Fate/kaleid night プリズマ☆イリヤ 3rei!! (388859)
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番外編という名の没案
四月一日 side Gr■nd Or■er


 集え。

 七人の担い手、七騎の英霊よ。

 汝らの血肉と名誉と栄華を糧に、時代は新たな舞台へと誘われよう。

 あの、新たな特異点へと。

 さぁーー幕は焼け落ちたぞ、人類の守護者達よ。

 

 死に物狂いで謳おう、正義の焼け跡(スターログ)を。

 

 

 

 

 

 

 

 夜を引き裂くような、光の輪の下。

 その一面に燃え広がる炎に、見覚えがなかったわけじゃない。鼻が曲がるようなその刺激臭と、毒素の入った灰と煙。熱気だけでジリジリと炙られて、身体中の水分が抜け落ちていく。

 ああ、知っている。自分は確かに、この世界を知っている。あのときと同じだ。人が炭になり、大地となり、空へと還る。生命の終末がまたーー目の前にある。

 ここには居たくない。

 居たら殺される。地獄である外からも、またこの事態を引き起こした自分からも、許せなくて、どうにも出来ない自己嫌悪と怒りで。

 しかし、そんなモノは今、どうだって良い。

 腕の中の誰かを抱き締める。白磁のようだった肌は見る影もなく、既に火傷と煤が固まってしまっている。目と口は半開きで、シルクに似た髪は、無惨にも全て燃えてしまい、最早誰だったのかすら分からない。それが三つ。手から溢れた黒ずんだそれは、自分でも誰が誰なのか、さっぱりなのは仕方ない。

 何せ見慣れた死体だ。十一年前に、何度も踏み砕き、通り過ぎた死体だ。二度と起こさせないとそう誓った、あの世界から遠い場所で。自分はまたこうやって、無力に死体の山の前で立っている。

 そう、見慣れたハズだった。だから、正義の味方である自分が、こんな風に死体を大事にする行為は無駄な時間でしかない。それなら一人でも多くの人を救うため、魔術使いとして行動するのが正しいーーそのハズだった。

 その死体の、手首にある。妹達にあげたハズのハート型のアクセサリーが、そこにはめられてなければ。

 

「……うそだ……」

 

 頭が沸騰している。うだるような熱が、幻覚を見せている。そう思いたかった。思わなければ、人として生きていけないぐらい、自分は変わってしまった。

 家族を知った、愛を知った。それは余分なモノだというのに捨てなかった。奪った身で卑しいとは思うのに、それを捨てようとしたくても、捨てられないくらい、自分にとって妹達の存在は、大きかった。

 だから、見間違えるハズもない。

 海に行ったあの日。自分が渡した誕生日プレゼント。それを身に付けて、見せ合って、一生に一度だけと言っても良い笑顔を、自分は守りたいと、そう思った縁の品を。

 どうしたらーー見間違えるというのだろう。

 

「あ、ああ、……っ……」

 

 どうしてだ。

 誓ったハズだろう、お前は。

 何に代えても守ると、そう決めたんだろう。あのとき、何も出来ずに姉を殺された日から。あのとき、ただ自分が生きたいがために、この妹達の兄を殺してから。

 衝突があったし、周りを不幸にするだけと分かっていても。前の自分より、自分は兄らしく振る舞うことが出来なくても、せめてこの子達が傷つかないよう、泣くことがないようにと、そう誓ったハズだろう、お前は。

 それが。

 どうして目の前で、死んでいるなんて馬鹿げたことにならなきゃいけないんだーー!

 

「あっ、ぅ、ぐ、ぅ……、ッ!!」

 

 泣き叫びたい想いを堪えて、三つの内の一つの、顔だった場所に手を当てる。ゴツゴツとした硬質的な感触。しかしそれでも、彼女達に触れているだけで、勝手に感情と記憶が暴れ出す。もう流さないとしていたモノまで、両目から頬に伝っていく。

 思い出すのは、怒ったり、困ったりしている顔が多い。記憶がそもそも途切れ途切れなのだから、それだけ印象に残ることしか頭には残っていない。

 だけど、だから覚えている。

 こんなことになるとも知らないで、側に居た三人のことを。何よりも大切だからこそ、何よりも心に刻み込んでいる記憶が、呪いのように反芻する。

 そして。

 ボロ、と。まるでクッキーのごとく、その顔の一部が割れてーー。

 

「あ、あッ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 叫ぶ。膝をついて、崩れる。心も体も。喉が裂けるまで、脳裏に焼き付いた思い出が裂けるまで。叫んで、叫んで、叫んで、叫んだ。

 でも消えない。消えないから考える。もうこの顔が怒ることも、泣くことも、悲しむことも、笑うこともない。こんな何もない表情のまま固定されて、すぐにその表情も消えて、生きた証すら無く、忘れ去られる。

 一体どれほどの業を背負えば、こんな死が当たり前だと言われるのだろう。こんなに罪深い自分ならともかく、ただ友達と一緒に居て、ただ家族と暮らして、ただ平凡でありたいと願った少女達が、どうしてこんな理不尽な闇に晒されなければならなかったのだろう。

 何が見慣れた死体だ。

 見慣れてたんじゃなくて、ただ見ようとしてなかっただけではないか。こんなにも酷いモノを、見慣れてしまったなら、最早人ではなく機械ではないか。

 

「……ぁ」

 

 ああ、そうか。

 だから救えなかったのか。

 自分は今、変わりかけていた。この世界に来てから、人でも機械でもないモノになっていた。

 だから救えなかったのだ。

 機械であれば、救えなくても許容出来よう。人であったのならば、きっと誰よりも早く家族の元へ駆けつけ、救っただろう。

 でも自分はどっちでもない。人でもないから、家族は救えなかったし。機械でもないから許容出来ない。

……何て、間抜け。

 イリヤ達が死んで、ようやくそんな当たり前のことが分かった時点で、自分はどうしようもなく、正義の味方としても、人の兄としても破綻している。

 それなら、ここで死んだ方がマシだ。

 イリヤ達と同じ死に方をして、誰からも忘れられて。そうでもしないとイリヤ達が余りにも浮かばれないし、自分を許せるハズもない。

 炎はいずれ、俺が居る場所まで這い寄ってくる。そのときまでは、せめて彼女達の側にーー。

 と。

 

 

「衛宮士郎か」

 

 

 カッ、と近くの瓦礫の山に、足をかける音。それと男の声だ。のろのろと振り返ると、そこには誰も居ない。否、居ないわけではない。厳密にはそれが浮かんでいる、という表現が正しいか。

 聖杯。

 黄金の聖杯が、宙に浮かんでいた。

 

「無様なモノだな。かつては聖杯戦争の勝者として、そして英雄になり得る逸材だったというのに……今のお前は、そのどちらの資格もない。精々、墓守りが関の山だ」

 

 声は……何処からかは分からない。まるで世界から語りかけられているような感覚。しかし節々から嘲るニュアンスは伝わってくる。

 このタイミングで、出てくる都合の良さ。ああ、なるほど。

 

「お前……この大災害の元凶か」

 

「いかにも。骨だけの屍かと思っていたが、存外まだ頭は回るか。なるほど、まだ耐えてくれるというのか。実に面白い猿だ、人間」

 

 声は笑いを噛み殺し、

 

「まあ、有り体に言えば、選別だよ。聖杯を得る権利をお前達にくれてやった。しかし権利を得るには少しばかりお前達は不要だった。聖杯を持つ者は一人で良い、時代の覇者だけがな。それ以外の人間は、時代は、要らない」

 

 なるほど。コイツが、イリヤ達を殺したのか。そんな事実を客観的に受け止め、そして飲み下す。

 

「どうした? 貴様ならば拳の一つでも握って向かってくるのかと思ったが、随分と大人しいな。それともまだ耐えているのか、フェイカー?」

 

「……」

 

 言う通りだ。何故何も感じない。黒い憎しみなど欠片も生まれないのだ。悲しみだけが、心に残ったまま。

 つまりーー自分は、悲しみ以外の感情すらも壊れたのか。

 

「……用件はなんだ」

 

 視線を外し、倒れる。虚ろな意識のまま、目を閉じようとする。声は淡々と、問いかけた。

 

「イリヤスフィールを生き返らせたいとは思わないのか?」

 

「!」

 

 ぞわり、と背筋が寒くなる。たまらず跳ね起き、聖杯を睨む。

 まさか。

 

「お前は馬鹿か? こうして聖杯を持ってきてやったというのに、それを見ずに死ぬと?」

 

「……まさか」

 

「なにかだ? 聖杯をくれてやる、ということがか? なに、こんなモノどうにでもなる。お前は生き残り、権利を得た。ならば報酬を与えるのが筋というもの。違うか?」

 

 言っている意味が分からない。遅れて、何となく理解して。

 瞬間、狂おしいほどの情念が、欠落したハズのモノが集まり、爆発する。

 イリヤ達を生き返らせられる。それが本当に可能なら、今すぐにでも願いたい。そうしてまた笑った顔が見たい、そのためなら何だってしたい。何だって出来ると自負する。

 だけど。

 でも。

 

「……」

 

「何を迷う? 生き返らせられるならば、それが一番の正解だ。何を躊躇う? イリヤスフィールの笑う顔が見たいだろう。そら、願ってしまえ」

 

 迷うに決まっている。仮にも、イリヤ達はコイツに殺されたのだ。そんな相手からの提案を二つ返事で呑み込める奴なんて早々居ない。

 嘲る声を繰り返す。

 繰り返して、繰り返して。

 何度も何度も繰り返し、イリヤ達の顔を思い浮かべて。

 

 俺はーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シロウ」

 

 とん、と肩を叩かれ、衛宮士郎は目を覚ます。夢うつつだった意識が、すぐさま現実に戻る。

 目を開け、彼が見たのは絢爛とはほど遠い内装だった。大小様々な瓦礫に、装飾の壊れたシャンデリア。石床と壁は灰と蔦に絡み付かれ、不思議とそれが自然体の部屋だった。

 アインツベルン城の一室。それが、この城の主たる衛宮士郎の今の寝床だ。

 

「目が覚めた? 悪い夢でも見たんでしょう、泣いてるもの」

 

 後ろから囁き、白い指先が士郎の目尻を撫でる。士郎が振り向くと、そこには少女が一人蠱惑的な笑みを浮かべて立っていた。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。しかしその姿に、かつての純真無垢な面影はない。黒いカーテンのようなドレスを纏った彼女の体には、呪いのように、幾何学的な模様が浮かんでいる。

 そして士郎も同じように、赤銅だった髪は黒に、肌も浅黒く、赤い外套とバンダナ、そして桜が描かれた羽織を外套の上から被っている。その佇まいは感情を無くしたようで、何処か浮世離れしていた。

 

「ああ、すまんイリヤ。少し昔の夢を見ちまったからかな」

 

「ふーん。ね、どんな夢見たの?」

 

「え?」

 

 困ったな、と士郎は髪を掻き、

 

「……イリヤ(・・・)と一緒に居たときの夢、かな」

 

「もー、夢じゃないもん! わたしはちゃーんと現実に居るもん! ホント、シロウったら失礼しちゃうんだから」

 

 不満を漏らすイリヤに、士郎は笑みをこぼして立ち上がる。多分彼女には、本当の意味が分かってないのだろうな、と。士郎が言うイリヤはとっくに死んでいて、目の前のイリヤはただの影でしかないことも。彼女には伝わっていないのだろうな、と。

 イリヤと大広間に向かいながら、士郎は思う。

 あのとき。士郎は聖杯に願って、特異点を作った。イリヤ達を蘇らせずに、こう願ったのだ。

 墓を作ってくれ。

 イリヤ、クロ、美遊、三人の妹の墓を。

 生前に何もしてやれなかったから、死後だけは三人にどうしても安らかに眠ってほしかった。

 死んだら何もないのかもしれないけれど。

 それでもただ花束を置き、手を合わせることよりも、何か為になることをしたかったから。

 結局は自己満足なのかもしれないけれど。

 それでも、と。

 そのときあの声ーー人類史焼却の元凶である魔術王ソロモンは、笑いながら言ったモノだ。

 

ーー己を正義とし、家族を救済する道を蹴るか。私から逃れられはせんというのに、健気なことだ。

 

 人類史の焼却。それがソロモンの計画なのだと言った。そして監視として、聖杯の泥に汚染されたイリヤを生き返らせた。士郎が反逆しないように、という建前だったが、間違いなく嫌がらせだろう。

 しかし今の士郎にとって、人類史がどうなろうと、知ったことではない。

 ただこの世界がーー三人の墓が無事ならば、人類が滅びようが構わない。そう思ってしまえるほど、今の士郎は何もかもが欠落していた。

 半端者だ、どうしようもなく。でも半端者でも、守りたかったモノくらいは守りたい。それが例え死んでしまって相手でも。いや死んでしまったからこそ、その眠りが妨げられないように。

 士郎が廊下から、景色を眺める。外は吹雪で、森にはこんもりと雪が積もっており、その向こうの冬木市も、同じように銀世界が広がっているだろう。数ヵ月前の大火災なんて、なかったかのように。

 

「ねー、シロウ」

 

 と、楽しげに。イリヤは無邪気に笑って、

 

 

「これからも、ずーっと一緒だよね?」

 

 

 それに、士郎は微笑し、

 

 

「ああーーーーずっと、ずっとな」

 

 これからも、ずっと。

 死んでも、それだけは変わらないのだと。そう言うように、墓の守り人は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー以下、近未来観測レンズ『シバ』の調査報告書より

 

 

 新たな特異点を発見。しかし歪み自体は微小であり、他の特異点と比べ規模も小さいですが、聖杯が微弱な物も含め、計四つを観測。これ以上の拡大を防ぐため、早急な解決を求めます。

 

 

 人理定礎値 E-。

 

 “正義の焼け跡” AD.2016 理想終点鏡界。

 

 スターログ。

 



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プリズマ☆イリヤ
プロローグ/破滅への序曲


 いつか、こんなことを言われた気がする。

 

ーーお兄ちゃんは、どんな大人になりたいの?

 

 その問いに何と答えたか、今ではもう思い出すことは出来ない。 いや……そもそも、そんな問いがあったのか、そう問いかけたのは誰だったのか、それすら分からないのだ。

 炎で全てが焼け落ちたこの身に、それ以前の記憶などあるハズがない。 灰に帰した後に、残るのは炭となった己だけだから。

 けれどもし、本当にそんな問いがあったとしたら。 それを答えて良いのが、俺だとしたら。

 俺はーー衛宮士郎は、こう答えただろう。

 

ーー俺は、正義の味方になる。

 

 何も知らなくて、純粋に染まった夕焼けのような心。

 それが何を意味するのか、それすら知らなかった、幼き日の想いーー。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

 ギギ、という扉が軋む音で、意識が覚醒する。 次いで目を開けると同時に朝の日射しが顔を照らし、また目を閉じた。

 風が入ってくる。 今年の冬は冷え込んでいるのか、例年よりいっそう気温が下がっている気がする。 つまり寝るには最高のコンディションであり、部屋から持ってきた毛布を被って対抗してみせるが、起こしにきてくれた誰かは、俺の肩を揺すり始める。 しかし、今の俺はかの冬木の虎相手にすら籠城出来る。 こんな幸せを剥がされてたまるか。

 

「シロウ、朝です。 今日はあなたが朝食を担当するのではないのですか?」

 

 が。 起こしにきてくれた誰かは、俺のウィークポイントを的確に貫いてきた。

 

「……あ。 やばっ……!」

 

 がばっ、と跳ね起きる。 確かに今日は俺が朝食を担当する、と昨日宣言していた。 藤村組から貰った高級品の卵を使って、朝食を豪華にしてやろうと企てていたのに……もし誰かに起こされるまで寝ていたなら、今の時間は確実に寝過ごした。

 しかし隣でそんな俺を見て、彼女、セイバーは花開いた薔薇のような微笑を浮かべながら、こう答えた。

 

「おはようございます、シロウ。 ちなみに今の時間は六時ですが、なにか?」

 

「……」

 

……あー、なんだ。

 どうやら高級卵のせいで、この騎士王さんはお腹が減ってしまっていたらしい。

 ぴょこぴょこ揺れる金色の癖毛を確認し、ため息をついた。

 

「……おはよう、セイバー。 起こしにきてくれて、ありがとな」

 

「いえ、礼には及びません。 それよりも早く調理を開始せねば、卵の品質が落ちてしまうのではないでしょうか? ええ、高級な品というモノは、その美味しさを保つのにそれは苦労すると聞きますし」

 

……えーと、つまり。

 

「うん、お腹が空いたんだろ? ちょっと待ってろ、すぐに作り始めるから」

 

 かぁ、と羞恥に頬を染めるセイバー。 全く、作ってほしいなら作ってほしいで、素直にそう言えばいいのに。 あれこれ理由つけなくたって、時間的に作らなきゃ間に合わないんだから。

 

「そ、それは誤解です、シロウ! 私はあくまで卵の心配をしているわけであって、決して自らの空腹を訴えているわけではっ!!」

 

「? いや、別に恥ずかしいことじゃないだろ、お腹が空くことなんて。 だから遠慮なく言ってくれ、ここはセイバーの家なんだから」

 

 ぐぬぬ、と俯くセイバーさん。 どうしても卵のせいにしておきたいらしい。 その内、

 

ーー騎士の誇りにかけて、私は卵の品質を心配しているのですっ!!

 

 とか大声で言い出さないとも限らないので、そそくさと修理キットを持って、土蔵から出ていく。

 何故修理キットなぞ持っていたのかと言うと、それは土蔵で炬燵の修理をしていたのだが、これが思ったより難航してしまい、ガラクタ弄りの血が騒いだ結果また土蔵で寝てしまったのだ。 幸い、長丁場になることは予想出来たので、作業服に着替えていたが、砂利や埃でかなり汚れてしまっている。

 そんなわけで屋敷に戻って軽くシャワーを浴び、制服へ着替えると、俺は朝食の準備に取りかかる。

 

「……卵を主食にしたいから、だし巻きは入れたいけど」

 

 だし巻き卵も悪くないが、日々の卵が豪華になっただけだ。 それではいまいちパッとしない。

 とすれば、ここは卵の味を楽しむ為に、味噌汁にそのまま入れて煮込むというのもアリかもしれない。 豚汁風味にすれば、高級な卵のおかげで大味ではなくなり、美味しく頂ける。

……うむ。 いつもみんなの要望を聞いているのだし、ここは男飯というわけで。 あとはいつも通りおひたし、焼き魚などの和食コースで行くのが無難だろう。

 そうと決まれば早い。 まずは味噌汁の具材である野菜を洗い、一口大にカット。 次いでにおひたしに使う春菊も切っておき、最後に豚肉をスライスする。

 ここまで来ればあとは焼くなり煮るなり茹でるなり。 忙しくなる調理場とは反比例に、座敷で匂いを嗅ぐセイバーは幸せそうである。

 と、そのときだ。

 

「……うぅ、おはよー……毎朝毎朝、良い匂いねほんとー……」

 

 とんとん、と目を擦りながら座敷に入ってきたのは、我が穂群原の誇るミスパーフェクト、遠坂凛だ。 しかしそのミスパーフェクト様も朝にはタジタジであり、いつもは整っている髪も、少しあらぬ方向へ飛んでしまっている。

 俺はそんな彼女に苦笑し、

 

「おはよう、遠坂。 早速で悪いけど、出来た料理運んじゃってくれ。 セイバーもよろしく頼む」

 

「はいはい……って、朝から豚汁? 女の子にキツいの食わせようとするわね、また」

 

「たまには良いだろ、たまには。 それに遠坂達はエネルギッシュなんだから、こんぐらい食べないと力出ないだろ?」

 

「女は男の半分で、それに見合った仕事をするもんよ。 省エネよ省エネ」

 

「そーかい。 ほら、セイバー」

 

「はい……む、シロウ。 だし巻き卵が無いようですが」

 

「ああ、それなら生卵のまま、豚汁にトッピングしといた。 少し大味になったかもしれないけど、卵でカバー出来てると思う」

 

「なるほど。 繊細な料理も良いですが、たまには豪快に頂くのもまた良し、ですね」

 

 豚汁の匂いをくんくんと鼻で味わいつつ、にへら、と笑みを零してみるセイバー。 この一年でよくぞまぁここまで染まったというべきだろうか。

 後は各々調味料を持ってきて、配膳は完了。 ちゃぶ台を囲むと、玄関の方から聞き慣れた足音が木霊する。

 

「みんな、おっはよー! って、おお、朝から豚汁!? 私も豚汁食べたーいって思ってたんだ、ひゃっほーい!」

 

 ずばびゅん、なんて騒がしい効果音を立てながら来たのは、冬木の虎こと藤ねぇだ。 真冬であるにも関わらず、余程お腹が空いているのか。 手袋せずにここまで来たらしく、その手は真っ赤になっているのだが、そんなことより豚汁の話をするぐらいは元気らしい。 お椀を持って温まろうとする姿は、何処となく猫科の動物を思わせる。

 

「おはよう、藤ねぇ。 とりあえず手袋ぐらいはしたらどうなんだ? 女の子は肌を大事にするもんなんだって、俺だって知ってるぞ」

 

「あーら、やぁねぇ士郎ったら。 私を女の子扱いとは、遠坂さんにみっちりしごかれた賜物ね。 心配ご無用、逆に豚汁のあったかさが染みてて良い感じ」

 

「そうかいそうかい。 んじゃ、改めて」

 

 いただきます。 合掌を解いてしまえば、後は食うわ飲むわでみんな押し黙る。 それだけ料理が美味しいというのもあるのだが、朝は会話する時間がないほど忙しいのだ。

 しかし、今回だけは料理が別格だった。 一口目をぱくりと頬張ると、俺も含めた全員が目を見張る。

 

「うまっはあああああああ! しーろうっ、これいつもよりべらぼうに美味くない!?」

 

「藤村先生のリアクションが全てだけど……むむ、これはちょっと美味い。 卵だけでこんなに変わるなんて……汁物は奥が深いわね」

 

「……………………………………」

 

 何か口から光線でも出さんばかりに叫ぶ藤ねぇと、興味深そうに汁を啜る遠坂。 更にはセイバーが物凄い勢いで豚汁とご飯をかっこみ続けるところからして、今回は大成功だったようだ。

 実際俺も驚いているのだ。 高級品の卵を入れるとここまで濃厚になり、そして具材に絡むとは……普通の卵だとこうはいかない。 三人に負けず劣らず箸を進めながら、俺は会話をする。

 

「そういや藤ねぇ、最近桜どうだ? 弓道部の主将だから忙しいのは分かるけど、あんまりここ来ないからさ」

 

「桜ちゃんのこと? 別にいつも通りよー、後輩にはよく世話を焼いてるし、掃除も自主的によくしてくれるし。 ただちょっと主将かと言われると、何でもかんでもしすぎかなー。 あ、ドレッシングぷりーず」

 

「はいよ……ん、なら良かった。 うちに来てもらうのは嬉しかったけど、桜には桜のプライベートがあるから、ここに来ることで束縛させるのは嫌だったからな。 いや何か妹が居なくなったみたいで、寂しいけど」

 

「はぁ……」

 

 む、なんだよ遠坂。 その作り笑いすらないホントの呆れ顔は。

 

「あいっかわらずトーヘンボクだと思っただけよ。 ね、セイバー」

 

「んぐっ……はい。 リンの言う通り、シロウはもう少しかけられた言葉の意味を考えた方が良い。 それとシロウ、おかわりを」

 

「セイバーまで何なんだよ、全く……言葉じゃないと伝わらないっての。 はい汁とご飯。 藤ねぇは?」

 

「もちのろん! 鍋を空にする勢いで食べちゃうぞー!」

 

 これ、一応夜の分まで用意してたんだけど……ということを伝えようとして、止めた。 どうせ藤ねぇのことだ、そこら辺は考えているだろう。

 しかし平日の朝は、かくも忙しいモノだ。 茶碗や箸の擦れる音だけが何十分か占領すれば、その頃には朝食も済み、学校へ行く準備も整っていた。

 畳に置いていたヘルメットを頭にはめると、藤ねぇは玄関へと足を向け。

 

「それじゃ、学校でね二人とも! 卒業間近だからって遅刻はしないよーにっ!」

 

「藤ねぇこそ、原付ぶっ飛ばしすぎないようにな。 誰か轢くなんてことになっても、俺知らないぞ」

 

「ぶっ飛ばさないと間に合わないのだから、それは仕方ないのだ! ん、いってくる!」

 

 ドタバタと玄関が閉まった後、吠えるようなエンジン音が家まで聞こえてくる。 恐らく今頃、風になった虎が坂道を爆走している頃であろう。

 

「藤村先生を見ると、何だか気が抜けるわ。 まぁ思い詰めるよりは良いんだけど……難点と言えば、朝から優雅じゃなくなること、ぐらいかな」

 

 インスタントの紅茶を啜る遠坂は、そのままテレビのニュース番組へ目を走らせている。 優雅じゃなくなると言うが、どちらかと言えば遠坂の場合、それは猫被りなので、優雅などとは程遠いのでは……そう言えばまた小言を聞くことになるので、心の隅に置いておこう。 食器の汚れと格闘しながら。

 さて、後始末も終われば、後は学校へ行くのみだ。 三年からは遠坂と共に登校するようになったし、喋りながら登校となれば時間の余裕はない。

 

「じゃ、俺達も行ってくるよ。 セイバー、何か夕食のリクエストとかあるか?」

 

「そうですね……昨日は和食でしたし、今日はリンが当番でしょう? なら久々に中華を食したいですね」

 

「ん、オッケー。 つまりわたしのお任せで良いのね? シロウはどう、何かある?」

 

「そうだな……うん、俺もそれで良いよ。 そうと決まれば夕方は買い物だな」

 

「ええ。 っと、もうこんな時間」

 

 いってきます、とやや慌てて、いつものように玄関前でセイバーに見送られつつ、俺達は学校へ登校する。

 通学路は、その景色を桃色に染めている。 桜の花弁が空から落ちる度、脳裏に思い出すのは決まってあのことだ。

 第五次聖杯戦争。

 自身の全てが再び動き出した、あの運命の夜の出来事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 一年前、当時十七歳だった俺は、偶然一つの戦いに巻き込まれた。

 聖杯戦争。 万能の杯である聖杯を求め、七人の魔術師と七騎のサーヴァントが手を組んで戦う、バトルロワイヤル。

 ほぼ独学故に三流以下ではあっても魔術師だった俺も、その戦いの参加者となり、様々なマスターと戦った。

 親友、教師、自分自身、全ての頂点に立つ王、そしてーー何もかもを知り、何もかもを知らずに見捨てた、雪の少女。

 覚えている。

 その、余りに酷い死を。

 死体など十一年前から見慣れていたし、それより酷い死だって腐るほど見てきた。 それでもなお、あのとき出てきた涙は、何かを感じたからに他ならない。

 でも、何を感じたのかなんて、あのときには分からなくて。 首を傾げて胸に聞いてみても、その答えは出なくて。

 そんなとき、聖杯戦争の後に、知った。

 知って、今までにないほど、後悔した。

……自分がどれだけ恵まれていたのか、ようやく気づいたのだから。

 

「士郎」

 

 とん、と肩を叩かれる。 それで、現実へと戻る。

 

「……む」

 

 目線を下に向けると、そこには練習用のコーヒーカップが置かれているのだが、どうやら上手くいかなかったらしい。 ごく僅かだが、強化したコーヒーカップの取っ手にもヒビが刻まれている。 魔力を流しすぎたせいだ。

 一年前なら当たり前の失敗も、一年経過した今ではあり得ない。 向かいの遠坂も、これには横に首を振る。

 時間は既に夕刻。 俺は遠坂の家で、いつものように彼女から手解きを受けていた。

 一年前の聖杯戦争で知り合った遠坂は、魔術師としては超一流であり、五大属性使い(アベレージワン)、更には百に近い魔術回路と類い稀なる才能を持っていたのだ。

 そんな彼女を師事し、早一年となる。 スパルタではあるが、彼女ほど俺の魔術特性を理解した者は居ない。 しかし、今回は初歩的なミスということもあってなのか、その顔は呆れ気味であった。

 

「力みすぎ。 確かにあなたはへっぽこだけど、得意分野ぐらいは肩の力を抜きなさい、全く」

 

「う、悪い」

 

 集中するのは悪いことではないが、如何せんしすぎるのも、ということか。 最近どうにも、魔術を使うとあの少女の顔がチラついて離れない。

 

ーーお兄ちゃん。

 

「……」

 

 甘い、妖精のような声。 再び浮き上がろうとする顔を脳裏から消そうとするが、

 

「……また考えてる」

 

「え?」

 

「イリヤスフィールのこと。 また考えてるでしょ?」

 

 ぷく、と頬を膨らまして、俺を睨む遠坂。 その可愛らしい仕草に、ドキッともするけれど。

 

「……わ、悪い。 その……」

 

「別に悪いだなんて言ってないでしょ。 ただ、魔術はどんなに簡単なモノでも命の危険が付きまとうの。 それで衛宮くんが命を棒に振ったら、無駄ってもんじゃない」

 

 ふん、と鼻を鳴らす遠坂。 彼女は魔術師だ、建前上はこう怒りっぽいが……本心は、俺を心配してくれているのだろう。

 

「ありがとう、遠坂。 彼女とこうして顔を合わせてるのに、他の女の子のことを思い出すのはタブーだよな。 すまん」

 

「ばっっ!?」

 

 一転、首まで真っ赤になる我が師。 二つに結んだ髪がぷらぷらと揺れると、遠坂は指を指してくる。

 

「だっ、誰もそんなこと言ってないでしょっ!? わ、わたしは別に、衛宮くんがイリヤスフィールのこと思い出そうが好きになろうが、どうだって良いもの!! ええそう、ちっともうんともすんとも関係ない!!」

 

「好きになったとか言ってないんだけど……それに何か言葉が変だぞ、遠坂」

 

「うっさい馬鹿っ!」

 

 がーっ、とまくし立てるなりテーブルをぶっ叩き、遠坂は今度こそ顔を背けた。

 こうなれば苦笑するしかやることなどない。 俺の言葉などガソリンに近いのだ。

……イリヤスフィール。 本名をイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 始まりの御三家の内の一つ、千年の歴史を持つアインツベルンが寄越した、ホムンクルス型のマスター。 魔術師としては分からないが、大英雄であるヘラクレスを、多大な魔力消費で自滅するとされるバーサーカーで召喚する辺り、マスターとしてなら遠坂すら越えるだろう。

 まさに最強のマスターと最狂のサーヴァント。 しかし、バーサーカーは家屋と同等の巨漢ではあったが、イリヤの姿は少女のそれだった。

 背はセイバーより低い、小学生と同じ。 言動も大人びてはいても、その身体のせいで背伸びしている子供だった。

 しかし、そんな彼女も死んだ。

 聖杯というモノに踊らされた挙げ句、その身内にすら、二度に渡って助けてもらえずに。

 

「……分かっては、いるんだ」

 

 ぽつりと呟く。 それに、そっぽを向いていた遠坂が、視線を向けてくる。 俺は俯いて、

 

「全てを救うことなんて、出来ない。 一人でも多く笑ってほしいと思っていても、俺じゃまだそこまでの人を救えないこともさ……でも、家族ぐらいは。 家族ぐらいは、救わなきゃいけないじゃないか」

 

 俺の義理の父、衛宮切嗣はいつも言っていた。

 誰かを助けるとかいうことは、誰かを助けない、見捨てることなんだと。

 大多数を救い、小を見捨てるーーつまり俺は、義理の姉を、イリヤをそこへ押しやったのだ。何も知らなかったから。

 

「たった一度、会っただけで。 何をそこまで、って思うかもしれない。 正直、俺自身そう思うから。 けれど……それでもイリヤは、俺の家族なんだ」

 

 十一年前、切嗣は聖杯を破壊した。 そのときに漏れ出た泥が大火災を引き起こし、切嗣は身体を蝕まれた。 そのとき、悟ったに違いない。 もう娘には会えないと。

 だから、イリヤは一人ぼっちだった。 マスターとして様々な調整を施され、それ以外は何も知らないほどに。 そうさせた俺と、切嗣を恨むことで、ここまで生きてきた。

 

「過去はやり直せない。 同じ轍は踏まない。 そう思っても、やっぱりさ、やりきれないよこんなの」

 

「……そうね」

 

 遠坂はそれだけ言うと、俺が強化したカップを引き寄せ、紅茶を注ぎ始める。

 

「でも、そうやって生きるモノよ、人は。 少なくとも、わたしはそうだった」

 

「……遠坂もあるのか、そんな経験」

 

「あなたと比べるのも変だけどね。 けど、わたしが苦しんでたら、その分その子が楽になるのかな、とか。 今思えば根拠のないことだけど、そういうのって案外大事よ? 折り合いつけないと、前に進めないから」

 

 はい、とカップを俺に差し出す。 ヒビが入っていようとも、持ち上げたカップはびくともしなかった。

 俺に、遠坂の苦しみは分からない。 それと同じで、遠坂も俺の苦しみは分からないのだ。

……らしくないにもほどがある。 何をグチグチ言っているのか。 腑抜けた自分の頬を打つと、紅茶を一気に飲み干す。

 

「何か、しんみりしちゃったな。 すまん」

 

「ううん。 っと、そうだったそうだった。 今の話で忘れるところだったけど、士郎にちょっと見せたいモノがあってね」

 

 遠坂は立ち上がるなり、部屋の隅に行くと、何かの箱を物色し始める。 トレジャーボックスに似たそれから出てくるのは、曰く付きの魔術品の数々で、遠坂家の財産なのだろう。 俺ですら分かるのだ、相当である。

 

「あ、あったあった! はい、これ」

 

 と。 そんな魔術品に目を奪われていると、遠坂はあるモノをテーブルに引っ張り出した。

 それは、少なくとも魔術品ではなかった。 いや、正しくはそれの基本となるモノか。

 羊皮紙。 剣のようなモノが描かれた、魔術礼装の設計図だ。 ドイツ語で書かれたそれを、俺が読み解くには、まず言語の勉強から始めなければなるまい。 正直、反応に困る一品である。

 

「……遠坂。 説明の一つもないと、設計図だけ出されたってよく分からないぞ。 これ、何なんだ?」

 

「ふっふーん。 ご期待通りの反応ありがとう、衛宮くん」

 

 む……悪かったな、へっぽこで。

 

「あーはいはい、拗ねないの、教えてあげるから。 これはね、わたし達、遠坂家の悲願ーーつまり第二魔法への足掛かりなの。 つまるところ、これさえあれば、わたしは限定的に魔法を使えるようになるってわけ」

 

………………は?

 魔法って、あの魔法か? この世に五つしかないとされる、あの?

 魔法とは、すなわち魔術師が目指す到達点、根源の渦から引き出した力のことである。 魔術がその時代の技術で再現出来るモノだとしたら、魔法はどうやっても再現出来ないモノ。 故に法であり、それを継ぐ魔法使いが五人に満たないとするのならば、その力がいかに強力で、習得するのが難しいか……言葉で語るまでもない。

 

「す、凄いじゃないか! じゃ、じゃあ、これで遠坂も魔法使いの仲間入りってことか!?」

 

 興奮する俺に、遠坂は口を濁す。

 

「あー……まぁこれが、そうもいかなくてね」

 

「?……なんでさ」

 

「考えてもみなさい。 これを手に入れたわたしの先祖は、何でまだわたしの代でも宝石魔術なんてモノ伝えてるのよ? それなら、最初から魔法を教えれば良いでしょ?」

 

「あ」

 

 それもそうだ。 遠坂の代まで宝石魔術を使っているということは、そもそも魔法、根源へは至っていないということなのだ。 ともすれば、これだけでは意味がないに違いない。

 遠坂がそう言って、腹いせか自分の髪を弄り始める。

 

「設計図はあるんだけど、どうもこの宝石剣を作るには、それに見合った材料と理論が必要みたいでね。 要は数学みたいなモノよ。 宿題として第二魔法を出されたは良いけど、公式である宝石剣の理論がぶっ飛びすぎてて、わたしにはサッパリ」

 

「……なるほど」

 

 問題を解く公式があろうと、基本となる計算が出来なければ、答えは導けない。 それと同じなのだろう。

 

「じゃあ、どのぐらいかかったら理解出来るんだそれ? 設計図はあるんだろ?」

 

「んー、そうねー……数十年、いや半世紀かなぁ」

 

「そんなに!?」

 

「馬鹿、むしろそんだけよ。 魔法をわたしの代でこじつけられるんだから、生きてるだけで儲けモノに決まってるじゃない……で」

 

 と。 ここで、遠坂の目が怪しくなる。 具体的には悪巧みをする、あかいあくまの目へと変わっていた。

 それだけで何を言いたいかは分かったが、とりあえず聞いてみることにする。

 

「で、何だ遠坂?」

 

「えー……どう? 剣だし、何かこう、分からない?」

 

「……はぁ」

 

 ため息をつく。 やっぱりなのか、コイツは。

 俺が最も得意とする魔術は、投影だ。 魔力と術者のイメージで贋作を作る魔術なのだが、俺はその投影を一度見たモノなら何でも出来る。 遠坂はその投影で、劣化でもその宝石剣とやらを作ってほしいのだろう。

 だがさっきも言った通り、俺の投影は見たモノしか出来ない。 設計図だけでは、ただの刀剣だろう。

「あのな、俺の投影はそんな便利なモノじゃないって遠坂も知ってるだろ? というか、そんなズルしたら、大師父とかいう人が怒るんじゃないのか?」

 

「う……わ、分かってるわよ。 言ってみただけよ、言ってみただけ……でもほら、万が一があるじゃない? 設計図触っても良いから、もっと見てくれないかしら? ガッチリとほら!」

 

 ったく……ドイツ語も読めないで分かったら、それはそれで遠坂も怒りそうだけどなぁ。

 そんなどうでも良いことを考えて、羊皮紙に触れたときだった。

 触った箇所から、魔法陣が展開され、膨大な魔力が迸った。

 

「!?」

 

 荒れ狂う魔力は嵐というより、濁流だった。 テーブルや椅子などが押し流され、近くの棚からは本が次々と落ちている。

 反射的に羊皮紙から手を離そうとして、気付く。 まるで接着剤でも付けられたように、羊皮紙が手にくっついて離れないのだ。だとすれば、これは魔術が起動しただけーー本当の効果はこれから発揮される。

 俺は手から羊皮紙を引き剥がそうとしつつ、そこに居るだろう遠坂へ怒鳴る。

 

「く、遠坂!! おい遠坂っ、これどういうことだ!?」

 

「……いいえ、先輩」

 

……え? 聞こえるハズのない声が、響く。 絶対に聞こえない、声が。

 それに振り返る間もなく、意識は魔力に塗り潰されていき。

 

「あなたの役は、その身体(・・・・)じゃないんです。 だから」

 

ーー相応しい姿で、相応しい世界に行ってくださいね?

 

 

 

 

 

 



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一日目~再会、決意~

『ああーー安心した』

 

 その声と共に、衛宮切嗣はそれから目を覚ますことは一度も無かった。 眠りは速やかに、しかし何処までも深く。

 二人で座っていた縁側は寒くはないけれど、今思えば、心はその前から冷めていたのだと思う。 そう、俺に人としての心は、初めから欠落していたのだ。

 それから、衛宮士郎は正義の味方として、今日までを生きてきた。 鍛練し、大きな戦いを経て、大事な人を守り通すことも出来た。

 されど、それで良かったのかと聞かれれば……良いわけが、ない。

 

『爺さんの夢は、俺が』

 

 そう言って、過ごした六年。 けれど、その夢が本当の意味で叶えられたことは、一度もない。

 それは俺が未熟だから、という理由ではないだろう。 恐らくこの先どんなに力をつけ、英雄と呼ばれることになろうとも、それは変わることはない。

 何故なら、全てを救うことは出来ない。 九を救うことは出来ても、一は救えない。 救われてしまえば、九の中からまた一が溢れてしまう。

 そうやって救われたから、それがよく分かった。 だからこそ、十であろうと努力するのだ。

 

『そうだ、綺麗だったから憧れた!!』

 

 そう言って、絶望した自分に、衛宮士郎はこう返した。

 間違いなんかじゃない。

 無くしていったモノと、落としていったモノがあって。 例え自分自身を殺したくなるほど恨むことになろうとも、きっと。

 誰かのためになりたいと思ったことは、絶対に、間違いなんかじゃないんだから。

……だから、それだけが頼りだった。

 何度夢半ばで倒れようと、それだけが、夢へ繋がる道だと信じた。

 

『じゃあ、殺すね』

 

 けれど。 ならどうして、俺は彼女を救うことが出来なかったのだろうかーー?

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が、覚醒する。

 

「い、づ……」

 

 耳鳴りが酷い。 まるで鐘を近くで聞いているかのような音は重く、そして何処までも深く響いている。 身体はふわふわしていて、浮いているような感覚すらあるが、目がまだ光になれていない。 十分に慣らしてから、ようやく目を開けてみる。

 

「ぁ……う?」

 

 そこは、見慣れない/見馴れた部屋だった。 カーテンからは朝日が差し込み、勉強机と俺が眠っているベッドを照らしている。 光の具合から朝は七時頃か、辺りを見回してみる。

 ベッドのすぐ近くには何故かある穂群原の制服と、床には投げられた教科書。 倫理と数Ⅱということは、この部屋の主は高校二年生か……それに制服は俺とほぼ同じサイズで、背丈なども同等。 漫画などはあるが、精々数冊程度で、とてもではないが殺風景という言葉に尽きる。

 

「……何処だ、ここ」

 

 掠れた声を発して、身体を起こす。 俺はそのままもう一度、部屋を一通り見たが……さして見知ったモノなどない。

 つまり、ここは俺ーー衛宮士郎の知る場所ではない、ということになる。 しかし何をどうすればそうなったのか、思い出そうとしても中々頭痛のせいでボヤけてしまう。 俺は頭痛に耐えながら、意識を失う前のことを思い出す。

 

「……っ、」

 

 朝……いや朝は何もない。 昼も何もなかった、とすれば何かあったのは夕方。 増してくる鈍痛を押し留め、俺は更に記憶を探る。

 

「あ」

 

 そうだ。 俺は確かあのとき、遠坂の家で魔術の鍛練をしたハズだ。 そうして色々話して、宝石剣の設計図に触れて……。

 

「……触れて、どうなったんだ?」

 

 触れて、魔術が発動したところまでは、何とか思い出せる。 しかしその後、肝心の何があって、どうなったかを全く思い出せない。

 いや、思い出せないのではない。 思い出すことが出来ないのだ。 記憶が無いわけではない。 確かに何かあったハズだが、あのとき魔術が発動したせいか、それがハッキリしないのだ。

 

「……困ったな。 これじゃどうしようもない」

 

 いや、間抜けにもほどがある。 アレほどの魔力からして、あの魔術は遠坂ですら発動するのが困難だ。 とすれば、あの魔術を設計図に組み込んだのは、遠坂の大師父……第二魔法の使い手にして宝石剣の持ち主、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグしか居ない。

 遠坂が触って平気であった事から、あの魔術は遠坂の血縁以外が触れると発動する、トラップのようなモノか。 そう考え、少しぞっとする。 魔法使いのトラップなぞ食らえば、俺なんてひとたまりもないからだ。

 

「……何が起きたのか分からないのが怖いな」

 

 身体にあるのは莫大な疲労と頭痛、あと耳鳴り程度か。 後は、魔術回路ーー?

 

「……待て」

 

 可笑しい。 いつもならすっ、と浮かぶ撃鉄が、中々浮かばない。 苦労して浮かんで、撃鉄を下ろしてみるが……これは、回路が少なくなってる?

 

「……同調(トレース)開始(オン)

 

 一つの線が浮かぶ。 そこから回路が次々と広がるが、その本数はいつもの半分以下。 精々四、五本と言ったところだろう。

 

「……どうなってんだ、本当に」

 

 魔術回路の減少、いや凍結か? 恐らく記憶と同じで、回路はあっても起動出来ないようになっているのだ。

 

「はっ、ふ、ぅ……」

 

 魔術を解く。 解析を使っただけなのに、息切れしかけている。 聖杯戦争序盤を思い出すな、この感じ。

 まぁこれ以上何かしたところで、進展するわけでもなし……大人しく、足場から固めた方が良さそうだ。

 

「よいしょ」

 

 ぐっ、と足に力を込めて立ち上がる。 ふらつきながらもカーテンまで歩き、開けてみるが……そこに映った姿は、想像以上に酷かった。

 上は穂群原の制服。 下はスウェット。 背丈は一年前に戻っており、顔つきも同様だ。 これは……若返った? なして? どうなってんの?

 

「……分からん」

 

 正直、思考が全く追い付いていない。 かろうじてボケることで自分を保てはいるが……ペタペタと顔を触り、そこで。

 

「ん?」

 

 こつん、と肘が何かとぶつかった。

 それは写真立てだった。 この部屋の主が大事にしているのか、それには傷一つない。 勉強机に置いてあるそれに気づかなかった自分も大概間抜けだが、これはチャンスだ。 もしかしたらここが何処か、その手がかりがあるかもしれない。 試しに手に取り、写真を見る。

 

「……え?」

 が。 そこで、心臓が凍りついた。 そこにあった写真が、余りに奇妙だったからだ。

 その写真には数人の男女が、家の前で仲睦まじく笑っていた。 家族で撮ったモノなのだろう。 男が二人に女が四人、笑っている。

 でも。 その写真は、あり得ない。

 何故なら。

 

「なん、だ、これ……」

 

 その写真には、イリヤと切嗣、そして俺が写っていたからだ。

……さながら出来の悪い絵を、遠くから見ているような感覚だった。 この上なく醜く、色褪せた落書き……そのハズの写真は、何故。

 どうして、こんなに幸せそうに見えるのかーー?

 

「……ぶ、っ、つ」

 

 吐き気が込み上げる。 アーチャーの記憶を見たときよりも酷い吐き気に、思わず口元を手で押さえた。

 なんだ、これは。

 俺とイリヤならば、まだ分かる。 切嗣とイリヤなら、まだ分かるだろう。

 けれど俺とイリヤ、切嗣と三人とも並ぶことなど……そんなことはあり得ない。 何故なら切嗣が死んだのは六年前、そのとき俺は中学生ですらない。 なのにこの写真はどう見ても、俺が高校生程度まで成長している。

 それに何より、イリヤと切嗣は既に死んだのだ。 こんな写真はあってはならない。 可能性としてあったとしても、そんなことが現実になるなんて、それでは。

 

「……っ」

 

 それでは、あの戦いは何だったのか。

 誰もが秘めたる願いがあって。

 誰もが生きてて欲しかった、あの戦争で。

 そのせいで死んだ、イリヤと切嗣は、一体何のために。

 

「……ぁ」

 

 怖い。 この写真を認めてしまいそうになるのが、怖い。 幸せに溢れたその写真が、求めたモノなのだと。

 だから、胸が締め付けられる。

 当たり前のようにみんなで笑っている、優しい世界。 その景色の真ん中で、元気に笑う彼女を見殺しにしたのは。

 一体、誰だったのかーー?

 

「……あ、ァっ……」

 

 身体が動かなくなっていく。 脈動し、何かに塗り替えられていく。 奥底に居た誰かが、衛宮士郎の全てを奪おうとしている。

 

「……っ、ァ」

 

 俺の名前はーー衛宮士郎。

 学校はーー穂群原学園■年/穂群原学園高等部、二年。

 将来の夢はーー正義の味■/未定。

 好きな人はーーまだ居ない/遠■■。

 家族はーー親父、義母さん、セラ、リズ、そしてイリヤ。 自由奔放な家族だけど、それが自然体の家族だ。

 

「やめろッ!!」

 

 身体が熱い。 記憶が曖昧になる。 全てが貫かれ、一つになってしまう。 脳裏には知らない記憶が断片として走り抜け、ギチギチと俺を覆い尽くす。

 まるでがらんどうの自分に、本来の中身が入ったかのような。

 

「……づ、あーー」

 

 そうして、沢山の景色を見る。

 名前も知らない誰かと、一緒に走るイリヤ。 それを遠くから見守る切嗣の背中に、おんぶしてもらう自分。

 料理をしてみた自分と、それをダメだしするセ■。 その失敗作を涙ながらに食べるイリヤ。

 家族みんなで手を繋いで、笑ったあの時間。

 

「……、」

 

 ああ、遠い。

 何度も夢見てやまなかった家族の姿は、俺にとって余りに遠い存在だ。 これからどんな人と出会い、守り抜いたとしてーーこれを越える景色など、俺には作り出せない。

 そして同時にそれは、俺が決して味わうことのない、遠き理想郷の世界だった。

 

「……」

 

 膝をついて、俯く。 その幸せに屈服する。

……どうしてこうならなかった。

 どうして、こうしようと思わなかった。

 みんなが笑っている世界。 イリヤが、切嗣が、大事な人が居る世界を、どうして俺は。

 分かっている。 そんなことは無理だということを。 俺が生きたのは、切嗣に救い出されてからだ……四度目の聖杯戦争を防げなければ、この景色は作り出せない。

 だから憧れた、それを夢に見た。 そうじゃなければ、イリヤが余りに救われないから。

 

「……」

 

 けど、それは誰のためだったか。

 本当にイリヤのためで、その景色に俺が居なくても良いと、そういう覚悟を持っていたのか。

 否、断じて否。

……十一年前の火事以降、俺は一度死んだと思って過ごしてきた。 それより前の記憶に蓋をし、前を見て這ってでも生きてきた。 そう生きなければ、立ち止まってしまいそうだった。

 でもーーもしあのときから、全てをやり直せたら。 恐らく死んでいった人達には届かないだろうけど、そう思ったことは何度だってある。

 俺だって、蓋をしたハズの記憶を開けた。 それを頼りに家があった荒野で母を探そうとしたし、いつも自分を迎えに来てくれる父を待とうとして、公園でずっと立ち尽くしたことだってある。

 やがてもう居ないのだと受け止め、そんなときにこう思うのだ。

 

ーーこれからは、あの人達の分まで生きよう。

 

 死んでいった人間は蘇らないから、その人達の全てを背負って、生きようと思った。

 だって、そうでもしなきゃいけないだろう。 そうでもしなければ、自分が壊れてしまうから。

 

ーーお兄ちゃん。

 

 だから。 今度は、守らなければならなかった。

 例え身を粉にしてでも、自分の側に居て欲しかったから。

 そのための六年、そのための魔術。 しかしそれが全て無駄になった今、もうそんなモノに意味はない。

 だから、もしも全てをやり直せるのならば、それはどんなにーー。

 

「……それは」

 

 普通なら突っぱねられる。 まだ望むだけなら、絶対に。

……だが、ここは違う。

 ここはその全てが守られた世界だ。 全てを巻き戻して、全てが終わった世界。 成し遂げられた後になってしまったここにーー俺の居場所はない。

 

「……、ない」

 侵食は既に手足どころか、脳まで及んでいる。 直に俺の意識も、誰かに塗り潰される。 白熱した頭では誰かすら分からないが、それでもこれは俺にとって最上の幸せだ。 きっとこれから先過ごす人生より、幸せに満たされて消えることが出来る。

ーーこの景色は、壊させない。

 

 そんな声が、体の中で木霊する。

 勿論だ。 壊すつもりなんて、微塵もない。 これを壊せる奴も、壊させる奴も絶対に許さない。

 だからこの身を委ねなければならない。 壊す気がないと言うのならば、この身をーー。

 

「……ない」

 

 なのに。

 

 

「ーー要らない。 こんな幸せなら、俺は要らない」

 

 

 俺は、幸せ(それ)を否定した。

 

ーー……。

 

 声が息を呑む。 まるで受け入れることを待っていたかのような、そんな優しい誰かは、俺の答えに声を詰まらせたようだ。

 何も考えられない頭。 鉄のように重くなった手足。 自己が漂白され、懺悔に押し潰される中でーーそれでも、出てきた想いだけは、確固たる意志を持って告げる。

 

「……死者は、生き返らない。 起きてしまったことは、戻せない。 そんなモノで出来た幸せなら、要らない」

 

 否定するだけで、全身を貫かれるような痛みが走る。 やめろと言ってくる身体に、心だけは負けないよう、歯を食い縛る。

 だけど、悔しくて涙が出た。 あの苦しみを思い出すだけで、その涙は止まらなかった。

……ずっと何処かで望んでいた願い。 全ては消えるだけで、済むだろうに。 それでも。

 

「……あぁ」

 

 それは、この上ない裏切りだと知っている。

 今までの自分にも、大切にしてきたモノに対しても、その全てに対する裏切りなのだ。

 何度も涙した。

 何度も絶叫した。

……それでも、得たモノがあって。 その数々を、尊いと思った。 自分が歩んできた道程でなければ、きっと得られない幸せを。

 確かにその道すがらで、溢れてしまったモノもあったけれど。 振り返って、手を伸ばせれば良いのにと、そう思ったこともあったけれど。

 

「そんな可笑しな幸せは、望めない」

 

 だからこそ、決して自分だけは。

 

「置き去りにしたモノのためにも、自分を曲げることだけは、出来ない」

 

 要は、それだけのこと。

 この幸せは、とても眩しかったけれど。

 それでも俺は自分を、曲げられないだけ。

……だから失せろ。

 俺はまだ、こんなところで死んでやることだけは、出来ないんだからーー!!

 

「……I am the born of my sword(体は剣で出来ている)

 

 呪文を紡ぐ。 自己を表す心の言葉は、それだけで白熱していた頭はクリアになった。

 魔術回路は起動したが、今の俺では身体の中に居る誰かを追い出せないだろう。 ならば追い出すのではなく、叩き出すのみ。 誰だか知らないが、俺の幸せを奪うというのならーーそんな奴は身体から、一刻も早く叩き出す。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 一本の線をイメージする。 それはドロドロに溶ける一歩手前まで熱せられた、鉄の棒だ。 それーー擬似的な魔術回路を精製したならば、後は簡単だ。 それを身体に馴染ませれば良い。

 脊髄から何かが入っていく。 無論イメージではあるが、ズブズブと入るそれは俺がさっき作った擬似的な魔術回路だ。

 本来魔術師は、魔術回路を形成すれば、後はオンオフが効くようスイッチのようなモノで制御する。 何故かと言うと、そもそも魔術回路とは本来眠っているモノであり、それを起こすのは命懸けの作業なのである。

 つまり、形成するのは一度きりなのだが、幸か不幸か俺はその作業を教えてもらえなかったので、自力で魔術回路を何度も作っては消すを繰り返したわけだ。

 当然、今やっていることだって命懸け。 ミリでも魔術回路をいれる角度を間違えてしまえば、内蔵はグチャグチャ。 場合によっては心臓すら貫く。

 だがーー最早その工程すらも、俺にとっては手慣れた作業。

 

「……!」

 

 本来十秒で完遂出来る工程を、時間をかけて行う。 いわばこれはチキンレースだ。 俺が消えることが目的なら、この身体は例外。 誰かがこの身体を奪おうと俺の身体に居るのなら、ソイツが逃げるほど危機的な状況に陥れば良い。

 

「……、ッ……」

 

 身体の中から悲鳴が上がる。 俺の目論み通り、俺を消そうとした誰かは身体の中から逃げようとするが、何処から出れば良いのか分からないのだろうか。 一体になりかけていた弊害か、がむしゃらに逃げ回るソイツのせいで、座禅を組んでいる身体が動きそうになる。

 

「ず、っ、……!」

 

 不味い。 このままでは、魔術回路を馴染ませることが出来ず、失敗に終わる。 静止しなければ、ミリ単位の細かい作業など、不器用な俺に出来ようハズもない。

 だがその誰かは、そんなこと知ったことではないのか。 とにかく身体を這いずり回り、そして。

 魔術回路が、背骨から飛び出した。

 

「ぐ、つ……ァ……!?」

 

 何かが破裂する。 それが血管だと気づいたときには、俺は魔術回路の制御を手離していた。

 失敗だ。 口の中までせり上がってくるこの感覚は懐かしいが、そんな感覚に浸ってしまえば、衛宮士郎はこの世から本当に消えてしまう。

 手綱を握る。 飛び出した魔術回路を引き抜けば、血は溢れてしまうが、馴染ませればそんなことは起きない。 致命傷だけは避けるべく、お、れ、はーー。

 

「……!?」

 

 瞬間。

 この身に何が起きたのか、それを理解した。

 

「ぐ、ァ、つ、ぶーー!?」

 

 十七年生きてきた、とある少年の記憶。 普通であるが故に、それが可笑しい少年の全てを、この身に刻み付けられる。

 早送りというより、時間の感覚が引き伸ばされて、実際に自分が生きてきたかのような、不思議なそれは、瞬く間に終わる。

 

「……づ、ぁ、っ……!!」

 

 息を荒くして、びくんと跳ねる。 カーペットに倒れ込んだ身体は、全く動くことが出来ない。 けれど何故か、妙な喪失感が心を満たしていた。

……それは身体の中に居た誰かが、死んだ証。 本来なら魔術回路の暴走で死ぬハズだった俺を、その誰かが庇ったのだ。

 

「……ぁ」

 

 そこで、その誰かの正体が分かった。

……宝石剣のトラップ。 俺はその効果が分からなかったが、手掛かりは確かにあったのだ。

 知らない記憶の断片、身体が誰かに奪われる感覚、着ていた服の不自然さ。 そして何よりーー第二魔法すら起こす宝石剣の、トラップ。

 これを説明するのは簡単だ。 つまり俺は、誰かに拉致されたわけでも、身体を奪われかけたわけでもない。

 俺は、跳ばされたのだ。

 無数にある、平行世界の一つへ。

 しかし、ただ跳ばされたのでは説明がつかないことが多々ある。 だがここに、一つの可能性を入れてみれば、それも解決してしまう。

……トラップは、それだけではなくて。 もし平行世界の自分の身体へ(・・・・・・)対象を跳ばせば、一体どんなことが起こるだろうか?

 

「……あぁ」

 

 本当に、魔法使いとは悪趣味だ。 そんなことをすれば何が起こるのか、分かっているだろうに……わざと第二魔法の失敗をトラップとして仕込むのだから。

 もしそんなことが起きれば、肉体は融合し、魂は二つとなる。 一つの肉体に二つの魂は存在出来ないし、同じ世界に同一人物は存在出来ない……俺とアーチャーの関係と同じだ。 世界とは矛盾を許さない。

 故に。 世界から修正の対象となり、その苦しみはどちらかが居なくなるまで続く。

……今はもう、最初にあった頭痛や吐き気はない。 それはつまり、俺ではなく、この世界のエミヤシロウが死んだのだ。

 恐らく、俺が失敗した魔術のせいで。

 

「……ちきしょう……」

 

 思わず声を漏らした。 そうしなければ、目から何か零れ落ちてしまいそうだった。

 あの映像が間違いなく、今ここに実在するとしたら。 俺は、その中心に居たエミヤシロウを、殺したことになる。

 この幸せな記憶を持っていた、彼を。

 これから先、魔術なんてモノを知らずにずっと生きていって、沢山の人に囲まれて死に行く彼を。

……俺は自分の求めた幸せを、認めないという理由だけで、壊したのだ。

 

「……ぁぁ」

 

 自分のやったことが、間違いだとは思わない。 あの地獄から生還したからには、そこに置いてきた日々を、裏切ることだけは出来ないからだ。

 けれど……余りにその、粉々に壊れた幸せの破片は、俺に深々と突き刺さっていた。

 

「ぁぁ……!!」

 憧れないハズがなかった。

 俺には、あんな幸せなんてなかった……!

 地獄から生還して、切嗣が居なくなってからも、何処かで思っていたのだ。 切嗣と一緒に居られたなら、それはどんなに良かったかと。 自分に母が、姉が居たら、どんなに幸せだっただろうと。

 でも家族どころか、切嗣も居なくなって。 辛くも苦しくもない、歪なその日々で、それでも得たモノは尊いと思った。

 

「……あぁ……」

 

 でも、きっと。

 俺が自分の幸せを守りたかったように。

 彼は自分の幸せを、心の底から守りたかったのだ。

 と、そのとき。

 

「ーーお兄ちゃーん? 今日弓道部の朝練じゃないのー?」

 

 部屋の外から、そんな懐かしい声が、聞こえた。

 

「……イリ、ヤ」

 

 今の声は間違いない。 聞き間違えるハズがない。

 俺の姉である、イリヤの声だ。 エミヤシロウは弓道部に入っていた、朝練も欠かしていなかったし、いつまでも起きてこない俺を心配して来てくれたのだ。

 

「……なんて」

 

 間抜け。 エミヤシロウはもう居ない。 俺のせいでこの世には居ない……とすれば、俺は何て彼女に何と言えば良い?

 君の兄は殺したと? 自分の身の可愛さで、何も知らないエミヤシロウを殺したのだと……そう言うのか?

 

「……」

 

 言えるわけがない。 絶対に、彼女にだけは、この家の住民には知られてはいけない。

 だとしたら、答えは一つ。

 

「……ああ、ちょっと待っててくれ」

 

 なるべく平静を保ちつつ、俺は立ち上がる。 そのまま下のスウェットだけ脱ぎ、近くにあったスラックスを穿く。

 そして、部屋のドアを開けた。

 

「おはよう、お兄ちゃん。 あんまり起きないから、セラがカンカンだったけど、私がフォローしといたからね。 まぁ、怒鳴られるのは確定かもだけど」

 

 そこにはーーもう夢でしか見られない、一つの幻想が立っている。

 さらりと流れる銀の長髪は、まるで雪のようだった。 赤い、ころんとした大きな目は、純粋な色に染まっていて、体の小ささも相まってか、小動物染みている。 

 それは自分の知るイリヤスフィール・フォン・アインツベルンと、とても酷似していた。 

……でも何と無く、分かる。

 この子は、俺の姉ではないことを。 

 自分が会いたかった、一緒に居たいと思った、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンではないと、ハッキリ。 

……なのに、何故だろう。 

 

「あ、あれっ? ど、どうしたのお兄ちゃん? 何で泣いてるの?」 

 

 どうして、こんなにも両目から想いが溢れ落ちるんだろう。 

 涙は、止まることを知らなかった。 しゃくりあげるわけでもなく、ただただ泣き続けるその様は、本当に不気味の筈だ。 玩具のブリキ人形が泣くとしたら、きっとこれ。

……例え、別人でも。 

 ここに、イリヤは居る。 

 そしてそんなイリヤの兄貴を、奪った自分が居る。 

 それで、胸の中のモノを勝手に出た。

 

「ねぇ、お兄ちゃん……ほ、ホントにどうしちゃったの……?」

 

「……ごめんな、イリヤ。 ダメな兄貴で」

 

 イリヤの頭に、ぽんと手を置く。 

触れてはいけないものだとしても、責任だけは果たさなければ。 

 そうでなければーー死んだエミヤシロウが浮かばれない。

 と、ふと思う。 エミヤシロウなら、イリヤを抱き締めるだろうか。 不安な妹を安心させるために、強く。 

……それは俺の役目ではないのかもしれない。 本当は俺ではなく、エミヤシロウしか許されないことだ。 

 兄貴であるお前の代わりは出来ないけど。 それでも、奪った責任だけは、果たし続けよう。

 

「……もう、一人になんかさせないから」 

 

「え?」

 

 頭に置いた手で、イリヤを撫でる。

 その温かさを忘れないためにーー何よりエミヤシロウにそれが伝わるように、俺は告げる。

 

「もう二度と。 お前を、イリヤを、一人ぼっちになんかさせないから……絶対に、俺がイリヤを守るから」

 

 手の平から伝わるのは、動揺だけ。

 不安など、彼女には既にない。 それだけで儲けものな気がして、笑った。

 俺がお前を殺したのは、必然だった。 

だからこそ、代わりにお前の幸せを受け継いでいく。 

 俺の命は、もう俺一人だけのものじゃない。その幸せを受け継いで、お前が守りたかったモノまで、俺が必ず守る。

……いつかは、話さなければならないときが来るとしても。 俺が、元の世界に戻るときが来ても。

 それでも絶対に俺は、正義の味方として、イリヤの兄貴として護り抜く……それを、ここに誓おう。

 

「だから」

 

 また会うときまで、ちょっとだけ待っててくれ、遠坂。

 俺はそれまで、この子を護らなきゃいけないから。

 



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一日目~学校、確認~

ーーInterlude 1-1ーー

 

 

「……ん、じゃあ準備してくるよ。 イリヤはセラに伝言頼むな」

 

 それじゃ、とだけ言って、部屋の中へ戻る彼ーー衛宮士郎。

 それを見届けていたのは妹である、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンなのだが、彼女の顔はとろけにとろけきっており、士郎の顔があった空間をじーっと見ている。 その頭の中で反復する言葉と繰り広げられる妄想には限りがなく、そのままならあと数時間は浸れるだろう。

 しかしそんなことをしていれば、学校に遅れてしまう。

 

「イリヤさーん? ほらほら、お兄ちゃん妄想はそれまでにしておかないと、あの年増家政婦からまた小言もらいますよー?」

 

 そう待ったをかけたのは……何と言えば良いか、とにかく玩具だった。

 プラスチックにも似た材質で作られた、五芒星を象ったそれからは、計六枚の羽が飛び出しており、まんま幼女が一度は使いそうなモノだ。 しかしその可愛らしい外見とは正反対の言葉を放つ辺り、これの制作者は余程性根が折れ曲がっているのだろう。

 それ、マジカルルビーの忠告で現実に戻ったイリヤは、慌てて口元をごしごしと袖で拭く。

 

「べ、別に妄想なんてしてないし! というか妄想せざるをえないし……あんなの……」

 

 髪からひょっこりと出たルビーに聞こえないよう言ってみたものの、それは逆効果だ。 何せ兄のことを考えてしまえば、嫌でも先のことを思い出す。

 

ーーもう、一人になんかさせないから。

 

「~~っ……!!」

 

 優しい声と、温かい手。 顔が見えていなかったのは、本当に幸運だった。 もし見えていたなら間違いなく、目を合わせることだって出来なかった。 イリヤがまたもや悶絶すると、ルビーがすかさず茶々を入れる。

 

「おおう! イリヤさんの乙女のらぶぱわーが上がってます! どうです、一発転身でもしますか!? ちょっと放出していきますか!?」

 

「しないよっ、こんな朝っぱらから!」

 

 つん、と顔を反らし、そのまま大股で下へ降りていくイリヤ。 蹴立てるようなその足取りは、そのモヤモヤした気持ちをぶつけているのだろう。

 一日の始まりは、とても良かった。

 だがーーイリヤの耳に、その声はしっかりと聞こえていた。

 

「……ま、泣きそうな顔で言われたって、嬉しくはないですけどねー」

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 朝は忙しい。 それは俺の世界も、この世界も同じだ。 俺の場合は桜という助手も居たおかげで回っていたが、それも藤ねぇしか居なかった去年までの話。 セイバーや遠坂が住むようになり、代わりに桜が来れなくなった今の衛宮家は戦場だ。 いや戦場という意味合いは、作る側と食べる側でまた認識が違うだろうけど。

 つまり何を言いたいかと言うと。

 現職のメイドに、主夫なんぞが勝てようハズがない、ということだ。

 

「……ぬぬぬ」

 

 時間は朝練終了後の八時前。 既に制服へと着替えを済ませた俺は、弓道場から校舎へと入る。

 あの後、とりあえず俺は学校へ行くことにした。 この世界の情報を得るためというのもあるが、何よりイリヤを含めたみんなに怪しまれでもしたら不味い。 只でさえ嘘が顔に出る性分なのに、付け込まれるネタを与えるわけにはいかない。

 しかし、そのときには既に七時を過ぎていた。 前も言っていた通り、エミヤシロウは弓道部に在籍しており、朝練だって欠かさない。 このままでは朝食、片付け、身支度と家事にかかずらってる間に朝練は終わってしまう。

 が、俺のーーエミヤシロウの家には、凄腕の専属のメイドが居た。

 二人とも女性で姉妹らしく、お姉さんがセラ、妹はリズと言い、今日も朝から完璧な家事をしてくれたのだ。

 他人が作った料理など、桜か遠坂ぐらいだった俺にとって、それは新鮮で、同時にそんな幸せを奪った本人なのだともう一度自覚させてくれた。 まぁセラは少しお母さん気質だし、リズは家主かと言わんばかりのだらけっぷりではあったのだが……それはそれ、これはこれ。 弁当も伴って、途中からでも何とか朝練に間に合うことが出来たのだから、感謝してもしきれない。

 

「……とはいえ」

 

 肩を回して、一息つく。 久々に持った弓は軽く、入部していた感覚はすっ、と思い出せた。 思い出せてしまった。

 エミヤシロウの弓の腕は悪くない。 部内でも彼より上に居るのは、慎二と美綴ぐらいだろう。 高校生としては破格のレベルだ。

……だが、しかし。 俺はその一般人から逸脱した魔術師だ。 弓道とは自身を殺し、存在を無くすことで無我の境地に至るモノであり、その基本は魔術と非常に似通っている。 故になんだ……適当にやることも俺の流儀に反しているので、本気でやってみた。

 で、結果……四射とも的のど真ん中に中ってしまい、いきなり皆中をかましたわけだ。

 

「……何かこう、ズルした感じしかないのは何故だろーか……」

 

 弓道とは、型や射形の精美さを競う競技だが、同時に礼節や所作なども得点として入る。 何故ならそうした所も含めてきちんと通さないと、的には中らないからだ。 つまり中るときは、そういう所作や型は勿論、射形がしっかりしてなければならないため、上辺だけ綺麗にしようが的には中らない。 そのため一射一射の集中力は計り知れない上に一度乱せば中らないのだから、中々に厳しい競技なのだ。

 で、それを四射続けて中る皆中など、朝練に駆け込みで来た寝起き学生なぞに出来る技ではない。 その点スイッチの切り替えが効く我が身が役に立ったが……。

 

「……失敗したな、ホント」

 魔術師の俺が弓道部に居ても、仕方がないだろう。 弓道は好きだし、射も嫌いではないけれど……でもだからと言って、弓道にかまけてる暇がないのも確かだ。

 弓道八節の中で、久という言葉と共に、 『日に二百以上の矢をかけよ、それ以外は矢放しに過ぎぬ』という教えがある。 これは常に矢を射続けろ、一日も絶やすなとか何とか、そんな意味が込められている。

 その点、俺には久が欠けてしまっている。 俺の矢は自身に中る矢だ。 この先必要になるのは、敵に当てる矢であり、半端者が居て良い部でもない。

 そんなわけで惜しいことではあるものの、今日限りで弓道部を辞めようと画策していたが、今朝の射のせいで期待されるばかり。 慎二は怒鳴るわ、美綴は怖ーい顔で笑いながら宣戦布告してきたり……とにかく大変だった。

 

「……はぁ」

 

 教室に入り、クラスメイトに挨拶すると、自分の席に座る。 が、しかし、俺はすぐに机に倒れ、頭を抱えてしまう。

 

「こんなことなら、気分が悪いとでも言えば良かったかな……」

 

 失礼なことであるが、それは仕方ない。とにもかくにも、早いとこ休部届け出さなきゃな……と、そのときだ。

 

「どうした衛宮? 朝から疲労の溜まった顔を見せて。 勉学に励む顔とは到底思えんが?」

 

 少し低めの声。 前を見れば、そこにはすらっとした顔立ちをした男が一人。 古風染みた言葉と振る舞いは、俺の知る柳洞一成そのものだ。

……ああそうだ。 一成に相談してみたら良いかもしれない。 うむ、我ながら良い作戦かも。

 

「よ、一成。 突然だけど、四の五の言わず話を聞いてくれないか」

 

「俺は構わんが……もうすぐホームルームだ、長話なら聞いてやれん」

 

「……うげ」

 

 よく考えたら、朝練を済ませた後だ。 元々時間など余ってはいない。 しかし今日の授業は少人数教室と移動が多く、一成とゆったり話せる時間は、十分の休み時間では足りない。

 仕方なく、俺は人差し指を立てて言った。

 

「……分かった。 じゃ、昼時に相談させてくれ」

 

「あいわかった……と、予鈴だな。 ではな衛宮」

 

 背筋をぴん、と伸ばしたまま、一成は一番後ろの自分の席まで下がっていく。

 同時に、教壇側の扉が開いた。 そこには藤ねぇどころか、俺の知らない教論が立っている。

 エミヤシロウの記憶では、彼が自分の担任となっている。 だが正直違和感ありまくりだ、何せ記憶の中の景色と違いすぎる。

……ここから、また始めよう。

 先はとても暗いし、どうしようもないけれど。

 それでも俺は、もう後には退けない。

 せめてこの続いていく毎日だけは、前と変わらぬように。

 

 

 

 

 

 

 

「……なるほど、事情はおおよそ理解した」

 

 一成はそう言って、俺が献上した唐揚げを頬張る。 時は既に昼休み、俺達はいつものように生徒会室で昼食をとっていた。

 事情を話すついでに、自分の気持ちなどを整理してみたが、やはり俺の意思は変わらない。 弓道部は辞めて、魔術一辺倒にした方が良いだろう。 今は魔術回路自体が眠っているので、こうしてその脆弱さを自覚出来るほど弱ってしまっている。 その遅れを取り戻すためにも、早くどうにかしないと。

 

「つまり衛宮は、弓道部は辞めたいが、自分では断りきれるか自信がない、と。 そう言いたいわけか」

 

「……うーむ。 そうなるのかな」

 

 一応、断れはする。 ただ穏便に行くためには、言葉足らずの俺だけでは不可能だ。 一成は考え込む俺に、更にこう切り込んできた。

 

「何故だ?」

 

「え?」

 

「何故、辞める? 何か理由があるんだろうが、どっちにしろ放り出すのは衛宮らしくあるまい。 間桐ならともかく、お前は誠実な男だと認識していたが」

 

 鋭い。 流石は穂群原が誇る、鬼の生徒会長。 まさか本当のことを言うわけにもいかないし、ここは適度にぼかす。

 

「えっと、だな。 それにはやんごとなき事情というか、使命というか。 それを果たすには一生を費やすしかないというか……」

 

「またそれは、随分と大事だな……俺に、話してはくれないのか?」

 

 真っ直ぐと、俺と目を合わせて、一成は問いかけてくる。 その顔には、親友なのだから頼れと、そう大きく書いてあった。

……参った。 いや、世界が違おうとも、柳洞一成は柳洞一成のままだった。 親友が変わらないということは、良きことである。

 そんな親友に、どうして嘘をつけよう。

 

「ああ、話せない。 これは俺自身が、俺自身の手で、為し遂げなきゃいけないことなんだ。 例え一人では不可能なことでも、それでも俺はやらなきゃいけない……」

 

 もし人生を道とするのなら。 それは恐らく、あの空へと繋がり、見知らぬ何処かへと続いている。 そんな大きなモノ、俺の手には余る代物かもしれない。

 それでも、守ると決めた。

……例え、いつかはバレる偽りの想いだとしても。

 それでも、守ると決めたのだ。

……例え、別れがすぐそこに来ようとも。

 

「だから悪い、一成。 お前の手を借りることは出来ない。 これは俺の我が儘だから」

 

 沈黙。 何も伝えられないなりに、自分の気持ちを伝えようとしたが、これでは伝わらないだろうか……?

 

「……全く。 何を自信の無さそうな顔をしている。 伝わったよ、衛宮の思いは十分にな」

 

「……ホントか?」

 

「ああ。 ま、なんだ。 こう言ってはなんだが、俺は少し嬉しいのかもしれん」

 

「嬉しい? また何で?」

 

 弁当を食べ終わり、一成は箸を置くと、そのまま隅にある急須へと足を運ぶ。 その顔には、笑顔がある。

 

「お前は我が儘を全く言わんからな。 それに欲もない。 聖人かと思えば俗人、かと言って俗人にしては変人だ。 あえてハッキリと言うなら、お前は人間らしくない」

 

「……んん? いや、俺出来ないことはやらないし、我が儘だって言うぞ?」

 

「それは我が儘ではなく、ただの断りと言うのだ、たわけ」

 

 ことん、と置かれた湯飲み。 それを受け取ると、口に運ぶ。 程よい苦味と熱さが、舌を刺激するが、俺は未だにちんぷんかんぷんだ。

 

「……いや一成。 結局、お前は何でそんな嬉しそうなんだ?」

 

「む? 今ので分からんか? つまりだな、お前も人の子だと分かったからだ。 やましい気持ちも無いだろうが、あの衛宮が理由もなしに相談だ。 前々から危ういところもあったが、お前が個人的な欲を見せてくれたのは、素直に嬉しいのだよ。 うんうん」

 

 善哉善哉、と快活に笑ってみせるお山の子。

……もしや俺って、そーとー変な奴だったのだろーか? いやまさか、藤ねぇや遠坂ほどではないだろ。 あの二人を超えてたら、色んな意味で沈む、間違いない。

 そして一成は、湯飲みを片手に続ける。

 

「ま、普段なら煩悩にまみれた相談など、一喝するだけだが……衛宮は別だ。 目を見れば分かる、お前の欲は清い。 その使命とやらの答えは出せんが、相談なら手伝ってやろう」

 

「え?……って、もしかして一成、退部を手伝ってくれるのか?」

 

 目を丸くする。 運動部を目の仇にすると言っても、表向きは生徒会長だ。 退部を手伝うなど、それこそまた運動部との溝を深めかねない。

 

「……本当に良いのか?」

 

「なに、友を助けるのに溝だの何だの言ってられまい。……それにだな、衛宮。 たまにはガス抜きをしないと、生徒会の仕事も上手くいかん。 丁度良い案件だからな、一つ弓道部を困らせてやるとしよう」

 

 今度はくくく、と悪代官さながらの顔になる生徒会長。 その表情をもしクラスメイトの女子に見せたりすれば、恐らく穂群原を二分したイケメン勢力は大きく変わるに違いない。 それぐらいヤバかった。

 

「……お手柔らかにな、一成」

 

「何を言う衛宮。 敵は潰す、それが一番の解決策だ。 托鉢故、手荒なことになりそうだが、それは仏の預かり知らぬ学校。 付き纏う輩は投げ飛ばすぞ、はっはっは」

 

「……あー」

 

 それは比喩表現ですよね、一成殿……。

 そうであることを、一応願うのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

……さて、放課後になった。

 弓道部はすんなりとは行かなかったが、一成の援護もあってか、一応辞める方向に持っていくことに成功した。 明日、顧問の教師に退部届けを出せば、話はこれで終わりだ。

 だが、すんなりと行ったのもそこまでであった。

 

「……はぁ」

 

 辞めるとなれば、当然部員のみんなに説明しなければならない。今まで世話になってきたのだ、当たり前と言えば当たり前なのだが……。

 

ーーはぁ!? 辞めるぅ!? おまっ、ふざけんなよな!? 衛宮のくせに、途中で抜け出すなんて許されないんですけど!

 

ーーおいおい衛宮……あんな射を私に見せといて、のこのこ辞めるってのか? そりゃあないだろ、残れ。 良いな?

 

ーーせ、せせせせんぱいっ、辞めちゃうんですかっ!? なんで、どうして、どんな風に、何故に、なんでさ!?

 

……ちなみに上から慎二、美綴、桜の三人の、極一部の反応である。 実際にはこれの十倍ほどの説得の言葉を部員全員から大合唱され、最終的には一成と共に弓道場から避難したのである。

 並んでグラウンドを歩きながら、

 

「……悪い、一成。 まさか伏兵が居るとは思わなかった……」

 

「……いや衛宮、あれは伏兵というより、お前が自ら火に飛び込んだだけだぞ。 奴らにとって、お前は獅子身中の虫だったわけだ」

 

「……うへぇ」

 

 つまりお前が悪い、とのことだ。 それは自覚しているので、心苦しい限りなのである。

 しかし、何だかんだで引き留めても、強制はしなかった辺り、みんな俺がもう辞めることは分かっていたのかもしれない。

 くよくよしたって仕方無い。 問題はこれからなのだ。

 

「……なぁ一成。 退部手伝ってくれたし、これからはお礼に何でも手伝うぞ。 備品の修理なら出来るし」

 

 ぴく、と一成の眉が動く。 甘言とまでは行かないものの、やはり魅力的なのだろう。

 

「む……いや、遠慮しておこう。 やることがあるなら、こちらの都合など無視することだ」

 

「そんなこと思ってない。 それに、そのやることに、備品の修理は良い鍛練になる」

 

「?……備品の修理がか?」

 

 頷いて、俺達は更に歩く。

 衛宮士郎の魔術は、究極的には一つだ。 しかし、その魔術もおおっぴらに発動出来る代物ではないし、そもそも俺だけでは発動出来ない。 それ故基本的に、俺の使う魔術はその一つから零れ落ちた、副産物なわけだが……その副産物も、修練すれば戦力になる。 武器は多い方が良い、本人が弱いなら尚更だ。

 

「……何か上手く丸め込められた気もするが、そういう事なら頼もう。 今日の内にリストを作っておく、明日からは忙しくなるが、構わんな?」

 

「構わんよ、一成殿。 俺だって修行の身だ、鍛練にどうこう言わないさ」

 

 そうして、歩いてきたのは駐輪場だった。 俺は停めていた自転車の鍵を開け、跨がると、

 

「じゃあ、今日は本当にありがとうな、一成。 助かった」

 

「気にするなと言っただろう。 お前は少々人が良すぎるぞ。 間桐までとはいかんが、もう少し横暴に生きても良いだろう?」

 

「……ん、そうだな。 肝に命じとく。 じゃ」

 

 手を振る一成に振り返し、俺は自転車を漕ぎ出した。

 あっという間に駐輪場から校門までを走り抜け、ついでペダルをもう一回転させて校外に出た。 しゃー、とタイヤが回る音に耳を傾けてみると、見知った/見知らぬ通学路を見渡していた。

 俺が知る冬木市と比べると、ここは些か年数が進んでいる。 大体十年程度か。 公衆電話なんてほぼ見かけないし、道路も白線や中央線が新しく引かれ直されている。 建物も何処かインテリな感じで、昔ながらの日本家屋なんてほぼない。

 

「……ホントに違うんだよな」

 

 夕焼けに染まる冬木市は、俺の知らない景色に変わっている。 それが何となく寂しいし、遠い何処かへと来たのだという感慨深さを生まれさせる。

 たった、十二時間。 ここに来て、まだ十二時間だというのに、もう長い時間ここに居る気がする。 そして不思議なことに、俺は何故か、そこまで帰りたいと思っていない。

 原因は間違いなく自業自得だが、それにしても帰りたがらないのは、他にも理由があるような……。

 

「……っ、」

 

 と、元の世界のことを思い出そうとして、不意に頭痛が走った。 内側から何かが殴り付けたようなそれに、一度自転車を停止させて、額を抑える。

 もう一度思い出そうとして、何かがヒビ割れたような、身の毛のよだつ激痛が俺を貫く。 これはーーそう、アーチャーと戦ったときのような、世界による修正力だ。 次第に熱を帯びていく頭は思考を放棄し、とにかくコントロールしようと自意識に手を伸ばした。

 

「……は、っ、はぁ、……」

 

 さながら、魔術回路の精製に失敗したときのような、命の危険。 それを何とか押さえ付け、視線を周りに向ける。

 

「……あ」

 

 よく見れば、既に住宅地に入っている。 しかも俺が居る場所は、自宅のすぐ側だったのだ。

……偶然だろうが、とにかく良かった。 もし通り過ぎていれば、怪しまれていたに違いない。

 しかし、先程の頭痛は何だったのだろうか。 もしや元の世界のことを思い出すと、矛盾が発生してしまうのか?

 

「……それもそうか。 何せ、同一人物なんだしな」

 

 ここにいるエミヤシロウが、別の衛宮士郎の記憶を見る。 なるほど、これは確かに矛盾だ。 魔術も使わず、平行世界のことを知るなどあってはならない。

 

「……」

 

 つまり、だ。 俺はもう、どちらかを取るしか無くなったのだ。

 このままだと、俺は元の世界のことを思い出さず、帰る手段を見つけなければいけない。 どれだけ焦がれても、それは矛盾だから。

 そしてもし、俺が元の世界に帰ってしまったら、この世界のことは忘れなければならない。 俺の世界で、別の世界のことは思い出してはならない。 そうしなければ、また今回のような頭痛だけではなく、世界そのものが襲ってくる。

 

「……あぁ」

 

 天秤に例えれば、簡単なこと。 傾いた方だけ、俺は思い出すことが出来る。

 ここに居れば、イリヤ達を。

 元の世界に帰れば、遠坂達を。

……目の前に居る人だけを、想うことしか出来なくなる。 たった、それだけの話。

 どれだけ会いたいと願ったとしても、その願いが両立することは、生きている限り決して無いとしても。

 世界という隔たれた壁は、余りにも高い。

 それが、俺に残された唯一の道だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。 皆が寝静まった、午後十一時を目処に、衛宮士郎は魔術師として行動を始める。

 とはいえ、することはまず足場を固めること。 兵法の基本は常に身の回り、つまりは現状確認である。

 自室。 一階の明かりが消えたことを確認し、俺は結跏趺坐の形で、目を閉じる。

 

同調(トレース)開始(オン)

 

 撃鉄を落とす。 それは衛宮士郎が、魔術師へと変わるスイッチだ。 これより先、この身は魔術を行うための回路でしかない。 断線しようが何だろうが、それは分不相応の魔術を使うからだ。

 俺は試しにと、昨日まで働いてくれた弓を目の前に置き、手を添える。 そこから自分の魔力を流すやいなや、神経を張り巡らせる。

 

「……基本骨子、解明。 構成材質、解明。 基本骨子、補強……」

 

 結果は見るまでもない。 俺が目を開けると、そこには鉄のように固く、なおかつ腕のようにしなる、弓があった。 解析、並びに強化の魔術は成功だ。

……さて、後は一番の問題だけだ。

 設計図は頭に。 その剣を出来るだけ細かく、丁寧に思い描くと、俺は呟いた。

 

「……投影、開始」

 

 瞬間。

 俺の両腕の中で、魔力が弾けた。

 

「……ぐ、ぅ、……!!」

 

 さながら滝の中に居るような、濃い魔力の奔流。 それを自分が生み出しているのだと知ると、その手綱を掴もうと躍起になってイメージする。

……いい加減自覚しろ。 衛宮士郎に才能はない。 お前に出来ることは、その心を具現化させることのみ。 それ以上のことは俺の身を滅ぼす。

 だから、出来ないことではない。

 投影は俺の魔術だ。 ならばその手綱程度、片手でも握ってみせるーー!!

 

「……ふ、はっ、ぁ、……っ、ぁ……」

 

 ぽた、と冷や汗が頬から落ちる。 落ちた場所は、俺の手にある、干将莫耶という双剣だ。

……干将莫耶。 かつて聖杯戦争において、未来の俺自身であるアーチャーが使っていた愛剣。 陽剣干将、陰剣莫耶。 古代中国の呉の刀匠である干将とその妻莫耶が生み出した、夫婦剣だ。

 宝具のランクこそC-だが、その頑丈さと投影にかかる負担は少なく、俺の手にもすっかり馴染んでいる。

 が、そんな双剣の投影ですら、今の俺には命懸けだった。

 

「……ふぅ」

 

 手の中の夫婦剣を、転がしてみる。

 しかし、思い描いた双剣と、俺が作り上げた双剣は、まさに雲泥の差がある。 基本骨子にムラがありすぎるし、構成材質に至ってはスカスカ。製作技術もてんでダメ。 これではまだ無銘の剣を投影した方が良さそうだ。

 

「……投影は出来るけど、宝具はまだ実践じゃ難しいか」

 

 恐らくだが、俺の身体はエミヤシロウと融合している。 つまり、もう一人俺という、肉体がある状態なのかもしれない。 マトリョーシカではないが、感覚的にはそれに近いか。

 だがそのせいなのか、魔術を使う感覚を身体が忘れかけている。 何せ半分は魔術とは無縁な体だ、得意とはいえ、使い方を知らないのである。 これで剣製が上手くいくハズがない。

 

「……改めて考えても、問題は山積みだなぁ」

 

 夫婦剣を魔力へと還す。 そのまま足を伸ばすと、背中のベッドにもたれかかる。

 今後の鍛練次第だが、しばらくは無銘の剣を投影しつつ、干将莫耶の投影もこなしていく形で続けていこう。 要は覚えていないだけだ、すぐに覚えさせることだって不可能じゃない。

 ともすれば、実践を想定して、色んな剣を投影した方が良さそうだが……。

 

「実践、か」

 

 左手を宙へ。 そこにかつてあった、紅の痣を幻視するが、頭痛で霧がかかったように思い出せない。 俺はそのまま、手を握ったり開いたりしてみたが、何も掴めやしない。 当たり前だ、掴むものすら分からないのだから。

……今日一日過ごして、分かった。 ここは、平和だ。 実践だの何だのと想定してみたが、ここは平和なのだ。

 魔術とは、秘匿され、孤立し、目的として学んでいくものだ。 本来俺のように、戦うための手段ではなくーー学ぶという目的こそが、魔術師という生き物だ。

 その点、俺は魔術師らしくない。 しかし人を殺したことは一度もないが、斬ったことは何度だってある。

……そんな奴が平和なところで、何故戦う準備などする必要があるのだろう?

 

「……そんなの、決まってる」

 

 イリヤを守るため。 ここの人達を、守るため。 そのためには強い武器が、それを生み出す魔術が必要だ。

……しかし、それは本当に必要だろうか?

 普通に暮らすのであれば、魔術など要らない。 守るというなら、自分が魔術師である限り、イリヤを魔術の世界に足を踏み入れさせることになる。

……また、過ちを犯すことに、なるのだ。

 

「……それは、ダメだ」

 

 無意識に否定する。 でも否定したところで、俺はどうすれば良い?

 イリヤを守りたい。 なのに、守ろうとすれば、俺は魔術を使うしかない。 助けたいのに助けられない。 守りたいのにどうすれば良いのか、分からない。

……同じだ、と思い出す。

 正義の味方になりたくて、けれどそれになるためには、何をしたら良いのか分からなかった、これまでと。

 分かっていたことだ。 アーチャーとの剣戟は、ただの意地の張り合いだった。 その末に得るのは、メッキを張り替えるだけの、今まで通りの思いだけ。

 貫いてはみた。

 なのに、どうして俺はまだ、こんな基本的なことすら分かっていなかったのか。

 

「……」

 

 ああ。 確かに、これは偽物だ。

 本物なら、守る方法はと聞かれれば、すぐに答えられる。 それがどんな方法であれ、結果的に守れる方法を答えられる。

 けれど、俺はどうだろう?

 俺の守る方法なんて、結局は火種でしかないじゃないか。 ここに危険なんてない。 それを知っていたのに、何故俺はまだ、魔術師であろうとするのか?

……それは、破綻している。

 守るために、誰かを危険に晒すなど、そんな守り方は。

 

「……そう、か」

 

 きっと。 アーチャーは、そのことを知っていたのかもしれない。

 誰もが幸せで欲しいと願った男。 しかしその男も、守り方を知らなかった。 ただ争いがあったのなら、そこに介入して止めるしかない。 そうして守った人も、救った人も居たのかもしれないけれど……そうやって、失った人を見たとき、彼はどう思ったか?

 自分が殺した。

 救った人に対して、たった一割。 いや、最初はそう上手くいくハズがない。 救った人に対し、七割、場合によっては九割という人を失ったこともあっただろう。

 殺して、殺して、殺し尽くした。

 守るために、失わないために。

 自分の、他人の居場所だけであっても。

……魔術を使い続けて、その末に、あの剣の世界へたどり着いたのだ。

 天秤がある。

 天秤が、未だ俺の前にある。

 

「……分かってる」

 

 それはドロドロの沼が入った杯を、二つ載せた天秤。 傾いたら最後、その杯の中身は二つとも溢れ、俺はそれを飲み干さねばなるまい。

……それはアーチャーも通った道だ。

 何処かで、奴も越えていった道。

 それを、俺はどうしたいのか?

 

「……ふざけろ。 答えなんて、最初から決まってるじゃないか」

 

 確かな芯を伴って、俺は断言する。

 贋作者の自分に、道なんて必要ない。 道など、そんなモノは作ってしまえば良い。 贋作者だから、自らの道も開けない、なんてことは、絶対に無いのだ。

 お前とは違う。

 そう言ったのであれば、同じ道ではダメだ。 贋作(フェイク)では意味がない。 貫くのであれば、想いと共に、その目指した道を貫くしかない。

 

「……そう、簡単なことだ」

 

 擦りきれるのは俺だけで良い。

 でも、後悔だけはないようにして、これからを生きる。

 窓から、空を見上げる。

 届かないと知っていた空は、今日も遠い。 あの空に届く日は、恐らく来ないだろう。

……それでも、目指す価値はあると、俺は知っているから。 行き着いた先は、間違いなんかじゃないって……そう、信じているから。

 だから、今日を生きている。

 

「……ん?」

 

 と、そのときだった。

 

「……イリヤ?」

 

 視線を空から外し、何の気なしに下を見る。 しかし、そこには外へ駆け出す、イリヤの姿が見えた。

 さながらそれは、妖精がおとぎの国へ帰るような、そんな光景だった。 白銀の髪を揺らす彼女は、そのまま新都方面へと走り去っていく。

 

「……何してるんだ、こんな時間に?」

 

 学校に忘れ物……にしても、何だか表情が硬い。 一戦交えようかと言わんばかりの気迫だ。

……ともかく、こんな夜更けに一人は危険だ。 不審者に絡まれでもしたら大変である。

 俺はすぐさま服を着替え、ゆっくりと部屋を出る。 そのまま物音を立てずに階段を降りると、靴を履いて外へと出た。

 

 空は遠い。 しかし、その上にある月は、雲で隠れ始めていた。

 

 



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一日目、深夜~初戦~





ーーinterlude 1-2ーー

 

 

 深夜。 午前零時を前に、冬木の町は明かりも眠りに入るような、そんな静けさを醸し出している。 開発が進んだ新都方面も、この大橋から見れば立派に眠りこけているように見えた。

 冬木大橋、その真下の公園。 誰もいない筈のそこ。 しかし今ここには三人の少女が、一人の少女の到着を待っていた。

 一人は夕方、衛宮家で魔法少女アニメを凝り固まった頭で見ていた、美遊・エーデルフェルト。 もう一人は美遊の横で、勝ち誇るように自らのある部分を強調するため手を腰にあてる、魔術師ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 最後にそんな二人を、いやルヴィアを見て、半ばイライラしながら待つ遠坂凛。 この三人だった。

 まぁ言うまでもないが、空気は悪い。 凛とルヴィアはとことん馬が合わず、魔術教会の総本山『時計塔』では魔術を使っての乱闘が日常茶飯事であり、しかもそれが原因で二人はこんな極東に居るのだ。 一歩間違えばフィンの一撃、いやフィンのガトリングにまで昇華されたガンドが飛び交うことだろう。 もし待ち人である少女が居たなら、場の空気を宥めようとするのだが、生憎この場には口下手な美遊と、そんな彼女のカレイドステッキであるサファイアしか居ない。 まさに最悪である。

 

「……一応聞いとくけど」

 

 ギチギチ、と歯を噛み締め。 凛はなるべく平和的に、ルヴィアへ言及する。

 

「何故これみよがしに胸を張ってるのかしら、ルヴィア? 別に嬉しくもなんともない、だらしない脂肪を見せられるのだけは勘弁してほしいんだけど」

 

「あらあら、それはごめん遊ばせ」

 

 ふふ、と上品に金髪ロールと胸を揺らすルヴィア。 魔術の名門だからか、仕草の一つ一つが様になっているが、それはもう豚を見るような目で台無しだ。

 

(ワタクシ)、別に胸なんか張っていなくてよ。 ただ胸の下で腕を組むのは、持たざるモノの前では無作法でしょう? だからこうして、腰に手を当てているだけですわ。 それとも遠坂凛(トオサカリン)、あなたにはもしやこれが胸を張っているとでも?」

 

「あらそう。 ならその脂肪、切断してバターにしたら良さそうね。 それはジュウジュウよく焼けるわ、ケモノが」

 

「確かにそうかもしれませんが……でも困りましたわ。 あなたの脂肪は、余り焼けそうにありませんもの。 小さすぎて」

 

 そこで。 ぶちん、とコードが真っ二つになるような、何か人として決定的な境界をぶっ千切った音がした。

 そして。

 

「あんたさっきから聞いてりゃ何だゴラァ!! このホルスタイン縦ロール!?」

 

「あなたこそ人の美点を脂肪だの何だの言いましたわね、このぺったんこツインテール!?」

 

「だぁーれがぺったんこだオラァッ!?」

 

 最早何度目か分からない、ストリートファイトが勃発した。

 額を突き合わせ、鬼というか犬のような形相で掴み合いになる二人。 ギリギリギリと一介の女子高生が出す力にしては、色々とバイオレンスでデンジャラスな音が公園に響いていく。

 

「お待たせ~。 何かルビーが回り道ばかりするから遅れちゃった、ごめん」

 

「えー、人のせいにするのは良くないですよ、イリヤさん。 なんでも妖怪のせいにするのと同じです、全く」

 

「ルビー、やっぱり流行に敏感だね……」

 

 と。 ふよふよと浮かぶルビーをともなって、待ち人であるイリヤが公園に現れた。 イリヤはそのまま美遊の隣に行くと、醜く争う年長者二人を見て、

 

「……今度は何が原因なのでしょうか……ミユさん」

 

「別に。 多分いつもの戯れだと思う……そう思いたい」

 

「あ、あれを戯れと言うには、少しレベルが高いような……」

 

 うがーっ、うるぁーっ、と喚きながら殺気を振り撒く二人は、さながら猛獣が取っ組み合うソレだ。 しかしこれからすることを考慮してか、二人は戯れはそれぐらいにして、

 

「よーし揃った揃った。 リターンマッチね。 もう負けは許されないわよ!」

 

「……うん!」

 

 とりあえずさっきのことは見なかったことにして、勇ましく返事をするイリヤに、無言で頷く美遊。 二人はそのまま己のカレイドステッキを手に取ると、転身を開始する。

 

「ルビー!」

 

「サファイア」

 

「はいはーい! サファイアちゃん、今回は初心に帰って、省略無しのフルバージョン。 多元転身(プリズムトランス)いきますよー!」

 

「ええ。 華麗に、綺麗にいきましょう」

 

 瞬間。 カレイドステッキから噴き出した魔力と、二つの光がイリヤと美遊を包み込む。

 多元転身(プリズムトランス)。 二人は今カレイドステッキによる転身で、無限の魔力と無限の可能性を秘めた存在ーーいわゆる魔法少女へとなろうとしているのだ。

 

「コンパクトフルオープン!」

 

「鏡界回廊最大展開……!」

 

「プリズマ☆イリヤ!」

 

「プリズマ☆ミユ!」

 

「「爆☆誕!」」

 

 じゃーん、とちゃっかりルビーが特製の背景を魔力で作り出し、ポーズを取る二人。 見た目的には最高に似合っており、何よりそういう魔法少女をやっていても何ら可笑しくない年ではあるが……。

 

「いやルビー、何後ろの!? しっかり二人用のポーズを取らせる辺り、狙ってたよね明らかに!?」

 

「そりゃ魔法少女の変身シーンと言えば、中盤以降は省略されるのが常ですからねー。 しかしそれが、ライバルとの同時変身となれば話は別ッ! 同時変身、やらずにはいられないッ!」

 

「だから、結構この格好恥ずかしいんだからね!?  ねぇミユさん!?」

 

「え? あ、うん。 そうだね……まぁでも、戦闘に最適化された服なら、致し方ないと思う」

 

「マントとか邪魔じゃないの!?」

 

 バサバサしててかなり視界に入るし、と魔法少女の正装に身も蓋もないことを口にするイリヤ。 だがそれも、今からすることを考えれば、一種のリラックスなのかもしれない。

 今ここ、冬木にはあるモノが眠っている。

 それがクラスカード。 一見普通の玩具にも見えるそれだが、 その実時計塔ですら全容が掴めないほど高度な魔術理論で編まれた魔術品であり、平たく言えば英霊の力を引き出すモノだ。 そんなモノを悪用すれば、町一つ吹き飛ばすことなどわけないのである。

 そんなクラスカードがここ冬木に七枚眠っており、うち二枚は前任者が回収、もう一枚はイリヤと美遊で回収、残り四枚となり、今日も今日とてカード回収というわけだ。

 昨日のリターンマッチともあって、気合いは十分。これ以上同じ相手に手間取るわけにもいかない。

 四人は作戦をたてると、

 

「それでは、そろそろいきましょう。 イリヤ、美遊(ミユ)、準備はよろしくて?」

 

「バッチリです、多分!」

 

「一応、跳べるようにはなりました。 いけます」

 

「ん、頼もしいことで。 OK、それじゃ今日こそはサクッと、終わらせにいきましょうか! ルビー!」

 

「分かってますって、凛さんの言う通りにしまっせー!」

 

 ヴン、と四人の足元に現れる魔法陣。

 

「半径四メートルに反射路形成! 鏡界回廊、一部反転します!」

 

 それはルビーの声に続いて光り輝いていき、それが臨界に達したときには、四人は元の世界から跳んでいた。

 飛んだ場所は、先程と同じように見えて、全く違う場所だった。 隣同士であっても、全く違う万華鏡。 鏡の世界ーー鏡面界。

 四人の頭上には既に、一面魔法陣が敷き詰められ、その狙いはつけられていた。 サポートである凛達は爆撃の範囲から退避しながら、

 

接界(ジャンプ)完了! 一気に片をつけるわよ!」

 

「二度目の負けは許しませんわよ!」

 

「「了解!」」

 

 そうして、リターンマッチは開始した。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude outーー

 

 

 

 

 

 

 深夜という時間帯は、余り良い思い出がない。 いや一年前まではそんなに無かったのだが……聖杯戦争を経験してからは、夜に出歩くこと自体を逃避するようになったと思う。

 誰も居ない静けさと、人の営みである灯りを消す闇。 それらは人にとって、危険を察知させるには十分すぎる。 ほぼ毎日殺し合いを行っていた身からすれば、こんな時間に一人で出歩くことは本当に自殺行為だと分かっていた。

 しかしそれも、妹が出歩いているとなれば、話は別。

 

「……は、はぁ、っ」

 

 深山町を駆け回って、三十分。 既に魔術回路を起動し、出来るだけ早くイリヤを見つけようと努力しているが……肝心のイリヤの姿が、全く見えない。

 確か俺が家を飛び出したのは、イリヤが外に出てから最低でも二分だ。 それだけあればイリヤの走りなら遠くにいけるかもしれないが、イリヤはまだ小学生だ。 あんなスピードは五十メートル持続できれば良い方。 更に言えば、今の俺は魔術回路を起動し、魔術まで使って追いかけている。 これで追い付けないなんてこと、あり得ない。

 

「……」

 

 嫌な予感だけが、心の中を這いずり回る。 それはまるで蛇のように俺の心に絡まり、締め付ける。

 

「……間抜け。 魔術師が慌てて、どうする」

 

 知らず、そう言って予感を吐き捨てる。

 遠坂だって言っていた。 魔術師は平然とするモノ。 例え何が起ころうとも、自らの首を締める真似は、ただの死にたがりのすることだと。

 心を落ち着けながら、下り坂を降りる。

 可能性は二つ。

 まず一つは、イリヤが何者かに誘拐された、或いは操られていた。 俺が前にキャスターに操られ、柳洞寺まで夢遊病患者のように誘き寄せられたことがある。 その可能性は……言ってみたが、無い。

 そもそもイリヤは自分の意思で走っていたし、たまたま通りかかったイリヤを、たまたま誰かが誘拐したなんて、作り話にしても出来すぎだ。 どうやらまだ慌てていたらしい、今度はもっと考えてみなければ。

……じゃあ、イリヤが魔術師だとしたらどうだろうか?

 

「……いや、無いだろ」

 

 思わずその考えを、否定する。

 もし俺が考えた通りに、イリヤが魔術師だったとしよう。 だがそれなら、イリヤはあんな普通の小学生で居られるだろうか?

 俺の世界のイリヤは、年も違うし、魔術師ですらない。 だがマスターとしてならば、彼女は最強と言っても差し支えなく、その一面も立派なマスターだった。

 善悪の判断すらつかないものの、殺すときは殺し、奪うときは奪う……冷酷なところは、まさに魔術師だ。

 だが、彼女は不安定だ。

 余りに精神の安定を欠いていて、アーチャー相手に一回バーサーカーを殺されたときも、アレは癇癪を起こす寸前だったと思う。

 しかし、こちらのイリヤはどうか?

 アニメや漫画が好きで、昔はよく泣いていた。 すくすくと育ち、そういった教育は何もなかった。 よく言えば良い子、悪く言えば普通。 それがこの世界のイリヤだ。

 でもこちらのイリヤは、その精神は未熟ではあるが、一つの個として安定している。 あの年でそれだけの魔術師になれたのなら話は別だが、あの遠坂だって、そういうわけにはいかないと話していた。

 

「……は、っ、は、……!」

 

 深山町を抜けて、冬木大橋にたどり着く。 橋には街灯があり、居るならばすぐ分かるが……どうやら外れのようだ。 深山にも橋にも居なかったということは、後は新都ぐらいだ。 しかしいくら新都でも深夜の時間帯に人通りは無いに等しい、探すのにそう苦労はしないだろう。 居たならの話だが。

 

「……ふぅ」

 

 近くの手すりに体を預け、空を仰ぐ。 雲は月を隠しており、今宵の月はまだ一度も見ていない。 だが何となく、そのときに見えた月は綺麗だろうな、と漠然と思った。

 振り返り、真下の川を見る。 川は微かに届く街灯の光を反射せず、ただ呑み込んでいる。

 

「……どうなってんだ、全く」

 

 イリヤは魔術師ではない。 だが、魔術師でもなければ不可能な出来事が起こっている。

 それに何だか、今日は寒い。 本当に何事も起こらなければ良いが……?

 

「!」

 

 そのとき。 本当に一瞬、感じたことのある気配が発せられた。

 閉じかけていた魔術回路が強引に開く。 そのまま手すりに預けていた体を伏せ、格子の間から気配の元を盗み見る。

 ほんの僅かだが、今確かに感じた。 あの圧倒的な、原初の恐怖を思い出させるその気配、間違いなくサーヴァントのモノーー!

 

「……っ、」

 

 何故。 俺はそう考えることを放棄し、大人しく息を潜めてその場で待つ。

 サーヴァント相手に、この程度は気休めにもならないが、逃げる方が危険だ。 いざとなれば障害物があるここの方がまだ良い。 そもそも魔術師がサーヴァントに叶うハズがないのだ、セイバーも居ないのに、こんなところで鉢会わせたのが運の尽きかーー。

 

「……ぁ、れ?」

 

 冷や汗は止まらない。 なのに、何故だか酷く安心している。 自分には危害が加えられないと、本気で安心している。

 行くべきか。 気配がしたのは公園だ、ここは。

 

「……」

 

……問うまでもない。 イリヤも大事ではあるが、今の気配は到底見過ごせるモノではない。 ここには居ない筈のサーヴァント、聖杯戦争に関わったものとして、その正体を確かめねば。

 橋から降りて、公園に入る。 投影では隙をつかれる。 ゆっくりと、そこらで拾った手頃な木に強化を施し、辺りを警戒しながら歩いていく。

 気配がしたのは、公園にある時計の前だ。 街灯で比較的明るいが、それでも警戒は怠るモノではない。

 

「……っ」

 

 時計の前に近づいていく内に、その正体を徐々に掴んでいく。

 俺が感じた気配の辺りには、とても濃い魔力の欠片が、煙のように噴出している。 余りに濃いそれは間違いなく、サーヴァント。

 だが、何処と無く違うことも分かる。 サーヴァントは意志がある。 魔力だけでは分からないが、これはバーサーカーに近いような……。

 

「なんだ……これ?」

 

 そうして、そこにたどり着いた。

 俺の目の前には、亀裂がある。 ガラスや氷などで見られるアレだ。 空間に刻まれたそれは、どこかに繋がっているのか、知らない景色が見えた。 だが同時にそれを覗き込めば、二度と戻れないだろうことを理解する。

……そうか。 俺が安心した理由に、何とか合点がいく。

 俺は結界の感知にはそれなりに自信がある。 故にサーヴァントの気配が、この向こう側から来ることに、無意識に気づいていたのだ。

 

「……とはいえ」

 

 これは困った。 この亀裂がどうやって生まれたのか、そもそも何故サーヴァントが居るのか、どうやってここに入り、接触するか……その全てがてんでわからないのだ。 これではどうしようもない。

 

「……そうだ。 管理者(セカンドオーナー)に報告すれば……」

 

 世界が違えど、冬木は一級の霊地。 当然協会から管理を任された魔術師ーーすわわち管理者(セカンドオーナー)が居るハズである。

 その管理者(セカンドオーナー)に報告すれば、協会が何とかしてくれる。 が、俺としては避けたい手だし、何より管理者(セカンドオーナー)はきっと……。

 

「って、何かおっきくなってないか、これ」

 

 もう一度見てみると、何故か亀裂が大きくなっている。 それは段々俺にも分かるスピードで大きくなり、やがて人一人入れるぐらいになった。

……ここまであれば嫌が応にも覗ける。 俺は細心の注意を払って、遠目から亀裂、をーー。

 

「……な」

 

 そこに、あったのは。

 荒れ果てた公園、イリヤを守るように立った少女と。

 そして剣を向ける、今は遠坂と契約をしているハズのセイバーの姿だった。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 1-3ーー

 

 

 

 

 

 

 ごぅ、と風が吹き荒れる。 それは風というには余りに強く、さながら嵐だ。

 鏡面界。 ここでは今、到底あり得ない状況が起きていた。

 イリヤ達は昨日惨敗したキャスターと対峙し、ピンチにこそ陥ったが、最後はイリヤの機転と美遊がクラスカード、ランサーを限定展開(インクルード)。 紅の魔槍はキャスターの心臓を貫き、今宵のカード回収は終了した。

 そう、そのハズだった。

 だがこの鏡界面にはもう一人、キャスターすらも上回る最強が居た。

 セイバー。 最優と言われるその万能な力は、近接遠距離、共にカレイドの魔法少女が使う両方の攻撃を悉く踏み潰した。

 それに緊急時の特例とし、本来の形である凛とルヴィアがゲスト登録して対抗。 公園ごと川にまで影響をきたす斉射で、セイバーを飲み込んだ。 イリヤ達とは段違いの性能を見せた二人の魔法少女だったが、四人は思い知る。

 

約束された(エクス)ーー」

 

 その真名と共に。 戦乱の時代を統べた、今もなお刻まれる王の力を。

 

 

「ーー勝利の剣(カリバー)

 

 

 障壁を張ろうが、地面に横ばいになろうが、関係ない。

 それは、そんなもの容認した上で、黒に染まった極光を振りかざす。

 光、轟音、衝撃。 その全てが川から灰儘に帰させんと迫り、少女達はそれに茫然としたまま食われた。

 もしセイバーが繰り出したモノが闇ならば、まだ何か悪足掻きが出来よう。 しかしそれは無意味な話だ。 アレは星が造りし最後の幻想。 黒く染まっていようと、その光はまさに人の思いそのものだ。 それを何も知らない者が直視すれば、感動したまま焼き払われるのは道理。

 ぎぃ、と。 まだ残っていた木々が、丸裸の状態で倒れていく。 あの極光を受けて消し飛ばなかったのが不思議だが、こうして倒れている時点で、あの木々はもう死んでいる。

 そう。 あの光に飲み込まれた者は、例え特殊な力に守られていようと、それすらもねじ伏せる。 あの凛とルヴィアですらも。

 

「……ぁ、ぅ……」

 

 距離が離れていたからか。 美遊はイリヤと一緒に、ギリギリのところでその極光から逃れていた。 それでも吹き飛ばされ、何とか立ち上がったのだが、その惨状をみて目を見開く。

 凛とルヴィアの姿はない。 それどころか、カレイドステッキの二本すらない。 その証拠に川から後ろにある森、そして鏡面界そのものまで、綺麗に一本の亀裂が走っていた。

 

「そん、な……」

 

 へたれ込みそうになる体を、何とか押さえつける美遊。 しかしもう彼女達には、既に戦う力はない。

 正直に言って、手詰まりも良いところだ。 相手は自分達より強力な魔術師を打ち倒し、更にはカレイドステッキすら消し飛ばしたのだ。 もう手など、一欠片もない。

 

「……っ、」

 

 セイバーが公園へと上がる。 何らかの加護があるのか、彼女は多少傷があるだけで、濡れてはいなかった。

 それだけ。 たったそれだけで、美遊の欠片になっていた戦意は今度こそ消え失せた。

 死ぬ。 このままでは死ぬ。 何も出来ずに切り捨てられる。 ガチガチと歯が鳴り、口の中が枯れ、意識が凍りついて動けない。

 セイバーが美遊達へ、視線を向ける。 バイザーの奥にある黄金の瞳は無機質で、まるで機械だ。 セイバーはそのまま一歩ずつ、美遊達へ近づいていく。

 出来ることなどない。 自分達はこのまま、死んでいく。

 

「……っ、」

 

 だが。 美遊はそれを自覚して、にらみ返す。

……それは出来ない。 このままみすみす死ぬことだけは、絶対に許されない。 まだ何も成し遂げてなど居らず、あまつさえ幸せを掴んですら居ないのに……何故死ぬことが出来よう。

 だから。 出来ることだけは、するーー!

 

「、ミユさん!?」

 

 こちらまであと二歩、剣ならば悠々に届く距離。 その距離を塞ぐように、美遊はイリヤの前で手を広げた。

 セイバーが止まる。 魔力の霧が辺りに漂い、震えながら立つ美遊に視線を向ける。

 

「……私が囮になる。 逃げて、イリヤスフィール」

 

 喉に詰まった不安を飲み下し、イリヤにそう言い聞かせる。 しかしそれはイリヤの目から見ても、虚勢だと分かった。

 

「でも……!」

 

「良いから早く、どこでもいいから!!」

 

 美遊はそう怒鳴り、思わず顔を歪める。 カレイドステッキすら無い今、一体どこへ逃げるというのか。 イリヤも困惑しているのか、背中で独り言のようにぶつぶつと呟いている。

 聖剣が突きつけられる。 これで終わり。セイバーはそのまま、聖剣へ霧を纏わせーー。

 

 

「ーー伏せろ、二人ともっ!!」

 

 

 その懐かしい声が、響いた。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude outーー

 

 

 

 

 

 

 あれこれ作戦を立てることも、魔術師らしく冷静に判断することも、出来なかった。

 イリヤに剣が向けられている。 たったそれだけで、イリヤの末路が用意に想像出来て、頭に血が回った辺り、やはり俺は未熟なのだろう。 俺は無意識に地を蹴って、その亀裂に飛び込んでいた。

 

「……っ!!」

 

 余分な思考など無い。 イリヤの救出、ただそれだけで体が動き、今俺はこうして魔術を公使する。

 出た場所は、イリヤ達の後ろ五メートル。 この距離では接近戦など持ち込めない。 木を放り捨て、右手に魔力を叩き込む。

 だとすれば合理的なのは剣を投影し、それを投げつけること。 要はブーメランだ。 名のある剣ならば、あのセイバーも反応せざるを得ないハズ。

 

「……投影、開始(トレース オン)……! 」

 

 あのセイバーが相手。 何故あんな風に黒く染まり、イリヤを殺そうとしているのかは全く分からないが、止めることは変わらない。 例えセイバーが相手でも、イリヤだけは傷つけさせない。 それが今の俺だ。

 だが俺が全力で投影したモノであっても、セイバーならば軽く粉砕する。 アレは烈風だ。 岩すら切り刻む烈風。 未だイメージに綻びがあり、かつ投影を制限された俺では、投影したとしても、セイバーを足止めする剣を作れまい。

 

「……っ!」

 

 なら。 セイバーですら弾くことしか出来ない、巨大な岩山を作ってしまえば良い。

 幸い俺は、それを見たことがある。 かの大英雄ヘラクレスが持っていた、あの無銘の斧剣。 アレほど巨大な剣、衛宮士郎の筋力では扱えない。 だがそれは別に構わない。 投げるだけならどうとでもなる。

 八節の理念を出来るだけ丁寧に。 しかし迅速に組み上げ、俺はまだ出来かけでそれほど重さがない斧剣の柄を握り。

 

「ーー伏せろ、二人ともっ!!」

 

 それを、体ごと回して飛ばすーー!

 

「っ、……!?」

 

 寸前で気づいた少女が、イリヤと共に倒れ込む。 そのせいかは分からないが、セイバーからは少々見えない位置からの不意打ちだ。 回転する斧剣は手裏剣のようにセイバーに食らいつき、流石のセイバーもそれを弾き、一度距離を取る。

 二人に駆け寄って無事を確かめたいが、状況を聞くなんて悠長な真似は出来ない。 離した距離は五メートルない。 セイバーをもっと遠くに離さねば、彼女ならこの程度一瞬で詰める。

 

「、おに……!?」

 

「イリヤを頼む! 俺がアイツを何とかするから、その間に脱出してくれ!」

 

 そう言うなり二人の側を走り抜け、両手に慣れ親しんだ重みが加わる。

 陽剣干将、陰剣莫耶。 しかしやはり先程と同じく、その夫婦剣は不出来だ。 もしかしたら、初めてこの剣を投影したときよりも。 精巧だったアーチャーのそれとは、比べるべくもない。しかし今の俺にはそれが必要だ、それを手に、俺はセイバーへと走る。

 ズキ、と鈍い痛み。 魔術回路が悲鳴をあげる。 しかしそれを何とか押し留め、前を向いた。

 セイバーは俺を迎え撃つことにしたか、どっしりと要塞のように構えている。 しかしこちらから斬りかかれば、すぐさま烈風の剣に切り刻まれてお仕舞いだ。

 だからこそ隙を作る。 俺はわざと干将の振りを大きくし、そのままセイバーに近づく。

 袈裟に繰り出される聖剣。 それをもう片方の莫耶を滑り込ませて軌道を薄皮一枚のところまで逸らすと、振りかぶっていた干将をセイバーの頭に振り下ろす。

 

「……!」

 

 無論、かわされる。 機械じみた最小限の動きだけで俺の干将は空を切り、今度は袈裟に振り下ろされた聖剣が、さっきと同じ軌道を返ってくるーー!

 

「……っ、投影(トレース)……ッ!!」

 

 だが俺だって、一年間、セイバーと稽古を積んできたのだ。 彼女の技は、それなりに予想は出来る。

 投影魔術で出来た、無銘の剣。 それは聖剣と俺の体を塞ぐように出現し、セイバーによって一撃で破壊された。

 だが勢いは減衰するだろう。 俺は襲いかかる聖剣を夫婦剣を交差させて防ぎ、そのまま刀身を滑らせて反撃に向かい、

 

「……■■■ッ!!」

 

 真下からきた膝を、叩き込まれた。

 

「お、ぶ、……!?」

 

 さながら丸太が食い込んだように。

 体が九の字に折れ曲がり、そのままふわっ、と浮かぶ。 一秒ほどの浮遊の後、俺は無様に背中から地面に激突した。

……今のは、効いた。 急所である鳩尾に膝蹴り。 セイバーは何も剣だけが取り柄ではない。 やろうと思えば、体術とて出来る。 普段の稽古だってそうだ。 非道でも外道でもなくとも、どんな手だろうが使う、それが彼女なのである。 そんなことすら忘れていたのか自分は。

 

「は、づ、……!」

 

 呼吸しようと何とか肺を動かすが、言うことを聞かない。 節々が鉛のように重くなって、俺は身動きすらとれずに居た。

 もし俺の知るセイバーだったら骨が折れていただろう。 このセイバーには鎧がない。 そのため幾分かはマシだが、これでは立ち上がれない。

 

「■ッ!」

 

 トドメを刺そうと、セイバーが再度剣を振りかぶる。 俺は即座に体を回転させ、聖剣が地面を抉った。

 その威力、下手な魔術など粉微塵に出来る。 衝撃で横に転がり、俺は体を起こそうとセイバーに目を向ける。

 が、そこまで。 俺の前には、黒く染まった聖剣だけがある。

 

「……っ」

 

 殺される。 投影なぞする前に、聖剣は俺の頭を軽々と粉砕する。

 終わりだ。 あと一秒の間もなく、俺はここで死体へと成り果てる。 時間稼ぎすら出来ない。 これでは。

 これではイリヤを、守れないーー!!

 

「!」

 

 そのときだった。

 一つの閃光。 それはセイバーの後ろから、一陣の風となって来た。 寸ででセイバーも気づいたが、それは彼女のバイザーを破壊し、目頭辺りから鮮血が飛び散る。

 ご、と後ろで爆発。 着弾して爆発などミサイルか何かかと思ったが、俺には分かっていた。 前にも一度、見たことがある。

 偽・螺旋剣、カラドボルグ。 それを剣としてではなく、矢として使う者など、俺が知る限りアイツ一人ーー。

 

「……え?」

 たん、と。 呆けている間に、俺の目の前には誰かが背を向けて、セイバーと対峙していた。

 赤い外套と、弓の代わりにその手に握られた夫婦剣。 さっきまでのモノとは違い、完璧と言えるほどに昇華されたその剣製に、俺は見惚れていた。

 だがその背中は小さい。 それもその筈、何故なら今目の前に居るのはーー。

 

「イリ、ヤ……?」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 守るべき少女は英霊となって、俺が目指した背中を晒していた。

 



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一日目、深夜~神話、再臨~

ーーinterlude 1-3ーー

 

 

「イリヤを頼む!」

 

 (タオ)さなきゃ。

……いや。

 (マモ)らなきゃ。

 

(ダレ)を?」

 

 お(ニイ)ちゃんを。 (ダレ)よりも(ヤサ)しく、不器用(ブキヨウ)な、お(ニイ)ちゃんを。

 

「どうやって?」

 

 (オナ)じ、手段(シュダン)(ネガ)い。

 

(チカラ)なら、あった」

 

 カードを()に。 過程(カテイ)など()らない。 (ネガ)うだけで、(アト)は■■がやってくれる。 (ユエ)(ネガ)うだけ。 結果(ケッカ)があるなら、過程(カテイ)など不必要(フヒツヨウ)工程(コウテイ)()ぎない。

 

ーー告げる。

 

「ーー夢幻召喚(インストール)

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 風が吹く。 真紅の外套が、それに合わせてたなびく。

 

「……なん、で……」

 

 あり得ない。 何故、お前が、その力を。

 俺の目の前ーー黒く染まったセイバーとの間に、一人の少女がその外套を挟んでいる。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 この世界では、彼女はただの小学生。 よく笑い、よく悩み、よく泣いたりもするけれど、幸せに生きている彼女。

 その彼女があの赤い外套を羽織り、俺を優に上回る投影魔術を使い、あの背中を見せている。

 夢ではないかと、一瞬思った。 だが夢ではない。

 これ以上ないほど目を開きながらも、目の前の光景に釘付けにされる。 さながら空に流れる星ではなく、日が暮れる前の夕焼けを見るように。 俺はセイバーよりも、今はあの華奢で武骨な一人の剣に、心を奪われていた。

 

「……■■■!」

 

 だが、そんな幻想を前に。 最強の幻想を担う騎士王は咆哮し、イリヤの懐に飛び込む。 余りにその雰囲気に呑まれたのか、いや、その力が脅威だと判断したからかーーどちらにせよ、セイバーは黒き疾風となって公園を駆け抜ける。

「……」

 

 対し、イリヤの対応も早かった。 戦車の突進のようなセイバーに怯まず、夫婦剣を握って切り結ぶ。

 ガァン、という、岩盤と岩盤がぶつかり合うような衝撃。 しかしそれが、あの細腕からひねり出される剣だと、一体誰が信じるだろう。 踏み締めるアスファルトは破砕し、剣からは火花が散り、それが衝撃となって走る。 さながら突風のように吹き荒れるそれの中、俺は二人の戦いを見続ける。

 セイバーは変わらない。 魔力でブーストした膂力で、敵を圧殺する正面突破。 魔力不足であっても、あのランサーを相手取った力は伊達などではない。 ランクにしてCからBは行くだろうそれを防ぐには、余程の相手でもなければ不可能。

 が、それに立ち向かうのは、まだ不確定ではあるがあのアーチャーと同じ力を持つ者ーーつまり、英霊である。

 セイバーは確かに、超一級の英霊だ。 知名度、それにふさわしい武勲、功績がある。

 されど侮るな、選定の剣の担い手よ。

 ここに今居るのは、無銘ではあってもお前と同じ英霊。

 例えその存在が、功績が、誰に知られてないとしてもーー世界を救った男の力は、そう容易くはない。

 

「ーーッ!!」

 

 振るわれる聖剣。 受け止め、それの威力に耐えきれず、夫婦剣は粉砕される。 しかしイリヤは無手にも関わらず、更に前に出ると、とある呪文を口にした。

 

「……投影、完了(トレース オフ)

 

 まるで鉄を打ったような音が響き、再び干将莫耶がその手に現れる。 セイバーは目を見張ったものの、斬りかかるイリヤですぐにペースを戻す。 しかしセイバーが目を見張るのも仕方ない、その魔術はそう使うのではないのだから。

……投影魔術。 グラデーション・エアと呼称されるそれは、本来非常に効率の悪い魔術として認知されている。

 と言うのも、投影魔術とは頭で想像したモノを、魔力で編むという工程を踏むわけだが、まずイメージがしっかりしなければ形にすらならない。 そしてもし、形になったとしても、投影魔術で出来た品はすぐに魔力となって消え失せる。 世界は矛盾を許さない、人の魔力で編まれた幻想は数分と保てないのだ。 更にはすぐに消える物体を魔力で編むなど、効率が悪すぎる。 精々儀式で使う使い捨ての品を投影するぐらいしか、使い道がない。

 しかし、俺とアーチャーは違う。

 心から具現化されたそれは、等価交換を真っ向から破る。 俺程度の魔力であっても、干将莫耶は勿論のこと、その他の宝具をランクを下がろうと投影することが出来る上、俺の意思がないと消えない。 永遠にだ。 その力は、古代ウルクの王が蒐集していた宝具の原典ですら、適用されるのである。

 本人はただの無銘の英霊。

 しかしその武具は、例え騎士王であっても、劣らないーー!

