『うちはシスイ憑依伝』外伝集 (EKAWARI)
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シスイ伝シリーズ総纏め&本編挿絵
本編のあらすじ。
あるところに、平凡な1人の男が居ました。
日本の中流家庭に生まれた彼は、平凡ながら幸せにスクスク育ちました。
しかし、彼が20歳を迎えたその年、彼が贈った旅行が原因で両親が亡くなってしまいました。
大学を中退し、付き合っていた彼女とも別れ、当時中学生だった妹を養うために彼は働きに出ました。しかし、28の誕生日を1週間後に控えた其の日、彼は階段から足を踏み外し命を落としたのでした。
次に目覚めた時には彼は3歳のうちはシスイに憑依していました。
自分が漫画世界の他人に成り代わっている。そのことに気付いた彼は落ち込みました。
それでも自分が既にうちはシスイになってしまったという現実は変わらない以上、力がなくては何も出来ないということもわかっていましたので、彼は自分の力をつけることにし、適正が高いだろう瞬身の術と幻術ばかりを特化して鍛えるようになりました。
そうして更に何年もの月日が流れ、8歳になったある日、彼は「うちはイタチ」に引き合わされました。
原作で読んだ時の彼のイタチに対するイメージは「強くて格好いい頼りがいのある良い兄貴」といった人物像でしたが、彼が出会ったイタチはまだ弱冠2歳弱の幼子でした。
多少おませながらも小さくて礼儀正しく可愛らしい子供を前に、彼はイタチの事が大好きになりました。
しかし、彼は自分の勘違いに暫く気付いていませんでした。
「か、か、かかかか母さん、大変だ! イタチついてない!? ちんこついてないよ!?」
なんと、原作世界では男だったはずのイタチはこの世界では女の子だったのです。
そのことに驚きましたが、性別を間違われたことに落ち込むイタチを見て、例え性別がどうであろうとイタチはイタチだと思い直した彼は、まるで前世の妹に対して自身がかつてそうであったように、イタチに対して情を深めていくのでした。
しかし時は第三次忍界大戦の最中です。
やがて、『シスイ』の両親も戦争に駆り出され、殉死し、そうしてイタチとの出会いから1年が経ち、アカデミーを飛び級で卒業した彼もまた戦場に出る事になり、当然人を殺すようになりました。
そして半年後、彼の配属されたチームメイトは担当上忍を含め、彼以外全滅し、また親友と呼べる少年の介錯をすることとなった彼は万華鏡写輪眼を開眼し、1人で残った敵を全滅させて里へと戻りました。
しかし、万華鏡写輪眼を開眼したという事実については隠蔽し、自分が万華鏡に目覚めたことを彼は隠し通しました。それでも、木の葉の忍びとして命じられるままに戦争の終わりまで戦い続けました。
そうして更に半年後、漸く第三次忍界大戦は終わりを迎えたのです。
原作のシスイ同様に「瞬身」の2つ名を与えられた彼は、うちはフガクによる計らいから、うちはイタチの婚約者という立場を与えられました。
しかし、彼にとってはイタチの婚約者という立場は、イタチと堂々と関わるための口実でしかありませんでした。
彼は思ったのです。
力があるというだけで子供が戦場に出されるなんてそんなのはあんまりだと。
そんなこの里の今を変えれる人間がいるとすれば、彼女しかいないのではないかと。
子供達が笑って暮らす未来を見たいのだと。
「オレの夢は、お前を火影にすることだよ」
そして、其の夢のためなら、何も惜しくないのだと彼は微笑いました。
やがて月日が流れ、彼は上忍に昇格し、時にはアカデミーの臨時教師の仕事を受けたり、担当下忍である3人組の面倒を見たりする傍ら、イタチやサスケ達一家との交流も深めつつ日々を過ごしました。
其の一方で、やがて里への不満から火を噴き出し始めた「クーデター」を企むうちは強硬派の人達への説得や、穏健派のうちは一族の人間に対する根回しや話し合い活動なども彼は続けました。
うちはクーデター事件など起きたらイタチが火影になるという自分の夢の妨げになる。なにより、自分の知るイタチが原作NARUTO世界のうちはイタチのように泣きながら両親を殺め、汚名を被って犯罪者になる未来なんて嫌だったのです。
そう思う彼は、いつかわかってくれる筈だと説得を続け、やがて彼が18歳に成る頃には一族でクーデター論を推す声は随分と小さくなりはじめていました。
ところが、ダンゾウによるシスイ襲撃未遂事件が起こり、うちは一族はクーデターを決行することを決めました。
このまま進めば、イタチはおそらく原作のイタチがそうであったようにうちは一族殺しの任を命じられるでしょう。
だから彼は三代目火影に頼み込みました。
どうか、うちはイタチに下す任務を自分に命じてくれ、と。
そして願いは受理されました。
それはまるで、原作のイタチの立場と入れ替わるように。
それでも彼はうちはイタチではありません。
そう、これは自分が人殺しに耐えられない人間であることにすら気付く事が出来ず、最期まで直走ったとても愚かな1人の男のお話です。
うちはシスイ憑依伝シリーズ総纏め。
うちはシスイ憑依・主人公。前世の名前、内田??? 下の名前は結局最後まで思い出さなかったようだ。
作者的愛称はしーたん。由来は「シスイ憑依オリ主」の略でもあり、本編シスイさんとの呼び分けでもある。
二次創作オリ主に個人名なぞいらんだろうという理由で前世名は考えていない。
アカデミー卒業年齢:9歳 中忍昇格:11歳。上忍昇格:16歳前後。
身長178㎝ 体重62㎏(死亡時)。
好きな食べ物:和菓子、タクアン。
嫌いな食べ物:納豆、なめこ。
好きな言葉:可愛いは正義。
趣味:子供の面倒見ること(←本人は否定)
前世も現世も享年27歳な本作の主人公。
一応原作シスイさんと同じ顔と体をしている筈なのだが、表情とか雰囲気、しゃべり方他違いすぎる為全く似てくれないあたり流石別人。多分普段こんなんだけど、シスイさん魂がINしたらちゃんとシスイさん顔になるんじゃないかな。笑顔率と赤面率がやたら高く、実は笑顔パターンが今回載せた分以外でも5種類はある。頬染めはデフォルト。照れると頬掻く癖がある。
あと、心因性勃起不全持ちで、心の病みっぷりが如実に体にも影響出している男。明るく間の抜けた台詞や態度に騙されてはいけない、こいつは重度のヤンデレだ。そんなに病んでいるくせに、本人に自分が病んでいる自覚はなく、自分は普通の凡人だと思い込んでいるところが恐ろしい。
シスコン兄ちゃんで我が道を行く尽くし系病みデレ男であり、ヤンデレレベルが高すぎても低すぎても死ぬ困った御仁。裏設定ではどのルート辿ってもどんなに長生きしても40歳の壁を越える前に死ぬ。
でも本人は自分の事幸せだと思っているよ!
感想でよく可哀想と言われる男ですが、なんだかんだいって好き勝手生きた果ての結末があれだったので、別に可哀想なんかじゃないと思います。結構こいつ、自分勝手の人でなしです。
というか病んだ心と生への執着の無さが死を呼び寄せているだけなのが実際のところなので、正直同情の余地はないと思う。
因みにこいつが人に好かれているシーンが多いのは、浅い付き合いだと「好青年」しているのが原因であり、別に本性までは知られてはいないから好かれているだけなので、多分本性が知れ渡っていた場合はもっと嫌われていたと思われ。
基本的に付き合いが浅いと良い所ばかり目に付き、逆に深い付き合いだと「こいつ、本当に大丈夫なのか?」と不安に思われやすい男。
金髪少年以来他人とは一定の距離を取って付き合っている為、ぶっちゃけこいつの本性に気付いているのはイタチさんと、薄々感づいているのが三代目なぐらいで、他の人は本性に気付いていないからこいつに優しいだけである。多分重度の病みデレであることを知られていたら、もっと嫌われたりもしてたんじゃないかなー。
第三者から見たしーたんは「コミュ力が高く、サポート上手で、仕事が出来て人懐っこく、どこか抜けているけど清潔で子供好きの面倒見の良い甲斐甲斐しい男」なので浅い付き合いなら寧ろ嫌う要素はない。その辺は流石元リア充と呼ぶべきなのか。
だが、こいつの本質については、代々うちはシスイ憑依伝・続で語っているイタチのシスイ像がほぼ正解なので、本性込みなら嫌う奴はとことん嫌うタイプだと思う。
因みに同年代の女子にはモテない。
理由は「なんか頼りがいなさそう」「強いのか弱いのかわからない」「良い人なんだけどつまらなさそう」「へたれっぽい(※実際はへたれと真逆の爆走男)」「ああいう人畜無害そうなのに限ってベットでは変態そうだよねー」とかそんな感じ。
その代わり愛嬌と近所付き合いスキルが高い為、おばちゃん受けは抜群である。ハイスペックアホの子。
本人には自覚がない……というか、そう思うのは死んだ両親に申し訳ないことだという意識から無意識に考えないようにしているというか、客観的に見たら自分のせいではないことも自覚しているから無意識の海に沈めているだけで、実の所、前世の両親の死を「自分が殺した」と思っている節がある。
自分が贈った旅行で親が死んだから、だから当時中学生だった妹から両親を奪ったのは自分であり、己は人殺しであり親殺しであると、しかしそう思う事を両親が良しとすることはないだろうと思いつつも、どうしてもそんな想いが捨てきれなくて、なのでシスイ両親であるこの世界の親に対してあれほどあっさりしていたのも、「親」というのがしーたんの中である種タブーであったこともあるんだろうなーって感じ。
因みにしーたんは例え両想いになってもイタチさんとくっつく気がそもそもないのだが、それも前世で両親の死後(将来結婚も内心漠然と考えていた)彼女に自分の都合で別れを切り出し、彼女を「捨てた」ことに対する罪悪感とか諸々が積み重なっている所があり、トコトン難儀なめんどくさい男である。
つか、めんどくさすぎる。なんだこのマダオ。
どうしようもない駄目人間、とびっきりの独善家、救いようのないアホ、自ら破滅に向かって直走る男、それがしーたんという男であり、この『うちはシスイ憑依伝』という物語は、そんな男の生き様と死に様の話なのである。
うちはイタチ。
アカデミー卒業年齢:7歳 中忍昇格:10歳。上忍昇格:14歳。
身長170㎝ 体重51㎏。
スリーサイズ:B83、W56、H82でCカップ。
好きな食べ物:おむすび(こんぶ)、キャベツ。
嫌いな食べ物:ステーキ。
好きな言葉:平和
趣味:甘味処めぐり。
何故かこの世界では女として生を受けたイタチさん。本作のヒロイン。先天的なTS設定なので、本人の性自認も普通に女である。
性格や口調については、一人称を生まれつき女設定ということで、原作の「オレ」→「私」に変更しただけで基本的に弄っていないつもりなんですが、気付いたら作者さえ気付かないうちになんでかしーたんのこと好きになってて構想の中で完全ヒロイン化の道を辿っていた御仁。あるぇ? おかしいな、こんなこと予定にないぞ。しかし、萌えたのでそのまま進めてみた。反省はちょっとしかしてない。
けれど、TSしようが、ヒロイン化しようがイタチさんはイタチさんなので、バトルシーンは誰より強く格好良くは譲れません。……かっこよく書けてたらいいなあ。
本作のヒロインですが、イタチさんなので媚び媚びには書きたくなかった。そういう意味では1番気を遣って書いていた方なのかもしれない。
ヒロインらしさとイタチらしさ両方を追求してみたキャラになったような気がします。
イタチといえば、個人的に原作を読んでて1番印象的だった台詞が「オレを完璧だったなんて言ってくれるな」とサスケに向かって、自分のかつての非を認めながら言ってた言葉だったので、一見完璧っぽいけど、実は完璧ではないひとのつもりで書いていました。
でも周囲には完璧扱いされるのがやっぱり基本で、そんなイタチさんがこの話で自分が完璧でないことを原作より早く認められたのは、多分情緒不安定で「あ、こいつ私がついてないと駄目だな」と思わせてくれる超駄目人間の大阿呆しーたんがいたからなんじゃないのかなあという気がしている。
誰よりも矛盾していて、けれどそのことに本人は全く気付かなくて、笑顔の仮面被ってへらへら傷隠していたしーたんを見てて、多分自分の短所もイタチさんは見つめ直す余裕があったのではないか。
……あ、もしかして本作でイタチさんがしーたんのこと好きになったのってそれが理由なのかもしれない。うーん、作者のくせに其のあたり感覚で書いているものでアバウトで済まない。
元々この「うちはシスイ憑依伝」という話を書いた切っ掛けはイタチが火影になる話が見たいだったので、この話の原点的存在だと思う。そういう意味ではシスイ伝シリーズはイタチさんと主人公のW主人公制だったのかもしれない、なんてことを思う。
主人公が最初に配属された班のみんな。
本作の主人公であるしーたんがアカデミーを卒業して最初に配属された班のみんな。
二次創作で登場するオリキャラにあまり名前をつけるのは良くないと思ったので名前はつけていないので、とりあえず仮称、おさげの医療忍者っ子と、金髪くんと、父親みたいな上忍の先生の3人とショタしーたん。
おさげの医療忍者っこ:3人の中で1番年上だった。
将来の夢は綱手姫の弟子になって木の葉1の医療忍者になり、自分の医療所を建設すること。明るくマイペースふわふわした性格でしーたんにはハムスターみたいとか思われていたらしい。結構ノリが良くておおらか。はがねコテツに惚れていた……という裏設定があった。享年13歳。
金髪くん:主人公が初めてこの世界で最初で最後に親友と呼んだ相手。
夏の太陽のようなカラッとした笑顔が印象的な少年で、将来の夢はアカデミー教師。
その明るさに主人公は救われていた。忍者としてはそれほど適正が高いわけではなかったのか、あまり強いわけではなかったが、メンバーの中心的存在であった。
最初の殺人後しーたんが正気を保てたのも彼らがいたおかげであり、親しい人は大勢作ってて誰にでも懐いていたような主人公であるが、親友と呼べるほど仲良くなったのは彼だけである。
しかしだからこそ彼の死は万華鏡を開眼させる以外にも様々なことを主人公に影響を及ぼした。主人公の自分を無自覚に蔑ろにするヤンデレが加速したのは彼が死んだ後であり、彼の命を自分で奪ったからでもある。木の葉を想い、死の間際まで主人公のことを気に掛けていた。享年12歳。
父親みたいな上忍の先生:3人の担当についた上忍の先生。父親みたいに時には厳しく時には暖かく3人のことを指導していた。既婚者だったが、彼女のほうが先に戦死してしまったため、男やもめの暮らしをしていたとかいうどうでもいい裏設定がある。享年36歳。
シスイ班三人組。
主人公が上忍になって初めて担当することになったアカデミー出たての下忍3人組。
オリキャラというわけで名前はやっぱりついていないので、武闘派くノ一っ子、のっぽくん、ぽっちゃり少年と呼ぶことにする。
武闘派くノ一っ子:シスイ班のリーダー的な存在で、続編のほうでは後に暗部の姉ちゃんとして再登場する。
主人公のことを慕っており、初恋とも憧れの人とも取れる感情でしーたんのことを想っていた。
武闘派とつくだけあって、文字通り体術が得意で、実家のほうで布術を修めていた。なので、腰に巻いている赤いひらひらとしたでかい布は彼女にとっては文字通り武器であり、布の下には普通の紐帯も巻いているため、外しても問題はない。瞬身の術にも適正があったためシスイ班に配属されたとかいう裏設定もある。
のっぽくん:見た目よりも軽くてノリが良くて明るい。
続編中編で中忍テスト受けたいーとか言ってたのはこいつ。意外と幻術系と次いで忍術系に適正を示しており、火遁術はわりかし得意。チャクラ量もそこそこ多いほう。
尚もっぱら主人公には幻術についてレクチャーを受けてたらしい。幻術適正が高めだったからシスイ班に配属されたようなもんである。一方、集団戦においては、でかい図体しているわりにあんまり力や体力があるほうじゃなかったため、なんだかんだでサポート係に徹していた。
ぽっちゃり少年:医療忍者見習い。実家の関係と本人の趣味により薬草や毒草などに詳しく、武器は毒物と千本をメインに使っていた。武闘派くノ一っ子が正面から特攻し、それをのっぽくんがサポートし、彼が仕留めることを思えば案外バランスの取れたパーティー。
こう見えても3人の中では1番頭が回るほうだったらしいが、武闘派くノ一っこをいつも立てていたというか、実は彼女のことが好きだったりしたため表に立つことはなかった。
また、彼女が主人公のことを想っていることを知っていることや、自分自身シスイ先生のことは好きだったのもあって、まだシスイ先生への未練があるらしき彼女には後ろめたくて告白出来ないらしい。その辺は外伝のバッドエンドルートや失明・晩年ルートでも少し出てくる。
主人公の妹ちゃん。
文字通り、主人公の前世での妹であり、主人公がヤンデレの道を歩み出した元凶の1人でもある。ただし、主人公はシスコンでもあるので、絶対にそのことを認めようとはしないだろうし、だからこそ自分が病んでいることに気付かないのだが。
主人公に取っては救いであると同時に枷でもあった少女。
主人公の6歳年下で、両親を亡くした時は中学生だったが、主人公の頑張りによって何1つ不自由することなく高校大学への進学を果たした……が、兄が笑顔で無理をしておりそのことが次第に心にまで影響を出し始めていたことには薄々気づいていたため、感謝と尊敬の他に後ろめたさや罪悪感もいつも兄に抱いていたらしい。
そして、就職も決まり、漸く兄に恩返しが出来ると思った直後に兄を亡くす。
因みに彼女の夢とは翻訳作家であり、専攻はスペイン語だが、他にもフランス語、ポルトガル語なども学んでいた。
尚、料理は食べられないことはないが普通に下手らしく、いつまでたってもあまり上達しなかったため、実は兄貴のほうが料理上手である。下手なりに頑張るあたりが健気っちゃ健気。
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本編挿絵集。
其の壱、猫葉さんリクエスト、本編第四話より、アカデミー卒業式の主人公と子イタチさん。
* * *
イタチは初めぽかんとしたかと思うと、次にくすくすと、忍び笑いを漏らして、「それ1つじゃないと思う」と笑った。
「う……言葉の綾だ、言葉の綾。あんまり笑うなよ、恥ずかしくなってくるだろ」
ぼりぼりと頬をかく。多分既にオレの顔は頬は赤い。
「自分で笑えっていったのにか?」
イタチはどことなく楽しそうに、なんだか悪戯じみた色を知性に満ちた黒曜石の瞳に乗せて、オレを上目遣いで見上げてきた。
* * *
其の弐、続編中編より、ペイン長門による木の葉襲撃事件時の須佐能乎を従えた暗部服イタチさん。
尚、今回付属のSSは書き下ろし。
* * *
その襲来はまるで暴風のように訪れた。
六道仙人が持っていたとされる、至高の瞳術、輪廻眼。その畏怖と憧憬の対象たる伝説が今木の葉へと牙を剝いている。
其れはまさしく神の再現。
ペインという名の新しき神を前にしては、人の御業など児戯に等しい。
また、1人忍びが倒れた。歴戦の勇者が為す術もなく倒れていく。
ゾッと背筋に冷たい汗が伝う。
(あんなの、誰も勝てやしない)
息を飲む事さえ恐ろしい圧倒感、圧迫感。きっと虎に立ち向かう鼠とはこういう気持ちなのだ。
木の葉隠れの火影直轄部隊である暗部として、配属されて3年ほどを数える青年の心に次第に恐怖が満ちていく。そして、その心が絶望に染まりきる手前のその刹那、それはまるで鮮やかな一陣の風のように現れた。
まるでそれ自体が一個の生き物のように、無数のクナイが飛ぶ。
そして颯爽と現れたのは、自身と同じ暗部装束に狐の面を被った女性。其の凛とした立ち姿はまるで普段と変わってなくて、ヘナヘナと暗部隊員は腰を落としながら女性を見る。
「……隊長」
「怯むな」
凛とした声で、そう一言彼女は叱責をした。
「我らの肩には木の葉の未来が掛かっている。お前も木の葉の忍びなら敵に背を向けるな」
「でも……あんなの、勝てませんよ」
思わず、青年の口から泣き言が零れる。それに、ふとほんの少しだけ隊長と呼ばれた女性は雰囲気を和らげて、それからこう言った。
「この世に完璧なものなど存在しない……どんな術にも必ず弱点となる穴がある。諦めるな、諦めたらそれが本当の終わりになる」
そして彼女は、己の顔につけられた面を外した。
狐の面が外れ、其の下から玲瓏たる美貌が露わになる。凛とした表情は力強く美しい。そして、長い睫に縁取られているのが印象的なその切れ長の目をまっすぐに部下に向け、女は言った。其の瞳はいつもの漆黒ではなく、巴模様と共に紅く染まっている。
「お前は他の住人の救出に向かえ」
「隊長は?」
「此処は私が抑える」
だから心配するなと暗に含ませて、女は其の凛とした背中を部下へと向けた。1つに束ねた長い黒髪がバタバタと風に揺れてはためく。其の様がとても雄々しく力強くて、部下は呆けたように彼女の背を見つめた。
凛とした立ち姿、背後を振り向くことはない。それは信頼だったのか、それとも確固たる自信の表れか。正面だけを見つめる三つ巴を描いていた女の瞳が万華鏡模様へと変わる。それと共に黄金の光が降りて、それはやがて巨大な骨の形を描き出した。
そしてその日、その若き暗部隊員はもう1つの神話の再現を見た。
現れたのは光を纏った黄金の巨人。其れが術者たる女を守護するように、或いは木の葉を守ろうとするかのように立ち上がる。
そして……。
「……往け」
―――――須佐能乎は今此処に木の葉の敵を殲滅せんと、舞い降りた。
* * *
其の参、織田弥生さんリクエスト、続編最終回より、涙するイタチ。
* * *
ポタリと、男の頬の上に暖かい滴がこぼれ落ちる。泣いている。あの、イタチが自分のために泣いているのかと、シスイはおぼろげな思考で思う。
(どうしてだろうな、オレはお前の泣き顔なんて絶対見たくないとそう思っていたのに)
なのに、今はその涙がなによりも嬉しい。
イタチに言われるまでもない。本当に酷い男だ。でもきっと世界一の幸せ者なんだろうと、そう男は霞む思考で思った。
* * *
其の四、続編最終回より、イタチの笑顔。
* * *
そこには1人の女がいた。
木漏れ日の中、自身と顔立ちがよく似た少年の相手をしている。
いつもは凛とした表情をしていることが多いというのに、その顔は優しく和らげで、象牙の肌に1つに結わえた艶やかな黒髪が美しく映えている。楚々とした立ち姿はまるで一枚の絵のように優雅でとても綺麗で……ふと、彼女がその切れ長の黒曜石の瞳をオレへと向ける。そして、まるで桜の花のように微笑った。
ばんははろ、EKAWARIです。
本日は当小説をご覧頂き有難う御座います。
本当は外伝と本編を分ける気は当初なかったのですが、ピクシブのほうでどんどん外伝が増えていった結果、今回思い切って「うちはシスイ憑依伝」本編と外伝を分ける事にした次第です。
そのため、以前本編で上げていた話もあれば、ピクシブにしか上げていなかった話もありますが、楽しんで頂けたら幸いに存じます。
尚、以前上げた話でまだ上がっていない話もあるとは思われますが、そちらも読み直しと細かい部分の加筆修正終了次第随時アップしていきたいと思っておりますので、「この話がないよー?」って方は待っていただけたらありがたく思います。
かしこ。
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『うちはシスイ憑依伝』全15ルートエンド概要とそれに対するしーたんの話
今回の話はピクシブにアップした話の再録? で、文字通り15ルートエンドの概要とそれに対するしーたんのメタ話SSになります。
このうち本編含め8ルートエンドについては過去に発表済みだったり、これからアップだったりしますので、「ネタバレ見たくないっ」って人は『木の葉崩しエンドルート』『牙喪失ルート』『うちは心中ルート』『サスケ殺害ルート』『木の葉出頭ルート』『バッドエンドルート』のアップ後ご覧になられることを推奨します。
気にしないという方はどうぞ。
※うちはシスイ憑依伝IFルート・ザ・ストーリーの概要。
ハーメルンの18禁板で連載していた、うちはクーデター事件が起きずにイタチとしーたんが結婚するルート。
結婚して1年半後には子供も授かるし、選択肢によってはしーたんはアカデミー教師に本格転職したり、ヤンデレゲージが下がり真人間に近づいたりもする。
このルート突入後、しーたんのヤンデレパーセンゲージや運、それぞれの選択などに応じて、更に「木の葉崩しエンドルート」「牙喪失ルート」「木の葉出奔ルート」「失明・晩年ルート」の4エンドへと分岐することになる。
因みにえろぱーとではしーたんとイタチは互いのことを「可愛いな、こいつ」とか認識し、押し倒し押し倒され、欲情し欲情されるを繰り返すリバップルぶり。しーたんが上になったかと思えばイタチさんが上になったり、イタチさんが上になったかと思えばしーたんが上になったり、忙しい奴らである。
うちはシスイ憑依伝全エンドルート紹介(開示済みルート)
その1。本編エンドルート。(『うちはシスイ憑依伝』本編より)
大蛇丸の呪印を喰らい、大蛇丸分離後、衰弱死。イタチ他に看取られる。享年27歳。
その2。木の葉崩しエンドルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
IFルート・ザ・ストーリーの派生。大蛇丸による木の葉崩し事件の際、賞金目当てでやってきた敵の襲撃からアカデミーの子供を庇い、死亡する。享年24歳。
その3。牙喪失ルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
IFルート・ザ・ストーリーの派生。ヤンデレ率が20%以下で木の葉崩し事件を生き残るとランダムで発生。倒せるはずの敵を、初めてこの世界で殺した敵の子供とダブらせて殺すことが出来ず逆に殺される。享年24~25歳。
その4。うちは心中ルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
うちはシスイ憑依伝最終話からの派生。うちは一族殺しの任務を与えて貰うことが出来ず、死装束姿でイタチを迎え、イタチに目と自分勝手な遺言だけ与え、イタチに殺される。享年18歳。
その5。サスケ殺害ルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
うちはシスイ憑依伝・続後編のサスケ戦からの派生。イタチの介入が間に合わず、サスケによって殺される。享年27歳。
その6。木の葉出頭ルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。S級犯罪を犯した大罪人として里に裁かれるため、自ら木の葉へと出頭し、刑の執行を希望する。無傷なため、バッドエンドルートと違い過去を暴かれるヘマは犯さず、静かに死刑を受け入れる。享年27歳。
その7。バッドエンドルート。(『うちはシスイ憑依伝』外伝集より)
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。木の葉に連れ帰られた後、勝手に記憶を見られたことが原因で発狂、精神崩壊。牢に投獄され、周囲の心にダメージを与えまくりながら、木の葉帰還の半年後、イタチの手によって殺される。享年28歳。
その8。失明、晩年ルート。(うちはシスイ憑依伝IFルート・ザ・ストーリーより)
IFルート・ザ・ストーリーの派生。ペイン長門による木の葉襲撃後うちはオビトを殺しに向かい、失明隻腕下半身不随となって里へと戻ってくるも、2人の子供に恵まれ静かな晩年を過ごす。唯一死亡シーンが作中では出てこない=しーたんが生き残るルートである。その最期は肺炎を患い、子供達に看取られながら静かに息を引き取る。享年36歳。
未発表ルート集。(※話が短すぎる、長すぎる、エログロい他などの理由で今の所は発表予定はありません)
その9。九尾エンドルート。
うちはシスイ憑依伝3話の派生。九尾襲撃時に別天神を使わず、オビト殺しを優先すると発動する。
名の通り九尾の狐に殺されるルート。開始数行で終わる最短ルートでもある。享年11歳。
その10。原作準拠ルート。
うちはシスイ憑依伝5話の派生。ダンゾウによる襲撃時に、ダンゾウに殺され目を奪われると発動する。その後の登場人物達の未来は、イタチがシスイの目を手に入れることが出来なかった事を除けばほぼ原作準拠の道へと進む事となる。享年18歳。
その11。木の葉出奔ルート。
IF・ルート・ザ・ストーリーの派生。ヤンデレ率を高いまま保ち続けるとなりやすい。木の葉崩しエンドルート回避後~ペイン長門による木の葉襲撃ぐらいの時期にランダム発生する。イタチと共に生きていこうとする自分の罪深さを恥じ、木の葉を出奔して抜け忍となり、オビト殺しを企むも、逆にオビトに返り討ちに遭い殺されるルート。享年24~27歳。
その12。自爆エンドルート。
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。オビト戦後直後のゼツ戦の際、下手を打ちゼツに取り憑かれそうになって起爆札でゼツごと自爆して死ぬルート。享年27歳。
その13。身投げエンドルート。
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。イタチに呼び出された際、それに応じると発生する。
イタチと一線を越え結ばれるも、よりにもよってオレなんかがイタチを汚してしまったと自分の罪深さを前に耐えきれず、精神が決壊し、狂い笑った後、文字通り活火山の溶岩の中へと身を投じ、自殺して終わるルート。享年27歳。
その14。大蛇丸実験体ルート。
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。大蛇丸戦の際、生きて彼に捕まるとこのルートに強制的に進む。文字通り大蛇丸の実験のための原料とされ、意識があるままに目を奪われ、体中を切り刻まれながら、生きたまま解剖されて死ぬルート。享年27歳。
その15。穢土転生ルート。
うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生。大蛇丸戦の際、大蛇丸に殺されるとこのルートに進む。大蛇丸によって殺害された後、穢土転生によって大蛇丸の道具として意識はそのままに蘇らされ、イタチを性的な意味でもそうでない意味でも強制的に襲わされ、しーたんの精神が色々阿鼻叫喚状態となり、穢土転生体としての最期はナルトによってもたらされる。しーたんにとってはバッドエンドルートの次に悪夢のようなルート。享年27歳。
(何故かピクシブでアンケ取った結果、このルート執筆希望者が圧倒的に多いのですが、長すぎる、エログロい、主人公の蛇姦とか誰特シーンがあるなどの理由で執筆予定はありません。あとこのルートは18禁です)
全エンディングについて聞き知ったメタ世界のしーたんによる、エンディング感想。
「……と、以上が、もしもうちはシスイ憑依伝がゲームだったら書くだろう全ルートの概要だそうだ」
どことなく不機嫌そうにも見える無表情じみた顔で、そうイタチは短く吐き捨てた。
メタ空間故にこの場にいるイタチもまたシスイが辿るだろう全エンドを知ることが出来たとはいえ、どうやらシスイが取るだろうどの結末についても彼女は良く思ってはいないらしい。
まあ、それも当然といえば当然だろう。第三者から考えて一般的な幸福の基準に照らせば男が辿る結末はどれも「不幸」であると言われてもおかしくない内容ばかりであった。好いている男にそんな結末しか待っていないと知って、良い気分でいれるはずがない。
そんな風に玲瓏たる美貌を微妙に歪めつつ、不愉快な気分を内心持て余しているイタチに対して、この酷く愚かな男はといえば……。
「へー、オレってそういう結末を辿るのかー」
と、あくまでも呑気であった。
「……」
お前の人生だろう、なんでそんな他人事なんだ、とそんなイタチの視線に気付いていないわけではないだろうに、にも関わらずシスイは相変わらずののほほん顔で、あっさりとこう言った。
「まあ、一部のエンディング除けばそんな悪くないんじゃないか?」
……普通に信じがたい発言である。流石病みデレ、人とは違う。
いや、イタチはこの男が世に信じられているお人好しなどではなく、精神を病んだ自分勝手な酷い男であることは知っていたが、知っていても、この男を好いている身としては男自身の口では言われたくない台詞だった。
そんなイタチを尻目に、男は相変わらずニコニコと、ノホホンとした気の抜けた笑顔を浮かべながらこう言った。
「だってさ、考えてみろよ、そりゃバッドエンドルートとか穢土転生ルートとか一部胸くそ悪いルートはあるけどさ、殆どのルートでオレは納得して満足して死んでいってんじゃん。ならそういう結末とかも悪くないと思うけどな」
(お前が悪くないと感じていても、私にとっては悪い)
そのあまりに人の心を無視したかのような人でなしの返答に、イタチは内心で強くそう突っ込んだ。
大体からして、本当この自分勝手な男はなんなんだ。
特に身投げエンドルートなんてどういうことなんだ。私と結ばれて、罪悪感に耐えきれず身投げするとは一体どういうつもりだ。どれだけ人に対して失礼なんだこの男は。
汚してしまった? お前などで私が本当に汚れると思っているのか。自惚れるのもいい加減にしろ。私の気持ちはガン無視か。なんてナンセンスな男なんだ。愚かだ愚かだと前から思っていたが、本当に信じられない。
お前に望んで抱かれたのだろうに、結果的にそれでお前に死なれてしまった私の気持ちも少しは考えろ。自分を抱いた男が自殺など、聞いた方がどう思うと考えている。いや、お前の事だ、考えてはいないのだろうが。だが、本気でいい加減にしろこの人でなしの無自覚破綻者が!
……などなどの罵倒がグルグルと彼女の脳裏を0,2秒で駆け巡ったが、相変わらずそれらの感情が彼女の表情に表れることはなかった。
そんな風に内心ハラワタを煮え繰り返しているイタチを前に、しかしシスイは相変わらずのノホホンとした顔でこう言った。
「それにさ、15ルートのうち2ルートはお前に殺されるんだし、2ルートでお前に看取ってもらうことも出来るんだ。それってさ、凄く幸せじゃないか」
そうして本当に嬉しそうに、シスイは微笑んだ。
自分の辿る結末は幸せであると、それは本当に信じているといわんばかりの顔で。その笑顔に泣きたいような哀しみたいような気分にイタチはなる。けれど、感情を律する事になれた彼女は、それらを表に出す事もなく、しかし苦々しい声で、シスイの背へと両手を回しながら言った。
「……お前は、馬鹿だ」
「うん」
「……お前は、愚か者だ」
「うん、知ってる」
「本当に救いようがない……」
「そうだな」
「だけど、オレはこれで幸せなんだよ」
その男の言葉に、玲瓏たる美貌のくノ一は、泣くような声で「お前らしい」と微笑った。
END
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外伝SS集
外伝SS[幸福の肖像」
ここからは外伝ショートショート集となってます。
今回収録の話は、18禁板で連載している歪曲王さんリクエストイラストのIF・ルート・ザ・ストーリー設定で、イタチと生まれてきた子供(イズナ)と主人公の幸せそうな光景より派生外伝「幸福の肖像」となっております。
尚、IFルートについては18禁板で連載していることもあって、年齢制限的に駄目な方、エロが無理な方などご覧になっていない方も多いと思いますので、表に出して差し支えない部分かつ「幸福の肖像」の話に関係がある部分のみIFルート・ザ・ストーリーより一部抜粋掲載させていただくことにしました。
『うちはシスイ憑依伝』IFルート・ザ・ストーリー第二話よりストーリー抜粋。
~~~序略~~~
「……なぁ、イタチ、起きているか?」
ふと、自分を胸板に抱き寄せたまま、上から子守歌のような声音でかけられた男の声に、少女は顔をそっと上げ、「……ああ」と短い言葉で答えると同時に、今までの回想を振り払う。
そんな若妻の豊かな黒髪を指で梳きながら男は、「あのさ……」とどこか不安に揺れる子供のような色を瞳に宿しながら、次のようなことを言った。
「オレさ、今日火影様に呼ばれてただろ。それで……正式にアカデミーの教師になる気はないかって、そう言われたんだ」
それは初耳だった。けれど、別段驚くようなことでもなかった。なんとなく、三代目はそうして欲しいと前から思ってたように感じていたからというのもあったのだろう。そうでなければ、シスイ程の手練れを臨時とはいえ幻術講師としてアカデミーに派遣なんて使い方はしなかっただろうとも思っていたからだ。
けれど、男はそんなこと露にも思っていなかったのか、不安に揺れる瞳のまま「いいのかなぁ」とそう呟く。
「問題でもあるのか」
思わずイタチは問い返した。そんな妻に向かって、シスイは始め小さく息を詰め、それから何かを決意したようにキュッと眉間に皺を1つ寄せると、口調だけは穏やかなままに次のようなことを言った。
「……アカデミーの教師はさ、オレの親友の夢……だったんだ」
そんな風にポツリポツリと漏らされた男の言葉に、思えばこうしてシスイが自ら過去のことについて断片ではなく口にするのは初めてなのかもしれないとイタチは思う。些細なことでは己の感情を恥ずかし気もなくストレートに出していた男なのに、肝心なことについては何も言わず内にひたすら溜め込む。自分の夫はそういう奴だった。
けれどそのことで水を差すでもなく、イタチは1つ頷きを返すことで、話を促す。
「アイツはさ、本当に良い奴で、将来はアカデミーの教師になって忍術だけじゃない、色んな事を子供達に教えたいってそう言ってたんだ。外の綺麗なこととかいっぱい色々。そうやって木の葉の教育界に亀裂を入れてやるんだって、そう……言って」
言いながらにどんどんと語尾は震えていった。同時に、イタチを抱きしめている腕もまた震えている。顔は涙こそ流していないけど、まるで泣いているような切なげで苦しげな表情を描いていた。
「なのに、アイツは死んで、オレが生き残って、オレが教師になるなんて……そんなの、本当にいいのかなぁ?」
「そいつはお前が教師になることを嫌がるような奴だったのか?」
淡々と感情を排した声で上目遣いに問う。そんな己の妻に対して、夫たる男はフルフルと横に数度頭を振ると、「そんなわけない」そう呟くような声で口にした。
「アイツは、オレに夢がまだないって知ると、一緒に教師にならないかってそう言ってきたんだ。夏の太陽みたいな笑顔の眩しい奴でさ。キラキラした眼で、オレが居てくれたら心強いってそんなことを言ってた」
「なら、何も悩む必要はないだろう」
イタチはそっとその形の良い右手人差し指をシスイの額に伸ばすと、軽くトンと押してから、その両の手で男の頬を左右から包み込む。
「夢を継ぐとそう思えばいい。それに……私から見ても、オマエに教師は天職だと思う」
その言葉にシスイは「……そっか」そう小さく呟いて、泣きそうな顔で微笑って、それからギュッと子供が母親に縋り付くような仕草で細身の妻の体を抱きしめると、その黒髪に顔を埋めるようにして眠りに落ちた。
~~~中略~~~
「おめでとう」
その日の夕方、アカデミーでの授業を終え帰るなり、開口一番、ニコニコとした笑顔で出迎えた義母ミコトの第一声がそれだった。シスイはなんのことかわからず、キョトンと目を丸くしてマジマジと彼女の顔を見返した。
「えーと、ミコトさん、ただいまです。ところで、おめでとうって?」
本当によくわかっていないその青年の様子を前に、男の妻たる女性によく顔立ちの似た義母は苦笑しながら、「イタチのことよ」そう口にした。
「貴方とイタチの間に赤ちゃんが出来たのよ。だからおめでとう」
その言葉に、男は目を見開いて絶句した。
「いつ出来るのかとあの人と2人楽しみにしていたのだけど、漸くね。ふふふ、孫の顔楽しみにしているわ」
「……子供?」
「そうよ、妊娠してから約3ヶ月ってところね。あの子ならもっと早く気付くと思ってたんだけど、案外あの子にも鈍いところがあったのね。ああ、イタチなら今日は検診のために火影様にお願いしてお休みにしてもらっているわ。部屋にいるから会いにいってらっしゃいな」
その言葉を聞くか聞かないかと同時に、男はイタチと自分達夫婦のために与えられた部屋に向かって駆け出した。
「家の中で走るなよ、馬鹿」
とそんなサスケの声が途中で聞こえたが、かまっていられず、バンと音を立てて部屋の扉を開いた。イタチは布団の上に白い寝着姿で、湯飲みを片手に座してそこにいた。
「シスイ……」
あまりに慌てている男とは対象的に、彼女は冷静で、その凛とした姿はいつもと変わらないように見えた。それを信じられないような気持ちで見ながら、青年は言う。
「妊娠したって……そう聞いた。本当か?」
「ああ」
コックリと頷き言うその言葉に、ヘタリと男は腰を落としながら、脱力したように呆然とした声で言う。
「本当に……オレとお前の子が?」
「信じられないか? 今は変わらないように見えるかもしれないが、そのうちイヤでも信じざるを得なくなるさ。それとも……お前は嫌だったのか?」
最後のほうの言葉は彼女にしては珍しく、少し不安げに見えた。だから、シスイは我に返り、フルフルと左右に首を振って、それから言う。
「嫌じゃない。嫌なわけない。でも本当に、本当なんだな」
「ああ……本当だ」
その言葉に男は駆け寄って、泣きそうな顔で妻の体を抱きしめた。
それからの日々は緩やかに過ぎた。
シスイは妊婦となったイタチの体を常に気遣い、「体は大丈夫か」「無理はしていないか」「辛くはないか」「何か食べたいものはあるか」と毎日のように尋ね、イタチはそれに「大丈夫」と答える。そんな過保護にさえ思える男の姿に、周囲の人もクスクスと微笑ましそうにそれを見守り、イタチの弟であるサスケは少し面白くなさそうな顔をしてブスッとすることが増えた。
そして更に3ヶ月が過ぎた頃、イタチの腹部は大分膨らみを帯びてきた。
「その……暗部の任務は大丈夫なのか。その体だろう。休ませてもらったほうがいいんじゃ」
「大丈夫。流石に妊婦相手に無茶な任務なんて割り当てられない。来月からは1年の育児休暇ももらえることになっているし、シスイは少し心配しすぎだな」
そういってクスクスと笑うイタチに対して、男はふと陰りを帯びた顔を見せた。
「どうした……?」
流石に普通とは思えない男の表情を前に、イタチは笑いを止めて夫を真っ直ぐに見上げる。そんな妻に対し、男は「なぁ……」とそっと蚊の鳴くような小さな声で言葉を落としながら、壊れ物を扱うように震える指で少女の体を抱き締めた。
「……オレ、本当にオレなんかが、父親になって、いいのかな……」
それは漸く吐き出せたような不安と恐怖に満ちたような言葉。嗚呼、そうかとここでイタチは漸く合点した。何故あれほどまでに必要以上に男が妊婦となった己を気遣っていたのか。自分の抱える恐怖を飲み込むためだったのか、と。
「オレが父親で……その子は、幸せになれるんだろうか」
きっとずっと思い悩んできたのだろう。まるで泣き出しそうな暗闇の中の迷子みたいな声で、男は震えながらに自身の不安を吐き出した。だから……。
「シスイ」
そう穏やかな声でイタチは敢えて青年の名を呼んだ。そしてその右手を男の後頭部に添えて、その顔を自身の腹部へとそのまま誘った。
「聞こえるか? この音が。今、中で動いた」
「……!」
そうやって囁くように優しい声で告げられたそれに、男は一瞬泣きそうな顔をするが、そのまま耳を女の腹に当てて「聞こえた……」そう呟いた。
「お前がどう言おうとどう思おうとこの子の父親はお前だけだ。お前と私に会うためにこうしてこの子は精一杯この中で生きている。父母に会いたいと望まない子供はいないだろう。それに、私はお前との子が出来たことが嬉しいし、この子にも早く会いたいと思っている。お前はどうだ? お前はこの子に会いたくはないのか?」
その言葉にクシャリと顔を歪ませて、男はボロリと涙をこぼしながら苦しそうな声で言った。
「会いたいよ……凄く会いたい。抱き締めて、やりたいよ」
そんな男の髪をそっと指で撫で梳きながら、「ならそうすれば良い」そうイタチは静かな声で答えた。
「お前はいつも考えすぎだ。抱き締めて愛してやればいい。それだけで子供は……幸せになれるものなのだから。きっとこの子もお前に会える日を待っている」
それに「うんうん」と頷いて、男はズビズビと鼻を啜った。
それから色んな話をした。子供の性別はどちらだろうという話や、名前はどうするかなど、男は泣きながらも幸せそうに微笑んで、子供は出来ればイタチ似の女の子がいいなとそんな話をした。
男の子だったら、イズナ。女の子だったら、クシナ。話し合いの末そう決まった。
勿論名前の由来はイズナは最初に万華鏡写輪眼を開眼したとされる開祖うちはマダラの弟から取った名であり、クシナは4代目火影である波風ミナトの妻だったうずまきクシナから取ったものだ。
イズナは、平和主義者だったと聞いているし、なんだかイタチの名前とおそろいっぽいからと男は笑って言った。クシナはうずまきクシナのように元気で活発な女性に育ちますようにとのことだ。
そうして少しずつ色んなことを話しているうちに、男が胸の奥に抱えた澱みは少しだけ晴れていったような気がした。
~~~中略~~~
「オギャアオギャア」
赤ん坊の声が、あれほどの難産であったとは思えぬほど元気に響く。そして生まれた子の祖母となったミコトは「シスイくん、生まれたわ、元気な男の子よ。早く来て頂戴」そう義息へと声をかけて、またイタチや赤子のいる部屋へと戻り、慌ててシスイはその後を追った。
中ではイタチは額から滝のような汗をかき、疲労したような目元を晒しながらもそれでも産婆によって手渡された赤子を胸に抱いて、優しげに微笑んでいた。
そして。
「シスイ」
そう名を呼んで目線だけで手招きをする。それに惹かれるようにして、未だ現実感のない足のまま男はフワフワと女に近づく。そして、女はそっと夫に向かって生まれたばかりの赤子を掲げた。
抱けと言ってるのだとわかって、シスイは震える腕でそのしわくちゃで赤らんだ顔の泣き声逞しい赤子を受け取った。その感動をなんと呼べば良かったのだろう。
「あったかいな……」
最初に浮かんだのはそんな言葉。
「柔らかくて、軽い……」
「そうだな」
イタチは穏やかな声でそれを肯定する。
それと時を同じくして「姉さん、子供が生まれたんだって」そんな言葉と共にバタバタと少年が部屋へと乗り込んできた。けれど、そんなことさえ意識の欄外でシスイは震える指をそっと赤子の頬に這わす。
そんな光景を見て、少年……イタチの弟たるサスケは「わ、オマエなんで泣いているんだよ」とぎょっとした声を上げた。
少年の指摘の通り、男は……赤子の父となった男うちはシスイは泣いていた。
「生きてる……」
一生懸命に呼吸をするように泣き声をあげる我が子を前に、震える声で男はそんな言葉を漏らす。
「……生きてる」
それは、死にばかり触れてきた男が新しい命と出会えた事への感慨だったのか。
男は赤子を腕に抱えたまま、そっと震える足で妻の元に向かい、その額に額を合わせながら、何度も擦れるような声で「ありがとう」、そう繰り返した。
「ありがとう……イタチ、ありがとう。オレ、オレ……」
「お前はすぐに泣く。全く、まだこれからだろう」
そんな風にぐずる男を前に、そう言いつつもイタチは仕方なさそうに微笑み、そして回想した。
―――――かつて雨の降りしきる神社の中で1人傘も差さずに、古い血のついた木の葉の額宛を眺める少年がいた。
少年は涙も流さずけれど確かに泣いていて、その手にした額宛を見ながらそれは「形見」なのだとそう答えた。
それが、あまりに寂しげで、苦しげで、だから思ったのだ。
いつか、男に家族を与えてやれる日が来ればいいと。
きっと青年についた傷が癒える日は来ないだろう。それでも、少しでも和らげることが出来れば、そう出来るのが自分であればいいとそう思っていた。
その願いは、今この日叶った。
そして次の約束を口にする。
「気が済むまで泣けばいいさ。嬉しいならいくらでも泣けばいい。……辛いなら寄りかかってもいいんだ」
「だって私たちは家族なのだから」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
うちはシスイ憑依伝外伝「幸福の肖像」(IFルート・ザ・ストーリー設定より)
* * *
陽気が暖かく、麗らかな風が周囲を満たす春、木の葉隠れの里が誇る
「先生さよならー」
「おう、気をつけて帰れよ」
因みに今は春休み中であり、子供達の相手をするのは別段仕事の一環というわけではないのだが、子供がいたら相手をしてしまうのはこの男の性分といえた。
「……しかし、もう2年近く経つのか」
ふと、ぽつりと男は呟いた。
シスイがアカデミーの教師に正式になる気はないのかと問われたのは、今から約2年ほど前のことだった。それまでも何度か幻術の臨時講師としてアカデミーに派遣されることはあったが、まさか本当にこうして教師として働くことになるとは当時は思ってなどいなかった。
あれから上忍としての任務も殆ど回されることはない。だけど、時々本当にこれでいいのかと、シスイは思う。火の国は大国だし、木の葉隠れの里は忍び里の中でも屈指の実力と勢力を誇る里ではあるが、それでも上忍に上り詰めたものを態々遊ばせておく程余裕があるわけでないことくらいは知っている。なのに、こうして自分がこうのほほんと教師なんてやって本当に良いのだろうか、と思ってしまうのだ。
自分は甘えているだけなのではないか、と。
イタチは教師は天職だと思うと、死んだという友人の意志を継いだと思えばいいと言ってくれたし、なによりシスイが教師になる話を持ち出してきたのは木の葉の長である三代目火影猿飛ヒルゼンなのだ。それを思えば考えすぎと言われるのかもしれないが、それでもこうして血なまぐさい現場を離れ教師業をやっていることに罪悪感を覚えないと言ったら嘘になる。
それに……今年は例の年だ。
つい先日、アカデミーでは最上級生相手に卒業試練が行われたし、卒業していく生徒も見た。その中にナルトの姿はなかったが、原作のイベントを思えば、おそらくは無事に昨日卒業したことだろう。
一時は原作とは違ってうみのイルカは孤児ではないことから、ナルトと原作のような関係を結べるのかと杞憂したこともあったが、原作よりは多少堅い部分はあっても、其の絆はちゃんと深いものに思えた。だから、きっとナルトはイルカから卒業祝いの木の葉の額宛を受け取ったことだろう。
……だから、今年なのだ。大蛇丸の木の葉崩しが仕掛けられるのは。
しかし原作と違ってうちは警務部隊は今も現役だし、なによりイタチがいるのだから原作より酷いことになるとは思えない状況だが……それより問題は別にあった。
果たして、自分は本当に戦えるのだろうか? それが男にとって最大の問題だった。
結婚し、子供も授かって、教師として働いているこの状況はまるでぬるま湯か、夢の中のようで、少しずつ心が溶かされる度に不安もまた胸を抉っていく。いつかこのままでは自分は誰1人殺せなくなるのではないかと、そんな予感がある。今まで散々敵を葬ってきた分際でそんなことを思うなんて最低だ。そう思うのに、どうしてか幸せを感じれば感じるほど指先が震えそうになるのだ。
でも、出来るなら……あの時抱いた夢を嘘にしたくない。だから、この牙が抜けてしまわないようにただ近頃はそればかりを祈っている。
ふと、そんな風に己の思考に沈んでいたシスイの前に、見知った第三者の気配が近づいてきて、シスイは即座に表情に笑顔を載せて、それまでの思考を打ち払いながら、自分の名を呼びながら近づいてくる少年のほうへ向かって振り向いた。
「シスイのにいちゃん! やっと、見つけたってばよ!」
少年はにかにかと明るく笑いながら、嬉しそうに駆け寄ってくる。その体を片手で受け止めて、空いた手でくしゃりと少年の髪の毛をかき混ぜながらシスイは優しく問うた。
「おう、ナルトどうした?」
「えへへ、これこれ、見ろってば。オレも今日から立派な木の葉隠れの忍者だ」
そうしてグイッっと親指を立てながら、ナルトは自分の額を示した。そこには思った通りイルカから貰ったらしき木の葉の額宛が存在を示している。そんなナルトを微笑ましく思いつつ男は言う。
「そっか、無事卒業出来たんだな、おめでとう。でも本当に大変なのはこれからなんだぜ? がんばれよ」
「おうっ! オレってば将来火影になる男だぜ。これからだってことくらいちゃんとわかってる。がんばるってばよ!」
そういってガッツポーズを取るナルトを見てシスイも笑った。
「ところで、兄ちゃんこれから暇?」
「んー、まぁ後は家に帰るだけだからなー。暇っちゃ暇なのか?」
そういって首を傾げる男に対して、ナルトはどこかワクワクしたような顔をして言う。
「じゃあさ、じゃあさ、これからにいちゃんち行ってもいいか?」
「お? 別にいいぞ。イズナもナルトのこと気に入っているみたいだしな、いくらでも来い来い」
因みにイズナとは昨年生まれたばかりのシスイの息子の名前だ。うちは一族で最初に万華鏡写輪眼を開眼した男として知られるうちはマダラの弟の名からあやかって名付けた。顔立ちと髪質自体は男の妻であるイタチに似ているのだが、表情豊かで人懐っこい性格をしていることから、「性格はお父さん似ね」と言われることの多い子だった。なので正確にはナルトを気に入っているというよりは、誰にでも懐いているといったほうがいいのかもしれない。
「駄目だ!」
が、そこでそんな和やかな会話に水を差す言葉がかかった。
現れたのは、シスイの妻である女性に似た顔立ちにツンツン跳ねた後ろ髪が印象的な黒髪の少年、うちはイタチの弟であるうちはサスケだった。サスケはムッスリとした不機嫌そうな顔をしたまま、ズカズカとシスイとナルトの元へと歩み寄る。
「いつまでも帰ってこねえと思ったら、このドベと何話してやがんだ、この唐変木」
「お、サスケちゃん、なんだ迎えにきてくれたのか」
因みにサスケがいつもシスイにツンケン当たるのも、口が悪いのも日常茶飯事のことなので、特に男は気にしていない。気にしているのは隣にいるナルトのほうだ。
「ちゃんづけで呼ぶんじゃねえ! それに、なんでこのウスラトンカチを家に呼ぼうとしてんだ、アンタは!」
「いいじゃん、客は多いほうが楽しいぞ?」
「良くねえ、オレん家だぞ! それにだ……イズナが1番懐いているのはこんなウスラトンカチじゃねえ! このオレだ!!」
そういって、サスケはバンと胸に手をあてて宣言した。其の台詞は叔父馬鹿全開である。
「大体、天使みたいに可愛いイズナがこんなウスラトンカチに懐く? は、ありえねェだろ。いいか、イズナはオレのもんだ。
「んだと、コラ! サスケェ! テメエさっきから黙って聞いてたら人のことドベドベうるせェってばよォ! それに、イズナちゃんはぜぇーたい、テメエなんかよりオレのほうに懐いてるってばよ!」
「……はっ、寝言は寝て言え」
バチバチと2人の少年の間で火花が散る。それを見て、シスイは1つため息を落とすと、両者の首根っこを掴んで、「はいはい、そこまで。それ以上はやめんさい。それと、心配しなくてもイズナはオマエラどっちのことも好きだと思うぞ?」そういって喧嘩を止めた。しかし、両者は聞いていなかったのか、「ぬぐぐ、テメエ何しやがる!」といってサスケはじたばたもがき、ナルトもナルトで「シスイのにいちゃん、止めるなってばよ」と言って恨めしそうに見上げた。
「全く、オマエラいつも飽きないなぁ……。下ろしてもいいけど、うちでは喧嘩すんなよ。喧嘩したなんて知ったらイズナ、悲しむぞ」
そういって釘を刺すと、2人は漸く大人しくなった。
結局の所、2人の喧嘩はイズナにどっちが懐かれているか、張本人であるイズナに決めさすで決着を迎えることになり、2人を連れて家に帰った。だが、残念ながらというべきなのか、イズナは丁度昼寝の時間ですやすや寝ているため、それが本当の決着を迎えることはなかった。
そしてやがてナルトは家に帰り、サスケは修行へと向かう。そんなタイミングを読んだというのか、食後の句を詠んでいたシスイの元へとイズナを胸に抱いたイタチが現れた。
「お帰り」
「ああ、ただいま」
そうして仄かにイタチは微笑みを浮かべて、イズナを胸に抱いたまま男の隣へと腰を降ろす。数ヶ月前から暗部として復帰した妻に変わり、今日一日はイタチの母親であるうちはミコトにイズナの面倒を見て貰っていたため、こうして親子3人が揃うのは今日は朝食以来だ。
「今日はナルトくんが来ていたと聞いた」
ぽつりぽつりとした穏やかな声でイタチは言う。
「ああ。サスケちゃんとどっちがイズナに懐かれているかーって勝負するってな。しかしまああいつら昔から顔を合わせる度喧嘩しているけど、本当よく飽きないよな」
そういって笑いながら和やかに言う男に対して、妻はそっと目を細めながら、「そうだな」そういって同意して、それからそっと胸に抱いた幼子の頭を撫でた。
「でも、そんな2人が好きなんだろう?」
その言葉に一瞬だけシスイは言葉に詰まった。それから、小さく抜けるような声で「うん」とそう答える。そんな男に向かって女は言う。
「なぁ、シスイ、お前は幸せか?」
「…………そうだな、幸せだ」
美しい妻がいて、可愛い子供がいて、それはまるで目眩がするように。これで幸せでなかったらきっと嘘だろう。けれど、思わずシスイは聞かずにはおられなかった。
「なぁ、イタチ……お前は?」
それに答えず、悪戯げにイタチは微笑った。そしてそのまま掠めるように男の唇を奪ったかと思えば、ムニッと男の頬を引っ張った。
「ちょ、ひたち」
思わず慌てて男が妻の名を呼ぶ。それに反応して小さな幼子が「うー」とむずがる声を上げる。イタチは笑っている。それになんだかおかしくなって、シスイはぷっと笑うと、「ああ、もうクソなんかオレ馬鹿みたいだ」なんて言って妻ごと我が子を抱き締めた。
「余計なことばかり考えるからだ」
「余計なことって、酷いな」
どこか楽しげに言うイタチに対して、わざとらしい拗ね声を多少口に含ませて男も言う。
「幸せとお前は答えた。ならそれが全てでいいだろう。それ以外は余計なことだ」
そういって笑う妻の頬に手を伸ばして、シスイはしかし問うた。
「……お前がそう言うのならそうかもしれないな。でも人にばかり答えさせるのはフェアじゃないだろ。なぁ……お前も幸せなのか?」
それに女は綺麗に笑ってそして、言った。
「嗚呼、幸せだ」
了
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外伝SS「微笑みの裏側」
この話は三代目視点なわけですが、三代目としーたんじゃ認識が噛み合う事はありませんが、まあ薄々三代目がしーたんがおかしいってことに気付いた切欠みたいな話です。因みに本編の三代目によるしーたん語りは半分正解で半分不正解なんだぜ。
うちはシスイ憑依伝本編軸より外伝「微笑みの裏側」(本編ナルトの中忍試験イベント前後の時間軸より)
* * *
深夜、暗部すら遠ざけた火影邸に1人の男がいた。
名前は猿飛ヒルゼン。木の葉隠れの里における三代目火影である。
歳は今年で69歳を数え、木の葉でもかなりの高齢に入る。それ故に1度は新鋭に火影の座を譲り引退した身であったが、12年前の九尾襲撃の際に四代目火影であった波風ミナトを亡くし、本人の望みとは別に再び火影の座に返り咲いたという経緯があった。
おかげで近頃はめっきり高齢故に無理が利かなくなってきた。若い頃は
しかし自らの衰えを自覚しているというのなら、一体何故彼は供もつけず、自室に1人いるのか? いくら火影邸の警備が厚いとはいえ、あまりに無防備すぎるのではないか。
そう同じ疑問を持ったというわけではないだろうに、狐の面をした暗部姿の男は、すっと三代目以外誰もいない執務室に足を踏み入れると「あまり無防備なのはどうかと思いますよ」と労るような声で言葉をかけた。
それに対し、ヒルゼンはすっと眼光鋭く男をしっかりと見上げ、「来たか、シスイ」そう声を掛けた。
その言葉を合図に、その男は……否その男の影分身は、変化を解除して微笑った。
影分身と幻術を駆使した定期報告。これは男……うちはシスイが一族を殺し里を抜けて暁に入ってから続けられている習慣の1つだ。といっても、いくらシスイとはいえ、出来ることと出来ないことはあり、いくらうちはシスイが類い希な幻術の使い手といっても、チャクラ量には限度があったし、何より寄越すのは影分身だ。
術者のチャクラを分け与えて作るこの分身は実態を持ち固有の思考能力も持つという意味では、分身の術の中でも最高ランクにあるだろう術ではあるが、それでも分身の術であり本体でないが故に脆いという欠点もあった。
それになにより、腐っても五大国筆頭、木の葉の里のガードは堅く、シスイであっても毎度何事もなく潜り込ませることが出来るというわけでもなかった。故に、定期報告と名がついてもその送る頻度は精々が数ヶ月~1年に1度くらいのものだ。けれど、それでも男がそれを欠かそうとすることはなかった。
「……報告は以上です。もうすぐ中忍試験が行われると聞きましたが、同盟国とはいえ、砂には気をつけてください」
「のぅ、シスイ」
そんな風にいつも通りに報告が済み次第、消えようとするシスイの影分身に向かって声をかけてしまったのは、僅かな罪悪感だったのか。それとも……。
男はまだ何かあったのだろうかと不思議そうな顔をしながら猿飛ヒルゼンの顔を見返す。
そんな青年に向かって苦み走った声で老人は言う。
「おぬしはワシを恨んではおらんのか?」
それはずっと抱えてきた澱みの一部だった。
もう5年は前になるだろうか。うちはシスイがうちは一族を皆殺しにして里を抜けたのは。あれは男から望んだことではあった。クーデターを起こそうとしていたうちは一族をそのままにしておけなかった故に、二重スパイだった、男の婚約者であったうちはイタチに命じうちは一族を事件前に殺させようということは。そしてイタチに変わって男が手を汚すことを望んだのは。
シスイが一族を説得し、クーデターなど起きないように奔走していたことは知っていた。うちは一族を監視していた暗部からの報告でも、シスイこそがうちは一族の抑え役になっていたことは伝えられていたからだ。なのに、本人が望んだ役とはいえ、それをシスイに殺させたのだ。
うちはシスイが一族を愛していることくらい知っていた。たとえ理由があったとしてもそれで納得出来る人間などそう多くはいないし、何よりシスイは情に厚い男だったし、木の葉を愛したいと口にしながら、愛していると言ったことがないことや、憎しみじみた感情も見たことさえあった。
シスイはそもそもが幼いときより火影のような考え方をする子だったイタチとは違うのだ。たとえ命じたのがこちらだとしても恨まれても仕方ないとさえ思っていた。なのにいつもシスイはこうして定期報告に現れる際、寧ろ労りのようなものさえ見せ、笑った。いつものように、昔と変わらず。
どうして笑うのか、何故笑うのか、未だヒルゼンはシスイの全てを見抜けなかった。
そんな葛藤を胸に抱く老人に向かって、シスイは柔らかく笑って澄んだ眼で言う。
「何を言ってるんですか、三代目。寧ろ感謝していますよ。あの時、オレの我が儘を聞いて下さってありがとうございます」
そういって、穏やかにシスイは、正確にはその影分身は頭を下げた。
どうしてそんな柔らかにそんな言葉を言えるのだろう。そんな三代目の困惑を感じ取ったのか、シスイは苦笑しながら言う。
「『オレ』だって本体じゃなくても『オレ』です。うちはシスイが貴方を恨んだことなんてありませんよ」
「何故じゃ……」
ぽつりと呟かれた老人の声に、寧ろシスイは困ったように頭を掻きながら言った。
「何故って、寧ろなんでオレに恨まれていると思っているのかがわかんないんですけど」
「ワシがおぬしに殺させたのじゃぞ!」
そう、わかっていた。自分はあの時木の葉の為に全ての泥をこの青年に被せただけなのだと。シスイがあの時言い出さなくても其の役目はイタチに与えられ、そしてそのまま男はイタチの手にかかり死ぬはずだった。そういう……決定だった。
これは自分の力不足から来たツケだとわかっていた。うちははかつての戦友ゆえに言葉で話したい、そう口では言っても具体的な解決策を用意することは出来ず、遂にはダンゾウの暗躍を許してしまい、それがうちはクーデター論を加速させる燃料としてしまった。
不甲斐ない話、だった。
けれど、そんな言葉で済ませられない。
猿飛ヒルゼンにとって、うちはシスイこそがあの事件の最大の被害者といえたし、その件に関しては自分こそが加害者だとわかっていた。なのに、何故か……。
「三代目」
青年は笑う。
「『アレ』は貴方のせいなんかじゃない」
どうしてそんな赦しのような言葉を男がかけるのかが、
そしてそのまま淡々と、微笑みさえ浮かべながらシスイの影は言う。
「『アレ』が起きたのはオレのせいですよ。オレのミスで『アレ』は起き、そしてオレが自分の意志でやったことです。貴方に責任なんてない。全てオレのせいだ。そうでしょう?」
その言葉は真っ直ぐ過ぎるほど真っ直ぐで、だから本気で言っているのだとわかった。しかし、だからこそ異常だ。
アレが全て青年のせいなどそんなわけがない。何を言っているんだと老人は思いながら、しかし思い出したのはかつて自分の元に懇願に訪れたシスイの台詞だった。
『今回のことの発端はオレです。うちはのクーデター計画は、オレがあいつらを止めれなかったから、オレのミスで口実を与えてしまったから、だから起きようとしているんです。なら、そのケジメはオレが取るべきでしょう。イタチじゃない』
(まさか……)
あれも本気で言っていたのかと、唖然とするような気持ちで三代目は目の前の青年を見上げた。
そして長年の疑問でもあった、うちはシスイという男が抱えるその異常を三代目は漸くその日正しく認識した。
「大丈夫、安心して下さい」
男は微笑って言う。和らげに優しげに。
「この目もこの命も、アイツとアイツが将来治めるだろう里のためだけに全て使い切ります。オチオチと生き延びる無様は晒しませんよ。だから三代目、イタチとサスケのこと、宜しくお願いします」
其れは生き延びるつもりなど端から持っていないと言ったも同然の言葉。
そして最後まで笑ってうちはシスイの影分身は消えていった。それが、まるでいずれ訪れるだろう未来を暗示しているかのようで三代目は思わず片手で顔を覆って、深々と椅子に体を預ける。
(シスイ、おぬしは……疾うに狂っておったのか)
―――――里人皆を我が子のように思っていた。
それは嘘じゃない。たとえそれが途中で朽ちる命だろうと托せるものがある限り無駄にはならないという想いもあった。だが、あんなのは……。
あの微笑みの裏側に、どうして気づけなかったのか。奴が罪人と断じていたのは己1人であったのだ。他者を憎む代わりにあれは己を憎んだ。だから笑うのだ。しかし気づいたとて、今更だ、もう遅い。
賽は投げられたのだから。
ただ、それでも三代目は、里人皆の幸せを、青年の幸せも願って眠りについた。
了
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外伝SS「この殺意に言葉はいらない」
今回アップした話と次話「弟のように思っていたのに」の2本は漫画バージョンのほうもピクシブにアップしていますので興味在りましたらそちらもどうぞ。↓
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=41799398
其の日、うちはの屋敷で、サスケは1人財布を握りしめながら思案していた。
(今日は姉さんの誕生日だ)
サスケの大好きな姉、イタチはサスケにとっても自慢の素晴らしいくノ一である。
幼くして僅か1年でアカデミーを卒業、僅か10歳で中忍に昇格し、11歳には暗部入りという異例の経歴から見てもその才覚の高さが垣間見れる。
眉目秀麗、才色兼備、しかしそのことを鼻に掛けるでもない物静かな性格。
忍術の稽古を付けるときだけはまるで別人のように厳しくなるが、それも自分の事を思ってやってくれているのだとしたら疎う理由にはなりはしない。
サスケにとって姉は完璧な存在だった。
美しく、強く、かっこよく、優しい完璧な姉。
