信念を貫く者 (G-qaz)
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prologue

初めての方は始めまして。お久しぶりの方お久しぶりです。いろいろあって間が空いてしまいました。にじファンからの移転作品となります。お楽しみいただけたら幸いです。


世界は絶望から始まる

歯車はここから廻りだす

 

prologue

 ~はじまり~

 

 そこは誰も立ち入らない場所。聖域でも、忌避すべき場所でもあった。

 つくりとしては、そこかしこに施された装飾から宮殿を思い浮かぶ。いや、細々した通路からは迷宮としての印象も強い。

 

 そんな通路を黒き衣をまとった人影が一つ進んでいく。

 

 顔すら覆ったローブのようなものを纏ったその影。

 その者は、知る者が見れば「始まりの魔法使い」「造物主」と呼んだだろう。知らなければ、ただただその未知の存在に圧倒され恐怖するだけであるが。

 

 

「決めねばならぬ…。もはや、猶予もない」

 

 

 窺い知れぬその姿。しかし、一人つぶやくその声色から、何か焦燥感と思しきものに突き動かされているようにも感じた。

 

 早足にその通路を進んだ先に、両扉があり造物主はその扉を開け放ち中へと入った。

 

 

 

 

 その部屋は、結構な広さを持っていた。数十人が入っても余裕がありそうなほどであった。

 

 部屋の中は薄暗かったが、円を模って作られたのか、壁は曲線を描きながら建てられていることが分かる。中心には、魔方陣を連想させる六芒星が刻まれていた。六芒星の頂点に対応するかのように柱が6本立っていた。

 

 不気味なほどにシンメトリーを感じさせる彫刻、刻印は、よりその部屋を特別な何かに仕立て上げているようである。

 

 造物主は、部屋の中央に立つ。

 

「これが成されれば僥倖ではある。しかし、我がこのような真似を考えるとはな…」

 

 なにか可笑しいのか。愉快そうに笑い声をもらす。

 

 

 

 造物主が呪文のようなものをつぶやいていく。するとそれに呼応するかのように、六芒星が刻まれた地面が光を放ち始めた。

 

「…我は求める。全てを絶ち、善と悪を道標にさせしものよ。我を下し、全てを為せるものを…」

 

 紡いでいく言葉は、どこか諦観と希望が織り交ざった感情が吐露されているようにも感じる。

 

 部屋全体が光に包まれ、魔方陣が浮かび上がっていく。幾多の魔方陣が造物主を囲み、幾重にも重なっていく。

 

 

 

 造物主が唱え終わると同時に、魔方陣は造物主の目の前に浮かび上がり…弾けた。

 

 弾けたと同時に、魔方陣いや、部屋に充満しながらも安定していた魔力が暴走を始める。

 

「っ」

 それは、造物主にも想定外だったようで手を前に掲げその余波を防ぐ。しかし、部屋全体に余波は広まり、容易に部屋を崩していく。

 

 余波は、吹きすさぶ嵐となって、部屋の柱を折り、壁を砕き、天井を穿った。

 

 数秒後には、見るも無残な姿となった部屋と立ち尽くす造物主だけになっていた。

 

「やはり、世迷言であったな…しかし、これで為すべきことは定まった」

 

 

 

 どこか落ち込んだ様子を垣間見せた後、翻ってその部屋から立ち去っていく造物主。

 

 

 

 

 

 地面に刻まれた六芒星は消えていた。

 



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第一章 -大戦期-
第1話


青年は目覚める

そこは広大な自然に囲まれた世界

 

第1話

 〜目覚め〜

 

「ん……」

 硬い土の感触を体で感じながら、青年は目を覚ました。どこか違和感を感じながらも体を起こして周りを見渡す。そこには信じられない光景が広がっていた。

 あたり一面は森による緑で塗りつぶされ、微かに見える空白から覗く光景は、それだけで高いと分かる山。上を見てみれば広大な蒼穹。これらを確認した青年は、一人つぶやいた。

「どこだ。ここは……」

 

 

 青年が呆然とするのは当たり前かもしれない。目が覚めたら、大自然の真っ只中なのだから。そして、近すぎて気づかなかったのか、傍に突き立っている物を見て、頭の中から日本刀という回答が得られる。

「……鞘はどこだよ」

 現状をつかめていないのだろう、さして問題では無い問題点を指摘するのだった。

 

 

 

 青年は頭を片手で支えながら、状況を整理しようと試みる。まず、ここがどこだということは一切分からない。現在が分からないのならば、過去だ。

 彼は、なぜここにいるのか記憶を思い返そうと回想する。しかし、それは彼には出来なかった。

(昨日……?)

 

 青年は、眉間にしわを寄せる。記憶から過去を思い返そうと昨日を思い返す。しかし、それはかなうことはなかった。

 なぜならば、彼は思い出せなかったからだ。

 昨日というよりも自身が過ごした刻を思い出せない。断片的に見える風景は知識としてならあるが、それが記憶と結びつかない。

 住居らしき建造物も、町並みも。それらすべてが、青年自身の記憶につながらない。なによりも、人だと思われる像すべてに靄がかかっている。

 

 

 

 青年のこめかみから汗が流れる。

(俺は誰だ?)

 自身のアイデンティティーが無い。自己を形成するものが全て無い。自身の記憶のあいまいさに、恐怖すら感じて青年は、さらに記憶をたどろうと目を瞑る。

 しかし、記憶をたどるのを拒絶しているのか、強烈な痛みと込みあがってくる不快感に顔をしかめ、嘔吐く。

 

 青年は、自分がとんでもない状況に陥っていること僅かながらに自覚する。ここがどこなのか、過去と現在と未来のつながりも分からず、自分自身すらも分からない。

(これは、やばいんじゃないか?なんというか……手詰まり感が半端じゃない)

 

 青年は半ばあきらめたのだろう。思考を放棄して、大きく息をして空を見上げた。

 その瞬間、けたたましい雄たけびが聞こえ、青年が飛び上がるように驚く。青年が驚いたのはその雄たけびの音だけではなく、それによって起きてるであろう現象が原因だった。

 何メートルもあるであろう木々が音の振動によって揺らめき、大地すらも揺るいでいる事実に青年は驚いたのだった。

 

 そして、それとは異なる、一定のリズムで起きる地響きとともに青年の体は揺れる。

「………本当にどこだよ。ここは」

 半ば放心状態に陥った青年のつぶやきは蒼穹の空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 とりあえず、動かなければ話は始まらないだろう、と青年は刀を肩に担いで、散策してみることにした。きっと自分はこれを扱ったことがあるだろうと淡い期待で自己暗示をかけながら。

 

 道中、少なくとも青年の知識ではありえないほどの大きい足跡や、巨大な木々が踏み折られている跡がここは青年の既存の知識には無い場所だと知らしめる。仕舞いには喰われたのだろう首や四肢が欠けている巨大な骸を発見してしまった青年は、ここが住んでいたと思われる場所ではないだろうと確信する。

 

 何も手がかりがつかめそうになく、話も始まることは無いな、と青年が若干鬱になりながらもなんとか進んでいく。すると、端から端が見えないほど大きな湖を見つけた。

 

 青年は飲み水には困りそうにないなと、どこか抜けた頭で考え、とりあえずできた水の確保に安堵する。

 そして、湖に食える魚でもいるかという確認と水を飲むために、彼は湖に顔を近づけた。そして、その動きが止まる。湖に映し出されたその顔は青年の行動を停止させるには十分だった。

 

「この顔は…」

 思わず呟く。青年の記憶の映像から思い当たるものとこの顔がほとんど一致した。

 

(る○うに剣心の斉藤一…?いやいや、あれは創作物のはずでは?)

 青年の記憶に残っている顔より若干目つきが柔らかくなっている気がしないでもない。また、どこか若い印象も受ける。ただ、青年の顔はそれに瓜二つであった。

 

 そして、彼はあることに思い至る。そこから、自身のアイデンティティー確立するか、と。

(俺自身について何も思い出せんからな……)

 少々狐につままれたように、不思議がった青年だが、これ幸いにと自身の名前などにそれを当てはめようと考えた。存外に楽観的な面を持ち合わせているのか、冷静なのか判断に苦しむことではある。この状況に思考が追いついていない可能性もあるが。

 

 戯れに担いできた刀を、モデルとなった人物と同じように構える。ただ、青年は右利きのためか右手で刀を握り、左手を切っ先に添える。

 記憶にある知識と重ねあわせる、突きを放つ。身体的能力が高いのか、片手で悠々と刀を振り回した青年は、ふと何かに気づいたかのように刀を止めた。

 

 青年は自分が何の違和感もなく刀を振るっていることに疑問を覚えたからだ。少なくとも青年が有する知識では、刀とは一般人がかかわるような物ではなかった筈。それを普通に振る自らを青年は、疑問に思う。

 

 

 

 青年が刀を見つめていると、突然先ほどの雄たけびの比ではないほどの地響きと地面の揺れが青年を襲った。

「っ」

 青年は即座に、音の発生源のほうへ体を沈み込ませながら向ける。

(そういえば、初遭遇か)

 危機感とはどこか別の思考でそう思いながら、目の前の光景に青年は顔を引きつらせる。背の高い木々が吹き飛ばされるさまと、砂塵が舞い上がっていることが確認できた。そして、それは確実にこちらへ向かってきている。

 

 青年は左右を何度も見直すが、隠れられるような場所など無い。よって、やりすごすことは不可能な場所。ここは最悪な場所であると思い至る。

 森の中へ入るという選択肢もある。しかし、青年には森の中を縦横無尽に行き来する自信は無い。すさまじい速さで迫ってくる敵に対して森の中というのは悪手に感じられた。

 ならばと後ろを見る。湖の中へひとまず逃げようと考えがよぎるが、タイミングが良いのか悪いのか巨大な魚影がその目に映りこんだ。

 青年は詰んでいる。

 

 何か手は無いかと考えている間も、無常に時間は過ぎていく。そして、迫り来る敵は最早目の前と言っても差し支えないほど近づいていた。

(仕方ない……か)

 青年は震える体に喝を入れる。刀を握り直し、敵が来るであろう方向へと体を向けた。

 

「さて、なにが出てくるのやら」

 戦闘経験などきっとないだろう自分を思いながら、自分の選択した行動に自嘲気味に笑みを浮かべる。

 今、彼の命運を握っているのは彼自身であり、握られた刀だけであった。

 

 

 

 彼が覚悟を決めた、数秒後。とうとうそれはやってきた。木々を吹き飛ばしながら迫る巨大な影。その巨大な影の前には、青年自身から見れば十二分にでかいイノシシ。

 どうやら影はそのイノシシを追ってここまで来たようだ。しかし、イノシシの命運はここで尽きた。影の首が伸び、その顎に捉えられた。

 一息に口に飲まれるその様は原始的な恐怖を呼び起こさせる。つまり、弱肉強食の世界。

 

 目の前に起きている事態に、青年は呆然とただ見ていた。

 

 太く長い尾は鏃を思わせる攻撃的な鱗に覆われ、その先端は大剣を思わせる。太く岩のような胴体は鋼のような鱗に覆われていて、重厚な鎧を思わせる。鈍く光る巨大な爪は大地をも切り裂くだろう。そして、巨大な顎と特徴的な角。翼こそ無いが、それは竜と形容していい生物だった。

 そして、今イノシシをむさぼる口に生えた巨大な牙は、イノシシに突き刺さり噛み潰され、その口の周りは血しぶきで真っ赤に染まっていた。その黒ずんだ赤は、青年に容易に死を連想させる。

 

(……竜?)

 記憶から得られた回答とすり合わせる。すると、またもや創作物、想像上の生き物が出てきたため、きっとこれは夢なのだと、現実逃避を始める青年の頭。

 そんな風に呆けていると、竜はイノシシを喰らい尽くしていた。そして、丁度いいところに湧き出た獲物を視界に納めた。つまりは青年を見つけ、今にも飛び掛ろうと身構えた。

(死んだら夢から覚めるか?)

 未だに現実逃避を続ける彼に無常にも竜の爪が襲い掛かった。

 

 咆哮とともに振り下ろされる大木を思わせる腕とその先にある鋼鉄のような爪。金属音を響き渡せながらその爪を刀で何とか弾き、後ろに飛びのく青年。

 なんてことはない。現実へと引き戻された彼は一先ず、手元にあった武器を振り回しただけに過ぎない。

 

 しかし獲物をその程度で逃がすはずもない竜は、威嚇するように咆哮をあげながら、追撃として顎を開く。開かれた顎からは獰猛な牙が見え、容赦なく青年を襲う。

 

 声にならない悲鳴を上げながらも青年は必死によける。空を切り噛合った竜の牙は巨大なギロチンを連想させた。

 息を乱しながら、現状を打開する手を考えるために思考する。このままならば、数分と持たずに喰われるだろう。そんなことが分からないほど、青年は蒙昧ではなかった。

 

 必死に竜の攻撃をかわし、弾き、食い止めながら青年は考える。考え続ける。

 

 

 

 どれだけの時間がたっただろうか。数秒か数分かはたまた数時間か。だが、青年は未だに竜の攻撃からその身を守っていた。

 そうしているうちに、青年はその事実に気づく。竜相手に防戦一方とはいえ戦っている。戦えている。さきほどまでなんとか弾いていた爪も、今ではどう対処すればいいのか理解し、実践している。

 この嘘だと思えるような事実に青年は、気づいた。

 

 

 

 竜…それは、空想の生物とはいえ、最強の生物であるとされている。中には神話に登場し、神と崇められてすらいるものもいる。

 

 

 

 それほどまでにかけ離れている存在に青年は喰らいついていた。

(なんだ?この感覚は)

 青年の鼓動が高鳴る。目覚めよというようにさえ錯覚するほどの高鳴りが、鼓動が、早まる。

 

―俺は闘える―

 

 青年がそう意識した瞬間、体の感覚が研ぎ澄まされていくのを青年は確かに感じた。

 

 

 

 それは違和感とでも言うべき感覚。だが、青年には実に馴染む感覚であった。いや、やっと馴染んだとさえ言えるのかも知れない。

 先ほどまでの竜が捕食するための攻撃を与え続けていただけの光景。しかしその光景を青年は無感情にただ眺め、避ける。そして、生まれるわずかな違和感。それは急激に戦況を変えていく。

 

 竜はただ捕食する側であった。そして、その違和感に気づかずに怒涛ともいえる攻撃を緩めず、その爪を青年に揮った。しかし、その爪は青年に届かない。振るった刀に難なく弾かれる。

 次はその顎を開き、獰猛な牙を青年に向けた。しかし、それも青年に届かない。竜にすさまじい速度で向かうことで避けたのだ。

 

 そのまま青年が疾走し、竜の体躯と交差したその瞬間。竜の片腕が宙を舞った。

 

 竜は何が起きたか理解できなかった。しかし、それを認識し今までとは違う咆哮をあげる。それは驚愕。

 竜は、ただいつも通り捕食しようとしただけだった。今回は少し時間がかかっていたが、ただそれだけのはずであった。

 この場所において頂点の位置に属する竜にとって、今この状況はただただ理解不能な出来事であり、その目に映る宙へ待った自らの腕を信じられないようなものを見るような目で見ていた。

 

 

 

 

 

 感覚が研ぎ澄まされることを青年は自覚していた。それは体が思考のままに自由に動かすことを可能にしていた。そして、どう動けばいいのか思考すればいいのかを理解していた。

 

 竜に向かうことでその隙から腕を切り捨てた青年は、体をただ感じるままに動かした。

 青年が振り返ると竜は雄たけびを上げていた。もはや、勝てない相手ではないと、青年の思考は言っている。体もそれを否定しない。もはや震えなど当の昔に消えていた。

 

 そして、構えた。それは突きの構え。ただの突きではない。少なくとも彼にとって思うままに取った構え。自然と構えはそうなった。体から力があふれるのを感じた。負ける気がしない、と青年は不敵な笑みを浮かべた。

 

 憤怒の雄たけびか。体を怒らせながら竜が先ほどよりもさらに速く向かってくる。

 

 だが、青年にとって勝負はもやは決まっていた。

 

 

―牙突・壱式―

 

 

 飛び跳ねるように突撃する。そこから放たれる突きから、凄まじい気が直線状に放たれ、竜を穿った。穿たれた穴を通るように青年は駆けた。

 後に残る突き穿たれた竜の屍は、穴の開いた体躯を不安定に幾度か揺らし、その巨大な体躯を地面に落とすのであった。

 

 

 

 竜の体が地面についたのを確認した青年は、構えを解き、一息つく。

 

「決まりだな……俺の名はハジメ」

 

 その名にしっくりきたのだろう、青年……ハジメは笑みを浮かべたのであった。

 

 

 

 この日、青年は目覚めた。それがこの世界に何をもたらすのかは未だ誰も知らない。

 

 

 

 

 



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第2話

闖入者は何をもたらすのか

世界を加速させる歯車はそこに

 

第2話

 〜闖入者〜

 

 

 ハジメが竜と戦って数ヶ月が過ぎた。あの感覚を忘れぬように、日々鍛錬を続けている光景が見られた。

 それは、何時襲われ戦うことになるか分からない上、この前のようになるとは限らないと結論付けたからであった。

 

 そんな日々を過ごす中で、鍛錬をしている途中いくつか気づいたことが、ハジメはあった。

 まず一つ目は、その身体能力だ。

 その体は十二分に頑丈、そして性能を誇っているということだ。驚いたことに、一日ずっと走り続けたり、素振りなどを行っていても翌日には平気という頑丈さを持っていた。更に、走ったりするときも、その速度が記憶にある足の速さというものを覆す速さなど、例を挙げれば切りが無いほど驚きの身体能力を持っていた。

 

 次に二つ目、それは技術。

 これは体が技術を覚えていたという表現がしっくり来るだろう。鍛錬をするにいたってどのようにするべきか考えて、とりあえず素振りや走り込みなどをしていると、自然と体がどのように動いていたかがイメージとして明確に浮かぶのだ。

 これのおかげでハジメは鍛錬の際、技術の習得が思う以上に捗った。言ってみれば、体が覚えている技術を頭に刻み込んだということになるのか。

 

 最後に三つ目。これは名称しにくいものであった。

 言うなれば、体の内側から力がわきあがるのだ。ハジメは知識をすり合わせ、これは恐らくであるが、いわゆる気が使えるということだと判断した。

 竜と戦ったとき最後に放ったものが気であるのだが、ハジメにとって未知の領域であるため、いかんせん確証がもてないようである。この気を使うことで身体能力が格段にあがる。竜に風穴を開けたのもうなずけるものである。

 今はこの力を制御することに集中し、戦闘中であろうと十二分に制御を行えるようになったら、他の鍛錬方法も並行しようと考えていた。

 

 ハジメにとって大事なのは、この体であれば、戦える力を手に入れたと同義ということであった。

 その戦う力を引き出すために鍛錬を続けていく中で、この付近で狩をしようとも苦ではなくなっているハジメがいた。

 

「さて、今日は何にするかな」

 

 飯にするための獲物を考えるほどに。

 

 

 

 

 

 時と場所は変わり、夕日が沈み始め闇に生きるものが好む夕闇となった森で、一人の男が駆けていた。

 枝から枝へ。遮る木々を物ともしないその身のこなしは、男を只者ではないと印象付ける。

 

 しかし、男は焦っていた。吐く息は荒い。その顔は汗にまみれ、視線は何かを警戒するように周囲をさまよい続けている。だが、決してその足を止めることはしなかった。

 

「畜生……畜生っ」

(まさかこれほどまでに深く、奴らがつながっているとはなっ!)

 愚痴をはき捨てながら、思考で何かを罵りながら男は森の中をひたすらに突き進む。男を獲物と勘違いした竜すらもおいていくほどに男は速かった。

 

(こいつだけは守りきるっ)

 懐に入っている何かを確かめるように握る。その思いが男をここまでの気迫を出させていた。そして、次の木へと飛び移ったその瞬間、闇が彼を飲み込んだ。

 

「いかんなぁ。あまり私の手を煩わせないでくれたまえ。溝鼠君……」

 

 地獄から響き渡るような低く、威圧感のある声が闇から聞こえる。その声は間違いなくその空間を支配していた。

「もう追いついてきやがったのか!?」

 男の目が驚きで満たされる。闇色に染まった木に着地すると、その体が停止し身動きすることを許さない。あまりに悪すぎる状況に男が歯噛みしながら声の主を睨みつける。

 

 そんな男を尻目に、先ほどの声の主は静かに男の命を刈り取る呪文を紡いだ。

「死にたまえ…雷の斧(デイオス・テユコス)!」

 影が振り下ろした雷の斧は、男に向かってその破壊力を収束させる。男がいたあたり一面の木々が消し飛び、この森を住処とする獣たちが騒ぎ出す。森がざわつきはじめた。

 

 

 

 

 優に人の倍はあろう獣がその体躯を地に倒し、大地を揺らす。その獣の前には、構えを解き獲物の生死を確認するハジメの姿があった。

 死んだことを確認したハジメは、獣をさばき始めた。この獣が今日の彼の飯の種である。この数ヶ月でずいぶんと馴染んだようであった。

 

「ん?」

 ふと、解体作業の手ををいったんやめて顔を上げるハジメ。その顔は奇妙な表情をしていた。

 ハジメはこの森に何かが侵入したことを察知した。そして、その気配の大小すらも把握することを今の彼は可能にしていた。

(珍しいな……しかもこの大きさは人か?)

 この森で生きていくために、気配など自分以外の存在に対しての感覚が鋭敏になったハジメは、この森に入ってきた闖入者の存在に気づいたのだった。

 しかも、その存在は日ごろ相対している竜などの化生の類ではない、もし人間だとするならば、なおさらハジメの興味を引いた。

 彼にとって人間というのは森のはずれにある村の住民である獣人くらいしかいなかった。そして彼らであれば、その気配の特徴を把握しているハジメが分からないはずも無い。

 

 獣人との交流は、そのほとんどが獲物である獣の角、牙と食料の交換だけであった。獣人たちもハジメが珍しかったのだろう、そこまで深い交流はなかった。

 そのため、村に住もうという選択肢も生まれることもなく、そういった存在との縁というものが限り無くなかった。

 この世界に来て知り合い、いや最早親友といえなくもないほど仲良くなった存在はいるにはいるが、それも人ではなかった。

 

(……面白い)

 もしかすると、純粋な人間。この地で目覚めてから貴重な体験になるかもしれないと思うと自然とハジメの頬が緩んだ。

 

 

 

 ハジメが獣を解体し終わり、気配がするほうへ足を向けようとしたそのとき。まるで雷鳴のような音があたりに響き渡った。

 その発生源はまさに今、ハジメが足を向けたその先。森の中にある一点から、黒煙が立ち上る様子がハジメの目に映った。。

「っ」

 ハジメは今の現象に困惑していた。気とは違う何かがあの場所で放たれたことは推測できる。だが、その現象も理由もハジメには分からなかった。

 似たようなものとして竜の息吹(ブレス)が上げられるが、あんなものは少なくともハジメは見たことがなかった。

 

(行かなければ分からん……か)

 

 兎にも角にも自分で判断しなければならない、と刀を木で作った鞘に納め、ハジメは黒煙が立ち上る場所へと駆け出すのだった。

 

 

 

 黒煙が上がるその場所。そこに立つ人を思わせる影。

「ほう。今のを防ぎきるか。ただの溝鼠ではなかった……か」

 どこか感心したかのような、物珍しい様を見たかのような目で男を見る影。

 

 影のその相貌は白髪が混じり、皺が目立つ老人のそれだった。紳士のような服装と雰囲気もあいまって気のいい老人のような姿を見せていた。顔だけならば。

 しかし、体中を傷だらけにして呻いている男と比べても遜色ないほどの、むしろ凌ぐほどの肉体が男に強さと恐怖を植え付ける。

 

「くはは。先ほどまでの威勢はどうしたのかね?」

 愉快だと笑う老人の言葉に、男は自身の体が後ずさりしていたことに気づく。それをさせた潜在的な恐怖を跳ね除けるように、男は老人をにらむ。

 

「それでいい。成長を見守るのも…それを挫き、砕くのも私は大好きなのだよ」

 さも楽しいといったように体を揺らす老人。その目は暗く、濁っていた。男はその目に狂気と恐怖を感じた。間違いなく目の前の人物は自分と違う世界の生き物だと確信させるだけのものを老人は備えていた。

 

「へっ。ざけんな。…これが欲しいだけだろ?」

 そんな恐怖もあざ笑うように男が気勢を上げる。その懐から、何か端子のようなものを取り出して、老人に見せ付けた。それを見た瞬間、老人の雰囲気は戦う者のそれとなる。

 

「もちろんだとも、それが依頼なのだからね。だが、先ほどいったことも事実。それを取り出してどうするのかね?」

 老人の言葉に男は何も答えない。そんな男を見た老人はどこか拍子抜けをしたような、期待はずれだというような雰囲気を滲ませる。

「もし……命乞いでもするのだとしたら、残念だといわざるを得ないな」

 両手を広げ、残念だとリアクションをとる老人。しかし、その目は冷たいままの老人は男に向けて静かに一歩踏み出した。それが男の恐怖心を掻き立てる。

 老人はまったくの無表情を崩さないまま右腕を振り上げる。振り上げたと同時に、男は直感に従うがままに右へと跳んだ。

 

「ははっ、無詠唱呪文でこの威力かよ……」

 男は乾いた笑いをして、もといた場所を見やる。その場所は、抉れていた。老人の無詠唱で行使された呪文、雷の矢が男を狙ったのだった。

 

(逃げられそうには……ないか)

 男は冷静に彼我の戦力差を分析し、目の前の老人を送り込んだ者たちに内心でとんでもないものを送ってくれたな、と罵倒する。当然この状況で逃げ切れるといった甘い考えを持つはずも無く、どうすればこの状況を変えられるかに思考を切り替えていた。

 逃げなければいけない。しかし、この状況で背中を向けていいような相手ではない。この老人はいとも容易く男を屠るだろう。

 

 なにか解決するわけでもない。だが、少しでも可能性を繋ぐために時間を稼ぐことにした男は老人へと話しかけた。

「これは世界を変えるために必要な足がかりなんだ。…それを分からないあんたじゃないだろう」

 なるべく不敵な笑みを浮かべながら、端子を懐に戻す。

「その足がかり。あっては困るのだがね…それと、時間稼ぎなど下らんよっ」

 あきれたように、そう返した老人は、刹那目を見開き一瞬で男の近くまで近づく。

 

「ちぃっ、氷楯(レフレクシオ)!」

 

 老人は魔力が通った右腕を引き絞り、前方へと解き放つ。それだけで、大地は抉れ、余波で木々も吹き飛ぶ。ただの拳が容易にそして上等な破壊の武器となる。

 男が張った障壁の氷が老人の半身を包むが、そんなものはお構いなしに老人は口を愉悦にゆがませ、次の攻撃へと続ける。口ずさむは詠唱。男を端末ごと葬るための魔法。

「……吹きすさべ南洋の風(フレット・テンペスターズアウトリーナ)雷の暴風(ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス)

 男の眼前をまさに雷の暴風といえる嵐の奔流が襲う。魔力によって指向性を持ったそれは、男を容易く飲み込もうとする。

「くっ!くそぉぉぉっ」

 必死に障壁を張り続けるも、男は終に雷に飲み込まれたのだった。

 

 

 

 

 

 あたり一面が焦土と化し、木々は火を燃え広がせ森に黒煙が立ち込める中、老人は悠然と立っていた。

 

 何かを確認するように辺りを見回す。

「ふむ。消えてもらえたかな?」

 どうやら先ほどの男を、生死を確認していたようだった。

 

 しばらくあたりをのんびりとした歩調で歩く。その大地は当の老人が焦土と化したというのに、何も感ずることの無いままに歩く。むしろこの光景が当然なのだといわんばかりに自然体であった。

 

 そして、何かを見つけ、その顔がゆがむ。愉悦にゆがむ。

 呻き声を上げるそれ。それは辛うじて生きているというのが正しい、死に体の男だった。

 

 その様を見ながら、老人は男に話しかける。愉快そうに笑うその声には狂気が入り混じっていた。

「ははは……やはり、生きていたかね。魔力全てを障壁に回したのだろう」

 素晴らしいことだ、と老人は言葉を発しながら、男に向かって歩き続ける。目が怪しく光り、その本性が表に出つつあった。

 

 男はもはや、体を動かせない状況でただ断頭台が降りるのを待つ罪人であった。

「だが残念……どのみち君は死ぬ」

 そういって、老人は右手を掲げた。男の命を絶つために。老人のまがまがしい魔力がその右手に収束を始めた。

 しかし、そこに闖入者が現れる。

「ここで何をしている?」

 焼け野原となった森の一部と死に掛けの男とその傍らに立つ老人を怪訝な表情で眺めるハジメであった。

 

 

 

 その瞬間、ただの一瞬でこそあったが老人の意識は、その部外者に奪われた。

 なぜなら、数歩で相対するほどの距離。この距離まで老人は気づけなかった。その異質さに老人は意識を奪われてしまった。

 そんな老人に対して軽口でも言うようにハジメが口を開いた。

「と、悪いな。この男助けるぞ」

 ハジメが脇に担いだ男の姿を見て、老人が驚きにその目を見開く。そして、すぐさま男が居るはずの足元を確認するが、当然そこに男の姿はなかった。

「っ」

 愕然として言葉を出せない老人。

(魔法!?いや、ゲートを開くような感覚は無かった)

 ハジメがどうやって男を自身に感知させずに持っていったのか。一切の予備動作を感知できなかった老人が指向を混乱させる。

 老人は、内心の驚きを隠しながらも、目の前に現れた未知数の者を見極めるためにしゃべりかけることにした。

「君は何故、その男を助けたのかね?」

「始めてみる純粋な人間だったから……だな」

 老人の言葉にハジメはそう返した。事実その可能性を求めてきたと言うこともあった。ハジメの言葉に老人は疑問符を浮かべるが、このような辺鄙な地において人間は珍しいのだろうとひとまずおいておくことにした。

 

「悪いが、その溝鼠を渡してくれないかね?」

 相手が未知数な相手であることに代わりは無いが、話せることは分かった老人は男を引き渡すようにハジメに言った。

「どうだろうか、さっさとその溝鼠を渡してくれないだろうか?礼はするとも」

 対価を用意するということは交渉の中で当然の行為だ。老人もそれに倣って懐から煌びやかに輝く石を取り出した。ハジメに対しにこやかに笑みを湛えながら老人が一歩進む。

 

 しかし、ここがどこであるかを鑑みればそれは、その取引はもちかけるべきは無かった。この森、いや、大陸は龍すらも住み着き、悪魔すらも狩られる側の場所であることを。

 そして、数ヶ月ながらもこの場所で生き抜いてきたハジメに、戦いにおける危機感を抱かなかったことを老人は悔やむことになる。

 

「言ったはずだぞ?この男を助ける、と」

 ハジメは、男を抱えながら、老人を鋭い眼光に射抜く。老人はその視線に気づき、目を鋭くさせる。

「このような相手に随分と本気を出してるようじゃないか。人間もどきが」

 獰猛な笑みを浮かべて気をこめながら、ハジメは刀を一気に横薙ぎに振り払った。気の刃は一つの壁のように老人に襲い掛かり、もろともその一面を吹き飛ばす。

 

「なっ」

 自身が攻撃されたこととその正体を看破された事に老人が驚きの声を上げる。

 老人が吹き飛んだのを確認したハジメは、刀を納め男を肩に担いだ。少々回復したのか、男は呻き声をあげながらも伝えなければいけないことを伝える。

「理由は……後で話す。今は助けて……ほしい」

 

 その言葉にハジメは僅かに笑みを浮かべながら頷く。その動作が分かったのだろう、男は安心したように体重をハジメに預けた。

「事情も聞きたいしな。死ぬなよ」

 男をしっかり掴んだことを確認したハジメは、老人を気にしながらも自らの最速で駆けだした。

 

 吹き飛ばされた老人が気づいたときには、ハジメは最早探知するには感じ取れない距離まで逃げられていた。

「やれやれ、面倒なことになったものだよ」

 そう愚痴りながらも、その顔は今日一番の笑みを深く、深く刻んでいた。またとない愉悦の感情が老人を支配していた。

 

 

 

 

 



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第3話

青年は背負う決意する

燻る心を解き放つ信念の息吹

 

第3話

 ~信念~

 

 森を駆け抜けること数分。ハジメは、先ほどの老人が追ってきていないのを確認すると、男を休ませるために木の幹に寄りかからせた。

 

 男を改めてみたハジメは、その体の傷の酷さに顔をしかめる。

 男は先の戦いで、左半身が致命傷といえるほどにボロボロになっていた。左腕を見てみれば炭化し、原形をとどめていない。

 

 ハジメは、頭の片隅で先ほどの老人の能力を考察しながら、まだ意識がある男に問いかける。 

 

「おい、大丈夫か?回復する術を使えるか?」

 自己再生する種も珍しくないこの森では、回復の手立てなど薬草程度しかない。これほどの重症ならば、それを超える術が必要であった。

 

 しかし、男の答えは否だった。

「ぐっ。魔力は…殆ど残って…いない。」

 魔力という単語から、ハジメはこの世界において人も魔法を扱えるという情報を頭にたたきいれる。

 

「それよりも…話を聞いて…くれないか?」

 そういうと男は、右手から何かの端末のようなものを出した。

 

「これは?」

 そう聞くと男は、悪戯めいた笑みを薄く浮かべた。

「この世界にはびこる腐った奴らと、世界を滅ぼしかねない組織の情報さ」

 

「なにっ?」

 男の答えに、ハジメはただ面食らう。

 

 正直世迷言にしか聞こえなかった。しかし、この世界はハジメが知る世界と異なる点が多い上に、その差が大きすぎた。

 

 世界を滅ぼす…龍という存在に触れた今ならば、この世界ならばありえるかもしれないと、ハジメは考える。

 

「…なんでそんなものを貴様が?」

 ひとまず、可能性を考慮して前提となる疑問をぶつけた。

 この男がなぜ、そんな情報を仕入れるに至ったかという至極当然の疑問。

 

 それには、当然といえば当然の答えが返ってきた。

「俺は、ライルと言う情報屋をやっているんだが、ある人の依頼でな…。最初は腐った奴らを消して、この世界がよりよくなるようにって思ってはじめたわけだが…」

 なけなしの正義感ってやつだ…と、男…ライルは自嘲気味につぶやいた。

 

 端末を右手で弄びながら、それを見る目はどこか遠い目をしていて、しかし、ハジメには理解するに足るものは無く、ただライルの話を聞くだけに留まった。

「ま、こんなとんでもないものが…出てきちまったわけだ。」

 おかしな話だろ?とライルは、ハジメを見上げた。

 

 ハジメにとってこの世界とはこの大陸の、この森の中で限定されていたものであった。

 ハジメの中で、この世界に人がいることにも安堵と驚きがあったが、どうやらこの世界は自分が考えているものよりもよほど複雑らしいと、先ほどのライルの顔からハジメは思い至った。

 

「ライル…よければ、お前が見てきた世界とやらを聞かせてくれないか?」

 こんなときになんだがな…と、ライルの横に座るハジメ。

 

 ライルは少し、考える素振りをして、数瞬。

「別にかまわないさ。…むしろ、聞いてくれると有難い。俺の人生の大半を占めていたことだからな」

 そういって、左半身をみたライル。

 

 もはや風前の灯となった今の体では、自分の人生の大半だった情報屋という世界を覗く仕事の話を誰かにできるのは、幸せなのかもしれない。

 

「そうだな。…お前さんは、この森から出たことなさそうだな」

 ライルの推測に、ハジメは素直にああと頷いた。

「それなら、この世界の成り立ちからだな。まず、この大陸の…」

 

 それからライルの話を聞くハジメ。その内容はこの世界の成り立ちから始まり、この世界の裏。そして、今回の仕事であった元老院や連合の裏や、帝国側とやらの裏。そしてその2つにもぐりこんでいるらしい存在について、情報屋らしく要点をまとめた上で述べていった。

 とくに最後の存在については、その影を感じ取ったらしいが、それまでだったらしく「情報屋だっていうのにな…」と自嘲めいた愚痴が入った。そうしてそのときに、先ほどの悪魔に追われ…

 

「…ここにたどり着いたというわけさ」

 話し疲れたのか、ライルは頭を木の幹に預けた。そして、目を瞑った。

「だが、もう限界だ。悔しいがな…体がもうボロボロだ」

 

 それは、覆りようの無い事実であった。左半身は最早動く兆しが見られない。

 

「…お前に頼みがある」

 そう言って、端末をハジメに差し出した。

「これを託されてくれないか?」

 

 ハジメは、困惑の色を強める。

「本気か?」

 正気とは思え無かった。このような場所で偶然であった世界すら知らなかったハジメに対して、まさに命がけで手に入れたそれを差し出すということが、ハジメには分からなかった。

 

「はは。なんかな。気に入っちまった。お前の雰囲気がな、知り合いに似ていてな」

 別に、姿は似てねえのによ…と、笑みを浮かべながら話すライルは、どこか楽しそうに、うれしそうに見えた。先ほどと同じ遠い目をしていても。

「あいつは、自分の信念のまま逝っちまったが、俺はどうかな。…どう思うよ」

 どこか懇願するように、愉快そうにハジメに問うライル。

 

 ハジメは、真剣な面持ちでこれに答えようとした。なにか、ハジメの中で燻っていたものがライルの話を聞いて、ざわついたということもあった。

「少なくとも、俺は貴様に信念と誇りを感じた。生半可な気持ちで国に、…世界にこうは挑めん。俺はそう思う」

 ハジメは、問いたかった。ざわついた心は答えを欲した。なぜそこまでして人生を命を懸けられたのか、そこまでして挑めるのか。…怖くは無かったのか、と。

 

 しかし、ハジメは聞けなかった。ライルの横顔を見て、それを聞くことは躊躇われた。そして思う。

(俺にはこのような思いが…信念があるか)

 

 ハジメが、自らの運命を定める事柄について、真剣に考えをめぐらせていた。

 しかし、それは中断されることになる。

 

「ちっ、感づいたか」

 着実にこちらに向かって近づいてくる禍々しい気。あれは、恐らく悪魔の類であろうとハジメは推測していた。特異なものほど、記憶に一致する知識があるものだ。

 

「恐らく悪魔であろう奴が近づいてきた。貴重な話、感謝する」

 笑みを浮かべながら、立ち上がり刀を鞘から抜き構えるハジメ。

 

 その言葉を聴いて、ライルの顔が青ざめる。

「強いと思っていたが…悪魔だったか…恐らく爵位もちだろう。」

 悔しそうに顔をしかめ、右手の端末をハジメに差し出す。

 

「勝てるわけが無い。こいつを持って逃げろっ」

 

 しかし、ライルの願いは聞き届けられず。

 

「悪いな。俺にとって、この戦いは特別なものになる。何かが見つかる…そんな気がしてならん。だから、すまんな。逃げ出すわけにはいかん」

 先ほどからハジメの心がざわついたままだった。言うなれば、心がうずいている。熱く冷たい衝動が、心に体に、戦えと奮い立たせている。

 

 体が覚えているままに今日まで生きてきたハジメにとって、この感覚は従うべきものだった。

 

 故に。

 

 ハジメはあの悪魔と戦いたかった。それで何かが変わるのか、分かるのかハジメにはわからない。

 

 ハジメはライルを見る。この男の最後の誇りを、信念を奪わせるわけにはいかないと。そう思い、そして不敵な笑みをその顔に浮かべた。

 

 もとよりハジメに、悪魔から逃げ出そうという考えは最初から無かった。

(あれほど面白い話を聞かせてくれば友人を見捨てるなどしない。それに…この予感は絶対だ。ならば逃げるなど考えにも及ばん)

 

 不敵な笑みを浮かべたハジメに、ライルはただ困惑し、動かない体をのろうばかり。

「ほう。それは何か聞いてみてもいいかね?」

 そして、悪魔はたどり着く。先ほどのハジメとは違う、しかし、気づくものはいないだろう。些細な、されど決定的に変わり始めた彼を。

 

 

 

 ハジメは悪魔を見やり、薄く鼻で笑う。それは、あざ笑うかのように。

「信念と誇り、己が進む絶対なる道標だ」

 

 

 

 ハジメの態度に、若干体に力を入れる悪魔。

「信念と誇り…かね?」

 愉快そうに顔をゆがめ、確かめるように問うそれに、ハジメも愉快そうに笑みを浮かべ、それに返した。

 

「そうだ。俺はこの世界に来てからそういったものには縁がなくてな。考えることもしなかったわけだが。…そこの男に感化されてしまったようでな。」

 そして、一瞬視線をライルへと向ける。そして、刀を構えなおし、悪魔と相対した。

 

「心が歓喜に奮えているのだ。悪いな悪魔、手加減し損ねるかもしれん。」

 悪魔を小馬鹿にするように、皮肉を突きつけ、笑みを浮かべるハジメ。

 

 そんなハジメに、悪魔一瞬唖然とした後、嗤った。愉快愉快と。嗤った

「はっ。ふはははははは。……なめるなよ。人間風情が。」

 体の奥底から吐き出す憤怒と低いうなり声に、見ているライルのほうが震え上がった。しかし、ハジメは動じずに冷静に悪魔をその視界に納め続ける。屠るために。

 

 悪魔は体をひねり、右腕に力が十全に伝わるように構えた。そして、その腕に魔力を宿したままハジメへと向かった。

「悪魔パンチっ」

 そして、それと同時に放たれるのは、魔法。悪魔は、その身体能力だけでなく、魔法についても秀でている者も多い。とりわけ、この悪魔は時間差による魔法制御を得意としていた。右腕に纏った魔力とは別の魔法が悪魔は持っていた。

 

「開放、雷の斧!」

 雷がハジメに降りかかる。

 

 

 

 ライルは、今自分が見ている光景が信じられなかった。

 悪魔とは、その身体能力においても人と比べる必要も無いほど高い。爵位もちならなおさらである。そんな悪魔が魔力で強化したその拳。悪魔パンチとはふざけた名前であるが、ひとたび喰らえば、生身の人間はひとたまりも無い。その上、この悪魔は同時に魔法を唱えたのだった。いや、正確には時間差ではあったが、同時であることに変わりなかった。

 

 ハジメがどれだけの力を有しているかはライルには分からなかったが、これに対処できるはずがないと思った。少なくとも自分ならば殺されるであろうと。

 

 しかし、ハジメはライルの予想を裏切る。悪魔の予想をも。

 

 

 

 ハジメは、飛来する拳を悠然と交わした瞬間、雷がその身に降りかかることとなった。

 それを見た悪魔は、笑みを浮かべ勝利を確信した。

 

 が、それは次の瞬間には覆された。

 

 ハジメは、刀を振るった。傍から見れば残像のような斬撃。それによって、斧を模った雷は斬られ霧散した。

 その勢いのままに、悪魔を通り過ぎる。

 

 悪魔の左腕が地へと落ちた。

 

 

 悪魔は愕然としながら振り返る。そこには、刀の血を払いすでに正面を向いていたハジメの姿があった。

「貴様…今何をした…。」

 

「ん?」

 戦いの最中に余裕だなと思いながらも、耳を傾けるハジメ。

 

 悪魔には理解できない。今の交戦において、ハジメが何をしたのかを。故に問う。

「今、魔法を…き、切ったのか。貴様」

 

 ハジメは、怪訝な顔をしながらも答えた。笑いながら。刀を一閃させて。

「何をそんなに驚く。そんなこともできなければこの場所では生きていけないんでな。」

 少なくとも、さっきのよりは龍の息吹のほうが恐ろしかったよ、とどこかうれしそうに、悔しそうに嘯く。

 

 そんなハジメの態度に、悪魔は笑みを浮かべ、徐々に笑い声を上げた。

「くくく。そうか。”そんなこと”か。くはははっ。面白い。」

 

 悪魔は左腕を魔力で浮かせ、切断した面とをつなぎ合わせ魔力を注ぐ。

「ふむ。認識を改めよう。我が名はハイエル・ヴァーグムント。子爵の位を持っている悪魔だ。」

 それだけで繋がれたのか。左手を動かし、動作の確認を行っている。

 

 それを、まじまじと見つめながら、まぁ悪魔だからできるのかもしれんな、と場違いなほど落ち着いているハジメ。

「俺の名はハジメ・サイトウだ。冥土の土産だ、よく覚えておけ。」

 

 

「ハジメか。覚えておこう。」

 そして構えるハイエル。ハイエルから魔力があふれ出していく。契約のみでありながら、その力を十全に扱えることに今、ハイエルは感謝していた。

 

(まさか、このような舞台が待っているとはっ)

 

 自然と笑みを浮かべるハイエル。それは今までのものとは違い、まさに愉快だから、楽しいから浮かべるそれであった。

 

 そんなハイエルに向けてハジメは、ライルに被害が向かないように、自然と位置をずらしながら歩く。

「一つだけ言っておくぞ。ハイエルとやら」

 

 もはや、両者が激突するであろう瞬間を待ちわびるハイエル。

「何かね?」

 

 刀をハイエルへ向け、ただ一言その身へ宣戦布告を行う。 

「本気で来い。生憎これから放つ技は容赦なく貴様を殺すぞ。」

 

「ふふふ。面白いなハジメ。そんなこと…当然だっ!」

 異形へとその身を変化させたハイエル。

 空気がさらに圧縮される。まさに一触即発の、戦いの空間。

 

 

 だが、

 

 これが

 

 ハジメの望んだ瞬間、思い描いた世界。

 

 

 

 ハジメはずっと考えていた。自分は斉藤一ではない。自らの顔と記憶の像からモデルを選んだに過ぎない。だがその男が生涯かけた信念。

 

『悪・即・斬』

 

 なぜか、それはハジメの心を震わせていた。好んでいるといってもいいかもしれない。斉藤一の牙突という技もその体が覚えていただけだ。真に使えているわけでも、ましてや何も分からず、覚悟もないまま使っていいのかすらも迷っていた。だからこそ、振り続けていた。自らの何かが見つかるかもしれないと。

 

 

 

 しかし、ライルの信念を誇りを聞き、とても眩しく見えた。心が震えた。奮い立った。

 

 俺もこうありたいと。俺も背負いたいと。

 ならば、たとえそれが他人のものであろうとも、この生涯をかけて誇るべきものならば、俺は。

 

(背負って見せようじゃないか。「悪・即・斬」その信念を…覚悟をっ)

 

 

 ハジメは、自身の気を高める。見せるために。ハイエルに本気の牙突を。その身をもって、見せ付けようと。

 

 ハジメ自身の牙突を…見せてやるために。

 

 

 

 

 

 戦いの始まりは…ハイエルが、まさに悪魔と呼ぶに相応しい…恐らくは本来の姿でもある異形となった瞬間が、始まりの合図となった。

 

 それに呼応するかのようにハジメは構えた。2人にとって攻撃の手段は、迅速にかつ、最強の一撃。

 

 ハイエルは、己が悪魔である肉体と魔力制御によって悪魔にしか為しえぬ威力の拳を。

 

 ハジメは、己が信念・覚悟のその強さを具現化させた、必殺の突きを。

 

 そしてライルには見えないほどの一瞬の交差、その刹那で戦いは終わっていた。

 

 一人が立ち、一人が倒れ臥す。戦いの終わりは生と死による決着。

 

 そして、その様は伝記にあるように剣を持ちし人間が悪魔を滅ぼす絵画のようでもあった。

 

 

 

「くはは…。触れることすら出来なかったか」

 ハジメの牙突によるのか、胸に風穴を開けたハイエルは、仰向きに吹き飛ばされ、ただ笑っていた。

 

 ハイエルの後ろの森はまるで何も無かったかのように一本道が出来ていた。それは、ハジメの牙突の威力を物語っていた。

 

 倒れている体は、もう限界を迎えたのか徐々に塵となっていく。

 

「貴様がただ弱かった。それだけだ」

 

 刀を下ろし、皮肉めいた笑みをハイエルへ向ける。

 

「私が弱い…か。だが、世界が相手だったらどうかね?」

 

 ハイエルはどこか期待がこもった、新しいおもちゃを待ちわびるような嬉しそうな口調で尋ねる。ハイエルを葬ったということは、ライルを助けたということは、つまりはそういうことなのだろうと。

 

「世界を相手にどこまでその強情、信念とやらが貫けるかね?」

 

 最早、消えいく寸前だというのに、それでもはっきりとハイエルはハジメに問う。死ぬ一歩手前のときこそ、やはり力強くなるものなのだろうか。

 

 ハジメは、手元の刀を眺め真剣なまなざしのままその問いに答える。ハイエルにではない。ライルにでもない。自分自身に対して、この世界に対して自らが生きるために。

 

 

「無論死ぬまで。…『悪・即・斬』の信念と共にな」

 

 

「そうか」

 ハイエルは、どこか満足したかのように。見れないのが残念だ。そういい残し、消えていった。

 

 

 

 ハイエルが完全に消えたのを確認したハジメは、踵を返しライルのもとへ向かう。ライルは、呆けた顔をしながら勝者であるハジメを出迎える。といっても、ぎりぎり動く右手を上げただけだが。

「動けるということは、まだ生きているな。」

 そんなライルを見て、ひとまず安堵したような顔をした。

 

「ああ。なんとかな。それにとんでもないものも見せてもらったしな」

 正確には見れてないけどなと、くつくつぎこちなく笑うライル。まだ生きているのが不思議なほど、ライルの体は傷ついていた。しかし、その心はハジメと出会ったことによって、生き生きとしている。そうライルは実感していた。そして、ある一つのことを思っていた。

 

 ハジメは、決心をつけてきた。ライルの傷を見て、その心を確かめる。

 

「ライル。先ほどの話、託されよう。その信念と共に」

 

 口を開きかけたライルの目が驚きに見開かれ、徐々に顔に笑みを浮かべる。

「俺が言おうと思ったんだがな。…受け取ってくれるか?」

 端末をハジメに差し出す。出会って1日もたっていない、しかし、命懸けの戦いがそこにはあった。それこそが2人を友にした。

 

 ハジメはそれを受け取り、頷く。

「お前の信念。確かに託された。安心して逝け」

 

 

「あぁ。任せた…ぜ……」

 ライルは、しっかりとした笑みを浮かべ、そして、眠るようにその目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

「これぐらいで十分か。」

 ハジメは立ち上がりそれを確認する。

 

 ライルを看取ったその場所には、1mほどの石が立ち、その傍には花が置かれていた。

 ハジメがライルに建てた墓である。

 

 

(ライル。託されたこの情報…自由に使わせてもらう。そして、世界を変えてやろう。「悪・即・斬」のもとにな)

 空を見上げ、その広さに世界を重ねる。数秒経ち、ハジメは歩き始めた。

 

「行くとしよう。世界が相手だ」

 

 

 

 世界を相手にするために。その信念とともに。

 

 

 




読んでいただきありがとうございました。

次話は加筆修正が終わり次第、投稿します。


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第4話

青年は世界へと進む

されど誰も知ることはなく

 

第4話

 ~始まり~

 

 

 ハジメがいた森から外れること数日の距離に、街がある。

 そこにハジメはいた。

 この街はライルがもたらした情報に関連し、かつ森から一番近くの街としてハジメに教えていた街であった。

 

 街には活気があった。この世界で集落として獣人の村が一番大きいものとして認識していたハジメにとって、記憶にある街の風景に近いこの街の風景は、少々心地よい風景でもあった。

 この街に関する懸念材料があったとしても、この風景は得がたいものである。

 

 情報によると、この街を実質支配しているとされる有力者、名をゴルド・サージェン。この者は連合とつながりを持ち、人的資源に関して取引をしているとあった。

 

 とりあえずは、標的に関する情報について、現地での聞き込みをしようとハジメは、街の人間に声をかけるため、酒場へと足を踏み入れた。

 

 昼を過ぎているということもあり、人の影は見えない。ハジメは辺りを見回すと、カウンターの隅に男がいた。ハジメはその男に声をかけることにした。

 

「すまん、ちょっと聞きたいことがある」

 

「ん、なんだい?」

 声をかけられた男は、見た目は上下黒でまとめられた平凡な服装をしたハジメを見やる

 しかし、その腰にある剣に視線が行くと、男の顔に若干険が混じる。

 

「なんだ、あんた。ゴルド様の兵隊か?」

 『様』に随分と皮肉やいやみを感じさせる物言いを、男がハジメに対して放つ。息に酒気が帯びており、男は随分と出来上がっているようだ。

 

「いや、流れの者だ。この街の有力者だというゴルドという男について知りたくてな」

 

 嘘ではない。ライルからも聞いたが、外から仕入れる情報は質と客観性を、当事者・内から仕入れる情報では、鮮度と主観性を。

 情報として意味を見出すには、粒度と視点がモノをいう。何かをなすというのなら、この両方を仕入れなければいけない。

 

「ふーん……兄さん強そうだが、仕官でもする気か?だったらやめといたほうがいい。」

 男は、グラスに手を伸ばし、ちびちびと飲みながら忠告をする。

 

「それは、なぜだ?」

 ハジメは、マスターに注文をとりつけながら疑問を投げかける。

 

「なぜかって?知っているからさ…ゴルドのひどさをよ…」

 どこか実感が篭った声で、男はここではないどこかを見るような目で続ける。

 

「まぁ、流れならしらねぇのは無理ねぇかもな。んじゃ、俺が教えてやるよ」

 ハジメを横目で見ながら、くつくつと笑う男は、ゴルドの悪事を教えると言う。ハジメは、この男の素性を警戒しながらも耳を傾けた。

 

 

 

「あれは、数年前の話になるか……」

 

 それは、数年前にさかのぼる。

 当時、ゴルド・サージェンという男はこの街の有力者ではなかった。正確には、有力者である男の側近であった。

 

「正直、どこにでもいるお偉いさんと大して変わらん男だったさ」

 

 しかし、それは突然に変わる。

 有力者であった男が更迭されたのだ。そして、その後釜に選ばれたのが。

 

「ゴルド・サージェンだったわけだが……」

 

 少なからず街の人間たちから、信望があった男の更迭に戸惑いはあった。しかし、ゴルド・サージェンに変わってから、街が潤い、賑わってくると、いつしか街の人間たちも戸惑いをなくしていった。

 それが、どういう意味を持つかも知らずに。

 

 徐々に街は変化していった。獣人などのこれまで交流の少なかった存在が増えていった。兵を募ることも多くなった。

 

「ほとんどの人間は些細な変化として、気にしない。誰もが栄えるためのものとして、歓迎したさ」

 

 だが、徐々にそれは変化する。ゴルド・サージェンという男の傍にいたものは、よりそれを強く認識した。

 

 そして、事件は起きる。

 交易として、大々的なキャラバンが組まれた。そこには当然、兵たちも護衛としてついていく。

 

「しかし、襲撃された。そして、見ちまったのさ」

 

 交易の商品。それは、奴隷。いや、生きた商品として扱われていた、魔法世界人も人も関係なく。

 これを知った者たちの襲撃だったのだ。しかし、護衛として用意された兵に防がれた。しかし、何も知らない兵たちはそれを知る。

 

「ゴルドという男は、この街を人身売買の舞台にしたのさ。中央のお偉いさんたちと繋がって、自分は甘い汁を吸うためにな」

 

 この事実に兵たちは憤った。街に生きる者たちなのだ。しかし、何もできなかった。ゴルドは、兵たちを切り捨てた。

 反逆者として、街を守る兵団に殲滅された。事実を知らない街の人間はゴルドに踊らされるしかなかった。

 

「…お前は、キャラバンにいた兵の生き残りなのか?」

 ハジメは男を見る。男は、グラスを割れんばかりに握り締めしていた。

 

「何とか生き残った俺は、街に残した家族と共に抜け出そうとした。街のやつらは見捨てる気でいたよ」

 なにせ殺されかけたんだからよ、と男は目を伏せる。

 

「だが、俺が生きていたのを知っていたかのように奴等はいた」

 家の前にいたのは、ゴルドと見たことも無い頑強な鎧を纏った兵士たち。

 そして、ゴルドはもちかける。下卑た笑みを浮かべながら。

 

”あれで生き残るとは面白い。……契約をしないかね?”

 

 選択肢など無かった。拒否をすれば、家族が死ぬ。男は、契約を結ぶ。

 それ以降、男はただただ汚れ仕事を請け負うだけだった。その身を削り、終には家族までもが離れていく。残ったものは最早無かった。

 

 

 

「…運がいいぜ、兄さんよ。こんな話は普通じゃきけねぇ。街の人間はゴルドの胡散臭さは知っていても、何をしてるかなんて知らないからな」

 話し終えた男は、ハジメに笑いかける。とても笑えるような話ではないが。

 当然、ハジメには疑問があった。

 

「なぜ、そのような話を?」

 少し間をおいて、男はハジメの疑問に答えた。

「さぁな。もう先が無い命だ。誰かに話したかったのかもしれねぇ」

 男も不思議そうな顔で、グラスを揺らしながら、氷とグラスが当たる音を響かせる。

 

 先が無い命…。ハジメはそれに関して問うことはしなかった。男も聞いてほしくないのだろう、話は終わりとばかりに酒を飲む。

 

 

「そうだな、運がよかったようだ。礼をいう」

ハジメは、カウンターに貨幣を置いて立ち上がった。そのまま、酒場の出入り口へ向かい、ふと扉の前に立ち止まり、一言。

 

「貴様の話を聞いたからではないが…ゴルドには、罰が与えられるだろう」

 そして、ハジメは酒場から出て行った。

 

 残された男は、笑みを浮かべながらひとりごちる。

「おかしな兄ちゃんだったな。…罰ね、何が与えられるのやら」

 

 

 

 日が沈み、夜となる。活気があった街路も、酒場以外はその様相を変えていく。

 さらに夜も更ければ、やけにきれいな月明かりだけがあたりを照らし、人の気配は最早無かった。

 

 それは、ゴルドが住む邸宅付近も例外ではなく。少人数の護衛しか配置されず、危機感も少ない。この街が平和であったことがうかがえる。

 

「…こちらとしては、好都合か」

 物陰からそんな光景を目にして、ハジメはそっとつぶやく。

 

 ゴルドという男は、連合から都合よく使われているだけの男だった。ハジメの目的である、世界を裏から操ろうとしている組織とは、ほぼ関係無いといっていい存在。

 しかし、連合の情報を内から探れるかもしれない。なによりも、酒場で話を聞いたときから、このような下衆をハジメは放っておく気は無かった。

 

 平和ボケしている護衛を昏倒させ、あっさりと屋敷に侵入し、街の情報屋で仕入れた屋敷の地図を頭の中で照らし合わせて進んでいく。

 途中、見回っていたのだろう兵士も徒手で音も無く葬り去る。

 

 そして、難なくたどり着いたのはゴルドの書斎。明かりが扉の隙間から漏れている。夜もふけている中で、どうやら起きているらしい。

 ハジメは気配を消し、書斎の中へと入る。

 

 書斎の中で、ゴルドはある書類を書いていた。それは、今日この屋敷から去った男の今後を決める書類。

(便利なものだったが…縛れるものがなくなった今、離れるのは仕方なしか。さて、どうやって葬り去るか)

 

 男に関して、ゴルドはその強さも、弱みも把握していた。なればこそ、今まで使えていたのだ。しかし、その弱みは最早無い。無くしたのだ。ゆえにゴルドは、どうやって始末をつけるべきか悩んでいた。しかし、その悩みも次の瞬間には消え去る。

 

「ほう、随分と面白いことを書いているな」

 突然後ろから投げかけれた声に、ゴルドは振り向いた。その出っ張った腹が完全に振り向くことを許さなかったが。そんなことはお構いなしに、ハジメは構えた刀を解き放った。

 ゴルドが最後に見た光景は、自らを刺し貫いた男の殺気に満ちた、鋭利な瞳であった。

 

 

 

 夜が明けて次の日。男は知る。ゴルドが死んだことを。そして、それを行ったものが誰であったかを考え、思い至る。

「やっぱり、おかしな兄ちゃんだ」

 そうつぶやいて、男は空を見る。残り少ない命は、何に使おうかと考えながら。

 

 

 

「まだまだ世界は広い…か」

 ハジメは荒野を一人歩きながら、一息つく。

 結局ゴルドの屋敷で見つけたものは、同じ穴の狢のような輩についての情報ばかりで、ハジメが欲していたものはやはり無かった。

(だが、他にも悪即斬のもとに切り捨てる獲物が山ほどいることが分かった。そして、それらを辿っていけば…)

 

 今は知れぬ奴等に辿りつくだろう。

 

 それは遠くない未来として、ハジメは実現させる。自らの覚悟のままに進み、世界を変えるために。

 

 

 

 

 

 時は少々流れ、とある町のとあるギルド。

「おいおい、何だこの賞金首はよ。顔も名前も分からないときたもんだ」

 武装が施されたその外見から察するに賞金稼ぎなのだろう男が、数人の仲間であろう連れと、一枚の紙を見やる。

 

「懸賞金は…おぉ、10万ドラクマ。1年は遊べるな」

 その金額を見て、笑顔になるものもいるが、いかんせん情報がほとんど無い。そこに記されているのは、罪状のみ。

「しかし、政治家の暗殺ねぇ。捕まえるのがまず、大変だな」

 まぁ、見かけたら捕まえるかねぇ、と話はお開きとなり、男たちは、自分たちの仕事を見つけに受付へと行く。

 

 世界は徐々にその変革、戦争への舞台を整える。

 

 

 

 

 

「はぁ、これで何人目だろうね」

 そうつぶやいたのは、見た目は無表情な青年…アーウェルンクスだった。

 ここは、まさにハジメが追っている組織、その名は完全なる世界(コズモエンテレケイア)の数ある一つのアジト。

 

 その一室で件の青年アーウェルンクスは、今届いた資料を近くの机へと置いた。その動作は緩慢で、どこか疲れているようにも見える。

 

「今話題の、政治家殺しのことか?」

 同じ部屋にいた、ローブを身に纏った背が高めの男…デュナミスが、アーウェルンクスのつぶやきに反応を示し、問う。

 

「そうだよ。まったく困ったものだね、どこかの人間が雇ったんだろうけど。もっと早く起きていたら、僕たちの計画にも支障ができていたね」

 ため息をついて、カップへと手を伸ばす。お気に入りのコーヒーの匂いが鼻孔をくすぐり、満足したのかカップに口をつける。

 

「そうだな。だが、現状特筆すべき支障が出たわけでもない。まぁ、操るべき人間が減ったというのは、そう探しにくいということに繋がるが……支障というほどのことでもあるまい」

 デュナミスも、同じように机においてあったカップに手を伸ばし、コーヒーを飲む。

 

「さらに言うならば、すでに計画は始動している。後はどれだけ戦争を長引かせるか…だ。もし、件のそやつが我らの邪魔をするというならば……」

 そして、一気にコーヒーを飲み干し、カップを机におくデュナミス。ローブで隠れても垣間見えるその双眸を、獣のようにぎらつかせる。

 

「そのとき、叩き潰せばいいだけのこと」

 そう言い放ち、デュナミスは資料だらけの部屋から足音を立てながら出て行った。

 

 そんなデュナミスを見送りながら、アーウェルンクスは、カップを机においてため息を吐く。

「まぁ、言っている事はその通りだけど、心穏やかではいられない…か。しかし、政治家殺し。僕たちと繋がっている人間も幾人かいる。偶然…なのかな」

 アーウェルンクスは天上に目をやり、思考にふけていった。

 

 

 

 

 

 

 そのころ、M・M(メガロ・メセンブリア)では、議会が開かれていた。

 老人たちが、各々が己の保身のために紛糾していた。

 

「まだ捕まらんのかっ!このふざけた殺人鬼はっ!」

 自身の前にある机に拳をたたきつけながら、憤慨している老人が叫ぶ。それに呼応するかのように、他の老人、老人と行かないまでも初老を迎えたような人間も、矢継ぎ早に述べる。

 

「10万ドラクマもの金をかけたのだ。暗殺者というならば、網を張ればすぐに捕まえられるのではないのかね?」

「全くだ。それに長命種や、化け物のように強いわけではなかろう。町ひとつが消えたわけでもなし」

「我らに対する気概が薄すぎるのではないかね?」

 

 それぞれがそれぞれに好き勝手己の保身のための向上を述べ、叫ぶ。

 それを一身に受ける、役人と思われる若い男は、平身低頭のまま謝り続ける。

「申し訳ありません。しかし、顔も特定できていない相手に…」

 

「黙れっ!弁解など言う暇があるならば、その後ろで突っ立っている役立たずどもとさっさと捕らえにいくがいい」

 議会の中心にいた老人の眼光が鋭く、役人とその後ろに控える賞金稼ぎやギルドの代表たちを射抜く。

 

「くっ」

 ギルドの代表たちが顔をしかめる。自分たちが派遣、雇ったものたちはもうすでに何人もやられているのだ。言い訳もできない。

 

 そんなものたちを見て、老人たちは失望したということをその瞳に、空気にあらわしながら告げる。

「とにかくこの者を、至急に再手配せよ。賞金は倍の20万ドラクマにしておけ」

 他の老人からも警告ともとれる言葉が告げられる。

「我らの命を狙っているのだ。早急に事態を収拾したまえ。次があると思わんことだ」

 

 老人たちのプレッシャーに、役人も、戦い慣れしている者達も頭を下げ、体を震わす。

「はっ。分かりました。全力を持って取り掛からせていただきます」

 役人と賞金稼ぎたちは、そのまま部屋を去っていった。

 

 

「しかし、顔どころか、名前も分からんとは」

 何処からとも無く、億劫そうなつぶやきが発せられる。

「厄介ですなぁ。帝国との戦争もあるというのに」

 

 帝国との戦争というワードに、老人たちは次の議論へと移っていく。

「そうじゃ。戦争じゃ。どこからか英雄となるような者を探さんとな」

「ふむ。それならば…」

 

 

(殺されているもの全員が……。これは偶然か否か…あって見ぬことには分からんのぅ)

 幾人かを除いて…保身のための議論は続いていく。

 

 

 

 

 

 場所は帝国。その玉座に君臨する王を中心として円卓はあった。

「ふむ。連合でも此度の事件はあったということか」

 報告が終わった後、王が確認の意味をこめて問う。

 その身から発す威厳の様は、万人に王という存在を知らしめる。

 

「はい。ですが、やはり件の者について、有力な情報というものは持っていないようです」

 それに答えるは、平身低頭のままの姿勢でいる人間と似て非なる姿の男。

 

  魔法世界人。

  古き民と呼ばれ、その頭上に角を生やしていたり、とがった耳をもつなどの特徴を持つ存在。

  彼らにとっても政治家殺しは、対岸の火事ではなかった。帝国側でも被害者がいたのだ。

 

「ふむ。ならばそちらに手が届くように、この戦争早く終わらせる必要があるかも知れんな」

 王のその言葉に、男が下げていた頭を上げる。

「使いますか?鬼神兵を」

 男のその言葉に、王は顎をなでながら思案顔で述べる。

「まだ早い……が、準備はしておけ」

 

「はっ」

 

 

 

 

 

 仕組まれた戦争は、激化していく。

 様々な思惑が入り混じった戦争は、終わりを知ることなく。

 ハジメの行動がこの先どのように、この戦争を、この世界を左右していくのか。

 

 それは…誰も…知らない。

 

 

 

 

 




どうも、読んでいただきありがとうございます。

加筆していたら、あさっての方向に行ってしまって投稿が遅れてしまいました。申し訳ないです。
次話も、加筆・修正が終わり次第投稿します。

誤字・脱字等がありましたら、報告していただけると幸いです。


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第5話

人は一人では無力

青年は盟友を得る

 

第5話

 ~盟友~

 

 M・M(メガロ・メセンブリア)の郊外に町がある。今、魔法世界にておきている戦争を考えると比較的平穏が守られている町に、ハジメは足を踏み入れた。

 

 町には農地が多く、田んぼで仕事をしている人がまばらに見えるような、そんなのどかといえる風景を横目に、ハジメは中心部へと足を運ぶ。

 

 中心部の方では打って変わって、人々でにぎわっていた。昼間ということもあり、騒がしい街中を、目的の場所へと進んでいく。

 

 裏通りへと入ると、段々と表の喧騒も遠くなりはじめ、裏通り特有のにおい、目つきをした者たちが、目に付くようになる。

 

 ハジメは、そんな者たちを尻目に目的の場所へとたどり着いた。それは、隠れ家のようにひっそりた建ち、その様相は古びた喫茶店を思わせた。

 

 ギィと古ぼけた音を鳴らしながら扉を開けるハジメ。それと同時に、子気味よい鈴の音が店主に来店を知らせる。

「いらっしゃい」

 初老を迎えたと見える、温和な顔の店主がカウンターからこちらを向いて声をかける。昼間だというのに、店内を見回しても誰もいない。

 

 ハジメは、カウンターに近づく。

「古い知り合いとこれから会うんだが、なにか良いものはあるか?」

 そう言って、半分に欠けた銀貨を店主に渡す。

 

 店主は、一瞬だけ目を鋭くさせ、受け取った銀貨を見る。

「はい、ございます。奥の席へどうぞ。」

 そういうと、出口へ向かい扉にCLOSEの札をかける。戻ってきた店主は、ハジメを店の奥にある扉までハジメを案内し、ハジメはそれに従うように中へと入った。

 

 

 

 部屋には、テーブルが一つとソファが対面になるように2つおいてあり、応接室のような雰囲気を持っていた。

 ハジメは上座のソファに座り、最近ではもう手放せなくなった煙草に火をつけ肺で煙を味わう。

「ふぅ。」

 吐き出した紫煙があたりに漂わせながら、ハジメは下座のソファに座る者が来るのを待つ。

 

 そもそもなぜ、ハジメはこのような場所を訪れたかは、数週間前にさかのぼる。

 

 

 

 ハジメがライルから渡された情報を手がかりに、私腹を肥やした豚のような役人、武器を戦争を行っている両国に売りさばく武器商人。果ては、売買できるものならどんな非常な手段でももちいる闇商人、様々な奴らを狩り殺し、世界の闇に沈む情報を得てきたが、未だその闇は知れず。

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)

 

 ライルが黒幕であろうとふんだ組織。その名。だが、その目的が一切分からないことにハジメは焦燥感を抱く。

 

 当初は、帝国とM・M(メガロ・メセンブリア)の中枢に入り込んでいるらしいと知って、武器商人と手を組んで稼ぐための戦争を仕掛けているのかと思えば、今や下手したらこの先、ただ世界が滅びるまで戦争をするのではないかというほどに、戦争は激化の一途をたどっている。

 

 腐った奴らをいくら屠ったところで、また新たに腐った奴らが這い出てくるだけの状況にハジメは、いささか手詰まりのような感覚を感じ始めていた…。

 

 そこでハジメは、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の真の目的を探ることだけに重きを置くことにした。

 

 オスティアの奪還。帝国が侵略を行う上での目的である。

 世界地図を見ても、オスティアの位置は両国の勢力の中心に位置する場所。

 

 そして、ライルがもたらした情報の中で唯一手がかりらしい情報が皆無の場所でもあった。

 

 今までは、戦争の中心である帝国とM・M(メガロ・メセンブリア)においてしか活動してなかったハジメは、オスティアに探りを入れることにしたのだった。

 

 しかし、情報も伝手もない。独りで戦うことはできても、謀略、諜報の類を征することには無理があった。

 

 だからこそ、ハジメは今が契機と協力者を探すことにした。しかし、情報屋などはそれに当てはまらない。情報というものはありとあらゆるものが売られる。信用すらもだ。それに、短期的な付き合いでは不都合であった。

 一蓮托生として、盟友足り得る者。そして、今後の活動として不自由なく、また、表立って行動することができる力を持つもの。政治に携わる者を中心に、ハジメは探した。

 

 今まで、世界の闇に住んでいたものが疎ましく思っていた者ほど条件に当てはまるとハジメが調べると、ある一人の議員にたどり着く。

 

 マクギル元老院議員。

 

 元老院の中でもある程度の発言権を持ち、議会、民からも信頼を得ている存在。何よりも、今までハジメが屠って来た者たちが危険視していた存在というのが大きかった。

 

 そこからのハジメの行動は早かった。コンタクトを取るために周辺を調べ上げ、その思想、理念がハジメ自身の思惑と合致するかを考察。

 密に行った手紙のやり取りの中で、ハジメ自身がこれまで得た情報をマクギルに渡し、どのような情報が求めているか、ときには直接出向き(もちろん非合法である)、互いの人物像すり合わせ、契約を為すまでに至った。

 

 そして、ハジメは契約を為す場所として、この喫茶店を選んだ。

 

 この喫茶店では、奥の応接室に至る道が特殊な魔法具と陣が敷かれており、店主以外が開くことは不可能、外部に漏れる心配も無い。

 部屋の使い方として、店主は、特殊な魔法がかけられた銀貨を顧客に渡し、顧客はその銀貨を自身と相手用に半分に割る。

 このときに重要になるのが銀貨にかけられた魔法だ。この魔法は1度きり、割れた銀貨を戻す作用を持つ。店主はかけられた魔法で奥の部屋に案内する者を見分け、もう片方が来たならば、銀貨を元に戻し、部屋に案内する。

 

 密談を行うのに適した場所である。高度な魔法の知識、そして信用を得ている店主だからこその場所だ。ハジメもまた、マクギルとここで契約をするためにここを選んだ。ハジメが表にでるわけにいかないという理由もあったが、勘繰られないための処置でもあった。

 

 

 

 ハジメが席に座って待つこと十数分。部屋の扉が開き、男が一人入ってきた。そして、すぐに扉は閉められる。

「始めまして。マクギル元老院議員の秘書をやらせてもらっています。クーラと申します」

 そのまま礼をする。男はマクギルの代理人としてやって来たものだった。クーラは冷静にハジメを観察し、ハジメもまた、クーラを観察した。

 

「あなたが、政治家殺し…なのでしょうか?」

 頭を上げたクーラは、緊張感を持った声でハジメに問う。ソファに座ることもせず、直立不動のまま。ハジメに対する警戒心が伺えた。

 

 そんな男の様子に、ハジメは笑みを浮かべながら、タバコを灰皿へと押し付ける。灰皿には、すでに何本か吸った痕跡が残されていた。

「ああ。そうだ。ここに来たと言うことは、契約は成立ということでいいな?」

 

「はい。資料はここに。それでは失礼します」

 資料と思われる紙の束と、情報端末を机の上に置き、すぐさま去っていく秘書。

 

 ある意味当然の反応だろうと、ハジメは特に感慨も無く資料へと手を伸ばす。どこかに情報を漏らすような者を、マクギルがよこすとはハジメは思わなかったし、だとするならば、マクギルの眼は節穴で、ハジメ自身の眼も節穴であったというだけの話。

 

 ハジメは、再びタバコに火をつけ、資料に目を通すのだった。

 

 

 彼の次の戦場はオスティアとなる。

 

 

 

 

 

 M・M(メガロ・メセンブリア)の議員に充てられる豪奢で、一人に与えられるには十分すぎる広さを持った部屋にマクギルはいた。部屋に備え着いていたであろう高級感あふれる椅子にその身を任せながら、今回の出来事を振り返っていた。

 

(しかし、まさか、あちらの方から来るとはのぅ)

 

 これには、マクギルはたいそう驚いた。当初から多少の疑問点はあったが、相手は政治家殺しである。驚かないわけが無い。そのときのまるで暗殺者のようなハジメの姿を振り返ると、マクギルの体が自然に震える。

 

 しかし、そんなマクギルがなぜ、ハジメと契約を結んだのか。それはもともと、マクギル自身”政治家殺し”について違和感を感じていた。その違和感とは、殺されたものたち自身のこと。

 殺された一握りの議員たちはマクギルが、近々粛清しようと考えていた汚職議員が含まれていた。それも情報を掴んでいた全員が…だ。

 

 これに、マクギルは違和感を抱き、手駒である諜報員に調べさせた。すると、次々と明らかになる不正、汚職の数々。中には帝国側に通じていると見られる輩もいた。これには、さすがのマクギルもげんなりとした気分を感じずに入られなかった。

 

 それから、マクギルは政治家殺しについて調べ始めた。捕らえるためでなく、その真意を知るために。

 

(そしたら来るんじゃもんなぁ。吃驚したわ)

 

 そして、知るハジメの信念。その力強さに、マクギルは惹かれた。そして、決めた。何よりも、この地位を目指すために思い描いた初心を思い出した。

 

(ハジメの信念『悪即斬』。その信念にわしが切られぬ限りわしらは協力できるじゃろう。できれば一生協力したいもんじゃ…)

 

 

 

「しかし、M・M(メガロ・メセンブリア)内にまさかそのような組織とつながりがある奴らが居ったとは。完全なる世界(コズモエンテレケイア)のぅ。奴らの目的とはいったい何なんじゃろうな」

 

 ハジメが抱く疑問に、当然マクギルも抱くのであった。

 

 

 

 それから数分が経ち、部屋にノックの音が響く。

「私です。ただいま戻りました。」

 

 その声から、契約の場へと赴いた秘書が戻ってきたことを確認したマクギルは了承の意を伝える。

「うむ、入ってよいぞ。ご苦労であったな。」

 秘書に労いの言葉をかけ、マクギルは自身の仕事へと戻る。

(さて、ではわしも頑張ろうとするかのう)

 

 ハジメは大きな力、盟友を得たのであった。

 

 

 

 政治家殺しのニュースは最早、世界中に届き、民衆の興味を引いた。特に目を引いたのはその死体の異様さ。

 襲撃された政治家たちの死体にはどれも同じような傷痕が残されていた。

 その傷痕は、まるで抉ったかのように胸に風穴を空け、向こう側の景色が見れるというひどいものだった。その有様から、人々の間で政治家殺しはこう呼ばれるようになった。

 

突き穿つ者(パイルドライバー)

 

 と。

 

 

 

 

 

 ハジメは、マクギルと同盟を結びオスティアへと至る途中でも、自らの仕事を淡々とこなしていった。

 

 

