ほむらの長い午後 (生パスタ)
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01_ほむらの客

「ふうん、じゃあ、その〈まどか〉という少女の願いで宇宙の法則が改変されて、魔法少女が〈魔女〉とやらになる代わりにソウルジェムが消滅するようになったと、そういうことなのかい?」

 

「そうよ」

 

 ソファーに深く腰掛けながら、湯気が立つコーヒーを静かに口にした少女が、犬でも猫でもない奇妙な小動物の問い掛けに答えた。

 少女――暁美ほむらは、彼女の隣でちょこんとソファーにおすわりしている地球外生命体――インキュベーターを一瞥した。

 

(この獣、土足でソファーに上がっているわ。ちゃんと足を拭いたのか確かめるべきかしら)

 

 彼女の猜疑心に満ちた視線をまったく意に介さないキュゥべえが、「興味深い話だね」などと言いながらしっぽを左右に振っている。この宇宙人は、感情がないくせに好奇心はあるらしい。

 ほむらは、このような魔法少女の核心に触れる事柄について、気を張ることなくキュゥべえと会話するのは、これが初めてなのだと今更ながらに気がついた。

 〈前の世界〉において、数え切れないほどのインキュベーターを蜂の巣にしてきたキュゥべえハンター暁美ほむらは、この畜生にほんの僅かでも気を許してしまった自分自身に軽い驚きを感じた。

 

(でも、この世界は〈前の世界〉とは違う。魔女は生まれないし、こいつを嫌う理由はない。それに、感情のない相手に、悪意を向けても馬鹿馬鹿しいだけだわ)

 

 ほむらは小さく溜息をついた。

 

 キュゥべえがほむらの部屋を訪ねてきたのは、他の魔法少女と共闘せずに彼女一人だけで魔獣どもを倒したその翌日、つまりは今日であった。

 休日の午後3時、マンションの自室で1袋12個入り100円のミニドーナツをつまみながらコーヒーブレイクをしているほむらの頭の中に、キュゥべえの声が無断進入してきた。

 

『ほむら、昨日の分のグリーフシードを回収させて欲しいんだ。部屋の中へ入ってもいいかい?』

 

 そのとき、ほむらは、ソファーの上でだらしなく寝そべりながら、表紙に“小悪魔系ファッション特集!”と銘打たれたファッション雑誌を読んでいた。そして、キュゥべえの呼び掛けをとりあえず無視した。

 

『ほむら、昨日の分のグリーフシードを回収させて欲しいんだ。部屋の中へ入ってもいいかい?』

 

 ほむらは、雑誌を机の上へ置き、コーヒーカップを持ってキッチンへ向かうと、冷め切ったコーヒーを電子レンジで再加熱し始めた。そして、キュゥべえの呼び掛けを特に理由もなく無視した。

 

『ほむら、昨日の分のグリーフシードを回収させて欲しいんだ。部屋の中へ入ってもいいかい?』

 

 キュゥべえは、壊れたテープレコーダーのように同じ台詞を繰り返した。このスペースアニマルは、自分が何かしらの返事をするまで、延々と同じ内容の念話を発信し続けるつもりなのだろうか。さすがに気味が悪くなってきたほむらは、穏やかな午後のひとときを邪魔されて、不本意ながらも、白い小動物を部屋の中に招き入れることにした。

 そして、キューブ状の結晶をキュゥべえへ向かってポイポイと放り投げながら、ほむらは、心境の変化によるものなのか、あるいは単なる暇つぶしなのかは彼女自身ですらよく分からないが、女神様による宇宙改変について、しめやかに語り始めたのだった。

 

 

 ほむらの長話に最後まで口を挟まず静聴していたキュゥべえは、いつも通りの抑揚がない平坦な口調でこう言った。

 

「僕達は、およそ1万年前に君達人類と接触したんだ。当初から、浄化しきれなくなったソウルジェムがなぜ消滅するかについて、そのメカニズムは分からなかったわけだけど、まさか、それが魔法少女の祈りによるものだとは考えもしなかったよ。魔法少女が魔法少女の在り方を変えてしまったというわけだね」

 

「意外ね、あなたがこの話を信じるなんて。自分で言うのもなんだけど、これは相当に非常識な話よ」

 

 予想と違うキュゥべえの反応に、ほむらは少し面食らった。てっきり、“それは、昨日君が見た夢の話かい? 訳が分からないよ”とか何とか、上から目線で言ってくるものだとばかり思っていたのだが。

 

「君の話を鵜呑みにするわけじゃないよ。ただ、目立った矛盾はないし、いくつかの点においてそれなりに納得できる部分があるから少しばかり興味を持ったのさ」

 

(上から目線で人をイラつかせる物言いであることだけは、間違いなかったようね)

 

「ソウルジェムがグリーフシードに変化して魔法少女が魔女になるということだけど、それは、まさしく僕達が予測を立てていた現象に他ならない。でも、実際にはそうならずにソウルジェムは、君達が〈円環の理〉と呼ぶ概念存在による干渉で消滅してしまう。この宇宙の物理法則に当てはまらないこの不可思議な現象の正体が、魔法少女の祈りの結果だという主張は、ある程度有力な仮説と言えるだろうね」

 

「仮説じゃないわ。すべて本当にあったことよ。絶対に――」

 

(――そう、絶対に彼女は存在していた。憶えているのは私ひとりだけだとしても、これは絶対に私の妄想ではないし、ましてや夢なんかではありえない。……そのはずなのに)

 

 それは、この世界の住人となってから幾度も繰り返してきた想いだった。ほむらの頭の中で何度も否定と肯定が反覆する。彼女の思考は、ループしていた。

 急に黙り込んだほむらを一切気にすることなく、気づくことなく、キュゥべえが疑問を口にした。

 

「ところで、ほむら、どうして君だけが〈まどか〉のことを憶えているんだい?」

 

「愛よ」

 

 ほむらは、得意げな顔で即答した。

 想定外の答えに少々たじろいだ様子のキュゥべえは、小さな紅い瞳でほむらをじっと見つめたまま黙り込んだ。

 

「愛は不滅なのよ」

 

 ドヤ顔で繰り返すほむら。彼女は、わりと元気そうだった。

 

「必ず最後に愛は――」

 

「いや、分かったよ。愛については分からないけど。とにかく分かったよ。……仮説だけど、君が〈まどか〉を憶えている理由は、君の魂――ソウルジェムが宇宙の再構成を逃れて〈前の世界〉のままであるためか、あるいは、君のソウルジェムに〈まどか〉の因子が組み込まれているか。そんなところじゃないかな」

 

 時間の無駄を回避するために、ほむらの発言を秒速で遮ったキュゥべえが持論を述べた。

 そんな宇宙人の御高説を、うすら笑いを浮かべて聞いていたほむらが、ソファーの背もたれに片腕を乗せ、足を組みながらふんぞり返ってこう言った。

 

「私もひとつ、仮説を提唱するわ」

 

「“愛”によるものだと言いたいのかい? 確かに君達人類の感情エネルギーはとてつもなく大きなものだ。何が起きても不思議じゃない。でも、僕達は、その根底となる価値観について理解できないんだ。君は、〈まどか〉という少女のために、何度も時間遡行したと言ったね。どうして、そんなことをしたんだい? 君の言う“愛”は恋愛感情なのかい? 君は、所謂、同性愛者と呼ばれる人間なのかい?」

 

空気の読めないインキュベーターの、不躾なセクハラ発言が炸裂した。恋愛感情以前に感情そのものを持ち合わせていない彼らにとって、ほむらの行動は不可解なものに映るらしい。

 ほむらは、キュゥべえの問いを受けて、追想する。自分にとって、まどかはどのような存在なのか、それを考えようとするだけで、胸中で得体の知れない何かが渦巻き始める。それは、安易な言葉で表現できるような感情ではなかった。

 

(そもそも、私は、まどかが居なければ死んでいた。あのとき、魔女の結界に囚われた私をまどかが助けてくれた。命を救ってくれた。……でも、彼女は私の目の前で死んでしまった。それが、とてもつらくて、悲しくて……、私が魔法少女になったのは、彼女を救うため。その祈りもまどかのため。何度も何度も同じときを繰り返したのも、生きる目的も、何もかもすべてが――)

 

 ――突然、室内に呼び鈴の甲高い音が鳴り響いた。

 思考の海を漂っていたほむらは、ハッとして我に返った。

 

「アレ? チャイムが鳴ったね。これは一体……」

 

「……そうね、誰か来たみたいだわ。少し待ってなさい。まあ、別にもう帰ってくれてもかまわないのだけど」

 

 ほむらは、何かに違和感を感じている様子のキュゥべえに対してそう言い残すと、疲れた様子で立ち上がり玄関へ向かった。歩みを進めながら、彼女は、妙なことに気がつく。自分には、休日に訪ねて来てくれるような友人はいないし、もとより来客の予定はない。何かの荷物が届く予定もない。宗教の勧誘か何かだろうか。不審に思いながらも玄関に着いた彼女は、ドアスコープから外を覗き見た。

 レンズ越しに見えるマンションの通路は、ひっそりとしており、人の姿はない。彼女は、扉を開けて訝しげに周囲を見回した。

 

(まさか、ピンポンダッシュかしら。マンションなのに)

 

 この手のいたずらは、犯人――クソガキがこっそりと、出てきた住人の様子を窺っているものだ。そう考えたほむらは、長い通路の端から端まで目で確認したが、人の気配は感じられなかった。

 心中にモヤモヤとしたものを感じながら、ほむらは部屋に戻った。

 

(次は、時間を停止して身柄を拘束してやるわ)

 

 リビングに戻ると、意外なことにキュゥべえはまだ帰っていなかった。室内に入ってきたほむらに一切注意を払うことなく、平常どおりの無表情で宙を見つめている。彼女は、少々乱暴に身を投げ出すようにして、勢いよくソファーにヒップドロップを決めると、ミニドーナツの菓子袋に手を突っ込んで中身を探り始めた。しばらくの間、ガサガサと音を立てていたが、次第に彼女の眉間にしわがより始めた。

 

「キュゥべえ。あなた、私のお菓子を勝手に食べたでしょう。最後の1個だったのよ。もしかして、風穴を開けて欲しいの? それとも木っ端微塵に砕け散りたいのかしら?」

 

 ほむらの言葉には、明確な殺意が込められていた。今度マミに会ったら、ペットの躾くらいちゃんとしろと文句を言うべきだろう。彼女の呪詛を聞いたキュゥべえが、ここでようやくほむらに顔を向けて、こう言った。

 

「僕は、食べてないよ」

 

「最後のひとつが残っていたことは確かよ。でも、私が玄関に行って戻ってくるまでの間に、何者かによって食べられてしまった。そして、それが可能なのはずっとリビングに居たあなただけ。もう、ネタは上がっているのよ。言い逃れはできないわ、おとなしく白状しなさい」

 

 名探偵が、穴だらけの推理ショーを披露して容疑者Qを追い詰める。ほむらに睨まれたキュゥべえは、考え込むようにして言った。

 

「もう一度言うけど、僕はやってない。食べたのは――」

 

 キュゥべえは、テーブルの上に置かれた雑誌をチラリと見た。

 

 

「――そう、あれは、悪魔だったよ。間違いなくね」



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02_ほむらの最高の友達の友達

 ほむらは、ポカンと口を開けて、隣に座っている宇宙人をまじまじと見つめる。そこには、何度同じときを繰り返しても、決して変わることのなかったインキュベーターの無感情な紅い瞳があった。

 

「……悪魔? 訳が分からないわ。何かの宗教に入信したの? キュゥべえ、その個体には致命的なバグが発生しているから、早急に処分することをお勧めするわ。何だったら、今この場で私が解体作業を手伝ってあげましょうか?」

 

「心配には及ばないよ。僕が観測した事象は、中枢意識と情報同期して分析済みだ。その結果、“アレ”は確かにこの場に存在していたという結論に達している」

 

 ほむらは、言い知れない不安を感じる。この違和感は何だというのか。彼女は、空になった菓子袋を見つめながら思案に暮れた。そして、絞り出すような声でこう尋ねた。

 

「あなた、いつの間に嘘をつけるようになったの? 嘘をつかないことだけが取り柄のあなたから、その唯一の長所を取り除いたら跡には何も残らないのよ」

 

「僕達は嘘をつけないわけじゃない。大抵の場合、嘘をつかないだけさ、その必要がないからね。もちろん、さっきの話は嘘なんかじゃないよ」

 

(インキュベータージョークというわけでもなさそうね。これが冗談だとしたら、面白いというよりもむしろ、憎悪を感じるのだけど)

 

 本当に、冗談という可能性はないのだろうか。ただし、コイツが仮に“なーんてねっ。冗談に決まってるじゃないか。悪魔なんているわけないだろう? HAHAHA!”などと言い出だしたら、その瞬間にこの畜生は生涯を終えることになるだろうが。

 

「ほむら、君は今でも時間遡行の魔法を使用できるのかい?」

 

 あまりにも唐突な話題変更である。この地球外生命体が何を考えているのかなど、普段からまったく分からないが、今日はいつも以上に理解し難い。ほむらは、ひとしきり考えた後、こう答えた。

 

「前に、少し試したことがあるのだけど、この世界では使えなかったわ」

 

「それは、どうしてなのか見当がつくかい?」

 

「そうね……。私の祈りは“まどかとの出会いをやり直す”こと。まどかのいないこの世界では、当然、過去においても彼女は存在しないわ。出会いをやり直すことはできないということじゃないかしら」

 

「ふうん、君はそんな祈りで魔法少女になったんだね。だから、今は時間遡行ができない。でも、時間停止の魔法は使える。……なるほど、“アレ”はそういうことだったのか」

 

 何やら、一人で納得し始めるキュゥべえ。先程から、会話がかみ合っていないような気がしてならない。置いてけぼりをくらったほむらは、微かな苛立ちを感じながら言った。

 

「なぜ私の魔法について知りたがるの? それを知ったところで、あなたには何の得もないでしょう?」

 

 おしゃべりが過ぎたかもしれない。この宇宙人が、目的のない雑談に興じることなどないのだ。コレがこんな話題を振ってくるのには、何か理由があるはずだ。それが、何なのかが分からないが、まさか、悪魔だとか言っていたことと関係があるのだろうか。

 

(馬鹿げている。女神様が守護するこの宇宙に、悪魔なんているわけがないわ)

 

「得ならあるさ。だいたい、僕達インキュベーターは、基本的に自身に利益となることしか行わないよ。君達人類と違ってね。ほむら、僕達の計画に協力して欲してくれないか。この計画は、君の魔法が必要になる。君は〈まどか〉に会いたいんだろう? もし、計画に協力してくれたら、君は、まどかに会うことができるかもしれないよ」

 

 もし、本当に悪魔がいるとすれば、それは、このインキュベーターなのではないか。“まどかに会える”その甘言に、悪魔の誘惑に、暁美ほむらが逆らえるわけがない。緊張を感じた心臓が早鐘を打ちはじめる。彼女は、懸命に平静を装いながらこう言った。

 

「……まず、その計画について、一切の嘘偽りなくすべてを話しなさい」

 

「そんなに難しい話じゃないよ。君のソウルジェムを解析して、時間遡行の技術を開発する。それによって僕達は、いずれ訪れる宇宙の終焉を逃れて過去へ戻ることが可能となる。それだけのことさ。宇宙全体の利用可能なエネルギーは、エントロピーの増大によって減っていく一方だ。そのために僕達は、魔法少女の感情エネルギーを集積しているわけだけど、でも、結局それでは、終わりの日を先延ばしにするだけで、根本的な解決にならないんだ。この宇宙で十分な時間が経過し、エネルギーがすべて熱エネルギーとなって均等に分布してしまって使い物にならなくなったら、僕達は、蓄えていた感情エネルギーだけで生命活動を維持していかなければならなくなる。そんな文明社会は、何の発展も望めないし長続きしないだろう。そういう訳で、僕達は、終幕の未来から開幕の過去へと回帰する計画を立ち上げたということなんだ」

 

「そう。それで、その計画は見事失敗に終わることになるわけね。仮に、未来でその計画が成功しているのだとしたら、現在のあなた達は、すでに未来から来たインキュベーターと接触して、時間遡行の技術を学んでいるはずよ。そうなってない以上、その馬鹿げた計画が失敗することに疑いの余地はないわ」

 

 そもそも、ソウルジェムを調べて魔法の効果を技術転用するなどという話自体がおかしいのではないか。そんな話は、何度も循環した〈前の世界〉でも聞いたことがない。それとも、自分が気づいていなかっただけで、この宇宙人は、さながら人体実験のように魔法少女のソウルジェムを好き放題にいじり回していたのだろうか。

 ほむらは、ふと、あることに気づく。“――嘘をつけないわけじゃない。――嘘をつかないだけさ”キュゥべえは、そう言っていた。インキュベーターは、嘘をつかない。その大前提があったからこそ、かろうじて、彼らから一方的に利用されずに何とかやり過ごしてこれたのだ。彼女は、戦慄する。キュゥべえの嘘を見抜く術はない。それにもかかわらず、嘘かもしれないと分かっているにもかかわらず――

 

(私は、まどかに会えるのなら、何だってする)

 

 

「疑いの余地は十分にあるよ。ほむら、君が〈前の世界〉で時間遡行を繰り返していたとき、いつもまったく同じ事が起きて、同じ結果になっていたのかい? 違うだろう? つまりはそういうことさ。この時間軸に、未来から僕達がやって来なかったからといって、現在の僕達が過去へ行くことができないという証明にはならない。並行宇宙は無数に存在して、無数の可能性が存在している。宇宙はひとつじゃない。要するに、何事もやってみるまでは分からないということさ」

 

 ほむらは、理解できるようで理解できない話に、フラストレーションが大いに溜まった。彼女自身タイムトラベラーだったわけだが、実際のところ、過去だの未来だのいう話は、ほんのちょっとしたことですぐに矛盾するし、ややこしくて敵わない。彼女は、時間の逆説について考えることを放棄した。そんなことよりも、今は、ほかに確認すべきことがあるのだ。

 

「よく分かったわ。これ以上この話題を続けても、何の意味もないということが。あなた達が滅亡しようが、宇宙が崩壊しようが私にはどうでもいいことなの。私が知りたいのは、“まどかに会うことができるかもしれない”という部分よ。私のソウルジェムをあなた達が調べることと、私がまどかに会えるかもしれないことに何の関係があるのかしら?」

 

 物事に優先順位を設定したほむらは、最も優先順位の高い存在について、最も優先順位の低い存在に尋ねた。

 

「ほむら、君は時間停止という時間操作の魔法を使えるのに、なぜか以前使用できていた時間遡行の魔法は使えなくなっている。それは、君自身が言っていたとおり、この時間軸から〈まどか〉という存在が消失してしまったからだろう。君の魔法は、過去のある時点を基点にして作用していたんじゃないかな。その基点となる瞬間に〈まどか〉が存在しなければ、魔法は対象を失って立ち消えてしまうということだね。でも、もし君の魔法の効果が他の時間軸に及ぶようになったとしたら? 他の時間軸になら〈まどか〉存在するかもしれない。いや、必ず存在するね。なぜなら、並行宇宙は無限に存在するからだ。〈まどか〉は、概念存在となって全ての確率時空から移相してしまったと〈前の世界〉の僕が言ったらしいけど、無限の可能性が考えられる以上、〈まどか〉が何らかの理由で現し世に顕現している可能性を完全には否定できない。つまり、〈円環の理〉が実体化している瞬間を、目標地点として探り当てることができれば、君は、晴れて女神様とご対面というわけさ。……もしかしたら、君は、運がいいのかもしれないね。つい先程、考えようによっては親切な存在から、ソウルジェムの魔力係数を増幅させる技術を貰い受けたんだ。これで君の魔力をかさ増しすれば、別の時間軸への転移が可能となる。ソウルジェムを解析させてくれることに対する、ほんのささやかなお礼だよ」

 

 キュゥべえが、長ったらしくて、疑わしいことこの上ないストーリーを展開する。ぶっちゃけると、話の半分も分からない。しかし、そんなことはほむらに関係がない。彼らが間違っていようがいまいが、嘘をついていようがいまいが、やるべきことは決まっている。迷う必要などない。そうだ、“何事もやってみるまでは分からない”のだから。彼女は、意を決した。

 

「その胡散臭い計画に協力するわ。さっさと私のソウルジェムを魔改造してステータスをカンストさせなさい」

 

「協力してくれるのかい。それはありがたいね。でも少し待って欲しい。多分、もうそろそろ――」

 

 ――突然、室内に呼び鈴の甲高い音が鳴り響いた。

 本日、2度目の来客である。チャイムを耳にした瞬間、ほむらは、迷いなく魔法少女に変身して時間を停止させる。世界が凍りついた。

 

(魔法少女の住む家に悪戯を仕掛けたのが運の尽きよ。取り押さえて、親に突き出してやるわ)

 

 呼び鈴が鳴ることを、素直に来客だと受け取ることのできないかわいそうなほむらは、どうせ、また近所のジャリのピンポンダッシュだろうと決め付けた。彼女は、玄関まで僅か0秒で辿り着くと、魔法を解除しながら、ドアを来訪者に激突させんばかりに勢いよく開け放った。

 

「あっ! っと、……あ、暁美さん、こんにちわ。すごくドアを開けるのが早いのね」

 

「……ハハーン。さては、あたし達が来るのが待ち遠しくて、玄関で待ち構えてたんでしょ?」

 

「へぇ……、そうなのか。あんたも意外とかわいいトコがあるじゃん」

 

 扉の向こうには、見覚えのある3人の少女が立っていた。

 急に開かれたドアを仰け反るようにして避けた巴マミが、驚きの表情を浮かべてながら、そして、美樹さやかと佐倉杏子は、嘲るような笑みを浮かべながら、ほむらに目を向けている。どういうわけか、見滝原市に居を構える魔法少女4人が集結したのだった。

 ほむらは、しばし沈思黙考する。なぜ、彼女らは、呼んでもないのにやって来たのか。今までに、コイツらがアポなしで勝手に我が家にやってきたことなどない。考えても答えが出そうにないので、ほむらは、疑問をそのまま口にすることにした。

 

「あなた達、何で来たの? 呼んだ覚えがないのだけど」

 

「ハァ? アンタが、夕飯を奢ってくれるっていうから来てやったのに。今更、はい嘘でしたは通用しねぇぞ」

 

 杏子が、恫喝するかのような口調で言いながら、ほむらを睨み付ける。杏子の怒気を軽く受け流したほむらは、物言いたげにマミの方へ視線を向けた。

 

「私は、一緒に夕飯を作りたいと言われたわ。念話だったから、暁美さんの波長だとすぐに分かったのだけど……。 人違いだったのかしら?」

 

「うーん……。あたしは、恭介のことで話したいことがあるとか言われたんだけど、確かに面と向かって言われたわけじゃないなぁ。でも、あの傲慢な態度で腹黒さが滲み出ている念話は、絶対にあんただった。間違いないよ」

 

 適格だ。彼女達をおびき寄せる誘い文句としてはこれ以上ないくらいに。しかし、どこのどなたがわざわざ人様の声真似までして、このような手の込んだ悪戯をするのだろう。ほむらは、とりあえず、現状で最も疑わしい存在の弁解を聞いてみることにした。

 

『犯人はあなたね』

 

『いきなりだね。やれやれ、君には疑われてばかりいる。よほど僕達のことが信用できないのかい? それは濡れ衣だよ、マミ達を呼んだのは僕じゃない。もっとも、彼女達が来ることは知っていたけどね。ほむら、件の計画には彼女達の協力も必要なんだ。とりあえず中に入ってもらおうじゃないか』

 

 キュゥべえは潔白らしい。すると、ほむらは、いたいけな小動物に無実の罪を着せようとしていたことになる。だが、そのことについては特に反省しなかった。犯人は宇宙人ではない、それはいいだろう。しかし、マミ達が来ることを知っていたというのはどういうことか。

 ほむらは、すさまじい疲労を感じ始めていた。

 

『何だか、今日はおかしなことばかり起きているような気がするわ』

 

『まったく同感だね』

 

 インキュベーターが言うからには、今日は本当におかしな日なのだろう。ともあれ、3秒でキュゥべえとの念話を終了させたほむらは、マミ達に向かって言った。

 

「あなた達、こんな場所で騒いでいたら近所迷惑になるわ。中に入りなさい」

 

 そう言われて、少女達は、ほむらの態度を不審に思いながらも、ミステリアスな魔法少女の部屋の中へ入ることにしたのだった。

 

「あら、キュゥべえ、見掛けないと思ったらここにいたのね」

 

 リビングに通されたマミが、大きなソファーの上で猫のように丸くなっている白い小動物に、少し驚いたような口調で声を掛けた。

 

「やあ、こんにちわ。マミ、杏子、それにさやか」

 

 律儀で無感情な挨拶をするキュゥべえ。杏子とさやかは、それに対して挨拶を返すこともなく、神秘のヴェールに包まれていた暁美ほむらのプレイベート空間を無遠慮に見回している。

 

「うわぁ……、ソファーとテーブルしか置いてないし。殺風景な部屋だね。まあ、ぬいぐるみとかが置いてあるよりかは、ほむらっぽいのかな」

 

「なあ、メシの準備はいつ頃始めるつもりなんだ? 手伝ってやってもいいぞ」

 

 3人の内の2人が好き勝手なことを言い始める。というか、ほむらは、彼女達に何か用事があるわけではないのだ。今から何をすればいいのか。仲良くガールズトークを始めればいいのか。それとも、杏子の言うとおり、皆で一緒に夕飯でも作って魔法少女仲間の親睦会を開催すればいいのだろうか。急な来客に対してどのように振舞えばいいのか、その経験が圧倒的に不足しているほむらは、内心、滅茶苦茶焦り始めた。

 

(やばいわ。これは、……やばいわ)

 

「皆、とりあえず座ったらどうだい? それと、実は君達に用があるのは僕の方なんだ。ちょっと、僕の母星まで来て、ある計画を手伝ってくれないか?」

 

 家主を差し置いて、キュゥべえが場を仕切り始める。ほむらは、正直、助かったと思った。

 

「え……? 母星? 計画? よく分からないわ。キュゥべえ、何のことなの?」

 

 マミが、キョトンとしながら尋ねた。

 本当によく分からない。地球外生命体の生まれた星に行くなんて初耳もいいところだ。来たばかりのマミ達にとっては、寝耳に水に違いない。

 

「計画というのは、ほむらの魔法を解析して、その時間遡行の技術を得ることと、ほむらの魔力係数を増幅させることなんだ。そのためには君達の協力が必要になる。ソウルジェムを分析するには僕達の星の施設を使用しなければならないから、君達も一緒に来てほしいんだ」

 

「は? アンタ宇宙人だったのかよ。つーかさ、全然意味が分かんねぇぞ。“じかんそこう”ってなんだよ? “まりょくけいすう”ってなんだよ?」

 

 杏子の疑問はもっともだ。ごく普通に晩御飯を食べに来ただけのに、こんな突拍子もない話を聞かされてすぐに理解できるわけがない。

 ほむらは、恐ろしくうんざりしながら、自分が時間遡行の魔法を以前は使えていたことと、インキュベーターによる“宇宙のエネルギーをどうにかしよう計画”について、大まかに話すことにしたのだった。

 

「キュゥべえが宇宙人だったなんて……。マスコット的な何かではなかったのね……」

 

 ほむらの話を聞き終わったマミの第一声がそれだった。どうでもいい部分に喰いついてきたな、とほむらは思った。

 

「ほむら、あんたこれ以上強くなってどうするの? 今でも殆ど反則級の強さなのに」

 

「過去に戻れる……。いや、もう終わったことだな」

 

 この場にいる魔法少女の中において、最弱の名を欲しいままにするさやかが、若干羨ましげな口調で言う。対して、杏子は、何事かを自問自答しているようだった。

 

「協力してくれるかい?」

 

 キュゥべえが少女達に返答を促した。

 

「うーん……、なんていうか、よく考えたら宇宙人が住んでいる違う星に行くって凄いことだよね。もしかしなくても、人類初の快挙というやつじゃないの?」

 

「そうね……。キュゥべえの星には、やっぱり、たくさんキュゥべえ達がいて、社会生活を営んでいるのかしら。そう考えると何だか不思議ね」

 

「あたしは、宇宙に行けるっていうのが結構楽しみだな。無重力とかいう奴で体が空中に浮かぶんだろ? どんな感じなんだろうな」

 

「あー! それもあったね! 宇宙船の中の映像をテレビで見たとき、すごく面白そうだったなぁ!」

 

 少女達は、宇宙遊泳をしてみたい、地球が本当に青いのか見てみたい、途中で月に寄り道して欲しいなどと楽しげに言い始めた。彼女達の熱にあてられたのか、ほむらも何だか少し宇宙旅行が楽しみなってきた。そうだ、確か、大昔に小学生だったころ、宇宙で縄跳びをすれば十重跳びでも百重跳びでもできるのだろうかと空想したことがあった。今こそ、その真偽を確かめるべきときなのではないか。

 そんな彼女達に向かって、キュゥべえがこう言い放った。

 

「それじゃあ、まずは現在の体を破棄して欲しい。今の脆弱な肉体構造のままでは、僕達の星の重力に耐え切れずに潰れたトマトになってしまうからね。でも、心配は要らないよ。君達の固有波長に適合した特別性のボディーを用意するからね」

 

 少女達の浮かれた気持ちは、跡形もなく消し飛んだ。



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03_ほむらの黄金の林檎

「とりあえず、君達の新しい体をここに転送させるよ」

 

