は揺るぎなく、晴れやかな表情のままで嗤い続けた。

呼吸が途絶えても、緩慢になろうとも。

ずっと、ずっと。

ケタケタ、ケタケタと。

 

 

「その魂が還り、苦しみに苛まれようと、きっと私は乗り越えるの、です。あぁ………次に、ワタシが目覚めた時が………楽しみ、です…………………ね」

 

 

そう言い残し、赫きを失ったヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーは崩れ去った。

彼女がこの世からなくなった後に残るのは、元の型すら分からぬ残骸。

 

 

『逃げられたか』

 

 

忌々しげにつぶやいたカルラはふんっと鼻を鳴らす。

ヴィルヘルミナに向けられていた憎悪は、もはやない。

が、それは向けるべき相手が自滅したからではない。

 

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーを、カルラは呆れ、同情し、哀れに思っていた。

一見狂っているように思えた彼女は、その実最期まで理性的であった。

自らのしでかした存在する矛盾に、彼女は気付いていた。

それを認識したのは、その矛盾を問うた時、言葉に詰まった時。

言葉に詰まる、という事はそういうことなのだろう。

それでもなお、理性で以て狂信する。

そうしなければならなかった理由が彼女にはあったのだろう。

真相は、もはや誰にも分からないが。

 

最期に、彼女の理性が見せただろう、涙。

カルラはそれを偽りのモノだとは思わない。

ただ――――

 

 

『理由はどうあれ、君は己の運命から逃げて、主に全てを投げ出して、そしてまた主を苦しめようとしている。そんな君もまた、どうしようもなく――――傲慢だよ』

 

 

それだけ吐き捨て、背を向けて。

カルラが歩めば、地が揺れる。

しかし、カルラとは別に地を揺らすモノが、彼女の先にもう一体。

 

 

『………瘴気。異形――――今はネウロイだったか。君たちの匂いは、雨の中でも、とても不愉快だ』

 

 

雨壁の向こう側に、黒い影。

もう一つの主の敵を喰らうため、カルラはひとり、駆けだす。

 

 

 

 

 

暗く、灰色に閉じた世界。

後に残るものは、ただ寂しい雨音。

 




前回話投稿後、流石に敬遠されるだろうと身構えていましたが、思いのほか前回話以降の感想、一言評価で「構わんやりたまえ」の声が多くて驚きです。
どれだけ同志の方がいらっしゃるのかと………

と言う事で、「ヴィッラ嬢」には今後も容赦なくやらせていただきます(えっ


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Re:だから彼女は

………臭い物に蓋をするのは勝手だが、失敗した料理を密封して時限爆弾を作るのはやめてくれ、頼むから


――――エーリカの失敗した料理を発見した際の、ヴィルヘルミナの一言――――


(久瀬)の中の、彼方の記憶。

遠くとおくに捨てようとも、泥のようにこびりついた風景。

そこは真四角で、シミ一つない真っ白な空間。

そこで私はひとり虚ろに、膝を抱える。

ボンヤリとして、フラフラとして。

変わらない場所で、私は永遠とも呼べる時間をそこで過ごした。

また薬のせいか、はたまた頭を弄られたせいか。

いつも、何時も覚醒してくれない意識。

けれどもハッキリとわかる、この空間の歪さ。

そして微かに匂う、己に染みついた薬品の匂いは、懐かしい。

 

 

――――嗚呼、ゆういち君、貴方は可哀想な子

 

 

――――貴方は心ない、大人の犠牲者のひとり

 

 

私に語りかける言葉。

それは背後から。

それは女性の………いや。

声色は、もっと幼い少女のもの。

 

 

――――聴いて、ゆういち君

 

 

――――人間はね、都合の良い生き物なの

 

 

――――平気で嘘をつくし、弱いモノを虐げる

 

 

ふと、私の両手の中には二つ、握る物があることに気付く。

左手には、モルモット。

丸々太ったそれは、私の小さな手には収まり切れないほどに大きい。

 

 

――――でもね、そうしなければ人は人を保てない可哀想な生き物なの

 

 

――――虐げる強者でなければならない

 

 

――――強者でなくても、強者に見せないといけない

 

 

――――そうしなければ、今度は己が虐げられる側になってしまうのだから

 

 

それは「きゅっ」と鳴いて、小さな瞳でじっと私を見つめる。

人の悪意を知らないのだろう。

逃げ出す素振りは全く見せない。

 

 

――――だから人間は平気で嘘をつく

 

 

――――平気で嘘をついて、自分を守ろうとする

 

 

――――『臆病』

 

 

――――人間は、高度な社会性がある生き物だからこそ、そんな病的な臆病を根本的に抱えているの

 

 

右手には、ナイフ。

おおきな、ナイフ。

その刃渡りは、己の身体さえ容易く貫き通せるほどのモノ。

私はこれをどうすればいいかを、知っている。

私はこれをどうすればいいかを、覚えている。

 

 

――――躊躇ってはいけないわ

 

 

――――でも、虐げられてもいけないわ

 

 

――――そうしないと、君もまたモルモットに成り下がる

 

 

――――弱者に成り下がるの

 

 

――――尊厳も、自由も、意思も

 

 

――――全て奪われた人間は、道具に成り下がるの

 

 

――――でも貴方は、違うでしょう?

 

 

――――私とは、違うのでしょう?

 

 

君がするべきことはただ一つ。

右手に持った凶器を、左手に持つ『純粋』に振り下ろすこと。

彼女はそう言う。

 

それを躊躇ってはいけない。

躊躇ったモノは、()()()()()()()()

それを私は知っている。

 

でも、だけれども………

他者に言われるがまま、従順に従ってもいけない。

 

これは私の、私だけの、生。

生きる私の選択肢は、けして奪われてはならない。

奪われればそれまでだから。

他者の思惑に動かされる道具に、ただの人形に成り下がってしまうのだから。

だからこそ、私は左手に力を込めて、右手の凶器を振り下ろす。

その先にある、目標に向けて。

 

 

 

 

 

私の左手の手の中でパッと咲く。

ちいさくて紅い、刹那の花火。

 

 

 

 

 

悲鳴は無く。

一瞬だけ、酷く綺麗に宙に咲いた花火は、残酷なほど幻想的。

私の手の中で、ちいさな命は。

人間の、大人たちの都合で、子どもの私の手で殺される運命は。

私の狂気を研ぎ澄まし、育てる。

ただ、それだけの為に散らされるのだ。

………くだらない。

 

 

――――ゆういち君

 

 

――――唯一、優しい子と書いて、「優一」君

 

 

いい加減、分かったような口ぶりの声の主に苛立ちを覚え振り返れば、そこには肩程に伸びた癖のある茶毛が印象的な、女の子。

顔は………見えない。

墨汁を垂らしたかのように、真っ黒にその顔を潰されていて。

そんな彼女はまるで、のっぺらぼう。

 

 

――――君は他者に虐げられても、弄られても、踏みにじられても

 

 

――――それでも、優しい君のままだった

 

 

彼女が指さす私の左手の『純粋』は朱く染まって、ぐったりとして動かない。

そして純白の検査衣は、少しばかりの朱で汚れていた。

 

 

――――私はそんな君が、羨ましかった

 

 

そんな汚れ、穢れは、目の前の彼女に比べればかわいいモノ。

彼女の着ている検査衣も、もとはきっと私と同じ、この部屋のような純白だったに違いない。

しかし今は、鮮やかな紅色でその検査衣を穢す。

彼女の右手にはたくさんの生を吸った、禍々しく、肥大化した凶器。

育てられた凶器――――狂気は、私とは比べ物にならないもの。

 

君は誰だ?

そう問うた己の声は、自分でも驚くほどに震えが伴っていた。

声が震えるのは、恐怖?

 

………違う。

きっと違うだろう。

彼女に抱く私の感情は恐怖、それだけではないはずだ。

そんな単純で、見当はずれなものではないはずだ。

抱くのは、ぐちゃぐちゃで、どろどろとした真っ黒なもの。

 

彼女に膨らむ、不明な憎悪。

取り戻す、正気。

そして同時に、私は抱く。

此処は何処だ?と、疑問を抱く。

 

 

――――私も此処も、何者でも何処でもない

 

 

――――強いて言うならば、貴方を構成する一部

 

 

――――ほんの記憶のひとかけら

 

 

訳が分からないと首を振る。

答えになっていないと怒鳴り散らす。

ああ、そうだ。

おかしいの事だ。

私は此処を、記憶の彼方と認識したが。

しかし今になって、覚醒してきた脳が、目の前の事を否定する。

 

 

 

 

 

こんな記憶、覚えがないと。

 

 

 

 

 

覚えていないことを「思い出す」なんて、そんな滑稽なことがあるはずない。

なら此処は、彼女は、本当に私の記憶のものか?

 

 

――――私は言ったわ

 

 

――――人間はとても都合の良い生き物で、嘘つきだと

 

 

――――時として自分さえも、平気で嘘をつく

 

 

――――記憶も、そう

 

 

――――人の都合の良いように変わるもの

 

 

――――残酷な記憶なら、なおさら

 

 

――――何故なら、人間の人格のそのほとんどが経験、記憶に依存するものなのだから

 

 

聴こえない、聴こえない、聴こえない。

聴こえない聴こえない聴こえない聴こえない。

 

聴きたくない。

 

呼吸が乱れ、息は苦しい。

頭痛がし、吐き気もする。

それは目の前の少女が何を言っているのかを、理解したくない、認めたくないと。

脳が、心が、躰が鳴らす、警鐘。

この記憶が間違いなく私の、久瀬優一の過去だとしたら。

これは私その存在そのものを根底から覆す爆弾でしかない。

………でも。

 

 

「――――久瀬の過去は、もはや過ぎた日の遺物でしかない」

 

 

そうだ。

何故いまさら?

どうしてこんなことを、思い出す必要がある?

 

 

「ヴィルヘルミナであった、私もだ」

 

 

どうして今更?

何故こんなモノを思い出さなければならない?

 

此処を私は無意識にも久瀬の記憶と認識し、彼女は自身を久瀬の記憶の一部だと語った。

………だが、もしも。

もしも、だ。

仮にそれが本当のことだとしても、どうして今更それを思い出す必要があるだろうか?

そう、意味なんてない。

あるはずがない。

 

何故なら私は、もう死んでいるのだから。

 

 

「私は死人だ、終わった過去だ」

 

 

目の前の少女の存在を嫌い、否定する。

 

 

「そんな私に、今更何を思い出せと言うのだっ!!」

 

 

真っ白なこの空間を嫌い、否定する。

 

 

「消えろ亡霊、消えろ()()。私も、君も、もう誰であろうと関係ない」

 

 

だから否定の為に、投げ捨てるように、私は右手の凶器を少女に投げつける。

凶器は、まっすぐ少女の胸へ。

少女は避けるしぐささえ見せない。

凶器は彼女の胸に、深々と突き立つ。

その様は私の意思を、全て受け入れるかのよう。

 

 

「すべて、無へと還るんだ」

 

 

刺さる凶器を基点にして、景色が歪み、何もかもが消えていく。

私が此処の記憶と彼女の存在を否定したことで全てが闇へと、虚無へと、私の奥底へと返ってゆく。

 

けれど。

 

 

――――ふふ、ふふふふふ―――――

 

 

――――くっ、くっ、あはは、あははははははは――――――

 

 

耳障りな笑い声が、私の鼓膜を震わせる。

その笑い声は、とても印象的で。

まるで私はその声が親の敵であるかのように、当然のような嫌悪と憎悪を膨らませた。

しかし彼女が誰であるかまでは、思い出せないままだった。

 

 

――――まるで貴方は、自分が終わったかのように言う

 

 

――――でも貴方には、帰るべき場所がある

 

 

――――何故貴方が、まだ苦しみを感じるのだと思う?

 

 

――――何故今更、記憶に苦しむと思う?

 

 

――――いい加減、気付いているのでしょう?

 

 

笑い声とともに、彼女は闇へと溶けていく。

 

 

――――貴方はまだ、何も終わっていない

 

 

そんな不可思議な言葉を残して。

 

そして何もかもが消え去った暗闇の中。

理解できないと、私はひとり嘯く。

残るのは、私以外にただ一つ。

ぽたりぽたりと響く、滴の音。

 

 

「………君もまた、私の記憶か?」

 

 

左手の中で、もぞもぞと動き出した温かなもの。

首を絞めて気絶させていたソレを、解放して問うてみる。

 

 

「きゅっ」

 

 

解放された『純粋』。

それは闇の中を僅かに走り、私に振り向いては鳴く。

何度も、何度も。

 

振り返っては私に向かって鳴く『純粋』は、私に付いてこいとでも言っているのだろうか?

未だ血の滴る、穴の開いた左手の甲を擦る。

刺した左手に痛みを感じないのは、此処が現実ではないという事の証左。

そんな場所、しかし目の前を走るあれは、一体何処へと私を誘おうというのか?

少しばかりの不安を覚える。

が、私は目の前を走る『純粋』に続くことを選ぶ。

此処にいる事も、続く事も、この闇にいることに変わりないのなら、進歩を選んだ方が幾分かマシに思えた。

 

 

 

 

 

闇の中。

光はなく。

寒さもなければ、温もりもない。

そこはまるで、この世の果て。

そしてあの世の入り口にさえ、思えてならない。

 

そこで私は闇の中にポツリと存在する、白色の扉を見つける。

それはこんな所にあるにはあまりにも不自然な扉。

『純粋』は、まさにその扉の前で止まる。

 

 

「これは――――」

 

 

――――何だ?と言いかける、その前に。

『純粋』は私をまた見て「きゅっ」と鳴き、その扉に向かって駆けていき。

そして扉があるにもかかわらず、それを無視してすり抜けて、扉の向こうへと消えてしまう。

 

………最後、私に振り向いて、鳴いた声。

それは私に「続け」と言われた気がしてならなかった。

 

私もまた扉へと、恐る恐る近づいてみる。

その扉はスライド式であった。

取っ手の長いバリアフリータイプのそれは、病院ではよく見かけるもの。

何か特別なわけでもなく、何か変わっているわけでもない。

しかし、自身の胸に触れて。

この胸、この心から湧き上がるものを感じ、噛みしめる。

それは、今この場で抱くには、理由がなければ説明がつかないものだった。

 

それは、行かなければならない思いで。

それは、帰らなければならない願いで。

それは、戻らなければならない本能で。

そして、やっと帰ってきたという安堵。

 

郷愁とでも、呼ぶべきか。

そんな感情を抱く、何故かの理由は分からない。

けれど、義務感。

私はこの扉の向こうへと行かないといけないのだという義務感が、私を支配する。

 

この先には、何があるというのだろうか?

 

のっぺらぼうの、少女は言った。

私には、帰るべき場所があると。

その意味が、訳が、理由が。

はたしてこの扉の向こうに、あるというのか?

答えは、この扉の向こうにあるのか?と。

その答えを知るために、私は扉へと手を伸ばす。

 

 

 

 

 

しかし私の伸ばした手は、扉へと届かない。

 

 

 

 

 

金縛り。

毛の先、指の先一本さえも、何故か動かない、動けない。

そんな自身の身に起きている現象を理解するには、少しばかりの時間が必要だった。

身体を誰かが触れているのを感じ、それは内的なモノではなく、外的なモノに縛られているのだと判断する。

唯一動くことの許されたのは、瞳のみ。

故に、その瞳を動かすことで、己を捕らえるモノを見ることを試みる私は――――影を見た。

 

それは背後から伸ばされた、細い腕の形をした、幾多の影。

その影の腕が、私に触れ。

慈しむように撫で。

執着するように這って。

そして逃がさないと言わんばかりに、強く私を捕らえていた。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

撫でる影の腕のひとつが私の胸へと至り、するりと私の胸の中に滑り込めば、突如、胸に激痛が走る。

左手を刺した時は感じなかったはずの痛みは、心臓を捕らえられたとか、そんな物理的な痛みではなくもっと残酷なモノだという事を直感する。

忘我と、喪失。

それは私が今この瞬間まで抱いていた感情が壊されていく、痛みだった。

 

 

 

「や、め―――――」

 

 

私が抱いていた感情を壊され、忘れさせられるにつれて、目の前の扉は遠く、掠れ、霞みのように薄くなっていく。

必死の抵抗は、空しく無意味。

 

抱いていた感情を壊される、忘れてしまう。

目の前の扉もまたそれに合わせて掠れてしまえば、私は何を抱いていたのかさえも分からなくなる。

抱いていた感情が分からなくなれば、自身の抵抗する故の行方さえ分からなくなる。

抵抗する意味が分からなくなれば、身体の力を向けるべき方向が迷子になってしまう。

 

そうしてバランスを崩した私は、影の腕になすが儘に後ろへ、後ろへと無抵抗にも引きずられていく。

 

引きずられていく先にも、扉があった。

しかしそれは、先ほど見た白い扉とは違う、木製の、廃れた、穢れた、古びた扉だった。

その扉は大きく開かれて、影の腕はその中から伸びていた。

 

扉の先は此処よりも深く、どこまでも深い、黒。

 

さながら巨大な化け物が、大きく口を開けて獲物を丸呑みしてしまうかのように。

とうとう私は扉の境界まで引きずられ、トプン、と。

扉の向こうへと、闇よりも深い黒へと飲まれ、そうして私は堕ちてゆく。

身も、心も、意識も、全て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒の中では、なにも届かない。

 

かつて感じていたはずの、光も、音も、声も、思いも。

 

かつて抱いていたはずの、思想も、夢も、希望も、願いも。

 

ただあるのは『孤独』と『絶望』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは光届かぬ冷たい海底から、光さす海面へと上がる心地であった。

 

玉響の安息。

穏やかな浮遊感から浮上して、私がそこで初めに知覚したのは暖かな眩さであった。

瞼の裏でも見える穏やかなオレンジの灯り。

瞼を上げれば、それは天幕に吊るされたランタンの輝きであると認識できた。

 

 

「ここは………」

 

 

状況確認の為に身体を起こそうと努力するが、身体はどういうことか、その意思を思うように受け付けつけてくれない。

きしむ身体、倦怠感。

そして己の身体が自分のものでないという奇妙な違和感を、何故か覚える。

 

無理に起きる事を諦め、首だけを動かして辺りを見る。

そこは、ちいさな天幕だった。

その中で、ただ一つだけ設けられたベッドで私は一人、寝かされている。

ベッドの傍には、ワゴンが一台。

その上には数種の医薬品と、血に濡れた包帯が乱雑に置かれているだけで、他には何も見当たらない。

 

 

「………」

 

 

天幕を叩く、雨音。

鼻をくすぐる、薬品臭。

それらを知覚することで、ぼーとしてた私の意識は急速に覚醒し始める。

覚醒する意識、そして私はなにか引っかかりを覚える。

はて?

なにか重要な事を、私は忘れていないだろうか?と。

 

そうだ、戦闘は?

あの街を占拠していたネウロイ群はどうなったのだろうか?

記憶は………意識の混濁のせいか上手く思い出せない。

 

 

「………うぅ」

 

 

うめき声を上げながら、軋む身体、ズレている感覚に構うことなく身体を起こそうとするも、しかし派手に音を立ててベッドから転げ落ちてしまう。

下敷きとなった左腕が、ズキリと痛む。

見れば、左腕は固定されたうえで包帯をがっちりと巻かれているのに気付く。

骨でも折れていたのか。

 

 

「―――――馬鹿な」

 

 

自由の利く右腕をベッドに掛け、立ち上がろうとする際、気配を感じた。

それは天幕の入り口の方からのもので。

そちらに視線を向ければ、白衣を着た女性と目が合う。

銜え煙草でもふいたのだろう。

その口元から煙草がポロリと落ちるが、幸いにも天幕の入り口は雨で少し濡れていたため、煙草の火は湿気た布でジュッと音を立てて消える。

 

 

「………患者のいる場で煙草をふかすとは、あまり感心しないなドクトル」

 

 

ベッドに上がるのも一苦労。

冗談を言うにも、息も絶え絶え。

 

 

「………『感心しない』、その言葉そっくりそのまま返すよ中尉」

 

 

しかも指摘はそのまま返されてしまうとは、なんとも格好がつかないと羞恥に悶える。

 

 

「まったく………そのまま安静にしてろ中尉、君は重傷を負っているんだ」

 

 

医師はそう言って、私に肩を貸す。

 

しかし重傷と言われるも、何処か納得しない私がいた。

重傷、ただ()()()()のものだったか?と。

視線は、自然と左腕脚へと落ちる。

 

 

「ネウロイは?」

「君が撃破した。覚えていないのか?」

「………いや」

 

 

覚えている。

口にするのは、肯定の言葉。

混濁する記憶を思い返し、私は覚えていると告げる。

確か小型ネウロイの包囲を突破した私は、ネウロイ本体から50Mの射程に満身創痍で落ちたあの時。

その銃口を目の前の大型に向けて、引き金を引き――――

 

………いや、違うと首を振る。

私は落ちたあの時、銃口は大型へと向けず地中に隠れるネウロイへと向けて引き金を引き、本体を撃破したことで街を解放することが叶った。

これが正しい記憶だと、思い出す。

 

 

 

………

 

 

 

………………

 

 

 

………………………………?

 

 

 

何故私は、地中に隠れるネウロイの存在を知っていた?

 

 

「中尉?」

 

 

記憶が曖昧になっているのかと、今一度記憶を辿ることを試みるが、記憶を思い返せば思い返すほど、矛盾が生じる。

 

確か私は、ネウロイの欺瞞に引っかかって――――違う。

 

すんでのところで地に隠れる本体の気配を読み取って、ネウロイを討って――――違う。

 

私はこの身を撃たれ、失って――――違う。

 

勝利した私は、おじいさまと再会できて――――違う

 

敗北した私を見たおじいさまは、復讐を誓って、そして私は―――――

 

 

「落ち着け中尉!! こっちを見ろ!! 私を見て、ゆっくりと呼吸をするんだ!!」

 

 

ひっ、ひっ、と引きつけでも起こしたかのような声が、私の脳を震わせる。

何故か、上手く呼吸ができない。

………そもそも、呼吸とはどうするものだったか?

 

 

「覚えて………覚えている…………」

 

 

何を?

ネウロイを倒したことか?

………違う。

では、何を?

 

 

「………私は、死んで……………………」

 

 

………そうだ。

思い出したと、私は呟く。

 

己が死んでいることを――――しかし私は生きている。

この左腕脚を失ったことを――――しかし私の左腕脚はある。

何も護れなかったことを――――しかし護れた結果がある。

成功と失敗の相反する記憶。

正しい記憶は、どちらか?

不正解はない、どちらも正解だというのが解答だ。

 

私はおそらく『死に戻り』を果たしたのだ。

 

その解答を確かめる勇気はない。

ここで自害して、推測が間違っていたなら死ぬのは言うまでもなく、そもそもその事実を受け止める余裕すら、今の私にはない。

そう、今の私には余裕がない、それなのに。

死に戻れるという仮定解答は、新たな疑問を私に投げかけてくる。

 

 

 

 

 

それは()()()()()()()()()()()()()()という疑問。

 

 

 

 

 

私がまともに考えられたのは、そこまでだった、

疑問が膨らむほどに、更にズレる身体の感覚。

自分の身体なのに、他人の身体を動かしているような妙な感覚は、ますます悪化していく。

私が私を拒絶するように。

脳が廻りまわり、視界が揺れて気持ちが悪い。

あまりの気持ち悪さに、思わず嘔吐。

 

 

「くそ、頭を打ったのか!? 誰か、衛生兵!!」

「ドーゼ先生、どうし………ヴィッラ!?」

 

 

全部空想であって欲しかった。

しかし敗北の記憶は、空想と断じるにはあまりにも鮮明過ぎた。

覚えている。

あの時の悔しさを、己の無能を、身を失った痛みを、死に逝く寒さを、全て。

 

 

「ヴィルヘルミナ!!」

 

 

ズレはますます酷くなる。

これ以上ズレが進めば私は私でなくなってしまうと直感する。

泥のように、私を捕らえるナニカを振り払い、フラフラと一歩、そして二歩。

何とかしなければと混濁する意識で考え、しかし足に力が入らず私は、遂に前のめりに倒れる。

 

派手に音を立てて倒れるワゴン。

床にぶちまけられ、散乱する薬、器具。

私も、散乱するそれらの一部となる。

 

視線の先に、医療用のハサミを見た。

きっと、包帯を切る時にでも使ったのだろう。

そのハサミがあったことに、私は感謝した。

右手にハサミを掴んだ私は、迷わず左手の甲にそれを突き立てる。

 

 

「―――――――っ!!」

 

 

意識は、戻る。

意識の焦点は左手の痛みのおかげで収束し、感じていたズレはやがてなくなる。

吐き気も薄れ、消えてゆく。

私は私へと、帰ってこられたと息を吐く。

 

本当に?

本当に此処が、私の帰るべき場所か?

 

傷付けた左手の甲を見て、私はそんな馬鹿げた疑問を覚えた。

だが、それはきっと今の今まで錯乱していたからだろう。

 

 

「ヴィルヘルミナや」

 

 

おじいさまの声がした。

そして背中に感じるのは、人の暖かさ。

 

 

「もういい、もういいんじゃ」

「………おじいさま」

 

 

抱きしめるおじいさまは私をやさしさで包もうとする。

慈しむように私を撫で、労わるように私に囁く。

 

 

「私は――――」

 

 

おじいさまは、私に優しくしてくれる。

その優しさに、私は何もかもをさらけ出して、投げ出したい衝動に駆られる。

しかし私に、その権利はない。

 

私は、誰も護れなかったから。

 

 

「………ドーゼ先生」

「分っている。鎮静剤を打つぞ」

 

 

薬を打たれ、遠のく意識。

意識が落ちるその一瞬まで、私の左手が痛むのは決してハサミで刺しただけの痛みではない。

 

幻肢痛(ファントムペイン)

 

失ったはずの左腕脚の痛みは今あるこの左腕脚を蝕んで、自分勝手で誰も護れなかった私を戒める。

 




公式風ミニヴィッラ嬢を描いていただき、更には紹介動画まで頂いた私は死ぬんじゃないかと不安になる今日頃ごろ(活動報告参照)



>大型ネウロイ、無事撃破

やったねヴィルヘルミナさん。撤退の為の障害を排除したよ(問題が増えないとは言っていない。ましてや久瀬自体に問題が無いとも言っていない)


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トリセツ

我軍第一撤退目標:『リヨン(ローヌ渓谷経由)』
問題:『大陸性気候による積雪、低気温』
要物資:『防寒装備』


――――ルドルファー中尉の走り書き――――


西暦1939年11月15日 タルヌ県 ドモゼー伯領 ガリア陸軍駐屯基地司令室

 

 

 

 

 

「久方ぶりの帰郷がまさか敗北の汚名を背負い、雑多に拾った将兵らを引き連れてになるとはのう」

 

 

いやはや露も思いもせなんだと、椅子に腰かけるルネ・ポール・フォンク大佐は吐露する。

彼に呼び出されてたジャンヌ・ドーゼ医師が入室してから聞く、開口一番の彼のその言葉には、意表を突かれたとばかりに驚いた顔を見せた。

外聞構わず弱音とも取れる言葉は些か彼らしくない。

 

 

「なんだ、意外かね?」

「正直に申しますと、閣下は、その、もう少し冷酷な………いえ、淡白な方だと伺っておりました」

「伺っていた?………ああ、そういえば君は確か」

「はい。以前カールスラントに留学をした際に夫妻には師事を。大変お世話になりました」

 

 

だから、「お悔やみを」。

ドーゼが表情筋を歪ませないようにと努めるのは、ルネ大佐の前であるからか。

ルネの率いる梯団が街をネウロイの支配から解放して既に四日経つが、ルドルファー夫妻の遺体は、解放後の翌日に軍立病院内で発見された。

夫妻の遺体を発見したのは皮肉な事に、ドーゼであった。

 

未熟で若かった自分に、親身になってくれた夫妻の死は、悲しい。

しかしドーゼ以上に、心に傷を負っているのは――――

 

 

「歳は、取りたくないものだな。昔と比べてついつい感傷的になってしまう」

「閣下………」

「しかし、気遣いは結構だドーゼ医師。娘も、義息も、医師としての使命を十全に果たし、戦って果てたのだ。ならば悲しむことはない」

 

 

娘も、義息も、私の誇りだ。

だから悲しみで、二人の勇気ある行為を穢してはならない。

 

ルネの語るそれは、長年軍人として戦ってきた中で完成した美学か。

それとも、心の嘆きに蓋をする現実逃避か。

医師としては優秀であるという自負はあるが、人としては未だ若輩であるドーゼにはそれは分かりかねた。

彼女がルネの本心を理解するには、二人の生きてきた時間があまりに違い過ぎる。

 

 

「さて、ドーゼ医師。貴女を呼び出したのは他でもない。そちらの()()()()を聴くためである」

 

 

伏せられていた瞼が上がり、彼の眼がドーゼを射貫く。

「聴く」と彼は言うが、それはもはや催促。

彼ら軍団が四日もこの街に留まっていたのは、民間の負傷者に対する落ち着いた医療行為を、ドーゼら医師団が懇願したからに他ならない。

 

 

「これ以上の駐留は――」

「これだけははっきりしておくがねドーゼ医師、これ以上の駐留は不可能だ。此処にとどまる時間が長ければ長いほど、我々はネウロイの勢力圏を抜ける事が困難になることは、説明するまでもあるまい」

 

 

ネウロイの勢力圏から抜け出し、此処までたどり着くまでに払った犠牲は決して少なくなく、軍団首脳部としては満場一致で一刻も早くこの街からの撤退を敢行したい思いがあった。

民間人を抱えての長距離撤退行動は、蟻の行進である。

その遅速は、そのまま軍団の出血を意味する。

 

 

「それから一つ、伝えそこなっていたが」

 

 

机上にガリア全土を記した地図を広げるルネは、とあるルートをなぞってみせる。

ガリア南部、タルヌ県から始まったそれはサントラル高原とアルプス山脈の間を抜けて、リヨンで止まる。

 

 

「我々はこれよりローヌ渓谷に入り、ローヌ川沿いを北上。防空網の未だ生きるリヨンの勢力圏への撤退を目標とする」

「閣下、それは………」

 

 

ローヌ渓谷とはガリア中央部からやや南に存在するサントラル高原と、ロマーニャ国境に連なるアルプス山脈との間にある渓谷を指し、ローヌ川はサントラル高原とアルプス山脈、そしてヘルウェティア国境に存在するジュラ山脈に沿うように流れる河川の事である。

ネウロイの巣の発生源はガリア南西部のボルドー。

高度空戦力を持たない遅速である彼らは、ボルドーから迫るネウロイの航空戦力から逃れるにはサントラル高原を壁としなければならない。

そして、ローヌ渓谷に進入を目指す、もう一つの理由はその渓谷が置かれている気候にある。

 

大陸性気候。

 

主にアルプス山脈の影響によって生じているその気候は、冬季の気温が非常に低く、寒候期にはまとまった雪が降る。

ネウロイが低温度下での活動が鈍くなるという習性を考慮するならば、ローヌ渓谷を目指さないという選択肢はない。

 

 

「閣下、ご再考を。重傷者を抱えての冬期のローヌ入りは、無謀が過ぎます」

 

 

しかし地中海性気候に慣れた南部の人間に、大陸性気候がもたらす寒さと積雪は厳しい。

更に今年の冬は例年よりも冬らしく、いつもは冬でも暖かいタルヌ県でさえ今年は寒冬であるのだ。

今年のローヌの冬が、より厳しいというのは言うまでもない。

 

 

「ローヌ渓谷を抜けず、ロマーニャに向かう選択肢も我々にはあるかと」

「………ドーゼ医師、こういっては何だが、正気かね? 君には軍隊の越境行為が及ぼすことで発生する諸問題と、そもガリア、ロマーニャ間に存在する外交問題についての説明が必要かね?」

 

 

ドーゼの対案は、一蹴される。

()()()()()()()の、()()()()()()()()()が、ロマーニャ公国に()()()()()

拿捕されて、身ぐるみをはがされて、追い返されるに決まっているとルネは首を振る。

そもそも端緒として第一次大戦時、ロマーニャ公国が協商側につく条件として未回収のロマーニャ問題を解決するロンドン密約が、ネウロイ発生による動乱と、カールスラント皇帝の政権奪取による有耶無耶で不履行であり、それ以降のロマーニャ首脳部と軍部のブリタニア、ガリア等に対する関係は悪化の一途をたどっているのだ。

ロマーニャを目指し、無事で済むとは到底ルネには思えなかった。

 

 

「浅慮でした、忘れてください」

 

 

少しばかり思案し、ばつが悪そうに答えたドーゼに構わんよとルネは手を振る。

ガリアの政治部が行う外交と、それに端を発する繊細な軍事バランスを把握するのは軍部として当然の領分であり、民間の一医師の領分ではなく、求める所ではない。

寧ろルネの指摘に気付くあたり、ドーゼは公ではない外交問題にもよく敏感であるらしい。

ルネは彼女に対する内心評価を上方修正する。

 

 

「さて話を本題に戻そう、ドーゼ医師。現時点で意識の戻らない者、回復が見込めない者はどれほどいる?」

 

 

険しく厳しい撤退ルートを示したのだ。

それを聴く意味は、おのずと知れるもの。

だからドーゼは、己の口にかかった重責に震えながらも、はっきりと、そして慎重に答えた。

 

 

「………民間、兵を合わせて五十数名ほどに」

 

 

ドーゼが答えた五十数名。

そのほとんどの者は、これよりルネとドーゼを含めた医師団が見殺すことになる人の数になる。

端的に言えば現時点で意識が戻る見込みのない重傷者などは、これからの撤退行動に随行出来ないものと判断し、ここで置き去りにするのである。

五十数名という数字は、数字上でいえば、確かに少ない。

しかし将校に上がって久しいが、叩き上げであるルネは、五十数名という人の重みを知っている。

ましてや、民間の者にはルネの知り合いの者もいることも鑑みれば、見殺す決断は、やはり苦しいものである。

 

 

「五十、か」

 

 

ルネはおもむろに一本の葉巻を取り出して咥え、火をつけては葉巻を吹く。

 

 

「ドーゼ医師。我々が此処までたどり着くまでに、どれほどの殉職者が出たか、どれほど置き去りにしてきたか、覚えているかね?」

「………いえ」

「173………173人だ。私の指示で、私の命令で、それだけの兵士が死んだ」

 

 

また深く吸って、吐いて漏れた煙。

 

 

「我々はあと、どれほどの同胞を失わなければ………いや、見殺しにしなければならないだろうか?」

 

 

二人の前でゆらりと踊るそれは、彼の問いに対する答えか。

 

 

「無力だな」

 

 

紫煙を眺めながら、ルネはそれを「無力」と名付けた。

その無力という言葉には、当然様々な意味が込められているのだろうと、ドーゼは漠然とながらも察した。

 

重苦しい空気。

しばらく二人は無言を守る。

その中で、ふとドーゼはあることを思い出す。

 

 

「そういえば、ルドルファー中尉の事ですが」

「ヴィッラ………いや、ルドルファー中尉がどうかしたかね? 何か問題でも?」

 

 

ルネの反応が先ほどよりワンテンポ早いように感じたが、ドーゼは気にすることなく続ける。

 

 

「いえ、中尉が患者の受け入れと初期治療の体制を構築してくれた件です。ご存じありませんか?」

「………またか」

「閣下?」

「いや、なんでもない。続けてくれたまえ」

 

 

促されたドーゼは、ならばと続ける。

『彼女が体制を整えてくれていなければ、より多くの方を見捨てる結果となっていた』と。

 

はたして同様の報告を、いったい何度聞いただろうか。

この四日間の間に、ルネが誰かからの報告の中で、ヴィルヘルミナの名を聞かなかった日は一度としてない。

民間人を避難させたようと真っ先に動いたのは、ヴィルヘルミナ中尉。

その為に誰よりも前に出て戦っていたのは、ヴィルヘルミナ中尉。

四散する部隊を纏める為に指揮を執ったのは、ヴィルヘルミナ中尉。

長距離撤退に備え、物資収集を指示したのは、ヴィルヘルミナ中尉。

ヴィルヘルミナ、ヴィルヘルミナ、ヴィルヘルミナ。

皆が彼女を持て囃す。誰もが彼女を讃え褒める。

「実は彼女は、ただの少女だ」と、ルネがそう叫んだところで、いまさら、はたしてどれほどの人間が信じてくれるだろうか。

 

ヴィルヘルミナが何を思って軍籍を騙っていたのかは、分からない。

しかし彼女は、虚実を事実とするためには十分すぎる程の実績を積んだと言える。

 

四散した部隊を纏めあげる統率力を証明してみせた。

敗残した兵をまとめ上げるのは、古今、難しいとされている。

先を見越しての物資収集、先見の明を証明してみせた。

彼女も念頭には、退路がローヌ渓谷を抜ける事しかないことに気づいていたのだろう。

元々あちら側が挙げていた回収必要項目には、『要防寒装備』とあった。

そして何よりも、あのネウロイ群に単機突撃し、生還しながらも撃破を果たせるだけの戦闘力を証明してみせた。

 

思慮深く、士官として水準以上の指揮能力を持ち、そして一騎当千の戦闘力を持つヴィルヘルミナ。

個の兵士として、これほど魅力的な者はいない。

だからこそルネも軍人として、彼女の騙る軍籍を幇助するに足ると思い、援けはした。

しかし一方個人としては、孫娘であるはずのヴィルヘルミナのことを、なにか得体のしれない化け物に()()()()()()()()()

違和感こそ、以前から抱いていた。

それは行動から、それは言動から、それは思想から。

10歳と少しにしてはあまりにも達観的で、ある意味完成していると言える、ヴィルヘルミナ。

娘らが何も言わない事もあった為、ルネがヴィルヘルミナに対して干渉することは無かったが、なにより一番違和感を覚えたのは、娘らが引っ越してきた際に、ヴィルヘルミナとは赤ん坊の時以来の再会を果たしたあの日である。

あの日見た、ルネを見つめる彼女の瞳。

その時は、軍役から離れて久しかったルネでは気づくことができなかったそれは、復帰した今だから答えが出せる。

それは「長く戦場を見てきた者の目」。

鏡に映った、ルネと同じ瞳。

 

 

「ところで、ルドルファー中尉の様子はどうかね?」

 

 

ヴィルヘルミナが得体のしれない化け物に見えていた。

そう、それは過去形だ。

それは彼女が、唯一娘たちが残した遺産であることもあるかもしれない。

 

だがなによりも、ヴィルヘルミナは嘆いていた。

『誰も護れなかった』と嘆いていたのだ。

 

ヴィルヘルミナが誰も護れなかった事はない。

寧ろ彼女は多くの者の命を救った事実は、誰の目から見ても疑いようのない事である。

彼女は、自分の成し遂げた事の結果を見れないほど愚かではない。

………でも、しかし、それでも彼女はそう言った。

それが意味するところは、本当に護りたかった者が、あったということ。

ルネが今もヴィルヘルミナを、誰でもない、自身の孫娘であるヴィルヘルミナとして直視できるのは、それに気付けたからだろう。

 

ルネは、ヴィルヘルミナが此処まで他者の為に戦ってきたのは一種の惰性であったのだろうと推測していた。

大切なモノを失って、彼女は向けるべき力の行方を見失っているのだ。

だから彼女が負傷し、動けない今の状況は、寧ろ喜ばしい事だと言えた。

戦えない状態である彼女をそれでも戦場に駆り立てようとする愚か者は、まさかいないだろうと。

 

 

「………お言葉ですが、閣下」

 

 

あとはどれほどヴィルヘルミナを負傷者として、戦場に駆り立てられないよう、ルネが彼女を護れるかに尽きる。

できれば撤退中は二度と戦場に立てない程度の負傷であってほしいモノだ。

そんな思惑があっての問い。

しかし問われたドーゼが、とても言いにくそうに紡ぐのは。

 

 

「ルドルファー中尉は、本当に………我々と同じ、人間なのでしょうか?」

 

 

予想とは全く異なる解答。

 

 

「………それは、一体、どういうことかね? ドーゼ医師、言葉はくれぐれも選んで語るものだと、親から教わらなかったかね?」

「恣意もなく、悪意もありません。言葉を選んだ上で、中尉の現状を理解していただくには最も適切なモノだと、自身の領分として確信しております」

 

 

確信して、なおもソレか。

己の孫娘に対するあんまりな物言いに憤慨を隠せないルネだが、ドーゼは()()()()()として胸を張っている。

なら、そこまで言うのなら、その故を聴こうではないか、と。

浮いた腰をもとの椅子に下し、ルネは彼女に続きを促した。

 

 

「ルドルファー中尉は戦闘終了の後、瀕死の状態で我々の下に運ばれてきました。瀕死、それは破砕手榴弾などを主とした戦闘による裂傷、骨折。ネウロイの光線によるものと思われる火傷。固有魔法に依るものと思われる各部内出血。そして魔力枯渇が原因です。医師団による半日の手術、そして志願した数名のウィッチによる懸命な治癒魔法によって、中尉は奇跡的にも命を繋ぐことが叶いましたが、未だ予断を許さない状態であると我々は考えておりました」

 

 

しかしそんな彼女が手術後二日に目を覚まし、あまつさえ歩行を果たした。

この回復速度は、尋常ではないとドーゼは語る。

 

 

「それは聴いている。瀕死のウィッチが魔法力を以て超回復を果たす事案が稀であっても、過去になかった訳ではない。それに回復が早い事は喜ばしい事ではないか。そこに何か問題があるかね?」

「それはそうでしょうが、意識の復帰はともかく、本来ルドルファー中尉の身体の状態を思うと歩行すること、いえ、身じろぎすることさえ現状困難なはずなのです」

 

 

ルドルファー中尉に刻まれた数多の傷が激痛を呼び、中尉の行動、呼吸、それどころか指一本動かす事さえ束縛する筈なのだから。

 

 

「今の彼女は、意識があるうちは痛みに苛まれている筈なのです。それなのに彼女は歩くどころか、私に冗談を言って笑みさえ見せたのです。本来痛みとは、人間の身体が鳴らす警鐘、『悲鳴』です。それを聴くことを止めている中尉は、ブレーキの無い車と同じ」

「………何が言いたいのかね?」

「医師として、そして私個人として、もしも中尉が復帰できる状態であったとしても、閣下には()()()を前線に差し向ける判断はどうか控えて頂きたく」

 

 

一層の真剣みを帯びて、ドーゼはルネにそう求めた。

面識はないとはいえ、ヴィルヘルミナは己の師が残した一人娘である。

ドーゼが気にかけるのも無理もない。

勿論ルネとしても、これ以上ヴィルヘルミナに戦ってほしくはないという意思はある。

彼も、ドーゼの求めることに頷きたいのは山々である。

 

 

「個人として、最大限の努力と善処はしよう」

 

 

しかしルネは、軍団を纏める総指揮官として、確約は避けた。

ヴィルヘルミナは、兵として、魅力的過ぎた。

もしも彼女が少しでも戦える状態であるのなら、今この軍団内の最高戦力である彼女を出し惜しみする訳にはいかなくなる場合もあるだろう。

勿論彼女を出ざるを得ない状況にさせない努力は怠るつもりはルネにはないが、戦局は、いつだって生き物のように不確かだ。

断言は、軍団を預かる者として、簡単にできるものではない。

 

明らかにしないルネの態度。

そんなルネをドーゼは説得しようと口を開こうとするが、そこで二人は外がやけに慌ただしい事に気付く。

 

 

「何事でしょう?」

「ふむ………」

 

 

葉巻を吸殻に潰し、ルネは窓に寄る。

寄った彼は、外の光景に目を見開いて、一言。

 

 

「何をやっとるんじゃ、あやつは………」

 

 

頭を抱えて、驚きと呆れが入り混じったそれを吐くルネに、気になったドーゼもまた外を見る。

見て、彼女もあっと声をあげた。

二人の頭にあるのは『何故』。

しばらく二人は無言で顔を見合わせ、そして指令室から飛び出した。

 

ふたりは基地に群がる群衆、その中に。

悠然と歩く、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーを見た。

 



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だから彼女は瞳に見る 【挿絵有り】

昔から。

正確には久瀬であったころからか。

私は痛みにはめっぽう強いほうであるという自覚があった。

しかしそれは痛覚が鈍いとは、また別物である。

痛みは人並みには感じているし、痛いものは、確かに痛いと感じることはできる。

だが、人間とは不思議なことに大抵の痛みは「痛くない、痛くない」とでも唱えていれば、あら不思議、なんとかなるもので。

それは言うなれば、()()()()

心頭滅却すれば、なんとやらとでもいうべきか。

この自己暗示はそれに近いものだと、私は認識していた。

 

さて。

一度意識を取り戻した後の意識は朦朧とし続け、痛みに苛まれて魘されて、何度もなんども衛生兵のお世話になった果てに、今、こうしてようやく意識を取り戻すことが叶った訳だ。

前回のような、妙な意識と身体のズレは感じない。

そのことに安堵し、身体をベッドから起こす。

 

すると、みしりと、妙な音。

 

 

「………」

 

 

冷や汗垂れる私の身体は、震えが止まらない。

嫌な音だ。

とてもとても、嫌な音だ。

ベッドの軋む音? いや、違う。

ソレは、私の中の、骨の音。

 

 

「………ふ、ふふ。痛くない、痛くないぞ」

 

 

ごあいにく。

痛みの聴覚は現時点を以て閉じてしまったもので。

身体が訴えてくる悲鳴は僅かに聞こえはしたが、もはや聴くことはもはやない。

聴き入れている時ではないのだ。

 

よし、さてと気合を入れ。

よっこいしょと、立たんとしてみる。

とはいえ、身体の悲鳴を無視する。

それは悪化しているコンディションを回復できるというわけではない。

迂闊であったと、白状する。

 

 

「ぶっ!?」

 

 

地面とキス、再び(アゲイン)

立ち上がろうとして、また転倒する事になるとは。

 

 

『大丈、夫?』

 

 

心配してくれるのか、静かに寄って。

しかしオロオロしているのは、カルラ。

「大丈夫、だ。私は至って大丈夫だ」と、さも平然のように答えるも、今の私の顔はきっと、羞恥で真っ赤に違いない。

 

ふと気になった、折れていた筈の左腕。

私が眠っている間に治癒魔法を受けていたのか、以前よりもマシのようだ。

しかし未だギプスは外れておらず、使えないらしい。

という訳で、右腕だけで身体を起こすことを、試みる。

私を支える右腕も脚も、プルプルと生まれたての小鹿のように震えているのを見、これでは自力で出歩くことは、未だ無理かと溜息を零す。

と。

 

 

「ルドルファー、中尉?」

 

 

そうこうしていると、入り口より、声。

顔を上げて目が合うのは、戸惑いの表情をみせるルクレール中尉と。

それは嗚呼、なんということか。

間が悪すぎる、再会。

 

冷めた顔のほてりが、再加熱。

 

 

「ふっ、ふふふっ、ふふふふふっ」

 

 

私の身体が大いに震えるのは、先ほどまでとはまた異なる震えであるのは、言うまでもない。

 

 

「………よし中尉、頭を私の届く位置まで下げて差し出せ、今すぐに」

「ま、まて!? まてまてまて!? その握りしめたまま振り上げた拳は何だ!?」

「心配するな。家族へのお悔やみの手紙は、私が書いてやろう」

「成程殺す気か!?」

 

 

ルクレール中尉に、転んでいる私をまた見られたという恥辱。

彼とは、私がやらかした愚行と罵倒の件があるので、できればしばらく距離を置きたいと思っていたのだが。

しかしまた私の恥ずかしいところをみせてしまったわけだ。

ああくそっ、前言撤回だ。

何が「痛くない、痛くない」か。

痛い、頭が。

 

恥辱に頭を抱える。

そんな私に、そっと手が差し伸べられた。

差し伸べてきたのは、当然ルクレール中尉。

 

 

「ったく。ほら、ルドルファー中尉」

「あ、ああ」

 

 

手を伸ばしかけて。

しかし前回は払いのけてしまったことを思い出し、少しばかり躊躇ってしまう。

結局は、その手を掴むことを選ぶのだが。

 

 

「すまない」

「構わない、が………ルドルファー中尉は、その」

「なんだ?」

「もう起きても大丈夫なのか?」

 

 

ベッドに一度腰を下ろした私に、ルクレールは歯切れ悪く問う。

転んで地面とキスしていた件について触れない程度には、ルクレールは紳士であるらしい。

 

 

「大丈夫、とは?」

「中尉、君の身体の話に決まっている。中尉が手術を受けてから、まだ四日しか経ってないのだぞ」

「むっ?」

 

 

手術の件は、初耳。

しかしまあ、四日で動けるのなら、問題ではないと判断する。

久瀬の頃は一か月意識不明の重体でも、回復後は即戦線復帰したこともあるのだ。

それを考えるなら、今回の()()は大したことない。

 

 

「………ルクレール中尉、君はおかしなことを言うものだ。見て分からないのか、それとも顔面についた眼は節穴か」

「俺が言いたいのはそうではなく―――――」

「まあ、そんなことはさておき、だ」

 

 

余計な詮索、気遣いは無用とばかりに、言葉を被せる。

いま必要で、重要なのは個人の心配ではなく、一つでも多くの情報。

私が眠っていた間に変化したであろう我軍と、その周囲の現状だ。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「――――さてルクレール中尉、いろいろなことを聴いてきた訳だが、我々の現在地の所在は何処だ。日数的にはモンベリエあたりだとは思うのだが」

 

 

梯団の編成状況、戦力、物資等々。

知っておくべき情報を確認し終えた私は、最後に我軍の現在位置の確認せんと聴く。

が、ルクレール中尉は溜息一つ吐き。

 

 

「残念ながら、現在地も何も、我々は未だ撤退行動に移行していない」

「撤退を、はじめていない?」

 

 

現在地は、未だ駐屯地?