年々憧れが強まるばかりで、同時に酷く距離も感じるところが、歯がゆくて悔しくてならないが、それでも弟としてそんな人物が自分の姉であることが誇らしい。
大好きで、大好きで、だから彼女の誕生日である日くらいなにかしらお祝いを渡して、喜ばせてあげたい。そう思うのはごく普通の考えだろう。
だが、まあ、ここで問題があるとすれば、まだアカデミーに入学したばかりのサスケのお小遣いなどたかが知れているということで。
だから、この少ないお小遣いでなにかをプレゼントしようとするなら大したものは用意出来ない。
だけど、それは仕方ない事だ。
まだ自分は子供なのだから。
たとえ、自分と同じ年頃のイタチがどれほどの逸物だったとしても、結局相対的に見ればサスケもまた天才と呼べるほど才覚には恵まれているとはいえ、イタチと違って精神面まで天才であるとそう生まれたわけではないのだから、出来ない事は出来ないのだと、自分を納得させるしかなかった。
だから、出来る範囲で出来る事をコツコツ頑張るしかないのだ。
(姉さんは何が喜ぶかな)
そうして頭に思い浮かぶのは、表面でしか姉のことを知らない者達からすれば意外だろう姉の趣味のことだ。
切れ長の涼しげな目元に通った鼻筋、ストレートの黒髪を赤い髪紐で緩く縛っている玲瓏たる美貌の持ち主たるイタチは、滅多に表情を変えない事からも酷くクールに見えるし、実際見た目通り大概クールな性格をしている。しかし、あれでいて趣味は「甘味処めぐり」であり、一番好きなのは昆布にぎりとキャベツだが、意外にも甘い物も大層好きなのだ。
サスケは正直甘い物は嫌いなので、姉の甘味好きっぷりについては少々理解に苦しむところがあったが、それでもちょっとした甘味くらいならば、自分の少ない小遣いでも事足りる。
……まあ、一度食したら消えるものを誕生日プレゼントとすることに対する虚しさを覚えないといったら嘘になるが、それでもサスケにとってはそんなことより姉の嬉しそうな顔を見れたら、それがなによりのご褒美なのだ。なら、やっぱり此処は姉の喜びそうなものをプレゼントするべきだろう。
そう思い、ぎゅっと財布を握りしめながら、サスケはうちはの集落を出た。
目指すは姉行きつけの里外れにある団子屋である。
(これをお前が? ありがとうサスケ)
そういって自分に微笑むイタチの顔を想像して、ふっとサスケの口元がほころぶ。
(……喜んでくれるかな)
そうであったら嬉しい。
(……姉さん)
そして件の団子屋の前にたどり着いたとき……。
「ん?」
「ゲッ」
サスケは思わぬ天敵と遭遇し、思わず財布を背後に隠した。
(……嫌な奴に会った)
そこに立っていたのは、見慣れ過ぎなくらい見慣れていた男だった。
一本睫のやや大きめの釣り目に、下がり気味の眉。団子鼻に、もじゃもじゃと四方八方に散らばったクセの強い短い黒髪に、うちはの黒い伝統衣装の上に緑色をした上着を重ね着して、芥子色の帯で止めているその男。
その男こそ、姉うちはイタチの婚約者であるうちはシスイであった。
「サスケちゃん、どうした? めずらしーな、こんな所にいるなんて」
そういって視線を合わせるようにサスケに合わせてひょいと屈んでくるやけに手慣れた仕草や、馬鹿っぽいマヌケ面を晒しながら興味深げに自分を見てくる、この男のこういうところがやたらとむかつく。
こんなマヌケ面を晒す、お人好しという名の他人に食い物にされてそのうち死にそうなアホが、あの完璧な姉の婚約者なんて世の中絶対おかしいとサスケは思う。
それに、確かに自分はこいつの婚約者たるイタチの弟ではあるが、だからといってなんだこの男は。毎度毎度露骨にこっちを子供扱いしてきて、まるで聞き分けのない子供を相手にしているような態度で、いつも馴れ馴れしく接してくるこの男がサスケは酷く気に食わない。
なのでわざとらしいほどつっけんどんな態度に声で、サスケは言った。
「別にテメエには関係ないだろ」
そっぽを向きながら、あからさまに不機嫌オーラをまき散らしつつサスケは言う。
それで、諦めるのならまだいいのだ。
大体、サスケのアカデミーでの同級生はサスケがこういう態度を取れば、空気を読んで向こうから離れていってくれる。家族や一部のうちは一族の人間以外に心を許す気がそもそもないサスケとしては、そこで放ってくれるほうがずっと楽だし、馬鹿とつるむ気もない。
自分は、早く一人前になってイタチに少しでも追いつきたいのだから、他の同級生みたいにアホっぽく遊び回って、自分は子供だと触れ回る気などないのだ。
まあ、そこでそうして自分を大人に見せたがるあまりに、子供らしく遊び回る同級生を見下すような考え自体、サスケがまだ子供の証拠でもあったのだが、自分の思考がつまりそんなことで、子供であるからこそ生まれた考えであることに、まだ発展途上のサスケが気付く事もまたなかった。
子供は、子供であるからこそ、自分は子供じゃないと主張するものなので。
しかし、そんなサスケの態度にとっくの昔に慣れているシスイはといえば、今日はどういう日かということからどうやらサスケが何故団子屋の前なんて、彼に似付かわしくない場所に現れたのか理解してしまったらしい。
サスケのつっけんどんな態度に、寧ろ「はは~ん」とニマニマしながら、(全く意地っ張りで可愛い奴だなー)なんてことを考えつつ、次にはすっとぼけた顔を浮かべて、サスケにわざと聞こえるような声で彼はこう言った。
「そういえば、イタチは新商品の抹茶きな粉味が食いたいって言ってたなあ。誰かさんが買ったら大喜びするかもなー」
「!」
それはサスケが今日この日、イタチのために甘味を買いに来たと見透かすような言葉で。
また、姉の為に甘味を買おうとは思ったが、何を買えばいいのかまでは考えていなかったサスケに対しアドバイスとすら言えるような台詞で。
確かに、甘味が好きとはいえない、寧ろ嫌いといえるサスケとしては、姉は甘味が好きなのだから甘味を買えば喜ぶだろうとは思っても、なにを貰えばイタチは一番嬉しいのかとかはわからないわけではあるが、それでも気に食わないと思っている相手から塩を送られるような言葉をかけられたことに、サスケはムッとしながら噛みつくような声で、その真意を尋ねた。
「なんのつもりだよ」
「いや? ただの独り言だけど」
そういってどこか笑みを噛み殺し損ねたような顔をしてクスリと笑う男に、サスケは更に苛立った。
まるで完全に子供扱いだ。いや、まるでも何もサスケは実際子供なわけだし、文字通り子供扱いなのだろうが。それでも少しでも早く大人になりたいサスケにとっては神経を逆撫でる行為だ。
これが大人の余裕か。確かに自分と目の前の男は大分年も離れているが、わかっていてもその余裕が腹立たしい。
(……ムカツク。やっぱりこいつは気に食わない)
なんで姉さんはこんな奴が好きなんだ。そう思う。
ヘラヘラしやがって、たまにはしゃんとした顔見せろよ、とも思う。
なんでこんな抜けた顔しているやつに負けた感を味あわなきゃいけないんだとも。
けれど、実際のところ、このうちはシスイという人物は非常に気に食わないいけ好かない男ではあるのだが、別に嫌いというわけでもないのだ。
ただ、酷くむかつくだけで。
姉の婚約者だというのなら、あの完璧な姉と釣り合うほどしっかりしてほしいと、そう思うだけで。
そんなサスケの思考をしっているのか知っていないのか、(どちらも有り得るとサスケは思っている)シスイは「あ、そうそう」そんな呑気なのほほんとした台詞をサスケにかけて、サスケ的にはわりとありえねえ誘いをかけてきた。
「悪いけどサスケちゃん、茶に付き合ってくれるか? 1人だと入りにくくてさぁ」
そう言いながら、チラリと男は団子屋に一瞬視線をよこした。
(なんでオレなんだよ)
心底サスケはそう思う。
よくよく考えなくても、姉と張るほどこの男もそういえば甘味を好んでいる。イタチと出かけるときは大概甘味処巡りを一緒に楽しんでいるらしいことは、母や姉の発言からもサスケの知るところだ。
ひょっとすると今日というこの日に団子屋の前で鉢合わせたのも、シスイ自身が団子を食べたくなったからなのかもしれないし、十中八九そうだろう。なら、自分1人でさっさと店にいけばいいのだ。
確かに自分はイタチの弟だが、だからといって自分に構う意味もないし、そもそもサスケはこの男に懐くどころか前から邪険な態度をとり続けているわけで、自分に懐かない子供相手にこうやって好意的に接しようとするこの男の態度こそサスケには理解し難いものだ。
自分を嫌っているだろう子供相手にお節介を焼こうなどお人好しを通り越してマヌケの能無しとしか思えない。頭のネジが一本くらいどこか行ってるんじゃないのかとわりと本気でサスケは思う。
だが、まあ元からこの男はこういう男なのだ。
それに、先ほど……こっちは頼んでもいないし、癪ではあるがアドバイスを受けた恩もある。借りは返さないと気持ちが悪い。
だから、サスケはその男の誘い文句に対して、こう返答をかえした。
「茶だけなら付き合ってやる。甘いのは嫌いだ」
ムッスリと不機嫌そうな声音と表情で吐いたそのサスケの言葉に対して、シスイは柔らかく……サスケ曰くマヌケ面全開な顔で笑いながら「ありがとな」とそう礼を述べた。
まったく、どうして自分はこんなやつに付き合っているんだろうと、サスケは思う。
自分はお人好しなんかじゃないはずなのに。
そんなサスケの心情を知ってか知らずか男は何が楽しいのか、微笑いながら、幸せそうに団子を頬張る。
「ったく、アンタよくそんなに食えるな」
「えー、だって美味いぜ? とくにこのみたらしは絶品」
サスケはそんな男を呆れた目で見つつ茶をすすりながら言った。
「男のクセになんでアンタはそんなに甘いもんが好きなんだよ……信じられねえ。そのうち糖で頭とろけるんじゃねえの」
「うおーい? それは全国の甘味好き男子に対する差別ですか? 大体糖分摂取で脳みそとろけるってんなら、イタチはどうなんだよ」
何故姉を引き合いに出す。そう思いつつもむっとした顔でサスケは答える。
「姉さんはいいんだ。女なんだから」
「……」
「なんだよ、その微妙な顔は」
「あー、うん、そーね」
そういって、乾いた顔で空笑う男にやっぱりサスケは苛立つ。
けれど、思うのだ。
それでもこの男の隣にいる時の姉は、きっと誰相手よりも「少女」なのだろう、と。
この男のことは気に食わない。
はっきりいって、サスケをすぐ子供扱いしてくるところも、こんな風に無邪気な子供のような、とさえ言える笑みを悪気無くマヌケにもすぐ浮かべるところも、笑った顔や言動はガキくさいのに、本当はずっと自分よりもちゃんと「大人」なところも、ムカツク。
だけど……。
(凄く気に食わないけど、それでも姉さんが選んだ人だから……)
姉が幸せならば、いつか祝福してやろうと思った。
今は嫌だけど、認めたくないけど。
それでも、少しでも大人になった其の日には、少しは自分も認めてやろうと、少しはきちんと向かい合おうとそう思っていた。
(絶対言ってやんねェけど)
信用はしていないけど、信頼はしていたのだ。
そう、いつか……―――――。
―――――そんな日が来る事を、信じていたのに。
目の前の光景をサスケが忘れる日は一生ないだろう。
震える拳を握りしめながら、虚ろな意識の姉と、姉をそんな状態に追い込んだ男を前に、血反吐を吐くような声でサスケは言った。
「……今までのは、全部演技だったのか」
月明かりに照らされた、ぼろぼろの姉。
完璧だとそう自慢だったイタチの、無残な少女の姿。
酷薄に姉を犯すのだと、そう答えた……あの黒衣を身に纏った男に、かつてお人好しを通り越して一本ネジが取れていると思われたあの男のマヌケさは見あたらない。
あの笑みも、情けない顔をして姉の隣で微笑っていたあの姿も、もうどこにも。
「アンタは本当は姉さんのことを、そんな風に見ていたのかッ!」
その言葉に、男……うちはシスイは、ムカツクけど嫌いではなかったあの男と同じ造形とは思えない忍びの顔をして、「そうだ」と、躊躇いもなく今までの日々がただの作り物であると、告白する台詞を吐き出した。
(……そうか……そう、なのかよ)
この感情をなんと呼ぶべきなのか、その時の言葉を聞いた瞬間に湧いた感情の言葉をなんと形容するのか、サスケにはわからない。
けれど、それはどうでもいいことだった。
そんなことはどうでもよかったのだ。
わかったことは、これただ1つだけ。
それさえわかれば充分だった。
「許さない……絶対にお前を許すもんかッ!」
―――――この日、この男はオレと姉さんを裏切った。
「うちはシスイ! いつか、絶対にお前を殺してやるッ!」
届かない手を伸ばし、呪詛を吐く。
それがいつかあの男を切り裂くようにと、赤く染まった憎悪に歪んだ瞳で、サスケはいつかの為の誓いを叫んだ。
それで充分だった。
……この殺意に、言葉は要らない。
了
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外伝SS「弟のように思っていたのに」
今回の話は金髪少年視点から見たしーたんの話です。
正直な話をすれば、俺は最初はうちはシスイのことを気にくわねぇと思っていた。
ぶっちゃけ俺達のパーティで先生の次に強いのがあいつで、悔しいけど、実力を考えたら初任務からして一番手柄をもっていくのがあいつになったのはある意味当然と言えば当然の結果で。
でも敵を倒して、それを喜ぶでもなく、なんでもないように(まるで大人みたいに)受け流して、赤い目で遠くを見るように佇むあいつに、うちは一族だか知らねえけど、俺より年下のクセに達観した顔してんじゃねえよって、そう思ったんだ。
(最も、そう思っている相手に何度も助けられているわけだから、そんな台詞言う資格なんてないわけだけどさ)
だから、実際に言った事はない。
けど、9歳で戦場に立ったあいつに、見ていて酷く腹が立ったんだ。
何を言って欲しいのか、どうして腹が立ったのか、その時はわかっていなかったけど。
だけど、やがて気付いた。
俺がなんでそんな風にこいつに腹が立ったのか。
シスイはよく笑う奴だった。
邪気のない笑みは子供らしいようでいて、けれど、どこか落ち着いた物腰の笑い方は子供に似付かわしくない、そんなアンバランスな笑みで、よく笑った。
(お前は気付いているのか)
俺は時々、こいつが大人なのか子供なのか、よくわからなくなる。
けれど、そこがどことなく放っておけなかった。
何故かと聞かれたら……昔、死んだ弟の1人にどこかこいつが似ていたからかもしれない。
「なーにしてんだよ、シスイ。ションベンか?」
だからわざとらしいくらいに明るい態度を取って、背を向けているこいつに話しかける。
冗談のように、からかうように。
それに答えるように、ふと一瞬だけ陰りを帯びたような顔を浮かべていたシスイは、柔らかく笑って、少年らしい声で言った。
「なんでそーなるんだよ。バカだなぁ」
そうして唐突に気付いたんだ。
俺が本当にこいつに腹が立った理由に。
あの子供らしくない影を帯びた顔と、今の微笑みに、本当は俺はこいつ自身に腹が立っていたわけじゃないんだって。
俺が本当に腹が立ったのは、こいつみたいに、才能のある奴は9歳でも戦場に駆り出されなきゃいけないという木の葉のふがいなさに対してだったんだ。
俺だってこの前12歳になったばかりだし、人の事を言えないかもしれない。
だけど、こいつみたいに、才能があるという理由だけでさっさとアカデミーを卒業させられて、戦場に投入されなきゃいけないなんてのは、やっぱりおかしいだろ。
子供が子供らしくあることを許されないそんな里の現状に腹が立って、腹が立って、そして、年下のこいつに頼らなきゃいけない自分のふがいなさにも腹が立ったんだ。
そりゃ仕方ないのかも知れない。
だって、俺は天才じゃない。
確実に俺はシスイのやつより弱いんだ。けど、それってすごく悔しい。
こいつのこと、俺は弟みたいに思っているのに、弟分すら守ってやる力が俺にはないんだ。
けど、自分には何も出来ないなんて、言い訳はもっと嫌だった。
だから。
「お前らさ、夢あるか?」
俺はきっとあの日々の中でそれを決めたんだ。
俺は子供が戦うような木の葉の今のシステムが嫌なんだ。
それが俺の心の奥底に残っていた本音。
シスイのやつみたいに、あんな子供だか大人だかわかんねえ顔で笑うようなガキなんてもう生まれるべきじゃない。
今は戦時中の状況下だから仕方なくても、それでも今が無理だからって未来まで無理なんてそんなルールはないはずだから、だから俺はその未来を夢見ていた。
「オレの夢はさ、将来アカデミーの教師になることなんだ」
それが俺の夢の形だった。
「きっともうすぐ戦争は終わる。そうしたら平和になった木の葉で、俺は忍術だけじゃない色んなことを子供達に教えたいんだ。外には下忍になるまで出れなくても、それでも外の綺麗なこととか、そういうのも教えてやりたい」
そうしたら、もう
そう思って俺は笑う。
夢を見ていたんだ。みんな笑って進んでいける、そんな未来を。
今は無理でも、俺の夢が叶えば未来の子供達は、そんな未来を歩めるんじゃないかって。
もう、無理に笑いながら無理矢理大人になるガキは減らせるんじゃないかって。
そうあれればいいと、俺がそう出来ればと、お前がそれを手伝ってくれたらそうしたらいいとそう思ってたんだ。
願っていたんだ。
(なぁ、シスイ知っているか?)
無理に作った笑顔って案外見ているほうの心も抉るもんなんだぜ?
本当はさ、こんな風に馬鹿言って、過ごす日々の中で、それを癒せてやれてたらいいなと思ってたんだ。
だって、俺のほうが年上だ。
俺はお前より弱かったけど、それでも弟分の心くらい守ってやれねえとかっこ悪いじゃんか。
天国の弟や父ちゃんに胸を張って会えないじゃんか。
もう、それも出来ないけど。
結局、俺の夢は形になることすらなく、お前には一番辛い役割を押しつける事になっちまったけれど。
「……悪いな、嫌な役目おしつけちまって……」
気が遠くなりそうな意識の中、俺は謝罪の気持ちを込めて言葉を零した。
意識が飛びそうな中、少しでも気を緩めたら目を閉じそうになる。
もう碌に前さえ見れてない。
それでも、この弟のようにすら思っていた小さな親友がどんな顔をしているのか、それだけは手に取るように分かった。
(俺は残酷だ)
トドメをさせと、こいつに指示した。
それは、里に対し義憤はあっても、それでも木の葉を愛する人間としての最後の矜持から来た言葉でもあった。
……それを聞いた方がどう思うかなどわかっていながら、それでも俺はそれを言ったんだ。
こいつがどれだけそれに傷つくかなんてわかっていながら。
「シスイ、楽しかったぜ」
せめて、どうか罪悪感が少しでも薄れるように、そう最期に言って、それを境に俺の意識は途絶えた。
それが俺の
慟哭が森を木霊する。
泣き叫ぶ子供に救いの手は無い。
舞台を退場した観客たる
(こんな顔は見たくなかったのに)
(ごめんな、シスイ)
もう、声は届かず、手も届かない。
救いたいのに、救いはもう来ない。
幽霊に言葉は無い。
けれど、俺は俺という人間の影響力をきっと軽視していたんだ。
お前がどんな性格をしているのかわかっていたはずなのに。
後悔してももう遅い。
―――――俺は、この日、俺の死をお前に押しつけた。
お前の事を、弟のように思っていた、それだけは確かだったのに。
了
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外伝SS「夏祭りの話・前編」
今回の話はピクシブにもアップしている話で、イタチさん7歳、しーたん13歳の話です。この話のイメージモデルは歌愛ユキのカラオケ配信もされてる某曲ですかね。
因みに性別逆転エロパロ「楽園は消えた」シリーズのほうにこの話の男女逆版もアップしています。性別が違うので3分の1ぐらい展開違いますけどね。
尚、一部抜粋漫画もピクシブにアップしていますので興味ある方はどうぞ。↓
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=43987056
其の日はやや蒸し暑く、それでも晴れ渡った空が印象的な日だった。
まさに祭り日和だといえよう。
そのことに柄にもなく内心昂揚したような気分を覚えて、我知らず……母手製の真新しい浴衣を身に纏った幼くも美しい少女、うちはイタチはふと口元に笑みを乗せた。
イタチが夏祭りに参加するのは実質今年が初めてだった。
それも仕方ないといえば仕方なかったのかもしれない。
何故なら彼女が物心ついた頃には里は第三次忍界大戦の真っ最中であり、祭りなどと浮かれた行事は眉を顰められる、そういう時代だった。せいぜい、祝い事で大々的に取り扱われていたものなど正月や盆などぐらいではなかっただろうか。
加えて、第三次忍界大戦終了一年後に襲った九尾事件である。あれによって4代目火影波風ミナトを含め多くの里のものを失った。そのため、事件の翌年である去年もまた里は祝い事を自粛するモードにあったのだ。
それが解禁され、夏祭りを再び行おうという動きが出始めたのは今年の春に入ってからのことだった。
人間生きている以上、いつまでも失ったものばかりを見ては居られない。あれから2年。だからこそ祭りなどの祝い事を通して人々の気持ちを持ち直そう。祭りを知らない子供達に楽しんで貰おう、明るい木の葉を取り戻そう。そんな三代目の配慮でもあった。
祭りは三日間に渡って開かれるという。その祭りの警護を仰せつかっているのは、里の守護たるうちは警務部隊であり、そうである以上、父も母も忙しくしているのだが、部隊長である父はともかく、母ミコトに関しては初日は休みを貰えることになっているらしい。
また、原則祭りの警護こそ警務部隊の仕事とはいえ、通常の任務も里に入ってくる以上、忍者が「祭りだから」などという理由で早々に休みを貰えたりはしないわけだが、それでも三代目の配慮なのだろう。今年が10年ぶりの祭りの再開ということもあり、長期任務に当たっているもの以外については……特に年若い20歳以下の者に関しては、祭りが行われている三日間のうちどれか一日は非番をもらえているものが多いのだとイタチは聞いた。
そして彼の少年もまたそのうちの1人であり、だからこそ今日という日に約束をしていたのだ。
イタチ自身夏祭りに参加するのはこれが初めてだ、ということもある。
夏祭りとはどんなものかについてなら知識としてあるが、それでも経験はない。これが初めてだ。であるからこそ表にこそ出していないが少しの興奮や期待などに胸を疼かしている。有り体にいえば祭り開催日の今日という日を楽しみにしてきた。けれどこんな風に待ち遠しく焦がれるように感じるのは、連れ立つ相手がいるからこそなのかもしれないと、そんな風に僅か7歳の少女らしくない思考を展開させながらイタチは思った。
「よし、サスケ。出来たぞ」
「ほんと?」
そう声をかけながら、浴衣の着付けが終わったことを5つ年下の弟に告げれば、サスケは嬉しそうに無邪気な顔で笑いながら姉であるイタチの顔を見上げた。それに可愛いなという感情が胸を這い上がり、イタチは幼い弟の無邪気さ加減にほっこりと暖かい気持ちを抱いた。
因みに今回の祭りで母ミコトが用意したのは、姉であるイタチには勿忘草色をした桔梗柄の浴衣と赤い帯で、弟のサスケには濃紺色をしたシンプルな縞柄の浴衣と、子供らしさを強調したような黄色の帯だ。姉弟が身に纏っている浴衣どちらも袖の端のほうには、母お手製のうちは一族の家紋の刺繍がチャームポイントのように入っているのが特徴といえよう。
そんな一抹の可愛らしさと落ち着きと、どちらも感じさせるデザインと色合いの浴衣が幼い弟にはよく似合っていた。故に弟の着付けを終わらせながらイタチの口元も優しく弛む。そんな姉を前に、サスケもまた楽しそうにはしゃいでいる。
普段イタチもそうだが、サスケも人前で浴衣を着ることはあまりなく、うちは一族伝統の黒い装束やそれに準じた格好が多い。そのため普段は浴衣を着ることがあってもそれはあくまで寝着だ。だからこそ、外行きの格好として浴衣を着るということ自体がサスケにとっては珍しいのだろう。いつもはここまでしっかりと着付けをしたりはしないというのもある。だからこそ物珍しげにサスケは何度かマジマジと自分の格好を見直したり、クルクルとまわってみせたりしている。
そんな幼い弟の仕草が可愛らしく微笑ましくて、イタチは家族相手と彼の人以外には滅多に見せない優しげな笑みを浮かべながらサスケに訊ねた。
「へへ……」
「どうした、サスケ」
「オレ、まつりってはじめてだし、どんなのなのかな~って」
「そうか……」
内心で「私もだ」と付け足すが、口に出して言えば、「姉さんはなんでも知っている。なんでも出来る」という思い込みを己に抱いているらしい幼い弟の夢を壊すかと思って、イタチは一部の台詞を自重した。やはり可愛い弟の夢は出来れば壊してやりたくはないものだ。
とはいえ、自分にない素直さで無邪気にはしゃいでいるサスケの姿は微笑ましい。自分にはこんな素直さはないなとイタチは自覚しているからこそ、こんな風にあからさまにはしゃぐ弟のことは、眩しく目に映った。
けれど、次のサスケの発言を前に、実年齢に相応しからぬ落ち着きをもった少女は思わず眉を顰めた。
「それで、姉さん。今日はいっしょにまわれるんだろ?」
「サスケ……」
キラキラした眼は期待に輝いている。そんな様はとにかく可愛い。間違いなく可愛らしいと姉の欲目抜きでもイタチは思う。思うが……。
「前も言ったろう。今日は先約が入っているから、私がお前と回るのは明日だ」
そう諭すような声で告げる。それに対し、幼い弟はふにゃりと泣きそうな拗ねたような感じに顔を歪め、不満を隠そうともせず言った。
「なんでだよ、姉さん! オレ、ずっと楽しみにしてたんだぞ」
そういいながら全身で訴えてくる弟は間違いなく可愛かった。だが、同時に実年齢に似合わない精神年齢を幼少時代から発揮し続けてきたこの麒麟児たる姉は思わずには居られなかった。
サスケは確かに可愛いのだが……この子はお馬鹿なのではなかろうかと。
初日である今日については一緒にまわれないことを以前から自分はキチンと告げていた筈だ。なのに何故綺麗さっぱり忘れているのだろう。鳥頭なのではないだろうか。それに何故こうも怒っているのかもよくわからない。
何故なら確かに今日は無理といったが、それでも明日は一緒にまわれるのだし、明日も明後日もずっと一緒なのだから一日ぐらい別にいいではないかと。だというのに何故こんな風に我が儘を言っているのか。サスケとて仮にも忍びの子だ。いくら幼いとはいえ、少しは我慢というものを覚えるべきじゃないか?
愚弟……という単語がイタチの頭に自然浮かぶ。まあ……サスケがそうだとしても、それでも自分がサスケを愛していることに代わりはないし、多少お馬鹿だとしても可愛い弟であることには違いがないが、昔から「出来た子」として周囲から隔絶した扱いを受けて育ったイタチとしては、そんなサスケの年相応の我が儘さ加減が駄目な子に見えて仕方なかった。
無論、2歳児のくせにこれだけ喋れて意志表示がはっきりしている時点で、サスケ自身もかなりの天才で早熟な子供であるといえたのだが、微妙に天然が入っている上に、この弟以上に早熟そのものだったイタチがその事実に気付く事はなかった。
「だから言っただろう。一日目は母上とで、私と回るのは二日目だ。それとも、お前は母上とは不満か」
「そうじゃない……だけど、オレは姉さんとがいいんだ!」
「……」
その言葉を前に思わずため息をひとつ零す。それに、サスケはイタチが自分を嫌ったのではないかとでも疑ったのだろう。少し不安げな色を大きな黒い瞳に灯す。
そんな弟を前に、イタチは眉を下げ、仕方なさそうな笑みを1つ浮かべると、そっとサスケの身長に合わせるように屈み、トンと人差し指と中指で弟の額を軽く小突いてからこう言った。
「許せ、サスケ。また今度だ」
優しげな笑みさえ浮かべ言う。
そんな姉の態度に、サスケはむぅーっと可愛らしく頬を膨らましながらも、こういう態度に出た姉が自分に絆されることはないと学習しているからだろう。不満気な態度だけは崩さずに、そのことに対する愚痴をこぼした。
「姉さんのばか。いつもそれだ、ズルいよ」
その言葉に続き「でも」と付け加えてサスケは言った。
「明日はぜったいだからな」
「ああ、約束する」
そう答えながらも、イタチは内心でこう思考する。
夏休み直前のアカデミーでの話だ。彼女の持つあまりに非凡な才能を前にして、担任から最終学年へスキップ進級する気はないかとイタチは告げられていた。父はそれに賛成で、だからこそ自分自身その話を断る理由はないと「お受けします」とそう答えたのだ。
そのことからおそらく、学生の身分で自分がいられるのはきっと来年の春までだ。他の『上級生』だった人達と共に自分は忍者学校卒業を迎えることになるのだろう。
となると早々に自分は下忍として里のために働くことになるだろう。そうなれば休みだって欲しいときに取れるとは限らず、寧ろ好きな時に休みが取れるなどそう思う方が甘えだ……ならいくらだって約束だってするさ。来年は一緒に来れるかわからないからな。そんな言葉を飲み込んでイタチはサスケと小指を結んだ。
そんな風にサスケの着付けを終わらせ、暫し姉弟の会話を交わしていると、やがて戸を開け母のミコトがやってきた。
「イタチ、サスケの着付けは終わった?」
「終わりましたよ」
それに少女は落ち着き払った……実年齢には相応しくない程に大人びた微笑みさえ浮かべながらそう答えると、浴衣姿の母もまた娘とよく似た面差しに違う印象の微笑みを浮かべ、優しい声で言う。
「うん、初めてにしては上出来よ。流石ね、イタチ」
そう柔らかい顔をして言う母は、いつもと違う格好だからか普段とは全然違っていて、母と言うよりは美しい1人の大人の女性を思わせて、イタチは少しだけ羨ましく感じる。
うっすらと化粧を引いた顔に、大人らしい落ち着いた濃紺色に小波にすすき柄の浴衣を身に纏った母はとても美しく目に映る。嫋やかな美しさは一種理想的ですらあった。真っ直ぐで長い黒髪は結い上げられ簡素な簪で纏められており、水浅葱色の花熨斗文が描かれた帯を身につけていて、大人の風情が香る様は酷く艶やかだ。
普段は黒いスカートとブラウスの上に黄色いエプロンを纏った姿が常の母であったが、そんな風に浴衣に身を包んだ姿は堂に入っていて酷くしっくりとくるものだった。
イタチは、度々母親似と言われる。
口下手故な一種の不器用さといい、纏っているどこか重みのある雰囲気といい、性格はどちらかというと父の血のほうが濃いような気はするが、少なくとも外見面はそうだ。
ならば、自分も大きくなればこんな風になれるのだろうかと、1人の少女としてイタチは母に憧憬を覚えた。
……まあ、自分にあんな愛嬌はない自覚もあるので、全く同じようにはいかないだろうが。
そんな風に思っていると、優しい声でミコトはこう言った。
「そうそう、イタチ。シスイ君はもう少しで着くそうよ。玄関で出迎えてあげなさい」
母が口に出したのは、本日共に祭りに行く事を約束していた婚約者兼幼馴染みの名前だった。
それを前にイタチは「はい」と落ち着いた微笑を浮かべつつ従順に答える。けれど、そこで傍らから不満の声が流れた。
「ええ~!? あんなやつ、姉さんがわざわざむかえにいくことないよ!」
弟のサスケだった。
サスケは不満にぷくーと頬を膨らませながら、そんな言葉で抗議する。
「サスケ……」
そんな弟の態度にイタチは弱ったように肩をすくめたが、これはどうしようもない話だ。
物心つく前からサスケは姉であるイタチべったりでイタチ大好きな子だった。それは母を手伝い赤ん坊の頃からサスケの面倒を甲斐甲斐しくイタチが見てきたせいかもしれないし、5つも歳が離れていたせいかもしれない。
そしてだからこそなのか、イタチと親しくしており、度々自分の家にもやってくるうちはシスイのことをサスケは嫌っていた。もしかすると、姉を取られると嫉妬しているからなのかもしれないし、まあ他の理由もあるのかもしれないが、いくら弟が可愛いからといって、自分の交友関係にまで口を出されるのはイタチとしてもあまり気分の良いものではない。
大体にして、サスケはシスイを嫌っているが、シスイがサスケに冷たい態度を取ったり、蔑ろにしたことはないのだ。
故に思わずイタチはため息をつくし、母のミコトもまたシスイに味方するように「こら、サスケ。シスイ君に失礼でしょ」なんて台詞で窘めるが、それが逆効果で益々サスケがシスイに対し意固地な態度になる原因だということも見抜いているイタチとしては、益々ため息を吐くしかないのだった。
けれど、結局のところ、イタチは5つ年下であるこの弟には甘かったのだ。
「許せ、サスケ」
仕方なさそうに笑って、イタチはトンと再びサスケの額を小突き、彼の人を玄関まで迎えにいくために弟に背を向ける。それにサスケは大きな瞳を溢れんばかりにめいっぱい開いて「うー、姉さんのばかー」とこぼすが、だからといって姉の行動をそれ以上阻害することはなかった。
やがて、そんなやりとりから10分と経たず、慣れ親しんだチャクラの気配を感じ、イタチは見た目こそ平穏を装いながらも、若干そわそわした気持ちを抱きながら、玄関に佇む。
それから間もなく、規則正しいノックの音と共に、声変わりしたばかりの少年の声がかけられた。
「こんばんはー」
「いらっしゃい、シスイ兄さん」
「うん、お邪魔します」
そう僅かに微笑みながら出迎えた。
それに対し、出迎えられた男もまたニッコリと人懐っこい笑顔を浮かべながらそんな挨拶の言葉をゆったりに返す。
見れば、この6つ年上の少年が身に纏っている格好も、今日の祭りに合わせたのだろう、自分達同様いつもと異なり、うちはの伝統装束の上に緑色の上着を重ね着した姿ではなく、一重のシンプルな浴衣姿だ。草柳色の横縞模様をした浴衣に、黒地にうちはの家紋模様の帯をつけており、帯には黒色無地の財布を差し込んでいる。手には赤いシンプルな団扇を握っており、派手さはないはずなのにどことなく愛嬌を感じるチョイスだ。
しかし、普段着の上着からして思っていたことだが、緑系統の色合いがよく似合う男だな、とイタチはどことなく感心するような感慨で思った。
けれど、そうやってじっと見ているのはイタチだけではなかったらしい。
シスイもまたぱちぱちと瞬きをしながら、少しの秒間イタチの姿を瞳に収めると、人懐っこい微笑みを浮かべながら言う。
「イタチ、それよく似合っているな」
言われ、イタチは母手製の浴衣へと視線を落とす。
今日のイタチの装いは、勿忘草色の生地に青藤色の淡い色彩で描かれた桔梗柄の浴衣に、赤色の鹿の子絞り帯といった格好だ。シンプルな桔梗柄と優しい色合いが落ち着きを醸し出しており、袖裾のほうに入れられたうちはの家紋の刺繍がかわいらしささえ演出している。
それでも、年齢一桁の子供が着るにしては些か落ち着きすぎているぐらいの大人しいデザインであったが、しかしイタチ自身大人びた子供であり、年若いながらも可愛らしさより美しさのほうが際立つ面差しや雰囲気からして、彼女にはそのほうが却って似合っているぐらいだった。
だからだろう。シスイは感心したように、「うん、可愛い、可愛い」なんて微笑みながら繰り返すと、イタチの頭を優しく撫でた。
それにイタチは妙に気恥ずかしさを覚える。
感情を抑制する事に長けているため、顔に出すヘマはしないが、気分としては「なんだこの恥ずかしい男」という気分だ。
シスイに悪気も下心もないことぐらいイタチはよくわかっている。
それでもだからこそ、素でこんなことを言えるこの男が酷く恥ずかしくて仕方なかった。
そもそも、子供らしくない子供であることや、優秀な代わりに可愛げがないことに定評がある自分に「可愛い」なんて連呼してくるのはこの男くらいのもので、イタチとて幼いながらも女なので容姿を褒められるのは嬉しくないわけがないのだが……しかしこれが子供扱いの産物だということを考えると、少し複雑でもあるわけで。
だからといって、からかっているつもりは一切無い相手に「からかわないで下さい」というのも違うだろうから、イタチとしてもどう反応するべきか、シスイのこの子供扱いに年々悩んでいたりするのはここだけの話だ。
結局、イタチとしては無難にため息をつきつつも「ありがとうございます」と返すに終わった。
それから間を置いて、サスケとミコトもまた準備を終えて玄関へとやってきた。
「それじゃあサスケ……私は先に出るけど、あまり母さんに迷惑をかけるんじゃないぞ」
「わかってるよ!」
そんな風に幼い姉と弟は別れの挨拶を交わす。其の会話は姉弟というよりも寧ろ親子かなにかのようで、少しおかしくも微笑ましい。
そんな2人のやりとりを、シスイとミコトは顔を合わせてクスリと笑いながら互いに目線を交わし合う。どうやら思う事は同じらしい。
ふふと綺麗に笑いながら、ミコトは悪戯げに我が子に向かって言葉をかけた。
「母さんが一緒なんだから、そんなに心配しなくても大丈夫よ、イタチ。それより、あなたこそ折角の祭りなんだから楽しんでらっしゃい」
「わかってる」
そんな風にイタチも返す。それを見ながらシスイもまた目線を合わせるように屈み、ちょっとだけ拗ね気味の幼い少年に向かってこう言った。
「ごめんな、サスケちゃん。折角楽しみにしてたのに、お姉ちゃんお借りしちゃって」
そんな自分より10歳以上年配の少年の言葉に対し、サスケはムスッとした顔を隠そうともせず見せながら、刺々しい口調でこう言った。
「べつに。あんたをみとめたわけじゃないんだからな。オレだって……明日は姉さんといっしょだし。だから……今日だけなんだからな、いいか、ちょうしに乗るなよ! 姉さんを泣かせたりしたらゆるさないんだからな!」
「うん、わかってるよ。ありがとう」
そう返してシスイは微笑み、立ち上がってイタチへと手を伸ばした。
「さて、イタチ行こうか」
其の手をイタチは取り、2人揃って下駄に履き替える。
それから、家を出る際の挨拶を交わした。
「それじゃあ、ミコトさん、サスケちゃん、行ってきます」
「母上、サスケのこと頼みます」
「いってらっしゃい」
そんな2人をミコトは微笑ましげに声をかけ見送った。
……祭り囃子の音が聞こえる。
人々のざわめきに、合間で聞こえる和太鼓、ゆらゆら揺らめく提灯の明かり。本の中の知識だけで、初めて見聞きするはずのそれらは全てが優しく、どこか御伽の国に迷い込んだような気分さえ己に与えて、イタチはいつもより少しだけ早い鼓動の上にそっと手を重ねた。
……そして。
「会場までもうちょっとだな」
そういって笑う子供っぽいのにどこか落ち着き払った少年の横顔。
うっすらと目を細めて笑う其の顔は、どことなく懐かしさを噛み締めているような郷愁に満ちた顔で、美しい面立ちと年齢に見合わぬ落ち着きを纏った少女……うちはイタチは、そのことに普段は感じていなかった、うちはシスイという自分の婚約者たる少年との年齢の隔たりを感じた。
イタチにとって、夏祭りは初めて経験するものであり、物珍しさはあっても懐かしさを感じるものではない。だが、目の前の少年にとっては違う、ということは……彼には経験があったということだろう。
そのことがどうしてか少し悔しいような気がした。
「どうした」
「いや……なんでもないですよ」
そういって本当になんでもないような態度を装って口を噤む。
言えるわけがないだろう、とそう年齢を考えれば幼いとさえ言える少女は思う。
貴方との6年という月日の隔たりに、嫉妬を覚えたなど。
なんて下らない子供じみた理由。
口に出すにはあまりに恰好悪い。
実際問題として、イタチはまだ齢7つの子供であるのだから、言ったところで問題はないのかもしれなかったが、それでもそうやって益々この男が自分を子供扱いしてくる理由を、わざわざ自ずから増やす気はなかった。
幼いとはいえ、彼女とて女なわけで。
自分自身、この男に対する感情が恋情なのかそれとも友愛なのかもわかってないとはいえ、それでも男の『妹分』という扱いに甘んじて、彼が自分を通して見ているらしき『誰かさん』の身代わりでありたいとは到底思えなかった。
ただ、庇護されるべき子供なんて、イタチははじめっから御免なのである。
けれど、そんな妹分と思っている婚約者の心情などわかるはずもなかったのだろう。
「無理には聞かないけど……なんかあったんなら言えよ?」
そういって、少年は心配気に目を細める。
それに再び「なんでもない」と返せば納得してくれたのだろうか、シスイは「そっか」と笑って前を向いた。
それから早足ですっと前を歩いて、イタチの手を何気なく引きながら、彼は屋台や人々の喧噪を前に頬を綻ばせた。
それらをイタチはどこか現実離れしたような感慨で暫し見つめる。
色とりどりの提灯の明かりに祭り太鼓に笛の音、癖毛の少年の大人びた横顔。幻想的だとさえ思うその光景に、本当は足を止めたくなったなんて言えるわけもなかった。
前を見れば、提灯の明かりと共に様々な屋台や出店の類がずらっと並んでおり、普段にない程の賑やかさだ。それを前にイタチは一体彼らはどこから来たのか、と普段の木の葉と比べてあまりに増えた人波を前に、呆気にとられるような感想を覚えながら、ぽつりと言葉を漏らした。
「凄い活気ですね……」
「そうだな……でもこういうの、わくわくする」
そういって赤い団扇を胸に握りしめた少年は、キラキラと瞳を輝かせながら楽しげに笑っている。その顔を前に思わずイタチの頬も弛む。
どうやらこの様子だと本当にシスイも祭りを楽しみにしていたらしい。本人は必要以上に騒がしいわけでもないのだが、元々賑やかなことが好きな人でもある。きっと彼にとってこの夏祭りの再開は、初めての参加である自分以上に楽しみに出来る事柄だったのだろう。
嗚呼、誘ってよかった。そう思ってこっそりとイタチも笑った。
そんな風に思いながらイタチがシスイを見ていると、その視線に気付いたのだろう。
草柳色の浴衣を身に纏った少年はしゃぐような雰囲気を振りまいていた自分に恥じらうように、顎をポリポリと掻いて、僅かに耳を赤く染めながらも、先ほどの子供じみた自分の反応を誤魔化すようにこんなことを訊ねた。
「それにしても、本当にオレなんかで……サスケちゃんと一緒じゃなくて良かったのか?」
「迷惑でしたか?」
シスイにとって自分が『特別』であることぐらいは知っている。だからこそ、迷惑かと聞いて「迷惑だ」と返ってくる事はまずシスイの性格上ないだろうなとイタチ自身思いながらも……故に自分で言うのもなんだが、性格の悪いといっていい問いかけを返せば、慌てるように癖毛と釣り目が印象的な少年は手を左右にパタパタさせてこう返答した。
「いや、オレは嬉しいけど。でもちょっと可哀想だったかなって」
どうやらシスイはイタチとサスケとの姉弟団欒の時間を奪ってしまったのではないかと、サスケに対し罪悪感を覚えているらしい。まあ、然もありなんというやつだろう。
シスイはサスケが姉であるイタチべったりであることをよく知っているし、イタチ自身、たった1人の弟であるサスケのことは心底可愛がっている。
幼い弟は自分が守ってやるべき存在だと思っているし、自分の宿題や修行を後回しにしてでも、サスケにせがまれたら遊んでやるぐらいに大切だし、イタチは他の誰よりサスケに弱い。最も、サスケを優先させたところで成績を落とすようなヘマをイタチがしたことがあるかと言われれば、それはないのだが。
けれど、それでもそうやって望みがあれば出来る限りは叶えてやりたいと思うぐらいには、イタチにとってサスケは可愛い相手なのだ。
それをよくわかっているからこそ、シスイはためらっているのだろう。
元々この表情豊かな少年は子供好きで、子供に甘く、サスケのことも可愛く思っているらしいからこそ尚更な傾向といえる。
子供とは里の宝だ。
イタチは戦争時代を幼少期に経験し、人が死ぬ姿を物心ついた頃から幾度も見てきた。だからこそ、無垢な命の大切さは彼女にだってよくわかる。人が産まれるというのは奇跡に等しい僥倖なのだ。
だからこそ子供が可愛くて仕方ないらしいシスイのそういうところをイタチは好ましく思っていたし、そうやってサスケのことも気に掛けるこの少年の性分に好感を抱いてもいた。
しかし……シスイは1つ思い違いをしている。
「良いんですよ、サスケとは明日も明後日も一緒なんだから。それに、幼いとはいえ、サスケだって忍びの子だ。甘やかしてばかりではサスケのためにもならない。少しは我慢というものを覚えさせないと」
イタチは確かにサスケのことが大切で可愛くて仕方ないのだが、だからといってただ可愛がるだけの姉であるつもりはない。
人は甘いばかりでは駄目なのだ。
確かに自分はサスケを可愛く思っているが、だからといって望みをなんでもかんでも叶えてしまえば、弟は将来自立出来ない子になってしまう。それはイタチの望むところではない。理想はサスケの越えるべき目標として傍らに在る事が出来たら、それが最上なのだ。
確かに自分に懐く弟は可愛いし、見ているとべたべたに甘やかしたくなるのも事実だが、それでも自分にべったりで盲目的に育つのではなく、弟には是非とも色んなものに目を向けて欲しいと、目を向けられる子に育って欲しいと、姉としてそう願っている。
いくら姉弟とはいえ、ずっと自分達は一緒にいるというわけではない。やがては自分達の道を歩むときは来るだろう。共にあれるのは幼少の砌である今だけだ。
そうやって成長すればそれぞれが別々の伴侶を娶り、別々の家庭を築き、そうやって別の人生を送ることになるのだから、姉離れも出来ないような我が儘な子に育つようでは困る。
だからこそ、突き放す事も時には必要なのだ。
そう思ってのイタチの発言を前に、隣の少年はクスクスと忍び笑いを漏らしていた。それに少しだけむっとするような気持ちを覚えつつもイタチは訊ねる。
「……笑われるようなことを言ったつもりはないのですが」
「いやいや、イタチは良いお姉ちゃんだなあって。それにうん……考えてみればお前も祭りは初めてだもんな。弟の前じゃ気が張っちゃうだろうし……よし、今日はおにいさんが奢ってやるから目一杯楽しむんだぞ!」
そういって至極楽しそうにシスイは笑った。
大体この自分より6つ年上である少年が何を考えてその結論に至ったのかなど長い付き合いだ、わかる。
けれどだからこそ自分が子供扱いされているとわかっていて、イタチにしてみれば面白くなかった。
自分は生憎ベタベタに甘やかされてそれを良しと出来る性分ではないのだ。
だからこそイタチはこう抗議した。
「自分のものくらい自分で買えますよ」
母のミコトからは今日の分の小遣いとして200両(約2000円相当)渡されている。祭りとなれば、物価はなにかと高くなりがちではあるが、自分の分だけ出すこと前提であれば200両もあれば充分だろう。
「明日はシスイ君とデートなんでしょう? しっかりやりなさい」
……まあ、そんな風に笑いながら自分達の行動を「デート」と断定した上で母がこの金額を用意した辺り、足りなかった分は奢って貰いなさいと言いたかったのかも知れないので、母の意向とシスイの申し出はあっているのかもしれなかったが。
なにせ、一般的に見て男女がデートする際、男のほうが金を多く出すのは……しかも男のほうが年上なのであれば、それは当然の暗黙の了解といってもいいわけで。寧ろこれで女のほうが多く金を出したら、世間から顰蹙を買うのは男のほうなぐらいであろう。
しかしまあこれが本当にデートなのか……というと疑問も多かったりするのだが。
確かに自分達は婚約者という間柄ではあるが、自分の事をあくまでも可愛い妹分として見ているシスイにとっておそらくそれは否だろうし、イタチとしてもこの年上の幼馴染みに対する気持ちがどういった種類のものなのかについては、未だ結論は出ていなかったりするわけで、更に年齢差や見た目の問題もある。
街行く人に聞けば十中八九デートとは見なされない……せいぜい仲の良い兄妹と誤解されるのが良い所だろう、と客観的にイタチは分析していたりするが、それでもイタチは素直にシスイの妹分扱いをただ享受する気はなかった。
なにせ自分はシスイの妹でも従妹でもなく、名ばかりの仮婚約とはいえ、婚約者という立場なわけで。
いずれ自分が結婚するだろうと思っている相手に、ただ妹分として可愛がられるだけというのはイタチの性格上たまらない。この年齢差だ、仕方ない部分もあるが、それでもいい加減にして欲しい想いもあるのだ。
よって、自分を女として……婚約者として意識しているからこそ奢りたいというのならともかく、妹分扱いの子供扱いを前提として金を出されるというのは、イタチにとって少々癪なことでもあった。
けれどそんなイタチの抗議に対し、それこそ本当に小さな子供を相手にするときみたいな柔らかな声と姿勢で、シスイは笑いながらこう返した。
「良いから良いから。大体それはミコトさんやフガクさんが汗水流して働いて手に入れた金だろ。それはお前の権利ではあるけど、本当に入り用な時のために取っときなさい」
「だからといって……」
あなたの世話になる理由にはなり得ない。そう思ってのイタチの言葉に、きっぱりとした声で少年はこう返した。
「オレは良いの。オレがお前を甘やかしたいだけなんだから。自分が働いて得た金を自分の好きなことのため使っているだけなんだから、お前が心配することじゃないよ。だから、人の好意は素直に受け取っときなさい」
そういって年長の少年は真剣な目でイタチに視線を合わす。
それは有無を言わせない口調と雰囲気で、イタチは酷く心にざわめきを覚える。
シスイに対し、悔しいと思うのはこういう時だ。
自分は未だ親の庇護下であるアカデミー生で、シスイは様々な任務をこなす現役の中忍。時に自分より子供っぽく見えても既に子供とはいえない存在。親に全てを世話になっている学生と、自分で金を稼いで自立している立場では、社会的立場も金の重みさえもあまりに違う。
少年は笑う。無邪気にさえ見える子供のような微笑みで。
そうやってイタチの一歩前を歩いている。
それを見て、嗚呼早く大人になりたい。そんな風に漠然とイタチは思った。
自分よりずっと脆い癖に、大人の虚勢を張って自分を子供扱いしてくるこの人に、「対等」だといつか胸を張って言えるように。
今は、まだ言えない。
「ところでさ、お前は何か見たいものとか食べたいものとかある?」
カランコロンと下駄を転がすように歩きながら、クリクリとよく動く黒い瞳を勿忘草色の浴衣を身に纏った少女に合わせ、シスイはイタチへとそう訊ねた。
それに対して、いつまでも先ほどのことを引き摺るのも大人げないと思ったのだろう。イタチはいつもの冷静な……言い換えれば子供らしくないいつもの態度と調子を取り戻しつつ、軽く肩を竦めながらこう返答を返す。
「さぁ……正直よくわからない。……が、そうですね。アナタが見たいと思うもので構わないかと」
それは希望がないというよりは、初めての参加であるが故に、祭りとはどういったものがセオリーであるのかとかの判別がつかないのだろうと、シスイはイタチの意図を正確に読み取り、「そっか、わかった」と返答をした。
アナタが見たいと思うもので構わないというのは、ようするにエスコートを任せるという意味なのだろう。
そのことにシスイの中の世話焼きの血が騒いだ。
こうなったらとことん楽しませてやろう、うんと面白がらせてやろうとやる気が酷く湧いてくる。
そんな風にわかりやすく表情に出して、爛々と瞳を輝かせている少年を見ながら、イタチは「相変わらず単純で可愛い人だ……」なんて6つも年上の少年を相手にした感想としては、些か失礼なことを考えていたりしたのだが、生憎目の前の幼馴染みとは対照的に顔に出すヘマはしなかったためか、シスイがそんなどっちが年上なんだかわからないことを考えているイタチの感想に気付く事はなかった。
「あ、イタチ。リンゴ飴売ってある」
シスイは上機嫌を隠そうともせず、活き活きとした態度でイタチと手を繋いでいないほうの手で1つの屋台を指さすと、楽しげな調子で幼馴染みたる少女に言葉をかける。
その先にある出店に並んでいるのは様々なフルーツを飴に包んだものだった。ブドウにミカン、イチゴと色々あるが、「リンゴ飴屋」と銘打っている通り、メインは大小2種類のリンゴ飴だ。
「よし、一緒に食べよう」
そういって人懐っこい笑顔が印象的な少年は、店までイタチを誘導した。
そこに並んだ商品を見て、彼女は僅かに感心したように表情を和らげながら呟く。
「これが……」
其の態度に彼も察っした。
(そっか、イタチはリンゴ飴見るのも初めてか……)
考えてみれば当たり前なのだ。リンゴ飴なんて普通は祭りの時ぐらいしか販売しないし、木の葉では長い事戦争と九尾事件の影響で夏祭りの開催はなかった。せいぜい、祭り事と言えるのは正月や盆に内輪でひっそりとする祝いぐらいのものだ。
そしてイタチは丁度戦争時代初期の生まれなのだ。
故にリンゴ飴など、シスイにとっては懐かしいそれも、イタチにしてみれば初めて見る珍しい食べ物となる。
それは、イタチの歳がまだ7つであると知っているからこそ、悲しいことだと少年は思ったが、同情など彼女の欲するものではないだろうし、求めていない同情など少女にとっても失礼だろう。
だからこそ、これまで味わえなかった分を取り戻すためにも今日は楽しんでもらうのだ、と益々そう意気込んで、シスイはニッコリと人好きのする人懐っこい笑みを浮かべながら出店のオヤジに向かって声をかけた。
「おじさん、リンゴ飴頂戴。こっちの大きいのと、姫リンゴのほうと2つ」
それに対して、オヤジもまたニッカリと豪快に笑いながらリンゴ飴を袋に詰めつつ言う。
「あいよ。坊主、えらく別嬪な子連れているが、妹ちゃんのお守りかい?」
「うーん、ちょっと違うけど、似たようなもんかな?」
どうやら出店のオヤジはシスイとイタチのことを年の離れた兄妹と思ったらしい。
まあ、実際は兄妹ではないのだが、同じうちは一族であるし、これほど年が離れているのだから間違われたところで無理もないのだが、兄妹と間違われたことに対してシスイは嬉しいと感じたらしく、やや照れくさそうに目尻を和らげつつそう返答した。
……イタチにしてみれば「また妹分扱いか」と少し面白くない話だったのだが、生憎根本的に利口で、子供らしく在りきれない精神の持ち主であるイタチが其のやりとりに口を挟むことはなかった。
それに対してオヤジは、その曖昧な返答に親戚の子を預かって世話している坊主と、聞き分けの良さそうな大人しいお嬢ちゃんだと、シスイとイタチのことをそう認識したらしい。
オヤジは目尻を下げて、シスイにまけぬほど人懐っこい笑みを浮かべながらこう言った。
「そうかいそうかい。偉いねえ。よし、じゃあそこの別嬪なお嬢ちゃんにまけて本当は70両の所、50両にしてやるよ!」
「わ、本当にか? サンキューおじさん、ありがとう!」
そういってシスイは愛嬌を振りまきながらにこやかに50両を払い、リンゴ飴と姫リンゴ飴を受け取って、再度頭をペコリと下げ、手を振ってリンゴ飴屋から離れた。
それから「はい」と言って、イタチに大きなほうのリンゴ飴を嬉しそうに笑いながら手渡す。
少年の手に残ったのは一回り小さな姫リンゴのほうだ。
それに対して金を払ってもらった立場なのに、大きなほうを受け取ることには抵抗があったのだろう。イタチは少しだけ眉を顰めるようにしてこう言った。
「逆では?」
「いいのいいの。オレはこのサイズで充分満足なんだし、それにお前のおかげで割り引きしてもらったんだし、気にしない。気にしない。甘くて美味しいからな、きっとお前も気に入ると思うよ、これ」
そういって屈託なく少年は笑った。
それに手の中に収まったリンゴ飴を彼女は見つめ、少し匂いを嗅ぐ。
もし同じアカデミーの生徒に知られたらまず意外に思われること間違いなしなくらい、そんなイメージをあまり抱かれてはいないが、イタチは元来甘いものが好きだ。
好きな食べ物は、と聞かれたら真っ先に回答する対象こそおにぎりとキャベツではあるが、甘味を食する事はイタチにとっては最早娯楽のようなものであり、そういう通常の食事の好みとはまたそれとこれとは別として、甘い物は別腹扱いで好いている。
そのせいかイタチは甘味に関しては見かけによらない食欲を示す事が多々あった。
故に結構な量があるにしても、これぐらいならイタチにとっては問題無いし、リンゴ飴を包んでいる飴部分から匂う甘い匂いは、甘いものが好きな少女にとっては酷く食欲をそそる匂いで、きっとシスイの言う通り食べ終われば自分は成る程、これを気に入ることになるだろうなとイタチは納得した。
けれど、だからこそ今すぐこれを食べるのは勿体ない気がする。
そしてチラリと隣の少年を見上げる。
甘味を好んでいるのはイタチだけでなく、シスイもまたそうであることを長い付き合いだ、彼女は知っている。けれど自分と違って、シスイはそれほど量は食べないのだ。
それにどことなく木訥でホヤホヤした雰囲気の少年には、大きなリンゴ飴よりも一回り小さな姫リンゴのほうがどうしてかお似合いで、しっくりと似合っていたため、まぁいいのかもしれないなとイタチは思い直した。それはシスイの印象が動物で例えるなら大型犬ではなく、人懐っこいくせに臆病で強がりな小犬っぽいせいだったのかもしれないが、似合うものは似合うのだからいいのだろう。
そんな風に何事か納得している少女の視線に気付いたのだろう。シスイは苦笑のような困ったような顔を浮かべると、「お前……今なんか失礼なこと考えてない?」なんて訊ねてきた。
相変わらず変なところで鋭い奴だと思いつつ、イタチは本当になんでもないような澄ました顔を浮かべて「別に、なんでもないですよ」と答えた。脳内でシスイに犬耳や尻尾をつけて「可愛いな」なんて考えていたことは当然内緒だ。
「そう? まあ、ならいいけど」
自分より6つ年下の少女の言葉に納得出来ていなさげに首を傾げるシスイであったが、其の先を追求する事はなかった。そのことに追求して欲しかったようなそうでないような感覚をイタチは覚える。
ただ、そんな風に姫リンゴ飴を抱えている姿は、やっぱり何度見てもどことなく愛嬌があって、年頃の少年なのに少しおかしくも可愛いななんて感想を胸の奥に仕舞い込んで、イタチは提灯の明かりに再び視線を走らせた。
そういったやりとりの後5分ほどゆったりと歩いていた時だったろうか。
色とりどりの垂れ幕に、様々な提灯の明かりが灯る屋台通りの中、イタチはある店に目が付いた。
基本的に言えば、祭りで立ち並ぶ屋台の中で最も数を占めているのは食べ物関連の店であり、次点で幼い子供達が楽しめるようにと、射的屋や、金魚掬いに、ヨーヨー掬いなどの子供向けの店が多いのが常であるのだが、目に付いたのは其の店がそういった代物ではなかったということもあったのかもしれない。
何故なら、落ち着いた雰囲気のその露店で売られていたのは女性向けのとある装飾品ばかりだったのだから。
そこに立ち並んでいるのは、大人向けと呼ぶには安くとも、子供が買うにはやや高い値段を表示して売られている、色とりどりの様々な装飾を施された簪達だ。
その中の1つに目線を奪われ、ほんの僅かにイタチは足を止めた。
そんなイタチの反応にすかさず気付いたのだろう。シスイもまた、イタチが足を止めた店に視線をむけ、商品と少女の顔を交互に見ると、いつも通りのどこか子供っぽいながらも落ち着いた調子の声でこう尋ねた。
「欲しいのか?」
「シスイ兄さん」
その目敏い反応に、こういったことに対しては鈍そうに見えるからこそほんの少しだけ内心驚きを覚えつつ少女が少年の名を呼ぶと、シスイはそれを、イタチが見ていたそれが欲しいだと肯定の所作であると判断をつけたらしい。彼は一切躊躇う事もなく簪屋の女主人に対して声をかけていた。
「おばちゃーん、この簪頂戴」
そういってシスイが指さしたのは、イタチが足を止める切っ掛けになった商品だ。
そういうところもきちんと見ていたらしく、わかっていてくれていたということにイタチは顔にこそ出さないが、嬉しいような気恥ずかしいような思いを抱える。
「あいよ、280両だよ」
「え~、少し高くない?」
……確かに、それは年齢一桁の子供に対する贈りものとしては高い。
しかし、求めている商品を見れば、それは小さな子供向けというよりは、10代から20代前半ぐらいの年齢が対象なのだろうやや大人びた少女向けのもので、だからこそこういったことに詳しいわけではないイタチの目からみても、其の値段は妥当に思える。
しかし、いくら幼馴染みの婚約者であれ、そんな大人からしたら端金設定かもしれなくとも、子供から見たら大金がかかるものを買って貰うわけにはいかないと、イタチは少し遅れながらも認識し直したらしく、シスイの袖を遠慮がちに引っ張った。
「少し良いなと思っただけですから、別にそんないいですよ」
しかしそんな風に遠慮するイタチの態度に逆に触発されたのだろう。
シスイは例の兄貴分ぶる時特有の表情と声音を浮かべると、店の主人に聞こえないよう小声で「いいから、任せとけって」なんて言ってイタチの髪を優しく撫で、再びちょっと情けない感じの……言い換えれば人の憐れみを買う子犬っぽい雰囲気と表情、声音を浮かべて簪屋の主人に向き合い、こう言った。
「な~、おばちゃん。折角の祭りなんだしちょっとは割引して欲しいな~なんて……駄目?」
なんて言いながら、少し大げさな態度で少年はパンと両手を合わせ拝むように上目遣いに簪屋の女主人を見上げる。
そんな愛嬌がありつつも、どことなく母性本能を擽るような少年のやり口に、40代後半ぐらいの女主人は苦笑しながらも、少しだけ絆されたような声で呆れたようにこう言った。
「何言ってんだい、そんなことしてたらこちとら商売上がったりだよ」
「そこをなんとか~。ね? このとーりだからさー」
「そういわれても、こっちも商売だからねぇ」
そんなやりとりを5分ほど繰り返した後だっただろうか。簪屋の女主人は呆れたような、それでもどことなく微笑ましいような顔と態度で少年を見ながら、こう言った。
「全くしょうがないね、そっちの可愛いお嬢ちゃんに免じて250両にまけといてやるよ」
「やった、サンキュー、おばちゃんありがとう!」
パァァと顔を輝かせながら、シスイは簪屋の主人のその言葉に目一杯の愛想を振りまいて、満面の笑顔で老女の手を握りながら、もし犬だったらブンブンと尻尾を振りまくってそうな顔と態度で礼を述べると、金を払い商品を受け取った。
「ほら」
そう声をかけて、シスイは何気ない仕草でイタチの左横髪へと購入したばかりの簪をそっと差し込む。落ち着いたデザインの白梅をモチーフに作られたそれの枝を摸した部分が、シャンと鳴って響いた。イタチはそっとそんな作り物の花へと手を伸ばす。
そんな少女の様を見ながら、年長の少年は何度か頷くと、どことなく満足げな微笑みと共に感心したような言葉を漏らした。
「うん、やっぱり似合うな」
「似合っていますか?」
思わず控えめな声でイタチは尋ね返す。
自分を律するのはイタチの癖でもある。それのためわかりにくくはあるが、それでもどことなく期待に浮ついている風に己に訊ねてくるイタチを見て、シスイはこう思った。
ここまで自分の外見を気に掛けるなんて、嗚呼、本当にこの世界のイタチは女の子だなぁ、と。
男には、所謂前世の記憶というものがある。そしてその前世に置いて彼は日本という平和な国の平凡な中流家庭に育った……平凡な、少なくとも本人はそう思っている、社会人の1人で、その世界で娯楽として普及していた漫画の1つに、この世界そっくりの「NARUTO」という作品があり、男はライトなその漫画のファンの1人だった。
そしてその漫画に登場するキャラクターの中には、「うちはイタチ」や「うちはサスケ」また自分が転生した「うちはシスイ」などの名前も存在していて、建造物や大まかな歴史、里や国の名前などが共通していることから、この世界でうちはシスイに成り変わって間もなくの頃に、彼はこの世界を彼の漫画の並行世界的存在であると位置づけた。
しかし、平行世界はあくまでも平行世界であり、全く漫画と同一の世界ではない……ただのよく似た世界であると男は思っている。
そのことを示す最も代表的な存在がこの世界の「うちはイタチ」の存在だった。
何故なら漫画世界のイタチは……NARUTOに出てくるイタチは、女ではなく男だったからだ。
この世界でイタチと初めて引き合わされた日の事を彼はよく覚えている。彼が彼ではなく彼女であることに、初めは正直戸惑った。
そもそもNARUTOに出てくるイタチからして、内面はともかく、外見は深いほうれい線こそ渋みを醸し出しているが、切れ長の目に長い睫、すっと通った鼻筋に撫で肩、長いストレートの黒髪の涼しげな容貌に優美な物腰と、中性的な美男子だったわけであり、またこの世界で出会ったイタチにしろ、第二次成長期前ということもあって、この世界のイタチとNARUTO世界のイタチに外見的差異はほぼ存在していなく、リアルにしただけで身体的特徴はそのままだった。
更にいえば衣服のセンスも原作イタチと似たようなもので、性格や雰囲気にも大差は見られなかったということもあり、一人称が違うにも関わらず、原作知識があるのが災いして、初めはてっきり男の子だと普通に思い込んでいた。
しかし、それでも彼女は女の子だ。
初めて顔を合わせた日、所謂原作知識というものがあるせいでイタチを男と思い込んで接したのが原因で、男に間違われていたということを知ったときの彼女の落ち込んだ顔やその時吐いた台詞は、シスイの罪悪感をこれでもかというほど刺激した、苦い想い出である。
そしてあの時の「わたしは女にみえないのか」と落ち込んでいたイタチの想い出があるからこそ、この世界が全く漫画と同じ世界ではないと自分に割り切らせることが出来たのも確かだが、それでもやはり女の子を悲しませる男はサイテーだと彼は思っている。
原作のイタチは原作のイタチ。このイタチはこのイタチで、女の子でオレの可愛い妹分。そう思い納得するようになったのもこの時からだが、それでも外見も性格も原作イタチとの差異が少ないせいで、時々女の子だって認識を忘れかけることがあるのもここだけの話である。
だからこうやってふとした瞬間に、この世界のイタチの女の子な部分が見えるととても微笑ましい気分になると共に、結局1人置き去りにしてしまった前世での『妹』のことも思い出す。
『ねぇねぇ、お兄ちゃん。今日友達と花火大会に行くんだけど、髪変じゃないかな? ちゃんと出来てる?』
そんな風に上目遣いで訊ねながら、こんな自分を慕っていてくれたたった1人の妹。
友人や家族にこそ恵まれていたが、外見も平凡、身長は平均より低く、勉強も運動も不得手で、成績が良いのは音楽と家庭科ぐらいのどうしようもない凡庸な男だったのに、それでも兄と慕ってくれた彼女は、自分とは対照的に母方の祖母に似たのか美人で、運動神経も学業成績も良く、強いて欠点を言うなら家事が少し苦手で、手先が少し不器用ながら心優しいそんな子だった。
正直、6つも歳が離れていたとはいえ、今でも何故自分などを慕ってくれたのかわからない。
己に取って妹は守るべき存在だったが、しかし自分は当時中学生だった、幼かった妹から○○を奪った張本人なのに。
……余計なことを考えた。
なんにせよ、此所にいるのは前世での自分の妹ではなく、幼馴染みである齢7つの少女だ。
イタチはイタチ。そもそも妹とイタチは全く共通点がないわけでもなかったが、違うところのほうが多い赤の他人だ。それでも、女の子である以上、こういった方面では妹にしていた対処を参考にすればいいだろう。
大抵に置いて女の子は容姿を褒められたいと思う生き物なんだから。そしてこの反応を見る限り、イタチもまた例外じゃないはずだ。
だから、どことなく期待しているようなイタチに対し、シスイは満面の微笑みで頷くと、簪が似合っていることを肯定した。
「うん、すっごく可愛い。よく似合ってるよ」
実際世辞抜きでこれは本音だ。
元々イタチは大人びた子供で、それは外見以上に雰囲気や表情、思考こそがそうであり、だからこそ年齢一桁の子供がつけるにしては些か大人すぎる印象のデザインである白梅の簪が、イタチの黒髪や雰囲気に映えよく似合っていた。
女性として花開き始める10代の少女ならばともかく、年齢一桁の子供でありながらこの手のデザインをした髪飾りが似合うのは、世界広しといえどイタチぐらいのものではないだろうか。
そもそも白梅自体、人気の高い花であっても子供向けの花とは呼べない。
確かに寒空の中咲き誇るその花は美しいが、優美さと上品さ、そして一抹の侘びしさを思わせるその花は、子供らしい可憐さとはまるで正反対だ。白梅のよう……と形容するに当たる女性を連想しろと言われたら、大抵の人が思い浮かべるのは落ち着いた貞淑なる知的な大人の女性なのではないだろうか?