 

「■■■ッ!!」

 

 攻めきれない。 力も、速さも、技ですら優にセイバーは勝っている。 しかしそれでも、黒い聖剣がイリヤの体を貫くことはない。

 魔力をたゆたい、うねるように聖剣から衝撃波を放つが、イリヤはそれを跳躍して回避。 そのまま黒い斬撃へ投影した剣を投げて縫い付けようとするが。

 

「って、やば……!?」

 

 少し遅かったのか。 その斬撃の破片が、つぶてとなって俺に襲いかかってくる。

 当然、座り込んでいた俺に、避ける術はない。 しかし、

 

「え……?」

 

 そこで、何かが間に入った。

 イリヤとは正反対の、青い背中。 しかしまるで蝶のように、しなやかな少女の線は、イリヤとはまた違った可憐さがある。 少女は杖を振るうと、一瞬で障壁が形成され、黒い魔力を防いだ。

 

「……は、っ……は……!」

 

 余程慌てていたのか。 少女は防ぎ切った瞬間、膝をついて、荒い息を繰り返し、振り返った。

 

「……あ」

 

 その顔を見て、思わず唾を飲む。

 イリヤが雪の精なら、少女は座敷わらしだった。 櫛でよく整えられた髪は黒で、日本古来から来た、お姫様のような顔立ち。 そして何より目がーーイリヤと、似ている気がした。

……それも、その形容しがたい格好でぶち壊しだったが。

 

「……あの。 ありがとう、助けてくれて」

 

「……いえ、当然のことです」

 

 きり、と語る少女の格好は、本当に言葉にしにくかった。

 一言で言うとすれば、コスプレだろう。 とにかく露出が多く、色も紫と派手だ。 背中から伸びたマントの下は、ぱっくり開いた形になっており、着る人が違えば痴女と見られても仕方ない。 それに歯止めをかけているのが、少女の持っているステッキなんだろうが……それはそれで、今度は魔法少女のコスプレ?、と疑わなくもない。

 しかし少女は身体を強張らせて、セイバー達を見る。

 

「私から離れないで。 あなたは私が守る……絶対に、守るから」

 

 見ず知らずとはいえ、そう宣言されるのは、非常に嬉しい。 しかしそう言うのなら、きちんとした格好で言ってほしい。 困る。

……だが、そうも言ってられないか。

 

「■ァッ!!」

 

「ッ……!」

 

 大体数メートルほど離れた場所で、未だ二人の剣戟は続いている。 それどころか更に、その激しさを増していくようだった。

 たった一年前まで、目の前で繰り広げられていた戦い。 もう二度と、あんなに華美で、神秘に満ち溢れた戦いは無いだろうと踏んでいたが……人生どうなるか、分からないモノだ。

 戦いは、以前どちらが有利、というものはない。 強いて言うなら、もし距離が離されても、セイバーには約束された勝利の剣(エクスカリバー)があるが、アーチャーの力を使うイリヤには、むしろその距離こそが独壇場だ。 つまり一気にやられることは、無いかもしれないが……。

 

「……っ」

 

 しかし、道理は分かっていても、やはりイリヤはを危険に晒すことだけは、我慢出来ない。 なまじ俺より強力な力を使うイリヤに、俺みたいな未熟者が出来ることなど、邪魔だけだ。

 サーヴァント同士の戦いで、一番重要なファクターはマスターである。 サーヴァントを生かすも殺すも、マスター次第だ。 それを俺は一年前の戦いでよく知っている。

……だから手は出せない。 下手に手を出したおかげで、イリヤが死ぬようなことがあれば、今度こそ俺は自殺すらしかねない。

 

「……イリヤ」

 

 歯噛みする。 一年間鍛えたのは何のためだ。 一年前、あの戦いで得たモノは何だ。 俺はこんな風にーー誰かが戦っている姿を見ることを、望んだのかーー!

 

「……なあ、君」

 

「っ……は、はい。 何でしょうか?」

 

 戦場から目を離す少女。 本来、この子に頼むのは筋違いかもしれないが……俺を、イリヤを守ろうとしたこの子なら。

 

「俺のことは良い。 もし出来るなら、イリヤのーー妹の加勢に行ってやってくれないか?」

 

「え……?」

 

 目を見張る。 だが少女の驚き方は、それだけじゃない。 俺とイリヤを交互に見始めると、手で口を押さえる。 まるで、何かを堪えるように。

 

「……じゃあ、あな、た、は」

 

「あ……すまない。 イリヤの兄の衛宮士郎だ。 君は、イリヤの友達か何かかな?」

 

「……」

 

 一瞬。 一瞬だけ、少女の目が潤んだようにも見えたのは、錯覚か。 しかし目を合わせず、少女は前を睨み付ける。

 

「美遊、エーデルフェルトです。 イリヤスフィールとは、協力関係にあります。 それと、私が行ってもどうにもなりません……だから彼女の代わりに、あなたを守らせてください」

 

 それ以上は何も言いたくはないと、口を閉ざす少女、美遊。 同時に、戦況も加速的に動き始めた。

 

「■■■■ァッ!!」

 

 セイバーが聖剣を振り上げる。 黒い魔力の霧を纏うのは常だが、それが風をも生み出したのは始めてだ。 片腕で振るわれた漆黒の暴風は、竜巻のように回転し、公園の敷地を抉り取っていく。

 相対するイリヤは、変わらず怯まないが、流石に突っ込むことはしない。 後ろに飛びながら、投影した剣群を投げつけていく。 的へ当てるダーツだ。 しかし竜巻の威力が強すぎるのか、四本ほど投げてようやく竜巻は相殺され、その間にセイバーが目と鼻の先まで肉薄する。

 

「……投影(トレース)

 

 突進(チャージ)からの一振り。 恐らくそれはセイバーの中で、最も威力のある剣に違いない。 人一人を殺すことに、技など要らない。 ただ力と、それを行うために接近するだけである。 風のように近づき、槌のように切り裂く。 それこそが、彼女の剣。

 いくらアーチャーの力を持つイリヤでも、投影(トレース)では届かない。 幾千の模倣が可能であっても、(イリヤ)が使う模倣は劣化。 究極の一たるセイバーに、投影では勝てまい。

……しかしまた、イリヤが宿すのも英霊。

 

「ーー増大補強(オーバーエッジ)

 

 究極の一ではなくともーーその投影が、無限に達するのであれば、越えられぬわけがないーー!

 

「、……アレは……!?」

 

 メキメキメキメキ、と新たに柄から刃が形成される干将莫耶。 それはさながら翼のようで、白と黒の異なる夫婦剣が舞い、聖剣を真っ正面から受け止めた。

 宝具の解放、いや、強化か。 螺旋剣を改造したように、あの干将莫耶もチューンされているのだろう。 ランクにするとB、いやそれ以上か。 アレならかの大英雄だったバーサーカーだろうと、その鋼の肉体を断ち切れる。

 しかしセイバーも直感でそれを理解したか。 返す刃からつばぜり合いに持ち込み、剣での打ち合いが始まる。

 金属音、火花、舞う二人の少女。 剣戟は、鋭く、そして重い。 岩すらも破壊する嵐のようなセイバーと、飄々と鳥のように鋭く凌ぐイリヤ。 対称的だが、噛み合う二人の剣は、何者も負けぬと語るようだった。

 

「……!」

 

「■■ゥ……!」

 

 忌々しい。 そう言わんばかりに、二人は目を潜め、同時に下がる。

 二人に傷はない。 あるとすれば騎士服にあるだけで、後は不意打ち気味に叩き込まれた螺旋剣によるセイバーの傷だけだ。

 だが、己の前に立つ者など居てはならない。 騎士王は黒い聖剣を大上段に構え、腰をどっしりと下ろす。

 瞬間。

 聖剣が、光となった。

 

「……ッッ!!」

 

 背筋からそぞっ、と悪寒が這い回る。それを、一年前から死の気配だと知っていた。

……あの光は知っている。 セイバー、アルトリア・ペンドラゴンが誇る最強の宝具、約束された勝利の剣(エクスカリバー)が解放された光だ。 かつて黒く染まった聖杯を、一撃の元で消し去った極光。 星が、想いが鍛えた幻想は、既に現実を塗り潰すほどだ。 その証拠に、空には薙ぎ払われた空間だけが無残に広がっている。

 美遊もその威力を知っているのか、若干怯えを見せながら、

 

「宝具の二射目……!? そんな、このままじゃ……!」

 

 死ぬ。 しかしそれで思考を停止してしまっては、元も子もない。

 

「……どう考えても、逃げるしかないだろ。 な、君はここから脱出する方法を知ってるか?」

 

「え……あ、はい。 一応、この杖を使えば、何とか」

 

 美遊が持つ礼装がどんなモノかは知らないが、とにかくそれなら話は早い。

 俺は立ち上がり、魔術回路に魔力を流し込むと、

 

「俺がイリヤを引っ張ってくる。 その間に君は脱出の準備を。 頼むぞ」

 

「へ?……ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」

 

 走ろうとする俺の手を、寸でのところで美遊は掴む。

 

「今あそこに行くのは危険です! 英霊であってもアレには耐えられない……そんなところに行けば、あなたは……!」

 

「いや、今優先するのは俺のことじゃない。 イリヤなんだ。 イリヤが危険なら、助けないと。 じゃないとイリヤが死ぬ。 それは絶対ダメだ」

 

「助けないとって……でも!」

 あぁもう、これじゃ埒が明かない。 俺は美遊の手を半ば振り払うと、イリヤへと走り出した。

 

「イリヤ、逃げろ!!」

 

 返事はない。 セイバーをじっ、と見つめるその目は、最早無機質というよりは、氷のように透き通ってすらいる。 だが、冷たい。 どうしようもなく。

 イリヤへと手を伸ばす。 その後は手を掴んで、彼女を美遊へ放り投げて、セイバーから引き離せば良い。 セイバーがいつ宝具を撃つかは分からないが、ありったけの魔力で作った盾と、俺の体があれば、少しは時間を作れるハズだ。

 設計図を展開。 八節の行程を組み上げるが、その前に、

 

投影、開始(トレース オン)

 

 彼女の投影が、完了した。

 

「……な、っ……!?」

 

 本当に。 今日何度目の驚きだろうか。

 イリヤが投影したのは、この状況を打開するための剣。 しかし並大抵、いや、どんな輝きにも勝るあの聖剣を越える剣など、そうはあるまい。 そして俺の中に、単純な火力でアレを越える剣はない。

 しかし、逆説的に言うのなら、アレと同等の剣ならばある。

 イリヤが投影したのは、目の前のセイバーと同じ、約束された勝利の剣(エクスカリバー)。 しかも黒く染まったモノではなく、本来のカタチをした聖剣。 黄金で彩られ、華美な装飾が星のように散りばめられた、幻想の聖剣だ。

 だがあり得ない。 人の手で作られしモノなら、俺も複製出来るだろう。 されど星という膨大な情報と神秘で編まれたそれを投影すれば、俺は死ぬ。 アーチャーですら、そう自嘲していた。 そう、あくまで俺達贋作者なら死ぬことになろう。

……然り。 ここに居るのは、贋作者ではない。 ならばその可能性は無限であり、奇跡というモノは今ここで起こっている。

 イリヤはそれをセイバーと全く同じように構えると、彼女達は同時に。

 

「「ーーーー約束された(エクス)」」

 

 それを、叩きつける。

 

「「勝利の剣(カリバー)ーーーー!!」」

 

 瞬間。

 世界が、白熱した。

 

「が、ぐっ……!?」

 

 宝具の余波。 それだけで体は吹き飛び、コンクリートの上に無様に落ちる。 しかしそれだけ、立ち上がることは出来なかった。

 目の前は、闇と光。 全く同じ聖剣から、決して相容れない二色の極光が邂逅していた。 まるで月と月がぶつかり合うような衝撃と光は、至近距離で見るには些か強すぎる。 だが離れることも出来ず、二つの光は俺の網膜を焼き付ける。

 せめぎ合う光と闇は、やはりセイバーの方が強い。 俺は作る者なのだ、真の使い手には到底及びはしない。 今この時にも、闇は光を食い潰し、俺達へと忍び寄る。 しかしそれでも、小さな奇跡が起こるとするのなら。

 イリヤは光を放出する聖剣を握り締め、歯を食い縛る。

 

「……っ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっあああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 

 咆哮が魔力へと変わり、イリヤの背中から光の翼が伸びる。 それは羽ばたくように脈動すると、極光へと混じった。

 それだけ。 たったそれだけで、食い潰されようとしていた光は、闇を内側から貫き、覆い被さっていく。

 一体あの翼は如何なる魔術か。 否、アレは魔術などではないーーアレを言葉にするのなら、それは奇跡という魔法に他ならないーー!!

 

「■、■ッ、■ァ…………」

 

……そうして。

 騎士王は自らの光に、呑まれた。

 

「………………終わった、のか?」

 

 知らず、脱力しながらそう呟く。 今の宝具の衝突のせいか、平衡感覚が可笑しい。 立ち上がろうと努力しても、中々足が言うことを聞いてくれない。

 シュン、とイリヤの姿が慣れ親しんだ、可愛らしいモノへと変わる。 途端、気を失ってイリヤは倒れ、その胸にはカードが落ちてきた。

 

「……何なんだ本当に」

 

 とりあえずイリヤの側に。

 長い夜は、終わった。

 

 今日はもうーーそれだけで良い。

 



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二日目~発覚、兄の責任~

ーーinterlude 2-1ーー

 

 

「じゃあ、行ってくる。 イリヤのこと頼むぞ、セラ」

 

「分かっています。 士郎こそ、余り無理はなさらないでください。 体がふらついていますよ?」

 

「大丈夫だよ、ただの寝不足だって。 このぐらいどうとでもなるから」

 

 手をあげて、家から出た少年。 その背中を、メイドであるセラは重苦しい表情でみつめていた。

 朝。 普段なら士郎は、傍らにイリヤを連れ、学校へといく。 しかし今日は、イリヤが熱を出したがために一人で学校へ登校していた。

 そう。 これだけならば、セラはまだ重苦しい表情などせずとも、士郎に『良いから早く行け』と諭すことも出来た。 イリヤが病気だとしても、本人は風邪の症状など出ていない。 ただの熱。

 しかし生憎とセラは、それがただの風邪ではないことを知っていた。

 セラがリビングに戻る。 そこには同じメイドでありながら、ソファーを我が物顔で陣取って、呑気にシャコシャコと歯磨きをするリズがいる。

 リズは歯磨きしたまま、

 

「どうだった?」

 

 と宣う。 セラはそれに腕を組み、

 

「どうもこうもありませんよ。 普段通りでした、嫌というほど」

 

「で、本当(・・)は? イリヤと士郎」

 

 リズの問いに、セラは顔をしかめる。 セラの言う本当のことが、悩ましいことだったからだ。

 

「イリヤさんの方は、封印が一時的に解けていました。 十年間溜めた魔力の一部を使ったのでしょう……発熱はその反動でしょうね。 今は再度の封印が為されていますが……」

 

「いつ解けるかはわからない。 油断ならない状況」

 

 イリヤに施された封印。 それは命の危機などに瀕しなければ、決して解かれることはない。 だとすればイリヤは、昨夜頃にその類いと遭遇している。

 それに、と。 セラは付け加えるように、もう一つの事実を口にする。

 

「……士郎から、投影魔術を使ったと思われる痕跡と、魔術回路を感知しました。 旦那様が施された封印式を、強引にこじ開けた(・・・・・・・)、そう私には見えましたが……」

 

 今から八年ほど前のことだ。

 士郎は、とある魔術を無意識に使った。

 投影。 通称グラデーション・エア。 魔力によってオリジナルの鏡像を具現化させる魔術。 一から十まで己の魔力だけで物質化させるそれは効率が悪く、所詮人の幻想であるそれは、世界の修正力の対象だ。 本来ならば数分で空気に消える、ただのユメ。

 だが士郎が行った投影は、消えなかった。 士郎が消えろと言うまで、一度も消えなかったのである。 魔術は等価交換が基本だ。 士郎の投影はその等価交換をぶっ壊す、魔術ではあり得ない現象だった。

 本人曰く『モノが欲しかったからやった』らしいが、子供どころか魔法使いですら、いつまでも投影品を残すなど出来まい。 それを見て危惧した衛宮切嗣は、士郎の記憶と魔術回路を封印し、魔術の世界から遠ざけたのである。

 が、リズは納得がいかないのか、

 

「……それは可笑しい。 士郎が本当に魔術を使ったなら、私達が感知出来る封印式のハズ。 そもそも士郎の魔術回路は、開いてないも同然なのに、一晩で五本であっても開けば」

 

「今日は寝込むぐらいでなければ、士郎の体が持たない……当の本人はあの調子でしたけどね。 全く、二人とも何に巻き込まれているのやら。 まさか違う事件ではないでしょうから、二人とも一緒に行動しているとみますが……」

 

 セラが頭を抱え、パンク寸前まで思考する。 そんな彼女とは対称的に、リズはあくまでマイペースに言った。

 

「セラは心配しすぎ。 二人とも赤ちゃんじゃない」

 

「あなたはドンと構えすぎなんですっ! なんですか、ふてぶてしくソファーに座りやがって!? 私達は旦那様と奥様にこの家を任されたメイドなのですよ、そこを分かってるんですかあなたは!? というか歯磨きは洗面所!」

 

「へいへーい」

 

 分かってますよとでも言いたいのか、リズはそのままリビングから出ていった。 セラはハァ、とため息をつき、またもや思考に浸る。

 

(……イリヤさんはまだ良いにしても、士郎は少し異常ですね。 封印式自体もこじ開けてはいるようですが、こじ開けたにしては全く手をつけてない……まるで、回路の基盤自体がもう一つあって)

 

 その体が、二人分あるようだ。

 セラはそう考えて、まさかとやり残していた家事を再開する。

……決して少なくない違和感を、その心に閉じ込めて。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude outーー

 

 

 

 

 

 

 唐突だが、英語の授業というのは静かだと落ち着かない。 担当が冬木の虎だったからか、教え方自体は素晴らしかったが、正直もちっと静かにしろと言いたかったのを覚えている。

 そんな三時間目、この世界では初めての英語の授業。 俺は寝不足により、半分授業を聞き流しながら何とか意識を保っていた。

 何故俺が寝不足かと言うと、それは昨夜の事件に由来する。

 あの後英霊化したイリヤは、終始黒いセイバーと互角の戦いをし、最後は何と約束された勝利の剣(エクスカリバー)を投影し、それをセイバーと撃ち合ったのだ。 結果はイリヤが僅差で勝ったものの、傍目から見てもギリギリだった。

 イリヤも気を失い、緊張したまま駆け寄ろうと……したのも束の間。

 そこで地面からゾンビのように出てきた、この世界の遠坂と、もう一人……何か西洋版あかいあくまと言うか、きんいろのけものというか、とりあえず遠坂に似た少女、ルヴィアに見つかり、問い詰められた。

 どうやってここにきたのか、というかあなたは誰なのかとか……まぁそれらの質問はぼかして、とりあえずイリヤの兄で、気づいたらここに居て、そのことは明日説明するからお開きにしてくれと頼んだ。

 そこら辺の気遣いは流石というか、遠坂も渋々ながら納得してくれて、ルヴィアも不機嫌ながら了承してくれたものの、時刻は既に深夜の一時。 イリヤを担いで帰ったときには、深夜の二時で、このように寝不足になってしまったのだ。 まぁ朝練は無いし、セラも居るから七時ぐらいに起きればよかったが、そこは習慣でいつもの時間に起床し、朝飯まで作った次第である。

 

「……ふぅ」

 

 こんなに忙しかったのは、聖杯戦争以来だ。 あのときはセイバーという心強い仲間が居たが、その逆。 今回はセイバーが敵となり、俺は手も足も出なかった。

 まぁ勝てるとは思っていなかったし、時間稼ぎもそんなに出来ないとは思っていたが、まさか瞬殺とは。 聖杯戦争のときと何ら変わってないなと自己嫌悪するが、それは後でも出来る。 今は別のこと。

 この世界の遠坂から何も教えてもらってないため、推察の域を出ない。 それでも自分の考えだけでもまとめてみなければ。

 

「……まずセイバー」

 

 自分の知るセイバーと、昨日見たセイバーを比べる。

 まず何と言っても、あの高潔さとは離れたドス黒い姿。 アレは言葉こそ喋れなかったが、狂ったわけではない。 それならもっと単純に、苛烈な攻撃をしてきた。 平たく言えば負の感情に塗り潰された、そう思った方が自然だ。

 とすると、あのセイバーは正規のルートで召喚されたのではない。 柳洞寺のアサシンのように、何らかの方法で召喚された、イレギュラーと考えるのが普通だ。

 

「……そんな単純な問題か?」

 

 そう。 俺は見た。 イリヤが英霊化し、その後に排出したカードと、同じようなカードをセイバーの居た場所から発見したこと。

 そうなると、キーになるのはあのカードだ。 しかしあのカードを解析したくても、する前に遠坂やルヴィアに問い詰められてしまったし、あのカードは美遊が回収していた。

 そもそも英霊なんてもの、聖杯も無しに召喚出来るものなのか? 遠坂は維持ぐらいなら出来るって言ってたけど、それだって俺との共同作業だ。 ならばクラスに当てはめて、それを召喚するなどという離れ業、聖杯もなしに一体どうやって……?

 

「……分からん」

 

 どうやら、睡魔は思った以上に強いようだ。 ドンドン脳の動きが鈍ってくる。 推察はここらで切り上げて、授業に専念した方がよさそうだ。

 教科書を黒板に提示されたページにし、そのまま取っていなかった分をノートにーー。

 

 

「ーーはーい、お兄さんっ♪ 眠そうな顔してますねー、まるでカエルみたいです!」

 

 書き写そうとして、聞こえてきた声に思わず机にヘドバンをかました。

 

「……大丈夫か、衛宮? 何かここまで聞こえるような音だったが?」

 

「だ、大丈夫です先生……」

 

 ヘドバンはやりすぎたか、先生は驚きながらも心配そうな顔でこちらを伺う。 俺はそれに苦笑いで答え、声のした空間にブンブンと手を突き出す。

 ま、まさかこんなところに悪魔が現れるとは。 学校でのエンカウントなんて、誰が予期しよう。 つうか出てこい、どこに居やがる。

 

「アハー。 出てこいって言われて、出てくるルビーちゃんではありませんよー? 私と話がしたいのなら、男子トイレにレッツゴー○ャスティン!」

 

……ふざけた妖精だ。 言うだけ言って、消えやがった。 このままではシャクだし、アイツには聞きたいこともある。 俺は立ち上がると、

 

「すいません先生。 お腹が痛いので、トイレに行ってきて良いですか?」

 

「む、そうか。 分かった、許可する。 すぐに帰ってこい」

 

 善処します、とだけ伝え、俺は教室から出る。 そこからはもう早歩きだ。 俺は走るのと何ら変わらない速度で廊下を駆け抜け、男子トイレに入り込む。

 

「いやー、学校に忍び込むって楽しいものですね。 光学迷彩付きとはいえ、私達のようなものをお兄さんが持っていたらと思うと……うぷぷ」

 

「悪ふざけも程ほどに、姉さん。 士郎様が青筋たててる」

 

 と、人が居なくなったからか。 傍らには光学迷彩でもついてるのかと言いたいほど見事に隠れていた、ルビーとサファイア、二本のステッキが浮かんでいた。

……昨夜、イリヤを担いで家に帰っていた際に、コイツとは知り合った。 何でも最高級の魔術礼装らしく、あのカードーークラスカードとルビーは言っていたーーを回収するため、時計塔から貸し出されたとか。

 

「にしても。 男子トイレは女子トイレと違い、やっぱり少し汚いですね。 うえ、消臭剤がクラッシュして、中身が飛び出てるじゃないですかやだー」

 

「……小学生ならまだしも、高等部でもこういう遊びをしてるんですね。 童心を忘れない為でしょうか」

 

 だがまぁ、こんな風に男子トイレの状況にダメ出しするぐらいはフリーダムなので、正直そんな風には全く見えない。 むしろ何か疫病神的なのがついてるんじゃなかろうか、妖精だし。

 

「……とりあえず、一言言わせてくれ。 いつから居た?」

 

「登校時から♪」

 

「二時間目からでございます」

 

「暇だったので、サファイアちゃんを呼んではみたんですがねー。 高等部が想像以上に暇でして、ハイ。 サファイアちゃんと話してても良いんですが、この際お兄さんと放課後まで語ろうじゃないかと! 便所飯やろうぜ!」

 

「誰がやるかこの野郎」

 

 静かなサファイアとは正反対に、どれだけ喋りたかったのか、饒舌にルビーは語る。 アレだ、五月蝿い。 イリヤはよくこんなのと一緒に居られるもんだと思う。

 

「というか、ふざけるだけならこっちから聞いても良いか? いい加減ハッキリさせないと、モヤモヤして授業に集中出来ない」

 

「あらら。 真面目ですね、見た目通り。 まぁそれに関しては、私達にお任せを。 暇潰しに話しますよー」

 

「分かった。 じゃあ……」

 

 突っ立ってるのも何だし、とりあえず近くの個室に入る。 もしルビー達のことがバレれば、間違いなく『衛宮くんってそういう趣味だったんだー、マジあり得なくなくない?』と昨夜のトレンディドラマを見て、ござるからギャルに口調が変わった後藤君辺りに噂されるに違いない。 そんなの勘弁してほしいでござる。

 個室に鍵をし、便器に座り。 ルビー達は、説明し出した。

 

「まず事の始まりは、二週間前。 突然この冬木市に、異常な大源(オド)の歪みが観測されました。 それから魔術協会による調査が行われ、その歪みの原因がカードだと分かり、カードの回収が行われているわけです」

 

 二週間前ーー俺がまだエミヤシロウだった頃か。

 

「……なるほど。 で、あのカードなんなんだ? あんなの初めて見たぞ」

 

「そりゃそうでしょうねぇ。 何せカードを解析しても、魔術協会が明確な答えを出せなかったほどのシロモノです。 一介の魔術師どころか、ヘッポコそうなお兄さんに分かったら大変ですよ」

 

「……何かしれっと侮辱されたけど。 それ、本当なのか?」

 

「ええ。 で、一つだけ分かっているのが……アレは英霊の力を引き出せるらしい、アイテムということだけ。 英霊についての説明は必要ですか?」

 

「いや、知ってるよ。 歴史は得意なんだ」

 

 まさか使役してたなんて言ったら、本当にやばそうだ……下手なことは言わないのが吉。 あと歴史が得意なのはホントだ、聖杯戦争以後は。

 

「昨夜の敵も、セイバーの英霊がクラスカードを依代に現象化したモノです。 それにしても、昨日の英霊は桁違いですが。 まさかカレイドの魔法少女ですら歯が立たないとは……」

 

「本来の姿から変質し、理性が吹っ飛んでても、英霊は英霊。 本当にザ・幹部怪人みたいな強さでした。 久々に肝が冷えましたよー」

 

「……」

 

 つまり、あのセイバーは俺の世界のセイバーと似た方法で生まれた、言わば平行世界のセイバーになるのか。 本体からの劣化コピー、そう考えて間違いない。

 そうなると、こちらにも疑問が沸いてくる。

 

「……じゃあ昨日、イリヤがアーチャーのカードを使って、英霊みたいな姿になったのは何なんだ? クラスカードは唐突に出現したのに、イリヤはなんで……」

 

「誤解が無いように説明させてもらいますが」

 

 と、サファイアが前置いて。

 

「私達にもアレが何なのかは分かりません。 私達カレイドステッキはカードを介し、英霊の座へとアクセス、そしてそのカードに対応した英霊の宝具を使用することが出来ますが、そこが限界です。 イリヤ様に関しては、士郎様の方が知っておられるのでは?」

 

「む……」

 

 そう言われても。 エミヤシロウは魔術の魔すら知らない。 親父なら分かるかもしれないが、正直セラやリズも把握してないんじゃないかと思う。 というか家事やってる姿とお菓子食ってる姿が強すぎて、そっち方面の想像が出来ないだけなのだが。

 と、ルビーが羽で手を上げるようにして、

 

「そういえば。 お兄さんはどうして、イリヤさんがなった英霊がアーチャーだと(・・)分かったんですか?」

 

 そう、当たり前のことを口にした。

 

「え……?」

 

「お兄さん、凛さん達に問い詰められて、結局イリヤさんが排出したカードを見れませんでしたし。 そもそもクラスカードの名前は、クラスカードをよく知る人間でなければ分かりません。 その名前を当てるなんて、何も知らないにしては少し鋭すぎるのでは~?」

 

 しまった。 そう口走る前に、一瞬で考えた言い訳を代わりに告げる。

 

「剣を使うのがセイバーだろ? なら、弓を使うならアーチャーじゃないか。 俺を助けるために、矢を射ってくれたんだから、想像はつくよ」

 

「ほほー? それにしては視線が泳いでますね? 心無しか額に汗まで浮かんでませんかぁー?」

 

「そ、そうか? まぁ何にせよ、そういうことさ。 ていうか、別にそんなことどうでも」

 

「いいえ、よくありません」

 

 楽しんでいる様子のルビーにやんわりと言って、話題転換を画策するも失敗。 そこでピシャリとサファイアが反論する。

 

「アーチャーにしては、あの戦い方は異質すぎます。 剣を使う弓兵もですが、投影魔術を使う弓兵などもっとあり得ません……そもそも、矢を射ったなど、いつ分かったのですか? イリヤ様があなたを助けたとき、確かに矢を射ましたが、士郎様からは見えず、その矢も剣を改造した宝具です。 そこからイリヤ様は剣しか使っていないというのに、あなたはどこで弓兵(アーチャー)だと判断したのですか……?」

 

「ぐ……!?」

 

 これは……ヤバい。 確かにアイツ弓兵なのに、弓兵らしいことはほとんどやってない。 ドジ踏んだ、間違いなく。 うっかりをやった。

 ずい、と寄ってくるステッキ二本。 ステッキに問い質されるという、とんでもなくシュールな光景に、俺は頭が真っ白になる。

 

「……ま、そんなとこだろうと思ってましたけどね。 案外早くドジ踏んでくれて助かりました。 さもなくば自白剤打つことも視野に入れてましたから」

 

「……」

 

 注射のようなものを、チラチラと見せるルビー。 ま、魔術礼装のやることじゃないだろ……つか思いっきり科学だろそれ。 魔術的にダメじゃないのか。

 だが、ルビーも気になることを言う。 まるで俺がアーチャーのことを知っているみたいな言い方だ。 ルビーと話したのは昨日と今日の二回、ドジったのは今日だけのハズだが……。

 

「お兄さんはホント嘘がつけないみたいで。 不思議そうな顔で丸わかりですよ? まぁーー宝石翁のトラップに引っ掛かってますし、普通バレませんよねそりゃあ」

 

「!?」

 

 今……ルビーは、何て、言った?

 宝石翁のトラップ。 それが分かるということは、つまり。

ーー今の俺が一体誰なのかすら、分かっているというのか?

 

「……ルビー、サファイア。 お前達、どうやって」

 

「お忘れですか士郎様。 私達の名を」

 

 名前? そんなもの当に知っている。 マジカルルビーとマジカルサファイア。 二本合わせて、

 

「……カレイドステッキ。 カレイ、ド……?」

 

「ようやく気づいたようですねー。 うんうん、ネタバラシといきましょうか」

 

 あくまでも軽く。 二人は、己の創造主を告げた。

 

「我々はカレイドステッキ。 魔法使い、万華鏡(カレイドスコープ)ーーキシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグが作りし、魔術礼装です。 当然、第二魔法は熟知していますよ、どこかの(・・)衛宮士郎さん?」

 

 瞬間。

 全てが、崩れ落ちた、気がした。

 

「……ぁ」

 

 ガラガラと。 何とか作り上げていたモノが、瓦解していく。 針で止めていた二つの人間が離れ、粉微塵になる。

……もしこの事実を、イリヤが知れば。 最悪の事態になる。 それだけは、それだけは、それだけはーー!

 

「……安心してください、士郎様」

 

 と。 サファイアが優しい声色で、瓦解する俺を繋ぎ止めた。

 

「私達は確かに感知も出来ますし、士郎様がどのような状態かもおおよそ推察も出来ます。 しかしそれを私達が、他人に、ましてやイリヤ様に伝えることはありません。 というか姉さん、士郎様をからかいすぎでは? 意地悪にも程がある」

 

「アハー。 てへっ、怒られちった☆」

 

「……………………」

 

 緊張感が独りでにノックアウトされる。 今世紀二度目のアイデンティティークライシスなのに、すぐに自己が修復されてしまった。

……遠坂じゃないが、コイツぶん殴りてぇ。 本気で。 それか叩き斬りたい。 または肉叩き器で潰したい。 俺は今それくらい、腹を立てている。

 でも同時に、安心していた。 この秘密は、一人に抱え込むにしては大きすぎる。 共有する奴はこんなんだが、居るだけでも変わってくるから。

 

「……ありがとう、サファイア、ルビー。 あと出来ればなんだけど、俺がどこの衛宮士郎かは……」

 

「えぇー? それは無理ですよー。 お兄さん、アーチャーのことを知っていたということは、少なくとも英霊に会ったことがあるんですよね? ということは、残りの英霊も何なのか分かりそうじゃないですか、展開的に」

 

「展開的ってなんだ、展開的って!?」

 

「残念ですが、姉さんの言う通りです。 残りのカードは二枚ですが、いずれも強敵でしょう。 マスターである美遊様の懸念を減らせるのなら、是非もないことです。 知らないのであれば構いませんが、知っているのなら、その際は相応の処置を取らせて頂きます」

 

 何かジャキィン!、と変形する二つの愉快ステッキ。 なんだそのアンテナみたいなのは。 あと注射も。

……本当に。 本当にこのステッキ(主にルビー)に話したくないが、何をしでかすか分からない。

  それにセイバーにアーチャーは、どちらも俺が経験した聖杯戦争の英霊だった。 ともなれば、もしやということもあるかもしれない。

 

「……分かった。 話すよ、俺がどこの衛宮士郎か」

 

「やほーい! さぁさぁ赤裸々に語っちゃってください、RECの準備は出来てます!」

 

「……RECしたら構造把握して、分解してやるからな」

 

 軽く脅して。 俺は、話した。

 まず俺自身のこと。 切嗣やイリヤのことを話すと、色々拗れそうなので後回し。 俺が話したのはどういう人生を送ってきたかということ。

 十一年前の火事。 魔術使いとして独学で修行し、巻き込まれた一年前の聖杯戦争。 俺はその聖杯戦争で勝ち残った、マスターだということ。 使える魔術についてもぼかしておいた方が良さそうなので、ぼかしておく。

 俺の話は二人にとってもかなり突拍子もないことだったのか、

 

「ほうほうほう。 つまりお兄さんは、かのアーサー王を使い魔として隷属させ、更には一級の魔術師と英霊が蔓延る戦場を勝ち抜いたわけですか……どこの主人公?」

 

「聖杯戦争……まさか贋作とはいえ、願いを叶える聖杯が実在するとは……にわかには信じがたい事実です」

 

「まぁ聖杯と言っても、アレは願いを叶えるというよりは……破滅を願うモノだったからな。 だから最後に、セイバーに破壊してもらったんだ」

 

「万能の杯なのに、思いきったことをやりますねぇ。 しかしそんなモノがあるとして、聖杯戦争の骨組みを作った魔術師は凄まじいですね。 一人どころか複数であっても、英霊を七騎も召喚するなんて魔法の領域ですよ、そんなの」

 

「……」

 

 そう。 だからこそ、それを一人では作れまい。 そう、一人ならば。

 

「……俺もそこはよく分かってない。 だけど聖杯戦争を作ったのは、その時代に存在していた魔術の名門達だって聞いてる。 それ以上は、俺にも分からない」

 

 無論、嘘だ。 俺とて、あの戦いを勝ち残ったマスター。 それぐらいは後日調べている。 と言っても遠坂に聞いただけだが。

 遠坂、マキリ、そしてアインツベルン。 その三つの家系が協力して出来たのが、聖杯戦争。 これぐらいしか知らないが、それだけ分かればこの世界のアインツベルンがどうなっているのか、予想はつく。

 聖杯戦争が無いこの世界。 そんな中で存在するアインツベルンが、魔術と関わりがないハズがない。 イリヤも恐らく、ホムンクルスで無かったとしても。

 

「ふーん、さいですか。 まぁ終わったことなら、私も深くは突っ込みませんけど。 それより!」

 

 ズビシィ、と。 何を企んでいるのか、ルビーは俺を指差してくる。

 

「今の話から推測すると、どうやらクラスカードはお兄さんの世界のモノっぽいですね。 困ったことに」

 

「え?」

 

 俺はたまらず、首を傾げる。

 いや、確かにセイバーとアーチャーは俺の世界のと同じだったけど……でもそれだけじゃ、俺の世界のモノかは分からないだろ。

 

「いえ、間違いないと思います、士郎様。 あなたの話に出てきた英霊達は、今のところ全てクラスカードとして出てきていますから」

 

「な……!?」

 

 サファイアの証言に、ガツンと頭を打たれる。 脳裏に甦るのは、あの戦争。

……まさか、まだ終わっていないのか。

 アレほど人を傷つけ、狂わせ、少なくない犠牲を経て、ようやく終わったと言うのに。 なのにアレを掘り起こして、何か計画しているヤツが居るのか。

 ぎゅっ、と抑えきれない怒りに、拳を握る。 もしもう一度アレを再現すれば、今度は。

ーーこの世界のイリヤが、犠牲になるかもしれないのか。

 

「……ふざけてる。 何かを求めて、争うだなんて。 そんなこと間違ってる」

 

「お兄さんはホント、主人公的思考をしてますねー。 こらフラグが立つわけですな、うんうん」

 

「……お前な。 もし聖杯戦争を起こそうとしているヤツが居るなら、間違いなく狙われるのはイリヤと美遊なんだぞ? そこ分かってるのか?」

 

 クラスカードをばらまいたということは、そこに何らかの目的があったに違いない。 歪みはそれの途中経過だ。 だとすればそれを邪魔し、クラスカードを手にしたイリヤ達は、真っ先に殺される。

 

「フフン、それは望むところです……と言いたいところですけど」

 

 流石のルビーもふざけられないのか。 やや真面目に、

 

「あんなものを造るバケモノだと、封印指定の執行者すら勝てなさそうですからね。 正直、今のイリヤさん達もですが、凛さん達ですらセイバーには負けましたし。 それ以上となると、もうそれは最終回補正で勝つしかないっしょ!」

 

「お前の思考はそっち寄りなんだな、ホント……」

 

「ですが本当に不味い事態になってきています。 早い内にカードを回収しなければ」

 

 ステッキ二本の言う通り。 このままでは異常に気づいた黒幕が、カードを取り返しに来る可能性も否定できない。 そうなったとき、イリヤ達が勝てる確率は……本当に無いに等しいだろう。

 だからこそ、俺は。

 

「……だったら俺が守るよ」

 

「「?」」

 

 静かに。 だが願うように。 たった一人の居場所を奪った衛宮士郎()は、ステッキ達の前で言う。

 

「俺が、イリヤ達を守る。 絶対に、死なせはしない」

 

 本当は。 エミヤシロウを殺した俺は、イリヤとその家族を守ればいい。 自分の理想など捨てなければ、その報いを受けたとは言えない。

 けれど、それでは。

 それでは何のために、今までを走りきったのか。

 

「……すっごい自信ですけど、また大きく出たもんですね。 お兄さん、自分がへっぽこだと自覚してます?」

 

「姉さん」

 

「サファイアちゃんは優しいですけど、私はこういう性格ですからね。 勝手に前に出て、死んで、守った気になられても迷惑ってもんですよ」

 

……そうかもしれない。 それと同じことを、俺は何度もしてきたのを覚えている。

 セイバーを。 遠坂を。 目の前にいる人に、傷ついて欲しくなかったから、咄嗟にこの身を差し出してきた。

 それはルビーの言う通り、迷惑でしかないのかもしれない。 自分が死にながら、他人を守るだなんて出来ないのだ。 それで俺に死なれたら、残されたイリヤ達は傷ついて、壊れていく。

……それでも。

 

「嫌なんだ。……もう、誰かがこんな馬鹿みたいなことに巻き込まれるのは」

 

 死体なんて腐るほど見てきた。

 そもそも死なんてものが生易しい地獄から、一人だけ逃げ延びてきた。

……それを見てきたら、我慢などできるわけがない。

 そんな中でも、俺を助けてくれた人は逝ってしまって。 姉同然の人すら、俺は目の前で失った。

 だったらほら。 そんなの、守るしかない。

 

「俺はもう、これ以上。 イリヤがこんなことに巻き込まれるのだけはゴメンだ。 何も分からず、殺し合いをするなんてことだけは。 絶対に」

 

 第一、似合わないだろう。

 アイツは笑って、普通のことをしてた方が、よっぽど良い……あんな風に、笑ってくれないと。

 と。 ルビーが察してくれたのか。

 

「……あえて聞きませんよ、どうしてそこまでするのかは」

 

「いや、それなら言えるよ。 単純だから」

 

 個室から出る。 俺は前だけを見て、

 

 

「ーー俺は、アイツの兄貴だから」

 

 兄貴が妹を護るのは、当然だろうと。

 かつてそうしたかった、衛宮士郎(エミヤシロウ)の願いを、口にした。

 



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二日目~日常、魔術師とは~




 あのトイレでの一悶着を終え、二本のステッキはそれぞれの家へと帰っていった。 現れた時は唐突だったが、帰るのは本当にあっさりな奴らだ。

 俺は俺で疲れる話だったので、そこからはゆったりと授業を受け、放課後まで平和に過ごせた。 眠ってしまいそうなほど退屈な時間は、久方ぶりな気がして、思わずうとうとしてしまったのは内緒である。

 さて、そんな今日も日は傾き、放課後の生徒会室。 昨日の宣言通り、俺は一成の手伝い……をしたいところだが、生憎と今日は先約がある。

 イリヤだ。 昨日の戦いのせいか、今朝から熱を出してしまい、彼女は学校を休んでしまった。 俺が見た限り、そこまで辛そうではなかったが……本人が自覚出来ていないだけで、熱はあるのだ。 心配だし、こんな俺でも居ないよりはマシだと思う。

 

「むむ……妹が風邪、とな」

 

 教室でいざ生徒会室に行こうとした矢先。 俺は、一成に切り出した。

 

「ああ。 リスト作ってもらった一成には本当に悪いんだけど、出来れば明日からにしてもらえないか? 勿論、埋め合わせならするし、無理なら良いんだけど……」

 

「……はぁ。 俺がそこまで器量の低い人間だと思っているのか、お前は。 間桐じゃあるまいし、人並みの善性は持ち合わせているぞ」

 

……慎二だって、良いとこはあるのだが。 まぁアイツの味が分かるようにならないと、その良いとこも分からないか。

 

「とにかく、そういうことなら寄り道をせずに帰れ。 埋め合わせも要らん、その代わり妹さんの側に居てやると良い。 風邪は心にも忍び寄るからな、話し相手が居るのとでは大分違う。 まぁ衛宮の家ならば、あの家政婦さん達のおかげでそういう扱いも心得ているだろう」

 

「あー……」

 

 確かに今朝、セラはそこまで慌てず、テキパキと処置をしていた。 しかし内心じゃあ、結構わたわたしてるんじゃなかろうか……何せ、セラはイリヤに対して少し過保護だ。 それに切嗣や義母さんに顔向け出来ないとか言って、切腹しそうなほど責任感が強いお人である。 まぁ家事なら俺より出来る人だ、無意識でも適切にやってくれる。

 と、そこで一成が気恥ずかしそうに。

 

「……でもまぁ、なんだ。 これはあくまで独り言だが、甘味が食べたくなるな。 新都の大判焼きを」

 

「……りょーかい。 そこら辺の話は、また今度な」

 

「おほん……ん、ではな」

 

 そう言って教室で別れると、俺は一成と約束した通り、寄り道をせずに真っ直ぐ下駄箱へと向かうため、廊下を歩き出す。

 この世界の穂群原も元の世界と変わらず、部活動は活発であり、その中でも運動系は功績も残しているため、練習も激しい。 しかもインターハイが近いこともあるのだろうか、運動系の部活動は皆ピリピリしている。 こりゃ練習にも熱が入るだろう、ほら、こうして廊下からも声が、

 

「……んん?」

 

 何故だろう。 今日は晴れている。 そりゃあもう、これ以上ないほど快晴だ。 こんなときに運動系の部活動の声、ましてや誰かが走り去ろう音など、廊下から聞こえなーー。

 

「どけぇえええええええええいっ!!」

 

「プァッ!?」

 

 一階に繋がる階段への、曲がり角。 そこで首を傾げていると、ドゴン、と走ってきた誰かと衝突した。

 

「おわぁっ!?」

 

「ぐぇぇぇぇ……!」

 

 まるでアメフトでもしているかと言わんばかりの、見事なタックルは、俺の肩にタッチダウン。 たまらずその誰かと揉みくちゃになり、数メートルも後ろの壁に激突した。 潰れたカエルのような声を出してしまうのも、仕方ない。 その誰かを庇うため、咄嗟に身体を入れ替えたのだから。

 

「いってぇー……あ、おいおい大丈夫か!? 何かこう、牛の鳴き声みたいな声出してるけどーーうげげ、衛宮」

 

「……人に殺人級の捨て身タックルを食らわせといて、うげとはなんだ蒔寺」

 

 やや本気で睨む俺を見て、更に顔をしかめるのは、蒔寺楓。 陸上部所属の体育系女子かと思いきや、見ての通り第二の珍獣、冬木の黒豹の名を自称する、暴走系女子である。

 蒔寺はぴんぴんした様子で、ひょいと立ち上がり。

 

「べっつにー。 なーんだ衛宮か、謝って損した」

 

「損したとはなんだ、損したとは。 というか、廊下を短距離走みたいに走る奴なんて、お前ぐらいだぞ」

 

「ほほう? それはあたしが中距離だと知っての言葉か、衛宮! あたしはいつでも、走るときは中距離気分だっての!」

 

 そんなことは知らないし、廊下は歩くモノである。 俺も制服についた埃などを叩きつつ、立ち上がる。

 

「……まぁ良いや。 あ、そういやお前、結構急いでたけど何してたんだ?」

 

「ん? えーと、それはだな……ふむ」

 

 腕を組んで、シンキングする黒豹。 しかし長引けば長引くほど、蒔寺の表情は固くなっていく。

 

「……おいまさか」

 

「あー、まぁなんだ。 人ってのは、過去を振り返らず、前だけ見て生きていくんだぜ、衛宮?」

 

「忘れたって正直に言えば、俺もこの拳骨を振るわずに済むのに」

 

「さっきので忘れましたブラウニーさん! だから頼む、拳骨はぁ! 拳骨だけはやめてくれぇ!」

 

 ひー、と頭を押さえる蒔寺に、たまらずため息を溢す。 無論冗談なので拳骨は握っただけだ。 女の子は例え珍獣でも傷つけるべからず。

 

「なら早く、グラウンドに戻ったらどうだ? もうすぐインターハイ近いんだし、部活中断して校舎に居るんだろ?」

 

「いやぁ……先輩に言われてここに来たんだけどさ、その先輩がせっかちでせっかちで。 そりゃあもうこのあたしが太鼓判押すぐらい。 だから忘れましたー、なんて言って戻ったら、ぶっ飛ばされるね。 間違いなくお前も」

 

「……何故に俺まで」

 

「言っとくけど、忘れたのはお前のせいだかんなっ! あたしが事情を話しちまえば、お前も道連れってわけさ! だから助けてよースパえもん!」

 

「人を便利ロボット扱いするなっ!? ええい、離れろこのポンコツ! 俺だって予定の一つや二つあるんだぞ!?」

 

「良いんじゃんかよー! 固いこと言うなよー、なぁ!」

 

 ギャーギャー言い合ってみるが、事態は進展しない。 むしろドンドン悪化している。 あの蒔寺をここまで怖がらせる先輩とやらも恐ろしいが、何よりこんなタイミングでフリーズしたパソコンよろしくメモリ(記憶)がぶっ飛ぶ蒔寺は、人間としてヤバい気がする。 社会は本能で生きていけるほど、甘くはないのだぞ、黒豹。

 

「……追いかけてみれば、何を廊下で抱き合っているんだ、二人で?」

 

「うわぁ……蒔ちゃん、意外に大胆……」

 

 たんたん、と階段を上がってそう言ったのは、蒔寺と同じ陸上部員の氷室鐘と、三枝由紀香だ。 恐らく蒔寺一人では心配だと、二人がついてきたのだろう。

 

「助かった……なぁ氷室、三枝。 頼む、コイツを今すぐ引き剥がしてくれ。 そしてそのまま速やかにグラウンドに放流してくれると咽び泣く」

 

「もう少しその面白い状態を見ておきたいんだが……こちらも、余り長い時間グラウンドを離れては、あらぬ疑いをかけられる。 任された。 由紀香は先に所用を頼む」

 

「う、うん。 ごめんね、衛宮くん。 蒔ちゃんが」

 

 申し訳なさそうに目を伏せる、三枝。 流石は周りをほんわかさせる天才。 そんな顔をされると、まるでこちらが悪いような感覚に陥ってしまう。

 

「気にするな、別に何か不利益なことがあったわけでも……って、おい蒔寺、いい加減お前は俺から離れ、ぐふぉっ!? おま、腹にコークスクリューはやめろって……!」

 

 結局、氷室が蒔寺の首を鷲掴みにするまで、蒔寺の暴走は止まらなかった。

 ちなみに蒔寺が言っていた用事とは、顧問から補充された、備品の所在を聞きたかったらしい。 そんなことすら忘れる蒔寺楓は、やはり未来に生きているのかもしれぬ。 過去に居なかったという意味で。

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

 

 家のドアを開ける。 中で迎えるのは、俺の知る暗めの長い廊下ではなく、明るいフローリングの廊下だ。 しかも短いとまでは言わないが、確実に衛宮の家と比べて規模は小さい。 ここでの生活はまだ二日目だが、エミヤシロウの記憶のおかげで混乱せずにいられる。 何せこんなモノ、少し厳格な衛宮の家と違い、余りに親しみがありすぎる。 魔術師たるもの、俗世と関わるなとは言わないが、これでは自身の工房へ招き入れ、魔術を見せびらかすようなモノだ。

 だが生憎とそんな心配はないし、俺も衛宮の家に不満はないが、やはりこういう家は憧れる。 目を閉じてしまいそうなほど眩しく、きっとこれ以上なく、俺には似合わないだろうから。

 

「オッス、おかえりー」

 

 そう考えていた俺の前に、アイスを頬張るリズが。 この家の住人で誰よりもラフな格好の彼女を見ると、否が応でも苦笑してしまう。

 

「ん、ただいまリズ。 今日の晩飯、セラは何作ってた? 暇だし手伝おうかと思うんだけど」

 

「それは止めといた方が良い。 セラ、士郎が弓道部を辞めたせいで機嫌悪いから。 それでも突っ込むのなら、私は止めない。 がんば、わこうど」

 

「……あー」

 

 ぐっ、とアイスを持ってない左手で、拳を作るリズ。 それに渋面を作りつつ、頬を掻いた。

 そういや、昨夜も今朝も、こってり絞られたっけ……。

 

ーーどうして弓道部を辞めるのです!? 長男であるあなたがそんなにフラフラしていては、これから部活動をするであろうイリヤさんに示しが付かないではありませんか! お兄ちゃんも途中で辞めたしなら私も辞ーめよとか言われたら私は奥様達になんと……うごぁーっ!!

 

 と、やや錯乱されたところで、その後の記憶はない。 その場を見たリズ曰く、

 

ーー見事な回し蹴りだった。 隊長も喜んでる、ビクトリー。

 

 らしい。 全く意味が分からないのだが、とにかく側頭部から自己主張してくる、この見知らぬタンコブが鍵を握るのは間違いない。

 

「……そんなに辞めたらダメかなぁ。 いや放り出すのがダメなのは分かるけど、俺だってやりたいことを見つけたしさ。 弓道は武芸でも、精神に軸を置いた競技なんだ。 半端者が弓を持っても、それはいつか自分に痛い返しが来るし、そんな精神で俺は弓を持ちたくない」

 

「心構えは結構。 でも、セラが言いたいのは、士郎が弓道部に居るのが楽しそうだったから、それを手離してほしくないだけ。 弓を手入れしてる士郎、私から見ても楽しそう。子供みたいにウキウキしてた。 きっと、怒ったのはセラなりの気遣い。 士郎にもイリヤにも、幸せでいて欲しいから」

 

「……むぅ」

 

 それは考えなかった。 エミヤシロウは弓が好きだ。 しかし同時に一年以上一緒に居た弓道部の部員も、大切な存在なのだ。 恐らく、弓が好きな理由の中に、少なからずその存在が加味されている。 勿論俺にとって、彼らは大切な存在ではあるがーーそれがこの目標と天秤にかけられれば、それはたちまち目標へと傾くだろう。

 

「……セラって、ホント素直じゃないんだな」

 

 そう小さく呟くと、リズはアイスを咀嚼しつつ、

 

「王道なツンデレ。 あそこまでだと、むしろ素直の分類かも」

 

 と、わけの分からん見解を出した。

……確かに何の相談もなしに辞めたのは、少し軽率だった。 もう俺は、一人ではないのである。 何でもかんでも自分で決めるのではなく、まず家族に頼る、というところから覚えなくては。 怪しまれないためにも。

 

「……とすると、イリヤの様子でも見に行ってた方が良さそうだな。 二階か?」

 

「一応。 でも、もう熱は下がってる。 行くなら今がチャンス」

「分かった。 おっと、その前に……」

 

 思わず忘れるところだったが、帰ってきたのなら、怒っている彼女にも言わなくてはならない。

 リビングからひょい、と顔を出してみると、そこには手際よく晩飯の準備をするセラが居た。 俺はリビングの入り口から、

 

「ただいま、セラ」

 

「……お帰りなさいませ、士郎。 言っておきますが、手伝いは」

 

「分かってる。 今日の当番はセラだもんな。 セラに全部任せるよ」

 

「当然です、家政婦の仕事をその家の長男が手伝うなど、私達の立つ瀬がありませんから……む、まだ何か?」

 

 『さっさと休め』とも言いたげな口調、なのか? 少しずつだがセラのことを理解してきた……んじゃなく、分かりやすい見本が居たおかげだな。 何処ぞのあかいあくまさんには感謝しよう。

 

「いや、用ってほどのことじゃない。 ただこれだけは言っとこうと思って……弓道部、何の相談もなしに辞めて、悪かった。 別に苛められたとか、全くそんなんじゃないんだ。 ただやることが出来て……でも、セラを心配させちゃったよな。 これからは事前に相談するから、それで許してもらえない……でしょう……か……」

 最後が尻すぼみになったのは、セラが野獣もかくやという眼光で、俺を睨み付けたからである。 しかしセラはすぐに大きく嘆息し、

 

「……分かればよろしいのです。 私とて、無闇やたらに怒るわけではありません。 これも全て、あなた方がより良い生活を送れるように」

 

「?……つまり、心配だったんだろ? そんなに詳細に言わなくても、俺達家族なんだし、素直にそう言ってくれれば」

 

「お黙りなさいっ!! 今私なりに言ってるでしょう、この唐変木!」

 

 顔を真っ赤にして、うがぁーっ!!、とキッチンで怒鳴る家政婦さん。 うぅむ……まどろこっしいというか、一度ヒートアップすると止まらない所まで遠坂に似なくて良いのになぁ……。

 

「……良からぬことをお考えでしょうが、これ以上は無駄だと分かりきってますね。 良いからイリヤさんの様子でも見に行ったらどうです?」

 

「りょーかい。 大人しく行くよ」

 

 興奮冷めならぬセラにそう言って、二階への階段を上る。上がった先は、コの形で幾つもの部屋が広がっており、俺はその中の一つ部屋の前に止まると、声をかけた。

 

「イリヤ、居るか?」

 

「……あ、お兄ちゃん? う、うん、ちょっと待ってて!」

 

 何をしていたかは知らないが、ドタンバタンと騒々しい音が廊下まで聞こえてくる。 大方、漫画でもぶちまけていたのだろう。 家族に汚い部屋を見られるのは、中々に恥ずかしいし……いや、若干一名ガラクタを増やす天才も居るが、それはまた別の話か。

 

「よし、よし……良いよ、入っても!」

 

 イリヤの許しを得て、俺は部屋に入る。

 我が妹の部屋は、セラのお掃除スキルもあってか、本当に綺麗だ。 淡いピンクのベッドに、ぎっしり入った本棚。 学習机は新品のようにピカピカで、床は勿論、窓のサッシも埃の欠片すら見当たらない。 何ていうか、ここまで綺麗にされるのも使う方も気を使ってしまう。

 で、肝心のイリヤは、ベッドの上で、ちょこんと座っていた。 熱は本当に下がったようで、顔色もよくなってるし、瞳もしっかりとこちらを見ている。彼女は眉間に困ったような表情を作り、

 

「……どうしたの、いきなり? お兄ちゃんから来ること、あんまり無いよね? もしかして……」

 

「ああ。 ちょっと、そっち方面の話をな」

 

 そっち方面とは無論、魔術のことだ。 イリヤもルビーを通し、俺のことは聞いているハズだが。

 イリヤの表情が陰る。 あの表情は、申し訳なく思って、怒られる準備をしている顔だ。 そんな顔なんてする必要ないのに。 だからすることなど、決まっている。

 

「ま、なんだ……巻き込まれはしちゃったけどさ。 イリヤが何もなくて、良かったよ」

 

「へ?」

 

 歩き、ベッドの端に腰掛ける。 ほぼ横で目をパチパチと動かすイリヤに、俺は。

 

「相手は、英霊の現象なんだって? そんなムチャクチャな奴相手に、よく生き残ったモンだよ。 俺だったら、五秒持てば良い方」

 

 肩を竦めて、笑ってみる。 しかしイリヤの顔は、呆けたままだ。 む、渾身の自虐がこうも空振りとは……今でもセイバー達に勝てはしないものの、あの現象なら無理をすれば足止め、または刺し違えるぐらいは可能である。 それも廃人になることを引き換えにすればの話だが。

 と、イリヤは、疑問に思っていたことを、口にする。

 

「……怒って、ないの? 私が、あんな危ないことしてたのに」

 

「怒ってないわけないだろ、馬鹿」

 

「ひゃっ!?」

 

 油断しきったイリヤのおでこ。 熱を冷ますシートが貼られたそこを、こつん、と小突く。

 たまらず、おでこを押さえて、うー、と唸るイリヤ。 それだけで、本当にイリヤがここに居るのだと分かり、頬が弛む。

 

「怒ってるけど、それ以上にイリヤが無事だったんだ。 黙ってたことには怒るし、頼ってくれなかったことにも怒るけど。 それでも、イリヤはここに居る。 それだけで、怒る理由は無くなったよ」

 

 怒るのも、叱るのも。 そんなこと、親の居るイリヤにはしてくれる人が大勢居る。 兄貴の役目は、叱られた後、そんな妹を慰めることだ。 一緒に立ち上がって、これから頑張ろうと言う気持ちにさせることなのだ。

 

「……ごめんなさい、心配かけて」

 

 イリヤが頭を下げる。 そんな分からず屋の頭に、俺は手を置いた。

 

「だから、怒ってないってば。 これからは、俺も一緒に戦うんだ。 イリヤ達だけに、戦わせはしない」

 

「お兄ちゃん……」

 

 わしゃ、とその頭を撫でる。 潤んですら見える瞳に見つめられ、少し気恥ずかしくなったが。

 そこでイリヤが、うん?、と首を傾げた。

 

「……一緒に、戦う?」

 

「おう。 具体的には、後方支援になるだろうけど。 カレイドステッキ達に聞いたけど、魔法の使い手が作成した礼装なら、英霊相手に真っ向から立ち向かえるよな」

 

「いやいや待って、ちょっと待って。 え、戦う? お兄ちゃんが? え、えっ? でもお兄ちゃん、一般人じゃ……」

 

……あの愉快ステッキ。 心の中で歯軋りするが、俺は構わず、告げた。

 

「うん、言っておくけど。 俺、魔術師なんだ」

 

「……えぇっ!?」

 

 あ、これちょっと爺さんぽかったかも。

 俺は遠い目でそれを確信しながら、イリヤの質問責めを受けた。

 

 

 

 

 

 

 

……さて。 イリヤの質問責めも終わり。 後は鍛練して寝るだけ……かと思っていたのだが。

 

「あ、今日カード回収やるから、リンさん達にも紹介しないと」

 

……それは、まさに認識外のジャブだった。 まさに葛木の蛇に匹敵する、見えているのに見えない攻撃だった。

 イリヤ曰く。 やはりというか、この世界の遠坂も頼りにはなるが揉め事も多いらしく、そもそもイリヤがこのカード回収とやらに巻き込まれたのも、半分は遠坂ともう一人の魔術師のせいなんだとか。 詳しいことを聞きたいが、こんな時間に出歩くには、セラの目を誤魔化す必要がある。 しかし夜になってからいきなり合流したとしても、あの遠坂が納得するとは思えない。

 そんなときに、である。

 

「それでは私のひみつ道具……もとい、シークレットデバイスを発動しましょー!」

 

 妹を魔法少女にさせた元凶が、そう羽を揺らしながら言ったのは。

 

「……しーくれっと、でばいす……???」

 

 シークレット、は分かる。 しかしデバイスとは何だ。 この世界の科学と俺の世界の科学は、少しばかり時代に差があり、今やブルーレイや4Kテレビなどが当たり前の世界である。 正直に言って、ある程度なら何とかついていけるが、説明書が無いとちんぷんかんぷんなのが俺だ。

 で、デバイスはまぁ、意味が分からなくもないが……。

 

「はぁいはい。 ポンコツお兄さんは置いといて、平たく言えばテレビ電話ですね。 私がアンテナを伸ばせば、あら不思議。 サファイアちゃんと電話が出来るんです!」

 

 むふー、と自慢げに言うが、頭に生えたアンテナがうにょうにょ動かれると、こうも嫌悪感を抱くのは何故か。 恐らく第一印象が最悪だったからだろう。 高性能なのがそれに拍車をかける。

 

「えと、一応昼間にミユと出来たから、信じて良いと思うよ? まぁ色々と、信じたくないのは分かるけど」

 

 イリヤの悟った表情で、こちらもその苦難を悟れるモノだ。 とりあえず。

 

「分かった。 なら頼む、ルビー。 遠坂じゃない方……ええと、誰だっけ?」

 

「金髪なら、ルヴィアさんのこと?」

 

「そうそう。 その人に、挨拶しないとな。 俺も聞きたいことがあるし……」

 

「了解です! では……届け、私の想い! ラブラブエッサイム!」

 

 ガシャン、と音を立てて、向かいの豪邸ーー何でも協力者の一人がこのためだけに建てた別荘ーーに居る、サファイアと連絡を取るルビー。 一秒にも満たない空白の後、声は返ってきた。

 

「……今度はどうしたんですか、姉さん?」

 

「あ、サファイアちゃん? ごめんなさい、今日のカード回収で協力者が一人増えるんですけど、顔合わせをしといた方が良いだろうと思いましてねー。 ルヴィアさん居ます?」

 

「ええ。 ルヴィア様は勿論、遠坂様も客間に居る。 私達も廊下で控えてるから。 美遊様、お聞きになりましたか?」

 

 美遊ーー昨日守ってくれた、あの少女か。 と、そこでルビーが空間に、豪邸の様子を映した。

 

「……うん、聞いた。 でも、協力者って? この町に魔術師、は……?」

 

 そこに、居たのは。

 豪華絢爛な廊下。 様々な高級品が立ち並ぶ中、サブカルな改造をされていない、本場英国式のメイドさんだった。

 

「……えっ」

 

 いや、少し違うか。 英国式と言っても、それを着ている人物は純日本人だ。

 美遊・エーデルフェルト。 まだイリヤと同学年のハズの彼女。 その無邪気な年頃の美遊が、何故そんな格好をしているのか。

 

「あ、え……えぇっ!? い、イリヤに、おっ……し、士郎さん!?」

 

「あれ? ミユ、お兄ちゃんのこと知ってたんだ。 じゃあ紹介しなくて良いね」

 

 平然としてるイリヤとは裏腹に、やはり男慣れしてないのか、美遊はあたふたと胸の前で手を振る。 可愛らしいことこの上ないのだが、こうもされるともっともっと、となってしまうのは……うぅむ。 何か越えてはいけない一線を越えてしまいかねんな、この可愛さは。

 

「む……」

 

「おぶぁっ!?」

 

 ゴズン、と鳩尾に肘をキメてくるのは、むすーとしたイリヤ。 何か知らんが大変ご立腹なのは困る、こんなモン食らわされる覚えはないぞ!?

 

「な、なして肘鉄……!?」

 

「べっつにー? ふんっ」

 ぷい、とイリヤが顔を背ける。 これは下手に触らぬが吉。 とりあえず今も固まった美遊に、一声。

 

「ごほ……き、昨日はありがとな。 君が居なかったら、危うく死ぬところだったよ」

 

「……い、いえ。 えと、士郎さんこそ、本当に何も無かったんですか……?」

 

「おう。 一応鍛えてるからな、怪我もそれなりに慣れてるし、イリヤが無事ならそれで良い」

 

 とにもかくにもだ。余り長い時間イリヤの部屋に居ては、セラにあらぬ疑いをかけられる。 ここは手短に済ませたい。

 

「アポなしで、更には映像越しで悪いけど、こっちも忙しくてな。 このまま、遠坂達と会いたいんだけど……大丈夫か?」

 

「は、はい。 ちょっと待っててください、確認しますから」

 

 そう言って、真後ろの扉へ振り返る美遊。 そのまま扉を数回、ノックした。

 

「ルヴィアさん、今、少し良いですか?」

 

「美遊? ええ、よろしくてよ。 入りなさい」

 

 失礼します、と美遊が扉を開ける。

 部屋は、廊下と比べ、もう一段グレードがアップしたかのような豪華さだった。 天蓋付きのベッド、恐らくこの家の当主達だろう人物が、並んだ絵画。 部屋を横断するテーブルはとても長く、また綺麗に磨かれている。 椅子も同様で、これら全部がマホガニーで作られているとしたら、相当な値段だろう。 そんなモダンな雰囲気をぶち壊すように、安物のホワイトボードの前に、彼女達は居た。

 一人は、俺も形は違えど知る、遠坂凛。

 そしてもう一人が、この家の主ーールヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 

「ほう……用件はそれ、ですわね。 美遊?」

 

 腕を組み、丁寧に編まれた金髪を揺らすルヴィア。 それに美遊が頷き、サファイアを前に差し出して、映像を近くに寄せた。

 さて。 相手は遠坂とは違う、カチカチの魔術師……礼節は勿論、こちらが魔術師と来れば、何も知らなかったイリヤには見せなかった顔を、出してくるかもしれない。

 ここが一番大事だ。 俺は言葉を選びながら、口を開いた。

 

「こんな形の挨拶になって、済まない。 本当は面と向かって話したかったんだが」

 

「構いませんわ。 魔術師が相手の工房、ましてや家へ、挨拶をするためだけに訪ねるなど、あり得ませんもの」

 

「……そう言ってくれるとありがたい。 俺は衛宮士郎、イリヤの兄で魔術師だ。 協会には属してない」

 

「ではこちらも。 私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。 誇り高き魔術の名門、エーデルフェルトの当主にして、我らが大師父からカード回収を任された一人ですわ。 よろしくお願いしますわ、ミスタ・エミヤ」

 

「……お、おう……よろしく」

 

 もっと横暴に来るかと思いきや、ド丁寧に返されてちょっとビックリしてしまう。 というか、ミスタなんて呼ばれ方、どうもむず痒いな……。

 

「……あのさ」

 

「? 素性については、これで全て話しましたが? 他に何か?」

 

 眉を顰める彼女。 どうも、魔術師である俺を少しは警戒しているらしい。 考えようによっては、イリヤのことを知りながら、それを放置していたと思われても仕方ない身分だ。 だが俺としては、取って食うわけでもないので。

 

「いや、妹が世話になったんだし、失礼だとは思うんだが……そんな畏まらなくてもいいぞ? 歳も一緒だろうし、何よりミスタなんて呼ばれ方、なれてないからさ。 エーデルフェルトが呼びやすい呼び方で良いよ」

 

 ぽかーん、と面食らうエーデルフェルト。 その横では俺のことを知らないハズの遠坂が、見慣れた呆れ顔を作っている。

 

「……言ったでしょ、ルヴィア? コイツ、あんなことやってたんだから、相当な奴だって。 まぁわたしもわたしで想像以上だったから、ちょっと混乱してるけど」

 

「……貴女の言う通り、というのがどうにも気に入りませんが……少しよろしいかしら、ミスタ・エミヤ?」

 

「???」

 

 何だろうか。 俺が首を傾げてみると、エーデルフェルトが質問する。

 

「私達は確かに、美遊やイリヤスフィール達に甘んじている身分です。 しかし元来、私達魔術師は孤独であり、こうして手を取り合うことは無論、己が魔術を研鑽するためだけに存在している……それぐらいは、あなたも分かっているでしょう?」

 

「あぁ、知ってる」

 

「ならば何故、馴れ合おうとするのです? カード回収も残り二枚。 それが終われば、私がこんな島国の大地を踏むことは、もう二度とありませんわ。 それでも関わろうとするなど、この国で言うお節介でしょう? 何を考えているかは知りませんが、魔術師が俗なことに囚われれば、早死にするのは目に見えてますわよ?」

 

 傲慢な物言いだ。 イリヤと美遊に任せておいて、ここまで言えるとは、素の遠坂以上ではないか? しかし何故か。その言葉が、とても優しい言葉に聞こえてしまうのは。

 相変わらず腕を組んだままのエーデルフェルトに、真っ直ぐこの想いをぶつける。

 

「……確かに魔術師ってのは、偏屈な奴らが多い。 俺が出会ってきた連中は輪にかけて可笑しかったけど、それでも俺みたいな奴は居なかったし、むしろ勝手な奴も多かった。 でも」

 

 そう思うのであれば、彼女は何も言わず、俺を無視すれば良い。 死にたがりな奴のことなど、勝手に死なせれば良いのだ。 現に俺が会ってきた魔術師、サーヴァント達は、殺し合いで無防備な俺を優先的に狙ってきた。 そして殺さなかった奴は、大抵。

 

「俺はそれでも、エーデルフェルトや、遠坂みたいに、良い奴とは仲良くなりたい。 これは俺の我が儘かもしれないけど、それが間違ってるとは思わないから」

 

 エーデルフェルトが口をつぐみ、目を閉じる。 その表情から、感情を読み取ることは出来ない。 代わりにエーデルフェルトは、ずんずんとこちらに歩み寄る。 映像越しであっても、その迫力は十分で、思わず後退りしそうになった。

 怒鳴られる。 そう、覚悟したとき。

 

「……素晴らしい」

 

 そんな、感嘆する声が聞こえた。

 

「え」

 

「……何て素晴らしい考えなのでしょう。 無駄で、魔術的論理もなく、誇りもない。 しかしそれでいて、あなたのその心は、無意味ではありませんわ」

 

「は、はぁ……」

 

 えーと……つまり?

 

「……すまん、エーデルフェルト。 もっと分かるよう言ってほしいんだが」

 

「そんな他人行儀な呼び方は、紳士ではなくてよ。 ここは親愛を込めて、ルヴィアとお呼びくださいまし。 私もあなたのことは、シェロと呼ばせてもらいますので」

 

「シェロって……? お、俺のことか?」

 

 アダ名……なのか? ずずい、とサファイアに近づくエーデルフェルトーールヴィアは、そのままこう言った。

 

「ええ、勿論。 恥ずかしい限りですが、私も男性の友達というのは中々居ないモノですので……ですからシェロ、友達からで良ければ」

 

「……アンタがしおらしくやっても、キモいだけよ」

 

「お黙りなさいっ、遠坂凛!? 貴女、もう少し慎みを覚えたらどうですの!?」

 

「アンタに言われたかないわよ。 人にあとみっく、ばすたーだったかしら? そんな得たいの知れない技を食らわすような奴に」

 

 映像の先で、何やらギャーギャー言い出したかと思えば、そのまま掴み合いになる二人。 こう言ったら怒られるだろうけど……二匹の猫が威嚇し合う光景を連想させる。

 

「……リンさんとルヴィアさん、ああなったらもう止まらないよ、お兄ちゃん。 ひとまず挨拶なら、これぐらいで良いんじゃない?」

 

 そしてこれを見てもこんな反応する辺り、イリヤも相当あの二人に慣れているようだ。

 

「そうだな、そろそろセラが呼びに来そうだし、後でまた話すとするか。 じゃ、二人によろしく頼む、美遊」

 

「はい。 また後で、士郎さん」

 

 ぶつん、と途切れる映像。 たまらず ふぅ、と息を吐いて、視線を下に落とすと、イリヤと目が合ってしまって、くすり、と笑う。

 

「騒がしい奴らだな」

 

「うん。 ちょっと、暴走するのが玉にキズだけど……でも頼りになる人達なんだよ、ホント」

 

「性根はさておき、実力は確かですからねぇ。 二人がかりでも、英霊相手に足止め出来るんですから」

 

 と、イリヤの顔から笑みが消える。 それは何かを思い出したようで、イリヤは続けてこう言った。

 

「……ねぇお兄ちゃん。 一つ、聞いても良い?」

 

「ん……良いけど」

 

「じゃあ、一つだけ……お兄ちゃんはどうして、私に付いていこうと思ったの? 昨日セイバーと戦ったなら、分かったでしょ? どれだけ大変で、危険か」

 

 そんなことは前から知っている。 一度は死んだ身だ、記憶で、というよりは、身体がその辛さと怖さを覚えている。

 それでも、戦うのはきっと。

 

「……決まってるじゃないか」

 

 昨日と同じように。 イリヤの頭に手を置いて、俺は改めて言い聞かせる。

 

「俺は兄貴だから。 イリヤを守る、そう決めたんだ。 ずっと前に」

 

 君が俺の前から、居なくなってから。

 後の言葉は言わないで、俺は窓に視線を向けた。

 

 夜が更ける。

 

 戦いは、近い。

 



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二日目~VSアサシン、イリヤの力~

ーーinterlude 2-2ーー

 

 

 体の調子は、すこぶる良い。 これならばカード回収であっても、美遊に遅れを取ることはないだろう。 イリヤはカード回収の集合場所へ向かいながら、それを確信していた。

 昨夜のセイバー戦。 その際に自分は、いつの間にか倒れてしまい、そのままカード回収は終わってしまった。

 そして今日になってみれば熱を出してしまい、一日寝込んでいた。 と言っても、半日程度で治ったのに、セラに無理矢理ベッドに放り込まれていたわけだが。

 見舞いに来てくれた美遊の話だと、結局セイバーを倒したのは美遊らしい。 あのセイバーを倒すなんて、と美遊の力に尊敬こそすれど、反対にどうして自分はいつもと思ってしまうのは、子供だからか。 一体どうやって倒したのか気になるのも、それが起因しているのだろうか。

 だが、そんなことを言っていられる余裕はない。 何せカードは残り二枚。 そのどちらもセイバーに匹敵するかもしれない可能性は、否定できないのだ。

 それに、と。 イリヤは隣で、無手のままいつもの格好で歩く兄ーー衛宮士郎を盗み見る。

 どういうわけか。 昨日のセイバー戦で発覚したことだが、兄である士郎は、実は凛達と同じ魔術師だったのである。

 これには数々の不思議体験をしてきたさしものイリヤも、違うベクトルの驚きを禁じ得ず、それはもう質問責めをした。

 何で黙っていたのか、魔術を使えることはセラ達や両親は知っているのか、どんな魔術が使えるのか等々。 少し好奇心があったが、概ねこんなものだ。

 で、士郎の答えもまた大雑把なモノだった。

 

ーーそりゃあ、魔術は秘匿するものだからな。 だからセラ達どころか誰も知らない。 あとそんなキラキラした目をされても困る、へっぽこだし。

 

……それは余りに過小評価しすぎでは無かろうか。 イリヤの第一声がそれだ。 自慢ではないが、確かに兄はお世辞にも頭が良いとは言えない普通の成績ではあっても、こと作業に関しては一級だ。 その集中力などは、魔術に繋がらないのか……?

 その話の後、何か悔しくてルビーに兄の魔術師としてのランクを尋ねたが、結果は言うまでもない。 学校風に言うのならば退学モノらしく、ルビーも半ば呆れて。

 

ーーいやはやお粗末というか、独学でもあそこまで酷いと芸術ですね。 リアルだとナイトタイプでしょうか?

 

 と、辛辣な評価を下していた。 何だリアルだとナイトタイプって。 イリヤはそう突っ込む気力も失せたが、だからこそ一つだけ不安要素がある。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

 

「ん、どうしたイリヤ、不安そうな顔をして? もしかして風邪がぶり返したか?」

 

「いやそうじゃなくて……お兄ちゃん、まじゅつれいそう、だっけ。 それ持ってないの? 凛さん達なら宝石を持ってきてるけど、お兄ちゃんは何か持ってるように見えないし……」

 

 士郎は何も持っていない、所謂無手だ。 シャツとジーンズという服装故に、ポケットに入るにしても膨らんではいないため、本当に何も持っていなさそうなのだ。

 凛やルヴィアという一級(と聞いている)の魔術師ですら、宝石を使わないと英霊相手に戦えない。 ましてや士郎はへっぽこ、本当に何も持たずに支援が出来るのか?

 イリヤの問いの意味に気づいたのか、士郎が自身の頭をトントン、と指で突っついて。

 

「俺は正直、魔術が使える剣士とか、弓兵みたいなものなんだ。 だから魔術礼装ーーというか、触媒なんて一度も使ったことはないし、そもそも遠坂達みたいな魔術は使えない。 まぁ一応準備は頭で(ここで)してるから、イリヤは自分のことだけ考えれば良いさ……というか、そもそも英霊に張り合おうとする遠坂達やイリヤ達が可笑しいんだからな? そこは自覚してくれ」

 

「へぇ……」

 

 魔術師も色々あるんだなぁ、と一人感心するイリヤ。 イリヤのイメージでは魔術師とは、凛達のように何らかの小道具を使って炎やら風やらを作り出すモノだとばかり思っていたので、少し意外なのだろう。

 そこでイリヤの肩辺りを浮かんでいたルビーが、

 

「まぁ素行や性格はさておき、凛さん達相手だと、どんな魔術師でも霞んでしまいますからねー。 素行や性格はさておき。 でもお兄さん、武器もなしにどうやって戦うんです? 剣士も弓兵も、丸裸だとただのすっぴんですけど?」

 

 と、皮肉をこめて言う。

 

「すっぴんは何も化粧をしてないことだろ……まぁでも、そこも含めて俺に任せとけ。 ちゃんと考えてあるから」

 

「ホント自信に満ち溢れてますね。 初心者(ニューピー)かと思いきや、その実お兄さんベテランだったり?」

 

「そういうことにしておいてくれると、大変助かる。 すぐボロが出るだろうけど」

 

 それにしても。 イリヤの気のせいか、士郎とルビーの仲がとてつもなく良い気がする。 そもそも兄はお人好しではあるが、そこまで中心になって騒ぐような人でもないし、ルビーとはまだそこまで話していないハズだが。

 と。 ルビーが目敏く、イリヤの感情を読み取ったのだろう。

 

「どうしましたー、イリヤさん? お兄さんと仲良くさせてもらってますけど、何か気になりますー?」

 

「!?」

 

 等と、ド直球で尋ねてきた。

 イリヤはびくっ、と一瞬身体を震わせたが、すぐに鼻を鳴らす。

 

「……べっつにー。 お兄ちゃんが愉快礼装と仲良くしようが関係ないし」

 

「おお、魔法少女からのツンデレ、頂きましたっ♪ どうですお兄さん、グッときません!?」

 

「いや同意を求められても困るんだが……兄的に」

 

「根も葉もないこと言うの止めてくれない!? やんわり受け流されてショックなんだけど!?」

 

 軽いジャブのような攻撃も、兄から繰り出されれば全力ストレートだ。 そんなイリヤを知ってか知らずか、士郎は前へと向き直して。

 

「……もうちょっと歩くスピードを速くするか。 遠坂は待たせると、結構イライラするタイプだろうしな」

 

「うん……否定出来ない。 むしろ頷けるんだけど、お兄ちゃんのその何気ない優しさに傷つくよ……」

 

 伏し目がちに言うものの、イリヤは気持ちを切り替える。

 今宵のカード回収も、あと少しで始まるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 体が現実から、鏡像へと降り立つ。

 

「……んん」

 

 ぐるり、と軽度の目眩が襲うが、少しだけ頭を振るとそれも消えてなくなり、俺は目を開ける。

 冬木市の郊外で離界(ジャンプ)して、鏡面界に入ったが……今回出たのは、森の中だった。

 ジャングルというより、雑木林に近いかもしれない。 適度に見える空は、相変わらずあり得ない鏡のようで星のように輝いている。 それはさながら、この空間そのものが存在してはならないもののようにも見えた。

 さて。 そんな風に鏡界面を眺めていたのだが、遠坂は俺達に確認する。

 

「それじゃあ初めての人も居るから、確認するけど。 基本的に英霊は、イリヤと美遊の二人に任せて、私とルヴィア、衛宮くんは待機。 まぁ時と場合によるけど、巻き込まれないようにしなきゃね。 分かったかしら?」

 

「ああ。 俺だってそれは弁えてる。 でも誰かが危険になったときに、黙ってみてることだけは反対だ。 そのときは」

 

「ハイハイ、分かってるわよお兄さん。 そのときは責任もって英霊だろうが何だろうが、引き剥がしてやるわよ」

 

「ええ。 いくらカレイドステッキが認めたとは言えど、私達の世界に二人を巻き込む気は毛頭ありませんもの。 ですが心配に思考を割いては、判断力が鈍りますわよシェロ」

 

 むむ、確かに。 この中で一番危ないのは、俺だよな……何か年長者だし、妹も居るから守らなきゃという気持ちが先行してた。 反省……って、あれ?

 

「……なぁ遠坂。 英霊は? 姿が見えないんだけど……」

 

 事前にこの戦いについての話は、大まか聞いている。 そのどれもが、聞く限りこっちの転移を感知して即座に襲ってきたハズだ。 なのに、今は戦いすら起こっていない。 辺りは静けさに包まれ、こうして話すら出来ている。

 遠坂とルヴィアも可笑しいと気づいたのだろう、様子を窺いながら。

 

「……後に控えているのはアサシンとバーサーカー。 バーサーカーなら理性を失ってるから、この狭い空間だろうと暴れだしながら襲ってくるでしょうし……それがないということは、アサシンかしら?」

 

「セオリー通りならそうでしょう。 けれど、もしそれなら楽勝ですわね。 相手は卑劣な暗殺者、セイバーには劣りますわ」

 

「……いや」

 

 もし俺の世界のアサシンと同じなら、その剣技はセイバーより上だ。 何せ魔術すら使わず、ただ剣を振るうだけで多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)を引き起こした、本当の化け物。

 佐々木小次郎。 アレは一種の偶像でもあったが、それでもその剣技は、あのセイバーですら『死を覚悟した』と言わしめる。 直感スキルが無ければ、恐らく負けていたのはこちらだと本人が言っていたし、間違いない。

 ともすれば不意討ちなどしない。 架空ではあっても、その本質は英霊。 俺とセイバーをアーチャーから守ってくれたときのように、恐らくはそんな卑怯な真似などしないだろう。

 

「相手は英霊だ。 アサシンでも、魔術師が敵う相手じゃない」

 

「……まぁ、その意見は最もですけれど……どちらにしろ、ここで迎え撃つのは得策ではありません。 もっと広い場所に移動すべきではなくて?」

 

 ルヴィアの言う通りだ。 今俺達が居るのは雑木林の中。 視界も木々で狭められているし、何より足場もかなり悪い。 これではいざ戦うとしても、十分な距離すら取れないだろう。

 

「それじゃあ決まりね。 今から移動するけど、先頭は美遊、私達、イリヤ、そして殿は衛宮くんで良いかしら?」

 

 遠坂の提案に、俺達は頷く。 今この中で、一番英霊相手に立ち回れるのは、間違いなくイリヤと美遊だ。 この二人に挟まれて行動すれば、少なくとも被害は最小限に抑えることが出来る。

 遠坂の陣形通り、移動を開始する……のだが、何だかイリヤは落ち着きがない。

 イリヤの服装は、何と言うか可愛らしいという一言に尽きる。 何をイメージしているのか分からないぐらい改造された、ピンクの衣装は、彼女が観るマジカルブシドーとは違いこそあれど、完璧に魔法少女。

 イリヤがドイツ人だからなのか、雪のような髪が違和感なくそれにマッチしているし……何だか、少し緊張する。

 いや自分でも何を緊張しているのかは分からないが、とにかく緊張する。 全く、こんな可愛いのをみたら、誰だって動揺してーー。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

「え? いや別に何も見てないぞっ、特に後ろからは何も!」

 

「?……いや何を慌ててるのかは分からないんだけど、良いかな」

 

 イリヤは周囲を警戒しつつ、

 

「もしかしたら、私が空を飛んで砲撃を撃っちゃえば、英霊の場所も分かるんじゃないかな。 英霊なら対処するだろうし、そっちの方が効率も良いような気がする」

 

「……いやいや」

 

 それは色々とどうなのだろうか。 今のイリヤがどの程度やれるかはルビーから聞いているが、それでもイリヤは格好が目立つ上に、恐らく障壁任せだから宝具でも撃たれたらどうなるか、一目瞭然だ。

 そもそも魔法少女なのにそれはどうなんだ、イリヤ。

 

「私としても反対ですねぇ~」

 

 ルビーが自らをくねくねとさせながら、反対する。

 

「カレイドの魔法少女は、カタログスペックこそ最強ですが、使い手も考慮すれば英霊相手には基本不利ですしねー。 うかつに飛ぶなんて真似をすれば、その途中を狙われて撃墜、なんてロボモノのテンプレモブ死亡シーンに繋がるでしょう」

 

「お前の具体例は相変わらず分かりにくいけど……とにかく、飛ぶにしても天井が低いんじゃないのか? そうなると空に居るより、地上で泥臭くてもゲリラ戦をしかけた方が良い」

 

「ぐぬぬ……いや、私も砲撃はどうかと思うけど……お兄ちゃんが心配だし」

 

 ?、余程自信があったのか。 イリヤは消沈していると、先をいく三人が反応する。

 

「でもよく考えると、それも視野に入れた方が良いかもしれない。 ルヴィアさんならまだしも、凛さんの宝石魔術も底を尽きかけてる」

 

「何でアンタが私の金欠を知ってるのよっ!? なに、顔に出てる私!?」

 

「オホホ、無様ですわね遠坂凛! 貴族たるもの、備蓄と財産は常に潤わせるモノ。 それが出来ない極東の田舎レッドは、やはり私には一回り劣りますわね?」

 

「数揃えるだけの成金ドリルに言われるとは、貴族ってのはアンタみたいな高飛車ヤローしか居ないのかしら?」

 

 バチバチバチバチ、と火花を散らせる似た者同士。 この瞬間にも英霊が向かってきているかもしれないと言うのに、ホント騒がしいというか、無用心というか。

 

「……あの二人のせいで、英霊にはこっちの居場所とかバレバレなんじゃないのか?」

 

「まぁアサシンだったらバレバレですねー、ハイ。 だとしたら一番危なそうなのは、間違いなくあの二人でしょう」

 

「……それが分かってて放置する辺り、お兄ちゃん絶対ルビーの影響受けてるよね」

 

 む、失敬な。 あの今にもガンドの機関銃をぶっぱなしそうな戦場に行けば、間違いなく俺の身体はチーズのようにあちこち穴が空くに違いない。 というか、本気出せば教室すらブッ飛ばすとか、基本火力からして桁違いだ。 触らぬ神にタタリ無しである。

 しかし、アサシンなのかバーサーカーなのかは知らないが、こうも出ないと拍子抜けになる。 この空間自体横に長いのか、はたまた迷宮のように入り組んでいるのかは知らないが、景色も代わり映えない。

……もしや、開けた場所などない? ということは、まさか。

 

「……まぁ、映えない戦いですねー、これ。 スニーキングとか違うジャンルなんですけど。 こうなったらイリヤさんの言う通り、ド派手に魔力砲ぶっ放しまくって、一面焦土に変えるぐらいのリリカルな探索法をですね……」

 

「いやだから、魔法少女なのにそれはどうなのかな。 というか、リリカルなのにやってることが破壊なんだけど……」

 

「ふふん、魔法少女が純真だと何時から錯覚していた? 今こそ必殺の、リリカルラジカルジェノサイドを……」

 

……最早突っ込む気にもならない。 全く、こうも緊張感がないと、ホントに皆でピクニックにでも来たみたいじゃないか。

 えーと、なにを考えてたんだっけ。 そうそう、開けた場所などないのでは、という話だ。 もしそうなら、バーサーカーだということはまずないだろう。

 基本的にバーサーカーというものは、理性がない。 敵を倒すためなら、どんな障害だろうと捻り潰すし、こんな雑木林などそれこそ木片にでも変えてくる。

 ではアサシンなのではないか、と思うのだが……それもどうだろうか。

 そもそも俺の世界のアサシンはアサシンらしくないし、こんな場所での決闘は望まない。 ライダーが学校、キャスターとセイバーが橋だとすると、些かここはアサシンの能力を生かしにくい構造だ。

 規格外の長刀、物干し竿を使った秘剣。 それが燕返し。 多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)により、平行世界から同時に三つの斬撃を繰り出す必殺の剣。 それを使うには、少しばかりここは障害物が多すぎる。

 では一体、ここに居る英霊は何なのか?

 

「……いや」

 

 身体が止まる。 それに合わせて、僅かな違和感が浮き上がってくる。

 ちょっと待て、よく考えろ。 俺の世界の聖杯戦争で出てきたサーヴァントが、この世界にクラスカードとして出たなら。

 そもそも、何故タイミング良く、俺がこの世界に来たんだ?

 

「……お兄ちゃん? どうかしたの?」

 

 イリヤが俺に話しかけてくる。 だがそれを無視する形で、俺は思考を加速させる。

 そのクラスカードを、俺達の世界の人間が作ったとして。 たまたま聖杯戦争を勝ち抜いた俺が、この世界に来た。

 確率として考えても、あり得ない。 平行世界は無限に連なっていると言うのに、この短期間で二人も同じ世界から、同じ世界へ行き来している。

 正確なところは、もっと後でなければ分からない。 けれど、考え方を変えたら、こうとも考えられないだろうか。

……全て、仕組まれていたとしたら?

 俺がここに来ることも、そしてルビー達に俺のことがバレて、サーヴァントの情報を与えたことも。

 一見不利に見えるようなことさえも、もしかして黒幕に踊らされているだけなのではないか?

 

「……」

 

 知らず、唾を飲み込んだ。 底が全く見えない泥に、はまってしまって抜け出せないように。

 だとすれば。 もし、それを逆手に取ることで、一番効率良く葬れるサーヴァントと言えばーー正規のルートで召喚されず、その本領を発揮できなかった、本物の暗殺者。

 

「……」

 

 身体強化に回していた魔術回路を、目と耳だけに集中させる。 たった数本であっても、神経が一つの事象をも見逃さんと、鋭敏になっていく。 いつもより遅いもののーー強化の質だけなら、前より高くなっているのは気のせいか。

 無我の境地。 わずか二秒でその領域に足を踏み込み。

 しゅるり、と近くから何かが擦れる音がした。

 

「!」

 

「?、今何か……?」

 

 視認は出来ない、恐らく死角から。 今のは木葉が擦れたようにも聞こえたが、この場合は違う。

 木葉が擦れるように、布擦れを起こしただけ。 つまり自分達は既に捉えられている。

 

「危ない、イリヤ」

 

「え?」

 

 そうなると一番危険なのは、今無防備に俺を見ているイリヤ。 そう思って彼女の肩に、腕を差し出し。

 ぞぶり、と。 深く深く、短剣のようなものが腕に突き刺さった。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 鮮血が舞う。 幸い短剣というよりは、ナイフに近い。 暗器というのだろうか。 斬るのではなく、投げるのに特化したものなのだろう。 だからこんな、ダーツが的に刺さるみたいに、中身がそこまで溢れていない。

 

「衛宮くん!? 美遊、ルヴィア!!」

 

「、砲射(シュート )!!」

 

「返して差し上げますわ!」

 

 先頭を行く三人も、攻撃されれば気づくか。 遠坂はイリヤを押し退けて俺に駆け寄り、残る二人は暗殺者ーーアサシンが暗器(ダーク)を投げた方向へ、魔力の塊を放つ。

 木々が薙ぎ倒されるほどの威力だが、アサシンの姿は見えない。 それもそのハズ、相手は気配遮断スキルを持つ暗殺者、簡単にやられるわけがない。

 

「ぐ、ぅ、……!?」

 

「動かないで! 下手に動くと、短剣が引き抜けないでしょうが……!」

 

「ちょ、凛さん待って! 引き抜いたら血がドバーって出るんじゃ……!?」

 

「このままじゃ手当てすら出来ないし、どうにもならないわ! 嫌なら目でも閉じてなさい!」

 

 遠坂がそう言うなり、暗器を引き抜く。 前のライダーから食らった鎖の剣よりはマシだけれど、やはり痛いものは痛い。 暗器にノコギリのような凹凸があるのか、肉を裂かれた痛みはまさに拷問だ。 すぐに遠坂はハンカチらしきもので傷口を縛ると、宝石をそこに押し当てる。

 

「治癒用の宝石、もう片方の手で押し当てて。 そしたらマシにはなる」

 

「ああ……悪い、遠坂」

 

「ううん、そんなことないわ。 衛宮くんには悪いけれど、魔術師の腕一本とカレイドの魔法少女、どちらが大切かと聞かれれば、間違いなく後者だもの。 あなたはよくやったわ」

 

 全く、一応断りを入れるのが遠坂らしい。 下手に動くことすら出来ず、膝をついていると、イリヤが俺を見て青ざめていた。

 

「……う、そ。 私の、私のせいなの……?」

 

 あ、そうか。 一応イリヤを庇ったんだっけ。 咄嗟に出してたから、全然そこは考慮していなかった。

 でも、こういう痛みは何度も味わったことがある。 正直慣れたものだ。 だからこそイリヤに笑いかけて、いつも通り立ち上がる。

 

「……それは違うぞ、イリヤ…… 俺なんかより、イリヤを守るのは当然のことだろ。 むしろここは、『ありがとう』の一言ぐらい欲しいんだけど、な」

 

「……お兄ちゃん……」

 

 きっとイリヤは、納得などしない。 だが、そんなものに気取られている暇もないのも確かだ。

 

「敵の位置は、不明……?」

 

「不意打ちですわね、舐めた真似をしてくれますわ……!」

 

「全方位を警戒!! 四方を見渡せば、必ず姿は見える! ここまでしてやられて気配が見えないってことは、気配遮断スキルに間違いない。 気を抜けば即死よ!」

 

 遠坂の指示に従って、円陣を組む。 イリヤも急いで俺の隣へと来たのだが、途端に辺りが騒がしくなった。

 そう。 辺り一帯がガサガサ、と。 まるでアサシンが何十人も(・・)いるように。

 

「敵を視認……総数、 五十以上!?」

 

 サファイアの報告にギョっとするまでもない。

 まず、その濃密な殺気に心臓を鷲掴みにされた。 単純な殺気ではない。 一人で耐えきれるような、そんな軽いモノでは断じてない。 圧倒的な全からの殺気は、それだけで俺達を射殺すようで。

 そこにあったのは、丸く穴が空いた骸骨の面の、死神達。 それらは四方を警戒する俺達の周りには勿論、木々からもその刃でこちらを狙っていた。

 五十。 いやサファイア曰く、それ以上は居るのか。 だがまさか、誰がこんな状況を考えよう。 相手は一度の斬撃で三度殺すアサシンなどではなく、五十以上の貌で一つの命を葬るサーヴァントだとーー!

 

「そんな……英霊が、軍を成している……!?」

 

「完全に囲まれてますわ! いつの間にここまで!?」

 

「何てデタラメ……くそっ!!」

 

 全員が武器を構える。 だがそれの何と貧相なことか。 確かに火力だけで言えば、このアサシンはこちらに大きく劣る。 だがそれは、あくまで俺達が一対一で相対できたならの話。 十倍以上の数を誇る暗殺者相手に、そんな悠長な真似をすれば、瞬く間に数で圧される。

 

「……一時撤退ね。 火力を一転集中、包囲を突破するわよ!!」

 

 ここは拙い。 それは全員感じていたことだ。 イリヤですら分かっていたことだろう。

 俺とてそれは分かる。 だから遠坂達に続くよう、魔術回路をきど、う、して、ーーー。

 

「……は、づ、ぁ、っ……!?」

 

 目が回る。 膝をついて、そのまま地面に倒れる。

 胃を直に掻き回されたような、耐え難い吐き気。 それで平衡感覚を失ったのだと、まだ何とか働く思考を回し続ける。

 込み上げるのは吐き気だけではない。 ただ漠然と寒気がして、次いで魔術回路がその輝きを失っていく。 頭に浮かぶハズの撃鉄、更にはそこにある一つの道が、まるで最初から無いとでも言うように消え失せていく。

 それと比例するように、暗器が突き刺さった腕から、凄まじい熱が発せられていた。

 まさかーー毒?

 あり得ない話ではない。 だが、そうだとすれば。

 

「衛宮くん!?」

 

「士郎さん!!」

 

 誰かが悲鳴をあげる。 しかし俺には、そんな声すらどうでも良いほど、許せないことがあった。

……こんなものを、イリヤへと向けていたのか。

 俺が死ぬのは一向に構わない。 人はいつか死ぬもので、俺も魔術師なら死に際も弁えている。

 けれど、この世界のイリヤは違う。 あれだけ苦しんだイリヤが、ここではそんなものとは無縁な生活を送っているのにーーそんな彼女に、こんなものを突きつけたのか。 あんなに平凡で、退屈で、とても幸せな日々を、奪おうとしたのか。 今更ながらそれが分かって、俺の中で怒りだけが込み上げてくる。

 

「何をしているのです、シェロ! 早くこちらに!」

 

「……さっきの暗器、毒が塗られていたんだわ。 チッ、コソコソ面倒くさいことして……!!」

 

 と。 慌てるルヴィアの声や、遠坂の悪態で、ようやくそこで自分の状態に気づいた。

 四方八方から来る、暗器。 遠坂達との距離は五メートル前後。 普段なら何でもない距離が、今ではどう足掻いても覆せない距離になっていた。

 目蓋の裏が熱いが、それでも確認したいことがあって、遠坂達を見る。 遠くには美遊と、その隣で呆然と立っているイリヤが居た。

…… 良かった。 どうやら守りきれたらしい。 それなら後はこの状況を打開するだけ。

 が、魔力が上手く回らず、思考すらままならない今の俺では、この場を逆転出来るだけの武器は作れない。 それどころか、いつも手馴れている夫婦剣ですら、まともに投影など出来まい。

 万事休す。 ここで終わり。

 俺はただその、受け入れがたい何かに抗い。

 次いで、こんな声が聞こえた。

 

 

「ーー全部全部(ゼンブゼンブ)(コワ)せばいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 2-4ーー

 

 

 誰かが叫ぶ。 それが自身の声だと気づくことも出来ず、ただ彼女ーーイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、駆け出していた。

 その先に居るのは、兄である士郎。 黒い短剣に腕を貫かれ、それでも何処か焦点の合わない目で、こちらをぼぅ、と見ている。

 それがゼンマイの切れたブリキ人形みたいで、イリヤは無性に腹が立つ。

……イリヤと士郎は、昔から仲は良い。 むしろ良すぎて、セラからは少し警戒される素振りすら見せられる。 故にイリヤは、士郎のことならば何でも知っていると思っていた。

 家事が得意なこと。 勉強は余り得意ではなくとも、懸命に励んでいること。 弓道だってその腕前には感嘆したし、その優しさに何度助けられたことか。

 カンペキではなくとも、それが衛宮士郎という人だから、イリヤは好意を抱いたのだ。

 なのに。

 

ーー俺なんかより、イリヤを守るのは当然のことだろ。

 

 その言葉が。 イリヤには、感じたことのないほどの寒気を感じさせた。

……この人は、違う。

 イリヤの兄は断じて、自分を軽んじる言葉は言わなかった。 兄だから妹を守ると、誇らしく言うことはあってもーー自分なんかいくら傷つこうがどうでも良いからなど、そんな狂ったことを言う人ではない。

 そして何より決定的だったのが、守ると口にしたその顔。 それが当然だからと言っておいて、その顔は泣いているかのように、儚げで脆い、寂しい笑顔だった。

 この顔を最初に見たのは、きっと二日前、誓うように守ると言ったときだろう。 自分は見ていなかったが、今日イリヤは一回見ている。

 凛達との話し合い。 その最後に、イリヤは見てしまった。

 あの顔を。 まるで星を掴もうとしておきながら、届かなくても構わないと、届いてほしいのに自身の心を押し止める笑顔を、振り撒いていたのだ。

……怖かった。

 一目で分からなかったのが、可笑しい程の歪み。 それを初めて、イリヤは知った。 だから気怠い体を押してまで、今日は気丈に振る舞った。 その存在を感じるために。

 

(……可笑しいよ、そんなの)

 

 絶叫する中で、何処か冷静に考える。

 そう。 そんなのは、可笑しい。 自分より、他人を大切にするのはまだ分かる。 けれど冗談でもなく、自分の命を平気で放り捨て、それで他人が大切など、それは可笑しい。

 何の躊躇いもなく腕を差し出して。 貫かれたのに普通に笑って。 そんなモノ、人間が出来ることじゃない。

 

(……なのに、どうして)

 

 どうして、こんなにも愛しいのか。

 どうして、こんなにも支えたいと思うのか。

 アレは兄ではない。 それは分かる。 イリヤが知る兄ではない、アレは魔術師ーー衛宮士郎だ。 兄の形をしているからこんなに慌てているのかは、分からないけれど。

 それでもイリヤは、思う。

 彼のあんな姿は、もう見たくない。

 だから、(ネガ)おうーー。

 

ーード派手に魔力砲をぶっ放しまくって、一面焦土に変える。

 

 ああ、それなら簡単だ。

 

全部全部(ゼンブゼンブ)(コワ)せばいいーー」

 

 瞬間。

 鏡面界ごと揺らすような、爆発が起こり。

 それをしっかりと、イリヤは目に焼き付けた。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 光が、途絶える。

 

「…………ぁ、づぅ……」

 

 耳鳴りが酷い。 全身が熱風でも受けたのか、火傷のように肉体は爛れていた。

 これも、懐かしい。 バーサーカーと戦ったときと同じか、それ以上の痛みは、俺の意識を強引に、現実へと繋ぎ止めている。

 一体、何が、……。

 

「……はっ、はっ……は、っ、……」

 

 うつ伏せの状態で、眼球を動かす。 数メートル先には、息を切らしたイリヤと、その後ろでどこでそんな傷をと言わんばかりにボロボロな美遊達が、こちらを警戒するように見ている。

 今度は眼球を下に動かす。 と、ようやくそこで事態を掴めた。

 クレーター。 何十メートルという範囲で、イリヤを中心にクレーターが出来ている。 爆発でも起きたのだろう、アレだけ視界を遮っていた森は勿論、アサシン達のローブの欠片すら無かった。

……ああ、だからか。 だから、こんなにも、体が熱くて痛い。

 

「……、っ……」

 

 それにしても、アサシンは倒したのか? それは喜ばしいことだが、これは不味い。 このままでは本当に死んでしまいそうだ。 それでは、イリヤを守れない。 それは困る。

 

「……お、お兄ちゃん……?」

 

 息を呑むのは、イリヤだろうか。 生憎姿が見えないが、狼狽していることだけは、その吐息で十二分にわかる。

 

「……そんな、違う……違う、違う違う違う違うッ、違うッ!! わた、私はっ、そんな、お兄ちゃんを助けようとした、だけなのに……どうして……!!」

 

「イリ、ヤ……」

 

 つまり先の爆発は、イリヤが起こしたのか。 ああ、なるほど。 家族を傷つけたと思っているから、こんな動揺を……その考えには至らなかった、何せこうして助けてもらったのだから。

 顔は見えないけれど、やっぱり分かる。 エミヤシロウの記録なのかーーそれとも俺自身、感じるものがあるのか。 彼女は今、苦しんでいる。 それだけは分かった。

 だから声も出せないほど、傷を負ったこの身体が恨めしい。 この程度どうということはないのに、鈍ってるのか知らないが、喉が少し焼けたぐらいで大袈裟な身体だ。

 

「い、り、ヤ……」

 

「……イヤ。 もういやっ!!!」

 

 俺の声も意味を為さず。 シュン、という音の後、イリヤは鏡面界から冬木へと転移していた。

 どうにかしたいと身体を動かすが、もう限界だったのだろう。 僅かに上がった腕は空を切り、そのまま意識が閉ざされていく。

 

「ーー宮、くんーーめ、しっかーー!!」

 

「ーーュスト、ーーの手配をーー!!」

 

「ーー郎さんーーいや、ーーァイア、早くーー!!」

 

 声はまるで、ガラス越しのように聞こえにくい。 俺はそのまま、抗うことも出来ずに、静かに気を失った。

 

 



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三日目~少女、挫折~

ーーinterlude3-1ーー

 

 

 自己が体から離れ、他人の記憶を見る。 一度、英霊をこの身に夢■召■したせいなのだろうか。 自分はそれを一つも残さず、追体験(インストール)する。

 とはいえ、この英霊はそこまで物覚えが良い方ではないらしい。 最早生前のことなどほとんど覚えていないのだろう、色褪せた写真を紙芝居のように見せられる。

 そう。 ただの写真。 色など白と黒で、人物の判別すら難しい。 なのに、そこにある地獄だけは、どんなモノよりもおぞましくーーそれでいてこの上ない悪夢だった。

 時代は現代。 場所は町。 人の営みしかないハズの場所は炎に包まれ、その中を、恐らく英雄となる少年が歩いていた。

 怒号、悲鳴、嗚咽、絶叫。 おおよそ人が、何もかもかなぐり捨てて、他人へ助けを求める声を、悉く耳から削ぎ落とす。 見えている死体、突き上げられた手、祈るような横顔、それらを視界から叩き出す。 生きたいと思って歩いているわけではないけれど、それでも、ここには居たくはない。 少年は一人、ただ歩を進める。

 炎に焼かれたのか、それとも見捨てていった全ての人達に潰されたのか。 いや、恐らくどちらもだろう。 次第に目は色を無くし、少年はまるで肉の剥がされた骸骨のような不安定な足取りで、間違いなく人間としては手遅れだ。

 だから、動かなくなるのも当然のこと。

 終わりはすぐに来た。 そこらにある燃え落ちた灰に足を取られ、そのまま地面に倒れる。 それで切っ掛けとなったのか、少年は虚ろな目のまま、動こうとはしない。

 分かっている。 もう生きるのは無理だと、悟っている。 体は焼き尽くされ、心は押し潰され、ほぼ人形といっても大差ない少年。

 そんな風になってしまったからか。

 少年は、そこで初めて、何となく手を伸ばした。

 曇天の空は、悲しむように涙の雨を流している。 全身が雨に濡れるが、少年はついぞ伸ばした腕に、何も掴むことは出来やしない。

 

ーーああ。 空が、遠い、なぁ……。

 

 仰向けになった彼は、そんなことを思い、徐々に手から力を抜いていく。 これで終わり、生きるなんて、そんなユメも終わり。

 心が死んでしまったなら、最初からどうしようもない。 そう、天から地に落ちようとした、まさにそのときだった。

 

 この手に、温もりが出来た。

 

 

ーー……、……。

 

 その温もりは、人のモノ。 両の手で、小さな子供の手を握ってくれたその人は、そのままくしゃりと顔を歪ませた。

 こんな地獄で。 こんな人形にすら劣る者の手を、掴んで。 いっそ死んだ方がマシなんじゃないのかと思えるほど、傷ついたものを見て。

 それでも、男は火の海の中心で、こう言った。

 

ーー……生きていてくれて、ありがとう。

 

 その顔が。 泣いているのに、こんな地獄に居て、何一つ良いことなど無かっただろうに。

 何故そんなにもーー報われたと、幸せだと、そう心の底から思っているのだろうか。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 分からないのに……その顔に今、自分は心の底から救われた。

 

 これは、救うのも救われるのも。 それはとても尊い奇跡なんだと実感した、最初のユメーー。

 

 

 

「……ん」

 

 鈍い頭痛がする。 ぎり、と万力で固定されたような痛みは、内側からか外側からかは分からない。 しかし意識を覚醒させるには、それだけで十分だった。

 彼女、イリヤは頭に手を当て、寝返りを打つ。 だが今の痛みで、眠気などすぐに吹き飛んでしまう。 イリヤはベッドから起き上がると、近くの鏡には自身の姿が見えていた。

 酷い顔だった。 目は真っ赤に腫れ、頬には涙の跡がいくつもある。 知らず、その跡をなぞり、すぐに顔を伏せて部屋を出た。

 

「……っ」

 

 昨日の晩、アサシンとの戦い。 結果的にイリヤの力でアサシンを退けたが……寝惚けているからだろう、そこからの記憶がスッポリ抜け落ちている。

 いつもなら何か言ってくれるハズのルビーも、今回だけは口を挟まない。 ただ髪の中に隠れているだけだ。

 

「……まぁ、良いのかな」

 

 思い出せないのなら、仕方ない。 さっさと身支度を済ませ、学校に行こう。 イリヤはそう思い、目を擦りながらリビングに来たのだが。

 

「……むむ。 イリヤ、おはよう」

 

 いつも朝は、慌ただしいリビング。 なのに今日はそんな影すら見せず、リズ一人が呑気にトーストを頬張っていた。

……どうしたのだろうか。 イリヤが尋ねる。

 

「おはよう、リズお姉ちゃん。……ねぇ、セラやお兄ちゃんは? もしかして何かあったの?」

 

「ん、そう。 士郎が夜中、事故を起こして病院送り。 セラはその付き添い」

 

「……は?」

 

 事故? 一体何のこと、なのか。 昨日は何も起こらなかった、そう何もーー。

 そのとき。

 忘れようとしていた全てを、ようやく思い出した。

 

「……ぅ、ぶ……」

 

 猛烈な吐き気。 それは記憶が一気に流れてきた頭痛よりもよっぽど、五臓六腑を突き抜けた。

 アサシンを倒すため、そこに居る全員に大怪我を負わせたこと。 セイバーとの戦いで、本当にあの騎士王に勝ったのは、自分だと言うこと。

 全てを思い出す。

 そう。 自分はあのとき、セイバーを倒した。 手段も知らずに、ただこの悪夢が終われば良いと願った。

 アサシンもそう。 兄を救うために兄そのものすら消し飛ばすほど、強く願った。

 全部消えろ、と。 この身を脅かすもの、誰かを傷つけるものーーその全てを消えろと願った。

 願い。 誰かの為であるハズの、その結果がこれ。 まるで願いそのものがねじ曲げられてしまったみたいに、悪い方へ悪い方へ流れるのは、何故なのかーー。

 

「コッソリ夜中に出掛けたら、そのまま自動車に轢かれて、みたいな? 幸い切り傷や打撲程度で済んだみたいだし、やんちゃするぐらいが男としては丁度良い。 だからイリヤが心配しなくても、モーマンタイ。 遅刻するべからず、セラからの言葉」

 

 イリヤの様子を察したか、リズはそう言って二枚目のトーストを手に取った。 それがリズなりの気遣いだと気づいたイリヤは、顔を洗ってくると一言だけ言って、洗面所へと駆け込んだ。

 病院送りということは、恐らくルヴィアが手を回してくれたのだろう。 ともすれば士郎は死んでいないし、あの死に体だった状態から何とか持ち直したのか。

 だとしても、素直に喜べないのはきっと。

 

「……ねぇルビー」

 

「はい、なんでしょうイリヤさん?」

 

 ルビーはいつものようにすぐ横で待機しているが、イリヤは彼女を見ずに告げた。

 

「……私、ミユ達も、お兄ちゃんも。 みんな傷つけたんだよね?」

 

「あー……そうですねぇ。 魔法少女としては、こりゃあかなりZero的要素が入ってきたと言いますか。 正直イリヤさんの力には目が点です、一般人どころか魔術師のレベルを大きく超えてますし」

 

「……違う」

 

 そう。 アレは違う。

 たまたま騙されて魔法少女をやっていたのに、いきなりこんなことになるわけがない 。 私は実はこんな力があったのでした、なんてあり得ない。 ただこんな力があったら良いな、まったり過ごせたらそれが良いな、と常々思っていた。

 だから、あんな力を発揮した私はーー私なんかじゃない。

 

「……私は。 お兄ちゃんを守ろうとしたのに、助けようとしたのに。 どうして」

 

 こんなことに、なっちゃったんだろう。

 誰も答えてくれないその問いは、少女の悲鳴に間違いない。 それを癒せるのはきっと、ルビーの役目ではないだろう。

 人工精霊はただ、聞き役に徹し続け。 少女は一人、挫折した。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めは最悪だった。 久々に、これ以上ないほど。

 

「……い、っつぅ……」

 

 朝日は瞼を強引に開けるかのように、俺を照らしてくる。 体にあるのは一年前に何度も感じてきた疲労感と、少しの眠気。 アサシンとの戦いで体はボロボロになるまで傷つけられたハズだが、致命傷はない。 それでも切り傷と打撲は酷くて、動くのにはかなりの激痛が走るが。 恐らくこの、胸元に貼り付けられたセイバーのクラスカードのおかげだ。 ともすれば起きないわけにもいかない、ゆっくりと俺は身体を起こしていく。

 一面に広がる、白。 カーテンも、シーツも、壁も、そして光すらも。 その全てが白で統一されているとなれば、心当たりは一つしかなかった。

 病室……つまり自分は昨日の戦いの後、どういうわけかこうして、生きているわけで。

 それで、左手が何かに包まれていることを、知った。

 

「……あ……え?」

 

 俺から見て左側。 丁度左手を掴んだまま、ベッドに体を預けている少女が居る。

 美遊だ。 眠っているのか、少し体を揺らしつつ、だが俺の左手は離さないとでも言うように、固く固く握っている。

……えーと。 これは一応、付き添ったは良いが、そのまま疲れて眠ってしまったということになるのだろうか……?

 

「……参ったな」

 

 起きた以上、元気な姿を見せねば付き添ってもらった意味がない。 しかしそうなると、この気持ち良さそうに眠っている美遊を、起こさなくてはならないわけで。

 正直、そんなことしたくない。 こうも深く眠りに入られると、起こす方もそれなりに罪悪感があるものだ。

 というか、今頃になって左手が痺れてきている。 小学生とはいえ、やはり人にのし掛かられると、血は流れにくいらしい。

……美遊には悪いが、こういうときは大抵起こさなかったら起こさなかったで叱られるし、覚悟を決めよう。 俺は彼女の肩を揺らしながら、なるべく優しく。

 

「美遊? おーい、美遊?」

 

「……ん」

 

 目尻をぴくぴくと動かす彼女は、やはり疲れているのだろう。 仏頂面な顔には皺まで出来ており、中々起きようとしない。

 全く……ここら辺はイリヤと似てるな、ホント。 だがこちらとて、ここまで来れば腹も据わるモノ。

 

「美遊? ほら起きたから、つか手がそろそろビリビリしすぎてヤバイから。 頼む、起きてくれ」

 

「……ぅ、ん……」

 

 肩を揺らすだけでなく、俺の左手をも揺らす起こし方には、流石の寝坊助さんも起きるようだ。 美遊は依然として手は離さないが、そのまま片手で目を擦りつつ、

 

「……あ、れ? お、お兄ちゃん……!?」

 

「うむ、起きたみたいでよろしい。 まぁ寝惚けてるようではあるけど」

 

 イリヤの友達からお兄ちゃんだなんて、一歩間違えば危ない関係だ。 もしセラや遠坂に察知されれば、すぐに家具とガンドが豪速球で俺だけに食らわせられるだろう。 世の中理不尽極まりない。

 

「あ、……ええっと、士郎さん」

 

「何だ……って、ああそうか。 はいクラスカード」

 

 貼られていたセイバーのカードを剥がし、美遊に返す。 彼女はそれを受けとると、

 

「あ、はい……あの、体の傷は大丈夫なんですか? 酷い怪我だったのに、その……」

 

 美遊が言わんとすることも、何となく分かる。 俺はあのときアサシン特製の毒に加え、魔力による爆発を直で浴びてしまい、火傷で皮膚なんて溶けたバターみたいになっていただろう。

 だが今の俺は打撲と切り傷、後は少しの火傷ぐらいで、戦闘は出来ないものの、命に別状はない。 俺は一応、美遊に尋ねた。

 

「傷が独りでに治っていったんだろ? しかも美遊が、より正確に言えばセイバーのクラスカードが近づくと、治るスピードが増したんじゃないのか?」

 

「……はい。 アレは、何なんですか? あんな魔術、見たことがないので……」

 

 美遊ーー強いては遠坂達の目からみれば、確かに魔術に見えたかもしれない。 だがアレは、魔術ではない。

 俺がアーチャーと死闘を繰り広げたとき、奴は言った。 彼女の鞘の加護によって、衛宮士郎は立ち上がっていると。

 そしてその鞘と言えば、剣とセットでなければ話にならない。 幸い剣の英霊であるセイバーに確かめてみれば、それの正体はすぐに分かった。

ーー全て遠き理想郷(アヴァロン)

 前回の聖杯戦争で、セイバーのマスターである爺さんが召喚の触媒として使用した、アーサー王が紛失したハズの宝具。 それが俺の身体の中に入っているらしい。

 セイバー曰く、長らく融合していたせいで、そのカタチは最早鞘ではないらしいが、その能力は変わらないようで。

 持ち主に不死性を与えると言う逸話通り、俺はまさに不死身の再生能力を発揮し、セイバーの魔力が残っていたあのときもこれのおかげでアーチャーに勝てた。 もし鞘が無ければ、俺は聖杯戦争なぞ勝ち抜くことは出来なかったし、そもそもセイバーと会うことも無かったかもしれない。

 

「……ちょっとな。 企業秘密というわけには」

 

「いきません。 あんな再生能力、明らかに死徒のそれでした……副作用が無いにしろ、あの能力があるからって、昨日みたいに自分の命を捨てるような真似は、やめてください」

 

「……いや。 そもそも起動しようとか思わなかったぞ、俺」

 

 美遊が目を見開く。 何故そんな顔するのか分からないが、宝具を発動なんてアーチャーでもあるまいし、出来るわけがない。 同じセイバーとはいえ魔力を込める、或いは契約をしなければ宝具は発動しないし、正直なところ死んだとばかり思っていた。 死ぬ気など毛頭無かったが。

 

「あの……それは制御が効かないモノなんですか?」

 

「うーん、ちょっと違うな。 存在を忘れてたと言うか……最後に発動したのが一年前だったから、記憶から抜け落ちてただけだな。 そういうこと」

 

「……じゃあ。 士郎さんは、死ぬと分かっててて、アサシンの攻撃からイリヤを庇ったんですか?」

 

「それも違う。 死ぬとか怪我するとか、そんなことを考えるよりも前に身体が動いてた。 それだけさ。 イリヤは妹だし、守るのは当然だろ?」

 

 美遊が考え込む。 恐らく頭で理解しないと、行動できないタイプなのだろう。 そして歪んだ俺の考えを、受け入れることが出来ないだけ。

 だが何を思ったのか。 美遊は一度俺の左手から離れると、次いでがばっ、と胸に抱きついてきた。

 

「……え?」

 

 いきなりのことで、俺は彼女が懐に来ることを許してしまったが……その身体が、震えていることに気づいた。

 何かを怖がるように。

 何かを知っているように。

 美遊は、口を開ける。

 

「……そんなの、ダメです。 絶対に、ダメ」

 

 振り絞った声に、一体どれだけの想いが込められていたのか。 少なくとも、俺に推し量れるような、ちっぽけなモノではない。

 

「私、あなたのような人を、知ってます。 その人はとても優しくて、でも不器用で。 笑わない人だけど、その夢は純粋でした。 その夢を叶えるために一生懸命頑張る姿に、何度救われたか、私は分からない……」

 

 ぎゅっ、と俺の服にしがみつくように。 美遊は懺悔染みたことを言う。

 

「……だから。 私の為に、その人が幾度も傷ついていくのが、嫌だった。 夢と私を天秤にかけて、それまで追いかけてきたモノとは真逆のモノになってまで、その人は私を守ってくれたけれど……涙が出るぐらい、嬉しかったけれど。 同時にそれが、堪らなく、辛かったんです」

 

 美遊が顔を上げる。 微かに残っている涙は、彼女にこべりついた後悔か。

 

「士郎さん。 あなたは、その人にーー私の兄に似てます」

 

「……美遊の兄に?」

 

「はい。 だからきっと、今回みたいに、イリヤを守っていけば……いずれ私の兄のように、あなたが一番苦しみます。 私は、あなたまでそうなってほしくない。 今回みたいに」

 

 が、俺は首肯せず、

 

「そんなこと言われたってな……イリヤを守るのは、兄として責任を果たさなきゃいけないし……何より俺が守らなくちゃ、誰がイリヤを」

 

「士郎さん」

 

 美遊が遮る。 彼女は手鏡を取り出すと、それを俺の方に向けた。

 

「……本当に、守りたいんですか? そんなに、苦しそうな顔で」

 

 そこには。

 守ると言う言葉とは裏腹に、決壊寸前まで涙を溜めた、自身の顔があった。

 

「……あ、れ?」

 可笑しいな……何で、こんなみっともない顔をしてるんだろう。 俺はイリヤを守る、守らなきゃいけないんだ。 なのに、どうして俺は、こんな。

 

「……もう良いよ。 もう、良いの。 そんなに追い込まれるまで傷ついてきたんだから、これからはあなたが守られないと、そんなの可笑しいよ」

 

「美遊……」

 

「だから」

 

 俺の歪さを、正すように。

 

 

「ーーあなたは、自分の為に生きてください。 そうしなければ、余りにも、報われない」

 

 

 そう、たった一つの願いを口にした。

……病室が静まる。 胸の中では、俺の答えを一人、目を真っ赤にして待つ、少女。

 俺は。

 

「……悪い美遊。 それだけは無理だ」

 

 当たり前のように、その切願を切り捨てた。

 

「……え」

 

「俺はイリヤを守らなきゃいけない。 だけどそれ以上に、俺は、そうしなきゃ生きてちゃいけない人間なんだ」

 誰かを殺すと言うことは、その殺した人間に関わった、全ての人の人生をも壊すということだ。 その輝きを代行できるモノは、何一つとしてない。 ましてやそれを無かったことにするなど、それで救われるのは自分だけ。

 だから、俺がエミヤシロウのモノを、引き継ごうと決意した。

 でも、本当はそんな決意、建前だっただろう。

 ただ俺は、この世界にある奇跡を、この手で守りたかった。

 だって、また会えたのだ。

 本当は涙が出るほど嬉しくて、そして抱き締めたくなるほど、彼女を求めていた。 唯一無二の家族との再会。 義理ではあっても、妹であっても、そもそも自分が知るイリヤスフィールではなくても、それは。

ーー衛宮士郎がずっとずっと、求めていたモノではなかったのか?