「た、頼む。金ならいくらでもやる。だ、だから命だけはっ」

 暗闇の中、ただただ己の生殺与奪を握られているということの恐怖に震え、必死に命乞いをする男。その視線の先には、何も感じさせない瞳で見据えるハジメの姿があった。

 ハジメは、無様に這い蹲る男の頭を掴み、宙に浮かす。男の顔が恐怖にゆがみにゆがみ、感情が察知できない。

「…貴様の様な屑は、早々に死ね」

 そういい捨てると同時に、何かを砕いたような音が暗闇の中に響き渡る。

 

「ふん」

 頭が砕かれた骸を、ハジメは無造作に投げ捨てる。

 すでに臥していた他の骸とぶつかり不愉快な音が木霊する。

 

 そしてハジメは、手馴れた手つきで咥えた煙草に火をつけ、肺に煙を送る。

 吐き出された紫煙と共に、ハジメは闇の中に消えていった。

 

 次の闇に誘われるかのように。

 

 

 

 ここはオスティアのとある街。その一角にある飯屋。

 

「全く、これで何十人目だ」

 黒髪の剣士が新聞を見てぼやく。

「あ~?あぁ例の政治家殺しか。爺どもも見つけたら倒してくれって言ってたなぁ」

 赤毛の鳥頭が剣士のぼやきにそう応える。

「ええ。彼らからしたら、いつ自分の身に降りかかると知れない災厄ですからね」

「後ろ暗い奴は怯えておるじゃろうなぁ」

 ローブの男と爺さんのような口調の少年が鳥頭に続く。

 

 彼らは紅き翼。連合側についているいわば傭兵のような者たちである。その高い能力は、連合内部でも評価が高い。

 

 ……紅き翼(アラルブラ)

 

「確かになぁ。姫子ちゃんのこともあるしな」

 赤毛の鳥頭はナギ・スプリングフィールドと言い、膨大な魔力を有した魔法使いであり、紅き翼のリーダーでもある。

 ナギは、先日知ることとなった、謂わば連合の闇とも言える姫巫女のことを考え、口に出す。

 

「オスティアの姫御子ですか。そうですねぇ」

 ローブの男の名はアルビレオ・イマ。にこやかな顔をして何を考えているか分からない魔法使い。

 

「まったくだ」

 剣士の名は青山詠春。生真面目そうな剣士である。

 

「まぁわしらが議論していてもパイルドライバーは捕まるまい。顔もはっきり分かっておらんしの」

 少年の名はゼクト。口調は爺のようで、見た目は少年の不思議な者である。

 

 以上の4名で構成されているのが紅き翼(アラルブラ)である。

 

 

「しかし、突き穿つ者(パイルドライバー)かぁ。強ぇのかな。やってみてぇなぁ」

ナギがそういうと、

「風穴を空けられるぞ?」

 からかうような口調で詠春がそう返す。

 

「ははは。しかし、なんで戦争には出ねーで、裏でこそこそやってんのかね?そいつ」

 ナギが疑問を挙げる。今の世情から、強さはそのまま活かされる戦争の時代。それ相応の護衛を有している政治家を、簡単に屠る様からは相当の実力者であることが伺えた。

「さぁ?少なくとも私たちの知れる範囲のことで無いのは確かです」

 アルビレオが笑顔と共に結論としての答えを述べる。

「わしらの知らん戦争の裏とやらがあるのかも知れんしな。どっちみち知りたいならば、会わんことには始まらんじゃろ」

 ゼクトがそれに補足する。

 

「それもそうだな。お、飯が来たみたいだぜ。いっただき~す」

「あまりがっつくな、ナギ」

 そうして彼らは食事を始める。彼らを見ている者に気づかずに。

 

 

 

(あれが紅き翼…か。なるほど。マクギルが推すだけの事はある)

 M・M(メガロ・メセンブリア)がそうそう手放そうともしないほどの戦力として、ハジメは紅き翼(アラルブラ)を評価した。

 

 ハジメがオスティアについてから行ったことは、主に諜報の類であった。そして、M・M(メガロ・メセンブリア)が只の連合としてではなく、重要なファクターとしてこのオスティアを、正確にはこのオスティアを国として強い立場に侵せている要因…オスティアの姫御子をM・M(メガロ・メセンブリア)は深い領域で繋がっていた。

 そして、戦争の発端である帝国のオスティア奪還への侵攻。

 

 まだまだピースが足らない状況ではあったが、ハジメはここオスティアが、この戦争における重要な意味を持つ場所であると考えたのだった。

 そして、完全なる世界(コズモエンテレケイア)

 その組織が動いていることも知ったハジメは、戦争だけでない、まだ知ることのできていない何かにも繋がっていると考えるが、あまりにも情報はまだまだ足りていなかった。

 

 そして、今まで得た情報から考察した上で、オスティアのトップ、それに準ずる者たちが手を回していることは、明白であり、ハジメは次の段階へと進むことになる。

 

(…全く、完全なる世界(コズモエンテレケイア)はどこまで入り込んでいるのやら。ここまでくるとライルの情報も氷山の一角でしかなかったということか)

 

 次に目指すはオスティアの上層部。世界の闇へとより深く入り込むハジメはこの先に何を見るのだろうか。そして、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の目的。

 

(まさか、本当に世界を転覆させるつもりなのかも知れんな)

 

 いずれも、先に進めばわかることと、ハジメは進む。その信念と共に。

 

 

 

 

 

 一方、そのころM・M(メガロ・メセンブリア)では。

(むぅ。困った…、困ったのぅ…)

 元老院議員に与えられた書斎の中で、マクギルは一人困惑に陥っていた。

 

 それというのも、オスティアに潜入したハジメがもたらした情報と、マクギル自身が集めた情報がその困惑、悩みの発端であった。

 

 帝国のオスティア侵攻の本格化。なにやら、鬼神兵を持ち込み、戦力を拡大しての侵攻を決めたとの情報がハジメからも、マクギル自身の情報網からも知ることになった。連合に属するマクギルにとって、頭の痛い話題である。

 いくらオスティアといえども、厳しいものがあるとマクギルは考えたからだ。新進気鋭の紅き翼(アラルブラ)が今オスティアにいるとしても、不安になるほどである。

 

 それと同時に考えることもある。ハジメのことだ。当初こそ、政治家殺しとして、裏を生きていたものとして組んでいこうと考えていた。

 しかし、ハジメを知るにつれ、捜査や諜報ばかりでなく、表舞台に出てもらいたいと考えるようになってしまった。契約において裏で動くと了承しながらも、そうマクギルが考えたのは、他にも紅き翼(アラルブラ)以上の働きができるとも確信してからである。

 

(…いい案ではなかろうか。ハジメの今までの行動は恐らく誰も把握しておらんじゃろう。わしも出会わんかったら、分からなかったじゃろうしな)

 

 ハジメが単独で全てができていたのなら、世界は結局ハジメについて何も知らぬまま全てが終わっていただろう。しかし、現実にはハジメはマクギルと同盟を結び、その名を、信念を、マクギルは知ることとなった。

 

 思いついたのなら行動は早かった。まず、秘書を呼び出し、その旨をハジメに伝えることとしたマクギル。

「お~い。誰かおらんか?」

 ひとまずは、帝国からの侵略を防いでくれるよう頼むことと共に。

 

 

 

 ハジメにとって未来、表に生きることはここから始まったのかもしれない。

 

 




読んでいただき、ありがとうございます。

誤字・脱字の報告や感想をいただけたら嬉しいです。


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第6話

随分と間が空きました。お久しぶりです。時間とやる気ができたので投稿


青年は黄昏の姫御子に出会う

舞台へと続く道と共に

 

第6話

 〜オスティア〜

 

 オスティアの内部を探ろうとハジメは動いていた。

 しかし、マクギルの緊急の連絡により、M・M(メガロ・メセンブリア)本国へ戻ったハジメだったが、そこでマクギルがいった言葉は、戦場へと赴いてほしいというものだった。

 

 

 

 マクギルの応接室の中で2人の男が一つの机をはさんで向かい合っていた。

「今、なんと言った?マクギル」

 一方の男である青年、ハジメは苛立たしげに吐き出した紫煙を辺りに漂わせもう一方の男を睨む。

 もう一方の貫禄を漂わせる老人、マクギルはハジメの若干殺気の混ざった視線に飄々としながら質問に答えた。

「次の帝国によるオスティアへの侵攻を食い止めてもらいたい。と言ったのじゃ、ハジメ」

 

 マクギルの言葉に場の雰囲気が凍る。マクギルの背に一つ汗が走る。重圧も増した。目の前の男、ハジメの威圧感によって。

 

「断る。…俺にそのような暇はない。完全なる世界(コズモエンテレケイア)の目的を知ることこそ優先すべきこと。これは貴様も承知の上だろう………奴らに踊らされているような連中を助ける義理はない」

 その一言と共に鋭い視線をマクギルへと送る。この話は聞かなかったことにするとその目は言っていた。

 

 しかし、マクギルはその視線を遮りなお言い放つ。海千山千、政治の世界に生きた男はこの機会を逃しはしまいとその実に力を入れる。

 

「それで…無関係のものが死に逝くとしてもかの?」

 

 いくらこの戦争が帝国、連合双方に入り込んでいる完全なる世界(コズモエンテレケイア)によるものであったとしても、それで死に逝くものはただ無駄に死ぬ。そこには、己の正義、家族、生きるためという思想は最早関係ない。いや、それすらも計略のうちなのか。

 

 

「…」

 ハジメもマクギルがただでは引かぬとその身に感じる気迫から察する。煙草を灰皿へと押し付け、新たな煙草に火をつけた。

 マクギルは、話を続ける。

 

「それにオスティアの姫御子…真実だとするならば酷いものじゃ。帝国が幾度と無くオスティアに侵攻するならば彼女もまた、そのたびに兵器として利用されてしまうのじゃろう」

 

 マクギルは完全なる世界(コズモエンテレケイア)だけを見ているわけではない。それから先、未来を考えなければならない。今どうすればハジメを説得できるのか。これの成否でその先の世界は大きく変わってしまうとマクギルは確信していた。

 

「オスティアの姫御子…か」

 オスティアの姫御子。そのワードがハジメの持つ情報の中でひときわ異彩を放つ因子として記憶に残っていた。なぜならば

 

「…完全なる世界(コズモエンテレケイア)の連中も姫御子を、重要なファクターとして認識を持っているらしい」

 

 ハジメの一言にマクギルは、思考を一瞬停止してしまった。マクギルにとってその事実は完全に知識の外にある事柄であった。

「なっ。なんじゃとっ!」

 思わずハジメに詰め寄りその真偽を問う。

 

「未だに不確かな情報だ。それに、もしこれを知った貴様が姫御子についてオスティアに干渉すれば完全なる世界(コズモエンテレケイア)に感づかれる可能性があった」

 

「うっ」

 オスティアの姫御子についてその事実を知らなかったマクギルが、オスティアへとなんらかのコンタクトを取ればそれは十二分に怪しまれる要素となってしまう。

 

「だが、そうだな。帝国が侵攻してくるならば、出さざるを得ない…か」

 何か思案するように、自らの中で考えをめぐらせ始めるハジメに、マクギルの額に汗が流れる。

 

「お主…何をっ」

 先ほどと打って変わって、顔を青くしながらマクギルにハジメは、口元を不適に歪める。

「何をって…オスティアの姫御子を…だ」

 

「やはり、実際に会ってみないとな。百聞は一見に如かずという。オスティアの連中の内部もより知れるというものだ」

 マクギルは、自身が思ったとおりの展開になっているにもかかわらず、未だ青い顔のまま考えをめぐらせる。

 

 なにせマクギルにとってオスティアの姫御子、それも自分たちが追っている完全なる世界(コズモエンテレケイア)が絡んでいるとなるならば、話は少し変わってくる。連合と帝国の戦争をただ介入するという話ではすまなくなる。 

 かと言ってここでハジメを止めるわけにもいかない。実際に帝国の手がそこまで迫っているのだ。

 

 結局、数瞬考えをめぐらせたマクギルはハジメならば大丈夫であろうと、送り出すことに決めた。

 

「では、オスティアに行くとしよう」

 タイミングを見計らったのか、立ち去ろうとしたハジメだったが、数歩歩いて立ち止まった。

 

「ん?まだ何かあったかの?」

 

「いやなに、オスティアで紅き翼(アラルブラ)に会った」

 マクギルは興味があると顔を少し綻ばせた。

「ほう。それで、どうじゃった?」

 お主の眼鏡にはかなったのかと言外に尋ねる。

 

「あー…赤鳥?鳥…鳥頭。鳥頭含め全員が一線で戦えるであろう強さを持っている。…だが」

 

「だが?」

 

「俺とは馬が会わんだろうさ」

 

 そう言って、ハジメは背を向け立ち去った。

 

 向かう先は戦場…オスティア。

 

 

 

 

 

 戦場であるオスティア。その一角。祭壇を思わせるような場所にそのものたちはいた。

「くっ。奴らが来たぞっ!」

 ローブを纏った男が声を張り上げ叫ぶ。同じようにローブを纏った男たちも、その声に呼応するかのように慌しく動いている。

 慌しく動き回っていても、男たちの動きには規則性があり、その中心には幼いとわかる少女が佇んでいた。

 

「仕方ない。また役立ってもらうとしよう」

「このような幼子が…。不憫な」

「愚か者が。見た目に惑わされるでない。これは兵器(モノ)と思え」

 男たちが思い思いに口を出す。その言葉の端々には少しの狂気が混ざっていた。

 

「全くもって…。はぁ。…生きぎたない連中が多すぎるな…ここは」

 そこに突然、剣呑な雰囲気を纏った男が現れた。

「そんなものに頼るぐらいなら、潔く死ねば良いものを」

 

 中心となる少女のすぐ近く。突如と現れたその男にローブ姿の男の一人が叫ぶ。

「な、何者だっ貴様。さっさと戦場に戻らんかっ」

 

 すでにオスティアは帝国の戦艦、鬼神兵が侵攻しており、紛れも無い戦場と化していた。

 

「ちっ。そんな無愛想娘に頼るしか能のない貴様らのために来たというのに。早々と退け」

 苛立たしげに男が髪をかき上げ、男たちを見下す。鋭い目が一際鋭くなり、相対していた男以外は早々と隅によっていく。

 

「はっ。貴様そんな丸腰で何ができると言うのだ。まさか、帝国のスパイか何かか?」

 ローブ姿の男はそんなことには気づかず。得意げに何かしゃべっているが、男はそれを平然と無視し、帝国の戦艦や鬼神兵を見通せる場所に立ち、無手のまま構える。

 

「おいおい何をするつもりだ。…さっさと…っ」

 そこから先は口を開くことはできなかった。いや許されなかった。男から発せられたその力と威圧に物理的に口が閉じられた。

 

 このとき男を見て、気づくものがいれば気づくであろう。それは咸卦法という究極技法(アルテマ・アート)の一つ。

 

 男は、構えから武としてその力を解放する。

 

-牙突・零式-

 

 たとえ素手であろうとも、その威力は生半可なものではなく込められた力は敵と定めたものに容赦なく飛んでいく。

 

 今まで戦場を行き交っていた攻撃など生ぬるいと思える純然たる凶暴凶悪な力が、帝国の戦艦や鬼神兵を襲う。

 

 その光景にローブの男はただ口を間抜けに上げながら呆然とするしかなかった。

 力は時には戦艦を打ち抜き黒煙を上げ沈んでいく。時には鬼神兵をなぎ払い、切り裂いていった。

 

 粗方目に付く戦艦、鬼神兵がいなくなり、男…ハジメはその構えをとき辺りを見回す。

 

 すると、無愛想娘こと姫御子と目が合った。

 

「…(から)だな。絶望もできんか」

 ハジメは無意識に言葉を紡ぐ。それほどまでに、姫御子の目は空虚なものだった。

 

 そのままこの戦場において異質である男と少女が見詰め合い、数秒がたった。

 

 すると突然その場に降ってきた男。

「今こっちですげぇの見たんだが、誰がやったんだ?」

 のんきにそんなことをのたまう男に、ハジメは姫御子から視線をはずし、ため息を吐く。ここは戦場だぞと心に吐露し。

 

 

「なっ。千の呪文(サウザンド)…」

 それは想定外の自体なのだろう。先ほどまでとは違う慌しさ、言うならば見られてはいけないものを見られたかのような。そんな反応であった。

 

 

 そんな光景に、ハジメは思わずため息をつく。その理由はいくつか思いつく。しかし、そんなことよりも厄介なのが近づいてきた。

「お?もしかしてお前だな。どうかしなくてもきっとお前だよなっ」

 鳥頭を揺らしながら、目を爛々とさせハジメに詰め寄る鳥頭こと千の呪文の男(サウザンド・マスター)、ナギがハジメに詰め寄ってきた。鬱陶しいと言わんばかりに顔をしかめるハジメ。

 

「黙れ。鳥頭。それより、後ろを見ろ阿呆。まだ終わってはいないぞ」

 その言葉に振り返るナギ。未だに投入されている戦艦、鬼神兵は戦場にその猛威を振るっていた。

 

 それを見たナギは、不適に笑う。その笑みは闘う者の風格を漂わせていた。

「それもそうだな。よ〜し…んじゃさっさと倒しに行こうぜ。お〜いっお前ら」

 共にきていた紅き翼(アラルブラ)の仲間たちに声をかける。

 

「ふむ、その無愛想娘をさっさと中へ戻しておくんだな。次は運悪く巻き込まれるやも知れんぞ?…貴様ら」

 そそくさと移動を行い始めた男たちへ向かい殺気混じりの視線を投げかける。

 

「くっ。さ、さっさと戦場へいけっ」

 そう捨て台詞を残してローブの男たちは姫御子を連れて去っていった。

「…」

 姫御子については、おおむね情報どおりであった。しかし、完全なる世界(コズモエンテレケイア)…これについては、今回

目立つ動きが無かった。連合と帝国の戦争の裏をまだ知られてほしくは無いのだろうと結論づけた。

 

(これについては、やつらの動向をあとで調べるしかないか)

 

「ん?姫子ちゃん助けてたのか?お前」

 そんなハジメに対して気さくに質問を投げかける。そんなある意味空気の読めていないナギにハジメは頭が痛くなるのを感じながら戦場へと再度足を向けた。

 

「ふん、馬鹿いってないでさっさと行くぞ。ど阿呆」

「くっくっく。おう。行こうじゃねぇか」

 ハジメの後からナギも実に面白いといわんばかりな笑みで戦場へと向かう。

 

 

紅き翼と一人の男がオスティアの防衛に加わってからは、ただただ一方的であった。

大呪文と気砲ともいうべき拳撃や斬撃に帝国の戦艦や鬼神兵は敗れ去り、帝国のオスティア回復作戦は失敗に終わったのであった。

 

 

 

 帝国が敗れ、一つの戦いが終わり一時の平穏が訪れるオスティア。

 戦いが終わったことを労い、宴が所々で開かれた。酒を飲み、飯を食らう。この当たり前の光景を忘れぬために、その勝利を祝うために。

 

 「なぁなぁ、お前の名前教えろよ~」

 「さぁ、俺と一戦しようぜっ」

 

 宴の一角でハジメはナギにひたすら絡まれていた。ナギからしたら、自分が知る中でもトップクラスの実力を持つであろう男と出会ったのだ。闘いたくて仕方が無かった。

 しかし、ハジメからすればただ鬱陶しい事この上ない。

 

「静かに酒も呑めんのか、鳥頭」

 あきれた様に杯を置き、胡乱な目でナギをみるハジメであったが、

「はぁ~?勝利の宴だぜ。ぱぁ~といこうぜっ」

 なんともナギらしい返答のもと、ハジメは握り拳に力を込めた数瞬の後、ただ酒杯を傾けた。

 

「ははは、すまないな。ウチの馬鹿が迷惑をかける」

 そんなナギたちのもとに、苦笑を浮かべながら近づく青山詠春とアルビレオ・イマ。共にナギの仲間であり紅き翼(アラルブラ)の一員である。

「ふふふ、ナギもあなたのような方とであって嬉しいのでしょう」

 

「知るか。鳥頭は貴様らでしっかり管理しておけ」

 詠春とアルビレオに対して、少々強い口調で投げかける。するとナギがこれに反応して両腕を上げポーズをとる。

「なんだとぉ。俺は管理されるようなちっちゃな男じゃねぇ。俺は天下無敵の千の呪文の男(サウザンドマスター)だぜっ」

 どこぞの語り文句のようなせりふに、その場のノリがより盛り上がってしまった。どんどんと騒がしくなっていく面々を見ながら、ハジメは静かに退席するのだった。

 

 

 

 あたりは宴の空気もなくなり、閑散とした路地を宵闇が支配していた。そんな中をハジメは目的の場所、ローブの男たちの本拠地となる城へと向かっていた。

 

 そもそもオスティアへきたのは、姫御子がいるこの地が戦場となった場合、まだ得ぬ情報を手にできると思ったからこそはじめはこの地へと赴いたのだ。今回ハジメと紅き翼(アラルブラ)の戦いを間近で見たやつら、そして、次の戦いへの布石を講じる者が動かないはずが無いと踏んだハジメはこうして城の中へと忍び込んだ。

 

 いつもどおりに書斎などから、手がかりになりそうな資料を洗い出していくハジメ。いくつかの部屋をめぐり、少々離れた場所の一際大きい書斎へとハジメは行き着いた。

 

 部屋に入ろうと試みたハジメは、その違和感に気づく。

(この部屋は、何らかの魔法が施されている…)

 慎重に部屋へ忍び込み、魔法が施されているいくつかの点を見て廻る。すると、一つ隠蔽、認識齟齬と複数の魔法が施されている壁にかけら手いる絵画にハジメは向かった。

 

 ハジメが絵画をはずし、魔法を解除するとそこには普通では気づかないような隠し扉が施されていた。隠し扉を開き、中を見やるとそこには手記がおかれていた。ハジメが手記の中身を見るとそこには完全なる世界(コズモエンテレケイア)に関しての情報が書かれていた。

 

「っ」

 欲しかった情報に思わず目を見張るハジメ。そこに綴られていた情報を読んでいくその手は早い。組織が何時ごろから接触を始めたのか、どれだけの頻度できたかなどの情報がそこには記されていた。また、持ち主の主観であろう箇条書きの感想がいくつか添えられていた。

 

(白髪の青年…?)

 

 最後は帝国が侵攻する数日前の日で終わっている。その内容として、近いうちに完全なる世界(コズモエンテレケイア)と密会を行うというものだった。

 

(近いうち…オスティアはこの戦いを予定調和としてみていた?)

 

 ならば、と。ハジメは考えをめぐらせる。そして一つの可能性を考慮し、部屋の状態を元に戻し、颯爽と部屋を後にした。

 

 

 

 王城の裏手にある木々に囲まれたテラスに2つの人影があった。王城の裏手とあって人の通りは無いに等しく、また、この時間帯ではその姿をとらえらることはない、絶好の場所で密談が行われていた。

 

「言われたとおり、秘書も手記も始末しておきました。しかし、驚きましたよ。まさか手記に残していたとは」

 人を傅かせる雰囲気を纏った壮年の男が口を開く。その雰囲気とは打って変わって、随分と腰の低い丁寧な物言いが際立っている。

「いや、始末したならいいよ。僕らの組織は公にならないなら越したことが無いからね」

 もう一つの影は、どこか人形を思わせる雰囲気を纏った青年であった。

 

「その通りですね。では、話を変えることにしまして。これからの話に移るとしましょう」

「そうだね」

 

 そして、彼らには見えない位置で一人の男がそれを聞いていた。

 

 

 

 先ほどの手記から戦いが終わった今日、密会が行われていると考えたハジメは王城の中を探し周り、そしてここへと行き着いた。

(なるほど、普段ならば完全に死角になる場所…ということか)

 どこかで密会が行われていると考えなければたどり着かない場所、ハジメは少々感心した。

 

 そして、静かに密会を行っている者たちの会話に神経を集中させるのだった。

 

 

 

「今回の件は少々驚いたね。まさかこんなにも早く終わるとは思わなかったよ」

 青年は、驚いたというようには聞こえない口調で淡々と言葉を紡いていく

「だけど、進行の度合いとしてはやっぱり想定外になりそうだね…紅き翼(アラルブラ)…彼らには消えて…いや、一時退場してもらおうか」

 口調としては平坦。しかし、男は少々薄ら寒さを感じた。

「は、はい、そうですね。あまり思ったとおりに動けない駒は不自由ですからね。駒は自在に動いて欲しいときにでもまた」

 男は笑みを浮かべて媚を売る。

 

 

「お姫様は、まだ君たちが持っていていいよ。今回はちょっと危なかったみたいだけど。…君たちも気をつけてよね」

 青年の言葉に冷たいものが混じる。それに気づいた男は即座に了承の意を返した。

 

「最後に…そうだな。突き穿つ者(パイルドライバー)という者に関して知っていることはあるかい?」

 話の終わりにふと思い出したかのような口調で青年は、巷でうわさの殺人鬼。そして、青年にとっては危険な存在となりうる者について男に問うた。

「いえ、ですがうわさは聞いておりますが、ここではそのようなものはまだ出ていないようです」

「そう……っそこにいるのは誰だっ」

 青年の雰囲気が一瞬で変化する。その変わりように男は心臓が縮み上がる思いで硬直した。

 

 一層険しい雰囲気になって数秒。その緊張は突如ほどかれた。

「……気のせい…だったみたいだね。動きがみられない」

「お、驚きましたよ。寿命が縮まるかと」

 いやぁ驚きましたと、少々大げさなリアクションをとり続ける男と、緊張感こそとけたが、青年は静かに佇んでいる。

「ま、僕の勘違いかな」

「珍しいこともあるのですねぇ」

 

 どっと汗を噴出し、深呼吸している男と未だに、気配を感じたのであろう場所へ視線を送っている青年。

 

「………そうだね」 

 そう言って、やっと視線をはずした青年は空を見上げた。

 

 夜の空には輝く月と数多の星が瞬いていた。

 



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第7話

青年は信念のもとに斬る

運命が変わる刻

 

第7話

 ~王殺し~

 

 

 月夜の中、ハジメは紫煙を辺りに漂わせながら一人佇んでいた。

 

 考えていることは一週間前の夜。オスティアの戦いの夜のこと。途切れ途切れにしか聞こえなかったが、ハジメが見つけた手記…おそらく写しであったのだろう…の持ち主の件を話していたこと、そして、今回の戦争について帝国、連合とは違う雰囲気を纏っていた2人。特に顔こそ見れなかったが人形めいた男の影がハジメの脳裏によぎる。

 

(奴は…完全なる世界(コズモエンテレケイア)なのか。しかし、遠くは無い)

 

 ハジメが今回得たものは大きかった。虎穴に入らずんば虎児を得ず、目的が違えどマクギルの提案は間違っていなかった。完全なる世界(コズモエンテレケイア)の影、そして…

 

 オスティアの上層、それもウェスペルタティア王国を筆頭とした王族が持つ闇。その闇は完全なる世界(コズモエンテレケイア)と繋がっていた。

 

 マクギルが用意した証明書から、莫大な量の資料を保管するオスティアの図書館の奥。一般では閲覧できない資料があの夜ハジメが調べたことと照らしあわされた。そして、あの夜いた壮年の男のことも。オスティアの王族は完全なる世界(コズモエンテレケイア)に対して、何度も接触を果たしていた。それも王族のトップたちが率先して。

 

 魔法世界…オスティア…帝国…連合…世界を巻き込んだ戦争とそれを執拗なまでに継続させている。そして…あの日見たオスティアの姫御子。

 

 ハジメにはまだ分からない。完全なる世界(コズモエンテレケイア)の真意が何処にあるか。しかし、それでもハジメは止まることをしない。

 

 ハジメは自然と笑みを浮かべる。そして改めて決意する。

 

(首を洗って待っていろ…完全なる世界(コズモエンテレケイア)。貴様らを表舞台へ引きずり出し、その首…切り落としくれる)

 

 そのための一歩となる今宵の事件、魔法世界に衝撃を与えた十数人の王族が屠られるという前代未聞の事件が起きる夜が始まる。

 

 

 

 オスティア、王城の円卓がある広間に十数人の影があった。そこには、民なら知っているであろう王族のトップが集まっていた。

 

 そんな彼らが集まったのは、ある議題について。彼らの悲願。

 

「…ふむ…順調であるな。悲願が叶えられる日も近い」

 ウェスペルタティア国王が、顔をほころばせながら話す。彼に、いや、彼らにとって目的となるものはすぐそこであると、報告はそのようにされている。

「えぇ。『楽園』はもうすぐそこに」

 その言葉に呼応するかのように、面々は頷いていく。

 

 彼らの悲願、それは完全なる世界(コズモエンテレケイア)が行おうとしている魔法世界の滅亡(リセット)と、その救済である『楽園』。その『楽園』こそが彼らにとっての悲願。その願いの形はさまざまであるが、そこに彼らの願いがあることは明白であった。

 

 もはやそれは、すぐ近くの出来事。長い時間を経て、現実になりつつあることに、この場の雰囲気は和やかなものであった。

 

 

 

 しかし、それは突然にして終わる。彼らの願いはこの男の信念によって斬られる運命にあった。

 

「『楽園』…か。その話、詳しく話を聞かせてもらおうか」

 

 突如として、広間の唯一の出入り口。その豪奢な扉を背に男…ハジメが獲物である刃を手に立っていた。

 

 その光景に王族たちは慌てふためくことしかできない。

「な、何だっ貴様は。警護は何をしていたっ」

「ここがどこか分かっているのかね」

 円卓に座るのは老人ばかり。しかし、その中には未だに若造といえるような若き王族がいた。彼は、頭に血が上る勢いのままに敵意を向ける。

「随分と無粋だな」

 

「生憎と俺が聞きたいのは、その『楽園』のこと…そして完全なる世界(コズモエンテレケイア)、奴らの目的だ」

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)と出た瞬間、全員の顔色が変わり、先ほどの若き王族は手を振り上げた。

 

「誰かは知らんが、その名を知っているからにはっ」

 魔法をハジメへと放つ。一般の兵士であろうともその威力は十分に殺せるものであったが、ハジメは携えていた刀をただ振るった。それだけで、魔法は斬られ霧散した。返す刃の斬撃は、いともたやすく若き王族の命を絶った。

 

 円卓がその空気が堅く、重くなった。老人たちは認識した。我らの命を握っているのは紛れも無くやつなのだと。

 

 その空気を感じ取ったハジメは話を進める。

「貴様らがしてきた事は、把握している。完全なる世界(コズモエンテレケイア)に支援していた事、帝国、連合に入り込んだスパイ、傭兵の事、そして…今回の戦争が始まったとき、貴様らが裏で何をしていたか。楽しかったか?辺境をつぶすのは」

 

 老人たちの顔が蒼褪める。その事実は知られていてはならない。ようやくここまでたどり着いた、その目前においてこの男が知る事実は見逃せなかった。

「ど…どこから」

 老人たちが動かないのならば、動くものがいるのは当然。それすらも隠し切るには少々事が大きすぎた。

 

 

「いう必要は無い…『悪・即・斬』そのものと貴様らを…断つっ」

 信念を背負い、自らがその汚泥をかぶり、なお先へと進む。何の覚悟も無く願った彼らの顛末はもはや決まっていた。

 

 そこから先は一方的であった。戦いではない、虐殺。円卓は血にまみれ、血と汚物の悪臭が立ち込める。

 

「貴様で最後だ、国王」

 刃に滴る血を払い、国王へと切っ先を向ける。

 

 しかし、国王は恐慌などしなかった。彼は最初から慌てる事は無く円卓の上座そこにただ座していた。周りの老人が逃げ、屠られていく様を淡々と見続けたのだった。

 

「なぜだね」

 突然の問い。その意味をハジメは図りかねる。

「なにがた」

 

 国王は笑みを浮かべる。その瞳は、ただただ冷静であった。この場には不釣合いなほどに。

 

「なぜ、そこまでの強さ(信念)を持っているというのに…我らの理想を理解しない」

 不思議そうに問う。彼には一片もわからないのだろう。彼らにとって願い、悲願はそれほどまでに聖なるもので絶対だった。

 

「貴様らと共に振るう剣などありはしない」

 ただそう斬り捨てる。質問すること事態がありえなかった。

 

「くくく、それは我等のことを知らんからだろう。教えてあげよう、彼らの、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の理想とその先にある未来を」

 愉快そうに、子供を諭すように国王は話し始めた。

 

「ふむ、まずはこの世界、その成り立ちからだ…」

 ハジメも初めて聞くことになる、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の真の目的へとつながる、その一つの真実。

 

「…そして、彼らを…全てを救うために作り上げられる、理不尽も不幸もない『楽園』に、世界は変わるっ。素晴らしいことだっ。そうは思わんか。彼らは、我等は世界を救うのだっ」

 語るにつれ、大きくなっていく国王の声は嬉々としていた。ハジメは途中から吸った煙草を片手に、国王の語った話の一部を反芻する。

 

(魔力が枯渇し、消えていく世界。そして、今度こそ完全なる世界を作り出す。…だからこその完全なる世界(コズモエンテレケイア)…か)

 

「素晴らしいだろう。どうだ、今からでも遅くは無い。貴様も…」

「下らんな」

 ぴしゃりと国王の言葉を遮り、ハジメは言い放つ。そんなものは下らない、聞く価値もないと。

 

 一瞬何を言われたのか理解できなかった国王も、徐々にその顔色を朱へと変えていく。

「正気で言っているのか貴様」

 腐っても国王。すさまじい威圧感と共に、ハジメに問い直す。しかし、ハジメの言は変わることは無い。

 

「正気も何もない…何だその世界は。理不尽も不幸もない?そんな場所に住めるほど人間はきれいではない」

 苛立たしげに、それでも更に続けてハジメは言う。

「それにだ。今を生きている者が掴み取った幸せを無碍にする事が許せん。それは貴様らが行う事でも区別する事でもない。救いたいというならば、魔法世界の者全員に今の話を聞かせるがいい。わざわざ世界を滅ぼすような真似をせずともよかろう」

 ハジメは根元までになった煙草を、片手に持ち燃やしつくす。

 

「世界を滅ぼさねば出来ぬ救いならば、しないほうが良い。神にでもなったつもりか?貴様ら…」

 実に詰まらそうな目で、国王を見るハジメ。話はこれで終わる。

 

「黙っておればっ。好き放題言ってくれるな賊如きがっ」

 憤慨するままに、王族の魔法を放つ…が、ハジメにとってそれは関係の無いことだった。詮無くその攻撃を切り払い、国王の心臓めがけて、突き穿つ者(パイルドライバー)の由縁となった牙突を放つ。

 

 小さなうめき声を上げ、その胸に漆黒の闇、空となった穴を開けて国王は絶命した。その玉座とともに。

「…それは、こちらの台詞だ。あまり好き放題してくれるな。この世界はお前らの世界ではない。…たとえ作ってあったものだとしても…な」

 

 牙突の余波で、外へと繋がる穴の淵に立ち、後ろを振り返る。

「本当に世界を、人を救うという事はそうではない。それに、人はそれほど弱くはない…」

 そういい捨てると、ハジメは夜の空を駆けた。

 

「……王っ。…父上っ……っ…」

 誰か駆けつけてきたのか、女性の悲鳴のような声があがった。

 

 

 

 ウェスペルタティア国王含め十数人の王族が殺された事は、オスティア王都だけでなく、帝国、M・M(メガロ・メセンブリア)の連合を驚かせ、もちろん完全なる世界(コズモエンテレケイア)にも衝撃の出来事であった。

 

 

「なんたることだっ」

 振り上げた拳を思うままに机に振り下ろされた。振り下ろされた机はその衝撃で粉々になる。

 

 その様を見ながら、人形のような面持ちの男…アーウェルンクスが重々しく口を開く。

「まさか、こんなことになるとはね。完全にやられたね」

 机を粉々にしたローブを纏った男…デュナミスが口調荒々しく応える。

「これは、計画の見直しも…いや、早急に実行犯を探し出す必要もある」

 

 彼らの周囲はすでにぼろぼろの状況だった。物理的な意味合いで、である。最後に形残っていた机ももはや木っ端微塵。彼らの今回の事件に対する苛立ち、焦りをうかがわせる。

 

「大幅な計画変更だよ。だが、計画は終わらせないさ。集合の件は頼んだよ、デュナミス」

「心得た。忙しくなるな」

 デュナミスは、ひとまず未だに八つ当たりをし続けている面々をおとなしくさせるために広間へと向かった。

 

「まさか、突き穿つ者(パイルドライバー)とはね。もはや、無視はできない…ね」

 そう独りごちると、アーウェルンクスは部屋を出て行った。

 

 

 

 

 歯車は加速する。

 ハジメは真実を知ることとなった。しかし、その信念はその願いを否定し、ハジメは完全なる世界(コズモエンテレケイア)と対立すること決定付けた。戦争は佳境を迎えようと激しさを増していく。

 そして、幾つかの刻が過ぎた。

 

 

 

 

 今、ハジメは途轍もなく不機嫌であった。

「で、これはどういうことだと聞いている。マクギル」

 少々目つきがきつくなるのを自覚しながら、ハジメはマクギルに問う。その口調は普段から不機嫌と思われる口調をさらに冷たく、不機嫌さを増したものだった。

 

「ふぉっふぉっふぉ。もう会って話をしたようじゃのう。…印象は最悪のようじゃが」

 マクギルは額に汗をかきながら、どう誤魔化そうかと試行錯誤しながら今の事態に頬を引きつらせる。なぜ、こうなったといわんばかりに心で泣いていた。それでも笑みを崩さない辺り政治家である。

 

「策士策におぼれるか…今度はどんな依頼だ?マクギル」

 ひとまず、話を続けろとハジメはマクギルに停戦を突きつけると、マクギルはほっと息を漏らしながら、手を隣に少々掲げながら一言今回の依頼を述べる。 

 

「この方を護衛してもらいたいのじゃ」

 先ほどから、ハジメを終始にらみ続け、ハジメが不機嫌な理由、マクギルが慌てふためいている原因である娘。アリカ・アナルキア・エンテオフュシア。先日起こった王族惨殺事件その被害者であり、ハジメが殺したウェスペルタティア国王の娘、ウェスペルタティア王国皇女の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 そもそもの話は約一時間前にさかのぼることになる。

 朝となり、人が行きかって騒がしい時間を過ぎた辺り…ハジメは静かな喫茶店の奥で一服していた。

 この喫茶店は、ハジメがマクギルの秘書と契約の確認をした喫茶店で、それからというもの、ハジメがマクギルと本国で執務室以外で会うときは、この喫茶店を利用するようになっていた。今回もいつもの通り割符となる半月状となった銀貨を渡し、奥の部屋に行く。

 

 つまり、ハジメはマクギルと待ち合わせのために今ここにいる。しかし、

「…遅い」

 すでに約束の時間から30分は経過していた。普段はこんな事はないため、ハジメも

(襲撃でもされたか?それとも、とうとうボケが始まったか?)

 と若干抜けた考えをめぐらせていた。

 

 

 

 そんな風に時間を過ごしていると、

「すまぬ。道が分からなくてな。遅れてしもうた」

 

 現れたのはマクギルではなく、ローブをかぶった小娘だった。当然ハジメには面識もなく。

「…小娘…貴様何者だ?」

 

 ハジメの言葉に、娘はハジメの顔を見ると、その整った顔を顰める。

「む…おぬしこそ誰じゃ。気安く話しかけるな下衆が」

 

 ミシリと空間が悲鳴をあげた。

 

 

「ほう。小娘如きが、偉そうな口をたたくな。程度が知れるぞ?」

 ハジメは新に煙草に火をつけながら、軽く言葉を投げる。

 

「話しかけるなと言った筈なのじゃが。言葉が通じておらんかったのかのぅ」

 ここは何処じゃったかのうと、娘はとぼけ混じりにハジメに応える形で挑発する。

 

 空気がどんどん冷たくなっていく。普段は冷静なハジメも、この空間においては少々気を置かないのが習慣になってしまっていたため少々熱くなっていた。

 

「なぜ貴様の様な小娘の言など聞かなくてはならないのか…少々、いや、多大に自らを省みたほうが良いな。妄言もほどほどにしておけよ、小娘」

 今お前は恥をかいているぞと、努めて冷静に、なおかつ相手を挑発させるような物言いと、静かな雰囲気を保ったままハジメは言葉の暴力を浴びせる。

 

「っ。…ふっふ、私を知らんと?無知もほどほどにしてほしいものじゃ」

 ローブの陰になって見えないが、頬を引きつらせながら、娘も応戦するが、

 

「ふぅ。名乗ってもいない、姿を隠している…そんな者を知っているとでも?その年で呆けたか小娘。または、そんななりで自意識過剰の阿呆かどちらかか」

 最後にせせら笑うようにハジメは口元を歪めたのだった。

 

「…っ。ならば、私の顔を見て後悔するがよいっ」

 もう我慢ならんと、そう言って娘はローブを取り払った。

 

 

 

「いやぁ、すまんのぅ。少々ごたごたが起きておって…のぅ」

 なんともタイミングの悪い苦労性のマクギルがここで入室する事となった。

「ふぉっふぉっふぉ…なんじゃ、この空気」

 

 そして、話は冒頭に戻る

 

 

 

「な。誰がこんな無礼な男を護衛になどっ」

 小娘ことアリカ・アナルキア・エンテオフュシアがマクギルに食って掛かる。先ほどのことがよほど腹に立ったらしく、ハジメをにらみつける様は肉食獣を思わせる。

「いや、じゃがしかし、そこに居る男、ハジメは世界の情勢を良く知っておるし、暗殺などにも鼻が利く。なによりも王女を任せられるほどに…強い」

 そんな思いとは裏腹に、マクギルは今の情勢に必要な人材であると、アリカに冷静に語りかける。

「む。しかし…」

 そんなことは当然承知しているアリカ。しかし、なんとも第一印象が悪すぎた。

 

 うなり続けるアリカとは対照的にマクギルが来た時点で既に切り替えは済んでいたハジメ。思うところがあってマクギルには釘を刺しておいたが、今の現状をハジメはとりあえず考える。

 

 ハジメは、いつものように煙草を吸い、紫煙を吹く。

 

「マクギル。護衛の必要性となぜ俺なのかの理由を教えろ」

 そうマクギルに聞くハジメ。理由として大体の見当がついているが、こういうことにおいて確認は怠らない。

 

「ふむ。まず必要性じゃな。国王が死んだ事はもう知っておるの?」

 これは確認となる。あの事件の内容はすでにマクギル自身にも入ってきている。そして、その背景も。王族の完全なる世界(コズモエンテレケイア)とつながりに関しては、ハジメ自身がマクギルに報告を行った。

 

「…あぁ。もちろんだ」

 故に、ハジメは複数の意味合いを持つこの問いに是と応えた。しかし、ハジメにはマクギルの意図が分からない。

 

「もちろん、次期王になるのはここに居るアリカ王女なのじゃが。ウェスペルタティア王国は今、ごたごたしておっての。なにせ、国王含め十数人の王族が暗殺されたのじゃからなぁ。無理もない」

 そのごたごたが何を指すのか、真実を知るものと知らぬものでは大きく意味が異なる。

 それを聞いたアリカはきゅっと拳を強く握った。

 

 アリカの様子を盗み見たハジメは、なんとなくマクギルがしたいこと、そして、王族が全て完全なる世界(コズモエンテレケイア)と繋がっているわけでないということを思い出した。

「…王国が沈静するまでの間暗殺や洗脳がされる恐れがあると、言うことか」

「まぁ、そういうことじゃのう。そして、それをお主に頼んだ理由はの…」

 ハジメが不可解に思うその一点。なぜハジメにこれを頼んだのか。

 

「…お主最近、少々派手に動きすぎたようじゃ。勘付かれておる可能性がある」

 今回の一件については、少々規模が大きかった。なおかつ敵となる完全なる世界(コズモエンテレケイア)の中枢に確実に近い存在を暗殺し、宣戦布告をしたのだからなおさらだ。

 

「…ふむ。確かに、俺も少々仕事を控えようと思っていたところだ。受けてやってもいい。お前もそれでいいな?小娘。現状を把握できていないほど愚かではあるまい?」

 ハジメも、手に入れた情報を精査し、完全なる世界(コズモエンテレケイア)を探る必要が合った。それには、アリカの近くにいるのは不都合ばかりではない。

「ぐっ。いちいち腹が立つ言い方をする…。嫌な奴だ…」

 ぼそぼそと何か独り言をのたまうアリカ。やはり不満は大いにあるみたいだが、原状が理解できていないほど暗愚というわけではない。むしろ、マクギルがハジメに護衛を頼むほど重要な存在であるのだとハジメは認識する。

 

「嫌な奴で結構だ。…それで、良いのか悪いのかどちらだ」

 再度アリカに問いかける。紫煙を吹き付けるというサービスつきで。

「けほけほっ。むぅ」

 聞かれていたことと煙草の煙で少々あわてているためか、鉄面皮が崩れるアリカ。

(面白い顔もするのだな)

 

 しかし、それは数秒のことですぐさま普段の表情へと戻った。

「マクギル殿、この度の件ご配慮感謝いたします」

 マクギルに了承の意を伝える。

「いえ。当然のことをしたまでです。アリカ皇女。ハジメ、頼んだぞ」

 

 

 こうして、ハジメはアリカ王女の護衛となった。

 束の間の平穏な時間か。はたまた、新たな騒動の火種となるのか。しかし、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の動きを見るためにも少々時間が必要だったのも確か。

 

 

 

 喫茶店を出て、マクギルを見送るとハジメがアリカに向かい改めて挨拶を行う。

「期限は何時までかは分からんが…護衛は引き受けた」

「うむ。ほれ、さっさと行くぞ。ハジメ」

 そう言って、先に進んで物珍しいのか辺りを見回しながら先に進むアリカ王女。

 

 それを見ながらハジメは若干早まったかもしれないと内心思うのであった。

 

 



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第8話

束の間の平穏

それは何を育むのか

 

第8話

 ~護衛~

 

 M・M(メガロ・メセンブリア)首都の外れ。

 休憩所となっているのであろう、その場所にまばらであるが人影がいくつか見えた。そこには、面白い組み合わせの男女2人の影があった。ハジメとアリカである。

 

 ハジメは、普段はしないサングラスと動きやすさ・実利を優先した黒を基調とした服装をしており、抱えていた随分な量の荷物を降ろし口を開いた。

「護衛されている身分というのに、随分とまぁ…買うのが好きなのか」

 若干と辟易としたような、疲れた口調で尋ねる。前のように挑発めいた口調からは幾分かは柔らかくなっていた。

 

「うっ。私は、あまり外に買い物をするということを…じゃな。したことがなかったのじゃ。別に良いじゃろう。このくらい」

 そう言って、そっぽを向くアリカ。アリカは最初ハジメにあったときのようにローブを纏っていた。

「別に構わんさ。俺にとっては休暇のようなものだ」

 実際、休暇だと思っているらしく腰に刀を携えてはいない。ふと手近にあったベンチに腰を下ろし、煙草に火をつける。

 

 

「ほう。私を護衛する事が休暇と変わらんとな?」

 隣に腰を下ろしたアリカは、鉄面皮のままだがどこか不服そうにハジメの顔を覗き込む。

「実際、今貴様を襲ったところで余計オスティアが混乱するだけだ。…まぁそのために襲う可能性もあるがな」

 王族がまとめて消えた今、オスティアは混乱している。ハジメは紫煙を吐き出しながら続ける。

 

「それに、もし今、貴様を狙うというなら好都合。それは転じて、この戦争が終わった後の弱みとなる」

 そうならば、完全なる世界(コズモエンテレケイア)自体の動きも分かりやすいしな、とハジメは口には出さないが内心そう考える。オスティアの一件以降、完全なる世界(コズモエンテレケイア)が動かす駒、向かっていく先の中核がおぼろげながら感じ取れるというふうに、随分と状況が変化したのだった。

「私が死ぬ事になるとか考えんのかのぅ」

 口を引きつらせるアリカは、とんでもない護衛がいたものだとハジメの評価を考える。

 

「愚問だな。この俺が護衛である限り、やすやすと死なせん。仕事だからな」

 そう言いながら、すっと立ち上がり警戒を強めるハジメ。

「ん?どうしたのじゃ」

 それに疑問を感じたのか、アリカが首をかしげる。

 そんなアリカにかまわずにハジメは、目を鋭くさせある一点を見据え、その方向に向かって静かにそしてすばやく構える。

 音速の衝撃が宙を舞い、直線状にあったものを貫き突き抜けていった。

 

 ハジメが放った拳撃の方向からざわめきがおき始めた。

-おいっ、大丈夫か-

-誰か、担架もってこいっ-

 

「なに、五月蝿い虫が目に付いただけだ」

 ハジメ達がいた場所もにわかに騒がしくなり始めた。おいていた荷物を再び抱え上げ、アリカを促す。

「場所を移すか」

「そ、そうじゃな」

 

 

 

 見晴らしの良い丘に2人はやってきた。ここまで来ると人はまばらになっていた。

「ハジメは、いつもああなのか?」

「ん?なにがだ?」

 丘から暮れ始めた空を眺めていたアリカが突然口を開いた。あまり要領を得ない言葉にハジメは聞きなおす。

 

「いや、先ほどの男…あれは防諜の者。違うかの?」

 ハジメは内心感心した。

「目はいいようだな。そうだ…恐らく連合だろう。マクギルはあれで内に敵がいるからな」

 アリカの件でなにかしらあったのだろう。ハジメはそう結論付けている。

 

「躊躇なく攻撃しおったなと、少々思うところがあっての」

 アリカにとって間近で、戦闘があったのだ。しかも、なんら前兆が無い状態での一方的な攻撃。彼女にとって思うところがあったようだ。

「おかしなことを聞く。今の俺は貴様の護衛だ。迷えば、結果的に死ぬのは俺でなくお前だ」

 当然の帰結として用意される未来。護衛としてそのあたりは当然ハジメは弁えている。

 ハジメがそう言うと、なぜか小娘は少し笑みを浮かべた。

「ふふ。それはハジメの信念『悪即斬』からきておるのかの?」

「マクギルか…。あのおしゃべり爺が」

 

 アリカはハジメのほうへと体を向ける。

「私は、ハジメの口からその信念を聞きたいと思っての。…なぜ父王が討たれなくては、ならなかったのか」

 そう言って、ハジメを見るアリカ。その瞳は真剣なものであり、決して復讐などといった色は見せていなかった。

「なぜ、それを知っておきながら、俺を護衛にする事を許した?」

 今日までで特段アリカのハジメに対する態度に変化は無かった。多少柔らかくなったくらいだろう。父の仇であるとしったならば変化はあって叱るべきだ。ならば、最初から知っていたことになる。

 そのような者に近寄りたくもないだろう。それにいくら完全なる世界(コズモエンテレケイア)と繋がっていたとはいえ、表向きはなんら問題はなかったはず。

 

「分かっておるのじゃ。父王が何をしていたか。マクギルにも少し話を聞いた。…ハジメが討っておらんかったら、きっと近いうちに私が討っておったじゃろう」

 これは紛れも無い本心であった。アリカは父が何をしていたかまでは知らなかった。しかし、裏で何かしているとまでは感づいていた。結果からすればいずれは、アリカ自身が父を討っていただろう。

 

「そして、さっきハジメは私を守った。それで思ったのじゃ。別にハジメは王族が憎いわけではない、ハジメの信念が父王を討ったのじゃとな」

 アリカなりに思うことがあったのだろう。その一言にはいろいろ気持ちが混じっていることがハジメであっても察することができた。丘の先へ足を進め、ハジメの方へ振り返るアリカ。

「だからハジメの口から聞きたいと思ったのじゃ。その信念を」

 

 ハジメは紫煙を吐きながら、アリカの瞳を見る。その瞳はいまだ穢れてはおらず、透き通った印象をハジメに与えた。

 少し考えるそぶりを見せた後、設置してあった灰皿で燻った煙草の火を消し、捨てる。

「小娘。人にとって幸せとは何だと思う」

 

「金か?名誉か?家族か?…そんなものは人が積み上げてきたもので決まる」

 ハジメの独白のような言葉に、アリカはハジメを見つめながら黙って聞いている。

 

「人の価値観とはその生きてきた環境で、人生で大きく変わる。家族が居ない者が家族を求めて家族を作ったのならそれは幸せだろう。なにもない、食う物にすら困ったものならば、金を権力を手に入れたならばそれは幸せだろう」

 

「だが、それが他のものが築き上げた幸せを踏み潰すものならば、俺にとってそれらは等しく悪だ」

 

 そこでアリカは口を開く。

「それでは、ハジメは弱者の味方という事か?」

 しかし、ハジメはそれを否定する。

「ふん。誰がそんな事を言った。弱いせいで踏み潰されるならば、それはそいつ自身のせいだ。強くなければ幸せなど手に入れることはできても守れん」

 そこまで面倒を見るのは寓話の英雄だけだと切り捨てる。

「…悪・即・斬とは私利私欲に走り平和を脅かす悪。それらを斬ることだ」

 

「俺の信念は、悪を斬れても、幸せを、平和を守る事はできん」

 それが出来ていたらなば、この信念を貫いた男も違う時代を生きていたかも知れんな。ハジメは心の片隅で詮無きことを思う。

 

「そして、それをするのは、お前らの仕事だ」

 そう小娘に言うと、小娘は目をぱちくりとさせる。

「この戦争で腐った膿は俺らが全て片付ける。だが、戦争が終われば貴様らが舞台の主役だ。貴様に出来るか?平和を人々の幸せの基盤を築く事が」

 

「ふふ。何を言うかと思えば。当たり前じゃ。人々が幸せを作れるように、守れるようにするのが私たち、私の任された事であり、信念じゃ。…民は私の宝じゃ」

 夕日を背にし、そう自信満々に答え、アリカはその瞳に強い光を見せる。

「それに、ハジメは私を守ってくれるのじゃろう」

 そう言って普段の鉄面皮は崩れた。微笑むアリカにハジメはしばし言葉を失ってしまう。

 

「…」

「どうしたのじゃ?ハジメ」

 アリカの問いかけに、少々身だしなみを整えつつ応える。

「いや、そろそろ帰るとしよう」

 帰り支度を始め、歩き出す。

「ふむ、そうしようかの」

 そう言ってアリカは俺の横に並んだ。

 

 

 

 ハジメは決して口には出さなかったし、忘れることにした。微笑んだアリカにただただ見惚れていたという事実。ハジメにとって体験したことのない衝撃は、ハジメにどう影響するのであろうか。

 

 

 

 ハジメがアリカの護衛を始めて幾許かの日数がたった。

 ある日の朝、ハジメはいつものように、新聞や情報端末から情報を仕入れていると、

「ほう」

 思わず声を上げる記事がハジメの目に入った。紅き翼(アラルブラ)がグレードブリッジ奪還にて活躍。紅き翼(アラルブラ)の面々も大々的に取り上げられていた。少し前までは前線にはいなかったが、その力を存分に発揮したという記事である。

 グレートプリッジが奪われたとなれば、帝国も躍起にならざるを得ない。それにともなって戦況も動く。そして、完全なる世界(コズモエンテレケイア)も。

「何を見ておるんじゃ?」

 突然、アリカが顔を覗き込んで聞いてきた。アリカはこの所作を気に入っている節があり、時折ハジメに対して行っている。

 

「グレートブリッジ奪還だ。知っているか分からんが、紅き翼(アラルブラ)の連中がその際に活躍したそうだ」

 慣れたもので、そう返しながらアリカの頭をどかすハジメ。ハジメにとっては邪魔にしか感じない。

「ふむ…紅き翼(アラルブラ)か。聞いたことがあるの。千の呪文の男(サウザンド・マスター)じゃったか?ハジメはあったことがあるのかの?」

 どかされた事に若干不満でもあるのか、口を若干尖らせ睨みながらもハジメに聞いてきた。

「一応あの鳥頭や他の連中にも会ったことはある。が、このジャック・ラカンという男は知らんな。情報によると、自ら奴隷から傭兵に成り上がったそうだ。それなりの実力者だろう」

 情報行き交う中で見かけたが、紅き翼(アラルブラ)については凄まじいほどの情報が行き交っている。拳一つで戦艦数隻を沈めたという逸話を始め、天候を操ったという与太話すらも混ざっていた。

 ふと時計を見ると、マクギルに少し来て欲しいと頼まれた時間が迫りつつあった。

「さて、俺はマクギルのところに行く。今日はおとなしくしておけ。くれぐれも外出など軽はずみな事はするなよ?アリカ」

 

「む。私の護衛はハジメじゃろぅ。私を護衛せずしてどうするのじゃ」

 無愛想な顔だが、目が若干怒っている。というより拗ねているに近い。そんな機微に関係なく、ハジメは面倒だと感じながら思う。

(やれやれ。俺は父親の仇という事を忘れているのか?こいつは)

 

「俺の本来の仕事は諜報と暗殺だ。そもそもマクギルに頼まれた仕事だ、この件に貴様は関係ない」

 ぴしゃりとそう言って、ハジメは身の回りものを片付けマクギルのところへ向かう。

 

 納得していないアリカは、ふと何か思いついたような表情を浮かべた。しかし、ハジメはそれに気づくこともなく、アリカはその後姿に見送りの声をかけるのだった。

「早く帰ってくるのじゃぞー」

 

 

 

 マクギルの執務室にたどり着いたハジメは、辺りの警戒を一通り行うと、中にマクギル以外の人の気配がする。しかし、問題がある気配ではなく、ハジメはそのまま声をかけ中に入ることにした。

「マクギル、入るぞ」

 そう言いながらハジメが中に入ると、ハジメがにらんだ通り、マクギルの他に髭のメガネと少年がいた。ハジメが見覚えがあると思い、数瞬思考をめぐらせると、マクギルの他の情報源であることに思い至る。

 

 ハジメに気づいたマクギルが声をかける。いささか気分が良いようだ。

「ハジメか。よくきてくれた」

 

 それに伴って髭メガネと少年もハジメの方へと顔を向ける。

「ほう。お前があの有名な突き穿つ者(パイルドライバー)か。話はマクギル元老院議員に聞いているよ」

「…マクギル喋りがすぎるぞ。…はぁ、誰だこいつらは」

 マクギルに釘を刺し、紹介を促す。

 

「分かっとるわ。それに信用するものにしか言っておらんよ」

 そう言って、目で髭メガネ達に促すマクギル。

 

「あぁ。まぁ知っているとは思うが、元捜査官のガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグだ」

「タ、タカミチ・T・高畑です!」

 髭メガネことガトウが、なかなかハジメを興味深そうに眺め自己紹介を行った。その目は覇気というものが見られないが、修羅場を潜り抜けたもの特有の色味と理知的な光が見て取れた。

 それに続くように少年ことタカミチも元気よく自己紹介した。しかし、緊張しているのだろうか、声が若干裏返る。

 

「俺は、ハジメ・サイトウだ。知ってのとおり突き穿つ者(パイルドライバー)…政治家殺しをしていた」

「していた…?」

 ハジメの含みある言い方に、当然反応を示すガトウ。このようなやり取りにハジメは多少新鮮さを覚える。

 

「今は、どこぞのお姫様を護衛していてな。それに、暫くは表立って動けんのだ。それが理由だ、ヴァンデンバーグ」

「別にガトウで構わんさ。それより、姫というのは?」

 少し気になる単語を聞いたガトウが問う。このご時勢にその辺りの話は、十二分に危険であり、知っておかなければならない情報となりうるからだ。

 

「こ、これ。ハジメ」

 マクギルがあわて始める。ハジメとしては、ここで情報を共有するためにきたものとばかりに思っていた。マクギルとしても、話そうとは思っていなかったが話の組み立てとして順序というもの必要だった。それほどまでにハジメが所有している情報というものは深いものであり、また、危険なものだということを示していた。

 

「何か隠しているのですかな?マクギル元老院議員」

 若干悪い笑みを浮かべながらマクギルに問いただそうとしているガトウ。それに慌てるマクギル。ハジメが絡むと幾度も予定通りとはいかんのうとマクギルが内心思っていると、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

 皆の視線が、一斉に部屋の入り口へと向かう。

 そこには、ローブをかぶった無愛想な顔のアリカが立っていた。

「ハジメ、遅いぞ。仕方が無いから私が迎えに来てやったぞ」

 なぜか、得意げな口調で腕を組み、ハジメのもとへ歩いていくアリカ。

 ハジメは思わず、吸っていた煙草を落としてしまった。

 

「…貴様…なぜここにいる」

 少々、頭が痛くなるのを感じながらハジメはあえて問う。しかし、アリカはあっけらかんと応えてきた。

 

「今日は、中心街の方へ買い物に行きたくての。ハジメが居なかったら行けんじゃろ?」

 あまりの回答にに、ハジメは思わず手でこめかみを揉みはじめた。なんだ、こいつはこれほど阿呆だったのか?と自問自答しながら、何とかアリカに対する答えを口にする。

「…今日は大人しくしておけ、と言っておいたはずだが?」

 そう、マクギルのもとへ向かう際に確かに言っておいた。しかし、そんなものはアリカには関係なく。

「そんな毎日部屋に引っ込んでなどおれん」

 当然とばかりに言い放つアリカ。

 

「ま、まさか。オスティアの……」

 ローブで隠しているとはいえ、その顔に見覚えがあるのだろうガトウが呆然としている。そして、これはマクギルを責めることはできないなと、省みた。ここまで大事だと順序だてないと自らの頭がパンクするし、物理的に首が飛びかねない。

「なんということじゃ」

 マクギルも呆然とするしかない。そして、ここまで向こう見ずだったかとアリカに対する評価を改めるのだった。

 

「ほれ、行くぞハジメ。護衛が居ればいいのじゃろ?」

 そう言って、アリカはハジメの腕を掴み、引っ張る。脱力してしまったハジメは振り払うこともせず。

「では、お主ら。ハジメを借りていくぞ」

 嬉々とした様子でハジメを連れ歩き、アリカとハジメは執務室を出て行った。

 

 呆然としている三名を残して。

 

 

 

 結局買い物に付き合うことにしたハジメだったが、アリカに対して一応釘を刺しておく。

「アリカ、貴様はもう少し自分の立場を認識しろ。ここはM・M(メガロ・メセンブリア)だ。スパイや過激な行動を取る奴など、どこに居てもおかしくはない」

 片手に荷物を持ちながら、隣を歩くさまは護衛というには近かったが、それでもハジメはあたりを警戒しながらアリカについていく。

 

「仕方なかろう。私はあまり世界というものを知らぬ。教えてはもらったが、見た事もないのじゃ。こうして、民たちがどういう生活をしているのかを、知りたいのじゃ」

 辺りを見回しながら歩き続けるアリカに疲れも反省も見られなかった。しかし、決してわがままだけでない。事実彼女は本当に民を知っていわけでなかったと、こういう接し方があったからこそ後にそれが活かされていく。

「それに、護衛であるそなたが、私を守ってくれるのじゃろう?」

 そう言って笑顔でハジメに振り向くアリカ。

 

「…仕事だからな」

 

「ふふ。なら問題なかろう?」

 

「はぁ。あいつら固まってたぞ?それに恐らく今日、互いの情報を話し合うつもりだったのだろう。まぁ結果は…貴様が乱入したせいで、マクギルは今日貴様の件について、ガトウに話す事も多そうだがな」

 そう言いながら、アリカを見やる。

「むぅ。そこまで目くじらを立てんでも良かろう。まったくこやつは…」

 むくれるアリカ。最初に比べ随分と表情を出すようになった。最初の無愛想顔か睨み顔しかしなかった頃と比べればどれほどのものだろうか。

 

 

 ぶつぶつといまさら文句を言い始めて歩きを止めてしまったアリカを見て、ハジメは一つため息をつく。

「ほれ、行くぞ。まだ行きたい所があるのだろう?」

 そう言って、手を差し出し先を促す。その手を見ながら、若干顔を朱に染める。

「う、うむ。そうじゃな。では、…失礼して」

 そして、恐る恐る差し出した手を握るアリカ。

「ふふ。…こういうのもいいものじゃ。コホン。…では、行くとするかの」

 途端に笑顔となって、アリカはハジメの手を引いて歩き出した。

 

 

 

 よく分からんやつだ。そう思いながら、アリカと歩をあわせながら進むハジメであった。

 




以上。また、時間とやる気が出来次第お送りいたします。

感想、誤字脱字ありましたらお願いします。


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第9話

時間が取れたので投稿。
ちょっとした幕間的なお話


信じることは裏切られること

それを恐れぬ心こそ信念足りうる

 

第9話

 ~願い~

 

 アリカは、ハジメの手を握る自身の手の感触を覚えながら、つい視線をその手元へ向かわせると顔を綻ばせる。

「どうした」

「ふふっ気にするでない」

 

 そんなアリカの様子を怪訝に思ったハジメが眉を若干ひそめるが、すぐに辺りを警戒するように目をそらし気配を薄める。護衛対象の邪魔にならないように気配を操作することなどハジメにとって容易なことである。

 だからこそ、いつもはふとハジメの所在を探すようなことをしてしまっていたアリカにとってハジメを感じられるこの手の感触がとても嬉しく暖かく感じられた。

 

 思えばハジメを護衛として時間を共にするようになってから、随分と時が経った。刻一刻と世情は変わっていったが、それをハジメと見ていたアリカは随分と信を置くようになっていた。ハジメの能力の高さもそうだが、その気高きまでの精神に。

 

 この世に生を受けたと同時に王族として生きていくことを課せられたアリカ・アナルキア・エンテオフュシア。国王の娘として、いや、これから国の未来に携わるものとしてさまざまなことを見てきたアリカ。

 そんなアリカにとって、この時間は今までにないものばかりを見せてきた。生死が常に問題となる事柄ばかり。戦争だけでないそれに付随する問題すらも、アリカはただ知っていただけだった。マクギルとハジメ、さらに関わった者たちから得られた経験は確実に未来に活かされることになるだろう。

 

 街の賑わいを見ながら、護衛として傍にいるハジメを盗み見るアリカ。そして、思う。

 

 初めて出会った時、ハジメが護衛として付くことには正直言って不満があった。父である国王、ならびに連なる王族達が死んでいったのだ。護衛の話も無理はない。それまで培った人脈のうち信用できる人間だったマクギルに相談すると、適役がいるとの事で紹介されたのがハジメであった。

 

(あのときは、「随分とぶしつけな人間がいるものじゃ」と思ったのう)

 

 印象は最悪であった。運悪くマクギルが遅れ、指定された部屋に来てみれば見知らぬ男がいたのだ。当時の心境から拒絶反応のように悪態をついてしまったアリカであったが、今思い起こせば自分も大概であるなと思う。ともかくアリカの、いや、双方の印象は最悪での出会いだった。

 

 しかし、いざ護衛となるとハジメはとても優秀な男であった。護衛はもちろん防諜すらもこなすという有能ぶり。これにはアリカも護衛としてすぐに認めることとなった。

 

 そうしていくうちに、2、3会話をするようになった。会話といっても簡単なものだ。

「今日はマクギル殿のところへ向かう」

「ふむ、了解した」

 といった、護衛内容の確認のようなものや、その日の情勢などを軽く。本当に些細なものだった。それが変化したのは何時の頃か。

 

(そうじゃ。あのときからじゃったか)

 

 

 

 

 

 

 

「今なんと言ったのじゃ?もう一度言ってみてくれんか」

 剣呑な雰囲気を隠しもせずにアリカはその鉄面皮のまま問う。問われたのは、背を壁に預け煙草をふかして紫煙を漂わしているハジメだ。

 ハジメは億劫そうにその口を開く。

 

「ならもう一度言ってやろう。この会談は罠だ。目的は小娘、貴様ひいては世界の混乱の加速が目的だろうな」

「信じられぬ。確かにぬしは優秀じゃ。じゃがそれは護衛としてじゃ。それに今回会談を行うのは連合でも穏健派で知られている方、罠などありはせぬ」

 

 戦争を終結させるために、オスティア国内から飛び出たアリカは帝国、連合と調停を行うために各方面へとコンタクトを取り続けていた。王族の人脈とはそれをこなせるほどには強い。

 

 そんな中、連合内での調停を行っていたアリカが行う今回の会談。M・M(メガロ・メセンブリア)内でも十分影響力のある人物、オーザ・ロワーチがその会談の相手となっていた。

 

 しかし、この相手がハジメにとって良くなかった。ハジメの所持する情報から推察すると穏健派と称されながらもその実、裏で行っていることは黒いものが多い。完全なる世界(コズモエンテレケイア)に繋がっている可能性もゼロではない。故にこの会談に待ったをかける。

 

 だがロワーチはアリカ自身にとってはこの上ない会談相手である。うまくいけば連合内での戦争終結という方向性が生まれるかもしれないなら当然だ。それを目前にして罠であると水を差されたのだ。それも護衛でしかない男にである。

 

「急く気持ちも分からなくはないが、わざわざ火の中へ突っ込ませる護衛がいるか」

「過剰に防衛したところで先へは進めぬ。それに最早決まったこと。いやならばついて来なければよかろう」

 護衛に対して仕事をしなくていいというアリカ。それほどまでに荒唐無稽な想像だと彼女は思っていた。

 

 ハジメは舌打ちをして苛立ちをあらわす。ハジメが所持している情報でアリカに見せられる情報はほとんどない。しかし、会談相手である人物は黒と判定できるほどに怪しかった。

 

 いくら迫る危機から護るといっても、護衛対象が行っている内容までには着手しない。あくまでもその過程の中で護るのが護衛なのだ。

 

 さらに、マクギルが介在して会談が行われるわけではない上に、下手を打つとマクギルにも影響が及んでしまう。ハジメが情報の整理を行いながら何がベストな選択なのかを考える。

 

 新しい煙草に火をつけ、紫煙を一つ吐く。

「はぁ…ついていくに決まっているだろうが。仕事だ。だが、覚悟はしておけ」

「いらぬ心配じゃというとるに。まぁ良い、出発は2日後じゃからな」

 結局、事態の推移を見極めないといけないのなら普段どおり仕事をしたほうが良いだろうとついていく事を決めるハジメ。

 アリカは目を細めながらハジメを見やった後に、自室へと戻っていった。そんなアリカを見ながらハジメは、長い息を吐くのだった。

 

 

 

 2日経ち会談当日。泰然としているアリカに、静かに護衛としての立ち位置につくハジメ。あのような問答があったせいか、最近は幾分か和らいでいた2人の空気も今は当初と同じほどに堅い。

 

 そんな2人は今、会談場所であるM・M(メガロ・メセンブリア)とエオズの中間にあたる地へときていた。なぜM・M(メガロ・メセンブリア)ではないのか、ハジメはきな臭さを感じずにはいられなかった。

 

「ここ…じゃな」

 アリカはあらかじめ指定されていた場所へと向かっていると、豪奢とは言わないまでも立派な邸宅が視界に入る。手紙によるとここはロワーチの別荘であるらしい。

 ハジメが周囲を確認するが別に異常はない。そんなハジメを見ながらアリカは得意げになる。

「罠…ということはなさそうじゃ。取り越し苦労じゃったな」

 さて、入るとするかの。そう続けて別荘へと入っていくアリカについていく形でハジメも中へと入る。決して警戒をやめることはななく。

 

「これはこれは、アリカ王女。良くぞきてくださいましたな」

 アリカが侍女に案内される形で広間へと入ると、そこにはオーザ・ロワーチと他数人の政治化がアリカを歓迎した。穏健派といわれるだけあり、その態度も表情も柔和さを伺える。

 ハジメも続くように広間に入るが、誰も気づかぬほどの一瞬動きを止めた。しかし、何事もなかったかのようにそのまま進む。

 

 アリカは歓迎の礼を言いながら、会談のテーブルへとつく。その所作はさすが王族と思えるほどに洗練されていた。ハジメは会談の邪魔にならないよう気配を消し、アリカの後ろへとつく。

 

 会談は、アリカの歓迎の言葉から今回の議題へと話が変わる。ここに集まるは穏健派の中でもアリカに同調した政治家たち。どうすれば連合内をその方向性でまとめられるのか。アリカも話しに加わることで議論は白熱していった。

 

 

 

 そして日が落ちる頃、会談も一段落がつき和やかな雰囲気のまま会話が進んでいた。

「今日は有意義な時間が過ごせましたな」

「この調子で連合内もまとまれば良いのだがね」

 

 皆、今日の会談に希望を見出せたのだろう。一様に明るい顔をして話を弾ませている。もちろんアリカもそのうちの一人である。

「この調子で調停がなされれば、民たちに流血を強いることもなくなる」

「国の憂いがなくなりますな」

「ロワーチ殿。機会をくれたこと…感謝する」

 礼を言うアリカ。しかし、開催者であるロワーチは静かな笑みを保ったまま返事を返さない。

 

「ロワーチ殿?」

 かすかな違和感を感じ、彼の名前を呼ぶ。が、彼は笑みを深くし、堪えられないかのように顔をうつむかせ、笑い声をもらす。

 

「くっくっ。くっはははは」

 場の雰囲気が静まる。注目されるのは当然ロワーチである。失笑から哄笑へと響き渡る笑い声に、先ほどの皆のような希望といった色は見られない。ただおかしいと、悪意すら感じるほどの笑い声は突然ぴたりとやむ。

 ロワーチはただ無表情に、無感情にその言葉を放つ。

 

「茶番は終わりだ。やれ」

 

 瞬間の出来事だった。まず最初に動いたのはハジメだった。ハジメはアリカを脇に抱えその場から飛びずさり窓を突き破り、外へと跳んだ。

 次の瞬間にはいくつもの魔方陣が床、壁と浮かび上がり、そのまま影が浮き出るように実体を持った。浮かび上がるのは幾人ものローブを纏った影。その影は、完全に魔方陣から出るといまだその場にいるロワーチ以外の政治家、およびその護衛に向かって駆ける。

 そこでやっと他の護衛が反応するも懐に入り込んだ影になぎ払われるとそのまま体を真っ二つに分けられ、何が起きたか分からないままその命が絶たれた。政治家たちは反応する間もなく、その首を体を容赦なく切られ、潰されその命を散らした。

 

 当然、ハジメとアリカにも影が向かうが、既に臨戦態勢であるハジメは影の手を弾くと顔を掴みカウンターの要領で頭を地面へと叩き落す。重い砕ける音とつぶれる音が静かに響いたが、数秒前までにいた広間の参上の音にかき消され、動かぬ骸となった影も霧散した。

 

 わずか数秒後、ただただ地獄絵図が広がっていた。事態に追いついたアリカは数週間前の父たち、王族の惨状がフラッシュバックし思わず口を手で覆い呻き声を上げる。

「俺から離れるなよ、小娘」

 そんなアリカを見やることもなく冷静に冷徹に大きく破れた窓だった穴の向こう、地獄絵図の広間を見る。視線の先には平然と先ほどまでと同じ姿勢で座るオーザ・ロワーチがいた。雰囲気は昼間と大きく変わり、無表情のその瞳はただその場の惨状を映すのみである。

 

 しかし、ハジメとアリカの姿を確認すると驚きの表情をつくる。完全に想定外であるかのようにその目を見開いた。

「これはこれは。驚いたな、まさか生き残るものがいたとは」

 本当に驚いているような素振りで、立ち上がるロワーチ。その周囲には先ほどの影が集まっている。ロワーチがいた場所以外は無残に壊され、先ほどの面影など何処にもなく、死体と残骸が広間には広がっていた。

 それらを踏み潰すかのように歩き、広間の中心へと足を運ぶロワーチ。ハジメを見て、次にアリカに視線を移す。アリカとロワーチの目があった。

 

「な、なぜっこのようなことを」

 アリカは未だ混乱していた。当然だ。先ほどまでどう連合を停戦の方向へとまとめるのか、帝国と連合の調停をどうするのかという話し合いをしていたのだ。それが今や、戦争の中にいるような惨劇を前にしているのだから。

 

 口元を歪め、アリカを見下すロワーチ。そこには昼間であった人間とは別の人間。ロワーチの本性があらわになっていた。

「これは面白いことを聞く。そんなものは決まっているだろう」

「この戦争を止めようとしている輩を自分のもとへ集め、処理した。といったところか」

 遮られたロワーチはハジメに視線を戻す。残忍な笑みを深くし、喜悦の表情を浮かべた。

 

「分かっているじゃないか。そうだ、帝国と調停を行いたいと、この戦争を止めたいと言う人間を集めるのには、実に日ごろの成果がでていたよ」

 その台詞にアリカの顔が蒼褪める。ここまでかと、ここまで帝国との戦争において味方すらも欺いて、帝国との戦争を続けるのかと。その思考にアリカは隔絶したものを感じずに入られなかった。

 

「随分とまぁ時間をかけてご苦労なことだ。だが、そんなことよりも、貴様何処でそんな魔法を覚えた?」

 アリカの視界を遮るように前に出るハジメ。ハジメの情報の中においてロワーチがこれほどの魔法を使うなどといった情報などない。それに何よりも気になったのが、発動こそロワーチが行っていたが、魔法自体をロワーチが行ったのかどうかという問題。この屋敷にきてハジメが感じていた違和感それは恐らく、魔方が設置されていたということになる。

 

「もともと魔法を設置するなど、随分と周到なまねをする…誰がそれを指図したか、ぜひとも聞きたいものだな」

 その言葉にロワーチがわずかに反応したことをハジメは見逃さない。口元に笑みを浮かべながら、腰に携えていた刀を抜く。ハジメはロワーチのその姿の向こうを見通していた。倒すべき敵完全なる世界(コズモエンテレケイア)の姿を。

 

 それに反応するかのようにロワーチの周囲の影がうごめき始めた。

「…アリカ王女も調停を支持する政治家たちも消え、生存者は私一人。筋書きはいろいろとある。まぁ、ひとまず君らを消さなければね」

 影が意思を持って動き始める。その5つの影はハジメとアリカへとその殺意を向ける。

 

「っ」

 アリカがその明確な殺意、敵意に息を呑むが気丈に自身を奮い立たせる。が、知らず知らずハジメに寄り添うあたり、やはり頼りにしているようだ。今までは事が起きる前にハジメが対処していたため、これほど身近にその脅威をアリカがここ最近感じることはなかった。それでも、今目の前の状況にアリカは退くことはせず、睨み返すその瞳には強い光が宿る。

