A memory for 42days (ラコ)
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冷たい雨は暖かいコーヒーとなって。

 

 

しとしと雨が降りしきる町を、とある女性が傘も差さずに歩き回る。

周りは彼女が見えないように、見てはいけないように目を背ける。

少し乱れた服は、もはや水に浸しかのように湿っていた。

誰にも見せられない泣き腫らした目を隠し、彼女は町を歩き続ける。

 

 

「………」

 

 

無心で脚を動かしていたのか、彼女にとって見覚えのない場所。

薄暗い建物の裏に迷い込んだと思いきや、とても暖かそうなオレンジの光を溢れ出す一軒のお店が見える。

 

彼女は導かれるようにお店へ脚を向けた。

 

ドアを開ける手に力が入らない。

 

この惨めな姿を誰にも見られたくないからだ。

 

惨めな姿。

 

こんなはずじゃなかった……。

 

23歳にもなって男に騙されるなんて。

 

人生がイージーモードだったのは大学生の時までだ。

 

高校生の頃は人を騙すなんて簡単だったのに…。

 

仮面を着けた私に、健全な学生は皆メロメロだったんだ。

 

 

「……あぁ、1人だけ騙せなかった人居たなぁ」

 

 

あの陽だまりのような空間に居た1人の男の子。

 

変わった部活を3人で仲良くとやっていたあの人達。

 

眩しかった。

 

私は見惚れていた。

 

そう、今目の前にあるこのお店のような暖かい人達。

 

あの時に私がもう少し3人に踏み込めていたらって、今さらながら後悔してしまう。

 

彼女の手に力が込められる。

 

押された扉は抵抗なく開かれ、店内の暖かさに身体が包まれるような感覚に襲われる。

 

……、あぁ、寝ちゃいそう。

 

 

「いらっしゃい。……、おまえ…?」

 

「あ、ずぶ濡れですいません。タオルとか頂けません?あとあったかいコーヒーを……、え」

 

 

彼女の目には信じられない光景が広がっていた。

 

カウンター席だけ設けられた店内はモダンな家具で彩られている。

間接照明が暖く店内を照らし、耳心地良く流れるクラシックメロディが店の雰囲気に合っていた。

一言で言えば居心地が良いと一瞬で思わせる空間。

 

……。

 

 

そして、カウンター内に佇む1人の店員

 

 

「……うそ…でしょ」

 

 

彼女は店員から目が離せない。

 

思わず目から涙が出て来てしまう。

 

こんなに堪えられないことは今迄にあっただろうか。

 

 

「……久しぶりだな。変わった……か?」

 

「……ひっぐ、うぅ…」

 

「……変わってないか。おまえ、いつだったかも電車ん中でずっと泣いてたもんな」

 

 

私は変わった。

 

それも悪い方に。

 

だけど、それは人が大人になっていくにつれて変化する心情というか……。

 

周りが変化すれば私も変わる。

 

高校の頃のように、全てが上手く行くわけではない。

 

なのに、目の前にいる”彼”は何も変わらない。

 

あの時のまま、何も変わらない。

 

 

「あ?何見てんだよ。間違えて惚れちまうだろうが。…タオル持ってくるからそこ座っとけ」

 

 

大きなタオルを持った彼が私にそれを被せる。

無言で受け取る私に嫌な顔せずに彼は接してくれた。

 

 

「……っ、う。ひっぐ」

 

「……、これ飲めよ。身体が暖かくなるから」

 

 

私は適度に温められたコーヒーを啜った。

 

 

「……甘い、です」

 

「買い溜めしといたMAXコーヒーをレンジでチンした」

 

「……なんですか、それ。ここって喫茶店じゃないんですか?」

 

「喫茶店だが?だからMAXコーヒーを提供してやっただろうが」

 

 

本当に変わりませんね。

 

喫茶店ならもう少し凝ったコーヒーを頂きたいんですけど……。

 

……でも、この味が懐かしいなんて思えちゃう。

 

思い出がコーヒーの甘さのようにとろけ出す。

 

涙になってとろけた思い出がカウンターに一粒、二粒と滴った。

 

嫌になっちゃう1日だ。

 

そして、絶対に忘れない1日だ。

 

こんなに気持ちが起伏するなんて。

 

谷の底に居たような冷たい場所が、一瞬にして太陽に手が届くような暖かい場所に変わった。

 

 

「……で?何しに来たの?一色」

 

 

「……、喫茶店に来るのに、理由が必要ですか?先輩」

 

 

 

 

1/42day

 

 



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思い出を熱いレモネードで流し込み。

 

 

奉仕部の3人と紅茶を飲んで団欒している風景が広がる。

 

先輩に軽い冗談を言いながら構ってもらうと、2人の目が少し苛立ったように私を睨む。

私は軽く受け流しながら先輩にちょっかいを出し続けた。

 

どうして私に振り向かないんだろう。

 

そりゃ、これだけ美人で可愛い奉仕部の先輩達が近くに居たら、目が肥えてしまうかもしれない。

 

でも、私だって負けていないはず。

 

 

ねぇ、せんぱい。

 

もっと私を見てください。

 

せんぱいだけなんですよ?

 

本当の私を見てくれるのは…。

 

……

.

 

 

 

「…………。ほぇ?」

 

重い瞼を開けると知らない天井。

 

私が寝ていたであろう部屋を見渡すが、何も心当たりがない。

 

 

「……頭痛い。ここどこよ…」

 

「……俺ん家だよ。バカ後輩」

 

 

夢の続きが始まった。

 

6年前に終わってしまったあの続きが。

 

手を伸ばせばそこに彼が居た。

 

 

「な、なんだよ。ほら、まだ寝てろ。おまえひどい熱でぶっ倒れたんだぞ。覚えてないか?」

 

 

私の手を鬱陶しいそうに払いのけ、ベットの近く置いてあった椅子に座った。

 

先輩の冷たい手が私のおでこに触れる。

 

 

「……ぁぅ」

 

「んー、39度くらい?」

 

 

離れていく先輩の手を名残惜しく見つめる。

 

冷たくて気持ちよかったなぁ。

 

 

「ほら、これ食って薬飲め」

 

「……はい」

 

 

先輩におかゆを手渡され、私はスプーンを握り少し固まる。

少し、ほんの少しだけ我儘を言ってみようと。

 

 

「……食べさせてください」

 

「……、今日だけだぞ。普段は小町にしかやらないんだからな?」

 

 

いやいや、その年齢でシスコンとか……。

 

相変わらずですね、先輩。

ちょっと引きます。

 

なんて……。

 

そうゆう変わらない先輩を見ていると落ち着いてしまう。

 

先輩がスプーンに載せたおかゆを私の口前に運ぶと、私は何も言わずにそれを食べた。

 

 

「……ん。おいしいです。普通に」

 

「……なら、もっと旨そうに食えよ」

 

「すみません」

 

 

いつもの調子が出ない。

やっぱり先輩の前だから?

 

違う。

 

現在の私と過去の私がこんがらがっちゃってるんだ。

 

 

「……すみません」

 

 

何度も謝って、何度も泣いて、やっぱり今の私は先輩の知ってる私じゃありませんか?

 

 

「……はは。本当に変わらねぇな」

 

「……っ!?」

 

「で?どうするよ、おまえ。帰れるか?」

 

「…え、あ、あぁ。すみません。迷惑でしたよね」

 

「んー、迷惑じゃねぇけど。まぁ、好きにしろよ。俺は下の喫茶店に居るから」

 

 

先輩は私の食べ終わった食器を片手に扉を開ける。

どうやらここは喫茶店の2階だったらしい。

下に続く階段が見えた。

 

私は重い身体を起こし先輩の後を追う。

 

自分の服装がダボダボなワイシャツだったことに少し照れながら、私は喫茶店の扉を開けた。

 

 

「寝てなくていいのか?」

 

「……いえ、まだ頭が痛いですけど」

 

「ここ、俺の喫茶店なんだわ。いろいろ聞きたいことがあるかもしれんが今は寝とけ」

 

「……あ、はい」

 

 

喫茶店にはチラホラとお客さんが居たが、特に先輩が積極的に接客をしている様子はない。

 

 

「これ、レモネード。喉が痛くなる前に飲んどけば予防になるぞ」

 

「……ありがとうございます」

 

「暖かくして寝ろよ?……、まぁ、落ち着くまで居ていいから」

 

 

ぶっきらぼうな優しさが懐かしい。

 

私の本当を知っても態度を変えなかったあの頃と同じ。

 

今も先輩は私をちゃんと見ていてくれるんですか?

 

 

そんなことを考えながら、私は暖かいレモネードを飲んでベットに潜り込んだ。

 

 

2/42days

 

 



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甘い香りに連れ出され。

 

 

このベットで目覚める2日目の朝。

 

窓の外には冷たそうな朝露が滴る。

 

この部屋から見える町並みは、都内のビル群を秘密の場所から見上げているような幻想を思わせる。

 

私は硬くなった身体をゆっくりと起こし背を伸ばした。

 

時計の短針はぴったりと5を指している。

 

 

「……昨日1日寝ちゃったんだ」

 

 

レモネードが入っていたカップが無くなっている。

先輩が片付けたのだろうか。

もしかして私の寝顔を……。

 

 

コンコン

 

 

「は、はい」

 

「よぅ。起きてたのか。熱はどうだ?」

 

 

身体が軽い、もちろん頭も痛くない。

薬が効いたのか、それとも先輩の看病が効いたのか。

 

 

「……あ、えっと…私」

 

「…風呂、入るか?」

 

「へ?あ、あぁ…。匂いますか?」

 

「いや。あの頃と同じ匂いがする」

 

 

学生の頃からトリートメントやコンディショナーの類は一切変えていない。

先輩、覚えていてくれたんだ。

 

 

「熱も下がったみたいだし風呂入っても大丈夫だろ。タオル置いとくから勝手に入れ。俺は下の店に居るから」

 

「……あ、ありが」

 

 

バタん。

 

 

「……とう」

 

 

扉に遮られた私のありがとうはゆっくりと床に落ちた。

そんな感覚。

 

私は浴場で自らの脱いだワイシャツをきちんと畳む。

先輩のワイシャツであろうメンズのMサイズ。

 

そういえば、自分で着替えた記憶がない……。

 

 

「……ぁ///」

 

 

先輩に見られたの?

 

……、まぁ、いいか。

お互い良い大人なんだ。

 

 

なんて、自分に言い聞かせても身体が熱くなってくる。

 

 

少し大きな浴槽にはお湯が張っていた。

先輩が用意してくれたのかな。

 

見たことのないシャンプーとコンディショナーで髪を洗い、手でボディソープを泡だて身体を包み込む。

 

浴槽に張られた湯船で身体がゆっくりとほぐれていった。

 

 

先輩、変わらないなぁ。

 

 

先輩が高校を卒業してから今の今まで一度も会えなかったのに、どうしたこんな惨めな時に会っちゃうんだろう。

 

 

でも、本当に夢みたいな出来事だった。

 

 

辛い時、誰にも頼れない。

 

 

それは社会人として仕方がないこと。

 

 

私のプライドも邪魔する。

 

 

”助けて”の一言が口から出ない。

 

 

だからいつも思ってたんだ。

 

 

あの人が、……先輩がそばに居てくれたらって。

 

 

お風呂から上がり脱衣所でタオルを身体に巻くと、律儀に畳まれたタグの付いたスウェットを手に持ち、ゆっくりと着替える。

 

こんな格好で先輩の前に出るのか…。

 

 

私は喫茶店へと繋がる階段を降り、ゆっくりと扉を開ける。

 

 

「…ん。髪くらい乾かせよ」

 

「乾かしてください」

 

「甘えんな。あぁ、そのスウェット新しい奴だから」

 

「そんな、勿体ないですよ。先輩のお古でよかったのに」

 

「そうゆうわけにもいかんだろ。そこ座れよ。朝飯、食うだろ?」

 

 

先輩はトーストとサラダを机に並べながら私を座らせるために椅子を引いてくれた。

ありきたりな軽食なのにすごく美味しそうに見える。

 

ホットコーヒーを飲みながら、先輩は私にカップを手渡してくれた。

 

あったかい。

 

ここでは何もかもがあたたかい。

 

お店も。

 

カップも。

 

先輩も。

 

 

「冷めるぞ?」

 

「あ、は、はい。いただきます」

 

「ん」

 

 

トーストを口に運ぶと、またしても涙が溢れてきそうになってしまう。

本当に何回目だろう。

涙腺にブレーキが効かない。

 

 

「泣くほど美味いか?商品にしてみようかな」

 

「…ぅ、ぅぐ、…美味し…です。本当に」

 

「……」

 

 

何も声を掛けてこない。

これがこの人の優しさなんだ。

きっと、こうゆう所に皆は惹かれていく。

 

 

泣きすぎて、お腹が減って、喉が渇いて。

 

 

私はまるで壊れてしまった人形のように自我を制御できない。

まるで子供のよう。

 

 

 

あったかいコーヒーカップを飲んで落ち着こう。

 

きっと甘い甘いコーヒーだ。

 

先輩が好きな甘いコーヒー。

 

私も好きで堪らない。

 

あなたが居たから好きになったコーヒー。

 

 

 

私はゆっくりとカップを傾けた。

 

 

「……苦い」

 

 

「……マッ缶、買い溜めが無くなっちゃった」

 

 

 

3/42days

 

 



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渇きに優しさを注ぎ込み。

 

 

「な、何ですか?これ」

 

「おまえの制服」

 

 

可愛らしいフリルの制服。

少しスカートが短いかと思ったけど、しっかりと膝を覆うよう隠されている。

この喫茶店に合う白とベージュを基調としたカラーリング。

 

 

「私の?」

 

「あぁ、なんだかんだもうおまえが住み着いて4日目だろ?これからも住み続けるっつうなら働け。ただ飯は俺の専売特許だぞ」

 

 

働けって言われても……。

喫茶店の仕事なんて分からないし。

それにこのお店、先輩1人で手が回るくらいにしかお客さんも入ってないのに……。

 

 

「仕事は簡単。注文を聞いて俺に伝える。それだけ」

 

「伝えるって…」

 

「少しは喫茶店っぽくなるだろ?」

 

 

……それだ。

そのことについて聞きたいことがある。

 

なんで先輩は喫茶店のマスターをやってるんですか?

 

って。

 

でも、自分のことを何も話さずに住み着いている私が、先輩の事情をづけづけと聞いていいものか…。

 

 

「……。わかりました、働きます」

 

「うん。しっかりと働けよ?」

 

 

私は黙ってカウンターの端に立ってみる。

カップを磨く先輩を横目で見ながら、私はカウンターの端に立つ。

店内を改めて見渡すと、やはり信じられないくらいに素敵な装いをしている。

到底、先輩が作り上げ空間とは思えない。

 

 

「先輩。素敵な喫茶店ですね。ここ、気に入りました」

 

「あ?そうか?少し狙い過ぎじゃね?」

 

「いいえ、本当に素敵だと思います」

 

「まぁ、俺も少し気に入ってるよ」

 

 

そんなたわいの無い話をしながら時間が過ぎる。

時間に焦らされることもなく、空気を気にすることもなく、こうやって無駄を大切に思えるひと時。

 

こうやって、奉仕部の人達と過ごしてきたんですか?

 

とても素敵な時間だと思います。

 

それって、あなたがあの2人に与えた大きな大きな絆なんですよ。

 

 

「まぁ、気に入ったんならよかったよ。これからは社畜として頑張りたまえ」

 

「あははー、こんな社畜なら喜んでなりますよ」

 

「いずれはおまえに店を任して俺は引退する」

 

「そこまでですか?……でも、そんなに厄介にはなれませんよ……」

 

 

甘え過ぎだ。

 

心地の良い先輩のそばで、ずっと夢を見続けるなんて。

 

先輩にとって、それは絶対に良いことではない。

 

先輩には先輩の人生がある。

 

それを邪魔することなんて、私には出来ないです。

 

 

「……なぁ一色。ちょっと面白い話聞かせてやろうか?」

 

「なんですか?急に…」

 

「まぁ聞けって。

 

昔、とある男の子が大学を卒業しました。

 

彼には夢も、特技も、やりたいこともありません。

 

しかし、社会が彼に立ちはだかります。

 

働かずもの食うべからず。

 

親の脛を囓る生活を、世間ではニートと呼びます。

 

そう、俺は小町にニートと呼ばれてしまったんだ」

 

 

「先輩の話じゃないですか」

 

 

「……。

 

彼はバイト先の店長に相談しました。

 

俺は本当はやれば出来る子なんだ。なのに社会と適合できないと言うだけで、俺は弾けものさ。ってね。

 

すると、店長はこう言った。

 

じゃぁ、この喫茶店あげようか?

 

え?いいんす?あざーっす」

 

 

「……嘘ですよね?」

 

 

「あの時の店長は神にさえも思えた。

 

まさかの転機に俺は飛びついた。

 

あ、俺じゃないや、とある少年だった。

 

まぁ、だからなんて言うか……」

 

 

先輩は頬を掻きながら私の頭に手を置く。

少し大きな手から感じる先輩の体温。

香るコーヒーの匂い。

 

 

「……俺に楽させろよ。一色」

 

 

「……はい」

 

 

照れたように笑う先輩の顔は本当に奉仕部に居たあの時のようで。

細い指で私の髪をくしゃくしゃと撫でると、引き立ての豆でコーヒーを入れてくれる。

 

先輩は少し苦いコーヒーにたっぷりと砂糖を注ぐ。

 

 

本当に甘党な人だ。

 

 

彼は本当の甘党。

 

 

私は彼の甘さに勘違いさせられっぱなしで、ずっとずっと、こうやってあなたに守られていたいって思わされてしまうんだから。

 

 

 

4/42days

 

 



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曖昧なミルクティー

 

 

私は休憩時間に自分の部屋に戻り、ここ数日電源が切れっぱなしになっていたスマートフォンを眺める。

きっと、電源を点けたら溜まりに溜まったメールが私を縛り付けるに違いない。

スマホを見てこんなに嫌な気持ちになることはないだろう。

 

「………」

 

だけど、私にはスマホの電源を点けてリンゴを見るには勇気が到底足りていないんだ。

 

私はスマホを投げ飛ばし、嫌な思いを吹き飛ばすようにベットへダイブした。

 

 

「……。そういえば、この部屋って元々先輩が使ってたのかなぁ」

 

 

だとしたら、先輩は今どこで寝ているのだろう。

ほんの数日、一緒に暮らしているだけじゃわからないことだらけだ。

 

少しばかり興味の天秤が傾き始めてきた時に、私の心を見透かしたかのように1階の喫茶店から声が聞こえてきた。

 

 

「おーい、一色!客が来たから戻れー」

 

「は、はーい!」

 

 

私は慌ただしくエプロンを結びながら階段を降りる。

 

店内の扉を開けると、前掛けで手を拭きながら歩く先輩にぶつかってしまった。

 

 

「痛てて、すみません先輩」

 

「おまえなぁ、そんな青春ドラマみたいな登場はいらねぇぞ?」

 

「先輩が急に呼ぶのが悪いんです」

 

 

先輩に睨まれながら、私はお客様の元へ注文を承りに行く。

30歳くらいの男性は、気の良さそう笑顔で注文を頼むと、すぐに鞄から取り出した文庫本に目を落とした。

ブックカバーを着けているためタイトルは分からない。

 

 

「先輩、ミラノサンドとミルクティーお願いします」

 

「あいよー」

 

「……」

 

「なんだよ」

 

「暇になりました」

 

「なら掃除でもしとけよ」

 

「今朝したじゃないですか」

 

「……、お花に水でも上げといて」

 

「暇ですねぇ」

 

「……」

 

 

ミラノサンドを食べやすく切り分けお皿に載せると、先輩は目線で私に運ぶように促した。

私はミルクティーとミラノサンドをお客さんへ運び、カウンター内に戻って先輩の仕事を眺める。

 

包丁を綺麗に吹き上げ、キッチンを布巾で軽く拭く。

そんな何気ない動きは本当に喫茶店のマスターなんだと思わせるのに十分だった。

 

 

「私、会社に電話しようと思います」

 

「今日、会社休みます。って?」

 

「違いますよ。辞めさせて頂きます、って」

 

「……、そうか」

 

「はい。今夜は飲みに付き合ってくれますか?」

 

「コーヒーくらいなら」

 

「随分とオシャレな飲み会ですね。ティーブレイク?」

 

 

少しだけ歩み寄ってみよう。

寄り添うことと歩み寄ることとでは意味が大きく違うと思う。

 

私は互いに傷を舐め合うなんて関係は許せない。

寄り添い2人で互いを補う関係なんてまっぴらだ。

 

私は私のことをもっと見てもらいたいから。

ちゃんと私を見てもらえるように、しっかり地に足を着けて歩み寄るよるんだ。

 

 

「……、なんか気合入れてるとこ悪いけど、お客さんが呼んでるからね?」

 

 

「何でもやりますよー!ジャンケンだろうとケチャップでお絵かきだろうと!」

 

 

「そうゆう店じゃねぇよ!」

 

 

 

5/42days

 

 



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ぬくもりを背中から

 

 

お客さんが1人も居ない店内で、私はカウンターに座り文庫本を読んでいる。

先輩も買い物があるとかで外に出て行ってしまい、お店には私1人だけだ。

 

外は雨。

 

こんな喫茶店に、雨の中わざわざ足を運ぶ人は居ないだろう。

 

ちなみに、この文庫本は昨日お客さんが忘れていった物。

栞は文庫の中判に差し掛かるところに挟まっていた。

持ち主が現れたら返してあげようと、とりあえず暇つぶしにページをめくってみる。

 

 

何の気なしに見たページの一文。

 

 

『久しぶりに会った君の前で、僕は笑い方を忘れてしまったみたいだ。あの頃のように、素直な気持ちを口から出すことも出来ない。……出来るはずなのに出来ない。それはきっと、君に後ろめたい事があるから』

 

 

『後ろめたいこと?私からはあなたの正面しか見えないわ。後ろのことなんてどうでもいい。少し照れたように笑うあなたは、今も昔も変わらない。後ろめたさがあるのら、私はあなたの前にずっと居続けてあげる』

 

 

静かな店内に、ページをめくる音だけが鳴り響く。

読めば読む程没頭していってしまうのは、主人公の心情が私と似ているからだろうか。

気付けば時計の長針は天辺から天辺へと1周していたらしく、お昼の時間を指し示していた。

 

 

「ただいま。ちゃんと仕事してたか?」

 

「え!?あ、はい!おかえりなさいです先輩!」

 

「へぇ、おまえも小説なんか読むんだな。意外だわ」

 

「む。私だって小説くらい読みますよ。ほら、私は続きを読んでるんで、先輩はお昼ご飯の用意をしてください」

 

「……」

 

 

私はカウンター席に座り直し、先輩の料理姿を眺める。

前掛けを外した喫茶店の制服は、まるで学校の制服のようにシンプルな外見で、思わず高校生だった頃の先輩を重ね合わせてしまう。

 

私の正面に立つ先輩は、いつものようにコーヒーとトーストを用意していた。

 

私は彼から目を離さない。

 

なんとなく、後ろに回られないように。

 

 

「先輩、私の後ろに立たないでください」

 

「ゴルゴかよ」

 

「見られたくないんです」

 

「……後ろめたさをか?」

 

「あはは、先輩もこれ読んだんですか?」

 

「読んだって言うか、……まぁな」

 

「そうですよ。私、先輩に見られたくない後ろめたさがあるんです。だから、今みたいにちゃんと前に立っててください」

 

 

先輩は少し笑いながら、小さく肩を上げる。

 

 

「おまえの後ろめたさなんて見たくもねぇよ。まぁ、見たからって何とも思わんがな」

 

「なんですかそれー!」

 

「後ろめたさなんて妖怪に食べてもらえば?」

 

「もー!シリアスな感じが台無しですよ!」

 

 

そう言いながら、きっと先輩は私の後ろめたさだって受け止めてくれるんだ。

受け止めてくれるどころかカウンターを仕掛けてくるに違いない。

そうやって、自分を傷つけながら周りを助けてきた彼が、少し大人になった彼が、美味しそうなトーストを2人分運んできてくれる。

 

 

程よく広がる肩幅と筋が一本通った背中。

 

私は思わず彼の背中に抱きついた。

背中越しにしか感じられない先輩の温もりも、今は私だけのもの。

こうしていれば、先輩に後ろめたさを見られることもないはずだ。

 

 

先輩は何も言わずそこに立っていてくれる。

 

 

 

「……コーヒー零しちゃうだろ」

 

「えへへ。だったら黙って抱きしめられててください」

 

 

 

6/42days

 

 



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白い息と寒い手はあなたのために

 

 

今日は喫茶店の定休日。

一週間に一回、不定期に休みを設けるのだとか。

それでいいのかと思ったが、先輩らしくて逆にいいのかもしれない。

 

そうだ。

 

今日は私が朝ごはんを用意しよう。

 

思ったら直ぐに行動。私は1階の喫茶店へと向かいながら朝ごはんのメニューを考える。

 

 

「おう。今日は早いな」

 

「あれ、先輩の方が早起きでしたか」

 

「まぁな。もう朝飯食うか?」

 

「はい!」

 

 

先輩は冷蔵庫から、既に切り分けられた野菜を取り出し盛り付けていく。

お皿に程よい彩りのサラダを完成させると、同時にトーストが焼きあがる。

軽く塗られたマーガリンと、食卓に置かれるジャム。

慣れた動作を素早く済まし、先輩と私が向かい合わせに座るのが日課になりつつある。

 

 

「いただきまーす」

 

「ん。召し上がれ」

 

 

少し雑食な私は、色々なジャムを付けてトーストを食べた。

先輩は新聞を読みながらコーヒーを啜り、たまにトーストを囓る。

 

今日も良い1日の始まりだ。

 

 

「先輩。今日のご予定は?」

 

「んー。新聞読んでー、テレビ見てー、ゴロゴロしてー」

 

「暇なんですね?」

 

「聞いてなかったの?」

 

 

「少し、私に付き合ってくれませんか?」

 

 

私は過去を精算しなくちゃならない。

一括で精算出来るとは思っていないけど、それでも先輩に少しでも背中を押してもらえたらって。

ここでの生活が始まって一週間、私も自分で自分を変えなきゃならないんだ。

 

 

「……少しだけなら」

 

 

……

.

 

 

場所は御茶ノ水。

私が先輩に付き合ってもらいたかった場所はここだ。

聖橋の下を流れる神田川はとてもじゃないが、澄み切っているとは言えない。

総武線と中央線の行き交いを眺めながら、先輩と隣合わせに聖橋の真ん中に立つ。

 

 

「懐かしいな、総武線。日本で1番素敵な路線だ」

 

「絶対に違います」

 

 

本当に千葉が好きな先輩だ。

寒がりだと言う先輩は、モコモコのPコートにマフラーまで巻いている。

どこか可愛らしいが、大人っぽさもある格好だ。

 

 

「今日、私は私と向き合いたいと思ったためにここへ来ました」

 

「……そうか」

 

「……何も聞かないんですか?」

 

「話の腰は折らない主義だ」

 

「あははー。時間を掛けたくないだけでしょ?」

 

「わかってるじゃねぇか。……だから、とっとと済ませちまおうぜ。なんだかわからんが、…まぁ、手伝えることがあるなら手伝ってやる」

 

 

お鼻が真っ赤な先輩は、自分に巻いていたマフラーを私に巻き直してくれる。

先輩にはなんでもお見通しなんだろうな。

自分だって寒がりの癖に……。

 

 

「暖かいです。先輩、先輩は私のそばに居てくれるだけでいいんです」

 

 

私はポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。

電源は切ったままだ。

 

思えば学生の頃から溜め込んだデータが沢山詰まったスマートフォン。

友達のアドレス、プリクラ、元カレ達との写真。

どれもデータであって思い出ではない。

私に思い出を与えてくれたのは、きっと後にも先にも先輩だけだから。

 

だから、こんなデータは私にはもう要らないんだ。

 

 

「えい!」

 

 

聖橋から投げ出されたスマートフォンは大きく弧を描いて神田川へ落ちていく。

それはきっと川底に辿り着き、誰の目にも触れられずに朽ちていくだろう。

 

先輩は、少し驚いたようにスマートフォンの軌道を追っていたが、何も言わずにただ神田川に出来た波紋を見つめるだけだ。

 

 

「精算完了です!少しだけ肩の荷が下りました!」

 

「あーあ、資源ゴミを川に捨てやがって」

 

「私が捨てたのは資源ゴミかもしれません。でも、これからの私にとっては大きな財産になるはずです!」

 

「……、ウチのバイト、頭がおかしいのかなぁ」

 

 

波紋が消えると、そこにはまるで何もなかったかのように川は流れ続けた。

 

それを見届け、私は先輩の手を握る。

 

どうしてこんなに暖かいんですか?