 

「……苦しくなんて、ないさ。 やっと、やっと会えたんだ。 だったら、だったら……」

 

 守るべき、なのに。

 心は嘘だと訴えている。

 

「……士郎、さん」

 

「分かってる。 本当は」

 

 何が切なくて、何が欲しかったのか。 それぐらい、もう俺は分かっていた。

 俺はただ、イリヤ()イリヤ()を重ねてしまっていた。 たったそれだけだ。

 性格も違う、考え方も違う。 でも根本的なことは全部一緒だ。 俺の家族だということは、一緒なのだ。

 だから重ねてーー当たり前のように、その虚しさに涙していた。

 時が経てば経つほど、言葉を交わせば交わすほど。 イリヤがもう居ないことを強く実感し、それでもまだイリヤを求めることを、誰かに許して欲しかった。 許されないことだとしても、俺は。

 

「……ああ」

 

 あのとき。 俺と初めて会って、殺そうとしたとき。 彼女は何を思って、殺そうとしたのだろうか?

 誰よりも知っている人なのに、誰よりも遠い人。 その想いも、願いも、知る方法はもうない。

 だから、守りたかった。

 この次こそは。 例えそれが自分しか救うことが出来ない、ただの自己満足でも。 それでも俺は、イリヤを守りたかった。

 苦しかったハズだ。

 寂しかったハズだ。

 妬んだハズだ。

 そうした胸を穿つモノを取り除けたのは、俺だけだったのに。

 だから、

 

「……守らなきゃ」

 

 重ねているつもりも無かったし、重ねようとさえ思っていなかった。

 でも、やはりイリヤは俺にとって特別だ。 そんなモノを無視できるハズがない。 細かな違いが浮き彫りになれば、それだけでもう耐えきれない。

 それでも良かった。 だから、涙した。

 泣いて、わんわん泣いて、そうしてそのユメを噛み締めていたかった。

 それが出来なかったのはきっと、俺は彼女を守れなかったから。

 

「ごめん、美遊。 多分、俺なんかが守ること自体が、烏滸がましいことなのかもしれない」

 

 所詮は紛い物。 そんなあやふやで、歪んだモノでは、何一つ守ることなど出来やしない。

 

「美遊の言っていることは正しいよ。 それでも、守らなくても良いとか、止まっても良いだなんて……そんなこと間違ってる」

 

 責任は果たす。 果たさなければ、それこそ誰も報われないではないか。

 俺が殺した、だからこれは譲れない。 例え誰であろうと、この責任は俺だけのモノ。 もしこれを放棄するということは、それはすなわち。

 それは、俺が俺として、破綻していくということに他ならない。

 

「……俺は、正義の味方を張り続けなきゃいけない。 そう誓って、ここまで来た。 その責任のために、少なくない人を傷つけてきたんだ」

 

 だったら答えは一つだろう。 考えるまでもないことだ。

 美遊が目を伏せる。 その姿に、胸が少し痛んだ。

 ああなるほど。 どうやら俺は本当に、美遊の兄貴とやらに似ているようだ。 目の前で泣いているこの少女に、ここまで入れ込むのだから。

 

「……お前の兄貴の気持ち、少し分かるぞ」

 

「え?」

 

「美遊は何というか、守りたくなる。 囚われのお姫様とか、捨てられた子犬みたいな感じかな」

 

「……!?」

 

 あ、一気に赤くなった。 ぼんっ、みたいな効果音までしっかり聞こえたし。 美遊はすぐに俺から距離を取り、パイプ椅子に座り直すやいなや、視線を逸らして。

 

「……誤魔化そうったって、ダメですからね」

 

「誤魔化そうだなんて、人聞きが悪いな。 本当のことなのに」

 

 全く。 自分の兄貴と俺を重ねてるんだから、必死に誤魔化そうとしてるのはどっちなんだか。

 小学生なのに、我慢しすぎだろう。 気恥ずかしさを向こうに追いやって、俺はそこを指摘する。

 

「……別に、兄貴みたいに接したって良いんだぞ? 美遊が呼びやすいように、したいようにすれば良い」

 

「っ、そ、それは……っ」

 

 あぁもう!

 

「そんな風に考え込むのは一向に構わないけど、少しは自分の気持ちに素直になれっ。 小学生は、多少ワガママ言ったって許される年頃なんだから」

 

 美遊が押し黙る。 彼女とて、事情があるハズだ。 それを無視するように怒鳴ってしまったが、こういう人間はしっかり言い聞かせれば効果がある。

 やがて、美遊は遠慮しているような、オドオドした声で。

 

「……本当に、良いんでしょうか。 それは、許されることなんでしょうか……」

 

「だからワガママなんだろ? 別に嫌なら良い。 でも、そうやって遠慮して、ずっと溜めてるようなことされても、そんなモノ全然嬉しくない」

 

 観念したか。 俺の強引な言葉に、美遊は苦笑いだけを溢して。

 

「……もう。 お兄ちゃんは、本当に、お兄ちゃんなんだから」

 

 そう、惚れ惚れするほど幸せそうな顔で、俺に告げた。

 

「ん、素直でよろしい。 あ、出来ればお兄ちゃんって呼ぶのは、二人の時だけにしてくれると……」

 

「え……なんで……?」

 

「いやいつでも呼んでくれて構わないぞ、誰の前でも! 何回でも!」

 

「うん!」

 

……ただ。 このもう一人の妹は、どうやら相当甘えん坊らしい。 年相応の表情をする彼女に、俺は必死に兄貴として振る舞った。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-2ーー

 

 

「じゃあ、またお見舞いに来るからね、お兄ちゃん」

 

 病室から出る。 入れ替わりに入っていったのは、衛宮士郎の家政婦らしい。 余程怒っているのだろう、その説教は部屋の外まで聞こえていた。

 ちょっとだけ、それが微笑ましい。

 美遊は廊下を歩いていくと、やがて利用者用に設けられている休憩室があった。 平日の昼間と言うこともあって、人の影は無く、見知った二人が距離を置いて鎮座するだけ。 その二人に、報告する。

 

「……士郎さんの意識が戻りました。 傷も残ってはいますが、命に別状は無いとと思います。 より正確に知りたいなら、後は自身で確認された方が良いかと」

 

 二人ーー凛とルヴィアは席を立ち、

 

「ん、報告ありがと。 クラスカード持ちとはいえ悪かったわね。 今なら誰も居ないし、ここで寝ててもバチは当たらないわよ?」

 

「些かエレガンスに欠けますが、私もそれには賛成ですわ。 隈が出来るまで頑張ったようですし、後は私達に任せなさい」

 

「……はい。 それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 どっちかと言えば、隈など既にどうでも良いほど気持ちは高揚してるのだが……彼女達の優しさは、この身に染みた。 ありがたく美遊は長いベンチのような椅子に横になると、そこで二人が、

 

「それとーー良いこと、あったみたいね。 ちゃんと笑えるじゃない、あなた」

 

「その顔を大事になさい、美遊。 淑女の武器は、笑顔も含まれますわよ?」

 

 そう、妹の成長を喜ぶように、離れていった。

 

「……バレてた、かな」

 

 何がと言われれば、無論士郎に対しての想いだろう。

 昨夜士郎が倒れたとき。 一番取り乱したのは、美遊だった。 柄にもなく必死に、柄にもなく涙すらボロボロ溢して、美遊は絶望しかけていた。

 そんなときに、セイバーのクラスカードが唐突に光と魔力を発して、士郎の体が治りだすのだから、最早喜んで良いのかその異様な再生力に驚けば良いのか、よくわからなかっただろう。

 そうして淡々とこの病院に運び込まれたとき、凛とルヴィアが言ったのだ。

 

ーーそれじゃ、美遊はここで衛宮くんの意識が戻るまで監視してなさい。 片時も目を離さずに。

 

ーーそれまでは病室からは出ないこと。 これは、命令ですわよ?

 

 そう言われて、美遊は心底思った。

 ああ、この人達には勝てないな、と。

 きっと二人は、自分と士郎が只ならぬ関係であることに気づいている。 だからそれの邪魔をしないために、わざわざあんな遠回りに看病しろと言ってくれたのだ。

 感謝しても、しきれない。 おかげで、ようやく笑えたような気がしたから。

 

「……美遊様」

 サファイアが耳打ちする。

 

「私は、美遊様のことを何も知りません。 ただ、士郎様と触れ合う美遊様は……とても、輝いているようにも見えました」

 

「……うん、そうだね」

 

 肯定する。 ならばと、サファイアは続けて。

 

「美遊様は、イリヤ様のことをどうお考えですか?」

 

「?……どうって?」

 

「士郎様がああなってしまった原因は、イリヤ様にあります。 それを、何とも思われないのですか?」

 

「……あっ」

 

 忘れていた、すっかり。 そんな態度を示した美遊に、サファイアはリボンをへたりと揺らす。

 

「……美遊様。 まさか、失念されていましたか?」

 

「……うん」

 

 はぁ、というため息が聞こえなかった辺り、まだマシなのか。 だがサファイアはそんな空気を断つように、

 

「それで、どうなのですか? アレは、不可抗力だったで済まされるモノではありません。 一歩間違えれば私達まで死んでいたでしょう……それを、あなたは許せますか?」

 

 美遊は思い出す。 もう二度と、傷ついてほしくない人が傷ついたときを。

 そしてもう一度、思い出すーーイリヤが言ってくれた、初めての言葉を。

 

「……確かにイリヤは、お兄ちゃんを傷つけた。 私が何としてでも守りたいものを。 でも」

 

 肝心の本人が、こう言ったのだ。

ーーイリヤをあんまり、責めないでやってくれ。

 それは儚くて、苦しくて、どうしようもなく切ない願いで。 自分ではない誰かに、それが向けられていることが……とてつもなく辛くはあったけれど。 あんな顔をされたら、何も言えなくても。

 でも同時に、安心した。

 ああ、変わらないな、と。

 

「イリヤは私を友達だって、そう呼んでくれたから。 あの子が泣くのも、お兄ちゃんが傷つくのも、どっちも嫌だから」

 

 だから。

 

「ーーあの二人が居ない今日、全てを終わらせる」

 

 少女は天井を見据える。

 例えちっぽけでも。

 静かに燃える闘志は、鉄をも溶かす。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-2ーー

 

 

 

 

 

 

 

 良く悪いことばかり囁かれるが、入院食とはそこまで不味いわけではない。 ちゃんと栄養バランスを考え、かつ良い材料で調理しているのが入院食であり、単純にアレは患者に届くまでの時間や配膳の問題もあるんじゃないかと思うのだが。

 

「……うーむ」

 

 ただ、やはり実家のご飯が食べたいなぁ、と思うのは、元気な証拠なのだろうか。 それとも十七という歳だと、油っこい揚げ物や肉を食べたくなるだけか。 俺は腹をさすりつつ、すぐにシーツを被る。

 現在の時刻は、夜の九時前。 食事をしたのは既に数時間前だが、それでも入院食の味は口の中に染み渡っている。

 

「……ダメだ。 何か食べたい」

 

 こう、ジャンクフード的なものを。 ハンバーガーでも良いが、この場合はフライドポテトかチキンだろうか。 どっちにしろ、病院を抜け出そうものならまた面倒なことになりそうなので、出来ないが。

 あの後、遠坂やルヴィア、セラ達はお見舞いに来てくれたものの、結局イリヤは来てくれなかった。 セラ曰く『気分が悪いから』だそうだが……俺のことを気にしているのは明白である。

 

「……別に足や腕を失ったわけでもなし、生きてるんだから別に良いんだけど」

 

 それよりイリヤ本人の方が心配だ。 カレイドステッキの力をよく知らないが、昨日の爆発はランクに換算すると、Aに届くほどだった。 そんな魔力を一気に放出して、イリヤは大丈夫なのか?

……大丈夫なわけがない。 一魔術師が放出するには、余りにも規格外すぎる。 遠坂ですら、十個ある切り札を切らなければならなかったぐらいだ。 ましてやイリヤは子供、無事で済むハズがーー。

 と、そのとき。

 とんとん、と病室のドアをノックする音が聞こえた。

 

「……? はい、どうぞ」

 

 もう病院は閉まっているハズだ。 だとすれば、こんな時間に見舞いに来るモノなど居ない。

 消去法で考えれば、看護婦しか無いが……その選択肢に、もう一つ付け加えることが出来るのを、忘れていた。

 魔術師。 それも見慣れた/久しぶりに見た、よれよれの背広を着た、その男の存在を。

 

 

「ーー久しぶりだね。 気分はどうだい、士郎? 車に轢かれた割りには、随分元気そうじゃないか」

 

 衛宮切嗣。

 最早会うことすら叶わない、もう一人の人物と、俺はようやく邂逅した。

 

 



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三日目~オーバークライ/星空の誓い~

ーーinterlude 3-3ーー

 

 

 冬木市。 新都の連なる高層ビルの中で、今はもう使われていないモノもある。 そういうビルは大抵、老朽化が進めば改築して再利用するのだが、使われなくなったのは最近らしい。 ライフラインが通らないそこは、人の影は全くない。

 が、それこそ幸いと言うべきか。 美遊と魔術師である凛、ルヴィアの三人は、暗闇の中を迷わず歩いていた。

 三人が何故こんなところに居るかと聞かれれば、そんなもの答える必要すらない。 美遊が居るということは、カード回収に決まっているからだ。

 昨日の今日でと思うかもしれない。 只でさえここ連戦に継ぐ連戦。 昨日の戦いでは実質後手に回り続け、勝利とも言えない勝利に、少なくない損害を被ったばかりだ。

 更にはーーもう、イリヤスフィールは戦わない。

 

「……全く、ルビーにも困ったものね。 アイツが居れば少しは楽になるのに」

 

「仕方ありませんわ。 私達に契約を破棄させる力も、権限も無い以上、美遊に頼る他ありません」

 

 夕刻のことだ。 公園で待ち合わせ、凛達の前に現れたイリヤは、俯いたままこう言った。

 もう、戦いたくはない、と。

 これ以上、誰かを傷つけたくはーー殺し合いなんてものをしたくはないと。

 そう。 イリヤは戦うという意志を砕かれてしまった……凛達を、美遊を、兄を傷つけたことと、何よりそんなことをしてしまった自分に対して。

 元より無理の話だ。

 美遊が余りに優秀すぎたからか、カレイドステッキに選ばれたイリヤにも期待してしまった。 故にイリヤの心に気付けはしても、それをケアすることは凛達には出来まい。

 まぁ、ルビーがイリヤと共に居ると言ったときは、本気で消し飛ばしてやろうかと凛は息巻いていたが……どうせあとはバーサーカーを残すだけ。 イリヤが居なかろうと、切り札である限定展開(インクルード)を駆使すれば勝てない相手ではない。

 だから、美遊は二人の期待に当然頷いてみせる。

 

「はい。 心身共に問題ありません。 安心してください、全て終わらせます」

 

「……ふぅん」

 

 凛が興味深そうに、美遊に視線を送る。

 凛とルヴィアは、今日はカード回収をせずに、休息にあてようと考えていた。 残り一体とはいえ、そこで気を抜けば命取り。 一日程度経たところで、そこまで歪みは大きくならない。

 そういう考えもあったのだが、士郎の見舞いをした後、美遊は決意したようにこう告げた。

 

ーーカード回収は今日で終わらせます。

 

 それを聞いたとき、さしもの魔術師二人も渋面を作ったものだ。 何せサポート役である二人ですら、疲労は溜まっている。 直接戦闘している美遊の疲労は、その比ではないだろう。 なのに美遊はまるで疲労など感じさせないほど、強い意志を見せつけてきた。

 ここまでさして感情を見せず、カード回収を行ってきた美遊が。 ここに来てようやく、相応の覚悟をしてきた。

 それを尊重しないわけにはいかない。 というか、賛成しなければ美遊、並びにそんな義妹の成長に感動したルヴィアが、鏡面界に突っ込みかねない。 夜の予定は決まったも同然であった。

 それでかは分からないが。 凛は、少し探りを入れてみることにした。

 

「殊勝なことね、美遊。 あなた、最初は私だけで十分とか言ってたのに……この数日で、あなた変わったわ」

 

「? そうでしょうか? 別に、変わったところは無いと思うんですが……」

 

「いいえ。 あなたは何て言うか……そうね、殻を破った、というところかしら」

 

「???」

 

 言葉ではその真意が伝わらないのだろう。 あえて、凛はそのまま語り出す。

 

「確かにあなたは、最初から一人で戦うと言ってたわ。 でも数日前のあなたと、今のあなたはまるで違う。 少なくとも、あなたは誰かのために戦おうとしてる」

 

「……」

 

「それが誰であるかは聞かないけれど、これだけは言っておくわ。……イリヤ『達』と一緒に居たいなら、もっと自分を出しなさい。 あなた、ホント可愛いんだから、そういうところはキッチリしないと損よ?」

 

「え」

 

 てっきり踏み込んだ質問が飛んでくるのかと思い、思わず目をパチパチと開く美遊。 そんな彼女にルヴィアは腕を組んで、こう付け足した。

 

「確かに、美遊は何でもそつなくこなせはしますが、些か侍女だとしても慎みがありすぎますわ。 堂々と、何の気なしに胸を張るぐらいの純粋さが欲しいところですが」

 

「いえ、私はその、胸を張っても寂しいというか……比較対称が大きすぎるというか……」

 

「何で胸の話になってんのよ。 というか私を見て笑うなっ、そこの金ぴか縦ロール!」

 

「ホホホ、ごめん遊ばせ。 私、別にあなたを見て言ってませんの。……良いですか美遊、アレが悪い見本。 あなたもああなりたくなければ、とにかく私を真似ること。 良いですわね?」

 

「聞こえてんのよこのプロレス女ッ!」

 

 途端、暗い視界の中をぎゃーぎゃー騒ぎ出す二人。 一応暗視の魔術を施しているため、やたらめったら暴れているわけではないのだが、良い年こいてあんな風に慎みが無いのもどうなのだろうか。 美遊は疑問に思わずはいられない。

 

「……でも」

 

 そういう面も持つから。 きっと彼女達はこんなに凛々しく、あんなに鮮やかに生きているのだ。

 

「うん。……分からないでもない、かな」

 

 数日前と比べて、自分はこうして笑えている。 守りたいと思えるモノまで出来て、一緒に居たい人が居る。

 恐らく、兄もそうだった。 だからここから先は、美遊の番だ。

 さぁーー終わらせよう。 美遊は改めて心の中でそう決意し、歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 それは、懐かしい声だった。

 

「? どうしたんだい、士郎? そんなに呆けて、らしくない」

 

 それは、とてもとても、懐かしい姿だった。

 午後九時という、少し遅い時間に病室へ現れた訪問者。 普通に来れば良いのに、何故こんな時間帯に来たのだろうか。

 萎びた花のように、皺だらけのスーツ。 緩く結ばれたネクタイはさながら、仕事帰りのサラリーマンのそれだ。

 だが分かる。 知っている。 この男は、神秘に身を置きながら、誰よりも神秘を壊し続ける。

 魔術師殺し、衛宮切嗣。

 十一年前の火事で、ただ一人俺を助けてくれた人。 その火事で、誰よりも救われた人。

 そして六年前、呪いの淵に安らかに沈んでいったーーもう今は会えない、大切な大切な家族。

 

「……いや。 いきなり帰ってきたから、びっくりしてさ。 おかえり、親父」

 

 何て言うべきか。 一瞬、ほんの一瞬だけ、迷いが生まれ、即座にそれを押し潰す。 月明かりぐらいしか照明の代わりになるものがないため、切嗣の表情は見えない。 とりあえず、当たり障りのない会話をしてみることにした。

 

「ハハハ、おかえり、か。 確かにそれは嬉しい言葉だけど、病室で言う言葉ではないね。 それじゃあ僕の家は病院になってしまう」

 

「なに呑気なこと言ってんだよ。 親父だって、そろそろ良い歳だろ? 老後の備えは重要だって、藤ねぇでさえ言うぐらいだ。 親父や義母さんは外国を飛び回ってるんだから、変な病気とか貰いそうで怖いし」

 

「これはまた、親孝行モノだな士郎は。 だけどまだ僕は四十代になったばかりだし、まだまだ現役さ。 勿論、士郎の心配は嬉しいよ、だから今回はーーこうやってすっ飛んできたんだからね」

 

 近くのパイプ椅子を開き、切嗣はベッドの横に腰かける。 その動作が余りに元気だったからか、何だか複雑な気持ちになった。

……俺が覚えている切嗣は、この世界の切嗣ほど元気ではない。 後になってわかったことだが、切嗣があそこまで衰弱し、老けていたように見えたのもーー全ては聖杯の泥に犯されていたのが原因だ。

 だから、打ち明けるわけにはいかない。 この男に頼って良いわけがない。

 ルビー達は、自分から気づいたからなし崩しに話した。 けれど、イリヤと同じようにーーこの世界では誰にも、絶対に話せない。

 俺にとって平和と言えるこの世界で、何故そんな残酷なことを口に出来るのか。 偽善だろうと、嘘つきと罵られようと、そんなものは関係ない、知ったことではない。

……正義の味方として、それは破綻している。 当然、そんなことは分かっているとも。 それでも、この幸せを壊すぐらいならーー。

 

「……どうやら、反省してるみたいだね」

 

「へ?」

 

 全く聞いてなかった俺がそんなに可笑しかったのか、切嗣の頬は弛みきっている。 それに俺は、少しムッとした。

 

「……笑うことないだろ、別に。 言っとくけど、俺だってこんなことになるとは思ってなかったんだ」

 

「はいはい。 でも、僕としては嬉しいかな。 士郎はしっかりしすぎる所があるから、そうやってハメを外すぐらい無いと、男親としては物足りない」

 

「……親父はだらしなさすぎるだろ。 ジャンクフードにしても、バランス良く栄養取れよな。 つか、物足りないってなんだよ物足りないって」

 

「ん、そうだな……例えばほら、殴り合いとか。 そう言うの、結構憧れててね。 ロマンって奴さ」

 

 ぐっ、と。 拳を握る我が父。 それで、どこの世界の切嗣も変わらないんだなー、なんて再確認してしまった。

 まぁ、病院に運び込まれたことで、少しは落ち着いた。 どうにもエミヤシロウの記録と、融合した体のせいか、イリヤを守らなきゃという想いが日増しに強くなってきている。

 前からカッとなることが多かったが、ここに来てから三日、既にもう二回は特攻してしまった。……自制しないと、このままじゃ簡単に命を落としてしまうだろう。 かと言っていても、ブレーキ役である俺の知ってる遠坂や、セイバーは居ないし、イリヤにブレーキをかけられたところで特攻してしまうのは目に見えている。

 ならばこそ、切嗣に問わなければいけない。 その全てを。

 イリヤの力。 アレがもし、聖杯としての力だと言うのならばーーこの世界でも、聖杯戦争が行われていた証拠。

 

「……なぁ、親父」

 

「うん?」

 

「イリヤのことなんだけどさ。……イリヤは、本当は」

 

 ホムンクルスなのか。 そう問おうとして、そこで口をつぐむ。

……それは、本当に答えさせて良いことなのか。 もしかしなくても、今のイリヤは、衛宮の家は、決して簡単に出来たわけではなくて。

 それを完膚なきまでに、壊してしまう問いなのではないか?

 

「……イリヤは」

 

 頭に浮かんだ言葉が、口から発せられない。 ただの呟きでも良いから、響かせれば良いのに。 色んな考えが頭を回るせいで、それがどうしても出来ない。

……ちくしょう。 もしそうなら、それを解き明かすなんてこと、出来るわけがない。 究極的に言ってしまうのなら、俺はこの世界の切嗣とは何も関係がない……だからエミヤシロウの後を継いだなら、それを壊すことだけは出来ない。

 でも本当に守りたいなら。

 俺はそれすら、壊さなければならないのだろうか。

 

「……何もないなら、僕から良いかい?」

 

「え、あ、……おう」

 

 突発的に言われ、こくりと首を動かす。 切嗣は成績でも問い質すかのような気軽さで、こう言った。

 

 

「ーー魔術を使うことには、もう慣れたかな?」

 

「……っ!?」

 

 一瞬。

 本当に、くら、と目眩がした。

 

「そ、れは」

 

 不味い。 心臓が余りの緊張に、警鐘のようにぐわんぐわんという音までがなり立てている。 それだけ、今の質問は衝撃が大きかった。

 魔術を使うことには慣れたか?

 つまり今の言葉で、少なくとも切嗣は魔道に身を置くもので、そして俺の魔術回路もとっくに見抜いていたと分かる。

 だが切嗣とて、俺のこの特異な体を見れば、ある程度は異常を察するに違いない。

 二十七の回路を開いても、何ともない体。

 二十七本も魔術回路を開けば、普通は意識が飛ぶ。 なのにこうやってピンピンしてる時点で、切嗣も俺の身体が特殊だと気づき。

 子供の頃の俺と、今の俺の体が余りに違うことに、気づかないわけがない。

 

「……悪い」

 

 悟られないように。 あくまで魔術を知ってしまった罪悪感を表に出して、俺は切嗣から視線を逸らす。

 

「何で士郎が謝るんだい? 別に悪いことをしたわけじゃない。 全く、どうせなら封印(・・)なんてせずにいれば良かったかもしれないね」

 

「……は?」

 

 いや待て。 今、なんて?

 

「うん? ああ、士郎は知らないかもしれないけれど、士郎の魔術は規格外というか、ズルというか……とにかく、人から見れば反則技みたいなものなんだ。 それをホイホイやるもんだから、記憶と一緒に魔術回路も封印していたんだけど……まさかイリヤと一緒の時期にそれが外れるとはね」

 

 些細なことを話すような口振りだが、今のは違う。 切嗣は今の言葉の意味を理解しているのだろうか。

 俺と同じ時期に、イリヤの封印が外れた。

 それはすなわちーーイリヤは。

 

「……イリヤは何なんだ」

 

 イリヤのあの魔力は、溜めに溜めた、聖杯としての機能なのではないか?

 それが分かってしまえば、責任だとか義務だとか、そんな曖昧なことは意識から吹き飛んだ。

 

「答えろ、親父。 イリヤは、聖杯(・・)なのか」

 

「!?」

 

 さしもの切嗣も、今の言葉には面食らったに違いない。 何せイリヤが聖杯であるなど、それこそアインツベルンにしか分からないハズだ。

 そして聖杯なんてそんな言葉を吐けるのは、俺があの戦争ーー聖杯戦争を知っているから、ということに辿り着く。

 だが、今の俺はエミヤシロウとの誓いすら、この激情のせいでどうでも良かった。 少なくとも、あの地獄でたった一人救われた破綻者ーー衛宮士郎として、俺は今切嗣に問いかける。

 

「……士郎。 何故君が、それを」

 

「四の五の言わずに答えろ、切嗣(・・)。 聖杯戦争なんて、ここには無いんじゃないのか。 だから、イリヤはああやって幸せに暮らしてて……切嗣もここに居る、そうじゃないのか……?」

 

「……」

 

 恐らく。 そんなことを横から言うのは、とんでもない間違いで。 そして何より、それを俺が言う資格など無い。

 多分、少しは妬みの気持ちがあったのも、否定できない。 こんな世界に、妬まないハズがないだろう。 何もかもが悲劇のまま、終わってしまったこともあったのに、この世界はそれが、全て無いのだ。

 でも、だから。

 これだけは、嘘をつきたくなかった。

 

「……」

 

 切嗣は答えない。 何を隠しているのかは知らないが、答えられるものは答えてもらわねば。

 

「切嗣」

 

「……そうだね。 その前に、士郎がどうやってそれを知ったのか、教えてくれるかい?」

 

 ふむ。 確かに、情報の出所は気になるだろう……ここまで来れば、ボカす事も出来ない。 腹芸など得意ではなかったが、こうも早く種明かしになるとは、情けないの一言だ。

 だけど何処かでこうなることが分かっていたのか、それともこの重荷を降ろせるからか。 口は勝手に動いた。

 

「分かった、話す……とは言っても、簡単な話だ。 俺も、聖杯戦争のマスターだったんだ」

 

「?……それは、どういう……」

 

 ことなのか。 そう告げる前に、はっ、となる切嗣。 どうやら今までのピースをはめて、俺が何なのか思い当たったらしい。

 ごくりと喉を鳴らしたのは、果たしてどちらか。

 全てを明かす。 それは辛いことで、そして残酷な事実を告げる処刑鎌。

 

「ーー俺は、平行世界の衛宮士郎。 第五次聖杯戦争を生き残った、マスターだ」

 

 そうして、俺は全てを話す。

 俺は第五次聖杯戦争を勝ち抜いたマスターで、その後アクシデントに見舞われてここに来たこと。 第四次聖杯戦争の顛末、義母さんーーアイリスフィールは死に、イリヤはアインツベルンに取り残されたこと。 俺は切嗣に拾われたが、数年後に切嗣は死んでしまったこと。 聖杯戦争中に、家族だと知らなかったイリヤは、サーヴァントに殺されてしまったこと。

……歯止めは、効かなかった。 いや、最初から効かせるつもりもない。 俺はもう疲れ果てていたのだ。

 たったの三日。 その三日の内何度嘘をついて、何度みんなを、イリヤを裏切ったか。 自分が最低だってことは分かる。 でも、それは今考えれば、エミヤシロウのことすら裏切っていたのではないか。 そう思えて、仕方ない。

 そして。

 切嗣は、こう言ってきた。

 

「……そう言えば。 この世界に来たアクシデント、それを聞いてなかったね」

 

「……」

 

「?、士郎?」

 

……分かっている。 ここまで話したのなら、言うべきだ。 今度はもう躊躇わない。

 それを、話す。

 

「聖杯戦争の協力者が。 遠坂の当主でさ……ソイツは俺の師匠で、その日も遠坂の家で魔術の鍛練をして、そのとき一つの礼装の設計図を渡されたんだ。 それに触って、この世界に来た。 第二魔法のトラップ」

 

「……なるほど。 にわかには信じがたいが、第二魔法への足掛かりは、そう甘くはなかったと言うわけか。 それで、ここに君は来た。 ということは、僕の世界の士郎は……君の世界に?」

 

「……いや。 ここに居るんだ、切嗣。 俺は、ここに居る」

 

「?」

 

 胸に手をあてる。

 

「第二魔法のトラップだとは言ったけど、それは正確には違うんだ。 確かに、俺はこの世界に来た。 だが、あくまで来ただけで、俺はとある人物と融合してここに居る」

 

「……まさ、か」

 

 その顔が固まる、絶望に染まる。 そんな彼を這い上がれないところまで、叩き落とす。

 

「ーー俺は、この世界の衛宮士郎の体を奪い、その精神を潰した。 だからもう、二度と会えないと、思う」

 

 切嗣が、パイプ椅子の上で項垂れる。

 彼の表情は、依然として暗闇に消えていて、よくは見えない。 だがそれでも、切嗣はその虚無感を味わっているハズだ。

……もう、良いだろう。 殺されても文句は言われない。 こんな男が、エミヤシロウの後を受け継ごうなど、やはり間違っていたのだ。

 死者は蘇らない。 生者に代わりなど居ない。

 何故、見てみぬ振りをした。 何故、それでも守っていこうなどと勘違いした。

 そんな愚行で、他人の居場所になれるわけなどないのに。

……ああ。 きっとアーチャー(あの男)が絶望したのも、これが一因だったのかもしれない。

 小を切り捨てていけば、その中で大事な人も失っていく。 だから失った人の支えになりたくても、偽りの正義の味方にそれは許されない。

 何故ならこの身は、誰かを助けなければならないと、強迫観念に突き動かされ、支えなどと言う一つの位置に収まっていられないから。

 手遅れの戦場で、奴はそれを何度も味わった。

 馬鹿みたいに人を殺して、それでも人の為になれれば。 誰か一人でも救えれば、それだけでこちらは十分だなんて、そんなものただの押し付けの救いだ。 本物はそんなこと言わない。 そうして、誰かの居場所を壊したのは誰だったか……それで迎えた悲劇は、どれだけ酷く、どれだけ惨かったか。

 知りたかったわけじゃない。

 だけど、知りたくもなかった。

 世界中から大切な人を奪い続けて、多くの慟哭が響く。 それを糧に築いた、大きな幸せが、世界の真実に他ならないのだ。

 そんなモノを、そんな醜い世界を。

 一体、誰が望んだ?

 

「……っ」

 

……否。 断じて、否。

 故に誰もが幸せでほしいなど、お伽噺だ。 いや、お伽噺ですらない、ただの妄想だ。 創作であっても、誰もが幸せであった世界などなかったではないか。

 だから。

 それを作ろうとする奴など、ここで。

 

「……ああ、分かった」

 

 死んだ方が、良いのに。

 

 

「ーーよく、話してくれたね、士郎。 そして、すまない」

 

「……え?」

 

 最初。 何かの聞き間違いかと思った。

 だが次いで、その温かさで嘘ではないと悟った。

 抱き締められている。 ずっと前に、この想いをくれた人に。 俺の頭に手を置いて、こんな奴など死んでしまえと、そう吐くのではなく、あくまで息子に接するように。

 俺を、衛宮切嗣は抱き締めていた。

 

「辛かっただろう……そんなことを黙ってて。 みんなを騙して、苦しかっただろう?」

 

「ぁ、っ、え、」

 

 頭がバカになっちまったのか。 聞きたいことなどいっぱいあって、それよりも謝らないといけなくて。

 それでも、この想いは溢れていて。 この胸を、焦がし続ける。

 

「あぁ……ごめん、ごめん、士郎。 君がそこまで追い詰められているのに、僕には、何も出来ない」

 

「……なんでだよ」

 

 分からない。 何故、抱き締められているのか。 どうして被害者のハズの切嗣が、俺なんかに謝って、あまつさえ殺そうとしないのか。

 息子を殺されたのに。 こんな最高の、誰もが幸せだった世界を、ここに来て壊してやった奴を、どうしてーー?

「なんで。 なんで、爺さんが謝ってんだよ。 そんなの違うじゃないか。 爺さんは誰よりも頑張って、誰よりも愛した家族を殺されたんだぞ? なのに」

 

 その背中に手を回さず、困惑する俺とは対照的に。

 

「なんでアンタが泣いてんだよ、爺さん」

 

 大切な人は、号泣するように泣いていた。

 爺さんが、呻く。

 

「……家族を、守れなかったからに決まっているだろう」

 

「だったら、俺を殺せよ。 何で、俺を、抱き締めてんだよ。 そんなの可笑しいじゃないか。 俺は」

 

「……士郎だって被害者だ。 違うかい?」

 

 ああもう、何も分かってない。 俺は、殺されようと構わないのに。 どうして切嗣にはそれが分からないのか。

 

「違う。 俺が、俺が殺したんだ。 だから」

 

「なら士郎。 自分の顔を見て、その言葉を言ってみなさい」

 

 やめろ。 聞きたくない、見たくない。 駄々など言ったことも無かったのに、俺は首を横に振る。

 それに対し、爺さんは、俺の頬に指をつけ。

 

「……こんなにも泣いている士郎が、そんなこと出来るわけがないじゃないか」

 

 そこで、自分も泣いていることを、理解した。

……切嗣が涙を拭いて、俺を抱き寄せる。 それにどうしようもなく受け流されるのが嫌で、手を回すことだけはしなかった。

 

「もう良い、分かったから。 士郎がどれだけの人を騙して、傷つけたかは、よく分かったから。 だからそんな、無意識に泣くような泣き方はしないでくれ、士郎」

 

「……違う。 俺には、そんな資格はないんだよ、爺さん」

 

 そうだ。 だって、

 

「……俺はこの世界の人間じゃない。 どれだけ爺さんのことが、イリヤのことが大事でも。 二人から幸せと居場所を奪った俺に、イリヤを守れなかった俺に、そんな資格はっ……!!」

 

「士郎」

 

 その先は言えなかった。 言う前に、分かってるっていう、口振りだった。

 だから、返す言葉だって、もう分かっている。

 

「……それでも僕は、君をこうやって、守るよ」

 

「……ぁ、……」

 

 分かって、いたのに。

 その言葉だけで、涙腺を崩壊させることなど、簡単なことだった。

 

「君が何度、そうやって自分を責めたり。 世界中の人が、君を悪い奴だと言っても。 それでも僕は君を、君達を守る。 十年前からずっと、そう決めてたんだ」

 

「じい、さん……」

 

 一度、面と向かってその顔を見る。 切嗣は不器用に父親らしく笑って、俺を力一杯、その胸に埋める。

 

「罪は償えない。 でも一緒に、その罪を背負うよ。 父親らしいことなんてこれぐらいしか出来ないけれど、それでも良いかい?」

 

「……じゅうぶんすぎるよ、そんなの……背負わせたくないのに、勝手なことしやがって……」

 

「ハハハ。 親ってのはね、背負うモノなんだ。 だから士郎」

 

ーーもう我慢することなんて、ないんだ。

 ダメだった。

 その一言だけは、どうしても。

 少なくとも、手を伸ばさないと誓っていた、切嗣の背中に手を伸ばして。

 みっともなく、泣き喚くぐらいには。

 

「……お疲れさま、よく頑張ったね、士郎」

 

 優しい温もりが、この肌を包む。

 泣く声はいつまでも続いた。 夜という静かな時間に響くそれは、産声でもあっただろう。

 エミヤシロウの後を受け継ぐのでもなく、かといってその責任を放棄するのでもなくーー俺は、ここに来て、三度目の生まれ変わりを果たしたのだから。

 やがて、その声も止んだ。 どれだけの時間が過ぎたのかは分からないけれど、でも、今はどうでも良かった。

 

「……うん。 お互いよく泣いたなあ。 何というか、赤ちゃんみたいな」

 

「う、うるさいな。 仕方ないだろ、俺だって溜め込む方だとは知ってたけどさ……」

 

 ここまでだとは思っていなかった。 もしかしなくても、俺は物凄く恥ずかしいことをしてしまったのではないだろーか。

 流石に俺達も抱き締めあっているわけではなく、離れている。 切嗣はパイプ椅子を片付けると、

 

「じゃあ帰るけど。 その前に一つ良いかい?」

 

「? なんだよ、親父」

 

 一応、洗いざらい話してはいる。 だから、話すことなどもうないのだが……?

 

「あ、これは純粋な質問なんだけど……士郎は、どうして正義の味方になろうと思ったんだ?」

 

「……ああ」

 

 俺の世界の切嗣は、正義の味方について消極的だった。 それはきっと、その道筋が余りに険しかったからだろう。 この世界の切嗣はどうか知らないが、この質問をしている時点で、答えてるようなものだ。

 ならば、俺は自分の気持ちを素直に伝える。

 

「まぁ恥ずかしながら……俺の世界の切嗣(オヤジ)に救われて、そんな人間になりたいって思ったから、かな。 それだけだよ」

 

「……なるほど。 でも、それは」

 

「分かってるさ」

 

 全部分かってる。 だから、今一度ここで誓うのだ。

 

「確かに、全ての人を救うなんて、出来ないのかもしれない」

 

 事実。 俺が救えたのは、味方になった人だけだ。 しかもその味方になった人ですら、守りきれなかったときもある。

 責任で動いたところで、借り物の願いだとして、そんなモノは救いではない。 いつかそのメッキもひび割れて、どこかで絶望する。 そうすることを知っている。 そんなモノのために剣を振るったわけではないと、そう自分自身を切り裂くのも遠い未来ではないだろう。

 でも、だからこそ。 後悔だけはしない。

 

「けれど、俺はそれも全部分かってて、それでも目指したいって思ったんだ。 だったらきっと、誰かを助けたいっていう気持ちは、間違いじゃない。 俺は、救ってくれた切嗣のことを、今も信じてるから」

 

「…………そうか。 うん、そうか」

 

 満足そうに、晴れ晴れとした顔で頷いた親父は、そのまま背広を翻すと。

 

「そんな士郎に、一つ言っておこう。 何でも、新都の廃棄されたビルに、三人の女の子が入っていったらしい。 それも遠坂の一人娘も居るとか」

 

……それって、まさか美遊達の奴、勝手にカード回収を……!?

 

「親父……」

 

「ん、なんだい? あそこはかなり暗いからね、幽霊(・・)でも出るんじゃないかな、と思ってね。 士郎も、もう寝ると良い。

またお見舞いに来るよ」

 

「……ああ。 ありがとう、親父」

 

 イタズラを成功させたように笑い、衛宮切嗣は病室から出ていった。

……ったく。 子供っぽいんだか、大人っぽいんだかよく分からないな。

 

「でも、助かったよ」

 

 おかげで、今夜全てを終わらせることが出来そうだ。

 俺は右手を握り締めると、窓の外を見た。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-4ーー

 

 

 夜は深い。 深すぎて、その闇に呑まれそうになる。

 かくいうイリヤも、そんな闇に呑まれそうになっていた一人だった。 食事もあまりとらないまま部屋に閉じこもり、明かりのないベッドに体を預ける。

 いつもなら悩みを発散してくれるクッションも、今ばかりは抱き締めてもモヤモヤするばかりだ。 ぼう、と。 レースカーテンだけの窓の向こうへ視線を向けても、その先には何も見えない。

 

「……どうしてなのかな」

 

 うじうじするのは、きっと子供だからだと思っている。 あんなことをして、許されるわけが無い。 だからこうやって逃げている。

 怒られるのが怖かったのか、傷ついた人を見るのが怖かったのか。 はたまた、許されないから怖かったのか。

 何にせよ、自分はもう凛との契約を切り、魔術の世界から逃げ出した。 それで結果は出ている。

 と、そのときだった。

 コンコン、と窓からノックのような音が、響いた。

 

「?」

 

……何だろうか。 まさか新手の泥棒? こうやって他人の家にノックしてセキュリティを突破する、画期的というかド直球すぎて首を絞めるような、そんな泥棒さんなのだろうか……?

 が、そんなわけがない。 イリヤはそのシルエットに見覚えがあった。

 

「……ちょ、ちょっと待ってっ」

 

 何でここに居るのか、なんて考えている間にも、彼は外で待っているのだ。 イリヤは急いでレースのカーテンと窓を開けると、ベランダに出る。 そこには、

 

「……よっ、イリヤ。 案外元気そうだな」

 

 今は病院で療養中の衛宮士郎()が、手を上げてピンピンしていた。

 

「……えー」

 

 何か、台無しである。 あれこれ考えて、うじうじしていたのは何でだったかなー、と頭を抱え込まないのが不思議なくらい、その姿はいつも通りだ。

 

「あれ? な、なんだよその表情。 仮にも俺、病院から痛む体をおして来たんだぞ? なのにそんな微妙な顔されると困るんだけど……」

 

「いや……スッゴいお兄ちゃんらしいというか、唐変木というか、ジェラシーショックと言えば良いのか……」

 

 イリヤが視線をズラす。 いつものシャツとジーパンから、少しだけ血に滲んだ包帯が見えた。 どうやら無理をしているのは、本当のことらしい。

 じゃあ何故ここに来たのか。 そもそも、何でそんな態度を取ってくれるのかーー。

 

「何かよく分からないけど……とりあえず、話を聞いてくれイリヤ。 美遊達の奴、今日カード回収を終わらせる気だ。 もう多分鏡面界に離界(ジャンプ)しちまってる」

 

「え……」

 

 かちり、と。 イリヤの意識が凍りつく。

……今日夕方会ったとき。 少なくともあのときはまだ、凛も美遊も昨夜の怪我が残っていた。 ステッキの自動回復(リジェネレーション)を使えば、すぐ回復出来るかもしれないが、それでも疲れは残っているハズ。

 無理だ。 いくら美遊でも、一人で何でもやってしまうような彼女でもーーそんな状態で英霊と戦えば、どうなるかは予想ぐらいつく。

 だとすれば、士郎がここに来た理由は。

 

「俺は美遊達の加勢にいく。 だから」

 

「……やだ」

 

 一緒にいこう。 そう言い切る前に、イリヤはかぶりを振った。

 そうしてしまえばもう、相手が兄だろうが、イリヤは拒絶する。

 

「……イリヤ」

 

「そんな、どうして……? どうして、お兄ちゃんはあんなことを続けられるの? やだよ、あんなの……」

 

 嫌なことから逃げるのは、いけないことだと分かっている。 それでも逃げるのは、全てが怖いから。

 

「怖いよ……傷つけるのも、傷つけられるのも……戦えば、今までの自分じゃなくなってくようで……それでも、戦うなんて、私には出来ないよぉ……!!」

 

 頭を抱える。 耳を塞ぐ。 そうして、自分の殻に逃げ込む。 そうなればほら、もう何も聞こえない、何も見えない。

 これで終わり。 兄が自分を頼ったのも、恐らくカレイドステッキの力が無いと、鏡面界にいけないからだろう。

 だから早く行ってほしい。 もうこんな情けない姿を見ないでほしい。 立ち向かうあなたとは正反対の、怯えで震えて、涙すら出ている私には。

 みんなを見捨てた、私には。

 

「……そっか。 それじゃあ、しょうがないな」

 

 が。 返ってきたのは、落胆でも、罵倒でもなかった。

 呆れ。 手のかかる妹を見たような、そんな呆れ。 そんな当たり前を、兄は私なんかに向けてくれた。

 

「……なん、で……」

 

「なんでって……イリヤは戦うのが怖いんだろ? うん、だったらしょうがない。 しょうがないからーー俺が代わりに戦うよ」

 

 そう言うなり、衛宮士郎は優しくイリヤを抱いた。 三日前の泣きそうな顔じゃなく、心からの笑顔を浮かべて。 その温もりで、イリヤを包み込んだ。

 何だか、久しぶりだった。

 ずっとずっと、こうしてほしかったことを、初めてしてもらったような、気がした。

 

「ぁ、……」

 

「イリヤは怖いから、仕方ないけどさ。 俺は兄貴だから、大丈夫だろ。 任せとけって」

 

 それは、星空の誓い。 一つ一つ、輝く星は空を埋めつくし、まるで宝石のように何十通りの光を放っている。

 そして、兄は約束する。

 

「イリヤの事は」

 

ーー俺が、絶対に守ってやるから。

 心臓が跳ねる。 とくん、という音から、まるでドラムのようにどくんどくん、という音に切り替わる。

 顔どころか全身が熱くなったのだが、それも何だか、どうでも良くなるほど、自分は眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

「……な、何とか出来た」

 

 暗示の魔術を、遠坂(俺の世界の)から習っておいて良かった。 胸の中で崩れたイリヤを、部屋のベッドに寝かせると、俺はベランダに手をかける。

 と、それを待ったにかける人物が一人。

 

「行くんですか、お兄さん」

 

 ルビーだ。

 

「ああ。 イリヤにあんなこと言っちまったからな……正直、今夜の敵はカレイドの魔法少女でも倒せないだろうし」

 

 大英雄ヘラクレス。 十一回の自動再生(オートレイズ)とBランク以下の攻撃の無効、更にはその殺した凶器への耐性のせいで、十二回もの回数、一つ一つ違うAランクの攻撃で殺さねばならない相手だ。 黒化英霊はそのステータスが劣化しているが、バーサーカーはその中でも他の六騎を敵に回すほどの実力者。 少しでも手助けをしなければいけない。

 彼女はふよふよ、と俺の前まで来るなり、どこか上機嫌で喋り出す。

 

「いやぁ、お兄さんってばやりますねぇ。 何でそんな吹っ切れたかは知りませんが、おかげでイリヤさんの好感度はカンスト、濡れ場も何もかもバッチコイカモンな最高状態ですよ!」

 

「お前イリヤから引き離してやろうか、俺契約破りの礼装知ってるんだけど」

 

 言わずもがな、キャスターの短剣だ。 あれならいかにルビーと言えど、契約破棄できる。 俺の不穏な雰囲気に気づいたか、ルビーは慌てて、

 

「も、もー、お兄さんったら冗談がお上手なんですね、あはー☆」

 

「冗談じゃないんだけどな。 他に無いなら、俺はもういくぞ」

 

「はいはい分かりましたよ。お兄さん、ほんっとつれませんねー。 ルビーちゃんショックです」

 

 一言も思ってないことを。 俺は全身に魔力を流すと、去り際にルビーが言った。

 

「……まぁ頑張ってください。 私としても、あなた達兄妹を応援してますから」

 

 それにどんな意味が込められているか、俺には分からない。 表情すら分からないのだ、当たり前だろう。

 でも。 それでも自然に、言葉は出た。

 

「ーー頑張るよ。 俺は、イリヤの兄貴で」

 

ーーみんなを守る、正義の味方なんだから。

 

 

 



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三日目~VSバーサーカー/もう、あなたが戦わなくても良いように~

ーーinterlude3-5ーー

 

 

 冬木に残る、最後の鏡面界。 その高層ビルの屋上では今、三人の少女達による決死の戦いが行われていた。

 

Anfang(セット)ーー!」

 

Zeichen(サイン)ーー!」

 

 凛とルヴィアの詠唱。 それで魔力の込められた宝石は一気に弾丸となり、敵へ散弾銃のように炸裂する。 例え相手がいかなる英霊であろうと、魔術協会総本山である時計塔で 、今期首席として名を馳せる二人だ。 その二人ならば、常識の外に居る英霊でも気を逸らす程度の事は可能ーーのハズである。

 が。 人間ならば受けた途端、蜂の巣になるであろう散弾銃では、

 

「■■■■■■■■■■■■ーーーーッッ!!!!」

 

 その山を切り崩すことは、不可能。

 撃ち込まれた箇所から出る土煙を、その手で払いながら咆哮するのは、最後の英霊となるバーサーカーだ。

 バーサーカー。 背丈はそこらの家屋の天井と同程度に、まるで鬼神のような婆娑羅(ばさら)髪、黒く塗り潰された岩のような肌。 腕は羽が伸びているようにも見えるが、その実鋭利な斧そのもの。

 その名の通り狂戦士を意味するが、凛達はバーサーカーをさほど強い相手だとは思っていなかった。

 何せ、只でさえ意識が飛んで戦っている黒化英霊達だ。 そこに狂化まで入れるとなると、最早暴走機関車と同じだろう。 故に、傷など気にしないだろうが、こちらの攻撃を避けるという思考回路も無いハズである。

 まぁ、その特攻が命取りになる可能性もあるが……少なくとも、三人で動けば的はバラけ、そして直線的な動きしかしないなら狙いも容易だ。 あとはそこを斉射でも、宝具でも何でも叩き込めば、簡単に倒せる。

 だがアサシンの件もある。 何があるか分からない、だが全力でやれば勝てない相手ではない。

 

砲射(シュート)!!」

 

 そう、思っていた。

 美遊はテニスのラケットを振るうかのように、サファイアから砲撃を放つ。 青い砲弾は凛とルヴィアよりも更に大きく、それだけ威力も高い。

 が。 あろうことか、バーサーカーはそれを突進することで突っ切る(・・・・・・・・・・・)と、その豪腕を美遊目掛けて振り抜く。

 

「、サファイア!」

 

 呼び掛けはそれだけで十分。 美遊は物理保護に回していた分の魔力のほとんどを、身体強化に費やし、美遊はギリギリのタイミングでその豪腕をかわす。

 直後、空間を切り裂いたのは轟音。 バーサーカーの拳によって、アスファルトの地面はいとも簡単に隆起すると、その破片を撒き散らした。

 

「美遊様」

 

「分かってる」

 

 ひらりと着地した美遊の頬には、一筋の傷が走っている。 先の破片で切れたのだろう、それは治癒促進ですぐに元通りになったが、事態は好転しない。

 強い。 腕力だけではない。 この英霊が何処の英霊かは知らないが、その体は岩というよりは山、いや大陸そのものか。 こちらの攻撃など触れる前に弾くその体は、やはり自分達には分からない神秘で編まれた宝具なのだろう。

 つまり、バーサーカーにはこちらの攻撃が届いていない無敵の状態。 更にはこの狭い屋上だ、故に先程のように馬鹿げていながら最短距離で詰められる。

 美遊が居る場所から向こう側、凛が苦虫を噛んだような表情を作ると、

 

「このままじゃ埒が空かないわ……ったく、英霊ってのはどいつもコイツも規格外すぎんのよ! よくもまぁ解呪(レジスト)もせずに、ホイホイ攻撃を消し飛ばしてくれるわ!」

 

「美遊、これ以上は私達の宝石が持ちませんわ! 次のアタックで決めますが、いけますわね!?」

 

 対岸のルヴィア達に、こくり、と頷く美遊。 凛とルヴィアは一級の魔術師ではあるが、英霊に届く攻撃魔術は、やはり限りがある宝石しかない。 一応魔術刻印に刻まれた呪い(ガンド)もあるが、一工程(シングルアクション)の魔術ではどんな英霊にも届くまい。

……それに。 美遊は懐にあるクラスカードを手に取ると、今度こそ物理保護などに回していた魔力を全て身体強化に回す。

 それに、昨日の疲れも相まって、動きが遅くなっているのが自分でも分かる。 何分経ったかは知らないが、次で決めなければすぐに勝敗は決まる。

 だから。

 

「……!」

 

 その前に、決める。

 獣のように屈む。 次の瞬間には、膨大な魔力による噴射で、美遊の身体は疾走していた。 流星のような軌跡を描いた美遊はそのままバーサーカーの懐へ行く……かと思いきや、すぐに方向転換して跳躍。 その下をバーサーカーの右腕がかすると同時に、美遊はその右腕を足場に更に踏み込む。

 だが、バーサーカーの手はもう一つある。 巨岩を削り取ったような左腕が、空中の美遊を薙ぎ払わんと迫るーー!!

 

「させるかっての!! Gewicht(重圧)umzu(束縛)Verdoppelung(両極硝)――――!」

 

 しかし、美遊は一人ではない。 バーサーカーの背中辺りに何かがコツン、と触れるなり、凛が詠唱。 瞬間、周りの空気が、バーサーカーをそこに押し留めた。

 黒曜石を使った、一種の拘束魔術。だがそれだけでは、あの化け物には足りない。 バーサーカーの動きこそ鈍ったが、それでも不完全だ。 故に。

 

「そこ、動いたら危ないですわよ!」

 

 ルヴィアが残った宝石を全て使い、その足場を崩落させる。

 効率よく、何より威力のある宝石を的確に使う凛だが、ルヴィアはどちらかと言えば、宝石の数で圧すタイプだ。 それには財政などの魔術師らしい理由があるが、その一つがこれだ。

 応用が効く。

 小粒であっても、束ねれば家屋一つを吹き飛ばすなど容易い。 そして逆に、小粒ならば威力を減らさねばならないときも対処しやすい。

 そうして、足場を取られたバーサーカーと、既に背後を取った美遊の勝敗は、決まったも同然だった。

 

「クラスカード・ランサー、限定展開(インクルード)……!!」

 

 ステッキがカードの情報を読み込み、英霊の座へアクセス。 くるりとステッキを回したときには、紅の魔槍が再現されていた。

 イバラの付いたそれの名は、言うまでもない。 真名を持って、美遊はその魔槍の力を解放する。

 

刺し穿つ(ゲイ)ーー死棘の槍(ボルク)!!」

 

 赤い閃光になった魔槍。 さながら雷のようにスパークしたそれは、最短距離でバーサーカーの心臓を貫いた。

 鮮血が飛ぶ。 深く深くその胸を抉った魔槍は、なお心臓を求めるように動いている。

 刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)。 アイルランドの大英雄、クーフーリンが師であるスカサハから授かったとされる魔槍。 その特性は、因果の逆転……すなわち、心臓を穿つために槍を放つのではなく、心臓を穿ったという結果を作るため、その槍を放つ。 それこそが、この魔槍に込められた呪いである。

 つまり、この魔槍は一撃必中。 この呪いから逃れるには、未来予知にまで匹敵する直感スキルに最上級の幸運。 その二つを併せ持つか、はたまた槍が繰り出される前に倒すか……その二つしかない。 バーサーカーに運命レベルの回避など出来るハズもなく、その心臓は魔槍に貫かれた。

 決着。 これ以上無い終わり。 フラりと揺れているこの巨体も、直に消えていくだろう。

 そう、背後から刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)を握る美遊は、少なくとも思っていた。

 

「……、美遊っ! 今すぐその場から離れなさいっ!!」

 

「え?」

 

 ルヴィアが慌てたように叫ぶが、もう遅い。

 まるで、羽虫を踏み潰すが如く。 もう動かないハズのバーサーカーの腕が、美遊を易々と吹き飛ばした。

 

「が、ぁ、っ……!?」

 

 一瞬、本当に。

 精神と身体が離れたかと思ったほど、認識がズレた。

 美遊の身体と同程度の腕は、その質量と膂力のおかげで、彼女が気づいたときには階段室へめり込むぐらい叩きつけられる。 だが美遊には、しっかり見えていた。

 遠くなるバーサーカーの身体ーーその心臓の傷ごと、その命が蘇生していく所を。

 

(そう、か……)

 

 バーサーカーの宝具。 それは一定ランクの攻撃を無効化させる宝具だと、そう思っていた。

 だが違う。 あのバーサーカーの宝具には、その続きがあり、それがこの蘇生なのだ。

……美遊達は知りもしないが、バーサーカー、大英雄ヘラクレスの宝具の名は十二の試練(ゴッドハンド)。 彼の逸話の中で、最も有名な十二の試練を宝具化したモノである。

 美遊達が後手に回るのは仕方ない。 何せ相手は英霊、かつてその時代にどんなカタチであれ、その名を轟かせた神秘の逸脱者だ。 数人程度の人間に殺されるならまだしも、こと彼らの戦場で負けるなどということは、決してありえないーー!

 

「、ご、ぶ、……!?」

 

 意識が飛ぶだとか、そんな生易しいのならどんなに良かったか。 身体が真横に折れ曲がるほど食い込んだバーサーカーの腕は、美遊にかなりのダメージを与えている。 少なくともAランクの物理保護を容易に突き破り、その口から多量の血を吐きださせるほどには。

 

「美遊っ!!」

 

「美遊様、ご無事ですか!?」

 

 近寄ってきたルヴィアとサファイアに、何とか手でジェスチャーすることで答えるものの、今の一撃は余りに痛すぎる。 あの戦闘では鉄面皮の美遊が、痛みに悶えているのだから。

 

「物理保護を全開にしても、あの威力を連続で放たれたら美遊様が持ちません……治癒促進したとして、流石に肉体のダメージは蓄積していくでしょう」

 

「チッ……あんなの反則も良いところですわ! 宝具レベルの攻撃でしか殺せない身体に、蘇生だなんて……!?」

 

 凛がバーサーカーを睨み付け、

 

「ええ……アイツ、自分の時間を巻き戻すわけでもなく……本当に自分を蘇生させてた。 それこそ、まるで傷自体が無くなってくようにね。 くそっ……」

 

 悪態をついたところで、何かが変わる訳ではない。 むしろそんなことをしている間に、バーサーカーの蘇生がほぼ完了しようとしている。

 凛は腰に携えたアゾット剣で、階段室の壁を切り抜くと、

 

「撤退よ! こんなの相手にしてたら、命がいくつあっても足りないわ!」

 

「あなたに賛同するのはシャクですが……そんなことを言っていられる場合ではありませんわ、ねっ!」

 

 そうと決まれば早い。 美遊を背負ったルヴィアは、凛と共に階段室から下層へといくと、そのまま廊下を走り抜ける。

 

「空間が続いてるのは助かったけど、それはアイツだって同じ。 サファイア、ここまで来れば離界(ジャンプ)出来る!?」

 

「……はい、無論です! 限定次元に反射路形成……!!」

 

 ヴン、と。 床に浮かび上がったのは、カレイドの魔法少女が展開する魔法陣。 離界するためのモノだが、今こうしているときですら、屋上からパラパラと粉塵が落ちてくる。 あと何秒かすれば必ず追い付かれるだろう……だから、

 

「……離界(ジャンプ)……!?」

 

 動けないハズの美遊が、その魔法陣から飛び出したのは、誰にとっても予想外であった。

 凛とルヴィアがこの世界から消える。 しかし背負われていた美遊は、静かにその魔法陣から出ていたのだ。

 

「美遊様……!? 一体何を!? これ以上は危険です、撤退しなければやられるのは……!」

 

「うん……私達、だろうね」

 

「なら!」

 

「だったら」

 

 前髪に隠れていた両目が、顕になる。

 鉄。 その目はまるで、鍛え上げられた一つの剣のように鋭く、美遊はあくまで敵だけを見据えていた。

 

「私が、アレを倒せる存在になれば良い」

 

 そう。 簡単なことだ。

 自分では確かに勝てない。 だが、英霊の宝具ならば貫通できた。 それの意味することは、英霊ならば勝てないわけではない、ということ。

 つまりは美遊が、そういう存在になれば良いのだ。

 彼女がすっ、と取り出したカードをサファイアに当てる。 それは手持ちで中で最優のクラスカードであるセイバー。

 やり方は知っている、見たこともある。

 

「やっと一人になれた……今からすること、秘密だから。 イリヤスフィールは何故か使えたけど、カードの本当の使い方」

 

 故にーー同じ機能(チカラ)を持つ美遊が、出来ないわけがないーー!!

 

「ーー告げる!!」

 

 触媒はカード。 それの情報を必死に身体へ押し込め、美遊は詠唱する。

 

「汝の身は我に! 汝の剣は我が手に! 聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのならば応えよ!」

 

 揺れが更に大きくなる。 瞬間、美遊から五メートルほど後ろの天井が崩れ落ちた。

 バーサーカーだ。 恐らく、屋上を走り回った後、真下にあると感づいたのだろう。 そのままここまで、単純に腕力で壁をぶち破ったのだ。

 しかし、今の美遊には関係ない。 そんなこと、些細なことでしかない。

 

「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者!」

 

「美遊様っ!!」

 

 サファイアがほとんど悲鳴のような声を出すが、それでも美遊は詠唱を止めない。 そこにあるのは、たった一つの想いだけ。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手ーー!」

 

 背後から迫るバーサーカー。 その岩盤を削ったような腕が、その階ごと美遊を崩落させる、その前に。

 詠唱は、完了した。

 

「ーーーー夢幻召喚(インストール)!!!」

 

 渦巻く。 美遊の身体を包む莫大な魔力は、彼女を守護するかのようにその身体を覆い尽くす。

 それを直感的に危険だと感じたのか、バーサーカーは更なる力を込めて腕を振るったが、美遊には届かなかった。

 剣だ。 黄金の剣、いや聖剣。 それが、これまで幾多の障害を一度で粉砕しきったバーサーカーの力を、真っ正面から受け止めていたのだ。

 月光のような絢爛な光を反射させるそれは、一体人間が作れるものなのか。 そう問わねばならないほど、その聖剣は美しく、そして何よりも輝いている。

 それも必然。 何故ならそれこそが、かつて星が鍛えたとされる、一つの幻想(ユメ)

 人の想いが剣を成すそれの名は、約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 その聖剣で、バーサーカーの腕を弾き返す者は、この場に一人しか居ない。

 

「……撤退は、しない」

 

 ざぁ、と風が舞う。 それに流された青いドレスと、そこから伸びた四肢は鉄の鎧を纏っていたが、身体は幼いまま。 さながら、騎士の真似事をする未熟者。

 

「全ての力をもってーー今日、ここで」

 

 だが未熟者であっても、みくびらないでもらおうか。

 今宵、その未熟者ーー美遊・エーデルフェルトは、

 

「全てを終わらせる!!!」

 

 英雄にすら牙を剥く意志を持って、この戦いに望んでいるーー!!

 

 

「■■■■■■■■■■ーーーーーーッッ!!!」

 

 

 吼える。 漆黒の巨獣が、英霊化した美遊をただの障害ではなく、敵と認めたのだろう。 鉄柱のような筋肉がミチミチと音を立て、弓を射るようにその力が一気に解放される。

 地を蹴る速さは、先と変わらない。 だが明らかに違う。 そこに込められたのは間違いなく、純粋な殺意。

 

「ふっ……!!」

 

 が。 そんなもの、美遊にはまるで関係なかった。

 鷲掴みにしてくるバーサーカーの手。 その全く見えないほど加速した手を、美遊は前に進みながら、態勢を低くして軽やかに回避。 そのまま聖剣をバーサーカーの胸に突き立てた。

 

「■■■■■■■■■■■■ーーッ!?」

 

 さしものバーサーカーも、まさかこんなに簡単に避けられるとは思っていなかったのだろう。 その身体を貫く痛みに、バーサーカーは絶叫し、引き剥がすべく暴れようとする。

 させるものか。 美遊は突き立てた聖剣を柄まで押し込むと、踏み込んだ勢いで一気に振り上げた。

 傷口から夥しい血が流れる。 それで死んだのか、バーサーカーは膝をついて沈黙した。

 まるで果物にフォークを突き刺したような、そんな風景を思わせる。 果汁が血だとすれば連想しやすいかもしれない。

 

「はっ、は、っ、ぁ、……!!」

 

 だが美遊とて、涼しい顔で一連の行動をしたのではない。 そもそも夢幻召喚(インストール)という行為が、美遊の疲れた身体に鞭を打ち続けているのだ。

 荒い息遣いのまま、美遊がバーサーカーを注視していると、

 

「美遊様……?」

 

「!……サファイア?」

 

 聞き慣れた声はサファイアだが、その出所に美遊は驚いた。 何故なら今持っている聖剣から、サファイアの戸惑う声が響くのだから。

 

「驚いた……その姿になっても、話せるんだね?」

 

「あ、はい……それで美遊様、この姿、この力は一体? まるで……」

 

 英霊ではないか。 サファイアはそう言おうとするが、丁寧に答えている暇はない。 美遊は早口で教科書を読むように、淡々と告げる。

 

「……通行証(カード)を介した、英霊の座への間接参照(アクセス)。 クラスに応じた英霊の力の一端を写しとり、自身の存在へ上書きする疑似召喚」

 

「え……?」

 

「つまりーー英霊になる。 それがカードの本当の使い方」

 

 突拍子が無さすぎる話だ。 そもそも、美遊がどうしてそんなことを知っているのか。 魔術協会ですら完璧には分析出来なかった、超一級の魔術品であるハズのクラスカード……その詳細を知る美遊は、一体?

 

「話は終わり、敵が起きる」

 

「!?、まさか……!?」

 

 が、そんなサファイアの疑問を取っ払うかのように、沈黙していたバーサーカーが活動を再開する。

 ビキビキビキ、と岩を無理矢理繋ぐような音は、バーサーカーの致命傷が治る音だ。 しかもその殺気は、最早相対するだけで弱小とはいえど英霊すら殺せるモノになっている。

 

「二度目の蘇生……! やはり相手は不死身です、美遊様!」

 

「いや」

 

 だが、美遊の心は折れていない。 そんなもの関係ないと、聖剣を握って答える。

 

自動蘇生(オートレイズ)なんて破格の能力、そう何度も出来ない。 必ず限りがある……だったら!」

 

 蘇生直後で動けないバーサーカー。 その隙をつき、美遊は即座に地を蹴って肉薄する。

 

「何度立ち塞がろうと、その全てを打倒するーー!」

 

 が。 既に美遊は、追い詰められていることに気づいていなかった。

 

「……!?」

 

 肉薄し、振るった剣。 絢爛な装飾を施された聖剣は先程、バーサーカーの強固な肉体を貫いたばかりだ。 なのにその聖剣は、その薄皮を一枚剥がしただけで、無惨に火花を散らした。

 さながら鈍器を、岩盤にぶつけたように。

 美遊はそれに目を見開き、動きが鈍ってしまう。 そこを逃さぬ英霊など居ない。 バーサーカーも例外ではなく、聖剣ごと美遊を弾き飛ばした。

 近くの壁を貫通し、転がる美遊。 デスクや椅子を巻き込んだところからして、何らかのオフィスだったフロアか。 何とか受け身を取るが、バーサーカーはその時点で美遊に接近しており、頭から潰さんと拳を振り下ろす。

 

「……!」

 

 甘く見るな。 美遊が今、夢幻召喚(インストール)した英霊は、あのブリテンの赤き竜、この国でも有名な騎士王だ。 その騎士王が持つ一級の直感スキルなら、どう対処すべきかなど一目瞭然。

 寸前で拳から顔を守るため、滑り込ませた聖剣で逸らすと、そのまま横に回転させるがごとく聖剣を一閃。 今度はバーサーカー自体の勢いもある、これで入らないわけがない。

 

「、また……!?」

 

 しかし、入らない。 星の聖剣は、バーサーカーの脇腹で金属音を掻き鳴らすばかりで、たった一人の英霊の肉にすら、その刃を食い込ませることが出来ない。

 すぐに美遊は不味いと直感したが、もうそのときには、バーサーカーの豪腕が背中を強打。 一気に端の壁まで叩きつけられ、ずるずると床に落ちる。

 

「美遊様!!」

 

「ぐっ……!」

 

 前頭部から流れる血。 英霊を宿した身体でも、これだけの威力とは……舌を巻く美遊に、サファイアは報告する。

 

「体表の硬度が異常すぎます……恐らくあの英霊の宝具は、蘇生だけでなく、一度自分を殺した攻撃は通じないのでしょう……神秘に編まれたあの肉体を突破するには、他の攻撃手段、しかも宝具級の攻撃でなければ不可能です!」

 

 サファイアの考察は正しい。

 バーサーカーの宝具、十二の試練。 その宝具の効果は、Bランク以下の攻撃の無効化、十一度(・・・)の蘇生に、既知の攻撃ではダメージを与えられないという、反則に等しい力。

 つまり、もうセイバーではダメージを与えることは出来ない。 これで、詰め。

 

「これ以上は本当に危険です! 美遊様、どうか撤退を……!!」

 

 悲痛な声は、美遊を思っての言葉だ。 サファイアにそんな思いを抱かれるのは嬉しいが、逆に悲しくもある。

 でも、だから。

 

「……撤退は」

 

 彼女は、立ち上がっていられる。

 

「絶対にーーしないッ!!」

 

 じっとりと頭から流れる血を吹き飛ばすように、美遊は突進。 そのまま、バーサーカーへと再度挑む。

 しかしバーサーカーは冷静だった。 いや、黒化している時点で冷静もないのだが、ここに来て死に体の美遊に対し、情けをかけることもない。 ただその剛力を存分に振るい、嵐のような拳を生み出す。

 肝心の美遊は、突進したは良いが、凌ぐので精一杯だった。 バーサーカーが嵐だとすれば、美遊は疾風……例えいくら速かろうと、嵐という力には消し飛ばされるしかない。 すぐにまた先と同じように、聖剣ごと壁に弾き飛ばされる。

 

「美遊様!!」

 

「ぐ、ぅ、……っ、……!」

 

 身体が重い。 心臓が張り裂けそうなほど、酸素を欲している。 だが肺は、今の一撃で潰れたのか、息をするだけで血がせり上がってくる。

 どうやっても無理だ。 セイバーを夢幻召喚しているままでは、美遊に勝機はない。 仮に殺せたとして、その先があれば美遊は死ぬ。 セイバーを夢幻召喚するのが精一杯な美遊では、他のカードを夢幻召喚したところで、どうなるかわかったものではない。

 

「美遊様、何故です!? 何故そこまで一人に拘るのですか!? 勝てないのであれば、撤退するのがセオリーです! 別に今日でなくとも、また後日挑めば……!!」

 サファイアの言う通り。

 この場は、撤退するのが一番だ。 そんなこと、サファイアに言われなくたって理解している。 こんなことを続けても、無駄死するだけだということも。

 それでも。

 

ーーうん! それじゃ、あらためてよろしくね、ミユ!

 

ーーだからワガママなんだろ? 別に嫌なら良い。

 

 それでも、傷ついてほしくない人が居たのではないのか?

 

「……そしたら、今度はイリヤが呼ばれる。 お兄ちゃんが呼ばれる……!!」

 

「!」

 

 振り絞る声は、懺悔にも見える。 失ってしまったモノと手に入れたモノ、その両方の天秤で、美遊は痛みに耐え続ける。

 

「イリヤは戦いたくないって言った……お兄ちゃんには、もうあんな顔をしてほしくないって思った……」

 

 握られた聖剣から、迸る光。 それは美遊の想いそのもの。

 

「分かってる……関わっちゃいけないことも、妬んじゃいけないことも。 全てがあるあの世界(家族)は、自分が触れて良いものじゃないって、そんなこと……!!」

 

「……」

 

 とっくにそんなもの、理解している。

 理解しているから、今こうして、この身を削っているのだ。

 サファイアには何を言っているのか、全く分からないに違いない。 けれど、想いだけは伝わってくれる。

 

「あの兄妹(二人)には、もう二度と戦わせない」

 

 光が増す。 最初は電球程度の光だったと言うのに、いつの間にかそれはフロア、そしてビルの外まで照らし、聖剣が十字架のように形を変える。

 

「例え私と言う存在が擦りきれたとしても……私は!!」

 

 その光は、人の光。 いつか何処かで、その身を散らした騎士の光、心そのものだ。

 故に、その光を束ねたそれはーー戦場においてはどんな逆境、どんな危機を迎えようと打倒するーー!!

 

「ーー私は、友達と兄を、絶対に守る!!」

 

 瞬間、聖剣が振り下ろされ。

 勝利の光が、鏡界面を埋め尽くした。

 美遊達が居たオフィスどころか、ビルすらも破壊せんとした光の斬撃は、一気に鏡界面を横断した。

 轟音などない。 何故なら轟音を発する前に、その光の前には全てが等しく塗り替えられるからだ。

 約束された勝利の剣(エクスカリバー)。 それが美遊の夢幻召喚した英霊、アーサー……いや、アルトリア・ペンドラゴンの持つ最強の宝具だった。

 光が消え失せる。 光の斬撃をモロに受けたフロアは、美遊のすぐ近くから床すらない。 バーサーカーなど、消し炭になっただろう。

 その破壊を引き起こした美遊は、一応無事だった。

 カードも排出して倒れ、サファイアも手放しているが、何とかまだ意識も失っておらず、その服もカレイドサファイアのモノだ。 これなら戦える。

 

(私の魔力量じゃ、一発で限界か……でも、カレイドの魔法少女なら)

 

「美遊様、こちらです!」

 

 ステッキを探している美遊に、サファイアが名前を呼ぶ。 丁度消え失せた床のすぐ近くだ。 もし下に落ちていたらと思っていたが、これならまだーー。

 と、そのとき。

 美遊の元へ向かおうとするサファイアが、大きな岩肌の腕に捕まった。

 

「!?」

 

 そんな、馬鹿な。 そう言うことすら叶わないほど、美遊の思考回路は凍りついていた。

 その大きな腕は、そのままサファイアを床に叩きつけ、一気に登ってくる。

 バーサーカー。 全身が焦げたかのように、蒸気を発生させる彼は、登りながらその傷を回復させていく。

 

「あ、ぁ、……!」

 

 終わった。 今度こそ、終わった。

 美遊は確信する。 ステッキを握らなければ、魔術一つ発動できない。 限定展開すら使えないこの状況は、限りなく絶望的だった。

 

「美遊様っ、美遊様っ!!!」

 

 ジタバタともがくサファイアだが、その巨体を支える床と同然の彼女ではどうすることも出来ない。

 終わる、終わってしまう。

 

(……嫌だ)

 

 凍りついた思考回路、パニックになって、何も働かない脳。 だからなのか、美遊はそれを癖のように願ってしまう。

 

(嫌……いやっ、いやだよぉ……!!)

 

 その、禁断の願いを。

 

 

「ーーーー助けてよ、お兄ちゃん……!!」

 

 

 そして、願いは届く。

 まず異変に気づいたのは、バーサーカーだった。

 

「……■■ッ!?」

 

 バーサーカーがあげたのは、敵を討ち取った雄叫びではない。 単なる驚きだ。

 それに目を閉じて願っていた美遊がへたり込むと、目を開く。 と、目の前に広がる景色に、今度は美遊が驚く番だった。

 魔法陣。 カレイドの魔法少女のモノに似ているが、細部が雑なそれが、バーサーカーと美遊の間に展開されている。

 イリヤ……ではない。 だとすれば、

 

「……投影、完了(トレース、オフ)

 

 あの人しか居ない。

 簡素な呪文の後、即座にバーサーカーの前に出現した、五本の剣。 浮かんでいるそのどれもが宝具にも匹敵する性能を持つと分かったのは、一人として居ない。

 故に。

 

「全投影、連続層写」

 

 撃ち出された剣を迎撃しようとも、防ごうとも、関係のない話だった。

 矢のように飛んだ五本の剣は、振り払おうとしたバーサーカーの腕に食らいつくと、あっという間に切り飛ばし、串刺しにした。 美遊が何度やっても切れなかったあの身体をいとも簡単に、だ。 まるで最初から、切れて当然だと言うように。

 そうして、魔法陣から彼が姿を現す。

 

「……全く、先走るのは良いけど、諦めるのはどうなんだ? というか勝てなくたって別に良いのに、どうして撤退しないんだよ、お前は」

 

「あ……」

 

 こちらを見ずに、独り言のように呟く誰か。 その姿がかつて一緒に居た人と重なって、美遊は思い出した。

 その背中を、覚えている。

 その傷だらけな身体を、覚えている。

 振り返ることもなく、ただ泣きたいときがあっても励ましてくれたーーその、最愛の人の姿を。

 けれど彼と最後に会っても、別れにその顔を見ることは出来なかった。 生きてくれと、そう言って会うことはもうない。

 この人もきっとそう。 何かの為に、何かを捨ててきたこの人ならそうだと、思いたかった。

 

「……まぁ何にせよ」

 

 彼がこちらを振り返る。 それだけで、美遊は脱力した、してしまった。

 変わらないその瞳。 例え前だけを見ていたとしても、彼の目には今、自分が映っているーー。

 

「無事で良かった。 待ってろ、すぐに終わらせてやるから」

 

 衛宮士郎。

 この戦いを終わらせるべく、至高の贋作者が推参した。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 






※注意※ ここから先はへんてこ振り返りコーナー、タイガー道場です。 本編のキャラやイメージを大切にしたい方、茶番などが嫌いな方は、ブラウザバックを推奨します。 しかし『SSFの意味は、そろそろ素敵なんて言葉も聞き飽きたぜ藤村の意味だからァ!』な方は、そのままゴー。



→1.はい

 2.いいえ


 タ イ ガ ー 道 場







タイガ「ヘイヘイヘーイ! 人の恋路とか大好き、でも私を褒めてくれる人はもっと大好き! タイガー道場、始まるわよ!」

ミミ「うす、師しょー! よろしくお願いします! ていうか、今回は思ったより遅れませんでしたね。 筆がノッたんですか?」

タイガ「あぁ、それねー。 何か単純に、次回の無印編最終話は、過去最長記録みたいでね。 単純にデータ容量で言えば、70KB越えるみたいな?」

ミミ「……前後編に分けたりしないんスか?」

タイガ「それ私に言わせちゃう? 今回凄いところで終わったからっていう建前は置いて、まぁめんどいんじゃない?」

ミミ「人柄が現れますよね、そういうの……」

タイガ「まま、そんなわけで今回の振り返り。 今回は美遊ちゃんがバーサーカーとタイマン張る話ね。 いやー、何て健気なんでしょう……!」

ミミ「好きな人には徹底的に尽くしますよね、美遊ちゃん。 まぁ覚えてない人は、いつも名前聞いてくるんですけどね……」

タイガ「ちなみに補足だけど、夢幻召喚の詠唱はコミックスのままよ。 一部違うのは誤字とかじゃなく仕様なのであしからず」

ミミ「あ、そういえば、それだけ書いたならもう無印は終わったんですよね? 更新早いんじゃ……」

タイガ「え?」

ミミ「え?」

タイガ「……戦闘は、ほら。 終わったから。 あとエピローグだけだから、ね? そんなに遅くは」

ミミ「一週間もかけませんよね、時間?」

タイガ「え? あー、うん、多分五日……いや四日かな? そのぐらいで終わると思いますはい」

ミミ「というわけで、お楽しみにー」

タイガ(コイツ、いつの間にこんな交渉術を……!?)



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三日目~VSバーサーカー/As I play kaleid scope~

 鏡面界に轟く、狂獣の咆哮。 ビルの最下層からか。 バーサーカーのあの重量だと、ビルの壁など障子にも等しい。 片腕を切り飛ばされれば、後は地の底まで一直線だろう。 だがステータスでは随一の英霊相手に、足場もままならないここは不安定すぎる。 一刻も早く場所を変えなければ。

 

「お兄ちゃん……」

 

 と、そこで。 もう一人の妹分ーー床で脱力していた美遊が、まだこの場から離れていないことに気づいた。

 

「何してるんだ、美遊。 ここは良いから、さっさと逃げろ」

 

「……い、いや、でも」

 

 言うのは憚れるのか、それとも怪我が酷くて喋れないのか、美遊はそこで言葉を切る。

 確かに相手は不死身の宝具を持つバーサーカー。 俺の剣製で貫かれる辺り、かなり弱体化しているみたいだが、それでも宝具クラスの刀剣を使わねば殺せまい。

 

「分かってる。 相手は蘇生するんだろ?」

 

「!……だったらお兄ちゃんじゃ!」

 

「倒すさ。 必ず倒す」

 

 俺には、負けられない理由がある。 それは、必ずイリヤを守るため。 そしてもう一つあった。

……ここに来るため、俺はあるモノを投影した。

 カレイドステッキ。 多岐に渡る機能と、限定的な第二魔法も可能とし、あらゆる魔術理論を凌駕する規格外な礼装。 それをかなり劣化させた代わりに、転移機能だけを再現し、負担は大きいものの鏡面界まで来れた。

 ただ、ここに来る際に、どういうわけか遠坂達と鉢合わせたのである。

 二人とも俺を見た途端、俺を怒るのでもなく、状況を手短に説明し……そして、それでも行くと聞かない俺に、一つだけ約束させた。

 絶対に、生きて帰れ。

 俺の模造品では、持ち主、つまり俺しか転移させることが出来ない。 それを知った二人が、無謀と知りながらも俺を送り出した。

……あの二人が。 会って間もないへっぽこ魔術師に、あの二人が頭を下げる。 それがどれだけ異常なことで、そして俺にどれだけの想いを託したか。

 無駄にはしない。

 必ず。

 

「そのためにここに居るんだ。 必ず、ここから生きて帰るために」

 

「……お兄ちゃん」

 

 まだ少し慣れない呼び方に、俺は苦笑する。

 と。 ビルの直下。 僅かな破砕音と、微弱な揺れがここまで響いてくる。 バーサーカーが登ってきているのだ。 その響きの変化からして、ここに来るまでもう時間がない。

 

「……行け、美遊。 今は、怪我でろくに戦えないんだろ? ここは危ない、早く行け」

 

「で、でも……!」

 

「美遊様、行きましょう」

 

「サファイア!?」

 

 傷ついた美遊の腕の中で、サファイアは汚れだらけの身体で言う。

 

「士郎様の仰る通りです……クラスカードは現在、限定展開(インクルード)可能なカードは残り四枚。 その中でバーサーカーに対し、決定打となり得るカードはたった一つ、セイバーのクラスカードのみ。 形勢は余りに不利ですが、この戦いの鍵を握るのは、やはり貴女なのです、マスター」

 

「……サファイア」

 

「何も逃げろと言っているのではありません。 十分、いえ五分。 身体の奥底まで刻まれた傷を癒し、最大魔力での真名解放を行うには、それだけの時間が必要……ご理解、頂けませんか?」

 

 美遊が歯を噛み締める。 彼女も自身の身体のことは、分かっているのだろう。 そしてサファイアが提案する策が、一番理に適っていることも。

 それでも認められないのは、今回の戦いを全て一人で終わらせようとしたことにも関係あるに違いない。 だからこそ、俺は美遊に告げた。

 

「……言ったろ。 ワガママでも良いって」

 

「え?……で、でもっ」

 

「でもは無しだ。 俺は死なない。 イリヤと、みんなが居る間は……絶対に」

 

 それで何処まで彼女に伝わったかは、既に迫る危険へ意識を切り替えた俺には分からない。

 だが紫のマントの切れ端が見えたときには、美遊は奥へ足を進め。

 

「……頑張って。 絶対に生きて、帰ってきて」

 

 たん、と駆け上がる音が聞こえてくる。 恐らく屋上へと逃げ込んだのだろう。 余波を受ければ無事では済まないかもしれないが、空も広がるあそこなら、その危険もない。

 それで良い。 これでようやく精神の一欠片をも、全てそれに叩き込める。

 

「……ふっ」

 

 撃鉄を下ろす。 すると切嗣と会ったせいなのか、五本だけだった魔術回路は、無限にも広がるように、身体の隅々まで走っている。

 その数、二十七本。 ここに来る前、元の世界から消える直後の身体に戻っている。

……切嗣は何もしてない。 ただ、俺の在り方が、変わっただけ。

 

「……投影(トレース)開始(オン)

 

 体が軽い。 最近感じていた不調も、切嗣との会話のおかげで、無いにも等しい。 心は澄み渡っている、まるで清流を流れる水のように、魔術回路は回転する。

 しかしそれでも、俺がバーサーカーに勝てる可能性は、百パーセントない。 どんな剣を投影し、放ったところで、先のように貫かれるということはない。 奴は狂っていても、セイバーの剣を曲芸をするように回避出来た。 技でも、力でも、俺はバーサーカーに逆立ちしたって勝てはしない。

 

「……いいや、違う」

 

 そう、勝てはしない。 バーサーカーに勝てる武器では、使う俺が未熟すぎて、奴には届かない。 だから作るのは、再現するのは武器だけではない(・・・・・・・・)

 出来るかどうかも分からない、分が悪い賭けだが。

 

「……」

 

 両手を開く。 細胞と融合した魔術回路が発光し、月光すらも凌駕せんと、魔力が溢れ始める。

……疑問に思っていた。 未来の俺自身であるアーチャーは、どうやってあそこまでの力を物にし、サーヴァントと肩を並べることが出来たのか。

 努力だけではたどり着けない。

 血反吐を吐くような地獄に身を置いても、なお届かない。

 その境地に届くとするなら、同じような経験を身体に叩き込むしかないのだ。

 奴との剣戟。 その最後、俺は確かに、奴の必殺の剣を弾き返した。 それが無意識に、干将莫耶に染み付いた奴の剣技を、この身に憑依経験させた結果だとしたら。 それをもし、もっと深く経験させることが出来たとしたら。

 それこそが、奴の強みでありーー絶対的なまでの、経験値となる。

 

投影(トレース)……」

 

 投影するのは、使い慣れた夫婦剣ではなく、バーサーカーの斧剣。 それを二本。 この両手に一本ずつ。

 無論、扱いきれるわけがない。 だがそれならば、扱いきるための筋力すらも投影してみせよう。

 

「……!」

 

 ミヂヂヂヂ、と不自然なほど、両腕が盛り上がる。 襲いかかる負荷に、歯を食い縛って耐え、それと同時に斧剣が徐々に形を成していく。

 しかしこれでは足りない。 相手と土俵が一緒になっただけだ。 相手は技すらも一級品。 同じように振り回すだけでは、今度は技で押しきられる。 技には技、そのために今、その技を一時的に身体に叩き込む。

 

「ーー投影(トレース)装填(セット)

 

 瞬間。

 あらゆる音、景色から切り離され。

 代わりに何千何万と、打ち合った剣の記憶が流れ込んだ。

 

「ご、ぶ、……!?」

 

 やったのは簡単なことだ。

 設計図として浮かび上がらせていた干将莫耶の、経験だけを投影する。 つまり剣の記憶、アーチャーの戦ってきたありとあらゆる戦場を擬似的に経験させ、それで技を磨き上げる、というモノだ。

 だがこれは、流石に欲張りすぎたか。

 まず、弾けかけた。 これは何の誇張でもない。 俺自身が、膨大な剣の記憶に圧倒され、意識が吹き飛びそうになった。

 剣の嵐。 誰よりも積んだ、戦いの経験。 それら全てを叩き込むのは、やはり。

 地震のように、ビル全体が揺れていく。 目を動かせば、眼下にバーサーカーが見える。 あと二秒もしない内に飛び上がり、バーサーカーは俺にその拳を振るうだろう。

 

「あ、がぐ、ぁっ……!!」

 

 無理だ。 たったそれだけの時間では、その全てを投影しきれない。 いやそもそも、このままでは死ぬ。 身の丈以上の魔術の行使のせいで、身体は内側から伸びる剣に貫かれ、精神は戦いの記憶に焼き尽くされる。

 死ぬ。 死ぬ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死ッ……!!!!

 

ーーうん。 しょうがないから、俺が代わりに戦うよ。

 

 そのとき。 そんな、言葉を思い出した。

 思考が一気に冷えていく。 オーバーヒートしかけていた頭が、冷水を被ったように消沈し、それと比例して形を失いかけた斧剣が、再構成されていく。 力強く、その柄を掴む。

 何と、お前は言った。

 一体誰を、お前は失い。

 誰を思って、今日泣いたんだ?

 

「……ぐっ、ぉ」

 

 歯を噛み砕きかねないほど、力を込めて。 目を見開き、その記憶と真っ正面からぶつかる。 抗うことの出来ない剣群、それに貫かれようと構わず、その全てを身体に染み込ませる。

 守ると、そう決めた。

 その罪を償うためにではない。

 俺が、俺自身が、守ると決めたのだ。

……恐怖に震える妹を。 ボロボロになるまで戦った、妹を。

 いつか別れる日が来ようと、守ると決めた。

 その笑顔が俺のせいで失われると、分かっていても。

 

ーーお前みたいな奴らに、もう二度とイリヤを傷つけさせはしないーー!!

 

「ぉ、ぉぉぉおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 迸る魔力は、鉄を打つように火花を散らす。 腕が溶けたのでは、と思わざるをえないほどの熱を吹き飛ばすかのように斧剣が顕現する。 それを握った瞬間、バーサーカーが真下から飛び越えるように跳躍し、そのまま落下する形で襲いかかる。

 まさに、岩盤が落ちてくるかのような、そんな攻撃。 だが、今のオレ(・・)なら避けることは勿論、受けることも容易い。

 

「……!!」

 

 斧剣を交差させ、その豪拳を受け止める。 凄まじい衝撃は、オレの身体を伝い、崩壊しかけていた足場を今度こそ崩す。

 だが、そんな空中で、オレは確かな手応えを感じていた。

 

「……ッ、ォ……!」

 

 カタカタ、と揺れる斧剣の上には、バーサーカーがオレを粉砕せんと、拳を押し付けてくる。 しかしオレは、それを真っ向から受け止めながら、きっ、と頭上のバーサーカーを睨む。

 負けはしない。 俺の世界のサーヴァント達と比べ、コイツは話にならないほど弱体している。 本物のバーサーカーは、こんなモノではなかった。 圧倒的、そして最強。 それに比べれば、こんな奴、ただのレプリカに過ぎない。 血管が切れるのでは、と思うくらい浮き出た全身に、更に力を込め、いつも使う夫婦剣のように両手の斧剣を走らせる。

 

「おぉッ!!」

 

「■■■■ッ!!」

 

 ギャリィ、と甲高い金属音。 それはオレが走らせた斧剣を、バーサーカーが逆の剛腕で防いだ音だ。 こちらの全力に対抗するかのように、バーサーカーも咆哮で応え、繰り出したのは。

 

「!?」

 

 脚。 この身体を切り裂かんとする脚は、体操選手のようにピン、と伸び、鞭のようにしなってくる。 ギリギリで戻した斧剣でそれを弾くと、超至近距離での格闘戦がスタートした。

 落下しながらの戦い。 しかし分かる、こんなことなど何度も経験した。 こちらが武器有りに対し、あちらは無手。 どう考えてもこちらが有利のハズだが、オレの剣をバーサーカーは悉く受け流し、激流のような格闘技を仕掛けてくる。 雷鳴のような轟音、一発で人間などすり潰されるだろう死地で、オレは真っ向からその雷をこの身をもって切り裂く。

 打ち合った回数は、百にも満たなかった。 しかし最下層が近いことで、バーサーカーも勝負を決めに来る。

 

「■■ッ!!」

 

 首を飛ばすつもりで振るった二本の斧剣。 その斧剣を、奴は紙一重で回避し、尚且つ掴む。 思わず目を見開くが、バーサーカーはすぐさまその剛力をもって斧剣を握り潰そうとする。

 

「させるかッ!!」

 

 持っていた斧剣を手放す。 そのまま投影した筋力によって肥大した両足で、斧剣を引き抜くのではなく、ダーツのように蹴り出した。

 

「■■ォッ!?」

 

 これにはさしものバーサーカーも驚愕した。 斧剣は真っ直ぐバーサーカーの胸を貫通すると、その身体はビルの巨大窓ガラスを貫通し、そのまま外に落ちていく。

 そしてそれは、オレも同じことだ。

 蹴り出した衝撃で、反対側のビル内部へと身体が転がっていく。 何を巻き込んだかは知らないが、とにかく身体はボールのように転がり、やがて壁に激突し、止まった。

 

「ぁ……が、ぐ、ぅ、ァ……」

 

 投影は終了。 しかしその代価が、余りに大きすぎる。

 腕と足は感覚が麻痺し、だらんと床に投げ出されている。 恐らく神経がズタズタに引き裂かれ、骨も折れているのだろう。 それに加え初めて行った投影は、()の精神を蝕んでいる。

 

「……は、はぁ……ぅっ、……!!」

 

 口から血を吐き出すと、破片となった奥歯が目の前に落ちる。 このままでは死には至らなくても、戦闘の続行など不可能に近い。 歩けるかどうかすら怪しい。 だが、それでも。

 

「……ぐぅ、が、ぁぁッ……!!」

 

 走る激痛を玉のように出る汗と共に流し、身体を壁に預ける。 現状を確認せねばならない。 何がどうなったのか。

 現在居るのは、ビルの中腹辺り。 恐らく先に崩落した階層と同様、オフィスの一つだ。 真ん中に空いた穴は、恐らく落ちたバーサーカーによって開けられたわけだが……。

 

「……勝った、のか……?」

 

 目眩と吐き気が酷くて、視界もままならない中、耳を澄ませる。 しかしビルを登るような音も、鏡面界が崩れる気配もない。

 殺したことは殺した。 だが、まだだ。 奴は今、ビルの外で蘇生している。 直に俺達を殺しに来る。 その前に、新たな投影、を。

 

「く、っ、……ぐっ……!?」

 

 ダメだ。 身体を支えていた手足から、ふっ、と力が抜け、床にまた伏せる。

 やはり設計図から経験だけの並行投影は、無茶が過ぎた。 一番負担が少ないハズの干将莫耶ですら、身体がその経験についてこれていないのだ。 廃人で済まなかったのは奇跡に近い。

 

「……ぁ」

 

 これからどうする。 奴を倒すには、武器だけの投影では衛宮士郎に勝ち目はない。 しかしそれ以外のモノを並行で投影しようというなら、それを再現する俺が持たない。

 どちらにしろ、この身体ではもう。 意識が消えないよう、無駄な努力をしていたときだった。

 

「お兄ちゃんっ!!」

 

 そんな声と共に、身体の奥底で、何かが起動したのは。

 麻痺している手を掴む、誰か。 その手はいつか、俺をいつも助けてくれた彼女に似ていて、それと同時に身体の傷が徐々に治っていく。 俺の中にある鞘が、起動した証拠だ。

 青い騎士服。 手を覆う鉄の篭手。 そこまで見て、無意識にその名を呼ぶ。

 

「セイ、バー……?」

 

「喋らないで! 大丈夫……もう大丈夫だから、今は動かないで……!」

 

  違う、セイバーではない……美遊だ。 俺の知るセイバーと、同じ格好をした美遊だ。 しかも体内に溶けた鞘まで起動しているところからして、魔力の質まで同じらしい。

 

「……その、姿は……?」

 

「……詳しいことは後で。 もう敵が来る」

 

 美遊がそう言って、俺に肩を貸す。 強制的に鞘による回復がなされる中、手に聖剣を持った彼女に、俺は問いを投げようとした。

 その、直後に。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーッッ!!!!」

 

 

 ソイツが、姿を見せた。

 

「……な、ん……ッ!?」

 

 俺達を背後から覆う、影。 それがどうやって現れたか、一瞬俺は理解が追い付かなかった。 ただそれーービルの外に落ちたハズのバーサーカーは、たった一度の跳躍(・・・・・・・・)で、ここまで登ってきた。 優に数十メートルは越すだろう、ビルを。

 

「こちらです、美遊様、士郎様!」

 

 そう、聖剣となったサファイアが指したのは屋上だ。 今までの戦いで、最早ビル自体が崩壊しかける寸前。 俺は浮けないが、美遊に掴まればバーサーカーの魔の手から逃れられる。

 二人で階段を登ろうと、必死に走る。 だがバーサーカーは、兎を狩る狩人のごとく、拳を矢のように突き出し、ビルを破壊していく。 最早ビルごと破壊しようとしているのだろう、俺はその様子を見て、思わず心臓が鷲掴みにされたような感覚に陥った。

 何故なら、先程まで漆黒だったバーサーカーの身体は。

 いつの間にか血管のような、赤黒い太陽のように、変色していたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-6ーー

 

 

……どうしてこうなった。

 湯気がもくもくと埋め尽くすバスルーム。

その湯船で、イリヤは湯に浸かりながら思った。

 初めは静かに、憂鬱ながらゆっくり風呂を満喫していた。 美遊はどうしているだろうかー、とか。 兄はどうしているだろうかー、とか。 そんなことばかり考えても、もう自分には関係ないのだと言い聞かせていたのだが。

 

「あら、どうしたのイリヤちゃん? そんなに下ばっかり見て?……ははーん。 大方『ママの胸は大きいのに、イリヤのは小さい……』なーんて可愛い心配事をしてるんでしょ? 大丈夫大丈夫、ママの子だもの。 高校生ぐらいになれば、もう誰であろうと悩殺出来る、ダイナマイッなボディになれるわ! ママは最初からワガママボディだったけどね!」

 

 そう、後ろで拳を握ってみせるのは、イリヤと同じ肌、髪、瞳をした女性だ。 しかしその身体は成熟しており、まるで果実のように瑞々しい肉体はとても麗しく、絶世とも言うべき美女だ。

 彼女の名は、アイリスフィール。 アイリスフィール・フォン・アインツベルン。 衛宮家のおかーさん、つまりはイリヤの母親だった。

 経緯は本当に簡単である。

 風呂で沈むイリヤ。 そんな彼女の元に、親戚のおばちゃんよろしく、ドタドタと外国から帰国からしたアイリが風呂場に直撃。 あれよあれよとしていけば、仲睦まじく同じ湯船に入っていた、というところだ。 しかもアイリがイリヤを抱き込む形で。

 

(……どうしてこうなっちゃったんですか……)

 

 頭を抱えたくなる衝動を何とか抑える。 イリヤとて、自分だけ呑気にバスタイムなんて悪いなーとか、でもやっぱり自分が行ったら皆を傷つけるよねーとか。 うじうじ悩むよりは、久々に帰ってきた母と団欒した方が、気が紛れることは理解している。 それが正しいことなのかはさておき、だ。

 

「そういえば、もうイリヤちゃんも五年生かー……そろそろ初恋ぐらいはした? それとも失恋? やっぱり恋に恋するのが、若い証拠よねぇ。 あ、でもイリヤちゃんが好きなのはぁ……?」

 

「だーっ、うるさいなっ!? 何なの!? そこはかとなく既視感を覚える、このカンジは何なの!?」

 

 こうもフリーダムというか、空気が読めない母親と団欒しようにも、余計イライラせざるを得ない。 シャンプーの横で身動きが取れず、玩具と貸したルビーも困惑気味である。

 そんなイリヤの内部事情など知らず、アイリは猫のように目を細くさせ、娘の頬をぷにぷにと突く。

 

「ほれほれー。 今なら誰にも言わないわよー? まぁギリギリ、藤村先生には吐いちゃうかもしれないけど」

 

「一番話しちゃダメな人に話そうとしてるっ!? ヤだからね、絶対!」

 

「えぇー? じゃあほら、セラにしか言わないから! ねっ、ダメ?」

 

「絶対にダメっっ!!」

 

 むしろセラにだけはダメだ。 いや、あの暴走教師も大概だが、これを聞いたらセラは卒倒するに違いない。

 母の手から離れるように、イリヤは窓へとそっぽを向く。

 

「……私だって色々あるの。 ママには分からないかもしれないけど」

 

「?、イリヤちゃん?」

 

「ごめん。 でも今は、こんな風にママと話すような気分じゃないから……その」

 

 言葉に詰まり、イリヤは目を伏せる。

……やってしまった。 だがもう、何も話したくない。 全部から逃げ出してしまいたい、そう思わないよう必死なイリヤ。

 そんな娘の心情を察したアイリは、優しく言った。

 

「……なら、ママに話してくれる? よく分からないけれど、もしかしたら力になれるかもしれないから」

 

「……うん」

 

 そうして、イリヤはぽつぽつと、背景はぼかしながらこれまでのことを話した。

 新しい友達が出来たこと。 その友達と二人で、やり遂げなきゃいけないこと。 その半ばで兄をも巻き込んで、みんなを傷つけてしまったこと。 そうしてまた、逃げてしまったこと。

 驚くほどスラスラと話せた。 やはり母の胸の中で相談となれば、否が応でも落ち着いてしまう。 話し終えたときには、少しだけ、沈みかけた気分も上がったように思える。

 

「……じゃあ、そのミユちゃんと、シロウは今も?」

 

「うん。 多分二人とも、そのやらなきゃいけないことを、やってる」

 

 改めて話してみて、自分が行ったことを直視して。 何て情けなくて、臆病なんだろうと、イリヤは思った。

 

「ミユは凄いんだよ? 何でも出来ちゃうの。 例えミユが出来なくなっても、お兄ちゃんが居る。 だからきっと、大丈夫……二人なら、絶対にやり遂げられる……私なんか居なくても」

 

「本当にそう思う?」

 

「え……?」

 

 けれど。 そんなイリヤの悩みを、アイリは正面から崩す。

 

「だって。 あなた、全然大丈夫って顔してない」

 

「それは……その」

 

「心配ならそれで良いじゃない。 どんなことをしたかは分からないけど、悪かったと思うなら謝って、そして二人を手伝えば良い。 そんなに二人に酷いことをしたの?」

 

 それとも、と。

 

「……怖いの?」

 

 耳元で。 アイリの声が、イリヤの鼓膜を叩いた。

 

「自分の力がーーシロウが。 逃げ出したくなるほど、怖い?」

 

 アイリがそう言ったとき。イリヤの背筋を、うすら寒いモノが駆け抜けた。

 

「……今、なん、て……?」

 

 振り向けない。 今振り向いたら、何か決定的なことが、自分の後ろで起こる。 しかしイリヤのそうした感情すらも叩き壊すように、アイリは告げた。

 

「鍵が二回も開いてる。 十年も溜めた魔力が空っぽだわ。 士郎は自分でこじ開けて、そのまま手付かずみたいだったけど……随分盛大に使ったのね」

 

「……なに、を……言ってる、の?」

 

「怖かったでしょう? 今までの自分が壊れるようで……何より、それと同時に、士郎が変わっていくのも」

 

 我慢出来ない。 イリヤはアイリの手からすり抜け、振り返った。

 さっきのふざけた様子が嘘のように、冷たい表情をした母。 それで、イリヤは確信した。 何か、重要なことを知っている、と。

 

「……ホントに知ってるの、全部?」

 

「……」

 

「なら教えて。 あの力は何なの? 私はただの小学生なのに、どうしてあんな力を持ってるの? それだけじゃない、あれからお兄ちゃんも変わってる。 あの人は、今私がお兄ちゃんって呼んでる人は、本当に……!」

 

 兄、なのか。 言葉に出せなかったのは、それが本当だったとき、恐らく自分は兄を嫌いになるだろうから。

 全てを知りたいわけではない。 でも、あそこまで歪んだ人が、本当に兄だとしたら。 それに気づけなかったことも、自分の隣に居た人が、まるでロボットのように見えるのも嫌だった。

 家族の写真、思い出。 その片隅に、人間ではなく、ロボットが居るのが、イリヤは嫌だったのだ。

 だってそうだろう。イリヤは思う。

 こんなにも好きなのに。

 こんなにも嫌悪してしまえば、苦しくて仕方ないから。

 アイリが目を瞑り、口を開く。 固唾を飲んで、イリヤはその言葉を聞いた。

 

 

「ーーさあ?」

 

 

 笑顔満点。 完璧に開き直った、惚けっぷりであった。

 

「ちょォっ!? ご、誤魔化すにも、もう少しやり方があるでしょぉ!? 何それっ!?」

 

「いやほら、『ククク……ついに奴はそれに気づいたか……』とか、『覚醒したか……これで奴も』みたいな意味ありげに、やってみたかったというか? ていうかああいうのって、大抵想像ついちゃうから困るところよねー」

 

「何の話か、私にはさっぱり分からないんだけど……っっ!?」

 

「ええいっ、誤魔化してるんだから口答え禁止っ!」

 

「自分で言った!?」

 

 すっかりいつものフリーダムモードになった母から、チョップを貰うイリヤ。 横暴過ぎるDVなのだが、最早慣れてしまっているイリヤには『ああまたか』的な諦めがついた。 つまり何も教えてはくれない、ということである。

 そんな娘に、アイリは助言をする。

 

「とにかく!……力のことで悩んでるなら、それは間違いよ。 それを使うのは、あなた自身。 傷つけるために使うのか、守るために使うのか。 それを自分の意志で決めたなら、それはもうあなたの一部なんだから」

 

 髪に巻いておいたタオルで身体を拭きつつ、アイリは立ち上がる。 しかしイリヤは未だ納得がいかないようで。

 

「……そんなこと、急に言われても。 よく分かんないし」

 

「ま、そうよね。 あんまり難しく考えないで、キッチリ答えを出さなくても良い。 ただそれでも、考えながら、前に進んで欲しいの」

 

「……進むって……」

 

「逃げ出したんでしょ?」

 

 イリヤの肩が、ぴくん、と揺れる。 アイリは微笑むと、我が子の背中を押すように。

 

「ねぇ、イリヤ。 確かに逃げることは、そんなに悪いことじゃないわ。 でも、イリヤはそれで良いの? あなたがその力を使ったとき、何て願ったの?」

 

 そんなこと、決まっている。 自分の願いは。

 

「……お兄ちゃんを、友達を守りたいって願った……でも、それでみんなは」

 

「そんなこと、やってみなきゃ分からないわ。 今度は守れるかもしれないし」

 

「そ、そんな簡単に……!」

 

「簡単よ」

 

 そのとき。 母が言ってくれた言葉を、イリヤは二度と忘れやしないだろう。

 

「ーーあなたが願えば、出来ないことなんてない。 強く願ってさえいれば、絶対に。 あなたはその願いを叶えられる」

 

 それがどういう意味で言ったのか、分からない。 もしかしたらいつものように意味など無かったのかもしれない。

 だけど、不変の事実として。

 自分は大切な人達を、心の底から守りたいと、そう願ったのだ。

 美遊も、凛も、ルヴィアも。

 そして嫌悪すらした、今の士郎も。

 自分は、守りたいと願ったのだ。

 

「……あぁ」

 

 そうだったと、イリヤは思い出す。

 いつか、こんなことを兄は言ってくれた。

 

ーーイリヤは俺が守る。

 

 まだ自分が、小学生になったばかりのときだったか。 こんな未来になるとは知らないで、口にしたであろう言葉。 守るべき人から傷つけられるとも、忌避されるとも知らず、彼はそう言った。

 そして、今に至るまで、その想いは変わってなど居ない。

 ぎこちないながら、笑って星空の下で誓ってくれた今日。 あのときから彼は、変わっていない。 変わったとしたなら、それは彼の心ではなくーー在り方が変わっただけ。 想いは、志は、変わってなど居ない。

 彼は、何かが変わってしまったのかもしれないけれど。

 それでも大切なモノは、変わらず(そこ)にある。

……自分が馬鹿だった。 心に問えば分かることなのに、大切な人を信じないなんて。

 

「……さ、イリヤちゃん」

 

 アイリはあくまでいつものように。 出掛けようとでも言うように、問いかけた。

 

「あなたは今夜、何を願うの?」

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐッ……!?」

 

 魔力の床を足場に、体勢を整えようとするものの、相手の力が強すぎる。 美遊はすかさず聖剣となったサファイアでその拳を捌こうとするが、

 

「■■■■■■■■■■■■■■ーーッッ!!」

 

 それは全て、バーサーカーの怪力の前には意味を為さなかった。

 捌こうと聖剣を攻撃に合わせようとし、逆に美遊が吹き飛ばされる。 騎士王たるその力を宿した美遊ですら、まるで赤子だ。 それだけバーサーカーの力が強く、そして荒々しいのだ。

 場所は高層ビル、屋上。 至るところが陥没したそこで、俺は歯痒い気持ちで美遊の戦いを見ていた。

 俺の決死の投影と、美遊が殺した回数を加えて、もう命のストックも一つか、もしくは消滅したバーサーカー。 しかしここに来て、戦いは新たな局面を迎えた。

 それは、蘇生したバーサーカーの異変だ。 先程まで岩のように黒く、無機質な肌をしていたバーサーカーは、今や筋繊維が剥き出しになったように、赤黒く、その武器も変わったのだ。

……斧剣。 俺が使った斧剣を何処から出したのか、バーサーカーはそれを使い、先程までとはまさに次元が違う強さを発揮した。

 マスターとしての力がない、今の俺でも分かる。 このバーサーカーは間違いなく、俺の世界ーーあのセイバーを相手に圧倒した、大英雄ヘラクレスと同等の力を有する、と。

 

「ぐッ……ハァ、ッ!」

 

 猛々しい気合いと共に、美遊が再度バーサーカーへ突進する。 しかしバーサーカーはその突進を真っ向から受け、鋼の肉体で弾くと、そのまま柱のような斧剣を振るう。

 聖剣だろうと、防御など意味はなかった。 防御の上から弾き飛ばされた美遊が、額から血を流し、空中でバーサーカーを探す。

 しかし地上には居ない。 何処だ、と探しかけ、俺は絶句する。

 何故なら、空中に吹き飛ばした美遊の、更に上。 そこでバーサーカーが、既に斧剣を振りかぶっていたからだ。

 

「ッ!? 美遊様、上です!」

 

「、ッ!?」

 

 美遊、と名前を呼ぼうとする前に。

 その斧剣が、美遊の小さな身体に叩きつけられた。

 鮮血が飛び散る。 同時に、美遊の身体はこちらへと墜落し、砲弾のように飛んだ。 水切りでもするかのごとく飛んだ美遊は、そのまま俺の後ろにあった階段室らしきモノに激突し、そのまま地面に倒れ込み、いつもの魔法少女らしき戦闘服に戻る。

 

「美遊ーーッ!!」

 

 不味い。 今の攻撃、完璧には入らなかったが、それでも美遊は血を吐いていた。 治療促進があろうと、これまでの戦いで美遊の身体には相当の負荷があるハズである。 これ以上は本当に危険だ。

 駆け寄ると、やはり美遊は立ち上がることが出来ないほど疲労しているらしく、息を荒くしたまま、目を瞑っている。 俺は近くで転がっているセイバーのクラスカードを手に取り、

 

「美遊? サファイア、美遊は!?」

 

「落ち着いてください、士郎様。 命の危機ではありますが、治療促進でまだ何とか処置が出来る状態ですから。 それよりも、バーサーカーから目を離さないでください! 来ます!」

 

「!」

 

 サファイアがそう言った途端、後方でズン、という着地の音と、微細な揺れが響いてくる。 見ると、バーサーカーが地上に降りたらしく、鼻息まで激しく繰り返し、こちらを睨み付けている。

……これを打開するには、もう一度。 俺があの、経験だけの並行投影をするしかない。 しかしアレをもう一度行っても、あと一度蘇生すれば、そこで俺の命は勿論、美遊の命もここで消えてしまう。

 どうする。手に汗握る中、俺はいつでも動けるようセイバーのクラスカードをポケットに入れる。 美遊が回復しようが、もうセイバーの攻撃はバーサーカーには通じない。 それに持っておけば、気休めでも回復出来る。

 そんな俺の心情など読み取れもしないバーサーカー。 奴は斧剣をアスファルトの上から肩に担ぎ上げ、腰を低くする。

 来る。 現状を打破出来る宝具など、俺の無限の剣製から検索しようとない。 但し一時的でも、この状況を維持するためのモノなら、ある。

 轟音。 それはバーサーカーがアスファルトを蹴って、肉薄する音だ。 肩にある斧剣は包丁のように振るわれ、それに合わせて、俺は真名と共にその盾を現実へと引っ張り出す。

 

「ーーーー熾天覆う七つの円環(ロー アイアス)!!!!」

 

 設計図から組み上げるのは、自分の中で絶対の自信を置く花の盾。 一枚一枚が城壁と同等の、四枚の花弁。 本来なら七枚だが、それでもその防御は鉄壁だ。 それは、バーサーカーの斧剣を容易く受け止める。

 

「花弁の盾……? まさかこれは、宝具だというのですか!? しかしこれでは!」

 

 だが、やはり相手はあのヘラクレス。 サファイアの言う通り、俺が作り出したアイアスを、バーサーカーは続く二撃目で一枚花弁を散らす。 それで調子付いたか、バーサーカーは更にその連撃をアイアスに叩き込む。

 

「ぐ、ああ、あああっ、あああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 痛い。 まるで特大の金槌を、手の平に叩きつけられるみたいだ。 実際問題このままでは、数十秒もしない内にアイアスは破壊されてしまうだろう。

……アイツなら、どうする。

 俺にとって最善の戦闘方法を編み出した奴なら、一体どうやってこの状況をひっくり返す。

 相手は何度やられようと蘇生する、最狂のバーサーカー。 命のストックがあとどの程度あるかは定かではないが、それでもあと一度は殺さなくてはならない。 考えたくもないが、もしまだストックがあるなら、最低でも二回は殺さねば打開出来ないことになる。

……ともすれば。 あのときバーサーカーを破った、かの英雄王と同じ真似をするのが、一番現実的な筈。

 つまり、固有結界の発動。 無限の剣を持って、奴が蘇生しようとも構わずに貫く。

……だがそれは、無理だ。

 俺一人の魔力では、固有結界を発動させることは出来ない。 遠坂とのパスは、この世界へ移動した時点で切れてしまっている。 何らかのバックドアが無ければ、魔力が足りないのだ。

 だとすれば、一体どうしたら。

 

「ぐっ、……!」

 

 バギィン、と。 岩石のような拳に砕かれ、アイアスの花弁もいよいよ残り二つ。 それと同時に右腕の骨が軋み、手の平の皮が弾けた。 まるでトマトを潰したように、右腕から決して少なくない量の血が溢れる。

 アイアスも、あと持って十撃。 その間に打開策を考えて、この化け物を倒すしかない。

 だが、どうやって……!?

 

「……ッ、!?」

 

 そのときだ。

 胸の奥で、ドクン、と。 脈動する何か。 それがセイバーの鞘だと気づいたときには、ポケットの中にあるセイバーのクラスカードが、僅かに震え。

 一つの、情景を目にした。

 

「……ぁ」

 

 恐らく一瞬にも、満たない時間。 しかし確かに、俺の心にはその光景が、深く刻み込まれている。

 風でなびく草原。 山岳を境界にして、向こうから朝日が昇ってくる。 その光は闇すらも散らし、誰もが照らされるばかりだと思われていたがーーその光の中で、一人の騎士がその景色を目にしている。

 黄金に染まる金髪は、日光に晒されてなお眩しく、薄く開かれた碧眼は昇りかけた太陽を真っ直ぐと見つめ、憂いを感じさせる。 使い込まれた騎士甲冑も彼女が纏えば、その輝きは更に増す。

 セイバー……いいや彼女は、アルトリア・ペンドラゴン。 ブリテンの王である彼女が持つのは、 約束された勝利の剣(エクスカリバー)ではない。

 理想郷に収まったその剣は、選定の(つるぎ)。 彼女がかつて誓いを立て、その身を王として捧げる覚悟で抜いた、既に壊れてしまった幻想の名はーーーー。

 

「お兄ちゃんっ!!」

 

 はっ、と気がつく。 その声で、置かれていた状況を思い出した。

 目の前には相変わらずバーサーカー。 アイアスは未だ二つの花弁を残すが、余談を許さない。 後ろで声をかけてくれた美遊に、俺は。

 

「美遊……? 大丈夫なのか?」

 

「うん、お兄ちゃんのおかげで、何とか。 それよりも!」

 

 美遊はボロボロになった俺の腕を見て、悲痛そうな面持ちをする。

 

「もう良いよ……もう良いの、お兄ちゃん。 イリヤスフィールと同じ、あなたが戦う必要は……!」

 

 美遊の声は、最早悲鳴だった。 ほぼ気力だけでバーサーカーに立ち向かう俺にとって、それは邪魔以外の何者でもない。

 全く。 そんな声出されたら、意地でも守りたくなっちまうだろうが……!!

 

「うる、さい……良いから、黙ってろ。 お前みたいな子供は、俺達年上に頼ったって良いんだよ……!!」

 

「嫌!」

 必死にバーサーカーの攻撃を受け止める俺の、背中を支える美遊。 だが実際は、ただ離れたくなくて、傷ついてほしくなくて、俺を引き剥がそうとする行為だった。

 

「あなたには……あなたにだけはもう、傷ついてほしくなかった……誰かの為に、そうやって立ち向かってほしくなかったのに……!!」

 

……ちくしょう、ふざけやがって。

 そんなことをしても止められないと分かっていながらも、美遊にはそれしか出来ない。 そんなことをさせている自分に、心底腹が立ったし、諦めそうになる。

 けれど。

 

「……イリヤにも、言うんだけどさ。 美遊にも、言っておく……」

 

「……え?」

 

 右腕が弾かれないように、固定していた左手。 それを背中に居るだろう美遊の頭に置き、くしゃりと撫でる。

 

「兄貴はな。 例え何があっても、妹を守るもんなんだよ……それは、妹分だって同じだ」

 

「……っ、お兄ちゃん……」

 

 そう。

 エミヤシロウが、小さい頃から口にしていた、一種の誓い。 きっと妹という存在が出来て、その手に触れたとき。 彼は一人思ったのだ。

 守らなきゃ。

 ここに今あることが奇跡で、こんなにも側に居てくれるものを、守らなきゃと。

 だって、それが兄貴だから。

……失ったモノと、得たモノがある。

 今はもう思い出せず、そのとき感じていた暖かさすら分からないから、得たときの奇跡を噛み締めて、その手を握った。

 それから、十年以上の月日が経った。

 忘れていったモノと、かけがえのないモノがある。

 これからどうなるかは分からないし、出来るかなんて分からないけど、それでも思ったのだ。

ーー家族を守る。

 それがかつての家族に出来なかったから、今度こそは手離さないようにしよう。

 士郎、と。 そう何度も呼ばれて、何度も怒られて、数えるのがバカらしくなるくらい笑って。 そうした当たり前のことが積み重なったこれまでと。

 今ここにある最高の奇跡を、愛している。

 例え正義の味方みたいな力が無くて、自身がどれだけ傷ついても、それだけはーー。

 

「……ああ、分かってる」

 

 今はもう居ない男の願いに、俺はそう返す。

 何故挫けそうになる。 何故こんなところで、退こうとしている。 アイアスを展開する右腕が破裂しようが構わない、ありったけの魔力を流す。

 相手があのバーサーカーだから? 自分では勝てないから?

 そんなもの、当たり前だ。 衛宮士郎では英霊、ましてや魔術師には勝てない。 それは聖杯戦争の頃から、ずっと分かりきっていたこと。

 そう。 身体だって、どうせ人間なのだ。 元のポテンシャルも、素質も。 積むべき経験を無理矢理積んだところで、壊れるのは自明の理。 そんなことをしたところで、意味はない。

ーーやだよ……。

 

 それでも。

 

ーー 怖いよ……傷つけるのも、傷つけられるのも……。

 

  守るべき妹を一人にしてまで、ここに来たのは何故だったか。

 イリヤはもう嫌だと言った。

 イリヤは戦いたくないと言った。

 イリヤが、これ以上傷つくところなど見たくない。 目の前でその温かさが、失われるなんてことは。

……なら、仕方ない。 妹が嫌がっているなら、泣いているのならば、そこからは兄貴の出番だ。 エミヤシロウからその場所を奪い、受け継ぐのでもなく。 俺は、あくまでイリヤを守れなかった、正義の味方ーー衛宮士郎として、妹を守る。 その場所はエミヤシロウだけのモノだ。 それを奪うのではなく、守るために、俺はみんなを欺く。

 それが、もう二度と見られない笑顔を、消してしまうことだとしても。

 

「……美遊」

 

「……うん」

 

 誓いはここに。 後ろで今も震えるその一人に、呟いた。

 

「俺の中では、お前も妹みたいなものだからさ……だから、兄貴に任せろ」

 

「……っ」

 

 こくん、と。 嗚咽と共に、背中で小さく首肯するのが分かった。

 さて。

 固有結界は使えない。 しかしそれでは、例え俺の末路である英霊エミヤであっても、単独でこの状況を打開することは出来ないだろう。

 ならば答えは一つ。

 無限の剣が、通用しないのであれば。 この心にただ一つだけを刻んだ、究極の一をもってーーその試練を切り伏せるのみーー!!

 

「……!」

 

 破砕音が鳴り響く。 残り一枚、時間にして二秒。

 投影する宝具は、かのアーサー王が選定の剣として持ったあの剣。 神造兵器である約束された勝利の剣(エクスカリバー)は出来なくとも、そちらなら出来る、確信する。

 アーチャーの固有結界で見たものと、英霊エミヤの知識、何よりセイバーのクラスカードと全て遠き理想郷(アヴァロン)が共鳴して観せた、あの景色から、設計図を組む。

 これならば。 彼女が持っていたモノを、完璧に複製することさえ出来るーー!

 

「……お、ぁ、」

 

 が。 設計図を組む時点で、俺の眼球が血に染まった。

 いくら剣とはいえ、今から全力で投影するのは、実物も見たことのない剣だ。 しかもその全てを投影するとなれば、これで済んだのは幸いだ。

 しかしこれでは投影出来ない。 英霊エミヤ、並びにセイバーと契約していた俺になら出来よう。 だが今の、マスターですらない俺ではどうしようもない。

 二十七の回路では足りない。 もうあと二、三本。 それだけあれば、完璧に投影し得るというのにーー!!

 

「……ふざけろ、間抜け……!!」

 

 声にして吠える。 焼き付いた魔術回路に、もう一度怒濤の勢いで魔力を叩き込む。 その基盤が吹き飛ぶほど、強く、何より精密に。

 あるハズだ。

 回路が無いのならば探せ。 足りないのなら見つけ出せ。 この体に必ずある、もう一つの回路を。

 最近感じていた、魔術回路の不調。 それはエミヤシロウと融合したことで、回路が開きにくくなったのだと思い込んでいた。

 だが冷静に考えてみれば、それは違う。 何故ならそれは、回路が開きにくくなったのではなく、眠ったものが多くなりすぎたことによるモノ。

 エミヤシロウが全く使っていなかった、もう一つの二十七の回路。 何という皮肉だろうか。 幸せでいるためには不必要な、衛宮士郎には何よりも必要な、この場を打開するジョーカーは、この状況でしか生まれないのだから。

 

「……I am the born of my sword(体は、剣で出来ている)

 

 紡いだのは、心を現す呪文。 それで、頭の中はクリアになる。

 撃鉄を下ろすだけでは、一度も開いていない魔術回路は開かない。 ならば、もう一つ新たな始動を加える。

 引き金を引くイメージ。 撃鉄を下ろすだけでは弾は出ない。 ならばその弾を出すために、その引き金を引いて、詰まっていた弾丸を破裂させんと撃鉄を叩き下ろすーー!!

 

「っ、ごぶ……!?」

 

「お兄ちゃんっ!?」

 

 体がびくん、と跳ねる。 血液が逆流し、口から大量の血を吐き出す。 美遊にも見えたのか、全く余裕がないにも程がある。

 だが今ので、完璧に魔術回路は開いた。 無限にも広がるイメージ。 五十四という魔術回路を、たった一つの剣を作る為に、俺はその専心を向ける。

 

「■■■■■■■■■■■■■ーーーッ!!!」

 

 その絶叫と共に、最後の一枚が割れる。 されどそんなことはもうどうでも良い。

 今この身は、至高にして唯一無二の贋作を作り出す、たった一つの魔術回路。 つまり俺の敵は、常にその先にある、俺自身に他ならないーー!!