 肉体を捨てろなどということを、何の遠慮もなしに言い放ったキュゥべえは、今度はそんなことを言い出した。そして、宇宙人がその言葉を言い終わるか終わらないうちに、少女達は、ほんの一瞬胃がひっくり返るような凄まじい浮遊感に襲われる。その、空間が捩れるような奇妙な感覚が過ぎ去ってみると、室内の人数が4人+1匹から8人+1匹へと増加していた。

 

 増えた新少女達は、首から上を除く全身を純白の薄い膜でラッピングされており、それは不思議な光沢を放っていた。衣服らしい衣服を身に付けておらず、体の線がはっきりと分かったため、旧少女達は、否応なく思い知らされる。アレは、あまりにも自分そっくりなのだと。

 

 河岸に水揚げされたマグロのように無造作に並べられた自分自身を見て、少女達は、言葉で言い表すことができないほど大きな衝撃を受けた。

 そこに自分がいる。違う、自分はここにいる。でも、そこにもいる。自己の同一性が崩壊する。足元が崩れそうな非現実感だった。そう、何よりも恐ろしいのは、今、自分が、自分自身だと思っている体を放棄して、目の前に用意された新しい体に乗り換えることができるということ、それが、当たり前のようにできてしまうということだった。

 

 少女達は、魔法少女になったら魂がソウルジェムに変質するのだと、キュゥべえから説明を受けていた。そんなことは、できたら願い下げなのだが、願いの代償なのだと無理矢理にでも自分を納得させてきた。それに、普段の日常生活を送る分には、なんら支障はないし、魂の所在など常日頃から気にしているわけでもない。なるべく、思い出さないようにようにしておけば、それで心の平穏を得ることができた。しかし、床に死体のように転がっている自分自身が、目を背けていた〈魔法少女〉という現実を突き付けてくる。ここにいる自分と、そこにいる自分は、まったく同等の人間であり、同等の操り人形なのだ。

 

 少女達は、呆然と立ち尽くし、言葉を失っていた。

 

「そう言えばさやか、あなたが一番、宇宙旅行が楽しみだとか言ってバカみたいに喜んでいたわね。仕方ないわ。名誉ある一番手はあなたに譲ることにしましょう。遠慮なく宇宙へ行って、人類の歴史に名を刻んでくれてかまわないわ。キュゥべえ、そういうことよ。私達は、彼女があなたの星に行って帰って来るのを、ここでお茶でも飲みながら待ってるわ」

 

「あ……、え、と。いやいやいや、輝かしい一番の座は、やっぱり宇宙行きの話の主役であるほむらさんにふさわしいと思うなあ。ほら、考えてみたら、結局私達は、アンタの用事に付き合って別の星までついて行くことになっただけのその他大勢なわけだし。ここは遠慮しておくわ。ほら、そこに置いてあるスペシャルボディーと体を交換したらどう? 今よりかはちっとはマシになるんじゃないの? 色々なものがさ」

 

 ほむらが、場に降りた重苦しい沈黙を破って、ふざけたような態度でさやかに話しかける。急に話を振られたさやかは、どこかに飛んでいた思考の糸を必死に手繰り寄せて、どうにかこうにか返答することに成功したようだ。

 

 ほむらは、さやかの言うところの“スペシャルボディー”達に視線を向けた。寸分の狂いもなく、細部まで精巧に模造されたほむら、マミ、杏子、さやかの等身大人形がリビングの床に横たわっている。彼女は、冷やかに自らの死体を見下ろした。

 

(マネキン人形よりは、マシな造りのようね)

 

「ハァー……。自分そっくりの人形を見ると、こんなにビビッちまうもんなのかよ。正直、スゲー気持ち悪いな、アレは」

 

 杏子が、ほむらとさやかの軽口を聞いてそう言った。先程までの緊迫した空気の中で誰かが泣き叫びだしたとしたら、杏子もつられて激昂したかもしれない。だが、まったく普段と変わらず、世の中を嘗めてかかった皮肉めいた発言をするほむらを見て、自分を取り戻すことができたようだった。

 

「無理よ……。体の入れ替えなんて、そんなの絶対に無理……」

 

 マミは、こみ上げてくるものを押さえるかのように口元を手で覆っていたため、その言葉は、くぐもって聞こえた。彼女は、無理だ無理だと繰り返して、何かを否定し続けていた。

 

「無理じゃないよ。操作する肉体が変わるだけじゃないか。換装はスムーズに行くと思うよ、その体に主観を移動すればいいんだ。そうだね……、魔法少女に変身するときのように、別の何かに変わるというイメージで感覚を伸ばせばいけるはずさ」

 

「そうじゃない! そうじゃないのよ……。キュゥべえ、あなたは何も思わないの? 何も感じないの? 何でそんなことを平気でできるの? あんなモノを見せられて、私は、どうしたらいいのか……」

 

「マミ、僕達は、人類が自己の唯一性というものを重要視することは理解しているんだ。でも、思い出して欲しい。君は、ソウルジェムであり、ソウルジェムは、君であるということを。魔法少女となった今の君の本質は、結晶化した魂にある。それは、唯一無二の君自身であって、他の何者かであることはけっしてない。君達は、ソウルジェムこそが自分自身だということを、もっとよく考えてみるべきだね」

 

 ほむらは、少し驚いた。キュゥべえは、慰めとまでは行かないが、少女達の心情に配慮して言葉をきちんと選んでいるようだった。感情がなくても、それくらいのことはできるらしい。しかし、このままぐだぐだとマミを諭していても埒が明かない。彼女には、追い追い慣れてもらうしかないだろう。

 ほむらは、無言のまま、床に放り出されているほむら人形に歩み寄った。そして、ソウルジェムを取り出し、少し思い迷った後に、それを人形の胸にそっと置いた。

 他の少女達は、急に何事かを始めたほむらを固唾を呑んで見守っている。彼女は、意識を集中し始めた。

 

(私には、立ち止まっている暇なんてない。これが、まどかに会うために必要なことだとしたら、何も考えることはない)

 

 思考が明滅しながら、一点に定まっていく。ほむらは、ストンと落下するような感覚を受けて、覚醒した。何の違和感もないことに逆に違和感を覚える。もしかして、失敗したのだろうか。ここで、ようやく彼女は、自分が床に倒れていることを認識した。いったい、いつのまに倒れたのだろうか。

 ほむらは、ゆっくりと立ち上がる。そして、マミ達が呆けたようにこちらを見つめていることに気がついた。滑稽な面だと思った。ふと、床に目をやると自分が倒れていた。やはり失敗のようだ。もう一度試さなければならない。彼女は、ふらふらとした足取りで、なぜかさっきまで自分が着ていた衣服を着用している人形に向かって歩き出す。

 微かなひっかかりを感じながら人形を見ていたほむらの全身に悪寒が走った。ビクリと全身を震わせて硬直する。

 そこに自分がいる。

 ほむらは、慌てて自身の体を検分する。全身が伸縮性の強い白色膜で覆われていた。つまり、ボディチェンジは成功していたのだ。なぜか、自己認識が上手く行かずに、それが分かるまでにやたらと時間が掛かってしまった。彼女は、大きく深呼吸をして気を落ち着かせた。

 

「あなた達も、とっとと済ませなさい。新しい体もなかなか悪くない感じよ」

 

 ほむらは、そう言って魔法少女に変身した。やはり、身を覆うものが薄皮一枚だと恥ずかしかったのだ。

 マミ達は、逡巡していた。そもそも、そこまでして付き合うようなことでもないのだ。宇宙旅行ができないのは残念だが、体を交換してまでも行きたいかと言われれば、答えは否である。

 決して、短くはない時間、誰も言葉を発しなかった。

 

「……何だよ、マミもさやかもやらないのか? じゃあ、次はアタシが体を新調させてもらうとするか。まったく、タダで強くなれるなんて儲けモノだよなぁ」

 

「あんた、正気なの? そんなに宇宙に行きたいってわけでもないんでしょう?」

 

「そうよ、佐倉さん、自分が何をしようとしているのか分かっているの?」

 

「アンタ達は、ちょっとさ、マジになりすぎだって。それに、宇宙に行くとか行かないとかいう話は関係ないね。結局、あたしがこの石ころだっていうのは事実なんだからしょうがねぇだろ。今、そのことから逃げても、なんにも変わらないじゃん。ついさっき、そこのムカつく宇宙人が言ってたじゃねぇか、ソウルジェムこそが自分自身だってさ。それさえしっかりと心に刻んでおけばいい。だから、あたしはやってみることにしたんだ。そうすりゃ、今よりも少しは前に進めるような気がするのさ」

 

 あの杏子が自らの心情を真面目に語っていた。彼女の飾らない言葉は、マミとさやかを揺さぶるのに十分だったらしい。二人は、意を決したようにこう言った。

 

「なーにカッコ付けちゃってんの? 今、絶対自分に酔ってたでしょ。ま、あんたひとりじゃ心配だから、あたしもついていく事にするわ」

 

「ふふ……、なんだか、後輩に格好悪いところを見せちゃったみたいね。佐倉さんの言うとおりだわ。今逃げても、事実は変わらない。だったら、いつまでも悩んでいるわけにはいかないわ」

 

 3人は、魔法少女としての絆を確かめ合っていた。

 その様子を、傍らに立ったほむらは、腕組みをしながら仏頂面で眺めていた。下らないことにいつまで時間を使うつもりなのか。いい加減にして欲しいものである。

 

「茶番はそのくらいにしたらどう? 時間は有限なのよ」

 

 マミ達は、その陰気で人格に障害があるとしか思えない言葉に苦笑しながらも、ボディの交換作業を実施することにしたのだった。

 

 

「よし、準備完了! 宇宙への旅に出発だー!」

 

 さやかが、長年の鬱積から開放されたように嬉しげにそう言った。

 新しい体に生まれ変わった少女達は、全員魔法少女の姿となっていた。 一悶着あったが、ようやくスタート地点に立つことができたということである。

 

「ちょっ、ちょっと待って! キュゥべえ、前の体はどうなるの?」

 

 あたふたと、眠るように死んでいる自身を指し示しながらマミが尋ねた。

 

「既に呼吸も血液の循環も停止して10分以上が経過している。脳組織が深刻なダメージを受けているから助かる見込みはないね。このまま放っておいたら腐敗が進んでしまうから処分しておくよ」

 

 死んだ。

 キュゥべえが、あっさりとご臨終を言い渡した。マミは、つい今しがたの決意が早くも揺らぎそうになったようだ。絶望に満ちた声でこう言った。

 

「そ、そう……。キュゥべえ、服とか身に付けているものは、しょ、処分しちゃダメよ……」

 

「分かった。衣服と装身具は回収しておくよ。……さて、そろそろいいかい?」

 

 キュゥべえが、少女達に顔を向け、改めてその意思を確認する。その言葉を受けて、少女達は、それぞれに賛同の意を示すのだった。

 

「待ちくたびれたわ。今すぐに出発しましょう。それで、あなた達の宇宙船はどこに置いてあるの?」

 

 ほむらは、宇宙人の乗り物の在り処を尋ねた。インキュベーターは宇宙人であり、宇宙人はUFOに乗ってやってくると相場が決まっている。円盤型かどうかは知らないが、この地球上の何処かに、コイツらの船が隠されているに違いない。彼女は、そう考えた。

 

「君は、その新しい体が転移してきたのを目の前で見ているのに、そんな質問をするのかい? 残念だけど、僕達は宇宙空間を移動する船に乗って来たわけじゃないのさ。まあ、説明するよりも実際に体験して貰った方が話は早そうだ。今から中継ステーションまで実際に移動することにしよう」

 

「え――」

 

 話を終えたキュゥべえに、誰かが何かを尋ねようとした。そのとき少女達は、ほんの一瞬、自分自身を見失うような異様な感覚にとらわれる。そして、気がつくと目の前の光景は、先程までとはまったく様相を異にしていた。

 

 少女達がいる場所は、歪な球形状をしていた。空間の大きさは直径約10km程度で、灰色の床一面には白い葉脈のようなものがびっしりと通っている。葉脈の太さは小さいもので数cm、大きなものでは1、2m規模のものがあり、それら全てがぼんやりとした白色光を放って、だだっ広い空間内を照らし出している。細い管が寄り集まって太い管となり、最後には太い管同士も一点に向かって収束し、融合してひとつの大木となって立ち上がり、空間の中央付近まで伸びていた。そして、その大木が行き着くところに、巨大なリングが設置されていた。

 床から伸びた管と結合している巨大な輪っかは、光をすべて吸収しているかのように暗く、そして黒い。リングの大きさは、外径約1.5km、内径約1.4kmの円環体であり、そのドーナツ型構造体の穴の部分は、白色と黒色のマーブル模様が常に変化し続けており、混沌としていた。

 

「……キュゥべえ、ここがあなたの星なの?」

 

 得体の知れない光景に半ば放心状態のほむらが、ふわふわと宙を漂いながら宇宙人に尋ねる。その近くで、マミ達もポカンと口を開けて、空中浮遊しながら非現実的な景色に見入っていた。

 

「違うよ。ここは、君達が太陽と呼ぶ恒星の中心部さ」

 

 キュゥべえは、ほむらに対して上下逆さまに浮かびながらそう言った。

 

「ふーん、太陽かぁ……、……ん? 太陽!?」

 

 ほむらとキュゥべえの会話を横で聞いていたさやかが、素っ頓狂な声をあげる。彼女の驚きも最もだとほむらは思った。こればかりは、驚くなといわれても無理というものだ。

 

「なあ、なんで太陽に来たんだ? 寄り道なんかしないで、いっきにアンタの星までワープしていけばいいじゃねぇか」

 

 杏子が、冷静なのか混乱しているのかよく分からない質問をキュゥべえに投げ掛けた。

 

「地球から僕達の星までは、距離が離れすぎているから直接情報転送することはできないんだ。だから、一旦、太陽の中心に設置した基地を中継しなければならない。ここにある〈転移ゲート〉なら超長距離移動が可能なのさ」

 

 キュゥべえは、そう言いながら、直線距離にして500m程先にある巨大なリングを見上げる。あの不気味な異星の構造物は、〈転移ゲート〉というものらしい。その機能は、おそらくその名称のとおりのものなのだろう。ようするに、どこでもドアだ。

 

「その……、どうして〈転移ゲート〉を太陽に設置したの? 地球に置く事はできなかったの?」

 

 マミが、思いついたことをそのまま口にしただけっぽい質問をキュゥべえに投げ掛ける。どうやら、皆、思考が麻痺してしまっているようだ。

 

「ここは、転移のための中継基地であると同時に、エネルギー採取基地でもあるんだ。恒星の中心核では核融合反応が起きているからね。感情エネルギーと比べたら微々たるものだけど、そこそこのエネルギーを回収できるのさ。そして、〈転移ゲート〉を恒星の中心部に設置すれば、その恒星系内程度の距離は任意座標転送が可能となる。わざわざ地球にゲートを設置する必要はないということなんだ」

 

(つまり、コイツらは正真正銘の盗人野郎ということね。感情エネルギーだけでは飽き足らず、太陽エネルギーさえも人類の許可なく無断回収しているなんて)

 

 太陽の地権者が人類なのかどうかは分からないが、少なくともこの宇宙人ではないはずだ。だが、今現在、太陽を実効支配しているのがインキュベーターであることも確かだ。本当に、やることなすことすべてが癇に障る奴だと、ほむらは、改めて思った。

 

「さあ皆、〈転移ゲート〉の前まで移動しよう。魔力の流れを操作して、推力にすれば無重力状態でも前に進むことができるはずさ」

 

 キュゥべえがそう言って、尻尾をフリフリしながらスィーーっと移動していく。少女達は、そのファンシーな様子をしばらく微妙な表情で見つめていた。しかし、このまま何もせず浮かんでいるというわけにはいかないので、彼女らは、キュゥべえの言葉を信じて魔力の流れに意識を集中させる。すると、思いのほか簡単に、舞空術をマスターできたので、先に飛んでいった白い小動物の後を追うことにしたのだった。

 

「転移先は僕らの星に設定済みなんだ。だから、後はもう境界面を通過するだけだよ」

 

 巨大な暗黒ドーナツの前に集合した少女達は、この世のものとは思えないほど不気味な白と黒の饗宴が繰り広げられているゲートの入口をまじまじと見つめていた。この、どう見てもまともな場所に繋がっているとは思えないコレを通過しろというのか。ハッキリ言って、超最悪だ。しかし、ここまで来て、太陽まで来てしまって、今更引き返すことなどできない。ほむらを除く魔法少女一同は、覚悟を決めた。

 

「どうやら、準備は万端のようだね。それじゃあ、行こうじゃないか。僕達の母星へ。5億光年先の世界へ」



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04_ほむらの速さはどれくらい

 少女達が、〈転移ゲート〉なるでっかいドーナツを通過すると、キュゥべえが太陽の中心だとか言っていた先程の場所と見分けがつかないほど似通った光景が広がっていた。

 目的不明の白い管が網目状にびっしりと通っている巨大な球の内側から見える景色は、あまり気持ちのいいものではない。ほむらは、振り返る。白と黒の絵の具をぶちまけて混ぜ合わせたかのような様相を呈しているゲートの出入口が、大口を開けていた。

 

(コレは、もう二度と通りたくないわ)

 

 ほむらは、この〈転移ゲート〉なるものを通過している間に、何か、とてつもなく恐ろしい思いをしたような気がした。しかし、それを思い出すことができない。何者かが、自分の記憶を消去したが、恐怖心だけは全て消すことができなかったかのような、不愉快な思いだけが残った。

 彼女は、身震いしながらキュゥべえに尋ねた。

 

「今度こそ、あなた達の星に着いたのかしら?」

 

「まだだよ。僕達の星系には着いたけどね。ここは恒星の中心部さ」

 

「またなの? あなた達はよほど恒星の中心が好きなようね。ここに用がないのなら、早くあなたの母星へ案内しなさい。こんな気色の悪い場所に長居したくないわ」

 

 宇宙エネルギー回収マニアのインキュベーターは、とにかく少しでもエネルギーが回収できる場所には、基地を建造する習性を持っているようだ。やはり、がめつい連中だ。

 

「えっと……。キュゥべえ、恒星系内ならゲートを通過しなくても、どこにでも転移できるのよね? 確か、太陽でそんなことを言っていたと思ったのだけど……。もし、そうなら、ここからあなたの母星まですぐに転移できるということなの?」

 

 マミが、恐る恐るといった風に質問する。よくもまあ、そんな訳の分からないことを憶えているものだ。この宇宙人の戯言を一番理解できているのは、おそらく彼女なのだろう。ほむらは、素直に感心した。

 

「保安上の理由から、母星には〈転移ゲート〉は設置されていないし、任意座標転送もできないようになっているんだ。過去に、ゲートを不正利用して母星に転移してきた異星生物が、破壊活動を行ったことがあってね。そういったことがもう起こらないようにしているのさ」

 

「うわ、宇宙人同士の戦争かぁ、こりゃまるっきり映画の世界だね」

 

「魔法少女のアンタが、言えた台詞じゃないけどな」

 

 さやかと杏子が、遠く地球を離れた地で馬鹿丸出しの掛け合いをしていた。

 フヨフヨと宙に浮かぶキュートな小動物は、一見、戦争というものとは無縁の存在のように思える。しかし、その戦争の結果がどうなったかなど、インキュベーターが今もなお健在である以上明らかだ。戦いに敗れた異星人達はどうなったのだろう。貴重な感情エネルギーの源泉として利用価値のある人類と違って、その異星人が、キュゥべえ達にとって何の利用価値もなかったとしたら、いったい、どうなってしまうのか。感情のない生物が何を考えて、何をするのか、ほむらは、そんなことは知りたくもなかった。

 

「母星へは〈主導管〉内を移動することになるんだ。まあ、軌道エレベータのようなものだね。〈転移ゲート〉と結合している管が〈主導管〉だから、ゲートの壁面沿いに100mほど移動すれば、すぐに〈主導管〉の物資搬入口に着くよ。ああ、言い忘れてたけど、ゲートの構造体に直接触れないようにして欲しい。いくら特別性の体でも、反物質と接触すると対消滅が起きてしまうからね。いかに危険か分かるだろう? じゃあ、行こう」

 

「ええ、分かったわ」

 

(分かるわけないでしょう)

 

 ほむらは、面倒なので、分からなくても分かったと答えておいた。

 少女達は、習得したばかりの飛行スキルを使用して、キュゥべえの後を追う。彼女達は、宇宙人に言われるがままに行動するほかなかった。右も左も分からないし、ついでに上も下も分からないこの訳が分からない場所で、もしも迷子になって置いてけぼりを食らったとしたら、どうなってしまうのか。想像もしたくないことだった。

 

「ここが〈主導管〉の搬入口だよ。この中の〈移送体〉に乗れば、母星まで行くことができるんだ」

 

 キュゥべえは、そう言って、〈主導管〉とかいう巨大な柱の側面に、幾つも設けられている“窓”に向かって空中移動し始める。その窓は、1辺がおよそ2mの六角形で、ガラスの代わりに透明な薄い膜が張られている。キュゥべえが、その膜にぶつかった瞬間、水面に小石が落ちたときのように静かな波紋が広がって、つるりと柱の中に飲み込まれた。

 少女達は、もう何かに躊躇する段階はとっくに過ぎていたので、次々と窓に向かって飛び込んでいった。

 〈移送体〉は、1辺20m程の正六面体で、進入した少女達は、ゲート側の面を下にして立つようにと、キュゥべえに指示された。これで、進行方向が真上になるのだという。ほむらは、この中に入った瞬間から、体中に纏わりつく水流を感じていた。室内は、空気のように透明な液体で満たされていて、体を動かすたびに、サラサラとした殆ど抵抗のない水が静かに渦巻くのだった。

 少女達が、感嘆の呟きを漏らしながら、手足を色々と動かして摩訶不思議な液体の感触を楽しんでいると、床面に着地したキュゥべえが、水中でもお構いなしに喋り始めた。

 

「そろそろ、射出するよ。少し反動が大きいから気をつけて欲しい」

 

「なあ、何分くらいでアンタの星に着くんだ? まさか、何時間も掛かるとかはねぇよな?」

 

 当然、確認するべき事項を杏子が尋ねる。人類とインキュベーターの時間の尺度が大きく異なっていた場合、移動時間だけで何十年も掛かるということもあり得るのだ。そうなると、とてつもなく面倒になることだけは間違いない。

 

「心配要らないよ。ここから母星までは50億kmしか離れていないから、主観時間で10分もあれば着くね。〈移送体〉の加速度は――君達に分かりやすいように加速度の単位に、重力加速度Gを用いると、だいたい283万Gになるんだ。最高速度は光速を遥かに超えることになる。あっという間さ」

 

 地球を12万5千周する距離が、たったの10分とは景気のいい話だ。しかし、地球から1秒と掛からず50垓kmも移動してきたのに、わずか50億kmの移動に10分も掛かるなんて、なんともおかしな話だと感じてしまう。それとも、おかしいと感じることがおかしいのだろうか、天文学的距離を感覚的に掴む事など、人間には到底無理な話だ。ほむらは、今、自分がいる20m角の室内を見渡した。

 

(ヒトが見渡せる距離なんて、コレくらいでちょうどいいわ)

 

 ほむらは、ふと、軽く床面に引っ張られるような感覚を覚える。おそらく、電車が発進したのだろう。ジェットコースターくらいにひどい乗り物だと想像していたのだが、拍子抜けだった。もっとも、ジェットコースターに乗ったことなど一度もないが。

 

「ねえ、キュゥべえ。外の様子は見れないの? せっかく宇宙まで来たのにさ。気味の悪い白い壁しか見てないんだけど」

 

「残念だけど、外部からの可視光を通過させるような構造になってないんだ。それに、もうそろそろ光速を突破するから、もし外を見たとしても全ての光が一点に収束していて、何も見えないと思うよ」

 

「えー、それじゃあさ。……うーん、どうしよう。やることないわ、アハハッ!」

 

 さやかのテンションが、やたらと高まっている。わりと宇宙旅行を楽しんでいるようだ。彼女は、理由もなく笑っていた。

 ほむらは、なぜか周囲の液体の抵抗が強くなってきていることを煩わしく思いながら、じっと立っていた。目的地まであと僅かとなって、徐々に緊張が増してきている。無事にソウルジェムを強化できるのか。再び時間遡行の魔法を使えるようになるのか。そして――会うことができるのだろうか。考えれば考えるほどに不安が増してくる。

 宇宙の果てまで来て、宇宙人の乗り物に乗って、光の速さで移動しながら、それでも考えることは、ただ、ひとりのことだけだった。

 

「キュゥべえ、この水のようなものは何?」

 

 マミが、自身の周囲に満たされた液体を両手で掬い取るような仕草をしながら、不思議そうに尋ねた。誰も彼もが、皆一様にキュゥべえに質問を投げ掛ける。それも無理のないことだった。少女達が見る物は、全てが未知であり驚異であり、その正体を知らないままではいられなかったからだ。

 

「これは緩衝材だよ。地球上で体重60kgfのマミは、283万Gの下では体重がおよそ1億7000万kgfになってしまう。今の君達の体が、マルチウォールナノチューブで構成されているといっても、さすがにこの加速力には耐えられない。もっとも、君達の場合はソウルジェムさえ無事なら問題ないんだけどね」

 

「……私はそんなに重くない」

 

 背筋がぞっとするような声だった。

 ほむら達は、ニヤニヤしながら体重1億7000万キロのマミを見守っていた。

 

「もちろんさ。あくまで加速中の話であって――」

 

「そっちじゃないわ!」

 

「ふうん、じゃあそういうことにしておくよ。まあ、何にせよ加速力の99.9パーセントは減衰するんだ。何も心配――キュプッ!!」

 

 いきなりキュゥべえがぶっ潰れた。

 

「うわっ!!」

 

 近くに立っていた杏子が、鋭い悲鳴を上げながら大きく後ずさる。薄く引き延ばされて、床に張り付いた白い物体が彼女の足元まで迫っていた。ほむら達も、驚きのあまり口をポカンと開けて、ぺっちゃんこになった宇宙人の成れの果てを見つめていた。

 

「――いらないよ。ああ、どうやら荷重がこの体の許容応力度を超えてしまったようだね。このタイプは地球での活動に最適化されていたんだ。耐久値が低かったということさ」

 

 白いクレープの生地の上に、真っ赤な2つのさくらんぼが乗っていた。そして、喋っていた。

 

「だ、大丈夫なの? キュゥべえ」

「どー見てもダイジョブじゃねえよ。しっかしよく平気でいられるな、ゴキブリ以上だぞ、その生命力」

「うわぁ……、ちょっとキモイわ」

「死んでなかったの?」

 

 少女達は、白い水溜りになってしまった宇宙人に向けて、口々に心配の声を投げ掛けた。

 

「マミ、母星に到着すれば、すぐに再構成できるから問題ないよ。そんなことよりも、そろそろ目的地に到着するから衝撃に備えて欲しい」

 

 キュゥべえは、マミの問いかけのみに答えた。何らかの理由で、他の3人の発言が聞こえなかったのかもしれない。大方、鼓膜が破れでもしたのだろう。

 

 そして、宇宙人の注意喚起から間もなく〈移送体〉が停止する。衝撃というほどのものはなく、感じたのは微かな浮遊感だけだった。

 音もなく壁に透明の窓が出現する。少女達は、瞬時に復活した小動物に促されるままにそれを通過して、外へと足を踏み出した。こうして、総移動距離50垓+50億km、総移動時間30分弱の長旅が終わり、ようやくのことで最終地点であるキュゥべえの生まれ故郷に辿り着くことができたのだった。

 

 外に出た少女達を出迎えたのは、地平線まで見通せるほど広大な白い平原だった。つるりとしていて非常に平滑で真っ白な地面からは、およそ500m間隔で不規則に配置された大小様々な太さの柱がいくつも立ち上がり、天に向かって伸びている。白い柱は上空で枝分かれして、他の柱の枝と融合したり分岐したりしながら遥か彼方まで続いており、その枝の先はあまりにも遠くにあるせいで、上空で消失しているように見えた。

 乱立する柱の中でも一際大きな〈主導管〉を背にして、少女達は、しばし真っ白な異空間を眺めていた。静かだった。全ての生命が死に絶えたかのような静寂の中で、言葉を失った魔法少女達は、ただ、立ち尽くしていた。

 

「キュゥべえ、あのたくさんの柱は何?」

 

 放心しているのだろうか、気の抜けた口調のマミが、キュゥべえに尋ねた。

 

「この柱は〈外殻〉を支持するための構造物だね。分かりやすく卵で例えると、卵の殻が〈外殻〉で、柱が卵白で、星が卵黄に相当する。外殻は、隕石の落下や敵対勢力の攻撃を防ぐほかに、星の環境を一定に保つという役割を持つんだ。ちなみに、放射エネルギーをすべて利用するために、恒星も〈外殻〉で被覆しているよ。回収された恒星のエネルギーは〈主導管〉を通して母星に送られてくる。あと、地球で回収した感情エネルギーも〈転移ゲート〉を経由した後、同じく〈主導管〉を通して直接ここまで送信されるようになっているのさ」

 

 つまり、ここに来るまでに目にしてきた管は、そのすべてがエネルギーを運ぶためのものだったということなのか。思い返してみると、変なチューブばかり目に付いて、他の構造物を見た覚えがない。さすが、エネルギー回収オタクだ。インキュベーターという生命体は、宇宙中のエネルギーを集めることだけを目的として生きているのだ。