けれど、どうしてか。これほど幼くありながら、それでもイタチのイメージには白梅はピッタリだなぁとシスイは思った。
そんな風にどことなく感心したように自分を見ている男の視線に気付いているからだろう。
イタチは褒められた直後こそ、顔に出さないようにしながらも少し照れていたようであったが、ちょっとだけ眉を顰めるようにしてこう訊ねた。
「何か?」
「いや……白梅ってなんていうかイタチッぽいよなって思ってさ」
そしてそのまま思うが侭の感想をシスイは6つも年下の少女へと告げた。
「百合とか、薔薇とか、白菊とか……お前には他にも似合う花は色々あるんだろうなーとは思うんだけど、なんだろう。白梅が1番ピッタリかなって。寒空の中凛と咲く感じとか、主張しすぎていないのに見る者の目奪う感じとか、優美で上品なイメージとか凄くお前らしいような気がする」
そんな他人が聞いたら説いているのか? と疑われそうなシスイの言葉を前に……まあ彼女はこの男の言葉に他意がないことを知ってはいたが、それはさておきイタチはノ一クラスで2ヶ月ほど前に習った授業内容について思いだしていた。
……白梅の花言葉は「高潔な心」「忍耐」「忠実」「厳しい美しさ」「艶やかさ」「気品」などとなるらしい。
いくらこの男が薬草や毒草など植物にある程度精通しているとはいえ、毒にも薬にもならない花の花言葉まで調べているとも思えないので、おそらく自分が自意識過剰なだけなのだろうが、それでもその後も「うん、やっぱりイタチには白梅がピッタリだな」などと自分を褒めそやすシスイを見ていたら、この男の目には自分はそう写っているらしいと思わせられて、酷く気恥ずかしい気分をイタチは覚えた。
全く褒められなかったらそれはそれで癪だったのかもしれないが、それでもこうもベタ褒めされるというのは、過剰評価されているようで居心地悪く感じてしまうものだ。いやもう、本当この男は自分のことをなんと思っているのか。
まあ、シスイが己に過大評価して過剰に信頼を向けてくるのはいつも通りのことといえばそうなのだが。そうでなければ一体どこの世界に当時4歳の幼子を捕まえて「お前を火影にするのがオレの夢」なんて言い出す物好きがいるのか。
しかしそれにしても、普段は赤面症で割とすぐ照れるくせに、何故こんなスケコマシのような台詞は照れもせず悪気もなく言えるのか、一度この男の頭の中を見れるものなら見てみたい。
そんな風に思う自分がいる一方で、けれど彼女に嬉しいと思う気持ちがないわけではなかった。
下心無く、己を思っての行動が嬉しくないはずがなかった。
しかしそんな自分を誤魔化すようにイタチは目を伏せ俯くと、それでも贈りものを受けておきながら何も言わないのは失礼だろうと思い直したのだろう……この辺り、イタチの律儀さと真面目さが伺える、な調子で「ありがとうございます、シスイ兄さん」とそう礼の言葉を述べた。
それに対し、シスイはそんな風に表に出さないようにしながらも、内心照れつつも喜んでいるイタチの内情を長い付き合いから読んだのだろう。少年は微笑ましそうでありながらデレデレした雰囲気を振りまきつつ、ヘラっと笑って「どういたしまして」と返し、わざとらしく茶目っ気たっぷりにまるで臣下がするような仰々しい礼で返した。
それはなんとも滑稽で笑いを誘う姿だ。
でもそうやってこんな形で己を気遣ってくれる少年の事を、悪くないと少女は思った。
続く
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外伝SS「夏祭りの話・後編」
お待たせしました、夏祭りの話、後編です。
因みにこの話の設定は本編ルート、IFルートどちらとも繋げられるように書いたつもりでいますので、最後の辺りの展開はお好きなほうでご想像下さい。
後余談ですが、イタチさんは母上と母さん呼びを使い分けている人的イメージなので、まあ、そういうことで。
「……すみません、シスイ兄さん。先に行ってくれませんか?」
イタチがそんなことを言い出したのは、先の簪屋が人混みで見えなくなった頃だった。
「どうした?」
イタチである以上、訳あっての発言だろう。そんな信頼を齢7つの少女に向けながら13歳の少年は理由を尋ねる。
それに対し彼女は曖昧に、「忘れたものがありまして……」と答えた。
まあ、嘘だろう。
けれど、イタチがこんな風に言う以上、したいことがあってそれには己が側にいることは不都合という意味なんだろうと察したらしいシスイは、「わかった。そこの先で待っているけど、あまり遅くなりすぎないうちに戻ってくるようにな」とイタチに告げて、年上らしい寛容な態度で、イタチの髪を一撫でしてから送り出した。
それに対し、彼女はペコリと律儀に一礼してから「行ってきます」と告げて少年に背を向けた。
それをシスイは笑って手を振りながら「いってらっしゃい」と見送った。
(普段は子供っぽい人に見えるのにな……)
こういう時はきちんと年上で、まるで大人のような態度なのが少しだけおかしかった。
そう思いながら、先ほど目を付けていた出店へとイタチは向かう。
「お、いらっしゃい、お嬢ちゃん1人かい? どれが欲しいんだい?」
「これです」
そう言ってイタチは一組のミサンガを気の良さそうな50代ぐらいの店主へと差し出した。
「これはちょっと、お嬢ちゃんがつけるには無骨過ぎンじゃないかねェ?」
それに店主は眼を細めながら、差し出されたミサンガを受け取りつつそうぼやくと、イタチは「贈りものです」と答えた。そんな年齢に似合わぬ雰囲気を纏った幼い少女を見ながら、店主はまさかこの年齢の子供が贈りものを買いに来たとは思っていなかったのだろう。マジマジとした目でイタチを見てから、「好きな男にでも贈るのかい?」と最近の子供はマセてるねェと言いたそうな口調で漏らすと、イタチが差し出したミサンガを紙袋につめ値段を言った。
「30両だよ。……それにしてもお嬢ちゃん、これがどういう類のアクセサリーか知ってて買いにきたのかい?」
その質問に対し、イタチはいつもの冷静な口調でこう答えた。
「自然に紐が切れた時願いが叶うと言われている、お守りの一種だったように記憶していますが」
「そうだよ。よく知っているねぇ。もう1つ、色にも意味があることは知っているかい?」
「……」
流石にそこまでは知らなかった。
「黒色は好意、意志。黄緑は和み、友情、優しさ。赤は恋愛、勇気、運動、情熱を司っている。ついでに付ける場所にも意味があってねェ。利き手は恋愛、逆手は学問、利き足は友情ってね。まぁ、アンタの恋が叶うよう祈ってるよ」
そういって店主は笑って金を受け取り、イタチを送り出した。
「シスイ兄さん」
そう呼びかけ、小走りに追いつく。
するとどこか遠い眼で祭り光景を見ていた少年は、それまでの表情から一変、少し何かを隠すような……自分くらいしかわからない程度にどこか仮面的な笑みを浮かべて、「おかえり、イタチ」と連れ合いである少女の名を呼んだ。
それに僅かイタチはたじろぐ。
けれど、ここで引いてどうすると自分に言い聞かせ直して、イタチは「これ……受け取って欲しい」といって先ほど買ったばかりのミサンガが入った袋を差し出した。
「先ほど簪を買ってくれた礼です」
「礼って……別にそんなの良かったんだけどな」
そういって苦笑するシスイは、しかしイタチが一方的に与えられることに納得出来る子供ではないことも知っているためか、「お前らしいけど」そう呟いて其れを受け取り、「開けて良いか」と声をかけて、商品を袋から取り出した。
それは黒と赤と黄緑色の組紐を編み込まれ作られた腕輪形状の装飾品だ。
基本的にシスイに装飾品を身につける趣向はないし、男が装飾具なんかに金かけてどうすんだ? とか思う人種なためこういったことについては詳しくはないのだが、ブレスレットというよりはバングル程の太さがあることといい、どことなく無骨なデザインといい、まあおそらくこれは男性向け商品なのだろう。
自分がつけていてもおかしくなさそうなデザインからは、彼女の気遣いを感じて、そんな少女の気持ちが嬉しくなってつい微笑む。
それでも、この商品が子供の小遣いからして高額で、イタチの今晩の小遣いを使い切らねば購入出来そうにない代物だったのなら、いくら簪の礼と言われてもシスイはこの贈りものを受け取れないと返していただろう。そんな自分が受け取れないラインと受け取れるラインも見抜いての贈りものを返してくれたイタチに対して感じるのは、羨望と友愛と憧憬だ。
あまりに早熟過ぎる子供であるためか色々言われることの多いイタチだが、この子はこんなにも人を気遣える優しい子だ。贈りもの自体よりも、彼女のそんな心遣いこそが何より嬉しかった。
「懐かしいなぁ……ミサンガかぁ」
そういって彼は早速右手に彼女がくれたそれをつけると、マジマジと贈られた装飾品を眺め言う。
その言葉には他意は宿ってはいなかったが、しかし一瞬イタチが照れたような顔をして俯いたことについては、生憎男はそちらを向いていなかったため気付かなかった。
けれど、彼女の動揺は刹那で収まったらしい。
次には相変わらずのいつもの冷静じみた声でイタチは尋ねた。
「知ってたんですか?」
「んー……ちょっと昔にも貰ったことがあってな。確か願い事をして身につけ、自然に紐が切れたら願いが叶うとかなんとかだっけ?」
まあ、くれたのは大学生の時付き合っていた前世の彼女で、その時のミサンガは売り物ではなく彼女の手作りで、彼女は「ずっと身につけて自然に紐が切れたら願いが叶うんだって」という言葉と共に、「絶対に右腕につけてね」なんて念を押していたが、いくら彼女がくれたものとはいっても、ピンクと赤で編まれたその装飾品はちょっと恥ずかしかったのも1つの想い出だ。とはいえ、そのミサンガは、両親が死んだ後自分が彼女に別れを切り出した際に、ケジメとして自分で燃やしてしまったんだが。
しかしどちらにせよミサンガはそう高い装飾品ではないだろう。子供の小遣いでも充分手が届くラインの筈だ。
それにデザインやら色合いからして、自分の事を考えて選んでくれたのは明白だ。嬉しくないわけがなかった。
だからシスイは「大切にするよ。ありがとうな、イタチ」そう言って笑った。
その少年の微笑みを見て、イタチは酷くほっとする。
先ほどまで身につけていた仮面の微笑みはもう無い。本心からの微笑みだ。そのことに齢7つの少女は安堵した。
それから彼女は落ち着いた声でシスイに尋ねた。
「何を見ていたんですか?」
「んー……何をって……まあ特定の何かってわけじゃないけど、こういうのやっぱ良いなってそう思ってただけだよ」
そういって少年は眼を細める。
「みんな賑やかで、楽しそうで、子供達は笑ってはしゃいでてさ……やっぱりさ、泣いている顔や辛そうな顔を見るよりもこういうののほうがずっといいなってそう思ってた」
オレもみんなが笑っていると嬉しいし、とどこか愛しさの滲んだ口調でそう小さくポツリと呟いた。
それにイタチは思う。
嗚呼、この人の心にもまたあの戦争は大きな傷となっているのだな、と。
まあ、当然と言えば当然のことだ。
人が焼け、腐り、死んでいく光景。
人同士で争いあい、奪い合う。
戦火に包まれた村。
あれは幼かったイタチにとってもトラウマそのものだ。完全な平和などというものがないことは理解していても、それでも戦争を忌避する考えが生まれたのもあれが切っ掛けに等しい。
そして自分以上に、彼にとってはあれは当事者であったからこそより惨いものでもあったのだろう。そも、シスイは己より余程脆い人だ。それは何より精神的に。シスイの両親もまたあの戦で亡くしているし、仲間も失っていると聞くが、それだけの話ではないだろう。
でもどちらにせよ、この少年が「歪み」を抱えたのはあれが原因だろうとイタチは悟っていた。
シスイが己に期待したものは、己に執着するようになった切っ掛けは、望んだ夢の根源は、やや病的な程子供好きに彼が成り果てたのは、全てあれが原因だ。
……やり場のない憤怒を、砕けそうな理性を別の感情に変え耐えた。
そうしないと生きていけない程、この人は脆く弱かった。否、今もまだ弱い。それだけの話だ。
けれどそれを愚かだと嘲笑う気にはイタチにはなれない。
開き直り、血を好んで残忍な方向へと変化するものよりも、ずっとそれは尊いことだろうとも思うから。
そんな風に自分を見ている妹分の視線に気付いたのだろう。
シスイは1つ瞬きをすると、それを合図のようにいつも通りの雰囲気に自分をもどし、それから彼はニッコリと満面の……巧妙に作られた笑顔を浮かべつつ、イタチの手を引き、気持ちを切り替えるようにこう言った。
「ま、なんにせよイタチ。今日はとことん遊ぼうな。あ、あとさっきあっちで射的屋見かけてさ、一緒にやろう」
そういって少年は無邪気に笑う。
其の顔は本当にいつも通りで、先ほどの片鱗も見せない。それに、普段はそんな風には見せないくせに、この人もやはり忍びだなとイタチは無性に実感した。
「おじさん、オレとこの子で一回ずつよろしくな!」
「あいよ。20両だよ」
そういってシスイは賑やかに笑いながら射的ゲーム屋のオヤジに20両を支払う。
それから当然射的ゲームも初めてだろうイタチに振り返った。
「お前、やりかた知ってる?」
「推測でいいなら……」
「つまり、ちゃんと知っているわけじゃないんだな?」
そうイタチから確認を取ると、シスイは、よしなら説明してやろうと言わんばかりの意気込みが入った顔を見せながら、イタチに言った。
「良いか。このゲームは、射的用に用意されたこの玩具のクナイを使って、あそこの棚に並んでいる景品を当てて落とすゲームなんだ。んで、落とした景品が貰える。外れたら無し。といったら、お前には簡単に聞こえると思うけど、渡されたゲーム用クナイは私達が普段使っているクナイとは全然違うから言うほど簡単じゃない」
そういってシスイは、イタチの手にもゲーム用のクナイもどきを握らせた。その軽さと材質の脆さに少しだけイタチが目を大きくさせる。そんな少女の姿を見ながら、シスイは説明を続けた。
「というか、普段クナイをにぎり慣れているやつのほうが多分このゲームは難しい。あまりに重さも強度も違い過ぎるからな。無茶は効かないし、クナイをチャクラで強化させるのはルール違反で厳禁だ」
そういって、「とりあえず、オレから行くぞ」と実際に見せる事にしたらしい。シスイは玩具のクナイを構えるとヒュッと投げた。
「うん、まあ、こんなものだろう」
棚から落ちたのは綺麗な模様のおはじきが入った小袋だった。デザイン的にくノ一クラスのアカデミー生辺りにウケが良さそうなデザインな辺り、ひょっとしてイタチにあげるつもりで狙ったのかも知れない。
が、狙った賞品を落とせたことはまだ良いにしても、それは余裕で落とせたという風情ではなく、なんとか落ちた風であったし、少しクナイは外れた軌道を描いて落ちたものだから、シスイ的には想像以上に駄目な出来だったらしく、彼は気恥ずかしげに赤面しつつポリポリと側頭部を掻いている。
そして次にイタチに勧めようとシスイが振り返った時には、彼女はそれを投擲していた。
ヒュッと鋭い風切り音がなる。
と、思えばクナイが計算し尽くされたような軌道を描いて2つの商品が棚から同時に落ちた。
「おいおい、マジか」
その正確さと、技術力の高さに、思わず出店のオヤジも呆気にとられたような顔をしてそれを見ていた。
落ちたのは、最も狙うのが難しいだろう位置に置いてあった、手裏剣ショルダーセットと、ベーゴマセットだ。特に手裏剣ショルダーは大きさと重さが重さだけに、普通に当てたところで、軽くて脆い材質の玩具のクナイではよっぽど上手くやらないと落ちない筈だったのだが……しかしそれをやってのけた少女は、ふむとこともなげに顎に手をやるとこう言った。
「確かに……いつもと感覚が違う分難しいですね。左の賞品も一緒に落とすつもりだったんですが」
……どうやらイタチ的には一気に2つ落としただけでは足りなかったらしい。因みに左に置いてあった商品は小熊のぬいぐるみだ。そんなイタチを見て、シスイはどこか遠い目をしながら呟いた。
「ああ、そうだった。お前はそういうやつだった。それにしても……お前、本当チートね」
「チート?」
ペテンなどした覚えはありませんが? と言わんばかりの瞳で自分を見上げる少女を前に、それより6つ年上の少年は苦笑いを浮かべながら、イタチの頭を撫でつつこう返答した。
「いや、うん、なんでもない、こっちの話。ちょっと自分の非才さを噛み締めてるだけだから、気にしないでいいから」
……その言葉に哀愁が漂っている気がするのは気のせいなのだろうか。
とは思いつつそれにイタチが突っ込む事はなかった。空気を読んだといっていい。
「でも、成る程。大体感覚は理解しました。それでシスイ兄さんは何か欲しいものはありますか? あれば落としますが」
そういつも通りの平静な態度を取っているようで、どことなく子供らしく得意げでもあるような雰囲気も僅かに匂わすイタチだったが、それに対し遠い目をしながら草柳色の浴衣に身を包んだ少年は呟いた。
「いや、いいよ。っていうか、そんなことしてたら店のおじさんが可哀想だろ……お前全商品落とせそうだしさぁ……でもま、そんなに落としたいっていうんなら、自分が欲しいものか、サスケちゃんへのお土産でも落としなさい。な?」
その声には酷く同情が宿っているが、イタチとしては釈然としない。
そもそも落としたものは貰えるゲームなのに、本当に落としたら可哀想とはどういうことか。納得出来ない。
とは思うものの、弟へのお土産でも落とせという言葉には成る程納得ではあったが。
なにせ可愛い弟の喜ぶ顔を見たら自分も嬉しくなるぐらいにはイタチは弟馬鹿だ。しかし、サスケが喜びそうなものという意味では、既に落とした手裏剣ショルダーセットやベーゴマセットでも割と充分な気がする。あとは……先ほど落とし損ねた小熊のぬいぐるみとかも、悪くないんじゃなかろうか。
「それにしても、ベーゴマとはまた懐かしいものを落としたなあ」
けど、そんな風に考えているイタチに話しかけられた男の声があまりに懐かしさを感じさせるものだったので、これ以上は別にいいかとイタチは思い直した。そうして眼を細め、微笑みながらイタチの手の中を見ている少年に向かい少女は問う。
「好きだったのですか?」
「んー、ちょっとな」
そういって先ほど落としたおはじきをイタチに手渡しながらシスイは笑った。
その顔はとても楽しそうだった。
それからはあっという間に時間が流れていった。
行く先々でふわふわの綿菓子やフランクフルト、たこ焼きなどを2人分け合って食べて回った。2人で買った1つをわけた為、量はそれほどではなかったけど、その分沢山の種類が食べれて、なにより分け合って食べるということそのものが楽しかった。
「やっぱり1人じゃない食事は楽しいなっ」
そんな風に無邪気に笑う少年の顔がイタチには眩しかった。
やがて、そうしているうちに本日の目玉である花火がはじまる。
すると、シスイは言葉を止め、空を見上げながら優しげに目を細める。
おそらく、その横顔に目を奪われたのだろうとイタチは思う。
まわりは煩いくらいの音なのに、どこか物静かで、イタチは時間が止まったような錯覚さえ覚えた。
穏やかで優しい顔。
いつもは年齢一桁である筈の己より余程子供っぽい人なのに、そうした顔と雰囲気は、世の酸いも甘いも知り余生を細々と過ごす御隠居の老成さを思わせた。
だからなのか、シスイの顔なんて見慣れていた筈なのに、かける言葉を失うと共に、一種の不安さや不吉さも感じで、イタチはそんな風に思う自分自身に戸惑いも覚える。
「綺麗だな……」
「……そうですね」
まるで老人のように10代前半の少年はその言葉を言う。
それは花火のことだろうけれど、多分それだけでもないのだろうと少女は思う。
多分綺麗だと彼が思っているのは花火だけでなくて、この世界そのものだ。
醜いという感想も綺麗だという感想もどちらも相反しているようで、それでも矛盾のようでいてそれらは両立しているものなのだ。
それはイタチにもよくわかる。よく知っている。覚えのある感覚だ。
戦争は醜い。
人の死は悲しい。
誰かを失うことは苦しい。
けれど、此所はそれだけの世界じゃない。
この世界だからこそ、自分はこの男に会うことが出来た。
自分の両親はあの2人だった。
弟は……サスケが生まれてきた。
命は眩しい。
親しい人間の笑顔は嬉しい。
誕生は歓び。
死は無常の別れ。
世界は悪と善に満ちている。
この世界は、人は醜い。
それでも世界も、人も美しい。
例え裏に数多の闇が隠されていようと、この平和の裏に犠牲者がいるのだろうと、それでもイタチは、イタチもまたこの世界を……生まれ故郷である木の葉を愛しているから。
人を愛しているから。
美しいとそう思うから。
だから、嗚呼、本当に……。
「本当に綺麗だ……」
次々打ち上げられる花火。どうかこの時がいつまでも続いたらいいなとイタチは思う。
きっとその想いは隣の少年も同じだろう。
空を彼を見上げる。花火は色々な色を纏いながら天空に咲いては消え、を繰り返していく。
それはまるで、人の人生のようだな、とイタチは思った。
ひっそりと幸せを噛み締めるように、控えめにシスイは笑う。
まるで全てを受け入れる老人のような微笑み。そんな姿に酷く胸が掻き乱された。
少しの混乱。けれど、それは居心地の悪いものではない。
正直、イタチは自分自身、この幼馴染みで婚約者でもある年上の少年に如何なる感情を抱いているのか、未だ答えだって出せていない。この男に対する好意の種類がどれであるのか分かっていない。それでもいいのではないかと思うのだ。
だって、綺麗だ。
ここには泣いている人は誰もいない。
だから。
ずっと、こんな時間が続けばいいと。
そう思っても構わないのではないだろうか。
「また、来年……」
ともすれば、花火を打ち上げる音でかき消されそうな声量でシスイはポツリと呟く。
「また、来年一緒に来れたらいいな」
また一緒に来ようではなく、来れたら良いな。
その言葉は、いつ自分が死ぬかわからない職についていることを自覚しているが故の言葉なのだろう。人の命を奪う職は、同時に自分の命を奪われる可能性も孕んでいるのだから。自分が何者かわかっているが故の言葉。そしてそれはイタチにとっても他人事ではない。
今でこそアカデミー生だが、きっと来年には自分はアカデミーを卒業し、そして下忍として里のために働き、里の敵を殺すだろう。そうして人殺しの連鎖へと組み込まれるのだ。
だから……。
「嗚呼……そうですね」
現実を分かりすぎているほどわかっている少女は、来ようなんて希望的観測を述べることもなく、ただ曖昧に頷いて、少年の手をソッと握りしめ側に佇んだ。
そうして特大の、最後の花火が打ち上げられる。それが散る様をどこまでも目に焼き付けながら彼女は想う。
嗚呼、もうすぐ祭りも終わる。
終われば、またいつもの日常が戻ってくるのだろう。
変わらぬ夜が来るんだろう。
「綺麗だったな」
そんな少年のありふれた言葉と共にイタチの夏祭り1日目は終わった。
カランコロンと下駄を鳴らしながら少女は少年と歩く。
すっかり夜も深く、街灯に照らされて影が出来ている。
そんな中、イタチを自宅前まで送ったシスイは、「それじゃあイタチ、またな」そう言って微笑み、彼女に背を向けた。その腕には自分が贈ったミサンガがつけられたままだ。それにどうしてか安心して、イタチは彼女にしては柔らかい声と表情で少年に別れの挨拶を送った。
「おやすみなさい、シスイ兄さん」
シスイはそれにヒラヒラと手を振る事で答え、夜の道を帰っていった。
「ただいま」
家に帰れば、既に弟のサスケと母のミコトは帰宅していた。
「ああ、もう、姉さんおせーよっ」
そんな言葉と共にサスケが自分の腕の中へと飛び込んでくる。そんな様は無邪気そのもので酷く可愛らしく心和む。そしてそんな自分達姉弟を見ながら、母のミコトは浴衣を畳みながらこう声をかけた。
「イタチ、おかえりなさい。シスイ君とはどうだった?」
「ああ、楽しかったよ」
そこまで話したところで、目敏くミコトは娘の変異点に気付く。
「あらあら、ひょっとしてイタチ、それシスイ君に?」
「……まぁ」
そういって母はどこか楽しむような、それでいて微笑ましいような顔をしながら、行きには確実につけていなかった左髪の装飾品について指摘する。それに対しイタチはどことなく気恥ずかしそうにしながらも、それの贈り主がシスイであることを否定することはなかった。
「随分進展したのね?」
「そんなのじゃないよ。あの人は相変わらず、私のことは妹分としか思っていない」
とはいうものの、満更でもないことは母には筒抜けだろうことはわかっている。それでもイタチはそう言った。
しかし、ここでイタチがつけている簪の贈り主が誰で、なんでそんなのをつけているのか僅か2歳児であるにも関わらず悟ってしまったらしい。イタチのように精神的に早熟というわけでもないくせにこれほど頭がまわるのは天才故にか、サスケは癇癪玉を爆発させたような声で大好きな姉に喚いた。
「姉さんのばかっ! そんなのつけるなっ」
そういってサスケはイタチをポカポカと叩きながら泣き出した。
それには流石のイタチも意表をつかれる。
「サスケ?」
「そんなの似合ってない! 変だよ、おかしいよ!」
「サスケ……」
正直可愛い弟に似合っていない、変だと言われイタチは内心傷つき困っていたのだが、まだ幼いサスケは自分のことで手一杯で姉が自分の言葉にどれだけ傷ついているのか気付かず更に言い募る。
「姉さんはオレの姉さんなんだから、そんなのつけるな、ばかっ」
泣き喚きながら上手く言葉を纏められずともそう叫ぶサスケに対し、流石にこれは看過出来ないと2人の母であるミコトは口を挟みサスケを叱ろうとするが、すかさずイタチはそんな母を手でそっと制して、内心傷つきながらもそのことを隠す為の微笑みを浮かべたまま、幼い弟に対しこう言った。
「わかった。これは外す。だからもう泣くな、サスケ」
そういってイタチは、彼の少年が手ずから己の髪につけてくれた白梅の簪に手を伸ばし、躊躇すら見せずに引き抜いて懐にしまった。
それからサスケを宥め賺し、弟が泣き疲れて眠るとその背に乗せて、サスケを布団まで運び掛け布団をかけてやった。
「むにゃ……むにゃ……姉さん……」
そんな風に泣き腫らした目元を晒しながらも、それでもどことなく満足そうな笑顔で自分の袖をキュッと握りながら眠る愛くるしい弟の寝顔を見ながら、イタチは目元を綻ばす。
そんな少女を我が子ながら呆れたような目で見ながら、ミコトは言った。
「全く、良い子過ぎるというのも困りものね。それとサスケに甘すぎよ、アナタ。サスケより年長とはいえ、アナタも子供なんだから嫌なことがあったり、あまりサスケの我が儘が酷いようならガツンと言っていいのよ。アナタにとってそれは大切なものでしょう?」
そう言う声の後半には心配と、どうしようもなく子供らしく在りきれない我が子に対する一抹の悲しみ、そして憐憫じみた情が混じっていた。先の一件は同性の親であるからこそ同情したのかもしれない。
けれど、そんなミコトの言葉に対し、イタチはまるで大人のような落ち着き払った顔と声でこう告げた。
「良いんですよ……あれぐらい大したことじゃない。これだって捨てるわけじゃない。仕舞うだけだ。サスケは幼い。きっと月日が流れれば、今夜の癇癪のことも忘れるでしょう」
ほとぼりが冷めるのを待つだけだ、と言わんばかりの……けれどそれでもどことなく落ち込んだような声で漏らされる、僅か7歳の少女とは思えない思考回路の末の結論に、その母たる女性は、やはりどこかもの悲しそうな口調でこう言った。
「もっと単純に考えればいいのに、不器用な子。アナタのそういうところ、方向性は違うけどあの人そっくりよ」
やっぱりあの人の娘ね。そう呟いてミコトはため息を1つついた。
「イタチ、あまり無理しちゃ駄目よ。母さんにとって、アナタも大切な娘なんですからね」
「はい、母上」
そう言ってイタチは優等生の微笑みで答えた。
「それじゃあ、イタチ。お風呂から上がったら余計なことせず、アナタも今日は早く寝る事。それじゃおやすみなさい」
「はい。お休み……母さん」
そう声をかけ、母と別れ風呂へと入る。
それから20分をかけ、入浴を済ませた後風呂から上がり、タンスの引き出しの中に白梅の簪を仕舞い込むと、簪を入れた箱を暫し名残惜しそうに見つめ、撫で、けれど結局イタチはそれをそっとタンスの奥に仕舞い込んで自室に向かった。
そして自分の部屋につくなり、布団を広げると、イタチは彼女らしくもなくボスリと布団に自分の体を投げ出しながら、今晩のことについて回想する。
多分、楽しかったのだろうと思う。
否、きっと間違いなく自分にとって今夜は楽しかった。
けれど、なにかがもやもやして物足りない。ぽっかりと胸に穴が空いたような感覚だ。
先の弟とのやりとりを引き摺っている部分もあるかもしれない。
それでも、こうやって1人になって思うのは、ああひとりぼっちだな、なんて馬鹿な感傷だった。
きっと、今頃彼は家でひとりぼっちだ。
誰も出迎えてくれない家で、あの賑やか好きの少年は一体どんな気持ちで過ごしているのか。
自分には弟がいる。母がいる。父がいる。けれど、彼にそれはいないだろう。シスイにとって、それらは既に失われたもので、だから其の穴を埋めるように自分に執着している節もあった。
そんなこと思ってもどうしようもないのに、けどどこかそれが悔しくてもの悲しい。
結局己に出来ることなんてちっぽけなことだけだ。
例え麒麟児、天才といくら呼ばれようと、自分など1人の人間に過ぎないのだからそんなものかも知れないけれど。
そして先ほどのサスケの言葉を思い出す。
『そんなの似合ってない! 変だよ、おかしいよ!』
そう弟は言った。
多分サスケに悪気はあまりないのだろう。
おそらくあれは姉を取られると危機感を募らせたが故の言動であり、早い話が嫉妬で、実際にそれが似合うかどうかとかはいっそどうでも良かったのだろうと、イタチの観察眼はそう告げている。
しかし言葉の全てが嘘ということもないだろう。
つまり自分はまだ、この贈られた花の簪に釣り合うほど大人にはなれていないということだ。
それはある意味当然で、結局の所如何に成績優秀とはいえ自分はたかだか木の葉のアカデミー生に過ぎない齢7つの子供なのだから、アカデミーを卒業して忍びになり何年も経ち、先の大戦も戦闘員として経験している男と同等である筈がないと、自分自身を分析してもそう思う。
ならば、あれが似合うようになった時、自分はあの男と対等として立てるだろうか。
あの男の傷を癒せるだろうか。
そうなれればいい。
『百合とか、薔薇とか、白菊とか……お前には他にも似合う花は色々あるんだろうなーとは思うんだけど、なんだろう。白梅が1番ピッタリかなって。寒空の中凛と咲く感じとか、主張しすぎていないのに見る者の目奪う感じとか、優美で上品なイメージとか凄くお前らしいような気がする』
そういってあの男は笑った。
白梅の花言葉は「高潔な心」「忍耐」「忠実」「厳しい美しさ」「艶やかさ」「気品」。
あの男が自分をそうだというのならば、成るならそういう大人になりたいと、夜が滲んでいく中イタチは願い想った。
* * *
「それじゃあ解散!」
そんなどことなく呑気そうな担当上忍であるはたけカカシの言葉と共に、第7班は今日も任務を終えた。
それに対し、ナルトなどはわかりやすく「ッシャアア! やっと終わったってばよ!」なんて言いながら伸びをしている。全くこいつは何が楽しんだか、このウスラトンカチ。なんて思いながらサスケは呆れたようなため息を1つつく。
「あ、サスケ君!」
そんなサスケに向かって、紅一点である桃色髪の少女……春野サクラは、恥じらい交じりながらもどこか期待するような態度でサスケの名を呼び止めた。
それにどことなく苛立ちに似た面倒くささを醸しつつ、黒髪の美少年サスケが振り返る。
「なんだよ、サクラ」
それだけだというのにサクラは恋する乙女フィルターのせいなのか、今日も脳内で絶好調に『きゃー、サスケくんかっこいい! やっぱ超クールー! ナルトなんかとは全然違うわ、しゃんなろーーー!』とか大絶叫を上げていたが、表面上だけは可愛らしく恥じらいながら言った。
「あのね、今日から夏祭りじゃない? それで良ければだけど、今晩一緒にまわれないかなーなんて。どうかな?」
これでもしもサスケが乗ってくれたら、他のサスケ狙い女子から一歩リード出来るわ! なんて思考を同時に働かせつつもサクラが表面上だけは取り繕いつつサスケにそう声がけをすると、それに対しサスケは……「夏祭り? 嗚呼、そういやあったな」なんてどうでも良さそうな態で思考し考える。
まあ、この無関心っぷりもある意味仕方がないのだろう。
なにせ木の葉での夏祭り開催は今年で12年目を迎える。そしてサスケは14歳だ。これが滅多にあることでない昔ならともかく、今の木の葉の子供達にとって夏祭りなんて毎年起きている珍しくもなんともない行事だ。毎年起きる恒例行事に対するサスケの興味など大してありはしなかった。
だからこそそっけなくサスケは返した。
「興味ねぇ。悪ぃな、サクラ」
それは行かないという答え。
それに桃色髪の少女は落ち込みつつも笑顔を取り繕い言う。
「そっか。なら仕方ないわよね、忙しいところ御免ね、サスケ君」
とは言いつつ凹んでいるのは明白で、そんなサクラに向かってナルトは空気の読めない発言を馬鹿明るくかます。
「なぁなぁサクラちゃん、サスケが行かないってんなら、オレと行こうぜ」
「うっさい、馬鹿ナルト! あんたなんてお呼びじゃないのよ!」
「げふっ!?」
なんて言いながらサクラは八つ当たりを兼ねてナルトを殴り飛ばしていた。
「……アホか、こいつら……」
全く、いつも通りの第7班である。サスケは呆れ交じりにチームメイトを見ると、背中を向けて帰路へとつき始めた。
(今日は早く任務が終わりそうだって姉さん言ってたな)
彼にとってはアホなチームメイト2人よりも、たった1人の姉であるイタチのほうが余程優先事項であり、サスケは内心嬉しそうな気持ちを持て余しながらも、それを表に出すのはかっこ悪いとしていつもの女子曰く「クール」、男子曰く「すかしている」表情を取り繕いながら、他者にわからない程度に急いで自宅へと向かっていた。
うちはサスケ14歳。
好きなものはおかかむすびとトマト。嫌いなものは納豆と甘い物。趣味は修行と散歩。
第二次成長期に差し掛かり、順調に身長も伸びだし、顔は美形で、アカデミーを卒業して尚女子の人気を一点に集めて居る彼だったが、残念なことにこの歳になっても彼は重度のシスコンだった。
「ただいま」
そう声に出して帰還を告げる。
それに対して姉は「おかえり、サスケ」と自分の名を呼ぶ。
それが自分達姉弟の在り方であり、そんな風に自分を出迎えてくれる姉のことがサスケは自慢だ。
美しく、強く、優しくも厳しい、完璧な自慢の姉。
しかし、そうやって今日出迎えたイタチにはいつもと違う部分があって、「あれ?」と気付き、サスケはその疑問を口にした。
「姉さん、前からそんな簪持ってたか?」
そう母譲りである姉の美しく長い黒髪には、見慣れない簪が存在を静かに主張していた。
いつもならその黒髪を纏めるのはなんの変哲もない質素な赤い髪紐だけで、正直な話サスケは姉が髪を飾り立てるような真似をしている姿を殆ど見た事がない。それはイタチが普段から一流の忍び然としているからかもしれないし……知っているものは少ないとはいえ、実はああ見えて姉は色気より食い気なところがあるせいなのかもしれない。
それでもそんな風に髪を飾る姉を珍しいなとサスケは思った。
新品とは思えないが綺麗に手入れされている簪のモチーフとなっている花は、白梅だろうか。
そんなサスケの疑問に対しイタチは、任務中にはまず見られない柔らかい態度と、いつもの冷静じみた声音でこう答えた。
「昔、貰ったものだ。お前は覚えてないか?」
何を? そんな疑問を浮かべたままサスケは姉の続きの言葉を待つ。
そんな弟を前に、ゆったりとした声でイタチは語った。
「これを貰った日、お前は「そんなの付けるな」と駄々を捏ねてな……以来、タンスの奥に仕舞っていた」
「……そうだっけ? 悪ぃ、覚えてねぇ」
姉はあくまでも懐かしそうな口調ではあったが、そのイタチが語る想い出話を前になんだかサスケは恥ずかしくなった。当時、自分がいくつでいつ起きた事件なのか……なんて覚えてはいないが、着飾っている姉に対しヤダヤダと我が儘を言ってやめさせたとか普通に恥ずかしい。
当時の姉の気持ちを思えば土下座して謝りたいぐらいだ。もしかして、姉が必要以上に着飾らないのって、一流の忍びという自負からというだけでなく、ひょっとして当時のオレの発言が原因だったりするのか? と思えば多少の後ろめたさまであった。
だからそれを誤魔化す意味も含めて、心からの本心をサスケはイタチへ語った。
「まぁ……でも、アンタによく似合ってると思うぜ、それ」
照れ交じりに頬を赤く染めつつそっぽを向きながら、頬をポリポリと恥ずかしそうに掻きながら、それでもサスケはそう口にした。
その言葉を前にイタチは静かに微笑む。
その微笑みは、白梅を摸した簪に負けぬほど綺麗な微笑みで、サスケは益々照れながらそっぽを向いた。
『似合っていますか?』
『うん、すっごく可愛い。よく似合ってるよ』
そうして共に見上げた夜空の一夏。
あの夜、自分が贈ったミサンガは任務の1つで切れ失ったと聞くけれど、それでもあの日の想い出と簪は此所にある。
そして今年も、夏祭りが始まる。
了
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IFルートエンド集
『うちはシスイ憑依伝』IF派生・木の葉崩しエンドルート・ザ・ストーリー
今回の話は18禁板連載完結の『もしもクーデターも何も起きず夫婦になっていたら』なIFルート派生エンドの一つ、木の葉崩しエンドルートです。
因みに元の話からびみょーに加筆してます。
それからどうでも良い話、IFルート・ザ・ストーリーから至る4エンドのうち、このエンディングになる確率は2分の1という高さ設定だったりするんだぜ。
まあ、何はともあれどうぞ。
其れが起こることはわかっていたことではあった。
原作とは違い、うちは一族はクーデターを起こしておらず、木の葉警務部隊が健在とはいえ、この世界でも大蛇丸が木の葉を抜けて音隠れの里を設立している以上、ナルトがアカデミーを卒業し、中忍試験を受けるその年に、砂と組んで……正確には砂隠れの里の長である四代目風影を殺害し成りすましていた大蛇丸が砂隠れの里を操ってのことだが、共同で木の葉隠れの里を強襲するということは。
なのに、うちはシスイは其れを前にして己が取るべき行動を見失っていた。
『うちはシスイ憑依伝』IF派生・木の葉崩しエンドルート・ザ・ストーリー。
大蛇丸による木の葉崩し事件、それは大蛇丸の経歴が変わらない以上、いずれ起こるとわかっていたことであった。何故なら男には前世の記憶があり、その中にはこの世界の知識もあったからだ。
けれど、この世界は所謂原作NARUTOの世界とは厳密には異なる世界であり、その歴史についても同じ点も多いとは言え、相違点もある以上全く同じになるとも思ってなかったのもまた事実で、またシスイにとって今生で最大の目的と言えば、妻であるイタチが火影になることではあったが、正直どんな大きな事件があっても大抵のものならイタチならなんとかしてしまえるだろうという思いもあった。
別に自分なんかが何をしなくても、切欠さえあればイタチなら万民に認められる働きを成すだろうと、まあそれは信頼でもあるが確信でもある。それを思えば寧ろこれほどの大事件は不謹慎ではあるが、男の目的からすれば妻が里人に認められるチャンスとさえ言えた。
それにシスイは自分が決して強いとはいえない人間であることは知っている。
だからこそ、裏でイタチが火影になるには邪魔となる人間を機会があれば仕留めるべきだとは思うが、こういう大きな事件を前にして何かをしようというのはおこがましいことだとさえ思っていた。
そのこと自体は昔からの男の思いである。そんな自分の方針がさほど間違っているとも思えない。だけど、……そう思ってられたのは3年までの話だ。
今のシスイは、表だって手を出さないと決めていたこと自体は以前と変わらずとはいえ、厳密には以前と同じとは言い難い。
3年と半年ほど前に、イタチと結婚し、2年半ほど前に三代目火影である猿飛ヒルゼンの薦めによってアカデミーの教師として就任し、そして1年半ほど前に子供も授かった。
幸せな日々だった。それは間違いなく言える。まさか己が家庭を持ち、妻に愛され子を授かる日々が来るなど昔は夢にも思っても見なかったのだ。おまけに教師として働き始めてからは第一線からも遠離り血の臭いがしない日も珍しくなくなった。
美しい妻と愛くるしい我が子がいて、学校に行けば子供達が自分などを慕ってくれて、これで幸せでないなんて呼べる筈がない。呼んだら罰が当たる。
幸せで、幸せすぎて……けれど、だからこそ、男は弱くなった。
元からシスイは別に強かったというわけではない。二点特化に秀でた力は偏りが酷く、得意とするのは仲間のサポートと奇襲に暗殺といったそういったジャンルばかりだ。敵の攻撃は避けるのが常套手段としてきた身は、火力だけでなく防御力や耐久力に関しても著しく欠けており、格下相手だろうと隙を見せればやられるのは自分のほうだと理解していた。だからこそ、戦場では決して隙を見せず、時には逃げることも辞さず、己の弱点を何よりも意識して行動してきた。
けれど、違うのだ。本当に拙いのは、男の弱さとはそんな表面的なことではない。
今自分が行動を起こさないのは、妻の力を信じているから、という信頼が問題なのではない。ただ……殺す術を、戦う術を見失っている、というそれだけだ。すべきことが見えていないから何もしないのだ。
甘やかな日々は遅効性の毒にも等しく、じわじわとこの身を苛んでいる。
滑稽な話だと思う。
大蛇丸の木の葉崩しを知っていながらにして、何1つしていないその理由がそんな臆病な理由などと、これでうちはの手練れだと、瞬身のシスイだと言われているのだからもう笑うしかない。
イタチを火影にするのは10年以上前に立てた夢だ。けれど具体的に何をするかといえば、何も出来ていないし、していない。だけど、けれど、なら何もしなくていい理由にはならない。
だから、シスイは己の夢のためではなく、今は己に与えられた役目の為に動こうとそう思った。
「みんなこっちだ、一カ所に固まれ。慌てるな、先生達がお前達のことはちゃんと守るから」
アカデミーに集まった生徒達を一カ所に纏め、他の同僚の先生方と話しつつ、子供達を誘導する。
そうだ、今の己はアカデミーの一教師だ。ならば、子供達を守ることこそが役目と言えた。アカデミーに通う子たちは将来の忍び候補とはいえ、まだまだ幼い。子供を守ることこそが自分たち大人の役目だった。
「先生ェ、怖いよー」
「うわああああん」
パニックになった下級生の子供が数人泣き出す。そんな子供達の背中をそっと抱き締めながら、シスイは「大丈夫だ、木の葉の忍びはあんな奴らにやられはしない。今は怖いかもしれないが、すぐに終わるよ。それに、お前達は先生が守るから」そう何度も口にして、泣きじゃくる子供を宥めた。
そうして何度か誘導が済んで、一段落し、これからどうするのかアカデミーの校舎のすぐ外にある校庭で同僚でもあるうみのイルカと話していたその時、それは現れた。
「……! イルカ先生」
さっと、隣にいたイルカの腕を掴み、瞬身の術で距離を取る。土煙を上げ、現れたのは1人の砂の上忍らしき男と2人の中忍、そして音隠れの額宛を身につけた男。
「瞬身のシスイだな?」
「本当にアカデミー教師なんぞに成り下がってたとはな」
どこか下卑たような面持ちで確認を取るように名を呼んできたことから、目的が己であったことを知る。そこで脳裏を掠めたのは以前森乃イビキと飲みに行った時に言われた言葉だった。
なんでも己の名前は他国のビンゴブックに名を連ねていると、だから気をつけろとそう言われたのだ。流石に同じビンゴブックに名を連ねている木の葉の忍びとしてははたけカカシには及ばないが、それでもそれなりに高額の賞金がかけられているのだという。
それが此処に来て、裏目に出たか……木の葉警務部隊を出し抜いてこんなところまで出るあたりそれなりにやり手のようだが、しかし狙った場所が狙った場所だ。時間をかければおそらく他の人々が来るだろう。多対一の戦いを苦手としている上に、己が目的である以上逃げ出したほうが良いとは思うが、しかし果たして彼らは素直に自分を追いかけてくれるだろうか? と内心でシスイは問う。
自分たちの裏には子供達が、率いてはその命がある。人相で人を判断するのはどうかとは思うが、どことなく下卑た気配を感じる彼らが己が逃げた腹いせに同僚や子供達相手に乱暴を振る舞わないなんて保障が一体どこにあるのか。それを思えば、男達の目的が己だとしても逃げるわけにもいかなかった。
己などの代わりに子供達が傷つけられるなど、それこそシスイには耐えられないからだ。
だから、覚悟を決めて同僚に向かいシスイは言った。
「イルカ先生、子供達はお願いします」
正直、多対一の戦いも正面戦も苦手とするジャンルだ、それでもやるしかないだろう。シスイはその黒き瞳を巴模様の刻まれた赤に変えて、目で追えぬ速度で幻術の印を組んだ。
「馬鹿め、幻術対策をしてないと思うのか!」
馬鹿はお前だ、と内心で呟く。痛みで正気を取り戻すなんて初歩的な幻術返しでなんとかなると思っているのか。得意げな音隠れの男が幻術を破ろうとした其の刹那に、シスイは其の瞳を男に合わせた。
それを合図に、男の体がドサリと崩れ落ちる。写輪眼の持つ催眠眼の1つである魔幻・枷杭の術だ。
これはまるで現実のような痛みを相手へと錯覚させる瞳術だ。痛みなどで解ける代物ではない。しかし、落ちるのを確認するより先に、既に動かねば遅過ぎる。
瞬身の術で一気に相手の背後から近寄り、シスイは相手が反応しきるよりも早く、頸動脈へとクナイを突き立てた。そしてそのまま返す刀で倒れた男に最も近い位置にいた中忍の男にも特攻をかけ、動揺を見せた男と視線を合わせて幻術に突き落とした後、毒を塗ったクナイを心臓目掛けて突き刺した。
……これで2人。血しぶきを上げて倒れるその中忍の男の血が自身にかかるよりも早く、シスイは瞬身の術で距離を取る。本当はこの戦法は多用な毒も併用してこその側面があったが、今は手持ちが少ない。
普通のクナイが5本に毒付きのクナイが2本、起爆札が3枚だ。口寄せ契約で他に武器を所持していないわけではないが、おそらく口寄せする隙を見せたら逆にやられるだろう。なら、切れるカード内でなんとかするしかない。
10秒と経たず仲間2人がやられたのに腹が立ったのだろう、部下を殺された上忍の男は「調子に乗るな!」そう怒鳴って、そして人形が襲いかかった。
(この男、傀儡使いか)
複数の人形が一斉に襲う。それをサポートするように残った砂の中忍の男は風遁の術をメインに駆使して、合間に己に仕掛けてくる。けれど人形のスピード自体はさほど早いとは言えず、回避は容易ではあるし、中忍の男の攻撃も自分にとっては大して対処の難しいものとはいえなかったが、それよりも問題は別の所にあった。
傀儡には仕掛けがあることが基本だ。それも……毒物である可能性が高い。人形の中には原作のサソリが操っていたように広範囲に毒を振りまくやつもいるのだ。自分の背後には子供達の命があるのだ、こんな場所で毒などを撒かれたらたまったもんじゃない。
何より、回避は得意だし、多少の耐毒訓練は積んでおいた身ではあるが、火力に欠ける自分は一気に敵を殲滅しえる力を持たない。下手な攻撃をして毒が周囲にばらまかれることになったりしたらそれこそ目もあてられないことになる。
だからこの状態を改善したければ、待つしかないのだ。異変に気付き木の葉警務部隊がやってくるのを。
そしてその時、シスイはある最悪を目にした。
「シスイ先生ッ!!」
二対一……実質傀儡も合わせて考えれば複数に襲いかかられているも同然の状態だ。そんなシスイを前に、思わずといった形で1人の子供がアカデミーの校舎から飛び出し己の元へと向かおうとしていた。
それは以前から自分に懐いてくれていた生徒の1人で。
チャンスとばかりに敵の上忍の口元にニタリとイヤな笑みが湧く。傀儡の手が凶器も露わに凶悪に歪んで子供の元へと向かう。
だから、それを見たシスイは……。
「………………大丈夫、か」
「シ……スイせんせ……」
その敵の刃を身に受けた。
ゴフリと、口元から真っ赤な血を吐き出す。腹に開けられた大穴から血が滴り、それが庇って抱き込んだ子供を赤く染め上げていた。
……あの刹那、冷静な思考を欠いたシスイは瞬身の術で傀儡と子供の間に割って入った。そして子供を庇う形で敵の刃を受けた。想定はしていたが、やはり毒を仕込まれていたのだろう。痺れた一瞬の隙をついて、2撃目がシスイの腹部を抉った。しかしこの身には救うべき子供の命がある。むざむざただやられるわけにも行かない、だからシスイは痛みを耐えて、子供を抱きかかえたまま、瞬身の術で一気に距離を離して3撃目からは逃れた。けれど、動いたことによって益々毒が回ったのだろうか、それが限界だった。
そんなシスイを前に助けられた子供は「シスイ先生ッ!」そう悲痛な叫び声を上げる。
「は、終わりだな、瞬身のシスイ!!」
そう下卑た男の声が聞こえるが、フラフラとする頭のまま、シスイは子供の頭を安心させようとだろう、撫でてそれから血だらけの青い顔のまま微笑み言った。
「大丈夫……守る、から」
けれど、そんな風に笑って言うシスイに対して子供はボロボロと泣き出して、立ち上がろうとしているシスイに手を伸ばした。けれど、無情にもシスイはもう振り返りもしなかった。
……聞こえるのは知っている足音。木の葉警務部隊だ。ならもうあの子は大丈夫だろうと、散漫な頭のまま男は考える。もう自分の命が保たないのは明白だ。ならば……使う予定はなかったけど、最期の一仕事をしよう。
シスイはそうそのまま、再び瞬身の術を駆使して、敵の大親玉である砂の上忍の目の前へと現れ、その万華鏡模様へと変えた瞳で、命じた。
「自害しろ」
気力だけで動いていた。元よりタフなほうではない。だから、己が命じたその結末を見届けるよりも先に、シスイは事切れた。
「シスイ先生、しっかりして、ねぇ、先生。イヤだよ、ほら、起きて」
子供の泣き叫ぶ声が響く、それを聞きながらうちはフガクと彼が率いる警務部隊は敵の襲撃を受けた現場であるアカデミーへと到着した。アカデミーへかけられた襲撃から5分も経っていないことを思えば優秀すぎるほどの迅速さではあったが、しかしそれでも遅かった。
現場に残されたのは3人の敵の忍びの死体と、地面に倒れたシスイの姿、そしてそれに縋り付いて泣き叫ぶ子供と、その子供の隣で苦い顔をしているアカデミー教師が1人。逃げだそうとしていた敵の中忍については警務部隊が先ほど確保した。
うちはフガクはゆっくりと娘婿の元へと歩み寄る。濃厚な血の臭いに紛れて毒の匂いも僅かに漂う。其の肌は変色を来している。其の体をそっと表に返して、ポツリとフガクは呟きを漏らした。
「シスイくん……」
意外にも穏やかな顔を浮かべたまま、それでも其の命は既にもう亡い。
「シスイ……」
己の隊長の言葉だけで其れを悟ったのだろう、他の警務部隊員もよく知った男の死を前に苦しげにその名を呼んだ。
それを辛そうな表情で見ながら、うみのイルカは、シスイの死体に縋り付く子供を前にそれを告げた。
「……シスイ先生は死んだんだ」
「イヤ、イヤイヤ、イヤ!! そんなのイヤ」
認めたくないと顔を横に振りながら子供はいつまでも泣き叫んでいた。
「シスイせんせ……死んじゃヤダ……」
そしてその日、木の葉警務部隊とうちはイタチの働きにより正史よりも被害を出すことはなく大蛇丸による木の葉崩し事件は収束を迎えた。
しかし後日、慰霊碑に刻まれた殉職した英雄の名の中には、かつて瞬身のシスイと呼ばれたイタチの夫である男の名もあったという。
幼い子供と若き妻を残して、子供を庇い、戦い死んでいった彼が幸せだったのか否か死者は黙して語らず、其の答えは誰も知らない。
了
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『うちはシスイ憑依伝』IF派生・牙喪失ルート・ザ・ストーリー
今回は18禁板で連載しているIFルート・ザ・ストーリーの派生エンドの一つである牙喪失ルートです。例によって地味に加筆してます。
ちなみにこのルートはIFルート・ザ・ストーリーに進んだ後、主人公のヤンデレ率を20%以下に落とした上で、木の葉崩し事件の際にシスイ襲撃イベントが起きず、生き延びると発生します。
大蛇丸が引き起こした木の葉崩し事件は、うちはイタチの活躍と木の葉警務部隊の活躍により、さほど大きな被害を出すことなく終わった。しかし、それでも死傷者が出なかったわけではなく、人手不足である現在、それを思えば特に怪我をすることもなかった彼にその辞令が下されたのは当然といえば当然のことだった。
「……大丈夫なのか?」
心配そうな顔をして、未だ1歳半の息子を抱きながら言う妻の言葉に苦笑して男は言う。
「……大丈夫だ。確かにブランクは空いているけど、たかがB級任務だし、アスマ先輩も一緒だし、心配ないよ」
「しかし、シスイお前は……」
女は戸惑う……というよりは、心苦しげな顔を見せて瞳を伏せた。
けれど、命を下したのが三代目火影である以上、何よりこの男にこれ以上何を言っても無駄と思ったのか、それともかける言葉が見つからないのだろうか、彼女は何かを瞬間諦めたような顔をしたが、それが何かわからず、けれど妻に心配をかけるべきではない一心で、精一杯の笑みを浮かべながらシスイは言った。
「今はアカデミー教師とはいえ、オレだって木の葉隠れの上忍だからな……里のためには働くさ」
『うちはシスイ憑依伝』IF派生・牙喪失ルート・ザ・ストーリー。
命じられた指令は、以前の男……シスイにとっては簡単過ぎるくらい簡単な任務内容だった。
元々奇襲とサポート専門といっていいくらい能力に片寄りのある青年にとっては、正面からの戦いよりも暗殺の方が専門とさえ言える。だから本来はたいしたことはないのだ。シスイ1人でも終わらせられる任務といってもいい。
そう、ただの……要人の抹殺なんて、以前の己にとっては簡単過ぎるほどに簡単だ。なのに、それでも慣れ親しんだ先輩を相方として選んでくれたのは、実戦を離れて久しいシスイに対する三代目なりの気遣いなのだろう。
……今回のターゲットとなった相手は辺境の町の悪名高き役人だった。
そいつは金品を横領し、着服し、民草を苦しめているようなそんな奴で、裏ではマフィアや忍び崩れの犯罪者どもと繋がっているとさえ言われてていて、理性では嗚呼こいつは殺されても仕方ない悪党だなと、思う。
まさに、以前のシスイにとっては打って付けの敵だった。
だというのに、今シスイは……。
「おい、シスイ、お前本当に大丈夫なのか?」
どうしようもないくらい青ざめていた。そんな後輩を気遣い、アスマが声をかけてくる。