この切迫した状況下で、しかし今日まで梯団を動かしていない?

………馬鹿な。

南部から広がるネウロイの勢力圏は、こく一刻と私たちを飲み込もうとしているのだ。

だからはやく。

ネウロイの脅威が迫る、ネウロイの瘴気が迫るその前に、北に撤退しなければ我々は全滅してしまう。

私でさえ気づけるその危うさを、おじいさまが分かっていないとは考えづらい。

ではおじいさま――――ルネ・フォンク大佐は何をもって梯団を動かすことをしなかったのか。

 

 

「………っ、成程。嗚呼、くそっ」

 

 

目頭を揉む。

それはさも考えているという姿勢をみせる、()()()

 

答えは考えるまでもなく。

分かり切った答えには、落胆と、今後の困難を想って思わず舌打ちしてしまう。

この四日間は、おそらくは合理主義的軍人ならば当然として判断するべき決断の猶予であったのだ。

助かる見込みがない者を見捨てる、決断と選別の猶予だ。

私もまた回収した負傷者たちを見、考えた事である。

ルネ大佐なら何か妙案を、とも思って期待はしたが、四日もとどまったことはそれがない事の証左。

残念であり、そして面倒だ。

 

四日というギリギリの猶予を捻出したルネ大佐は、まだ情のある人間だろう。

きっとその決定には、梯団を取り纏める将兵たちからの反発が大きかったに違いない。

その中で、反発したであろう将兵を抑え、それだけの猶予をつくったルネ大佐は流石としか言いようがないが、しかし四日も待ったとはいえ助かる見込みがない者を見捨てる決断は、事実上の死刑宣告だ。

これを受けた人々の反応は如何にと想像すれば、それもまた考えるまでもない結果が見えてくる。

 

 

「ルクレール中尉」

「なんだ?」

「少しばかり、手をかしてくれ」

 

 

たとえそれが助からない者であっても、軍人でもない民間人を切り捨てる決断は、理解されても、納得はされまい。

命を見捨てることは、なによりも非情な判断だと捉えられることは当然避けられないだろう。

 

壊死した細胞を取り除くような、決断。

それは我々に、助かる見込みのない者まで面倒を見る余力がなかった力不足故にさせるもの。

そう。

判断したのはルネ大佐であろうが、判断させたのは我々である。

彼ただ一人を責められるのはおかしな話だが、しかし組織の力不足、その責任の所在は彼に発生する。

それが、組織のトップというモノだ。

 

彼と私では、偽りとは言えそれでも階級が違う故に、だからこそ、その立場を変わる事はできない。

歯がゆい事だ。

この責任問題ばかりは、私にはどうしようもない。

 

だが非難の()()に立つべき人は、必ずしも彼でないといけないということは、ない。

ミスディレクション。

憎むべき対象を、私が矢面に立つことで誘導することはできる。

 

ルネ大佐はガリアの、いや、欧州全域に名を知られるほどの大英雄だ。

これからの戦いのこと、撤退戦の後の、反攻戦を考えるなら、当然大佐は要るべき存在。

梯団を、ガリアを纏めるべき御旗だ。

当初の撤退時に群集団を纏めるべきソレになるべきかと覚悟した私だが、それよりも確かなネームバリューがあるルネ大佐がいるのであれば、私はもはやソレになる必要はない。

大佐が――――おじいさまがいるのであれば、私の身の振り方もまた変わるのだ。

御旗は、二つもいらないから。

 

その御旗を穢させぬ。

汚れを拭うのは、綺麗な御旗よりも擦り切れて使い古したボロボロの雑巾の方がいいに決まっている。

私もその方が性に合っているし、慣れている。

それが彼の娘を、備えていたにもかかわらず、みすみす死なせてしまった私の咎で。

愚かにも自己満足で犠牲になり、おじいさまを復讐者に成り下げさせてしまった私の罰となる。

 

もっとも。

私がただの少女だという事を知っているおじいさまが、これから私のすることを黙認してくれるかどうかという問題がある。

………説得は、必要か。

いや、この際、私の罪も暴露してしまったほうがよいか。

そうすればきっと、おじいさまは私を見限ってくれる。

そうすればきっと、おじいさまは私を頭のイカれた奴だと思ってくれることだろうから。

 

捨てられて、嫌われる。

仕方のない事で、当然の結末だ。

おじいさまには、その権利がある。

寧ろ嫌われた方が、私としても都合がいい。

そうすればおじいさまは躊躇なく私を戦場に投入でき、私もまた、もとの軍人としての私へと戻れるのだから。

 

 

「中尉、その身体で何処に行く?」

「なに、ただの散歩だよ」

 

 

散歩とは、また下手な方便だな。

そう思いながらルクレールの手を借りようと手を差し出すが、しかしルクレールはそれに応えない。

応えずに、彼は痛々しげな顔をして、私を見る。

 

 

「中尉、君はもう十分戦っただろう」

 

 

………十分?

 

 

「ルドルファー中尉、君は看過できない負傷を負っている」

 

 

負傷?

敢えて言おう。

だから、なんだ? と。

 

 

「………ルクレール中尉、見ての通り、確かに私は負傷している。思考レベルも、今こそ平時よりも低下している事も認めよう。だから、言いたいことははっきりしてくれよ」

 

 

嘘だ。

ルクレール中尉が言いたいことは、私の頭でも分かっている。

負傷して、満足に動けない私は、お荷物。

邪魔でしかない。

中尉が私に向ける言葉を想像するのは容易だ。

だが、その言葉は今の私にとって。

 

 

「これ以上、中尉が戦う必要はないという事だ」

 

 

ほら。

至極、最悪、極まる。

 

 

「はっ、戦うとは。また可笑しな事を言う。ルクレール中尉、外を見ろ、敵は何処だ?」

 

 

外を指す私は、どうやら苛立ちを覚えているらしい。

己が思っている以上に、語る言葉は荒々しい。

 

 

「ルクレール中尉、私を見ろ、負傷しているぞ? 戦おうにも、少なくとも数日は戦えんよ」

 

 

己の胸に手の平を向ける私は、どうやら焦っているらしい。

己が思っている以上に、語る言葉は早口だ。

 

 

「敵はネウロイだけではない。君の行動次第では、民間人も場合によっては敵になり得るだろう」

 

 

言葉遊びには、させてはくれない。

ルクレール中尉はどうやら、私が今から行わんとすることを分かっていて、その上で私を邪魔せんとしているらしい。

私の闘争と贖罪を。

私の戦争と責務を。

 

 

「………貴官らの責任者は、私だ。貴官は私がその役割を負う事を認めておいて、しかし今更その責務を奪うのか?」

「いまさら理解の不足する子どものふりしてとぼけても無駄だ、ルドルファー中尉。既に我々があちらの梯団に組み込まれた事を察せない君ではない筈だ。これからの責任はフォンク大佐にある。それでも君が動く理由があると言うのか」

「ある」

 

 

即答する。

ここにいたのは四日と言った。

腹立たしい事この上ないが、恥を忍んで頭を下げる。

時間がないのだ。

 

 

「だからこうして頭を下げて、手をかしてくれと言っている。ルクレール中尉、私が気に食わないなら、それでもいい。だが、余計な事をしている暇はない」

「それは、『フォンク』という苗字に、関係あることか?」

「――――っ」

 

 

図星。

故に、言葉に詰まる。

だが。

 

 

「確かにそれは理由の一つにはある。だがそれを決意にするには不十分だ」

 

 

贖罪は確かに理由の一つにはなる。

が、しかし不十分だ。

 

 

「なら、そうまでして君が動かんとする理由は何だ?」

 

 

ルクレール中尉は、まっすぐに私を見て問う。

嘘偽りは、許さんと言わんばかりに。

私の真意を探らんと。

 

 

「理由も何も、私は軍人だ。ガリア軍の将官だ。理由はそれに尽きる」

 

 

だから私もまた、まっすぐにルクレール中尉の目を見て答えた。

 

一度騙ってしまったのだから、致し方なし。

私は軍人に徹底して成り切らねばならない。

そうなれば軍人として、大局を想っての選択は当然である。

所詮人生は、配られた手札で最善を尽くすしかないのだ。

詰まりは自己の生存戦略と保身を図る為。

他人任せの不安故もあるが、極論、嘘偽りはない。

 

これからを想ってこそ。

傍から見ればさも国家国民に忠誠を尽くした軍人としての模範的な回答に、さて、ルクレール中尉はどんな反応をみせるか?

 

 

「信じていいのか」

 

 

しかし否応ではなく。

そんな事を口走った彼の言葉は、正直予想外のものであったと白状する。

 

中尉の参謀としては壊滅的なほどに感情的な部分は、参謀としては失格と言わざるを得ないところではあるが、だからと言って、彼に能力がないこととイコールにはならない。

私から見たルクレール中尉は、よく頭の回る利口な奴だという認識であった。

そんな彼が、彼と彼の仲間を私は扇動し利用した事実に気付いていないとは思えず。

それでも私を「信じていいのか」と言うのだ。

 

 

「私を、信じるのか?」

 

 

だからそんな阿呆な事を訊かれては、思わず聞き返してしまう私は悪くない。

いや、私の都合のよい駒に成り下がるのなら歓迎するのだが、そんなうまい話などある訳がない。

第一、私が再度出撃する際にルクレール中尉に吐いた罵倒から、彼は私の精神状態が正常のそれとは遠く離れたものだと分かっている筈だ。

 

 

「ああ」

 

 

そんな私を、信じる?

戯言は大概にしてほしい。

ルクレール中尉。

一体、何を考えているのか?

 

てっきりルクレール中尉は、今から私のやらんとすることを邪魔せんとしていたものと考えていたが、これでは、まるで………

 

 

「ルドルファー中尉。この四日間、俺は君が出撃する際に言った言葉をずっと考えていた」

「………あの時言ったことは、忘れろ。あの時の私は錯乱していたのだ」

「それでも――――」

 

 

曖昧であった時の話をされるのは恥ずかしいと、目を逸らすが。

ずいっ、と。

ルクレール中尉は一歩、こちらに寄る。

 

改めて言うが、私は未だ少女である。

背はようやく140を超えたあたりの、ちんちくりんである。

対してルクレール中尉は男で、大人。

そして参謀にしてはよく鍛えられた、屈強な、れっきとしたガリア兵士である。

何が言いたいかというと、ただでさえ彼の大きくてよく鍛えられた体格は、視点の低い私にとってはより大きく見えるということ。

 

 

「君が言った言葉を、俺は考えずにはいられなかった」

「お、おい………」

「ルドルファー中尉、俺は君に謝らないといけない」

 

 

彼がずいっ、ずいっ、と鼻息荒く迫ってくるのだ。

 

 

「俺は君を疑っていた、俺は君が怖かった。そして俺は君の力を羨望し、全てを投げていた。でも、それは間違いだった」

 

 

私の感じる恐怖を、お分かりいただけるだろうか?

貞操の危機。

いや、流石にそんなつもりは彼にはないだろうが。

しかし頭によぎるのは、生前、能見二尉が竹下二尉に矢鱈と連呼していたロリコンというワード。

 

後ずされば、彼が寄る。

仰け反る体勢では力が入らず、とうとう私はベッドに倒れてしまう。

それでも私の目をまっすぐに見て語ろうとするルクレール中尉だが、いい加減気付いてほしい。

誰かに我々の格好を見られようものなら。

 

 

「だから俺は、君に――――」

「ルクレール中尉、大変――――――――あっ」

 

 

私を襲っているものと、勘違いされかねないというのに。

………もう手遅れのようだが。

 

 

「ヴぃ、ヴィ、ヴィルに何してるんだ!! この、変態!!」

「ち、違っ!? おごぅ!?」

 

 

後ろから誰かに蹴り上げられたルクレール中尉のムスコは、私の目の前で壮絶な殉職を遂げてしまった。

一瞬、本気でルクレール中尉の実家にお悔やみの手紙を出すべきかと思ってしまう、それほど容赦の欠片もない見事な蹴りであった。

地面に股を押さえて転げまわって唸るルクレール中尉。

そんな彼には、私も元男だっただけあって、大いに同情する。

あれは、さぞや痛かったことだろう。

ただ紳士だったり紳士じゃなかったりラジバンダリーと、妙に気が利いたり利かなかったりする彼にはいい薬となっただろう。

 

さて。

ルクレール中尉が床に転がったことで私の視界が開け、そこで彼のムスコを蹴り上げた誰かのご尊顔を拝見することが叶うわけだが。

私に向けられる、栗色の瞳。

同色の髪はショートカットに切り揃えられ。

気の強い子犬を連想させられる彼女は、ジャンヌ・フランソワ・ドモゼーだ。

 

 

「ヴィ、ヴィル!? 目が覚めたの」

「やあジャンヌ。四日ぶりかな」

 

 

シャルロットもな。

 

ジャンヌの影に隠れるように立っていた彼女にも、声を掛ける。

戦場で見かけた時にはひやりとさせられた彼女だが、こうして無事だったことが分かったことは、朗報だ。

たとえ彼女に以前みたいな明るさがめっきりなくなって、俯きで瞳が前髪に隠れて影を落としていたとしても、生きていたなら朗報だ。

朗報ったら、朗報だ。

 

………ああ、また面倒事か。

内心とはいえ、また溜息を吐く。

今のシャルロットには、誰かのデジャヴを感じて、その危うさを予感する。

が、ぶっちゃけ、構ってられないのが本音だ。

自身のメンタルさえ定かではない私が、どうして他人のメンタルケアをしなければならないのか?

 

明らかに爆発物と化してしまったシャルロット。

だから、悪いが今の彼女には、薄情だが触れないでおこうと、判断。

 

 

「で? ジャンヌたちはルクレール中尉に用があったのでは?」

「そ、そうだった。ルクレール中尉、へんたっ――――大変なんだ。部隊の人が早く来てくれって」

「………おいドモゼー、いま変態って言いかけなかったか?」

 

 

そんなこと今はどうでもいいだろと、ルクレール中尉に肘打つ。

 

 

「何があった?」

「わ、分からないけど、僕たちがドクターの手伝いをしていたら、大人の人達がドクターの人達に殴りかかって………」

「………喧嘩か?」

「いや、ただ喧嘩なら、ルクレール中尉を呼ぶまでもないだろう」

 

 

大方、ドクターの誰かが不用心にも切り捨ての件について話していたのを、他の誰かに聴かれてしまったのだろうと推測する。

ルクレール中尉が呼ばれた時点で、それはただの喧嘩ではなく、もはや暴動の一歩手前であることすら考えられる。

 

 

「もたもたしている暇はないな。ルクレール中尉」

「………本当に、行くのか?」

「なに、中尉が事態を上手く取りまとめる事ができるなら、私を置いて行っても構わんぞ?」

 

 

事態は最悪な方向へと進んでいるようだが、いずれは伝えないといけなかった事だ。

予定が繰り上がったと考えれば、問題はさほど最悪ではない。

 

 

「………止めておこう。ルドルファー中尉は過保護だから、置いて行ったところで這ってでも来そうだ」

 

 

差し出す手を、彼は取る。

「過保護」という言葉には引っ掛かりを覚えたが、手をかしてくれるのだからまあいいかと捨て置く。

というより、最初から素直に手をかしていればいいものをとは思うのだが。

 

 

「むー」

 

 

………はて?

傍にいたジャンヌが、どういう訳か不満げなのに気づくが。

訳が分からん。

いまから遊びに行くわけではないのは、彼女だって分っている筈だ。

 

 

「なんだ、ジャンヌ。この融通の利かない中尉の代わりに私の従順な松葉杖になりたいのか?」

 

 

冗談めかして言ってみる。

私の知るいつものジャンヌなら「冗談じゃないよ!!」と怒るかと思ったのだが、「えっ、あの、その」と顔を真っ赤にして慌てはじめたので、可笑しなものだと笑う。

まあ、彼女が中尉と代わりたいと言ったところで私は、それ以前に中尉もその役目を代わらせることは絶対に無いのだが。

 

そう。

今これより、護られる幼女である彼女たちと、私の立場は明らかにたがうのだから。

 

 

「ジャンヌ」

「な、なに?」

「気張れよ」

 

 

ここから先、ドモゼー姉妹とまともに会う機会はないだろう。

私は兵士として前線に立ち、彼女たちは梯団に民間人として保護されるのだから、当然だ。

だが護ると約束した手前、二人をこのまま他の誰かに任せるのは気が引けた。

だからせめてと、言葉を残す。

 

 

「私はこれから先、一兵士として最前線に身を投じる事となるだろう。それは二人を護る事に繋がると信じているが、二人を直接護ることはできない」

「ヴィル………」

「いいかジャンヌ、人間は非力だ。子どもなのだから猶更だ。だから他人を頼れ、大人を頼れ、生きたいと渇望するのならあらゆるものを頼れ、君たちにはその権利がある」

 

 

だが、と。

ジャンヌの腰の物に、そっと手を伸ばす。

そこにある物は、私が護身用にと渡した、拳銃。

 

 

「本当に、最後の最後に自分たちの身を護れるのは自分たちしかいない。いいか、そのことをよくよく覚えておけよ」

「………分かった」

 

 

私の言葉に、ジャンヌは強く頷く。

妹の為にと戦っていた、強い意志を持つ彼女のことだ。

多少の困難くらいは、きっと乗り越えてくれることだろう。

さて。

 

 

「シャルロット」

 

 

問題は、彼女だ。

本当なら早急にこの場から立ち去りたいところだが、ジャンヌに声を掛けておいて彼女には何も言わずに去るというのも、失礼か。

だからと言って、何と声を掛けたものかと悩むのだが。

 

ふと、私が名前を呼んだからか、彼女は少しだけ顔を上げてくれていることに気付き。

ようやくシャルロットの、前髪に隠れていた瞳を覗くことが叶うのだが。

そうして、「ああなんだ」と。

デジャヴを感じるのも、無理もないと納得した。

 

それは久瀬の時と、一度目のヴィルヘルミナが、自暴自棄であったときの、瞳。

誰かからの「非難」を求める瞳。

 

 

「シャルロット」

 

 

「非難」をくれてやることは容易い。

私だって、彼女に文句の一つや二つはある。

けれど、それを言ってもらったところで、なにも満たされることなく寧ろ飢えてしまうのは、経験則で分かっている。

何故なら感情の深層で、本当に欲していたものは「非難」ではないのだから、満たされているのに飢えてしまうのは当然と言えば当然だろう。

 

 

「………っ」

 

 

だから。

私はシャルロットの名前を呼んで。

彼女の頭をポンポンと、触れてあげる。

そして。

 

 

「ありがとうな、私を助けてくれて」

「っ!?」

 

 

シャルロットが一番欲しておらず、けれど彼女に一番必要な言葉をあげるのだ。

彼女にとって残酷な、救済の言葉を。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

シャルロットに言うべきことを言い終えた私たちはすぐ、ドモゼー姉妹を残し天幕を後にした。

先を急ぐ問題があるのだから当然ではあるが、ルクレール中尉に引かれる私は、背の天幕から少女の涕哭を聴く。

振り返る事はない。

私が彼女にできることはしたつもりだから。

後はシャルロットの気の持ちようと、ジャンヌのフォロー次第か。

 

………それにしても「ありがとう」、か。

 

朦朧とする意識の中、シャルロットが懸命になって夜な夜な私に治癒魔法をかけてくれていたことを覚えていたからこその言葉は。

しかし私が決して、生前一度としてかけられることの無かった言葉であった。

それを「欲している」と考えるのは、いやはや、我ながら女々しいものである。

今でこそ割り切れていると思っていたが、しかし今でもそう考えてしまうという事は、つまり――――

 

 

「………なあ」

 

 

遠くの喧騒に向かって、暫く無言で歩いていた私たちだったが。

ルクレール中尉は不意に足を止め、私もまた止まる。

 

 

「ルドルファー中尉」

「………なんだ」

 

 

彼は私を見ていない。

彼の目は、聴こえる喧騒を眺めていた。

 

 

「俺は君を信じていいのかと訊いたな」

「ああ、訊いたな」

「本当はもっと君に言いたいこととか訊きたい事があったんだが、これだけは訊かせてくれ」

「なんだ?」

 

 

 

 

 

――――軍人に必要なものって、なんだ?

 

 

 

 

 

………また抽象的なことを訊くものである。

それは兵士としてか、参謀としてか、指揮官としてか。

軍人と言っても、その立場たちばの違いによって、心構えというのは変わるものだ。

一括りにはし難い。

 

だが、人と軍人の違いの狭間に苦しんでいるのであれば。

その人にとって必要なモノは。

 

 

「理不尽を諦め、受け入れる耐性だ」

 

 

それが、私の答えであった。

 




新年あけましておめでとうございます。
「二年かかって33話、しかも未だストライカーさえ出ないって、どういうことかね?」と、方々からお叱りを頂戴おります拙者こと、bootyでございます。
相変わらずの亀更新ではございますが、他拙作共々これからもご付き合いいただければ幸いでございます。


さて、今回話で34話目となりますこの「だから彼女は空を飛ぶ」ですが、ストライカーは本当に出るのかと疑問に思っている読者様もいらっしゃることでしょう。
そこで、以前挿絵を頂戴致しました崋山氏と相談いたしまして、先の未公開話の、ストライカーを履いたヴィッラ嬢の挿絵を新たに頂戴する運びとなりまして、先行してその線画を公開する事に致しました。
挿絵を新たに描いてくださいました崋山氏には、この場をお借りして改めて感謝を。



【挿絵表示】



また、こちらも崋山氏が製作された「だから彼女は空を飛ぶ」の表紙画になります。



【挿絵表示】


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だから彼女は失敗する

『我々は、必ず還ってくる』


――――タルヌ県 国立平和記念公園記念碑より――――


街がネウロイから解放されてからの四日間、軍医や民間の医師らで編成された医療チームに参加した者のほとんどは、ほぼ不眠不休で傷病者の治療行為に従事していた。

『回復の見込めない者は、捨て置く事』

ルネ大佐の決定したその方針に該当する者を、一人でも多くなくすためであった。

 

彼らの尽力は、一定の成果としては出ていた。

当初の想定されていた該当患者数から半数以上数を減らすことに成功したのである。

勿論彼らに新たなトリアージ法――――ヴィルヘルミナトリアージ――――が齎されたことによって適切な初期治療が行われるようになり。

そしてネウロイから街を解放し、動くことのできない医療現場に及ぶ危険を排除したルドルファー中尉の貢献を排除することはできない。

しかし医療チームの尽力は、多くの人命を救った行いは、それに勝るとも劣らないモノであったと言える。

 

 

「………先輩」

「この患者は、駄目だ。ここにあるものでは、これ以上のアプローチは望めん」

 

 

それでも。

該当患者の半数以上の数を減らすことが叶っても、全員ではない。

どんなに尽くしても、助からない命もまたあった。

 

頭部外傷が原因と認められる、意識不明で運ばれた老婆がいた。

その時、彼女を担当していたのは、二人の医師であった。

一人はベテランの医師であったが、もう一人は研修期間も明けていない新米の医師であった。

 

 

「布を『黒』に換えておけ」

 

 

二人とも目の下には、酷い隈。

それは二人もまた医療行為に奔走した証左であって、その分だけの救った命も多くある。

だが。

 

 

「もう………もう限界だ!!」

 

 

切り捨てを決断した患者もまたあって。

命を選別する、その重圧感と罪悪感は己に、もっと己に技術があれば、と。

もとより責任感の強かった新米の医師は切り捨ての度に、己を、責めて、責めて。

その果てに、いつしか己の医療行為が切り捨ての選別のための行為にしか思えてならなくなってしまった彼は、ついに限界の時がきた。

手に持つカルテを地に投げ捨てた彼は、頭を抱えて蹲る。

 

 

「これ以上俺にはできない!! 切り捨てなんて、見殺すなんて!!」

 

 

直前まで混乱を避けるため、切り捨ての選別を行っている件は、医療チームと梯団の首脳部以外には伏せられていることである。

新米故に彼についていたベテラン医師は、彼を止めるべきであったのだろう。

俺はこんなことをするために、医者になったのではない。

そう叫ぶ新米医師を、しかしベテラン医師はどこか他人事のように虚ろに見下し、そして止めることはしなかった。

 

彼もまた、同感であったのだ。

そしてもう、億劫であったのだ。

自分たちもまたネウロイに襲われ、大切な者を失った。

だとというのに嘆く暇もなく、ほぼ不眠不休で医療行為に従事しているのに己の無力、無能を晒すばかり。

 

ベテランの医師も、ネウロイの襲撃によって妻を亡くした。

彼もまた心身ともに疲労困憊であったのだ。

だから同感である意見を止めることをせずに。

一瞬だけ、少しだけ、と。

自分では吐くことが許されない悲鳴を、代わりに新米の医師に言わせていたのだ。

 

 

「………おい」

 

 

結果、やはり、隠さなければならなかったモノが露呈してしまうのだが。

たとえそれが間違いだとしても。

それによって何が起こるか分かっていても。

 

 

「切り捨てって、どういうことだよ」

 

 

もう、どうでもいいと。

ベテランの医師もまた、全てを投げてしまった。

責任の、放棄。

それが暴動の発端であった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

人、集まれば群衆と呼び。

群衆になった人々は、常に何かしらの熱気を持つものである。

それをヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーは知っている。

ソースは己だと、胸を張る。

 

 

「軍の暴挙を、許すなぁあ!!」

 

「我々を、見捨てるなぁあ!!」

 

「選別を、止めろぉお!!」

 

 

その熱気は、多種多様な変容性を持っているが。

例えば、今ここにある熱気は、『熱狂』。

それも、あまり好ましい類のものではないとヴィルヘルミナは肌で感じた。

 

ルクレール中尉に支えられ、彼らがたどり着いた喧騒の現場は一触即発の空気が漂っていた。

今でこそ兵が壁となって人々を塞き止めて、何名かの士官が説得を試みているようだが、話を聴き入れてくれる様子は、ない。

状況は暴動の一歩手前かとヴィルヘルミナは見た。

 

 

「中尉、エヴァンス中佐だ」

 

 

兵に指示を出すカイゼル髭を蓄えた壮年の陸軍将官に向かって歩くルクレール中尉の耳打ちを受けて、ヴィルヘルミナは了解する。

ルクレール中尉と違って自身はおせっかいで来ているのだから、此処にいる将校の中でも最高位らしいエヴァンス中佐に話を通すのは、確かに筋である。

しかし相手は陸軍。

見た目少女である自身の話を聴いてくれるものか。

不安に思いながらも、ヴィルヘルミナは身を引き締める。

 

 

「失礼。フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉、到着いたしました」

「ルクレール中尉か。よく来てくれた――――?」

 

 

ルクレール中尉が敬礼する横にいるヴィルヘルミナに、エヴァンス中佐がはたと気づいたところで、彼女もまたルクレール中尉に倣う。

揃えた踵、軍靴の音。

それは喧騒の中でもよく響いた。

 

 

「君は、確か」

「無様な格好で申し訳ありません、エヴァンス中佐、お初にお目にかかります。小官はガリア空軍所属のヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉であります」

「………ルクレール中尉。彼女は絶対安静だと聴いていたが」

 

 

ルクレール中尉に目を向けて、エヴァンス中佐が言葉尻強く問う。

意を汲み取るならば、「支えられなければ立てぬような小娘が何故此処に?」か。

 

 

「お言葉ですが中佐」

 

 

負傷兵が怪我をおしてこの場にいる状況。

いやはやそれを不安に思うのは致し方なしかとヴィルヘルミナはエヴァンス中佐の心情を察し、なけなしの魔力で以てルクレール中尉の支えから離れ、二本足で立ってみせ。

 

 

「僭越ながらこの状況、猫の手も必要なものかと愚考いたしますが」

 

 

そして、心配には及ばないと、彼女は不敵に笑ってみせた。

それを見るエヴァンス中佐は眉を顰めるが、やがてやれやれと呆れ降参する。

 

 

「まったくルドルファー中尉、つくづく君の献身的貢献には感心させられるよ」

「はっ、恐縮であります」

 

 

エヴァンス中佐が両の手を挙げるのは、はたして降参の意図だけか。

いや声色は、彼が諸手を挙げたものだとヴィルヘルミナは解釈する。

 

 

「さてルドルファー中尉、君はこの事態を何処まで把握しているかね?」

「残念ながら、まったく」

 

 

素直に白状するヴィルヘルミナ。

しかし、ですがと、彼女は一呼吸おいて続ける。

 

 

「事態の起こった事情の予想はついております。この騒動の原因は、『切り捨て』の件にありますね」

「………なるほど」

 

 

エヴァンス中佐は彼女の返答を聴いて、頷く。

概ね、彼女の答えは、正解。

しかしエヴァンス中佐が頷くのは、なにもそれだけのことだけではなかった。

そこにあるのは、感心と関心。

 

 

「ルドルファー中尉。事態の推測ができていた貴官は、つまり()()()()()()()していたという事か」

「はい。我軍を取り巻く情勢、現状、及び敵性勢力の進行状況等に配慮し勘案しました場合、生存確率の高い撤退ルートのひとつとしてローヌ渓谷が妥当かと判断し、またローヌ渓谷を進行する際の問題のひとつとして、既に合流以前より覚悟しておりました………対策が遅れ、結果として問題を先延ばしにしたこと、お詫び申し上げます」

「いや、貴官はネウロイ撃破後、意識不明の重体であったのだ。貴官を責めるところではない」

 

 

彼自身、ウィッチの価値は理解しているも、欧州列強がこぞって進めているウィッチの軍事運用の件に関して言えば、懐疑的であった。

それは倫理的に彼女らが女子供であるだけでなく、精神も経験も未熟である彼女らに作戦の理解、そして私情に左右されない一貫した遂行能力を疑ってのことであったのだが、いや、今一度、見直さなければなるまいとエヴァンス中佐は考えを改める。

 

頭の回転は、よい、思考力はある。

尉官にして戦略を理解するのではなく勘考でき、その責任を自覚できる人材は中々いるモノではない。

損得勘定を醒めた視座で決断できる能力もまた同様、だが………

エヴァンス中佐はそこまで考えて、はたと、目の前の事実をあらためて整理する。

 

 

「―――――? ………………!?」

 

 

整理はやがて理解を推し進め衝撃となり、彼は愕然する。

 

こんな少女が、戦略を?

兵士としても確かな戦力として数えられる?

はっきり言って、「稀有」。

極めて稀有な人材だと評価する他ない、と。

これが熟練の尉官なら、まだ、理解できた。

が、彼女はまだ12。

齢12にしてこれか?

冗談ではない、と。

 

年齢のことを思うなら未だ伸び代のあることを思えば、末恐ろしいと言う他ないとエヴァンス中佐は表情筋には出さないものの、内心では嫉妬と驚愕交じりの感情を渦巻かせる。

 

 

「? エヴァンス中佐?」

 

 

ヴィルヘルミナはヴィルヘルミナで、何か見当違いで拙いことを言ったかと恐縮していた。

恐る恐るで、上目づかいで。

 

 

「………いや、なんでもない」

 

 

その姿は、彼女を年相応の少女であることも、またエヴァンス中佐に思い出させた。

 

私が、子どもに、嫉妬?

彼女の資質はともかく、なんと大人げもないことをと、彼は自戒する。

 

改めて、エヴァンス中佐はヴィルヘルミナを見下ろす。

流石にルドルファー中尉をモデルケースとするのは些か人選としてはアレではあるが、ウィッチは軍事利用するに足る能力を持つことは可能である証明は、いずれ彼女によってなされるだろう。

それを思えば頼もしく、同時にここで散らすにはあまりに惜しい人材だとエヴァンス中佐はヴィルヘルミナを再評価する。

 

 

「ルドルファー中尉」

「はっ」

「貴官の推測は概ね正解だ。補足として医師団総括であった軍医中佐と他数名の民間医が人質に取られていることを把握しておけ」

「武力鎮圧は、あくまでないと」

 

 

後の禍根となる武力鎮圧は、人質あるなし関係なく当然として最終手段であるというのは理解しているが、あえて言葉にすることでそれが共通認識であることを、エヴァンス中佐の首肯で以て、ヴィルヘルミナは確認した。

自然ではあったが、組織として一貫した共通認識を持つことの重要性を理解している若者は少ないが、彼女はそれこそ生まれる前より理解していたようだとエヴァンス中佐は感心する。

しかしヴィルヘルミナに限っては、あながちそれは間違いでもないので、笑えない話である。

 

 

「さてルドルファー中尉。事態を予測し、怪我をおして来ている貴官のことだ。何の腹案もなしに此処まで来たわけではあるまい」

「御高察の通りであります」

 

 

話が早くて助かると、やはり持つべきは理解ある上官であるとヴィルヘルミナは安堵する。

 

 

「結構。その腹案を話したまえ」

「はっ。差し出がましくも発意致しますに、小官は此度の事態の解決、説得が望ましいものと愚考いたします」

「………説得? 説得かね?」

 

 

ヴィルヘルミナの口から語られたものは、奇策でも何でもない。

何の変哲もない、凡案であった。

それを聴いたエヴァンス中佐は耳を疑い、その視線を民衆を抑えている自らの部下たちへと滑らせる。

その中で何名かの士官で以て、説得は、既におこなわせている。

結果は、当然芳しくない。

それを目の前の彼女が見えていないとは、エヴァンス中佐には思えなかった。

だから、もっと。

なにかあるではと、彼が期待するのは当然であった。

 

期待。

それを向けるエヴァンス中佐の視線を、ヴィルヘルミナは言葉足らず故の催促と誤解し、彼女は早口で言葉を続ける。

 

 

「謹んで申し上げますがエヴァンス中佐。問題点を踏まえない場当たりな説得では、まったくの無意味であるものかと」

「続けたまえ」

「はっ。小官が彼ら民衆の抱える問題を勘案致しますに、評価するのに値するのは事実・不安・ストレスの三点であります。説得時には、この三点を余さず取り除くことが肝要かと」

「なるほど、見えてきた、が―――――」

 

 

ストレスによって民衆の心は既に不安定であり。

隠していた『切り捨て』の事実と、知らされていなかったソレに起因するネガティブな思考から来るのが不安かと、エヴァンス中佐は理解する。

確かにその三点を取り除くことこそ肝要であるのだろう。

が、しかし、語るのは易い。

その三点を同時に取り除くことは容易では無い。

だが、この少女は………

 

エヴァンス中佐は、突如として笑い出す。

笑いを装っていないと、目の前の才能に、もはや嫉妬を隠せる自信がなかった。

 

 

「はっはっはっ!! ルドルファー中尉!! 貴官は政治家にでもなるつもりかね!?」

「は? い、いえ。命令であれば、小官は政治家でも扇動家でもなってみせましょう………小官如きでは()()()()()()()()()の域は抜けるとは、とてもではありませんが申し上げられませんが」

 

 

一瞬だけぽかんとした表情をみせたヴィルヘルミナは、それは拙いと気づきすぐさまその表情を抑えた彼女の心の内はまさに表情の通りであったが、対して、返答を聴いたエヴァンス中佐は己の意思を総動員し、笑い続けることに精一杯であった。

 

子どものおままごと? それは相当の自信がないと口に出来まい。

呆けている? それはまさか己の資質が疑われるとは思っていなかったということか。

彼女は信じ難いことにこの状況、平和無事に収拾する自信が、つまりあるとエヴァンス中佐は受け取った。

 

平然と言うそれは、そんな事ができるのは、指導者。

それを君は勿論知っているだろうなと、エヴァンス中佐は内心で問いかけるそれは、言葉にしない、だから。

彼がヴィルヘルミナから受けた底知れぬ衝撃と勘違いを、互いについぞ気付くことはなかった。

 

 

「いいだろう、我らの戦乙女がそこまで豪語するのだ。彼らの説得はルドルファー中尉、貴官を信任し、一任するとしよう」

「はっ、謹んで拝命いたします。信任していただき感謝いたします、エヴァンス中佐」

 

 

エヴァンス中佐と同じ陸軍ではない、たかが中尉、しかも年端もいかない少女を、まさか信任してくれるとは。

中々どうして、これほどうれしいことは無いだろうと逸る気持ちを抑えて、つとめて平然を装うヴィルヘルミナだが、「では、小官はこれにて」と洗練された敬礼の後に踵を反して早足で民衆へと向かうのはやはり急いでいるからだけではないのだろう。

一方で、彼女を見送るエヴァンス中佐の心境は、複雑の一言に尽きた。

姿形は少女のソレ。

そして足取りはまっすぐだがしかし負傷の影響を隠しきれてはおらず、足が僅かに震えて引きずっているのを、彼は見過ごさなかった。

しかしながらその身にそぐわぬ才を持ち、それを以て我が身を顧みず。

義務とよく心得、祖国と国民のために粉骨砕身行動するその姿は、まさしく軍人の鑑。

祖国に献身を尽くす人材は、いつだって歓迎されるものである、が。

少女を戦場に立たせることを許し、少女に扇動を願い、少女に未来を託す。

いやはや、人生とは何が起こるか分からないモノだと。

そうして彼もまた、彼女を眺める一人となる。

 

 

 

 

 

兵と民衆の垣根に消えていったヴィルヘルミナ。

後にエヴァンス中佐の耳に届くのは、三発の銃声。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

――――パンッ、パンッ、パンッ

 

 

私たちの大切な人たちを見捨てるなと。

人々が悲痛に、必死に、軍にそう訴える中。

突如として響いた三発の銃声は、彼らの本能に危機を訴えた。

軍が我々に、銃を向けたか!?

やはり、軍は保身を図るつもりか!?

皆、そんな「まさか」を疑って、ひたすらに発砲した犯人を捜した。

 

ただ。

犯人は、明白であった。

彼らは発砲した犯人を、捜すまでもなかった。

 

箱の上に登った一人の少女。

髪は白銀、自分らを見下ろすその目は鋭く。

その少女が掲げた拳銃からは、ゆらり、薄く硝煙が風に吹かれて踊っていた。

注目した人々は、忘れ、視線は彼女に釘付けとなる。

 

 

「皆さん」

 

 

無理もないだろう。

 

 

「皆さん、聴いてください」

 

 

その姿は忘れられない――――救われた。

 

 

「皆さん」

 

 

その姿を知っている――――知り合い。

 

 

「どうか聴いてください」

 

 

その姿はなんだ、誰だ――――関心疑問。

 

 

「ガリア軍を代表し、私、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーより、申し上げたきことがございます」

 

 

無理もないだろう。

この場にいた誰もが、彼女のことを。

 

 

「親愛なる隣人の皆さま、私たちは皆さまに謝罪申し上げなければなりません」

 

 

彼女の姿を。

 

 

「私は、私たちは、敵に。あの忌々しき化け物に。ネウロイに敗北を続けていることを」

 

 

彼女の声を、知っていたのだから。

 

 

「私に、我々に力が足りず、敗北を続けていることを」

 

 

絞り出すように語られるヴィルヘルミナの言葉、事実は、集まる民衆にそのことを、今一度再確認させた。

故に、今の我々があるのだと。

故に、今の状況があるのだと。

 

 

「皆さま。私は大切な隣人であるあなた方に真実を言わねばなりません。だから我々は、助かる見込みのない方のみとはいえ、その方々をこの地に残していかねばならないことを」

 

 

再確認したところで、ヴィルヘルミナは本題を語る。

切り捨てを認めた彼女の発言。

正しく彼らに情報を伝えたとはいえ、助かる見込みがない者を、切り捨てることは事実。

また声が上がるかと思えば、しかしそれは無く。

まだ、人々はヴィルヘルミナの声を聴いていた。

 

人は語られる内容よりも、視覚情報に要点を置く存在である。

だから人々は、ヴィルヘルミナに注目し、耳を傾け、熱をもって語る姿に、酔う。

しかし、だからこそ。

ヴィルヘルミナにはもはや、生半可な言葉は許されなかった。

 

 

「私は許しを請えません。これは偏に、また、我々に、いえ私に、力が足りなかったが故。私に力が足りぬ故に、護るべき皆さまの大切な人を、助かるかもしれない隣人を、この場に残そうとするのです」

 

 

一息。

ヴィルヘルミナのただ一息の呼吸でさえ注視する者は、自覚がなくても、もはや彼女の虜であった。

虜になった者には、彼女の言葉は深く染み渡る。

 

 

「許せないでしょう。我々軍の役目は、第一として貴方がたを、その大切な人を護ること。それを果たさぬ我々に強い怒りを覚え、大切な人が死にゆく悲しみは、私も理解するところであります」

 

 

ヴィルヘルミナはここで、人々に語り掛けるように、口調をつとめて柔らかくし。

それは人々に、気持ちを理解していると訴えるため。

 

はたして、人々にそれは伝わったか。

ヴィルヘルミナがそう判断するのは、前列にいた男が小さく頷くのを確かに見たことから。

ならば、近づくのは今、ここ。

 

 

「………私の両親もまた、ネウロイに殺されました」

 

 

胸を苦しそうに押さえ、顔を俯かせて悲し気にするそれは、より深く人々に寄るため。

 

 

「ですが、ネウロイ………ネウロイ!!」

 

 

人々に更に一歩、もう一歩寄るために感情をわざと漏らし、叫ぶ。

 

 

「あの、あの悪魔が、私たちの大切なモノを奪う。奴らさえいなければ、私たちは、皆さんがこんな思いをすることはなかったはずなのです!!」

 

 

感情を抑えること無く涙を見せて言葉に詰まらせながら語り、人を魅せるために騙るのだ。

 

 

「今は夕日。いつもなら家に帰り、いつもなら家族とともに過ごし、平和であった時ならば食卓を囲うはずの時間。しかし我々は今、此処にいる、何故か!!」

 

 

積み上げてきた平和。

安寧の日々はもはや、もとには還らないことの再確認。

 

 

「平和、平和!! 忌まわしき悪魔たちに壊された、当たり前のソレがないから此処にいるのです!! ソレを保つことこそが我々の役目でありました!! 古より先人たちが祖国の防人としての使命を果たしたからこそ、これまでの平和がありました!!」

 

 

それを理解するだけの理性をヴィルヘルミナは、久瀬として生きたから、ヴィルヘルミナとして生きてきたから、持っていた。

だからこそ、彼女は此処に立つ。

 

 

「しかし我々はその平和を護れなかった、確かにネウロイに敗れた!! だからこそ、此処にいる!! しかし、誰が進んで祖国の破滅を願うでしょうか!! 誰が大切な愛すべき人を奪われることを願うでしょうか!!」

 

 

だから、まだ、まだ。

祖国のための闘争を。

 

 

「我々はその先人の背に続く一人なのです!! 危機迫るのであれば私は武器を取り、祖国を護るため、皆さまを護るため、子の未来を護るため、迫る脅威に断固として抵抗し、助けを求めるところあれば駆けつけることは本望であります!!」

 

 

ガリア国民のための戦争を軍は諦めることはないことを、意思表示。

それは嘘偽りのない決意である――――嘗てなら。

 

 

「ですが、いえだからこそ、どうか理解していただきたいのです!! 皆さまが苦境に立たされているのと同様に、我々もまた、身を引き裂かれても足りぬほどの苦渋の選択を迫られていることを!! それは皆で心中するか、否かであることを!!」

 

 

詭弁だ。

ふざけた騙りだと、ヴィルヘルミナは自覚する。

国家国民のために戦うと高らかに誓ったそれは、所詮前世のものでしかない。

成り行きで此処にいるだけの自身が、嘗ての所信を持ち出し扇動するなど、酷いペテン師だと、反吐が出ると、嘲る。

それは目の前の民衆のためにもなるとはいえ、突き詰めれば所詮はヴィルヘルミナ自身と祖父のルネのため。

 

 

 

「これは命令でもなく、強制するものでもなく、要請でもありません。護るべき隣人に向かって、どうして我々が『死ね』などと言えるものでしょうか? ですから、助けること叶わず、その上彼らに、私は己が無能を恥じながらも頭を垂れて地に着け、願うしかないのです。『子のために、残された隣人らの未来のために、どうかここで死んでほしい』と」

 

 

子のために、残された者のためにと嘯く。

気付いている者は、いるか?

ヴィルヘルミナは人々を見渡すが、あるのは最初とは異なった、熱狂、好感。

気付いている者は、いない。

子のため、残された隣人のためときれいごとを吐いたが、しかしそれは裏を返せば人々を、子の未来を人質に取ったのと同然だ。

許されるものかと、自問する。

許されないだろうと、自答する。

 

 

「しかし、貴方達の死を、ただの死にはさせないと誓う!! 我々は、必ずこの地に還ってくる!! 死に逝った隣人の苦しみを背負い、死に逝く隣人の無念を背負い、残された貴方がたの悲しみを全て背負い、我々は断固としてネウロイと戦い、必ずこの地に還ってくることを誓う!!」

 

 

我々は、()()()である。

撤退が済んだらカールスラントに逃げる算段を立てているヴィルヘルミナには、とてもではないが「私は」とは言えない。

 

 

「それは、我々だけの力では叶いません。我々だけでは、ネウロイには勝てないことは証明されてしまったのです。だから、どうか皆さまに、我々と共に立っていただきたい!! どうか至らない我々に、力を貸してほしいのです!!」

 

 

武器を取ってほしいとは願わない。

ここで願うのは、一丸となること。

一丸となって、撤退を完遂すること。

 

ここで一息置いて。

はたして民衆には、一定の理解は得られたかとヴィルヘルミナは認識する。

民衆に真実を語り、不安は取り除いた。

ストレスの矛先、怒りの行方はネウロイへと誘導し、共通の敵だと確認させた。

 

 

「私が酷なことを願っているのは承知しております。その上図々しいことを頼んでいることもまた、理解しております」

 

 

ならば、後はと、彼女は頭を垂れる。

その姿に、人々は目を疑う。

 

 

「だから皆さまの憤り、私の身で叶うのなら、受け止めたく思います」

 

 

深く、深く、頭を垂れた。

ネウロイからたった一人で、街を解放した少女がだ。

 

 

「ですから、どうか」

 

 

その姿に、皆沈黙する。

 

説得は、成功か?