 

「あんたの仲間はいないの? どこにも家とか建物みたいなものがないんだけど、このあたりには誰も住んでないの?」

 

 さやかが、世界の終わりのような景色を見渡しながら、そう尋ねた。

 

「僕には仲間というものがいないんだ。今の僕の体は、本体から分岐した末端でしかない。本体はこの惑星そのものなんだ。遠い昔、ひとつの惑星の表面を自身の構成体で覆い尽くしたときに、僕は自我に目覚めた。自分というものを知った僕は、何かに突き動かされるように増殖を続けた。そして、元々あった星の構成物質を取り込みながら、地下深くまで侵食を続けていく内に、星の全ては“僕”となっていた。僕は、ひとりですべてなんだ」

 

 今、立っているこの白い地面が、この星そのものが、本体なのだとキュゥべえが言う。それを聞いた少女達は、少し居心地が悪そうに身じろぎした。知らないうちに、キュゥべえを足蹴にしていたこともそうだが、なによりぞっとしたのは、とてつもなく巨大な宇宙人に対して、ノミよりも小さい自分達があまりにも無防備でちっぽけな存在であるということだ。

 キュゥべえは、異質な存在だった。曲がりなりにも人類と会話が成立していることが信じられないくらいに。

 

(こいつが何を考えているのかなんて、分からなくて当然のことだったようね。何せ、相手は天に輝くお星様。生物と呼んでいいのかすら怪しいわ)

 

 キュゥべえには、仲間がいない。たった一人だけだ。その孤独な宇宙人が何を考えながら、ただひたすらエネルギーを集め続けるのか。ほむらは、その生き様に寂寥たる思いを抱いた。

 少女達は、それぞれの思いを胸にキュゥべえを見る。宇宙人の小さな紅い瞳は、空虚で、何も映さない。そこには、何もない。

 インキュベーターには、感情がない。

 

「アンタは、ひとりぼっちなんだな」

 

 杏子の微かな呟きは、なぜかほむらの心に残った。

 

 

「あなた達、ここへ来た目的を忘れたわけじゃないでしょうね? この星には気の利いた観光名所もなさそうだし、もう見るべきものもないわ。そろそろ、私のパワーアップの時間よ。キュゥべえ、いいから早く始めなさい」

 

 何も感じない生物に対しては、何も思わないようにするのが正しいやり方に違いない。宇宙人の生態をそれなりに理解したほむらは、当初の目的を達成するべきだと判断し、号令を発することにした。

 

「そうだね」

 

 キュゥべえから短い応えが帰ってきた直後、出し抜けに、床から棒状のものが隆起する。ほむらの腰の辺りまで伸びたそれは、そこから4つの枝に分かれて、正方形の対角線上に水平に1mほど伸びたあと、奇妙に捩じ曲がりながら上を向き、胸元あたりの高さまで伸張している。そして、その枝の先には、小さな受皿のようなものが乗っていた。

 

「皆、その装置の上にソウルジェムを載せて欲しいんだ。枝となっている管の天端にそれぞれのソウルジェムに対応した色のラインが通っているだろう? くれぐれも対応色を間違えないように、受皿の上に置いて欲しい」

 

 キュゥべえの言葉を受けて、マミは黄色の枝へ、杏子は赤色の枝へ、さやかは青色の枝へ、そして、ほむらは紫色の枝へ移動する。受皿の中央付近には、ソウルジェムの台座部分がちょうど収まる程度の僅かなへこみがあった。おそらくここに載せるのだろう。

 

「何かさ、変な儀式みたいなんだけど。載せちゃっても大丈夫なんだよね?」

 

 大きな燭台を挟んで、少女達は向かい合う。遠い宇宙人の星までわざわざやってきて、やることはこんなおかしなことなのだ。さやかは、色々と疑問を感じ始めているらしい。警戒をあらわにして、キュゥべえに尋ねた。

 

「……多分、大丈夫さ。それは、君達4人に共通する魔力の固有波長を、一定の間隔で放射することによって、ソウルジェムを共鳴させる装置なんだ。でも、つい最近完成したばかりのものだから、安全面についての絶対の保証はできないね。まあ、演算結果は成功が100%だから問題ないと思うよ」

 

「つまり、安全ということね。さあ、あなた達も、早く自分の本体をこの上に載せなさい」

 

 マミ達がほむらの方を振り向くと、彼女は、勇気があるのか無謀なのか、すでに自身のソウルジェムを皿の上に載せて、偉そうな顔をしていた。

 

「おいおい、突っ走ってるねぇ。ま、ここまで来たんだ。最後まで付き合ってやるか」

 

 杏子がソウルジェムを載せる。

 

「あんたね……、“自分の本体”とか、わざわざそういう言い方しなくてもいいでしょうに」

 

 さやかがソウルジェムを載せる。

 

「暁美さん、無事に成功するといいわね」

 

 マミがソウルジェムを載せる。

 

「さて、始めようか。今から星の機能維持の演算処理を中断して、リソースを優先的にこちらへ割り当てることになる。多少、環境が変化するかもしれないけど我慢して欲しい」

 

 最後に、キュゥべえがそう言った。

 

 そして、広大な空間をあらゆる方向から照らしていた白い光は、全て消え、暗黒に包まれた世界で、ソウルジェムが放つ黄、赤、青、紫のぼんやりとした光だけが辺りを照らし出す。その、ソウルジェムの光が、徐々に強くなっていく。ほむらは、網膜が焼き尽くされてしまいそうなほど、強烈な光を放ち始めた魂の結晶を無心で眺め続ける。意識が遠のく。魂が離脱する。

 

 真の暗闇の中で、ほむらは、自分ではない別の誰かになっている。その、誰かの心は、とても傷ついていて、今にも砕け散ってしまいそうになっている。

 

 なぜ、こんなにも悲しいのか。なぜ、こんなにも苦しいのか。それは、今のほむらには分からない。この気持ちは“誰か”の心だから。“誰か”の愛だから。

 

 ああ――声が聞こえる。微かな声が、消え入りそうな声が聞こえている。誰かが、何かを呟いている。何かを訴えている。懇願している。何と言っているのだろう。その、繰り返されるささやきは、ほんのあと少しで聞こえそうなのに、聞こえない。

 

 声が消えていく。段々と小さくなって、遠ざかっていく。追いかけることなどできない。何も上手くいかない。なにも、できない。

 

 足元から闇が忍び寄ってくる。じわりじわりと闇に侵食されていく。遥か彼方に微かな光が見える。光に向かって、手を伸ばす。意識が暗闇に溶けていく。手を、伸ばす。ああ、あと少しで届きそう――

 

 

『悪魔は何処にいる』

 

 

 ほむらは、絶叫した。全身を震わせながら覚醒した。

 

 彼女は、大きく息をつきながら、弾かれた様に周囲の様子を確認する。照明が消えて、真っ暗だった空間に、徐々に光が戻り始めている。照明は、まだ元通りに復旧していないらしい。その光は、少し赤っぽいような奇妙な色合いだった。

 今のは夢だったのだろうか。しかし、あの言葉は、とてつもない恐怖とともに、ほむらの心に深く刻まれていた。

 “悪魔”とは何か、彼女はそれを知らなければならない。

 

 ほむらは、視線を感じて、ふと顔を上げる。彼女を見つめるマミ達が、おかしな反応を示していた。杏子とさやかは、口元をヒクヒクさせながら必死で笑いを堪えている。それに対してマミは、キラキラと目を輝かせながら、時折、感嘆の声を上げていた。

 マミ達のリアクションを怪訝に感じたほむらは、恐る恐る自身の格好を検分した。

 

「……はあっ!?」

 

 ほむらは、驚愕する。彼女の衣装はいつもの魔法少女のものではなく、まったく別の何かに変貌を遂げていた。

 大胆に肩から背中に掛けて開いているいる漆黒のドレスは、その素材が鳥の羽のようなものでできている。さらに、理由は不明だが、ロングスカートの前部分は生地が殆ど存在せずに大きく開かれていて、妙な柄のロングソックスを履いた足が剥き出しになっていた。

 そして、生えていた。彼女の華奢な背から、一対の大きな羽が激しく自己主張していた。

 

「あらー……。ついにほむらさんもそっちの方向に行っちゃったか。うん、まあ似合ってるよ」

 

「人の趣味にケチを付ける気はないけどさ。ちょっとキツイぞ、それ」

 

 さやかと杏子が、憐れむような視線を送ってくる。

 ほむらの顔が紅潮した。何ということだろう。この二人から、このような扱いを受ける日が来ようとは。好きでこんな格好になったわけではない。知らないうちにこうなっていたのだ。それを、趣味だと勘違いされてしまっては困る。

 

「すごいわ、暁美さん! それが、覚醒したあなたの姿なのね!? しかも!」

 

 急にイキイキとしだしたマミは、ほむらのソウルジェムを勢い良く指差した。

 ほむらは、マミの指差す方向に視線を移す。

 

「くっ……、な、なんなのコレ……」

 

 ほむらは、装置の受皿に乗せてあったソウルジェムを見て絶句する。ほむらの魂の欠片はでっかくなっていた。しかも、単純に大きさが変わっただけではない、形状がへんてこりんになっていた。

 ソウルジェムは、ほむらの魂であり、彼女自身である。つまり、ほむらは、でっかくなって、へんてこりんになっていた。

 

(訳が分からないわ)

 

「ソウルジェムの形状も変化しているわ。おめでとう、暁美さん。それがあなたの真の姿よ」

 

 これは、おめでたいことらしい。ほむらは、素晴らしい素晴らしいと連呼しているマミを無視しながら、思い悩む。これが、自分の真の姿だというのか。冗談ではない。これから先、魔法少女に変身する度に、この、頭のおかしな人が好んで着用しそうなコスプレ姿にならなければいけないのか。それは、あまりにもクレイジーだ。

 

「ほむら、その姿は、共鳴装置による君の強化が成功したことを意味していると思うよ。この装置は、君の魂を一時的に確率時空のゆらぎに送り込み、あらゆる宇宙で最も魔力の強い“暁美ほむら”と魔力係数を同期させるという機能を持っているんだ。その、変質したソウルジェムからは途方もない魔力係数が測定されている。これほどの魔力係数を持つ今の君なら、別の時間軸への時間遡行なんて造作もないことだろうね」

 

 そんなことは、最初に言って欲しい。ほむらは、ぐったりとしながらそう思った。

 

「え? コレって別の宇宙のほむらの姿なんだ。その宇宙のほむらは、何を考えてそんなイカれた格好してるんだろ? やっぱ趣味かな」

 

「だろうな」

 

「黙りなさい……!」

 

 ここぞとばかりに、からかいの言葉を浴びせる2名に、ほむらは、魔力を伴って増幅された怒気をぶつける。彼女の恐ろしい感情をまともに浴びた両者は、震え上がって硬直した。

 

「暁美さん、たくさんある並行世界のあなたの内の一人が、実際にその姿になっているのよね。それが単なる趣味であるはずがないわ。ソウルジェムが変化するほどの何かが、その世界で起きたということよ」

 

「マミの言うとおりだね。まずは、その姿の君がいる時間軸を目標にしたらどうだい? その宇宙では、ソウルジェムが変質した何らかの理由があったはずさ。それは、もしかしたら君の探し人に関わることかもしれないよ」

 

 物事を真剣に考えているマミと、物事をありのままに考えているインキュベーターの言葉を受けて、ほむらは、気持ちを落ち着ける。何にしても、力は手に入った。溢れんばかりの魔力を体の内に感じる。今なら、キュゥべえの言ったとおり時間遡行の魔法が使えそうだ。それどころか、何でもできそうな気さえする。彼女は、瞑目する。とうとうこのときが来た。そう、このときを待っていた。

 

 

「もう、行くの?」

 

 さやかが、神妙な顔つきで尋ねる。

 

「ええ、見送りは無用よ。……ああ、それと、おかげさまで時間遡行の魔法は復活したわ。あなた達には感謝しておくべきね」

 

「ハハッ! 最後まで捻くれた奴だったな。フツーに“ありがとう”って言えよ」

 

 杏子が、迂遠な言い回しのほむらに苦笑した。

 

「ほむら! いや、あ……っと。あ、あんた、学校はどうするの!?」

 

「学校って……」

 

 地球から何億光年も離れた宇宙人の星で、学校の出席の心配をするさやか。それが、彼女の思いの程度。さやかは、今生の別れとなるほむらに対して、その程度の引き止めの言葉しか持ち合わせていない。結局、ほむらと他の魔法少女達の関係は、その程度のものでしかなかった。

 ほむらが、いつも、見ていたのは、追い求めていたのは、ただひとりだけ。ほかの存在について、顧みることはない。

 

「……フフ、そうね、先生方には、私が自分探しの旅に出たと伝えてちょうだい」

 

 ほむらは、そう言って、薄く笑う。

 

「ちょっといいかい? ほむら、違う時間軸の僕達と会う機会があったら、この結晶を渡して欲しい。これには、僕達インキュベーターが持つ全ての情報がインプットされているんだ。僕達にしか開くことのできないように厳重に封印されているから、もし紛失したとしても問題はないけど、できたら、なくさないようにして、確実に渡してくれるとありがたいね」

 

 キュゥべえが、白い地面に置かれた直径1cmほどの白いビー玉を、前足でコロコロと転がしながら言った。

 ほむらは、それを拾い上げた。何の重さも感じない。彼女は、少し考えた後、ビー玉をギュッと握り締めた。再び手のひらを開けると、先ほどまで確かにそこにあったはずのビー玉は、どこかに消えていた。

 

「暁美さん、……もう、会えないの?」

 

「そうよ」

 

 沈痛な面持ちのマミに対するほむらの返答は、そっけなかった。

 空間内を照らしていた赤色混じりの光が、ますます赤く染まっていく。

 

「今のアンタ、スゲー嬉しそうだな。良かったじゃん。それが、あんたの一番やりたかったことなんだろ?」

 

 杏子が、朗らかな笑顔で言った。

 異星の光に照らされて、ほむらは、全身を赤い血に染めながら、言う。

 

「そうよ。これこそが、私が一番やりたかったことなの。今までの私は死んでいたようなものだわ。生きる目的がなかったのだから。これから、私の2回目の人生が始まる。私は行かなくてはならない。このときのために、ただ、それだけのために生きてきたのだから。だから、さようなら。永遠に」

 

 ほむらの姿が、消える。跡には何も残らない。

 

 

 

 そして、ほむらの旅が始まる。



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05_ほむらのための物語

 悪魔は何処にいる。人を惑わし、神に逆らう悪魔は。

 

 

 ほむらは、星の海を見渡した。広い宇宙に散りばめられた無数の光の粒が輝いている。

 時間遡行は上手くいった。何度も使ったことのある魔法だから失敗するはずはない。あとは、この宇宙が別の時間軸の宇宙であるかどうか。そして、ここにまどかがいるのかどうかを確かめなくてはならない。だが、しかし――

 

(ここは、いったいどこなの)

 

 広大な宇宙空間の真っ只中に放り出されたほむらは、途方にくれる。〈前の世界〉において、彼女の魔法の基点は病院のベッドの中だった。あの頃は、いつもベッドの上で過ごしていた。同じ時間軸に沿って時間遡行する場合、いつも同じ場所に現れるのは当然のことだろう。でも、違う時間軸に移動した場合はどうなるのか。

 この宇宙には、自分ではない別の“暁美ほむら”が存在する。時間遡行の出現ポイントは、てっきり、そいつの近くになると思っていたのだが、当てが外れてしまった。それとも、この真っ暗闇の真空中に、この宇宙の自分がいるとでもいうのだろうか。

 

 これは、少々困ったことになったとほむらは思った。このまま、闇雲に地球を探し回ってもいいが、時間が勿体無い。早くまどかが存在するかしないかを確認して、いないのなら次の宇宙へ行かなくてはならない。初回からもたもたしているわけにはいかなかった。

 

 ここで、ほむらは思い出す。そうだ、こんなときだからこそ役に立つ奴がいた。インキュベーターだ。この宇宙のあいつを呼びだして、地球まで送らせればいいのだ。グッドアイデアを思いついた彼女は、念話のために意識を集中した。

 

『キュゥべえ、いたら返事をしなさい。いないの? キュゥべえ――』

 

『――ここにいるよ。君はいったい何者だい? 僕を“キュゥべえ”と呼ぶということは、日本の魔法少女に関わりがあるのかい? 容姿は“暁美ほむら”という魔法少女とほぼ一致しているみたいだけど』

 

 間髪いれず、頭の中へ返答が直に挿入された。インキュベーターだ。

 キュゥべえは、いつもの調子だった。いつものとおり感情がない。別の時間軸でも、キュゥべえはやっぱりキュゥべえだった。

 

『私は、別の宇宙から来た暁美ほむらよ。あなたは今近くにいるの? いるのなら私を地球まで送りなさい』

 

 ほむらは、偉そうな態度で宇宙人に命令した。

 

『ふうん、君は別の宇宙のほむらなんだね。どうしてこの宇宙に来たんだい? どうやって来たんだい? どうしてソウルジェムが変質しているんだい? どうしてそんなおかしな格好をしているんだい? それは、所謂コスプレというやつなのかい?』

 

 キュゥべえは、突然現れた正体不明存在の指図を受けても、特に動揺していないようだ。極めて冷静に、事実確認のための質問をほむらに浴びせかけた。

 彼女は、段々焦れてきた。こんな空気もないようなところで、のんびりと宇宙人の質問に答えている暇はない。それに、この宇宙にまどかがいなかった場合、次の宇宙に行くことになるが、次でもキュゥべえから質問攻めにあってしまっては、かなりウザイことになる。何らかの打開策を講じなければならないだろう。

 ほむらは、しばし黙考する。そして、体内の異物に気が付いた。

 

『キュゥべえ、あなたへ素敵なお土産を持って来たわ。とりあえず、それを渡したいから姿を現しなさい』

 

 彼女は、前のキュゥべえから、白いビー玉を受け取っていたことを思い出す。これには確か、奴らの情報が保存されているとか何とかいう話だったはずだ。これを渡してしまえば、色々とはかどるに違いない。

 ほむらは、魔力を循環させて、異星の記憶媒体を体外に排出する。非常に表面が滑らかな白いビー玉が、彼女の小さな手のひらの上でコロリと転がった。

 突如、彼女は、胃の中をかき回されるような空間のねじれを感じる。そして、時空間が安定すると、ほむらの前方5mほどの位置に、馴染み深い白い小動物が姿を現した。

 

 姿かたちを自由自在に選択できるキュゥべえが、自分に会うために、わざわざその形状を選んだのには何か理由があるのだろうか。今更、可愛さアピールで女の子の警戒心を薄めるためだとかいう戯言は通用しない。だが、ほむらは、その変わらぬ姿を見て、この宇宙に来てからようやく少し気持ちが落ち着いていくのを感じていた。

 

(私の知っている世界と、あまり変わりはなさそうね)

 

『それが僕へのプレゼントかい?』

 

 宇宙の深遠を背景にして、キュゥべえが尋ねる。

 

『そうよ。受け取りなさい』

 

 ほむらはそう言って、ビー玉を指で弾いた。彼女の手の上から放たれた重力の影響を受けることのないビー玉は、放物線を描くことなく一直線に飛んで行く。

 キュゥべえは、無重力空間の中でアクロバティックに身を捻り、その飛翔体を背で受けて、体内に吸収した。

 

『これは――』

 

 キュゥべえは、そう言ったきりフリーズ状態に陥る。凍りついた白い小動物が、ビー玉を受けた慣性でゆっくりと回転していた。

 

『……とうとうバグったのかしら?』

 

 まさか、あのビー玉にトロイの木馬とかが仕込まれていたわけではあるまい。ほむらは、このまま長時間の待ちぼうけを食うのだけは勘弁願いたいので、宙を漂っている動物の死体を調べるために移動しようとした。すると、ゴミのように浮遊していたキュゥべえが、突然、体をビクッとさせて息を吹き返す。死んではいなかったようだ。

 

『なるほどね、全て理解したよ。そういうことなら話は早い。この宇宙には〈まどか〉は存在しないよ。残念だけど〈円環の理〉という概念存在を、僕達は観測できていないんだ。君の居た宇宙と状況的にはまったく同じさ』

 

 地球に行くまでもなく、まどかの不在が明らかとなった。インキュベーターが、今、この場でほむらに嘘をつかなければならない理由はない。宇宙人の言っていることは、おそらく正しいのだろう。だが、ほむらは、自ら地球へ行って、この目で直接確かめるまでは、この宇宙を去るつもりはなかった。

 

『そう、分かったわ。でも私は地球に行きたいの。〈転移ゲート〉とかいうので地球まで移動できるのでしょう? それを使わせなさい』

 

『そうだね。でも、その前に君に言っておくことがある。君が時間遡行の魔法でこの宇宙に出現したときの空間座標は、前宇宙の僕達の星の周回軌道上に存在するんだ。君の魔法は、おそらく時間遡行を行なった場所を基点としている。もし、次の宇宙でもこの場所に出現したいのなら――』

 

『こんな不便な所に用はないわ。そういうことなら是が非でも地球まで送ってもらうわよ』

 

 元の宇宙で時間遡行の魔法を使った場所が、次の宇宙での出現ポイントになる。ならば、地球で時間遡行を行ったほうが、効率的な探索ができるに決まっている。

 

『そうかい、じゃあ、〈転移ゲート〉まで任意座標転送することにしよう』

 

 

 キュゥべえがそう言った途端、ほむらは、自身が雲散霧消するのをはっきりと感じる。そして、視界が切り替わる。目の前の光景は、様変わりしていた。

 そこは海の中だった。彼女の周囲は、360度淡い青色の液体で満たされていて、果てしなくどこまでも続いていた。その水の中で、光が奇妙に屈折して揺らめきながら、音もなく浮かんでいる巨大な構造物を照らし出している。黒い円環体〈転移ゲート〉だった。

 

『ほむら、これを次の宇宙の僕達に渡して欲しい』

 

 キュゥべえはそう言うと、水中でくるりと一回転して、その可愛らしい背中からビー玉を射出する。ビー玉はゆっくりと水の中を進みながら、ほむらの元まで辿り着く。彼女は、それを受け取った。なぜか、ビー玉の色が白色から青色に変わっていた。

 

『きみの元居た宇宙で僕達の星があった座標についてだけど、この宇宙では天体が存在しないんだ。しかも、君の宇宙と比べると、僕達インキュベーターの発祥や生態がまったく異なったものとなっている。別の星で、別の進化を遂げた完全な異種生物だ。というのも、この宇宙の僕達の本体は、液体で構成されていて、固着性微生物の集合体である君の宇宙での僕達とは根本的に違うんだ。でも、〈転移ゲート〉を作り出し、宇宙のエネルギーを回収するという目的だけは共通している。僕達はこれから、この事実が何を意味しているのかを考えてみることにするよ。君のおかげで、宇宙生成の謎に一歩近づくことができた。ありがとう、違う世界の“暁美ほむら”』

 

 

 ほむらは、背後で話を続けるキュゥべえを尻目に〈転移ゲート〉の時空境界面へ進入した。

 

 彼女は、〈転移ゲート〉の通過を明確に知覚する。見渡す限り、白色と黒色のマーブル模様がカオス状態で渦巻いている。彼女は、時空間の流動を感じ取り、その流れに身を任せた。

 ここでは、時間が経過していない。自身の時間停止魔法と同質の力を感じるが、それよりも遥かに無秩序な何かがこの空間内にはあった。

 彼女に向かって、何かが近づいてくる。何かは、フラフラとした足取りで歩いている。何かは、人だった。しかも、魔法少女の格好をしている。彼女は、その格好に見覚えがあった。

 ほむらは、ぞっとした。

 

(あれは、私だ)

 

 “自分”は、俯いたまま、弱弱しく歩いていた。その表情は見えない。ますます距離は縮まってくる。

 ほとんど手が届きそうなほど近づいたとき、出し抜けに“自分”が、顔を上げる。そして、ほむらを見た。

 

『ーーーーーっ!!』

 

 魂が揺さぶられるような恐ろしい悲鳴だった。原初の恐怖に“自分”の顔は彩られている。“自分”は何を見たのか。ほむらは、薄ら笑いを浮かべながら“自分”に声を掛けた。

 

『どうかしたの? ずいぶん酷い顔をしているわ。悪魔でも見たの?』

 

 彼女の言葉が、聞こえたのかどうかは分からない。“自分”は声なき悲鳴を上げ続けている。

 

 答えは聞けなかった。ほむらは、気が付くと、都市の上空に浮かんでいた。懐かしい風のにおいがする。彼女は、この場所をとても良く知っていた。何せ、ここは彼女の故郷なのだから。

 彼女は、里帰りを、なんだかやたらと久しぶりだと感じた。時間的には大して経過していないはずだが、片道5億光年の距離を往復したことによる時差ボケなのかもしれない。

 

 見滝原市へと帰ってきたほむらは、迷いなく鹿目家に向かって一直線に飛翔する。そして、心の中で一応謝罪しながら、こっそりと魔法で家の中を覗き見した。だが、やはりキュゥべえの言ったとおり、まどかはこの宇宙には存在しないらしい。鹿目家には、まどかの部屋がなかった。

 これで、もうこの宇宙に滞在する用はなくなった。さっさと次の宇宙へ移動するべきだろう。彼女は、時間遡行の魔法を使う前に、本当にやり残したことがないのかをもう一度よく考えてみた。

 

(この世界の私は、どんな感じなのかしら)

 

 ほむらは、〈転移ゲート〉通過時に“自分”とすれ違ったことを思い出す。もしかしたら、あれがこの時間軸の自分なのだろうか。しかし、あれは、魂の在り方が奇妙だった。“暁美ほむら”個人というよりも、“暁美ほむら”という人格の集合意識のように感じられた。

 悩んでいても仕方がないので。彼女は、自分が住んでいるはずのマンションへ向かうことにした。

 

 この世界のほむらは、普通に居た。ご丁寧に部屋の番号まで同じだった。部屋の中を覗いてみると、黒髪ロングの女子中学生が、ソファーにだらしなく寝そべりながら、暢気に雑誌を読んでいた。

 それを見たほむらの心中に、モヤモヤとした何かが発生する。

 

『キュゥべえ、私をあの部屋の中に転移させなさい』

 

『どうしてだい? 念話で話し掛ければいいじゃないか』

 

『いいから、やりなさい』

 

 ほむらは、もう、すっかりお馴染みとなった重力の方向が一回転するような感覚を覚える。そして、目の前の光景は懐かしの我が家となっていた。

 ソファーに寝転がって、表紙に“小悪魔系ファッション特集!”と銘打たれたファッション雑誌を読んでいた少女は、転移時の時空の乱れを感じたらしい、何事かとあたふたしながら顔を上げた。そして、ほむらと目が合った。

 

「こんにちは」

 

「はぁっ!? えっ……えぇっ! 何、私!? 誰なの!?」

 

 ソファーの上から勢いよく転げ落ちた少女は、尻餅をつき、驚愕の表情でほむらを見ている。期待通りの反応を示してくれた少女に、ほむらはご満悦だった。

 

「私は、違う時間軸から来たあなたよ。少しお話をしましょう」

 

 少女は、口をポカンと開けながらほむらを見つめている。その混乱状態の頭にようやくほむらの言葉が染み込んできたらしい。彼女は、慎重に言葉を選びながら返答した。

 

「……あなたは、違う時間軸の私。……それで、何の用なの?」

 

 “私”は、ずいぶんと落ち着きを取り戻すのが早かった。

 

「あなたは、まどかのことを憶えているの?」

 

 ほむらは、埃を払い落としながら立ち上がった少女に問う。

 

「“まどか”? 女の子なの? 知らないわ」

 

 この“暁美ほむら”は、まどかを憶えていない。

 “まどかを知らない”その言葉を、自分と同じ姿で同じ声の人間が発した。それを聞いて湧き上がる感情は、筆舌につくしがたいものだった。

 

「あなたは、〈前の世界〉で時間遡行の魔法を使っていたことも忘れたの?」

 

「何を言っているのか、まったく分からないわ。“前の世界”? “時間遡行”? 何のことなの? 私の魔法は、弓矢と翼による飛翔よ。……あと、ずっと気になっていたのだけど、そのコスプレは何? 私と同じ容姿の人間がそんな格好をしているのは、とても残念な気持ちになるのだけど」

 

 少女の口ぶりからすると、時間停止の魔法も使えないらしい。この世界の“暁美ほむら”は、“鹿目まどか”を完全に忘れていた。だが――

 

(ずいぶん、楽しげな部屋ね)

 

 少女の部屋には、割とセンスのいい家具が配置され、幾つか置いてある落ち着いた色調の棚には、本や、小物類などが並んでいる。自身の空虚で殺風景な部屋と比べると、雲泥の差だった。

 ほむらは、段々と、ここにいることが耐え難くなってきた。まどかを忘れてしまった“自分”の方が、幸せそうだなんて、そんなことは絶対に認めたくなかった。

 

「……あなたは、その赤いリボンをどこで手に入れたの?」

 

「これ? このリボンは確か、……ええと、憶えてないわね。まあ、どこかで買ったんでしょう」

 

「そう、もういいわ。もう、あなたの顔は見たくない」

 

「……突然現れて、突然酷いことを言うのね。言っておくけど私の顔は、あなたの顔でもあるのよ」

 

 ほむらは、もう、この気持ちの悪い存在と会話を続ける気はなくなっていた。少女を無視して、時間遡行の魔法を使用するために意識を集中し始める。そんなほむらに、少女がこう言った。