 

「……嘘」

 

 信じられないと言うのは、一体誰か。 そんなものは知らないし、栓なきこと。

 設計図、構築。 それと同時に振るわれた豪腕をすぐさま、いつの間にかあった出来かけの剣で弾き、その間に奴の後ろに回る。

 基本骨子、想定。 出来かけの剣でバーサーカーの剣戟を押し返すと、手にある剣が一瞬で砕ける。

 砕けるのはあり得ない。 それはつまり、俺の心に負けたことになる。 砕けない剣が砕けたのは、俺が妥協したから。 目を瞑り、瞑想するときと同じように、ひたすらに自分の心を殺す。

 

「……!」

 

 暴風雨のようなバーサーカーの攻撃。 それを防ぎ、時にはかわし、その上で精神を統一する。

 先の経験だけの投影。 アレが失敗したのは簡単な理由。 やろうとしたことが余りに多すぎた。 二つを並行に投影したから、あそこまで不出来な結果になる。 一つのことに集中しないからだ。 ならば簡単だ、一つを極限まで再現すれば関係ない。 元より投影するのは、究極の一。 それ以外は不要なモノ。 たった一つの剣の全てを投影すれば、どんな敵だろうと容易い。

 ただ一つの狂いと妥協も許されない、剣製の極地。 目の前にある赤い外套、俺はその先へ行き、目を開く。

 創造の理念を鑑定し。

 基本となる骨子を想定し。

 構成する材質を複製し。

 製作に及ぶ技術を模倣し。

 成長に至る経験に共感し。

 蓄積された年月を再現し。

 

 この剣に込められた、ありとあらゆる幻想を、柄として力強く握りーーーー!!

 

 

「く、う、ぎ、い、ああああああああああああああああああああああああーーッ!!!」

 

ーーここに、勝利を約束し、真を生み出すーー!

 

 

「■■■■■■■■■■■■ーーーーッッ!!!!」

 

 バーサーカーの咆哮を掻き消すように、俺は奴の懐へ踏み込む。 薙ぎ払わんと迫る太い腕、だが見える。 彼女のように動ける。 それを両手に持った剣が、勝手に動き。

 

「せぁッ!!」

 

 切り飛ばした。 ドロリ、と薔薇よりも赤い血がその関節から噴出するも、俺は躊躇わずその剣を胸へと突き立てようと地を蹴る。

 しかし。 流石にそれで限界だったのだろうか。 いや単純に、投影で精一杯だったのだ。 ふと憑き物が取れたようにつんのめり、すかさずバーサーカーが斧剣で俺の命を刈り取ろうと振り下ろす。

 

「ぁ、が……ッ!?」

 

 ギリギリ、選定の剣を防御に回せたが、それだけ。 俺の身体は地滑りし、そのままアスファルトの壁に衝突する。

 起き上がるが、剣を構えるには間に合わない。 肉薄するバーサーカーは嵐のように地面を破壊しながら、突撃してくる。

 

「お兄ちゃん!」

 

 しかし。 そんな、俺の剣を握る手を、包み込む人物が一人。

 美遊だ。 クラスカードが入ったポケットに、ステッキを当て、さっきのようにセイバーの姿となった彼女は、そのまま俺の手の上から剣を掴む。 バーサーカーが俺を罰する悪魔だとすれば、美遊は俺を勝利に導く女神だろうか。

 

「一緒に!」

 

「!……ああ!」

 

 はたして。 美遊は先導するように、選定の剣を振りかぶると、俺も連動して剣を振り上げる。 韋駄天のごとく猛進するバーサーカー、俺達は勢い良く、その剣を突き出した。

 

「「はぁぁぁあああああああああああああああああああああああッ!!!!」」

 

「■■■■■■■■ーーーーッ!!!!」

 

 交錯する剣閃。 黒と黄金、二つの異なる剣筋は真っ直ぐぶつかる。 質量、力、技。 そのどれもが、バーサーカー側が明らかに上回っている。 例え英雄であっても、その結末はまさに変えがたい。

 しかし、侮るなかれ、大英雄よ。 貴様が対敵する者が作り出した幻想は、勝利すべきと名付けられた、選定の剣。 既に失われながらも、決死の想いで現実に起こした、一時の幻想だ。 半神であるその身であろうともーーこの剣の前では、その勝利が揺らぐことはあり得ないーー!!

 

「■■ッ……!?」

 

 拮抗などしない。 交錯した瞬間、光となった選定の剣ーー勝利すべき黄金の剣(カリバーン)は、バーサーカーの斧剣を砕き、その胸を光が貫通した。

 真っ暗な鏡面界を照らすその光は、まさに戦いにおいて勝利の象徴だった。

……勝利すべき黄金の剣(カリバーン)。 セイバー、アルトリア・ペンドラゴンが王の誓いを立てたときに抜いた、選定の剣。 これを抜いたことで、セイバーは老化と同時に成長が止まり、衰えることは無くなった。 彼女にとってはあの聖剣より、こちらの方が馴染みは深いハズだが、生前のとある行動でこの剣は失われーーこうして今宵、俺の手で再現された。

 

「……はっ、はぁ、……」

 

 土煙が晴れていく。 選定の剣の光は、余りの威力に俺達すらも吹き飛ばした。 肩で息をする俺の手から、泥が水で溶けるように、剣はその形を魔力へと戻していく。 役目を終えたのだろう。 そして目の前に広がった光景に、俺は言葉を失った。

 

「……嘘、だろ……!?」

 

 そこにあったのは、胸を吹き飛ばされたバーサーカー。 しかしその傷は、今このときも嘘であったように再生し、塞がれていく。

 あり得ない。 確かにバーサーカーの命はもう、全て散らしたハズだ。 なのに何故、また再生して……!?

 

「……まさか」

 

「何か分かったの、サファイア?」

 

 また通常の戦闘服に戻った美遊の問いに、サファイアが答える。

 

「あのバーサーカーの体色が変化した際に、もしや命のストックも補充されたのではないでしょうか? それが何処まで増えたかは知りませんが、もしそれが全快まで補充されていたら……」

 

「……私達の、負け……?」

 

 バーサーカーに同じ攻撃は通用しない。 つまり勝利すべき黄金の剣(カリバーン)では、もう奴の命を散らせない。

 それに、俺達は立ち上がることすら、ままならない状態だ。 俺に至っては魔力もすっからかん。 美遊もこれ以上の戦いは行うことが出来ないだろう。

 これで、今度こそ詰め。

 バーサーカーの傷が完治する。 一秒後には拳を握り、襲いかかってくるに違いない。 奴との距離はたった五メートル。 それだけの間が俺達には遠いのに、バーサーカーにとっては一歩で肉薄出来る距離だ。

 死ぬのか、本当に。 こんなところで。

 守るべき人が居るのに。 自分(エミヤシロウ)が死ねば、その笑顔が失われるというのに。

 こんなところで、本当にーー!!

 

 

「極大のーー」

 

 

 そのとき。

 

「ーー散弾ッ!!!!」

 

 そんな、死の時間とは正反対な声が真上から木霊したかと思えば、何かがバーサーカーに近づき、その巨体を吹き飛ばした(・・・・・・)

 

「なっ……!?」

 

 風のように飛ぶ誰かは、杖のようなモノを振り、魔力の塊を吐き出す。 少女の言う通り、砲撃のような魔力は、弾丸のようにバーサーカーに炸裂する。 一発一発の威力は小さくても、その勢いは濁流のごとくで、岩山のようなバーサーカーは無理矢理俺達から引き離された。

 そうして現れたのは、一人の少女。 ふわりと浮かぶその姿は、可愛らしい服装と相まって妖精のよう。

 しかし、何故彼女がここに。 今彼女は、家に居るハズなのに。 俺は動けないまま、

 

「イリヤ……!」

 

「効いたよっ、リンさん! ルヴィアさん!」

 

 その少女ーーイリヤは、俺の言葉を遮るように叫ぶと、続けて空に展開されたカレイドの魔法陣から二人の少女が飛来する。

 

Anfang(セット)!」

 

Zeichen(サイン)!」

 

 遠坂と、ルヴィア、相性的には最悪かもしれない二人。 彼女達は絶妙のコンビネーションで宝石を投擲し、呪文を紡いだ。

 

「「獣縛の六枷(グレイプニル)!!」」

 

 現れたのは、結界。 正三角形を彷彿とさせるシルエットの内部で、蘇生が完了したバーサーカーは暴れようとするも、結界から出現した捕縛縄が押さえつける。

 獣縛の六枷(グレイプニル)。 北欧神話に登場する、魔獣フェンリルを縛るために神々が小人に作らせた、足枷。 その名を冠する紛い物でも、半神のバーサーカー相手に足止めは出来る。

 何て奴らだ。 まさかあのバーサーカーを、宝具も使わず拘束するなんて。 やっぱりコイツらは、

 

「オーッホッホッホッ!! 見てくださいましたか、シェロ!? 不肖ルヴィアゼリッタ、あなた達の危機を見事救ってみせましたわ!」

 

「あはは! チキショー、大赤字よドチキショーーッッ!!」

 

「……」

 

……あー、うん。 やっぱりコイツらは、紙一重なのかもしれない。 色んな意味で。

 それよりも。 俺は美遊と共に、目の前を見やる。

 そこには、居ないハズのイリヤが、俺達に背を向けてバーサーカーを見つめていた。

 イリヤは何も言わなかった。 ただ黙って、何かを待っているようにも見える。

 

「……イリヤ」

 

「二人とも、ごめんなさい」

 

 名前を呼ぶと、イリヤは謝ってきた。 彼女は肩を震わせながらも、必死になって俺達に呟いた。

 

「……馬鹿だよね、私。 何の覚悟も無いまま、戦って。 ちょっとした冒険に、ワクワクするみたいに首を突っ込んだ。 みんな、必死に戦ってるのに。 私自身に、そんな力があると思った途端に恐くなって……逃げ出して」

 

 もどかしそうに、唇を噛むイリヤ。 恐らく彼女自身、何を言おうかといっぱいいっぱいなのだ。 それでも、ただ一つ譲れないモノを見つけてーーこの危険な世界に、足を踏み込もうとしている。

……本当は、止めたい。 せっかくの平和を、壊すような世界には足を踏み入れさせたくない。 しかしそれは、出来ない。 守られる存在だったイリヤが、自分の意志でここに居るのだ。 きっと、怖いことしか無いと、知って。

 それでもーー願うべきことを、見つけたのだ。

 

「でも、それは違う。 ミユのことも、お兄ちゃんのことも。 逃げ出したって、目を瞑ったって。 それを無かったことには出来ない、したくない!! だって!!」

 

 振り返る。 その小さな思いを、ぶつける。

 

「ミユは私の友達で、お兄ちゃんは私の家族だから!! 私はそんな二人を、みんなを守りたいって、そう願ったから!!」

 

「イリヤ……私は」

 

「ごめんね、ミユ」

 

 立ち上がった美遊に、イリヤが駆け寄ると、ステッキを交差させる。

 瞬間、カレイドステッキを中心に、光が灯る。 それはまるで、淡い星のように瞬き、二つのステッキは共振し始める。

 

「……ごめん、ミユにばっかり辛い思いさせて。 逃げてごめん」

 

「……そんなことない。 イリヤは、私にとって、初めて出来た友達だから。 イリヤが辛いのなら、友達の私が頑張らないと」

 

「ミユ……」

 

 その言葉に、思わず瞳を潤わせるイリヤ。 美遊はこちらを一瞥し、口を開く。

 

「……私は良いよ。 だから早く、彼に」

 

「あ、……うん」

 

 そこで、イリヤが言葉を詰まらせた。 やはり昨夜の一件がかなり効いているのだろうか、中々言葉を放つことが出来ない。

 頑張れ。 そう心の中で呟いたのが届いたか、イリヤは言った。

 

「ごめんね、お兄ちゃん……私、私ね、怖かったの。 お兄ちゃんが魔術師だって分かって、いつものお兄ちゃんらしくなくて、とっても怖かった。 私の隣に居る人が、人間なのかなって、そう見えちゃうぐらい。 脆くて、悲しかった」

 

……そこまで、エミヤシロウと自分は違うのか。 どうやらその差が浮き彫りになっていたのは、自分だけでは無かったらしい。

 押し黙る俺に、イリヤは言葉を探し、自分の心を語っていく。

 

「でも、そんなこと初めから関係なかった。 だってお兄ちゃんは、お兄ちゃんだもん。 私が知ってるお兄ちゃんは、優しくて、ちょっと不器用で、鈍いけど。 自慢のお兄ちゃんだから……だから」

 

 一度だけ、目を閉じて。 イリヤは目を開くと、意志を感じさせる瞳で、俺に告げた。

 

「お兄ちゃん、言ったよね? 私のこと、絶対に守るって。 だから私は、絶対にお兄ちゃんのことを守るよ。 危なっかしいお兄ちゃんのために、ずっと一緒に居るためにーー私は、あなたを守る」

 

「イリヤ……」

 

 全く、嬉しいことを言ってくれる。……それを言う相手が、間違っていると言うことを、差し引いても。 純粋に、その想いは嬉しかった。

 遠くで、獣縛の六枷(グレイプニル)が引き千切られる。 しかしそんな絶望的な状況を真っ向から崩すような光が、ステッキから放射される。

 

「本当にバカだったのは、逃げ出したこと」

 

 イリヤの目から涙が落ちるが、それで良い。 彼女は後悔しないために、今ここに居るのだから。

 

「見捨てたままじゃ、前には進めない。 関わったことは、過去は、無かったことには出来ない……だから、進もう」

 

 その目には、最早涙など無い。 代わりにあるのは、純粋な願いだけ。 赤い瞳は、まるで光を放つような黄金色が混じり、自信に満ちていく。

 二本のステッキの間に挟まれるクラスカード。 クラスの名はセイバー。 それを、二人は同時に使用した。

 

 

「ーー今日で、全て終わらせよう!!」

 

 

 狂戦士の咆哮。 死の恐怖として刻まれたそれすら、意識の外に追いやるのは、燦然とした光。 夜の帳に幕を引く、朝の到来を思わせるような光だ。

 その日光の最中。 俺は確かに見た。

 二人の少女。 限定展開(インクルード)された約束された勝利の剣(エクスカリバー)は、まるで時計の針のように無数が並ぶ。 その上には、歯車のようにステンドグラスの空が浮かび上がり、回転する。

 

「……テンノ、サカヅキ……?」

 

 ノイズが走る。 意識が混同する。 ふと出た言葉は、まるで俺ではない俺が言ったかのよう。

 

「ーーーーああ、綺麗だ……」

 

 その光は、一夜の奇跡(ラストファンタズム)

 鏡の常世は、束ねた朝日を全て反射し、空に映る虹の景色は。

 

 まるでーー万華鏡(Kaleid Scope)

 

 

「ーーーークラスカード・セイバー、並列限定展開(パラレルインクルード)ーーーー!!」

 

 

 瞬間、無数の朝日が夜を切り裂き。

 これにて、夜は終焉を迎えた。

 

……運命の夜(stay night)から、鏡の夜(kaleid night)へ。

 

 ひとまず。 これでもう、夜は終わり。

 



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エピローグ~その手に残ったものは~

ーーinterlude 4-1ーー

 

 

 既に空は、白み始めている。 夜が明け、朝が来る。 光と闇のコントラストーー二つの景色が混じり合う、マジックアワー。 その始まりの時間に、アイリは家政婦であるセラと話をしていた。

 話とは、子供達のことーーイリヤと、そして士郎のことである。 関わらず、逃げてきた魔術の世界。 その世界に、今二人は足を踏み入れてしまった。 それについて自身の方針を述べたのだ。

 結果から言えば、好きなようにすれば良い。 こちらから止めはしない。 それが、アイリと切嗣が出した結論だった。

 

「……本当に、よろしいのですか? イリヤさん達を止めないで」

 

「……ん、そうね」

 

 暗い廊下。 そこから、アイリは家を眺める。

 木造の我が家。 何をしてでも守ると誓った子供達が、何年と過ごした、世界で一つだけの場所。

 目を閉じれば、今でも浮かぶ。 まだ小さいイリヤを、手を繋いで引っ張る士郎。 そんな二人を、遠くから見守る、家政婦の二人。 この家にアイリと切嗣の姿は……そんなに無かったが、それでもここは二人にとって、みんなにとって帰る場所なのである。

 それが壊れるかもしれないのに。

 アイリは何故か、晴れ晴れとした顔で、言葉を続けた。

 

「止めないわ。 イリヤやシロウが、あの世界に来るというなら……私は、それを止めはしない」

 

「……ですが、力の封印が解けるということは、よっぽどのことがあったんです。 イリヤさんならまだしも、士郎はまだ魔術のことを何も……!」

 

「相変わらず心配性ね、セラは。 大丈夫よ、きっと」

 

「しかし……私は……」

 

 セラが目を伏せる。

 

「……私は、イリヤさんと士郎には、幸せでいて欲しいのです。 普通に、ただ静かに暮らして欲しかった。 魔術とは何も関わらない、陽の当たる場所で。 そう考えたから、奥様もアインツベルンを……!」

「そう……でもね、セラ」

 

 自嘲するように。 アイリは薄く笑って、呟いた。

 

「ーー逃げ出すことで、守れるモノなんてないのよ、きっと」

 

「……!」

 

「偉そうに説教しちゃったけど……最初に逃げたのは、私達の方でしょ。 だから、言ったことには責任を持たないと」

 

 愛する人が、選択をした。 遠い昔に。

 全ての人を救うため、たった一人の家族を殺すのか。

 たった一人の家族を救うために、全ての人達を犠牲にするのか。

……そんな選択を経てから、もう十年。 全てから逃げて、もう十年。 仮初めだったハズの平和は、とても楽しかった。 過去を振り返り、その罪を背負いながらも、笑っていられたのだ。

 だから、逃げるのはこれでおしまい。

 

「私達も前を見なきゃ。 ここに、みんなでずっと居るためにーーーー」

 

 それが最早、叶わない夢だとアイリは知っている。 息子を殺したのが、似て非なる息子だということも。 全て、知っていて。

 それでも、願い続ける。

 思い描いた未来を、勝ち取るために。

 

「……奥様」

 

 セラはどう言葉をかけて良いか、分からないようだった。 心配してくれている彼女に、息子のことを伝えないのは胸は痛んだが。

 

「戦うしかないのよ、もう」

 

 アイリは、言う。

 

「私達の日常を、守るために」

 

 仮初めでは終わらせないために。 アイリはその言葉を飲み込んで、ボストンバッグに手をかけた。

 

「じゃ、そろそろ行くわ。 切嗣が外で待ってるから」

 

「もう行ってしまわれるのですか?……旦那様も一緒なら、久し振りに家族全員で、朝食でもと思ったのですが……」

 

「良いのよ、別に。 それに、家族全員なら士郎も居ないとダメでしょ?」

 

「あ……すみません、その件は士郎に非は」

 

「ふふ、分かってるから。 だからしゃんとしてなさい、セラおかーさん」

 

「お、奥様、冗談もほどほどに……!」

 

 やはりこういう会話では、アイリに一日の長がある。 まぁ、セラの気質が真面目であることも否定出来ないのだが。 生まれたときから変わらない笑顔で、アイリは言った。

 

「じゃ、またねセラ」

 

「はい……いってらっしゃいませ」

 

 す、と頭を下げるセラと、ドアを開けるアイリは一緒のタイミングだ。 そのまま振り返らず、アイリは路上に停められた一台の車に乗り込む。

 運転席には、少し船を漕ぐように頭を揺らす、夫の姿がある。 十年前のままでは恐らくあり得ることのなかった、愛する人の柔らかな雰囲気。 それが、この上なく眩しい。

 

「……切嗣」

 

「……ぁ。 ご、ごめんアイリ。 僕としたことが、まさか寝てしまうなんて……」

 

 起きた途端、長らく切ってない髪をガリガリ掻く切嗣。 そんな何気ない仕草でも、アイリは彼の人間らしいところを見られるのが、好きだった。

 

「ううん、全然。 それよりも、切嗣の寝顔を堪能出来たし、一日の始まりとしては最高よ」

 

「そ、そうかな……顔に余り自信は無いけれど、アイリがそう言ってくれるなら、ありがたいかな」

 

「むぅん……やっぱりこーいうところは親子というか、士郎はそっくりよねー……」

 

「? 何か言ったかい、アイリ?」

 

「いいえ、なーにもっ」

 

 微笑むアイリに、切嗣はいつものように苦笑する。 彼はその笑みを口の端にだけ残し、フロントガラスを見つめる。

 そのときだ。

 ぽす、と。 何の前触れもなく、アイリが切嗣の肩に、頭を乗せた。

 

「……アイリ?」

 

 戸惑う切嗣。 しかしそんな愛する人の耳元で、彼女は小さく声を出す。

 

「……ね、切嗣。 あなたはどうして、イリヤちゃん達を見守ることにしたの?」

 

「……不安かい、やっぱり?」

 

「いいえ、そんなことないわ。 ただ……私と違って、あなたは選択したじゃない。 私はあなたについていくだけだったけど、でもあなたはあのとき、決断した。 あの世界が、あの子達の目に入らないようにって……だからちょっと、それが気になっただけ」

 

 何が彼の方針を変えたのか。 アイリの問いに、切嗣は薄く目を開き、昇りかけた太陽を直視する。 それはまるで過去にあった、幸せな記憶を思い出すよう。

 

「……士郎が、言ってくれたんだ。 救ってくれた僕を、信じると。 誰かを想う気持ちは、間違いなんかじゃないって」

 

 ああ、それは。 アイリは思う。

 なんてーー救いのある、言葉なのだろう。

 

「嬉しかった、単純に。 その言葉を聞いたとき、僕の中にあった未練が、今度こそ無くなったんだ。 何処かにあった後悔が、跡形もなく……どんなことをしても、子供達の笑顔を見ても、消えなかった夢から……やっと、解放された」

 

 切嗣が、アイリの頭部に手を添える。 優しく抱き寄せると、彼は。

 

「……だから、もう逃げない。 僕は、今度こそ正面からーーその罪を背負う」

 

 この世全ての悪。 その烙印を押されることも、何ら厭わなかった彼の目は、あの頃よりも輝いている。 それは目の前の闇を理解しながら、他人のために進む。 その意味を真に理解した目だった。

 

「……あなた一人には背負わせないわ。 背負うなら、私も」

 

「どうせ僕一人で背負うと言っても、聞かないんだろう?」

 

「当たり前じゃない。 私を誰だと思ってるの?」

 

「僕の奥さん」

 

「あら正解」

 

 くくく、と笑いの漏れる車内。 さて、と切嗣は差し込んだキーをひねり、

 

「それじゃあ、行こうか」

 

「ええ。 また三ヶ月後、ここに」

 

 夜が明ける前に、大人達は動く。

 夜明けは速やかに。 誰も知らない間に、夜は明ける。

 それではまた、一時の休息を。

 こうして、いつもの(日常)を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 曰く、人は継続的に何かをしていないとダメになるらしい。 これは姉である藤村大河の言葉だが、俺はそれを今、心の底から感じていた。

 

「……暇だ」

 

 時間は既に夕方。 日の光も徐々に濃くなる頃、俺はベッドの上で悶々と過ごしていた。

 昨夜、光の中に消えたバーサーカーを見届け、俺はそのまま意識を失った。 セイバーの鞘のおかげで、死徒と同等の回復力があるとはいえ、それも一時的なモノだ。 身体は全身ガタガタで、巻き直された包帯は少しキツめに縛ってある。 病院側からの警告だが、それを無視したらどうなるかなど、その事情に明るくない俺でも予想はつく。

 さて、そんなわけでクラスカード騒動がどうなったかは、知らない。 しかし近くのテーブルに走り書きされたメモがあり、それに結果だけは書いてあった。

 

ーーこっちは終わったから。 協力感謝するわ。

 

 その文字には、見覚えがあった。 丸いというより、少し鋭利で、綺麗な文字。 間違いなく、この世界の遠坂凛のモノだろう。

 直接言えば良いのに、と思ってしまったが、遠坂とルヴィアはクラスカードを回収すればもうここに用はない。 メモがあるということは、二人はもうイギリスに帰ってしまったのだろう。 少し寂しいが、正直ルヴィアはまだしも、遠坂は俺の世界の遠坂がチラついてしまうしーー何より、あの二人はあの二人には生き方がある。 一緒に居られたら楽しいかもしれないが、やはり鮮やかに、自由に生きてくれるならば、そっちがアイツらしい。

 俺はそう自分の心に言い聞かせたが、ここで一つ気付く。

 

「……あ、そっか。 じゃあ、美遊もあっちに帰るのか」

 

 イリヤではないもう一人の妹分。 エーデルフェルトの名を持つ美遊は、ルヴィア直近のメイドだ。 小学校には通っているようだが、それも主であるルヴィアが時計塔に戻るのであれば、美遊も日本から離れなくてはならないだろう。

 

「……」

 

 何だか複雑な気分である。 確かにクラスカードは危険だった。 しかしそれのおかげで、イリヤは新しい友達と出会い、成長したのだ。 それが終わった途端、友達と別れることになるなど、少し後味が悪い。

……しかし、今言ったところでどうにもならない。 既にイギリスに発っているなら、俺がどうこう言おうと意味がないからだ。

 これで、終わり。

 もうイリヤが自分から突っ込まない限り、魔術と関わりを持つことはない。 ルビーも全てが終わってから、イリヤの側に居るわけじゃないハズだ。 とすれば、俺も表向きは同様に振る舞うべきか。

 

「……とはいえ」

 

 確かに、俺はイリヤを守ると誓った。 しかし俺が真に守るべきモノは、元の世界にしかない。 ここは寄り道。 通過点でもない、ただのコースアウトだ。

 しかし現状、元の世界に戻るのであれば、やはり第二魔法を視野に入れる遠坂やルヴィアの力が必要だ。 ここに来た原因である、宝石剣の設計図。 少なくとも、遠坂はそれを持っていたハズだ。 本人の持つ原典を見られればそれが一番良いが、そもそも本人が何処に居るか皆目検討がつかない。 つまりどちらにしろ、元の世界に戻りたいのなら、魔術師として行動しなければ不可能だ。

 そして行動するにしても、一筋縄では行かないだろう。 何せ、俺は強化と変化、そして投影しか出来ない。 他の魔術も、良くて簡単な暗示や施錠の類いのみ。 つまり遠坂達、あるいは魔法の使い手とパイプを持つなら、封印指定を受ける覚悟で動かなければ、あの世界に帰ることは出来ないのである。

 

「……手詰まり、だな」

 

 声にして手を挙げてみても、気分は優れない。 帰ることは絶望的、そもそもにおいて生き残れるかどうかすら分からない、この状況。

……あの世界に帰る、という選択肢を無くせば、俺はこの世界でイリヤと共に暮らすことが出来る。 魔術を使わずにいれば、危険なことなど何もない。 幸せな家庭、幸せな人との毎日。 その中で思い描いた理想も薄れ、いずれは元の世界のことなんてどうでも良くなるのかもしれない。

 けれどーーそれは、違う。

 今俺が居座っている場所には、かつて俺以上にそれを大切にした奴が居た。 そいつを殺した俺は、確かに一生を費やしてでも、守らなくてはならない。

 でも、それは結局、そいつの場所を奪っているのだ。

 誰かの代わりなんて、何処にも居ない。 例え同じ家族でも、歩んだ思い出は違う。 だからきっと、生きた場所が違う俺が守ることは、そいつの居場所を陣取っているだけだ。 守るという楽な行為に、逃げているだけ。

 もう逃げない。 そのために、俺は帰る方法を探す。この幸せを、これ以上壊させないためにーー俺は守りながら、帰る道を探すのだ。

……それが。 少なくない人を傷つけることを、深く理解して。 それでも、エミヤシロウの尊厳だけは、守り抜くために。

 と、そのときだった。 扉の向こうから、こんな声がした。

 

「ね、間桐。 お見舞いの花ってさ、貰って嬉しいもんかね?」

 

「それは、嬉しいに決まってるじゃないですか。 だって、こんな綺麗な花ですよ? それにお見舞いで花を貰うって、心を貰うようなモノですし」

 

「いやまぁ、言いたいことは分かるし、間桐のチョイスだから深くは言わないけど……何かやけに悪意というか、毒々しいというか。 具体的には常時バッドステータスと異界でも創造しそうな臭いと色合いなんだけど、心が籠ってるから良いか。 うん」

 

「おいおい、何をそんなに苦い顔をしてるんだよ美綴ぃ。 ただでさえ病院なんつうところに来て騒げないのに、そこに衛宮のお見舞いだろ? ほら、もう騒ぎたくても騒げないじゃん? 豹は静かに動けても、やっぱ本能じゃ騒ぎたい生き物なのサ!」

 

「お前のその、アフリカかブラジル帰りを匂わせる発言は置いておくがな、蒔。 それはそれとして、つかぬことを聞くが……美綴嬢、君の持っているそれは、冥府の下に咲く花でも摘んだのか?」

 

「冥府というか、私はヨミとかそっち系だと思う、氷室女史。 なぁ三枝、しれーっとこれ処分してくれない? そして代わりにテキトーなの見繕ってよ」

 

「え、ええっ? も、もう病室に着いちゃいますよ、美綴さん? 私の足じゃ、下の購買までは……」

 

「あたしに任せろ、由紀っち! 私の足なら一分でやってやるぜ! ついでに飲み物買ってくるけど、リクエストは?」

 

「そのリクエストを聞いたが最後、お前の頭からは見舞いの品というデータは消えるが、蒔寺?」

 

「馬鹿にすんなよな、鐘野郎! 三つまでなら走りながらでも言えらぁ!」

 

「……あ、あの、私。 見舞いの花なら持ってきてますけど……」

 

「うん、森山。 それ以上何も言うな、目の前のションボリレパードで察してあげろ」

 

「何処でもペチャクチャうるさい奴らだねぇ、ホント。 女は静かなのに限るよ、やっぱり」

 

「そう言って、何度も取っ替えるのはお前の趣味か、間桐? 仏の顔も、色恋には一度も無いぞ?」

 

「ハッ、やっぱお前ってムカつくよ、柳洞。 全くこんなことなら時間ズラして来れば良かったかな。 衛宮の見舞いなんて、義理でも行きたくなかったけど、誰も来ないなら僕が行くしかないと思ってたのに……何だよこれ、すっげー大所帯なんですけど!? 衛宮と僕はボールは友達みたいな、唯一無二のベストフレンドじゃないのかよ!?」

 

「良かったな。 今はお前が一番やかましいぞ、間桐?」

 

「お黙りっ、こぉのムッツリ坊主!」

 

「なっ、ムッツリとは卑猥な……!?」

 

……ワイワイガヤガヤ、ギャーギャー。 まぁ何というか、千変万化の一行である。 ところで病院では静かにという常識は、俺の周りには無かったようだ。 うん、まぁないだろう。

 

「おーす、衛宮。 起きてる? 寂しい寂しいブラウニーくんに、みんなでお見舞いに来てやったぞー」

 

 棘というか、ガンつけてるような言い草だが……とりあえず扉の前で待つ美綴達に、俺は返答した。

 

「……物凄く心の籠ってない声でどうも。 ん、起きてるぞ。 入ってくれ」

 

 お邪魔しまーす、なんて言って、ドタバタ入ってくるのは、見知ったクラスメイト。 どういうわけなのかは知らないが、元の世界ではクラスが違った美綴や陸上部三人娘も、同じクラスなのだ。 恐らく美綴が一成辺りから聞いて、そこから桜や慎二、ひいては氷室まで伝言ゲームよろしく伝わったのだろう。

 一成が周りを見ながら、

 

「すまんな、こんなに大人数で来てしまって。 衛宮も静かに過ごしたいだろうに」

 

「いや、ありがたいよ。 病院って暇だからさ、みんなが来てくれると時間もあっという間だし」

 

「良く言うよ、いっつものほほんとしてる奴がさ……まぁお前も、元は弓道部だし、次期主将の僕としては来ざるを得なかったというか」

 

「兄さん、先輩が病院に運ばれたって聞いて、すぐ病院に行こうとしてましたよね」

 

「あれれー? おやおや間桐くんよー、ホントは衛宮のこと心配だったんじゃないのー?」

 

「な、何を馬鹿なこと言ってんだよっ!? あり得ねーし、衛宮ごときに僕が心配とかあり得ねーっしゅ!」

 

「動揺が言動にも現れてるが、それは触れない方が良いな。 今の間桐は飲酒運転したトラックみたいなモノだ」

 

「それって、止まらないってこと? 鐘ちゃん?」

 

「いいや、あのままだと周りが見えず、自爆するということさ」

 

「そこっ!! こそこそ言ってるの聞こえてんだからなっ、後で覚えとけよ!? あと衛宮も笑うなこの万年お手伝い野郎!」

 

「たはは、こりゃ静かにってのも無理そうだねぇ。 まぁ慎二が居るなら、最初から無理だろうけどさ。 ごめんごめん衛宮、看護婦さんに言い訳よろしく」

 

 さらっと後始末を押し付けられてることに気付くが、確かに宴会みたいな様相のこの場を、どうにかする手はない。 言って止まるような奴らでもないし。

 と。 俺を取り囲むようにみんなが立つ中、見慣れぬ人物がその輪を崩すように前に出た。

 一言で言うなら、これぞ女子、というところか。 丹念に手入れされた髪はふんわりとカールしており、その陽の光のような雰囲気は、彼女の柔らかな表情も起因している。 彼女ーー確か、同じクラスの森山、だったか。 穂群原のお姉さまが通り名の。

 

「あ、あの……士郎くん、よければ、これ……」

 

 森山はそう言って、小さな花束を差し出す。 可憐な花の香りが鼻腔を突き抜け、俺はそれを反射的に受け取った。

 

「あ、ありがとう……これ、森山が?」

 

「う、うん。 あ、もしかして花とか、嫌いだった……?」

 

「そんなことない。 ただ、花まで持ってきてくれるなんて、思わなかったからな。 ありがとう森山、大事にするよ」

 

 感謝の意が伝わったか、森山は目に見えて笑顔になり、こく、と遠慮がちに頷く。 控えめなところも人気の一つなんだろうなぁ、と心の中で思っていたら。

 

「センパイ」

 

「ん?……んんっ!?」

 

 右隣に居る森山の、正反対。 そこに居た桜が、ニコニコと笑って、あるものを持っている。

 ただーーアレは、何だ?

 

「……私、先輩のためにお花を買ってきたんです。 ちょっと地味かもしれませんけど、良いお花なんですよ?」

 

 桜の手にあったのは、森山と同じ花束だ。 しかし花の形をしているが、その実色彩と良い、香りと良い。 何かとりあえずあらゆる宗教の呪いを詰め込んでみました的な、触っちゃダメよなカースラフレシア的な?……便宜上、花としか言えないが、 アレは西暦2xxx年とかに生えてる汚染物質にしか見えない。 シルエット的には花だけども。

 

「……えーと。 これ、どこで買ったの、桜?」

 

「マウント深山です」

 

「嘘だっ!!」

 

 いつからマウント深山は、人外魔窟の秘境となったのだ。 まさか俺の知らぬ間に、深山町汚染計画が進行していたとでも……!?

 

「正確には、マウント深山で買ったんですけど、先輩に元気になってほしいな、って思いを込めたんです。 そしたら、こんな素敵な色になりました。 森山先輩の花に比べて、少し地味ですけど……でも、想いじゃ負けてませんからっ!」

 

 ふんすっ、と鼻息を荒くする桜さん。 いやもうこれ地味とか派手とかじゃなく、ちょっと生命の危機へ誘いそうなんだけども……そんなことを言っては、せっかく桜から貰った想いが台無しになってしまうので。

 

「あ、ありがとう……じゃあ、そこの机に置いててくれないか? 花瓶には自分で移すから」

 

「それなら私が」

 

「いえ、私がやります。 この中で一番年下なので、雑務はお任せです」

 

 ニッコリと。 知らぬ間に鳥肌が立つくらい、森山に向けてそう告げる桜。 だが森山はも森山で、何をそんなに彼女を向かわせるのか、反対側に回る。

 

「ううん。 間桐さん、士郎くんに会いたがってたもの……私はその間に二つの花を移しておくから」

 

「良いんですよ、森山先輩こそ。 私が移しますから、のほほーんと後輩そっちのけで話しても」

 

 何故だろうか。 二人とも笑っている。 笑っているのにーー二人の間で火花でも走っているように見えるのは。 こう、鉄線の中でデスマッチみたいなのを幻視する。 ノーガードの試合を審判が見るときって、こんな感じなのかな……いや正直そんなノーガードの試合なんてないけど。

 

「おいおい衛宮、どうにかしろって。 何か間桐も森山も、凄い睨み合ってるぞ。 ここは平和的な男のカイショーを見せるときじゃない?」

 

「そんな世渡り術を持ってるなら、そもそもこんなことにはなってないでござる……」

 

「あー……それもそうね、うん」

 

 楽しそうな美綴とのひそひそ話も、解決法を見つけることは出来なかった。 何というか、残りの面々も面白がってるかその雰囲気を怖がるか、或いは嘆いているかの三つしかない。 というか何がどう因果率が狂えば、病室がこんな殺伐としたイカれた時代へようこそな空気に変貌するのか。

……どうしようか。 とりあえずお茶でも飲めば、楽になれるのかなー、なんて思っていたときだった。

 

「お兄ちゃーん? 起きてる、入るよー?」

 

「……お邪魔します」

 

 そう、二人の妹が、病室に入ってきた。

 

「……………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 しーん、と。 さっきまで騒がしかった室内が、嘘みたいに静まる。 あの桜と、森山の二人もだ。

 全員の視線が、初等部制服verのイリヤと美遊に集まる。 遠慮がちに、イリヤが尋ねた。

 

「えーと……お邪魔、でしたかね……?」

 

 その声を聞いた途端、全員が再起動した。

 

「うっほぉぉぉおおおおお!! くぁわぃぃいいいいいい!! おいおい衛宮、なんだこのリアル○ービー人形と、リアルこけし少女はぁ! まさかこれが噂の……!」

 

「どの噂かは知らないけど……右、俺の妹のイリヤ。 左はイリヤの友達の、美遊だ。 よろしく頼む」

 

「何だって良いゼ! おいおい見ろよ由紀っち! めんこいなぁ、髪サラッサラッの○ラサーティだなぁ!」

 

「うぇぇっ!? な、何するんですかいきなり!? うわ、苦労して整えた髪がぁ!?」

 

「……おお、悪くない。 ゆるふわ」

 

「美遊が珍しく気に入ってるっ!? うぇ、頬もつねらないで~っ!?」

 

「蒔ちゃん、イリヤちゃん困ってるよ? もう止めてあげた方が……」

 

「ふむ。 女児の頬を触るなど、余り無い経験だな……おお、ぷにぷに。 これはハマりそうだ、気泡緩衝材をぷちぷちするみたいに」

 

「ちょ、鐘ちゃんまで!?」

 

「おーおー、久々に触るけど、やっぱ触り心地が違うなー衛宮の妹ちゃんは。 お、そうだ。 何にも言わないけど、そっちの君も触って良いの?」

 

「……どうぞ」

 

「サンキュ。 おお、こっちも中々の逸材……」

 

「……おい柳胴」

 

「何だ間桐、ロリコンに目覚めたか?」

 

「ちげーよバーカ! 衛宮ばっかり女の子に囲まれてズルいってことだよ言わせんな恥ずかしい!」

 

 俺を残し、クラスのみんなはイリヤ達を触ってばかりだ。 一瞬で蚊帳の外か……うん、まぁ仕方ないよな。 二人とも、今のままでも可愛いし。

 

「わぁ……! イリヤちゃん、少し大きくなったのかな? 良いなぁ、もっちり肌……」

 

「むむ、ナナキちゃんとは違う方向の可愛さ……あ、間桐さん、あっちの黒髪の子も良いよ?」

 

「ホントですか!?」

 

 何だかんだで雰囲気も良いし。 俺は少し遠くでそれを見守っていると、美遊があの言葉を言った。

 

 

「あ、お兄ちゃん(・・・・・)、身体は大丈夫?」

 

 

 氷河期なんて、生易しいモノではなかった。

 春先の部屋が一瞬で、絶対零度の深海にまで雰囲気が変わった。

 今度の注目は、まぎれもなく俺だ。 蚊帳の外ではない。 ただ火中の栗を拾うよりも、苦労しそうな冷たさに、首を突っ込んだようである。

 

「……? どうしたんですか、皆さん? そんなにお兄ちゃんの方を見て。 お兄ちゃんに何か付いてるんですか?」

 

 聞き間違いという線を、真っ向から叩き潰すのは、未だ状況が分からない美遊だ。 既に瀕死状態だった俺の心に、みんなの視線が計八コンボも続いて注がれる。

 次いであったのは、俺の品性を疑う目だった。

 

「……衛宮、まさか」

 

「……衛宮」

 

「……アンタ、間桐と森山とかに興味ないと思ってたら……小さい子が……」

 

「ふむ、これは面白い……衛宮は囲うタイプか……」

 

「衛宮くん……」

 

「ハッ、お前らしいね! 実にお前らしい、ドン引きな性癖……ぶがはっ!?」

 

「兄さんは黙って……先輩」

 

「士郎くん……そんな、そんなことって……!」

 

 何かヤバい、とにかくヤバい。 ここでどうにかしないと俺の生活というか、家庭内ヒエラルキーにでも影響が出かねない。 いや最下層だけど、それ以下が目前にある!

 

「な、何言ってんだよぅ! 違うよ、違うって。 れ、れれっ、冷静になれみんな。 そんなお兄ちゃんと呼ばれただけで、ロリコンと決まったわけじゃ」

 

「いや、世間一般では警察に通報され、もうロリコンと呼ばれるしかないぞ、衛宮某」

 

「そこは何とかしてよ氷室女史ィッ!!」

 

 ヤバいヤバいヤバいヤバい! 何がヤバいって、常に最強の自分が全然見えない! どんな逆境も乗り越えられるんだろ、俺のイメージ最強説はないの!? なぁアーチャー、俺達は!

 

ーー侮蔑に裂かれて壊死しろ、ザマァ。

 

 アァァァァァァァァァァアアアアアアチャァァアアアアアアアアアッ!!!!

 

「……お兄ちゃん」

 

「ヒィ!? い、イリヤ!?」

 

 ゴゴゴゴ、なんて異次元に扉を開きそうなオーラを醸し出すイリヤの手には、カレイドステッキがあり、髪はリボンで結ばれている。 それ衣装変わらないで出来るとか聞いてないよぉ!

 

「イリヤ、違うんだっ! 別に他意はないし、そういう感情も無いと言い切れば逆に怪しいだろうから無いとは言わないけど、無いぞそういうの!」

 

「え……じゃあ、あの言葉は、嘘だったの……? 私を守るという言葉は、嘘なの、お兄ちゃん……?」

 

「こっちはこっちで、また誤解するような言い方をっっ……!?」

 

 魔力が唸る。 収束する。 カレイドステッキの先端部に、英霊にすら届く魔力の塊が浮かび上がる。

 

「ま、待て待て待てまてっ!? 一般人の前で、そんなもんぶっぱなしたら……!!」

 

「安心してください、お兄さん。 ここ数分の記憶は、他の皆さんから消しますので。 じゃ、ばーははーい!」

 

「ばーははーいじゃ……って、うわっ、でかっ!?」

 

 ギュインギュイーン!!、なんて星の輝きみたいな神々しさで、バスケットボールまで膨らむ魔力。

 うんーーもう、ダメぽ。

 

「ーーーー不潔っっっ!!!!」

 

 魔力の奔流が、流星のように俺へ殺到する。 俺はそれを避けることも出来ず、ただただ受けるばかりだった。

 春が過ぎる。

 それでも一時の平和は、終わりを迎えない。 一度築いた平和というモノは、そう簡単には崩れたりしない。

 空は、未だ天高くに。 夜までは、まだ時間もたっぷりある。

 この夢はまだ終わらない。

 さてーーそれじゃあもう少し、この夢に浸っていよう。

 

「…………星が、星が見えたスター…………」

 

 遠く、もう言葉も届かないあなたへ。

 今更かもしれないけれど。

 俺は今、あなたの側に居ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーin■er■ude4-2ーー

 

 

 フィンランド。 その国でも最北端に位置するラッピ県は、四月でも雪が降る。 昨今の温暖化をモノともしない豪雪は、まさに自然の脅威だ。 その山奥、真っ白な針葉樹が並ぶそこでは今、人智の及ばぬ戦いが繰り広げられていた。

 

「が、ァ、ゥ!?」

 

 超重量級の打撃と共に、男が吹き飛ばされる。 男は口から血を吐き出して、胸に空いた穴を虚ろな目で見ていた。

 傷はそれだけではなかった。 彼の着ていたオーダーメイドのスーツはバラバラに破かれ、最早半裸だが、その身体の至るところに鋭く無慈悲な傷が走っている。 男は四つん這いになって、目の前を見た。

 そこに居たのは、麗人。 この豪雪では男か女かも分からないほど、洗練された身体を持った武人だ。 同じくオーダーメイドの、少し暗めの色をしたスーツに、手にはフォーマルのような皮の手袋。 片方の耳にだけ、石のアクセサリーが付けられ、それで男はようやく、目の前に居るモノを女だと理解した。

 

「この程度ですか、魔術師。 幾百もの一般人の身を犠牲にしておきながらーーそれだけの力ではないハズだ。 死にたくなければ、さっさと全力を出した方が良い。 でなければ」

 

 ぎゅっ、と手袋の位置を修正し。 女は、あくまで無機質に、しかし落胆したように告げる。

 

「ーーあなたは死ぬだけだ、魔術師(メイガス)

 

 男が吠える。 真っ赤な目と牙で威嚇するように。 しかしそれすらも、女には何の意味も為さない。 数分後には、女の手が真っ赤な血に染まっており、もう事は済んでいた。

 心臓をくり貫かれた死体。 それに背を向け、女は皮の手袋を外し、何かを取り出した。

 七色に輝く石。 それがフィンランドで採れる最高級のスペクトロライトであり、更にはルーンの魔術が刻まれていることが分かるなら、彼女が誰かは想像がつく。

 

「ええ、対象を排除しました。 死体は手筈通り、そちらで回収してください……ええ、分かっています。 それよりも、この程度ならば執行者が出張る必要は無かったのでは?」

 

 女は落胆、というよりは、この程度で自分が出張らないといけない、組織の戦力不足を嘆いていた。 いや、戦力不足というより、人材不足という方が適切か。 研究よりも戦いを優先する魔術師など、女のような武闘派でなければ、そんな酔狂な者は居ない。

 と、女が聞こえてくる声に、眉を潜める。 どうやらこのまま、また任務らしい。 女は説明を聞くと、懐にスペクトロライトを仕舞う。

 

「……日本で活動する魔術師二人から、クラスカードを奪取せよ、ですか……ふ、上も相当、あの礼装には困っているらしい」

 

 それにしても、と。 女ーーバゼット・フラガ・マクレミッツは、先程までの皮肉とは違う、とても純粋な笑みを浮かべた。

 まるで年頃の女の子が、意中の男性のことを思うように。

 

「日本、冬木ですか……今でも思い出しますよ、あなたとの四日間を」

 

ーー今、あなたはどうしていますか、アヴェンジャー?

 

 答える人物など居ない。

 しかしその問いに、もし答えがあったのなら。

……きっと、その問いは今度こそ、正しく記録されるだろう。

 

 

 



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~???日目、夜~si■e st■yn■ght

 魔術回路の起動を確認。 同時に■■の欠片と接続、同調を開始。 問題なく完了。

 続いて「 」とのコンタクト……失敗。 膨大な情報と侵食に、第七百二十六■■の欠片では、「 」との接続は困難。 専用の器、■■本体での接続であれば、可能と思われます。

 ■、■■……新たな入力を受信。 第七百二十五■■の欠片との併用ならば、「 」の接続は可能。 しかしこれ以上■■との接続は、命の危険を招き、生命維持すら困難かと思われm、yzzzzzzz、zxxxxxxxxxxxxxーー!?

 

「うるせぇんだよ端役が。 救済は常に犠牲が付き物だ。 犠牲なくして人は救われない。それが一人増えたところで、この行いは正しい。 俺、いや、私の舞台は壊れはしない。 続けろ」

 

……z、ji、……新たな、入力を承認。 七百二十五、七百二十六■■両者との接続、同調を開始……警告、接続先の生命に重大な問題が発生。 泥による精神汚染が進行、接続先の生命維持は困難です。

……訂正。 泥による身体と精神の再構築を確認。 同時に黒化した魂を捕捉、数は十三。 問題をクリア、次のシークエンスに移行。「 」とのコンタクト、開始します。

 コンタクト、成功ーー外側からの知識を回収。 同時に術式を補強……終了。

 

 並行置換、発動します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうしてーー私は、その舞台(セカイ)を鑑賞する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず見えたのは、炎だった。 ゆらゆらと、幾つもの炎が街を焼き尽くしている。 燃え盛る炎はあっという間に移り、人の営みを次々と灰にしていく。 絶叫と慟哭ばかりが街に響き、それすら炎は無に変えていく。

 助けてくれと、誰かが叫ぶ。

 行かないでくれと、誰かが事切れる。

 死にたくないと、誰かの手が焦げる。

 懇願は千差万別なれど、確かなことが一つある。 ここは地獄だ。 この街にしかその地獄はないが、しかしその狭さとは反比例して、その苛烈さは筆舌しがたい。 人が木のように燃え、灰になる。 たまにある非日常。 だがその過程が何千、何万と目の前にあったとすれば、それはすなわちこの世の終わりと言っても大差ないだろう。

 そんな中。 二人組の女性が、町を走りながら何処かへ向かう。

 二人とも、この地獄においてなお、見目麗しい。 一人は二つに結んだ黒髪を揺らし、一人は騎士甲冑を金髪で反射させ、ひたすら走る。

 

「セイ■ー、あなたは住民の避難を! わたしはあの馬鹿を、その頭かち割ってでも止める!」

 

 異物(ノイズ)が酷い。 押し返される。 だが問題はない、その話から察することは可能だ。 舞台や演劇は、話の筋が分かるなら、後は見せ場で台詞を聞き取れればそれで良い。

 

「いいえマス■ー。 避難誘導はあなたの役目だ。 ■■の泥に呑まれた■は、あなたの敵う相手ではない。 ここは、私が彼女を!」

 

「サー■ァントをバクバク食べちゃうような奴じゃ、あなたが行っても力を与えるようなモノでしょ!? 良い、セイ■ー? これは、わたしが■との問題を後回しにしてたツケよ。 だったら、その始末はわたしがする。 管理者としてじゃない、わたし個人のためにね!」

 勝ち気、というよりは自棄になったような印象しかない。 しかし黒髪の少女の言い分に、金髪の騎士は美顔を綻ばせた。

 

「……以前のあなたなら、魔術師としての責務を果たそうとしたのでしょうが……■■■の影響ですか、リ■」

 

「……まぁね。 ほんっとーに不本意だけど、アイツが帰ってきたときに、一人でも欠けてたら、わたしのブラウニー幸せ計画が破綻しちゃうし。 そんなの許せないし、何より……わたしがあの子を助けたいのよ、それだけ」

 

「そうですか……ふふっ」

 

「ちょっと。 何でそんな嬉しそうなのよ、もう」

 

「いいえ。 あなたもやはり、素直ではないなと。 それだけです」

 

 騎士は表情を一変し、引き締める。 それと同時に、主たる少女も魔術師へと切り替わった。

 

「分かりましたマスター。 それでは私は、人命救助を優先します。 何かあれば、令呪の使用は躊躇わずに」

 

「ええ、分かってるわ。 あなたこそ、泥相手に戦おうだなんて思わないでね。 まずは人命救助、戦いはそこからよ」

 

「はい……ご武運を」

 

 騎士が地を蹴る。 それだけで疾風のように、騎士は視界から消えていく。 その身は制限されていようと、名を持つ英霊。 心配は杞憂で済むハズだ。

 そう、本当に気を付けねばならないのは、少女の方。 何せ相手は、最上級の英霊すら相手取る力を有していながらも、その実英霊の天敵なのだから。

 

「……!」

 

 少女が、息を切らして走り続ける。 やがてその足は登るようになり、少女はそこに辿り着いた。

 小さな神社、というよりは、寺だ。 境内には敷き詰められた石が、節々にある灯籠の光を反射し、まるでここだけ現世から引き剥がされているようだ。 寺の向こうの空は、山火事でも起きているのか明るく、また少女の後ろの空も明るい。 ここだけが異様に暗く、そしてまた邪悪なのだ。

 

「あれ? 逃げたんじゃないんですか、■■■?」

 

 そして。 その中心に、誰かが居る。

 それをあえて言葉にするのなら、人の形を、少女の形をしていた。 白く色素が抜け落ちた髪は、少女が纏う黒のドレスを強調させ、またその素肌には、幾何学的な紋様が隅々まで走っている。

 黒髪の少女ーーいいや、魔術師は、目の前のモノに答える。

 

「お生憎様。 わたしは勝てる勝負から、すたこら逃げるのは趣味じゃないのよ。 それにあなたのこと、諦めきれるほど欲がないわけじゃないし」

 

「……呆れた人。 力の差が分かりませんか? 確かにあなたの魔術師としての力は、瞬間火力だけなら■■戦争でも指折りです。 でも、それだけ。 英霊になんか届かない……ましてや、私には」

 

「あら、言ってくれるじゃない。 こりゃ助ける前に一発ガツンと、食らわした方が良さそうね」

 

 ふてぶてしい、というより、自信に満ち溢れた魔術師。 されど世界(ステージ)というモノは余りに残酷だ。 今魔術師の目の前に居るのは、怪物。 物語に登場する、英霊にしか打ち倒せない悪竜だ。 それを魔術師の彼女では、どうすることも出来ない。

 そして彼女自身、それは深く理解していた。 だからこそ無様に震えることも、逃げ出す素振りも見せない。 戦いにおいてハッタリというのは大切だ。 こちらに何かあるのではないか、そう見せるだけで糸口も、

 

「へぇ……ガツンと、ね」

 

 だが。

 

「じゃあわたしはーーぷちっ、と潰しますね」

 

「……!?」

 

 既に状況は、最悪に等しかった。

 闇が、化け物から噴出する。 着ていたドレスが形を崩し、一気に周囲へ殺到する。 それは紛れもなく氾濫した川のそれだ。 しかもただの闇ではない。 あれは一度飲み込んだモノを、残らず食い荒らす、正真正銘の天敵。

 映像が途切れる。 今宵の世界(ステージ)は、これにて幕を閉じる。 全く続きが気になる終わり方だが、これ以上はこちらが巻き込まれる。 それに今このときが、人類史において最高のハイライトなのだ。 それを眺めるにしても、もう少し時間を置いて観るとしよう。

 それに。 気になることも、出来た。

……衛宮士郎。 第五次聖杯戦争ではセイバーのマスターとして戦い、ついには呪われた連鎖を断ち切った勝者。

 当初は、彼に対して嫌悪すら抱いていた。 何せ自分達の神話には、彼の役目など初めからない……演者としては最高かもしれないが、勝手にずかずかと踏み込まれるなど、虫酸が走る。

 だがよくよく考えれば、予定していない演者が出るとしても、それを無下にするのはつまらないにも程があるだろう。 ならば端役であっても、彼を受け入れるのが筋だ。

 

「……ふむ」

 

 一度見た景色を思い出す。

 紅蓮の荒野に、歯車。 製鉄所のような籠った熱気はうざったく、何より醜悪で、見るに値しない。

 こちらのカードからすれば、あの力にふさわしい相手は、かの王のカードだろうが、それも少し面白くない。 一度見た演劇は結果が分かる、それではダメだ。

 だからこそ、あの男を生かした。

 

「ほう……模倣とはいえ、バーサーカーを殺したか。 一応トントン拍子では飽きるだろうと細工をしたが、まさかそれすらはね除けるとはね。 いやはや……素晴らしいな、端役として成長していて」

 

 いずれ、器を回収するときが来る。

 それまでは彼も、鍛練を積まなくてはならない。

 偽物の相手は、偽物で十分なのだから。

 

「君には期待しているよーー贋作者(フェイカー)

 

 

 精々、何もない場所で足掻け。

 

 男の笑いが、世界に響く。

 

 さぁ。 それでは、あのときの続きを始めるとしようーーーー。

 



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プリズマ☆イリヤ 2wei!!
プロローグ/色褪せぬ日々





 ぴぴぴ、と最近ようやく聞き慣れた、アラームの音。 俺はそれを発する目覚まし時計を叩き、時間を確認した。

 午前六時。 初夏に入ったこの季節では、まだこの時間は冷える。 朝のジョギングにはぴったりだろうが、それも学生の身である俺には少しばかり堪えるモノだ。 タオルケットを一度だけ被り、充電充電……よし、起きよう。

 そうなれば早いモノだ。 ベッドから起き、着替えを持って部屋を出て、階段を降りると洗面台へ。 そこで顔を洗うと学校指定のYシャツとスラックスを身に付け、リビングに向かう。

 今日の食事当番、セラに無理を承知で俺に任せてもらった。 日頃の感謝を込めて言ったのだが、すんなり行くとは思えないものの、ちょっとは期待したのである……まぁその予想は当たりだったが。

 

ーーその代わり、生半可なモノを食卓に出そうモノなら、今後一切キッチンには足を踏み入れないでくださいまし。

 

 と、半ば強引に約束させられてしまった。 本職のメイドさん相手に、まさかそんな条件を出されるとは思わなかったので、思わぬ誤算である。

 しかし約束したのならば、もう後には引き返せない。 だったら胸を借りるつもりで、思いっきりやってやろうではないか。そのつもりで、いつもより一時間も早起きしたのだから。

 手を洗い、キッチンの一番下の引き出しに入った、エプロンをかける。 さて、材料は何があるかな……っと。

 

「……何でも揃ってるな」

 

 冷蔵庫を見た限り、一応俺のレパートリーにもある和洋中のみならず、その他にも様々な料理が出来そうだ。 ぎっしりと、だが綺麗に整頓された冷蔵庫を見回し、メニューを決める。

 言うまでもなく、俺が自信を持つ分野は和食だ。 しかし今日は残念なことに、白米がない。 これもそれも、昨日手巻き寿司を作り過ぎてしまったからなのだが……理由のない悪意を感じるのは気のせいか。 かと言って洋食を作っても、それはそれでセラには負けてしまうし、何か面白くない。 ここはご飯なし、つまりパン食で和食を作ることになる。

 

「……難しいな。 考えたこともない」

 

 そもそも和食って、日本人からしたら当たり前だけど、外国人からしたら意外とゲテモノなんだよな。 生卵しかり、刺身しかり。 正直納豆を受け入れてくれるあの度量があるなら、前述の二つもいけないことはない、と思うのだが……。

 話が逸れた。 今日はパンで和食。 となると前菜のスープにサラダ、後はパンの他にもう二品、つまめるおかずが欲しい。

 

「……お」

 

 視界に留まったのは、薄切りのベーコンだ。 思い浮かぶのはじゃがいもをベーコンで巻く肉巻きポテト。 それを和風とすると、砂糖醤油で、じゃがいもを煮込んだ大根にするとどうだろうか?

……よし、一品は決まりだ。 もう一品はやりながら考えておかないと、時間がない。

 

「……いっちょやりますか」

 

 腕捲りし、俺は調理を始める。

 材料を一通り洗い、手早く、丁寧に包丁で切る。 このときに大根を煮ておいて、切り終えたらサラダは完成。 お次はパンの下準備。

 食パンとなれば、やはりアレだ。 日本人が大好きな明太子。 それをボゥルに入れて潰したところでマヨネーズを投入、出来たソースを食パンにかけ、千切った海苔を和える。

 そうしていれば大根の煮込みが完了する。 冷えない内に大根を細長い短冊状にカット、それにベーコンを巻き付け、いよいよ料理は大詰めだが。

 

「……もう一品どうするか」

 

 スープはかき玉汁に決定だが、もう一品決まらない。 和なんだし、味噌を使いたいのだが……って、あ。

 

「そうだそうだ、魚がある」

 

 昨日手巻き寿司の具として買ってきていた、刺身のブロック。 冷凍されているそれを取り出し、味噌を持ち出す。

 そう、カルパッチョ。 味噌カルパッチョなんて良いじゃないか。 作業が前後するものの、名案である。 全く昨日の内に考えとけって話だが、これもそれも魔術の修行がてら、古いテレビを弄り倒したせいだ。

 まぁ、これで解決だ。 その後は順調に作業は進んでいき、七時前になった頃、その声は聞こえてきた。

 

「……おはようございます、士郎」

 

 見れば、既に私服に着替えたセラが、少し不機嫌そうにこちらを見ている。 品定めか、ふむふむ……だがそれは、甘いと言っておこうか。

 

「んんっ。 おはよう、セラ。 よく眠れたか?」

 

「ええ、おかげさまで……ほう」

 

 感心した様子で、セラが俺の作った料理に声を漏らす。

 

「いつの間にか腕を上げていたようですね……まさかパンを焼くのに、和食を作るとは」

 

「セラを超えるには、和食しかないからな。 ま、その和食もセラは完璧だから、創意工夫を凝らさなきゃいけないんだけど」

 

 少し焦げ目を入れつつ、肉巻きポテトならぬ、ベーコン巻き大根を焼いていく。 ふむ、首尾は上々だ。 これなら後少しで出来るだろう。

 

「セラ、出来れば、料理を運んじゃってくれないか? もうそろそろ出来そうなんだ、全部」

 

「はい、分かっています。 それよりも士郎、味の審査がまだ残っていますので、そのつもりで」

 

「うぐ……は、初めての試みだから、大目に見てくれると助かる」

「善処しますが、期待はせずに」

 

 にっこりと、朝一番良い笑顔で言ってくれる家政婦さん。 これがロマンチックな雰囲気なら大変絵になるのだが、正直料理が出来なくなるのは……死活問題ではないが、何か嫌なので、とりあえずセラさん手加減をお願いします……。

 

「おっはー……お、良い匂い。 味噌に明太子? なのにパン?」

 

 そうしていると、もう一人の家政婦さんも起きたようだ。 リズはいつも通り、マイペースながらも料理を視察する。 毎度ながら、くせっ毛らしい髪は、やたらはねているため、寝起きの遠坂より酷い。 いやそんなこと本人に言っても、直すどころかほっとけと言われるだろうけど。

 そんなリズを目の当たりにし、セラは腰に手を置いた。

 

「もう少し早く起きろといつも言っているでしょう、リズ。 ここだから良いものを、普通の家庭なら即刻解雇ということを理解しているのですか?」

 

「モチ。 だからだらけてる。 ぐでーん」

 

「こらリズ!」

 

 ピカピカのテーブルに伏せるリズに、それを叱るセラ。 家政婦だと言うのに、最早この家で一番見る光景だ。

 一応リズも、セラと同じ家政婦なのだが、困ったことにセラに任せっきりで、リズは率先して家事をやろうとしない。 前に何故やらないのか、本人に聞いたことがあるが、

 

ーー私が本気出したら、家が壊れるんだぜ、べいびー。

 

 らしい。 一回腕相撲をして負けて、腕を机に叩きつけられたときは、本気で折れたと思った。 あんなモン令呪を物理的に刻まれるようなモノである、正真正銘の痣という意味で。

 

「リズを叱るのも良いんだけど、そろそろイリヤを起こさないのか? もう七時だろ?」

 

 料理を皿に盛り付けながら、時間を確認する。 確かイリヤの話が本当ならば、今日は日直なんじゃないのか?

 と、何を思ったか、リズがふとこんな提案をしてきた。

 

「なら、士郎が行けば?」

 

「なっっ……!?」

 

「……なんでさ」

 

 いや本当になんでさ。

 

「あのな、リズ。 イリヤだって年頃の女の子なんだ、寝起きに俺なんかが行ったら、色々と困るんじゃないのか?」

 

「し、士郎の言う通りです、リーゼリットっ! あなたは何を考えているのですか、イリヤさんは今女性として、大事な時期だというのに……!!」

 

「?……行きたいんじゃないの、士郎は?」

 

「……ぬ」

 

 行きたいか行きたくないかで聞かれれば……まぁ前者だ。 何せイリヤはまだ小学生でも、とてつもなく美少女である。 もしかすれば遠坂を越えかねないほど。 そんな少女の寝顔を見れるとなれば、男としては見たいに決まっている。

 だがそれは色んな意味でいけない。 犯罪的な香りがぷんぷんだし、イリヤだって兄に寝顔を見られたくはないだろう。 子供じゃあるまいし、気にする。

 

「迷うならゴー。 振り向かないことが大事、これ鉄則」

 

「いっ、ちょ、リズ!?」

 

 しかしリズの何がそんなに向かわせるのか、セラを羽交い締め。 催促すると、親指を立てて笑った。 頑張れよみたいな。

……何が頑張れよなのか、全く、皆目見当もつかないが、とりあえず礼は言っておこう。

 

「そこまで言うなら分かった。 じゃ、イリヤを起こしてくるよ」

 

「あっ、ちょ、待ちなさい士郎!! り、リズ、あっ、どこを触っているのですかあなたは!?」

 

「……これだけ差があると、分けたくなる」

 

「今の台詞もっぺん言ってみなさい、その贅肉袋で牛脂でも作ってやりましょうか!?」

 

 エプロンを椅子にかけ、リビングから階段へ。 後ろから聞こえる会話は耳からシャットアウトする。

 とんとんと上がって、イリヤの部屋の前に来たわけだが……改めて考えると、これは緊張するな。 一回遠坂が寝ている客間に入ったことはあるが、それとは違う。 というか、緊張してる時点で俺って結構ヤバいのか? 妹を意識するなんて。

 

「……ええいっ」

 

 男は度胸だ。 一回だけノックし、返事がないことを確認すると、俺は部屋に入った。

 

「……」

 

 部屋に入り、まず目にしたのは、光。 カーテンでも抑えきれないほどの光が意識を漂白させ、それでも自然と目はベッドに向けられ。

 そこで完全に、眼球は動きを止めた。

 柔らかそうな白い肌。 空気を吐く唇は艶やかで、閉じた目は悩ましそうに時折皺を寄せる。 少しだけでも、はだけた服で否応なしに唾を飲み込み、しかし目を離せない。 動物の絵がプリントされたパジャマが何とも可愛らしく、そして身体のラインがとても明瞭になるため、それに合わせて動悸も早くなっていく。

 さながら物語のお姫様か、それとも人ならざる化生の美しさか。 とにかく息も詰まるような美貌に、冗談なしに魅せられる。

 

「……って、こんなことしてる場合じゃ、ない」

 

 カチコチと石になった四肢を動かして、ベッドに近づいていく。 平常心、平常心……くそっ、石化か魅了の魔術でもかかってないだろうな。 ちきしょう。

 どうにかこうにか、ベッドの前まで来た。 俺は肩を揺すり、イリヤに呼び掛ける。

 

「イリヤ。 おいイリヤ、朝だぞ。 起きろ」

 

「ん……おにーちゃん……?」

 

「そうだ、兄ちゃんだ。 今日は日直なんだし、早く学校に行かないといけないんだろ?……って、っ!?」

 

 するり、と。 寝惚けたイリヤは俺の首に手を回し、にへらと相好を崩した。

 

「えへへ……ね、起こして?」

 

 ぐっ……!? その反則級のあざと可愛さは、ランクに換算すればAどころか瞬間火力だけならA++、まさに約束された可愛さである。 思わず仰け反ろうとするが、イリヤの何処にそんな力があるのか、引っ張られ、彼女が顔を近づけてくる。

 長い睫毛、耳に届く息遣いは甘美すぎて、意識が蕩けそうになる。 目を瞑る姿に、俺は抵抗すら忘れーー。

 

 

「何、してる、の?」

 

 

 そこで。

 俺は、正気を取り戻した。

 きぎぎぎぎ。 そっちは見たくないというのに、ああこれが人間の性なのか。 首は勝手にドアの方へ振り返り、俺は目撃した。

 心優しいもう一人の妹、美遊がいつも以上に無表情なところを。

 

「……よ、よう美遊。 これは、その、なんだ。 とにかく誤解しないでくれると」

 

「お兄ちゃんがイリヤを襲ってる……いやそれなら、私にも……!?」

 

「いやそんなんじゃない……って何を今言った!? 俺日頃どんな風に見られてるの!?」

 

 ガカーン!、と背後で雷でも落とし、悲し嬉しい表情な美遊。

 まぁそんな騒いでいれば、当然側で聞いてるイリヤには良いアラームになるわけで。

 

「んっ……あれ……んん? んんっ???」

 

「あ」

 

 目を覚まし、恐らく視界一杯に広がっている俺の顔。 それでイリヤはどうなっているのか現状を確認し、やがて顔を紅潮させる。

 

「あっ、やっ、その……これは、何というか、夢をみてて、いやそれは違くてっ、夢は現実だったみたいなんだけどっ、もちろんアリだし、にゃんというか……!?」

 

 思考にハマればハマるほど、目を回していくイリヤ。 美遊に見られていることもあってか、やがてその処理速度を上回るぐらいの羞恥が彼女を襲い、

 

「……とにかくっ!! 朝からいきなりごめんなさいでしたーーっ!!」

 

 逃げた、脱兎のごとく。 どたばたと、転げ落ちるように。

 しーん、と静まり返る部屋。

 未だベッドの横で固まっている俺と、そんな俺を冷静な、しかし冷徹な眼差しを叩きつける美遊。

 しかし優しく、聡明な美遊は一連の事件で察したのだろう。 聖女のように微笑み。

 

「……大丈夫。 私は、お兄ちゃんが小さい子『だけ』が好きでも、全然構わないよ?」

 

「違うんですうわぁーんっ!!」

 

 ぴゅーっ、とイリヤ顔負けでその場から泣きながら逃げる。 穴が入ったらその場で入りたい、全くもって不本意な、朝の一幕だった。

 騒乱から一週間が経っても、朝は続く。

 異常への兆候など、何も無かったというのに。

 それでも、夜は確かに近づいていた。

 

 

 

 

 

 



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朝→夕方~学校、思い出せぬ日々

 朝から色んなことがあったものの、多くのことは語らない。多分語れば、半分以上は愚痴になる。 少なくとも、逃げたイリヤを見て、セラからモップでフルスイングされたことだけは愚痴りたい。 何もそこまでしなくても良かろうもん。 なにゆえ俺はそこまでされなきゃならんのか。

 

「はぁ……」

 

 ガヤガヤと朝の騒がしい喧騒を尻目に、机に突っ伏す。 学校に来ても、まだ後頭部が痛い。 擦るとズキズキとした痛みが走り、もしや十円ハゲでも出来てるのではないかと勘繰ってしまう。

 そんな擬似的ハゲチェックをする中、見かねて二つの影が俺を覆う。

 

「何をそんなに頭を触っているのだ、お前は。 腫瘍でも出来たか?」

 

「おいおい柳洞、そんなこと言ってやるなよ。 気にしてる方からしたら、そんな声たぁかだぁかに言われたくないぜ? あ、ごめん衛宮、言っちゃった」

 

「この確信犯め」

 

「ノリにノッただけだけどねー」

 

 渋い顔をする一成と、ヒャハハ、なんて悪役めいた笑いをする慎二。 何というか、こういうときに茶々を入れるのがルビーや遠坂でないと、ここまで安心するのか。 慎二が可愛く見えてしまう。

 

「心配どうも。 でも何もないよ、一成、慎二」

 

「む、それはすまん。 痛む場所でもあるのかと思ったのでな」

 

「まぁあるっちゃあるけど……別に大事ないさ。 うん。 ただ家庭内ヒエラルキーの問題」

 

「んん? じゃあ何? この後楽しみなイベントがあるってのに、お前そんなどうでも良いことに悩んでたワケ?」

 

 慎二の呆れた、とでも言わんばかりの物言いに、少しムッとする。 いや、大事だろヒエラルキーは。

 

「それは違うぞ、慎二。 お前は桜と二人暮らしだから良いだろうけど、こっちなんて男一人で女の子三人を相手にしなきゃいけないんだ。 問題を起こせば、すぐ肩身が狭くなる」

 

「ハッ、肩身が狭くなる程度なら良いじゃないか。 お前、本当のヒエラルキーを知らないだろ?」

 

……? 桜は気の効く後輩だ、家族である慎二なら、もっと優しくしてくれるハズである。 現に慎二は前に、弁当のオムライスにかかったケチャップを見て、

 

ーー桜の奴、またセイキョーのケチャップかけやがって……。

 

 と愚痴り、次の日からケチャップは弁当に入らなかったハズだ。 つまり、桜は慎二がケチャップが苦手だと分かり、ちゃんと意見を取り入れたということだ。 むしろ甘やかしている気がしないでもないのだが。

 

「桜、優しいじゃないか。 学食の時とか、弁当作ってくれるから有り難いし」

 

「そこなんだよそこ!」

 

 だんだん、と俺の机を叩く被告側、間桐慎二さん。

 

「桜の奴、僕がちょっと指摘しただけで、すぐ怒るんだよ! 特に弁当に冷食入れやがったときはさ、本気でアイツのセンスを疑ったもんさ。 時間がないなら早起きすりゃ良いのに。 そしたらアイツ、『栄養バランスは取れてる~』とか、『なら兄さんは弁当なんて要りませんね』なんて言ってくるんだぜ!? どう思うよ衛宮!?」

 

「いやそれお前が悪いだろ」

 

 ハァ!?、なんて言われても、もうこの裁判は終了です。 裁判長権利で終わり。 判決は起訴を棄却すること以外ない。

 

「……確かにえび寄せフライは美味いけどな……でも冷食なんて貧乏臭いもん、僕の口には合わないんだよ……」

 

「朝から作ってもらえるだけ、有り難いもんだぞ。 うちのクラスの男子からすりゃ、桜の弁当なんてレアモノだろ?」

 

「はっ、んなもん冷食の時だけくれてやってるよ。 アイツの料理だから、弁当を作ることを許してやってるんだからな」

 

「……なぁ一成殿。 これって……」

 

 つまり桜の弁当は美味いんだぜ、ってことだろうか? 反応を見ると、一成は細目にして。

 

「うむ、捻れた愛情だこと。 よし間桐、お前の生活事情など知ったことではないし知りたくもないが、貴様気になることを言っていたな?」

 

「何気に聞こえてるぞ寺野郎……で、なに?」

 

「ん。 その、お前が言う楽しいイベントとは何だ?」

 

「は? 何だよ柳洞、お前生徒会長のくせに知らないのか? 転校生だよ転校生、うちのクラスに来るんだとさ!」

 

「なにっ」

 

 一成が色めき立つ。 どうやら本当に知らないらしい。

 それは珍しいことである。 何せ一成は生徒会長の特権として、教師から様々な情報を得られる。 例えば部活動の下校時間が急遽変わったり、昼休みが短くなったり。 そういう突発的なモノから、一年間行われるイベントまで、全て一成に筒抜けなのだ。 なのに、その一成に伝わっていない、転校生か……うぅむ。

 

「俺は知らんぞ、そんなもの。 まさか間桐、よもや嘘で俺達を翻弄させようとしているのではあるまいな?」

 

「それがマジなんだよ。 隣クラスの女子達から聞いた話だと、何でも転校生は二人、しかもとびきりの美人らしいぜ? あの森山を王座から引きずり下ろすって触れ込みだからな」

 

 二人、女、美人……しかも直前に、ここへ転校してきたとなると……俺の脳裏に浮かぶのは、ロンドンへ帰ったハズの、あの魔術師二人だ。

 あれからまだ一週間。 よく考えればルビーも帰ってないし、美遊だってこの町に居る。 普通に考えれば美遊だけを残して(ルビーは当の本人がアレなので)ロンドンへ行ったと思うが、そこはあの二人だ。 まさか本当に……?

 

「ほう、あの森山をか……あれ以上となると、それはもう人の枠組に入れるか分からんぞ? 天から舞い降りた菩薩か、はたまた男の精気を吸った妖狐か……お前はどっちだと思う、衛宮?」

 

「……え? あ、ごめん、聞いてなかった」

 

 俺の少し雑な応対に、二人は不満気な表情へ変える。 そんなに雑にされると嫌なのかね、チミ達は。

 

「……はぁ。 それで、そこまで考えるということは、誰か心当たりでもあるのか?」

 

「いやないけど……」

 

「相変わらず分かりやすい奴だな、お前。 顔に書いてるぞ、知り合いなんです~って」

 

「む」

 

 頬の辺りを少しつまむ。 全く表情筋め、知り合いが来るかもしれないからって、流石に緩みすぎだぞ。

 そう思っていると、教室に予鈴が鳴り響いた。 どうやら間一髪で追求は逃れられそうである。

 

「ほらほら、予鈴鳴ったぞ二人とも。 この話は本物の転校生が来てからな」

 

「世渡りが上手くなったな、衛宮。 然り、だが覚悟しておくことだ。 間桐、手を貸せ」

 

「へぇ、生徒会長から直談判して来るとはね。 良いぜ、ちょっと余裕そうな衛宮の面を赤面させてやりたいからな。 ついでにもし転校生が衛宮の知り合いだとしたらその八つ当たり、お前最近女の子と知り合いすぎだかんな!? しかも全員一級!」

 

「組む相手間違えてないか、一成……」

 

「安心しろ。 こういう相手を少しずつネチネチ責めることにおいて、この男は無類の強さを誇る」

 

 褒めてんのか貶すのかどっちかにしろよなーっ!?、なんて慎二を引っ張って、一成は後ろの席へ戻っていく。 それと同時に騒がしかった教室も徐々に静かになっていき、やがて担任の先生が入ってきた。

 

「えー、皆さんおはよう。 早速ホームルームを始めたいんだが……その前に一つお知らせだ。 このクラスに転校生が来る。 それも二人とも女子、可愛い留学生女子だ。 ほーれ男共喜べ騒げ泣き喚け」

 

 うぉぉぉおおおおおぁぁぁぁぁぁあああああああああああああッッッッ!!!!

 何が彼らを叫ばせるのか、担任の指示なのか。 クラスの男連中は両手や頭を振って喜びを顕にし、先生へ質問を投げまくる。

 

「センセー、巨乳っすか!? 巨乳なんスか!? 具体的にはカップじゃなくてセンチでお願いシャッス!」

 

「外国っつうことは、留学生か……つまりまな板は無いよな……なら担任、褐色なのかそうでないのかだけは知りたい。 むしろ褐色一択しかないが」

 

「まな板でも構わん。 逆にまな板にしようぜ! 盛ろうぜクリームとかチョコとか!」

 

 最早下トーク全開である。 というかもしあの二人なら、もう片方の堪忍袋の緒は千切れて踏みつけられていることだろう。 女子の魔眼もかくやという視線をものともせず、男達は問いを投げるが。

 そこで、あの男がその場に躍り出た。

 

「一度待ってください、君達。 我々は肝心なことを聞き忘れています……」

 

「あぁ!? 後藤お前、巨乳かどうかより肝心なことがあるって言うのか!? というか何そのなんちゃって右京さん?」

 

 ホントになにそれ後藤殿。 昨日絶対再放送とか見てたよね? そんな俺達の思いを胸に、後藤は問うた。

 

「……先生」

 

「ん、なんだ後藤?」

 

「彼女達ーーフリーなんですか?」

 

「ッッッッ!?!?」

 

 男共、激震。 それもそうである。 男にとって、狙う女子が彼氏持ちでは、余りに悲しすぎる。 寝取るという行為に興奮を覚えるのならそれはまた別だが、生憎そこまでの境地に達している強者はこの中には居ないだろう。 例えるならそう、これは意志確認だ。 ゴーなのかストップなのか。 男子諸君が注目する中、言いにくそうに担任は言った。

 

「あー……ま、見た方が早いな。 じゃあ、入ってくれ」

 

 あ、逃げた。 そう考えて、がらっと教壇横のドアが開いたーーそのときであった。

 どっかーんっ!!、と。

 教室の扉が、ごそっと何かで吹き飛び、そのまま反対側の窓を突き破った。

……確かに、俺は刹那の時間ではあったが見た。 吹き飛んだ扉が、物凄く見覚えのある黒い銃痕があったのを。 それがあの二人ーーつまり廊下に居る二人ーーの得意とする、呪いのガトリングの一発だと。

 

「チィ、外した!!」

 

「オーホッホッホッ! いつもながら、あなたの狙いは甘すぎですわ、遠坂凛! そんなことだから、あなたはいつまで経っても私に勝てないってお分かり!?」

 

「そりゃどうも……アンタをぶっ飛ばすのに、ちまちまやってちゃスッキリしないでしょ? 敵は徹底的に潰す、特に身体の特定部位に対する侮辱とその無駄に太った贅肉はね!」

 

「ならばあなたのその品性の欠片もない宝石魔術と、ヤキュウケンだのタイメイケンだの野蛮な体術ごとき、私の前では届かないことをお教え致しましょう! 授業料はあなたに付ける敗北の味で十分ですわ!」

 

「言いやがったなこの雌牛ゴールド!!」

 

「そっちこそ言わせておけば貧乏レッド!!」

 

 予想通りというか、何と言うか。

 遠坂凛、ルヴィアゼリッタ・エーデフェルト。

 この二人との縁は、そう簡単に切れることは無さそうである。 俺は破壊される教室と、その中心で取っ組み合う彼女達を見て、それを確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間がこんなに早く過ぎたことに、感謝しない日はない。 しかしまだ昼休み、後まだ授業は二時間ほど残っている現実に直面してしまい、たまらずゲンナリする。

 あの後、暴れるだけ暴れた遠坂とルヴィアは、何事も無かったかのように校舎の修復と生徒達の記憶処理を済ませ、俺へそれはスッキリしたような笑顔で駆け寄ってきた。 こちらからすれば地獄の三丁目を渡ったかと思えば、悪魔が搾取するカモを見つけたかのようにも見えたので、後ずさったのも仕方ない。

 で、昼休みになってから説明するから話を合わせろと言われてしまい、その場はクラスの連中へ誤魔化すのに精一杯。 そして今やっと、昼飯ついでに誰も居ない屋上で説明を聞いたわけだが……。

 

「……は? じゃあつまり、何か? あの後二人は、クラスカードを集め終わった途端、今度は仲間で取り合いをしてたと。 それで報告してたら、ついでにあっちから新たな処分が言い渡された……ってことで良いのか?」

 

「そうよ。 それが日本、冬木での学園生活、それも一年よ? 今更常識を学ぶために、普通の学校へ行けだなんて、大師父じゃなかったら吹っ飛ばしてるところだわ」

 

 末恐ろしいことを言う遠坂。 そんなこと言うから、やたらめったら魔術をぶっぱなす癖が付いてしまうのではなかろうか。

 

「ええ。 まさか、自家用ヘリまで潰されるとは思いませんでしたわ……くっ、あのとき手段を選ばず、オーギュストにスナイパーを任せておけば……!」

 

「いやルヴィア、そんな問題じゃない。 そこじゃない、絶対に。 全く、お前達はもうちょっと仲良く出来ないのか?」

 

「無理」

 

「無理ですわ」

 

 言葉を揃える二人。 真顔なのがまた何とも言えない。

 つまりカード回収が終わった直後、またもやこの二人は相当な被害が出るほどの喧嘩を勃発させ。 何とか遠坂がカードをもぎ取ったは良いものの、報告してみりゃ新たな命令が言い渡され、弟子入りは見合せられる始末。

 呆れた話だ。 イリヤ達がせっかく頑張ったのに、それを届けるコイツらで争っては、本末転倒である。

 

「喧嘩するのは構わないけどな、流石に場所くらいは選んだ方が良いぞ? 魔術で隠蔽するにしても限度があるだろうし、協会から睨まれたらどうなるか、二人の方が知ってるだろ?」

 

「うぐっ……わ、分かってるわよ、それくらい……わたしだって、好きでやってるわけじゃないんだし」

 

「それはこちらの台詞ですわ。 どうもあなたと居ると、調子が狂ってしまって仕方ありません」

 

「調子狂ってるのに、転校初日で魔術戦やる奴が何処に居る。 言っとくけど、ここは俺の大切な場所なんだ。 そこを荒らされちゃ、堪ったもんじゃない」

 

「「……はい」」

 

 ん、素直でよろしい。 感情的になりやすくはある二人だが、一般常識は持ち合わせている。 仮にも一年はここに通うことになるのだから、それは必須項目だろう。

 とりあえず。 俺はその手に持っていたビニール袋から、売店のパンを取り出すと。

 

「ま、何だ。 一週間しかまだ経ってないし、二人とも学校の準備とかで忙しかったろ? だからはいこれ、親睦の証」

 

 そう言って、一つずつ彼女達へ渡した。

 渡したのは売店でも特に人気で、値段も高いグレイトゴールデンチョコパンである。 グレイトにゴールデンという名の如く、その美味しさは穂群原学園が始まり、長きに渡って頂点に座すると言えばどの程度かは察しが付く。

 

「シェロ、これは……?」

 

「うちの売店で、一番人気のパン。 本当なら、俺の弁当を分けたいとこなんだけど、今日は学食にしようと思ってたから……もしかしてルヴィア、甘いのダメだったか?」

 

「い、いえ、そんなことはありませんが……むぅ」

 

 ビニール袋のパンを、手袋でむにむにと触るルヴィア。 はて、何が問題なのだろう?

 そんな俺の疑問に遠坂は、顔に手を当てて答えた。

 

「一応聞いとくけど……わたしならまだしも、本場のお嬢様へお近づきの印に、菓子パンはミスチョイスなんじゃないかしら? そいつ、わたしより成金だし、舌なんてそこらのシェフより肥えてるわよ?」

 

「……あ」

 

 しまった。 ルヴィアはガッチガッチの名門魔術師の当主なのだ。 それも散財しがちな宝石魔術の。 俺の予測だが、絶対紅茶と専属のシェフが作ったスイーツを毎日セットで食しているに違いない。 少なくとも、俺が渡した菓子パンより、よっぽど上等なモノを。

 ルヴィアを見ると、やはりどうすれば良いか迷っているようだった。 知人から貰ったは良いものの、誰も食べないので処分に困るアレである。

 

「……す、すまんルヴィア。 菓子パンなんて、口に合わないよな。 とは言っても、ルヴィアのお眼鏡に適うパンなんて、学校には無いんだけど」

 

 ふむ、困った。 今から学校を抜け出しても、近場にそんな高級な店があるのか。 そもそもルヴィアの好みって、何なのだろうか? つか、命を預けた相手のことを全く知らないってどうなんだろ?

 また考え込んでしまいそうになっていると、ルヴィアが口を開いた。

 

「い、いえ、そんなことありません……ただ、驚いているのです」

 

「驚いてる?」

 

「ええ……殿方から、こんな風に食べ物を手渡されることは、無かったモノですから。 それも、こんな安っぽい包装をされたモノなど、一度も。 そこでふと、思ったのです。 まるで本物の学生みたいだな、と」

 

 恥ずかしい限りですが、と苦笑するルヴィアには、何処か寂しさすら感じさせる。

 それが魔術師としての自らを、恥ずかしがるわけではないことを、知っている。 その横顔が誰かと、多分隣に居るもう一人と重なるからだ。 これは予想だが、この若さで当主となったルヴィアにも、苦難があったのだろう。 その中で、女の子らしい願望だって、少しは削ぎ落としたハズである。

 後悔もなく、後腐れだってない、鮮やかな生き方ーーそれでも、やはり彼女にだって、眩しく感じる何かがあるのだ……恐らく言ったら怒るだろうけど。 ホント、コイツらはよく似てる。

 

「……そっか。 なら楽しみにしとけよ、これからはもっと楽しいイベントが目白押しだからな」

 

「ふふ、そうですわね。 ではそのときは、あなたがエスコートくれますか、シェロ?」

 

「喜んで承りますよお嬢様。 そのときは、楽しんでもらえるよう頑張るさ」

 

「あら、言質を頂きましたわ。 エーデルフェルトの名に恥じぬ、豪奢なイベントでしょう? 言っておくけれど、ちょっとやそっとじゃ私は満足しませんわ。 それを努々、お忘れなきよう」

 

「むむ。 頑張るが、元々面白くないイベントだと、頑張りようもないので、そこは了承してくれると助かる……って、おい遠坂。 お前、何でさっきから膨れてるんだ?」

 

「なんでもないわよ、べっつにー。 二人でどうぞご勝手に」

 

 ?……ルヴィアは日本には疎いんだし、知人の俺が色々教えるのは当たり前じゃないか。 何か怒るポイントあったか?

 あっ、そうだ。 これと同じことが前にもあったあった。 そのときは確か、そう。

 

「分かった。 もしかして遠坂、ルヴィアだけじゃなく、自分も仲良くして欲しいとか」

 

「ふんぬらばっ!!」

 

「うぇげぇ!?」

 

 ぎゅるん、と遠坂選手のアッパースイング。 視界はチョコパン一色、より正確には目にぶち当てられたから真っ暗なのだが……って!

 

「おまっ、いきなりパンで殴ることないだろ!? せっかく並んで買ったパンが、ぺちゃんこになっちゃったじゃないか!?」

 

「あ、アンタねぇ! たった一回共闘したぐらいで、そこまで心を開いたつもりはないっての! つかムカつく、超ムカムカする! 何がムカムカするって、ちょっと当たらずといえも遠からずなところがーっ!!」

 

「うぉっ、やめろって!? 中身、中身出てるから遠坂!」

 

 そうやってギャーギャー騒ぐこと、十分。 そこから何故かルヴィアとの口論に発展して、あわや魔術戦、というところで五分。 一方的に疲れたのは自分だけ、何かホント損してると思う。

 と、もうそろそろ昼休みも終わり、雑談も切り上げるかというときだった。

 

「あ、そうだ。 衛宮くん、今日の放課後イリヤ借りても良い?」

 

 そう、藪から棒にこのおなごは尋ねてきた。

 

「借りても良いって……別に良いけど、また何で? ルビーを返してほしいのか?」

 

「それもちょっとはあるけど、魔術絡みの案件が一つね。 わたし達だけじゃどうにもならないし、イリヤの力も借りたいの。 正確には、カレイドステッキの魔術制御の力をね。 別に危険ってわけじゃないんだけど、どう?」

 

「はぁ……まぁ、構わないけど」

 

 そう返答すると遠坂は、意外そうに瞼を瞬かせる。

 

「へぇ~……衛宮くんなら絶対、とめるか俺も行くって言うと思ってたのに。 あなたって猪突猛進するタイプかと思ったけど、存外冷静な感じ?」

 

「どういうのをご所望かは知らないけど、二人が事情を話さないってことは、俺には手に負えないんだろ? それに遠坂達が出来ないことを、自分が出来るだなんて思えるほど、自惚れてもないしな。 それ、美遊も一緒なんだろ、ルヴィア?」

 

「勿論。 カレイドの魔法少女は、二人で一人ですもの」

 

「なら安心だ。 俺は大人しく、家で待っとくよ。 行っても邪魔だろうし、イリヤも気が散って仕方ない」

 

 心配そうなイリヤの表情が今でも思い浮かぶ。 そんな顔をさせるなら、いっそ行かない方がマシだ。 クラスカードの回収以上に危ないことではないだろうし、ここは任せて良い。

 そう。 俺に出来ることは余りに少ないんだ。 出来ないことまで求めては、他人を傷つけるだけ。

 だからーー俺は、頭を下げた。

「イリヤ達を頼む……遠坂、ルヴィア」

 

 その行動の意味を、理解していない俺ではない。 案の定頭の上では、二つ、ため息が連続して吐かれた。

 

「……それ、わたし達が何もしないからやってるでしょ? 普通の魔術師なら、暗示かけて肉体がボロ雑巾になるまで使い倒すか、ギアス使って奴隷にしてるとこよ」

 

「シェロの方針に口を出すつもりはありませんが、流石にそれは無防備過ぎるのではなくて? 危うく呪いをかけてしまいそうでしたわ」

 

「……それでも、二人なら信用出来る。 俺じゃ何も出来ない。 だから、頼む」

 

 再度、ため息。 しかし彼女達から出た言葉

は、呆れなどではない。

 

「ええ、安心しなさい。 責任をもって、あなた達の元にイリヤを帰すから」

 

「誓いましょう。 美遊と一緒に、イリヤスフィールには傷一つ付けさせませんわ」

 

 そう言う二人の、何と頼もしいことか。 鮮烈な赤と、華美な黄金。 どちらも瞼の裏に残るほど、とても眩しいというのに、こんなにも落ち着かせるのは……何と言うかホント、ズルい。

 予鈴が鳴る。

 昼休みが、ようやく終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。 遠坂達にああ言った手前、速やかに帰路につくのが正しいが、生憎とそこまで素直にはなれない。

 今日も今日とて学校の備品を修理。 一成の作ってくれたリストには、順調に横線が引かれているハズだが、終わりが見える気配はない。 というか、むしろ中古を壊して最新のエアコンとか付けよーぜみたいな勢いで、備品の数は増すばかり。 別に楽しいから問題ないのだが、一成の苦虫を潰した顔からして、相当手を焼いているようである。

 

「……いよし。 一成、終わったぞ。 美術部の椅子と机、全部合わせて五つで良いんだろ?」

 

「おお、すまんな。 日曜大工の紛いごとまでさせてしまった」

 

「そんなことない。 やり方忘れかけてたから、思い出すのに丁度良かったよ」

 

 そう言って、二人で美術室から出る。 先程修理した椅子と机だが、節々のささくれと錆が酷かっただけだったので、日曜大工というよりは、図工とかそこら辺のレベルだった。 一応螺の交換とかはしておいたが、あの分ならあと数年は持つ。

 

「今日はあと何をやる? そろそろ暑くなってきたんだし、扇風機ぐらいまでならギリギリ直せるけど」

 

「是非してほしいが、そろそろ六時だ。 部活動ならまだしも、生徒会はお開きにせねばならん時間帯なのでな。 それはまた明日に持ち込ませてもらおう」

 

 お、もうそんな時間か。 ということは、そろそろイリヤ達も終わった頃だと思うが……。

 うーむ、考えてしまうと気になる。 電話の一つでも入れたくなるが、残念なことに遠坂とルヴィア相手では、惨殺現場みたいな携帯を一つ生み出してしまうだけなので、却下。

 

「じゃあ、帰るか。 一成、この後用事とかあるか? 無いなら久々に新都の方に行ってみたりしたいんだけど」

 

「む、それは魅力的な誘いだが……今日は真っ直ぐ帰れと、零観兄からのお達しだ。 後日、またこちらから誘わせてくれ」

 

「む、そうか。 了解、じゃあまたな」

 

 手を上げて生徒会室で別れ、俺はそそくさと靴箱、駐輪場へ経由し、学校から出る。

 夕焼けに照らされている道は、影がまだ少なく、夜まではまだ時間がある。 ペダルを踏みながら見る景色も、もう随分と目に馴染んでいた。

 いつかの昨日。 見たくもないのに、何となく見ていた……死者を弔ったあの公園の空よりも、ここの空は綺麗で、澄んでいる。

 

ーー問■う。あ な■が、■のマス■ーか?

 

 脳裏に映る映像は、ここではない何処か。 しかし何故だろう、こんなに大事な記憶なのに……どうしてこんなにも、見えない部分が多すぎるのか。

 この世界に来てから、約二週間。 最近はもうほとんど、元の世界を思い出すことが、出来なくなっている。

 切嗣が封印をしていた、この世界のエミヤシロウの魔術回路。 それが完全に、俺の身体に馴染んだせいだろう。 この世界の住人となった俺に、あの世界の記憶は要らない。 安定化させるのならば、記憶は消す必要がある。 世界か、はたまた俺自身がそうしているのか……全くもって、勝手な奴だとつくづく思う。 あれだけの地獄を忘れろと命令し、そんな甘えを許容しているのだから。

 これが、代償。 他人を守れる力を、手に入れることが出来たとして。 それは俺にとって、余りに重い代償だ。 指標が、憧れが無ければ、魔術使い衛宮士郎はその存在意義を失ってしまう。

 誰かのためになりたいという、たった一つの意味すらもーー俺は、やがて失ってしまうのかもしれない。

 けれど、それでも。

 

『ありがとう……ありがとう、ありがとう……ッ!!』

 

『ーーそして、私の敗北だ』

 

『任せろって。 じいさんの夢は』

 

 全てを忘れてしまっても、きっと、忘れられないモノはある。

 あの炎は、あの剣は、あの夜は。 恐らくどんなに自分が変わり果てても、忘れたりはしない。 この胸に開いた穴は塞がらないし、その剣の残響は今も耳に残っている。 あの日誓ったことも、ずっと。

 だから、大丈夫。

 俺は絶対に、帰る場所を忘れたりはしない。

 何故ならあの荒野は、今だって目の前に見えるから。

 

「……?」

 

 と、そのときだった。

 ぴかっ、と。 車体が何かの光を反射し。

 次の瞬間にはもう、自転車ごと何かに吹き飛ばされた。

 

「が、ぐっ!?」

 

 一瞬何が起こったのか、判別出来なかった。 ただ練習がてら、強化を施した自転車はバラバラに寸断されており、俺もゴロゴロとアスファルトを転がる。

 

「……なっ……!?」

 

 そこで、ようやく自分を襲ったモノを直視する。

 剣だ。 巨大な直剣。 クレイモア、いやバスタードソードか? 片手半剣と称されるそれは、俺が居た場所に何本も突き刺さっており、側には自転車の破片が散乱している。

 驚くべきは、解析したところそれが宝具ではないにしろかなりの名剣であり、俺と同じように投影魔術で作られたモノだということだ。 知っての通り、俺の投影は俺にだけしか出来ない、特別な魔術だ。 例外的にそれを可能とするのは、アーチャーのみ。 とすれば、美遊が前にセイバーと同じ存在になったように、アーチャーのクラスカードを使えば。

 

「ふーん、驚かないのね。 一応あなたがやってるようにしてみたんだけど、どう?」

 

 声は剣群の向こう。 姿は見えないが、声質からしてイリヤ達と同年代か? 無駄な思考を意識から追い出しつつ、立ち上がる。

 

「どうもこうもない、大したもんだよ。 けど、使い方が間違ってる。 それは、戦うために使うものじゃない」

 

「ふふ、そう。 あなたからのお説教も良いけど、一応初めてなんだし、挨拶しないと」

 

 ぱちん、と指が鳴らされ、剣が魔力に消える。 そうしてその姿が見えたときには、思わず俺は呆然としてしまった。

 何故なら、その姿は。

 余りにも知っている人と、似すぎていたから。

 

「初めまして、お兄ちゃん(・・・・)。 ううん、聖杯戦争の元マスターさん」

 

 赤い外套、小麦色の肌。 されどその顔と体は、俺の知るイリヤスフィール・フォン・アインツベルンとそっくりだった。

 鏡の夜は終わらない。

 万華鏡とは、何も一面が消えてしまったら形を無くすわけではない。 重なり合う一面が消えようと、他の面までは消えないからだ。

 さぁ、それじゃあ休憩の時間は終わりだ。

 

 

ーー 鏡の夜(kaleid night)を、続けよう。

 

 



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夕方~VS???、己の変化~





ーーinterlude 1-1ーー

 

 

 同時刻、衛宮士郎がイリヤスフィールと似た少女と対敵した頃。 本物のイリヤを含む四人も、それなりに大変な事件に巻き込まれていた。

 深山町から少し離れた、柳洞寺近くにある大空洞。 その内部でイリヤ達四人は、状況の確認をしていた。

 クラスカードによる、地脈の歪み。 原因であるクラスカードが回収されたことで、その歪みも解決されたかに思えたが、一週間経った今も歪みは健在。 それを見兼ねた大師父、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグはカレイドステッキによる地脈の拡張を命令し、四人はそれをここ、大空洞で行ったわけだが……。

 

「ったく……イリヤが変な姿になったかと思ったら、もう一人イリヤが現れるとか……脳の処理能力が追っ付かないんだけど」

 

「むしろ、アレを理解できる方が居るなら、それこそ王冠(グランド)クラスですわ……私にはとても理解が……」

 

 凛とルヴィアがうんうんと唸る度、苦笑するイリヤと困ったように表情を変える美遊。

 地脈の拡張。 それは龍穴へ地礼針を介して、高圧縮された魔力を注入することで、それにカレイドステッキの魔力を使ったわけだが、原因不明のノックバックが発生。 それにより龍穴から魔力が、大空洞の天井に打ち付けられ、岩壁が崩落したのだ。

 そこでイリヤは、アーチャーのクラスカードを使い、英霊の姿へと転身……というか、召喚したと言えば良いのか。 英霊そのものとなったイリヤは、アーチャーの花弁の盾を展開、崩落による瓦礫の落下を防いだ。

 しかし、気づけば何と、イリヤの服装はカレイドルビーのそれへと戻り、代わりに隣には、英霊の格好をしたイリヤと瓜二つの少女が居たのだ。

 分裂、或いは似て非なるモノか? そんな四人の思考すらも置いて、イリヤに似た少女はあっという間に大空洞から逃げていってしまった。

 

「……うむ。 改めて考えても、いや考えれば考えるほどワケわかんないよ……」

 

「いいえ、そんなことないですよー。 主人公と瓜二つの顔のキャラなんて、大抵敵キャラですしー」

 

「ルビーの言うことが何となく分かるのが、穢れてしまった証拠なのね……うぅ」

 

「イリヤさんの場合、自ら穢れに行ってますけどねー。 何せ目覚めたばっかりとはいえ、お兄さんとキ、」

 

「あーあーあーっ!! そ、そうだっ、ミユの意見を聞かせてよ! ねぇミユ!?」

 

「う、うん」

 

 ずずい、と顔を近づけるイリヤに、少し戸惑いを隠せず、美遊は意見を述べた。

 

「イリヤが英霊の力を使った後、あの子はイリヤと同じような服装で、目の前に現れた。 それと同時にクラスカードが無くなったということは、間違いなくあの子がクラスカードを使っているわけだけど……」

 

「例えそうだとしても、カレイドステッキも無しにそれほどの力を制御出来るだなんて信じられません。 それに、もしそうなら、アレはクラスカードそのものを核としている可能性もあります」

 

「えーと……つまり?」

 

 と、ようやく処理が追い付いたか、凛は後頭部を掻き、

 

「つまり英霊の力を、意思がある状態で使うことが出来る。 それも高出力でね。 分かりやすく言うなら、もし敵ならこれまでの黒化英霊よりよっぽど厄介ってことよ」

 

「……なんで?」

 

「意思を持つということは、それだけで脅威となり得る。 今までは攻めの一辺倒だった英霊が、権謀術策を練ってくる。 逃げようが攻めようが守ろうが、相手も同じわけだから、こっちの思い通りには行かなくなったってワケ」

 

「はあ……」

 

 いまいちビジョンが見えないのか、目尻を指でこねるイリヤ。 それに凛はため息をつき、

 

「まぁ、悩んでも仕方ないでしょ。 とりあえず取っ捕まえるのが先ね」

 

「ええ。 まぁ、この場から脱出するのも楽ではなさそうですが」

 

 ルヴィアが辺りへ見やる。 そう、さっきの崩落で、瓦礫が大空洞を埋め尽くしている。 幸い入り口はまだ塞がっていないが、追うとしてもかなりのタイムロスになるだろう。

 

「とにかく、ちゃちゃっとここを出るわよ! あんなの野放しには出来ないし、何より聞きたいことが山程あるしね!」

 

 凛の提案に頷く三人。 しかし、イリヤは何処か、浮かない表情で天井を仰いだ。

 

「……なんだろ」

 

 去来するのはただ一つ。

 何かーー違う、気がする。

 ここは、こんな感じじゃなかった気がする。 何と言えば良いのか、よく出来た鏡像を見ている感じだ。 そう、鏡面界を目にするときと似ている。

……とても、もどかしい。 まるでボタンを掛け違えたかのように、決定的な何かが違うのに、明らかに何かが可笑しいのに。 でも何が違うかは分からない。

 

「コライリヤ、早く行くわよ! さっきの姿とか、アンタにも色々聞きたいことがあるんだからね!?」

 

「あ、うん! 今行く、リンさん!」

 

 とてて、と瓦礫の上を走り出すイリヤ。

 しかしその心に生まれた違和感は、確実に彼女の心に住み着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄昏に染まる、冬木の街路。 車が通るには少し狭い、何の変哲もない一般道に、それは居た。

 日に焼けるよりも黒く、痣で埋め尽くされたような褐色の肌。 黒いアーマーの上には、カーテンから引き千切ったかに見える赤い外套を羽織る。

 その顔、身体はまさしく、俺が知るイリヤだ。 しかし違う。 アレは違う。 声が違うだとか、髪型が違うとか、そんな些細な問題を言っているのではない。

 何故なら。

 

「聖杯、戦争、だと……?」

 

「ええそうよ……って、あれ? もしかして、おとーさん達から私のこと聞いてないの? マスターだったのに?」

 

「……」

 

 この少女は、自分が、衛宮士郎がマスターであることを知っている。 それはつまり、この少女があの戦いについての知識を、有しているということだ。

 イリヤの顔で、聖杯戦争のことを。 思い出されるのは、ここではなく、見殺しにした姉、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンのことだ。

……その顔が重なる。 どうしても、心が乱れる。 動揺を隠すことなど、出来なくなる。

 

「……ふざけろ。 俺が聖杯戦争のマスターだって? 何故そんなことが、お前に分かる?」

 

「ふふ、お兄ちゃん知らないの? 令呪は聖痕。 一度刻み付けられたら、表向きは消えているように見えても、魔術的に見ればその痕は簡単には消えない。 そ、例え契約破りをされようとも……私がそれを施したようなモノだもの。 まぁ、少し術式がズレている(・・・・・・)ようにも見えるけど……」

 

 そんなことはどうでも良い、とそれはイリヤの顔で言う。

 

「何にせよ、会えて嬉しいわお兄ちゃん。 あの子をを通して見てたけど……うん、やっぱり実物は違う違う」

 

 笑う。 魔術を知る、いやーー聖杯の機能を持つイリヤが、俺に笑いかけてくる。

 

ーーそれじゃあ殺すね。

 

 違う。 これは、イリヤじゃない。 彼女には、似ても似つかない。 絶対に。

 

「……お前は何だ」

 

「私はイリヤよ」

 

 宣言する。 それは、微塵も躊躇わずに、自らの名を口にする。

 

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。 聖杯戦争のために、アインベルンから調整されて生まれたホムンクルス……ううん、元ホムンクルス、と言った方が良いのかしら?」

 

「……」

 

「そんなに信じられない? 私からすれば、あなたの方が信じられないけど?」

 

「……どういう意味だ」

 

「言葉通りの意味よ。 だってあなた、魔術回路が勝手に開いてたんだもの。 それも全て。 そんな状況でよくあそこまで動けたものよ?」

 

 思わず。 心にひやりとした、ナイフを突きつけられているような感覚に陥った。

 

「そもそも私が見た限り、お兄ちゃんは魔術師ではなかった。 心構えがどうとか、実力がどうとかそういう意味じゃないわ。 魔術師特有の気配が、以前のあなたには全く無かった。 日本じゃ気なんて言うらしいけど、それと似たようなモノね。 そう、キャスターとの再戦を控えた、あの朝までは」

 

 あれが言う朝とは、俺がこの世界に来た直後のこと……イリヤ以外知ろうハズもない、あの誓いを、コイツは知っている。

 目を閉じて、そのときのことを噛み締めるように。 それは幸せそうに、続けた。

 

「嬉しかったよ、とっても。 だって私、あなたのこと大好きだもの……だからこそ、あなたから感じ取った魔力に、私、少しイラっとしちゃったの。 空気の読めない無粋なお兄ちゃんでも、これはないなーって」

 

 にっこりと、それは俺に笑いかける。 しかしそれに、さっきまでの親しみや愛らしさはない。 純然たる敵意と、隠しきれない殺意はまさしく、歪んだ愛情だと断定出来る。

 

「あーあ……目付きが鋭くなっちゃったなぁ。 やっぱグルなんでしょ、おかーさん達と……私を、無かったことにしようとしたんでしょ?」

 

 噴き出す魔力が不規則に揺れる。 それーーいいや、認めよう。 イリヤは、まるで蝋燭の火のように儚く、口の端をきゅっと結んだ。

 

「ね、これだけは……答えて。 私は、要らない子なの? 普通に暮らすイリヤが居れば、私なんて初めから要らなかったの?」

 

 その問いに、どういう意味が込められているかは、想像もつかない。 そもそも、この少女が何であるかなど、全て俺の知識から基づく推論だ。 これだけでは、端倪すべからざる状況と言えよう。

 しかし。 それでも、言えることがあるとするなら。

 

「……それは違うだろ」

 

 一つぐらいは、ある。

 

「俺はお前のことを何も知らないし、だからそれだけで決めつけることは出来ない。 でも、これだけは言える。 お前が何であろうと、聖杯であろうと、お前がイリヤなら。 だったら俺は、お前を最後まで守らなきゃいけない。 俺はそう決めた」

 

「……私が、イリヤを殺すって言っても?」

 

「む……」

 

 それは予想外だ。 ふむ、考えもしなかった。 けれど、目の前の少女がまたイリヤだと言うのならば、答えなど決まっている。

 

「ああ、それでも守る。 お前がイリヤを、自分自身を殺そうとしたとしても、それは見過ごせない。 そのときは、俺はイリヤとお前のために、お前を止める」

 

「……ふーん」

 

 それの目が、細められる。 子供のような、脆さが消えーー代わりに現れるのは、嗜虐的な一面。

 

「じゃあ残念だけど、今のお兄ちゃんは要らないわ。 あの子を守るお兄ちゃんなら、そんな人要らないもの」

 

 その暴言に、たまらず顔が引きつるのを感じた。 先程までの少女とは違う、この残虐性は、余りにアンバランス過ぎる。 精神が安定していないのか、いやそもそも彼女が何なのか、それすら分からないのでは、どうしようもない。

 

「ま、待ってくれ。 言ったろ、俺はお前の事情を何も知らないんだ。 だからまずは、話し合いからしよう。 お前もイリヤなら、俺の妹だ。 なら!」

 

「そういうことじゃないのよ、お兄ちゃん。 分かる?」

 

 ニィ、と好戦的な笑みが浮かぶ。 それは自身の勝利を疑わない目。 何よりそれは、自分のペットへ、お仕置きをするような目だった。

 

「ーー他の女の匂いがするお兄ちゃんから、まずその元を削り取るって言ってるの。 勿論、物理的にね」

 

「……!」

 

 ダメだ、話が通じない。 それどころか、これって会話なのか? 何か浮気現場がバレた夫みたいな感じなのは何故に!?

 

投影(トレース)

 

 何だか分からない内に、イリヤは夫婦剣を投影。 それをくるりと振って、俺に突きつけた。

 

「さぁ、やりましょ」

 

「……本気か」

 

「本気じゃなかったら、宝具の投影なんてしないわ。 ね、見せてよ。 お兄ちゃんも出来るんでしょ、これ。 お揃いなんだし、ほらほら」

 

「……ったく」

 

 本当に精神が安定しない奴だ。 さっきまで殺気だってたかと思ったら、今度は無邪気にお願いしてくる。

 

「……俺が勝ったら、全部説明してもらうぞ。 お前のことをな」

 

「ふふん、良いわ。 勝てるものなら、ね!」

 

 たん、とイリヤが地を蹴る。 それと同時に、頭の中にある撃鉄を下ろした。

 投影するのは、彼女と同じ干将莫耶。 久々の実践に魔術回路は嬉しい悲鳴をあげると、両手に慣れ親しんだ重みが加わった。

 思ったより、イリヤのスピードは遅い。 バーサーカーやセイバー、アサシンと比べるべくもなく、彼女の速さはそれほどでもないと断じることは出来る。 しかし、それはあくまで彼らと比べてというだけで、自分からすれば十分に早い。

 首になぞらえて振るわれたイリヤの干将を、屈むことで回避。 続いて腹に来る漠邪を両手の双剣で、しっかりと受ける。

 

「ふっ!!」

 

 今度はこちらの番だ。 受けていた双剣を、衝撃が逃げる前に押し出す。 僅かな火花と共に、彼女の懐へ飛び込む。

 

「ザーン、ネンっ」

 

「!」

 

 しかしそれは罠だ。 イリヤは俺が双剣を押し出したときには、武器から手を離し、鉱石のように光る長剣を投影。 後ろへ飛びながら、それを矢のようにこちらへ投げつける。

 

「くっ!?」

 

 受けには回れない。 慌てて、夫婦剣で長剣の刀身へ平行させて逸らしたものの、真後ろでアスファルトが砕け散る音と、つんざくような金属音が木霊する。

 爆風に叩かれ、吹き飛ばされる。 何とかゴロゴロと転がることで跳ね起きたが、肝心のイリヤは楽しそうに。

 

「へぇ、やるじゃないお兄ちゃん。 やっぱりこれ便利よね。 使い方一つで何でも出来るもの。 投影魔術に似てるけど、それにしては汎用性高くてお気に入り」

 

 横目で、先程まで居た場所を確認。 すると、長剣は半ば折れており、その場で魔力に分解されて消えていく。

……今のは。 俺は確認のために、沸き上がった疑問をイリヤにぶつけた。

 

「なぁイリヤ……お前、その魔術どう使ってる?」

 

「ん? どう使ってるって、見れば分かるでしょ? 作って、矢として放つ。 それがアーチャーの能力なんだから」

 

 やはりそうか。 今の問答で確証を得た俺は、無手のままイリヤの前に立つ。

 

「?……剣は? 言っておくけど、降参したって許さないのは分かってる?」

 

「ああ、だろうな。 だから、兄ちゃんからキツいの一発食らわせてやる」

 

「……そう。 なら」

 

 ジャキン、とイリヤの指に挟まれた剣。 その数四つ。 全て干将莫耶だ。 それをイリヤは、あらん限りの力を使って、俺に投げつけるーー!!

 

「これで終わりよっ!!」

 

 空気を切り裂き、迫る剣群。 確かにその勢い、鉄柱すらも真っ二つにしかねない。 人間である俺なら、この道路に解体されてしまうに違いない。

 だがーーーーこれで良い。

 確かにこの魔術は、そういう使い方も出来る。 それは否定しないし、そうした方が効率の良いことだってある。

 

投影(トレース)……」

 

 しかし、それが全てではない。 作るのではなく、心を具現化させることこそが、俺の魔術の根底だ。

 

「……開始(オン)!」

 

 それを理解しない者の投影など、結局は偽物の偽物。 そんな貧相なモノなら、俺自身の手で叩き出す。

 

「なっ!?」

 

 向かってくる剣群。 それらを全て、両手の双剣で迎撃する。 角度、強度。 それらを計算し、甲高い金属音と共に、俺の双剣は剣群を真っ向から破壊する。

 驚愕に満ちたイリヤだったが、すぐに新たな剣群を投影。 今度はバラバラではあるが、大小様々な無銘の剣達だ。 これなら、彼女はそう思うだろう。

 だが、甘い。

 

「セァッ!!」

 

 干将莫耶を破棄。 すぐさま目の前の剣群の設計図を検索、並行して八節の行程を瞬時に済ませ、両手にそれぞれの刀剣を握れば、後は簡単だ。 さっきと同じ要領で、その悉くをこの世界から弾き出す。

 

「っ……なんでよっ、もう!!」

 

 ヒステリックな叫びは、さながら悲鳴のようだ。 しかしそんなことでは、その力は使いこなせまい。 心を乱してはイメージに綻びが出る。 そうなればもう後の祭りだ。 その場で乱射される剣に、同じものをぶつけて、相殺し続ける。

 

「どうして……ッ!!」

 

 打ち負かされる。 イリヤは痛烈に顔を歪ませるが、俺はひたすら投影に埋没する。

 何故イリヤの剣は、俺の剣に負けるのか。

 答えは簡単。 イリヤの投影は、剣を投影していても、その用途が矢であるからだ。

 彼女の投影は、確かに優秀だ。 構成材質も、基本骨子など言うまでもない。 しかしそれはあくまで剣を、矢として使うために投影しているに過ぎない。 彼女のそのイメージに引っ張られ、剣自体がとても脆くなってしまっているのだ。

 それに気づいたのは、最初に剣を投げつけられたとき。 刺さった剣が半ばで折れていたのを、目にしたときだ。

 もしもアーチャーの力を使っているのなら、そんなことは起きない。 アイツは剣として投影したモノを、矢として放っていた。 自身の能力を正しく理解した上で、効率的な使い方をしているから、例え英霊が相手でも通用する投影が出来た。

 しかし、彼女は違う。 彼女はあらかじめ、アーチャーの能力が剣を投影して放つことだと思い込み、それを先鋭化させている。 本来なら、剣を投影する過程を踏むため、そんな思い込みはあり得ないが、彼女もその力を使いこなせてはいないのだろう。 それでも俺の剣を破壊することなど、わけないが……矢として使う以上、その弾道でどうすれば良いかは予測はつく。 そうすれば凌げる、だから間違った使い方をしてしまう、最強の自分が崩れてしまう。 剣ではなく、剣を真似ただけのモノを投影してしまう。

 

「チッ……!」

 

 埒が空かないと流石に感じたか、舌打ちの後距離を取るイリヤ。 俺も刀剣を手離すと、

 

「はっ、……随分と余裕が無さそうじゃないか。 まだ俺は全然いけるぞ」

 

「……! 息を切らしてるくせに、ナマイキね。 だったら良いわ、もう手加減しないんだから!」

 

 そう言うやいなや、イリヤは手を空中へかざし、投影。 魔力の尾を引きながら現れる剣の数、ざっと三十ほどか。 空中に浮かんだそれと、自身の指の間に挟んだ剣を握り締め、イリヤは宣言した。

 

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層射(ソードバレルフルオープン)……!!」

 

 宣言の後、放たれる剣群。 しかし生憎と、その投影品の数々に、俺はもう怖じ気づくこともない。

 

「……投影(トレース)再開(オン)。 全投影連続層射」

 

 語る言葉は同じ。 しかし意味を捉え、真髄を理解した俺の言葉とでは、その世界(せいど)は違う。

 剣群を投げるなんて、そんな器用な真似などしない。 自分に接近する剣をそれぞれ投影し、ぶつける。 目には目を、歯には歯を、剣には剣を。 射出される剣に対し、同じもので良い。 単純に相手よりも、いいや、アーチャー(自分)よりも強い剣を造るーー!!

 

「……どうして……?」

 

 金属片が飛ぶ中で、イリヤが眉に皺を寄せる。 度しがたい事実を直視し、

 

「どうしてよ……能力は同じ。 いえ、どう考えてもこっちが上。 剣を造り、矢を放つことにおいて、アーチャーは他に追随を許さない英雄なのに……どうして、素人のお兄ちゃんなんかに……!!」

 

「ふっ……おおおっ!!」

 

 これで最後。 太いバスタードソードを、干将莫耶を犠牲にして無理矢理破砕。 俺の手から柄だけとなった夫婦剣が崩れ落ちると、イリヤは呆然としたまま立ち尽くしていた。

 

「……俺の勝ちだ、イリヤ。 その力の真髄がわからないなら、俺には勝てない。 お前がそれをどう使っているのかは知らないけど、それでもだ」

 

 一歩。 穴だらけの地面を、運動靴で踏み締め、イリヤに近づく。

 

「もう良いだろ。 俺も何も知らないまま戦うのは、気が進まない。 いつまで経っても終わらないんだ。 だから事情を教えてくれ、イリヤ。 力になれることがあったら、必ず俺も助力する、だから」

 

「……ふん。 ちょっと優勢になったからって、もう勝った気で居るのかしら?」

 

「違う。 これ以上戦っても、お互い傷つくだけだろう? 俺は何も知らない、それで何となく戦うなんて、嫌なんだ」

 

 説得を続ける。 しかしイリヤはそれが鬱陶しいのか、髪をかきあげ、

 

「何よ。 ちょっと手加減したぐらいで、本当にナマイキ。 でも良いわ……それぐらいないと、張り合いがないもの」

 

 バチィ、と雷に似た魔力が迸り、イリヤは投影をする。 干将莫耶か……。

 

「無駄だ。 俺には、それじゃあ届かないぞ」

 

「あらそう? ならこんなのはどう?」

 

 ?……イリヤが夫婦剣を逆手に持つ。 しかしそれは、剣を投げるには少し難しい体勢だ。

 一体何を? こちらも夫婦剣を投影、イリヤの動きを警戒する。 接近戦か? それならあちらの有利だろうが……剣がそれでは、打ち合うこともままならないハズだ。

 と。 彼女は、コンクリートから盛り上がった土を蹴る。 やはり接近戦、なら迎え撃つ。

 しかし、一瞬たりとも目を離さなかったというのにーー次の瞬間、イリヤは姿を消した。

 

「こっちよ」

 

「!?」

 

 声は背後。 風切音と共に、目だけを先に後方に向ける。

 そこではイリヤが空中に身を乗り出し、双剣を横薙ぎに振るっていたところだった。

 声に反応して、反射的に屈んでなかったら、恐らく俺の右手は切り飛ばされていただろう。 背を低くしながら、振るわれる双剣を弾こうとするが。

 

「違う違う、こっち♪」

 

「なっ……!?」

 

 そこにはもう、俺の命を刈り取る双剣はなく。 またもや忽然と姿を消すと、今度は俺の真上にイリヤは現れる。 そのまま突き刺さんと、双剣を逆手の状態で落下してくるが、無理矢理体勢を崩して転がり、何とか事なきを得る。

……今のは、何だ?

 

「速いとかそんな次元じゃない……予備動作すら見えないなんて……」

 

 仮にも英霊との戦いを見てきた、俺だから分かる違和感。 例え英霊であったとしても、ランサークラスでなければアレほど敏捷な動きは出来まい。 それにあんな細い身体に、それだけの瞬発力があること自体驚きである。 全く、詐欺も良いところじゃないか……!

 

「ふふん、今度はそっちが焦ってるみたいね。 ほらほら、止まってる暇なんか無いわよ!!」

 

「クッ!?」

 

 その言葉の通り、イリヤは姿が掻き消えるほどの速度で襲いかかってくる。 その速度も反則的だが、何より反則的なのは、それが毎度死角に来るため、防ぐ度に神経を擦り減らすのだ。

 幸い、イリヤはまだ遊んでる。 これだけの力で浮かれてるのかは知らないけれど、何とか突破口を見つけないと。

 イリヤの猛攻を捌いていくが、しかし糸口は見えない。 それどころか打ち合う度に、その精度が増している気がする。 メキメキと上達するのは、恐らく投影品の用途を、剣に切り替えたからか? これだけの攻撃を受け切れていること自体奇跡なのに、それを。

 

「……あれ?」

 

 待てよ。 受け切れ、てる? ふと沸いた疑問に、視界がスパークする。 投影とは別に、別の思考が脳の隅で生まれる。

 それは可笑しい。 イリヤの身体能力が英霊と同等、ないし劣化していても、この動きは衛宮士郎には出来ない。 衛宮士郎を上回るというのなら……何故俺は、未だ彼女の持つ夫婦剣に引き裂かれていない?