そんなことをされたら以前の自分はなんでもないような笑顔を取り繕って「大丈夫です。心配してくださってありがとうございます」くらいは言っただろうに、何故かその余裕さえない。だから、自分に出来る限りの笑みを浮かべて「すみません、先輩」そう言うくらいしか出来なかった。そんなシスイを見て、窘めるようにアスマが言う。
「確かにお前は現場を離れて等しいが、それでも木の葉の忍びなんだ。体調管理くらい気をつけろ」
「はい、すみません」
どうやら、シスイの不調をアスマは体調を崩したものと解釈したらしい。まだそう思われていたほうがマシだ。だからそのことに内心ほっとしながら、青い顔のまま笑ってシスイはそう謝った。
……そう、まるでぬるま湯の世界のようだと思っていた。
こんな自分が結婚して、子供を作って、人を殺すこともなく、子供達と触れ合って、幸せで、幸せすぎて、辛いと……いつか自分がふぬけになるんじゃないかと、幸せを感じれば感じるほどに、この心を妻に解きほぐされればされるほどに、牙を失ういつかに怯えた……その結果がこれだ。
予感は当たっていた。
どうしてだろう、あれほどに殺してきたのに。
あんなに殺してきたというのに、どうしてかどうやって自分が人を殺してきたのかが思い出せない。こんなに指が震えて、恐怖する心だけが己を包み込む。無意識に体がガタガタと震え出す。必死に隠し続けていても、顔色の悪さまでは誤魔化せやしない。
今更この手が綺麗になったわけでもないのに……。
ふと、朝の妻の様子を思い出す。どこか心苦しげな顔をして諦めたような表情を見せた、らしくもなかったイタチの顔。昔から彼女は自分以上に己のことについて見抜いていた。
だから、ひょっとしてこうなるということもイタチはわかっていたのだろうか。
いや、きっと分かっていたのだろう。いつだって彼女の目は真実を見抜いてきたのだから。
けれど、今はそんなことに構っている時じゃない。シスイはゆっくりと頭かぶりを振って思考を追い出した。今は、任務に集中しなければ。其の後のことは、其の後考えればいいのだから。
* * *
―――――アスマによって要人の首は呆気なく、断たれた。
しかし、対象を殺されたからといっておめおめと逃げ帰るには若かったということだろう。要人の護衛についていた敵の忍び達は逃げることよりも、応戦することを選んだ。
敵はこちらよりは数が多く、混戦となりアスマと離される。
武器を手に自分に向かってくるのは中忍に上がったばかりらしき、14、15歳くらいの子供だった。
若く、実力も足りていない子供。おそらく挙措からして、さほど接近戦に向いているタイプではない。
……一瞬だ。
殺ろうと思えば一瞬でやれる。そうだ、出来ないことなんて、ない。
幻術で足を止め、瞬身の術で一気に近寄り、毒を振る舞えばそれでいい。今までだってそうしてきた。そうして敵を葬ってきたのだ。
なのに……自分の前に躍りかかる敵の忍びの子供、それを目の前にした時、シスイは唐突に理解した。
「……シスイ!」
様子のおかしい後輩を前に、アスマが名を叫ぶ。けれど、それすら耳に届かずただシスイは立ち竦むばかりだった。武器を構える動作や、幻術の印を結ぶ動作さえ忘れたように、ただ機械のように立ち尽くす。
そしてガラスの瞳で、遠くなる記憶と意識を反復した。
(嗚呼、そうか)
初めてシスイが戦場に立ったのは、うちはシスイとして9歳の頃だった。アカデミーを卒業してすぐ、戦力不足から戦場へとすぐに投入された。そこで、たまたま偶然あった敵の忍びを殺したのだ。
その殺した敵の忍びが丁度これくらいの年齢の子供だった。
今でも鮮明に覚えている。あの、気持ち悪さもおぞましさも。それはいつからか慣れたようでいて、その実消えたことは1度もなかった。
ああそうだ、あの時の彼らも目の前にいる少年もどちらも『敵』だ。殺めねば仲間の命も危機に晒すだろう『そういう存在』なのだ。
たとえどんなに稚い子供の姿をしていたとしても、彼らもまた忍びなのだから。
嗚呼、だけど……。
(また……奪うのか)
彼らの命をまた……そう思えば、もうどうすればいいのかさえ、わからなかった。
わかっている。理性ではちゃんと、目の前に立つこの忍び達があの時殺した子供達ではないことくらい理解は出来ている。
けれど、でも、もうどうしようもなく無理だったのだ。
わかってしまったのだ、もう……己を誤魔化すことが出来なくなってしまったのだと。
(オレは……もう殺せないのか)
今まで散々敵を老若男女問わずあんなに殺してきたというのに、精神崩壊させてきたことだって片手の指じゃ足りないほどだというのに滑稽な話だと思う。
でも、この目の前の子供をもうどうやって殺すのか、それさえシスイにはわからなかった。
これは必要なことだと、大したことはないのだと、そう自分に思い込ませるには自分はあまりにぬるま湯に浸かりすぎたのだ。
だから、避けるための手段さえ頭に浮かびはしなかった。受け入れる事も切り捨てることも出来ず、どうやって今まで自分が戦ってきたのか、それさえもう……わからない。
そう……あの甘やかな日々を前にして、敵を殺すための刃も牙も、己はとっくに無くしていたのだ。
今更気付くなんて本当に馬鹿だ。
だけど、もう己は全てが限界だった。
だから……。
「……すみません、アスマ先輩」
最期、彼はそんな謝罪の言葉だけ残して、永久に思考を止めた。
* * *
うちはシスイが死体となって帰ってきた。そのニュースは、シスイを慕うものが多かったからこそ、たかが一介の忍びの死と片付けられることなく、アカデミーやうちはの集落の間で早々に情報伝達がなされた。
今でこそアカデミー教師という座に落ち着いていたシスイではあるが、元々は木の葉の上忍であり、うちは一族内でも手練れとして呼び声が高かった男だ、まさかブランクがあったとはいえB級任務などで命を落とすなど誰も思ってはいなかった。
「なぁ、なんでシスイの兄ちゃんは死んだんだよ」
ナルトが、共に任務に出てシスイの死体を持ち帰ったアスマに詰め寄る。それに、アスマは苦々しい顔をするだけだ。
何故ああなったのかなど、アスマのほうこそ聞きたいくらいだったのだ。
敵は中忍に上がったばかりのガキ共だった。多少はやるようだが、相手の力量を見たところどう考えてもシスイが負けるような相手ではなかった。
なにより、あいつは自ら隙を見せた。これまで組んだ任務でそんな初歩的なミスを1度も犯したことのなかったあの後輩が、だ。それに、最期あいつは己に謝った。何故なのか、どうして敵の刃をあんなにあっさり受けたのか、死者は黙するのみとはいえ、こちらこそ聞きたいくらいだった。
それでも葬儀は行われる。元々が一族その他問わず子供を中心に慕われてた奴だったから、その葬儀への参列者の数もまた、一介の忍びの葬儀とは思えぬほどに集まった。その参列者の中にはかつてうちはシスイが上忍として担当していた当時下忍だった少年少女達もいた。中でも最近暗部入りを果たした黒髪を赤い紐で結い上げた少女は「シスイ先生、どうして……」そう呟きながら涙していた。その少女を宥めるように少しふくよかな体型の少年が、そっと肩を貸している。
どうして、何故。その言葉はここにいる殆どの者の内心を代弁した言葉だろう。
シスイは決定打になり得る火力にこそ恵まれていなかったが決して弱くなどなかった。寧ろ、性格こそ忍びらしからぬ奴だったが、誰よりもその戦い方は忍びらしい男であった。無理をせずに取れるべき時に敵の首を取るしたたかなその戦いぶりは自分たちとはまた異なる一種の強みさえあった。
いつものあいつなら、ターゲットの命をアスマが刈り取った時点で任務終了として、無駄な争いは避けるように己を引き連れて瞬身の術で一気に距離を取り、そのまま木の葉に帰ることを選択したはずだ。敵との戦いに応じるなどそれこそシスイらしくない。
なのに、何故、こんな任務で命を落としたのか……本来なら負けぬ筈の敵の凶刃を前に倒れたのか。アスマにも少女にも、実際のシスイの戦いぶりを見たことのある人々にはどうしてもわからなかった。
そしてそんな中でも、葬儀を取り仕切っている故人の妻たる女であるうちはイタチは、凛とした美貌の侭粛々と葬儀を執り行っている。息子を1人抱え涙1つ見せない気丈な若妻の姿にある者は怒りを感じ、またある者は痛ましささえ感じた。
けれど、今行われているのが何なのか、幼い息子はわからなかったのだろう。綺麗に清められ死装束を着せられた父親の亡骸を前に、かのうちはマダラの弟の名にあやかってイズナと名付けられたその子供は、無垢な瞳で母に問う。
「マー、パーは? ねてる?」
最近言葉を覚えだした子供は語彙が少ない。それでも父について尋ねていることくらいはわかった。
「イズナ、お父さんは死んだんだ」
「うー?」
幼子は母の言葉が理解出来なかったのだろう、不思議そうな顔をして、棺に横たわる父を前に「パー、あそぶ。ねちゃヤ」そういって話しかけて、拗ねたような顔をした。それにイタチは苦しそうに顔を歪めた。まるで泣き出す寸前のようだ。一瞬後にはその顔を引っ込めはしたが、それを見て1人の少年が思わず式場から駆け出した。それを追って、慌てて故人の義母たるミコトもまた飛び出した。
駆けだした少年、それは故人の妻であるイタチの5歳年が離れた弟のサスケだった。まだまだ若いサスケは、思わずその衝動のままに家の裏手にある木まで駆け出すと、「クソ!」そう怒りの籠もった声を出して、木をダンとその拳で思いっきり殴った。
そして、呪詛のような泣き叫ぶような怒りに震えるような、判別がつきにくい複数の感情が混ざり合ったような声で、喚くように言葉を押し放つ。
「姉さんを泣かせないっていったくせに! 嘘をつきやがって! 姉さんだけじゃない、イズナまで……クソ、クソ、あの大嘘つき野郎!」
再び、サスケの未だ発展途上の小さな手が思いっきり大木に向かって振る舞われる。ドスンと音を立て、木が揺れ、サスケの右の拳からは赤い血が滲み伝った。
「サスケ」
そんな息子を前にして、実の母であるミコトはそっとした声をかけた。
「……母さん」
今まで母の存在に気付いていなかったのか、サスケははっとした顔で振り返った。そんな我が子に向かってミコトは哀愁を帯びた微笑みを浮かべながら、諭すように言う。
「貴方、口でいうほどシスイくんのこと嫌いじゃなかったでしょ?」
「違う、大っ嫌いだ、あんな大嘘つき野郎!」
サスケは必死な声で否定する、しかしそれが答えだった。
「サスケ、別に悲しんでもいいのよ。辛いなら辛いってお母さんの前でくらい甘えてくれてもいいの。あなた、本当はシスイくんのこと好きだったでしょ」
そういって、ミコトは息子の体をそっと抱き寄せてその背に腕をまわした。それを合図にボロボロとサスケの目から涙がこぼれ落ちる。それが悔しいのか悲しいのか、それとも……辛いのかそれすらわからず、わけのわからないままサスケは嗚咽を漏らした。
「うわああああ」
「辛かったわね……今夜くらい泣いてもいいのよ」
母は少年の背中をあやすように優しく撫でる。そんな動きがいつかの光景を思い出させて、サスケは益々流れる涙をままに、首を左右に振って必死に否定の言葉を出した。
「違う、……あんなやつ、嫌いだ……大嫌いだ」
「うん、わかっている。お母さんわかっているから」
「あい、つは姉さんを悲しませた……! イズナだって、イズナを、置いていきやがったんだ、あんな奴、あんな奴……」
少年の嗚咽が草根に響く。そうして葬儀が終わるまで、サスケはずっと母の胸に抱かれていた。
棺は墓へと納められた。焼香はとうに済まされ、来客も帰った中、イタチは1人夫の墓の前へと降り立っていた。息子は今は母であるミコトが預かってくれている。
そして人気のない墓の前で未亡人となったくノ一は呟く。
「……こうなると、わかってはいたのにな」
わかっていたのだ、もう夫が戦えないだろうことくらい。
それは体の問題ではなく、心の問題で、だからこそ他の誰も理解していなかった。アレが……本当はどんな悪人の命を奪うよりも己の命を手放す方がまだマシと思うそういう男であることを。
何故あの時もっときちんと止めなかったのか、そんな悔恨が滲んでいそうな声で女は続けた。
「結局の所、お前を癒したいと思ったことそのものが間違いだったのかもしれないな」
彼女は知っていた。いつだって求めるのは自分の側で、本当の意味ではあの男は周囲を求めていたわけではなかったことくらい。あの歪みも、空洞も正確に理解していたのは己だけだったのだろうことも。
自分達と過ごす日々に確かな幸せを感じながら……それでも同時に男が牙の喪失に怯えていたことも。
「それでも、私は……」
お前と共に在れた日々を後悔していないんだ、そう女は呟いてその場を後にした。
後に残ったのは牙を失った男の亡骸が納められた墓だけだった。
了
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・サスケ殺害ルート・ザ・ストーリー
今回の話はある意味もっとも賛否が多かったであろうルート、サスケ殺害ルートです。
本編うちはシスイ憑依伝・続後編からの派生で、例によって地味に加筆しました。
「死ね」
チチチチと鳥の鳴き声を奏で、雷光を纏った腕が周囲を破壊しながら迫り来る。あれぞ雷切、コピー忍者はたけカカシの唯一のオリジナル。それが本来の威力をもって今壁を削り刀のように伸びやかに迫り来る。
ズキリと、痛んだ腹部と足が引き攣る。だから、それを受け入れようと、そうシスイは思った。
『うちはシスイ憑依伝』IFルート・サスケ殺害ルート・ザ・ストーリー
雷光が男の心の臓を貫く。
思ったよりも呆気ないほどに、何より憎んだ男の体はぐらりと傾いていった。
ドサリと音を立て、うちはシスイと呼ばれた男の体が赤い血だまりを作りながら地面に落ちる。それを見て、最初に彼が感じたのはとてつもない昂揚と……昏い歓喜だった。
「やった……やったぞ」
喜色の滲んだ震える声で少年は……うちはサスケはそう宣言した。
「遂にやってやったんだ!!」
「サスケ!」
陶酔に噎び歓喜の声を上げた少年は、それとほぼ同時に聞こえてきた声を合図に、ゆっくりとそちらへと振り返った。なにせその声はこの世界の誰よりも敬愛する姉の声だったのだから、未だ姉離れが出来ていないサスケが反応しないわけがなかった。
「姉さん」
(見ろ、オレがやったんだ。父さんと母さんと一族の仇をオレが取ったんだよ!!)
褒められるとでも思ったのか。仇を討ち取った悦びのままに振り向いた少年は、しかし自身と男を見るその姉の姿に困惑せずにはいられなかった。
何故なら彼女が浮かべているその顔は、己が想定していた表情とはあまりに違い過ぎたのだ。
自分はこうして両親と一族の仇を討った、それを思えば褒められたっておかしくないというのに、何故姉は、イタチはそんな苦しげな、悲しげな顔をしているのだろうか、サスケにはそのことがよくわからなかった。
「…………間に合わなかった」
悔恨の滲んだ声で男の死体を見ながら彼女は呟いた。何故そんな辛そうな声を出すのだろう。いつも涼やかな美貌を誇っていた姉は、其の顔を苦痛に歪めて、まるで弟である自分が見えていないような態でフラフラと倒れ死んだばかりの男へと近づく。
(なんで、そんな顔をする。オレを何故見てくれないんだ)
ほら、オレは仇を取ったんだ。父さんも母さんも一族もみんなこいつに殺された。そればかりじゃない。こいつはかつて姉さんを其の欲望の侭に犯そうとしやがったんだぞ。オレは、仇を取ったんだ! なのに、どうして、褒めてくれないんだ?
グルグルとサスケの中で吐き出せもしない感情が廻り巡る。悲しげな顔を浮かべるだけで何故イタチは悦んでくれないのか、少年には姉の気持ちがわからなかった。
やがて、女は男の元へと腰を落とすと、そっとその体を抱き起こして、死んだばかりのまだ暖かい頬に指を這わせた。見れば、殺されたというのに、男に苦痛を感じた様子はなく何故かその口元は微笑みさえ浮かべていた。そしてそんな男の死体を前に、女は、イタチはとても静かな涙を一筋落とした。
「……シスイ」
それは確かな愛情を思わせる声音で。何故姉がそんな愛おしささえ詰まった声でその男の名を呼ぶのか、そんな男の死体を前に泣くのか、わからなくてサスケはただただ困惑するばかりだった。
そして……。
「サスケェ!」
バンと音を立て、喧噪と共に扉が開かれ、カカシ班のメンバーとアスマ班のメンバーが揃って顔を晒す。
彼らの目には倒れ伏し、ピクリとも動かぬ男と、そんな男を前に涙を流しながら指を這わせる次期火影の女と、どこか自失呆然とした態のサスケの姿が目に映った。
そして忍びとしての経験則からだろう、彼らはイタチの抱えるその男が既に事切れているということを悟った。
心臓を一突き、間違いようのない致命傷なのだから。あれほどの血を流して、生きているわけがない。いや、致命傷を受けて尚生存出来る忍びも中にはいるかもしれないが、少なくともうちはシスイにそんな能力は無かった。
「……嘘」
「シスイの……にいちゃん?」
やがて、事態を飲み込んだのだろう、どこか苦い声でアスマが言った。
「お前が……殺したのか」
「なんだよ、その目は。どいつもこいつも……こいつはオレの父さんと母さんを、一族のみんなを殺したんだぞ!? オレはみんなの仇を取ったんだ、誰にも文句を言われる筋合いはねえ!!」
自分に突き刺さる視線が癪に障ったのだろう、そうサスケは叫んだ。
「大体ぬるいんだよ、テメエらは! こいつは最低のクズヤローだ! 犯罪者を殺して何が悪い!!」
「サスケェ、てめえ!!」
その言葉がナルトの導火線に火を付けたのだろう。ナルトはその怒りのままに走り出し、そしてサスケの己よりもやや色白な右頬へと思いっきりストレートの拳をぶちかました。手加減抜きの一撃を受けたサスケの体が後方へと飛ばされる。けれどそれで収まらず、怒りに染まったナルトの両目からはボタボタと涙が止め処なく溢れていた。
「やんのか、このウスラトンカチが!」
殴られたこと以上にそんなナルトの様子と、周囲の視線にカッとなったサスケが、殺気も露わに構える。
「もう、止めてぇ!」
再び殴り合おうとしている2人を前に、サクラが悲痛な声を上げる。しかし、彼女の声では止まらない。やり場のない怒りを2人とも持て余して、それを目前の相手にぶつけるしか考えられなかったからだ。
「もう……やめろ」
だから、その2人の諍いを止めたのはサクラの声ではなく、そんな静かすぎるほどのもう1人の当事者である女の声だった。
「ナルトも、サスケも……お前達が争ったところで、誰も帰ってきやしない」
だから止めろと、そう呟いて女は涙を拭い、男の死体を抱き上げた。
「クソ、クソ、クソ! どいつもこいつもふざけた目でオレを見やがって!!」
木の葉に帰ったサスケを待っていたものは、嫌悪と畏怖と同情と……まるであの場が里の縮図だったように、あの時の光景をそのまま拡大したような代物だった。
うちはシスイはS級犯罪者だ。
それは手配書からして知られている事実であり、その賞金や手配書にも捕らえることには生死問わずと記されている。だからそれほどの大犯罪者を殺した功績により、サスケの仲間に対する毒物混入事件と命令違反については帳消しにされて有り余るほどの効果があった。報奨金だって後に入ってくることになった。表向きだけを見るのならば、サスケは間違いなく里の英雄だった。
しかし……どうだろうか。周囲の己に対する扱いは凶悪犯罪者を倒した英雄に向けるそれじゃない。
怒りと憎しみと諦め。それが大半だ。
うちはシスイはうちは一族を殺し里を抜けた犯罪者だ。だというのに、あれからもう8年以上経つ。しかしそれなのにどうしてか、あの男を慕うものは未だ多くいたということなのか、うちは一族の仇を取ったサスケを表面上は褒め称えながらも、其の目は何故殺したと訴えかけるものばかりで、サスケはずっとピリピリしていた。
サスケに笑って近寄ってくるのは、賞金のおこぼれが目当ての下衆ばかりだ。同じ班のナルトやサクラとは相変わらず上手くいってなかったし、時にはあからさまな暴言をあの男を慕っていたらしき輩にかけられることさえあった。サスケを褒めてくれる相手は、あの男のことをよく知らないものだけだ。
なにより、誰よりも敬愛する姉は、あれから1度もサスケと視線を合わせようとしない。
次期火影に内定が決まっている故に忙しい立場とはいえ、あれから2週間近く経つというのに1度も、だ。時には厳しいことを言う時もあったし、修行に置いてはスパルタな一面さえ見せてきたイタチではあるが、それでもあんなに自分に優しかった姉がした其の仕打ちに、サスケは1番打ちのめされていた。
(どうしてだ、オレは犯罪者を討っただけだ! オレは両親の仇を取ったんだぞ! なのに、なんでだ、クソクソクソ! オレは何1つ間違っていない!)
だから、その思考に没頭するまま、裏路地へと足を踏み入れたとき、サスケはそれに気付けなかった。
「ッ!?」
音もなく匂いも気配すらなく、シュルリと布が口元を覆うのと、胸に布で作られた槍が突き刺さるのは同時だった。そのあまりの痛みと熱さに絶叫を上げそうになる、それらを全て布が遮り、サスケは吐き出せない苦痛のまま、己を貫いた人物を視線だけで振り返った。四肢は全て布によって拘束されており、容易に抜け出せそうもない。
痛い、苦しい。しかしチャクラを練り込んだ布で作られた槍が刺さったのは心臓ではなく、そのすぐ横だ。わざと外されて、しかし致命的になりかねない場所への苦痛は想像を絶してあまりあるものがあったが、幸か不幸かサスケは忍びとしては優秀な才の持ち主で、身体的にも恵まれていた。だからこそ痛みに気絶すらすることなく、真っ直ぐそれを見た。
「……貴方が悪いんじゃない。それはわかっています」
女性特有の中高音のそれは聞き覚えのある声だった。
「貴方は両親の仇を取っただけ。そしてあの人は犯罪者だった。あたしにあなたを責める資格なんてない。だから、これはただの私怨であり逆恨みでしかない。でもごめんなさい……やっぱりあたしは貴方を許せない」
それは20歳を過ぎたばかりといった容貌の、釣り気味のサーモンピンクの瞳と、赤い髪紐で結った黒髪が印象的な暗部姿をした女性だった。その人物をサスケは知っていた。
そいつは表向きは消えた猿飛アスマの捜索へと、うちはシスイ探索任務がサスケ達へと言い渡されたその際に、ナルト相手に「シスイ先生をお願いします」そう頼んでいた暗部の女だったからだ。元うちはシスイの担当下忍だったという、くノ一。それが、涙を流しながら、怒りと冷静さを混在させたような面持ちでサスケを静かに睨み据えながら、布を操っていた。
「貴方に取ってあの人が両親の仇だったように、あたしにとっては貴方がシスイ先生の仇だ」
「……ッ!」
それに思うことは色々あった。ふざけるなとさえ思った。しかしサスケに言葉を発することは出来ない。反論も苦痛も全て、女が操るチャクラが籠もった布によって封じられていた。
「安心して……次期火影の弟を殺ろうっていうんだもの。オチオチと生き延びるつもりはないわ。そもそも私怨に走るなんて暗部失格だもんね。責任はあたしの命で補う。だから、一緒に……死んで」
その言葉を合図に女は1つの巻物を宙に放つ。それには口寄せの印が込められていて、一瞬で何十何百の起爆札が姿を現した。そして……。
爆音と共にこの日2つの命が散った。
事件は瞬く間に木の葉中に知れ渡った。
木の葉が生んだS級犯罪者であり抜け忍のうちはシスイを殺した木の葉の『英雄』であるうちはサスケを殺して、1人の暗部の女が無理心中さながらに亡くなったというそれを、始めイタチはどこか現実感のない感覚で聞いていた。
「サスケが……?」
「はい」
しかし部下の報告は変わらない。女は震える声で言葉を紡ぐ。
「現場は……いや、私が行く。現場に案内しろ」
「はい」
表面上は冷静を取り繕って、その実空虚に乾きそうな心を制御して、イタチは事件が起こったという路地裏へと向かう。
そこには、僅かな肉片とすら言えぬ欠片と、数多の血痕だけを残すのみで他には何も残されてなかった。
「我々が来たときには既にこの状態で……隊長?」
部下の声も素通りさせてドサリと、イタチは腰を落とす。目の前には小さな肉片。それが、サスケの右の小指であることを、姉であるイタチだけが理解していた。
「……お前も、置いていくのか」
震える声で、今まで部下には見せたことのないほどに弱り切った顔で、女は呟いた。
「サスケ…………」
涙する声にもう、答えるものはどこにもいない。もう愛する男も、弟もこの世にはいない。
この日、うちはイタチは、最後の肉親を失った。
了
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・うちは心中ルート・ザ・ストーリー
今回の話は本編からの分岐で、もしもうちは殺しの任務を三代目が容認しなかったら進むうちは心中ルートです。
尚、この話の漫画16P版もピクシブのほうにアップしていますので、興味ある方はどうぞ。↓
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=42103016
「頼む、三代目。他は全部殺すから、禍根なんて残らないようにキチンとオレが全部殺すから、だからイタチとサスケの2名だけは助けて下さい……!」
「……シスイ」
「オレはアイツに、親殺しの……一族殺しの罪を背負わせるような真似だけはどうしてもしたくないんだ!!」
長い沈黙だった。頭を床に擦り付けるようにして、そう見る方が痛々しいほど必死に訴えかけたうちはシスイの姿。しかし三代目はゆっくりとしかし、厳かな口調でそれを口にした。
「……ならん」
この胸に抱いた夢以外全てを捨ててもいいと……そうまで覚悟して告げたその嘆願が聞き届けられることはなかった。
シスイは顔を上げることも忘れ、土下座体勢のままピクリとも動かない。そんなシスイに向かって三代目はやや悲しげな瞳を向けると、「これはおぬし1人の問題ではないのだ」そう告げた。
同じことを先日も言われたな、とシスイは思う。あれはイタチの父にしてうちはクーデター事件の首謀者でもあるうちはフガクの言葉だ。
『ことは既に、お前1人の問題ではないのだ。そう、これは……うちは全体の問題だ』
そう切り捨てるような声で言った。
……結局は駄目なのか、無駄なのか。次第にじわじわと黒く淀むような気持ちがシスイの身を苛む。しかしそんな青年に罪悪感を覚えたのか、意外にも優しげに猿飛ヒルゼンは言った。
「……シスイ、おぬし1人なら逃げてもいいのじゃぞ。おぬしがクーデターを止めようと長年説得を続けていたことくらいワシとて聞き及んでいる。おぬしは今まで頑張った。おぬし1人なら逃げたとて追いはしない」
その言葉を聞いて、徐々に現実へと思考を戻したのだろう。シスイは、うっすらと顔を上げると「ご冗談を」そう口にした。
「虐殺の夜、オレがいなかったら他の上層部はオレを怪しむだろうし、イタチが話したのではないかと、イタチが疑われる。そんな真似、出来ませんよ。……オレはあいつの荷物にだけはなりたくない」
それに、と口元だけの笑みを浮かべて、シスイは言った。
「元々はオレのミスが招いた惨事でもある。オレにどうにも出来ないというのなら、ならオレが彼らの為にしてやれることなんて一緒に死んでやることくらいだ、そうでしょう」
「……!」
その言葉に三代目は言葉を詰めた。
「オレは何も知らなかった。聞かなかった。だから、三代目、イタチにオレが知っているってことは教えない下さい。オレは……逃げも隠れもしませんから」
そういって青年は1つ笑って出て行った。
『うちはシスイ憑依伝』IFルート・うちは心中ルート・ザ・ストーリー
うちは一族によるクーデター計画、それを前にして、二重スパイであったうちはイタチに里上層部より下された命は『一族を滅ぼし、里を抜けること』という指令であった。
今ならば、何も知らない弟だけは助けることが出来る。しかし、実際にことが起これば弟も含め全てを滅ぼすしかないし、うちはの反逆は戦争の火種になりかねないと、そう告げられて、何より平和と里を愛するイタチが取る答えなど1つしかなかった。
……もううちはのクーデターは止まらないし、自分に下された命が覆されることもないだろう。
この状況はもう覆らない。
それを思った彼女の脳裏に1つの記憶が掠めた。
それは幼い頃のある少年の誓いの光景だ。幼かった自分を相手に、お前が火影になることがオレの夢だよとかつてそんな言葉をかけた少年がいた。
6つも年上だったというのに、確かに大人の側面があった反面、純粋な子供のような面もあった兄貴分の婚約者。……いつも笑顔で傷を押し込んで自分を自己暗示にかけては誤魔化し、誰よりも自分自身のことをわかっておらず、壊れかけの心を抱えながら、精一杯の不器用な愛を周囲に注いでいた誰よりも愚かで、歪で在りながら誰よりも真っ直ぐだったあの男。
……いつか癒せたらいいとそう思っていた。それを成せるのが自分であればいいと思っていた。
しかし、もう時の歯車は止まらない。
自分はやがて犯罪者として里を抜ける以上男の夢が叶う時は永劫に来ないし、いつかの願いのように男を自分が癒す日は来ない。何故なら、下された命は一族を滅ぼすことであり、彼は「うちはシスイ」だからだ。
だから、いっそのこと……。
少女は1つの決意を秘めて、其の日、男に睡眠薬を混ぜた茶を飲ませた。
そして……運命の夜が訪れる。
気配もなく、音もなく、匂いもなく、若きくノ一は暗部装束を纏ったまま、その男……自身の婚約者であるシスイが暮らす館に訪れた。まだ宵にすらならぬ時刻ではあるが、薬が効いているのであれば眠っていることだろう。いや、そうでなくては困るとさえ思っていた。なのに……。
「よぅ、イタチ。良い夜だな」
男は笑って白衣を身に纏って座して少女を待っていた。
「嬉しいよ、お前が真っ先に来てくれたのがオレの元で」
何故、唇の動きだけでイタチは問う。
あの時確かに睡眠薬を混ぜた茶を男は飲んだ筈だ。それは目の前でよく見ていた。男は幻術を得意とするとはいえ、イタチの目までは誤魔化せるものではないし、それは確かだった。
……何故、眠っていてくれなかったのか。いっそ、幸せな眠りについたまま苦しまないように死んでほしかったのに、とイタチはキュッと眉根に皺を寄せつつ思う。
そんな少女に対し、男は白一色の死装束のまま、布団の上に真っ直ぐに背を張って正座状態で、女を見上げつつ微笑みながら言った。
「こう見えてもオレはお前より実戦経験は長いし、お前より多く人を殺している。……暗殺なんかオレの得意分野だ。耐薬訓練くらい多少は詰んでる。それに……オレがお前の気配を間違うわけねぇだろ」
それはつまり初めから、わかっていてあれを飲んだのだということを意味した。
「知ってたよ、お前がこの道を選ぶことくらい」
苦笑しながら、そう男……うちはシスイは語った。
「お前は優しい子だから」
何が優しいものか。私はお前の命を取りに来たのだと、思わず口元にせり上がる台詞を口内で飲み込んで、ただ静かに語り続ける婚約者をイタチはどこかぼんやりと眺めた。
「本当はさ、イヤだったんだよ。お前に泣きながら両親を殺めてほしくなくて、お前にそんな道絶対歩んでほしくなくて、でもさ、それってオレのエゴで、どうしようもない我が儘だってのもわかっているんだ」
それを聞いて、本当にこの男はどこまで知っていたのだとイタチは思う。思えば見くびっていたのかもしれない。男はいつだって歪でそのくせ真っ直ぐで不器用で、誰よりも愚かだったから。だから、逆に見透かされているとは思ってなかった。
「結局オレは自分のことばかりの最低な奴でさ……オレが選ばれないのも当然だよな。いつだってオレは無駄な足掻きを繰り返すばかりだ」
そうして自嘲するように、一瞬だけ男は瞳を伏せた。
そしてまた元の微笑みと、穏やかな口調に戻って、そんな自身の態度や口調に似付かわぬ台詞を続ける。
「情けなくてどうしようもねぇ男だろ。オレはお前に全部背負わせるしかねえんだ」
違う、背負わされたわけではないし、お前の責任でもない。そう思う心はあるのに、イタチの口は渇いて動かなかった。だって、お前は……。
「本当反吐が出る。この手に初めて掴んだ夢さえ泡沫に帰すのを座して待つしかねぇんだ。お前を守りたいって……あの言葉を嘘にする気なんて、なかったのにな。だっていうのに、オレがしたのは結局、一族にクーデターを起こさせるための切欠を与えたってだけだった」
「……そんなことはない。お前はずっと……!」
自分を責めるような男の言葉を前に、少女はなんとか絞り出した言葉と共に、フルフルと左右に首を振って否定を示した。
誰よりもうちは一族のクーデターを止めようとしていたのがこの男であることくらい、イタチはよく知っていた。いや、イタチだけでない、三代目を始め、うちは一族を監視していた暗部なら知らないものはいなかった。
うちは一族が木の葉の政権を力で奪取しようと言い始めたのは昨日今日の話ではないのだ。その抑え役になっていたのも、クーデター論が出ながらもそれでも最悪に至ることがこれまでなかったのも、シスイがいたが故にだ。誰よりもこの男はこの結末にならぬように身を粉にして奔走していた。自分のように、言葉での対話を諦めたりすることさえなく。
きっとこの結末になったことで本当に傷ついているのは己よりもシスイのほうだ。この男は筋金入りの愚か者だから否定するかもしれないけど、誰よりもイタチは知っていたのだ。自分よりも余程この男のほうが一族を愛していたということくらい。己がダンゾウに襲われたことによってクーデター論が加速したことに、己よりも他人が傷つく方が堪えるこの男がショックを受けなかったとは言わせない。
復讐を、政権の奪取を。一族を傷つけられた誇りを取り戻すのだと、そんなことを声高に叫ぶ一族に対してシスイが放ったという一言、『そんなこと、どうだっていいんだ! オレが狙われたことなんてどうでもいい。クーデターなんて、力で無理矢理奪った頂上の座に一体なんの意味があるっていうんだ!!』それが本音であることを誰よりも少女は知っていた。
そうこの男は……昔から本質的には嘘をつけない男だったのだから。
けれど、シスイはそんな葛藤に沈むイタチを相手に、澄んだ黒の瞳を向けながら微笑って言う。
「優しいなぁ、イタチは。でも慰めはいらないんだ。結果が伴わなければ意味なんて無い、そうだろう?」
それを極論だ、と切り捨てることは出来なかった。
「そういう意味ではオレはただの負け犬だ。結果としてオレは何も出来なかったんだから。結局なんとかしてやりたいと思うことさえ、傲慢なことだったのかもしれないな……」
…………そうやってお前は自分の言葉の刃で己の心を傷つけ続けるのだ。
やめてくれと、イタチは思う。こんな顔、こんな姿、こんな言葉聞きたくなかったし見たくなかった。
そんな風に己を傷つける姿を見たくなんてなかったのだ。だからいっそ、眠っているうちに、幸せな夢を見ているうちに殺してやれば、それがせめてもの救いになると、慈悲だとさえ思っていたのに。
なのに、どうして眠ってくれなかったのか。もう苦しむのは止めてくれと、言葉にならない声でイタチは思う。
そんな少女を前に、男は相変わらず内容に似合わぬ穏やかな声で次のような台詞を口にした。
「なぁ、イタチ、オレの最期の願い聞いてくれるか」
それは殺されることを前提とした台詞。それにはっとなる。そう、己は今宵男の命を絶ちに来たのだ。そのことに苦しげに顔を顰めつつ、それでも彼女は頷くことで答えとした。
「オレを殺した後、オレの目を貰って欲しい」
思わぬ申し出に、知らずイタチはその言葉に息を詰まらせた。
男は変わらず静かに和やかに微笑みながら、優しげで穏やかな声で言う。
「今まで周囲には隠してきたけどさ、実はオレ万華鏡に目覚めてたんだぜ?」
それはイタチでさえ予想していなかった言葉だった。万華鏡写輪眼、それは瞳術の中でも最強クラスに当たる代物の1つであり、それはある特別な条件下でのみ開眼されるという。その条件がなんなのか、イタチは知っていた。一瞬の虚をつかれたイタチの顔を前に、男はわざとらしくはしゃぐような声で言葉を続けた。
「うちはでも数人しか目覚めたことのない伝説の瞳術だ、すげーだろ。ま、オレの目は強力すぎて使いにくい代物だったんだけどさ、でも……お前なら使いこなせるだろうし、きっとこれはお前の役に立つ。貰ってくれ。いや、オレがお前に、貰って欲しいんだ。……頼むよ」
……それは私に、お前の目を抉り取れと、そう言いたいのか。
そう気を抜けば言いそうな口を理性で抑えて、イタチはまた再び頷いた。己の感情を優先して死に逝く者の最期の願いを無碍に出来るほど彼女は子供にはなれなかった。
昔から子供らしさとは無縁で、真に己を子供扱いしてきたのは何時だってこの目の前の男だけだった。そんな己が今更そんな子供のような振る舞いを出来る筈がない。だからこそ頷いたというのに、それに対してほっとした顔を見せたシスイに再びズキリと胸に痛みを感じた。
それから男は照れたように、顎を右手人差し指で掻くと、「あ、あとこれは遺言と思ってくれてかまわないんだが……」そんな言葉を口にした。
「……なんだ」
感情を押し殺した声でイタチは問う。
そんな彼女に向かって、シスイはフワリと微笑み、そして言った。
「幸せになってほしい」
その言葉に再び少女は息を詰めた。男は笑っていつも通りの明るく聞こえる声で言う。
「お前にとってサスケちゃんがそうであるようにオレにとってはさ、イタチ、お前こそが希望だった。だから、これはオレの我が儘だけど、オレはさ、お前に死んで欲しくない。お前には幸せになってほしい。だから難しいことを言ってるのはわかっているけど、頼むから……生を諦めることだけはしてくれるな」
……それをお前が言うのか、と彼女は思う。いつだって自分を誰よりも蔑ろにしてきたのは私ではなくお前ではないかと。それを見て人がいつもどんな気持ちを抱いていたとおもうのか、人の気も知らないで、なんて自分勝手で酷い男なのか。どんな気持ちで……一体己がこの場に来たと思っているのか。お前を殺しにきたのだぞ、と。なのに、そんな台詞、男の口から聞きたくなどなかった。
……どうして、お前はいつだってお前を私が想っているという可能性を排除したがるのか。本当にお前は人でなしだと、少女は思う。お前を殺した世界で、生きろと、幸せになれとそう言うなんて。
「……勝手な、ことばかり言うな」
けれど、震える声で押し出したそれがイタチの精一杯だった。座して死を待とうとしている男に、これから自分が殺すことが確定している男相手にそれ以上何を言えば良かったというのか。それがイタチ流の気遣いであることをシスイはわかっていたのだろう。
「うん、ごめんな……イタチ」
青年はそっとイタチの体を抱き寄せ、懺悔をするように頭を垂れた。
「……これからオレはお前に全てを背負わせる、ごめん」
「……謝るな。私の選んだ道だ」
震える声で、しかし強くイタチは断言した。
それに対して、囁くような小さな声でシスイは自嘲するような言葉を漏らす。
「そうだな……謝るのは卑怯だよな」
そして男は、微笑って言った。
「イタチ、オレはお前のことが好きだったよ」
それは春の木漏れ日のような微笑みで。
昔からイタチが好きだった顔を前にした其の台詞に、嗚呼、やはりこいつは卑怯者だと思った。
「オレはお前と出会えて、お前と過ごせて幸せだった。お前に会えて良かった。……ありがとう」
……本当になんて卑怯で狡い男なんだ。好きだなどと片手の指で足りるほどしか言ってくれたことなどなかったくせに、最後に言うなんて本当に狡い。そうしてお前はいつも人を振り回して……最期まで縛るのだ。
けれど、こうしている合間にも刻一刻一刻と時は過ぎていく。歯車は止まらない。あまり時間をかけるわけにもいかない。異変に気付かれるわけにはいかないのだから。今宵、うちは一族は終焉を迎える。そうでなくてはいけない。それが上層部の決定だった。時間がもうないのだ。それを男もわかっているのだろう。シスイは穏やかな口調のまま、震える指の少女の手を取ると、自分の左胸の上に乗せて言った。
「ほら、ここだ。ここがオレの心臓」
トクトクと男の心の臓の音が触れた掌を伝ってイタチにまで届く。それがどうしようもなく苦しくて、彼女は眼を細めながらきゅっと唇を切れない程度に噛み締めた。そんな少女の体を抱き締め、ポンポンと宥めるようにその背を叩きながらシスイは言う。
「……大丈夫だ、お前なら一瞬で終わる。心配なんていらない」
「……シスイ」
「大丈夫だよ。オレはお前による終焉なら苦しくないし、辛くなんてないんだ。だから……」
そう言って男は少女の背に手を伸ばし、その刀を抜き取ると其れを彼女の右手の平に握らせ言った。
「お前はオレの死に苦しまなくて良い。引きずらなくてもいいんだ。オレはただ、お前に覚えていてもらえたら、それだけで充分なんだから」
「……シスイ」
つぅと、音もなく少女の目から涙がこぼれる。その涙を青年は親指の腹で拭い、そしてイタチの刀を握る右手の上に手を重ねると、其の手を自分の心臓の上に固定しながら、和らげで優しげな声で言った。
「イタチ、オレは充分幸せな人生だった。お前と過ごせた日々は掛け替えのない宝物だった。だから、泣かなくて良いんだ。……ありがとう」
ズブリと少女が手にした刀がゆっくりと婚約者だった男の胸を貫いていく。シスイは少女の手に指を添えたまま、ただそれを微笑んで受け入れた。それが苦しくて、イタチは更にもう一筋涙をこぼす。
重ねられた体温の暖かさが痛い。その命が無くなる瞬間をずっと忘れはしないだろうとそうイタチは思った。
もう男の口が開かれることはない。イタチは押し殺した嗚咽を僅かに漏らした。そして……。
―――――その晩、1人の少年を除いて1つの一族が滅びを迎えた。
とある忍びの家庭では、その伝えられたニュースを前に、深刻な面持ちで娘へと今入ってきたばかりのその情報を伝えた。何故ならこの事件は娘と無関係とはいえず、その木の葉史上でも最悪とさえ言える事件の被害者の中には娘の担当上忍だった男の名前も含まれていたからだ。
けれど、始め娘は何を言われたのか理解出来なかったのだろう、意志の強そうなサーモンピンクを困惑に揺らして、彼女は戸惑うような声を出した。
「え……うそ、嘘……よね。父さんも母さんも冗談、きついよ」
「……冗談じゃないのよ」
そんな常らしからぬ動揺を見せる娘が痛ましくて、けれどきちんと伝えなければという義務感が先に立ったのか、少女の母である木の葉のくノ一はそっと瞳を伏せながら、そう娘の希望的観測を否定した。
娘はフルフルと頭を左右に振って弱々しげな言葉を押し出す。
「嘘、シスイ先生が死んだなんて、殺されたなんて、嘘……」
「シスイ先生だけじゃないんだ。うちは一族は皆殺された」
「嘘……!」
父母からの無情な言葉に、少女は悲鳴のような声を上げて耳を塞いだ。其の様子をただ痛ましそうに両親は眺める。たとえ下忍といえど忍びがそれほど簡単に感情を表に出すのは望ましいことではないとはわかっているけど、ここは個が守られるべき家庭だし、娘が自身の担当上忍であったうちはシスイに強い思慕を抱いていたことは知っていた。だからそれを指摘する気にはなれなかった。
「誰、誰が先生を殺ったの!?」
少女は、父母に詰め寄り、泣きながら怒りの形相を見せつつ叫ぶように言葉を放つ。そんな娘を前にして言うか言うまいか両親は一瞬迷うような仕草を見せるが、いずれ知ることになると思い直したのか、少しだけ間を置いた後答えた。
「うちはイタチだ」
「うちは……イタチ」
その名を少女は知っていた。思いがけない名を前にして、数瞬呆然とする。
其の名前は知っていた。想い人であったうちはシスイの婚約者の名前がそうであると記憶していたからだ。1度だけシスイ先生と共に町の団子屋にいる姿を見かけたこともあった。
自分と同じくらいの年齢とは思えぬ綺麗な大人びたくノ一で、またそんな彼女の隣にいる想い人が彼女に対しては自分とは少し違う顔も見せたから、だからあの人が相手じゃ自分じゃ敵わないと悔し涙を流したのは遠い記憶ではない。悔しいけど、お似合いだと思ってしまったのだ。
何度好きと告げても完全に子供としてあしらわれてしまう自分とは違うのだと。悲しいけど、それでもだからこそ自分なんかのちっぽけな未練がなくなるくらい幸せになってくれたら良いとそんな風に思っていた。
……シスイ先生のことを想っているだけで、その笑顔が見れるだけで自分は幸せだったのだから。だから、悔しいけど先生が笑っていてくれたらそれで良かったのだ。
けれど、少女はうちはイタチの人となりを知っているわけではない。それでも彼女が相手だから諦めようと1度は思ったのに、なのに……まさか殺すなんて、裏切られたような気がした。
「許さない……絶対に、許さない。うちはイタチ……!」
1度は祝福しようと想っていた相手だった、けれどだからこそ、許せなかった。たとえ理由があったのだとしても知るものか。あの女は先生を、自分のこの気持ちを裏切ったんだ。
「……うちは、イタチィ!!」
呪詛のように女の名を吐く。ギラギラとした其の瞳は怒りと憎しみに染まっていた。
うちは一族が滅んだ。そのニュースは三代目火影の息子の1人でもある猿飛アスマにも当然のように早々と回された。1人を除いて一族全てが1人の女の手によって皆殺しにされたなど、まるでタチの悪い冗談のようだ。しかしこれは紛れもなく現実であり、またその被害者の中には親しくしていた後輩とも呼ぶべき男もいた。故にその捜査班に入ったのは自らの希望によるところが大きかった。
心臓を一突きで殺されていた其の死体は、死後硬直の様子から見て最も古い死体であり、つまり1番最初に殺された被害者ということになる。そして其の死体は他と明らかに違う異なる部分が多く存在していた。
まず、その男……うちはシスイが纏っていたのは死装束であったということ。他の死体が着の身着のままであることを思えばこれだけで異様と言える。それだけではない。何故かその死体は……微笑っていたのだ。目は奪われ、其の瞳に空洞を穿ちながら、なのに何故か笑っていたのだ。
犯人はうちはイタチと伝えられている。イタチとシスイは婚約者だったことはアスマだって聞き及んでいたし、2人が仲睦まじいことも見知っていた。だが、果たしていくら婚約者だったとはいえ、こんな死に方は異常ではないだろうか? まるで己が殺されることを前から知っていたようだ。
「なぁシスイ……お前は何を知っていたんだ」
アスマの疑問に答えるものはない。
その年、1人の女が己が一族を滅ぼして里を抜けた。
犯人とされるのは、元木の葉隠れの暗部分隊長を務めていたうちはイタチといい、この事件はやがて木の葉史上でも最悪の事件の1つとして伝えられることとなる。
しかし、1人の青年の存在によって既に正史とは違う歴史を歩んできたこの世界で、果たして少女の未来が正史通りとなるのか、それとも大きく異なる道を辿ることになるのか。
それはまだ、誰も知らない。
了
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・木の葉出頭ルート・ザ・ストーリー
まず初めにお詫びしておきます。牙喪失ルートの内容がうちは心中ルートのものになっていたようで、ご迷惑おかけしました。とりあえず修正してきましたので、本来の牙喪失ルート見たかった方はそちらもどうぞ。
今回の木の葉出頭ルートは大蛇丸戦で無傷で勝利した場合至るエンディングで、ピクシブのほうにも同時掲載しています。
とても愚かな男にとっての「ハッピーエンド」それが木の葉出頭ルートです。
しかし、読み直してて思ったが、しーたんってアスマのこと(変な意味でなく)大好きですよね。やっぱああいう正当派兄貴っぽいのに憧れるタイプなんだろうか。
―――――嗚呼、漸く終わった。
最初に感じたのはそんな放心にも似た安堵感と、虚無にも似た感情。
達成感や喜びといった感情は、無い。
それでも、自分は終わらせることが出来たのだ。
正直未だに自分でも信じがたい気分だ。あの大蛇丸を、無傷で倒せるなど。相打ちも想定していたのに。
それでも、これでもうイタチが火影となる未来に対しての憂いは無い。もう思い残すことはない。例えあったとしても、あいつならば多少の困難をものともしないだろう。なら、自分の役目はコレで終わりだ。
ならば、するべきことは、しないといけないことは1つだけ。
そう思い、大蛇丸のアジトからターゲット暗殺と同時に脱出を始めた彼、うちはシスイはこれからの未来を想って、微笑った。
『うちはシスイ憑依伝』IFルート・木の葉出頭ルート・ザ・ストーリー
木の葉の里は火の国が要する忍びの隠れ里であり、その特質上、当然のように出入り口と為る関所には見張りを務める忍びが勤めていた。
とはいっても、戦争中ならばいざ知らず、平和な時代においてはそこまで大変な職務というわけでもない。故に其の日、関所の見張りに任じられていたその中忍もまた、どこか気の抜けたような気分で見張りをしていた。
(あー、退屈だ)
思わず胸中でそう呟きながら気怠げにあくびをする。
最近、木の葉は火影が代替わりしたのもあって、お祭り気分だ。その少し前に木の葉を揺るがせた大事件もあったことはあったが、おめでたいことが起きれば人は簡単にそれを過去にしてしまえるもので、この中忍もまたそういう人種であった。
何も起こらず、何も目新しいことはなく、そんな退屈で、素晴らしい1日、本日という日がそうなるであろうことを彼は信じていた。
「ん?」
しかし、ふいに見慣れぬ影を見て、男は気分を引き締め、門番としての責務に戻り慎重に声をかける。
「おい、そこのお前、止まれ」
そこには黒い装束、黒い髪に、笠を被った1人の男が、音も立てず、匂いもさせず、気配もなく、立っていた。いつ男が現れたのか気が抜けていたのを抜きにしてもまるでわからない。それは、おそらく間違いなく、忍びであった。
「何者だ、その笠を取って名を名乗れ」
一瞬薄ら寒いものを感じながら冷や汗を掻きつつも言葉を発する。もしもこの人物の目的が自分の暗殺だったのならとうに果たせていたのだろう。そう思えば冷たい物を感じずにおれようか。
しかしそれでも己だって中忍の端くれだ。怯えた姿や動揺を敵ともつかぬ相手に晒すわけにはいかない。故に警戒心も強く、そう見張り用に持たされていた槍を構えながらの男の言葉を前に、その件の忍びは「木の葉の罪人です」とそう答えた。
一瞬、どういうことだと男は思考する。
罪人だと答えたが、その声はあまりにも穏やかで、敵意の欠片すらもなかった。
そんな風に動揺を持て余す男を前に、しかし笠を被った罪人と名乗った男は、やはり穏やかな声でそれを言った。
「里に裁かれる為、恥を忍んで戻って参りました。どうぞ上層部にお取り次ぎを」
「……! お前は」
そして笠を外し現れた顔は、指名手配書を通して間違いなく知っていた顔で。
「オレは元木の葉隠れが忍、うちはシスイです」
その予想以上に大物の名前と落ち着いた態度に、見張りの男は思わず言葉を無くした。
* * *
うちはシスイが戻って来た。その情報はすぐさま里の上層部に回された。
「我らを裏切るつもりじゃないかえ」
そう言って警戒をしたのは、シスイが何故一族を殺して里抜けをしたのかを知るものの1人であるうたたねコハルだ。それに追随するように同じくご意見番の水戸門ホムラが「どうする。ヒルゼン。やはり、あの任はイタチに任せるべきであった。あのような男を信用するからこのような眼にあうのだぞ」と言ったが、それに対し、苦い声で三代目火影である老人は、答えた。
「よさんか。おかしな思い込みでものを言うでない」
「だが、あの男がうちは一族の真実と、自らの任について他の者に漏らさぬとどうしていえる」
それに厳しく根を統括する男……ダンゾウが続く。
「里に戻れば自分がどうなるかわかっていよう。それをわかっていて戻ってくるなど、正気の沙汰ではない。ならば別の狙いがあると見るのが当然であろう」
その言葉にため息を1つついて、それから苦み走った声でヒルゼンは言った。
「シスイは漏らさぬよ」
「何故そう言い切れる」
「あやつはそういう男なのだ。それに……処刑こそが望みだと言った。それを儂は嘘とは思えんよ」
そういって三代目火影と呼ばれた老人は力なくうなだれた。
* * *
「えー、お久しぶりってほどでもないですよね、先輩」
「シスイ……」
そう言いながら、牢獄に繋がれた男はかつてと同じように柔らかく笑って男を出迎えた。
「あー、それにしても良かった。怪我すっかり治ったんですね。いやあ、ほらオレあれからすぐ先輩とは離れたじゃないっすか? 内心手違いで死んでたらどうしようと思ってたんすよ? アスマ先輩。ああ、でも元気そうで本当良かった」
そう言ってニコニコと笑う目の前の男に対して、アスマと呼ばれた男は苦み走った声で言葉を落とした。
「オマエ……何も話してないんだってな」
その言葉にキョトンと首を傾げながら……妙に子供っぽい仕草だとアスマは思う、で男を見上げながら、シスイは不思議そうな声で言葉を返す。
「いや、だって、話すことなんて何もないでしょう?」
「何もないはずねェだろう!」
それに僅かな苛立ちと怒りを宿してアスマは言った。
この男がうちは一族を2人を残して皆殺しにして里を抜けてから9年になる。
当時、シスイが起こした事件は色んな意味で里に震撼を与えたものだ。
シスイが起こした其の事件に、この男を知っているものは皆、まさかとそう思ったものだ。
能力的に出来ないとは言わないが、それほどにうちはシスイという男に持っていた周囲の印象と起こした事件の内容は釣り合っていなかった。シスイがうちは一族内で孤立していたわけでもなく、寧ろ上手くやっていたようにしか見えなかったからこそ不可解だったのだ。
何故そんな事件を起こしたのか。
だから、なにか事情があったのではないかと、アスマを始め当時親しかった面々は考えた。
シスイの起こした事件の大きさが大きさだからこそ全てから庇うつもりはなくても、それでも事情があってその事情がこっちにも納得のいくものだったのならば、皆で罪を軽減させるための嘆願書を出していいとそう思っていたのだ。
だから、その事情が知りたかった。
しかしこの目の前の青年は自分がどうやってうちは一族殺しを成し遂げたのかの手段については語っても、こちらが知りたいその事件を起こした動機部分については全く話すことはなかった。
そして、今も男は淡々とした口調で、困ったようにそれを言った。
「何もないですよ。里には新しい火影が立って、悪者は逮捕されて処刑。はい、ハッピーエンド」
「何がハッピーエンドだ!」
「? なんで怒ってるんですか、アスマ先輩」
そのアスマの言葉に不思議そうな顔をしてシスイはそう訊ねた。それは本当にわけがわからないといわんばかりの顔で、わけがわからないのはこっちだ馬鹿野郎とアスマは内心で毒づく。
それからああと一拍おいて、シスイはノホホンとしているようにさえ聞こえる声でしみじみとこれまでの感想を述べた。
「それにしても吃驚しました。オレてっきりイビキ先輩のことだから拷問の1つや2つあると覚悟してたんですけど、まさかの事情聴取だけですよ? しかも今も牢屋に繋いで手枷されてるくらいだし、意外に好待遇で吃驚したなあ」
その言葉にアスマは困惑した。
(拷問されると思っているのに帰ってきたってのか?)