 

「あなた、ずいぶん疲れた顔をしているわ。少し休んだほうが――」

 

 時間遡行の魔法が発動し、少女の言葉は、途切れた。

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 ほむらは、またしても宇宙空間を漂流していた。インキュベーターは嘘つきだったのか。時間遡行の魔法が、前回の場所とリンクしているのなら、当然、今回現れるべき場所は、自分のマンションであるはずだ。だが、彼女は、遥か前方に浮かんでいる美しい惑星に気が付いた。

 

(これが、地球。本当に青いのね)

 

 理科の教科書で目にしたことのあるほむらの母星が、太陽の光を受けて宇宙の闇に浮かんでいる。彼女は、この程度の距離なら、今の自分であればすぐに移動できそうだと判断した。しかし――

 

(いちいち、飛んで移動するのも面倒ね。でも、またあいつらの手を借りるのも何だか気に入らないわ)

 

 ほむらは、思考する。別に、キュゥべえに頼まなくても、魔法で空間転移できるのではないか。何度も、宇宙人の謎の科学力によって空間転移を経験した彼女は、その感覚を何となくつかんでいた。正直なところ、今の自分は何でもできそうな気がする。思いのほか、簡単に瞬間移動を習得できるのではないだろうか。

 彼女は、静かに目を閉じて、魔力を流動させる。そして、時空の隙間に流れ込む道を見定め、そこに向かって一気に突入した。

 

 空間転移はいともあっさりと成功した。地球に移動したほむらは、再び上空から街を見下ろしていた。彼女は、集中する。感覚を研ぎ澄まし、遠見する。この宇宙に、まどかは、いない。鹿目家には、やはり、まどかの部屋がなかった。

 もう次に行くべきか、少し悩んだ末に、彼女は、もう一度自分の部屋の様子を覗いてみることにした。

 ほむらは、大きな翼をはためかせて飛ぶ。そして、意識を自分の部屋に向けた。

 

 部屋の中には、相変わらずのマヌケ面の黒髪ロング少女がいた。そして、今回は、白い小動物も一緒だった。両者は、なにやらお話中のようだ。どうせ、中身のない時間つぶしの下らない話だろう。彼女は、なんだか気が削がれたので、もうこの世界に見切りをつけようとした。しかし、テーブルの上に置いてある菓子袋を目にして気が変わった。

 

(そう言えば、長い間何も食べてなかったような気がするわ)

 

 彼女は、次の宇宙に行く前に、少しつまみ食いをしていくことに決めた。そうなると、目的のためには、あの邪魔な女を排除するべきだろう。彼女は、指先の感覚を伸張し、部屋の呼び鈴を押した。すると、ほむらの目論見どおり、マヌケ女は客が来たと勘違いして玄関に向かった。

 

(あなたを訪ねてくるような友人なんて、どこの宇宙にもいないというのにね)

 

 ほむらは、室内に向かって空間跳躍した。

 リビングに着地したほむらは、早速、雑誌の上に置かれている“ねぎ味噌かりんとう”の袋を手にして、中のお菓子をボリボリと食べ始める。この味を食べるのは初めてだったが、意外と悪くないなと彼女は思った。

 そして、その様子を、キュゥべえが静かに見守っていた。この予想も付かない事態に対して、ここまで冷静でいられる宇宙人のメンタリティは、賞賛に値するだろう。

 袋の中身を空にしたほむらは、何も言わずに、キュゥべえに向かって青いビー玉を放り投げる。少し、狙いが外れてしまったそれを、キュゥべえは、驚くほど俊敏な動きで、正確に背中で受けて吸収する。

 

「――なるほどね。そういうことなら、次の宇宙にはこれを持っていって欲しい」

 

 瞬時に状況を把握したキュゥべえは、即断即決でビー玉を返球してきた。ビー玉の色は、またしても変化しており、今度は、赤色だった。ほむらは、それを素早い動作で体内にしまいこんだ。

 

「この世界にも、まどかはいないのよね?」

 

「ちょうど今、その話をこの宇宙の君としていたところさ。〈円環の理〉が〈まどか〉という魔法少女の成れの果てということらしいね。それについては、貰ったばかりの情報を分析して、より多角的な視点で考えてみることにするよ。実に興味深い話だね」

 

「そう、この世界の私は、まどかのことを憶えているのね」

 

 ほむらは、室内を見回した。リビングにはソファーとテーブルしか置かれていない。ほかには、何もない。それは、空っぽな部屋の主の心を映しているかのようだった。

 もう、ここに用はない。彼女は、意識を集中する。

 

「ほむら、君は、それをいつまで続けるつもりなんだい?」

 

 キュゥべえは、最後にそう言ったが、既にほむらの姿はなかった。室内に静寂が訪れる。

 そこへ、“ほむら”が戻ってきた。彼女は、勢いよくリビングのドアを閉めると、ソファーにどっかりと腰を下ろした。どうやら、機嫌が悪いらしい。その辺りの空気も、それなりに読めるようになっているキュゥべえは、余計な口を出さずにだんまりを決め込んだ。

 彼女は、荒々しく菓子袋の中身を探り出す。そして、すぐに気が付いたようだ。ブチギレ寸前の声色でこう言った。

 

「キュゥべえ。あなた、私のお菓子を勝手に食べたでしょう――」

 

 ほむらの問いかけに対して、キュゥべえは、言うべき言葉をじゅうぶんに知っていた。

 

「僕じゃないよ。あれは、悪魔だったよ。間違いなくね」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 次の宇宙も殆ど似たような状況だった。まどかは、いない。誰も〈円環の理〉を見たものはいない。

 次の次も、次の次も次も。しばらくは同じ状況がずっと続いた。ほむらは、何度も時間を遡った。かつて、そうしたように。何度も時間を遡った。

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 ほむらが、時間を逆行しながら、次なる宇宙に出現するその寸前。突然、彼女の体中に細い糸のようなものが大量に絡み付いてくる。それは、彼女を束縛しようとする明確な意思を持っていた。

 ほむらは、この程度の拘束ならすぐに抜け出せると分かっていたが、今までにない事態を引き起こした存在の正体が少し気になった。彼女は、とりあえず、されるがままになって、事の推移を見守ることにした。

 

 彼女は、時空間の狭間に完全に固定される。そして、彼女の頭の中へ、ある程度予測していたとおりの口調で、念話が送り込まれてきた。

 

『手荒な真似をしてすまない。少し話をさせて欲しいんだ。君は何者なんだい? どうやって、時間を遡ってきたんだい? 僕達の種族は、時間遡行の技術を研究しているんだ。その研究の一環として、未来から過去への時空間の乱れを引き起こす存在を捕獲するシステムを作っていて、そのシステムに君が引っ掛かったということなんだ。君は、未来から来たんだろう?』

 

 この独特の思念は、やはり、インキュベーターだ。この世界のキュゥべえは、過去に行きたいらしい。そうだ、元の世界でも、奴らはそんなことを言っていたような気がする。大昔のことなので、あまり憶えていないが。

 ここで、ビー玉を渡してしまえば、話はすぐに済むだろう。だが、ほむらは、このちょっと変なキュゥべえが気になったので、少しだけ会話することにした。

 

『この世界の地球には、“暁美ほむら”という魔法少女はいるの?』

 

『“暁美ほむら”かい? ……ちょっと待って欲しい。……ああ、契約した記録はなぜかないけど、“暁美ほむら”という魔法少女は、確かに存在していたね』

 

『……“存在していた”?』

 

『彼女は既に消滅している。今、現地の端末と情報同期して確認したから間違いないよ』

 

 この世界の“私”はもう、死んでいる。ソウルジェムが消滅して、〈円環の理〉に導かれている。自分がいない。当然、その可能性もあるのだ。ただ、それを、悲しむべきなのかどうかが分からなかった。

 

『“暁美ほむら”と会話した記録は僅かしかなかった。話し掛けても上の空で、相手にされなかったらしい。あと、彼女のソウルジェムは、穢れがずっと蓄積されたままだったみたいだね』

 

『そう……』

 

 ほむらは、この世界の“自分”の心情に思いを馳せる。虚しさだけしか感じなかった。

 

『君は、別の時間軸の“暁美ほむら”のようだね』

 

『そうよ、私は時間遡行の魔法を使えるの。良かったわね。元の世界のあなた達は、私の魔法を研究して過去へいけるようになるらしいわ。その技術は、既に完成されているから、もうあなた達が時間遡行の研究をする必要はなくなったわよ』

 

『別に、良くはないよ。どこかの確率時空の僕達が、過去に行けるようになったからといって、それが、この宇宙の僕達と何の関係があるんだい? 僕達は、主観的にしか物事を認識できない。それは、君も同じはずだよ。そうだろう、“暁美ほむら”? 君は、どこか別の時間軸の君が、“鹿目まどか”を発見したという話を聞かされて、それで納得できるのかい?』

 

 ほむらは、ハッとする。こいつにまどかを探しているなんて言った覚えはない。もしかしたら、この世界の“自分”から何か情報を引き出していたのかもしれないが。それに、別の時間軸のインキュベーターのことなんて、どうでもいいという考えを持っているようだが、それならば、このビー玉を何と説明する。

 ほむらは、この宇宙のキュゥべえに、ビー玉を渡さないことに決めた。このキュゥべえは、何かがおかしい。一刻も早く次の宇宙に移動するべきだ。

 

 彼女は、魔力を爆発させて拘束を吹き飛ばす。

 

『ちょっと、待つんだ――』

 

 キュゥべえが何かを喚いていた。

 ほむらは、魔力が放射された次の一瞬で時間遡行の魔法を行使した。あっという間に、ほむらの姿がこの宇宙から消失する。

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 景色の変わらぬ旅が続く。いずれも、まどかは、いない。

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 ほむらは、ふと思う。幾つもの時間軸を見てきたが、今の自分と同じように、こうして時間遡行を繰り返しながらまどかを探索している“自分”と出会った事はない。

 今の状態は、とてつもなく確率の低い状態なのではないか。もしかしたら、すべての並行宇宙でたったひとつしかない極めて稀なケースではないのだろうか。

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

「ほむら、僕達のような主観的存在は、無限というものを認識できない。君は、自身の今の状態が低確率だと言うけど、今の君と同等の状況は、確率的には無限に存在している。そして、〈まどか〉と出会うことができた君も無限に存在している。僕達は、所詮、有限の時しか生きることのできない存在だ。無限なんて、正しく認識できるわけがない。……なるほど、確かに今の君には寿命というものは存在しない。でも、君が何度時間を遡ったとしても、君の主観では有限の回数しか繰り返すことはできないんだ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「袋の中に赤玉と青玉が1個ずつ入っているとしよう。君が、この袋からひとつだけ中身を取り出せるとしたら、赤玉を引く確率は何だと思う? 赤玉と青玉が100個ずつだったら? 赤玉と青玉が1億個ずつだったら? ……赤玉と青玉が無限ずつだったら?」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「すべての宇宙を“まどかのいる宇宙”と“まどかのいない宇宙”の2つに分けた場合、両者は等しく無限に存在している。……え? 〈まどか〉がいないほうが多いって? そんなことはないよ、無限は無限さ。多いも少ないもないよ」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

「うわ、あんた、その格好は何のコスプレなの?」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「え? コスプレじゃないのかぁ。でも、魔法少女の格好ってその人の本質的なものが出てくるんでしょ。余計ヤバイよね」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「そっか、あんたは、そのまどかっていう子しか見えてなかったんだね。だから、いつも、あんなに辛そうだったんだ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「しっかし、そんな状態になってまで、友達を探し続けるなんて、ほむらの愛は重いなぁ。なんていうかさ、あんたが心配だわ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「ほむら! 友達見つかるといいね!!」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

「は? そのイカれた格好は何なんだ?」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「でもさ、よく見ると結構しっくりくるなソレ。アンタっぽいというか」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「まどか、ねえ。アンタは、そいつがいなくなったことを認められなくて、元の世界から逃げ出したのか?」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「どんだけそいつのことが好きなんだよ。あんたは、もうジューブン頑張った。そろそろ休んでもいい頃合だよ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「ふーん。絶対にあきらめないのか、そうか、じゃ頑張れよ」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

「どうしたの!? 暁美さん、あなたがそんな素敵な格好をしているなんて!」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「そう、あなたの魂がその姿を選択したということなのね……」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「その子のことを探すために、何度も時間を遡っているの? ……暁美さん、私に何か手伝えることはない?」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「暁美さん。今のあなたは、まともじゃないわ。しばらく、この世界で暮らしたらどう? 一緒にお菓子作りをして、おしゃべりして、それでもあなたの決心が揺るがないのなら、私は、もう何も言わないわ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「行ってしまうのね。でもこれだけは憶えておいて欲しいの。たとえ、あなたがあきらめたとしても、その子は絶対にあなたを責めたりはしないということを」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

「引き継がれた情報を解析すると、君が訪れた時間軸には、必ず“宇宙”と“人類”と“インキュベーター”が存在しているね。でも“インキュベーター”は、それぞれの時間軸でまったく異なる種族がその役割を果たしている。これはどういうことだろう」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「どうして、必ず“宇宙”が存在するのか。君は、考えてみたことはあるかい? “ない”状態はひとつだけど“ある”状態はあらゆるパターンが存在する。なんて、馬鹿げた考えはなしにしてだ」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「“インキュベーター”という存在は、どうやら“人類”の感情エネルギーを回収する役割を与えられているみたいだね。だから、“インキュベーター”と“人類”は必ず存在する」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「“インキュベーター”は、君のおかげで、時間遡行の技術を手に入れている。だから、“インキュベーター”は過去へ行ったんだ。宇宙誕生以前の過去へ。そして、“インキュベーター”は、“宇宙”を生成する。だから、必ず“宇宙”と“インキュベーター”が存在するんだね」

 

 ほむらの旅は続く。

 

「ありがとう、暁美ほむら。君のおかげで、僕達は何のために生まれて、何のために生きるのか。その答えを知ることができた」

 

 

 ほむらの旅は続く。

 

 しかし、まどかは見つからなかった。でも、彼女はあきらめなかった。

 

 ほむらの旅は続く。

 

 しかし、まどかは見つからなかった。でも、彼女はくじけなかった。

 

 ほむらの旅は続く。

 

 しかし、まどかは見つからなかった。

 

 ほむらの旅は続く。

 

 しかし、まどかは見つからなかった。

 

 ほむらの旅は続く。

 

 ほむらの旅は続く。

 

 ほむらの旅は続く

 ほむらの旅は続く

 ほむらの旅は続く

 ほむらの旅は続く

 ほむらの旅は続く

 

 

 

 ほむらの旅は、終わる。



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06_ほむらのはじまり

 いつだか分からないあるとき、ほむらは、自身の生体を光量子に置換してブラックホールのシュヴァルツシルト面を周回しているタイプのインキュベーターと出会う。そんな、訳の分からない生活を営んでいるインキュベーターには、おそらく、これまでに出会ったことはなかったが、会話してみるといつものキュゥべえであり、その姿もいつもの白い小動物であったので、要するに結局、いつものとおりの宇宙であった。

 

 しかし、ほむらは、様々な形態のキュゥべえと接触してきたなかで思うことがあった。

 自分が“インキュベーター”という宇宙人を何ひとつ理解できていないから、奴らのことを、どこの宇宙でも変わらない無感情な生き物としか見ることができないのではないかと。

 インキュベーターは、宇宙によって生態は異なるが、人類を遥かに凌駕する科学力を有し、思考形態も人間のそれとは大きく異なっている。そんなインキュベーター達が、ほむらと会話するときは、いずれも等しく可愛い小動物の姿で、日本語を使用することになる。使用言語、会話速度、思考速度などを人類のレベルに合わせているから、“いつものとおり”の変わらぬキュゥべえにしか見えないのではないか。

 

 なぜ人類がインキュベーターを理解できないのか、なぜインキュベーターが人類を理解できないのか、そして、両者はいつか理解しあえる日が来るのか。ほむらは、そんなことにはこれっぽっちも興味がなかった。

 

 

 情報の引継ぎ作業に地球時間で2、3日掛かるから、お散歩でもしながら待っていてね、と光量子インキュベーターにお願いされたほむらは、既に地球での用事を済ませてしまっていたので、特にやるべきこともなく、彼らの言うとおりその辺をぶらつくことに決めた。

 何度も何度も時間を繰り返す度に、引き継がれる宇宙人情報がどんどん増えていったらしく、近頃ではデータの移行に一日以上待たされることも少なからずあった。ほむらは、そのようなときに、情報の継承などというキュゥべえの使い走りを放棄して、次の宇宙に行くべきだと考えたこともあった。

 だが、至上命題であるまどかの探索がまったく進展しないなかで、いつ終わるとも知れない旅を続けるほむらが、唯一積み重ねていることが、このキュゥべえデータの継承であり、彼女は、この行いを終わらせることに漠然とした恐怖を感じていたのだった。

 

 ほむらは、全ての光を飲み込みながら周囲の空間を捻じ曲げている暗黒の天体をぼんやりと眺めていた。ブラックホールは、宇宙空間にぽっかりと真円の穴を穿ち、無限大の重力によってなにもかも引きずり込んでいる。彼女は、魂を吸い込まれてしまったかのように放心して、ずっとそれを見続けていた。

 彼女は、ずっと以前に、無思考状態でいると、時間の経過をいっさい認識しなくなることに気が付いていた。飢えることもなく、疲労することもなく、眠ることすらも必要のない彼女は、星の海を漂いながら、そのまま数年を過ごしたことがある。旅の当初は、一秒でも早くまどかを探し出さねばならぬと、そのような無為な時間経過を嫌っていた。だが、長い年月を生きるうちに、焦燥や悲壮は消え去り、今はただ、満たされない渇きだけが残っていた。

 

『ほむら、確認したいことがあるんだ』

 

 キュゥべえからの念話が、ほむらを無思考から呼び覚ます。その直後、ぐにゃりと時空を歪ませながら白い小動物が姿を現した。

 

『何?』

 

 ほむらは、短く聞き返した。意識が未だ混濁している。どれくらいの時間が経過したのだろう。

 

『君は、“百江なぎさ”という魔法少女を知っているかい?』

 

 百江なぎさ。ほむらは、過去を振り返る。その名を聞いた憶えはなかったが、自分の記憶の確かさに自信はなかった。数え切れないほど訪れた並行宇宙について、そのひとつひとつを正確に憶えていられるわけがない。一度も会ったことがないかもしれないし、会って話をしたことがあったのかもしれない。だから、彼女はこう答えた。

 

『知らないわ』

 

『そうかい。まあ、知らなくて当たり前だけどね。君が訪れたことのある全ての宇宙において、彼女は、時系列的に“暁美ほむら”が生まれる以前に消滅しているんだ』

 

『それで、結局何が言いたいの?』

 

 知らなくて当たり前のことなら、なぜ確認したのか。ほむらは、いつものとおり、キュゥべえの意図が掴めなかった。

 

『記録装置に彼女の念話――とよく似た思念のようなものが記録されているんだ。本当に、彼女と会ったことはないんだね?』

 

 ない、とは言い切れないが、あるとも言えない。要するに憶えていないのだが、そもそも、それがどうしたという話だ。会ったこともない魔法少女の声が、ビー玉に記録されていたことが、それほど重要なことだとは思えない。ほむらは、宇宙遊泳をしている動物さんに尋ねた。

 

『その子は、私が生まれる前に消滅しているのだから、会えなくて当然なのでしょう? その声はどの宇宙で記録されたの?』

 

『憶えていないのかもしれないけど、君は、一度だけ僕達に記録装置を渡さなかったことがある。その宇宙で、彼女の思念が、おそらく君に対して発信されていたみたいだね。とりあえず、その記録されている思念を再生するから、聞いてみて欲しい』

 

 キュゥべえはそう言って、背中からビー玉を排出する。宙に放り出された黒いビー玉は、宇宙人の周囲をゆっくりと旋回し始めた。そして、ぐるぐると回り続ける小さな黒球から吐き気のする波動が放射される。ほむらは、この胃がムカムカする独特の感覚に覚えがあった。

 

(……魔女の気配)

 

 シーッという虫の羽音のような雑音に混ざって、微かな声が聞こえてくる。それは、ずっと同じ言葉を繰り返していた。

 

 ……す。う……なの……す。……そ……です。う……な……です。うそな……す。……そなのです。うそなのです。うそなのです。うそなのです。うそなのです。うそ――

 

 ほむらは、顔を上げ、訝しげに尋ねた。

 

『“なのです”?』

 

『いや、そこは気にするところじゃないよ。単なる彼女特有の言葉遣いだ』

 

 ほむらは、この、妙に癇に障る丁寧語じゃない丁寧語が非常に気になった。こんな語尾で話す人物が目の前にいたら、どのような気持ちになるのかまったく想像できなかった。

 

『とにかく、“百江なぎさ”は何かを“嘘”だと訴えていた。その何かについてだけど、彼女の思念を傍受したとき、君は、その宇宙のインキュベーターと念話を交わしていたんだ。多分、その内容について嘘だと言っていたんじゃないかな』

 

 ほむらは、その話の内容を憶えていないどころか、そういうことがあったということすらも憶えていなかった。疑い出したらきりがないのは分かっているが、今、まさにキュゥべえが嘘を言っている可能性もゼロではない。彼女は、この件については話半分に聞くことに決めた。

 

『そのときの念話も記録されているから、それも再生するよ』

 

 何も言わないほむらを放っておいて、キュゥべえは話をどんどんと進めていく。僅かな間の後、ビー玉から念話が放射された。

 

 ……この世界の地球には、暁美ほむらという魔法少女はいるの?……暁美ほむらかい?……ちょっと待って欲しい……ああ、契約した記録はなぜかないけど、暁美ほむらという魔法少女は、確かに存在していたね……存在していた?……彼女は既に消滅している。今、現地の端末と情報同期して確認したから間違いないよ……

 

 やはり、憶えていない。ほむらは、喪失した記憶のことを考えて不安になる。

 

(このまま少しずつ記憶が失われていって、大切な思い出まで忘れてしまうようなことがあったら……)

 

『……インキュベーターが“彼女は既に消滅している”と発言する直前から、“百江なぎさ”と思わしき存在の念話が始まっている。順当に考えるなら、その宇宙の“暁美ほむら”が消滅したという発言に対して虚偽を訴えていると考えられるね』

 

『その宇宙の“私”が、実は死んでなかったということ? そのインキュベーターは、なんでそんな嘘をつく必要があったの?』

 

『見当もつかないね。君も知ってのとおり、僕達は基本的に嘘をつかない。その宇宙の僕達は、君に“君”の生存を知らせるわけにはいかなかったから、嘘を吐く必要があったんじゃないかな。今となっては、もう確かめようがないけどね』

 

 そう、それは、遠い過去の話。今更どうしようもない。

 

『記録装置のデータをすべて解析した結果。特に目立った例外的事象がそれだったんだ。君に何の心当たりもないのなら、これ以上はもうお手上げだね』

 

 確かに、何だか少し気になる出来事だ。インキュベーターが嘘をつかなければならない理由なんてものが本当にあるのだろうか。その宇宙では何が起きていたのか。それを知る術は、ない。

 ほむらは、小さく息を吐こうとしたが、肺に空気が存在しなかったため、横隔膜が収縮しただけだった。

 

『……この短い時間で、全てのデータを解析できたのね。この宇宙のあなた達は特別に優秀なのかしら?』

 

 ほかの宇宙のキュゥべえは、情報の引継ぎだけでやたらと時間を掛けていたはずだ。それに比べるとこのキュゥべえの仕事の速さはそこそこ評価できる。ほむらは、及第点を与えてあげることにした。

 

『ほむら、ここは事象の地平面のすぐ傍だ。君の主観では短い時間だけど、ブラックホールから離れた通常空間では、相対論的効果によって途方もない時間が経過している。僕がここに来た時点で、外界ではデータ解析開始から5200万年が経過していたんだ。解析する時間はじゅうぶんにあったのさ』

 

『……は? ちょっと! そんな話は先に言いなさい! 過去に戻れなくなったらどうしてくれるの!?』

 

 ほむらは、本当に久しぶりに驚き、そして、激昂した。何の気なしにブラックホールの近くを観光していると、知らない間にとてつもない時間が過ぎ去っていた。完全に浦島太郎状態である。

 

『君が何を騒いでいるのか分からないね。君の時間遡行の魔法は、一定の時間しか遡れないのかい? 記録されているデータを見る限り、君がいつ時間遡行を行っても、次の宇宙に出現するときは同じ時点に固定されていたよ。まったく問題ないね』

 

 なるほど、ようやく少し思い出してきた。この白い畜生がムカつく存在だという事実を。

 

『“まったく問題ない”のなら、もうここにいる必要はないわね。そろそろ、さよならの時間よ。次の宇宙に記録装置とかいうのを持っていって欲しいのなら、今すぐ渡しなさい』

 

 今回は、自分を観測する人の時間を著しく無駄にしてしまった。つまり、何事もなくいつものとおりの宇宙だったということだ。

 キュゥべえが、旋回していたビー玉の軌道を、顔に掛かった長い髪を煩わしそうにかきあげているほむらに向かうように修正する。彼女は、高速で移動するそれを難なくキャッチした。

 

『ほむら、次の宇宙に向かう前にひとつ、頼みたいことがあるんだ』

 

 ほむらが、時間遡行の魔法を実行しようとした矢先、キュゥべえがそんなことを言い出した。彼女は、正直面倒臭いと思いつつも、慈悲の心を持って宇宙人の頼みごととやらを聞くだけ聞いてみることにした。

 

『そんなに難しいことじゃないよ。ちょっと、ブラックホールの中心まで行って帰ってきて欲しいだけさ』

 

『あなたが行きなさい。さよなら』

 

『ちょっと待つんだ。暁美ほむら、僕達は事象の地平面の向こう側をどうしても観測したいんだ。ブラックホールという天体の性質について、理論的な部分はほとんど完成されている。でも、光さえも脱出できない情報伝達の境界面の先に何があるのか、そして、その中心で無限大の重力を持つ特異点がどのような働きをしているのか、今がそれを直接観測する唯一の機会なんだ。君には、自身への破壊作用を持つ物理的効果をすべて無効化する特性がある。だから、超重力にもじゅうぶん耐えることができるし、君の時間停止魔法を使えば、ブラックホールの中心に向かう途中で相対論的効果により外界で無限大の時間が経過してしまいホーキング輻射でエネルギーが喪失してブラックホールそのものが蒸発してしまう事態も回避できる。君は、本当にお気軽に散歩してくるだけでいいんだ。観測は記録装置が自動でやってくれるからね。ほむら、君には好奇心というものがないのかい? 少しでも、知性のある生命体なら、未知なることを知りたいと思うはずじゃないか!』

 

『え、ええ……。わ、分かったわ。やるわ。そう言われてみると、私もブラックホールの中心がどうなっているのか気になってきたし……』

 

『当然だね。じゃあここで待っているから、よろしくね。ちゃんと時間停止魔法を使ってから行くんだよ』

 

 どうやら、キュゥべえの押しちゃいけないスイッチを誤って押してしまったようだ。ほむらが冷や汗をかくと、その汗が絶対零度により瞬時に凍りついた。

 

 ほむらは、改めて宇宙空間にぽっかりと空いた黒い穴を見つめる。ここから、穴の中心までは約1000kmといったところだ。何事もなければすぐに往復できる距離である。彼女は、意を決すると、魔力を込めて久々の時間停止魔法を行使した。

 宇宙の全てが凍りついた。先程までペラペラとお喋りが煩かったキュゥべえも、彫像のように固まっている。彼女は、それを尻目に前進する。黒き翼をはためかせて、およそ1km/sで宇宙を優雅に飛行する。動いているものは、ただ彼女のみ、静寂に支配された世界で、暁美ほむらは、ひとり、暗黒の深部に向かうのだった。

 

 ブラックホールの中心まで残り100km程のところで、ほむらは、凄まじい潮汐力を受ける。ほんの一瞬、上半身と下半身が生き別れてしまうのではないかとヒヤッとしたが、しばらく我慢していると、特に何も感じなくなったので、超重力を無視して先に進むことにした。

 光はもう届かない。前も後ろも暗闇に閉ざされている。方向感覚を失いそうになったが、感覚を研ぎ澄まして、より重力の大きくなる方向へとひたすら進み続けた。そして、彼女は、暗黒の中心へと辿り着く。

 

 ほむらは、観測した。ブラックホールのちょうど中心に“何か”がある。その、物理法則に従わない“何か”は、直径2m程の円環体だった。

 彼女は、このドーナツ型構造物に非常に良く似たモノに見覚えがあった。

 

(これは、〈転移ゲート〉……?)