 そう、そもそも何故イリヤは、最初から接近戦を仕掛けなかった? もし本当に、これだけの身体能力があるのなら、俺を斬ることなんて容易い。 それに剣群を投げることもそう。 どんなに剣が脆くても、これだけの力があれば、数だけで押し切れるハズだ。

 前提が違うのか? イリヤは身体能力でこの動きをしているのではなく、何らかの魔術を使って、

 

「ぐ、……!?」

 

 剣を防いだは良いものの、体はがら空きだ。 それを逃さず、イリヤは俺の腹を蹴り飛ばした。

 口から無理矢理息を吐き出され、体は無様に転がる。 背中からつぅ、と何かが伝うが、恐らく打ったのだろう、生温かい血が制服にまで垂れる。

 

「……しぶといもんね。 これだけやって避けられるなんて。 戦い方を学んでるのは、あなただけじゃないってわけか」

 

 何を言っているか分からない。 投影魔術の使いすぎか、頭は異常なほど熱を発し、喉は焼き付いたようにカラカラだ。 しかし俺はそれらを押さえつけ、ゆっくりと立ち上がる。

 

「兄貴だから……妹には負けられないんだ、まだな」

 

「そういうの、驕りって言うのよ? 分かったら、とっとと負けてよね!!」

 

 イリヤの姿が消える。 しかし、今度こそ、俺はそれの正体を掴んだ。

 掻き消える寸前、ひび割れたコンクリートの上から、足が離れたとき。 土を蹴ったなら、砂が巻き上がるハズだが……それが、全くないのを、この目で確認した。

 

「分かったぞ」

 

「!」

 

 真横から振るわれる双剣。 風を切り、迫るそれはなるほど、衛宮士郎には防ぐだけで精一杯だ。 だがあくまで防げるのなら、そこからどうするかを覚えている俺なら対処出来る。

 干将莫耶を交差させ、防御。 しかしそれでも貫通する衝撃に、骨が軋み、後方へ吹き飛ばされる。

 だがーー身体が動く。 着地するやいなや、靴は大地を踏み砕く勢いで足場を固める。 莫耶を上段に、干将を脇に。 体をしならせ、引き絞った力を干将に乗せると、追い討ちをかけようとするイリヤへ一閃する。

 

「らぁっ!!」

 

「!?、きゃあっ!?」

 

 これまでで一番の轟音。 俺の干将は見事、彼女の双剣を破壊、イリヤを後方へ下がらせた。

 息も切れ気味に、俺は指摘する。

 

「はっ、……ぅ、は、ぁ……分かった、ぞ。 今の敏捷性、お前の身体能力なんかじゃない。 ただ、空間を転移して、裏回りしただけだ」

 

 空間転移。 現代においてそれは、最早魔法にカテゴリされるため、この時代ではまずお目にかかれない。 なのに何故見抜けたかと言えば、聖杯戦争でそれを行使するサーヴァントと戦ったからだ。

 キャスター。 コルキスの王女と呼ばれる彼女の真名は、メディア。 ギリシャ神話において、非道の限りを尽くしたとされる、裏切りの魔女。 その彼女が使用した空間転移と、差異こそあれど、かなり酷似している。 どう行使しているかは知らないが、タネが分かれば対策も練られる。

 

「……ホント、驚いた。 まさかこれまで見破られるなんて。 聖杯戦争でそれの使い手でも居たのかしら? で・も」

 

 手に持つ莫耶を投げ捨て、イリヤは余裕たっぷりに言う。

 

「それで、どう戦うのかしら?」

 

 イリヤの言うそれは、俺の状態のことだ。

 息が上手く出来ない。 酷使した身体は全身で酸素を取り入れようとするが、咳き込むせいで中々息が整わない。

 

「……、」

 

 イリヤが俺へと視線をぶつけるが、当の俺はそれどころではない。 いつもなら痩せ我慢出来る疲労が、今に限って身体を停止させる。 まるで剣が錆び付き、斬れなくなったかのように、身体機能が働かないのだ。

……事態は、深刻だ。 魔術回路を走る魔力が、いつものように循環しない。 もしや、もう片方の二十七の魔術回路のせいなのか? あれから一度も使っていない、エミヤシロウの魔術回路。 それを使用せずに、元の回路しか使わなかったことで、体に無理をさせていた……?

 この体は、以前より強化こそされている。 しかし、同じ人間とはいえ、世界が違えば他人に過ぎない。 そんな体で生きるだけでも、弊害が起きるというのに、魔術を使用すればどうなるか分かったものではない。

 

「……ふんっ。 ま、乱暴なのは嫌いじゃないけど、ちょっと今のは効いたわ。 だから、倍にして返してあげる。 投影(トレース)!」

 

 しゃらん、と柄を握り、イリヤはまた夫婦剣を投影。 今度こそ終わりだと、そう言わんばかりに。

 

「……は……ぐっ、……づぁ……!?」

 

 来る、迎え撃つ。 その一心で投影を始めようとするが、その瞬間痛みが激増する。 魔力を通そうとするだけで、頭痛と吐き気が酷くなる。 膝をつき、眉間を何度も揉む。

 こうなったら一か八か、賭けに出るしかない。 もう片方の魔術回路を使い、負担をもねじ伏せて一気にカタをつける。 もうそれしかない。

 脳の裏側にある、もう一つの引き金を引き。 その勢いで撃鉄が叩き落ち、そして。

 

「……ぁ」

 

 回路に魔力が通った途端ーー俺は、その世界に引きずり込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 1-2 ーー

 

 

「終わりよ」

 

 油断などしない。 イリヤスフィールの名を謳う黒い少女は、既に目の前の敵に対し、異常なまでの警戒をしている。

 英霊の力を使う少女と、同じ類い、いや、恐らくそのものの力を持つ彼。 しかも正体よりもその能力を使いこなすという、あり得ない事態にまで陥っているのだ。

 無論、クラスカードを使っているわけではない。 このカードは一枚、それも少女の体内にある。 彼は元から、そういう力を持っているのだ。

 英霊そのものの力。 彼の言葉からして、自分が使う力の正体を知っているようだった。 しかしこれほど特異、かつ例を見ない魔術はない。 それはつまり彼は、この力を使う英霊から魔術を教わったか、或いは。

 

(……まさかね)

 

 前者より後者の方が辻褄が合うものの、それはあり得ない。 しかしもしそうなら、彼はこの誰も真名を知らないクラスカードのことを、誰よりも知っているということになる。何せその正体は、彼が身近に知る人なのだから。

……考察は後だ。 今はとにかく、彼を倒す。 それだけを考えるべきだ。

 

「ふっ!!」

 

 まともに斬り合うのも良いが、やはり兄を斬る罪悪感だけはある。 良心の呵責というより、ただ単に斬りたくない。 少女は膝をついた士郎へ、夫婦剣を投擲する。

 回転する夫婦剣は、このままいけば士郎の首で合流し、切り離すハズだ。 しかしそれだけで終わるとは、少女も考えていない。 少女の背丈と同程度の大剣を複数投影、更にそれを追い討ちとして放つ。

 これで終わり。 兄は自分だけのもの。 少女がそれを、確信したとき。

 

「……体は(I am)

 

 兄の口から、その呪文が溢れた。

 

 

「ーーーー体は(I am the)剣で出来ている(born of my sword)

 

 

 それを聞いたとき。 それを、魂へ入力したとき。 少女の中で、何か言い知れぬ、悪寒にも似た何かを感じた。

 一瞬の出来事だったのかもしれない。

 されど、少女は確かにそれを観たのだ。

 一面に広がる炎、蔓延る死の気配。 全ての人が、等しく惨死するそこで、誰かに手を取ってもらったーーその、最初の地獄を。

 ギィン、という音が、少女を現実へ呼び戻す。 前を見れば俯いたまま、士郎は再び干将莫耶を手に、剣郡を全て弾き飛ばす。

 爆音があちこちで炸裂する。 ここら一帯に穴を開け、地面を穿つ剣を弾いた彼は、そこでようやく顔を上げた。

 

「……!」

 

 その顔つきは、先と全く違う。 痛みと吐き気を堪え続けていた顔は、穏やかに状況を俯瞰する冷静さが嫌に目立ち、何処か年老いた、というよりは枯れた印象が強い。 その代わりに目は猛禽類のように鋭く、いつでも食い付けるのだと語っている。

 そして、その手に持った干将莫耶。 その完成度が、先程までの彼と余りに違いすぎる。 さっきまでの士郎の場合、一見完璧にも見えたが、何処か工程に欠損があり、十ある内の八までしか出来ていなかった。 しかし今は、その全てを、まさしく宝具としての輝きと年月の重みすら再現している。

 

「……あなた、誰?」

 

 兄ではあっても、これは兄ではない。 というより、これはどうにも勘に触る。 兄の身体を操っている何かへ、少女は問いを投げ、それは答えた。

 

「……なに。 ただ、ここへは迷い込んだ、哀れな死人だ。 私としても、このような形になるとは露とも思わなかったモノでね。 今は少し、いやかなり混乱している」

 

「あっそ。 なら良いわ、あなたごと切り落とすから」

 

「ほう……君はドイツの人間とお見受けするが、それが迷い人に対する挨拶かね? だとしたら君は、中東にでも戸籍を変えると良い。 君にぴったりのブラックジョークも、あそこなら取り揃えているだろう」

 

「はん! 口だけの下劣な男なんて、こっちから願い下げよ!!」

 

 とん、とイリヤが踏み込む。 ように見せかけて、空間転移。 それの背後に転移すると、体ごと回して干将莫耶を叩きつける。

 が。 それの動きは、もっと早かった。

 

「ふむ……落第だな」

 

「!?……う、ぐっ!?」

 

 一歩も動かず。 士郎の体を操るそれは、干将莫耶を逆手に持ち替えて、そのまま少女の夫婦剣へ柄で打ちつける。

 ボッ、とピンボールのように吹き飛ばされ、少女はアスファルトを転がる。 見れば手に持つ夫婦剣は柄ごと欠け落ちており、イリヤは戦慄する。

 

「理念も思想も過程も骨子も、より言えば用途すら間違う。 全く、ここまで来ると落第どころか、退学モノだな。 小僧でもここまで酷くは無かっただろうに」

 

「あなた……何者?」

 

「私に名などない。 しかしそうだな、あえて名乗るとしたら」

 

 それは、少し誇らしげに。 少女へと、名を告げる。

 

 

弓兵(アーチャー)。 私に名があるとすれば、それしかないに違いない」

 

 

 変転する。

 今、少年の基盤が、また書き換えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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夕方~VS???、変転した正義~

ーーinterlude 1-3ーー

 

 

 それは、あり得ない現象だった。

 先程まで五十にすら満たなかったーー正確にはそれだけしか使っていなかったーー衛宮士郎の魔力。 その彼の魔力が膨れ上がったかと思えば、彼の様子は一変していた。

 まるで熾火のように、渾渾(こんこん)と沸き上がる闘気を魔力へと変え。 それは彼の身体を剣へと鍛え上げる。 目はあらゆる要因を見逃さんと、炯炯としており、口の端は哄笑というよりは、諦めに近い何かで歪めており、細胞と一体となった魔術回路が、点滅するように光り始める。

 それは、酷く矛盾した雰囲気だった。 決して親しい印象を持たせるわけでもないのに、それでもただ敵意を向けるのは、戸惑わせる何かがある。 そんな雰囲気だった。

 

「アーチャー……ですって?」

 

 イリヤーーそう名乗った黒い何かーーが、困惑する。 何故なら、その偽名には、覚えがあったからだ。

 聖杯戦争。 七人の魔術師と、七騎のサーヴァントーーつまり英霊を召喚したその戦いにおいて、七つあるクラスの一つ。 それが、アーチャーだった。

 そして、イリヤがこの世に現界するため、寄り代としているクラスカードこそが、アーチャー。 そのアーチャーと、同じ力を持つ、アーチャーと名乗る何かーーこれはもう、決まったと言って差し支えない。

 動揺するイリヤを尻目に、士郎は事も無げに説明する。

 

「あえて言うのならば、だがね。 昔は偽善者だの、守護者だの呼ばれていたが……今は弓兵という呼び名が、私を現すにふさわしい名だ。 志半ば、勝手に折れてしまった私には、昔の名を名乗る権利すら与えられるべきではないのだろう」

 

 優しい声色なのに。 どうしてか、イリヤには兄の顔に忸怩たるものが浮かんでいるような気がした。 底冷えするような闇の中、どうにか出た声。 それが、兄の中に居る誰かが発した、自嘲だ。

 風が吹く。 兄の髪が揺れ、逆立つように見える。 発起した魔術回路が、燐光の如く生命の光を放つ。

 

「……っ」

 

 ミシ、と頭の奥から痛みが貫く。 イリヤは眉目を押さえるが、痛みは兄を見る度に増していく。

 思考が続かない。

 断裂的に、映像が脳裏に走る。

 のたうつ蛇のように、記憶の欠片が乱舞する。

 

(……チッ)

 

 燃える炎。 掴んだ手。 知っている人の涙、救いへの羨望。 継承する誓い、運命の夜。

 混濁するのは果たして、誰のものだったか? この身に宿す英霊のモノか、それとも違うようで同じ人か。

 とにかく、腹が立つ。 イリヤは知らず知らず、奥歯をギリ、と噛んだ。

 ただ魔力量が増えて、雰囲気が変わっただけ。 それがどうした。 アーチャーのクラスカードと同じ魔術を使うから何だ? 兄の、粟立つほどの異常性を目にしたから、一体何だと言うのだ?

ーー兄の末路を、垣間見たからなんだ?

 

「ふむ、ご機嫌麗しくないようだな。 どうやら病み上がりというよりは……生まれたてと言った様子だが」

 

 千里眼さながらの洞察力は、流石は英霊といったところか。 いや、どうせお得意の解析でも使ったのだろう。

 

「さて、続けるなら続けさせてもらうが、こちらとて余りこの状態は好ましくない。 全てが推論で成り立っている状況でね……何にせよ、私も争いは避けたい」

 

「……ふん」

 

 鼻を鳴らし、イリヤが答える。

 

「何が争いは避けたい、よ。 バリバリこっちの隙を伺っといてよく言うわ。 レディに不躾な視線を送るにしても、そんなに見られると小言じゃ済まないけど?」

 

「レディ、ね……君は自分が、富貴な淑女だとでも? だとしたら、随分と自分を大きく見たモノだ。 刃物を振り回す野蛮な行いをしている時点で、精々騎士崩れが限度だろうに」

 

「……ハ!」

 

 鼻で笑い、イリヤは空の手で虚空を握る。

 投影。 傾いた日の光に照らされ、無名の剣がその右手に顕現する。 鉱石を削り出したそれを、イリヤは士郎へ突きつけた。

 

「半端者なのはお互い様でしょ? こんな力を持ったあなたが、言える義理かしら、アーチャー?」

 

「ふ、これはしたり、と言うべきか。 ま、私の存在そのものが、贋作(フェイク)のようなモノだったな」

 

 士郎を操る誰かは、剣を突きつけられてなお、戦う素振りを見せなかった。 それどころか肩を竦める辺り、隙だらけなのだ。 確かにこちらの隙を伺うような視線を向けてくるが、それはどちらかと言えば……どういう風にイリヤへ対応すれば良いか、コミュニケーションに戸惑っているように感じた。

 気に入らない。 まるで敵と見られていないのか、いや事実そうなのだろう。 ならば、やることは一つ。

 

「じゃ、精々複製品らしくーー潰れなさい!!」

 

 跳躍。 少女の力とは思えない脚力で飛び上がり、イリヤは即座に一角剣を振り上げる。

 剣の投擲。 彼女の十八番だ。 士郎はそれを弾き返していたが、もう遠慮はしない。 低ランクでも宝具であるそれを、破裂することで強力な爆発を叩きつける。 壊れた幻想(ブロークンファンタズム)と呼ばれるそれは、宝具を複製出来るアーチャーにしか出来ない。 だが逆に言えば、アーチャーは魔力さえあれば、いつでもその爆弾を放てる。

 確かに士郎は、この能力の本質が分かっていて、イリヤは理解していない。 しかし、だからこそ士郎が取らない手だって考え付けるし、実行出来る。 裏をかける。

 真実、士郎なら剣で弾こうとして、壊れた幻想(ブロークンファンタズム)の餌食となってしまっただろう。 為す術もなく、その爆発に巻き込まれ、肉片を撒き散らしたハズだ。

 されど、最早そんな法則など通じない。 何故ならばーー。

 

「ふ、剣を投げるのは結構だがな」

 

 彼女が対するは、本物の英霊だからだ。

 イリヤが剣を投げつける、その一瞬前。

 士郎の姿が、消えた。

 

「!?……消えた!?」

 

 何の前触れもなく、まるで蜃気楼のように消えた士郎。 何処だとイリヤは見回そうとして、目を見張った。

 イリヤの後方。 人の脚力では到達出来ない位置に、衛宮士郎は到達する。

 

「ソレでは、私を殺せんぞ」

 

 ガッ、と剣を持った手を、無造作に掴む士郎。 イリヤは振り払おうと、逆の手にも一角剣を投影するが、その前に士郎が彼女から剣を奪い、対応する。

 同じ工程、同じ刀工で鍛えられた一角剣。 袈裟斬りに振るわれた剣は、全く同じ軌道を描き。

 当たり前のように、彼女の持つ一角剣が、砕かれた。

 

「なっ……!?」

 

 どうして。 イリヤは動揺を隠せず目を剥くが、無意識に転移。 しかし地上に着地しても、黒いイリヤは中々平静を取り戻せない。

 それも当然だ。 イリヤの、アーチャーの投影とは、確かに各々の完成度は微々たるものだが違ってくる。 投影するその都度、同じ投影品であったとしても、だ。

 しかし、ここまで違いが鮮明には出ない。 これでは雲泥だ。 あんな、一方的な結果にはならない。

 

「そんなに不思議かね、自分の剣が砕かれたことが?」

 

 余裕綽々と言った感じで、とん、と地に足を付ける士郎ーーいや、アーチャー。 微笑を携える彼は、未だイリヤが投影した一角剣を手にしている。

 

「君が言っただろう? 私の魔術は所詮、偽物だ。 劣化品など、よほどのことが無ければ砕かれる。 それがどれだけ精巧に作られていようとも、な」

 

 呆然とするイリヤに、皮肉を込めて告げるアーチャー。 しかしそんなこと、彼女とて先刻承知だ。 だから、こんな風に混乱している。

 

「……あり得ない。 込めた魔力も、工程も、全く同じハズ……なのに砕けるなんて、一体……!?」

 

「私に解答を求めている辺り、やはり君の剣製は衛宮士郎以下だな。 いくら最適な理論があろうと、正しい工程を踏もうと、理解出来ていないのなら話にならん。 悔しいと思うのなら、解析の魔術でも走らせてみたらどうかね?」

 

「……!」

 

 言われて、イリヤは歯噛みする。 そうだ、あの剣に解析をかければ良かったのだ。 それをしなかった自分にも腹が立つが、アーチャーに言われたことこそが何よりも屈辱だった。

 願望機の一端である自分ですら、正しく使うことが出来ない力。 難儀な英霊を取り込んだものだと思うが、それは置いておく。

 見る。 その剣の完成度を確認し、イリヤは目を細めた。

 

(!……投影の精度が上がってる……?)

 

 解析は一瞬で済んだ。 いや、一瞬というよりは、視界に入れば設計図が浮かんできた。

 

(投影の上書き(オーバーライト)……? いや違う、これは書き換え(リライト)に近いのかしら……)

 

 見てくれだけなら、イリヤの一角剣とそう変わらない。 しかし同じ剣製を使用する者ならば、その細工を見逃さない。

 端的に言えば、彼女の一角剣の構造、基本骨子、それら不十分な要素が、まとめて本物と大差ないレベルにまで引き上げられていた。 魔力を通し、強化しただけではこうはならない。 恐らくアーチャーは、自身の持つ設計図と重ね、中身だけを書き換えたのだろう。 もっと細部まで見通すと、その名残がちらほらと目についた。

 

「……化け物ね」

 

「私で化け物など、そう簡単に言ってくれるな。 これでも若輩者だ、弓兵としても、刀工としてもまだまだ達人の域には届かんよ」

 

 眉を潜めて、不満そうにぼやくアーチャー。 本気で言っているのだ、全くもって質が悪いとイリヤは顔をしかめる。

 アーチャーはなまじ、古今東西あらゆる刀剣、武具に触れてきたから、贋作しか作れない己を忌避しているのかもしれない。 コピーしか出来ないのだから、それは仕方ない。 弓に対しても、大方同じような感情なのだろう。

 しかし、彼女が化け物だと告げたのは、そんなことではない。 一度完成したモノを、己の魔力だけで瞬時に作り替え、宝具にまで昇華させる、その魔術こそが、化け物だと言いたかったのだ。

 

「さて」

 

 気だるげに、アーチャーは一角剣を放り捨て、その呪文を呟く。

 

投影(トレース)開始(オン)

 

 蛍火のような光が弾け、アーチャーの手に握られるのは、無銘の剣二つ。 しかし、その完成度たるや、一目見たイリヤに鳥肌が立つほどだ。 頬にまで伸びた魔術回路が、更に強くその存在を誇示し、アーチャーは言い放った。

 

「さて、どうやら回路が漏電(・・・)しているようだ。 余り時間も無いのでね、小僧が死ぬ前に無効化させてもらうぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱い。 熱い。 熱い。

 まるで炎の中で、身体全身を直に炙られているような感覚。 バーベキューの肉になってしまったようで、目玉が溢れ、脳は沸騰し、腕は手羽先みたいにカラカラだ。 紅蓮の世界、その中心で、ひたすらこの痛みに耐える。

 あのとき、俺はエミヤシロウの魔術回路と、自身の魔術回路を合わせて、干将莫耶を投影したハズだ。 しかしその回路を使った瞬間、俺はここに引きずり込まれ、魔術回路の激痛に悶えている。

 一体自分に何が起きたのか。 そもそもここは何処なのか。 全身を脅かす痛みに、目すら開けることが叶わない。 ならばひたすら我慢し、この痛みをどうにかするしかない。

 しかし、それもいつまで持つか。 衛宮士郎の意識は既にその八割が溶け、泥のようにベトベトになっている。 焼け付いた意識は、身体を動かす気力すら失わせ、こうしてだらしなく倒れたまま、灼熱の世界から逃げることも出来ない。

 このままでは不味い。 そんなことは分かっている。 もし俺がこの世界に留まり続ければ、たちまち身体は燃え尽きるだろう。 そうなる未来が目に浮かぶ、直感する。

 だが、動けない。

 ドロドロになってしまった身体は、深淵に沈みきっている。 眼球は最早何の意味を持たず、手も足も、立ち上がるための足掛かりすら無いのでは、どれだけの意思があろうと無駄だ。

 

「ぁ、が、」

 

 意識が遠退く。 ちゃぷちゃぷと、液体になった頭から、中身が無様に撒き散らされる。

 陽炎と、熱波。 その二つに、衛宮士郎は為す術もなく焼き尽くされて。

 

 

 

「ーーーーよう。 どうしたよ、正義の味方? 随分と息が上がってんじゃねぇか?」

 

 

 その明け透けな声に、取っ掛かりを見つけた。

 どくん、と無いハズの心臓が跳ねる。 熱波に流れていく身体と意識が一瞬で凝固し、瞳が開いた。

 

「ふーん……まーたド派手に、魔力を放出してるな。 投影ってのは、自傷行為みてぇなモンだろ? 魔術回路が癒着してない状態で、投影なんかすりゃあ、そりゃそうなるさ。 ったく、勝者に何もあげられなかったのをダシにされて、遠坂の小娘に頼まれた(・・・・・・・・・)は良いが……常に居てこれだ。 ま、あの猫被りに何言われようが構わないし、放任でオッケーだろ。 消し飛ばされた俺にゃ関係ねーし」

 

 何の話をしているのか、分からない。 ただ一つ一つの事柄を理解する前に、目でそれを理解した。

 姿形はボヤけている。 ピントがズレたカメラのような視界に、映っていたのは、一人の少年。 全身に入れ墨ーー否、呪詛を刻み付けられたそれは、不良のように足を曲げ、目線を俺に合わせた。

 

「良いか、よく聞けよ衛宮士郎。 事態は最悪に近い」

 

「……な、に……?」

 

「あー分かってる、皆まで言うな。 説明する暇も無いんで、端的に言うぜ……聖杯がまた動き出したぞ」

 

 驚く間もなく、ソレは少し冷めた口調で、続ける。

 

「ご丁寧に、お前だけをロックオンだ。 良かったなモテ男、呪いの奉公女は、お前をご所望だ。 わざわざこんなところへ死にに来てるお前に、説明することでもねーが……ま、これもオプションみてぇなもんだな。 きひひっ。 問題山積みだな、ごくろーさん!」

 

 鼓膜をくすぐるような、ケラケラとした笑い。 話は一割すら、溶けかけた脳では理解も出来ない。 しかし身体は、半端に動く。

 

「おま、えは……だれ、だ……?」

 

「あん? オレか? どうせお前の耳にゃ残らねーよ、やめとけやめとけ。 それよりもしものときは、全身凶器女か、ドSシスターに頼れ。 この世界に長逗留してる最中だ、こき使ってやりゃあ喜ぶさ」

 

 と、話は終わりなのか、徐々に空間から引き剥がされていく。 まるで自分がシールになったかのように、乱暴に剥がされ、浮かんでいく。

 

「それじゃあまたな、ボンクラマスター(・・・・・・・・)。 次会うときは、もちっとワクワクするような状況にしといてくれ。 じゃないと、オレが出張る意味もないしさ」

 

「ま、て……!!」

 

「待たねーよ、衛宮士郎。 それと、あんまり悠長に構えてる暇もないぜ?」

 

 現実へ引き戻される、その直前。 ソレは口の端を歪めると、俺を仰いだ。

 

 

「ーーーー遠坂凛は、そんなに強くないんだ。 あの女を自分のモノにしたいなら、精々自分に負けることだけは、しねーこったな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 1-4ーー

 

 

 踊る、爆ぜる、踊る、爆ぜる。

 

「チ……!」

 

 今日何度目かの舌打ちは、手に持った刀がへし折れることで掻き消える。 構わず振り下ろしながら、折れた刀と同じモノを投影、その腹をかっさばこうと閃く。

 

「ふんッ!!」

 

 が、再び破砕音。 風のように迫ったイリヤの刀を、雷のような速度で切り落とし、アーチャーは返す刀で柄頭を叩きつける。

 

「うっ……!?」

 

 打撃の箇所は、手首。 しかし岩石を叩きつけることよりもよっぽど手痛い打撃だ、イリヤの身体は泡のように吹き飛び、地面に激突する。

 だがイリヤが思ったのは、痛いという感情よりまず、情けをかけられた、という、一種の悔しさだった。

 アーチャーは強かった。 力、戦略、そして剣製。 その全てがイリヤを遥かに超えているのだ、出鼻を挫くどごろか、全て一手先を取られていた。

 それなのにアーチャーは、イリヤを決して傷つけようとはしなかった。 今回のように、突き放すためや武器を破壊するなど以外は、イリヤへ危害を与えるなどはしなかったのである。

 つまり裏を返せば、それだけ余裕なのだ。 イリヤなど、いつまでも倒せるほどのか弱いモノでしかない。 アーチャーは、そう評価しているのだ。

 

「ふ、もう限界かね、小さなレディ? まだ前菜の段階で地面に座り込むとは、君の家ではテーブルマナーも教えなかったのか?」

 

 耳に入る皮肉に、露骨に舌打ちするイリヤ。 倒れ伏す彼女とは反対に、アーチャーは軽やかな足取りで、投影した刀を投げ捨てる。

 黒いイリヤ、自分と同じ魔術を扱う者。 真の意味で贋作者たる少女を直視し、アーチャーは苦笑する。

 

「……笑えないな。 確かに、自分の力を真似されては、余り気分が良いものではない。 それが不出来なら尚更だ。 が、本当に度し難いのは、聖杯に叶えさせた願いの方だがね」

 

「……あなた、まさか」

 

「そんなに不思議なことかな、聖杯の器たるレディ? これでも真贋を見極めることにおいて、私は他の追随を許さない。 それが聖杯、しかも君のようなタイプならば、腐るほど目にしてきたモノでね。 故に、君の力の源も自ずと知れる」

 

 アーチャーの目にあるのは、仄かな情感のみ。 しかしその情感ですら、余りに複雑で、いくつもの思いが入り交じっているように見えたのは、何も錯覚ではあるまい。 もし先ほど、目にしたモノ全てが真実であるなら。

 目の前の英霊は、イリヤ達に人生を食い潰されたと言っても過言ではないのだから。

 

「大層なモノだ、同時に融通が効かないところも、本当に良く似ている」

 

 イリヤが立ち上がるため、足に力を入れる。 アーチャーはそんな彼女を観察し、新たな設計図を浮かび上がらせ、手に魔力を流す。

 

「止めておけ。 君では、私には勝てまい。 いいや、そもそも一撃を入れることすら不可能だろう。 その程度、私を宿すならばすぐにでも理解出来たハズだが?」

 

「……っ、ぅるっさいッ!!!」

 

 思考を蝕む頭痛など、アーチャーへの怒りで吹き飛んだ。 いや、強制的に麻痺させた。 体の動きを阻害する全ての要因を、無くせと願い、跳ねるようにイリヤは立ち上がる。

 連続の魔術、否、奇跡の行使は、湯水のようにあった黒いイリヤをの魔力を容赦なく奪い続ける。 存在するだけで魔力は消費されるのだ、それに加えて多数の魔術。 既に魔力は底を尽きかけている。

 それでも、勝つとしたらーーもう玉砕覚悟で挑むしかない。

 

「!」

 

 握るは夫婦剣。 しかしその数、何と九本だ。 指の間に挟んだ夫婦剣全てに強化を施し、その形をオーバーエッジへと変える。

 絶壁のような鋭さを持つ、翼の剣。 最早大剣と見間違えるほど肥大したそれを、イリヤは固く握る。

 他方、アーチャーは変わりない。 投影の準備こそ出来ているが、素手のままだ。 様子を見る、それがアーチャーの選択。 だとしたら、逃避は当に不要ーー必殺の一撃、それを入れることすらも是非は問うまいーー!

 

「……一つッ!」

 

 一度目の攻撃。 横から挟撃する形で、夫婦剣を射出。 当然アーチャーは、それを鳥のように身を捩らせて回避。

 しかし、そこでアーチャーの目の色が変化した。 それも必然、何故なら既に、アーチャーの周りにはイリヤの姿はない。

 

「二つ……!!」

 

「、上か!」

 

 響く声は空から。 しかし落ちかけた太陽からは、カラスのように襲いかかる二つ目の夫婦剣。

 瞬間移動。 アーチャーはバックステップしてその攻撃をかわすと、千里眼を使い、即座にイリヤを探り当てた。

 アーチャーの、真後ろ。 死角故、最も狙いやすく、最適解と思われる場所。 されどそれはあくまで定石、使い古された手だ。 ×印に夫婦剣を振ろうとする黒いイリヤを見ず、投影魔術を、

 

「……ほう」

 

 と、そこでアーチャーが感嘆の声を漏らした。

 イリヤの真上と、目の前。 そこには一度目と二度目の干将莫耶が、アーチャー目掛けて迫ってきていた。

 干将莫耶。 その名の夫婦が決して離れないように、この宝具は互いに引かれ合う性質がある。 その性質に着眼し、アーチャーが生み出した必殺の剣が、この鶴翼三連。 それは、完全に同じタイミングで繰り出す三連撃。 イリヤのそれは、劣化していようと、タイミング的にはコンマ辺りのズレしかない。 常人に防ぐことは敵わないだろう。

 が、それを打倒するからこそ、彼は英霊として畏れられるのだーー!!

 

「……ホント、カンの良い男ってキライッ!!」

 

 構うものかと、黒いイリヤは未完成な鶴翼三連を続行。 対するアーチャーも、取った手はシンプルであった。

 名もない剣、一本を投影。 そして、無造作に、だが加減は無しで、剣が舞い踊った。

 やったことはそれだけ。

 それだけで、襲いかかる三つの斬撃全てが弾き返される。

 

「なっ……!?」

 

 たまらず瞠目するイリヤ。

 たった一度の斬撃は、決して速いモノではなかった。 しかし三つの斬撃のタイムラグを一瞬で把握、更には正確に来る順番から叩き落とす等という荒業、黒いイリヤには出来ない。 同じ魔術を使える身でも、あんな技までは知らない。

 これが英霊。 神秘の頂点に座する、人の到達点。 イリヤの背筋を、一種の戦慄が走り抜けた。

 

「これで終わりかね? ならば良い、茶番もここまでにしておきたかったところだ」

 

 チャキ、と今度こそ剣を突きつけ、アーチャーはイリヤに宣言する。 その目は動けば斬るぞと、言外に伝えていた。

 万事休すか。 瞬間移動して逃げたところで、その前にアーチャーの剣に切り裂かれる。 願いを叶える機能も、今回ばかりは答えをカンニングするのも不可能だ。 何せ、答えが無いのだから。

 

「……私をどうする気?」

 

「さてね。 幼女を縛ったり、なぶる趣味もない。 そろそろ凛辺りが、人払いの結界を感知して向かってくる頃だろう。 それまで少しばかり話をするとしようか。 まぁ、私が居なくなれば、記憶が小僧に保持されるか定かではないが」

 

「はぁ……あなたね。 剣を突きつけられて、マトモな話が出来ると思う?」

 

「では逆に聞くが、君は檻から出た虎を放置すると? ソッチがお好みならば、首輪でも嵌めれば満足なのかね?」

 

 取り入る隙もない。 話術で勝負するのも無理そうだ。 こりゃ本格的に負けた、後はどう情報を渋るかーーそう、イリヤが術策を練ろうとしたであった。

 

「……ぐっ、ッゥ!?」

 

 唐突に、アーチャーが胸の辺りを押さえた。 苦しげな表情は、明らかに並大抵の痛みでは無いだろう。 英霊たるアーチャーが苦しむなど、イリヤには想像を絶する痛みに違いない。

 

(……魔術回路が閉じて……いや、あれは……まさか……!?)

 

 見れば、爛々と輝いていた魔術回路が、ショートしたようにプスプス、と焦げ付いたような音を発し、次々と閉じていく。 目視するだけで、おおよそ二十七程度か。 まるで指先で押し付ければ消える、水性ペンのようだが、それをなぞるように湧き出す魔力に、イリヤは怖気を感じた。

 そう、何故ならアレは、

 

(……聖杯の、魔力……!?)

 

 ドス黒く変色しているが、間違いない。 慄然とするイリヤの前で、アーチャーは更に呻き声をあげ、ついには剣を取り落とし、膝をついた。

 

「!」

 

 チャンスだ。 黒いイリヤは即座に、アーチャーの落とした剣を蹴り上げ、キャッチ。 剣先をアーチャーの首元に押し付けた。

 

「はっ、ふ、ぐ、……!!」

 

 どさ、とコンクリートに落ちる音。 それはアーチャーが、ついに地に伏した音だ。 イリヤが立ち上がっても、アーチャーは何度も呼吸を繰り返し、目をすがめている。

 何が彼に起こっているのか、分からない。 とにかくイリヤから見て、アーチャーはもう戦える様子ではない。

 

「は、ぐ、ぅ、……!?」

 

「……随分と優しいじゃない。 ジェントルマンか、バトラーにでもなった方が良いわ、あなた」

 

 皮肉を返すことも出来ないのか、アーチャーはただ険阻な顔を作る。 それに応じるように、イリヤは鼻を鳴らした。

 正座するように倒れ伏すアーチャーは、頭を垂れている。 余程切羽詰まっているのだろうか、そこから動くこともない。

 

「ふふ、まるで時代劇みたいね。 確かカイシャク、だったかしら……まずはあなたが居る部分を切り取らないと」

 

 くるん、と逆手に持ち換え、剣を振り上げる。 少女の目は、宝石のように輝いて見えたが、その実濁っているようにも見えたのは気のせいか。

 

「バイバイ、名も知らない英雄さん。 お礼に一撃で終わらせてあげるわ!」

 

 剣が、銀光へと変わる。 決して遅くない銀光は、まさしくアーチャーの、士郎の首を切断しようと振り下ろされていき。

 その刃が、肉に到達しようかという間際、頭上の魔力がうねった。

 

「!」

 

 アーチャーか腹立たしい奴だったのか。 それともそれだけ、自分も疲弊したのかーーどちらにしろ、気が付くのが遅れた。 黒いイリヤは、瞬時に剣を跳ね上げる。

 キン、という衝撃。 バレーボールほどの魔力弾を弾きつつ、投影した剣をブーメランのように投げつけた。

 

砲撃(フォイア)!!」

 

 可愛らしい声とは裏腹に、高密度の魔力砲と剣が接触。 空中で爆発を起こし、たまらず黒いイリヤは下がった。

 黒いイリヤが、視線を上に移す。 そこには怒りを魔力に変えて、黒いイリヤをねめつける美遊が居た。

 

「衛宮くん!!」

 

「シェロ、無事ですか!?」

 

 美遊が牽制している間に、凛とルヴィアが士郎へ駆け寄る。 彼の状態と辺りの傷跡を見て、只事ではないと悟り、すぐに凛は士郎ーー精神はアーチャーだがーーを抱き上げる。

 

「酷い……一体どんな魔術を使えば、こんなボロボロになるまで回路が焼け付くのよ……衛宮くん、分かる!?」

 

「……凛、か……?」

 

「へ?……え、衛宮くん……?」

 

 かすれるような声だが、耳には入ったのか。 目を丸くする凛に、彼は沈みながら告げた。

 

「……衛宮、士郎に伝えろ……投影は、使うな……でなければ、己が心に……」

 

「衛宮士郎に伝えろって……ちょっと、それどういうこと? 何言ってるのか、もっと分かる言葉で……!」

 

「なに……すぐに分かるさ、君ならば……」

 

「だーからアンタが話しなさいってば!? 聞いてる、ねぇ!?」

 

 ふ、と士郎の身体から力が抜ける。 彼に取り憑いていたモノが、離れたのだ。 凛は何度か士郎の体を揺すったものの、それだけ。 士郎は目を覚まさない。

 が、それはまた後で良い。 凛の前に立って、ルヴィアが堂々と言った。

 

「……シェロを傷つけたのは、あなたでよろしいのかしら?」

 

「だったら?」

 

 その答えに、それまで無表情だった美遊の顔に、抑えきれぬ憤怒が沸き上がる。

 

「決まってる……敵は殺す。 彼を傷つけるなら、この世に残す道理もない……!!」

 

「あら怖い。 じゃあやる? 言っておくけれど、私、あなた達に用は」

 

 ないのよ、と黒いイリヤは言おうとして、言葉に出来たのはそこまでだった。

 ドン、と。 黒いイリヤの髪を裂く、弾丸。 それは淡い桃色の魔力砲だが、そこに込められた魔力は、今までの彼女と比べると三分の一もない。 しかし一点集中した魔力弾ーーいや魔力刃は、背後にあったコンクリートの壁すらも一閃する。

 

「……なんてことするのよ……」

 

 底冷えするような声は、既に憤怒など通り越し、泣きそうでもあった。 黒いイリヤ以外の誰もが唖然とする中、美遊の隣で、俯いたままのイリヤは、ぎゅっ、とカレイドステッキを握りーー黒いイリヤへその激情をぶつける。

 

「わたしの顔で……お兄ちゃんに、なんてことするのよぉッ!!」

 

 走るは、先程と同じ魔力刃。 その切れ味は、黒いイリヤも視認している。 すかさず投影を行い、受けの体勢に入らんと夫婦剣を重ねる。

 しかし動いていたのは、イリヤだけではなかった。

 

「はっ!!」

 

 砲撃、美遊だ。 イリヤとは違い、その出力は砲撃の名に恥じない、大火力。 魔力刃を追う形で、それは黒いイリヤへ向かう。

 

「チッ……!?」

 

 不味いと思ったものの、空間転移しかけて思い止まる。 黒いイリヤの手が、一瞬だけ形を無くしかけたからだ。 それで自身の現状を省みる。

 

「ハァ……ま、仕方ないか」

 

 黒いイリヤは夫婦剣を交差したままだ。 どうするのか、全員が見守る中で、攻撃が着弾する。

 爆風。 黒いイリヤの姿は一瞬で見えなくなる。しかし魔法少女の二人は、まだ終わっていないと感じたのだろう、追撃にと魔力を集束し始める。

 爆風が晴れる。 緊張に包まれる場で、四人が目にした黒いイリヤは、驚きのモノだった。

 両手を上げて、万歳。 すなわち、降参するということだった。

 いきなりの表明に誰もが目を疑う中で、黒いイリヤは淡々と告げる。

 

「はい、コーサン……今の私には、あなた達四人の相手は、ちょーっと分が悪いわ。 だからはい、負けてあげる」

 

「……ふ、ふざけないで!!」

 

 余りに唐突で勝手な降伏に、イリヤは激怒する。

 

「勝手に現れて、お兄ちゃんを傷つけて!! それで負けてあげるって、あなた何なのよ!?」

 

「何なのよって、分からない? あなた自身よ、イリヤ?」

 

「!……、この……!!」

 

 沸点など越えて、マグマのような怒りがイリヤの頭を占領していく。 手が勝手に動き、イリヤは太股に付けられたカードケースに手を添えるが、それを美遊が止めた。

 

「美遊……どうして止めるのっ!?」

 

 止めた美遊は、やはり無表情だった。 しかし前髪に隠れた眉間は、ぴくぴくと動き、堪えていることは一目瞭然だった。

 

「気持ちは分かる。 けど、イリヤはお兄ちゃんの側に行ってあげて。 家族が苦しんでいるなら、側に居なきゃダメだから」

 

「……美遊……」

 

「この娘は私が見ておく。 だから、行って」

 

 美遊に言われ、イリヤはいかに自分が浅慮だったか、思い知った。

 そう、士郎が倒れているのだ。 それなのに感情に支配されて、今も苦しむ士郎を放っておいて良いハズがない。

 この少女は、美遊が相手をしてくれる。 イリヤはそう言い聞かせて、士郎の元へ駆け寄った。

 

「……美遊も行きたいくせに」

 

「黙れ。 それ以上喋るなら、消し飛ばす」

 

 にべもない美遊に、ニヒルに笑いかけ、大人しく黒いイリヤは息を吐いた。

 戦いは終わる。

 だが様々な謎と爪痕が交錯し、日常は引き裂かれた。

 

 日が落ちていく。

 

 夜が、また始まった。

 

 



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贖いの朝~宣告、宝石杖の予測~

 落ちている。

 暗い暗い、奈落の底へと落ちている。

 奈落へ落ちていく度に、感覚が引き伸ばされ、自己が縮小する。 それは、肉体と言う楔から解き放たれた時と、同じような感覚なのではないか、と思ってしまう。

 すなわちーー死。 生からたどり着くことなど出来ない、一つの理想郷。

 と、急に変化が起きた。 とぽん、と何かに落ちたのだ。 奈落の底かと思っていたが、どうやら湖に落ちただけだったらしい。 泡と共に、体は水面へ浮き上がっていく。

 まるで魚になったみたいに、すいすいと泳ぐ。 水面はすぐそこ。 光を反射するその様は美しく、玲瓏な宝石か何かのようで、ずっとここで眺めていたいぐらい。

 泳ぐ。 泳ぐ。 泳ぐ。

 可笑しい。 水面に辿り着けない。 息はしなくて良いから、水中でも構わないけれど、それは少し困る。 きっとこの先は、美しい光景が広がっているに違いない。 見たことはないが、そうに違いない。 だったら、見に行きたい。

 ちか、と光る赤。 太陽の黒点のような、ほんの少しの黒が、言葉を織り成す。

 

ーーふふ……お兄ちゃんってば、ホント、私が居ないとダメなんだから。

 

 幼い声が、水の世界に木霊する。 甘美というより、甘露に近い声に、否応なく身を委ねる。

 途端に意識が漂白し、世界が一変した。

 水は甘い甘い、莓味のシロップへ。 色が淡い赤へ変わり、魂まで染め上げられるようだ。 それは愛を感じるような、それでいて何処か歪な搾取行為。

 

ーーん、……ぅ、……んふ……。

 

 囁く声は、艶然な少女を彷彿とさせる。 ここまで色気を感じさせる声も、珍しい。 この行為は愛とはかけ離れているというのに、何故かいつまでも浸っていたいと思わせる。 蕩けるような、かき混ぜられるような、そんな母性を感じた。

 

ーーふ、ん……はげしい……獣みたいに求めても、応じてくれるなんて……ホント……。

 

 意識までもがその母性に包まれ、溶けていく。 さながらイメージ的には、水に溶かされる泥だ。 大海原に投げられた泥は散り散りになり、そのまま分解され、底に落ちていく。

 ああ、なるほど。 改めて気づいた。

 どうやらここは、死の世界だったらしい。

 でなければ、こんな快楽は毒でしかないだろうから。

 

ーーじゃあお望み通り……ぜーんぶ、搾り尽くしてア・ゲ・ル。

 

 最後に見えたのは、黒い光。

 黒い黒い、白を知らない黒だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 夢を、見ていたようだ。

 

「……ん……ぅ」

 

 目を開けてまず感じたのは、肌寒さだった。 もうすぐ五月、そんな時期でも肌寒さを感じることはあるのだが、その冷たさは何か違った。

 周りは明るめ。 日の差し方からして、昼前ぐらいか。 そこまで確認し、ベッドの上で手を額にあてる。

 すると汗がべっとりと付いており、それから胸の辺りを触ると同じように、服が汗で肌に引っ付いていた。 よく見れば枕もひんやりしていて、濡れている。

 

「うわ……道理で寒いハズだ……」

 

 知らず、声に出してゆっくりと身体を起こす。 余程寝苦しかったのか、被っていたタオルケットは床に投げ捨てられており、それを拾おうと手を伸ばす。

 

「あれ……」

 

 変だ。 手を伸ばしても届かない。 偉く緩慢な動きだとは自覚しているが、それでも届かない距離では無かったハズだ。 再び手を伸ばすべく、身を乗り出してタオルケットを掴もうとするも。

 

「あ」

 

 重心が前に行き、そのまま一回転。 見事な前転を決め、そのまま尻から床に倒れ込んだ。

 どてっ、という情けない音。 たまらず顔をしかめては見るものの、そんなことすら出来ているか曖昧だった。

 距離が測れない。 動きがノロノロしてる。 意識が朦朧としていて、汗をかいている。

……もしかして。 今の俺って、まさか。

 

「風邪、ひいてたりするのかな……」

 

「ん、そう。 士郎、風邪ひくの凄く久しぶり」

 

 そっか、久しぶりか……って!?

 

「り、りりりっ、リズゥ!?」

 

 がばっ、と跳ね起きることが出来ないため、タオルケットを掴んで身体に巻き付けると、そのまま部屋のドアまで退避する。

 備え付けられた椅子の上で、リズは背もたれに顎を置いていた。

 

「む、思ったより元気。 でもまだ安静にしないとダメ」

 

「い、いやっ、どうしてリズがここに居るんだ!? というか何で!? 俺は確か……!」

 

 さっきまで、イリヤと名乗った黒い少女と、戦ってたハズなのに……それがどうして、こんなことに……?

 

「士郎、昨日無理して、学校から帰る途中で倒れてた。 それをイリヤ達が見つけて、ここまで運んだ。 おーけー?」

 

……遠坂達の偽造なのだろうか? つまり、俺はあの少女との戦いを、何とかやり過ごしたらしい。 で、倒れていたところを、帰ってきたイリヤ達に。

 

ーーお望み通り、ぜーんぶ。

 

……待て。 待て待て待て。 いや、ちょっと、色々待って。

 今何を思い出した。 どうしてイリヤ、ああ違う、イリヤっぽいあの黒い少女とキ……キツツキごっこする夢なんて想像した!?

 詳細を思い出そうとして、ズキン、と脳から鈍い痛みが全身へと送られる。 しかしそれより急いで下半身の、より正確に言えば雄雌を見分ける勲章の様子を見なければ。

 

「頭痛い? ならただの風邪薬じゃダメか。 他には?」

 

「え?」

 

 かなり具合が悪そうな顔をしていたのか、そう言って覗いてくるリズ。

……ぬぬぐ。 汗で勲章がどうなってるのか不明瞭だ。 これはもう直に確認するしかない。 とりあえず作業を止めて、応対する。

 

「……あ、えっと、服が汗でびちゃびちゃしてて、気持ち悪いのと、あとは少し寒かったり……」

 

 ふむふむ、と相変わらず聞いてるのか聞いてないのか分からない反応をするリズ。 投げやりではあるが、看病の要点は押さえているんだろう。 俺の病状を聞き届け、彼女は立ち上がると、側にまで寄る。

 

「?……リズ?」

 

「動くな、フリーズ。 体温計るから」

 

 は? 目を皿にして呆ける俺に、リズは目線を合わせると。

 ぴと、と。

 額と額を擦り合わせるようにして、抱きついてきた。

 

「ッ!? な、何やってんだリズ!? ち、ちかっ、近いって!?」

 

「これこれ、慌てるでない。 動かれたなら、もっとくっつかなければならぬ」

 

「それ何のキャラ!?……っ!?!?」

 

 ふにゅん、と胸板に主張してくる柔らかいモノに、たまらず奇声をあげかける。 ふんわりとした甘い匂いと、人肌の程よい温かさが組み合わさり、何だか頭がくらくらする。 リズの吐息が耳元に当たり、たまらず背筋がピンと伸びた。

 

「じっとする。 ほら、服脱いで。 着替えないと」

 

「ば、馬鹿かお前!? そ、そそっ、そんなこと自分で出来るんだから早く部屋から出てけ!!」

 

「そう言われると益々脱がしたくなる。 力づくで」

 

 何故か手をわきわきと揉むような仕草をしつつ、俺の肩に手をかけるリズ。 その目は見たことがある。 アレだ、遠坂がガンドをぶっぱなしたときと同じ(形は違えど)殺る目だ。

 いやーっ!? なんでさ、なんでなん!? 普通逆だろうに! というか体温計りたいならもう済んだろ!?

 

「ええいっ、くそっ、無駄に力が強いっ……!!」

 

「フハハ、良いではないか良いではないか。 役得だと思うぜ?」

 

「もう何のキャラかも分からねぇ!?……あぁもう、そこまで言うなら、自分で離れてやる……っ!!」

 

 やむなく緊急脱出、お前の手では脱がん! タオルケットを羽織ったまま、そのまま回転。 するりとリズの手から抜け出し、ミノムシ状態でベッドに冬眠しようかと画策するが。

 ごちん!!、と。

 その途中でテーブルの足に、頭をぶつけた。

 

「ぶっ、ぃ、だぁ…………っっ!?」

 

 前方不注意も甚だしい。 もし藤ねぇに見られでもしたのなら、『士郎ってばホント抜けてるわよねー、ほらこの虎印のお守りを授けよう』なんて言って、代わりにおやつ代をせびられそうである。

 リズはほほー、なんて能天気に転げ回る俺を目にし、

 

「スッゴい痛そう……どんまい」

 

「ぐぬぬ……!! 元はと言えば、お前が変なことするからだろうが……!!」

 

「人に擦り付けるのは良くない。 でもまぁ、そこまで言うなら分かった。 大人しく外で待っとくから、手が要るならいつでも言って」

 

 ぴしゃりと告げ、そのままスタスタと俺を放って歩いていくリズ。 出ていく間際、彼女はこちらへ振り返り、

 

「……ドキドキした?」

 

 そう、少し真剣に聞いてきた。

 

「っ……ば、ばか。 そんなこと、こ、答えられるわけ……」

 

「ふむ、脈あり。 これはわたしにも芽がありそうで何より何より」

 

……最早思考を停止した方が恥ずかしい思いをしなくても良いんじゃないかなぁ、これ。 そう思っている間に、リズはスタスタと去っていった。

 居なくなった途端に、静まる部屋。 俺は熱っぽい頭を冷やすために、手で首元をパタパタと扇ぎながら、着替えを済ませる。

 てんやわんやになってしまったものの、ようやく一人になれたことだし、とりあえず一度整理してみよう。 まだ少し浮わついているが。

 俺は昨日、帰宅中に襲われた。 その相手はイリヤと名乗る、彼女と瓜二つの少女だったが、その肌は浅黒く、また服装もアーチャーの礼装を派手にしたような、そんな衣装だった。

 彼女と話してみたが、どちらかと言えば俺の世界のイリヤに似ていた気がする。 聖杯戦争のことも、マスターのことも知っていた彼女は、イリヤの聖杯としての部分……つまりマスターとしての機能を兼ね備えていたのではないか、と予測するが。

 

「……その割りには、俺のことを正確には把握してなかったな」

 

 マスターの資格なんてモノ、そう得られるわけではない。 冬木に居なければマスターの証である聖痕、令呪は刻まれないが、魔術回路を宿していないモノに令呪は刻まれない……ああいや、慎二の例があるからそうとも言えないのか? とにかく俺は、魔術回路こそあるが、この世界の第四次聖杯戦争時は開いてすら居なかったし、そもそも魔術の存在だって知らなかった。 極めつけは、まだ七歳程度の子供だったわけだし、そうなるとこの世界の聖杯戦争ではあり得ないという結論になると思っていたが。

 

「……案外、バレてなかったりするか?」

 

 正直言って、あの黒いイリヤに関してはお手上げだ。 しかしやはり、聖杯戦争の事と良い、俺の魔術の理論を理解せずとも使えたことと良い、やはり聖杯なのだろう。 今なら納得出来るのだが、イリヤが願望機としての機能を持つなら、魔術理論無しで、ただ願っただけで魔術を使えるのだという。 初めそれを遠坂から聞いたとき、何を馬鹿なと思ったが、あの投影魔術を見て確信した。

 例えば、空を飛びたいと願ったとしよう。 これを聖杯が叶えたとしたら、間違いなく浮かぶハズだ。 しかし、この願いというのは、あくまでイリヤの願望なのだ。 そこにもう一つワードが無ければ、その願いは全く別物となる。

 そう。 黒いイリヤは俺の魔術ではなく、アーチャーの魔術を、剣を作って放つだけだと誤認した。 そう、イリヤが願ったのは俺の魔術の大本たる、無限の剣製ではないのだ。 だとすれば、大幅な劣化など必然である。 それでも強力ではあるが、俺からすればそれほど脅威ではない。

……さて。 そろそろ頭の痛みも酷くなってきた。 本題に入ろう。

 

「ふぅ……」

 

 床に座り、胡座をかいて座る。 考えるのは、昨日の意識が消える最後、投影魔術を行ったことだ。

 あのとき、何が起こったか。 それを突き止める必要がある。

 

「……とはいえ」

 

 考えてはみたものの、芳しい結果は得られない。 それも当然、だって意識が無かったのだ。 自分がどうなってしまったのか、それを目撃した人物が居なければ、話にはならない。 それにもし見ていたとしても、遠坂やルヴィアに聞こうものなら、質問責めは免れないだろうし、二人をあしらえるような剛腹な態度なんて取れない。 舌先三寸はあちらの本領なのだ。

 となると、俺の事情を知っていて、なおかつあの場に来ていた人物に聞くしかない。 しかし、そんな都合の良い人間が居るわけ、

 

「あ、お兄さんそろそろ落ち着きました? リズさんが居たんで、一時はどうなることかと思いましたよハイ」

 

「……………………………」

 

……居た。 人じゃないけど、居た。 具体的には俺の勉強机の引き出しから。 ひょこっ、と猫型ロボットよろしくタイムマシンから出てくるような気軽さで、あのステッキは出てきやがった。

 

「……どうしてお前がここに居るんだ、ルビー」

 

「そりゃあ、お兄さんがまた怪我して、ぶっ倒れたからでしょう? 看病もとい、イリヤさんから様子を見てこいと野次馬を頼まれまして。 いやー、魔法少女の相棒としての立場的には、ああいう逢い引きは防ぐべきなんでしょうが、ルビーちゃん的にはオールオッケーですよー! ハーレムモノには修羅場が付き物、最早魔法少女なんてどっかで有給とってますね! もっとやれ、もっともっと!」

 

「………………」

 

……多分、こんなにモノに対して殺意が湧いたのは初めてだ。 冗談なしで、破戒の短剣ぐらいぶちこんでも文句は言われないと思う。 絶対、あの五芒星辺りにぶすっとやっちゃっても。

 いかんいかん。 ふぅ、とため息。 遠坂じゃないんだ、こんなのに怒ってたら堪忍袋がいくつあっても足りない。

 雲のように空に浮かぶルビーへ、

 

「……一応、おはようルビー。 この通り元気だから、さっさとイリヤのところに帰れ」

 

「アハー☆ お兄さん、ちょっと怒ってます? んー……私だって思春期真っ盛りな、男臭ーい高校男子の部屋に入りたくありませんよ? その点、まだここは綺麗で管理も行き届いてますけども」

 

「遠坂に突き出すぞ、本気で。 それかサファイア辺りに」

 

「うえ、凛さんはまだ良いですが、サファイアちゃんはちょっと困りますね……淡々と怒られるのもそれはそれでゾクゾクする人も居るんでしょうが、私にそんな趣味はありま……ハイハイ分かりましたから、そこ、携帯でルヴィアさんに連絡を取らないでくださいまし」

 

 どんな使い方をすれば出来るのか、ルビーは俺から携帯をぶん取り、ポイっとベッドに投げ捨てる。 ま、茶番も終わりにしよう、何せ時間はあまりないのだ。

 

「……お前の性格からして、マスターであるイリヤから離れることなんてほぼない。 俺に聞きたいことがある、違うか?」

 

「ええ、まぁ大体そうですね。 そういうお兄さんはどうなんです? 私なら色々と話せるのでは?」

 

「お生憎、と言いたいところだけど……こっちも大まかにはそうだ。 ま、先にそっちからで良い。 で、なんだ?」

 

 どっからでもかかってこいと、ベッドに体を預けてみる。 じゃあですね、なんて軽い調子で。

 

「ーーお兄さん、昨日は何をしたか覚えてますか?」

 

 そう、ルビーは直球に聞いてきた。

 

「……」

 

 昨日何をしたか。 そんなこと、決まっている。 黒いイリヤと戦って、そのままぶっ倒れた。 それだけだ。

 

「いやはや、こう言っちゃなんですかね? 私としては、イリヤさんにあなたのことを勘づかれてはならないと、ささやかな老婆心もあったんですが……」

 

 顔がない玩具。 しかし奇跡的な確率で作り出されたカレイドステッキは、あくまで冷淡な物言いで、指摘する。

 

「昨日、私達が現場についたとき、そりゃあもう冷や汗かきましたよ。 何せ、お兄さんがクラスカードを宿した英霊モドキ以上の、本物の英霊を憑依させてたんですからね」

 

「なに……?」

 

 憑依……? ということは、俺はあのとき、投影しようとして、誰かを憑依させてた……ってことになるのか?

 

「……どういうことだ?」

 

 勿論、というか当たり前だが、投影と憑依は別物だ。 物に魂が宿るなんて日本独自の九十九神は信じてはいるが、俺の投影にはそんなこと。

……って、あれ?

 

「……おにーさん? おにーさーん?」

 

「ちょっと、待った……もしかしてそのときの俺、妙に皮肉とか言ってなかったか? 後は一人称が私とか……」

 

「さぁ? 私達が来たときには、お兄さんはクロさん……ああ、イリヤさんの黒いバージョンなので、クロさんと呼んでるんですが、とにかく彼女に王手をかけられてましたし」

 

 あぁでも、と思い出しながら、

 

「お兄さん凛さんのこと、名前で呼んでましたね。 凛、なんて物凄い親しげに」

 

……決まりだ。 俺に憑依していたのは、アーチャー。 いいや、厳密に言えば違うかもしれないが、とにかくあの野郎だ。

 胸にすとん、と事実が落ちる。 しかし、何でまたこんなことに?

「しかし、どう言い繕っても誤魔化しきれませんよ、アレ。 あえて聞きますが、お兄さん降霊術の類いは使えるんですか?」

 

 降霊術。 あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、俺はその奇跡を知っている。 が、それはあくまで、俺の魔術ではない。

 

「……いいや。 俺は、そういうのは使えない。 才能無いからな、残念だけど」

 

「ふむ……宝具の投影なんて真似が出来る時点で、才能が無いとは思えませんが……まぁこの際良いですね。 お兄さん、何か掴んだみたいですし」

 

 む、どうやらさらっと見透かされていたようだ。

 

「私を誰だと心得ます? 可愛い可愛い、腹黒二十パーセントで出来たルビーちゃんですよ? お兄さんの反応なんて、既にプロファイリング済みです」

 

 俺は犯罪者か、この野郎。 そんな内心をおくびにも出さず、俺は観念した。

 

「……俺の魔術が投影魔術だってことは、前にも言ったよな?」

 

「えぇ。 にわかには信じられませんでしたが、流石に実物を見ては信じるしかなかったので」

 

「みんなそう言うよ。 けど、それだけじゃない。 俺の魔術は他にもあるんだ」

 

「……と、言いますと?」

 

「例えばだけど、俺は剣を投影する。 けど、いくら投影したって、俺自身に剣の才能はないから、扱えるわけないだろ? でももし、本来の担い手に及ばなくても、その半分以下でも使いこなせることが出来るとしたら? 例えば、剣に染み付いた情報を、自分に叩き込むとか」

 

「……まさか」

 

 流石魔術礼装、理解が早い。

 

「そう。 俺の魔術には、憑依経験っていうのがある。 これは剣の担い手の情報、つまり剣技を自分に憑依、経験させる魔術だ。 あくまで俺の予想なんだけど、恐らくこの憑依経験が暴走して」

 

「担い手の英霊を、擬似的に降霊してしまった、……と?」

 

「ああ」

 

 俺の推論に、ルビーが腕を、いや羽を組む。

 だが、言ってみたものの、本当にそんなことが起こりうるのだろうか……? 理論的には成り立つが、そんな簡単に英霊を再現出来るわけがない。 英霊とは、人に、世界に認められた、本物の偉人達のことを言うのである。 俺の投影は特別製だが、かと言って英霊に届くなんて思い上がってはいない。 憑依経験だって同じだろう。

 ルビーはそのまま考え込んでしまうが、すぐにまたパタパタと羽を動かした。

 

「なるほど……そういうことでしたか。 確かにこの前サファイアちゃんと接続してバーサーカーの戦いを観戦してましたが、そういうカラクリで……ふむ。 それならば、心当たりがあります。 憑依させられていたとき、お兄さんの魔術回路から、視認出来るほどの魔力が漏れ出して、暴走してましたから」

 

「暴走? それって、全部の回路がか?」

 

「えぇ、まぁ。 いや……この世界の士郎さんの回路の方が、活性化してましたね。 あなたの方はそれに釣られて、って感じでした」

 

……魔術回路の暴走。 それも気になるが、その前にルビーが見解を述べた。

 

「しかしそれなら、お兄さんの言ってることは可笑しくないですか?」

 

「は……? なんでさ?」

 

「あなたって人は……良いですか? 確かに、お兄さんは憑依経験というモノが原因で憑依されてしまったのかもしれません。 ですが、お兄さんは英霊を疑似召喚したわけじゃなくて、あくまで呑み込まれたんでしょう?」

 

「……む」

 

 それは……ええと?

 

「はぁ、何でこんなことが分からないのやら……つまりですね。 お兄さん、宝具(・・・)に身体を乗っ取られかけたんじゃないんですか?」

 

「……あ」

 

 まさに、前提がひっくり返った。 いや、憑依されていたということで、頭がいっぱいだったのかもしれない。 何せ一歩間違えれば、誰かに身体を取られていたのかもしれないのだから。

 

「お兄さんの投影は異質です。 でもだからこそ、本物にも匹敵する輝きを再現することが出来る。 しかし今回の場合、その輝きが仇となってしまったんでしょうね。 回路から漏れ出した魔力によって、お兄さんの預かり知らぬところで憑依経験とやらが拡張したのでしょう。 本来手の出すことが出来ない領域にまで手を伸ばしてしまい、憑依させるのではなく、されてしまった、と言った感じでしょうか? 」

 

「……じゃあ、そのままだったらどうなってたんだ?」

 

「そんなの決まってるじゃないですか。 宝具なんて神秘の塊とは言っても、所詮は道具ですよ? 道具そのものに意識を奪い取られたら、もう他人に扱われるしか道はないじゃないですか?」

 

 熱っぽい頭では、瞬時には理解しかねた。 だがその意味を知覚したとき、電流にも似た何かが、回路を撫でるように貫く。

……体は、剣で出来ている。 それは何も、ただ単に体が剣で出来ているなんて、短絡的な意味合いではない。

 機械的に、剣のように、誰かに振られ続ける。 それは他人のために動く俺を、誰かがそう揶揄した言葉。 消えぬ咎を背負っても、そんなことは表情に出さず、他人に良いように利用されて。 それを良しとし続けた男は、自身をそう表した。

 だからこそ、体は剣で出来ているという言葉こそが、俺の本質だ。

 勿論、知っていた。 アーチャーを通して、そうなってしまうことだって。 けれど、そうなりかけたことで、心が押し潰されそうになる。

 視界がギチギチに狭める。 狭まった先に居るのは、一つの背中。 血に濡れたそれは、剣の山に身を委ねてーー。

 

「お兄さん? どうかしました、お兄さん?」

 

「……っ、」

 

 えずく。 熱に冒されても、ギリギリのラインで耐えきったのは、自分で褒めてやりたいほどだ。 ぶる、と跳ねるようにかぶりを振り、

 

「……大丈夫だ。 続けてくれ」

 

「どう見たって大丈夫じゃないでしょうに、気丈な人ですね……ま、後はお兄さんも分かってると思いますが、魔術回路の融合ですね。 まだまだ半端な感じなのに、よくもまぁ痛め付けちゃって」

 

「え?」

 

 魔術回路の、融合? 愕然となる俺に、ルビーは平然と周囲を飛び回る。

 

「あれれ、気付いてませんでした? ということはもしかして、いやまさかとは思いますが、もう完璧に魂が溶け合ってるとか思っちゃってます?」

 

「……ぇ、いや、……でも、同時に回路は二つ分使えるだろ!? それに記憶だって、ここの記憶がより鮮明に思い出せるようになった。 代わりにあっちの記憶を思い出せなくなってるのは、そういうことなんじゃないのか!?」

 

「あちゃあ……お兄さん、それは第二魔法を舐めすぎなんじゃないですか? 仮にも世界の外側の法則ですよ、生きてること自体奇跡なんですし……その程度で終わるなら、今頃第二魔法なんてバンバン量産されちゃってますよ?」

 

 その程度で終わるなら。 ルビーの軽薄な態度とは裏腹に、それは高温の身体を冷ます冷気のような言葉だった。

 

「回路が暴走するということは、完璧な癒着は為されていない。 恐らく回路を起動するとき、お兄さんには別々のスイッチがあるハズです。 そんなこと、普通の魔術師ならあり得ません。 回路が別々だから出来る芸当ですし、何よりお兄さんの魔術行使に、この世界のお兄さんの回路がついていけてないでしょ?」

 

「……っ、なんで、それを……」

 

「そんな事、剥き出しの回路を見りゃあ猿だって理解出来ますよ。 お兄さん、魔術回路は頑強だとお見受けしますが、それはご自身の回路だけ。 この世界の士郎さんが投影魔術に耐えられないのは、半分以上焼き切れてる回路と、体調が悪くなってることで丸分かりです。 もし融合しているなら、自ずと回路も強靭な方へと適合するでしょうし」

 

 それに、と。 ルビーは、俺の現状を精査し、結果だけを伝える。

 

「本当に融合していたならば、今頃あなたは意識を拡散させたまま、体ごと吹っ飛んでたハズですからね」

 

 捲し立てられるような結論は、しかし的を得ていたのだろう。 ろくに考えられない頭でも、どうにか把握して、意識を事実へと縫い止める。

 ルビーから聞きたいことは、沢山あった。

 しかし今はもう、たった一つしかない。

 

「……なぁルビー。 一つ、聞いても良いか」

 

「はい、なんでしょー?」

 

「正直に答えてくれ……俺はあと、どれくらい生きられる?」

 

「……」

 

 黙る。 あの喋ることしか能のないような、バカステッキが。 まさかこんな質問をしてこないとでも思ったのか、ルビーはするりと俺の視界に入り込んでくる。

 

「……アハッ☆ それは気付いてたんですね、ルビーちゃんビックリ」

 

「当たり前だろ。 記憶が混濁するし、修正力による副作用は酷くなるばかりだからな……馬鹿でも気付く。 いつ死ぬのかって」

 

 それを、聞いて。 ルビーが一瞬だけ羽を下げた。 まるで、謝るように。

 

「……まず前提条件として、お兄さんが特殊な魔術師であるため、魂の融合が遅れています。 魔術回路が細胞と化しているからですね。 ここからは推測ですが、お兄さんの魔術回路は大掛かりな魔術を使用すればするほど、暴走し、定着し、後はもう止められません。 そうなってしまえば秒読み、死を覚悟するしかない」

 

 そして。

 告げる。

 

 

「ーー魔術師として生きるのならば、最高でも半年。 人としてなら五年以内に死にます。 それだけは、宝石翁の魔術礼装として、ハッキリと申し上げておきましょう」

 

 

 それが、背負わされた責任。

 衛宮士郎のーー奪った者、見送られた者の、贖いだった。

……これから始まるのは、夜ではない。 夜へと至る前の段階で、この身は朽ち果てる。

 故に、始まるは朝。

 長くて短いーー誰の目にも残らない、贖いの朝が、開始した。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 2-1ーー

 

 

 エーデルフェルト邸、地下。 魔術的な防壁と封印が為されたそこは、既に人の気配はない。 そもそも人が余り寄り付かない、研究室のような場所なのだろう。 石造りの床と壁を隠すように、清潔な調度品が配置され、一見不自然な樽には鉱石がぎゅうぎゅうに詰まっている。 価値の低いーー少なくともこの家主にとってーー鉱石だが、手入れ自体は行き届いている。 石造りの地下というモノは、よくカビ臭いイメージが付き物だが、部屋全体の管理は名家らしく見事なモノだ。

 とすれば、ここはワインセラーかそれに近いモノなのか。 いいや違う、それならば部屋の中心に、齢十前後の女児が括りつけられてなど居ない。

 彼女、イリヤと同じ顔を持った少女ーークロは、うっとおしそうに手錠をガチャガチャと鳴らす。

 

(……ったく。 普通、ここまでやる? 瞬間契約(テンカウント)規模の封印に、部屋のあらゆる場所に仕込んだ魔術品での二重拘束魔術。 更にはAランクの魔力を込めた宝石で付加(エンチャント)するだなんて……)

 

 オトナゲなーい、なんて、子供っぽく言ってみるクロ。 しかし返す言葉はない。 当たり前だ、ここはクロ専用に作成された工房。 そこにクロ以外の姿があるハズがない。 何気なく置かれた調度品ですら、その全てが魔術的な意味を持ち、今現在クロの身体を蝕んでいるのだから。

 

(……アーチャーの対魔力は低いけど、それはあくまでアーチャーの話。 私が願えばそれだけで拘束と封印は吹っ飛ばせるし、脱出だってさっき実行したから問題はない……けど)

 

 じ、と視線を下に向ける。 露出した小麦色の肌は瑞々しいが、そこに赤く刻まれているモノがある。

 凛が施した、痛覚共有の呪術。 それも共有はクロへの一方通行。 つまり対象者の負傷は共有するが、クロが傷ついても対象者は傷つかない、極悪というよりはとても都合の良い呪術だった。 これを誰に使う予定だったのか、クロはあえて聞くまいと誓った。

 術の対象が二人であることから、呪術の効力はかなり下がっている。 しかしそれでも、命を消し飛ばしたり、人体を破損させるほどの一撃は、その相手には振るえまい。 そう、イリヤスフィールと衛宮士郎には。

 

「……」

 

 クロにとってその両名は、あやふやでも自身の存在をこの世界へ結びつけている、いわば楔だ。 二人が居なければ、クロという奇跡は起こり得ないし、二人が居たから、クロという存在が生まれてしまった。

……手錠にかけられた腕は、だらんと力を抜いている。 それでもそう考えた瞬間、胸が痛み、クロは無意識に握り拳を作る。

 別にイリヤスフィールのことなど、どうだって良い。 最初から殺すと決めていたし、それを実行に移す前に、魔力を補給しなければ存在を確立出来なかった。 だからあの場は逃げた、一時の恥ならば飲み込もうと。

 しかし次に浮かんだのは、猛烈な、烈火のように燻る、どうしようもない焦がれだった。

 会いたい。

 家族に、会いたい。

 自分はイリヤとは違う。 イリヤ(わたし)に全てを奪われた今では、最早自分の価値など石ころほどもないかもしれない。 それでも、そんなクロにも、家族が居た。

 その人達は、クロを暗い場所に閉じ込めて、ごみ箱に放り投げるように、ずっと一人ぼっちにさせた。 魔術なんかと関わらなくて良い、私が居るとイリヤという子が不幸になるから、そんな身勝手な理由で。

 だとすれば会いたい人など、最初から一人しか居なかった。

 衛宮士郎。

 たった一人の、代わりなど居ない、大切な兄。 イリヤ(わたし)が生まれてから、イリヤ(わたし)と会ってから、イリヤ(わたし)を守ると言ってくれた。 余りにも真っ直ぐに、真摯に、自分の名を呼んだその人を、クロは心の底から信じていた。

 いつだって味方だと、そう兄は言ってくれた。 無論、それが自分ではないことぐらい、クロには分かっている。

 だけど、もしも会えたなら。 そう思ってしまうぐらい、信じさせてくれた。 イリヤだけじゃなく、内側に居る自分にも約束してくれたのだと、そう錯覚してしまうほどに。

……だから、会ってどうなるかなど考えてすらいなかった。 それが、何を意味するかも、理解せずに。

 

ーー……お前は誰だ。

 

 初めて現実で会えた兄は、酷く不安定だった。こんな、自分すらも定まらない人が、他人を守ると口にすることが、どれだけ不気味なことか。 まるで錆び付いた体を引き摺る彼は、内側で見ていたときとは余りに違いすぎた。

 いいや、そうではない。 クロは気づいていた。 兄は確かに、数週間前までは思い描いた通りの人だった。 それが変わったのは、魔術師として行動し始めた、あのときからだった。

 兄は変わった。 小さい頃、生まれたときから一緒に居たのだから、それはクロが一番よく分かっている。 だからこそ、変わっていないところもあると知っている。

 だから、クロが本当の意味で憤激に駆られたのは、たった一点。

 名前。

 本物の妹である自分の、真の名を。 彼なら言い当て、迎えてくれると思っていた。

……けれど。 返ってきたのは、明らかな敵意。 それに傷ついて、カチンと来て、皮肉を叩いて、それでああなってしまった。

 

「……んー……」

 

 我ながら、何と体たらくか。 イリヤよりは大人だと思っていたが、とんでもない。 ほんの少し拒絶されただけで、感情のタガが一瞬で理性を吹き飛ばしたのだから。 こんな気持ちを持っていなかったら、衛宮士郎と今日出会わなかったら、きっとこんな悪趣味な地下牢になんか繋がれていなかっただろう。 そう思うと、兄に文句の一つでも言いたくなってしまうのだが……それはまぁ、良い。

 

「イリヤを殺すことには変わらないし、そのときまた……」

 

 会える。 にへら、と相好を崩したクロに、迷いはない。 もう一度兄と会える。 どんな形でも、クロはそのことが嬉しかった。 確かに戦うことにはなるだろう。 だが兄妹だ、そんなこともある。 喧嘩するぐらいが丁度良い。 兄なら分かるハズだ、真に愛すべき人が誰なのか、それが。

 それに、問い詰めなければならないことだってある。 アーチャーのこと、彼の魔術のこと、何より夢のこと。 それらを話すのは、明日になるだろうがーー。

 

「……ふふ」

 

 夢見る乙女は、地下にて笑う。 まるでデートの日程をカレンダーで見て、悶えるように。

 しかし、乙女は未だ気づいていない。

 自身が見たことは、この世界ではありえないということを。

 故に、乙女は最悪の可能性を考慮しない。

……そもそも夢想する兄など、何処にも居ないということを。

 

「明日は会えるよね、おにーちゃん?」

 

 純真な黒は、思いを馳せる。

 地下牢の夜は、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 



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夜→翌朝~夢の欠片~

ーーinterlude2-2ーー

 

 

「はふぅ……」

 

 夜。 一日の疲れを息に乗せて吐き出し、イリヤは自室で寛いでいた。 何となくベッドに腰を下ろし、何をするのでもなく、ぼーっとベランダを見つめる。

 今日は別に、普段通りだった。 いつも通り学校に行って、友達と騒がしい学園生活を送る。 夕方になれば家に帰って、温かい家庭と家族が待っていて、さてもう寝るだけ。 そんな当たり前の生活が重荷になるわけがない。

 全ては昨日。 自分の知らない自分が生まれて、滅茶苦茶に引っ掻き回したことだ。

 彼女ーークロと名乗るアレは、大空洞から逃げるように去り、その途中で兄に襲いかかり、傷を負わせた。 ルビーによると、幸い士郎の怪我は軽傷で、魔力を使いすぎただけらしい。 風邪の原因もそれらしく(何か魔力を抜かれただの怪しい単語が出たが)、命に別状はない。

 しかし、そんなことはどうでも良い。 イリヤにとって重要なのは、自分と同じ顔を持つ誰かが、士郎を傷つけたこと。 そのことが何より、イリヤの心を引き裂いたのだ。

 

(……守るって、言ったのに)

 

 あのとき約束した。 兄が守ってくれるなら、自分はそんな兄を守ろうと。

 傷だらけになって、包帯が身体中を埋め尽くして、目を開けることすら辛そうな、そんな状態でも戦うことを止めない。

 単純に。 もう、見たくないと思った。 大切な人が傷つく姿を、自分は見たくない。 そんな姿になってまで戦ってほしくない。 だから兄が自分を守ってくれるなら、自分はそんな兄を守らなければならない。

 彼はきっと、自分が事切れるその日まで、傷なんて癒さず戦い続ける。 その身を貫く一つ一つの剣を、無理矢理引き摺りながらも、最期には笑って死んでしまう。 そんな危うさがあったのだ。

 考えすぎだとは思わなかった。 それどころか確信している。 美遊のときも、たった一人で戦っていたと言う。

 

(……頑固、というか)

 

 昔からそうだ。 セラが料理を作ると言っても、話を聞かずに自分で作って手痛く失敗したり。 あるいはいきなり足を怪我したと思っていたら、自分の背丈と同程度のバーで走り高跳びをしていたり。

 昔から無茶をしては転んで、擦りむいたことなんか忘れたみたいに、また転ぶ人だ。 そんな彼をみんなで心配していたし、これからも心配するに違いない。

 けれど、そんな彼だから、きっと間違っていることは許せないのだ。 美しいモノを愛するように、彼は誰が相手でも信念を押し通せる。

 

「あー……そう言えば、確かよく公園でイジメっ子が居たら、助けようとしてたっけ」

 

 身体は小さいのに、泥だらけになる喧嘩は負けたことがない。 とかく公園では、砂を投げつけるという何でもありの乱闘をよくしていたモノだ。 仮に負けても、彼は泣かないで、イジメられていた子供に手を差し伸べていただろう。

 だから困ったことに、そんな士郎に助けられたことが、山程ある身で、今更どうこう言う資格はないのかもしれない。 例え兄妹であっても、だ。

 だからこれは、我が儘だ。

 彼が勝手に、消えてしまわないように。 イリヤがそう思って、あのとき約束した。

 

「……」

 

 もう逃げないと決めた。 然り、兄を傷つけたことは認めよう。 イリヤなら分かる、アレが自分自身だということは。

 でも、だからこそーー彼女を許すわけには、いかない。

 

「……何かわたし、ちょっとバイオレンスすぎるかも……」

 

 許すだの許さないだの、いつからそんなことを考えるようになってしまったのか。 自分の汚い、独占欲にも似た親愛が、制御出来ないほど肥大している。

 その証拠に、アレが兄を傷つけた、それだけで自分は砲撃を放った。 アレに防がれたとき、お前が傷つけた事実は消えないのだと言われるようで、心が掻き乱され、自分はカードすら使おうとしたのを覚えている。 もし美遊が居なかったら、即座に展開し、呪いの朱槍でアレの心臓を消し飛ばしていただろう。

 

「……危ないよね。 あのままだったら、わたし」

 

 アレを、殺してた。 言葉にしないだけに、その事実はイリヤの心に深く残る。

 奮起することと、憤怒することはまるで違う。 理性を持って傷つけることは覚悟の上だが、感情的で無意識に傷つけることは、取り返しのつかない事態を引き起こす。

 そう、イリヤが士郎を傷つけたように。

 あんな過ちは犯してはいけない。 そんなことは分かっている。 けれど、イリヤとてまだ子供。 しかも大事な約束を引き千切られたのだ、抑えが効かないのも仕方ないかもしれない。

 が、そんなことは所詮言い訳だ。 アレを殺したとき、自分はもう士郎の側には居られないだろう。 予感ではなく、そう断定出来る。

 だとすれば、アレをどうしたら良いだろう?

 アレは兄を殺そうとした。 拘束してからも、その気なら殺すと言っていた。 イリヤすらもだ。

 当初は上等だ、やれるもんならやってみやがれこの泥棒猫め表出ろ大体夏じゃないのにどうして日焼けしてんだ夏先取りすぎなんだよその色気わたしにもくれよつかそもそも誰だよわたしこんな破廉恥でまいっちんぐな格好したら恥ずかしさで死ぬから早くはっ倒す来いよこの野郎ハーリーハーリー……と、少ないポキャブラリーで思い付く罵詈雑言(イリヤ的には)を心の中で捲し立てたものだが、今はもうそこまでではない。 精々その余裕な顔殴り飛ばしてやると息巻いた程度である。

 さて、とはいえどうしたものか。 何度かベッドの上で、ごろんごろんと転がってみたが、天啓が舞い降りるわけもない。 散々考え抜いて、そろそろ髪をぐしゃぐしゃになるまで振り回したくなる寸前まで眉間に皺を寄せ、そうしてイリヤは結論を出した。

 

「……ん、寝よ」

 

 明日みんなで考えよう。 それが答え。

 再三言うが、イリヤはまだ小学生。 もっと言えば、走り回っては転んでを繰り返すお年頃である。

 いくら大人びていようとも、まだまだムツカシイことは後回しにしてしまうのだった。 それが正しいかはさておき、である。

 

「よいしょっと……」

 

 照明が落ち、ぴょん、とまたベッドに身体を投げる。 今日は珍しく、ルビーも居ない。 姉妹機であるサファイアに用事があるらしく、今日は帰ってこないのだとか。 イリヤからすれば、色々と大助かりで、例えばこうして静かに眠れるのも一因だ。

 

(……お兄ちゃん、大丈夫かな)

 

 どうして、ただの風邪なのに、そんなことを思ってしまったのか。

 その疑問を忘れてしまったことを、後々後悔すると知っていれば、そんなことはしなかっただろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぎぃん、ぎぃん、ぎぃん。

 一定の感覚で、世界に鳴り響く。 それはまるで、製鉄所で鉄を打つように淡白で、しかし雄々しい音だ。 鳥が翼を羽ばたかせるがごとく、剣は研がれ、剣は輝き、剣は振るわれていく。

 微睡む意識でそれは、心地よい時計の針を思わせる。 ぎぃん、ぎぃんと刻んでいくのは、人の夢。 イリヤも同じように、その夢を見ようと目を閉じようとした。

 しかし。

 

「そんな男が他人の助けになるなどと、思い上がりも甚だしい……!!」

 

 憤然とした声が、それを錆びた剣で断ち切った。 その声で、思わずイリヤは目を開ける。

 目の前に広がっていたのは、夢の世界などではない。 しかしそれでも、イリヤはその世界に圧倒された。

 実質的には、何もない。 地面は砂利だけで、空は汚れた煙が立ち込めている。 遠目に見えたのは歯車のようだが、それよりも焦げ臭くて埃っぽい上に、花も草木も生えておらず、建築物だって見当たらない。

 だがそこには一つだけ、存在を許された物があった。

 剣だ。 それも一本や二本ではない。 空虚な荒野を埋めるほどである。 まさに無限、しかも同じ剣は一つとしてなかった。 名は同じかもしれないが、しかしそこにある剣は、命のようにこの世界に芽吹いている。

 そう、ここは丘だ。 剣の丘。 世界に二つとないたった一つの世界。

 なのに、どうしてだろう。

 どうして自分には、この世界に圧倒はされてもーー虚しさしか湧き上がらないのか。

 

「そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた!」

 

 言葉は豪雨で、声は(イカズチ)のよう。 一定の感覚で、美しい調和を保っていた剣戟は、既に自己を罵り痛め付けるだけの拷問具と化していた。

 

「故に、自身からこぼれ落ちた気持ちなどない。 これを偽善と言わず何という!」

 

 叩きつけられる剣は、次々と破壊され、破片となり、世界から消え失せていく。 命だった剣が彼の魂から滑り落ち、夢が現実に蹂躙される。

 それの、何と痛々しいことか。 男は今、自らの世界を、自らの夢を、自ら造り上げた命で必死に否定している。 この世界は、夢を追い続けた男が、その生涯をもって築いた、言わば彼の人生の答えだ。 無限の剣は誰の墓標で、荒廃した世界は誰の心なのか。 それを考えていくだけで、男が後戻り出来なくなっても、それでも突き進んだ愚者というぐらいは理解し得る。

 

「この身は誰かの為にならなければならないと、強迫観念に突き動かされてきた。 それが苦痛だと思う事も、破綻していると気付く間もなく、ただ走り続けた!」

 

 だから、余計に胸が痛い。

 その結論に至るまで、彼はどれだけの地獄を目にしたのだろうか。 苦しんだだろう。 辛かっただろう。 心はこんなにも荒れて、亡くしたモノを忘れないよう、悼むために、体は剣で出来ていると言い聞かせた。 それがいつしか、本当に剣しかない、何もない世界が理想となってしまっても、それでも構わないと殉じた。 それほどの夢を彼は誰かに向けてぶつけ、否定している。 恐らく彼と、同じ夢を持つ者へと。

 その胸中に、一体どれだけの想いが錯綜していたか。 夢への熱意、届かないことへの絶望、折り重なる挫折、信じた理想の光。

 

「だが所詮は偽物だ。 そんな偽善では何も救えない。 否、もとより、何を救うべきかも定まらない!」

 

 その告白は、男が振り下ろす剣よりも、なお鋭く誰かを傷つける。 その証拠に、その誰かはもうフラフラで、傷が無いところを探す方が難しい。 目を男から逸らそうとして、釘付けになっており、心は当に折れていた。

 なのに、どうして。

 どうしてその体は未だ、立ち止まらないのか。

 

「その理想は破綻している。 自身より他人が大切だという考え、誰もが幸福であってほしい願いなど、空想のおとぎ話だ」

 

 中頃から、ぽっきりと折れた剣を握り。 ただ否定という名の刃を、誰かは受け続ける。 そんな行為に、どれだけの意味があると言うのか。

 諦めてしまえば良いのに。

 その誰かが、男のことを一番よく分かっているから、心は当に折れていたというのに。

 それでも誰かは、体を剣に預け、踏ん張り続ける。

……けれど、それも終わりだ。

 誰かの体が立ち止まる。 剣を支えにするが、その様は許しを請う罪人のそれだ。 運命から抗った罪人は、速やかに処刑されるだろう。

  ちく、という痛みが、胸に走る。 もう見ていられない。 こんなにも無価値で、無意味で、それでいてどうしようもなく救いのないことがあるのか。 男が誰かを殺そうと、誰かが男を殺そうと、二人が辿る道は平行線。 交わることはないだろうに、その道は重なってしまう。

 涙が溢れる。 何故こんなにも悲しいのか、胸が切なくなるのか、イリヤには分からない。 分からないけれど、それでもーーその誰かが、もう折れてしまうと思った。

 いけない。 イリヤは声に出す。 出して、止めようとする。

 

「……お願い……もう、やめて……!」

 

 が、そんな声など、届くわけもない。

 男が、言う。

 誰かの先を体験した、その意味を。

 

 

「そんな夢を抱いてしか生きられないのであればーーーー抱いたまま溺死しろ」

 

 

 人の織り成す、欠片のユメ。

 それが、泡沫と消える。

 誰かは上を向くことすら出来ず、ただ男の剣に甘んじてーー。

 

 

 

 

 

 ぶちん、という頭痛が、その全てを吹き飛ばした。

 

「………………?」

 

 目を開けてみる。 そこは自室。 空気は煙に埋もれていないし、地面だってファンシーなカーペットに包まれている。 寝台にセットした時計は、午前四時を指している。

 そうか、夢か。 何処と無くはっきりしないが、さっきのは全て夢なのか。

 

「あ……あはは」

 

 何となく、笑った。 自分の想像力もそうだが、あんな夢を見てしまう自分の心に呆れた。 どんな頓珍漢な妄想をすれば、あれほどリアリティのある夢が見られるのか。 しかし、今回はその妄想に安心した。

 一息つく。 うねるような熱さはもうない。 それだけで現実に戻ってこれたのだと、深く実感する。

 

「む。 どうなされました、イリヤさん?」

 

 と。 いつの間に帰ってきていたのか、ひょっこりと顔を出すステッキが一つ。 ルビーだ。

 

「ルビー? 戻ってきてたの?」

 

「はい。 もう所用は済みましたので。 で、どうされました? 十歳ちょいのロリが息を切らすシーンは、夜中の三時辺りがピークですよ?」

 

「あ、うん。 心配してるのか心配させようとしてるのかどっちかにしてくれないかな」

 

 夜明け前なのにアクセル全開の発言に、冷静に対処するイリヤ。 受け流し方が板に付きすぎているのは、辱しめを受けながらも必死に学んだ処世術である。 夢を売る魔法少女は、実は一番夢を叩き壊された被害者でもあるのだ。

 これ以上は面白くないと踏み、ルビーは空咳を打つ。

 

「んん……全くイリヤさんは、最近面白味がありませんねー。 が、それは置いておいて、ホントにどうしたんです? 何か真っ青ですよ顔」

 

「え、そう? そ、そっか……確かに怖い夢だったけど、顔に出るぐらいだったんだ……」

 

「夢? イリヤさん、もしかしてたかが夢を見たぐらいでそんな色気出せるんですか?……いやー怖いですね最近の小学生。 兄は大変ですようんうん」

 

 また話が変な方向に逸れそうなので、すかさずイリヤは、夢の話をする。

 

「……でね、夢の話なんだけど。 何かスッゴいファンタジーな夢だったんだけど……ルビーが見せたりしてないよね?」

 

「しませんよそんなこと。 寝てる間にそんな、ソリッドブックもといR-指定グリグリ入るような演出は。 私は人を驚かせるのが好きなので、するなら起きてる間にしかしません、えへ☆」

 

「……ああうん、そうだね。 ルビーは人を汚すのが好きだもんね……でも、ホントに怖い夢だったんだよ? 剣が地面から、ぶわーっと生えてて」

 

「は?」

 

 流石のルビーも、イリヤの言っていることが信じられなかったのか。 くねくねと動いていた体が急に固まり、すぐにイリヤを真っ直ぐと見据える。

 

「……剣が、生えてた?」

 

「うん。 何か凄い数の剣が、なにもない丘に刺さってて……そこで誰かが戦ってる、そんな夢。 鬼気迫ってたから、こっちまで怖くなっちゃった」

 

「ふーむ……剣、ですか……」

 

 ぶつぶつとひとりごちるルビー。 こんな風に、彼女(……で良いのか?)が、イリヤを放っといて考え込むことは余りない。 そういうときは、何かしら事件の匂いを嗅ぎ付けたときだけだ。

 

「気になるの?」

 

「ああいえ。 ですがその夢、もしかしたらクラスカードが関わってるかもしれませんね」

 

「カードが?」

 

 どうしてカードの話になるんだろうか。 その疑問を、ルビーは一つ一つ解いていく。

 

「イリヤさんは過去、二度に渡り英霊の力をその身に宿しています。 一度は私無しで、二度目は私有りで。 しかしそんな大それたこと、何の後遺症もなく出来るハズがありません。 人にとって、英霊の力など毒にしかなりませんから」

 

「……えーと、つまり?」

 

「今回見た夢というのは、もしかしたらその英霊の生前だったのかもしれませんね。 剣の丘なんてモノ、史実では聞いたことがありませんから、相当古い時代か、それともマイナーな英霊でしょうか」

 

「へー……」

 

 いきなり英霊の記憶だと言われても、実感が湧かない。 だが他人の記憶だと言われたら、何となく頷ける。 あんなモノ、トラウマになってなければ可笑しいし、忘れている方が不自然だ。

 

「英霊かぁ……」

 

 そういえばアレも、自分と同じようにクラスカードの力を使っているのだ。 となると、あの正体が分からない英霊のことも、アレなら知っているのかもしれない。

 それは同時に、英霊のシンボルたる宝具も使用できるということだ。 一度取り込んだから分かるが、あの英霊自体のスペックはそれほどでもないのだが、武具による爆発力は凄まじい。 もし戦うことになれば、自分は勝てるだろうか。

 兄を付け狙い、自分すら殺そうとする少女。 もし本格的に命を狙われたとき、果たして自分はどんな行動を取るのか。

 

「……イリヤさーん? そろそろ寝ないと、今日寝不足で居眠りしたら、私マジックペンでラクガキしちゃいますよー?」

 

「さらっとわたしの社会的地位を貶めるのはやめて!? 絶対ダメだよね、多分取り返しがつかない系のヤツだよね!?」

 

「アハハー☆」

 

「マジだ、笑いから漏れる邪悪なカンジが!?」

 

 ぎゃーぎゃー騒いでも、朝は来る。

 ちなみにイリヤはこの日、久しぶりに授業で眠りこけ、藤村太河からモンゴリアンチョップを食らったりするのだが……それはまぁ、回避しようがない未来なので、ここでは触りだけにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱は下がった。 体も軽い。 これなら今日から学校へと行けるだろう。 玄関の床を踵で叩きながら、見送りに来たセラへ告げた。

 

「じゃ、セラ。 行ってくるよ」

 

「はい……ですが、本当に大丈夫ですか? 昨日は食欲がなかったようですし、今日もまだ顔色が少し悪いように見えます。 大事を取って、休んだ方が良いのでは……」

 

 そう心配そうに言うセラは、いつもより真剣味が二割増しだ。事実、セラの言う通りだったのだから、こう言われても仕方ないだろう。

 しかし、これとそれとは話が別だ。

 ルビーが言うには、俺の寿命は五年で消える。 更には魔術師として生きるのなら、半年しか生きられないらしい。

 半年。 たった半年で俺は死ぬ。 最早元の世界に帰る帰らないの話どころではない。 このままでは帰る前に、ここで死んでしまう可能性があるのだ。

 しかしだからと言って、立ち止まっていては本当に死んでしまう。

 魔術は使う。 幸い魔術回路が暴走しなければ、癒着は加速しない。 暴走しないラインまでなら、リスクなく魔術は使える。 一昨日の魔術戦が良い例だ。 そこまでギリギリ使いきり、障害を排除しながら、元の世界へ帰る手立てを探す。 どうにかして。

 アテはある。 ルビーとサファイアの二人だ。 二人に魂の癒着を止める方法と、元の世界へ帰る方法を考えてもらう。 大師父とやらに帰してもらうことも考えたのだが、『あのジジイがそんな殊勝なことやるわけない』と一蹴されてしまったため、頼れる相手は二人しか居ない。

 何処もかしくも行き止まりだ。 この世界にも何やら俺達の聖杯戦争と関係する問題もあるし、この三つを半年で解決出来るとは思えない。 そもそもいつまで魔術を暴走させないで使えるかも分からないのだ、床に伏せてそのまま死ぬ、なんてこともあり得る。

……けれど俺は、死ねない。

 まだこんなところでは死ねない。 あの男に言った、お前に追い付く日など来ないと。 イリヤに言った、お前を守るのだと。

 だから、まだ死ねない。

 顔を上げて。 俺は握り拳を見せた。

 

「大丈夫だよ。 もう目眩だってないし。 大体、熱もないのに学校なんか休めないだろ?」

 

「それは病み上がりのあなたが言うことではありません! 私は奥様と旦那様から、この家の全てを託されたのです。 もしものことがあったらそれは私も悲しいですが、それ以上にお二方にどう申せと言うのです?」

 

「そんなの、俺が無理したって言えば済む話じゃないか。 セラの職務怠慢でもなんでもない、ただ俺がヤンチャしただけのことだ」

 

 ぬぬ、と俺の言い分に唸り、反論しようと口を開いたセラ。 しかしそこで飛び出したのは、諦観の込められたため息だった。

 

「……全く。 最近は悪知恵を働かせるようになって。 一体何処で教育を間違えてしまったのでしょうか……ああ奥様、このセラに育児は荷が重かったようです……」

 

「いや、セラがそうやって心配するから、こっちとしてはその心配を取り払おうと必死なんだけど……」

 

「あなたが四六時中危なっかしいからいけないんですよっ!」

 

 がーっ、と腕を振って怒鳴り込んでくるセラに、苦笑いしか溢せない。 いや、全くその通りだ。 昔からぼけっとしてるとは言われるけど、こっちだって危機感ぐらいはあるしなぁ……。

 

「よし、これ以上は泥沼な冷戦になりかねないから、この話は終わり。 とにかく俺は学校に行くからな、セラも良いか?」

 

「……誠に不本意ではありますが、了承しました」

 

 渋々ではあるが了解も得たし、一件落着。 よしこれで、

 

 

ーーーーサァ、約束ノ刻限ダーーーー

 

 

 ふら、と体が一瞬重心を放棄する。 立ち眩みだ。 後頭部に手を当て気付けとして引っ掻いてみたが、効果は薄い。

……今のは、一体何だ。 浮かれるなと、この日常でそれを忘れるなと、誰かがそう言っているのか。 セラには立ち眩みが分からなかったみたいだが、俺の行動に不審なモノを感じ取ったらしく、

 

「……士郎?」

 

「……もう行くよ、そろそろ行かないと間に合わない。 おーいイリヤ、置いてくぞー!」

 

 わー待って待ってすぐ行くー!、という声が洗面所から返ってくる。 イリヤは慌てて洗面所から飛び出したのだが。

 

「あで!?」

 

 フローリングの窪みにでも引っ掛けたか、いきなりずべしゃあー!、とヘッドスライディング。 体は床と密着しながらも、伸びた手が俺の足をむんずと掴む。

 

「……いだい……」

 

「だろうな、そりゃあ」

 

「そしてお兄ちゃんも冷たい……うぅ、セラぁああ……」

 

「な、泣いてはいけませんイリヤさん。 むしろ朝から不運なことが起きたことで、今日は何も起きないと考えるべき、です……多分」

 

「不運の始まりな気がするよぅ……」

 

 涙目で座り込むイリヤ。 額は赤く腫れているが、今だけだろう。 恐らく痛みも。 大したことじゃない。

……が、まぁしょうがない。

 

「ほら、立てるか?」

 

「……うん」

 

 手を取って、イリヤを立ち上がらせる。 少し汚れた制服を整えながら、

 

「ありがとう、お兄ちゃん。 何か朝から慌ただしいね、わたし」

 

「全くだ。 イリヤは俺から見ても危なっかしい。 何もないところで転ぶなんて、イマドキ居ないぞそんな人」

 

「こ、転んじゃったのはわたしのせいじゃないもん! ちょっと急ごうと思った結果であって、転んだのはちょっと眠かっただけだし!」

 

「じゃあまずは、早起き出来る努力からしような、うん」

 

 痛いところを突かれたと言わんばかりに、のけ反り、頬を膨らませるイリヤ。 いつも寝起きが良いとは言えない我が妹だが、今日は輪にかけて酷かった。 何度呼んでも来ないもだから、二階まで行って叩き起こしたのだ。 目に毒ではあったが、今回は何とか成し遂げた。

 何やらぶつぶつと呟いているが、そんなところもまた可愛らしい。 帽子の上から、イリヤの頭に手を置いて、今度こそセラに告げた。

 

「じゃ、行ってくる。 今日は遅くなるけど、夕飯前には帰ってくるよ」

 

「言っておきますが、手伝いは無用ですのであしからず。 イリヤさんもお気をつけて、足下をよく確認なさってくださいね?」

 

「セラまで!? うぅ、いってきまーす……」

 

 ガチャ、と俺達二人は並んで家を出る。

 と、ドアを閉めた矢先だった。

 

「ごきげんよう、シェロ! 今日も良い朝ですわ、まるで私達のために設えたような! 二人『で』登校するためのような!」

 

 物凄く聞き覚えのある声が、耳にするりと入ってきた。

 

「お、おおぅ……お、おはよう、ルヴィア。 朝から元気だな」

 

「はい。 それはもう、私はシェロと居られるのならばどこでも!」

 

 玄関前、もっと言えば家の敷地前。 高らかに、それでいて近所迷惑にはギリギリならないレベルの挨拶をしてくれたのは、ルヴィアだ。 身振り手振りを交える姿は様になるが、朝からミュージカルでも見ている気分になる。 実際、その丹念にセットされたであろう髪と容姿は舞台で映えるだろう。

 

「る、ルヴィアさん……」

 

 そんな彼女の勢いに圧されていたのは、俺だけではなかったらしく。 目元をヒクつかせるイリヤに、ルヴィアは目を丸くした。

 

「あら、ごきげんようイリヤスフィール。 居ましたの?」

 

「そりゃ居るよ、わたしとお兄ちゃんの家だもん!?」

 

「そうでしたわね……まぁ良いでしょう。 それでは二人とも、こちらへ。 お送り致しますわ」

 

 送る? と、俺の疑問を解くように、ルヴィアが翻る。 そこには、テレビとかでしか観れないような、とても長い黒のリムジンが駐車ていた。 右から左まで、首を振ること九十度。 イリヤと共に、開いた口が塞がらないまま、

 

「る、ルヴィア……送るって、これでか?」

 

「?……そうですが、何か問題が?」

 

「ああいや、そんな当然みたいな顔されたら、こっちも返す言葉がないというか……なあイリヤ」

 

「うん。 むしろこんなモノで送られるほど、リッチな生活をしていない小市民というかですね……」

 

「???」

 

 忘れていた。 ルヴィアは仮にも、宝石を媒体とする魔術の名家なのだ。 それもこの若さで、既に当主なのである。 当然このような扱いはされると分かっていたが……。

 

「それにしたって、登校にリムジンって……遠坂と真逆すぎないか……」

 

「ふ、あの女とは立場上比べられるのは仕方がないことですが、財政面では話にはなりませんわ。 そもそも魔術の名家でありながら、あそこまで電卓が似合う女は居ませんことよ。 ああ、日本ならそろばん、でしたか? 何にせよ、極東の芋女にはイモい小道具がお似合いですわ」

 

「ルヴィアさん、ホントにリンさんのこと嫌いなんだね……」

 

「勿論。 あの女さえ居なければ、今頃私は大師父の弟子として、エーデルフェルト家を一段と飛躍させるハズでしたのに……あの芋娘のせいで……!!」

 

 口から出るわ出るわ、遠坂への罵詈雑言。 終いにはお決まりの高笑いまで響き、ルヴィアはご満悦である。 一体何が駆り立てるのかは知らないが、多分俺とアーチャーみたいな関係だと思えば何となく理解出来る。 流石にここまでオープンに敵対心をひけらかすことはないけど。

 

「というわけでシェロ、イリヤスフィール。 学校へお送りします。 ほら、ドアを開けなさい、侍女!」

 

 まるで女王のような口振りだ。 やっぱり古い上流家庭にもなると、威厳とかあるのかなぁと思っていたら。

 

「……かしこまりました、おじょう、さ、……ま……」

 

 何か見覚えのあるミスパーフェクトが、メイド服を着て、人生のドン底のような表情をして控えていた。

 

「……とお、さか……?」

 

「リンさん……?」

 

「え、衞宮くん!? えっ、ちょ、な、なんで!? 確かイリヤを送ってくって、それに声も気配もしなかったのに……!?!?」

 

「オーッホッホッホッ!! かかりましたわね、遠坂凛! そのメイド服には、認識阻害の呪詛を仕込ませておきましたわ! そう、対シェロ限定の!」

 

「ハァッ!?!?」

 

 聞いてねーし!?、と言う表情で、頭を抱える遠坂。 何かアレである、起死回生の一手を打ったのにそんなこと無駄なんだウハハチェックメイト、みたいな。 つまりいつものうっかりだ、うん。

 そんな大人(実質的には子供)の争いを目にし、イリヤは戦々恐々とする。

 

「ああ、なんて酷い……! こんな、こんな酷い魔術は見たことないよ、わたし……!」

 

「凛さん相手ならクリティカルヒットでしょうねー、この魔術。 ああいや、以前の凛さんなら引っ掛かることなんてなかったんでしょうけど」

 

 イリヤの髪から顔を覗かせ、隠しきれない笑いを漏らすルビー。 平常運転なのは分かっているが、それはそれとしてまたガソリンが投下される。

 

「さぁ遠坂凛! 資金欲しさに当主としてのプライドまで投げ捨てた姿を、殿方に見られた気持ちはどうですの!?」

 

「うぐぐぐぐ……!!」

 

 ご丁寧にも事態を把握出来るキーワードを含ませ、ルヴィアは遠坂を煽る。 恐らくこの前のクラスカード回収任務で、資金難に陥った遠坂が、やけくそになってルヴィアのところに働こうとしたのは良いものの……といったところか。 迂闊にも程があるぞ遠坂、トロイの木馬でもしようと思ったら木馬ごと爆撃されたみたいじゃないか……。

 

「うぐぐぐ……わ、笑うなら笑いなさいよ……わたしはこうでもしないと生きていけないだけで、別にあなたに見られて恥ずかしいことじゃ……!」

 

「いや遠坂、家訓的にそれどうなんだ。 優雅じゃないぞ全然、泥臭いぞ」

 

「黙れーーっ!! こんにゃろう、ふざけやがってちきしょーーっ!!」

 

 頭の抱え方がサマになりすぎてる辺り、遠坂は何処でも貧乏クジ担当なんだなぁ。

……しかしまぁ、なんだ。

 遠坂のメイド服姿が、こんな形でも見られたのは、少し嬉しい。 なんてったって、好きな女の子が可愛い服を着ているのだから、誰だって嬉しいに決まってる。

 正直最初に固まっていたのは、そのメイド服があまりに綺麗で、可憐で、そして鮮やかに見えたからであって。 心底俺は、この女の子に魂を絡め取られているらしい。 なんて、こんなところで再確認してしまった。

 

「……帰らなきゃな」

 

 今頃、遠坂やセイバーはどうしているだろうか。 思い出そうとして、慣れた頭痛を乗り越えてはみるけれど、その顔はボヤけてよく見えない。

 けれど思い出は、言葉は覚えている。

 だから早く、帰らないと。

……もう、長くは生きられないのかもしれないけれど。 それでも、帰るべき場所は、あそこにしか無いのだから。

 

 

「ああ、醜い女の争いは、こうやって白日の元に晒されるんだね……」

 

「自分からバラしていくんで、もう公開処刑のレベルですけどね。 お兄さんの顔が良い感じに固まってますよー」

 

 

 やめろ、今遠坂の尊厳を何とか保とうと必死なんだから!?

 その後、美遊がリムジンから出てくるまで、場は主にルヴィアのせいで混迷を極めていた。

 

 

 



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昼→夕方~けもの、吠える~

 学校に着いた。

 二人の妹を見送った俺は、ルヴィアと共にリムジンを降りる。 今日は遠坂が休むようで、クロの見張りなのだという。 あと金がどうたらこうたらと呟いていたのだが、やはりそっちだったかあのあくま。

 

「では、行きましょうシェロ。 今朝は少し遅れてしまいましたが、まだ談話する程度の時間はありますわ。 オーギュスト、もう下がって結構よ」

 

 さ、と頭を下げたのは、今しがたリムジンのドアを閉めたルヴィアの執事、オーギュストさんだ。 年は五十を過ぎた頃だろうか、丸眼鏡がよく似合う紳士で、矍鑠な振る舞いは年を感じさせない。 控え目であっても、そのがっしりとした体は、まさに男の憧れる男、と言った体格である。

 

「はい。 いってらっしゃいませ、お嬢様、士郎様」

 

「今日はありがとうございました、オーギュストさん。 何かこんな凄い車に乗せてもらって……」

 

「いえ、士郎様はお嬢様が懇意にしている御仁ですから。 この程度はエーデルフェルト家として当然です。 が、士郎様」

 

 と、何やら顔をずい、と寄せるオーギュストさん。 眼鏡の奥の眼光は鋭く、まるで猟犬が牙を剥き出しにするかのようだ。 怯みそうになるのを何とか抑える。

 

「私はお嬢様に、煩わしい羽虫が寄ることだけは我慢なりませんので……努々お忘れなきよう」

 

「は、はい……ぜ、善処します」

 

 誰が羽虫かは、この際置こう。 やんわりとオーギュストさんが相好を崩すも、目が笑っていないし。

 

「何していますの、シェロ? 早く行かないと、談話の時間が無くなってしまいますわ」

 

「あ、ああ……じゃ、じゃあ」

 

 ナイスルヴィアと思ってしまう自分が、どうにも情けない。 逃げるように会釈してみたが、変わらず彼は礼を尽くす。 それが今までのジャンルとはまた違う怖さを感じてしまうのは、気のせいではないハズだ。

 ルヴィアの隣につくと、彼女は俺の顔色に何かを察したのか、

 

「……何かありましたか? 冷や汗が出ていますが?」

 

「い、いや。 それよりも今日はありがとうな、ルヴィア。 俺、こういうの乗るの初めてだったから、結構恥ずかしいところ見せたかもしれない」

 

「いいえ、そのようなことは。 私としても、登校する前の行動は少しはしたなかったと思っていますし」

 

 特に遠坂との喧嘩だな、うん……。

 

「まぁはしたないとは思わないけど……流石に朝からガンドなんて見たくないぞ。 お前達のアレ、下手な鉄砲玉よりよっぽど殺傷能力あるんだからさ」

 

「で、ですから私も反省しています……しかしあの田舎レッドがですね、シェロ」

 

「あのな、お前達は常識を、というか、我慢を覚えるためにここに来てるんだろ? なら少しは、魔術を使うことは避けないと……」

「ハッ! では、かのバリツならよろしいのでは!? それなら遠坂凛を真っ正面から押し潰すことが」

 

「問題を起こすなって意味だろ、今のは!?」

 

 当たり前に暴力を行使して、何処が優雅なのか。 被害損害大目玉である。

 下駄箱で履き替え、俺達は廊下を歩きながら、話を続ける。

 

「そもそも、ルヴィアは何で遠坂を目の敵にしてるんだ? 確かに同じ魔術を使うし、何でもそつなくこなしたりするのも似てるけど……でもだからって、何も毎回手袋を投げることないじゃないか」

 

「む……そ、それは……何と言いますか、自分でも制御出来ないと言うか……ただ私としては、やはり大師父のこともありますし、余り事を荒立てるようなマネはしたくありません」

 

「だろ? なら、仲直りとは言わずとも、軽口ぐらいで済ませるよう、ルヴィアから歩み寄るくらい」

 

「いいえっ!」

 

 ばん、とおおよそ平均からはみ出た胸を揺らし、ルヴィアは断言する。

 

「確かに、こうなった原因の一端は、私にありますわ。 しかしかと言って、同じ競争相手に媚びへつらうようなこと、エーデルフェルト家として恥ずべき行為。 あちらから歩み寄るというのならば、それはもう馬車馬のように働かせますが」

 

 ククク、と金髪を妖しく光らせるけもの一匹。 実際今、遠坂はその馬車馬の気持ちを味わっている頃なのだろう。 アイツとルヴィアが時間を作ってくれたからこそ、こうして俺達は生きているのだし、御愁傷様と言いたくなるが……言ったら最後、宝石と鉄山靠が飛んできそうである。

 

「……ま、まぁなんだ。 一応考えておいてくれ。 お前達が暴れると、俺もつらい。 ものすごくつらい。 流れ弾来るから。 転校してきたときに、机が頭にめり込んだときは死ぬかと思ったんだからな?」

 

「わ、分かりましたわ。 考えておきます」

 

 流石に実例を出されてはたじろぎ、ルヴィアは羞恥に頬を染める。 しかし今は素直だが、実際溜め込んで、火山のように勃発させたらそれはそれで大変なので、適度に貧乏クジを引くとしよう。

 廊下を歩き、階段を登って、再度廊下。 見知った顔がちらほらとこちらを見て手を上げる中、

 

「ん? 誰かと思えば、衛宮とルヴィア嬢か。 おはよう」

 

 こうして声をかけてくる奴が一人は居る。 しかも今回はレア、氷室だ。 陸上部の朝練を終えてきたハズなのに、少しも疲れた様子は見えない。 ルヴィアと共に挨拶しつつ、辺りを見回す。

 

「おす……氷室、今日一人か?」

 

「まぁな。 蒔寺は一年と絡んでいるだろうし、由紀香は雑務。 私もたまには一人で居るときもある。 そういう君達は、やけに親しいな。 転校生と二人仲良く登校など、衛宮にしては随分と積極的だが?」

 

「別にそう言うんじゃ」

 

「そうですわ氷室さん。 シェロったら、同郷であるミス遠坂なんて見向きもせず、私一直線ですのよ! もうそれは積極的、恋のロケットは曲がれませんことよ!」

 

 ない、と言おうとして、ぺらぺらとまぁよくもルヴィアは都合の良い言葉を並べる。 氷室も氷室で、

 

「ほう……ついに衛宮に、待ち人来るか。 これは穂群原に激震が走るな……」

 

「ちょっと待て、そうじゃない。 俺はルヴィアとそういう関係じゃ、ってうわぁ!?」

 

 否定しようとして、右肩から関節にかけて何か柔らかいモノに挟まれる。 アレである、ルヴィアのあの、大きなアレが、俺の腕へと。 ぐにぐにと。

 

「る、ルヴィア! お前な、さっきはしたないとか何とか言って……!」

 

「撤・回・で・す・わ! そういう噂が流れれば、逃げ道も無くなりますし……!」

 

「逃げ道ってなんの!?」

 

 女の子に乱暴するのも気が引けるし、されるがままだが……氷室もノッたは良いがこれは予想外だったらしく、目を丸くし。

 

「……本当に仲睦まじいな、君達は。 新聞部にリークするまでも無さそうだ」

 

「うぉい!? リークってなんだ、何のことをだ!?」

 

「シェロ、このままお供してくれますか? そうなれば公認の仲として、私達はますます深まった関係へとなるのです!」

 

「お前もお前でどうしたんだルヴィア! もしかして、遠坂が居たからこそストッパーがかかっていたとでも……!?」

 

 自由奔放なお嬢様に、タジタジながらも抗戦しようとするが、こうなっては反抗しても効果は薄いだろう。

 と、そのときだった。

 

「衛宮くん?」

 

 つん、と廊下を通り抜けるその声。 そこまで大きくもないのに、何故か耳に滑り込んでくる。 首を動かすと、そこには今しがた登校してきた森山が、少し驚いた様子で立っていた。

 

「お、森山。 おはよう」

 

「お、おはよう……えぇと、衛宮くん。 何で彼女が腕に引っ付いてるの? 確か、転校生のエーデルフェルトさんだよね……?」

 

「え?……あ」

 

 森山の視線の先は、まさに今腕にしなだれかかっている、ルヴィアだ。 不味い、誤解されてしまう。 氷室や他の面々ならばまだ良いが、森山は純粋だから簡単に信じてしまう……!! そうなっては、色々と面倒なことに!?

 

「あー、ほら、ルヴィアは留学生だろ? だからスキンシップとかが激しくてだな、別にそういう何かがあるわけじゃ……!」

 

「え? あ、そうなの? そっか……、よかった」

 

 ? 何やらホッとして、ぽつりと呟いたが、気のせいか? まぁ誤解は解けたし、良いか。

 

「……ていうかルヴィア。 いつまでくっついてるんだ、お前は」

 

「シェロ……」

 

「ん?」

 

 するりと俺から離れ、ルヴィアはこれ以上ないほど目を開くと、

 

 

「ーーーーこの女、私とキャラが被ってますわっ!!!!」

 

 

 そう、一ミリも思ってないことを、いけしゃあしゃあと述べてきた。

 

「「「……………は?」」」

 

「考えても見てください、シェロ。 この日本にしては珍しい、生粋のお嬢様オーラ。 振る舞い、言動、スタイル、オーラ、そしてオーラ、そのどれもが私と被っていますわ! 特に後者! あの遠坂凛に負けぬと思っていたら、こんなド田舎で伏兵に見舞われるとは……!!」

 

「……おい衛宮某。 彼女が具体的に何を言ってるのか説明してくれ。 それか私の言語野が可笑しくないのか見てくれ。 あと彼女も猫を被ってたのか、薄々気づいていたが」

 

 いや、安心しろ氷室。 俺の言語野も可笑しくなったみたいだ。 というか、『も』ってことは、流石だ。 あっちも見抜いてたのか。

 半目になった俺と氷室など視界に入ってないのか、ルヴィアはずびしぃ!、と指を突きつける。

 

「あなた、ミス森山でよろしいですか?」

 

「は、はい……えと、なに、エーデルフェルトさん?」

 

「では質問を。 ミス森山、あなたはシェロとどういうご関係で?」

 

「えっ、……え、えっ? か、関係って……そんな、言うほどでもないというか……」

 

 学生鞄で、赤くなった小さい顔を隠す森山。 するとその体から、何かピンク色のオーラみたいなものを幻視する。

 

「べ、別に衛宮くんと、そこまで親しいわけじゃないんだけど……あ、挨拶はするし、声だってかけられるし、普通のクラスメイトや、友達よりは上だと……思う、よ? あ、でもだからって、そのままじゃ嫌だし、これからはもっと仲良くなって、二人で出掛けるように……あっ、私ったら何を……あう……っ」

……いやすまん。 最初以外何言ってんのか、全く聞こえないんだけど。 ぼそぼそと、怯えるような彼女は、とても名前に蛇が付いている風には見えない。 しかしルヴィアはそう思わなかったらしく……。

 

「な、何てあざとさ……!? こ、これが噂に聞く、ジャパニーズkawaii!? 卑劣な手を……!」

 

「卑劣って……ただ恥ずかしがってるようにしか見えないけど」

 

「おい唐変木、君の耳にはサボテンでも詰まってるのか。 流石に外科医でもそれは治せないぞ」

 

「そこはかとなく罵倒されたのは分かるぞ、氷室女史……?」

 

 サボテンなんか詰まってたら、聞こえないどころか生きてられないだろ。 何言ってるんだ氷室は。 俺のそんな態度が顔に出たのか、氷室は肩を落とす。

 

「何を騒いでいる? 朝っぱらから動物園のようにキーキー鳴きおって」

 

「……一成。 それ言い過ぎだぞ」

 

 そこへ優雅に歩いてくるは、我が親友一成殿。 しかしその存在は、更に火種を持ってきただけだということに、俺は何故気づかないのか。

 

「ミスタ、何か? これは淑女と淑女の戦いですわ、紳士の出る幕ではありませんが?」

 

「俺は紳士ではないし、ただの小坊主だ。 その小坊主が忠告しておくがな、エーデルフェルト。 貴様と遠坂に、衛宮はやらんぞ。 何があろうとだ」

 

「「……はぁ!?」」

 

 たまらずルヴィアと同じタイミングで、声を張る。 それもそうだ、ここではまだ遠坂とルヴィアは(表向きは)問題を起こしていないハズである。 なのに、どうして。

 めぐるましく変わる事態に、氷室の口が歪む。楽しんでやがるなアイツ……!

 

「なんだ衛宮、不満か? しかしこの女狐とあの妖怪は止めておけ。 これは警告だぞ」

 

「どうしてあなたが言えるんですか、そんなことを! あなたに私とシェロの関係をとやかく言う権利など、シェロが許してもこの私が許しません!」

 

「いや……まぁそうなんだが……どうしたんだ一成。 何か問題が?」

 

「何か問題が、だと……?」

 

 いつも小難しい表情を作る眉間が、ひく、と動く。 何かおどろおどろしい雰囲気を漂わせ、一成は眼鏡に人差し指を置く。

 

「ああそうだったな……衛宮は居なかったから知らなかったな。 どうせ貴様の差し金だろう、エーデルフェルト。 しかしだな、他の男は騙せても、この柳桐一成の目は誤魔化せんぞ」

 

「は、はん……何のことやら……」

 

「黙れ女生! 貴様、食堂での一件を忘れたか!?」

 

 食堂……? 何だろう。 何となく、結末が読めた気がする。 どうせど付き合いになったぐらいだろうけど、慣れっこだから、

 

「お前とあの遠坂が二人揃って、食券を持って並んでいるときから怪しいと思っていたが……まさか列に割り込んだ男子生徒にカナディアンデストロイヤーを繰り出したかと思えば、そのまま遠坂と口論になって、異種格闘技JKマッチとかいうふざけた大騒ぎになったことを、ぬけぬけと忘れただと!? お前のその頭には、脳の代わりにドリルでも突っ込まれてるのか!?」

 

 ごめん、やっぱり結末読めなかった。 甘かった、色々と。

 今度は違う二人が口論になり、ちゃっかり森山が可愛らしくオドオドしていたり、俺はその対処に追われ、そんな様子を氷室は一言でまとめた。

 

「……面白い三角関係だ。 記憶する必要性は、余りなさそうだが。 参考にならん」

 

 でしょうね、知ってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。 夕暮れの車道は昼間と同じような騒がしさがあるが、それもあと一時間程度で虫の鳴き声のように消えるだろう。

 ゴキゴキ、と背骨が健康的な音を奏でる。 ルヴィアと一緒に門を潜り、リムジンから降りる。

 

「はぁ……疲れた」

 

「お疲れさまです、シェロ。 病み上がりのあなたに頼るのは忍びなかったのですが、今日もまた世話になってしまいました」

 

 苦笑するルヴィアは、実に楽しげだ。 忍びなさの欠片もない。

 朝のルヴィアVS森山から始まり、十分休憩と授業で勃発した、VS慎二(一ラウンド十秒でKO)、そして極めつけの昼休みに行われたVS黒豹との決闘などなど。 とにかくルヴィアは猫を被るくせに、問題を起こしまくっていた。 生徒指導室に連行されなかったのが本当に不思議である。 本当に。

 

「……お帰り。 随分仲良さそうじゃない、アンタ達」

 

 屋敷に入ると、ふて腐れた猫のように、むすっとした顔の遠坂が出迎えてきた。 相変わらず優雅なメイド服なのに、不純で情けない理由で汚れているようにしか見えないのは、気のせいではあるまい。

 

「おっす、遠坂。 そっちもお疲れさま。 今日は一日ここで仕事してたのか?」

 

「そうよ。 ま、魂まで売ったつもりはないけど、わたしだって宝石がなきゃ魔術師とは名乗れないし。 少しの辛抱ね」

 

「……そんな羽振りが良いのか、ここ? バイトだろ?」

 

「勿論、何と言っても私の侍女ですのよ? それ相応の給金を支払ってますわ。 まぁそここの女は、特別雇用ですが」

 

 痛いところを突かれたと、顔を背ける遠坂。 背中から立ち上る貧乏神オーラが、これまた哀愁漂う。 何だろう、泣けてくる。

 

「……頑張れ遠坂。 負けるな遠坂……うっ、……うっ……」

 

「アンタにだけは言われたくないっつうのっ! その目止めなさいってば、アンタわたしの父親か!? というかホントに泣かないでよちょっと !」

 

 いや、好きな女の子がこんな格好してこき使われてるなんて、ちょっと面白いようでよく考えると切なすぎるんだよ。 もうミスパーフェクトどころの騒ぎじゃないよちきしょう。 ミス中っ腹である、心の贅肉だけに。

……とまぁ、ふざけるのもここら辺にしておいて。

 今日この屋敷に来たのは、イリヤと似た黒い少女ーークロから情報を聞き出すためである。 ただ単に情報を聞くなら、俺がここに寄る必要はない。 遠坂やルヴィアならば、俺なんかとは比べ物にならない話術で翻弄し、そのまま心の奥まで抉り取れる。

 しかしクロ相手ではそうも行かなかったようで。 代わりにクロは、俺を指名してきた、というわけだ。

 

「……何つうか、甘く見られてるよな、絶対。 俺を呼んでからかってるんじゃないだろうな」

 

「?……ああ、クロの話? なら違うと思うけど?」

 

「……なんでそう言い切れるんだよ。 アイツ、結構自信家っぽいぞ。 俺なんか屁でもないって息巻いてたし」

 

 先程までとはうって変わり、遠坂は真面目に説明する。

 

「だってあの娘、衛宮くんの話するときだけは、心の底から笑ってるもの。 ほら、安直だけど構ってもらえる犬みたいに。 だから悪戯心もあるでしょうけど、本心はあなたに会いたいだけなんじゃないかしら」

 

「それは私も思いましたわ。 クロは現状、あなた一人にしか懐いていません。 それに痛覚共有のこともありますし、あなたにお任せする他に案がないのです」

 

……痛覚共有。 俺の知らない間に、クロと俺、イリヤの間にそんなモノを構築したと言われたときには、心底驚いたモノだ。 誰に使うかはさておき、なるほど。

 

「なら、早いところ行った方が良いな。 一日お預け食らってるってことだろ? 遠坂、案内頼めるか?」

 

「わ、私ではダメなのですか、シェロ!?」

 

「アンタはこの工房の主でしょうが、もしものときはアンタが外から迎撃しないといけないでしょ? そんなわけで、じゃあついてきて、こっちよ」

 

 そそくさとルヴィアと別れ、遠坂についていく。 いくらメイド服を纏っていようと、その歩きはきびきびとしていて、いつもの赤い私服が目に映るようだ。

 クロが拘束されている場所は、広い屋敷の奥かと思っていたが、どうやら違ったらしい。 階段の裏へと回ると、遠坂は床に指を走らせて、何やら言葉を紡ぐ。

 

Entriegelung(解錠). Verfahren,Zweii(コード2)

 

 床に魔力が走り、音を立てて抜ける。 松明がぽつぽつと底を照らすと、石造りの階段が姿を現した。まさか、地下があるのか?