「痛覚鋭敏にした上でさ、手足や指の5,6本くらいもってかれるかなーって思ってたのに」
そう呟く顔には、なんの感慨も浮かんでいない。純粋に感想だけを述べているという色があった。其れを見て、嫌な予感を覚えつつもアスマは訊ねる。
「お前は拷問されたかったのか?」
「え? オレだって痛いのは嫌いですよ? マゾじゃあるまいし。でもほら、オレの立場的にこう拷問されちゃったとしても仕方ないかなーって。だから正直、今の状態は拍子抜けだ」
それに、何が仕方ないだ馬鹿野郎と、アスマは思った。
痛いのは嫌いだ? なら何故そんなに平然と拷問されるような言葉を言う。
何故周囲に何も言わず、処刑だけを望む。
前も思った。おかしいとは思ったんだ。だが、はっきりと今は確信出来る。
(こいつは矛盾している)
なのに、それを矛盾とは思っていない。
己を助けたこともそうだ。自分を悪人というのなら、何故己を助けた。そんな悪人がどこにいるというのだ。なのに関わらず、未だこいつは自分を悪人と思っている。あまりにもちぐはぐだ。
それに、イタチが言っていた言葉を思い出す。
『食い違って当然だ。あいつは世界で1番自分のことが大嫌いで、最も疎ましく思っていて、最低の人間と信じ込んでおきながら、他者を愛するが故に助けたがるその己の思考が、矛盾しているということに気付いたことなど終ぞなかったのだから』
(これがそういうことなのか)
これはどうしようもない愚か者だ。
けれど、だからといってどうして見捨てるなんて選択肢が出来るのか。
ついこの間アスマは、シスイに命を救われたばかりだ。あれからまだ1ヶ月ほどしか経っていないのだ。
自分の命を救ってくれた相手をすぐさま見限るにはアスマは人情家過ぎた。
「シスイ……話せよ。あの日、何があったのか、オレに話せ」
「は……? 話せって、だから話すことなんて何もないってあの時も言ったはずですケド。ていうか、先輩さ、オレに何求めてんの? というか、何言いたいの? 正直さっぱりわからないんですが……」
「話せば、弁護してやるって言ってるんだよ!」
その言葉に、シスイは初めてピタリと笑う事をやめた。
「……なんだ、それ」
どこか、震えているような声でシスイが言う。それを前に、アスマは幾分か熱の含んだ口調でそれを続けた。
「このままいけばお前は間違いなく処刑だ。だが、オレが弁護してやれば、事情次第じゃ罪の軽減くらい出来るはずだ。いや、オレだけじゃない。他の奴らもお前を助けるために動いてやれる。だからそのためにも、事情を話せとそういってんだ」
「くだらねえ冗談言ってんじゃねえよ」
そのアスマの言葉に被せるように、ドスの効いた声で吐き捨てるようにシスイはそう言った。
「さっきから聞いてたら……ざけんのも大概にしろよ。何が罪の軽減だ。んなもんこちとら端から求めちゃいねえんだよ、いい加減にしてくれ……!」
そういって、激情を込めて、シスイはアスマを睨み付けた。其の顔は、今までシスイから一度も向けられたことのない怒りをまざまざと宿した顔で、それに驚き交じりにアスマは言葉を失う。
そんな男の姿を見て、我を取り戻したということなのだろうか、シスイは息を1つ零すと、やがて硬質な声でこう言った。
「オレなんかを弁護したいとかいう酔狂な話ですけどね、アスマ先輩。そんなことをしたら、オレはあんたを軽蔑する。絶対に死んでも許さない。だから止めて下さい。オレはあんたを軽蔑したくはない」
そしてもう話す事はないのだと男を拒絶するように、その後はもうシスイはアスマのほうを見ようとすらすることはなかった。
* * *
うちはシスイが木の葉へと出頭してきた次の日、その男が帰ってきたという情報が木の葉上層部以外の人間にもこっそりともたらされていた。
「シスイの兄ちゃんが帰ってきたって!?」
「こら、ナルト、一応それは極秘だって言ってんでしょ!」
そうナルトが勢いよくまくし立てると、そうサクラが窘める。そんな2人を見ながら、2人の担当上忍であるはたけカカシは、「まあ、そうね」とお茶を濁すような声で肯定した。
それに対して、ナルトは顔を輝かせるような顔をしてそれを言う。
サスケがシスイを攻撃しようとしてイタチを刺した日から、それまでに増してナルトがサスケとシスイのことを気に掛けていたことは、この場にいるものには周知の事実だ。眼の下にうっすら浮かんだ隈は気のせいでもなんでもない。
それを思えば安心させてやりたい気分にもなる。しかしそれは出来ない事を、この場にいる大人2人はわかっていた。
「なあなあ、シスイの兄ちゃんに会えるのか」
ワクワクとそんな擬音が似合いそうな無邪気な笑みでナルトは訊ねる。
「いや、ことはそんな簡単じゃねェな」
しかし、そんなナルトの希望が入った言葉はあっさりと、件の情報をもたらした当事者である猿飛アスマの苦渋に満ちた声で遮られた。
「あいつは、あの事件を起こしたワケを話すでもなく、ただ刑の執行だけを望んでいやがる。木の葉上層部もどういうわけか碌に情報も引き出してないにも関わらずあいつの早い死刑に乗り気でな、数日中に執行されるだろう、本人の望み通りにな……」
「まあ、理由はどうあれ奴がS級犯罪者の重罪人であることには代わりがないからね。自然な流れといえば流れっしょ」
重い口調で語るアスマとは対象的に、カカシはあっさりとそう言った。
それにこの場にいる紅一点の少女、サクラは「そんな……」と痛ましそうな顔と声で言う。ナルトもまた言葉を失っているようだった。
そんな2人に向かって、苛立ちと悲哀と苦みが混じったような声で、アスマは言った。
「オレが弁護を務めようとそうあいつに言ったら、あいつは『そんなことをしたら、オレはあんたを軽蔑する。絶対に死んでも許さない』と答えてきやがった。ああなった奴はもうテコでも動かない。そういう男なんだよ、あいつは……」
その言葉が示すこと。
それはつまり最初っから……。
「生きる気自体、奴には元から無かったんだよ……!」
* * *
木の葉に帰ってきてから、今日で3日目となる。
刑は明後日には執行されるはずだ、それがシスイにはとても嬉しい。
ちゃんと自分は犯罪者として裁かれるのだ、これでいいと牢獄の据えた匂いに安堵感を覚えながらシスイは思う。
本当はイタチに殺される未来も魅力的だったのだけど、あいつの手で殺されたかったなとも思うけれど、それをしてしまったら優しいあいつはきっと傷つくから、だからきっとこれで良かったんだ。
アスマ先輩を含め、何人かのかつて親しくしてきた人達は、何故か「わけを話せ」と、そうすれば弁護してやるとかおかしなことを言っていたけど、そんなもの最初から意味のない行為なのだ。
実際、自分はただの卑劣で傲慢で卑怯な、最低最悪の犯罪者に他ならないのだから。
悪は悪として裁かれるべきだ。
それを思えばこの手枷や牢の匂いさえ、愛おしい。
そんなことを思いながら、ふとそのチャクラの匂いを察知してシスイは顔を上げる。……最も、別天神を使った影響で殆どこの目は見えていないのだが、それでもそこに立っているのが誰かくらいわかる。
思わずクスリと口元に笑みを零しながら、招かれざる客のフルネームを呼んだ。
「顔を見せたらどうです? 志村ダンゾウ」
「……ふん」
そうして現れたのは思った通りの、木の葉の闇ともいうべき存在だ。
この陰湿なチャクラは忘れたくても忘れられそうにない。
そんな相手を見上げながら、それでもシスイは飄々とした声で気軽に声をかけた。
「久しぶりですよね。何年ぶりなんだろ。まあ、いいや。元気そうでなによりです。正直オレ、あんたのこと嫌いだけど」
そんな一言多いと言われそうな台詞を吐きながらも、あっけらかんとシスイはダンゾウにそれを訊ねる。
「それで? 目的は」
「何故、言わなかった?」
それは事情聴取を受けたときのことや、アスマ達に詰め寄られた時のことを示しているのだと理解した。
しかし、何を聞かれたのかはわかっても、わかったからこそおかしなもんを聞くんだなとシスイは他人事のように思う。
自分が何故うちは一族を滅ぼしたのか。その理由など、そんなものイタチに原作と同じ道を歩んで欲しくなかった自分のエゴ以外の何者でもない。あれはつまりそれだけのことなのだ。それだけのために自分は女子供老人までも卑怯にも毒で動きを封じた上で殺して回った。それを自分のイタチへの思い入れはともかく、この男とて知っているはずだ。
なのに、ひょっとしてこの男も自分がうちは一族を滅ぼしたのは、それが任務だったからなだけとでも思っているのか? イタチと違って、オレはそんなに出来た人間じゃないのに。
そんな風に毒抜けた気分を味わいながらも、シスイは吐き捨てるような声で答える。
「なんだ、オレはそこまで口が軽いと思われてたのか?」
「イタチならばともかく、貴様なんぞ信用ならん」
「そりゃ結構」
別に元々信用される気などない。
「で、今日は刑が執行される前にオレの目でも回収しようとでも思ってきたのか?」
ザワリと殺気じみた気配に身に纏うチャクラの質を変えながらシスイは吐き捨てるように言う。
「ただで取れると思ってんの?」
「その状態で抵抗が出来るとでも?」
そのシスイの挑発を前に、ダンゾウはあくまで冷静に返した。
囚人であるシスイは手枷と足枷で厳重に牢と繋がれている。自ら出頭してきたことと模範囚であることの温情により、チャクラ制限までは受けてはいないが、それでも抜かりはなかった。そうそう晒す気はなくてもダンゾウにだって切り札はいくつもある。力の差は歴然だった。
けれど、それでいて、尚強気な態度で彼は言う。
「舐めんなよ、この状態でもテメエののど笛ぐらい噛み切れる。試してみるか?」
それは、ブラフでもあり、同時に本気でもある言葉であった。
たとえ自由の利かない身であろうと、それでも一矢報いると、そう決意の含まれた言葉。それを前にダンゾウは思考する。
どうせ、この男の命は明後日には消えるのだ。なら、此処で争うのはそれだけ無駄であると言えた。無駄な力を使う気はダンゾウにもない。そのダンゾウの思考の変化に気付いたのだろう、シスイはまたも穏やかな顔に戻っていった。
(よくわからない男だ)
ダンゾウにとって、うちはシスイとは理解不能な思考回路を持つ不気味な男であり、うちはきっての幻術使いである点からしても危険人物と判ずるには充分な男であった。こんな感情的な男が忍びをやっていることとて理解の範疇外だ。御するに難しい味方ほど厄介なものもない。
いや……そもそも死刑にされるとわかっていて、何故わざわざ里に裁かれるために出頭してきたのか、そこからして理解し難い。確かに必要とあれば死ぬのが忍びではあるが、この男のそれはまた異質だ。必要な犠牲と自ら死にに来る自殺願望者はまた違う。
故に彼が問うた内容は、ダンゾウにしては珍しく純粋な疑問とも言えた。
「お前は何故里に戻ってきた」
「為すべきことは全て終わったからな。あとは悪者は裁かれてそれでハッピーエンドだろう」
あっさりとした声で、シスイはそう答えた。
それは数日前にアスマに答えた内容と同じものであった。
そこに宿る色を注意深く観察しながら、更にダンゾウは言葉を重ねる。
「思い残すことは」
「微塵もないな」
それは間髪入れずの即答であったが、それから「ああ、でも」と呟いて考え込むような顔をしてシスイは言い直した。
「未練はなくても、イタチに、渡してやりたいものならあったな……」
そして、シスイはまっすぐにダンゾウのほうを見上げて言った。
「ダンゾウ、あんたに頼みがある」
「何?」
己がこの男を不信としたように、この男は自分を嫌っているはずだ。それを知っているダンゾウは訝しむようにしてシスイを見たが、そんな男の態度などどうでもいいとでもいうように、ダンゾウの反応を気にする事もなくこう言った。
「無論、無償でなんてムシの良い事は言わない」
そして、男は、ダンゾウにとって予想外の言葉を放つ。
「オレの片目はあんたにくれてやる。だからもう片方の眼はイタチにやってくれ」
ダンゾウはこの男が何を言っているのかが一瞬理解出来なかった。
そんなダンゾウの気持ちを置き去りにして淡々とした声でシスイは語る。
「万華鏡は使うほどに光を失う。オレはイタチにそんな目にあってほしくない」
その言葉にダンゾウはこの男が万華鏡に目覚めているのだと気付いた。
「頼む」
そういってシスイは頭を下げる。それに、ダンゾウは苦い声で言った。
「ワシに渡すのは嫌なのではなかったか?」
「ああ、そうだな。出来るならイタチにしかやりたくない。だが、ただであんたはオレなんかの頼みを聞いてくれるわけがないだろ」
「わからんな……」
しかし尚も渋い声でダンゾウは言う。
「貴様は、儂がイタチに渡さず、両方の眼を独占するとは思わんのか」
「思わねぇよ」
それは思わぬ言葉で。
「悪用するかもしれんぞ」
「あんたが使う時は木の葉のためにだろう」
そして男は言った。
「オレはあんたのことは嫌いだったが、木の葉を想うものとしてのあんたならある程度の信用はしてる。いくら胸くそ悪くても、木の葉にはあんたのような存在が必要だろうし、イタチにも必要だろう。そしてイタチは火影だ。支えるのはあんただ。じゃあこれがベストだ。なら、仕方ねえじゃねえか」
そう言って、シスイは頭を下げ、その言葉を放った。
「オレの目はあんたとイタチに預ける。それだけがオレの願いだ」
その2日後、予定通り刑は執行された。
何人かの見物人が居る中、絞首台までの道を、かつて瞬身のシスイと呼ばれた男は不平不満を零すでもなく、震えるでもなく、ただ粛々とした歩みで、穏やかな顔を浮かべながら静かに歩き続けた。
……男は最後まで何も語ることはなかった。
自分がやった殺しの内容のみだけを公開して、どうして事件を起こしたのかという動機について、最後までただ、「己のエゴ」であったのだと、それ以上は黙して語らず、泣き言も死への怯えも見せず、ただ微笑ってその時までの短い余生を過ごしていた。
何も思い残すべきことはないと、何も話す事もないと、そう言いながら。
そうして、この日、彼の望むとおりに其の命は終焉を迎えた。
絞首台にかけられ、其の命が奪われる其の刹那まで真っ直ぐに背筋を伸ばし、微笑みさえ浮かべたまま、大勢の人間が見ている中で彼は命を落とした。
享年27歳だった。
了
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・バッドエンド・ザ・ストーリー前編
今回のバッドエンドルートは、本編最終回で大蛇丸の呪印にさっさと押し負け、体力に余裕がある状態の侭捕まると進むルートで、文字通りのバッドエンドな話ですが、ぶっちゃけ全15ルートエンドの中では二番目に長生きするルートでもあります。
とりあえず地味に加筆修正結構したつもりですので、以前読んでた方も気がむけばどうぞ。
“抱いてもいいんじゃないのか”
自分の中にいる、この体の持ち主がそんな言葉を言い放つ。それが一体誰を差してなんのことを言っているのかなんてわかっていた。だからこそ彼は否定の言葉を押し出した。
「……イヤだよ」
“好きなのに?”
「…………だから、だよ」
それに、複雑そうな感情が己に向けられる。きっと理解出来なかったのだろう。其れが好きだから抱くのはイヤだということに対してなのか、何故相手から向けられるメッセージを無視するのかという意味のどちらなのかは知らないが。
それを感じて、今はうちはシスイと呼ばれている、かつてはうちはシスイではなかった男は、本当の『うちはシスイ』に向かって苦笑しつつもこんな事を口にした。
「本当はさ、オレがイタチとどうこうなりたくないんだよ。この想いを男女の色恋へと落としたくない。いや、それ自体が卑怯か。ただ……そうして終わったら、きっとイタチはオレのことを忘れないだろう?」
その言葉に、『うちはシスイ』の息を飲み込むような音が聞こえたような気がした。呆気にでも取られたのだろうか。そんな体の同居人の反応に彼は苦笑しながら続けて言う。
「オレはアイツと結ばれたいわけじゃない。結ばれないことに未練もない。ただ、それでもオレは……忘れられたくはないんだ。オレは本当は弱いからさ、それだけはきっと耐えられない。だからこんな馬鹿な男がいたと覚えていてもらえたら……それだけで良いんだよ。それで充分だ」
結ばれないことに未練はないなど、綺麗事を言うなと普通の人間は言うかも知れない。でもそれは彼にとっては事実だった。
忘却される恐怖に比べたら一体肉の繋がりがなんだというのか。
そうして一時の安らぎを得て、それで満足してしまうというのか。其の先の約束など何もなく? ただ一時の情欲に溺れろと言うのか。それこそ彼にとっては冗談ではない。
例え誰を殺し誰に殺されようと、それでも自分という存在を忘れ去られるそれだけは御免だった。
綺麗なものだけを覚えていて欲しかった。
男女の肉欲なんてもので、あの時の誓いを汚したくなんてなかった。
自分の中で最も綺麗な想いを凝縮して見た夢だから、それを別のもので上書きなどしたくはない。なにより、彼女自身も己などで汚したくはなかったのだ。
もしも一線など越えれば、後にきっとそれはイタチの汚点となる。そして汚点となった己を、過ごした日々の記憶ごと封じられたりしたら……そんな未来にはそれこそ耐えられない。だから、あの頃の想い出のままでこれから先も忘れずいてくれたなら、それだけでもう充分だった。それだけで己はきっと報われる。
だからこのまま、何も話さず、何も語ることもなく、ただあいつの障害になるだろう敵を葬り死んで逝けたならそれだけで良かったのだ。
出来ればあいつに失明なんてしてほしくはないから最期この目を托したくはあるが、それ以上の望みなどはない。
そもそも彼女を幸せに出来るとしたら、それはこんな薄汚れた自分などではないのだから。
誰に理解されなくてもいい。ただ、あいつさえわかっていてくれたならそれでいいと、そしてやがて里を治めるあいつが幸せになってくれたならそれでいいと、そう彼は思っていた。
“…………”
そんな彼の想いが、肉体を共有しているからだろう、『うちはシスイ』にも伝わったのか暫しかける言葉を失っているようだった。
だから、彼は己を納得させるような、噛み締めるような言葉で更に言葉を続けた。
「オレなんかでわざわざアイツを汚すこともない。アイツはアイツの人生を歩んでそうして幸せになって欲しい。オレなんかに操を立てる必要もない。例えそのことで傷ついても傷は時が癒してくれる。だからふとしたときにあんな奴もいたと、思い出してくれるような存在になれたらそれでいいんだ」
その言葉を最後に暫くの沈黙が続いた。やがて、静寂を破って、『うちはシスイ』はどこか諦観が混ざったような声音で、己が体を譲渡した相手に向かって言葉を放った。
“……お前は酷い男だな。其れがどれだけイタチに対して酷なことかわかっているのか”
その言葉を聞いて彼は口端に笑みを乗せると、眼を細め彼は言った。
「オレは元から酷い男だぜ。なんだ、知らなかったのか?」
『うちはシスイ憑依伝』IFルート・バッドエンド・ザ・ストーリー
その襲撃があったのは、うちはイタチが火影に就任することが決まっていた、ペイン長門による木の葉強襲事件の追悼式の5日前のことだった。
それは不気味な気配と1枚の呼び出し状から始まった。「南賀ノ神社にて」そう簡素に書かれた紙片を手にイタチが赴いた呼び出し先、そこに彼は、否彼らは居た。
それはS級犯罪者としてうちは殺しを決行したイタチ自身の婚約者でもあったうちはシスイと、その彼に取り憑いた木の葉の三忍と呼ばれし1人。
シスイの肩に刻まれた呪印から姿を現したその男、3年前の木の葉崩し事件の首謀者でもあった大蛇丸を相手に、イタチは
そうして残ったのは大蛇丸の……正確には仙術チャクラによって作られた分身体の宿主だった男が1人。
取り憑いていた大蛇丸を引き離されたその男……うちはシスイは強引な引き剥がしと一時は完全に大蛇丸に体を乗っ取られた影響からか意識を失い、多少の衰弱はあったが、まだ乗っ取られてから時間が短かったからなのだろう、命に別状はなく、その場に居合わせた木の葉の忍びである彼らはシスイを木の葉に連れ帰ることとした。
うちはシスイは、うちは一族を殺し里を抜け、犯罪組織である暁にも所属していたS級犯罪者である。
けれど彼の人となりを知っていてその経歴を鵜呑みにしているものは少なく、それらにしたって例え事実にしても何か重大な理由があったのだろうと考えた……特に、かつて親しくしていた上に彼に命を助けられている猿飛アスマと、かつて其の孤独に初めて手を差し伸べられたことがあったうずまきナルトは、そう強く思っていたものだから、何故男がこんな凶悪犯罪者と呼ばれるような道を歩んだのか、それを選択したのか、其の理由を誰よりも強く知りたいという想いもあり、結果として周囲が彼を手配書通りの犯罪者として扱うことを許さなかった。
だから表向きは犯罪者を捕らえたとして護送する形を取りながら、木の葉に連れて帰り、それでも本当の意味では彼を犯罪者として扱うものは、その時誰もいなかったのだ。
そんな風に犯罪者と呼びながら、犯罪者相手にするとは思えぬ待遇を与えつつシスイを木の葉に連れ帰ることに対して、苦い思いでけれどどうすることもなく見ていたのは、次期火影に決まっている女が1人。
ことの真相と男の本質を正確に理解している彼女……うちはイタチだけが顔を伏せ、そんな彼らを眺めていた。
何も言わないのは、大抵のものを器用にこなせる身の上な上、その才は多岐に渡る代わりに彼女には口下手な面があったせいかもしれないし……男を連れ帰りたいと、それだけは他の者とも一致していたからかける言葉が思いつかないだけなのかも知れなかった。
どちらにせよ、そんな態度はシスイを木の葉に連れ帰ることに対して無言の了承を下したようなものだ。
けれどいくら連れ帰ることを無意識のうちに認めてしまったとはいえ、流石に男達がことの真相を知るために、意識を失い病院へと放り込まれたシスイを相手に其の夜決行しようとした『それ』だけは、イタチは耳にするなり待ったをかけた。
「止めた方がいい」
それは普段のイタチをよく知っているものでなければわからぬほどに苦み走った声で、しかしよく彼女のことを知らないものにとってはいつも通りの平坦な声だった。
故に彼らがイタチの苦悩に気付かなかったとしても不思議は無く、何故彼女が真相を知る事を止めようとしているのかわからない彼らは、若干の不快を覚えながらこんな言葉を放つ。
「何故だ、イタチさんよ」
「……取り返しがつかないことになる」
「つまり、アンタは何か知ってて黙ってたってことか」
「…………」
それに答える言葉はない。シスイの真相も何を思ってうちは今年を実行に移したのかも知っているが、しかしだからとて話せる理由でもない。だが、それでも止めねばならないのだ、何を言えば良かったというのだろう。
そんなイタチの態度を前に、苛立ったように猿飛アスマは言った。
「黙りか。いいか、オレ達はことの真相を知る義務がある。それ以上何も言えないなら引っ込んでて貰おうか。次期火影とはいえ、アンタはまだ火影じゃねェんだ」
しかし、イタチに続いて三代目火影であり、アスマの父親でもある猿飛ヒルゼンもまた、男達が意識を失ったシスイを相手に実行しようとしている『それ』に関して、イタチと同じような言葉を口にした。
「……ならん」
苦虫を噛み潰したような声音と顔をしてそんなことをいう己の父親の姿を前に、アスマは顔を歪め言う。
「何故だ」
「其れは……」
思わずといったように三代目は視線を彷徨わせた。イタチといい父といい、一体なんだというのか。苛立ちを理性で制しながらアスマは言った。
「理由が話せないというのなら誰も納得しないぜ。それにわかってんだろ、このままじゃあいつは重犯罪者として処刑だ。勿論そんなことさせたくはねェ。だからそうしない為にもオレ達には理由を知る必要があるんだ」
理由がわからねば、フォローすら出来ないからな、そう吐き捨てるように言う息子を前に、其の父は瞳をそっと伏せた。こめかみのあたりが震える。
そして三代目として歴代火影の中最も長く、この里を治め子供達を見守ってきた老人は思う。
「……」
アスマは1つ勘違いをしている。
重犯罪者として処刑される、それは寧ろシスイの望みでもあるのだ。元よりフォローなどあの男は望んでいない。あの男にとっては犯罪者として死ぬ事さえ望みの内なのだ。
しかし、そう思いながらも猿飛ヒルゼンは我が子にかける言葉を見失っていた。
どうして何も言えないのか。
それはうちはシスイが処刑される未来など見たくないと思ったのは、ヒルゼンもまた同じだったから、なのだろう。
それは当然だろう。
シスイは否定するかもしれないが、そもそもシスイが今のような境遇になったのは己にも責任が大いにあったし、本人がいくら否定してもうちはのクーデター事件をあんな形でしか収束させられなかったのは……シスイの手を汚させたのは己の力不足が原因だと木の葉の長を名乗りし老人は思い続けていたのだ。
本人が望んだことでもあったとはいえ、1人にだけ泥を被せたその苦々しさは胸にシコリとして残り続けている。
それに……里人皆を我が子のように思う三代目にとってはシスイとて我が子のようなものだ。死んで欲しいわけがない。罪悪感を抱き続けてきた対象なら尚更だろう。
理由を知らねば処刑するしかなくなる、それをしたくないから真実が知りたいのだとそう言われて、一体どう反論すれば良かったというのか。頑としてその理由をはね除けるにはヒルゼンは些か歳を取りすぎていた。
あと5年若ければ、それでも……木の葉の恥にしかなりかねない其の真相を知られることに対して頑なに口を閉ざし、たとえシスイがそのことが原因で死ぬとわかっていても、それでも里の安寧を秤にかけて、真相を知ろうとすること自体を火影としての命として明確に禁じさせていたかもしれない。
……けれど、これも歳を取ったからなのか、あの頑なで誰より愚かな青年の歪みに歪んだ本音を見知ってしまったせいなのか、真相を知りたいのだと、心からシスイのことを案じているだろう彼らを相手に、真実の探求を拒絶し続けることに限界を感じ始めていたのだ。
……例えそれがシスイの望まぬ行いだろうことや、きっと『それ』を行えばシスイに恨まれるだろうこともわかっていながら。
だから結局のところ、三代目は完全にアスマ達の行おうとしているそれを止めることは出来ず、その行動を最終的には許可してしまった。ただし……その場に連なる彼らが如何なる真実や真相を知ろうと、それを口外することは厳禁とするという条件を取り付けた上でのことであったが。
それでも、猿飛ヒルゼンはまだうちはシスイという男に対して認識を見誤っていたといえよう。
否、老人が悪いわけではない。全ては男の性質と在り方が故だ。
しかし自分が一体何を許可してしまったのか、それがシスイにどれほど酷な行為だったのか、やがて部下によって為される報告により、間もなく三代目火影と呼ばれし老人は知ることとなる……。
その時、その場に集まったのは、猿飛アスマや、術者でもある山城アオバを初めとする木の葉でも上忍や特別上忍と呼ばれている人間が6人ほどだった。
アオバは数回任務で組んだことがある程度でそれほどシスイと仲が良かったというわけではないが、それらのメンバーは特にシスイを気に掛け、あの夜の真実を求めていた人間だけだった。
本当はこの中にナルトや、布術使いの暗部の女も加わりたがったものだが、三代目は特別上忍以上の地位を持つ口の堅い忍びのみとそう指定をしてきたために叶わなかった。
それに対してナルトは悔しそうにしながらも、それでもアスマにシスイのことを頼み、赤い髪紐で黒髪を結い上げた暗部の女も粛々とした態度で「よろしくお願いします」そう頭を下げて任へと戻った。
「さて……では始めます」
いつもかけているサングラス姿がトレードマークである山城アオバがそう周囲の人間に声を掛ける。
それに周囲も頷いた。
これからアオバは、うちはシスイの頭の中を覗き、その情報を読み取るのだ。その読み取った情報を別の特別上忍が感覚を共有して他のメンバーへと廻す。
もし、これが通常の状態であればおそらく術者がアオバであろうとこの試みは試す前に失敗しただろう。何故なら、相手はあのうちは最強の幻術使いであるシスイなのだ。
かつてその幻術の腕前に関しては木の葉一とさえ呼ばれた男の幻術に対する耐性の高さは伊達ではない。他人の精神が己の中に潜り込みなどすれば即座に破りにかかるだろう。
だが、今は別だ。
シスイはチャクラも体力も多量に消耗し、今は深い眠りについている。だから、あの事件の真相を知るため、シスイの記憶に潜り込み情報を引き出したければ今しかないのだ。目覚めたシスイが真相を語ることはおそらくきっとあり得ないのだから。
そのことに罪悪感がないとはいえない。なにせ勝手に人の記憶を覗こうというのだ。それも敵に対してではなく、内心未だに味方なのではないのかと思ってきた男を相手にだ。それでも彼らはシスイにこのまま死んで欲しくはなかったし、真相を知りたかった。背に腹は代えられないとそう思い、これを決行することにしたのだ。
……この時は、本人が話したくもなかった真相を知ることによって奴本人に嫌われる結果になったとしても、それでもいいと、そうアスマ達は思っていた。これも彼らがシスイという人間をまともな奴であると誤認しているが故に起きた弊害だったのかもしれない。けれど、善意から動いていた彼らはそのことを知る由もなかった。
そして……記憶の潜り込みが始まる。
必要のない記憶と必要のある記憶、それを選別するため、探るのはうちは虐殺事件があった少し前からあたりからであり、それ以前の記憶までは見ないでいておくというのは最初に決めていた取り決めだった。
だからこそ、始まりは事件が起こる半年ほど前から其の記憶に入り出したわけだが、その時点で彼らが知った事実は青天の霹靂とも言えた。
まさか、あのうちは一族がクーデターを企もうとしていたなど、夢にも思っていなかったのだ。
記憶の中のシスイは任務の傍ら、一族の人間にクーデターなど思いとどまるようにと理性的にコツコツと説得と根回しに力を注いでいるように見えた。こんなものを当時あのいつもニコニコと幸せそうに笑ってた人懐っこい後輩が抱えていたなど思っても見なかった。
そして、ダンゾウの子飼いによる襲撃の映像が彼らへと流れる。それに改めて彼らはギョッとした。
こんなことが起きていたなんて知らなかった。
何故なら彼らが知るシスイはあのうちは一族を滅ぼした夜まで、本当にその平素の態度や顔に変化がなかったのだ。少しの違和感さえない。いつも穏やかな笑顔で、軽口を叩いて、でもそのくせ細やかな気配りをし続けていたあの後輩は、あの事件の1日前さえそんな態度で、何もないように穏やかな態度で笑って自分たちに接し、そうして言ったのだ。
「では、先輩。また明日」
微笑みながら言われたそれは本当にいつも通りの態度で、だから誰も異変になど気付けなかった。何かを抱えているなんて夢にも思ってなかった。
だというのに……。
こんな重大なことを抱えていたなんて、想定の範囲外だった。
思う間にもシスイの記憶は時系列事に進んでいく。
……まるで映画のフィルムを眺めるように、シスイを題材にした物語が続く。
『お前がダンゾウの手のものに襲われたことを知っていると、そういったんだ、シスイ』
『身内が襲われたんだ! もう奴ら我慢出来ねえ!』
『今こそ、うちはが木の葉の上に立つ時だ!!』
『そうだ、そうだ! うちはの権威を取り戻し、示すのだ!』
『おばちゃん、なあ、ウルチのおばちゃん、なんとか言ってやってくれ。こんなのは間違ってる、オレは……!』
『あのね、シスイちゃん、あたしらは、あんたがそう言うから我慢し続けてきたのよ?』
『そんなこと、どうだっていいんだ! オレが狙われたことなんてどうでもいい。クーデターなんて、力で無理矢理奪った頂上の座に一体なんの意味があるっていうんだ!!』
『お前は何もわかっていない。ことは既に、お前1人の問題ではないのだ。そう、これは……うちは全体の問題だ』
その言葉を聞かされたシスイの絶望が、そのまま見る者に伝わってくるような気がした。
やがて映像の中で、そのことを言った男に対してシスイは怒りの侭に殴り飛ばしその上に馬乗りになった。そんなシスイに向かって男が言う。
『オレは、うちはフガクだ。これがオレの選んだ道なのだ』
その言葉を聞いて何を思ったのか、一瞬悲しげな顔をしたシスイは男の上から体を起こした。
『もう、殴らないのかね』
『ああ、意味なんて……ないからな。それに、オレは……所詮は同じ穴の狢だ』
その言葉を一体どういうつもりで吐いたのか。
場面が変わる。
『お願いがあって、参りました。三代目火影様』
場面が飛び、現れたのは三代目火影でありアスマの父でもある猿飛ヒルゼンに向かって土下座姿勢でそんな言葉を吐くシスイの姿だった。
そして淡々とした声で、シスイはイタチが二重スパイであることは知っているが、うちは一族を滅ぼさせるのはやめてほしいと、今回のことの発端はオレだから、オレがケジメを取るべきだと、イタチを残したほうが里の為になるとそういった内容のことを切々と訴えた。……己にとっては一族よりもイタチのほうが重いからと、そう言って。
『だから三代目、あんたはオレに後ろめたさなんて覚えなくていい。罪悪感なんて覚えなくていい。ただ一言命じてくれたらそれでいいんだ。アイツを護るためなら、あいつら姉弟が笑っている未来を護るためならオレはなんでもするよ。汚れ仕事だってなんだって、里の忍びじゃ出来ない仕事だろうと喜んでやってやる。だからイタチじゃなく、その役目はオレに命じてくれ』
『頼む、三代目。他は全部殺すから、禍根なんて残らないようにキチンとオレが全部殺すから、だからイタチとサスケの2名だけは助けて下さい……! オレはアイツに、親殺しの……一族殺しの罪を背負わせるような真似だけはどうしてもしたくないんだ!!』
そこまで見た時、ビクリと現実のシスイの腕が跳ねた。慌てて、シスイの状態を確認するが、目が覚めたというわけではなさそうだった。それでも苦しそうに顰められた眉と額からびっしりと吹き出る汗や、痙攣するように跳ねる体の状態から見れば、自分の記憶を見られているということを無意識に察知し、体が拒絶を覚えているのかもしれない、と判断が出来た。
……今の時点で充分とするべきだったのかもしれない。彼らの知りたかったことはこの時点で8割が判明したも同然だ。それでも其の先にまだ何か隠されているのではないかと、まだ見続けることを選んだのは皆の罪であったのか。
彼らは痙攣を起こしかけている未だ意識不明のシスイの腕を取り、鎮静剤を投薬すると、その続きを見始めた。
……一族を滅ぼすと決めた男のその後の日常はあまりにもいつも通りで、自分たちの記憶通り男は笑って日常を過ごしていた。まるで何事もなかったかのように、いつも通りのように、何も知らないように。
どうしてそんな風に笑えたのか。
……知っていた。こんな風に男がいつも笑みを絶やさなかった事は知っていた。
だが、真相を知ってから見たらそれこそ異常なのだ。一族を滅ぼすと決めて、自分の手で殺すための準備さえしながら、何故いつも通りに振る舞えたというのか。決して情の薄い男ではなかったのに。決して冷血な一流の忍び然とした男ではなかった。寧ろよく笑い、些細なことで拗ね、時には涙を見せることもそれほど珍しくなかったこの感情豊かな男は、忍びらしからぬ性格の持ち主だとさえ思っていたのに。
いや、はっきり言って自分達が知る限りもっとも情深く、かつ些細な日常を愛し生きている男だった。
なのに、どうして、何故。
何故
それとも本当は憎んでいたのか?
うちはシスイが一族の者と不仲だったなんて記録も噂もどこにもない。そして記憶を見始めても尚、シスイが一族のものと険悪になっているシーンなどもなかった。特にセンベイ屋の夫婦など仲が良さ気で慕っていたのは明白だろう。
確かに忍びは感情を律するのが原則だ。
それでも忍びは「人」なのだ。
そして彼らが記憶する限りうちはシスイという男は誰よりも人間らしい男だった。
なのに、身内殺しを目前に控えてもここまでいつも通りに振る舞えるものなのか?
そのことに気付いた時、この記憶を見始めて、初めて彼らはこのうちはシスイという男にある種の違和感と気味の悪さを感じ始めていた。
そう思っているうちにも、男の記憶は続く。
シスイはうちは一族を滅ぼすことについて仮面の男と手を組んだ。その男について『写輪眼の英雄』とそう呼んだことや久しぶりと口にしていたことについて、疑念がないわけではなかったが、それでもシスイの言葉はイタチと里を守るためのものだったから、それ以上は疑わずにすませ、一旦その男が一体何者かという議論は置き去りとすることとした。
そして其の夜の記憶へと移る。
それは幾人もの『どうして』の声を受けながら、シスイが予め先に仕込んで置いた痺れ薬によって身動きを奪ったうちは一族の人間を殺して廻る記憶だった。
いつも浮かべていた柔和な笑顔すらなく、感情をそぎ落としたような無表情でシスイは老いも若いも男も女も区別せずに殺し廻った。そしてアスマは……其の顔を知っていた。
あれはいつかの任務で、人身売買と小児虐待を行っていた其の組織の人間を全て幻術で精神崩壊させ、目の前で死んだ子供を抱き締めながらごめんと繰り返したあの時の顔と同じだったからだ。あの時の顔は忘れようにも忘れられなかった。
(お前は一体自分がどんな顔をしてそいつらを殺しているのか、理解しているのか、シスイ)
これが過去の記憶でしかないとわかっていても、ズキリと胸を痛ませながらアスマは思う。
其の顔を見て確信したことがあった。
間違いなく、シスイは一族を愛していたのだ、と。
別に元からシスイが一族と不仲だとか上手くいってなかったとかそういう話は聞いたことさえなかったが、それでも一族内のシスイがどんな立場で、どう立ち振る舞っていたのかは知らなかった。だが……殺すと決めてさえ、実際にそれを実行してさえいながら、シスイは一族をやはり愛していたのだ。
愛していたものを殺すというのは、一体どれほどの傷だったというのか。
そして最後の2人……見覚えのある顔だ、あれはうちはイタチの両親か、を前にシスイは言う。
『恨んでくれて構いません。オレも……貴方達のことを恨んでいますから』
それを見て聞いて、アスマは思わず唸るような声を漏らした。
……そんな顔で恨んでいると、お前はそういうのか。そんな痛みに引き裂かれそうなのを必死に堪えるような顔で、そんな言葉を投げかけるのかと、アスマと同意見だったかは知らないが、そんなシスイを前にしてうちはフガクは小さく言葉を漏らすと、真っ直ぐにシスイを見上げながら言った。
『なぁ、シスイ君、最期に答えてくれるか。……君の其れは、イタチのためか?』
シスイはそれに頭を振り、言った。
『いいや違う……オレのためだ。イタチのためなんかじゃない。オレはオレのために貴方達を殺すとそう決めた』
それははっきりとした断言の言葉で、それを聞いたフガクは不器用に笑いながら『……君らしい』そう呟いて、娘のことを頼みシスイの刃にかかった。
あんなに明るく穏やかな笑みの似合う奴だったというのに、そうやって血まみれになりながら外へと這い出るシスイの姿はまるで幽鬼のようだ。
そんな生きた屍の如き姿で、やがてやってきた暗部姿の婚約者だった少女と一言二言交わした後、決壊寸前のような壊れた笑みを、泣き出しそうな笑みを浮かべて、壊れたオルゴールのような声でシスイは少女へと言葉かけた。
『……俺の夢は変わっていない。その未来さえ見れるなら、何も惜しくないんだ』
記憶の中のシスイは度々夢というキーワードを口にする。けれど、シスイの夢などなんなのか聞いたこともないアスマたちには見当も付かない。ただ、その言葉でそれがうちはイタチと関係があるのだということはわかった。
…………そして。
「ァアあああアァァッッぁあァアアーーーッ!!」
そんな大絶叫と共に大汗をかきながら、現実のシスイの体が飛び跳ねる。
「アアァああァア-!! イ、ヤだぁああァアア!」
「おい、シスイ!?」
前後不覚といって良いほど現実を理解しているか疑わしいシスイは、今まで意識を失っていた身でがむしゃらに腕を振るい、喉を掻き毟った。爪とそれが食い込んだ皮膚から赤い血が滴る。それは鬼気迫る程の姿で、シスイの腕に取り付けられていた点滴は振り落とされ、シスイは尚も奇声を発しながら呻き、暴れた。
このままでは拙い、そう思ったアスマを始め数人でとっさにその手足を押さえる。
そんな彼らに向かって涙ぐんだ声でシスイは叫んだ。
「見るな、見るな、見るなァ!!!」
シスイは泣き叫び、喚き、自由にならない体で暴れながら、何も入っていない空っぽの胃から胃液を吐き出したかと思うと、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返し、やがてそれはヒューヒューと細い呼吸へと変化し、それと共に手足が痙攣し出した。それは間違いなく過呼吸の現象で、アスマはとっさに自分の手でシスイの口を塞ぐと、鋭い声を同僚へと投げかけた。
「誰か医療忍者を!」
「今呼びに行ってる」
そうしてバタバタとした室内で、ひとまずパニック状態に陥っているらしき後輩を落ち着かせようとアスマはシスイに声をかける。
「おい、シスイ、聞こえるか。しっかりしろ、ゆっくり息を吐くんだ」
「……ッ」
しかしシスイは意識があるのかないのかも怪しい状態の侭、目からボロボロと涙をこぼしながら左右に頭を振るだけだった。相変わらずシスイの息は荒く、ベタリとシスイの口元を覆う己の手になにかぬるぬるした液体がついていることに漸くアスマは気付いた。
それは先ほどシスイが掻き毟った喉から流れた血で、痙攣したようにビクビクと跳ねるシスイの指先に目をやれば、其の爪もまた血まみれで、一体どれだけ強く掻き毟ったんだと思わず内心で毒づく。
そうして5分と経たずやってきた木の葉病院の医師達数人にシスイを任せ、ひとまずアスマ達は別室へと移り、そして先ほどまで見ていたシスイの記憶について、仲間内で話しあうことにした。
防音に気をつけたその一室で、1人がポツリと呟いた。
「なぁ、こういう場合ってどうしたらいいんだろうな」
それは全員の心を代弁したような台詞だった。
何故三代目とイタチがあれほどに口止めをしたのか、あれを見た今ならよくわかる。
2人とも真実を知っていたなんてものではない、当事者だったのだ。
うちは一族がクーデターを起こし、里を乗っ取ろうとしていたなんて全員そんなことは知らなかったし、うちは一族がそんなことを起こそうとしていたなど夢にも思わなかったが、それだけのことをしでかそうとしていたというのなら、一族郎党皆殺しにされても文句は言えないだろうという分別もあった。
何故ならうちはほどの一族が反乱を起こせば、たとえ途中で鎮圧出来ても里には禍根を残すし、第四次忍界大戦の口実にもなりかねない。それを思えば、動機はどうあれシスイのなしたことは里にとっては褒められることであれ、貶されることではない。
寧ろ、戦争の火種を己を悪者として取り除いたという意味では、うちはシスイは木の葉の英雄といっていいだろう。
だが……うちは一族がクーデターを起こそうとしていたなど、そんな大スキャンダルは木の葉のためを思うならそもそもその前提こそが里や他国に知られては拙いのだ。うちはが反乱を起こそうとしたなど間違いなく木の葉の恥であり、火の国の恥にもなる。
彼らは皆上忍や特別上忍と呼ばれる木の葉のエリートと呼ばれる人種だ。だからこそそのことが誰よりもよくわかっていた。
うちはがクーデターを企んでいたなど、そんなことを里人にも世間にも知られるわけにはいかないというのは。木の葉を守るのは彼らにとっても義務であり存在意義なのだ。
なにより、それを世間人が知ったらどうであろうか。
次期火影に内定が決まったうちはイタチはどうなる?
うちはクーデター事件の首謀者はイタチの父であったうちはフガクだ。犯罪者の娘が火影など、認めるだろうか? 否認めるわけがない。
きっと世間は掌を返し、今まで同情さえ向けていたうちはイタチにもうちはサスケにも厳しい目を向け、迫害さえ辞さなくなるだろう。世間とはそういうものだ。九尾を宿しているというだけでうずまきナルトが白い目で見られてきたように。
なにより、この事実を公開してしまったら、今までイタチに泥を被せないために、自ら手を汚し汚名を被って里を抜けたあの男……シスイの気持ちはどうなる? 踏みにじるも同然ではないか。なんのために一体あの男が愛していた一族の人間を殺したのかが、わからなくなるではないか。
だからこそ、彼らは困った。
やはり、シスイが一族を殺し里を抜けたことには裏があった。しかし、その裏は木の葉にとって最大級の不祥事故にこそ表に出すわけにはいかない理由だった。だからといって、ある意味木の葉の犠牲になったとさえ言えるシスイを其の汚名のままに処刑するなんて、とても出来ないと、それが此処に集まったメンバーの正直な気持ちだった。
ある意味犠牲者とも言えるあの男をみすみす殺したくはない。
しかし木の葉を守る人間の1人としては、シスイが一族を殺し暁に入った理由を世間に公開するわけにもいかない。
これでは振り出しに戻ったより尚酷い。
そしてそんな風に悩む彼らの耳へと、思いがけない報が入った。
「シスイが自殺を図った……!?」
「はい、先ほど漸く容態も安定して眠りについたようですので、目を離した隙に……」
窓から飛び降りを図ったのだと、木の葉病院に勤める看護師の女は言った。
幸いにも2階だったのと、下は花壇で、衰弱していたとはいえシスイ自身が忍びであることもあり、一般人よりは頑強だったことから全身打撲程度で済んだのだと言いながら、それでも更に続けてその看護師は言った。
「どうやら、検査したところ、理由はまだ不明ですが失明しているようです」
その言葉に思わずアスマ達はショックを受けた。
「……オレ達のせいなのか」
共にシスイの記憶を覗いた同僚の1人がポツリと呟く。
人の体は心の影響を強く受けるという。
失明していると告げた看護師の言葉を前に、あの時、記憶を覗いた自分たちに向かって「見るな」と泣き叫び喚きながら訴えたシスイの姿を思い出した。
もしかして見られたくないと、そんな思いが高じた結果、目が見えなくなってしまったのではないかとその同僚は考えたらしい。
そんな仲間を相手に、苦々しい笑みを口元に刻みながらアスマは言った。
「まだわからねェんだ。焦って結論を出す必要はないだろう」
そういいながら、彼は若干シスイの記憶を見てしまったことを後悔していた。
(そんなに……知られるのが辛かったのか)
それは、自殺を図らずにはいられないほど。
それでもまだこの時点では彼らは希望を捨て切れてはいなかった。だから、本人に無断で見てしまったことについては後で謝ればいいと、後日時を改めればあいつも少しは冷静になれるだろうと、そんな風に猿飛アスマは……いや、彼らは考えていたのだ。
『……取り返しがつかないことになる』
ことが始まる前イタチがそう忠告したことについては既に意識にすらなく。
2日が経過した。
気を取り直したアスマは、見舞いの品を持ってシスイの病室へと向かっていた。
其の最中ヒソヒソとした看護師同士のやりとりが彼の耳へと届く。
「ねぇ、聞きました。例の部屋の……またですって」
「本当? 勘弁して欲しいわ」
それらの言葉は意味が分からないまでも妙に耳に残ったが、アスマは気付かないフリをして後輩の病室のドアをノックした。
「よぉ、邪魔するぜ」
しかし、アスマが見たのは思いがけないものだった。
「……居ない?」
もぬけの空のベッドを前にして思わず困惑するアスマ。そんな男を前にして、ガチャリと音を立ててドアを開いた中年の看護師は、「ああ、ひょっとしてあの人のお見舞いですか」そう迷惑そうな顔をして言った。
「なぁ、シスイは……この部屋の奴はどこへ言ったんだ?」
S級犯罪者としてビンゴブックにも乗っているうちはシスイの存在は、みだりに言いふらしていいものではない。故にこそ、木の葉病院に入院しているなどということを内密にするために、シスイの部屋には1人部屋が宛がわれていた。
故にこの部屋の住人といえば1人しか差さないのでそれだけ言えばわかるはずだが、中年の女はやはり迷惑そうな顔をしたまま、憮然とした口調でこう言った。
「特別室に移しましたよ。まあ暫くは面会謝絶ですね」
「面会謝絶ってそりゃまた、どうしてだ?」
確かに先日は錯乱をしていたようだが、あれはことがことの後である。今思えば仕方ないとも言える。それに自殺未遂をしたとは聞いたが、結局たいした怪我ではないようだった。とても面会謝絶になるほど酷いとは思えない。そんな風に困惑するアスマに対して苛立った口調で看護師は言った。
「自殺未遂に自傷行為、おまけに病室からの脱走。怪我を治すために入院しているというのに、自ら怪我ばっかり増やすんですから、仕方ないでしょう」
看護師はどうやらかなり腹が立っていたらしい。患者情報に対する秘匿さえも忘れたかのように、彼女はグチグチとした口調で洗いざらいシスイが起こしたとする内容について語った。
なんでもあれから自殺未遂を起こしたのは1度きりだったらしいが、気付いた時にはシスイは頬や喉を中心に爪で掻き毟るなどの自傷行為を絶やさず、目が覚めると必ず病室から目が見えないまま脱走を繰り返し、見えていないが故に壁やその他の機械類に体がぶつかることも珍しくなく、だというのにつけていた点滴が倒れることや自身が怪我することにもおかまいなしに逃げだし、決してベットの上で休もうとしないのだという。そして硬い床の上で、漸く彼は一握りの安堵を得るのだと。
目が見えていないが故というのもあるのだろう、排泄についてもトイレで済ませるなどという文明的な方法にいきつくわけではなく、脱走先での垂れ流し状態で、そのことに看護師達は非常に迷惑しているのだという。寝たきりの老人とは違うが、いっそおむつさせたほうがいいのではないかという案も出ている程だそうだ。
それに食事も碌に取ろうとしないし、それらがあまりに酷いものだから特別室に移して、手足を束縛し、点滴と医療忍術で今集中的に治しているらしいが……しかしあの様子では焼け石に水で、きっと治ってもまた同じことを繰り返すだろうとそう女は締めくくった。それを聞いたアスマは呆気にとられた目をしながら立ち尽くす。
どう考えても彼女が語るあの後輩の現状は異常者そのものだ。
かつてのシスイを知っているからこそ、その落差に目眩さえしそうなほどだった。
けれど、目を反らすわけにはいかないんだ。それを合い言葉にアスマは面会謝絶が解ける日まで待つことにした。きっと話せばわかると、そう願いながら……
その日は、うちはイタチが火影に就任することが決まっていた追悼式の日で、アスマは途中で式を抜け出して、うちはシスイのいるという特別室へと赴いていた。
他は皆式へと参列している。この日ならきっと邪魔は入らないだろう。
アスマはどうしてももう一度シスイと話をしたかったのだ。
看護師の1人に案内されて辿りついたその部屋は、白く清潔な様は病院の名にふさわしいのに、まるで牢獄のような部屋だった。窓には鉄格子が嵌っていて、膝を抱えてベットの下に縮こまっている後輩の姿がまるで囚人のようだったから、だろう。
こちらに気を遣ったのか席を外した看護師は「何かあれば連絡を」そう口にしてから去っていった。
「…………よぅ」
膝を抱えたまま、こちらを見ようともせずピクリともせずに顔を伏せるシスイを前に、アスマは出来るだけ内心の戸惑いを声に出さないよう気をつけながら、そんなありきたりな挨拶の言葉を吐いた。
「この前はその……」
「見たんでしょう……オレの記憶」
何をいうべきなのか見つからず、思わず歯切れ悪くなる男を前に、膝を抱えたままの青年は顔を上げることさえせず、枯れたような声で、責めるようにそんな言葉を口にした。
「人を見せ物にして満足ですか? ああ、それとも……失望しました? 先輩、オレのこと信じるとか言ってましたもんね。本当にオレが私怨なんかで一族を殺したとは思ってなかった?」
その言葉にアスマは違和感を覚えた。私怨で殺した? この期に及んで何を言っているのだ、この後輩は。
「シスイ、お前何を言ってる」
「……別にいいんですよ、幻滅しても。所詮オレは自分のことしか見ちゃいない碌でなしだからな。寧ろ今までアンタがオレを見捨てなかったほうがおかしかったんだ」
「シスイ!」
その自嘲するような口調で吐き出される言葉を前に、アスマは「それ以上言うとオレも怒るぞ」そう低く口にした。けれど、シスイは漸く顔を上げたかと思うと、ただ不思議そうな、不可解そうな顔をするだけだった。
其の目の焦点が合ってないことに、ふと先日耳に入れたシスイは失明しているという情報を男は思い出す。
もうこの後輩の目に自分の姿が映らないのだということを思えば、少しだけもの悲しい気分になって、アスマは出来るだけ優しいような言い聞かすような口調でこう話し出した。
「……なぁ、シスイ。どうしてだ。お前はオレがもう真相を知っているってわかってんだろ。なら何故オレがお前に失望していると思い込むんだ」
「…………真相……?」
お前は里と愛する女のために心を鬼にして一族殺したんだろう。あんな未来にしないためにずっと説得を続けてきたそれは一族を愛していたから、死んで欲しくなかったからだろう。そんなお前を責める資格など一体誰にあるというんだと、そう思ってのアスマの言葉に、しかしシスイは怪訝気な反応しか返さなかった。
「……わからねえな。オレにはアスマ先輩が何を言ってるのかがわからない。真相? オレのドジで取り返しが付かないことにした挙げ句、オレのせいでそんな事態を招いたクセに、オレが一族の命をイタチと秤にかけ、卑怯にも毒を盛り全員動けなくしてトドメをさしてから里を抜けた。それのことを言いたいんですか?」
そのあまりな言い分に思わずアスマはカチンときて、半分怒った口調で言った。
「なんで、なんでもかんでも自分のせいにしてやがる、うちは一族のクーデター未遂事件はお前のせいじゃねェだろが! それにお前は止めようと何度もしていた、でもどうしようもなくなったから、里と愛する女を守るために、そのために汚名を被ったんだろが! 戦争と混乱が起きないように、お前は里の為に……」
「人を美化してんじゃねぇよ!!」
その時、これまで1度も見たことがないような怒髪天を衝くような顔で、シスイは血反吐を吐くような声で男に怒鳴った。いつもにこやかだったシスイがこんな風に己相手に怒鳴りだす姿は見たことがなかったアスマは思わず吃驚して固まる。
そんな先輩の様子がわかったのかどうかはしらないが、見れば、憤怒の形相の侭、シスイはふらふらと体を起こし、「そういえば、アスマ先輩は再会してからずっとそうでしたね」そう憎々しげな声でそんな言葉を吐き出した。
「口を開けば一族を滅ぼした理由はなんだ、理由はなんだと、理由、理由、理由。馬鹿じゃねえの。理由がどうあれオレが一族を殺したクソヤローである事実に一体なんの違いがあるってんだ」
それに、と一旦置いてから、シスイは音だけでアスマのいる方角に検討をつけると、向かって歩きながら言葉を続けた。
「理由があったから? ンなもんで死者が納得するか!」
そしてそのまま、勘だけでガッとアスマの胸ぐらを掴み上げた。
其の様があまりにも必死で、怒りながら泣き震えているようにさえ見えて、アスマは掛ける言葉さえ失って、されるが侭に至近距離から後輩たる青年の姿を少しの哀れみと共に見下ろしていた。
けれど、目が見えない彼はそんな己の先輩の表情などわかるはずがなく、血反吐を吐くような声でその告白を続けた。
「慰めなんかこちとら端から求めちゃいねえ。オレは殺した! 実の子供のようにオレを可愛がってくれてたウルチのおばちゃんやテヤキのおっちゃんも、オレをいつも本当の家族のように暖かく出迎えてくれたミコトさんも、まだ何も知らなかった赤子や年端のいかない子供までみんな殺したんだ! クーデターなんか起こされるとイタチの障害になるからと、そんな自分の都合だけで一族を皆殺しにした男、それがオレなんだよ。許されたくもねぇ、憎まれて命を狙われて当然だろうが、こんな最低の男は!」
言いながら、段々とシスイの呼吸が荒くなり始めていることにアスマは気がついた。
ヒューヒューと擦れるような息を吐きながらのそれが先日アスマ自身も遭遇した現象によく似ていて、アスマは僅かに焦りを感じる。それに気付いていないかのように、シスイは自分の両の手で顔を覆って言った。
「なのにさ、恨む心が消えねぇんだ、なんでクーデターなんか企んだって……あいつらが決行をすることに決めたのは自分のせいだってのに他人に責任を押しつけようとしてんだぜ、オレは。醜い奴だろ」
そんなことはないとアスマは言いたかった。
憎しみや恨みを誰にも抱かない人間などいないのだ。それで恨んだって別に何もおかしいことではない。寧ろそれはシスイ自身が言うように全てを己1人のせいにするより余程健全な精神だとさえ言えた。
けれど、シスイはそうは思っていないのか、自分が悪人でないと気が済まないのか、尚も己への罵倒の言葉を続け、己のことを「汚れている、人間のクズだ」と、その喉を掻き毟りながら蕩々と語った。
「止めろ!」
そんな後輩を相手に、アスマは思わず制止の声をかけながら、シスイの両手を掴んでそれ以上の自傷を止めた。青年の包帯にまみれた指の先からは血が滲み出す。包帯がグルグルと巻かれた喉にしたって、一体今までどれだけ掻き毟ってきたのか、すぐに止めたにも関わらず白い包帯を赤く染め上げていた。
其の姿は見ているほうが痛々しいぐらいだ。戦場の惨死体は見慣れているアスマでも、出来れば見たくない光景だった。
シスイは詰まりそうな息をゼエゼエと息苦しそうに吐き出しながら、それでも血の滲むような声で叫ぶ。
「だから、言ったんだ! オレはアンタが思っているような善人じゃないって! オレみてぇな悪人なんて信じるなってちゃんとそう言っただろうが」
「お前、自分が今何言ってんのかわかってんのか?」
「分かってる、こんなの……八つ当たりだ」
そして体力が尽きたのか、ズルズルとアスマに体重を預け、体を落としながら、シスイは懇願するような泣き出す寸前のような震える声で囁くように呟く。
「……なぁ、なんでだよ。どうしてあのまま処刑してくれなかったんだ」
どうして? そう聞きたいのはずっとこちらだった。何故、どうしてお前はそんなに裁かれたがるのか。その記憶を、真相を知った今でさえアスマには理解しがたい。そこまで己を貶め入れられるその精神も在り方も、結局どこまでもマトモな人間である猿飛アスマという人間には理解出来なかった。
その代わりのようにポツリと男は呟く。
「お前は自分を善人じゃない、悪人だと嘯くがな、逆に聞くが本当に悪人だってんなら、お前はなんでオレを助けた」
シスイは己を悪人という。しかしアスマにとっての悪人とは、いくら知った相手とはいえ他人を我が身をおして助けるような存在じゃない。
『死ななくて良かった』
そう笑う、そんなのは悪人の在り方ではない。
人は元々利己的な生き物だ。それでも他者を愛せるのなら、他者を救い良かったと笑えるのなら、それが本心からの言葉で行動であったのなら、それを人の『善性』といわずなんというのだろう。
そんなアスマの問いに一瞬シスイは怪訝そうな顔をするが、疲れたような声と顔で、やがて語った。
「……言ったろ。助けたのは、アンタのことは好きだったからだよ。馬鹿みたいな話と思われるかもしれねえがな、それでもアンタも鬼鮫先輩も、誰も死んで欲しくなかったんだ。……オレがただたんに生きていて欲しかったから、死ぬ姿を見たくなかったからアンタのためじゃない、オレのために助けたんだ。酷いエゴだろ。テメエは散々自分勝手に殺してきたくせに、さ」
そのシスイの言葉を悲しげにアスマは聞いた。
他人を助ける行為をエゴとお前はそういうのか。
この後輩に対しては再会してからずっとわからないことがあった。
それを知りたいと思った。けれど漸く『それ』を理解しだした今、アスマはこのかつて親しくしていたと思っていた後輩がどこまでも遠い価値観の持ち主であり、それは平行線のように自分たちと交わることはないのだと、そういう結論に至らざるを得なかった。
「自分勝手に人を助けるため介入して、自分勝手に人を殺して、まるで神気取りだ。誰に言われなくても、反吐が出るほど気持ち悪い」
そんなのは人間にとっては当然のことだ。助けたいから助け、殺す必要があれば殺す。そんなのはシスイに限った話ではない、自分を含め皆やっていることであり、不自然な行為でもなんでもない。それをまるで悪のように自分に対しては断罪し続けるのか。
……他人をそんな風に思う事はないくせに。
アスマは以前イタチから聞いた話を思い出す。
『あいつは世界で1番自分のことが大嫌いで、最も疎ましく思っていて、最低の人間と信じ込んでおきながら、他者を愛するが故に助けたがるその己の思考が、矛盾しているということに気付いたことなど終ぞなかったのだから』
それを……話半分に聞いていた。参考程度に、そんな意見もあるのだという程度に聞いていたのだ。まさかこれが丸ごと真実など一体どうして信じられようか。でもこうして笑顔の虚飾を全て取り払ったシスイの姿を見ていると認めざるを得ない自分もいた。
まさかと、あいつはそんな奴ではないだろうとそう思っていたのに。……シスイは、あのいつも笑顔を絶やさなかった後輩をマトモな人間だと信じたかったのは、果たしてアスマの願望だったのだろうか。きっとそうだったのだろう。
……真実はいつだって残酷だ。
やがて静かになり、大人しくなったシスイは床に体を落としながら、ポツリとした声でこう呟いた。
「軽蔑しますか?」
「お前はオレに軽蔑して欲しいんじゃない。お前『が』オレに軽蔑して欲しいんだろう」
そんな惨めな後輩の姿を悲しく思いつつも、アスマはそうはっきりと言い切った。そのアスマの言葉を受けて、シスイの顔が再び泣き出す寸前のようにクシャリと歪む。
(お前は、見捨てて欲しかったのか……)
自分は
まるで逆だとアスマは思う。
普通の人間は他人を見捨てても、自分が見捨てられるのは望まないものだ。口ではなんといってても大抵の奴はそうだろう。だからこそアスマもナルトもこの男を救おうとこれまでしてきたのだから。なのにそれが今此処でひっくり返る。失望した? という男の問いは失望して欲しいという願望の表れだったのだ。
そんなこと……出来れば理解したくなかった。
だが、もうアスマはこの男がマトモな人間ではなかったことを知ってしまっていた。
やがて、暫くの沈黙の後、シスイは言った。
「ごめん、先輩。オレ少し疲れた……1人にして下さい」
「…………ああ」
再び、入ってきた時のように床に膝を抱えて縮こまり、シスイは視線を下に落としたままそんな言葉を言った。それにアスマも頷きで返す。色々考えることも多く、男もまた精神面に置いて疲労していた。
そして扉が閉ざされる。
この次の日、シスイは壊れた。
何故、なのかなど知らない。
ただ翌る日、いつも通りベットから逃げ出し床に縮こまって眠っていたシスイを起こしに行った看護師が会ったときには既に彼になけなしの正気も理性も消えていたのだ。
見た目は穏やかでさえあったと、看護師は言う。
それはもう木の葉病院に入れられて以来これまででもっとも表情は穏やかで、柔らかで透明な笑みを浮かべながら、子供のような素直さで自傷すらせずにこちらの指示には従ったのだという。
だが、誰が見ても彼は異常だった。
誰と話しているのか、何を話しているのか理解していない、幼児返りしたように言葉が幼い、前後の会話が噛み合わない。そしてあり得ないほどの無邪気さで、自虐としか思えない言葉をニコニコと並べ立てる。
別に暴れるというわけではない。自殺を図るというわけでもない。
けれど、居もしない家族の話をするなど、誰よりも彼はおかしかった。
「オレには妹がいるんだ」
にこにことした顔で、包帯を取り替える看護師を前に彼は言う。
そう、とおざなりな返事を看護師は返す。この患者の経歴は見たが、妹がいたなんて事実はどこにも記されていなかった、そのことからきっと空想の妹なんだろうと彼女は思った。
「オレと違って優秀でさ、ヒスパニック系のアメリカの家庭に交換留学に行って、スペイン語に興味もったんだってさ。それで将来、翻訳作家になるのーって言って、父さんや母さんが「頑張れよ」って笑ってた」
……謎の単語が出た。ヒスパニックだのアメリカだのスペインだのそういう理解の出来ない単語をこの患者は度々口にする。けれど、狂人相手に何を言ったところで無駄だろう。彼の相手をする看護師がわからない単語を問い返すことはなかった。
青年はニコニコと笑って、「ああ、でも」そんな言葉と共に、少しだけがらんどうのガラスのような盲いた目で笑みをふと止めながら呟いた。
「父さんも、母さんも、オレが殺したんだ……」
―――――……1週間後、うちはシスイは木の葉病院から牢獄の1つへと護送されることに決まった。
それはいつまでも病院においておけるものではないというのもあったのだろう。
シスイは既に誰が見ても正気ではない。その上、身分は未だにS級犯罪者なのだ。処刑したいとは思わない。真相を知った今、その裏を表に公開することは出来なくても、それでも猿飛アスマを始めあの夜の真実を知った面々は、だからこそ余計に処刑なんて目には合わせたくないと思っていた。
それでも既に自衛すら出来ない状態のシスイを守りたければ、病院なんて不特定多数が訪れる場所に置いておくほうがまずいということもわかっていたのだ。知っているものならともかく、この男を知らないものにしてみれば、彼は木の葉の名を汚した犯罪者に相違ないのだから。だから憂さ晴らしに彼に危害を加えるものが出ないとは言えなかった。
そうして決まった移動の日。シスイは意外すぎるほど大人しく連れてこられた。寧ろ、牢獄に繋がれることは本人の望みでもあるかのように、その暗き監獄の匂いにほっとした顔すら見せた。
そのことで胸が痛むのは本人より寧ろ周囲だ。
シスイには奥まった個室が宛がわれた。
病院で受けたカルテによると度々の自傷行為を繰り返した旨が載っていたのもあり、自傷防止としてその腕には木製の手枷をつけられ、脱走癖についても書かれていたことから、牢内を自由に徘徊できる長さに調節された鎖と足枷を右足に嵌められ、目が見えず正気を失った彼は排泄に不自由があるとして、その性器には直接カテーテルが取り付けられた。
尿道へとカテーテルを差し込むことについては痛みもあったはずだが、既に心壊れたシスイが不満を訴えることもなく、寧ろ痛みを感じているのかさえ疑わしい様子であったという。
環境としては病院よりもずっと悪い筈だ。なのに何故か、シスイは自らに与えられたそんな境遇に逆にほっとしたような顔さえ見せた。
それと、病院でもそうだったように、牢獄に移されて尚変わらず、シスイがベットを使おうとすることはなかった。どんなにベットで寝かせても気付けばベットから逃げ出し、床で縮こまるようにして眠っていたという報告は彼らも受けていた。それは牢へと場所を移しても変わらないままだった。やがて、シスイをベットで寝かすことは諦めざるを得なかった。
シスイはまるで幼子のように体を丸め、毛布を抱き締めながら子供のような寝顔を見せながら眠る。そんな姿はかつての青年の姿を知っているものにこそ、大きなダメージを与えた。
シスイはもう誰が話しかけても、誰と話していてもそれが誰なのか理解はしてはいないようだったが、それでも毎日のように尋ねる問いがあった。
「なぁ、オレの処刑日は決まった?」
それにどう答えれば良かったというのか、旧友たちに答える言葉はない。
自らの処刑を望む人間がいるなんて思いたくもなかった。
ここまでくればアスマ以外の面々ももう認めざるを得ない。うちはシスイは『異常者』なのだと。
信じていたかったのだ。もっとこの男はマトモな人間なのだと。そんな奴じゃないと。
其れはただの願望でしかなかったというのか。
まさか此処まで壊れていた人間だなんて、たったあの1度の過ちだけでここまで壊れることが出来る人間だったなんてどうして信じられようか。
親しくしていた身であればあるほど、信頼していたのであればあるほど、目の前のこの姿こそが虚飾を取り払ったシスイの本当の姿であるなど信じ切られるわけがなかった。
痛々しいなんて範疇はとっくに超えている。
前後を無くしたアレはまさに狂人だ。
ただひたすら自分を呪い殺さんと笑いながら貶める姿は狂っているとしか言いようがない。
マトモな人間であればあるほど、受け止めるにはうちはシスイの存在は重すぎた。
もうやめてくれと思わずにいられようか。
どうか、かつての優しく暖かい想い出は綺麗なままであってほしいと願わない人間なんていない。
うちはシスイはもっと強い人間だと思っていた。
いつも笑顔を絶やさないのも、穏やかな態度を殆ど崩さなかったのも、強いからだと思っていたのだ。
本当の意味であの男が愚痴を吐き出すことも、辛いことを辛いと弱音を他人に漏らすこともなかった。それは男が強いからなのだと、だから言わないだけだと皆思っていたのだ。
其れが寧ろ逆だったなどと、弱いからこそ言えなかったのだなどと思いたくもなかった。
かつて親しくしていた、好意を抱いていたからこそ、今のシスイの姿はあまりにも正視し難かった。
だから、これは当然の帰結であったのかもしれない。
猿飛アスマを始め、シスイの記憶を見てしまったかつてシスイと交流を持っていた彼らの足が、次第に彼の元から遠離り始めたのは。
最初は1日置きだったのが、3日置きに、それはやがて1週間置きに、1週間が1ヶ月に、そして……シスイが監獄に移されて3ヶ月が過ぎる頃には旧友であった彼らは誰も尋ねて来なくなった。
―――――……それでも全ての人間が彼の元から離れた、というわけではなかったが。
そして事件は起こる。
中編へ続く。
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・バッドエンド・ザ・ストーリー中編
更新遅れてすみません。ちょっとピクシブでシスイ伝関係の漫画&落書き集をアップしていたら遅れました。→http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=48245916
さて、今回の話は……今回も(?)胸くそ展開注意です。まあ、バッドエンドルートですから、とことん駄目なのは言わずももがなですが、とりあえずシスイ班三人組が出張っていますが、後編では原作キャラの出番も多くなってきますので、お許しいただけたらと思います。
ではどうぞ。
―――――……彼女にその許可が下ったのは、かつての担当上忍だった男……うちはシスイが牢獄へと移送されて3ヶ月が過ぎようとしていた頃だった。
それまでずっと会いたいと願いながら、それでもその希望を叶えられることはなかった。
理由の一つには大蛇丸に取り憑かれたシスイが木の葉へと襲撃をかけた時期が悪かったというのもあるだろう。
なにせ事件が起きたのは、うちはイタチが次代の火影として就任が決まっていた火影の入れ替わりの時期でもあったし、1ヶ月前のペイン長門の襲撃の追悼式を目前にした時期でもあった。
実際問題として里の忍び達は例外なく忙しかったのだ。
暗部であり、火影の直属の部下でもある彼女にも慌ただしく様々な任務が言い渡され、それが落ち着きだしたのはここ1,2週間ほどのことだった。
けれど、面会が叶わなかったのは別にも理由があるのだろうと彼女は見ていた。
それは何故か。
……噂だけは聞いていたのだ。
あのかつての担当上忍は、いつも穏やかに笑って柔らかく自分たちを見守っていたあのうちはシスイは、自殺未遂と自傷行為の果てにある日「狂って」しまったのだと。
実際に今のシスイに会ったという上忍や特別上忍には、会うのはやめておけと、見ないほうがいいと、何度も言われた。今まで自分というかつての男を知っている人間との面会が避けられてきたのは、彼らがそうなるように根回ししていたからだ。そう悟るのは、彼らの台詞や態度だけで充分過ぎたぐらいだった。
その証拠のように、己と同じくシスイに会いたいと面会を希望していたうずまきナルトに関しては、自分以上に強く根回しされ、会うことを阻止されているのだから悟らずにいられようか。けれど、狂ったから会うななど、それこそ酷いではないかと美しく成長した暗部の女は思う。
詳しい話は聞いていないけれど、彼が狂ったというのならば、それは自分たちに原因があったのではないかと彼女は思う。
だって、彼がああなったのは木の葉に連れて帰ってからなのだ。それまでは狂ったなんて話は聞いたことがなかったし、暁に在籍していた期間の彼と直接会って話をしたというナルトの話を聞いても、うちはシスイの人間性が変わったというわけではなさそうだった。
なのに今更狂ったからと見捨てるなんてそれこそ無責任ではないのかと、そう言うと彼らは気まずげに顔をつきあわせてただ首を横に振るばかりだった。
あの夜、シスイの真相を知りたいと、だから彼の過去を覗くといった彼らが見たものが一体なんであったのか彼女は知らない。だけど、シスイを助けたいのだとあれほど真摯に言っていたクセに、そうしてただ首を横に振るだけの彼らを見て、裏切られたような気がしたのも確かだ。
それでも自分は文句を言える立場じゃないことはわかっていた。
実際に彼らは助けようと行動を起こしたのだ。それが結果を出したのかどうかは別として。しかし彼女は己の立場もあったとはいえ、何もしなかったし、出来なかった。何もしていない人間がした人間に文句など一体どうして言えようか。それではただの八つ当たりだ。そんなみっともない真似は出来ない。
それに、今大事なのはそんなことじゃない。
その男の状況について、噂だけで真実を女は知らない。何1つ知らず、蚊帳の外だ。
狂ったとは聞いている。正気でないとも。
それでも彼女はもう1度彼に……うちはシスイに会いたかった。会って直接話をしたかったのだ。
全てを自分の目で耳で確かめたかった。
そうやって面会をもぎ取り、シスイが入れられているという最奥の牢へと向かって足を進め、その目的地も近くなった時、かつて男の教え子だった女は、そこに似付かわしくない声と音に気がついた。
……音がするほうはシスイがいるはずの牢だ。そこから複数の男の声と床に何かをひっくり返す音が耳に届く。一体何をし、何を言っているのか。何故シスイの牢からそんなものが聞こえるのか。彼女は気配を即座に消しながら、様子をうかがうことにした。
本当は今すぐにでも飛び出していきたいくらいだったが、これもシスイに習ったことの1つだ。決して慌てるなと、真っ先にするべきは状況判断であり、どういう状況かわからず飛び出す真似だけはするなと、蛮勇は以ての外であると、その教えを9年近くの歳月彼女は守り続けてきた。
そして気配を殺す女の目と耳に飛び込んできたのは、残酷無慈悲なまでの光景だった。
「はっ、ざまぁねえな。瞬身のシスイもよォ!」
シスイと同じくらいの年頃だろうか? 木の葉の中忍らしき忍びがシスイの右足に取り付けられた足枷から伸びる鎖を掴んで、シスイの体を足一本でつり上げ、優越感も顕わに歪んだ笑みと共にそんな言葉を吐き出していた。
そして足をつり上げられたシスイはそのまま硬い床へと頭をぶつけ、額を赤に染める。更に床には何かの管が散乱していた。
優越感も顕わに蔑みシスイを吊した男に続き、見た目は30歳前後くらいだが下忍らしき忍びが、グイとシスイのクセの強い黒髪を掴み上げ、もう1人の男によって片足をつり上げられている体勢はそのままに、床に転がっている元々はシスイの食事だったらしき残骸へと彼の顔を押しつけながら、下卑た笑い声さえ上げつつこう言った。
「おらァ、這いつくばって喰いな。テメエの食事なんだ、テメエで綺麗にするんだよ」
けれど、それにシスイの反応はない。気絶しているのか意識があるのかどうかは彼女の潜む場所、角度からはわからなかった。けれど、男達はそんなシスイがつまらなかったらしい。面白くなさそうな口調でこんな言葉を言い捨てた。
「チッ、まーた無反応かよ。つまらねェ奴だ。犯罪者のゴミのくせによ」
言いながら、男の1人がその顔面へと唾を吐き、シスイの無抵抗な体を蹴り飛ばす。受け身さえ取ることのないシスイはそのまま、壁へと頭をぶつけた。其の額から更に血が滲む。
しかし今までどれほどの暴行を受けてきたというのだろうか、仄かな灯りから見えるシスイの身体は、額の傷を除いてもそこいら中傷だらけで、顔にしても青あざが絶えない。鼻に至ってはあれは折れているのではないだろうか。
全身を見渡しても、大きな木製の手枷をとりつけられている両手に至っては手首からは擦り切れたのか血が滲み、右腕が不自然な曲がり方をしていた。指も何本かあらぬ方角へと曲がっている。着物の間から覗き見える足の状態も酷い。
一体何故、うちはシスイがこんな目にあっているというのだろうか?