 

お外を歩いて寒いはずなのに。

 

マフラーだって、私に貸しちゃったのに。

 

 

「……なんだよ」

 

「えへへ。手袋忘れちゃいました。こうやってれば暖かいですよね?」

 

 

7/42days

 

 



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深い眠りは秘密とともに

 

仕事の疲れをお風呂で癒し、いつもの部屋で髪を乾かしながら小説を捲る。

忘れられたこの本は、今だに持ち主が迎えに来ない。

きっと捨てられちゃったんだね。

かわいそう本。

 

私は主人公の青年が気になり、最初のページから本を読み直している。

1ページ1ページ、繊細な書き込みが私をのめり込ませた。

作者の名前は十文字 三雲。

どうやら新人作家で、この小説が処女作らしい。

 

 

『あなたって、本当に意気地が無いのね。だったらこうしましょう。お互いに、秘密を一つ打ち明けたら、お願いを一つ叶えられる』

 

『え?どうゆうこと?』

 

『私とあなた、隠し事のない信頼関係を築きましょうってこと。でも、ただ秘密を話すのではつまらないから、秘密と同時にお願いも叶えられる。そうすればイーブンでしょ?』

 

『……わかったよ』

 

『でも、エッチなお願いはだめだからね?』

 

 

……なるほど。

十文字先生は面白い事を思いつくものだ。

先輩にたくさん隠し事をしている私にはうってつけのアイディアじゃないの。

 

私は乾きかけの髪をそのままにし、1階のお店に居るであろう先輩の所へ向かった。

 

 

「先輩!私の秘密を打ち明けますので今夜は添い寝してください!」

 

「……。寝ぼけてるの?」

 

「寝ぼけてないですよー。さぁさぁ、こっちに座ってお話しましょう」

 

「ちょ、おまっ」

 

 

私は先輩の腕を引っ張りカウンター席に座らせる。

どうせなら少しだけ雰囲気も良くしたいと思い、棚に仕舞われていたワインとグラスを用意した。

閉店した店内にはもちろん私と先輩だけ。

いつもは流れているクラシックのBGMも消えている。

 

 

「このワインって先輩の趣味ですか?」

 

「あ?ちげえよ。それは貰ったやつだ」

 

「へぇ、高級そう」

 

 

コルクを抜き、2人のグラスに注ぎ入れると、私はグラスを手に持ち先輩の方へ傾ける。

渋々ながらグラスを手にした先輩と、私のグラスが小粋な音をたて、それが店内に鳴り響くように反響した。

 

 

「…うん。おいし。それでさっきの話ですけど」

 

「……あぁ」

 

「そろそろ、私の事を先輩に知ってもらわなきゃと思うんです」

 

「まぁ、名前くらいしか知らんからな」

 

「いやいや、流石にもっと知ってるでしょ」

 

「って言われてもなぁ……」

 

「もう……。でも、私は先輩のことをいっぱい知ってるつもりです。もっともっと知りたいです」

 

 

もっとよく知りたい。

先輩とお別れしてしまったあの時から今までの6年間のことを。

 

喫茶店のことも。

 

あの2人のことも。

 

そして、私の事をもっと知ってもらいたい。

 

 

「私、前の会社で上司にセクハラを受けていました」

 

 

私の悲惨な過去。

誰にも言わずに溜め込んだ負の遺産。

たとえ親であろうと絶対に打ち明けなかった秘事が、先輩の前では栓の抜けたジュースのように零れ出す。

 

先輩はワインを一口舐め、グラスを置く。

 

変わらぬ態度がありがたい。

 

弱った心に漬け込む男性には辟易とするからだ。

 

 

「少し、媚すぎたんだと思います。好かれよう好かれようとして……、そしたら相手も調子に乗っちゃって」

 

「……」

 

 

私の隠し事の一つ。

こんなの序の口なんだから。

 

先輩、こんな重たい女でごめんなさい。

 

あなたはきっと、私の過去も背負おうとしてくれる。

 

いや、絶対に背負おってしまう。

 

優しい人だから。

 

 

「さぁ、秘密を一つ打ち明けました。願いも一つ聞いてもらいますよ?」

 

「そのルールは始めて聞いたんだが……」

 

「へへ、どうしようかなぁ…。……、じゃぁ、力一杯抱きしめてください」

 

「えー、……、なにその合コンみたいなノリ。王様ゲームとかリア充だけでやってろよ」

 

「ちゃんと目を見て抱きしめてください。離さないように、逃がさないように。私を守るように」

 

 

酔いが口を軽くする。

ここまで言う気はなかったのに、ただ触れてもらえればよかっただけなのに。

どうしても本心が溢れ出てしまう。

 

嫌そうな顔をする先輩を見ながら、私は先輩の胸に抱きついた。

 

照れてる顔は可愛らしい。

 

厚い胸板は男らしい。

 

コーヒーの匂いが染み付く先輩の胸で、私はいつしか眠りに落ちていた。

 

 

8/42days

 

 



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寒空の下で温まる2人

 

昼時を過ぎた頃、私がカウンターでアイスティーを飲んでいると飲料の在庫確認に行った先輩が顔面を蒼白にして戻ってきた。

 

 

「ど、どうしたんですか!?」

 

「……在庫が切れた」

 

「え!?」

 

 

先輩はキッチン内を見渡しメモ帳のような物を取り出すと、ボールペンでさらさらと文字を書いていく。

乱雑にそれを千切ると、財布とメモ用紙を私に突きつけた。

 

 

「頼む一色。おつかいしてきてくれ」

 

「わ、わかりました!急いで買ってきますね!」

 

「あぁ、至急でよろしく頼む」

 

 

喫茶店のような飲食店で在庫が切れてしまうのは死活問題だ。

迅速な対応と居心地の良さを提供するのがこの喫茶店の売りなんだから!

 

私は直ぐに厚手のコートを羽織り店を飛びたした。

 

先輩の力に微力だけどもなれるんだ。

 

こんなことで恩を返せるなんて思えないけど、先輩のためならなんだって一生懸命にやるって決めたんだ。

 

私は小走りを辞めずにメモに目を移す。

 

 

【MAXコーヒー3箱】

 

 

……。くしゃ

 

 

「……」

 

……、とりあえず買いに行こう。

 

……

.

 

 

多くの品々が並ぶディスカウントショップ。

平日の昼過ぎの時間帯のためか、店内は比較的空いている。

飲料コーナーのまとめ売り売り場を散策してみるが、どうしてもMAXコーヒーの箱売りが見つからない。

人気ないのかぁ。

 

 

「あれ?一色さん?一色さんじゃないか!」

 

「え?……っ、あ、た、田中さん」

 

 

スラリと伸びた背筋に整った顔。

スーツを着た彼は誰が見てもイケメンだと言わせる雰囲気を醸し出している。

 

 

左腕に付けた高圧的な金の時計が苦々しく私の心を強く縛り付けた。

 

尖ったリーガルシューズが私の目に焼きつく。

 

滑らかで優しい口調が私の頭を痛ませる。

 

 

「心配してたんだよ?飲み会の後、庄司と2人でどこか行ったろ?しかも次の日から会社にも来なくなったし」

 

「……あ、ぁの」

 

「庄司に聞いても何も言わないし。皆心配していたんだからね?」

 

 

彼の目が嫌いだ。

いやらしく品定めをするような視線が。

 

彼の口が嫌いだ。

出る言葉に本心がまったくない言動。

 

彼の全てが嫌いだ。

自分の思い通りに全てが動くと思っている態度。

 

 

田中さんとの再開で、開きかけていた心の扉が強く引き戻されるように。

視界がぐにゃっと曲がるように。

短い時間を共にした先輩が消えていくように、目の前がグレーになっていく。

 

 

「どうしたんだい?具合でも悪いの?あっちで休もうか」

 

 

彼の手が私の肩に回ろうとした。

慣れた手つきで女性にスキンシップを図る。

彼はそうゆう人種の人間だ。

 

 

彼に触れられたら、きっと私の世界は黒く染まる。

 

声も出せない。

 

脚も動かない。

 

 

そう考えていたとき。

 

 

「おい、一色。数量間違えたわ。3箱じゃなくて5箱な。やっぱり携帯がないと不便だわ」

 

「……せ、先輩」

 

 

喫茶店の制服を着た私の先輩。

 

どこに居ても、何をしてても、先輩は必ず私の前に現れる。

 

暗い底に辿り着いてしまっても、先輩は迎えにきてくれる。

 

冷め切った心を溶かすように店内の喧騒が聞こえてきた。

手の指から力が抜け、爪痕を5つ残した手の平を見て冷静になる。

こんなにも強張っていたんだ。

 

 

「流石に5箱は1人で持ち帰れないだろ?」

 

「はは、あはは!3箱でも無理ですよ!それに、MAXコーヒーの箱売りなんてないです!」

 

「……あ、えっと。一色さん?彼は……」

 

 

その場で置き去りになっていた田中さんが笑顔を取り繕いながら私に話しかけてきた。

私は田中さんを正面から見据えて下から上まで眺めてみる。

 

脚はよく見たらそんなに長くない。

 

少し猫背気味かも。

 

顔だって、70点くらいだ。

 

 

「あーあ、なんで私、こんなに怯えてたんだろ」

 

「?」

 

「田中さん、私、もう会社辞めたんで。これからは街で会っても声を掛けないでくださいね」

 

 

私は田中さんに背中を向けて、先輩の隣に歩み寄る。

ここが私の定位置だから。

 

今後会うことはないんだ思うとスッキリした。

 

もう立場なんてない。

 

この人なんて怖くない。

 

先輩だってそばに居てくれる。

 

むしろ仕返ししてやりたいくらいだ。

 

 

「……本当に箱売りがないなんて。経営破綻しても知らんぞ。仕方ねぇ、他の店に行くぞ、一色」

 

「えぇー、ネットで注文すればいいじゃないですかー。そんなことより、これからどこか行きましょうよ!」

 

「そんなことよりだと?……行かねぇよ。店閉めてねぇんだから」

 

 

寒空の下、私は先輩の隣を歩み続けた。

 

薄着の先輩に、今度は私がマフラーを巻いてあげる。

 

先輩が少し照れながら言った言葉に、私はコートも要らないくらいにあったまってしまった。

 

 

ありがと

 

 

9/42days

 

 



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ミルクティを無言で見つめ

 

景観の乏しい都心で、なんでこのお店から見える外の景色は幻想的なんだろう。

喫茶店の入店口が開くたびに見えるビル群と舞い散る白い雪。

一度足を埋めれば綺麗に出来上がる足跡に、成人になっても尚興奮してしまう。

毎年のように囁かれる暖冬の予想とは裏腹に、今朝早くから降り続けた雪は、数センチの白い絨毯となりコンクリートを埋め尽くした。

 

 

「雪解けのアイスティーって新商品出しません?アイスティーを雪で更に冷たくするんです」

 

「衛生法で捕まるから。空気中の埃やチリを溜め込んだ雪をお客様に出せるか」

 

 

ロマンスに欠ける先輩の言葉にゲンナリしながら、間接照明に照らされる店内から窓の外を見続けた。

 

どうせお客なんて来ないんだから、こうやって雪を見ながら先輩と過ごす1日も良いものだ。

 

 

からんころん。

 

 

「あ、いらっしゃいませー!」

 

「いらっしゃい」

 

「やぁ、久しぶり。……って、いろは?なんでいろはが居るんだい?」

 

「葉山先輩!?」

 

 

葉山先輩は肩の雪を払いながらカウンター席に向かうと、着ていたコートを脱ぎ椅子に掛けた。

まるで何度も来ているかのような立ち振る舞い。

彼はメニューも見ないで先輩にホットロイヤルミルクティを注文した。

 

 

「ちっ。おまえには水で十分だ」

 

「おいおい、仮にもお客様だぞ?それなりに接待してくれよ」

 

「……畏まりました。雪解けのアイスティーでございますね?」

 

「せめてホットにしてくれよ」

 

 

先輩は口では好戦的だが、しっかりとホットロイヤルミルクティを作っている。

葉山先輩も笑いながら先輩の毒舌に付き合い、やがて、思い出したかのように私に振り向いた。

 

 

「それよりも驚いたな。いろは、ここで働いているのかい?」

 

「え、あ、はい!」

 

「へぇ、最後にあったのは3年前だっけ?俺の就職祝いで一緒に飲んでくれたよな」

 

 

私は3年前を思い出す。

そうだ、葉山先輩とたまたま千葉で会った私は、就職祝いを理由に飲みに行ったのだ。

 

だけど、それをこの場で言われると少し胸が痛む。

 

黙々とカウンター内で作業している先輩を盗み見ると、先輩は何も聞いていなかったかのように手を動かしていた。

 

 

少しは嫉妬してくれても……。

 

 

「ほら。ミルクティな。ついでに冷蔵庫の余りで作った軽食も」

 

「ありがとう。ちょうどお腹が減っていたんだ」

 

 

葉山先輩はミルクティを飲みながら鞄の中を漁ると、茶封筒を一通取り出し先輩に手渡す。

先輩もそれを無言で受け取り、直ぐにそれをデスクの中へしまった。

なんの封筒だろうか。

 

 

「いつもながらおいしいよ。いろは、いつからここで?」

 

「えっと、一週間くらい前です」

 

「そうか。……いろはが楽しそうで安心したよ。比企谷にとっても…」

 

 

比企谷にとっても……、の後が続かない。

先輩にとって、一体何だと言うのだろう。

葉山先輩は言い掛けた言葉を飲み込み先輩に声を掛けた。

 

 

「美味しかった。それじゃぁまた来るよ。次は怖いお姉さんも来るんじゃないかな」

 

「来んでいい。必要なときは俺から行くって伝えといてくれ」

 

 

雪水で少し濡れたコートを羽織り、葉山先輩はこの場所を後にした。

スマートに傘を振り、私と先輩に別れの挨拶をすると、近くに通ったタクシーを停めて乗り込んだ。

 

ものの30分程の来店。

 

あの封筒を渡すことが目的だったのだろうか。

 

 

「先輩、葉山先輩と仲良くなったんですね」

 

「あ?仕事上の関係だろ。……うぅ、寒いから閉めてくれよ」

 

 

私は扉を静かに閉めた。

シンシンと降りしきる雪から隠れるように、抱いた疑問もどこかへ消える。

きっと雪に埋まって見えなくなったんだ。

 

 

だから、私がこの疑問を解決するのは雪が溶ける春先のことになるだろう。

 

 

10/42days

 

 

 



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過去に風を吹かして

 

 

真っ暗な世界。

暖房も照明も消えた店内で、私は何かに躓き転びそうになる。

寸前で何かを掴み難を逃れたが、暗さで何も見えないのは変わらない。

 

 

「……あぁ、停電みたいだな。雪で電線が切れたか?」

 

「せんぱーい。何も見えないですよー」

 

 

外から入る月の光だけが唯一の目印だ。

余り歩き回るのを辞めよう。

何かにぶっかってお店の物を壊してしまうのも忍びない。

 

暗さに視界を奪われた私に対し、店内に居るもう1人の存在はソロソロと動き回っている。

店内のレイアウトを熟知してるであろう先輩なら、前が見えなくても動き回ることは可能なようだ。

 

 

「……えっと、ここら辺に……、あった」

 

「おお!懐中電灯!用意がいいですね!」

 

「ん。ロウソクもあった」

 

 

懐中電灯で辺りを照らしながら、見つけたロウソクに火を灯す。

ほぅ、っと光る小さな火を見ているとなんだか落ち着いてくる。

甘い香りも広がった。

どうやらアロマキャンドルだったらしい。

……なんでアロマキャンドルなんて持ってたんだ?

 

 

「これで大分明るくなったな。暖房も止まっちまってるのは問題だな」

 

「ちょっと冷えてきましたねぇ。……あ!そうだ!先輩、懐中電灯貸してください!」

 

 

私は店内から2階に上がりある物を取ってくる。

急いで店内に戻り、カウンター席でアロマキャンドルに手を当てている先輩に後ろから抱きついた。

 

 

「どーん!」

 

「ぬ。慌ただしい奴だな」

 

「じゃーん!毛布を持ってきましたよー!」

 

「……1枚ね。はいはい、俺には凍死しろと?」

 

「ふふふ。こうすれば1枚でも足りるでしょ?」

 

 

毛布を広げて先輩を包み、その隣に潜り込むようにして私も毛布にくるまった。

何よりも暖かい暖房器具だ。

 

 

「…あたたかいですねぇ」

 

「……まぁ、否定はしないが」

 

 

隣の体温が少しあがったような気がする。

暖かさを求めていっぱいいっぱいくっついた。

火照った顔も今なら見られないから安心だ。

 

 

「大学生の頃、こうやって先輩とまた再開できるなんて思ってもみませんでした。言い方は少し悪いかもですけど、私達はほんの2年間、同じ高校に居ただけの生徒同士だったんですから」

 

「…そうか」

 

「6年もの間、私達は互いに無干渉で生活していたのに、今はこうやって肩を並べて仲良くお話してるんだから。人生って面白いですねぇ」

 

 

自分で言いながら後悔する。

ほんの少しの保身が、私達の関係をただの生徒同士だと表してしまった。

少なからず、私は先輩に何らかの感情を抱いていたのに。

 

 

「……」

 

 

先輩は何も言わない。

表情も変わらないし、軽口も叩かない。

 

まるで、何かを考えているような……。

 

 

「……先輩?」

 

「……ぁ、あぁ。どうした?」

 

「ぼーっとして、考え事ですか?」

 

「……いや」

 

「むー。私のことを放ったらかしてた罰です。私の知らない6年間のお話を聞かせてください」

 

「あ?黒歴史しかないけど?」

 

「お、それは面白そうですねぇ」

 

 

先輩は私を睨みながらまた何かを考え出す。

小さく頷き、どこか決心したかのように重い口を開けた。

 

 

「……俺には悪魔の知り合いが居てな、そいつとちょっとした契約を交わしちまった話なんだが…。

悪魔に俺の罪を食ってもらう。その代わり、そいつの言うことを一つ聞くって契約。

……まぁ俺も半信半疑だったんだけどな」

 

「へー、なんだかおとぎ話みたいですね」

 

「本当にな。俺もあの時は驚いたわ。……これが、罪滅ぼしになっているかは分からんが」

 

 

「…どうゆう……、意味です?」

 

 

少し乾いた空気が流れたような気がした。

あまり好ましくない空気が。

私にとって残酷で非情な思いが波寄せるような感覚。

 

きっと先輩が作り上げた笑い話だ。

 

なんで私はこんなに不安になっているんだろう。

 

先輩と私の目が重なると、先輩は再度口を開く。

 

 

「あの時に俺が見捨てた罪を……おまえは…」

 

 

プツンと。

 

先輩の言葉を遮るように、暗闇だった店内を明るい光が照らす。

停電が直ったのか店内の照明や家電が一斉に動き出した。

エアコンからは暖かい風が吹き出しその風にキャンドルの灯火は消える。

 

まるでこの話はここで終わりと告げるように。

 

 

「……。お、復活したな。俺は部屋に戻るわ」

 

 

「あ、はい。おやすみなさい……」

 

 

大きく揺れたブランコに小さな力が加わったように、私の心は大きくぐらつく。

 

このぐらつきはきっと自然に落ち着く。

 

明日には先輩に笑顔で話しかけるんだ。

 

私は消えたアロマキャンドルに火を付け直し、それを見つめて目をつぶる。

 

明日からも心地の良いあなたのそばで過ごせることを脳裏に描いて。

 

 

 

11/42days

 

 

 



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冷たい手で傘を差し

 

 

 

昼下がりの喫茶店。

お客さんが飲み終えたティカップを片付けてからカウンターを拭く。

店内の蒸気で曇った窓ガラスを見つけ、子供心をそのままに何か描いてみようと指でなぞった。

 

少し幼過ぎたかな。

 

相合い傘なんて今時の子供でも描かないだろう。

 

私の隣に残る空白の欄。

 

誰を書くかなんて決まっていた。

 

思いを込めた文字を書く。

 

 

「何やってんだ?」

 

「ぅえ!?ぁ、あぁ、ちょっとメモを取ってまして!」

 

 

私は慌てて窓の曇りを手で拭き取った。

少し冷えた水滴を残し、窓から私の差した傘が無くなる。どうやら彼が入る前に雨が止んでしまったようだ。

 

 

「そこにメモを取っても消えちゃうだろ。……ほら、これやるよ」

 

「はい?……映画のチケット?」

 

「あぁ、新聞の集金で貰った。おまえ、今日はあがっていいから行ってこいよ」

 

「へぇ、あんまり恋愛映画とか見ませんけど……。じゃぁ、はい」

 

「あ?いらねぇの?」

 

 

2枚の内1枚を先輩に手渡す。

どうしてこうゆうときは鈍感なんだろう。

不思議そうに私を眺める先輩を差し置いて、私は昼過ぎにも関わらずcloseの看板を喫茶店の入り口に出した。

 

 

「ほら!先輩も急いで準備してくださいよ。今から映画を見に行くんですから!」

 

 

……

.

 

 

人が行き交う街中を歩き、駅前のロータリーにたどり着く。

時計を確認すると約束の時間の5分前を指していた。

どうやら少し早かったみたいだ。

 

だけど、心の準備を整えるのには調度良い。

 

これから来る人が私を見て幻滅しないように。

 

精一杯の私を見せるんだ。

 

 

「頑張れ!わた……、痛っ!」

 

「……何で先行くんだよ」

 

「痛いなぁ、もう。せっかくのデートなんですから少しくらい雰囲気作ってくださいよ」

 

 

わざわざ待ち合わせの雰囲気を味わうために喫茶店から走って来たのに台無しだ。

私はマフラーを口元まで上げ、先輩を睨む。

 

 

「デートじゃないし、…そろそろそのマフラー返せよ。あげてないからね?」

 

「拒否します。さて、映画館は近くですし歩いて行きましょうか」

 

 

溶けることを知らない雪が町並みを白く染めている。

今日の天気もどんよりとした曇り模様。

夜には雪が散らつくかも。

 

私と先輩は館内で映画の上映時間を調べる。

どうやら少し時間があるようだ。

 

 

「どうします?夜ご飯には微妙な時間ですし」

 

「夜飯は映画見た後でいいだろ。……あ、本屋寄りたいんだった。いいか?」

 

 

近くの本屋に立ち寄ると、私は新刊コーナーで十文字三雲先生の小説を見つけた。

売れ行きはまぁまぁらしく、陳列された半分程は無くなっている。

 

先輩は文庫本コーナーで何やら品定めをするかのように見入っていた。

裏表紙に書かれたあらすじを読んでいるらしく、その目はやけに真剣だ。

 

 

「先輩?面白そうな本ありました?」

 

「……ん。参考になりそう」

 

「参考?」

 

「……いや、面白そうだなってこと」

 

 

本屋から出ると、店内との温度差に身体が驚いているように震え上がる。

日が当たる場所を歩いていても容赦のない冬風が押し寄せた。

 

 

「ぅぅ〜、寒いですねー。上映時間までは後1時間くらいありますし」

 

「そうだな。喫茶店にでも入るか」

 

「お、敵情視察ですね?」

 

 

喫茶店の店内は、私が見慣れたような落ち着いた雰囲気は無く、どこか騒がしさをも覚えさせるような装飾をしていた。

先輩に言わせると、『これも喫茶店の良さ』らしいが、私としては落ち着いた雰囲気で居心地の良さを作る先輩の喫茶店の方が断然好きだと感じる。

 

 

「まぁ、賑やかと捉えるか。騒がしいと捉えるかかだろ。活気のある喫茶店だと言ってもいいな」

 

「むぅ、なんか肯定的ですね。ライバル店ですよ?」

 

「スタバをライバルにするなんておこがましいわ。10の喫茶店があれば10の雰囲気があるだろって話」

 

「……私はうちの喫茶店が1番大好きですけどね」

 

 

そう言いながら、私は少し味気ないブレンドを啜る。

どこか身内びいきに考えながら、私はやっぱり先輩の淹れてくれた甘いコーヒーが飲みたくなってしまう。

 

上映時間の10分前になり、私と先輩は映画館へ向かう。

 

喫茶店を出ると、遠慮気味に舞う小雪が目に入った。

 

都内で見る雪はどこか幻想的だが、傘を持ち合わせていない私にはマイナスポイントだ。

 

 

突然に、私の世界の雪が止む。

 

 

頭上に掲げられた黒い折りたたみ傘は私の身体をすっぽりと覆った。

 

 

「おまえ、天気予報くらい見ろよな」

 

「……ふふ。見てたって持ってきませんよ」

 

「どんだけ天邪鬼なの?」

 

 

思いを綴った窓ガラスには、願いを叶える効果があるようだ。

描いた思いを現実にする効果が。

 

神様がくれたご褒美なのかしら。

 

私は傘を持つ先輩の冷え切った手を両手で囲うように握った。

 

 

「こうすれば先輩も暖かいでしょ?」

 

 

12/42days

 

 

 

 



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電話の音に踊らされ

 

 

朝、目が覚めると涙が出ていた。

 

とても寂しい夢を見たような。

 

大切な人とのお別れ。

 

たぶん、昨夜に読んだ十文字三雲先生の小説のせいだろう。

大切な人の幸せを願うために、大切な人との別れを選ぶ主人公。

それを後悔しないように自然な振る舞いをし、いつしか別れを受け入れている自分に気づく。

 

 

そういえば先輩を含む奉仕部の面々は卒業後どうなったのだろう。

先輩の口から2人の名前を聞いた覚えはないし。

 

私は涙を拭いて寝ぼけた頭を覚ますために洗面所へ向かう。

今日の目覚めは最悪だ。

なんだかわからないのに悲しい気持ちにさせられて、挙句に憂鬱な気分で朝を迎えてしまったのだから。

 

 

「せんぱーい。おはよーございまーす」

 

「……朝から何で不貞腐れてんだよ」

 

「不貞腐れてるわけじゃ……。ん?先輩、携帯鳴ってますよ」

 

 

カップ棚の隅に充電されながら置かれた先輩の携帯がチカチカと光っている。

このご時世にまだガラケーを使っている希少種だ。

少しぼろぼろになった二つ折りのガラケーを開き、先輩は耳に当てた。

 

 

「ん。どうした?……、は?今日?来週じゃなかったか?……。」

 

 

携帯相手に話す先輩。

 

私には電話相手が誰か分かってしまう。

 

先輩がこんな風に柔らかく話す相手を、私は高校生の頃にあの部室でよく見ていた。

 

相手に気を許している証拠だろうか、先輩はいつもより少しトーンの高い声をだしている。

 

 

「だろ?だから来週だって言ったじゃねぇか。……あぁ、わかってるよ。ちゃんと覚えてるよ。むしろおまえの方が心配だよ。……、あいよ。じゃぁな」

 

 

携帯の通話を終了させ先輩は携帯を棚に置き直すと、何事もなかったかのように開店の前準備に取り掛かる。

 

 

「……、結衣先輩達と、関係続いていたんですね」

 

「あ?なんだよ?」

 

「……。今の電話、結衣先輩でしょ?」

 

「……ん、まぁな。聞こえてたのか」

 

「聞こえなかったですけど……」

 

 

全てを無くした私には先輩しか居ない。

私はそれを望んだから。

先輩さえ居てくれればいいと思ったから。

 

でも、先輩は違う。

 

先輩には誰よりも強く結ばれている2人が居る。

私が立ち入ることを許されない領域に彼女たちは居るんだ。

 

そんなことは分かっているつもりだったのに、こうもまざまざと目の前で見せつけられると心が折れてしまいそうになる。

 

 

「……」

 

「おまえどうしたんだ?」

 

「なんでも……、ないです」

 

「そんなことないだろ。顔青いぞ?」

 

 

「何でもないですよ!!」

 

 

ガタン!と、椅子をひっくり返してしまう。

息荒く立ち竦む私を、先輩は少し驚いたように見ている。

感情がこんなに揺れるなんて思わなかった。

ただ電話をしている姿を見ただけで。

 

気付くと目から涙が漏れている。

ただの我儘なのはわかっている。これは私の願望だ。

 

先輩にとっても私だけが唯一の存在であってほしいなんて。

 

 

「……一色」

 

 

先輩が困ったように私の名前を呼ぶ。

 

やめて。

 

そんな風に私の名前を呼ばないで。

 

いつも困らせてばっかりの私だけど、そんな哀れんだ風に私の名前を呼ばないで。

 

 

私は喫茶店を飛び出した。

雪で滑りそうになる地面を踏みつけて、私は当てのない逃走を試んだ。

 