 

「しゃがんでいろ」

 そんなアリカにそう促し、アリカが素直にしゃがんだのを確認した後、影を迎え撃つように右手で刀を構え左手は切っ先へと添えるハジメ。 

 

 それが合図のように影は飛び跳ねるように散開し、ハジメへと向かう。しかし、その数は4つ。一つの影は既にハジメが初撃で斬撃で以って切り裂いていた。黒き影は苦悶の声を上げると霧散していった。

 

 それに構わずに影が襲い掛かるが、ハジメの敵ではなかった。まず右前方と左前方から向かってくる影に対しては右前方の影を下からの逆袈裟切りで真っ二つにすると返す刃でもう一つの影を切り裂いた。

 残る影のうち一つがハジメの背後を襲うが、ハジメは振り返りながら左手で影を掴むと振り回すように体を回転させ上へと投げた。そこには最後の影が今まさにハジメへと襲い掛かろうとしていた。しかし、投げられた影によって再度上空へと上がってしまう。

 それを狙い打つかのようにハジメは影がいる上空へと刀を構える。

 

-牙突・参式-

 

 まさに一閃。究極技法(アルテマ・アート)によって高められたその一突きはまさに牙の如く、影は霧散していった。

 

「…馬鹿な」

 ロワーチはそうつぶやくことしか出来なかった。

 時間にして数秒の闘い。その数秒でロワーチの駒であった影はハジメに一蹴された。並みの護衛ならばいとも容易く倒せるほどの力は持っていたはずの影。ロワーチは先ほどの余裕もなく、額に汗を浮かばせていた。

 

 ハジメが構えを解き、ロワーチへと向き直る。

「さて、貴様には」

「聞きたいことがあるっ」

 しゃがんでいたアリカが、ハジメの横に立ってロワーチと相対する。遮られた形のハジメは眉間にしわを寄せて、コメカミをもんでいた。

 

「なぜ、なぜこのようなことをしたっ」

「そいつが完全なる世界(コズモエンテレケイア)の一人だからだ」

 アリカの叫ぶような詰問に応えのは、ロワーチではなくハジメであった。完全なる世界(コズモエンテレケイア)の名を聞いたロワーチはその顔を一気に蒼白させた。

 

「コズモ…?」

「知りたかったらマクギルにでも聞け。貴様も無関係ではいられんだろ」

 アリカはその名を未だ知らなかったためか、思わず聞き返す。しかし、その場で説明するようなハジメではなく、面倒そうなことで任せられるのはマクギルに任せることにした。

 

「さて、貴様は完全なる世界(コズモエンテレケイア)の中でどれほどの位置にいるのかは知らんが、知っていること全て吐いてもらうぞ」

 ハジメが一歩近づいた瞬間、ロワーチは右手にはめた指輪を掲げた。

 

「私など、所詮端末に過ぎぬさ。だがっ、それでもっ、忠誠には殉じさせてもらおうっ」

 ロワーチが何をするのか察したハジメは、舌打ちをして後ろにいたアリカを抱えて瞬動を行う。アリカへの負担は大きいがそんな余裕などなかった。

 ハジメが瞬動で屋敷から離れた直後、屋敷全体を包むほどの爆発が起きた。火はさらに燃え広がり、爆風はあたり一面の木々を吹き飛ばす。屋敷にあった何もかもが燃え、散ったのだった。

 

 

 

 安全な距離まで跳んだハジメはアリカをおろす。気絶したかと思いきや、アリカは顔を青くしながらもその意識を保っていた。

 落ち着くためにしばしその場にとどまることにしたハジメは煙草を懐から取り出し火をつけた。アリカは地面に座り込みながら休み、徐々に落ち着いてきたようだった。

 

「…お主の言ったとおりになったな」

 ポツリとアリカが俯いたまま静かにこぼした。それは消え入りそうな声で、後悔などが入り混じった声だった。表情は伺えないが、とても辛そうではあった。

 

 そんな様子のアリカを見たハジメは紫煙を一つ吐いて口を開いた。

「阿呆。それでも、貴様は信じたかったのだろう。一度や二度の裏切りで全てが決まるわけではない」

 

「…貴様がやろうとしていること。この戦争を終わらせるということは、結局双方が相手に対して信頼を示さなければ始まることはない」

 

「なら、それを目指す貴様が、これしきのことで悔やむな。まぁ、諦めるなら俺の仕事が楽になるがな」

 やや呆れ声ではあったが、それでも突き放すような冷たい口調でもない。最後の嘲笑もきっとハジメなりの励ましだったのだろう。

 

 ハジメの言葉にアリカは袖で顔を拭い、その顔を上げる。未だ屋敷の方向へとその目を向けているハジメを確認したアリカは手に力を込める。

「諦めぬ。誰かがやってくれるなど思っておったら先になど進めぬからな。故に護衛は続行じゃ、ハジメ」

 そういって立ち上がるアリカの様子に、ハジメはかすかに笑みを浮かべた。この調子なら大丈夫だろう。アリカは、また戦争を止めるための行動を続けていく。今回の一件は彼女にとってよき経験になったと思うべきことなのだろう。

 

「私は私が出来ることをするまでじゃ。それにしても…なぜ、ロワーチが罠を張っていたと分かったのじゃ?」

 アリカの瞳にはいつもと同じように強い光が宿っていた。そして、ハジメの方へと体を向けたアリカは先ほどこぼした言葉の疑問をハジメに投げかけた。

 

「俺の専門は護衛じゃない。諜報と暗殺だ。そして、ロワーチは俺が追っている組織に関係していた可能性があった上に、最近の動向が怪しすぎた」

「動向?」

「今でこそ穏健派として影響力のある奴だが、そこまでの経緯をたどると面白いぞ。まるで何をやったのかわからない。表立ってやったことはあまりにも少ないのになぜか元老院において影響力を持つようになった」

 これはとても不自然なことだ。こんなことは内に見方が多数いなければ成り立たない。つまり、ロワーチを推す人間が複数それも半端ではない数がいるということになる。

 

「元老院の中で今、それほどまでに力を及ぼしている組織というのが俺の追っている組織というわけだ」

「それが完全なる世界(コズモエンテレケイア)…」

 アリカが神妙そうな顔で、先ほど出てきた組織の名を口にする。自身が戦争を止めようとしている一方で戦争を継続させている組織。アリカの認識の中で完全なる世界(コズモエンテレケイア)は危険な存在として認識された瞬間だった。

 

「さっきも言ったが、詳しいことはマクギルにでも聞け。そこまでは俺の仕事じゃない」

 そろそろ帰るとしよう。そういってアリカを促す。今回の一件、表面では貴重な政治家がいなくなったのだ、大事になる。コレに対処するための段取りをマクギルにしなければいけない。さらにアリカに完全なる世界(コズモエンテレケイア)のことも聞かれるであろうマクギルの苦労は彼のあずかり知らぬところでどんどん増えていくのだった。

 

 

 

「クシュンっ、ズズ…寒気が…風邪かのう」

 そうぼやいて採決するための議案書をまた読み進めるマクギルであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(そして、あの日信念をハジメ自身から聞いて、私自身も強くなろうと、対等になりたいと思うようなったのじゃったな)

 

 あの後、アリカはマクギルに完全なる世界(コズモエンテレケイア)と自身の父である国王との関係、そしてハジメが国王を暗殺したことを知った。

 

 この話し合いからマクギルとアリカは本当の意味で盟友となった。マクギル自身アリカに対して思うところがあったのが払拭されたのだ。マクギルが情報を取捨選択することはなくなり、アリカとともに世界の未来を考えるようになった。そこには当然、ハジメも加わることになる。

 

 それからは良く話すようになった。自身が知らないことは山ほどあった。アリカが目標とすることは自身が想像する以上の困難だったのだ。

 

 人の見方を知った。普段歩いていてもどれだけ見ているものが違ったのかを知って愕然とした。

 

 情報の扱い方を知った。情報から得られる終着点は一つではないのだと、考えることをやめてはいけない本当の意味を知り、学んだ。

 

 いい息抜きの仕方を知った。マクギルとの掛け合いは見ていると自然に笑みが出た。引っ張り出して一緒に歩いているとなぜか心が安らいだ。

 

 今、ハジメの手を引いて街を歩いている。この一時が本当にかけがえのないものだと知った。それほどまでに世界の情勢は危うい。それでも、この一時を味わっていたい。

 

(この気持ちは、なんなのじゃろうな。とても心があったかい)

 

 再びハジメの顔を盗み見る。彼も最近は丸くなったように思う。最初に比べれば雲泥の差である。表情が時折とても暖かく感じられるのだから。

 

 こんな日々を少しでも長く続けたい。できるならば、全てが終わっても…。

 

 そう願うアリカであった。

 




アリカヒロインに見えるだろう、これなら。
また、やる気と時間が取れ次第投稿します。

感想や誤字脱字ありましたら報告お願いします。


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第10話

時間が出来たので投稿。
戦争編も佳境に入ってきました。


青年は真実を捉え

世界は青年を補足する

 

第10話

 ~幕開け~

 

「そうか…完全なる世界(コズモエンテレケイア)は、もうそこまで深く入り込んでいるのか」

 そう言ったガトウがうなだれる。想像以上の事態に、疲れが前面に出てきてしまったのだろう。老けた顔がより老けて見えた。

 

 先日のアリカ闖入事件により流れてしまった、情報の共有と対策について話す機会が再び設けられた。もちろんこの場にアリカはいない。なぜならば時間は彼らの本業時間、闇がはびこる夜なのだから。

 

 うなだれたガトウに対して、いたって平静な様子のハジメが話を進めていく。

「あぁ。戦争の調整すら出来るほどにな…。オスティアを守った後、紅き翼(アラルブラ)が辺境に飛ばされたのも、おそらくは連中の息がかかった奴らが仕組んだ事だろう。あいつらは良くも悪くも戦況をひっくり返す力を持っているからな」

 短くなった煙草を灰皿に押し付け、新たな煙草に火をつける。2人とも共に重度のスモーカーである。たまった吸殻の量が半端ではない。ハジメに続いて、ガトウも自身の煙草を勢いよくふかし、新たな煙草に手を伸ばす。

 

 マクギルはアリカの事をガトウに話すことが主だったらしく、いない。どうやら、先日のときに話し終えたらしい。予定とだいぶ変わってしまったと愚痴るマクギルがいたとかいないとか。それに最近、連合の戦績が良くなっているため忙しいようだ。勝ちが増えても負けが込んでも、忙しくなるのは変わらない。なら、勝ったほうが良い。ただの戦争ならば。

 

「しかし、良くこれだけの情報を個人で…。いくら元老院議員の助力が会ったとしても、凄まじい諜報力だな」

 机の上に散らばる資料。端末の情報。それらを見渡しながらガトウが呟く。自身としてもその諜報力に自信があったガトウも舌を巻くほどの情報量。そして、なによりもどこにその情報が行き着くのかという推察力がずば抜けていることにガトウは驚きを隠せない。

 

「なに、その殆どが非合法で手に入れた情報だ。今考えると、なぜ完全なる世界(コズモエンテレケイア)の連中に見つからなかったのかが分からん」

 そう疑問を呈し、紫煙を吐く。本来ならば、もう既に完全なる世界(コズモエンテレケイア)と相対していても不思議でないほどにハジメはその情報を手に入れていた。

 

「恐らく、殺したのが完全なる世界(コズモエンテレケイア)に関する者だけでなかったことと、突き穿つ者(パイルドライバー)が顔すら知られていなかった事が大きいだろうな。…死体の痕跡から名づけられるとか凄まじいな」

 資料を見通しながら、ガトウがそう返す。

 

 お互いの調べ上げた資料を見ながら、今のように疑問などをやり取りしながら情報の共有を済ましていった。お互いの情報の取得手段の違いからか、その共有は大いに意義のある成果となった。

 

「そして、これは本当なのか?魔法世界が消える…というのは」

 ガトウが、ハジメが未確認とした情報について聞いてくる。この情報としては、ガトウとしても半信半疑、いやほぼ疑いの目で見ていた。

「未確認と書いているのが見えんか?それに、そこに書いてある情報はおそらく、直接完全なる世界(コズモエンテレケイア)の連中に聞かねば分からん事だろう。下手すると、全てが嘘かも知れん」

 どこの世界にあなたの世界は魔法で作られているんですよ、と聞いて信じる阿呆が居る。とハジメは独りごちた。当然だろう。そんなことで自分が今立っている場所が消えるとは誰も信じない。

 

「だが、これが真実だとすると、奴らが戦争を裏で操っていることの辻褄が合う。戦争で世界を疲弊させ最後は自分達の都合のいい世界へと作り変えるというわけか…いい趣味をしてやがる」

 皮肉めいた口調でガトウが顔をゆがめる。こればかりは、どう対策を施せばいいのかガトウ、ハジメ共にわからずにいた。真実河からない上に、究極的には完全なる世界(コズモエンテレケイア)を倒せばそれで終わりなのかという話だからだ。

「そういうことだ。そして、今は奴らのアジトを探っている最中というわけだ」

 次の論点へと話を続ける。敵が定まったのならば、行動に移さない理由など無い。

「が、有力なものはない…か。殆どが探った後か、信用の乏しい情報ばかりだった」

 しかし、行動に移したくとも、情報が無いままに動くような2人ではない。ここにきてのストップはなんとも勢いのそがれるものである。ガトウは資料を閉じて背もたれへともたれかかる。

 

「だが、敵は知れた…か。これは大きい」

 天井を仰ぎ見ながら、ガトウはしっかりとここにはいない敵を見据えていた。

「せいぜい、頑張ってくれ。こちらも護衛がなければ世界を飛べるんだが…」

 ハジメも同意するがいかんせん、今はアリカの護衛をしていなければならない。次、自らが動くときは何らかの局面が動くときであるだろうとハジメ地震は予測する。

 

「おいおい。姫様を何だと思っているんだ」

 ガトウが苦笑を浮かべる。

「次世代の礎を築くべき人間だな。信念を持っているし、芯も通っている。奴らの思惑のために、死なれたりするのは困るな」

 そんなアリカの感想を述べたハジメに、苦笑を浮かべていたガトウは、こいつダレだ?と言わんばかりにが呆けた顔をしていた。

 

 ガトウの態度にハジメは怪訝な顔をする。

「どうした?」

「いや、普段からは想像できんほど、姫様を買っているんだな」

「ふん。正当に評価も出来んようでは、諜報はできん」

「それも…そうか」

 ガトウが笑みを浮かべると、ハジメも笑みを浮かべる。さて、一休みするかとガトウは席を立ち、コーヒーを淹れにいった。

 

 こうして、戦局を決めていく重要な2人の情報交換の夜は更けていった。

 

 

 

 

 M・M(メガロ・メセンブリア)本国首都。ここに戦線からひとたび戻ってきていた紅き翼(アラルブラ)の面々がいた。

「しかし、ガトウの奴、会わせたい奴らがいるって言ってたけど、どんな奴らだろうなぁ」

 ナギが期待を強くした声で疑問を投げかける。彼らは今日、ガトウに呼ばれ普段は来ないM・M(メガロ・メセンブリア)本国首都まで来ていた。

「さて、協力者とは言ってましたが…」

 アルビレオもさすがにその詳細までは分からないようだった。しかし、ガトウがわざわざ呼び出してまで紹介するというからには大物なのだろうと予測する。政治的な大物ならば呼び寄せるのも頷ける。

 

 

 そうしてガトウが呼び出した場所へとたどり着いたナギたち。そこには、ガトウが煙草を吸いながら弟子のタカミチと共に待っていた。

「よう、よくきたな。早速会わせたいと思うから、こっちに来い」

 ガトウが到着したナギたちを中へと案内する。随分と大きな建物であり、そのつくりは豪奢といってよいほどのつくりであった。そして、ナギたちがガトウが案内するままについていくとそこには、ナギたちも知っている政治家マクギルがそこにはいた。

 

「なっ。マクギル元老院議員っ」

 マクギルの姿を見た詠春が驚き声を上げる。

 

「わしちゃう。主賓はあちらの方だ。…ウェスペルタティア王国…アリカ王女じゃ」

 マクギルの紹介と共に、こちらの部屋に上がってくるローブを纏った女性。そしてその少し後ろに控える、口煙草をしながらこちらを見ている男、ハジメがいた。

 

 ハジメの姿を見てナギが、驚きの声を上げる。すると、詠春とガトウは口元を引く突かせながら胃の辺りを少々さすった。

「あーっ。お前、オスティアのときにいたえーっと…、誰だっけ?」

 あほかお前と詠春とガトウが突っ込む。見覚えがあるだけで主賓を無視するとかこの男何を考えているのか。

 

「ふふ。そういえば彼とは名前も交わしませんでしたね」

 アルビレオが名前が出てこない理由を述べた。それに同意する詠春とゼクト。なにせ宴だった上に随分と盛り上がっていたのだから仕方が無いといえば仕方が無い。それにしても、ただでさえ鉄面皮のアリカがロープの下でより無表情になっていくのが分かるガトウの心労は計り知れない。

 

「おいおい、俺はこいつ知らねぇんだが。そんなに面白い奴なのか?」

 そして、そこに唯一会っていないラカンも加わるという混沌とした状況が作り出された。この状況にあきれたハジメは一つ息を吐くと、雰囲気を一気に引き締めるように気を当てた。

 

「阿呆か、お前ら。主賓は俺じゃなくこいつだ」

 ハジメはため息マジにが口を開き、場の修正を行った。ガトウがすまんなと手を掲げる。

 

「そ、そうだぞ。お前ら。王女を前に失礼だろうが」

 ガトウも、まさかこうなるとは思わなかったらしく、少々焦りながら続く。それにしても、もう少し手綱を引く存在が必要だと思わせる一時であった。

 

「いや、別にもう良い。すこし、外に出る」

 そう言い残し、去っていくアリカ。その様子に仕方があるまいと嘆息し、ハジメもそれについていった。

 

「ん、あれ?行っちまったぞ?」

 どうすんだと、そう笑顔で聞いてくるナギ。自分自身が何をしたのか全く理解していない。

「はぁ」

 ガトウのため息が重くその場に響いたのだった。マクギルも失敗したかもしれないと内心恐々するのであった。

 

 

 

 アリカはハジメがついてくるのを確認すると、滞在場所には戻らず、この街のお気に入りである丘へと向かう。ハジメも特に何も言うことはなくアリカの隣を歩く。

「…」

「…」

 

 特に会話が生まれることなく、目的地なのであろう丘へたどり着くと、アリカは深く息を吐く。そして、次の瞬間。

「何なのじゃっ。あの愚か者共は。私を素通りしてハジメに興味が行くなどわけがわからぬわっ」

 

 溜まっていたのだろう先ほどの状況に対する不満をハジメに一気にぶちまけるアリカ。そういうことは本人達に言えと、ハジメは言おうと思ったが、恐らくあの場所で爆発するのはまずいとアリカも頼れる理性で踏みとどまったのだろう。そう思うとハジメも、目をそらしながらフォローするしかなかった。

「まぁ、確かに。阿呆だとは思っていたがあそこまでとはな」

 

「まったくじゃ。何のために呼び寄せたのか全く持って分かっておらぬ」

 口を尖らせながら、さらに文句を言い募るアリカ。ハジメはどうしたものかと辺りを見回す。するとちょうどいいことに氷菓子の出店を見つけた。アリカに少し待っていろと辺りを警戒しながらも、アイスを買うハジメ。

 

「ほれ、これでも食べて機嫌を直せ」

 言い方が気に食わぬのか、口を尖らせながらもアイスを受け取るアリカ。しかし、アリカも一般的な女性の感性を持っていたのか甘いバニラアイスを食べていくうちに少々機嫌が良くなったようだ。

 

 それを見て、一息ついてもう大丈夫そうだと感じたハジメも買ってきたコーヒーアイスを食べ始めた。その後、違う味に興味を引かれたのかアリカがハジメのアイスを食べるというシーンがあったそうだ。

 

 

 

 なんとかその日のうちに一通りの紹介を終わらせると、当然のようにハジメに戦いを挑む脳筋2人。言わずもがなナギとラカンである。その場にいる面々が呆れていたが、戦力としてどれほどのものなのか互いに利するところもあるため、闘う場が設けられたのだった。

 

 マクギルの住む邸宅の裏手に設けられた平地でナギとラカンは2人して大の字に倒れこんでいた。

 荒い息を吐きながら、信じられないような目でハジメを見る2人。

「嘘だろ?俺達2人がかりでこれか」

 

 そんな2人を見下ろしながらハジメは、体の調子を確かめながらほぐしていく。

「これでも修羅場をいくつも潜り抜けた身でな。諜報活動というものを甘く見るなよ?」

 

 そんな諜報員はほとんどいない。そう思うガトウであったが、正直想像以上のハジメの実力に驚いていた。大規模な魔法、技が使用禁止とはいえ、それでナギとガトウ2人同時に相手取ってほぼ無傷。自然と固唾を呑んでいたガトウは大きく息を吐いた。経過はどうあれ、貴重なものが見れたのだ。

 

「それにしても、貴様ら阿呆か。直線的な攻撃ばかりならばサルでも避ける。闘い方というものを初心者からやり直せ」

 そう、ハジメがほぼ無傷なのにはそういう理由があった。ナギとラカンは連携、何それといわんばかりにそれぞれが真正面から考えなしに突っ込んでいたのだ。自分自身に自信があるのであろうが、結果から見れば慢心ということになってしまった。

 

「いや、あの速度での接近戦では、対応できるのはそうそういないだろう…」

 外野である詠春がそうつぶやく。同じ?剣士である詠春からみても、目で追うのが精一杯だったのだ。ナギたちでは早々できるものではなかったであろう。ガトウも頷いている。

 

「これから貴様らは、完全なる世界(コズモエンテレケイア)と闘うことになる。これぐらい出来る連中だと思っておけ。鳥頭、お前と同じほど強い奴もいるようだしな」

 ハジメが思い浮かべるのはあの月夜の夜、密会を行っていた人形を思わせる男であった。あれは、ナギと同レベルで強いと感じたのであった。

 

「へっ」

 ラカンは気合を入れるように笑う。そして、体のばねを使い起き上がると笑みを浮かべながらハジメを見やる。

「おもしれぇじゃねぇか。世の中にはまだ、こんな強いのがいるのかよ。しかも、まだ他にもいるときた」

 

 それに呼応するかのように、同じ要領でナギも起き上がる。その目は、実に楽しそうに輝いていた。

「ああ、まったくもっておもしれぇ。後、俺は鳥頭じゃねぇっ。ナギ・スプリングフィールドって名前があるんだよっ」

 そう言い放って、ハジメへと突撃するナギ。それに続くラカン。

 

「ふん。そういうことは、せいぜい俺を倒してから言うんだな」

 笑みを浮かべながら、迎撃の構えを取るハジメ。戦いはまだ続く。

 

 

 

 気勢をあげながら、瞬動を使いそのままの勢いで突っ込むナギ。それにあわせてラカンはハジメの背後を取る。前後からの挟み撃ち。しかし、ハジメはいとも容易くナギの動きに合わせてカウンターの掌打を急所に与える。その衝撃は、一撃ナギの意識を刈り取った。そのままの勢いを利用しナギを叩き付け地面へと縫い付ける。続けざまに振り返り、ラカンの懐へと入る。

 流れるように顎めがけての掌打。しかしそれは寸でのところでかわされた。ラカンは回避体制となった体をひねりながら蹴りの体制へと移る。距離が近すぎたため蹴りは十分な威力を持たず、ハジメはそれを腕を上げることで防御し、タイミングを合わせて横へ跳び無効化する。

 距離をとった2人だが、その距離は双方遠当ての圏内。互いに打ち消しながら、一気に近づいていく。次の瞬間ハジメの体がぶれて霞んだ事で、ラカンは一瞬動揺してしまった。そのときには既にハジメはラカンの懐、攻撃の態勢に入っている。鳩尾への肘鉄。インパクトの瞬間、ラカンの体が少し宙へ浮いた。一拍遅れてラカンの空気を漏らす音が聞こえた。

 

「ぐっは…」

 静かにラカンはその巨躯を沈めた。

 

「ふぅ…だから、もう少し頭を使え、阿呆」

 再び2人を見下ろす形となったハジメは呆れたように言うのであった。

 

 

 

「もうこのぐらいで良いだろう。魔法も技も放てないならば、そこらにいる者とそう変わらんのは理解した」

 並んで沈んでいる2人を横目にハジメは帰り支度を始める。そんなハジメの台詞に総じて突っ込みをいれる紅き翼(アラルブラ)の面々。

 

「いやいや、んなアホな」

「ふふふ。格闘術なら、まさに格が違うようですね」

 詠春とアルビレオは、今の闘いをみてそれぞれの感想を口にする。なんといっても一撃一撃の威力が違いすぎる。コンパクトに一点に集中された破壊力は、連戦とはいえタフなはずのラカンを一撃で沈めるほどだ。

 

3人(・・)とも全力を出せる場所があればいいのですけどねぇ」

 アルビレオは、残念そうに肩をすくめる。しかし、そのようなものに提供された場所は荒地となる未来が確定されるだろう。

 

 アルビレオの言葉にそれは無茶だなとハジメは笑みを浮かべ応える。

「さて、俺は護衛に戻る。マクギルから何かあるようならこちらにも連絡を頼む。ガトウ」

 これから変化していくであろう戦局に備え、紅き翼(アラルブラ)と密に連絡を取ることにハジメは決めた。ガトウも護衛に関して皮肉を込めて応える。

 

「了解した。大変だなお前も」

「仕事だからな」

 やはり諜報員同士、この2人は相性がいいのかもしれない。

 

 

 ハジメがアリカがいたバルコニーへと戻る。するとアリカはそのままの姿勢で観戦していたのか、手すりに肘をつきながら両手で顎を支えたまま感想を述べた。

「なんじゃ。お主がいれば、別に紅き翼(アラルブラ)という奴らに、力を貸してもらわなくとも良かったのではないか?」

「あれが奴らの実力だと思わんことだ。それに、信に足る奴は何人いても構わん」

 期待はずれじゃーと雰囲気に出しているアリカに釘を刺しておくハジメ。一人に勝てずともそれは戦術の範囲だ。しかし、戦略では大きく異なる。ナギを始め紅き翼(アラルブラ)は、戦略で物事進めるときに重宝される。この先、戦いが多くなるだろう。そうなるとハジメだけでは足りないのだ。故に紅き翼(アラルブラ)の面々の力が必要となってくる。

 

「それに、これからまた忙しくなる。護衛の任を任せられる者は増やしておくべきだ」

 その言葉にアリカは面食らい、少々慌てはじめる。

「な、なんじゃ。ハジメが護衛ではないのか?」

 

「俺じゃないときが増えるだろうな」

 そう答えると、アリカはあからさまに不機嫌になっていた。小さな口を尖らせながら、まだ先ほどの場から動いていない紅き翼(アラルブラ)を見ていた。

 

「どうした?」

「別にどうもしとらんっ」

 よく分からんやつだ。とハジメは、いまだに時たま分からなくなるアリカの行動に困惑するのであった。

 

 

 

 

 

 あたり一面に新聞らしき記事が散りばめられている一室。ここは完全なる世界(コズモエンテレケイア)アジト。戦略を練る際に利用する部屋であった。そこらにある記事を見てみると政治家殺しについての記事がよく目に入った。

「こいつが突き穿つ者(パイルドライバー)…なのか?」

 手に持っている資料を読んだデュナミスがアーウェルンクスに問う。その声色には疑問の色が強く出ていた。

「まだ、恐らく…という段階だけどね。なにせ、用意周到で痕跡も死体以外残さない上、顔も知られていないからね。…だけど、7割いや、8割方彼で決まりだろうね。このような状況を作り出せて、世に知られていない者が、他にいると考えるのは少し厳しい」

 そうアーウェルンクスが返す。彼が手に持つ資料には、ここ最近の政治家達の動きが記されていた。そこにはマクギルの名も当然記されている。

 

「…ふむ…異界の者か」

 そこに突然、何者かが話に割って入った。

「「っ!」」

「…造物主(ライフメーカー)…。この者がどうかなさいましたか?」

 デュナミスが突然現れた黒いローブを纏った者に聞く。このような場に、いや、この時期に造物主(ライフメーカー)がくるとは思わなかったためか、少々慌てている感じがでていた。

 

「興味が湧いた…」

 静かにつぶやくと造物主(ライフメーカー)と呼ばれた者が資料を見る。

 

 そこに書かれていたものは、オスティアで活躍した傭兵ハジメ・サイトウその資料であった。

 

 

 

 いつものように護衛対象であるアリカとともに滞在場所へともどったハジメ。そこで先日決まったことをアリカへと報告する。

「アリカ、戦争の調停に関してだが…、マクギルが帝国の第三皇女との調停の場を用意してくれた。マクギルとの都合がつき次第向かう」

 その言葉に、アリカに笑みを浮かべた。彼女自身が行ってきたこの戦争の調停に信に足る協力者が出てきてくれたのだ。それも帝国側から。彼女の心境は推して知るべしであろう。

 

「そうか。この戦争を終わらせることができるのじゃな?」

 この戦争を終わらせる。帝国の第三皇女という地位がそれを可能にさせる要因となるというのは十二分にありうる。

 過度の期待は禁物ではある。だが、それでも強い希望となる事態ある。ハジメはほどほどに諌めながら話を続ける。

 

「さぁな。まだ、連中が動いてきていない上に、まだ中枢には連中の息がかかった奴らがいる。…だが、無駄ではなかろう」

 その言葉に満足したのか、アリカは笑みを強くした。

 

「うむ。まずは話し合う事が重要なのじゃ。帝国にもそう考えてくれているものが居るだけで、私は嬉しく思うぞ」

 この笑みを無くすことは十分な罪だなと、ハジメはらしくない考えをよぎらせるのだった。

 

 

 

 ガトウから連絡が来た。日時は明後日の夜明けより前、郊外に船を用意するとあった。人の気配が消える、隠れて行動するにはちょうどいい時間帯となる。

 

「アリカ。マクギルから連絡がきた。準備をすませておけ」

「うむ」

 アリカは、強い意志を持った瞳で答えるのだった。

 

 

 

「マクギル、首尾はどうだ?」

 そうマクギルに問う。時は連絡が来た指定の時間。街のいたる通りには人の気配はなかった。それはアリカには不思議な光景だったらしく、ほうほう、と眺めながらやってきたのだった。

 

「大丈夫じゃ。この船で向かう先に帝国の第三皇女が居る」

 小さい船が一隻。当たり前ではある調停の話し合いをするために、余計な装備も荷物もいらないのだから。行くメンバーも決まっている。余分な大きさは誤解を招きかねないのだ。

 これから始まる、願ってもない好機に皆気を高めていると、ハジメは皮膚が粟立つのを感じた。

 

 瞬間、戦闘体制をとるハジメと紅き翼の面々。その顔には一切の余裕はない。そんなハジメ達の様子にアリカ達も困惑するばかりであった。しかし、次の声を聞いたときアリカたちも理解する。

 

「揃いも揃ってどこへ行くのかな…」

 

 いつの間にかそこにいた。そう表現する以外他なかった。そこに佇んでいたのは、黒いローブを身に纏った性別も判定できない影。突如として現れた影に、ハジメは固唾を呑み、今この瞬間からの最悪の展開をシミュレーションする。

 

「おいおい。…あいつはなんだ?やばい…なんてもんじゃねぇ」

 その異質さを肌で感じとったのか、ラカンが冷や汗をかきながら喋る。いや、喋らなければ、一刻も早く突撃するか逃避しなければならないと要求する体を制御できないのだろう。

 

「貴様が、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の長。…黒幕というわけだな」

 咸卦法を展開するハジメ。油断なく、ローブ姿の影に問う。あたり一面にいやな緊張感だけが増していく。なぜ、今、このときなのかと。歯噛みするものは誰なのか。

 

「…」

 沈黙は肯定という意味となって、この場の空気を支配する。

 

「鳥頭っ」

 ハジメが近くにいたナギに呼びかけ、後ろに控えさせていたアリカを投げる。

「なっ?」

 慌てながらも投げられたアリカをしっかりキャッチするナギ。しかし、困惑は続きハジメを見るが、さらに投げかけられた言葉に、ナギの思考は一瞬停止した。

「アリカを頼んだぞ、鳥頭」

 

「なっ。ふざけんなっ!あいつがどんなやばい奴かハジメにも分かるだろっ?」

 激情とともに思考を戻したナギがそう叫ぶが、ハジメはただ睨み返し黙らせる。

 

「…なに、死にはせん。少々聞きたいことがあってな。貴様らでは足手まといなだけだ」

 だから、さっさとアリカをつれて逃げろ。鳥頭。とハジメはすぐにロープの影に目を向ける。警戒していても、目を離してなどいられない。それほどの相手なのだ。

 

「行くぞ。ナギ。アリカ姫もこちらへっ」

「ハジメっ。私の護衛はお主であろうがっ」

 アリカがナギに抱えられた格好でこちらに問いかける。その顔は若干の怒りと心配で占められていて涙目でハジメを見る。

「前も言っただろう。そいつらでも護衛ぐらいなら出来る。…鳥頭」

 

 顔をしかめ、口をかみ締めるナギ。ハジメに言われたことは間違いではない。今求められるのは、戦術の強さ。ナギ自身、自らの魔法が通用するとは到底思えなかった。そして、なによりアリカを送り届けなければいけない。

 

「お前とはまだ、全力で決着つけてねぇんだからな。死ぬんじゃねぇぞっ」

 もはや叫びとなったそれを言い放つと、アリカを連れて船に乗り込むナギとそのほかの面々。間をおかずに飛んでいく船を背にしながら、ハジメは笑みを浮かべる。

 

(ふん。まだ言っているのか。あいつは…)

 

 思わぬ言葉に、不思議と力が湧いていた。その力強い視線のままロープの影…造物主(ライフメーカー)へと刀を構える。

 

「まさか、待っていてくれるとはな。随分とやさしいことだな…造物主(ライフメーカー)

 ローブが少しゆれる。笑っているのだろう、笑い声はハジメの耳にも届いた。

 

「くく、ふははははは。今更私の正体を知っていたところで、驚きはせん。我が興味を抱いたのは貴様なのだからな…ハジメ。…異界の者よ」

 そう言ってハジメを見据えてくる造物主(ライフメーカー)。異界…その言葉に見に覚えがあるハジメ。ハジメは目が覚めたらこの世界にいた。記憶もない。あったのは、空虚な自己と空虚な信念。今はそれは満たされている。しかし、なぜ造物主(ライフメーカー)がそれを知っているのか。

 

造物主(ライフメーカー)…貴様にはいろいろと聞きたいことがあるが、その前に一つ確認だ。…さっさとこの戦いから身を引け」

 ハジメは造物主に問う。無駄であろうとも、言葉を紡ぐことに意味がある。ハジメは造物主(ライフメーカー)のことを知らないに等しいのだから。

 

「…もはや我が悲願は、すぐ目の前にある。そのような気は、毛頭無い」

 当然の答えをもって造物主(ライフメーカー)は応える。そんな造物主(ライフメーカー)の雰囲気から、ハジメはウェスペルタティア国王とは違う雰囲気を感じ取った。些細な違和感。しかし、今はそれを気にする余裕などなく。

 

 ハジメは感じていた。その圧倒的なまでの力を。その威圧感とともに。だが、ハジメには退けぬ理由がある。それは信念を曲げること。借り物の信念だったものが今やハジメ自身の信念となった。この信念を曲げることは許されない。

 

「そうか…ならば造物主(ライフメーカー)…貴様を、その目的を『悪・即・斬』のもとに…断つっ」

「…」

 

 こうして、戦いの火蓋は切られた。

 

 




投稿していたものをつなぎ合わせているので見難い箇所があると思います。

感想・誤字脱字等ありましたら報告お願いします。


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第11話

世界と矛を交える牙

始まりを垣間見る

 

第11話

 ~始まりの光~

 

 黒きローブを身に纏い、その場にいることすらいやになるほどの威圧感を放つ造物主(ライフメーカー)。それに対峙しているのはハジメ。この世界で目覚めてからの相棒である刀を構えたまま、鋭い眼差しを造物主(ライフメーカー)へと向ける。

 

 2人の気迫が高まると同時に、その空気も戦闘のそれとなり、重く激しくなっていく。気迫に呼ばれたのか、突風が吹き大地の砂をさらう。

 

 一拍。

 

-牙突・壱式-

 

 無拍子の牙突。一拍の間にハジメの刃は造物主(ライフメーカー)へと突きつけられる。だが、その刺突は造物主(ライフメーカー)の脇を掠めるにとどまる。されど、牙突は平突きの奥義。必殺の第2撃。横薙ぎの一閃が造物主(ライフメーカー)へと襲い掛かる。しかし、それでも届かなかった。眼前に張られていた障壁は刃と拮抗し、衝撃音とともに砂塵を舞い上げた。

 

 身を翻し、数歩後ろの位置へと跳んだハジメは、刀を構えなおし再度造物主(ライフメーカー)へと向く。その間には既に、造物主(ライフメーカー)の次の一手がハジメを襲った。

 

 大地を削るほどの圧倒的な破壊力。球状に広がっていく魔法は避けることなど許さず。その場周辺の全てを喰らい尽くす。

 

(馬鹿げた魔法だ)

 内心そう毒づくと、懇親の力を込め刀を構える。凝縮された一点にその力を解放する。上段から突き落とされるその刺突は、穿たんとばかりに、球状へとその牙を向けた。

 

-牙突・弐式-

 

 究極技法(アルテマ・アート)によって極限まで高められたその一点は、球状に広がっていく魔力の波動に穴を穿ち、その魔力を一気に霧散させた。

 

 

 わずか数合の撃ち合い。それだけで、あたり一面は荒野のように荒れ果ててしまった。

 

 

 再び相手の姿を視認することとなった両者。造物主(ライフメーカー)は静かにその身を宙に浮かせた。それとともに幾重もの魔方陣が造物主(ライフメーカー)の背後に浮かび上がる。

 

 それを見たハジメは息を呑む。すかさず脚に力を込め、次の事態に対処できるように体制を整え、その姿をかき消した。

 

 同時に魔方陣から放たれた閃光がハジメのいた周囲に奔る。光ならばまばゆい幻想的な光景であったが、それは闇。闇の柱が幾重にも連なり大地を、空気を切り裂き破壊していく。

 

 その合間を縫うように、ハジメが造物主(ライフメーカー)の前へと躍り出た。今一度、その牙を造物主(ライフメーカー)へと突き立てる。

 

-牙突・弐式-

 

「っ?」

 

 拮抗は一瞬。しかし、造物主(ライフメーカー)が張った障壁は今度こそ、その牙に穿たれ破砕音とともに霧散していくのを見た造物主(ライフメーカー)は驚きを隠せない。そして、その牙は今。造物主(ライフメーカー)へと突きたてられる。

 

 刃がそのローブを貫き、奥深く、その身を食い破ろうとした瞬間。まばゆい光が当たり一面に広がった。

 

 そのあまりの輝きに、ハジメは思わず顔を顰めた。そして、その瞬間から崩壊が始まる。

 

「なっ」

 そう零したのは誰か。ハジメは突如体の自由が利かなくなったことに戸惑う。重力がなくなったかのように、前後不覚へと陥り、意識が遠のいて行く。そして、視界が暗闇に染まっていく中、ハジメは聞いた。

 

 『…全てを絶ち、善と悪を道標にさせしものよ…』

   『…救世を為すものよ…』

     「…真実と希望を知れ…」

 

 無機質でありながら、どこか感情が、願いが込められているその声をハジメは確かに聞いた。しかし、疑問など思う余地もなく、終にその意識は途絶えてしまった。

 

 

 

 光が収まった中、そこに佇んでいたのは造物主(ライフメーカー)ただ独り。

 

「消えた…?」

 しかし、その姿には戸惑いが隠れ見えた。辺りを探るように警戒を強めるが、ふとその気配を緩め、足元に突き刺さったままの刀を見る。

 

 特に言葉を発さぬまま、ただ佇む。静かに流れるような空間が、少しの時間支配する。

 

「………」

 そして興味がなくなったかのように体を翻すと、魔方陣を浮かべその姿は消えていくのだった。

 

 後に残るのは、見違えてしまうほどに荒れ果てた大地と突き刺さったままの刀ただ一本だけであった。

 

 空が曇っていく。曇天となった空からはぽつりぽつりと雨粒が落ち、雨脚は強く激しくなっていった。

 

 刀はその一身にただ雨を打つ。

 

 

 

 

 

 

 ここは夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)。古代遺跡がいたるところに建ち並ぶ歴史を感じさせる場所である。ここはアリカと、帝国第三皇女テオドラとの会談の場所でもある。本来ならば、会談が行われていたであろう。

 

 しかし今現在アリカ達、正確にはアリカにそのような余裕はなかった。

 

 半ば無理やりにハジメと分かれたアリカたち一行。その船の中でアリカは唇をかみ締め祈るように手を合わせた。しっかりと握られた手は、もともと白かった手をさらに白くさせていた。だんだんと目的地へと近づくにつれ、アリカは顔を俯かせふさぎこんでいってしまった。

 

 そんなアリカに対して声をかけようにも、おいそれと声をかけられるような者はいなかった。しかし、紅き翼(アラルブラ)においてこんな空気に耐えられない人間が2人。ナギとラカンである。

 

 彼らは、一応アリカを気遣いながらも思いに思いに言葉を並べていく。だが、アリカの表情は変わらず曇ったまま。とうとう目的地へとたどり着いてしまった。

 

 そして、出迎えてみればそんな様子の一行に困惑するテオドラ。思わず、傍にきたマクギルに問いかける。

 

「何が起きているんじゃ?なぜアリカ姫はあれほどまでに沈んでおるのじゃ?」

 

 当然、ここまでのいきさつを知らぬ彼女には見当もつかず、病にかかりながらここまできたのかと思いつくまでには混乱していた。

 

「少々。ええ、少々想定外の事態が起きてしまっての」

 マクギルとしてもそう答えるしかない。あまりにも突然すぎたのだ。全員がいまだ消化し切れていない。だが、アリカがコレほどまでに取り乱すとはマクギルも思っていなかった。心配そうに見つめるテオドラの視線の先を同じように見るマクギル。

 

 視線の先では、とうとうナギも限界がきたのか声を荒げ、叫ぶようにアリカに迫っていた。

「だーかーらよっ!あいつが死ぬわけねぇだろっ!…決めてんだよ、決着つけるってな!…姫さんだって、あいつと何か約束とかあるんじゃねぇのかっ。姫さんはハジメを信じらんねぇのかよっ」

 

 ナギの言葉に顔を上げるアリカ。その目元は少々赤くはれていたが、鋭い。いつものような力強さをわずかに取り戻していた。

「あるみてぇだな」

「…あるっ」

 

 その言葉にナギとナギの後ろにいたラカンもにやりと笑みを浮かべる。

「…あぁ、あるさ…ふふ、すっかり忘れておった。…こんな様ではハジメに怒られるの」

 そう言ってアリカは、笑みを浮かべる。呆れたような、寂しそうな。しかし、どこか嬉しそうに。

 

 数秒目を閉じた後、毅然と立ち上がって皆の下へと振り返るアリカ。そこには先ほどまでの陰鬱さはすでにない。

「すまなかったな、皆。テオドラ第三皇女、これからの話し合いをしましょう」

 

 しかし、そこにタカミチが扉を開け放ち勢いよく入室してきた。その息は荒く、少々息を整えながらそれでも伝えたい言葉があるのか、口を開いたまま荒く呼吸を繰り返す。

 

 そんなタカミチにガトウが何かあったのかと問いかける。こんな風になる弟子はとても珍しい。しかし、タカミチが取り出したそれに、ガトウだけでなく皆もその顔色を変える。その手には新聞が数部握られていた。

「こ、これを見てくださいっ皆さん!」

 

 皆に見えやすいように勢いよく新聞を広げるタカミチ。その一面を見た者全員が驚きの声を上げる。

 

 新聞の一面にはこう書かれていた。

 

M・M(メガロ・メセンブリア)首都郊外が荒野に!?]

M・M(メガロ・メセンブリア)首都の一部では機能が停止か]

[首謀者は紅き翼(アラルブラ)!?]

[反逆者が計画、実行か]

 さまざまな見出しがあるが、記事ではM・M(メガロ・メセンブリア)首都まで及ぶ範囲まであたり一面が荒れ果てた荒野となり…ということや、昨夜起こったことについては様々な推測や説が書かれていた。

 そして、それらの説には、紅き翼(アラルブラ)がこれを起こしたのではないかという事と、紅き翼(アラルブラ)が反逆者であるような証拠、証言が書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

「これで、紅き翼(アラルブラ)も退場だね。世論を操作することなんて造作もない」

 そういいながら件の記事を眺めるアーウェルンクス。その瞳は人形めいた冷たさを宿している。

 

「後はこのまま計画を進めていけばいい」

紅き翼(アラルブラ)、マクギル、アリカ王女。これらに対して策はすでにある。後は我らが為すべきことを為すだけだ」

 彼らにとっての悲願は近い。そのためか彼らの雰囲気も比較的和やかになっていた。

 

 ここは、完全なる世界(コズモエンテレケイア)本拠地。墓守人の宮殿。彼らの悲願はこの場所で達成されることになる。

 

 邪魔になる存在はその悉くを踏み潰した。とうとう主である造物主(ライフメーカー)も行動を起こし、例外(イレギュラー)である突き穿つ者(パイルドライバー)も倒されたと聞く。

 

 しかし、アーウェルンクス、デュナミスともに気がかりなことがあった。それは、主である造物主(ライフメーカー)が帰ってきたその姿。何かに突き穿たれたように穴の開いたローブ。

 

 そして、何も物言わぬ主。戦いが起きた場所には刀一つしかなかったそうだ。そのため、突き穿つ者(パイルドライバー)は死んだと考えている2人だったが、なぜかかすかに違和感とも言うべきものを感じていた。

 

 だが、最早目的はすぐそこにあった。それらのことは詮無きこととして自分たちが為すべきことへと取り掛かるのであった。

 

 

 

 世界は完全なる世界(コズモエンテレケイア)の思う方向へと加速していく。戦争は未だ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 光の中で幻視するのは移り変わりゆく風景であった。それは日常的な光景であり、中心にいるのは一人の少年だった。

 

 少年は人に恵まれていた。よき隣人、友人に恵まれていた。師に恵まれていた。家族に恵まれていた。

 

   『魂が清らかだった』

 

 少年は人より少し正義感が強かった、間違っていないなら決して挫けなかった。

 

   『魂は輝き始めた』

 

 少年たちの間で読みまわされていた一つの本。彼が憧れを抱くに足る人が描かれていた。壬生の狼、明治維新後もその信念を貫き通した男の姿が、少年の心に焼き付いていた。

 

   『魂に力強さが加わった』

 

 

   『そなたは選ばれた。その魂が呼応したのだ。そなたならばこの世界の救世を成すことが出来る』

 どこからともなく声が響く。その声色は判別できないほどあいまいで。言葉だけが頭の中へと響いていく。

 

   『目覚めよ。救世者よ』

 

 

 

 

 

 

 ふと瞼を開ける。微睡の中で、夢を見ていたはずのその光景をもう思い出すことはできなかった。

 

 ハジメは、目だけで周囲を確認する。しかし、思い当たる場所ではない。配置されている家具も、窓から見える景色も自身が見たことのない、あったとしても思い出せないような場所。そんな場所にいることに違和感を覚えるハジメ。

 

造物主(ライフメーカー)と戦っていたはずだ…)

 

 しかし、今自分はどこにいる?そう投げかけても誰もいない。負けたのならば、もはやこの命はない。まさか地獄でもあるまいし。

 

 とにかく、ここがどこだか分からなければ始まらないと、寝床から起き上がる。今いた寝床を少し観察してみてもあまり生活環は感じられなかった。客間なのかもしれない。

 

 寝床の横にある箪笥を調べると、おそらく男物だろう思われる衣服が数着入っているだけで、それ以外に目立った特徴はなかった。

 

 もともと物が少ない部屋なので、すぐに調べ終わり、窓へと移る。目線が高い、どうやら2階か3階のようだ。そこから見える光景は自然豊かに木々が生い茂る様と、奥には山も見えるほどで緑が鮮明に映えていた。

 

 ハジメは、下から人の気配を感じた。手元には武器はない。しかし、それで何もできなくなるような人間ではない。無手であろうと、十二分に戦える。

 

 静かに、どんなことでも対処できるように心を落ち着けていると、扉は開かれた。

 

 扉を開き入ってきたのは少女。そう、まだ少女といえるような風体の娘が大きな荷物を背負ったまま部屋へと入ってきたのだった。

 

「よっこいしょっと。わぁ、起きたんですか。体は平気ですか~?」

 

 背負ってきた大きな荷物を床に置き、のんびりとした口調でハジメの安否を尋ねてくる少女。その輝くような金色の髪は背中の中ごろまで伸び、首をかしげたりするとふわふわと動く。その顔立ちは整っているといえる。長いまつげにくりくりとした猫を思わせる瞳は、若干たれているためか柔和な印象を与える。鼻はすっと通り、桜色に色づく小ぶりな唇は笑顔のためか綻んでいる。

 

「介抱してくれたことには礼を言う。しかし、まず聞きたいことがある。ここはどこだ?」

 

 ほわほわした雰囲気に多少毒気が抜かれつつも、礼をいうハジメ。しかし、のんびりしている暇はないと行動を起こすための必要な情報を少女から聞き出すことにした。

 

「ここですか~?ここはですねぇ、あ、私ナルカと言います。ナルカ・パルテン」

 少女はのんびりとマイペースに自己紹介を行った後、にこりと笑う。今まで周りにいなかったタイプの人間に多少戸惑いながらもハジメも自らの名を名乗った。

 

「はぁ、俺の名はハジメ・サイトウだ。質問に答えて欲しいのだが」

「あぁ~すいません。ここはですねぇ、なんとっ天国なのです」

 そう言って笑みを浮かべて手を広げる。歓迎をしているかのような素振りではある。しかし、そんなことには目もくれずハジメはそれを聞いて固まった。

 

 想定外過ぎる言葉だったためだろう。天国とはどういう意味か。そもそも何を言い出した。ハジメは様々な思考を働かせるが、時間が止まったかのようにその場の空気は固まったままだ。

 

 仕切りなおしのように、ハジメは一つ咳払いをする。

「もう一度聞こう。ここはどこだ?」

「ここは天国なのですっ」

(話が通じんのか?)

 一つ呆れたようにため息をつくと、眉間にしわを寄せコメカミをもむハジメ。目の前にいる少女、ナルカ・パルテンの言によるとハジメが目覚めたここは天国なのだという。そんな馬鹿なとハジメはもう一度と問うたわけだが、得られる回答は同じそれ。

 

「そうだっ、お腹がすいたでしょう?すぐお料理作りますね」

 ぱたぱたと忙しなく動き出すナルカ。おいていた荷物から食材らしきものを取り出すと、そのまま部屋の外へと出て行ってしまった。ふと荷物の中身がハジメの視界に入る。そこには沢山の書物がぎっしりと入っていた。ハジメはわずかな違和感を抱くが、気にせずナルカの後を追う。

 

 部屋を出たすぐ傍には階段が設けられ、階下へと歩を進める。全体的に見て、ハジメが知っている建築物とそう大差はない。

 

 階下へ降りると、そこは広いリビングだった。暖炉が用意され、安楽椅子やソファが備えられ、それにあわせたような脚の低い大きなテーブルが鎮座していた。

 

 部屋を見回していると、おいしそうな香りとともに軽やかな鼻歌がハジメの耳に届く。それをたどっていくと、先ほどの少女ナルカがすでにキッチンで食事の準備へと取り掛かっていた。そこに並べれていたのは牛乳や小麦粉、ジャガイモ、にんじんなどの野菜、そして鶏肉など豊富な食材が用意されていた。

 

 ナルカがハジメに気づくと笑顔で振り返る。

「あ、待っていてくださいね。おいしいシチューを作ります」

 むんと、力瘤を作るようなポーズを作る。しかし、華奢な彼女がやってもかわいらしい印象しか浮かばない。

 

「あ…あぁ、すまんが少し外を見てくる」

「分かりました~出来た頃には戻ってきてくださいね~」

 特に気にする素振りもなく、ハジメを送り出すナルカ。ひらひらしたエプロンと三角巾をなびかせながら調理を始めていくナルカを背にハジメは外の様子を見に行くのであった。

 

 

 

 外に出てみると一層天国などと感じられぬような景色がハジメを迎える。周りには畑や田んぼが広がり、その周囲には木々が並ぶ。遠くには山が覗き頂は冠雪しており、その高さを伺える。

 

 辺りを散策しながら、歩き始めるハジメ。数分歩き、もといた場所から距離が出始めるころ、ハジメはふと違和感に気づく。

(人の気配がしない…?)

 目を凝らしても通る人影などなく、それどころかもといた屋敷以外に家らしきもの、建物が見えない。

 

 単純に人里はなれた場所に住んでいると考えるが、それでも不自然だ。ナルカのような少女がたった一人でこのような場所にいる理由が思いつかない。家族すらもいないのは不自然が過ぎる。

 

 これは、もう少し探りを入れる必要があるかも知れないとハジメは歩を速めた。

 

 結局人が通れるように舗装された道は、あの屋敷の周りにしかなく。木々に囲まれるようにこの場所は孤立していた。料理が出来たのか、迎えに来たナルカによって散策は中断となりハジメは屋敷へと戻るのだった。

 

 

 

 にこにこと笑みを浮かべるナルカ。テーブルを挟んでナルカとハジメは向き合っていた。テーブルの上には深皿が2つとシチューが入った鍋が1つ。さらには焼き立てなのだろう、香ばしい匂いを発するパンが幾つか切られた状態で大皿に乗せられて血ア。

 

 すでに2人の深皿にはシチューがたっぷりと入っていた。とろりとしたクリームソースに絡まりながらも色鮮やかなブロッコリーやニンジン。ほくほくと湯気を立てているジャガイモ。しっかりとした存在感を放っている鶏肉がシチューのなかで見事に混在している。

 

 ハジメが食するのを今か今かと待っているように、ナルカはまだ手をつけずにハジメを見る。

(まぁ、うまそうではある)

 シチューを一目見て十分美味であることは予測できた。しかし、いかんせん安心してすぐに食べることはハジメには躊躇われた。せっかく用意してもらったものだが、無用心に食事をするのはいかがなものか。人は見た目では分からないのだ。

 

「むぅ、毒なんて入ってませんよ~?もう」

 全く手をつけないハジメに可愛らしい唇を尖らせながら、ナルカは仕方なさそうにシチューを一口スプーンにすくい、口に運ぶ。野菜と肉、牛乳の甘みと旨みを含んだシチューに彼女は頷きながら笑みを浮かべる。

「うん。上出来上出来~」

 

 そんなナルカの様子を見た後に、ハジメもシチューのジャガイモをスプーンにすくい、口に運ぶ。ほくほくとした食感を保ったままシチューとともに咀嚼すると、その滋味あふれる感覚が口の中を満たす。

「…うまいな」

「よかったです~」

 ハジメがこぼした感想に、途端に笑顔になるナルカ。2人はそのまま2口目、3口目と食事を続けていった。

 

 

 

「ふぅ、うまかった。すまんな、出された料理を何の疑いもなく食うのは慣れていないものでな」

 食事を終え、一息ついたところで改めて感想を述べ、先ほどのことを謝るハジメ。そのまま懐から煙草を取り出し、一本取り出そうとするとナルカに止められた。

「ここは禁煙ですっ。それよりも紅茶などどうでしょうか~?」

 珍しく言い切る形で止められたのと、笑顔の横に掲げられたティーポットに仕方なく煙草を懐へと戻し、了承の意を示すハジメ。

 

 食後の紅茶としゃれ込んだところで、ハジメは切り出すことにした。ナルカはお茶請けのスコーンにクリームをたっぷりつけぱくついていた。

「さて、ここはいったいどういう場所何だ?あまりにも孤立、隔絶された場所のようだが」

 先ほど散策して得られたのはその程度の情報。人は居らず、外界へと繋がる道もない。最たる疑問は目の前の少女。なぜこのような場所に独りなのか。

 

 ハジメの再三の質問にスコーンをぱくつく手を止め、紅茶を一口啜る。一つ一つの所作はどこか品を保ったまま行われていることがハジメにもわかった。

 

 微笑を浮かべながら、ハジメの方へと向くナルカ。

「そうですね。ここは使命を忘れたもののための場所です」

「使命?」

 怪訝な顔を浮かべるハジメ。

「そうです。といっても、本来ならばよほどのことでもない限りこの場所を訪れるといったことはありません。ですから張り切っていろいろ持ってきてしまいました」

 荷物重かったんですよ~と朗らかにナルカは笑うが、ハジメは話にまったくついていけていない。

 

「待て待て、なんだその使命というのは」

「ん~これは思った以上にひどいみたいですねぇ」

 ハジメの様子に困ったように人差し指を顎に立て、首を少し傾けるナルカ。そうですと、ナルカは何か思いついたように手を軽くたたき合わせ、顔をほころばせる。

 

「私が持ってきたものはその世界の正しき未来に導くための印、情報を記したものなんです。それを読み解けば、あなたもきっと使命を思い出せますし、元の世界に役立ちます。わぁ一石二鳥です」

 どこか興奮したように立ち上がるナルカ。さぁ、行きましょうとハジメを引っ張り先ほどまでハジメが寝ていた部屋がある2階へと上がる。ハジメもとりあえず、ナルカが示した情報とやらにひとまず頼るしかないかと、引っ張られた手を軽く離すとそのままナルカの後をついて行く。ナルカは若干つまらなそうにしていたが、そんなことを気にするハジメではない。

 

 先ほどの部屋へと戻り、荷物の中をまさぐるナルカ。目的のものを見つけたのか、手を高く上げその存在をハジメに示す。

「これですね。ひとまずコレを読めば使命というものがわかると思います~。使命というのはですね…」

 

 渡された書物をひとまず読んでみる事にしたハジメは、その書物を開く。

 

「…その世界の存亡がかかるほどの重大な危機が迫っているとします。人々は祈るわけです。助けてほしいと、救ってほしいと。その願いを…」

 

 書物には、どこぞの宗教のように人々が祈り、願っている姿や、儀式めいた図が散りばめられていた。そんなところはさっさと読み飛ばしながら、ハジメは目を通していく。

 

「…危機が有形無形であろうとも、どんな試練でも使命のために乗り越える、そんな強い人たちが救世の者として、勇者として現れるわけなんですよ~」

 ですから、よほどのことがない限り使命を忘れたりしないんですよ?とハジメへと向きなおるナルカが見たものは、先ほどの本などさっさと見切りをつけ荷物の中に入っていた他の書物を読み進めていたハジメの姿だった。

 

「な、なにしているですか~、話し聞いてましたっ?」

 若干涙目でハジメへと抗議するが、ハジメは見向きもせずに応える。

「そんな使命など俺は受けてないし、正しき未来などもいらん。よって、俺が欲しい情報だけあればいい」

 

 けんもほろろに言い負かされたナルカは、じいっと拗ねたような表情でハジメを睨み付ける。まったく迫力がないため、まるで構ってもらえない子供のようになっているが。

「こまった人ですね~。…でも、こんな人がここに来るなんて、よほどの自己矛盾を犯さないと来ないと思いますけど」

 ぼそぼそと独り言をこぼすナルカ。彼女にとってハジメという存在はイレギュラーとして認識されているようだ。

 

 そんなナルカを余所に、用意してあった書物を次々と読み進めていくハジメ。その内容は多岐に渡っていた。魔法世界の成り立ち…旧世界と魔法世界の関係…オスティアの血族…吸血鬼のなぞ…世界樹の秘密…魂の開放…祈りを魔法にする方法………。

 途中途中に関係のなさそうな書物が挟まっていて、ハジメは胡乱げな視線をナルカに向ける。

 視線に気づいたナルカは小首をかしげ、どうかしましたかと相変わらずのんびりとした口調で尋ねるのだった。

 

「この資料は何だ?正しき未来とやらがあったとしても関係なさそうなものばかりが目立つのだが?」

 そういって吸血鬼について記されていた書物をナルカに見せ付ける。しかし、ナルカは微笑みながら言いにくそうにして、視線を泳がせた。ハジメはそんなナルカに対して書物を押し付けるように目の前にかざす。

「あはは~…実は、私には読めないんです。それ」

「…どういうことだ?」

 笑って誤魔化そうとしたが、観念したのかナルカは口を開く。しかし、それはハジメにとって予想外の返答だった。そしてナルカはその雰囲気を一変させる。

 

「それらの本。最初に渡した以外の書物に関しては、それを読む人によって記される情報は変化します。その人にとって重要になるであろう情報を本自体が示すのです」

 どこか凛とした雰囲気を纏ったナルカは本の表紙をそっとなぞる。愛着があるのかその表情はどこか暖かい微笑みになっていた。

「これらの書物が正しき未来へとつなげるかは本当のところは分かりません…私には読めませんから。ですが、これらは読む人たちの力になることは確かなんです」

 それだけの者たちを彼女は送り出したのだろう。ここが使命とやらに対して迷ったもの、分からなくなったものを誘い、導いていく場所なのだろう。

 

「確かに有益な情報も多い。だがなおさら分からんな。俺は使命とやらは知らん。しかし、目的に対して迷ったことなどない」

「だったら、もしかしたら。その目的は本当は違うんじゃないんですか?」

 自身にこの場所に来る理由がないと言い切るハジメに対し、さらりとそれは勘違いではないですかと、そう言いのけたナルカ。

 

「別に全てを否定しているわけじゃないんですよ。ただ、あなたの本当の目的、願いに対して行ってきたことが少しずれてしまったのかもしれません」

 優しい微笑を浮かべながら、凛とした視線は決してハジメの視線から外れることはない。ここにたどり着いたからには、それなりの理由があると、彼女はそういっているのだ。

 

「ここは時の流れが少し緩やかです。書物は沢山あるのですから、どうか。どうか、あなたのゆるぎなき信念の先にある未来をあなた自身が見つけてください」

 真剣な眼差しでハジメを見る。少しの間をおいてぺこりとお辞儀を行い、いつもは下にいますからと言い残し部屋から出て行くナルカ。

 

 残されたハジメは、一つ息を吐くと座りなおして書物をまた一冊、読み進めるのだった。

 




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第12話

姫は想いを胸に進む

青年は未来を想う

 

第12話

 ~想い~

 

 ハジメが目覚めた場所、ナルカ・パルテンが言うには天国で自らが望む未来へと導く情報を示す本を読んでいる頃。夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)にいたアリカ達は、タカミチが持ってきた新聞に注目し言葉すら発せずにいた。

 

 静寂がその場を支配する中、新聞の記事にあるM・M(メガロ・メセンブリア)首都郊外とはおそらくはアリカたちの船が出発した場所を指しているのだろうと、言葉こそ発さないが皆そう感じ取っていた。そして、ラカンが若干戸惑いながらその沈黙を破った。

 

「これって…つまりはよ」

「ええ…おそらく私たちが発った場所で、あれから起きたということでしょう」

 つまるラカンの言葉に、アルビレオが続ける。言葉にすると実感してしまう。それを体現するかのように、場の空気が重くなった。

 

「まさか、ハジメの奴…」

 ナギがそう口を開こうとしたとき、しかし、それは遮られた。ほかならぬアリカの言によって。

「それよりも、紅き翼(アラルブラ)が首謀者、元凶とされている。こちらのほうが問題じゃ。…これは間違いなく、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の手が加わっていると見てよいじゃろう」

 確かに新聞に掲載されているものの中で見出しの多くが、紅き翼(アラルブラ)が首謀者としてこれを行ったという旨の記事ばかりが目立つ。

 しかし、皆アリカがそれを問題としたことに驚きを隠せなかった。あの場所で起きたということをそれよりも、と切り捨てたのだ。

 

「そ、それよりもって、おいっ。ハジメが心配じゃないのかよ?」

 ナギが、思わずアリカに問い詰める。それも当然だろう、さきほどまでのアリカの様子を見ているのだ。この記事を見て混乱こそすれ、まさかそのような問題と切り捨てるなどとは思えなかった。

「お主こそ、現状をきちんと理解せよ。ここまでとなると最早、奴らの脚本(シナリオ)が終わりへと向けて始まったということじゃろう」

 そういってガトウを見る。ガトウはその視線に頷き、手元の情報端末を忙しなく動かしながらアリカに応える。

「この手際のよさ。昨日の時点で狙っていた。そう見てよいでしょう。アリカ姫、奴らの脚本(シナリオ)に必要なものは全て出揃ったのかと」

「ふむ。ハジメから完全なる世界(コズモエンテレケイア)に関する情報はもらっておるな?」

「抜かりなく。情報の刷り合わせは幾度となくしましたから」

 端末の情報をアリカへと提示する。その情報を見たアリカは今自分が何をすべきなのか、何が最善なのか。考えをめぐらせながら、指示を与えていく。

 

「これから、完全なる世界(コズモエンテレケイア)ひいては世界全てが敵となる。今必要なのは味方じゃ。ガトウ、我等の話に耳を傾けてくれる者たちをピックアップせよ。真の敵、味方を分ける必要がある」

「了解しました。…タカミチ」

 早速行動に移すため、情報の整理へと向かうガトウ。元気よく返事をしながらそれについていくタカミチ。

 

「そして、紅き翼(アラルブラ)…おぬしらにはガトウの協力と我等の護衛。そして、真の敵の殲滅を頼みたい…できるな?」

 真剣な瞳でナギたち紅き翼(アラルブラ)を見渡すアリカ。挑戦的な笑みがナギたちの負けん気を触発させる。

「当然っ。護衛と殲滅は任せなっ」

「おうっ。楽しくなってきたぜっ」

 殲滅という言葉に第一に反応した脳筋2人。言わずもがな、ナギとラカンである。もともと皆、この2人にはガトウに協力できるとは思っていない。そんな2人に苦笑を浮かべながら、アルビレオや詠春らも了承の意を伝える。ナギとラカン以外のメンバーはまず行うであろうガトウの仕事に協力することになるため、ガトウのもとへと向かう。

 

「それじゃわしはM・M(メガロ・メセンブリア)の方で協力者を探すとしよう」

 マクギルもガトウのもとへと向かう。世界の各地方でどの程度のパワーバランスとなっているかなど、協力者を探すための情報を照らし合わせる。

 

 粗方指示を終えたアリカはテオドラへと体を向ける。

「それでは、テオドラ第三皇女。我らもこれからどうするか話し合おう」

「それには及ばん、わしは帝国を当たろう。これだけ完全なる世界(コズモエンテレケイア)の力が世界に及んでおる。無論帝国にも…じゃ」

 おちゃらけた雰囲気を持ったおてんば姫というわけではない。そんな者ならばまずこの場にいない。テオドラはしっかりと、この世界の危機を認識しており、これから自分が何をすべきか導き出していた。

 

「アリカ姫。おぬしは御旗となるのが仕事となろう。おぬしを中心にこれから救うための戦いが起きる。その覚悟があるかの?」

 テオドラはしっかりとアリカを見据えながら、笑顔で発破をかけた。そんなテオドラに対してアリカも威風堂々と微笑を浮かべる。

「当然のこと。この世界の戦争を止めると決めてから、いや、この世界を救うと決めてから覚悟しておる」

「なら安心じゃな。それではの」

 そうして、ガトウに帝国側の情報を共有するために向かうテオドラ。その後彼女は帝国へと戻り帝国内でその力量を遺憾なく発揮する。

 

 皆がアリカの指示を受けて、ガトウがそれらの詳細について整理し各自に渡していく。その様子を独り見ていたアリカは、ふと外の様子を眺めた。

 何か堪えるように唇をかみ締め、拳を握り締める。

「…ハジメ…」

 誰も聞こえないようなささやく声で、思い人の名を零すのだった。

 

 

 

 しかし、そんなアリカの様子を見ていた人物が一人。ナギである。ガトウにお前はしばらく出番ないからすこし待ってろと放り出されて、ふと窓際にいたアリカが目に入ってしまった。

 

(随分と気丈な姫さんだよな…)

 アリカの様子を見て思ったこと。強い。儚げに、危なく見えるほどに彼女はナギの目から見て強く、もろかった。

 

 そのまま眺めていると、ナギの背中が平手でたたかれた。

「いたっ」

 強めにたたかれたのだろう。前のめりになりながら、下手人であるラカンに怒鳴る。

「なにすんだっ」

 

 しかしラカンは悪びれもせずいやらしい笑みを浮かべた。

「ん~姫さんをじ~っと見て何考えてんのかってよ。…ナギぃありゃ無理だ。諦めろ」

 俺はわかってるぞ、といわんばかりのしたり顔でナギの首に腕を回しながら親しげに話しかけるラカン。しかし、ナギはそんなラカンの行動にいらつく。

「うっせっ、そういうんじゃねぇんだよ。というか、ハジメの野郎…こんなときに何やってんだ」

「ふ~ん。まぁ、アイツがそう簡単にくたばるようなタマかよ。でもよ、ここはそう簡単じゃねぇんだよ」

 そういって左胸辺りをとんとんとたたくラカン。どれだけ無事であると信じていても、確信していても。それでも、心配してしまうというものだろう。こんなときならばなおさらである。先ほどああは言ったものの、アリカ自身が一番ハジメを心配していることに変わりはない。

 

「…不器用な姫さんだ」

 さっさと帰って来いとナギは珍しく強く思うのだった。

 

 

 

 

 

 それから世界は大きく動いていく。

 アリカを主にした紅き翼(アラルブラ)の面々たちは、各地に居る有力者たちの情報を調べ、味方となる存在を探していった。

 コレにいたってはアリカ、そしてなによりもマクギルの人脈が活かされた。たとえ世界から敵と認識されたとしてもそれまで培ってきた全てが覆るわけではなかったのだ。マクギル・アリカは連合側における味方と敵の選別を行っていた。一方テオドラはというと、帝国内において人脈を築きながらまず、味方となるものを探していた。

 

 帝国側にも当然完全なる世界(コズモエンテレケイア)が入り込んでいたが、M・M(メガロ・メセンブリア)よりかは幾分少なかった。しかし、ヘラス帝国は亜人が多い土地柄か、その政治体制はM・M(メガロ・メセンブリア)と少々異なっており、国王とそれに準じた地位の者らが政治を決めていく。

 そのため完全なる世界(コズモエンテレケイア)も容易には入れずに、M・M(メガロ・メセンブリア)…連合を完全に操るためにトップに近い人間までもが、その魔手に及んでいるという実情があるのだが。

 

 そんなヘラス帝国であるが故に、テオドラの人脈は実はそれほど広くはない。第三皇女という立場もあるが、基本的に横のつながりというもの事態が少ない。それぞれの地位にあるものがその下を管理するという体制のため、政治に加わることはないお姫様であるテオドラに帝国全体に及ぶような人脈はなかったのである。

 

 しかし、今回はその第三皇女という地位をテオドラは利用することにした。出来る限り持っている横の広がりを用いて、おてんば姫の行動力の下帝国を縦横無尽に駆ける。帝国全体に働きかけられるほどの下地を作るためである。すでに戦いは敵…完全なる世界(コズモエンテレケイア)脚本(シナリオ)、掌の上であるとするならば、見据えるは最終決戦。そのときのためにテオドラは、できる限りのことをするのだった。

 

 そんな娘の様子を見て、成長したと喜ぶ親バカ気味の国王がいたとかいないとか。

 

 もちろん紅き翼(アラルブラ)の面々も働いていた。今ここでは頭脳労働担当たちであるガトウたちが、マクギルたちが集めた情報と自身たちが集めた闇商人や政治家、役人たちの情報を整理していた。

 

 末端とはいえ完全なる世界(コズモエンテレケイア)の一部であり、影響力は多かれ少なかれ持っている。敵と判明したそれらを叩き潰すのは肉体労働担当のナギやラカンである。

 

 ナギとラカン、詠春らは敵の拠点となっていた場所へ襲撃し、殲滅していった。

 そして、今回彼らが向かったのはマフィアや闇商人たちが集い、都市としての機能を持った拠点。役人すらも加担した一つの街の破壊であった。そこには工場があふれ、決してその明かりを消すことはない。作られているのは、今戦争で出回っている武器である。その武器の多くはここで作られていたのだった。

 

「随分とにぎやかな場所だ」

 ナギが、ローブをはためかせながら街を行き来する橋の向こう、その丘から街を睥睨する。街には工場だけでない、カジノはもちろん娼館や闘技場、奴隷の売買すらも行っていた。

 

「いまどき珍しいほどに、悪さのオンパレードだな」

「ここから先は権力で護られているからな。それ相応のものが蔓延っている」

 ラカンがへらへらと笑いながら、今から向かう街の実情を皮肉交じりに感想をもらす。それに応える詠春は既に臨戦態勢に入っており、その顔つきはすでに剣士のそれである。

 

「んじゃ…いくかっ」

 ナギが掛け声とともに、大呪文である千の雷(キーリプル・アストラペー)を街へと一発放つ。それが合図となってラカン、詠春も続く。

 

 今回の目的はこの街の破壊、より詳細に言えば武器工場の破壊と、マフィアたち組織たちがしばらく行動できなくなるまでに攻撃、ひいては殲滅が目的となる。その目的において、これほど適した人材は居ないだろう。

 

 詠春は、神鳴流を駆使し駆けながら建物を、武装したマフィアたちを切り刻んでいく。

「斬空閃っ」

 遠くに居る敵に対し、近くに建つ建物ごと切り裂いていく、気の刃。そして、目の前に聳え立つ工場を前に、詠春は気を集中させる。それに呼応するかのように剣先が光、稲妻が奔る。

「極大・雷鳴剣!」

 振り下ろされる刃。それに追随するかのように雷が落ちるような電撃が奔る。その終着点は目の前の工場。落雷を思わせるその一撃は、工場を跡形もなく吹き飛ばした。

 その光景を目にしたマフィアたちは思わず後ずさり、そして翻って駆けた。自分たちが相手に出来るような奴ではないと。しかし、そんな彼らの視界に入ったのはどこからともなく大地へと降り注ぐ大剣だった。

 

「おお~さすが俺様」

 自身が為した光景。大剣を飛ばして次々と工場などそれらしきものへ投擲し、投擲された場所は隕石でも降ったかのようにクレータが出来ており、建物の残骸だけが残っていた。

「じゃんじゃん行くとするか。それ」

 次々と大剣を生み出し、それを放っていく。

 それをしばしやっていると飽きたのか、手を止めるラカン。

「俺もあっち行くか。ん~」

 体全体に力を込め、一気にそれを爆発させる。ラカンが居た場所に既にその姿はなく、何か書き出したように、土がめくれていた。

「はっはー」

 愉快だといわんばかりに声を上げるラカン。その身を一つの弾丸として、自らが飛んでいく。その速さは人体が耐えられるような速さではないが、そんな常識は彼には通用しない。そして、街の一角へと堕ちる。その衝撃とともに辺りのビルは窓を割り、一部崩壊を始める。そして、ラカンがよっと起き上がると、目の前には武装したマフィアたちが集まっていた。

「これこれは、団体客じゃなぇの。迎えなきゃいかんよなぁ」

 笑みを浮かべ、その眼差しは獣のそれとなり狩りの時間が始まる。

 

 ラカンがマフィアたちを屠るその上空では雷が走り、それが落ちた場所はもろくも崩れ去る。

千の雷(キーリプル・アストラペー)っ」

 街を破壊していく、大呪文を連発するのはナギ。すでに周囲は残骸だらけとなり、寄り付くものも居ない。この街の破壊といった役割のその大部分をナギが行っていた。

 

 こうして、ナギたちの仕事が終わり、街のはずれ…橋に集まり互いの労をねぎらう。その背後にあった都市に街だった面影すらもなく、工場などは全て残骸となった。

「帰るとするか」

「そうだな」

 ラカンがさっさと踵を返し、橋へと歩を進める。それに倣うように詠春も続く。

 

 歩を進めるとふと詠春が立ち止まって振り返る。ナギはまだ橋の最初の場所に居た。

「ナギっ帰るぞ~」

 その声に呼び戻されるように詠春のほうへ顔を向けるナギ。すぐさま返事をし、駆け足で追いつく。

「どうかしたか?」

「いや、なんでもねぇ」

 そういいきると、詠春も特に詮索するようなこともせず、帰路へとつくのだった。

 

 

 そこから紅き翼(アラルブラ)の活躍は目を見張るものとなる。アリカ達は着々と味方を増やしていき、ガトウらが敵を突き止め、ナギたちは敵と戦う。

 アリカ達は確実に完全なる世界(コズモエンテレケイア)、その中枢となる者ちたとその真実を捉えつつあった。

 

 最終決戦のときは着実に近づいていた。

 

 

 

 

 

 そんなある日のアリカ達の拠点となっている邸宅。その一室にアリカはいた。その目が見据える先には刀身が布で巻かれた刀が一つ飾ってあった。

 あの日、造物主(ライフメーカー)が来襲した場所に、墓標のように突き刺さっていたハジメの刀。アリカはそれを見ていた。

 

 あの日から目まぐるしく情勢が動いていく中でここに戻ってきたとき、アリカはいつもこうしていた。

 

 会談があった日。これからの指針を定め、解散した後はマクギルと共にアリカはこの地に戻った。そこで見た光景にアリカは珍しくも取り乱した。届けられた刀を思わず抱きしめるほどに。

 

 それから、拠点に刀を飾りここに戻ってきたときは必ず眺めるようになった。ここに居ない者の影を見るように。

 

 もちろんここは拠点であるため、他の面々が来ることは多い。特にタカミチはガトウの連絡係として走り回ることが多かったためかよくきていた。子供であるという点から前線よりも、そちらのほうがより使いやすいということでもある。

 

 当然紅き翼(アラルブラ)のメンバーもここへ来る。皆アリカを気にしているが、かける言葉も見つからず自身がやるべきことに集中していた。その中でもナギはアリカが居れば、自然とその姿を視線で追っていた。

 

 今日もアリカがハジメの刀がある部屋へ行く様子をナギはただ黙ってみていたのだった。

 

 場面はアリカへと戻る。

「ふむ」

 刀を眺めながら、何か思いついたかのような素振りを見せた後立ち上がり部屋を出る。向かう先は皆が集まる談話室。皆が集まれるだけあって随分と広く、キッチンなども備えられている。

 

「ど、どうした。姫さん?」

 いつもと違う雰囲気のアリカにたじろぐナギ。他の面々は今は居らず、ナギだけだった。

 

 アリカは、部屋を見渡しナギしかいないことを確認する。

「まぁ、そなたで良いか。外へ出るぞ」

「え、は?」

「早く用意せよ」

 突然の外出命令に、ついていけていないナギ。アリカには護衛が必要なのだから必然的に今この場に居るナギがその役目を担うことになるが、ナギの頭では今日特に外出の予定はなかったはずだったとひとまず、アリカに用件を聞くことにした。

 

「別に会談というわけではない。気分転換のようなものじゃ」

 さっさと玄関へと向かっていくアリカに付いていきながらも出てきた答えに、こんな奴だったなそういえばと改めて確認するナギであった。

 

 ローブを纏いながら街中を散策していくアリカとナギ。特に目的があった風でもなく、本当に気分転換だったのかと少し気を張っていたナギは、頭を空っぽにしてただただ先を歩くアリカについていった。

 

 ナギから見て、アリカはよく街を知っていた。次は何々が見たいのうとひとり呟くと、そのまま方向を変えてすたすたと行ってしまう。どこからそんな知識を得たのかと思わずナギが問うと帰ってきた答えはコレだった。

「なに、少し前までは護衛に(かこつ)けてハジメを連れ出し、いろいろな場所へめぐったからのう」

 微笑を浮かべながらアリカはそう答えた。ナギはそんなアリカの隣にハジメの姿を幻視した。どこかばつの悪そうな顔でナギはアリカに先を促すのだった。

 

 そしてしばらく歩くと、ナギはアリカが散策しながらもどこか目的があって移動していることに気づいた。日も傾いてきたころ、たどり着いたのは人がまばらに居る丘の公園であった。

「…ハジメはどうして居るのかの…あのバカ…」

 丘の向こう、夕日に向かい微笑みながらアリカはぼつりと零した。その目は夕日を捉えているが、実際見ているのはきっとそうではないとナギはなんとなくそう思った。ナギも所在無く夕日を眺めた。

 

 しばらく夕日を眺めていると、アリカがナギへと顔を向ける。

「気まぐれにつき合わせてすまんかったの。感謝する」

「構わねぇさ。どうせ今日はやることもなかったしな」

 照れくさいのか、ナギは頭を掻きながらそっぽを向く。そして、少しの間沈黙が続くとナギは両手で頭を掻きながらうめく。

「あぁ、くそっ。やっぱ性に合わねぇ」

 そう地面に言い放って、顔を上げてアリカと視線を合わせる。

「姫さんっ…俺じゃ姫さんの隣にはいられないのか?」

 

 アリカは突然の告白に少々面食らいながらナギを見る。ナギの瞳は真剣そのものだった。決して、冗談やそういう類のものではないとアリカは悟った。ならば、それに応えねばと。

「すまんの。私が隣にいてほしいのはナギ…おぬしではない」

 答えは否。ナギは心の中では分かっていた、知っていた答え。だが、それでも本人の口からそれを聞き唇をかみ締める。アリカは、丘の向こうへ顔を向ける。まだその先には夕日が残っている。

 

「この場所は、ハジメと共に来た場所での。少々思い出がある。今日はその思い出に浸りたくての」

 ハジメに対してアリカが自分自身が目指すべき未来。それに対する覚悟を述べた場所。本当の意味でハジメを護衛として、仲間として、そして恋慕を抱いた場所。

「あ~そういうことかよ」

 ナギは完全に意気消沈しながらため息を一つ吐く。なんてことはない。今日はただ、ハジメとの思い出と自分自身を見つめるためにここへとやってきたのだ。

 

「ふふふ…では、そろそろ帰るとしよう」

 ナギの様子に笑うアリカ。そこには少し前までの危うさは影を潜め、アリカ自身の強さが表れていた。そして、夕日を背に歩き始める。

 そんな背を少しばかり見つめるのはナギ。

「あ~ぁ。振られちまったか…」

 ため息を一つ吐いて、アリカを追う。自分がほれた女を待たせている男をどうしてやろうかと考えながら。

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 紫煙が一つ吐かれる。灰皿には吸殻と灰が山になっていた。そこに新たな吸殻が突き刺さる。そしてまた新たな煙草に火をつけるのは今現在ナルカ曰く天国にいるハジメであった。

 ハジメがいた部屋は今、本で埋まっていた。様々なサイズの本が子供の高さぐらいまで積み上げられ、それが所狭しと立っていた。これは全てハジメが読んだ本である。

 ナルカが残した荷物に入っていた本の量は荷物の見た目どおりではなかった。どういう仕組みか、その内容量は見た目と違い、今部屋を埋めている本は全てそこから出ていた。

 また新たな本が、荷物から出される。これまた、どういう仕組みか荷物に手を入れればその手には新たな本が納まっている。

 

 そうしているうちに階段を上る音がハジメの耳に入ってきた。

「そろそろご飯できますよ~」

 エプロン姿のナルカが部屋に入る。白いレースが付いているエプロンは可愛らしく、ナルカに良く似合っていた。ハジメがひたすら読みふけている間、食事は彼女が面倒を見ていた。

「あぁ、分かった。おいといてくれ」

「だめで~す。一緒じゃないとさびしいじゃないですかぁ」

 本を読んだまま受け答えるハジメに対し、私不服です、不満ですと態度に表して、下で待ってますね~と言い残して部屋から出て行った。

 

 ハジメはため息を一つ吐くと、本にしおりを挟んで下へと向かうことにした。

 食卓にはマカロニグラタンとトーストしたパン、サラダ、スープが載っていた。ハジメとナルカはいつもの位置へとすわり、手を合わせる。

「いただきます」

 ナルカは料理が趣味らしく、日々違う料理が出てきた。どれもうまく出来ており、ハジメは驚きつつも堪能していた。

「あまり披露する機会は無いんですけどねぇ」

 とは本人の弁である。

 

「どうですか?」

 食事が粗方片付き、食後のお茶を飲んでいるとナルカが口を開いた。

「なにがだ?」

「使命は見つかりそうですか?」

 にこにこと微笑むナルカ。ハジメがここに来てから暫くの時が流れた。それでも、ハジメにとって必要な情報というものは尽きないらしい。何よりもハジメのいた部屋がそれを物語っていた。

 

「まぁ、見つかれば自ずと分かるのですけどね。荷物の中から本が取り出せなくなるはずです」

 その言葉に、ハジメが反応した。カップをテーブルに置き、ナルカを見る。

「ということは、俺が使命とやらを思い出さなければここから出られないと?」

 ハジメからしたらそれはよろしくない。悠長に事を構えてはいられない。いくら有益な情報があろうとも、魔法世界に戻らなければいけない理由がハジメにはある。

 

「いえ、そういうわけではありません。それも自ずと分かるはずです。ですが…私は見守ることしかできません」

 少し哀しげな眼差しをカップに落とし、苦笑する。

「つまりはすべて俺次第…ということか」

 カップに残された紅茶を飲み干し、席を立ち部屋へと戻るハジメ。

 

 心境としては早く魔法世界に戻りたいという気持ちが強くなってきていた。最初はただ、完全なる世界(コズモエンテレケイア)を、造物主(ライフメーカー)を倒すために戻ろうという気持ちが強かったが今はただ、アリカやマクギルそのほかの面々のことが気にかかっていた。

(アリカ…か)

 魔法世界の戦争が終わった後、核となる者。王としての器が出来つつあるあの少女は今、どうしているのか。ハジメはふと思うのであった。

 

 部屋に戻ったハジメは再び本を開き、読みふける。最初は魔法世界のことについての情報が多かったが、ここ最近は旧世界のことばかりが書かれている。魔法世界のことならたしかに知りたい情報、知るべき情報をハジメは得られた。故に疑問に思う。

(なぜ、ここから出られない)

 その一点に尽きる。今、旧世界の事柄について魔法の歴史や魔法学校、事件について知ったところで何に使うのか。それどころか魔法と関係ない政治などについても記されている。ハジメに対する使命というものはこのようなものまで本当に必要なのだろうか。

 

…だったら、もしかしたら。その目的は本当は違うんじゃないんですか?…

 

 ふと、ナルカの言葉が始めの脳裏をよぎる。

 

…あなたの本当の目的、願いに対して行ってきたことが少しずれてしまったのかもしれません…

 

(ずれた…?)