答えは、否。

ヴィルヘルミナはこの時、二点において失敗していた。

一つは、説得が過ぎたこと。

身を差し出し、為すがままにされても構わない。

だから、どうか、未来のためにと願う少女。

ネウロイから多くの人々を救った英雄に、救われた()()()()が思うところが無いはずがない。

その過ぎた説得をヴィルヘルミナが後悔するのはまた後のこととなる。

だから今は、もう一つの失敗を語る。

 

 

「………?」

 

 

いつまで経っても罵声も、礫も、飛んでは来ない。

はて? どうしたかと訝しんだヴィルヘルミナは顔を上げるが、そのタイミングが悪すぎた。

 

 

 

 

 

顔あげて、既に左眼目前に迫る、礫。

その奥に映るのは、礫を投げたであろう涙目の少年の姿。

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナの失敗は、子どもの未熟さ、理解の無さを考慮しなかったことだろう。

それを悟ったのは、ぐしゃりと礫を受けて、箱から落ちていく刹那。

 

 

「ヴィッラ!!」

 

 

己の祖父が見たことも無いような慌てようで己に駆け寄る姿を、妙に右に偏って狭まった視野で見つけてしまった瞬間であった。

 

………嗚呼。

馬鹿だなぁ、私は。

落ちゆく時の中で、ヴィルヘルミナは己の詰めの甘さを胸中で独り吐き捨てる。

 




2017/10/4 土下座のシーンを修正


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明晰夢・前編

()という人は、呻きと共に目を覚ます。

自室の天井は白くも、暗い。

 

妙に左半身が痛む。

それは左腕。

それは左脚。

そして左眼。

 

痛むそこに、古傷がある訳でもなく。

怪我をしたわけでもないのに、痛む。

奇しくも、夢と同じ場所。

 

ここ最近、ふざけた夢を見る。

本当に、ふざけた夢だ。

職業柄、深酒をする癖もなく。

しかし二日酔いを患ったかのように、吐き気。

気分が、悪かった。

 

外の空気を吸いたいと、上体を起こしてみる。

が、しかし生憎外は雨。

薄暗いカーテン越しに聴こえる雨音の、小刻みなノック。

梅雨の今を、恨む。

 

身体の倦怠感に身を任せ、私は再びベッドに身を委ねた。

今はまだ、起きる気分にはなれなかった。

幸いにも、今日は休み。

 

目を閉じれば、暗闇。

視覚情報の一切を、受け入れない。

しかし時計の針は、カチコチと。

雨音は、ポツポツと。

耳に触る音が、私に思考停止を許さない。

 

………最近、ふざけた夢を見る。

そして私の身の回りでは、最近妙な事が起きている。

それは、竹下二尉から。

あの作品を見せられてから。

声を聴いた、あの日から。

 

いや、声を聴いた事がきっかけかどうかは定かではない。

もしかしたら、もっと以前からそうだったのかもしれない。

 

 

「ヴィルヘルミナ」

 

 

そう、ヴィルヘルミナ。

私は、ヴィルヘルミナの夢を見る。

彼女に生まれ変わり、運命を弄ばれ、戦火に身を投じられんとする、夢を見る。

 

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。

私が記憶する彼女は、竹下二尉から借りたあの作品、『ストライクウィッチーズ』の中では既に故人として扱われていた人物だった。

だがと、私は1冊の書籍に手を伸ばす。

それは小説版『ストライクウィッチーズ』の最新刊。

以前私が作品に興味を示したからか、竹下二尉に嬉々として押し付けられたものだが。

栞を挟んだ頁を開けば、そこに描かれているのは、一人の少女。

それは私の記憶を否定し、混乱させるに足るもの。

 

 

『我々は、必ず還って来る』

 

 

カールスラント軍所属だったはずのヴィルヘルミナ――――しかしこれは、どういうことか?

群衆の前に立つ、ガリア空軍の軍服を纏った彼女が、そこにいた。

 

 

 

 

 

テーブルに置くノートパソコンを開き、Wikipidiaで「ストライクウィッチーズ 登場人物 ヴィルヘルミナ」で検索をかけてみる。

 

『 ストライクウィッチーズの登場人物 ‐ Wikipidia 』

 

ヴィルヘルミナ・フォンク

原隊:ガリア空軍/ 使用武器:ボーイズMk.I対装甲ライフル / 使い魔:白狼 / イメージモデル:不明

通称「白銀の戦乙女」。祖父に前大戦で活躍したルネ・フォンクをもつ。小説版では名前のみの登場であったが、大戦初期のガリアを支えたガリア屈指のウィッチであったことがペリーヌの口から言及されている。またブレイブウィッチーズ外伝『ガリア反抗戦前夜』では祖父の家に訪れていたジョーゼットがネウロイに襲われているところを助け、彼女が軍に志願するきっかけとなっている。

同作品中では飛行脚なしという限定下でありながら、単独で分裂型ネウロイの撃破に成功するなど、戦闘においては卓越したセンスを持つウィッチであると同時に、敗走する軍を再編し指揮したことから指揮官としても優秀であることが伺える。しかし目的のためには我が身を顧みず、―――――

 

 

 

 

 

開かれたページ。

そこには末尾であるが、彼女の説明が載っていた。

彼女の苗字であるルドルファーの名がない事が気がかりだが、記載されている内容は夢で見た通りである。

 

しかし、どうしてこんなことに?

私の記憶していた彼女は、脇役以下の風景でしかなかった筈。

それが、どうだ。

小説版で僅かとはいえ、彼女の名が言及され。

別の作品では獅子奮迅の活躍。

さらに挿絵に描かれた彼女は、以前見た優しさを、一切として持ってはいない風貌。

此処までくれば、もはや別人だ。

 

 

「………?」

 

 

Wikipidiaの続きを読もうとスクロールするも、パソコンがそれ以降のページを読み込まない。

フリーズか? いや、パソコンには、生憎詳しくはないので分からないが。

彼女への疑問は、積もるばかりだ。

何故、このような事が?

 

人工的な光、青白く輝く画面。

室内を照らす唯一明確なソレを眺めながら、私は考える。

以前との差異がなぜ起こったのか?

ただ変わっているのなら、私の勘違いであったと済まされるだろうが、なら、私が見る夢との関係性は?

デジャヴの原理を思い出すが、首を振る。

それでは説明には足りない。

 

 

 

 

 

………もしも。

もしも説明足り得るモノがあるとするならば、それは、私が―――――

 

 

 

 

 

と、不意にバイブ音。

傍に置いていた携帯が震えた。

着信したのは、メール。

 

嗚呼。

用事か。

用事だ。

 

その送り主の名と短い内容に目を通した私は、誰に知らせるでもなく、呟いて。

手早く返信を打ち、パソコンを置き、私は去った。

部屋から、自宅から。

足並みは、早々として。

それは僅かでも、問題から逃避できる事を望んでいるのかという自覚はあった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

西暦203X年6月 日本 政令指定都市K

 

 

 

 

 

 

『―――――殴られたから殴り返す、侵略行為を受けたからやり返すというのは大凡文明人のやることではないと私は強く信じております』

 

 

傘をさして人の海を泳ぎ、雨粒を掻き分けて進む。

メールの差出人に会うため、待ち合わせとした店に向かう途中、私が街中のスクランブル交差点に差し掛かったところ、街頭に設置された大型スクリーンでは総理大臣の国会答弁の様子が映し出されていた。

内容は、どうやら自衛隊関係のことらしい。

 

 

『―――――ましてや、本来我々が望むべき彼ら自衛隊のその存在意義は、一般に我々が認識する軍隊のそれとは異なっているのです。軍隊はどんなにきれいごとを並べたところで突き詰めてしまえば国家の暴力装置であります』

 

 

スクリーンの人工的な輝きは目に悪いと目を逸らしたところ。

私はふと、交差点を渡らんとした足を止める。

はて、何か。

なにか、忘れていたような気がすると。

 

 

『―――――対して自衛隊は、決して暴力装置ではありません。また、暴力装置に貶める気もありません。彼らはこれまで、時としてわが国で起こった自然災害には危険地帯に進んで踏み込み、多くの命を救ってきました。また、先の戦争では国民が被る一切の火の粉を払うため、自らの命を賭し、防衛任務を全うしてまいりました。ですが忘れてはなりません。彼らは我々と同じ日本国国民なのです』

 

 

スクリーン。

人工的な光。

パソコンの電源。

 

そうだ、パソコンの電源を切っていない。

 

 

『―――――そんな彼らに…………そんな彼らに、あなた方野党は結託して、なんと? 「憲法9条廃案」? 報復手段を用意しろと? 冗談ではない!! 彼らは我々を守るためにあるというのに、どうして進んで他国を侵し、人を殺すことを勧めるか!? 寝言も大概にしていただきたい!!』

 

 

さて、一度戻るか?

待ち合わせには、まだ余裕があることを思う。

 

 

『―――――彼らは我々の為に命を賭して戦ってくれた。ならば私もまた自らの政治家生命を賭してでも、彼らの誇りを守るため、戦う事を誓おうではないですか』

 

 

いや、進むかと。

再び足を進めようとしたところで、信号機の青は点滅しはじめた。

交差点で、私は足止めされる。

 

足を止めた私は手持無沙汰で、傘をくるりと回転させて。

視界は、まっすぐとしていた。

だから視界に入るモノは、必然的に、人、ひとびと。

 

全て、今は亡き仲間達がその命を賭して守った、命。

 

彼らは、スクリーンに映された国会の事など見向きもせず。

歩く女性はスマホを弄り。

立つ店員は客の呼び込みをしている。

足早なサラリーマンは先を急ぎ。

皆が、各々の生活を生きている。

 

恐怖心に囚われる事無く生きている人々の様子は、日本の土を踏ませんとし、日本海で戦って死んでいった仲間たちにとってはまさに本望だろう。

私もまたそんなことは望まないし、思わせないことが自衛官としての当然の本懐であるということは心得ている。

しかし、彼らもまた自衛官としてある前に、一人ひとりが生きた人間であったことを、私は知る。

生き延びた私は、死んでいった仲間たちの苦悩や、叫びを、誰よりも多く見てきたからこそ、知る。

そんな彼らのその偉大な英雄的行動に反して、無関心に見向きもされず、無名で忘れ去られてしまうだろう、この社会の姿。

正しい姿とはいえ、そこに私に思うところがないと言えば、嘘になる。

 

誰に聴かせる訳でもなく、呟く。

「私に、この世は生きづらい」と。

 

眼前を通り過ぎる車の群れ。

その中で、一台のトラックが不意に私の視界を目隠しした。

それは雨の湿った匂いに混じって、おかしな臭い、獣らしき臭いを伴って。

街では嗅ぐことはまずない臭いに、はてなと思うとそれは動物輸送の為のトラックらしく。

僅かに設けられた柵より、中にいる一匹の動物と刹那目が合う、白い狼。

 

………カルラ?

 

過ぎる、純白の狼を載せたトラックを暫く見送る私は、まさかなと首を振る。

私の身に起きている現象。

夢での体験が現実に影響を及ぼすことなんて、可能性を考えることすら馬鹿らしいことこの上ないが。

夢に出てきた狼が、現実に現れる可能性を考えることはもっと馬鹿らしいことだろう。

 

トラックは通り過ぎ。

さて青信号。

気持ちを切り替え、気を取り直して私は道を渡らんとする。

 

 

「へ―――――――イ、ユーイチィいいいいい!!」

 

 

………が。

今度は背後からバタバタと駆け足が聞こえ。

周囲はザワザワと騒がしい。

嫌な予感がしてひょいと横に避けてみれば、びたんどしゃ。

私の横をゴロゴロと飛んで転がる、なにか。

なんだなんだと思えば、転がったソレはブゥブゥ言いながら顔だけ上げて。

 

 

「なんで避けるネ!?」

 

 

と、どこか胡散臭い中国人を思わせる口調で、その女は宣うた。

いや、普通避けるだろう。

寧ろ、避けない理由が何処にあるか。

 

それ以前に、あんた誰だ。

と、面識ない筈なのに妙に馴れ馴れしい女に問う前に、しかし何処かで覚えのある造形には違和感を覚える。

まずは快活な印象を与える整った顔。

次にモデル顔負けの煽情的なボディ。

最後に両サイドにお団子を結ったブラウン色のロングヘアに左右に揺れるアホ毛というヘアスタイル。

服装こそキャリアウーマンと呼ぶにふさわしい女性モノのスーツであるが、竹下二尉に無理矢理見せられたせいで強く記憶していたそれは、『艦隊これくしょん』というアニメに出てきた『金剛』というキャラクターと瓜二つ。

私の名を知っていることといい、こんな悪ふざけをするのは一人しか覚えがない。

 

 

「………まさか、スミスか?」

「久しぶりネ、ユーイチ」

 

 

CIA工作員のスミス。

メールを使って、私を呼び出した張本人である。

 



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明晰夢・後編

大通り。

大衆の前でハリウッド女優顔負けのプロポーションを持つ女がきゃあきゃあ騒げば、当然目立つ。

人々の無関心は、関心へ。

周りはわいのわいのと騒がしい。

 

彼女は。

いや、私は。

その立場上、目立つことはあまり好ましくはない。

だから片手に傘を強く持って。

もう片方にはスミスを確かに握って。

強弱を繰り返す雨の中、ただ人混みを早足で抜けた。

人目がある、人目が集まるのは困る。

人目につく、人目に触れるのは困る。

何故なら私は――――

 

 

「人殺し」

 

 

誰かの指さしを受けた気がした。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

人目につかない裏路地を縫って、雑居ビルに転がり込んだところで、ようやく一息つく。

息を荒くするほど駆けた訳ではなかったが。

湿気は熱気を閉じ込めて、発汗を促しシャツをべたつかせるのは、不愉快。

 

 

「Hey,ユーイチ? ちょっと痛いネ。それと触ってもいいけどさぁ、時間と場所を弁えなヨ」

 

 

誰のせいで走らなければならなかったと思っているんだ、スミスと。

その名を呼ぼうとした私の口を、スミスは指先で制す。

 

 

「No,今の私は金剛ネ」

 

 

無自覚か、わざとか。

いや、ニコニコしながら腕を絡めて、そんなことをする彼女は絶対に確信犯だろう。

流石は、スミス(職人)と呼ばれるだけのことはあると感心する。

 

………さて。

転がり込んだ雑居ビル。

所狭しと立ち並び、影を落とすビル群の路地裏という立地に建つそこには、なんの考えもなしに転がり込んできた訳ではない。

雑居ビルの地下へと続く階段を、スミスを連れて下りる。

 

薄暗い階段。

踊場を照らす橙色の電灯の明かりを頼りに、私たちは下りる。

微かに聞こえてくるクラシックジャズに導かれ。

踊場を折り返した先に見えてくるのは一軒の喫茶店。

その店の前には、『CLOSE』。

喫茶店の営業を報せる看板は、誘う音楽に反して、客の来店を歓迎していなかった。

 

 

「閉まってるネ」

 

 

いや。

違う、と。

私は来店を歓迎しない看板に構わず、店のドアを開ける。

瞬間、私たちを襲うのは、むせ返るほどの芳香。

 

 

「おや、久瀬君。待っていたよ」

 

 

間接照明の暖かな灯りに照らされた、僅かなテーブルにカウンターがあるばかりの小さな店内。

そのカウンターの向こうから、ミルで珈琲豆を挽きながら、私を歓迎するのは片眼鏡をかける、白髪交じりのオールバックの紳士。

「村井さん」と、私は呼ぶ。

彼は、私の後ろにいるスミスを見、顔をほころばせ。

 

 

「ガールフレンドかね?」

 

 

などと宣もうた。

解せぬ。

 

 

「Yes、英国生まれの金剛デース」

 

 

よろしくお願いしマース、なんて言ってピョンピョンと飛び跳ねて、小娘の様に騒ぐスミス。

「いやいや米国じゃないのか」なんて内心でツッコミつつ、村井さんには、彼女の紹介。

 

 

「村井さん、こちらはM()r() スミス。彼女が(くだん)の情報提供者です」

「………はて、ミスター? ミス、ではないのかね?」

 

 

いいえと言って、首を振る。

私にも分からないのだと、白状する。

本当に、スミスの性別については不明なのだ。

ミスターと呼ぶのは、スミスと初めて会った時は中年の男だったので、そう呼び続けているだけ。

職業柄か、スミスは同じ姿で私の前に現れた事はない。

スミスの姿は、子どもからお年寄りまで変幻自在で。

今まで一度として同じ姿、同じ性格、同じ喋り方で現れた事はない。

 

ただ。

一つだけ共通するのは、私と出会って以来は必ず女性で現れること。

 

 

「彼女が久瀬君の協力者か。なるほど、心強いな。まさかラングレーのMr.スミス………失敬、Ms,金剛が久瀬君の味方とはね」

 

 

ラングレーとは、CIAの別称。

村井さんがスミスを知っていたことは、別に驚く事ではない。

それよりも、私は村井さんが豆を挽く手を止めたことに目がいく。

微笑みこそ絶やさない。

だが、ミルのハンドルを握る手は僅かに筋が緊張しているのが見える。

スミスを警戒しているのか。

 

 

「Uuu、そういう貴方は元CIRO(内閣情報調査室)の村井順一郎ですネ?」

 

 

対するスミスの反応も、村井さんと同様。

いや、村井さん以上の警戒をあらわにする。

 

もしや因縁でも?

そう疑うも、しかし入店時の二人の反応は初対面のソレだった。

「知り合いか?」と、とぼけてみる。

すると二人して「違う」と。

スミスの方はムスッとして、村井さんはニコニコとして即答。

 

 

「はっはっはっ。久瀬君、心配せずとも私が()()()()()()()()()のは始めてだよ」

 

 

村井さんの含みのある言葉に、スミスの肩が僅かに跳ねる。

顔を合わせたのは、か。

何があったのかは知らない、知る気もないが。

ただ、二人とも諜報という世界で生きていたことは知っている。

 

 

「スミス、場所を変えるか?」

 

 

なら、致し方ないと諦めるしかない。

人に聴かれたくないために此処を選んだのだが、スミスにへそを曲げられても困る。

と、そう思いスミスに聴いてみる。

 

 

「ユーイチは他人に気を使い過ぎ」

 

 

スミスは不意に笑みを浮かべ、私に寄って。

頬に口が当たりそうな距離で、耳打ち。

僅かにふわりと香るのは、どこか真夏を思わせる、柑橘の果実。

 

 

「大丈夫ネ」

 

 

珈琲の匂いの染みついた、ここでは場違いな香り。

しかし不快感はなく。

柔らかく甘美な香りは、スミスが離れた後も余韻を引く。

 

 

「うむ、なるほど。それが、金剛君が久瀬君に肩入れするわけか」

「Yes , Yuichi is my future husband」

 

 

スミスの戯言はともかく。

今のやり取りで村井さんは何を納得したのだろうと本気で疑問に思うところであるが、彼の警戒が解けたのは何よりだと安堵する。

 

 

「むしろ逆に聴きたいネ。どうして村井のようなbig nameがユーイチに手を貸すのデスか?」

 

 

………疑問は、もっとも。

事実上日本の諜報機関と目されている内閣情報調査室の元官僚と、自衛官。

その接点は確かに不自然だ。

そう、赤の他人なら。

 

 

「村井さん」

 

 

しかし、話してもいいものか。

村井さんに是非を問うと彼は頷き、自ら口を開いた。

 

 

「私の娘がね、空自でファイターをしていたのだよ。大戦中は久瀬君の僚機を務めていてね」

「僚機? ユーイチの大戦中の僚機って………もしかして、タカミ?」

「おや、知っていたのか」

「中国から脱出するときにユーイチと一緒に私を守ってくれた命の恩人デス。まさか村井の娘とは思わなかったネ」

 

 

でも、と。

スミスは言葉を詰まらせる。

 

村井鷹見一尉。

大戦中期より、唯一私のロッテの僚機(ウィングマン)として飛んでくれた彼女は、中国にスパイとして潜入していたスミスの強硬脱出作戦に私と共に参加したこともあり、鷹見一尉とスミスは面識があった。

 

 

「そうだよ、金剛君。知っての通り鷹見は『女狐』に落とされた」

 

 

当然、鷹見一尉がすでに亡くなっている事も、また知っていた。

 

『女狐』

本名は、浅見コウという。

私の元上官だった人だ。

彼女は当時私を含めた彼女の部下全員の殺害を図ったのち、テスト段階であった新型機をもって中国、そしてロシアへと亡命した裏切者であり。

そして村井さんにとっての、娘の仇である。

だから、私たちが結託しているのは『女狐』を追いかけるため――――

 

 

「その『女狐』は、久瀬君が討ってくれた」

 

 

ではない。

大戦終期、私は『女狐』を殺害に成功している。

 

一見、村井さんの仇は既にいない。

だが、私も村井さんも『女狐』の行動には喉に小骨が刺さったような、妙な引っ掛かりを覚えていた。

分かっている限りの、大戦中の彼女の足取りは、彼女らしからぬ不可思議なもので。

ただの他国のスパイにしては釈然としない彼女の行動は、別の。

()()()()()()何らかの意思があるのではないのかと疑っていた。

だから、村井さんと私は手を組んでいる。

 

 

「私は知りたいのだよ、金剛君。娘の、本当の仇がいるのなら、その正体を」

 

 

故に私は此処にいる。

故に、我々は此処にいる。

戦争は、確かに終わったのだろう。

だが、我々の戦争は、未だ終わってはいない。

言葉ではそれ以上を語らない村井さんであったが、しかしその目は、語られる言葉よりも雄弁であった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「いつまでも立ち話というのもいけない。そこに座っていてくれたまえ。今、珈琲を入れよう」

「私は紅茶が飲みたいネ」

「了解した。金剛君は紅茶だね」

 

 

とっておきの茶葉で入れてあげようと言って、村井さんがバックヤードへと消えるのを見送り、私たちはカウンターへと着く。

 

 

「ユーイチは――――」

 

 

席に着いたところで、スミスが私を呼んだ。

「なんだ」と応えるも、スミスはそれからを語ることを、何故か躊躇う素振り。

クラシックジャズをBGMに、僅かに沈黙。

 

 

「どうして『女狐』のことを知りたいのデスか?」

 

 

ようやく切り出したスミスだが、しかしその内容は取るに足らないモノだった。

どうして、知りたい?

それを聴くべき必要が、スミスにあるのか?

問う私に、スミスはYesと。

強く、頷く。

 

 

「『女狐』を知りたいのは、誰のためネ?」

 

 

………誰のため?

何のためではなく、誰のため?

スミスの質問の理由が、分からない。

スミスの質問の意図が、図れない。

 

 

「私は仕事、村井は復讐。そこには確固として自分がいて、理由があるネ。でもユーイチは?」

 

 

スミスの真意が、図れない。

図れないから、そのままに。

 

 

「強いて言うなら、死んでいった仲間の為だ」

 

 

私は、ただ存念を語る。

 

当時『女狐』の部下であったために、『女狐』が亡命する際に不意打ちで殺された先輩たち。

私が『女狐』を殺せなかったから、殺された仲間や鷹見一尉。

そして、

 

 

 

 

 

―――――私に望んで殺された、浅見コウ

 

 

 

 

 

確かに私は『女狐』を堕すことができた。

けれど。

もっと早く、もっと強くあれたなら。

死ぬことはなかった者がいるのなら。

浅見コウに、裏切らなければならない理由があるのなら。

私に殺されなければならない理由があったのなら。

私は真実を知らないといけないのだ。

それが、生き残った者の、義務。

 

 

「………結局、他人のため?」

 

 

私はそれに、答えない。

 

 

「ユーイチには、自分がいないの?」

 

 

また要領を得ない言の葉だ。

語るスミスの表情は、変わらず、だから伺えず。

ただ私の存念が、スミスにとって納得できる解答では無かったことは理解した。

 

しばし無言し、また私から問う。

「この問答は必要か」と。

スミスに依頼していたのは、『女狐』のことについて。

ただそれだけの筈なのに。

これでは、まるで私の覚悟を聴いているよう。

そう思う私を肯定するように、必要なことだとスミスは断言。

 

 

「ユーイチは、もう十分戦った。誰の為にも戦う必要もなく、傷付く必要もない」

 

 

今までのふざけた口調は、ない。

 

 

「私や村井と違ってその選択をユーイチはできる、後戻りができる、権利がある」

 

 

自らの姿さえ、偽って生きてきた筈のスミス。

そんな彼女がまっすぐに、私の瞳を覗いて語る。

「ユーイチのためだ」と謳うのだ。

 

 

「それでも、真実を知りたいと願うなら――――」

 

 

そっと、テーブルに置かれるのは、ファイル。

 

 

「後戻りはできないことを覚悟して」

 

 

間接照明の琥珀色に照らされた伸びる白磁の手は、ファイルに置かれたまま離れない。

きっとファイルには、私の知りたい真実があるのだろう。

しかしスミスがファイルを離さないのは、私に真実を知って欲しくないことの意思表示。

私を思ってのことなのか。

 

だから、顔は見ず。

感謝も、あえて述べず。

置かれたファイルをスミスの手から無言で抜き取った。

私は私を思ってくれた、スミスの気持ちに応えずに。

ただ私は、真実を知ることを取る。

 

 

 

 

 

―――――浅見コウに関する調査報告

 

 

 

 

 

それからは、ただファイルに挟まった資料を読み進める事に努めた。

当然全文、勿論英文のCIAの資料。

苦労して持ち出してくれただろうスミスに、言葉にしない感謝を思う。

 

 

 

 

 

―――――浅見コウ、元航空自衛隊二等空佐は経歴、行動には明らかな不審点を認む

 

 

 

 

 

浅見コウ。

行動だけでなく経歴さえも詐称していた彼女は、よく自衛隊に入隊できたものだと感心する。

詐称、それはどうせ、他国のスパイ故。

それなら当然かと思い読み進めるが、どうやら違う。

 

まずとして、『孤児』を見た。

そうだったのかと思えば、『孤児院に偽装された研究所』とある。

首を傾げ、目を疑うも、『人体実験』なんてワードが飛び出すものだから。

 

………。

………?

………なんだ?

なんだこれは?

なんだ、これはと困惑する。

 

呟かずには、いられなかった。

震えずには、いられなかった。

想像を絶すると、言うしかない。

 

読む手に自然と力が入って、真っ白な紙には歪みが走る。

読み間違えたかと何度も読み返すが、結果は同じ。

そして視覚に飛び込むその先のワードも、また、まだ、突拍子もないモノが並ぶ。

『開発』、『超兵計画』、『皇室派』、『再軍備』、『第二次大東亜共栄圏構想』。

羅列するそれらは、出来の悪いSF小説を思わせる。

 

 

「スミス」

「………なに?」

「この資料は、信用していいのか?」

「当然ネ」

 

 

スミスが信用性を保証する。

ならば、全面的に資料に書かれた内容が全て真実だとするならば。

そして資料に書かれた内容を要約するならば、

 

 

 

 

 

―――――『第二次大戦の戦犯を逃れた一部将校らが皇室派と呼ばれる組織を結成、長年日本、皇室の権威復興を画策してアジア地域に影響力のある中国とロシア、そしてアメリカの失墜を図って』いて

 

 

 

―――――『先の大戦は皇室派の画策。大戦の引き金となった中国とロシアのクーデターは、皇室派の工作によるもの』であり

 

 

 

―――――『浅見コウは孤児であり、皇室派が保有していたとされる、孤児院に偽装していた研究所で超兵として開発を受けた一人』で

 

 

 

―――――『彼女は皇室派の工作員であり中国、そしてロシアに渡ったのは、工作のため』だった

 

 

 

 

 

ということになる。

 

………うん。

冗談。

今は6月。

エイプリルフールはとうに過ぎているじゃないかと頭を抱える。

しかし理解した内容に相違ないことを尋ねれば、スミスは私の願いに反して頷くものだから、私は背にかかる不思議な重さに耐え切れなくて。

 

 

「なんてこと」

 

 

席の背もたれに、だらしなくも身体を任せてしまう。

これは。

酷い。

酷すぎる。

ファイルを閉じて、目頭を揉む。

吐き出す言葉は見つからず、やっと出るのは溜息。

 

………本来なら。

これを書いた者の正気を疑うところ。

しかし資料を持っていたのは、あのCIAである。

その信用度は、言うに及ばず。

 

しかしながら、考えてみれば。

中国とロシアはクーデターによって、アメリカはその対応を誤ったことによって内外から圧力を受けて、アジアにおける影響力を失ったこと。

その失われた影響力を補うことを、日本に求められていること。

日本を取り巻く情勢を鑑みはじめればきりはなく、信憑性は更に増す。

日本にとって、今のアジアはあまりにも日本に都合が良すぎるのだ。

 

なるほど。

スミスが警告したのも理解できるというもの。

時代錯誤な理想と大義を掲げ。

しかしGHQの追及を逃れ、今日まで力を蓄えて。

ロシアと中国、更にアメリカさえも手玉に取る組織。

私たちの敵は。

個人で立ち向かうには、あまりに巨大すぎる。

 

 

「ふむ、なるほど。皇室派か」

 

 

いつの間に戻ってきたのか。

村井さんもまたファイルを手に取りその中を検めて。

皇室派をさも以前から知っていたかのような口ぶりで。

「職を辞して正解であったな」なんて言って苦虫を噛み潰したような表情をして。

そして出た言葉が、ソレならば。

そこから量れるのは、CIROの内部にも皇族派の工作が及んでいること。

 

ふと私の傍。

そこには静かに湯気の上る白磁のカップがあった。

村井さんがいれてくれたであろう珈琲はブラック。

真っ黒な液を乾く口を湿らせようと少し含めば、文明社会の味がした。

 

 

「よく知らせてくれた金剛君。これは外部でないと調べられない情報だっただろう」

「………別に、村井のためじゃないネ」

 

 

突慳貪(つっけんどん)にそう返すスミスと村井さんの関係は、おそらく今後もこのままだろうと察したところで、村井さんが「さて」と、私を見る。

 

 

「久瀬君。皇室派の件に関しては、全て私に任せてもらえないだろうか?」

 

 

それは、思わぬ申し出………いや。

村井さんの申し出自体は、理解はできた。

復讐で目がくらんだわけでもなく、専門家故の適材適所。

また職を辞したとはいえ、彼には多くの協力者がいることを私は知っている。

だが、しかし、全てを任せる。

それは流石に、あんまりである。

 

 

「私に、座視しろと?」

 

 

私たちの戦争を、利用されたのだ。

仲間の死を、懸命な思いを、利用されたのだ。

やれることの少ない私だが、だからといって除け者にされることに対して憤りを覚えないと言えば嘘になる。

座視など到底できることではない。

 

抗議せんと、立つ。

しかし立つ私の袖を引き、止めるのはスミス。

 

 

「ユーイチ。村井の言う通り、皇室派の件は村井に任せた方がいい」

 

 

スミスまで何を言うか。

キッと彼女を私は睨むが、しかし彼女も言葉荒くして問う。

また、他人のためか?と。

 

 

「ユーイチ。ユーイチに他人のことを心配する暇ないネ。今はただ、浅見コウと自身の事に集中すべき」

 

 

妙な言い回しだ。

浅見コウと、自分のこと?

首を傾げる私に、彼女が新たに取り出して渡すのは、一枚のパンフレット。

色あせたソレには孤児院の名。

なんだそれはと、問わずとも分かる。

おそらく浅見コウが開発を受けていただろう、件の孤児院のパンフレット。

 

 

「見るネ」

 

 

受け取って中を開けば、孤児院の健全さをアピールするためか、院内の案内の他に40人余りの子どもたちの集合写真。

事前に知らなければまったく健全な写真に見えるが、この子どもたちすべてが皇室派のおもちゃにされていたと考えると、恐ろしい。

 

 

「見るネ、ユーイチ」

 

 

スミスが指さす近くには、肩程に伸びた癖のある茶毛が印象的な、快活そうな女の子。

浅見コウ。

人を分かったような雰囲気は、喰ったような雰囲気は、写真の向こうからでも伝わる。

子どもの頃から、彼女は変わっていないのだろう。

 

 

「見るネ、ユーイチ」

 

 

三度目の指摘で、私は気付く。

延びる彼女の指がさすのは、幼少の浅見コウではない。

では、誰を指さすか?

彼女以外に、何があるものか。

彼女以外に、誰がいるモノか。

 

 

「落ち着いて聴いて、ユーイチ」

 

 

そんな私の幼稚な現実逃避を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――これ、貴方じゃないの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スミスは、許さない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

その後のことは、よく覚えていない。

気付けば私は外を駆けていた。

 

ひたすらに走ったのだろう。

立ち止まれば、息も絶え絶え。

脈打つ拍動で、胸が苦しい。

 

外は驟雨。

路地裏で一人。

傘も差さず。

雨にただ打たれ、濡れる。

 

天を見上げれば、曇天。

天は見えない。

先は見えない。

光が見えない。

歪んで見えない。

 

思い出すのはさっきのこと。

パンフレットに映っていた少年。

浅見コウに握られた少年。

恥ずかしそうに映っていた少年。

あれは間違いなく、私。

ならば私も浅見コウと同類か。

『開発』を受けた、化け物か。

 

化け物、化け物。

その事実に納得していると、不思議と笑いが込み上げる。

おかしなと思えども、私はそれを止める気はない。

むしろ心の底から笑ってやる。

己が不明を。

己が不在を。

己が滑稽さを。

 

なるほどスミスの言う通り。

己がおぼつかない者に、どうして他人を心配するなんてご大層なことができようか、いやできまい。

 

 

「私は――――――ッ!?」

 

 

苛立ちで唱えようとした、何事か。

その一人称は『私』? はて?

いつ自身の呼び方は変わったか?

いや、変えた事はない。

自身は一貫して『俺』だった。

しかし自身を『私』と呼ぶことに、違和感はなかった。

まるで昔から、そうであったかのような感覚は、レゾンデートルの崩壊を思わせた。

 

また、不明か。

その苛立ちは、拳で以て傍にあるコンクリート壁に向けた。

一度、二度、三度。

しかし壁はびくともせず。

対して拳は血がにじむ。

しかし痛みは、あまりなく。

無意味な行いは、むしろ自己嫌悪を招くばかり。

 

 

 

 

 

不意にカチャリと、鉛色の音。

 

 

 

 

 

あまり穏やかではないその音は、背後から。

音にはやや距離があって。

しかし感じる純粋で、強烈な殺意は。

距離があっても確かに感じる。

銃を向けられていると、察する。

 

 

「………誰だ」

 

 

むき出しの殺意は、懐かしい。

空では、戦争中にはしょっちゅう感じていたが。

しかし、ここは地上。

地上で感情をむき出しにするのは玄人とは思えない。

 

さて、相手は誰だ。

 

 

「久瀬優一だな」

 

 

女性の声、若い。

僅かな訛りは中国人を思わせる。

中国人。

彼らに恨みを買われる心あたりは、十分すぎる程ある。

だから。

 

 

「―――――ッ、動くな!!」

 

 

確信をもって、振り返る。

相手は、素人。

 

 

「顔が見えなきゃ、意味がないだろう。君にとっても、俺にとっても」

 

 

銃を構えているのは、20代前半。

ヘタをすれば10代後半であろう、女性。

 

 

「確かに、俺が久瀬優一だ」

 

 

路地裏、人通りは望めず。

相対距離は5M。

曲がり角に駆けるには遠く、遮蔽物はこの場になし。

 

 

「俺を殺すか?」

 

 

構える銃を見る。

種類はおそらく、トカレフ。

銃の先端にはサプレッサーがついているが………

 

 

「久瀬優一………父さんの、仇ッ!!」

 

 

トカレフ。

拳銃としては既に骨董品と呼んでも差し支えないそれは、しかし見た目はかなり真新しく。

ヤクザ関係から手に入れたにしては、少々無理がある。

サプレッサーがついている点も、気がかりだ。

 

一歩寄る。

 

 

「う、動くな!!」

 

 

警告されるが、かまわず一歩。

 

 

「動くなと言ったのよ!! 聴こえないの!?」

 

 

彼女が持ち込んだものかと思案するが、それはないと判断。

戦争が終わった直後の現在、日本に入る荷物の検査は未だ厳戒態勢のままであり、チェックはかなり厳しいはず。

持ち込むならば、なにかしらの協力するものがいた事になる。

 

 

「撃てるものなら撃ってみろ」

 

 

挑発して、一歩。

 

明らかに素人である彼女だが。

仮に、彼女が中国の諜報機関に該当する組織の工作員であり、そのバックアップを受けていたとしよう。

それでも、銃殺という手段は、ない。

そもそも暗殺が目的ならば、日用品に偽装した毒殺などが望ましいはずなのだ。

 

 

「散っていったその父とやらの戦いに、泥を塗って穢したいのなら」

 

 

ならば。

ならば誰が、彼女に銃を?

誰が、彼女を利用した?

 

 

「俺を殺して陶酔してろ!!」

「ッ!?」

 

 

既に一息で駆けられる距離。

当然、制圧するため彼女に走る。

銃を構えられている相手に襲い掛かられると思っていなかったのか。

反応が遅れた彼女が撃てたのは、僅かに三発。

一発は、右頬をかすめて。

一発は、左肩を穿って。

一発は、胸を叩いた。

 

 

「ぐぇっ!?」

 

 

鳩尾を叩くと、踏みつぶされた、カエルの声。

決して女の子が出してはならない声だが、致し方なし。

殺さないだけマシだと思えと、泡吹く彼女を投げ捨てる。

 

 

「………痛っ」

 

 

撃たれた胸の痛みに、蹲る。

流石にこれは拙いかと、胸を触るとそこには、しこり。

 

 

「………くそっ」

 

 

身体を容赦なく襲う雨の中、力が入らず。

六月だというのに寒さを感じ、急速に眠気が俺を支配するのは、雨に体温を奪われるからか?

 

まて、まだ。

まだだ。

戦いは、これからだ。

だと言うのに、雨と、雪。

混凝土と、雪原。

ぶれて重なる二つの視界。

 

ようやく敵を、理解したというのに。

『俺』の戦いは、ひとまずお預けらしい。

それは夢の『私』への帰還の合図。

 

夢も、現実も、己を急かす。

いくら立ち止まりたくても、自身に進むことを強要する、ならば。

前を向くしかあるまい。

前に進むしかあるまい。

そんな場当たり的な、安い覚悟をして、今は眠る。

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナの、夢を見る。

 




↓毎度おなじみ崋山氏の、ヴィッラ嬢の設定画を頂きました、が………


【挿絵表示】


………うん、ちくしょう、かわいいなぁ(血涙)


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インターバル

西暦1963年 10月25日 パリ カフェテラス

 

 

 

 

 

先の大戦から既に二十年近く経ちました。

パリの街はもはや、硝煙の名残はありません。

当時に比べれば、人々の表情は明らかに違います。

戦争を知らない子どもにしたら猶更でしょう。

彼らは、戦争を知らない。

そんな世が訪れる事は、嬉しい事です。

平和。

老婆心でカフェのテラスからカメラで切り取るその一瞬が、私はたまらなく大好きです。

 

ごきげんよう皆さま、『ル・タン』誌のクローディア・モーリアックです。

ただいま私は、最近巷で話題となっているカフェへと来ております。

此処の珈琲は味はさることながら、なんでもここでは大戦時から続く一風変わった乾杯の風習があるとの噂ですが、一体それはどんなものなのでしょうか。

 

 

「なーんて」

 

 

なんちゃってドキュメンタリーはさておき、さて。

先のネウロイ大戦における取材。

機密指定が解除された資料の中で見つけたとあるメモからガリア戦線の謎に迫る糸口を見つけるも、しかしそれ以降の調査の結果はあまり芳しいもとのは言えず、行き詰まりを感じた私は気分転換を兼ねて、突発的に巷で話題のカフェへの突撃取材を思いつき敢行していた。

経費は勿論、取材経費。

取材なのだから、当然だ。

 

湯気立ち上る、運ばれてきたばかりのノアゼットに僅かに口をつけ、さて、欧州最激戦区のひとつとして挙げられるガリア戦線。

そこに存在したとされる『始まりの大隊』とは何を指すかを改めて考える。

公式の記録では、その名称に該当すると思われる大隊は、存在しない。

それは開示された情報の山と言う膨大な資料、そして将校クラスの現役軍関係者たちはガリア戦線に対して一部かたくなにneed not to know を唱えて口を閉じたことによって、潰した時間が証明している。

 

 

『アレは、軍の恥だ』

 

 

唯一得られたものと言えば、とある将校のその一言だけ。

そう都合よく何度もあのメモのようなほころびを示唆するものは、簡単には望めるものではないらしい。

調査から一度離れ、視点の転換を図って机上思考に回帰も試みてみた。

『始まり』とつくくらいだ、何らかの構想を持って設立された、後の部隊編成に大きくかかわる事となった部隊であるのは想像に難くないだろう。

そんな確信を持って、当時の軍編成に明るい『ル・タン』誌の軍事部の同僚に意見を聴けば、当時構想から初設までにいたった部隊として知られているのは二つ。

一つはド・ゴール氏を中心とした陸軍革新派によって検討されていた、ド・ゴール機動戦術と呼ばれる構想に基づいた機甲部隊。

そしてもう一つは東部戦線の英雄、オートクローク氏による航空魔導歩兵大隊を中核とした、こちらも機動戦術構想に基づいている陸空混成軍団だ。

そのどちらかではないかというのが、軍事部の同僚の見解であったが、それらは私にとって謎の核心に近づく助けとなるよりも、抱いた確信を揺るがせ、より混乱を招くものでしかなかった。

 

何故なら、その二つの部隊の中心は、ド・ゴール氏とオートクローク氏だ。

ならば、『彼女』に該当する人物は何処なのか?

 

いないのだろう、その二つには。

そんなフィーリングに近い否定だが、しかしその直感に近い否定には、全くの援けが無い訳ではない。

その二部隊、共にガリア共和国設立後に活躍している部隊なのだ。

つまりメモにある『失墜』にあたるであろう、ガリア失陥する以前に活躍した部隊ではないということになる。

ならば『始まりの大隊』とは、いったい何を意味するのか?

白状しよう。

取材は、現状暗礁に乗り上げている。

 

溜息を一つ、零す。

思考を止め、私は売店で買ったブリタニア・タイムズ紙を広げる。

そこで、ノアゼットを一口。

 

外気に触れているノアゼットは先ほどより、思いのほか冷めていた。

熱すぎず、温くもなく。

口に含むには十分な温度。

先行するのは、熱さよりも、味。

口腔を通りやすく、舌も味の分別がつく適温、なればこそ。

 

 

「美味しい」

 

 

甘いミルク泡の膜のその下に潜む、深みのあるエスプレッソ。

舌は肥えていると自負していたが、ソレにはどうにも抗えない。

値段に対して僅かであるカップ。

底の一滴まで飲み干した私は、素直に称える。

ここは、どうやら当たりらしい。

 

また改めて詳しく取材に訪れる事を決意し、傍を通りかかった若いウェイターにお代わりを注文する。

称えた私の言葉を聞いていたのだろう。

快く注文を受けた若いウェイターは、少し足早にバックヤードへと消えていった。

去ったウェイターを見送った後、お代わりが運ばれてくるまでの間、私は改めて広げたタイムズ紙に目を落とす。

『ネウロイ大戦の英雄、ブリタニア訪問へ』

紙の見出しは、講演のためにブリタニアを訪問しているオートクローク元陸軍大将が一面を大きく飾っていた。

 

 

「もし、お嬢さん」

 

 

紙を読んでいた私に、不意に声を掛けられた。

ウェイターかと顔を上げるが、目の前にいるのはウェイターではなかった。

ファッションか、若干着崩したスーツ。

しかし妙に清潔感を感じる着こなしの、明るいブロンドの眼髪が印象的な青年。

 

 

「『ル・タン』誌のクローディア・モーリアックさんですね」

「………誰?」

「失礼、僕はランティエ社のエミールと申します。以後お見知りおきを」

 

 

人が良さそう、と印象を誘うような、うさん臭い笑みを浮かべた青年が、差し出してきたのは名刺には………『エミール・ゾラ』?

ふざけた名前だ。

受け取るソレには私立探偵とあるが、本当に探偵なのかは疑わしいところ。

 

 

「同席しても?」

「だめよ」

「失礼しますね」

 

 

………聴いた否応の意味は?

 

拒否するも対面に座る、エミールと名乗った青年。

私立探偵がいったい私になんの用かと、内心で警戒を強める。

 

 

「ああ、そんなに警戒しないでください。僕は貴女の手伝いに来たのですから」

 

 

おどけた様子で両手を挙げる。

長年の取材経験で培われたポーカーフェイスには自信があったつもりだったのだが、目の前の青年にはあっけなくバレたことは、持ち合わせている少しばかりのプライドが傷つけられたようであまりいい気はしない。

取材が進んでいない苛立ちと相まって、不機嫌が、顔に出ていることを自覚する。

 

 

「誰もそんなこと頼んでないわ」

「いえ、頼まれましたよ。」

「誰によ」

「上司にです」

 

 

人の良い己の上司の顔を思い出し、舌打ち。

あの上司なら、私が迷惑だと言ってもやりかねないだろう。

本当に、余計なお世話をするものだ。

 

 

「まぁ、いいわ」

 

 

それはさておき、どうして探偵なぞ寄越したのか?

私は先のネウロイ大戦の真実を追いかけているのであって、決して炭鉱の労働者らの凄惨な生活を糾弾するためではないというのに。

 

 

「私立探偵を名乗っていますが、廻ってくる仕事は専ら著名人の身辺調査でして」

 

 

………なるほど。

私立探偵を名乗ってはいるが、彼は言わば、メディアの協力者。

もしくはパパラッチ的な、なにか。

ともかく、私の上司の紹介だ。

ひとまず、取りあえず、信用はしてやろう。

だからと言って、目の前の自称私立探偵を信頼するつもりはないが。

 

 

「それで、文豪さん。私のところに送られてきた貴方は、当然軍事関係には広い見解があるのだとお見受けするけれど」

「勿論です」

「コネクションも」

「当然」

「へぇ、例えば?」

 

 

そうですねと少し思案し、手に取るのは私の見ていたタイムズ紙。

指さすのは、一面に写っていたオートクローク氏。

彼を指さして、エミールは面白い冗談を言うのだ。

「この人と、アポなしで会えます」と。

本当に、本当に可笑しな冗談だ。

 

 

「あっはっはっはっは!!」

 

 

だから嗤ってやった、盛大に。

オートクローク氏との単独面会は、夢のまた夢だ。

大手メディア紙でさえも十分も取材できれば上出来であるオートクローク氏の取材には私も何度と挑戦したことがあるが、門前払いを受けたことは記憶に新しい。

だと言うのに、嗚呼。

久々に腹を抱えて嗤った気がした。

だって、大の大人が、突拍子もなく、真顔で、大法螺を吹いたのだ。

とても面白い冗談だ。

これをどうして笑わずにいられようか。

 

自称私立探偵の文豪を騙っているから警戒していたが、その正体は、どうやら道化たピエロだったらしい。

ならば、こちらとしても同じ土俵に()()ことも吝かではない。

 

 

「エミールと言ったわね、貴方」

「はい」

「是非とも貴方の見解を聴きたいのだけれども」

 

 

『始まりの大隊』について、エミールに知っているかを聴いてみることにした。

誰これ構わずに聴くべきではないモノであることは理解していたが、そこにあるのは、やけくそが半分。

そして根拠はない、直感的な期待半分といったところ。

だがその問いかけが、運命のいたずらか幸運かは知らないが思いがけない情報を齎してくれる。

 

 

「もしかすると、それはP301では」

「P301?」

「ガリア軍初の航空魔導大隊だと聴いています」

 

 

それは聞いたことのない部隊番号だった。

 

先の大戦下、ガリア軍において部隊運用を主導しているのは参謀部。

そのうちの作戦実施のための部隊運用を司る作戦課において運用された部隊は、先日の機密指定文書解除によってその全てが開示されている。

その中で、当時300番台を割り振られたのはガリア空軍の教導隊であるが、部隊番号P301に該当する部隊は存在しなかったことは確かに記憶している。

 

そもそも魔導大隊のいずれかが、『始まりの大隊』に該当しないのではないだろうか。

ウィッチの軍事的運用を試みる魔導隊構想の主流はカールスラントにあるが、その原点は第一次大戦の英雄ルネ・フォンクによる航空魔導隊構想にあって、その構想の下で編成された部隊の戦果は、公に知られているところだ。

つまり初設には当たらず、魔導大隊がソレにあたる可能性として排除されるのではないか?