かつての師が陥っている変わり様を前に、女は思わず唖然とした。
そんなかつて慕った男の酷すぎる現状を前に放心する彼女の前に、しかし更に信じがたい台詞が耳へと飛び込んできて、女はこれが現実だということを思い出した。
「口ン中に汚物ぶち込んだら少しは反応するか?」
「おお、そりゃいいな、ははっ」
その言葉に怒りがこみ上げる。
汚物をぶち込んだら? ふざけるな、としか言えない。
どうしてこんなことになったのか、とか男達は何者なのだ、とかの経緯など知らないが、一体人にどれだけの汚辱を与えたら気が済むのか。知らないだけでもしかしたら男達にも言い分や理由はあるのかもしれないが、だからといってこれ以上の狼藉は勘弁なるものか。そんな怒りのままに、彼女は声を上げた。
「貴方達、何をしているの!?」
長い黒髪を鈴のついた赤い髪紐で結い上げた女は暗部服を身に纏ったまま、男達の前へと颯爽と姿を現した。その若きくノ一の怒りと殺気を前に、中忍崩れらしき男と、30近い年齢でありながら未だ下忍らしき男は、「ゲッ」と言葉を漏らし、一瞬まずいことになったと言わんばかりの顔をしたが、相手が暗部とは言え若い女だったからだろう、すぐに開き直るような態度を取り、そしてこう言った。
「これはこれは、火影様直轄の筈の暗部サマが一体こんなゴミ溜めになんの用だ?」
言いながら、人を馬鹿にする下卑た笑みは隠さない。そんな男達相手にギッと彼女は鋭く睨み据えながら、低めた声で淡々と言葉を連ねる。
「質問しているのはこちらです。貴方達はこんなところで、一体何故こんなことをしている? 答え次第では……」
そういってゆらりと変わる気配に気が付いたのだろう、中忍らしき男は「まぁ、ねえちゃんそんな怒らず仲良くやろうぜ」そんな言葉をかけた。
そんな言葉で宥めているつもりなのか。くノ一は吐き捨てるような言葉で「戯言を」そう言って切り捨てる。そんな女に対して下忍らしき男は言った。
「オレたちゃこいつの世話係さ。へへ、どうせこいつは犯罪者の大悪党なんだ。どうなろうと別にいいだろ。どうせこいつは将来的に処刑されるんだ、なんだったら姉ちゃんも……」
楽しもうぜとでも言いたそうな男の言葉を、激しい怒りの言葉が遮る。
「ふざけないで!!」
怒りのあまり目眩すらしそうだった。
それでも毅然とした態度を取り繕い「それ以上戯言を続けるようなら容赦はしない」そう言って、布と殺気を纏う彼女を前に、「まぁまぁ」と声を掛けながら中忍の男は言う。
「いくらあんたが暗部っつってもオレ達を勝手に葬る権利はねぇ筈だぜ?」
それは本当のことだ。無断で他者を裁く権利など確かに彼女にはない。だがしかし、彼女は慌てず淡々とした声でこう答えた。
「その言葉そのまま返させてもらうわ。囚人を
本当のところを言えば、未だ慕う気持ちが消えたわけではない彼女は、シスイを「囚人」と称することに対して抵抗があったし、その事実を認めることは胸の痛みを伴うことでもあったが、けれど布術使いのくノ一はそんなことをおくびにも出さず、冷静冷徹な態度と口調を心がけて一息でそう言い切った。
しかし、それを見て何を思ったのか中忍の男はクツクツと笑い出しそしてこんなことを言った。
「ひょっとしてねえちゃん、アンタも、瞬身のシンパか?」
「……何?」
「あっひゃひゃひゃひゃ! こいつぁ傑作だ! まーだ、うちはシスイを庇うような奇特な奴がいたなんてなぁ! こんなトチ狂ったゴミクソみてェな男をよ!!」
「……!」
そう言って男は再びシスイに向かって蹴りを入れようとした。それが実際に決まる直前に女の操る布が男の足を拘束し、それ以上のシスイへの危害を阻止した。
その拘束が容易に外れるものではないと悟って、中忍の男は一瞬苛立たし気な顔を見せるが、しかしすぐにまた元の態度に戻って、それから横柄な身振りで楽しげに次のような言葉を吐き捨てた。
「聞いたんだぜ、オレは。長年奴を庇い続けてきたあの猿飛アスマもとうとうコイツを見捨てたんだってな! つまりそれだけのことをこいつがやったってことだろ、え? ヒャッハハ、イイザマだ」
「黙れ……」
怒りに震えながら漏らされた女の声に気付いているのかいないのか、男は相変わらずおかしくておかしくて仕方ないといった態度で、憎々しげになのに楽しげに言葉を吐き出していった。
「昔から気にくわなかったんだ! いつもヘラヘラ笑って穢れなんて知りませんみたいなおキレイな態度取りやがってよォ。ふざけんなよ、この偽善者野郎が! 何人の精神をぶっ潰してきやがったと思ってんだ。オレよりよっぽど汚ねえクセして、いつもいつも人に囲まれて、上にも下にも可愛がられ慕われて、何様のつもりだよ、この肥溜めヤローが! そうともオレぁ昔っからこいつのことが大ッ嫌いだったんだよ!!」
「黙りなさい……!」
チャクラを練り込んだ布が舞う。それは槍の形を取って、男の頭上へと掲げられた。それを前に、しかし恐怖などしていないのか、はんっと小馬鹿にしたように言い捨てて男は言う。
「なんだよ、殺すのか。罪人でもなんでもないオレを殺す気かぁ? たいしたアマだな、流石は犯罪者を庇うだけあるな、イカれてやがる」
「黙れ……!」
その次の瞬間男が吐き出した台詞は、長年シスイに対して憧憬とも初恋ともいえる感情を抱き続けてきた彼女にしてみれば、決して赦せるものではない台詞だった。
「ああ、アンタひょっとしてその男と寝たのか? そいつの女だったのか」
その言葉に思わず彼女は固まる。一体この男は何を言い出したのか。そんな風な反応を返す彼女に対して、男は逆に自分が言い出した言説が正しかったのだと思ったのだろう。ゲラゲラ笑いながらそんな下衆な勘ぐりとさえ言える言葉を思いつきのままに並べ立てた。
「ぶひゃひゃひゃひゃ! こいつは笑えるぜ! 超絶エリートの暗部様が同胞殺しの大悪人を庇おうなんざ、その男のちんぽの味はそんなに善かったのかァ? ああ? アタシ他のおちんぽじゃだめなの~てか? そいつは悪かったなぁ、もう2度と使い物にならなくしちまってよぉ! なんなら最後にしゃぶってやったらどうだ? ま、その前に腐り落ちるかもしれねえがな」
そう中忍の男が吐き捨てた次の瞬間、布で出来た槍は男の太ももを貫いた。しかし、絶叫が漏れるより早く布が男の口を、手足を拘束し、地面へと落とした。
「……言ったはずだ。黙れ、と」
絶対零度とはこのことか、そう聞く者に思わせるような低く凍り付かせるような声音で呟かれた彼女の言葉とその対応を前にして、30近い年齢の下忍の男はヒィと情けない声を出しながら、ドサリと腰を落とした。
どうやら彼女が布槍を出したのはただの脅しで、本当に刺すとは思っていなかったらしい。そんな男を前に侮蔑の一瞥をくれると、彼女は額から血を流しながら転がっているシスイの元へと向かう。
下忍の男は、びびった声を出しながら尋ねた。
「こ、殺したのか」
「……死んではいないわ。裁くのはあたしの役目じゃないもの。……このことは火影様にも報告させて貰います。許可無く囚人へ危害を加えたこと、軽い罪にはならないでしょう。覚悟してくださいね?」
そういって殺気の籠もった微笑みを1つ送れば、下忍の男はガクガクと首を上下へと振って返事に変えた。
……それから、あの場で起きたことを洗いざらい報告し、シスイは監獄内にある医療施設へと急遽搬送された。シスイの怪我の治療に当たることとなったのは、彼女と同じくかつてうちはシスイを担当上忍として持っていた医療忍者の青年だ。
光のある場所で改めて見ると、シスイの受けた暴行の酷さがより際立つようだった。
まず、1週間碌に食事を与えられていなかったことがわかった。おかげで衰弱した体の回復が遅い。水分の摂取はかろうじて出来ていたようであるから最悪には至らなかったようだが、それでもほぼ1週間食事を抜いた状態での暴行など、相手が死ぬかもしれないとは思わなかったのだろうか。
……否、きっと死んでも良いと思っていたのだろう。
次に顔に至っては鼻の骨が折れており、歯が何本か欠けているようだった。額も切れてそれなりに深い傷になっているようだし、肋骨も2本折れている。右手も折れているし、左手の小指と人差し指も折られている。ずっと枷を嵌められっぱなしで暴行を受け続けた手首は擦り切れて炎症を起こしているし、あと少し遅ければ壊死していた可能性もあったという。
またシスイは排泄に難があるとして、カテーテルを尿道に直接取り付けられていたため、此度の暴行により無理な動きを強制されたのが原因で性器も炎症を起こしており、尿道内部がズタズタに傷ついていると、そうややふくよかな体型の青年は語った。詳しく調べてみないとわからないが膀胱炎になっている可能性もあるという。
左足首も折られており、右足も青あざだらけで、中にはタバコの火を押しつけて出来たような火傷の痕もいくつもある。足枷が嵌められていた右足首は手首同様に擦り切れて炎症を起こしていたし、足の爪は10本中8枚が剥がされていて、無事な爪にしろ、爪と肉の間に針が通された痕があり、炎症を起こして酷く膿んでいた。
……あまりに酷い、そうくノ一の女は思った
その後、彼女が以前のシスイを担当していたという忍びを捕まえ、話を聞いたところ「金をやるから担当を変わってくれ」と言われて1週間前にシスイの担当を変わったのだというそんな事実が判明した。
何故そんな真似をしたのか、金につられたのかと皮肉って言うと、その忍びは言った。
「自分が疲れたのだ」
と、そう。
なにせシスイは盲目の上に、排泄もまともに出来ない、現状を認識も出来ない、正気もない、食事もこちらが言ったらちゃんと口を開け飲み込みはするが、自分で取ることは出来ないという非常に手間の掛かる囚人だった。
それだけではない、彼を辟易とさせたのは毎日のように繰り返される「なぁ、オレの処刑日は決まった?」という質問。狂人の戯言とはわかっていても、毎日そんなことを言われ続ければ気も滅入る。自分だって人間だ。相手が狂人だとわかっていても何を言われても平気なわけがない。シスイの相手をし続けることは、いい加減ストレスの限界だったのだという。
だから、担当囚人を変えてくれないかという申し出は彼にとっては天恵にも等しかったらしい。彼は喜んでそれを受け入れた。
……しかし、だからといってまさかこんなことになるとは彼も思っていなかったそうだが。酷い暴行を受けたというシスイの現状の報告には罪悪感も感じたらしいが、それでも担当を手放したことについては後悔などしていないと、男はそう言ってその話を締めくくった。
その話を聞いた彼女は、現火影であるうちはイタチへと言った。
「自分をうちはシスイの担当にさせてほしい」
と、そう。
正直、五代目火影となったイタチへの彼女の想いは色々と複雑だ。
かつてシスイの婚約者だった少女でもあったし、里を救った英雄でもあるし、暗部としては大先輩にもあたるし、仕えるべき現火影でもあるし、何よりいくら新火影として色々と忙しかったとはいえ、元婚約者が陥っていた現状を知らなかったなんてちょっとどうかと思ったし、いつも冷静な澄まし顔でいるのも気にくわなかった。
シスイに相手にもされてなかった自分が恋敵を気取る気もないが、それでももっと慌てたらどうなのだ、とあまりにも感情を出さないイタチを相手に苛立ちさえ覚えた。かつてはあんなにシスイには大事にされていたくせに、シスイなどイタチにとっては重要でもなんでもないのか、と。
けれど彼女が今回の件を報告し、そして自らシスイへの担当に付きたいと申し出たとき、意外にもイタチはただ静かな目で彼女を見た後「……わかった」そう言って、シスイの担当に彼女が専念出来るよう手回しをした。
意外……とは思ったけど、そんな風に彼女の想いを汲んでくれた姿を見るかぎり、やっぱり別にシスイに情がないわけではないのだと思うと、少しだけ安心したような、けれどちょっと憎々しいような複雑な想いに捕らわれたが、彼女はそれらを飲み干し良い方向へと考えることにした。
どちらにせよ、シスイの怪我の状態が酷いのもあり、あと2ヶ月ないし1ヶ月半はあの暗い牢獄ではなく医療施設でシスイは過ごすこととなった。その間の医療担当は、かつて彼女と同じくシスイ班であったややぽっちゃりとした体型と濃い金髪……どちらかといえば黄土色か、の髪が印象的な穏やかな青年が専門で見ることに決まっており、旧知の間柄であるがゆえに、彼ならば任せて安心だと彼女は安堵を覚えたものだ。
彼も彼女同様シスイの担当に決まってからは、通常業務はなるべく別の人間に廻るようにと根回しがされているようであり、ほぼシスイへと専念出来るようになっていた。
……ここにあの明るくムードメイカーだったのっぽの青年がいたら、約10年ぶりにシスイ班全員集合なんてことになったのだろうが、あちこちに酷い怪我を負い眠っているシスイを前にするとそんな風にはしゃげそうにもなかった。
どちらにせよ、酷く衰弱しているシスイは未だ深い眠りの中だ。彼女に出来るのは早く良くなるよう祈ることだけだった。
そして、シスイが目覚めたのはこの3日後のことだ。
その報を受け、彼女はシスイのいる部屋へと飛び込むようにして入った。
……シスイとマトモに言葉を最後に交わしたのは9年以上昔のことだった。
言いたいことはあった。聞きたいこともあった。話したいことはそれこそ山のようにあった。だけど、それでもこうして生きている、生きて目の前にいてくれているのだから、それで充分ではないか。目覚めてくれた、帰ってきてくれたのだから、それ以上望むのはきっと罰当たりだ。そうやんちゃだった少女から落ち着きのある大人の女性へと変貌を遂げたくノ一の女は思った。
やりきれない思いはある。けれど、それでもシスイが目覚めてくれたのが嬉しくて、嬉しくて、彼女は弾むような声でその男の名前を呼んだ。
「シスイ先生!」
けれど、呼ばれた方の反応は思わしくはない。いくつもの機械に繋がれ、手足をギブスで固定されている彼は、焦点の合わない目でぼんやりと不思議そうにゆっくりと首を傾げると、小さな声で呟くようにしてそれを言った。
「誰……?」
その言葉にハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
確かに、話には聞いていたのだ。
もうシスイは誰と話していようと誰に話しかけようと、相手が誰なのかは理解していないのだと、狂ってしまったのだと、そう聞いてはいたのだ。だけど、こうして実際に耳にするまでは信じたくはなかったのだ。
「あたしです!」
震える声で思わず衝動的に女は声を上げ、自分の名前を名乗った。
けれど、シスイはやはり不思議そうに首をかしげながら彼女の名前を反復すると、「違うよ。彼女はもっと幼いんだ」そういって「君は誰」またそんな言葉を口にした。
ヘタリと、ショックのあまり腰を落とし掛けた彼女を前に、同じくかつては彼女と同班としてうちはシスイを担当上忍として持っていた、今はシスイの担当医でもあるややふくよかな体型の青年は二度、三度首を横に振った。それに、無駄だと言われたような気がして、女の口がわななく。
「シスイ先生の時間は昔で止まっている」
だから自分たちのことがわからないのだと、彼は語った。
一時は酷いショック状態で、誰とも会話がならないほどに沈んでいた彼女であったが、このままではいけないと次の日にはなんとかある程度持ち直したようだった。
確かに今の現状は酷い。しかし嘆いていても何も始まらないのだと、どんな姿になってもシスイ先生はシスイ先生なんだからと思うことにしたらしい。そんな健気さが同班であった黄土色の髪の青年には痛ましくて、見ていて辛くもあった。
彼女は明るさを取り繕い、笑いながら様々なたわいないないことをシスイに話しかけた。
その内容を理解しているのかは疑わしかったが、シスイもまた無邪気すぎるほどに無邪気な笑みをニコニコと浮かべながら、はしゃぐような声で彼女との会話に興じた。
それを見て……まるで幼い子供のようだ、とそう思う。
確かに昔から子供っぽい一面もあったシスイであったが、自分たちと接するときの大半は大人としての対応が殆どだったというのに、なのに今の彼の表情も言動も幼児返りをしたといっていいほどに幼い。
質問をされたら言葉を返す。笑顔には笑顔で返す。こちらの指示には大半素直に従う。だけど、その内容は理解をしていないのだ。きっと、おそらく今のシスイは己が現在返している言葉の意味すら理解はしていないだろう。自分が何を口走っているのかわかっていないのだ。会話が成立しているように見えるのは表面上のことだけだけに過ぎない。
けれど、だからこそタチが悪い。いつか、もしかしたら治って元通りになってくれるのではないかと、そんな有りもしない希望に縋りたくなる。
その日、彼女はいつものように体中に巻かれた包帯を取り替え、濡れタオルでシスイの体を清める際に「痛かったら痛いって言って下さいね」そう声をかけた。
それはここのところ毎日のように交わされている内容で、いつもならそれにシスイが「大丈夫」とそう答えて終わりになるだけだった。けれど、その日に限って彼女は踏み込んだことを聞いた。
「先生、本当に痛くないの?」
「?」
「……こんなに痛そうなのに。見ているだけで痛いのに」
シスイへの暴行が発覚し、彼女が男達を摘発してからまだ1週間ほどしか経っていない。
彼の体中には暴行を受けたあとがまだまだ色濃く残っており、青あざは薄くなり始めているとはいえ、各部の骨折が未だ治っていないのもそうだが、タバコを押しつけられて作られた火傷の痕などもまだ残っている。流石に指の骨とか剥がれた爪や性器や手首足首の炎症などは優先的な治療を施されたのだが、それでもまだまだ彼の現状は見ているだけでも痛々しいのだ。
これだけの傷だ。体を拭いているだけとはいえ、痛みを感じない筈はない。なのに何故大丈夫といつもそう言うだけで痛みを訴えることはないのだろう。そう思っての彼女の声がまるで自分が怪我を負っているかのような傷ましさだったからだろうか、シスイはポツリとした声でそれを言った。
「痛いなんて言っちゃいけないんだ」
それはまるで幼い子供のような口調で、けれど確信しているように吐かれたその言葉が信じられなくて、彼女は震える声でそれを尋ねた。
「どうして?」
「オレは罪人だから」
おそるおそる問いかけられた声を前に、シスイは無邪気とさえ言える微笑みを浮かべながらそう答えた。
そんなシスイの言葉と態度にショックを受けている彼女を前に、けれど目の見えない彼は気付かなかったのか、相変わらず優しげとさえいえる風情で続けて言った。
「人殺しが痛いとか辛いとか言っちゃいけないんだ」
だって、オレに殺された人達はそれさえ言えなかった筈だろう? そう続けた
それを言われた青年は初めはキョトンと不思議そうな顔を浮かべたが、それからまるで歌でも歌うような口調で、そんな口調に似付かわしくないような言葉を並べ立てていった。
「人をたくさん殺したよ。ミコトさんやフガクさんに、ウルチのおばちゃんやテヤキのおっちゃんも、テッカさんやヤクミさんに、それから他にもたくさん子供から老人まで殺したんだ」
……知っていたのだ。知識としては彼女だってわかっていた筈なのだ。
うちはシスイはうちは一族を滅ぼして里を抜けたのだって。
けれど……シスイは優しい人だった。とそうかつて彼の部下だったくノ一はそう思っている。子供達を愛し、無意味に人を殺めたり傷つけるのを疎うそういう人だったから、だからきっと本当に犯人だったのだとしても何か裏には理由があったのだと思った。いや、もしかしたら彼が犯人だなんて嘘で、誰かを庇っているだけなんじゃないのかと。
それは彼女の都合の良い願望だったのかもしれない。かつて自分が惚れ憧れていた相手を美化しているだけなのかもしれない。それでも、自分の知っている師を女は信じていたかった。
何故なら自分の知るうちはシスイという男は、木の葉を、里を裏切るような人間ではなかったのだから。と。
そしてそれはある意味間違っていないと思っている。
何故ならシスイの過去を見て真相を知ったという猿飛アスマとその仲間達は、三代目によっを口止めされていたのもあり、その内容については漏らさなかったが、やはり理由はあったと、あいつは里を裏切ったわけじゃなかったそれだけは真実本当だったとそう言っていた。
けれど……理由があろうとなかろうと本当はどちらでも関係がなかったのだ。
そのことに遅まきながら漸く女は気付いた。
大事なのは、実際にシスイがうちは一族の人間を老若男女問わず「殺して回った」という事実だけなのだ。
どんなわけがあったのかについては彼女は知らない。けれど、それを決行しただろうシスイの心の傷に関しては、シスイが殺した相手へと抱いていただろう感情については、どうしてか思考の中から弾いていた。そうだ、死んだのは、殺されたのは親のないシスイにとっての大きな意味での家族のような人達であったのに。そう彼が己の思うとおりの「優しい人」なら親しい人間を己の手で殺めて傷つかないわけがなかったのだ。なら、そのこと自体が一種のトラウマになってたとしてもそれは極当たり前のことではないか。
今まで彼女はあまり殺されたといううちは一族のことはあまり考えていなかった。
それも当然かもしれない。彼女がしたしかった「うちは」などシスイだけで、それもうちはだからというよりは、シスイ個人を慕っているそんな感情であり、うちは一族は里の外れに独自の集落を築いて暮らしていたから、巡回のうちは警務部隊の人間ぐらいとしか接点がなかった。つまりは、結局の所うちは一族は女にとってはよく知らない「赤の他人」であり、うちは一族滅亡もシスイのことを除けば結局他人事で、他者の不幸に過ぎなかった。
けれど、シスイにとっては当然違うだろう。
そのことに思い当たる事がどうしてか出来なかった。
きっと、見たくないから、聞きたくないから無意識に考えから外していたのかも知れない。
それが今目前へと突きつけられている。
どうしてこんなことになったのだろう、なんてことは9年前から抱き続けている彼女の想いだ。けれど、答えなんて……未だ出そうにもなかった。
そんな思考へと沈む彼女を置き去りに、彼は「ああ、あとね」とやっぱり幼い口調で無邪気に笑いながら次のような言葉を続けた。
「父さんや母さんも殺した」
「?」
どういうことだろう。何かがおかしいと、その言葉で彼女は思った。
うちはシスイのプロフィールは彼女だって見た。その中の家族構成に関しても読んだ覚えがあった。確か彼の両親は第三次忍界大戦で亡くなったのではなかったのか。死亡記録も残っているが、その中に当時一桁の子供だったシスイが両親を殺めたなんて情報もなかったし、死因も敵の攻撃を受けてのもので、死後何日も経ってから家族であるシスイの元へと「両親」は返ってきたのだ。幼かった彼が両親を殺められる由縁もなかった。
しかし、そんな風に思う彼女の疑問を置き去りに、やはりシスイはまるで謡うような口調でこんな言葉を続ける。
「2人ともありがとうって言ってたのになのにオレが殺したんだ。オレなんかに感謝してオレみたいな孝行息子を持って幸せねって笑ってたのに、なのにオレが送ったチケットが2人を殺したんだ。ありがとうって、照れくさくてオレは言えなかった。だから……なのに……オレが殺したんだよ」
これは一体なんの話をしているのか。彼女にはまるでわからなかった。けれど、彼にとっては重要な話なのだと、なんとなく直感した。だから口を挟むこともなく女は黙っていることにした。
シスイは続ける。
「オレが妹から両親を奪った。だからオレはオレが弱音なんて吐いちゃいけないんだ。人殺しにそんなシカクないんだから。苦しいとか辛いとかは笑って隠さなきゃ。アイツを守るのはオレの義務なんだから。オレは……」
シスイに妹がいたなんてデーターはどこにもない。それに狂ってしまったシスイの現状を思えばこれも狂人の戯言で、彼がいう『両親』や『妹』も架空の……空想の存在と普通の人間は捕らえるだろう。だってあまりに男のプロフィールと言っていることが食い違いすぎている。
(ああ、そっか)
けれど彼女はその持ち前の直感でなんとなくストンと理解をした。
これはきっとただの空想なんかじゃない。これが彼の『根源』だったのだ、と。
シスイはふと、謡うような様子から寂しいような怯えるような表情に変えてかつての部下だったくノ一の女にそれを尋ねた。
「なぁ、妹はオレより6つ歳下だったんだ。アイツは夢を叶えられたのかな。アイツはどこにいるんだろう。アイツはいくつになったんだろう」
思い出すのはいつも穏やかに自分たちを見守るように佇んでいたシスイの姿。
子供が好きで、自分たちの他にもアカデミーで人気者だとそう噂に聞いていた。慈しむように伸ばされた手が頭を撫でるのが好きだった。
あれは……自分達に『妹』を重ねていたのか。
「ずっと目が覚めてから暗いんだ。
気付けばシスイは虚ろな顔をしてそんな言葉を口にしていた。
「どうして、ここはこんなに暗いんだろう……」
失明しているということに気付いていないのだろうか。
否、きっとそれも認識出来ていないのだろう。きっと、説明してももう彼にはわからない。
「オレって誰なんだろう……」
その言葉にズキリと彼女の胸に痛みが走る。
喪失している。自己が何者であったのか、彼は今喪失しているのだ。そのことが寂しく悲しい。
だから、彼女は言った。
「貴方は……うちはシスイです」
言葉が返ってきたことに不思議そうに彼は首を傾げる。そんな青年を前に、けれど彼女はそれをゆっくりと言い聞かせるように言い切った。
「貴方は、木の葉隠れの忍びで、あたしの担当上忍で、火の国のうちはシスイです」
その言葉に何を思ったのか、彼はフワリと笑うとそうして言った。
「うん、君が言うならきっとそうだね」
それから暫く沈黙が続く。
彼女は黙々と思い出したように、シスイの包帯を取り替え、体を清める作業を再開した。
火傷の痕を拭うときピクリと僅かに青年の肩が跳ねる。それを見て彼女は言った。
「痛みますか?」
シスイは笑って答えた。
「オレは、痛くないんだよ」
* * *
あれから1週間が経った。
囚人への虐待容疑として捕らえられた男のうち中忍であったほうの男は、暗部の女に付けられた傷が歩ける程度には回復したのもあり、検査室へと連れてこられていた。
「……それで罪状に間違いはないか?」
そう目の前で腕を組んで問いかける検査官の男に、容疑者である男は、ブスっとした不機嫌そうな顔で言う。
「なんでオレを刺したあの女じゃなくて、オレが責められなきゃいけねェんだ。オレは何も悪くねぇ!」
「しらばっくれる気か?」
ギンと睨み据えながらそう告げてくる検査官の男を前に、男は「オレはゴミをゴミとして扱ってやっただけだ!」そう喚くような声で告げた。
「どうせアイツは同胞殺しの大犯罪者だ、死刑以外ありえねぇだろうが。だからその前に、奴に殺された奴らの恨みをオレが晴らしてやったんだよォ! 文句を言われる筋合いはねえ!」
「それを決めるのはお前ではない」
それから淡々と検査官は男の罪状を並べ立て、1ヶ月の自宅謹慎と、中忍の資格剥奪、並び収容所勤務からの解雇を突きつけてきた。尚、調査が進み余罪が判明すれば忍者資格の永久剥奪も視野に入れるという。
それを最初聞いた男は、驚き、まるで本当は自分が犯人ではなくもう1人の男のほうが主犯であるかのように言い繕い、なんとか処分を取り下げるよう猫なで声で頼み込んできたが、検査官達の態度や決定が変わらないと知ると、今度は一転して開き直った態度で声高にこう叫んだ。
「そうだよ、オレがあの野郎をやってやったんだよォ! ふひゃひゃひゃ、ざまぁみやがれってんだ!」
それからクツクツと心底おかしそうに、昏い愉悦に浸った顔で笑いながら、男は言う。
「最初に爪を剥がしてやった時のあの野郎の顔ったらなかったぜ。必死に痛みを噛み殺したイイ顔でよォ、声を聞かれねえよう押し殺して耐える様は最高に見物だった。それがなんとも滑稽で無力でよォ、ありゃぁクセになりそうだった」
「黙れ」
それがあまりに聞くに堪えない言動だったからだろう。こめかみをひくつかせながら言う検査官に対して、尚も容疑者の男はゲラゲラと下賤な笑い声を上げながら、両脇を別の男達に固められるのも構わず、叫ぶようにして言葉をぶちまけた。
「あのうちはシスイがだぜ? あの女にも見せてやりかったぜ、ゲヒャヒャヒャ!」
その後、うちはイタチはこの事件を切っ掛けとして火影として収容所へと介入、同様の囚人への虐待事件が起きていないのか膿を洗い出し、3日で大幅な粛清改革を行ったという。
* * *
あれから1ヶ月半が経ち、再びシスイは元の牢へと戻されることに決まった。
そのことにかつてシスイの教えた班のリーダーだった暗部の女は複雑そうな顔をしたが、シスイ自身はとくに何も思っていないようだった。寧ろほっとしてさえいるようだった。
既に狂っているといっていいシスイだが感情がないわけではない。
それでも、彼は自分を罪人だと認識しており、寧ろ罪人として扱われないほうが苦痛に感じるらしいと、これまでの付き合いで彼女もまた理解していた。……本当のことをいえば、理解などしたくはなかったが、だからといって今のシスイを拒絶するなんて、そんなこともまた出来なかったため認めるしかなかったのだ。
アスマ達、かつてのシスイの同輩や先輩だった面々は変わってしまった今のシスイを見るのが辛いらしいし、彼女自身辛いので気持ちは分かるのだが、それでもどんなに変わってしまってもシスイはシスイなのだ。別人になってしまったわけではないし、根本的にはそれほど変わっていないのではないかと彼女は思い出し始めていた。
何故なら彼女が本当に辛そうにしている時、目が見えていない筈のシスイは、目の前の人間が誰かさえ理解していないのに、慰めるようにいつもその手を伸ばした。泣くなといわんばかりに伸ばされる手は昔とまるで同じではないか。
彼女が疲れた時、苦しくて仕方ないとき、けれどそんなことを理解出来ていない筈のシスイはいつもそっと手を握って、まるで子守歌のような唄を歌って彼女を慰めた。
異国の言葉で、知らないリズムで流れるその歌が一体なんの歌だったのかは知らない。聞いたことのない歌だった。だけど、それが暖かくて、そんな在り方がいつかの昔とどこまでも同じで、知らず涙が溢れたものだ。
彼は変わっていなかった。
それがどこまでも嬉しくて、同時に悲しくて、辛くて、同じだと思い知らされる度、違うと思い知らされる度心苦しかった。
いつか、元通りになってくれるのではないかと、期待する度に、心が削られていくようだった。
だけど、それでも出来る限り笑っていようと彼女は思った。
自分に出来るのはそれくらいだとそう思った。
やがて、牢へ移送を前にしてシスイの両腕に再び木製の枷が嵌められる。それを抵抗もせずシスイは受け入れ、彼女は目が見えていない上に、牢獄生活と骨折のための入院生活によってすっかり足が萎えてしまったシスイを車椅子に乗せて出来るだけ遠回りしながら、医療施設から監獄への道を歩いて行った。
「ほら、先生。風が出てきたよ。久しぶりの外だけど、気分はどう?」
シスイは不思議そうに首を傾げると、それからクンと鼻をひくつかせて、静かな声で言った。
「……水仙の香りがする」
「ひょっとしてそこに咲いている花のことかな。あ、触る?」
彼女自身は花はそれほど好きというわけではなかったため、花の名前などは知らないが、確かシスイは割と花が好きだったような気がする。自分は専門外なのでよくわからないが、ぽっちゃりした体型の同班の少年あたりとよく薬草や毒草の話に続いて花の話も口にしていたような記憶があった。
そのためそう尋ねたわけだが、その彼女の提案を前にフルフルと左右に首を振ってそれからシスイは言った。
「駄目だよ。オレが触ったら汚れるから」
そうしてシスイは無垢に笑った。
* * *
男は苛立っていた。
自分は何も間違っていない、社会の屑に制裁を与えただけだというのに、1ヶ月の謹慎処分の上、職場からの解雇に続き忍びとしての資格まで剥奪されてしまったからだ。
確かに彼はあまり忍びとして優秀なほうではなかったし、寧ろ中忍になれたのが奇跡みたいな男だったわけだが、それでもあまりに腹立たしい。今までずっと忍びとして生きてきたのだ、今更他の生き方など出来るか、という思いもあった。
「クソ、あのアマぶっ殺してやる」
こんなことになったのも、あの時の暗部の女が悪いんだ、と男は思う。
あの女さえいなければ自分はこんな目に合うことがなかった。自分が悪いんじゃない。悪いのはあの女だ。
そんなことを思い歩く男の目の前に、1人の女が道を行き交うのが見えた。
黒髪を赤い結い紐で纏めている、釣り目がちなサーモンピンクの瞳の20歳過ぎほどの若い女だ。暗部服ではなく私服姿で、なにやら疲れているような顔をしてふらついているようだが、間違いなくあの時の女だ。
それを見て天はオレに味方したか、と男は思いニタリと下賤に笑った。
ただ殺すだけじゃつまらねえ、非道の限りを尽くして犯して嬲って絶望の限りを与えて殺してやる。そう思い、懐に手を男がやったとき、第三者の声と一本の長い針が男の動きを止めた。
「そこまでだ」
現れたのは、ややふくよかな体型に黄土色の髪の優しげな風貌をした20歳そこそこの青年だったが、優しげな風貌と裏腹にその目とその声は鋭く、張り詰めた氷のような殺気を纏いながら、現れた青年は言う。
「動かないほうがいい。動いたときには命の保障は出来ない」
見れば、男の手には細長い針が……あれは確か医療忍者がよくツボ治療に使うといわれている千本という代物だったはずだ、が3本ほど握られている。そしてそのうち1本は男の胸の中心のあたりにささっている。しかし、痛みはない。これは一体どういうことだ。
淡々とした声で青年は言う。
「彼女に指一本でも触れてみろ。ボクがお前を殺すよ」
軽く言っているようにさえ聞こえるが、その目は本物だ。本当に殺すと語っていた。
しかし年下にただやり込められるのは気に入らなかったのか、それともただの強がりか震える声で男は言う。
「へ……で、出来るわけねぇだろ。びびらせんな。任務でもなんでもないのにオレみてェな一般人を殺したとバレちゃぁ、テメエの人生終わりなんだぜ?」
「生憎、死体の隠蔽工作は割と得意なんだ。医療忍者だからね。天涯孤独の君1人葬るのはわけないさ」
それに続いて、青年は男の名前を男にだけ聞こえるような声音で付け足した。それにみるみる男の顔が青ざめる。それに皮肉った笑いを浮かべながら青年は言う。
「情報収集は忍びの基本だろう?」
「ふざけんな、この野郎! 言ってやる。テメエがオレが刺して脅したって言ってやるぞ!」
「別にかまわないよ。勝手にすれば? ああ、それに……」
そこでゆっくりと言葉を切って、にっこり笑い青年は言った。
「世間はボクとならず者の君、どちらを信じるだろうね?」
……結局男は逃げて帰った。
あれだけ脅しておけば大丈夫だろうと思いつつ、青年はため息を1つ吐く。
彼女の後始末をするのはいつも自分の役目だがそのことを苦に思ったことは1度もないし、寧ろ好きこのんでやっているのだから別にそのことに対して何か思ったわけではない。
ただ、彼が慮っているのは今の彼女の状態だ。
いつもの彼女なら、あの程度の男これくらいの距離が空いていてもその殺気には気付いただろうに、気付いていなかった。それに疲労も濃く、明らかにここ2ヶ月ほどで窶れた。多分体重も落ちたのではないだろうか。
……何故そうなったのかの理由は分かっている。だけど、出来れば無茶をしないでほしいとそう願って青年はもう1度ため息をついてからその場を後にした。
* * *
男に食事を取らせること、それもまた囚人うちはシスイの担当となった彼女の役目の1つだった。
「はい、熱いから気をつけて」
そう声をかけてからスプーンで掬ったスープを口元へと運ぶ。シスイはこちらの指示に従い素直に口を開いた。手枷は基本週に2度の入浴の時以外は外されることはないため、自力では食事を取れないのはわかっているからなのだろう。
……最も、目が見えず既に正常とは呼べないシスイが手枷がなかったとしてもまともに食事を取ったかどうかは怪しいのだが。実際木の葉病院にいて、まだ正気があった時代は食事に殆ど手を付けなかったと聞いていた。
そうして食事を終えた頃にポツリとシスイは言った。
「悪ぃな、いつも。アンタも他に仕事あるだろうに」
「あたしはこれが仕事だから」
そうやって笑って答えるこのやりとりは何度繰り返しただろうか、とボンヤリとする頭で彼女は考える。そんな彼女に、いつも通りの日課とも言える台詞を男は口にした。
「なぁ、オレの処刑日は決まった?」
「……ッ」
もうこの台詞を何度聞いたのかわからない。毎日のように、1日に1度はシスイはこの台詞を口にした。
それでも尚、何度言われても彼女がこの台詞に慣れることもなかった。こんなに死んで欲しくないのに、いつか元に戻ってほしいと願っているのに、処刑日はいつかなんて、そんな質問酷い。
彼の罪状を思えば確かに処刑されておかしくはないんだろうけど、そんなこと考えたくもないのに。
けれど、何も言われないことからまだであることは悟ったのか、シスイはボンヤリとした口調で次のように呟いた。
「そっかぁ。まだなのか。早くすればいいのにな。そしたらアンタもこれ以上オレに携わらずに済むのに。オレみたいな大悪人は惨たらしく殺されりゃ良いんだ。そうしたら気が晴れる奴も多いだろ」
そんなこと言わないで、とひび割れそうな心を抱えながら彼女は思う。けれど、自身を悪人を定義しているシスイに自分の言葉が届くことがないことも散々思い知らされてきたから、否定しても無意味なのだとわかってはいるのだ。
それでもその言葉を聞くだけで胸が張り裂けそうだった。
「早く殺されますように」
そんな言葉を笑って、口にしないで、そう言うことは出来なかった。
* * *
「……あまり眠れていないんじゃない?」
1週間ぶりに顔を合わせた昔馴染みの言葉に、彼女はそう? と口にしながら目元にぺたりと指をやった。そんな彼女に苦笑しながら、ややぽっちゃりした体型に黄土色の髪の、優しげな風貌の青年は「あまり根を詰めちゃいけないよ」そう口にして何かの丸薬を手渡した。
「睡眠薬。リラックス効果のある香草も混ぜてあるから良かったら使って」
「ごめんね、いつもありがとね」
そう言って無理して笑う彼女が痛ましくて青年は僅かにそっと瞳を伏せ、それからポツリとした声で彼は言った。
「体の傷は治せても、心の傷は治せないから……力になれなくて、ごめん……」
そういって黄土色の髪の青年は頭を下げた。それが誰のことを言っているのかは当然わかっているのだろう、黒髪を赤い結い紐で結い上げたサーモンピンクの瞳の彼女は、「ううん、そんな事ない。いつも助けられてるよ、ありがとう」そういって感謝するようにこちらも深く頭を下げて、笑って去っていった。
その後ろ姿を心苦しく青年は見つめる。
そんな青年の前に、「よぉ」と軽い声をかけてひょろりと背の高い青年がやってきた。
「やっぱ、状況悪いんだな」
そうやって苦笑するのは、黄土色の髪の青年や彼女と同じくしてかつてシスイ班の仲間の1人だった黒髪の青年だ。そんないつも通りの態度にふっと笑って、ぽっちゃりとした体型の青年は言った。
「なんだ、来てたんだ。久しぶりなんだし、来てたんなら彼女と会ってあげたら良かったのに」
そう口にすると、おどけた態度でのっぽの青年は言った。
「オレ、空気読めないしお調子者だからなー。今側にいたら傷つけちゃうだろ?」
「本当に空気の読めないお調子者はそんな風におどけて慰めようとしたりしないよ」
そう微笑みながら黄土色の髪の青年が指摘すると、黒髪をしっぽのように1つにつめた青年はボリボリと頭をかいて、それから「まあ、お邪魔虫かなーと思ったりもしたり、な」といってチラリとふくよかな体型の青年へと視線を寄越した。その意味に気付いて思わず彼は苦笑する。
「未だ初恋もまだなオレがいうのはなんだけどさー、好きって難しいね」
「……そうだね」
そう、ポツリと呟いた。
……彼女がうちはシスイに憧憬とも初恋とも取れる感情を抱いていたことくらい昔から知っていた。
そもそも彼女は昔からわかりやすいほど感情が素直で、いつも真っ直ぐで、シスイ先生本人にも何度も「好き」とわかりやすくアピールしていたのだ、寧ろこれでわからない筈がない。
けれど、そんな彼女の真っ直ぐさが彼は好きだった。
明るく素直で、一途で一生懸命な彼女のことが可愛いなと、支えたいなと思っていたのだ。たとえ今は同班の仲間の1人としか思われていなくても、異性だとすら見られていなくても、いつかちゃんと告白してちょっとずつ自分の本気を伝えられたらとそう思っていた。
どうせシスイ先生には婚約者がいたし、先生は明らかに彼女をそういう対象には見ていないのだから、だからたとえ彼女の想いが自分たちの担当上忍に向いていようと別に構わないと思っていたのだ。
今は駄目でも、いつかは……そんな希望があったから。
それが一転したのは9年……いや、そろそろ10年か。前のシスイのうちは一族皆殺し事件が起こったとき。一族を殺したシスイが木の葉を抜けた時、彼女は一時は見ていられないくらいの落ち込みようで、自殺するのではないかと思えるほどそれは酷かったのだ。
持ち前の明るさと自分たちの励ましによってそれはなんとか持ち越したのだけど、現在のシスイへの接し方を見てもわかるが、未だに彼女がうちはシスイに対して未練があるのは明白だ。
勿論己とてシスイのことは心配しているし、恋敵とわかっていてもそれでも好きだった。慕っていたといえる。人懐っこい笑みと暖かいあの手に撫でられると、幼い頃に死んだ年の離れた兄を思い出したものだ。
でもだからこそなのだ、彼女がどれだけシスイを慕っているかを知っているからこそ、あんな形で別れたからこそ、彼は彼女に「好き」だとその一言が言えなくなってしまった。
好きだからこそ、彼女の弱みにつけ込むような真似だけはしたくなかったのだ。
そうして好きともいえず10年が過ぎた。きっと彼女はまだ己が彼女を好きだということは知らないだろう。
弱音は吐くつもりはなかった。いつまでもその傷が癒えるまで待つつもりはあった。だけど、今のこの現状は……。
「シスイ先生のことなんだけど」
だけど、こうしてそれを口にしようと思ったのは、此処にいるのが唯一そんな自分の心のうちを知っている仲間であり戦友であり、親友である存在だったからなのか。それとも彼もまたシスイを慕った人間の1人だったからなのか。
わからないけれど、グチャグチャの感情のまま、ポツリと黄土色の髪の青年はその言葉を口にした。
「今思うと残酷な人だったんだなって思う。シスイ先生の事はボクも今も好きだけど、それでも少し……いや、すごく憎いんだ」
そう……確かに敬愛していた。兄のようにさえ思い慕っていた。それもまた真実だ。
だけど、彼女を苦しめ続けるあの存在がどうしようもなく憎かった。
好きなのに憎い、憎いけど嫌いになれない。そんな感情を持て余す青年に向かって、黒髪の彼は言った。
「いいんじゃないの。好きと憎しみは紙一重だよ」
―――――そうしてうちはシスイが木の葉に帰ってきてから5ヶ月の月日が流れた。
後編へ続く。
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『うちはシスイ憑依伝』IFルート・バッドエンド・ザ・ストーリー後編
おまたせしました、バッドエンドルート後編です。今回も地味に加筆修正していますが、地味すぎて気付かれないような気もします。
とりあえず、次回は何故かアンケートでの人気が異常に高い「穢土転生ルート」のダイジェスト版でもお試しにあげてみようかなあと思います。希望者がやたら多いようなので。
が、まともに書いたらR18指定な上に本編よりなげえ(※少なく見積もっても完結に10話以上かかる。場合によっては20話)出来になるのが確実な話であるため、まともに連載することはご容赦下さい。プロットだけならともかく、そんな長いの書いてられないよ! そもそも穢土転生ルートじゃ主人公である筈のしーたんは倒されるべき敵キャラとして活躍する上に、何故か本編では出番ねえシノとかガイ先生が活躍しちゃったり、鷹のメンバーがしゃしゃり出てきたり、原作主役のナルトが思いっきり主人公張ってたりどういうことだよこれな展開だしな! あれ? でも原作の主役が主人公きっちりやってて、憑依オリ主がメイン敵って一周回って王道なんじゃ? まあ、細かいことは気にするなというわけで。
とにかく、バッドエンドルート後編どうぞ。
―――――……子守歌が聞こえる。
知らない旋律で、知らない言語で、知らない響きで朗々と男の声が同じ歌を繰り返し口ずさむ。
それは穏やかで優しげで、いつかの光景を想起してしまうようなそんな声。
それに思わず足を止める少年を前に、案内しているくノ一は寂しそうな苦しそうなそんな顔を浮かべて言った。
「……いつもそうなの。いつもこの時間になると、シスイ先生はこの歌を唄うの」
けれど、なんの歌かは誰も知らないのだと、女は呟いた。
子守歌だと思うのも、なんとなく歌の感じからしてそうなのではないかと、そう思うだけなのだと。その言葉に少年もまたコクリと1つ頷く。
まるで誰かに語り聞かせるようなそれは一体誰のための子守歌であったのか。
……この歌を、以前にも1度だけ少年は聴いたことがあった。
シスイの入れられた牢が近づくにつれて、歌声は鮮明になっていく。決して大きな声で歌っているわけではないのに、それは不思議と耳によく通る。
そうしてたどり着いた先で、何ヶ月ぶりにその顔を見たのだろう。
その男は変わり果てた姿をして、けれどこれだけは変わらない優しげで穏やかな顔付きで目を瞑って……何かの楽器を奏でるときのように指でリズムを取りながら其の歌を唄っていた。
けれど、自分の牢の前に誰かが来た気配に気付いたのだろう。牢の入り口に彼女と少年が近づくとピタリと唄うのを止めて、男はゆっくりと目を開き、彼らを振り返った。
その黒い眼は焦点があっておらずボンヤリと虚空を眺めるだけで、それで嗚呼盲目になってしまったというのは本当なのだと、イヤでも印象づけるものだった。
「誰……?」
「……ッ」
シスイはどこかユッタリとした声で誰何を問う。
その姿を前にして覚悟を決めていた筈の少年は思わず言葉に詰まる。此処で名を返しても、もう彼にはわからないのだと、たとえその時は理解したような言葉を返しても数秒後には忘れてしまうのだと、此処に案内される前説明を受けていた。
だけど……虚ろな目さえ覗けばその穏やかな表情は以前と同じで、そのことに胸が詰まった。同じな筈がないのに。
「…………シスイのにいちゃん」
震える声で、少年の……うずまきナルトの口から青年の名が漏れる。
それを、呼ばれた青年は不思議そうに首を傾げて聞いている。
そんな様を見て、思わずボロリとナルトの目から涙が伝った。
男の変化が、酷く悔しく悲しかった。
……決して以前と同じなどではない。
わかっていた。何度も聞いていた。狂ってしまったと、だから皆周囲は己が彼に会うことを止めていたのだ。
なんでだと何度も口にした。狂っちまったなんて会うまでオレは信じねェと何度も口にした。そんな己を見て、担当上忍だったはたけカカシや、今のシスイの状況に詳しいものの1人である猿飛アスマは痛ましげな顔をして、それでも会うなと何度も引き留めた。
会わないほうがいいと、それがお前のためだと何度も何度も。
それでもナルトは信じたくなかったのだ。
……あの時の温もりを覚えている。
年端も行かぬ子供の頃、訳も分からず自分は周囲に忌み嫌われていて、大人達は何度も影でこそこそと「死ねばいい」とそんな風な言葉を吐いて、己の子に「あの子と遊ぶな」そんな風に吹き込んで、なんで嫌われているのかわらない侭に自分は孤独で、苦しくて、辛くて仕方がなかった。
憎悪だってした。
自分をそんな風に扱う周囲がただ憎くて、苦しくて、どうして己がこんな目に合わなければいけない、自分が一体何をした、とそう思った。
確かに三代目のように己に優しくするものがいなかったわけではない。全ての人間が己を嫌っていたというわけでもなかったのだろう。だけどその目にはいつも憐憫があって、そんな目で見られることだって辛かったのだ。
どうして嫌われなければいけないのか、知らなかったから。どうしてそんな目で哀れまれなければならないのか、わからなかったから。
後にそれは自分が九尾の人柱力で、かつて里に甚大な被害をもたらした九尾の狐を封じられているから嫌われていたのだと判明したけれど、それでも子供の頃の自分にとってこの里はとても居心地の良い場所とは言えなかったのだ。
周りの子供達には親がいて、友達がいて、暖かい家があるのに、なのに自分には何もない、誰もいない。
家族なんて存在は知らない。どんなものなんだろうと、夢想はしてもそれだけだ。その暖かさを知らなかった。
彼に出会ったのはそんな頃だ。
公園で1人ブランコに乗っている自分の前にその男は嫌悪の視線を向けるでもなく、憐憫の視線を向けるでもなくただ現れた。そして、接したこっちのほうが驚くほどあっけらかんとした態度で話しかけ、まるで普通の子供に対するように己の頭を撫で、「飯、喰いにこねえ?」なんて軽い言葉と共に家へと誘った。
なんの恐れも、戸惑いもなく。
それがどんなに嬉しかったのかきっと男はわかっていなかったのだろう。喜ぶ自分に戸惑いながらでも仕方なさそうに優しい顔をして微笑った。それが凄く印象的で、嬉しくて、まるで普通の子供を相手にするみたいに叱ったり、世話を焼いてきたり……そう、まるで本当の『家族』みたいだった。
その日、そのままナルトは彼の……うちはシスイの家に泊まった。
その日にうちはイタチと知り合ったり、あのうちはサスケがイタチを追いかけてやってきて、サスケと殴り合いつかみ合いの喧嘩して、2人で風呂に入ることになって、そこでも一悶着があって、そうして風呂から上がったら疲れて眠くなって気付けば布団の上で眠っていた。
確か、最後に残っていた記憶によると布団の上じゃなかった筈だから、きっと誰かが移動させてくれたんだと寝ぼけ頭ながら考えた。
あの唄を聞いたのはそんな時だった。
知らない旋律と聞き覚えのない言語で、優しげで穏やかな男の歌声が耳に届いた。
『?』
寝ぼけ頭を抱えながらうっすらと目を見開くナルトに対し、少年の目が覚めたことに気付いたのか、青年は唄を歌うことを止めると、ナルトの上にブランケットをかけ直しながら苦笑しつつ穏やかな声で言う。
『なんだ、目覚めたのか』
数瞬、それが誰だったか思い出せずボーとする少年だったが、やがて彼の家に食事を誘われ来ていたのだということを思い出し、確認するように『シスイのにいちゃん……?』そう口にする。そんなナルトの頭を優しげな大きな手がクシャリと撫でると『まだ、時間はある。寝てろ』そう言ってポンポンと安心させるようにリズムを取ってナルトの体を優しく叩いた。
其れがあまりに心地よくて、まるで母親の羊水の中を漂う胎児のようにぐっすりと眠りに落ちた。
それはあまりに幸せな気持ちで。
そして起きると、知らない部屋に1人で、もしかして昨日のことは夢だったんじゃないかと不安になった。
……独りは嫌だ。ずっと、嫌だったから。
けど、そんな暗い気持ちに落ちそうになる寸前でガラリと障子が開けられ、明るい男の声がかけられる。
『お、なんだ。起きてたのか。てっきりまだ寝てるかと思ってた』
それは昨日と変わらないうちはシスイの姿で、もしかして昨日の出来事は夢だったのかも知れないと半分思っていた少年はそのあまりに変わらない姿に吃驚した。そんなナルトに向かって、青年はニィと笑って言った。
『おはよう』
それに何を言われたのか一瞬わからず、ポカンとする少年に近づいて、シスイはペチリとナルトの額を軽く叩いて、『おーい、いつまで寝ぼけてんだ。人が挨拶してんだから、挨拶しんさい。挨拶は人間関係の基本なんだからな。で、おはようは?』なんてことを言った。
それに一瞬遅れて我に返ると、ナルトは上擦った声で『お、おはようってばよ、シスイのにいちゃん』そう返すと、彼は満足そうに微笑して『ん、よし。そこの廊下出て角曲がったところに洗面台があるからとりあえず顔洗ってこい。その間に朝飯の用意はしとくから。ほら、タオル。ちゃんと手も洗えよ』そんなことを言って、左手にもっていた真っ白なタオルを少年に手渡した。
そうして2人で揃って食卓についた。
朝食は炊きたての白米に味噌汁、白菜の浅漬けに小松菜の胡麻和えとだし巻き卵だった。
それは、幼くして1人暮らしを余儀なくされているナルトにとって無縁といっていいほどに極家庭的なメニューで、作りたてのそれは美味しくて、美味い美味いとあまりにナルトが連呼したからだろうか、仕方なさそうなそれでも優しく慈しむような視線を向けて、自分の分のだし巻き卵を切り分け、ナルトの皿にそれを乗せるとシスイは悪戯そうに笑った。
その間たわいもない会話を繰り広げた。
大抵喋るのはナルトばかりで、シスイはずっとそれを相づちを返しながらただ聞いていただけだけど、自分の話を真剣に聞いてくれるのが嬉しかった。
そうして、昨日洗濯した着替えを手渡して、ナルトがそれに着替えると、シスイもまた洗濯や掃除、洗い物などをすませて着替えて共に玄関へと向かった。
ナルトが『手を繋いでもいいか』と聞いたら、シスイは少しだけ驚いたあと『別にいいけど』と答えた。そうしてうちはの集落を出るまでずっと、手は繋ぎっぱなしだった。1度ナルトの家にまで帰りアカデミーに必要なものを持つと、アカデミーまでの道のりを共に歩いた。
『じゃ、ここからはオレはもういいな』
その言葉に一瞬、捨てられた気分になってつい暗い顔をしてしまったナルトに気付いたのだろう。シスイは少年を手招きすると、ぐしゃりと頭を撫でて、それから苦笑しながら言った。
『ったく。今生の別れじゃあるまいし、んな暗い顔するなよ。男だろ?』
『だってよ……』
『いってらっしゃい』
その言葉に思わず顔を上げた。それは他人が言うのはよく聞く台詞であっても、自分には今までかけられたことのない台詞で。そうやって驚いた顔をするナルトを見て、笑いながらシスイはもう1度頭を撫でて言った。
『いってらっしゃい』
『い、行ってきますってばよ』
そうして、笑って手を振りながら別れた。
結局の所、シスイの元で過ごしたのはその日だけで、結局それはシスイ自身が始めに言ってたように1度限りの縁だったけど、それでもナルトは思ったのだ。
―――――……嗚呼、家族ってば、こんな感じなのかな。
ずっと夢想していた。家族ってどんなんなんだろう。暖かいのかな、心地良いのかな。家族なら、オレを愛してくれたのだろうか、と。
彼は暖かかった。その手も、言葉も。ただ当たり前の愛情をくれた。望んでいたものをくれた。
たった1日だけの縁だったけど、それでも父で母で兄のようだと思ったのだ。
だから、彼がうちは一族を滅ぼし、里を抜けたとそうアカデミーで聞いた時も信じなかった。あんな暖かかった人が、家族のいない自分に1日限りとはいえ家族の温もりをくれた人が犯罪者など信じられるものじゃなかった。
でも現に彼をそれ以来里で見ることはなくなってしまった。
だから今から3,4年前自分の前にあの人が現れた時は本当に驚いた。夢なんじゃないかと思った。