 何がずれているというのか。完全なる世界(コズモエンテレケイア)がやろうとしていることは許されるものではない。それに対するために様々なことをやってきた。しかし、これらのことの何がずれているのか。

 

 しかし、思考とは裏腹に徐々に焦りのような感覚が、早く思い出せと体中を駆け巡る。

(なんだ…俺は何を)

 突如脳裏に浮かび上がるもの。夕日を浴びて黄金色に輝き、たなびく長い髪。特徴のある眉、そして、意志の強さを体現した瞳。そして。

 

…人々が幸せを作れるように、守れるようにするのが私たち、私の任された事であり、信念じゃ…

 

「っ」

 飛び上がるように立ったハジメは周囲を見回す。あるのはつみあがった書物のみ。しかし、それらは突如として消えていく。残された書物はわずか。そのわずかを手に取りそれら忙しなく読むハジメ。

 

「なるほどな…そういうことか」

 ハジメにとって、つみ上がっていた書物はパズルのピース。それらは決してあぶれることのないピース。そのピースが一つもかけることなくハジメの中ではまっていく。

 

「見つけたみたいですね」

 いつの間にか部屋の入り口にはナルカが佇んでいた。その微笑みはどことなく寂しげに見えなくもない。

「あぁ、そのようだ。ナルカ…貴様の言っていたことはあながち間違いではなかったな」

「?」

 ハジメの言に首をかしげるナルカ。心当たりがないようだ。単純にこういうやり取りが多いだけかもしれないが。

 

「世話になった、礼を言う。…確かにここに来なければ俺はどうなっていたかも分からん」

 ふっと笑みを浮かべるハジメ。その様子にナルカは少し目を見開き、笑みを浮かべる。とてもいいものを見たようだ。

「ふふ。初めて見ました、ハジメさんの笑顔」

「…そうだったか?」

「そうですよ」

 にこにこと楽しそうに話すナルカ。最後に良いものが見れてとても嬉しそうだ。

 

 そんなナルカに憮然としつつも別れのときは近くなる。現にハジメの周囲に淡い光が瞬き始めた。それに気づいたナルカが居住まいを正してハジメと向かい合う。

「お別れですね。どうぞ、使命のためにがんばってください」

「使命など知らんし、正しい未来もいらん。…ただ俺はこの信念をその未来のために貫くだけだ」

 ハジメの言葉を聞いて、思わず笑みを零してしまったナルカは手を振った。それを確認したハジメはその姿を消していく。

 

 ハジメが完全に消えてからナルカは懐から一冊の本を取り出した。

「ふふ。あなたは最適解(シナリオ)を超えられるんでしょうか。とても楽しみにしています…ハジメさん」

 そういいながら開かれた書物にはある一文が書かれていた。

 

…願ったもの、喚ばればもの双方の魂をもって救済される…と

 




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第13話

決戦のときは来たる

最後に立つ者は果たして

 

第13話

 ~最終決戦・上~

 

 砂塵が舞う荒野に佇むものが一人、確かめるように大地を踏みしめる。

 辺りを見回してもそこから見えるは地平線のみ。荒れ果てた大地を見て男が一つ呟いた。

 

 「戻って…きたのか?」

 

 ハジメは少々途方にくれた。

 

 

 

 戦争は未だ続いていた。しかし、この戦争を止めようとする者たちが居る。最終決戦は目前へと迫っていた。

 

 アリカ王女やマクギル元老院議員、そしてナギが率いる紅き翼(アラルブラ)。ハジメが消えたあの日から、彼らの動きは制限された。しかし、決して諦めることなく前へと進んだ。

 

 真実の敵、この戦争を操っている黒幕…完全なる世界(コズモエンテレケイア)と相対する中で協力者も増えた。アリカやマクギルだけではない。ナギたちに憧れ、同盟になった者たちも多い。

 

 着々と戦力を増やし、完全なる世界(コズモエンテレケイア)と闘うための舞台は整いつつあった。終に、実を結ぶときが来る。たとえどのようなものが待ち迎えていようとも。

 

 

 

 アリカは拠点にきていた。世界から寄せられる情報は一元化されていない。数ヶ月前と異なり拠点も増えてしまったからだ。しかし、今日来たのはそのためではない。決戦が近いと感じられる中でアリカは自然とハジメの刀がある拠点へと赴く機会が多くなった。

 

 拠点には誰も居ない。味方が多くなるにつれ、戦いが激化していくなか皆にはそれぞれの戦場が待っていた。誰も居ない空間を通り過ぎ、ここへ訪れたときの慣例となったハジメの刀が飾られている部屋へ入る。しかし、そこでアリカの目に入ったものは。

 

「なっ…!?」

 

 アリカは自身の目を一瞬疑うほどの衝撃を受けた。そこにあるはずものがなかったのだ。そう、ハジメの刀がそこにはない。アリカは、部屋を見回すがもともとそれ以外のものなどほとんど置いていない部屋であったため、ここにはないという現実が突きつけられる。

 踵を返し、拠点を捜索しようとしたアリカの耳に誰かが拠点を訪れた音が入ってきた。すぐさまそちらのほうへ足を向けるアリカ。

 

 入り口近くの部屋から人の気配を感じたアリカは扉に手をかけ入室する。そこに居たのはマクギルであった。

 

「おお、アリカ王女。居てくれて助かったわい」

 

 マクギルはアリカに用があったのだろう。アリカの姿を確認するといつもの余裕がある動作はない。すぐさま用件を伝えようと懐に手を伸ばす。しかし、現在のアリカにはそれを待つほどの余裕もなくマクギルに今起きている事を早口でまくし立てる。

 

「マクギル殿。ハジメの…ハジメの刀が…!」

 

 アリカの様子にマクギルは目を向ける。そして、一つ頷くと懐に伸ばした手をアリカへと向ける。その手に握られていたのは情報端末であった。

 

「ふむ…こちらと関係があるのじゃろう。これはハジメから送られてきたものじゃ…正確にはおいてあったというほうが正しいがの」

 

 マクギルの言葉にアリカはさらに衝撃を受ける。

 

(ハジメから…!?)

 

 きっと生きているとそう思い、願っていた男から送られてきた情報が入っているであろう端末を手に取るとすぐさまそれを開く。しかし、それに記してあった情報はアリカを驚愕させ、王族としての彼女の責務を真っ向から突きつけられるものだった。

 

「こ…これは真実…なのか?」

「先ほどガトウ君からレポートが届いた。それがこれじゃが…内容はそれを肯定するものじゃった」

 

 マクギルはアリカに渡した端末と形状が似ている情報端末を左手に掲げる。その顔に一つ汗が流れている。

 

「そ…そんな。あの子が…あの子にどんな罪があるというの…」

 アリカは、顔を哀しげに歪め手を自らの額に当てる。

「そんなものありはせん。あってはならぬ」

 マクギルが珍しく声を硬くし、言い切った。その表情にはいくつもの修羅場を潜り抜けた政治家マクギルの決意の表情があった。

 

 オスティアの王族がこの世に縛り付けた存在…黄昏の姫御子。彼女が完全なる世界(コズモエンテレケイア)にとっての鍵だったのだ。彼女を護るためにアリカ達も八方手を尽くしたが、彼女の行方は分からなくなってしまっていた。コレを見るに彼女は完全なる世界(コズモエンテレケイア)の手に落ちていると見て間違いはない。

 

「最早、一刻の猶予もない。ハジメは動きを知られないように動いているのじゃろう。ここに刀があることを知って持ち去っていたことも我らが知らんほどに」

 マクギルの言葉に、アリカも気を引き締める。悲しんでいる暇などない。そのような暇があるならば自分たちにはやらなければならないことがいくつもある。

 

「…きっとそうであろうな。ハジメはそういう奴じゃ。なら我らも行かなければならぬ」

 情報を映し出している端末の画面に目を落とすアリカ。その場所は彼女にとって特別な意味を持つ場所。自らの責を果たさなければならない。一族と末裔たる自分が、一族が起こしてきた罪のために。

 

「決戦の地は…墓守人の宮殿」

 その瞳には新たな決意が表われていた。

 

 

 

 決戦の地は定まった。アリカはまず帝国で行動していたテオドラにその旨の連絡をつけた。テオドラも事の重大さを理解し、迅速に対応できるように東奔西走した。そのおかげか、帝国内でテオドラに賛同した王族、貴族たちの戦力を一部墓守人の宮殿へと送る手筈が整えられた。

 その行動力は数年後の彼女の未来を決定付けることになるがそれはあくまで後の話である。

 

 テオドラの協力が功を奏し、帝国からの戦力は十分といえる。しかし、問題は連合側であった。アリカとマクギルだけでは連合の動きに対応できなかったのだ。

 なぜなら、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の影響力は帝国ではなく連合側に重きが置かれていた。そして、連合に所属する人間は保身を考える者ばかりであったのだ。彼らは、軍事力をアリカたちに任せることに異を示し、連合内の意見を統一させまいと躍起になっていた。

 

 このことにアリカは怒りをあらわにするが、それが収まるほどにマクギルが憤慨した。まさに怒髪、天を衝いたのだ。普段は元老院内でも調整の役割を担う一派の長が憤慨した。この事実だけでも完全なる世界(コズモエンテレケイア)にかかわりない保身に走っていた者たちの気が小さい者は、マクギル側へとつく。

 さらにそれだけでは終わらない。マクギルは自身の人脈をフルに活用した。端的に言うならば、今までの借りを全て返させた。長い政治家生活…その対価はあまりにも大きかった。

 これにて、連合の大多数はマクギルの側へつき、最終決戦へと赴く準備は整ったのだった。

 

 

 

 

 

 世界最古の都…オスティアの空中王宮最奥部。目に入るは空中に浮かぶ宮殿…墓守人の宮殿。

 

 宮殿を見据える一人の男は紅き翼(アラルブラ)のリーダーであるナギ。彼は、この半年で幾分か鋭くなった雰囲気を纏わせながら目の前の光景を見据える。

「…不気味なくらい静かだぜ」

 彼がそう思うのは無理はない。帝国・連合・アリアドネーが混成した軍事力が周囲に配置されている。これは即ち世界のほぼ全ての軍事力が終結していると解釈して間違いない。

 

 しかし、それでも完全なる世界(コズモエンテレケイア)は動かない。この現状にナギはガトウたちが説明していたことを思い出す。

 

 『世界を無に帰す儀式』

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)の真の目的。そのために彼らは今まで世界を混乱させその準備を整えてきたのだ。それさえ為せばこんな現状などいくらでも覆るのだと、言っている様にしか感じられない。

 

「なめてんだろ…悪の組織なんざ大体相場が決まってる」

 ナギの隣にいるラカンが獰猛な笑みを浮かべる。ガトウの説明を聞いても彼が揺らぐことはなかった。彼は自らが為すべきこと為したいことを決して間違えない。思考がシンプル…つまりは単純なのだ。

 

「お前も難しく考えず、いつものように敵を倒せばいいだけだぜ」

 ナギの内にある少しばかりの不安を感じ取ったのかは定かではないが、そう声をかけるラカン。それに応えるようにナギも笑みを浮かべる。

 

 少し弛緩した空気の中、紅き翼(アラルブラ)に小さな影が近づいた。

「ナギ殿っ。帝国・連合・アリアドネー混成部隊…準備完了しましたっ」

「おうっ。あんたらが外の自動人形や召喚悪魔を抑えてくれりゃ、俺たちが本丸に突入できる…頼んだぜ」

 親指を立てて、笑みを向けるナギ。その表情には先ほどまでとは打って変わって、自信があふれていた。

 

「はいっ」

 そう、笑みを浮かべて返事をする少女。しかし、立ち去る素振りは見せずに何かを数瞬言いよどむ。しかし、決意したかのように目を瞑って少々大きな声で勢いよくナギに声をかけた。

「あの…ナギ殿っ…サ、サインをお願いできないでしょうかっ」

 そういって勢いそのままにサイン色紙をナギに差し出した。その様子に思わずラカンは爆笑する。ナギも若干あっけにとられたが、苦笑を浮かべ色紙を受け取った。

「おあ?まぁ、いいぜ。そのくらい」

「そ、尊敬しておりました」

 いい雰囲気のまま、戦いを迎えられる準備が整った面々だった。

 

 

 

 帝国・連合・アリアドネーで混成された軍隊は見るものを圧倒させる。

 

「連合の正規軍は派遣できたのじゃが、いかんせん数が少なくてのう」

「帝国もだな。やはり、全部がいけるわけではないと分かってはいるんだが」

 しかし、そんな光景を画面越しに見るマクギルとガトウは少々眉をひそめる。それぞれを把握している彼らにとって若干物申したい状況ではあるが、それでも半数を上回る戦力が募ったのだ。これ以上は高望みというものだろう。

 

「さて、それじゃいっちょやりますか」

「タイムリミットが近い…行くか」

 ナギの号令に、詠春も刀を構え臨戦態勢を整える。

「ええ。彼らもう始めています…『世界を無に帰す儀式』を。世界の鍵『黄昏の姫御子』は今彼らの手にあるのです…ハジメはコレを危惧していたのかもしれません」

 アルビレオも真剣な面持ちで戦いへ赴く雰囲気へと切り替える。ナギはアルビレオの言葉に強気な言葉で返した。

「はっ。なぁに…さっさとぶっ倒して姫子ちゃんを助けりゃ問題はないんだろう?」

 全員が臨戦態勢に入ったのを確認したナギは右手で杖を構え左手で宮殿を指差し、号令をかけた。

「野郎共っ…行くぜ」

 

 彼らは決戦の地へ飛び立った。

 

 

 

 彼らが飛び立ったその瞬間、そのときを待ちわびていたかのようにおびただしい数の自動人形や召喚悪魔が出現した。巨大な姿の悪魔も現れた。しかし、もはやそれにひるむようなものたちではない。

 任されたと言わんばかりに、混成部隊は自動人形や召喚悪魔に向かう。彼らの役目はナギたち紅き翼(アラルブラ)が最低限の消耗で宮殿にたどり着くことにある。

 展開された混成部隊は船からの砲撃で巨大な召喚悪魔に対抗し、周囲を覆う自動人形たちには部隊の人間たちが闘う。

 

 撃ち落し、撃ち落される戦場を紅き翼(アラルブラ)は空を駆ける。目指す先はただ一つ墓守人の宮殿。

 

 しかし、それを迎えるようにたたずむ影が5つ。

「やぁ。『千の呪文の男(サウザンド・マスター)』…また会ったね。まさか、突き穿つ者(パイルドライバー)以外がこうも我々を追い詰めるとはね」

 獰猛な笑みを浮かべるアーウェルンクス。この戦いを待ち望んでいたのはナギたちだけではない。

「この半年…まさかこれほどまでに数を減らされるとは思わなかったよ。この辺りでケリにしよう」

 迎え撃つように臨戦態勢へと入ったアーウェルンクスと他の幹部たち。

 

 終に最終決戦が始まる。

 

 

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)紅き翼(アラルブラ)の面々はそれぞれの敵へと向かい合う。お互いが連携をさせまいと距離をとりながら戦地が決まる。

 

 アートゥルとラカンの戦いは熾烈なものとなる。純粋な力と力、それが互いの肉体を抉り、屠る。ただ相手の命を奪うための決闘。

 アートゥルは自らの代名詞である炎を操り、爆炎とともにその拳をラカンへと突き刺す。対するラカンはアーティファクトである|千の顔を持つ英雄《ホ・ヘーロース・メタ・キーリオーン・プロソーポーン》と持ち前の気の大きさを際限なく利用し大剣をもってアートゥルを薙ぎ払う。

「はっ」

「まだまだぁ!」

 お互いの攻撃は確実に致命傷となりうる威力を誇る。しかし、互いを覆う気と魔力がそれを阻む。

 

 アートゥルが火炎を纏った拳を繰り出せば、ラカンが大剣をもって打ち払う。ラカンが刃を振れば、アートゥルは爆炎で相殺する。

「はっはぁ、しゃらくせぇなぁっ」

 少し距離をとったラカンが多数の大剣を召喚し、それを次々にアートゥルのもとへと突き刺していく。飛翔する大剣は猛烈な勢いのまま突き刺さっていく。しかし、アートゥルは両拳に火炎を纏わせると目にも留まらぬ速さで打撃を繰り出す。拳と大剣が衝突した瞬間、大検は大きな音を立て砕けていく。それが続く様を見たラカンは笑みを浮かべる。

 

「なるほど。…ならこれで勝負つけようぜ」

「…望むところっ」

 そう拳を振り上げ、一気にアートゥルのもとまで加速する。それに呼応するようにアートゥルも突進する。近接戦を最も得意とする2人が近距離で向かい合う。

 言葉はもう発さない。繰り出すは拳のみ。常人では目で捉えられないほどの速さで拳が繰り出される。連打の応酬は互いにダメージを蓄積させる。少しでも押されればそれが敗北の合図となる。

 

 何秒、何分、何十分経ったのか…時間の感覚など置き去りにした連打の応酬は、しかし終わるときがきた。

「…!?」

 バランスを崩したのはアートゥル。そこに叩き込まれる秒間何十発もの連打。

「がっ…はっ」

 呻き声さえ消されるほどの攻撃は容赦なく叩き込まれ、最後の右ストレートが体の芯を捉えた。勢いよく吹き飛ぶ体は、見えなくなるまで遠くへと吹き飛んだのだった。

「なかなかに楽しかったぜ…」

 満足げな笑みを浮かべ、相手をたたえるのはラカンであった。

 

 

 

 セーデキムとゼクトの戦いでは高度な魔法の応酬が繰り広げられていた。水を操るセーデキムは戦場の周囲を水で覆い尽くす。しかし、それを黙ってみているゼクトではない。絶妙に体技と魔法を駆使し、敵に利する空間を作らせない。

 

 戦いにくい相手だとセーデキムは感じていた。その相手の顔を良く見ると見覚えのあるそれに驚き、思わず呼びかけてしまう。

「あなたは…フィリウス!?」

 かつての同士。面影のある相手にセーデキムは驚きを隠せない。しかし、呼びかけられたゼクトはつまらなそうにフンと鼻を鳴らす。

 

 セーデキムが周囲に働きかけ、ゼクトを捉えようとしてもそれは避けられてしまう。この状況が続く中セーデキムは違和感に気づく。

「な…」

 周囲に張り巡らせている水の動きが鈍くなっている。やっと気づいたかといわんばかりにゼクトは余裕の笑みを浮かべ、回避運動をやめセーデキムと相対する。

「気づくのが遅いんじゃよ」

 ゼクトが行ったのは、セーデキムの魔法に干渉すること。しかし、普通の魔法使いが出来るようなことではない。ゼクトの魔法の修練度が伺える戦法であった。すでに周囲の水はゼクトの支配下に置かれていた。あとは、ただ目の前に居るセーデキムを葬るのみ。

「あとな、わしの名前はゼクトじゃ」

 その言葉を皮切りに大量の水がセーデキムを襲う。見た目はそれほどではないが、魔法で圧縮された水は陣場内ほどの質量を持ってセーデキムを押しつぶした。

 

「あっけないもんじゃ」

 ゼクトはそういい残し、踵を返すのだった。

 

 

 

 クゥィンデキムと詠春の戦いは高速の移動と攻撃、それらからなるヒット&アウェイの戦闘が行われていた。互いに速さを持ち味に繰り出す攻撃は紙一重でかわし、かわされる。

 神鳴流の剣士として、どちらかといえばスピードタイプの詠春と雷をつかさどるクゥインデキムの戦いは超高速の戦いとなった。

 故に、互いに理解する。自らは相手の必殺技に耐えられるほどの強度を持っていないと。

 ヒット&アウェイを繰り返しながら、敵の隙を見逃すまいと、作り出さんと攻撃の応酬が繰り広げられる。

「っ」

 詠春の体がわずかにぶれる。クゥインデキムは隙が出た詠春に思わず笑みを浮かべ、すばやく詠唱を唱え最大威力の魔法を放つ。

 

千の雷(キーリプル・アストラペー)っ」

 

 しかし、その場にはもう詠春はいない。ならばどこにいる…辺りを見回そうとしたクゥインデキムは皮膚が粟立つのを感じた。クゥインデキムの右後方には既に刀を構えた詠春の姿があった。

 すべてはブラフ。極度の高速戦闘において一歩間違えれば敗北の賭けに詠春は身を投じ勝ったのだった。

「雷…光剣っ」

 極大の気を剣に纏わせ雷とし放つ神鳴流奥義は確実にクゥインデキムを捉え、討ち滅ぼす。

 

「ふぅ、まだまだ修行が足りんな」

 詠春は反省を行うと、ナギのところへ向かうのであった。

 

 

 

 デュナミスとアルビレオの戦いはどこぞのRPGのような展開を見せていた。デュナミスは闇の魔素から自身の何倍もの巨躯を持った魔物を生み出しアルビレオと対峙する。

 それに対してアルビレオは自身の得意とする重力魔法を放ち、魔物の体を削る。

「…!」

「くくく、無駄だ」

 デュナミスの言葉が表すとおりに、魔物の形が復元されていく。魔物といえどもそのもとはデュナミスの闇の魔素。

 アルビレオの額に一筋の汗が流れる。このままでは長期戦となってしまう。魔物が繰り出す攻撃を避けながらも、アルビレオは冷静に観察を続ける。

 

 アルビレオがデュナミスを攻撃したとしても、デュナミス自信が障壁を張っている上に魔物が防御行動を行うため届かない。魔物に攻撃したとしても、すぐに復元されてしまう。

 

(これはなかなか…厄介です)

 複数の重力魔法を放ち魔物を翻弄するが、決定打には繋がらない。何度も同じようなことを繰り返しているとアルビレオはふと気づく。

(なぜ、彼自身(・・)が攻撃してこない…?)

 

「逃げ回ってばかりでは私には勝てんぞ…いけっ」

 掛け声と共に魔物の攻撃がアルビレオを襲う。最初は余裕を持って避けられていたが、徐々に攻撃速度と命中精度が上がってきている。このままでアルビレオが不利になっていく。

 

 アルビレオは感じた疑問の答えを見つけるべく、魔物の八方に重力魔法を発動させる。さらに、魔物に攻撃を加えその体を削り取る。

「何度も何度も…無駄だといっているっ」

 それに対し、デュナミスは闇の魔素を体から影を通し魔物に送り復元させる。

 この瞬間にアルビレオは気づく。デュナミスが同時攻撃できない理由。

(魔物を切り離していない。おそらくは強化のためっ…ですが、これで)

 

 デュナミスが闇の魔素から魔物を作り出し、それを切り離すことはもちろん可能である。しかし、それにはいくつかのデメリットが存在する。それは、動きの単純化と復元の効率の悪さにある。今この場で不用意に魔物を切り離すぐらいならば自らとつなぎ操作したほうが戦術的には正しい。自身と一体化させることで強化されるというメリットも存在する。しかし、これには他の魔法が行使できなくなるというデメリットが存在した。

 

 アルビレオは静かに狙いを定める。狙うは一点。

 

 デュナミスが好機と判断し、攻勢を仕掛ける。しかし、それは悪手となる。

 アルビレオは重力魔法を発動させる。だがそれは、魔物の体をゆがませ、回転させることに注力した。さらに連続の魔法を放ちその巨躯を歪ませた。これでデュナミスを護るもの障壁だけとなるが、それに対するは最大威力の重力魔法。

「なっ」

 デュナミスがアルビレオの狙いに気づくが既に遅い。この空間は既にアルビレオが支配した。デュナミスを中心に床が軋み、悲鳴をあげる。そして限界はすぐに形となった。

 もろくも崩れ去る床に出来上がった奈落はデュナミスを呑みこんだ。重力魔法により加速したその体は、魔物を維持することは出来ず霧散し、そのまま見えなくなっていった。

 

「いやー危なかったですね…」

 見届けた後ほっと一息ついたアルビレオは額を拭うのだった。

 

 

 

 アーウェルンクスとナギの決戦は苛烈なものなっていた。戦略級の大呪文を次々と放つナギに対し、それを防ぐように石柱を生み出していくアーウェルンクス。

 

 両者譲らぬ魔法の打ち合いはあたり一面にその惨状を広げる。ナギが放つ何十もの雷の槍が空を覆い尽くし石畳へと突き刺さってゆく。

 アーウェルンクスはそれを避けながら、ナギがいる場所へと石柱を突出させる。象すら貫きそうなほどに巨大な石柱が当たり一面に突き立っていく。

 石柱は雷の槍に砕かれ、雷の槍は石柱に阻まれる。

 

「おおぉっ」

「はぁぁっ」

 両者、気勢をあげる。手を振りかざせば雷が、石が生まれる。それは敵を貫こうと、打ち砕かんと向かうが相手まで届くことはない。

 突出した石柱がナギの頬を掠め血が一筋線を描いて流れ出る。しかし、その目はアーウェルンクスから離れることはない。負けじと更なる雷の刃を敵に向けてはなつ。その刃はアーウェルンクスの腕を掠め、衣服は切れ血が滴り落ちる。

 

 両者の息が上がり始める。だが、それで攻撃の手を緩めるようなナギではない。

千の雷(キーリプル・アストラペー)っ」

「…!」

 ここにきての大呪文にアーウェルンクスはとっさに防御体制をとるが、すでに満身創痍に近い状態で完全に防御するはできなかった。

 

「…くそっ」

 舌打ちを一つ打ち自身の無力をのろいながら、千の雷に呑まれていくアーウェルンクス。

 

 あたり一面に雷の奔流が迸る。先ほどまで荒れていた石畳すら削り取り平らにし、建物の外へとそれは続いた。

 

 ナギが自身が空けた穴から外へ出る。瓦礫の山がそこには広がっていた。ふと、一箇所から腕が生え、何かを押し上げるように地面に手をつけた。そこから這い出たのは体中をぼろぼろにしたアーウェルンクスであった。

 

 その姿を確認したナギは再び構える。アーウェルンクスも荒く息を吐きながら構えた。

 

 静寂がその場を支配する。お互いに互いの顔を見据える。思うことはただ一つ、お前を倒す。

 

 何がきっかけになったのか、両者寸分たがわず駆け出した。その手にありったけの魔力を込めただ殴る。両者が激突し…先に拳が届いたのはナギだった。

 

 

 

「見事だよ…理不尽なまでの強さだ」

 ナギは瀕死のアーウェルンクスを片腕で首を締め上げる形で持ち上げていた。

「黄昏の姫御子は何処だ…消える前に吐け」

 

 音で気づいたのか、ガトウ、詠春、アルビレオ、ゼクトはこの場所に集合していた。それを見たアーウェルンクスは皮肉めいた、しかしどこか諦めたような笑みを浮かべる。

 

「フ…フフフ…まさか、君は未だに僕が全ての黒幕だと思っているのかい?」

 その言葉にナギは思い出す。あの日来襲した異常の者を。今、この場に居ないその者を。ならば、どこにいるのだとナギが思考をめぐらせたとき、それは起きた。

 

 

 

 瞬間…宮殿内部から幾重もの光が衝きぬけた。衝きぬけた光は天へと昇っていく。しかし、その一つはナギたちに襲いかかってきた。

 アーウェルンクスを手放し、回避するナギ。他の面々も当たるまいと思い思いに避けていく。

 一拍遅れて宮殿は崩壊していった。その様子をただ呆然と見つめながら事態についていけないナギたち。

「久しぶりだが、変わりないようだな鳥頭。実に残念だ」

 そんなナギたちの耳朶を打つ声。その聞き覚えのある声にナギは振り向いた。当然他の面々をその方向に視線を向ける。

 

 

 

 そこに立っていたのは、ナギたちの目的の一つである黄昏の姫御子を脇に抱え、いつものように紫煙をふかすハジメであった。

 

 

 




長くなってしまったので、前編後編に分けました。
後編は明日投稿。
感想・誤字脱字等ありましたら報告していただけると嬉しいです


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第14話

道を違えた者たちの決着

未来を切り拓くは自らの手

 

第14話

 ~最終決戦・下~

 

 時は帝国・連合・アリアドネー混成部隊が準備を行っていたときまでさかのぼる。

 ナギたち紅き翼(アラルブラ)は墓守人の宮殿に繋がる場所でこちらを見据えていた。

 

 そんな紅き翼(アラルブラ)の様子を宮殿の庭から望遠鏡で覗く姿があった。そのものこそ造物主(ライフメーカー)。黒きローブを見にまとい静かに様子を眺め、笑みをわずかに零す。

 

(マスター)、なにも望遠鏡(そんなもの)使わずとも…」

 造物主(ライフメーカー)の後ろからアーウェルンクスが声をかける。彼からしたら今主たる造物主(ライフメーカー)がなぜこのようなことをしているのか理解できなかった。

「なに…風情だよ」

 しずかに理由を述べる。威圧感とは打って変わってその口調は不思議と人間らしさを感じさせる。

 

 アーウェルンクスは息を一つつく。

「彼らはすぐここへ来ます。奥へお下がりを」

「ふむ」

 望遠鏡が造物主(ライフメーカー)の手元から消える。そして手が空いた造物主(ライフメーカー)はフードを取りながらアーウェルンクスへと向き直る

 

「どうやら、あの男は戻っては来なかったようだな」

「…突き穿つ者(パイルドライバー)のことでしょうか」

 結局アーウェルンクスたち使徒は、あの日戻ってきた造物主(ライフメーカー)に聞くことはかなわなかった。しかし、突き穿つ者(パイルドライバー)が起こしたと思われる事件がなくなったため、消したのだと結論付けた。

 しかし、今。目の前に居る主はその男が戻っていないという。

 

「なに…ではあの赤毛。名をナギ・スプリングフィールドと言ったか…奴は何者だ?」

 それならば答えられると、自らの知識にあるナギについて皮肉めいた口調で述べる。取るに足らない遺伝だと。その血筋に何も見出せないと。

 しかし、造物主(ライフメーカー)はコレに対してそれは良いと言った。

 

 思わず顔をしかめるアーウェルンクス。どういう意味なのかが分からず、少し語気を強めてナギについてけなしていく。

「失礼ながら(マスター)…奴は力だけのただのバカ」

 手振り身振りを付け加えながら、その行動がどれだけ原始的であるかを雄弁に語る。

「考えなしに立ち向かうものを殴り倒し、ただ前へと進むことしか知らぬ愚か者です」

 

 この言葉に対しても造物主(ライフメーカー)の反応はアーウェルンクスの期待するものとは異なった。

 

「…それが人間だ。結局…前へと進むしかない。ならば、ああいうバカの方がやってて気持ち良い」

 2600年の保障付きだとそう言って造物主(ライフメーカー)は静かに微笑んだ。その微笑にどれだけの意味が込められているのか。使徒たるアーウェルンクスすらも分からない。

(マスター)…」

 いつも遠く感じているはずなのに、アーウェルンクスは今までにないほど主たる造物主(ライフメーカー)が遠いところ…隔絶された場所に居るかのように錯覚した。

 

「む…」

 造物主(ライフメーカー)が反応を示す。

「どうかなさいましたか?」

「なに…何者かが入り込んだようだ」

「なっ…この宮殿にですか?」

 ばかなとアーウェルンクスは思った。なぜなら未だに敵たる混成部隊はその準備を整えていない。今下手に斥候を出せばどうなるか分からない愚か者はあるまい。だが、それ以前に使徒である自分を含め気づかなかったことに驚きを隠せない。

 

「儀式を発動するついでだ…私が始末をつけよう。後は頼む」

「…はっ」

 宮殿内部へと移動した主を見送り、アーウェルンクスは自身がやるべきことへと向き直る。今やらなければならないことは紅き翼(アラルブラ)を足止めし、儀式を完成させることに他ならない。

 

「さて、最終決戦といこうか」

 紅き翼(アラルブラ)を迎える場所へとその歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 墓守人の宮殿内部。決して侵入者を許さない堅牢なる迷宮であったが、ハジメにとって最早それは意味を成さない。ハジメはすでに内部の奥へと入り込んでいた。

 

 しかし、ハジメの目は雰囲気は最大限に警戒をしていた。なぜならば、『世界を無に帰す儀式』の陣の影響なのか、視界で捉えているはずの現実が自身の感覚と齟齬を生み出す。これは、もともと張られていた結界に造物主(ライフメーカー)が施した儀式が合わさったことによる副産物であった。ハジメにとって知っていること体感することの違いをその身で味わっていた。

 

(まずは、無愛想娘からだな…儀式を邪魔しなければ前提が崩れてしまう)

 

 まずはこの儀式を中断させ、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の目的を潰すこと。ハジメはそれを第一にすべきこととしていた。コレには当然理由がある。もし、発動などしようものなら考えられる未来にろくなものなどない。

 できることならば、完全なる世界(コズモエンテレケイア)が準備を整える前に計画を潰して起きたかった。しかし、ハジメが魔法世界に戻ったのはつい一週間前。戦力と情報を整えることにその時間は費やされてしまった。だからこそ、ハジメの心にも若干の焦りが生ずる。

 書物の中にはこの宮殿の地図があった。しかし、先ほどの理由により目的の場所へとたどり着けない。儀式を潰すためにはまず儀式を護る陣を潰さなければならない。姫御子がいるであろう本命の陣には強力な障壁、プロテクトがかかっており、物理的に破壊するのは困難。しかし、陣に干渉しようとも宮殿内に複数設置された陣により干渉することは出来ない。故にまず潰すべきはこの陣ということになる。

 

 予想よりも時間がかかったがハジメは一つ目の陣にたどり着く。火を模った陣の中心には紅い結晶が静かに浮いている。それを確認したハジメは刃を構える。

 

ー牙突・壱式ー

 

 結晶が甲高い音を立てて砕け散る。陣の力が失われたのを確認したハジメはそこを後にした。

 

 広い宮殿内部を警戒を怠らずに駆けていくハジメ。二つ目の陣にはすぐにたどり着いた。体がこの環境に順応し始めたようだ。一つ目の陣と同じように潰し、三つ目の陣へと向かうハジメだが、微かに違和感を覚える。

 あまりにも無警戒なのだ。たしかにこの場所が奴らの最終決戦の場所。時間がないのは確かだったが、それはつまりナギたちが今この戦場に居るということだが、完全なる世界(コズモエンテレケイア)はそれに全ての戦力を投じたというのだろうか。ハジメは足を速めながらも疑問に思わずにはいられない。

 

「…三つ目」

 

 刀を下ろし、息を整える。陣を壊すことが出来たのは刀のおかげであるが、その源はハジメの力である。その消耗はハジメが想像していたよりも激しい。

 

(だが、泣き言など言っている暇もなければ…する気もない)

 

 ハジメは体に喝を入れると4つ目の陣へとその歩を進めた。

 

 

 

「やはり…か」

 造物主(ライフメーカー)が火を模った陣があった場所に足を踏み入れたときには既にそこに陣はなかった。こんなことが出来るような人間など一人しか思いつかず…自然と笑みがこぼれていた。たった一度であったがその力を刃を交わしたあの夜。確かにこの身にその牙は届いていた。それほどの力を持つものがあんな終わり方で消えるなどありえない。そう思っていたからこその笑み。

 

「ならば、黄昏の姫御子…奴はそこにいるはず」

 造物主(ライフメーカー)は静かに緩やかにその歩を進めた。再び両者が合間見えるそのときは、すぐ目の前まで迫っていた。

 

 

 

 

 甲高い音を奏でながら砕け散った鈍色の結晶を見届けたハジメは、儀式を発動させるであろう宮殿内の結界が弱まったことに気づく。

(あとは無愛想娘のところに行くだけだな)

 厄介な効力はなくなったため、頭に思い浮かべる地図が指し示す場所に向かって駆けていく。そろそろ気づかれてもおかしくはない。ならば、やるべきことは全てやった上で立ち向かうのが最上。

 

 ハジメがたどり着いたのは聖堂のようなこの宮殿にそぐわぬ形式で作られた部屋であった。いや、広間といったほうが正確だろう。しかし、この場所には複雑に絡み合った曼荼羅の陣がそこかしこに散りばめられていた。そして、今までと同じく結晶が中心にたたずんでいた。

 

 ただ、結晶の中に黄昏の姫御子が存在すること以外は。

 

 ハジメは静かに聖堂へと足を踏み入れる。それをきっかけに陣が呼応するがお構いなしに黄昏の姫御子…アスナが囚われている結晶が浮遊する中心へと歩を進める。その表情からは何も窺い知れないが、彼を取り巻く空気は硬く張り詰めていた。

 

 目の前までたどり着き、刃を結晶へと向ける。ハジメの意思に呼応するかのように刀は淡い光を帯び始める。

 

 …この刀はハジメと共に生まれた。それに宿る力は造物主(ライフメーカー)を穿つことすら可能にする。そして、それはハジメの意志、信念によってその真価を発揮する。

 

「…今、開放してやろう」

 それはアスナに向けた救いの言葉。ハジメは結晶を上段から真っ二つに切り裂いた。結晶は一拍遅れた粉々に砕け散り、光を反射させさながらダイヤモンドダストのように幻想的な光景を一時作り出す。

 

 アスナには傷一つついてはおらず、開放されたその身をハジメは静かに抱き寄せた。

 

 次の瞬間、無数の曼荼羅が描かれた陣が宙へと浮かび上がった。

「…!」

 直感的になにかを感じ取ったハジメはアスナを抱えたまま跳んだ。ハジメが跳んだ軌跡を追うように次々と光が線を描いていく。

(ちっ無愛想娘は間に合ったが…間の悪いっ)

 ハジメは覚えがある光景に、アスナを助けたことつまりは儀式の邪魔が間に合ったことと今この場に来たことへの間の悪さに胸のうちで悪態をつく。

 

 助けたことが良いが、この現状ではアスナは荷物となってしまう。相手が欲するものではあるが、だからといってどうこうできるものではない。

 

 放たれ続けた魔法が止み、ハジメは回避し続け聖堂の入り口付近まで後退していた。攻撃が止んだことにより体制を整えたハジメはこの聖堂で威圧感を出している発生源へと相対した。

 

「久しいな…異界の者よ」

「何…引導を渡しに来ただけだ。救おうとして助けを請う道化にな」

 

 ハジメの挑発めいた言葉に、造物主(ライフメーカー)の雰囲気が微かに変わった。

「それは…どういう意味だ?」

「何、答え合わせは後だ。今はただ、この世界の行く末を…未来を決める戦いだ」

 アスナを脇に抱えながら、ハジメは刀を構える。しかし、造物主(ライフメーカー)は構えずに会話を続ける。

 

「ふざけたことを…この世界に未来はない…破滅だけがこの世界の未来」

 諦観のような感情がその言葉には宿っていた。造物主(ライフメーカー)にとってこの世界に未来はなく、故に自らの手で終わらせることを願った。

 

「それで考えたのが、完全なる世界(コズモエンテレケイア)…さしずめ箱庭というところか」

「…箱庭?」

 何を言っているのか分からないという雰囲気の造物主(ライフメーカー)にハジメは続けた。それは皮肉めいた口調で造物主(ライフメーカー)に語りかけられる。それは完全な嘲笑であり、嘲りで哀れみすら込められていた。

 

「あぁ、そうだろう。思い通りにならないから自分の好きなおもちゃ箱、箱庭を作ろうとしているに過ぎんさ…道化というより愚か者だな」

 それは、きっと誰もが一度は夢想する世界。故にそれはありえない。

「救済?貴様が思い描く全てが最善だと思ったら大間違いだ。貴様のそれは既に限界のある方程式。つまりは間違いだ」

 誰もが皆理想の世界を見ることと、その世界に住むことが正確には違う。見ることしか許されないその世界に他者が介入するということは崩壊を意味する。そんな他者との繋がりを拒絶した世界、たった一人のための人形劇の舞台。そんなものは違う破滅の末路を生むだけの箱庭に過ぎないとハジメは切り捨てる。

「哀れだな。結局貴様は初めから間違っていたのだ」

 

「箱庭…か。確かにそうも取れる」

 だが、それの何が悪いと造物主(ライフメーカー)はハジメと向き合う。造物主(ライフメーカー)にとってそれこそが救い、2600年の年月を経た結論、唯一の救いなのだ。

 そんな造物主(ライフメーカー)にハジメはため息を一つ吐く。結局のところ最早話で解決できる事など今の段階ではありはしない。故に今この戦場が設けられているのだ。

 

 会話が完全に途切れた。豪奢で厳かな雰囲気を纏った聖堂が両者が生み出す戦場の空気に軋みをあげる。

 

「まずは貴様を屈服させるほかないようだ」

「やってみせるがいい…できるものならな」

 

 戦いの幕を開けるために交わされた言葉を合図に浮かび上がっていた無数の陣が魔力を帯び瞬き始める。造物主(ライフメーカー)が宙へ浮かぶ。そのローブに隠された視線は確かにハジメを捉え、今まさに魔法を解き放とうとしていた。

 ハジメはそれが分かったかのようにアスナを庇いながら抱え、刀を正眼に構えていた。次の瞬間に解き放たれた魔法はハジメ目掛けいくつくもの線を描きながら光の奔流となって襲い掛かる。

 それを冷静に認識し把握する。目にも留まらぬ速さで突き、薙ぎ払い翻る刃は堅牢な結界となってハジメの周囲に魔法を通さない。しかし、ハジメにとって誤算が生じる。それは。

 

「正気か貴様」

「何、客人は貴様だけではないからな」

 ハジメが造物主(ライフメーカー)の正気を疑うのも無理はない。なぜなら放たれ続ける魔法は、ハジメだけを狙っていなかった。いや、むしろ無作為と呼べるほどに聖堂の全方位を貫いていく。当然、無事ではすまない。貫くたびに無視できない振動が聖堂全体を襲い、崩壊するのは最早時間の問題であった。

 

 聖堂が軋み悲鳴を上げる。造物主(ライフメーカー)が発する魔力と、空中都市であるオスティア特有の性質もあいまって砕かれ出来た瓦礫が辺りを漂い始める。

 ハジメが立つ足場も限界を迎える。その際、ハジメは刃に纏わせた咸卦法の力を上空へと解き放つ。その瞬間、聖堂全体が大きく揺れた。それを皮切りに聖堂全体が崩壊を始め、瓦礫が周囲を埋め尽くした。この状況を作り出したハジメはすでにもといた場所にはおらず、浮遊する瓦礫を足場に天高く飛び上がる。

 その様子を見ていた造物主(ライフメーカー)は愉快そうにのどを鳴らし、自らも上昇を始めた。戦いの場はナギたちがいる場所へと移っていく。

 

 

 

 

 

 紅き翼(アラルブラ)全員が戦場の真っ只中だというのにただ呆然としていた。その胸中にはさまざまな思いが浮かび上がるが言葉にするにはいささか時間がかかった。

 そんなことなどお構いなしにハジメは、呆然とし続けている面々を眺めるとふっと微かに笑みを浮かべた。

「久しぶりだな、ひどい面ばかりだが、ちゃんと仕事はしているようだな」

 ナギに歩み寄ると脇に抱えていたアスナを渡す。ナギは自然と受け止め、その顔を見たとき驚愕の表情を浮かべる。

「ハジメっ、これ…姫子ちゃんっ」

 今の事態に頭がついていけていないのか片言のように何かをハジメに問う。

「さっさと無愛想娘を連れていけ。あれの相手は俺だ」

 ハジメは視線を自らの後ろへと向ける。そこにたたずむのは造物主(ライフメーカー)。その姿を確認した紅き翼(アラルブラ)たちは息を呑む。

 

(なんだ…あいつはっ)

 ラカンは造物主(ライフメーカー)を見た瞬間えもいわれぬ悪寒に襲われた。こいつには勝てないと肌で感じ取る。強いなどという尺度の話ではない。もっと別の何かがラカンの体に警鐘を鳴らし続ける。

「さすがはラカンですね。あれの不味さを肌で感じ取りますか」

 そんなラカンの様子に気づいたアルビレオが口を開く。そういうアルビレオも冷や汗を顔に浮かばせており、胸中思っていることはラカンと同じであろう。

 

「ハジメ…」

 ナギが視線を造物主(ライフメーカー)へ向け睨み付ける。自らも共に闘うという意思をハジメに示すが、ハジメはそれを拒否する。

「生憎だがあれの相手は俺だといっただろう」

 さっさとこいつを連れて行けとアスナの頭に手を載せ、ナギと視線を合わせる。

 

 数瞬視線が交じり合った後、ナギが折れた。

「ったく、絶対帰ってこいよ。…姫さんが待ってんぞ」

 ナギは翻り様にハジメに声をかけ、ラカンたちのもとへとアスナを抱えて進んだ。この戦場にアスナをいさせたままではいられないと判断したのだろう。ここからナギたちは離れていった。

 

「待っている…か」

 思い描くのは、未来へ進む覚悟を決めた王女の姿。しかし、それを振り払うかのように身を翻し造物主(ライフメーカー)と相対する。

 

「まさか、待っていてくれるとは思わなかったぞ?」

「なに…黄昏の姫御子は我の大切な鍵なのでな」

 特別な血を引く黄昏の姫御子たるアスナ。それを無闇に傷つけることを造物主(ライフメーカー)は良しとしなかった。先ほどまでのお互いにけん制しあうような戦いならいざ知らずこの場で、全力で戦うならば無事でいられるはずもない。

 造物主(ライフメーカー)の言葉に納得したように、ハジメは刀を構えた。今、この戦いが2人の本当の決着をつける戦いとなる。

 

「いくぞ」

「…」

 造物主(ライフメーカー)は無言。戦いの舞台は整ったのだ、ならば言葉など不要。戦いを始める言葉の代わりと言わんばかりに浮遊する造物主(ライフメーカー)の背後には無数の曼荼羅の陣が浮かび上がった。その数は先ほどの比ではなく、ハジメの視界を埋め尽くすほどである。

 しかし、ハジメは怯むことなく咸卦法を高め、自らの信念をあらわす奥義を放てるように構える。右手で刀を構え左手は切っ先に添える。刃は水平を保つ平突きの構え。

 

 緊張が高まる中、先に仕掛けたのはハジメであった。

 

 目も留まらぬ速さで造物主(ライフメーカー)へと駆けるハジメ。無拍子での瞬間の移動術、縮地はハジメと造物主(ライフメーカー)の距離を0にする。

 しかし、造物主(ライフメーカー)はハジメがこう来ることが分かってたかのように、多重の曼荼羅の結界を前方へと展開させ、ハジメの攻撃を阻んだ。最初に矛を交えたとき味わった経験が造物主(ライフメーカー)に対抗手段を与えた。

 されど、いかなる対抗手段があろうともそれを覆すのが奥義たる由縁。阻む結界を見据えたままハジメは気勢をあげて一閃。結界は貫く刃と一瞬拮抗しながらも砕け散っていく。自らが用意した最強の盾が砕かれた造物主(ライフメーカー)は驚きの声を上げる。だが、結界を貫いた刃は造物主(ライフメーカー)の手によってその動きを止めた。

 

「…!」

「避けられぬならば…受け止めるほかあるまい」

 

 今度はハジメが驚く番であった。結界をも貫いた刃が造物主(ライフメーカー)の手によって阻まれたのだ。自らを強化し、ただ受け止めるための魔法を施したその力量はまさに『始まりの魔法使い』の名に相応しいものであった。

 受け止められてしまったハジメのその体はわずかの間に硬直してしまった。だが、このわずかな間こそが造物主(ライフメーカー)の狙い。絶好の瞬間であった。このときを待っていた幾多の魔法陣は一気に発動し、瞬きからすぐさまに魔法が放たれる。そこかしこを巻き込みながら、ただただ破壊の奔流が全てを呑み込んでいく。

 

 波打つように宮殿を喰らい呑み込むように破壊し続けるその様は、まるで竜を彷彿とさせた。それが百は下らない数の暴力で嵐のように荒れ狂い破壊し続ける。

「陣なき今、最早この地に意味はない…ならば、ここを貴様の墓場にするまで」

 造物主(ライフメーカー)が一人つぶやく。黄昏の姫御子を奪われ、自身を滅ぼしうるハジメと対峙した今、最早造物主(ライフメーカー)の標的はハジメ一人になった。

 

 ハジメを襲い続ける闇の線条は振るう刃に打ち払われるが、次々と無限のように湧き出る魔法にとうとうハジメは呑みこまれてしまった。怒涛のように雪崩れ込む闇の線条が宮殿の一部を完全に崩壊させる。

 

「…この程度で終わり…なのか」

 撃ち尽くしたのか陣は消え去り、そう零す造物主(ライフメーカー)だが、そこに落胆の影はなく、ハジメが再び立ち上がることなど分かりきったことであった。

 それに応えるかのように瓦礫は押し上げられ、ハジメは立ち上がる。しかし、その姿は満身創痍に近い。服の端々は切れ血がにじみ、額や口元からも血が一筋の線を描く。

 

 しかし、その瞳は強い光をたたえたまま造物主(ライフメーカー)を睨み付ける。

 

「解せぬな…なぜ貴様ほどの男が私の永遠を…否定する?」

 再び立ち上がったハジメの目には、強い意志が宿っている。それこそが造物主(ライフメーカー)が愛してやまぬ人間の強さ、輝きであった。

「私の策こそが…『全て』の『魂』を救う次善策だとなぜ気づかぬ」

 目指すべきところは同じはずであるのに、なぜ立ち向かう。なぜ、否定するのか。

 

「阿呆が…そんなものは救いにならん」

 しかし、ハジメは真っ向から否定する。

「たとえ貴様が作り出した人形だとしても、それは最早貴様の手の内から離れた意思あるものだ」

 世界を駆け巡ったハジメの純粋な感想。紛れもなく彼らは生きていた。生きていることを楽しんでいる。それは、決して造物主(ライフメーカー)に命じられたからでは断じてない。

「故に、貴様のそれは箱庭だといったのだ。独善的で、救いのないただの夢物語は」

 静かに刃を造物主(ライフメーカー)へと向ける。

「語られることはあろうとも住むことなどない、失策に過ぎぬ」

 ハジメの言葉に造物主(ライフメーカー)は何も答えない。

 

 両者の間に沈黙が降りる。その沈黙を破ったのはハジメであった。

「だからこそ、願ったのだろう。貴様自身の本当の願いを…神とやらに」

「…!」

 数瞬遅れて理解する。初めて造物主(ライフメーカー)に動揺が見え隠れした。

「貴様…まさかっ」

「その願い叶えてやる。だが、今起こそうとしていることは全力で否定してやるがな」

 刃を構え、切っ先に左手を添える。刀が淡い光を帯び始める。

「『悪・即・斬』のもとに…決着をつけるぞ、造物主(ライフメーカー)っ」

 ハジメは全力を持って造物主(ライフメーカー)へと駆ける。

 

 動揺が戦術を鈍らせる。一気に目前まで駆け抜けたハジメの攻撃に造物主(ライフメーカー)は対応しきれない。

 

ー牙突・壱式ー

 

 迫り来る刃に構築した障壁は紙切れのように切り裂かれ、その刃は造物主(ライフメーカー)を襲う。左肩すれすれを貫かれるが、その衝撃を利用しで後方へと吹き飛ぶ。距離が出来たことによって、造物主(ライフメーカー)の戦いの領域が生み出される。

 浮かび上がる魔方陣。しかし、今度は多面的に浮かんではおらず、重なり合うように前から見れば一つの陣のように構成されたそれは、極大の闇の線条を解き放った。

 向かい来る闇ともいえるそれに、ハジメは気勢を上げながらその光を増した刃を突き出し、造物主(ライフメーカー)へとひたすらに駆ける。刃が闇を切り裂きながら、飛翔し牙を突き立てんとする。

 

 終に闇は切り払われ、向かい合う両者。その距離は無いに等しいがハジメの刃は、造物主(ライフメーカー)が強固に張った魔法によって受け止められその体を停止させる。

「…この状態になれば、貴様を葬ることなど容易い」

 そう嘯く造物主(ライフメーカー)に対して、ハジメは傲慢な面構えを崩さない。

 牙突は確かに、その威力を最大限にするために多少の距離が必要となる。だが、牙突はそれに依存しないものが存在する。ハジメは体を極限までねじり、尋常ならざる速さで振り切った。光り輝く刀身でその必殺の一撃を見舞う。

 

ー牙突・零式ー

 

 零距離から放たれる牙突。その威力は、先ほど遮った障壁をいとも容易く砕き、その牙を造物主(ライフメーカー)へと突きたて、穿つ。ローブが破けあらわになった顔は驚愕で染まり、その体は突き立たれた勢いのまま堕ちていった。

 

 

 

 造物主(ライフメーカー)が堕ちた場所へと降り立ったハジメはその磔にされた無残な姿を見る。造物主(ライフメーカー)を貫いている刃は不思議な光をたたえていた。それを抜こうとするも、びくともせずただ傷口を広げるだけであった。

 不可思議なものを見る目で自らを貫く刃を凝視する。その回答は持ち主たるハジメから与えられる。

「無駄だ、貴様にそれは抜けん」

 ハジメが刀の柄に手をかけ、僅かに力を加える。その瞬間に造物主(ライフメーカー)を味わったことの無い悪寒、恐怖が襲った。くぐもった苦悶の声をあげる様子を確かめた上でハジメは言葉を続ける。

「分かるか…それが滅びへと繋がるものだ」

 ハジメと共に召喚された刀。それはつまり、願いを叶えるだけの力を秘め、造物主(ライフメーカー)の対極に位置する刀。それは転ずれば召喚者たる造物主(ライフメーカー)をも滅ぼす。

 

 ハジメは何かに誘われるように、そのまま造物主(ライフメーカー)を滅ぼすために更に力を込めようとするが、突然我に返ったかのように自制する。

 そんなハジメの様子に気づいた造物主(ライフメーカー)が、ハジメに問いかけた。

「我を滅ぼさんのか…おそらくそれこそが鍵…」

「…それは、あまりにも無責任だな」

 無責任。それはどのような意味合いで造物主(ライフメーカー)に投げかけられたのか。暫し、両者の間に沈黙が降りる。

 

 

 体を刀で縫い付けられた造物主(ライフメーカー)は最早起き上がろうとはしていなかった。自嘲めいた笑みを浮かべながら、顔をハジメに向ける。

「貴様は…あのときに召喚されたのか?」

 それは、造物主(ライフメーカー)にとって見れば希望であった。自分自身すら叶えられぬ願いを叶える希望。しかし、返ってきた言葉はそれを否定もせず、肯定もしなかった。

「生憎召喚された覚えなどない」

 どういうことだをその顔に疑問を貼り付けるが、ハジメはそれを遮るように独白する。

 

「俺は何も無いところに何も知らぬまま生まれた。いや、目覚めた…か」

 目覚めれば、自分自身が分からぬままただ本能に従って生きていた。

「俺は借り物をつけたままこの世界を駆け巡った」

 この世界に興味を持ったと言い換えればいいのか。託され、背負ったものと共に借り物の信念を携え世界をめぐった。ただ、今思えば何かに命じられたかのようでもあった。

「だが、本当の意味で自分自身を見つけたのはあの日、貴様と出会いこの世界から消えた後だ」

 造物主(ライフメーカー)は、静かに語るハジメの言葉にただ耳を傾け続ける。

 

「そこで、俺は自らの信念のまま願う未来を見た」

 ハジメが視線を造物主(ライフメーカー)へと向ける。向けられた方は、ただ次の言葉を待つ。

「話は簡単だ。貴様が願う未来はそこにしかありえない。その命…魂はそのために使わせてもらう」

 

「フ…フはは……到底信じられぬな」

 ハジメの言葉に造物主(ライフメーカー)は笑う。その話は到底信じられない荒唐無稽なものだ。だが、造物主(ライフメーカー)だからこそ知るハジメの正体。異界の者。それはつまりハジメの言葉を肯定するものだろう。

 愉快なものだと、造物主(ライフメーカー)は笑う。願ってやまない可能性というものが今、目の前の人間につきたてられる。2600年様々な絶望にただ打ちひしがられた『始まりの魔法使い』とも呼ばれた自分が、人間にその可能性を見出されるとは。

「可能性…か」

 

「言っただろう。俺は『永遠』を否定すると」

 それはつまり可能性の無い未来。全てが予定調和の世界に等しいものだ。ハジメが願う未来にそんなものは必要ない。可能性が未来を切り拓かなくては意味が無いのだとハジメは言う。

 造物主(ライフメーカー)は遠くを見つめるように過去を思いはせた。最早、願うことすらおこがましいと、最後に託したあの儀式が今自分を否定する。

「…良かろう…かけてみせようじゃないか」

 そこに可能性があるのならば、自らの魂すら差し出そう。そう思う自分自身をおかしく感じながら、コレも悪くないと。自らの魂をかけた契約が今ここになった。

 




ひとまず決着。あとはエピローグで戦争編は終わりになります。
感想・誤字脱字等ありましたら報告していただけると嬉しいです。


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第15話

 

 それは激戦を思わせる様相であった。戦場にいるものは皆その目の端に感じ取っていた。目の前にいる敵。それだけに集中しようとしても否応が無く目に入る光景、宮殿から発せられる力は戦場を時折横切り、否応が無く巻き込んでいく。

 

「あそこは化け物の巣窟か…?」

 

 ふと誰かが零した。この言葉を誰が否定できるであろうか。それほどまでに彼らにとって目の前に迫る召喚悪魔や自動人形よりも現実味の無い恐ろしい光景であった。

 宮殿からまた雷が一つ奔った。おかしな光景を見ている。空に向かって落ちる雷は、敵を巻き込みながら空へと吸い込まれていった。しかし、いまだ戦場は終わる様子を見せない。

 

 

 

 どれだけの時が過ぎたのか。帝国・連合・アリアドネーで混成された軍隊は、見事にその役割をこなし召喚された悪魔、自動人形を抑え込みその数を減らしていた。

 すると突然、宮殿から一条の闇が、見るものを不安にさせる闇が空へ向かって解き放たれた。その衝撃からか、宮殿は一部が崩壊し大地へと崩れ落ちる。その異様な感覚に、光景に、宮殿周囲で展開していた軍隊の者たちも目の前の敵と戦いながらも様子を伺う。

 宮殿から幾つかの人影がし、彼らのもとへと飛翔してきた。紅き翼(アラルブラ)が負けたのかと、考えをよぎらせるものもいた。しかし、その姿が見えたと同時にそれは否定される。その紅き翼(アラルブラ)自身が帰ってきたのだ。

 

「ナギ殿っ」

 

 魔法騎士団のリーダーという役目から軍隊の一部指揮を任されていたセラス…戦闘前にナギへ報告へ来た彼女が、帰ってきたナギたち紅き翼(アラルブラ)に状況を確認するために近寄る。ナギの腕に抱えられた少女を見て、今回の戦は終わったのだと、勝利したのだと考えた。

 しかし、それは宮殿から発せられた轟音と遅れて聞こえてきた崩壊の音がその考えは早合点だと彼女に教える。

 

「…ナギ殿、一体あれは」

 

 その目をナギから宮殿へと向けたセラスは、思わずナギに問いかける。その声は目の前の光景が信じられないかのように少し震えていた。

 何匹もの闇の竜がまるで覆うように、呑み込む様に宮殿を崩壊させていた。這うように竜は動き回り、そのたびに崩れ落ちていくその様は、現実味の無い光景であった。

 

「あそこにいるのが黒幕だ」

「生憎とお姫様を頼まれちまってな」

 

 ナギとラカンがそれぞれ答える。ナギの目は鋭いまま宮殿へと注がれていた。そんなナギの様子にアルビレオがすっと近づく。

 

「ここに黄昏の姫御子がいる以上、儀式は行われません。後は、彼を信じるだけでしょう」

 あそこの戦いに加わってはいけませんよと、若干のニュアンスを込めながら、ナギに忠告しておく。今、彼があそこに行っても好転するとはアルビレオも確信できなかったのである。

「分かってら。姫子ちゃんはしっかり守ってやるさ」

 唇を尖らせながら、ナギは不満げな様子を隠しもせず抱えていたアスナを揺らす。

 

「…だから、さっさと勝って戻ってきやがれ」

 

 ナギがそう零したとき、宮殿から大地へ向かって光が貫いた。一際大きな衝撃音が辺りを震わす。

 

 宮殿を一直線に貫いた光は徐々に消えていく。それと同時に宮殿はその形を完全に崩し、落下していく。

 

 それと同時に消えていく自動人形、召喚悪魔の数々。戦っていた者たちは、突如消えていった敵に勢いそのままに倒れ掛かるも、辺りを見渡しある一つの確信がそれぞれに浮かぶ。

 

 宮殿が完全に大地に崩れ落ちた轟音が辺りを震わし、戦場にいる者たちに戦いが終わったことを告げる。

 

「勝ったんだ!」

 勝利の雄たけびを誰かがあげた。それは凄まじい速度で伝達し、歓声が沸きあがる。帝国、連合、アリアドネーその誰もが関係なく互いを称え、ただ勝利を味わった。

 

 

 

 比較的安全なところまで赴き、アスナをおろし横にしたナギたちは歓声に沸く戦場を見上げる。

「やりやがったな」

 ラカンが腕を組んだまま、笑みを浮かべる。ラカンだけではない、アルビレオや詠春、ゼクト。誰もが笑みを浮かべた。

「ま、当然だな」

 ナギも笑みを浮かべ、宮殿へと目を向けた。最後のところでおいしいところを持っていかれたような気がしたナギであるが、あの男はハジメが戦わなければいけないと心のどこかで感じていた。それはただの直感であるが、直感であるが故に正しいものであるのだが、その理由をナギが知るよしも無い。

 

 

 

 戦場を囲うように編成された航空戦艦の数々。

「終わった…のじゃろうか」

 その一隻に乗って戦場を見ていたアリカは、まだ現実味が沸かないのか言葉を零す。

「終わったんですよっ。ナギさんたちがやってくれたんですっ」

 背後に控えていた少年、クルト・ゲーデルが喜びをあらわにする。彼だけではない。艦に乗っていたほとんどのものがその勝利に喜んでいた。

 

「うむ…良かった」

 まだ、自身が作りたいと願う未来のスタートラインに立ったに過ぎない。しかし、今このときだけはそのスタートラインに立てたことをアリカもただ喜び、微笑むのであった。

 

 

 

「ふむ…終わったようじゃのう」

 マクギルが椅子の背もたれに寄りかかりながら、映像を見る。そこに映されていたのは帝国、連合関係なくたがいを称えあう姿だった。

「ええ。最上の終わり方でしょう」

 煙草に火をつけながら、ガトウも映像を見る。マクギルの後ろにつきながら、窓に多少体重をかける。その顔はどこかほっとしたように見える。

 

 ここはマクギルの執務室。今の今まで、多量の書類を処理していたのだ。内容はM・M(メガロ・メセンブリア)艦隊含む連合の軍隊について、それにかかる経費と承認の決算である。さらに、帝国、アリアドネーと連携を組むに当たっての緊急政令案などもマクギルが最終的な窓口としてその承認を担っていた。

 

「ま、これからがまた大変なんですがね」

「そうなんじゃがのう。コレを見ると案外うまくいくんじゃないかと思ってしまうわい」

 勝利を分かち合うその光景に、マクギルは自身が間違っていないことを改めて確認し、ガトウと共に勝利を喜んだ。

 

 

 

 未だに勝利に沸く戦場の中で、ナギたち紅き翼(アラルブラ)は墜ちた宮殿へと足を向けていた。当然、目的はハジメを見つけるためである。

 しかし、崩れ方が半端ではなくあたり一面の瓦礫をどかしながらの捜索となった。

 

「この様子じゃあの野郎埋まってんじゃねぇか?」

 

 ナギがぼやきながら瓦礫をどかす。さすがにこの瓦礫の中の人探しとあっては、魔法で吹き飛ばすような暴挙を彼もしない。それに、現状そのようなことをすれば、歓喜に沸くなか水を差すということに他ならないだろう。

 

「そうはいってもあれだけ激しく戦ったのならハジメも脱出は難しいでしょうから」

 

 若干離れた場所で重力魔法を駆使しながら瓦礫をどかすアルビレオがナギのぼやきにフォローする。扱う魔法が万能すぎるなとナギを含めた面々が思い至る場面でもあった。

 

「アルの魔法は便利だな」

「そうじゃな」

 

 大きな瓦礫をどかしながら詠春が口を開く。ラカンや詠春たちは魔法ではなく、気をもちいるためこのような場面ではいかんともしがたい。ただ一つ一つの瓦礫を手でどかしていくしかない。

 そんな詠春を尻目にゼクトはちゃっかり風の魔法で瓦礫をどかし、風の動きから探索を行っていたが。

 

 そんな中、気合で何とかしようとする男が一人。言わずもがなラカンである。

 

「気合で探すっ」

 体中にめぐる力をラカンしか分からぬ方法で、つまりは気合で辺りに張り巡らす。それに呼応するように鳴動する瓦礫の山。これにはナギたちも期待を込めた目で見守っていた。

 

 しかし、それは不発に終わって現状に至る。実は最初から行っていたが見つけることかなわず手当たり次第に気合探索を行っていた。そのため、ナギたちも面倒ながら探索を行うに至る。

 

 

 

 宮殿全体が瓦礫となりいくつもの山が形成されたその場所を探すこと数時間。日は既に傾いていた。一向に見つかる気配が無い状況にナギたちは一回集まりひとまず休憩していた。

 

「これ…実はいないとかじゃねぇか?」

 

 ふとナギが零す。戦闘とは違いただ探索し続ける単調作業にナギは結構滅入っていた。

 

「確かに…俺の気合探索をもってしても見つからねぇとなると…」

「それの信用性はそれほどないぞ」

 ナギの言葉にラカンは神妙な顔をしながら同意する。同意の理由には詠春が即座に突っ込んだが。そんな面々にアルビレオも苦笑するが、すぐさま真剣な表情に戻る。

 

「ですが、だとするとどこへ行ったのでしょう」

「というより、あの状況でどこへ行けるのか、じゃな」

 見つからない現状の回答と原因が一切見当もつかない面々の間に沈黙が下りる。

 

 沈黙を破ったのは、やはりというかナギであった。頭をかきながら立ち上がる。

「がぁぁっ!分からねぇもんは分からねぇっ」

 ある一点の方向を見つめ、目を細めた。

「今はとにかく置いとくか…水を差すのもなんだしな」

 その先には宴を開き、勝利を味わう人々の姿があった。同じ方向を見た他の面々もそれに頷き、宴の方へと歩を進める。

 

「それじゃ、俺たちも行くか」

 

 宴の主役がいなければ宴は開かれないのだから。

 

 

 

 宴もたけなわを迎え、後はただ余韻をのこした心地よい雰囲気がつくられていた。皆思い思いに宴を楽しんだのだ。

 

 少し離れた岩場にアリカは星空を見ながら、酒盃を小さく傾けながら先ほどのことを思い出していた。

 

 

 

「と言う訳で、ハジメはいなくなっちまった」

「…もう一度言ってくれぬか?」

 宴が開かれる中、主役の一人であるアリカは大勢の人間たちに囲まれながらナギたちを迎えた。しかし、その中にハジメの姿は無く。この場にいないはずは無いとナギに居場所を尋ねたがその返答は想像の斜め上の答えであった。

 

 ナギたちもハジメを迎えに宮殿が墜ちた場所へと向かったが姿は見えず。瓦礫の山に埋まったのだと、仕方なしに探したが現れる気配も無く。結論として、どっか行ってしまったのではないかとアリカに伝えた。

 

「いや、だから…どっか行っちまったみたい」

「なぜじゃっ」

 ナギの言葉を遮るようにアリカが詰め寄る。ナギはアリカの剣幕に狼狽しながら一歩後ずさる。目の端に映る暢気に宴を楽しんでいる仲間たちに内心で罵倒と呪詛を唱える。

 

「なぜ、ハジメをつれてこなかった」

「いや、だって姫子ちゃん連れてけって。姫子ちゃんも大事だろ?」

 目を泳がせて、ラカンたちに混ざって宴の料理をぱくつくアスナの姿をとらえる。視線に気づいたアスナが一旦手を休め、ナギのほうを見やり首をこてんと傾げる。

 アリカもアスナのほうへ振り向く。ナギの選択は決して間違ってはいない。きっとハジメが一人で相手取ろうとしたことも想像できる。しかし、現在の状況になるのなら。せめてナギがハジメと共にいれば良かったのではないかと思わず考えそれを漏らしてしまう。

 

「そんなこと言われたって…」

 あの場にとどまることは、ナギすら正直躊躇われた。あのときのハジメの顔は、目は、決してこの戦いに立ち入らせないという意思の強さが現れていた。

 だが、こうなるならばあの場にとどまるぐらいはすればよかったと絶賛後悔中のナギである。

 

「ハジメ…どっかいっちゃったの?」

 いつの間にか近づいてきたアスナがナギとアリカに尋ねる。しかし、今この場で尋ねてほしくなかったとナギは天を仰いだ。

 

「ふ…ふふ。この半年…現れもせず。突然…情報だけ持ってきて、生きていたと分かって、どのような気持ちでここに来たと…っ」

 アリカが俯きながら、この半年間募ってきた、封じていた積もる思いを零す。やばいなぁと目の前にいるナギは、いやな予感を全身で感じ取る。

 

「ナギ」

「はいっ」

 呼びかけられる言葉に勢いのまま返事を返す。否応が無く応えさせるその雰囲気はまさに王のそれ。しかし、このような場で感じ取りたくは無かったナギであった。

 

「探せ…」

「は?」

「探せっ。どこかへ行ったというのなら探すのじゃっ」

「いや、そんな無茶な」

 どこかに行ったのかすらも分からない。もしかしたら旧世界かもしれない。そんな手がかりも無く探せなどと無理難題にナギも戸惑うしかない。しかし、アリカの剣幕は拒否を許すようなものではなかった。