どこへ行くかもわからない。

 

自分がなんで泣いているのかもわからない。

 

先輩の顔を見ないように。

 

こんな私を見られないように。

 

 

私は先輩の優しさから逃げ出した。

 

 

13/42days

 

 



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寒さに震える問答

 

 

逃げ出したらもう振り返れない。

これは私が社会で学んだ経験則だ。

もうあの場所には戻れないなら、いっそうのこと水商売にでも手を染めようか。

 

生憎、顔は良い方だから売れっ子になれるかもしれない。

 

そこでなら必要とされるかもしれない。

 

「……」

 

逃げ出した日。

私は歩けなくなるまで遠くへ逃げた。

辺りが暗くなり寒さも増してきたときに、私は漫画喫茶を見つけて飛び込んだ。

 

一畳もないスペースで毛布に包まり声を殺して泣いた。

 

一晩が過ぎ、漫画喫茶から出た私はまだ泣いていた。

 

きっと店員さんは驚いていただろう。

 

こんなに泣き腫らした顔を見て、哀れに思っただろう。

 

でもそんなことどうでもいい。

 

先輩じゃない人にどれだけ哀れに思われたって。

 

 

当てもなく彷徨い、また夜が来る。

 

少ないお金ではもう漫画喫茶は使えない。

 

後悔の波が身体を覆うように、私の脚は動かなくなる。

 

辿り着いた風俗街は華やかにネオンが光り、暗い私を照らすように目の前の道を指し示す。

 

 

「あれー。お姉さんぼろぼろだねー!男に捨てられた?」

 

「……まぁ。そんなところ」

 

「あちゃー。もしかして自殺しようなんて考えてる?」

 

「……それもいいかもね」

 

「だめだよお姉さん。その命はお父さんとお母さんが一生懸命に育てた芽なんだからー!」

 

「……うるさいなぁ」

 

「お姉さん。芽を育てるお仕事してみたくない?……簡単簡単!本能の赴くままに暴れてくれたらいいんだからさ!お姉さん処女じゃないよねー?気持ち良さも知ってるでしょ!?」

 

 

うるさいハエのようにまとわりつく。

角ばった顔でツンツンな金髪。

どこで間違えたらこんな男が産まれるんだろう。

 

 

「……、やる」

 

「お!いいねー!お姉さん美人だから沢山稼げるんじゃない?じゃぁお店紹介するから着いてきて!」

 

 

もう楽になっていいのかもしれない。

こうやって間違った道でもしっかりと先に続いているなら私は迷わなくて済む。

進む方角なんてどこだっていい。

失ったものが大きければ大きいほど私は遠くへ逃げなくてはいけないんだから。

 

私は角ばった金髪の男に連れられて小さなプレハブに通された。

清潔とは言い難いが吐くほど汚いというわけでもない。

 

 

「仕事は簡単。ここで待ってて電話を受けたら指定されたホテルに向かう、それだけ。携帯の番号教えてくれる?」

 

「……持ってない」

 

「あちゃー、身一つで出てきた感じ?仕方ないからこれ使って。これに電話が着たら絶対に応答すること。じゃぁ今夜からお仕事してもらうからそのつもりで」

 

 

プレハブ小屋の硬い椅子に座る。

立ち続けていたためか、座った瞬間に気だるさが全身を走った。

強く握った携帯は無音のままだ。

 

 

「……」

 

 

暖房だけは効いているプレハブ小屋の中で、私の手は冷えたまま。

 

無機質な携帯と変わらない温度の私は、今何を考えているのだろう。

 

自問自答を繰り返し、結局同じ答えに辿り着く。

 

あの暖かい空間で交わした会話と、飲んだコーヒーの甘さを思い出しながら、私は静かに目を閉じて携帯を握り続けた。

 

 

14/42days

 

 



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背中に回った腕を力強く

新しい職場で始めて迎える朝。

結局、あの後携帯が鳴ることはなく、私はプレハブの硬い椅子で眠ってしまっていた。

 

携帯を開き時間を確認すると、まだ7時を回る前だ。

 

もう一眠りしたい気分だが、腰を伸ばさずに寝ていたせいか身体のあちこたが痛くて眠れそうにない。

 

 

「あ、お姉さん。昨夜は結局お客さん捕まえられなくってさー、ごめんね。とりあえず夜またここに来てくれたらいいから自由にしててよ」

 

「行くとこないし。ここに居る」

 

「あー、……。なら、俺と遊んじゃう?」

 

 

金髪の目が途端にいやらしくなる。

こんな朝から発情できるなんてある意味すごい。

 

 

「……どうでもいい」

 

 

足取りも覚束ないまま、私は金髪に腕を取られ早朝のホテル街を歩く。

道ゆく人はどこか目の光が無く、曇る目の前に手を伸ばし縋るような人達。

 

きっと私もそうなんだ。

 

誰からも手を差し伸ばしてもらえず、こうやて足掻くように数センチ先の暗闇を模索している。

 

腕を弾くこの金髪に縋る私を、もし先輩が見たらどう思うだろう。

 

失望して、呆れられて、所詮その程度の女だと認識されるに決まっている。

 

 

「ここのホテルはねぇ、早朝料金が安いんだけど汚いんだよねー」

 

「……あっそ」

 

「もう少し行けば安くて綺麗なホテルがあるから」

 

 

下らなく意味のない会話が心を冷たく凍らせる。

冬の冷たさがあまり感じられない。

暖かさがないと冷たさすら恋しく、温度を持たない私は無機質な携帯と同じ。

 

 

「到着ー。……ん?お姉さん?」

 

 

ホテルを目の前に私は足が重たくなった。

 

前にもあったこの経験。

 

元同僚の庄司に連れてこられたホテルのように、この金髪が入ろうとするホテルも仄暗い闇の中に私を飲み込もうと待ち構えている。

 

肩が震える。

 

怖いんだ。

 

この闇に飲み込まれるのが私は怖いんだ。

 

 

「……いや、…いや!」

 

「ちょっとお姉さん。ここまで来てそれはないでしょ。…ほら、来いって。痛くしねぇからさ」

 

 

腕を掴む力が強くなった。

私はその場から抗うように腕を振るうが解けない。

想像以上に強い力に腕が痛くなる。

 

なにも覚悟がない私が悪いんだ。

 

流れに身を任すこともできない。

 

道を踏み外すこともできない。

 

だから、私は誰かに守って貰わなければならないのに、それは身勝手な甘えだとも分かっている。

 

 

「……いやいやいやっ!……先輩…。」

 

「おら!あんまり抵抗するようなら無理や…っぶ!?」

 

 

腕から痛みが無くなると、隣に居た金髪が数メートル前に転がっていた。

金髪の顔は冷たいコンクリートに打ち付けられてしまったのか、頬に赤いミミズ腫れができている。

 

 

香るコーヒーの匂い。

 

荒く上下する肩。

 

スラックスの裾は濡れている。

 

こんなに寒いのに喫茶店の制服1枚で彼はそこに立っていた。

 

 

「一色……」

 

「ぁ。あの、……、これは、…」

 

 

パンっ!と、小粋な音を立てたと思ったら頬が痛くなる。

寒さで悴んでいた頬に血が通うに暑くなった。

 

先輩の手の平が私の頬を叩いたのだ。

 

 

「っ!?……」

 

「何やってんだよ、バカ後輩」

 

 

先輩の目が少し大きく開かれている。

荒れた息も整わないままに、先輩は私を睨み続けていた。

 

 

「……、はぁ。叩いて悪かった」

 

「え、ぁ、……いや」

 

「なんで出てったかは聞かねぇよ。だから戻って来い」

 

 

どこまでも暖かい言葉に、私は膝から崩れ落ちた。

乾きをしらない涙が止めどなく溢れ、本物の優しさに触れる。

 

……でも。

 

もう戻れない。

 

こんな私が先輩の近くに居ていいはずがない。

 

 

「……いや、です。もう戻れません」

 

 

言い終わる前に、私の身体は先輩に包まれた。

何も考えられないのに、先輩の匂いだけは強く感じられる。

こうやって暖かい所に居続けたいと思わさせてしまう。

 

 

「もう、大切な人を失う悲しみを味合わせないでくれ」

 

 

身体を包む力が強くなる。

 

不思議と痛みはない。

 

私は大声で泣きながら先輩にすがっていた。

 

爪が食い込むくらいに先輩を抱き締めた。

 

行き交う人達の視線も気にせず私は先輩に抱きついていた。

 

 

「ふぇぇ…っ!わ、私も!先輩のそばに居たいです……、戻りたいです。……っ」

 

 

 

15/42days

 

 



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ダージリンで微睡んで


fateってアニメ面白い笑
セイバーって強いのかわからん笑
アサシンはかっけーな。
アーチャーと戦うシーンカッコよすぎ!




 

日が当たるこの喫茶店。

 

高い建物に囲まれているにも関わらず、どうしてこんなに日が入るのだろう。

 

雪が止んだ今日、晴れて私はこの喫茶店に戻って来ることができた。

久し振りに見る青空はどこまで澄んでいて遠く感じる。

 

遠いのに強く照る日の光がどうしてこんなに暖かいの?

 

雲ひとつない晴天の下で、大きく吸った空気はどこか冷たい。

 

冷たさは身体を巡り頭をスッキリとさせ、改めて戻ってきたのだと実感を覚える。

 

そうだ、暖かくなったらお花を育てよう。

 

育てた一輪を店内に飾るんだ。

 

アザレアなんてどうだろう。

 

 

「あ?春になったら花を飾る?生花はだめだぞ。コーヒーの香りと合わないからな」

 

「えー。お洒落だと思うんだけどなぁ。アザレアを春先に育てて飾るなんて素敵じゃないですか?」

 

「……アザレアって何だっけ?まぁ、飾るなら造花にしてくれ」

 

「ぶー」

 

 

先輩は時にリアリストだ。

理想を求めるロマンチストかと思う時もあるが、理想を求める方法がリアリストなのだ。

 

わかってないなぁ。

 

育てることに愛が生まれるのに。

 

それに、アザレアの花言葉は…。

 

 

あなたに愛される幸せ

 

 

ーーーーopen

 

 

午前中、お店には数人の学生がコーヒーを飲みながら教科書とにらめっこしていた。

 

可愛らしい女の子達だ。

 

数学の教科書をみんなで眺めながら相談している。

どうやら一つの問題に行き詰まってしまったらしい。

宿題なのか、それともテスト勉強なのか。

どちらにしても、このお店までよく脚を伸ばして勉強をする気になるものだ。

 

 

「もぉー、全然わかんないよ!ねぇ、八幡ー」

 

「なんだよ。るみるみ」

 

 

どうゆことだ。

先輩がJKと親しそうにしている。

るみるみと呼ばれた子は、どこか高校生だった頃の雪ノ下先輩に似ていた。

端整な顔と長い黒髪、そして落ち着いた雰囲気がどことなく似ているのだ。

 

 

「ここの証明問題がわかんないの。教えて」

 

「……ん、数学なんて将来役に立ちません。はい証明終了」

 

 

そういえば先輩は数学が苦手だったな。

そして、雪ノ下先輩なら絶対に先輩に頼ったりしない。

先輩はコーヒーのお代わりをついであげながら、るみるみちゃん達に話しかける。

 

 

「これ飲んだら帰れ。午後から雪が降るらしいぞ」

 

「まじで?」

 

 

コーヒーをゆっくり飲むと、るみるみちゃん達は名残惜しそうに喫茶店を後にした。

これからカラオケに行くとかかんとか。

 

 

「先輩って昔から少しロリコンでしたよね」

 

「……シスコンなら許すがロリコンは聞き捨てならん」

 

 

午後の昼過ぎ、予報通りに雪が降り出した頃。

喫茶店には男性客が1人。

 

 

「うん。今日もおいしいね」

 

「……葉山、おまえ暇なの?」

 

 

クラブサンドとダージリンを飲みながら、葉山先輩は和かに先輩と会話を繰り広げる。

今日の葉山先輩は私服だ。

 

 

「暇じゃないさ。こうやってここに居るのも仕事のうちだよ」

 

「監視かよ。達悪いな」

 

「そう言わないでくれ。いろは、ダージリンのお代わりもらえる?」

 

 

私は葉山先輩からカップを受け取りダージリンのお代わりを注ぐ。

 

 

「いろは、比企谷に虐められてないかい?」

 

「いえいえ、むしろ良くしてもらってますよ。昨晩も。ね、先輩」

 

「……」

 

「ひ、比企谷。どうゆうことだ?」

 

 

葉山先輩の顔が引き攣る。

先輩は私を睨みながら何か言いたげな素振りを示すが何も言わない。

 

 

「私、先輩の大切な人なんですから!」

 

 

16/42days

 

 

 



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気流に星が輝きを増して


アーチャー!
おまえ嫌な奴だな!
カッコイイけども!!




前日の午後から降り出した雪は、今日の未明に降り止んだらしいが、それにしても今冬は雪が多い。

どうもエルニーニョ現象だの暖冬だの、私が想像している暖かい地球になるのはもう少しだけ先のようだ。

 

 

「先輩。今日は定休日ですよね?どこか出掛けます?」

 

「……んー。今日は寒いから辞めとくわ」

 

「いつも寒いじゃないですか。たまには遠出しましょうよー」

 

 

先輩の腕を引っ張りながら駄々を捏ねる。

実は私の中には既にお出掛けのプランがあるのだ。

 

昨夜読んだ十文字先生の小説で……

 

 

『イルミネーションなんて素敵じゃない?私、冬なんてどこにも行けずにつまらない季節だと思ってたけど、イルミネーションを見て考えが変わったわ』

 

『冬にも良い所はいっぱいあるよ。例えば星が1番きらきらと輝く季節なんだ。空気の流れに星がまたたく、僕は星座に詳しくないけど、星空を眺めるときだけは天文学者になった気分になる』

 

『なによ、イルミネーションは人工的だって言うの?だったら今から見に行きましょう。イルミネーションには星にも負けない輝きがあるんだから』

 

 

 

星空なんて眺めるようなセンチメンタルな性格じゃないけど、イルミネーションを見て素敵だと思う感情は持っている。

きらきらな装飾が点灯し、辺りの暗さに対抗するように光る幻想。

大切な人と見たらどれだけ綺麗なんだろう。

 

 

「ここなんて面白そうじゃありません?」

 

「うん、そうだな。行っておいで」

 

「ぐぬぬ。……この前叩かれた頬が痛いなぁ」

 

「……、おまえ」

 

「女の子の顔を殴るなんて……。あの日から痛みが引かないなぁ」

 

 

私は頬を触りながら先輩を睨みつけた。

少し卑怯だなと思いながら、私は訴えを辞めない。

 

 

「傷物にされちゃったなぁ」

 

「……、分かったよ。着いて行けばいいんだな?それでその話はチャラだ」

 

 

へへ、やりぃ!

渋々ながら了承してくれた先輩は部屋から厚手のコートを取ってくる。

本当に面倒見の良い人だと思う反面、自分を面倒な女だとも実感した。

 

 

「着いて来るだけじゃだめです!エスコートしてくれないと。じゃぁ行きましょうか!」

 

 

私は先輩のマフラーを首に巻き歩き出す。

首元が寒そうな先輩は恨めしそうに「それ俺のマフラーなのに」と呟いた。

 

 

「冬って星が1番きらきらと輝く季節なんですって。知ってました?」

 

「気流の乱れが少なくて、空気も乾燥してるからな。 だからって夏が星空を見にくいってわけじゃないが」

 

「ほー、相変わらず物知りですねー」

 

「普通だ。……まぁ、イルミネーションも嫌いじゃないがな」

 

「ツンデレめ。……って、今から行く所がイルミネーションで有名な場所って知ってたんですか?」

 

「……まぁな」

 

 

まだ日が高い時間にイルミネーションも星空もあったもじゃない。

私と先輩はウィンドウショッピングをしたりゲームセンターに寄ったりと時間を潰す。

プリクラコーナーで足を止めてみたものの、先輩はプリクラだけは絶対に撮らないとその場を離れていってしまった。

どうも、プリクラによる補正が自分のアイデンティティを壊すとか……。

…それって目のことかしら。

 

 

「おぅ。さ、寒い。もうちょっとゲーセン居るか」

 

「ちょっと!目的忘れてませんか!?」

 

「目的だと?いつからイルミネーションを見ることが目的だと錯覚していた?」

 

「はいはい。私のマフラー貸してあげますから行きますよ」

 

「おう、悪いな……、って、これ俺のだからね」

 

 

先輩は私からマフラーを受け取って首に巻き付ける。

口元までマフラーに埋めた先輩は暖かそうに目を細めた。

 

 

「ぬくい。……それにおまえの匂いもする」

 

「…わ、私の匂いって!」

 

「同じシャンプー使ってるのに不思議だな。…そろそろイルミネーション見に行こうぜ。ここで長居してたら死んじまうよ」

 

 

先輩が私の手を握ってくれる。

思わず身体が熱くなり、寒さで赤まっていた顔に体温が宿った。

先輩は少し照れくさそうに目を逸らし、それでも手は離さない。

 

 

「エスコートするんだろ。これでチャラだからな」

 

 

「……、はい。ありがとうございます」

 

 

17/42days

 

 

 





fateの1話を見てないから少し不明な所が多い。
聖杯戦争で勝ったら願いが叶うの?



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嵐のように灰舞う思い出

 

休み明けの朝。

会社勤めをしていたころはこんなに憂鬱な時はないと思うくらいに身体を起こすことに億劫になったものだ。

これから長い1週間を過ごすのだと。

 

だけど、今は少し違う。

 

これから楽しい1週間が始まるのだと。

 

待ちわびるように目を覚まし、いつものように身支度をして喫茶店へと続く階段を降りる。

 

 

「先輩!おはようございます!」

 

「おう。……今日はやっかいな客が来るかもしれん」

 

「やっかいなお客さん?」

 

 

先輩はいつものようにカウンター内で前準備に手を動かしているが、どこかいつもよりもキレがない。

喫茶店の制服に着替えた私は先輩に煎れてもらったコーヒーを飲みながら、まだ開店前の店内で一息をつく。

 

すると、入口の扉が無造作に開いたと思いきや、長身でスタイルの良い女性がタバコを加えながら入店された。

 

 

「あ、すいません。まだopen時間じゃ……って、平塚先生!?」

 

「ん?おや、君は一色か?久しいな。君もここの客だったとは」

 

「あ、いや……」

 

「それにしてもその服装はなんだね?少しフリフリが付きすぎじゃないか?君ももういい年齢なんだから……」

 

「あぁ、やっかいなお客さんって平塚先生のことだったんですか」

 

 

先生はカウンター席に腰掛け、先輩から何も言わずに灰皿を受け取る。

記憶にある白衣の格好ではなく、スキニージーンズにレザーコート着飾る格好。

スタイリッシュな大人だと感じさせられる。

 

 

「平塚先生。一色は客じゃないんすよ」

 

「なに?どうゆうことだ?……、ま、まさか!?」

 

「実は私、ここで……」

 

 

「貴様!比企谷の嫁だと言うのか!?」

 

 

「「……」」

 

 

先生は大袈裟に仰け反りながら先輩と私を見比べると、顔を真っ青にさせながらタバコの灰を辺りに散らばめた。

あぁ、せっかく拭いたカウンターが……。

 

 

「……先生、落ち着いて…」

 

「ええーい!!聞きたくない、聞きたくないぞ比企谷!!おまえも私と同類、天涯孤独を貫く人種だったじゃないか!!」

 

「だから話を……」

 

「私は屈指たりせんぞぉ!!おまえのような奴を沢山見てきた、直ぐに私を裏切り幸せを噛み締める。おまえ達は私の不幸を食べて大きくなった幸せの悪魔だ!!」

 

「……」

 

「うぅ、私のS2000の助手席はいつになったら埋まるのだ。結婚して子供に恵まれオデッセイに乗り換えることまで考えているというのに……」

 

「……先生、一色はここの店員です」

 

「私は独りだからといって時間を無駄にしているわけではない。老後を幸せに過ごせる貯蓄だって……、え?」

 

 

先輩は先生の前にブレンドを置くと、先生が散らばした灰を丁寧に拭き取る。

さっきまであんなに静かだった店内は、1人の独りのせいで騒がしく慌ただしい店内へと移り変わる。

まるで冬から夏になったように。

 

 

「だから、一色はここで働いてもらってるんですよ」

 

「ほ、本当に……?」

 

「ほ、本当ですよー。私、ここで働かせてもらってるんです。……そんな、よ、よ、嫁とか…、今はちょっとまだ…」

 

「ふふふ、……はぁーっはっは!そうだと思っていたよ。まさか比企谷にまで先を越されわけはないよな!!すまんすまん、少しばかり取り乱してしまった」

 

 

カウンター席に座り直し、先生はゆっくりとブレンドを傾ける。

タバコに火を付け再度口に運ぶと、白い煙を細く吹き出し先輩に話し掛けた。

 

 

「ふむ。少し雰囲気が変わったか……。まぁ、10代で角が付き、20代で角が取れると言うからな」

 

「そうっすね。30代で丸くなって、40代でまた尖るとも言いますね」

 

「ちょっと待て、何で40代の時に私を見た」

 

「言われのない被害妄想ですよ」

 

「……ふん。まぁ、おまえと一色の組み合わせも珍しいわけではあるまい。あの2人と同様に、一色のことも気に掛けていたものな」

 

 

少し懐かしむように私を見る先生は、昔と変わらずに先生らしい言葉を投げかる。

先輩に睨まれていることに気づくと先生は手でひらひらとあしらい失言だったと小声で言う。

 

 

「一色よ。おまえも少なからず比企谷の支えになっているんだよ。こいつは口下手だからな、口には出さんかもしれんが、こうやっておまえと比企谷が一緒に居る所を見ると奉仕部を思い出す」

 

「そ、そうですか?私は奉仕部じゃなかったですけど…」

 

「ははは。部員じゃなくとも過ごした時間は嘘を付くまい」

 

「…そういうもんですかねぇ」

 

「なら、顧問だった先生も奉仕部の一員だったってことっすね」

 

「……ふむ。そう言ってもらえると悪い気はしないな」

 

 

先輩と先生の懐かしいやり取り。

私はこうやって先生と仲良く話す先輩の姿をよく見たものだ。

仲が良いなぁとは思っていたが、今だに関係が続いていたなんて……。

少し羨ましく思う反面、奉仕部での思い出に自分が残っていることに嬉しくなった。

 

 

先生は「また来るよ」とだけ言い残し、お店を後にした。

嵐のように店内で暴れまわったと思うと、最後は静けさを残し去って行く。

 

 

「本当になんで独身なんでしょうね」.

 

「……人は必要としない物に執着しないもんなんだよ。あの人は独りで生きる力を持ってるから支えなんて要らないんじゃないか?」

 

「へぇ。……先輩は独りで生きて行けます?」

 

「バカかおまえ?俺はすべてを支えてもらいながら生きて行きたいまである」

 

 

「あはは。そうでしたね。だったら今は私がしっかり支えますからね!」

 

 

18/42days

 

 

 



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窓の外から漏れる光は

お風呂上がり。

 

窓の外には外観を照らす月と星が瞬いていて、照らされた雪はまるでダイヤモンドのように煌めく。

一面に敷かれたダイヤモンドの光はキラキラと反射し、夜の物静けさがよりいっそうの雰囲気を醸し出す。

 

冷たい廊下に長居していると、折角温まった身体が冷えてしまいそうだ。

 

私は洗面所から持ち出したドライヤーを部屋まで運び、窓を鏡替わりに髪を乾かした。

 

長い髪を丁寧に手櫛でほぐしながらベットに座る。

 

いつものように十文字先生の小説を読もうと手を伸ばすと、同時に扉からコンコンと調子の良い音が鳴った。

 

 

「おーい。ドライヤー貸してくれー」

 

「あ、すいません。部屋に置きっ放しでしたね」

 

 

湿った髪をタオルで拭きながら、先輩はドライヤーを受け取った。

パジャマ姿で濡れた髪の先輩の姿はどこか庇護欲を唆らせる。

 

「そうだ!ちょっとドライヤー返してください!」

 

「あ?ほいよ」

 

「へへー、はい、先輩。ここ座ってください」

 

「……何言ってんだ?」

 

 

私はベットの真ん中辺りに座りながら先輩を手招いた。

生憎イスなんてない部屋だから、先輩にもベットに座ってもらうしかない。

 

 

「髪の毛乾かしてあげます!私の前に座ってください」

 

「……。髪くらい自分で乾かせるわ。早よドライヤー返せ」

 

「おっと。このドライヤーは私の右手に寄生しましたよ」

 

「そしたらぶった切ってやる」

 

「もー!素直に座ってくださいよ!明日も早いのにうだうだうだうだ!ちょっとは私の身にもなってください」

 

「俺が悪いの?俺も明日早いけど…。もう何でもいいから早く乾かしてくれ」

 

 

少し乱暴にベットへ座ると先輩は私に背中を向けた。

先輩から香るボディソープの匂い。

いつものコーヒーの匂いも好きだけど、この匂いも好きだなぁ。

 

私は熱風を出すドライヤーで先輩の髪を乾かし始めた。

細く柔らかい髪が風に煽られ四方八方に散らばる。

気づくと毛先が少しカールしていた。

 

 

「へぇ、先輩って天然なんですね」

 

「ちょっとだけな。毛先がクルってなるんだよ」

 

「いいですねぇ天然パーマ」

 

「鬱陶しいだけだがな。…ストレートなおまえが羨ましいよ」

 

「えぇー、パーマの方が良くないですか?」

 

「ならかけりゃいいだろ。パーマくらい2.3時間で出来ちゃうんだろ?」

 

 

私は自分の髪を触りながら考える。

確かに何かの起点に髪型をばっさり変えるのもいいかもしれない。

今がその時かも…。

 

 

「変えてみようかな…。先輩はストレートとパーマどっちが好きですか?」

 

「俺はストレートが羨ましいよ」

 

「……聞き方を変えます。私はストレートとパーマ、どっちが似合うと思いますか?」

 

「……。まぁ、どっちでもいいんじゃないか?」

 

「うわぁー、男として最悪な回答ですね。なら柔らかくしましょうか。ストレートな私とパーマな私、どっちが好きですか?」

 

「柔らかくなってねぇじゃん。……、見慣れた分、ストレートの方がいいかもな」

 

「ほう。ストレートの私が好きですと。なるほどなるほど」

 

「えらい誘導尋問だな。ほれ、もう乾いただろ。俺は部屋に戻るわ」

 

「……はい。おやすみなさい」

 

 

私は立ち上がろうとした先輩の背中に抱きついた。

 

 

「……うん。これじゃぁ戻れないよね。おまえが離してくれないと戻れないよね」

 

「ならここに居ればいいじゃないですか」

 

「新手の一休さんかよ」

 

「その髪型のままでとても可愛いよ。って言ってくれないと離れません」

 

「かーいーよー。そのゆるふわな髪型」

 

「……バカにしてます?」

 

「うん」

 

 

私は先輩の背中越しに窓の外を眺める。

失われることのない月光が弱々しくなったと思うと、分厚い雲から小さな雪がちらちらと降り始めていた。

今夜も寒くなりそうだと思いながら、腕の力を強める。

 

 

「さて、寒くなってきましたしもう寝ましょうか」

 

 

「……だから離せよ」

 

19/42days

 

 

 

 




fate zeroってやつ見ようと思ってTSUTAY行ったんだけど見つからなかった笑
だれか内容教えて笑


次話、悪魔降臨。
10-20-30-40daysで重要人物出演。


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嵐の雪の日に

 

前触れ無く訪れる災害。

 

地震や台風、雷に大雪、自然災害に抗う術を持たない私達は、災害に対する事前防災を心掛ける他ないわけだ。

 

だが、前触れのない脅威にはどう立ち向かえばいいのだろうか。

 

答えは一つ。

 

耐え忍ぶことだ。

 

 

「で?比企谷くん。一色ちゃんと一つ屋根の下で暮らしてる感想は?」

 

「……。特に。ただの同居人ですし」

 

「ほうほうほう。ただの同居人が相合い傘して手を繋いで家出を迎えにいって同じベットで髪を乾かし合うんだ。すごいねぇー。私の考えてた同居とは違うみたい」

 

「……はぁ。どこまで知ってるんですか。雪ノ下さん」

 

 

私はやや緊張気味に雪ノ下先輩のお姉さんにアールグレイを出す。

暖かいカップがカウンターに当たり小さな音をだした。

 

 

「ありがとー!ねぇねぇ一色ちゃん、比企谷くんとはどこまで進んでいるのかなー?」

 

「へ?あわ、あ、あ、いや。……ただの同居人です。本当に」

 

「んー。その慌て方は怪しいけど、確かにまだ一線は超えてなさそう。……比企谷くんチキンだし」

 

「おい。聞こえてますから。……で、突然やってきて何の用ですか?」

 

「いやいやー、しっかりやってるかなーって思ってね。まぁ色々しっかりヤってるみたいで何よりだよ」

 

 

楽しそうに先輩をいじめる雪ノ下さんは、風貌こそ雪ノ下先輩に似てるけど、雰囲気や言葉遣いはまったく違う。

 

喫茶店の前には黒塗りのセダンが止まっていた。

どうやら雪ノ下さんが待たせている車らしい。

この足元が悪い中ご苦労様です。

 

 

「……確認ですか?それなら葉山から聞いてるでしょ。あなたの”言う通り”に仕事もこなしてます。問題はないはずですけど?」

 

「問題はないよー?でも問題ありあり。……いつまでここの喫茶店に居るつもりなの?」

 

「……。別に、居たくて居るだけですけど。それとも雪ノ下さん、区画整理までやるようになったんですか?ここを立ち退けと?」

 

「あははー、流石に国のお仕事に手は出さないよ。でもさー、比企谷くんが守りたいものってこんな陳腐な物だっけ?」

 

 

先輩が少しむっとした顔になった。

私は心から腹が立つ。

ここの喫茶店をこの人に陳腐呼ばわりされる筋合いはないのに。

 

乾いた風が店内を巡るように、小さな声がはっきりと私の耳に届いた。

 

 

「ここは、もうあいつらと約束しただけの喫茶店じゃない。……成り行きとはいえ、俺と一色にとっては大事な家なんですよ」

 

 

風は止まない。

私と先輩の家に大きな嵐が居るせいだ。

 

 

「へぇ……。あの2人はどう思うんだろうね。皆の大事な喫茶店に他人が混ざってたら」

 

 

あの2人。

他人。

雪ノ下さんの口から出る容赦のない言動に、私は何も言い返すことができない。

悔しいけど、私が何か言ったところでこの人には響かないんだ。

 

 

「どうでしょうね。案外すぐに受け入れるんじゃないですか?」

 

「そうゆう安易な考えは君らしくないなぁ」

 

「深読みしすぎても碌なことがないですから」

 

「あはは。過去の自分が反面教師なわけだ」

 

 

店内の置物と化した私はただただ2人の会話を傍聴しているのみ。

聞きたいことは山積みだが、今は聞けない。

聞いたらいけない。

 

雪ノ下さんはつまらなそうにカウンター席に深く座り直し、時間を確認する。

 

 

「もう時間だね。今日はお母さんと食事なの」

 

「……」

 

「そんなに睨まないでよ。雪乃ちゃんとは関係のない会食よ。それに、お母さんはあなたのファンなんだからそんな態度をとっちゃだめ」

 

「……ここでする話じゃないですね」

 

「あれ?一色ちゃんには言ってないの?……。へぇ、そう。巻き込みたくないのか、それとも無関心なのか」

 

「さぁ、もう時間でしょう?雪道じゃ交通網が麻痺してるかもしれませんよ。早く帰った方がいい」

 

「はいはい。またね、一色ちゃん、……先生も」

 

 

嵐が通り過ぎ、店内には怖いくらいの静寂が流れた。

先輩が雪ノ下さんの使用したカップをキッチンで洗いながら、私に声を掛ける。

 

 

「どうした、ぼーっとして」

 

「え、いや……。し、塩でも巻いておきますか!?」

 

「あれでも大事なお客様だから」

 

「そ、そーですよねー、あははー」

 

 

空笑いが虚しく消えていく。

先輩は私を気にする様子もなくカップを磨いていた。

 

 

「あの、さっき言ってた約…」

 

「一色」

 

「え、あ、はい」

 

「……今度、その時が来れば話すから。今は何も聞くな」

 

「……そんな一方的なのって、…ズルいです」

 

「すまん」

 

 

先輩は私に目を合わせようとしない。

今は言えないってどうゆうことですか?