 

 光の反射を視認できないため魔力で周囲の状況を探るしかないが、その認識できないほど高速で回転しているリングは、大きさは違うが、確かにあの〈転移ゲート〉のようだった。

 ほむらは、困惑する。キュゥべえは、ここにコレが存在することを知っていて、自分を送り込んだのか。それとも、このような構造物があることなど何も知らなかったのだろうか。

 今すぐ引き返して、キュゥべえに報告するべきだ。彼女はそう思ったが、同時に奇妙な興奮も感じていた。

 何かが、起きた。変わらぬ日々に僅かな変化が起きた。ほむらは、思案する。このゲートを通過したら、どうなってしまうのか。それは、命を危険にさらすような無謀な行為なのか。

 今の自分は、限りなく不死身に近い存在だ。それは、永い時を生きるうちに何となく理解できたことだった。それでも、この正体不明の構造物に身を預けることは、愚かなことだろうか。彼女は、凍りついた時間の中で、考えを巡らせた。

 

 そして、フッと笑った。

 

 “――少しでも、知性のある生命体なら、未知なることを知りたいと思うはずじゃないか――”

 

(ええ、その通りよ。それに、案外この先にまどかがいるのかもしれない。今までずっと同じ場所を探し続けてきて、それで見つからなかった。だから、たまには違う場所を探してみるのも悪くはないわ)

 

 ほむらは、もう迷わない。

 彼女は、一際強く魔力を込めて羽ばたくと、勢いよく円環体を通過した。

 

 

 

 その先は、“無”だった。

 

 ほむらは、そこへ出現する直前に、自らの存在を継続させるため、外界との干渉を遮断するフィールドを自身の周囲に展開する。一瞬の判断だった。

 時間停止の魔法が、いつの間にか解除されている。どうやら、ここには、“時間”が存在しないらしい。まったく、何も、存在しない。存在しないという概念すらも存在しない完全な“無”だ。

 周囲の状況を認識できない。何もないのだから当然なのかもしれないが。

 

(どうやら、ここにまどかは居なさそうね。でも――)

 

 便宜上“ここ”といっているが、ある特定の場所ではない“ここ”には、ほむらしか存在していない。だが、彼女には、予感があった。

 どこにでもいるし、呼んでもないのに勝手に出てくるし、訳の分からないことばかり喋るし、空気は読めないし、感情はないし、しかも、ムカつく奴。そいつがいないことなんて、これまでに、ただの一度もなかった。そう、そいつは――

 

『やあ、久しぶりだね、ほむら。こんなところで会うなんて、奇遇じゃないか』

 

 ――インキュベーターだ。

 

 干渉遮断フィールドを中和しながら、奴ら特有の思念がほむらの脳裏に侵入してきた。そして、何者も存在し得ない“無”に、突如、白い小動物が浮かび上がる。少なくとも彼女は、そう認識した。

 

『何が“久しぶり”なの? さっき別れたばかりなのに』

 

『ああ、別の宇宙の僕達と会ってたんだね。と、すると無事に違う時間軸への時間遡行が成功したんだね。それで、〈まどか〉は見つかったのかい?』

 

 何もない場所でも、インキュベーターは、いつもの調子でまったくブレない。しかし、ほむらは、このキュゥべえの発言に僅かな違和感を覚えた。

 

『あなたとは、どこかの宇宙で会ったの? もしかして――』

 

『忘れてしまったのかい? 酷いなあ、君のソウルジェムを強化して、時間遡行の魔法を復活させたのは僕達なのに』

 

 やはり、元の宇宙のキュゥべえだ。

 これは、どういうことだろう。こいつと、ここで再び出会うことが単なる偶然なのか、あるいは必然なのか。ほむらは、気持ちを落ち着けて状況確認に努めることにした。

 

『キュゥべえ。聞きたいことがいくつかあるわ。“ここ”はどこなの? あなたは、なぜ“ここ”にいるの? そして、私はなぜ“ここ”にいるの? 私は前の宇宙で、ブラックホールの中心にあった小さい〈転移ゲート〉を通過したら“ここ”に出てきたの。アレを設置したのはインキュベーターなの?』

 

 応えはない。ほむらの問いに対して、何かを思考しているのか、白い小動物は微動だにしない。反応がないことに不安になったほむらは、もう一度問い直そうとしたが、出し抜けにキュゥべえが念話を発信した。

 

『――今、君の所持している記録装置を解析させてもらったよ。他の宇宙のデータはとても興味深いね』

 

『……このビー玉は、渡さなくても解析できたの?』

 

『ここには“空間”がない。物理的距離が存在しないから渡すという行為自体も成立しない。記録装置は、君が所持していると同時に僕も所持していることになるから解析できるのさ』

 

(意味不明ね)

 

『さて、君の質問に答えよう。まず、“ここ”は宇宙誕生以前だ。宇宙がないのだから何もないのは当然だね。そして、僕がここにいる理由は、宇宙を誕生させるためなのさ。僕達は、君の魔法を解析して得られた時間遡行の技術を用いて、宇宙が誕生するよりも前にやってきたんだ。生成した新しい宇宙に移住して、その宇宙のエネルギーが枯渇したら再び過去へ遡り、宇宙を創り出す。つまり、ようやく宇宙のエネルギー枯渇問題は解決したということなんだ。君のおかげでね』

 

 自分のせいで、インキュベーターが宇宙を創造可能になったらしい。何だか、とんでもないことをしてしまったような気がする。ほむらは、この事実について、あまり考えないようにしようと思った。

 

『君が、ブラックホールの中心で見たという〈転移ゲート〉についてだけど、正直なところ、よく分からないね。記録装置のデータを解析したけど、君が言うような構造物は観測されていないんだ』

 

『そう。まあ、どうでもいいわ』

 

 アレを誰が設置したのかなど、ほむらには関係がないし興味もない。それよりも、今は、これからどうするべきかについて検討するべきだろう。どうやら、時間停止だけでなく、時間遡行の魔法も使用不可となっているらしく、魔力が収束しない。今よりも過去は存在しないのだから、当然のことなのかもしれないが。

 

『ふぅん。記録されているデータによると、君が時間遡行を行った回数は2兆695億5015万1896回、主観的経過時間は――ちょうど今、56億7000万年となった。……なるほど、面白い符号だ。救世の徒が現れてもおかしくはないわけだね』

 

『何を言っているの? マミの病気が感染したの?』

 

 なにやら、ブツブツと呟いているキュゥべえに対し、ほむらは不気味なものを感じる。だが、現在の状況で頼れるような存在は、この不気味な宇宙人だけだ。何せ、こいつのほかには何もないのだから。

 彼女は、今後の方針について相談することにした。

 

『あなたは、いつ頃、神様気取りで宇宙を創り始めるの? ここにいても仕方がないし、新しい宇宙で地球が誕生するまで待たせてもらいたいのだけど?』

 

 宇宙誕生から人類出現まで待ち続けるのは、少し退屈かもしれないが、現状ではそれくらいしか選択肢がないだろう。ほむらは、果報を寝て待つことにした。

 

『君は今“神”と言ったけど、僕には思い通りの宇宙を創造することはできないよ。僕にできることといったら、せいぜい宇宙が誕生するきっかけを与えてやることくらいさ。……ほむら、君と違ってね』

 

 キュゥべえの真紅の双眸がゆらめいた。

 

『ほむら、今の君なら、自分の思い通りの宇宙を創造することができる。すべては、君の思うがままの世界だ。物理法則も、宇宙史も、人類史もなにもかも全部、君が決めていいんだ。そうさ、君が探し求めていた〈まどか〉がいる宇宙も容易に創造することができる。おめでとう、ほむら。君はようやく〈まどか〉に至ることができたんだ。――君の思うとおりにすればいい。“ここ”には、まだ何も生まれていない。善も悪もない。神も悪魔もない。すべては、君の意思ひとつで決まる』

 

 キュゥべえの声が、ほむらの頭の中で反響した。

 彼女は、震え出しそうになるのを抑えながら、懸命に考えた。追い求めてきた答えが、すぐ目の前にある。だが、頭が真っ白になって上手く思考が働かない。自分の中で、とっくの昔に答えは出ていたと思っていたのに、まどかのことになると、自分が何をしたいのかが分からなくなる。

 彼女は、自身の欲望を抑えながら重苦しい思念を発した。

 

『……私は、まどかの意志を、人格を尊重する。私の願望が創りだしたまがい物のまどかに用はないわ』

 

『君は、自分ができることをまだ理解していないみたいだね。君は何でも思いのままに創造できるんだ。だから、当然〈まどか〉という存在に自由意志を持たせることもできる。ああ、“自由意志を持たせる”という行いによって形成された人格が、自然発生する人格ではないと考えているのなら、こうすることもできる。君は、君自身の記憶を改竄すればいいんだ。新しい宇宙で、この宇宙を創造したのは自分だ、という記憶を失った君は、56億7000万年の過去を思い出すことなく〈まどか〉と共に人生を送ることができるだろう。ほむら、君の選択肢は無数にあるんだ』

 

 どうするべきか。何をするべきか。思考が無限に循環する。

 答えが、出ない。

 

『あ、……あなたなら、……どうする?』

 

 ほむらは、自身の発言に驚いた。それを聞いてどうするつもりなのか。自分は、いったいどうしてしまったのだろう。

 

『さっき言ったばかりじゃないか。僕は、君と違って宇宙を自由に創造する力を持ってないんだ』

 

『いえ、そうじゃなくて……。もし、あなたが私の立場だったらどうするのかを聞いているの』

 

『へえ……。僕が、君の立場だったら、かい?』

 

 キュゥべえが沈黙する。ほむらの無意味な問い掛けを真剣に考えている。そして、宇宙人は静かに語りだした。

 

『……僕達は、感情と言うものを持ち合わせていないし、同種のほかの個体というものも存在しないから“友達”という概念もない。君の置かれている状況に遭遇することはありえないんだ。だから、もし僕達が感情というものを持っていたならどうするのか、をシミュレートした結果を伝えることにするよ』

 

 感情のシミュレートとは、これはまたずいぶんとインキュベーターらしい行いだとほむらは思った。

 

『僕が君の立場なら、〈まどか〉と会うために宇宙を創造したりはしない』

 

『なぜ? 私は何でもできるし、選択肢は無数にあるのでしょう?』

 

『これは、根源的な真実を重視した結果なんだ。君自身が言っていただろう、自分の都合の良いように人格や記憶を改竄した〈まどか〉は嫌だと。いくら、完璧な自由意志を与えることができても、自分自身がそれを人格改竄だと捉えて負い目を感じているのなら、それは、やるべきじゃない。結局、感情に従うのなら最初に君が感じた“嫌”という感情のままに行動を決定するべきだ。それと、あとひとつ、自分自身の記憶を喪失させれば、人格改竄の負い目を感じることもなくなるということについてだけど、確かに、主観的にしか物事を認識することができない人類なら、記憶喪失は有効な手段となる。でも、今は、記憶を失うかどうかを選択する段階にある。僕が君なら、自分の記憶を都合の良いように書き換えるなんてことは、絶対にしない。なぜならそれは、散々否定してきた人格改竄そのものだからだ。ほむら、宇宙を創った後で色々辻褄を合わせることができても、“今、この瞬間”においては、自分勝手に宇宙を創造した、という真実が確かに存在することになる。そんなものは、君の望むことではない、と僕は勝手に想像したんだけど、どうかな? 僕の話は何か役に立ちそうかい?』

 

『いいえ、まったく』

 

『だろうね』

 

 ほむらは、急に笑いが込み上げてきた。“だろうね”って、こいつはいったい何を考えているのか。わざわざ、感情のシミュレーションまでして、結局、出てきたのは無意味な長話だ。それに対して否定的な意見を述べると、あろうことか、当然のように同意する始末。

 ツボに入ってしまったほむらは、しばらくの間、涙で視界を滲ませて、腹の底から声を出して笑い続けた。

 そして、ようやく笑いが収まると、気持ちもスッキリして、だいぶ落ち着いていた。これなら、最善の選択をできるに違いない。

 異様な笑いを浮かべているほむらに対して、キュゥべえが尋ねた。

 

『ほむら、これからどうするつもりなんだい?』

 

 

 

『決まっているでしょう? 私に都合の良い最高の宇宙を創り出すのよ!』



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07_ほむらの週末思想

 ほむらは、むき出しの欲望を高らかに宣言した。

 その彼女の激情は、感情のない宇宙人にしか届かない。ここは、宇宙誕生以前、彼女の想いを何ひとつ理解できないインキュベーターのほかには何者も存在しない。

 

『ふうん。それじゃあ、君がどんな宇宙を創るのか見せてもらってもいいかい?』

 

 キュゥべえは、狂気を帯びたほむらの思念をまともに受け止めても、何の痛痒も感じていないようだ。わりと、どうでもよさそうな口調で、スペースクリエイターほむらの創作活動に対して取材を申し入れた。

 

『いいでしょう。あなたは天地創造の生き証人となりなさい』

 

 被造物からの懇願を受けた創造主は、悠々と頷き、尊大な口調でそう言った。

 ほむらの感情は、これまでにないほど高揚して、魔力が絶好調になっている。つまり、今の彼女に、あんまり不可能はないということだ。

 ほむらの口から抑えきれない笑声が、不気味なオーケストラとなって伝播した。

 

『それで、まずはどうするんだい?』

 

 キュゥべえは、ほむらの変わり様を見ても動じない。顔色ひとつ変えることはない。インキュベーターは、人類が感情というものに支配されて、訳が分からない行動をとることをとてもよく理解しているからだ。

 

『そうね、……とりあえず、私の宇宙には、インキュベーターとかいう害虫が湧いてこないようにしましょう』

 

 ほむらは、初手で目の前の存在を消し去った。

 

『僕達の居ない宇宙かい? それはとても興味深いね』

 

 悪魔の提案に対して率直な感想を述べるキュゥべえ。

 宇宙人は、自身の存在の有無が宇宙に与える影響について感心があるらしい。その他には、特に思うところはないようだ。

 

『あとは、えっと……。そうね……、記念すべき一つ目の宇宙は、私の良く知る元の宇宙の基盤に、この条件を加えるだけでいいわ。こういうことは最初が肝心なのよ。いきなり色々といじくり回すよりも、慎重に事を進める方が大事だわ。正直なところ、宇宙の創り方なんてよく分からないわけだし、ベスト・オブ・ベストな宇宙を創造するためには回り道も必要よ。ま、あなた達が存在しないだけでも、今よりもだいぶマシな世界になるでしょうけどね』

 

『“一つ目の宇宙”だって? 君はいくつも宇宙を創るつもりなのかい? なるほど、宇宙創造実験というわけだ。それは、ますます興味深いね』

 

 いつもより饒舌なほむらの口上に、いつものようにキュゥべえが興味深い興味深いと連呼する。両者の他には何も存在しない場所で、論理の範疇を超えた会話が交わされていた。

 

 

 そんなこんなで、インキュベーターとかいう害虫とのナンセンスな会話もひと段落したため、ほむらは、宇宙創りの下ごしらえをすることにした。さりとて、特に何の準備も思いつかないので、ぶっつけ本番で早速最初の七日間を始めることにする。

 

『さて、と。そろそろ天と地を創造しましょうか……“光あれ”』

 

 ほむらは、適当にそれっぽいことを言った。

 それは、確かに適当ではあったが、その一言に込められている魔力は本物だった。何も存在しなかったはずの“無”に凝縮された魔力塊から成る超高温、超高密度エネルギーが突如発生すると、それがすべての起となり、真空の相転移によって、爆発的に空間が膨張し始める。

 こうして、新たな宇宙がいともあっさり誕生した。

 

 ほむらとキュゥべえは、原子の生成が始まって、霧がかっている宇宙が晴れ上がり、それなりにまともな環境となったころで、創ったばかりの宇宙へ移相した。当然のことだが、この生まれたての宇宙にはまだ地球も人類も存在しない。地球が形成されるまで92億年、人類が誕生するまで137億9600万年の時を待たなければならない。

 ありていに言うと、今回の天地創造では、もうやるべきことは残されていない。作業終了である。あとは、のんびりと夜空に輝くお星様を眺めながら、人類誕生までの時間を過ごすだけとなった。

 

 宇宙創造という大仕事を終えたほむらは、失われた魔力を取り戻すために休眠状態へと移行することにした。彼女の現在位置は、ビッグバンからさほど遠くない時点にある。この辺りならば、光速を超えて加速膨張する時空間の境界面に阻まれて、何者も彼女の眠りを妨げることはできないだろう。

 初期宇宙を観測してくると言い残し、どこかへ消えてしまった白い小動物のことは完全放置して、彼女は、意識をシャットダウンした。

 

 

 そして、長い年月を経て、魔力の充填が完了したほむらの意識が再起動する。

 星の海で静かに覚醒した彼女は、まずは大きく欠伸をして、肺を新鮮な真空でいっぱいに満たす。それから、ぐっと胸をそらしながら翼をピンと張って全身をめいっぱい伸ばした。

新しい朝が来た。希望の朝だ。こんなにもすがすがしい気分で目覚めるのは久しぶりだった。どれくらい眠っていたのだろうか。彼女は、しばし無重力に身を任せて、星の海を漂流する。くるくる回りながら、遥か彼方を見定める。夜のカーテンに光の粒が無数に散りばめられていた

 

『おはよう。疲れはとれたのかい?』

 

 ほむらに朝の挨拶が投げかけられる。その直後、小さな影が空間転移により時空の狭間から飛び出してきた。彼女は、ソイツを一瞥する。天体観測の邪魔をしたのは、毎度お馴染み、キュートな白い小動物キュゥべえ君だった。

 

『あなたの姿を見たら最低の気分になったわ。今はいつ頃なの? もう地球はできてるの?』

 

『まさか、地球どころか天の川銀河も形成されていないよ。現在は宇宙誕生からだいたい4億年後だ。地球誕生まで、あと88億年ほど待たなければならないね』

 

 ビッグバンからおよそ4億年。数多くの恒星が生まれ、ようやく最初の銀河が形成されそうな頃合である。宇宙はまだまだ始まったばかり、地球までの道のりは非常に長い。

 ほむらは、ゲンナリしながら、傍らに浮かぶ小動物に目を向けた。

 

(88億年を共に過ごす相手として、“コレ”以上に最悪な存在はいないわね)

 

 感情のない宇宙人との会話ほどつまらないものはない。彼女は、もう一度休眠状態へ移行することも考えたが、せっかく宇宙を創ったのに寝てばかりいるのもおかしなことだと思い直した。とはいえ、何もやることがないのも事実だ。何か、良い暇つぶしはないものか。色々な星を見て回るというのもひとつの手だが、何だかあまり気が乗らない。本当にどうするべきか。キュゥべえと延々しりとりでもやっていればいいのだろうか。それだけはありえないだろう。何というべきか、現在の状況を端的に言い表す良い言葉がある。

 

『暇ね』

 

 ほむらがぶっちゃけた。

 

『そうかい? 僕はそうは思わないな。これからこの宇宙がどのような進化を遂げるのか、それをリアルタイムで観測できるんだ。暇なんて事はないはずだよ』

 

『いいえ、暇よ。何か打開策を考えなさい。時間を早送りするとか、未来へ行くとかはできないの?』

 

 両者の時間間隔には大きな差があるようだ。数十億年程度なら、馬鹿のように待ち続けられるインキュベーターに対して、ほむらはそこまで馬鹿になりきれなかった。

 

『この宇宙を創ったのは君だろう? 君にできないことが僕にできるわけないじゃないか』

 

『“できない”? それは、私の聞きたい言葉ではないわ。あと5秒以内に、もっとマシなことを言えなかったら、インキュベーターという種族を根絶やしにするわよ。5、4、3――』

 

 ほむらは、真顔で命のカウントダウンを始めた。

 

『それは、さすがに困るね。……そうだ、こうしようじゃないか。君の主観時間と宇宙の経過時間をズラせばいいんだ。大きく分けて、やり方は2つある。ひとつ目は、君が限りなく光速に近い速度で移動して、宇宙空間との相対的な速度差によって時間の遅れを生じさせる方法。ふたつめは、超重力によって光の速度を遅らせる方法だ。ブラックホールの近くでは、光が脱出できないほど強い重力が作用している領域がある。その境界である事象の地平面に限りなく接近すれば、君も知ってのとおり、通常の重力場との時間の遅れが発生することになる。どちらの方法も、自身と光速との相対速度を利用しているから原理は同じさ。好きな方を選ぶといい』

 

 キュゥべえが、何だかよく分からないことを言い出した。宇宙人の提案が良いものなのかどうかは不明だが、ブラックホールの近くに居てうっかり長時間が経過していたということなら、前に経験したことがあった。ここは、とりあえずこの案を採用してみるのもいいだろう。

 

『光の速度で飛ぶのはダルいから、第2案を選定するわ。早く近所のブラックホールまで案内しなさい』

 

『分かったよ。この宇宙で最初に形成された銀河の中心に、この宇宙で最初に形成されたブラックホールがあるから、そこに行こうじゃないか。』

 

 発注者は、受注者の比較検討案を一瞥しただけで計画を定め、横柄な態度でこき使う。だが、脅迫されたあげく手駒にされても、キュゥべえは何も感じず、何も言わず、ただ黙って悪魔に従うのだった。

 

 

 

『あれが、第1号ブラックホールなの?』

 

『そうさ。銀河の中心に位置するだけあって、それなりに巨大なブラックホールだね』

 

 空間転移によって跳躍したほむらは、キュゥべえと並んで浮遊し、遥か前方にある暗黒の天体を睥睨する。以前見たことのあるブラックホールよりも大規模なそれからは、とてつもないエネルギーが放射されていた。

 あとは、あの黒い穴に近づけば自動的に時間が早送りとなるはずだ。そう考えた彼女は、重力の中心に向かって躊躇いなく飛翔を開始する。一気に速度を上げようと魔力を込め、翼を大きく広げたほむらの肩に、断りもなくキュゥべえが飛び乗った。

 

(この獣、土足で人様の肩に上がっているわ。ちゃんと足を拭いたのか確かめるべきかしら)

 

 ほむらは、このキュゥべえの行いに微かな苛立ちを感じる。そして、不思議な既視感を憶えた。このようなことが、遥か昔にあったような気がする。それは、どれほど昔のことなのだろう。それは、いつの――

 

『ほむら、そろそろ事象の地平面に到着するよ』

 

 宙をかけるほむらに、キュゥべえが思念を発する。そこで彼女の追想は途切れ、おぼろげだった過去が露と消える。あの頃を思い出すことは、もう、できない。

 

 ほむらは、魔力を勢いよく逆噴射して推力を反転させる。そして、何度か魔力を放出して、ブラックホールとの相対速度をゼロに調整した。

 

『ここからは、慎重に事象の地平面へ近づいたほうがいいね。不用意に接近しすぎると、とんでもない時間が経過してしまうんだ。君が時間停止魔法を使っている場合を除いてね』

 

『……ちょっと考えたのだけど、今ここで、88億年を経過させて地球を誕生させても、私の知る現代は、それからさらに46億年後なのよね? だったら、ここに〈転移ゲート〉を設置して、いつでも好きなときに来られるようにするべきだわ。そうすれば、必要に応じて時間を早送りできるわけだし』

 

 人は、一度楽を憶えると堕落する。便利なものがあるのにわざわざ不便な思いをする必要はない。

 

『そうかい? それなら、君の膨大な魔力の一部を提供して欲しい。〈転移ゲート〉は、エネルギーさえあれば簡単に作成できるんだ。設置場所は、……そうだ、どうせならブラックホールの中心に置こうじゃないか、そこなら、君以外の存在には手出しができないはずさ』

 

『そうね、悪くない考えだわ。じゃあさっさと中心まで行きましょう』

 

 ほむらは、そう言うと時間停止魔法を発動させ、ブラックホールの中心へと向かう。事象の地平面の先へ彼女と共に進入したキュゥべえが、周囲を観測しながら「これは興味深いね」といういつもの台詞を言っていた。

 ブラックホールの中心などという場所へ、もう一度行く事になるとは想像すらしていなかった。しかも、これから先のことを考えると、ここへは何度も足を運ぶことになるだろう。彼女は、今更ながら、自身の数奇な運命に思いを馳せる。

 

(私は、どれほど遠くまで来てしまったの……?)

 

 自分が、希望へ向かっているのか、絶望へ向かっているのか分からなくなる。それでも、ほむらを突き動かすものは、“愛”。少なくとも彼女だけは、そう信じていた。

 

 

『あれが、重力の特異点……。すごい、こんなにも間近で観測できるなんて……』

 

 キュゥべえは、ブラックホールの中心を見ることができて感動しているようだ。いや、感情がないのだから、感動はしていないのだろう。いつも通りだった。

 

『で? どうするの? 〈転移ゲート〉を作るのに私の魔力が必要みたいだけど、エネルギーの渡し方なんて知らないわよ』

 

『知らなくても大丈夫だよ。ソウルジェムに接触させて貰えれば、こちらで魔力を吸い上げるからね』

 

 果たして、それが大丈夫と言えるのかどうかは怪しかったが、少しでもこちらに危害が及びそうになった場合、即座にこの宇宙人を抹殺すればいいだけの事だ。ほむらは、形状変化したソウルジェムを具象化させて、キュゥべえを無言で促した。

 キュゥべえは、ほむらの魂の結晶に小さな前足をちょこんと置くと、こう言った。

 

『ふうん。直接交信してもまったく底が見えないね。凄まじい魔力係数だ。これほどの魔力があれば、すぐに〈転移ゲート〉を作ることができるだろう。じゃあ、ほむら、君の魔力を貰うよ』

 

 ソウルジェムから淡い光がこぼれ出し、ほむらは、魔力の流出を感知する。彼女から吸い上げられた魔力は、肩の上に乗っているキュゥべえへ流入して、滅紫の魔力光を放つ。

 キュゥべえは、深い紫色の光を身に纏い、目標を見据えている。暫くの間、宇宙人は、その小さな体に膨大な魔力を蓄積して練り上げていた。やがて、背中の奇妙な模様から、細かな粒子が大量に排出され始める。それは、真っ黒な煙となって立ち昇り、重力の中心へ向かってザーッと移動すると、モヤモヤと滞留しながら徐々にはっきりとした形を作り出した。

 特異点を取り囲むように形成されたそれは、直径2m程の真っ黒なドーナツ型構造物――〈転移ゲート〉だった。

 ゲートは、恐ろしい速度で円周方向に回転している。ほむらは、出来立てホヤホヤのドーナツを見ながら、少し引っ掛かることがあった。

 

『やっぱり、私が前にブラックホールの中心で見た〈転移ゲート〉もあなた達が作ったモノのようね。コレは、アレとそっくりだわ』

 

『へえ……。確か、ブラックホールの中心に設置されていたゲートが、宇宙誕生以前へ通じていたという話だったね。でもそれはおかしいよ。今、僕が作った〈転移ゲート〉は、君の魔力なしでは作り出すことができないんだ。このゲートの構造体は、無限大の重力に耐えるために時間を凍結させている。君の時間停止魔法を技術転用させて貰ったんだ。記録装置には、君が過去に〈転移ゲート〉作成に関わったというデータは残されていない。だから、もし、君が見たという〈転移ゲート〉が僕達の作ったものだとしたら――それが、いったい何を意味しているのかをよく考えてみる必要があるね』

 

 それを考えてみたところで、何も得られることはなさそうだ。結局、どこかのだれかが何かの理由で作ったことだけは確かであり、ほむらとは何の関係もないに決まっているのだから。

 

『さて、〈転移ゲート〉の設置は無事に完了したし、一旦、事象の地平面の外側へ戻ろう』

 

『このドーナツは今すぐ使用できないの?』

 

『何を言っているんだい? 対となるもうひとつのゲートを地球の傍に設置しないと、使うことができないに決まっているじゃないか。君は、56億7000万年も生きているのにそんなことも分からないのかい? まあいいよ、とにかく今は外に出よう。説明はそれからだ』

 

 キュゥべえが、やれやれとばかりに念話を発信する。

 ほむらは、肩に乗っている小動物を鷲掴みにして、無限大の重力へ向かって放り投げたい衝動に駆られたが、ぎりぎりのラインで感情を制御することに成功した。

 彼女は、大きなため息をひとつ吐くと、もと来た道を超高速で引き返す。肩の上のキュゥべえは、急激な加速で振り落とされないように懸命にしがみついていた。

 

 

 

『君は時間停止魔法を解除して、事象の地平面へ接近するんだ。そうすれば、君の視点では通常空間における時間が早送りされることになる。その後、ちょうどいい頃合を見計らって、〈転移ゲート〉を通過して欲しい。僕はその間に、通常の宇宙空間を航行して、未来で地球が形成される座標へ向かうことにするよ。ふたつ目の〈転移ゲート〉は、……どこか太陽系内の適当な位置に設置しておくよ。それじゃあ、ほむら、88億年後にまた会おう』

 

 ブラックホールから脱出した後、ほむらの肩から大きく跳躍したキュゥべえは、そう言って姿を消した。

 しかし、事象の地平面とやらに、近づけば近づくほど時間が早送りされるとのことだが、その加減がよく分からない。

 

(まあ、なんとかなるでしょう。駄目だったらやり直せばいいだけだし)

 

 ほむらは、魔力を推力に換えて加速する。

 人生というゲームをリセットできるほむらは、物事をいい加減に捉えて、考えなしにブラックホールへ再突入した――

 

 

 

『……! ……むら! ほむら! 君は、いつまでそこにいるつもりだい!? 今すぐ事象の地平面から離れるんだ!』

 

 ――途端に、キュゥべえからの念話が飛び込んできた。

 その声を受け、ほむらは、瞬時に魔力を前方に放出して大きく後退する。

 

『何? 何か言い忘れたことでもあったの?』

 

『……ようやく念話が届いたみたいだね。もっと遠へ離脱したほうがいいよ。ほむら、君は境界面に近づき過ぎた。外界では、すでに200億年が経過している』

 

『はぁ!? そんなことはもっと早く言いなさい!』

 

 また、このパターンである。また意図せず時間が過ぎ去ってしまった。この宇宙人は、報告が遅すぎる。だいたい、いつも手遅れになってから、いけしゃあしゃあと訳知り顔でご高説をのたまうばかりではないか。何の役にも立ちはしない。

 

『それは難しいよ。君が居た場所へ近づくものにはすべて、時間の遅れが発生してしまうんだ。実際、僕が君に向かって念話を放射したのは、僕の主観時間で今から112億年前――』