しかしその反論に、エミールは首を横に振る。

 

 

「ルネ大佐麾下として知られているその部隊は、その実プロパガンダ部隊であったのはご存知ですか? つまり正式部隊ではありません。ジョルジュ・ギンヌメール亡き後のタレントを欲したガリア政府がルネ大佐の戦果として喧伝するためにガリアの部隊としての名を付けたのが実態です」

「政治ね」

 

 

滑稽だ。

つまり、知られているルネ大佐の部隊は、正しくは存在しなかった。

正式編成ではないため、魔導大隊がその可能性を排除されることはない。

私はどうやら取捨選択するべき情報を誤っていたようだ。

認めよう、勉強不足を。

視野の狭窄を。

しかし、悔いる事は後でもできる。

 

 

「お客様」

 

 

ウェイターが持ってきた、頼んでいたノアゼット。

私は立ち上がり、カップを掲げる。

 

 

「『エスプレッソに、ミルクの泡を張ったノアゼット。一見鮮やかで甘い表面とは裏腹に、黒く苦みのある底。文明社会とは、まさに各の如し。しかし我らはまさにその社会に生きている。ならば飲み干すしかあるまい、その一滴まで。乾杯しよう、ガリア万歳』」

 

 

唱えるのは、この店に伝わる風習。

口早に言い終えた私は、カップを傾け一気に飲み干す。

一気に飲み干したノアゼットは、甘く、苦く、そしてなにより熱かった。

 

 

「クローディアさん」

「なにかしら?」

 

 

呼び止められるのは、彼に背を向けた直後。

 

 

「聴くまでもないですが、どちらへ?」

「言うまでもないでしょ、あなたには」

 

 

取材だ。

 

 

 

 

 

本社に戻った私は『P301』についての調査を開始した。

それにあたって、当時を知るガリア軍の退役将校にコネクションの限りを使って片っ端からアポイントを取った。

『P301』を知る者に辿りつくまでには時間がかかると考えていたが、しかし、まさかの一人目でビンゴ。

それどころか、空軍に従軍していた者に関してはその部隊番号にほとんどが反応を示したことには驚いた。

ただ取材する中で、不可解な事が起こった。

それはまるで、ガリア戦線の謎を、体現するかのような事態。

 

 

「P301のことをご存じで?」

「ええ知っています。『芋野郎(potato)』部隊のことですよね」

「芋野郎? ガリア軍初の航空魔導大隊だったと聴いていますが?」

「はっはっはっ、戦時下での伝言ゲームはよくある話です。ところでガリアは当時、ウィッチの軍事的運用について後進国と見られていたのはご存じで」

「………つまり?」

「お優しいカールスラントが、わざわざ航空ウィッチ教導のためのウィッチまで派遣していらぬノウハウをガリアにもたらそうとしたら、赤っ恥をかかされたっていう胸がスカってする笑い話ですよ」

「それがP301だと」

「Pはただの蔑称でしょう」

 

 

これは東方戦線に従軍していた元航空ウィッチ。

 

 

「P301? ああ、覚えてますよ。確か、ウィッチ推進派が陸軍大学のシンパを使って戦術研究という名目で秘匿されていた『試作(prototype)』部隊ですね」

「試作部隊? 正式部隊や、カールスラントの教導隊ではなく?」

「そんな噂もありますが、実態はお話しした通りです。まあ、失敗したみたいですが」

「失敗?」

「さあ? ただ、当時の軍の、と言うより上層部と言った方がいいかもしれませんね、彼らには男尊女卑の思想がありましたから。大方、存在が露呈して解散させられたのでしょう」

 

 

これは中央参謀部の元士官。

 

 

「P301は30名で構成された秘密結社だ。『高きところ(perch)』と呼ばれていた」

「………秘密結社? カールスラントの派遣教導隊や試作部隊ではないのですか?」

「P301が部隊番号ないしそのほかの何かであったというのは諜報上のブラフだろう。もしくは、隠れ蓑」

「それで、P301はどういった組織だったのですか?」

「軍上層部、いや、軍上層部に巣食った敵に抵抗するための組織だ」

「敵? 敵とは?」

「ネウロイだよ」

 

 

これは南方戦線の元情報将校。

 

東方戦線に従軍していた元航空ウィッチや中央参謀部の元士官のような如何にもと言うべき話から、南方戦線の元情報将校が語ったような荒唐無稽な話まで。

P301を調べていくにつれて、色々な話がでるわでるわで困惑してしまう。

戦場の伝言ゲーム? それにしては、あまりにも湧き過ぎだという印象を受けたのは言うまでもない。

 

やっと一歩進んだと思えば、これだ。

真実は、いつもひとつ。

なんて宣うつもりはないが、おかしなことだ。

このままではあまりの情報の多さに処理しきれなくなってしまうと、危惧しなければならない違和感。

これではまるで、意図的に真実を隠されているかのようだ。

 

意図的であるかはともかく、有象無象の情報に踊らされて、自ら霧中に飛び込んでしまっては目も当てられないが、調査した話の中に真実に掠る、もしくはもととなるモノには少なからず近づいているのだろうとは確信している。

真実の独り歩きによって絡まった糸のように混沌とした現状が起こっているのなら、丁寧に紐解いてやればいい。

正攻法では、話の内容を統計や傾向でまとめる事によって真実に近づくこともできるだろう。

 

 

「モーリアック編集長、これって」

 

 

もしくはパズル解きが趣味と公言する、部下のハインケルが持ち寄るメモのように、視点と発想の転換が大切なのだろう。

真実とは、あの青年との出会いの様に、意外と思いがけないところにあるものなのだから。

 

 

 

 

 

………ところで、アナグラムというものを、皆さんはご存じだろうか?

 




活動報告で既にご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、お待たせいたしました。
無事活動を終えましたので、執筆を再開いたします。

前回話投稿時、ご理解と応援をしていただいた方々には、深く感謝しております。
詳しくご報告は出来ないことを心苦しく思いますが、おかげさまでこうして皆さまに胸を張って再開しますと報告できる結果となりましたとだけ、ご報告させていただきます。




一部ルビ振り部分で文章が表示されないバグ。
そこのところのルビは振らずに確固で対応しております。


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第二章/雪中撤退
老人の回顧、あの時


ルネ・ポール・フォンク
欧州史上最も偉大な兵にして、欧州史上最も愚かな将

――――とある戦争評論家――――


『――――ローヌ撤退戦について――――

 

南部に住まう者は雪と言うモノの存在を知っていても、積雪を見たことがある者は少なかった。

だから夢にまで見たしんしんと降る雪。

純白のウエディングドレスの色に艶やかな地平を初めて見た瞬間には筆舌に尽くしがたいほどの感動を、最初こそ覚えた。

が、その正体が、アルプスから吹き下ろす突風と相まって、地にいるすべての生き物に等しく冷たさを齎す暴力であったことを思い知らされることに、きっと皆、さほど時間は必要ではなかったはずだろう。

厚い雲と猛烈な吹雪は視界と日光を遮り。

昼夜の境界線が分からない程に幽々として世界を閉ざす。

それはまるで、世界の果ての如く。

 

そんな世界に踏み込んだ我々は、愚か者だろう。

しかし我々は愚か者に成り下がる他なかった。

雪原を進むしかなかったのだ。

全ては生存のための逃走の為に。

 

撤退戦は、困難を極めていた。

寒さは、我々の感覚を。

閉ざされた視界は、我々の時間と距離感を。

背後から迫る脅威は、我々の心を脅かし、狂わせた。

我々は皆疲労し、疲弊していた。

耐性のない民間人たちは、猶更であった。

それでも彼らが歩を止めずに進めたのは、希望があったからであろう。

遅速を補うために志願して決死の殿に臨んだ仲間達にも、希望があったからだろう。

リヨンの防空圏に辿りつけば、この地獄から抜け出すことが出来る。

そう信じていたからこそ、我々は進めたのだろう。

 

ようやく辿りついた大都市リヨンは、既にネウロイの手に落ちていた事も知らず。

 

リヨンは我々の南部での敗北の要因となった高高度強襲型ネウロイによる同戦術によって既にネウロイの巣窟となっていたのだ。

軍団はやむをえず迂回しこれを避け、更に北にあるディジョンに一縷の望みを賭けて進むことを決断したが、悪魔のいたずらか、猛烈な吹雪が視界を奪って我が部隊を軍団から分断してしまった。

 

燃料も弾薬も食料も、残りわずか。

視界不良、孤立無援の吹雪の中をそれでも我々は漸進したのだが。

しかし影が背後。

地響きを伴って押し寄せてきた。

ネウロイの大群が、我々のすぐ後ろまで迫っていたのだ。

 

部隊長のヤンス大尉が「とまれ」と命じ、応戦を唱えた。

反対する者は、いなかった。

我々にいかほどの抵抗が叶うだろうか。

それもまた心配する者は、誰もいなかった。

 

我々は、今ここで、肉璧となり、死兵となるのだから。

 

我らは少しでも軍団と、民間人らが北に向かうまでの時間稼ぎをせんと意気込むも、皆分かっていた。

軍団からの連絡はつかず、はぐれて久しい。

軍団は、もはや組織として成り立たないほどに形骸化してしまったか、それとも既に全滅しているかさえ分からない。

もしかしたら我々は軍団最後の生き残りであり、この決戦はただの自殺行為、無駄なのかもしれないと。

 

それでも。

嗚呼どうか。

ディジョンよ、無事であってくれ。

軍団よ、無事に人々をディジョンに届けていてくれ。

私は、祈った。

迫る死の群れを前にして震える私には、祈ることしか出来なかった。

それは正義感から来る、崇高な自己犠牲ではない。

私はただ、来たる私の死の無価値を思いたくなかったのだ。

 

 

――――R・ルドワイヤン著『観測域3マイルのガリア』より――――

 

 

◇◇◇

 

 

西暦1999年と西暦1939年の12月 ジュラ県

 

 

 

 

 

嗚呼、目を閉じれば、また夢に見る戦場。

第二次大戦最初期以前から一兵士としてガリア陸軍に従軍し、撤退戦を生き延び、ガリア戦線をも経験した従軍兵士であった老人は、今日も繰り返される夢を見る。

懐かしの戦場を。

クソッたれな戦場を。

 

肌を焼いた、我が身すれすれを飛び交う閃光。

鼻を劈く、硝煙と生焼けの血肉の匂い。

目の前で、蟻の様に踏みつぶされる戦車、飛び散る同胞。

耳に残る、人の悲鳴、怒号、叫び。

駆けてきたその地獄のような空間を、白髪になり古木の様に皺枯れる歳になってもなお、彼の五感は未だに戦争のことを鮮明に覚えていた。

いや、忘れる事はできなかった。

片時も忘れる事は許されなかった。

 

終戦後も繰り返す夢は悪夢であり、苦痛であった。

終戦してもなお付きまとう戦争は彼に忘れさせる為のあらゆる手段を講じさせた。

医者に掛かり。

酒におぼれ。

暴力に訴え。

快楽を求め。

薬にさえ手を出した。

しかしどれも彼の悪夢を忘却の彼方に追いやる助けとはならず、ついには親戚の者らの手によって精神病院に入れられてしまう。

親戚の者たちは、彼を厄介払いで病院に追いやったのだ。

しかしてどのような思惑であれ、彼は親戚の者たちに感謝していた。

それが彼の転機となったのだから。

 

病院では専門的なカウンセリングを受け。

自身と同様に前戦争の記憶に苦しむ人がまた大勢いることを知り。

教養のある神父の教えに諭されて、また心の支えとなる宗教を得た。

結局彼の悪夢こそ取り除くことは叶わなかったが、精神病院で生まれた心の余裕は、やがて彼の悪夢を己の義務として認識できるまでになる。

 

あの戦争を、生き延びた己の義務。

己はガリアの国と国民の為に戦った同志たちの気高さを、苦しみを、痛みを、風化させてはならないバトン、それが己なのだと。

 

悪夢を義務として了解し、受け入れることが彼にとっての解決となり、そうして義務を認識した彼が退院後、記憶を記憶とする為に進んで筆を執るまでにさほど時間はかからなかった。

 

 

「おじいちゃん!!」

「………おやおや」

 

 

そうして歳月が経ち。

悪夢を受け入れた彼は義務を遂行し、家庭を持ち、新たな生と別れを迎え、あとは己の来るべき時を静かに迎えるばかりとなった。

そんな彼が庭先のチェアでうつらうつらとするのを妨げる様にその腕を無遠慮に引っ張って、意識を引き戻したのは彼の孫娘であった。

 

 

「ご本読んで!!」

「何処を読んでほしい?」

 

 

孫娘はゆっくりと起きた彼に、本を差し出した。

それは彼の書いた、戦争の記憶であった。

 

未だ文字が読めないほどに幼い孫娘。

そんな孫娘が見るには些か生々しい内容であるはずの本を、しかし孫娘は好んでせがむ。

 

 

「『白銀』様のおはなし!!」

 

 

それは、孫娘の名の由来。

ガリアと、人の為にその身を捧げた『彼女』に、憧れる故に。

 

無垢な目と綺麗な手で、硝煙と血に濡れた本を差し出す孫娘。

今は文字が読めないが、いつか真実、その本の内容を知る時が来てしまう恐ろしさ。

そして次代に記憶のバトンを繋げる喜びを密かに同居させながら、今日もまた、孫娘に語る。

 

 

「今日はローヌのお話をしようか」

「わぁい!!」

 

 

彼は、ルドワイヤンは。

彼の義務を果たすため今日もまた、語る。

 

 

◇◆◇

 

 

運命の行方は、決して分かるモノではない。

そんな事を思わせる、彼の生死を分けたひとつ、ローヌ撤退戦のことをもちろん覚えていた。

その当時、ルドワイヤンは軍団の殿を務めるために編成されたC大隊第三中隊のライフル班であった。

ライフル班は前衛を務める機銃小隊が足止めする間にネウロイを確実に仕留めつつ、迫撃砲隊に着弾観測を伝えることが任務であった。

ネウロイの動きは銃弾の雨と寒さでかなり制限されていたことから狙撃による撃破は容易であったが、ネウロイはよくよく列をなして迫り、恐怖と言うモノがない奴らは最後の一体になるまで進むのを止める事無く途絶える事のない砲火を並べるものだから、彼らの、特に足止めを務める前衛隊の被害は甚大。

更に豪雪極寒のローヌは装備、機器の制御を困難にし、故障を誘発させ、熟練兵でさえ疲労困憊で、まともな任務遂行もままならない劣悪な環境下だった。

 

それでも抵抗し、ネウロイを退け、北に漸進していたそんなある日の事だった、よく覚えている。

聞いた事もない地響きを引き連れたネウロイの列。

見た事もないほどの、地平線を覆い隠すほどのネウロイの戦列に対して、C大隊は小高い丘の斜面に陣取って、文字通り決死の抵抗を試みていた。

 

ハッキリと、その時交わした言葉の一語一句さえ、ルドワイヤンは覚えていた。

 

 

「円匙、それは文明の利器。円匙万歳」

「穴、それは人類最古の住処。穴蔵万歳」

 

 

そう言って。

男どもは、砂を掬う。

円匙で以て。

麻袋に砂を積めるのは、土嚢を作る、そのためであった。

その時、彼の所属していたライフル班は自己の判断で丘の中腹に塹壕かタコ壺か判断のつかぬ穴蔵を驚異的な速さで設けつつ、そこより抵抗を試みていた。

 

 

「再装填する、援護してくれ」

「了解した………嗚呼なんてこと。D小隊が呑まれる、可哀想なやっ―――――」

 

 

切れた弾の再装填の為に、塹壕に隠れたその時に。

ヘルメットが突然熱した鉄板のように焼け、ルドワイヤンが慌ててヘルメットを脱いだその隣で、牽制射を放っていた軍曹の言葉が途絶えた。

マネキンの様に直立のまま、後ろに倒れた軍曹の首は、なかった。

行方は知らない。

 

彼と仲間は連続着弾を警戒して頭を下げるが光線はその一発以降、彼らの穴蔵に着弾することはなかった。

幸か不幸か、その一発は流れ弾であったらしい。

 

 

「っ、腕が!? 俺の腕がぁ!!」「衛生兵!!」

 

 

すぐ傍で崩れ落ちる音と、慌てて衛生兵を呼ぶ声。

どうやら誰かが光線の巻き添えを喰らったらしいが、しかし衛生兵はもう来ないことを、彼は知っていた。

ついさっき、隣で死んだ軍曹が、その衛生兵であったのだ。

 

硝煙と焦げたたんぱく質をミキサーにかけて、不格好のまま提供されたような臭いはクソッたれお芋国家お得意のザワークラウトを想起させた。

思わず鼻をつまみたくなる臭いに加えて、横にいた新兵が嘔吐してさらにトッピング。

混沌とするその場から逃れる様に、彼は死んだ軍曹のカバーを引き継ぐ。

 

 

「………K小隊が」

「勇敢な奴らだ。恐れいるよ」

 

 

再び穴から顔を出せば、着弾した光線によって蒸発した雪のその向こうで、眼前までネウロイの迫っているD小隊の後退のカバーに、後方にいたK小隊が駆けつけているのが見えた。

驚愕するべき光景だ。

光線の驟雨が打ち付ける戦場をものともせず、味方の救援に駆けつける命知らずで勇敢なK小隊の面々に、彼は頼もしさを覚えた。

 

 

「迫撃砲隊に連絡、K小隊の支援をするよう伝えろ」

 

 

ライフル班の班長である先任曹長がK小隊に配慮して近くの通信兵にそう命じた時、若い通信兵は突然大声を上げた。

普段は嫌な内容しか伝えてくれない彼らだが、その燥ぎ様は、嗚呼。

まるでクリスマスにプレゼントが届いた子どもの様であったと振り返る。

 

 

「援軍ですっ!! 援軍が来ます!!」

 

 

嬉々としてそう叫んだ通信兵を、彼らは皆ポカンとした顔をして、その通信兵の顔をまじまじと見て。

すぐ近くに着弾した流れ弾の地響きで、ようやく彼らは我に返ってその通信兵を憐れんだ。

嗚呼、シェルショックを起こして白昼夢を見たのかと。

通信兵から有線通信の受話器をひったくった班長は、少しばかり受話器を耳に当てた後、呆れた様子でコードをつまんで受話器をプラプラと揺らしてみせた。

受話器からは、ノイズ。

先ほどの流れ弾で、何処かでコードが切れてしまったらしい。

 

 

「あー諸君、聴け。聞いての通り、どうやら援軍が来るそうだ」

「来ますかね? そんな物好き」

「さぁな。来るとしたら、相当のマゾ野郎だよ」

「ハッハッハッ、ですな!!」

 

 

冗談めかして訓示を通達する班長に、ライフル班の面々はドッと笑った。

久方ぶりの緊張の弛緩に、彼もまた心の落ち着きを取り戻す。

 

 

「俺だって、欲しい。援軍が欲しい今すぐに」

 

 

ひとしきり笑った後、班長の零した一言は、皆の総意であった。

しかし援軍なんて夢物語であることは、戦場を知る彼らは誰よりも知っていた。

 

 

「しかしだ、さて、来るか分からぬ騎兵隊の到着を待つよりも、我々よりも騎兵隊の到来を待つ者が眼下目の前にいるわけだ」

「行くのか?」

 

 

彼が問うと、班長は大きくうなずき答えた。

 

 

「使っていない軽機関銃があっただろうルドワイヤン、それを持ってついて来い」

「因みに訊いておくが、拒否権は?」

「ない。あとそこの2名、手榴弾を持てるだけ持ってついてこい。残りは残って後退するD小隊の援護だ」

「A vos ordres」

 

 

味方の危機。

ならば騎兵隊の様に颯爽と駆けつけよう。

そう、まさにK小隊に倣わんと、勇んで飛び出した彼であったが、一時の勇気と余裕はそこまでであった。

丘の斜面を駆ける彼らは平地で応戦する前線部隊よりも目につく存在だったのか、D小隊を攻撃していた筈のネウロイらは見渡す限りその全てが彼らを標的とした。

もはや面にさえ見える弾幕の嵐。

たまらず彼らは頭を伏せ、ほぼ匍匐のような状態で駆けて、近くの岩陰に飛び込んだ。

 

そこで「あっ」と、ルドワイヤンは思わず声を漏らした。

 

振り返る形となった彼の視線の先。

当然、それはもと来た道に向けられていたのだが、そこでたまたま目に入ったのは、光線の一発が、彼らのもといた穴蔵に直撃したところであった。

 

すると「ひぃ」と、短い悲鳴。

 

それは彼の隠れる岩陰に共に隠れていた、先ほど嘔吐していた新兵のものであった。

可哀想に。

彼もまた仲間がいたはずの穴に光線が直撃したところを見ていたのだろうと同情する。

 

 

「ルドワイヤン見ろ!! 奴ら、寄ってたかって俺たちを歓迎しやがる!!」

「人気者だぞ、良かったな!! 嬉しいか!!」

「嬉しくて涙が止まらん!! しかし奴らばかり馳走の大盤振る舞いさせる訳にはいかないな!!」

 

 

近くの岩陰に隠れる班長が苦笑いで、光線の轟音に負けじと叫ぶ叫びに彼もまた応える。

不意に班員を流れ弾で失ってショックを受けた彼と違って、笑みを絶やさずジョークを忘れない班長を頼もしく思いかけたルドワイヤンだが、班長の様子を見て、すぐにそれが勘違いであったことに気づく。

班長は、ただ、見ていなかっただけ。

 

地響きが迫る。

ネウロイの戦列が徐々に迫るのを、岩陰越しに彼は感じる。

逃げ出したい、だが逃げない。

ルドワイヤンが圧倒的戦力差を前に逃げ出さなかったのは、兵士としての崇高な使命うんぬんなんて大層なモノではなく、己よりも情けなくガタガタ震えて失禁している新兵が傍にいたからなのだろうと、振り返って思う。

 

 

「鉛玉と手榴弾を喰らわせろ!! ルドワイヤン!! どっちが多くネウロイを倒せるか勝負だ!!」

「正気か!? D小隊とK小隊が巻き添えになるぞ!?」

「心配ない、見ろ!! あいつら既にうまく逃げているぞ!!」

 

 

まさかっ、と驚愕して岩陰から覗けば、確かに彼らがネウロイの戦列から逃れ、無事に後退しているのが見えた。

 

救助には、成功した。

しかし、これでは………

 

ふと、ルドワイヤンは撤退している小隊のひとりと目が合った。

申し訳なさそうにこちらを見ていた彼を見て、ルドワイヤンは察する。

彼らは思ったに違いない、と。

我々を逃す為に彼らは挺身したのだと。

きっと彼らには、まさにルドワイヤンらが騎兵隊に見えたに違いない。

 

 

「違う、そうじゃない」

 

 

呟いた、泣いた。

しかし、だから助けて、とは言えず。

言ったとしても、聞く者は最早なし。

孤立無援の状況に立たされたルドワイヤンは言葉の体をなさぬ怒号らしき雄叫びを上げて、手に持つ軽機関銃の引き金をネウロイに向けて引いた。

 

打ち出す銃弾は、志願したウィッチらによって事前に魔力が付与されたもの。

そして手榴弾にいたっては、とあるウィッチの固有魔法が付与されたものであった。

それらがあったから、魔力を持たない彼らでも、ネウロイと戦えた。

 

 

「喰らえっ!! くたばれっ!! 死ね消えろっ!!」

 

 

放つ銃弾が壊す朱黒と。

投げる手榴弾の蒼が、鮮やかな朱黒蒼の花火を造る。

特に炸裂する蒼は、威力はもとより魔力が込められているためか、小型であれば一撃で仕留められるほどの代物となっていた。

支給され、幾度も襲撃を退ける援けとなった、ソレ。

心強く思っていた。

しかし、今は無意味。

ほんの数体吹き飛ばしたところで、迫るネウロイは数えきれない。

 

もはや奇跡が起きなければ助からない。

眼前の死を覚悟した。

しかし恐怖を通り越して少し冷めた彼の思考は、ふとはてなと、おかしな疑問を抱かせる。

 

それは何故あのネウロイ群が、すぐそばで撤退するD小隊とK小隊を無視して、目立っていたとはいえ遠くの自分らに目標を変えたのかという疑問。

 

 

「おいルドワイヤン、何体殺った!? こっちは、………おい新兵っ、何ぼさっとしているんだ!?」

 

 

すっかり忘れていたルドワイヤンの傍に居る新兵に、班長が「戦え」と怒鳴る。

ああしまった。

ネウロイに気を取られて新兵が未だに震えていた事に気付かなかったと、ルドワイヤンは新兵をフォローしようと振り返れば。

ルドワイヤンが見たのは、新兵が慌てて落とす、ピンの抜けた手榴弾。

 

 

「ちょっ!?」

 

 

彼は慌てて手榴弾を蹴飛ばして。

新兵を庇い伏せたら衝撃。

彼らと、班長のいる岩の中間で、手榴弾は爆発する。

 

 

「なにを『――――――――――――――ッ!?!!?』

 

 

ルドワイヤンは、彼らは固まる。

そして彼らの背筋がサッと凍るのは「何やってるんだ」と、新兵に怒鳴る。

その声をかき消すほどの壮大な悲鳴が、彼らのすぐ傍から聞こえたから。

この世のものとは思えない奇怪な悲鳴は、確かに地面の、手榴弾が炸裂したすぐ下から聞こえたから。

直後、身の底を揺らすほどの揺れが起こり、突如地面が盛り上がる。

盛り上がった地面は遂には割れ、そこから現れたのは朱黒い突起物。

 

 

「マジかよ………マジかよ…………」

 

 

絶句して見上げるソレは、上半身にあたる黒い突起物はドリルに似た形状をしていて。

地面から現れた下半身は細長い四脚。

四脚で立てば、実に十メートル程の高さにもなるそいつはアンバランスで、不格好なそいつの名を、ルドワイヤンは誰に教えられるまでもなく、知っていた。

 

ネウロイ。

人類の敵。

 

 

「くそっ、くそっ、ふざけるなっ!! ふざけるなこの化けも―――――」

 

 

叫んだ班長が、軽機関銃を撃つも悉く弾かれて、くしゃっ。

四脚のひとつを班長に向けたネウロイは、無感動に脚を踏み下ろす。

飛び散る臓物が、雪原に咲く真っ赤な華を彩る。

 

 

「うわっ、うそっ、やめぇ―――――」

 

 

残ったもうひとりが、横薙ぎに放たれた光線の向こうへと消えていったのを見送って、ルドワイヤンは「嗚呼、次は俺たちの番か」と他人事のように思いながら、新兵が持っていた手榴弾を奪ってピンを抜く。

 

 

「ふざけやがって………俺たちがいったい何したっていうんだよ」

 

 

ネウロイが、ゆっくりと振り返る。

下からはネウロイ群がまた迫っているのを、ルドワイヤンは地響きで感じる。

どうせ、助からない。

どうせ助からない、ならば。

 

 

「折角此処まで逃げてたっていうのに、みんな殺しやがって………野郎ぶっ殺してや―――――!?」

 

 

道連れにしてやると。

ルドワイヤンが特攻しようとしたその瞬間。

ネウロイが、突如ブレた。

横から来た閃光に、弾かれ倒れた。

 

その閃光は、綺麗な蒼色をしていた。

 

 

「退け、曹長」

「………えっ?」

 

 

空から声が降ってきたかと思えば、ひらり。

上から少女が降ってきた。

 

ボロボロになった空軍の士官服を身に纏い。

身の丈に合わぬ対戦車ライフルを抱えて。

ネウロイの上に降り立った少女。

彼女を遠くから望んだことはあった。

だが、近くで見たのは初めてだった。

 

 

 

『――――――――――――!!?』

「煩い」

 

 

叫ぶネウロイに一発、二発、三発と。

容赦なくとどめを刺した少女は、鮮やかな白銀の髪をかき上げる。

露わになるその顔は息を呑むほど美しく。

しかし左眼をはじめとした至る所に巻かれた包帯は血をにじませて。

それでも戦う彼女の名は、『白銀』。

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。

 

 

「ああそうだ。私だ曹長」

 

 

正面に立った彼女は頑張ったなと微笑んで。

よく耐えたと彼らを労う。

 

 

「此処は引き受けた。君たちは下がれ」

「しかし、中尉」

「私なら大丈夫だ、心配するな」

 

 

実力は知っていても、姿は未だ幼い少女。

彼女にひとり任せて後退するのは気が引けた。

 

そんなルドワイヤンの思いを察してか、彼の持っていた手榴弾をそっと取った彼女はそのままの体勢で、視線すらそのままで、ネウロイ群に向かって横薙ぎに投げる。

投げた手榴弾は振られた腕からは想像もつかないような速度でネウロイ群の中心へと飛んで、炸裂。

たったひとつの動作でも、彼女の力量を証明するには十分であった。

 

だから、だからこそ。

ルドワイヤンは彼女に任せて後退した。

 

後退した丘の上では、歓声を上げて彼女を称える声。

そこまで来て振り返って、見た彼女の戦いぶりは、まさに英雄と呼ばれるに相応しい戦いぶりで。

無数のネウロイ群をたった一人で蹂躙している姿は、胸のすく思いで、ルドワイヤンもまた彼らに混じって彼女を称えた。

 

 

 

 

 

………ただ。

 

 

◇◆◇

 

 

「………おじいちゃん?」

 

 

孫娘にそこまで読んだルドワイヤンは、ふと思う。

あの時の記憶はハッキリとして、覚えている。

それでも、未だに分からないことが、彼にはあった。

 

 

『ああそうだ二等兵』

 

 

撤退する直前。

包帯の巻かれた左眼を気にするように撫でたルドルファー中尉は、まるで悪戯を思いついた子どもの様に新兵を指さして、「持ってる手榴弾は残さず全部置いていけよ」と言った。

その時はなんの疑問に思わなかったが、おかしな話だ。

何故彼女は、新兵が手榴弾を持っている事を知っていたのだろうか?

しかも、多く持っていることもまた知っているかのような、口ぶりで。

 

そして何よりも分からないのはその後の。

手榴弾を受け取った後に呟いた、彼女の言葉。

 

 

『教えてくれてありがとう、曹長』

 

 

虚空に躊躇なく向けられた言葉は。

きっと自身に向けられたものではない。

生きている曹長は、自身しかいなかった。

 

それ以外には誰もいなかったはず。

強いて言うなら死んだ班長の残骸しかない筈なのに、それなのに。

しかしそちらに確かに向けられた言葉。

ならば。

彼女は、まさか…………

 




みんな。
ツッコまないでくれ。
絶対にツッコまないでくれよ、頼むから。

分かってる。
「ルドワイヤンたちが隠れた岩堅すぎだろ」とか。
「迫るネウロイ遅すぎだろ」とか。
「そもそも投稿遅すぎだろ」とか。
だからツッコまないでくれ、絶対に。
分かってるから、うん。
それじゃあ


















みんな、今です。
さあツッコめ(真顔)


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二重の楔/だから彼女は言葉を聴く

いつもに比べるとライトです(内容がライトとは言っていない)


………寒い

 

 

 

 

 

 

 

 

寒イ

 

 

 

 

 

 

 

 

痛い

 

 

 

 

 

 

 

 

苦シい

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

サビ死イ

 

 

 

 

 

 

 

 

あなた

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィッラ

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィるヘルミナ

 

 

 

 

 

 

 

 

………どコ?

 

 

 

 

 

 

 

 

愛しい、娘

 

 

 

 

 

 

 

 

私のむすメ

 

 

 

 

 

 

 

 

寂びしイ思いをさせて()まった、けれど

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイ、じョウブ

 

 

 

 

 

 

 

 

こんどは、ちゃんト

 

 

 

 

 

 

 

 

抱きしめテ、アゲル、だかラ

 

 

 

 

 

 

 

 

………いで

 

 

 

 

 

 

 

 

おイデ

 

 

 

 

 

 

 

 

違う

 

 

 

 

 

 

 

 

来ないデ

 

 

 

 

 

 

 

 

イイエ、こっちニオイデ

 

 

 

 

 

 

 

 

駄目、こっちに来ないで

 

 

 

 

 

 

 

 

寒いの、オネガイ

 

 

 

 

 

 

 

 

イタイノ、お願い

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィッラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなた

 

 

 

 

 

 

 

 

お願い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タスケテ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

西暦1939年11月16日 タルヌ県 ドモゼー伯領 軍立病院

 

 

 

 

 

ドモゼー領より出立の前日、夜の帳が落ちかけた夕暮れの時。

ルネ・フォンクはひとり、半壊した軍立病院へと足を運んでいた。

 

入り口にはロープ。

それは崩落の恐れがある軍立病院への立ち入りを禁じる為に張られた規制線。

規制線、なのだが「よいしょ」と。

ルネは年相応にロープをのっそりと越えて、構わず院内へと進む。

進んだ彼は、迷わず四階へ。

彼の妻が病魔に侵されて以来、見慣れた白磁の廊下は落ちる赫灼たる夕日の明光が窓から差し込み、朱くあかく彩る。

 

 

「突然駆けだしたと聞いて、心配したぞ。ヴィルヘルミナや」

 

 

夕日は廊下、その道半ばにいる少女をも平等に照らす。

 

傍には白狼。

それから、白布の掛けられたモノがふたつ。

地に寝かされたモノに、縋るように寄りかかる少女と合わせれば、モノは合わせてみっつ。

無音無言の少女とモノの周りを、蠅がぶぅんとせわしなく羽音をたてて廻る。

とまったそのうちのひとつが前脚を擦って、白布の下にあるモノを犯す機会を今か今かと覗っていた。

ルネにはそれが酷く不愉快であった。

 

彼の呼びかけに返事のない少女に近づくほどに腐臭が臭う。

その腐臭の原因が、白布の下にあるモノ。

彼の娘夫婦、少女の両親の骸であることは明らかであった。

しかし少女が気にする様子はなかった。

 

ルネは彼女の名を呼ぶ。

ヴィルヘルミナと、名をまた呼ぶ。

だが返事は返らず。

ルネが傍まで近づいても、また少女は、まだ無反応であった。

だから暫く少女が縋る骸の様に、彼も口を噤んで沈黙を守る。

 

 

「何処にもいないのです」

 

 

やっと少女が口を開く。

顔を上げ、ルネの姿を認める彼女の眼。

それは骸の様に、虚ろ。

 

 

「父さんも、母さんも、ここにいる筈なのに、今更私に何も言ってくれない」

「………ヴィルヘルミナ」

 

 

骸は生者に言葉を語り掛けない。

しかし今は、縋る少女に何も語りかけてあげない娘夫婦を、ルネは心の底から責めた。

何故今、この子の傍に居てやらないのかと。

何故、この子を一人残して死んだのか、と。

ルネは、責める。

何故なら今の彼女を慰める事が出来るのは、きっと娘夫婦らだけ。

 

 

「死人は、何も語らんよ」

「………」

 

 

その娘夫婦は死んでしまった。

そしてルネに彼女を慰める事は出来ない。

何も知らなかった時ならば、彼女に寄り添う選択肢があったかもしれない。

 

だが、ルネは告白された。

彼女の正体を告白されて、知ってしまった。

だから、彼は彼女に寄り添えない。

それは敬遠している訳ではない。

 

彼女が告白してくれた、前世の記憶。

 

まるで咎人が神に懺悔するように。

演説中に受けた礫の治療の際に突然に、しかしおそるおそる話してくれた、彼女の抱えていた問題は、俄かに信じられない事ではあった。

それでも彼がこれを全くの虚言や世迷言だと思わないのは彼女のこれまでの行動や言動を思い返せばむしろしっくりとくるものであって。

そしてなによりも彼に、孫娘に対する確かな情愛があるからだろう。

 

それでも彼女に慰める事叶わないのは、彼女が、ルネに対して負い目を抱いている事をルネが察したからだ。

それは前世の記憶を語らず騙していた負い目。

それは勝手に軍籍を騙って、戦っていた負い目。

それはルネの妻と娘夫婦を救えなかった負い目。

思いつくかぎりでもこれだけある。

でもきっと、彼女の抱える負い目はそれ以上。

だからこそ、ボロボロの身体である彼女が梯団の保護下に入ってもなお進んで戦う意思を見せるのだ。

 

ルネにヴィルヘルミナを非難するつもりはさらさらない。

けれど負い目を感じている彼女に、何を言ったところでこの子の助けにならないのだろう。

 

 

「………ご心配をおかけしました」

 

 

やがてヴィルヘルミナはゆっくりと立ちあがった。

表情はさきほどまでの悲嘆は無く。

あるのは柔らかな、笑み。

張り付けた仮面。

 

 

「ヴィルヘルミナ。わしは―――」

「大丈夫ですよおじいさま」

 

 

大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョウブ。

繰り返し唱える彼女はあまりに不自然で、不気味。

無理をしていることは、ひと目で分かった。

 

 

「おじいさま、いいえルネ大佐」

 

 

そんな彼女は敬礼し、「さようなら」。

そう告げて、未だ癒えぬ傷を庇うようにひょっこひょっこと歩き出す。

そのままルネの傍を通って去ろうとする。

足早に、逃げる様に。

 

暗くなってゆく廊下の先へ先へと、ルネに背を向けて去るヴィルヘルミナ。

そうして彼女は、ルネから離れるつもりなのだろう。

自暴自棄になって勝手に死ぬつもりなのかもしれない。

確証はなかったが、彼の勘が警鐘を鳴らす。

そしてそうするだけの動機が、彼女にはある。

 

 

()()()()!!」

 

 

だからこそ、ルネは彼女を呼び止めた。

呼び止めても止まらないヴィルヘルミナを、彼は肩を掴んででも止めた。

軍人を騙ろうとする彼女を、孫娘としての名で呼んで止めた。

 

しかし止めたはいいものの。

はて何を言えば。

ええい何を投げかければ。

いよいよ何を語ればよいか分からずに、一瞬の沈黙。

しかし孫娘まで失うかもしれないこの一瞬の沈黙の中で巡った(おも)いは、ルネにとって、悠久の時と等しく思えた。

 

 

「これを」

 

 

そうして惟い、出した答えは、しかし納得のいかない、もどかしさを覚えるものであった。

彼の思いを、まっすぐな言葉にできないもどかしさだ。

だがどんな言葉も、今の彼女にかけるには全て陳腐なモノに成り下がるだろう。

そう思ってしまう彼は不器用な人間であった。

 

 

「これは?」

 

 

彼がヴィルヘルミナに差し出したのは、手のひらサイズの茶封筒。

 

 

「この中には南方で儂が戦った、新種のネウロイに関する情報が入っている。これを、お前に預ける」

「………は?」

 

 

張り付けようとしていた仮面が崩れ、ヴィルヘルミナは目を見開く。

彼女は差し出された茶封筒。

そしてルネを交互に見て、しかしやはり首を大きく横に振る。

 

 

「私には、できません」

「頼む」

「おじいさま。しかし、私は」

「頼むヴィッラ。それを大切に持っていておくれ。無事にパリにつくまで、お前が持っていておくれ」

 

 

拒絶される前に、ルネは彼女に押し付ける。

無事に生きて、そしてそれを自分にその手で返して欲しい。

そんな一方的な約束も、一緒に。

 

 

「………命令ならば、受けとりましょう」

「命令じゃない。お願いだ、ヴィッラ」

 

 

その約束は、彼女をこの世に繋ぎとめる楔。

せめて軍人としての関係であろうと繕って受け取ろうとしたヴィルヘルミナを否定して、彼は家族として楔を押し付ける。

 

ヴィルヘルミナは。

俯き、しばし無言、その後に。

ようやく押し付けられた茶封筒と言う名の楔に、ゆっくりと手を伸ばす。

 

 

「おじいさまは」

「なんじゃ」

「私をまだ孫として呼んでくれるのですね」

「………当たり前じゃろ」

 

 

手を伸ばしながら向けられる蚊の鳴くような問いかけ。

それにルネは当然だと答えれば、ガッと突如握られる腕。

茶封筒へと伸ばしたと思っていたヴィルヘルミナの手は、彼の腕を捕らえていた。

突然の事に驚くルネであったが、震える身体と声と、力を入れてもなおか弱い力。

 

 

「勝手に死んだら」

 

 

そして夕日の最後の輝きに照らされた、ヴィルヘルミナの泣きそうになりながらもキッと見上げた顔を見て、また驚く。

 

 

「私は貴方を許さないっ!!」

 

 

悲鳴のような叫び。

その後に掴んでいた腕を離し、茶封筒を奪って今度こそ去るヴィルヘルミナを、ルネは茫然として見送った。

感情的になった彼女をこれまで見た事がなかった彼が、はじめて彼女に垣間見たモノは『執着』であったから。

 

前世についての真実を告白される以前から、見た目以上に精神が成熟していると思っていた彼女から垣間見た執着は。

いや、前世の記憶を持っている彼女だから、執着心は一層強いのだろうと思い直す。

だからこそ、本来その執着心が向けられるべき二人をルネはまた、責める。

 

 

「何故死んでしまったのだ、お前たち」

 

 

あの子に今必要なのは、お前たちの愛情だろうにと。

ルネは責める。

答えはない。

骸は当然答えない。

 

暗闇が迫る。

夜の帳が落ちる。

そうして光は、平然と自分勝手に去っていった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

西暦1939年12月17日 ジュラ県

 

 

 

 

 

猛烈な吹雪に見舞われながらも、道なき道を進む兵士たち。

列を為して歩く兵士たちの中心で、一台の戦車がのろのろと走る。

ルノーB1重戦車。

フィリップ・ルクレール・ド・オートクローク中尉が搭乗するソレは、まるで割れモノを気遣うように雪道を漸進していた。

 

 

「………ちっ」

 

 

ルノーB1に備え付けられた貴重なモールス無線機の再三送られてくる通信に、フィリップは舌打つ。

送信相手は先日合流したデ・ヤンス大尉。

内容は面会の要請なのだが、ヤンス大尉の目的が合流した部隊の主導権の掌握である事を察したルクレールは返答を渋っていた。

面会を求められているのがルクレールならば、受け入れるのだが………。

 

 

「うぐっ………」

 

 

段差に乗り上げたのか。

不意に車体が大きく揺れて、呻き声。

 

 

「大丈夫かルドルファー中尉?」

 

 

狭い車内の一角に、無理矢理設けたベッドに横たわる呻き声の主は手をプラプラと挙げて気にするなと言いたげであった。

しかしながらルクレールは、それを真に受ける事はない。

 

ヤンス大尉が面会を求めているのはルクレールではなく、ヴィルヘルミナの方であった。

だからこそ、彼は要請を渋っていた。

彼女が既に限界であることを理解している、それ故に。

 

ドモゼー領出立の時点で魔力補助なしでの歩行さえ支障をきたしていた彼女は、最初こそ貴重な軍属ウィッチ故に温存されていたものの、ネウロイの大群に単機で渡り合う事が叶う戦闘力が仇となって、結局無理な出撃を余儀なくされてしまった。

更に撤退する軍団が雪中戦の経験が乏しかったことが、軍団が戦力としての彼女に依存することの拍車をかけ、軍団から脱落している現在では猶更であった。

 

度重なった無理な出撃によって負傷を繰り返し、また魔力も枯渇寸前。

既に自力で起き上がることすら、困難。

まともな治療が望めない環境で、()()()()()()()()()()()()()の拙い治癒魔法だけでなんとかこの場を保っている、生きている事すら奇跡であるそんな状態の彼女の負担を増やすことはルクレールには躊躇われた。

 

 

「無線はデ・ヤンス大尉からか?」

 

 

苦しそうにしながらも、無線を気にするヴィルヘルミナに首肯して答えると、彼女は呆れたように大げさに溜息を吐いた。

 

 

「いい加減、しつこいな」

「いっそ大尉には次の戦闘で不運な流れ弾に当たってもらおうか?」

「お前も大概物騒だな………っ」

 

 

流れ弾の件に彼女はくつくつと笑うが、身体に響いたのか、苦悶の表情を一瞬浮かべてやめる。

 

 

「………確か此処から1.5キロ北東進んだところに小さな集落があったはずだ」

「まさかルドルファー中尉、デ・ヤンス大尉と会うのか?」

「このまま指揮統一を行わない訳にはいくまい」

 

 

会わなきゃならないだろうなと憂鬱そうにする彼女に、ルクレールは同情と、代わってやれない申し訳なさを覚えながら、無線を繋ぐ。

 

 

「連絡は、しておく。集落到着までは休んでいてくれ」

「ああそうするよ………さて」

 

 

瞳を落とすその前に、ヴィルヘルミナは彼女の傍に座る、ツインテールのウィッチに頼む。

 

 

「済まないがまた治癒魔法を頼む、()()()()()()

「は、はい」

 

 

何十回目かもはや忘れる程に包まれてきた仄かな光のやさしさに身を任せ、ヴィルヘルミナは意識を真っ暗闇へと再び落とす。

 

 

 

 

 

パリの空は、未だ遠い。

 




一か月以内の投稿とかいつぶりなんだろう?(調べてみたら約一年ぶりのようです。なんてこったい)


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決意/だから彼女は思い出す

あの日憧れた英雄は、いないのだと知った。

 

 

「いまから緊急手術だと!? ドーゼ医師、ヴィルヘルミナトリアージとやらを決めたのはあいつら()だったはずだ!! それをいまさらやつらの都合で割り込みを許すのか!!」

「彼女を見てもまだ言えるか!? 我々は、我々を助けてくれた彼女を救わなくてはいけない!!」

 

 

都合のいい英雄なんて、いないのだと知った。

 

 

「担架!! 構わんこっちにまわせ!! 志願したウィッチは直ちに治癒魔法を」

「そんな!? ヴィルヘルミナさん!! ヴィルヘルミナさん!!」

「馬鹿者!! 素人がふれるな傷に障る!!」

 

 

運ばれてきたあの時の英雄は、私と同年代の女の子だった。

そんな彼女は今日見てきた誰よりも酷い有様で。

知り合いらしい人の呼びかけにも答えず、悲痛な絶叫が私の耳を劈く。

 

 

「ジョーゼット、ジョーゼット・ルマール!! 早くこっちに来て手伝え!!」

 

 

名前を呼ばれて心臓が跳ねた。

跳ねた拍子か身体が震えた。

はやく手伝わなきゃと思っても、足は一歩も前に動かないくせに、後ろには進む。

 

 

「ぐっ………父さん……母さん…………私は……………」

「っ!?」

 

 

どうしてだろう。行くべきは、前なのに。

進むべき方向とは正反対に駆けだした。

英雄と信じた者の正体を知って、私は耐えられなくて、逃げたのだ。

でも逃げ出してしまったことに、私はずっと後悔があった、情けなさがあった。

だから発現したばかりであったけれど、治癒魔法の使い手として従軍を志願したのは、私の元来の性格のこともあったけれど。

もう逃げたくない。

そう、強く思ったからだった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

西暦1939年12月7日 リヨン郊外

 

 

 

 

 

篝火が、雪原の真ん中で集まって燃ゆる。その日は珍しく吹雪は止んでいたが、冷気の冷たさは吹く風に乗って相も変わらず、肌をなで斬りしてやまない。

火に群がる男たちは暖を求めて篝火を囲い、揃って凍えた手をかざす。その様は火炎崇拝的ななにかを、篝火を縫って歩いていた少女に連想させた。

 

 