そんなことを言っていたら押し問答だ。

水掛け論をするつもりはない。

 

優しい彼に嘘は言えない。

だったらその優しさに胡座をかいてやろう。

もっと彼を困らせてやろう。

 

 

「ズル過ぎます!これは貸しです!今度の定休日はこの貸しの返済としてデートを要求します!!」

 

 

「え、あ?……。くっ、ははは。清々しいほどの悪徳商法だな。まぁ、また買い物くらいになら付き合ってやる」

 

 

ちょっとやそっとの嵐で、こんなに居心地の良い場所を壊されてたまるか。

私は私のために先輩を困らせる。

先輩は神聖の世話焼き体質だから。

 

困らせる後輩と頼られる先輩が、この空間には適した関係なんだ。

 

 

20/42days

 

 




あの先生強過ぎ笑
セイバーぼこぼこじゃん。
ツインテールの女の子、あんなにぶっ飛んで傷一つないんだね……。
シロー急に強くなった!笑


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寒い夜には怖い夢を

 

 

5時を過ぎた頃には真っ暗になるこの時期。

夕暮れ時を感じさせぬまま辺りは暗く静まり返る。

太陽の顔を見れるのはほんの10時間程だ。

 

喫茶店も客足が途絶えると閉店時間を待たずに閉めてしまう。

それがここのやり方だ。

 

ここ最近は空を覆う雲のせいで閉店時間がとても早い。

お店を閉めて夕ご飯を済まし、お風呂に入って部屋に戻る。

それでもまだ寝る時間には早いわけで。

 

 

「ほら、先輩!これ借りてきましたから一緒に見ましょう」

 

「ん?DVD?」

 

「はい!面白そうなの借りてきました!」

 

「アニメ以外は受け付けん。早よ寝ろ」

 

「さぁさぁ、早く来てください。ここに座って」

 

 

私は廊下から先輩を引きずり部屋に入れ、ベットに座らせる。

TVの前に置いてあるベットが特等席なのだ。

 

 

「……少しだけだぞ」

 

「へへへ、少しで済みますかねぇ」

 

 

私はプレーヤーにDVDを食べさせた。

ペロリと飲み込んだプレーヤーがTVに映像を映す。

 

【真冬の怖い夜】

 

「……やっぱ寝るわ」

 

「そうは問屋が下ろしません」

 

私は先輩の片腕にしがみつきながら隣に座ると、雰囲気を出すために部屋の電気を消して暗くする。

 

 

「……」

 

「始まりますよ」

 

 

……。

とある女性が仄暗い廃墟に迷い込む。

出口はなぜか鍵がかかっていた。

とりあえず廃墟の中を探索するが外に繋がる扉は一つも見当たらず……。

不可解な現象が女性を襲う中、時を同じく廃墟に迷い込んでしまったとある男性と出会い、共に心霊現象の魂胆を暴くストーリー。

 

 

定番ではあるが、こういった類のホラー映画は何度見ても怖いものだ。

 

 

「あー、そこから何か出てきそうです…」

 

「ば、ば、バッカおまえ、そ、そ、そんな単純な」

 

「うわぁ!やっぱり出てきましたよ!心の準備をしてて助かりました」

 

「っう!…やっ、やっぱりか」

 

「この時間に見ると余計に怖いですねぇ」.

 

「で、電気付けるか!?」

 

「あ!後ろから何か近づいてますよ!」

 

「うぇぇ!?」

 

 

女性の背後に忍び寄る黒い影は気持ちの悪い造形をした物だった。

悲鳴を上げる女性を聞きつけ駆けつける男性。

2人は命からがらにその場を逃げたのだった。

 

 

「あー、こりゃ惚れましたね。吊り橋効果ってやつですか。喉乾きましたね、私飲み物持ってきます」

 

 

ベットを降りようと足を出すが、腕にしがみついた何かが私を離さないために降りれない。

 

 

「……先輩?」

 

「……俺も行ってやる」

 

「……」

 

「……」

 

 

……

.

 

 

真夜中の喫茶店。

カウンター内の間接照明のみを付けた店内はとてもではないが心とも無い。

棚の奥から私と先輩のカップを取り出すと同時にお湯を沸かす。

 

 

「……。ちょっと」

 

「なんだよ」

 

「服を引っ張らないでください」

 

「ふざけたこといってんじゃねぇ、引っ張ってねぇよ。掴んでるだけだろ」

 

 

ピタリと背中にくっつくように後を着いてくる先輩がなぜか強がる。

 

 

「服を掴むくらいならお腹に手を回してくれませんかねぇ。パジャマが伸びちゃうんですけど」

 

「パジャマくらい何着でも買ってやる」

 

「無駄に男らしい。……ベクトルの方向が違いますけど」

 

「……ほら、沸騰させ過ぎるなよ。紅茶の香りが消えちまうぞ」

 

「はーい」

 

 

カップにお湯を注ぎ紅茶を淹れると心地の良い香りが広がる。

二つのカップを手に持ち階段を登る最中も、先輩は背中にピッタリとくっつき離れようとしない。

 

珍しい先輩で少し遊んでやろう。

 

 

「ふぁ〜。なんだかもう眠いですねー。そろそろ寝ましょうか。では先輩、おやすみなさい」

 

「そうは問屋が下ろさんぞ」

 

「デジャブ……」

 

「おまえあれだぞ?おまえ……、あれだぞ?」

 

「あはは!先輩慌て過ぎですよー。……ほら、早く続きみましょう」

 

 

先輩は部屋に入ってベットに座り直す。

毛布を背中から羽織るように丸まった先輩の隣に座り、私は先輩の毛布に潜り込んだ。

怖いシーンを見る度に身体が跳ねる先輩をからかいながら紅茶を啜る。

 

 

「ふわぁ。本当に眠くなってきましたね」

 

「今夜は寝かせないからな」

 

「ふぇ!?」

 

「せめて俺が寝るまで起きててくれ」

 

「……もう寝ます」

 

 

21/42days

 

 



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勘違いの雨乞い

 

『ねぇ、昨日の放課後なにしていたの?』

 

『突然どうしたの?昨日の放課後は家に帰ってテレビを見てたんだ』

 

『へぇ、学校から真っ直ぐに家へ帰ったのね?』

 

『そう言ったつもりだよ?』

 

『私、あなたをショッピングセンターで見かけたわ。楽しそうに歩いていたわね。可愛らしい女の子と』

 

『……、何かの見間違いじゃない?僕が女の子と楽しそうにするなんてありえないよ』

 

『へぇ、じゃぁ私と一緒に居るのは楽しくないってわけ?』

 

『それとこれとは話が別だよ』

 

『……。2度目はないからね。私の前で浮気をするなんて万死に値するんだから』

 

『わかってるよ。決して浮気じゃないってことは信じてほしいな』

 

『あなたは押しに弱いから、どうせ断れなかったんでしょ。あの女には私から釘をさしておくわ』

 

 

 

……

.

 

 

私は小説を閉じて一階の喫茶店へと降りた。

いつもと同じ店内でいつもと同じ香り、いつもと同じ先輩が迎えてくれる。

 

 

「先輩、浮気してますね?」

 

「……。何に影響されたんだ…」

 

「二度目はないですからね!?」

 

「……」

 

「まったく。先輩は押しに弱いから」

 

「……客の前だぞ」

 

 

私は一通りのやりとりを先輩と済ませ、カウンター席に座るお客さんに目を向ける。

 

 

「やぁ、元気そうだね」

 

「あ、葉山先輩」

 

「……、おまえ定期的に来るよな」

 

「俺の仕事だからね」

 

「嫌な仕事だな」

 

「同感だね」

 

 

久しぶりに晴れた空を店内の窓から見上げると一本の飛行機雲が出来ている。

くっきりとした一本の長い飛行機雲は空を半分に割るよう線を引いた。

 

 

「綺麗な空です。明日も晴れるといいですね!」

 

「あ?……飛行機雲出来てるじゃん。明日は雨っぽいな」

 

「え!?何でですか!?」

 

「何でって、飛行機雲がくっきり出来てる次の日は雨が降るだろ?」

 

「そんな都市伝説知りませんよ」

 

「いやいや、気圧とかの関係上そうゆうもんなんだよ」

 

 

先輩は窓の外をちらっと見るとカウンター席に腰を落とす。

葉山先輩も苦笑い気味にその説に頷いた。

どうやら本当の話らしい。

 

 

「明日は雨かぁ……」

 

「ん?いろは、明日何かあるのかい?」

 

「はい、明日は定休日で先輩とデートをするんです」

 

「デートじゃねぇよ。買い物の荷物持ち役をやるだけだ」

 

 

カウンターに肘を着いて葉山先輩からさきほど受け取った封筒の中身を確認している先輩はボソッと言う。

 

 

「まぁ、所詮は確率論だよ。こう確立で雨が降るってだけで必ず降るってわけじゃないしさ」

 

「むむ。雨乞いをすればいいんですね?」

 

「……雨降らしたいの?きみ」

 

 

私は店内に置いてあったボックスティッシュと輪ゴムをカウンターに置き作業に取り掛かる。

 

くしゃくしゃと、丸めたティッシュをもう一枚のティッシュで覆い輪ゴムで留めて完成。

マジックで目と口を描き、店内のカーテンレールに吊るすと、てるてる坊主はくるくると回りながら店内を見守ってくれる。

 

 

 

「明日も晴れますように」

 

 

22/42days



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揺れる湯気を飲み込んで

 

 

リプレイを繰り返すような変わらぬ朝。

am6:00を記したデジタル時計のアラームを消し、私はブランケットを肩に羽織り一階の喫茶店へ向かう。

冷たい階段を早足で駆け下り、扉に手を掛けた。

 

 

「……おはよ。今日は早いな」

 

「へへ、おはようございます。先輩もいつも通り早起きですね」

 

 

先輩の座るカウンター席の隣に座り、私も用意したブレンドを傾ける。

昨日のてるてる坊主が効いたのか、窓の外は薄い青色の空が満遍なく広がった。

夏の真っ青な空も好きだが、薄い青色な空も嫌いじゃない。

 

 

「さて、先輩。そろそろお出掛けの準備をしてください」

 

「……」

 

 

先輩はカップを口から離し、怪訝そうに私の顔を伺った。

そんなにおかしなことを言っただろうか。

私はこんなにも今日を楽しみにしていたのに。

 

 

「もう。この前約束しましたよね?”これは貸し”ですって」

 

「……む。覚えて…」

 

「言わせませんよ。……ほら、借りを返すのは当然の義務です。今日は私の言うことを聞いてもらいますよ」

 

「……はぁ。荷物持ちくらいならいくらでもやってやる」

 

「ほう、良い心掛けですね。では準備を急ぎましょう」

 

 

………

……

.

 

 

「はい。着きました!」

 

「……おい。どういうことだ?」

 

「何がです?」

 

「何がもクソもない。買い物じゃなかったのか?」

 

「いつ買い物なんていいましたか?私はお出掛けしますと言ったんです」

 

「……」

 

 

二両編成のローカル電車から降り無人の改札口から出る。

都内の数倍は高く積もっているであろう雪の壁に挟まれた道路と、木造りの平たい建造物が横並ぶ町並み。

町の真ん中を隔てるように流れる川からは湯気が立ち込めた。

所々から溢れる硫黄の匂いが鼻を刺激する。

 

ここは私が想像するまごうことなき温泉街だ。

 

 

「えーっと、今日泊まる宿はあっちですね」

 

「泊まる!?」

 

「もちのろん。日帰りなんて勿体無いじゃないですか」

 

「ば、バカなの?大体、泊まる用意なんて持って来てねぇし」

 

「私が先輩の分も持ってきてます」

 

「み、店はどうするんだ!」

 

「今日、明日はお休みしますって貼り紙しておきました。そもそもお客さんなんてそんなに来ないし大丈夫ですよ」

 

 

途端に慌てる先輩をさて置き、私は宿泊予定の宿を探す。

どの建物も可愛らしく素敵で、宿泊先を想像しては胸が高鳴ってしまう。

 

 

「あ!ありました!」

 

「……」

 

「ほら、行きますよ!」

 

 

私は先輩の腕を掴み宿の門を通る。

水車が回る園庭を横目に、玄関口で宿の女将さんが迎えてくれた。

 

 

「いらっしゃいませ。お名前をよろしいですか?」

 

「比企谷ですー」

 

「はい。比企谷様でございますね。……、比企谷八幡様と比企谷いろは様のお二人でよろしかったでしょうか?」

 

「ちょっと待て」

 

「はい!よろしいです!」

 

 

キャリーケースを女将さんに預け、私と先輩は靴を脱ぎ、宿内の造りに目を奪われながら、女将さんの先導に着いていく。

 

 

「おい、一色いろは。さっきのどうゆうことだ?」

 

「さっきのって何ですか?比企谷八幡先輩」

 

「名前だよ!名前!」

 

「あぁ。……、謎ですね」

 

「……頭おかしくなっちゃったよ。この娘」

 

 

滑る廊下を歩き続けると、女将さんがとある部屋の前で止まり、脚を折り扉を開けた。

 

畳が敷き詰められた部屋には黒いテーブルと座椅子が中央に置かれ、窓の外を眺められるように障子が大きく開かれていた。

窓から見える雪に覆われた山々がどこまでも続く。

 

 

「わー!素敵です!」

 

「……まぁ悪くはないな」

 

「……。怒ってます?」

 

「怒ってます」

 

「うぅ」

 

「……、でも、この宿は悪くない。それに温泉だって嫌いじゃねぇし。……、だから、まぁ、あれだ。息抜きくらいなら出来るかもな」

 

 

マフラーを口元にクイっと引っ張る仕草。

先輩は照れるときに良く口元を隠したがる。

既に暖房が聞いている部屋で、尚も外さずにマフラーを着けていた先輩は座椅子に腰を下ろしながら窓の外を眺めていた。

 

 

「……相変わらず優し過ぎますよ。そんなんだから、私が調子に乗っちゃうんです」

 

「自覚してるのかよ」

 

 

自覚している。

だって自分のことだもん。

自分が何を考え、何を思い、何をしたいか。

きっと、我儘な私は先輩の優しさに漬け込み、身を委ねてしまう。

 

優しい先輩だから。

 

ずっと一緒に居させてくださいって、そう言えば先輩は受け入れてくれそうで。

 

立ち込める湯気のようにゆらゆらと揺れる淡い思いを吹き飛ばし、私は先輩と一緒に居られる今を大切にしようと決めたから。

 

 

23/42days

 

 





彼氏がうざくてスマホ投げたら壊れた笑
久しぶりの更新頑張ります。笑


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湯船に溶けるパウダースノー

 

昨夜、地酒を飲みながら眠ってしまったはずの私は布団の中で目を覚ました。

眠い目を擦りながら隣を見ると先輩はおらず、代わりに畳まれた布団がある。

相変わらず早起きだ。

 

すると、部屋の扉が開き、浴衣姿の先輩が顔を覗かせた。

 

 

「んぁ?あれ、先輩。どこ行ってたんですか?」

 

「下の大浴場。昨日の酒を抜きにな」

 

「……頭痛いかも」

 

「飲み過ぎだ。風呂でも入ってこいよ。朝食は遅らせてもらうから」

 

「んー、わかりました。……先輩」

 

「あ?」

 

「抱き起こしてください」

 

「バカ言ってんな」

 

「脚が痺れてるんです。いや本当に」

 

「一生寝てるといい」

 

「そうゆうのいいんで。早く起こしてもらえます?」

 

「君、なんで上からなの?」

 

 

先輩は腕を組みながら私を見下ろす、小さく溜息を着くと私の腕を掴んだ。

力を入れて引く先輩に、私は勢いを利用し抱きつく。

 

 

「うりゃー!!脚が痺れてるのは嘘でしたー!!」

 

「ぐっ!?お、重い」

 

「重い!?」

 

 

先輩から香る石鹸の匂いを嗅ぎつつ、私は先輩の首に回していた手を離す。

……ちょっと朝からテンションを上げ過ぎたか。

 

 

「ったく。朝から何なんだよ。……っ!?い、一色!?おまえ、前!前!!」

 

「えへへ。はい?………っ!?!?」

 

 

先輩が慌てて手で目を隠し、後ろを向いてしまった。

どうしたのかと、私は自分の姿を自分で確認すると、浴衣の帯が外れ、見事に浴衣がはだけていた。

はだけた浴衣から覗かせるピンクのショーツが私の頭を覚醒させる。

 

 

「……ふぅあ、あ、そ、っあ。……す、すいません!あ、あははー!せ、先輩はエッチですねー!!わ、わ、私、お風呂行ってきますね!?」

 

 

帯で浴衣を巻き直し、私は逃げるように部屋から退出した。

顔が赤くなっていくのを感じる。

体温が異常に高くなっている。

早足で廊下を歩く自分の姿が廊下の窓に映り、改めて自分の下着姿を先輩に見られたと実感してしまう。

 

 

「うぅー……」

 

 

………

……

.

 

 

「た、ただいまでーす。朝風呂って気持ち良いですねぇー」

 

「……あぁ。さっき朝食の用意を頼んだから、もう来ると思うぞ」

 

「あ、あははー。楽しみですー」

 

 

「「………」」

 

 

部屋を包む静寂。

いつものように冗談を言おうするが、気の利いた言葉が見つからない。

 

エッチぃ先輩ですね!

 

なんて言えばいいのだろうか?

それとも……

 

責任取ってくださいね!

 

……それは少し重すぎるか。

 

 

「………」

 

「……、まぁ、あれだな。別に気にすることじゃねぇよ」

 

「は、はひ?何をです!?」

 

「言い方は悪いが、俺はおまえの下着を見慣れている」

 

 

おいおい、彼は一体何を言い出しているんだ?

私の下着を見慣れている、だと?

先輩は私の顔を見ずに下を向いていた。

 

 

「……」

 

「あ、いや!違うぞ!?別に変な意味じゃなくてだな、いつも洗濯物を干すとき、その、まぁ……、な?」

 

「あ、あははー。なるほどなるほど、洗濯かー……」

 

 

再度、訪れる静寂。

きつく結ばれた帯を左手で触りながら解けていないかを確認する。

 

静寂を破ったのは女将さんの声だった。

朝食が部屋に運ばれ、閑散としていたテーブルには色取り取りに着飾られた朝食が並ぶ。

 

 

「……、せっかくの朝食だ。さっきの事は忘れて食べようぜ」

 

「あ、はい!そうですよねー!じゃぁ、いただきまーす!」

 

「いただきます」

 

 

桜の花びらに型取られた甘い人参を食べながら、私は今日の予定を考える。

と、言っても特に心当たりがあるわけでもなく、昨日みたいに近場の温泉に入りながらお酒を飲むくらいが丁度良いのかもしれない。

 

私は朝食を片付けに来た女将さんに世間話をするがてら、この地域の名所を聞いてみた。

 

 

「名所ですか?」

 

「はい!秘湯みたいなの」

 

「んー……、あ、お二人に打ってつけの露天風呂がありますよ」

 

「打ってつけ?どこですか?」

 

「なら地図をご用意致します。フロントに来た際にお渡し致します」

 

 

………

……

.

 

 

温泉街から少し外れた小高い山の麓に、小さな小屋と広めな露天風呂。

地元の人がおすすめする温泉は見事に私の心を撃ち抜いた。

周りを雪の化粧で施した木々が囲み、石造りの湯船には白い湯が張っている。

周りに人は居ない。

まさに貸し切りだ。

 

私は冷え切った身体を驚かせないように、足からゆっくりと湯船に浸かる。

 

私は男子湯と女子湯を区切る竹盾に話しかけてみた。

 

 

「せんぱーい!湯加減はどうですかー?」

 

『……、おまえが沸かしたの?』

 

 

声が返って来る。

どうやら向こうも貸し切りのようだ。

 

 

「暖かいですねー。温泉旅行は楽しかったですか?」

 

『あー、そこそこな』

 

「……また来たいですねぇ」

 

『……まぁな』

 

 

いつも考えてしまう。

この幸せな時間は刻一刻と減っていっているのではないかと。

なにも起きない、起こせない。

この限られた時間が、何もしないまま過ぎて行ってしまう。

 

 

「私、何でもやります。先輩のためなら」

 

 

独り言のように湯船を漂う私の言葉。

掬われずに彷徨う言葉を誰も拾ってはくれない。

 

 

「……ずっと一緒に…」

 

『……じゃぁ』

 

 

 

木々が揺れ、雪が落ちた。

パウダースノーがキラキラと舞ながら、先輩は言葉を紡ぐ。

 

 

 

『じゃぁ、洗濯係を決めようぜ』

 

「せ、洗濯係?」

 

 

『”ずっと”俺に洗濯させる気かよ』

 

 

彼が言う”ずっと”にどんな意味が込められているのかなんて分からない。

自然に言ったたわいの無い会話だったのかもしれない。

ただ、彼の言葉は確かに聞こえた。

心に溜まった雪を溶かすように温めた。

湯船に落ちるパウダースノーのように、音もなく溶ける。

 

 

「えへへ。じゃぁ私は月曜日の洗濯を担当しましょう!」

 

 

「……それ以外の日は俺なの?」

 

 

24/42days

 

 







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意味のある言葉と

 

 

お客様は神様である。

何て古めかしい言葉であろうか。

お客様の言い分は”この店に来てやった”だろう。

 

……誰が来てくれと言った?

 

そんなお客様はお断りです。

 

 

「……」

 

「ちょっとヒキオ!さっき頼んだミルクティーまだなの!?」

 

「あ?まだ10秒も経ってないだろ」

 

「時間がないんですけどー」

 

 

長い金髪と濃い目の化粧、高いブランドのスーツ。

見るからにまともな社会人じゃない。

 

 

「おーい、ヒキオー。なんか食べれるもんも作ってー」

 

「ちっ、三浦。時間がないんじゃねぇのかよ」

 

 

今の私は穏やかじゃない。

分かりやすく言うなら、縄張りに入られたライオンのように、もっと分かりやすく言えば、ちょっとキャラが被っている。

わがまま系キャラは私だけで充分なのに。

 

私はカウンター内に行き、先輩の耳元で小さな声で話し掛ける。

 

 

「先輩。三浦先輩にはお帰り願いましょう。即刻に」

 

「……、どうした?」

 

「あんた。聞こえてるし」

 

「げ」

 

 

私は先輩の背中に隠れて三浦先輩から逃れる。

先輩は温めたミルクティーを三浦先輩に手渡した。

脚を組んだ三浦先輩はお礼も言わずにそれを受け取る。

 

 

「ほら一色、これおまえの分な。こっちは三浦に渡してこい」

 

 

丁度昼時の今。

先輩が作ったサンドウィッチが二つのお皿に盛られている。

大きなトマトとレタスが挟まれた方がおそらく私のだ。

 

 

「どーぞ、三浦先輩」

 

「ん。……それよりさ、あんたは何で居るの?」

 

「三浦先輩には関係ありませんし」

 

「ヒキオ、このバイトクビにしな!」

 

 

先輩はその言葉に苦笑いで返すだけでそれ以上は取り合わない。

そもそも三浦先輩は、何を当たり前のようにこのお店に現れたのだろう。

高校生の頃、先輩と三浦先輩は互いに鑑賞し合わない程度の関係だったはずなのに。

 

 

「先輩!何でこの人が居るんですか!?」

 

「お客様だし!」

 

「あー、お客様だ」

 

「わけがわかりません!」

 

「……どうしたんだよ。あ、ちょっと豆が切れたから裏行って来るわ」

 

 

そう言うと、先輩は前掛けをキッチンに残し裏に行ってしまった。

どうも三浦先輩とは昔から気が合わない。

と言うか、同族嫌悪だ。

 

 

「はぁ、それ食べたら早く帰ってくださいね」

 

「あんた何様なのよ。大体、私はヒキオに用事があんだし」

 

「おっと、先輩に用事があるならまずは私を通してもらいましょうか」

 

「……、ふーん。そう……」

 

 

三浦先輩は意味深な笑みを浮かべながら私を見つめた。

長いまつ毛の下にある大きな瞳に私が写っていることが分かる。

相変わらず真っ直ぐに人を見つめる人だ。

 

 

「な、何ですか?」

 

「んー?まぁいいんじゃない?」

 

「むむ?」

 

「あー、そう。ヒキオをねぇ……」

 

「ぐぬぬ」

 

「またあんたは茨の道を選ぶのね」

 

 

傾けたカップをカウンターに置き、改めて私を見つめる。

綺麗に整えた爪でカップの淵をなぞりながら、三浦先輩は小さく口を開けた。

 

 

「茨の道……、ですか」

 

「相手がヒキオなだけでも大変なのに、強敵が2人も居るし」

 

「ぅう。べ、別に…」

 

「ふん。ヒキオも何を考えてんだか」

 

 

何を考えてるのか。

それは誰にも分からないだろう。

それが分かったら誰もこんなに苦労しない。

先輩は人を困らす天才なんだから。

 

 

「ヒキオの奴……。あんた、もっとあいつを困らせてやんな。考えさせて、迷わせて、正解のない答えに辿り着くまでしっかりと尻を叩いてやればいいんだし」

 

「み、三浦先輩……」

 

「な、泣くなし!」

 

 

「三浦先輩がまともな事を言うなんて」

 

 

 

「あんた!!」

 

 

25/42days

 

 



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拾う者と守る者

 

客足が途絶えた昼過ぎに、私は休憩時間を利用してスーパーへ買い物をしに行った。

買い物リストは牛乳と食パン。

近場のコンビニで済まそうと考えたが、最近の経営状況を思うに少しでも損出は少なくしたい。

そのため、私は遥々一本139円の低脂肪牛乳ゲットするためにスタコラ脚を働かせたわけで。

 

 

問題はその帰り道に起きた。

 

 

問題の提起に為す術なく私は解を求めて頭を巡らせた。

どうすれば最善の策に辿り着くのか。

この場で出せる判断は間違っていないか。

幾重にも連なる思考の連鎖に、私はその問題を喫茶店へと持ち帰ることに決めた。

 

 

先輩、ごめんなさい。

 

 

あなたに嘘をつく私を許してください。

 

 

 

……

.