 

『ああ、もう! 今からでも地球へ向かうわよ!』

 

 既に色々と台無しだが、この宇宙を放棄する前に、せめて、人類がどのような文明を築いているのかを確認するべきだ。そう考えたほむらは、ブラックホールへ再々突入しようとする。

 

『行っても無駄だよ。ほむら、地球はもう存在しないんだ』

 

 キュゥべえの言葉には、何の感情もこもっていなかった。

 

『……どういうこと?』

 

 ほむらは、慎重に聞き返す。

 

『10億年ほど前に、赤色巨星となった太陽に飲み込まれて跡形もなく蒸発したよ。もっとも、人類はそれよりも遥か昔に絶滅していたけどね。30億年前くらい前から徐々に、太陽からの熱放射が増加し始めたんだ。それによって、気温が急上昇して、海水が全て蒸発してしまった。その後も、地球の高温化はどんどん進行して、人類が生存できるような環境ではなくなってしまったんだ。人類が死に絶えても、ごく一部の微生物は生き残っていたけど、彼らにしても、先に言ったとおり、太陽に飲み込まれて死滅した。だから、今はもう本当に何も残されていないよ』

 

『それは、つまり……』

 

 ゲームオーバー。はじめての宇宙創りは、人類滅亡という結末を迎え、見事失敗に終わった。

 

(ちょっと待って。私は、まだ何もしていないわ。ブラックホールを馬鹿みたいに、行ったり来たりしただけよ。というか、本当に、今回は何ひとつ進展がないわ。何なのこれは? いい加減にしなさい)

 

『ほむら、君は何度でも宇宙を創り直す事ができる。次の宇宙では、少し気をつければいいだけの話さ。まったくもって、簡単なことだろう? 何せ君は、君の思い通りの宇宙ができあがるまで、何度でも繰り返せばいいだけなんだ。それは君の最も得意とするところじゃないか。そうさ、何度でも何回でもやり直しができるんだ――』

 

 キュゥべえが、“笑った”

 

 

 

『――まったく、うらやましい限りだね』



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08_ほむらの終わりなき平和

『私は、何でもできる全知全能の存在であるはずなのに、思いの外できないことが多いような気がするわ』

 

『君は、全知でも全能でもないよ。ただ、何度でも好きなだけ繰り返すことができるだけさ』

 

 宇宙の闇に、静かに浮かぶ母なる星、青き惑星地球を眼下に見下ろしながら、ほむらは独りごちる。すると、傍らで浮遊しているキュゥべえが、求めてもいないのに勝手に返事をした。

 ほむらは、どうしようもない虚しさを感じる。何度も繰り返した先に、自分の求めるものはあるのだろうか。それを、確かめるためにも、今はただ前に進むしかない。彼女は、そっと目を閉じる。思いが、新たなる宇宙の夜明けへと遡る。

 

 

 以下、回想の始まり。

 記念すべきひとつ目の宇宙がいつの間にやら失敗に終わり、ほむらとキュゥべえは、再び宇宙誕生前へシフトすることにした。

 人は、失敗から学んで成長する。だから、過ちをいつまでもくよくよ悩んでいても仕方がない。ほむらは、スッパリと気持ちを切り替えて、早速次なる宇宙を創り出した。

 その後は、前回と同様の単純作業である。彼女は、まず、ブラックホールを往復して〈転移ゲート〉を設置した。そして、今度こそ同じ轍を踏まないように細心の注意を払いながら、事象の地平面へ接近して、ようやくのことで、時間をいい感じに早送りすることに成功したのだった。

 

 その何ともまわりくどい方法で地球誕生まで時間を進めたほむらは、とりあえず母星の様子を見ようと、ブラックホールの中心に設置された〈転移ゲート〉を通過した。すると、馬鹿な宇宙人が何を思ったのか、対となる〈転移ゲート〉を太陽の中心核に設置していたため、いきなり1500万℃の灼熱地獄へ放り出されることとなる。

 彼女は、まったく予想していなかった環境の変化に、思わず「ぅゎあつっ!」と叫んでしまったが、ひとつも火傷を負うことなく、自慢の黒髪ロングの毛先が少し縮れた程度で済んだのは不幸中の幸いであった。

 

 ほむらは、自分が今太陽核に閉じ込められているなどとは思いも寄らず、方向感覚を見失って軽いパニックに陥った。

 彼女は、暫くの間、プラズマ状態の超高温高密度ガスの中でジタバタともがいていたが、少し落ち着きを取り戻して現状を確認してみると、自身が何のダメージも受けていないことが分かり、ほっと胸をなでおろした。

 だが、それは一瞬のこと。安堵は直ぐに激怒へと、自分をこんな目に合わせやがったFuckin' white animalへの怒りへと昇華する。

 

 ほむらは、魔力をバーストさせて烈火のごとく超スピードで太陽から脱出し、そのまま急激に加速しながら地球へと飛翔する。そして、出迎えの挨拶をしようと姿を現した白い小動物の顔面へ、思いっきり助走をつけた跳び膝蹴りをめり込ませて、宇宙の遥か彼方へぶっ飛ばした。

 その後、悪を滅ぼしてスッキリしたほむらは、悠然と翼を羽ばたかせて地球へ向かった。そして、久方ぶりの母星を目にして、郷愁の思いと共に自らの不甲斐なさを嘆いたところ、星となって消えたはずのキュゥべえが普通に隣に居て、普通に会話が開始されたのだった。

 以上、回想の終わり。

 

 

『地球は青いわね……。キュゥべえ、人類の様子はどうなの?』

 

『現在は地球が形成されて40億年程度だから、最初の人類が現れるのは約5億9600万年後さ。もうすぐだね』

 

 ほむらが、思ったことをそのまま念話にして発信すると、キュゥべえからの返信が早々にきた。宇宙人的時間尺度では、人類聖誕祭まであとわずか、ということになるらしい。

 

『“もうすぐ”……? まあいいわ。今の地球にはどんな生き物がいるの? 恐竜? マンモス?』

 

『時代がまるっきり違うよ。恐竜が繁栄するのは、今からおよそ3億5000万年後だからね。……そうだ、地球に降下して、実際に自分の目で確かめてみたらどうだい? 今の時代は地球上のほぼ全域が海に覆われているから、海中探索をするといいよ。アノマロカリスやハルキゲニアといったカンブリアモンスターと呼ばれるカンブリア紀の多種多様な生物達を直に観測できるいい機会じゃないか』

 

 モンスターが徘徊する危険地帯への観光をお奨めしてくるキュゥべえ。今の地球のトレンドは、海中散歩のようだ。

 

『嫌よ。そんな気味の悪そうな生き物がうろついている薄暗い古代の海を素潜りするなんて。モンスターと呼ばれてるくらいだから、相当化物じみた奴らなんでしょう? 襲われたりしたらどうするの?』

 

『どうもしなくていいんじゃないかな。君以上の化物は存在しないわけだし』

 

『それもそうね……。…………は? あなた今何を――』

 

 ほむらは、今の発言にちょっとした違和感を感じて、思わずキュゥべえの方へ顔を向ける――

 

 物言わぬ真紅の瞳が、じっと、こちらを見つめていた。

 

 彼女は、ギョッとして目をそらす。何か、異様な感じがした。不安になって、もう一度チラリと横目で宇宙人の様子を覗き見ると、キュゥべえの視線は、いつの間にか地球へ向き直っていた。

 地球外生命体インキュベーターは、いつのものごとく、渇いた目つきで地球を見下ろしていた。

 

『それで、どうするんだい? 海水浴をするつもりなら付き合うよ』

 

『……いえ、あいにくと日焼け止めを切らしているの。遠慮しておくわ』

 

『ふうん、それは残念だね』

 

 キュゥべえの口調は、まったく残念そうではなかった。

 ほむらは、今の一幕に、釈然としない思いを抱く。絶対にあり得ないことだが、キュゥべえの思念に微かな感情のゆらぎが見えたような気がした。まさかとは思うが、出会い頭にジャンピング・ニー・バットを亜光速でぶちかまされて、心を持たないインキュベーターが、激しい怒りによって感情に目覚めてしまったのだろうか。もし、そうだとしたら、それは――

 

(どうでもいいことだわ)

 

『よく考えたら、私は恐竜にもマンモスにも化物にもインキュベーターにも興味がないわ。こんなところでぼさっと突っ立っていても時間の無駄よ。そんな無駄な時間は早送りして、さっさと人類を誕生させるべきね。キュゥべえ、あなたに重大な任務を与えるわ。私がブラックホールへ行っている間、あなたはここで片時も目を離さずに地球を監視していなさい』

 

『よく考えたら、僕が君の命令に従う理由はないんじゃないかな。でも、逆らう理由もない。服従と反抗。どちらにするべきかは難解な問題だ。まあ、今回は“服従”を選択するとしよう。ほむら、行ってくるといい。僕はここで“片時も目を離さずに地球を監視して”いるから』

 

 キュゥべえの台詞は、なんだかやけに回りくどくて、ほむらをイラつかせた。だが、宇宙人のこういう性質は今に始まったことではないし、それにいちいち構っていてはきりがない。彼女は、どうでもいい存在のことは放っておくことにして、〈転移ゲート〉が設置してある“太陽の中心”へと跳躍するべく意識を集中し始めた。

 

(……あら? “太陽の中心”って、……あっ!)

 

が、ある重要事項を思い出し、魔力の収束を解除すると、キュゥべえへ向かって剣呑な様子で尋ねた。

 

『そういえば、キュゥべえ。どうして〈転移ゲート〉が太陽の中心に置いてあったのか、納得のいく説明をして貰えるのかしら? まさかあれは、私を亡き者にしようとして、あなたが企てた計画殺人だったのではないでしょうね?』

 

『僕がそんな杜撰な計画を立てるわけないだろう。たかが、核融合反応によるエネルギー開放程度では、君にかすり傷ひとつ付けられないよ』

 

 暁美ほむらという存在を抹殺するためには、もっと別の杜撰でない計画が必要となるらしい。キュゥべえは、既に、自分を闇に葬り去るバッドアイデアを思い付いているのだろうか。そうでないことを祈るばかりだ。

 

『〈転移ゲート〉を太陽核に設置した理由は、“何者か”によってゲートが発見されることを防ぐためさ。僕や君にとっては、太陽の中心は少し熱めの温泉のようなものでしかないけど、大抵の存在にとって1500万℃のプラズマ状態は、生存に適さない環境だからね』

 

『“何者か”って、何者よ?』

 

『さあね。“何者か”は“何者か”だよ。もっとも、そんなのが居なければそれに越したことはないけどね』

 

 一応、安全性を考慮した結果が太陽核への設置ということになるらしい。ほむらは、片時も目を離さずに地球を監視しているキュゥべえを横目で見ながら、これ以上この宇宙人を問い質しても時間の無駄だと判断して、再度、太陽核〈転移ゲート〉への跳躍のために心を集中する。

 そして、魔力が収束する寸前に、気が付いた。

 

(ちょっと待って。コイツが、ゲートを太陽に置いたことを前もって私に伝えておかなかったのはなぜ――)

 

 ほむらの思考は、そこで途切れて時空間の狭間へ滑り込む。彼女は、もう一度プラズマの海で溺れることとなり、色々とどうでも良くなって細かいことは気にしないことに決めた。

 

 

 

 やる事をやった宇宙の創造主は、再び地球へと舞い戻り、地球監視任務中のキュゥべえに訊問した。

 

『キュゥべえ、人類の様子はどうなの?』

 

『木の実の採取や小動物の狩りをしながら、元気に生活しているよ』

 

『はあ……。ようやく人類が誕生したのね。長かったわ……』

 

『ひとつ目の宇宙創造からリアルタイムで342億年を過ごした僕と比べれば、君の主観時間は、それほど長くはないはずだけどね』

 

 342億年。キュゥべえは、それほどの長時間何をして過ごしていたのだろうか。何かいい暇つぶしの方法を知っているのなら、今度教えて貰うことにしよう、とほむらは思った。

 

『さて、地球へ降りるわよ。ここで、私の祖先の様子を確認しておくのもいいでしょう』

 

『そうかい。気を付けてね』

 

 つれない態度のキュゥべえ。

 

『何を言っているの? あなたも付いてくるのよ』

 

 ほむらは、そう言うと、返答も待たずに白い小動物の首根っこを素早く掴み、魔力を後方噴射して勢いよく大気圏へと突入する。進行方向の空気が急激に圧縮され、空力加熱によってほむらとキュゥべえは赤熱しながら落下した。

 彼女は、輝く流星となって地表面へ急接近し、雲を突き抜けたところで魔力を逆噴射して停止する。高度1000mから地上を見下ろすと、大地は延々と緑で覆われていた。

 爽やかな風が通り抜け、ほむらの長い髪をなびかせる。彼女は、清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。たったそれだけのことなのに、なぜか涙が浮かんで視界をにじませた。

 

「やれやれ、酷い目にあった」

 

 真っ黒に炭化した肉塊が、人類の言葉を発した。

 その物体は、ほむらの手を振りほどいて逃れ出ると、ブルブルッと胴震いして焼け焦げた皮膜を弾き飛ばす。黒い薄皮が剥がれ落ちると、中からつやつやした光沢の真っ白な動物が姿を現した。言うまでもないことだが、一応言っておくとそいつはキュゥべえだった。

 

『今の日本には、人類は居ないのかしら? 森と動物ばかりでそれらしい生き物が見当たらないわ』

 

 魔法で遠見をして、地上を探索しながらほむらが念話を発する。人類の居ない故郷は、とても平和で時間が緩やかに流れているようだった。

 

「そうみたいだね。多分、人類はアフリカ大陸の方に生息していると思うよ。そちらへ行ってみたらどうかな?」

 

『アフリカね。じゃあ空間転移でひとっ飛びしましょうか』

 

 それにしても、瞬間移動とは便利なものだ。心に余裕ができてきたということなのだろう。ほむらは、今になってそんなことを思うのだった。

 

「……それはいいけど。一体、君はいつまで念話を使うつもりなんだい? 僕達は、もうとっくに空気中に居るわけだから、音波として声を伝播させることができるはずだよ。君には、念話を使用して無駄な魔力を消費しなければならない何らかの理由でもあるのかな?」

 

 どうやら、ちょっとばかりやらかしてしまったようだ。あまりにも長い間、念話による意思疎通を行ってきたせいで、声帯を振動させるという人間本来のコミュニケーション方法が完全に忘却の彼方になってしまっていた。

 彼女は、軽く咳払いして「あ、あ」と軽く発声練習をした後、こう言った。

 

「アフリカね。じゃあ空間転移でひとっ飛びしましょうか」

 

「……ああ、うん。了解したよ」

 

 造物主からの啓示は絶対の真実である。都合の悪いことは、全てなかったことにできるのだ。万能宇宙人インキュベーターといえども、天の声に逆らうことはできなかった。

 

 ほむらの中で魔力が渦を巻き収束する。直後、悪魔とその眷属は、時空の扉を開いて1万kmの距離を飛び越えた。

 一瞬で、アフリカ大陸への海外旅行を果たしたほむらは、領空侵犯をしながら緑豊かな大地を見下ろした。

 

「あなたの魔力の軌跡を辿ったらここに出たのだけど、ここはアフリカのどの辺りになるの?」

 

 アフリカ大陸は広大だ。面積は約3022万k㎡で日本のおよそ80倍である。そのアフリカのどこに行けばいいのかよく分からなかったほむらは、時空間の狭間にキュゥべえを先導させて、魔力の痕跡を追跡することにしたのだった。

 

「この場所は、元の世界で言うところの中部アフリカ、チャド共和国に位置している。ちなみにチャドの首都はンジャメナだよ。憶えておいて損はないはずさ」

 

 なるほど、確かにしりとりなどの言葉遊びでは起死回生の一手となる単語かもしれない。

 

(……って、いやいや違うわ。しりとりは「ん」で終わる言葉を言ったほうが負けだったはず。つまり――)

 

 “ンジャメナ”などという固有名詞を憶えていても何の得もないということだ。

 その事実に気付いてしまったほむらは、得意げに知識をひけらかしたキュゥべえに対してどう返答すればいいのか見当もつかず、とりあえず無視して話を進めることにした。

 

「……もしかして、あの大きな洞窟の入口付近で昼寝している“限りなく人間に近い猿”が人類なの?」

 

 地上を遠見していたほむらが見つけたのは、チンパンジーよりもまあまあ人間っぽいお猿さん達だった。彼らは、ぱっと見で15~20人程度のコミュニティを形成して、自然にできた洞窟を住居として暮らしているらしい。ときおり、のそのそと不恰好な二足歩行で洞窟の中と外を行き来する個体が見受けられた。

 

「そうさ、あの“限りなく猿に近い人間”が人類だ。ついでに言っておくと、人類と類人猿の違いは直立二足歩行ができるか否かなんだ。その定義に基づけば、彼らは間違いなく人類だね」

 

「あれが最初の人類……。今はまだ道具の使い方も分からないような彼らが、いずれは高度な科学文明を築きあげることになると思うと感慨深いものがあるわね」

 

 正直、そんなことにはあまり興味がないわけだが、ほむらは真面目な顔を無理矢理作ってそれらしい台詞を言った。

 

「彼らがこの先、文明を発達させる見込みは薄いんじゃないかな。この地球は、形成されてから既に46億年が経過している。今、僕達が観測している彼らは誕生してから700万年間ずっとあの洞穴生活を続けているんだ。元の世界では、もう西暦2000年代後期に差し掛かっている頃合だよ」

 

「……どういうこと? というか、そういうことは先に言えと何度も言っているでしょう!?」

 

「“僕”は言われたことがないよ。別の宇宙の僕達と勘違いしているんじゃないかな」

 

 キュゥべえは、あっけらかんと言った。

 薄々感じていたことだが、今のでハッキリした。この畜生は最近調子に乗っている。

 

「君が創造したひとつ目の宇宙でも、人類が文明を発達させることはついになかった。温度上昇による滅亡の日までずっとあのまま暢気な暮らしを続けて、為す術もなく干からびていったよ」

 

 彼らは、このまま何十億年もずっとあの原始生活を続けるというのか。どう考えても、それはおかしな話だ。今、ここに自分という生きた証拠が存在する以上、人類の隆盛は確定された未来のはずなのに。

 

 ほむらは、少し悩んだ末に原始人達の様子をしばらく観察することにした。

 そして、1ヶ月間ほど気長に彼らの生活を見守り続けるうちに、彼女の胸中に渦巻く不審の念は、徐々に膨らんでいくのだった。

 

「何なの、あの猿どもは? 本当に人類なの? 奴らからは好奇心や向上心といったものが一切感じられないわ。人間というものは、もっとこう……、何と言ったらいいか……」

 

 そう、人間というものは、あらゆる生き物の中でも比類なき欲望の持ち主なのだ。だが、眼下の原始人達は、ほむらがよく知る人類の根本的性質を持ち合わせていなかった。

 彼らは、無欲だった。とても穏やかでのんびりとした生活を営んでいた。それは、とても平和的で幸福そうな暮らしのようだったが、創造主はお気に召さなかった。

 

「元の世界で僕達が人類と接触したときは、もっと文明が発展していたよ。農耕はまだ始まってなかったけど、人類の生活圏は世界各地に広がっていたし、石器を使用しての狩りも行われていた。それと比べてこの地球の人類は、ずいぶん牧歌的だね」

 

(牧歌的……。あなた達は、今のような低レベルな暮らしでいいの? いいえ、いいはずがないわ。このままだと滅び行く星と運命を共にしてしまうのよ。あなた達は、科学の力によって宇宙へ羽ばたく翼を手にしなければならないわ。と、なれば――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 神託が下された。

 

「彼らの最期を見届けなくてもいいのかい?」

 

「あんな猿どもに、もう用はないわ。奴らは人間ではない。自身の欲求を満たすために、他者を犠牲にする存在。果てしなき欲望の持ち主。それこそが人間というものなのよ。次の宇宙では、その基本的性質を人類に授与するわ」

 

「ふうん。彼らは、それを望んでいるのかな?」

 

 そんなことは、知ったこっちゃない。

 魔力の嵐が吹き荒れて、ほむらとキュゥべえは、再び宇宙誕生前へシフトした。

 

 

 

『さあ、人類の栄華を見に行くわよ』

 

 流れ作業でとにかく色々こなして時間経過をいい塩梅に仕上げたほむらは、静止軌道上で地球哨戒任務中のキュゥべえを鷲掴みにすると、それを盾にしながら問答無用で大気圏へ突入した。

 そして、突入角度を微調整しながらンジャメナへ直行して、地上の様子を覗き見た。

 

「あら、姿もだいぶ人間らしくなったし、毛皮の服も着ているわ。それに、道具よ。石器を使っているわ! すごいわ! なかなかの発展っぷりじゃない。それでこそ人間というものよ」

 

 ほむらは、人類の叡智を目にして無邪気な歓声を上げた。

 

「前回よりも、文明が進んだようだね。でも、彼らの生活があの形態に落ち着いてから、すでに20万年が経過していることを忘れてはいけないよ。前回同様、元の世界では、もう西暦2000年代後期に差し掛かっている頃合さ」

 

「は? 何なの、あの猿どもは? あんなのは人間ではないわ」

 

 ほむらの目の輝きは一瞬で失われ、いつも通りのありとあらゆる物に無関心で冷めきった目に戻った。

 人類の文明が発展しない原因は何か。それを突き止めないと、どのような対策を講じればよいのかが分からない。ほむらは、腕組みをしながら沈思黙考する。

 そして、知る。己の無知を。だが、嘆くことはない。こういうときこそ便利屋さんの出番なのだ。聞けば、知りたい答えを返してくれる。実に都合のいい存在だ

 

「彼らの文明の発展が止まっているのはなぜなの?」

 

「文明の発展の原動力は、技術の進歩にある。この地球では技術の転換期が、ブレイクスルーが起きなかったんだ」

 

 キュゥべえは、一拍置いてからほむらの方に向き直り、話を続けた。

 

「元の世界では、膨大な量の因果を背負う一部の魔法少女の祈りが、人類へ技術的進歩をもたらしていた。だけど、この宇宙にはインキュベーターが存在しない。そうなると当然、魔法少女は居ないし、祈りと呪いのサイクルも行われない。ほむら、人類は僕達と契約して初めて、歴史を紡ぐことができるようになったのさ」

 

 人類は、感情のない宇宙人に利用されて、そうして、ようやく文明を持つことができたというのか。人類はそんなにも愚かな生き物だったというのか。

 ほむらは、大いに胸糞が悪くなった。

 

「いいわ。人類はインキュベーターなしでも、立派な文明社会を築くことができるということを今から証明して見せましょう」

 

「へえ、どうするつもりだい?」

 

「どうするか、ですって? そんなの……」

 

(……どうしましょう。何も思い浮かばないわ。まあ、でも今回はたまたまその“ブレイクスルー”とやらが起きなかっただけの話かもしれない。と、なれば――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

『さあ、人類の繁栄を見に行くわよ』

 

 色々と済ませて置いたほむらは、地球巡回任務中のキュゥべえを生け捕りにしようと手を伸ばす。しかし、白い小動物は、優雅に身をかわしてその手をすり抜けると、こう言った。

 

『また、洞穴生活を見に行くのかい?』

 

『創り直しよ。キュゥべえ』

 

 

 

 そんなこんなで、10回ほど繰り返して様子を見てみたが、猿は猿のままであり、一向に文明は発展しなかった。

 そして、ほむらは、この運任せの無意味な繰り返しを中止することにした。彼女は、もう、いい加減にうんざりしていたのだ。

 

 ほむらは、雲の上から地上を見下ろし、思索にふける。

 自分の作る宇宙には、インキュベーターや魔法少女を存在させたくはない。魔法がなくても人は幸せに生きていける。むしろ、奇跡なんてあったら不幸を招くだけだ。だが、このままだと埒が明かない。人類が発展してくれないと、まどかと一緒のクラスになって友情を育み、やがて――という計画が実現できない。

 ほむらは悩んだ。そして、決断した。

 

(奇跡も魔法も、ありにしましょう)

 

「一定値以上の魔力係数を持つ少女を対象にして、願いを叶える自律システムを構築するわ。システムはまず、少女に願いの内容を確認して、成立可能な祈りなら少女自身の感情エネルギーを利用して奇跡を起こす。そして、因果律を捻じ曲げる祈りによってもたらされた呪いについては、感情エネルギーでパワーアップさせた少女自身に何とかして貰うことにしましょう。そうね……、何でも願いが叶う代わりに、この世の呪いを浄化する運命を背負うことになる。とかなんとかシステムの方から説明させればいいわ。フフ、即興で考えたにしては、なかなかいいアイデアのような気がするわね」

 

 どこかで聞いた憶えがあるようなことを、ほむらが言う。

 口元を歪めて薄く笑っている悪魔は、自分が何をしようとしているのか、それをよく理解していた。

 

「うーん。それだと、呪いが具象化した存在と少女が戦ったときに、脆弱な人間の肉体がすぐ損壊してしまうよ。そうだ、祈りを捧げた少女の魂は、高強度の結晶に変化させて、その肉体は魔力で修復可能な操り人形にするというのはどうだろう?」

 

 キュゥべえが、何をどこまで本気で言っているのかが分からない。だが、なぜだか、その言葉を聞いたほむらの口から、微かな笑いが漏れた。

 

「あら、あなたにしては、わりといい発想ね。その案は採用することにしましょう。でも、そうなるとそのソウルジェ――じゃなくて高強度の結晶にどんどん呪いが蓄積されてしまって、いずれはとんでもないことになってしまうわ。どうすればいいのかしら」

 

 ほむらは、とても困ったとばかりに肩をすくめて、傍らの宇宙人に流し目を送る。彼女の扇情的な視線を受けたキュゥべえが、つぶらな赤い目をくりくりさせて言った。

 

「放っておけばいいさ」

 

「それもそうね」

 

 

 

こうして、人類の文明は、次の段階へと進んだ。



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09_ほむらの水槽脳模擬実験

「まったく、人間というのは愚かな生き物だわ。人の世から争いが消えることはないのかしら」

 

 時は西暦1943年1月1日、Happy New Yearそして新年明けましておめでとう。

 だが、ほむらの眼下では、到底めでたくもないしハッピーでもない催し物が大々的に開催されていた。

 ここは、銃声が轟き爆煙が立ち込める戦場。建物が崩壊して瓦礫ばかりとなった市街地で、力尽きて地に伏した兵達に真っ白な雪が降り積もっていた。

 

「もし君が人類に欲望の種を植え付けなかったなら、もし君が人類に奇跡と魔法を与えなかったなら、少なくとも、こんな事にはならなかったんだろうね。君は、自分が間接的な大量虐殺を行っていることについて、どう思っているんだい?」

 

 空飛ぶクッションの上で丸くなって、ゆったりとくつろいでいるキュゥべえが、そんなことを聞いてきた。

 感情のない宇宙人が、ほむらの思考などに、本当に興味があるのかは疑わしい。ほむらは、すぐ隣で斥力フィールドを展開して雪を反発させている白い小動物に目を向けた。ベージュのクッションが、とても柔らかで暖かそうだったが、それは、エネルギーの無駄遣いではないのだろうか。

 最近のキュゥべえの行動は、どうもインキュベーター的パターンから逸脱しているような気がしてならない。意味のない言葉、理由のない行動が散見される。ほむらは、急に分からなくなった。自分の話している相手が、感情を持っているのかどうかを、どうやったら知ることができるのか。

 インキュベーターには感情がない、と最初に言い出したのは誰だろう。インキュベーターだ。なぜその言葉を疑いもせずに信じているのだろう。

 インキュベーターは、嘘を吐かないからだ。

 では、インキュベーターは嘘を吐かない、と最初に言い出したのは誰だろう。インキュベーターだ。なぜその言葉を疑いもせずに信じているのだろう。

 

 ほむらは、大きく息を吐いて胸中のわだかまりを吐き出した。

 

(なぜ、私がこいつの事を気にしなければならないの? 馬鹿馬鹿しい)

 

「そんなの、奴らが勝手にやっていることよ。私の知ったことではないわ。だいたい、そんなことを言い出したら、この宇宙の創造主である私はあらゆる事の責任を負わなければならないじゃないの。宇宙には人類だけじゃなくて、無数の生命体が存在するのよ。私が宇宙を創造したことによって、生まれて死んだ生き物達がたくさんいる。そいつらの面倒をすべて私が見なければならないと言うの?」

 

「それが、神の責任というものじゃないかな」

 

 キュゥべえが、“神”という絶対的な言葉と、“責任”という空虚な言葉を発した。どちらもほむらには馴染みのない言葉だ。

 ただ、確かに言えることがひとつだけあった。

 

「……私は、神ではないわ。私は――」

 

 場に冷たい沈黙が降りる。ほむらは、瞑目する。キュゥべえが小さな瞳をこちらに向けている。 どこか遠くのほうで、微かな砲撃音が断続的に鳴り響いている。そして、雪が降り続いている。

 

「暁美ほむら」

 

 キュゥべえが、その名を口にした。

 そう、“私”は、暁美ほむら。

 

「僕は、この宇宙に疑問を感じている。君の話によると、穢れを浄化し切れなくなったソウルジェムはグリーフシードと呼ばれる結晶へ変異して、魔法少女は魔女になるということだったね。君の創ったこの宇宙には〈円環の理〉は存在しないはずだし、僕も君の言うとおり魔女が生まれると考えていたんだ。でも、違った。ソウルジェムはなぜか消滅してしまうし、しかも、魔獣という不自然で都合の良い存在もどこからともなく生み出されている。結局、魔法少女の祈りと呪いのサイクルは、元の世界とまったく同じ構造となってしまった。……君は、これをおかしいと思わないのかい?」