「それにしても、ルドルファー中尉だ」

 

 

歩く中、ふと少女の耳に入ったのは彼女と同年代の少女の名。

あの街で、ネウロイに襲われていた自分を助けてくれた少女の名であった。

 

 

「中尉がどうした?」

「あの御姫様、戦闘以外では姿を見ないがお前は見たか?」

「いや見てない」

「なんでも寒空の下を歩いて冷や飯を食っている俺たちと違って、中尉殿は暖かい戦車の中で、温かい食事を食ってるってぇ噂だ」

 

 

助けてくれた彼女の名が上がれば、やはり気になってしまう少女はひそかに聞き耳を立ててみれば、しかし聞こえてくるのは期待していたようなものでは無く、事実無根の事であった。

更に中年の男が吐いたモノが明らかな悪意に塗れていれば、ますます気分の良いものでは無い。

そんな少女の気持ちなど知らない、話題を振った中年兵士は空になった椀の底をスプーンでカツカツと行儀悪く突っついて、口寂しさを紛らわせるように悪意を続ける。

 

 

「懸命な俺たちとは違って、ふんぞり返っている。流石はウィッチ様。いやはやなんとも、羨ましい事じゃあないか」

 

 

よくもまあ、憶測でモノが言えると少女は憤る。

確かに長い行軍の果てに、休息の合間にようやく食事を取ることを許されても、もらえるものはたった一杯の味気のないスープ。中にはお世辞にもロクなモノが入っているとは言い難かった。

だが、皆同じなのだ。

兵も、士官も、皆同じものを食べている。

少女だって例外ではない。

そして彼女だって、また同じなのだ。

食料が足りていない事は、梯団共通の理解のはずだった。それは正規兵で無い少女すら知る事実。

 

 

「いいんじゃないか? ちょっとぐらい。ルドルファー中尉は年端もいかないのにネウロイ大群相手によく戦ってくれているじゃないか。この撤退戦だけで中型以上だけでも撃破数は既に30を超えているとも聞くし」

「馬鹿おめぇ、そんなの誇張に決まってるだろ」

 

 

それでも。

 

 

「どいつもこいつもなさけねぇ。ウィッチがそんなに偉いのかよ。俺だって、魔力があったらあのくらいっ」

 

 

理解していながらも地面を蹴って不満を漏らす彼は。

 

 

「空軍のくせに、女のくせに。ガキのくせに偉そうにしやがって」

 

 

結局のところ、つまらないプライドの吐露に違いなかった。

幼い少女ではあったが、それでも育った環境のお蔭か同年代よりいくらか聡い彼女は中年兵士の思考を解く力を持っていた。そして、中年兵士の思考を理解できない訳では無かった。

けれど、何度目だ。

彼女に対して陰で、悪口を向けられているところを見たのは。

 

 

「いい加減に!」

 

 

恩人への悪意をそう何度も見逃せるほど、ジョーゼットは大人ではなかった。

故に少女の細い脚は、その中年兵士の方へと夢中に動く。

そして注意しようと声をあげる、しかしその前に。

彼女は不意に背後から右肩を強く掴まれ、彼女の憤りは止められる。

 

 

「止めておけ、ジョーゼット」

 

 

少女、ジョーゼットを止めたのは、ルクレール中尉であった。

彼の片手にはジョーゼットと同じ椀。

 

 

「なんで止めるんですかルクレールさん! ヴィルヘルミナさんの悪口を、このまま許しててもいいんですか!?」

「………確かに、愉快とは言い難いな」

 

 

止めたルクレールは意外にも首を振って、ジョーゼットを肯定する。

そんなルクレールにならと、くってかかるジョーゼットだがルクレールは諭す様に続ける。

 

 

「だが、ある程度見逃さないといけない。こんな環境ならなおさらな」

「どうして!」

「俺たち人間が、弱いからだ」

 

 

淡々と高いところからジョーゼットを見下ろしてルクレールが答えるそれは、まるで彼女が人間ではないと言っているかのような物言い。

キッと、睨み上げる。しかし彼女の批難の目を特に気にすることもなく、彼は踵を反して歩き出した。

そんな彼の態度が、ジョーゼットの感情をまた逆撫でする。

それでも彼の後を無言で続く。それは追いかけたい訳ではなく、ついて行きたい訳でもない。ただ、向かう場所が同じだけ。

二人は兵士の囲む篝火から遠く離れていく。

そして周りには誰もいなくなったところ、そこで。

 

 

「あの男は」

 

 

無言で歩き続けていたルクレールは、背を向けたままようやく口を開く。

 

 

「元居た部隊がつい先日、全滅している。その部隊で生き残っていたのは、彼一人だ」

 

 

ジョーゼットが聞くのは、あの中年兵士の身の上話。

 

 

「そんな彼を救ったのは、ルドルファー中尉だ」

「………」

「彼は助かった。しかしきっと理不尽に思ったはずだ。いとも容易く仲間の命を奪っていったネウロイを。そして、そんなネウロイを容易く倒してしまうルドルファー中尉の事も」

 

 

そこまで聞いてジョーゼットは、中年兵士の不満の真意を理解する。

中年兵士の抱えるモノは、複雑でやり場のない、こころ。

しかしそれでも。

 

 

「だからって、ヴィルヘルミナさんが悪く言われる必要ないじゃないですか!」

 

 

まるで自分の事の様にヴィルヘルミナの為に怒るジョーゼットの怒りは、正しかった。

まったく子どもらしい正しさで、その正しさを貫き通すことは理不尽な悪意を許さない勇気だった。

けれどいけない。

 

 

「いや必要だ。必要なんだ」

 

 

だからこそ、いけない。

幼さからくる誰しも持っていた筈のその勇気は、傷付く痛みを知らない無知からくるものだと、ルクレールは気づいていた。

 

 

「ジョーゼット・ルマール、そもそも君は一つ大きな勘違いをしている」

「それは?」

「ルドルファー中尉に対する誹謗中傷に対して怒っているなら君は、おおきなお世話だということだ」

 

 

何故なら梯団のこの現状は、彼女の了解によって黙認されている結果なのだから。

ルクレールから聞くヴィルヘルミナの意思は、ジョーゼットの目を驚愕の二文字に染めあげる。

 

 

「了解しているって………一番頑張っているのはヴィルヘルミナさんなのに、悪口言われて。そんなの、報われない」

「………梯団の負担の多くを抱えるルドルファー中尉を知らずに好き勝手言われて腹に据えかねる思いは分かる。しかし理解してほしい。ここにいる俺の部下以外の奴らは、みんな元からバラバラだった生き残りのうちからまた生き残ってしまった者の寄せ集めだ。統率なんて、もとから存在しない。いいか、兵士のほとんどは兵士である前に、己が人間だと考える。生存を求めるんだ。生き残っている奴らの大半はそんな奴らだ」

「だから、止めないのですか?」

 

 

ルクレールは、肯定した。

下手に抑圧すれば、士気に関わるどころの問題ではなくなる。現状軍隊として機能が叶っている時点で奇跡である。

それでもと。

そんな現状を止めたいならばと、ジョーゼットの眼前に向けられるのは、指先。

 

 

「今すぐ彼女と代わるといい。人の期待と悪意を一身に受け止めて、ネウロイに一人で立ち向かう彼女に、安い同情を向ける驕りがあるのなら、貴様が代わってやればいい」

 

 

それは、思うだけでは叶わぬこと。

ジョーゼットはルクレールの強い言に、簡単には答えられなくて、口は紡ぐ声を忘れたかのように虚しい開閉を繰り返し、やがて忘れた言葉を紡げぬ悔しさを堪える様に、俯いて裾を握る。

代わりたい。

けれど、代われない。

それこそが、ヴィルヘルミナを人間ではないとする答えでもあった。

力ある英雄が弱い人間を守るのは義務である。さもなければ、大勢の人間が死ぬから。

力ない人は強い英雄に守られることが義務である。弁えなければ、人間はあっさりと死ぬから。

ルクレールはつまり、悪意を向けられることもこの一環だと言いたいのだろうと理解する。

いや、悪意だけでは決して、ない。この梯団の大半を占める称賛する者も羨望する者も、つまりこの梯団自体がヴィルヘルミナという英雄に依存している。

依存している彼らは、ならば潜在的な敵だ。ひとたび失敗すれば、悪意を向ける者と変わらない悪意を、下手をすれば殺意を彼女に向けるのではなかろうかと、ジョーゼットは危ぶむ。

それは、ここにある依存の、想定できる最悪な末路の一つ。

そんな危険な現状を、ヴィルヘルミナは良しとしている?

目の前のルクレールも、目をつぶっている?

それが、最善だから?

そんなの、おかしい。馬鹿げているとジョーゼットは思えども。

でも、どうしようもないことも分かっていた。

それがきっと、生き残った弱い人間を纏める英雄の役目であり、必要な犠牲。

 

 

「兵士は、人間は、強くはない」

 

 

だから君がヴィルヘルミナの状態を無視したとしても、誰も責めはしないという免罪符。君もまた見なかった事にしても構わないという、ルクレールからの甘美な誘い。

それはあまりに魅惑的で。

いよいよ返す言葉も、誘いにのらない信念も不確かであったジョーゼットの足は、心の迷いでそれどころではなくなって、止まる。

 

 

「なら、どうしたら………」

 

 

優しさと、正義感と、現実との葛藤から漏れたであろう一言に、ルクレールは答えない。

しかしいつまでも動かないジョーゼットを見かねた彼は、空いている右手で彼女の手を掴んでゆっくりと、彼女を引っ張り歩いた。

それは悩んでも、苦しんでも、時間は止まらず進む事を教える様な歩みであった。

繋いだ手をジョーゼットはじっと見つめ、やがて二人は戦車の前に行き着いた。

ルクレールの戦車に辿りついた。

辿りついたルクレールは繋いでいた手を離し、すすんで搭乗口を開けば、ぽっかりと開く鉄の洞窟。

ほの暗いその中からは、魔物に侵されるモノの呻き声が響く。

侵されているのは、ヴィルヘルミナ。

侵すのは『痛み』と言う名の魔物。

聞くに堪えない彼女の呻き声はあまりに痛々しくて、ジョーゼットはやはり自身の耳を塞ぎたくなる思いを逸らせる。

見て見ぬフリをしてしまえ、耳を閉じてしまえ。

そうすれば、私自身は傷付かない。

そう彼女の耳に囁くのは、利己。

あの日あの時あの街で、重傷のヴィルヘルミナから逃げた時と同じ利己。

そんなことができれば、嗚呼どれほど楽な事だろうかとついつい思ってしまう彼女であるが、しかし不思議な事に一方で、その声を聞くことができてよかったと安堵する自分がいる事に、ジョーゼットは気づく。

その訳を、ジョーゼットは考えて。

その訳に、ジョーゼットが至るのは、やはり根付いた性格は早々変わることはないという事の、証左。

 

 

「ルクレールさん」

 

 

ジョーゼットは呼んで、目の前にある離したばかりの大きな右手をまた握る。

そんな事をするのは、ルクレールに大人になれと諭されて、その実優しく騙されていた事に気付いて、諦めに傾きかけていた思いと、忘れかけていた決意を取り戻したから。

 

 

「ヴィルヘルミナさんを見捨てる事が、人間が弱いからなんてそんなこと、ただの言い訳ですよ。自分ばかりの命の惜しさに言い訳をして、逃げて、でもそれは結局自分勝手なことの言い訳なんです」

「なにを」

「自分勝手な言い訳は、ただの無責任です」

 

 

それは本来守られる側であるはずのジョーゼットに、振りかざすことは許されない正論。

 

 

「たとえそんな弱さこそが、人間足ら占めるものなのだとしても」

 

 

けれど彼女は、それは些細な問題だと知らないふりして、厚顔無恥な子どもらしい図々しさで押し通す。

 

 

「なら私は、そんな人間にはなりたくないです」

 

 

彼女を支える人がいない、代われる人もいない、だからこそ。

図々しくても、何様と指さされても、無力でも、脚を引っ張ることになろうとも。

必要だ。

彼女を押しつぶす、敵しかいないこの環境で。

彼女の味方が。

一人の人間として、彼女を見てくれる人が。

 

 

「ヴィルヘルミナさんは、人間です」

 

 

だからジョーゼットは断定し、ヴィルヘルミナを同じ人間として見る。

ジョーゼットは彼女の近くで、今度こそ逃げずに支えるのだと、決意した。

目の前の彼と、おなじように。

 

 

「本当はあなたもそう思っていますよね、ルクレールさん」

 

 

ジョーゼットが握った彼の右手の手のひらを、開いて見れば爪痕。

できたばかりと思われる四つ並んだ青黒いそれは、きっとすぐにもとに戻るものではなく、それほどまでに強く握りしめていた訳を、ジョーゼットは悔しさ以外に知らない。

 

 

「………まいったな」

 

 

説得するつもりが、まさか見透かされるとは思わなかったルクレールは、聡いジョーゼットに素直に感心し、しかしそれは未だ幼い彼女にとってはまだ早すぎる決意だと、悲しむ。

持って生まれた貴重な治癒魔法を持つとはいえ、危険で誰も望まなかった従軍を進んで志願するほどの性格は、御覧の通り同年代のヴィルヘルミナが誰かの為に人柱となって一人苦しむ姿を許さなかった。

だが部隊を纏め、自ら率先して前に出て、傷付いても平然と振る舞い皆を鼓舞して、自らは生の限界すら踏破するように、なけなしの命を常に投じて他人のために戦いつづける彼女を直視しつづけるのは、生半可な優しさや同情だけでは到底できない。

そもそも望んでいれば、美しい英雄行為として望める立場だったのだ。自らの保身の為に、一人の犠牲を見なかった事にする方が楽なこと。

ルクレールだって、その方がよいだろうと考えて彼女を誘ったのだ。

それでも直視しようとしている。無視して他人事で許される犠牲を、直視しようとしている。それは泥沼に落ちていく者に、掴まえる支えもなしに身一つで手を差し伸べようとする行為だ。もしかしたら自らも泥沼に落ちるリスクを孕んでいるというのに。

無知故の行動であるのなら、馬鹿者だ。

しかし了解した上でなおも手を差し出すならば、それはもはや万人が持たない強さである。

 

 

「君は、なんて愚かだ」

「愚かでもいいです。私はもうあの時のように、ヴィルヘルミナさんから逃げたくありません」

 

 

だから、ルクレールは悲しむ。

悲しんで、ジョーゼットを憐れむ。

なぜならその強さは、本来もっと大人になって得るべきモノだから。

その強さを得たならば、もう二度と、何も知らない子どもには戻れないから。

そしてその思いを、ヴィルヘルミナの為に利用しないルクレールではないから。

 

 

「それなら愚か者の君は、中尉を人間として見るとい、支えるといい。不遜にもそれが出来るのは、今はきっと君だけだ」

 

 

後ろめたさは当然、ある。

しかしルクレールは頼まずにはいられない。

個人として、ヴィルヘルミナに対する思い入れのあるルクレールであるが、戦力としても優先するべきは、非道であっても英雄たる彼女だからだ。

ただ。

 

 

「なら、お願いがあります」

 

 

そんな思惑を知ってか知らずか。

ジョーゼットのお願いを聴くルクレールは、思わぬ頼みに目を丸くして、そんな彼女の姿に、二人の少女と同じ強さを彼女に重ねる。

それは、軍人として必要なものは理不尽の諦めだと言いながら、率先して他人を助けようとする少女と同じ。

それは、死が怖いと言いながらも安くない筈の頭を下げて、妹のために戦車に乗った少女と同じ。

強さを。

 

 

「君たちウィッチは、どうしてこうも逞しいのだろうな」

 

 

不意にルクレールが漏らした一言は、目の前で首を傾げる少女のもつ強さへの羨望と、人間への落胆。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

西暦1939年12月17日 ジュラ県

 

 

 

 

 

その集落は、まるで人目を避ける様に森と山の自然、その狭間にポツリと存在した。太陽と視界を隠す暗い吹雪の中を進む彼らがまず視認したものは、影として現れた教会であった。

大きな教会であった。その屋根に掲げているものは欧州ではポピュラーな十字架、に似たなにか。

十字架に、鉄の茨が巻き付いていた。少なくとも正しいソレには見えない物。

集落に入れば、古い家屋が立ち並ぶ。家屋の戸には、どこにも蝋台のシンボル。

人の気配がまったく感じられない集落。家屋の隙間を吹く風は甲高く、視界は吹雪の影響で道先十メートルも見渡せない。進む彼らは暗くどこか不気味な集落に、言い表せない不安を抱くのか、小銃を握る手は無意識に力が入っている。

そう、ここは。

 

 

「もとはリヨンから迫害された、異端者の隠れ里か」

 

 

ジョーゼットの手を借りて、戦車を降りたヴィルヘルミナが漏らす。

頭にはケモノ耳。

腰からは尾を生やし、寒さを凌ぐために着る彼女の漆黒の外套は、白銀の長髪を伴って風に激しく靡く。

 

 

「それにしても、如何にも出そうな雰囲気だな」

「えっ? 出るって、何が、ですか?」

 

 

魔力に頼って歩くヴィルヘルミナの負担を減らす為に進んで支えにまわっていたジョーゼットの握る手が、僅かに震える。

 

 

「そりゃあお化けとか、ゾンビとか?」

「…………………………………………冗談、ですよね?」

 

 

さてどうだろうなと意地の悪い笑みを浮かべるヴィルヘルミナの言に、ジョーゼットは顔を青くする。

 

 

「ところで、お化けはともかく、だ」

 

 

見かねたルクレールが、ワザとらしい咳ばらいをして話に割って入る。

 

 

「ネウロイに出てこられたら流石に困る。各位の展開はどうする?」

「周辺警戒を中心で」

「その心は?」

「本隊が先に通った集落だ。ネウロイの糧となるような目ぼしい物も見当たらないここは、いまだセーフゾーンと考えても構わないだろう」

 

 

地元民すら知る者の少ないこの集落の存在をヴィルヘルミナらが知るのは、はぐれた本隊との交信で、この集落の通過についての報告があったからという経緯があった。

因みに通信はそれ以来連絡が取れていないものの、それは以前よりこの地で稀に見られるらしい電波障害であることを、撤退開始前のブリーフィングで把握している。

 

 

「それにしても良く分かったな、ルドルファー中尉」

 

 

ルクレールが話を戻す。

一目見ただけこの集落の背景を推測したヴィルヘルミナの口ぶりは、この地で信仰されていたモノの検討がついているかのようである。

 

 

「おやおやルクレール君。君は歴史のお勉強は苦手か? いかんな好き嫌いは」

 

 

まるで学校の教師の様に冗談めかして下からルクレールを覗き込むヴィルヘルミナ。

家屋の戸に掲げられたシンボルをまるで黒板のように叩く彼女のその手に、ルクレールは教鞭を幻視する。

 

 

「すまんなルドルファー先生。誓って赤点を取るほどでは無かったが、歴史を担当していた教師が苦手でな」

 

 

そんな彼女の調子に合わせて、彼もまた冗談を交わそうとする。

しかし。

 

 

「…………………………あぁ」

 

 

ルクレールの冗談にヴィルヘルミナは彼の望んだ反応は見せず、ただ目を見開いて、返すのは気の抜けた返事だけ。

真に受けて引いたのかとも考えたルクレールだが、彼女の様子はそれとはまた違うように彼には見えた。

 

 

「どうした?」

「………あ、いや。かつて赤点を取った理由を聴いた時、同じ言い訳をした双子の姉妹が、いてな」

 

 

ヴィルヘルミナに関連する双子の姉妹と言えばドモゼー姉妹を連想するルクレールだが、彼女が指すのはドモゼー姉妹ではないらしい。

 

 

「どんな奴らだったんだ?」

「………いい奴ら。いい奴らだったよ、うん」

 

 

ドモゼー姉妹以外の双子の知り合いに興味の湧いたルクレールは軽い気持ちで聞くのだが、いったい何を思い出したのか、どこか調子がおかしい。

ヴィルヘルミナはそこにいるのに。

心は、だんだんと遠くに離れていくような。

 

 

「ヴィルヘルミナ、さん?」

「ルドルファー中尉?」

「なんだふたりとも。聞きたいのか? ハルトマンについて」

「あ、やっぱりいいで――――」

 

 

そして心がどこか遠くに逝ってしまった彼女は、もはやジョーゼットの遠慮も聞かず、勝手に語りだす。

 

 

「エーリカはいいんだ彼女は頑張れば出来る子だから単に勉強が向かないだけだからでもいくら勉強が向かないからって二日に一回は勝手に授業を抜け出していやほんと何を考えているんだろうな怒られにいっているのだろうなそうなのかいやそうなのだろうなしかも連れ戻そうとした私までサボりに誘おうとするなんてほんと冗談じゃないまあ誘いをすぐに断れない私も悪いがなんで苦労して探して連れ戻す私まで毎回怒られるハメになるんだホント勘弁してくれそしてウルスラも頼むよお前の姉なんだから止めるの手伝ってくれよあぁいや待て思えばウルスラお前もエーリカと同じくらい質が悪いじゃないかなんでも本から知識を得ようとするのはいいが授業の時くらい先生の話を聴く姿勢を授業に関係ない本ばかり広げて読まないで先生の話を聴いてくれいや確かにそれは私が勧めた本だでも今読まなくてもいいだろ感想とかなおさら後ででもいいだろうが今私にそんな笑顔で語らないでくれ私を殺す気か公開処刑か先生方の視線が痛いわ全く一体何度この話をしたと思っているんだああ確かに最後は先生の話をすこしでも耳を傾けてくれるようになってくれたのは嬉しいがウルスラ進歩したがなウルスラでもそれは当たり前の話であって胸を張るようなことではないしそもそも張る胸もないだろお前はあ………ぁ、あれ待てよ?今二人を止める奴いないじゃないかああなんてことだどうしよう誰か止められる人材は駄目だいないみんなガキだからいつもエーリカに同調しかしないじゃないかぁああ二人ともすごく心配だちゃんとしているか変な影響受けていないか心配過ぎる好奇心の強いエーリカは特によし戻ろう今すぐカールスラントに戻って……戻れないじゃないかなんてこったい―――――」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

もはや途中からは説明ではない、愚痴だ。

もはや途中からは聞き取れない、独り言だ。

目のハイライトは消え逝き、ブツブツとその姉妹とやらについて永遠と語る彼女はもはや怪しい呪詛師のそれである。

 

 

「………ルクレールさんのせいですからね」

「否定はしないが、はたして中尉がここまでになったのは俺のせいなのか?」

「「………」」

 

 

ついには戸の前でしゃがみこんで頭を抱えてしまったヴィルヘルミナ。

ここまでの撤退戦で数多のネウロイを相手に一歩も退くことない勇ましい姿ばかり見せていた彼女をここまで思わせる存在とはいったいどんな破天荒バーバリアンなのだろうかと、ジョーゼットとルクレールは戦々恐々として、取り乱す彼女にただただ二人は同情した。

 

 

「えぇっと、ルクレールさんの歴史の成績はともかくですね」

「あ、ああ」

 

 

流石に居た堪れなくなったジョーゼットが、わたわたとしながらも未だ戻ってこないヴィルヘルミナに代わって話を引き継ごうと語りだす。

 

 

「少なくとも欧州においての女性、特にウィッチである私たちにとって宗教は、生活する上でとてもナイーブなお話なのです。場所によってはウィッチというだけで奇怪な存在に見られて、その、肩身の狭い思いをすることもありますし」

 

 

まるで実体験をしてきたかのような陰りのある語り口は、説得力を感じさせる。

思い起こしてみれば確かに、現代でこそ倫理と法の整備が進んでいるとはいえ、地方に根付く倫理観は昔のままな所もある。

そういうところでは、宗教によっては今もまだウィッチの存在を異端とするものもあるのかもしれない。

そのようなこと、わが国ではあるはずがないとは信じたいルクレールではあるが、欧州最大宗教のひとつのカトリックすら、魔女狩りなんてことを行った忌むべきかつてがあるのだから、あるのだろう未だにと、彼はジョーゼットを信じる。

ウィッチを異端とする宗教が、価値観が、あるのだと。

ならばそんな社会で生きる彼女たちウィッチが生死に関わる、とまではいかずとも、健全な生活する上で宗教に敏感になるのも無理もない話。

 

 

「あの、だから………そう!! ルクレールさんが紳士を目指すのならそういったことをちゃんと知っておいた方がいいというかいやルクレールさんが決して紳士ではないと言いたいわけでは無くてですねっ、そのっ」

 

 

考えさせられる話であった為に暫く黙っていたルクレールを見て、重たい雰囲気の中でまた重たい話をしてしまったことに気付いたジョーゼットは慌てて弁明をしようと慌てるが、残念ながら彼女は弁明しようとすれば墓穴を直下掘りしていくタイプらしい。

流石に気づかぬままマグマダイブしてしまうまで無自覚の直下掘りさせていては酷である。

 

 

「ところでジョーゼット。君はこのシンボルから宗派が分かるのか?」

 

 

助け船の意図もある問いであったが、それは彼もまた気になっていたこと。

 

 

「え? ええっと、記憶が正しければ、燭台をシンボルにするのはおそらくヴァルド派のものだったと思うのですけれども、でも十字架に茨を巻いたものなんて――――」

 

 

ジョーゼットの言葉が、不自然に止まる。

彼女の視線の先。

吹雪の向こうに、ゆらりと揺れるあやしい人影。

 

 

「ままままさか本当に、お、お化け!?」

 

 

そんなわけないとルクレールは否定するが、増える人影、こちらにだんだんと迫る人影は怪しく、彼の右手はしっかりと腰のホルスターに収められたMle1935A拳銃へと伸びて、ジョーゼットを庇うように立ち、構える。

緊張するふたり。

人影を隔てる吹雪が、その時、僅かに晴れる。

吹雪の向こうから露わになった人影の正体は、お化けではなく、ガリア陸軍の一団。

 

 

「あいやそちらはルドルファー中尉の一団でありますか?」

 

 

数名の部隊を率いているらしい曹長の問いに、ルクレールは緊張を解いて肯定する。

 

 

「小官はC大隊第三中隊所属のルドワイヤン曹長でありますが、ルドルファー中尉はおられますか?」

「私を呼んだか?」

 

 

拙い。

今の彼女は見せられないと一瞬焦るルクレールだったが、彼女から返事がまさか、返った。

振り返れば、いつの間にか何事もなかったかのように、彼女は復活していた。

 

 

「えっ、はっ!? し、失礼しました中尉。そちらにおられましたか」

 

 

存在に気付かずに礼に欠いたと勘違いした曹長が謝罪するが、いま凛として立つこのルドルファー中尉がまさかつい先程まで頭を抱えて蹲り、存在すらどこか希薄になっていたとは思いもしないだろう。

 

 

「ルドルファー中尉はデ・ヤンス大尉のもとにお連れするよう言われております。ご同行願えますか?」

「ついていたのか?」

「ええ、我々もつい先ほどですが、集落を挟んで反対側に到着しておりました」

「大尉はどちらに?」

「今は教会の方におられるかと」

「分かった、案内してくれ」

 

 

曹長の案内に、続くヴィルヘルミナはひとりで歩く。

万が一何が起こってもいいようにとジョーゼットが続くその後ろを、ルクレールもまた続こうとするが、ヴィルヘルミナに何故か止められる。

 

 

「ルクレール中尉、先ほどまでの私の言動だが」

「当然忘れるつもりだ」

 

 

言うまでもないとルクレールは騙る。

努めはする。

しかし忘れようにも、先程の彼女の姿はインパクトがあり過ぎて、おそらく無理だろうと思っていた。

 

 

「忘れてくれ、絶対に、一切だ」

 

 

そんなルクレールの思いを知ってか、それでも忘れてくれと言うように、ヴィルヘルミナからそっと数枚のフラン紙幣を握らされるルクレール。

その紙幣の重さに、流石に彼の気は変わる。

 

 

「………すまない。忘れるのは、少し時間がかかりそうだ」

「なぁに心配せずとも、デ・ヤンス大尉との会談はひとりで大丈夫だぞ」

「そうはいかん。必ずそちらに向かうとも」

 

 

約束を交わし、ルクレールは彼女の言動を忘れる為に立ち止まって、ヴィルヘルミナたちを見送る。

見送った後に周りにデ・ヤンス大尉の兵が誰もいないのを確認し、ルクレールはヴィルヘルミナから受け取った、妙に重いフラン紙幣を開く。

 

 

「………いかん。ルドルファー中尉から指示された命令まで忘れてしまった」

 

 

開いたフラン紙幣の間から、真鍮のきらめきがこぼれ落ちた。

 




11/9 ヴィルヘルミナらの現在地等を修正


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会談/だから彼女はココロミル

お待たせ(げっそり)


西暦1939年12月1日 リヨン郊外

 

 

ドモゼー領を抜けてから半月あまり。

いよいよリヨンが見えてきたという時、軍団の誰もが安堵していたところ。

やっとネウロイの影におびえる事がなくなるものだと、彼らは誰しも安堵していたところ。

リヨンから飛んできたのは小型飛行ネウロイの群れ。

その奥からは、数多の陸戦ネウロイも波となって押し寄せた。

対空兵装を持たない軍団は制空権を容易に失い、身を隠すところない平地では格好の的となって釣瓶打ちにされる。

ロクな抵抗も、できずに。

 

 

「通信、本隊司令部はまだ呼び出せないか!!」

「やっています中尉。ですが回線が混乱していて………」

 

 

慌てふためくところではないと理解していながら、ヴィルヘルミナは自身が冷静さを欠いている事を自覚する。

この時、ドモゼー領残存部隊を中心に構成されたヴィルヘルミナ隷下増強混成中隊は軍団後方に位置しており、ヴィルヘルミナの右目には奇襲され、混乱する本隊のありさまがよく見えていた。

まさに飛行型ネウロイ群が、ルネのいる司令部に奇襲をかけている様子も。

 

朱光が地を嬲り、煙が昇り。

悲鳴と爆音が、彼女の耳を劈く中。

人の心は、雑多に業火に焼かれて()せる。

 

………エアカバーに。

 

次々に消される人の心に祖父の姿を彼女の右目は捉えていない。

だがこのままではそれも時間の問題だと覚悟する。軍団の壊滅も同様。

気持ちは、逸る。それでも動かないのは、彼女はもはや個人ではないことを理解していたから。

それ以前に、度重なる出撃による疲労と負傷で、身体は彼女の気持ちに応えられない。

今は、軋み、痛み、立つことすらやっと。

 

 

「司令部、機材トラブル!!」

 

 

混乱する回線の中で情報を拾い上げた通信兵は称賛に値するが、齎した情報は最悪なもの。意味を知る士官らは誰もかれもが顔色も青くした。

 

慌てるな。

今己のやるべきことは………。

 

軍人として、人の命を預かる身として今ここにいる己が動揺を見せるわけにはいかないと、ヴィルヘルミナは私人としての感情を制し、数秒の思案の後に指揮を飛ばす。

 

 

「………至急機材点検!! 異常がないなら広域無線で全軍に繋げ!! ルクレール中尉!!」

「各員点呼!! 装備点検!! 残弾確認!!」

 

 

みなまで指示出すまでもなく、察するルクレール中尉に感謝し、ヴィルヘルミナは戦場の惨状を改めて見渡す。

希望的観測を持たず。

楽観的心構えで。

悲観的に思考する。

私情を切り離したならば、最悪な戦争におかれ、十年来の習慣とも呼べるまでに繰り返したそれは、ヴィルヘルミナにとってはさほど難しい事ではない。

 

程なくして通信兵らは機材が正常であることを報せた。

誰も望まない報告であった。彼女にとっては猶更である。

しかし想定していた以上、一切の動揺もなく指示を、己がやるべきことを彼女は確固として続ける。

 

 

「広域通信にて送れ『全軍即刻後退サレタシ。ワレ、ヴィルヘルミナ中隊。突貫挺身ヲ以テ後退ヲ助ケン』と」

 

 

統制の回復が望めない軍団に、組織的抵抗は期待できない。

相対しているネウロイが、ドモゼー領と同様であるならば、戦闘は猶更無意味である。

 

 

「『ガリア万歳』と、末尾につけさせるか」

 

 

思いついたように、その方が栄えると、ルクレール。

確かに、オールハイルガリア!

それはいい響きだが、だがまだ死ぬつもりはないぞとヴィルヘルミナはくつくつと笑い、ルクレールを小突いた。

 

さも余裕らしく振る舞えば、周りにも余裕が生まれる。

そのことを心得てか、配慮のみならず冗談まで交えたルクレールはなかなか得難い人物だと彼女は評価する。

 

 

「死ぬつもりはないが。仕事だ、ルクレール中尉」

「制空権を奪われた中で、中隊で以て混乱する軍団の撤退支援か。なかなか難しい注文だが、ルドルファー中尉。さてどうする」

「ルクレール中尉は部隊を率いて左翼側面より殴れ。足並みが揃わないあちらが手ごろだ」

 

 

出現したばかりのネウロイを、知り尽くしたベテランの様に語る幼女に、ルクレールはもはや驚かない。毒されているとも言う。

研究者すら知り得ない、ネウロイにも練度ともとれる個体差らしきものがあることを知るのは、生前のヴィルヘルミナの知識と、練度を瞬間に見極められるほどに培われた生前の久瀬の経験則。

 

 

「正面に集中する敵の側面への機動打撃は鉄床戦術。いや、それとは呼べないお粗末なモノだが、これで敵進行を食い止める程の打撃が叶うと?」

「効果の算段はしても、無理とは言わないか」

「信頼と言ってほしい。問題は制空だ」

「私が」

「それが妥当か」

 

 

あまり使いたくはなかったがと、ヴィルヘルミナは懐のアンプルに手を伸ばす。

ドーゼ医師から無理を言って譲ってもらったそれの中毒性は、重々理解していた。

しかし先の日の祖父との会合の約束を気にするあまり、目の前の窮地に最善を尽くさないのは愚か者。鬼が笑うだろうと、ヴィルヘルミナは諦める。

 

 

「だがな、ルドルファー中尉。了解は、できない」

 

 

薬を打ったところで、ルクレールが待ったをかけた。

だから、出撃を止めたいわけではないらしいとヴィルヘルミナは察する。

 

 

「了解はできない、一人ではな」

「確かに、今の私では不十分か。ならばどうする」

「後続、C大隊の砲兵中隊を誘う」

 

 

その意味を考えて、至った答えにヴィルヘルミナは笑う。

 

 

「ハッ、今は地上のレディにすらろくに使い物にならないイチモツを、空に向けるか」

「不憫だ、言ってやるな」

 

 

戦場の神と名高き野砲だが、撤退戦、機動戦ではまったくの無用の長物と認識しているヴィルヘルミナが当然と思って下す酷評に、ルクレールはよろしくないと止める。

確かに砲兵隊は、ドモゼー領では随分と世話になったと思い直してそれ以上は噤んだ。

 

 

「今までろくに撃てなかった分、弾に余裕はあるだろう。野砲の口径ならば、気休めでも君の支援にはなる」

「数撃ちゃ当たると? よろしい。では仕事にとりかかろうか、中尉」

「了解した、中尉」

 

 

薬が廻り、痛みが消えて、さあ空へと上がれば、彼女の眼下には戦場のありさまが見渡せた。

輝きにすら錯覚するほどに皓皓たる彼女の右目の碧眼は、未だ彼女の祖父を見ない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

西暦1939年12月17日 ジュラ県

 

 

 

 

 

デ・ヤンス大尉麾下のルドワイヤン曹長に導かれ、ヴィルヘルミナらが入る教会の内部は、打ち捨てられたかのように朽ちている外装に似合わず、よくよく手入れが行き届いていた。

 

祭壇に続く紅いカーペット。両脇には長椅子がずらり。

教会内部は本来明かりの役目を果たすはずの、壁に並んで掛かる燭台に明かりが灯っておらず、薄暗い。

しかし教会天井に設けられた天窓に集光された、僅かな外光は薄暗いからこそ、彼女らの歩く紅いカーペットの中央に仄白い光の道をつくる。

静謐で厳粛な雰囲気の中、薄暗い世界に唯一差す光、その意図は――――

 

そこまで思ってヴィルヘルミナは、天に向けていた意識を前に戻した。

並んで歩く数足の軍靴の音が、光を挟んでこちらに迫る。

 

 

「久しぶりですね、ルドルファー中尉………失礼、貴女にとっては『はじめまして』の方が正しいのでしょうが」

 

 

軍靴の群れが、揃い並ぶ。

光の下に現れたのは五名。

従兵を連れて先頭に立ち、進んで彼女に敬礼を向けるのは大尉の階級章を付けた東洋系の男。

 

 

「C大隊第三中隊のヤーベです。中尉、先日は危ういところを助けていただきありがとうございます」

「司令部隷下選抜中隊のヴィルヘルミナであります。大尉、お互い無事で何よりです」

 

 

敬礼を交わす。

東洋の血が色濃く出たであろう黒瞳黒髪に、線の細い童顔と眼鏡の男は、その階級をつりさげるには随分と若い印象を受けた。

五人で唯一陸軍将官用の上級軍用コートを羽織った彼は、どう見積もったところで齢30程度か。

東洋人を見る目が肥えているヴィルヘルミナはそう見た。

 

 

「外は寒いでしょう。立ち話も何ですから」

 

 

デ・ヤンス大尉が案内したのは祭壇左奥にある部屋であった。そこは司祭の部屋らしい。

中は古びた書籍がぎっしりと収められた本棚に、テーブルがポツリ。

奥の小窓が吹雪に吹かれてぎしぎしと悲鳴を上げていた。

ヴィルヘルミナがひょっこひょっこと入室し、ジョーゼットもとてとてと続く。

デ・ヤンス大尉は民間人らしいジョーゼットが当然の様についてくることに何か言いかけるも、緊張している様子と彼女の腕に着けた赤十字の腕章を見て、口を閉じた。

彼もヴィルヘルミナのドモゼー領から此処に至るまでの奮戦を知らないわけではなく、幼女を虐める趣味もない。

 

 

「この度はご足労頂いて申し訳ありませんルドルファー中尉」

「いえこちらこそ、要請にお答えできず申し訳ない」

 

 

二人は対面で着席すると、まずデ・ヤンス大尉が呼び立てた事を詫びた。

ヴィルヘルミナも返す。当然皮肉も含めて。

 

 

「怪我の具合は」

「大尉、私の事を心配してくださるとはありがたい。しかしご安心を」

 

 

ヴィルヘルミナは懐に持つ、ひとつのアンプルを取り出し見せた。

それは戦場に出た事のある兵士ならよく知る鎮痛剤の一種だが、デ・ヤンス大尉は顔をしかめた。

冗談と言うには。

 

 

「ジョークが過ぎるな、中尉」

 

 

おだやかではない、と。

 

ただ、その反応。

至極品行方正で善良な人らしいデ・ヤンス大尉の反応に、ヴィルヘルミナは怪訝そうに首を傾げた。

デ・ヤンス大尉の反応は些か、奇怪。

 

 

「………大尉、時間は有限です。今は現状の確認を優先いたしたく思います」

 

 

さて、うん。

どうやら注意するべきは他にあるようだと心得て、まあ今は結構とヴィルヘルミナは切り替える。

 

机上に地図を広げ、宜しいか?

と、彼女は大尉の無言の了解を求めたら、互いのこれまでの動向の確認を図る。

実のところリヨン陥落を知らずに進んだ梯団が、リヨンを占拠していたネウロイ群に奇襲的打撃を受けて以来の軍団の動きを、ヴィルヘルミナは大まかにしか把握していなかった。

それはヴィルヘルミナら選抜中隊が編成された所以にあたる。

 

 

「デ・ヤンス大尉はご存知の通り、リヨン陥落を知らずに侵入した我々は兵民問わず看過できない損害を被りました。幸いディジョン基地の無事は確認できたためそちらに向かうこととなりましたが最短の撤退路となる北進はリヨン他、周辺数都市の陥落により現軍団の人員規模での通過は困難を極めると判断したため東進、ジュラ山脈の地形を頼りに進むことを余儀なくされました。しかしながらこれにあたるには負傷者の搬送は軍団の能力を超えると首脳部は判断。選抜中隊を編成、小官はこの中隊を以てソーヌ川を用いて負傷者ならびに東進行軍に耐えられぬ人員の輸送にあたることとなりました」

 

 

淡々と語ってはいるものの、まともに動けぬ負傷者と、体力乏しく老い先短い老人をはじめとした民間人を抱えて少数で以てネウロイ勢力圏を突破し、ソーヌ川からの搬送を試みる事など切り捨ても同然。作戦とも呼べぬ。

まともに遂行しようものなら、まず生きては戻れぬだろう。

ならば、目の前にいる彼女は、逃げのびたのだろうと考える。

 

彼らを見捨てて。

 

大を生かす為に、小を捨てる。

国家と国民に忠を誓った軍人として、許されぬ行いだろう。

それでも彼は、ヴィルヘルミナを称賛する。

哀れを、思うのならと。

 

 

「よくやった中尉、君の活躍は―――

 

 

――――称賛に値する」のか?

と、疑問を抱いても。

 

言える事は、年端のいかぬ少女が担ってよい汚れではないこと。

デ・ヤンス大尉は労う一方で、人並みの正義感をもって、命令を下した首脳部に憤慨する。

 

 

「ええ、大尉ありがとうございます。我々も船を十分確保できなかったばかりに、我々だけは東進を余儀なくされましたので大変でありました」

「………今なんと?」

 

 

彼の憤慨が、挫かれるまでは。

 

この子は今、なんと言ったか?

聴こえてはいても意味を理解できずに思わず聞き返すデ・ヤンス大尉に対し、ヴィルヘルミナは説明が明瞭でなかったのかと恥じて、繰り返す。

 

 

「失礼しました大尉。小官以下中隊は、任じられました命令に則りまして敵勢力圏に侵入。ソーヌ川に停泊しておりました民間船舶を利用し民間人ならびに負傷兵の離脱を確認したのちに敵勢力圏を離脱しました」

「なるほど、分かった、結構」

 

 

果たした? 信じがたい。

いや、虚言に違いない。

しかし彼女はドモゼー領での活躍を見れば………

 

ざわりと、並ぶ士官らが驚愕する中でただひとり平然とする大尉も、内心はまた彼らと同様である。動揺していたのである。

ヴィルヘルミナが虚言を呈している様子はない。ならば、彼女の告げたことは事実なのだろうとデ・ヤンス大尉は信じる。

 

一方で、ヴィルヘルミナが受けた作戦が失敗前提のものでないのであれば、疑念が残る。

 

 

「首脳部は、フォンク大佐は、本気でこんな馬鹿げた作戦が成功させるつもりだった、と?」

「何をおっしゃられますか大尉」

 

 

彼女の答えは、それだけ。それ以上の回答はなかった。

しかし妙な是だ。デ・ヤンス大尉は思った。

何を隠している。デ・ヤンス大尉は思った。

だがこれ以上は問い詰めるべきではない。

そう思った大尉は口を噤んだ。

()()()()()()

 

会談は更けていく。

 

互いに各々の人員と備蓄量を諳んじたところで、面々は改めて、互いの燃料弾薬の不足を痛感させられた。武器をはじめとした兵装の類の損耗も同様である。

兵装の整備は、互いによくよく徹底させていた。しかし如何せん寒冷地では故障率が上がる。機関銃のような複雑機構の物なら猶更で、砲兵隊の直掩として小銃よりもこれを多く抱えていたデ・ヤンス大尉にとってはかなりの痛手であった。

一応、リヨンより東進した軍団はイゼール県におかれた山岳旅団の備蓄分を確保していたものの、補給できたのは微々たるものと言わざるを得なかった。

食料は貴重な武器弾薬よりもはるかに補給は容易であった。ネウロイのいない街に辿りつけば、補給は叶う。

しかし輸送専用車両を持たない彼らが回収できる量は限られている。さらに都市部の多かったこれまでとは違い、森林・山岳地帯の多いジュラ県では、補給できる機会も少ない。

 

 

「リヨン陥落がますます悔やまれる」

 

 

士官のひとりの吐露に、同意しない者はいない。

蚊帳の外のジョーゼットと、野砲の数に引っ掛かりを覚えたヴィルヘルミナを除けば。

 

 

「大尉。野砲を未だ随分とお持ちの様ですが、保持する意図をご説明願えますか?」

「? 中尉、質問の意図が見えないのだが」

「此処に至って野砲は無用の長物。何故放棄なされないのです」

 

 

何故だと!? 馬鹿な!?

野砲を放棄しろだと!?

我々に神を手放せというのか!?

 

ヴィルヘルミナの直截な指摘に対して、士官らは散々な反応を見せるもヴィルヘルミナはきょとんとして意を得ない。

 

 

「貴重な火力を手放すという選択は、抵抗手段を思えば、ありえない」

「大尉の認識は私も共有するところであります。が、しかし……」

 

 

野砲は確かに、戦場の神。

しかし機動戦だぞ、撤退戦だぞ!?

いらぬ、無用!! 無用だろうに!?

 

それが何故わからないと、ヴィルヘルミナは理解に苦しむ。

 

 

「大尉、軍団が東進を選択した意図をどうか今一度お考え下さい。それに軍団は既にロン=ル=ソニエは抜けているものと愚考いたします。これ以上の遅滞戦闘の必要はないかと」

「中尉、私は砲兵だ」

 

 

地形と気候を生かして戦闘を回避する意図と軍団の状態をデ・ヤンス大尉に説くも、兵科を告げるデ・ヤンス大尉。そこには自身の兵科に対する絶対的な自信が垣間見えた。

だからこそ彼女は、嗚呼なるほどくそったれ。

目的を忘れる程に手段に固執する。

大尉も。並ぶ士官らも。己が兵科の奴隷かとヴィルヘルミナは気づく。

 

しかし彼女は同時に気付かない。

兵科以外の兵を、統率し運用し指揮する。

ヴィルヘルミナが当たり前の様に為しているそれは、尉官が容易にできるモノではないことに。

それもそのはず彼らは未だ。

未だ彼らは素晴らしきカンプグルッペを知らない。

 

 

「大尉、これ以上は時間の無駄でしょう。彼女は些か常識というものを知らない」

「左様、鶏に人語を解せと言う方が酷というものです」

 

 

認識の違いを常識知らずの露呈と侮って、これ幸いに士官の面々共はヴィルヘルミナを卑下した。

いや、卑下していたのはもとからなのか。

空軍の、それも子どもに過ぎぬと、侮りは目に見えて明らかだった。

 

 

「ルドルファー中尉に部隊運用は早かったのだ。部隊は直ちにこちらに寄越したまえ」

「中尉は戦闘に集中したまえ。難しい事は我々が預かる故」

「そちらのお嬢さんもこちらに預けたまえ。治癒魔法を使えるウィッチは貴重だ」

「武器弾薬食料も、無論渡したまえ。言わずもがな、子どもに管理などできるはずがなかったのだ。大人の我々に全て一切諸々を任せたまえ」

 

 

我が意を得たりと言葉早に勝手を述べる士官ら。それをやめないかと止めるデ・ヤンス大尉。

もとから企てられていた、この会談の目論見の構図はこのままなのだろうとヴィルヘルミナは鑑みながら、立ち上がる。その時、彼女はポツリ一言。

 

 

「冗談じゃない」

 

 

腹は見えた。

もはや、手は結べない。

 

 

「大尉。お時間と情報をいただき感謝いたします。小官はこれにて――――」

「させるとでも?」

 

 

士官のひとりが行く手を阻み、ヴィルヘルミナの細腕を捕らえる。

 

 

「………何の冗談です」

「おとなしくしていだたきたいですな、中尉。できれば、我々がディジョンにつくまで」

「私から軍権を奪おうと?」

「レディには大人しく、エスコートを受けて頂きたい。手荒な真似は我々も本意ではなっ、ぎぃ!?」

 

 

全ては言わせるまでもなく、阻んだ士官の股間をヴィルヘルミナは、問答無用で蹴り上げた。

悶絶して蹲る士官のありさまに士官らが唖然とする中で、ヴィルヘルミナは改めてデ・ヤンス大尉と対峙する。

 

 

「私の軍権を犯そうなどと、これではレイプではないですか。デ・ヤンス大尉!!」

 

 

ヤーベ・デ・ヤンス大尉!!