 

 

 

手に掛けた扉が抵抗なく開かれると、客足を教える銀色の呼び鈴がなった。

その音に反応したのは先輩だけ。

正確に言うなら、喫茶店に居たのは先輩だけだから。

 

 

「一色、遅かったな。物は買えたか?」

 

「……え、えぇ。買えましたけど?」

 

「あ?何で入口で固まってるんだよ」

 

「私がどこで固まろうと私の勝手ですよね。はい、買って来た物はここに置いておくんで」

 

「いやいや、せめて店内まで持ってこいよ。そこに置いたらお客さんが通れないだろ」

 

 

私はとある”物”を背中に隠しながら、牛乳と食パンが入った袋をカウンターへ無造作に置いた。

怪訝そうに睨む先輩の眼光から目を逸らさぬよう、私はゆっくりゆっくりと後ろ歩きで扉へ向かう。

 

 

「……?ん、……、この臭い」

 

「な、何です!?」

 

「いや、なんか”あいつ”と同じ臭いが……、って、一色、おまえ背中に何か隠してないか?」

 

「背中!?背中ですか!?ブラのホックぐらいしかありませんけど!?」

 

「あ、いや、まぁ……。んー、やっぱり臭う、……!おまえ、もしかして……」

 

「ぐぬぬ!!それ以上その口を開くようなら容赦はしませんよ!!」

 

 

「おまえ、背中に猫を隠してるのか?」

 

 

バレてしまった。

同時に、賽は投げられた。

これはこの子を守るための戦争だ。

私の背中で震える子猫を守るための戦争なんだ!!

 

 

「言っておきますけど、私はこの子を見捨てる気はありませんよ」

 

「捨て猫なんて拾ってくんなよ。捨ててこい」

 

「ほぅ、この子の目を見てもそれが言えますか?」

 

「ウチのバカ猫と同じ目だな。捨ててこい」

 

 

私の腕の中でミーミーと泣く声は、きっと私に助けを求めているのだ。

この冷徹な悪魔から僕を救ってと……。

 

 

「この寒空の下で放置されたら死んじゃいますよ!」

 

「見なかったことにすりゃいいだろ」

 

「事なかれ主義に徹する気はありません!」

 

「だめだ。この店は食品を扱ってんだぞ?」

 

「猫カフェにしましょう!」

 

 

前に生花を飾ろうと提案したとき同様に、先輩は衛生的なことを気にしているのだろうが私だってそのくらい理解している。

でも、捨てられたこの子と目があった時、どうしてもそのままにしておくことはできなかった。

この子が必要のない存在だと思われたくなかった。

生物学的な相違点はあれど、この子と私は同じ穴の狢だから。

独りで歩く暗闇の暗さを知っている私だからこそ、この子を拾って育てる義務がある。

 

 

「……誰かが守ってくれないと死んじゃいます」

 

 

子猫の肉球が私の掌を弱々しくパンチした。

どうやら強く抱きしめ過ぎたようだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

「……はぁ。おまえがしっかり面倒を見ること。それで飼うことを許してやる」

 

「……ぇ、ほ、本当ですか!?」

 

「厨房には入れないようにしろ。あとは……、保健所で許可もいるな。その他もろもろ、おまえが責任もって守ってやれ」

 

 

拾う神は心が寛大のようだ。

先輩は小さく溜息を着き、子猫の首根っこを掴むと自分の顔の目の前に運ぶ。

 

 

「本当にウチのバカ猫そっくりだな」

 

「う、うぅ、…。先輩、ありがとうございます。子猫を救う優しさ程度は持ち合わせていたんですね」

 

「……おまえなぁ」

 

 

「命の輝きを灯させた先輩に敬意を表して、この子の名前は”八幡”にします!!八幡!ほら、おいで!!」

 

 

「……」

 

 

26/42days

 

 



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過去の邂逅

 

 

『僕がいつまでも隣に居るとは限らないんだよ』

 

 

夢の中で反芻する言葉に嫌な気配が漂う。

多くは望まないと決めたが、唯一の救いである支えすら、私から離れていってしまうのか。

その言葉はしっかりと耳に残る。

夢だとわかっているのに……。

 

 

朝の目覚めは最悪で、どうしても布団から出ることが出来ない。

 

寝返りを打とうとすると枕の隣に置かれた文庫に腕が当たり、それがベットの下に落ちてしまった。

拾う気力も湧かず、落ちた物を目で確認すると十文字先生の小説だと分かる。

昨夜、内容的に佳境を迎える所まで読んだ記憶がある。

そうだ、夢に出てきたあの言葉は小説の登場人物が言った言葉だ。

 

私は気だるい身体を無理矢理起こして背を伸ばす。

窓の外は小雪が降っている。

 

午後から本格的に降り出す予報のようだ。

 

……

.

 

 

「ん、おはよ」

 

「おはよーございまーす。あれ?先輩、私服?」

 

「あぁ、ちょっと出掛ける」

 

「え?お、お店はどうするんです?」

 

「任した。まぁ、適当に」

 

 

コートを羽織りマフラーを巻いた先輩は、窓の外を眺めるなり傘を持ち出し扉を開ける。

普段から口数が多い方じゃない先輩だが、今日のそれはいつも以上に少なく、どこか突き離すような冷たさを伴っていた。

 

 

「い、いってらっしゃい!!」

 

 

グレーを基調とした成り立ちで、黒に白のワンポイントが入った傘を差した先輩の背中を見つめ続ける。

その光景はどこか見覚えがあり、そんなに遠くない過去に引っかかった。

 

 

「………」

 

 

思い出、と言うには気持ちの良い記憶じゃない気がする。

具体的に、どこで、いつ、なんで、その後ろ姿を見たのか、何も思い出せない。

本当はただの勘違いかもしれない。

 

ただ私は、黒に白のワンポイントが入った傘を差す先輩の後ろ姿を舞散る雪の結晶に隠されるまで見つめ続けていた。

 

猫のテバサキ(先輩命名)が私の足首に顔をなすり付けながら小さな声で鳴く。

寒いから扉を閉めろと言うことであろう。

 

 

「テバサキごめんねー、寒かったねー」

 

 

私はテバサキを抱き上げ、再度先輩の後ろ姿を確かめる。

もう雪の中に姿は見えない。

 

白く染まる道に残った一つの足跡は数分もすれば消えるだろう。

胸に残る引っかかりがゆっくりとだが確実に消えていくように……。

 

 

27/42days

 

 

ーーーー

 

 

-35day

 

 

ーーーー

 

 

 

私は影の中で生きている。

 

飲み会では愛想良くビールを注ぎ、上司の隣でつまらない話に手を叩いて笑う。

学生の頃のような楽しい飲み会はここに存在しない。

明るみではバレてしまうのではないかと思ってしまうほど、私の笑顔は凍りついていた。

 

 

飲み会は仕事。

 

飲み会は接待。

 

飲み会は苦痛。

 

 

だから、私は比較的年齢が近い庄司さんの誘いに乗ってしまったのだ。

 

 

一次会終了後、

”おつかれ、大変だったね”

の言葉に、私は初々しくも騙されてしまった。

疑いもせず、愛想から逃げるように、私は庄司さんの誘いに乗ってしまった。

 

愚痴を聞いてくれる人が欲しかった。

愛想の仮面を外せる人に会いたかった。

高校の頃に出来上がった”優しい先輩”と言う残像が、庄司さんに無理矢理重ねたように。

 

 

だから、庄司さんに腕を強く掴まれラブホテルに連れ込まれたとき、私は先輩の思い出を汚されたように悔しくなった。

 

 

ホテルの入り口で、助けを求める私の目に写ったのは…………。

 

 

 

 

黒に白のワンポイントが入った傘を差した、男性の姿だった。

 

 

 

-30days end

 

 



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暗黙と決壊

 

小さな一歩を踏み出す。

GPSで探しても見つからない目的地に向かって。

互いの間で暗黙の内に出来上がっていたルール。

そのルールから目を背け、私は前に向かって歩き続けていたと勘違いしていた。

 

 

”過去に触れない”

 

 

私達の生活を支えていた欺瞞の関係。

それは積み重なって疑いとなり、嫌悪となり、いつかは関係を破壊に導く。

 

 

そうならないために、私は一歩を踏み出したんだ。

 

 

……

.

.

 

 

私は内側から叩かれるような頭の痛みに目を覚ます。

昨夜、私は先輩の帰宅と同時に悪飲みを開始した。

飲み会を始めて1時間、体内に蓄積されたアルコール分は雄に許容範囲を超えていただろう。

 

 

『高校を卒業してから、あの2人とは会ってますか?』

 

 

酔いに任せて放った言葉に、先輩の顔が機微に暗くなった。

おそらく、長く一緒に居る私でなければ分からない程の機微。

だからこそ、その後に先輩が言った言葉に耳を疑った。

 

 

『……会えるといいな』

 

 

その言葉を最後に、私の意識は遠くへ消えた。

 

 

気絶するほど飲んだのは始めてかもしれない。

この頭の痛みに堪えるくらいならアルコールは当分我慢した方が良い。

ベットから立ち上がることも億劫な身体に、昨夜の言葉が重くのしかかる。

 

 

”会えるといいな”

 

 

扉を叩く小粋なノック音と開閉時に鳴る錆びつく金具音。

いつもと変わらぬ先輩の姿がそこに現れる。

 

 

「ようバカ。二日酔いは大丈夫かよ?」

 

「む、バカとは失礼ですね」

 

 

先輩は飲み物が入ったマグカップをベットの近くにある机に置いた。

湯気がゆらゆらと暖かそうに踊っている。

 

 

「とっとと飲んで寝ろ」

 

「頭痛くて寝れませんよ。これ、いただきます」

 

「はぁ……。おまえ飲み過ぎだぞ。少しは加減を覚えろ」

 

「子供じゃないんですから。……、ん。これおいし。ハチミツレモンですか?」

 

「温めたヨーグルトにハチミツとカボスを混ぜた特製ジュースだ」

 

 

何かと手が込んだ人だと思う。

どういう経緯でそんなおいしそうな飲み物を思いつくのだろう。

ふと、私は思ったことを聞いてみる。

 

 

「……これ、他に飲んだことのある人っています?」

 

 

今は体調が悪い。

気持ちの歯止めも緩くなっているようだ。

 

 

「……。そうだな、小町には作ったことあるかもな」

 

「へぇ、……。他には?」

 

「あ?……そんなの覚えてねぇよ」

 

「雪ノ下先輩は?結衣先輩は?」

 

「……何だよ。今日はやけに突っかかるじゃねぇか。まだ酒が抜けてないのか?」

 

 

私はベットから起き上がり先輩の胸元に顔を寄せた。

驚くように弾んだ身体に腕を回す。

胸元から顔を上げると、私の視線は少し狼狽した先輩の視線とぶつかった。

 

 

「私だけ助けられてばっかり……。少しだけでも、先輩の役に立たせてください」

 

 

背けられていた目が真っ直ぐに私を見つめる。

近くにいるからこそ感じられる先輩の体温と鼓動は徐々に上がっていった。

 

 

 

「………。何も教えてもらえなくてもいいんです。先輩が隣に居てくれれば……」

 

 

 

28/42days

 

 

 



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綺麗な歪みに

 

 

いつもと景色が違う窓。

どこか居心地の悪いレイアウト。

明る過ぎる照明。

 

 

小さく深呼吸をしながら、私はオーダーした紅茶を飲む。

ストレートティーが喉を通ると少し残念な気持ちになった。

 

いつも淹れてくれる紅茶と違っておいしくない。

 

根本的に淹れ方が違うんだ。

 

優しさが入ってないなんて洒落たことは言わないけど、きっと先輩みたいな丁寧さが足りない。

 

お客さんを捌くために淹れる紅茶は美味しくない。

 

お客さんを迎え入れるために淹れた紅茶が欲しい。

 

 

私は落ち着かない気持ちを落ち着かせるように両手を硬く結んだ。

指定した喫茶店に現れるであろう待ち人のことを考えると胸が不安に飲み込まれる。

何を話せばいいかは分からないけど、何を聞かなくちゃいけないかは分かっているつもりだ。

 

 

紅茶に口を付けたとき、待ち合わせの時間から5分を過ぎた頃に彼女は現れた。

 

 

電車の中で考えごとをしていたら降りる駅を間違えてしまったらしい。

慌てて来たのか足下が少し濡れていた。

そんな事もお構いなしに、彼女は裏表のない笑顔で近づいてくる。

変わらないセミロングの髪がふわふわと揺れ、久しぶりに会ったというのにまるでそれを感じさせない。

 

彼女も先輩に救われた1人。

そして、肩身の狭かった私と違って先輩と対等な存在だった女性。

羨ましいと思う反面、勝てないとも思わせる程に彼女は、綺麗で、素敵で、どんなときでも先輩の味方であった。

あの空間の一員で、誰かが代わることも出来ない唯一無にの存在。

まるで隣に居るのが当たり前のように、思い出の空間を彩る彼女の雰囲気。

 

 

 

そんな彼女が、どうして”あの喫茶店”に顔を出さないんだろうか。

 

 

だから、私はこうして彼女を正面に見据えるための会合を開いたのだ。

 

 

 

「……卒業してから、何があったんですか?」

 

 

 

その一言で、彼女は誰が見てもわかるくらいに暗くなる。

あんなに眩しかった笑顔も、今は下を向いてしまって見ることが出来ない。

 

何秒経ったのだろう。

 

彼女は何も言わずに、いや、言えずに下を向き続けた。

 

 

 

「顔を上げてください。過去に何があったのか私には何もわかりません。だけど……」

 

 

 

下を向いていた彼女の顔が上がる。

目には涙が浮かんでいた。

綺麗な瞳に私が映るように、私の瞳にも彼女が映る。

 

 

 

「今の先輩達が良くない状況だってことはわかります。だから、私も手伝いますのでその歪みを解消しましょう」

 

 

 

私はライバルの1人に手を差し伸べた。

 

 

今なら真っ向から勝負を挑める。

 

 

 

「先輩に会ってください……。

結衣先輩」

 

 

29/42days

 

 

 



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ひとかたの想い

 

 

 

私の働きは返って面倒を掛けることになるだろう。

お節介だと言われてしまうかもしれない、……お節介な先輩に。

ただ、喫茶店の入り口が開いて彼女の影が見えたとき、私の中に小さな後悔が生まれた。

ぬるま湯に浸っていたいと想いが顔をだす。

 

このまま、ずっと……。

 

 

「や、やっはろー」

 

「……、由比ヶ浜」

 

 

カウンターに立ち、カップの水滴を拭いていた先輩の手が止まった。

約束通りにここへ来てくれた結衣先輩は戸惑いながら店内へ入ってくる。

彼女は不安気な足取りだが確実に店内へと踏み入れる。

 

覚悟は揺らぎ、視線は定まらない。

だから私は判断を先輩に委ねた。

 

 

「先輩、お客様です。しっかり接客してください」

 

「一色……、おまえが…」

 

「結衣先輩、こちらの席に」

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 

カウンター席に座った結衣先輩は落ち着かないように辺りを見渡す。

 

 

「素敵な喫茶店だね。本当に」

 

「……おかげさんで」

 

「べ、別に私は何も!……ご、ごめんね。急に大きな声出して」

 

「別に。……まぁ、何か飲むか?」

 

「じゃぁ、……。おいしい紅茶が飲みたいなぁ」

 

 

先輩は無愛想にうなづくと、いつものように手を動かした。

棚の奥からお店で統一されたカップを取り出し、それに注ぐ。

 

 

「あ、そのティーカップ…。使ってくれてるんだね」

 

「……。いちいち買い替えねぇよ」

 

「えへへ。そうだね。……怒ってる?」

 

「そう見えるか?」

 

「……うん。私だけ、約束を破っちゃった。んーん、本当はもっと前にヒッキーが破ってるんだけど。それはきっと私達のためだったから……」

 

 

私にはわからない会話。

約束、破る、前に。

すべてのキーワードが2人だけの世界に埋め込まれいくように、断片的な記憶の形が整っていく。

自ずと手に力が込められていた。

結衣先輩の顔は幸せそうに赤らんでいて、それが無性に私の心を掻き乱す。

 

 

「……。この喫茶店だって、ゆきのんのお母さんのことだって、全部ヒッキーが居てくれたから解決したんだよ?」

 

「何度も言うが、俺は俺のためにしか働かん。それはおまえが勝手に思い込んでいる妄想だ」

 

「妄想でもいい。だけど、ゆきのんだって私と同じことを考えてると思うな」

 

「思想の自由だな」

 

「表現の自由だよ。私達は今幸せだもん。それに、近い将来もっと幸せな未来が表れるんだ」

 

「……ほぅ。賢くなったな」

 

「もう!またバカにしてー!!」

 

 

太陽のように輝いた2人を眺めながら、寒い寒い喫茶店の片隅で、私は数年前を思い返す。

懐かしい空間が目の前に広がる感覚と、それを遠巻きに見ている自分の姿。

3人は特別で、誰も割って入れない。

きっと、葉山先輩や戸塚先輩、陽乃さんや平塚先生も彼らに惹かれていた。

見守るように、焦がれるように、私達は3人に憧れていた。

 

 

「あ、そうだ!いろはちゃん、ありがとうね。いろはちゃんが”会え”って言ってくれなかったら多分、ここに来ることはなかった。ずっと待ってるだけだった」

 

「あ、いえ。私は別に……」.

 

「それよりも驚いたよ!いろはちゃんからメールくるのも久しぶりだったし、今日だって居るとは思わなかったし!ここの近くに住んでるの?」

 

「え、えぇーっと……。はい、そんな感じです。もうそろそろ、……帰ろうかなぁ、って」

 

 

陰りが消えた結衣先輩の笑顔に私は戸惑った。

こうやって収縮され始めている2人の関係に水はさせない。

私が割って入っちゃいけないんだから。

 

 

「一色はここに住んでるんだぞ?」

 

「へぇー!ここに……。……!?」

 

「せ、先輩!?」

 

 

店内の空気が途端に固まった。

結衣先輩の笑顔も同様に。

 

 

「す、住んでる?……ヒッキーと一緒に!?」

 

「い、いや!違いますよ結衣先輩!あ、あははー、やだなー、先輩の虚言癖も治りませんねー」

 

「……おまえ、一ヶ月も住み着いてる家の主に言うセリフか」

 

「一ヶ月も!?」

 

 

慌てる私と結衣先輩に対し、至って落ち着いている先輩は自分と私の分のコーヒーを用意し持ってきた。

私をカウンター席に座るよう促し、自分は立ったままコーヒーを啜る。

 

 

「変な気ぃ使うなよ。由比ヶ浜を連れてきたことも、少し驚いたが感謝してる」

 

「……ち、違います」

 

「違わんだろ。言っておくが、おまえを世話してやった分は働いてもらうからな」

 

「だ、だめなんですよ。私がここに居て良いわけ…」

 

「もう、おまえはこの喫茶店の店員だ。勝手に出て行くことは許さん」

 

 

そう言いながら、先輩は空いた右手で私の頭を撫でてくれた。

柔らかく、優しく、そっと、暖かい体温を持った先輩の手は私の心をゆっくりと諭す。

 

 

「も、もー!ヒッキー!いろはちゃんにベタベタ触り過ぎ!!」

 

「せ、先輩!セクハラです!」

 

 

私はまだ撫でていてもらいたい気持ちを抑え、先輩の手を振り解く。

何事もなかったかのようにその場から離れた先輩を見て、結衣先輩は可愛らしく頬を膨らませた。

 

 

「本当に、ヒッキーは昔からいろはちゃんには甘いよね!」

 

「そ、そんなことないと思いますけど」

 

「高校の頃だっていろはちゃんのことばっかり構ってたじゃん!」

 

「それは、あの、私が色々と先輩を頼ってたからであって……」

 

「いろはちゃん!」

 

「は、はい!!」

 

 

真っ直ぐに見つめられ、怒ったように頬を膨らませた結衣先輩は私の肩を力強く掴む。

 

 

「……、ヒッキーを…。よろしくね!!」

 

「は、はい?」

 

 

唐突で突然な申し出に、私はどう答えていいのかわからなかった。

結衣先輩の力強い手がゆっくりと離れると、柔和に微笑む顔が私を見つめる。

想いを口にだすことを躊躇わない結衣先輩の素直さは、昔から変わらない。

彼女の率直さに、先輩は何度も助けられていたことだろう。

 

だからこそ、私も自分に嘘を着いてはいけないと言われているようで、心の奥底に眠らせていた本心を叩き起こされてしまったのかもしれない。

 

 

「ヒッキーを支えてあげて。ね?」

 

 

「……。はい。任してください!!ずっと先輩を支えてみせます!!」

 

 

 

30/42days

 

 

 




あれ、fate終わっちゃったの?
めっちゃ中途半端じゃん笑
セイバーは敵になるし、知らない奴はいっぱい出てくるし笑


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予感に抗う粗相

 

 

 

 

「いろいろありましたけど、昨日はお疲れ様です」

 

「うん。全部おまえが発端だがな」

 

「いやぁ、無理しましたよ」

 

「反省してくれますかねぇ」

 

 

隣に居る先輩の小言を聞きながら私は流れる風景を眺める。

前方を走る自動車を追い掛けるように、また、隣を走る自動車と並走するように、私達が乗った自動車は走り続けた。

片手でハンドルを握る先輩の運転は、心地の良いマッサージのように揺れる。

時折ナビを確認しながら、かれこれもう1時間は走ってるわけだが……。

 

 

「ねぇ、そろそろ教えてくださいよ。どこに向かってるんですか?」

 

「あー、……。もうちょい」

 

 

と、先輩ははぐらし続けるだけ。

もう、どれくらい走ったのだろうか。

混み始めた高速道路は窮屈になったように、2つの車線しかない道路は車で埋め尽くされた。

 

 

「渋滞ですか?」

 

「あ?首都高なんていつもこんなんだろ」

 

「へぇ。免許持ってないしわかんないですけど。そういえば、この車って先輩のですか?」

 

「いや、レンタカーだよ。あんまり乗る機会なんてねぇし、こっちの方がお得だろ」

 

 

高いビル群に囲まれた道はだんだんと細くなり、合流しようとする自動車でごった返す。

嫌なドライブだ。

 

高速道路を下り、道が行き交う交差点を抜けて大ききなビルの下にある駐車場に自動車を停めた。

目的地には着いたのだろうが、来た目的は分からないままだ。

 

 

「おい、置いてくぞ」

 

「ちょ、待ってくださいよ」

 

 

先輩は広いエントランスで受付を済まし、ポケットから出したカードを扉にかざす。

私は後ろを着いていくだけだ。

 

何十階あるのか分からないビルのエレベーターに乗り35階のボタンを押す。

先ほどまで走っていた高速道路がもうあんなに遠いい。

 

 

「あ、あの。ここは……」

 

「着けばわかるよ」

 

 

35階の数字が光る。

空に登ることを辞めたエレベーターは無言で私達を追い出した。

エレベーターから続く廊下には幾つかの部屋があるが、先輩は他のどの部屋にも目を向けず廊下を歩き続け、この階層の一番奥にある部屋に辿り着く。

 

 

「ん、着いた。深呼吸くらいしておけよ」

 

「は?どうゆうことです?」

 

「顔、緊張してる」

 

 

何気無く笑いながら、先輩は部屋の扉をノックもせずに開けた。

 

 

「遅ーい。いつまで待たせる気?」

 

「時間には間に合ってますよ、雪ノ下さん」

 

「ぅえ!?どうゆうことです!?」

 

 

広い部屋にはデスクが一つあるだけ。

それ以外には接客用のソファーとテーブル、書類や資料が詰まっていそうな棚に、簡易なキッチンがあった。

 

そして、部屋の真ん中で仁王立ちしていたのは悪魔……、別名 雪ノ下陽乃さんだ。

 

 

「おろ?一色ちゃんも来たの?あれー?内緒にしてたんじゃなかったっけー?」

 

「別に、隠してるつもりもないですし」

 

 

どうしてここに連れて来られたのか、陽乃さんは先輩に何の用事があるのか。

そして、ここはどこなのか、私に一切情報が与えられないままに話は続いていった。

 

 

「さてと……。比企谷くんに来てもらったのはお母さんのことで相談があってね」

 

「……、あの人が俺に?」

 

「そ。まぁ、ウチのお母さんもミーハーって言うか。是非、比企谷くんに会いたいんだってさ」

 

「……。次から次へと面倒な……」

 

「あ、一色ちゃん。立たせたまんまでごめんね。そこに座ってて。今比企谷くんがお茶淹れるから」

 

「あ、はい。先輩、私ストレートで」

 

「……おぅ」

 

 

先輩が淹れてくれた3人分の紅茶をテーブルに並べ、陽乃さんと対面するように私と先輩はソファーに座った。

 

 

「ふふ、なんか2人が並ぶと兄妹みたいだね」

 

「俺の妹は小町だけです。……で、ご婦人のことですが」

 

「そうそう、お母さんが先生に合わせろってしつこくってさー」

 

「なんか悪い事しましたかねぇ?」

 

「んー、本当は分かってるくせにー」

 

「ふん。で?いつ会えば?」

 

「お、話が早くて助かるよ!えっと、今週中でスケジュールを合わしてって言われてるから、比企谷くんの好きな日でいいよ」

 

 

先輩は少し考えるように携帯カレンダーで日付を確認している。

何かを考えるように指を折りながら日付を数えていると思いきや、先輩は唐突に私の方に向かってカレンダーを差し出した。

 

 

「一色、いつがいい?」

 

「え!?私ですか!?」

 

「ちょ!?一色ちゃんも連れて行く気!?」

 

 

珍しく慌てた陽乃さんを尻目に、先輩は淡々と言葉を繋げた。

 

 

「俺にあの人と2人で話せと?なんなら俺の知人、全4人に声を掛けるまでありますよ」

 

「少なっ!!…って、そんなことじゃなくて!!比企谷くん、君、自分の置かれた状況分かってる?母さんが君を呼び出したってことは……」

 

「あまり良いお話じゃないでしょうね」

 

「それに、雪乃ちゃんを裏切るってことは、つまりはお母さんの意向にも背ぐってことなんだから……、そしたら、君……」

 

「裏切る……、雪ノ下はどう考えてるでしょうね」

 

「……どうゆうこと?」

 

 

陽乃さんは敵意を剥き出しに先輩を睨んだ。

空気が一転し、室内にはエアコンの音のみが聞こえる。

 

 

「……。2日後の夜にしましょう。面倒なことは早くに済ましたい」

 

 

そう言うと、先輩はソファーを立ち扉に向かった。

半分しか減っていないティーカップだけが取り残される。

私も慌てて立ち上がり、先輩の後を追い掛けた。

 

 

「君、そろそろ自分を守る方法を身に付けた方がいいよ」

 

 

「俺はいつも殻に篭ってますけどね。それじゃ」

 

「し、失礼しました」

 

 

閉ざされた扉越しに、陽乃さんはどんな顔をしているんだろう。

思い描いた予想を外れた先輩に憤慨しているのか、それとも、危険な道に逸れた先輩を心配しているのか。

どこ吹く風でエレベーターに向かう先輩は、ポケットから車のキーを出して指で回す。

 

 

 

きっと、先輩はまた、自分を犠牲にしようとしてるんだ。

 

 

31/42days

 

 



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特別への献上

 