 

「待っていろ。バカハジメ~っ」

 宴で賑わうなか、アリカの叫び声がとどろくのであった。

 

 

 

「ふぅ」

 酒盃を口から離し、一息つくアリカ。思い返すと、随分と動転していたものだと思い、微かに赤面する。しかし、内心楽しみにしていたのだ。また会えるだろうこの日を。当然、それを表出すことは無かったが。

 

 ハジメの刀が消えたあの日。マクギルがハジメがもたらした情報を持ってきたあの日。ハジメが生きていたとアリカは知った。ならば、会いたいと思うのは当然だろう。募る気持ちは最早アリカ自身認めていたのだから。

 

 だが、探しはしなかった。ハジメにはハジメの考えがあり動いているのだと知っていたから。あの男はそんな無意味なことなどしないと信頼しているのだから。

 結局、戦いが終わってみればその姿は無く。今は一人寂しく星空を見上げながら独り酒。口を尖らせながら独りつぶやくのであった。

 

「…バカハジメ」

 

 

 

 

 

 戦いが終わったこと、和平がなったことを大々的に知らしめるため、王都オスティアで式典を行うことになった。それに伴いパレードも開くこととなり、オスティアはお祭り気分のまま賑わっていた。

 式典に招かれたのは、この戦いにおいて多大な貢献をした紅き翼(アラルブラ)であった。式典に参ったのはナギ、ラカン、詠春の3人だけであったが。アルビレオとゼクトは式典を上がり症を理由に辞退した。嘘をつくなと誰もが思ったものである。

 

 仏頂面のアリカと微笑を浮かべたテオドラという対照的な表情を浮かべた壇上にいる2人のもとへと、ナギたちが両端に兵士たちが整列した長いカーペットを渡り歩き、壇上へとたどり着く。アリカ達に勲章を授与された彼らは振り返り、その雄姿を式典に訪れた者、見ている者たち全員に見せる。

 

 この日、彼らは英雄となった。

 

 当然各地では宴が開かれ、皆が皆思い思いに楽しんだ。戦いが終わったことに、友が帰ってきたことに、死んだ者たちの思いが形になったことに。それぞれ、胸に秘めたものは違うが願いがかなった日を夜通し楽しんだ。

 

 

 こうして、世界を巻き込んだ戦争は終わりを迎えるのであった。

 

 




これで戦争編は終了です。次回からは戦争後~原作(?)までの幕間編になります。

感想・誤字脱字などありましたら報告していただけると嬉しいです。


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第二章 -空白期-
第16話


 

 帝国と連合が戦争を終結させてから早くも一ヶ月が過ぎた。戦争こそ終わったが、それで全て解決したわけではない。終わりはまた、始まりでもあるのだ。

 それを体現するかのようにマクギルの執務室はその慌しさを極まらせていた。

 

「これがヘラス帝国から提示された書類っ。こっちが…」

「そっちの承認は済みましたっ」

 

 マクギルの秘書たちは右往左往しながら、その本懐をとげていた。

 ヘラス帝国との和平。情勢が不安定な中で掴み取った確かな未来の希望。本来ならば、戦争が起きずにこのような仕事が出来ればよかったがそれは贅沢というものだろう。

 

「マクギル先生。こちらがヘラス帝国の書類をまとめたものになります」

 そんな中、少年と言えるほどの若い秘書がマクギルの机に書類を積み重ねる。書類は十分にまとめられ、要所が簡潔に記されていた。

 マクギルは詰まれた書類を確認し、改めてその優秀さを確認する。

 

 少年の名はクルト・ゲーデル。彼はもともと紅き翼(アラルブラ)に拾われた戦災孤児の一人であった。予断ではあるが、タカミチを含め多くの戦災孤児を紅き翼(アラルブラ)は大戦時に拾った。その多くがハジメが出資し設立した孤児院兼学び舎に引き取られている。これには、ガトウ・マクギルの両者も協力し、次代を担う若い芽は順調に育っているといえるだろう。

 タカミチやクルトのように紅き翼(アラルブラ)についてきた者は多くないが、それでも活躍する場がないということは無かった。特にクルトはいわゆる天才といわれる人間だった。ジャック・ラカンが後にそう評するほどの。

 

 それを裏付けるかのように、彼は詠春から神鳴流を学ぼうと技を見よう見まねで習得してきたという事実がある。紅き翼(アラルブラ)に拾われてからはその才能遺憾なく発揮し、要領よく歩んできたものである。

 

 しかし、それは一人の男に対する反抗心によって大きな転機を迎える。その男とは、何を隠そうハジメである。クルトにとってハジメがとってきた手段というものは許容できるものではなかった。

 

 

 

 

 

 そもそもクルト自身その才能を活かし、実直に紅き翼(アラルブラ)でいくつもの功績を挙げてきた。それは当然彼が誇る実績であり、それがきっと役に立つものだと信じていたのだ。

 そんな彼にとってすれば、ハジメほどの男がなぜそのような手段をとっているのか理解できなかった。

 

「なんで…貴方ほどの力がありながら、なんで、こんな手段でっ」

 

 今彼らが仕事をこなしている部屋。マクギルの執務室ではマクギル、ハジメ、クルトの3者が揃っていた。きっかけは、クルトの申し出である。話がしたいと。察したマクギルが3者を自らの執務室へと招いたのだ。

 そこで、まるで夢を壊されたような悲痛な声でクルトはハジメに問いかける。実際、彼にとってハジメが得た情報というものは得がたいものだということは容易に理解できた。しかし、得るための手段を知った瞬間愕然とする。彼にとってそのような手段で得られたものに何の価値があるというのか。

 紅き翼(アラルブラ)でしか、世界を知ることが出来なかったクルト。彼にとってハジメがするべきことはこんなことではないと、そう思いたかったし、願った。

 故に、嘆き問うたのだ。なぜ、あなたはこのような手段まで用いてまで戦いにのめり込むのかと。

 

 激昂したクルトとは対照的に、ハジメは至って平常運転であった。眉一つ動かさず、煙草を片手に紫煙を吐く。

 ハジメは、冷徹さと深遠を思わせるその瞳でクルトを射抜く。今まで味わったことの無い感覚をクルトは味わう。それは紅き翼(アラルブラ)では経験することの無い『裏』という世界の闇、その一端であった。

 

「っ」

 

 思わず怯んだクルトは、しかし、目をそらすことは無く。自身は間違っていないのだと、改めてハジメに物申す。紅き翼(アラルブラ)と、ナギとハジメがその力を合わせればきっと不可能など無いと。少年は憧れのまま、そんな夢を見る。

 

「貴方が、ナギさんたちと協力すれば。きっと…世界は救えるんですっ」

 どれだけ才能があろうとも、クルトは純粋であり、子供であった。力があれば、その先に救える未来があるのだと。それは決して間違ってはいない。シンプルであるが故に、一つの真理でもある。

 だが、世界はそんなシンプルには出来てはいない。彼がそれを知るには、紅き翼(アラルブラ)という居場所は綺麗過ぎた。敵という存在しかいない光景。彼にとっての戦いというものはそこが出発点であり、全てであった。

 

 だからこそ、ハジメは突き放した。夢を見て力を振るうことはかまわない。しかし、それで救われる世界など限られている。世界は、そんな綺麗にできていない。

「阿呆が…小僧。人一人の力がどれだけ無力か、唯一つの情報が国一つの行く先を決めることを、知っているか?」

 どれだけ力を持っていようとも、極論それは戦いでしか発揮されることは無い。だが、情報はその戦いすらも未然に防ぐことが可能となる。たとえ戦いではない場所で、その手をどれだけの血で染めようがハジメがやることなどただ一つ。『悪・即・斬』の信念のもとにただ切り捨て、その先へ行くだけなのだ。

 

「それでもっ」

 クルトに続ける言葉など無かった。頭の片隅では理解していた。必要なことなのだと、誰かがしなくてはいけなかったことなのだと。それでも、暗殺という手段で裁くべきではないと思わずにはいられない。

 彼は、正しいことを言えば、為せば、それで悪は裁かれるのだと本気で信じていたのだから。だが、それを誰が責められようか。

 

 苦悶の表情を浮かばせるクルトに、ハジメは一瞬で背後を取る。クルトから見れば消えたようにしか見えなかっただろう。ハジメはそのままクルトの頭を後ろから鷲づかみ、床へとたたきつけた。

 これには、静観していたマクギルも驚きから腰を浮かべる。

 

「小僧。どれだけ力を持っていようとも、それは国を…世界を救うことなど出来ん」

「そんなことっ…うぅ」

 地に這い蹲り、呻き声を上げるクルト。そんなクルトを尻目にハジメは手を離し、もはや用は無いと踵を返す。

 

 部屋を出る直前、ハジメは立ち止まる。

「…それでも納得できないというならば、マクギルの下について、世界を…人の醜さを知ることだな」

 振り返り様にクルトを見る目は厳しさを持ちながらも、どこか期待の色をにじませていた。今度こそ用は無いと、ハジメはそのまま部屋を出るのだった。

 

 

 

「大丈夫かの?クルト君」

 マクギルはそっと、クルトに近づく。少年の願いは聞き届けられることは無く、今まで為して来た事すらも認めてもらえないようなものであった。

 挫折も致し方なし。マクギルはそう考えていた。

 

 だが、彼はたとえ子供であったとしても、紅き翼(アラルブラ)の一員。ナギたちが認めた一人なのだ。

 クルトは、たたき伏せられた上体から両手をついた。その顔は窺い知れないが、噛み砕かんばかりに歯を食いしばる音が微かに聞こえる。

 悔しさがあった。自分の力のなんとちっぽけなことか。情けなさがあった。自分はどれだけ子供なのか。だが、それでも前に進まなければ始まらないと、道標を示された。ならば、自分の目で確かめるしかないではないか。

 

「…マクギルさん」

「なんじゃ?」

「僕が見ていたものは、信じていたものは、まやかしだったのでしょうか?」

「さて…な。否定はせん。じゃが、それを決めるのもまた、おぬしなんじゃろうて」

 ハジメが言うものだけが全て正しいわけではないだろう。しかし、正しいと思わせるだけの、信じられるだけのことをハジメはしてきた。それはハジメにしかできない、できなかったことだろう。

 だが、それだけではダメなのだとマクギルは思う。確かにハジメは悪を滅ぼすことは出来よう。しかし、世界を救うには、平和をもたらすにはそれとは違う何かを担う人間が必要なのだと。

 

 クルトは俯かせていた顔を上げ、マクギルを見る。その瞳にはまだ頼りないが好ましい光が宿っていた。

「僕を…僕を秘書にしてください。ハジメさんが言っていたことがどういうことなのか。僕は、自分で知らなくてはいけないっ」

 マクギルは、顔を綻ばせる。たとえ今、世界に危機が迫っていたとしても、目の前には未来を担うものがいる。志を受け継ぐものがいると思えた。故に、答えは決まっている。

「良かろう。未来あるものを導くのもわしの役目じゃろうて」

 

 

 

 

 

 あれから、クルトは紅き翼(アラルブラ)から離れ、マクギルの秘書として活動するようになる。それでも、ガトウやタカミチと行動することは多かったが。

 

 マクギルのもとで育てられたクルトは、政治家としての才覚を開花させる。といっても、未だ未熟者であるとして戦争が終わった今でも秘書を継続中である。戦後の処理が終わったとき政治家クルト・ゲーデルが生まれるであろう。

 

 

 

 マクギルが詰まれた書類を処理し、秘書たちもそれぞれの仕事をこなしていく中に突然の訪問者が現れる。慌しい音が廊下から聞こえてくるのをまず最初に気づいたのはクルトであり、その手を止め扉の方へと視線を移す。音は扉の向こうで止まり、扉はけたたましい音を立てて開かれた。

 その向こう側にいた人物にクルトは若干眉をひそめる。

 

「どうした?タカミチ」

 

 訪問者はタカミチであった。よほど慌てていたのか、息を荒げながらも呼吸を整えている。問いかけにその目を向ける。

 

 視線が合ったクルトは、若干の違和感を感じ取る。今でこそお互いの領分は分かれているが、少し前まではガトウの後ろで共に行動していた好敵手であった2人。気に食わないところもお互いにあり、認めている部分もお互いにある。そんな間柄のクルトだからこそ、タカミチのその表情に違和感を感じ、それは嫌な予感へと変わる。

 

「マクギル議員、クルト…っ。アリカ王女が、捕まったっ」

 

 タカミチの言葉に、執務室にいた全員がその動きを止める。マクギルも驚きのためか目を見開く。

「なんじゃと?」

「確かな情報です。ガトウさんが、早くマクギル議員に伝えろと」

 

 その言葉に、マクギルはすぐさま情報の確認を急ぐ。ガトウが直接伝えず、すぐさま行動に移すほどの非常事態。クルトは歯をかみ締める。

 

「なんというタイミングで…っ。保身にばかり長けた連中がっ」

 

 拳を握り締め、机へとたたきつける。

「マクギル先生、まずいです。まだ、全員を捕らえるほどの材料が無いっ」

「分かっておる…。牽制も無意味じゃったか」

 マクギルが確認を終える。確かに、アリカ王女を捕らえるように命じたのはM・M(メガロ・メセンブリア)。その中心にいるのはマクギルが属する元老院。彼らは戦いが終わった今、自らの保身利益のために動いていた。その矛先となったのがアリカであり、それはマクギルも例外ではなかった。

 

 

「マクギル()元老院議員。貴様には国家反逆、および軍の指摘利用の容疑がかかっているっ……抵抗などするなよ?」

 

 

 執務室に突然の勧告が響き渡る。声の主は多数の兵士を引き連れた初老の男。その見慣れた顔と勧告の内容にマクギルの表情が驚愕に染まる。

 驚いているのはマクギルだけではない。何よりも、これだけの兵士が殺到してなぜその報告が来ていないのか。この場で冷静に全てを把握できるような人間はおらず、また、出来るわけもない。

 

「ツヴァイフェル…お主」

「マクギルよ。少々派手に動きすぎだな…おかげで楽に事が進んだがね」

 最早言葉も出ない様子のマクギルに対し、ツヴァイフェルと呼ばれた男は愉快そうに顔を歪める。マクギルの戸惑いも無理は無い。元老院の中でもマクギルに近い位置にいるものの一人であったのが目の前にいる男。ツヴァイフェル・ベーゼなのだから。

 

 戦争の最中。中立の位置に立っていた人間は少なからずいた。それは元老院でも例外ではなく、その中の一人がツヴァイフェル・ベーゼという男だった。最終決戦へ向けて行動していたマクギルの協力者となってくれた人物であり、中立だけでなく保守派にも働きかけてくれた。

 

 そんな彼が、今このタイミングでマクギルに対し反旗を翻したのだ。それを知るクルトも愕然とする。そして、理解する。元老院を甘く見ていたことを、元老院は既に自分たちが都合の言いように脚本を書き終え、そのための配役を決めてしまっている。

 この段階まで来てしまっては、覆すことは容易ではないとクルトは思い至る。それは当然マクギルも同じ。

 

 突然の来訪者にそばにいたタカミチが身を翻すも、護衛によって取り押さえられる。この場にいることが既に捕らえられる理由として成立してしまっている。為すすべなく組み伏せられたタカミチはただ歯噛みするのみ。

 

 マクギルや他の秘書たちもおとなしくツヴァイフェルの前に連なった護衛たちの前に移動し、捕縛される。ここで暴れては、後に響くことを皆理解している。しかし、その顔は芳しくない。なぜならその後が来るか現状では分からないからだ。

 

「ふん。置かれている立場は理解したようだ…連れて行け」

 マクギルたちの様子にツヴァイフェルが頷きながら声をかける。その言葉に護衛たちが反応し、マクギルたちを次々と連れて行く。クルトは、自身の無力さと失望感に押しつぶされながらも、冷静に、冷徹にただ機会を待つ。現状を覆すことのできるそのときを。

 

 

 

 向かう先は元老院議事堂、そこで開かれるは裁くための一方的な喚問。老獪な者たちの脚本が用意されている法廷へマクギルたちは向かうこととなってしまった。

 

 

 

 

 

 




プロローグ的な話なので短め。
感想、誤字脱字等ありましたら報告してくださると嬉しいです。


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第17話

 

 M・M(メガロ・メセンブリア)元老院議事堂。そこで証人喚問が開かれる。呼ばれたものは2名。アリカ・アナルキア・エンテオフュシア…オスティアの現女王とジェームス・マクギル元元老院議員。マクギルは正確には未だ元老院議員であるのだが、かかっている容疑から暫定的に剥奪されている。

 

 そんな2人について記述された資料に目を配る老人たち。議事堂にて証人喚問が行われる前に、こうして集まったのは自分たちが書いた筋書き通りに進めるための確認だ。

 

「いやはや、いい目眩ましがあったものだ」

「戦後の混乱というものは、想定外の事態を引き起こしますからな」

「いい具合に材料があったものです」

「オスティアの国王の暗殺もいい足がかりだ」

 

 情報に記載されているのは、戦争中の足跡。それらの事実、始まりと終わりを脚色すれば見事に視点が変わることもある。内容自体に偽り無ければそれは容易に人をだますことを可能とする。

 

「さて、それでは参りましょうか」

 

 彼らが開く法廷の時間が来た。次々と席を立ち、議事堂の議場へと向かう中、ツヴァイフェルは醒めた目で彼らを睥睨していた。彼にとって別段老人たちはどうでも良い存在だった。ならば、なぜ彼はマクギルを裏切るようなマネをして今ここにいるのか。それは、彼しか知らないこととなる。

 

(どんな結果が待っているのかね)

 

 これから起きるであろう出来事にツヴァイフェルは少しばかり夢想にふけるのであった。

 

 

 

 元老院議事堂。その議場の中心には質疑を執り行うための席が設けられている。今そこにはアリカとマクギル両者が立たされており、その傍には鎧を身に纏った兵士たちが控える。

 

 アリカ達がいる場所の目の前には議長たちが座る横長の席がある。席についているのはローブを纏った老人ばかりであり、2人を見下ろしている。

 また、2人の背後には波状の半円を描くように席が並べられ、他の議員たちはその様子をただ眺めている。後方には映像の記録をとっているのだろうか、機材を準備している者たちが控えていた。

 

「それでは、証人喚問を始めるとしよう。アリカ・アナルキア・エンテオフュシア、ジェームズ・マクギル。貴殿らの名に相違ないな?」

 

 議事堂全体の様子を見た議長は、証人喚問…正しくは法廷、一方的な裁判の始まりを告げる。呼ばれた2人は、間違いないと頷く。

 

「では、この場に件の2名が呼ばれた理由を述べる。何、話は簡単だ。戦争中、貴殿らの行動を述べてほしい」

 

 まずは、マクギルの話となる。もともとは穏健派であり中立に等しい立場だった彼の戦争の行動は、それまで大きいものではなかった。しかし、あるときを境に積極的な行動をとることになる。

 

「ヘラスによるオスティア回復作戦のとき、貴殿は随分動き回ったようだがこれはなぜかね?傭兵を雇っていたようだが」

 

 資料に記載されているのはハジメ・サイトウという傭兵を雇い、オスティアに積極的に働きかけたというものだ。そして、その時期と平行してオスティアの国王暗殺事件が交わる。

 

「さらには、幾許かの後。そこに居るアリカ女王とコンタクトを取った。用件は国王暗殺に対する護衛の派遣。これはまた、そこまでするほどに交流があったとは」

 

 驚いたというような手振りをするが、その目には全く感情が篭っていない。

 

「ひとまず、ここに至る経緯と理由をお聞かせ願いたい」

 

 両手を口の前で組み、聞く体制へと移る。マクギルは内心随分とまともに事が進むことだと安堵しながら説明に移る。今でこそ大分裂戦争と名づけられているが、開始直後はそこまでの規模になるとは思っておらずただ妥協点を探すに腐心していたこと。オスティアが帝国に攻め込まれ、奪われた場合のことを考えると事態が深刻化する前に自らの手を入れようと考え、傭兵を派遣したことを述べた。

 

「何、連合のためを思って行っただけのことじゃ」

 

 言外にここに自分たちがいることは場違い、間違いではないかと言いながら次の質疑に答える。アリカ女王、当時王女とは面識があったことから、王族の血が失われてはならないと自分なりの考えで護衛を派遣しようと思い至ったのだと説明した。

 

「暗殺を許した国に任せるのはどうかと思っただけじゃよ」

 

 なかなか強気な発言を続けるマクギルに対して、議長はただ資料を眺めながらその言葉を聴き続ける。

 

「ふむふむ。その後は停戦を目標に動いている。これは、アリカ女王の影響かね?」

「いや、もともと妥協点を探っていたと言ったじゃろう。彼女のおかげで目標が定まったのじゃからそこにいこうとするのは当然じゃろう」

 

 薄ら笑いを浮かべる議長に、マクギルは若干の不安を覚えるが事実だけを述べているのだからとそのまま続けた。停戦を行う機械としてヘラス帝国の第三皇女テオドラと連絡を取り、ついに会談の機会を得た。

 

M・M(メガロ・メセンブリア)郊外が荒れ果てた大地になったのもこの時期だったか…何か知っていることはあるかな?」

 

 議長の言葉に、マクギルの背中に嫌な汗が流れる。あの日のことは今でも鮮明に思い出せる。出発のとき、造物主(ライフメーカー)が現れたときはマクギル自身、死を覚悟した。だが、ハジメが残ることでこの危機は脱することができた。

 

 しかし、コレを説明するには幾つかの事柄を省かなければいけない。ハジメについてのことを知られるのは、調べられるのはまずい。突き穿つ者(パイルドライバー)としてのハジメは裏の存在として隠さなければならぬとマクギルは数瞬で考えをまとめながら質疑に対して説明する。

 説明の内容は簡単だ。敵の黒幕が襲来し、アリカの護衛がその身を挺して我らを夜の迷宮(ノクティス・ラビリントゥス)まで行かせてくれたのだと。

 

「それは勇敢な護衛がいたようだ」

 

 感心したような口ぶりでそう感想を述べる議長にマクギルはひとまず安堵する。そこからの話は、停戦のための働きかけをしてきたことを述べるにとどまり、話は連合軍への派遣要請へと移った。

 

「これについては、正直貴殿がしたことの正当性というものはある程度理解できる。随分と激しい戦いだったようだ」

 提示された資料の中には、墓守人の宮殿での戦いの映像が記録として残されていた。世界の真実を知るものがいるならば、マクギルがしたことの、その功績の大きさを知ることだろう。

 

「ただ一つ…気になる点がある。なぜ、貴殿はそこまでの情報を得ていたのだろうか」

「それは、ワシが持っている諜報の力ということじゃろうな」

 マクギルの言葉に、その通りだといわんばかりに大仰に頷く議長。その行動に若干の違和感を感じるも、マクギルは姿勢を崩さない。

 

「それでは、次にアリカ・アナルキア・エンテオフュシア女王。貴殿に話を聞くとしよう」

 ローブに隠された議長の目に先ほどまでとは違うものが混じったことは、誰も知ることは出来なかった。

 

 

 

 議長の言葉に、前に一歩進み頷くアリカ。

 

「オスティアの王族として、その才覚は目に見張るものがあったそうだ。実際ここに至るまでの経緯を見ると納得がいく」

 

 王女として生を受けたアリカのその過程は、議長の手元の資料においてもその才能溢れる様が見て取れた。しかし、その話は国王暗殺の時を境に雲行きを怪しくさせた。

 

「誠に残念ながら、国王が暗殺されるという悲劇に見舞われたのは同情する。しかし、なぜその後の護衛にジェームズ・マクギル…元老院が絡んできたのかね」

 

 その言葉の切り替えに違和感を感じ取ったのは、マクギルだけでありそんな彼も僅かしか感じ取れなかった。

 

「何が聞きたいのかというとだね…なぜ、自国に頼らず、他を頼りオスティアを蔑ろにするようなマネをしたのかをぜひ聞きたい」

「な…そんなマネをしたつもりはないっ」

 議長の物言いにアリカは反論する。彼女が数少なかったコネクションを駆使してマクギルと会ったのは、王国自体不穏な空気に包まれていた上、国王がしてきたことに不信感を抱いていたからに他ならない。自国を救うためには自らが動くしかない中で当然選択しうる回避策の一つであり、なんらおかしくは無かった。

 

「ふむふむ、なるほど…国王に不信感を抱いた…ということですね」

「…その通りだが」

 アリカの肯定に、議長は待っていたといわんばかりに口角を歪ませた。

 

「つまり、国王暗殺をするに至る動機があったと」

「なっ」

 アリカだけではなく、マクギルも唖然とする。戸惑う2人にかまうことなく、議長は言葉を続ける。

 

「そもそも、戦争の始まりからおかしな点がいくつもあったが、一番おかしなことはアリカ・アナルキア・エンテオフュシア女王貴殿だ」

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)や黄昏の姫御子など、事態の中心がオスティアなのだから当然といえば当然だが、故にこの戦争の中心はアリカの周囲となることに変わりは無い。

 

「貴殿を機軸に物事を考えると、いやはや。いくつかのおかしなことにも納得がいく。まるで、あなたがこの戦争の脚本を描いているようだ」

 

 そのわざとらしい台詞回しに、マクギルはやっと理解する。アリカと共に呼ばれたのだから、元老院の狙いは自身とアリカであり、人身御供となって世界にさらされるのだろうとは考えていた。しかし、その考えは甘かったといわざるを得ない。

 

「連合・帝国、さらにはアリアドネーの軍隊を戦場で統括していたのは実質貴殿が行ったことだ。そして、そこまでこぎつけたのはそこにいるジェームズ・マクギルだなぁ」

 

 議長はマクギルへと視線だけを向ける。思わず、マクギルが身を乗り出した。

 

「ま、待ってく」

「待つのは貴殿だ、ジェームズ・マクギル。許可無く口を開くことを禁じる…貴殿には今、何の権限も無いことを忘れるな」

「くっ…」

 議長の言葉に控えていた兵士が動く素振りを見せ、マクギルは否応が無くその口を閉ざす。その様子を確認した議長は視線をアリカの元へと戻す。

 

「実に都合のいい展開だ。元老院の重鎮と交流をもったからこそ得られた成果だ。マクギルを、元老院を利用し世界を動かす力でも得たかったか小娘。国王を殺してでも、世界を裏から操ってでも…」

 議長の冷淡な瞳がアリカを射抜く。今、議長はいや元老院はアリカに国王、父王殺しの疑いをかけたのだった。そして、完全なる世界(コズモエンテレケイア)という組織のつながりすらも、その罪をアリカに着せる。

 

 マクギルは理解した。元老院が書いた脚本の内容を。そもそも罪を着せるならば1人でよかったはず。それを、2人共に呼んだのはこの状況に追い込むため。マクギルはあくまで利用された立場であり、すべての事態を引き起こしたのはアリカ女王ただ一人。この構図を作ることによって、戦争の罪はアリカに。マクギルを押さえつけること元老院内部におけるその影響力をなくし、これから先起きるであろう事態に手を出させなくする。

 同じような結論に至ったのか、アリカの表情も強張ったものになる。

 

 さらに、利用された立場であるマクギルがいくらアリカを庇おうとも、そうなるように仕向けたといえば話は終わってしまう。そして、唯一話を覆せるこの場において、マクギルは召喚された当事者。その発言力は最早無い。

 

「な…」

 

 あまりの事態にアリカは呆然とする。そして、溢れる感情のまま侮蔑の瞳を議長へと向ける。

 

「ふふふ。我等の情報機関を甘く見ましたな」

「主ら…どこまで腐っておる」

 

 筋書き通りに話を持っていけたのが嬉しいのか、ローブ越しでも分かるほどに愉悦の笑みを浮かべる議長。それに呼応するかのように周囲にいた議員たちも思い思いの言葉を口走る。

 

「発言の許可をいただきたい」

 その場の空気を壊すように、マクギルは重い威圧的な声で議長へと射抜くように視線を投げかける。その威圧感に議長は躊躇いながらも許可を出す。

「さきほど、完全なる世界(コズモエンテレケイア)という組織に触れておったが…その組織と共謀しておったのはうぬら、元老院ではないのかの?」

 

「そんな事実がどこにある?」

「あるからこそ、今こうして口にしているというわけじゃ」

 それについて触れるには、自らの秘書が必要だと議長に秘書を呼び寄せることを要請する。完全なる世界(コズモエンテレケイア)の名が出てしまったためか、また脚本の都合上マクギルの立場から迂闊に棄却することもできず、議長はそれにも許可を出した。マクギルは呼んだのはクルト・ゲーテルであった。

 

 

 

 クルトは現在の事態を覆す機会が来たことに内心でガッツポーズを作る。マクギルと共につれてこられたクルトたちは別室に待機という形で軟禁状態にあった。そこへ訪れたのは、議事堂に来るようにという指示。マクギルの意思を汲み取ったクルトは、大急ぎで用意していた手元の資料を整理する。

 コレばかりはマクギルと共に押収されぬように事を運んだのが功を奏した。事実、こうして出番が廻ってきたのだから。

 

「では、行ってきます」

 

 同僚たちから見送られ、クルトは兵士に両隣を固められながらもマクギルたちが待つ議場へと向かった。自身の役割を最大限に発揮するために。

 

 

 

 議場までつれてこられたクルトはその雰囲気に息を呑む。アリカ、マクギルを始め、議長など元老院に所属するものたちがクルトに注視するその圧迫感はクルトが味わったことの無いものだった。

 マクギルが手招くところまでクルトは浮き足立ちながらも歩を進めた。少年ゆえ経験の無い状態では別室で決めた想いも、若干薄れつつあることをクルトは気づかない。

 

「それではクルト君。その資料を皆に渡しなさい」

 マクギルの言葉に素直に頷き、ぎこちないながらも手元にある資料を複製し、議員たちに届ける。

 渡された資料を見る議員たちの顔色が変わるのを確認したマクギルは、気づかれないように微かに顔をほころばせる。

 

「今皆が目にしているのは、先ほども触れた完全なる世界(コズモエンテレケイア)…その組織とのつながりを裏付けた資料じゃ」

 周囲がにわかにどよめく。なぜなら、その資料の中には彼ら元老院に属している者たちの名が混じっているのだから。しかも、その資料は自分たちが有している情報と照らし合わせても不自然ではない。むしろ、その正当性が示されていた。

 

「さて、議長。先ほどの問いがこれじゃが、議長はどう思う?」

 本来ならば、さらに調査・真偽を加えて摘発したかったというのがマクギルたちの本音だ。なぜなら、いまだ届いていない人間たちがいるのは明白だった。だが、この状況においてそのようなことは言っていられなくなってしまった。ひとまず、この資料をもって、アリカが無実であるとし機を見て待つとしようとマクギルは考えていた。

 

 そこにぱちぱちと手を打つ音がどよめきの中、いやに響いた。その手を打つ音の源はマクギルの目の前、議長の手によるものだった。

 

「いや、実に素晴らしい。我々も持っていない確たる情報がこのような形で手に入るとは。さながら、瓢箪から駒といったところか」

 にこやかに、嬉しそうに資料をみやる議長にマクギルは毒気が抜かれる思いだった。しかし、議長の次の言葉に思考は停止することになる。

 

「実はだね…我々が調査機関を使ってある情報を調べていたのだよ。ある情報というのはね…アリカ・アナルキア・エンテオフュシア、貴殿が元老院のものと接点を作り出していた情報だ」

 議長が手振りで指示を出す。指示を受けた者たちは、資料を議員たちの元へと送った。

 そして、マクギルは未だアリカが嫌疑にかけられているという事実に思考を追いつかせる。マクギルの元へもに配られた資料を自身が用意した資料と見比べる。そこから得られる結果にマクギルは愕然とするしかない。

 

「いやはや…見事だよ、マクギル。アリカ女王は完全なる世界(コズモエンテレケイア)の一員であり、元老院を裏から操ろうと画策していたことはコレを見れば明らかだ」

 さらに、議長が配った資料にはオスティアのことも書かれており、それは当然マクギルが用意した資料にも記されていることだった。だが、これは実在しないものだ。正確には会談はあった。だが、会った人物は全くの別人。つまりは、改竄されていた。

 マクギルは議長の言葉を遮るように、いや遮るために大き目の咳払いで場をひとまず止めた。

「おっほんっ…あぁ、すまぬの。ちょっと良いか、アリカ殿。この資料に偽りは無いかの」

 当然、アリカに対しその真偽を確かめさせる。返ってきた答えは当然NOだ。

「そんなわけあるまい。これは、偽造…改竄されたものじゃっ」

 

「当事者たる貴方が言ったとしてもなんら説得力が無い。それに、これは我が元老院の情報機関が集めたものだ。疑いの余地があるかね?」

 その言葉に、アリカは二の句が告げない。会談した議員を探そうにもどうせ、この者たちが何らかの対処を施していたのだろう。辺りを見回してもその姿が見えることは無い。

 

 話を止めようと、流れを変えようと躍起になるなかで、議長は結論を述べるために、泰然と手を口の前に組みながら威圧感を伴った声で発する。

「オスティアを支配下として、完全なる世界(コズモエンテレケイア)の毒牙を元老院、ひいては世界にかけようとしたその手腕恐れ入る。しかし、これは明確な反逆だ。世界への反逆だっ」

 議長の言葉に呼応するかのように、周囲の議員たちもアリカに非難を浴びせる。それに満足したのか、議長の口角が上がる。

 

「もはや、語ることもあるまい。戦争犯罪人としてアリカ・アナルキア・エンテオフュシアを捕らえよ」

 

 

 

「それは困るな」

 

 

 

 その声は喧騒が満たす中、不思議と全ての者の耳に届いた。静かな、威圧感のある声。聞き覚えのあるその声に、アリカはすぐさま振り向いた。

 

 議場の出入り口である豪奢な扉が重い音を立てて開いている。そこから入ってきたのは、ハジメだった。いつもどおりに口に煙草をくわえ、その射抜くような鋭い目は前を見据えている。黒を基調とした衣服を身に纏い悠然と議場へと足を踏み入れた。

 

 言いたい事はいろいろあった。そのはずなのに、言葉にも行動に移すもできず、アリカはただその名を呼んだ。

 

「…ハジメ」

 

 アリカの声に、ハジメは視線を一瞬送り微かに笑みを浮かべる。そして、すぐに視線を戻す。その視線が向かうのは議長。議長は闖入者に困惑の色を隠せない。

 

「何者だ?ここが元老院議事堂議場としっての狼藉か」

「当然知っているし、理由もある。俺の名はハジメ・サイトウ…そこにいるアリカ・アナルキア・エンテオフュシアの護衛をやっていてな」

 ハジメの自己紹介に議長は余裕が出てきたのか、笑い混じりに鼻で息を一つ。

 

「護衛であるというだけでこの場に来る勇気は認めよう。しかし、それは無謀というものだ。第一彼女はもう罪人となった身だ。君の護衛も必要とするまい」

 正確には未だ罪が確定したわけではないが、今日やるべきことは全て終えたつもりでいる議長は、護衛という身分を相手に随分と親切な口調で説いた。

 

「生憎とその罪は、そいつが被るものではない。そんな改竄まみれの資料でなにを言っている」

 マクギルたちが主張したものを今出てきた人間も主張する。これはおかしいと議長は笑う。

 

「改竄。言うことは簡単だ。だが、コレが本当に改竄されたものだという証拠でもあるのかね」

 議長の言葉に、ハジメは醒めた目で議長を見た後、口角を歪ませる。まるで悪魔のようなその笑みに議長は一瞬怯み、ハジメの言葉に固まることになる。

 

「無論…ある」

 

 短いが、はっきりと肯定が示された。ハジメは、クルトに手元の資料を送りそれを配るように指示する。クルトは事態についていけないが、言われたことを素直に実行していく。そして、実行する中でみたその内容に、立ち止まり目を見開いてハジメを見る。

 そんなクルトにアリカ達の下へと降りてきたハジメは一言、動けと小突く。再起動したクルトは急いで資料を配っていく。

 

 心中穏やかでないのが議長だ。ここまでうまくやった。いや、今日は全てにおいて狙い通りといってよかっただろう。戦争の責任をなすりつけ、力を得た隣人に首輪をかけることも出来た。上出来だろう。

 しかし、それは今目の前にいる男の闖入によって雲行きが怪しくなった。証拠などあるはずない。そうは思っても、どこかで一抹の不安が脳裏をよぎる。そして、自らにも届いたその資料によってその不安は現実のものとなった。

 

「…っ」

 言葉にならないほどの衝撃とでも言うのか。議長は今、それほどの衝撃を受け目を見開いたまま呆然とする。そこに記されているのは確かに改竄されていたということが分かるものだった。ご丁寧に映像すら用意されている。それには、自分たちの声も当然記録されていた。

 

「ここの映像を中継していたことは墓穴だったな」

 

 ハジメの言葉に議長は顔を上げる。なぜ、そのことを知っているのかと言いたげなその表情にハジメはつまらなそうに答えた。

 

「ここにいると隔絶されたように思うかもしれないが、外界と連絡を取る手段などいくらでもある。いや、タイミングをとるにはなかなかに有効だったぞ?」

 

 皮肉を込めた口調で言い放ったその言葉に、議長は顔を俯かせる。

 

 今回の一件、アリカやマクギルの活躍は国民にも知られていた。それを迂闊に結果だけを知らせては、余計な火種を生みかねなかった。それを解決するために、無理やりではあるがこの議場で喚問という名の法廷を開き、その罪を明確にしたかったのだ。完全なる世界(コズモエンテレケイア)という組織に関してはすでに壊滅的だったため、もはや世界に知らしめる上で不都合な者はほぼ無く、脚本の通りに行けば全てうまくいくはずであった。

 そう思うと、あまりの事態に議長は歯をかみ締めて、アリカに罪を着せようと躍起になった。

 

「…だが。だが、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアっ、貴様のオスティアの王暗殺までもが潔白になったわけではないっ」

 どんな結論だと、ハジメは面倒そうに見るが何か思いついたかのようにアリカの前へと出る。

 

「それは無理だな。なぜなら」

「なぜなら、アリカ女王が犯人ではないということは証明できるからの。わし(・・)の情報機関から得た情報じゃ」

 ハジメの言葉を遮るようにしてマクギルがアリカの無実を証明する。それは途中言えなかったものだが、それもいまや情報の改竄という元老院側の墓穴によって、むしろ信用性があるその言葉に、議長は力なくうなだれた。

 

「さて、兵士たちよ。奴らを連れて行くがよい」

 マクギルの言葉に近くにいる事態についていけていない兵士が戸惑いながらも頷くと、ハジメとマクギルが示した者たちを次々と捕らえていった。

 

「マクギル…貴様」

「ふぉっふぉ」

 ハジメの鋭い視線にマクギルは笑いながら受け流す。そんなこけおどしにいまさらマクギルが動じるはずも無い。

 

「理由は知らんが、独りになるというならば了解が必要じゃろう」

 そういって、少し離れてハジメを見つめるアリカを見る。

「ちゃんと話し合うことじゃな」

 そういって、マクギルは離れていった。

 

 ハジメは、内心で舌打ちを打つとアリカと向き合う。

「話がしたい。少し、いいか」

「う…うむ」

 事態の急展開にアリカは戸惑いながらも頷き、ハジメはアリカをつれて議場から出て行った。

 

 

 

 

 

 マクギルが兵士に連れて行かれる議員たちの中に、見知った顔を見つける。マクギルたちをここへと連れてきたツヴァイフェルの姿がそこにはあった。マクギルはツヴァイフェルを連れている兵士を思わず呼びとめた。ツヴァイフェルがどのような意図を持って議長などといったやからに手を貸したのか、それをマクギルは知りたかった。

「ツヴァイフェル…なぜお主が」

 マクギルの呼び止める声に、素直に兵士の後ろを歩いていたツヴァイフェルは歩を止め、マクギルへと向く。

 

「何も言うな。もともと貴様が動かなければ、俺がやっていただけのこと」

 ツヴァイフェルの後ろ暗さなどといった感情がない言葉に、マクギルはあの場にいたツヴァイフェルの行動こそ違和感だらけだったことにいまさらながらに気づいた。

 しかし、その言葉が意味することにまでは分からない。そんな様子のマクギルに気づいたのか、ツヴァイフェルは一つため息を吐いた。

 

「俺を動かしたお前が、若造に感化されてどうする。俺たちには老獪さが不可欠だ」

 婉曲かつ言葉少なにマクギルへとその行動の意図に気づかせるようにつぶやく。そこで、ようやくマクギルも気づいた。ツヴァイフェルがとった行動とその意味に。

 

 

 ツヴァイフェルという男は長らく中立の立場にその身をおいていた男だった。しかし、それは戦争における連合軍の派遣を元老院で議題として取り上げたとき、マクギルの側へとついた。もともと、元老院内部の表立たされない部分には辟易していたツヴァイフェルはコレを機に元老院内に変革をもたらすであろうと考えたためにマクギルの側へとついたのだ。

 しかし、その思惑に暗雲が立ち込めた。ほかならぬマクギルが元老院の老人どもの標的となり、当のマクギルがその動きを察知していない。これは少し前まででは考えられないことだった。これをクルトたちに感化されたと揶揄したのだった。ただ、これは良いことでも悪いことでもあった。今回はその悪い目が強く出てしまった結果となる。

 

 ツヴァイフェルの最終的な目的は元老院内に変革をもたらすこと。これには有害とも呼べるほどの考えを持つ保守派の一握りである老人たちが邪魔なのは確かだった。元老院が画策していることにたいし、いっそのこと相手の懐にもぐりこもうとツヴァイフェルは考えたのだった。

 別段無謀なわけではない。もともと中立派であり、目的も保守派と交わることもあった経緯がそれを可能にした。こうしてもぐりこみ行動することで、マクギルが事を為せば自分も含まれるが必然的に邪魔な者たちも消える。マクギルがつぶれたとしても、自らが率先して奴らを潰せばよいと考えての行動だった。

 

 中立から離れ、時代が動くと政治家たる自身の経験からなる予兆にツヴァイフェルはその身を任せ行動を起こしたのだった。

 

 

「…もっともじゃな」

 ツヴァイフェルの行動の意味に気づくと、自身の至らなさにやるせなさを感じるマクギル。そんなマクギルを見てツヴァイフェルはふと笑みを浮かべる。

「だが、まっすぐなお前はなかなかによかったぞ?」

 そういい残し、兵士と共に議場を出るのだった。

 

「おぬしもなかなかな政治家じゃった」

 マクギルはそう零しながら、政治家として最後になるであろうその姿を見送るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、ハジメとアリカの2人の間には沈黙が降りていた。

 

「……もう一度言ってくれぬか?」

 恐る恐るといった表現がぴったりなほどの口調でアリカがたずねた。その顔も固く、どこか信じられないといった感情が読み取れる。対するハジメは無表情で感情を読み取らせまいという意思が伝わるようであった。

 

「…お前と会うのもここで最後になるだろう」

 

 返ってきた言葉に、アリカは何の反応も出来なかった。

 

 




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第18話

 議場から出たハジメとアリカは2人で話せるような場所を求め、少しばかり歩くことにした。手こそ繋いではいないが、その距離はいささか近い。

 ふと隣を見ればハジメがいる状況に戸惑いながらも、恥ずかしげに顔を若干俯かせるアリカ。

 

「その…ありがとう」

 

 消え入るような声でアリカが礼を言う。その声にハジメは首だけを動かしアリカを一目見る。

「気にするな」

 ぶっきらぼうに取れる言葉をはいて再び前を見るハジメ。

 しかし、それだけでアリカはもう何年も昔のような…実際には数ヶ月前だが…2人に戻ったような気がした。なつかしいその感覚に安心感を覚え微笑むのだった。

 

 

 

 議事堂内にある応接室の一つへと入るアリカとハジメ。2人は向かい合うソファにそれぞれ腰掛けた。そしてしばらく2人の間には沈黙が降りる。

 なぜかと問うならば、アリカがいっぱいいっぱいの状態だからというべきか。先ほどの議場での出来事を思い出し会話をする余裕がなくなっていた。それは、様々な感情から来るものであるが、それを自覚するには少々経験が足りなかった。

 ハジメはハジメで沈黙に若干の気まずさを感じながら、煙草をふかす。

 

(あうあう。どうしようどうしよう。久しぶりに会ったせいか、まともに見れない)

 視線をそこらに泳がしながら、平然と煙草をくわえるハジメをちらちらと見やるアリカ。挙動不審な態度にハジメも話しかけづらい。

 

(なぜ、これほどまでに挙動不審なんだ?)

 アリカの様子にまさか、久しぶりに会って本人もどうしていいか分からないとはハジメも考え付かず、先ほどまで議場にいたことが原因だろうとあたりをつける。

 

(さっきもあんなに颯爽と格好良く登場しおってからに…っ)

 窮地に追い込まれていたところを救われたときは、さながら騎士のようであったなどといつもは考えもしない乙女のような思考がアリカを埋め尽くしていた。

 先ほどのことを思い出すと、思わず赤面してしまうほどに衝撃があったようである。そこから、逆恨みのような発想に至るのが残念ではあるが。

 

 

 

「今まで連絡が出来ずにすまなかったな」

 沈黙を破ったのはハジメであった。突然の謝罪にアリカは面食らいながらも、さまよわせていた視線をハジメに集中させる。

「気にするでない…どうせ何かしら動いていたのであろう?」

 

 いろいろ言いたい事はあった。当然文句もあった。それでも今こうして助けられたという事実に、やはり離れていたとしても彼はこういう人間だったのだとその事実に、毒気が抜かれてしまっていた。

 

「それよりも、本当に助かった。まさか元老院がこれほどまでに無茶をやるとは思わなかったわ」

 事実アリカは本当に驚いていた。何か仕掛けてくるだろうとは思っていたが、ここまで大胆にアリカ達を葬ろうとするとは夢にも思っていなかったのだから。

「やつらも必死だったのだろうさ。だが、無茶をしただけやつらに跳ね返るものは大きい」

 無茶の一つが議場の中継だった。世論を誘導するきっかけにするために、人々の疑念を大きくさせたかったのだろう。実際に、ハジメが来なければうわさは尾ひれ背びれがつけられて元老院の狙い通りにことが進められただろう。その代償は改竄というもう一つの無茶によって自らに返ってしまったが。

 

「これで、私たちが思う存分働ける環境は出来た。もちろんお主も協力してくれるのじゃろう?」

 

 だからだろう、今まで同じようにこれから先も彼が同じように自分を支えてくれると信じていたし、思っていた。ハジメに尋ねるアリカはいつしかの丘で見た表情よりも輝いて見える。

 

 ハジメは、アリカの表情を見る。そして、何かを考えるように瞼を閉じ、俯いた。それが数秒続いたであろうか、アリカが訝し始めると、ハジメは顔を上げアリカを見る。その視線は何かを決意したかのような光を宿していた。

 

「…それは無理だ」

 

 ハジメの言葉に、2人の間に硬く重い沈黙が下りる。アリカは、ハジメに何を言われたのか理解できなかった。その顔に汗が一つ浮かぶ。

 

「……もう一度言ってくれぬか?」

 恐る恐るといったような口調でたずねる。その表情は硬く、信じられないといった感情が読み取れる。実際、アリカは今ハジメの言葉を信じたくは無かったし、聞きたくは無かった。

 それに対するように、ハジメは無表情を貫きまるで感情を読み取らせまいという意思が伝わるような無機質なものだった。

 

「それは、無理だと言った……お前と会うのもここで最後になるだろう」

 繰り返された言葉は、ただアリカに現実を突きつけるものになった。返す言葉も見つからず、数秒信じられないものを見るような目でただハジメを見ていた。

 

「な…なぜじゃ?」

 搾り出すように、か細い声で問いかける。その瞳は先ほどまでと打って変わって絶望のようなものを感じ取らせる。それは、議場にいたときですらなかったものだった。

 

 

 

 

「この世界が作られたものだということは既に知っているな?」

 平坦な口調でハジメは口を開く。その問いかけに、アリカは頷く。この世界の真実。魔法世界とはその名の通り魔法で形作られた世界である。だが、そこにある命は決してまがい物ではない。だからこそ、完全なる世界(コズモエンテレケイア)のいう閉じられた世界に対して戦いを挑み、そして勝利したのだ。

 

「…この世界は、近いうちに崩壊する。その理由に完全なる世界(コズモエンテレケイア)は関係ない」

「ど、どういうことじゃっ」

 世界が消えるという情報は確かにあった。だが、それは完全なる世界(コズモエンテレケイア)が事を起こそうとしていたからではなかったのかとアリカは身を乗り出しながら問う。しかし、世界が消えるという根本的な問題においては関係の無いことだったのだ。なぜならば、その理由とは。

 

「魔法世界を形作るための魔力の枯渇…それこそが魔法世界を崩壊させる要因だ」

 魔力の枯渇。この世界が魔法で作られたものだというのならば、それは致命的であろう。アリカはあまりの事実に乗り出していた身を戻し、ソファへともたれかかった。

 

 完全なる世界(コズモエンテレケイア)が起こそうとしていた儀式。それは魔法世界の崩壊に対処するために編み出した造物主(ライフメーカー)の策だった。完全なる世界(コズモエンテレケイア)を壊滅させたとしても、崩壊を止めたわけではなかったのだ。

 

 しかし、ある事実に気づき姿勢を戻す。

「…それと、私とハジメが会わなくなる理由がどうつながる」

 ここまでの話ならば、ハジメがアリカと会うのが最後だという理由には繋がらない。むしろ、協力しこれに対処しなければならないのではないか。アリカの問いに対して、ハジメは考える素振りをして目を伏せた。

 

「実際、その崩壊を止める手段はある…だが、それにはある存在が不可欠だった」

「ある存在…?」

 正直、崩壊を止める手段があるという情報だけでも聞きたいことであるが、いま重要なのはそちらのほうであるとアリカは感じ取った。そして、その名がハジメの口から発せられた。

 

造物主(ライフメーカー)だ」

「っ」

 想定外の名に驚きを隠せないアリカ。実際にはどこかで分かっていたのかもしれない。なぜなら、ハジメがアリカの目の前から消えるときにその存在はいつもあった。それでも、どうしてその名が出たのかは分からない。

 

造物主(ライフメーカー)はまだ生きている。といっても、自由には動けんがな。だが、敵と共にあるなど出来るはずもないだろう。お前ならばなおさらだ」

 世界を舞台に敵対したのだ。それならば、ハジメこそなぜ共にいることが出来るのかという疑問が出るが、それは当然崩壊を止める手段というものがかかわってくるのだろう。そこで、アリカは違和感を覚えた。微かであるが、らしくないとそう思ったのだ。

 ”お前ならばなおさらだ”ハジメは確かにそういった。それは、つまりアリカにとって不利益をこうむるということだろう。それは、確かに造物主(ライフメーカー)が近くにいるのならばそうだろう。だが、そのような存在とハジメが共にいることなど出来るのだろうか。アリカは純粋に疑問を感じた。

 

「これが、お前ともう会うことの無い理由だ」

「なぜ…造物主(ライフメーカー)はお主に協力することになったのじゃ?」

 2度も戦った相手に、目の前の男がそう簡単に手をとるとは考えられない。それに、戦いの後なぜ姿を現さなかったのか。それと関係してくるのではないか。アリカは思考をめぐらす。

 

「…それは、奴が俺の計画に賛同し契約したからだ」

「ならば、造物主(ライフメーカー)は我らと目的を同じとするということではないか?」

 ハジメの計画というならば、それはアリカの目的に沿うものであることは確かだろう。それほどの信頼を得ているはずであるし、アリカ自身信頼している。

 それに賛同しているのならば、アリカにとってそれは最早敵であるとは言いにくい。禍根こそあるが、魔法世界の崩壊と言う大事に関係はあるまい。

「たとえ過去敵であったとしても、これから先のことを考えるものであるならばっ、我は王としてそれを受け止めよう」

 

 アリカは立ち上がり、ハジメを見据える。その気迫はまさに王として持つべき気迫。その威圧感と共に、ハジメに問う。

 

「それでもまだっ…お主が我と会うことはもう無いというならば、その理由を述べよっ。ハジメっ」

 アリカの問いに、ハジメは短くなった煙草を灰皿に押し付け、新たな煙草に手をかけ火をつけた。紫煙を吐き出し、言葉を発さないまま数秒の時間が流れた。

 

 アリカに睨み付けられたまま、ハジメはとうとう口を開いた。

「……崩壊を止めたとき、俺と造物主(ライフメーカー)は消える…その存在ごと世界から消えてなくなる」

 

 思いもよらない言葉に、アリカは固まってしまった。消えると、ハジメはそういった。

(ハジメが…消える?この世界から…消える)

 信じられない気持ちと、嘘だと反論したい感情に囚われるアリカ。しかし、目の前の男がそんなくだらないことをいうわけがないと知っている。アリカの思考は混濁し、まとまらない。

 

「き、消えるとは…どういうことじゃ」

 まとまらない思考のまま、核心に触れる。消えるとは、死ぬということなのか。それとも。

「字面通りの意味だな。俺と造物主(ライフメーカー)はこの世にいた証すら消えるだろう」

 当然、それは記憶からも消えるということだと、平坦とした口調でなんともないように答えるハジメにアリカは何も言えなくなる。

 

「安心しろ…消えるまでにも仕事はする。情報も送り届ける」

 どこに安心出来る要素があるのかと、アリカは呆然としたまま内心でこぼす。護ってくれると約束したはずだった。あの丘の上で、アリカはハジメと未来の一端を語りあった。その未来がすぐそこにあるというのに。

 

「お前も、俺のことなど忘れて自分の道を進め」

 煙草を灰皿に押し付け、ハジメは話は終わりだと言う様に立ち上がる。

 

(俺のことなど忘れて…か)

 そんなことできるはずはない。なぜ、いまさらそんなことを言うのか。消えてしまうというのならば、それすらも忘れてしまうというのに。それは、まるで自分が慕っていることに気づいているような物言いだ。

 そこでアリカは思う。ハジメは気づいているのではないか、自分の想いに。自分の道を進めというのは、そこにハジメ自身の居場所はもうないと決めてしまっているからではないか。そもそも、なぜハジメは自分が消えてしまうというのに迷う素振りすら見せないのか。いや、今日何かを案ずるような素振りは見せていた。

 

 なぜ?

 

 誰に?

 

 

 その対象がアリカ自身だと気づくと、アリカはとっさにハジメを背中から抱きしめその歩みを止めさせた。

 

 

「っ…アリカ?」

 抱きしめられた理由も分からないまま、歩みを止めたハジメが戸惑う。

 

(この男は…)

 最初であったときは、随分とひどい印象だったことを覚えている。嫌な奴だと何度思ったことだろうとアリカは思い出す。だが、それはいつしか随分と変わった。王宮では出すことの無い、自分を出すことの出来る居場所になっていたのだ。

 

(それでも、我の理想をただ進めばいいといってくれた。支えてくれた)

 それは、今でも変わらずに。いや、先の未来のためにその身すら犠牲にしようとしている。

 

 

 アリカが背中から離れるのを感じ取ったハジメは振り向き、アリカと向かい合う形になった。ハジメの目に大きく映ったアリカの顔。その瞳は潤んでいて、ハジメが見たこと無いほどに今にも消え入りそうな儚いアリカの姿がそこにはあった。

 

「私は…貴方がいないとダメなの」

 

 アリカの瞳から溢れた涙が一筋の雫となって零れ落ちる。

 

 

 

「あなたが…好きです」

 

 

 

 零れ落ちる涙を見たハジメは無意識にアリカを抱き寄せてしまっていた。抱きしめられたアリカは一瞬目を瞬かせるが、すぐに安心したかのように両手をハジメの背中へと回す。

 

「お前は阿呆か」

「そうね」

 いつもと違う感情の篭ったハジメの言葉に、アリカは口元を柔らかな弧を描かせながら微笑んでいる。ハジメの元を離れることがたとえ正しい道だとしても、アリカにとってはそれは愚行だとしか思えなかった。

 

「俺は消えてなくなる存在だ。王の…お前のそばにいていいわけが無い」

 そんなことはないと、耳元でささやく。

「それが例え明日だとしても…私は貴方のそばにいたい」

 コレは本心だった。もう離れたくなど無かった。どれだけ、不安だったと思っているのか。どれだけ信じようともいない相手にたいしてどれだけ虚しさを、寂しさを味わったか。それが恋慕だと気づいてからはなおさらだった。

 

 アリカを抱きしめる力が強まる。

「何が起こるかわからんぞ?」

「それでも…貴方と共にいたい」

 どんな未来が待っていようとも2人ならば変えられるとアリカは信じていた。現にこの世界は戦争から救われた。それも、理想に近い形で。これは、ハジメがいなければ出来なかったことだ。

 

 アリカの様子に、ハジメは一つ息をつくとアリカの両肩に手をかけ向かい合うように体を僅かに離す。アリカは、少し上目遣いになりながらもハジメを見て、目を閉じる。

 

「…好きだ」

 そして、ハジメも自身に燻っていた想いを伝えた。例え消えいく運命だったとしても、信じてくれる愛する女がいるのならば、打ち砕こうと決めたのだ。

 

 ハジメの短い言葉に、アリカは僅かに笑みをつくる。そして2人は静かに口付けを交わした。

 

 

 

 しばし抱き合った後、自然と2人は互いの顔を見やり微笑む。

「…そろそろ戻るとするか」

「…そうじゃな」

 体を離し、手を繋ぐ。今までもしたことはあったが、どこか違うように2人は思えた。

 

 そのまま、応接室を出る。2人並んで歩いていく。

 

 

 

 2人が議場に近づくと門にはマクギルにクルトたち、そして駆けつけてきたのかガトーの姿もあった。

「どうやら、うまくいったようじゃの」

 マクギルは手を繋ぐ2人を見て、事は丸く収まったものだと理解する。アリカもさすがに大勢の知り合いの前で手を繋ぎ続けるのは恥ずかしかったらしく、

「ま、また後での」

 顔を紅潮させながら手をそっと離し、ガトーのもとへ今までのいきさつと情報を確認しにいった。

 

 マクギルとハジメが互いに向かい合う。なんだかんだで一番長い付き合いなのだ。お互いに何を考えているのか多少なりとも理解している。

「貴様も余計なことをする」

 だからだろう、ハジメがいつもの仏頂面でかるく毒づく。マクギルにいいように動かされたのが多少なりとも気に食わないようだ。

 

 それが分かっているのだろう。マクギルは顎をなでながらにやりと笑い、年寄りじみた笑い声を上げた。

「ふぉっふぉ。じゃがハジメ…あのままだったら罪を自分ひとりで背負う気じゃったろう」

 あのとき、ハジメの発言にかぶせなければこの男は平気で自分が突き穿つ者(パイルドライバー)であったこと、そしてオスティアの国王ならびに王族たちを暗殺したことを言っていただろう。

 なぜそこまでする理由こそ知らないが、根本にはアリカを想っての行動なのだろうと推測していた。そして、罪を背負えば自分たちの前から姿をくらますことも、目の前の男ならば平気でしそうなことも分かっていた。だからこそ、2人で話し合う機会を与えたのだが、それがうまくいったようで笑みを濃くする。

 

 なんだかんだ政治家でありながらも、好々爺のような穏健な性格が本質なのだ、マクギルは。

 

「お見通しか…付き合いが長いというのも考え物だ」

 呆れたような表情でハジメは紫煙を吐く。マクギルのおせっかいが無ければ、もうこういう会話も無かったかもしれないと思えば、悪くは無いと内心では思いながら軽い毒舌交じりの会話を続ける。

 

「そっちは、へまをしすぎだ。耄碌したか?」

 へまとは当然、ここまでにいたる経緯のことだ。マクギルも痛いところをつかれたと顔をしかめる。

「失礼じゃのう。油断しとったのは否定せんが」

 事実油断していたのだろう。戦争終結まで、多少なりとも障害があったとはいえ、結果を見れば上々の出来。残る障害となる不穏分子についてそこまで強かではないだろうと高をくくっていたようなものなのだから。

「それが、耄碌というのだ」

 それを言われては、マクギルはもう反論できず乾いた笑いを出すしかなかった。

 

 雑談を続けていると、ふとマクギルが何かを察知したかのように政治家らしい笑みを浮かべた。ハジメが少々訝しむとマクギルが口を開いた。

「じゃが、なかなかよき演出だったみたいじゃのう」

「…何がだ?」

 話が打って変わった雰囲気にハジメも少々戸惑いを見せる。

 

「知らんのか?…議場での出来事が中継されて居ったのは知っておるだろう」

 ハジメが頷く。当然だろう、それを込みで議長を含めた連中を追い込んだのだから。どちらも危ない橋を渡ったものだ。ハイリスクハイリターンといったところで、元老院側はリスクを負い、ハジメたちはリターンを得たのだが。

 

「もともとアリカ女王の人気が高かったのもあって、颯爽と現れたおぬしは女王の騎士(エクィテス・レジーナ)と呼ばれてるそうじゃぞ」

 なかなか意地の悪そうな笑みで、情報端末をハジメに見せるマクギル。そこには、速報の記事が並べられておりどれも先ほど議場で起きた出来事が書き連ねていた。見出しは、女王を護る騎士などといったものも見受けられ、ハジメの眉がぴくんと一瞬歪められる。

 

「なにせ、その身を挺して敵から護ったという話もあるからのう」

 それは、証人喚問の最中マクギルが話していたこと。こういった話も民衆の中ではプラスの要素に働き、大いににぎわせていた。

 M・M(メガロ・メセンブリア)郊外で起きたこの不可解の事件の真相と題されて、随分とした美談に仕上げられているのを見てハジメはマクギルを若干本気でにらみつける。

 

「マクギル…随分と手回しがいいな」

「ふぉっ…いや……やったのは、ガトーじゃよ?」

 少々自分が思い描いていたリアクションと違ったのだろう。ハジメの言葉に、マクギルは若干焦りながらも身代わりの名を述べる。

 

「だとしてもだ…指示したのは貴様だろう」

 だが、当然そんな言い訳も通用するはずも無くマクギルを追い詰めるハジメ。その言葉に剣呑さが混じったのを感じ取ったマクギルはお手上げじゃと無駄な言い訳を続けることを諦める。

「やれやれじゃのう、感づくのが速すぎじゃ」

 

「どういうつもりだ?」

 こんな大々的に名を広めてどうするのだと、疑問を投げかける。確かに、傭兵として表で動いていたこともあるが自分の名を広めるようなことはしてこなかったし、マクギルもそれは同じだ。

 それが突然の路線変更といわんばかりに根回しを行う。ハジメの疑問も当然だ。

「なに、表舞台に立つのにこれ以上の後押しは無いじゃろう」

 なにせ、民衆が味方なのだから。強さとしての英雄ならば、紅き翼(アラルブラ)がいる。これは戦争が終結すると同時に大々的にセレモニーが開かれたのだ。知名度としては同じようなものだろう。

 だが、それでは如何ともしがたい問題が生じる。

 

「それに…」

 マクギルはアリカの方へと視線を向ける。

 

「このほうが何かと良いじゃろう?」

 アリカ女王の近くにいることが出来る存在として唯一の存在、知名度が必要だったのだ。いろいろとマクギルの方で考えてはいたのだが、何がどう転ぶかは分からないものだ。マクギルは今回の件を利用して、ハジメの立ち位置を決定的なものとした。

 もちろん、他意は存在している。

 

 ハジメは一つため息を吐く。いろいろと言いたいことはあるが、先ほどのアリカとのやり取りもあり、そのお膳立てをしてくれた盟友に対して文句を言うのはひとまずやめた。

「…まぁ、礼は言っておこう」

 思った以上に素直なハジメに、マクギルは面食らう。なにかしらいろいろ言われるのだと覚悟をしていたが、少々表示抜け出あった。

(これは、思った以上に進展があったようじゃのう)

 勘がいいのか、年の功なのか。それほど間違いではない考えをめぐらせたマクギルは嬉しさをにじませ微笑むのだった。

 

 

 

「…女王の騎士(エクィテス・レジーナ)じゃと?」

 当然この話は、アリカもガトーから聞くことになっていた。ガトーが今外でどのように、今回の件が広まっているかをマクギルと同じように情報端末を用いてアリカに説明していた。そのなかで話題になっているのはもちろん元老院の暴かれた陰謀と、陰謀の魔の手が襲い掛かっていた女王とそれを護った騎士の話だ。

 どこの童話だと突っ込みたい内容が散りばめられている情報にアリカは顔を紅くしながら、ガトーの説明を聞き件の二つ名を聞くこととなった。

 

 あまりにも恥ずかしい、物語などならいい話だと終わることが出来るが当事者なのだ。だが、少し前まで自らも同じような感想を持っていたことに気づき、さらに顔を紅潮させる。

「な、なんとも…」

「ははは、まぁこれは歓迎すべきことなのですが」

 アリカの様子にガトーも苦笑交じりで説明する。これで、ハジメについての民衆の支持は大きいものになるだろう。昔から民衆というのは勧善懲悪といった類の話と、ゴシップ的な話は大好物なのだ。

 

 今回の件では、両方満たしているようなものだ。世に広まるのは早いだろう。実際、元老院の陰謀や身分違いの恋等好き放題かかれている。

 

「いやぁ、だが助かりました。ハジメが来なければこんなスムーズにことは進まなかったでしょう」

 ガトーが改めて今回のことを振り返り、随分と危ない橋だったと感想を抱く。途中までは間違いなく中継の効果は元老院側に利していた。それをひっくり返せたのは、僥倖だった。

 

 ガトーは元老院側の不祥事や情報、これから起きるであろう最悪の事態に備えて根回しなど奔走していたが、無駄になってよかったと思う。もちろん効果はあるのだが。

 

「そうじゃな…相変わらず…」

 その後の言葉は発せず、アリカはマクギルと談笑しているハジメを見る。その視線にはいろいろな感情が宿っていることにガトーも気づく。

 

「ふむ…それで、式は何時にしましょう?」

 

 ガトーの言葉にアリカが固まる。ギギギっと幻聴が聞こえるような動作でゆっくりとガトーの方へと視線を戻す。

「な…なんの式じゃ?」

「いや、当然アリカ女王とハジメの婚姻ですが」

 当然でしょうといわんばかりのガトーに、アリカの顔が一瞬で茹蛸のように真っ赤になった。

 

「ななな、何をいきなり…順序というものがあるじゃろうっ」

 真っ赤になったアリカの言葉に、否定はしないのだなとガトーは内心思いながらアリカの照れ隠しの言葉を聞き続けるのだった。

 

「た、確かに共に行こうと決めたが、それはあくまでこの世界の未来を思ってだな…」

 それは半分、というより実質的なプロポーズではなかろうか。思うだけで、決して突っ込まないガトー。惚気ならば、勘弁してほしいところである。

「いや、だがさっきハジメは…というか私…」

 先ほどの告白を思い出しているのだろう。真っ赤な顔がさらに赤くなり、言葉が続かないアリカ。

 

「めでたいことですから、上げるならば早く上げたほうが」

 民衆も活気付くことだろう。戦争を止めた立役者である女王とそれを護り続けた護衛、騎士との婚姻など随分とめでたいものになるだろう。裏でいろいろ動き出す前に済ませたほうがいいだろうという打算もあるが、上げるならば早いほうがいいだろうと、もうすでに好きあっているという前提の下ガトーが話す。

 

「う、うぅ」

 嫌ではない。寧ろ歓迎すべきことだが、如何せん。幾分か落ち着いたアリカがハジメの方へと視線を向け、ハジメもアリカを見る。視線が重なり、アリカの顔が再び紅くなる。

 恋人という過程を抜かして、夫婦となるというような状況に頭がいっぱいいっぱいになってしまうのだった。

 

 まぁ、戦争中も護衛とか言いながら半分恋人のような真似事をしていたはずではあるのだが。改めてそういう関係になると思うと恥らってしまうアリカなのであった。

 

 

 

 こうして、アリカとマクギルに降りかかった元老院たちの謀りは、元老院たち自身の首を絞める結果となり、民衆はアリカ達を支持することとなった。

 そして、民衆が気になるアリカとハジメの関係については、間が置かれる事無く開かれるオスティアでのパレードにおいて民衆たちに披露されることとなる。

 

 

 




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第19話

 オスティア王国の城下町。普段から活気ある街であるここも、今日はあることからお祭りのような賑わいを見せていた。賑わいをみせているのはここだけではない。オスティア王国全土で同じような光景が見られた。

 なぜならば、他ならぬ国を世界を救った女王の婚姻のパレードが始まるこの日を誰もがそれを祝うべく祭りとなっていたからだ。

 

 人々が街中を行き来し、出店も建ち並ぶ。

 たまたまオスティアへ来たものも、理由を知り同じように楽しむ。

 

 それは昼間であるにもかかわらず賑わいを見せる酒場も例外ではなかった。むしろ、酒がある分活気がある。

「ほらっどんどん呑めっ」

「いや~悪いね~」

 テーブルに並んで座る者たちは互いに知らないものも居る。しかし、そんなことはかまわないとばかりに酒を振舞い、共に楽しむ。今日ばかりは、戦争の傷痕も鳴りを潜めていた。

 

 

「う~む、うらやましい」

「何、終われば混ざれるさ。それに、俺たちがしっかりせんとな」

 そんな喧騒をパレードの警護を務める者たちはうらやましそうに見ながらも、自分たちが大事な役割をするのだと発奮させながら、そのときを待つ。

 

 

 

 

 

 オスティアの王宮の一室で花嫁が一人椅子に座っている。目を伏せ、純白のウェディングドレスに身を包んでいるその姿は、一つの芸術であるように思えた。

 花嫁――アリカは、自身の装いを見ながら思い出す。

 

 思えば、一年も経たない内に随分と時代、世界が移り変わったものだと感じる。そして、自分自身も。

 

 心に冷たさを感じる王宮の奥において、自分の価値とは何なのか。心の奥底で思っていた疑問すらも無視して王族としての振る舞いや知識、知恵だけは身についていった。その代わり、どんどん無感動になっていくことにアリカ自身自覚していた。

 きっかけは父の死であった。自身を閉じ込めていた王宮の主である父が死んだ。感情が失われていたと思っていたアリカですら衝撃的なものだった。

 

 そのときの感情は今でも分からない。肉親の死を悼む悲しみなのか、自身が解放された喜びだったのか。それは、今でもアリカには分からなかった。

 だが、事実として開放された。マクギルの力添えがあってこその開放であったが、それでもオスティアから離れ、戦争にかかわることが出来るようなった。そして、そのための護衛としてハジメをマクギルから紹介されたのだ。

 

 出会いはよいものだとはいえなかったが、今思えば、出会うべくしてであったものなのだとアリカは思う。

 よく考えれば、国王を殺したのはハジメであり、そのおかげで今こうしているという現状にふと考える。

 

(本当に、ハジメには世話になりっぱなしじゃな)

 

 護衛というには、随分と万能な人間であったが、それでも不器用なところもあったなと大変だったはずの戦争中の思い出も彩られている。

 自分がこうして変われたのは、間違いなくハジメによるものだとアリカは思う。

 

 彼の姿を想うと、アリカは自然と笑みが浮かべた。すると、タイミングを見計らったようにノックの音が響く。

「ハジメか?」

「ああ、入るぞ」

 そこに現れたのは、セレモニースーツである黒のタキシード姿のハジメだった。普段とは違う服に、若干の戸惑いがあるのか動きが細かい。しかし、アリカの姿を見た瞬間ハジメの動きが止まる。

 

 ハジメがウェディングドレスに身を包んだアリカを見たまま数秒沈黙が続く。アリカも気恥ずかしいのか、頬を染めながらハジメを見る。

 

「な、何か言わんか…」

「あ、ああ……よく似合っているな」

 耐え切れなくなったのかアリカが感想を求め、我に帰ったハジメが呆然としながらも答える。思わず、見惚れていたとうっかり言いそうになったが、言わずともその態度を見れば分かるというものだ。

 それが分かったのかどうかは知らないが、アリカはくすりと唇を綻ばせる。大戦のときはしらなかった表情がお互いの心を喜ばせる。

 

「あなたも良く似合っているわ」

「そうか。何分慣れていないが」

 アリカの言葉に、袖を返したりして自らの装いを見るハジメ。目の前にいる女があまりにも似合いすぎており、見惚れていた。それに比べると、自分は大丈夫なのかと少しばかり思ってしまうのであった。

 ふむとひとまず服装に納得しながら、アリカの隣へと歩を進める。

 

「しかし、パレードとは」

 戸惑っているような、困惑した面持ちでつぶやくハジメ。

「何を言うておる。私と婚姻を結んだからには当然じゃ」

 上目遣いで隣に立ったハジメを見るアリカ。その目には普段見られないハジメの態度と服装を忘れまいとする狙いが透けて見えた。

 それを感じ取ったのだろうハジメはふんと顔を少しゆがめた。

「分かっている…ただ、やはりな」

 ハジメが思案するのも当然。世間ではただ、大戦中女王を護った護衛として、戦後まもなく行われた元老院による陰謀からの窮地を救った騎士として認知されている。

 しかし、マクギル、ガトーと数人しか知る由も無いが突き穿つ者(パイルドライバー)として数多もの人間を殺し、アリカの父をも暗殺した身なのだ。

 

 後悔などするはずもないが、それでもこのような状況に自身がなるなどと思ってもいなかったハジメは、今でも戸惑っているというのが正直なところであった。

 一度表に出れば、綻びはすぐに目立つものだ。そこから、何が起きるのかはハジメにも分からない。表に出るということは繋がりもまた、表に出るということなのだから。

 

 そんなハジメをみたアリカが苦笑しながらも口を開いた。

「あなたらしくもない。もう決めたことじゃろ」

「…ああ」

 芳しくない返事に、アリカが若干目を細めた。

「それとも、共にいたいといった私の言葉を反故にする気?」

 ”共にいたい”といった辺りで若干頬を染めながらも責めるような口調でアリカは問う。

「いや、そんな気は既に無い」

 はっきりした口調で否定したハジメに、アリカは満足げな笑みを浮かべる。

「ならば、良いじゃろう。何か思うことがあれば、この先励めば良い」

「……そうだな」

 随分と余裕がなくなっていたようだとハジメは思った。マクギルたちの思惑も分かる。ならば、思考を切り替えるべきだとハジメは大きく息を吐いた。

 たとえ何が起きようとも、必ずこの信念のままにアリカが形作る未来を護ろうとハジメは決めたのだから。

 

「これからもよろしく頼む」

「ふふ。こちらこそじゃ」

 

 

 

「そろそろお時間です」

 御者がパレードへと向かう時刻を知らせる。それにハジメが手で応え、アリカに手を差し出す。差し出された手を掴み立ち上がるアリカ。

 2人は手をつなぎ、歩を進めた。

 

 

 

 

 

 王宮の前では、人々がアリカ達を一目見ようとごった返しており、敷き詰めたようになっていた。そして、待ちに待った瞬間が訪れる。

 

 人々をなんとか押しとどめながら、王宮の門が開かれる。豪奢な装飾に彩られた船が高度を低く保ちながら王宮から飛び立つ。周囲には映像が浮かび上がり、そこには花嫁であるアリカとその手を繋いでいる花婿のハジメの姿が映し出されていた。

 民から上がる声の多くは女王であるアリカだが、先日の一件によりハジメにも民衆からの声が上がる。中には、建物の屋根へとのぼり、生でその姿を見ようという無謀なものもいた。

 

「騎士様ーっ」

「アリカ様バンザーイ」

「おめでとー」

 

 民衆から上がる祝福の声に、手を振るアリカ。その顔は満面の笑みを浮かべている。アリカだけでなくハジメも少し口元をほころばせながら手を振っている。

 自分たちを祝福してくれる存在が、これほどまでに心強いとはハジメは思っていなかった。しかし、今は現実として感じることが出来るこのときを嬉しく感じていた。

 

(アリカが民を護りたいといった気持ちが少しは分かる気がするな)

 ふとハジメとアリカの目が合い、どちらからともなく微笑んだ。

 

 それに伴い、歓声が上がる。僅かな反応ですらも民衆たちにとってはうれしいものとなっていた。

 

 

 

 民衆が沸く街の路地裏。そこでは影で働くものがいた。

「うぐっ」

 呻き声を上げ崩れ落ちる男。その背後にいるのは煙草をくわえたままのガトーだった。

 当然よからぬことを企てるものもいる。ただ、未然に防いでいるため数は少なく、こうして熱狂に沸いている民衆の中挙動不審な輩はとても目立つため、事が起きる可能性は全く無かった。

「ったく……ナギとラカンの野郎はどこいったのやら」

 タカミチやゼクト、他の諜報員たちと連絡を取りながら一人で愚痴るガトー。やれやれと男を縛り、無理やり目を覚まさせる。

「……さて、お仲間さんのこと。話してもらおうか」

 口元こそ笑みを浮かべているが、全く笑っていない目に射抜かれた男は、頬を引きつらせおとなしく自白するのであった。

 

 

 

 パレードは滞りなく行われる。船はオスティアの王宮から数時間かけてオスティアの街々を回る予定になっており、行く先々で国民たちを沸かせていた。当然それらの映像は中継されており、世界の人々も見ることが出来るようになっている。

 

 船はパレードの中間地点へとたどり着く。中間地点である街の広場では、色とりどりの旗が風に舞い街を彩っていた。そこには、帝国の船が待っており、空へ向けて空砲を放った。帝国側からの祝砲ということになるそれは、魔法だろうか色鮮やかな色彩を空に映し出していた。

 

 歓喜に沸く中、船は折り返し王宮へと向かう。

 

 

 

 王宮へと戻った船が静かに下りてくる。無事に着地すると、どこからともなく拍手が起きた。まもなく、船から橋が架かり護衛が立ち並んだ。準備が整うとアリカとハジメが船から下りてくる。

 そこでアリカ達を迎えたのは、帝国からの来賓であるテオドラ第三皇女とマクギルであった。大戦での交流からアリカと親しくなった彼女が帝国からの来賓としてやってきたのであった。

 