ヴィルヘルミナは、彼を呼ぶ。

 

 

「これは貴方の意思か?」

 

 

まっすぐに見るヴィルヘルミナに対し、デ・ヤンス大尉は動かなかった。

一見、毅然としているように見える。だが、視線は僅かに泳いでいた。

なにか、言いたげに。

 

 

「なるほど、結構」

 

 

じろりと士官らを睨み、放つのは殺意。

 

 

「子どもならば、意のままにできると思ったか?」

 

 

させるものか。

ヴィルヘルミナは告げる。

 

 

「お前らが私よりもマトモなら、委任も考えたが」

 

 

だが駄目だ。

手切れだ。サヨナラだ。

ヴィルヘルミナの胸の内に去来するのは失望。

大尉は部下を完全には統帥できず、部下はこの期に及んで謀を持ち込んだ。

なにより目的を忘失した継戦の意思があるのがいけない。

 

 

「Auf Wiedersehen. 私の一兵一卒、一丁一発、一両一滴、何一つとして貴様らにくれてやるものか」

 

 

貴様らアマチュアに。

アマチュアに率いられる兵が惨めだから。

 

そう言って、パッと引き抜いた彼女のMle1935A拳銃は、並ぶ士官のひとりに向けられた。

向けられていた殺意に動けずにいたデ・ヤンス大尉らは反応できず、拳銃を一方的に向けられることを許してしまう。

 

 

「………非礼は詫びる、ルドルファー中尉。銃を下ろせ」

「大尉。詫びは結構。そちらに用は、もはやありません」

 

 

デ・ヤンス大尉は気づく。

彼女が向ける銃口の先は、正確には士官らの立つ本棚のその向かう。

 

 

「そこにいるのは誰だ」

「っ、後ろだ!!」

 

 

ヴィルヘルミナの呼びかけに、本棚がガタリと揺れる。

士官らはギョッとして、ようやく抜いた拳銃の先を一斉に本棚に向けたところ。

 

 

「話は終わったか~?」

 

 

本棚の向こう側から気の抜けた声がして。

 

 

「撃つなよ~、人間だぞ~」

 

 

本棚の裏の隙間からにゅっと伸びて、ひらひらと振る手は小さくて、白かった。

 




ヴィッラ「前に撤退、やらいでか」
デ・ヤンス大尉ら「!!?」



お待たせ(土下座)
私事で執筆が遅れております。
お待ちいただいている皆さまには大変ご迷惑をおかけしております。
いや、ほんと、すみません(;´・ω・)


今更ですが、ユーザーネームを変更しました。
大した意味はありませんが、今よりちょっとでも前進出来たらなと思いまして。
………オレンジが怖いんです(ボソッ)


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発見

自力で出られないからと言われて除けた本棚の裏に設けられた空間。

そこから這い出てきたのは、四人の少女だった。

 

 

「いや~、助かったよマジで」

 

 

危うく餓死するところだったと、背伸びをしながら感謝するのは金髪碧眼の少女。

ジャクリーヌと名乗ったジョーゼットやヴィルヘルミナと同年代と思わしき少女。色白の肌に切れ目の瞳。

その容姿は、少女ながら整っていた。磨けば十中八九誰しもが、振り返る素質を持っていると誰しも思う事だろう。

 

そう、容姿だけは。

 

性分なのか、男らしい口調に態度。

ボサボサの髪に人目を気にせず腋下を掻いてあくびをする姿は何とも残念としか言いようがない。居並ぶ面々を落胆させるには十分であった。

 

 

「で、こっちはシトーさんちの三つ子。ほら、軍人さんにあいさつしな」

「「「トナンヌ!!!」」」

「いやいっぺんに言うなし」

「トロネだよん!!」「セナンクざます!!」「カンヌでございます!!」

「なんだ、その、元気だな」

 

 

ジャクリーヌより一層幼い茶髪の三つ子の娘は妙に元気で、デ・ヤンス大尉らは些か戸惑う。

 

 

「君たちはどうして此処に隠れていたんだ?」

「あのね、悪い奴らが来たの」「お父さんたちが此処に隠れてろって言ったの」「お父さんたちが悪い奴ら倒している間、かくれんぼしなさいって言われたの」

「まぁ、そういうことだ」

「………なるほど」

 

 

つまり、この村はネウロイの襲撃を受けて、四人はここに隠されていたと。

ジャクリーヌの肯定に、デ・ヤンス大尉はそう理解した。

彼女たちの元気は、無知ゆえの元気。

 

 

「ねぇねぇおじさん、鬼ごっこ!!」「私もう一回かくれんぼ!!」「おままごとしよー!!」

 

 

狭い空間で抑圧されていた鬱憤か、勝手に走り回って思い思いにはしゃぐ三つ子。

そんな三つ子に振り回されるデ・ヤンス大尉らをよそに、ヴィルヘルミナは知らぬ顔で立ち去ろうとする。

デ・ヤンス大尉は彼女を呼び止めるも。

 

 

「その子らの処遇は勝手にされるがよろしいでしょう。私はこれにて」

 

 

と、冷たくあしらって、ヴィルヘルミナは足早に去っていった。

その時、もちろんジョーゼットも当然続こうとするも。

 

 

「なぁなぁ。あんた名前なんて言うの?」

「へ?」

「「「おねーちゃんあそぼー」」」

「えええ!?」

 

 

三つ子とジャクリーヌに歳の近い故に絡まれて、ジョーゼットは結局ヴィルヘルミナを追いかけられずにデ・ヤンス大尉ら同様四人につかまる。

ヴィルヘルミナはヴィルヘルミナで、ジョーゼットを置いてきたことに気付かない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ろくでもない会談を終えて教会を出た私は、ちょうどこちらに向かっていたルクレール中尉と鉢合わせになった。

私の姿を認めた彼は、約束を違えた事を気にしたのか、申し訳なさそうに謝罪した。

 

 

「すまない、ルドルファー中尉。間に合わなかったか」

「いや、ルクレール中尉は来なくて正解だった」

「結果は?」

 

 

会談の結果を語る。ルクレール中尉は散々だったなと肩を竦めた。

 

 

「結果として私とジョーゼット。少女だけで挑んだからこそ、士官らは侮ったのだろう」

 

 

だからこそ、早々に腹の内を明かしてくれたのだ。

彼らには感謝する。時間の節約になったと。

デ・ヤンス大尉が主犯で無かったのは少し意外であったが。

 

………少し気になったことを聴く。

 

 

「ルクレール中尉、デ・ヤンス大尉の実家は名家かなにかか?」

「確か、どこぞの子爵の縁戚とは聞いている。それがどうした?」

「いや」

 

 

デ・ヤンス大尉にも、傀儡にならざるを得ないなんらかのしがらみがあるのだろう。

もはや、私には関係のない話だが。

 

 

「それでだ」

 

 

さて、本題。

ルクレール中尉に任せていた件の話を聴く。

 

 

「良い報せと悪い報せ、とても悪い報せ。それからルドルファー中尉にとって最悪な報せ。どれから聞きたい」

 

 

正直どれでもいいと答えると、なら良い報せからとルクレール中尉は宣った。

確かにどれでもいいとは言ったが、その選択はなかなか意地が悪い。

 

 

「武器弾薬の補給が叶ったぞ」

「本当か? それはありがたい」

「ああ、新品同然のMAS36小銃27丁に7.5x54mm弾が約800発。手榴弾が30個」

 

 

わーい、やったー。

 

………と、喜べれば良かったものの。

ああ、読めたぞ。

デ・ヤンス大尉の部隊からの融通ではないな。

それはそれは、ヤバいモノだ。

 

 

「悪い報せはなんだ」

「それら武器弾薬が、この村の民家の悉くに隠されていた事だ」

「アッハッハッハッ、………笑えんな」

 

 

民間に払い下げられた小銃ならまだしも、新品同然のMAS36? 未だガリア本国でも一部の歩兵にしか配備されていない最新小銃が、なぜ30丁近くも?

冗談じゃない。

 

 

「で、だ。とても悪い報せは何だ?」

「中尉。こっちだ」

 

 

吹雪の中を少し進み、ルクレール中尉に案内されたのは民家の一つ。

入り口の歩哨と礼を交わして中に入れば、鼻につくのは血の臭い。そして目につくのは床に転がる二つの遺体。

そのうちの一人は、見覚えのある中年男性医師だった。

 

 

「惨いな」

 

 

ドモゼー領で私に酒瓶と包帯を融通してくれた医師は、その身体にいくつもの銃創をつくってこと切れていた。

表情は、彼の驚愕と無念を十分に教えてくれる。

これがとても悪い報せか。

 

 

「もうひとりの遺体は?」

「おそらくここの住人ものだな。少なくとも避難民の中で見た顔と格好じゃない」

 

 

田舎じみた格好をした男性の遺体は見事に顔がはじけ飛んでいた。

腕には小銃。抱えているのは真新しいMAS36。

 

 

「ほかにも遺体が?」

「ああ。発見できた遺体は全て、雪に埋もれていた。探せばもっとあるだろう。そして、発見している遺体はどれも、死因のほとんどが銃殺か刺殺」

「つまり、殺り合って死んだのか? 人と?」

「間違いなく」

 

 

見つかっている遺体の中には、司令部に属していたはずの佐官クラスの将校のモノすらあったという。

民間医師だけでなく将校すら討たれたとなると、軍団は随分と中枢部を、この村の住人に不意討たれたことが分かる。

 

これだけの血の臭い、カルラが憑依している私が何故気づけなかったと悔やむ。

己の血の臭いで気づけなかったか?

 

 

「中隊は動けるか?」

「即時行動できる状態で待機してある」

「素晴らしい。すぐにこの村から離脱するとしよう」

 

 

見つけた怪しい三つ子が言ったことを正しく捉えれば、この村の住人にとっての「悪い奴ら」は、ガリア軍だということになる。

何故そう定義し、争ったかは分からない、知りたくもない。これ以上の面倒事は御免だから。

しかしこれだけは言える。

ここはセーフゾーンではない。

 

 

「ところでルクレール中尉。私にとっての悪い報せとはなんだ」

 

 

私がそう聴くと、ルクレール中尉は私に無言でふたつ、投げてきた。

受け取ったひとつは、私が拾って彼に託していた空薬莢。底には『45AUTO R・H』の刻印。

もうひとつは、拉げた弾丸。それは朱く、濡れていた。

 

 

「弾丸はそこの住人の遺体から見つかったものだ」

「そうか」

 

 

リベリオンならばともかく、ここはガリアだ。欧州では需要のない45口径なんぞ、民間で見かける機会なんて滅多にない。

またガリア軍の将校らが持つ拳銃はMle1935A、口径は7.65mm×20 Loungeだ。該当しない。

ならばこれを撃ったのは誰か?

私はただ一人、45口径拳銃を持つ人を知っている。

 

 

「撃ったのか、ジャンヌ」

 

 

渡した拳銃で人を殺めさせてしまったことへの罪悪感と、渡した拳銃で身を護れただろうかと心配する思いが入り混じって、何とも言えない感情になる。

無事であって欲しいと願っている事は確かだった。

 

 

「ご苦労だったルクレール中尉、手間を掛けさせた」

「気にするな。ああ、ところで」

 

 

ジョーゼットは何処だ?

ルクレール中尉に尋ねられて、今更気づく。

振り返っても、私の後ろにジョーゼットがいない。

ついて来ていなかった。

 

………嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「なんかごめんな、子ども達に付き合わせてしまって」

「ううんジャクリーヌ………リーネちゃん気にしないで。私も久しぶりに遊べて、楽しかったから」

 

 

シトー三姉妹とリーネちゃんに捕まって、しばらく遊んでしまっていた私の心は、ヴィルヘルミナさんを忘れて離れてしまっていたことへの罪悪感を思い出していました。

はやくヴィルヘルミナさんのところに戻らないと。

そう思って教会から出て見たけれど、外は吹雪で何も見えませんでした。もちろん、ヴィルヘルミナさんの姿も。

 

探さなきゃ。

でも下手に歩いたら、遭難するかも。

そう不安に思っていた私を察してか、リーネちゃんが同行を申し出てくれました。

 

リーネちゃんは不思議な人でした。

最初にリーネちゃんを見た時、女の子らしくないリーネちゃんの振る舞いと口調にびっくりしたけれど、話してみたらちゃんと女の子で。

すぐ仲良くなれたのも、リーネちゃんが私の調子に合わせてくれたからだと思います。

そして今、こうしてさりげなく私に同行してくれる気遣いもそう。

見た目以上に成熟した人を相手にしているような違和感を、覚えてしまいます。

まるで、ヴィルヘルミナさんを相手にしているような。

 

 

「それにしてもネウロイかぁ。大変だな、ジョゼは」

「そんなことないよ。私なんか………」

 

 

言葉尻がしぼんでいく。

同情は嬉しいけれど、私がやっている事なんか、大した事はない。

ヴィルヘルミナさんに、比べたら―――

 

 

「そんな事、言うなよ」

 

 

そんな事を考えていたら、私は不意に、リーネちゃんに腕を捕まえられていました。

つよく、強く。

 

 

「私なんかって、自分を卑下するなよ、ジョゼ」

「リーネちゃん?」

「………ごめん、なんでもない」

 

 

すぐに手を放して取り繕うように笑うリーネちゃんが、一瞬だけ見せた表情は、怒っているのか、悲しんでいるのか、驚きのあまり良く分かりませんでした。

 

 

「ええっと、ヴィルヘルミナってあの銀髪で目のキツイやつだったよな?」

 

 

こんな風にと、リーネちゃんは指で目じりを吊り上げる。

その時わざと変顔をつくった彼女に、思わず私は笑ってしまう。

 

 

「友達少なそうだよな、あいつ」

「あはは」

 

 

ちょっと否定できないのは、ヴィルヘルミナさんのことを知らないだけではないと思う。

 

 

「そう言えば、ジョゼとヴィルヘルミナってなんなの? 友達?」

「ヴィルヘルミナさんは、恩人です」

「ふ~ん………好きなのか?」

「すっ!?」

 

 

にやにやとして指摘するリーネちゃんの言葉は、からかいだと分かっていても、どうしても顔が熱くなってしまうのが分かります。

好き、という感情は、まだ良く分かりません。

でも、私はヴィルヘルミナさんのことを気になっているとは思います。

少しでも支えたいと、烏滸がましくも思ってしまうほどに。

 

 

「いいんじゃね、別に」

 

 

そんな私の思いを、言葉はぶっきらぼうですけれども笑わずに、リーネちゃんは肯定してくれました。

 

 

「人ってやつは気づかなくても互いに知らないうちに支え合っているもんだ。許可なんているものか。綺麗じゃなくてもいいさ。エゴで勝手に支えてやればいい」

「うん」

「でも、自分を蔑ろにはするなよ。お前だって、人なんだから」

「………」

 

 

リーネちゃんは、よく人を見る事の出来る人でした。

その上で、私の拙いところに気付いてくれて、気遣ってくれて、心配してくれて。

 

 

「リーネちゃんは、優しいんだね」

 

 

だから私は、彼女は根がとても優しい人なんだと思ったのです。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

違う。

 

私は、優しくなんてない。

 

ただ、『狡い』だけなんだ。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「なあジョゼ。褒められたくないか?」

 

 

一向に見つからないヴィルヘルミナを探すジョーゼットは、ジャクリーヌにそう持ちかけられた。

ジャクリーヌの話によると、村の倉庫の地下には、天然の食料貯蔵庫があるという。

地下の温度は土地柄か、低く、夏場に生物を置いておくには最適らしい。

 

 

「うちの村は、食べ物は村の共有物って考えだから、個人では持たないでそこに集めるんだ。可笑しな風習だろ?」

「そんなことは」

 

 

否定はするが、時代錯誤とは思うジョーゼット。

田舎に残る風習に関心を示しながらジャクリーヌに案内されて倉庫の地下へと続く階段を下りる。

 

 

「いいのかな?」

「なにが?」

「食べ物を勝手に取っていって」

「アッハッハッハ、気にすんなって。もう気にする奴らもいないしさ」

「………ごめんなさい」

「あ、いや、マジ気にすんなって」

 

 

三つ子の話を思い出して、ジョーゼットはジャクリーヌに詫びた。

明るく振る舞っている彼女だが、彼女もまた家族を亡くしているかもしれない。

それでも気丈な彼女は凄いと、ジョーゼットは改めて思う。

 

そうこうしているうちに、二人は階段の終わりに着く。

 

 

「そら、ご対面だ」

「………ふぁああああ」

 

 

歓声。

扉の向こう側を見た彼女の口から漏れたのは、歓声であった。

 

 

「ふわふわのパンに、まぁるいチーズ!! ソーセージおっきい!! ベーコン!! やったあぁ!! ハムもある!!」

 

 

食べ盛りなジョーゼットにとって、この一か月は地獄と言っても過言ではなかった。そんなひもじい思いをしてきたジョーゼットにとって、目の前の食料の山は、黄金の様に思えた。

 

 

「えっへっへ。じゅるり」

 

 

食料の山に目を輝かせ、後のご飯にいろんな夢を馳せるジョーゼット。

ホント、ひもじい思いをしたんだなと哀れに思って、ジャクリーヌはジョーゼットの背後に立つ。

 

 

 

 

 

手には、いつの間にか、大きな軍用ナイフ。

 

 

 

 

 

「………ごめんな、ジョゼ」

 

 

ポツリ、ジョーゼットに謝る彼女の声は、悲し気なはずなのに。

不思議な事にその顔は、先ほどまでの彼女が嘘の様に、いずれの色も浮かべておらず。

ただ、無表情で、無感動に。

彼女は手に持つナイフをためらうことなく、ジョーゼットの背に向かって振り下ろした。

 



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身体の芯から凍てつかせるほどの吹雪は未だ強く、やむ様子はない。

けれど、そんな環境下でも、あいつらはやってくる。

死を引き連れて、やってくる。

鎌を引っ提げ、白銀の地獄を闊歩して。

奴らは来る。

ネウロイは決して待ってはくれない。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「だから、よく注意するのだ」

 

 

積もる雪を分けて進む、村の外周を哨戒するデ・ヤンス大尉隷下の歩兵班の長が、神妙な顔持ちで己の隊員に告げる。

疲弊と、ここ数日戦闘の機会がなかったことから生じる隊員たちの気の緩みを感じとった彼は、ここで隊員たちに今一度引き締める様にと忠告する。

死の鎌が、自らと仲間の首にかからないように。よくよく、と。

 

そんな班長の忠告の、隊員たちの返答は白い目だった。

 

 

「誰のせいで、こんなクソ寒い中を歩かされていると」

 

 

隊員の指摘に班長は言葉を詰まらせた。

彼を睨む彼らの心は一つ。

――――班長、マジ許すまじ。

 

哨戒。それは必要な事。嗚呼、理解出来るとも。

けれど極寒の中で、やりたくもない哨戒をやらされる彼らには不満が募っていた。

他は民家にあった暖かい暖炉を囲って温まっているのを知っているなら猶更。

哨戒を決める賭け事に負けたのが、班長のせいなら、より猶更。

 

ぶつくさと文句を言いながらも、それでも彼らは哨戒任務にあたっていた。

すると、班員のひとりが森の中で蠢くものに気付き、報告。

班長が双眼鏡で確認したところ、微かに動く人の腰ほどの影を、村を囲う森、生い茂る針葉樹の向こうに複数確認する。

四足で疾走する様は、機械的な挙動には見えない

ネウロイではないとは断言できなかったものの、それは獣、狼を思わせる。

 

 

「撃って下がらせましょう」

 

 

隊員の提案を、班長は保留とした。

たかが獣、少ない弾は節約したい。

しかし、木々の向こうでこちらをジッと伺い蠢く影は、妙。

まるで、こちらの隙を、待っている。

不気味な影の動きは、班員らの不安を煽る。

 

 

「狼、ですよね?」

「ただの狼ならばいいのだが」

 

 

そういえば。

かつて出現したと記録されるネウロイは、今のような機械じみたものではなく動物に近しいモノだったなと班長は思いだしていたところ

 

――――神さまだよ

 

隊員のひとりの問いに答えたその声は、朗らかで、幼くて。

あまりに場違いな声に、彼らが振り向けば、幼女。

 

 

「神さまが来たんだよ」

「………神?」

 

 

ひとり、心の底から喜んで、『神さま』とやらを歓迎する幼女。

村人か? 集落を捜査した際には見つからなかった筈だが、

 

………いやそんなことはどうでもいい。

 

たかが幼女に、隊員たちは明瞭ではない何かを感じる。

不安? いや、彼らが感じるのはより深い、負の感情。

 

 

「村の子か? 集落の外は危ない。おじさんが集落まで連れて行こう」

 

 

負の感情を振り切った、班長が幼女に近づいた。

民間人だ。つまり、擁護対象。

どこにネウロイがいるか知れない外に、この子を置いておけないと右手を伸ばす。

 

 

 

 

 

すると、伸ばしていた筈の彼の右手が、ぽとりと落ちた。

 

 

 

 

 

はてな?

落ちた己の右手を、班長はきょとんとして見た。

誰の右手? 己の右手?

彼は右手元を見た。失くなっている。

なら落としたのは、己。

 

 

 

「ハッ、おい見ろよ。俺の腕が落ちて、―――――――かふっ!?」

 

 

班長の胸から生える白刃。

そこから溢れる噴水は雪原を紅く汚す。

鮮血に滴る扶桑刀。

その刃は光の届かない吹雪の中でも、紅の合間から白く輝く。

 

 

「は、はんちょ、ぎゃっ!!?」

 

 

瞠目していた一人が、突如襲い掛かってきた影に呑まれた。

ケモノ? 否。

狼を真似た銀色のソレは、生き物にしては奇妙な鳴き声で、駆動音で、人を頭から咀嚼する。

咀嚼? 否。

それは真似事だ。だってアレは、

 

 

「ネウロイっ!?」

 

 

残る隊員、息を呑む二人はその正体を瞬間に察して、そのうちの一人は怯えて逃げる。

死にたくない。死にたくないっ!!

仲間の制止も聞かないで、叫び逃げた隊員は。

 

 

「鬼ごっこ? トロネね、鬼ごっこ大好き」

 

 

首が飛ぶ。

 

積もる雪に足を取られることなく、トロネと名乗った幼女は、逃げる隊員までの距離を一瞬で詰めて、その首を刎ねてみせた。

雪原の上を走って。

 

 

「どうして、ウィッチが………」

 

 

人の常識では考えられない現象だ。

だが、ウィッチならば、話は違う。

 

一人となってしまった隊員は唖然とした、絶望した。

眼前にある死は、逃れようがない。

 

 

「神さまが来たよ」

 

 

そんな彼を、ネウロイの群れが囲む。かごめかごめ。

幼女が嗤う。クスクスと。

 

 

「おじさんも、トロネと一緒に福音を聴こうよ」

 

 

もはや死を覚悟した隊員は、それでもと、銃を構える。

 

 

「班長、マジ許すまじ」

 

 

銃声はすぐに止み、吹雪の中に埋もれてなくなる。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

『これは貴方の意思か?』

 

 

ヤーベ・デ・ヤンス大尉はヴィルヘルミナが去った後も、教会に居座り思案していた。

脳裏にこびりついて離れないのはヴィルヘルミナの問い。

ヴィルヘルミナに問われたその問いが、彼女が立ち去った後も、彼を苦しめていた。

 

ヤーベはガリア貴族、ガリア軍に軍閥を持つヤンス家の分家筋の生まれである。分家筋といっても遠く、血族である父親は田舎町にある会社の勤め人にすぎなかった。ヤーベも幼少の頃は貴族とは無縁の生活を送っていた。

そんな彼の生活が変わったのは、彼が十歳の誕生日を迎えた日のことである。

子宝が恵まれなかった主家と、少ない賃金で暮らす生活費に苦しみ借金を抱えていたヤーベの父親との利害が一致して、ヤーベは主家に養子として送られる事となったのである。

彼はヤンス家の一員として迎えられ、ヤンス家の次期当主として育てられた――――自由意思がない傀儡として。

養子縁組の実態は、主家に近い分家筋による専領工作だった。

 

彼の人生は決められたレールの上にある。

決められたレールの上だけを生きてきた彼だが、それに疑問を持った事はなかった。幼少からそうして生きてきたのだから今更苦ではなかった。

彼の周りには常に分家の息のかかった人間が付きまとっていたが、それもまた当たり前の事であった。

 

そんな彼にもアイディンティティーと呼べるものがあった。

砲術だ。

 

 

『中尉、私は砲兵だ』

 

 

だからヴィルヘルミナが野砲の放棄を提案した時に、ヤーベが咄嗟に返したその言葉は、脅かされるアイディンティティーを守る防衛意識が働いたからであった。

唯一の自信を持てるもの。それを脅かされそうになったのだから、憤りすら覚えた。事実、兵科運用の面では彼は自信に見合うだけの才能を持っていた。

しかしヴィルヘルミナが去った後、落ち着いて考えれば、彼女の言葉は全く正しい事が分かる。

思い返せば、兵科のおかげで此処まで数多のネウロイを屠ってきたヤーベだが、兵科にこだわらなければ、不利な戦力差等を加味しても、生き延びていた部下は何人いたことか。

彼女に視野狭窄を思われても仕方のない事だと、ヤーベは悔いる。

そもそも彼女は兵科以前に所属する軍種も異なるというのに。

これではどちらが子どもか分からない。

 

あの中尉となら。

ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー中尉となら変われるのか?

 

レールの上しか生きた事ないヤーベが、自ら変わりたいと願った。それははじめてのことであった。

今一度、ルドルファー中尉と話がしたい。

その為には目の前の部下らをどう説得したものかと、ヤーベが思案していたところ。

刹那、銃声。

 

 

「なにごとだっ!!」

 

 

外を見張る兵に聞くも、分からないとしか答えない。

吹雪で視界が閉ざされて、教会から現状の把握は困難であった。

はじめは遠くで聞こえた銃声が、段々と近づく。

気付けば集落の各所で銃声が轟いていた。

混乱と罵声、統制が取れずに混乱している様は、教会内でもよく知れた。

 

そこに一人の兵が教会内へと駆けこむ。

 

 

「大尉、襲撃ですっ!!」

「聴けば分かる!! ネウロイか!?」

「いえ、それもありますが………」

 

 

兵はなぜか少し口ごもって、続ける。

 

 

「幼女が」

 

 

幼女?

頭にはてなを浮かべて困惑するヤーベだったが、突如として彼の鼻が異常を訴えて、おかしな音を聞いて、思考を止める。

異臭。異音。

何かが焦げる臭いと、シューと何かが焼ける音。

此方を見ている兵が青ざめている。

 

 

「ねぇねぇ、おじさん」

 

 

服の裾を引っ張られたヤーベは振り返る。

裾を引っ張ったのは、先ほど保護した三姉妹のひとり。

笑顔でヤーベに差し出すその両手には、真っ赤な棒状のものを持って、棒状の頭から伸びる導火線は、火花を散らして既に根本。

 

 

「プレゼント、あげるっ!!」

「だ、ダイナマっ」

 

 

ヤーベが叫ぶよりも早く、炸裂したダイナマイトの衝撃波は、ヤーベの意識を容易く刈り取った。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ジャクリーヌの振り下ろしたナイフは、無防備な肉塊を貫いた。

深々と刺さったナイフ。それを無感動に豚の肉塊から引き抜く彼女に、震えた声で投げかけられる何故。

 

 

「なんで、リーネちゃん………」

 

 

向けられたジャクリーヌの「ごめんね」を聞いて、ナイフに気付いて咄嗟に避けたジョーゼットだったが、ナイフを向けられ殺意を向けられる理由が分からずに怯え震える。

 

直前まで、あんなにも優しくしてくれたのに、何故っ!?

 

ジャクリーヌの豹変ぶりに困惑しながらも、なんとかその場から逃げようとするジョーゼット。しかし恐怖のせいか、足がうまく動かず転ぶ。

 

 

「こ、来ないでっ!!」

 

 

這って逃げるも、すぐに壁。

ジョーゼットはルクレールから護身用に渡されていたMle1935A拳銃をジャクリーヌに向ける。しかしジャクリーヌの足は止まらない。

 

 

「君に人が撃てるものか」

 

 

確信しているかのようなジャクリーヌの指摘は、まさにその通りだった。

ブラフ。

ジョーゼットは、人には拳銃を向けた事はない。引き金を引く覚悟も持てない。自らが生きる為に他人を害することなど、ジョーゼットが持つやさしさが許さない。

 

 

「きゃっ!?」

 

 

迫るジャクリーヌのナイフが踊れば、ジョーゼットの頼りない手から拳銃がさようならをした。弾かれた拳銃をジョーゼットは目で追いかけるが、手を伸ばしたところで届くところではない。

正面に意識が返ればジャクリーヌがまさにナイフを振るわんとしていた。ジョーゼットは寸でのところで転がり避ける。

 

怖い、怖いっ

 

ジョーゼットの目元は涙で溢れる。

死など望まないからこそ、生にしがみつくことをジョーゼットはやめない。

そこらにある積み上げられた瓶やら肉塊を懸命に、迫るジャクリーヌに投げるものの、だが次はおそらく避けきれない。

 

 

「――――私は道具」

 

 

自己暗示の呟きか。

無表情で、投げられるものをものともしない殺戮人形のような冷たい瞳をジョーゼットに向けるジャクリーヌを見て、彼女は察する。

 

 

「………助けて」

 

 

思わず漏らしたその「助けて」は、いったい誰に向けられたものか?

助けては、届かない、叶わないだろうとジョーゼットは知っていた。しかし願わずにはいられなかった。

彼女に。

あの時、己を助けてくれた、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファーに。

 

 

「死ね」

 

 

淡々と死の宣告を告げるジャクリーヌ。

向けられた凶刃に抗うように、ジョーゼットは助けを叫けぶ。

助けて。

ヴィルヘルミナさん、と。

 

 

 

 

 

彼女の叫びに応える様に、天井が爆せた。

 

 

 

 

 

 

「来た」

 

 

振るう手を止めたジャクリーヌが、天井から舞い降りる影を認める。

舞う人影はまるで白銀の外套を纏うように髪を靡かせて、包帯で巻かれていない右眼の碧眼は爛々と輝きを放っている。

 

 

「ジョーゼットぉぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

拳銃を引き抜いたヴィルヘルミナは、空中でジャクリーヌに牽制射を放つ。

堪らずジョーゼットから離れるジャクリーヌだが、心なしか、彼女の無表情であるはずの口元が、彼女の到来を歓迎するかのように緩むのをジョーゼットは見た。

 



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謳う/だから彼女は帰還する

共同研究者の逃走により一人で卒論の楽しいたのしいデスマーチ。
死ぬ思いをしましたが、なんとか四月から社会人です。
しかし三か月は就職先のアカデミーに研修に逝かなければなりません。
その間は投稿が切れることかと思いますが、なにとぞご容赦ください。

毎話投稿時、誤字報告をしてくださる皆さま、ありがとうございます。
毎度お付き合いいただいている皆さま、ありがとうございます。
初投稿から三年ちょっと、でも話はまったく進んではいませんが(汗)
これからも「だから彼女は空を飛ぶ」、ヴィッラとお付き合いいただければ幸いです。


戦場にいる限り、聴こえる絶叫と、喘鳴。

奴らが殺した人たちの、死に際の断末魔。

奴らはそれらを連れてくのです、そして纏っているのです。

耳を塞いでも、目を閉じても。

執拗に、脳にねじ込まれるように聞こえるのです。見えるのです。

 

誰か私を助けてください。

 

誰か私と代わってください。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ジョーゼットを探す為、飛び出た私の右眼が突如として痛みを訴えた。

右眼が焼き切れてしまうのではないかとすら錯覚するほどの痛みには、思わず蹲り、奥歯を噛みしめる。

それでもと、目を見開いて立ち上がり、進もうとする。

そんな私を待っていたのは、かつて見た光景と、かつて聞こえた音だった。

それは懐かしの風景だ

それは懐かしの声だ。

また私のもとへと還ってきたのだ。

勝手に。

勝手に。

 

軋む右眼に見えるのは、見渡す限りの人の影。

ゆらめき、ひしめく。

決して生者が踏み入ってよい世界ではない。

おそれて、おののく。

だって私はここにいる。

望んでいなかったけれど此処にいる。

儘ならない勝手には、悪態だってつきたくなる。

 

見える影はいずれのモノも、形はまったく正しくないのは、影が孕むものが醜いものだからか。

生者をソチラヘ引きずり込もうと、影は彷徨う。

人であったことすら忘れて。

 

おぞましい。

その有様には吐き気すら覚える。

おそろしい。

心の内から我が身は恐怖に蝕まれていく。

見る事を強要された地獄と、聞くことを強要された怨嗟。

強要された「死」を見せられて、かつての私が至った終着点を、頭を振っても振っても思い出す。

今更「死」など、私は恐れない。

ならば何故怖れるか?

 

怖れているのは、『ヴィルヘルミナ』か?

 

そうなのだろう。

怖れているのは今の私ではなく、かつての私。

目の前に伸ばしてきた「助けて」を救えず、見えて聴こえる「助けて」に答えられず。

耳を塞いで蹲って、目を瞑って孤独に籠っていた弱い私。

トラウマだ。

 

 

 

 

 

けれど。

かつての私は、かつての私だ。

 

 

 

 

 

そう言い聞かせるように、己を叱咤するように、胸を何度も叩く。

無力に嘆いて諦めて、自己の生存戦略だけを図ろうとしていたかつてのヴィルヘルミナは死んだ。

しかし久瀬でもあった私は、もはやかつてのヴィルヘルミナではない。

二人の生を踏破して、今の私が此処にいるのだ。

 

トラウマを抱えていても、足らない強さは補って行け。

かつてのヴィルヘルミナのトラウマが私の足に枷を着けても、久瀬の強さで枷を壊せ。

俯かず。

竦まず。

怖れず。

怯えずに。

立ち止まることなく前に進めと後押す。

 

義務感もある。

戦わないといけない私と違う。

戦わなければならない兵士と違う。

それでも自ら死地を歩くことを志願してくれたジョーゼットを、決して死なせてはならないという義務感。

 

 

「ジョーゼットォ!!」

 

 

人影の合間を縫うように、駆け抜けながらジョーゼットを探す。

彼女の名を呼びながら、探し、走る、前へ、前へ。

吹雪に負けないように精一杯、何度も何度も彼女の名を呼ぶ。

けれど、私の耳に返ってくるのは。

 

 

 

 

 

――――しね

 

 

 

 

 

すれ違うモノがボソリと漏らした声。

 

 

 

 

 

――――シネ

 

 

 

 

 

抉れたモノが私を指さして恨む声。

 

 

 

 

 

――――死ネ

 

 

 

 

 

地で蠢く半分のモノが手を伸ばしながら呪う声。

 

殺到する人影の、単純な悪意、敵意、殺意。

捕まればただでは済まない。

しかし私が思わず立ち止まってしまうのは、もはや人影の合間を縫って走るにも、少々無理を感じられるほどに囲まれたからだった。

それだけ囲まれてしまえば、単純だった思念も、形が見えてくる。

それは集落の存在理由。

この集落の住人の生存理由、その末路。

 

 

「狂ってる」

 

 

吐き捨てる。

 

迫る人影に、ゾンビに囲まれた生者の気持ちを知る。

殺到する人影から逃れるためには、固有魔法で空に向かって飛ぶしかない。

この吹雪の中で飛べば、何処に飛んでいってしまうのか、正直分かったものでは無い。

だが致し方ないと覚悟していると。

 

 

 

 

 

――――こっちだよ

 

 

 

 

 

誘う声。

不意に目の前の人影の壁が掻き消えて、道が開く。

蒼の光道が、割れた人影の間を照らし、その先には私を囲う人影よりも一回り小さな人影が、こちらに手招き。

 

 

 

 

 

――――こっちだよ

 

 

 

 

 

光が照らす導に従って、人影の手招きする方へと駆けて近づけば、消える。

 

 

 

 

 

――――こっちだよ

 

 

 

 

 

別の人影が遠くに。

ソレは、とある方向を指さしている。

彼らの導きを信じて従う。

それは虐げられていた彼らの無念が、聞こえるから。

 

 

 

 

 

――――こっちだよ

 

 

 

 

 

導きの先には倉庫があった。

木張りの床は、歩くたびに軋む。

 

 

 

 

 

――――救ってあげて

 

 

 

 

 

私はその声に応える様に右手を掲げ。

ありったけの魔法力を込めて、床を割る。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ジャクリーヌをジョーゼットから引き離したヴィルヘルミナは、ジョーゼットを背で護るようにして立つ。

右手にMle1935A拳銃、左手にはナイフを抜くヴィルヘルミナ。

対するジャクリーヌは両手に大型ナイフ。夜戦用か、刃が黒く着色されていた。

 

 

「………なんだ、お前は」

 

 

ジャクリーヌの姿を正面に認めたヴィルヘルミナは、初見とは異なり全くの無表情を貫く彼女に眉間に皺を寄せて、尋ねる。ジャクリーヌは答えない。

ヴィルヘルミナは左手でごしっと軽く右眼を擦って、ますます眉間に皺を寄せた。

 

 

「ジョーゼット、怪我は?」

 

 

ジョーゼットは首を横に振る。

 

 

「立てるか?」

 

 

聞かれたジョーゼットは立ち上がろうと試みるも、腰が抜けたのか、立てない。

 

 

「そうか………っ、動くな!!」

 

 

ヴィルヘルミナがジョーゼットの状態を確認したところで、ジャクリーヌが二人に向かって歩きだす。

ヴィルヘルミナは拳銃を向けて警告するも、ジャクリーヌは聴こえぬといわんばかりに歩みを止めない。

だから、発砲。

 

 

「………やはりウィッチか」

 

 

発砲したヴィルヘルミナの三発の銃弾は、ジャクリーヌの発生させたシールドによって止められる。

舌打ちはするも、ヴィルヘルミナはそのことについて特に驚きもせず、淡々とリロードを行う。

 

 

「ジョーゼット、後ろに下がってシールドで身を護っているんだ」

「は、はい」

 

 

撃たれた銃弾に眉ひとつ動かさない。

まったく、幼女のくせに大した奴だと、ヴィルヘルミナはジャクリーヌへの警戒を強めて――――ジャクリーヌに向かって駆ける。

 

発砲。

シールドで身を護るジャクリーヌに迫り、左手のナイフで切りかかる。それをジャクリーヌは右手のナイフで塞ぐ。その間にヴィルヘルミナは銃口をジャクリーヌの懐に向けようとするもジャクリーヌの左手のナイフで弾かれ虚空に発砲。

外れた拳銃を返し、ヴィルヘルミナはグリップエンドでジャクリーヌの右手を叩く。フリーになった左手のナイフで右肩を狙うもジャクリーヌは敢えて身体をヴィルヘルミナに近づけ、右肩でヴィルヘルミナの胸を弾いた。

弾かれたヴィルヘルミナは後ろへ仰け反って、ジャクリーヌがそこに追い打ちをかけようと迫る。右手のナイフは、ヴィルヘルミナの胸へと直線を描く。

胸を目指すナイフは、それを弾こうとするヴィルヘルミナのナイフと交差した。

火花、散る。

 

 

「ッ!?」

 

 

軌道が逸れたナイフはヴィルヘルミナに当たらず、刺突は免れた。

しかしヴィルヘルミナのナイフはバキリっと音を立て、砕け散る。

 

弾く瞬間に、ナイフを反対側――――破壊峰(ソードブレイカー)に返して捻った!?

 

器用な!!

驚愕しながらも、活路を開く為に向ける銃口。しかしそれよりも早く、投擲されたナイフがヴィルヘルミナの眉間へと飛来する。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

咄嗟に頭を避けたヴィルヘルミナだが、左の米神に焼ける様な痛みを感じ、ただらを踏む。

左眼を覆っていた包帯が、切れて緩むのを感じる。

 

 

「………馬鹿にしているの?」

 

 

追撃はなく、ジャクリーヌは右手のナイフを弄ぶ。

相変わらず彼女の表情は変わらないが、声色は若干怒りを孕んでいた。

 

本気でかかってこい。

ジャクリーヌの瞳は、表情以上にものを言う。

 

 

「ちっ」

 

 

目論見が容易に悟られてしまったヴィルヘルミナは舌打ちをする。

確かに、先程の交錯でヴィルヘルミナが狙ったのは、足や腕などの致命傷にならない部位だった。

所詮は幼女。取るに足らない。

何処かでそんな侮りがあったことをヴィルヘルミナは認める。

殺さずの制圧は難しいだろう。

ヴィルヘルミナは更にジャクリーヌに対する脅威評価をあげた。

 

殺しても、やむなしか。

いや、手負いでパフォーマンスの落ちている自身ではもしかしたら――――勝てない。

 

いや、負けられない。

後ろで怯えるジョーゼットをちらりと見て、右眼を擦ったヴィルヘルミナは大きく息を吐いた。

重心を落とし、改めて銃口をジャクリーヌに向ける。

 

発砲。

 

マズルフラッシュは五回。しかし発砲の瞬間にジグザグに走りだしたジャクリーヌには当たらない。Mle1935Aがホールドオープン(弾切れ)する。

ジャクリーヌの刺突が迫る。弾の切れた拳銃を捨て、身体を捻ったヴィルヘルミナは、脇を過ぎていくジャクリーヌの右手を腕で挟んで掴まえて、捻る事でナイフを奪おうとする。

しかし、

 

………右手が軽い?

 

武器を奪ったと言うより、諦めたからこその軽さであることを気付いたのは、ヴィルヘルミナはジャクリーヌが左袖から取り出した本命のナイフを視認しながらのことであった。

使えない左眼の死角から振るわれた白刃、既に眼前に迫っているそれを、ヴィルヘルミナは掴んでいたジャクリーヌの右手を引っ張ることで彼女の重心をずらし、避けた。

左頬を過ぎ行くナイフは、緩んでいた包帯を巻きこむ。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

近づきざまに受ける、ヴィルヘルミナの鳩尾へのジャクリーヌの膝蹴り。

呼吸を殺され一瞬酸欠を起こすヴィルヘルミナはそれでもと、前かがみになった身体を慌てて起こす。次の攻撃を対処せんと構えるも――――目の前には誰もいない。

 

 

「消えたっ!?」

 

 

誰もいなくなった虚空。

目の前にいた筈のジャクリーヌは忽然と姿を消していて――――風切り音。

 

突如迫ってきたその風切り音と、眼前にある敵意を頼りに、ヴィルヘルミナは奪ったナイフを縦に構えた。それは直感的な判断だったが、正しかった。

虚空に向けたナイフは、「何か」を弾く。

しかしヴィルヘルミナの身体は見えぬ「何か」に押し負けた。

 

 

「かはっ!?」

 

 

ヴィルヘルミナの華奢な身体は宙を舞い、そのまま壁に叩きつけられる。

 

 

「ヴィルヘルミナさん!?」

 

 

ズルリズルリと床へと落ちるヴィルヘルミナ。

チカチカとして朦朧とする意識の片隅で、ヴィルヘルミナはジョーゼットの悲痛な声を聞く。

落ちかける意識。

それを酸欠の喘ぎと開く傷口の痛みと苦しみでなんとか意識を繋ぐヴィルヘルミナは、ふらふらと立ち上がろうとして――――膝が折れる。

 

 

「調子はどう、ヴィルヘルミナ。つらそうだね、ヴィルヘルミナ。そのボロボロの身体では、もとから戦うことなど無理だったかな?」

 

 

そんな無様なヴィルヘルミナの姿へ、姿の見えないジャクリーヌの嘲る声が響く。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ、………ステルス、か…………」

「ご名答」

 

 

空間が僅かに揺らめき、ジャクリーヌが姿を現す。

一歩一歩ゆっくりと、トドメを刺そうとヴィルヘルミナへと迫る。

 

手を着く地に、ぽたりぽたりと血が滴る。

 

 

「本当に、そんな身体でよく戦ったよ。だから」

 

 

くるりと回したナイフの切っ先をヴィルヘルミナに向ける。

 

 

「安心して眠りなよ『ヴィルヘルミナ・フォンク』。後は全て、私に任せてさ」

 

 

ヴィルヘルミナが見上げる右眼には、ブレた姿のジャクリーヌ。

膝をついたままヴィルヘルミナは奪ったナイフをかろうじて構えるが、頼りない。

 

 

「お休み」

 

 

振り上げたナイフ。

その切っ先がヴィルヘルミナに振り下ろされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな所で。

また護れず死ぬのか、私は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナの脳裏によぎるのは、ドモゼー領での死の記憶。

あの時の、無力を晒した悔しさを思い出す。

死ねない、まだ!!

奥歯を噛みしめ力を振り絞る。

それでも、迫る白刃を止めきれず、

 

 

「うっ!?」

 

 

しかしナイフがヴィルヘルミナに届くことはなく、銃声と共に弾かれた。

 

 

「………ジョー、ゼット?」

 

 

ジャクリーヌの向こうに、ジョーゼットを見る。

彼女の手にはMle1935A。

ジャクリーヌに向けられた銃口からは、煙が上がる。

構えた拳銃は、僅かに震えて。

目には涙を溜めている。

それでも、

 

 

「ヴィルヘルミナさんは死なせない!! 死なせないもん!!」

 

 

ジョーゼットの瞳は強い意志を持って、拳銃をジャクリーヌに向けていた。

 

 

「お前………いや、なんで……………」

 

 

振り下ろされるナイフにピンポイントで当てた技術。

それほどの銃の扱いに、いつの間に慣れていたのかと驚くヴィルヘルミナ。

だが何故か、ヴィルヘルミナよりも驚愕の表情を見せたのは、ジャクリーヌの方であった。

 

 

「なんで………ジョゼが…………」

 

 

無表情の仮面が僅かに剥がれて譫言の様に呟くジャクリーヌだが、すぐに元の無表情へと戻る。

 

 

「そんなに先に死にたいの?」

「………ッ!!」

 

 

ドスの利いた声で、ジョーゼットを脅す。

右袖より新たなナイフを取り出し握ったジャクリーヌは、ヴィルヘルミナよりもジョーゼットの方が脅威と思ったのか、ふらつくヴィルヘルミナを放置して、ジョーゼットへと歩く。

意を決したジョーゼットは引き金を引くも、やはり人を撃つことには抵抗があるのか、銃弾はジャクリーヌの傍を抜けて当たらない。

 

やめろ。

 

立てないヴィルヘルミナは、手を伸ばす。

ジョーゼットは、発砲する。抵抗を止めない。

そんな彼女に、助けに来たのに助けられたヴィルヘルミナの無力が、今度はジョーゼットを殺そうとしている。

そんな現実を止めようと、ヴィルヘルミナは、やめろやめろと手を伸ばす。

無駄な行為であると、知っていてもなお。

 

 

――――ならば、なすべきことだけを為しなさい

 

 

「ッ!?」

 

 

――――寝ている暇などないでしょ? さぁ起きなさい

 

 

声が、響く。

声に驚く。

それは、ヴィルヘルミナが『久瀬』であった時、死ぬほど憎悪していた『女狐』の声。

 

 

――――貴方は誰?

 

 

彼女は答える。

私は、ヴィルヘルミナ・フォンク・ルドルファー。

マリー・フォンクとレオナルド・ルドルファーの娘。

 

 

――――違うでしょ

 

 

呆れる声に、「なにが」と問う。

 

 

――――思い出しなさい

 

 

諭す声に、「なにを」と問う。

 

 

――――君は、いつから人となった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は幸せの下で、人と成った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ならば、それ以前の私がナニモノであったのか?