 

「何がおかしいの? まどかの力が私の創った宇宙にまで及んでいるだけだわ。さすがまどかね。ああ……、まどかが私を侵食している……。まどかは本当に凄いわ……。はぁ……、まどか……」

 

 ほむらは、ドン引き不可避の台詞を吐きながら、うっとりとした表情で切なそうな溜息をついた。

 彼女は、まどかに関わることになると思考停止状態となって、女神を崇め奉るだけの盲目的な狂信者に変貌してしまう。何百億年もの間、じっくりコトコト煮込み続けて限界まで濃縮された思いが、ドロドロの煮汁となって全身の毛穴から溢れ出していた。

 

 キュゥべえは、頬を赤らめながら「ハァハァ」と荒い息を吐いている悪魔を、凍りついたような無表情で見つめている。宇宙人は、しばらくの間その様子を観察していたが、やがて、ポツリと呟くように言った。

 

「訳が分からないよ」

 

 

 

 閑話休題。

 

「それにしても、戦車というのは凄くうるさいわね。こんなにも上空にいるのに道路工事みたいな音が聞こえてくるわ。それに、あの砲撃音。近くにいる歩兵達は耳がイカれているんじゃないの?」

 

 瓦礫を踏み潰しながらゆっくりと行進している装甲戦闘車輌を眺めながら、ほむらが騒音被害を訴える。彼女の佇まいは、いつの間にかデフォルトのやる気ゼロに戻っていた。

 

「そうだろうね、普通の人間があれほど強い音に頻繁に曝されていると、内耳が損傷を受けて騒音性難聴に――!」

 

 突如、空間を引き裂くような凄まじい衝撃波が伝播して、大気が鳴動した。

 ほむらとキュゥべえは、反射的に干渉遮断フィールドを展開して、戦車の砲撃音などとは比較にならないほど大きな音圧レベルの空気の爆発から逃れることができたが、その地球全体の大気が震えるほどの空振を避けることができたのは彼女達だけだったようだ。破裂音の発生箇所を中心にして拡がった衝撃は、瓦礫も兵器も人間も皆等しくゴミのように吹き飛ばし、強烈な空圧で大気圏外まで巻き上げられた土砂が空を覆い尽くしていた。

 

 そして、ほむらは、見た。

 急激な気圧の変化によって砂塵が荒れ狂う中心部で、蠢く化物を。

 そいつは、全長約5mほどのずんぐりした肉の塊だった。赤っぽい半透明の肉の下で、複雑に絡まりあった内臓組織が不規則に胎動している。ぶよぶよして皺だらけの横腹には、数cmほどの穴が一列に並び、そこから流れ出している黄色の粘液が空気と接触すると白い煙が発生していた。

 

 肉塊が動き始める。化物は、非常に緩慢な動きで大きな図体を芋虫のように伸縮させて、自ら形成した巨大クレーターの外へ向かって腹這いを始める。だが、すり鉢状になった地形を登り切ることができず、アリジゴクに捕らわれた蟻のように無様に穴の底へ転がり落ちた。

 元居た場所へと逆戻りしてしまった肉塊は、苦しげに身を捩っていたが、急に体を硬直させた後、ブルブルと激しく震え出した。そして、苦悶する化物の体に変化が起き始める。芋虫のように手足のなかった体躯から、蟹のように甲殻質な脚が5対生え、それが勢いよく地面へ突き刺さり、巨躯がゆっくりと持ち上がる。化物が、自らの脚で、立ち上がった。

 

 10本の脚を不器用に運びながら、肉塊が移動を開始する。今度こそ地獄の底から脱出すべく、ぎこちない動作で駆け上がっていく。しかし、地上まであと僅かというところで、自重を支えきれなくなった化物は、またしても奈落の底へと滑り落ちて行った。

 穴の底で仰向けにひっくり返った肉塊は、起き上がろうとして必死にもがいていたが、図体に比べて脚が短すぎたせいなのか、懸命の努力もむなしく一向に事態が改善される様子はない。やがて、ワシャワシャと天に向かって元気良くうごめかせていた脚の動きも弱々しいものとなっていき、力尽きたようにダラリと横腹から垂れ下がる。

 

 一見すると、もうどうしようもない状況だが、化物にはあきらめるという概念が存在しなかったようだ。肉塊が再び変異を起こす。仰向けになった芋虫の柔らかそうな腹に、一直線に亀裂が入る。黄色い粘液が開腹部から溢れ出し、内部から青紫色の筋に覆われた薄いピンク色の袋状の大きな臓器がせり上がって来る。直後、凄まじい音を立てて臓器が弾け飛んだ。

 内臓とその内容物が辺りに撒き散らされる。臓器の中身は、大きさ数cmほどのサケの魚卵のような物体だった。空中に飛散した無数の卵は、変形を繰り返し、羽を生やして飛行に適した形状となった個体が次々とクレーターの外へ飛び去って行く。 辺り一帯が気味の悪い羽音で満たされていた。

 

 予想外の出来事に呆気に取られたほむらは、ポカンと口を開けて、口も聞けずに化物の様子を見ることしかできなかった。だが、化物の幼生が遮断フィールドへ次から次にぶつかってくるのを見て、ようやく我に返り、声を震わせながら傍らのキュゥべえに尋ねた。

 

「こ、これは……?」

 

「地球外生命体だね」

 

 キュゥべえは、まったく動揺していなかった。「ふうん」などと言いながら、文字通り虫ケラを見るような目で、遮断フィールドにへばりついた気色悪い虫を冷静に観察している。地球外生命体。ほむらは、その言葉を聞いてから理解するまでにたっぷり1分間を必要とした。

 

「地球外生命体……?」

 

 オウム返しに聞き返すだけのほむら。彼女の顔は青ざめていた。

 

「そうだよ。僕達が間近で観測した個体のほかにも、地球上に100万を超える同種の地球外生命体が出現している。どうやら、彼らは人類の感情エネルギーがお目当てのようだね。世界中にばら撒かれた小型飛行生物が人間に取り付くと、意識を奪って身動き出来ない状態にして、繭のようなものを形成しているんだ。地球外生命体は、繭で取り込んだ人間から感情エネルギーを吸収している。この後、一体どうなるのかは観測を続けてみないと分からないけど、実に興味深いね。彼らが何を目的として感情エネルギーを――」

 

「ちょっと待って!」

 

 堪えきれなくなったほむらが、キュゥべえの話を遮った。

 

「宇宙人の侵略ですって? あまり馬鹿げた事は言わないでちょうだい。マンガじゃあるまいし、そんなことが現実に起こるわけないでしょう?」

 

 ほむらは、宇宙人に宇宙人の胡散臭さを訴える。彼女の頭は混乱の極みにあった。

 

「でも、実際に起きているんだからしょうがないじゃないか。それに、ほむら、僕達インキュベーターは、あの異星生物のことを良く知っているんだ。元の世界で君が僕の母星を訪れたとき、〈転移ゲート〉を不正利用して僕達の母星に転移してきた異星生物が破壊活動を行った、という話をしたことを憶えているかい? 今、地球に空間転移してきた生物は、僕達の母星を破壊しようとした生物と同じ種族だ。どういう経緯なのかは分からないけど、インキュベーターが存在しない宇宙では、彼らは地球へやって来るらしい。もしかしたら、感情エネルギーに引き寄せられているのかもしれないね」

 

 キュゥべえがほむらの方へ振り向いた。

 

「それで、どうするつもりだい? このまま彼らを放っておくのかい?」

 

「……奴らを放っておいたら、人類はどうなってしまうの?」

 

「今、こうして君と会話している間にも、人間達は次々に捕獲されている。おそらく、あと1週間程度で地球上の全人類が虜となるだろう。あの異星生物の環境への適応力は驚異的だ。人類が如何なる対抗手段を用いても、生存競争に勝利することは難しい。それは、魔法少女達も例外じゃないよ、感情エネルギーを吸収されてしまえば、彼女達にはもう為す術がないからね。……しかも、たった今観測したことだけど、彼らは魔獣さえも捕食対象としているみたいだ。魔獣がいなくなってしまうとグリーフシードによる穢れの浄化が出来なくなる。魔法少女達の命運は尽きたといってもいいだろうね」

 

「いえ、まだ“祈り”があるわ。あの化物を排除するように誰かが奇跡を起こせばいいのよ」

 

 平静を取り戻したほむらは。考え込むようにして言った。

 そうだ、魔法少女の祈りは、奇跡を起こす。生き残った少女の内の誰かがその願いを叶えることができれば、あるいは、何とかなるのかもしれない。

 

「残念だけど、現時点でそれほどの願いを叶えることができる魔力係数を持つ少女は、存在しないよ」

 

 これで、人類の未来は永遠の闇に閉ざされた。以上、終わり。

 

(はあ……。私自ら化物どもを物理的に排除してもいいけど、ここまで滅茶苦茶になってしまったら、もう――)

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

「あの化物は存在自体を抹消しておいたわ。これで、この私の創る美しい宇宙から、またひとつ余計なものを排除することができたということね」

 

 時は西暦1943年1月1日。しんねんあけおめことよろ。

 降雪を嫌って雲上に浮かんだほむらは、ニヤニヤ笑いを浮かべながら、傍らのキュゥべえに話し掛けた。

 

「やれやれ、その余計なものというのはもしかして――!」

 

 突如、空間を引き裂くような凄まじい衝撃波が伝播して、大気が鳴動した。

 ほむらとキュゥべえは、反射的に干渉遮断フィールドを展開しながら、互いに顔を見合わせた。このようなことが、ついさっきもあったような気がする。悪い予感がしてならない。

 ほむらは、爆風で雲が吹き飛ばされ、代わりに砂塵が荒れ狂っている爆心地を遠見した。

 予想通りというべきか、大きなクレーターの底で化物が蠢いていた。

 

「……どういうこと? まさか、あなたが何かしているのではないでしょうね?」

 

 ほむらは、眉をひそめて訝しげに尋ねた。

 

「僕が何かしていたら君が気付かないわけないだろう。ふうん……、アレは、見た目は似ているけど前回とは違う種族のようだね。前回の異星生物を抹消すると代わりにあの生物が現れるみたいだ。これは面白い」

 

 キュゥべえは、急速な成長を遂げて世界中に飛び散っていく地球外生命体を観察しながら、どうでもよさそうに言った。

 

「さすがにこれはおかしいわ。どんな確率の話よ。宇宙人の侵略なんてことが、そう何度もあるわけがないでしょう!?」

 

 これは、単なる偶然で済まされる話ではない。インキュベーターによる陰謀説の他に何か納得のいく説明が付けられるのか。ほむらは、鋭くキュゥべえを睨み付ける。

 キュゥべえは、ほむらの鋭利な刃物ような視線を受けてもどこ吹く風だ。飄々とした口調でこう言った。

 

「感情エネルギーだよ。この宇宙に生きるものは、皆、人類の感情エネルギーが欲しいんだ。そういうことなんだ。ほむら、人類を地球外生命体から保護するために、異星生物を一々消去するような対症療法を続けていてもきりがない。抜本的な部分を解決するしかないよ。例えば――」

 

「それ以上は喋らないで。……私が、自分で考えるわ」

 

 ほむらは、キュゥべえを黙らせる。発言を制止された宇宙人は、大きな尻尾をひとふりした後、黙って空飛ぶクッション上に寝そべってひと休みし始めた。

 左の手のひらを右ひじに添え、右手の指をあごに添えた格好で、ほむらは、思索にふける。誰が見ても、“ははあ、この人は今、考え事をしているのだな”と思うに違いない格好だ。

 どれほどの時間が経ったのか。瞑目していたほむらが、静かに目を開いた。

 

「システムに人類を防衛させましょう。前に構築した魔法少女誘導システムに、人類防衛システムも組み込むわ。……でも、そうなると、もっとエレガントな機構を考えるべきね。んー……」

 

 ほむらは、唸り始めた。そして、ふと顔を上げて、ちらりとキュゥべえの様子を覗き見る。宇宙人は静かに彼女を見守っていた。

 

「キュゥべえ、このシステムに組み込むべき事が他にある?」

 

 ほむらは、クソ真面目な顔つきで質問した。

 彼女は、黙っていろと言ったにもかかわらず、結局、キュゥべえに助言を求めていた。

 

「そうだね……。あえて言わせて貰うなら、システムに宇宙全体のエネルギーバランスを調整する役割を持たせた方がいいだろうね。人類の感情エネルギーは、途方もなく巨大なものだ。でも、当の人類自身はそのことに気が付いていない。何もせずに放っておいて地球にだけ局所的なエネルギー集中が起きてしまうと、時空間の崩壊が起こりかねないだろう。だから、感情エネルギーはシステムに定期的に回収させたほうがいいんじゃないかな」

 

「感情というものはやっぱり恐ろしいわね……。よし、分かったわ。まず、システムには自己判断が可能なように知能を与えましょう。それから、システムは――えー……と、〈調整者〉は――」

 

 システムの名称を思いついたほむらは、軽く咳払いして言い直した。

 

「――ええと、〈調整者〉は、私の創造する宇宙のどこかで必ず発生するという“ルール”にしましょう。そして、〈調整者〉にはいくつかの役割が与えられる。まずは、感情エネルギーの回収。魔力係数の大きな少女を魔法少女へ勧誘するわ。少女の祈りが生み出す呪いに、人類の負の感情が折り重なり魔獣が出現して、魔法少女達がそれを倒せば呪いの結晶であるグリーフシードが出てくる。グリーフシードにソウルジェムの穢れを吸着させて、それを〈調整者〉が受け取るようにすれば感情エネルギーを回収できる」

 

 ニコニコしているほむらを、表情のないキュゥべえが見つめていた。

 

「次に、人類の防衛という役割。どうやって異星人の脅威から人類を守るのかは、〈調整者〉に任せましょう。私が思いついていないだけで、案外簡単な方法で異星人どもを排除できるのかもしれないし。最後に、さっきあなたが言ったように、宇宙全体のエネルギーについて、調整者〉がちゃんと考えて行動するように条件付けをしておきましょう。フッ、できた……! 完璧だわ……!」

 

 ほむらは、グッと握りこぶしをつくってガッツポーズする。彼女は、何かを成し遂げたような爽やかな顔をしていた。

 

「どうかしら、キュゥべえ。私の華麗なる宇宙創造計画は? とても素晴らしいと思わない?」

 

 キュゥべえは、ほむらの問い掛けに何の反応も示さない。じっと、彼女を見つめたまま、凍り付いていた。

 

「ちょっと、無視しないでちょうだい。……キュゥべえ、どうかしたの?」

 

 宇宙人の様子がおかしい。身じろぎもせず、ただひたすら、ほむらの瞳を覗き込んでいる。彼女は、どうしていいか分からず、戸惑いながら見つめ返すしかなかった。両者は長い間そうして見詰め合っていたが、やがて、キュゥべえが静かに口を開いた。

 

「人類の感情エネルギーを回収して、人類を防衛して、宇宙全体のエネルギーバランスを調整する役割を与えられた存在。……なぜ、僕は、今まで気が付かなかったのだろう。ほむら、〈調整者〉なる存在を組み込んだ次の宇宙を創ろう。これで、ようやく、すべてが分かるような、そんな気がするんだ」

 

「はあ? 何を言っているのかよく分からないわ? まあ、次の宇宙創りはすぐに始めるつもりよ。だから――」

 

 ほむらから滅紫の魔力光が迸った。

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

「ふうん、じゃあ、その〈まどか〉という少女の願いで宇宙の法則が改変されて、魔法少女が〈魔女〉とやらになる代わりにソウルジェムが消滅するようになったと、そういうことなのかい?」

 

「そうよ」

 

 ソファーに深く腰掛けながら、湯気が立つコーヒーを静かに口にした少女が、犬でも猫でもない奇妙な小動物の問い掛けに答えている。少女の姿は暁美ほむら、奇妙な小動物はキュゥべえにそっくり――というよりも、それそのものだった。

 

 その様子を、マンションの外で干渉遮断フィールドによる認識阻害を行いながら“暁美ほむら”と“キュゥべえ”が見守っていた。

 ほむらは、どうにも腑に落ちないといった様子で首をかしげている。〈調整者〉を導入した宇宙は、魔の西暦1943年1月1日を無事乗り越えて、時代は、ほむらがかつて暮らしていた現代にまで進んだ。それについては大変喜ばしいことであり、彼女も手を叩いて喜んでいたのだが、なぜかこの宇宙には“インキュベーター”と“暁美ほむら”が存在していて、しかもこの宇宙のほむらは、まどかによって宇宙の法則が改変されたという認識を持っているのだった。

 

『元の世界をベースにしてこの宇宙を創っていたのだから、“私”が存在するのはぎりぎり理解できるわ。でも、存在を抹消したはずのあなたが、なぜ居るの?』

 

 ほむらは、キュゥべえに尋ねた。

 インキュベーターという存在は、最初の宇宙を創造した際に、真っ先に消去したはずだ。存在しないはずの宇宙人がなぜ存在するのか。彼女は、キュゥべえに疑いのまなざしを向けた。

 

『今のところ、僕が予想したとおりの事が起こっているね。ほむら、あとひとつだけ確かめたいことがあるんだ。君の質問に答えるのは、それを確認してからにするよ』

 

『確かめたいことって何よ?』

 

『ほむら、〈調整者〉を内包する宇宙が問題なく進展していくことは分かったんだ。次の宇宙では、〈まどか〉を作り出すつもりなのかい?』

 

 質問に質問で返してくるキュゥべえ。相変わらず、何を考えているのか、その思考がまったく読めない。ただ、まどかを“作る”という表現には若干の忌避感を憶えた。

 

『言われなくてもそうするつもりよ。でも、その前に――』

 

 ――突然、室内に呼び鈴の甲高い音が鳴り響いた。

 

「アレ? チャイムが鳴ったね。これは一体……」

 

「……そうね、誰か来たみたいだわ。少し待ってなさい。まあ、別にもう帰ってくれてもかまわないのだけど」

 

 黒髪少女は、何かに違和感を感じている様子の奇妙な小動物に対してそう言い残すと、疲れた様子で立ち上がり玄関へ向かった。

 

 ほむらは、少女がリビングから出て行ったのを確認して、室内に空間転移する。そして、雑誌の上に置かれたベビーカステラの菓子袋を手に取ると、躊躇なく中身を食べ始めた。白い小動物は、何も言わずに黙ってその様子を見つめている。そして、袋の中身を全て胃袋に収めきったほむらは、どこからともなく取り出した白いハンカチで優雅に口元を拭うと、こう言った。

 

「創り直しよ。キュゥべえ」

 

 

 

『いよいよ、待ちに待ったこの時が来たわ』

 

 何の前振りもなくほむらが宣誓した。

 前回の宇宙において、〈調整者〉の運用が上手く行った事を確認したほむらとキュゥべえは、何度目かもよく分からないが、宇宙誕生以前へと再度シフトした。そして、ほむらは、拍手喝采を浴びているかのような奇妙な様子で念話を放ち出すのだった。

 

『長かった……。本当に長かったわ。実際に何百億年も時間が経過したのだから、長かったことだけは確かだわ。あー……、長かったわね……』

 

 ほむらは、せっかくの大舞台なのだからと色々とスピーチしようとしたのだが、気の利いた台詞がこれっぽっちも出てこなかった。記憶が曖昧になっている彼女は、ただただ“長かった”ということしか言うことができなかった。

 

『今回は〈まどか〉を作るだけなのかい?』

 

『そうよ。いえ、……どうせなら、もっと素晴らしき世界にするべきね。でも――』

 

(私の望みは何?)

 

 ほむらは、キュゥべえの問い掛けに肯定しかけたが、途中で思い直す。そもそも、自分は何を望んでいるのだろう。まどかがどこかで幸せに過ごしていてくれれば、それだけで良かったはずなのに。いつの間にか、まどかと会いたい、彼女の笑顔をもう一度見たいという願望がそれを上回ってしまった。

 

(それどころか私はまどかと、……あ、あんなことや、こ、こんなことまでしてしまうような関係になりたいなんて邪な考えさえ――)

 

『キュゥべえ!』

 

『なんだい?』

 

『お、女の子どうしで……、あの……その……』

 

 ほむらは、両手を胸元に置き、顔を真っ赤に染めながらもじもじと言い難そうにしていた。そんなほむらに対して、キュゥべえは不思議そうに小首をかしげている。

 

『女の子どうしで?』

 

『女の子どうしで、手をつないで街を歩くのはありよね!?』

 

 ほむらが、絶叫した。魂の叫びだった。

 それが、彼女の望みだった。

 

『好きにすればいいさ』

 

 と、言うほかなかったキュゥべえであった。

 

『そうよ……。そうだわ……、次の宇宙は、女の子どうしで手をつなぐのがごく普通の価値観である世界にするわ。ああ……、人間の倫理観を捻じ曲げるなんて、私は何と恐ろしいことをしようとしているの。私はもう人間でも魔法少女でもない、もっと別の邪悪な存在となってしまった……』

 

 キュゥべえは、トランス状態に入っているほむらに余計な口出しなどしない。宇宙人は、こういうときの彼女は放っておくのがベストな選択だと知っているからだ。

 

『さあ、次の宇宙を創るわよ!』

 

 キュゥべえの経験則が的中する。実はまったく悩んでなどいなかったほむらは、上機嫌で宇宙創造のために魔力を練り始めた。

 その間、キュゥべえは、ほむらが奏でる調子の外れたハミングを念話で強制的に聞かされていた。

 

 ずいぶん長い間、ほむらは、魔力を練成している。彼女が、これまでに魔力の収束にこれほど長い時間を費やしたことはない。ほむらは、額に汗を滲ませながら、苦悶の表情を浮かべていたが、突然大きく息を吐いて魔力を雲散霧消させた。

 

『……何か、変だわ。まどかが、まどかが見つからない。彼女の姿も声も心も何もない。私の記憶の中にいるはずの彼女にも手を伸ばすことができなくなる。どういうことなの……?』

 

 ほむらは、苦しげに息を吐きながら言った。

 

『ほむら、今、君が宇宙を創造しようとしたときの魔力の流れを観測していたんだけど、魔力のベクトルが強制的に変更されていた。どうやら、〈まどか〉という存在の因子は、何者かによって捕捉されているようなんだ。その何者かは、おそらく、全ての並行宇宙の〈まどか〉の因子を一箇所に収束させて、固定している。君が〈まどか〉を見失ったと感じたのはそのためだろう』

 

(どこかの誰かがまどかを監禁している……? そんなことが……)

 

 そんなことが許されていいわけがない。

 

『その愚か者は誰!?』

 

 ほむらは、怒りをあらわにして叫んだ。抑えきれない魔力が全身から噴出している。

 

『まず、考えられるのは〈円環の理〉である〈まどか〉自身だね。〈円環の理〉は全ての並行宇宙を普遍的に見通すことのできる存在だ。全宇宙よりもさらにひとつ上の領域に、自らの因子を固定していたとしてもおかしくはない』

 

『えっ?』

 

 ほむらは、間の抜けた声を発した。

 

『〈まどか〉が君の動向を観察していた場合、自分を勝手に増殖させようとする試みに対して、何らかの妨害をしてくることはじゅうぶんに考えられるね』

 

『えっ? ……えっ?』

 

 ほむらは、間抜けだった。

 

(私の今までの行動が、すべてまどかに筒抜け……? え? どういうこと。さっきとても恥ずかしいことを叫んでしまったような気がするのだけど? というか、何百億年も過ごしている間の出来事を全部見られていたというの? いくらなんでもヤバすぎるでしょう、それは)

 

 ほむらの顔面が土気色となり、目とソウルジェムから輝きが失われた。

 

『ただ、それよりも筋の通りそうな仮説があるんだ』

 

『それは!?』

 

 もうそれに縋るしか、自分の生きる道はない。絶望に彩られたほむらに残された唯一の希望だった。

 

『僕は、宇宙の成り立ちについて、ずっと疑問を感じていたんだ。でも、今ようやくすべてに説明がついた。ほむら、少し長くなるけど僕の話を聞いていて欲しい。とても重要なことなんだ』

 

『前置きはいいから、さっさと結論を言いなさい』

 

 ほむらが知りたいのは、“筋の通りそうな仮説”であって“宇宙の成り立ち”ではないのだが、こいつとはそれなりに長い付き合いだ。話を聞いてやらないこともなかった。

 

『君は、別の宇宙の“暁美ほむら”によって創られた存在だ』

 

 キュゥべえは、静かに語り始めた。

 

 

 なぜ、前回の宇宙に僕達が存在していたのか。

 それは、君の構築した〈調整者〉がインキュベーターであり、僕達は〈調整者〉だったということなんだ。君が〈調整者〉に与えた役割のすべては、僕達の基本的行動原理と一致している。ただし、〈調整者〉が自我を持ち、生存本能を獲得するに至って、ある種のすり合わせが行われたはずだ。実際に僕達は、人類を異星生物から防衛していたけど、それは感情エネルギーという資源を荒らされたくないという目的で行っていたのであって、人類の保護が目的ではなかった。それに、宇宙全体のエネルギーバランスの調整という役割を放棄して、自身の生存を優先した結果、時間を遡行するという選択をしたのも、自我に目覚めたからこそだろう。

 

 なぜ、君が訪れた無数の宇宙でインキュベーターという存在が、まったく違う種族の生物であるにもかかわらず、まったく同じ役割を持っていたのか。

 それは、君が〈調整者〉という役割を持つ存在を自然発生的なものとして構築したからだ。あと、インキュベーターが人類と接触する際に選択する外見が、ひとつの例外もなくすべて、この白い小動物なのは、創造主である君が僕達をそう認識しているからだ。魔法少女を勧誘する存在の外見について、君の印象に最も残っていたのが、この小動物の姿だから〈調整者〉もその姿をとるようになったんだ。

 

 なぜ、君が訪れた並行世界では、“宇宙”、“人類”、“インキュベーター”が必ず存在していたのか。

 そんなのは、君が宇宙をそういうものとして創ったからだ。それ以外のものが、あるわけがない。

 

 なぜ、人類が感情エネルギーというあまりにも不条理なエネルギーを内包しているのか。

 それは、君の因果だ。君が宇宙を創り始めた当初、人類は感情エネルギーというもの自体を持っていなかった。でも、君は、人類に欲望を植えつけた。人類は、人間はこうあるべきという君の思い込みによる不自然な魂を獲得することになる。それが、人類が感情エネルギーを持つに至った原因だったんだ。

 

 原因と結果が逆転しているね。

 

 なぜ、君の創った宇宙でソウルジェムが消失してしまうのか。

 それは、君の創った宇宙そのものが、さらに言うなら君が訪れた無数の宇宙と僕達の元の世界そのものが、〈円環の理〉の支配する領域に存在しているということなんだ。その事実こそ、君や僕が別の宇宙の“暁美ほむら”によって創られた存在だという証拠にほかならない。その“暁美ほむら”が存在している大宇宙は、僕達の知る全ての小宇宙を内包している。だから、〈円環の理〉という大前提を僕達の小宇宙が覆すことはできなかった。要するに、僕達はずっとお釈迦様の手のひらの上で、違う宇宙を巡ったり、宇宙を創造したりしていたということなんだ。

 

 

『そして、〈まどか〉を補足している存在こそ、その“暁美ほむら”だと僕は考えているんだ』

 

『どうして、そう言い切れるの? あなたがさっき言ったように、まどか自身がそうしている可能性もあるのでしょう?』

 

 ほむらは、こめかみを押さえながら尋ねる。ほかにも色々とおかしな部分がありまくりでちんぷんかんぷんだったが、とにかく、もうそういうものだと納得しておくことにした。

 

『それはね、そんなことをしでかすのは、大抵の場合“暁美ほむら”という存在だからなのさ』

 

 キュゥべえが、ゆっくりと諭すように言った。

 それは、とても説得力のある答えだった。おそらくそれが正解なのだろう。ほむらは、自分自身のことであるからこそ、良く理解できた。

 

(“私”だったらやりかねないわね)

 

『これからどうするつもりだい? このままだと、君は永遠に〈まどか〉に会うことはできないよ』

 

『考えるまでもないわ。悪魔を倒して囚われのお姫様を救出するのよ』

 

 それは、暁美ほむらが必ずやり遂げねばならないこと。神に逆らう愚かな悪魔を滅ぼすことこそ彼女の使命。だが――

 

『どうやって?』

 

 キュゥべえが当然の疑問を口にする。そう、どうやって悪魔の元へ行けばよいのか。行けたとしても、自分の力が通用する相手なのか。自分を創り出した存在を滅することができるのか。ほむらには、分かろうはずがない。

 黙考するほむらに対して、キュゥべえが言葉を継いだ。

 

『僕が、協力しよう』

 

 ほむらは、つと顔を上げた。

 

『あなたが、私に、協力? あなたの方が理解していると思うけど、私がやろうとしていることは、かなり危険な事なのよ』

 

 キュゥべえが自発的にそんなことを申し出たことなど、これまでにはなかったはずだ。自分に協力することによって、何かしらの利益を得ることができると考えているのだろうか。

 訝しげな様子のほむらに対して、キュゥべえはまったくいつも通りの口調で言う。

 

『ほむら、君と僕が出会ってからどれほどの時間が経過したか知っているかい? 正確には計測することはできないけど、少なくとも1000億年以上が経過しているんだ。ぼくは、記録装置を通じて君の巡った56億7000万年の出来事もすべて把握している。僕が、自身以外で、最も長期間接触している存在が君なんだ』