 テオドラは拍手をしながら、アリカとハジメを迎えた。

「このたびは大変めでたい席にお招きしていただき、ありがとうございます」

 お辞儀をして、簡単な祝辞を述べたテオドラは微笑んだ。

 

 それに対して、アリカも会釈し、感謝の言葉を述べ微笑む。同じように並んでいる来賓の方たちにも挨拶がなされる。そこにいるマクギルも、嬉しそうに微笑んでいた。

 2人は王宮の壇上へと上がった。アリカは一歩前に進み、泰然自若としたまま、王宮へ集まった者たち、そしてこれをみているであろう民衆へと思いを向け、口を開いた。

 

「ひとまず、皆に礼を言いたい」

 ありがとうとアリカは頭を下げた。顔を上げたアリカの瞳に映るのは目の前にある光景だけではなかった。

「今日という日を嬉しく思う。最愛の騎士と結ばれたこの日を。そして、それを祝ってくれる皆とこの世界を嬉しく思う」

 アリカには届かない祝福の声が、街中に木霊する。しかし、それでもその祝福の声をアリカは心で聞いた。

 

「つい先日まで戦渦に巻き込まれてた世界に対して、このような行いをするものに反感を覚えるものもいるかもしれない」

 大戦こそ終わったが、その火種はあらゆることに飛び火した。帝国、連合問わず小規模な争いは各地で起きていた。そんな彼らを見捨てる気など無いが、彼らからすればどう思われているかは分からない。だが、それでもアリカは言葉を続ける。

「だが、それでも私は今日という日を迎えた。なぜならば、私たちは未来に生きるために戦争を終わらせたのだから」

「過去を忘れろとは言わない。だが、それでも明日を見てほしい。未来に生きてほしい」

 アリカはさらに一歩踏み出し、手を振りかざした。

 

 

「生きれないというならば、生きれるように導こう。未来を作れないというならば、作れるようにしてみせよう」

 言葉に力が宿る。ただ聞いていたものたちもその言葉に感化され、その瞳に力が宿り始めた。

「そして、今度こそ私たちはそれらを護る。護ってみせよう」

 それが、アリカの信念。民が宝だと言いきったあのころとなんら変わらないままの彼女の信念。その言葉を隣で聴いたハジメは、改めてこの女王の前に立ちふさがる悪を切り抜く覚悟を決めた。その未来のために。

 

「だから、私たちを信じて生きてほしい」

 これはアリカの願い。

 戦争を終わらせ、そこに生きてほしい者たちに向けた勝手な願い。だが、為政者たるアリカの偽らざる願い。

「今日という日を迎えることができたことに、改めて礼を言おう。ありがとう」

 深くお辞儀をしたアリカに倣い、ハジメもまた礼をする。

 

 

 アリカの言葉に、オスティアが沸いた。戦争によって家族が、友が死んだものもいる。その憎しみが消えるはずも無い。だがそれでも前へ踏み出そうと、乗り越えようという気持ちが確かに民たちに生まれたのだった。

 

 王宮においても、拍手喝采となっており、今日ここへ来たものたちは女王であるアリカを紛れも泣く為政者であると認めた。

 

 そして、パレードを締めくくるのは指輪の交換の儀。ハジメとアリカが共に指輪を交換し合う姿を最後にパレードは終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 屋外に開かれた酒場の席で、その映像を見ていた2人の男がいた。ナギとラカンである。英雄である2人だが、今熱狂に沸いているのは映像の向こうのアリカとハジメであり、彼らにかまうような人間は今のところいなかった。

 

「どうした、しけた面してよ」

 ラカンが片手に酒盃を掲げて目の前にいる男、ナギに尋ねる。街の活気に当てられたのか元からなのか、ラカンは随分上機嫌に酒を飲む。もはや何杯目なのかすらも本人は覚えていない。

 それに対してナギの酒盃に満たされている酒はそれほど減ってはいなかった。どこかつまらなそうな、少なくとも街でにぎわっている人々と比べても浮いてしまうような表情で酒をちびちびと飲んでいた。

 

「別に……なんでもねぇよ」

 ラカンに目を向けることも無く、テーブルの上にあるつまみを口に運び、ぽりぽりと食べていく。

 

 そんなナギの様子に、ラカンはやれやれと呆れたようにため息を大きく一つ、ナギに見せ付けるように吐く。

「未練タラタラってやつか?柄じゃねぇよバァカ」

「あぁ?」

 ラカンの挑発に、こめかみに青い癇癪筋を走らせるナギ。さすがに心穏やかでない原因そのものを指摘されて流せるような男ではなかった。

 

「大体よ、好きだったんなら力づくで奪えばよかったじゃねぇか。あの姫さんだったならころっといってたかも知れねぇぞ?」

 ラカンが言い終わると同時に、その体が後方へと吹き飛ぶ。ナギとラカンが座っていた椅子と机は木っ端微塵となってあたりに散らばった。それと同じくラカンが激突した建物は崩れ瓦礫がラカンへと降り積もる。

 一拍遅れて周囲にどよめきと混乱が生じる。ただ今日は祭りであったためか、どちらかというと野次馬なり見物なりしようという好奇心の騒ぎであった。

 

 事の発端である中心地では、右拳を突き出したままラカンが吹き飛んだほうを睨みつけたままのナギがいた。

 

 

 

「やれやれ、こういうのは詠春とかの役割じゃねぇのかよっと」

 瓦礫に埋もれていたラカンは、体をばねのように屈伸し飛び上がる。頬を殴られたのか、口元が切れ血が一筋流れていた。

「まぁ、こういうほうが俺たちにはお似合いだな…ナギ」

 体中に気を巡らせるラカン。ラカンが発する威圧に自然と周囲に空間が作られる。

 

 ナギとラカンの間に人がいなくなり、視線が交差する。どちらからともなく、いや両方動いたのだろう。ナギとラカンの間の距離は一瞬で0になる。

 ラカンの本気の右拳がナギの拳よりも早くナギの左頬へと叩き込まれたと同時にその勢いのまま吹き飛んでいくナギ。それを追うようにラカンもまた駆けた。このままケンカを続けては街が無茶苦茶になると、ラカンなりの理性がたまたま働いたようだ。

 

「ぐぅ」

 体が空を飛ぶ中、ナギは魔法で静止させる。左頬が大きく腫れ、口元からは血が出ている。そんなナギにラカンからの更なる追撃が迫った。

「ラカン・インパクトォッ(対象はナギっ)」

「は?」

 ナギが一瞬呆けるほどの、でたらめな攻撃。目の前に広がる光はそのままナギを包み込んで爆発した。

 

 

 

 爆発が起きたさらにその先。すでに街の外で自然豊かな大地が広がっていた。その景色の一つを彩る山の中腹が窪んでいた。吹き飛ばされたナギによってあけられたものだ。

「ありゃ、終わっちまったか?」

 ラカンがその穴を見下ろす。だが、そこには誰かいる気配がない。それに気づいたときラカンの背後からは千の雷が迫っていた。

「おりょ?」

 直撃。山はとうとう中腹から上が消え去ってしまった。天へと貫く千の雷がその威力を物語っていた。

 

「ラカンっ。さっさと起き上がれよ」

 未だ剣呑な表情のまま、杖をラカンがいた場所へと向けるナギ。それに応える様に、瓦礫の山が吹き飛ぶ。

「はっはっはっは。こうでなくちゃぁよっ」

 頭から血を流しながらも満足そうに笑うラカン。先ほどまで来ていた服はすでにぼろぼろだったがそんなことを気にするはずも無く、ナギの方へと駆け出す。

 迎え撃つようにナギは雷の槍をつぎつぎと生み出し、ラカンへ向かわせる。光の速さで飛来する槍をラカンは僅かな動作で避けていく。しかし、一つ二つとその体を槍を貫いていく。だがそんなものは効かんとばかりに速度を上げる。

 

 ナギへと振り下ろされる拳。それを待っていたかのようにナギが半歩動く。その顔には悪戯が成功したかのような悪童の表情を浮かばせていた。

 一瞬の交錯。

 その場にいるのは右拳を天高く突き上げたナギの姿だった。ナギに影を差すのは上空へと吹き飛ばされたラカン。顎に一撃をもらったのか、ラカンの意識は数秒とんでいた。

 

 それを見逃すようなナギではなく、ありったけの魔力を込めて詠唱を始めた。それを本能で気づいたのかラカンが意識を覚醒させる。ナギの攻撃を迎え撃とうと自身の気合を全開で込める。

千の雷(キーリプル・アストラペー)っ」

「全力全開!ラカン・インパクトっ!!」

 辺り一面が白く塗りつぶされる。凄まじい轟音が周囲に響き渡り、木々を大地を揺らし、天に漂う雲は払われた。

 

 

 

「へへっ」

「ははっ」

 満身創痍という言葉がぴたりと当てはまる2人がお互いの姿を見て笑う。それでも立ち続けている相手に笑う。それでもまだ続けようという自分に笑った。

 

「続けようぜ」

「当然っ」

 そこからはただの泥仕合。魔力も気もすっからかんとなった2人は自らの拳でただお互いを殴りあった。

 何回、何十回と続いた殴り合いは、最後お互いに空を切りそのまま同時に倒れ臥した。

 

「ったく…なんだってんだ」

 仰向けになりながらナギがぼやく。体はボロボロで魔力も無いのになぜかすっきりしている。それがおかしくて自然と笑みが浮かぶ。

「いい気晴らしにゃなっただろう」

 同じように仰向けになるラカン。ナギの表情を見て、思い通りになったと笑みを浮かべ笑い声を上げる。

 

「がっはっはっは。いい女を逃したのは残念だったが、世界は広いもんだぜ?」

「…ラカンに乗せられたのは悔しいが…その通りだな」

 お互いにただ空を見る。見上げた天は高く、青く澄み切りただ悠然と広がっていた。

 

 ナギは思う。分かることと納得することは違うのだと。そして、納得するためにバカをやれる仲間がいたことを嬉しく思った。だからこそ素直に礼が言えた。

「ありがとな、ラカン」

「いいってことよ」

 腕を挙げ、親指を立てるラカン。同じようにナギも腕を挙げ親指を立てた。

 

「そんじゃまずは、呑みなおして旅に出ようぜっ」

「いいなそれっ。よっしゃきまり」

 当然、無茶した2人の体はしばらくの間動かなかったが、それすらもおかしいとただ笑い合っていた。

 

 

 

 

 

 

「それで、何か弁明はあるか?」

 オスティアのはずれの街。瓦礫となったかつて家だったものの前でガトーが腕を組み目の前で正座している男二人をにらみつけていた。

 

 

 

 端的に言うならば、その男二人とはナギとラカンであり、この街は二人が暴れた街だ。

 

 パレードも終わり、ひとまず飲みにでも行くかとタカミチとゼクトを誘おうと思ったガトーに連絡が届けられた。曰く『紅き翼(アラルブラ)の人たちが暴れている』と。

 

 ガトーはこめかみを指でもみながら、ため息を一つ吐いた。彼は苦労人なのである。

 

 タカミチとゼクトに街へ行く旨を伝え報告のあった街につくと、ナギとラカンが暴れたにしては普通に活気ある街並みにほっと胸をなでおろしたガトー。報告があった場所へと向かう。

 目的地に近づくにしたがって、人ごみの密度が増えていく。そして、目的地に着くと随分と騒いでおり宴会のようになっていた。そして、ガトーは見る。馬鹿騒ぎする連中の中心にいる見覚えのあるバカ二人を。

 ガトーは一瞬遠くを見た後、躊躇無く居合い拳を二人の後頭部へと叩き込んだ。

 

 

 

「いってーなー」

「どうしたガトー。呑みたいなら山ほどあるぜ?」

 ナギは後頭部を抑えながらぼやき、ラカンは歯をきらりと輝かせながら何処から持ってきたのかジョッキをガトーの前にかざす。

 なぜ、ガトーが来たかなど微塵も分かっていない二人を目の前に大きくため息を吐いた。

(そうだ。こういう奴らだったな)

 戦争が終わってから少しの間だけだったが、会わない間に多少なりとも変わっているかなと淡い期待が打ち砕かれた瞬間だった。

 

「それで、何でこんなマネを?」

「なんとなくだっ」

 ラカンの答えに、紫煙をラカンに吹き付ける。思わず、咳き込むラカンが何をすんだとガトーに抗議するが無視される。

 

「で…何でだ」

 次はないぞ言わんばかりのガトーの睨みに、ナギが仕方なしと口を開く。

 

「気晴らしだよ。気晴らし」

 ナギとガトーの視線が交差する。それ以上は聞くなという目にガトーは視線を上に向けて一考。諦めたようにため息を吐いた。

「はぁ、分かったよ。ただ、修繕費なり何なりはお前らから払わせるからな」

 

「それは当然だな」

「もとからそのつもりだよ」

 ラカンとナギもそれには特に意義を示さず同意する。その態度に、ガトーも後に引きずることもなさそうだと思い、短くなった煙草を捨て新しい煙草に火をつける。

 

 話は済んだとばかりに再びドンちゃん騒ぎを始めるナギとラカンと街の人たち。

「ガトーも呑もうぜっ」

「ああ。もとからそのつもりだよ」

 疲れたといわんばかりの態度で返答し、ガトーもまたドンちゃん騒ぎに参加するのであった。

 

 

 

 夜も深まった頃には、酒を飲み交わすものも減っていき、当たりには死屍累々といわんばかりに酔いつぶれた者たちが寝ていた。

 ナギとラカンは未だに呑み続けていた。ちなみにガトーは夢の中である。

 

「…ありがとな」

「あぁ?昼間の件のことならもういいっての」

 椅子にもたれかかりながら、ラカンが手を振りながら答える。多少なりとも照れが見える。

 

「ちげーよ。ガトーのときだ」

 ナギの否定にラカンが何を言っているんだと首を傾げる。そんなラカンの様子にナギは若干どもりながらも続ける。

「よ、要は気晴らしの理由だよ」

「あぁ」

 納得したと首を上下に振り、ジョッキにのこった酒ををあおるように飲んだ。

 

「それなら多分ガトーも気づいてんじゃねぇか?」

「……は?」

 ラカンの言葉に酒を飲もうという体勢のまま固まるナギ。そんなナギの様子に笑いながらラカンが続ける。

 

「いやぁ、気づくだろ普通。いなかったハジメは知らんが、紅き翼(アラルブラ)の奴らは全員知ってたんじゃねぇか?」

 固まるナギにラカンはさらに追い討ちをかける。

「アリカに惚れてたのも振られたのも、な」

 ナギがジョッキを落とし、からんと音が小さく響いた。その音がナギにはやけに大きく聞こえたように感じた。

 

「な、な…」

 ナギは嫌な汗が出てくるのを感じる。目の前にいるラカンはまだいい。だが、他のメンバーであるアルビレオやゼクト、詠春までも知っていると言われたナギは、昼間のガトーの様子を思い出す。

(やけにあっさり身を引いたと思ったら……)

「うがぁぁぁ」

 身をもだえさせながら転げまわる。感づかれた上で見逃されるという事実、実に恥ずかしい。

 

 そんなナギを見て馬鹿笑いをするラカン。残っている酔っ払いたちも大いに笑う。混沌とした場がそこにはあった。

 

 

 

 夜が明ける。宴の名残そのままに、酒瓶が投げ出され人々が道端で寝ている姿も珍しくなかった。

 

 そんな街中を歩く2人の男、ラカンとナギが昨日の盛況振りが嘘のような静寂に包まれた街の中を歩く。

「何処に行くかねー?」

「そんなもん、決めなくても良いだろ」

 ラカンとナギは夜明けの光を浴びながら、街を後にした。支払いをガトーに全て任せて。

 

 

「あの…バカどもがーっ」

 起床して突きつけられた請求書に対して、ガトーの叫びが街に響き渡った。

 

 

 




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第20話

 シルチス亜大陸。ヘラス帝国と連合の勢力が互いに入り混じる大陸。

 王都オスティアから離れたナギたちは世界を見て回るために、この大陸へと訪れていた。そこで、彼らは一つの現実を目の当たりにする。

 

 

 

「こりゃまた、ずいぶんと派手にやったもんだ」

 ラカンが目の前の光景に思わずそう零す。

 

 ラカンとナギの目の前に広がるのは荒れ果てた街だった。荒れ果てた理由はこの地が紛争の舞台となってしまったからに過ぎない。

 大戦こそ終結をみせたが、帝国と連合が隣接する地では未だに種族間などから来る小さな諍いが起こることなど珍しくなかった。

 

 ナギとラカンは瓦礫に埋もれている街に足を踏み入れた。

 

 

 

「……姫さんやハジメたちでもまだこういうことは起きちまうんだな」

 瓦礫となってしまった、憩いの場であっただろう広場の噴水。見るも無残に砕け散った像の台座。壁だけが残ってしまった家屋。そんな景色を見ながらナギがつぶやいた。

 

「あいつらも万能じゃねぇんだ。手が届かない場所だってあるだろうよ」

 ラカンの言葉に、ナギは立ち止まりどこか遠くを見るような目で街を改めて見渡した。するとその目端に何かを捉えたのか、ナギは歩いていた方向とは別方向に、その歩を進めた。

「おいおい、どこに……」

 ナギの行動に、首を傾けるラカンだったが、その先を見るとその行動の意味を知り、ため息を吐きながらその後を追った。

 

 ナギがたどり着いた場所は、崩壊の前はある程度の大きさを持った建築物だったのだろう跡地の前だった。正確にはその建築物の一部だった瓦礫の前。そこには少女が仰向けになり、瓦礫の下敷きになっていた。

 意識が曖昧なのだろう、少女はナギの姿を見つけるとかすれた声で言葉にならない何かを発した。

「安心しな。すぐ治療してやる」

 瓦礫をどかしたナギは跪き、少女を抱き上げ回復魔法をかける。すると少女は安堵したのか意識を手放しその身をナギに預けた。

 

「てめぇも良くやるな」

 一連の行動を見て、ラカンが思わずといった感じに零す。

「あん?好きでやってんだよ」

 ナギが少女を抱いたまま立ち上がり、振り向き様にラカンに応えた。

 

 

 

 

 

 ラカンの言葉も無理は無い。ナギとラカンが旅に出て紛争地帯に入ってからというもの、このようなナギの行動は珍しくなかった。

 シルチス亜大陸に入った当初は、それぞれの蓄えで悠々自適な旅であった。

 冒険者たちが集まる街では、商人や大道芸を生業にするものなどが大勢いて、暇を弄ぶことなどはなかった。

 体を動かしたくなれば、依頼を請うことも珍しくは無かった。ただ、英雄として有名になったからだろうか、数こそ少なかったが。

 

 それが変わったのは、ある街の酒場での出来ことだった。そこには、場違いな一人の少女が入り口で佇んでいた。

 ナギたちが遠目でその姿を確認したとき、少女は必死な形相で何かを訴えていた。内容は簡単だった。少女が住んでいる村を襲おうとするものたちがいるのだ、と。

 だが、酒場に出入りしていた者たちは少女をいないもののように扱い素通りしていく。それは、少女の容姿も関連していた。長髪から突き立つ角が示す亜人だという事実が素通りさせることを助長させていた。

 例え、腕に多少なりとも覚えがあろうとも、子供の言う事ととして真に受けることもなく、つい最近まで対立していた亜人に対して動こうという人間はいなかったのだ。

 

 今にも泣き出しそうになっている少女の頭に手が置かれる。少女が思わず後ろを振り返れば、そこにはナギが立っていた。

「話…聞かせろよ」

 少女は差しのべられた手に、純粋な笑顔を浮かべた。

 

 そこから話は早かった。ナギは即座に少女の村へと駆けつけ襲撃しようとした者たちを容易く捕らえた。仕方なしについて来たラカンもいたのだから当然といえば当然だ。彼らは英雄として有名なナギを知っていたため、おとなしくお縄につくのであった。

 しかし、そこからが問題だった。彼らは、かつての元老院が有した兵士たちだったためだ。そこでナギはひとまず、クルトを頼る事にした。

 

「というわけで、こいつら本当に連合の兵士なのか?」

 クルトは浮かび上がった映像の向こうで眉根をよせ、頭が痛いという風に片手で抱えていた。

「……事実ですね。恐らく、拠り所が失われて暴挙に出たのでしょう」

 ありがとうございますと頭を下げるクルト。「シルチスに軍を派兵しなければ……」などとぶつぶつ独り言をどこか違うところを身ながら呟く姿は、どこぞの苦労人を思い出す。

 

 未だナギと映像が繋がっていることに気づいたのだろう。

「まだ何か?」

 クルトの問いに、どこか考えるような仕草をしていたナギが話しかけた。

「今回は未然に防げたけどよ……こんなことはまだ起きているんだよな?」

 ナギの言葉に、クルトは一瞬口ごもりながらも肯定する。

「そうです……ね。アリカ様もマクギル先生も。僕達もいまだ手が届かないところがあることは否定できません」

 悔しそうに目を伏せるクルト。大戦の爪痕もそうだが、元老院の膿を排除した際にこれらを裁く手続きもしなければならず、人手がとてもじゃないが足りないのが現状だった。

 ハジメたちが出資した学校も各地に設立してはいるが、それらが功を奏するのはまだ先の話である。

 

「そうか……ありがとな、そっちもがんばれよ」

「あっ、はい。ナギも気をつけて」

 別れの挨拶がなされた後、映像が消える。

 

「これからどうするんだ?」

 含み笑いをしたままラカンが尋ねる。

「ちょっとばかし、俺も世界を救ってみるかってな」

 ナギがにかっと笑みを浮かべる。

 

「そりゃまた、どういう心境の変化で?」

「”お主ほどの力があるのならば、不幸に見舞われる民を救え”って姫さんなら言うだろうと思ってな」

 そういったナギをラカンは呆れた目で見つめること数秒。

 

「か~重症だね。お前も」

 やれやれと両手を挙げ頭を横に振る。新しい女を見つけるために旅をしているというのに、目の前の男は未だ過去の恋に引きずられているのかとラカンはお手上げする。

「ばーか。ちげぇよ」

 そもそも、ナギ自身は新しい女を見つけるために旅に出たわけではない。まぁ多少の下心はあるが。

 戦争が終わり、武者修行の続きとともに自分のしたいことを見つめる旅でもあった。ちなみに、後者はナギがなんとなく思っていることでしかない。

 

「俺にもやれること、まだあると思ったんだよ」

 その目には、大戦中のような力強い光が宿っていた。そんなナギを見たラカンは笑みを浮かべた。

(まぁ、こいつに付き合うのも悪くはねぇか)

 旅の趣は変わるだろうが、面白い旅になりそうだとラカンは思うのであった。

 

 

 

 

 

(だが、本当に良くやるなぁこいつ)

 気絶した少女を背負い前を歩くナギを見ながら、ラカンは内心で思う。世界を救ううんたらと宣言して数ヶ月。そろそろ旅に出てから半年を過ぎようとしていた。

 その間に先ほどのような人助けは随分としてきた。シルチス亜大陸を抜け、ヘラス帝国に入ればそこはそこで内戦が起きているため、ナギはそこでも同じように行動するだろう。

 

 だが、それではあまり面白くない男が居る。その男とは当然ラカンである。人助けをしていれば何か愉快なことが起きるかもしれないと思っていたが、特段そういうことはなく現状に至っている。

 ときたま紛争をナギと共に止めたり、助けた者の今後をどうするか決めるために来るガトーやタカミチで遊んだりすることもあり、退屈こそしないが、正直飽きてきた感が否めないラカンだった。

 

(そろそろ別れ時か)

 

 もともと一人で気ままにやってきたというのもあってか、そう思うことに忌避感などは特に無く。だが、目の前の男ナギなら愉快なトラブルが起きるだろうという期待もあった。

 ラカンが思うことはただ一つ。

 

(なにか面白ぇこと起きねぇもんかね)

 

 

 

 

 

 ナギたちは近くの街へと立ち寄り、助けた少女の件でガトーたちが来るのを待った。今回の件では、クルトたちが忙しくなるのでガトーたちを頼ったのだった。ちなみに少女は宿で休ませている。

 

「悪い、遅くなったな」

 酒場で食事をしていたナギたちのもとへとガトーがやってきた。その隣にいつもいるタカミチは今日はいない。変わりにアスナがガトーの手を握っていた。

 

「え、姫子ちゃん?」

 思わぬ人物にナギが驚きの声を上げる。驚くのは当然だろう、黄昏の姫御子としてオスティアに居なければならない数少ない王族。そして類まれな能力をその身に宿しているのが、この少女ともいえないほど幼い女の子なのだから。

 

 どうしてここにと、目で訴えかけるナギから目をそらしつつ、アスナと共に食事の席に着くガトー。

 しばし、沈黙が続いたが、もう開き直ったと言わんばかりに、ガトーはナギと目を合わせ片手を上げた。

 

「まぁ、あれだ。これから旅を共にすることになったから、よろしく頼む」

「よろしく」

 ガトーの言葉にアスナが続いて手を上げた。

 

「はぁ?」

 ナギは、話の展開についていけず間抜けな声を発するのだった。

 

 

 

「いやな、発端はこのお姫様なわけだ」

「私は悪くない。過保護なアリカが悪い、無愛想なハジメも悪い」

 ガトーは視線をアスナに向けるが、そんなことは気にせずにアスナは相変わらずの無表情で自己弁護をした。

 お前が愛想の話をするのかとか、ハジメが愛想がいいときがあったのかなどナギは内心で思いながら、ひとまず話を聞くことにした。

 

 もともと、王族に閉じ込められていたアスナだったからだろう。王族でもあるアリカは、その責任からか執拗にアスナにかまっていた。無感動、無表情のアスナに何かしてあげようと手を引いていろんな場所へと行った。当然オスティアの中であり、ハジメも引き連れてだが。

 そしてアリカは話し始める。自らが大戦中に出会った人やもの、そして出来事を。その中にはハジメとの話もあったが、その多くはアリカ自身が体験した街中での平凡ともいえるような出来事であった。それが功を奏したのか、アスナは外に興味を抱いた。結論としてはこうなった、外に出てみたいと。

 無表情無感動といったことからは脱却できるかもしれないと思われたが、その範囲がオスティアの外になったことにアリカは頭を抱えることになる。

 

 まず、そう簡単に出れる環境ではない。アスナがおかれている立場はあまりにも特殊であった。当然護衛が必要になるのだが、条件を満たすものがハジメしかいない。しかし、ハジメはアリカの護衛もある上に諜報などの仕事もある。

 それでも、暇を見つけてはアスナと共に城下の街などならば出ていたが、アリカはオスティアの外は危ないと引き止める場面もあった。だんだんと耐え切れなくなったのかアスナがハジメに助けを求めたのだった。

 

「外に出たい」

 ハジメの服の袖を引っ張るように催促する。しかし、得られる回答は芳しいものではない。

「あまり、わがままを言うな。自分の立場を弁えぬほど愚かではあるまい」

「ハジメがついてくればいい」

「それは無理だな」

 ハジメの言葉に僅かにむくれるアスナ。それでも、諦めないと言わんばかりに、暫し抗議の視線を送り続ける。そんなアスナの態度にハジメはため息を一つ。

 

「そうだな、方法が無いわけではないが」

「何?」

 身を乗り出すようにその方法を尋ねる。100年以上も生きていながらこういうところは見た目に比例しているのかもしれないとハジメは内心で思う。

 

「俺と同等の護衛を2人でもつければ、アリカも何も言うまい」

 無理がある提案ではあるが、それだけの無理をしなければ暗に外出は難しいとハジメは伝えた。そして、それがクリアされるのならば言うことはないし、好きにしろというハジメなりの譲歩だった。

 

 そこでアスナが行動を起こした矛先はガトーに向かうのであった。もともとナギとラカンが共に旅をしていたことは聞いていたため、ガトーに連れて行ってほしいと頼んだのだ。

 頼まれたガトーは仕方なしに、アリカへと相談をしに行った。当然、返事は否。どこに付け狙うものが居るのかも分からないのだから当然といえば当然だが。

 

「どうしても……ダメ?」

 

 そこで敢行されたのは泣き落としだった。実際には泣いていないが、普段無表情であるアスナが見せる哀しげに僅かに目を伏せた表情。それは、泣き落としというには十分であり、アリカも思わず怯んでしまった。また、ハジメが言っていた条件もアスナの追い風になった。

 結局、期間を決めてナギとラカンにガトーを含めたパーティならば良いとアリカが折れた。しかし、この条件が満たされなければ、即刻帰るということはなんとか決めた。

 

 

 

「とまぁ、そんな感じだ」

 運ばれてきた料理に舌鼓を打ちながらガトーが説明を終えた。理由が分かり、動機も納得したナギだったが、一つだけアスナに尋ねる。

 

「だけどよ、姫子ちゃん。俺たちの旅は危ないぜ?」

 紛争地帯を歩き、ナギなりのやり方で世界を救っている最中なのだ。道中何が起きるかは分からないと一応念押しはしておく。

「大丈夫。アリカにも聞いた」

 ナギの問いかけに対して、パスタを行儀良く食べながらすぐに答えるアスナ。自分の立場で何が起きうるのかというのは、アリカ自身から体験談として聞いていたアスナはそれでも連れて行ってほしいとお願いした。それほどまでに彼女にとって外の世界というのは望むべくものなのだと分かる。

 

「はっはっは。オモシレーじゃねぇか、歓迎するぜ」

 そして、今回の件に一番喜んでいたのが何を隠そうラカンであった。今も追加の酒を頼み、ジョッキを傾けている。

 ラカンからしてみれば、アスナの合流は願っても見なかったことだった。アスナ自身もなかなかに面白そうな素質を持っていると睨んだラカンは、旅のこの先を思い期待に胸を膨らませ呑む速度を上げるのだった。

 

「できれば歓迎してほしくは無かったが……」

「ガトーは諦めが悪い」

 アスナの辛らつな言葉がガトーの胸をえぐる。ガトーはため息を吐いて、これからする苦労を考えながら新しい煙草に火をつけるのだった。

 

 

 

 ナギとラカンの旅にガトーとアスナが加わったことで、旅に彩が添えられた。

 

 今まで見たことの無い光景にアスナが興味を示せば、ナギとラカンを連れて即座に行動に移していた。その様は見た目どおりのほほえましいものであった。

 

 また、ガトーが旅の計画に具体性を提唱したりする一幕もあった。これは大抵無視されることになっていたが、刹那的に楽しんでいたナギとラカンの旅では見られない楽しさが生まれていた。ガトーからすれば、そのほうがアスナの護衛をしやすい上に諜報の仕事などもし安いという理由も一つとして上げられる。

 

 アスナは表情こそ変わらないが、喜怒哀楽を行動で示すし負けず嫌いな面があるのか、ラカンの安い挑発に良く乗せられていた。

 たとえば、ラカンたちが手慰みにやっていたポーカーにアスナが興味を示し、やることになったのだが。

「今のイカサマっ」

「はっは~、知らんな~」

 ラカンとやることになったが大人気なくラカンが圧勝していた。それに対し、アスナは何度も勝負を挑むという光景が見られた。

 それからラカンがそんな具合にアスナで遊んでいたことは言うまでもない。

 

 

 

 そんな具合に一行は旅を楽しんでいた。

 

「あれは何?」

 今日もまた、ナギに肩車をしてもらいながら街並みを見ているアスナ。そこから興味を引かれたたのだろうか、指を差しながら下に居るナギに問う。

 指差す方向へナギが視線を向けると、大道芸を披露している一団が広場を席巻し、にぎわせていた。

「言うより見たほうが早いだろ」

 そういうと、ナギはアスナの了承を得るよりも早く歩を進め、観客のひとりとなる。

 次々と披露される芸に、アスナは黙ってみていた。そんなアスナにナギは笑みを浮かべながら自分も楽しむのであった。

 

 それを眺めながらガトーとラカンはカフェのテラス席で一服していた。

「へへっ、何だよありゃ」

「楽しんでいるようで何よりだろ」

 半笑いで、ナギの現状を見ているラカンに煙草を咥えながらガトーが椅子の背に体を預ける。

 

 ガトーからしてみれば、思った以上にナギとラカンがアスナに好意的なので想像よりも楽が出来ている。だが、如何せん今という現状に対して気苦労が耐えないというのが現実だった。

 そして、アスナの状況確認をするために定期通信が最近の悩みの種になりつつある。ハジメが相手ならば問題は無いのだが、アリカの場合は本当に心配なのだろう、厄介ごとなどが舞い込んだ事態の話を聞くとそれだけで王宮へと戻したほうがいいという旨の話となっている。

 実際、アスナを王宮に戻したほうが楽は楽である。だが、こうして動いているほうが間抜けな相手は簡単に出てきてくれるので手っ取り早いのだ。

 

(まさかあんな一面があるとは)

 ガトーは内心でそう零す。アリカがアスナに対する感情は王族としての罪、責務だけでなく、どこか妹を思う姉のような一面があるのではないかとがトーは考えていた。それでも過保護すぎる気がしないでもないが。

(一度、ハジメを通して何か対処する必要があるだろうな)

 

「ところでよ、最近吸血鬼が出たという噂は聞いたか?」

「ああ、聞いてはいるな」

(バト)りたいと思わねぇか」

「思わねぇよ」

 ハジメと共にアスナに対する処置をどうするかを頭の片隅で考えながら、ガトーはやる気の無い返事をしてラカンのバカ話に付き合うのだった。

 

 

 

 ガトー、アスナが加わって数週間後の夜。冒険者や商人などが集まる比較的大きな街にナギたちはいた。

 夜ということもありアスナは既に就寝し、ガトーとナギは警護もかねて宿でポーカーに興じていた。そこにラカンの姿は無かった。

 

 街は昼間とはまた違う姿をみせていた。

 そんな街をラカンは一人闊歩していく。目的はお姉さんが酌をしてくれる酒場。子守なり何なりと健全な道中では、こういった楽しみが味わえないなとラカンは鼻歌を歌いながら目的地へと足取り軽く歩いていく。

 比較的広い街道といえど露天は開いており、まばらに人もいるが避けていく。しかし、すれ違いにぶつかってしまった。

 

「すみませんね」

 

 ラカンにぶつかった男は一礼するとすぐさま夜の街に姿を消していく。ラカンは男が消えていった場所を見ていると、懐の違和感に気づき、手を入れる。そこには一枚の紙が入っていた。

「お気楽な旅も終わりってか」

 紙を見たラカンはやれやれと、頭を掻きながらもと来た道へ引き返すのだった。

 

 

 

 一週間後、シルチス亜大陸を抜けヘラス帝国領有地に本格的に入る目前。さすがにこの時期に、帝国へアスナが行くことは躊躇われる上、決められた期間も近づいてきたたため、アリカだけでなくハジメからも戻ってこいという通信が入った。

 結局、一度帰還することになったガトーとアスナだったが、いつもの無表情も暗く見える。

「そんな不満そうな顔をするなよ姫子ちゃん」

「不満」

 素直に吐露されたアスナの言葉に、ガトーもナギも苦笑する。

 

 そこに、ラカンもまた別れを告げる。

「実はよ、ヘラスのじゃじゃ馬姫に呼ばれちまってな」

「何だ、ついてこねぇのか」

 ラカンの言葉に、ナギが意外そうに見る。そんなナギにラカンは卑下た笑みを浮かべる。

「なんだ~?俺様がいないとさびしいのかナギ?気持ち悪いぞ」

「うっせーそんなわけあるかっ」

 ラカンの脛を蹴りつけながらナギが悪態をつく。ナギが向かおうとする方向とテオドラがいる王都は別方向なのだから当然なのだが、いまいち分かっていなかったナギの疑問だった。

 

 こうしてナギたち一行は一端別れ、それぞれの目的地へ向かうのだった。

 

 

 

 

 ヘラス帝国。その王のお膝元である帝都ヘラスにある一つの宮殿にラカンはきていた。目的は当然、テオドラに会うためである。

「久しぶりじゃの~ジャックっ」

 ラカンが部屋に入った瞬間、その体目掛けてダイブするテオドラ。傍に控える御付のメイドたちがざわめく。

「ったく、相変わらずのじゃじゃ馬が……それで、何の用で呼び出したんだ?」

 呆れたようにテオドラの好きにさせながら、ラカンが本題を問う。

 

「むぅ。もう少し、再会を楽しんでも罰は当たらんぞ?」

 大戦中の行動からテオドラの教育は若干熱が入り、その息抜きとしても今日の再会を楽しみにしていたテオドラがむくれながらラカンの肩に乗る。

 一通り満足したのか、懐から写真を一枚抜き取りラカンへとみせる。

 

「あん?何だこいつ」

 そこに映っていたのは黒い服を纏った金髪の女。

 

闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)、不死の魔法使い。他にもこやつを表す名は数多ある。吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)じゃ」

 吸血鬼の真祖。太陽すらも克服した吸血鬼。最強種の一つとされ、その強さは帝国を守護する龍樹をも凌駕すると言われている存在。一般人からすれば伝奇や伝説に近いものだろう。

 

「ほう。で、こいつがどうかしたのか?」

「何、帝国の領有地で目撃したとの情報が入っての」

 ぐでーんとラカンの頭に体重をかけるように寄りかかるテオドラ。いかにも面倒だといわんばかりの態度である。

 少女一人が頭にいようともビクともしないラカンが気だるそうに答えた。

「退治しろってか?」

 

「……ちと違うの。退治しに向かった奴らの安否を知りたいのじゃ。無事ならば止めさせよ」

「は?」

 テオドラの言葉にラカンは訝しげに首を上げる。すると、わたわたとテオドラはラカンのこめかみ辺りに手をはさみ姿勢を維持する。自然と顔を向かいあわせになり、テオドラも顔の近さに若干頬を染める。

 しかし、いかんいかんと顔を数回横に振り、真面目な顔に戻して話を続ける。

 

「そやつの賞金首は600万ドル。およそ2000万ドラクマがついておる」

「そいつは景気がいいな。さすが吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)

「その額が意味することが分かるか?」

 ラカンのぼへーとした顔を見て、考える気すらもないということが分かったテオドラは一つ咳払いをする。

 曰く、その額にしたのはある種の不干渉を生じさせる為。その恐ろしさが分かれば吸血鬼だからといって無闇に立ち向かうものも少なくなる。

 実際エヴァンジェリンがこうして悪名高くなったのは旧世界においてその異質さから来る迫害に抵抗したことが大きい。自らの命がかかるとなればその対処もまた命を奪う結果を生むこととなるのは明白だろう。

 

 そして、エヴァンジェリンも自らが超高額の賞金首と知ればそう簡単に騒ぎも起こすことは無いだろうと当時の為政者たちは考えたのだった。実のところエヴァンジェリンが自ら戦いなどを起こすといった記録はそう多くなく、寧ろ少なかった。

 わざわざ藪をつつくことも無いと、ある程度の不干渉を可能にするとして賞金をかけたのがこの額の意味である。当然、倒しうる人間がいればそれだけの価値があるとしての額の意味も持っている。

 

 今回の一件もテオドラが関与する土地で、面倒ごとを起こしてほしくないという打算的な考えから未然に防ぐこと、ないしは事が起きてから早急に事態を把握したいと言う依頼をラカンにするために呼んだのだ。

 

「分かったかの?」

「分かった分かった。要は倒せばいいんだろ?」

「ちがーうっ」

 ラカンの適当な返事に、テオドラはその耳元に大声で抗議するのだった。

 

 

 

 多少のごたごたはあったものの、テオドラの依頼を引き受けることにしたラカンは、吸血鬼退治に向かった冒険者たちの人数とどこへ向かったかの情報を片手にヘラス帝国の辺境、シルチス亜大陸のはずれである森へとやってきたのだった。

 森の中へと入り、適当に進んでいく。すると奇妙な違和をラカンは感じ取った。

 

「……嫌な臭いがするな」

 目つきを鋭くさせたラカンが辺りを睥睨する。いつでも戦闘ができるように体勢を整わせながら、周囲をうかがう。

 森の中、周囲を警戒しながらラカンは歩を進めていく。

 

 不自然に開けた空間に出ると、そこには惨状が広がっていた。辺りは凍った樹木や血痕がいたるところに飛び散っており、飛び散らせた体は真っ二つどころかいくつにも裂かれているものすらあった。

 

「あーあ、全滅しちまってたか」

 

 ラカンは死体であったものを見渡しながら、テオドラから聞いた情報と照らし合わせる。その人数は7人。そして、吸血鬼も数にあわせれば8人。

 ここにある死体は7つ。ならば、考えられる結論は冒険者たち側の全滅だろう。

 

 ラカンは周囲の惨状を改めて身ながら、コレを作り出した吸血鬼の強さを考える。

(魔力は殆ど残ってねぇが、環境自体が変わっちまってるな)

 もう魔法の影響下から離れているにもかかわらず凍った樹木などを見るに、その氷の威力、魔法の強さが計り知れる。

 

(テオドラが言っていたことも分からなくは無いな)

 普通の冒険者や兵士風情が立ち向かってはいけないということをラカンはテオドラの言葉以上に実感する。そして、ラカンは口角を上げて、嬉しそうに笑みを作るのだった。実に面白うそうだと。

 

闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)……楽しめそうだな)

 バトルジャンキーの本質がラカンを掻きたてるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ナギは、ラカンたちと分かれてからヘラス帝国へ向けてシルチス亜大陸を縦断していた。ところどころで変わらず人助けや、紛争で変わり果てた大地を魔法を用いてできる限りのことをしながら。

 

 そんなナギもヘラス帝国へと入る。光景などが一変するかと思いきや特に変わり映えのしない光景に拍子抜けしつつも先へと進んだ。

 次の街へ向かうため山脈へと入る。登るにつれ増えてくる崖から落ちない様に、足元に気をつけながら進み山を登っていくナギ。

 

 すると、歩いているナギの視界に見慣れぬものが映りこんだ。それは少女。その髪は随分と長く、その背丈を殆ど覆い隠す程だった。髪の色は金色で、日の光を浴びて木も何も無い殺風景な山の中ではやたら映えて見えた。

 少女はふらふらとおぼつかない足取りで歩いており、危なっかしいとナギが思った瞬間。少女の足元の崖が崩れ落ちた。落ちていく岩石と共に少女の体も重力に従って落下していく。

 

 その光景に思わず驚きの声をひとつ上げると共に、自然とナギの体は落ちていく少女を救うために自身も崖から飛び降りた。

 瞬動と風の魔法を駆使して少女の元へと駆けていく。ナギの右手が少女の左手を掴み、その場で静止した。

 

「危なかったなぁ。ガキ」

 

 ナギは安堵から微笑み、少女に声をかける。

 少女は不思議そうな顔で、掴まれている左手の向こうにいるナギを見上げるのだった。

 

 

 

 

 




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第21話

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

 吸血鬼の真祖にして数世紀を生きてきた生粋の魔女。

 闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)、不死の魔法使い、童姿の闇の魔王など数々の二つ名を持ち、それは畏怖を持って語り継がれる存在。

 

 そんな彼女の始まりは、数世紀前にさかのぼる。

 時は中世の欧州。そこで彼女は生まれ、何不自由なく生活できるほどには恵まれていたが、ごく普通の”人間”の少女として生きていた。

 領主の城にある庭で花遊びにふけながら、本を読む。そんな暮らしをしてきた彼女であった。

 

 しかし、それは十の誕生日を迎えた日に終わりを迎える。

 

 彼女が目が覚めたとき、体の違和感に気づく。胸元に短剣が刺さっていたのだ。何が起きているのかも理解できない彼女は、呆然と回りを見た。

 そこには、日ごろ見てきた御付のメイドと執事が物言わぬ骸となって横たわっており、部屋の入り口にはこの城の主が佇んでいた。

 

―素晴らしい―

 

 領主は狂気に満ちた瞳と笑みでそう彼女を讃えた。彼女は問う。コレは何なのかと。私はどうなってしまったのかと。震える声で何も知らぬ少女は涙ながらに聞いた。

 

―君は吸血鬼……不滅の存在となったのだ―

 

―語り部の一人となったのだ―

 

 恍惚に歪む顔。領主は、震える少女に近づき未だ刺さったままの短剣の柄を握る。そして次の瞬間、少女の悲鳴が部屋に木霊した。

 領主は、短剣で少女の胸をえぐり、切り裂き、それでもなお治癒される少女の肉体に歓喜した。

 

―素晴らしいっ素晴らしいぞ―

―やめてっ―

 

 少女は、思いっきり身をひねり、その手を領主の体にたたきつけた。破裂音が小さく響いた後、少女の体が鮮やかな紅に染まった。

 

 目を見開いたまま、小さなしゃくり音を上げる。目の前には領主だったものの下半身が、ズタズタな切断面を残して立っていたが、崩れ落ちるように倒れた。

 それをスローモーションで見ているかのように少女は見ていた。

 

 そこから先のことは彼女は正確には覚えていない。どうやって、その城から出たのか。その城の者たちはどうなったのか、彼女が知ることは無かった。

 

 雪道を一人、赤と白と金に彩られた少女は、ただがむしゃらに走り続けた。これは、悪い夢なのだと、早く目覚めてくれと願い続けながら。

 結局、これは夢などではなく現実で。何処とも知れぬ山の上で太陽を浴びた彼女は、その気持ち悪さに日陰へと逃げた。それは彼女が吸血鬼であることを悟らせるには十分で、少女はその事実に独り、咽び泣いた。

 

 人がいる場所にいなければ生きていけない。ただの人間の少女であった彼女では無理からぬことであった。だが、何不自由なく暮らしていた彼女に生活能力などあるわけも無く、知っている者に頼るしか考え付かなかった。

 そこで彼女は直面する。自らが化け物であることを、恐怖の対象であることを。

 

 朗らかな笑みを浮かべながら本について語り合った姉のような人は、自身の姿を見たときに悲鳴を上げる。いつもおいしい食事をご馳走してくれた叔父は恐ろしいまで目を吊り上げ、怒鳴り散らしながら聖水を浴びせられた。

 浴びせられた場所は赤く焼けたようにただれた。その様に、住民たちはただ恐怖した。

 もう、かつての自分の居場所など何処にもないのだと無理やり自覚させられたまま、瞳に涙をため彼女は走り去っていった。

 

 それから数ヶ月は、まさにぎりぎりで彼女は生きてきた。魔法を知る立場に会ったことも功を奏したのだろう。曲がりなりにも吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)である肉体は初級魔法ならば行使することを可能にさせた。

 獣を狩るには初級の魔法と、その肉体の性能があれば十分だった。その時代で生活するためには十分な能力を彼女は持っていた。

 

 だが、それも長くは続かなかった。

 吸血鬼である彼女は、人間たちにとって狩るべき対象になっていた。どこからともなく吸血鬼の噂は広まり、彼女は野原にいることさえ許されない存在になっていた。

 そこで行われるは大規模な吸血鬼狩り。日陰者として、狩った獣の皮などで生活していた彼女はその話を聞き、その地を後にした。

 

 魔法を知る少女にとって、たとえその肉体が吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)のものであったとしても、殺される可能性があるということに恐怖していた。故に逃げた。逃げ続けた。

 時代が戦争を求めていたこともあってか、彼女は日々力をつけながらその数十年を生き抜いた。その過程の中で吸血鬼の弱点も克服されていった。

 

 戦争も終わり、国に多少の平穏がもたらされれば、彼女の平穏も終わりを告げた。魔女狩りだ。

 2年といれば、少女の異様さに誰もが気づく。たとえ夜に出歩かなくても、彼女の姿は幼いままなのだから。1年も経たない内に街を転々としながらも生きていた。

 

 しかし、居心地が良かったこともあったのだろうか。長くいすぎてしまったことがあった。

 教会は、少女のことをかぎつけ彼女を磔にし、火刑に処した。

 しかし、不滅の吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)である彼女が死ぬことは無く。その日、教会の兵士と神父は天に召されることとなり、街は焼け野原になった。

 

 彼女は欧州を脱し、大陸へと旅に出た。その頃には、魔法で生み出した人形の従者がおり、彼女も戦うことに、殺すことにも随分と慣れていた。

 

 何年か後、魔法世界の話を聞いた彼女は非合法に魔法世界へと訪れることにした。もしかしたら受け入れられるかもしれないと僅かな希望を胸に秘め。

 しかし、その希望も呆気なく打ち砕かれることになる。彼女の居場所など何処にもなかったのだ。

 

 彼女は魔法世界と旧世界を行き来しながら、百数十年のときを過ごし旧世界の南洋の孤島に居を構えてからは、数百年のときを過ごした。

 その間にも、彼女が手をかけることとなった人間は数多く。だが、自分に立ち向かってくる存在が死を覚悟した者になってきたときには、楽になったものだと少女は思えるようになってしまっていた。

 

 しかし、近代になれば誰も知らぬ孤島など無くなる。彼女は久しぶりに魔法世界へ行くことを決めたのだった。

 

 そこで待ち構えていたのは、自らを狙う冒険者たちだった。

 彼らは吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)である彼女を殺すために、吸血鬼を殺すための魔法具をそろえた。それも、全てをあわせれば城が建つほどの上等なものだ。

 再生を許さない剣で傷つけられ、魔法の行使を鈍くさせる水をかけられた彼女は随分と弱体化した。

 それでも、冒険者たちに勝ち目など最初から無かったが。

 

 腕を切り落とされ、従者である人形が分断されたとき、彼女はキレた。静かにその怒りを全身にたぎらせながら冒険者たちと相対する。

 彼女の意思に鼓動するかのように、闇の魔力がその腕に纏われた。

 残された左腕をただ横に振り払う。それだけで左前方にいた4人の上半身と下半身は永久に別れをつげ、その命も消えうせた。

 発狂したかのように、一斉に襲い掛かる残りの冒険者たち。

 だが、彼らはもう彼女に触れることすらかなわなかった。

 彼らの、いや周囲の森が凍りつく。少女は凍てついた目で彼らを睥睨し、詠唱を終えた。

 

―おわるせかい―

 

 砕け散っていく冒険者たちに目を向けないまま、従者を拾い集め彼女は去った。

 

 

 

 どのくらい歩いたのだろうか。彼女はふらふらになりながら、山を登る。

 

 右腕に視線を向けるエヴァンジェリン。腕に力が入らないことは、傍目にも分かるほどであった。また、その肉体も魔法具による傷で、完全な治癒には至っていない。こればかりは時間を待つしかない。

 ただの吸血鬼であるならば致命傷の傷も、吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)である彼女にとっては治りにくい傷に過ぎない。だが、それでも傷を負いすぎた。

 

(なぜ私はこんな姿で生きながらえているのか……)

 不意に思い、自嘲気味に笑みを作る。もう死ねることはないと分かってはいても、思ってしまうことがある。危機に瀕したからだろうか、久々にそんなことを思ってしまう。だが、影にしまっている従者を思い出し、自然と早足になる。

 

 それがいけなかったのだろうか、不意にバランスを崩した。いや、正確には地面が傾いたのだ。地面がひび割れ体が宙に投げ出される。魔法具の後遺症だろう、魔力がうまく練れないせいか、自然の法則にしたがってその体はただ落ちていく。

 

(私も終わりか)

 これだけの高さがあれば、もしかすれば死ぬのかもしれない。化け物である自分がこういう終わり方をするのは滑稽だが、それもありかもしれないと、どこか諦めている頭で思う。

 だが、その体はそれ以降落ちることは無かった。左手が何かに握られていることに気づいたエヴァンジェリンは、ゆったりとした動作でその握っている者を見上げる。

 

「危なかったなぁ。ガキ」

 

 微笑を浮かべたまま、青年は呆けたままのエヴァンジェリンに話しかける。

 そして、その青年の微笑を見たエヴァンジェリンは、ただこう思うのだった。

(まぶしい…)

 

 それは、それまでの一生を闇に歩いてきたエヴァンジェリンにとって初めて差し込んだ光であった。

 

 

 

 

 

 ナギはエヴァンジェリンを引っ張り上げ、先ほどの山道へと戻った。

「れ、礼を言う」

 エヴァンジェリンは普段言うことのない言葉を言うことが照れくさいのか、頬を染めどもりながらもそう告げた。ナギはそれに笑いながら気にするなといい、先を進んだ。

 それについてくるかのようにトトッと歩き出したエヴァンジェリンを後ろに見ながら、奇妙な同行者が増えたことにナギは笑みを浮かべた。

 

 山脈を抜けるとすでにあたりは薄暗くなっていた。

 ナギは近くを流れる川から魚を獲ってきて、焚き火をしながら夕食の準備を進めていた。ちなみにエヴァンジェリンもそこに同席しており、ナギは2人分の魚に木の串をさしていく。

 満月だからだろう、エヴァンジェリンが受けた傷も癒える速度が上がり、多少の力は戻ってきていたが目の前の男と離れる気にもならずにいた。

「ほら、食えよ」

 ナギが出来た焼き魚をエヴァンジェリンに手渡す。それを素直に受け取り、食す。

 不思議と笑みがこぼれるのをエヴァンジェリンは気づかず、そんな様子を眺めていたナギは満足そうに自分も焼き魚を食べ始める。

 

(こうして、誰かと食事をするのはいつ以来か…)

 少なくとも数百年は昔だろう。そんなことを思い出しながら、ナギを見ると自らを眺めて笑みを浮かべていることに気づき、何事かと思う。

 

「な、何だ?」

「いや、うまそうに食うなって」

 

 気づけば、魚は骨だけになっており、気恥ずかしさを感じるエヴァンジェリンだった。

「あ、う。ええい、もうひとつ寄越せ」

「はははっ。ほらよ」

 照れ隠しにもう一本焼き魚をもらい、視線をナギからそらしながらもくもくと食べるエヴァンジェリン。

 

(不思議な奴だ……)

 ちらりとナギを見ながら、今まであったことのない人間だとエヴァンジェリンは思う。そして、無意識にこんな疑問が口に出た。

「お前は……誰だ?なぜ、私を助けた?」

 その疑問に、ナギは焼き魚を食うのを一旦やめる。

「あん?さあな、なんとなくじゃね?」

 ナギからしてみれば、当たり前の行動だったのか。特に思うところは無く、故にそんな答えを返すのだった。

 これには、エヴァンジェリンも黙るしかなく、2人は再び焼き魚を食べ続けるのであった。

 

 

 

 ナギが通った山の頂に、ラカンは一人遠くを見るように景色を眺めていた。

「こんくらい高ければ、見えると思ったんだがなぁ」

 高いところから見れば、目的の人物である闇の福音を見つけられると思ったのだろうか。ラカンの頭の中では見つかるものだと思っていたらしい。

 

(まぁ、吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)なら分かるだろ)

 そう考えたラカンは、手を合わせ目を瞑る。意識を集中させながら、自然の鼓動を自らの感覚に取り込んでいく。彼から言わせれば、なんとなく探索できるような感じだ。

 カッと目を見開くと同時に溢れる大量の気。それは、風のように全方位に向かいあたり一面に流れるのだった。

 

 山が、森がざわめくこと数秒。

 

「ふむ。なんとなくしか分からんな」

 それでお、強者がいるということが感覚で分かったらしいこの男は、その方向へととりあえず歩を進めることを決めた。

 

 

 

「な、なんだ今のは……」

「龍でも出たのかも知れねぇな」

 ぴりぴりと肌をさす感覚に、ナギとエヴァンジェリンは警戒を強める。焚き火の火を消し、辺りは月が照らす光だけが差し込む。

 

 しばらくすると、ナギがある方向へと体を向けたまま杖を構えた。それにあわせるようにエヴァンジェリンはナギの背後に位置を取った。

「こっちに来るな……そのまま隠れてな、ガキ」

「二度とガキというな……私を甘く見るなよ」

 若干怒気を孕んだ声のエヴァンジェリンに、ナギは向かってくる何かに対して意識を向けることにした。

 

「っ」

 森から飛び出てきた影に、ナギは無詠唱で数十にのぼる魔法の矢を放つ。それに対応するかのように影も、魔法の矢を撃ち落していく。

 

 一度矛を交えれば互いの実力が分かるというもので、ナギは相手と距離をとる。それは相手も同じようでお互いに一定の距離をとったまま敵の姿を見据えた。

 

「あん?」

「んん?」

 

 そして、お互いに顔を知る相手だったと気づくのだった。

 

 

 

 ひとまず、互いの事情確認のため再び火をたいて一堂に会する3人。

「ぷくく、おいおいマジか。闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)がこんな幼女とか」

「ほう、いきなりいい度胸だな筋肉だるま」

 ラカンは含み笑いにエヴァンジェリンの正体に正直な感想を述べる。テオドラから渡された写真は幻覚なのだろう大人の状態で写されたものだったのだから仕方ないといえば仕方ない。

 その物言いに青筋を額に浮かべながら立ち上がるエヴァンジェリン。

 

 話についていけていないナギは、興味なさげに食事を再開していた。

 そんなナギの様子をちらりと確認したエヴァンジェリンは、妖艶さを伴った微笑を浮かべる。

「そうだな、筋肉だるまもお前にも紹介をしておこう」

 纏っていた黒のローブがはためく。影から浮かび上がるは従者である人形。回復した際に直したのだろう、元の姿を保ちその上背を超える剣を両手に携えていた。

 

「私の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル……吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)にして誇りある悪の魔法使いさ」

 

 客観的に見れば、幼女が胸を張る微笑ましさを感じるようなものだ。だが、エヴァンジェリンを風格が、瞳がそれを強者としてのそれにみせていた。

 それを感じ取ったのか、ラカンは先ほどとは種類の違う笑みを浮かべる。さも愉快そうに、大声を上げて笑う。一頻り笑った後、ラカンの目はバトルジャンキーのそれになっていた。

「いいな、いいじゃねえか。ちょっと遊ぼうぜ」

「くく、八つ裂きにしてやろうか」

「オオ、随分乗リ気ダナ。御主人」

 そんなラカンにエヴァンジェリンはくつくつと笑いかけ、従者であるチャチャゼロは主人の機嫌が良いことを悟る。

 

「いいか、貴様良く見ておけ。私がどんな存在なのかをその目に焼き付けろ」

「俺もう眠いんだけど」

「いいから見ておけっ」

 食事を終えたのか頬杖しながら、やり取りを見ていたナギは欠伸をしながら適当に返事を返す。そんなナギに不満げな視線を送りながらもチャチャゼロを前衛に据え、思考を切り替える。

 

 先ほどからガキという扱いが気に食わなかったという理由から、このバトルに意欲的なのは彼女しか知らない。

 

 

 

 月光が差し込む森の中、エヴァンジェリンとラカンが相対する。

「さて、600万ドルの賞金首がどんなもんなのか見せてもらおうか」

「金に目が眩んだ愚か者は、短命なものさ」

 

 仕掛けてこないならば、こちらからいかせてもらおうか。そう呟いてチャチャゼロに契約を通じて魔力を付与させ強化する。飛び跳ねるように懐へと入ったチャチャゼロにラカンは驚きの声を上げながら迎撃する。

 しかし、人形ゆえの利点。その身軽さと軽さから振るわれる動きと強化による一撃の重さはラカンの予想を上回る。

「うおっ」

 懐から回転し、一瞬で背後に回ったかと思えば、上空、足元とラカンを翻弄しながら切り刻んでいくチャチャゼロ。数が多いのか対処しきれずに攻撃が幾つか通る。

「ドウシタ?コンナモンカ筋肉ダルマ」

 一切手を緩めずにラカンに喋りかける。その言葉にラカンは余裕の笑みを浮かべる。気勢をあげ一転、守勢から攻勢に出てチャチャゼロに打撃を繰り出した。数百年の経験からか、チャチャゼロは目の前の男の強さを一瞬で理解する。

(ヤベエっ)

 打撃は凄まじい速度でチャチャゼロの頭をかする。さらに連撃が続き、その一撃はチャチャゼロを粉砕しようとうなりを上げる。嵐を前にしているかのような拳の連撃に、いつしか動ける領域が狭まっていることにチャチャゼロは気づかない。

 

「チャチャゼロっ退けっ」

 エヴァンジェリンが叫ぶように命令する。しかし、時間稼ぎは十分。魔法使いとは究極的には砲撃としてその火力を振るえば良いというのが彼女の考えであり、戦い方だ。

 周囲の闇が濃くなり、凍えるような冷たさを持つそれが広がっていく。

「む」

 ラカンは体の違和感に気づく。足元が凍っている、いや腕が体が凍り始めていた。

 

 エヴァンジェリンは密かにほくそ笑みながらラカンが凍りいく様を見届けていた。

 闇を媒介にし空間を凍りつかせていく魔法は、敵を無力化する際に彼女が良く利用するものだった。対策さえされていなければまず間違いなく氷の像が出来上がる。

 今回も自分の力を分からせるために行使し、この後どう料理しようか考えていた。だが、それは早計であり相手が悪かった。

 

 なぜなら、規格外の英雄『千の刃』ジャック・ラカンが相手なのだから。

 

「フンっ」

 一息で空間を包む極寒の闇に皹が入る。強まるラカンの気にその皹は見る見るうちに広がり、最後は呆気なく霧散した。

 すでに無力化したものだと思っていたエヴァンジェリンは唖然としながらラカンを見る。自然と疑問が口に出る。

「ど、どうやって……」

「気合だ。大抵のことは気合でなんとかなる」

「なってたまるかーっ」

 親指をぐっと立てながら笑みを浮かべ答えるラカンに、エヴァンジェリンは全力でツッコんだ。当然だろう、そんな訳の分からない理論で自身の魔法が解かれたのだから。

 

「それにしても……互いに見誤っていたらしいな」

 首を鳴らしながらエヴァンジェリンを見据えるラカンはそう口にした。それにエヴァンジェリンは眉をしかめながらも同意した。彼女の思惑を斜め上の方向で打ち破った相手として認めざるを得ない。

「仕切りなおしだ、全力で楽しもうぜ」

 

 そういったラカンの体がぶれた。次の瞬間、チャチャゼロの剣とラカンの拳が衝突していた。その衝撃波で周囲の木々が揺らめく。

「チャチャゼロ、全力でやって構わん」

「オーケーオーケー。久々ダナ」

 更なる強化の魔法がチャチャゼロにかけられる。膂力はラカンに負けるが、打ち合いはそれだけで決まるものではないとその身で示すとおりに拮抗している。

 

「知ッテルカ?人形ノ体ハコンナ事モ出来ルンダゼ?」

 チャチャゼロの間接が大きく曲がりながら、脚に供えられた刃がラカンの首元へと伸びていく。それをラカンが叩き落すが、その勢いでチャチャゼロは反転。足元からの振り上げがラカンの顎を狙う。

「うおっあぶねっ」

 一歩退いてそれを避けるが、横から闇の吹雪がラカンを飲み込む。

 

 吹雪が止んだ場所には、ラカンが平然と立っていた。実質2対1の状況という中で、それでもラカンは楽しそうに笑みを浮かべる。

「無傷とは呆れる」

(チャチャゼロ……1分だ)

(マジカ……了解ダ)

 チャチャゼロに念話を送りながら、悪態をつく。普通の冒険者程度なら一瞬で消し飛ぶであろう一撃もラカンの前では意味をなさない。呆れた丈夫さである。

 

 今度はチャチャゼロからラカンへと吶喊する。何処に隠し持っているのか数多の剣を出しながら、ラカンを翻弄する。

 チャチャゼロの戦い方が変わったことなどラカンはすぐに気づいた。しかし、気づけたからといってそうやすやすと術者に向かわせるような相手ではない。

(おいおい、あれはまずいんじゃねえか?)

 背筋に嫌な汗が流れるのをラカンは感じながら、チャチャゼロを潰そうと拳を振るった。

「羅漢萬烈拳!!」

 目にも留まらぬ乱撃にチャチャゼロの握る剣が砕け散るが、その体は風のように舞いながら回避する。しかし、それを待っていたかのようにラカンはその腕を掴み、振り返りながらエヴァンジェリン向けて投げ放った。

「&羅漢大暴投!!!」

 

 そして、そのままの姿勢で彼は凍った。

 

 宙へと浮いていたエヴァンジェリンは、投げられた従者を華麗に受け止める。

「ご苦労だったなチャチャゼロ」

「大変ダッタゼ」

 すでに景色は一変していた。木々も大地も凍りつき、そこを支配するのはエヴァンジェリンの膨大な魔力。冒険者たちを相手取るときは桁違いの魔力を使った魔法。中心となっているのは氷の像と化したラカンであり、氷柱がそこかしこに飛び出ている。

「安心しろ、次は殺す気でやってやる」

 すでに聞こえていないだろう事は分かっていながらも、エヴァンジェリンは笑みを浮かべて最後の詠唱を終える。

 

―おわるせかい―

 

 砕け散っていく世界。木々も大地も等しく砕かれ、霧散していく。すでに空高く非難していたナギは綺麗なものだと思いながらその光景を眺めていた。

 心配などしていない。ナギはラカンがどれだけ出鱈目なのかを知っているのだから。

 

「ハーハッハッハッハ。見たかっ筋肉だるまっ」

 エヴァンジェリンは哄笑しながら辺りを見回す。周囲は随分と見晴らしの良い光景に様変わりしていた。これだけの規模で魔法を行使したのは彼女自身久しぶりなのか随分と機嫌が良さそうである。

 

「いやー今のは結構危なかったぜっ」

「だから何で生きているっ」

 氷で埋まっていた地面からラカンが当然のように飛び出す。今度はさすがに無傷といかなかったのか、いたるところが凍りつき、凍傷のようなものが見受けられる。

 エヴァンジェリンが取り乱す。あまりの想定外に驚きを隠しきれない。

 

 拳をたたき合わせ、気合を一つ。ラカンはエヴァンジェリンの目の前に現れた。そのまま流れるように右拳をエヴァンジェリンの腹に当てる。

「なっ」

「零距離全開!ラカン・インパクトっ!!」

 あたり一面は眩いほどの光に包み込まれる。それはまるで太陽のようであり、そこから一つの影が凄まじい速度で落ちていった。

 落下した場所は陥落し、森は吹き飛んだ。落下したのはエヴァンジェリン。腹には穴が開き、口からは血を吐いた。

 されど、彼女は吸血鬼の真祖。不滅の体は即座に修復していく。しかし、凄まじい衝撃だったせいだろうか、未だに体が震える。

 

「おーすげぇな、吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)ってのは」

 ラカンがチャチャゼロ片手に降りてくる。ひょいっと人形をエヴァンジェリンの元へと放り投げる。

「ふん、貴様のような出鱈目人間が言う言葉ではないな」

 そう悪態をつきながら立ち上がる。一瞬でチャチャゼロを修復する。再び向かい合う二人が思うことはただ一つ。

 

 まだやれるな?

 

 それだけだった。片方は詠唱を唱え、もう片方は気を体に纏わせながら笑みを浮かべる。戦いはまだまだ続く。

 それはまるで、自然災害がぶつかり合うような戦いであった。

 

 

「いやーやりすぎじゃね」

 それをずっと眺めていたナギは止めることもなく、そのまま静観して眠りに着いた。

 

 

 

 

 

 帝都ヘラス。執務室の一室である部屋で帝国の第三皇女であるテオドラは執務をこなしていた。

 しばらく仕事をしていると来客を告げるベルが鳴る。

「通せ」

 政務に携わるようになったといっても来客を選ぶほど忙しくなった身でないテオドラは、傍らにつく秘書に許可を出す。

 

 数分すると、来客がテオドラの執務室に通された。来客はラカンに仕事を頼むよう仲介させた諜報のものだった。

「何用じゃ?」

「はい、ラカン様からの報せが届いたのでその報告に…」

 そう告げる彼は、どこか具合が悪そうにしながらここへきた目的を話す。

 

「おお、そうか。続けよ」

「はい。報告によりますと、討伐へ向かった冒険者たちは全員死亡が確認されました」

 想定内だったのだろう、特に取り乱すことなくテオドラは頷く。しかし、若干その目は悲しそうに伏せられた。

「そして、闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)と戦闘を行ったそうです」

「あやつは本当にもう……」

 これも、予想はしていたのだろう、うなだれながらも頷く。

「あと、申し訳にくいのですがその戦闘の跡がこちらです」

 そういわれて提示された画像はただの荒地だった。テオドラはこれはなんなのかと茶を飲みながら首を傾げる。

 

「ここはヘラス南西の森があった場所です」

 告げられた言葉にお茶を盛大に噴出したテオドラ。御付のメイドたちが慌てふためきながら対処している。

 

「な、なんじゃと?」

「ですから、森があった場所です」

 若干涙ながらに真実を告げる。変わり果てた国土に乾いた笑いしか出ない。詳細を述べると、山は二つなくなり、森は半分以上が消えた。最早違う土地である。

 

「それと……追加の報告としてもう一つあります」

「あ~なんじゃ?」

 早く言えと手を振るテオドラ。差し向けた手前これらの件は彼女自身が奔走することになるからだろう、もうすでに疲れきっていたが、更なる追い討ちが存在する。止めとも言う。

 

「ラカン様はナギ様と合流したようなのですが……その金髪の少女がともにいたという報告が」

 その報告を聞いたとき、テオドラは呻き声を上げながら倒れるのであった。

 

 

 

 

 




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第22話

 

 帝都ヘラスに比較的近い街の食事どころに奇妙な組み合わせの三人組がいた。

 

「おいっ、それは私のだぞっ。筋肉だるまっ」

「いやーすまんすまん。もう口の中だロリババア」

「悪いと思ってないだろう貴様っ」

 エヴァンジェリンが右向かいに座るラカンにフォークを向けながら抗議する。全く悪びれもせず咀嚼しているラカンは、とぼけたまま食事を続けている。

 ラカンとエヴァンジェリンが言い争っているうちにナギがぱぱっと二人の分を掠め取る。

 

「おいこらっ、俺の分がなくなるだろうがっ」

「ナギ、貴様もか。ってお前が言うなーっ」

「脇が甘いんだよっ。はははー」

 それに気づいた二人が矛先をナギに向けるが、笑いながら最後の肉を口に運ぶ。

 

 客観的に見れば和気藹々と食事を続けている様は、とても賞金首と英雄が席を同じくしているとは普通には思わせないほどだった。

 

「随分ト楽シソウデ何ヨリダ。御主人」

 最後の席に鎮座している人形が見たことのない主人を見てそう呟くのであった。

 

 

 

 

 

 ナギたちが楽しそうに旅をしている頃の王都オスティア。

 王宮内の執務室の一つでアリカは政務をこなしていた。傍にはハジメやアルビレオも同じく彼らがこなすべき仕事をこなしていた。

 ハジメは近衛軍などの軍務、諜報に関して、アルビレオはその知識量からアリカの補助など政務に携わっていた。

 資料をめくる音や捺印の音が響き渡る執務室の中、アリカはしきりに髪を触ったり出入り口に目を向けたりと落ち着きのない行動が目立っていた。

 

 そんなアリカに堪えきれなくなったのかハジメがため息を一つ。

「そわそわするな、鬱陶しい」

「ふふ。仕方ないと思いますよ?何せアスナ姫が帰って来るのですから」

 ハジメの注意にアルビレオが苦笑しながら、アリカをフォローする。無意識だったのか、指摘されたアリカは顔を若干紅くしながら机に顔を向けた。

 

 アルビレオの言うとおり、今日はアスナがオスティアへと戻る日であり、アスナを可愛がっているアリカは気になって仕方がないのであった。それでも、政務を滞らせていないところは流石といえる。

 

 そして、アスナとガトーの帰還を知らせるメイドが部屋に訪れる。そこから遅れること数分。ガトーとアスナが入ってきた。

「ただいま戻りました」

「ただいま」

 軽く一礼をして、帰還の旨を告げるガトーに続くようにアスナも無表情のまま帰りを告げる。

 

「おお、ご苦労であったなガトー。おかえりアスナ」

 そんなアスナたちにアリカは笑顔で迎えるのだった。

 

 ひとまず休憩ということで庭先へと場所を移し、執事が茶を入れる。茶葉の香りが庭に広がり、一層華やかに映す。

 アリカとアスナは隣同士の席に着き今回の旅の感想を聞く。

「旅はどうであった?」

「楽しかった」

 カップに口をつけながらも即答するアスナ。そこから続く話に、アリカは驚きながらも無表情であるが楽しそうに話すアスナを嬉しさと哀しさが織り交じった複雑な表情で相槌を打つ。

「…そうか」

 

 そんなアリカに気づいたのだろう、アスナの話が途切れる。

「やっぱり、嫌だった?」

 それは外に出たことに対することなのだろうと思い、アスナが尋ねる。

「いや……うむ。やはりアスナにはここに居てほしいかの」

 アスナの利用価値というものは知るものが使えば、世界の理さえ覆せるものになる。完全なる世界が壊滅状態だからといって、いつ造物主が反旗を翻すのかも分からない。もしかしたら王族の秘密を知る者がいるかもしれない。

 そう考えるアリカに、この状況でアスナを外に出すことはやはり躊躇われた。

 

「でも、私は……」

 そこでアスナが思い出すのはやはり今回の旅であった。ナギと回った街々は彼女にとって新鮮で興味深いものばかりであった。ガトーに連れてもらったところも、退屈はしなかった。ガトーは大変であっただろうが。

 ラカンには随分と煮え湯を飲まされたことも思い出し、仕返ししなければならないと固く誓いなおした。

 そうして思うのは自分が王族としてではなく、ただのアスナとして生きてみたいという叶えられるはずもない願いなのだということにふとアスナは気づいた。

 だが、これを言うわけにもいかず、結局それ以降の言葉は続かなかった。

 

 場に沈黙が下りる。

「落ち着け阿呆」

 そんな言葉と同時にハジメがアリカの後頭部を軽くはたいた。

「……なにをする」

 少々痛かったのか、ハジメにそんなことをされると思わなかったのか、涙目で抗議するアリカ。

「その話は後日だ。それよりもお前に客だ」

 視線を庭の入り口に向けるとそこにはなんともいえなさそうな表情をしているタカミチの姿があった。どうやら、話しかけづらい状況だったようだ。

「むぅ」

 言い足りないのかうなり声を上げて非難がましい目を向けてから、タカミチの方へと歩いていくアリカ。

 

 アリカが出て行った後、口を開いたのはハジメであった。

「あいつなりに心配なんだろう、それはわかってやれ」

「知ってる」

 そんなことはアスナも十分理解している。だが、彼女自身未だに知識も性格もちぐはぐな部分があるのだろう。だが、先ほど思ったことは彼女なりの一つの答えだったことに違いはない。

 

「だが、お前が本当に外に出たいというのなら構わん」

「えっ」

 だからだろう、かけられた言葉に驚いたのか若干目を見開いてハジメを見上げるアスナ。

「そのための策もいくつかある」

 ハジメはそう言ってアスナを見下ろす。ただここで言うことはないだろうと、話に区切りをつける。

 

「どうせ、しばらくはここに留まるんだ。どうしたいかじっくり考えとけ……ガトーもいることだしな」

「厄介ごとを俺に回すのは勘弁してほしいんだが……」

 ガトーの呟きをあえて無視しながらハジメは続ける。ガトーは新しい煙草に手を出して火をつける。紫煙を吐くその姿には哀愁が漂っていた。

 

「子供一人どうにかできないほど、俺らは無能ではないのでな」

 アスナの髪を若干乱暴に撫でる。それをアスナが両手で振り払う。

「子供じゃない……」

「子供だ。子供は子供らしくしておけ」

 ふっと笑みを浮かべて、話は終わりだと自分の仕事に戻るハジメであった。

 

 

 

 夜になり、自室に戻ったアリカはハジメの隣に座りながら黙ったままでいた。昼間の件について未だにご立腹のようであり、ささやかな反抗として黙っているのだが、隣にいる時点で意味は無いだろう。

 ハジメも特に気にすることも無く、口を開く。

「アスナの件だが」

 昼間の続きのようだとアリカが気づき、視線をハジメに向ける。

「お前はどう思う?」

「私……?」

「そうだ」

 どう思うというのは、恐らくアスナが外に出るべきなのかということだということはすぐ察せられた。

 

「私はやはり、この地にいたほうが良いと思ってる。近いうちに王制もなくなるこの国なら、アスナもただの少女として生きていける」

 それまでは、王族としてアリカ自身が世話をしたいと思っていた。

 

「ただの少女……か。黄昏の姫御子の器はそのままなのにか?」

「それは……だけど、どうすれば良いか分からないの」

 そういってアリカは両足を引き寄せ抱えた。俯き隙間から伺える彼女の顔はどこか悲痛なものが見えた。ただの少女として生きることのなんと難しいことか。生まれだけではない、アスナには、もとより備わっているものが大きすぎた。

 黄昏の姫御子としての能力と知識。そして、ただ王国を繁栄させる為だけの歯車として生かされた代償として彼女の心は歪んだのだろう。感情は乏しく、人としての生を謳歌できるとはとてもではないが思えなかった。

 

「実際……外に出すことは難しくは無いだろう」

 ハジメはアリカを見ながら一呼吸おき、紫煙を一つ吐く。アリカもそれは分かっているのだろう小さく頷いた。

 

 もとより、黄昏の姫御子という情報自体が機密情報としての性質を持つ。アスナがそれだと知ることが出来るのは、完全なる世界が壊滅した今一握りの者だけだろう。

 実際にアスナがナギたちと旅をしても、不審な輩がいたということをガトーは確認できなかった。

 

 また、仮に知るものが現れたとしても。迂闊に手を出させないようにすればいい。

 たとえば、その身を永久に封印したという情報、それを隠すために身代わりを用意しているという情報を流し、実際は本物が身代わりをこなす。

 ここで第二の情報の信頼性をなくせば、そこに突っ込んでくるような輩は程度が知れる存在であり考慮するに値しない。実際には守れる環境を整えるだろうが、それで数%のリスクは限りなく0にできるだろうとハジメは考えていた。

 

 これは事情を知る人間が少ないほど、効果を発揮する。日常生活を送っていくならば知らない者との関わりは増えていき、その日々は誤解を助長させるからだ。そんな状況を観察すれば姫御子だとは思わなくなるだろう。

 

 それで過ごせる未来はある。ただ、そんなハジメにも一つの懸念があった。もし黄昏の姫御子としての背負ってきたものを下ろしたいと、ただの少女として生きていきたいという選択肢をアスナが望んだ場合のことだ。

 

「もしも、過去と決別して生きたいと……アスナが言ったら」

 どうするの、とアリカが問う。その答えはアリカには用意できなかった。もしも、今までの苦しみを全て忘れたいとアスナが願ったとしてもそれを叶える方法をアリカは知らない。

 ハジメは短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

「過去との決別……か」

 実際そのための方法なら幾つか考えられる。たとえば、記憶や能力の消去、封印だろう。だが、黄昏の姫御子には魔法の効果が無効化されるという能力が備わっている。体質といってもいいかもしれない。

 なぜそのような能力が備わっているのか、その理由こそ分からないが記憶に干渉するには魔法がおそらくはかかせないはずである。

 だが、それこそが黄昏の姫御子、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアに残された決別の方法だとハジメは考えていた。その存在価値を過去のものとして葬ればいい。

 

「無愛想娘がそれを選んでも、どうにかしてみせんとな」

「……いつも頼ってばかりで、悪いとは思ってる」

 アリカはそう呟いて体を傾かせて、隣にいるハジメの肩に頭を乗せた。

 ふっとハジメは微笑み、手をアリカの頭にのせて気にするなと言う風に撫でる。アリカは一瞬目をぱちくりとさせ、気持ち良さそうに目を細めながらハジメの膝へと甘えるようにして凭れ掛かるのだった。

 

 

 

 アスナは部屋のベッドに座っていた。寝る前に飲むホットミルクを入れたマグカップを両手で持って、冷まそうと息を吹きかけながら、昼間のことを思い出していた。

(ただのアスナとして……生きる)

 自らが外に出たいといったのも、きっとそのためだろうなとアスナは内心で結論付けていた。黄昏の姫御子としてではなく、ただのアスナ、少女として生きたいのだと。

 ただの少女として生きて、街を闊歩し楽しみたいのだとアスナは心のどこかで思っていた。そして、それがきっと無理であろう事も理解していた。

 ふいに、頭に左手をおく。ハジメに乱暴に撫でられたことと言われた言葉を思い出した。

 

(子供は子供らしく……)

 

 明日この気持ちを、思いを言ってみようとそう決めたアスナはちびちびと飲んでいたホットミルクを飲み干し、眠りにつくのであった。

 

 

 

 翌日再び一堂に会したハジメたち。アスナから話があると呼び出されたのだった。

「さて、無愛想娘……どうしていきたいか決まったのか?」

 昨日の今日とは早いものだとハジメは内心で思いながら、アスナの目を見て問いかける。それに静かに頷くアスナ。彼女の答えは決まっていた。

 

「私は、外に出たい。ただのアスナとして生きていきたい」

「それは、黄昏の姫御子としての過去と決別してという意味か?」

 ハジメの言葉に対して、アスナは小さく頷いた。ハジメはアスナの答えに否定も肯定もせず、まずアリカを見た。

「……アスナが決めたことならば、何も言うことはない」

 アリカはアスナに微笑みかける。

 

 そんなアリカを見たアスナは握りこぶしを作って顔を伏せる。

「でも、怖い……アリカやハジメ。ナギたちと出会ったことまで無しにしたくない……」

 アスナが吐露した心情は、アリカの心を打つには十分であったのかその手は自然とアスナの頭にいき、優しくその髪を撫でた。

「ふふふ。安心せよ、アスナ。きっとハジメが何とかして見せてくれる」

 自然と綻んだ表情で、アスナを慰めながら視線をハジメに向ける。アスナも顔を上げてハジメを見る。

 

 ハジメは咥えた煙草を右手に持って、紫煙を一つ吐いた。

「まあ、そうだな。時間はかかるだろうが……」

 こちらに視線を向けている二人に対して、僅かに笑みを浮かべる。

「どうにかしてみせよう」

 

「随分と格好いい事を仰いますね。ハジメは」

「全くだ」

 若干離れた位置にいるガトーとアルビレオがハジメの言葉を冷やかすように感想を述べる。その顔はにこやかである。

「当然お前らも手伝えよ?特に古本」

 だが、続く言葉にガトーとアルビレオが固まる。

 

「いや、現状でも手一杯なんだが」

 ガトーが冷や汗をかきながら、少し待ってくれと手を出す。

「私、紅き翼(アラルブラ)の中でも働き尽くしじゃないですかね?」

 アルビレオもぎこちない笑みでお茶を濁そうと述べる。だが、ガトーのいる前でその言葉は無い。

 

「ほう」

 アリカの視線が二人に突き刺さる。無表情のアスナの視線も加わって、二人は居た堪れずに降参するのであった。

 

 方向性は決まった。これ以上話は続けずとも良いな、とハジメはアスナの方へと近づく。

「ひとまずは今の生活を楽しめ、無愛想娘」

 アスナはハジメを見上げて大きく頷いた。出来るはずが無いと思っていても、目の前にいる人ならばやってくれるとどこか信じられることに内心で驚く。

 また乱暴にアスナの髪を撫でた後去っていったハジメの後姿を見ながら、アスナは不思議に思うのだった。

 

 

「……私の頭を撫でても良かろうに」

 隣にいるアリカが思わず呟いた言葉が聞き取れず、アスナが聞きなおし慌てふためくアリカの姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 そして、しばらくの間はガトーの仕事もありアスナが外に出る事はなかった。その代わりに、よくいるようになったタカミチとその修行につきあうようになったアスナ。

 

 今日もまた、修練場にいるタカミチを傍らで眺めていた。

「左手に魔力、右手に気」

 精神を集中させながらイメージを呟く。今、タカミチが修行している内容は、基本的な体術と格闘法。そして、咸卦法。

 

 咸卦法は究極技法(アルテマ・アート)と呼ばれ、これを習得するには年月を必要とする。お世辞にも才能があるとはいえないタカミチに対して、ガトーが弟子に出した課題の一つとして咸卦法の習得があった。

 タカミチが身に着けるには長い期間が必要であることは明白だが、身に着ければこの上ない武器になると判断したからだ。他にもいろいろと必要なことがあるのだが、年月が必要な咸卦法を並行で学ばせ修行の最後にやらせるようにしていた。

 

 タカミチの体を魔力と気が覆っていく。が、すぐに破裂音と共に霧散した。疲労が溜まっていたのか、膝から崩れ落ちる。

 肩で息をしながら、呼吸を整える。

「頭をからっぽにしろって言われてもなぁ……」

 思わず愚痴がこぼれ出る。大戦が終わってからというもの、本格的に弟子として鍛えられているといってもまだ短い。成果の上がらない修行は思いのほか厳しいものがある。

 咸卦法に至っては、成功のイメージすらわかない。師匠であるガトーの助言を思い出しても、それがうまく出来ない自分に歯噛みする。

 

 大の字で寝そべったタカミチを見ながらアスナが、おもむろに両手の平を胸の前辺りにかざす。

「……左手に魔力……右手に気……」

 瞬間、魔力と気が融合した力がアスナを纏った。それを見たタカミチが口を開いて唖然としている。

「嘘……」

「……出来た」

 無表情に呟くアスナを見て、がっくりと項垂れるタカミチ。

 しばらくした後、奮起したのかタカミチが再び立ち上がり咸卦法の修行を再開した。結局倒れるまで続けたが、成功の兆しは見られなかった。

 

 

 

 その一方でハジメは、オスティアの国立図書館の奥部にいた。奥部には王族に連なる身分のものしか閲覧が許されない書物も多く、貴重な魔術書などが並んでいた。

 ハジメの目的は一つ。黄昏の姫御子について記述された書物であり、それも魔法無効化に連なる能力に関して書かれた物。だが、その成果は芳しくなかった。

 記されているものが見つかっても、伝奇のような曖昧なものばかりが目立ちとてもじゃないが目的に合致するものはなかった。

 

(……造物主(ライフメーカー)に頼るという手もあるが)

 だが、それはある理由によって現状できない手段であった。結局、しらみつぶしに探すしかなく、ハジメが座る机には本が積み重なっていた。

 

 そんな日々がしばらく続き、そろそろ全ての本を読み終えようとした頃一冊の古ぼけて今にも崩れそうな本の内容がハジメの目に留まった。

 

――黄昏の姫御子は鍵である。一方的に干渉を許された存在であり、この世界に……

 

 それ以降の文字は掠れて見えなかった。だが、その一文にハジメは思うところがあったのか手を止めたまま思考する。

(鍵……一方的に干渉を許された?)