 

「暗いけど、足元気を付けてね」

 

 それだけ言うと、ずんずん階段を降りていく遠坂。 慌てて後を追い、地下に足を踏み入れる。

 地下は、屋敷とは違った趣がある。 何と言うか、現世に残った古城といった雰囲気だ。 階段を踏みしめる音が、嫌に反響し、鼓膜を震わせる。

 階段を降り、石道を進む。 黙々と歩を進めると、そこにたどり着く。

 

「ここよ」

 

 地下への道を開くように、遠坂は扉の仕掛けを魔術で弄ると、どうぞと言わんばかりに片手を広げる。

 大きな扉だ。 鉄製の物々しいそれは、視るだけでいくつもの呪阻が蠢いているのが分かる。 遠坂は恐らく、その呪阻の対象から、俺を外したのだ。 もしクロが外に出ようとしても、それを妨害するために。

 

「……随分と厳重だな」

 

「それ、襲われたあなたが言う? 仮にも英霊の力を宿した英霊モドキよ、むしろこれで足りるのか心配なぐらいよ。 それより扉を触ってみて、触れるなら何の影響もないから」

 

「……もし影響があったら?」

 

「そのときはそのときよ。 少なくとも、手遅れにはならないだろうし」

 

 うへぇ。 それってつまり、死にはしないがそれなりにヤバいんじゃないのか。 そんな愚痴は言わずに、扉をペタペタと触る。 当然、何の魔術も発動せず、冷たい鉄の感触が手の平を伝わるだけだ。

 

「じゃ、わたしは外で待っておくけど……何かあったらじゃ遅いだろうし、突入するときもこちらの独断でするわ。 だから衛宮くんは、彼女が危険な行動を取る前に、出来るだけ多くの情報を得ることに専念して」

 

「分かった。 けど俺、かなり口下手だから、多分そんなに情報は得られないぞ」

 

「あらそう? 衛宮くん、わたし達のことは全部知ってるのに、自分のことは何も話さないじゃない。 家の事とか。 わたしからみても、あなたって結構やり手だと思うけど?」

 

 そりゃ嬉しいんだか嬉しくないのか分かんないな。 何せ世界は違えど、お前から仕込まれたんだから。

 臆面にも出さずに、肩を竦めてみる。 しかし遠坂は柳眉を逆立て、そしてすぐに困ったように息を吐いた。

 

「……クラスカードの借りのこともあるし、詳しい話は聞かないけど。 これは警告よ。 あなたみたいに、全部抱え込んでる人ってのは、周りからしたらバレバレだから。 特に家族はね」

 

 その言葉は、少なくともひやりとした感触を背筋に這わせた。 なんだ、やっぱり騙しきれてないじゃないか。

 

「……遠坂」

 

「あなたが何か、大きなことを隠してるのは、初めて会ったときから分かってたわ。 魔術師にしても多すぎるイリヤの魔術回路に、魔術への適応力。 更にはポンコツでも二流の魔術使いと来れば、何か裏があると思うのは当然でしょ。 ま、調べてもほとんど何も出なかったけど。 ムカつくぐらい隠蔽は完璧ね」

 

 そう皮肉を口にしたが、彼女はむしろ楽しんでいる風にも思える。 いくら遠坂が良い奴でも、俺との関係なんて精々同業者程度のハズだ。 なのに。

 

「なぁ遠坂」

 

「なによ?」

 

「……お前、じゃあなんで俺に、クロのこと頼むんだ? 遠坂も分かってるだろ、クロが誰から生まれたか。 俺がクロをどうこうしようとか、そういうことを考えないのか?」

 

「じゃあ逆に聞くけど、衛宮くんは妹と同じ顔の女の子に、暗示をかけることが出来るのかしら?」

 

……むむ。 それは。

 

「あ、これは意地悪な質問だったわね、ごめんなさい。 でもわたし、あなたのそういうところ好きよ、衛宮くん」

 

「ばっ、……!?」

 

 な、何を言うのだこやつ!? ずざざざっ、と後ずさる。 遠坂は人の悪い、彼女によく似合う人懐っこい笑顔を向日葵のように浮かべる。

 

「ほら、そうやってすぐ行動に出る。 確かにあなた達の周辺はきな臭いし、放っておいたらいつか爆発するかもしれない。 けど、何かあなたとイリヤをみてると、どうもそこら辺がすっぽ抜けて、信用しちゃうのよ。 らしくないけど」

 

……ああ、なるほど。 ここで俺は、遠坂凛という女の子の本質を、もう一度確認した。 つまり、

 

「だから任せるわ。 これがあなた達の問題なら、精一杯サポートする。 あなたの背中は、とても頼りになるから」

 

 コイツはやっぱり、とんでもなく良い奴なのだ。

 霞がかった記憶の中の彼女も、ここに居る彼女も変わらない。 同じ名で魂を燃やす遠坂凛は、いつも衛宮士郎の道を照らす、太陽なのだろう。 だから、こんなに眩しい。

 

「……そっか。 さんきゅ、遠坂」

 

「ふん。 まぁわたしだって、色々言いたいけど、今はそんな場合じゃないしね。 分かったならいけ、この唐変木」

 

「へいへい。 借りは返すよ、ちゃんと利子付きでな」

 

 壁に寄りかかった彼女の横を通りすぎ、扉を開ける。 遠坂は片目でこちらを一瞥したが、どうやら本当に干渉しないらしい。 重厚な扉は軋みながら開き、中に足を踏み入れた。

 

 



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夕方~エーデルフェルト邸/黒の疑惑、白の不信~

ーーinterlude3-1ーー

 

 

 暗い、海の底で。 わたしはあなたと出会った。

 

『だいじょうぶか、イリヤ?』

 誰かが小さな手で、転んだイリヤを立ち上がらせようとする。 しかしイリヤは、みっともないことにわんわんと泣いてばかりで、何度やっても立ち上がれそうになかった。

 子供心に、なんて惨めだと、わたしは思った。 こんなぬるま湯に浸かっておいて、そんなことで声を張り上げて。

 なんて無様で、醜い。 ずっと辛いわたしなんかより、ずっと恵まれてるくせに。 恐らくイリヤを立ち上がらせるため、その誰かも他の大人と一緒のように、甘い言葉をかけるのだ。

 が。

 

『……イリヤ』

 

 泣き止まないイリヤと、目線を合わせる誰か。 あどけない視線が、わたしの視線とぶつかったときーーわたしはこれまで、感じたことのない何かを感じた。

 普通、人が他人に手を差し伸べるとき、優しさだけでは助けない。 そこに愛情だったり、打算的な考えだったり、下劣な情を秘めていたり、何らかの感情が混ざりあっている。

 しかし、その目は本当に純粋な、混じりけがなかった。 ただ守りたい、それだけの深い瞳に、わたしは吸い込まれそうだった。 それこそこの暗い場所から、飛び出してしまいそうなくらいに。

 

『なあ、イリヤはいま、いたいか?』

 

『ぅっ……、うん……っ』

 

『そっか。 なら、やくそくだ。 これからさき、おれはなにがあっても、おまえをまもる。 あにきとやくそくだ』

 

 少年が提案し、少女はそれに頷く。 手と手が触れ、契りを結ぶ。 簡潔で、だからこそ想いで交わす約束は、並大抵のことでは破棄されない。 それを無意識で分かっているから、イリヤは泣き止んだのだ。

 いつの間にか、わたしまで指切りをしていることに気づく。 けれどそれで良い。 彼は、自分を守ってくれる。

 もう、十年も前のこと。

 諦めと絶望に取り込まれていたわたしに、願うことの意味を教えてくれた、初めての記憶。

 

 

 

 

 

 

 

 

 燭台の火はか細く、室内を僅かに照らすだけで、床に落ちているモノすら、はっきりとは認識出来ない。 まるであやふやな世界に、一人取り残されたようだ。

 しかしその顔はしっかりと見える。 疲れからか、少し陰りが滲み出ている彼女ーークロは、訪問者を招いた。

 

「あ、ホントに来てくれたんだ。 優しいね、お兄ちゃんは」

 

 純真な表情と声。 しかしその体は魔力殺しの布に巻かれ、更にはこの部屋の魔術によって力を大きく制限されている。 来るモノを拒まぬ、そして逃がさぬ工房において、逆にその声は異常だった。 平静を保ち、小鳥のような高い声の裏には、魔の気配がこべつりいている。

 それは、頭まで魔術に浸かりきった者の反応だ。 俺のように、中途半端な出来損ないではない。

 

「……そういうお前は面の皮が厚いな、クロ。 少しはこの前のことについての謝罪とか、俺に対しての誠意はないのか?」

 

「じゃあこれ取って。 そしたら、お兄ちゃんに目一杯、誠意を見せてあげる。 私なりの、ね」

 

 そう言って、ウィンクするクロ。 しかし俺の答えは決まっている。

 

「悪いが断る。 トンズラされたら困るし、今日は話をしに来ただけだ。 逃がしに来たわけじゃない」

 

「ぶーぶー。 なによ、可愛い妹のピンチでしょ? 助けてくれないわけ?」

 

「人のことぶった斬ろうとしておいて、すぐ助けると思ったか? 期待には添えないよ、俺もそこまでお人好しじゃない。 言っただろ、話をしに来たって。 クロが俺の質問に答えてくれたら、俺もクロの質問に答える。 だから、話を聞いてくれ」

 

「んー……」

 

 少し考えたようだが、彼女はすぐにこう返した。

 

「じゃあ、二人のときはイリヤって呼んで。 そしたら何でも答えてあげる」

 

 艶然と秋波を送ってくる姿は、外見には似つかわしくない、成熟した女性の色っぽさがあった。 そう、まるで精神だけが大人びているように。

 とくん、と心臓が跳ねる。 心の中で、目の前の少女と心の中の破片が重なる。 今の声、笑顔、雰囲気ーーそして何より、その存在が。 カッチリと、ハマる。

 

「……イリ、ヤ」

 

「うん! なに、お兄ちゃん?」

 

 頭痛が走る。 元の世界の記憶が、呼び覚まされる。 しかしそれを無理矢理脳内から弾き出すと、ぶる、と頭を振った。 気を抜けば、すぐに瓦解してしまうモノを、上から押し付けて頭の中に閉め出す。

 思い出さなくて良い。 それは衛宮士郎を傷付けることしかでしかない。 今はやることが、あるハズ、だ。

 

「じゃあ……ちょっと長くなるけど、良いかイリヤ?」

 

 そう前置いて、俺は三つ質問した。

 まずクロが何者かということ、二つ目に聖杯戦争のこと、そしてこれからどうするかということ。

 前者二つには、クロはすんなりと答えてくれた。

 そもそもクロはイリヤの聖杯としての側面であり、本当ならばアインツベルンの次期マスターとして据えられるハズだった。 つまり、本来イリヤとして生きるのは、彼女だったのだ。 イリヤがクロの一部という見立ては立てていたが、まさかそうだったとは思わなかった。 それに小聖杯のことも。 これが本当だとしたら、俺の世界の聖杯戦争にも、大聖杯があったハズだ。 つまりまだ、聖杯戦争が起きる可能性はあるのである。

 話を戻すが、儀式の直前で、当時聖杯としてくべられるハズだった俺の義母、アイリスフィールと、マスターだった切嗣が離反。 儀式を開始する直前で破壊し、イリヤの聖杯としての機能を封印した。 つまり、クロを、封印したのである。

 無論、アイリスフィールさんにそんな気は無かったに違いない。 イリヤが魔術のない世界で生きられるように施しただけで。 だが、

 

「例えばだけど」

 

 と、クロはその心中を語り始める。

 

「ずっと、暗いところに閉じ込められて。 わたしが得るハズだったもの、全部奪われて。 それを、届かないところから見せつけられて。 それで誰かを恨むことって、そんなに間違ってると思う?」

 

「……、」

 

「わたしは、当たり前の権利だと思う。 だって、全部わたしのモノだったのよ? あの娘じゃない、わたしが得るモノ。 それを、ママは、アイツは奪って、わたしを無かったことにした……人を、シミみたいに追いやった」

 

 ぎり、と噛み合わせた歯を覗かせるクロは、悲痛な面持ちで、

 

「でも、お兄ちゃんは違う。 わたしを守るって言ってくれた。 分かってるよ、それが誰に向けた言葉なのかぐらい。 でも……でも、信じるぐらいは、許されるハズでしょ? だって、わたしには何もない、何もないもの。 日常も、友人も、家族だってそう。 そんな中で、やっと出来た、わたしの大切な人が……あなた以外、誰も居なかった」

 

……そのとき、自分がとんでもない勘違いしていたことに気付いた。

 クロは、俺だけが大事だと思っていた。 事実、それ以外のモノなんて邪魔で、凶器を振るうような彼女だ、そう受け取っていた。

 だが、それをこう置き換えるとどうだろう。

 アレはクロが出した、SOSで。

 俺しか、こうやって全てを話せる存在が居ないのだと。 逆説的に考えることが、出来ないだろうか?

 

「言ったよね、一人になんかさせないって。 妹を守るのは兄貴の役割なんでしょ? だったら、それはわたしだって守らなきゃいけない。 ね、もう分かったでしょ? わたしが、イリヤを毛嫌いする理由」

 

「……ああ」

 

 たった一人しか居ない、大切な人だけは、何が何でも渡さない。 それが、クロの譲れない理由だった。

……なんて、間抜け。

 全てを聞いて、ようやく分かった。 数日前、クロがどうして俺に襲いかかったのか。

 自分にはなにもないとそう言った彼女が、渇望したモノ。 それが兄である俺だ。 その俺が、彼女を否定した。 何も知らず、知ろうともせずに、身勝手に。 それがどれだけの絶望に叩き込んだのかなんて、見向きもしないで。

 だからクロは憤った。 愛憎が反転し、俺を傷つけても止まらないほどに。 殺してしまえと、心の底では微塵で思ってないことを。

 ああーーそれは、辛い。

 まるで売れ残った人形だ。 同じ素材、同じ姿を吹き込まれた、二つの人形。 それがイリヤとクロで、売れ残ったのがクロだっただけ。 ずっとショーケースに置かれ、廃棄されることすらない彼女は、そこから外を見ることしか出来ない。 粗悪品と、そう烙印を押されても、仕方ないぐらいの時間、ずっと。

 

「わたし、初めは別に辛くはなかったの。 まぁ、泣きも笑いもしなかったけど」

 

 当時を思い出し、取り残された少女は冷笑を口端に過らせる。

 

「でも、その内暗い世界にも、一人で居るのも飽きてさ。 だから、見ちゃったの。 外の世界の、マスターじゃないわたしを」

 

 そうして、月のように仰いだ世界。 きっと彼女には眩しかったのだろう。 闇の部屋で、なお片目をすがめ、幾千の光に意識を飛ばす。

 

「目を背けてしまいたいくらいだったわ。 くだらないのに、嫌でも目に入ってくる。 月光(しあわせ)なんて、マスターになるハズだったわたしには重荷だもの。 だってわたしは贄になるために生まれた。 くべられ、炉となり、アインツベルンの悲願を叶えるだけの存在。 付加価値以上のものを求めたら、それこそわたしはホムンクルスではなく、人形になってしまう……分かってたのよ、そんなことは」

 

 けれど、それは無理だった。 だからこうして、クロは俺だけでなく、イリヤにも牙を剥いたのだから。

 嘲笑を浮かべたクロは、まるで手負いの獣のようだった。 傷口からだくだくと血を流しながら、最後に何とか生き残ろうとする、獣に。

 

「……でも、外は輝いてた。 わたしの知らないこと、知るハズだったこと、与えられるべきことが、全てそこにはあった。 手を伸ばしても届かないのに、馬鹿なわたしは、祈ったりもしたわ。 誰かわたしも見て、わたしはここに居るよって。 ホント、馬鹿。 誰もわたしのことなんて、見てないのに」

 

 それは蝋燭の火が映したまやかしか。 火を反射するクロの瞳は、心なしか潤んでいる。 最後の境界線だけは飛び越えないよう、必死にしがみつくように。 自らの存在意義を否定しないよう、自らの欲求に溺れないよう。

 俺の世界のイリヤも、そうだったのだろうか。

 詳しいことは、文献でしか知らない。 それもごく僅かな、表向きのモノだ。 けれどあのとき、バーサーカーを伴い、自分の元へ現れた少女と、クロは境遇が似すぎている。

 生まれてからずっと孤独で、その身には破滅しかないのに、それでも運命というレールから逃れることの出来なかった。

 この二人の違いは、たった一つ。

 イリヤは、歪んだ世界で、これが運命だとしても、抗わず。

 クロは、歪んだ世界から見た景色で、その運命こそを呪った。

 違いはそれだけ。 でもだからこそ、イリヤには無かった苦しみが、クロにはあった。

……そんなところに、クロは居た。 泣きじゃくっても、誰も名前を呼んでくれない。 そんなところに。 温かいモノの一つすらないまま。

 

「だから、なのかな」

 

 落ちていた視線が、真っ直ぐになる。 その先は、俺へとしっかり合わせられていた。

 

「お兄ちゃんが、さ。 守るって、そう言ってくれたとき。 本当に、嬉しかった。 ちゃんとわたしの目を、存在を、感じて言ってくれてる気がして救われたの……初めて、他人を愛せたの」

 

 彼女にとって、他人とは忌むべきモノ。 誰も彼女を気にも止めないのだから、好意を抱くことなんて可笑しい。 ならば疎むことなど、道理だ。 そんな彼女がーーーー初めて触れた優しさが、俺だった。

 当たり前が当たり前じゃないこと。 それを俺は、嫌というほど知っていたのに。

 

「……ねぇ……どうして?」

 

 震える声は、懇願だった。 この前、戦ってしまったときのように。 不安定な、クロという少女の本音が浮き彫りになる。

 

「どうして、わたしは一人ぼっちにならなきゃいけなかったの……? どうして、誰もわたしの名前を呼んでくれないの……? わたしは、ここに居るのに……」

 

「……クロ」

 

「わたしを否定して、そんなに楽しい? 確かに、空っぽのわたしは偽物なのかもしれない。 体の良い人形(スペア)にだってなれないのかもしれない。 でも、わたしは……生きてるの。 一人でも、ずっと、待ってた。 それなのに、誰も来なかったのはあなた達。 違う?」

 

 流暢ではあっても、クロの言葉には怒りが込められていた。 そこにあるのは、ごく当たり前の、一つの命としての感情。 それすらも抑制されて、願うしか出来なくなった少女は、今度は妖しく目を光らせる。

 泥のように、汚染された願い。 それが、木霊する。

 

「……だから殺すの。 一人残らず、わたしをあの暗闇に閉じ込めた奴らを。 わたしを消して、幸せを貪ってる、汚らわしい虫達を。 一匹残らず」

 

 是が非かは問わない。 問うつもりなどない。 ブレーキを失った暴走車両のように、クロの目には狂暴な意志が宿っていく。

……恐らく、ここが別れ目だ。

 クロをーーいや、イリヤをどうすべきなのか。 このままでは彼女は、取り返しのつかないことをしてしまう気がする。 それも、クロ自身が後悔するような、結末が。

 しかし、どうする。 クロにとって、俺はギリギリ殺すべきか迷う対象。 この問答を間違えれば、クロを助け出すことは難しくなる。

 また、ひとりぼっちの世界に取り残してしまうだろう。

 

ーー……あれ……いたい、いたいよ……。

 

 フラッシュバックするのは、一年以上前。 英雄王が、俺の姉であるイリヤの目を切り付けたときのことだ。

 俺はそのとき、見ていることしか出来なかった。 今出れば死ぬと、そう理解してしまったから、動けなかった。 助けを求める女の子を、姉を、助け出せなかった。

 そのときのどうしようもないやるせなさと、悔恨を、この一年で一度も忘れたことはない。

 余りにも隔絶した空間。 その先に、頼れる騎士も既に居ないのに、一人でもがいていたイリヤ。 走り出した頃には、もうどうしようもなく遅かった。

 ただ一人の心の寄る辺へと這いずり、死しか映せない目からは血を流し。 それでもなお、一人では死にたくないと掴んだ手。 その幸せそうに、辛そうに笑った顔が、どうしても、許せなくて、切なくて、胸が苦しくなる。 それがまるで、自分など要らないのだと、言外に告げていた気がしたのだ。

 真実を知れば知るほどに、思い返すと想いが募る。

 どうしてその手を、掴んでやれなかったのか。

 どうして、最期の最期に、家族らしいことすら、してやれなかったのか。

 奪ってばかりで、何もあげられないのに。 だからこそ、助けてやることでしか、この身はそれしか能がない出来損ないだというのに。

 どうして、どうして、どうして。

 無意識に両手が拳を作る。 視界が熱くなり、ガヂン、と何かが頭で炸裂する。 爆竹のような衝撃が、頭を抜ける。

 

「……イリヤ」

 

 そうだ。 だったら、答えなんて決まっている。

 どうすべきか迷う暇なんてない。 そうしていく内に、大切なモノまで滑り落ちてしまうのなら、迷いなんて捨ててしまえば良い。

 もう二度と彼女の笑顔を、汚させない。

 それが、俺の役目なら。

 

「お前の言いたいことは分かった」

 

 クロの視線を、正面から受け止める。 受け止めて、

 

「……だから、あえて言うぞ、クロ(・・・)。 そんなことはさせない。 そんな真似は、絶対に」

 

 そう、断言した。

 パキキ、と乾いた音が鳴る。 クロの手。 細い腕が痙攣するように動き、桁違いの膂力が蓄えられる。

 

「……それは、わたしを殺すってこと? わたし(イリヤ)は、一人で良いってことなの?」

 

「違う。 お前は大切な妹で、守らなきゃいけない存在だ。 だけど、それはイリヤも同じなんだ」

 

 クロの表情が、氷のように冷たく、刃のように鋭くなっていく。 しかし色を無くした表情から見えるのは、空虚な殺意でしかない。

 そうさせてしまったのは、俺達だ。 だとしたら、それを取り除くのも俺達がすべきこと。

 

「それに、本当に親父やアイリさんを殺せたとしても、その後お前はどうする? その後、本当に頼るべき人を壊し尽くして、そうしてお前は幸せになれるのか?」

 

「……、」

 そう、結局これは単純な話だ。

 生まれたての妹が、自分の居場所を見つけられなくて、迷っているだけの話。 泣くことすら覚えていない、小さな妹が迷っているなら、手を引いてやれば良い。

 

「確かに、お前の幸せはイリヤに奪われた。 割り切れないのも仕方ないぐらい、辛かったのかもしれない。 けれど、だからってイリヤを殺して、その生活を奪っても、お前の幸せは返ってこない。 起きてしまったからには、それを無かったことなんかに出来やしない」

 

「……、」

 

「良いか、クロ。 お前は、イリヤにはなれない。 親父を、アイリさんを切り伏せたら、もう血生臭い世界に飛び込むしかないんだ。 その手が赤く染まったら、お前が思い描く幸せには届かないんだぞ。 それでもお前は、みんなを殺すのか?」

 

「……じゃあ」

 

 目を逸らしたまま、クロは。

 

「……じゃあ、どうすれば良いの? わたしは……わたしは……」

 

 縮こまり、途方に暮れるもう一人の妹。 その姿に、自分は耐えられそうもない。 こうしてイリヤが苦しんでいることが、どうしても我慢ならない。

 置き去りにされた少女を前に、何かしたい。

……ならば、この拘束など要らない。 例えどれだけの狭間があろうとも、それが一時しのぎであっても、俺がエミヤシロウの尊厳を守ると決めたのなら。

 

「クロ」

 

「……え?」

 

 俺を見たクロは、一瞬呆けた。 何故なら俺の手は、何かを握るように、振り上げたからだ。

 

「……投影、完了」

 

 投影した夫婦剣で、拘束を断ち切る。 ばつん、という音と共にクロは解放され、抱き止めた。

 なんて、華奢なんだろう。 腕なんか枯れ枝のように脆そうで、体はガラス細工みたいに一度取り落としただけで壊れてしまいそうだった。

 こんな少女を、自分は置き去りにしていた。 暗い場所に押し込めて、風化してしまわないのが不思議なほど、長い時間、ずっと。 その事実を認識し、背中に手を回す。

 

「……お、おにい、ちゃん……?」

 

「ごめんな、クロ。 一人ぼっちは、辛かったな」

 

 もう二度と離さぬよう、固く。 妹を抱き締める。 その温もりは、どんなモノよりも優しさに溢れ、命へと還元されるようだった。

 頭に手を添え、胸の中で惑うクロを、出来るだけ包み込む。 俺はクロの、兄のようになれないかもしれないけど。

 それでもせめて、今だけは。 家族らしく居られるように、精一杯の気持ちを込めて。

 

「……俺、いっつも兄貴面してたのにさ。 お前が泣いてることに、全然気付けなかった。 助けてって声にも、全く応えられなかった。 こんなんじゃ兄貴失格だよな、ごめん」

 

「……おにいちゃん……」

 

 怯えるように、クロは体を動かし、頭上を仰ぐ。 それは初めて与えられた温もりに、戸惑っているようにも見えたが、クロは離れようとしない。

 その顔にあったのは、ただ当惑だった。 理解しようにも、そんなこと考えられないと、そう言うような。

 

「どうして……?  だって……だって、わたしはみんな殺すって、そう言ったのに……実際、殺しかけたんだよ? それなのに、どうしておにいちゃんは……」

 

「馬鹿。 そりゃ兄妹なんだ、喧嘩だってするし、傷つけ合うときだってある。 普通のことじゃないか」

 

「そんな……でも」

 

「でもじゃない。 ったく……変なところで意地張りやがって。 こんくらい、どうってことないさ。 ワガママな妹が暴れたぐらいだろ? 何ともないよ、これでも鍛えてるんだ」

 

 そう。 それを言うなら、こちらの方だ。

 

「……なぁクロ。 今は、許してくれなくて良い、憎んだままで良い。 だから、守らせてくれないか。 約束を果たすためにも。 お前を、俺に守らせてくれないか?」

 

 その言葉を口にした途端。

 数少ない、元の世界の記憶が、鮮明に甦る。

 いつまでも消えない火。 灰となって、消えていく命。 地獄の中で、十字架を背負いながら進んだ日々の数々。

……俺は、正義の味方にならなければならない。 あそこで見捨てた人達のために、何より命の恩人のために。 そのために、こういった約束を破ることだって、俺は平気でしてしまえる。 間違った理想でも良いと、破滅の道をあえて進む破綻者。 その俺がこんな口約束をしても、本当に守り切れる可能性なんて、何処にもない。 きっと何処かで、約束を破り、未来で彼女を苦しめることになってしまうのかもしれない。

 けれど、だからって。 間違っていると分かっていたって。

 目の前の妹を見捨てて、絶望に押しやることを、どうして出来よう。

 

「……お兄ちゃんが、わたしを……?」

 

 最初、その言葉を飲み込めなかったらしく、呆然とするクロ。 しかしすぐに理解し、表情が元来の輝きを取り戻す。

 

「……いいの?」

 

「え? それともやっぱりダメか?」

 

「え? ううん、そうじゃないんだけど」

 

 ただ……と伏し目がちに続け、

 

「……いいの?」

 

 まるで、捨てられた子猫が、丸まって見上げる形で。 クロは、おそるおそる尋ねてくる。

 ああーーそれでも、俺は。

 

「良いんだよ」

 

 小指を差し出す。 何をするのかと目を丸くする彼女の小指に、無理矢理指を絡ませる。

 くすぐったい、家族でもあまりやらないような、古の儀式。 魔術的な意味は少なくても、絆を親愛で結びつけるそれは、紛れもなく儀式。 世界で一番優しい儀式だ。

 

「……絶対に守る。 誰が敵でも、誰からも否定されても。 それでも俺は、兄貴として、お前を守る。 そう、生まれたときから決めてたんだ」

 

「……お兄ちゃん……」

 

 クロはすぐには答えなかった。 葛藤しているようにも見えたが、すぐに薄く笑った。 何処までも薄い膜を張って、本心だけは隠しているような、耐えるような、悲しい笑み。

 それも当然。 彼女は俺に心を開いているが、それでも母親に封印された前例があるのである。 それを考えれば、俺ですら例外ではないのだ……胸が痛むが、彼女の葛藤を考えれば、屁でもない。

 

「……ん。 ありがと」

 

 とん、と胸に埋めてくるクロ。 それは抱きつくというよりは、触れあうような感じだった。

 しかしそれで良い。 笑ってしまいそうなそうなほど、当たり前のことすら為せなかったのは、こっちだって同じ。 俺はその頭と背中に手を回し、その悲しみが和らぐよう、包み込む。

 家族。 軽いどころか重いそれは、一つ失えば衛宮士郎の後悔へと変わる要因だ。 それは俺の正義を研ぐ、砥石にしかならない。 後悔が増えれば増えるほど、俺は切嗣が目指す、正義の味方にならなきゃいけないから。

 けど。 その重みを捨てたいとは、決して思わなかった。

 つい先日まで知らなかった妹。 その彼女が、生きている姿も悪くはないけど。 やっぱり笑顔でいて欲しいと思ったのは、エミヤシロウ(俺自身)の願いだ。

 だったら、そんな重荷は苦にならない。

 体がボロボロに崩れ去ろうと、これからもやっていける。

 と、 そう覚悟したときだった。

「……ふふ。 ありがと、お兄ちゃん」

 

 ふわ、と耳を這いずる魅惑の声。

 途端に視界が揺れ、ギチギチと自己が書き換えられていく。 心の奥底、エミヤシロウが望んだ夢が、誰かに塗り潰されていく。

 そうして、衛宮士郎の意識は途絶した。

……今思えばこのとき、俺は知るべきだったのだ。

 クロの、いやーーイリヤという少女が抱えた、闇の深さを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude3-2ーー

 

 

「うわ……」

 

 からから、と音を立てて落ちるのは、イリヤの腕が二本ほどの太さの、大理石の破片。 元は堅牢な石壁だったそれは床に雪崩落ちており、壁など砲撃でもぶちかまされたかのような穴が空いている。 それは断裂的に続いており、地上のエーデルフェルト邸も例外ではない。

 それどころかこの部屋自体、数々の調度品ーーに見せた、まじゅつれいそう?ーーが壊されていたりするのだ、ここが崩落していないのは、本当に偶然だったのだろう。

 

「……逃がした、ですってぇ……?」

 

 ズゴゴゴゴ、と。 凛が額をひくつかせながら、爆発一歩手前辺りで押し止め、同じく乾いた微笑みで士郎が答える。

 

「あ、ああ。 スマン、逃がしちまった。 いや、男的にというか、兄的にはやっぱり妹を縛るのはホントに勘弁と言いますか」

 

「どういうことかしら……? わたしの聞き間違いかもしれないから、もう一度確認するけれど……何て?」

 

 ニコッ、と優等生ーーああいや、猫被り二百パーセントの全開ぶっちぎりなパーフェクトスマイルで、凛は制服の胸元を鷲掴み、ぐりぐりと力を込めていく。 だがそれは逆効果だったらしく、士郎は武士のように目を瞑り。

 

「……それがし、切腹でも何でもする所存でゴザル」

 

「潔すぎるわボケェ!!」

 

 ゴグシャア!!、と鎌の如く右フックが士郎の肩を巻き込んで横顔に突き刺さる。 一撃で失神しかける兄に、更に制裁を加えんとする凛。 ルヴィアが呆れながら止めに入るものの、今度はそちらに飛び火し、いつのまにか士郎は二人の決闘の中心で無抵抗なままボコられていた。 それを見て、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは苦笑しつつ、兄の介抱に向かう。

 イリヤが美遊と共にルヴィアの屋敷を訪れたとき。 既に事は起こっていたらしく、屋敷にぽっかりと空いた穴には目を剥いたモノだ。

 いつまで経っても口を割らないクロ。 その彼女からの要望で、士郎に会わせれば全てを話すと言っていた。 無論、イリヤや、普段は余り口を挟まない美遊ですら反対したのだが、凛とルヴィアはその意見を切り捨て……情報を得たようだが、士郎がクロを逃がしてしまったのだ。 よりにもよって、士郎がこんなことをし出かすとは思わなかったのだろう。 しかし、現実はこれだ。 凛がぐしゃぐしゃと二つに結んだ髪を掻き乱し、

 

「わっけわかんない……何事かと思って行ってみたら、話を聞けの一点張りだし。 話を聞いたら聞いたで、もっとわけわかんないし」

 

 士郎から全てを聞いた。 聖杯戦争のこと、自分自身のこと、クロのこと。 未だにふわふわしていてよく分からないし、何か実感出来るわけでもないが、凛やルヴィアからすればただ事ではないらしく、特に凛は鼻息を荒くして詰め寄っているのだ。

 

「えーと……つまり衛宮くんの家、というか、イリヤの家は錬金術の家系なわけよね? しかも……」

 

「人工の聖杯……中身が無いとはいえ、これが知れ渡れば、魔術協会どころか、聖堂教会も黙ってませんわ……」

 

 頭が痛いとでも言いたげに、ルヴィアが眉間を揉む。 それを受け、士郎は困ったように頬を指で擦る。

 話はよく分からない。 それでも確かなのは、クロは自分の家族であり、その彼女が家族を殺そうとしたということだけだ。 そしてそれが分かれば、あとはどうだって良い。

 

「……ったく。 まぁクロは、あなたやイリヤからすれば家族みたいなものだし、聞く限りじゃクロに害はないみたいだけど……はぁ、頼りになるって思ってたのになぁ……」

 

「うぐっ……す、スマン」

 

 凛の呟きがよほど効いたのか、背筋が丸まる士郎。 背丈で言えば凛の方が低いが、その力関係は一目瞭然だ。 口答えはしても、全面的に非を認めているのがその証拠である。

 まぁ、理由があったにしろ、逃がしたのは彼の独断なのだ。 恐らく屋敷の中で、唯一クロに対抗出来る人物ということもあるし、この場のみんなを裏切ったことにもなるのである。 士郎も責任を感じているのだろう。

 それにしても。 アレは、どれだけ兄を傷つければ気が済むのだろうか。

 

「……っ」

 

 ぎゅっ、と唇を噛んで。 表情が出ないよう、必死に努める。

 人を殺そうとしておいて、そんな相手に話し合いを持ちかけたら突っぱねられ、要望に答えたら答えたで好き勝手に暴れまくる。 兄のことが好きだと公言しているくせに、その兄の厚意を無下にするなんて、なんて度しがたい。 更に言えば、一歩間違えれば兄はこの地下に埋められていたかもしれないのだ。 そんな状況を作り出したアレは、許せるモノではない。 アレからしてみれば、兄や自分は大切なモノであるハズなのだ。 家族だから許されない行為もある。

 しかし、イリヤにはそんなことよりも、気になったことがあった。

 

「しっかし……あれだけ魔術を張り巡らせたのに、こうも簡単に脱出されるなんて……クロの持つクラスカードはアーチャーのハズでしょ? 前任者の報告だと、対魔力スキルはそこまで優れてなかったハズだし、だとしても魔術師の弓兵なんて……」

 

「英霊なんだから、基本何でもアリな連中だろ。 聖剣から光線出すような人種に、常識は当てはまらないさ。 けど、クロも投影を使うってことは、あのクラスカードの英霊は、魔術師で間違いないと思う」

 

「あ、投影と言えばそうそう。 衛宮くんの投影って、クロの投影と一緒じゃない? で、これは推測だけど、もしかしたら衛宮くんの家とクロのクラスカードの英霊は、薄くても血縁的な繋がりがあるんじゃないかしら? それで衛宮くんは、一種の先祖返りが起きて、たまたまその英霊の魔術が使えるようになったとか」

 

「うーん……遠坂、それは流石に……」

 

「あらそう? わたしは結構良い線いってると思うけど?」

 

 先程までとは打って変わり、クロに対しての考察を始める士郎。 切り替えの早さは魔術師にとって生命線らしいが、それを抜きにしても、今の士郎は妙だった。

 恐らく凛やルヴィア、ルビーやサファイア、美遊にだって分かるまい。 だがイリヤには分かった。 兄は確かに責任を感じている。 だが、ほんの僅かだが、浮き足立っていた。 微細なモノだが、この目で確認出来るぐらい確かに。

 

「……」

 

 何か、とてつもなく嫌な予感がする。 心が、少しだけだがざわめく。 まるで自分が置いていかれたように感じ、急に心細くなる。

 馬鹿な、と思う。 決めたではないか、兄は自分が守ると。 それなのに、こんなことではその約束を果たせない。

 そう。 置いていかれるのだけ(・・・・・・・・・・)は、もうごめんだと思ったではないか。

 

「ね、ねぇお兄ちゃん」

 

「ん?」

 

 まるで我慢していたモノが溢れるように、口をついて出たのは、震えた声。 それが自分の弱さであると認識しているが、あえてそれを前面に出して、問いかける。

 

「アレ……クロのこと、怒ってないの? わたしが言うことじゃないかもだけど、お兄ちゃん、二回も殺されかけたんだよ? 少しは」

 

「分かってる」

 

 上目遣いで反応を伺う。 その様子を、彼は不安だと勘違いしたのだろう。 優しく笑いながら。

 

「良いかイリヤ。 クロは、そんなに悪い奴じゃない(・・・・・・・・・・・)

 

 そう、訳の分からないことを言い出した。

 

「…………は?」

 

「いや、は、じゃないだろ」

 

 口をへの字に曲げ、士郎は話す。 その顔は、笑ったまま。 殺されかけたと言うのに、本当に嬉しそうに笑っていた。

 意味が、分からない。

 一瞬誰かに操られているのか、それとも混乱しているのかと疑った。 しかし違う。 彼は目を輝かせて、正気で、クロを庇おうとしている。

 

「話してみて分かったよ。 クロは純粋だ。 普通の女の子より反応が大きいし、そういった機敏に気付きやすい。 生まれたばっかりだしな。 だから面と向き合ってみれば、大丈夫。 それに兄貴だからな、大抵のこと(・・・・・)は許しちまうもんさ」

 

 それはまるで、ずっと欲しかった玩具を手に入れた子供のようで。 絶対に離さないと、その瞳は物語っている。 例え何があってもという、強い意志が。

 殺されかけたことを、平然と大抵の事と言い放つ、その顔は、可笑しい。

……胸がざわつく。

 こちらを真っ直ぐと据えて、宣言しているのに。

 まるでイリヤではない誰かを、見ているようで。 全然、こちらに焦点が合っていないのだ。

 そう。 さながら新品の人形を手に取られ、これから風化していく、使い古されたテディベアのような、そんな気持ちに。

 

「……イリヤ?」

 

「え? あ……う、うん。 なに?」

 

 ハッとなって周りを見やると、みんな地下室には既に居らず、目の前に兄が佇んでいた。 再び兄と視線がぶつかる。 しかしその視線は先の異変が嘘のように、イリヤへと定まっていた。

 イリヤの体の奥底が、ぞわりと、総毛立つ。 重い重い、刃のような突風が打ち付け、理性がズタズタに引き裂かれる。

 吐き気を催さないのが、不思議なほどだった。 これは可笑しい。 この人は、何か間違えている。 普通の兄であっても耐えられないような場面で、ヘラヘラとしているばかりで。

 幸福の王子という話を思い出す。 他人のために全てを投げ売った、銅像の王様の話。 今の士郎は、そんな王様に重なって見えた。 キラキラとしたモノに囚われすぎて、自分が念頭にない、そう感じたのだ。

 

「いや、これから作戦会議するって話なんだが……」

 

「わ、分かった。 行こ、お兄ちゃん?」

 

 いつもなら隣に並ぶのに。 今日に限っては、そんな兄の横を通り抜けて、先行する。 薄暗い地下から抜け出そうと足早になる。

……守ると言っていたのに。 そんな兄を、置いていくような形になっていたことに、イリヤは結局気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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夜~衛宮家/魔力供給Ⅰ 信じるべきか、否か~






ーーinterlude4-1ーー

 

 

 夕食は、どうやら久し振りに兄が作ってくれたらしい。 らしい、というのは、その夕食をイリヤは食べなかったから、不確かなだけなのだが。

 

「……はぁ」

 

 ざばん、とバスタブに体を浸ける。 ピリ、とまるで電流が通るように、全身へ湯が染み渡るが……やけに熱い。 昨日最後に入浴したセラが、温度を高くしたままにしているのか。 案の定壁に設置されたパネルを見ると、四十二度。 夏はまだまだ先とはいえ、やはり暑いモノは暑い。 温度調節をしながら、ゆったりと風呂を堪能する。

 

「ぷぁー……極楽ですねぇ……羽がふやけちゃいますよー……」

 

 桶を湯船にしているルビーが、気の抜けた声を出力する。 桶の縁を羽で叩き、タオルまで頭に置いている姿は、まるっきり銭湯に癒されに来たおっさんのそれである。

 

「耐水性どころか、英霊の攻撃をガンガン弾く玩具が、今更何を言うのかな……」

 

「もー、水を差す言葉はやめてくださいます、イリヤさん。 ルビーちゃんはこう見えても忙しいんですよ? イリヤさんのサポートは勿論のこと、凛さんやルヴィアさんに呼び出し食らいますし。 まぁ無視しますけども」

 

「それでどやされるわたしの身にもなってよ、全く……」

 

 最近はあんまりないけど、と肩まで沈めるイリヤ。 その表情は、少し暗い。 伏し目がちに、湯船の水面を眺めている。 そんな主を察してか、

 

「……お疲れですね、イリヤさん。 やっぱりお兄さんを避けるなんてこと、あなたには無理ですよ」

 

 小さく、ん……と返事をするが、納得がいかないように、イリヤは俯いた。

 もう二週間近くの前のこと。 イリヤはとある事件で、自分の出生の秘密を知った。

 聖杯戦争。 その戦争の報酬として設けられた聖杯が、自分であることを。 そして何より自分の聖杯としての機能が具現化し生まれた、クロのことを。

 クロは兄である士郎を襲い、自分にも牙を剥いた。 口を開けば、『兄以外は殺す』の一点張り。 そんな危険な彼女を拘束していたのも当然のことで、これからどうするか対策を練っていたのだが……事もあろうか、殺されかけた士郎自身が、クロを逃がしてしまったのだ。

 曰く、『クロはまだ人の関わりを知らない子供だ。 確かに危うい所もあるだろうけど、きっと大丈夫。 分かり合える』……ということらしいが、イリヤからしてみれば、そんなことは二の次で、まずは早急にとっ捕まえるべきである。 何しろクロは、身内にすら刃を向ける。 そんな狂っているとしか言いようがない相手に、何をそんな悠長なことを言っているのか。 イリヤからすれば、全く理解出来なかった。

 それに士郎のそうしたマイペースさ、呑気な態度が気に入らない。 士郎の妹はクロではない、イリヤだ。 例えイリヤがその位置を奪ってしまったとしても、それまで過ごした時間や、この想いは、決してクロのモノではない。 これは自分だけのもの、だから自分を殺そうとするクロを、受け入れるわけにはいかない。

 もし受け入れてしまったら。

 本当のイリヤが居たら、家族はきっと自分ではなく、本当のイリヤを愛するのではないか、なんて。

 

「……む」

 

 悠々と泳ぐアヒルの玩具を、むんずと掴む。 間の抜けた音が響くが、イリヤの中の懸念は晴れない。

 流石にそれは飛躍しすぎかもしれない。 イリヤの知る家族は、例えイリヤが本物のイリヤでなくても、受け入れる。 だからクロのことも受け入れるかもしれないが、同時にそれは自分も変わらず愛してくれることと同義だ。

……しかし。 血の繋がってない、彼はどうなんだろう。

 衛宮士郎。 義理の兄である彼は、クロを受け入れて……そして自分に対して、どう接してくるのか?

 変わらないとは思う。 士郎はそこらの人間より、よっぽどのお人好しなのである。 けれど。

 その目が、その言葉が。 自分ではなく、クロに向けられる優しさが……何故か、とてつもなく怖い。 まるで、新しい人形を与えられた、少女のように。 まだ会って数日だったハズのクロに、どうしてか自分に対して接するような態度なのだ。

 もし。 もしクロを受け入れ、家族として迎えてしまったら。

 その先で、自分は兄の隣を歩いているのか?

 その隣に居るのは、自分ではなく、クロなのではないのか?

 

「……そんなわけ、ないもん」

 

 ぶくぶくと泡を立てながら、イリヤはそう呟く。 しかし誰にも届かない声は、湯煙となって充満していくだけで、更にイリヤの心は疑問の熱に侵されるばかりだ。

 

「いやー……昼ドラですねー……魔法少女に昼ドラ路線を入れるとは、イリヤさんも中々マニアックな……」

 

「……何だろう。 かつてないほど、わたしは今怒れそうなんだけど」

 

「いやーん、イリヤさーんこわー……ぶばっ!?」

 

 いつまでも黙らない礼装を、桶からぶっこ抜くと、そのまま無表情で湯に沈没させるイリヤ。 その様子は月曜ゴールデンの冒頭でありそうな、殺人現場さながらで、違いがあるとすれば深刻さが全く伝わってこない点である。 バタバタともがくルビーに、表情を崩さず、

 

「……そういえば美遊は、どう思ってるのかな、アレのこと……」

 

「もがばっ、ぼばばばばばばば……!!」

 

 イリヤの疑問に答えるのは、タップアウトを十セットしても解放されない、ルビーのSOSだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 基本的に、俺がいつもする魔術の鍛練で、必要なモノというのは無い。 何せ魔力だけなのだから、準備するとしても礼装ぐらいだが、生憎と手ぶらで鍛練どころか魔術戦だってこなせてしまうのは、我ながらスマートで素晴らしいところだ。

 まぁそれも、きちんと魔術に集中出来ていれば、の話なのだが。

 深夜零時。 闇が一番色濃い時間帯、俺は自室で一人、魔術の鍛練を行っている。 遠坂と行っていたときのように、ひたすら強化と投影、変化を繰り返す作業。 普段なら精度の心配をするだけで、失敗なんてもっての他だが……。

 

「……む」

 

 今しがた終えた投影品を、自分の目で鑑定する。 今回投影したのは短剣。 ダガーというよりは、ナイフに近いが、失敗も良いところ。 試しに腕に振り下ろしてみると、触れた瞬間ボロっ、と土のように形を無くしていき、魔力へと返っていく。

 残った柄を投げ捨て、大の字に寝転ぶ。 あんなモノを作り出した手を恨めしげに睨んでみるが、馬鹿らしくなって視線を外した。

 原因は二週間前。 クロを逃がし、イリヤから避けられるようになったからだろう。

 前は事あるごとに気にかけてくれたイリヤは、今では俺から逃げるように部屋に閉じこもるか、俺の居ないリビングに退避したりしている。 会話も日を増すごとにぎこちないし、ここ数日はうん、だのああ、だのしか話していなかったりする。

 勿論、俺だって何が悪かったのかぐらい、分かる。 クロにばっかり構っているから、大方拗ねているのではと思っているのだが……もしかしたら違うのではかもしれないと、直接問い質そうとしたりもした。 しかしイリヤは取り合ってくれないし、かと言って強引に聞き出すのも気が引ける。 なので今日は、イリヤの好きな料理で少しは前のように話せるかと思ったのだが……。

 

「まさかの欠席だもんなぁ……」

 

 おかげで万策尽きた。 セラやリズにはあらぬ疑いをかけられ、魔術には身が入らない。 これではクロとイリヤの仲を取り持つどころの話ではない。

 

「……クロ、か」

 

 クラスカードによって現れた、俺のもう一人の妹。 守ると、そう約束しただけで驚いてしまった彼女。 自分はいつか元の世界に帰らねばならない。 エミヤシロウの場所をいつまでも陣取っている気はないが、放棄するつもりもない。 だからこうして命を削ってでも、魔術の鍛練を行っているのだ。

 そう、自分に言い聞かせている。 沸き上がる問題を横に押しやっていることを自覚しながら。

……実は。 クロに守ると約束した直後から、記憶がどうにも曖昧だ。 クロがどう逃げたかも分からないし、何より気づいたときには、遠坂に叩き起こされていたのである。

 冷静に考えれば、クロに何らかの魔術を仕掛けられたと見るべきだ。 暗示か、記憶の操作か。 クロの性能を考えれば、魔術的な防衛対策がない俺など、それこそ一度願うだけで叶えられる。

 しかしどうして? いや、動機はそれこそいくらでも思い付く。 与しやすいが魔術の相性で手強い俺を陥落させることか。 それか俺を仲間に取り入れることか。 どちらにしろ、イリヤ達を殺すことには変わりない。 分からないと思い込んでいるのは、きっと彼女を信じたいから。 盲目的でも。

 分かっている、気づいている。 自分の中で、何かが可笑しくなっていることぐらい。

けれど。

 信じないのか。

 兄貴である俺が、妹を。

 エミヤシロウなら信じるというのに。 その場所を奪った俺が、信じないのか?

 

「……意固地だよな」

 

 我ながら頭でっかちだとは思う。 イリヤが殺されるかもしれない、切嗣やアイリさんが殺されてしまうかもしれない。 そこまで想像してしまえるのに、自分は行動に出ないのだから。

……俺はエミヤシロウの命を奪い、その役に成りきろうとしている。 既に舞台は半壊しているのに、マリオネットのように無理矢理。

 けれど誓ったのだ。 自分は、決して彼女達を悲しませないと。 その誓いこそが矛盾しているというのにーーそれでも、この体の持ち主に誓った。

 それは間違っている。 分かっている、分かっているとも。 これが俺の我が儘でしかないことだって。

 それでも自分は、あの笑顔をどうしても守りたい。

 嘘であったとしても、自分が更に罪を重ねるとしても、それだけは否定したくない。

……昔のことだ。 昔、誰かが口を揃えてこう言った。

 

ーーお前は、踏み台にしてきた人のために、正義の味方になるんだ。

 

 何処かの誰かが、そう決めつける。 衛宮士郎はそう生きるべきだと、あの地獄で見捨てた全ての命が、それを言い渡す。

 強制されたわけじゃない。 けれど、そうならなければ、苦しんだ人達を見捨てた意味が、無くなってしまう恐怖に取り付かれた。

あそこで消えた命にだって、意味はあったのだと。 そう信じたい為に。

 正義の味方になる。 そうなりたいと願い、その相反する願いすらも良しとした自分だからこそ、この世界は眩しかったし、自らの生き方をねじ曲げてでもここに居る。

 でも。 イリヤと、美遊と、クロと。 それぞれ約束したとき。 ずっとすぐ側で、向こう側で、誰かの声が木霊する。

 

ーーーー裏切るのか?

 

 あのとき死んでしまった誰かを。

 あのとき涙を流し、助かった自分を。

 あのとき乗り越えた、あの男の背中を。

 そして何よりーーあの夜、最期に幸せそうに笑い、逝った父親を。

 お前は妹を守る代わりに、その全てを裏切るのか?、と。

 

「……っ」

 

 違う。 その声は心の中に閉じ込められて、外へ微量すら出ない。

 何故なら、俺自身が自覚し、受け入れてここに居るからだ。 エミヤの言葉はエミヤを傷付ける。 その意味を知ってなお、進んだように。

……もし、これから。

 元の世界のことも思い出せなくなり、この世界のことしか思い出せなくなって。

 そうして、エミヤの言葉も忘れてしまったときーー自分は果たして、正義の味方を張り続けられるのか?

 張り続けるとして、そこにイリヤ達が居なかったとしても、自分はそれでも正義の味方という夢を優先するのか。

 

「……」

 

 もし気に病むとするなら、それだ。 俺にとって、それが一番怖い。 イリヤをもう一度失うことが、何より。

……そのためなら、何だって捨ててしまいそうなことが。

 一人でこうして佇んでいると、考えはドンドン悪い方へと下降していく。 いつもなら自らを落ち着けた後、寝てしまうのだが……幸か不幸か、今日は来客が来た。

 

「また随分と落ち込んでるのね。 考え事?」

 

 俺の思考をぶった斬る、甘い声。 顔を傾けると、今しがた転移してきたらしいクロが、すまし顔でベッドに座っていた。

 

「……クロ。 入るなら入るで、ベランダから来てくれないか。 心臓に悪すぎるぞ」

 

「む。 わざわざ魔力を多く使って、お兄ちゃんを驚かせようと趣向を凝らしてるのに。 サプライズは男の方からしないとダメなんだからね、分かってる?」

 

「あのな。 こちとら結構参ってるから、そこまで気が回らないんだけど……まぁ助言は頂くよ」

 

 足をぶらぶらと揺らすクロに、少しだけ対抗するが、すぐに態度を改める。 変に刺激してはいけない。 ここに来たということは、目的はたった一つなのだから。

 で?、と少しばかり身を硬くして、

 

「……その。 足りないのか、魔力?」

 

「ん。 だから、今から良い?」

 

 まるで朝食にジャムでも要求するような、軽い態度。 しかしクロは猫のごとく目を細める。 獲物を捕まえた、そう言わんばかりの目だ。

 クロはイリヤの聖杯としての機能が、クラスカードによって現界した存在である。 とどのつまりサーヴァントに似て、体は魔力で出来ているのだ。 当然サーヴァントと同じく、自力で魔力を生み出す力はない。 それで魔力供給が必要らしく、この二週間の内に、何度か俺の元へと訪れていた。

 しかしラインもない使い魔相手に、魔力を供給する術など知らない。 よって、クロの方法に従っているのだが……。

 観念して、右手を差し出す。 と、またもや不服そうに、じとっ、とした視線で俺の心を攻撃してくる。

 

「……わたしは前みたいに、キスでも良いんだけどなー、全然」

 

「なっ……!? ば、馬鹿言うな、兄妹だぞ! んなことがでっ、出来るか馬鹿!?」

 

「そう? わたしはお兄ちゃんとなら大賛成だし~」

 

「慎みを持ちなさい少しは!」

 

 この小悪魔は。 動揺する俺を見るコケティッシュな目は、まるっきり子羊を前に舌舐めずりする狼である。

 クロが提案した魔力供給の方法。 それが何と、キスだったのだ。 しかもまだ捕まっていたとき、俺が寝ている間に……その、まぁ、なんだろうか。 『ヤられた』らしく。 変な夢を見て、やけにその、熱が出たときがあったが、それが原因だったらしく。 知ったときには自己嫌悪で死にたくなったほどである。 鏡に映った自分をぶん殴って、ぶち割ったのが懐かしい。

……しかしクロには、その魔力の供給が必要だ。 こうして生きていることすら、魔力を消費し続けているのである。

 だとすれば、代案が必要で。 そこで俺の血を吸うことでどうか、と提案し、了承を得たのだ。 それまでに体感では百日間戦ったような気がしたのは、気のせいでは無いハズである。

 

「……ふーんだ。 意気地無し」

 

「なんでそうなる……良いから始めろって。 血を抜かれるのだって、結構辛いんだからな」

 

 背に腹は代えられない。 そんな態度だったが、俺の手を握ったときにはそれも消え去っていた。

 

「ま、良いけど……こっちはこっちで、悪くないし……」

 

 両手が俺の手に触れる。 ゆっくりと人差し指を、口へと運ぶ。 ぬるりとした、温かい感触。 それが指先から、指全体を覆う。 舌が動き、指を丹念に撫でていく。 犬や猫にされるのとはわけが違う。 月光が焼けたクロの肌を照らし、より蠱惑的に、エキゾチックな姿を映し出す。 俺を貪る姿が目に焼き付く。

 くすぐったさと恥ずかしさ。 そして少しの、快楽。 澱のように巣食うそれをどうにか心の奥底に抑え込む。 血を吸うのなら早くしろと言いたいが、何故か口に出来ず、されるがままだ。

 唇から指が引き抜かれる。 唾液が糸を引き、クロはぺろ、と舌を出して、クリームを舐め取るように唇へと走らせる。

 

「ん……あれ、もしかして気持ち良かったりする?」

 

「っ……そんなわけ、あるか。 遊んでないで、早くしろ」

 

「図星でしょ、どもってるもん。 ふふ。 じゃあ、こっからが本番ねーー」

 

 そう言うなり、今度こそ搾取に入るクロ。 指先を噛み切ると、先程より激しく、指を飲み込んだ。

 途端に体から、力が抜ける。 血が飛び出すように、魔力を搾り取られているのだろう。 腰が抜け、最も血が足りない指から感覚が抜け落ちていく。 しかしそんな脱力の中で、快楽だけが強くなっていく。

 血を吸うクロは、取り付かれたようにその行為を続ける。 粘着質な音が部屋に響くと同時に、甘い声が耳朶に染み渡る。 頬が上気しているが、どれだけ興奮しているのだろう。 血と体液にまみれた口元すら気にせず、舌を上下に駆け巡らせながら、俺へと熱が入った視線を送る。

 見ないようにしていたのに、いつの間にかその行為へ釘付けとなってしまう。 不甲斐ない、情けない、そんな背徳感すらも興奮へと変わっていくのを自覚する。

 

「ん……」

 

 一際大きいねばついた音で、ようやくその行為が終わったことに気付いた。 クロは最後まで丁寧に指を舐めとるが、消化不良らしく、開口一番。

 

「……キス、する?」

 

 まさに反則だった。

 どくん、と鼓動が跳ねる。 自分でも抑えきれない劣情が、独りでに走り出しそうになる。

 元々露出が多かった装束は、行為で肩から外れかかっており、腹部に至っては涎が垂れかかっていた。 普段は快活なイメージしか湧かなかった小麦色の肌は、暗闇においては色欲を増長させ、クロ自身を強烈に彩っていた。 何よりその表情。 幼く、しかしそれ故に止められない理性が弾けた、女の表情だった。

 興奮の上限を飛び越えかねない状況。 が、それを、鉄の意志で。

 

「……しないの? 最高に気持ち良いよ、わたしの唇」

 

 その言葉で、目が行く。 ふっくらとした唇、俺の血で汚れた、俺を受け入れた口。 そこにこの欲を放出出来たなら、それは。

 

ーー何もかもを裏切ることになるぞ。

 

「……ふぅ」

 

……息を整えろ。

 目的を思い出せ。

 お前がどうしてここに居るのか、なさねばならぬことを思い出せ。

 

「……馬鹿なこと言うんじゃない」

 

 すこん、と逆の手でクロの頭へチョップ。 あたっ!?、と頭を押さえるクロの服を正してやると、意地悪く笑ってみせる。

 

「俺を魅了したいなら、あと五年は待つんだな。 具体的には遠坂ぐらいじゃなきゃ、俺は揺れないぞ」

 

「何でリンなのよ? って、まさかお兄ちゃん、リンみたいなのが良いの!? 趣味悪すぎでしょ、それ」

 

「……小学生に襲いかかる方が趣味悪いと思うけどな」

 

 その言葉が決め手だったか、うー、とひとしきり唸り、立ち上がる。

 

「……ちぇ。 ま、いっか。 次は落とすもん」

 

「そういうのじゃないだろ。 でも、魔力が足りなくなったら、いつでも来い。 ああ、あとお前のこと、俺の方からイリヤ達に話したいんだけど、中々上手くいかなくてさ……すまん」

 

「全然良いよ、気にしてないし。 密会とか嫌いじゃないわ」

 

 ニコッと無邪気な笑顔を見せるクロ。 守ると決めた笑顔。 騙していると信じたくない笑顔。 そんな葛藤を押し殺していると、

 

「じゃ、また明日(・・)

 

 そう言って、目の前から消えた。 初めから幻想だなんて言われても、仕方がないほど完璧に。

 けれど覚えている。 その笑顔を。 彼女はここに居る。 ならば守るべきだ……守るべきなのだ。

 寝よう。 寝て覚めれば、そんな疑問には取り付かれず、クロを信じてやれる。

 そう言い聞かせて、ベッドへと倒れ込む。 香る匂いに、先程の行為を思い出すが、魔力供給での疲れが勝つ。

 また明日。

 そう言った意味を気づいてやれたのなら、もう誰も傷つけなかったかもしれないのに。

 眠りは速やかに訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude4-2ーー

 

 

 自然と笑みが溢れる。 あの兄の惚け面が、嬉しくて仕方がないからだ。 自分に快楽を感じてくれた、その観点だけで言うなら、即席の魅了魔術も悪くはない。

 たん、たん、と。 電柱を、看板を蹴り、クロは夜の深山町を疾走していく。 何処に向かうでもない、ただその喜びを忘れないために、駆け抜ける。

 

「……ふふ」

 

 二週間前。 確かに自分は魅了の魔術をかけた。 暗示だってそう。 それぐらいは彼とて分かっている。 だからこそ今日まで、魅了と暗示に負けず、直前で突っぱねてきたのだ。 まぁもしこの程度の誘惑に負けるなら、即座に首を落として、自害していたが。

 しかし、これはあくまで布石。 魅了と暗示はかかればそれでお払い箱。 魔とは人の心に入り込むから魔。 つまり解呪しようと、その影響が無いとは限らない。 毎回二つの魔術を彼にも分かるようにかけたのは、解呪したと思わせて、自分色に染め上げるためだ。 魔力供給もそう。 個人的な願望があったことは否定しない、というか百パーセントそうなのだが、それも一種の魔術。 刷り込みだ。

 

「……明日が楽しみ……ねぇイリヤ。 あなたのお兄ちゃん、わたしのモノにしちゃうけど、良いかしら?」

 

 ニィ、と歪められた口の端。 寝静まった夜を、過去も未来も見えない少女の笑い声が木霊する。

 

「待っててね、お兄ちゃん」

 

ーーすぐに、わたしだけのモノになるから。

 

 少女の願いはただ一つ。 兄のみ。

 ならばそれ以外は、不要。 二人だけの世界があるのなら。

 自分は、それを求めるために、全てを壊そう。

……見ない振りは出来ない、彼の末路と共に。

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude4-3ーー

 

 

 月明かりは、朧気で嘘みたいだった。 カーテンの隙間から差し込む光を眺めてみると、その静けさにうとうとしてしまいそうなのだが、生憎とそこまで気楽にはなれない。 美遊はベッドから抜け出す。

 上着を羽織り、ベランダへ出ると、少しびっくりした。 初夏にもなっていない外は肌寒いが、眠れない身には丁度良かった。

 

「ふぅ……」

 

 息を吐き、何となく夜空を仰ぐ。 欠けた月は美遊の心を映したようで、沈痛の面持ちでそれを見つめる。

 この二週間。 クロが脱走してから、美遊は悩んでいた。 イリヤが士郎を避け、士郎はそんなイリヤにどう向き合うべきか迷っている。 そこでイリヤの友達として、イリヤに親身になるべきか。 それとも士郎の妹分として、士郎に親身になるべきなのか。 どちらに重点を置いていくべきか、悩んでいた。

 これが些末な問題ならば、美遊が考えている間に問題は解決していただろう。 しかし、これはあの兄妹の今後に差し支える問題だ。 それに対し、半端に介入するのは、美遊自身許せなかった。 美遊にとって、それだけ二人は大切な存在であり、また力になりたかったのだ。

 それだけに、問題が長引いていることは、美遊としても忸怩たるものがあった。 自分が介入したところで、好転するどころか悪化したかもしれないが、可能性は否定出来ない。

 

「……」

 

 暗い表情のイリヤと、困ったような士郎。 二人の顔を思い出し、美遊は悩ましげに睫毛を伏せる。 公言していないが、美遊はあの兄妹を守りたいと常々思っている。 その関係が壊されることだけは、避けたい。

 どうして、と言われても、恐らく美遊は誰にも言わないだろう。 ただ答えるとすれば、たった一つのシンプルな言葉。

 あの二人は、そうあるべきだと。

 

「……うん」

 

 物理的に守るのであれば、美遊にも心得はある。 しかしこうした、心証や精神の問題はどうにも、人の関わりが少なかった美遊には難しい問題だった。

 と、少し可笑しくなって笑った。 まさかそんな小さなことで笑えるようになるとは思ってなかった。 この世界で、そんな風に笑える日が来るなんてーーーー。

……ここには、彼が居ないのに。

 

「……ねぇ、『お兄ちゃん』」

 

 改めて噛み締めるように。 美遊は、はにかんで、報告した。

 

「わたし、頑張るよ。 出来ることなんて少ないのかもしれないけれど……それでも、あの二人を守れるように」

 

 純粋すぎるきらいすらある、少女の願い。

 だが願いとは、純粋なモノこそ夜空を駆け回り、星となって叶えられる。

 ならばこの願いも、一つの流れ星となって、地上で叶えられる夢に違いない。

 故に少女が願うのは、ただ一つ。

 

「……この幸せ(世界)がずっと、続きますように」

 

 その命に幸あれ。

 月夜の下、少女は一人、願い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 



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崩壊の昼~学校、屋上/シスターVSシスターfeatシスター

ーーinterlude5-1ーー

 

 

「おはよう、イリヤ。ちょっと良い?」

 

 朝。今日も今日とて自身の存在を揺るがす問題があろうと、学校へは通わねばならない。兄は用事で先に学校へ行っており、それだけは感謝しておきたい。されどイリヤは憂鬱な気持ちで、玄関を出たのだが、そんなときに凛と鉢合わせた。

 バイトでほぼルヴィアに付きっきり(という名の嫌がらせ)な彼女には珍しく、一人だ。首を傾げ、

 

「リンさん、おはようございます。それで何ですか? ルヴィアさんとミユが居ないけど……」

 

「んー……まぁ長くなるし、歩きながら話さない? ちょっと二人だけで話したいから」

 

「はぁ……?」

 

 また何かクロ絡みで問題だろうか。それにしては街路で、しかも二人で話したいと言うし。イリヤは内心嫌になりながら了承する。

 衛宮の家から学校まで、それほど時間はかからない。喋りながら話しても、八時過ぎには教室に着ける。

 早速、凛は話し始めた。

 

「まどろこっしいのは無しにして。話っていうのは、衛宮くんのことよ」

 

 ぴくん、と心が跳ねた。まさかそこを凛に突かれるとは、想像していなかった。

 何せ凛とルヴィアは、そういうデリケートな話を士郎に全て投げているからだ。家族の問題は家族の問題で、部外者が口を出すことでもないと。

 つまり、それだけ今、イリヤと士郎の関係はチグハグなのだ。こうして凛が無粋を承知で話すように。

 

「……ごめんなさい」

 

「え? な、なんであなたが謝るのよ。確かに見てられなかったし、あなたも少しは歩み寄りなさいとは思ったけど……」

 

「ううん、それもなんだけど……リンさん達、クロの問題で手一杯なのに、余計な問題増やしちゃったから、その……悪いなって」

 

 何せ分からないことばかりなのに、そこへ他人の問題まで背負わせようとしてるのだ。凛達にそこまで頼りきりにはなれない。イリヤはそう思ったのだが、

 

「……ったく。だから違うでしょ、それは」

 

「え?」

 

「そもそもクロのことは、あなた達だけの問題じゃないでしょ。クラスカードがクロの体内にある限り、わたし達も無関係だなんて言えない。ていうかちょっかいかけたり、士郎に構ってもらってるしで、同じ顔の人間が居るあなたが戸惑うのも無理ないっていうか……」

 

 つまり、と凛は締め括る。

 

「別にあなたを責める気は更々ないわ。悪いのは衛宮くんも同じ。だから、二人とも平等に責める。あなた一人が背負い込む必要はない、ね?」

 

「……そこは、お兄ちゃんに押し付けないんですね」

 

「そこはキッチリしないと。イリヤだって分かってるんじゃない、何が悪かったのかぐらい。そもそもなんで話せないの? 嫌いになったとか?」

 

「そ、そんなんじゃない、けど……」

 

 口淀むイリヤ。凛は追求せずに、きちんと耳を傾けてくれていた。

 なら話すべきだ。自分も嘘をつかずに、正直に。

 

「……ちょっと、怖いのかも。お兄ちゃんが」

 

「怖い?」

 

「うん……」

 

 思い出すのは彼が魔術師と知った、その晩。アサシンの攻撃から庇ったときのことだ。

 

「お兄ちゃん、痛くても他人の前だとそういうの全然見せなくて。自分の方が辛いのに、他人のことばっかりで……」

 

 腕に深々と刺さった短剣になど一切目もくれず、それどころか苦悶の表情すらなくこちらを心配する顔。その顔が、酷く遠くに思えた。まるで透明な壁が幾枚もあるように感じたのだ。

 

「だからお兄ちゃんが自分のことを守らないなら、わたしが守ろうって思った。みんなを助けようとすることは、きっと間違ってはいないから。その気持ちは今も変わらない。変わらないけど」

 

 胸に手を持っていくと、心臓の辺りを擦る。

 

「……最近、また分かんなくなっちゃって。分からなくても良いと思ってたけど、でも闇雲に信じようとしても辛くて。だから、どうして良いかも分からなくて」

 

 前にイリヤは約束した。士郎を守ると。

 でも、結局そんな約束をしたって、イリヤまで変わるわけではない。臆病で、うじうじしてばかりの性格までは変えられないのだ。

 と。それを聞いた凛が、

 

「……衛宮くん、言ってたわ。夢があるんだって」

 

「夢? お兄ちゃんが?」

 

 それは初耳だ。セラに将来はどうするのかと言われ、とりあえず進学と答えていた彼だ。それだけ昔から他人のことばかりで、夢なんて言葉とは程遠い人だった。

 そんな彼の夢。イリヤは気になった。兄を知るキッカケになるかもしれないと。

 

「まあ夢と言っても、荒唐無稽というか。一体いくつなんだって話なんだけどね」

 

 そうして二人が話す間にも朝は過ぎていく。

 思えば、嫌な予感がしていたのはーーここからだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼。 魔力供給の影響か、少し重い体で何とか授業を乗り越えた。 脱力感というか、筋肉痛に近い。 普段魔力を吸われ慣れてないせいだろう。 いやまぁ、慣れてるなら慣れてるで問題なのだが。

 

「んー……」

 

 降り注ぐ日差しが心地良い。 初夏に入りかけている今の時期だと、屋上で食べるのも健康的だろうか。

 だがまぁ、それも睨み合う竜虎が居なければの話。

 

「……ふ」

 

「な、なによ。 言いたいことがあるならはっきり言えば?」

 

「いえ。 あなたはいつも、購買のウグイスパンを食していると思いまして。 同じ時計塔主席、名門の出身ながら、どうしてこう如実に差が出るのかと」

 

「重箱担がせてくる奴が言うこと、それ? そりゃ見劣りもするでしょ。 小学校の運動会じゃあるまいし。 というか、アンタんとこの執事が姑みたいにネチネチ朝から呼び出すから、弁当も作る暇が無いんでしょうが」

 

「あら、雇い主の前で苦言とは……随分と大きく出たものですね、下僕(バイト)の身で。 オーギュスト、教育が足りないようね」

 

「すみません、お嬢様。 遠坂様にも一応実生活があるため、睡眠を二時間ほど削ることに成功しましたが……それ以上は報酬をチラつかせても、やはり芳しくは」

 

「おいコラそこの執事鉄人、今ちょっと気になる単語がチラっと出たんだけど」

 

「ホホホ、何でもありませんわ。 ちょっとしたフィンランドジョークです、夢も希望もありますでしょう?」

 

「金が出てる時点で夢も希望もあるか!? 金で買えたら夢も希望もただの現実でしょうが!」

 

 俺の右隣で、ウグイスパンへ骨付き肉よろしく、ワイルドに噛みつく遠坂。 また左隣では重箱にこれでもかと詰め込まれた高級料理を優雅に食すルヴィア。 その背後で控え、オーダーに応えるオーギュスト氏。 いつの間にかティーセット+αを持ち込んでいる辺り、この学校の警備はどうにかしないといけないと思う。

 今日は一成からお誘いを受けていたのだが、なんやかんやでこの面子で昼食。 我ながら女子には弱いというか、どうにも遠坂が相手だと断りにくかったりする。

 その俺も弁当。 昨日の残り物である揚げ物と、温野菜に白米。 実に健康的、普通極まりないメニューである。 まぁ昨日作り過ぎた、反省。

 

「ルヴィアの弁当、相変わらず凄いな……なんだその海老、オマールとかロブスターとか、そっち系か?」

 

「ええ、産地から直送ですわ。 これも宝石魔術の応用ですわね。 しかし私の弁当も大切でしょうが、イリヤスフィールも同様ですわよ、シェロ? クロのことでの説得は終わりましたの?」

 

「馬鹿ね、ルヴィア。 衛宮くんがそんなデリケートな話題、解決出来るわけないじゃない。 どうせ話題すら振れないんでしょ? 意地なんて張らず、わたし達に頼めば良いのに、変なとこで真面目なんだから」

 

 む。 手厳しい二人に、口をへの字に曲げる。 確かにクロは、二人にとって目の上のたんこぶなわけだから、口煩いのも納得だが。

 

「……ご想像の通りだよ。 まだ話せてすらない。 けどこれは俺とイリヤの問題だ、二人に任せるのは筋違いだろ」

 

「むむ。 鉄のように頑ななのも、本当に考えものですわね……しかしやはりイリヤスフィールのことは後回しせず、自ら切り出すのが得策です」

 

「ん。 ま、分かってるんだけどな……」

 

 中々上手くいかないのが、俺のような小市民なわけで……そんな俺の様子に、トマトソースがかけられた海老を頬張るルヴィアは、気難しそうな顔つきになる。 しかしすぐに、俺の弁当へと興味が移った。

 

「そうですわ、シェロ。 せっかくこのように、持参したことですし……一品だけでも、交換してみませんか?」

 

「俺の? ていうかそれ、オーギュストさんが作ったんじゃないのか? そんな見るからに万札が飛ぶような輝きを放ってるような料理に、俺みたいな素人が作った料理でトレードに応じるのは、回り回ってこちらが傷つくと言いますか……」

 

 何せ素材からいって、スーパーの特売品、または半額のセットである。 調味料だって詰め替え可能なお得品。 対して相手は、秘境に生えただの、一年に百個とか、そんぐらいのスーパーオーダーメイド。 ダメ押しに料理の腕も、天と地の差はあるに違いない。 完膚なきまでの大敗だ。

 しかし諦めきれないのか、ルヴィアは熱弁する。

 

「そ、そんなことはありませんわ。 そ、そう、愛情! やっぱり愛だと、Mrs.はぁとも言ってましたわ! ですからシェロ、一品だけでも交換を……」

 

「お嬢様、私の忠誠心は誰にも負けておりません。 それこそ、士郎様にもです」

 

「お黙りなさいオーギュスト! あなた、無意識にわたしを追い詰めているとわかって!? それとシェロとは、まだそういう関係では……確かに、そうなれば縛ってしまいそうですが……いやしかし拘束する女は嫌われると聞きますし……!」

 

 顔を赤らめたルヴィアはごにょごにょと口ごもっていて、話は聞き取れないが、節々から拘束だの縛るだの、怖いぞちょっと。 そっちの趣味があるのか……? 全く想像出来な……。 

……いや、普通に出来るな。 ああ、うん。 あの高笑いはまんま、女王サマだし。

 

「はぁ……流石に憐れというか、相手が悪いというか」

 

「……なんだよ遠坂、お前も弁当ほしいのか? 結構食べそうだもんな、お前」

 

「それ、本来なら黒板にヘッドスライディングさせてあげるところだけど、今は受け流してあげるわ。 とりあえず交換に応じてあげたら?」

 

 何やら分からんが、遠坂は見かねた感じだし、ルヴィアはチラチラと弁当を盗み見てるし、これではまるっきり俺が悪者だ。 忍びないのだが、応じよう。

 

「……交換するか、ルヴィア?」

 

「い、良いんですの、シェロ?」

 

「まぁな。 どれでも良いぞ」

 

 ああうん、出来れば早く。 後ろのオーギュストさんの指にナイフが影分身したみたいに滞空してるから、サーカスに一人は居る奴みたいになってるから。

 と、ルヴィアはぱぁ、と花のように表情を明るくする。 即座に差し出した弁当を吟味し始める。

 

「む……シェロ、これは?」

 

「ああ、イカリングだな。 文字通り、輪切りにしたイカを揚げた料理だよ。 こっちはとんかつ、えびフライ、白身フライに唐揚げ、コロッケに……」

 

「随分揚げ物の比率が多いような気がしますが……」

 

「はは、ちょっとな。 気合い入りすぎて、作り過ぎちまった。 だからこれ、昨日の残り物なんだ」

 

 ほほー……と感心したように声を漏らし、様々な角度から俺の弁当を審査するお嬢様。 その姿は、クラスメイトの女子と変わらない。 地金の彼女が、ようやく見えたような気がした。

 長いまつ毛の下で、ころころと転がる大きな瞳。 唇はリップが塗られ、よりふっくらと。 大人の女性と言っても差し支えない彼女にはアンバランスな、純粋な表情は、それだけにギャップがある。

 見惚れなかったのが不思議なくらい、鮮やかで、可愛らしい。 ルヴィアは系統で言えば美しいのだが、こんな一面を見られるとは。 交換に応じたのも、存外悪くは、

 

「……、」

 

「……」

 突き刺さる視線。 逆側からビームのように注がれるそれは、いつも感じていた種類のモノだ。 震え上がりそうになるほど、冷たく、鋭い。 背筋に寒気が走るのは、最早本能と言っても良いかもしれない。

……恐る恐る振り返ってみれば、やはり視線の主は遠坂だった。 黙々と、表情が滑り落ちた顔で、ウグイスパンを噛み千切っている。 優雅とはほど遠い、豪快な食いっぷりだ。

 

「……遠坂。 お前もしかして、弁当欲しいのか?」

 

「ふん、そんなわけないでしょ。 わたしはルヴィアじゃないし、残り物なんかで満足するわけーー」

 

 ぎゅるるる。 会話を遮るタイミングで、健康的な音が鳴る。 いや、まぁ……何というか。 音の出所は間違いなく、こやつの下腹部辺りからであって。

 いつの間にか俺の弁当からイカリングとコロッケをゲットしていたルヴィアも、その音は聞いていたらしい。 笑いを堪えようとする余り、背中が震えていた。

 フリーズしていた遠坂はパントマイムみたいな滑らかな動きで、

 

「おほほ、違うわよ? これはほら、携帯の着信音みたいな? お腹の鳴る音を意図的に演出することで、人為的に女子力アップを図るマストアイテムなだけであって、決してウグイスパン一つで足りなかったわけではなくてですねーーーー」

 

 ぐぎょるる。 無慈悲にも女子力というか、貧乏力をアップさせるSEが流れる。 俺は言葉を選び、保護者の気持ちで笑ってみた。

 

「……携帯使えないのに、よく着信が来るな、遠坂」

 

「殺せェ!! この貧相なわたしを誰か殺してくれェーーッ!!」

 

 うわーん!、とウグイスパンを机に叩きつけ、そのまま泣き寝入りする貧乏系魔術師さん。 その姿はこう、あんまりだった。 憧れとかイメージとか、そういうモノが瓦解するのって、きっと些細なことなのだろうなと、改めて思い知らされる。

 

「……ルヴィア。 何か可哀想すぎるし、バイトの特典として三食ぐらいは出してやったらどうだ? お前も張り合いがないだろ?」

 

「お断りしますわ。 資産も管理出来ない三流魔術師なんて、努力が足りないだけですもの。 それにバイトを提供しているというのに、これ以上馴れ合うのはどちらの流儀にも反するというもの。 それに食事など出した日には、中毒で死ぬことになりそうですが、それでも」

 

「あ、やっぱり良いです」

 

 ダメだった。 普段は気の良いお姉さんのルヴィアも、ふとしたことで一気にトラブルメイカーへと変貌する。 しかしやはりこうして、腹を空かせる猫……否、遠坂を見ているのも罪悪感に駆られる。

 んー、そうだな。 よし。

 

「なぁ遠坂、一つ提案があるんだが」

 

「なに……? アンタも笑いなさいよ、どうせわたしなんて倹約も出来ない、ただの没落貴族なんだから……」

 

「ご先祖が泣くぞ、そんなこと言ってると。 まぁなんだ……遠坂が昼飯食い足りないって言うんなら、作ってきてやろうか? 弁当?」

 

「え……え?」

 

「なん、ですと……!?」

 

 遠坂のみならず、何故かルヴィアまで、瞠目する。 しかし一度止まってしまえば、恥ずかしさで口に出来ないことは分かっているので、この際言ってしまおうか。

 が、そんな俺の出鼻を挫くように、小さな振動音が耳に滑り込んでくる。 音源はーー遠坂の鞄からか?

 

「……遠坂、何か携帯鳴ってないか?」

 

「え?」

 

 慌てて鞄から携帯を取り出す遠坂。 電話ではないようだが、携帯を開いて、そこからどうすべきか分からずオロオロしていた。 覗けば、メールの通知だったらしく、仕方なく代わりに操作してやる。

 

「……!」

 

 差出人は、イリヤだった。 遠坂にメールをすることは何ら可笑しくない。 しかし、その内容に、俺は冷や水に打たれたように息を詰まらせる。

 

ーークロが学校で暴れてる! 捕まえるから、凛さん達も手伝って!

 

 クロが暴れてる。 イリヤも嘘で、こんなことは言わないだろう。 となると、本当にクロは暴れているのだ。 あのクロが。 しかしどうして、理由が分からない。 クロは今、俺の説得を待ってくれているハズだ。 それに暴れる理由だってない、何せクロは今、非常に危うい立場だ。 一歩踏み間違えてしまえば、即捕獲。 逃がされているのも、俺が取り合って、何とか保っているに過ぎない。

 なのに何故、自らの首を絞めるような行為を、クロはしているんだ?

 

「ちょっと、操作してくれるのはありがたいけど、わたしにも見せてくれないと……、衛宮くん?」

 

 遠坂に肩を揺らされ、はっとなる。 理由はどうあれ、クロを止めないと。 このままだとイリヤや美遊だけでなく、クロ自身も傷つけることになってしまう。

 

「……悪い遠坂。 学校は早退だ」

 

「は? ちょっ、衛宮くん!?」

 

 遠坂に携帯を返すと、荷物も持たず、教室から飛び出す。 人目も憚らず、徐々に魔力を体の中で循環させていくと、俺は初等部へと走る。

 どうしてイリヤが、そのメールを俺ではなく、遠坂へと寄越したのか。

 その真意を確かめなかったのは、きっとーーーー俺が、イリヤの本当の兄ではないからだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 5-2ーー

 

 

 思えば、片鱗はあった。 ここ最近の運勢は最悪だったし、事実兄とも反りが合わせられない。 こちらが拗ねていただけなのかもしれないが、申し訳なさそうな兄を見る度、胸にちくりと棘が残る。

 しかし、いくらなんでも、こんなもの想像出来るわけがない。

 屋上。 その出口の側、イリヤは身を潜め、状況を見守っていた。

 

「……ふぅ」

 

 息を吐き、クロが満足げに口を拭う。 いつもと違う点と言えば、服か。 穂群原の制服、もっと言えばイリヤの制服を身に纏っていた。 その下には顔を赤らめたクラスメイトーー桂美々が、目を回して倒れている。 しかも腰が抜けているのか、がくがくと痙攣しっぱなし。 どう考えても十一歳が出して良い色香ではなかった。

 事の成り行きは昼休み。 日直だったイリヤが、教師である藤村大河からプリントを受け取り、教室に戻ったときだった。

 ほとんどの生徒が出払っているハズの教室。 しかしそこでは、クラスメイト達が待ち構えており、皆イリヤへとこう言い放ったのだ。

 アレは、どういうつもりだ、と。

 

(……まさかその『アレ』が、こんなのだとは思わないよ……!)

 

 アレ。 そう口を揃えるクラスメイト達の顔は羞恥に染まっていて、詳しくは聞けず、美遊が引き留めている間に逃げてしまった。 そうして辿り着いていた屋上で、クロと美々の濡れ場を目撃してしまったのである。

……何がどうして、こんなことになっているのか。 全く、ちっとも、これっぽっちも理解出来なかったが、見逃せるハズもない。 しかし下手に今アレを引き剥がすには、美々を巻き込んでしまうため、結局最後までその行為を見届けてしまった。 まるで自分が美々を弄んでいるようで、実際はそれを離れて目撃しているこの感覚。 嫌なのに、日常が奪われているのに、それが快楽になり変わってしまうようなーー。

 

「……さ、て。 見てるだけで満足、デバガメさん? どうせなら混ざってくれれば、もっと楽しいことが出来たのに」

 

 嘲る声は、楽しげだった。 法悦に歪んだ顔は、狂暴な肉食獣が、獲物をいたぶる顔にも見える。 そのイリヤを徹底的に小馬鹿にした言葉と態度に、先程までの不純な想いも、すぐに消え去る。

 

「!……斬撃(シュナイデン)!」

 

 ほぼタイムラグ無しで、カレイドルビーへと転身。 イリヤはすぐさまその場から駆け出し、効果範囲が狭い斬撃の魔術を叩きつけると、そのまま美々をかっさらう 。

 魔力を凝縮した斬撃。 クロはそれを真っ正面から切り伏せ、その勢いでくるりと回転し、赤い外套へと姿を変える。

 イリヤは美々を、屋上へと繋がる入り口へと押し込め、扉を閉めた。 ついでに結界を張り、外界との繋がりを断つ。 これで何があったとしても、誰にも邪魔はされない。

 振り返る。 ステッキを向け、問う。

 

「……美々に何をしたの?」

 

「なにって、分からない? 見てたでしょ、キスよキス……ああまぁ、正確に言うなら、体液を貰ってたんだけど」

 

「……っ」

 

 ふざけるな、と言いたい気持ちを抑える。 何故ならここで問い質すことは、他にあるからだ。

 

「……わたしの友達にも、同じことしたでしょ。 どうして?」

 

「どうしてって……魔力を貰うためよ。 ほら。 わたし、魔力が必要だし。 それで貰う方法でポピュラーなのが、体液の交換、つまりキスだったってわけ」

 

「っ……なんで? 魔力が必要なら、魔術師のリンさんやルヴィアさんを狙う方が、効率が良いハズでしょ。 それなのにどうして、魔力を持たない、よりにもよってミミやみんなにあんなことしたの!?」

 

 語尾が強くなる。 イリヤなりの威嚇だが、クロの笑みがますます深くなる。

 

「決まってるじゃない、復讐よ」

 

「……復、讐?」

 

 クロの言葉は言ってみても、ドラマで聞いたような現実味のない台詞だった。 しかし、その現実味のない台詞が、心へ鎖のように絡み付く。 イリヤの怒りをも縛る。

 

「……っ、イリヤさん!」

 

「え?……わっ!?」

 

 自立するルビーが、咄嗟に障壁を展開。 しかしそのときには無数の剣が衝突、障壁を切り裂いた。 寸前でイリヤは空へと回避したが、剣は背後の金網を吹き飛ばす。

 クロが忌々しげに空を見上げ。

 

「あなたも知ってるんでしょ? わたしは、あなたそのもの。 クロなんて名前も、所詮は識別以外に意味はない。 クロとしてのわたしも、イリヤとしてのわたしも、全部からっぽ。 わたしに居場所はない。 何処にもね」

 

「……だから、わたしの居場所を壊すの? わ、わたしだって、あなたから奪うつもりなんて……!!」

 

「ええ、無かったでしょうね。 でも、そんなこと知ったことじゃないわ(・・・・・・・・・・)

 イリヤが鼻白む。 その瞬間、剣群が彼女目掛けて撃ち込まれる。 答えることどころか、その話を聞く余裕すらない攻撃。 イリヤは空を駆け回り、時に反撃に移ろうとするが、それもまた剣群の餌食となるため、回避に徹する。

 しかし迫るのは、身体的な刃だけではない。

 

「あなたが居たから、わたしはこんな歪な願望しか抱けなくなった」

 

 精神的な、刃。 なまじ意識のない相手しか戦ったことがないイリヤは、その一言一句を、心に刻んでしまう。

 

「わたしはイリヤだった。 そう、『だった』。 あなたが得たモノ全ては、わたしを踏みつけて得たモノ。 ダイヤのような人生、その対価がわたし。 本当だったら、その対価があなたなのに……どういうことか逆転して、あまつさえわたしの人生を奪い取っていった」

 

「だから、それは……!」

 

「あなたがどう思おうと、どんなご高説を語ろうと、奪った本人の言葉なんてどうでも良いわ。 むしろ、この期に及んで自分は関係ないなんて言い張る辺り、虫酸が走るのよ……!!」

 

「ぐっ!?」

 

 勢いを増した剣群を防ぎ切れず、イリヤの体がバルーンのように舞う。 フリルのスカートがたなびき、空中で静止する。

 

「……だったら!!」

 

 飛行に使っていた魔力を、物理保護に転換。 三角錐に似た、何枚も重ね合わせた障壁を作り、落下する。

 

「あなたはあなたの人生があるでしょ!? 別にわたしの人生を壊さなくても、クロとして生きれば……!」

 

「……ふぅん?」

 

 弾くのではなく、逸らすことに特化した障壁。 それを攻略するために、剣の中でも湾曲した、鎌のような剣を中心に撃ち出していく。

 牙が食い付くかのごとく、みるみる内に削れる障壁。 イリヤは奥歯を噛み、尚クロへ突撃する。

 

「じゃあなに? あなたは、わたしにわたしとしての生き方を諦めろ。 そう言いたいわけ?」

 

「なっ……!? そうじゃない! わたしは、クロとして生きれば、それで解決すると……!」

 

「ああ、そういうこと。 なら、勘違いしないでほしいんだけど」

 

 小さく。 自嘲するかのような、儚い笑みを過らせ。

 

「わたしはクロとして生きたいんじゃないーーーーイリヤに、戻りたいの」

 

 途端のことだった。 剣の放出が苛烈さを増し、一気に障壁が砕かれる。 目を見開くイリヤへ、十以上の宝具が肉薄する。

 

「だから復讐する。 あなたから全てを剥ぎ取って、それを無意味にしてあげる。 あなたが生きてた意味なんて、これっぽっちも無くなるように」

 

 バイバイ、偽物。 そんな言葉を口にしたときには、剣がイリヤの四肢へと殺到した。 複数の音が木霊し、針山のようになったイリヤは、そのまま落下して、

 

「……いっ、たいですねー!?」

 

 ぽん、と風船が破裂するような音を立てて、ルビーへと姿が変わった。

 

「……!? 宝具!?」

 

 驚くクロ。 彼女は知らなかっただろう。 イリヤは剣群を防ぎ切れないことなど分かっており、事前に一枚のクラスカードを限定展開(インクルード)していたのだ。

 アサシン。 百の貌の異名を持つ暗殺者。 展開した宝具の名は、妄想現像(ザバーニーヤ)。 カレイドステッキを媒介に囮の幻像を生み出す宝具だ。

 そして当然、本人は隠密され、解除されれば姿を現す。

 クロの懐。 落下してきたルビーを掴み、再び転身したイリヤが、ゴルフのスイングのようにステッキを振るう。

 

砲撃(フォイア)!!」

 

 放たれた魔力弾は、クロにとって魔力で強化されれば、腕でも弾けるようなモノだ。 されどゼロ距離ともなれば、話は別。

 寸前で差し込まれようとした剣ごと、魔力弾を腹部に炸裂させる。 爆発。 イリヤは地面を転がり、クロは側にあった階段室に叩きつけられた。

 転がってる暇なんかない。 急いで立ち上がり、クロの姿を確認。 どうやら頭を打ったらしい。 クロはずるずると座り込み、動かない。 しかしそれも時間稼ぎにしかならないことは分かっている。 イリヤは近づき、改めてクロにステッキを突きつけた。

 

「終わりよ」

 

「……、」

 

「あなただって、分かってるハズでしょ。 確かに、わたしはあなたの居場所を奪ったのかもしれない。 けどそんなこと、こっちこそ知ったことじゃない(・・・・・・・・・・)

 

 そう。 イリヤだって、何も感じなかったわけではない。 クロの境遇には同情するし、気に入らないが、出来ることなら争いたくない。

 だが正直に言って、そんなことを今更言われたって困る。 それがイリヤの本音だった。 辛かったのかもしれない、苦しかったのかもしれない。 しかし、だから何だと言うのだ。

 イリヤは真っ直ぐとクロを、己自身に目を向ける。

 

「確かにあなたは、わたしだった。 それを奪われて、怒るのも分かる。 でもだからって、そんなの認められるわけないでしょ!? あなたが辛いから、今度はわたしが不幸になれだなんて、そんなの自分勝手にも程がある! 聖杯だの、ホムンクルスだの、そんなのウンザリ! わたしはただ、みんなと今まで通りの暮らしが出来たらそれで良い! なのにどうして、あなたはわたし達を引っ掻き回すの!?」

 

 イリヤとて、何とかして穏便に済ませたいという気持ちはある。 だが、いずれ直面しなければいけない問題だとしても、こんな風に振り回されるのは嫌だった。 渦中に引きずり込まれて、知らないところで進められて、それで知らない内に置いてけぼりになるのは嫌なのだ。

 

ーークロはそんなに悪い奴じゃない。

 

 そう。 勝手に決めて、突っ走り、こうして引っ掻き回す種を作った、兄など。 鬱屈した想いは熱を帯び、いよいよイリヤは歯止めが効かなくなっていく。

 

「大体あなたのせいで、お兄ちゃんをどれだけ傷つけたか分かってる!? カード回収のときもそう! わたしはあんなこと望んでなかったのに、勝手に人の願いを汲み取って……!」

 

「い、イリヤさん、少し落ち着いてください。 これからクロさんと話をするにしても、もう少し冷静にですね……」

 

 たしなめるルビーとて、これでイリヤの怒りが収まるとは思っていなかっただろう。 精々こちらに意識を向けさせる、それだけの言葉。 しかし、

 

「そうね、ルビーの言う通りよ」

 

 たまらずぎょっとするイリヤ。 何故なら返事は、目の前で朦朧としているクロの声のハズなのに、余りにもハキハキとしていたからだ。

 

「言ったでしょ? あなたはわたし。 わたしはあなた。 例えわたしの願いであろうと、それはあなたのモノでもあるのよ」

 

 言葉を紡ぐ度に、眼前のクロの姿がパンパンに膨んでいく。 パァン、と破裂したところで、ようやくその工程に見覚えがあることに気づいた。 何せイリヤ自身が先程行ったことだ。

 現れたのは、ヒビが入った剣と、カード。 さっき使っていた、アサシンのクラスカードだ。

 

「アサシンの限定展開(インクルード)……!? そんな、いつの間にカードが奪われて……!?」

 

「馬鹿みたいに鈍いのね。 そんなんだから、決定的に出遅れてることにも気づかないのよ」

 

 イリヤの真横。 ギリギリ、と。 矢をつがえたクロが出現する。 矢尻へと凝縮される膨大な魔力に寒気が走ったときには、最早手遅れだった。

 放たれる。

 螺旋の剣が。

 

「ーーーー偽・偽・螺旋剣(カラドボルグ)・Ⅲ」

 

 逸らすための障壁など、何の意味を為さなかった。 螺旋剣が障壁に激突した瞬間、魔力が点火して爆発。 轟音と共に、イリヤの体をとてつもない衝撃が襲いかかった。

 視界が回る。 焦点が消える。 意識が定まらない。 鼓膜が破裂したかのように、音を聞き取ることが出来ない。

 やがて、くん……とその場で止まる。 ぶら下がっているようだが、未だ意識がハッキリしないため状況が掴めない。 続いて引っ張られ、何処かに墜落した。

 

「……、イリヤさん!!」

 

「……ル、ビー…………?」

 

 わんわんと耳に入る声は、ルビーだ。 どうやら自分で動けることが幸いしたらしく、自分をここまで連れてきたのは彼女らしい。 現在地を確認すると、屋上の端。 つまりあのまま行けば、グラウンドまで叩きつけられていたのだ。

 

「……ぐっ……」

 

「動いてはダメです、Aランクに迫る宝具を、ほぼゼロ距離で受けたんですから。 まさか人払いの結界をも一撃で破壊されるとは……」

 

 立ち上がろうとして、呻いてへたり込む。 可愛らしい衣装は、あちこち破れ、赤い染みが滲んでいる。 額もぐっしょりと濡れていて、白い手袋が真っ赤に染まるほどだ。 英霊の攻撃ぐらいでなければ破れない物理保護が、紙屑同然。 その事実に、イリヤの心は冷たい恐怖に鷲掴みにされた。

 

「やっぱりそのステッキ、厄介ね。 まさか意識を保てるなんて思わなかったわ。 ま、その傷じゃ勝負は目に見えてるけど」

 

「……!」

 

 屋上の中心。 破壊の中心であるそこから、クロが指に挟んだカードをこちらへ投げる。

 

「はい返却。 で、まだやる? 大人しくすれば、すぱっと一刀で終わらせてあげるけど?」

 

「ふざ、けないで……まだ、終わってない……」

 

「はっ、子供ね。 もう終わりよ、まさしく。 あなたは負け、全部奪ってあげる。 あなたの大好きなお兄ちゃんもね」

 

「……!」

 

 兄を、奪われる。 その言葉を理解したときには、ステッキを支えに、イリヤは立ち上がった。 倒れそうになりながら、反射的にクロを睨み付ける。

 奪われる?……兄を? 約束したのに?

 自分が守る。 そう約束した。 その約束を、自分は今、お世辞にも守れていると言いがたい。 逃げていると言っても良い。 目を逸らそうとしている。

 だけど、それでも。 イリヤにも何が何でも、退けない一線がある。

 

「……奪わせない」

 

 まだ一人で歩くには、幼く、か弱い少女。 しかしそんな少女でも、守りたいモノのために、立ち上がることは出来る。

 

「お兄ちゃんを、みんなを、あなたには奪わせない……!!」

 

 イリヤの願いは幼稚でも。 その願いは、イリヤ自身のこれまでの積み重ねと同義だ。 それを否定することは、誰にも出来ない。

 そう、自分以外には。

 

「ご立派な声明、どーも……ふふ。 じゃあ、聞くけど」

 

 そこで気付けば良かったのだ。

 何故クロが、兄のことをこれ見よがしに語ったのかを。

 

 

 

「ーーーーあなた、本当にお兄ちゃんを守りたいと思ってる?」

 

 

 

 まさに、青天の霹靂とはこのことなのだろう。

 最初、言っている意味が分からなかった。 しかし同時に心が、体が。 不自然にざわつき始める。 根付いていた何かが、萌芽する。

 

「な、にを……」

 

「? あぁそっか。 まだ分かってないのか。 全く気付いてるくせに、いつまで棚上げしてるのかと思ってたけど」

 

「……何を、言ってるの……?」

 

 奥底。 心の奥底から、何かが這い出る。 言い様の無い不安感を食らい、それは大きくなる。 言葉を口にした瞬間に外へと排出されてしまったら、取り返しがつかなくなるほどの何かが。

 

「確かにあなたは、衛宮士郎の魔術師としての側面に、恐怖を感じた。 何かが違うと、そう思った。 けれどそれでも、自分が守りたいならそれで良いと言う決断をした。 うん、確かにこれなら、筋は通るわ。 お兄ちゃんはそれ以外なら良い人だから、そこだけは目を瞑ろうと考えるのも、まぁ可笑しくない」

 

「……何が、言いたいの……!」

 

「逆よ」

 

 答える間もなく。 クロは、断言した。

 

 

「お兄ちゃんは魔術師だから可笑しいんじゃない。 元々、可笑しかっただけよ」

 

「……は?」

 

 

 今度こそ。 イリヤの理解の範疇を超えた。

 魔術師だから可笑しかった?/そうであってほしかった。

 元々から可笑しかった?/そうでなければ説明がつかない。

……心の何処かで、声がする。 その声が、心を侵食する度に、イリヤの中で何か歯車が嵌まった。 世界の果てから持ってきた常識が、ここでも通じてしまうような異常。 その得体の知れなさが、底抜けの恐怖へと転化する。

 

「あなたはお兄ちゃんが、魔術師だから可笑しいと思ったでしょう。 でもそれは違う。 魔術師はそもそも人ではないもの。 だからこそ、お兄ちゃんは人になりたいロボット辺りが妥当なんでしょうけど」

 

 好き勝手な物言いなのに、不思議と反論する気力は湧かなかった。 だってそうだ、遠ざけていた、見ないようにしていた問題を、まざまざと叩きつけられているのである。

 そう。 本当はイリヤも、分かっていたのだ。

 アレは、可笑しいと。

 自分を追い詰めると分かっていて。 イリヤは、僅かに残った気持ちを振り絞る。

 

「……だから、なに? なにが言いたいわけ……? だから守る価値なんてないとでも……」

 

「いいえ、守る価値はあるわ。 お兄ちゃんだもん。 けどあなたはどうなの? あなたはあの異常性を理解出来る? 見ないフリをし続けられるかしら?」

 

「……それ、は……」

 

「そう。 分かってるじゃない。 あなたがこれからも彼を守りたいのなら、その歪みを理解しないと、その愛はグズグズに崩れるだけ。 一人相撲もここまでよ」

 

 一人相撲、確かにそうだ。 自分は見ないフリをして、ただ我が儘に、ちょっとした約束を取り付けただけだ。 出来もしない、いつかは破るであろう約束を。

 しかし、違和感があった。

 心を剥き出しにされたからなのか。

 イリヤは、言わなくても良いことを口端に乗せる。

 

「愛……?」

 

「あら? そこに疑問があるの? もしかしてあなた、お兄ちゃんのこと嫌いなんて言わないわよね?」

 

 嫌いではない、ハズだ。

 何せ幼少の頃からずっと一緒に居て、手を引いてくれた人だ。 好きか嫌いかで語るより前に、愛と答えるのが家族だとイリヤだって分かっている。

……なのに、どうしてだろう。

 どうして自分は、愛より前に、好きか嫌いかでこうも悩んでいるのだろう?

 これではまるで。

 兄に恋でもしているみたいでは、ないか。

 

「……」

 

 蓋を閉じる。 心の蓋を。 今そんなことは詮なきこと。 だからそれは後回しで良い、その蓋は一生開けなくて良い。

 

「ふぅん……まだ分かってないんだ。 まぁ良いけど。 それで、あなたはどうするの?」

 

「……わたし、は」

 

 イリヤは願った。 士郎を守りたいと。 歪んだ士郎も、守ってあげたいと。

 

「笑ってくれるなら。 一緒に笑ってくれるなら、わたしはそれで」

 

 だったら自分の我が儘でも良い。 彼が笑ってくれるなら、それで良い。 歪んだ笑いでも、何だって良い。 それでも守りたい、それが想いと相反していようとも、願いたい。

 だが。

 

「笑ってくれるなら? 随分可愛い願いだけど……」

 

 クロは、たった一つ事実を言った。

 

 

「ーーあなた、彼が心から笑ったところ、見たことあるの?」

 

 

……それは、決定的だった。

 辛うじてあった、士郎との約束。 それが、粉々に砕け散ったのをイリヤは感じた。

 そう、何故なら。

 士郎が心から笑っていた姿なんて、見たことがないから。

 それどころか、ここ最近まともに顔を合わせていないせいで、笑う姿すら思い出せないから。

 だから、小さな願いも、砕け散った。

 

「……ぁ……」

 

 ミシミシと。 嫌な音が、胸の辺りから響いた。 まるで心臓がぱっくりと割れたみたいな、激痛があった。 全身から力が抜け、自分の見てきたモノ全てが汚れていくような気すらした。

 もう嫌だ。

 もう何も聞きたくない。

 耳を塞ぐ。 自らの体を掻き抱く。 もうそんなことをしても意味などないのに。

 なのに。

 

「あ、そうそう。 わたしね、お兄ちゃんとも魔力供給したのよ?」

 

 余りに呆気なく。 クロはイリヤの心の欠片すら、踏み潰していく。

 きょとん、として。 しかし次の瞬間には、絶望という傷跡が、イリヤの顔には色濃く刻まれた。

 

「……う、そ……」

 

「嘘じゃないわ。 ファーストキス、あげちゃったし、貰ったもの。 まぁ不意打ちだったけどね。 止めるどころか求めてきたのよ? その意味ぐらいは、鈍くさいあなたでも分かるでしょ?」

 

 やめろ。 その先を言われたら、自分はもう生きていられない。

 半ば、諦めて。 イリヤは痛む体で、それを止めようと這いずり。 クロはそんな自分へと、壮絶な笑みを浮かべた。

 

「お兄ちゃんはあなたじゃなくて、わたしを選んだのよーーーーね、偽物(・・)さん?」

 

 今度こそ。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンから、あらゆる表情が消えた。

 かつてないほどの痛み。 かつてないほどの絶望。 その余りの仕打ちにイリヤの理解が追い付かない。 追い付かず、内側から、何か黒いモノに炙られる。 ボロボロと理性が崩壊する。

 

「……ぁ、は……」

 

 理解出来ない。 許容出来ない。 筋肉が弛緩し、瞳から色が消える。 まるで西洋人形(ビスクドール)のように、在るだけの存在になりかける。

 

「は、ははは……」

 

「……イリヤさん……?」

 

 しかし。 ルビーは気付いた。

 イリヤの声に、不安定な、だが一本の線が通ったことを。 彼女の心を瓦解させるような、ギラついた光が、目に宿ったことを。

 

「あはっ……ははっ、はははは……っ!!」

 

 笑う。 ただ、笑う。 唇は大きく裂け、肌は蒼白なのに気力がみなぎっていく。

……イリヤは無意識に、自衛とも思える措置を取った。 悪魔的な声に耳を傾けたのだ。

……悪い夢を見ている、と。

 アレを殺せば、全部元通りになると。

 自分の目の前に居る偽物を殺せば、それで終わると。

 

「はははははははははははははははははははははははッ!! アハッ!! ぐふっ!? かふっ! はははははははははははははははははッ!!!」

 

 追い詰めているのは、明らかにクロ。 なのにイリヤは、勝利を確信するように笑い続ける。 その姿に、クロはようやく気付いた。 自分が誰を攻撃していたのか。

 そう。 アレは自分自身。 今の自分のように、全てを否定されてしまったらーーどんな感情を抱き、行動するかなど、我が身をもって知っているハズだったのにーー!

 

(……まずい……)

 

 ぶわっ、と冷や汗が堰を切ったように溢れる。 クロはかつての己を直視し、そのおぞましさに恐怖する。

 

(……まずいッ……!)

 

 クロが戦慄しているのを見た上で。 イリヤは、宣言した。

 

「……ルビー。 アレ、殺すよ」

 

「! イリヤさん、いけませ、……!!」

 

 ルビーがすぐに引き止めようとしたが、もう遅い。 その前に、ステッキへクラスカードを押し付けられる。

 カードは槍兵。 かのケルト神話の大英雄、因果率の頂点に降り立つ武具を顕現させる。

 

「クラスカード・ランサー。 限定展開(インクルード)

 

 静かな詠唱。 そこからは渾々と、感情が流れ、イリヤが持つ朱色の槍に蓄えられていく。 死へと誘う棘の槍は、仮初めの主の憎悪を糧にし、死への因果を絶対のモノとする。

 故に必滅。 故に神話は語り継がれる。

 今ここにーーかつてなし得なかった、弓兵の心臓を貰い受けるーーーー!!

 

突き穿つ(ゲイ)ーーーー」

 

 クロがはっとなったときには、イリヤはもう跳躍していた。 ギリギリと、腕の筋肉の全てを使い、魔槍が紅い尾を引いていく。

 猛獣が牙を見せびらかすように、イリヤは空中で振りかぶる。 絶対不可避な死の未来、その訪れとなる朱槍を投擲するーーーー!!

 

「ーーーー死翔の槍(ボルク)!!」

 

 放たれた槍は、まさに流星だった。 紅い流星。 日常の空間を死の一撃が天から下り、一直線にクロの身体ごと心臓を貫かんと迫る。

 突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)。 光の御子、クー・フーリンが扱う魔槍、ゲイボルクの本来の扱い方。 対軍宝具の名にふさわしく、一部隊を一投で薙ぎ倒したその宝具の真価は破壊力に重点を置いたモノ。 イリヤの放った突き穿つ死翔の槍(ゲイボルク)は、ランクこそ落ちるが、それでも屋上、ひいては下の階ごと吹き飛ばしても可笑しくなかったに違いない。

 だが知らぬだろう、仮初めの主よ。

 この世に必滅があるように。

 この世には絶対というモノが、あるということを。

 

「……投影(トレース)!!」

 

 無手を掲げる贋作者の少女。 かの轟く五星(ブリューナク)大神宣言(グングニル)にも匹敵、ないしは上回る本物の神話の再現に対し、剣では対抗出来ないだろう。

 なれば答えは一つのみ。

 剣で勝てぬのなら、それを防げる盾をこの場に作り出すーーーー!!

 

熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)!!」

 

 咲き乱れる、四枚の花弁。 現在から未来の確定を遮るかのような盾は、放たれた魔槍を寸前で防御。 拮抗する。

 ギリシャ神話のトロイア戦争にて、アイアスに使われたのがこの盾だ。 英雄ヘクトールの投擲を唯一防いだという逸話を忠実に入力されたこの盾は、対飛び道具に関して追随を許さぬ花の盾。 花弁の一枚一枚が城門と同等の防御力を持つ盾ならば、或いは防げたかもしれない。

 奇しくも、現代に行われたとある戦争の対決が再び相成ったわけだが、状況は余りにも違いすぎたというべきか。

 

「……嘘、……!?」

 

 拮抗したのは一瞬のみ。 瞬時に一枚、二枚と花弁が割れ、アイアスを展開するクロの右手が余波で裂ける。

 そもそも二人の放った宝具は、本物ではない。 所詮は劣化(レプリカ)。 その完成度も規模も、本物とは比べるべくもないが、拮抗はする……ハズだった。

 しかし問題は、クロの宝具が、贋作(フェイク)劣化(レプリカ)だったことだろう。 更に熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)とは、文字通り七つの花弁を展開する盾。 クロは宝具の性質を理解はしていても、その再現に誤りがあったのだ。

 よってーー魔槍の神話が、覆ることなどない。

 

「まっ、ず、……!?」

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!」

 

 唸る魔力は咆哮に。 猛る心は目の前の敵に。 クロが魔力でアイアスを補強しようとも遅い。 悲憤したイリヤの爆発した想いを、呪いの槍は受け取っていたのである。 死は確定だった。

 甲高い破砕音。 花の盾は弾け、舞い散る。 桃色の魔力の残滓が、ふわりとクロの頬を撫でる。 そんな優しい感覚すらも、死が指を這わせる行為に等しい。

 迫る。

 避けようがない死が。

……その、一歩手前のことだった。

 

 

「ーーーーイリヤっ!!」

 

「「!?」」

 

 バァン、と。 後方から、何かを無理矢理こじ開けた音が聞こえた。 それが階段室の扉を、強引に吹き飛ばしたのだと気付いたときには、茶色い影が疾走していた。

 衛宮士郎。 イリヤ達の兄。

 

「お兄ちゃんっ……!?」

 

 来てくれたのか。 イリヤの中にある黒い感情の渦が、その勢いを無くしていく。 やはり来てくれたのだ、兄は。 例え嫌われようと、どんなにクロに誘惑されようと、こんなときには自分を真っ先に助けようと、あんなに必死にーーーー。

 

「……ぇ……?」

 

 何か。 何か、違和感がある。

 兄の顔。 いや、兄の目。 真っ直ぐに、だが一体誰の身を案じて……彼は誰の名前を呼んだ……?

 思考だけが早い。 スローになった世界で、ずぶずぶと沼に沈んでいく。

 喘ぐ。 渦巻く感情が臨界を越え、しかし呪いの魔槍は止まらず、兄は自分ではない誰かだけを見て、呼び掛けた。

 

イリヤ(・・・・)!!」

 

 名前は変わらない。 そこに込める想いとて変わらないだろう。 しかし、そうして助けようとした相手が、違った。

 クロだった。

 妹の、自分ではなく。

 生まれてから成り代わった、自分ではなく。

 兄は、かつてイリヤと呼ばれていた、クロを選んだ。

 

(……あ……)

 

 思考に空白が埋まれる。

 そして、少女の心は砕かれた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 火災警報のベルが、隙間ない音の世界を形成する。 まるで夏の蝉のようだ。 まぁそこら中の探知機を叩き鳴らしてる俺が言う言葉ではないのだが。

 

「ああもう、何で美遊にも繋がらないのよ!? というか、これ繋がってる!? ねぇルヴィア、アンタ携帯(これ)使えたっけ!?」

 

「何故私に振るのです!? こ、この私に出来ないことがあるとでも!? 貸してごらんなさい、遠坂凛!」

 

「あ、ちょ、乱暴に扱わないでよ!? 高いんだからねそれ!?」

 

 穂群原学園初等部。 イリヤがクロと共に居るハズの学校で、俺達は懸命に屋上へと走っていた。

 クロが暴れている。 暴れているということは、間違いなく危害を加える行動を取っているハズだ。 魔術師が、英霊の宝具を投影可能な者が暴れているとなると、その被害がどれだけ甚大になるか分からない。 それで火災と偽ったわけだが、やはり避難行動の波に押されて、かなり時間をロスしてしまった。

 遠坂とルヴィアが美遊の携帯へ連絡を取ろうとしているようだが、肝心の携帯の使い方が分からないらしく、さっきからこの調子だ。 俺もあのスマホ……だっけか? 通知されたところを開くだけならまだしも、アレの使い方はよく分からん。

 

「とにかく!」

 

 角を曲がり、階段へと足をかけ、遠坂の話に耳を傾ける。

 

「美遊も賢い子だし、流石にイリヤと一緒でしょ! となれば、クロがどんな理由であれ、暴れてるならとっ捕まえる! 異論は!?」

 

「私も同意見ですが……シェロは?」

 

「流石に無いさ。 誰かを襲うなら、絶対止めなきゃいけないからな」

 

 勝手に逃がさせられたとはいえ、俺がクロの拘束を解いたことには変わらない。 それは彼女が俺の妹であり、守るべき存在だったからだ。 遠坂達にクロの処遇に対して猶予を求めたのも、それが理由なのである。

 しかしクロがそれを自ら破るというのなら、止めるしかない。 一度拘束し、今度こそイリヤとの話し合いを進める。 こうなった要因は、だらしなかった俺にもあるのだから。

 が、そんな悠長なことを言っていられる場合ではなかった。

 

「……!」

 

 足が止まる。 恐ろしいほど静かな校舎。 駆け上がる音だけしか存在しない階段の、その更に上。 屋上から、凍るような夥しい魔力が吹き付けてくる。 そしてその魔力には、見覚えがあった。 何せ向かおうとした体が拒否しかけたからだ。

 

「嘘でしょう……まさか、宝具の開帳!?」

 

「クロじゃない。 ……あんの馬鹿、学校でそんなものを……!」

 

 遠坂達の声が遠い。

 そう。 俺はこの魔力を知っている。 かつて俺の命を奪い、その猛威を振るってきたランサーを、どうして忘れよう。

 そしてこれを放てる人間は、ランサーのクラスカードを持つイリヤだけ。 だとすれば、それは。

 それは誰の命を、奪うものだ?

 

「……!」

 

 学校だろうが関係なかった。 二十七本をフルスルットルで稼働させ、俺の身体は階段を跳ね上がった。 数メートル以上の距離を蹴り、屋上を目指す。

 余計な思考はなく、頭はスッキリしている。 やるべきことはたった一つ、クロを守る。 こんなところで死なせるのもそうだが、イリヤの手を汚すことになれば、何のために魔術を使っているのか、本当に分からなくなる。

 屋上のドア。 それを剣で吹き飛ばし、その場所に飛び出した。

 屋上は酷い有り様だった。 地面を形成するコンクリートは抉られ、飛び降り防止のために張られたフェンスは軒並み薙ぎ倒されている。

 しかし目を奪われたのは、中心部。 イリヤが放った魔槍に、クロのアイアスが砕かれ、死が迫っていて。

 その光景が、どうしようもなく、いつか冬の城で目にした景色と、重なった。

 

「   !!」

 

 最早何と叫んだのかすらどうだっていい。 意識はクロ一人に定まっている。 一歩踏み出したときには、もう一つの魔術基板を全解放していた。

 過剰な強化で、機械のように強靭になった足で駆ける。 風となった身でクロを抱え、右手を魔槍へと突き出した。

 

熾天覆う(ロー)七つの円環(アイアス)ッ!!」

 

 咲き乱れるは、花の盾。 五十四の回路から魔力を吸ったからか、完成形である七枚の花弁は槍を塞き止める。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 が、槍と盾が接触した途端、右手から異音が木霊した。 ミシミシ、という軋みは、右腕のありとあらゆる骨を強引にずらし、肉を引き裂いていく。 片腕だけというのが災いしたのだろう。

 

「ぁ、ぐっ、がッ、……!?」

 

 体が重圧と激痛に耐えきれず、膝をつく。 そんな主人と運命を共にする花の盾も、花弁を次々と散らす。 クロのアイアスも壊してるくせに、何てデタラメなんだ……!