 

読み掛けの本がベットの隅に追いやられていた。

一冊の小説は物語を始まらせ、終わらせるように、私の生きてきた時間、今日と言う一日、これからの未来は、きっと始まることと同時に終わりに向かっている。

 

そう考えてしまうと、大切な物語を終わらせたくないと言う気持ちが強くなり、佳境に入った小説を手に取る気分ではなくなってしまった。

 

私は混み時を過ぎた喫茶店でちびちびとアイスティーを飲みながら先輩を眺めてみる。

 

彼の手にはコーヒーカップ。

 

どうせお砂糖を沢山入れた先輩仕様なのだろう。

何を考えているのか分からなそうで分かりやすい先輩の顔は、今日もこれといった目的もなく一点を見つめている。

 

目線の先には棚に飾られた睡蓮花模様のティーセット。

使わられないティーセットは店の雰囲気を醸し出すための演出なのか、それとも使えないほどに大切なのか。

 

しばらくして、先輩の足元に擦り寄って居た八幡(猫)がミーミーと泣き出す。

それを合図に先輩は八幡(猫)を抱き、私に目線を送った。

 

 

「飯が欲しいだとよ」

 

「お、流石は八幡バイリンガル。八幡のことは先輩が1番分かってますねぇ。ほら、八幡。ご飯の時間だよー」

 

「……名前変えろ」

 

「ねぇ八幡ー。今日もお客さんが来なくて暇だねー。散歩でも行こうか」

 

 

私は先輩から八幡(猫)を受け取り、餌をあげる。

美味しそうに食べると思いきや、半分程残してどこかへ行ってしまった。

 

 

「はぁ、本当に散歩でも行ってこようかなぁ」

 

「散歩はまた今度にしろ。それよりもおまえ、今どんな服持ってる?」

 

「唐突ですね。この制服と適当に買ったインナーとアウターとスラックスくらいですけど」

 

「……だよな。なら買いに行くぞ。さっさと準備しろ」

 

「え!?買ってくれるんですか!?やったー!!」

 

「勘違いすんな。明日着ていく服だよ」

 

「明日?……、雪ノ下先輩のお母さんとご飯食べる約束の?」

 

「あぁ。俺はサイゼが良いって言ったんだがな。あの人のお口には合わないらしい」

 

「そりゃ、雪ノ下先輩みたいなお金持ちの口には合わないかもしれないですねぇ」

 

 

私はせっせと準備をし、お店の外にクローズの看板を置いた。

お店が位置する路地裏から国道に出てタクシーを停める。

先輩に続いて乗り込むと、タクシーは先輩が指定した行き先へと走り出した。

20分程走り、目的地に着いた私達は送ってくれたタクシーを見送りながら大きなショッピングモールに入っていく。

決められた道を行くように、並んだお店に目もくれずに先輩は歩いていった。

 

到着したのはフォーマルスーツが並ぶフォーマルファッション店。

 

 

「……?」

 

「ビジネスフォーマル系があの人の好みだとさ。ほれ、自分に似合ってるの探してこい」

 

「えぇっと……、こうゆうの良く分からないって言うか、話が急過ぎるっていうか」

 

「ドレスコードがあんだよ。あの人の行きつけは」

 

「え!?すごい高級そう!!」

 

「だから俺らもそれなりの服装で行かないといけないわけ」

 

「なるほどねー」

 

 

淡白な説明を受け、私は再度店内に飾られたスーツを眺める。

スーツとは言えビジネスフォーマルともなると選択の幅がすごく広い。

正直、良し悪しも分からない。

 

 

「いらっしゃいませ。お客様、何かお探しですか?」

 

「えっとぉ、偉い人とご飯食べるときの服装ってどんな感じですか?」

 

「そうですねぇ、偉い人にも種類がありますから。どのような御用途で?」

 

「えっと……、勝負?」

 

「バカ。……知人に常識的だと思わせるくらいの服装でいいんだよ。あまり固すぎない程度で」

 

「あら、彼氏様ですか?…あ、もしかしてご結婚のご挨拶に着ていく服装でよろしいのでしょうか?」

 

 

店員さんは幸せそうに私と先輩を交互に見つめた。

笑顔に悪気はまったくなく、本当に他人の幸せを喜んでいる表情だった。

 

 

「はい!」

 

「違う。上司との会食だと思ってくれたらいい。適当に選んできてください」

 

「ふふふ。お幸せそうで。では、こちらのフィティングルームまでお願いします」

 

 

店員さんに促され試着室に向かおうとすると、先輩はフラフラとお店の外に出ようとする。

 

 

「ちょっと!どこ行くんですか!?」

 

「あ?おまえの試着を待ってる間に本屋でも行ってこようと」

 

「バカですか?先輩が選んでくれなきゃ誰が選ぶってんですか!!」

 

「……店員さんかおまえが選べよ」

 

「はぁーーー。……、いいですか?常識的に考えてください」

 

「まさか、おまえに常識を諭される日が来るとはな」

 

「こうゆうのは色々試着しながら2人で決めるのがお約束でしょ?」

 

「ほう、そんな約束は知らんな。だったらおまえと店員さんの2人で決めてくれ」

 

「バカかよ!!」

 

「……。」

 

 

「あ、あの、2人とも落ち着いてください。彼女さんの言い分を肯定するわけじゃありませんが、少しくらいご選択のお手伝いをしてみてはどうですか?」

 

 

私と先輩が睨み合ってる間を取り持つように、店員さんは小さな声でその場を宥めてくれた。

店員さんに言われて少し堪忍した先輩は、重そうな足取りで試着室まで着いて来る。

 

これと言って特別な物を買うわけではないが、、私が着る服や付けるアクセサリーは先輩に選んでもらいたい。

それを贈り物と言うにはふてぶてしいかもしれないが、少なくとも先輩が選んでくれた物なら何だって特別になるから。

 

 

「じゃぁ、まずはこれから着るので一緒に選んでくださいね」

 

 

「2番目に着たやつでいいんじゃない?」

 

 

「まだ1着も着てませんけど!?」

 

 

32/42days

 

 

 



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冷えた言葉の真意

 

 

 

 

大枠に羽目られた透き通る窓の外には地平線をなぞるように輝く街光とビル街が描かれる。

落ちたら死ぬ、なんて生易しい言葉では表現が効かないくらいに高い位置から見下ろす景色は、まるでプールの底を覗くように揺らいでいた。

 

待ち人は私達の到着よりも先に着いていたらしい。

ただ、私達が遅刻したわけではない。

先輩は急ぐ様子もなく、ボーイに促されるままに脚を動かした。

 

 

「比企谷さん、お久しぶりね」

 

「……はい」

 

「ふふ、相変わらず無愛想ね。……あら?そちらの方は……」

 

 

雪ノ下先輩や陽乃さんに似てるといえば似てる。

立ち振る舞いなんかは雪ノ下先輩にそっくりだ。

いや、雪ノ下先輩がこの人に似たのか。

 

細い身体にも関わらず、幹のように一本の線を感じさせる姿はまるで大樹のように凛々しい。

2人の娘を持った人とは思えない若々しさと気品を目の前に私の脚は竦んでしまう。

 

 

「妹です。就活の練習に連れてきました」

 

「あ、は、はい!比企谷 小町です!よろしくお願いします!」

 

「へぇ、あなたが……。仲が良いのね。うちの娘達に見習わせたいわ」

 

 

雪ノ下先輩のお母さんと会うにあたり先輩は私に…

 

『今日一日、小町の振りをすることを認める』

 

と言いつけられた。

 

深く理由は聞かなかったが、先輩がそう言うのならそうした方が良いのだろう。

少なくとも、会食の場に知らない女を連れてくるよりは妹で通した方が体裁が効くのかもしれない。

 

優しく微笑みながら談笑を始めた雪ノ下先輩のお母さんを前に、先輩はどこか警戒しているように言葉を選んでいた。

 

 

「比企谷さん。うちの娘達が迷惑を掛けていないかしら?」

 

「掛けられてますね。親子3人、揃いもそろって面倒な人達です」

 

「あら、それは大変。私からも言っておくわね。2人に」

 

「……。それで、何か用があるんじゃないですか?」

 

「唐突ね。どうしてそう思うの?」

 

「逆になんでそう思わないんですか?あなた程忙しい人が、わざわざ時間を作ってまで場を設けたんだ。そう思うのは当然でしょ?」

 

「別に時間なんて幾らでも作れるわ。まぁ、用事と言うよりもお説教の方が正しいけど」

 

 

滞りなく流れる会話に間が空いた。

周りの雑踏もそれに合わせたように静かになる。

雪ノ下先輩のお母さんは、冷たい視線で先輩を見つめながら言葉を続けた。

 

 

「あの物語。私が望んだ結末じゃないわ。物語だからこそハッピーエンドを感じたいのだから」

 

「……。現実主義なんですよ。フィクションだからこそ、それはシビアに書こうと思いまして」

 

「あら、私へのあてつけかと思ったけど」

 

「思い過ごしですね。興味がないなら読まなければいい」

 

「興味はあるわ。じゃなきゃ、あんな約束しないもの」

 

 

淡々と興じられる会話の押収。

トゲのある言葉に、エッジの効いた回答。

そして、私の知らない”約束”。

先輩はその言葉を聞くと、少し考えるように口を閉じた。

 

私は妹としてここに居る。

だからこそ、先輩の背中を後押しするようなことを言っても、先輩の盾になっても間違った振る舞いではない。

ただ、一色いろはとして、そこまで立ち入って良いのかは分からなかった。

 

 

「あなたの興味が失われていなくて良かった。言っておきますけど、約束の反故は許しませんよ」

 

「ふふふ、雪乃にあなたがそこまでして守る価値があるのかしら?」

 

「……。守っているつもりはありませんが」

 

 

先輩は口ごもるように小さな声で呟いた。

何をしているのかは不明だが、先輩はあの人を守るために何かをしようとしている。

きっと、それは最善の策で、先輩1人が犠牲になるだけで解決する事案。

 

 

「たかが高校の部活動、……奉仕部と言ったかしら。そんなもののために、あなたは物語を書き続けるのね」

 

 

冷えた視線、だが、どこか優しさを含んだ声色に、私は雪ノ下先輩のお母さんを睨みつける。

 

 

「奉仕部を……、先輩達をバカにすることは私が許しません」

 

「あら?……ふふ、随分と好かれているのね」

 

「先輩達が作ったあの部活は、あなたには分からないような価値がある。とても素敵な物です」

 

「……私には分からない。…、比企谷さんの周りには面白い人が集まるのね。雪乃や陽乃が執着する理由もわかるわ」

 

「少なくとも、分かろうともしない人がバカにしていいわけがないんです」

 

「……、本当に面白いわね。一色いろはさん」

 

 

もう誤魔化しても意味がないようだ。

この人は私を知っていた。

知っていたのに妹と騙された振りをし、尚も無関心だったのだ。

 

 

 

「比企谷さん、約束は守ります。次回作も期待してるわね。せめて、物語くらいには救いがあるように」

 

 

 

33/42days

 

 

 



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前進と後退

 

 

救いの手を差し伸べてくれるのは決まって先輩だった。

 

華奢なのに力強く

 

冷めているのに暖かく

 

独りなのに慕われている。

 

大半の人間が身を守るために嘘をつく。

でも、先輩は誰かのために嘘をついた。

自分が傷つくことにも構わずに、彼は誰かのために必死になった。

 

私が先輩を頼ると、先輩は決まって

 

『自分でやれ』

 

と言う。

 

突き放すように言われた言葉は、彼の本心であって本質ではない。

 

『自分でやってもだめなら助けてやる』

 

私はそう解釈していた。

 

上辺だけを救ってくれる人達とは違った。

そんな先輩と奉仕部の皆さんに、私は憧れ、いつしか……。

 

 

「この喫茶店。先輩にとっては陽だまりのようなあの部室そのものなんですね」

 

「……、喫茶店は喫茶店。部室は部室だろ」

 

 

雨に雪が混じり、とても不快な雨音が窓を叩きつける。

今夜から明日の未明にかけて降り続けるそうだ。

閑散とした店内で、私は弱い光を放つ間接照明を見つめる。

先輩の顔を見ないようにするためだ。

 

 

「先輩は、この喫茶店であの頃と同じように3人で紅茶を飲む日を待っているんです」

 

「……」

 

「本当のことを……、教えてください」

 

「聞いてどうする?」

 

「……私も一歩、踏み出します。踏み出したいんです。だから聞かせてください」

 

 

先輩はため息を一つし、ティーカップを持ちながらカウンター席に座った。

 

 

………

……

.

 

 

 

ーーー3年前

 

 

34/42days - 968day

 

 

「へぇ、あなたがバイトをするなんて。平塚先生が聞いたらお泣きになるんじゃない?喫茶ガヤくん」

 

「それは罵倒なのか?」

 

「でもさー!素敵な喫茶店だよねー!!」

 

 

私と由比ヶ浜さんは、地図にも乗らないような小さな喫茶店を見つけた。

路地裏に位置しているにも関わらず、窓の外から入る日の光で店内は満ちていて、コーヒー豆の香りが鼻腔を擽る。

どこか、あの部室のような雰囲気に似ていなくもない。

 

ただ、この店を見つけたのは偶然ではない。

 

小町さんから店名と住所を聞いていた。

あの比企谷くんがバイトを始めたと言うから。

 

 

「ふむ。MAXコーヒーさえ置いていれば100点の喫茶店だな」

 

「あなた、まだあの甘いコーヒーを好んで飲んでいるの?」

 

 

比企谷くんの後ろで店長らしい方が暖かく微笑んでいる。

あの比企谷くんを雇うなんて、彼はどこかネジが外れているのだろうか。

 

 

「ふふ。比企谷くん、あとは頼んだよ。僕は妻のお見舞いに行ってくるから」

 

「うっす。……、奥さん、体調どうっすか?」

 

「なに、心配をすることはない。彼女はもともと身体が弱くてね。数日もすれば退院するさ」

 

 

そう言い残し、彼は前掛けだけカウンターに脱ぎおき店を出て行った。

どうやら奥様がご病気らしく、彼はよく店を空けるのだと。

 

 

「店長さん優しそうだねー」

 

「そうね。比企谷くんを雇ってくれるなんて神か仏か……」

 

「……、まぁ、親切な人だよ」

 

 

少し憂いを満ちた目。

彼は店長の出て行った扉を数秒眺めていた。

どこか昔、彼がこんな目をしていた時があったと、私は頼りない糸を引っ張るように記憶を探る。

 

 

「で?おまえらは帰らないの?」

 

「帰らせたいの!?ヒッキー!私、抹茶フラペチーノ!!」

 

「……。ふふ。私はドゥサールエ ショコラティー」

 

「……そんなのねぇよ」

 

 

 

糸が引き千切れるように。

千切れた糸が溶けるように。

私の頭から些細な疑問は綺麗に無くなった。

きっと、久し振りに揃った3人に舞い上がっていたせいだ。

 

 

 

 





fate早くやらないかなぁ。
あと3ヶ月かー。
長いなー。


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隠し通す優しさはタイミングが悪くて

 

 

34/42days - 952day

 

 

幾分か、私たちはあの頃のような空間に微睡み、焦がれ、浸っていた。

ほんの数日前に見つけた喫茶店とは思えない程の居心地の良さに、私は自分を取り巻くしがらみを忘れてしまう。

 

忘れようとしてしまう。

 

まだまだ問題は山積みで、どう転ぶか分からない自分の将来に辟易としながら、私は”今”の幸せを噛みしめた。

 

 

「ゆきのん?どったの、ぼーっとして」

 

「あら、ごめんなさい。そこの腐った目を持つ人間があまりに気持ち悪くてつい…ね」

 

「きみ、人権って知ってる?」

 

 

私はほぼ毎日のように足を運んでいるこのお店で、いつもの席に座って戯れに興じた。

大学の講義終わりに由比ヶ浜さんと集まりこのお店に訪れる。

比企谷くんも講義が終わると毎日のようにここでバイトをしていた。

彼の制服姿も目に慣れてきたようだ。

 

 

「……、おまえ。何かあった?」

 

「……む。おまえって私のことかしら。それとも由比ヶ浜さん?それとも……、独り言?」

 

「ヒッキー、また独り言ー?」

 

「またって何?俺ってそんなに独り言いってる?」

 

 

この男は本当に侮れない。

見透かしてるようで、あえて見透かさないように加減している。

 

 

「それにしても、今日も店長さんはいらっしゃらないの?ここのところ毎日見ていないけど」

 

「ん。まぁ、おまえら以外に客なんてそうそう来ないからな。店長は店長で忙しいんだ」

 

「……奥様の体調、優れないの?」

 

「……みたいだな」

 

「えー!それってやばくない!?」

 

 

やばい、とは体調の事を言っているのだろう。

大学生になっても由比ヶ浜さんの言葉は難解な暗号のように頭を巡る。

 

 

「おい、由比ヶ浜。おまえのスマホ光ってんぞ」

 

「ぅえ!?あ、サークルの先輩からだ」

 

 

着信を受けた由比ヶ浜さんは、席から立って私達から離れた場所で会話を始めた。

慌ただしくスマートフォンに声を投げ掛け、時折困ったように頬を掻く。

数秒後、電話を終えた由比ヶ浜さんは席へと戻ってきた。

 

 

「ごめん!今日サークルの飲み会に行かなくちゃいけなくなっちゃった……」

 

「おう。ならさっさと金を置いて帰れ」

 

「ひどっ!」

 

「そうね、それなら私も……。いや、もう少し……、もう少し居ようかしら」

 

 

私の言葉に比企谷くんは不思議そうに首を傾げた。

それも当然か、このまま由比ヶ浜さんが帰れば私は彼と2人きりになってしまう。

それはとても不自然なのだから。

 

 

「そっかー。じゃぁまた来るね!ばいばーい!」

 

「さようなら。またね」

 

「んー」

 

 

パタン、と。

扉が閉まり由比ヶ浜さんは出て行った。

店内は途端に静まり返り、やはり不思議そうに私をみつめる比企谷くんも黙りこくっている。

 

 

「……、そんな不思議かしら。私がいつ帰ろうと私の勝手だと思うのだけど」

 

「何も言ってねぇだろ。……まぁ、おまえが何か言いたいっつーなら黙って聞いててやるが」

 

「ふふ。それは相談に乗ってくれる、ってことかしら?」

 

「相談には乗らん。聞くだけ」

 

「相変わらずの天邪鬼ね」

 

 

変わらないからこそ、私には嬉しかった。

彼の優しさを感じられた、あの陽だまりの場所に帰ってこられたような。

そして、また時が動き出したような。

そんな気がしたから。

 

 

「あの、私、実は……」

 

 

私が話出した刹那、喫茶店の扉が静かに開いた。

由比ヶ浜さんが忘れ物でもしたのかと扉に視線を移す。

しかし、そこに立っていたのは由比ヶ浜さんとは違った。

 

 

「やぁ、……。ただいま」

 

「店長。……」

 

「……今日もありがとうね。……比企谷くんの淹れる紅茶はどうだい?…上手くなったろ?」

 

 

一つ一つの単語が用意されていたように、店長さんは口から言葉を発した。

それは機会のように、予め用意しておいた言葉を発しただけ。

どこかおかしな店長さんの様子に気付いたのは私だけではなかったようだ。

 

 

「店長……。奥さんの体調……、どうっすか?」

 

「あ、あぁ、……、うん。良いよ。心配ない」

 

「……」

 

「……、はは。相変わらず、君は鋭いね……」

 

「俺だって心配なんですよ」

 

「そう……、だね。もう、隠し通せないね。……家内は、もう……、短いようだ」

 

 

まるで悲痛な叫びを心の底から聞いているようにか細い声が、私には耐えられないくらいに胸を締め付けた。

比企谷くんは表情一つ変えずに店長さんの話を聞いている。

それでも分かる、彼は悲しんでいるのだ。

 

そうだ、思い出した。

 

ここに始めて来た時に見た、彼の憂いを満ちた目はあの時と同じ

 

”本物が……欲しい…”

 

同じなんだ。

 

 

 

「家内が愛したこの喫茶店も、もう閉めようと思う」

 

 

 

そして、また時が止まる。

築き上げた細長い積み木は、地面が反転したかのように前触れもなく崩れてしまった。

 

 

 



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覚悟の中身

 

34/42days - 946day

 

 

先日の話を聞いて以来、私はあの喫茶店に足を運ばずに居た。

時折来る、由比ヶ浜さんからの誘いのメールにも決まって行けない旨を伝えている。

おそらく、由比ヶ浜さんも喫茶店には行っていない。

 

喫茶店はもう閉店してしまったのだろうか。

店長さんの奥様の容体が悪化した以上、喫茶店を続ける意味がなくなってしまったと言った。

 

奥様の愛した喫茶店。

 

おそらく、長い間を2人で過ごしたのだろう。

 

だからこそ、1人になったら続けることが苦しいのかもしれない。

 

 

あの頃に抱いた暖かい幻想が目の前で微笑んだと思いきや直ぐに消えてしまう。

 

私は自宅のリビングで母に渡された留学先の資料に目を通しながら覚悟を決めた。

 

留学をする覚悟ではない。

 

彼に留学することを話さない。

 

そう決めた。

 

 

「雪乃ちゃーん?最近帰りが遅かったのに、ここ数日は直ぐに帰ってくるねー。もしかして、彼氏にフられちゃったのかなー」

 

 

姉さんが悪戯を好みそうは妖艶な笑みで近づいてくる。

フられる……。

この私が?

バカみたい。

……。

 

 

「……、ええ。その通りかもしれないわね」

 

「え!?がち!?」

 

「厳密には、告白すら出来なかったけど。でも、もう覚悟は出来たから……」

 

「……へぇ、覚悟が…。あははー。覚悟が出来た顔じゃないよー。お姉ちゃんは、雪乃ちゃんが悲しそうな顔をすると悲しくなっちゃうんだよー?」

 

「姉さんには関係ないわ」

 

「……そうか、雪乃ちゃんはお姉ちゃんを頼らないか。……頼れるのは比企谷くんだけ」

 

「……。姉さん、この件に彼は巻き込まないと誓って頂戴。少なくとも、彼は今……」

 

 

喫茶店の話をしようにも、姉さんには関係のない話だ。

私は留学に関する資料を持って部屋を出ようとすると、姉さんに肩を掴まれる。

 

 

「……なに?」

 

「……、このメールを見てよ。彼はあなたが思ってる以上に頼りがいがあるみたい」

 

「……っ!?」

 

 

『 話があります。

比企谷』

 

 

………

……

.

 

 

場所はとある公園のベンチ。

姉さんがそこに彼を呼んだのだ。

 

既に姉さんはベンチに座っているにも関わらず、彼は姿を見せない。

約束の時間を10分程過ぎた頃、彼はようやく現れた。

 

 

「もー!お姉さんを待たせるなんて生意気!!」

 

「すみません」

 

「まぁ、これは後々追求するとして……。そんなことより久し振りだねー!大きくなったんじゃない?」

 

「なってません。それよりも本題に入ります」

 

「おっとー!これは冷たい一言だー!」

 

 

底抜けにふざけ通す姉さんに比べ、彼の目はとてもじゃないが冗談を言うような雰囲気じゃない。

鞄から数枚の紙を取り出すと、彼は姉さんを真正面から見据えた。

 

 

「……これは何かな?」

 

「この飲食店の名義権利を買っていただきたい」

 

「……。へぇ、それはまた…。でもね、比企谷くん。はい、わかりました。って言える程の値じゃないんだよ?」

 

「もちろん全額必ず返します。ただ、その権利が今必要なんです」

 

「必死だね……。君はいつも必死。きっと誰かのために…。まぁ、君のためなら買ってあげてもいいけどさ、その代わりに理由を教えてよ」

 

「……世話になった場所を守りたい…。それに…」

 

「……それに?」

 

 

夕暮れに近づいた公園に強い風が吹いた。

落ち葉が一斉に飛んだときに、彼の声が風に乗ってさらわれる。

 

 

「あいつらと、もっと、もっと、

あの場所で一緒に居たい」

 

 

茂みに隠れていた私の頬に一筋の涙が流れた。

今まで、彼は本心を言おうとしなかったから。

願望を押し隠していたから。

 

 

彼に言わなくちゃいけない。

 

 

私は留学するのだと。

 

 

それも10年間だ。

 

 

ヨーロッパにある拠点で働くために。

 

 

 

浸っていたい、でもそれは私の我儘。

彼にはこう言わなくちゃいけない。

 

”留学してくるわね”

 

その一言を。

彼に伝えなくちゃ……。

 

 

風が止む。音が消えた。

私は静かに脚を動かす。

今から覚悟を彼に伝えるために。

 

 

「比企谷くん……。

私を、……助けて」

 

 

 

 



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問題の解決は犠牲を伴い

 

 

34/42days ー 945day

 

 

数ヶ月後に留学をすること。

行き先はヨーロッパで、少なくとも10年間は滞在する。

そして、それは母の意向であると言うこと。

私の意思は不明確で、ヨーロッパで著名な先生に師事することで自分の才能をより開花させられると思う反面、母に決められた将来を只々歩まされる自分に辟易とする思いもある。

 

 

感情と一緒に込み上げてくる涙を抑え、私は彼にすべてを話した。

彼の負担になってしまわぬよう。

彼を巻き込まないよう。

私は彼の優しさにあえて触れないように心掛けてきた。

 

久し振りに再開した彼は以前と変わらずぶっきらぼうだが優しいから。

 

きっと、彼は私なんかのためにも一生懸命になる。

それは彼の犠牲を伴うことになることも予想ができる。

 

 

昨日、私の感情を壁止めていた意思が脆くも壊れた。

 

 

留学について、頭で理解をしようとしていた。

 

母の意向に反感を持っていた。

 

 

違う……。

 

私は、彼が守ろうとしているあの場所で、皆と一緒に居たかっただけだ。

 

 

「姉さん。入るわね」

 

 

私は姉の部屋を訪ねる。

ノックもせずに扉を開けると、そこには私が来るの予想していたかのように姉さんは佇む。

 

 

「あはは。やっぱり来たね」

 

「……あの権利は買ったの?」

 

「んー?……、うん。まぁ、ちょっと遅過ぎたけど高校の卒業祝いってことで。……それに」

 

「……それに?」

 

「私じゃ雪乃ちゃんを守れないみたいだからさ。比企谷くんに任せるの。そのお手伝いってことでね」

 

 

彼女は少し複雑そうに笑う。

姉さんでも出来ないことがあるのか…。

姉さんはきっと家庭内の問題、特に母の意向には逆らわないようにしているのだ。

 

 

「彼はきっと、また雪乃ちゃんを助けてくれるよ」

 

「でも、それは比企谷くんにとって……」

 

「自己犠牲を伴うことかもね。……それでも、彼は救ってくれる。だからさ、雪乃ちゃんは比企谷くんにいっぱい感謝しなくちゃね」

 

 

珍しく姉のように振る舞う姉さんに、私は心なしか笑みを取り戻した。

こうやって話すのは何年振りになるだろう。

 

 

「ふふ、姉さんにしては楽観視しているわね。彼が私を助けようとしてくれるのかもしれないけど、それが成功するとは限らないのだから」

 

「お姉ちゃんの勘は当たるのだ!……てゆうか、さっき比企谷くんがお母さんに用事があるってウチに来てたよ?」

 

 

「ぶっ!?!?」

 

 

……フットワークが軽過ぎやしないかしら。

昨日の今日でお母さんに話を持ち掛けるなんて。

 

私が知っている比企谷くんは、入念に準備をし、周りを欺き、すべての私怨を自らに集める。

遠回りを繰り返すことが彼のやり方だったはず……。

 

 

「……だ、大丈夫なのかしら」

 

「大丈夫大丈夫。比企谷くんに全部任せちゃおうよ」

 

「でも……」

 

「あ、メール来た」

 

 

姉さんのスマートフォンにメールの受信を知らせるランプが点灯した。

こんな時に誰からのメールだと言うのか、私は今もお母さんと話しているであろう比企谷くんを考えながら不安になる。

 

 

「ん。雪乃ちゃん、これ見てみ」

 

「なによ……。っ!?」

 

 

 

 

『 ok

 

比企谷』

 

 

 

 

 




1ヶ月で5冊くらい小説読んでるけど、最近はライトノベルも読むようにしてます。

ほとんど1巻しか読まないけど笑

やはり俺のーー、を読んだのもテレビか雑誌かで紹介されてたからで、意外に話が上手く出来てて驚いた印象。

普段は宮部みゆきとか誉田哲也とかの小説ばっかり読んでたから、こうゆうラブコメ?を読むのは新鮮だったかな。

あえて、絶対にこれは私に合わないなぁ、って本を買ってみると、案外面白い。笑

だけど、今だに純文学を読む勇気はないのだ笑


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乾燥した空気

 

 

.