シスイがいなくなってあれから自分はまた独りに戻った。だけどそんな自分もシスイ以外にも己を見てくれる人の数は少しずつ増えていき、今ではナルトは独りではない。
だって、イルカ先生がいる。カカシ先生もいる。一楽のおっちゃんや、サクラちゃん、サスケにシカマル、我愛羅……他にもゲジマユやネジ、たくさんの仲間がいる。もうナルトは1人ではない。
それでも、最初に孤独ではないことを、人の温かみを教えてくれたのはシスイだったから、ナルトにとってはやはり別の意味で彼は特別だったのだ。
彼が一族を殺し里を出たという真相を知りたかった。変わっていないと信じたかった。現に数年ぶりに接触した彼は変わっていないと思った。変わっていないと思っていたのだ。
その穏やかな雰囲気も、やや場違いなほどにあっけらかんと軽い口調も、優しげな瞳も。自分を「良い奴じゃない」と言いながら、世話を焼くような台詞を吐くようなところも、まるで昔のままだったから。だから、尚更にワケを知りたいと、里に連れ帰りたいと、そう思っていたのに……。
―――――なのに、その結果が、これだなどと。
痩けた頬、少し伸びた艶のない黒髪、口元に浮いた無精ヒゲに、やせ衰えた手足。腕には大きな手枷が嵌められ、右足にはジャラリと鎖が伸びて牢獄の柱の1つに繋がれている。ベットで眠ることがないからだろうか、毛布は床に落ち、着物の隙間からはカテーテルが伸びていた。
穏やかな優しげな表情はまるで昔と変わっていないのに、黒い瞳は焦点が合わず、虚ろに空を彷徨っている。着物の隙間から覗く胸板の薄さと白さが、かつてからの衰えを思わせ、病人を連想させた。
適度に筋肉が付き、健康的で血色が良かったかつての面影はそこにはない。
かつての彼を知っているからこそ、こんなシスイの姿はあまりに痛々しすぎて見ているだけで辛すぎる。
返したいと、そう思っていたのに。
かつて自分が彼に救われたのと同じ分だけ、今度こそ自分が返す番だと思っていたのに。けれどもう正気がないという彼に、それを突きつけられて一体どうすればいいのだろう。
悲しいのか苦しいのかすらわからない。ただ、ボロボロと理由が付かない涙が頬を伝うだけだ。
そんな中、男のどこかボンヤリとした声がかかった。
「泣いて、いるのか」
その声にはっとナルトは顔を上げる。
見れば、シスイはボンヤリとした顔のまま、それでもどこか心配気な顔をしてこちらを見ていた。やがて、ゆっくりとシスイは枷の掛けられた両腕を手を伸ばそうとするように上へと上げ、痩せこけた顔でそれでも確かに笑みを模って言った。
「ほら、おいで」
それはかつてまだ時間があるからと夜中に起きたナルトを寝かしつけたときの声とよく似ていて。牢を開け、少年はシスイの元へと向かう。ついてきていた男の世話係である暗部の女はそれを止めなかった。
手を伸ばせば届くほど近くにうちはシスイがいる。身近で見れば見るほど、かつてとすっかり様を変えていて、なのに変わらない微笑みが見ていて悲しかった。
青年は枷で自由にならない腕のまま、それでも抱き締めたいのか頭を撫でたいのか、カチャカチャと音を立てながら、それでも精一杯に腕を伸ばす。ナルトはそんな青年に縋るように衝動のままに彼の胸板のあたりに頭を押しつけ、泣いた。
「甘えん坊だなぁ。ほら、泣くなって」
そんな少年に対して、シスイは慈しみに満ちた声でそう言い、自由にならない腕のままナルトの頭を撫で、そして……口にした言葉に少年は凍り付いた。
「大丈夫だよ。お前のことはオレが守るから。なぁ…………」
そうして囁くような声で最後に青年が口にした名前は、今までナルトが1度も聞いたことのない女の名前だった。けれど、そんな少年の硬直に気付いた様子もなく、シスイは自由にならない腕の中にナルトを抱き締めると、その聞き知らない名前の女と勘違いしているのか、それまでと変わらない穏やかで優しげな声で続けて言う。
「どうせオレには夢なんてないけど、お前は違うんだから、だから、お前は夢を諦めたりとかはするなよ。もう父さんも母さんもいないけど、オレが不自由はさせないから。金の心配だってしなくていいから。オレに出来ることならなんでもやってやるから。だからお前は自分の夢を叶えてくれ」
あやすように背をポンポンと優しく叩きながら言われる、これは一体誰に向けて言った言葉だったのか。目の前にいるのはシスイが今口にした名前の女ではない、ナルトだ。けれどそれにやはり最後まで気付かず、シスイはナルトを『誰か』と勘違いしたまま、微睡むような声で告げた。
「兄ちゃんが守ってやるから……」
(なんでだよ、シスイのにいちゃん)
どうしてこうなのだろう。
既に壊れているのに。
もう誰が誰なのか認識すら出来ず、少年の体を抱き締めながらそれでもそれを見知らぬ名前の女と勘違いしていまうほどに、壊れてしまったというのに、どうして自分のことではなく、人のことばかり言うのだろう。
彼の中で『自分』はどこにいってしまったのだろう。
誰を守ろうとしていたというのだろう。
ナルトには何もわからない。
わからないけれど、それでも悲しくて、辛くて、苦しくて、少年は嗚咽の声を漏らしながら噎び泣いた。
健康的だったかつてと違うやせ細った手が、手枷をかけられたままそんなナルトを慰めるように背を撫でるのがまた酷く感情を揺さぶった。
「ねえちゃん、今日は色々ありがとな」
面会時間も終了を告げ、施設の出口へと案内された少年は、今まで自分に付き添ってくれた20歳過ぎほどの暗部の女性を振り返って笑ってそう言った。
「いえ。……そのお辛かったでしょう? あたしは慣れたけど、ナルトさんは初めてだったわけですし……」
そういって口ごもり気まずげに視線を下に向ける彼女に向かって、ナルトはニィッと笑い、手を上下にパタパタ振りながら言う。
「なーに言ってるんだってばよ。ねえちゃんのほうがずっと辛いだろ。それに、確かにショックじゃなかったとは言わねェけど、オレってば諦めたつもりはないぜ」
「え?」
「シスイのにいちゃんがずーっとこのままなんて決まってねェだろ。きっと、世界のどこかには壊れた心を治す薬とかもあるって。だからさ、ねえちゃんも諦めんなよ」
そういって少年は太陽のように笑った。それに、始めサーモンピンクの瞳の女は一瞬だけ戸惑いの表情を浮かべるが、やがて微笑みをその顔に浮かべて「……そうですね、諦めるのは早いですよね」そういって笑った。
「おう。前例がねェってんなら、オレが前例を作ってやるってばよ!」
それから、ナルトは任務の傍ら、暇を見つけては苦手なりに文献を調べたり、カカシや三代目への定期検診に木の葉を訪れる綱手の元に駆けつけたりなどして、心の病に効く薬はないかとがむしゃらに探し続けた。
多忙を極め、日々目の下の隈が増えていき、サクラなどに心配をかけてもそのたびに「大丈夫、大丈夫。サクラちゃん心配してくれてありがとな」とそう笑って無理を重ねた。
―――――そうしてうちはシスイが木の葉に帰ってきてから半年の月日が流れた。
「……殺してやった方がいいんじゃないですかね」
木の葉にある、とある居酒屋の一角で、仲間内で久しぶりに集まった彼らのうちの1人がポツリとした声でそんな言葉を漏らす。
主語はなかったが、それが一体誰のことを差しての言葉だったのかなど、聞かなくてもここに集まっているメンバーならわかっていたことだった。
それに、殊更ムッスリとした顔を浮かべながら、咥えていたタバコを灰皿に押しつけつつ猿飛アスマが言う。
「いきなり、何を言い出すんだ」
そのギロリとした視線を前に、しかし戸惑うような声を上げながら気弱に最初に言い出した男は言った。
「だって……あのままじゃ」
彼らの脳裏に浮かぶのは1人の男と、1人の少年と、1人のくノ一の姿だ。
……うちはシスイの様子に相変わらず進展はなく、彼は相変わらず牢獄に繋がれたまま、話しかけられてもそれが誰かもわからない有様で、日々欠かさず「オレの処刑日は決まった?」という質問ばかり繰り返しているのだという。
そしてその世話係である暗部の女と、シスイを慕っていたナルトの2人はそんなシスイとの接触により日々窶れていっているのだと、そう報告が入っていた。
……牢に入れて囚人を生かすためにかかる費用とは馬鹿にならないものだ。シスイのように正気を失い、食事も排泄もままならないような囚人なら尚更だ。しかも、世間的にはS級犯罪者であるうちはシスイは本来なら処刑されるべき囚人なのだ。彼を生かすことに決めたのはアスマ達の我が儘でもあるので、費用は自分たちが負担しているとはいえ、気の狂った囚人……其れもS級犯罪者だ、を生かしていつまでも牢獄に置いていることに対する不満の声も一部では上がっている。
けれど、彼が殺したほうがいいのではないかと言い出したのは自己保身のためではないのだろう。
「まだ諦めていない奴がいるんだ。オレ達が先に弱音を吐いてどうする」
アスマは次のタバコに手をのばしながらそう口にした。その口調には自分に言い聞かせるような響きもあった。
「だって」
「だってもヘチマもない」
そういって遮るが、アスマにもこれが正しい選択肢なのかはわからなかった。いや、誰にもわからないのだ。これに答えなどない。しかし、あの暗部の女もナルトもシスイが正気に戻ることを諦めていない以上、自分たちが先に根を上げるのは間違いじゃないのかとそう思う。
……少なくとも、シスイを友だと、救ってやりたいと口にしながら、青年の過去を暴いてシスイを壊し、会うのが辛いからと逃げるように避けた自分たちに終わらせる資格はないとそう思った。
そんなアスマ達のやりとりを見て、別の仲間がポツリと呟いた。
「なぁ、オレ達はとても残酷なことをしているんじゃないのか?」
「ねぇ、生まれ変わりって信じる?」
1週間ぶりに再会した彼女は開口一番、そんな言葉を口にした。その顔は窶れ、目の下にはクッキリとした隈が浮いている。眠れていないのかも知れない。睡眠薬の強さをこれはあとで調合し直したほうがいいのかもしれないなと思いながら、黄土色の髪をした医療忍者の青年は問う。
「いきなりな質問だね。そして難しい質問だ。どちらでもあり得ると思うし、あり得ないとも思えるけど、ただ生まれ変わりというのがあると考えた方がロマンチックだろうと思うよ。と、これでも飲みなよ。あんまり最近眠れてないんでしょ? これリラックス効果のあるハーブ入っているから落ち着くと思う」
「ん、ありがと……」
そういって彼女はカップを受け取ると、湯気を放つそれに一口つけ、手でカップを弄びながら、どこか疲れ切ったような顔を浮かべながら、ポツリポツリとそれを言った。
「あたしね、思うの。きっとね、シスイ先生の前世はあたしたちが想像もつかないような遠い異国の人間で、先生はその記憶を持ったまま生まれ変わってしまった人なんじゃないかって」
「どうしてそう思うの?」
「そう思ったら辻褄が合うもの」
そういって、サーモンピンクの瞳をした女はコトリとカップを机の上へと置いて、椅子に深く腰掛けながら、目元を隠すように手を自分の顔の上に乗せた。
「先生の話はいつも同じ。木の葉やあたし達のこと以外を語る時、彼の中に出てくる登場人物はいつも優しい両親と6歳年下の妹さんのことばかりだった。そうして木の葉のこと以外の情報を纏めるとね、どうやらそこは戦争なんてない平和なところで、そこでは人殺しは絶対の悪なんだって」
「…………」
10年来の付き合いである医療忍者の青年はそれに何も答えない。それに女は顔を手で覆ったまま、疲れたような声で続けた。
「昔、あたしたちを受け持っていた時、先生はあたしたちに人殺しは悪だなんてこと言ったことはなかった。そりゃそうよね。忍びである以上、殺さずなんて甘いこと言ってたらこっちが殺されるんだもの。シスイ先生もそのことは分かっていたはずだから、言わなかった。だけど……」
「自分に対しては別だった?」
次に彼女が言うだろう台詞を読み取り、先読みしてそう答えると、女は目元に乗せていた手をそのまま上にずらし、自分の髪をかき上げると、目線だけを青年のほうに向けながら言った。
「そう……きっと、先生のあの考えは、人殺しは悪だというあの論理観は前世で住んでいた国の価値観を基準にしてあるのよ」
「……突飛な意見だね」
そうやや太めの体型の青年が言うと、紅い髪紐で黒髪を結い上げている女は少しだけ自嘲気味に笑って、まだ暖かいカップに手を伸ばしながら言った。
「そうかもしれない。あたし自身そう思うもん。でもさ、知ってるでしょ?」
そうしてカップを手で遊ばせながら再びその中身に口をつけ、喉を潤しながら彼女は言う。
「いつも夕方になるとシスイ先生は歌を謡う。けれど、その歌を誰も知らない。何を唄っているのかもわからない。知らない旋律で知らない言葉で歌われる唄。誰1人知らない歌。誰も知らないのに、なんで先生は知っているの?」
そういって彼女はズルリと自分の体が傾きかけていることに漸く気がついた。頭がぼーとする。なんだかとても瞼が重くて、体がだるい。
もう、目を開けていられない。
「ごめんね……なんだか、あたし……疲れちゃった」
「うん、大丈夫だよ。ボクが見ているから寝てもいいよ」
優しい声で、聞き慣れた青年の声が響く。
「うん……ごめんね」
それを前に、申し訳なさそうにそれだけを告げて彼女は夢の世界へと旅立っていった。
「…………」
そんな想い人を見下ろしながら、黄土色の髪の青年は無表情で佇む。眠るその顔は窶れ、疲労が色濃く刻まれている。その体もこの3ヶ月で随分と薄くなった。おそらく体重も5㎏は少なくとも落ちたのではないだろうか。不眠症気味で薬の力を借りなければこのところはずっと眠れていないみたいだし、食事も碌に取れていないだろう。
ギリッと歯を噛み締める。そして彼は歩いてその場所へと向かった。
……青年が訪れたのは今日の彼女に割り当てられた業務があらかた片付いた頃だった。
「火影様。お願いがあります」
黄土色の髪の暗部直属の医療部隊に属する青年は、今がプライベートであることを象徴するような私服姿で火影の執務室へ入り挨拶が終わってすぐそう切り出した。それに、イタチは無言で先を促す。それを受けて、青年ははっきりした声で言った。
「彼女をうちはシスイの担当から外して下さい」
「…………」
イタチは真っ直ぐな瞳でただ青年を見ている。無表情と言えるそれは元々のイタチの美貌もあり、見る者に怖じ気づけさせるものがあったが、しかし青年は怯むこともなくそれを告げた。
「もう彼女は限界です。これ以上は彼女の友人としても医療に携わるものとしても許容出来ません」
「……限界、か」
ぽつりとした声で漸くイタチは言葉を発した。それにハキハキとした声で青年は言う。
「ええ、そうです。私は……いえ、ボクは、うちはシスイよりも、彼女を取ります。そのために彼女にたとえ恨まれても構いません。ですから、どうか火影様……」
「……わかった」
イタチはそう口にして、黄土色の髪の青年に下がって良いと告げた。まさか自分の願いがこれほどあっさり通ると思っていなかったのだろう、青年は始め放心したような様を見せたが、やがて「あ、ありがとうございます」そう口にして深々と頭を下げ退出した。
「…………」
やがて、イタチの姿も夜の火影室から消えた。
―――――唄が聞こえる。
朗々とした声で小さく慈しむように唄が真っ暗な夜の牢獄に響いている。
其れは見知らぬ誰かの為の『子守歌』。
……彼女が幼い頃も、シスイはよく歌ったものだ。彼以外誰も知らない、異国の言語で紡がれるその歌を。
こうして、自らこの監獄に来たのは彼が収容されてからは初めてのことだった。しかし、つけていた暗部から報告だけは毎日受けていた。
その中にもこの歌に関してがあった。五大国のどこにもこの歌に該当するような民謡はなかったそうだ。それを毎日夕方と夜眠る頃に歌うのだと。
『イタチ』
脳裏にかつての面影が浮かぶ。当時まだ8歳だったシスイは声変わり前特有のボーイソプラノで、イタチを寝かしつけようと彼女の背をポンポンと優しく叩きながら、その唄をよく歌った。
その頃、里は第三次忍界大戦の最中で、互いの両親が家にいないことも多く、週に1,2回ほどはシスイは家に泊まりに来ていて、彼は幼いイタチと一緒によく眠りたがった。
1人でも眠れるよ、と彼女が答えると、少年はオレがお前と寝たいんだよ、そういって笑って、懐かしそうな瞳でイタチの頭を撫でた。
……きっと、寂しかったのだろう、と思う。それと同時に寂しがらせたくないとそんな風に思ってもいたのだろう。そういうやつだった。そこに誰かを投影しているような気もしたが、それでもイタチは嫌ではなかった。その暖かい歌声を自分のために捧げられているのだと思えば、悪い気はしなかったから。
けれど、今唄っているこの歌はあの頃幼い自分へと捧げられたそれではない。
知らない誰かのための歌だ。
あの頃とは違う成人した男特有の低い声で歌われる其れを聞きながら、ゆっくりと彼女は歩を進めた。
やがて、誰か近づいているということに気付いたのか、男はピタリと歌を止めた。
そこに彼はいた。
虚ろを漂う黒い瞳、痩せこけた頬と手足、鎖で繋がれた右足、大きな手枷で束縛された両手、着物の隙間から覗くカテーテルと薄い胸板。かつての暴行による怪我は治っても、衰えた筋力と体力は戻っていない。体重もきっとこの半年で10㎏近く落ちたのではないだろうか。
かつては「瞬身のシスイ」と呼ばれた男だというのに、おそらくもうまともに歩くことさえ出来ないのだろう。
きっと……死んだ父が今の彼の姿を見たらギョッとする筈だ。彼女の父もまたシスイを見誤っていた者の1人だったから。
ユラユラと黒い瞳が光を映さずに揺らぐ。その姿は自分の前に立ったのが一体誰なのか認識出来ていないように思えた。わかっていたことではあるが、それを突きつけられ、ポツリと彼女は小さく言葉を漏らした。
「……こうなると、わかっていた筈なのにな」
……そうだ、わかっていたのだ、シスイが強くなどないということなど。あの時点でシスイの精神は歪みすぎていて、もう戻れない領域にいたことくらい知っていたしわかっていた。
それでも……生きていて欲しかったのは、そうでない可能性に賭けたかったのは己のエゴであったのか。
「あの時……やはり殺しておくべきだったと、今では思うよ」
……あの日、里と一族の二重スパイであったイタチはうちは一族を滅ぼすよう命じられた。
今なら何も知らない弟だけは助かるが、このままでは弟すらも助からないと、何よりうちはのクーデターが起これば戦争を誘発すると言われたのだ。どちらにせよ、一族が滅びることに違いはない。戦争は嫌いだったし、それなら1人でも多く救われる道を、弟だけでも助かる道をと、そちらを選んだのはイタチにとっては必然だった。
しかし、一族を自分の手で滅ぼすということは、今までずっと己を「火影にするのが夢」だと言っていた、あの婚約者も殺すという意味でもあった。
おそらく、シスイほど里人に好かれたうちは一族は他にいなかっただろうと、イタチは思う。
一般の里人にとってうちは一族はエリートで近寄りがたかったし、うちはマダラが九尾を使って度々里を襲わせた件を知っている上層部にはうちは一族は煙たがられていた。なにより、うちは一族は基本的に一族至上主義で、彼ら自体里人と一族の人間の前では態度を変えていたのだから確執が生まれないほうがおかしかったのだ。
シスイだけが変わり種だった。
エリート一族と言われ、実際幻術と瞬身の術に関しては里1の使い手と言われるほどの才を見せたシスイだったが、彼は驕ることがなかった。里人だろうと一族だろうと平等に接し、そして大抵の場合誰にでも懐いた。いつの間にか輪の中心にいたことも珍しくなかったし、子供達には特に好かれていた。
そのくせ、一族内でも人望は高い方で、うちは一族のクーデターや不満が集まっている件についてもなんとか説得しようと、長年ずっと奔走し続けていた。おそらく、クーデターを止めようと1番必死だったのはシスイだったのだろう。
……最も、シスイがダンゾウに襲われた件が切欠で完全に一族はクーデター論に傾いたあたりが、皮肉でもあったのだが。
あいつが苦しんでいたことは知っていた。
一族を愛していたことも知っていた。
イタチを火影にしたいと、それが本気だったのだということも知っていた。
……人殺しを許容出来ず、そのくせ割り切っていると思い込んでいるが故に年々歪んでいっていたことも。
けれど、この任務を遂げればシスイの願いは何1つ叶わない。
奴の苦しみは終わらない。
あいつに一族の死に際を見せたくもない。
だから……何も知らず、夢を見せたまま殺してやれたら、それが救いになるのではないかとそう思ったのだ。生きている限り苦しみ続けるこの男に、死という終焉を与えてやることが慈悲だと思った。
だが、それはあの日叶うことはなかった。
イタチが一族殺しを実行するより早く、シスイが実行したからだ。
あんな、壊れそうな笑みを浮かべて、なのに「何も惜しくない」などと、大嘘だ。今にも死にそうなほど震えていた癖に。自分がどんな顔をしていたのかすらわかっていないなど、なんて馬鹿な男なんだ。それでも書き換わったシナリオに乗るしか自分には手がなかった。
そうして、事件が終わり、第3演習場の片隅にある慰霊碑の前で彼女はそれを見つけた。
『形見なんだ……』
そういってあの雨の日、握りしめていた古い血のついた木の葉の額宛がそこにあった。それでイタチは悟った。嗚呼、最初からこいつはそのつもりだったのだと。自分に宛てられた任務のことなど最初から知っていたから先回りしていたのだと。
なんて馬鹿な男なんだ。自分が強くないことくらいわかっているだろうに、どうしてそういう道ばかり選ぶ。それを一体自分がどんな気持ちで見てきたと思うのか。それ以上苦しませたくなかったのに。
……もう、遅い。時の歯車は止まらない。なら進むだけだ。こうなった以上せめて自分は里人と里の平和のために生きよう。木の葉とサスケを守ろう。せめてあいつの夢だけでも叶えてやれる努力をしよう。それが生きる意味だ。
やがてアイツは敵として現れるだろう。それがあの日役割を替わった代償だ。それはあいつにとってこの上ない罰則でもあるのだろう。
アイツが本当に里に危害を加えることはないだろうが、それでも……もしもの時は殺そう……それがあの時殺してやれなかった自分のケジメだとそう思った。
だけど、いざ再会すれば生きて欲しいという望みが生まれた。死んで欲しくなかった。あの男の身勝手さが許せなかった。
…………嗚呼、そうだ。好きだったのだ。
酷い男だった。自分のことしか考えていない、そのくせに自分のことを1番蔑ろにする酷い男だった。人の心に踏み込むだけ踏み込んで、責任も取れない癖に無償の愛などという一方通行の愛を振りまくだけ振りまいて、こちらの想いなど汲み取ろうともしない、そんな酷い男だった。
……それでも良かったのだ。
あの脆さに、弱さに惹かれたのだから。
生きていて欲しかった。死んで欲しくなかった。
全部、好きだったからだ。
けれど、こんな風になるのなら……こんな風に生きた屍として苦しませるくらいなら、やはり殺しておけば良かった。
シスイがガラス1枚で自分の心を支えていたような脆い男であったことを、優しさだと周囲に思われていたアレが本当は自己防衛本能で築かれた罪悪感からの逃避行動だったことを知っていたのに、諦めぬナルトやあの暗部の少女がシスイを変える可能性に賭け、こうして今まで殺してやりもせず生かしてきたそれ自体が自分の罪だ。
イタチはゆっくりと青年の元に向かって歩を進めた。深夜の牢獄は音もなく静かだ。巡回はとうに済んだ、邪魔するものは今ならいない。
「…………許せ」
そう口にして、覚悟を決めるため目を1度瞑った彼女の前に、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「君の責任じゃない」
それは確かにシスイの声で、しかしその口調や雰囲気、しゃべり方は彼女が知るうちはシスイとは大きく異なっている。イタチは大きく目を見開くと、呆然とした顔でその男を見た。
「たとえそれがキッカケで心が壊れようと、それでも『彼』はあの選択を後悔はしていなかった。きっと何回、何十回同じ選択を迫られようと彼はその道を選んだよ」
「お前は……」
イタチは写輪眼をも展開させながら男を見る。
それは確かにうちはシスイの筈だった。
その顔の特徴も同じだし、両手にかけられた枷や右手につけられた鎖など数秒前までそこにいた男と変わっていない筈だった。
しかし、その雰囲気も表情もまるで似ていない。同じ形をしているだけでまるで別人だ。性格の異なる双子の兄弟とてもう少し似ているだろう。達観した凛々しささえ感じさせるその雰囲気や表情はイタチの知るシスイにはなかったものだ。
「お前は……誰だ……?」
思わず眉をひそめながら問うイタチに対して、男は言った。
「オレは、オレも『うちはシスイ』だよ。お前の知っているシスイとは別人だけどな」
そうして自嘲するように青年は笑った。
「『彼』の中でオレは全部見ていた。だからお前はオレを知らないかも知れないが、オレは君をよく知っている。君が彼に寄せていた想いも『彼』よりもわかっていたつもりだ」
そういって彼はあの日のことを回想する。
ずっともどかしかったのだ。
オレは別に『彼』の人生を束縛する気はなかった。
1度失敗したオレがもう1度のうのうと生きる気もなかったから生を譲ったようなものとはいえ、譲った以上は彼の人生だ。木の葉に危害を加えようというのなら話は別だったが、それでも好きに生きて、幸せになってくれたらいいと思っていた。罪悪感もあった。だからあの日言ったのだ。
“抱いてもいいんじゃないのか”と。
そう言う自分に対して、彼は『……イヤだよ』とそう答えた。
オレには理解出来なかった。
この世界のイタチは明らかに彼を好いている。そしてそれは彼も同じであるように思えたからだ。
全て忘れて、1人の女と男として生きればいいと思った。オレと違って、元々彼はこの世界の人間ではないのだ、わざわざこの世界のことについて責任を取ることもないし、そんな義務もないだろう。
そもそも責任を取るとしたらお前に体を譲って眠りについたオレがやるべきことであって、お前がすることではないのだ。お前は今まで充分苦しんできただろう、ならもういいじゃないか。好きな女と所帯を持ち細々と暮らす。そんな風に残りの人生を歩んでもいいんじゃないのか、と。彼の世界についての知識も魂の共有化現象により持っていたからこそ余計に思った。
そんな風に思うオレに向かって彼は言った。
『本当はさ、オレがイタチとどうこうなりたくないんだよ』
と、そんな風に。
……初めから、彼に生きるつもりなどなかったのだ。何も知らず知らせずそうやって死んで逝けたらそれでいいんだと、幸せだと……理解される気もないんだと。
好きな女と結ばれる未来は最初から彼の選択肢の中にはなかった。
ただそんな風に死を望む彼を前に一体何を言えたというのか。
「結局の所、オレはこの世界でもお前やアイツに責任を押しつけ、逃げていただけだったのかもしれない。それでも理解していることもある」
彼に人生を譲ったのはオレだった。この世界の『うちはシスイ』は既に己ではない。この世界でシスイとして生き、シスイとして過ごしてきたのは彼ただ1人だ。
悩み、苦しみ、それでも不器用に精一杯に生きてきた男がいた。もしかしたらその選択肢は間違っていたかもしれない、人には理解出来ない生き方だったのかもしれない。
それでも、見守ろうとそう思っていた。
最期、彼と共に死ぬ其の日まで……それが譲ったものの責任だった―――――。
「『彼』は、君の幸せをなにより望んでいたよ」
その言葉に、知っているものしかわからないほど僅かにイタチは目を見開いた。
「彼の言葉だ。自分などに操を立てる必要もない、と。例えそのことで傷ついても傷は時が癒してくれる。ただ、君に忘れられることだけが怖いとそう、言っていた……」
イタチは、その言葉を聞いて数瞬時を置いたかと思うと、ツゥー……と、静かにその瞳から数筋涙を零した。震える声で彼女は言う。
「…………勝手だ」
そんなイタチの反応を見て、嗚呼やはりこの世界のイタチは女性だな、なんてことを思いながら男はうっすらと口元に笑みを浮かべていった。
「そうだな、勝手だ」
「……私の想いはどうなる」
「…………そうだな」
「卑怯者だ……あんな酷い男は他に見たことがない」
「そうだな、オレもそう思う」
そうしてイタチは暫く涙を流した。そんな彼女に向かって彼は言う。
「彼は君が失明することをずっと気に掛けていた。だから、オレ達が死んだ後はこの目を貰って欲しい。この目を移植すれば君が光を失うことはない。これは『彼』の望みでもあるし、オレの望みでもある」
イタチはそれに答えない。答えたくないのだろう。その顔は悲痛に歪んでいる。けれど、目の見えない彼は風の匂いで泣いていることは察しながらも、静かな調子で言った。
「君はオレの親友によく似ている。けれど、同じじゃない。だから勝手かもしれないけど、オレも君には幸せになって欲しい」
里と一族を背負い若くして死んだ『アイツ』の分も。その声が聞こえたわけではないだろうし、この『うちはシスイ』であって彼女の知るシスイでない人物がどんな過去を背負っている人物なのか彼女が知っているわけではない。
それでもその言葉でイタチはなんとなく男の過去を察し、コクリと頷いた。目は見えていないが音や風の匂いなどでそれを察すると、うっすらと笑って彼は言う。
「オレはもう眠る。だけど、イタチ。『彼』が君を分からなくなることはないよ」
そうして目を瞑り、目覚めた時には既にその男は別人になっていた。
嗚呼、シスイだ、と彼女は思う。
ゆっくりとした足取りでイタチは彼に近づく。
濁った両目はボンヤリとして焦点が合わない。けれど、人の気配は感じているのだろう。彼はじっと彼女のいるあたりを窶れていながらもどこか無垢な顔でただ見ていた。
「……シスイ」
名を呼び、指を伸ばす。
頬から顎へ、うっすらと無精ヒゲが生えたそこは触れるとジャリジャリとした感触がした。シスイは首を傾げながら座ったままの体勢の侭イタチを見上げている。彼女は膝を落とし、視線の高さを合わせるとゆっくりとその唇を男に重ねた。
……初めて触れた唇は、酷くかさついていて涙の味がした。
シスイは一体自分が何をされたのかわからなかったのだろう。酷く幼い
イタチが持っていた太刀が男の心の臓を貫いた。ゆっくりと、イタチの腕の中へ青年の体が崩れ落ちていく。
静かに女の涙が命を失ったばかりの男の上へと落ちていく。嗚咽さえ漏らすことはなく、声にならぬ慟哭が静寂な牢屋に響いた。
―――――……うちはシスイが獄中で何者かに殺されたというニュースが出回ったのはこの次の日のことだった。
犯人は不明とされており、両目を刳り抜かれ、心臓を一突きで殺されているのを、彼付きの暗部の女が次の日の朝発見したという。詳細は不明。捜査は暗部の管轄となった。
良い意味でも悪い意味でも有名人であったうちはシスイの死は、瞬く間に木の葉中へとニュースとして流れていった。しかし、公式の処刑ではない犯人不明の犯行である故に、国はうちはシスイにかけられていた賞金を木の葉に支払うことはなかった。それを五代目火影であるうちはイタチは当然として粛々と対応したという。
シスイの死体は死後3日が経過した時点で解剖に回されることになっていた。犯罪者であるシスイの死体に墓などというものは用意されることはない。けれど、そのことを気遣ったのだろう。猿飛アスマとはたけカカシが付き添いになることを条件として、ナルト達元7班のメンバーとシカマルたち元10班のメンバーはうちはシスイが解剖される前に、最後の別れであり面会を与えられた。
うちはサスケは命令違反と仲間への毒物混入の件等により禁固1ヶ月と保護観察処分1年という罰則を与えられていたが故に、元から監獄に入れられていたうちはシスイに会うことは禁じられていたし、他のメンバーにしても「どうしても会わせろ」と言い張ったナルト以外のメンバーは、あの大蛇丸に体を乗っ取られて木の葉を襲ってきた日以来顔を合わせたことはなかった。
……猿飛アスマ直々に会うなと言われていたからだ。
アイツはもう狂ってしまった。だから、会うなと、そう。
だからナルト以外のメンバーが死体とは言えシスイに会うのはそれが半年ぶりだった。
しかし、それを見た瞬間、思わずサクラは「酷い……」そう呟いてしまった。
ずっと手枷をつけられていた故に枷のあとの残った細い両腕、痩けた頬に目を抉られているが故に気遣って目隠しで隠された顔、やせ衰えた足に、筋力の衰えを思わせる薄い胸板。青白い肌。心臓のあたりには刺し傷が綺麗に残っている。サクラは別段シスイと親しかったわけではないが、それでもアカデミー時代は何度も彼を校内で見かけたことがあったし、ナルトがどれほどシスイに対して心を砕いてきたのか身近でよく知っていた。
サクラの記憶にある限りだけでも、いつも笑っていて、やけに感情が豊かな男であった記憶があった。血色が良くて、体つきと良い、顔の感じといい、どちらかというと健康的な印象が強い男だったのだ。
確かに面影がないわけではないけれど、それでもこの変化は親しかったものにこそショックがでかいだろう。猿飛アスマやはたけカカシがあれほど執拗に「会うな」といっていた意味もわかった気がした。
そこまで思って、サクラははっと隣を振り返った。
かつて自分たちに毒を盛ってまでうちはシスイを殺そうとしたサスケは、ブルブルと肩を震わせていた。
「サスケく……」
「ふざけるなよ……!」
サクラの声を遮るように、しかし周りの声が聞こえていないかのようにサスケはダンッと床に腕を打ち付けながらそう叫んだ。
そして、ガッと止める間もなく動かないシスイの死体の胸ぐらを掴んだ。
「止めろ、サスケ!」
「ふざけんな、まだオレは何も聞いていない! アンタの口から、何も聞いていないんだぞ! クソ、クソ、畜生ーーーッ!」
そう言って、サスケの頬からボロボロと涙が伝い落ちた。その顔に、サクラははっとした。
そうだ、うちはシスイはサスケの……。
「……畜生…………」
そういってサスケは泣き崩れた。そんなサスケを見て、罰が悪そうにサスケを止めようとしていたシカマルはポンポンとらしくなく慰めるようにサスケの肩を叩いていた。そんな2人を見てカカシは目を細めると、グシャリとサスケの頭を撫でた。それを乱暴な仕草でサスケは払う。けれど、涙は止まらず、ただ震えていた。
「サスケくん……」
ナルトはサスケが泣く前からとっくに泣いている。けれど、悔しそうな顔で歯を食いしばって、嗚咽さえ漏らさなかった。けれど、サスケが泣くのを見て我慢しきれなくなったのか、やがて泣き声は徐々に大きくなっていった。
それを一歩だけ離れた場所でみながら、ポタポタと涙を零しつつチョウジが隣に立ついのに話しかける。
「ボクね、昔1度だけシスイ先生に助けられたことがあったんだ」
親ぐるみの付き合い故に、チョウジとも付き合いの長いいのだったが、そんな話は初耳だった。思わず「え?」と聞き返しながら見返す彼女に対して、チョウジは涙を零したまま、サスケやナルト達のほうを見ながら言った。
「その日、シカマルはたまたまいなくて、上級生に絡まれてさ。そこにシスイ先生がたまたま通りがかって、『下級生をよってたかって囲むとは何事だ。そんなに暴れたいんならオレが相手してやるから、ほら来い』そうやって冗談交じりに言いながら上級生を追っ払って、それから言ったんだ」
それはその頃のアカデミーではある意味見慣れた光景だった。いの自身はシスイに助けられたことはなかったが、それでも困っている子をさり気なく助けている姿とかは何度か彼女も見たことがあった。
それでも、こんな身近に助けられた人がいたとは思わなかった。グスッと鼻を啜りながらポツリポツリとした声でチョウジは続けて言った。
「笑って、ボクの頭を撫でながら『まぁ、お前も男なんだからそんなに泣くなよ』って、だからどうというわけじゃないけど……」
チョウジの視線が下に落とされる。カタカタと震える自分の掌を見て、それをぎゅっと握りしめながら彼は言った。
「その手が、凄く温かかったんだぁ」
……1週間後、うちはシスイの捜査は打ち切られることになった。
いくら人望が高い男だったとはいえ、相手は一般人ではなくS級犯罪者だ。犯罪者の死にいつまでもかかずらっていられるほど暗部も暇ではない、というのが理由だった。
それに、シスイが死んでからというもの暫く休暇を命じられていた、彼の世話係でありかつてはシスイの担当下忍でもあった彼女は、そんな自分の元に訪れてきた黄土色の髪をした10年来の付き合いの青年に向かって、ポツリポツリとした声でこんなことを口にした。
「今思えば1つ不思議なことがあったの」
それに落ち込みのあまり口すらきかないのでは、と思っていた青年はやや拍子抜けしたが、それでもそれを表に出すことはなく、精神を落ち着ける効果のあるハーブティーを彼女に差し出しながら尋ねた。
「不思議なことって?」
彼女は入れ立てのハーブティーを受け取ると、軽く啜って息を1つ吐き、それから言った。
「ほぼ3ヶ月ずっとあたしはシスイ先生の側にいたのに、なのに先生は火影様の名を口にすることは1度もなかったわ」
その言葉にふくよかな体型をした医療忍者の青年は少しだけ驚きに目を見開いた。
「あんなに仲睦まじかったのに……」
……あの時のことは彼もよく覚えている。まだ火影とあの人が呼ばれるようになる10年も前、うちはシスイとうちはイタチは連れ立って歩き、仲が良さそうに茶屋へと入っていった。その2人を見て、彼女は酷くショックを受けた顔をして、共にいた自分達のことすら目に入らずそのまま走って家へと帰っていった。
その頃から既に彼女のことが好きだった身としては、あの時の彼女のそんな姿のほうがインパクトとして残っていたけど、それでも今思い出してみてもあの2人は傍目にも仲睦まじいように見えたことは確かだ。
けれど、不思議というのならばあのうちはイタチも充分謎だ。いくら火影を継いで忙しかったとはいえ、自分で1度も元婚約者に会いにいかなかったなんて。いくら感情を律するのが忍びで、火影は皆の手本とは言えあまりに冷血過ぎやしないか?
そんなことを思いつつ、彼女のほうを振り返る。見れば、彼女は泣きそうになっているのを耐えているようだった。
「泣きたいなら、泣いてもいいと思うよ」
「泣……泣かないわ。先生は、きっと死んで救われたんだもの、だからあたしが悲しんでもきっと喜ばな……」
「じゃあ君の気持ちはどうなるの?」
そう口にすると、彼女は泣き出す寸前の顔で黄土色の髪の青年を振り返った。
「……今ならボクしか見てないよ」
そういって、昔シスイが彼女にやっていたように、彼女の顔を隠すように密着しない程度に軽く抱いて、ポンポンと落ち着けるように背を撫でた。
すると、彼女は涙腺が決壊したのか、ボタボタと彼の腹のあたりの服を涙で濡らして、声を立てて泣き出した。
「ひ、ひぐ……ぅ、ぅあああ……!」
1度泣き出すと堰を切ったかのように止め処なく涙があふれ出す。
「ひぐ、す、好きだったの、ずっと……ッ、で、も、せんせ、ひ……ぁ、ぅああ……」
「……うん、知ってた」
「あた、あたし……生ぎて、生ぎでほじかった、の。でも……せんせ、死にだいって……あた、あたし間違ってたの?」
「……ううん、そんなことはなかったよ」
「せんせ……の、バカァ……ぅああ、ひ、ぅ……ぅう……」
「うん……」
そうやってしゃくり上げながらずっと話し続ける彼女の背を、疲れ果てて眠るまでいつまでも彼は宥め続けた。
* * *
誰もいない夜の火影用執務室で、イタチは最後の書類を片付けると茶を口に含みながらあの時のことを思い返していた。
―――――……あの日、あの時、男の命を奪ったのは一瞬だった。
急所に向けての正確な一突き、苦しめないようにという配慮の元行われた其れに、彼は何をされたかさえわからなかった筈だ。だけど、あの時男は……シスイは確かに微笑っていた。
もう誰に会っても、それが誰かなんてわからなくなっていた筈なのに、その死の間際、確かにシスイの口は声に出さず『イタチ』そう最期に己の名を呼んだ。
『『彼』が君を分からなくなることはないよ』
あの時会ったあのシスイであってシスイでないという男が何者であったのかは知らない。それでもきっとあの言葉は本当だったということなのだろう。
犯人が己であるという証拠は残した覚えはないがあの黄土色の髪の青年は気付いているようであった。
……シスイの目もまた此処にある。まだ移植する決意が付かないが、早い内にすましたほうがいいのかもしれない。
そんなことを思いながら、かつて彼が慰霊碑に捧げ置いていったそれを指で遊ばすようになぞる。そんな中コンコンとノックをして「火影様よろしいですか?」と部下の声がかかった。
「入れ」
「失礼します。追加の急ぎの書類と、食べていないようでしたからお夜食のほうお持ちしました」
そういって、小さな握り飯が2つ乗った盆と脇に抱えていた巻物を2本彼女は差し出した。
「あら? 火影様、それは?」
そう言って、彼女はイタチの手にあるそれに視線を向けた。
それは古い血のついた、これまた古い木の葉の額宛だった。どう見繕ってもおそらく10年以上昔のものだ。何故そんなものを持っているのか? 不思議そうにする部下に対し、イタチは若干苦笑すると、「そうだな……」そう一拍おいてから答えた。
「……形見だ」
そう言って微笑う顔は同性ながら見惚れてしまうほど流麗なそれで、思わず立ち尽くす彼女に向かって、笑いながらイタチはそれを机の上に置いた。
その時、ヒュンと音を立て、暗部が2人ほど降りてきてザッとイタチの前で膝をついた。
「火影様、大変です」
「何事だ」
「実は……」
そういってあらかたの事件の概要を男が説明すると、イタチは火影のマントを背負い気負わぬ様子で言った。
「今、行く」
そしてザッとマントを翻しながら火影室を後にした。
バタンと音を立てドアが閉まる。
机の上には古い血を受けた木の葉の額宛が残された。
―――――かつて幼かった彼女に対して、『オレの夢は、お前を火影にすることだよ』そう笑って言った少年がいた。
木の葉を愛したいといいながら、憎みと愛が両立するものと気付かなかった彼は、お前の治める里ならきっと愛せるからと、笑って死ねるからと、そう告げた。
当時それを言われた時まだイタチは4歳で、まだ里のために何もしていない己にそんなことを望まれるとは思わず戸惑いを覚えたのは確かだ。
それでも笑って彼女なら出来ると言った少年は、きっと筋金入りの大馬鹿野郎だったのだろう。
けれど、やがて彼女はそんな誰よりも愚かだった青年を愛するようになった。
彼は誰よりも子供が好きだった。
そして子供が幼くして戦争に送られ死んでいく理不尽を憎んでいたように思う。
彼がイタチを火影にと望んだのは、イタチならばそれを変えれるとそう期待した心があったからなのだろうといつからか彼女は知った。
子供が理不尽に死なない世界を。それが彼の望みであり、彼がイタチを火影に望んだ発端だった。
笑って子供達が暮らせる里を、それを作り上げてくれるのなら命さえ惜しくないと。
まるで子供のような夢物語。
けれど、愛した男の見た夢はいつしか彼女自身の夢となった。
そうして、彼女は今男の願い通りに火影となった。
火影とは、人々に望まれ、夢を継ぐ者。
希望の名。
人々がこうなりたいと羨望し、投影し送られる名。
ならば、彼の望んだ里を作り上げ、子供達を、里人を守るためにこれからもずっと生きていこうと思う。
いつか彼の望んだ光景を実現させるために。
その命尽きるまで木の葉のために生き続けよう。
何故なら彼女は、木の葉を照らし人々に望まれた『火影』なのだから。
この先の道のりに、苦しいこともあるだろう。辛いこともあるだろう。
けれど悲しみはやがて薄れ、人々は営みを続けていく。
いくつもの絶望を乗り越え、残された人々は希望を手に残された人生を紡いでいく。
そうして今日も世界は廻る。
たとえこの先どんな喜劇や悲劇が待っていようと、それでもそれを彼女は恐れはしないだろう。
彼女は前を見て歩み続ける、その目と共に。
人々の心に『夢』と『願い』がある限り、木の葉に“火の意志”は絶えない。
完
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もしもの話
繰り返す、もしもの話
お久しぶりですね。
人生Pの『言の葉』聞いてたら何故かしーたんを連想してしまい、突発的に書き上げた話です。
逆行もの? 救われない話注意報。
15ルートエンド概要を見ているほうがわかりやすいかも?
―――……嗚呼、やっと終われると思った。
なのに何故だ?
「シスイ兄さん?」
目の前にいるのは幼い子供の姿。
子供特有の赤みがかったふっくらとした白い頬、肩で切りそろえられたさらっとした流れるような黒髪、理知的でありながらも幼さを感じさせる黒く大きな瞳。
そうだ、年齢を違えようとオレは知っている。
これは、イタチだ。
まだおそらく4つか、5つぐらいの頃のうちはイタチ。
「……なんで」
手が震える。
意味がわからない。
わけがわからない。
これがあの時であるはずがないのに、これがあの時である筈がないのに。
復興しようとしている木の葉の里を見下ろすようにオレとイタチが立っている。
目線は低い。自分の手は小さく、それは間違いなく10代前半の少年の手だ。20代後半の大人が持つ手とは厚さも大きさも何もかも違う。服装も、先ほどまでの記憶とは食い違っている。
そして眼下に見える木の葉の様子、これはかつて目にした懐かしい……この光景を、この情景をオレは知っている。
こんなことって、こんなことってあってたまるかよ!
これはあの時だ。オレがその生涯の目的を目前の子供に見いだしてそれを誓ったその場面だ。
何故だ、なんでこんな時に戻っているんだ。
幻覚か、幻術か。
いや、違う、そんなわけがない。大体そんなことをする意味がない。これから処刑しようという相手にこんな過去の幻術を見せることに一体なんの意味がある。大体オレが幻術ならそうと気付かない筈がない。
いや、そうじゃない。違う、違う、違う!!
オレの処刑は
オレはあの日、全てを済ませて死刑を受けるために木の葉に出頭した。
全て望み通りだった。
全て願いは叶えていた。
イタチは時期火影に決まって、うちはオビトも輪廻眼も葬り、大蛇丸も仕留めて、何も憂うことはない、何も他に望むこともない。望みは叶えた。全て叶えた。これから先、イタチが失明するんじゃないか、それだけが気がかりだったけれど、それでも眼のうち片方はイタチに残してくれるようダンゾウへと嘆願した。
その後のことは、生者が決めることだ。それ以上はこれから死ぬオレには関わりないと。
歴史とは未来ある若者たちが、残された者が紡いでいくものなんだからと。
だから俺の死でうちは虐殺事件もなにもかも幕を卸したと思ったのに。
これで漸く全て終わったとそう思ったのに。
なんで、どうして目の前に幼い頃の、あの時のイタチがいるんだ。
あどけなく幼い風貌。
当然だ、彼女はまだ4歳なのだから!!
(巻き戻しだ)
やめてくれ。
(名をつけるなら、これこそを逆行とそう呼ぶのだろう)
止めてくれ。
こんな馬鹿なこと嘘だと言ってくれ。
オレはやり直しなんて望んでいない。
「……! シスイ兄さん! 待っててください、すぐ医療忍者を呼んできます!」
喉の奥が逆流する。
目の前が見えない、真っ暗だ。
ガリガリと自分の爪の音だけが聞こえる。
そんな中、そんな……焦るようなイタチの声だけが聞こえたような気がした。
―――逃避しようと現実は変わらない。
世界は無情で美しく残酷だ。
寝て目が覚めようと何も状況は変わらない。
……医者には何故自傷したのかと咎められた。
意味がわからなかった。
そんなものした覚えがないとそう言うと、医者はため息をつきながら「ならば君は幻術にでもかけられていたとでもいうのかね? うちは一の幻術使いと名高い君が?」と言われ、指された指先にあったのはオレの首元。包帯が巻かれて尚血が滲んだ姿があった。
「覚えていないんです」
そう言うと、医者は「なら一度精密検査でも受けなさい」とそう言いながら退院を促した。
そしてイタチは「……何かあったのなら言って下さい」とそう複雑そうな目で見ながらオレに言った。
嗚呼、と返しながらどこか現実離れしている他人事のように感じた。
結局、ストレス性障害だろうと、そう結論が出た。
忍びを辞めるか、と医者には言われたがそれには曖昧な笑みを浮かべながら首を振った。
大体やめてどうするというのだ。
今更、過去に戻ったところでこの血まみれの手が綺麗になるわけでもないだろうし、既にこの時点でオレはあいつを含め多くの人の命を奪っているのだ。それにもうすぐ九尾事件が起こる。ここで止めるのはただの逃げだ。
「……どうした、イタチ?」
最近じっとイタチに見つめられることが増えた気がする。
「……いえ」
複雑そうな理知的な黒い眼は一体何を視ているのだろう。ひょっとしてオレに見えていない何かが見えているのだろうか。そう思って時々怖くなる。……馬鹿じゃないか、それじゃイタチを神童だからと遠巻きで見る奴らと同じだ。でもどうしてかもう以前のような距離でイタチを見ることも出来ない。
それは大人になったイタチを知っているからなのか、この世界のイタチは女の子であると今度こそ真から理解してしまっているのも無いとは言い切れないんじゃないのか。
馬鹿な話だ。
例えそうだとしても、このイタチはまだ5つの子供だというのに。そんな目で見るのはこの場のイタチに対しても失礼だ。巻き戻った以上、それまで積み重ねてきたオレとイタチの関係もかつてからリセットされているんだから。
そうこの子供は……オレがいつしか女として惹かれていたかつての女性の過去の姿かもしれないが、それでもこの時点ではただの可愛い妹分で聡いだけの子供に過ぎない。
イタチはイタチ。
たとえ慕情を抱いた
ここにいる相手をないがしろにするのは失礼な行為だ。あれは未来と同時に既に過去なのだから。
それでも……。
『お前が、私の気持ちを決めるな。眼を反らすな。お前は……あなたは見えながらにして盲目だ。誰を私に重ねてあなたは私を守ると言った』
そうかつてそう己に嘆願するような声音で怒鳴った女性の姿がどうしても被ってしまって、やりきれなかった。
……二度目の終わり、いや前世も含めれば三度目の終わりも呆気なく訪れた。
別天神を放つのを一瞬躊躇った。それだけで、オレの未だ小さな身体は呆気なく九尾の攻撃に晒され九尾の爪が振る舞われ、飛ぶ。
ヒュウ、ヒュウと擦れたような息と共にゴボリと口から大量の血が流れて枯れ木のように転がった。
……確実に致命傷だった。
生きているのが不思議なくらいの。でもそれもきっと長くは保たない。多分おそらくもう数分もすれば完全にこの命は尽きるだろう。
知らず、苦しい呼吸の中笑う。
本当にオレはドジだな、こんなところでマヌケに死ぬなんて。
本当はこんなところで死ぬわけにはいかないのに……。
だってオレがここで死んだらなんでこんな所にうちは一族の子供がいたのかって思われる。
益々一族が疑われる。
あいつに……イタチにだって迷惑をかけてしまう。
たとえどんなに世界を違えようと、それでも妹分として愛した少女が、泣きながら両親を殺めるような未来は……嫌だな。
でも無理だ。血を失いすぎて指1本すら動かない。
ここで終わる。
これが今度の終わりだ。
(願わくば、少しでも安らかな人生でありますように)
あいつはオレの為にも泣いてくれるのだろうか。
……さよならすら言えなかったのが、苦しかった。
…………?
なんで、どうしてオレの意識は消えていないんだ。
今度こそ終わったはずだ。
オレのうちはシスイとして3度目の人生は、九尾に殺され11歳で幕を閉じた。
その筈なのに。身体が……軽い?
「シスイ?」
あどけないと呼ぶには理知的な、それでも子供の声がオレの名を呼ぶ。
その声をよく知っている。まさか、でもそんな馬鹿な。
目を見開く。そこにいたのは……。
「どうか……したのか?」
そうどことなく戸惑ったような心配を黒い眼に宿しながらオレを見上げる7歳ほどのうちはイタチの姿だった。
「…………ッ」
思わず言葉を無くすが、忍びとしての性が周囲の様子から状況を読み取ろうと開始する。
親子で喜びを称え合う声。懐かしき木の葉の忍者アカデミー。
見覚えのある巻物を腕に抱えたイタチの姿。やはりその外見は7歳ほどのそれで……ああ、そうこれは卒業式だ。
他の誰でもない、うちはイタチの卒業式。
「なん……でも、ない」
そうやって言って口元に笑いを乗せるまでに酷く勇気がいった。
イタチは何か言いたそうな顔をしている。絶対に異変に気付かれている。なのにそれを取り繕う余裕がない。喉が渇く、カラカラだ。誰もいないのなら叫びたい。どうしてオレはここにいる。
今度も、今度こそオレは死んだ筈なんだ。どうして巻き戻っている。やめてくれもうたくさんだ。
これは一体なんの罰なんだ。
オレが他人の生を奪って成り変わって生きてきたその代償だとでもいうのか。
ならばどうすれば赦される。
どうすればオレはいいというのだ。
「まあ、シスイくんどうしたの!? 本当に酷い顔色よ。おばさんが連れて行ってあげるから医務室にいきましょう」
どこか他人事のように現実感なくミコトさんのそんな声を聞いた。
途端、殺した時の情景がフラッシュバックする。
もつれる舌で床に身体を落としたまま必死にオレの名前を呼んだ女性。その夫にあたる男の首ごと斬り殺した。
その感触、匂い、全てがまざまざと蘇り、喉の奥から酸っぱいものがこみ上げる。
自分の手が真っ赤に染まっているように見えた。その白い手に触れてはいけない。
触ってはいけない。
「……っあ」
気付けば女性の手を叩き落としていた。自分の指先はガタガタと震えている。
今までこの人……イタチの母であるミコトさん相手にこんな対応オレはとったことがない。手を叩き落とされた女性は吃驚してオレの顔と叩き落とされた手を何度も見た。
(駄目だ、何か言わないと不審に思われる)
そう思うのに血の気がどんどん引いていって、益々震えが止まらなくなる。
「オ、オレその……か、風邪気味みたいで、移るといけませんし触らない方が良いですよ。イタチの卒業式も終わりましたし、もう帰りますね」
そういって引き留められる前に逃げるように家へと向かった。
最中、ガリガリ、ガリガリと何か引っかけるような音がしていたが、それがなんなのか、考える思考力すらその時のオレには無かった。
そうして時を重ね、オレは様々な終わりを経験していった。
あるときは、うちは一族と共に滅びる道を選んで、うちは一族虐殺の夜にイタチに殺された時もあった。
そしてあるときは、原作通りと呼ぶべきだろうか、ダンゾウの襲撃を避けきれず殺されて目を奪われるそんな終わりもあった。
またあるときは1度目のうちはシスイとしての人生と殆ど同じ道を辿ったが、オビトを葬ったあとゼツに取り憑かれそうになり、里を守るため、自爆してゼツごと息絶えた。
……オレは狂ったのではないだろうか。
オレは本当にこの世界を生きているのだろうか。
そう思うほうが間違いじゃないのだろうか。
『頼む、答えてくれ……』
うちはシスイには会えない。
1度目の生以降、本当のうちはシスイにはコンタクトが取れなくなった。
眠っていた筈の本物のうちはシスイは、今度こそ消滅してしまったのだろうか?