 思い出すのは、墓守人の宮殿に閉じ込められたアスナ。世界を無に帰すための儀式。鍵という単語と一方的に干渉を許されたというのは、魔法世界におけるその立ち位置を指すのではないかとハジメは一つの仮説を立てた。

 

(魔法無効化というのは、副次的な作用であって本質では無いのか?)

 

 思い出してみれば、儀式も魔法の一種であり、あのときアスナを取り込んでいたものも魔法と捉えていいのではないか。だからこそ、魔法無効化とは一つの現象であり、それは全て適応するわけではないと推測できる。ならば、記憶についてもなにかしらできることがあるのかもしれないとハジメは考えた。

 いささか突飛な考えだと自覚しつつも、その仮説からなにか繋がるかもしれない。そのために仮説を裏付けるためのものがないか、ハジメは再び資料を探し始めた。

 

 

 

 そんな日々が続いたある日、ガトーが諜報の仕事から戻った。

 元老院や各地の政治家たちの詳細や完全なる世界の残党などの情報をアリカ達と共有することと、アリカがヘラス帝国へ向かう際の話し合いのためだ。

 共同で立ち上げるプロジェクトなどの仔細、今後の予定について。また、友好であることを示すための会談だ。

 

 だが、オスティアからアリカとハジメがいなくなるため、そこにアスナが伴うことになった。

 結局、記憶の封印については目途が立たず、ひとまず魔法世界において現状手出しする者の有無を確かめるという意味合いのもと、アスナの旅を許可したのだ。

 そこには当然、ナギが護衛をすることを念頭においている。そのためにはナギがいる場所へ向かわなければならないが、ちょうどいいことに今は帝国にいる。

 

「ナギたちはどうやら帝都にいるみたいですね」

 ガトーがナギの所在を確認しながら、アリカたちと詳細を煮詰める。といっても、前回と別段換わりはしない。ただ、場所が帝国へと変わってしまったためその部分の確認を行っている。

「帝都か……テオに話は通したから大丈夫だとは思うが」

 目的地となる帝都ヘラス。そして、旅をすることになるヘラス帝国は広大だ。亜人としてもその種族は多い。第三皇女といえども手の届かないところは出てくるだろう。

 その考えに行き着くのは至極当然だったため、今回の旅としてはナギとラカンの両者が揃っていることが絶対条件に入る。

 

「まあ、大丈夫でしょう。前回も楽しそうでしたし」

「それもそうか」

 ナギたちの力は最早疑うべくも無いため、前回の行動を思い返し太鼓判を押しとくガトー。こうして、思ったよりも早くアスナが再び外に出る機会が訪れた。

 

 

 

 王宮に設けられた一室。無機質なつくりのその部屋は、どこか研究のために作られたような印象を抱く。そこにハジメ、ガトー、アルビレオが集っていた。

 彼らはこの部屋にただ一つ設えられた中央の机を前にしている。

「ほら、これが今回収集したものだ」

 ガトーが無造作に資料を机に置いた。それを他の二人が読む。ガトーが諜報の仕事のほかにハジメに頼まれていたことは黄昏の姫御子についてだった。

 だが、もともと一般に知られることは無い情報だ。自ずと捜索における条件の範囲も広がる。伝奇やそういった情報も集まってしまった。

 

「俺が調べたものと大差ないな」

 同じ状況におかれているハジメが零した言葉に、仕方ないだろうとガトーが紫煙を吐き出しながら肩を落とす。資料に一通り目を通したハジメは視線をアルビレオに移した。

「ああ、私のほうはハジメに頼まれていたものを探してきました」

 これらです、と部屋一面に広がる陣。何事だとガトーが目を僅かに見開いて部屋中を見回す。

「これは記憶に干渉する魔法を儀式として用いた陣です」

 そんなガトーに対してアルビレオが説明する。

 

「何のために……こんなもんを?」

 自然と疑問が口に出たガトーはハジメを見る。ハジメも部屋中にある陣を見回して、煙草に火をつける。

「これはまだ仮定の話なんだがな」

 そう前口上を述べたハジメは、これまでに集めた情報から自らの仮説を二人に話した。

 

 それは、黄昏の姫御子は儀式に用いられるような陣を用いれば魔法の効果が得られるのではないかといった仮説であった。

 

「そうか。完全なる世界(コズモエンテレケイア)は儀式に嬢ちゃんを使おうとしていた」

「つまり、儀式という形をとれば黄昏の姫御子にも魔法は使えるということですね?」

 ハジメの仮説にガトーとアルビレオはなるほどといった感じでそれぞれ頷いた。

 

「実際に試してみて発動はした」

「……発動は?」

 仮説を実証するために、実験を行わないわけが無い。実験を行ったハジメの言葉に、ガトーが喜色の表情を浮かべかけるも、アルビレオにはその言葉が引っ掛かり、その真意を問う。

 

「発動はしたが、その効果は無愛想娘には発現しなかった」

 ハジメは、そのときの光景を思い出しているのか目を閉じて、アルビレオの問いに答えた。

「それは残念でしたね」

「それじゃ、振り出しか?」

 二人とも冴えない表情をしながら、残念だと口にする。

 

「いや、まだ分からないな……何か足りないのかもしれん」

 ハジメ自身は仮説を否定せずに、まだ知らない情報があると二人に言った。その言葉に、二人は頷いて今後も各自調査をして有益な情報が出ることを願い、解散した。

 

(だとしても……何が足りないというのか)

 解散した後、ハジメはいまだ解決できない事態に頭を悩ますのだった。

 

 

 

 そんな中でヘラス帝国の帝都ヘラスに出立する日を迎えた。

 王国専用の飛空艇が用意され、その中へアリカたちが乗り込む。そこには当然アスナの姿もあり、初めての飛空艇に頻りに辺りを見回し、内部を観察していた。

 アリカはアスナのそんな様子を見て思わず微笑む。

「飛空艇は初めてであったか?」

 尋ねられたアスナは忙しなく顔を動かしながら頷く。

「落ち着け阿呆が。そろそろ出発するぞ」

 ハジメに窘められたアスナが大人しく席に着く。

 

 こうして、アリカたちは帝国へと向かった。

 

 

 

 

 

 帝国へと無事に着いたアリカとハジメはひとまずテオドラに挨拶をしに王宮へと向かった。

 残されたガトーは、とりあえずアスナにどうするかを尋ねた。街を回るか、休むか。ちなみに王宮へは客人ではないため、行くことは出来ない。

「お腹すいた」

 返ってきたアスナの言葉に恭しく了解の異を示したガトーは、アスナに若干引かれながらも食事をとることにした。

 

 街中を散策しながら適当な店を探すガトー。アスナも入りたい店があればと言われたため、低い視線からがんばりながら店を見る。

 ガトーが歩いていると、アスナに袖を引かれる。店があったのかとアスナを見る。

「疲れた。肩車して」

 アスナの言葉に苦笑するも、仕方なく言われたとおり肩車をするガトー。

 

 そうして街を歩いていると、随分とにぎわっている店を見かけたガトーはそこに入ることにした。

 近くに寄ると、美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐり、空腹を感じ始めたガトーは期待しながら案内された席に着き、アスナも向かいの席に座った。

「おーい、ガトーっ」

 一服でもするかと懐の煙草に手をかけたとき、自らを呼ぶ声が聞こえ周囲を見る。すると、見慣れた赤い頭とデカイ男が手を振っている姿が目に入った。

(出向く前に見つかるとは幸先がいい)

 内心で出だしのよさを感じながら、アスナと共にナギたちの元へと向かう。

 

 食事を始めたばかりだったのか、テーブルの上にはサラダとドリンクだけが載っており十分な広さを持っていたためガトーたちも座れるのだが、その光景を目撃したガトーはそこから微動だにしなかった。

「どうした?ガトー」

 不思議そうに尋ねるナギに、首を傾げるアスナ。だが、ガトーは震える指である人物を指差す。

 

「ナギ。そいつは誰だ?」

「ん?ああ、エヴァンジェリンだよ、なかなか面白いやつでなぁ」

「なんだ、その評価は」

 ナギの言葉に不満があるのだろう、少し口を尖らせながら文句を言う金髪の少女。

(エヴァンジェリン……)

 ガトーの記憶に間違いがなければ、ある手配書の人物に酷似している。というよりも本人じゃないのかと思わざるを得なかった。恐る恐るガトーが尋ねる。

「まさか闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)……じゃないよな?」

「おー、そうだぜ」

 特に思うところが無いのか、サラダに手をつけながらガトーの質問に答える。

 

「ま……マジか」

 思わぬ事態にガトーはそう呟き、突如現れた問題に頭を抱えるのであった。

 

 

 

 

 




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第23話

 ガトーは目の前の光景に混乱していた。と言うよりもあきれていた。

 

「へへっ、これは俺がもらっておこう」

 ラカンが得意気にエヴァンジェリンの皿にあった料理を掠め取る。しかし、それに対し僅かに口角を上げるエヴァンジェリン。

 料理を口に運ぼうとしたラカンの動きが止まる。口を大きく開けたままの挙動で静止したその姿は笑いを誘う。

「そう何度も何度も同じ手が通用するとでも?筋肉だるまが……」

 愉快そうにくつくつと笑いながら、酒盃を傾け器用にラカンの目の前の皿を糸を使ってラカンの口元へぶちまけた。

 

「食らいたいなら自分の皿を綺麗に片付けろ」

 目を伏せ、食事を続ける。ラカンは力任せに糸を切り、詰め込まれた料理を咀嚼していた。

 

 料理の取り合いでそんなやり取りをする二人になんとも言えない気持ちにさせられるガトー。その隙を突いて掠め取るナギにも呆れるが、暢気な光景に闇の福音とはなんだったのかと思い出す。

 そんなガトーとアスナはちゃっかり自らの料理は死守したりしている。

 

 

 

闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)として生きる魔女。国をも滅ぼしたとも言われているが……)

 目の前で繰り広げられている精神年齢が小学生のようなやり取りに、様々な伝聞の信憑性が音を立てて崩れるのをガトーは幻視した。

 

 だが、そんなことよりも大問題があった。その人となりは一先ずおいても、賞金首がナギたちと行動を共にしているという事実にガトーは頭を悩ませていた。

(どうせ、面白いとか思って仲間に引き込んだんだろうが……)

 実際はエヴァンジェリンがついてきたのだが、結局はそういう流れになったので間違ってはいないだろう。

 当たらずとも遠からずといった考えに、これからどうするかをガトーは思案する。うまいはずの食事が不思議とさびしい思いを感じさせる。

 

(しかし、困った)

 ちらりと隣に座るアスナを見やる。問題というのは、当然アスナにかかわることだ。

 そもそもナギとラカンを探していたのは旅の護衛を任せたいからだ。護衛の戦力としてこの二人は申し分ない存在だろう。エヴァンジェリンも戦力としては問題ない。闇の福音としての実力は推して知るべしだろう。

 

 問題なのは賞金首が同行するということだ。

 

 果たして厄介ごとを呼び込むような存在は護衛に適しているだろうか。答えは否だ。

 賞金首が同行することに降りかかる問題の主は襲撃だろう。強大な魔女である彼女を襲い掛かる人間は少ないかもしれないが存在はする。そしてそれは往々にして強き者たちだろう。

 襲撃されるうち、いつか噂されるだろう。ナギたちがエヴァンジェリンと行動をともにしていると。その際に起こりうる問題として、もしその場にアスナがいたとするならば。

(……何が起こりうるか分からんな)

 メガネの位置を指の先で直しながら、眉間に皺が寄っていることを自覚するガトー。うまく事を運ぶ考えも思いつかず、騒がしい食事が終わるのだった。

 

 

 

 エヴァンジェリンは食事中、ラカンとナギから料理を死守しながらある人物をずっと見ていた。それは自分よりも幼いであろう少女、アスナだった。

 まず、彼女の目を引いたのはその異様な雰囲気だったのだろう。見ただけでそれを察することが出来たのは、恐らくエヴァンジェリン自身も理不尽な運命に翻弄された少女であったためか。ともかく、アスナを一目見ただけでその見た目と纏う雰囲気の異常さに気づいた。

 その瞳と表情に感じ取れるものがある。ただの無表情とは違うそれは、数百年生きた中で見慣れたものを宿していた。それは、絶望と虚無。これらは、一度堕ちればなくすことなどできはしないものだとエヴァンジェリンは知っていた。

 だが、その瞳はそこから這い上がろうとしていた。確かな光を宿り始めているように彼女は感じとる。

 

 彼女自身がそうであったためだろうか、どこかアスナに自分を重ねるエヴァンジェリンなのであった。

 

 

 

 食事を終え、食後の一服と洒落込みながら、ナギたちは歓談する。

「そういや、ガトーはまた姫子ちゃんのお守りか?」

 ナギが軽く笑みを浮かべて、ガトーにこの帝都へ来た理由を尋ねた。帝国へ入ることが分かれる一因だったのだから、理由ぐらい知りたいと思うだろう。

「いや、まあ……そうなんだがな」

 どこか歯切れの悪い調子で、言葉に詰まるガトー。自然と視線はエヴァンジェリンへと向いてしまう。向けられた当人は、食後の紅茶を楽しんでいたが、その視線に訝しげな表情を作る。

「ん?なんだ」

 お互いにどういう人物なのかを知らない。いや、賞金首という情報を得ているガトーからすれば、ある程度のフィルターがかかっている。当然、悪い方へのフィルターだ。

 

 視線が交差し、下手な沈黙が降りるのを嫌ったガトーが口を開く。

「改めて自己紹介だ。俺の名はガトー、こいつらとはまぁ……腐れ縁みたいなもんだな」

 長い付き合いというわけではないのだが、如何せん大戦という中身が濃い時間を供に過ごしてきたのだ。自分の中でしっくり来た言葉をガトーは述べた。

「知っているとは思うが、私の名はエヴァンジェリン……悪の魔法使いさ」

 最後に怪しげな笑みを浮かべガトーを見るエヴァンジェリン。ただ、最後の言葉にラカンが噴出し、気が削がれたと睨みつける様はいろいろと台無しにしていた。

 

「あー……やっぱ、そうなのね」

 食事前にも確認したが、本人からの自己紹介でそれは決定的になってしまった。その事実にガトーも自然とやる気の無い相槌の言葉を零す。

「どうかしたか?」

 ガトーの様子がおかしいことに気づいたのか、その無気力さを気遣ったのか定かでないがナギが隣の席に移る。

 

 ナギの疑問にガトーは、話すべきかどうか数秒瞑目し考えた。今はまだ、ナギたちに頼んでいない。引き返すなら今のうちだが、果たしてこの問題を先送りにするべきかどうか。ハジメたちとどうするか。

 ガトーがいくつかの思考を並列させていると、逆隣から疑問への回答が行われた。

「また……ナギたちと旅する」

「おーそりゃ楽しくなるだろうな」

 ナギはアスナに告げられた言葉に、笑みを浮かべる。前回旅したことが楽しかったのだろう。即座に了承の言葉を述べる。

 

 自分を無視して進められている話にガトーは思わず割り込んだ。 

「待て待て待て。すまんがその話は一時保留だ」

「え、なんで?」

「いえ、その……」

 ガトーの言葉に、アスナが率直な疑問を投げかけた。顔こそ無表情であったが、その瞳はどこか哀しげなものを宿しており、それを察したガトーは二の句を継げなくなった。

 

「どういうことだよ」

 ナギも真剣な表情で問いかける。理由を吐かざるを得なくなったガトーはコーヒーを一口飲んで、ため息を一つ。その視線をエヴァンジェリンに向けた。

「理由は簡単だ。彼女が同行するならば嬢ちゃんを連れてはいけない」

「あん?なんでだ。襲ってくるような連中に負けるようなことはねえよ」

 エヴァンジェリンが賞金首であることなど知っているナギは、考えられる理由を否定して問題が無いことをガトーに話すが、そういうことではないとガトーは首を振った。

 

「そういうことではないさ。ナギ」

 そして、ガトーが危惧することに思い至ったのだろうエヴァンジェリンが静かに席を立った。自然とその姿に注目が集まる。

 エヴァンジェリンはアスナと視線を交わす。数秒だろうか、じっとお互いに見つめあうと、エヴァンジェリンはどこか諦めたような寂しげな笑みを浮かべる。

「貴様らとの旅はここまでのようだ。なかなか楽しかったぞ」

 そういい残すと、さっと身を翻して街の中に紛れ込んでしまった。突然の事態に誰も動けずにいると、ラカンが口を開く。

「いいのか?ナギ」

「えっ?いや……というか、なんでだよっ」

 かけられた言葉に我に返ったのか、一瞬戸惑を見せるナギ。しかし、なぜエヴァンジェリンとの旅に連れて行けないのか。エヴァンジェリンと一緒ではダメなのか。その理由をガトーに問う。

 そこから話されたのは、賞金首であるからこそのデメリットであり、そのデメリットを享受することはアスナの立場上無理だということだった。

 

「だ、だけどよ……あいつ、悪い奴じゃないんだぜ?」

 子供っぽいところもあるしよ、とエヴァンジェリンと旅をして得られたその人となりを説明するが、ガトーが首肯することはなかった。

「無理だ。だが、いなくなったのなら連れて行けるな」

「いなくなってねえっ」

 ガトーの言葉に思わず怒鳴るナギ。怒鳴られるとは思っていなかったのか、ガトーが目を見開いてナギを見る。

「だが、行っちまったぞ。あいつ」

 ラカンは相変わらず椅子に凭れながら、事の推移を見守っていた。だが、それは終わりだとナギに選択を迫る。

「決めろよ、ナギ……ここが分岐点だ。アイツはいい奴だった(・・・)

 

「継続か決別か。お前はどうしたいんだ?別に分かれたからってどうにかなるわけじゃねえだろ」

 矛盾している物言いにガトーが眉を寄せる。確かに、アスナが旅に同行しなくてもどうにかなるわけじゃない。それはエヴァンジェリンについても同じはずであった。

「大体よ。なんでお前がそこまでムキになるんだよ」

 仲間が賞金首としてのデメリットを持っていたからなのか。仲間をバカにされたからなのか。それとも、もっと別の理由があったからなのか。それをラカンははっきりさせたかった。

 

「ムキにって……」

 自覚があったのだろう。ナギは、反論することもできず黙ってしまう。

「アイツ自身は否定していないし、自分から去っちまった。お前が出る幕あるのか?」

「こんな分かれ方したらもう会えねえかも知れねえ」

 賞金首のせいで分かれればエヴァンジェリンが、それを理由に会わなくなるのではないかとナギは思ってしまった。それはきっと折角出会った仲間がもう会えなくなるのは嫌だと本人は思っていた。

 

 それを聞いたラカンは思わすといった風に噴出し笑ってしまった。心情を吐露したのは恥ずかしかったのか、ナギは額に青筋を浮かべて睨む。

「くく。だったら他の奴らはどうなんだよ。もしかしたら、もう会えないかも知れねえじゃねえか」

「あん?そんなわけないだろ」

「なんでだよ。ゼクトの爺さんだって今は何処にいるのか分からねえだろ」

 ラカンの言葉に詰まるナギ。確かに連絡を取り合っているわけでもないゼクトの行方も、今はこうして目の前にいる男も別れれば何処にいるかは分からず、次会える日は分からないだろう。

 

「要は、だ。お前はあのロリババアに何かしら特別な感情を抱いているってことだ」

「な、なんでそんなことになんだよっ」

 その結論に納得いかないのか、ナギがラカンに詰め寄る。だが、ラカンはいやらしい笑みを浮かべながら続ける。

「ん~だってよぉ……なかなか楽しそうだったじゃねぇか。いつもいつも」

「なっ」

 本人に多少なりとも思うところがあったのだろう。思わず、顔が紅潮するナギ。

 そんなナギを見て、ラカンは優しげな笑みを浮かべる。

「……行けよ。マジで二度と会えなくなるぜ?」

「ぐっ。特別だってのは認めてやるが、好きなわけじゃねえっ」

 そういい残して、エヴァンジェリンが去っていった方向へと駆けていくナギ。

 

 それを見送る残された3人。見守っていたガトーが疲れた表情を浮かべて口を開く。

「なんてことしてくれてんだ」

「別に~。いいじゃねぇか、面白そうだしよ」

 そういう問題じゃねぇだろ、と顔を手で覆いながらこれからどうするかを本気で悩みだすガトー。

 服を引っ張られる感触に戻されたガトーがそちらのほうへ見やる。そこには当然アスナがいたが、その様子がどこかおかしかった。

「ナギ。応援しよ」

「嬢ちゃん、そうじゃなくてだな」

 どこかずれていた姫と一先ずいろいろと予定が崩れてしまったことを嘆きながら、ガトーはハジメに連絡を取ろうと画面を映し出すのだった。

 

 

 

 

 

 帝都から西へすぐの森でエヴァンジェリンは、ただひたすらに駆けていた。いろんな思いが溢れ、じっとしていると爆発してしまうのではないかと錯覚してしまうほどの感情に囚われる。

 数百年を生きてきた彼女にとってこの数ヶ月はいろいろなことが起こりすぎた。良いことも、悪いこともだ。だが、結果的に見れば良いことばかりだっただろう。

 

 ナギに出会えたこと。ナギとラカンとの旅は彼女にとって得がたきものになっていた。

 だが、それを享受するためにはアスナを蔑ろにしなくてはならない。自分自身とどこか重なる少女、けれども自分と同じような闇の道に進むことは無いだろう少女を思えば、また自分が諦めればいいと、彼女は思ってしまった。

 それは彼女にとって当然のこと。自分は生きるために力を手に入れた。決して光を望むためではなく、ましてや奪い取ろうと決めたわけではない。もとより光に生きられるとは思ってもいなかった。

「ぐっ」

 なのに、涙が、溢れる。どれだけ拭おうとも、涙は止まらなかった。

 

 

 

 どれだけ駆け抜けたのか。気づけば夕闇が辺りを覆っていた。ふと立ち止まり、そして、空を見上げながら歩く。

(戻っただけだ……昔のように)

 そう自分に言い聞かせるように彼女は歩く。だが、思い出すのは、ナギと出会ったあの日から今日までの楽しい日々ばかりだった。

 今までの日々が全てかすれるほどに、それは眩いものだった。彼女がナギを光と評する様に、ナギと共にいた日々は光だったのだ。

(そんな日々を味わえただけでも……僥倖さ)

 立ち止まる。その気配は街を出てから感づいてはいた。駆けていても近づくその気配はとても慣れ親しんだものだった。

「それで隠れてるつもりか?」

 エヴァンジェリンの言葉に、周囲から魔法の射手が降り注ぐ。着弾と同時に上がる砂埃でその周囲は隠された。

 

「これで終わり……な訳無いよな」

 ぼそっと呟く冒険者。彼らは賞金首であるエヴァンジェリンを仕留めるために前から追っていた者たちだった。たとえ英雄といたとしても、それで改心するとは思っていなかった彼らは待っていた。今日という日を。

「っ」

 未だ視界を遮っている砂埃を前に身構えていると足元が動かないことに、続いてやけに周囲が冷たくなることに気づく。

 突如上がる断末魔の叫び。気づけば、周囲は闇に覆われている。編成を組んでいたはずの仲間も見ることは出来ず、焦燥感だけが募っていく。

「おいっ、どこにいる?」

 思わず、叫ぶ。だが、それはどう考えても悪手だった。

「ここにいるさ」

 目の前に現れた化け物。その姿に冒険者は表情が引きつるのを自覚する。考えが甘かった。賞金に目が眩みすぎ、自分たちを省みなかった代償はその命だった。

 

 返り血を浴びたエヴァンジェリンは、血で染まったその手を見ていた。

 

 

 

 たまたま街から出て行くのを見た情報を元に森へと向かったナギは、必死に駆けていた。

(どこいやがるんだ)

 そう内心で毒づきながら、あたりに警戒しながら進んでいく。

 すると、視界に戦闘が行われているような爆発と煙があがる。ナギは一直線にそこへ向かうのだった。

 

 近くまでやってきたナギは、速度を緩めて少女の姿を探した。

 そして、血で染められたエヴァンジェリンを見つける。あちらも気づいたのだろう、視線をナギへと向けた。

 

 どこかおかしい様子のエヴァンジェリンを目の前に、ナギは思わず駆け寄ろうと一歩足を出す。しかし、それはエヴァンジェリンの叫びによって遮られる。

「くるなっ」

 目じりに涙をためたエヴァンジェリンがナギを睨もうとするが、溢れ出した涙を見せたくないのかすぐに顔を伏せる。

 

 エヴァンジェリンはナギと出会ってからの日々を思い出す。そして、それまでの自分とを比べ思う。

「私をこれ以上……弱くするなっ」

 気丈に振舞おうとしても、溢れる涙がそれを許さない。しかし、それでも誇りある悪を貫いてきた、強くならざるを得なかった少女は顔を上げる。

「これ以上……優しくするな……」

 改めて思い知った自分という存在。ただ殺されるためだけに生きる化け物。吸血鬼である自分が目の前に立っている男と共に光に照らされて生きていられるわけなど無かったのだとエヴァンジェリンは思ってしまった。

 

 エヴァンジェリンが決別を告げたその顔は、助けを求める少女の顔だったと、今まで立ち寄った街の平凡な少女たちの泣き顔となんら変わりないものだとナギは知った。

 エヴァンジェリンは特別な存在だとナギは思っていた。紅き翼(アラルブラ)で共に戦った存在とは違う。アリカのような女性とも違う。完全なる世界(コズモエンテレケイア)で戦ったアーウェルンクスとも違っていた。

 

 だが、それは勘違いだったのだとナギはエヴァンジェリンの顔を見て思い知る。気づけば、エヴァンジェリンの近くまで駆けよりその小さな体を抱きしめていた。

 何が起きたのか一瞬理解できなかったエヴァンジェリンも抱かれている状況に気づくとナギから離れようともがく。

「ばっ、離さんか……離せっナギ」

 握りこぶしをナギの胸にたたきつけても、抱きしめられる力は強くなるばかりで、エヴァンジェリンはどうしていいのかもう分からなくなっていた。

「離せ……優しくするなと言っただろ……」

 弱弱しい口調の声もか細くなっていき、消えていった。

 

 

 

 しばらく抱き合った後、落ち着いたのか場所を移した2人。見晴らしのいい、月が良く見える丘に隣同士で座っていた。月を眺めて暫し。

「俺は、好きな奴がいた」

 ナギが口を開く。その目は空を仰いでいてどこか遠くを見ているようだった。

「そいつを意識したのはいつだったかは分からねぇ。だが、気づいたら目で追ってた」

 ナギが思い描く姿はいつも戦争を終わらせようと、倒れるんじゃないかと思うほどに奔走していたアリカ。そして、いつもハジメを想っていたアリカだった。

「でも、そいつはもう俺の手が届かない場所に行っちまった」

 数ヶ月前の婚姻のパレードで嬉しそうなあんな姿を見てしまったナギの心情は筆舌に尽くしがたいものだった。

 

「そんな話を私に聞かせて何のつもりだ?」

 目じりに涙を残したまま上目遣いにナギを見るエヴァンジェリン。

「いや、だからさ。誰かを好きになるってことを…無意識に避けてたんだよ」

 ナギは自然と手を伸ばしその金色の髪をなでた。くすぐったいのかエヴァンジェリンは目をつぶりながらもどこか気持ち良さそうにしている。

「だけど、姫子ちゃんのためにお前が旅から外れるって聞いたときにはもう無意識にお前庇ってた」

 けれどもそれが他のメンバーだったらきっと違っただろう。そして、ラカンの言葉にナギがエヴァンジェリンをどう扱っていたのかを気づかされる。

「それで気づかされたんだよ」

 

「なぁ、エヴァ」

 ナギは、エヴァンジェリンの体を自分と向かい合わせ、真剣な表情で少女の大きな碧い瞳を見る。

「な、なんだ」

 変化した雰囲気に思わずどもってしまう。

 

「俺……お前が好きだ」

 

 まっすぐ見つめられる瞳にエヴァンジェリンの頬が紅潮する。

「私は……悪だ。闇にいるべき化け物さ」

 だが、それは叶えてはならないものだということを悟ってしまった。ゆえにエヴァンジェリンは身を引こうとするが、ナギがその体を抱きしめる。

「関係ねえさ。お前の罪も……苦しみも全部俺が半分背負ってやる」

「ナギ……」

 

「だからさ……俺と一緒に来いよ」

「お前は本当にバカだな……」

 顔を俯かせるその瞳から涙が溢れ一筋の線を描く。

 

「私も……好きだよ」

 それは、少女の願いが届いた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 帝都ヘラスの王宮の離れ。応接室にも使われるその場所にガトーたちはハジメと連絡を取り合い向かうことになった。

 連合とはまた趣の違うつくりの部屋は、厳かな気分に自然とさせる。

 ガトーたちがつくとそこにはすでにハジメたちが待っていて、事の起こりを説明した。

 

「知るか。放っておけ」

 説明を終えた開口一番の言葉に、ガトーは苦笑するしかなかった。予想通りというかぶれない考え方の男だと改めて認識する。

「そういうわけにもいかんだろ。嬢ちゃんのこともある」

「そこは我慢してもらうしかあるまい。オスティア周辺ならば今まで通り出れる」

 ハジメの言葉にガトーが思わずアスナを見る。ハジメも視線を向ける。注目されたアスナは、考えるように目を伏せた後、口を開いた。

 

「……やだ」

「理由は?」

 答えが分かっていたかのようにハジメは即座に聞いた。

 理由。それを尋ねられたアスナは考える。なぜ、エヴァンジェリンと旅をしたいのか。いくつかのことを考えながら、簡単な答えにたどりつく。少なくとも彼女は楽しそうだったとアスナは思って、ならきっと自分と旅をしても楽しいんだと思ったのだ。ならば、理由と述べることは簡単だった。

 

「……私、あの人とも一緒に旅してみたい」

「そうか。だが、それは無気力男の述べたとおり無理なことだ」

 取り付く島もなく切り捨てられたアスナはハジメを睨むも、全く動じないハジメの様子に逆に怯んで部屋を出て行ってしまった。

「ストレートに言いすぎ」

「下手に希望を持たせても意味がなかろう」

 間に入ろうとしていたアリカが、ハジメに一言。返された言葉に、融通が利かないと零しながらアスナの後を追った。

 

「じゃが、実際にどうするのじゃ?」

 話に割り込むつもりがなかったテオドラが今後の方針を聞く。英雄であるナギが賞金首と共にいるということが既に問題であり、そこから発展するとしたら更なる問題が発生する。

「あいつはそんなこと気にしねえだろうがよ」

 ラカンは面白そうに笑う。事実愉快なのだろう。

「表沙汰にしなければ問題もあるまい」

 ハジメも冷静に対処法を述べる。たとえ賞金首であろうと、今までのナギの行動を顧みるに改心させたと噂が立つかもしれないなと希望的観測ではあるが思ってもいた。

 ならば、問題は無いなとテオドラは自分の仕事に戻るために部屋を出るのだった。

 

 残されたハジメ、ガトー、ラカンは一先ずソファに座った。

「で、本当にこのままでいいのか?ハジメ」

 口を開いたのはガトーだった。アスナの供になる機会も多かった彼は若干情が移っていたようだ。

「まあ現状でも特段問題は無いわな」

 ラカンの言葉にガトーは頭脳労働をしねえ奴は黙ってろと言わんばかりに冷たい視線を送る。へいへい黙ってますよ、とラカンは用意されていた紅茶を飲む。

 

「……如何せん取れる手段が少なすぎる。というよりもない」

 問題はエヴァンジェリンが賞金首であり、吸血鬼であること。他にも狙われる要素が多すぎる。それをどうにかする手段など現状ではなく、ラカンの言うとおり別段問題の無い現状を維持することが望ましかった。

 ハジメの言葉にガトーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かばせ、頭を掻く。短くなった煙草を灰皿へと押し付けて、新しい煙草を手に取る。

「どうにもできねえってわけか」

 仲間が評判を落とすことも、吸血鬼をなんとかしてやることも、姫の希望も叶えてやることができない自分に苛立つようにソファの背もたれに身をゆだねる。

 ガトーが零した言葉を最後に、解散することとなった。

 

 

 

 ハジメだけだ取り残された応接室。今日するべき仕事は既になく、ただ思考に没頭していた。どうすれば、円滑に事が進むのか。だが、得られる答えはすべて否。

 結局自分に出来ることなど何も無いのだと思い知らされる。

 

 考え込んでいると、覚えがある気配に気づく。

「何のようだ?古本」

「ふふふ。さすがですね、ハジメ」

 現れたのはアルビレオだった。だが、今はオスティアにいるはずの彼にハジメは怪訝な顔をする。

「何故ここにいる?」

 さっさと疑問に答えろといわんばかりの言葉に、アルビレオも思わず苦笑する。

 

 そして、いつも微笑んでいる表情から一変、真剣な表情になるアルビレオ。

「実はですね闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)……エヴァンジェリンのことで話があります」

 ハジメがアルビレオを見つめたまま、数秒のときが流れる。聞くことを決めたのだろう、懐から煙草を一本取り出し火をつけた。それを話を聞く体勢だと解釈したアルビレオが話し始める。

 

「エヴァンジェリンの話に移る前に、そろそろここで顔を合わせるようになって1年近くになりますね」

「まぁ、そうなるな」

 本題の前の話題にしては、おかしな入りだ。そう思いつつもハジメは頷く。

 

「貴方はうすうす感づいているのではないですか?」

 どこか試すようなアルビレオの言葉に、ハジメは一つ思い当たることがあった。それは、ハジメがアルビレオに対して感じる微かな違和感。

造物主(ライフメーカー)……のことか?」

 ハジメの言葉を聞き、アルビレオが流石ですと笑みを浮かべる。

 

「はい、その通りです。私はもともと(・・・・)魔法世界人です」

「もともと?」

「そうです。けれども私は旧世界においても生きていけます」

 魔法世界人は旧世界で行動することはできない。彼らが生きられるのは魔法世界という幻想で作られた世界だけのだから。だが、それに抗うように作り直されたのがアルビレオ・イマという男だった。

 造物主に改変された存在であるアルビレオのその力を、ハジメは反応していた。いわば造物主の対極に位置するたった一人の存在だからだろう。

 

 本を媒介にして旧世界とを行き来できるようになった魔法世界人。幻想と現実のハザマをいくもの。だからだろう、彼のアーティファクトが人の人生を綴るものなのは。

造物主(ライフメーカー)と面識はありませんが、私がそういうものだという認識はなぜかありましたよ」

 

「ここからが本題です。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、彼女も恐らく同じ存在(・・・・)です」

 アルビレオの言葉にハジメは眉をひそめる。

「奴も本だというのか?」

 

「いえいえ、違います」

 わざとですか?と苦笑気味にハジメの言葉を否定するアルビレオ。仕方なしにハジメも言いなおす。

「奴もまた、造物主(ライフメーカー)に改変された存在だということか?」

「確証はありませんが…おそらくは」

 今ひとつ現実味に欠けることであるが、やっかいなことになったものだとハジメは紫煙を吐きながら思う。そして、一つ疑問がこの目の前の胡散臭い男に浮かび上がった。

「なぜ、俺が貴様のそれに気づいていると思った」

「そうですね、これからの話にはそれも必要ですね」

 嬉しそうににこにこと笑みを浮かべるアルビレオ。話の内容と表情が一致しない男だとハジメは内心で評価した。

 

 アルビレオがそれに違和感を感じたのは、テオドラがいる場所へ調停に発ったあの日の出来事だった。ハジメの後姿を捉えたとき、体に奇妙としか言いようの無い違和感が僅かに感じ取った。

 そして、墓守人の宮殿で造物主と敵対したハジメを見たときに気づく。ハジメの力の一端はアルビレオ自身を構成する何かに対して影響を及ぼしているのではないかと。魔法世界人であるラカンを見ても同じ違和感を感じ取っていないこともそう思わせる一因になった。

「ですから、きっと貴方も何か感じ取っているのではないかと思ったのです」

 当たりでしたねと、微笑むアルビレオに対して、ハジメは大したものだとその洞察力と考察に内心で褒めていた。調子に乗られても面倒であったため言葉にすることはしなかったが。

 

 

 

「それでですね……彼女をどうにかする方法は無いでしょうか?」

「どうにか?」

 アルビレオが困った表情をしている。実際に困っているのだろう、仲間であるナギのためだ。ナギが好いているであろうエヴァンジェリンとどうにか結ばせてやりたいと思うのは彼なりの思いやりでもあった。

 現状のままでは表の世界を歩くことが難しくなりかねない。ナギならば気にしないだろう。

 

 だが、相手は吸血鬼であり不老不死の存在なのだ。結ばれることも難しいだろうが、共に歩んでいくことも困難を極めるだろう。眷属になるという手もあるだろうが、エヴァンジェリンがこれまで眷族を作ったということは聞いたことが無いうえ、それはできれば避けたかった。

 勝手な気遣いだろうが、それでも仲間が吸血鬼になるということは不安がある。ならば彼女の問題をなくすしかない。解決できるならばしてあげたいとアルビレオは考え、こうしてハジメに相談を持ちかけたのだった。

 

「ふむ」

 ハジメからすればそんなことできるはずもないというのが第一の結論だった。だが、造物主という要因が絡むのならばハジメ自身介在する手立てがある可能性も浮上する。

 また、いつかの目的のために自身の力がどのようなものなのか正確に把握できる機会でもあると考えられた。

 

 そして、ナギが使えないと困るであろう無愛想な姫を思い出しながらいくつかの思考を経て、ハジメは結論を出した。

「何が出来るかは知らん……かといって、何もしなければ始まらんか」

 その答えに、アルビレオはひとまず安堵し頬を緩めた。

 

(もし、人間になればナギの好みにも近づくでしょうし)

 なにがとは言わないが、仲間の趣味嗜好までお節介をやくことを考えてにこやかに笑うアルビレオは、応接室から出て行くハジメに続くのだった。

 

 

 

 




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第24話

 アリカはアスナを追って部屋を出た。暫し王宮内を探していると、中庭にある茶会をするために建てられた小屋に見慣れた後姿を見かけた。

 その後姿にそっと近づいていくと、椅子の上で膝を抱えているアスナの姿がそこにはあった。

 

 アリカは若干困ったような表情を浮かべると、そのまま隣に座ることにした。しかし、喋りかけることはしなかった。

 しばらくの間二人は口を開くこともせず沈黙だけがただ続いた。

 

「……怒ってないの?」

 沈黙を破ったのはそんなアスナのか細い声だった。アリカの顔を見上げる無表情も心なしか哀しげだった。

「何のことを言っておる?」

 アリカは微笑を浮かべ問いかける。

「わがまま……いった」

 そういってまた顔を伏せるアスナにアリカは優しくその頭を撫でた。

 

「わがままを言って良いと言ったのは私とハジメ」

 ならば怒るわけ無いであろう、と微笑む。その笑顔を見たアスナはそのまま撫でられ続けた。

「……でも、無理だって」

「確かに……もう少し言いようがあったとは思うがの」

 撫でる手を止め、微笑を苦笑に変える。

 

「あの男は基本的に自らの評価に頓着せん」

 そういって思い出すのは、元老院での件が終わってからマクギルに聞いたこと。ハジメが、オスティアの国王暗殺その罪、業を全て背負おうとしたということだった。

「そんなことよりも私たちのことを優先してしまうような男だから」

「そうなの?」

「うむ。本人に聞けば”自分の目的のためだけに過ぎん”と言うであろうがの」

 嬉しそうに微笑んで、アスナに語るアリカは恋する乙女のような雰囲気を持っていた。

 

「……だからであろうな。今回も何とかしてしまうと、どこかで思っておる」

 アリカは遠くを見るような眼差しで前を見据える。その言葉にアスナが身を乗り出しながら尋ねた。

「じゃあ、無理じゃない?」

「……それは分からぬ」

 視線を外し、遠くを見るアリカ。

 本当に無理なのかもしれない。けれども、折角この地まで来てアスナにつらい思いをさせたくないとアリカは思う。

 だからこそ、また落ち込みかけるアスナを励ますのだった。

 

(しばらくはここで過ごすことになる……かの)

 ことの大きさから解決するには時間がかかるだろう。それを思ったアリカは自然と呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 帝都ヘラスの西の森のはずれ。帝都が視界に入るほど近い場所でナギとエヴァンジェリンが立っていた。

 その表情は不機嫌さと言うよりもばつの悪い、居心地の悪いような表情だった。

「ほ、本当に行くのか?」

「一応な。勢いのままに出て行っちまったし」

 実際はこのままラカンたちと分かれてもいいだろうとは思っていた。

 だが、これまで旅を共にしてきた仲間に対して思うところが無いわけが無い、別れの言葉を告げるために、ナギはラカンたちがいる帝都に向かうことにした。

 

「別に無理してくる必要はねぇぞ?」

「そういうわけにもいかんだろ……私が原因でもあるのだしな」

 その表情から無理をしていると思ったのだろう。ナギから気遣いの言葉が出るが、エヴァンジェリンはそっぽを向きながら、自分も行くのだと告げた。

 それにエヴァンジェリン自身、ラカンと旅を共にしてその騒がしさが嫌いだったわけではなかったと言うこともある。

 

 ナギはそんなエヴァンジェリンを見つめたまま一言。

「お前……結構律儀なんだな」

「う、うるさいっ。さっさと行くぞ」

 恥ずかしかったのだろうか、自分でも柄ではないことを自覚していたエヴァンジェリンは顔を高潮させて、ナギの前へと出て帝都への道を進んでいく。

 ナギは笑みを浮かべてそれに続くように歩を進めるのであった。

 

 

 

 

 

 その頃、ハジメとアルビレオがエヴァンジェリンについてどうするか話し合うために、王宮内にいくつもある部屋の一室に居た。

「古本。確かに貴様のそれは、気づく程度には分かる」

 アルビレオに感じる気配の違和。だが、エヴァンジェリンに対しても感じるそれがどういうものであるのか。それが分からないことには解決するしない以前の問題である。

 

「それについては、実は私もわかりません」

 アルビレオも困惑したように笑みを浮かべる。彼がエヴァンジェリンもそういう存在であると知っているのは彼自身の知識ではない。

 正確に言えば、植えつけられた知識。改変された際に紛れ込んだ造物主の知識の断片なのだ。

 

 そんなアルビレオに、ハジメはため息を一つ吐く。

「やはり、実際会ってみなければ分からんか」

 そう言って立ち上がるハジメは窓際による。会ってみるといっても、帝都から出て行ったナギたちと出会うために時間がかかるな、と王宮内でも高い位置にあるこの部屋の窓から街を見てハジメは思った。

 だが、何かに気付いたかのようにその目はある一点を凝視する。

「……どうやら、あちらから来てくれたようだ」

 ハジメが零した言葉に、アルビレオも窓際へとよりハジメが見るほうへと視線を向ける。すると、にこやかな笑みを浮かべた。

「おやおや、肩を並べて歩いてきたということは……そういうことのようですね」

 その視線の先には、ナギとエヴァンジェリンが二人仲良く王宮へと向かっている姿があった。

 

 

 

 

 

 ナギとエヴァンジェリンを迎えたのはハジメ、アルビレオ、ラカンにガトーだった。

「おっす。どうやらうまくいったみたいだな~んん?」

 いやらしい笑みを浮かべ手を振りながらラカンがナギに話しかけた。

 それに対しナギは、華麗にラカンの鳩尾へ跳び蹴りを食らわせた。意表を突いたのか、空気を吐き出す音とともに吹き飛ぶラカン。

 

「なっ…にすんだっこらぁ」

「なぁに……いろいろ言ってくれた礼だよ礼っ」

 吹き飛ばされたラカンが両手を振り上げて怒りを示した叫びに、ナギは獰猛な笑みを浮かべてそう言った。

 そのまま乱闘になるかと思いきや、ハジメとガトーが鉄拳で制裁しそれを諌めた。

 

「……馬鹿どもが」

「全く……」

 沈み込んだナギとラカンを放置して、ハジメはエヴァンジェリンを見る。

 そして、気づく。アルビレオと同じ、いや、それよりも遥かに強い違和感にハジメの顔がこわばる。

 

 ハジメの雰囲気に気づいただろうアルビレオもそれを確認する。

 

 ハジメはそれが造物主のなんたるかを知るために、魔法で異空間に置かれていた自らの相棒である刀を喚び寄せる。空間を繋ぐ門となる陣が空中へと浮かびあがり、そこから刀の柄が姿を見せる。

 

 柄をその手に取ったハジメが刀身全てを抜き取り、静かに佇む。刀を取り出したハジメにナギとエヴァンジェリンが身構えるが、アルビレオが慌しくフォローする。

 

「あー待ってくださいね。別に攻撃するといったことではないですから」

 そうですよね、とアルビレオもハジメに確認する。アルビレオもまさかいきなり刀を取り出すとは思っておらず内心で慌てていた。

 ハジメが小さくうなずくと、ひとまず安心してナギはエヴァンジェリンへと近づく。その様子を見てエヴァンジェリンも構えを解くが警戒は解かない。

 

 ハジメの刀はいわば分身である。二つが揃ったときより純粋な存在となり、対極の存在である造物主と矛を交えることが出来るようになる。つまり、その存在をより強く感じることが出来る。

 それはエヴァンジェリンも例外ではなく。その体には、吸血鬼の真祖として発する気配のその核の部分となるものが存在していた。

 

 それは、造物主が作ったものであると気づくほどに強い残滓。

 

 一際強い気配を感じ取ったハジメは、それが核としてあることにまず安堵した。その体すべてが改変されたわけではない。おそらくは造物主によって入れ込まれた欠片とも言うべきそれが、エヴァンジェリンを真祖足らしめていると推察できる。

(これならば……何とかなるか)

 造物主を滅ぼせるハジメだからこその解決策。それは、エヴァンジェリンがその身に宿している造物主の欠片を消すこと。

 普通の人間の手ならば、それは不可能だろう。造物主は不滅の存在であり、吸血鬼の真祖としての力を見れば欠片にもそれが機能していることは明白。

 

「うまくいきそうですか?」

 ハジメを見て良きものを感じたのだろう。アルビレオがハジメのもとへと行き、尋ねる。

「出来る……な。だが、保証はしかねる」

 それは致し方ないことだろう。いずれその日が来ることは決まっているが、試したことなどありはしない。ましてや、その一部分を消すことで何が起こるのかなど分かるはずもなかった。

 そこで思い出すのは、ナルカがいた場所で読んだ無数の本を読んだ中の一冊。吸血鬼に関して記された一文。

 

―吸血鬼の真祖とは神がその魂を分けて作った人間に異なる神が魂の欠片を植え付けた異形の者。これを救うのは異なる神の魂を滅するほかない―

 

(世迷言だとばかり思っていたが……)

 伝説としか思えないような記述から、話半分に読んでいたがここにきてこの状況である。異なる神とは造物主のことを指すのかそれは分からない。だが、試してみるには十分な要素だった。

 そのためにまず、当事者に話をしなければならないと、ハジメはアルビレオを連れて二人のもとへと向かった。

 

 

 

「エヴァンジェリンを人間に戻す~?できんのかそんなこと」

 驚きと疑惑の眼差しでハジメとアルビレオを見るナギ。当然だろう、そんな話は聞いた事も無い。エヴァンジェリンも到底信じられないという顔をする。

「信じられないというのも理解できますが、ここは私とハジメを信用してもらえませんか」

「だが……どうやって」

 アルビレオの言葉を信用したわけではないだろう。だが、この身を開放するというその手段がエヴァンジェリンには興味があった。

 

 エヴァンジェリン自身すらも理解しきれていないだろう体を戻すということなど、とてもではないが信じるはずもない。だが、同じほどにそれは好奇心をくすぐる未知のものだった。

 

「そうだな…まず確認する。お前のそれは生まれつきではないな」

 多々あるだろう疑問の前にハジメがまず、状況を説明するために話を始める。エヴァンジェリンは、十の誕生日を迎える前までのただの少女だった自分を思い出し首肯する。

 

「その体となった原因は恐らく造物主(ライフ・メーカー)の仕業だろう。貴様の体には造物主(ライフメーカー)の欠片のようなものが核となっている」

 ハジメの言葉に眉根を寄せるエヴァンジェリン。

 

「……核だと?」

「そうだ。それが吸血鬼の真祖(ハイ・デイライトウォーカー)の力であり、それを取り除けば貴様はただの少女に戻る……かもしれん。保障は出来んからな」

 話についてこれないのか、エヴァンジェリンもナギもただ唖然とするばかりだった。

 

 しばし唖然としていた二人だったが、我に返ったエヴァンジェリンが口を開き尋ねた。

「ど、どうしてその造物主(ライフ・メーカー)とやらが私の体を?」

「知るか」

「なっ……」

 エヴァンジェリンにとって一番の疑問はハジメににべもなく切り捨てられ、続く言葉もなく口を開けたまま呆然とする。

 

「で、では何故私の体にそれがあると分かる?それにどうやってそれを取り除くと言うんだっ」

 疑問の悉くが自分を翻弄している錯覚に囚われるエヴァンジェリン。自然と口調も誤記も荒くなる。

「説明は後でしてやる。それよりもやるのかやらんのか」

 ハジメの言葉に歯噛みするエヴァンジェリン。敵対の意思もない相手にここまでぞんざいに扱われるのは初めてだった。

 

 そこで口を開いたのはナギだった。

「ま、まぁ、やれるならやってもらいてぇ……かな」

 エヴァンジェリンの心情を理解したかは定かではないが、間に入ったナギはハジメに頼むことにした。

「おい、いつ私が人間に戻りたいといった」

「え、戻りたくねぇの?」

 低い声で抗議の声を上げるエヴァンジェリンにナギが想定外だったのか驚きの声を上げた。

 

 ナギからしてみれば、エヴァンジェリンという少女は強く弱い存在なのだ。その弱さはナギが現れて表出した物なのだが、強さの裏返しでもある。

 背負える物は共に背負う。そう決めたナギにとって、エヴァンジェリンが人間に戻ると言うことは彼女にとっての救いであると本能に近い部分、直感で理解していた。

「そ、そういうわけでは……」

 ナギの心情が理解できたのか。真直ぐなその言葉にエヴァンジェリンも照れながら誤魔化す。

「では、やるか」

 一連のそれを黙って見ていたハジメが口を開く。結局、二人はそれに頷くことで合意した。

 

 方法については簡単な説明で終わった。要は、核となる部分をハジメが叩き斬る。それだけだ。

 その説明には当然反論があったわけだが。

「ならば、やめるか?」

 ナギとしては目の前の男が、そんな失敗をするとは思えなかったし、結局はそれを受け入れエヴァンジェリンを説得した。

 

 ハジメが刀を構えると同時にその雰囲気は一変する。狙うは一点、エヴァンジェリンに巣食う造物主の残滓が見える胸の中心。

 それを斬り払うために力を開放する。刀身が発光し、ハジメの意識も研ぎ澄まされる。自身を塗りつぶす何かを感じながらも、屈強な精神で押さえ込んでいく。

 

 

 そもそもハジメは造物主との戦い以降、刀を極力持たないようにしていた。

 この地で目覚めてから振るい続けてきた相棒である刀だったが、切っ掛けは造物主との戦い、その最後。ハジメは自らの計画に組み込むために、造物主を滅ぼす気などはなかった。だが、それには造物主を屈服させるだけの力が必要だった。その求めに刀は応じた。

 

 結果として造物主を倒せた。しかし、その過程は異なる。ハジメは最後の間際こそ我に返ることが出来たが、造物主を間違いなく滅ぼそうとしていたのだ。

 その理由をハジメ自身うすうす気がついてはいた。恐らく造物主を滅ぼすことが自らの使命だったということ。力を求めたことでその本能に力に呑まれかけた。だからこそ、その力に呑まれることの無いように一時しのぎであろうが、隔離していたのだった。

 

 

 そんなハジメを見てエヴァンジェリンは、初めて体験するえも言わぬ恐怖をその身に感じた。動くこともままならぬ状態でただその時を待つ。

 

―牙突・壱式―

 

 突き出される刃。違うことなくその切っ先はエヴァンジェリンの胸の中心へと吸い込まれる。刃はエヴァンジェリンの体を貫き、薙ぎ払われた。そして、糸が切れたように倒れ行くエヴァンジェリン。

 その様子を見ていたナギは驚きの声を上げ、すぐさまエヴァンジェリンの元へと駆け寄る。が、その身には傷一つ無い。貫かれた姿を見たナギはその体を見て困惑する。

「……成功だ。阿呆」

 気絶しているエヴァンジェリンを見ながら、先ほどまでの気配は感じられないことを確認したハジメは、刀の発光を収める。陣を出現させ刀を元の空間に戻した。額に汗がにじみ、心なしか疲労の色も濃い。

 

「おいおい……本当にやりやがった」

 一部始終と今のエヴァンジェリンを見て、ラカンが思わず呟く。そして、思い出す。詠春が修めている神鳴流にも魔だけを払う技があったことを。

 今のエヴァンジェリンからは魔族が発する気配と言うものをラカンは感じ取れない。それはつまり、エヴァンジェリンは今このときを持って真祖ではなくなったということだ。

 

「説明はしてやる。さっさと連れて来い」

 そういってハジメは王宮の内部へと入っていった。それに他の者たちも続き、ナギはエヴァンジェリンを抱えて入っていった。

 

 

 

 一報を聞いたアリカとアスナ、テオドラも集まった一同はそれぞれに驚きと呆れの声を出していた。

「まさか……人間に戻ったなど」

 その意見も当然だろう。吸血鬼の真祖が人間になることなど聞いた事も無い話が今現実として目の前にあるのだから。

 目覚めたが未だ感覚に慣れていないのか、ソファで横になっているエヴァンジェリンをアスナが見守っている。その様子を見たアリカがそう零すのも無理は無い。

 

「偶然が重なっただけに過ぎん」

 それだけでは納得できないと言う視線がいくつもハジメに降り注ぐ。ハジメはため息を一つ吐いて、一同に向き直った。

「丁度いい機会か……話しておこう」

 

「そもそも、何故俺ができたか……それは、俺が造物主(ライフメーカー)の対極という存在だからだ」

「対極?」

 ハジメはアルビレオを見る。アルビレオは少し困ったような笑みを浮かべながら頷いた。

「そうだ。造物主(ライフメーカー)に気づき、戦え、そして……滅ぼすことが出来る。そしてその身近な例がそこの古本……アルビレオ・イマだ」

 皆の視線がアルビレオへ向いた。

 

 アルビレオはいつものように微笑んだまま口を開く。

「そうですね。私は本を媒介に形を変えられた魔法世界人ですから」

 変えられたことに造物主が関与していたからこそハジメは気づいた。そして、それはエヴァンジェリンも例外ではない。

「つまり、俺がそこの金髪に造物主(ライフメーカー)の欠片が巣食っていたことに気づいた」

 エヴァンジェリンの身に起きていた事を考えたのか、何人かが生唾を飲む。

 

「そして、対極と言う存在である俺ならばそれを滅ぼせる。それが核を取り除けた理由だ。核さえ取り除けばただの人間だからな」

 何事もなく戻るとは思っていなかったが。そう思いながら右手に持った煙草を口に咥え、紫煙を肺に満たし吐き出す。

 

「説明ははとりあえずここまでだ。次は今後の話といこう」

 そう言って話を切り替えたハジメはナギを見る。視線を向けられたナギは困惑した表情を見せる。

「ん?なんだよ」

 

「シンプルに聞こう。鳥頭、これからどうしていくつもりだ?」

 

 エヴァンジェリンは人間に戻った。これでナギの旅は再び大きく変わるだろう。だからこそ、ナギがどうするのかをハジメは問うた。

 

「いや、このまま旅を続けるぜ。姫子ちゃんも行けるだろ」

「ふむ、そうか。ならば、金髪はどうする?」

 そう言って、エヴァンジェリンの方へと視線を向けるハジメ。

「え、いや。人間に戻ったんだから解決じゃねぇの?」

 

 その言葉にハジメは目を鋭くしながら睨む。

「そんなわけなかろう。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルはまだ生きている(・・・・・)

 それは紛れも無い事実。たとえ発端が吸血鬼の真祖であったからだと言って、犯してきた罪は消えはしない。そういう意味だと気づいたときナギは真剣な表情のままハジメに答えた。

 

「何が言いてぇんだ?」

「賞金首を取り下げるには死んでもらわなければ困る……」

 言い切る前に、ナギは拳を机に叩きつける。無意識に力が入ったのだろう、魔法で保護がかけられているにも関わらず机は砕け、ナギはハジメを睨みつける。

「そんなことできるわけ無ぇだろうが……」

 珍しく静かに怒りを露にするナギに対してハジメは涼しい顔のまま続ける。

 

「だが、奴の罪は重い。人間になった今、死ぬと言う可能性も出た」

「だったらよ……俺がその罪も何もかも背負ってやるだけだ。ましてや、死なせねぇ」

「背負ってやる……か」

 ハジメとナギが互いに鋭い目で睨みあう。周囲も二人の気迫に沈黙を守るだけとなってしまった。

 

「ならば、それがどれほどのものなのか見せてみろ」

 そう言って立ち上がるハジメが部屋を出ようと歩を幾つか進めたところで、首だけを振り返りナギにその目で告げる。付いて来い、と。

 ナギもその視線に答えるように跳びあがって移動し、ハジメの後をついていく。

 

 

 

 王宮から離れた荒野。そこに場所を移したハジメとナギが相対する。他の者たちは巻き込まれないように、荒野のはずれで遠見の魔法を使い二人を眺めていた。

「こうして戦うのはいつ以来だっけか」

「顔合わせ以来か……今回は本気で行く」

 既に取り出した刀を握り、ハジメは静かにその闘志を燃やす。それが気迫となって周辺の空気を弾く。

 

 ナギもハジメの闘志にあてられたのだろう、笑みを浮かべながら、杖を構える。互いに戦闘の準備は整った。

「そういや、真剣勝負は初めてだったな」

「ああ……殺す気で来い」

 さもなくば死ぬことになるぞ?そう呟いたハジメの言葉と共に一陣の風となってナギへと迫る。

 

 砕ける音が3つ連続して響き渡る。その音はハジメの刃がナギの四重障壁を砕いた音だった。最後の障壁の前に止まってしまったハジメを見てナギがしてやったりと笑みを浮かべる。

 

「くらいなっ」

 

 ナギの叫びと共に四方に浮かび上がる魔法の射手が宿る無数の魔力球。それらが一斉にハジメに襲い掛かる。着弾と同時に舞い上がる砕けた砂利。

 即座に後ろへ飛び退いたハジメを追うように、未だに存在している魔力球が矢となって次々とハジメがいた大地へと突き刺さり地面を抉っていく。

 

 それらを切り払いながら退いて行き、攻撃が止む頃には最初以上に離れた位置に立っている。それは魔法使いにとっての距離。そして、ナギは既に詠唱を終えていた。

雷の斧(ディオス・テュコス)

 雷で作られた斧がハジメ目掛けて放たれる。術者によって人を簡単に飲み込めるほどになった雷は、辺りを喰らい尽くしながら消えていく。そして消えいく光の中を突き進む影がナギへと向かっていた。

 

 その影はハジメ。雷の斧によるダメージによってあちらこちらに傷が見えるが、牙突によって魔法を切り裂きながら突っ込むことによるカウンターが有効だと判断した結果だった。

 咄嗟に横っ飛びに回避するナギ。しかし、その隙を待っていたかのように平突きからの横の薙ぎ払いがナギの脇腹を切り裂きながらナギの後方へと着地する。

 呻き声を上げながら、治癒呪文を自らにかけながら一先ずハジメから離れようと魔法と虚空瞬動を用いて飛ぶ。

(いきなりとんでもねぇな)

 脇腹の痛みを感じながら、背筋に空恐ろしいものを覚えるナギ。横に回避するとかじゃなく、まさか正面切って突破されるとは思っても見なかったのだろう。

 

「考え事か?――余裕だな」

「は、俺様だからなっ」

 すでにそこまで追撃をかけようとしていたハジメに対し、ナギは攻撃魔法を行使する。

 周囲に雷の槍を展開させながら、散開させる。投擲された雷の槍はナギとハジメの間を埋めるように放たれ続ける。虚空瞬動において方向転換することは至難。

 それを魔法を放つことによって制動させるナギに対し、ハジメは刀から気を放つことでその反動で飛んだ。交差する魔法の槍と気の刃。

 魔法の槍はハジメの腹部を貫き、気の刃はナギの右胸を貫通した。二人共にその衝撃で地に落ちて行く。

 

 ほぼ同じタイミングで着地した二人は傷を癒すことよりもまず、相手を確認する。

 ハジメは左手で押さえた腹部から血を滲ませながら立ち上がる。ナギもまた立ち上がるが、右上半身の力が入らないのか右腕が力なくぶら下がっている。

 互いに相手の姿を見て好機と捉えた。互いの距離は互いに有利に働く絶妙な距離。

 

 ハジメは腹部を押さえていた左手を右手で構えた切っ先に添えた牙突の構え。最大限の威力を齎す為全力をかける。

 対するナギは左手に杖を構え、ありったけの魔力を注ぐ。自らの最大魔法を詠唱する。

 

―牙突・壱式―

―千の雷―

 

 消え行くように風よりも早く突撃するハジメに対して、放たれるは極大の雷。もはや天災のそれはあっさりとハジメごと大地を飲み込んだ。

 この光景を見たナギは自身の勝利を確信した。雷の斧を耐えられたとしても、この雷の最大魔法は耐えられるわけが無いと油断した。一瞬の弛緩。

 雷の光が辺りを照らすのをやめたときナギの目に入ったのは目の前まで迫った刃だった。

 

 直撃を喰らい吹き飛ぶ。障壁がなければ間違いなく即死だったそれは、ナギの体に深い傷を与え、大地へと着地したナギは無様に転がり停止した。

 ハジメはふらふらになりながらも、吹き飛ばされたナギを見る。ハジメの左腕は焼き焦げ、服も同様になっていた。

 

 双方既に満身創痍の状態にある。だが、ナギは地に伏せ、それを見下ろしているのはハジメだった。

「これで……終わりだ」

 ハジメの言葉にナギが立ち上がろうと唸りながら拳を立てる。まだ終わってはいないと言うように。だが、深く負った傷からは血が噴出す。

「まだ…やれっ」

 だが、拳が血ですべりその体を再び大地に打ち付けてしまう。そして、僅かに残っていた意識はそこで途絶えてしまう。

 

「一思いに楽にしてやる。目覚めたときには何もかも終わらせておく」

 刀を構える。跳ね上がるように加速する体。その切っ先は今ナギを捉え、貫こうとしていた。だが、ナギの影からそれを遮るように小さな人影が立ちはだかる。

「っ」

 大地を抉るような轟音と、砂煙が立ち上った。

 

 

 

 砂煙が晴れるとそこに立っていたのは、エヴァンジェリンであった。彼女の目の前の大地は抉られていてまるでクレーターのようであった。

 ハジメはただこちらを睨み続けるエヴァンジェリンに嘆息交じりの息を吐く。

「そこのバカに言っておけ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは死んだとな」

 それで、賞金首は取り下げられる。そう呟いて片手に持った金色の束を掲げながらハジメはそこから去った。エヴァンジェリンは自分の髪を確認して切られている事に気づいて驚き、その後姿を見送った。

 

「なるほど……全てはやつの目論見どおりというわけか」

 今、こうして気絶しているナギを庇ったことすらも。

 どこか納得いかない、気に食わないと表情を浮かべた後、ふっと笑みを零して振り返りナギを見る。ひとまず、自分のために戦ってくれた男に一言呟いた。

「ありがとな……ナギ」

 その愛おしい名と共に感謝を告げた。

 

 

 

「随分とあぶなかったように見えたが」

 荒野の外れまでたどり着いたハジメを待っていたのはそんなアリカの言葉だった。

「前に言ったはずだ、互角だとな」

 今回はただ、どちらがより対人向けの戦いをするかに天秤が傾いた。剣士と魔法使い。そこには剣士の一日の長があっての勝利があっただけに過ぎない。

 

「……ほしいものも手に入ったしな」

「あんな誤解を招くように喋ってからに」

 片手に持つ金色の束を掲げるハジメを呆れたようにを見るアリカ。そもそも賞金首をとりさげるのにここまでやる必要などなかったのだ。ようは死んでいる(・・・・・)ことが分かればいい。

 吸血鬼の真祖はその身が変化することは無い。髪を切ろうとすぐに戻ってしまう。では、切られた髪はどうなるのか。それは魔素となって霧散するのだ。

 そこで霧散しない体の部分であれば証明することが出来る。ただそれは、大体を権力にものを言わす形になることは否めない。

 

「いろいろと都合があってな」

 そう言って束に何かしらの処理をするハジメ。変化は一瞬で、金色の束には魔力が宿る。それを見ていたアリカや、周りの者たちも唖然としている。

「い、今何をした?」

「何、ちょっとした実験だ」

 すまし顔で王宮へ戻るための門へと歩を進めるハジメに駆け足気味で付いていくアリカ。他の面々も一先ずついていくことにした。

 

 

 

 

 

 王宮へと戻った一行。

 その中で髪を切られたエヴァンジェリンに対してアリカは同じ女性として思うところが当然あり、ハジメに対し多少冷ややかな視線を送りながら、ドレスアップなどを行うための部屋へと移った。

 

「むぅ。妙な感じがするな」

「心配するな。似合っておるぞ」

「かわいい」

 王宮のメイドに切られた髪を整えてもらったエヴァンジェリンが後ろを気にするような素振りを見せる。肩に届かないぐらいまで短くなった髪に、何百年と親しんできた髪型との変化に戸惑いを隠せないようだ。

 そんなエヴァンジェリンにアリカとアスナが思い思いの言葉を口にしていた。それに対して、エヴァンジェリンも満更ではない様子で微笑んだ。

 

「しかし、髪を切らんでも良かったろうに」

「これが手っ取り早いというのもあるのだろうさ」

 そう言いつつ、数百年変わることのない容姿では最早無い自らの姿を鏡で見ながら、本当に人間に戻ったのだとエヴァンジェリンは実感する。

 この結果を導いた人物に対しては、一連の事態を鑑みると素直に感謝は出来ないが。

 

 和やかに会話を広げていると、メイドが入室する。

「ナギ様がお目覚めになったそうです」

 メイドが届けた報告にエヴァンジェリンは一目散にナギの元へと向かうのだった。

 

 

 

 戦いの後、王宮の治療室へと運ばれたナギは、清潔なベッドの上で目を覚ました。傍らには亜人の医者と看護師が立っており、簡単な質問に受け答えていた。

 それが終われば、医者は問題ないことを告げ看護師と共に退室した。

「俺……負けちまったのか」

 暫し呆然として、反芻する事実。そして、エヴァンジェリンのことに思い至りベッドから降りようとしたとき、部屋の扉が開く。

「ナギっ」

 

「へっ?」

 思いがけない人物にナギは間抜けな声を出した。目覚めたナギの姿を確認したエヴァンジェリンは、駆け出してその胸に飛び込む。

 傷がふさがっていたとはいえ、戦いの後にはさすがにきつかったらしく、ナギはエヴァンジェリンを受け止めるも悲鳴を上げるのであった。

 

 エヴァンジェリンの抱擁と謝罪が終わった後、なぜこの場に居るのかと言うナギの問いにエヴァンジェリンは事の顛末を語った。

「じゃぁ全てハジメの計画通りだったって訳かよっ」

 マジかー、と額に手を当てて悔しそうに唸るナギ。すると、扉をノックする音が響いた。ナギが入室の許可を出すと入ってきたのは、噂をすれば影。当のハジメであった。

 

「聞いたぜ……随分と意地の悪い真似してくれるじゃねぇか」

 ジト目でハジメを睨み、今回の一件について物申すといったナギに対し、ハジメは底意地の悪そうな面で鼻で笑う。それが正解だと言わんばかりの表情にナギは指をハジメに指しながら叫ぶ。

「うわー嫌な奴、嫌な奴、嫌な奴っ」

 感情を出し切るように三回言葉に乗せる。それほどまでに手のひらで踊らされたのが悔しかったらしい。ハジメも可笑しそうにくつくつと笑う。

 

「まぁ、貴様の真意を聞くためだったのもあるしな」

「真意?」

「背負うのだろう?罪も…業も…何もかも」

「……当然っ」

 そう言って傍に居るエヴァンジェリンの肩を抱くナギ。恥ずかしかったのだろう、顔を真っ赤にしながらナギをはたくエヴァンジェリン。

 

 そんなナギを見て、ならばもう何も言うことは無い、とハジメは踵を返した。その後姿にナギは呼びかけた。

「……お前とも一度くらい旅してぇな」

「遠慮しておこう」

「そこはそうだなとか言えよっ」

 二人は静かに笑いながら、分かれるのであった。近いうちにその話は変わった形で実現することになるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルという賞金首は公的に葬られ、そこに存在するのは名も無き少女。彼女はナギと共にあることを選んだ。

 こうして、アスナの旅に同行する問題も解決され、ナギがエヴァンジェリンと結ばれる障害もなくなった。

 

 そして一週間後、彼らは旅に出る。

「うし、じゃ行くか」

 ナギが後ろを振り返る。そこにはガトーとアスナ、ラカンが立ち、ナギの隣にはエヴァンジェリンがいた。ナギの言葉にそれぞれ頷く。

 

「そんじゃ世話になった」

 見送る側であるハジメとアリカ、アルビレオに声をかける。

「全くだな」

 いつものように煙草をふかしながら、ハジメが答える。相変わらずの返事にナギは苦笑した。

 

「ナギ」

 アルビレオがナギに近寄り、内緒話をするように小さい声で別れの言葉を述べる。

 

「彼女とするには数年待ったほうがいいですよ?」

 無言でアッパーを繰り出すナギにアルビレオは黒い笑みを浮かべながら、後ろへさっと避けた。聞いていたのだろう、エヴァンジェリンも顔が赤い。

「それではお元気で」

「最初からそれだけ言いやがれっ」

 ナギのもっともな叫びがあたりに響くのだった。

 