「ダメ……防ぎ切れない! アレはわたしを狙ってる、だから早く逃げ……!」

 

「ふざ、けるな……!」

 

 間近の死を見据える。 それを直視し、なお目を逸らさずに、クロを強く抱き寄せる。

 それだけで、痛みが和らいでいく。 クロの命を感じることで、気力が戻っていく。

 

「……失って、たまるか……」

 

 確かに衛宮士郎に、この運命を覆すことなど出来ないのかもしれない。

 けど、それがなんだ。

 そうして運命に従った結果、目の前で誰かを失うことだけは。 もう一度同じ家族を失うことだけは、何があってもごめんだ。

 

「失って、たまるか……!」

 

 裂かれながら、砕かれながら。 自らの体が壊れることを承知して、立ち上がっていく。 じりじりと立ち上がりながら、血を吐き出す。

 上からの重圧に、腕が千切れてしまいそうだった。 体が許容外の魔力を放出することで、喉は血で渇く暇がない。 内側が過剰な魔力でパンパンになっており、外側からの魔槍で挟まれているせいだ。 果汁を搾るようなものか。

 しかし、それでも。 食い縛り、一歩も引かず、ただこの身を差し出す。 守るため、夢を壊させないため。

 しかし既に、アイアスの花弁は一枚。 右手は持ち上げている感覚すらないほど傷つき、その盾もヒビが入っている。

 万事休す。 せめてとクロを背後に投げようとするが、余裕がない。 永遠にも、刹那にも感じた時間の中、必死に死から抗う。

 終わりは唐突だった。

 

「むむむ……ていやっ!!」

 

 ぐにゃん、と中程で液体のように流動するゲイボルク。 思わず目を疑ったが、すぐに槍は魔力となって掻き消え、代わりにステッキへと戻ったルビーとクラスカードが現れた。

 直前の激突が嘘のような、静寂が訪れる。 盾を掲げたまま、固まる。 無理矢理、限定展開(インクルード)を解除したのか。 そう思ったときには、無意識に魔術回路を停止させていた。

 花の盾が魔力へと帰り、ふら、と視界が揺れた。 続いて衝撃。 どうやら倒れたらしい。 朦朧とした意識ではそれすら確認することが出来なかった。

 

「お兄ちゃん……? お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 

 クロは……良かった。 声が聞こえる。 これだけ叫んでるなら、大した傷ではない。

 全身が焼けるように痛く、熱い。 まるで皮を剥がされたか、それか切り付けられたみたいだ。

 だが、守れた。 それを実感した。 しかしそれに浸っている時間はない。

 

「……イリ、ヤ」

 

 三メートルほど、先。 青ざめたイリヤが、俺達を見て、裂けそうなほど目を見開いている。

 

「……わ、たし……ちがう、わたしは……」

 

「……気に、するな。 ちょっと、怪我しただけだから……」

 

「ちょ、ちょっとなわけないでしょ!? ほ、ホントに、死んじゃうところだったんだよ!? なのに!!」

 

「そんな、ことより」

 

 意識が消えそうになる。 その前に自分勝手かもしれないが、これだけは聞きたかった。

 

「……イリヤ。 何で、宝具を使った? クロが死んだら、どうするつもり、だったんだ?」

 

「そ、それは……でも、それを言うならお兄ちゃんだって……!!」

 

「ああ、そうだ……けど、ならクロには、使うべきじゃ、なかったんじゃ……ないか……?」

 

 イリヤは答えなかった。 ただ唇を、体を震わせ、俯くばかりで。 何かに耐えるような仕草を見たとき、ようやく自分が間違えたことに気付いた。

 

「……なによ……」

 

「……イリヤ……?」

 

 声は今にも泣きそうだった。 俯いたまま、イリヤは目を背けるように。

 

「何なのよ……わたしのことなんか、どうだって良いくせに……こんなわたしなんて、ホントは……ホントは、妹じゃなかったら守りたくもないくせに……!!」

 

「おい……イリヤ……? なにを……?」

 

「……もう、知らない!」

 

 きっ、と。 涙を溜めて、イリヤは告げた。

 

 

「ーーお兄ちゃんなんて、大っ嫌い!!」

 

 

 それは。

 全身を貫く痛みよりも、深く、鋭く、魂に突き刺さった。 ガラスが割れるような残響が、重くのしかかる。

……知らなかった。

 人は、本当に傷ついたとき。 こんなにも、生きてることが苦しくなるのだ。

 

「……ぁ」

 

 空へと浮かぶイリヤへ、手を伸ばす。 しかし届かない。 距離がありすぎるだけじゃない。 その心がーー余りにも、離れすぎていた。

 そうして、軽々と。 衛宮士郎の意識は消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-3ーー

 

 

 遠坂凛達が現場に駆け付けたときには、既に状況は終わっていた。

 拒絶し、空へと消えるイリヤ。 一度も振り返らないその背中からは、断固たる意志があり、流石に鈍感なあの少年でも気が付いたらしい。 宝具を受け止めた手は空を切り、そのまま倒れた。

 

「シェロ!!」

 

 傍らのルヴィアが走り、士郎の治療に入る。 凛とてそうしたいところだが、だからこそ冷静に、客観的に動く必要があった。

 クロは沈黙している。 士郎が倒れたことが、余程ショックだったらしく、目は最大まで開かれ、虚空を眺めている。 拘束しようとすれば、素直に捕まってくれそうだ。 とりあえずは放っておけば良い。

 破壊されたフェンスを踏み、屋上からグラウンドを見下ろす。 そこには偽の火災に踊らされ、誘導された生徒や教師の姿があった。 一般人への秘匿、魔術の基本である。 備えとして張ってあった結界で魔術戦など見ることは出来ないだろうが、宝具同士のぶつかり合いは別だった。 仮にも神秘の到達点、あんな常駐の結界では破壊されて当然である。

 しかし、どうやらそれも杞憂だったようだ。 こちらへと視線を向ける生徒は勿論、教師も存在しない。 この分なら、一人一人に記憶の改竄を施す……なんて、手間のかかりそうな真似はしなくても良さそうだ。

 

「……ふぅ」

 

 眉間の皺を指で押し、こねる。 そんなもので気持ちなど晴れるべくもなく、凛は嘆息した。

 衛宮士郎が何か隠していることは、凛から見ても明らかだった。 普通、元妹だからと言って、一度も話したことのない相手に、あそこまで親しくはなれない。 家族だとしても、成人手前の自分達にはそれを容易に受け入れられない。 見たことないモノ、感じたことのないモノ。 例えそれが家族であっても、普通人間とはそういうモノを受け入れられるほど簡単には出来ていないのだ。

 しかし彼は拒絶するどころか、可能な限り

クロの要求には答えてきた。 いくら妹想いであったとしても、そこまでするモノだろうか? 士郎は甘やかすことがほとんどない。 優しくはすれど、基本的にそれは一般的な範疇だ。 しかしクロに対し、今回は異常なほど傾倒していた。

 魔術で操られていた可能性も否定出来ない。 しかしそれを加味しても、士郎の振る舞いは可笑しいと言わざるを得なかった。 そう、その姿はまるで。

 生き返った死人に対して、舞い上がってしまっているような。

 

「……考えすぎよね……」

 

 あの少年が何かを抱え、悩んでいることは承知済みだ。 それを容認したのは自分であり、イリヤに対しても精一杯のケアはしてきたつもりだった。

 しかし、結果的にそれは、自分の甘えだったのかもしれない。

 只でさえ、自分と同じ顔の少女が現れたというのに、そこに家族が入れ込んでいると知れば、イリヤの心が荒れるのも納得である。 衛宮士郎という人間は、どうにも周りの様子には疎い。 それを指摘しなかったこともそうだし、イリヤにも気を配るべきだった。

 美遊やイリヤの功績は、確かに素晴らしい。 しかし美遊はまだしも、イリヤは完璧超人でもなければ、卓越した精神を持っているわけでもない。 それを考慮しなかったのは、この世界に引きずり込んだ、凛のミスだった。

 

「……あーもう、らしくないわね」

 

 何にせよ、こんなところで燻るのは後だ。 すぐに学校内へと人が押し寄せる。 秘密裏に脱出出来る今こそ、動くべきだ。 ルヴィアの邸宅なら、治療するための宝石もある。

 が、それより前に状況が動いた。

 

 

「にゃーにゃーと、雌猫の声が聞こえるわ」

 

「……は?」

 

 全く空気を読まない声は背後。 屋上の入り口からだ。

 教師……だろうか。 背は低く、凛より幼い。 肌を隠すように包帯を身体中に巻き、だぼついた白衣が何処と無く病人を思わせた。

 しかし表情はほとんどなく、起伏に乏しいそれは、教会で祈りを捧げる修道女のように、一定の表情を保っていた。 その纏っている雰囲気が、ある種の厳粛さと貞淑さを全面に出しており、教師というには、余りに口を憚らせる。

 

「ここで手をこまねいていても仕方ないでしょう。 こちらも暇で暇で、ボイコットでもしてやろうかと画策していたところです。 その迷える子羊を治療してあげましょう」

 

「……あなたは?」

 

「聖堂教会の悪魔祓い(エクソシスト)

 

「!」

 

 思っても見ない答えに、即座にでも懐にあった宝石を握ったのは、褒められるべきか。 そんな凛に、少女は無表情のまま、

 

「ーーーーカレン・オルテンシア。 教会をたらい回しにされて、天職を得た。 ただの修道女です」

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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昼~保健室、海岸/原因究明、その歪みは

ーーinterlude5-3ーー

 

 

「どうやら、あちらは終わったようですね」

 

 平坦で、何処までも私情の余地がない声。 それは直前まで行われていた、戦いの名残を感じさせない、自然体な振る舞いだった。

 対し、美遊は違った。 ボロボロになった魔法少女としての衣装。 露出させられた肌には、青や紫に変色した痣が、四肢のあらゆるところに刻まれている。 肩で息をしながらも、目の前の敵から目を離さないのは、美遊なりの強がりだろう。

 学校の裏手。 丁度屋上の真下にある、空となった教室のベランダ。 そこで、美遊はとある人物と戦っていた。

 相手は女。 鎧のように着込んだスーツは男性用だが、その四肢や肉体は男性の体と比べても遜色ないほど鍛えられている。 刺々しいというより、物々しい女性なのだが、整った小さい顔がまたアンバランスだ。 ちぐはぐな印象が、頭から離れない。

 

「……動かない方が良い。 一応、手加減はしておきましたが、それでも障壁を貫かせてもらいました。 身体へのダメージは蓄積しているハズです」

 

「ぐ……っ」

 

 その通りだった。 脇腹や肋骨の辺りが、内側から風船を膨らませたように、パンパンに腫れ上がっている。 息をするだけで激痛が全身を貫き、体を強張らせる。

 だが美遊は、かろうじて残った力を振り絞り。

 

「……何が、目的なんですか? わたしを足止めして、邪魔して……一体何が……?」

 

「それをあなたが知る必要はありません。 あなたが戦う力を持ったのは……彼は不運と言うでしょうが、こちらとしては幸運でした。 しかし、流石にイリヤスフィールを巻き込むのは論外です」

 

「……イリヤを、巻き込む……? 」

 

「あなただって分かっているでしょう、美遊。 私達(・・・)が抱える問題に、ここの住人まで巻き込んでしまったら、問題は広がるばかりだ。 既に組織ですら解決出来る問題ではないというのに、更に頭の痛い問題が増えてしまったわけですからね」

 

 全く、とブツブツ呟く女性。 一見OLが愚痴を言っているようにも見えなくはないが、その両手はタングステン鋼と同等の強度を誇る、立派な凶器だ。 まともに受ければ、いくらステッキの力があっても、防ぎ切れるモノではない。

 しかし今目の前の女性ーー否、魔術師は、美遊にとって、聞き捨てならないことを言った。

 

「ちょっと、待ってください……あなたは、イリヤを知ってるんですか? イリヤがどういう存在か? イリヤが……」

 

「聖杯だということですか? ええ、知っていますよ。 何せ、今回の発端の一つと言って良い。 この聖杯戦争の発端、それが彼女だ」

 

 たまらず、絶句する。 一体この魔術師は、何を何処まで知っているのか。 いや、そもそもあのとき、自分達の味方をしていたというのに、何故今になってこんなことをするのか。

 疑問は増えるばかりで、何も開示されない。 頭の中は疑問符で埋め尽くされている。 しかし魔術師には、それらを答えるつもりすらなかったらしい。

 

「……最後に言っておきましょう。 この戦い、イリヤスフィールを巻き込むのは止めなさい。 それは、士郎くんを傷つける行為でしかない。 只でさえ不安定な彼が、あちら側のことを知れば、敵になる可能性もあり得るわけですから」

 

「……お兄ちゃんが、敵に……?」

 

 またもや言い渡された言葉の爆弾に、美遊はつい魔術師から目を離してしまう。 その隙に、彼女は逃走を開始した。

 

「では。 その内会うことになると思いますが」

 

「待って……!」

 

 たん、と軽い大地を跳躍する音で、一気にトップスピードで離脱する魔術師。 最早線のようにしか見えなくなったそれへと、美遊はすがるように。

 

「待ってください、バゼットさん(・・・・・・)!!」

 

 答えはない。

 あったのは美遊が何度も味わってきた、底のない不安だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-4ーー

 

 

 小学校の保健室と言えば、物静かな場合が多い。 例えばこれが中高だったら、ボイコットした生徒の溜まり場になったりするケースや、相談役として結果的に人を集めてしまったりするケースなど、比較的騒ぎの種になることも多々ある。

 しかし、今この保健室では、そう言った日常の、表の香りは一切しない。

 一言で言えば、病院。 薬品の鼻を突き抜ける匂いと、無機質な時計の針の音が木霊する。 カチカチと、秒針の刻みが嫌に耳へと入ってくる。

 

「……で?」

 

 そんな中。 遠坂凛は椅子の上で腕と足を組み、問いを投げる。

 

「説明ぐらいはしてくれるんでしょうね。 こちとら問題が山積みなの。 手短に頼みたいんだけど」

 

「あら、随分とせっかちね。 そんなことだからあのステッキに見放されたと分かって、先輩方?」

 

 声は仕切られたカーテンの向こう。 寝せた患者を治療しているのは、カレン・オルテンシアだ。 先輩と、親愛を込めながらも何処か嫌味に聞こえるのは気のせいではないだろう。 凛達からでは見えないが、カレンは確かに笑っていた。

 凛の横で苦々しく、ルヴィアが脛を蹴られたような表情をする。

 

「そこまで掴んでいるとは……カレン、と言いましたか。 悪魔祓い師を名乗っていましたが、本当なのですか?」

 

 悪魔祓い師(エクソシスト)。 教会の司教から代行を許された、式典や秘蹟を以て悪魔を祓う、特別な司祭のことである。

 一般的に悪魔と言えば、蝙蝠のような翼を伸ばし、黒光りする身体を持った、人型の化け物を連想する。 しかし現実の悪魔は、言わば実体のない虚像だ。 結果ではなく、人の苦悩を理解し、それを取り除こうとする架空要素。 それが悪魔の正体なのである。

 架空であるが故、悪魔は人の目には見えない。 憑かれた人間が変貌ーー俗に言う悪魔憑きになり、霊障を抱えられなければ、第三者の目に映らないのだ。

 噛み砕いて言うのなら、不可思議な現象が悪魔に憑かれた人間に起こらない限り、その悪魔の姿は見えない。 悪魔祓い師(エクソシスト)は悪魔を見つけられないのである。

 つまり、悪魔祓い師(エクソシスト)である彼女がここに居るということは、この町に悪魔を見つけたということになる。

 カレンは士郎への治療を続けながら、

 

「わたしは悪魔祓い師であると同時に、修道女ですから。 嘘はつけませんし、つく理由もありません」

 

「本当に? ならどうして、この町に? お分かりだとは思いますが、この町は悪魔が起こした怪奇現象とは無縁です。 それにこの冬木の管理者(セカンドオーナー)は遠坂、つまり協会の管轄。 協会が助力をあおいだのなら話はまた別ですが、そのような話は耳にしていません。 不可侵の条約を結んだ間柄で、このように許可や知らせもなく横行されては困りますわ」

 

 魔術協会と聖堂教会は、根本から掲げる理念や信念が違いすぎる。 長きに渡る対立が元で、不可侵の条約を結びはしたが、水面下では泥沼のままだ。 殺し合いで済めばまだマシ、そういった対立なのだ。

 つまるところ立ち去れと言っているわけだが、カレンはますます嫌そうに(嬉しそうに)

 

「事を急ぐ方々ですね、本当に。 確かに悪魔はこの町には居ません。 何せ反応(・・)がありませんから。 しかし現にわたしは協会からここに派遣されました。 だとすれば、他に理由があると考えるのが妥当でしょう? それともあなた方魔術師が、無邪気に教会の司祭代理であるわたしを信じていましたか?」

 

「……、」

 

「む? どうしました? まさかわたしが、本当に悪魔祓い師(エクソシスト)としてここに来た、と?……それなら、わたしの言葉は気分を害するものね、謝罪しましょう」

 

「……いえ、そういうわけでは」

 

 ただ言葉の端から滲み出る嘲りに、ちょこっとイラついただけ……なんて言おうものなら、倍返しされそうなので、ルヴィアはそれ以上口出ししない。

 話が再開する。

 

「隠し事をしても信用は得られないでしょうし、言っておきましょう。 わたしは教会からこの町に、一ヶ月以上前に現れていたハズの魔術礼装ーークラスカードの回収を見届けるために来ました。 監督役として」

 

 その答えは、凛とルヴィアにも予想出来た。

 クラスカードはあの魔術協会の総本山、時計塔ですら見解が幾重にも分かれるほどの魔術品である。 つまり低く見積もっても、人の手には負えないと言わざるを得ない代物だ。

 そして人の手には負えない魔術品となれば、聖堂教会にも担当の部署がある。

 第八秘蹟会。

 主に、聖杯などの聖遺物(・・・・・・・・・)を管理、回収を任務とする、異端と多く関わる集団だ。

 

(……聖杯のことはバレてない、なんて、甘く見積もりすぎかしら?)

 

(ええ)

 

 あらかじめ互いの宝石を飲み込み、ラインを繋いでおいた二人は、眉一つ動かさず口裏を合わせる。

 

(そもそも、クラスカードの事自体、協会は内密にしていたハズですわ。 事実を知るのは上の、大師父に次いで権力を持つ一部の人間のみ。 だとすれば、情報が漏れたか、あるいは)

 

(誰かが意図的に漏らしたか。 信じがたいけどね)

 

 協会とて一枚岩ではない。 凛やルヴィアがクラスカード回収の任を委ねられたのも、ゼルレッチ卿の計らいがあったからで、そうでなければ時計塔から除外され、笑い者にされたあげく全てをむしり取られていただろう。

 まぁ流石に、魔術協会の問題に、聖堂教会が食い込んでくるとは思わなかったが。

 

「この町を蝕む魔術品、クラスカード。 その回収が為されたかどうかを確認しにきた……っていうこと?」

 

「ええ。 多少、霊脈や空間の歪みなどの跡はありましたが、今のところは問題自体は無い。 それが教会、わたしの見解ですが、異論は?」

 

「ありませんわ。 第一、我々がまだここに止まっているのは、違う任務に任されたからであって、それ以上の理由はない。 クラスカードの一件は既に終了しています。 あとは経過を見るだけで十分でしょう」

 

 ジャッ、とカーテンが開き、カレンが中から出てくる。 これで話は終わりらしい。 どうでも良さげにカレンは次の議題に移る。

 

「さて。 次にそちらの問題ですが」

 

 そう言って目線を送るのは、士郎が寝るベッドの真横。 そこに、魔術的な拘束を受ける少女が、黙って三人を見ていた。

 クロ。 最近起きる全ての問題の主であり、目下凛達の悩みの種である。

 

「カレイドステッキに見限られ、クラスカードの回収に一般人を付き合わせたあげく、公共施設での大規模な魔術戦。 更にはクラスカードによる人の心象を元にした英霊紛いの現界……はてさて、何から手を付ければ良いのやら。 これだけあると目移りしてしまうわ」

 

 猛禽類が嘴で生肉をつばむような、チクチクとした言葉は、凛とルヴィアの神経を逆撫でするが、それはさておき。

 

(……どう考えても、誤魔化しきれないんだけどもう!?)

 

 凛が心の中で悲鳴をあげるのも仕方ない。

 クラスカード回収任務で、一時的に与えられたカレイドステッキ。 それをあろうことか一般人に与え、戦わせた事実もさることながら、回収するべきクラスカードが、クロの身体の中にあるという事実が一番厄介だった。

 何せクラスカードは、あの聖堂教会が直々に動くほどの物品だ。 つまり一級の魔術品であると同時に、管理するためならば魔術協会の者だろうと不慮の事故と称し、秘密裏に処理しようとするだろう。 魔術協会だけなら、凛達の手で誤魔化しが効いたが、流石に教会の人間までは誤魔化しきれない。 見たところ、カレンは魔術師ではないようなので、いざというときは暗示でもかけるしかないが……。

 

(……もし報告した際に、違和感でも嗅ぎ付けられたら……)

 

(完璧に睨まれるでしょうね。 モノがモノですし、代行者が派遣されるかもしれません)

 

 どう動こうにも、結局はカレン次第なことに変わりはない。 ここは下手に口を滑らすより、一気に切り込んだ方が良いのか、それとも曖昧に答えるだけに留めるか。

 と、カレンは口の端に微笑をよぎらせる。

 

「何を勘違いしているのか知りませんが。 そんなに心配せずとも、わたしは別にこれを教会へ報告しようとは思っていません。 ご安心を」

 

「「……は?」」

 

 たまらずすっとんきょうな声をあげる二人。 それもそうだ、これほどの爆弾を抱えた二人のことを、カレンはあくまで見逃すと言ったのだから。

 

「ど、どうして……? あなた、教会から監督役を任されたわけでしょ? ならこんなの、簡単な仕事じゃない。 報告して代行者でも引っ張ってくれば」

 

「どうしてその必要が? わたしはあくまで代理、本来は修道女に過ぎません。 ですがそれは逆に言えば、未熟なわたしが発見出来なかったなら仕方のないもの。 この町に異常があったとしても、それはあくまで預かり知らぬところで起こったことですから」

 

「そ、そんな文言が教会で通じますの? 修道女だからこそ、命令に従わねば審問にかけられることだってあり得る気がしますが」

 

「それはまた心外ね。 魔女狩りと勘違いしているのかしら? わたしは教会を信仰しているわけではありません。 それに命令に背いているのではなく、ただ失敗しただけ。 ほら、何ら問題はないでしょう? もし知っていたとしても、それを報告するかしないかはわたし。 異常無しと思うのなら、それだけよ」

 

 頭を抱えたくなるような気分だった。

 カレンが教会に報告しないというのなら、これほどありがたいことはない。 ただ、これからどう動くのか、いつ裏切るのか分からないカレンへ、大きな借りを作ってしまうのは、凛達にとって出来れば避けたい。 というか物凄い厄介事の匂いがするのだ。

 対し、カレンは士郎が眠るベッドの縁に腰かけ、不思議そうに首を傾げる。

 

「頭が固い先輩達ね。 わたしはただのカナリア、傍観者でしかないのよ。 正直に言って、あなた達のことはどうでも良いの。 今回の騒動の中で、何事もなく終われるならそれで良い。 聖杯だの英霊だの、知ったことではありませんし」

 

「……アンタ、それ意味が分かってて言ってるんでしょうね?」

 

「勿論。 少なくとも、わたしはそれを見てきましたから。 あなた方よりも前から、ずっと」

 

 それは脅しに近い宣告だった。 聖杯、英霊。 その言葉が出てきたということは、間違いなくカレンは聖杯戦争のことも知っているのだ。 それを教会に報告すれば、今度こそ代行者が行列でも作ってこの町にやってくる。

 と、ここまで仏頂面だったクロが、口を開いた。

 

「……ねぇ、一つ良いかしら」

 

「まだ何か?」

 

「……これだけはハッキリさせたいんだけど。 あなたの目的は何? 聖杯も興味がない、かと言ってクラスカードのこともどうでも良い。 だったら、あなたは何を求めてここに来たの?」

 

 それは凛やルヴィアも聞きたいことだった。 終始カレンのペースだった為、忘れるところだったが、クロの図太さに救われた。

 三人の視線がカレンに集中する。 嫌でも緊張感が高まり、いつ戦闘が始まっても可笑しくない、誰もがそう思い。

 それらをそよ風のように受け流し、カレンは艶やかに笑みを溢す。

 

「そんなの決まっています。 わたしの目的は、ここで惰眠を貪ってる彼ですから」

 

「……まさか」

 

 そのとき。 三人は本当の悪魔とは、こんなにも清々しく言える人物だと思い知った。

 口角を吊り上げ、カレンは。

 

「衛宮士郎。 息災も無さそうで何より。 首輪は嵌まっているようですし、思ったより大丈夫そうですね。 最も色々と面倒ではありますが」

 

 周りを見て、言う。

 

「特にクロと言ったかしら。 程度で見れば、あなたが一番命の危機に瀕しているのは、わたしの見当違いかしら?」

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 頭が割れるような痛みで、やっと目が覚めたことに気付いた。

 

「……ぅ、……」

 

 視界が上手く確保出来ない。 世界が何重にも分かれ、その情報量に吐き気すら催す。 加えてこの頭痛だ。 空気を吸うと、身体の節々が息を吹き返したように熱くなる。

 まるで骨が、全部溶岩に変わったかのようだ。 異常なまでの熱さと痛みで、まともに起き上がれそうもなかった。

 

「……ここ、は……?」

 

 視覚が使い物にならないが、何とか場所を特定しようと目を凝らす。 片目をすがめ、逆側の目に左手を当てたところで、気付いた。

 包帯。 丁寧な処置だ。 傷を必要以上に圧迫しないように巻かれたそれは、病院のそれと変わらない。

 それで、何があったかを思い出そうとした。

 だが。

 ピシピシ、と何かに亀裂が走る。 それは薄氷が割れる音にも似ていた。

……思い出したくないわけではない。 むしろ思い出したい。 自分が何か、とんでもないことをやってしまったことだけは覚えている。 だから何かしないといけない、そんな焦燥すらある。

 しかし、思い出せない。

 どんなに思い出そうとしても、肝心の記憶が無い。

 鮮やかな色彩の記憶が、所々侵食されるように、砂嵐に消えていた。

 

「……なる、ほど」

 

 最早呻きに近い声。 そんな状態で喉を震わせながら、左手を動かす。

 押さえていた左腕の、手の平。 そこには、真っ白の包帯でも隠しきれないほど、大きな痣があった。

 浅黒く変色した、痣のような肌。 アーチャーと同じ、磨耗した肌。 それで、合点がいった。

 

「…………つかった、のか」

 

 この世界のエミヤシロウの魔術回路。 自分はそれを使い、消耗し切って倒れたのだろう。 とにかく必死だったことだけは覚えていたが、どうしてそんなことになったのか。

……思い出す。 記憶が無くなっているのも怖いが、何よりそのまま時間が過ぎるのが怖い。 一つでも、何か思い出さなければならないと強く心が言っている。

 手帳の切れ端のような記憶。 しかしそれでも、断片だけなら残っていた。 涙を流して、自分を怒鳴り付けた誰か。 顔なんて口だけしか見えないが、それでも誰か分かった。 そして自分へ、こう言ったのだ。

……大嫌いと。 イリヤはそう言ってーー。

 

「……!」

 

 それを見て、馬鹿みたいに寝ていることがもう我慢ならなかった。

 ぐるん、とあらん限りの力をもって、身体をベッドから転がす。 頭と腰を床に打ち付けたが、それより心の方が何倍も痛くて、そしてそんな痛みで止まろうとすることすら許せなかった。

 

「!? 、っ、 !?」

 

 立ち上がろうとして、腕に力が入らないことに気付く。 膝も笑ってしまっていて、その場でじたばたとしていた。 これでは立ち上がれないが、這っていけば何とかなる。 そんなことを考えることより、進む方がずっと有意義だ。

 何かに引っ掛かりそうになる度、その悉くを身体を捩り、ひたすら前に進む。 身体中、蜂に刺されたようにパンパンに膨らんでしまったのか、不思議な感覚のまま突き進む。

 

「、!?」

 

「 、!」

 

 雑音がうるさい。 耳が破裂しそうなぐらい、何かの音を取り入れている。 耳元で何度も絶叫を聞いているようで、鼓膜が使い物にならない。 ミシミシと眼窩で、蛇がのたうち回るかのごとく、嫌な蠢動が幾度もあった。

 第二魔法の副作用が何なのか、よく分からない。 それでも、これが自分の命を削り取る何かだと直感する。 出来てしまうだけの痛みと喪失感がある。

 だが、イリヤが泣いていたのだ。

 じっとしていられるわけがない。

 自分に起こる全てをひっくるめたとしても、それに比べたらどうだって良い。

 今ここで消えてしまっても良いから、自分はイリヤの元へと駆けつけなくてはならない。 離れてしまう前に、その手を掴まなくてはならない。 全てが終わってからでも、何もかもが手遅れになってからでも、それでも駆けつけなくてはならない。

 だから。

 お願いだから。

 

「お兄ちゃん!!」

 

 その声で、現実に引き戻された。

 

「……あ、……?」

 

 白昼夢から切り離される。 つんのめった身体はバランスを取れずに投げ出され、額を荒く打ち付ける。

 

「……い、た……」

 

 幾分遅れて痛みに呻きながら、左手を支えに起き上がろうとする。 しかしあれだけ無理矢理動いていた身体は、もう一ミリだって動かない。 身体が重い。 鉛の重りを四肢につけられても、もう少し動けるだろう。

 いいや、違う。 動けなかったのはさっきも同じ。 それでも動こうとした何かが、今は自分の中にないだけだ。

 と。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 背後から、少し大人びた声。 身体は動かせないが、その声で誰かはーー、。

 

「づ、……ぁ、……」

 

 予兆は何もなかった。 ただ思い出そうとしただけで、ザザザッ、ザザッという、不快な音で脳裏の全てが流されてしまう。 砂で作り上げた城を、高波が呑み込んでしまうように。

 やっと思い出す/覚えがない一人の少女の姿を噛み締め、声に出した。

 

「……クロ」

 

「……馬鹿っ!!」

 

 クロが何かしたのか、ぐるん、と半回転して仰向けになる。 目を凝らすとようやくここが何処なのかぐらいは分かった。

 場所は初等部の保健室。 どうやら自分はそのベッドから落ちて/降りて、ドタバタしていたようだ。 Yシャツに埃がまとわりついてしまっている。

 そしてクロは、そんな自分の胸元で、身体のあちこちをべたべた触っていた。

 

「ほ、ホントに大丈夫? いきなりベッドから落ちて暴れだすからとうとう可笑しくなったのかと思ったけど……平気なの?」

 

「……とりあえず、お前がさほど心配してなさそうなのが分かるぞ」

 

 平気ではないと思うがーーここは混同しないで良いか。 安心して息を吐くクロに、何だか申し訳なくなったときだった。

 

「変態確保」

 

「は?」

 

 嫌に平坦な、それでいて聞き覚えのある声に、疑問が先に来てしまった。

 瞬間、視界に入り込む赤。 その赤に本能的な恐怖が生み出されたときには、頭をがっちりと掴まれ、カツオよろしく一本釣りされていた。

 どしゃあ!、と盛大に床に叩きつけられる。 何故か抱きついていたクロの体重も加算され、臀部にビリビリと痺れるような痛みが伝わる。

 この容赦のなさ。 そして赤い布ーーいや、聖骸布。 それをこんな形で私用する者は、記憶の中では一人しか居ない。

 

「……あらまぁ。 幼女から引き離そうとしたのに、抱き抱えたまま釣られるなんて。 その上痛みで歓喜に震える辺り、もし変態度数があったら言い訳は出来ませんね、衛宮士郎」

 

「……」

 

 カレン・オルテンシア。

 この世で最もシスターらしく、シスターらしくない彼女が、俺の目の前に居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-4ーー

 

 

 逃げるという行為が、こんなにも辛いと感じたのは、いつぶりだろうか。

 イリヤは空を飛びながら、必死に逃げる。 クロから、世界から、兄から、自分から。 自分が知るモノ全てから逃げ続ける。 誰かが追ってくるわけではない。 ただ沸き上がる不安と、悲嘆と、自己嫌悪から逃れたくて、そんな自分が浅ましくて、その翼を広げる。

 

(……どうしてあんなこと言っちゃったんだろ……)

 

 その煩悶を何度も繰り返したか。

 自分は確かに、強い弱いで言えば、弱い人間だった。 怖いものは沢山あって、何かを貫き通すような信念だってない。 そんなこと考えたこともないから、当然と言えば当然かもしれない。

 だけどもう、イリヤは変わった。

 力を得て、守るべきモノを見つけた。 一度は挫折しかけたが、それでも最後には筋を通した。 未熟ではあっても、目に見える変化はあったハズだった。 それだけの戦いを切り抜けた。

 でも、それは幻想だと思い知らされてしまった。 自分は何も変わってない、変わった気で居ただけ。 交わした約束を守ることが出来ず、己の手で壊した。

 兄の側にいたい。

 兄に自分を見てほしい。

……始まりは親愛だったというのに、どうして、最後に憎しみへ変化したのか。 一瞬でも反転してしまったのか、イリヤには分からなかった。

 だから思ったのだ。

 自分が兄のことを慕っているのに、理解出来ないのは。

 きっと本当の意味で、彼と向き合っていたのではなく。 理解しようとも思わずに、自分勝手な家族像を押し付けてしまっただけなのだと。

 だからすれ違った。 一方通行のまま、交差して過ぎる。

 

「……っ」

 

 奥歯を噛み締める。 感情の余り、ステッキを振り回したくなる。

 いつからだろう。

 いつから、自分は兄とすれ違ってしまったのだろう。

 魔術の世界に入ってしまったから? 兄の歪みを見たから? クロが現れたから?

 他人のせいにしてみても、スッキリしないのは、自分にも責任があると感じているからだ。

 ならば、逃げられるわけがなかったのだ。

 例えどんな翼があっても、心という鎖に繋がれた人は、飛ぶことが出来ても逃げることは出来ない。 何度も逃げたイリヤにだって、それぐらいは分かっている。

 それでも逃げるのは、鎖に縛られながら翼を動かすのは、ただの感情ではないから。

 士郎は大切な家族。 そう思う度に、心に異変があったのは、きっとそれ以上に。

 

「イリヤ、待って!!」

 

 身体が強張る。 弾かれたように後方を見ると、いつの間にか美遊が数メートルほど後ろを跳んでいた。

 

「み、ミユ……!?」

 

 どうして。 そう口に出すより前に、下手人に思い当たる。 イリヤが握るステッキ、ルビー。 先程からだんまりの彼女が、姉妹機であるサファイアへ、この場所を伝えていたのだろう。

……余計なことを。 そう毒づきながらも、更にスピードを上げる。

 

「イリヤ! お願いだから一旦落ち着いて、話し合おう!!」

 

「……、」

 

「あなたが一人で抱え込むことなんてない!! 友達なら、こういうときこそ頼ってほしい、だから……!!」

 

 喉が張り裂けんばかりの声で、何度も訴えかける美遊。 その真っ直ぐな、いや真っ直ぐすぎる想いが今のイリヤには受け入れがたい。 いつもならその優しさに救われるかもしれないだけに。

 逃げる。

 追いかけられる。

 逃げる。

 追いかけられる。

……逃げても、逃げても。 美遊は追いすがり、イリヤから目を離さない。

 

「……どうして……?」

 いつしか。 イリヤは海岸が近くにある林で、立ち尽くしていた。 地上に降り立ち、一人打ちひしがれていた。

 自問自答を繰り返したところで、何も変わらない。 だがそうせずにはいられない。 逃げる足を止めてでも。

 美遊が追い付く。 だがあと友達まで数メートルというところで、その足が止まる。 今近づいても、きっとイリヤのためにはならないと、美遊自身感じ取ったからだ。

 

「……どうして、ミユはそんな風にわたしを気にかけてくれるの? わたし、お兄ちゃんに酷いことしたよ。 ミユの大切な人に」

 

「……友達を心配するのに、理由なんか要らない。 違う?」

 

「違わない。 違わないけど……今、そういうのは受け止められない。 自分でいっぱいいいっぱいで、どうして良いか分からないから……だから」

 

 エンジンのように回る感情は、既に抑えが効かなかった。 ふとしたことでまた走り出してしまいそうな足を、どうにか繋ぎ止める。

 さざ波が、鬱屈した思いを溶かすように響く。 日差しはまだ高く、風で青い葉が擦れる中で、重々しく、イリヤは口を開いた。

 

「……なんで、こうなのかな」

 

 訥々と。 色々なものに板挟みにされた本音が、言葉となる。

 

「わたし、クロを殺すつもりなんてなかった……ただお兄ちゃんを取り返したくて、奪われたままでいるのが嫌で、その場所に戻りたかった。 ただそれだけなのに……どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」

 

「……」

 

「……大嫌いなんて、そんなこと思ったことなんて、一度もないのに……どうして、そんなこと言っちゃったんだろ、わたし……!!」

 

 自分がどれだけ酷いことをしたか、そんなことは兄の顔を見たなら一目瞭然だ。

 まるで生きてる意味を否定されてしまったような、絶望した顔。 その顔を見た瞬間、あらゆる意味で後悔した。

……結局、自分は変わってなどいなくて。

 あの人の妹に、ふさわしくないのだと、確信した。

 

「本当は分かってる。 お兄ちゃんは、わたしを見捨てるような人じゃないって。 どんなことがあっても、助けに来てくれるような人だって。 でも、でもね。 どうしたって、今のわたしには信じられないよ……」

 

「……イリヤ」

 

「だって……だってお兄ちゃんが、あのときイリヤって呼んだのは……!!」

 

 口をつぐむ。 自分を全く見ていなかった兄の顔を、また思い出したからだ。 機械的に、自分を問い詰めたことも。

 でも、堪えきれなかった。

 夢ならば良かったのにと。

 そう思いながら、事実を告げる。

 

「わたしじゃなくて、クロなんだもん……!!」

 

 もうダメだった。

 それ以上先なんて何処にも無くて、無情な現実だけが広がっていて、それにイリヤは叩きのめされた。

 嗚咽だけが漏れる。

 切り開かれた傷からだくだくと血が流れるように、継続して水滴が頬を伝う。

 

「……」

 

 美遊は何も言わなかった。 言葉を失っていたのかもしれない。 イリヤからすれば、重大な理由だが、美遊からすれば違って見えるだろうから。

 どれだけそうしていただろう。

 やがて、美遊が言った。

 

「……きっと。 こんなこと言っても、イリヤは怒るだけなのかもしれないけど」

 

 イリヤから目を逸らさずに。 一人の友人として。

 

「わたしにも、分かる気がするんだ。 その気持ち」

 

「……え?」

 

 思わず、目を疑った。 あの美遊がそんなことを言うだなんて、思ってもみなかったからだ。 目元の涙も拭わず、振り返ろうとして、体に軽い衝撃が走った。

 なんだ、と首を回そうとして、背中から手が伸びる。 美遊が後ろから、抱きついていた。

 

「……わたし、海外に居たって話はしたよね? わたしにも兄が居て、士郎さんに似てるって」

 

「……うん」

 

「だから時々、思うんだ。 イリヤって、妹に対してそう呼んでる、あの人の顔はーーわたしには本当の意味で向けられてないな、って」

 

 首から回された手が、イリヤの目尻に残った涙を拭う。 視線を交わすと、美遊は苦笑していた。

 

「……勿論それが当たり前なことは分かってる。 士郎さんと、わたしのお兄ちゃんは違うってことは。 でも二人の横顔は、凄く似てるから。 とてもとても、よく似てるから。 だからその顔が自分に向けられないことが、今でも苦しくなるときがある」

 

「……、」

 

「でもね、イリヤ。 あの人はきっと、イリヤを裏切ったりしないよ」

 

 優しい声音は、哀愁に満ちていた。 美遊がどんな体験をしたのかは知らない。 けれどその言葉には、きっとどんな美辞麗句よりも、重みがある。

 

「時には間違えて、イリヤを苦しめるときもあるのかもしれない。 時にはすれ違って、イリヤを寂しくさせるかもしれない。 けれど大丈夫。 絶対に、絶対にイリヤのことは裏切らない」

 

「……どうしてそんなことが言えるのよ……」

 

 そしてその言葉は、重みがあるから故に、何もかもを破ってイリヤに突き刺さる。 その根本まで、入り込んでいく。

 

「……わたしは、わたし(クロ)に全部奪われた。 それでもお兄ちゃんは、クロしか心配しなかった。 わたしのことなんかちっとも。 それって裏切りじゃないの? 裏切りじゃなかったら何なの!?」

 

「イリヤだって、本当は分かってるハズ。 どうして士郎さんが、お兄ちゃんがそんな行動を取ったのか」

 

「わたしに分からないのに、他人のミユに分かるわけがないっ!!」

 

 髪を振り乱し、首を振って否定するイリヤ。 しかし怒鳴られても、美遊は変わることなく、優しい口調で語る。

 

「……あの人は、真っ直ぐすぎる」

 

「……っ」

 

「だから、二人が苦しんでたら、その苦しさがより見えてる方を助けようとする。 例えそれが身内であろうとなかろうと、関係なく。 彼にとって、きっとクロとイリヤに優劣はないんだと思う。 同じ家族だからじゃない、同じ人間だからーーきっと、平等に助けただけ」

 

……不公平な話だ。

 十年も共に過ごした自分がアレと同列だなんて、どう考えたって間違ってる。

 

「分かってあげてほしいとは言わない。 でも、頭ごなしに否定するのも可笑しいと、わたしは思う。 今回の件は、みんなに責任があった。 士郎さんも、クロも、イリヤも……そしてわたし達にも」

 

「……それは」

 

 思い当たることが、無かったわけではない。

 この二週間、ろくに話そうともしなかった。 兄は何度も話しかけようとしたのに、自分はそれを突っぱねたし。 クロ(アレ)に関しても、イリヤは否定するばかりだったからだ。

 誰が一番悪かったかと言えば、クロを除けば間違いなく兄だ。

 でも同時に、一番状況をどうにかしようとしていたのもまた兄だった。

 

「……クロのことは、わたしにも思うところがある。 でも、それとこれとは別の話。 今はまず、士郎さんと、お兄ちゃんと話すのが先決」

 

「……、」

 

 未だ頭の中はぐちゃぐちゃで、何をするべきかなんて一向に思い付かない。

 でも、だからこそ話すべきだという美遊の意見は正しいと、素直に賛同した。 前のように無邪気に笑えなくなっても、そこから何十年かかっても凝りが取れなかったとしても、それでも話すべきことはあるのだ。

 美遊の手を取り、体を回転させる。 向き合う形になり、イリヤは友達の手をしっかりとつかんだ。

 

「……ありがとう、ミユ。 ごめんね、酷いこと言ったりして。 わたし、ヤな人だよね」

 

「……イリヤの反応は当たり前。 だから、恥じることはない」

 

「あー……そう言われると、何か余計自分の未熟さに嫌気が差すけど。 でも、ミユのおかげで、落ち着いた。 ありがとう」

 

 そう言って、笑ってみる。 果たして上手く笑えているのかも確認することは出来ないが、それでも、笑えたことがイリヤの中で渦巻く感情を沈静化させるような気がした。

……そのときだった。

 

 

「ーーーーふむ。 これはまた可憐な光景だ。 美しい蝶が二匹舞うだけで、殺風景な林が幻想的に見えるとは」

 

 楽しげな男の声が耳に入った刹那、濃密な魔力が場の空気を塗り替えられた。 異界とまでは行かずとも、空気が淀み、霊脈が活性化して更に息苦しい空間へと変わっていく。

 この感覚を二人は知っている。

 だが、何故。

 何故もう回収したハズのクラスカードの魔力が、ここで感じ取れるのだーー!?

 

「!」

 

 やはり先に動いたのは、美遊だった。 右手の杖を魔力で閃かせ、青い魔力弾を声の出所へ放つ。 放った場所は左斜め前の樹木の枝。 丁度人が乗れそうな太さのそれは、魔力弾で中頃から折られ。

 そして、一人の男が地面に着地した。

 

「……ひっ……!」

 

 その姿をみたイリヤが、悲鳴をあげる。

 それは、平たく言えば落武者だった。 濃淡な和服は見るも無惨なモノで、さながら山賊が纏うボロ切れ。 髪は同じく青に近い紺で長く、腰まであるが、こちらも同様に乱れきっていた。

 しかしその顔つきだけは、優男のように端麗だ。 眼光こそ炯々としているものの、柔和な印象すらある。

 

「童子を相手に切り合うのは、私の望むところではないが……まぁ、直令とあれば仕方あるまい」

 

「……あなたは誰だ」

 

「私か?」

 

 ニヤリ、と笑う男。 イリヤが悲鳴をあげたのはその容姿や、気配ではない。 彼が持つ刀を目にしたからだ。

 イリヤ達の身の丈ほどもあるかという、規格外の長刀。 鍔はないそれは、刃こぼれや血糊がこれでもかとあり、潜り抜けた修羅場の数を思い起こさせる。

 

「……サーヴァント・アサシン。 佐々木小次郎」

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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昼~黒の記憶Ⅰ/VSアサシンverβ~

お待たせしました、すまない(竜殺し感
どうも、388859です。 いやー、セイバーウォーズ凄いですね。 最後のデイリークエとかディスガイアかと思いましたよ……フレおき太と赤王ちゃまつよい。 赤王ちゃまスキル追加でホント強くなったなぁ。

あと、月一更新の身でアレなんですけど、次回は少し間が空きます。 そこら辺は活動報告に書くのでよろしくお願いします。



ーーRewind/interlude2-1.5ーー

 

 

 捕まってしまったのは、どう考えても兄のせいだと思う。 大人しくしていれば、今頃彼の意識を奪って、イリヤを絶望に叩き落とせたのに。 抵抗されるだろうとは考えていたが、あそこまで手酷くやられるのは想像もつかなかった。

 エーデルフェルト邸、地下。

 それが今、わたしがぶちこまれたブタ箱だった。

 

(……イリヤがそんなに大事なのかなぁ)

 

 やれやれと肩を竦めたくても、カチャカチャと体中から擦れる音が鳴るだけ。 それもそのハズ、今この体は十字に立っている鉄柱に、鎖で繋がれているのだから。

 ここに閉じ込められ、十時間程度が過ぎる。 陰鬱なここでは、灯りもなく、勿論雑貨などもない。 出来ることと言えば思考の反芻だけだ。

 色々なことを考えて、暇を潰していたが、それのせいで嫌でも現実に直面してしまった。

 わたしは、イリヤに戻れるのか。

 何度考えても、それは無理だろうという結論になる。 確かにこの世に生まれ落ちたとき、わたしが産声をあげた。 名前を付けられたのだってわたしだった。 しかしそれを奪われた今、イリヤという存在は、あの偽物が居座ったせいで、そういうモノに定着してしまった。

 イリヤと呼ばれ続け、学校に行き、友達を作り、将来を語る偽物は紛れもなく、過去のイリヤであるわたしとしては許せるモノではない。 しかし同時に、誰もがイリヤと呼んでいるのはあちらで、わたしはその影に隠れていた、轍のようなモノに過ぎない。 例えイリヤを殺し、その場所を奪い返しても、それが自ら作り上げた世界でないのならば、いつか振り返ってしまう。 こんなハズではなかったのにと、世界に潰される。

 仮に周囲に認めさせたとしても、自分がそれに納得出来なければ意味がない。 そしてわたしには、それが痛いほど、よく分かっていた。

 

(だって)

 

 自分が羨んだ景色が。

 あのイリヤが手にした世界こそが、わたしが本当に欲しかった世界で。

 他でもないあのイリヤの手を引いた衛宮士郎だからこそ、わたしは愛して。

 だからこそわたしは、この世に生まれたかった。

 

「……柄でもないわね……」

 

 分離してから、感情の揺れが激しすぎる。 ナイーブになると、とことんナイーブになる辺り、案外その箇所は偽物と変わらないのかもしれない。 そんなの真っ平御免だが。

 昼間は興奮していたが、冷静に考えたらこの先など真っ暗すぎて反吐が出そうだ。 不安な気持ちで一杯にならないよう努めてはいるが、それを抜きにしようにも、今の自分はあの家族の輪に入ることが出来ないことだけは確定している。 ならばどうするべきか。

 簡単だ。 兄や両親、偽物ーーイリヤと話す。 そしてわだかまりを一つずつ、解いていく。 それしか道はない。

 

「……最悪」

 

 吐き捨てる。 奥歯と奥歯を噛み合わせ、歯痛を堪えるようにしかめる。

 和解? 対話?……そんなことして、どうにかしたら、自分が欲しかったモノは手に入るのか。

 ああそうだろう。 両親は、兄は、イリヤは、そんな自分を手厚く家族として迎える。 そうして幸せに、安っぽいホームドラマのような日々に自分も入れる。

 しかしそれは、今まで奪われたモノを帳消しに出来るほどのモノなのか?

 何だかんだで許してしまったら、自分が苦しんだ意味は何なのだ。 泣いて、叫んで、本音をぶつけ合って、それで何もかも許してしまえば、それでわたしが苦しんだことなど全て打ち消せるのか?

 わたしが苦しんだことなんて、無かったかのように。

 

「……子供よね」

 

 結局、自分は救われたいのだろう。

 だがきっと、ただで救われたいわけでもないのだ。

 報いは受けさせる。 そうでなければ、気が済まないだけ。 正常に戻る前に、痛い目に合わせたい、それだけの我が儘。

……どうしようもないとは思うが、かと言って躊躇うことはない。 それすら許されないのなら、それは生きているとは言えないから。

 と、そのときだった。

 

「っ、……つ」

 

 頭痛。 イリヤと分離してから、数時間ごとに度々起こるようになったそれは、頭の奥を中心に痛む。 無数の針が肉を掻き混ぜるような、本能的に恐怖を覚える痛み。

 今まで通りなら、すぐ消えていた。 しかし今回はそうは行かなかった。 それを意識した途端、爆発的に激しさを増す。 針ではなく剣が、内側から食い破るように突き刺すイメージ。 痛みは一気に頭から喉、胸、腕と、全身に広がっていく。

 

「か、っ……は、……!?」

 

 ぶるり、と体が震える。 全身から、冷たい汗が噴き出す。 針の筵どころの話ではない。 これでは剣の筵だ。 目の前が真っ暗になり、幻覚すら見てしまいそうなほど。

 そして。

 記憶が。

 牙を剥く。

「……ぁ」

 

 そのとき、自分は分かってしまった。

 何故ならわたしが見た記憶は。

 

「……うそ……、そん……な、どう、して、……」

 

 英霊エミヤ。

 未来の衛宮士郎が成り果てる地獄の底と、それを否定した兄で。

 この世界の兄が、あの世界の兄なのだと、理解してしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 カレン・オルテンシア。

 元の世界では、冬木市にある教会の後釜として、司祭代行の任についた修道女。 性格は一言で言えば、横暴。 丁寧な言葉使いとは裏腹に、教会への報告は偽証するわ、あの遠坂に真っ正面から手袋……というより、聖書を叩きつけるわ、もうそれはやりたい放題だった。 その割りには神を信仰する者らしく、的確な助言や説教などもするもんだから、一概に悪とも言えないのがまた困ったところなのである。

 余り死人のことは言いたかないが、言峰がもし生きていたのなら、さぞ冬木は住みにくくなっていただろう。 何せエセ神父にエセ修道女のコンビだ、俺達魔術師の限界値を余裕でぶっちぎる最強のタッグである。 そういう意味では、あの神父がくたばっていて本当に助かった。

 そんなところで、カレンの人柄が分かったとは思うのだが。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 保健室。 そろそろ低学年は授業が終わるーーそもそも授業が再開されているかすら分かってないがーー頃。 カレン、クロ、そして俺の三人は、何故か俯いたまま黙り込んでいた。 カレンは何やらノートにさらさらとボールペンを走らせ、クロはそんな彼女を威嚇するようにねめつけている。 俺はクロの隣で身動き出来ず、その様をベッドで眺めていた。

 カレンとの再会。 最初はこの世界のカレンかと思っていたのだが、瞬時に理解した。 アレは自分の世界に居たカレンだ。 第二魔法の一端に触れたことで、恐らくそういったことに敏感になったから、気づけたのだろう。 聞きたいことは沢山あったが、それを口にする前に、カレンがこう言ったのだ。

 

「少し彼と話したいことがあるので、あなた達はここから出ていってもらえるかしら、凛、ルヴィア。 クロは残っていても結構よ」

 

 少しの遠慮もない。 カレンのこういうズバズバしたところは、一歩間違えればガンをつけるようなモノである。

 これに、遠坂達は猛反発するんじゃないかと思っていた。 しかし結果はあっさりと了承。 大人しすぎて、逆に怪しかったぐらいなのだが、聖骸布にベッドで拘束された俺には為す術もない。

 そうして人数も減り、些か喋りやすくなったかと思っていたらーーずっとこの状態である。 カレンはノートにペンを走らせ、クロは親の仇でも見るような目付きだ。

 カレンもクロも、何がしたいのか分からない。 カレンは最初から予想なんて意味のない奴だから除外するとしても、クロの異常なまでのカレンへの敵意は何なのだろう?

 俺が眠っている間、一体何があったのか。 知りたい気持ちは大きくなるばかりだが、この空気を吹き飛ばす勇気が俺には無かった。

 

「……わたしを睨んでいても、何かが得られるわけでは無いと思いますが」

 

 根負けしたのか。 カレンはそう言って、視線を向ける。 それにクロは、にこやかに笑ってみせた。

 

「お生憎。 わたしはあなたみたいに達観してるのを装って大人ぶってる奴が、一番嫌いなの」

 

「あら、奇遇ね。 わたしも同じよ。 身の程を弁えない犬がキャンキャン吠えていると、咄嗟に蹴りたくなってしまうところだわ」

 

 妙な緊張感の中。 そんな応酬など無かったかのように、さて、とカレンはノートを閉じる。 こちらへと向きを変え、

 

「そろそろ拘束されることに悦を覚えて貰っても困りますし、話をするとしましょう。 良いですね、衛宮士郎?」

 

 良くはない、という不平を、口の中に押し込む。 カレンが何故ここに居るのか、俺はどうやってここに飛ばされたのか。 遠坂達は元気なのか、聞くべきことは山程ある。

 しかし、今はクロが居る。 それを言うべきタイミングではないし、悠長に話している時間もない。

 

「大いに不満だらけだけど……こっちも時間がない。 早いところイリヤを探さなきゃいけないからな。 余計なことは良い、さっさと話してくれ」

 

「話が早くて何より。 では一つ尋ねますが」

 

 と、カレンは前置いて。

 

 

「あなたはイリヤスフィールとクロ、どちらを助けるつもりですか?」

 

 そう、訳の分からないことを、言った。

 

「……は?」

 

「あら? そんなに難解な質問かしら? わたしはイリヤスフィールとクロ、どちらを優先するのかと、そう尋ねただけですが」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」

 

 質問の意味が分からない。

 質問の意味を見いだせない。

 イリヤとクロ、どちらを助けるのかだって?

 何故今更そんなことを確認する? 分かりきった答えを、今更。

 

「……俺、は」

 

 心がざわめく。 言うべき言葉は、既に答えとして心にある。 エミヤシロウならばきっと、こうするだろうという答えが。

 変えようがない。 目を背けたくなるほどに。

 しかし、よりにもよってそこで自分自身が、その答えに待ったをかける。

 

「……俺は、イリヤの、家族で……クロ、は……俺の、妹で……」

 

 ざ、ざざざっ、と。 ここで過ごした兄としての記憶が、白濁していく。 違う記憶と混ざっていく。

 正義の味方、衛宮士郎としての記憶と。

 

「……でも、俺は……」

 

……そうだ。 クロはイリヤを襲った。 そこにどんな思惑があったとして、イリヤが悲しみ、学校の人々を危険に晒した。

 それを。

 家族だからと、争いの種を。

 正義の味方が見過ごすのか?

 

「……違う……っ」

 

 それは違う。 まだクロが危険と決まったわけじゃない。 いや違う、そうじゃない……そんな風に何でも善と悪で考えるんじゃない、今の俺はイリヤの兄貴なんだ……!!

 

「……俺は」

 

……そうだ。 お前は裏切るのか、エミヤシロウを。 この世界で誰よりも家族を愛し、出会えたならクロをも守ろうとしただろう男を。 あの男が見た景色を、自分は覚えているんだろう。 何より切嗣が夢を捨ててでも守ってきたこの世界を、お前が壊したことを忘れたのか?

 この世界を裏切れば、衛宮士郎はこの先どんな救いの手を伸ばされても、その手を取ることは出来ないだろう。 何故なら、この世界には衛宮士郎が失った全てがある。 それを捨て去るのは、これまで自分が尊いと思った全てをもう一度捨てることと同義だからだ。

 だが、

 

「……俺、は……」

 

 仮に。 仮に、クロを助けるとしよう。 しかしその後、自分はどうする?

 イリヤは最初から、クロを気に入っていなかった。 その溝は今回で取り返しがつかないほど深くなったと思って間違いない。 必殺のゲイボルクを使ったのだ、決定的だろう。

 ならば、自分が間に入って、二人の仲を保とうとする? 馬鹿な、出来るハズがない。 この二週間、話すことすら出来なかった自分なんかに。 イリヤから避けられ続けた自分に、一体何が出来るというのか?

 そしてもし和解したとして、今回の件は尾ひれを引く。 どんな会話があったかは知らないが、相手を殺そうとした(・・・・・・・・・・)という事実は心の隅に残ってしまう。 そうなれば、この先、どんなことがあったとしても、その事実を払拭することは不可能だ。 最後には対立し、やっぱりそうなのかと殺し合う。

 全て仮定の話だ。 しかし現に二人は殺し合った。 一度殺し合ってしまったなら、もう歯止めはかからない。 対立したときには、殺し合うことに躊躇うこともないだろう。

 だから。

 だから。

 だから。

 もし。

……そうなってしまう危険が、少しでもあるというのならば。

 それを取り除くことこそが、正義の味方なのではないか?

 

「ねぇ」

 

 横合いから、声がする。

 クロ。 家族。 守るべきモノの一つ。

……本当に?

 それは、イリヤを傷つけてでも?

 

「あなたは家族を守る、そうでしょ。 違う、お兄ちゃん?」

 

「……、」

 

「?……お兄ちゃん?」

 

 訝しげに、顔を曇らせる。 その顔はイリヤと同じ、無垢で、幼い、妖精のような不思議な雰囲気がある。

……今なら、まだやり直せる。

 エミヤシロウが守ろうとした世界。 切嗣が、イリヤが、幸せに過ごしている世界。 その世界をこれ以上壊さないと、そう誓ったのなら。

 (家族)を生かすためにーー()を殺すことこそが、正義だとしたら。

 

「……ふざけやがって……」

 

 たまらず、毒づいた。 自分の凝り固まった理想へと。

 そう、それこそ裏切りだ。 エミヤシロウは言ったのだ、家族を守りたいと。 あの男なら、切嗣ならば、クロのことも受け入れる。 イリヤだって助ける。 だからクロは殺せない。

 だから、なのに。

 もう一つの声が囁く。

 裏切るのか。

 お前はあの日見ないようにして、聞かないようにして、封じ込めた人々を。

 あの日自分に夢を託した、命を救ってくれた爺さんのことを、他ならぬお前が裏切るのか?

 

「、っ……」

 

「お兄ちゃん? ねぇ、本当に大丈夫? 顔真っ青だけど……」

 

 えずき、堪える。 クロに大丈夫だと返したが、喋ることすら辛いのが現状だ。

 イリヤを助けるにしても、クロを助けるにしても。 俺はどちらを助けても、誰かを裏切る。 何よりも守るべき誰かを、裏切る。

 そもそもにおいて。

 この選択は、奪い、居座っている俺ごときがして良いモノなんかじゃない。

 悪夢でも生温い選択。

 どちらを、選ぶべきか。

 

「……選べない……」

 

「え?」

 

 半ば無意識に。 その答えを出す。

 

「俺は……選べない。 どっちを助けたいのか、俺は、分からない」

 

 瞬間。

 冷や水をかけられたように、空気が一変した。

 

「……なによ、それ」

 

 クロの声が何処までも冷たかった。 しかしそれは、機械のような冷たさなどではない。 感情を押し殺し、震えながら、だからこそ鋭い刃のような冷たさだった。 まるで沸々と、少女の体の中で、高熱のマグマが作られるような。

 

「じゃあ聞くんだけど。 お兄ちゃんはどうして、魔術を使ってでも他人を助けようとするの? その魔術は、家族を助けるために学んだんじゃないの? 深く、一寸先も見通せない闇が渦巻いている、魔道に」

 

「……それは」

 

「それは?」

 

 横へ視線をやる。

 ささやく声は、いつになく硬かった。 ざらざらとした、砂のような手触り。 クロは真っ直ぐと、強い意志の籠った目を向けてくる。

 

「ねぇ……どうして、わたしを助けたの? あなたはイリヤの兄のハズよ。 あのとき、わたしはイリヤを本気で殺そうとした。 それに対して、イリヤは抵抗した。 それだけのことだった。 アレもかなり本気ではあったけど、致命傷を避けるぐらいならまだ何とかなった。 なのにどうして、イリヤじゃなく、わたしを助けたの?」

 

「……そんなこと、今更聞かなくたって分かるだろ。 これから家族になるんだ、助けるに決まってる」

 

 そうだ。 家族だから助ける。 それ以外に理由などない。 それが今は亡きエミヤシロウに誓った、自分なりの贖罪だ。

 クロはそんな事情は知らないだろうが、家族だから助けるという理由は、とっくに判明していたのだろう。 だからこそ。

 

「だったら、尚更分からないんだけど」

 

 止まらない。

 

「何が?」

 

「だって家族を助けるのなら」

 

 滑り落ちたボールのように、その言葉が頭を殴打する。

 

「わたしを助けるのもそうだけどーーあのときわたしの後でも、イリヤだって助けなきゃいけなかったんじゃないの?」

 

「……ぁ」

 

……ああ。 その言葉で、分かってしまった。

 自分はどう頑張っても。

 エミヤシロウのように振る舞うことは、出来ないんだと。

 

「確かにわたしを助けたのは、人として褒められた行為よ。 それは認めるわ。 でも、あなたはそのためにイリヤを犠牲にした。 わたしに味方して、イリヤを責めた。 これは家族に対する行動じゃない、他人への対応よ」

 

 そして、クロは言った。

 

「……あなた、ホントにお兄ちゃんなの?」

 

……まさか。 嫌な、嫌な汗が、全身から噴き出す。 毛穴から滝のように流れる。

 バレているのか。 あの秘密が。

 俺がこの世界のエミヤシロウじゃないと、気づいているのか。

 そんなわけがないとは言い切れない。 そう、クロはアーチャーのクラスカードを身に宿している。 もしその記憶を覗いていたとしたら、俺とエミヤシロウの違いにはすぐに気付ける。

 目が離せず、口も開くことも出来ない俺に、クロは更に付け足す。

 

「……もう良い。 約束も嘘なんでしょどうせ」

 

……約束? 何よりも先に困惑が来る。 それに恐怖が芽生える。

 思い出そうとして、思い出せない。 同じだ、何も残っていない。 決して忘れてはいけないと、強く思っていたのは覚えているのに、肝心の記憶が欠片も残っていない。 どんな約束をして、クロがどんな顔をしていたのか、覚えていないのだ。

 必死になって、その記憶を手繰り寄せようとする。 しかし見つからない。 そんな葛藤を、感じ取ったらしい。

 クロがベッドから降りる。 軽やかに、しかし後腐れが無さすぎて、いっそ他人にされたのかと思えるほどに。

 だが振り返ったその瞳や顔には、悲しみや怒り、やるせなさなど、幾つもの複雑な感情が詰まっていた。 そんな潤んだ顔をさせたのが自分だと、思いたくないぐらいの顔だった。

 

「……おとーさんなら、わたしもイリヤも助けてくれるのに。 お兄ちゃんは助けてくれないんだね」

 

 きっと。 人を呪わば穴二つとは、こういうことを言うのだろう。

 俺が与えた、この世界への呪いは。

 確実に周りの人間を不幸にしていることを、ようやく身を持って知った。

 

「……気が変わったわ。 あなたに免じて止めてあげても良かったけれど、やっぱりイリヤは殺す。 そしてあなたも殺す。 みんな殺す」

 

「……!」

 

「次会ったら、そのときは和解なんて考えない方が良いわよ。 じゃ、また」

 

 クロが窓を開け、そこから飛び出す。 待ってくれなんて言葉は言えるわけがなかった。 そんな資格無いと思った。

 その後ろ姿に、何も言えず、手で顔を覆った。 いつの間にか聖骸布は体から外れていたのだが、それでも心が動かなかった。

 と。 カレンがそこでやっと、口出しする。

 

「随分と酷いフラれ方をしたものです。 ああ何と痛ましい顔でしょう、額縁に飾りたいほどです」

 

「……」

 

「……難儀な人ね、本当に。いっそ言ってしまえば楽なモノを、こうまでして守ろうとするなんて」

 

 それっきり、傍観していた彼女は何も言わなかった。理解に苦しむというより、ただ呆れたのだろう。

 これが限界なのか。

 先送りにしていた問題が、ついに俺の前に現れたときだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-7ーー

 

 

 青と桃の魔力が荒れ狂う。

 

砲射(フォイア)!!」

 

 寸分違わぬ詠唱と共に、二匹の蝶から放たれるのは、魔力の塊。 単純な魔力の塊であるが故に、その威力は並みの魔術師どころか当代屈指の名家ですら、後塵を拝するだろう。 それほど二匹の蝶が使用する魔術礼装は、圧倒的な礼装なのである。

 対し、二匹の蝶を空に見据えるのは、アサシンーー佐々木小次郎。 乱れた髪を激しく揺らしながら、しかし華麗に、演舞を行うようにかわしていく。 まるで彼の演舞にイリヤ達が合わせるかのような、そんな光景。 一体誰が、この光景を見て、果たし合いだと思うだろうか。

 しかしそれも、当然のこと。

 アサシンにとって、空を飛ぶ生き物など、さして脅威に値しない。 何故なら彼は、ただその手に持つ一刀ーー物干し竿で、風のように飛ぶ燕を斬った、それだけの人間に過ぎない。 しかしその燕を斬るためだけに人生を捧げーーそして英霊となった今、彼にとって空とは、己の戦場も同然なのだ。

 

「ふむ、芸がないのも考えものよな」

 

 陣羽織の切れ端を踊らせ、アサシンはつまらなさげに。

 

「私は剣を振るうことしか出来ない農民崩れだが、そちらは魔術師ですらない。 いやはや気が乗らんとは言った身でもう一度言いたくないが、蝶は蝶らしく花を愛でるのが一番良かろうに」

 

 幽鬼のように体を揺らすアサシンは、未だ剣を使っていない。 構えすらせず、自然体のまま右へ、左へと足を運んでいる。

 そして攻撃を避けられ続けるイリヤは、その姿に恐れを抱く。

 

「……まるで当たらない、何なの……!?」

 

「恐らくセイバーの英霊とは真逆のタイプですね。 あちらは性能に言わせた戦車、こちらは機動性などを重視した最新ヘリってところでしょうか。 正直に言って、かなりやりにくい相手ですよ、イリヤさん」

 

「……遠距離は避けられる。 かと言って近距離だとあの長い刀で懐に入る前に切り捨てられる。 なら」

 

「中距離での広域攻撃、もしくは遠距離近距離の役割を分け、同時に攻め込む。 この二つならば、あちらも隙を見せてでも対処せざるを得なくなると思います、美遊様」

 

 しかしそれでも、あの同時砲撃の連続を脚力だけでかわすアサシンならば、ミドルレンジなど物ともしない踏み込みが可能だろう。 それはイリヤでも分かる。

 考えてみれば、意思を持つ英霊など初めてだ。 これまで戦っていた英霊の現象は、ただ暴れていただけで、英霊としての力を発揮出来ていたとは言いづらい。 その点、このアサシンはステータスこそ低いものの、こと戦いの巧さでは今までのどの英霊よりも上であり、攻め切れないのだろう。

 だがこのままでは埒が明かない。 相手に先手を取られては、為す術もなく美遊と一緒にあの剣の錆びとなるだけだ。 が、

 

「……わたしが切り込む」

 

「ミユ……!」

 

 それより中距離で安全に。 そう言う前に、美遊が作戦を告げた。

 

「広域に渡る魔力弾は隙が出来やすい。 二人とも隙を見せた瞬間、アサシンならすぐに空中でも距離を詰めてくると思う。 だったら近距離と遠距離で同時に攻め込む方がまだ安全」

 

「で、でも……」

 

「美遊さんの言う通りですよ、イリヤさん。 それに今のあなたでは近距離の足止めは難しい。 ここは美遊さんに貧乏クジを引かせた方が、結果として生き残る確率が上がりますしね」

 

「大丈夫、剣の心得なら少しはあるから。 イリヤとルビーはサポートを、サファイア!」

 

 美遊の一声に応え、杖の先端から刀身が伸びる。 あのセイバーやバーサーカーの戦闘にも耐えた、頑丈な剣だ。 それを手に、美遊は足場を固めていた魔力の制御を一旦放棄、体を九十度回し、再度足場を作る。

 そして、跳ぶ。

 

「フッ!!」

 

「む?」

 

 ロケット染みた加速。 アサシンが眉を潜めたときには、美遊は既にステッキを振り下ろしていた。

 甲高い金属音。 火花を散らし、つばぜり合う。 にっ、とアサシンが笑みを溢す。 途端に均衡が崩れる。 アサシンがその手の刀をするりと滑らせ、ステッキに沿って最短距離で美遊の首を切り落としにかかるーー!!

 

収束砲射(シュート)!」

 

 声は真上。 アサシンはすぐにそれを察知し、攻撃をわざと中断しながら首をくい、と横に倒す。

 首があった場所を素通りするのは、細く凝縮されたイリヤの収束砲。 しかしその位置は不味い。 アサシンが避けたことで、それが一転して美遊に襲いかかる。

 

「っ、サファイア!」

 

 腕力の強化に回していた魔力で障壁を作り、まずはアサシンの刀を受け流す。 同時に強化された脚力で収束砲を避け、ひとまず距離を取る。

 無論、そこを見逃すアサシンではない。 美遊やイリヤの背丈にも迫る刀を閃かせ、その首に狙いを絞り、振るう。

 

「っ……ルビー!」

 

「え? あ、ちょ、イリヤさん!?」

 

 自分のせいだ。 イリヤは慌ててステッキを美遊と同じ剣へと変換、ルビーの制止も聞かずにアサシンへと切りかかる。

 美遊もそれに気付き、歯噛みしたが、それどころではない。 アサシンの剣は一刀一刀が必殺。 急所だけを狙うと言えば防ぎやすいのかもしれないが、それが英霊となれば別だ。 洗練された剣を一つでも避けるのは、精神的な疲労が凄まじい。 むしろよく防いでいると言ったところだろう。

 ならばーー二人ならいけるか。 しかしそんな考えは甘過ぎた。

 

「ふふ、これは驚いた」

 

 上体を逸らし、イリヤの剣を回避。 そこから流れるように剣の柄を握り、美遊と位置が入れ替わる。 そう、丁度剣を振り終わったイリヤが着地したところを狙える位置に。

 

「させない……!」

 美遊がそれを阻止するため動き、同時にイリヤも反撃はさせまいと剣を突き出す。 挟撃になった二振りの剣。 カレイドステッキの効果で、達人とは言わずとも剣のスキルを持った二人の剣を同時にかわすのは至難の技だ。

 

「英霊に挑む時点で肝が据わっているとは思っていたが……まさかこのような力技で来るとは。 現代の幼子も中々侮れんものよ」

 

 くく、と口の端に笑みを過らせるアサシン。

 確かにアサシン、佐々木小次郎にはずば抜けたステータスなどない。 あえて言うなら速さだけだが、それも黒化されて弱体化している。 総合的にはバーサーカーに劣るだろう。

 しかし剣に生き、剣を完成させて死んだ男の技は、達人の域を遥かに超えている。

 

「……!!」

 

 踊る二本の剣。 それを防ぐ。 流す。 逸らす。 あの長い刀で、どうしてそんな器用なことが出来るのか。 少女二人の剣は瞬く間に押し返され、逆に今度は劣勢を強いられる。

 それはまるで清流のように早く、清らかで、何より優雅な剣だった。 その振る舞い、耽美と言う他ない。

 

「……強すぎる……!!」

 

「それは愛いことを言ってくれる。 この程度なら星の数ほど居ただろう、よ!」

 

 ギィン!、と一際強く刀が振るわれる。 美遊とイリヤは弾かれ、たたらを踏むが、すぐさまアサシンへと挑みかかる。

 

「! いけません、美遊様!!」

 

 しかしアサシンは速かった。 美遊が復帰しようと前を見たときには、既にその懐に刃が走っていた。

 防げる。 美遊は何とかステッキを間に挟む。 しかし止まらない。 防いだと思ったアサシンの剣。 その剣が蜻蛉のようにはね上がりステッキを掬い取って、更に踏み込む。 肩からタックルするようにその懐へ入り、刀の柄を美遊の腹に据える。

 さながら剣を構えるような、イリヤを迎撃するような格好。 しかしそのまま柄で、槌かと見紛う一撃を美遊の腹に叩き込む。

 

「ご、……!?」

 

 銃が発砲したかのような、爆発音。 特大のインパクトに美遊は体をくの字に曲げ、そのまま林の中に吹き飛ばされた。

 

「ミユ!!」

 

 枝や木が薙ぎ倒されるほどの一撃。 このまま追撃されると不味い。 アサシンは幸い、剣の腹を空に向けて構えている。 あそこからこちらに剣を繰り出すにしても、攻撃はワンテンポは遅れるだろう。 なら魔力弾を放ちながらアサシンの攻撃が届かない空へ退避し、美遊へ行かせないよう牽制する。 それしかない。

 イリヤの判断は正しい。

 だが気付いているか、飛び立とうとする一匹の蝶よ。

 今まで構えらしいモノを取っていなかったこの剣士が、どうしてワザワザ剣を振りにくい構えなどしているのか。

 

「秘剣ーーーー」

 

 凛とした、感情を排した声。 退避しようとするイリヤの耳にそれが入り込む。 飛び立とうとする鳥の耳へと。

 

「まさか……!? 不味いですイリヤさん!!」

 

「え?」

 

 その危機をいち早く感じ取ったルビーの切迫した様子に、イリヤが疑問符を抱いたが、もう遅い。 そして何よりイリヤ自身が異変に気付いたのは、魔力弾を放った後だったのだ。

 魔力弾が迫る。 しかしアサシンは肩に構えた剣を、何の気概もなく、ただ空へ浮かぶイリヤへと放った。

 

 

「ーーーー燕返し」

 

 

 人類の到達点の一つ。

 それをイリヤは目撃する。

 描かれるは一本の軌跡。 それが大上段から大きく振りかぶられ。

 瞬間。

 疾風(はやて)のごとく三本の軌跡(・・・・・)が、イリヤの首を断ちに行くーーーー!!

 

「……っ!?」

 

 生きていたのは一重に、ルビーが障壁だけでなく己の体を器用に動かしたおかげだろう。

 丁度三本の斬撃が交差するイリヤの首。 ルビーはそこへ自らを差し出し、弾かれることで庇ったのだ。

 だが、完璧に防げたわけではない。

 首元より下。 防いだ剣が擦れたのだろう。 下腹部に、薄く、ばっさりと一文字が刻まれる。 ルビーが魔力制御を手放してでも防いだからだ。 剣が衣装を貫き、真っ赤な血が大量に流れた。 ごぶ、とイリヤは口から血を吐き、勢い良く真後ろの木に激突。 ズルズルと落ちて転身が解ける。

 

「イリヤさん!!」

 

「ごふ、……っ、ぅぶッ、がっ……!?」

 

 倒れ伏すイリヤの下で、赤黒い血が池を作る。 ルビーが駆けつけようとしたが、アサシンがそれを許さない。 剣を突きつけて阻む。

 

「……まさか多重次元屈折現象(キシュアゼルレッチ)を、ただの剣で行うとは。 あなた何者ですか?」

 

「なに、私では燕を斬るには三本ほど剣が必要だっただけのこと。 技と言うよりは、ただの特技に過ぎん。 結局は邪道、一刀で切り伏せられるならそれが最良なことに変わりはなかろう」

 

 アサシンの無感動な言葉に、ルビーは言葉も出なかった。

 士郎からは聞いていた。 クラスカードが聖杯戦争を元にしていたとして、二人ほど居なかった英霊が居ると。

 その一人が、アサシンーー佐々木小次郎。 凄まじい剣士だとは聞いていたが、凄まじいどころの話ではない。 アレは間違いなく魔剣の領域だ。 第二魔法を行使するルビーだから事前に察知して回避出来たものの、本当なら英霊であろうとあの一撃を回避するのは未来予知か、それに類する能力でも無い限り不可能なレベルだ。 それほどの剣、それほどの絶技なのである。

 そして、避けられないのならば、一刀一刀が必死だということ。

 

「う、あ、……!」

 

 腹部から、血が洪水のように噴き出す。

 初めて感じる痛みに、のたうち回ることすら出来ないイリヤ。悲鳴を出すにも、喉から声を出すことすら傷に響き、四肢の力が抜けていく。

 体の芯が、徐々に無くなっていく感覚。外面はだくだくと流れ落ちる血で熱いのに、内面は急速に冷えていく。

 命が、奪われる。

 そう知覚した瞬間、今まで感じたことのない恐怖が全身を貫いた。死の恐怖。普通の小学生どころか、大人であっても体験しない、原初の恐怖がイリヤの心臓を鷲掴みにする。

 

「あっ、ぁ、……か……」

 

 怖い。寒い。苦しい。

 そんな弱音すら押し潰す、圧倒的な痛み。散らばった意識を現実に引き戻される度に、ギチギチと視界が赤黒く光る。

 これが、死。終わりへと向かう一方通行の道。一度渡ってしまえば、もう戻れない。

 

(死ぬの……わたし……?)

 

 いつもとは違う、漠然とした予想。だがそれは本能がそう悟ったということだ。臆病風に吹かれるよりも、そう思ってしまったら、もうそれは確定事項に近い。

 死ぬ。本当に。こんなところで、いや、こんなところだからこそリアリティがあった。

 

「イリ……、ん……!!」

 

 ルビーの声が遠い。ぷつぷつと途切れるだけで、どんどん聞こえなくなっていく。いつしか痛みすら、感じ取れなくなっていくような気がした。

 

「……仕舞いか。呆気ないものよ」

 

 アサシンの呆れた声が耳陀を叩く。

 これで終わり。その言葉に、抵抗しようとする気も起きなかった。痛みはもう感じず、視界が閉じていく中で、そんな思考は邪魔ですらある。まるで目覚まし時計で起こされたように不快で。死が眠りだとするなら、もうそれで良かった。

 思えば、散々な一日だった。

 クロに友達との関係を壊されかけ。殺されかけ。兄が助けてくれたと思ったら、自分ではなくクロを助けようとして。そんな兄を、自分は心ない言葉で罵倒して。

 

「……ぅ、」

 

 余りに酷い一日に、涙すら込み上げる。

 自分が何をしたというのだろう。こんな目に合わないといけないくらい、何か罪深いことをしたというのか。

 兄と話さなかったから? クロの居場所を奪ったから?

 そんなの、自分のせいだけじゃない。兄は自分を助けてくれなかった。クロだって両親が封印しただけで、自分が奪ったことすら知らなかった。

 なのに今腹を裂かれて、殺されかけている。こんな、こんなのってあるだろうか。午前中まで授業を受けていたのに、今はもう生きる気力すら湧かない。

 

「……ぅ、ぅぅ……!」

 

 悔しい。涙が血と混じって、ポタポタと地面に落ちていく。

 悔しいのにーー意識は、闇に落ちていった。

 

 

 

 そのとき。何故か思い出したのは、凛と二人で話した朝だ。

 

ーーだからね。衛宮くんの夢って、正義の味方になることなんだって。

 

 そう、呆れた口調で言う凛に、イリヤはぽかーんと口を開けてしまった。

 兄のことがまた分からなくなって、凛に聞いてみれば、彼は正義の味方を目指しているという。

 なんでも小さい頃からの夢らしく、他人に言えるような夢でもないから、家族にも言ってないのだとか。まぁ確かに口は憚れるかもしれないが、それにしたって正義の味方とは。

 

ーー兄としてもそうだけど、正義の味方としては、困ってるクロを放っておけないとか。わたしには分からないわ。

 

 凛は理解出来ない、と首を振る。

 正義の味方。

 あやふやなイメージだが、思い浮かぶのはヒーロー映画とかだろうか。最近テレビだと外国人の俳優とかが凄くプッシュされてるなぁという印象しかない。

 しかしそれならヒーローといえば良い。何も正義の味方なんて言葉でなくても。

 何か引っ掛かる。

 

ーー……正義の味方とヒーローって、何が違うんだろうか。

 

ーーさぁ? 感覚の違いなんじゃない? まぁでも、衛宮くんの口ぶりだとホントに目指してるかどうかも怪しいけど。

 

 ?

 

ーーだってほら。正義の味方って、つまりみんなの味方ってことじゃない? ていうことは、てっきりクロのことは敵とみなすかと思ってた。魔術師だし、切り替えるかなーって。

 

……でも、士郎はそうしなかった。むしろクロを助けようとした。

 

ーーでもわたしの考える通りの正義なら、衛宮くんは迷ってるんじゃないかしら。あなたやわたし達を傷つけるクロを排除すべきか。

 

 排除。余り聞き慣れない冷たい言葉は、今の士郎にはぴったりなような気もした。

 ちぐはぐで、ぎこちない。そのくせいざやるとなれば真っ直ぐに突き通す。

 

ーー……分かんないよ。

 

 枝毛のある髪を指に巻き付け、イリヤは言う。

 

ーー正義の味方とか言われても、わたしには分かんない。だったらわたしを助けるのも、みんなのためだからするの? クロを助けることと、家族であるわたしを助けることって、変わらないの?

 

ーー……そうね。どうなんだか。もっと突っ込んで聞ければ良いんだけど、生憎これ以上は話してくれなかったし。でもこれだけは確かよ。

 

 あくまでドライに。凛はありのままを告げる。

 

ーー衛宮くんは迷ってる。人として、当たり前に。だから、あなたも彼と向き合いなさい。逃げないでちゃんと、ね。

 

 問題はある。分からないことも多い。

 ならばまずは話すべきだと、凛は当たり前のことを助言してくれた。当たり前だから、普段は意識して見ないことを。

 盲点だった。 

 だからその助言の通りに行動しようと思った。

 だけど、もうこの命は消えようとしている。とてもではないが、士郎と話す時間なんてあるわけがない。

 そう。死ねばもう、士郎とは会えない。それだけではない、美遊や凛、ルヴィア、家族や友達、そのみんなに会えなくなる。

 それでも死ぬのか。諦めるのか。

 まだ自分は何も知らない。答えだって出せてない。それどころか蚊帳の外だ。自分には何も出来ないって決めつけられて。

……それは、違う。

 そんなのは、違う!!

 

 

 ビリ、っと全身に電流が走った。意識が呼び起こされて、一気に現実へと繋ぎ止められる。

 何度か血を吐いた。だけど、手は拳を形作っていた。体は負けそうだったのに、心はもう立ち上がっていた。

 

「……ぐ」

 

 イリヤは立ち上がろうと、体を震わせる。 拳が壊れそうなほど、強く握って。

 

「……ほう?」

 

 アサシンが感心する。 まさか立ち上がれるとは思っていなかったに違いない。 そしてそれは、ルビーも同じことだった。

 

「イリヤさん、ダメです! 転身してない今、あなたが動いてもそれは命を縮めるだけにしかならないんですよ!?」

 

「……わかって、る、よ……」

 

「あなたでは勝てません! だからイリヤさん落ち着いてください、私も無しに英霊と戦うなど……!」

 

「だ、か、ら」

 

 立ち上がれずとも、顔だけは上げて。 血の海でもがきながら、イリヤは言う。

 

「そんなの、関係、ないよ……」

 

「……イリヤさん」

 

「英霊とか……キシュア何とかとか……聖杯とか……そんなの、もう、どうだって良いよ……」

 

……イリヤは、結局何も知らないただの子供だ。 魔術のことなどサッパリだし、ルビーや美遊達が言うことが全く分からないことも少なくはない。 だからこんな風に、何も知らないまま立ち向かえる。

 けれど今感じるこの痛みや、血が流れ落ちる感覚は分かる。 哀しくなることや、辛いことも分かる。 これが死に繋がる何かなのだと、よく、よく分かっていて。

 それでも今は、諦めたくないだけなのだ。

 

「ぅ、ぁ、……っ、ぐ、……」

 

 血に濡れた大地を踏む。 がくがくと揺れる膝を何とか掴み、しかしまた倒れる。 ルビーがすかさず寄ろうとしたが、アサシンに叩き落とされた。

 

「……はっ、ぁぐ……」

 

「イリヤさん……ダメです、ダメですよマスター! それ以上はあなたが……!」

 

「ね、……ルビー、……」

 

 土に汚れ、血を流し、激痛に耐え。 恐らくこれまでのことが全てがひっくり返るような、心の傷だってあるだろうに。 それでもなお眼前の敵に、イリヤは懸命に立ち向かう。

 

「わたし、……ずるいよね……」

 

「……」

 

「お兄ちゃんはただ、困ってた人を……助けただけなのに……なのに……自分が、選ばれなかった、からって……家族じゃないなんて……家族だからって……そんな風に、言っちゃ、ダメだよね……」

 

 はっ、はっ、と荒く、何度も何度も呼吸を繰り返す。

 心臓は潰れそうなほど早くて、お腹は燃えているように熱く、ぷっくりと腫れている感覚がする。 手足は震えて、まともに立つことも出来なくて、恐くて、逃げたくて。

 だから。

 何となく思ったのだ。

 あのときボロボロになっても、クロを守ろうとした兄は。

 自分のことは、守ろうとはしなかったけれど。

 自分のことなんて、これっぽっちも考えようとはしなかったのかもしれないけれど。

 だから。

 クロだけは何としてもーー命を懸けて守ろうとした、底抜けに優しい人なんだなと。

 

「……もういっかい……話さなきゃ……」

 

 体に力が宿る。 血管が粟立つ。 もうやめろと、諦めろと誰かが言った。

 それらを全て、心の中に押し込んだ。 押し込んでも、押し込んでも、言葉になりそうだったけど。 それでも押し込んだ。

 そうだ。 話さないと。

 このまま何も分からないまま、嫌うのは簡単だ。 だけど、それで良いわけがない。 知りたいのだ、どうしてあのとき助けてくれなかったのか。 どうしてクロを助けたのか。 兄は何を考えてるのか、それを。

 だからーー真っ直ぐに、言った。

 

 

「ーーーーあなたには、負けない」

 

 

 弱々しい声だっただろう。

 誰がどう見たって、イリヤが勝てるわけがなかっただろう。

 けれどきっとそれこそが、イリヤが他の誰も持っていない弱さであり、そして強さであった。

 

「……健気なモノだ。 ここらで死んでおけば、その方が為になるだろうに」

 

 アサシンはそう言って、物干し竿の切っ先をイリヤに向ける。 ルビーが主の元へ飛ぶが間に合わない。

 そして。

 

 

夢幻召喚(インストール)

 

 

 アサシンの後ろから、魔力砲が放たれた。

 

「!」

 

 初めてアサシンの顔に緊張が走る。 後方から迫る魔力砲を、物干し竿で受け流そうとするが、途中で魔力砲は分解。 枝分かれし、殺到する。

 それにも対応出来たのは英雄だからかーーそれとも一度目撃したことがあるからか。 アサシンは遠く離れ、イリヤの前に誰かが降り立った。

 

「……ミユ……?」

 

「動かないで。 今治療する……修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)

 

 詠唱の後、柔らかな、まるで花畑に居るような心地よさがイリヤの体を包み込む。 目の覚めるような魔力。 視界がハッキリとしてくると、体の傷だけでなく、倦怠感どころか血に濡れていた服まで元通りになっていた。 まるで時間が巻き戻ったように。 そこでようやっと、美遊の姿を確認した。

 一見カレイドの魔法少女に色合いが似ていたが、すぐに違うと分かった。 杖だ。 三日月に穴が空いた、丸い杖。 それに透明なベールにも似た上着を肩にかけ、髪型もポニーテールに変わっている。 何より莫大な魔力が、カレイドの魔法少女ではないイリヤでも感じ取れた。

 

「……ミユ、それ……」

 

「……キャスターのクラスカードを使ったんだ。 それよりもイリヤ、大丈夫?」

 

「う、うん、大丈、」

 

「イリヤさーん!!」

 

 ぶ!?、とイリヤの鼻に突撃するルビー。 鼻を押さえるマスターなど知らないと言わんばかりに、

 

「もー! 心配したんですからねー、イリヤさん! いやでもまぁ最高に魔法少女らしい決意を聞きましたし、何よりイリヤさんの成長イベントマジ神イベなんでOKです!」

 

「ねー……ルビー……」

 

「はいはい分かってますって! コンパクトフルオープン以下略でお送りしますよー!」

 

 瞬時に転身し、イリヤは美遊と並び立つ。 その顔には、迷いや葛藤なども色濃く残っていたが、それでも目に英気が戻っていた。

 もう負けない。 そう顔が物語っている。

 

「……くっ、くっ」

 

 アサシンが楽しそうに、笑いを噛み締める。 それは何も二人が戦おうとしてるからだけではない。 二人は知らないが、美遊が使ったキャスターの英霊とは、アサシンは因縁がある。

 

「よもやあの女狐に、こんな一面があったとは……蝶よ花よと愛でられたのはあやつも同じであったな。 いやいや、これもまた奇妙な縁、か」

 

 二人の少女には、アサシンの言っていることがまるで分からない。 しかしそれでも、引き下がろうとはしない。

 良かろう、と物差し竿を肩に担ぐ。 少女達の顔が一変するが、アサシンが見ていたのはもっと奥だった。

 

「……で、そっちの童子も一緒にやるのだろう? 三人がかりでやるか?」

 

「まさか。 わたしはそこのピンクの奴を殺せれば満足よ」

 

「!」

 

 その声に、二人が振り返る。 そこには樹木の枝に、足を組んで座っているクロが。

 

「……クロ」

 

「やっほー、イリヤ……殺しに来てあげたわ、今度こそね」

 

 軽い、いっそ軽すぎると言っても良いクロ。 しかし違う、さっきまでのクロと、その雰囲気が全く違う。 剥き出しの剣に似た、突き刺すような殺気がイリヤにだけ集中する。

 先程のことを思い出し、イリヤの体が自然と強張る。 カレイドステッキの重さが、急に増したように感じた。 またあんな風に他人の命を奪おうとするのではないかーーそう思えて、仕方ない。

 でも、それでも思うのだ。

 兄と話さねばならない。 そしてそれは、クロも一緒だと。

 

「……ミユはアサシンをお願い。 わたしはクロの相手をする」

 

「イリヤ……!」

 

「大丈夫」

 

 背中合わせになったまま、イリヤは力強く笑ってみせる。

 

「もうあんな風にはならない。 わたしは、クロ(・・)から逃げないから」

 

「……!」

 

 そうだ。 逃げたって、もう何の意味もない。 だから向き合うべきだ。 恐れても良い、足が震えても良い。 それでも向き合うことを止めなければ、それで良い。

 だから。

 

「わたしはあなたから逃げない。 そのためにはこうするのが一番よね、クロ?」

 

「弱虫イリヤのくせに、大きく出たものね……良いわ、叩き潰してあげる」

 

 たん、と木から飛び降りるクロ。 それに合わせるように、アサシンが肩に担いだ剣を下ろした。

 

「ではーーーーいざ尋常に、果たし合おうか」

 

 

 激突は秒を要さなかった。

 イリヤとクロは空へ、美遊とアサシンは森を舞台に戦場を変える。

 同時に、甲高い二重の金属音が、周囲の空気を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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海岸~黒の記憶Ⅱ/ゆずれぬモノ

ーーRewind interlude3-2.5ーー

 

 

 何もかも終わった。

 どうしようもないと思った。

 唯一わたしをみてくれると思っていた兄が、未来ではあんなことになってしまい。 そして今の彼が平行世界の人物だったなんてーー欠片も信じられないのに、確かな事実として体に染み付いてしまっていた。

 英霊エミヤ。 それがわたしの依り代となったクラスカードの英霊。 こことはそう違わない平行世界の衛宮士郎が正義の味方となり、貫き通した理想の果て。

 その英霊の記憶を見た。

 何も、その全てを見たわけではない。 その一部を目にしただけ。 映画の中盤辺りを少し見て中身を判断するのと同じように、普通はそんなことで人の人生を推し量ることは出来ない。

 しかし出来てしまった、わたしには。

 何故ならその記憶は、彼が助けられた人達に処刑されるモノと。 その死後、正義と称して生前よりもなお多くの人を殺め続け、自身しか恨めなくなった男の末路だったから。

 

ーー……どうして?

 

 その記憶を呼び起こす度に、わたしはどうしても現実の衛宮士郎と重ねずにはいられなかった。

 記憶の衛宮士郎と、余りに違いすぎる現実。 だが重ねた回数だけ、似ている点を見つけてしまい、そんなハズはないとまた不安が募る。

 魔力供給をしたのは、そういう理由だった。 その不安がついに爆発し、そうでもしないと兄との繋がりが希薄になっていく気がしたから、あんなことをした。 あんなことをして、側で感じようと貪り尽くしたのに、その寝顔を信じたくても信じられないことに気付いた。

 当たり前だろう。

 その記憶の中ではーー英霊エミヤは、世界ではなく、殺し尽くす自分自身への憎しみでしか感情を表せなくなっていた。 奈落の底まで落ちてなお、他人を憎むということすらしなかった人。

 どんなにお人好しであっても、信念や理想があったとしても、そこまで貫き通せるモノなのか?

 ふと、思った。

 どう考えても、この人は可笑しい。

 そこまでして理想を貫くまで、どれだけのモノを捨てたのか。

 だからわざわざ呼び出した。 話していれば、安心するような言葉があって、子供騙しの約束があって。 そしたらきっとその顔を信じられるから。

 

ーー許すよ。

 

……でも、怖かった。

 兄がそういう人と分かっていても、どうしてもその末路が目に止まる。 年も環境も関係も何もかも違うのに、直感したのだ。 この人は、わたしが夢で見た人だと。

 どうして、と言われたって、そんなモノ勘だ。 けれどーーそれでも分かってしまった。

 なら今までの兄は誰だ?

 わたしが信じた兄は、何処へ消えたのか?

 そもそも居なかったのか?

 それともーー兄は本当に居たけれど、何らかの理由で今の兄と入れ替わったのか。

 どちらにせよ、自分との約束なんて理想のために捨て去ってしまう。

 そうして混乱したまま、死にたくない一心で兄すら騙した。 もう誰かを信じることが怖くなって、そして、逃げた。

 無様にひたすらに。

 逃げて、逃げて、逃げてーーいつしか見覚えのある城の前まで来ていた。

 十年前に行われるハズだった聖杯戦争。 その拠点として選ばれた、冬木においてアインツベルンの根城だ。 冬木市の郊外、それも四時間ほど樹海を歩かなければ到達することのない、魔境。

 しかしその場所も、今や見る影もなかった。 ボロ屋敷どころではない。 人などここ十年で誰も来なかったのだろう。 地面から所狭しと生えた雑草が、自分の背丈まであり、伸びた蔦や根が城壁に絡み付いている。 野性動物の巣になっているようで、至るところに毛や糞が落ちている。 工房としての機能も、要塞としての機能もない。 そんな中に屹立する城は、空へ助けを求めているようにも見えた。

 草根を掻き分けて歩いていく。

 玄関の扉はこじ開けられたらしく、蝶番がギリギリ繋がった状態で倒れている。 中を覗けば更に酷い光景が広がっていた。

 エントランスに値する玄関から、階段や廊下まで、三百六十度落ちている瓦礫の山。 大小様々な瓦礫のそのどれもが黒く変色している。 火事でもあったのだろうか、瓦礫の隙間に灰になった絨毯や、倒された調度品の破片などがあった。

 蜘蛛の巣や、虫の死骸があるところから、幽霊屋敷というよりは、事故現場と言った方がしっくり来る。 魔術戦があったことは確かだが、それ以上は分からない。

 けれど一つだけ知り得たのはーーここは、今の自分と、よく似ているということだ。

 使われるハズだった、しかし捨てられ、なかったことにされたモノ。 外面も内面もボロボロ。 そこに在ることが奇跡みたいなモノ。

 ぼんやりと考えながら、城を散策する。 石造りの床を踏むと、渇いた、冷たい音が反響し、荒れていた心にささくれ立つ。 傷口を手で撫でられるような、微かな痛み。

 城内も、やはり外観と何ら変わらなかった。 当たり前のように壊され、当たり前のように寒々としている。 時代に取り残された遺産であったとしても、もう少し管理されるモノだ。

 虚しさしかない。

 なのに何故歩くのか。

 それすら分からないまま、歩く。

 やがて、そこにたどり着いた。

 

「……」

 

 城の中の、数ある一室。 そこは他の部屋や、空間に比べ、比較的綺麗だった。

 色のくすんだステンドグラスの窓に、装飾が剥がされたシャンデリア。 真ん中にちょこんと置かれていたハズのウッドテーブルは脚が折れ、床に投げ出されていた。

 そしてその近くに転がる、ベビー用のベッド。 それが何なのか、すぐに見当はついた。

 アレは、イリヤ(わたし)が生まれ変わって、わたし(イリヤ)になった揺りかご。 そうーーこの部屋は、わたしがイリヤとして死んだ場所なのだ。

 

「……はは」

 

 何となく、笑った。 心の隙間に差した影を、笑ってやった。

 なんて、馬鹿なんだろう。

 誰からも逃げたくて辿り着いた場所が、よりにもよって一度殺された部屋とは。 我ながら、未練を垂れ流し過ぎて、笑わずにはいられなかった。

 

「……分かってたわよ、最初から」

 

 そう、分かっていた。 イリヤから分裂して、お兄ちゃんと会って。

 そのときにはもう、分かっていたのだ。

 わたしには、この世界の何処にも居場所がないんだと。

 自分は自分以外にはなれない。 他人の真似事をしたとしても、それで周囲の人間が認めるかは別だ。 それがこと人間関係であるなら、余計にそうだろう。

 わたしはわたしを奪われ、その時点で居場所は無くなった。 だから世界の片隅で、一人ぼっちで、自分自身を抱き抱えて、凍えるしか出来なくなった。 そうすることでしか、存在を許されなかった。

 そんな中で、外の世界を見させられた。

 わたしが享受するハズの幸せを、全て。

 何度も何度も追いかけて、でも掴めなくて。 湖面に映った月を掴むように、触れるモノは冷たいモノばかりだった。

 だから。

 

ーーどうして?

 

 そう思わなかった日は、一度だってない。

 

ーー助けて。

 

 そう言いたくて、言えなかった日は、一度だってない。

 

ーー……わたしはここだよ。

 

……そう泣かなかった日は。 一度だってなくて、一度だって届いたこともない。

 記念写真を撮る度に。

 一家団欒する度に。

 誕生日の蝋燭が増える度に。 イリヤは笑って、わたしは絶叫した。 喉が張り裂けても届かなくて、その手を繋ぎたくても感触はなくて。

 だから死にたかった。

 でも死ねない。

 わたしの居場所は、この冬の夜だから。

 だから外に居場所はない。

 だって、わたしが心から望んだ景色を、ずっと作り出して、それを所有していたのは。

 大嫌いな、イリヤだったから。

 

「……」

 

 苦い飴玉を舐めているように。 胸いっぱいに重たいモノがのし掛かる。

 これからどうすれば良いんだろう。

 どうしたら、わたしはこんな世界で生きていけるんだろう。

 漠然と、しかし大きすぎる問題に、ろくに頭も働きそうになかった。

……と、気を抜いていたときだ。

 一瞬、足の感覚が消えた。

 

「あっ……」

 

 踏み止まろうとしたときには、床に倒れていた。 幸いこの体になってからは、身のこなしが格段に良くなったので、何とか頭からじゃなく背中から倒れたのだが。

 なんで足の感覚が消えたのか?

……そんなこと、考えるまでもない。

 

「……ああ、そっか」

 そんなこと、わたしが消えかけているということに他ならない。

 その証拠に……膝辺りから、黒い肌をしている足が透き通っていて、見えないハズの床が見え隠れしている。 さながらガラス。 そう、あの人の心のようにーーこの身は、儚い夢でしかない。

 動かない足を引き摺って、倒れたテーブルに背中を預ける。 テーブルは落日しかけた陽の光を遮り、コバルトブルーの夜がわたしを包み込む。

 今までと同じように。 一人で。

 

「あーあ……終わり、か」

 

 言ってみて、すとん、とその言葉が胸に落ちた。 こんなところで終わりなくないとか、色々言葉があったかもしれないのに、その終わりを受け入れてしまったのだ。

 当然。 必然。 運命。

 きっとわたしの行く末は決まっていた。 こんな不安定な現界、いつまでも続くわけがない。 それに意思を持った聖杯なんて、爆弾のようなモノだ。 不発出来ない、超火力の危険物。 それがわたしだ。

 だから。

 もしもーーこの世界で、聖杯戦争が続いていたら。

 

「……バッカみたい……」

 

 呟き、時に身を委ねる。

 ぼんやりとした時間は長くはなかった。

 それでも、世界は暗くなる。 光が消え、闇が世界を支配する。 その頃にはもう、自分の体がどうなっているのか。 それすら確認することが困難だった。

 自分がどこにいるのかも明確ではなく、上か下か、今が何時かも、自我すらもガラスと化していく。

 緩やかな死は、眠りにも似ている。

 

(……ああ)

 

 ようやっと。 待ち望んでいたときが来る。 生きていることが辛くなくなる。 もうすぐ、もうすぐーーーー。

 

 

(……わたし、……死ねるんだ……)

 

 

 そのとき。

 夢を見た。

 遠い何処かのこと。

 火の中を涙を流して歩く……一人の男の子を。

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind out.

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-8ーー

 

 

 とん、とん、とん。 一定の間隔を置き、小気味の良いリズムで木の幹や枝を蹴るのはアサシンだ。 鮮やかな青を失った陣羽織を、気ままにはためかせる様子は、無駄が全くなく、また魅せる。 時折体を宙で回転させる辺り、遊んでいると言われても過言ではない。

 と、

 

「……シッ!」

 

 背後を振り返るやいなや、雷光のような速度で物干し竿を一閃。 迫っていた魔力の塊ーーいや、津波と言った方が良いか。 ドロドロと粘着質な瀑布はアサシンの刀で綺麗に二つに分断され、盛大に木々や地面を押し流し、溶かす(・・・・)。 そう、津波はただの魔力で形成されたモノではないのだ。

 冗談なしに地形が変えられたほどだが、今のは陽動。 本命は空中で、足場もなく、身動きが取れずに舞うしかないアサシンだ。

 

「……集束」

 

 アサシンの頭上。 三日月と満月が彫られたロッドを手にするのは、キャスターを夢幻召喚した美遊。 魔力を足場に彼女は、空間に三つの複雑な魔法陣を展開、神言による詠唱により、一言で魔術を完成させる。

 

「……三連、拡散!」

 

 ドゥッ!、と怒濤の勢いで放たれるのは、細い槍。 幾つも枝分かれした槍は、五十程度。 三百六十度、空間を支配した槍が、一斉にサーヴァントを追い詰めんと流れ落ちる。

 

「……ふ」

 

 が、アサシンは一笑。 物干し竿を逆手に持ったかと思えば、それを手首だけで回転。 風車のようにして百八十度の槍を防御、残りの槍はその身一つでかわしきる。

 まるで、刃を翼に。 自由に空を飛ぶ燕のごとく。

 

「悪いがこれでも、鳥の相手なら気が遠くなるほどしてきたモノでな。 このように動きを真似することも容易いほどに……!」

 

「く……!」

 

 舌を巻いている暇はない。 美遊はすぐさま次の魔術を起動させるが、アサシンのその底の知れぬ実力に、焦りを隠せない。

 美遊が自身に降ろした英霊の名は、メディア。 コルキスの王女にして、裏切りの魔女。 魔術の女神ヘカテに教授した叡知により、当時神秘に満ち溢れていた神代の魔術師でも五指に入るほどの腕を持つ。 正真正銘、キャスタークラスの王女と言っても過言ではない。

 無論、カードによる型落ちこそしているが、それも微々たるモノだ。 魔術師たるもの足りないモノは他で補う。 美遊が宿すメディアも例外ではなく、空間に漂う大源(マナ)を回収し、魔法陣で増幅させてから魔術を放っている。 その威力はC、ないしはBランクに達する威力である。 知識こそが武器となるキャスターにとっては、それこそクラスカードによる劣化は一番受けにくいのだ。

 なのに。

 

(……攻めきれない……!)

 

 美遊は地上で、大立ち回りを演じるアサシンを観察する。

 自身がどうしてアサシンに勝てないのか。 美遊には分かっている。 とにかく戦い方が巧いのだ、アサシンは。 器用というレベルではない。 攻勢、防戦。 どちらもアサシンは、美遊どころかメディアを遥かに上回っている。

 美遊にとって、まだキャスターは未知の部分が多い。 蓄えられた幾千の知恵を検索し、最善を尽くしているつもりだが、届かない。如何せん知識が多すぎるのだ。工房すらないままでは、魔術師は本領を発揮出来ないとはいえ、それでもメディアならば、百の英雄とて相手にはならないのだが……使い手の差だろう。

 と。

 

「鬼ごっこもよいが」

 

 アサシンがふら、と立ち止まる。 慌てて美遊も杖を向け、すぐさま攻撃する。

 今度は遠隔型の空間爆撃。 あらかじめ逃げながらセットしたーーそしてアサシンを囲むようにあるーー無数の魔力の塊へ、指示を送る。

 

「女狐のままごとをする童子一人、捕まえられないというのも、この名が廃るというモノ。 どれ」

 

「連爆七連!」

 

 言葉は続かない。 命を吹き消すように魔力が起爆。 白い炎が瞬く間に燃え広がり、轟音を轟かせる。 一帯の土砂が舞い上がった頃には、

 

「ーーーー秘剣」

 

 低く、命を刈り取る声が、土砂と共に空を飛んでいた。 美遊が鳥肌を立てながら見れば、既にあの必殺の構えに入っている。

 アサシンはボロボロだ。 纏っていた羽織は破れ、右肩から脇腹まで、白磁のような肌が露出している。 その肌すらも土に汚れ、刀も同じだ。 爆発を身に受けなければそうはならないだろう。

 混乱した美遊の耳に、アサシンが必死を言い放つ。

 その刹那。

 

「美遊様、術式構築完了です!」

 

「!」

 

 ばっ、と美遊が杖を真上に向けようとする。 その行動すらも切り裂かんと、アサシンは刀を振るった。

 

「燕返しーーーー!!」

 

 そして。

 神速で振り抜かれた三本の斬撃が、美遊の体を両断する。

 結果は明らかだった。

 切り裂かれた傷口から、大量の血が地面へと落ちていく。 魔力で形成された足場が崩れ、美遊も後を追うように落下し、アサシンも剣を振るった体勢で降りる。

 複数の異なる音が木霊した。 少女は倒れ、英霊の力とステッキも手元に落ちている。 対して侍は、無傷ではないが立っていた。 これ以上ない決着、そのハズだった。

 しかしアサシンは、瞠目していた。 自らの刀を凝視したかと思えば、すぐさま振り返った。

 美遊は相変わらず倒れたままだ。 だが首がある。 腕もあるし、足もある。 斬られたのは腹だけだ。

 

「貴様……」

 

 つまり。

 

「どうやって、我が秘剣を破った……!?」

 

 絶対の自信があった技を破られ、動揺するアサシン。 と、

 

「う、ぐ……」

 

「無事ですか、美遊様!?」

 

 呻き声を漏らし、美遊がステッキを掴んだ。 すぐさま回復が始まり、淡い魔力に全身が包まれる。

 生きている。 燕返しを受けておきながら。 そのことにアサシンは驚く。

 

「……一太刀だけを受けた? いやしかし、それなら残りの二つはどこに……?」

 

「簡単な、こと」

 

 ステッキを抱えて、美遊は。

 

「お前の宝具の基点が、多重屈折現象(キシュアゼルレッチ)であることは……ルビーを通じて、サファイアから聞いた……だからわたしはここに工房を作成して、位相をズラす結界(・・・・・・・・・)を作ることで、平行世界からの干渉を無効化した……それだけ」

 

 多重屈折現象(キシュアゼルレッチ)は、第二魔法の一種だ。 いくら神代の魔術師であるメディアとはいえ、魔法と同等の力を扱えても、第二魔法を使うことは不可能である。

 そう、メディアだけなら。

 だが第二魔法なら、美遊の使うカレイドステッキがある。 知識がある。 現代と神代の天才達の力をフルに活用すれば、出来ないハズがない。

 そこで美遊はアサシンへの攻撃を囮にし、この一帯を工房として固定。 幸い一度目の燕返しのおかげで、空間の歪みが発見出来たので、それを元に平行世界への干渉を防ぐ結界をサファイアが構築、間一髪術式を発動させたのだ。

 

「これでもう……燕返しは、使えない」

 

 燕返し、破れたり。 初めて真っ向から破られた己の技に、アサシンは自虐する。

 

「……修練が足らなんだか。 剣の道は険しいモノだ、精進するとしようーーで」

 

 アサシンはもったいないと、まるで出来の悪い弟子を見るような顔で。

 

「立ち上がれない体で、私をどうする?」

 

 そう。

 美遊は燕返しを寸前で解除した。 しかしそれでは、アサシン自身が振るった一刀は防ぎ切れない。 結果として、肉を切らせて骨を断ったわけだが……英霊の一撃が、美遊の生命を終わらせる程度わけがない。

 血溜まりに倒れたまま、美遊はステッキを掴み、クラスカードを取り出す。

 超回復と、近接最強のセイバーだ。 これを使えば逆転可能だが。

 

「許すと思うか?」

 

「ぅ、……!?」

 

 ガッ、と美遊の手に草鞋が乗る。 万力のごとくアサシンは力を入れ、美遊はカードを持つ手を放してしまった。 サファイアが即座に回り込み、美遊の持つカードへと直接触れようとするが、今度はサファイアがアサシンに掴まれてしまう。

 

「サファイ、ア……!」

 

「美遊様! いけない、このままでは……!」

 

「ああ、そうであったな。 確か三十秒でその奇怪な服装も解けるのだった。 早くせねば死ぬだろう」

 

「……!」

 

 万事休す。 ステッキが無い以上、美遊は魔術を使うことは勿論、カードも使用出来ない。 体は刀傷でまともに動かない。

 ガタガタと、体が震え始める。 血が出過ぎて悲鳴をあげている。 もうあと十分この状態が続けば、死ぬ。

 

「死ね、ない……! わたしは、イリヤを……!」

 

 友達を守ると決めた。

 兄とよく似た人を、守ると決めた。

 なら立ち上がらないと。 立ち上がって、杖を取らないと、誰も守れない。

 しかしアサシンはそんな美遊を嘲笑うように、

 

「よく動く。 が、この一ヶ月(・・・・・・)の間、お前はそのイリヤスフィールに何が出来た?」

 

「……!」

 

 何故、それを。 二の句も告げられぬ少女に、アサシンは言う。

 

「友を守りたい。 立派なことだが、この一ヶ月、お前はその友を守れたと言えるか? あの黒の少女と、イリヤスフィールの仲を取り持とうとは思わなかったのか? お前が慕う衛宮士郎が、そうしようとしたように」

 

「……それ、は……」

 

 戯言だ。 美遊はそう断じるが、アサシンの言葉は穏やかで耳に入ってきてしまう。 メスで古傷を開くように。

 

「出来なかった、等とは言わせんよ。 お前はしなかった、そうだろう? イリヤスフィールとクロが争っているときも、お前の気持ちは兄だけ」

 

「そんなこと、ない……! 友達を邪険にしたりしない、ふざけるな……!!」

 

「だとしても、手は差し伸べなかった。 違うか?」

 

 耳に入る。

 

「お前が二人の仲を取り持てば、何かが変わったやもしれんのに」

 

 心に刺さる。

 

「衛宮士郎やイリヤスフィールは傷つかない未来もあっただろうに」

 

 胸の奥が暴かれる。

 

「お前は見ているだけ、何もしない……はて、それで友と胸を張って言えるか?」

 

 それが、己の罪。 この一ヶ月、溜めに溜め込んだツケ。 それを目の当たりにし、美遊は唇を噛み切らんばかりに結ぶ。

 吐き気がした。 血が胃から込み上げてきて、喉まで占領している。

 どうして見ていることしか出来なかったのか。 それは美遊も、常々思っていた。 思わないわけがなかった。 守りたくても、精神的なことなどどうして良いか分からなくて、友達が苦しんでいるときに、『大丈夫』と言ってやることしか出来なかった。

 それが、無意識にイリヤを追い詰めていることも。 分かっていても、それしか出来なかった。

 

「……お前では守れんよ」

 

 チャキ、と。 アサシンが美遊の首元に刀を添える。 その様は介錯に酷似していた。

 

「イリヤスフィールも、衛宮士郎も。 他人のお前では救えまい。 兄妹にはなれまい。 届かぬモノに手を伸ばしても、やがて生きることに疲れよう。 ここで死ねば楽になる。 引導ぐらいはくれてやっても構わぬが?」

 

 さぁ、如何に。

 美遊が顔を上げる。 見上げた先には、牧師に似た、柔らかな表情で、されど真剣な眼差しでこちらを見つめるアサシンが。

 どうしてこのサーヴァントが、こんなにも自分の事情に精通しているかなんて、知りようもない。 また、ここでわざわざ殺さず、こんな問答まですることも。

 しかし、それでも美遊は不思議と、口を動かしていた。

 

「……お前の手なんて、借りない」

 

「ならこのまま野垂れ死ぬか?」

 

「わたしは死なない。 あなたを倒して、イリヤをお兄ちゃんのところまで連れて帰る」

 

「……解せんな。 友だとしても、何もそこまでする義理は無かろうに。 他人への絆にすがり、命まで落としてまで」

 

 確かにそうだ。

 死線を潜ったところで、所詮は他人。 そも、戦いが無ければイリヤと会うことすら無かったに違いない。 美遊自身、どうしてこんなにイリヤに執着してしまうのか、疑問を抱くからだ。

 でも同時に、美遊は思ったのだ。

 それでも、イリヤは。

 

「……他人じゃない」

 

「なに?」

 

「イリヤは、他人なんかじゃない……ッ」

 

 転身が解ける。 解けても、傷口から血が溢れ帰っても、美遊は踏まれた手を動かし、セイバーのクラスカードへと手を伸ばす。

 届かないことは、分かりきっているのに。

 

「イリヤは、初めて出来た、わたしの友達……だから。 何かしたくても、わたしじゃ今の関係を壊してしまいそうで……だから、何も、出来なかった。 言い訳だけど、そうだった」

 

「……美遊様、それは」

 

 違う、とは言えないサファイア。 何故なら知っていた。 夜、一人になると空を見て、少女がひたすらに祈っていたことを。 まるで懺悔するような、その姿を。

 そうやって悔いたとしても、結局変わらなかった、一ヶ月を。

 

「でも……そんなのは、見捨てるのと同じなんだ……」

 

 同年代で助けられたのは、自分だけ。 なのに肝心の美遊は、イリヤにも、士郎にも頼られることはついぞなかった。 それを心苦しく思ったけれど、アレは二人なりの優しさなんだと言い聞かせて、自分が勝手に動いて壊さずに済んだと安心した。 そんな自分が居た。

 でも、本当に?

 本当に士郎とイリヤは、美遊のことなど頭にあったのか?

 

「……あんなこと続けて……苦しくないハズが、なかったのに……!」

 

 あるわけがない。 家族と喧嘩して、口も聞かなくなって、それで他人と和気藹々に話せるわけがない。 二人は優しさで、美遊に頼らなかったのではない。 そんな余裕がないくらい、追い詰められて、苦しんでいたのだ。

 そんな二人を、美遊は見捨てた。 友達と、大切な人が苦しんでいる中、傷つけなくてよかったと、自分のことしか考えていなかった。

……気づいたのは、ふとした疑問だ。

 イリヤが心の底から笑った顔を、一体いつから見てないだろう、と。 美遊がそう考えたのは、今朝のこと。 イリヤの苦い笑いを見て、考えた。 そして思い立ち、力になろうと決心した。

 その結果がーーこれだ。

 みんな傷ついて、誰も笑っていない。

 あのときと同じように、誰もが。

 

「……わたしは、確かに友達失格かもしれない。 これまでみたいに傷つけることを恐れて、イリヤやお兄ちゃんを傷つけてしまうかもしれない」

 

 続けて、少女は言葉を紡ぐ。

 

「でも……大切な人を守ることに、理屈なんて要らない。 それを、わたしを救ってくれた人が教えてくれた。 その命を燃やして」

 

 これだけは、譲れないと。

 大地に這いつくばりながら。

 

「……守りたい……!」

 

 上を向いて。 シンプルに、美遊は告げる。

 

「置き去りにしてきたモノのためにも、わたしは友達を、助けたい……!!」

 

 だから、

 

 

「ーーーーお前なんかに道案内される必要は、これっぽっちもない!!」

 

 

 その導きを、真っ向から切り捨てた。

 

「……ふ」

 

 聞き、アサシンは笑った。 しかしそれは皮肉ではない。 子の成長を見守る親鳥のように、安らかな笑みだった。

 

「それで良い。 この身の役割は、その言葉を思い出させることだけ。 身に刻んでおけば、私も用無し……それに迎えもきたようだ」

 

「え?」

 

 それはどういうことなのか、と尋ねかけたが、アサシンが刀に力をいれる。 不味いと思ったがもう遅い、そのまま首を切り落とされるかと思った、そのときだった。

 パァン、と。 一発の銃声が、辺りを駆け抜け。 アサシンの片手を、容易く撃ち抜いた。

 

「美遊様!」

 

 アサシンがよろける。 その隙に美遊は足から抜け出すと、そこで変化が起きた。

 アサシンの片手。 撃ち抜かれた箇所から、全身へ蜘蛛の巣のように、次々と皮膚が裂けたのだ。 まるで血管が爆発でも引き起こしているかのように。

 急いでサファイアへと手を伸ばす。 倒れた状態でもすぐに届く。

 だがここで、アサシンはとんでもない所業をする。 躊躇いなく、刀を持ってない右手を肩から切り落としたのだ。 崩壊を片手だけで抑えるためだろうが、果たして即行動に移せる人間がどれだけ居るか。

 が、それまでだ。

「ハッ!!」

 

 セイバーを召喚した美遊が、回転しながらアサシンの腹を切りつけた。

 余りの剣風に、ザァッ!、と地面に落ちていた新緑の葉が舞い踊る。 すれ違い、背中合わせとなる二人。 ゆっくりと、残心を解くと、アサシンを斬った美遊は背後を見やる。

 からん、とアサシンは刀を落とし、空を見上げていた。 切り開かれ、最早魔力へと還っていくその身を、恨めしくも、悲嘆もせず、ただただうっすらと笑みを溢す。

 

「全く……慣れぬことなど、するものではないな……おかげで、ちっとも楽しめなんだわ……」

「いえ」

 

 美遊は凛とした顔つきで、称賛する。

 

良い剣でした(・・・・・・・)。 貴公の剣には、貴公の全てが詰まっている。 なるほど、太刀筋が綺麗なのも納得だ。 その真っ直ぐな、空を翼で闊歩する鳥のような流れる生き方は、私には出来そうもない」

 

「……美遊様?」

 

「……え? あれ、今わたし、何を……?」

 

 ぶるっ、と寒気が走り、美遊は体を身動ぎする。 その様に、アサシンは。

 

「気にするな。 お前達の持つカードは、特別製(・・・・)でな。 そこは良い。 目的は果たした」

 

 負けたのに、目的は果たした。 理解出来ない言い方に、美遊は問う。

 

「……何が言いたい?」

 

「言ったであろう? 私はただの世話役よ。 見目麗しい蝶を愛で、時に餌をやるだけのな」

 

「……」

 

 答えになっていない気がしたが、美遊は次の質問を投げた。

 

「……誰に召喚された?」

 

「ふ、言えると思うか? だがまぁ、ヒントぐらいは……む。 すまん、どうやら主殿は此度の件を悟られたくないようだ。 困った、それではこの剣を破った報酬がないのだが……」

 

 はてさて、と雅に考えるアサシン。 その様はとてもではないが、腹を剣で両断され、死ぬ一歩手前の人間ではない。

 これが、英雄。 美遊は人知らず、息を呑んでいた。

 

「……そうだな。 お主らをいつも観察し、眺める者が此度の騒動の発端よ。 まぁ本筋には関係など微塵もないし、敵対することもあるまい」

 

「いつも観察する……? って……!」

 

 スゥ、とアサシンの体が崩れる。 崩壊が始まったのだ。 されど気負いすることなく、

 

「む、時間か……仕方ない。 ではな、また近い内にまみえることになろうよ」

 

 待てっ、という言葉も聞かず。 サーヴァント・アサシンは、その姿を消した。

 後に残ったのはクラスカード。 二枚目のアサシンだ。 落ちているそれを美遊は拾うと、たまらずへたり込んだ。

 と、そのときだ。

 

「ギリギリ間に合って良かった。 驚いたよ、まさかまだクラスカードがあったなんて」

 

 ザッ、と荒野となった地面を歩いてくる誰か。 その誰かに、美遊は呆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方。 森を抜けた林、海岸。

 傾きかけた日を反射する海は眩しいが、それを背景に戦うのは、イリヤとクロ。 砂浜をフィールドにした彼女達の戦いは、早くも決着がつきそうだった。

 

砲射(フォイア)!!」

 

「……ぐ……!」

 

 ステッキを振るい、魔力の塊を撃ち出すイリヤ。 一ヶ月前は美遊と同じく、高火力だったそれは見る影もないのだが、いつもならミニバレーボールほどの大きさの弾丸は、今はバスケットボールほど。 砲撃とは言えない。 やはり先程アサシンに斬られたダメージが色濃く残っているのか、その顔は真っ青だ。

 しかし、クロはそれを受けきれず、砂の上をゴロゴロと転がる。 美遊どころか凛達でも、避けるぐらいは出来る。

 

(わざと弱ったフリをしてる……? ううん、違う。 クロは確かにわたしを殺そうとしてる。 フリでも、クロはわたしに弱いところを見せたくない。 だから弱ってるんだ、本当に)

 

 正確に、イリヤは分析する。 心を落ち着かせて。 そんなイリヤを見上げ、クロは血走った目で苛立たしげに、

 

「……何よ、上から見下して。 殺すなら早くしなさい……じゃないと、こっちが殺すわよ……!!」

 

 バチィ、と火花がクロの手に迸り、巨大な岩のような剣が空間に浮かぶ。 あのバーサーカーが持っていた、斧剣だ。 それを九つ。 標準は全てイリヤ。

 

「ルビー、試してみたいことがあるの。 剣、出して」

 

「け、剣ですか? しかし、アレを受けるのは、イリヤさんの現代っ子特有のもやしアームには荷が重いのでは……?」

 

「余計なお世話だねホント!?」

 

「ゴチャゴチャ話す暇があるかし、ら!!」

 

 ルビーが躊躇している間もなく、斧剣は射出。 弾道ミサイルのようなそれにルビーも慌てて剣を形成、イリヤは刀身に手を当て、滑らせた。

 

螺旋剣(シュピアーレシュベーアト)!!」

 

 詠唱の後、魔力でコーティングされる刀身。 それを手に、イリヤは真っ向から斧剣へと突っ込む。

 

「自棄にでもなったのかしら? それじゃあわたしの剣製は……!」

 

 破れない。 しかしその言葉が口に留まり、クロは驚いた。

 何故ならイリヤは、いとも簡単に、斧剣をバターのように切り裂いたからだ。

 

「なぁ……!?」

 

「やっ、せいっ!!」

 

 続く二本、三本を体を回してイリヤは回避すると、残りの四本をまとめてステッキで真っ二つにし、クロに肉薄した。

 

「チィ!」

 

 すかさず投影した夫婦剣を使い、迎撃するクロ。 だがイリヤは、その夫婦剣すらも一刀で破壊する。 つんざく破砕音が連続し、クロはバックステップしながら剣を放ち続ける。

 しかし、届かない。 あらゆる剣を知る英霊を身に宿すクロは、そこでようやっと、イリヤが施した魔術の正体を見破った。

 

「……なるほどね。 剣に振動を加えて、それを刀身で回転させることで、チェーンソーで伐採するようにしてたわけか」

 

「それだけじゃないでしょ」

 

 ザク、と砂浜に刺さり、消える剣。 イリヤはそれを横目に、

 

「……あなた、本調子じゃない。 本気ならこんな付け焼き刃は通らない。 絶対に」

 

「なんだ……分かってるじゃない、珍しく。 ええそうよ。 わたし、ちょっと弱ってるわ。 全く、忌々しい呪いよ」

 

 腹に手を添えるクロ。 そこには凛に施された、一方的な痛覚共有の呪いがある。 そう、よく考えればクロはイリヤと士郎と痛覚だけを共有しているのだ。 それでも立ち上がり、こうして戦う姿を見ると、本当に共有しているのかと疑いたくなる。

 でも、と再び投影した刀剣を突きつけ。

 

「それでもあなたを殺す。 刺し違えてでも、あなたを殺すわ」

 

 それは脅しではなかった。 宣告だ。 剣を取れ、さもなくば殺すという宣告。 イリヤだってそれぐらいは、感じ取れる。

 しかしだからこそ、その言葉で確信を得た。

 

「ねぇ、クロ。 何をそんなに焦ってるの?」

 

「……なんですって?」

 

「だってそうでしょ。 弱ってるなら、一度逃げて立て直した方が良い。 力を蓄えてから、わたしを殺しに来れば済むことなのに。 痛覚共有の呪いで、相当の痛みが溜まってるのに。 あなたは逃げない」

 

 減らず口をと言いたげに、クロが砂を蹴り、剣を振る。 しかしイリヤはもう逃げない。 逃げないと決めたから、剣を防ぐ。

 鍔迫り合いに持ち込み、イリヤは早口で捲し立てる。

 

「刺し違えてでも殺す? それじゃあまるで、全部どうなっても良いみたい。 あなたはさっき言った、わたしになりたいって。 わたしを殺して。 それが願いなら、刺し違えてでも殺すなんて言葉は絶対に言わない、それなのにあなたがそう言ったってことは……!」

 

「だ、まれぇッ!!」

 

 負けじと、クロはイリヤのステッキを押し返す。 押し返し、弾くために更なる力が両腕に注ぎ込まれた。

 

「お前に……お前にっ、何が分かるッ……!!」

 

 血走った目と、歯を剥き出しにして吼える姿は、よほど切羽詰まっていたのだろう。 余裕など全く感じられないだけに、怒濤のような気迫に、イリヤは一瞬呑まれそうになる。 命を奪う刃が、視界一杯に広がり、膝をつく。

 

「いつもウジウジして、誰かを傷つけて、人の気持ちなんて何にも知らないまま、のうのうと暮らしてるお前にッ!! わたしの、わたしの何が分かるって言うのよ……ッ!!」

 

 そうだ。イリヤはお世辞にも、強いとは言えない。

 けど、決めたのだ。

 話そうと。

 兄にそうしようと思ったときに、クロにも同じことをしようと。 ただ戦うだけじゃ、何も解決しないことは分かったから。

 イリヤは同じように、心を裸にして、クロへとぶつかっていく。 包み隠さず、本心を。

 

「……分かんないよ……そんなの……ッ!!」

 

 ステッキに作られた刀身を、肩に乗せる。 必然的にズブズブと魔法少女の衣装を貫通するが、力は入れやすくなった。 イリヤはぐ、と体を勢い良く起こした。

 

「分かんないから、聞きたいんだよ……わたし何も知らないから、見たことあることしか信じないし、信じたくないけど。 でも、だから、分かるまで何回でも話して、何回でも信じてあげたい……お兄ちゃんも、あなたも……!」

 

「はっ! わたしをさっき殺そうとした女の言葉なんて、信じられるわけないでしょうが……!」

 

「それは悪かったと思ってる……取り返しがつかないことをしたことも! でも、このまま終わるのも嫌! わたしはあなたと話したい、話してどうなるかも分からないけど、それでも……!」

 

「この、……!!」

 

 顔を憤激で真っ赤にするクロ。

 

「理想論に感情論、言ってることも滅茶苦茶! 説得どころか自分の意見を叩きつけてるだけ! そんな都合の良いことばっかり、言ってんじゃ……!」

 

「都合の良いこと言って、何が悪いのよ!?」

 

「……!?」

 

 怒号に、クロが鼻白ばむ。 まるで想定していなかった言葉だったのだろう。 イリヤはここぞとばかりに、声を荒げた。

 

「あなたがしたことを許せるハズもないし、許す気もない! でも、だからって、それであなたを殺したいと思えるほど、あなたを憎んでる自分も居ない!! そうよ、文句とか、まだ言いたいこといっぱいある!! こんなところで死なれたら、何もやり返せない!! それは、絶っ対に嫌だ!!」

 

「なあ……!?」

 

「全部踏み倒そうとしてるなら、お生憎さま! あなたは死なせない、わたしに謝るまでは!」

 

 下手な気遣いや、同情など一切ない。 それだけイリヤが真剣に、体当たりでクロに挑み、手探りで問題を解決しようとしているのだ。

 そこに、ひたすら逃げていたイリヤは居ない。

 されどやられっぱなしのクロではない。 押されていた夫婦剣が、またイリヤへとジリジリ迫る。

 

「だったら……!! お兄ちゃんのことは、どうするわけ!? 大嫌いなんて言っておいて、それでまた元に戻れるなんて本気で思ってるなら、解決策ぐらいはあるんでしょうね!?」

 

「……!」

 

「どうしたの? ほら、お得意の能天気なトークはどうしたの、かしらっ!?」

 

 イリヤごと。 ステッキを弾き、問いをその心に叩きつけるクロ。 さしものイリヤも、苦い顔をしていた。

 

「そうよ……あなたにお兄ちゃんは救えない……わたしじゃ、救えなかった(・・・・・・・)のに。 あなたなんかに、救えるハズがなかったのよ……!!」

 

 そんなイリヤに蔑みの視線を向け、クロの姿が消える。 空間転移。 真後ろを取ったクロは、勢い良く干将莫耶でその首を掻き切ろうとして。

 

「!?」

 

 その手首を、星形の障壁が被さった。

 それは手錠のような、拘束具に近いが、実態は違う。 空間軸の座標に、直接障壁を設置して作動させるーー言わばトラップの一種。

 

「もう一度言うわ」

 

 しかしクロが宿すは、英霊。 本能からか、生き残るための行動へと移していた。

 

「あなたには、救えないっ!!」

 

 サマーソルトキック。 空間にセットされたトラップを支えに、鉄棒の要領で振り返ったイリヤのステッキを爪先に引っかけて飛ばし、勢いそのままで蹴りを繰り出す。

 だが。

 

「そんなこと……!!」

 

 クロが目を剥く。

 何故ならイリヤはステッキ無しで、その小さな手で拳を作り、既に目の前で振りかぶっていたからだ。

 先読み……ではない。 イリヤはステッキを手放したときから、クロへ飛び出していたのだ。 直感と運に任せて。

 そして。

 

「わたしが! 知るっ、かああああああああああああああああああああああ!!」

 

 バキィ!、と。

 クロの横顔へと拳が突き刺さった。

 幼い少女とはいえ、全体重の乗った拳は、見事にクロを吹き飛ばし、そして倒す。

 同じようにイリヤも、無事とは言えない。 遠心力で振るわれたクロの爪先が、その鳩尾に叩き込まれたのだ。 クロスカウンター。 二人はそのまま、磁石のように反発して砂浜を転がった。

 少女達の荒い息が、海岸を埋め尽くす。 砂に汚れ、海水に濡れる姿は、この上なく滑稽なのかもしれない。 しかし倒れたまま、イリヤが告げた。

 

「……正直、今でも答えは見つからない……だから、話さなきゃいけないんだ……話して、見つからなくても……わたし、は……」

 

「……は」

 

 クロは腫れた頬を手で触りつつ、

 

「ったく……甘すぎだし、現実見なさすぎ……まぁ、でも……」

 

 波の音にクロの声は消える。 イリヤが立ち上がろうとして、体から崩れ落ちる。

 疲労が溜まりきっていたのだろう。 何せ今日は色々とありすぎた。 どちらともなく、意識が消えていく……その直後。

 キキィ、と近くで車が止まる音が、した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-9ーー

 

 

 街道に止まるのは、高級車であるメルセデスベンツ。 しかも1950年代に生産された、300SLクーペだ。 今なお根強い人気を誇るその車から、一人の女性が降りる。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルン。 イリヤの母だ。

 

「あらあら」

 

 含み笑いをその美貌に浮かべ、彼女は楽しげに海岸でダウンした娘達へと近づく。 ベッドで眠る娘を、愛らしく見守るのと同じなのだろう。 殺し合いを演じた海岸を見ても、アイリスフィールに焦燥などはない。

……こんなときでもお嬢様らしくヒールのため、えっちらおっちらしているが。

 

「っとと。 んー、海ならサンダルにでも履き替えた方が良かったかしらねぇ、っと」

 

 まずイリヤの容態を確認。 顔色は良くないが、疲労と肉体の酷使が原因なのは分かっている。 とりあえず背中に担ぐと、続いてアイリはクロへと向き直る。

 そこで、アイリの表情に初めて陰りが刻まれる。

 クロの体。 引き裂いたカーテンのような外套や、アーマーなど、それらがまとめてブレていた。 さながらジャミングを受け、映像が乱れるように。 ラグの起こる娘に、アイリは。

 

「……辛かったわね、イリヤちゃん。 もう、大丈夫よ」

 

 そう言い、前髪を撫でてやる。 クロは全く反応しなかったが、それでも母らしいことをするのなら、今はそれぐらいしか出来なかったのだろう。

 

「アイリ」

 

 と。 丁度アイリ達の後ろから、野太い声が発せられる。 その声に、アイリは輝くような笑顔で応えた。

 

「切嗣! そっちも終わったの?」

 

「ああ。 少しばかり手間取ったけど、何とかね」

 

 そう言う切嗣の背中には、イリヤと同年代の少女がおんぶされていた。 アイリは確か、と唇に指を当て、

 

「あなたが美遊ちゃん? イリヤと仲良くしてもらってるみたいで。 あ、イリヤの母親です、よろしくね」

 

「えっ?……あ、はい……よろしく、お願いします……」

 

 恥ずかしそうに、切嗣の背中に隠れる美遊。 その様にアイリはニコニコと笑顔で、

 

「さーてと……それじゃあ帰って、家族会議でもしましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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深夜~黒の記憶Ⅲ/涙という名の種

ーーRewind interlude3-2.5ーー

 

 

 そして、その記憶が蘇る。

 助けて、という声は聞き飽きた。

 それを無視するのは、何ら難しいことではない。歩いて、耳を塞いで、前だけを見れば良い。前だけを見れば、突き出される手も、怨嗟の声も、立ち昇る火も、黒い太陽も、全部無視出来る。無視してしまえる。

 けれど、それは歩みを止められないだけでしかない。

 心まではこの地獄を無視出来ない。凄惨な景色は、歩みは止められなくても、心を折ろうとする。心が剣だとすると、地獄は炎であり、現実と言う金槌だ。剣は地獄で溶かされ、現実に打たれて欠けていく。そこで心が死んだから、倒れれば良いのに、歩みは止まってくれない。何がその足を突き動かすのか、傍観者である自分には皆目見当がつかない。

 今だから分かる。

 綻び、欠けた心は決して戻らない。

 心とは複雑に絡まった、鎖のようなモノだ。他者へ、自身へ。感情は時を経るごとに、人と交わったとき、その数を増やしては、お互いを縛り付ける。理性の裏に隠された、第二の心臓とも言うべきか。人は人である限り、この鎖に縛られないと、生きていくことが出来ずに朽ちる。

 少年が失ったのはそれだ。

 人が人であるための、絶対条件。それを亡くせば、人としての真っ当な生き方はまず望めない。身体も徐々に衰弱するだろう。そうでなくとも、この大火災だ。小学生程度の子供が歩き回ったところで、そもそも生き残れるハズもない。

 だが、少年は一向に歩みを止めようとはしなかった。

 いやーー実際は、その逆だったのだ。

 一刻も早くその場に止まりたくて、倒れて、全てを投げ捨てたかった。

 それでも止まらないのは、きっとそんな弱音よりも、全てが許せなかったから。 

 焼けるような痛みも。

 目を覆いたくなるような死も。

 そして何より、自分にどうにも出来ないから。

 せめて、自分だけでも負けちゃいけないと思った。

 この心が負けたからこそ、身体が動く内は、生きなければと。

 一歩でも良い。一秒でも良い。

 ここから離れて、自分はここで死んでいった人のために、生きなくてはならない。

 それが。

 例え同じように身体だけ動く人達を、見殺しにしてでも。

 それが。

 例え同じように家族を失い、灼熱の地獄から這い出そうとする人達から、目を背けてでも。

 それでも、と。

……こうやって俯瞰しているからこそ、少年のその意志が、痛いほど分かる。

 けれどそれは本当に、彼の内から出たモノなのだろうか?