 

 キュゥべえは、ここで一旦言葉を切った。ほむらには、それが戸惑いのように感じられた。

 

『僕は、確かめたくなったのさ。暁美ほむらという存在の結末を』

 

 ほむらは、何と言うべきか言葉が見つからなかった。キュゥべえは、自分に親しみを感じているのだろうか。長い時を共に過ごすうちに、いつの間にか宇宙人に感情が芽生えたのだろうか。彼女は、じっとこちらを見つめている真紅の瞳を見つめ返した。

 

『あなたのことを信用していいのかしら?』

 

 ほむらの問い掛けに対して、キュゥべえの返答はとても納得のできるものだった。

 

 

 

『もちろんさ。僕が今までに、君に嘘を言ったことがあったかい?』



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終_ほむらの愛が行き着くところ

『宇宙は、コーヒーから始まっていたんだね』

 

『コーヒーは素晴らしい飲み物よ。全ての始まりが、この飲み物だとしてもおかしくないわ』

 

 ほむらは、深遠なる“無”にぽっかりと浮かび上がった白塗りのアンティークチェアに腰掛けていた。彼女は、意匠の凝らされた白いテーブルの上に置かれているカップを手に取り、気取った佇まいで香り豊かな珈琲を静かに口にする。

 テーブルの上にちょこんとお座りしているキュゥべえは、宇宙誕生以前であるこの場所で、好き勝手している少女に無感情な目を向ける。彼女は、澄まし顔で「コーヒーはやはりブラックに限るわね」などと、色々なものを拗らせた発言をしていた。

 キュゥべえは、目の前に置かれている黒い液体を見つめる。どういう風の吹き回しなのか、ほむらは、ペットにも珈琲を用意していた。キュゥべえは、ぎこちない動作で、スープ皿に満たされて白い湯気を立てている飲み物をひと舐めする。構成要素の99%は水分であり、栄養素は皆無だった。

 やはり、宇宙人には、人類の価値観は理解できないのだった。

 

 

『……そろそろいいかい? じゃあ、まず始めに〈上位ほむら〉を相手取るにあたって、思いつく限りの問題点を列挙してみようじゃないか』

 

 キュゥべえの言葉を皮切りにして、ついに悪魔祓い大作戦が開始される。ちなみに、〈上位ほむら〉とは、ここにいるほむらを創ったどこかにいるほむらのことである。よく分からない。

 

 ほむらは、静かだ。とても落ち着いている。それどころか、不敵な笑みを浮かべてさえいる。彼女自身を創り賜ふた創造主への叛逆という、げに恐ろしき謀略を前にして、一切の動揺はない。

 だがそれは、当然のこと。なぜなら――

 

(創造主への叛逆……? リアリティがなさ過ぎて、何がどう危険なのかちょっと良く分からないわね)

 

 ――彼女は、いまいちピンと来ていなかった。

 

『まずは、ひとつ目の問題点』

 

 頭上にハテナマークを浮かべながら偉そうに腕組みをしているほむらをよそに、キュゥべえが粛々と協議を進行する。たとえ、彼女が無知蒙昧であったとしても、何の問題もない。彼女は、歩くブリタニカ百科事典兼ペットを所有しているからだ。

 

『〈上位ほむら〉に対して、僕達の企てがすべて筒抜けだった場合』

 

『ひとつ目でもう駄目じゃないの!?』

 

 ほむらは、叫ばずにはいられなかった。

 まさか、作戦開始からものの1分少々で早くも計画が破綻してしまったのだろうか。あまりにも先行きが不安な出だしだった。

 

『その場合、僕達にはもう勝ち目はないね。だから〈上位ほむら〉がこちらの計画を既に知っているというパターンを考えることは、時間の無駄だから止める事にしよう。〈上位ほむら〉は僕達のことなんて何も知らない、という前提で計画を考えるべきだ』

 

 思考を放棄してしまったキュゥべえ。その結論は、ほむらにとって納得のいくものではなかった。

 

『待ちなさい。私達を創った〈悪魔〉が、何も知らないなんて事があるわけないでしょう? いくら頑張って色々計画しても、成功する確率がゼロだったらまったく意味がないわ。その計画は破棄。もう一度最初から検討し直しなさい』

 

『ふうん……。確率を力技でねじ伏せてきた君でも、やり直しのきかない今回については慎重にならざるを得ないということかい? まあ、大丈夫だと思うよ。〈上位ほむら〉は、本当に何も知らないはずさ』

 

 キュゥべえは、危機感ゼロの口調でそう言った。恐怖という感情を知らない宇宙人は、ある意味で恐ろしい存在だ。ほむらは、頭を悩ませた。

 

(コイツって、こんなに適当な感じの奴だったかしら?)

 

『なぜ、そう言い切れるの?』

 

『客観的事実に基づく当然の帰結だよ。端的に言えば、“暁美ほむらは〈まどか〉以外のことに興味がない”ということさ』

 

 真理だ。ほむらは、大きく頷いた。

 

『だから、僕達の事なんか路傍の石以上に気にもしていないんじゃないかな。だいたい、君自身だってそうだろう? 君が前回創造した宇宙にも“暁美ほむら”が存在したわけだけど、創造主であるはずの君は、彼女が今どこで何をしているかを知っているのかい?』

 

『知らないし興味もないわ。ああ、そういうことね』

 

『そうさ。それに、僕達が今もなお存在し続けているという事実もそれを裏付けている。もし、君が〈上位ほむら〉の立場にあったら、〈まどか〉をかどわかそうとしている存在を放置するかい?』

 

『即刻、闇に滅するわ。……それにしても、あなた――』

 

(この獣、何だか私の思考を理解しているかのような言い回しをするわね)

 

 ほむらは、つとキュゥべえの顔に目を向ける。相変わらずの無表情がそこにあった。

 だが、彼女は、その凍てついた顔の下に“君の浅はかな思考パターンなんてお見通しさ。HAHAHA!”と言わんばかりのドヤ顔が透けて見えたような気がした。

 

『――気色悪いわ』

 

『君の愛?ほどじゃないさ』

 

『……は?』

 

『さて、ひとつ目の問題はもういいだろう。次は、ふたつ目の問題点だ』

 

 地獄の底から響いてくる声を無視して、キュゥべえは先を急いだ。

 いつ終わるとも知れない作戦会議が進む。しかし、時間など気にする必要はない。ここは、宇宙誕生以前、時間は存在しない。永遠に、ないしは、ほむらが飽きるまで話し合うことができる。

 

『〈上位ほむら〉を消滅させてはいけない』

 

『殺したら駄目なの? なぜ?』

 

 ほむらは、少し残念に思う。進んで人殺しをしたいわけではないが、可能であれば邪魔者は排除しておきたかった。懸念事項は捨て置かずに、思い切って後顧の憂いを絶つべきなのではないか。

 彼女は、自分自身と言っても過言ではない存在を殺害するかもしれないのだと気付いたとき、不思議な高揚感に包まれていた。しかし、それはやってはいけないことだと聞かされて、僅かに落胆を覚える。

 せっかく、永遠の苦しみから解放されると思ったのに。

 

『僕達の創造主である〈上位ほむら〉を消滅させると、彼女の被造物であり、彼女の因子を内包している僕達も一緒に消滅してしまうんだ。だから、消滅させずに拘束するか、無力化するしかない』

 

『面倒ね』

 

 面倒。どうでもいい。興味ない。ほむらは、そんなことばかり言っている。数百億年を生きるうちに、無関心を表明する発言がすっかり口癖になってしまっていた。そして、これについては、常に彼女の傍にいた無感情な存在が、大きな影響を与えていたのだった。

 

『みっつ目の問題点。〈上位ほむら〉の方が君よりも魔力係数が大きい。これは、先刻君が〈まどか〉を作り出そうとして失敗したことからも明らかだ。もし、こちらの魔力の方が強かったなら、問題なく〈まどか〉を生み出すことができたはずだからね』

 

『〈悪魔〉の魔力係数の方が大きかったら勝てないの? 自慢じゃないけど、何百億年も生きている私の方が魔力の扱いは上だと思うわ。どうせ、むこうは主観時間100年程度のにわか創造主でしょう?』

 

 まったく最近の若い者は、と年長者が若者を侮蔑した。

 

『君が失敗したときの魔力の流れを観測して、〈上位ほむら〉の力の一端に一瞬だけ触れることができたけど、魔力のケタが違いすぎるよ。今のままだと、君の魔法力と僕の科学力を総動員しても、相手にかすり傷ひとつ負わせることはできないね』

 

 キュゥべえは、スープ皿の珈琲をピチャピチャ舐めたあと、話を続けた。

 

『そして、よっつ目の問題点。現状、〈上位ほむら〉がいるひとつ上の宇宙へ行く手段がない』

 

(……え? 今更それ?)

 

 ほむらは、脱力する。まあまあやってやれないことはなさそうな雰囲気だったのに、ここでまた可能性がゼロに戻ってしまった。そもそも、それを先に言えという話だ。この宇宙人と付き合っているとそんなことばかりである。ただ、それももう慣れてしまったのだが。

 彼女は、小さく息を吐き、珈琲を一口飲んだあと、うんざりとした口調でこう言った。

 

『“行く手段がない”? それじゃあ、今まで話し合ってきたことは何だったのかしら?』

 

『今までは、問題点を挙げていただけさ。解決策は用意してあるから問題ないね』

 

 キュゥべえが、人を小馬鹿にするような口調で言った。そのような気がしたということではない。今の発言には、明確な揶揄が含まれていた。何と言うべきか、キュゥべえのくせに生意気だった。

 

『如何にして〈上位ほむら〉を 討ち破るのか、その答えは至って簡単だ。すなわち、“君の魔力係数を〈上位ほむら〉よりも十分に大きくする”これだけのことさ』

 

 自らの発言が、ほむらにも理解できたことを確認してから、キュゥべえは言葉を継いだ。

 

『なぜ、君の魔力係数を大きくするということが重要なのか。それは、単純に戦闘に勝利する可能性が高まるというだけじゃない。創造主である〈上位ほむら〉よりも大きな魔力で空間転移を行使すれば、ひとつ上の宇宙にシフトすることも可能になるんだ。魔法というものは、大抵の不可能を可能にする不条理な現象だ。魔力が高ければ、それだけ君にとって都合のいいことが起きやすいということになる』

 

 ほむらは、中身のなくなったカップをテーブルに置くと、黙って先を促した。

 

『話を纏めよう。まず、十分な魔力を身に付けた君は、〈上位ほむら〉の近くへばれないように慎重にシフトする。その時点では、〈上位ほむら〉はまだ何も気が付いていない。僕達のことなんて何も知らないはずだからね。そして、相手が油断している隙に即攻撃だ。膨大な魔力をもって、敵が行動を起こす前に身動きが取れない状態にしてしまう。作戦の詳細は以上だよ。実に、シンプルかつ確実な計画だろう?』

 

『何よそれ? 楽勝じゃない』

 

 ほむらは、歪な笑みを浮かべ、己の勝利を確信する。結局のところ、最後は強い者が勝つ。当然の摂理だ。

 

『勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む。もう結果は見えたね。君の勝利だ』

 

『フッ……、フフフ……』

 

 ほむらの口から抑えきれない笑い声が漏れた。それは段々と大きくなっていき、彼女は、とうとう大口を開けて高笑いし始める。止める者が誰ひとりとしていないため、哄笑は永遠に続くかのようだった。だが、冷ややかにこちらを見つめる真紅の双眸に気付いたほむらは、ごまかすように空のコーヒーカップを口元まで持っていくと、無意味に飲む仕草をしてカップを置き、こう言った。

 

『ま、まあ、喜ぶのは後からでも遅くはないわ。それで? まだ重要なことを聞いていないのだけど、私はどうやってこれ以上強くなればいいの?』

 

『……えっ? …………ちょっと待って欲しい。ああ、そうだ。まずは、いつも通り宇宙を創り出そう。そして、その宇宙に生息するインキュベーターが集積した感情エネルギーを押収する。あとは、その作業を必要なだけ繰り返せばいい。君が宇宙を創造するために消費するエネルギーよりも、その宇宙で生成される感情エネルギーの方が遥かに大きいのさ。それに、単純な反復作業は君の十八番でもあるしね。なんだ、やっぱり完璧じゃないか』

 

 ほんの一瞬怪しかったが、問題はない。どうせ勝利は約束されているのだから。

 ほむらは、椅子から立ち上がり深呼吸する。暫し、瞑目した後、目を見開いた。その瞳には、確かな希望が映っている。彼女の全身から魔力が勢い良く噴出して、テーブルもイスもカップも、ついでにキュゥべえ吹き飛ばした。

 

『始めるわよ! キュゥべえ!!』

 

 こうして、いたいけな小動物が宇宙のために一生懸命集めた感情エネルギーに対して、無慈悲な差し押さえを執行する旅が始まった。

 

 ほむらとキュゥべえは、再び宇宙を巡る。ほむらは、行く先々で、創造主権限を発動させて問答無用でエネルギーを接収し、自身を強化し続けた。

 彼女は、何度も何度も同じ事を繰り返す。だが、今回はそれが楽しくて仕方がなかった。なぜなら、終わりのない循環は、これで終わりになるのだから。

 

 そして、そのときは来た。

 

 

 

『ほむら、もう十分だ。今の君なら、相手が何者であれ負ける要素はない』

 

『その通りね。正直、今の状態なら私の宇宙にまどかを存在させることもできるでしょう。でも、おじゃま虫には、ここで退場願うことにするわ』

 

 ほむらのソウルジェムには、何兆もの宇宙でかき集めた感情エネルギーが渦巻いている。ヒトの喜びが、悲しみが、憎しみが、ありとあらゆる感情が蠢いている。そんな混沌とした波動を直に感じても、彼女は平気だった。

 なぜなら、彼女には、変わらぬ愛があるのだから。

 

『そろそろ行くわよ、キュゥべえ。ここまで来たら、もう最後まで付き合いなさい』

 

『もとよりそのつもりさ。暁美ほむらという存在の観測を、中途半端で終わらすわけにはいかないからね。君がどうなってしまうにせよ、最後まで見届けることにするよ』

 

『どうなるかなんて決まってるわ』

 

(ハッピーエンドよ)

 

 ほむらは、意識を集中して〈悪魔〉を探索する。傍らにはキュゥべえがいる。彼女はさらに意識を集中する。さらに意識を集中する。さらに意識を集中する――

 

『悪魔は何処にいるの?』

 

 ――が、見つからない。それは、宇宙空間で失くしたコンタクトレンズを見つけ出すよりも難しい作業だった。

 彼女は、途方に暮れる。長い時間を掛ければその内見つかるのかもしれないが、非常に面倒臭い。すぐにでも見つかると思っていただけに、一際面倒臭いのだ。

 

『ところでほむら、うっかり言い忘れていたんだけど。僕は、多分〈上位ほむら〉に会ったことがあるんだ。だから、彼女の魔力の波長を君に伝えることができる。そうすれば、簡単に見つけ出せるはずさ』

 

『だから、そういうことは先に言えと――は!? 会ったことがあるって、いつ!?』

 

 ほむらは、驚いた。また、キュゥべえに驚かされた。これで通算何度目なのかは分からないが、またしても驚かされたのだった。もしかしたら、この宇宙人は、分かっていてわざとやっているのではないのだろうか。そんな疑いさえ抱くほどだった。

 

(何なのこいつ。何が“うっかり”なの? いい加減にしなさい)

 

『元の宇宙で僕の母星に行く事になった日を憶えているかい? あの日、君の部屋の呼び鈴が鳴ったにもかかわらず、来客がいなかったことがあっただろう? あのとき、玄関から帰ってきた君は、お菓子がなくなっていることに気が付いて、犯人を僕だと決め付けた。でも、君がリビングに戻る直前まで、そこには真犯人が存在していたんだ』

 

 それは、憶えている。すべての始まりとなった日のことだ。遥か昔のこととはいえ、けっして忘れてはいない。ただ、何のお菓子を食べていたのかだけは、どうしても思い出せなかった。

 

『僕は、最近まで、彼女の正体は別の時間軸の君なのだと勘違いしていた。でも違ったんだ。彼女こそ、僕達を創った張本人だったというわけさ。今になって、考えてみたらとても良く分かる。君が訪れた宇宙は、すべて君自身が創ったものだった。だけど、君が元居た宇宙に限っては、君が創ったものではなかった。では、僕達の宇宙を創ったのは誰か? それが〈上位ほむら〉だったということなんだね』

 

 たしか、あのときキュゥべえは、悪魔がいたとか何とか言っていたはずだ。それは、間違いではなかったということなのだろう。

 ほむらは、奇妙な感覚に囚われた。何が原因となって、何が結果となっているのか。それがぐちゃぐちゃに絡まりあってしまっている。おそらく、自分はもう因果律を正しく認識できなくなっている。今現在やっていることが、別の何かの原因となっているのか、それとも結果となっているのか。もう、分からない。

 

『そういうことなら、私にはそいつを1発殴ってもいい権利があるわね。食べ物の恨みは恐ろしいのよ。これまで、何の恨みもない赤の自分に危害を加えるのは少し心苦しいと思っていたのだけど。これでもう何の迷いもなくなったわ。キュゥべえ、そいつの魔力パターンを寄越しなさい。今こそ断罪のときよ』

 

 窃盗の罪は重い。犯罪者にはしかるべき罰を与えるのだ。

 

 ほむらは、キュゥべえから情報を受け取り、再度意識を集中する。彼女のソウルジェムを膨大な魔力が取り巻いている。

 彼女は、感知した。自分は、途方もなく深い谷の底にいる。切り立った崖の上には、いけそうにもない。魔力をもっと練り上げる。まだ、無理だ。霧がかかった谷底は晴れない。魔力をまだまだ練り上げる。もっともっと高めていく。魔力の嵐が吹き荒れる。崖のふちが微かに見えた。

 

(行ける!!)

 

『跳ぶわよ! キュゥべえ!!』

 

 ほむらは、叫び、跳躍する。

 

 光が収束し、全てが暗転する。

 

 そして、悪魔の版図へと侵入した。

 

 

 

 まどかが、目の前にいた。

 ずっと、想い続けていた、探し求めていた、片時も忘れることはなかった少女が、ほむらの目の前にいた。

 ほむらは、作戦も自身の目的も何もかも忘れて、ただ、まどかを見つめることしかできない。当初の予定では、干渉遮断フィールドで認識阻害をするはずだった。だが、それすらも忘れて放心している。

 呆然としているのは、ほむらだけではなかった。突然現れたコスプレ姿の“もうひとりの暁美ほむら”を見ながら、巴マミ、佐倉杏子、美樹さやか、鹿目まどか、そして〈上位ほむら〉がポカンと口を開けている。しかし、クッションの上で丸くなっている上位宇宙のキュゥべえだけは、まったく驚いたそぶりを見せていなかった。

 ここは、マミの部屋だ。芸術的三角テーブルの上には人数分の紅茶とケーキが用意されている。だが、ほむらは、それすらも目に入っていなかった。彼女の視線はただひとりに釘付けだった。

 

「ほむら!」

 

 ほむらは、キュゥべえの警告でハッと我に返った。だが、この場に“ほむら”はふたりいる。一瞬速く呼び掛けに反応したのは〈上位ほむら〉だった。瞬時に魔力を収束させて、ほむらとキュゥべえを干渉遮断フィールドで取り囲み拘束する。

 それだけでおしまいだった。干渉遮断フィールドを使われては、如何に魔力が強かろうが、もうどうしようもない。

 ほむらは、敗北した。戦いの準備のために要した時間は数十億年だったが、決着は僅か数秒であり、しかも、棒立ちで突っ立っているだけで終了した。

 

「やれやれ、いくら僕でも、君がここまで間抜けだとは想定の範囲外だったよ」

『僕が〈上位ほむら〉の注意を引くから、その隙になんとかするんだ!』

 

 圧縮された念話が伝播して、刹那の瞬間、ほむらとキュゥべえの視線が交差する。それだけで意思疎通は完了した。

 

「は? 間抜けはあなたでしょう? なぜ念話で呼びかけなかったの? 普通に声を出すから向こうにも聞こえてしまったのよ」

 

「ごめんごめん。君があまりにも馬鹿みたいに呆けているから、念話の使い方も忘れているんじゃないかと思ってね。声を出させてもらったのさ」

 

「ああ、なるほど、そういうこと。念話を使うことを忘れていたのね。あなたが」

 

 ほむらとキュゥべえは、マリオネットのように宙吊りにされたままいがみ合っている。その滑稽な様子を見て、驚きのあまり硬直していた少女達も僅かに落ち着きを取り戻したかのように見えた。

 

「お、おいおい、ほむら。あんた、双子だったのか?」

「暁美さん、あなたにそんな素敵な御姉妹がいたなんて……」

「ふ、ふたりとも落ち着きなよ。双子じゃないって、あれは……“すごくほむらに似た人”だよ!」

「ほむらちゃんが、ふたり……?」

 

 全然、落ち着いてなどいなかった。少女達は、未だ混乱している。事態を正確に把握している者は誰もいない。思考停止状態となっている。

 

 その混迷のさなか、ある少女の声が、妙にくっきりと響く。

 

「ほむらちゃん」

 

 まどかの声だ。

 皆、反射的に彼女の方へ顔を向ける。まどかは、きょとんとしていた。何が起きたのか分からない。そんな顔だ。

 

「ごめんなさい。まどか、今忙しいからあとにしてくれないかしら」

 

 〈上位ほむら〉は、額に汗を滲ませながら干渉遮断フィールドを維持している。

 彼女は、先程から、フィールドの中に閉じ込めた正体不明の“自分”を抹消しようと、渾身の魔力を込めていた。だが、どれだけ力を集中させても相手は涼しげな顔をしており、まったく通用していないので、内心は非常に焦燥していたのだった。

 

「ほむらちゃん。死んで」

 

「だから、あとで――えっ?」

 

 〈上位ほむら〉は、まどかの方へ振り向いた。

 ありえない言葉が聞こえた。それは、あろうことか、まどかの声だった。〈上位ほむら〉の顔は、驚きと恐怖で絶望に歪んでいる。何かの間違いであって欲しい。そんな切望が感じられた。

 いきなり何を言い出すのか。あまりの脈絡のなさに皆、どう反応していいかも分からず、まどかを見つめていた。

 

「ま、まどか……?」

 

「えぇ!? 私は何も――」

 

 まどかが、わたわたと身振り手振りしながら慌てて否定しようとする。だがその声を掻き消すかのように鮮明な声が響き渡る。

 

「くっさ。話し掛けないで」

 

「ひぃっ!!」

 

 〈上位ほむら〉は、情けない悲鳴を上げ、オーバーリアクションで仰け反った。絶望の極地にある彼女の集中が途切れて、干渉遮断フィールドが解除される。

 

「今だ!」

 

 キュゥべえが叫んだ。

 ほむらは、その言葉が届く前から既に行動を開始していた。干渉遮断フィールドが消え去った瞬間、その膨大な魔力を開放する。勝敗は、瞬きする間に決していた。今度は逆に〈上位ほむら〉が干渉遮断フィールドに束縛される。捕獲完了。

 立場は逆転した。今や〈悪魔〉は、まな板の上の鯉であり、生かすも殺すもほむらの自由、彼女の気分次第である。

 

「どうやら間に合ったようだね」

 

「あのまどかの声は、あなただったの? ずいぶんモノマネが上手いのね」

 

 ほむらは、キュゥべえの意外なかくし芸を目の当たりにして、感心すると同時に〈悪魔〉に同情する。もし、自分が、まどかから先程のような冷酷な言葉を聞かされたなら、ソウルジェムに穢れが一気に溜まり、下手をすれば消滅してしまうかもしれない。とてつもなく恐ろしい精神攻撃だった。

 〈上位ほむら〉は、キュゥべえの声真似だと理解したにもかかわらず、未だショックから立ち直れていないようだ。真っ青な顔でうなだれている。だが、彼女は歯を食いしばりながら顔を上げると、搾り出すような声で言った。

 

「キュ、キュゥべえ。助けなさい……」

 

 クッションの上で、我関せずとくつろいでいた白い小動物は、〈悪魔〉の要請を受けて、こう返した。

 

「どうしてだい?」

 

 キュゥべえは、本当に不思議そうに尋ねた。

 

「め、命令よ。早く……」

 

「残念だけど、今の状況で僕が君を助けなければならない理由はどこにもないね」

 

 宇宙人の声には、一切の感情がこもっていない。このキュゥべえは、ずいぶんとやさぐれているのだな、とほむらは思った。

 絶句する〈上位ほむら〉をよそに、上位宇宙のキュゥべえが淡々と話を続ける。

 

「それにしても興味深いじゃないか。彼女達は、おそらく、以前君がまどかの魂の固定を確認するために試作した宇宙の住人だよ。どういう経緯なのかは不明だけど、この上位宇宙へのシフトを成功させたようだね」

 

「黙りなさい……!」

 

 〈上位ほむら〉は、言わなくてもいいことをペラペラと話し出す宇宙人を制止する。一縷の望みが絶たれた彼女は、もうすっかり意気消沈していた。

 

「あ、あのさ。まっっったく! 訳が分かんないんだけど」

 

 さやかの言葉は、少女達の共通認識だった。誰でもいいからこの状況について説明して欲しい。そんな思いが彼女の声には込められていた。

 

「あとで、あなたでも分かるように説明するわ。キュゥべえが」

 

「僕がかい? うーん……。さやかでも分かるようにとなると、少し難しいね」

 

「どういう意味さ!?」

 

 さやかが何やら喚いていたが、それを無視して、ほむらは、まどかに向き直る。まどかは、心配そうな目を拘束されている〈上位ほむら〉に向けていた。

 ほむらは、何と声を掛けていいのか分からず、思考がぐるぐると回りだす。あまりにも想いが大きすぎて、それを言葉にすることができなかった。

 

 やがて、その想いが彼女の目から溢れてくる。あらゆる感情が入り乱れて、止めようのない涙が零れてくる。

 ほむらは、まどかに駆け寄ると、縋りつくようにして崩れ落ち、大きな声を上げて泣き出した。

 

「まどか……! ああ、まどか、会いたかった……」

 

 ほむらが言葉にできたのは、それだけだった。あとはもう、まどかにしがみ付き、赤ん坊のように泣き続けることしかできなかった。

 

「ほ、ほむらちゃん……?」

 

 まどかが、戸惑いながらほむらに呼びかける。彼女は、もうひとりのほむらに対して、どう接してよいのか分からずにいた。だが、自分に取り縋り、涙に濡れる少女の顔を見て、その想いの深さを受け止めたのだった。

 まどかは、そっとほむらを抱き寄せると、優しく微笑みながら語りかけた。

 

「ほむらちゃん。私は、ここにいるよ」

 

 その言葉を聞いて、ほむらは、久方ぶりの安らぎを得た。彼女の全身から力が抜けていく。そして、まどろみに包まれる。やっと、辿り着けた。ようやく、旅が終わった。

 最愛の人の腕の中で、ほむらは、安らかな眠りに落ちる。

 

 

 ほむらの長い午後が、終わった。

 

 

 

 

 

 そして――

 

「ほむらちゃん。一緒に帰ろう」

 

「ええ、いいわ。帰りましょうか」

「ええ、いいわ。帰りましょうか」

 

 終業を知らせるチャイムが鳴り、下校時間となっため、まどかは、隣の席のほむらに声を掛ける。すると、まったく同じ台詞が、まったく同じタイミングで、まったく同じ声で返ってきた。

 

「ちょっと、まどかは私に話し掛けたのよ。あなたは引っ込んでなさい」

 

「現実を認めなさい。まどかが声を掛けたのは私よ。あなたではないわ」

 

 まどかの両隣は、どちらも暁美ほむらの席だった。両者は間にまどかを挟んで、彼女の頭上で睨み合い、火花を散らし始める。

 

「まーた、始まった。毎日毎日飽きもせずよくやるわ」

 

「いつものことだろ。ほっとけばいいさ」

 

 さやかと杏子が、ホムラーズの戦争を眺めながら、呆れたように会話を交わす。いつも通りの日常だった。

 

『みんな、大変だ! 魔獣が現れた。急いで魔法少女に変身だ!』

『どうして、そんなわざとらしく慌てたような口調なんだい?』

『分かってないね、君は。そういう決まりごとがあるのさ』

『訳が分からないよ』

 

 そこへ、キュゥべえズからの念話が届き、日常は非日常へと変貌を遂げる。

 

『皆、キュゥべえ達から聞いたわね。学校の前で一度集合してから現場に直行するわよ!』

 

『ハァ!? マジかよ、帰りにラーメンでも食って帰ろうと思ってたのにさ』

 

『あんたねえ……。晩御飯の前にそんなの食べたら駄目でしょ……』

 

 マミからの念話を受け取った少女達は、急いで帰り支度を始める。魔法少女のお仕事の時間だ。

 

「まどかは私が守るから安心してね」

 

「いえ、まどかを守るのは私の役目よ。あなたの出番はないわ」

 

「あ、あはは……。ありがとう。でも、ふたりとも、あんまり喧嘩しないで欲しいかなって……」

 

 まどかは、おずおずと上目遣いにほむら達を見た。

 瞬間、ほむら達の思惑が一致して、両者はガッチリと手を握り合う。

 

「もちろんよ!」

「もちろんよ!」

 

 その様子を見たまどかは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「良かったね。ほむらちゃん」



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