 

気付いたヴィルヘルミナは嗚呼と、笑う。

思い出す。

彼女に生まれる前の、己が『何者』であるかを。

久瀬であった時、己が『何モノ』であったかを。

幸せに溺れていた己が忘れていた、『何物』であったかを。

 

 

――――さあ、謳え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――私は道具」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下された命令(オーダー)に、ヴィルヘルミナは先ほどまで立てなかったことが嘘の様に、不気味に立ち上がる。

みしりみしりと彼女の身体が悲鳴をあげようとも、全く気にするそぶりもなく。

痛みを、置いてきぼりにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――私は自らを柄すらない刃にして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦争の果てに、『彼』は人の身を踏破した。

そんな彼女の『嘗て』に成り下がる。

過去の『彼』に帰還する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――自らを、振るう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は謳う。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

ジョーゼットは銃を構える。

ヴィルヘルミナに頼らない為に、彼女の負担にならないために、ルクレールに頼み己の身は自分で守るために手ほどきを受けて何度も繰り返してきた動作。

 

けれど当たらない。当たらない。

ジョーゼットの弾は、当たらない。

ヴィルヘルミナを救うために銃をジャクリーヌに向ける覚悟を決めたジョーゼット。しかし彼女のやさしさが、足かせとなって当たらない。

だから救えない。救えない。

ジョーゼットでは、救えない。

自分で人を殺してまで、誰かを救う事の出来ない彼女のやさしさが、足かせとなって救えない。

 

 

「ほら。やはり君に人が撃てるものか」

 

 

ジャクリーヌの指摘はその通りだ。

ジョーゼットは認める。

 

それでも、と。

彼女は抵抗した。

ジョーゼットは、抵抗するのだ。

ヴィルヘルミナが立ち上がる一瞬を作るため、救うため。

命を賭してでも、彼女は最後までジャクリーヌに抵抗を止めないのだ。

 

そして、弾が切れる。

 

 

「………あっ」

 

 

ジャクリーヌは、もはやジョーゼットの眼前。

迫った彼女の気迫に気圧されて、ジョーゼットはへたり込む。

 

 

「銃を捨てれば、助けてあげようか?」

「えっ」

 

 

へたり込むジョーゼットを見下ろすジャクリーヌ。

彼女はそんな提案を、ジョーゼットに持ちかける。

 

不意に生まれた生存という選択肢。

ジョーゼットの手の内にある『抵抗』を捨てれば、助けると。

甘美な誘惑だ。

ジョーゼットは、ジャクリーヌを見た。そして自分の持つ弾の切れた拳銃を見た。

 

選ぶものは、決まっている。

 

ジョーゼットは涙を目に溜めたまま堂々と、ジャクリーヌの目の前でマガジンの再装填を行う。

手が震え、マガジンが何度もうまく填まらずに、カチャカチャと音を立ててでも。

それが、彼女の意思だと言わんばかりに。

 

 

「そう、生きたくないのか」

 

 

やっとマガジンがうまく填まり、チャンバーに弾を送るジョーゼット。

だが彼女が構えるよりもはやく、ジャクリーヌのナイフはジョーゼットに迫る。

 

 

「君も、彼女に毒されている」

 

 

嗚呼、やっぱり駄目だ………

ナイフの痛みを覚悟して、ギュっと彼女は目を瞑る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………?」

 

 

覚悟していた痛みは、いつまでも来なかった。

目を開いたジョーゼット。

目の前でジャクリーヌと鍔迫り合うのは、ヴィルヘルミナ。

 

 

「なに…………その目………………」

 

 

左眼を覆っていた包帯が解け、露わになった左眼。

それを目撃するジャクリーヌの無表情の仮面は、今度こそ剥がれた。

 

 

「何を驚いている? いや貴様、一体何を知っている? いやいやそんなことはどうでもいいさ」

 

 

 

 

 

覚悟しろ。彼女は言った。

 

 

 

 

 

嘗てが来たぞ。彼女は言った。

 

 

 

 

 

還ってきたぞ。彼女は言った。

 

 

 

 

 

それを証明するかのように、右眼を瞑る。

 

 

 

 

 

そして彼女は黒曜に変色した左眼で、ジャクリーヌを見据える。

 




ヴィッラ「剣○閃!!」
菅野「!!?」





ヴィッラ、覚醒


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だ◾️ら彼◾️は帰還す◾️/裏

初、スマホ投稿!!
全然スマホでもいけるんだ(白目)


………見にくかったらごめんなさい。










目覚めてしまった彼女は、一体どこに逝くのか?
それが、問題なのです。







彼は大きな勘違いをしております。

彼は自分こそ自分本位だと思っているようですが、それは大きな間違いなのです。

実のところワタシこそ、随分と利己的な人間なのです。

ならば、本当に優しいのは誰でしょう?

無論、語るまでありません。

 

ワタシはその優しさを、利用したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19◾️9年 12◾️ 1◾️日 ◾️ュ◾️県

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭痛。

記憶が輻湊する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘテロクロミア(虹彩異色症)?」

 

 

ドモゼー領で失敗した説得。

少年から左眼に受けた礫の治療の為にドーゼ医師のもとへと運びこまれた私は、左眼の治療の後、寝かされたベッドの上で渡された手鏡と、病名を告げられた彼女は初めて己の左眼の瞳の色が変色している事に気付いた。

ドーゼ医師から告げられた、『ヘテロクロミア』という病名。俗にオッドアイと呼ばれるそれの名を、私は少なからず聞き覚えがあった。

主に、久瀬だった時の部下だった、竹下の布教してきたサブカルチャーで、だが。

 

 

「原因はやはり、あの礫か」

 

 

手鏡に映る、左瞼の痣。

その下にある、変色した私の左眼の虹彩は、黒曜。

それはすべての光を悉く吸い込んでしまうような色をしていた。

しばらく己の瞳をぼーっと眺めていた私は、ふとおかしなことに気づく。

 

外傷で変色したにしても、こんなに綺麗に、急に変色するものか?

 

 

「気になるならば、その手の機関を訪ねてみるといい。どこも諸手を挙げて君を歓迎するだろう」

「それは困る」

 

 

笑う。

ドーゼ医師には前例が思いつかないくらいには珍しいらしい。

 

 

「左眼の調子はどうだ?」

「さいあくだよ」

 

 

右眼を閉じて、左眼だけで世界を望む。

左眼で見る世界は、いつもよりもピントがずれていた。

拳銃を構えてみる。が、やはり違和感がある。

両目で標的を合わせていた私にとって、左眼のピントのズレは致命的だ。

左眼の使用は、慣れるまでは避けた方がいいだろう。

 

 

「包帯を」

「ああ………いやまて」

 

 

私が巻いてあげよう。

そう言って、ドーゼ医師は私の左眼を粛々と巻く。

しゅるしゅると、包帯の擦れる音を静かに聴く。

 

 

「君も女の子だ。痣が見えては気になるだろう」

 

 

苦笑。

気にしているのはそのことではないのだけれど。

 

でも、でも、でも………

 

両親から貰った形、両親から貰った姿。

両親から貰った身体だから、この左眼の痣を気にしない訳ではない。

この身体が、仕方ないことだとはいえ傷つくことは悲しいことだ。

だから気遣いは、素直に嬉しく思った。

 

 

「できたぞ」

「ああ、ありが………………まて、なんだこれは」

「あっはっはっ、かわいいだろ」

 

 

巻かれた包帯を確認する為に、手鏡でまた見れば、左眼の前の部分でリボン結び。女の子らしい、かわいい結びだ。

でもこれじゃぁ戦場に出られないと解き、自分で包帯を結び直す。

 

それが君の選択か。

あからさまに残念そうにするドーゼ医師に、私は無言。何も答えない。

そんな私に倣ってか、ドーゼ医師もやがて口を閉じた。

 

呼吸音すら聞き取れる程の無言。

その後ゆっくりと、ドーゼ医師は改めて切り出した。

 

 

「君の左眼は、いずれ光を失うだろう」

「そう、か」

 

 

頭痛。

手の施しようがなかったのだろう。

私はドーゼ医師の言葉を受け入れる様に、左眼を包帯の上から撫でて、頷く。

ドーゼ医師を責めるつもりはない。

悲しむことないし、ましてや嘆くことも無い。

私はこの傷を受け入れよう。

なぜならこの傷は完全に私の落ち度だから。

 

 

「戦うのか」

「必要ならば」

 

 

必要?

そう聞き返すドーゼ医師に、私は大きく頷いた。

私は他人のために死ぬ気はない。戦う必要がないならば、それに越したことはないことだ。しかし、それは限りなく低い可能性。

ならばおじいさまを守るため、ドモゼー姉妹を守るため、梯団のため、そして人をためにいずれ戦う必要がある。

守りたいもののために前に出ること。それこそ私の『義務』だから。

 

 

 

 

 

………?

 

 

 

 

 

はたと首を傾げる。

 

義務?

義務と思ったか? 私はいま。

まただ。

また自己矛盾しているじゃないか。

力持つ者の義務(ノブレスオブリージュ)なんて、柄ではない。

なのに、何故………

 

 

「はっ」

 

 

そんな私を嗤った。

私よりも早く、鼻で嗤った。

 

 

「ドーゼ医師?」

 

 

嗤ったのは、ドーゼ医師だった。

 

 

「ははっ」

 

 

頭痛。

嗤った彼女は、顔が嫌に歪んでいる。

私をまるで馬鹿にしているようで。

ドーゼ医師は、いや、そんなことをする人かと。

見間違いかと疑って目をこする。

そう。

 

 

「はっ、あはっ、あっはっはっはっはっはっ!!」

 

 

ますます酷くなる頭痛に苛まれる私は、ついにゲラゲラと嗤いだした彼女に、不快感よりも違和感を覚えるのだ。

彼女は誰だと疑うのだ。

 

 

「君は、実に、可笑しなことを言う!!」

「何をッ!?」

 

 

ドーゼ医師が私の肩に手をかけた。

強く、酷く。

 

 

「『必要』? 冗談じゃない。貴様にとって戦いは『必要』ではない。ましてや権利でもない」

 

 

もう片方の手は、私の持つ拳銃を握る。

強く、激しく。

 

 

「久瀬優一、君にとって戦いとは『義務』なのだよ」

 

 

それはそれは、容赦のない力で。

どれだけ身を捩らせようと、動けずに、逃げられない。

 

 

「この………ッ!?」

 

 

突如の暴力。

非難しようとする私の口は、しかしそれ以上を開けない。

 

 

 

 

 

ドーゼ医師が、いつの間にか顔のないのっぺらぼうになっていたならば。

 

 

 

 

 

「優一さん、貴方にとって戦いは義務です。 貴方はこれまでも、これからも、戦いからは降りられない」

 

 

それはとても聞き慣れた女の子の声となって。

 

 

「久瀬優一、貴様にとって戦いは責務だ。貴様は戦うためだけに生み出されたのだ」

 

 

それは皺枯れた男性の声となって。

 

 

「No.91―――優一くん。ここで生まれて、ナンバーしか持たなかった私たちにとって、戦いこそ全てだよ」

 

 

それは区別すらつかない幼子の声となって語る。

けれど違う………違う!!

そんなはずが、あるものかと否定する。

 

生まれた時から義務ならば、私は一体何者か!!

 

 

「………知らぬと言うのか、貴様は今更」

 

 

で、あるならば。

そうならば。

 

首を振って馬鹿言ってくれるなと、否定する私にのっぺらぼうは、突然握っていた拳銃を自らの(あぎと)へと向けさせた。

そして。

 

 

「ならば、思い出すといい」

 

 

パンッ、と。

引き金に指をかけていなかったにも関わらず、誤作動を起こした拳銃が、実に勝手にのっぺらぼうの脳漿を弾き飛ばした。

 

頭痛。

 

のっぺらぼうは、ドーゼ医師の姿に戻っていた。

こと切れた顔面が私に向いて、虚ろな目は恨めしそうに私を見つめる。

 

頭痛。

 

手は血まみれ、身体も血まみれ。

顔にはなおさら返り血が滴っている。

シーツでいくら擦っても。

擦っても擦っても擦っても。

こびりついて纏わりつく血は、取れはしない。

 

頭痛。頭痛。頭痛。

 

 

「なんなんだ………なんなんだよ一体!!」

 

 

叫ぶ私に応えるように。

勝手にぞろぞろと天幕に侵入して来る白衣の集団。

皆ガスマスクをつけて、手には色んな注射器。

 

畜生。

何故わたしは知っている?

あれは頭がいたくなる薬だって。

あれはからだが焼けるように熱くなるお薬だって。

あれはおめめがいたくなるお薬だって。

あれはみみがきーんってするおくすりだって。

そしてあれは、ねむくなるおくすりだって。

 

やめろやめろと喚き、逃げる。

しかし拒絶はまったく聞いてもらえずに、逃げた束の間に捕まって。

身体に次々と突き立てられる注射針。ねじ込まれる薬液。

 

嗚呼、知ってる。

覚えている。

 

たとえ意識が落ちたとしても、投薬された薬が、私を蝕むこの痛みを。

心を殺されるこの痛みを。

思い出す。

 

 

思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭痛がする。

記憶が輻輳している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薬が抜けて目が覚める。

そんな少年を、私は横から見下ろしていた。

 

実に不思議な感覚だ。

自分(ヴィルヘルミナ)じぶん(優一)を見るというのは。

 

 

「………ぅう」

 

 

少し高く鈍い呻き声を出し、側臥位から身体を起こした彼は辺りを見渡す。彼には私が見えていない様子。

私も改めて、辺りを見回した。そこは彼にとっては()()()()真っ白な空間であった。正六面体の、箱のような部屋だ。

 

キャンパスのようにまっさらな部屋。しかしいつもと異なっているのは、床の真ん中に鮮やかな赤色の絵の具が、広く、酷く、叩きつけられていることか。

 

 

「ぁ」

 

 

彼も見つける。ソレを見つける。

中心の残骸。原型をとどめていない屍骸を。

 

まるで彼に見せつけるように。

それは臓器を撒き散らして無残に殺されていた、屍骸を。

 

かろうじて伺える見覚えある毛色から、それがモルモットであることが知れた。

彼が、久瀬優一が。

………いや。

『No.91』と呼ばれていた頃の、彼が殺せなかったモルモットだと。

 

ふらり。

彼は残骸へと近寄って。

嘆いて、座って残骸を、必死に懸命に掻き集めている。

けれど、壊れた命は不可逆だ。屍骸が動くことも元に戻ることもない。

真っ赤な泉の中心で、彼は集めた残骸を胸に抱いて、はらはらと『悲しい』と漏らす。

彼の両目に透明色の雫。

いつか『純粋』と呼んだそれを、赤色に染まったキャンパスに、無意味に落とす。

 

 

『No.91は極めて稀有だ。此処(研究所)で育ったデザインベビーでありながら、なぜああまで感受性を持つ?』

 

 

白衣とガスマスクをつけた怪しげな大人たちが、彼を囲って、彼の心を無視して見下ろす。いや、見下す。

 

 

『開発した能力値こそNo.56やNo.841と比類………いや、それ以上だが』

『しかし()()を施しているにも関わらず、こうも生物を害することに拒絶反応を示されては、兵士として仕立て上げるには難しかろう』

『使えぬ子供は要らぬ』

『処分するしかあるまい』

 

 

血の通っていることすら疑うほどに冷たく、心無い言葉は、私の鼓膜を貫いて私の心を散々に傷つける。

彼らが彼に。

子どもたちにしてきたことは、外道と誹られるべき所業。

 

そんな彼らに、彼は弄ばれた一人だった。

 

 

『いやいや各々方、操縦という観点から見れば、No.91の見せる感受性、「優しさ」こそ、我々が求める最優の兵士となるのではなかろうか?』

『然らば教育の段階を引き上げるとしよう』

『完成したNo.91は愛国心に満ちた良き兵士となるだろう』

 

 

その彼らの目論見通り、結果として私は兵士として完成することになる。

 

それが、久瀬優一の正体。

大戦の英雄の正体。

 

 

「ぅ………ぅぁ………ぁっ、はっ………」

 

 

残骸を抱えて、嗚咽を漏らす。

そんな彼の全く無駄な行為がおかしくって、腰が砕けてぺたりと座る私もまた彼の傍で湿気った笑い声を漏らす。

 

これでは彼は。

久瀬優一の正体は、正真正銘の化け物じゃないかと。

 

 

『泣くでない、No.91』

『来い、No.91』

『お前はよき兵士となるのだ』

『我が国を守護する素晴らしきモノとなるのだ』

 

 

彼を弄る算段がついたのか、白衣共が彼を引きずり何処ぞへと連れてゆく。彼らの夢や野望を共に引き連れて。

 

それをだ。

今更やめてくれ、これ以上()を弄らないでくれ。

なんて懇願しても無意味だろう。

知らないとは言わせない。

彼が屍骸の欠片を掻き集めていたように、終わった過去は変えられないことを。

 

 

 

 

 

 

此処は(久瀬)の、記憶の世界。

 

 

 

 

 

 

彼を連れ去っていく大人たち。

立てない私は彼らを見送ることしかできずに、ひとり部屋に残されて。

灯が落ちる、真っ暗になる。

部屋でひとり、暗闇でひとり。

床に拳を叩きつけた、私は問う。

悔しさを噛むように私は啼きながら、問う。

 

どうしてを。

 

どうしてこんな()があったのか。

私はどうして彼を覚えたままで、生まれてしまったのか。

戦うために作られたのが彼ならば、そのことを思い出してしまったならば、続く私は何者なのか?

 

 

この手の、拭い去ることも忘れることも許されない程の、いっぱいの血を、私は一体どうしたらいい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴしりぴしりとひび割れた、床の亀裂は天井まで伝い。

天井の亀裂からは血が爛れた。

爛れた血はあっという間に地を埋めて。

それはきっと、私が殺してきた人たち全ての血でできていたのだろう。

だってこの()の底から唸るように、ほら聞こえるだろう?

 

死んだ彼らの恨み辛みが。

 

怨嗟を孕んだ血の雨が降るけれど。

傘を持たない私だから、雨にうたれる。

流す涙が透明であることを、雨は許してくれはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇2◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度は虚ろな目覚めを迎えた。

気分はあまりよろしくない。

なんだか夢を見ていた気がするが、既に忘れた。

 

私は今、仄暗い洞窟の底にいる。

手には拳銃とナイフを握っていた。

何故こんな所に、こんなものを握っているのかなんて、疑問に思う間も無く、パッと灯るスポットライト。

照らされる下には、金髪碧眼の少女。

 

 

「ヴィルヘルミナ、フォンク………?」

 

 

そこにいたのは、私とは面識ないはずの少女。

しかし彼女は私の姿を認めてから、可笑しなことにコロコロと表情を変えていく。

はじめは困惑。

次は驚き。

最後は安堵と歓喜。

まるで長年の友と再会でもしたかように、会いたかったと言いたげに破顔する彼女は実に面白可笑しな百面相だ。

 

可笑しい? いやおかしいとも。

だって私の名を何度も呼ぶ少女を、私は知らないのだから。

面識は、ないはずなのだから。

 

ならば、知らない彼女は誰だろう?

 

 

「敵だろう? 殺すべき敵だ」

 

 

疑問に答えたのは、私の背後から抱きつくモノ。覚えのある少女の声。

少しだけ振り返れば、見覚えのある茶髪が私の頬をくすぐった。

 

 

「No.56………」

「ほら、彼女武器を持っているだろう?」

 

 

声の言う通り、少女の両手には大きなナイフ。

明らかな殺傷武器を持つ。

 

 

「ほら。彼女を守らなきゃ」

 

 

背後から伸びる左手の指す先には、ジョーゼットがいる。

 

ジョーゼットだ。

ジョーゼット・ルマールだ。

それは護るべき少女、それは無力な少女。

 

 

「守るって、どうやって」

 

 

手に持つ拳銃が、震える。

私はどうしたらいいかを知っている。けれど。

わたしの心はもう、そんなことをしたくはないと叫んでいる。けれど。

 

けれど………

 

 

「守らなきゃ、守ってあげなきゃ、あの子死んじゃうよ。コロッと死んじゃうよ。あんなものに刺されたら、間違いなく死んじゃうよ?」

 

 

だめ。

 

 

「それともあの子自身に手を汚させる?」

 

 

それだけは、だめだ。

 

 

「ならばなんとする?」

 

 

だからお前がああしてしまえ、こうしてしまえ、と。

誘惑する声は不可思議なノイズが混じって、女の子の声だけでなく、不気味な男の声が重なって聞こえた。

 

 

「私が、やる」

 

 

だけれど不思議と違和感はなくて。

 

 

「だって私は、」

 

 

なら、いっそあの子のために、って。

そうしなきゃって、思えたんだ。

己に課せられた責務のように。

 

 

「、道具だから」

 

 

殺さなきゃって思ったんだ。

 

 

「かっ、は」

 

 

見知らぬ少女の腹に、鉛を植えた。

そこから立派な華がじわりと咲いた。

少女は華を抱えて膝を折る。

 

 

「た、ぃ………ちょ、ぉ、……ん、でっ――――」

 

 

そこに、続けざまに三発。

 

倒れる、小さな身体。

震えた唇からは、噴水のように血が溢れ、目には涙。

 

少女は懸命に身体を引きずった。

けれど少女は逃げるのではなく、どうしてか、私に近づいた。

そしてまた縋るように私の名を呼ぶのだ。

 

ヴィルヘルミナ。

ヴィルヘルミナ・フォンクと。

何かが足りない、私の名を。

 

そんな少女に、見下ろす少女の頭に、グリッと銃口を突きつける。

 

 

「やめっ………」

 

 

引き金を引いて、幕引きを鳴らす。

頭を撃たれた少女の身体は弾かれたように、地面の上で少しだけ跳ねて、動かなくなった。

 

少女の姿をした敵は、そうして綺麗に果てたのだ。

 

 

「………」

 

 

しばらく彼女を見下ろした。

そうしなきゃいけない気がしたのだ。

敵なのに、知らない奴のはずなのに。

私は彼女の死を見つめる。

血だまりは伸びて、私の足先を突いた。

そしたら嗚呼如何してだろう。

頭痛。

 

 

『嗚呼……、無事で、よかった……、どうか君だけは………』

 

 

上手に殺せた護れたと、そう安堵するべき今、この胸に去来する結果に反して心悲(うらがな)しさ。

不意に頬を伝う涙はなんだ?

 

彼女はいったい何者か?

答える者は、もう誰もいない。

 

 

 

 

 

ぐちゃり

 

 

 

 

 

音がした。

それは事を済ませた私が、ジョーゼットにもう大丈夫だと伝えようと振り返った時だった。

ジョーゼットもまた、糸の切れた人形のようにぐたりと倒れていた。

 

 

「え?」

 

 

頭から、血を流し。

目を見開いたまま、事切れている。

ジョーゼットが、死んでいる。

 

どうして死んだ、ジョーゼット。

抱き上げた彼女は答えるはずもない。

だって死んでいるのだから。

守れなかったのだから。

 

そして。

 

私もジョーゼットと同様に、突然頭に何かを弾かれた私の意識は、地に伏せる前にプツリと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇7◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

虚ろな目覚めを歓迎しよう。

 

 

 

 

 

仄暗い洞窟の底で。

私の両手には、人を殺せる凶器がある。

目の前には、少女の姿を認めた。

金髪碧眼の少女の姿を。

 

 

「?」

 

 

………あれ。

あれ? あれ? あれ?

 

なんだどうしたと困惑する。

ちらりちらりと視線を動かすけれど。

正面には金髪碧眼の少女がいて。

背には、怯えるジョーゼット。

 

 

 

 

 

 

そして床には事切れた死体。

金髪碧眼の少女の死体。

 

 

 

 

 

 

 

「………なんだ、お前は」

 

 

問いかけの答えだと言わんばかりに、金髪碧眼の少女は雄叫びを上げて、ナイフで以て私に襲い掛かってきた。

足元の、自分の死体を気にすることなくどかりと蹴りつけて。

 

驚いた。

だがそれだけだ。

足元のそれが何かは分からなかったが、少女が振るう刃は我武者羅で、あまりに無鉄砲で、ひどく感情をあらわにした太刀筋だった。

まるで追い詰められたネズミの様に、飛びかかる少女は隙だらけだった。特に、首元。

だから私はすれ違いざまに少女の首元をひらりと掻っ捌いた。

 

 

「かっ……あっ………」

 

 

鮮血が、宙を彩る。

噴水の様に、飛び散る命。

それを防ごうと少女は首を押さえるけれど、開いた傷口は広すぎた。

地に倒れる少女。顔色は青ざめて。

何故か最後は私に手を伸ばし。

痙攣していた彼女はやがて動かなくなった。

 

死に逝く。

そんな彼女を、私は確かに見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭痛。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紡がれるナイフ。

甲高い金属音が、何度も私の耳を劈く。

振る曲線と、鋭利な刺突。

白い死線の応酬の中で私は「あれ?」と首を傾げた。

 

足元には動かぬ少女。

殺したはずの少女が1、2、3、4………全部で20。

中には腐り始めた者までいる。

なのに金髪碧眼の少女は、未だ私たちの脅威となって襲い掛かってきていた。

 

殺したはずなのに、生きている矛盾。

必殺を繰り出すほどに、対策を講じられているような錯覚。

どんなに殺しても、倒しても。

地に倒しても、血を奪っても、私の知の及ばぬ不可思議現象で。

死という結果を夢幻であったかのようになかったことのように、無理矢理結果を書き換えられている感覚に私は苛まれていた。

 

少女は文字通り、死を踏破して。

足元にある自らの残骸を乗り越えて迫っている。

 

僅かに荒れる呼吸。

血だらけの手元、身体。

積み重ねた数多の死体に震える切っ先。

それは全て幻視したもの、存在しないモノの筈だけれど。

殺すたびに誰もが忘却するはずの『ズル』を、私の右眼だけは観測していた。

観測して積み重ねた殺人の記憶は、感覚は、徐々に私の心を苦しめる。

 

 

「………私は、道具」

 

 

その都度私は自分にそう言い聞かせて。道具なんだと言い聞かせて。

開きそうになる心に蓋をして、震えを止めた。

そしてまた殺人を犯す。

少女を護るために、少女を殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭痛がする。

記憶が輻輳している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また引き戻された、記憶の中の彼の部屋は、前と違って廃れていた。

照明はちかちかと点滅を繰り返し、部屋をちっとも照らしてはくれない。

そんな部屋の隅っこで、雨が降って血だまりとなった床に、私は膝を抱えて彼を見ていた。

ぐちゃり、ぐちゃりと。

部屋の中心で、大人たちに玩具にされて道具となった、壊れたレコードの様に殺しを繰り返している彼を。

 

 

「殺さなきゃ、殺さなきゃ……」

 

 

ブツブツ呟く彼の足元には、沢山のモルモットの骸が転がっていて。

またぐちゃり。

ちょうど、未だ鮮やかな桜色した内臓を握り、モルモットの腹から乱暴に抉りだしているところだった。

 

残酷なことをしている筈なのに、彼はまったく無感動。けれどなにか駆られるように、一生懸命モルモットを殺している。

彼は大人たちに何を吹き込まれたのだろう?

どうせロクでもない事だと、膝に顔を(うず)める。

もう沢山だと、見えぬ誰かに訴えるように。

 

そんなことをしていたら、ゴンゴンゴンと、扉の向こうで誰かが扉を叩いていることに気付く。

誰だろう、何だろう。

気になるけれど、私は部屋の隅から動かない。

動きたくないのかもしれない。

 

 

「出ないの?」

 

 

みずたまりで遊ぶかの様に、血だまりの上を軽やかなステップを踏んで、周りをウロウロとするNo.56に首を振る。

過去と今とで混濁する記憶が、頭痛が、私を酷く苛んでいる今は痛みをこらえようとして、膝を抱えることで忙しい。

 

 

「なら、私は貴方の無様を見ていようかな」

「………ぶざま?」

 

 

No.56がよいしょよいしょと何処からともなく引っ張ってきたブラウン管のテレビ。

そこには私が映っていた。

忌むべき殺人を犯し続ける、私が。

 

 

「ここが貴方の無様のとくとーせき(特等席)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇3▪️9◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テレビの中ではヴィルヘルミナが戦っていた。

自分勝手に動いていた。

心に何度も蓋をしようとした己の身体は、とうとう己の意思から離れしまったらしい。

唯々敵を屠る様は、さながら殺戮人形のようだ。

 

なるほど、無様だ。

No.56の言葉を、ヴィルヘルミナは認めた。

 

テレビの中のヴィルヘルミナは、固有魔法によって加速を付加したナイフによる音速弾を放ち、金髪碧眼の少女の身体を散々バラバラに飛ばす。

それで終わっただろう。誰もが思うところ。

しかしテレビにノイズが走り、次に映る画面では、投擲したナイフの射線は寸で避けられていた。

 

画面の中の戦いはまた続く、まだ続く。

 

壁を、天井を駆け抜ける少女を見上げるヴィルヘルミナに、飛翔してくるのはナイフの霰。それを拳銃で撃ち落とした彼女に、今度は少女が飛んでくる。

迫る少女、その眼球をヴィルヘルミナは礫を拾ってパッと狙えば、カエルの潰したかの様な悲鳴をあげて少女は怯み、その無防備な顔面、ヴィルヘルミナはそこに固有魔法を付加して加速した拳を向けて――――ノイズ――――礫を避けられたヴィルヘルミナはすぐさま少女の下を潜り抜ける様に転がって、振り返ると少女の姿はない。だがヴィルヘルミナは気配を感じた。足音を、息遣いを聴いた。それを頼りにヴィルヘルミナは拳銃を向けて引き金を――――ノイズ――――振り返ったヴィルヘルミナは拳銃を発砲するも、弾丸は出現した幾何学模様をした壁に阻まれた。

 

シールドだ。

 

だがそのシールドに、シールドをぶつけることで、ヴィルヘルミナは少女のシールドを乱暴に相殺した。

砕け散るシールドの先には、驚愕する少女。その胸元には隙があって、ヴィルヘルミナはその隙を逃さず容赦なくナイフを刺突して――――ノイズ――――粉砕したシールドの向こうには、二振りのナイフを握って、刺突に合わせて旋回する少女の姿。咄嗟にヴィルヘルミナは刺突を諦め、身体を反り勢いそのままで鋭利な扇風機の下を滑り抜けて、ポタリ。

 

腕に伝うものを感じる、ヴィルヘルミナの腕には切り傷があった。

それは少女がつけた、初めての傷。

 

 

『やっと一太刀だ』

 

 

その切り傷を見て、少女は誇らしげに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶっざまー、ぶっざまー、ほーんとぶっざまー♪」

 

 

私の周りでくるくる回るNo.56。

 

その横で映るテレビの中、画面の中の私が、切り傷を皮切りにだんだんと劣勢になっていく。

私はいつしか俯くのをやめて、食い入るように見ていた。

 

時に死線を越えて、時にやり直し。

何度でも立ち上がる。

 

私が見ているものは、無様を晒す私ではない。

見ているのは金髪碧眼の少女の方。

 

 

「ねぇねぇ、これでいいの? このままでいいの?」

 

 

鏡を見るかのような問いかけに、私はなんと答えよう。

よろしくないのは分かっているが。

でも、疑問。

画面の中の、少女に疑問。

 

精一杯だった私には見えなかったことだった。

画面の向こうだから、気づいたことだった。

不思議なことに、彼女からは見えぬのだ。

 

 

 

 

 

殺意が。

 

 

 

 

 

「ダメだよ」

 

 

目隠しされる私の目の前は、真っ暗になる。

 

 

「何今更、甘いこと言ってんの?」

 

 

耳元の囁きは、隠しきれていない怒りを孕んでいて。

 

 

「殺せよ、私にそうしたように」

 

 

ハッとして振り返る私をNo.56が――――浅見コウが首に手をかける。

子どものそれとは到底思えぬ強さに抗えず、血だまりに押し倒された私は喘ぐ。

 

 

「殺せよ」

 

 

見上げる彼女の顔は。

血の涙を流して見開く彼女の眼は。

吊り上げた口角は狂気そのもの。

私に向ける憎悪は………量るまでもない。

 

 

「殺せよ」

 

 

彼女だけじゃない。

ずっと聞こえていた煩い声が、ここぞとばかりに血の底からも合唱する、反響する。

 

 

「殺せよ」

 

 

発狂しかねない程の、盛大な合唱が。

私が殺した幾多の人の声が。

 

 

「殺して、殺して、早く私たちと同じになれよぉおお、No.91ぃいいいい!!」

 

 

そしてその願いに応え、絶叫するのは。

少ない筈の魔力を爆発させて、敵を屠らんとして暴れるのは。

 

嗚呼、馬鹿野郎が。

画面の中の、人形に堕ちた私め。

 

 

『AAAAAAAAAAAAAAA――――!!!』

 

 

喘ぐ中でも手を伸ばす。

それ以上堕ちたらダメだと手を伸ばす。

 

このままだと、守れなくなってしまう。

ジョーゼットの身を。

おじいさまの頼みを。

母さんの願いを。

ハルトマンたちとの再会を。

 

けれど拘束。

()のそこから這い出た亡者たちが。

爛れた、腐った、焦げ付きた死者たちが。

唸り声をあげながら、私に殺到して襲いかかる。

きっと彼らは、私を嬉々として歓迎しているに違いない。

死者の世界に。

 

死者たちが憎悪を以って、私をバラバラに引きちぎる。

引きちぎられる私は絶叫し、No.56はそれを見て快哉を叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「い゛やた゛ぁい゛やぁいだい゛いい゛ぁ゛ぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶の死者たちは、私の身体の一片すら食い尽くす。

母さん譲りの自慢の髪も、父さん譲りの透き通った瞳も。

足も、腕も、頸も、皮膚も、肉も、臓物も、なにもかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の過去が、今の私を壊していく。

 

こぼれ落ちたひと目だけが、無残に食い尽くされる私を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だれか、わたしをたすけてください

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19◾️0年 ◾️月 1◾️日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、行きます。

まっててください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




グロ注意(遅い)



Q,ストパン世界は大昔にユダヤ教が消滅したからキリスト教も存在しませんけど

A,おのれコンプティーク12月号!!(情報の真偽協力してくださいました方々は本当にありがとうございました。それを踏まえて、色々検討させていただきましたが、このままいこうかと思います。だって、これ、二次創作(震え声))


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愛ゆえに張っ倒すし、ウルスラスープレックスすら辞さない by,ウルスラ

今回話は、ちょっと休憩しましょう。
そして久々にハルトマン姉妹をどうぞ(ハルトマン欠乏症)


雄鶏が鳴いて、朝日が昇る。

今日も変わらぬ朝がきた。

太陽の陽にそよ風が交差して、気温の塩梅が心地よい野道。その上を鼻歌交じりに意気揚々と進むのはウルスラ・ハルトマン。

彼女は両親からの頼まれごと序でにルドルファー邸へと向かっていた。

 

ウルスラが暮らす町から少し外れたところ。

野原の真ん中にしゃんと建つのがルドルファー邸である。

 

 

「あれ?」

 

 

そのルドルファー邸の、見えてきた軒先。

彼女は、そこで吊るされているなにかに気づく。

その正体が分かるまでに、対して時間はかからなかった。

それは姉のエーリカだった。

 

 

「あっ、ウーシュ」

 

 

簀巻きで吊るされている彼女は風に煽られてぷらんぶらん。

右に左に揺れていた。

しかしそんなエーリカの傍を、ウルスラは助けるでもなく声をかけるでもなく、てくてくさくさく気づかないふりして通り過ぎていこうとする。

 

 

「まってまってまってよウーシュ!!?」

「………なんですか」

 

 

渋々振り返るウルスラは。

 

 

「助けてよ」

「嫌ですよ」

「えぇ………」

 

 

レシプロ戦闘機よりも()く拒否。

 

 

「どうせまたロクでもないことしでかしたのでしょ、姉さま」

「そ、そんなわけないじゃん」

「じゃあなんで吊るされているんですか?」

 

 

オオカミ少年のジレンマよろしく。

目をそらすエーリカにウルスラの眼差しは冷たい。

 

 

「うぅ、ウーシュ聞いておくれよ、事の顛末を」

「あ、やっぱりいいです」

「聞いてよ!!?」

 

 

料理を手伝ったら。

簀巻きにされて吊るされた。

 

………ちょっと自分の姉が何を言っているのか理解できなかった。

とりあえず考えてはいけないのだろうとウルスラは思った。

 

 

「そうはならないでしょ」

「なっとる、でしょうがい!!」

 

 

ぴしゃり。

ウルスラは今度こそ戸口を閉めた。

 

 

 

 

 

ウルスラが進むルドルファー邸は、勝手知ったる他人の家。その足取りに遠慮はない。ずんずん進んでどんどんと進む。

すると彼女はキッチンで、鍋の前にしてうんうんと頭を抱えるヴィルヘルミナを見つけた。

 

 

「おはようございますミーナさん」

「ウルスラ?」

 

 

気づいたヴィルヘルミナに、ウルスラはぺこり挨拶。

 

 

「こんな朝から何の用だ」

「ご飯せびりにきました」

「おい、言い方」

 

 

曇りなく、実にキラキラとした(まなこ)でサムズアップするウルスラ。

彼女がこんな朝早くから、わざわざルドルファー邸を訪れる理由はそれに尽きた。

 

姉妹揃って逞しいなと呆れ半分、苦笑い半分を浮かべるヴィルヘルミナは、けれどと、首振る。

 

 

「すまないウルスラ、今日の朝ごはんは無いんだ」

「………今、なんと?」

「無いんだ」

 

 

ピシリ。

ウルスラの表情が凍てつく。

 

 

 

「マジですか」

「マジです」

「そんな………」

 

 

ぺたんとヘタリ込むウルスラは真っ青で、まるでこの世の終わりを嘆くかのように天を仰いだ。

ちなみに今日はまったくの快晴。

 

 

「ご飯が食べられない私は今日、いったい何を生きがいに生きればいいのですか?」

「知らん。そもそもウルスラは私の料理にいったい何を求めているんだ」

「人生?」

「重いわ!!」

 

 

ウルスラの即答に思わずツッコミを入れるヴィルヘルミナだが、ふとウルスラの話はあながち冗談ではないのかもと思い直す。

 

彼女は知っているのだ。

ウルスラの母親が、プロの飯マズラーとして近隣の奥様方から恐れられていることを。

ハルトマン家の女性が先祖代々、祟られているんじゃないかと疑われるほど飯マズの家系として恐れられていることを。

 

 

「………ちょっと待ってろ」

 

 

流石にこのまま追い返すのもかわいそうだから、パンとソーセージくらい出してやろうと冷蔵庫を漁るヴィルヘルミナ。

 

その待つ間。

ふとウルスラはコンロに置かれた鍋に目が向く。

蓋をされた鍋は見たところ、何かが入っている様子。

ウルスラは手持ち無沙汰に鍋の蓋に手を伸ばす。

 

 

「あ、ばか!! それを開けたら――――」

 

 

ヴィルヘルミナの制止。しかし間に合わず。

ウルスラは鍋の蓋を開けてしまう。

 

 

「!?!!??!?!??!!???」

 

 

すぐに閉めた。

 

開いた途端に落ちかけた意識に、こみ上げる吐き気。開いた鍋の中身をウルスラは既に思い出せない。

彼女がかろうじて覚えているのは、暗緑色の「ナニカ」と、脳天貫く激臭。

 

 

「なんですか、この暗黒物質(ダークマター)

「コーンポタージュ」

「………冗談ですよね?」

「私が冗談を言うように見えるか?」

 

 

見えない。

 

 

「ならこのコーンポタージュもどきは一体なんなのですか?」

「私が知るか………けほっ」

 

 

あまりの異臭故にか。

ヴィルヘルミナも咳き込んだ。

 

 

「ありのまま起こったことを話せば『私が数分鍋から目を離した隙に、エーリカが鍋の中身を暗黒物質に変えていた』」

 

 

それは催眠術とか超スピードとかそんなチャチなものじゃない、人知を超えた恐ろしいものの片鱗を味わったと言わんばかりの理不尽。

たった数分で? 暗黒物質を錬成?

冗談じゃない。できる訳がない。おとぎ話じゃあるまいし。

 

ならば、目の前にあるコレはいったいなんだ?

 

壊滅的であんまりなエーリカの料理スキルに、ヴィルヘルミナはまた頭を抱えた。せっかく作っていた朝ごはんを台無しにされてしまった彼女は完全に被害者だ。

しかしそんなヴィルヘルミナよりも、怒りに燃えている人が、彼女の隣にはいた。

 

 

「ああ、ああ………だから姉さまは軒先に吊るされていたのですね………ふふふっ」

「ウ、ウルスラ?」

 

 

ウルスラはゆっくりと、ゆらりふらりと立ち上がり、ガシリと抱えたのは暗黒物質が入っている鍋。

 

 

「待てウルスラ」

「なんですか」

 

 

ダークマターが入った鍋は、もはや人を殺せる次元にあった。一種の化学兵器と言っても過言ではない。

無闇矢鱈に持ち出せば、ヘタをすれば街が大惨事となりかねない代物。持ち出すことは、ヴィルヘルミナとしては見過ごせなかった。

 

だからヴィルヘルミナはウルスラを止めようと、彼女の肩を掴んだ。

しかし。

 

 

「大丈夫ですよ、ミーナさん」

「ッ!?」

 

 

振り返るウルスラの、恐ろしいくらいに満面の笑みに気圧されて、ヴィルヘルミナは思わずウルスラの肩から手を離してしまう。

 

 

「これはちゃんと『処分』してきますから」

「おっ、おう」

 

 

そこには確かに般若がいた。

 

般若は鍋を持ち去った。

しかし、一介の人間であるヴィルヘルミナが、どうして般若を止めることができようか?

触らぬ神に祟りなしとはよく言うもので。

止めるためにあげた手は、去り行くモノを見送って、役目を果たせず宙を泳ぐ。

そして、程なくして。

 

 

 

 

 

ア゛ーッ!!

 

 

 

 

 

悲鳴。

 

 

「………南無」

 

 

ウルスラには許せなかったのだろうか?ごはん(生きがい)を台無しにされたことが。

 

食べ物の恨み、怖い。

ヴィルヘルミナは亡きエーリカを偲んで合掌した。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

しばらくするとウルスラが、げっそりとしたエーリカを引き連れて戻ってきた。

かと思えば、ウルスラはヴィルヘルミナに頭を下げて、開口一番にこう語った。

 

 

「ということでミーナさん、今から姉さまに料理を教えていただけませんか?」

「いやいやいや、まてまてまて」

 

 

事情が全く把握できない。

なーにが「ということで」、か?

 

唐突なウルスラのお願いに、ヴィルヘルミナはさすがに困惑を隠せない。

 

 

「で?」

「?」

「なんで私がエーリカに料理を教えないといけないんだ」

「姉さまはちょっと料理がしてみたかったのだそうです」

 

 

淡々と語るウルスラだか、普通、ちょっとの気持ちで暗黒物質を生成できるものだろうか?

そんなツッコミたい気持ちを、ヴィルヘルミナはなんとか飲み込む。

 

 

「鍋台無しにしたやつに、教えろと?」

「ミーナさん、姉さまに悪気はなかったのでどうか許してくれませんか?」

「………え?」

 

 

沈黙。

 

 

「な、い、で、す、よ、ね?」

「あっ、はい」

 

ふむとヴィルヘルミナは口元に手を当て、ウルスラの後ろに隠れるエーリカを見やる。

エーリカの反省の色こそ、そこそこ。

だけれども、料理をしてみたいという気持ちは本物なのか、目があったエーリカからはヴィルヘルミナに対する期待の色が見て取れた。

 

だが。

 

確かにエーリカはヴィルヘルミナにとって友人である。

彼女にとって、エーリカに教えを請われることは別に苦ではない。

しかしエーリカに、料理だけは教える自信は、彼女にはなかった。

なんせエーリカは暗黒物質を平然と召喚するような化け物である。学校の家庭科の授業では何人もの教師が匙を投げたのを、ヴィルヘルミナは彼女の側で見てきた。

なにより家の器具や食材は彼女自身のものではないのだ。朝一番鍋をダメにしてしまった手前、エーリカを自宅のキッチンに立たせるわけにはいかなかった。

 

2人には悪いが………

ヴィルヘルミナはウルスラのお願いを断ろうとする。

しかし。

 

 

「あら、いいんじゃないのヴィッラ」

「ちょ、母さん!?」

 

 

しかしヴィルヘルミナが断る前に、意外な人から許可が下りる。

ヴィルヘルミナの母のマリーである。

 

 

「(朝あんなことがあったのに、エーリカをキッチンに立たせるなんて、母さんはお人好しが過ぎるのではないですか!?)」

 

 

あっさり許可したマリーに、ヴィルヘルミナは小声でそれでいいのかと詰め寄る。少し青ざめているマリーもまた、今朝のエーリカの暗黒物質の被害者なのである。

それなのに許可すると言うのだから、ヴィルヘルミナとしてはマリーがとても正気とは思えなかった。

 

 

「(ヴィッラ、あなたは難しく考えすぎなのよ。それともエーリカのことをちゃんと導ける自信、ないのかしら)」

「うぐっ………」

 

 

言葉に詰まるヴィルヘルミナ。図星である。

物事の分別のつき過ぎるくらいに精神を持つヴィルヘルミナだからこその判断である。彼女だって好きで頼みを断ろうとしているわけではない。

 

 

「エーリカ、ちょっといらっしゃい」

 

 

そんなヴィルヘルミナの様子を見て何を思ったのか。

エーリカを手招きして呼んだマリーは、ヴィルヘルミナから少し離れてエーリカの耳に何事かを吹き込んだ。

どうせロクでもないことだろうとヴィルヘルミナが思っていると、エーリカが、今度はヴィルヘルミナのもとへと近づいた。

 

 

「ミーナ」

「な、なんだ」

 

 

エーリカはヴィルヘルミナの両手を取って、下から覗き込んで。

そして甘える子犬のような声色で、エーリカは言った。

 

 

「お願いミーナ、料理を私に教えてよ。私もミーナの隣に立ちたいんだ」

「よっしゃ私に任せろ」

 

 

ザ、即答。

直前までの理性はどこに行ったか。

 

 

「(ミーナさんって……)」

「(あの子、ああ見えて案外チョロいわよ)」

 

 

悪戯が成功した子供の様に、マリーはチロリと舌を出した。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

エプロンを巻いたエーリカたち3人はキッチンに立つ。

ちなみにマリーは患者の診察があるからと外出している。

 

 

「エーリカにはかぼちゃのスープを作ってもらおうと思います」

「えー」

 

 

もっと難易度の高いものを期待していたのか、エーリカは残念そうに頬を膨らます。

しかし、ならばやめるかとヴィルヘルミナが挑発気味に返してみれば、エーリカはハッとしてかぶりを振った。

 

 

「ううん、やるよ」

 

 

エーリカは力強くそう言った。

エーリカは真剣らしい、珍しく。

そう、珍しく。

 

何か悪いものでも食べたか。例えば、さっきの暗黒物質とか。それとも明日は槍が降ってくるのではないだろうか?