 

 

 騒がしくも去ったナギたち。それを見送ったアリカは政務をするために王宮に戻る。そこにはハジメとアルビレオだけが残った。

 

「行ったか」

 そう呟いてハジメは刀を呼び寄せる。その刀身を眺める様にナギと戦ったことを回想しているのだろうと、アルビレオも刀を見る。そして、あることに気づくと自然と言葉に出していた。

「鍔が無いんですね?」

 アルビレオの言葉にハジメは、まだ居たのかと僅かに眉を上げた。そして、誤魔化すように口を開く。

「いや、そういえば貴様は良かったのか?」

 ハジメの言葉にアルビレオが何のことかと首を傾げる。

 

「その体のままでということだ」

「あぁ、そのことですか」

 得心したように、いつも通りの笑みを浮かべるアルビレオ。そして、彼はなんでもないように続けた。

 

「どうすることも出来ないのは知っていますから」

 

 そうか、とハジメはアルビレオの体を見る。そこから感じ取れるものはエヴァンジェリンとは異質のものだった。本に変質するその体には、エヴァンジェリンのような一点に源があるわけではなかった。

 ただ、そうなるように改変された体。改変された際の残滓は感じ取れたとしても、これはハジメであってもどうすることもできない。

 アルビレオはこの事実を知っていた。彼の思わんとすることはハジメにもわからなかったが、いつも通りの胡散臭い笑みに何も言わず踵を返した。

 そんなハジメに対して満足そうに笑みを浮かべたアルビレオもハジメに続いて王宮へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 




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第25話

 ナギたちが旅に出てから早くも1年の月日が流れた。

 

 この1年と言う短い間から今に至るまで、オスティアと連合、帝国はそれぞれの損益を考慮しつつも政治のすりあわせを行っている。

 そしてその成果は徐々に芽を出しつつあった。特筆すべきは連合、ひいては元老院と言う統治機関の活用法を変えたことだろう。

 

 ほぼ全ての膿を出し切った元老院は縮小化が迫られ、連合内部の統括を地区ごとに分けざるを得なくなった。しかし、これを機に、戦場となった地と中心部である都市における異なる政務に起爆剤を投じた。

 復興と経済の両立のために行うべき政務を地区によって明確にすることで議論を活発にし、双方の目的となすべき事柄を誰もが理解しやすく、また、行動できるように法整備を整え実行していった。

 

 これに尽力したのがマクギルとその懐刀であるクルトであった。クルトはこれを機会に、オスティア周辺の連合統括地区の副総督となり、オスティアとの連携を密に取れる立ち位置にその身を置いた。

 

 帝国は連合との境界を持つ地区に、穏健であり融和に理解ある者たちに任せることにした。これによって、境界で問題になっていた紛争もその数を減らし、融和政策は順調に進むことになる。

 魔法世界が大戦からの傷痕を払拭する兆しが見え始める。

 

 

 

 

 

「というわけで、旧世界に行こうぜっ」

「……どういうわけでだ」

 突発的な発言は言わずもがなナギである。律儀につっこみをいれるのはガトーというのが最早この面々、紅き翼(アラルブラ)での習慣になってしまっていることに、ガトーは眉間をもむことでそのやるせなさを消す。

 

「ん~、前までは結構ひどい話ばかりだったが、最近はそういうのもなくなってきたしな」

 帝国や連合の目が届かない辺境の地を中心に回っていたナギたち一行は、その先々で自分たちが出来うる限りのことをしてきた。実はこれらの行動から、英雄たちが率先して復興に力を入れているという美談が生まれ、民衆の意識に影響を及ぼしていることなどナギは知る由も無い。

 融和政策や競合すべきところは競合すると言った帝国と連合の政治は、見事に魔法世界全体にいきわたることになったため、ナギが言うように彼らが行かなければ立ち行かないほど困窮しているという場所は無いと言えた。

 

「たしかにな。だからこそ、こうして観光目当てで来られる」

 そう返して、ガトーは少々遠くにある露天を回っている3つの人影を見る。この一年で成長したエヴァンジェリンと対照的に変わらないアスナ。その後ろにいる嫌そうな表情のラカンを見る。

 ラカンが嫌そうな顔をしているのは、先ほどやっていたゲームに負けたからだろう。当然のように賭けていたため、支払いはすべてラカン持ちとなっている。

 

 ナギたちが今いるのは帝国でも連合でもない。その国の名前はアリアドネー。

 帝国・連合の双方から中立国としての距離を保つこの国は、独自に発展してきた文化も多く、また、土地柄であろうか種族、所属など一切関係なく学問を納められる地としてもその名を轟かせている。

 大戦の被害も少なく、寧ろ帝国と連合への派遣をすることも多い。アリアドネーが有する騎士団の精強さはその地位を確かなものとしていた。

 

「だから、旧世界に行こうと思ってなっ」

 

 ガトーは一つため息を吐くとナギを見る。なにがだからなのか説明してほしい。いや、もう長いことナギの相手をしていれば理解は出来るのだが、それとこれとは話が別だ。

 

「旧世界の何処に行くんだ?」

 内心でいろいろ愚痴りながらも、もうなれてしまったガトーはそう尋ねた。

 その問いに対し、ナギはいつものように笑みを浮かべた。

 

「京都」

 

 

 

 

 

「そんなわけで旧世界にいくことになったんだがな」

「鳥頭に毒されすぎだな」

「言うなよ……」

 通信画面越しに報告を兼ねた愚痴、いや愚痴を兼ねた報告なのだが。ガトーはハジメと旧世界の京都へ行くまでの経過を告げた。その反応はやや冷ややかだったが。

 

「京都ということは……詠春か」

「そうだな。まぁ、奴が長になる経緯が経緯だったからな。ナギなりに心配なんだろ」

 

 

 青山詠春。今は既に近衛詠春と性が変わっていた。大戦が終結すると共に、前から婚約が決まっていた近衛家への婿入りが決まったからだ。もともと修行と称しながら決まっていた婚約から半ば逃げていたようで、大戦の英雄となった今これ以上先延ばしにすることは不可能となったのだ。

 

 近衛家とは、旧世界の日本に存在する関西呪術協会――魔法世界における魔法使いとは異なる文化、技術を継承する呪術師たちの組織――の総本山、本家とも言うべき家である。

 その家に婿入りすると言うことは、関西呪術協会という一つの組織に多大な影響を与えることになる。そして、大戦の英雄と言う肩書きは長に置かれる詠春に対する反感などを抑える格好の材料だった。

 

 かくして、協会の人間たちによる策謀は詠春をいともたやすく長という位置に置くことに成功したのだった。

 

 

「旧世界か」

「なんだ、興味あるのか?」

 近衛家のことなどを思い出しながらハジメが呟く。それを意外そうに反応するガトー。

 

 実はナギたちからハジメたちも誘おうと言われていたガトーは、ハジメの反応に脈があるのかと思い、その旨を伝える。

「いや……そうだな。少し待っておけ」

 数瞬思考に耽たハジメは、しばし画面から外れた。自身とアリカのスケジュールを確認し、再び画面へと戻る。

 

「三日程度なら調整は出来る」

「おお、本当か。というよりアリカ様はいいのか?」

「あれも休養が必要だろう。それに無愛想娘のこともある」

「……そうだな」

 ちゃんと考えているんだなと、思わず頬を緩めるガトー。

 

「それとだな」

「ん?」

「ゲートはオスティアの物を使わせてもらう。後、ラカンも連れて来い。一緒だろう?」

 ハジメの言葉にガトーは首を傾げる。ラカンは魔法世界人であり、魔法世界という作られた世界でしか生きられない。それを連れて行くということに疑問を持ったからだ。

 

「旧世界で落ち合えばいいだろう?それにラカン……?」

「少し試しておきたいことがあってな。この際全て済ます」

 そういうハジメの表情には、旅行へ赴くという議題からはかけ離れた真剣な面持ちが見て取れた。ゆえにガトーは自然と疑問の口をつく。

「何をだ?」

「……来てからの楽しみというやつだ」

 そういったハジメの顔は打って変わって、口角を上げ、悪そうな笑みを浮かべていた。それを見たガトーはこれ以上聞いても答えてはくれないだろう、そう思い至り苦笑を浮かべながらも了承した。

 

 

 

 通信を切断し、一行へと向き直るガトー。

「お、話し終わったみてぇだな」

 それに気づいたナギが反応すると、他の面々もガトーへと視線を向けた。

「ハジメたちも三日程なら調整出来るそうだ」

 ガトーの言葉にナギは笑みを浮かべて喜色満面といった風に京都に行って何をしようかと、他の面々と着いた後のことを話し始めた。ガトーはそれを横目にラカンへと歩を進め先ほどの用件を述べる。

 

「それとラカンにも来てほしいそうだ」

「あん?何でだよ」

 こちとら魔法世界人だぞと言わんばかりに、顔をしかめるラカン。

「さぁな。ハジメに聞いてくれ……それでゲートもオスティア経由になった」

 ガトーの言葉に各々が了承の旨を伝える。現地であろうがゲートであろうが合流することに変わりは無いと大雑把な連中だからだろう。

 

「良かったな」

「うん」

 エヴァンジェリンがアスナの頭に手を置く。

 ここ一年の間画面越しで話すことはあってもあうことはなかったアスナとアリカ。ゆえにアスナも今回の件では雰囲気に嬉しさがにじみ出ていた。

 

「えー面倒だなおい」

「どうせ行く当ても無いんだからついて来い」

 ぐだぐだと述べるラカンにガトーが冷たく言い放つ。ここ一年で随分となじんだ一行であった。

 

 

 

 

 一方でハジメがいるオスティア王宮内部。アリカやアルビレオは、ハジメから京都へ行くことになったことを告げられる。

 

「それはまた……随分と急な」

 ハジメの話を聞いたアリカも思わず苦笑する。王制に繋がっていたいくつかの事案を連合や民間が行えるようにしていたため、仕事量こそ減ったがそれでも未だにオスティアは王制で機能している国である。

 つまりは気軽に旅へ行けるような身分ではない。それを三日分の空白を開けると言うことは、それだけの仕事をこなさないといけないという事になる。

 

「安心しろ。この時期にお前がいなければ成り立たない仕事は無い。書類も上がってきた物を全て処理しておけば差し支えは無い」

「むぅ」

 ハジメの言にも、あまり気乗りした様子を見せないアリカ。もともとの気質として真面目なのだ。やっておいたほうがいい仕事があるのならばそれを行う人。こう評して間違いは無い。

 しかし、そんなアリカをみてハジメは呆れたように表情を緩める。

 

「息抜きも重要だ阿呆。それに無愛想娘に会いたくないのか?」

「アスナか……会いたいに決まっておる」

 思い出すのは一年前に分かれたときのこと。画面越しにこそ定期的に話をしているが、会うことが出来るわけではない。アリカは、微笑みながら京都へ行くことを決めた。

 

「いやぁ、楽しみですね」

 当然その場にいるアルビレオもいつものように胡散臭い笑みを浮かべながら、同意を示す。

 しかし、場に流れるのは言いようの無い微妙な空気が流れる。あえて言うのならば、お前も来るのかというような雰囲気だろうか。

 その空気を打ち破ったのはアリカだった。

 

「しかし、アルビレオ。お主は魔法世界人なのじゃから、無理じゃろ?」

「いえいえ。前にも話したと思いますが、私は少々特別でして」

 なんとかなるんですよ~と笑みを湛えたまま、アリカに答えるアルビレオ。

 

「そうだったのか」

「貴方は知っていたでしょうに」

 棒読みのような台詞にアルビレオは苦笑しながら突っ込みを入れた。

 こうして、京都へ行くメンバーは順当に決まった。

 

 

 

 

 

 オスティアの王城から程近く。そこには、オスティア王家が設けたゲートが在る。ここに京都へと赴く面々が集っていた。

「おいおい。王家御用達のゲートから行くのかよ」

 ラカンはそれを見ていつものように軽口を叩いた。

 機密的側面や戦略上の理由から設けられているのであり、それなりのセキュリティがあるのは特権階級に属する者にとっては当然と言えば当然である。

 

「一般のゲートから行き来できるか。パニックになるわ」

 ガトーが簡単に想像できる顛末からラカンに突っ込む。

 最早ここにいる面々の半数は魔法世界にその名を轟かせる有名人である。一人でも騒ぎになるであろうに、それが大勢。ゲートは一転してパニックになることは想像に難くない。

 

「まぁ、それはそれとして、何で俺が呼ばれたんだ?」

 ラカンはそういってハジメを見る。

 視線を浴びたハジメは、静かにラカンへと腕を振る。それと同時に放物線を描きながら飛翔する何かをラカンは造作もなく掴んだ。

 

「呼んだ理由はそれだ」

 ハジメは煙草を咥え、火をつけながら簡潔に述べた。その理由である物体をラカンは訝しげに観察する。

「なんだこりゃ。……魔法具か?」

 それは一辺が3~5cmほどの透明なキューブだった。材質は知る由もなかったが、その中にはいくつもの線が金色に輝きながら多重に浮かび上がる魔方陣の軌跡に沿って動いていることから、ラカンは魔法具であると当たりをつけた。

 

「正解だ。それの使い方だが……こう」

 いつの間に近づいたのか、ラカンの目の前にいたハジメは右腕を後ろへ引いた。

「押し込む」

 次の瞬間、ハジメの引いた右腕は恐るべき速さと威力を持って、ラカンの左手をキューブごとその左胸に叩き込んだ。突然の出来事に誰も反応することが出来ず、ラカンはつぶれたような苦悶の声を出しながら吹き飛んだ。

 

「どうだ?」

「げほっげほっ……どうだ?じゃねぇっ。なにすんだハジメっ」

 しれっとしたハジメの言葉に、咽ながら怒りをあらわにするラカンに、周囲の面々も同意する。

「ふむ。うまくいったようだな」

 そんな視線に動じることなく、ハジメはラカンの様子を鑑みて何かに納得したような素振りを見せるだけだった。

 

「と、突然どうしたんじゃ?ハジメ」

「なに、魔法世界と旧世界の境目を曖昧にする実験だ」

 たまらずアリカが皆が思っている疑問をぶつけたが、帰ってきた答えに疑問符だけが浮かぶ。

「要するに……だ」

 ハジメはそれを察したのか、仕返しだと言わんばかりに構え始めたラカンを見ながら、簡潔に述べた。

 

「この筋肉だるまを旧世界に連れて行けるようにした」

 ハジメの言葉に、この場のときが止まった。構えていたラカンすらも興が醒めたかのように言葉をなくした。

 

 数秒間皆の意識は空白のままだったが、いち早く戻ったアリカとガトーがそれはどういうことだとハジメに問い詰めた。

 それに対する答えも実に簡潔だった。

「何、この世界をどうにかするための一環だ」

 魔法で象られた世界。それは魔力が尽きれば、消えていく世界。そしてそれに伴って生まれた者たちも同じ結末となる。これに対する解決策は未だに見つかってはいない。

 ハジメの中では何かしらの思惑があるようだが、それも完全には教えられていない。その中の一つが今目の前で披露されたということだった。

 

 ハジメ曰く。ラカンに叩き込まれたキューブには特殊な魔方陣と魔力が宿っており、それはラカンの魔法世界人としての理とは別の理を植え付ける力があると言う。

 それはつまり、旧世界であっても存在できることを可能にするということを意味していた。

「だ、だったらよ。普通に言ってくれれば良かったんじゃねぇか?」

 当然、それは力尽くで押し込む必要はなく、ラカンからそういわれたハジメはラカンにだけ聞こえるような位置と声でそっと囁いた。

 

「どこかの阿呆が、オスティアのパレード中に街を半壊させてたな……」

 その言葉をかき消すようにラカンは額に汗を一筋流しながら、無理やり作ったような乾いた笑みを周囲に響かせたのだった。

 

 

 

「さて、このゲートは旧世界にある日本……麻帆良へと繋がっている。そこでまず準備をする」

 準備とは当然旧世界で生活するためのものだ。短い期間とはいえ、王族と英雄たちが旧世界に存在している組織、それも秘匿された魔法に関係する場所へと向かうのだ。

 そのために日本で魔法使いを管理する麻帆良の長とまず会うことにした。その交渉は当然ハジメとアリカ、ガトーが行うが。

 

「ん、近右衛門の爺さんか?」

 ナギが思い当たる人物の名を口にした。旧世界で旅を始めた頃に立ち寄った場所にその地があったことを思い出したのだ。

 そこで、大会に出場し話題を席巻したこともあったのだがここでは割愛する。

 

「そうだ。どうやら知っているようだな」

「まぁなー」

 ナギもいたほうが潤滑に進むか、と会談に臨むメンバーに入れようかと思案するハジメ。

 

 そして、ゲートが開く準備が完了したことを告げる光が溢れ始めた。

 

「それでは行きますか」

 ナギの声と共に、光はその輝きを増していく。それはついにはあたり一面を包み込むほどの魔力と光を湛えて、一瞬で消失した。

 

 ナギたちの姿は最早そこにはなく、旧世界へと旅立ったことを表していた。

 

 

 

 

 

 場所は変わり、麻帆良。その中心に聳え立つ神木である―蟠桃《ばんとう》―は世界樹と一般的に呼ばれ、麻帆良学園の象徴とされている。

 その付近にある図書館島。その地下奥部では、後頭部が長いまるでぬらりひょんのような老人がたたずんでいた。

 

 その老人の名前は近衛 近右衛門。ここ麻帆良学園の理事長であり、日本の関東魔法協会の理事をも務める実力者である。

 

「ふむ。もうそろそろかの」

 そう顎鬚を撫でながら、機が来るのを待つ様は選任を髣髴とさせた。

 

 そして、近右衛門の言葉を合図にしたかのように、その目の前には魔方陣が光と共に現れた。強烈な光が薄れていくにつれ、次第に見えてくるのはいくつもの人影。

 

 人影を確認した近右衛門は静かにその頭を垂らす。

「ようこそおいでくさいました。アリカ女王」

「うむ。そなたが近右衛門であるな」

 アリカの言葉に近右衛門は答えた。

 

「公ではない。硬くしなくて良い」

「それでは、失礼して」

 

 そして、アリカの後ろにいるナギの姿を見た近右衛門は笑みを浮かべる。

「久しぶりじゃの。ナギ」

「おう、久しぶりだな爺さん」

 近右衛門の再開の言葉に、ナギは右手を挙げながら答えたのだった。

 

 

 

「それで、どれほどの期間ご滞在に?」

「私とハジメ、アルは3日間ほどを予定している。良き休みにしたいものだ」

 場所を移すため、麻帆良学園を歩きながら近右衛門とアリカは話していた。その傍にはハジメとアルビレオがつく。

 

 ナギたちは、学園の様子を見渡しながらその後をついていった。特にアスナとラカンは物珍しげに見ているのか、その歩みは遅い。

 

「そうですな……ナギ。お主たちはどうなんじゃ?」

「あん?あぁ、特に決めてねぇっ」

 ナギの言葉に近右衛門は相変わらずじゃのと呟きながら、どのように話をつめるか考えをめぐらしていく。

 

「あれは、詠春に会いに来たに過ぎん。終われば故郷へと戻るかもな」

 ハジメの言葉に、ふむふむと協力を仰ぐべき人物をリストアップしていく。

 

「じゃが、あれは突拍子の無いことを平然とするからのぅ」

 近右衛門は、思い当たる節があるのか遠い目をしながら、ナギに対する次善策を積み上げておく。

 思いのほかつながりがある近右衛門とナギの様子を見て、ハジメは今回の旅は有益なものが多いと確信した。

 

 

 

 学園長室へとたどり着いた一行は、その隣にある応接室へと案内され今回の旅の目的と必要になる経費や情報を話し合いを始めた。

 

「まず、詠春の……関西の現状はどうなっている?」

 ハジメがまず聞きたかった事は、詠春と魔法と異なる文化である関西呪術協会の現状であった。

 

「婿殿のことじゃな。なかなか大変なようじゃよ」

 長となって数年。長いようで短いものである。近衛家という後ろ盾や大戦の英雄という肩書きがあったとしても、関西呪術協会の長としての基盤づくりがそれで万事解決するはずも無い。

 

 そもそも関西呪術協会の中には、西洋の魔法使いに対して悪感情を持っている人間は少なくなかった。なぜなら彼らは大戦に巻き込まれている。

 なぜか。その絵を描いたのは近右衛門自身である。呪術協会にとって近衛の名は重いものであったため、魔法協会に属することとなった近右衛門に対して裏切り者として見る人間は少なからずおり、呪術協会と魔法協会、双方にとって不利益をこうむっていたのだ。それを消したかったことが一つの理由。

 

 理由としてはもう一つ、呪術協会の地位向上である。神木である蟠桃《ばんとう》を有している関東魔法協会は、地理的にも日本における裏の仕事をこなす第一人者である。しかし、実力的には関西呪術協会とて負けてはいない。だが、その評価は低いと言わざるを得ない。

 切磋琢磨は新たな可能性を生み出すものだと経験から知っている近右衛門はこれをどうにかしたかった。

 

 主にこの2つの理由から、近右衛門は呪術協会を巻き込んだ。排除したい者たちと、向上させたい組織の地位。相反するような事案は見事成し遂げられ、近右衛門を目の敵にするばかりの無能は消え去り、日本における呪術協会の地位は関西と関東でほぼ二分されるようになり、海外からもその力は認められるようになった。

 

 当然代償はあり、自身ひいては魔法協会自体が少なからず恨まれるようになったことと、過激派が力をつけられるようになってしまったことが主な代償だろう。

 

 それを詠春に拭わせているため、近右衛門は詠春に対して少なからずの援助を行っている。それは表向きであったり、裏向きであったりと様々だ。

 

 

 

 それらをハジメたちに説明する近右衛門。さらに、詠春について触れていく。

 

 詠春は大戦の英雄としての実力者であることは当然プラスに働き、その面は多くの人間に認められている。しかしその反面、政治的な柔軟さはなく、生来の真面目さでなんとかこなしていると言うことが現状である。

 

 そういった脆さは近右衛門自身、指導したり近衛家に縁ある者を紹介してサポートしてきたのだが、それが実るのはまだまだ先であると断じざるを得ないと近右衛門は考えている。

 

「それが婿殿の美点でもあるんじゃがのぅ」

「美点が万事利点になることはない」

「残念ながらな」

 近右衛門の言葉に、ハジメとガトーも同意する。アリカも否定できる要素が無いのか苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 まだまだ話を続けている面々を横目に、ナギたちは窓から学園の生徒たちを覗いたり、茶菓子を食べたりを思い思いに過ごしていた。

「大変なんだな~詠春も」

 茶菓子の最中を頬張りながら、ナギは聞こえていた話の感想を述べる。

 確かに、旧世界に戻るときの詠春はどこか悲壮感を漂わせていたな、と思い出していた。

 

「まぁ、為政者と言うのはどの時代も大変なものさ」

 くつくつと笑いながらエヴァンジェリンは、羊羹を口の中へと入れる。詠春という男には出会ったことはなかったが、話を聞いた限りで長と言う立場にはあまり似合わない男なのだろうなと当たりをつけていた。

 

「ほう、なかなか機敏に動くなあの嬢ちゃん」

「……楽しそう」

 ラカンと肩車で乗っているアスナは窓から見える景色から、賑やかな喧騒を見せている学園の生徒たちを見てそれぞれの感想を呟く。

 

 

 そうして一行は、京都へ行くための準備を終えのだった。

 

 

 

 

 

 

「おおお。見ろっナギ。すごい景色がっ」

「あぁ、そうだなっ」

 窓の向こうの移り変わり行く景色を見ながらはしゃぐエヴァンジェリンにゆすられながらも、同じく興奮気味のナギが答える。

 ナギたちは今、新幹線に乗っていた。

 

 近右衛門の手際の良さや、計画性の高いガトーやハジメの手腕から、話し合いも1時間ほどで終わりを向かえ、近右衛門が用意させていた車で、駅へと向かった。

 そして、同じく用意していた乗車券で新幹線へと乗車した一行は、魔法世界では見られないその形状や内装、電車と言う乗り物自体に大きく関心を示し、ハジメとガトー以外はまるで子供のように目を輝かせていた。

 

「ほう、まぁまぁの速度だが居心地はいいじゃねぇか」

 ラカンは車内販売していた弁当と、ビールを味わいながら楽しみ。

 

「……すごい」

「そうじゃのぅ。おぉ、あそこを見よ、アスナっ」

 窓際の席で親子のように写り行く景色などを楽しんでいるアリカとアスナ。

 

「ふふふ」

 そんな面々をみながら笑みを浮かべ、どこから用意したのかカメラで撮り続けるアルビレオ。

 

「まぁ、楽しそうで何よりだ」

「ああ、そうだな」

 ガトーとハジメは煙草をふかしながら、体を休めるのだった。

 

「ハジメっ、お主も一緒に見るぞっ」

「……見る」

「分かった分かった」

 アリカの言葉と手招きに、ハジメは息を一つ吐いてその席へと向かった。

 

 

 

「……楽しそうで何よりだ」

 ガトーはそう呟いて、先ほど購入したビールを一気に呷るのだった。

 

 

 

 

 




お久しぶりです。感想や誤字脱字等ありましたら報告お願いします。


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第26話

「ようこそ、皆さん。お久しぶりです」

 京都へ着いたハジメたちを出迎えたのは詠春自身と数名の巫女であった。そして、護衛なのか数人のそれと分かる人間が周囲にいる。

 注目されていないのは、何らかの術式を行使しているためだろう。

 その出迎えに若干名は内心で戸惑いながらもそれを顔に出すことはしなかった。

 

「久しぶりだな。まさか、貴様自身が来るとは思わなかったが」

 ハジメの言葉に、詠春は些かこけたように見える頬を緩め笑みを浮かべた。

「あれだけ密度の濃い時を過ごした戦友たちとの再開ですから」

 ナギとラカンは、その言葉が嬉しかったようで、笑みを浮かべながら詠春の方に腕を回して再会を喜んだ。

 

 話したいことは多々あったが、ここでは些か迷惑である。そのために、詠春は皆を引き連れて駅を出た。

「今日はもう遅いですからね。このまま私のところへ案内します」

 もう日が傾き始めた頃合だからだろう。詠春は用意させていた車へとハジメたちを誘導する。

 

 車内から見る京都の光景はまた違う趣があったためか、アスナはしきりに窓を見ながらあれこれと興味を示していた。

 そして程なくして着いたのは、関西呪術協会の総本山の中心である近衛家。とは言っても本邸ではなく、そこから少しはなれた別邸である。客人用に作られた離れのようなものであったが、その規模は段違いであった。

 

 

 

 宴を開く予定ではあったが、少々準備が整うまで時間があるとの事で一行はひとまず風呂を借りることにした。

 檜で作られた大浴場は大人が何十人とは入れそうなほどに広かった。これを見て、はしゃぎ出す者が紅き翼には若干名いる。

 

「うっひゃー。広い広いなっと」

 ナギはそういいながら、湯船へとダイブした。それに続くようにラカンもダイブする。

「おいおい、ガキかお前ら」

 そんな二人にメガネを外したガトーが辟易しながらも言葉少なに注意する。普通は体を洗ってから入るものだ。

 

 詠春は苦笑しながらも、変わっていないナギやラカン、戦友たちを見て懐かしい気持ちになる。

 それとは対照的に呆れて思わずため息が出たハジメであった。

 

 

 

 一方、女湯。

「ほれ、目をしっかり閉じておけ」

「ん」

 アリカがアスナの髪を丁寧に洗っている。こういったふれあいが少なかったせいか、アリカはいつもより頬を緩ませていた。

 お湯をためていた風呂桶を翻し、お湯をアスナの頭上へかけ洗い落としていく。

 

 隣ではエヴァンジェリンが洗い終わった髪を纏め上げながら、アリカとアスナの様子を見て思わず笑みを漏らす。

「くくく、まさかこんな日が来るとはな」

 数年前までは、平穏とは真逆の立ち位置にいたはずなのに、今では一国の女王と姫君が一緒に。それものんびりと風呂を、旅行を楽しんでいる。

 変われば変わるものだな。そう内心で思いながら、体を磨いていく。

 

 そんなエヴァンジェリンに気づいたのか、アリカが微笑む。

「良いものじゃろ」

「あぁ、そうだな」

 

 そして、暫し体を洗っていると、アリカがエヴァンジェリンの肌を見ながらおもむろに口を開く。

「……それにしても肌が綺麗じゃの」

「当然だ。いつナギに襲われてもいいようにな。いや、襲うか?」

 不適に笑うエヴァンジェリンは、どこか妖艶さを漂わせていた。

 

「お、襲っ」

「……何を赤面しているんだ、お前」

 戸惑うアリカに、つられてエヴァンジェリンの頬にも朱が差す。

 

「エヴァとナギ戦うの?」

 その言葉に戸惑っている理由を察したのか、平然とした様子で疑問に答えた。

 

「いや、仲良くなるだけさ」

「襲うのに?」

「いや、襲うからさ」

 楽しそうにアスナに答えるエヴァンジェリン。

 

「そろそろ湯船につかろうかの、アスナ」

 そういってアスナの手を引いてアリカは湯船のほうへと向かう。

「……過保護なことだな」

 話を切り上げて連れて行ってしまったことに対してか、エヴァンジェリンは呆れたように笑みを浮かべた。

 

 しかし、エヴァンジェリンは勘違いしていた。

(お、襲うなどと……積極的過ぎるじゃろ)

 湯船で泳いでいるアスナを横目に、赤みが濃くなっていくアリカ。

 

 戸惑った理由は確かにアスナのこともあった。だが、最大の理由としては単純に初心なだけである。なにしろ。

(わ、私もハジメとそういうことを……あわわわ)

 何かを妄想してどこかにたどり着いたとき、思わずそれを洗い流すかのように顔を湯で洗った。

 

 つまりはそういうことである。

 

 

 

 風呂から出る頃には宴の準備も整っていた。

 催された宴では、様々な日本料理が所狭しと並べられていた。各自が思い思いの場所に座り、それぞれが楽しみながら宴は始まった。

 

「いやーうまい酒だぜ」

 上機嫌で酒盃を傾けるラカン。詠春が用意した日本酒を気に入ったらしく、空の徳利が何本もあたりに散らばっている。

 

「確かに。魔法世界とはまた違ったうまみがある」

 同じく酒盃に満たされた透き通った酒に対し、ガトーもラカンに同意する。こちらも数本の徳利が横に並べられていた。

 この二人は日本酒とそれにあわせて出された御造りや鍋との相性に満足していた。

 

 そんな二人に対しナギは親しみのあるビールを呷っている。

「あ~、こっちのは喉に来るな。爽快さがいいっ」

 揚げ物をつまみにこちらはこちらで楽しんでいた。

 

 

 

 一方でエヴァンジェリンは傍らの小さな影とともに縁側に腰を下ろしていた。

「ケケ。羽目ヲ外シスギジャネェカ?」

 そう口を開いたのはエヴァンジェリンの従者であるチャチャゼロであった。そんなことを言いながらこの人形の片手には一升瓶が握られている。

 

「楽しそうで何よりさ」

 エヴァンジェリンがナギを見つめながら楽しそうにしている従者にそう返す。そして、視線を外して空を見上げる。そこには山の上と言うこともあってか、いつもより近く感じる満月が見られた。

 

 整備された庭は、これぞ日本庭園と呼べるものだった。それが月明かりと共に照らされている景色は、筆舌に尽くしがたい粋なものが感じられた。

 こういった静かに、風流を楽しみながら飲む酒を好むエヴァンジェリンは、後方から聞こえるバカ騒ぎに微笑みながら酒盃を傾けるのであった。

 

 

 

「ほう、見事なものじゃ」

 そういってアリカは見事に盛り付けられている鯛の御造りに、感嘆の声をあげた。そして、その透き通った切り身に箸をのばす。味も文句のつけようがなく、美味。

「美味しいぞ。アスナも食べてみよ」

 アスナはこくりと頷き、勧められるにままに食する。

 お気に召したらしく、こくこくと頷きながらまたひとつと箸をのばしていく。

 

 そんなアスナを微笑ましそうに見守りながらアリカも心置きなくご馳走を味わい。

「ほう、これが天ぷらか」

 食事を運び込む巫女服姿の女中に料理名を聞きながら、それを食しアスナに勧めていた。

 

 

 

「ほう、これはなかなか」

「美味しいでしょう。私も好きなんですよね」

 鱧の湯引きを梅肉で食したハジメは思わずうなる。牡丹鱧と呼ばれるほどにその身を花開かせた見た目もさることながら、その味もあっさりとしながらも独特の風味とうまみ、梅肉の酸味がハジメの舌を楽しませた。

 ハジメの様子から詠春も笑顔で賛同する。こちらもどうぞと鱧の天ぷらをハジメに勧め、その美味しさに舌鼓を打ちながら食事を楽しんでいた。

 

 ハジメの横ではアルビレオが鍋の豆腐をつつきながら、片手にビデオを離さない。その顔の笑みは崩れることを知らないようで、終止楽しそうな笑みをしながら、カメラを回し続けていた。

 

 

 

 宴が進んでいく中、ハジメと詠春は皆と少しはなれたところで、酒を酌み交わしていた。

「それで、どこまで把握しているんだ?」

「……ただの旅行ではなかったのですか?」

 おもむろに口を開いたハジメの言葉に詠春は笑顔のまま答える。

 

「まぁ、最初は忠告にとどめようとしたんだがな」

「不甲斐無くて申し訳ないです」

 目を瞑り、少々沈痛な面持ちをする。

 

「……そうですね、派閥は把握していますが、うまく治められませんね」

「出てくるか」

「十中八九。ご迷惑をおかけすると思います」

「まぁ、麻帆良でもそういう結論に至ったからな」

 そういって懐から煙草を取り出すハジメ。同じように詠春も煙草を取り出し咥える。

 

「吸っていたか?」

「いえ。ですが、ハジメとガトーが良く吸っていたわけがわかりましたよ」

 曖昧な笑みを浮かべる詠春に、ハジメも軽く笑みを浮かべた。詠春は詠春で大変なようだった。

 

 

 

 それは、突如として起きた。

 地響きがあたり一面を揺らしていく。そして、次の瞬間に響き渡る人外のそれと分かる咆哮。

 別邸であるにもかかわらず、聞こえてくる喧騒。

 

「おいおい、ここは自分のねぐらでもあるだろうに」

「困ったものですねぇ」

 ガトーやアルビレオ、ハジメは事態に対して平然としており、その上どこか呆れたような表情であった。

 

 そして、これに反応したのが酔っ払い三人。

「なんだなんだ」

「随分と威勢がいいのが出てきたか?」

「くく、余興にはなるんじゃないか?」

 ナギにラカン、エヴァンジェリンは次々と外へと出て行く。

 

 舞い込んできた配下の巫女が長に耳打ちをする。

 巫女によれば、今回の首謀者がとんでもないものを召喚したとのこと。

「あー、出来れば反応しないでほしかったですね」

 詠春は酔っ払いたちが出て行くのを確認しつつ、巫女に対しこれからの指示を与える。この事態の首謀者の安否を気にしながら。

 

 

 

 リョウメンスクナノカミ。それが今回召喚された鬼。いや、鬼神である。二面四手、十八丈を超える巨躯の大鬼。その纏う雰囲気は、人々に畏怖をもたらす威圧感と共に力を感じさせる。

 鬼神は一歩を踏み出す。その衝撃と共に大地は抉れ、儀式がなされていた神殿の湖は水柱を上げる。

 

 その背後、神殿では一人の男がたたずんでいた。

「くっははは……素晴らしい。これで、関西呪術協会の力も知れ渡る。長を倒し、私が作り変えるのだ」

 哄笑を挙げる男の周囲には、何十もの影が横たわっていた。物言わぬ屍となって。

 

 神殿は総本山から山を越えた湖にある。そこから鬼神が目指すは総本山であった。鬼神が一歩踏み出すたびに地響きと共に山が形を変える。

 

「んだよ。鬼神兵かよ」

「いや、それよりかは上等だろう」

「そんなことはどうでもいいっ」

 ナギとエヴァンジェリンが鬼神を見た感想を述べる中、いち早く飛び出したラカンが右腕を引き絞るように体をねじり、一気に体全体の力を拳に込めて振りぬいた。

 

 激突するラカンと鬼神だったが、鬼神はビクともせずに気にする風でもなく突き進みラカンを弾いた。

「ぶーはっはっはっは。なんだそれ、ラカンっ」

「どうした、筋肉だるま?自慢の気合が通じて無いぞ……くくくっ」

 なんてことは無い。ラカンに宿ったキューブは試作品であり、ラカンのバグを遺憾なく発揮できるまでには至らなかっただけである。

 

「良く見ておけ、筋肉だるま」

「大人しくしてろよ、ラカン」

 鬼神が目前に浮いているナギとエヴァンジェリンの姿を認めると、おもむろに口を開く。すると後ろの面が咆哮を上げ、後方の手を天高く合わせ、前方の手は大きく広げた。

 次の瞬間に吐き出されたのは、魔力の奔流。それは、ナギたちを今まさに飲み込もうとしていた。

 

 しかし、それはいとも容易く振り払われた。

 エヴァンジェリンは、皮肉気に笑みを浮かべる。

「その程度か。余興にもならん」

 そして、つむぎだされるは極大の氷魔法。鬼神の足元、当たり周辺は凍りつき闇の帳が落ちていく。どこからか俺を巻き込むなという声が聞こえた気がするが、無視された。

 

「運が悪いな。てめぇは」

 その隣ではナギが極大の雷魔法をつむぐ。

 

 緩慢な動きでナギたちに拳を振るおうとする鬼神であったが、最早格付けは済んでいた。後は、ただ戦いを終わらせるだけである。

 

 二人がつむぎ終わったとき、鬼神に行使された魔法はその身を一瞬で凍らせ、雷によって塵芥となった。

 

「うし、んじゃラカン連れて飲みなおすか」

「うむ」

 消えていく鬼神に最早興味が無くなったのか、ナギとエヴァンジェリンは下で騒いでいるラカンを連れて帰るのであった。

 

 

 

 リョウメンスクナノカミが光を反射させながら、塵になっていく様を見ていた男は口を間抜けにあけたまま脱力するしかなかった。

「は……はは……そんな……馬鹿な」

 それをただ繰り返しながらへたり込む様を見た、詠春とその配下は若干の同情を禁じえなかった。

 

 詠春は一変してしまった地形。木々は吹き飛び、神殿はぼろぼろ。残っていた木々も凍りついた、まるで死地のようになった光景を眺めて一言。

「あぁ……思っていた通りになってしまいました」

 そう呟いた詠春は笑みを浮かべながらも目が死んでいた。そばにいた巫女は何もいえなかった。

 

 

 

「えぇ。後はこちらでやるので、どうぞお休みになってください」

 この数時間で幾分か老けたように見える詠春は、宴の席にいた面々にそう告げた後、巫女を連れて早々に去ってしまった。

 まだまだ飲み足りないと騒ぐ者たちを強制的に眠らせた後、アリカ達は眠るのであった。

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。皆が寝静まる中、詠春はいまだに先ほどの出来事の後始末をつけていた。

 周辺に対する被害の補填と対策。協会内における過激派への処分と今回儀式に用いられた生贄についての報告と対処。やることは山積みであり、明日は夕食ぐらいしかナギたちと会う機会がなさそうだと詠春は思うのだった。

 そこに声をかける影が一つ。

 

「大変そうだな」

「……寝たのでは?」

「何。表向き手伝うのはまずいからな」

 

 そういって影から放られたのは書類の束。受け取ったその一部を見て詠春の顔が引きつる。

 なにせ認印や実印の中には関西呪術協会の幹部のものや義父である近右衛門のものなどがあったのだ。しかも、その案件にはこの先必要になるであろう過激派についてとそれにまつわる組織の動きが大まかであるが把握できる内容としてそろえられていた。

 

「あ、相変わらず恐ろしい手際……」

「今は一先ずお前の長としての基盤をしっかりさせんとな」

「借りとして受け取っておきますよ。明日は存分に楽しんでください」

「あぁ、そうさせてもらう」

 詠春は疲れた笑みを浮かべたまま書類を持って、去っていく影を見送るのだった。 

 

 

 

 

 

 

 大変だったはずの事件があった夜が明け、翌日。

 慌しさを感じる本邸とは別にハジメたちがいる別邸は長閑だった。

 凄まじいほどの酒を飲んだとは思えないほどに、いつも通りのナギたちは朝食を平らげる。

 

 朝食を食べ終えた後一服していた面々を前に、ナギが口を開く。

「今日はどうするかね」

「各自、自由でいいんじゃないか?」

 ガトーが幾名かの人物に視線を向けながら提案した。

 

 エヴァンジェリンを見たナギは、それに頷いた。

「それもそっか」

「そだな。俺は昼間は寝てぇ」

 ラカンはごろりと横になりながら賛同する。夜の楽しみのためである。

 

「俺もこの辺を歩きたいしな」

 ガトーは紫煙を吐きながら庭から一望できる街を見る。車の中でしか見ていなかった街並みに興味があった。

 

 各々が自由行動に賛成したため、好きなように部屋を出て行く。エヴァンジェリンはナギの襟首を掴みながらさっさと行ってしまった。

「我らも行くかの」

「そうだな」

 ハジメとアリカ、アスナは三人一組ということで行動することにした。

 

 右にハジメ、左にアリカ。それぞれと手を繋いだアスナ。三人は街へ向かった。

 

 

 

 

 

 清水寺。清水の舞台から飛び降りるということわざで有名な京都における観光名所のひとつである。

 その本堂から見渡す景色にはしゃぎまくる金髪の美少女と赤髪の美青年が一組。周囲に微笑ましい目で見守られていた。

 つまりはエヴァンジェリンとナギである。

 

「お……おぉ。これが清水寺」

 この日は日柄も良く、13メートルほどの高さから望む景色は見るものに充足感を与える。エヴァンジェリンもその例に漏れず、満足げに観光を楽しんでいた。

 

「……すげぇな」

 本堂の中を散策し、その一つ一つの重厚感にナギも思わずといった風に感嘆する。

 

 続いて二人は地主神社へと足を運ぶ。ここはいわゆる縁結びの神様が祭られている、カップルが行く定番である。

 恋占い石に勤しむ女性たちを横目にナギとエヴァンジェリンは境内の中を散策しつつ楽しんだ。

 既に好きあっている者たちの強みか定かではないが、向けられる視線に心地よさを覚えながらエヴァンジェリンは地主神社を後にした。

 

 すぐ近くにある音羽の滝では、三つある滝全ての水を飲もうとしたナギを固めた拳で諌めながら、作法にのっとって水を飲む。なんだかんだ言いながら恋愛成就の滝の水を飲んだ二人であった。

 

 その後は一念坂、二寧坂、産寧坂をのぼり、二寧坂ではお互いに気をつけながら、可笑しそうに笑い楽しみ、八坂神社や高台寺に赴き、ナギは若干飽きながらも隣で心底楽しそうにしているエヴァンジェリンを見ながら自身も楽しむのであった。

 

 

 

 一方ガトーは一人静かに嵯峨野、嵐山をのんびりと散歩していた。

 それほど信心深い性格ではないが、ここまで見事に神社仏閣が建立しているところと自然と見事に調和されている姿を見るとそういうものとは別に、何か訴えかけるものがあるなと内心で思いながら歩いていく。

 

「ほう」

 そう思わず感嘆の息を吐いたのは嵯峨釈迦堂の名でも知られる清凉寺にある像である。本堂を見たときも重厚間を感じたガトーであったが、この像を前にするとその趣に感嘆した。

 何気にこういったものが好きなのかもしれんと自分の新たな一面を感じながらガトーは散策を続けるのであった。

 

 

 

 室町通ではハジメ、アリカ、アスナがまるで親子のように三人並びながら散策していた。

「着物……じゃったか?綺麗なものが多いの」

 大きな呉服屋の前で立ち止まるアリカ。それを見たハジメは、数秒思案した表情をした後そっとアリカの手を引き呉服屋の中へと入った。

「ちょ、ハジメ」

「……着たければ着ろ」

 ハジメの言葉に一瞬呆けるアリカ。その言葉を理解した同時に微笑み頷いた。

 

「わたしも」

「うむ、そうするかの」

 アスナの催促にアリカは笑顔で頷き、その手を引いて店内の着物などを物色する。

 

「綺麗な奥はんどすなぁ」

 奥から出てきた女将がハジメの隣でそうアリカを評する。

 ハジメはその言葉に、ふっと笑みを浮かべて頷いた。

 

 

 

 アリカは一つの打掛に目を留めた。白い生地に大きくあしらわれた紅い牡丹がとても美しく彩られていた。

「着付けしはりますか?」

 そんなアリカに女将は優しく声をかけた。

 

「よ、よいのか?」

「よろしおす。お嬢ちゃんにはこらどうどすやろ?」

 女将は傍らにいるアスナに薄紫色を貴重としたものに白い花が散りばめられている打掛を勧めた。

 そして、女将と共に着付け室へと向かうアリカとアスナを見やりながらハジメは小物が置いてある棚へと向かうのだった。

 

 

 

 漆喰のかんざしを手に取りながら待つこと十数分。着付け室の扉が開いた。

 そこから現れたアリカの姿に、ハジメは暫し見惚れていた。

 

 純白を貴重とした打掛は、アリカ自身の美白と相まってか全体的に透き通った美しさを際立たせ、胸から膝までを占める大きな紅い牡丹は、純潔としての白を意識させながらも女性的な色香を見事に現していた。

 また、アリカの絹のような金髪は結い上げられ、普段とは違う大人としての艶やかさも見え隠れしている。

 

 ハジメの前に出たアリカだったが、物言わぬまま見つめ続けるハジメに対して赤面しながら口を開いた。

「な、何か言わぬか……戯け」

「あ……あぁ、存外に似合っていてな」

 あわてたように視線を外し、頬を掻くハジメの姿に嬉しさがこみ上げたようにアリカは微笑んだ。

 

「お嬢ちゃんのほうも出来ましたよ」

 そう言って女将は着付けが済んだアスナを連れてくる。

 

 薄紫を基調とした色彩は存外大人っぽさが生まれるが、不思議とアスナの肌の白さと髪の色にマッチしており、散りばめられている白い花は少女としての活発さを良く現し、アスナに随分と似合っていた。

 

「おぉ、似合っておるぞ。アスナ」

「アリカも綺麗」

 お互いの姿を見合いながら、嬉しそうにしている二人を見てハジメは頬を僅かに緩める。そして、手元で弄んでいたかんざしを見やる。

 

「あら、なかなか良い趣味をしていますね」

 ハジメが持っていたかんざしを見て、女将がそれを手に取りアリカの元へと近寄る。声をかけられたアリカはハジメを見て頷き女将が整えやすいように頭を下げる。

 金色の髪に漆喰の黒が一点。より鮮やかになったアリカを見て女将も大きく頷きながらその容姿を大いに褒めていた。

 

「ふむ。このまま今日は観光を続けるか」

 ハジメの言葉にアリカが提案したのは、このまま全員着物で街に繰り出すと言うことだった。それを聞いた女将は少し離れた男物の着物を持ってきた。

 

「旦那さんならこういうのはいかがでしょう」

「おぉ、悪くないのではないか?」

「花浅葱ですが、旦那さんならお似合いだと思いますよ」

 そして、同じく着付けてもらい三人が着物となる。ハジメの着物姿に当然ながら、アリカも見惚れていた。

 

「……では、これらをもらおうか」

 さらっと言ったのが驚いたのか女将は思わずと言った風に口をついた。

 当然だろう、見た目二十歳前後にしか見えない青年が些か以上にお高い着物数点を悩む素振りもなく買おうと言うのだから。

 

「えらい甲斐性おますおとこしやね~」

 意味が通じなかったためか、ハジメは首を僅かに傾げる。

「大変甲斐性ある男だねと言ったんですよ」

 思わず出てしまったのだろう。ハジメとアリカを見て、女将は笑みを浮かべて言葉を直した。

 

 アリカの傍によって、女将がささやきかける。

「よかったねぇ。こないな旦那さんがいて」

 女将の言葉に、アリカは笑顔で頷いた。

 

 来ていた服はまとめてもらい、三人は呉服屋を出て散策の続きを行い大いに楽しんだのだった。

 

 

 

 

 

 日が沈み、ハジメたちが詠春のところへ戻ると、既にナギとエヴァンジェリンが戻っていた。

「おおっ、すげぇ似合ってんな」

 ナギがハジメたちの姿を見て出た一言である。エヴァンジェリンも賛同し、アリカにどこで買ったのかを聞いていた。

 

「あそこですね。あそこは私たちも愛用していますよ」

 呉服屋の場所をハジメに聞いた詠春がそう言うと、なるほど随分質がよいわけだとハジメは納得した。値段も相応であったが。

 

「俺たちは寺とかいろんなとこ行ったんだぜ」

 ナギが楽しそうに言うのを、ハジメは意外に思った。この鳥頭が好き好んでいくとは思っていなかったからだが。

「あぁ、エヴァが随分楽しそうに説明するからな。なんかそれが楽しかった」

 理由は、まさかの惚気であった。

 

 

 

 しばらくするとガトーとアルビレオも戻ってきた。

「俺は神社仏閣が意外に好きだと言うことに気づいた」

 ガトーが今日どこへ行ったのかなど散策した感想の最後に締められた言葉。

 イメージとして無宗教だと思われていたためか、そういった疑問がガトーに投げかけられる。

 

「いや、俺自身もそう思っていたんだがな」

 曰く。神様を信じるようになったと言うよりも、それを信じる者たちが遺したモノに対して思うところがあったそうだ。

 苦労性のガトーだからこそ感じたものがあるのかもしれない。

 

「アルは何処に行ったんだ?」

「私ですか?旅の思い出を作っていました」

 ナギの言葉に、喜色満面に持って帰ってきた袋を翻すアルビレオ。翻った袋からは写真があたりに舞った。

 

「いやー皆さんに気づかれないように撮るのには苦労しましたよ。あ、ビデオも当然あるので安心してください」

 

 ひらりと舞っている写真の一枚一枚に映っているのは、今日の面々の一コマであった。

 

―蕎麦をすすっているエヴァンジェリン―

 

―なぜか修学旅行生と思われる少年少女と共に写真を撮っているガトー―

 

―アスナの口元を拭っているアリカ―

 

 いろんな感情を振り切って皆はただ呆然と、写真一枚一枚の感想を述べるアルビレオを見て同じ事を思った。

(こいつはぶれないな)

 どこまでも自分の楽しみを優先させる男、アルビレオ・イマだった。

 

 

 

「そういえばラカンがいないな」

 ガトーが辺りを見回し、ここに居ない者の名を言った。

 それに対し、詠春は困ったような顔を作り一言。

「あの筋肉馬鹿なら、舞妓さんがいるところへ繰り出しましたよ」

 

 

 

「ええ男どすなぁ」

「ラカンはん、どうぞ」

「がーはっはっはっは」

 舞妓さんを前に、下品な大笑いをしながら楽しんでいるラカンであった。

 

 

 

 

 

 昨日ほどではないが、もてなされた料理は今日も豪華であった。

 ラカンがいない代わりに、今日は詠春の妻である近衛 春香がその席にいた。

 男女の比率が均衡したためか、それぞれで談笑することになり、楽しい時間を過ごしていた。

 

 女性陣の談笑は、アリカが中心となっていた。

「まぁ、その歳で女王として振舞っているのですか」

「うむ。なかなかうまくいかぬこともあるがな」

 春香はアリカの境遇とその手腕に驚きの声をあげる。近衛家の一人娘としてそれなりの重責はあったが、長としての役割は求められていなかったということもあるが、自分とそう変わらない女性がその責務を果たしていることにである。

 

「ふん。よく言う。あの世界が纏まりつつあるのは間違いなく貴様の手腕さアリカ女王」

 皮肉気に笑みを浮かべながら酒盃を傾けるエヴァンジェリン。彼女がこういうのはその実力を認めている証左である。

 

「それでは後継者の話もいろいろあるのではないですか?」

 自身にも覚えがあるのか、どこか不安げな恥ずかしいような様々な気持ちが垣間見える表情をしながら春香は尋ねた。

「ふぇっ?」

 奇妙な声をあげ、赤面するアリカ。その様子を肴に実においしそうに酒を呑むエヴァンジェリン。

 

「い、いや実はな後継というか、王制は私の代で終わらせるつもりなのだ」

「ええっ!?なぜなのですか」

 驚愕、困惑と言った表情の春香。当然であろう、特に問題を起こしていない、むしろ革命を起こした王がその代で国の在り方を変えると言っているのだから。

「それは……いろいろあってな」

 

 そう呟いたアリカの表情に春香は何かを感じ取ったのだろう。

「そうですね。アリカさんのような方が決めたことですものね」

 春香は人を安心させるような笑顔でそう告げ、アリカもそれに答えるように笑みを浮かべた。

 

「それはそれとして……子供はほしくないんですか?」

 その笑顔のまま春香はアリカにもう一度聞くのであった。

「へ?あ……いや、当然欲しくはあるのだがまだ早いと言うか……」

 ワクワクと表現したい瞳でアリカの独白を聞き続ける春香。

 

 観念したかのように赤面したままのアリカは微かに呟いた。

「ほ……欲しい」

「ですよね。私も欲しいと思っているんですよぉ」

 同じ歳の子供が出来るといいですねぇと笑顔で言う春香にアリカは赤面しながらも同意を示すのであった。

 

 

 

「……だそうだが」

「……検討しておく」

 

 

 

 

 

 早朝。近衛家から階段を下った場所でハジメたちは別れを済ませることとなった。そこにはナギたちはいない。寝ているのである。

「それでは、ハジメたちとはここでお別れですね」

「ああ。また近いうちにな」

「ええ」

 詠春とハジメが別れを告げる。

 

 今回の騒動の一件、いろいろ執り成す材料が出てきたことで一先ず協会全体を治めるための着実な一歩が踏み出せることとなった。

 それは、ハジメも関われるようになる時も近いことを表していた。表向きに活動するには旧世界におけるハジメのコネクションはいまだ少ないのである。

 

 

 

 僅か一日にも満たない間に随分と距離が縮まったアリカと春香も別れを告げていた。

「今度はお互いに子供が出来ているといいですね」

「あぁ、そうだな」

 春香の目じりにはうっすらと涙が見える。それにつられるようにアリカもうっすらと涙目になってしまう。

「今度はもっといっぱい泊まっていってくださいね……もっとお話したいですからっ」

 しかし、彼女はそう笑顔で告げるのであった。

 

「ああ。そうしよう」

 アリカも笑顔でそう告げた。

 

 

 

 こうしてハジメたちの京都旅行は終わりを告げた。

 

 

 

 

 




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第27話

お久しぶりです


 あくる日の王宮で、アルビレオがいつもどおり政務を行うために部屋へ向かう途中、先を歩くハジメとアリカを見かけた。だがその光景に軽く違和感を覚える。

 ひとまず声をかけようかと、歩を早めるとアルビレオは違和感の正体に気づく。いつもと同じように並び歩いているのだが、その二人の間の距離感がいつもと違う。どこかよそよそしいような、だがそれも違う。

 

――これは何かある

 

 天性の悪戯好きの血が騒いだアルビレオは歩を緩めて観察に徹することにした。

 決して気づかれないように。されど決定的な瞬間を見逃さないように。ただ、その姿は英雄とはかけ離れたものであった。

 

 

 

 前を歩くハジメは後ろからでも分かるほど挙動がぶれていた。普段の冷徹さは何処へ行ったのか。

 そうして視線が若干泳ぎながら、訥々とアリカに対して口を開く。

 

「その、何だ……大丈夫か?」

「へぁっ……う、うむ。大丈夫じゃ。支障ない」

 ハジメが発した言葉の意味を理解した瞬間に耳まで赤くしたアリカも、どもりながらそう返す。

 

「なら、いい」

 

 そのまま会話も続かずに、緩慢と歩を進めていく二人の姿はいつもと違う雰囲気をかもし出していた。

 それは、いつもの距離感とは少し違う。だが、離れているといったイメージは見た目からは浮かばない。

 

 つまりはより仲は深まったのだが、そのために距離感が未だに定まっていないだけというのが真相であった。

 

 

 

 そんな光景からそう思い至ったアルビレオは、自身の顔に笑みが浮かぶのを自覚した。そして、そのままに二人へと近づく。

 

「おや、二人とも昨晩はお楽しみだったようで――」

 

 喜色満面の笑みでアリカの横から、アルビレオは開口一番で言葉を発した。

 しかし、その言葉を言い切ることは出来なかった。

 

 アルビレオが言い切る前にその声色から何を言われるのか理解したのだろう、頬に朱が差しているアリカが振り向き様にその顔面へと拳をめり込ませ、その勢いのままに廊下の壁へと磔にしたのだった。

 

 突然の出来事と後姿からでも感じるその威圧感に、呆然としていたハジメは恐る恐るといった感じに声をかける。

「……アリ――」

「さて、今日も頑張るとするかの」

 そう振り返ったアリカは、いつもより穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「……そうだな」

 最早何も言うまいと、ハジメもこれに同意し政務室へと向かう。そんな二人の間はいつもより近い距離で落ち着いていた。

 

 

 

 そしてある意味で立役者である、その場に磔にされ取り残されたアルビレオ。

 ハジメに護衛されているからといって、アリカ自身弱いわけではないということを忘れて調子に乗った自業自得の結末であった。

 

 

 

 

 王宮内での仲睦まじい様が噂になるほどには平和な時が進むなか、魔法世界の変革も進んでいく。

 

 王制では行き届かなかった効率の悪い政などは連合へと委譲され、それはまた、帝国から進出している者たちと共に進められる。

 これらは連合や帝国、アリアドネー各地でも同様に行われ、魔法世界全体の交流は見事というまでに順調だった。

 

 アリカがオスティアに縛られる必要もなくなり、代わりに世界中へと渡航する機械が大いに増えた。

 先の大戦の中で、アリカは間違いなく英雄たちの旗本であったのだから大戦後の扱いはそれに見合うものとなるのは当然の話である。

 

 そして、オスティアは独立した王国から魔法世界での中心となる都市としての機能を持つ世界都市へと変わる。それは国と言う小さい枠組みを超えたものだった。

 魔法世界の経済や物流などの中心となるこの場所には、各国の重鎮である為政者の移住が決まり、これに伴ってオスティア王国の制度は大きい変化がもたらされた。

 

 その変化に反発が起きるかと思いきや、それらが起こる事は無かった。魔法世界全体へと説明されている目的は既に明確であり、国民たちも納得済みであったからだ。

 生活が困窮するわけでもなく、政治が急変するわけでもない。むしろ、今までよりも政治に関われるようになったのだから文句が出るはずも無かった。

 

 アリカから総督になるクルトへと、政務するものが移り変わる瞬間は短いながらも国民へと流された。

 

 オスティアから国や王制といっわ枠組みをを取っ払ったアリカたちは、クルトたちとかかわりながらも表舞台から立ち去り、クルトたち新しい世代が政治の表舞台へと駆け上がっていく。

 

 

 

 そしてある意味でオスティアの民が待ち望んでいた吉報が訪れることになる。

 

 

 

「あまり顔色が優れんようだが?」

 朝からうすうすと感じ取っていたアリカの不調。午前の執務が終わりを迎えても一向に回復しないことから、とうとうハジメはそう切り出した。

 

「うむ、実はな。……ばれておったか?」

「当たり前だ、まったく」

 照れ隠しに浮かべた笑みを見たハジメは、呆れたようにため息をつく。

 そして、近くにいた秘書にアリカを医務室へと連れて行くように頼んだ。

「さっさと行って来い」

「すまぬな。言葉に甘えるとしよう」

 アリカ自身も体の不調から素直に秘書を連れて医務室へと赴いた。

 

 

 

 医務室に入ると、係り付けの医師がアリカを診察する。カルテへと記述しながら問診を始める。そして、なにか気づいたような表情を浮かべた後、朗らかに微笑みながら、

 

「最近、月のものは来ましたか?アリカ様」

「いや、しばらくは来てないか……の」

「そうですか」

 

 カルテに記入し終えた医師は、笑みを浮かべて診断結果を述べた。

「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」

 医師の言葉にアリカは暫し呆然としていた。

 

「ほ、本当ですか!?」

 思わず傍らにいた秘書のほうが驚きを示し、アリカも医師の言葉に理解が追いつく。

「そ、それは真か?」

「はい、二ヶ月目といったところでしょうか」

「そ、そうか……そうか」

 

 優しい瞳でおなかの辺りを撫でるアリカは、実感がいまだもてないながらも嬉しそうに微笑むのであった。

 

 

 

「……懐妊?」

「うむ」

 

 医務室に連れて行ったはずの秘書が慌てた様子で呼びにきたことから、急いで医務室に訪れたハジメが聴かされた言葉はアリカの懐妊と言うことだった。

 

「ほ、本当か?……動いていて大丈夫なのか?」

 壊れ物を扱うように優しく肩に触れるハジメ。そんないつもとは全然違う様子に、思わずアリカは噴出してしまう。

 

「ふふ。そうじゃな。安定期に入るまでは安静にとのことじゃ」

「そうですね。母体も健康ですししばらくは様子を見てという形になります」

 医師の言葉に、ハジメは数瞬考える素振りを見せた後。

 

「なら、部屋に帰っておけ。いや、環境を整えたほうがいいのか?」

 額に手をやりながら、再び何か考え事をして呟き始めるハジメ。その様はまさしく慌てているといった表現がしっくりくる。

 

「しかし……そうか。俺たちの子か」

「そうじゃな」

 

「なかなか実感が無いものだな」

「妾もじゃ」

 二人は見つめあい、共に笑う。

「お主が父親になるのじゃな。ハジメ」

「お前は母親になるな。アリカ」

 

 二人は近い未来を夢想し、微笑みあうのであった。

 

 

 

 アリカ王女の懐妊。この一報はすぐさまオスティア全土に広まり、街はすぐさまお祭り騒ぎとなった。それだけ、アリカに対して信頼と畏敬の念を抱いていると言うことなのだろう。

 

「おめでとうございます」

 王宮へと訪れ、そう祝福の言葉を述べたのは今や世界都市の運営の一端を任されているクルトだった。

 

「忙しい最中であろうに。直接来なくても良いのじゃぞ?まだ産まれたわけでも無い」

「ああ。俺たちが言うのもなんだが、お前は政治の中核だろうに」

 来てくれたことは嬉しいが、クルトの立場その重要性を何よりも知る二人だからこそ、そういった心配の声が出てくる。

 

「いえ。こうしてお二人に直接お祝いを述べたかったものですから」

 時間を作るのには苦労しましたけど、とそう笑みを浮かべたクルトに目元には隈が見える。この時間を捻出するために相当な労力を費やしたことが察せられる。

 クルトにとって目の前の二人は憧れ、尊敬などといったものでは表現しきれないものを抱いている。だからこそ、それだけの労力はいとわない。

 

「あまり無理はするなよ?」

「ハジメさんからそういう言葉をいただけるとは思いませんでした」

「ふん。他人に管理される阿呆のままで無いなら結構だ」

「はい」

 クルトの返事にその場全員が笑みを浮かべるのだった。

 

 そうして暫しの歓談を楽しんだ後、クルトは改めて祝いの言葉を述べて退出し、政務に戻るのであった。

 

 

 

「あの様子なら大丈夫そうだな」

「うむ。お主が認めただけの事はある」

 アリカの言葉にハジメの動きが止まった。

「いつそんな事を言った?」

「マクギルが言っておったぞ。随分目にかけていたようじゃな」

 

 ハジメは聞こえないように舌打ちをして余計なことを言ったマクギルには相応のことをすることを決める。

「まぁ、曲がりなりにもマクギルの教え子だ」

「うむうむ。そうじゃな」

 笑みを絶やさないアリカに対して、認識を改められないと悟ったハジメはため息を一つ吐くのだった。

 

 

 

 そして数ヶ月のときが過ぎ、アリカは無事女児を出産した。

 多方面から沢山の祝儀が送られ、そのお返しなどに一時騒然としていた王宮も今は落ち着きを取り戻していた。

 

 そのような中、父でありながらも忙しさから顔を出せていなかったハジメも時間がとれ、アリカと娘のところへと赴いていた。

 

「ふふ。大変だったようじゃの」

 寝ている娘を抱きながら、ハジメに微笑みかけるアリカ。

「まぁ、折込済みだったんだが……少々想定以上だったな」

 若干疲れた様子で息を一つ。文字通り世界中からの祝儀が舞い込んだのだ。物品と差出人の確認だけでも大変だが、足を運んでくるものも当然出てくるわけで。

 ある意味ではクルトが来るタイミングが一番だったのかもしれない。出産の祝儀にも来たが、プライベートとしては懐妊時のほうが良かっただろう。

 

 アリカへの負担を最小限にするために奔走したハジメも少々疲れが出たようだ。

 

「しかし……こいつが俺たちの子か」

 そういって指先をその頬を掠めさせる。それだけで感じ取れる体温と柔らかさ。不思議と表情も和らぐ。

「抱いてみよ」

 ハジメの顔を見たアリカはそう提案して起こさないように、そっと持ち上げる。

 

 ハジメは頷いて腕を出す。

「そんな、緊張せんでもよかろうに」

 傍目からは感じ取れながったが、アリカはそういいながら笑みを浮かべてハジメの腕へと移した。

 

 そっと抱き上げて、ぐずることも無く寝続けるその顔を見て、そしてその重さを感じてハジメはただ呟いた。

「軽いが……重いな」

「……それが命と言うものなのじゃろうな」

 

 暫しの静寂。心地よい空間の中、ハジメは口を開く。

「……名を考えていた」

 赤子を抱きながらそう切り出す。

「何と考えておったのじゃ?」

 

「メア」

「メア…か。良い名じゃ」

 

 こうして二人に一人加わった家族としてのひとときを過ごすのだった。

 

 

 

 祝儀が来る中に関西呪術協会もその名を連ねていた。

 要は詠春からも当然祝儀がきたというわけだが、それには手紙も同封されていた。手紙には詠春の妻である春香も子を宿し、近々出産の予定であるという旨が書かれていた。

 

 アリカはこれを、目を細めてとても嬉しそうに読んでいた。

 どうやら先の旅行の中で春香との仲は相応によくなっていたらしい。

「予定では来年の3月とある。ぎりぎりじゃがメアとは同級生になれるの」

「ふむ。今度時間があれば行くか?」

 アリカの言葉に、ハジメがそう提案する。

 

「それは良い。楽しみにしておこう」

「まぁ、しばらくはメアの相手をしておけ」

 自身の名だと認識しているのか、アリカの傍らにいたメアが呼ばれたと思い、あーと返事のように声を発していた。

 そんなメアをアリカとハジメは微笑を浮かべて見守っていた。

 

 

 

 そうしてメアが生まれて半年が経ったころ、ガトーたちがアリカ達の下へと立ち寄っていた。

「随分久しく感じるの」

「まぁ一年以上経っていますから」

 懐かしそうに声をかけたアリカにガトーが苦笑気味に答える。

 

 アリカ達が京都から帰った後もしばらくは滞在していたようだが、エヴァとナギが出立し、それに続くようにガトーたちも京都を出たと言う。

 そこから一年は旧世界を回っていたらしく、つい先日メアが生まれたことを知ったらしい。

 

 ちなみにラカンは途中で分かれたそうだ。

 というのもアスナを狙うような組織は旧世界には既に無く。魔法世界も交流が盛んに行われている中で、そのような行動に出るものも姫御子を知るものもいない。

 

 そんな中であの放浪者がいつまでも束縛されることを許しているはずも無かったと言うことだ。

 

「アスナも久しぶりじゃな」

「うん。久しぶり」

 そう返すアスナだったが、視線はずっとメアに釘付けのままである。ベッドに寝かされているメアは不思議そうにアスナを見上げた、声を発したり手を動かしている。

 

 好奇心に動かされたのだろう。アスナはそっとメアの手に触れた。

 そして、その小ささに感動したのか幾度も触れたり僅かに握ったりを繰り返す。それに応えるかのようにメアも声を発している。

 

 そんな二人を微笑ましげに見守るその他大勢にアスナが気がつくのはしばらく後のことだった。

 

 

 

 

 

「さて、ここに簡易の儀式魔法が二つある」

 幾つかある執務室の一つにハジメとアルビレオ、ガトーが集っていた。用件は一つ。アスナのことである。

 

 アルビレオとガトーは、言われた二つの儀式魔法を見る。正方形の羊皮紙に描かれた術式が表す意味を二人とも正しく認識する。

 

「こっちは分かるが、もう片方は見たことが無いな」

「こちらは、一般的な魔法を儀式化したものです。こちらは……っ」

 何かに気づいたアルビレオは思わずといった風にハジメを見る。

 

 ハジメは静かに頷くと、続きを切り出した。

 

「言ったとおり、一方は初級の魔法だ。そして、もう一方は造物主(ライフメーカー)が使用していた魔法から一部抜き取ったものだ」

「はぁ?」

 その説明にガトーが間抜けな声を出す。

 

「おいおい、いろいろちょっと待てよ」

 ちょっと整理させろと額に指を置いたガトーはうんうんと唸りながら、考えをまとめる。

 

「つまりはあれか?普通の魔法とは違うということか?」

「半分正解で半分はずれだな」

 ガトーの応えに、そう返したハジメは説明を続ける。

 

「以前、儀式ならば魔法自体は発動したと言うことは話したな?」

「ええ。たしか効果が見られなかったんですよね?」

「ああ、発動したと同時にその魔法は無効化された」

 魔法無効化(マジック・キャンセル)。黄昏の姫御子たるその身に流れる血によって為される力。この力によってアスナの人生は奪われた。

 

「発動しても、同時に無効化されるんじゃなぁ」

 ガトーが顔をしかめながら髪を乱暴に掻く。ここ一年共に旅をして思い出されるのは、そういった現場ばかりであった。

 だが、その光景の一つに報告すべきものがあったことを思い出す。

 

「そういえば……嬢ちゃん。いつの間にか咸卦法を覚えてやがった」

 タカミチの修行の最中、それを行使したアスナを見て驚いたことは記憶に新しい。

 

「やはり……か」

 ガトーの報告を聞いたハジメは一人頷く。

 

「何がだ?」

「黄昏の姫御子の魔法無効化(マジック・キャンセル)という力。その力が及ぼす範囲と言うものをまず考えていた」

「範囲……ですか?」

 ハジメの言葉を反芻するように呟くアルビレオ。その目はいつもと違う色を宿している。

 

「あぁ。もともとこの世界は何だ?」

「は?」

「この世界ですか?」

 ハジメの質問に、突拍子の無さを感じ、肩透かしを食らったかのような二人。

 

「魔法世界ですが……あぁ、なるほど。だから範囲」

「あぁ?どういうことだ?」

 

「この世界の土台そのものが魔法だ」

――そして、それを作り出したのは誰だ?

 

 ハジメの問いにガトーも理解し始める。

 

 だからこそ、アスナの魔法無効化その能力の範囲にハジメは意識を向けた。なぜならば、それが無作為に自身にかかるものならばこの世界自体が存在し得ない。

 

完全なる世界(コズモエンテレケイア)。奴らが欲したその力とその行使方法を知れば、自ずと見えてくるだろう」

 それは、造物主の力そのもの。その片鱗なのだろう。ハジメは少なくともそう仮定した。

 

 魔力であれ、能力であれ、造物主の力が受け継がれているのならば。

 

 普通の魔法は意味を成さず。ゆえに魔法無効化。

 

 この見解になるほどと納得する二人。

 

「だからこの儀式魔法なのですね?」

 アルビレオは視線を再び羊皮紙に移す。その二つは似て非なるもの。一つは世界を終わらせる者が行使する。

 

「もし、これで効果が出るならば」

「希望が見えてくるってことだな」

 ハジメの言葉に続くようにガトーは笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 そして、アスナを呼び儀式魔法を発動させる。

 一つは発動に留まったが、もう一つは。

 

「これは……」

 ガトーが呆然としている視線の先。そこには結界を発動させているアスナの姿があった。

 

「成功……だな」

 その結果に煙草を咥えようとしてやめたのを思い出し、宙ぶらりんになった手をポケットに納めて視線をアスナに向けた。

 

 当のアスナは不思議そうに結界を見る。

「魔法……使えてる?」

「少々特殊な、が付くがな」

 

 不意に結界が消える。あ、と残念そうに声が聞こえる。

「この程度で十分だろう」

 ふうと一つ息をつくハジメ。これで目処がたったな。そう考えていると、近くに寄ってきたアスナが羊皮紙を掴む。

 

「何だ?」

「私も魔法使える?」

 

 使えるはず無かろう。そう答えようとしたハジメは窮する。その理由はあまりにも初歩的な検討事案。

「……やってみろ」

 そうして渡したのは、普通の(・・・)儀式魔法。

 

 違いなど分からぬアスナはそれを疑いなく受け取り、それを行使した。

「私にも使えるんだ」

 結界は発動した。それが意味するものは。ハジメのこめかみを一筋の汗がつたう。

 本人はハジメが何かしたものだとばかり思っているだろう。だが、それは違う。なぜならそれは、変哲も無い儀式魔法。

 

 今までは効果を得ることばかりに注視していたからこそ気づかなかった盲点。

 行使する者としてならば、使えると言う矛盾。範囲は影響を与える自分自身の延長線上なのか。

 

 これは要検討だなとハジメは内心で、この件に関して整理再構築を図る。

 どのような魔法ならば使えるのか。さまざまな検討案が浮かぶ。

 

 いずれにしても、今回発覚した事は十二分にアスナの一件を解決するに足る判断材料であることは違いなかった。

 

 

 

「無愛想娘にかけられた不老の魔法も2,3年もすれば解けるだろう。それまでに何とかしておく」

「それだと姫様と同じか?」

「……そうなるかもしれんな」

 アスナの外見からそうなる可能性は否めない。

 

「嬢ちゃんが今後どうするかにもよるか」

 忘れてくれと、髪を掻く。ガトーとしては、平穏を、ただのアスナとして生きるのならば、それは不都合なのか、それでも良しとするのか答えを今出すことは躊躇われた。

 

「それじゃぁな。儀式魔法に関してはこっちでもやっておく」

「あぁ。頼んだ」

 

 

 

 そして、数年後の今日。ついにその日は訪れる。

 

「アスナ。これからお前の記憶を封印する」

 

 王宮の地下にある一室。ここでは昔から魔法に関する研究が行われており、儀式魔法を使う環境が整えられていた。

 ここにいるのはハジメとアリカ。アスナ、ガトー、アルビレオの5人だけ。

 

「これは、記憶が消されるというものではない」

 だが、覚えていられるわけでもない。アスナの記憶と共に力も抽出できるならばそれが最善だった。

 しかし、それは出来なかった。その力はアスナを形作るひとつであり、取り除くということは土台無理な話。

 

 だからこその封印。力は記憶と共に封印される。それでも、思い出の残滓が心に残るように。だが、それ以外は全て……。

 

「貴様はただのアスナとして生まれ変わる。そうしてまた、新しく俺たちとの関係を築くだけだ」

 それは即ち、今までを生きてきたアスナにとっての死。

 だからだろう、ハジメは静かに別れの言葉を発した。アリカは既にその瞳に涙をためていた。

 

「今日で貴様とはお別れだな」

「アスナ……っ」

 

 アスナもそのことは分かっていた。瞳を潤ませながらも、真剣な眼差しでハジメたちを見る。

「……やっぱり、寂しいし怖いよ。でも、新しく始めないとだめだってことも分かってる」

 

――だから、ばいばい。それと、これからよろしくね

 

 そう笑顔で別れを。そして、再び出会うであろう自身ではないアスナとのことを述べた。そして、アスナは自らを縛る封印の儀式を発動させた。

 

 

 

 

 

 記憶と力の封印はつつがなく終わりを迎えた。そこにいるのはガトーとハジメただ二人だけである。

 

「目覚めたらもう嬢ちゃんじゃないのか?」

「今まで接してきた無愛想娘と言う話なら、最早会うことも叶わないだろう」

 封印が解かれれば別だが、それは誰も望みはしない。

 

「だが……根幹は変わらんさ。それは一番長く付き合った貴様が良く知っているだろう」

 アスナの傍らに長くいたのは誰か。それは紛れも無くガトーである。

 ガトーが旅で知ったのは、その辺りにいる子供と同じようにはしゃぐアスナの姿。それはきっとアスナ自身が望んだ姿。

 

「……そうだな」

 思いをはせるガトーの目元は若干赤い。

 

「俺たちは前話し合ったとおり、麻帆良を拠点にする」

「ああ。あそこならば、心配も無かろう」

 魔法世界では何がきっかけで封印がもれるか分からない。だが、魔法から外れすぎた地ではガトーが支障をきたしてしまう。

 そういう意味合いで麻帆良という土地は、よき条件を兼ね揃えている土地であったのだ。加えて日本という土地柄と関西呪術協会が近いと言うのも心情的には丁度良い。

 

「ではな」

「ああ」

 

 

 

 こうしてガトーはタカミチとアスナを養子に迎え、麻帆良での生活を始めることとなる。

 そして、一つの懸案を終えたハジメは人知れず大きく息を吐くのだった。

 

 

 

 

 幾許かのときが過ぎ、麻帆良。

 

 来客を告げる呼び鈴がリビングに響きわたる。私がお世話になっている叔父さんの知り合いが来ると聞いていたからきっとそれだろう。

 

「私が出てくるね」

 叔父さんが笑みを浮かべて頷くと同時に立ち上がり、玄関へと向かう。

 

 いつも開け慣れている玄関の扉を開ける。そこには初めて見るはずなのに、どこか懐かしさを、親近感を覚える二人の男女と自分と同じくらいの女の子。

 

「はじめまして。明日菜ちゃん」

 とても綺麗な金髪を風になびかせていた女性が微笑みながら自分の名を呼ぶ。

 

 不思議とその声は懐かしく、自らの名が呼ばれたことをとても嬉しく思えた。

 

 

 




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