……

………

 

 

 

屋根から雪が落ちる音で目を覚ます。

朝焼けに照らされた雪とその解け水がキラキラと輝いていた。

 

昨日、先輩に聞いた話が鮮明に浮かぶ。

 

先輩、雪ノ下先輩、結衣先輩。

 

3人は今でも笑えているのだろうか。

先輩がこの喫茶店を、そして雪ノ下先輩を救ったように思えた美談。

 

なのに、どうしてここに雪ノ下先輩は現れないのか。

 

結衣先輩はどうして先輩に会うことを躊躇ったのか。

 

先輩は何を犠牲にしたのか。

 

私はまとめることの出来ない情報を頭に詰め込み、喫茶店へと続く階段を降りる。

変わらぬ風景が広がる扉の向こう側に、私は脚を踏み入れた。

 

今日も一日が始まる。

 

 

ーーーー

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 

コーヒーとケーキを食べ終えた若い女性客が店を後にした。

昼時を過ぎここらで客足は途絶えることだろう。

 

 

 

「先輩。お昼休みに少し外に出てもいいですか?」

 

「おー。時間には帰ってこいよ?」

 

「できれば一緒に……」

 

「あ?……」

 

「一緒に来てくれませんか?」

 

 

私は冷えた手で先輩の制服を引っ張る。

どこか懐かしいような、思い出深い感触。

近くに居るだけで気持ちが安らぐ。

 

ずっと一緒に居たい。

 

 

「……あざといんだよ」

 

 

ーーーーー

 

 

2人でのお出掛けは何度目になるだろう。

歩道脇に追いやられた雪は照らされた日により水へと変わり、私達の歩く足場をびしょびょしに濡らした。

 

 

「ふふ、雪ノ下先輩も雪の上を歩いたんですかね?」

 

「……そのドヤ顔辞めてくれる?腹立つから」

 

「上手いこと言ったのに!」

 

「結衣先輩、綺麗になってました」

 

「……そう、かもな」

 

「素直ですね。……雪ノ下先輩はどうでしょうね」

 

「……。案外変わらないんじゃないか?もともと大人びいてたし」

 

 

先輩は雪ノ下先輩を大人びいていると評価した。

それは、実際にはまだ大人じゃないと言っているかのようで、遠くを眺めながら懐かしむ先輩の横顔の方がよっぽど大人びいている。

 

きっと、3人はあの頃のまま。

 

 

「雪ノ下先輩とは、……会わないんですか?」

 

「……ん。会わないよ。…正確には会えない」

 

「会ってはいけない理由が?」

 

「はは、貴族じゃあるまいし。ただ、あいつが遠くに居るから……」

 

「遠く?」

 

「ああ」

 

 

吹き抜ける風に髪をさらわれながら、先輩は空を見上げた。

 

 

「雪ノ下は、海外留学してるから」

 

「……え。…そ、それは先輩が辞めさせたんじゃ……っ!」

 

「留学は悪いことじゃない。……ただ、そっちで学を身に付けた後は、あいつの自由にさせて欲しい。そう約束しただけだ」

 

「……、いつ、帰ってくるんですか?」

 

「3年後、……今年だな」

 

 

空には一線の飛行機雲が描かれている。

冷えた空気は乾燥を伴い私達を包み込んだ。

 

 

「……やっと、取り戻せるんですね」

 

「別に奪われてたわけじゃない。前に戻るだけ」

 

 

前に戻るだけ…。

先輩は恥ずかしそうに口先を尖らせてはいるが、少しだけ頬が緩んでいた。

 

 

「……つぅか寒みぃよ。もう戻ろうぜ」

 

「もう少し、歩きましょうよ」

 

「……どこか行きたい所があったんじゃないのか?」

 

「えっと……。少し、外でお話がしたかっただけってゆうか」

 

「この寒い中に馬鹿なの?」

 

「……お店は、暖か過ぎるんですよ」

 

 

暖か過ぎるのも良し悪しだ。

心地良さが押し寄せてくるから。

 

風が吹き付け寒さが増した時に、静かに私の手は先輩に握られる。

 

 

「……ほら。冷たくなってる」

 

「……」

 

「風邪ひいちゃうだろ。帰るぞ」

 

 

握られた手は離れることなく導かれる。

引っ張る先輩に抵抗することなく私は後ろを歩き続けた。

 

 

 

「……暖かいです。先輩」

 

 

 

35/42days

 

 



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お礼は気持ちだけで

 

 

 

お客さんの入りが少ないこの喫茶店。

唯一と言っていい常連客の葉山先輩は今日も30分程の会話を済まして店を出て行く。

 

謎の封筒はを怠そうに開封した先輩は、次第に中身の紙を夢中に眺め出した。

 

 

「……それ、何なんですか?」

 

「んー?…人類補完計画の資料」

 

「まじですか……」

 

「……うん」

 

 

答える気のない先輩に、これ以上追求しても意味はないだろう。

 

お客さんの居ない店内に居てもしょうがない。

私は店前の掃除でもしようと店を出た。

 

すると、数分前に出ていったはずの葉山先輩が携帯を片手に誰かと話している姿が目に入る。

 

 

「……はい。はい。……それでは、陽乃さんによろしく」

 

「……葉山先輩?」

 

「ん?あぁ、いろは。どうかした?」

 

「いや、お店の前を掃除しようとしたら葉山先輩が眼に入って」

 

「ちょっと電話が入ってね」

 

「……陽乃さんですか?」

 

「……違うよ」

 

 

少し間のある返答。

葉山先輩は頬を掻きながら笑顔を浮かべた。

 

 

「教えてください」

 

「何を?」

 

「先輩が雪ノ下先輩のお母さんと交わした約束のことです」

 

「……」

 

 

葉山先輩はきっと知っている。

繋がっているに違いない。

 

 

「何のこと?」

 

「惚けないでください」

 

「……、詳しいことは本当に知らない」

 

「……」

 

「それに、比企谷にも口止めされてるんだ」

 

「私には……、関係のないことだからですか?」

 

「巻き込みたくないからだよ」

 

「私は巻き込まれたいんです。……一緒に…、背負いたいんです」

 

「……。それを彼は望まない。ああ言う性格だからね」

 

 

葉山先輩も知っていることだ。

先輩が1人で何でも解決してしまうことを。

そして、自らの保身を望まないことを。

知っているからこそ、葉山先輩もこうやって喫茶店に足を運び、何かと先輩に構っているのだろう。

 

 

「……。雪ノ下先輩も、結衣先輩も、私も、……みんな助けられてばっかり」

 

 

自分で自分に腹が立つ。

そうやって重荷を増やしてしまったことに。

 

 

「……彼はそんなこと思っていないよ。少なくとも、一緒に生活している君になら分かるはずだろ?」

 

「何を分かれって言うんですか?」

 

「……比企谷に聞いてみるといい。じゃぁ、俺はもう戻るよ。またな」

 

 

颯爽と、と言うには少し逃げ腰な葉山先輩を見送る。

 

分かりませんよ。

そんなこと。

 

どうしたって私は先輩の重荷に過ぎないんだから。

 

 

私は店内に戻り、大股で先輩に近寄る。

 

 

「先輩!!」

 

「え、何?」

 

「私も先輩の助けになりたいです!逃げたくないんです!」

 

「……、人類補完計画って嘘だからね?エヴァに乗らなくてもいいんだよ?」

 

「知ってますよ!そうじゃなくて、雪ノ下先輩のお母さんと交わした約束のことです」

 

「……あぁ、そっちね」

 

 

首を傾げながら、先輩は少し考え込むように目を閉じた。

 

 

「……充分助けられてるんだがな…」

 

「そんな覚えはないです…」

 

「おまえに無くても俺にはある」

 

「……私には無いんです」

 

 

コーヒーに砂糖とミルクを大量に投入しながら、先輩は眉間にしわを寄せた。

 

 

 

「……なら、少し頼まれてくれる?」

 

 

36/42days

 

 

 

 

 



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幸せの享受

 

 

 

1日が早く感じるのはなんでだろう。

 

楽しいから?

 

幸せだから?

 

先輩と再会してからは時間の流れが急加速したかのように過ぎていく。

 

あんなにも辛かった毎日が嘘のように、朝起きるとき、仕事をするとき、ご飯を食べる時、何気ない会話をするとき、全てが幸せに包まれていた。

 

 

先輩の時間は早く進んでいるんですか?

 

 

「あ?時間の流れ?」

 

「はい。早いと感じません?」

 

「んー……、まぁ感じるっちゃ感じるな」

 

「ほぅ!!それは先輩が幸せだと感じているからです!」

 

「……違う。ジャネーの法則と言ってな、人間は新鮮な経験をするときほど時間が長く感じるんだ。だから年齢を追うごとに1年間が短くなる」

 

「哲学や理論じゃないんですよ。辛いときと楽しいときなら、楽しいときの方が早く感じるでしょ?」

 

 

並んでいた列が前へ進むのと一緒に、私達も会話をしながら前へと進む。

 

あと15分といったところか、目前に迫ったアトラクションの乗り場には楽しそうに乗り込む人の幸せそうな顔がよく見える。

 

 

「遊園地なんて久し振りですし、逆に新鮮じゃありません?」

 

「まぁ数年振りだな。この退屈な待ち時間も久しく感じていなかったよ」

 

「だめな先輩ですねぇ。こういう待ち時間こそ男の子の魅力の見せ所ですよ?女の子を退屈させちゃいけません」

 

「へぇ。………」

 

「黙っちゃった!?」

 

 

数時間前、遊園地の入園口に待ち構えていた人混みに、先輩は早速くたびれてしまった。

 

遊園地に行こう。

 

と、言いだしたのは先輩なのに。

 

やっとこそ入園したと思えばアトラクションに乗るための列。

これには先輩も諦めたのか、肩をだらし無く垂らし、目を開けているのかもわからないくらいに下を向き続けながら並ぶ。

 

 

「もう!先輩が誘ってきたんですからね!デートしようって!」

 

「……違う。ちょっと遊園地に行こうって言っただけ」

 

「それがデートと言うんです!」

 

「人それぞれだな。ニラレバなのか、レバニラなのかと同じ」

 

「……違うと思います。それにしても、どうして遊園地なんです?先輩らしくないっていうか…」

 

 

先輩は私に振り向きもせず、高所に位置するアトラクション乗り場から園内を見下ろしながら呟いた。

 

 

「……参考みたいなもんだ」

 

「参考….…?」

 

「ほら、俺たちの番だ。折角並んだんだからしっかりと楽しめ」

 

「言われなくとも!」

 

 

 

………

 

 

 

「……もう乗らない」

 

「先輩、ジェットコースター苦手だったんですね……」

 

「……。高い所が苦手なんだ」

 

「ならどうして乗ったんですか」

 

「治ってるかなって……」

 

「バカなんですか?」

 

「……ちょっと飲み物買ってきて」

 

「はいはい」

 

「MAXコーヒーね」

 

「絶対ないですよ」

 

 

どうやら気分を悪くしてしまったらしい先輩を気にし、その後のアトラクションはできるだけ激しくない物に乗り続けた。

 

弱さを見せない人だと思わせながら、こうゆうところでは直ぐに弱味を見せる。

なんとも不思議な人だ。

 

 

日も暮れはじめ、園内には真っ赤な絨毯が引かれたかのように足元が赤く照らされる。

 

時間の流れには抗えない。

 

次のアトラクションが最後かな……。

少し寂しいけど。

 

 

「はぁ、やっぱり時間が過ぎるのが早過ぎます」

 

「……良いことじゃないか」

 

「もっと遊びたいです!」

 

「……1日の時間は平等に24時間だ。でも、その内にどれだけの時間が充実してたかは人それぞれ。だから、充実してる時間が長かったって考えるようにすれば良い」

 

「へぇ、なんか素敵ですね」

 

「受け売りだけどな。よし、じゃぁもう帰るか」

 

「ちょっと待った!最後にアレ乗りましょう!」

 

「アレ……?」

 

 

…………

 

 

 

高くまで登った円状の乗り物の中で、私と先輩は向き合うように座る。

乗り物は次第にてっぺんへと近づき、街全体を眺められるくらいに高くなった。

 

時間を止めてくれるように、観覧車はゆっくりと回り続ける。

 

先輩は外も眺めずに下を向いたまま。

 

 

「ぷっ。観覧車も怖いんですか?」

 

「怖いけど?」

 

「逆ギレ!?……もう、お外はこんなに素敵なのに…」

 

「人間が人間を見ろしてやがる……」

 

「神になった気分です」

 

「新世界の神は松田に撃たれてたな」

 

 

先輩は怖さを隠そうと、普段よりも無駄口を叩く。

 

数メートルも下に居る女の子が手放してしまった風船が、私達の乗る観覧車をも超えて空高くに登っていった。

 

 

 

 

「……参考にはなりましたか?十文字先生」

 

 

 

驚いた様子もなく、先輩はその風船の後を追うように目線を上げる。

 

 

「気づいてたのか……」

 

「…気付いたのは最近ですけど」

 

「俺はおまえがあの本を読んでて驚いたけどな」

 

「お客さんの忘れ物です」

 

「……、読んでて気分の良い物じゃなかったろ」

 

「……」

 

「最後にあの2人は離れ離れになっちまうんだ。……どうやら俺にはハッピーエンドを考えることは出来ないらしい」

 

「……良いお話でした。純粋に感動しました。……でも、私はあの物語を否定します」

 

「……そうか」

 

「救いが無さ過ぎますよ。まるで先輩みたいに」

 

「リアルだろ?」

 

「はい。心が痛みました」

 

「悪かったな」

 

「悪くありません。だって、次はハッピーエンドを書くつもりなんでしょ?」

 

 

先輩は一呼吸おいてから私を見つめる。

少し不安気な様子で。

 

 

「……書けると思うか?」

 

 

「書けますよ。あなたのおかけで私は幸せになれたんですから」

 

 

きっと、先輩は物語を作ることを嫌っている。

それも特上に幸せが訪れる結末を。

 

それは自己嫌悪なのか、それとも暗示なのか。

 

それでも書き続けなくちゃいけないのは先輩に課せられた約束。

雪ノ下先輩のお母さんと交わした約束なのだろう。

 

先輩の小説には感情がとても込められている。

きっとそれを書けるのは一種の才能だ。

 

 

「観覧車で告白なんてベタなストーリーはどうですか?」

 

「はは。本当にベタだな。だけど、読み手はベタな展開を求めているのかもな」

 

 

私は咳を一つし、背筋を伸ばし先輩の目を見つめる。

 

 

 

「あなたと居れて幸せです」

 

「あぁ」

 

「これからもずっと一緒に居させてください」

 

「はは。ベタな言葉だ」

 

 

 

 

 

「……先輩。結婚してください」

 

 

 

37/42days

 

 





あ、更新遅くなってすみませんでした笑

もうちょいで最終話なんで最後までよろしくです。



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冷徹な答え

 

 

 

答えは分かっていた。

 

彼は誰にでも優しく、暖かく、甘いから。

 

表面上の厳しさに、砂糖を溶かしたような甘い先輩はいつも私のことを大事に考えてくれる。

 

それでも私は特別じゃない。

 

何度も言うが、彼は誰にでも優しいから。

 

 

だから決意と覚悟の意味を込めた告白は実ることなく空気に変わり、そして酸素として身体に吸い込まれる。

そうやって二酸化炭素になった覚悟は空気中を彷徨い宇宙に消えるんだ。

 

 

……だから。

 

 

先輩。

 

 

私の告白を受け入れるなんて、ありえない事を言わないでください。

 

 

 

ーーーー

 

 

薄暗い照明に照らされたバーカウンターで、私は出されたカクテルに手も付けず、隣に座った彼女の話に耳を傾けた。

 

まさかこの人と2人でバーに来るとは微塵も考えていなかったが、今は藁にもすがる気持ちで誰よりも大人な彼女に相談を持ちかけたのだ。

 

 

「言っちゃったんだ。ホヘトちゃん」

 

「……いろはです」

 

「あ、ごめんごめん!私、興味がないと覚えられないタチで」

 

「……。先輩が言ってました。あなたは頼られると断れない。厳しいけどそういう優しさを表現したような人だって……。陽乃さん」

 

「……ふーん。比企谷くんがね。……そう思うの勝手だけどさ、頼る人を間違えてるんじゃない?」

 

「そうかもしれませんね」

 

「私は雪乃ちゃんの味方だよ?」

 

 

知っている。

彼女が雪ノ下先輩のために裏で走り回っていることも、客観的に、危なっかしい先輩を見守っていることも。

 

 

「それでも、ここに来てくれました」

 

「気まぐれだよ」

 

「それでもいいんです」

 

「?」

 

「聞きたいことがあったから」

 

「聞きたいこと…」

 

 

私は喫茶店が停電で暗闇に飲み込まれた日の事を思い出す。

 

罪を食べた悪魔。

 

罪滅ぼし。

 

見捨てた。

 

先輩と私の間にある一方通行の記憶。

 

 

「そもそも、私を居候させてくれているわけ」

 

「……」

 

「優しくする理由」

 

「……」

 

「先輩の隠し事って、何ですか?」

 

 

陽乃さんは小さくため息を吐き、私の顔を見ずに呟き始める。

暗い店内のせいで、彼女の表情は確認できない。

 

 

 

 

 

陽乃sideーーー

 

 

 

 

私はいろはちゃんの目を見て狼狽えてしまった。

誰かに助けを求める、弱々しい目。

それは、どこか半年前の彼を思い出されるから。

 

……

.

 

 

半年前、ちょうど比企谷くんの2作品目のプロットが完成した日。

普段は原稿のやり取りや打ち合わせを隼人に任せていたが、完成の記念も込めて、私は自らの足で彼の居る喫茶店へ向かった。

 

2年前に出した処女作は、ベストセラーとまではいかないが、駆け出しの小説家としては上々過ぎる出版数で、母からの評価も少なからず上がっていた。

 

大衆の評価に賛否両論はあったものの【偽善の鬼才、十文字三雲】として地位を築いたのだ。

 

 

「ふふ。雪乃ちゃんからのプレゼント。驚くかなぁ」

 

 

セダンの後部座席で比企谷くんの照れ隠しの姿を想像しながら私は胸を弾ませる。

 

 

見知った喫茶店の近くに車を止めさせ、私は扉を勢い良く開けた。

 

 

「やっはろー!久しぶりー!!私だよー!由比ヶ浜ちゃんかと思ったでしょ!?」

 

「……。いらっしゃぁせぇー」

 

「その淡白な反応……、間違いない、君は比企谷くんだ!」

 

「はいはい。そこ座っててください」

 

「はーい。マスターも板についてきたねー」

 

 

私は彼のおすすめだと言うコーヒーフロートを頼むと、目の前にストローとガムシロップと一緒に置かれた。

 

ちょっと、どれだけ甘くさせる気なの?

 

 

「比企谷くん。あ、間違えちゃった。先生!」

 

「それやめてもらえません?」

 

「先生、新作のプロット見ましたよー。相変わらず期待の斜め上を行く物語を作るね」

 

「……、そうっすか」

 

「救いのあるバッドエンドが君らしいよ」

 

「俺らしい……」

 

 

彼の表情はどこか浮かない。

2作目も好調な売り出しを期待できるというのに、彼はどうして喜ばないのだろうか。

 

 

「比企谷くん…?どうかした?」

 

「……良くも悪くも、俺にはバッドエンドしか書けないようです」

 

「……。そんなことないんじゃない?」

 

「書こうとしても書けないんです。俺はいつも欺瞞に溢れて、本物を知らないから」

 

 

どこか思い詰めたように、下を向きながら、痛々しい声色で彼は言葉を吐き出していた。

 

彼らしくない。

 

彼は弱みを誰にも見せないから。

 

こんな彼を見るのは初めてだった。

 

 

「……。君から溢れているのは欺瞞なんかじゃないよ。雪乃ちゃんや、由比ヶ浜ちゃんのことを何度も救ってあげたじゃない」

 

「……見捨てたんです」

 

「え?」

 

「俺は手を伸ばせば救えるのに、見て見ぬフリをしました……」

 

 

何のことを言っているのか分からなかった。

ゆっくりと、ゆっくりとだが確かに吐き出す。

 

 

「一瞬誰か分からなかったけど、確かに目があった時に”あいつ”だと分かった。それでも不確かな要素ばかりを探して”あいつ”じゃないと決めつけました」

 

 

あいつ?

比企谷くんの言うあいつとは誰なのか。

雪乃ちゃんや由比ヶ浜ちゃんなら分からないはずがない。

ましてや助けないはずがない。

 

 

「……。君はヒーローじゃないよ。誰でも助けられるわけじゃない」

 

「誰もは助けませんよ。俺の偽善が届く範囲だけです」

 

 

下らないと吐き捨ててしまっても構わなかった。

比企谷くんには自分の心配だけをしていてもらいたかったから。

片手間に解決出来るほど、ウチのお母さんは甘くないのだから。

 

 

「……わかった。私が助けてあげるよ」

 

「は?」

 

「比企谷くんが助けられなかったその人を、私が代わりに助けておいてあげる」

 

「た、助けるも何も…」

 

 

その人が誰かなんてわからないし、何があったのかもわからない。

 

でも、彼はこうでも言わないと立ち直ってもらえないから。

 

雪乃ちゃんのことだけを考えてもらえないから。

 

 

 

「私は雪ノ下陽乃だよ?出来ないことなんてないのだ!!」

 

 

 

………

……

.

 

 

 

「……そっか。私は見捨てられたんですね」

 

「そうだよ。でも2度目は救われた」

 

 

あの時、私が庄司にラブホテルへ連れ込まれた時に見た傘を差した後ろ姿。

手を伸ばせば嫌々ながらも捕まえてくれる安心が遠ざかっていった絶望を思い出す。

 

 

「……、そっか。あれは先輩だったんですね」

 

「何か心当たりでもあった?」

 

「…はい」

 

「…あなたがあの喫茶店に居たとき、直ぐにピンときた。比企谷くんが見捨てた人はあなただと」

 

「……」

 

「私が関与する前に、勝手に住み着いちゃってさ。比企谷くんは私があなたをあの喫茶店に向かうように操作したと思ってるみたいだけど」

 

 

違う。

私が何も考えずに辿り着いてしまった安心の場所。

そして、優しく迎え入れてくれた人。

 

 

「どっちが引き寄せたんだか」

 

「….…私、ずっと思ってました」

 

「なにを?」

 

「…先輩が、居てくれたらって」

 

 

「へぇ。よかったね」

 

 

陽乃さんは冷たく微笑む。

彼女は本当に雪ノ下先輩が好きなんだ。

先輩に負けず劣らずのシスコン。

敵だと思うととことん冷徹で、でも言ってることは真実で。

 

 

 

「見捨てられたおかげ一緒に居れて。よかったね」

 

 

 

38/42days

 

 

 



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流れる時は車外の風景のように

 

 

 

 

毛並みが綺麗に揃うテバサキを撫でながら、私はキャットフードをぱらぱらとお皿に落とす。

 

焙煎されたコーヒー豆の香りの邪魔にならないよう、できるだけ無香のキャットフードを美味しそうに食べるシャルはピクリと耳を震わせた。

 

 

「……。ん、早いな一色」

 

「おはようございます。あなた」

 

「……あざといんだよ。昨日の用事ってのは……」

 

「あ!せんぱい!!」

 

「……なんだよ」

 

「今日もお暇を頂いていいですか?」

 

 

開店前の店内に流れる朝焼けの雰囲気に、先輩はひっそりとエプロンに手を突っ込みながら私を見つめる。

 

 

「……。まぁ、構わんが。あんまり遅くなるなよ?」

 

 

「はい。直ぐに……、直ぐに帰ってきますので」

 

 

テバサキの頭をもう一度だけ撫で、私は手を洗って店を出た。

 

律儀にお見送りをしてくれる先輩に手を振りながら。

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

冬も終わりが近いのか、雪が積もる地面とは裏腹に、空高くを飛ぶ太陽の光は心なしか暖かい。

 

一歩一歩、歩くたびに夢から覚めていくように、私の身体は強張っていく。

 

 

まったく、本当に私の天敵ですよ。

 

 

この家族は。

 

 

 

「あら、遅かったわね。一色いろはさん」

 

 

 

この親あって娘あり。

 

 

私は軽く一礼すると、雪ノ下先輩のお母さんはゆるりと身体を反転させ車に乗り込んだ。

 

 

「さぁ、早く乗りなさい。話があるのでしょう?場所を変えましょう」

 

「…はい」

 

 

黒塗りのセダンはゆっくりと走り出す。

 

外から隔離されたような世界で、私は雪ノ下先輩のお母さんと同じ空間に閉じ込められた。

 

 

「……話っていうのは、比企谷さんのことかしら?」

 

「はい」

 

「ふふ。彼は人気者なのね」

 

「……救われてきたから」

 

「…?」

 

 

雪ノ下先輩のお母さんがのらりと移した視線の先に、私の視線とぶつかる。

 

 

 

「雪ノ下先輩や結衣先輩、私や陽乃さんだって、皆んな先輩に救われてきたから。……私は先輩のために出来ることをしたいんです」

 

 

「……そう」

 

 

息苦しかった車内は途端に寒くなる。

 

パワーウィンドウが開けられたからだ。

 

雪ノ下先輩のお母さんは開けられた窓から外を眺めると、小さく声を出す。

 

 

「都築、止めて。すこし御使いをしてきてちょうだい」

 

 

都築さんと呼ばれたドライバーさんは路肩に車を寄せると直ぐに車を降りた。

 

大きな本屋さんの前で止まった私たちは、どこか互いの出方を見るかのように慎重な姿勢を貫く。

 

 

「……比企谷さんの責任をあなたが背負うことができるの?」

 

「背負います。何だって、どんなときだって」

 

「彼が雪乃のために背負った責任、私との約束は、そんなに軽いものじゃないと思うけど?」

 

「覚悟の上です」

 

「……」

 

 

彼女は耳に掛かった髪を払いながら、ゆっくりと口を開く。

その姿はあの頃の雪ノ下先輩を思い出させるようだ。

 

 

「私は娘達が大切なの。私はどう思われても良い、それでもあの娘達には苦のない人生を歩んでもらいたい」

 

「……」

 

「そんな私の宝を奪おうとする、彼が大っ嫌い。誰より強く、優しく、頼られる、そんな彼が大っ嫌い」

 

「先輩は……」

 

「分かっているわ。彼は悪くない。ただの私の傲慢だってね。それでも、十数年大切にしてきたあの娘を取られるのはとても悔しいのよ。……母親だからね」

 

 

母親だから……。

 

その一言は透き通るように私の胸に突き刺さる。

 

大切な宝は今も海外で頑張っているのであろう。

 

誰のためでもない。

 

自分のために。

 

大人になったとはいえ大切な娘は、自分のために頑張り続けている。

 

 

「もっと良い人が沢山居るじゃない。彼じゃなくても優しい人は腐るほど居る。地位や名誉も持った人が世の中には……、雪乃の周りには沢山居るのに」

 

 

「……ふふ。地位や名誉なんて、先輩とは真逆な所にあるものですね」

 

 

「彼には欲が足りないわ。物語の中でさえ幸せを掴めないのだから」

 

 

そう言って、彼女はポーチの中から一冊の本を取り出す。

 

綺麗なブックカバーに包まれた小説には一本のスピンがとあるページに差し込まれていた。

 

 

 

『君は幸せになれる。君のための幸せを、必ず手に入れられる。だから、お別れだ』

 

 

 

十文字三雲はハッピーエンドを作らない。

 

なぜなら彼が誰よりも人の幸せを望むから。

 

 

「雪乃を救うなんて言って、彼は私も含めて全員を救おうとしている。自らを顧みないで」

 

「先輩、……らしいです」

 

「らしい、ね。……彼にも困ったものだわ」

 

 

彼女は優しく微笑んだ。

 

小説を丁寧撫でながら、彼女は溜息を一つ吐く。

 

 

 

「私と比企谷くんの約束は取り消します。雪乃にも好きにするよう連絡するわ」

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

 

外に吹く冷たい風が止むように、車内には暖かい言葉が充満していった。

 

曖昧に微笑む彼女はまだ踏ん切りがついていないようだが、どこか毒気が抜けたかのようにスッキリとした顔をしている。

 

 

 

「ふふ。雪乃と比企谷くんに伝えておいてちょうだい。ほとぼりが冷めたら、2人で顔を見せに来なさい、ってね」

 

 

「おっと、そうは問屋が卸しませんね」

 

 

「え?」

 

 

「先輩は私の旦那様ですから!!」

 

 

「……は?」

 

 

 

 

39/42days

 

 

 

 



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そしてゆっくり終わり出す

 

 

 

 

ハムと卵焼き、レタスとトマトを挟んだトーストを食べながら、私は先輩の後ろ姿を眺める。

 

朝になるといつも用意されている朝食は、熱々なわけでもなく冷めているわけでもない。

 

先に食べ終えている先輩は、カウンター内でコーヒーを啜りながら新聞とにらめっこをしていた。

 

 

 

「新聞って文字が多くて読みにくいですよねぇー」

 

「おまえらがメールで使ってるヒエログリフの方が解読しにくいだろ」

 

「ヒエログリフ?ぷっ、何言ってんですか?あはは」

 

「……」

 

 

 

そんな下らない小言を交わしながら、先輩は私の食べ終わるタイミングを見計らってコーヒーを出してくれる。

 

 

「ありがとうございます。ふーふーふー」

 

「……。昨日、雪ノ下さんに会ってたんだって?」

 

「ほぅ?誰から聞いたんです?」

 

「雪ノ下さん……、姉の方から聞いた」

 

「ややこしいですね……」

 

「……」

 

 

先輩は頬を描きながら新聞から目を離した。

 

 

「……あんまり無理はしなくてもよかったんだぞ?」

 

「む?何ですかその口の利き方は。私は先輩のために奔走したんですからね?」

 

「……そっか。はは」

 

「…?」

 

 

けらけらと笑う先輩は、ゆっくりとエプロンを外しながら私の側に寄ってくる。

 

暖かく、柔らかい先輩の手が私の頭を撫でながら、ふわりとコーヒーの香りが私を包んだ。

 

 

「ふわぁ。……せ、先輩?」

 

「……ありがとな」

 

「ふぇ……、ふふ、へへへ」

 

「…なんだ?その気持ちの悪い笑い方は」

 

「失礼ですねぇ。……どうですか?私の抱き心地は」

 

「……ふむ。小町に次ぐ抱き心地だな」

 

 

小町ちゃんには勝てなかったかー。

てゆうか、小町ちゃん意外の女の子を抱いたことがあるのか?