訝しむヴィルヘルミナは窓から外を覗く。しかし、やはり外は清々しいくらいに快晴。

ただ、寒気を覚えた彼女はすぐに窓を閉じた。

 

 

「さて。まずはエーリカがどれだけ家庭科の授業を真剣に聞いていたか、テストしようじゃないか」

 

 

そう言ってヴィルヘルミナは、まな板の上に下処理の済んだ半球のリンゴと玉ねぎ、それからかぼちゃを乗せた。

 

 

「では包丁の使い方からだ。こいつを適当にきざんでくれ」

「りょ、了解」

「わかっているとは思うが右手で包丁を持って左手は猫の手だぞ」

 

 

コクリと頷いて包丁を受け取ったエーリカ。

彼女はヴィルヘルミナの教えの通り右手で包丁を持ち、左手は確かに猫の手の構え。

しかし左手の猫の手は食材を押さえず構えるだけで、包丁はなぜか逆手。

 

 

「小便は済ませたか? 神様にお祈りは? 部屋のスミでガタガタふるえて命乞いをする心の準備はOK?」

「構えが思いっきり違うのだけどぉ!?」

 

 

確かに言われた通りに構えているけれど何する気だ待てと、ヴィルヘルミナはエーリカを取り押さえようとするが間に合わない。

 

 

「とりやぁああああああ!!」

「まてまてまてま……ってぇええええええ!!?」

 

 

スパパパーンと振るわれた包丁は、ヴィルヘルミナの服だけを無残に切り裂いた。

ヴィルヘルミナ、すっぽんぽん。

 

 

「ごめんミーナ、手が滑った」

「逆に凄いな!? ほんと、どうしてくれるんだこれ!?」

「せっかくだから女体盛りに――――」

「だ、れ、が、するかぁああああああああああ!!」

 

 

ぜえぜえと肩で息をするヴィルヘルミナは叫びすぎたのか、何度か苦しげに咳き込んだ。

 

 

「はぁはぁ………ちょっと、着替えて来る。ウルスラ、手本を見せてやれ」

「はい」

「?」

 

 

なんでそこでウルスラの名が?

ポカンとするエーリカの手から包丁をスルリと預かるウルスラは、まな板の前に着いたらポケットから棒状のものを取り出して、まな板に添えた。

定規だ。

 

 

「姉さま、いいですか? 左手は猫の手で切る食材を押さえて、右手の包丁の腹を左の指になぞらせて――――0.1mmです」

 

 

トントン聴き心地の良い音を残してドンドン出来ていく食材は、実にウルスラらしいと言うべきか、我こそが基準と言わんばかりに皆0.1mmの大きさに切りそろえられていた。

切り終えたウルスラはちょっとドヤ顔。

対するエーリカは不満顔。

 

 

「………ウーシュ」

「なんですか、姉さま」

「なんでウーシュが包丁扱えるのさ」

 

 

ウルスラの手本は、エーリカの頭にちっとも入っては来なかった。

エーリカの頭には、ウルスラが一体全体誰にその包丁捌きを習ったのか?

エーリカにとって重要なのは、そこであり。

ある程度予想がつくからこそ、エーリカの頭は働かないのであった。

 

 

「それは私がいつもウルスラに教えているからだ」

 

 

戻ってきたヴィルヘルミナが答えを教える。

 

 

「それが何か問題が?」

「いや別に」

 

 

けれどもエーリカは、文句ありげに頬を膨らませ、嗚呼やっぱりと思っていた。

 

 

「ウーシュ、包丁返して」

「はい、姉さま」

 

 

ウルスラから包丁を取り返したエーリカは、さっさとまな板の前に着いた。

 

一見怒っている様にも見える。いや事実、彼女は怒っているのだろう。

なにに対して怒っているのかは、ヴィルヘルミナには決して測れない。

けれど。

 

 

「ミーナ」

 

 

………何と言えばいいのだろう。

ヴィルヘルミナは戸惑った。

怒っているのかと思えば何度も深呼吸をして。

彼女の名を呼ぶエーリカは、明らかにいつもとは違った。

 

 

「ごめんミーナ、もう一度教えて」

 

 

やはり眼差しは、変わらず真剣。

 

そんなエーリカの様子を見て、フッと口元を緩めたヴィルヘルミナは、目頭を押さえながら、思う。

思ったことを、心の中で叫ぶのだ。

 

 

 

 

 

さっきの構えは真剣にやってたことなんですかぁああああああああああああああ!!?

 

 

 

 

 

 

真剣なのか、刃物だけにと、本当にくだらない洒落をついて。

こんな調子で本当に大丈夫かなぁと、不安と頭痛しかもてないヴィルヘルミナは、けれど今更教えることをやめる気にはなれなかった。

なんでだろう? ヴィルヘルミナは思った。

友達だからだろう。ヴィルヘルミナは思った。

 

ハルトマン姉妹と関わってから、くだらないことの連続だ。

だかそんな毎日を嫌なことだと、ヴィルヘルミナが感じたことは一度もなかった。

三度目の人生の二度目の出会い。

そんなエーリカに、ヴィルヘルミナに思うところがなかったと言えば嘘になる。

固有魔法のせいで、軍の中で弾きモノにされていた生前のヴィルヘルミナをただ1人救ってくれたのはエーリカなのだから。

しかし、彼女はその恩義を今も抱えている訳ではなかった。恩義を感じているから、エーリカを助ける訳ではないし、その延長でウルスラと付き合っている訳ではなかった。

 

ならば恩義を以て付き合っているのでないならば、何を以て付き合っているのか?

そんなことを聞かれたならば、ヴィルヘルミナは小難しい事は考えずにポツリ、こう答えるだろう。

 

ただ、友達だから。

 

 

「厳しめに教えるからな、エーリカ。あとウルスラも。ちゃんとついてこいよ」

「えー、厳しいのはちょっとやだなー」

「いえ。姉さまは筋金入りの飯マズですから、ビシビシとやっちゃってください」

「ひどい!!」

 

 

そうして3人は、また料理に取り掛かった。

 

ヴィルヘルミナが課題に選んだかぼちゃのスープは、とても簡単な料理であった。しかしエーリカにまともなモノを作らせるのは、大変な苦労であった。

しかしヴィルヘルミナは諦めず、ウルスラも手伝って、根気強くエーリカに教え続けた。

 

火加減を間違えて、鍋から火が噴き出てたこともあった。逆に鍋の中身を水没させたこともあった。

調味料の蓋が外れて鍋の中にぶちまけたこともあった。調味料と洗剤を間違えて、鍋に入れたこともあった。

 

 

 

 

 

それでも、何度も、もう一度と。

 

 

 

 

 

 

 

ヴィルヘルミナはエーリカに教え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウルスラもまた、一緒になって付き合って頑張って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてエーリカは、遂に完成させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無臭の暗黒物質を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ど゛う゛し゛て゛な゛ん゛だ゛よ゛お゛お゛ぉ゛お゛!゛!゛!゛ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛!゛!゛!゛!゛」

 

 

ヴィルヘルミナ、絶叫。

 

ボコボコと煮立っている、鮮やかな緑色のスープ。

何度も何度も挑戦したその果ての、しかし眼前に置かれた残酷な結果に、遂にヴィルヘルミナは面目すらかなぐり捨てて、頭痛に頭を抱えて叫んでしまう。

 

最後の最後まで、普通のスープを作っていた。その筈だったのに………

恐るべし、ハルトマン家の飯マズの遺伝。本当に呪われているのではなかろうか。

 

 

「なんでこんなことに………」

 

 

信じられないと言いたげに、ウルスラは恐る恐るおたまをスープの中に入れて、かき混ぜて、掬ってみた。

掬い上げたおたまは、浸かっていた先から一切が溶けてなくなってしまった。

 

 

「………姉さま」

「なにも言わないで」

 

 

ウルスラはかけるべき言葉が見つからないし、流石のエーリカもショックを隠せなかった。

己が作り出した暗黒物質にただ呆然とする。

 

 

「………もう、いい」

 

 

茫然として、呆然として。

そしてようやくエーリカの口から出てきた言葉がソレであった。

 

 

「もういいよ」

 

 

子どものエーリカでも、ヴィルヘルミナにちょっとやそっとではないほど迷惑をかけてしまったことくらいは分かっていた。

だから、もうこれ以上は迷惑をかけられない。

そう思ったエーリカは、ヴィルヘルミナに背を向けた。

 

今すぐここから逃げ出したい。

できるならば、消えてしまいたい。

エーリカの頭はそんな思いでいっぱいで。

込み上げる感情はその小さな身体に収まり切れず、溢れ出す様に震えていた。

 

 

「待ってくれ、エーリカ」

 

 

しかし背を向けたエーリカの、肩を掴んで止めるのはヴィルヘルミナ。

 

 

「離してミーナ」

「エーリカ。お前、諦めるのか?」

「………諦める? 諦める!?」

 

 

諦めたくもなるよ!!

 

図星な指摘にエーリカの感情は一気に振り切れて。

振り返って叫ぶエーリカの目は真っ赤になって、目元には大粒の涙。

 

 

「だって、できないじゃん!! みんなできるのに!! ウーシュだってできるのに!! 私だけ!! 何で!? ねぇ、なんで!!?」

 

 

それは、感情の暴露。

今までは笑いごとにして誤魔化してきた。

けれど誤魔化すたびに、エーリカだって傷付いてきた。

どんなに真剣にやっても、何度頑張っても、ちゃんと作れない。

まるで神さまが、エーリカはそうあれかしと言っているかのような理不尽だ。

誰も悪くない。

誰の所為でもないから、どうしようもない。

やり場のない怒りだ。

 

もうどうしたらいいのか分からずに、だから何度も何度もエーリカは下を向いて地団駄を踏む。

 

 

「ただ、ミーナと一緒にご飯作りたいだけなのに!!」

 

 

わっかんない!!

わかんないわかんないわかんない!!

 

そう言ってやけになる、エーリカのその言葉を聞いて、彼女のこれまでの行動にヴィルヘルミナは得心した。

彼女は本当に、それだけを望んでいたのだと。

本気で望んでいたからこそ、こんなにも感情を爆発させてしまっているのだと。

 

でも。

 

諦めないでほしかった。なおさら諦めないでほしかった。

ヴィルヘルミナが知るエーリカは、そんな奴じゃない――――そう思う事は、押し付けだ。

人にそうあれかしと有様を押し付ける。それは酷く横暴なことだけれど。

それでもヴィルヘルミナは、エーリカに折れてほしくはなかった。

 

折れてしまう気持ちはよく分かる。

けれど折れてほしくはない。

一見難しい問題だ。

しかしヴィルヘルミナはこんな時、どうすればいいのかをよくよく分かっていた。

 

折れそうならば、支える誰かが必要だ。

誰かが彼女を支えてやればいいのだ。

たったそれだけでも、人は、思う以上に十分なのである。

ヴィルヘルミナはそうやって、生前エーリカに救われたのだから。

 

 

「エーリカ。大丈夫だ」

 

 

だからヴィルヘルミナはエーリカの手を握り、彼女をまっすぐに見て。

心の底から願うのだ。

 

 

「もう一度やろう、エーリカ」

「でも」

「でもじゃない」

「だって」

「だってでもない」

 

 

最初こそ兵器クラスの代物が、少なくとも臭いは改善したのである。

たとえそれが漸進だとしても、前進していない訳ではない。

ならばいつかはエーリカだって、諦めなければまともなモノが作れる日が来る。

 

 

「練習しよう、何度でも」

 

 

希望的観測でも、ヴィルヘルミナはそう信じていたかった。

信じるための努力を、止めてほしくはなかった。

 

 

「材料も器具も、ミーナの洋服も、いっぱい駄目にしちゃったよ。それでもいいの? また、ミーナに迷惑かけちゃうよ?」

「構うものか」

 

 

もともとヴィルヘルミナの中にあった家族への遠慮はマリーの許可で失せている。

許可を出したのだから、ちょっとの被害ぐらいは許容してほしい。

 

それは普段のヴィルヘルミナからは考えられない程、子どもらしいわがまま。

 

 

「どうして?」

 

 

どうしてそこまで言ってくれるのか?

ハッキリと言えばヴィルヘルミナらしくない。

しかしヴィルヘルミナを、らしくなくしてしまったのは、エーリカ自身なのだ。

 

 

「友達、だからな………けほっ」

 

 

握られたヴィルヘルミナの手は、いつぞやとは違って燃える様に熱く。

それは彼女がようやく取り戻した、人並み以上の暖かさ。

 

 

「エーリカ。友達には、迷惑をかけても、いいんだ……」

「ミーナ?」

「だから、もう一度やろう……諦めるなんて、言う…な………」

 

 

あっ、まずい、限界だ。

そう自覚するころにはもはや遅く。

バランスを崩しふらりふらふらとたたらを踏んむヴィルヘルミナは、エーリカの方へと倒れてしまう。

 

 

「ミーナ!?」

「ミーナさん!?」

 

 

意識を失って。苦しそうに呼吸を乱す。

エーリカが支える彼女の身体は、異様な熱を発していた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

「風邪ね」

 

 

ウルスラに呼ばれて戻ってきたマリーの診断に、ヴィルヘルミナが自室のベッドの上で悔しげに唸ったのは、大事なところで倒れてしまった不甲斐なさ故か。

顔を真っ赤にしているのも、ただ発熱しているせい。それだけでないのだろう。

 

 

「エーリカが作ったあのスープは、人の免疫に害をもたらすわ。貴女が風邪をひいたのもそのせいでしょうね」

「母さん、適当言わないでください」

 

 

ヴィルヘルミナはムッとしてマリーを睨む。

 

 

「ちゃんとした専門機関に持ってった結果よ。はいこれ調査結果の報告書」

「………マジですか?」

「大マジよ」

 

 

それでは本物の化学兵器ではないかまったくと、ヴィルヘルミナは大きくため息を吐いた。

ほんと、エーリカには、驚かされてばかりである。

 

 

「………ハルトマンたちには」

「大丈夫、もちろん言わないわ」

「なら、いいです」

「しかし珍しいわよね、貴女が風邪をひくなんてね」

「ハハッ、風邪ひくなんてきっと生まれて初めてじゃないですか?」

「そうね」

 

 

それは、ヴィルヘルミナの今まですべてを含めた皮肉。

彼女だってきっと、三度の人生の何処かで風邪をひいたことくらいはあっただろう。

けれど(久瀬)には、彼女(ヴィルヘルミナ)には、自覚出来る程の余裕がなかったから、今まで気づくことがなかっただけ。

 

 

「………風邪って、こんなにも辛いのですね」

 

 

そう言って咳き込むヴィルヘルミナに何をも問う事なく、マリーは目を細めて彼女の頭を撫でた。

 

 

「今は休みなさい、ヴィッラ」

 

 

コクリと頷き大人しくマリーの言葉に従って、ヴィルヘルミナは瞳を閉じた。

そして真っ暗な瞳の中で、彼女は優しい唄を聴く。

子守唄を聴く。

 

 

 

 

 

私の良い子おやすみよ

寝付くまで傍で、胸を叩くわ

そして空を見上げ私は唄うの

貴方に似て、月が綺麗ね

 

私とパパとの大切な子よ

寝付くまで頬を、撫でているわ

星の明かりを頼りにしてね

貴方に似て、星が綺麗ね

 

いつかは貴方も大人になって

私の手から離れてしまうでしょう

でも今この夜だけは口遊むわ

 

貴方もいつか、唄ってあげてね

貴方の大切な、我が子の為に

おやすみの前に、子守唄を

子守唄のメロディーを

 

 

 

 

 

子守唄に誘われて、彼女の意識が落ちるまでにさほど時間は必要なかった。

ヴィルヘルミナの穏やかで規則正しい呼吸音だけが、部屋に響く。

 

 

「おやすみなさい、私たちのヴィッラ」

 

 

ヴィルヘルミナが眠った後で振り返るドアの向こう。

忍び足で去りゆく二つの足音を、マリーは静かに見送った。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

既に夜。

星の光だけが道を照らしてくれる中で、エーリカとウルスラの足は帰路に在った。

2人の間の空気は重く、なにも語ることなくずるずると進んでいた。

 

 

「姉さま」

「……………………なに、ウーシュ」

 

 

ウルスラの呼びかけにいつもより反応が遅いエーリカは、意気消沈していた。

当然だろう。

マリーとヴィルヘルミナが話していた時に、2人は部屋の前にいたのだから。

 

ヴィルヘルミナが体調を崩した原因が、自分自身にあった。

エーリカにとって、それはトドメとしては十分なであった。

 

 

「このままで、いいんですか?」

 

 

けれどウルスラは、エーリカがいつまでも落ち込んでいることを許すつもりはなかった。

 

 

「なにが?」

「いいんですか?」

 

 

エーリカに逃げる事を許さないと言わんばかりの低い口調。

けれどエーリカは、そっぽを向いて。

 

 

「別に」

 

 

ただそれだけを、吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さまの、バカァアアアアアアアアアア!!」

 

 

ふわり浮遊感。

突然天地がひっくり返ったかと思えば、頭に衝撃が走り、エーリカの視界は真っ暗になった。

 

えっ、なに? どうなってんのこれ?

 

状況が理解できず困惑するエーリカ。

当の本人である彼女に、分かるはずがなかった。

まさか自分の頭が地面に突き刺さって、逆さま(犬神家)になっているなんて、誰が予想しようモノか。

 

 

「姉さまのバカ!! アホ!! アンポンタン!! オタンコナス!! 自分勝手!!…………えっと、えっと………、バカァ!!!」

 

 

それはウルスラの口から聴いた事もないような大声と罵声。

ひとしきり叫んだウルスラは、息を切らしてしばらく咽た。

 

 

「はー、はー、はー、………姉さま」

「なに?」

「私は、お腹が空きました」

「うん」

「ミーナさんも、朝からなにも食べてませんよ」

「………うん」

「私が言いたいこと、分かりますよね」

 

 

勿論エーリカには、ウルスラの言いたいことは分かっている。

倒れてしまったヴィルヘルミナの為に、エーリカはどうしても料理が作りたかった。そしてごめんなさいがしたかった。

 

でも、いいのだろうか?

散々失敗してきたエーリカには、一歩を踏み出す勇気が持てなかった。

 

 

「もう一度、頑張りましょう。かぼちゃのスープを完成させましょう」

「でも……」

「姉さま、安心してください。私も最後まで付き合いますから」

「ウーシュ………」

 

 

 

ヴィルヘルミナが言っていた通り、エーリカはたしかに前進しているのだろう。

しかし、一日そこらで料理ができるようになる自信なんて、とてもエーリカには持てなかった。

それでもウルスラはいっしょに頑張ろうと言ってくれる。

 

 

「ミーナさんが、友達だと言って姉さまの迷惑を許したように、姉妹の私にも、迷惑をかけていいんです」

 

 

ヴィルヘルミナがエーリカのことが好きなように、ウルスラもまたエーリカのことが大好きだから。

 

 

「だから頑張りましょ? 姉さま。今この時は、ミーナさんの為に」

 

 

エーリカの、決心がついた。

 

今は何も考えず、ただヴィルヘルミナの為に。

エーリカはズポリ、突き刺さった頭を地面から起こす。

 

 

「ウーシュ、ごめん!! 迷惑かける!! 我儘も言う!!」

「いくらでも」

「ウーシュ、お願い。もう一回手伝って!!」

「はい、姉さま」

 

 

エーリカは帰路を急ぐ。

地面から頭を起こした時の逆立ちの体勢、そのままで。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

眠りから浮上するヴィルヘルミナは、瞼の裏に光を感じた。

目を開ければ、窓から陽が差し込んでいる。

 

 

「あれ、私………」

 

 

未だ頭がクラクラとして曖昧。

身体もまた怠さを覚え、寒気もあった。

 

 

「みず………」

 

 

ぼんやりとしながら彼女は水を求めてカーディガンを羽織って、キッチンへと向かった。

ふらついて覚束ない。

そんな足取りで進む彼女は、途中であれと首を傾げた。

料理の匂いがする。

 

 

「………エーリカ?」

「ミ、ミーナ!?」

 

 

キッチンには早朝だと言うのに、慌てた様子のエーリカがいた。

彼女の前には鍋がある。

それだけ見れば、昨日の再現。

朝ごはんを台無しにされた時と全く同じだ。

 

けれど、昨日とは違うところがあることに彼女は気づく。

 

蓋が開いている。なのに。

殺人的な異臭が、全くしないのだ。

 

 

「ミーナ、寝てなきゃダメだよ!!」

「それは、エーリカが作ったのか?」

「あっ、いや、えーと」

 

 

尋ねるヴィルヘルミナに、エーリカは恥ずかしそうに頬をかく。

 

 

「ほとんどウーシュに手伝ってもらったのだけれど」

 

 

鍋を覗き込んだヴィルヘルミナは、そこにあるものに驚く。

 

 

 

 

 

そこには、昨日ヴィルヘルミナがエーリカに教えたかぼちゃのスープがあった。

 

 

 

 

 

色も、匂いもおかしいところは何もない。

おたまでスープを掬っても、おたまは溶けたりしない。

それは正しくかぼちゃのスープであった。

 

 

「どうして………」

 

 

昨日はあんなに苦しんでいた料理が何故急に。

その疑問に、エーリカが答える。

 

 

「ウーシュに私が料理している間、ずっと手を添えてもらってやってみたんだ」

 

 

………なんじゃそりゃ。

そんなことで、まさか解決するなんて。

 

 

「ぷ、くっ………あっはっはっは!!」

 

 

ヴィルヘルミナは事の顛末に笑ってしまう。

そんなことで解決してしまうなんて、それでは本当にエーリカがまともな料理を作れなかったのは呪いではないかと。

 

 

「あ、でもねミーナ。包丁はウーシュの手を借りずにできたんだ。見てよ」

 

 

エーリカが掬い上げたスープの具は、どれも不揃いで、不恰好だった。

けれど嬉しそうに掬い上げたエーリカの指には、沢山の包帯が巻かれているのだ。

そこに至るまでに、彼女はどれだけ頑張ったのだろうか。

ヴィルヘルミナには、それで充分だった。

 

 

「味見してみても?」

「もちろん。あっ、トッピングはお好みでね」

 

 

小皿によそったスープは、やはりなんら異常は見られず。

恐る恐るヴィルヘルミナはスープに口に近づけた。

そして。

 

 

「………普通だな」

 

 

そのスープは、普通のかぼちゃのスープだった。

なんら変わりない、かぼちゃのスープだった。

 

けれどヴィルヘルミナはそのスープを、まるで至高の逸品であるかのように愛しむ。

 

 

「強いて言うなら、ちょっとしょっぱいな」

「えー、私のせいじゃないよミーナ。たしかにトッピングはお好みでとは言ったけれどさー」

「はっはっはっ、そうだな。うん………」

 

 

ヴィルヘルミナも、エーリカも。

不思議とポロポロと涙が出て、けれど恥ずかしそうに笑って。

身体の不調すらも忘れて、ヴィルヘルミナはエーリカの作ったスープを夢中に食した。

 

 

「今はまだ、だめだめだけど。でもいつかはひとりでも作れるようになるよ」

「ああ」

「そしたらいつか一緒に料理したり、私の料理を食べてくれるかな?」

 

 

一度は折れかけたエーリカが諦めなかったこそ、機転を利かせたからこそ完成したスープ。

しかしエーリカが望むのは、ひとりで料理を作ることだ。

きっといつか、叶うだろうか?

 

 

「ああ、楽しみにしているとも」

 

 

いや必ず叶う。

涙を拭うヴィルヘルミナは、そう思うのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇おまけ◇

 

 

 

 

 

ある日の朝、とある男が急患として運ばれてきた。

患者が運ばれてきた原因は、食中毒だった。

 

その日、ヴィルヘルミナの父レオナルド・ルドルファーは訪ねてきた昔なじみの精神科の友人と二人で街の地域病院に当直で待機していたため、その運ばれてきた食中毒患者を見る事になったのだが。

 

 

「医者の不養生とは、なにやっとんだハルトマン」

「ぐぅの音もでねぇ」

「まぁまぁ」

 

 

運ばれて、ベッドの上で横になっていたのはハルトマン――――エーリカ達の父だった。

そんなハルトマンを呆れた様子で精神科の男は見下ろし、レオナルドはたしなめる。

 

 

「そろそろ来る頃だと思っていたよ。胃腸薬、いつもの出しておくからな」

「すまん、レオ」

「なんだこの手慣れた感は」

「「だって、いつものことだから」」

 

 

口を揃えて答える二人に呆れてなにも言えないなと、男は言う。

 

 

「原因は何だ」

「嫁のメシを食わされたからだ」

「………ガチか?」

「ガチだ、凄く不味い」

「そう、洒落にならない味だ」

 

 

ハルトマンと、ハルトマンの嫁のメシを食べた経験があるレオナルドはげっそりした様子で口々に言う。

 

 

「…………なぁ知っているか? メシマズ嫁は三つに分けられることを」

「知らん」

「不器用な奴、味音痴な奴、いい加減な奴だ」

「知らんと言っている」

「あいつはその全てだった」

「………」

「ちなみに結婚して以来。此奴の食生活はこんな感じだ」

 

 

無関心を装いたかった男だが、流石にハルトマンが哀れに思えてきた。

 

 

「別れようとは考えないのか?」

「それはない。俺が選んだ女だ………ただな」

「なんだ?」

「病院食って、美味いよな」

 

 

俺、病院食大好きと公言するハルトマンに、嗚呼これは重傷だなと男は思ったところで、遠くで狼の遠吠えを聞く。

その遠吠えに、レオナルドとハルトマンがギョッとする。

 

 

「ま、マズいぞハルトマン!! 見張りのカルラが吠えた」

「来るぞ、来ちゃうぞ!! あいつがヤベーやつ持って来てしまう!!」

 

 

動けない筈のハルトマンは何かを恐れてベッドから転げ落ち、這ってでも逃げようとする。レオナルドも何かを恐れて震えている。

 

 

「お、おいなんだ!? 一体何が来るっていうんだ!?」

 

 

そんな二人の怯え様に男は戸惑う。

一体何なんだ!!

ハルトマンにそう尋ねると、ハルトマンは口調を荒げてこう返した。

 

 

 

 

 

うちの嫁だよ!!

 

 

 

 

 

「あぁあああああなぁああああああたぁああああ???」

「ひぃいいいいいいい!!?」

 

 

遠くから呼ぶ声に男がバッと窓の外を覗けば、迫ってくる小さな点。

それは猛スピードで、箒に乗って飛んできた。

手には箱を担いでいる。

 

男は察する。

あれがハルトマンの女房だと。

そして、担ぐあれは絶対不味い飯だと。

 

 

「馬伏!! ハルトマンを左から担げ!! 僕は右肩を担ぐ」

「逃げるのか!? あれから!? 無理だろ!?」

「それでもいいからにぃげるんだぁよぉお馬伏ぇええええええ!!」

 

 

それは、とある日の日常。

 




予定していたものより分量が三倍に膨れ上がったものを見て、ハルトマン欠乏症が過ぎたのだと感じた今回話でした、まる






今回話挿絵に関して、ウルスラスープレックスをご提供していただきましたいわみきゅうと様には、この場をお借りして感謝致します。誠にありがとうございました。

このウルスラスープレックスは、いわみきゅうと様が先日のインディックス大阪、およびメロン〇ックス様で発売されました「地球、最後の魔女」の裏表紙にも使用されております。
気になった方はメロン〇ックスへ、どうかサンプル画像だけでも見ていってください!!
ハルトマン帝国万歳!!(ちなみに私は欲しいのに関東に転勤の為、未だ予約できない現状)

因みに表紙は↓このようになっております。

【挿絵表示】


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誰がゴリラを呼んだのか byようじょ

一年ちょっと前までのあらすじ


ヴィッラ「君が、死ぬまで、殺すのを、止めないッ!!(物理)」
ジャクリーヌ「や、やろうぶっころっしゃーッ(震え声)」
No.56「さあ貴様の罪を数えろ」
ヴィッラ「ミ゛(死)」


たぶんだいたいあってる( ゚Д゚)


◇482◇

 

 

 

 

いよいよ争いは激しくなり、辺りの様子は当初と比べるまでもなく散々であった。

ヴィルヘルミナとジャクリーヌ。

この2人の嵐のような交わりの決着は未だつかない。

 

その嵐の中で、ジョーゼットは動けずにいた。

 

ジョーゼットは弱者である。

そんな彼女は嵐のおさまりを待つしかない。だから部屋の隅に逃れている。

もちろんジョーゼットは拳銃を握っている、戦える武器を持っている。握る拳銃のグリップが汗ばんでいるのはずっとぎゅっと握っていたからだ。

しかし彼女は武器を全く使わずにいた。いや、使えずにいた。

 

最初こそ、隙あらばヴィルヘルミナを助けようと構えていた拳銃。

しかし、今や銃口は地に向けられていた。

それは彼女にまったく助ける機会が無かったわけではない。

ましてや怠慢に更けていたわけではない。

()()()()()()()()()()()()()

そう、そんなことすら、いまの彼女には分からなくなっていたのだ。

 

 

「まったく、君は底なしか」

 

 

息絶え絶えに、そう吐き出すのはジャクリーヌ。

争いの小休止に、彼女は人間であるが故に息を吐くことを思い出す。

ずっと水中にでもいたかのように止めてた息をぷはっと吐き出すのだ。

それほどに、ヴィルヘルミナの攻撃は苛烈(かれつ)を極めていた。

 

あたりにはナイフが散乱していた。

今彼女の持つ両の手のナイフもまた刃こぼれをしていた。

そんな彼女はジョーゼットを背にするように陣取っていた。

対するヴィルヘルミナは身を屈めている。ジャクリーヌを睨んでケモノのような唸り声をあげていた。

 

……いや。

いやいや。

 

ジャクリーヌは首を振る。

「ような」、などではないのだ。

彼女は………アレは、正しくケモノだ。

ジャクリーヌは――――ジョーゼットもまた、そう評した。

 

牙を剥き。

尾を逆立て。

唸る口もとからは滴る涎。

足らぬはずの魔力は可視化できるほどにわんわんと垂れ流し。

そんな力で以て、()から()れた振るう暴力には、もはや護衛対象のジョーゼットを(おもんぱか)る様子は欠片もない。

これをケモノと言わずして何か。

 

 

「ぎざまはぁ、ごろズッ」

 

 

ようやく感情を発した彼女は、濁った声をしていたもので。

魔力の暴風にあてられたのかもしれないが。

それよりも。なによりも。

誰もかれも。この世すら。

ただただ憎悪する(まなこ)が恐ろしいと感じるのである。

それは、ジョーゼットの知らない誰かのようで。

それは、人を乗っ取る悪い悪魔のようで。

けれど、それはヴィルヘルミナの代わりに怒っている様子で。

 

 

「まじょの、てさぎッ!!」

「………はっ」

 

 

しかしジャクリーヌは、そんな姿のヴィルヘルミナを笑い、構える。

それはせめて態度くらいは余裕を保つなんて、そんな安い強がりではなくて。

 

 

「かかってこいよ、ワンコロめ」

 

 

挑発するのだ。

ジョーゼットには測れない、不明で知りえぬものであるけれど。

確固たる信念を持ってジャクリーヌは挑んでいる。

ジョーゼットにはそう見えるのだ。

 

眼前の、嵐はまだ止みそうにない。

 

 

 

 

そんな彼女たちの争いを見続ける者がいた。

灯りの消えた血だまりの部屋で、ブラウン管のテレビ越しに見ている者がいた。

 

『No.56』

 

ヴィルヘルミナを嗜虐(しぎゃく)し、彼女の排除した後の彼女の心に居座っている久瀬にとっての過去の故人。そいつは主人面してけらけらと嗤っていた。

 

嗤うのだ。

ブラウン管の中の彼女たち。そいつらが無能だから。

無策だから、無様だから。

さらに言えば茶番で、滑稽だったから。

高みの見物に興じるNo.56は、彼女たちを傲慢にも断じるのだ。

 

自らの心と身体をすり減らしてきた。それでも数多を守るためにと働いた阿呆は死んだ。

自分を疎かにして、自分の心に住み着いた亡霊に食い尽くされたのだ。

それによって突如消えてしまった主の代わりを演じているケモノは激怒した。

結果、敵どころか主の守ろうとした者にすら害を及ぼさんとしている。

身の程も知らない驕り者。彼女の心は揺らいでいた。

ケモノが演じる偽物の姿に、動揺している疑っている。

 

歯向かう魔女の手先がいるけれど、うん、さほどの問題ではないと考えていた。

 

彼女がそんな評価を下すのは、主の代わりを演じるケモノが優れているからだった。

ソレ自体の思考は愚かだ。けれども、主の記憶を頼りにケモノはよくよく主の技術を模倣していた。

 

No.56は知っているのだ。それこそ身を以て知っているのだ。

自分を殺した「久瀬」であった彼は、最も国家の守護者であったと。

なればこそ、誰よりも強者でなければならなかったと。

国家の守護者。つまりそれは国家の暴力装置であって。

国にそうあれかしと願われて、忌むべき外道の試験管の中で生まれて育てられ。

そして彼自身も外道らの手から離れた後ですら、無意識にもそうあれかしと育ってきた。

そんな彼が培ってきたものだ。たとえそれを模倣したものだとしても、憎むべき魔女――――その手先が多少のズルをしたところで打破できるほどヤワではない。

 

No.56は確信していた。業腹ではあったが、それは信頼しているとも言ってもいい。

あと少し、もう少ししたら、ケモノ以外に立つ者はいなくなるだろうと。

 

そしたら次に来るのは、彼女の信奉者。狂信者共だ。

きっと探しに来るだろう。特に、ルクレール中尉とか呼ばれている髭の男は。

その時、信仰していた彼女が自分らに牙を向く姿を見て、またどんな反応を見せてくれるだろう?

 

きっと。

そうきっと、酷い事になるだろう。

 

嗚呼、楽しみだなぁと手を叩く。

ケラケラと嗤う。

「久瀬」の顛末に相応しいと胸のすく思いで、彼女は居座るのだ。

彼女たちが壊れてしまうその一瞬を、ポップコーンでも頬張りながら、唯管に待つのであった。

 

 

「あらあら、大変ね」

 

 

そんな彼女の目の前を、暢気な何某が遮った。

しげしげと物珍しそうにブラウン管を覗くのは、女。

 

誰だ?

邪魔だ。

映る画面が見えないと、No.56はしっしと払おうとして………はてな?

彼女は首を傾げて、女の存在を確認する。

 

まて。

待て。

誰だこいつ。

 

 

「なんだお前ぇ!?」

「………?」

「いや、後ろに誰かいるの? じゃないよっ!!」

 

 

No.56は驚くのだ。

彼女の認知しない全くの他人。

そんなものが存在する訳がないと。

 

ここは他人の踏み込めぬ、こころの世界なのだ。

「久瀬優一」だけの精神世界なのだ。

誰一人、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。人間一人ひとりがひとつだけ持つたったひとつの心象風景、そのはずなのに。

そんな世界に当然のように平然に、きょとんと居座っているなんて――――「おかしい?」

 

 

「………」

 

 

心を見通しているかのように先回りして言い当ててて、まるで嗤うように笑う女。

No.56にとって、そいつはなんと言ったものか。

 

……あっ、そうだ。

「不愉快」。

ソレの名は、不愉快だ。

ならばどうする。

決まってる。

 

 

「殺せ」

 

 

処す。

いつものように。

とうぜんのように。

 

 

「疾く殺せ。疾く」

 

 

命じるNo.56に足元の影が伸びる。

朱色の水面が揺れる、ゆれる。

彼女の命令(オーダー)に応じるのは、久瀬のこころに住み着く亡者どもだ。

ヴィルヘルミナのこころを食い尽くした、久瀬のこころに住み着いていた亡者どもだった。

そいつらは伸びた血よりも濃い真っ赤な水面より、ぬらりどろりと這い出ててきて、ゆっくりと女を囲う。

逃げ場はない。逃がさない。

 

 

「あらあら」

 

 

そのはずなのに。

困ったかのような仕草を見せる女だが、けれども逃げる素振りはまったく見せなかった。

不思議なことに、女は囲まれてもなお余裕があった。

虚勢とは思えず、それが猶更不愉快で仕方がないが、そこまでだ。

 

 

「死んでしまえよ」

 

 

指差しする。

それを令にして、忠実な僕である亡者どもは、雄叫びをあげて女に襲い掛かる。

さあ亡者ども。

醜い在奴らは、あのむかつく女の頭を綺麗に食いちぎってしまえと。

No.56は期待するのだ。

(はらわた)に響く、亡者どもの唸り声を聴きながら。

そして。そして。

No.56の目の前にあるのは食い尽くされた女の残骸。

 

 

………ではなくて。

在るのは今からお茶会でもできそうな、場違いにも綺麗で見事なティーセットと、焼き菓子。

 

 

亡者どもに投げるNo.56の鋭い視線は、亡者どもの言い訳を聞く。

発する言葉はないけれど、No.56の胸中で渦巻く思いは嵐よりも雄弁で。

それを察するべき裏切った亡者たちは、けれども説明に窮したかのようにまたは困り果てたように、「あー」とか、「うー」とか、しょぼくれながら唸ってばかり。

 

 

「日本語喋れよ」

 

 

弁明のつもりか。

 

 

「さて、と」

 

 

一方で。

亡者に椅子を当然のように引かせて座り、暢気に紅茶に口付ける女。

そいつは「どうぞ」と、No.56に席を勧める。

 

さも当然であるかのように。

ここが自らのテーブルであることを宣言するように。

 

ギッと歯ぎしり。そしてNo.56は、そこではじめて()の顔を認識するのだ。

そして、驚くのだ。

 

そいつは確かに死人であった。

だがそいつは、(久瀬)にも彼女(ヴィルヘルミナ)にも恨みはなく、つまり彼の心に取りつく亡者ではなかった。

ならば、どうしてお前がいるか?

 

 

 

 

 

マリー・フォンク・ルドルファー

 

 

 

 

 

呼ばれた彼女は、ニコニコとして答えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ふんっ」

 

 

この場は不利だ。

そう悟ったNo.56はひとまず子供らしい不遜な態度で、引かれた椅子にどかりと座る。

 

繰り返すがここはヴィルヘルミナ――――「久瀬優一」の精神世界。

それを「久瀬優一」を殺すことで乗っ取ったNo.56だが、その支配権がどういう訳かあちらに渡りつつあった。No.56が健在であるのにだ。

それは亡者どもの態度を見れば明らかだった。

 

原理は分らぬ。

けれども完全に支配を失ってしまえば、亡者どもどころか自身の生殺与奪の権利すらマリー・フォンク・ルドルファーのモノになってしまう。そうなればNo.56の処理は考えるまでもない。

娘を殺したのだ。

仇である自身なんぞ、瞬く間に排除されるに決まっている。

しかしそんな結末はごめんだ。

 

だから探らなくてはならないのである。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

そして何らかの手段によってソレを解決しなければならないのである。己の生存戦略の為に。

そのためには、裸の王様になってしまった今は、彼女の誘いに乗るしかなかった。

同じ土俵に何喰わぬ顔をして上がるしかないのだ。

 

皿に盛られたクッキーを鷲掴み、No.56はもぐもぐと、リスのようにクッキーを頬張った。

そしてNo.56は思考を続ける。

 

では、さて。

マリー・フォンク・ルドルファーが正に敵か?

No.56は、問う。そして、断じる。

否だと。

 

死してなおも確固たる意志を持って他人の心に侵入することなんぞ、目の前の女ごときができる芸当ではないのだ。ましてや、今ここに至るまで静かに潜むことなぞ、なおさらだ。

彼女は、唯の人なのだ。正しく人なのだ。

たとえ英雄の娘として生まれても、たとえどれほど才能にあふれていても、たとえ優れたウィッチであったとしても――――彼女は人だ。人なのだ。

人は人である故に、人の理を超えられない。

奇跡など、ありはしないのだ。

 

であるからに、考えるべきは誰かの手引き?

誰の?

それは当然、彼女をここに招き入れることができる能力を持つ者であって、………?

 

クグロンをフォークで切り崩しながら、そこまで思考したNo.56はふと一つの解答に至る。

そしてプツッと突沸でも起こしたかのように内心で激怒するのだ。憤慨するのだ。

彼女に似つかわしくない正義感を以て。

 

 

 

 

 

あのクソったれの魔女めがっ!!

 

 

 

 

 

 

「何を怒っているのかしら」

 

 

どの口がほざく。

と、さすがに感情を見せることはない。

感情を晒す行為が愚かであることを、No.56は身を以て知っていた。

 

 

「なにが『歓迎』よ。クグロン、ぱさぱさだし」

「もっとしっとりしていた方が好きだった?」

「………」

 

 

「あの子はそっちの方が好きだったわ」と暢気にニヘッとして語るマリーの話を半分に、No.56はもぐ、もぐ、と無言で咀嚼する。そして口の中身をごくりと飲み込んで、紅茶でもって全部ぜんぶ胃に流す。

そうして開けた口だけれども、彼女の好みはマリーに教えないことにした――――もとから教えるつもりもなかったけれど。

 

 

「お茶のおかわりは?」

「………もらう」

 

 

ポットを持った亡者が近づく。

マリーの指示に従って、空いたカップに茶を注ぎに近づくそいつが気に食わず、脛をテーブル下でドカリと蹴ければ、「あ゛ぁああ゛ぁあ゛あ゛!!?」と叫んで脛を抑えて転がりまわる亡者。

いい気味だとNo.56はそいつを見下しながらぱしゃぱしゃと、足をぷらぷらとして血だまりで遊ぶ。

そうしていると、ふと彼女は考える。

 

そもそもである。

あろうことかこの部屋で、血と怨嗟に満ち満ちたこの部屋に在るというのに、なお平然として娘を害した仇に茶菓子をふるまって、なんのことでもないかのように茶を啜って居座っている、このマリー・フォンク・ルドルファーの姿かたちをした女。

目の前にいるこいつは、「本当に、マリー・フォンク・ルドルファーなのか」と。

No.56は疑うのだ。そして問うのだ。

 

動じていないのだ。全くとして。

 

こんなにこの世界は狂気であふれているというのに平然とするなんて、正気とは思えなくて。

ならば、既に普通じゃないのか。

ならば、目の前のコイツは何モノかと。

 

 

「あなたは誰よ」

「………あらあら」

 

 

No.56の追及に、頬に手を当てわざとらしい困り顔をして、こちらを覗く目は半目に伸びて。

そんな彼女の口元は、バレちゃったと言わんばかりに吊り上がる。

瞬間、彼女の身体半分がどろり溶けて、異様に奇妙に肥大化して。

苛烈に揺れるそれは烈火のように、そしてそこから噴き出してきたのは何百もの虚ろな死者どもだった。

 

死者の集合体。

 

それが目の前にいる女、マリー・フォンク・ルドルファーの形をしたモノの、正体。

それはここにいる亡者どものような、久瀬を恨むが故に住み着くものとはまた異なるモノどもだ。

 

あの日、あの街で、あのバケモノどもに。

マリー・フォンク・ルドルファーと同様にネウロイに害された無辜の死者どもだ。

 

伸ばす手は、死者どもの無念と苦痛を訴えて。

伸ばす手は、助けと救済を求めている。

だが決して、助けてはならないモノだ。

 

その手に同情して助けようとすれば最後。

何百もの手が救いを求めて殺到し、あちらに引きずり込まれてしまうだろう。

「まあ、もとから救う気なんてないけれど」とNo.56は鬱陶しそうにぺちぺちと、その手を払う。

 

 

「魔女の手先に堕ちて、哀れね」

 

 

混じりモノめとNo.56は創造主を軽蔑するが、マリーは気にする素振りはない。

 

 

「手先だなんて、とんでもない。哀れだなんて、とんでもない。確かに私はあの子の力を借りて此処にいるけれど、私は私の意志で此処にいる」

「正気じゃない」

 

 

つまり彼女は、今の姿に自ら堕ちたと言うのだ。

猶更正気を疑うNo.56だが、マリーはそんなNo.56の指摘をさも可笑しそうに笑って答えた。

 

 

 

 

 

「正気?あはっ、正気?なにそれ」

 

 

 

 

 

手を胸に当てて、マリーは語る。

「私こそが、『』だ」と。

「私こそが、『マリー・フォンク』だ」と。

 

くすくすと笑い続けるそんな彼女は、その影から漏れ出す死者どもの悲鳴と相まって、不気味で。

その不気味さに、得体のしれないおそろしさをNo.56が覚えたのも刹那。

眼前までパッと迫る彼女の顔面。

 

油断はなかった。

No.56は久瀬に負けはしたものの、彼女もまた試験管の中から産まれたころから戦いを続けてきた兵士だ。

にもかかわらず、瞬きする間に間合いを詰められた。

それは驚愕するべき事実なのだろうが、それよりも、なによりも。

覗き込んだ彼女の瞳、ソレに飲み込まれたNo.56は気づくのだ。

 

こいつは、同類だと。

油断ならない同類だと。

血を知っている同類だと。

殺しを知っている同類だと。

だから平然としているのだと。

 

『殺人』という人類が最も忌むべき罪を繰り返すことは、人間性を破壊する自傷行為だ。それをNo.56は誰よりも知っていた。だからこそ。

彼女が何百という死者どもをその内に内包してなお、器としていてなお、彼女はマリー・フォンク・ルドルファー――――いや、ルネ・フォンクの娘であるマリー・フォンクでいられるのだ。

 

 

「返しもらうの娘を」

 

 

マリー・フォンクは帰還したのだ。

大切な人の名を捨てて、かつての狂気に身を堕とし。

その果てが人を踏破し、死を踏破し、人ならざるモノになってでも、たった一つの願い。

運命と争い、過去に苦しむ我が子を救う。それだけの為に。

マリー・フォンクはNo.56と対峙するのだ。

 

 

「………くひッ」

 

 

嗚呼、だから。

 

 

「くひひっ」

 

 

だから。

 

 

「ひぃあはははははははッ、あっはははははははははっは!!」

 

 

嘲りが、爆ぜた。

少女は女にガツッと額をかち合わせ、目を見開いて吐き捨てるのだ。

 

バァーカ、と。

 

娘を返せ?冗談じゃない。

返すも何も、ヴィルヘルミナはもういないのだ。

亡霊どもに散々喰われて無くなってしまったのだ。

今更だ。それを知らないわけでは無かろうに。

けれどもこともあろうに、この女は願うのだ。

ならば、幻想抱いだままくたばってしまえと、マリーからは見えぬ右手にナイフを持った。

 

密着状態。

なればこそ。

必殺は今、ここ。

マリーの首元に、No.56の唯管殺意無き無心の一線が飛ぶ。

 

 

「………ッ!」

 

 

手ごたえはあった。

返り血は盛大で、確かにNo.56の頬を濡らす。

けれども、彼女は舌打ちした。それが全てだ。

No.56は失敗したのだ。

 

 

「メッしょ、こんな危なもの振り回したら」

 

 

見下ろす自身のナイフが仕留めたものは、マリー・フォンクの掌だ。

彼女は自らの掌に刃を貫かせて、刃を止めたのだ。

なんて奴、なんて芸当。

こんな奴が何故ただの町医者をしていたものかと、マリー・フォンクの技術にNo.56は純粋に驚く。

 

 

「畜生離せっ!!」

「こんな危ないものは、はーいぼっしゅー」

 

 

マリーは掌に貫通する刃をそのまま握って、まるで紙でも丸めるかのように、クシャ。

 

 

「………はっ?」

 

 

メキ、メキリッ。

マリーの片手の中で金属がへし折れていく音が響き、原型すら分らぬほどにナイフは粉砕されてしまっていく様子を、うそーんとNo.56は呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。

マリー・フォンクは、人じゃない。うん、それは間違いない。

ならば何かと問われれば、No.56は刹那に答えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴリラだ。

ゴリラに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰が見たってはっきりわかんだねと、ゴリラに捕まったNo.56は流石にゴリラの相手は諦めた。

 




一年ちょっとばかし旅に出ていました。社会という荒波に(カッコつけ)

投稿が滞りまして申し訳ございませんでした、いやほんと。
まさか自身が心の病を患うとは思ってもみませんでしたが、私は元気です(某学校ぐらし感)(重症)






………正直な話を致しますと、多忙な毎日を送ってついには病に陥った療養中に、「もう執筆は辞めてしまおうか」と考えたこともありました。
が、この一年間にいただいた評価欄の一言や、感想を読ませていただき、再開を決意いたしました次第でございます。
本音を言わせていただきますと「あんたらどんだけワイを泣かせれば気が済むん(ありがとうございます、ありがとうございます)」

また中々時間が確保できない毎日を過ごしておりますが、これからも細々ではありますが、このカノ飛ぶを読まれていらっしゃる皆様の少しの暇つぶしになればと存じます。

以上。


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