(それはつまり……)
この身体に魂はオレ1人だけ。
(……オレが殺したも同然だと)
「はは……あっはっはっははッ!!」
「……シスイ?」
もう泣きたいのか、笑いたいのかすらわからない。
全てグチャグチャで滅茶苦茶で、オレは一体なんなのかすらわからない。
嗚呼、そうとも、誰か知っているというなら教えてくれ。
頼む。
「…………けて……」
言ってはいけなかった筈の言葉が口から漏れているのに、なのにそれすら上手く認識出来ない。
目の前には大人になったイタチの姿。
なんでここにいるんだ、どうしてそんな顔をしてオレを見ているんだ。
どうして視界が歪んでいるんだ。
どうして鼻水が止まらない。
どうして息が苦しい。
ガリガリ、ガリガリ。
嗚呼、これはなんの音だった。
わからない、わかれない、思考がグチャグチャだ。
「シスイ、大丈夫だ」
大丈夫なものか。
そもそもオレはオマエに触る資格なんてなかった筈なのに。
「シスイ」
なんでオマエの声がするんだ。
「ここにいる」
まるであやすようにオレの背をポンポンと叩きながら、少し低い女の声が告げた。
「言ってみろ」
それに答えるわけがない。答えれるわけがない筈だったのに、なのにその切れ長の赤い目を見た途端オレはボロリと言葉を吐きだしていた。
「ずっと繰り返しているんだ」
嗚咽混じりの擦れた声で。
「ずっとずっと堂々巡りだ、どうすればオレはお前を救える。どうすればこれは終わる、どうすれば一族は助かった、どうすれば良いんだ……!」
……既にまともな言語になっているかすら怪しかった。
「オレは何度でも繰り返す。何度も何度も死ぬ度に過去に戻って、戻るポイントすら毎回違って、何度だって死んで違う結末で、なのに終わらない。終われない。オレの何が間違っていたんだ、どうして終わらない。何度オレは彼らを殺せばいい、何をすれば赦される。どうして終わらない。終われない。オレは何度死ねば良いんだ、なあオレが悪いのか……!? ああ、違うオレが悪いに決まっている、なんでクソ、なんで、どうしてオレは
「……それを抱えていたのか」
そういって痛ましいものを見るかのように、赤の瞳は黒曜石の色へとスゥと変わっていく。
「シスイ……大丈夫だ」
そう言い聞かせるような声が優しくて意味が分からなくて混乱する。
「大丈夫」
肩より長い艶やかな緑の黒髪、細面の白い肌、通った鼻筋に美しい面立ちは、凛としていながらも女としての色香も湛えている。その肉体も、くノ一としての研鑽を積んだ引き締まった身体ではあるが、同時に成熟した女のものだ。おそらく年齢は20歳前後……そんな、女として成長したイタチがそこにいた。
これはなんだ、夢なのか、現実なのか。わからないままに指がカタカタ震える。
嗚呼、ここを知っている。
そうだ、此処をオレは知っている。
ここは南賀ノ神社、既に朽ちた場所。辺りは暗く、空には星が踊っている。
「もう、悩むな」
それに続く言葉がなんであるのか、どことなく悟っていながらオレはやはり気付けないでいる。
「私が……ついている」
その台詞を言うときだけ女の言葉が震えていた気がした。
女のしなやかな白い手がオレの背にまわり、どこか甘やかな匂いと体温が包み込む。
なにもかも現実感のない世界の中、その体温の暖かさとドクドクと女の胸から伝わってくる心音だけが、これが現実であることを訴えているようだった。
静かに女の唇が重なる。
その感触を想像したことがないといえば嘘になる。でもそれは一生知らないで終わる筈のものだ。オレが知っていいものではない筈だった。
「……駄目だ」
暖かい女の身体、匂い。陶酔しそうなまでに脳の奥がクラクラする。
それでも、どこか遠くから警告音がずっとガンガンと響いていた。
「…………それは駄目だ、駄目なんだ、イタチ」
「……忘れろ」
それに続く言葉は今は全部、だろうか。
思えば遠くにきた。
もう目の前の女性も己も子供ではない。男女が1つ所ですることなど1つだけなのだろう。
でもそれを理解してはいけないのだと、壊れかけた脳の奥からガンガン響き続ける。
それと裏腹に身体が熱い。自分だけを見ている切なそうなその目が、嬉しいのか、悲しいのか、苦しいのかすら今のオレにはわからなかった。
……そうして夜が明ける。
……。
……………………。
久しぶりに穏やかに覚醒をしたような気がする。
ずっとこのところ、過去に自分が殺した内容の夢しか見なかったし、どこから夢でどこまでが現実かもわからなかった。
今も、そう。
既に薄々と悟ってはいる。
ひょっとして己はとうに狂っているのではないかと。
それに気付いたのは、3度目の生だったか、4度目の生だったか。
それほどに時間がかかった時点で自分は本当に阿呆なんだと思ったものだ。
……それでも大切なものはあったはずなのだ。
命さえ惜しくないものが、この世にはあった。
その1つで、象徴ともいえるのがうちはイタチだった。
彼女が治める木の葉の里を見て見たいと、その下で子供達が笑う未来さえ手に入れられれば何も惜しくないのだと。それは本心からの願いだった。
オレにとって。
願いや夢というものをあまり持ったことのないオレにとって、それこそが叶えるべき唯一の望みだった。
他はなにもいらない。
自分がその中の一員として生きていく気もない。
それは唯一の綺麗な夢だったから、汚い穢らわしいものには近づけたくもない。
……確かに惹かれていたのは事実だろう。
でもそれと男女の仲になりたかったかといわれればそれは別問題なのだ。
好きだからこそ、そんな仲になることは望まなかった。
幸せになってくれればいいと思った。
幸福な未来を辿ることを望んだ。
それがオレの本心であり願いだった。
「……ぇ」
……確かに本心だったんだ。
満ち足りたような、幸福感は一瞬で覚めた。
白い滑らかな肢体、けぶるような黒い髪、朝日の中照らされた美しい女は今切れ長の目を瞼の下に隠している。
その玲瓏たる美貌も、姿もわからない筈がないだろう。
その肌にあってはならない筈の情交の痕が見えることも、特有の倦怠感もわからぬ筈がない。
……でもそれは、己と彼女の間でだけはあってはならないことの筈だった。
「あ、あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
声にならない悲鳴が漏れる。ガリガリ、ガリガリと、鉄の匂いに混じって煩いほどに爪をひっかく音が鼓膜を振るわせる。右も、左も、上も、下も、もう何もかもがグチャグチャで吐き出すものすらないのに喉の奥からは酸っぱいものが何度も何度も何度も何度も何度もこみ上げてくる。
(よりによって……ッ)
そんなのありえちゃいけなかったのに。
そんなのあってはいけなかったのに。
(オレが……ッ! オレが!!)
「シスイ……? 待て、止めろッ!!」
グチュッ。
自分の両目を抉りだし、それを声のするほうへ放り投げ、オレは駆けた。
真っ黒の視界、真っ黒の闇、真っ黒の世界、もう何も視なくていい。
もうなにもかまわない。
これを、この男を、罪深い罪人を、
許せない、許さない、赦すものか。
一度や二度の死など生ぬるい。
砕いて消えろこのケダモノめがッ!
そうして走って、走って、火口の匂いを感じて漸く足を止めた。
活火山。まだ生きた溶岩の山。
さあ、地獄の業火へと罪人を薪にくべろ。
……願わくば、今度こそ、終わりますように。
1000年の苦しみに合いますように。
「シスイッ! 待て、やめろ!!」
炎に飲まれる瞬間、そんな誰よりも大切だった筈の女性の声が届いた気がした。
了
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もしも、無限月読に囚われたらの話
今回の話はタイトル通りしーたんがもしも無限月読に囚われていたらどんな夢を見たのか? って話です。
なので今回の話には全面的にしーたんの深層心理や願望が反映されています。その辺踏まえてそれではどうぞ。
泣きたくなるほど幸せなのに、何故か満たされない。
ゆらゆら揺れる意識と寂寞の心。
その理由等、彼には知る由も無かった。
――――無限月読世界にて。
……なんだか長い夢を見ていたような気がする。
そんなぼんやりとした頭のまま、男……うちはシスイは布団より身を起こした。
そこは懐かしい木の葉隠れうちはの集落にある我が家で……。
(懐かしい?)
……馬鹿な、と思った。
懐かしいも何も、昨日もこの家で寝起きしたばかりではないか。
そう考え、邪念を払おうとするかのように、頭を横に振り払った。途端チクリと残った違和感は霧散し、一体何に違和感を覚えたのかすら思考からは綺麗サッパリ消えていた。
嗚呼、そんなことより今日も良い天気だ。空は清々しい青に満ちており、暖かな日差しがこの身を包む。
今日は休みだ。昨日の晩ご飯の残りもので朝餉を軽く済ますと、そのまま身軽な格好で朝の散歩へと洒落込む。
そうやって歩いていると木の葉も随分と変わったなとそう思う。
かつての諍いなど嘘だったように、うちは一族も里のものも仲良さそうに穏やかに談笑している。
なんて平和で愛おしい日常なのだろう。
(? 諍い?)
いや、そんなものはなかったはずだ。それなのにそんなことを思うなんて己は寝ぼけているのではないだろうか?
そう思って癖毛の黒髪が印象的な男は苦笑する。
まあそれにしても、木の葉も近代化したものだ。
自分が子供の時は子供達はアカデミーを出たらすぐに就職したものだけれど、今は高校・大学まで作られて、忍び以外にも色んな職業に子供達の道は開いている。
ほら、耳を澄ませば子供達の笑い声。
公園でおままごと遊びに興じる女の子達や、やんちゃな悪戯をしたり野山を駆け巡ったりしてはしゃぐ男の子達。子供達が元気で活気に満ちているのは良い事だ。思わずこっちも生きる活力を貰える。
長く続く平和が故に忍びの職業も随分と血なまぐささから遠のいた。今の忍びの職業内容は失せ者探しや悪人の捕縛とまるで万屋のような有様で、それをつまらないと嘆くものもいるかもしれないけれど、シスイはそんな今の忍界が好きだ。必要以上に誰も傷つけず、誰かの役に立って給金が貰えるというのならそれに越したことはないだろう。この技術が誰も泣かせずにあるというのなら、それに越したことはない、
今や里からは血の臭いはしない。
誰も、其の手を血で汚さない。この平和に犠牲を強いられるものは誰もいないのだ。
それがとても嬉しく心地良い。
子供の笑い声が絶えない木の葉の里。木々の香りとひなたの匂い。穏やかで落ち着ける場所。まるでこの世全てのものに祝福されているみたいだ、とシスイと呼ばれている男は思った。
なんて事を考えていると、前方から覚えがあるチャクラの匂いが近づいてきて、ふと男は足を止めてそちらへと見やった。
「ゲッ」
と嫌そうな声を漏らしながら己を見てくるのは、赤ん坊の頃からよく知っている少年の姿だ。
「なんで朝からアンタがこんな所にいるんだよ」
「よぉ、サスケちゃん。ひさしぶりー」
そういって忌々しそうに柄悪く自分を睨み付けてくるのは、学ランに身を包んだ同じうちは一族の美少年の姿だ。
名はうちはサスケ。時期里長……火影の最有力候補と名高いうちはイタチの弟に当たる存在だ。
うちはイタチはシスイにとっては幼馴染みであり、一時期は婚約者でもあった少女で妹分のようなものだ。その弟であるサスケともまさに家族同然の付き合いで小さな頃からよく知っているわけだが、このサスケ少年、お姉ちゃんが大好きな所謂シスコンという奴で、それ故かイタチと親しい己に対し幼い頃から嫉妬混じりの敵意をよく向けてきたわけだが、そんな小さな少年の嫉妬と一生懸命な敵愾心がなんだか見てて微笑ましくて可愛くて、からかったら面白いのもあり、サスケには嫌われているんだろうなーとは思いつつも、シスイ自身はサスケのことを大層気に入っていた。
なので今も嫌がられるのは承知の上で人懐っこく笑顔を浮かべつつ、ヒラヒラと手を振って挨拶の言葉をかける。
そんなシスイに対しサスケはチッと舌打ちしつつ「サスケ『ちゃん』はやめろ」と吐き捨てた。
「はははっ、すまん、つい。そうだなサスケももう中学生だもんなー。やっぱ流石にちゃんづけは嫌か」
「たりまえだろ」
とギンッと鋭い目つきで凄まれても、シスイにとっては猫に睨まれたようなものである。
なのでこういうとこがからかい甲斐があって可愛いんだよなーとか思うだけであった。
「うんうん、あんなにちっさかったのに大きくなったよなあ」
「人の頭撫でんじゃねえ、このウスラトンカチの木偶の棒が!」
ははははと笑いながらまだ己より頭1個分ほど小さなサスケの頭を高速で撫で撫ですると、それがサスケは気に触ったらしい。ベシッとまさに猫が気に入らない人物を爪でひっかくような剣幕と仕草で自分より一回り年上の男の手を振り払った。
「まあまあ落ち着けって、カルシウムが足りていないんじゃないのか。偏食は良くないぞー、大きくなれなくなる」
「テメエだってその歳でも未だに納豆嫌いじゃねえかっ! 人の事言えんのかっ!」
「良いの良いの、大豆自体はよく取ってるし、オレは既に成長とまってるから。因みに今日はただの散歩だ」
「よぉ、サスケおはよー……ってシスイの兄ちゃん?」
なんてサスケとそんなやりとりを繰り広げていると、後ろから聞き覚えのある明るい少年の声と気配がして、シスイはにこやかな笑みと共に、片手をピッと上げて挨拶の言葉を投げた。
「よっ、ナルト。おはよう。今日も元気そうだな」
「ウスラトンカチ!」
男の言葉と同時に黒髪の少年も鋭い声でそんなかけ声を現れた金髪の少年にかける。
金髪の短髪に、スカイブルーの瞳、頬には特徴的な三本線が入ったサスケより幾分か背の低い男の子。
この少年こそが現里長、4代目火影波風ミナトと九尾の人柱力うずまきクシナの1人息子であるうずまきナルトだ。女の子にはモテても男友達とは縁が薄いうちはサスケにとって、数少ない男友達の1人でもある。
(まあ、友達というか半分喧嘩友達みたいなものなんだろーけど)
だけど毎日一緒に学校に行ったりなんだかんだでよくつるんでたり、口ではぎゃんぎゃん互いに言ってるがなんだかんだでいつも一緒にいる2人である。おそらくは今日もサスケとは暗黙の了解でまちあわせていたのだろう。
「シスイの兄ちゃんも久しぶりだなー。ところでサスケと何してんの?」
「うーん、散歩がてら出会ったんで、ちょっとからかったら猫宜しくひっかかれました。相変わらずサスケはつれないです」
「つれてたまるかっ! あとオレは猫じゃねえ!!」
「相変わらずシスイの兄ちゃんってばチャレンジャーだなー」
「そうなんだよー。いつになったら懐いてくれるのやら。まあこのままでも別に悪い気はしないんだけど」
「趣味悪ィなー、兄ちゃん」
なんて会話をあははとほのぼのとナルトとシスイは繰り広げる。
これもいつものことである。
「もういい、行くぞウスラトンカチ!」
そういってズンズンと進み始めるサスケを見て、「あ、待てってサスケェ! シスイの兄ちゃんまたな!」そういってナルトもまた青年と別れようとするが、しかしそのタイミングでシスイがナルトに対して放った言葉に、ナルトは意表を突かれた。
「おう、またなナルト。学校でもサスケちゃんのことよろしくなー」
その言葉に進もうとしていたサスケ少年もピタリと歩を止めた。
「ぶっ!!」
笑いのツボに入ったのか、金髪の少年は思わず吹き出し、酷く顔を歪めて、苦しそうにお腹をバンバン叩いてウケていた。
「ぶっは……! サ、サスケェ、お、オマエ未だにシスイの兄ちゃんにちゃんづけで呼ばれてたのかよっ!ダ、ダッセエ……!!」
そういって、ゲラゲラと大声で笑い転げるナルトを前にドンドンとサスケは顔を真っ赤に染めていき、ズンズンと怒りを纏いながら今来た道を帰ってくる。
「笑ってんじゃねえ、このドベッ!」
と、ガーッとサスケに怒鳴られるが、ナルトは気にならないのだろう。
「まあ、そう怒るなってばよ、サスケちゃん? ぷくくくく」
と、シスイの真似をするかのような物言いでそうサスケの肩にぽんと手を置きながら、ヒーヒーと笑いの発作に陥っていた。
その後、「喧嘩売ってんのか上等だー!」と叫んだサスケの声を皮切りに、ナルトとサスケの忍術混じりの喧嘩が勃発したが、まあいつものことだ。火遁だの螺旋丸だの色々聞こえているが、この2人のことだ、酷いことにはならないだろう。
と、思ったので「遅刻しないようにほどほどにしとけよー」と声をかけてシスイはその場を去る事にしたのであった。
* * *
「へえ、そんなことがあったのか?」
「そうなんだよ。全くいくつになっても変わらない可愛い奴らだよ」
なんて今朝合った出来事を聞かせながら、思わず思いだしてクスクスと小さく笑いながらシスイは声をかける。
それに対し、黒髪ストレートの大人びた美女……幼馴染みであり、元婚約者にあたる女性、うちはイタチもまた控えめで穏やかな笑みを浮かべながら、優雅な仕草でコーヒーを啜り、シスイが話す言葉に耳を傾けていた。
……今日もまた穏やかな1日だった。
朝の散歩ではナルトとサスケと会い、仕事に出向いたら元教え子の武闘派くノ一っ子ら3人組に遭遇して絡まれ、そのあとは猿飛アスマをはじめ、他2人と協力して4代目火影の指令の下任務をこなして、夕方ばったり出会ったイタチと久しぶりに共に食事を取り、ついでだからお茶でも飲みに来いよと誘って、家でこうしてまったりくつろぎながら今朝あった出来事を話している。
楽しくて愛おしくて泣きたいくらい穏やかな日常。
イタチも今日は久しぶりに休みだったらしくて、私服でゆったり優雅にくつろいでいる。
こんな風にただソファでくつろいでいるだけなのに、どうしてこうも1つ1つの仕草に品があって絵になるのか。細く綺麗な指の動きも優美で滑らかで、その仕草だけでも少し色っぽくて指フェチの自覚がある男としては、そんなつもりで家に誘ったわけでなくても少しだけドキドキする。
(いや、妹みたいなもんだし)
とは思って、邪念を振り払うが、大人になったイタチは綺麗になったとそう思う。
元々綺麗で大人びていた子ではあるが、より一層大人の女としての色香というものが加わったというべきか。子供の頃のイタチは正直、男である有り得たかもしれない世界のイタチと外見的には差異を感じられなかったため、いくら美少女でも頭からちゃんと女の子であると認識出来ていたかは妖しいものだったが、やはり性差というのは成長期になると顕著に表れるものだ。
NARUTO世界の男であるうちはイタチも細身で中性的な美形でスラリとした体型であったが、やはり男のスラリとした細身体型と女のスラリとした細身体型では色々と違う。
男より女のほうが体付きからしてよりほっそりとしているし、ふくらんだ胸部に男のものより肉付きの良い臀部、男より一回り小さな手足に、何より匂いというかフェロモンが違う。やっぱり女の身体からは男を惹きつけるそういう成分か何かが出ているのだろう。
性格だってNARUTOの男であるイタチと根底は同じでよく似通ってはいるが、やっぱり男と女では決定的に何かが違うのだ。それが男か女かというアイデンティティの違いなのだろう。
実際このイタチは華美な衣装こそ身につけることはないが、それでも酷く女性らしい面がいくつもある。この世界では生まれたときから女なので当たり前だが、自分は女であると自負して自然に自分は女であるとして行動している。そうとも、女性、なのだ。
「そういえばさ……」
子供の頃はそれでも、子供は恋愛対象外なのもあって完全に妹を見るような目でしか見れなかったのに、今はちょいちょいと女として見てしまう視線が混じってしまうのを、複雑に感じつつ、シスイは自分の中のそんな動きを誤魔化すようにイタチに言葉をかける。
「オマエってたまにはオシャレしないの?」
そういってチラリと横に座るイタチに目をやる。
そこにいるのはいつも通り、シンプルな黒の上下の私服を身につけたうちはイタチの姿だ。落ち着いた玲瓏たる美貌を誇るイタチは、素材が良いからか化粧っ気などなくても充分に美しかったし、黒髪黒目のその品のある美貌にはシンプルな黒が大層よく似合ってはいたが、それでも年頃の娘とはもう少しオシャレすることを楽しんだり、気を遣ったりするもんなんじゃないだろうか? という思いもなくもないのだ。
せめてスカートを身につけるとか、紅を引くとか。
今日は休日なのだし、若い娘なのだからそういうことを楽しんでもいいんじゃないのか?
というシスイの思考が読めたのか、イタチはクスリ、どことなく挑発的なからかうような笑顔でこう言った。
「着て欲しいのか?」
それが酷く優雅なのに、蠱惑的な笑みでシスイは思わずドギマギしながら頭をポリポリ掻きつつこう答えた。
「いや、まあ見たくないっていったら嘘かも知れないけど、オマエはオシャレとか楽しんだりしないのかなって……その」
スルリ。
「……オマエが望むのならば、着てやろうか?」
長く優美で形の良い女の指がシスイの頬にかかる。ドキリ、と心臓がなった気がした。美しい形の良い白魚のような指がスルリと顎のラインを辿る。形の良い桜色の唇。囁くような擦れた低音で、女がそんな言葉を秘め事のように洩らす。ゴクリと、知らず喉が鳴った気がした。
「なぁ……シスイ。オマエは私にどのような服を着て欲しいとそう望んでいる?」
「その……オ、オレは…………」
長い睫を湛えた切れ長の目が色を乗せながら細まる。妖しく、誘うような動きで首元に這わされる白い手と、半開きで赤い下の覗く唇は扇情的で、喉が渇いて仕方がない。
まるで奥底に封じた欲望を見透かされたかのようだった。
酷く緊張する。
まるで彼女の部屋に始めて上がった高校生のガキのようだ。
このまま、この時間がずっと続くように思われた。……が。
「……なんて、冗談だ」
なんて言葉となんでもなかったかのような笑みでもってアッサリ、その空気からシスイは解放された。
「……って、オマエな」
ガックリと安堵と緊張がとけたことから肩を落とすシスイに対し、イタチはクツクツと含み笑いを洩らしながら、「先に変な質問をしてきたのはオマエのほうだろう? だからシスイ、オマエが悪い」なんて楽しそうに返した。
それに、あーあオレ遊ばれてんなーと思いつつ、複雑な男心を宥めつつなんだか釈然としないなーといわんばかりの口調で言葉を零す。
「ったく、楽しそうにしやがって。第1、そんなに変な質問だったか?」
「不服か?」
「……オマエが余裕なのが納得いかねーだけだよ」
それにイタチは穏やかな表情でこう答えた。
「そうか。まあ私は別に着飾る必然性を感じてないからな。普通に生活するのであれば、こういう格好で充分だろ。それに……」
そうしてニッコリ、白梅の如き微笑みで、こう女は答えた。
「……そういう格好は特別な時に特別な場所で、見せるのもオマエ1人でいいのだろう?」
「…………やっぱオマエ、オレの事からかってんだろ」
と、答えつつ頬が熱くなるのはどうにも出来なかった。
……日が暮れる。
夕暮れの時間は終わりを告げ、夜の闇が世界を支配する。
そんな中太陽の代わりに自分達を照らすのは青白い月の光。
それがどこかもの悲しくて、つい懐かしく遠い過去に置き去りにした曲が口をつき出る。
「……~~~♪」
静かな旋律。遠い過去。どこかもの悲しく郷愁を呼ぶメロディ。
「オマエは昔もよくその曲を唄っていたな」
「なんだ、まだ帰ってなかったのか」
そう返して苦笑する。
いつもは1つで後ろにくくっている髪を卸しているイタチの姿は、それだけでかなり新鮮だし、どちらにせよ美しい。
(本当、綺麗になったよな)
と何度目かわからない感想を思い浮かべる。
でも綺麗になったという言い方は何か違うのかも知れない。何故なら昔からイタチは綺麗な子だった。その見目も心も在り方も。
だから、正確には綺麗になったと言うより……
その憂いを帯びた横顔も、いつかの子供ではなく、色香を帯びたもう一端の大人の女のソレだ。
それでも、婚約を解除したことを後悔はしていないけれど。
「なぁ……シスイ。オマエは今幸せか」
女は問う。
「…………」
男は一旦黙る。
けれど、そんなの答えるまでもない。
(だってこれは望んでいた世界)
「当たり前だろ」
(こうであってほしいと作り出した願望、夢)
「オレは幸せだよ。幸せで幸せすぎて
愛しくて苦しくて息も出来ない。
幸せ過ぎて窒息しそうなんだ、と男は洩らした。
そんな男を、ゆるゆると慈しむように女は指をクセのある彼の前髪に絡ませ、幼子を労るような仕草で撫で、梳いていく。
「全く、オマエは昔から本当に涙脆いな」
そういって囁く声も表情も温度もまるで慈母のようだった。
優しくて愛惜しくて、悩ましくて、刹那消えてしまいそうで、言の葉は上手く形にならずただ墜ちていくだけ。
否、言葉でいくら重ねてもこの心を本当に表せるものなど何もないのだろう。
空に消え、大気に融けて全部届けばいいのに。
「ずっと明日がこなければいい」
それが、本来の男であれば言うはずがなかったその台詞が、誰かの悪意と善意の上で出来たものだと結局男は気付ける日は来ないのだ。
何故ならこの世界では、この出来事こそが現実だから。
そうやってゆるやかに、幸福な夢を見ながら、男は死んでいくのだろう。
ジワジワ、ジワジワと。
融けて融けて、無限月読に飲み込まれながら。
幸福な夢に、死す。
了
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もしも、IFルート世界に原作終了後の七代目火影なナルトがやってきたら・1話
今回の話は活動報告でいってた、うちはシスイ憑依伝IFルート・ザ・ストーリーの世界に原作終了後七代目火影に就任したナルトがやってきたら? という話です。
なんか思ったより長くなったので話分けることにしました。
因みにおいちゃんの中で漫画界で「ただただ幸せになって欲しいキャラベストスリー」はNARUTO外伝より、うちはサラダ、ヒロアカより轟焦凍、Fate/SNよりイリヤスフィール・フォン・アインツベルンとなっているぞ。
サラダちゃんマジ健気な良い子やで。原作最終回読んだ時は「性格悪そう」とか思ったのがマジすまんかったと思うくらい内面が可愛いわ。マジ良い子。こんな健気で純粋で可愛い娘がいるのに物心ついてから1度も会ってやってないとか、サスケオマエ1度刺されろ! 八代目火影はサラダちゃんでいいと思う。ボルト? 本人の希望通り火影補佐でいいんじゃないかな! まあ、この話にサラダちゃんは出ないが。
ではどうぞ。
「本当にナルト……かのぅ?」
見上げた先には自分が本来歩んできた時間軸ではとうの昔に亡くなった人物の、年齢の数だけ皺の刻まれた懐かしい顔があって……。
「じい……ちゃん?」
たとえそれが自分が知っている人物と厳密には異なる存在だとわかっていても、目頭が熱くなるのは止められなかった。
もしも、IFルート世界に原作終了後の七代目火影なナルトがやってきたら
1話
時は2日ほど前に戻る。
其の日、近年念願の七代目火影となった木の葉の里長、うずまきナルトは、慣れないデスクワークに四苦八苦しつつも、奈良シカマルのサポートの元、影分身を最大に利用して火影業をいつも通りこなしていた。
「あーあ、キリねェな……」
とかぼやいたところで仕事が減るわけでもないし、第1火影はナルト自身の長年の夢だった。故に火影になった事自体は全く後悔していない。後悔してはいないんだが……連日この調子ではいくら自分でも疲れが溜まって仕方ない。
というか、いい加減影分身ではなく、本体の「自分」として妻や子供に会いにいって、一緒に食事取って一緒に会話を楽しみたい。
四代目火影の息子で、両親には愛されてこの世に生を受けたといえど、ナルトは長いこと両親がどこの誰で何者かも知らず、親の顔も知らない孤児として育ったため、家族というものには人一倍憧れをもっていた。
それを、日向ヒナタ……今はうずまきヒナタだ、という妻を迎え、うずまきボルトとうずまきヒマワリという2人の子供も出来、家族という帰る場所も得た。
……にも関わらず忙しさのあまり家にまともに帰れてないし、子供達にもそんなに構ってあげることが出来なくて、それは火影になってから益々傾向を強めているものだから、長男のボルトには反抗期宜しくバリバリ反発を受けている。ナルトだって悩んでいるしなんとかしたいとは思っているのだが、中々難しいものである。
妻の暖かい手料理を食べたい、子供達の顔が見たい。娘の髪を撫でてやりたい。
とか思いはするが、それでもそれを理由に火影業をおろそかには出来ない。いくら念願の火影になれたのだとはいえ、誰もいない時くらい愚痴をこぼしたかった。
「辛気くさい顔してるな」
「シカマル……」
といって現れた顎ヒゲがよく似合う精悍な顔立ちをした渋みのある男……アカデミー時代からの付き合いで、七代目火影の相談役でもある奈良シカマルだ、がそう仕方なさそうに眉を寄せながら現れ言った。
その手には書類らしき紙があり、もしかしてまた仕事追加か? と思えばうんざりしたような気分だった。
「まあ、デスクワークばかりじゃ仕方ないか。そこで朗報だ……といったら語弊があるが、久々にデスクワーク以外の仕事だ」
それが終わったら1日ぐらい休んで良い、あとはオレがやっておく。
と、仄かに笑みを浮かべてシカマルが言ったときは、まさかこれがこんな厄介な事に続くことになるとは、ナルトもシカマルもきっと予想出来ていなかった。
* * *
(あれ……? オレどうした……け?)
と、どこかぼけた頭でナルトは考える。
(確か、シカマルがお前もたまには息抜きが必要だろうって捜査系の任務をもってきて)
そうやってゆっくりと回想する。
そう、確か仙人モードで慎重に「なんらかの研究の跡がある」施設に侵入して、研究の成果を回収するはずだったのだが、その回収する対象にナルトが手を伸ばした途端発光したのだ。
時空間忍術に類するもので取り扱いが難しい案件だから、くれぐれも慎重に、と言われていたにもかかわらず、発光に巻き込まれてそのまま意識を飛ばした。
(鈍ってたとか、言い訳にならねェ失態だってばよ……ってこんなことしてる場合じゃねェ!)
と、そこまで考えた時点で慌てて目を見開き、ガバリとナルトは身を起こした。
見上げれば上弦の月。雲は美しく掛かり月を儚げに見せている。漂うのは緑の香り。深い闇というほどでもなく、森の入り口のようにも里の入り口のようにも見える。それがどこか懐かしいような違和感のような感覚を湧き起こし、後ろを振り向くとそこにあったのは……。
「へ?」
火影岩と町。
それが示すものは木の葉隠れの里であるはずなのだが……。
「どうなってんの?」
としか言えない。
何故なら、ナルトは七代目火影であり、火影岩にはナルトまでの代7人分の顔岩があり、その上にも近年出来た住宅街が立っていた筈なのに、顔岩の上には住宅街の姿はなく、更にいえばどことなく街並みが古くさい。まるで何十年も前の建物のようだ。それに……顔岩も、四代目までの分しかなく、それ以降の分がない。
そんな感じでグルグルするナルトの前に近寄ってくる気配があり、瞬時何事もなかったかのようにバッとナルトは構える。そんなナルトの前に現れたのは、黒の上下に緑色の上着を重ね着した、穏和な顔をした忍びらしき男だった。
「もし、アンタ…………ナルト?」
「誰だってばよ?」
これが、この世界で過ごす間厄介になる男、うちはシスイと、別世界で七代目火影と呼ばれる男との出会いだった。
……シスイは困惑していた。
正確に言うとうちはシスイと呼ばれており、21年間うちはシスイとして過ごしているが厳密には体だけ本物で、彼の魂は本来うちはシスイではないのだが、それは本物のうちはシスイの魂を除き誰も知らない事実なのでおいておく。ともかくこの世界でうちはシスイといえば彼のことなのだから。
そんな彼には前世というものがあった。彼の記憶やら人格もこの前世の延長線上に存在している。
その中には漫画という形で彼が今過ごしている世界とよく似た世界の話もあり、それはNARUTOと呼ばれる作品で、自分が今生きているこの世界はそれの平行世界のようなものだろうと、シスイは結論を出していた。
まあ、どちらにせよ非現実的な、と呼ばれる出来事のオンパレードに彼はこの世界でシスイとして目覚めて以来あいまくっている。
だけどまあ、それでもこれは吃驚だろう。
見回りをしていたら、突如近場に新しいチャクラ反応が出てきて、なんだと見に行ったらそこに居たのは「七代目火影」なんてマントを身につけた見覚えのある三本線が頬に入った、見覚えのある顔立ちの金色の短髪碧眼の男で、しかも自分がよく知る少年とチャクラや気配がそっくりだったんだから。
ただし、年齢やチャクラの量なんかは全く違う。
精悍な男前って感じの一端の男で体格も良いし、多分自分よりも年上だ。
普通はあの子供とイコールで結びつけたりはしないだろう。そう、
してもせいぜい変化で大人に化けているのか? と疑う程度なのだろうが、この男は自分のことを
(まさか……まさかだよなあ、そんな漫画みたいな)
とは思うが、シスイと今生で呼ばれているこの男、そのまさに漫画みたいな事象に21年前巻き込まれて、しかも未だにそのままだ。だからこそすんなりとこんな常識外の発想が出来たのだろう。
「あのー、もしかしてとは思うんだけど、アンタうずまきナルト? その顔とマントといい未来からきた、とか?」
とおそるおそる問いかけたら、推定ナルトな男性は「だからアンタ誰だってばよ、っていや、やっぱアレなのか。オレってばやっぱり過去にきちまったのか!? くそ、わけわかんねェ-!」とか頭をガシガシしながら喚いているのを見て、あー、やっぱナルトなんだーとその口癖や仕草、表情をして完全に納得してしまうのだった。
うちはシスイ、24歳。正確には別人の魂で、シスイに成り変わってしまった男。
なんか別世界から大人ナルトがやってきた? と認識しつつそのこと自体には驚きながらも、それでも16年前この世界のうちはイタチが女の子であることを知った時の衝撃に比べたら、こんなの大したことないよなーと考える辺り彼も彼で中々にずれていた。
とにかく、最初に今がいつの年代であるのかいつの年代から来たのかを確認し、この推定うずまきナルトが未来の時間軸からきているのが確定した上で、互いに情報を提供して状況を整理しようと持ちかける事にしてひとまず落ち着いた。この切り替えの早さは忍びならではと言えるだろう。
ナルトは、最初自分がうちはシスイと名乗ると、一瞬驚いた顔を見せた。それは知っている人の名だから驚いたというより、「あの○○」と噂だけ知っている相手に相対したときのような驚き方だったので、とりあえずシスイはもしかしてこのナルトは自分達が今居るこの世界軸の未来ではない、別世界の未来軸から来ている可能性もあるんじゃ? と探る意味も兼ねて、里では木の葉警務部隊が未だに治安を守っている話とか、こっちの世界のナルトとはわりと仲が良いという話をしたら案の定、「え、どういうことだってばよ!?」的な反応が返ってきたのでもしかしてこのナルトは原作の世界軸か、あるいは原作に近い世界軸の未来からやってきたのかもしれなかった。
一方のナルトもナルトで先ほどから驚愕に次ぐ驚愕で、最早何を聞いて驚けばいいのやら状態になりつつ、眼前の男を七代目火影として観察していた。
男の言葉に嘘は感じられないし、内にいる自分の相棒も、こいつは嘘は言ってないと告げている。
それに第1、本当にこの世界の年代が男のいう年であるのなら、既にこの男も含めうちは一族はサスケとイタチ兄弟を除き滅亡してなきゃおかしいのだ。だが、未だに木の葉警務部隊は現役とのことだし、朗らかで人の良さそうな顔をしたこの男の言葉にも嘘は感じられない。
(でもなあ……うちはシスイか)
そう思いながら観察する目でやはりナルトはシスイと名乗る男を見る。そしてやっぱり男が名乗ったときに思ったことを胸中で再び洩らす。
(やっぱりイメージと何か違うってばよ……)
火影となったナルトには過去にいた木の葉隠れの忍者達の写真やデーターを見る機会がいくつもあった。
その為、人から聞いた話とデーターと写真だけとはいえ、うちはシスイのこともナルトは知っている。
なにせあのうちはイタチの親友だったということだし、穢土転生で蘇ったイタチがナルトを褒めた時も、シスイの名を引き合いに出していた。とても立派な忍びだったという。なので写真でぱらっと見ただけの故人なのに印象に残っていたのだ。
写真で見る限り、うちはシスイの容姿はうちは一族では珍しいくらいのモジャッとクセのある黒髪に、キリッとした一本睫が印象的な、多少団子鼻だけど精悍な顔立ちの青年で、凛々しくイタチやサスケとは全く方向性の違うタイプの美形だった。
……が、目の前の青年は確かに昔見た資料の写真に載ってた青年と顔の特徴は同じ筈なのだが、雰囲気が大分違うし、表情もちっとも似ていない気がするのだ。
どことなくホワッとした雰囲気を漂わせる目の前の彼からは、あの写真を見たとき感じた印象の凛々しさは全く感じない。垂れ下がった眉と穏やかな笑みを浮かべる口元のせいかもしれないが、同じ顔をした別人じゃ……と思うくらい雰囲気が違うのだが、生憎ナルトの知っているうちはシスイはデーターと写真だけで、生前のシスイを知っているわけではなかった。
少なくとも、その纏っている空気のせいで美形には全く見えなかった。
まあ、それはおいといてひとまず疑問を尋ねることとする。
「なあ、アンタ」
「シスイでいいぞ。で、なんだ七代目殿?」
親しみの湧く笑顔を浮かべて、どこか茶目っ気のある声音で茶化すように言葉を返すこの男は、おそらく自分の緊張を解そうとしているのだろうと思いつつ、とにかく疑問を吐く。
「んじゃシスイ。ともかくアンタよくこんな荒唐無稽な説信じたな。パラレルワールドの未来からきたんじゃないかなんて、普通そんな発想でねーぞ」
「そりゃあ、今でこそいちアカデミー教師でしかねえが、オレだって伊達に上忍まで上り詰めてねーからな。柔軟な発想も出来ずに忍びなんてやれねーだろ」
とか表面上はなんでもないような顔と声音で答えているが、本当はオレも別世界からきた存在だからなー、なんて本音はおくびにも出さなかった。
「よし、状況はわかった」
まあ、ともかく軽く情報交換は終わった。
とにかくこの世界に来た原因は時空間忍術の暴発のようだが、里長だというのなら早く帰らないとまずいだろう。でもいつ帰れるかわからない以上いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。
「とにかく、後日三代目に説明した上で引き合わせるからひとまず家に来いよ。多分うちの嫁さん通じてのほうが話早いだろうし、あいつにも説明しないと。それに、こっちでも調べたらなんとか帰る方法も見つかるかもしれないしな」
まあ、うちまだ小さなガキいるからあんまり構えないかもしれんけど、と付け加えながら軽い調子で言う黒髪の男に対し、ナルトは、「ホントか!? 助かった……って嫁?」と疑問を乗せる。
それに対してシスイは苦笑しながら、先に口寄せした鳩に簡易の文をもたせて飛ばしつつこう言った。
「あー、多分。オマエ、見たら吃驚すると思うぜ」
「シスイ、その男が、オマエが知らせて来た、『パラレルワールドの未来からやってきた』とかいうナルトか?」
その姿を見た瞬間、シスイが予測した通り、ナルトはあんぐりと目を見開いて、唖然と目の前の女性を何度も見ながら口をパクパクとさせた。
やがて一拍おいてナルトが叫ぶ。
「イ、イ、イ、イ、イイイイタチィ!? その胸どうしたんだってばよ!? いや、過去の時間軸だってんならそりゃオマエも生きてるんだろうけどよォ、え、どういうこと!? まさかオマエもお色気の術にでも目覚めたのかァ!?」
「…………シスイ」
「いや、オレに聞かれても」
妻・イタチのどういうことだ説明しろという目線を向けられても、シスイには答えようがなく苦笑するしかない。まあ、予想はついてる。おそらくこの大人ナルトが来た世界でのうちはイタチは男性だったのだろう。それが別世界の過去にきたと思ったら、知人が女性になっていました、なんてのでは混乱しても仕方ない。せいぜい変化で女に化けているんじゃないのかと疑うのが関の山だろう。
が、しかしシスイはナルト世界ではうちはイタチは男性だったのです、という所までナルト自身の口から聞き出したわけじゃない。なのでこいつの世界のイタチは男だったから吃驚しちまったんだよ、勘弁してやってくれと弁明するのも、なんで知っているんだオマエが、となってしまうからおかしな話なわけで、よってシスイにはナルトをフォローするような言葉は持ち合わせてはいなかった。
が、とりあえずシスイは混乱しているナルトに助け船を出すことにした。
「あー、ナルト。一応言っておくけど、イタチは正真正銘生まれた時から女だ。今は三代目直属の暗部として働いている優秀なくノ一だ。何を驚いているのかは知らんが、仲良くしてやってくれ」
と、ポンと肩に手をおきながら言うとナルトは、おそるおそるといった口調で「お……女? っていうことはもしかして、シスイが言ってた『嫁』って……」
「うん、こいつ。オレの嫁。結婚3年目になる。息子も1人いて、サスケもよくこっちのナルトと取り合いしながらうちの息子の構っておじ馬鹿発揮してんぞ」
とケロッと答えると、ナルトは馬鹿みたいに口をパクパクして言葉を無くした後、一拍してから「えええー!?」と絶叫したので、ああ今日はフガクさん達との三世帯住宅化しているあっちの家じゃなくて、うちの生家のほうに連れてきて正解だったなーとボンヤリシスイは思った。
* * *
「成る程……経緯はわかった。私のほうからも三代目に掛け合おう」
とにかく再び情報を整理し合い、シスイが3人分の夕飯を作っている間に、聞き出すことを聞き出し、教えれることは教えられる範囲で目の前の大人ナルトに伝えたうちはイタチは、物静かにお茶をすすりながらそう結論する。するとナルトは『やっぱりイタチはどの世界でも頼りになるってばよ』と思いつつも、複雑な心境で、目前の麗人への視線をやる。
何度見てもその顔姿は変わりなく、どこからどう見てもうちはイタチであるのと同時に、どこからどう見ても美しい大人の女性だった。相反しそうで全く相反せず調和して両立しているのが却って怖い。
性差ってでかい筈なのに、なんでこう違和感がないのか。
元から中性的な美しい顔立ちをしていたのもあるかもしれないが、それでもこんな女に間違えるほどではなかった筈だ。
でもまあ、ナルトの知るうちはイタチと目の前の美女は全く同じというわけでもない。
長い睫と、切れ長で涼しげな目元に、通った鼻筋と整った顔立ち。凛とした品のある白梅の如き美貌に、髪は真ん中分けで、黒くまっすぐで指触りの良さそうな肩より長い髪をゆるく赤い紐で1つに縛っている。
その表情も、雰囲気も、物言いやちょっとした仕草だってナルトの知るうちはイタチと共通しているが、似通っているからこそ却って差が目立つというものである。
いくら面立ちや雰囲気が自分の知るイタチとそっくりといえども、女にしては低めの落ち着いた声をしているが、それでも、やはり自分の知る男であるうちはイタチの、成人済み男性特有の低音ボイスとは異なっているし、男と女では体型や体臭といったものもどうしても違ってくる。
おいろけの術でナルトが変化した姿ほどボンキュッボンとした体型なわけではないし、この世界のイタチは女にしては背が高いけれど、それでも自分が知る男だったイタチよりも背も低い気がするし、手足もやや小さく、スレンダーだが出る所は出ている体型をしている。胸も標準ほどの大きさだが服の上から見ても形が良く、ウエストもキュッとしまっている。その顔も、イタチの面影はあり過ぎるくらいあるのだが、それでも頬の輪郭のラインとか肌のきめ細かさ等が異なっている。
確かにイタチだとわかるのに、同時に女、しかも絶世の美女だ……だってのもなんの違和感もなく成立しているのを凄いと呼べばいいのか悪いのか、ナルトにはイマイチ判断が出来ない。
出来ないが、ベースが同じなのにあんまりにも違和感なくこちらの世界のイタチが女なので、あーイタチの奴にもしも双子の姉か妹がいたらこんな感じになってたりしたのかなーなんて考えることで、思考を逸らした。
所謂現実逃避という奴である。
ただ、これがあのイタチ本人とか思うよりは、もしもサスケに兄じゃなくて姉ちゃんがいて、それが自分の知るイタチそっくりの性格してたらこんな感じになったんだろう、程度に思っといたほうが自分の心の健全上は良いような気がした。
なんて考えながら、ズズッと茶を啜っていると、ガラリと戸を開け家主たる男が明るい声のトーンで言う。
「お、話終わったみたいだな。んじゃま食事にするぞ」
そういって運んできたのは野菜がたっぷり入った味噌ラーメンだった。
「え、ラーメン?」
「おう」
と喜びに口元がにやけるナルトに対しシスイは、カラカラと朗らかに笑いながら3人分のラーメンを順番に運びつつ言った。
「まあ、たまにはこういうのもいいかと思ってな。流石に一楽と比べられるとキツイけど、まあそれなりの筈だし食ってくれや」
そういってニッと笑う顔は人好きのする笑顔で、ナルトは少しだけ恩師であるイルカ先生を思い出し、元上忍師で現アカデミー教師だという男の肩書きを『確かに納得だってばよ』と思い「いただきます」と手を合わせ一口啜った。
「ウメエ」
「そりゃ良かった」
味も、一楽に比べたら確かに厳しいものがあったが、家庭料理としては充分レベルの代物で、ナルトは機嫌良くラーメンを口に掻き込んでいく。
「イズナは?」
「今日はミコトさん達が面倒見てくれるって」
「イズナ……?」
そんな風に隣で繰り広げられる夫婦の会話に、聞き覚えのある名前を耳にしてナルトは眉を顰めた。
それに対し、シスイはなんとなく何を案じられたのか察しがついて、ナルトが深読みする前にアッサリ正体を明かした。
「そ、うちの息子の名前。彼のうちはマダラの弟は平和主義だったと聞くからな。あやかって名付けたんだ。因みにもし女の子だったらクシナって名付けるつもりだったよ」
「! それって……!」
まさか、と何か気付いたみたいに目を見開くナルトに対し、シスイはそれ以上は答えず、ただ思わせぶりに曖昧に笑うだけだった。
「ここがオマエの部屋ね。出来るだけ三代目には早く面通し出来るようオレやイタチのほうから掛け合っておくから」
そういって今は使っていないらしい部屋に予備らしき布団を渡され通される。
「ああ」
「じゃな、おやすみ」
「その……ありがとな、色々。おかげで助かった」
そういって前々からの知り合いかのように人好きのする笑顔で告げる男に対し、ナルトはなんだか面映ゆいような心地を抱えながら、そう礼の言葉を贈ると、シスイは「いいって、気にすんな。困った時はお互い様だ」といってヒラヒラと手を振った。
「……おやすみ」
そうして、七代目火影うずまきナルトの、パラレルワールドでの一夜が終わった。
続く
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もしも、IFルート世界に原作終了後の七代目火影なナルトがやってきたら・2話
なんか当初の予定よりも長くなりそうだったので前編中編後編の三部編成やめて5~10話完結で1話5000~10000文字ぐらいでボチボチ連載にすることにしました。
や、だって1話が長すぎると途中でしんどくてやる気下がってめんどくさいし。どうせ外伝なんだし気軽にやればいいかなーなんて。
今回の見物は表面上クールなのに、何気に甘えているTSイタチさんな可愛さな気がします。それではどうぞ。
「おい、ナルトが消えたって本当か!?」
うずまきナルトが消えた。
そう、火影補佐であったシカマルに連絡が入ったのは、その10分後の事だった。
「ええそうです。部屋全体が発光したと思ったら次の瞬間には……」
と、答えたのはナルトに其の日つけていた暗部の忍びだ。
「あの馬鹿ッ」
シカマルはチッと苛立たしげに舌打ちを1つ洩らすと、すぐにその優秀な頭脳を回転させながら言った。
「まあ、良い。過ぎたことは仕方ねェ。それよりナルトを連れ戻すぞ」
そう言いながら、ナルトが消えた隠し部屋へと足を踏み入れた。
もしも、IFルート世界に原作終了後の七代目火影なナルトがやってきたら
2話
次の日の朝、心地良い藺草の香りと、暖かい日差しを受けてナルトは目をパチリと開けた。
ここのところずっと働きづめだったため、久々に熟睡した気がする。
一瞬自分がどこにいるのかわからず、布団の心地よさや、手入れの行き届いた和室で目覚めたのもあって、此処は旅館かなにかか? と誤解しそうになったが、よくよく考えてみると昨日自分に起きた出来事を思い出して、ポリポリと寝起きの頭を掻きながら苦笑した。
「夢じゃねェんだな」
襖にはうちは一族を示すうちはの家紋が絵飾りとして描かれている。
「お、もう目が覚めたのか。やっぱ大人になると生活習慣が変わるのか? おはよう」
と、ひょっこり、清潔そうな白いタオルを抱えて現れたのは、どことなく愛嬌のある若い男の姿だ。
「……おはよう? えーと、確かアンタは……」
「なんだもう忘れたのか。シスイだ、うちはシスイ。お前が住んでた世界のシスイじゃねえけどな」
そういってカラカラと笑う男は、人なつっこさと包容力に満ちたそんな魅力があった。前時代の忍者としては珍しいほどに感情豊かな男だ。思わず、ナルトもそんな男に釣られたように笑みを浮かべる。
「とりあえず、顔洗って来いよ。朝食の準備はしておいた。そこで今後のことについてもう少し話してやる」
「……おおー」
顔を洗い、シスイに渡されたタオルで顔を拭って朝食を摂りに今へと向かったナルトは、ぱちぱちと目を瞬かせながら、目の前に並べられた2人分の朝食を眺めていた。
そこに並んでいるのは、まさにTHE 朝食って感じの王道的なメニューだ。
ほかほかご飯に出汁巻き玉子、青ネギと若布の味噌汁に、カツオのかかった絹ごし豆腐、煮豆の筑前煮にパリパリの黒海苔。まさか朝っぱらからこんなちゃんとしたご飯が出てくるなんて思わなかった。幼少の頃から1人暮らしが長く、カップ麺生活とかが長かったナルトには尚更だ。
今は妻であるヒナタが家では暖かい美味しいご飯を作ってくれているとはいえど、ナルトはそもそも火影になって以来殆ど家に帰れていないし、ヒナタの作るメニューはここまで和食に特化していない。その為、人の手作りを食べるのも久々で相変わらずカップラーメンが食の友と化しているナルトにしてみれば、この朝食は『まるで本当に旅館に来たみたいだってばよ』という感想をいただかせるものだった。
けれど、多分目の前の男にとってはこの朝食は普通なんだろう。おそらく作ったのもこの男なのだろうし。
そのため、全く動じずに目の前の黒髪をした男……うちはシスイは、自然な仕草でナルトの向かいの席に腰掛け、なんの気負いもない口調で手を合わせて言った。
「いただきます」
それがあんまりにも自然なので、自分もそうしなきゃいけない気分が沸き上がり、真似するように、目の前の男よりは若干ぎこちなさげにしながらも手を合わせ、ナルトも言った。
「いただきます?」
そうやっておそるおそる味噌汁に口をつけたが、ナルトにはあまり馴染みのない家庭的な味で、少し愛する妻の料理を思い出してしまい、切ない気分になった。が、それを誤魔化すように笑みを浮かべながら言った。
「ウメェ、ウメェってばよ。アンタ料理上手いんだな」
少しだけわざとらしいはしゃぎ方だったかな? と思いつつ胸中を誤魔化すように言ったナルトに対し、シスイは苦笑しながら、「気に入ってくれたんなら恐悦至極……と、それより頬に米粒ついてるぞ。食いながら喋るのはやめろ。行儀悪い」と言いながらシンプルなブルーのハンカチを差し出してきた。
「と、悪い」
とナルトも返すが、そこにいつも元気にはしゃぐ金髪の少年の面影が見えて、シスイは微笑ましい気分になる。
(大人になって、見た目はかっこよくなったのに、あんま変わってねえな、ナルトの奴)
それは幼い弟を見守る兄みたいな視線である。
ぶっちゃけ今のこの2人には肉体年齢に一回り近くの差があるし、ナルトはもう一端の大人だ。普通に立っていれば精悍な男前でかっこいいし、火影としての実力に裏付けされた貫禄もある。
だが、外見年齢的には逆であるにも関わらず、なんだかお父さんと息子にさえ見えかねないこの光景のおかしさに、2人は互いに気付いていなかった。
とにかく、朝食を終わらせ、食後に出された梅昆布茶を飲んでいると、今がまだ朝の6時過ぎであるであることに気付く。確かに男がいう通り、昨日は早く眠ったとはいえ、随分と早起きしていたらしい。
まあ、それをいうなら目の前で今茶を注いでいる男のほうがもっと早起きだろう。なにせ、ナルトが起きる前にはあの手が込んでいそうな朝食を作り終えていたのだから。
「で、今後のことについて、の話で良かったか?」
コトリ、自分の分のお茶も注ぎ終わり、2人分の食器を運んで水につけて戻って来た男に対し、ナルトは少年時代のナルトにはない落ち着き払った態度でそう切り出す。
それに対しシスイは『おお、ちゃんと食べ終わるまで話待てるとは、やっぱり大人になってナルトも成長したんだなあ』なんて親みたいな感想を内心浮かべていたが「ああ」とあっさり頷いて肯定した。
「まずここはオレの生家なんだが、今は基本的にオレはこっちで暮らしていないし空いているから、帰り方見つかるまではここで暮らして貰うことになると思う」
「ここで暮らしていないって?」
「んー……イタチの奴と結婚して以来あいつの実家で暮らしてんだよなあオレ。何せイタチの奴はオレよりよっぽど優秀で忙しいし、それでミコトさん……あ、イタチの奴とサスケのお母さんなんだけど、が子供出来たら若い2人じゃ大変だろうし、サポートするから一緒に暮らさないかって言ってくれて、とりあえずサスケが家出る年齢くらいまでは一緒に暮らすことになってんだよ」
だから昨日は付き合いでこっちに泊まったけど、小さなガキもいるし今日からはもう向こうに帰らないと、とズズッとお茶を啜りながら答えたシスイだったが、あまりにもあっさり家庭事情を明かした男に対し、ポカンと口を開けながらナルトは尋ねた。
「それって、他人に簡単に話していい話なのかよ?」
「いーの、いーの。どうせ周知の事実みたいなもんだし。どうせお前元の世界帰るんだろ? 別に知られたところでダメージないから」
と軽い調子で答える男に対し、ナルトは『あれ~? うちは一族って閉鎖的って聞いてたけどよォ、どこが閉鎖的?』とか考えてたが、もしかしてこの目の前の男だけなのかも知れないと考え直して自分を納得させた。
「まあ、そんなわけで暫く元の世界帰る手段見つかるまではこの家で暮らしてくれ。それで三代目にお目通しする件だが……」
「そのことについては私から話そう」
と、いうなり天井からスッと黒髪長髪の落ち着いた声音の女性が現れた。
その現れ方はまさに忍者といった感じで、優美で洗練されており、無惚れるほどに動作に無駄がない。
ただ現れただけなのに、凛とした空気と、引き締めるような雰囲気を放っている。この希有な存在感は他にそういないだろう。
「イタチ」
暗部衣装に身を包んだうちはイタチは、ナルトが知っていたうちはイタチと気配も雰囲気も殆ど同じだ。ただ、自分の知っていたイタチにはなかった膨らんだ乳房や、男の時よりも華奢な肩のラインなどが女であることを強調しており、厳密には自分の知っているイタチと別人であることを示していた。
「三代目は明日の朝7時頃に面会したいとそう仰せだ。元の世界に戻る方法の協力については自分で話して約束を取り付けるという形のほうが良いだろう。一応私やシスイのほうから君について報告しているが、火影という立場上容易に人のいうことを鵜呑みには出来ないからな。三代目自身、己の目で見て君が本当に『うずまきナルト』なのか、『里に危害を加えることはないのか』見極められるつもりだ。その辺り重々承知して出来れば今日1日は大人しくしておいたほうが無難だろう」
と、淡々と答えるが、その言葉に彼女の夫たる男は、『イタチがこんなに喋るなんて、ナルトの奴のこと気に掛けてやってるんだなあ』となんだか微笑ましい気分になってしまって和んだ。
「あ、それと、もしも出かける場合はこいつを連れて出歩いてくれよ」
といい、シスイは口寄せで呼び寄せた小さな鳩をナルトの肩に乗せた。
男の忍鳥である小さな白い小鳩は「クルッポー」と呑気そうな声で鳴いている。
一瞬ナルトは意表をつかれた顔でぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、男と鳩を見た。
「お前が里に害を加えるとは思わんけど、それでも今のオマエはどこの誰とも証明出来ない、この里の忍者登録にも乗ってない存在だ。一応オレだってオマエを野放しには出来ないんだ、悪ィな」
つまりこの鳩は監視役なのだろう。
まあ確かに火影としても、ナルトだって自分が同じ立場だったら、別世界の未来の時間軸からきました○○ですなんて紹介されても、立場上野放しには出来ないだろう。
たとえ相手がこちらに害意がないとしても。里を守る為にはせめて監視は必要だ。
それを忍鳥だけですまそうとしている辺り、大分優しいのだと思う。思うが……。
「……なんで鳩?」
ナルトの知るうちは一族の口寄せ動物といえば、イタチは烏だったし、サスケは鷹だ。そのことから考えるとうちは一族は鳥を口寄せ動物に選ぶ率が高いのかも知れないが、あのうちはの兄弟が使役していた烏や鷹はまだ忍鳥っぽいけれど、よりによってこの目の前の男が使役しているのは鳩。
クルッポーと鳴く毛がふさふさで平和そうなツラをしたその鳥は、和ませはするが、忍びが使役するような生き物には全く見えない。というかこんな脳天気そうな鳥を指してこれがオレの忍鳥だ、とか言われても格好がつかねェんじゃ、と思ったのだった。
そんなナルトの心の動きが見えたのだろう。
「……オレと相性が良かったのがたまたま鳩だったんだよ、放っとけ」
そうシスイはばつが悪そうな顔で答えて、恥ずかしそうに耳まで真っ赤に染めていた。
「えーと……悪ィ?」
もしかして気にしていたのかなと思ってナルトがポリポリと頭をかきながら謝ると、イタチはコクリと、わかっているような顔で頷きを返し、そしてフォローするつもりか口を開き言った。
「シスイ、そう恥じるな。鳩が使役動物でも悪くないだろう」
「……イタチ」
「まず誰もこんな平和そうな生き物が忍鳥とは思わない。ということは忍びの本分たる、敵の裏をかくのに向いているということだ。それに……オマエにはよく似合っている」
ガクリ。シスイは肩を落として凹んでいた。イタチは相変わらずの表情でわりと本気でフォローのつもりで言っていたらしい。イタチは冷静沈着で産まれた時から天才神童の名を恣にしてきたが、案外隠れ天然入っていることを知るものは少なかった。
そんな風に妻に慰めに見せかけたトドメをさされた男を見ながら、ナルトは「イタチ、あんまりフォローになってないってばよ」と微妙な顔で佇むのであった。その金色の頭の上では、やはり平和そうな声で白い小鳩がクルッポーと鳴いていた。
まあ、とにかく三代目火影には明日会う算段がついた。
「では、明日の7時前に迎えに来る」
と、イタチはナルトに向かって言い、ナルトも「ああ、悪ぃな」と返す。
この辺りまでは和やかだった筈だ。
だが、台所におかれた2人分の食器を洗いに向かった夫を見るなり、イタチは急に不機嫌そうな空気を纏い始めた。
「……2人で食べたのか」
「ん?」
眉間に縦皺を1本刻み、玲瓏たる美貌を誇る女はじーと黒い眼で夫である男を見上げる。
「いや、だって、オマエ家でミコトさん達ともう食べてきたろ?」
慌てたように男が答えるも妻の視線は変わらない。
ジー。女は変わらぬ表情で相変わらず男を見上げている。
「悪かった。悪かったって。そんなに怒るなよ。ええと、筑前煮と米は残っているから、お前の好きな昆布握りと弁当作ってやるから機嫌直せよ、な?」
「……卵焼き」
「わかった。わかったから誠心誠意込めて作らせていただきマス」
そういって、シスイが頭を下げるや否や、殆ど表情は変えないながらもイタチはふっと空気を和らげた。
男は早速、作る弁当の内容に頭が向かっているのだろう。朝食の残りの筑前煮と、キャベツともやし炒めと、人参のグラッセもつけとくか、とどっかの主夫みたいなことをブツブツ洩らしていた。
見た目は変わらないが、夫を見る女性であるこの世界のイタチは機嫌が良さそうだ。
そんな夫婦のやりとりを見て、ナルトは呆れたような声音で感想をポツリ。
「スッゲェな。以心伝心?」
なんであれだけでわかるんだ? と疑問を乗せる。そんな彼の質問に答えられるものはこの場にいなかった。
とにかく、弁当も作り終わり、忍鳥に持たせて先に家を出たイタチへと弁当を届けるために送り出すと、シスイは手ぬぐいで濡れた手を拭きながら、ナルトに振り返り、言った。
「じゃあオレはこれからアカデミーに行ってくるから。冷蔵庫の中に昼飯用意しといたんで適当にくつろいでてくれ。暇だったら少しぐらいうろついてもいいけど、さっきもいったようにソイツ手放すなよ、派手な行動はすんなよ。大人しくな。なんなら夕方ぐらいにアカデミーに来ても良いから、じゃ」
と言いながら、自身もイタチに用意したのとは色違いの渋茶色の弁当包みに入った弁当を手に、色々と指示を飛ばした。その間も机の上をキュッキュと磨き上げており、ナルトの昼飯をいつの間にか用意してたりと、なんともまあマメな男である。
「あのさ、オレ子供じゃねェんだけど」
と思わず呆れてナルトが言うと、シスイは一瞬キョトンとし、それから「そうだったな、悪ィ、ナルト」と愛嬌のある顔で笑い、「いってきます」と答え出ていった。
その姿はまさに世話焼き兄貴といった感じで、他人のことをいえないだろうが「忍者っぽくねェなー」と思わずナルトすら思ってしまうようなそんな姿だった。
因みに其の日の昼食は八宝菜たっぷりの皿うどんだった。
* * *
……そこは闇。暗闇の奥底深く。闇は病みを呼び、体が病めば心も病む。
狂い、狂え、哀れはこの身かこの脳か。
かつて実験台であり時空間忍術の研究者であった男は、既に正常と呼べぬ頭脳を持ちながら、月を見上げ闇に紛れながら微かに笑う。
月は魔性、人を狂わすもの。
引力と重力すら司る……いくつもの世界を束ねる焦点。
「来たか」
クツクツと男は笑う。
誰にも見つかってはいけない。あるかないかも知れぬ。
同じ研究者でも彼の三忍、大蛇丸は笑うだろう。
妄執だ、と切り捨てるだろう。
「だが、ここに我が仮説は成った!!」
ケタケタ、ケタケタと男は狂い狂い嗤った。
そうして月に手を伸ばす。
まるで月を地に墜とそうとするかのように。
「確かに異世界への扉は開いたのだ!!」
思い起こすのは自分を実験台へと落とした男の冷たい無価値なものを見る目。
そんなことは許さない。
そんなものは許さない。
「さあ、ゲートの収束点よ。世界の異物よ、貴様をこの手中に手に入れ、オレは、私は、世界を1つ手に入れるのだ!!」
狂った男は気付かない。
狂っているから気付かない。
それが妄執であることに。
ゲートの収束点と呼ぶそれが、男などの手に負えるような存在でないことに。
ただ、愚かで破綻した野望を杯に、望月をのぞむ。
続く
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