 

 

奥ゆかしく過ぎていく時間を惜しみながら、先輩は何事もなかったかのように私の身体を離す。

 

それでも、数分の間を包まれた私の身体には、先輩の暖かさとコーヒー香りが残っていた。

 

 

.

……

………

 

 

「ふぅ、お客様の流れも止まりましたし、私達もお昼休憩にしましょうか」

 

「ん。看板片付けておいてくれ」

 

「はーい」

 

 

かこん。

 

準備中っと。

 

しばらくして、先輩がお皿を器用に運ぶとテーブルの上には綺麗なお花が咲いたように彩られる。

 

私の好きなカルボナーラと先輩の好きなナポリタン。

 

 

「ほら、食べるから手ぇ洗ってこい」

 

「もー!子供じゃないんですからね!」

 

「はいはい。じゃ、いただきます」

 

「いただきまーす!」

 

 

クルクルとパスタを巻きつけながら、私はもふもふと口に含んでいく。

 

カチャカチャと音を鳴らして食べる私に対して、先輩は行儀良く静かにパスタを巻いていた。

 

 

「パスタなう」

 

「あ?ツイッター?」

 

「はい。リアルつぶやきです」

 

「は?あ、あぁ、そうか、スマホ捨てたもんな」

 

「そろそろ買い直しましょうかねぇ」

 

「不便っちゃ不便だよな」

 

「そういえば先輩」

 

「あ?」

 

「約束は反故になりましたけど、小説は書き続けるんですか?」

 

「……話題が急展開過ぎてドリフトしてるな」

 

 

先輩はフォークに巻きつけたパスタをしばらく空中で遊ばせると、何かを決意したかのようにそのフォークをお皿に置き直した。

 

 

「まぁ……、雪ノ下さんとの約束もあったっちゃあったが、物を書く……、いや創るのは嫌いじゃないからな」

 

「へぇ」

 

「それに、ここの売り上げだけじゃ食えんし」

 

「ほー」

 

「……あと、おまえの事もちゃんと考えねぇとな」

 

「わ、私のこと?……と、言いますと?」

 

 

一度置き直したフォークを再度口に運びながら、先輩は黙って私を見つめた。

 

 

「……結婚。すんだろ?」

 

 

「……」

 

 

 

一つ、二つと時計の針が次に向かって動いていく。

 

だから私も、私達も動き出さなくちゃいけない。

 

壁を越えたからといって足を止める言い訳にはならないんだ。

 

だなら、私はパスタを頬張りながら先輩に問いかける。

 

 

 

 

「その話は、2人を交えたときにしましょう。私の事も、2人の事も。……なにより、先輩のことを」

 

 

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日は静かに沈み始めて

 

 

 

 

 

店内に伸びた日の光を踏みながら、心地の良い空間で踊るように舞う小さな花びらを手に拾う。

 

どこから入って来たのだろう。

 

揺れに揺れて、風に乗る。

 

そうして落ちた先がこの喫茶店だったのか。

 

幸せな花びらだ。

 

私と同じ。

 

 

「先輩、もう直ぐ春ですね」

 

「あ?……まぁ、暦上は初春だな」

 

「ぶー。相変わらずツンデレなんだから」

 

「は?」

 

「暖かくなってきましたので、約束通りにアザレアを飾りましょう」

 

「……。そんな約束したか?」

 

 

遠い昔に交わした約束。

 

時間が濃密過ぎて、あまりに濃すぎて。

 

ほんの数日前の出来事なのに。

 

 

私はそっと、先輩の腕に私の腕を絡める。

 

ふわっと、頬をなぞった風には先輩の香りが混じっていたようだ。

 

ほのかに感じる先輩の暖かさや脈打つ鼓動が私と同期したみたい。

 

 

「お出掛けしましょう。店内が寂しくならないように」

 

「……十分騒がしいと思うがな」

 

「ふふ。お花に誘われて、大切な人達が戻ってくるかも」

 

「……。おまえ、何を…」

 

 

いぶしげに私を見つめる先輩から逃れるように、私は絡めた腕を引っ張り先輩の懐に抱きついた。

 

 

「んー!良い香り!暖かいです!!」

 

「……」

 

「……さぁ、着替えてきましょう。買い物に……、お店に飾るお花を買いに行きますよ!!」

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

「ほぅ。ハクモクレン……。雪ノ下先輩みたいな花ですね」

 

「白いだけだろ。それならこれは由比ヶ浜か?」

 

「ハナモモ?先輩も単純じゃないですか」

 

 

お花に囲まれた店内からは、喫茶店とは違って甘く酸っぱい香りが漂っていた。

 

右を見ても左を見ても花、花、花。

 

先輩は興味なさ気に店内を一通り眺めながら私の後を付いて来る。

 

 

「あまり客居ない。……不況の煽りか」

 

「ウチよりは入ってますよ、お客さん」

 

「ウチはほら、静けさが売りだから」

 

「だから雰囲気だけでも明るくするためにお花を買いましょう」

 

「はぁ、猫といい花といい。おまえがちゃんと世話しろよ?」

 

 

値札を見ながら先輩は呟く。

 

その言葉は私の胸を刺すかのように、お腹に溜まった空気が抜かれるように、声にならない声を絞り出すことが精一杯だった。

 

 

 

「だめですよ。これからは先輩が……、しっかりお世話していかないと」

 

 

 

「あ?何か言ったか?」

 

 

「……。いえ、何も。……っ、あ、アザレア、アザレアありますよって言ったんです!」

 

 

 

ーーーー。

 

 

 

少し長居し過ぎたようで、来た時には高かった日も今では辺りを赤く染めながら沈みかけていた。

 

長く伸びた影は幸せそうに。

 

繋がれた手には、先ほど購入したアザレアがぶら下がっている。

 

 

 

「いい買い物をしましたね!」

 

「……花って意外に高いんだな」

 

「それが現実です」

 

 

 

店内のどこに飾るかと考えながら、私は繋がれた手とぶら下がるアザレアを交互に見つめた。

 

ふと、握られた手が強くなったような気がする。

 

 

「明日、楽しみですね」

 

「……まぁ、な」

 

「やっと帰ってくるんですね」

 

「……おう」

 

「帰ったらアザレアを飾って店内を掃除しましょう」

 

「うちの店はいつからパーティー会場になったんだ」

 

「ふふ。先輩も嬉しそうにオーケーしてましたよ?」

 

「……由比ヶ浜がどうしてもって言うからだ」

 

「葉山先輩も、三浦先輩も、陽乃さんも、平塚先生も、皆んな来てくれるって言ってます」

 

「小町も来るって言ってたな。ついでにるみるみも」

 

「……雪ノ下先輩。きっと、美人になってますよ」

 

「……かもな」

 

「……」

 

「……」

 

 

 

居心地の良いこの場所で、私は夢のような時間を過ごすことが出来た。

 

 

いつもいつも楽しくて。

 

それでも終わりはあって。

 

 

いつしか夢に寄りかかっていた私にも前を向く勇気と脚を動かす力を与えてくれる。

 

旅立ちなんて清々しい言い方は私に似合わない。

 

 

逃げ出すように。

 

 

消え去るように。

 

 

 

私は先輩の前から居なくなろうと決意していた。

 

 

 

41/42days

 

 

 



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創造の結晶

 

 

綺麗な薄紫のアザレアが店内を見渡すように、花弁の1枚1枚がそれぞれ別方向を眺める。

 

お店の雰囲気とは少し合わないかな?

 

刻々と進み続ける時計の針が約束の時間の30分前を指し示す。

 

 

さて、そろそろ皆さんが来る頃だな。

 

 

ウロウロとカウンター内で忙しなく動き回る先輩も時計をチラリと見ていた。

 

 

「ふふ。せーんぱい、そろそろ皆さんが到着するんじゃないですか?」

 

「あぁ。……だな」

 

 

先輩はエプロンを外してそれをカウンターに掛ける。

 

見慣れたその姿はやっぱりそわそわと誰かを待ち望んでいるご様子で、それとなく扉の方へと視線を向けた。

 

 

冷たかった季節が嘘だったかのように、そして、未だ溶けない雪は彼女の登場に道を開けたように……。

 

黒くて長い髪が懐かしい。

 

纏う雰囲気は変わらない。

 

大きな瞳から覗く視線は強く、強く。

 

 

彼女は……。

 

 

雪ノ下雪乃はそこに現れた。

 

 

 

「……ん。いらっしゃい」

 

「ふふ。変わらないのね。お邪魔します」

 

「おまえが1番だよ」

 

「そのようね。……一色さん、こんにちは」

 

「はい!こんにちは、雪ノ下先輩!!」

 

 

彼女は音もなく店内に入ると、どこか決まったルートを歩くかのようにカウンターの一席に座った。

 

 

「この席に座るのも3年振りになるのかしら」

 

「……そんなもんか」

 

「ふふ。何か言うことはないのかしら?」

 

「あ?」

 

「あら、この3年で耳まで退化してしまったのかしら」

 

「アホか……。はぁ、…おかえり、雪ノ下」

 

 

 

「……ただいま」

 

 

 

そっと、流れた空気が暖かくなった気がした。

 

雪ノ下先輩は澄ました様子を装いつつも頬を軽く赤らめている。

 

 

時間は戻らない。

 

 

それでもこの空間はあの時を思い出したかのように記憶を遡り始めた。

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

「それじゃあ!ゆきのんの帰国を祝して!かんぱーい!!!」

 

「「「かんぱーい!!」」」

 

 

店内に響き渡るグラス音。

 

喫茶店だったその場所は、活気と酒気により賑やかなバーへと変貌したようだ。

 

それでもやっぱり、先輩の定位置はカウンター内のようで。

 

彼はシャンパングラスを小さく傾けながら店内を見守っていた。

 

 

「それにしてもさ!ゆきのん美人になったよねー!」

 

「そ、そうかしら」

 

「うん!3年前も十分美人だったけど、今はなんてゆうか、もっと美人になったよね!」

 

「……由比ヶ浜。おまえは変わらんな」

 

「な、なにさ!ヒッキーだって変わってないじゃん!」

 

 

空間を切り取り額縁に合わせたような感覚。

 

3人の掛け合いは限りなく自然で、あの頃と変わらずそこにある。

 

 

「変わらないことには定評があるからな。俺は」

 

「比企谷、私の教育が足りてなかったようだな」

 

「お兄ちゃん、小町は胸が痛いよ」

 

 

下らないと口にはしつつも誰よりも下らないことを引き受ける。

 

見返りがないとも知っていながら先輩は誰彼構わずに救い続けてきた。

 

 

「……八幡。私もそれ飲みたい」

 

「まだ早い。大人になったらな」

 

「あーし、高校生の頃にはカクテル飲んでたけどね」

 

「るみるみ、こんなロクでもない大人になったらだめだぞ?」

 

「うん」

 

「あんた達ぶっ飛ばす!」

 

 

だからこそ、その優しさが誰かの目に止まり、こうして大きな輪が出来た。

 

今、ここにある幸せは、彼が作り出したもの。

 

 

 

そんなあなただから、私は好きになって、好き過ぎて、好きで好きで。

 

 

 

私は店内に広がる暖かさに身を委ねつつ、涙が出そうになる目に力を込めた。

 

 

泣いちゃだめだ。

 

 

泣いたら、また先輩は私を救いに来てしまうから。

 

 

気配を消しつつ、私は店の出口に足を向ける。

 

 

 

 

「……いろは」

 

「っ……。は、葉山先輩」

 

「何処に行くんだ?」

 

 

店の出口を塞ぐように、葉山先輩は腕を組みながらそこに立っていた。

 

 

「あ、あははー。ちょっと酔いすぎちゃまして。外で夜風に当たってきます!」

 

「そうか。……なら、俺も一緒に行こうかな」

 

「……」

 

「……。やっぱり止めとくよ」

 

「え、あ、……そ、そうですか」

 

「うん。だって……」

 

 

葉山先輩は小さく微笑みながら私の肩をそっと叩く。

 

 

「怖いお姉さんが先に居るみたいだからね」

 

 

と、葉山先輩がそこを立ち去ったと思うと、出口の外から悪魔が現れた。

 

皮肉にも、女神のような美貌を浮かべて。

 

 

「やぁ、いろはちゃん」

 

「陽乃さん……」

 

「出し抜けると思った?」

 

「出し抜こうなんて思ってないです」

 

「……あなたのおかげで雪乃ちゃんは救われた。比企谷くんは自由になれた。私も荷が下りた。お礼を言わなくちゃかな?」

 

「……別に」

 

「あっそ。だったら言わない。……私、ちょこっとだけ怒ってるんだー」

 

「みたいですね。顔に出てますよ」

 

「あははー!比企谷くんみたいな反応だなぁ。やっぱりペットは飼い主に似るのかな?」

 

「ぺ、ペットなんかじゃないです!」

 

 

少しだけ声が大きくなってしまう。

 

まるで威嚇するわんちゃんのように。

 

そんなわんちゃんは、大きな熊を前にすると後ろず去ってしまう。

 

だって、私の前に立つ大きな大きなツキノワグマが、鋭く尖った牙をニヤリと見せるんだもの。

 

 

「……ペット以下だよ。君は」

 

「……っ」

 

「勝手に転がり込んで、養ってもらって、好きに振舞って。……終いには何も言わず居なくなろうとしてる」

 

「…わ、私は先輩にこれ以上……」

 

「違うでしょ?雪乃ちゃんやガハマちゃんを理由に逃げたいだけ」

 

「そ、そんなこと!」

 

「居場所違いだと言われる前に、君は比企谷くんの前から逃げ出したいだけでしょ?」

 

 

ひやりと身体を突き抜ける冷たい風に、私は足の指先から頭のてっぺんまで凍りついてしまう。

 

綺麗な理由を身に付けて逃げようとした自分を彼女に指摘されたから。

 

先輩は優しいから私をそばに居させてくれる。

 

好意じゃない、懇意のために。

 

 

 

「けじめくらい着けたら?」

 

 

 

バタンっ。と、扉は閉められる。

 

大きな物音に、店内に居る全員の目が私を貫いた。

 

 

「……一色?」

 

「せ、先輩…」

 

 

 

今日までありがとうございました。

 

 

この一言が喉から出かけているのに口が開こうとしない。

 

 

「……おまえ、何かあったのか?」

 

 

先輩はカウンター内から出てくる私の顔を不審に覗く。

 

 

「な、なんでもないです。……あ、あの、私……」

 

 

大好きなあなたと居れて幸せでした。

 

 

優しく頭を撫でてくれて幸せでした。

 

 

暖かい手を繋いでくれて幸せでした。

 

 

だから……。

 

 

私は……。

 

 

 

 

「……わ、私、帰ろうと思います」

 

 

 

もう、あなたの優しさを独占しないため。

 

そして、あなたの幸せを願って。

 

 

先輩は少し驚いたように目を大きくさせる。

 

後ろに居た陽乃さんは興味が無さそうにそっぽを向いてしまった。

 

 

「……そうか。…そう、だな。その方が良いかもな」

 

「……はい」

 

 

また、抱き締めて。

 

私を引き止めて。

 

そんな小さな願いは頭の中から掻き消した。

 

 

 

「婚約の挨拶。行かなくちゃだもんな」

 

 

 

……。

 

…?

 

 

「は?」

 

 

「「「「は?」」」」

 

 

話が噛み合っていないのは気のせいか。

 

そこに居た先輩以外の全員が固まっている。

 

 

「まずは一色のご両親に挨拶した方がいいよな?そしたらウチの両親に報告して……、ん?なに?なんで固まってんだよ?」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!せ、先輩、なにを……」

 

「……職業は小説家の方がいいよな?喫茶店のマスターって将来不安だもんな」

 

「た、確かに……。って、そうじゃなくって!!」

 

 

すると、先輩は私を宥めるように、いつもと同じ手を私の頭に乗せてくれる。

 

触れた部分が溶けそうなくらいに熱を帯びていて、今にも私の目からは涙がこぼれ落ちそうだ。

 

 

「……おまえの考えることくらい分かってる。無駄に気を回すところも、誰よりも計算高いところも」

 

「……せ、先輩は、私と居ちゃ……」

 

 

私と居ちゃいけないんです。

 

相応しい人がそこに居るんですから。

 

私のことなんて……。

 

 

 

「俺はおまえと一緒に居たいんだ」

 

 

「わ、私は……っ!!」

 

 

「結婚……。してくれるんだろ?」

 

 

そっと、先輩は私の左手を持ち上げる。

 

暖かい手のひらからは小さな幸せを創造した指輪。

 

私の薬指にぴったりの指輪は、先輩の手によってハメられた。

 

 

 

「……照れるわ。やっぱり俺には水が合わん」

 

「こ、これって……」

 

「……そのうち渡そうと思ってた。でも、ぐだぐだしてたら、おまえ何所かに行っちまいそうだし」

 

「っ!」

 

 

 

「好きだ。誰よりも。おまえのことが」

 

 

 

するりと交わされた言葉に、私の涙は堪えずに溢れ出てしまう。

 

 

そんなに暖かい言葉を言われて我慢できるわけがない。

 

 

私の腰に回された手は力強く先輩の胸に引き寄せられる。

 

 

恥ずかしいです。

 

 

皆んな見てます。

 

 

それでもやっぱり、私は。

 

 

……

 

 

「わ、私も。……私も先輩が大好きです!!」

 

 

 

 

 

42/42days

 

 

 

 

 

 

 






もう1話だけ投稿します。




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月並みの幸せを

 

 

 

 

 

 

 

雲に隠れた月は薄っすらと形だけがわかる程度に光を放つ。

 

曖昧な形はもやもやと、やがて流れ行く雲を辛抱強く待ち続けるように、月はその場で光り続けた。

 

 

巡り行く日を思い起こせばキリがない。

 

 

たった42日間の出来事でさえ、私の歩んできてた人生の中では眩く、色鮮やかに浮かび上がる。

 

 

夜空の下を歩く私達の繋がれた手はもう離されることは無い。

 

 

力強く、ずっと。

 

 

「先輩……」

 

「あ?」

 

「……」

 

「……緊張、してんのか?」

 

「…はい」

 

 

目的地が近づくにつれ私の胸は強く脈打つ。

 

どんな顔をして会えばいいのだろうと思いながら。

 

 

ふと、隣を歩く先輩の顔を覗いてみるが、先輩は近所のコンビニにでも行くかのような無表情だ。

 

 

「まったく、人の気も知らないで。はぁー、もー、これだから先輩は。朴念仁とは先輩のことですよ」

 

「言われのない罵倒は止めてもらえますかね?」

 

「いいですか先輩?先輩と私はこれから私の両親に婚約の挨拶に行くわけですよ?」

 

「ん。そうだな」

 

「しかも、その娘は数ヶ月前に仕事を辞めていて、その婚約者の家に転がり込んでいた。……小町ちゃんの境遇なら先輩はどう思います?」

 

「その男をぶっ飛ばして小町を保護する。俺が小町の世話をするまである」

 

「気持ち悪い!気持ち悪いです!」

 

「……それだけ元気があればもう大丈夫そうだな」

 

 

そうやってまた、先輩はどこ吹く風で歩き続ける。

仮にも婚約のご挨拶に行く人の態度か。

 

 

むー。ママ怒ってるだろうな……。

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

「あら、おかえり。早かったのね」

 

「え、あ、うん、ただいま?」

 

「なに?いろは、まるで連れてこられ野良猫みたいにしちゃって」

 

「そ、そんなこと……」

 

 

勝手知ったる玄関の戸を開けると、ちょうどママがリビングから顔を出しているところで、私の心臓は小高い山なら飛び越えられそうなくらいに飛び跳ねた。

 

が、目の前にしたママの態度、なんとゆうか……、普通?

 

まるでいつものように学校から帰ってきた私を迎え入れるかのように、ママは平然と私を家に入れたのだ。

 

 

「比企谷さんもお疲れでしょ?リビングにお茶があるから早く上がって」

 

「はい。お邪魔します」

 

「え?え!?なんで先輩の名前知ってるの!?」

 

「はぁ。本当に馬鹿な娘でごめんなさいね。いろは、話は落ち着いたらするから、今はゆっくりしていなさい」

 

 

呆れたように手を腰にやったママは、先輩の分だけスリッパを差し出すとリビングへ戻っていく。

 

それを追うように私もリビングへ行くと、先輩はスリッパをパタパタと這わせて付いてきた。

 

 

見慣れたリビングの見慣れたソファー。

 

ママはお茶菓子とコーヒーカップをお盆に載せて持ってくると、そのまま私と先輩の前にそれを置いて自分も座った。

 

 

「比企谷さん、ガムシロップは2つで良かったのよね?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

……?

 

初対面の対応じゃない?

 

どうしてだ!?

 

 

「な、なにがどうなってんの!?せ、先輩はママと知り合いだったんですか!?」

 

「は?知り合いってゆうか、何度かご挨拶に来たことがある程度だが」

 

「ご、ご挨拶。……?」

 

「……馬鹿。いろは、比企谷さんはね、あなたが仕事を辞めたことも、比企谷さんの家でお世話になっていることも、精神的に不安定だったことも、全部逐一報告してくれていたのよ」

 

 

コーヒーカップを啜りながら、ママは私の目を見て話す。

 

情報が頭の中を空回る。

 

一旦落ち着こうと私もコーヒーを一口飲み込むと、それはどこか”いつも”と同じ味がした。

 

 

「こ、このコーヒー…」

 

「それも以前、比企谷さんが持って来てくれたの。あなた、一緒に住んでて気がつかなかったの?」

 

「気がつかなかった……、ってゆうか、いつも一緒に居たはずなのに!」

 

 

カチャ、と。

 

先輩がコーヒーカップを受け皿に置くと、少し間延びした声で今までの出来事を説明してくれる。

 

 

「出版社に原稿のプロットを持ってく時、そのままここにも寄ってたんだよ。何度かお留守番してくれてただろ?」

 

「そ、そういえば」

 

 

改めて、ママは小さくため息を吐いた。

 

 

「……あなたが仕事を辞めたと聞いたとき、私は意地でも家に引き戻そうとしました。それが母親としての責任であり、あなたにとって最良だと思ったから」

 

「……はい」

 

「それでも、比企谷さんがそれを止めたから。……いろはには少し自分で自分を見つめ直す時間が必要だと言うから、私は比企谷さんにあなたを任せたの」

 

「そう……、だったんだ」

 

「ようやく顔を見せに来れるくらい、あなたは立ち直ることが出来たのでしょう?それなら、私から言う事は何もありません。……それでも、後ろめたいと言うのなら、比企谷さんにしっかりお礼を言う事。…ね?」

 

 

ママはいつも大きくて、そこに居るとも気づかないくらいに近過ぎる。

 

それが安心で、心が落ち着いて。

 

雪ノ下先輩のお母さんと対話したときにも思ったけど、やっぱり母は、幾つになっても偉大であり続けるんだ。

 

 

「……ま、ママ…ありがとう。先輩も、……ありがとうございました…っ〜」

 

「…おう」

 

「私、先輩とずっと一緒に居れて、幸せでした。…これからもずっとずっと、幸せです!!」

 

「……ちょ、一色、待て……」

 

「ママ!私、絶対に幸せになるから!!」

 

 

「……え、あ、あなた達、結婚するの?」

 

 

「……は?」

 

「……」

 

 

 

「「「……」」」

 

 

 

.

……

………

…………

 

 

 

その後はもはや混沌の修羅場。

 

困惑するママに困惑する私。

 

そして、頭を抱える先輩。

 

だって、もうママには先輩から報告してると思ったんですもん!!

 

私は悪くない!!

 

場が落ち着きを取り戻したときに、先輩は仕切り直しとばかりにママへ頭を下げた。

 

 

”こ、今度、お義父さんも居る時にゆっくりご挨拶させて頂きます”

 

 

…、ぷっ。お義父さんだって。

 

 

「いやぁ、なんだかんだ丸く収まりましたね!」

 

「収まってねぇよ!至る所からはみ出してるから!」

 

「だ、だって、私は何も知らなかったんですから!いつまでも先輩の手のひらで踊り続ける女じゃないんです!」

 

「おまえなぁ。物事には順序と言うものがあってだな、皆んなが皆んな、勢いやテンションで生きてるおまえとは違うんだよ」

 

「……ふふ。勢いでこの幸せを掴み取ってやりましたけどね」

 

「ドヤ顔が清々しいな!」

 

 

いつの間にか晴れていた夜空。

 

先ほどまで月に掛かっていた雲はどこにもない。

 

月明かりは私と先輩の行く末を照らすように、星がキラキラと幸せを零し落とすように、夜空は私と先輩をお祝いしながらいつまでも続く。

 

となりで怒りながら歩く先輩は、ポケットに手を突っ込みながら未だグチグチと文句を言っていた。

 

 

「次に挨拶へ来るときは、おまえに台本を持たせることにしよう」

 

「ふふ、先輩。台本とかも描けるんですか?」

 

「まぁな」

 

「……”俺はいろはと幸せになります。ずっとずっと、いろはを守り続けます”ってのはどうです?」

 

「クサくね?ドラマや漫画に感化され過ぎだろ」

 

「むむ!感化されて何が悪いんですか!!」

 

「……別に悪かねぇか。……はは」

 

「なに笑ってんですか。まったく、先が思いやられます」

 

 

「……出会ってからずっと困らせられ、悩まされ、疲れさせられ…」

 

「……何ですか?」

 

「それでも、誰よりも愛おしくて」

 

「へ、へ?」

 

 

「守り続けたい大切な人です」

 

 

私の考えた台本よりも、それはとても物語のようなクサいセリフ。

 

それでも、彼が呟く言葉には魔法が掛かっているのか。

 

私はその言葉一つ一つに身体を覆われていく。

 

 

「……これからも一緒に居させてください。……まぁ、月並みだがこんなもんだろ」

 

 

「……平凡でも月並みでも良いんです。大事なのは先輩の言葉が本物かどうかです」

 

 

「……本物に決まってんだろ。……って、……!?」

 

 

赤らむ先輩に、私は思わず抱き着いた。

 

火照る身体が暑過ぎて、先輩の瞳に映る私が照れ過ぎて。

 

 

初めてのキスは幸せに暖かくて。

 

 

名残惜しくも離れた唇には熱がこもっている。

 

 

 

「私の大好きも本物です

 

これからも……。

 

ずっとずっと大好きです!!」

 

 

 

 

-fin-





ちなみに

十文字 三雲

文系 三位 をキーワードに作った名前なのでした。

これ、どっかで話に盛り込もうとしてたけど、入れるタイミングを逃しちゃって……。

まぁ、大した事じゃないですけど笑


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