 誰が悪かったわけではない。あの場に居た誰もが助けを求め、その行き場のない声を、少年が受け止めただけだ。実態は多数決に近いかもしれない。みんなが望んだ答えがたまたま生きたいということだっただけ。

 だが何故、その受け皿が、あの少年でなくてはならなかったのだろう?

 どうしてあのとき、心は死に、身体も死の一途を辿るハズだった、あの少年が。世界中の誰よりも、助けを求めるべきだった彼が、どうして。

 言うまでもない。

 心が死んだからこそ、行き場のない声が、空白だった心に刻み込まれた。それが自ら導き出した答えでなくとも、それが正しいと思い込んだ。

 なんて、間抜け。そうでもしないと、生きていけないくらい弱かったなら、いっそのこと死んでいれば良かったのに。

 そんな生き方じゃ早死にするだけ。

 思っていた通り、少年は倒れた。周囲は火が消え、雨雲から雨がぽつぽつ降り出しているが、全身の怪我は酷い。致命傷を引き摺ってた代償だ。もう幾ばくの猶予も無い。

 けれど。

 ああーー来た。

 くたびれた背広を、泥や灰でぐちゃぐちゃに汚した、あの男。

 もう欠片の生気すら残っていない少年の手を、男は両手に取る。

 そして何度も、何度も。目を泣き腫らして、こう言うのだ。

 ありがとう、と。

 そうやって少年に、心という種を埋め込むように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パチパチ、と何かが弾ける音が木霊する。

 それで、くそったれな夢から、ようやく目が覚めた。

 

「ぅ……」

 

 見えた景色は、夜空だった。正確には、崩壊した天井から見える夜空の一部。内装を見る限り、どうやらここはアインツベルン城の大広間のようだ。視線を落とせば焚火があり、その向こうに誰かが居る。炎のせいで見えないが……心地よい微睡みを振り払おうと、目尻を擦ろうとする。しかし何かが遮り、それごと持ち上げる。

 毛布だ。少し汚れた毛布。誰かが倒れた自分に被せたのか、と考えたとき、炎の向こうで誰かが立ち上がり、目の前で腰を下ろした。

 

「目、覚めたか?」

 

「……お兄ちゃん?」

 

「心配したぞ。お前を探してここに来たら、倒れてたんだからな」

 

 と、兄ーー衛宮士郎は笑った。

 誰かによく似たその笑顔が、癇に触る。心の中で大きく舌打ちする。彼がここに来たということは、間違いなく自分を連れ戻しに来たに違いない。不幸なことに暗示の魔術も切れてしまっている。士郎も分かったハズだ、自身の不可解な行動に。家族とはいえ、危険なことには変わりない英霊モドキの拘束を解いたのは可笑しいと。これはわたしのせいだと。

 どうする。いやその前にどうしてここに、と尋ねようとして、

 

「……ああ、そういや熱があったけど、大丈夫か?」

 

 ぴと、と。おでこに手の平を置いてきた。

 たまらず目を見張る。がさがさとした力強い手に優しく撫でられ、恥ずかしさと少しの嬉しさが胸一杯に広がる。見る見るうちに顔が赤くなるのが分かって、余計むず痒い。

 まるで蛇に睨まれた蛙か、飼い主に悪事を見つかった猫のように、身体を硬直させる。この兄が自分の好きな兄ではないとしても、いきなりこういうことをするのは、その……反則である。ひじょーに不本意だが。

 

「ん、熱はもう無いみたいだな……クロ? どうした、何むくれてるんだ?」

 

「……うるさい、トーヘンボク」

 

「はぁ?」

 

 これである。鈍感なのも考え物だが、こういうことを邪心無しで出来る辺り、何処の世界の兄も根っこは変わらないのだろう。きっとこの兄も。

 けれど、それを振り払わないと。振り払って、逃げて、少しでも。

 そう思い、毛布に手をかけて気付いた。

 小麦色の右手が、うっすらと輪郭を崩していた。

 

「……」

 

 魔力切れ……ではない。昨夜に魔力補給は既に行っている。これは身体を構成する魔力そのものが、霧散しかかっているのだ。

 原因など幾らでも心当たりはある。カードを使用した規格外の現界、独立したとはいえ不完全な聖杯としての器。それこそ消滅する理由は沢山あるだろうが、一つだけ決定的なことがある。

 自分自身が、この世界で、生きる価値を見出せていない。

 この身体には聖杯としての力がほぼ備わっている。だからこそ複雑なアーチャーの力を十全ではなくとも使える。しかし今、それが仇となっているのかもしれない。

 何せわたしは生きたいとは願っても、心の底では諦めているのだ。自身に未来などなく、刹那的に生きるしかないと。だからその願いに基づき、身体が解れかかっているのだ。

 

(……当たり前、かな……)

 

 もとより日陰者。闇に沈み、そして贄になるのが役割だ。

 ならばこれも、当然の結果に過ぎない。

 イリヤが生きるための供物。今自分の存在価値はそれぐらいしかない。いっそ消えれば、楽なのだが。どうにもこべりついた世界が眩しすぎる。イリヤが花畑を舞う蝶なら、自分はそれに群がる蛾か。

 いずれにせよ、悪くない幕切れかもしれない。

 ここで死ねるのなら、兄の腕で死ねるのならーーそれはそれで、悪くない最期かも。

 

「クロ? ホントに大丈夫か、何か顔色悪いぞ?」

 

「え? あぁ、うん。大丈夫大丈夫、心配しないでよお兄ちゃん」

 

 起き上がり、毛布にくるまる。恐らく身体はあちこち透き通っているだろう。それを隠すため、あとちょっと屋外の寒さを紛らわすために、毛布に身を預ける。

 ところで。

 

「お兄ちゃんさっきから何してるの? わたしを連れ戻しに来たんじゃないの?」

 

 そう。何か焚火とかしているが、どうしてこんなところに居るのか。連れ戻すのが目的なら、意識を失っている間にルヴィアの屋敷まで連れていけば済む話である。そうでなくとも凛達に連絡し、魔術的な拘束はあってしかるべきだ。なのに拘束どころか、毛布までかけている始末。一体何をしたいのか。

 

「ん、まぁクロも大変そうだからな。そこら辺の話をするだけさ。まぁただ喋るだけじゃ味気ないし、ここは一つお泊り会かなって」

 

「……はい?」

 

 今、なんて?

 

「だから、今日はここに泊まるって言っただけだけど。何か可笑しいこと言ったか?」

 

 何食わぬ顔でそう言ってのけ、何やら焚火の前で準備をし始める兄(高校男子兼主夫)。

……昔からよく分からないことで張り切る人だが、本当によく分からない。とりあえず、身体が崩れるまでまだ時間はある。それまでは、兄のこの無駄な行動に付き合うことにしよう。

 

 

 

 

 

 

ーーRewind out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 日は傾き、夜も更け、既に日を跨いだ深夜。

 エーデルフェルト邸の、とある一室。天蓋付きのベッドに寝ているのは、最早和解の糸口すら見えなくなったクロだ。しかし数時間前の元気な様子と比べると、その姿は余りに違い過ぎる。チョコレート色の肌は青ざめ、時々身体が霊体化したサーヴァントのように、不規則に揺らいでいる。自信に満ち溢れていた顔は、玉のような汗が流れ、苦しげな呻き声が耳に入ってくる。

 

「魔力を使い過ぎた……だけじゃないようね」

 

 そう言うのは、イリヤに似た女性。赤い目に、ふんわりとした銀色の髪は、恐らく彼女から受け継がれただろう。

 アイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 イリヤと、そしてこの世界の衛宮士郎の母親にして、第四次聖杯戦争の小聖杯。

 彼女と会ったのは、数時間前。カレンの話を聞き、呆然としながらも遠坂達と合流しようとしてとしていた俺の前に、彼女は現れた。切嗣や気を失ったクロとイリヤと共に。

 アイリさんはともかく、クロやイリヤまで一緒に居たのは驚いたものだ。何事かと聞きたかったが、ひとまずエーデルフェルトの屋敷に向かいながら、掻い摘んで教えてもらった。

 八枚目のクラスカード、クロとイリヤの衝突。どうやら俺がうじうじしている間に、様々な事件が起きたらしく、どうしてその場に向かわなかったのか、と暗に言われたのも仕方ないだろう。

 切嗣は別室で、遠坂達に状況を説明している。イリヤは先に目を覚ましていたようだが、いつの間にか消えていた。美遊が付いているだろうから、また居なくなるなんてことにはならない、ハズだ。

 アイリさんはクロの手を握りながら、

 

「魔力は十二分にあるわ。崩壊しかけた身体でここまで持ちこたえているのは、ひとえに魔力があるからだもの。まぁそのせいで、魔力を余分に放出してしまっているわけだけど……それにしたって、身体がこうも瓦解しかけているのは、多分他の理由なんだろうけど……」

 

 ねぇ、とこちらに呼びかけてくる。

 

「士郎はどう? 確かあなた、聖杯戦争の勝者なんでしょう? クロちゃんの身体は、サーヴァントに似ていると思うんだけど。わたしは実物を見たことがないから、あなたなら分かるでしょう?」

 

「……」

 

……ああ、やっぱり知っているのか。

 

「……知っているんですね、俺のこと」

 

「え? あー……ま、そうね。切嗣から聞いた時は確かにショックだったけれど、まぁ並行世界の息子と会えるのも悪くないじゃない? 何か二人目の息子をもらったみたいで」

 

 ふふ、と笑ってみせるアイリさん。それだけだった。失ったモノへの涙は、既にここに来る前に済ませているのだろう。それを掘って返すのは、謝り倒すのは、ただ自分の痛みを和らげようとする逃げだ。

 だから。

 

「……すいません。謝罪は、後で何回でもします」

 

「良いのよ別に。まぁでも貰えるモノは貰っておくわ。それよりクロちゃんのこと、何か分からない?」

 

 自分としては今すぐにでも謝りたい気持ちで一杯だったのだが、ここは拘泥している場合じゃない。

 クロの身体を端から端まで見る。サーヴァントはこの目で何度も見てきた。その中で一番特筆すべき点は、彼らが使い魔としては最強とされるゴーストライナーであるということだ。遠坂曰く『幽霊なんかと一緒にしたら斬り殺される』らしいが、それはさておき。

 サーヴァントは人に崇め、奉られて昇華した英霊を、霊体ごと聖杯の力で引っ張ってきて、受肉化させた存在だ。だから霊体と実体を自在に切り替えられるし、聖杯が破壊されればサーヴァントは楔を失って消える。

 クロはどうだろう。彼女はイリヤの聖杯としての人格が、クラスカードを依代として現界した存在だ。サーヴァントに置き換えるならば、聖杯は彼女の機能、英霊はクラスカード、そしてマスターは彼女自身だ。

 しかし、クロは完全なサーヴァントではない。霊体化は勿論、魔力供給もままならず、外部からパイプが無いと現界もおぼつかない。どっちつかずというよりは、何かがきちんと機能していないような気がする。曖昧な考えだが、そう伝えると、

 

「そう……やっぱり」

 

 やっぱり? アイリさんは目を伏せ、

 

「……クロちゃんが、イリヤちゃんの聖杯の器として埋め込まれた人格だってことは、知ってると思うけど。もしその聖杯による力が、今のクロちゃんを支えているとしたら、結論は一つ。クロちゃんの身体が安定していないのは、今、生きたいとはっきり願っていないからよ」

 

「生きたいと……願っていない?」

 

 それは、どういう意味なのだろう。生きたいと願っていようといなかろうと、人は生きるモノだ。事実クロだってそうに違いなーー?

 

「……まさか」

 

 だが、ここで大前提が浮かび上がる。

 そもそもクロは、どのようにして、この世界に現界しているのか。

 

「クロが現界しているのは、聖杯としての能力……聖杯としての能力は、願ったことを、理論を飛ばして結果だけを現実に引っ張ってくること……なら、現界するために必要な願いは……」

 

「生きたい、でしょうね。クロちゃんはそうして、クラスカード……だったかしら? それを依代にして、現界して。でももし、その願いが途中で変わってしまったら」

 

 この世界で生きたいと、そう願えなくなったら。

 

「元々限界だったでしょうね、恐らく」

 

 アイリさんはクロの前髪を撫で、

 

「いくら聖杯とはいえ、クロちゃんは小聖杯。サーヴァントの魂を集めるのが主な役目だもの。奇跡を起こす力があると言っても、英霊を現界させるのは大聖杯の役目。クロちゃんは様々な奇跡が重なって現界しているだけであって、そう長い時間は保てない」

 

 クロの顔を見る。辛そうに、ただ生きることすら諦めかけている、少女の顔を。

 原理的には、分かる。

 聖杯としての能力で現界したならば、消えるときもまた彼女の願いだと。魔術と違い、命は永続ではない。魔力が尽きれば消え失せ、願いが変わればそれもしかり。元々そういうモノなのだ、理解はする。

 でも、納得が出来るのか?

 思い出す。クロと築いてきた、これまでを。楽しい思い出など、本当に少なかった。むしろ刃を交えたり、懐疑的になって身構えてばかりだった。

 でも、それでも知っている。

 いつも自分を大きく見せて、背伸びしていたことも。皮肉を言ったりしても、本当はすぐ謝れるくらい優しいことも。笑っている顔は本当に可愛くて、イリヤと何ら変わらない子供だってことを。

 そして、何より。

 数時間前、保健室で言われたこと。

 

ーーおとーさんなら、わたしとイリヤを助けてくれるのに。

 

 そう言った彼女は冷たかった。そうでもしないと、自分を保てないほど怒っていたし、悲しかったのだ。

 落ち着いた今なら、思い出せる。

 クロと明かしたあの夜を。自分はそのとき、彼女に約束したのだ。その約束だけは何が何でも守ってと、そう言われた約束。自分はその約束を守れなかった。それどころか最悪な答えで破ってしまった。

 一体、どんな気持ちだったのだろう。

 この世界に産声をあげ、名前を付けられ、生贄となることを定められて。そして全て無かったことにされて。そうしてようやく生まれてきたのに、求めたモノは何もなくて、でも生きることは許されなくて。

 これで絶望していない方が、不思議だった。それでも生きたいと、彼女をそう思わせたのは、きっと自分だ。だって初めからそうだったではないか。彼女は誰よりも、真っ先に自分へと会いに来た。それが答え。クロにとって自分が、衛宮士郎だけが心の拠り所だった。

 そう長く続かない命でも。

 希望を持てる何かが、俺の殺したエミヤシロウには、あったのだ。

 前にクロは言っていた。

 俺以外、何も要らないと。

 それはきっと、エミヤシロウだけを求めたからではない。

 彼女にはそれ以上求めたって、何も得られないから、妥協しただけなのだ。

 だって、こうも言っていたじゃないか。

 全てを奪われたと。

 それはつまり、本当はもっと求めたいモノがあったに違いないのだ。母親も、父親も、友達も。けれどそれを得るには、どうしようもないくらい時間が無い。だから、一つだけを選んだ。それがエミヤシロウだ。

 何が兄貴だ。

 何が正義の味方だ。

……何も。自分は、何もあげられていないじゃないか。

 

「士郎」

 

 と。黙り込んだ俺へ、アイリさんが語りかけてくる。

 

「あなたは、私の息子のことで自分を責めるかもしれないけれど。でも多分、そんなクロを助けられるのも、あなただけなんじゃないかしら」

 

「……どうして、そんなことが言えるんですか」

 

「ふふ。そういうモノよ、女の子って。ちょっとのことで立ち直ったりするもの」

 

 手を後ろに組んで、朗らかに笑いながら、

 

「ほら、クロちゃんの側に居てあげて。今のあなたは、お兄ちゃんなんだから。本当にクロちゃんを助けたいなら、一緒にいてあげなきゃダメよ」

 

 ね、と俺の手を握る。釣られて彼女の顔へと視線が吸い寄せられる。

 瞳は水晶のようにきらめいていて、真っ直ぐとこの身を映していた。薄汚い自分を。

 

「……俺に」

 

 我慢ならない。その手をゆっくりと離して、踵を返す。

 

「俺に……そんな資格ありません」

 

 無意識に、拳が白くなるぐらい力が入っていた。自分の中で、何もかもが整理がついていない。初めてなのだ、こんな気持ちは。

 正義の味方になる。

 けれど、それはこの家族を守ることになるのかと。

 俺の目指す場所には、きっとこの世界はない。だから絶対に間違えてはいけない。選択を。

 だけど、でもだ。

 これはあまりにも、堂々巡りだ。元の世界へ帰ることも、自分の命も。そしてイリヤ達のことも。自分にはどうすれば良いのか、もう何も分からない。

 せめてイリヤ達だけでも。

 そう思っていても、自分にはどうすることも出来ない。これ以上どうやっても、進んでも、退いても。傷つける。

 分かっていた。

 分かっていたから見ないようにしていた。

 それこそが裏切りだと知っていても、何も出来ないから。

 だから。

 

「俺は、この世界にふさわしくないんです」

 

 振り返りはしなかった。足早に部屋から抜け出し、とにかく距離を取ろうとする。

 けれど。

 歩いても歩いても、自分が傷つけたモノがこべりついたまま、一向に剥がれる気配はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-1ーー

 

 

「……ホント。士郎もイリヤも、切嗣に似て、よく悩む子達ね」

 

 小さく息を吐くと、アイリはところでと視線を壁の方へと向けた。

 そこに居たのは、ずっと黙り込んで、その様子を観察していたカレンだ。以前見かけたときの修道女としての服装ではなく、何故か今回は白衣を着ている。

 

「今更聞くのも可笑しいんでしょうけど。あなたは一体何をしに来たの? 士郎を助けるわけでもなく、かと言って蔑みに来たわけでもないようだけど?」

 

 カレンは聖女のような微笑で、

 

「これはこれは、随分な態度ですね、アイリスフィール。駄犬に……いえ、息子に嫌われたからといって、その怒りをわたしにぶつけられるのは些か不愉快です。第一、このわたし(・・・・)とあなたは初対面のハズですが?」

 

 カレンの言葉に、アイリは目を細める。半ば予測していたことだったが、まさか本当にそうだとは思わなかった。

 教会の祭司代理であるカレンとは、数年前に一度、聖杯の件で切嗣と共に話をしている。だから初対面であるハズがない。

 そして何より、カレンと士郎は面識がない。

 だとすると、導かれる答えは一つ。彼女も士郎と同じ平行世界の住人なのだ。

 

「ならなおさら分からないわね。元の世界であなたと士郎がどんな関係かは知らないけれど、ここまで追ってきたということは、それなりの仲だったわけでしょう。追いかけなくて良いの?」

 

「それはそっくりそのままお返ししましょう。てっきり抱き締めてなだめるくらいはするかと思っていましたが?」

 

 最もな返しに、アイリは目を伏せる。

 

「……そうね。そうしたいところではあるけど、わたしが行ったところでどうにもならないわ。問題が問題なだけに、家族であり、世界が違うわたしの言葉はきっと届かない。その証拠に、あの子はわたしへと進んで目を合わせようとはしなかったもの」

 

「呆れたものね。その程度で諦めていたら、こんな世界はあり得なかったでしょうに。やはり中身が違うと愛せるモノも愛せないと?」

 

「そんな簡単なことだとでも? 叩き出されたいのかしら?」

 

 カレンをねめつけ、母は語る。あくまで魔術師ではなく、平穏な世界を望む母として。

 

「……あの子のことは、切嗣から聞いてるわ。その理想のことも。あの子は正義の味方を目指している途中でここに来た。聖杯戦争を勝ち残って。それはつまり、自身の理想の真実を知ったハズだわ。戦争を通してね。それでも正義の味方を目指すのは、並大抵の精神じゃない。人間の本質が最も浮き彫りになる闘争の中で、理想を掲げ続けることは」

 

 いや、平気ではなかっただろう。

 何故なら。

 

「……あの子の目ね。十年前の切嗣に似て、ただ景色を映してるだけだった。ううん、そもそも目が無いのかもしれない。そう思ってしまうくらい、空虚で、何もかも削げ落ちてしまった目をしてた。どんなことがあったかは知らないけど、あのままだとあの子、取り返しがつかないことになる」

 

「では止めるべきでは? 理想を捨てろと」

 

「それは……駄目よ」

 

 眉をひそめるカレン。アイリの言っていることが滅茶苦茶過ぎるからだ。それを感じ取ったアイリは、薄く笑う。

 

「だって、わたしが行って説得したら、あの子理想を諦めちゃうじゃない。そんなの駄目よ、絶対に」

 

「……、」

 

 あまりに堂々とした主張に、さしものカレンも鼻白んだ。まさかこんな自然な形で、息子が母に勝てるわけねぇと言われるとは思わなかったのだろう。

 

「……大した自信ですね。何を根拠に?」

 

「母は強しって言葉知らないの? ま、冗談はさておいて、簡単よ。だって切嗣と似てるものあの子。ならわたしが説得したら、同じ選択をするわ、きっと」

 

「……わたしの知る衛宮士郎は、自身の未来を見せられても、答えを変えないくらいの馬鹿頑固でしたが」

 

「人は変わるものよ、修道女さん。あなたの知る士郎と、今の士郎は違う。家族を知ったあの子は、以前よりきっと視野は広くなっても、脆くなってるわ。切嗣と同じように」

 

 家族を知る。カレンには未知の領域だが、よくよく考えれば当たり前だ。魔術師殺し衛宮切嗣がアイリスフィールを、イリヤスフィールを愛したことで、理想を諦めたとするならば、確かに状況はこの世界の過去と似ている。

 しかし、

 

「なら尚更止めるべきでは? せっかくここまで追いかけてきたわたしとしては困りますが、彼個人の幸福を考えると、理想を捨てた方が遥かに円満な未来が望めると思いますが……」

 

「……そうね」

 

 アイリは否定しない。彼女も思うのだろう。

 誰もが幸せでありますように。そんな叶わない理想を追いかけたところで、みんなを助けようとして家族を捨て去るような真似だけはさせられない。

 だけど。

 アイリスフィールは知っている。

 

「時々思うの。あの選択が、家族を選んだことが……本当に切嗣がやりたかったことなのかって」

 

 せりあがった血を吐き出すように、憂いを乗せて。

 

「ずっと切嗣の側に居た。ずっと一緒に生活してきた。だから、分かるの。あの人の中で、きっとその夢は終わっていないって。だってそれまで捨ててきたモノが、多すぎたから。捨てようとしても、それだけは捨てられなくて、がんじがらめになってるあの人を、何度も何度も見てきた」

 

「……、」

 

「不思議そうな顔をするわね。まぁ普通なら、そう。でもあの人は悩んだ。人類の救済のために血を流し、時には家族すら葬ることすら厭わなかった。家族を選ぶということは、そうしたかつての自身の在り方を否定し続けるということ。家族を守る代わりに、それ以外の全ての人々を犠牲にすること。あの人にとって、それは耐えられないことだった」

 

「……家族を選んだのに?」

 

 カレンの問いに、首を振る。

 

「選んだからこそよ。選んだからこそ、その結果に耐え切れなかった。それだけあの人にとって、死というモノは忌むべきモノで、何より否定しなければならない結果だもの。それを見続けなければ、家族を守れないというのに」

 

 だから。

 

「……本当に家族を選んだことが、切嗣のためになったのか。わたしにはわからない。だって、切嗣はみんなを救いたかった。だから犠牲を許容出来ずに、苦しんで苦しんだ。家族を守りたい気持ちよりも、誰かを犠牲にすることの方が、あの人の中では大きかったから」

 

ーーだから。

 

「わたしでは衛宮士郎は救えない。そんな無責任なことは出来ない。わたしは母親として、あの子をこれ以上苦しめることだけは、決して」

 

「……そうですか」

 

 カレンが壁から離れ、ドアノブに手をかける。

 

「それなら、一任します。あなたのことですから、何か考えがあるのでしょう?」

 

「……もしかして、あなたが慰めたいの?」

 

「神に仕える者として、迷える者を放置するのは教えに背きます。それに、わたしは彼をそれなりに買っています。彼が居てもらわなければ、この身が危ないので」

 

「ふーん……」

 

「……なんです、その意味ありげな視線は?」

 

 それまでとは打って変わって、年相応な流し目で睨むカレン。するとアイリは、

 

「ううん。士郎の話をするときは、随分と真面目なんだなーって。好きなの?」

 

 たまらず、カレンはパチクリと目を瞬かせる。心なしか少し顔が赤くなったのは……気のせいと思いたいアイリ。

 

「……それは、答えかねます。わたしが彼を買っているのは彼自身もですが、最も買っているのは」

 

「はいはい早口になって捲し立てても、説得力なんてないない。まぁ士郎のこと、よろしくね。無茶させ過ぎないように」

 

「、……アイリスフィール。それは悪魔憑きに宿主から出ていけと言うのと同じくらい、無駄な行為だと思いますが」

 

 何かを言いかけたが、諦めてそそくさと去っていくカレン。その後ろ姿を見ながら、アイリは改めて思った。

 自分の息子と、衛宮士郎は違う。

 花と星で例えよう。

 花が大切なモノ。星が理想だとして。

 息子は星を綺麗だとは思うが、周囲の花だけは掴んでいた。だからこそ人としての全てをずっと取り溢すことは一度も無かった。

 でも衛宮士郎は、星を掴もうとして、足元に花があっても踏みつけて、手を伸ばしている。踏んだことに後から気づいたとしても、その花も大事だから、無駄にならないようにと、手が千切れても必死に伸ばし続けていた。

 それはきっと人として、どうしようもなく間違っている。

 何故なら彼は星だけでなく、出来るなら全てを掴みたいのだ。なのに星のために花を踏みつけるのだから、星の輝きに彼自ら傷つく。そんなことでは周囲も疑問に思ってしまうに違いない。

 けれど。

 きっとその根底にあったのは願いで、それはまだ芽を出していない種なのだ。

 その証拠に彼は、今迷っている。人として壊れているハズの彼が、今ここで。

 そも、彼の心の欠落を埋めたのは、衛宮切嗣と、イリヤスフィールだ。その二人の存在が種として心に埋められーー涙が水となって、彼の中で何かが萌芽したとするならば、それこそが過去、衛宮士郎が失ったモノに違いない。

 その芽は育てば、きっと大きな花になる。そしてそれは、彼を正しい道へと導いてくれるハズだ。

……ならば彼を導くのは、種を埋められなかった自分ではない。

 もっと、ふさわしい家族が居るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-2ーー

 

 

 そのとき、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、珍しくどかどかと音を立てそうな勢いで、屋敷を歩き回っていた。普段からドレスで魔術戦を嗜むルヴィアなのだが、それでもエーデルフェルトという歴史ある自身の立場を重んじ、そのスタンスだけは崩してこなかった。

 そんな彼女が、外でならともかく、身内の模範になるべき屋敷内で、こうも駆け回るのには、ある理由がある。

 衛宮士郎。

 彼女にとって、恐らく初めて立場を気にせず、一人の少女として向き合えた友人。

 そんな彼の秘密を、ルヴィアは知ってしまった。

 並行世界。無限に連なる魔法の領域の彼方、彼はそこからここへ迷い込んだのだと。

 

ーー君達には言ってもいいと、士郎から許可はもらってる。まぁ本当は、自分の口で言うべきなんだろうけど、ね。

 

 そんな場合じゃない、と彼の父である衛宮切嗣と、母であるアイリスフィールは、柔和な笑みでそう言って、全てを話してくれた。

 士郎がどんな人生を送ったのか。その中で何を失ったのか。二人は隅々まで話してくれた。

 正直に言って。

 魔道に身を置く以上、吐き気がするような事例はいくらでも聞いたし、この目で見てきた。だから世界はそんなモノに溢れていることは、ルヴィアも分かっていた。

 それでもなお、身構えていたのに痛いほど胸が締め付けられた。

 確かに魔術師となった以上、常に自身の命を天秤にかける。だがこれは、天秤そのものを叩き壊して、その欠片を全てを押し付けられるようなモノだ。こんなのは、魔術師でもまともじゃない。何か人為的なモノすら感じられる。

 だが何より、こんな世界であんな風に悟られないよう過ごしていた衛宮士郎こそが、一番の異常だが。

 

ーー……ハッキリ言おう。彼は、衛宮士郎は、人どころか一つの命として決定的に壊れている。気付きにくいかもしれないけど、断言しよう。

 

 そう、俯いていた切嗣は、後悔しているような口振りだった。

 当然かもしれない。

 聞くところによれば、士郎が家族を失った原因は、第四次聖杯戦争の最終局面で起きた大火災が原因らしい。そしてその第四次聖杯戦争は、今から十年前。この世界では衛宮切嗣、アイリスフィールの二人が未然に止めたハズの出来事だ。

 しかし世界が違えば、選択も変わる。

 その世界では聖杯戦争も行われ、そうして全てが崩れ去った。アイリスフィールは死に、衛宮切嗣は求めたハズの聖杯を破壊し……そして大火災を引き起こした。

 そんなときだったらしい、衛宮士郎が救われたのは。

 一人でもと、自らが起こした惨劇に飛び込み、誰かの遺体しか掴めなかった衛宮切嗣が、たった一人だけ助けられた被害者。それが、衛宮士郎だった。

 しかし本人から言わせると、半分は手遅れだったらしい。大火災を目の当たりにし、全てを失った少年の心は、既に粉々に壊れていたのだ。奇跡的に救われるために、身体ではなく心が死んだのだ。

 何をもって生きるとするかは個人で違うが、それでも自身の意思があるのは前提条件だろう。それが無いのは人形でしかない。彼の場合、感情もあるし、意思もある。だがその一部が、その大火災とやらで燃え落ちてしまったのだ。

 そこまでのことがあった。

 そして今ここに、世界は違えど、そうなった元凶が居る。

 殺し合いが起きても、可笑しくないハズだった。それだけのことを、衛宮切嗣はした。

 だが、衛宮士郎はとある夜、こう言ったという。

 

ーー多分、俺は人として壊れてるから、こんな世界でも家族を騙してでも生きられるし。

 

ーー今もまだ、大切な人を傷つけてでも、正義の味方を目指せるんだと思う。

 

「っ」

 

 ダン、と床を踏みつける。もしここが自室ならば、ハンカチでも口に突っ込んで、噛み千切りたい気分だった。そのぐらい今、ルヴィアはどうにかなるくらい頭に来ていた。

 なんだそれは。

 なんで。なんで、一度だって他人を責めようとしないのだ。

 だって可笑しいだろう。彼が壊れたのは、聖杯戦争のせいだ。それを起こしたマスター、衛宮切嗣のせいだ。それだけではない、この世界への転移だってそうだ。偶発的なモノだったとはいえ、遠因は遠坂凜のせいである。それなら文句の一つでも言ったって、罰はくだらない。むしろ当然の権利である。

 なのに、彼はあくまで自身しか責めない。他人への罪の所在など、どうでもいいと言い張る。ぎこちない苦笑いで、自分が悪いのだから仕方ないと。

 きっと彼の中では、自身の命などさして意味を持たないのだろう。自分に意味がないから別に怒りは湧かないし、優先順位も他人が上になる。それでいいと納得できる。

 だがこちらは、到底納得できない。

 言いたいことがいっぱいあり過ぎるが、その中でも強く琴線に触れたのはこれだ。

 今もまだ、大切な人を傷つけてでも、正義の味方を目指せるんだと思う。

 なんだそれは。

 そんな、誰も傷つけたくないから助けてくれなんて言葉、お前のような人間(・・)以外で言えるものかーー!!

 

「……」

 

 そして、見つけた。

 その姿が見えたのは、丁度ルヴィアの自室に程近い廊下だった。肩を下ろし、見るからに消沈している彼の背中へ、言葉を投げた。

 

「……シェロ!」

 

 大きな声を出したのは、緊張と不安を吹き飛ばすためだ。しかし彼ーー衛宮士郎の顔を見た途端、それらが一気に膨れ上がる。

 酷い顔だった。普段は温厚な印象の顔からは、あらゆる感情が抜け落ち、目は空洞が出来たように色を失っている。死人と何ら変わらない、人の感情が一切ない表情。

 だが怯まない。

 進む。

 

「……少し、お話しません? お茶でも飲みながら」

 

 士郎は答えなかった。それをイエスと取ったルヴィアは彼の手を引っ張り、自室に招き入れる。

 部屋は従者達の手で清掃された直後のようで、埃一つ見当たらなかった。ルヴィアは士郎を椅子に座らせ、自身は紅茶の準備をする。オーギュストには劣るものの、ルヴィアも貴族。茶ぐらいは自分で淹れられる。

 そうして紅茶を伴ったルヴィアは、ティーカップを差し出した。

 

「どうぞ。部屋にあるモノでは少しグレードが落ちますが、口を濡らすには丁度良いでしょう。お互い長い話になるでしょうから」

 

「……」

 

 返答はない。紅茶にも手をつけず、士郎はカップをじっと見つめている。話す気が無いのではなく、そんな余裕も無いのだ。

 ならばこちらから行くしかない。

 

「シェロのお父様から聞きました。あなたのこと、これまでのこと」

 

「、……」

 

 薄いものの、反応があった。ぴくりと、士郎の頬の筋肉が僅かに浮き出る。声は届いた、なら心にだって伝わる。

 

「にわかに信じがたいですが、これで色々と納得がいきました。あなたほど特異な存在が協会で確認されていないこと、英霊に対する戦闘技術や正体の看破、どうして会ってすぐのクロにあそこまで執着するのか、全てに」

 

「……責めないんだな、俺を。騙してたのに」

 

「責める理由がありませんもの。むしろこれほど対処しづらい状況でなお諦めなかった、あなたの姿勢を称賛したいくらいです。それにこんなこと、妹に言うのは酷でしょう」

 

 クロはまだしも、イリヤスフィールは普通の子供だ。魔術回路の本数、聖杯の器。普通ではなかったとしても、偽りの環境だったとしても、それでもイリヤスフィールは普通の女の子でしかない。

 

「……何より、決して嘘が得意ではないあなたが、隠し通そうとしたのです。傷つけると分かっていても。それでも。彼女だけは守ろうとした、違いますか?」

 

「……守ろうとした、か」

 

 どうだか、と士郎は自嘲した。

 

「なら捨てるべきだったんだ、正義の味方になる夢を。家族を守りたいのなら、捨てれば良かった。どっちつかずになるくらいなら、どっちかを捨てちまえば良かった。でも」

 

 カップを持つ手が、ぷるぷると震え出す。

 恐らく。彼はずっと我慢してきたのだ。妹達の前では兄らしく、エミヤシロウらしく振る舞ってきた。それを繰り返せば繰り返す内に、現実とのズレが大きくなり、泥沼にはまっていくのも知っていて。

 なお、止められなかった。嘘をつき続けることを。

 

「でも捨てられなかった。ああそうさ、俺はイリヤを裏切って、夢を選んだ。そうしないともっと沢山の人を裏切るから、守ると決めた妹を裏切った……!」

 

 だから、と繰り返す。自問を。

 

「言えないよ。言えるわけない。俺は、イリヤを守らなきゃいけないんだ。イリヤが悲しむのは、イリヤが苦しむのは絶対にダメなんだ。俺には、守れなかったから」

 

「……確か、あなたの世界のイリヤスフィールは」

 

「俺の目の前で死んだよ。そのときは姉だとも知らなかった。知らないままだった。分かったのは、つい最近のことでさ」

 

 士郎はティーカップをテーブルに置くと、顔を両手で覆った。 

 

「……だから、守らないといけないのに。俺には、アイツの兄貴にもなれなくて、アイツを安心させることも出来なくて。またこうして、奪い続けてる。これじゃあ元の世界と、何も変わらないのに……ちきしょう……っ!!」

 

 がっ、と拳で太股を殴る。半分嗚咽染みたその言葉を吐き出す顔は、ルヴィアが初めて見る顔だった。

 

「……俺にはさ。妹を守る方法が、どうしても分からないんだ。ずっと誰かを助けたいって思ってたのに、いざ助けようとすると、自分が何にも分かってなかったんだなって、嫌でも分かる。魔術で助けようとしてる自分が居るんだ。笑えるよな、こんなの」

 

「……シェロ」

 

「……間違ってるんだろうな、きっと」

 

 一つ一つ、戒めてきた鎖を、改めて絞めるように。士郎は言う。

 

「少し前に、言われたよ。誰もが救われるなんてお伽噺で、正義の味方なんてものはただの掃除屋なんだって……そのときは、誰かを助けたい想いは間違いなんかじゃないって、胸を張って言えたけど。今はもう、言える気がしない」

 

「……、」

 

「だって」

 

 これ以上ないくらい、後悔した様子で。忸怩たる思いを滲ませながら、

 

 

「ーーーー俺が、この世界の全部をぶち壊したから。こんなことになってるんじゃないか」

 

 

 ただただ、自身が全て悪かったと。そう言い聞かせていた。

 そのとき。

 ルヴィアはアイリの言葉を思い出していた。

 

ーー士郎はね。多分、自分がどう生きたいのか、忘れてしまったのよ。

 

 アイリは言っていた。

 

ーー切嗣のため、イリヤのため。それは誰かのことを尊重しているだけで、士郎がしたいことじゃない。彼は自分というものがとても希薄で、その穴を何かで埋めないと生きていけないのね。まるで、剣の鞘のように。他人の剣を抱えて、心という鞘を満たさないと。

 

 ルヴィアにも、その言葉が今ようやく分かった気がした。

 欠落した心では生きられないから、誰かの願いで心を埋めている。それが衛宮士郎という人間だ。

 でもそんな彼に、今変化が起き始めている。誰かの願いの下、彼自身の心から、本当の願いが顔を出そうとしている。

……その願いを引きずり出すのは自分では無理だ。所詮は他人。俗世に関わることもない魔術師だ。でもそんな魔術師の身でも、友であるのならーー足掛かりくらいならば作れるハズだ。

 だから言う。

 

「……それでも」

 

 言ってやる。

 

 

「それでも。あなたは今、この世界にたった一人しか居ない、イリヤの家族なのでしょう?」

 

「ーーーーぁ」

 

 瞠目する。それは恐らく、心の何処にもなかった前提だったのだろう。

 そう。

 結局どのような事情があろうと、何も関係なかったのだ。

 確かに衛宮士郎はこの世界の住人ではないし、魔術師である以上、イリヤスフィールが望む真っ当な答えは望めない。

 

「あなたはイリヤスフィールの世界を壊し、今も彼女から全てを奪い続けているのかもしれません。それを悔い、償うのも当然かもしれません。ですが」

 

 だが、前提として。

 揺るぎない事実がある。

 

「あなたは兄です。イリヤスフィールの、たった一人の。偽物であっても、あなたは知っているハズでしょう。イリヤスフィールという少女を。そして間違えても、守ろうとしたのでしょう。なら今こそ、彼女と向き合うべきです。ちゃんと向き合って、伝えるべきです。あなたの想いを」

 

 二ヶ月程度の付き合いだ。そんなルヴィアの言葉では、絶望し切った士郎の心には届かないのかもしれない。

 だからぶつかっていく。繊細に、だが大胆に。

 

「人は間違いを犯します。例えそれが家族であっても。ですがそれで良いんです。大小の差はあっても、その間違いを許容出来ないほど、イリヤスフィールは弱くありません。あなたは本当に彼女を守ろうとしていた、それは側で見ていた私達が知っています」

 

 士郎が唇を噛み締める。葛藤が目に取れて分かる。そうして彼が重たい口を開けた。

 

「……でも、俺は。俺はいつか帰らないといけない。それでも騙し続けるのは、守ることにならないだろ。騙せば騙すほど、イリヤも、みんなも、傷つける。なのに俺は……」

 

 ぶつぶつと。暗い目で呟く士郎。よほど溜めていたのか、やはり一筋縄ではいかない。

……だからか。ルヴィアの中で、ついに切れた。

 魔術刻印が光を帯びる。沸々とした怒りとやるせなさを人差し指に込めて、士郎の額に狙いを定めた。

 

「あーもう!! いつまでもグチグチと!! イライラさせないでくださいまし!!」

 

「がぅんっ!?」

 

 ぱこぉんっ、とガンドで朴念仁の頭を揺らすルヴィア。流石の士郎もガンドを貰うと思っていなかったようで、涙目で額を押さえながら、ごほごほと咳き込む。

 

「紳士であることと、優柔不断なことは違いましてよ。良いですこと? 悩むのも、頭を抱えるのも、後で出来ます。ですがイリヤスフィールと和解したいのなら、今話すしかありません。今を逃したら、それこそあなたの妹は笑わなくなるでしょう。あなたはそれでも良いのですか?」

 

「だ、だけど……俺はイリヤを傷つけたくなくて、でも俺と一緒に居ることで傷付くし、どうすればいいか分からなくて……」

 

「シェロ!!」

 

「……!」

 

 ルヴィアが士郎の手を取る。手を握り、目を見て、真っ直ぐな言葉を放った。

 

「たまには、自分の気持ちに素直になりなさい! イリヤスフィールでも、死んだエミヤシロウでもない! 今ここに居るあなた(・・・・・・・・・)が、どうしたいのですか!?」

 

 しん、と時が止まったようだった。士郎も固まったまま。でも、その目には色んな感情が渦巻いていた。

 

 

「…………………………………………………そう、だな」

 

 小さい声。しかしその言葉で、衛宮士郎は既に先程までとは違っていた。

 

「……そうだよな。イリヤの名前を出して、逃げ出すような真似は、結局イリヤを傷つけてるだけだよな。ありがとう、ルヴィア」

 

 少年の顔には、まだ迷いがある。

 それでも、衛宮士郎はもう逃げない。

 自分の想いをーールヴィアが作った足掛かりを足場に、一歩踏み出していく。

 

「俺はイリヤと話したい。全部は話せないけど、出来るだけ話して、イリヤの気持ちが知りたい。だから」

 

「ええ」

 

 同時に席を立ち、ドアの前で向き合う二人。ルヴィアはドアを開くと、外への道を指し示す。

 

「どうぞ。あなたの選んだ道を」

 

「……ありがとう。じゃあ、行ってくる」

 

 それだけ言うと、士郎は走り出した。士郎を見つけようとしたルヴィアのように、彼はあっという間に屋敷の奥へ消えていった。

 ルヴィアはドアも閉めず、部屋の中へと戻る。椅子にどかっと座ると、もう冷めてしまった紅茶を一飲みした。

 と、

 

「ふーん。アンタも、案外あんな真っ直ぐなこと言うんだ」

 

 皮肉めいた口調で部屋に足を踏み入れるのは、凛だ。彼女は士郎が座っていた椅子まで歩くと、同じように荒々しく座った。

 

「……なんです? 仮にも私の工房に入るなど、普段のあなたならばあり得ない行動ですが」

 

「そのアンタが衛宮くんを招いた時点で、そういう系のトラップはまるごと切ってあるでしょ。まあ敵意に反応する呪術とか張られたらどうしようもないけどね」

 

 そう言って手を振ってみせる凛。ルヴィアは口を尖らせ、

 

「減らず口を……大体あなた、私にはこういった仕事をやらせておいて、自分の仕事は終わらせましたの?」

 

「まぁね。わたしはアンタと違ってガンドなんて撃ってないし、とてもスムーズだったわ」

 

「ぐぬぬ……」

 

 ミスパーフェクトスマイルの凛に、ルヴィアは唸りながら睨む。

 二人が言う仕事とは、士郎とイリヤの兄妹を話し合わせるために各々説得することだ。ルヴィアは士郎を、凛はイリヤを。どうやら凛は手早く終わったらしく、

 

「ま、一応前からフォローは入れておいたしね。ただ背中を押してあげただけよ。アンタに勝つ方が楽だから、ちょっと手こずったけど、何の問題はないわ」

 

「……さらっと手袋を投げたことに気づいていて?」

 

「あら、気づいてなかったの? ならお得ね、嫌味を一つ余分に入れられるわ」

 

 青筋を笑顔に忍ばせ、静かに魔術戦の準備を始めようとする二人。しかし二秒もせずに、お互い大きく息を吐いた。

 そもそもにおいて。この二人は大師父の弟子になるため(そして除籍を免れるため)、遠路はるばる日本まできた。それもこれも自身の家系が根源、それに繋がる第二魔法へと至るためだ。

 そして今ここにーーその第二魔法の体験者が居る。

 

「あーあ……第二魔法の大きなヒントがあるっていうのに、何やってんだか……」

 

「全くですわ……私としたことが、魔術師にほだされるとは……」

 

 だがまぁ仕方ない。

 ルヴィアがそう思っているのだから、恐らく凛も思っているだろう。

 ここで衛宮士郎を捕まえて持ち帰って、ホルマリン漬けにしても良いが。

 多分それをした瞬間、自分達はもう自分で自分を許せなくだろうから。

 

「……紅茶、飲みます?」

 

「……いただくわ」

 

 疲れきった二人は、静寂に身を預ける。

 ここから先は、限られた人間だけの舞台。

 もう、隠し事は無しにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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深夜~黒の記憶Ⅳ/Re:Answer

ーーinterlude6-3ーー

 

 

 走る。あの人が何処に居るか分からないから、ひたすらに走る。

 エーデルフェルト邸の廊下。本来なら走ってはいけないそこで、イリヤは全力疾走していた。

 士郎と仲直りするため。そのために走るイリヤだが、時折壁に手をついて膝をつく姿は、万全とは言いがたい。顔色も悪く、ただ歩くだけでも辛そうだ。

 学校、そして海岸での戦いから既に数時間は経つが、未だにその傷跡は深い。何せ宝具の激突のみならず、直撃だけでも二回はあったのだ。その内一回である燕返しは、臓器を傷つけたらしく、ルビーによる治療も中々進まなかったのだとか。

 いくら治療促進があるとはいえ、イリヤは小学生だ。そんな傷だらけの体を引きずれば、途中で倒れてしまう。

 それでも走るのは、きっと理屈なんかじゃないから。

 

ーー それで? あなたはどうするの?

 

 深夜。目覚めて、イリヤは士郎へどう謝るか、そして何を話せば良いか頭を悩ませていた。

 何もかも分からない。だから兄のことを知りたい。そういう気持ちがあるのだが、イリヤとしては兄とあんな別れ方をしてしまったせいで、どんな顔をして会えば良いのか全く想像がつかないのだ。

 酷いことを山程言ってしまった。謝って済むことではない。どうあれ、彼が自分のことを大切にしてくれていたことには間違いはないのだ。そんな兄へ、あろうことか大嫌いなどとよく言えたなぁ、と後悔してしまう。

 我田引水、軽挙盲動。言葉は尽きないが、それらを棚にあげてでも、今は走らないといけない。

 そんなときだった。

 

ーー衛宮くんの生き方が気に入らない。 自分と一緒に居てほしい。 まぁ大方こんなとこでしょ?

 

 いきなり凛はそう言って、自分の心の中をぶち当ててきた。デリカシーだのなんだのを気にしない、彼女らしい舌鋒だ。口ごもっている間に、凛はさっさと話を進めてしまう。

 

ーーで、アンタはなんで衛宮くんのところに行かないの? 怖い?

 

ーー……わかんないよ。正義の味方とか、よくわかんないよ。 人の数で良いとか悪いとか、勉強したことも、考えたこともないから。

 

 触りだけならルビーから話を聞いたのだが、イリヤにとっては完全に未知な事柄だ。何せ正義の味方。アニメでだって今時聞かない、非現実的な夢だ。

 自分に理解出来るだろうか。話を聞くと決めたものの、自分はちゃんとそれを呑み込めるか。不安で仕方ない。また子供じみた癇癪を起こして、逃げてしまわないかと。

 しかし。

 

ーー別に良いんじゃない、分からなくたって。

 

 凛は語る。あくまで今だけは、魔術師としてではなく。ただ歳の離れた、姉貴分として。

 

ーー十人が十人、納得出来る理由なんて何処にもない。 例えそれが、当たり前のことでもね。 もし十人が十人納得しても、それは理由を考えた人が、その十人のために用意した理由であって、考えた本人が心の底から納得出来ているかは別なのよ。

 

ーー……。

 

ーー衛宮くんは、そういうタイプね。 みんな救わなきゃって思ってて、自分に執着がない。 だから魔術で人を救うなんて馬鹿げた真似が出来る。 けどそれを行う方法とか、切り捨てるモノが間違ってしまったりしても……きっと、根底にあるモノは、そんなに歪んでなかったハズでしょう?

 

 誰かを助けたい。誰かに生きててほしい。イリヤだってニュースでそうした悲劇をみれば、当たり前のように抱いていた感情だ。士郎はそれが、人に比べてもけた違いに強いのだ。たった一人でも、許せなくなってしまうに違いない。

 でも、そう考えると余計に思ってしまう。

 どうしてあのとき、助けてくれなかったのか。殺意に溺れかけた自分を、優しく受け止めてくれなかったのだろう。

 優先順位。命の危機。そんなモノすら気にしないで真っ先に助ける相手。それが家族なんじゃないのかと。

 

ーーわたしはね。

 

 と。そんなイリヤの考えを遮るように。凛は腰に手を当てて、

 

ーー衛宮くんの生き方って、無駄ばっかりで、寄り道ばかりして、真っ直ぐ歩いていくことすら辛いんだと思う。 だからわたしには真似出来ないし、真似なんてしたくないなーってなっちゃうわ。

 

 でも。魔術師は眩しい夕日を見るように、

 

ーーそんな生き方しかしたくない人も居るのよ。 多分どん底に落ちて、全てを失っても、それでも曲げられないくらいに、その生き方しか自分が許せない。

 

ーー……そんなの、勝手すぎるよ。 こっちの気も知らないで。 わたしは、そんな夢のためにお兄ちゃんが傷つくのも、悩むところも見たくない。 他人のためにじゃない、せめて自分のことで傷ついてほしいのに。

 

ーーそうね。 我が儘で、後には残らない人生。 周りなんてお構い無し、走って、転んで、這いずり回って。 見てるこっちがハラハラしてるのなんて知らんぷり。 ったく、ホントに自己完結しちゃってるのが始末に終えないけど。

 

 微笑を口の端に過らせ、凛は胸を張って言った。

 

ーーでも、アンタの中じゃ、もう答えなんてとっくに出てるんでしょ?

 

ーー……。

 

ーーだったら走りなさい。走って、ふん掴まえて、あのトーヘンボクに言ってやりなさい。それが出来るのは、この世界でアンタだけなのよ、イリヤ。

 

 だから走った。背中を蹴り飛ばされるような、荒々しいモノではあったけれど。

 ぜぇぜぇと何回も息を吐く。横っ腹がじーんと痛いものの、腸をぶちまけそうになったときほどではないと考えてしまうのは、気の迷いだと思いたい。

 と、

 

「……い、イリヤ? なんでそんなぜぇぜぇ息を切らしてるんだ?」

 

 不意の声に、肩が跳ねそうだった。飛び上がるように顔をあげると、目の前に兄、衛宮士郎が困惑の色を隠さずに立っていた。

 深夜にも関わらず、士郎の目に疲労の色はあまりない。とはいえ緊張しているようで、あちらこちらへ視線が泳いでいる。

 イリヤは口を開いたものの、やはり言葉は出ない。まるで想いが喉でつっかえたように。

 

「……とりあえず、ちょっと風にでもあたろう。話はそれからで良いだろ?」

 

 こういうとき、気が利く人ってポイント高いなぁ、と思ってしまう自分は、色んな意味で大丈夫だと悟ったイリヤだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 これまで、色んなことがあった。

 夢を引き継いで、鍛え、殺し合い、後悔して、それでもと前に進んできた。

 でも今からすることは、きっとそんなこれまでと比べても、一番難しいことなんだと、心の中で感じていた。

 屋敷のテラス。二人して手摺に寄りかかって、俺達は月を眺めていた。

 別に気取ってこんな場所を選んだわけじゃない。でも、出来る限り全てを話すのなら、月と星が見える場所が良かった。誓いを立てたときのことを、鮮明に思い出せるから。

 

「……昼間は悪かったな。酷いことして、助けにもいけなくて」

 

「う、ううん。酷いことしたのはこっちだし、お兄ちゃんも怪我してたし、それに連絡だって出来なかったから、来れないのも当然だよ」

 

 一見普通の会話。でも僅かにぎくしゃくとした、小さな乱れがある。今ならそれを感じ取れる。

 この世界に来てから、ずっとそうだったのだろう。微かな違和感は世界という絶対的な壁で出来たモノだ。決して、自分などに越えられるモノではない。

 でも、越えられなくても、壁の外からでも出来ることはある。

 こんな風に。声は届く。

 

「イリヤ」

 

「……うん」

 

「今から話すことを、お前は信じられないかもしれない。だけど話さなきゃいけない。分かってもらいたいんじゃない、知ってもらいたいんだ。俺が、どんな奴かを」

 

 手摺から手を離す。浅く、空気を取り入れて。

 

「俺はさ、イリヤ。正義の味方になりたいんだ」

 

 そうして話した。

 自分のことを。魔術使いにして、正義の味方へとなる衛宮士郎のことを。自分が拾われた経緯、正義の味方とは、夢を志した理由など。とにかく話した。

 無論話せないこともある。俺がこの世界の人間ではないこと、聖杯戦争に参加していたこと。その二つはこの世界の衛宮士郎のことを鑑みても矛盾してしまうし、何よりイリヤに伝えられない。絶対に。

 穴のある話なのだが、イリヤは何も口を挟まなかった。ただ耳を傾けて、相槌こそ返してくれたものの、嫌悪感を露にするでもなく、かといって好意的に受け取っているわけでもない。

 それだけ、俺の話は彼女にとって難しいのだろう。きっと。しかしその煩悶の末に、イリヤは答えてくれる。

 

「……全部は、話してないよね?」

 

「……」

 

「答えて、くれないんだ」

 

……目を伏せて頷く。そっか、とイリヤは寂寥感を露に視線を逸らした。

 それも仕方ない。イリヤにとっては未だ疑問の残る話だったハズだ。どうして今まで黙っていたのか、黙っていたとして、誰に魔術を師事していたのか。疑問は尽きない。

 だが、それも今はそんなことを論じていない。

 

「……正義の味方、かぁ」

 

 さながらテストで納得出来ない答えを見たときのように、眉根を寄せるイリヤ。

 

「つまりお兄ちゃんは、その正義の味方になって、みんなを助けたいんだよね?」

 

「んー……別に、みんなを助けたいって思ってるわけじゃないぞ? 全員は助けられないし」

 

「え? なんで? 正義の味方でしょ、助けてあげないの?」

 

 む。そう言われると少し誤解されてしまうような。

 

「違うぞイリヤ。助けてあげないんじゃない、助けられないんだ」

 

「……?」

 

「例えばだけど、目の前に川があって、そこに十人溺れている人が居るとする。イリヤはその人達みんなを救えると思うか? 一人残らず、誰も犠牲にせずに」

 

「……」

 

 衛宮士郎が志すモノは、平たく言えばそういうことだ。無理難題、絶望的なまでの隔たり。そういうモノが四方八方にあって、容赦なく誰かを踏み潰していく。

 

「全員を救おうとして多くのモノを失ってしまえば、それは最善じゃない。もしも最善を尽くすのなら、一人でも多くを救うなら、最初から一人を犠牲にしてでも、残りの九人を救う方がよっぽど悲しむ人間が少なくて済む」

 

「……そんなの、妥協だよ。全員を助けられるなら、助けた方が良いに決まってる。そうでしょ?」

 

 そうだ。でも知っている。現実は常に残酷で、卑劣で、横暴で、救いがなさすぎる。

 

「じゃあその規模が増えたら、どうする?」

 

「え……」

 

「百人、千人、一万人。自分一人どころかみんなで助けようとしても手が届かないぐらい、大きな災害が起きたら。誰一人犠牲を出さずにみんなを救うことなんて、出来っこない」

 

「そんな……! そ、そんなのお兄ちゃんの決めつけだよ!」

 

「かもな」

 

 認める。認めるが……いかんせん、それを認めていたとしても、抗えない猛威があるのだ。

 

「でも、それでも人は弱い。十年前、大火災で俺が親父に救われたときが良い例さ。一人じゃ何も出来なくて、ただ死ぬだけだった俺を、親父は助けてくれた。俺にとって正義の味方だった親父ですら、俺しか助けられなかったんだ」

 

 思い出す。あの慟哭を。

 

「泣いてたよ、切嗣。俺だけでも救えて良かったって。炎に焼かれて瀕死になった子供の手を取って、ありがとうって。そう言って泣いてた」

 

「お父さんが……」

 

「そんな場所で救われた俺だから、分かるんだ。みんな誰一人欠けずに救うことなんて、出来やしない。出来やしないさ」

 

 普段ならこんなこと、言ったりしない。ナイーブになっているのを自覚するが、かといってそれを隠そうとは思ってなかった。

 心の中では分かっていた。救えない、助けられない、守れない。そんな場面ばかりを見てきた。だから身に染みている。全てを救うことなんて出来ない。そんなことは神ですら不可能だ。

 

「……じゃあなんで」

 

 イリヤが言う。小さな拳を握り、訴える。

 

「じゃあ、なんで正義の味方になろうとするの? 人を助けたいのに、死んでいく人ばかり見て、お兄ちゃんは辛くないの?」

 

「っ」

 

……それは。

 

「みんなを助けられない。でも助けたい。違うでしょ? ホントはみんな助けたいけど、助けられないから、泣きながら見捨てるしかないんじゃないの? 助けられなかったのは自分のせいだって、また自分を責めてるんじゃないの?」

 

 何も知らないイリヤの言葉が、俺の心を抉る。知らないだけに、初めて感じた痛みを、願いを、イリヤの想いが沈んだ心の底から錨のように引き上げる。

 

「お父さんの夢を継いで、お父さんが出来なかったことをしたいってお兄ちゃんは言った。それってつまり、みんなを助けたいってことなんでしょ。九人じゃなくて、十人助けたいって、そう言ってるんでしょ。だったらダメだよ! お父さんの真似(・・)したって、それじゃあ変わらないよ!」

 

「ま、真似なんかじゃ……ただ俺は、知ってるんだ。どうにもならないときだってある、だからそうならないように」

 

「だったらなんで、正義の味方になりたいの!? 人を助けたいんじゃないの!? みんな助けたいなら、最初からみんな助けたいって思わなきゃダメに決まってる!」

 

「ぅぐ……」

 

 無知で、あの地獄を知らないからこそ言える。あの地獄の前で、お前はそんなことを言えるのか。そう言えたなら、どんなに楽か。

 でも、それはズルい。

 ズルくて、小賢しい逃げだ。それを悟ったからこそ、イリヤの言葉がどれだけ汚れてなくて、綺麗なモノか、実感する。

 イリヤがスカートの端を掴んで、

 

「わかんないよ、わたしには……だって。だって、お兄ちゃんみたいに色んなことを知ってるわけじゃない。世界がどれだけ広いのかだって分からないし、多分人を幸せにしてきた回数だって負けてる。でも」

 

 それだけは譲れないと。誇示するように。

 

「わたしは知ってる。知ってる気がする。そういう生き方は、絶対に辛い。誰かを守ってるのに、誰かを見殺しにしていくなんて、そんなの悲しすぎるよ。そんな、そんな自分しか責められない悲しい生き方してたら、お兄ちゃんが一番救われないよ!」

 

「……、」

 

……イリヤは一度、アーチャーのクラスカードをその身に宿して戦ったことがある。そのおかげで本能的に分かるのだろう、その末路を。

 

「わたしは知ってるよ。みんな知ってる。そんな生き方が、最善なんかじゃないって。お兄ちゃんだって分かってる。みんな助かるのが、最善なんだって」

 

「……それは」

 

 無理なんだ。そう言いかけて、口に出来なかった。

 何故なら、イリヤのあの赤い瞳に、見つめられていたからだ。かつて助けられなかった、あの飴玉のようにころころとした目。純粋で、感受性が高くて、きっと色んな話があった家族の目に。

 言えるわけがなかった。

 イリヤの目をみて、助けられないなんて。そんな残酷すぎる言葉、言えなかった。

 

「お兄ちゃんはさ、お父さんのこと信じすぎだよ」

 

「え?」

 

「だって、お兄ちゃんとお父さんは違うじゃん」

 

 一瞬。言っている意味が、分からなかった。

 

「お兄ちゃんは意地っ張りで、鈍感で、人のことばっかりで、それでいて自分のことは後回しで、でも優しくて、料理も出来て。とにかくお父さんとは違うよ。だから」

 

 呆ける俺の手と、イリヤは自身の手を重ねる。

 

「夢の追いかけ方まで、似なくても良いんじゃないかな。夢は同じでも、目指そうと思った始まりも、理由も、違ったんでしょ。だったら、良いよ。別にお父さんを真似る必要なんか何処にもない。そうしないといけないなんて、誰も言ってない、違う?」

 

「……違わない、けど」

 

「だったら、思い出して。お兄ちゃんが一番最初に、正義の味方になりたいと思う前。一体誰を助けたかったの?」

 

 俺が、一番最初に助けたかった人。

 正義の味方になりたいなんて、そんなことすら思ってなくて。それはきっと暗い現実に打ちのめされたとき。

 火の海。地獄のような光景と、怨念がのたうつような熱さで襲いかかるそこから逃げながらも、自分は見た。

 助けを乞う子供を。

 助けを求める大人を。

 助けすら呼べずに死ぬ親を。

 営みは燃え、平和は灰になり、不安は炎となり、死は煙となって天へと昇っていく。

 そんな景色に打ちのめされて。

 涙すら誰にも見てもらえない場所で。

 自分は、思ったのだ。

 

 

「……助けたかった」

 

 

 心の底から、思ったじゃないか。

 

 

 

「ーーーー俺は、みんなを。助けたかったんだ」

 

 

 

 今ここに居る人達みんなを。

 苦しんでいる人達を、みんな助けたいって。そんな奇跡をこの手で起こしたい、そう思ったじゃないか。

……なんでこんなことすら、分かっていなかったのだろう。一番大事だった。一番大事な、わからなきゃいけない気持ちだったじゃないか。

 ガチリ、と何かが嵌まる。それはきっと、俺にはなかったこと。切嗣がくれたものに、イリヤ()が、そして(イリヤ)が気づかせてくれた。

 自分は最初から抱いていたのだ。正義の味方として、抱くべき目標を。借り物なんかじゃない。あやふやで、綺麗なだけのーーどんな場所よりも遠くて、手を伸ばす価値のある星空を。

 

「あ、れ」

 

 不意に、目の前が歪んだ。ぐにゃりと歪んで、何かが頬から滑り落ちていく。

 それを見たイリヤが、艶やかに薄く笑う。その横顔が自分の知るイリヤとそっくりで、瞠目した。

 

「お兄ちゃん、泣いてる。わたしと同じ、泣き虫さんだね」

 

「え……」

 

 イリヤが手を伸ばしてくる。す、と俺の頬と、目尻から涙をすくう。

 

「そんなに辛い記憶だった?」

 

「……いや、そんなことないさ」

 

 強がりも大概にしておくべきだ。案の定、イリヤには笑われている。

 

「これで分かったでしょ? 自分の気持ちが」

 

 だとしても、それは決して現実的ではない。むしろ机上の空論だ。それを叶えるのは生半可なことではない。

 けれど、今は何故だかそんなことすら、出来ないことではないように感じた。

 

「ああ、そうだな……そうだな」

 

 馬鹿馬鹿しくて、つい額に手を置いた。

 何が守るだ。守らなければいけないと、そう侮っていたのは自分だった。イリヤは自分なんかよりよっぽど強くて、強い意志を持っている。それを知らずに、守るという言葉で壁を作っていたのは、自分だったのだ。

 なんて間抜け。逃げていたのは自分自身なのに。

 

「ずっと辛い道に行ったって、どうにもならないよ。どうせなら辛くて辛いけど、最後には楽な道が良い。そっちの方が、お兄ちゃんも笑える、でしょ?」

 

「……ああ。ホント、そうだな。ありがとう、イリヤ。俺バカだから、そんなことも分かってなかった」

 

 えへへ、とイリヤは自慢気に胸を張る。そんな姿も今は輝いていて、愛しい。

 イリヤは小指を立てると、

 

「じゃあ、約束(・・)しよ? お兄ちゃんはこれから、みーんなを守ってね!」

 

ーー約束。 お兄ちゃんは、これから大好きで、大切な人を助けること。

 

 今の、は。イリヤが約束、と言った瞬間には、別の人物がその場所に居た。そんな気がした。しかもイリヤによく似た誰かが。

 

「……クロ?」

 

 刹那。

 とてつもない魔力が、屋敷の奥から一気にテラスまで走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind interlude3-2.5ーー

 

 

 もう未練などない。もしあったとしても、それを叶える前に自分の命は尽きる。だから切り捨てて、そのまま死ぬべきだ。

 そう思っていたのに、お節介なあの人は今も側に居る。

 

「よし、出来た!」

 

 そう言って兄ーー衛宮士郎は、金網から何かを持ち上げると、紙皿の上に置く。長方形のそれは、アルミホイルにくるまれており、士郎はゆっくりと開いていく。

 中にあったのは、えのき、じゃがいもなどの野菜達だ。どうやらバターが入っているらしく、どろりと焚き火に照らされた野菜は黄金色に光っていた。更に蒸されることで熟成された匂いが、クロの鼻へと嫌でも入ってくる。

 正直、これを食べるまでは死ねない。というか、死んだら損な気がした。物で吊られるとは不覚である、本当に。唾液を飲み下す音が聞こえてしまわないか、心配になる。

 

「一応塩コショウ振っておいたけど、醤油もあるからな。好きなようにしてくれ」

 

 そしてどこまで準備しているのだ、この兄は。続けて魚を串に刺して、焚き火で焼き出した士郎に呆れながら、野菜のバター焼きに口をつける。

 当然ながら美味い。美味くないわけがない。醤油も付けたが格別だ。何だか負けた気がしてならないので、もくもくと食べるクロ。

 と、その姿を見たからか、士郎は微笑んでいた。ほぼ初めて見た柔らかい表情に面食らったが、そのニヤニヤは何なのだ、とクロは半ば拗ねながら食べ進める。

 まぁなんだ。つまるところ、まんまとクロは生き長らえてしまった。初めは士郎が料理をしている間に寝れば、そのままこの体が消えるかと思っていたら、士郎の手際が異常に良く(金網や包丁、まな板などを投影したりしていた)、ものの数分で食欲をそそられる匂いにノックアウトされてしまった。

 そもそもクロは現界してから、一度も食事をしてない。のべ二日ほどは魔力だけを糧に生きてきた。そんな彼女からすれば、士郎の料理はそれはそれは魅力的に見えたのだ。アウトドアで食べるようなモノであれば尚更である。

 そんなこんなで大変遺憾ではあるが、食事を堪能している内に、消えるタイミングを失ったわけだ。間抜けにもほどがある、とクロは串に刺さった焼き鮭を頬張りながら思う。

 

「……ね、お兄ちゃん」

 

「ん、なんだ? デザートならマシュマロもあるぞー。それか潰したリンゴを食パンで挟んだ、ちょっとしたアップルパイ。そっちはまだ出来てないけど」

 

「いや怖いんだけど。なんで家にはセラが居るのに、そんなスキルあるわけ? というかデザートまで完備?」

 

「そりゃあセラが居なかったら、俺が家事をするんだ。不思議とそういうのは身に付くだろ」

 

 だからってデザートまで完璧な男子高校生は居ないだろう、とクロは内心突っ込むが、それはさておき。

 本題に移ろう。クロは食べ終わった串を紙皿に置き、呟いた。

 

「……何も言わないのね。わたしは、お兄ちゃんに魔術をかけたのに」

 

 ぼそぼそとしてしまったのは、単に兄にそれを追求されたくなかったからだ。

 イリヤを傷つけ、兄を傷つけ。そうして自分の命すらどうでもいいと、自分本意で逃げた。あげくの果てに助けられて、嫌味しか言えない。そんな自分が嫌で、嫌で嫌でたまらないのだ。

 俯いて、膝に顔を埋める。兄の顔も見れない。ただクロは、士郎の反応を待った。

 パチパチ、と火が弾ける音。沈黙を破ったのは、やはり兄だった。

 

「……怒ってない、って言えば、嘘になる」

 

 やっぱり。次に何を言われるのか、兄の顔が見れない。だけど逃げられない。そんなことも出来ない体だ。

 何を言われようと耐えなければならない。それが、罰だ。

 だから。

 

「ああ。こんなに自分に腹が立ったのは、ホント久しぶりだよ」

 

 その言葉だけは、あり得ないと思っていた。

 

「……は?」

 

「なんていうか、情けないよな。妹一人助けられないで、正義の味方になろうって言うんだからさ……何を救えるんだか」

 

 待て。待て。

 何を言っているんだ、この人は。

 

「……違うでしょ」

 

 そうだ違う。何で、何でそうなる。そうなってしまう。

 

「怒るのはあなたじゃない。わたしでしょ? イリヤも傷つけたし、お兄ちゃんのことだって傷つけた。平気で魔術かけて、平気で死のうとしてた。なのになんで……っ」

 

「お、おいクロ。何をそんなに怒ってるんだ?」

 

 たまらず顔をあげる。兄の顔は、本当に何も分かってないままで。でも手に取るように言いたいことは分かってしまった。

 お前は悪くないのにーーなんでそんなに怒る必要がある、と。

 

「怒るに決まってるでしょ、何度も言わせないでよ! わたし、殺そうとしたんだよ。みんなみんな、殺そうとして。でもきまぐれで止めて。そんなの可笑しいじゃない! 怒られて当然じゃない! なのに何で、怒ってくれないの!?」

 

「……怒るって、なんでさ?」

 

 なんで、って。言葉に詰まり、彼と見つめ合う。衛宮士郎は本当に、本当に理解出来ないといった目をしていた。

 その目があまりにも純粋で、そしてーー家族というモノを知らない、正義の味方の目だった。

 

「クロが逃げたのは、あそこにいたくなかったからだろ? 確かにイリヤやみんなを襲ったし、俺だって怪我をした。でも、何の理由もなしにそんなことしないだろ、お前は」

 

「……」

 

「だって、元は(・・)イリヤなんだろ? ちょっと何かあると逃げ出すけど、でもそうするのはホントに怖いからだ。ホントに怖くて、誰かに助けてもらいたいからだ。だからお前も、イリヤと同じように怖くなって」

 

 それ以上はもう聞きたくなかった。毛布を頭から被り直して、殻に閉じ込もるように座る。

 

「……イリヤなんかと一緒にしないで。わたしは、わたしはアイツとは違う……!」

 

「……クロ」

 

「そうよ。わたしは違う、違うの。イリヤじゃない。イリヤなんかじゃ、ないんだから」

 

 わたしはイリヤじゃない。クロはそう思う度に安心する自分と、傷つく自分が居ることに気づいていた。イリヤに戻りたいのに、イリヤと混同されるのも嫌で。イリヤじゃないと比べられて、認められないのも嫌で。

 

「……ごめん」

 

「……謝らないでよ。わたしが全部悪いんだから」

 

「いや、今のは俺が悪かった。ごめん」

 

 そこで言葉が途切れる。毛布は薄いが視界はままならず、焚き火の光しか見えない。兄がどんな様子か分からないが、それでも言葉に迷っているようだった。

 兄の言う通りだ。

 結局同じ。自分もいじいじして、泣き虫で。それを少し我慢出来るだけの子供だ。分かっているフリをして、自分の境遇に酔っているだけの。

 と、

 

「……なぁクロ。こっからは独り言だから。無理して返事とかしなくても良いからな」

 

 ?……クロの疑問など知らないまま、士郎は話し始める。

 

「俺さ。正直に言って、クロと初めて会ったとき。お前のこと、敵だと思ってた」

 

……ああ、そうだろう。聖杯戦争がどうだの、令呪がどうだのと言っていたのだ。そう思われても仕方ない。

 

「だけどお前の話を聞いて、すぐに撤回したよ。お前はイリヤだ。俺の知ってる、泣き虫で、よく悩むイリヤだった。お前は一緒にされたくないだろうけど」

 

 ホントである。一緒にするなと言っているのに、叩き斬ってやりたいくらいだ。

 

「……うん。ホント、一緒にしちゃいけないよな」

 

 声のトーンが変わる。それまでと違って、その声は僅かに違う想いが混じっていた。

 

「ごめん」

 

 後悔。ただ悔いて、ただ自分だけを責めて。己の全てをかけて、衛宮士郎は購おうとしていた。

 

「今更謝ったって、どうにもならないのは分かってる。お前が許してくれないのも、当然だと思うよ。でも、だからさ。だから今度こそ、助けたいんだ。お前のことを」

 

 でも。

 その購いは、果たして本当にクロへと向けられたものなのか。

 本当はクロではなく、この世の外に居る誰かへの、償いなのではないかと。クロは邪推する。

 だから問いかけた。

 問いかけなくても良い言葉を。

 

「……それは、お兄ちゃんが正義の味方だから?」

 

「……クロ、お前」

 

 毛布から顔を出す。兄は固まっていた。固まっていたから、そんな気持ちもあったのだと答えたようなものだった。

 

「知ってるよ。お兄ちゃんが正義の味方になりたいことは。でも、でもさ。なんで先に家族として助けたいと思わないの?」

 

 衛宮士郎は正義の味方。そんな確定事項、この身がよく知っている。

 だから、腹が立つ。こんなことすら分からない奴が正義を語るなんて、と。

 

「他の誰かにそれをしたっていい。けど、家族にまでそんなもの振りかざさないで……そんなモノを、家族にまで押し付けないでよ」

 

「……、」

 

「……ごめん。勝手なことばっかり言って」

 

 形だけ謝ってはみるが、モヤモヤした気持ちは晴れない。すると焚き火が消え、熾火だけが中央に残った。

 何も見えない、暗闇。それはクロが囚われていた、牢獄のようなあの場所に似ていた。

 

「……最近、ちょっと思うときがあるんだ」

 

 と。唐突に、衛宮士郎が切り出した。

 

「?……何が?」

 

「ほら、正義の味方。 なりたいとは思うんだけどさ……本当にそれで良いのかな、って」

 

 驚いた。 自分で自分にビックリした。

 衛宮士郎が正義の味方になると言ったのならば、それはつまり正義の味方になることは確定なのだ。 どんな形であれ、それはクラスカードが教えてくれる。

 なのに彼は、

 

「もし、だけど。 自分の夢のために、誰かの幸せを壊すことが正義の味方だって言うのなら……それは、本当に正しいことなのかなって。 最近思うんだ、ずっと」

 

 知らない。 正義の味方を目指す彼が、こんなことを言うのはあり得ない。 クラスカードで見た、いつかの剣戟の彼とは違いすぎる。

 頭が混乱する中、衛宮士郎は続ける。

 

「間違いでも良いって、そう思ってやってきた。 目に届く人を救えるのなら、そうしてここまで来た……けど、もし、その目に届く人を救うために、大切な人を見捨てるのが正義なのだとしたら」

 

 物憂げに。 未来を見据えて、兄は言った。

 

 

「ーーーー俺は、そのとき。 誰を助ければ良いんだろうって、そう思ったんだ」

 

 

 それは、ごくごく簡単な問題で。

 でもだからこそ、彼はずっと悩んでいた。

 いつかそんなときが来ると分かっていたから。 いや。

 もしもわたしとイリヤが(・・・・・・・・・)戦ったとき、どちらを助ければ良いのか、判断出来なかったから。

 

「……ああ」

 

 本当に。 本当に、何処までも真っ直ぐなのに、不器用な人だ。 不器用なりに真っ直ぐな道を歩いてるのにーーそれが曲がりくねっていることすら、この人は分かっていないのだから。

……ズルいなぁ。世界が違うくせに。

 

「あはは、何言ってるのお兄ちゃん。 そんなの簡単な問題でしょ?」

 

 多分、わたしはそのとき理解したのだろう。

 わたしがアーチャーのクラスカードを触媒にした理由は。

 わたしがーーここに、生まれた理由は。

 

 

「ーーーーそりゃあ。 大好きな、大切な人を助けなきゃダメに決まってる」

 

 

 あんな風に、悩んで、苦しんで、正義の味方として生きようとする彼を。

 その道から、引きずり下ろしてあげることなのだと。

 

「……ん、そっか……」

 

 納得がいっているのか、いってないのか、不明瞭な表情の彼。 相変わらず無機質な、黒ずんだ水晶のような目は、変わらない。

 でも、変えてみせよう。

 ちょっと腹が立つモノもあるけど、仕方ないから、イリヤとしての生き方は諦めるとしよう。 どうせ短い人生だ、彼のために使うのは惜しくない。

 まぁイリヤを苛めて憂さ晴らしすれば良い。 殺すと彼が苦しむし、それも止めてあげるから、感謝して欲しいくらいだ。

 

「ふふっ」

 

「?……なんだよ。 顔見て笑われるなんて、凄い久しぶりなんだけど」

 

 ついつい声に出てしまったらしい。でも嬉しかった。やることが見つけられた、何より自分の生まれた理由を見つけられた。

 だから、もう何も怖がる必要なんてない。

 何をしてでも助けたい、大切な人が居る。

 ならば躊躇することはない。

 例え、何を失い、我が身を犠牲にしてでも。

 その末に得たモノの方が、ずっと。価値があるモノだから。

 

「ねぇ」

 

 小指を立てて、士郎へと差し出す。彼もその意味が分かったのか、恥ずかしそうに小指へと伸ばすと、絡めて、繋いだ。

 夕方のように一方的じゃない。確かな結び付きが、兄と妹の絆がそこにはある。

 

「約束。お兄ちゃんは、これから大好きで、大切な人を助けること。それが守れないならわたし、死んじゃうかも」

 

「そっか。なら頑張らないとな。クロにも、俺は死んでほしくないしさ。お前だって家族だろ?」

 

 そんなことを言わないでほしい。せっかく死んでもいいって思っていた心が、余計なことを考えてしまう。兄のために死のうとしていた心を、そんな優しい言葉で惑わさないでほしい。

 ああーーけれど。

 少しだけなら。

 罰は、当たらないハズ。

 

「お兄ちゃん」

 

「ん……!?」

 

 絡ませていた小指を、ぐいっ、と引き寄せる。そして目の前にある彼の唇へ、自分の唇を重ねた。

 ほとんど触れるだけの、キス。子供がしたがる遊びのような、幼稚で、恥ずかしくて、でも心が芯から溶けていくような、甘い愛情表現。

 暗くてよかった、とクロは心の底から思う。もしまだ火が点いていたら、自分の頬は染まって、目尻には涙が溜まっていたから。

 

「……お、お前……」

 

「お兄ちゃんは、指切りだけだと忘れちゃいそうだし。これが判子代わり。ふふ、興奮した?」

 

「す、するかっ! つか、兄妹だぞ! こんな、いけませんよこんなこと!」

 

「もう二回目だから、恥ずかしがらなくても良いのにー」

 

「二回目!? ちょっと待て、それどういう……!?」

 

 あはは、と笑いながら、誤魔化す。声が震えていることに気づいていないか、心配だ。

 多分この想いは、そう簡単に振り切れない。きっとこれから時間が経つ度に、求めるモノは増えていくに違いない。

 親や、友達も。

 結局みんな欲しい。出来るなら普通の女の子になりたい。でもそれは出来ない。時間がない。

 だから何としても、衛宮士郎を助けるのだ。

 その過程でイリヤに嫌われ、両親に嫌われ、友達に嫌われ、何より衛宮士郎本人に嫌われても。

 それでも彼を助けたという事実が、何千倍も大事だから。

 いつかの明日。

 その隣に、自分じゃない自分が居ても、それだけはーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-4ーー

 

 

 ふわり、と夢の海を漂う。

 息なんて無粋なモノは要らない。ここは現実と剥離した空間。現世の冷たさとは全く無縁だ。ここではただ微睡みに身を任せ、漂うだけで良い。幸せな記憶に浸れば。

 ただ、それも長くは続かない。

 目映い光は海面だ。そこに上がってしまえば、クロに逆戻り。そしてそれを認識したということは、夢も終わりということ。

 海面へと体が浮き上がる。口から気泡が漏れ、バタバタと手足を動かしたが、遅い。

 わたしはまた、現実へと戻ってきてしまった。

 

「……はぁ」

 

 陰鬱だ。屈辱だ。何で今頃になって、あんなことを思い出してしまったのだろう。

 視界もはっきりとしないまま、重く息を吐く。

 結局、そういうことだ。

 みんなに嫌われたって良かったけれど、自分には助けたい人が居た。それが衛宮士郎。もうすぐ消えるこの体で出来ることがあるとしたら、それは自分を切っ掛けに彼の意識を正義の味方の呪いから引き剥がすことだ。何も知らずにイリヤを助けていれば、今頃二人は円満な関係に戻っていたハズだった。そのために嫌われるような振る舞いを何回もしてきた。元々好感度なんてあってないようなものだったし、それで助けられるなら万々歳だ。

 なのにどうして、自分なんかを助けたのか。

 もうすぐ消える自分を助けたって、意味なんてないのに。

 

「……そうよ。意味なんて、ない……」

 

 自分のせいで沢山の人が傷ついた。身勝手な行動だと言われても仕方がないくらい。ともすれば、自分は問答無用で殺されたって文句は言えない。その風評を半ば利用してやったのに、結果は更に関係を拗らせただけ。何をやっても自分は、周りに結果を跳ね返らせるらしい。

 しっぺ返し、因果応報。そんな言葉で自分を納得させられたら、どんなに傷つかなくて済むだろう。それが納得出来なかったから、今こうして自分はここに居るのだから。

 

「起きたかい?」

 

 穏やかな男の声に、クロは露骨に顔をしかめる。嫌々とした態度で体を起こすと、ベッドの側に彼らは居た。

 一人はイリヤと同じ雪原のように白い髪と赤い目という、人間離れした美貌を持った女。もう一人は安物のスーツと、ネクタイを緩めた男。

 二人とも雰囲気は柔らかい。見守るようにクロを見ている。でもクロの目には、何処か怯えているようにも見えた。

 

「そうね。でも最悪な目覚め方だし、あなた達の顔を寝起きで見たいとは思わないわ」

 

「手厳しいね……」

 

「泣きついてほしいとでも思った? 感動の再会を演出したいなら、もう少しマシな場所を用意することね」

 

「あら、達者な口ね。誰に似たのかしら」

 

「少なくともあなた達じゃないわ」

 

 辛辣な言葉に、彼らーー衛宮切嗣とアイリスフィールは、困ったように視線をかわす。そんな親らしい振る舞いにむかっ腹がたち、そっぽを向くことで抵抗する。が、

 

「……イリヤ」

 

 そう呼ばれただけで、自分でも制御出来ない感情が、一気に全身を支配した。

 恐らくそれを、人は殺意と呼ぶのだろう。冷たく、荒ぶる殺意の炎が火を噴く。

 

「その名前で呼ばないで、衛宮切嗣」

 

 自分でも聞いたことがないような声は、隠しきれない殺意の表面化だ。

 

「わたしはクロ。イリヤとしてのわたしは、十年前にあなた達が殺した。まさか今更取り繕うつもりじゃないでしょうね」

 

 顔を彼らへ向けないのは、殺意を制御するためだ。今ここで切嗣やアイリスフィールの姿を目にしてしまったら、自分は取り返しがつかないことをする。それが分かっているから、嫌味だけで済ませるのだ。

 

「わたしが消えるときになってから来るなんて、良い度胸じゃない。消えるところでも見に来た? まぁ清々するでしょ、これで後腐れなくイリヤと親子ごっこ出来るわけだし」

 

「……イリヤちゃん」

 

「そもそもあなた達、自分の立ち位置が分かってるワケ? 魔術師殺しに聖杯の器が二つ、それにホムンクルス。どれを取っても喉から手が出るほど欲しい輩が出てくる。そんなあなた達の子供が、平穏な生活なんて遅れるわけないじゃない」

 

「イリヤ」

 

「これで思慮が足りないんじゃなくて、ちゃんと考えた結果だって言うんだから笑える話だわ。ホント、良い気味ね」

 

「……イリヤ」

 

「イリヤちゃん」

 

「その名前で呼ぶなって言ってるでしょう!?」

 

 衝動的に剣を投影し、両親へと投擲。長剣は両親の間の壁に突き刺さり、魔力へと消える。でも破壊の跡は消えず、まるで心の傷のように残っていた。

 苦しい。魔力を使ったことで、体が疲れ果ててしまった。手の感覚も薄れていきそうだが、まだ言い足りない。まだ十分の一も伝わってない。

 だから。

 

「イリヤちゃん」

 

 それでもまだ自分ではない名前を呼ばれたことに、腹が立ったのは当たり前のことで。

 だから。

 

「ーーーーごめんね」

 

 そう、悲しそうな声で言われたのは、完璧に許容範囲外だった。

 

「……、ぁ?」

 

 ぶつりと何かが切れる。最後に堪えようとしていた一線。それが今の言葉で、呆気なく切られる。切られてしまう。

 それは本音を何としてでも隠そうとした、クロなりの防衛本能だ。そしてそれを切られれば、もう隠すことが出来ない。

 

「ぁぁ……っ」

 

……分かっていた。分かっていたのだ。

 魔術のために生まれた自分の娘を、魔術から遠ざける。製造目的と反対の行動をするには、聖杯の機能を封印しなければどうにもならなかっただろう。それがイコール、わたしを封印するだなんてこと、思いもしなかっただろう。彼らだってそれが分かっているから、自分に謝っている。

 

「あ、ああ、っ、」

 

 優しい人達だった。悲願も夢も投げ捨て、そうやって愛を取った人達だ。それまで生きてきた人生全てを否定してでも選んだ道。それが愛するモノを救う道だと分かってしまったから、千年にも迫る妄執をはね除けた。

 愛故に、愛故に。

 

「あああああああああああ……!!」

 

 辛かっただろう。悔いただろう。

 だから、だから。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 その言葉だけはーー今、死に行く自分が、一番聞きたくなかったことだった。

 

「イリヤ!!」

 

「! 切嗣、危ない!!」

 

 駆け寄ろうとした加害者(父親)。睨み、体を維持していた魔力すら充填させて炸裂させる。

 ドンッ、と。形容しがたい激情が衝撃を伴い、部屋のみならず屋敷全体へと伝播。ベッドが弾け飛び、床や壁が抉れ、吹き飛ぶ。

 それはもう爆発というよりは放出だ。間欠泉が飛び出すのに近いかもしれない。魔力は絶え間なく辺りへ飛び交い、蛇のように這い回る。

 両親は何処だろう。クロはへたりこんだまま、のろのろとした動作で目を動かす。

 居た。吹き飛んだ壁の近く。切嗣を庇う形で、アイリスフィールは銀色の糸を束ねて盾を作っていた。針金のようなそれは、アイリスフィールが最も得意とする錬金術だ。それで切嗣の体を引っ張り、そのまま衝撃を防いだのだろう。しかし二人とも無事ではない。即席の盾はプスプスと音を立ててひしゃげて、その向こうの二人も傷を負っていた。

 

「大丈夫、切嗣!?」

 

「あ、ああ……な、何とか……」

 

 切嗣は立ち上がろうとしない。それだけ傷が深いのか、それとも娘に攻撃されたことが余程ショックなのか、いやどっちもか。

……わたしが、やったの?

 そうだ、と自身の中で笑う誰か。お前が願ったからやってやった、とその誰かはうそぶく。

 違う、と強くは否定はしなかった。ただそんな感情もあった。そうすれば復讐出来ると。でも、それよりもこの胸を占めるのは、もっと暗くて重たい。

 

「イリヤちゃん! 息を吸って、感情を抑えて! そのままじゃ魔力を使い切る前に、魔力の放出が強すぎて体が自壊するわ!」

 

「……謝らないでよ」

 

 アイリスフィールが口をつぐむ。

 十年以上フタをされて、煮詰まった想い。それが、怒りで沸騰する。

 

「謝られたら、わたしは誰を責めれば良いっていうのよ!?」

 

 止まらない。止められない。止めようとも思わない。

 もう沢山だ。十年待った。それでも誰も受け止めてくれなかった。もう、待てない。

 

「閉じ込められてから、ずっと考えてた。どうしてわたしは一人なんだろうって。どうしてわたしは要らない子なのに、殺してすらくれないんだろうって」

 

 必要ないと封印され、一人になって。でも誰も見てくれなくて。

 何かあるんだと考えた。そうでないと一人にしないと。

 だって。

 

「おとーさんも、ママも好きだったから。でもそれは一方通行で、二人はわたしが嫌いだから、わたしを一人にしたんだって、そう思い込もうとした。そう思えば、あなた達を恨めて、それで苦しい気持ちが無くなるから」

 

「イリヤちゃん……」

 

「安易な復讐心は、甘い蜜よ。辛くなる度にそれを味わえば、一人じゃないと感じられた。嫌ってくれる人が居るなら、それでも良いと思った。いつかわたしとまた会ってくれるって、殺しに来てくれるって信じてた」

 

 でも、謝られたらどうなる。切嗣とアイリは、クロのことを悔いていたとしたら、それはどうなる。

 

「……知らなかったんでしょう」

 

 唇を噛む。噛み切って、血が出る。

 

「わたしのことなんて! これっぽっちも、知らなかったんでしょう!?」

 

 そもそも二人が、クロの封印など意図していなかったら。それは当時のクロにとって、余りに恐ろしいことだった。

 つまりそれは愛してもいなければ、疎んでもいないということだ。どちらか片方に傾けば、また会う可能性があっただろう。

 けれど、

 

「知らないなら、もう会えない。どんなに好きでも、恨んでいても。それは意味がないし、届きもしない」

 

 そうなんじゃないかと、何処かでは思っていた。でもそれを信じたくなかった。

 だって信じたら、それまでの行為は何だったのか。

 何のために恨んだのか。何のために呪詛を吐き、その度に反応したような素振りを見せて一喜一憂したのか。

 

「全部一人芝居。恨むのも、憎むのも、笑うのも、泣くのも! わたしが一人で勝手にやってただけなら、そんなことに意味なんてない。意味なんて、何にもないじゃない……!」

 

 あんまりだ。目の前が歪んで、目頭が熱くなる。体の感覚が、既に無くなり始めていた。

 

「イリヤ……!」

 

「……ねぇ、分かる? おとーさん、ママ?」

 

 初めて両親を、心の底からの愛で呼ぶ。

 これが、誰かを呼ぶということ。そんなことすら、あの世界ではまともに許されなかった。

 本当ならわたしが、それを一番最初に出来たのに。

 

「……わたしだって、本当はおとーさんに肩車してほしかった」

 

 渇望する。全てを。

 

「おとーさんに高い高いってしてもらって、同じ目線で世界を見たかった」

 

「……っ」

 

「わたしだって、おかーさんには抱っこしてほしかった。夜には絵本を読んでもらって、声を聞きながら夢の中でもあなたに会いたかった」

 

「イリヤ、ちゃん……」

 

「セラには料理を習いたかったし、リズお姉ちゃんと食べさせ合いっこしたり、お兄ちゃんと手を繋いで……みんなで、誕生日を祝ったり」

 

 したいことなんて、一杯あった。見せられて、ありすぎて、それが叶わないモノだと知って絶望した。

 自分には何もない。

 本当に、何もないのだ。

 

「だったら始めれば良い」

 

「切嗣? ダメ、危険よ! 今のクロちゃんは!」

 

「分かってる」

 

 切嗣は言う。言って、立ち上がる。アイリの制止を振り切って、前に出る。優しい、ずっと変わらない笑顔で、父として告げる。

 

「だったら始めよう。また一から、みんなで。クロも一緒に」 

 

「信じられるわけないじゃない、そんなこと」

 

 だが、わたしの答えは変わらない。

 切嗣の体が、魔力の鞭に打たれて転がる。細長い魔力の線は感情と共有し、その動きが激しさを増す。

 

「今から暮らす? 一緒に? 馬鹿も休み休み言ってよ。初めて会ったくせに、イリヤと同じ扱いしないでくれる?」

 

 言葉は饒舌で、苛烈だった。疑う余地がないほど他人を傷つけるしかない言葉が羅列する。なのにそれに傷つくのは自分自身で、涙も同じだけ溢れていた。

 分かっていた。

 本当はただ、偶然に偶然が重なっただけなんだって。ただ単に、間が悪かっただけなんだって。

 だけどそれならどう生きれば良い。

 間が悪くて、一人になって。みんなに愛されているのにその愛は自分には向けられなくて。それを一方的に受け止めることすら許されなくて。

 気づいたらそれが、十年も経っていただけのことだから。

 結局。

 

 

「わたしはっ……十年前に、一人だけ置いていかれただけじゃない……!!」

 

 

 それだけのことだった。

 足並みは一緒で、一人だけ泥沼にはまって、抜け出せない内にドンドン月日だけは流れていって。

 自分はまだ今も、あの暗闇に取り残されているのだ。

 だから誰も信じない。信じたくない。もう裏切られるのは嫌だ。傷つくのは、もう。

 

 

「だったら俺なら信じられるか、クロ?」

 

 はっとなって、顔を上げる。

 開けられた壁の穴をくぐり、ゆっくりとこちらに近づいてくるのは。

 

「……お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目に涙を溜めて、ボロボロと泣いているクロは、魔力を指向性も持たせず暴発させていた。その様は産声をあげて、身動ぎする赤子のように幼い。だがもたらされる破壊は凄まじく、絢爛だった内装を容易く粉砕する。

 このままじゃ、屋敷が潰れるか、それともクロの体が魔力切れで消えるかどちらかだ。そうはさせない、止めなくてはならない。

 

「お兄ちゃん」

 

 一緒に走ってきたイリヤが、不安げに俺の制服の裾を引っ張る。あの中へ飛び込めば、無事では済むまい。それを彼女でも察しているのだろう。

 それでも。行かなきゃいけない理由がある。

 

ーーそりゃあ、大好きな大切な人を助けなきゃいけない人に決まってる。

 

 そう言って約束した。忘れてしまいそうになったけれど、やっと思い出した。

 だったら行かないと。

 嘘にしないために。

 何よりこの足が動く限り、目の前に誰かが居るのなら。

 

「大丈夫さ」

 

 イリヤの手を裾から離し、

 

「もう、答えは見つけたから」

 

 クロとの距離は五メートルもない。吹き飛んだ壁をくぐり、部屋の中に入ると、その惨状は更に目に見えてくる。

 クロが寝ていただろうベッド、椅子、棚、諸々が欠片となって床に散乱している。クロを中心として抉られた床は地面まで抜け落ち、世界を拒絶している。

 

「士郎……」

 

 と、切嗣が視界の隅で転がっている。あの魔力に食らったのか、もぞもぞとするばかりで立ち上がれない。アイリさんも腕を庇っている。つまり二人もクロを助けようとして、ダメだったのだ。

 当然だ。クロにとって二人は仇であり、愛した存在でもある、愛憎混じる相手だ。クロに言葉を届かせるには、少し足りない。

 

「……ごめん。僕じゃあ、彼女は」

 

「泣き言かよ切嗣。ずいぶんらしくないじゃんか」

 

 なら俺に出来るのか。この世界の人間ですらない俺に。エミヤシロウを殺した自分に。

……そんなモノが今この場で何の役に立つのか、馬鹿らしい。

 

「なら選手交替だ、任せろ」

 

 出来る出来ないの物差しなんて、後から考えれば良い。

 目の前で消えそうになっている命を助けるためなら、そんなことどうだって良いと、本気で思うから。

 

「ああ……任せた」

 

 切嗣からバトンを受け取って、歩を進める。

 のたうつ魔力が、足元を走る。床を舐めるように削るそれが直撃すれば、ひとたまりもないだろう。しかし恐れない。恐れず、省みず、愚直にクロへと最短距離で接近する。

 

「……クロ」

 

 名前を呼ぶと、クロはビクつく。するといつもの、大人ぶった彼女ではなく、素に近いフラットな形で出迎えた。

 改めて見ると、その姿は最早人の形を保っているだけで精一杯のようだった。虫食い穴のように崩壊が広がり、顔の輪郭すらあやふやになりかけている。だというのに、クロはかえって穏やかだ。

 

「……なんか、吹っ切れたみたいね。お兄ちゃん」

 

「ああ。イリヤに、そしてお前に教えて貰ったからな」

 

「……気づいてたの?」

 

「ついさっきだけどな。分かりづらいんだよ、誰かに似てお前はさ」

 

 クロとの記憶を思い出して、ここに来る途中でその推測に至った。

 つまりクロは、俺を助けるために今まで自分勝手な行動をしていたんじゃないかって。

 思い出したクロとの約束。そして昼間に言われた、あの言葉。

 

ーーおとーさんなら助けてくれるのに。

 

 あの言葉は、つまり俺に期待していたのだ。切嗣が全てをかなぐり捨てて、イリヤを助けたように。俺にもそれを期待したのだ。クロを切り捨ててイリヤを助ける、つまり一のために全を捨て去る、その一歩目を。

 

「なんていうか、そんな不器用なところまで似なくて良いのに」

 

「……悪かったわね。わたしに出来ることなんてそれしかないし。それにわたしのやったことは、もっとあなた達の関係を拗らせただけだし……」

 

「ん、それは心配ないぞ。イリヤとは仲直りしたからな」

 

 右手で後方を指す。クロは一瞬目を丸くした、のだろうか。もう、それすら分からない。

 でもその唇が、わなわなと堪えきれずに震え出していることだけは、すぐに分かった。

 

「……そっ、か。結局、イリヤがお兄ちゃんを助けたんだ。わたしがやったこと、何の……何の意味も、なかったんだ」

 

「そんなこと……」

 

 ない、とは言えない。事実クロがやってきたことは身勝手で、独りよがりの自己満足に過ぎない。イリヤは大きく傷ついて、それに振り回されてきた身だ。口が裂けてもそれが良かった、だなんて口には出来ない。

 でも。

 ならばこそ、伝えるのだ。

 

「……そんなことないさ。クロは頑張った、だろ?」

 

「……やめてよ。憐れみなんて、要らない」

 

「憐れみ? 馬鹿言うな、これは心配だ」

 

「心配……? わたしを?」

 

 へ、と力なくクロが笑う。それをもう、全てを投げ出して、自棄になった人物がするサインだ。

 

「わたしは殺そうとした。みんなを。こんなわたしを、お兄ちゃんはそれでも心配するの?」

 

「ああ、当たり前だ」

 

「綺麗事よ、そんなの。信じられるわけないじゃない」

 

 かもしれない。だけど他の誰が信じられなくても、俺は信じられるハズだ。

 だって。

 

「……俺は知ってるよ。お前が、優しい奴だって。俺のために頑張ってくれたんだって」

 

「っ、……あ、」

 

 クロの腫れた目から、また涙が溢れてくる。でもそれは悲しくて溢れる涙じゃない。初めて誰かと、共有する思い出を見つけられた、その嬉しさで溢れる涙だ。

 

「俺は知ってる。お前はピーマンが嫌いで、少し暑がりだってことも。雨は嫌いじゃないけど好きでもなくて、寂しがりやだってことも。夜は余り好きじゃないから、本当は昼に誰かと会いたかったこと。友達ってどういうものか分からなくて、教えてあげたことも」

 

「……っ!」

 

 俺は知っている。他の誰が知らなくても。お前と一緒に過ごしてきたから。誰よりもお前のことを知ってる。

 クロが手で口を押さえる。それでも、嗚咽は消しきれない。消し切れるわけがない。十年分の涙は、心の叫びは、そんなことでは消えない。

 

「俺は知ってる。そうやって声を押し殺されて、お前はずっと泣いてたんだって。本当はもっと、色んなことがしたかったから、この世界に生まれたかったんだって」

 

 近づく。クロへと。走る魔力がついに俺の体にも届く。今はまだ肌を撫でる程度だが、すぐにそれは皮をも裂く。

 だが進む。ここまで来て引き下がる理由なんて、何処にもない。

 

「……お前がどうして、昼間のとき怒ったか、よく分かったよ」

 

 イリヤを助けなかったから。状況を見ればそうにしか見えない。でもそこにはきっと、別の思惑があったハズだ。俺とクロだけに通じるモノが。

 

「お前は、寂しかったんだな」

 

「……やめて……!」

 

「自分との思い出があるのは、俺だけだから。そんな俺が覚えてなかったから、お前は寂しかったんだな」

 

「やめてって言ってるでしょうがあああああああああああああ!!」

 

 ヒュンっ、と魔力がこちらへ伸びる。都合八本。縄のようだったそれは一気に槍のごとく硬質化して、怒濤の勢いで繰り出される。

 だが、遅い。

 右手を振り抜いたときには、既に投影された陽剣、干将が切り裂いていた。続いてきたしなる魔力を左手の陰剣莫耶で切り伏せる。

 クロの手は汚させない。もうこれ以上、この少女が他者を傷つけることはあってはならない。

 

「やめろクロ。もう、強がるな」

 

「うるさい!! 勝手にわたしの心を読むな!! 何も、何も分かってないくせに……!!」

 

「ああそうだな。俺は察しが悪いし、不器用だし、人の気持ちなんて汲み取れもしない。だけど、そんな俺でもお前が今、苦しんでて、悲しんでて、我慢してることは分かる」

 

「……違う!」

 

「違わないだろ」

 

 聞き分けのない奴だ。一体その頑固は誰に似たのやら。

 なら言ってやる。言ってやらないと、分からないだろうから。

 

「なら、なんで切嗣とアイリさんを殺さなかった?」

 

「っ……!?」

 

「仇なんだろう? イリヤだってそうだ。動機はそれこそ一杯ある。なのに、お前はそれをしなかった。それは何故か」

 

 クロの目の前に到着する。真っ直ぐと、彼女の動揺がある目を見て、言う。

 

「ほら、言っちまえ。俺達にそれを。お前が願った理由を」

 

 我慢なんてするな。ただぶちまけろと。

 それで、限界だった。

 結ばれた口が開く。嗚咽が世界へと発信される。恐らくそれは十年前から今まで、少女があげた産声で一番尊い。

 

「殺せないよ……!!」

 

 だって、

 

 

「わたしはっ……みんなと、生きたいからっ……!!」

 

 

 刹那。それまで指向性を持っていなかった魔力に変化が起きる。

 それまで何も込められなかった願いが入力され、クロの体が再構築される。逆再生するように魔力が欠損していた肉体を構成し、クロはいつもの赤い外套の姿に戻った。

 酷い顔だった。鼻水と涙でぐしゃぐしゃで、髪は乱れまくっている。

 だけど、それで良い。

 それがーー生きているということだ。

 

「やっと言ってくれたな、本当のこと」

 

 手の中の夫婦剣が、砂のように崩れる。腰を下ろし、空いた両手でクロを抱き締めた。触れれば壊れそうな妹を、力強く。愛を込めて。

 

「ったく……素直じゃないな、クロは」

 

「……おにい、ちゃん……わた、わ、たし」

 

「約束したろ。大切で、大好きな人を守るって」

 

 未だに状況がよく分かっていないクロの頭へ、手を伸ばす。ゆっくりと、その髪を撫でて告げた。

 

「俺もみんなが好きだ。お前を含めてな。だったら約束は守らないと」

 

「ぅ、ぁ、ぅ……ぅぅぅぅぅう……っ!!」

 

 全く。我慢なんてしなくて良いのに。

 

「泣けよクロ、思いっきり。もうお前は、一人じゃないじゃないか」

 

「ぁ、……」

 

 一人でしか泣けなかった少女。そんな少女が今、初めて。心を開いた誰かの前で、泣くことが出来る。

 

 

「ああああああっ、ああああああああああああああああああああ……ああああああああああああああっ!!」

 

 

 みっともないくらい、声を張り上げて。クロは泣き始める。普通ならその声にびっくりするだろうが、不思議と驚きはしなかった。

 今度は、間に合った。

 その事実を、俺は心の底から噛み締めて。

 勝手だとは思うが……少しだけ、報われた気がした。

 ああそうだ。

 もう一つ、言わないといけないな。

 

「なぁクロ。お前は俺に、正義の味方になってほしくないだろうけど……俺は、その生き方を曲げられないよ」

 

 でも、もう悲観的なことをそのままにしたりしない。

 

「俺は決めた。俺は、正義の味方になる。だから、誰かを切り捨てたりしない」

 

「……それは」

 

「出来る出来ないじゃない。俺は最初から、みんなを助けたかったんだ。だから絶対に助ける。一人じゃなく、みんなを、家族も助けたいんだ。九を救って、俺は一を守るって決めたんだ。だから」

 

 もう、心配しなくて良い。

 この命の使い道は、もう見つけてあるから。

 

「……そっか」

 

 クロは、必要以上に何も言わなかった。否定もしなければ肯定もしない。

 分かるのだろう、言葉など無くても。クロもまた、その夢の意味を知っているだろうから。

 ぎゅっ、と回された手に力が入った。クロは胸の中で小さく頷いて、

 

「うん……お兄ちゃんらしいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude6-5ーー

 

 

 それを遠巻きで見ていて、イリヤは鼻を鳴らしてつん、とそっぽを向いた。

 拡散していた魔力が消え去った今、その中心では士郎とクロが、兄妹として心を通わせている。それが正しい姿なんだと分かっていても、早々割り切れるモノでもない。

 でもどうしてか、心は温かい。寂しさよりもずっと、この光景への尊さの方が勝っている。

 

「イリヤさんも一皮剥けましたねぇ。魔法少女的には、男の人への想いで覚醒とか色々言いたいことありますけどもハイ」

 

「ぬるっと入ってきてこの感動を壊すルビーにびっくりだよ、わたしは……」

 

 起きてから一度も見ていなかったルビーが、イリヤの髪からいそいそと顔を出す。ってそういえば。

 

「待ってルビー。お母さんとお父さんの前で姿を見られると非常に困るというか何というか……!」

 

「あー、そこら辺は大丈夫じゃないですかね。先方に全部ゲロっちゃいましたし。映像付きで。親バレさらっと済ませちゃってすいませんねイリヤさん、あなたが寝てる間にしちゃったので」

 

「いや気になる単語が二、三あったから何も納得出来ないんだけど……!?」

 

 つまりバレたのか。魔法少女のことが。あの幼児向けアニメ並みのフリフリ衣装がバレたと。しかもルビー監修の映像つきで。アイリや切嗣の方を見ると、片方は呑気に手を振り、もう片方は頭に手を当てて苦笑している。これだけでどちらがどちらの反応なのか分かる辺り、イリヤはあの二人の子供なのだった。

 

「うぎゃーっ! ルビー、変なもの見せてないよね!? 親だよ親! 場合によっちゃ記憶を消すのも辞さないよ!?」

 

「大丈夫ですよー。ちょこっとチラリズム的なシーンとか、お着替えシーンとかもあるかもですが、それは魔法少女の変身アイテムとしては外せないシーンですし、オールオーケーです!」

 

「全然オーケーじゃなかった……! むしろ問題しかないじゃないそれぇ!?」

 

 思わぬところからのダメージに、イリヤは胸を押さえる。肉体的ではなく精神的なモノとはいえ、エーテルをボリボリ食っても回復しなさそうなのが問題である。地味に美遊へのコラテラルダメージも良いところだ。

 頭が痛い。クロとの確執も今すぐには解けないし、続いてこれだ。

 そして悩みの種はまだある。

 

「あ、イリヤさん良いんですか?」

 

「へ?」

 

「あれあれ」

 

 あれ?、と首を傾げながらイリヤは目を向ける。

 

「ねえお兄ちゃん……さっきので魔力ないからぁ……魔力、ちょーだいっ」

 

「ぶっ!? ば、馬鹿かお前!? 親父やアイリさん、イリヤだって居るんだぞ! あんなことここで出来るか!?」

 

「やだー、お兄ちゃんってばどんなの想像したのー? お兄ちゃんのキス魔ー!」

 

「キス魔!?」

 

 会話を聞くだけで何をどうしても卑猥な方向しか行かない二人の会話に、顔が熱くなる。しかも士郎は拒否していながら、明らかに満更でもなさそうである。説明を求めたい色々。

 

「魔術師にとって、体液の交換っていうのは一番手っ取り早い補給方法ですからねー。あの感じですと、クロさんと士郎さんは体液交換の常習犯……年頃の男と女が密会してそれだけに留まるのか、コイツは犯罪の匂いがプンプンしやがりますねぇ!」

 

……つまりこういうことか。

 クロは魔力が足りないが、それを相談出来る相手は士郎だけ。断ればクロは消えるしかなく、士郎はそれを快諾し組んず解れず……?

 

「…………………………」

 

……やっぱり和解など無理じゃ。

 恥じらいをもたず魔力補給を行おうとする二人に対し、イリヤはルビーをステッキに変えて、本場さながらのカチコミを決行した。

 

「させるかおんどりゃあああああああああああああああああああああああ!!」

 

「ぎゃーっ!? ピンクの光がまた俺にーっ!?」

 

 その悲鳴は数分後、アイリが躾と称して子供達とはしゃぎたくて加わろうとした辺りで、ようやく屋敷の主であるルヴィアによって止められた。

 

 

 

 

 

 

 ところで、場所は変わるが。

 エーデルフェルト邸の外。衞宮家と挟まれた街路で、カレン・オルテンシアは一人の少女に見送られていた。

 美遊・エーデルフェルト。

 本来なら、エーデルフェルト邸に居なければならない彼女は、固い面持ちで対峙している。

 

「聞きたい、ことがあります」

 

「……場合によりますが、聞きましょう。何をお悩みですか?」

 

 これを聞いたら後戻りは出来ないと、美遊は知っている。だからこそ、聞き出せばならないと、強く思った。

 

 

「……お兄ちゃんは。あの衞宮士郎は、あなた達の世界(・・・・・・・)の衞宮士郎ですか?」

 

 

 闇に消えるべき問い。あり得ざる問い。

 それがついに、この世界で問われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end

 



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休日~初めてのお祝い~

「お祝いしましょう!」

 

 瓦解しかけた衛宮家の絆が無事繋がり、そしてより強く結ばれたその翌日。

 深夜にまで事が及び、翌日は休みということもあって昼まで眠りこけようかと思っていたのだが、日頃からついた習慣のおかげで朝早くに起床。セラぐらいしか起きてないだろうな、と部屋から出た途端、アイリさんと鉢合わせ……これだ。

 

「……お祝い?」

 

「そ、お祝い!」

 

 オウム返しに聞いてはみたが、てんで何のお祝いか見当がつかない。はてさて今日は何かあっただろうか? 知識としてあるエミヤシロウの記憶に呑まれないよう慎重に探るが、そういった記念日は無かったハズだが。

 

「もう、ちょっと忘れたの? 昨日はみんな、クロちゃんと仲直りしたでしょ? ということは家族全員がようやく揃ったわけじゃない。これはもうお祝い事よ、うん!」

 

「あぁ……」

 

 寝ぼけ眼を擦る。そういやそうだ。

 クロと仲直り。これはとても重大なことだ。それはつまりクロがこの家族の一員になるということなのだ。家族が増える、これ以上大きなイベントも早々無いだろう。

 クロを助ける。そのことばかり考えていたが、アイリさんはその後のこともちゃんと考えていたのだ。家族とは刹那的な間柄ではない。永続的に続き、そして終わりがないのだ。これまでも、これからも。

 しかし、

 

「……スッゴい元気ですね、アイリさん」

 

 ワインレッドのブラウスの前で手を合わせる彼女の顔には、疲労というモノが一切ない。昨日は本当に大変だったのだが、アイリさんはそうでもなかったのだろうか?

 

「ん? ああ、心配してくれてるの? 大丈夫、お母さんは強いものよ。それより士郎は? クロちゃんの相手は大変だったでしょ?」

 

「まあ……」

 

 大変では、あった。何せクロはどういうことか、俺との距離が異様に近い。そりゃもう兄と妹という関係よりは……こういう言葉を選ぶのはアレだが、恋人に近いのかもしれない。時々目が猫っぽくなるし。

 これまででそうなのだ。家族となった直後だというのに、それを理由に魔力供給をせがまれる羽目になるわ、肌を近づければ魔力の消費が抑えられるとか意味の分からん理屈で俺と寝ようとするとか。何がどう星が巡ったらそうなるのか、小一時間問い質したいほどだった。おまけにイリヤから何をしたのか根掘り葉掘り聞かれるわで、事後処理というより、痴情のもつれ? いやいやそんなわけない。多分、きっと、恐らく。

 

「……アイツは何考えてんだか」

 

「きっと構ってほしいのよ。せっかく臆面もなく触れあえるんだし、そういう年頃なんじゃないかしら」

 

 それで済むのかアレが。年頃のオンナノコならば、キスとかそういうのは大事にすべきだと拙者思います。

 

「そこら辺はわたしからも教育的に聞きたいところだけどねぇ? ほら、流石に不良行為に寛容なアイリママも、近親とかはちょっと……それに九歳の女の子の唇を強引に奪うのは……」

 

「情報が錯綜してますよそれ、お願いだから切嗣には言わないでください」

 

「やましいことがあると人って早口になるのよね。そういうことがあったら話そうって切嗣と約束してるの」

 

「あれ!? 何も失言してないのにいつの間にか追い詰められてる!?」

 

 誠に遺憾である。被害者はこっちなのに。納得が行くわけもなく、抗議の一つもしたくなるというものだ。

 と、

 

「士郎」

 

 名前を呼ばれ、逸らした視線を戻す。アイリさんはさっきと変わらず、笑顔のまま。なのに、その姿に寂寥感を覚えた。

 

「……これは、勝手なのかもしれないけど。出来れば、息子と同じように、あまり敬語は使わないでほしいの。その、何かムズムズするっていうか」

 

 あはは、なんて笑いにも、少し張りがない。

……俺の中で、アイリさんはほぼ他人だ。血縁がなくとも顔見知りであったイリヤや、父親代わりの切嗣とは違って、アイリさんは正真正銘、この世界で初めて会った存在なのだ。

 姉は居た。妹も居た。

 でも、母親は居なかった。

 だからどう接すれば良いのか、未だに分からない。母親という存在はまさに、俺にとっては全てが未知だ。

 だが確かなことは、また煮え切らない態度で誰かを傷つけていたということ。

 なら、やることは明白だ。

 

「……分かった、アイリさん。これで良いか?」

 

 一瞬、アイリさんが固まる。だがすぐに、その妖精じみた顔は、笑顔へと変わった。

 

「……ん、おっけー! ありがとね、士郎!」

 

「このぐらいでありがとうなんて言わないでくだ……言わないでくれ。まだこう、恥ずかしいし」

 

「んーん、そんなことないわ。わたし、すっごく嬉しいし!」

 

 くるん、とスカートを舞い上がらせるように一回転するアイリさん。本当に嬉しそうで、こっちも笑ってしまいそうになる。

 まだ色々、課題はある。

 その中にはきっと、自分では太刀打ち出来ないモノばかりだ。

 でも、それを理由に諦めることも、ずるずると引っ張ったりもしない。

 だから一歩ずつ、前へ進めば良い。

 

「あ、ちなみにパーティーで何をするかなんだけどね」

 

 そう前置いて、アイリさんは、

 

「せっかく家族揃ったわけなんだし、ここは母親の威厳を見せるところよね! というわけで、今日はおかーさんが料理を作ります!」

 

「えっ」

 

 そんな爆弾を、至近距離で炸裂させてきた。

 

「メニュー考案わたし、料理するのもわたし、そして家庭内ヒエラルキー頂点もわたし! そんなアイリママも、日頃は居ないわけだし、ここらでおかーさんっぽいところ見せなきゃ、ね?」

 

 いやあの『ね?』って言われても。

……色々突っ込みたいが、料理は得意なので?

 

「? 料理ってお湯に入れて三分待てば出来るんでしょ? もしくはレンジでチン!」

 

 それは料理じゃなくて元の形に戻しているだけなのでは。そう言いたいが、スキップしながら階段を降りていく母親を見ると、止めるのも野暮というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、アイリさんの大侵攻はセラにも止められなかったらしく、アイリさん主催のパーティーは今夜行われることになった。

 ただし料理の指定だけはこちらが請け負う。当初はお袋の味的な奴をやたらめったら合わせて闇鍋チックなオカンフレンチを作ろうとしていたようだが、そんなものは虎も食わないだろう。ああ決して個人を指しているわけではない、単なる比喩である。

 そこでアイリさんが料理をするときはセラがサポートに回り、その間に俺がもしものために(そのもしもをセラは百パーセント起こすと断言してた)パーティー用の料理を作る運びになったわけだが。

 

「と、言われてもなぁ……」

 

 カートをガラガラと押しながら、頭を悩ませる。

 今俺が居るのは、全幅の信頼を寄せるマウント深山のスーパー。その食材コーナーをあてもなく、ブラブラと往復している。

 セラから大役を任されたが、恥ずかしながら自分が料理を提供してのパーティーなんてほとんど経験がない。その経験も、例えば藤村組から誘われたりだとか、もらってきたオードブルを消化するために人を呼んだりだとか、自分が献立を考えた経験がないのだ。

 

「鉄板なら、ちらし寿司とか揚げ物だけど……」

 

 どちらも作ろうと思えば作れる料理で、趣旨からして外れではないだろう。しかし、それはどちらかと言えば、他人とするパーティーだ。家族だけでやるとなると、献立もしっかり考えるべきなのではないだろうか。しかしその線引きをするとして、何がダメで何が良いのか、皆目見当がつかない。

 まずは、みんなの好みから精査してみるか。

 

「イリヤはピーマンがダメで、クロも好みは同じ。あとは切嗣が味が濃い……というか、ジャンクフードが好きだったっけ」

 

 残りの三人、アイリさん、セラ、リズは基本的に何が好きで嫌いということもなかった気がする。出されれば何でも美味しく頂く。強いて言えばリズも、切嗣と同じような舌を持っているというぐらいか。

 

「……士郎」

 

 とんとん、と肩が叩かれる。隣を見れば、付き添いのリズが。どうしてセラじゃないのかと言えば、家でアイリさんをイリヤや切嗣と一緒に何とか押し止めているのだ。あの三人でアイリさんを止められるかというと、微妙なところだが。

 

「なんだ、リズ? 何か食べたい料理とかあるならじゃんじゃん言ってくれ、今なら即決だぞ」

 

「ん」

 

 返事をし、リズが無表情で何かを差し出す。って、おい。

 

「……これポテトチップスだぞ。しかもさらっと違う味の奴が三つも」

 

「備蓄を切らしてた。明日のおやつがないのは死活問題」

 

「お前な……」

 

「だめ?」

 

 しゅん、と明らかに意気消沈するリズ。まるでお預けされる子犬である。ため息しながら、とりあえず買い物かごへ食品第一号となるポテチを放り込んだ。おい、ちょろいなって聞こえてるぞ。今度はこういう手通用しないからな。

 

「士郎は優しいから、次も同じ手に引っ掛かる。そこに漬け込むのはわたしなりにおやつを楽にゲットする戦略。だからちょろい、ちょろ甘」

 

「お前は俺をなんだと思ってるんだ……」

 

「ちょろ甘い弟。そしてわたしはそんな士郎に甘える綺麗なお姉さん」

 

「逆だろ普通、セラが泣くぞ。あと自分で綺麗っていうのはイロモノ扱いされるぞ」

 

 いやまぁこういう扱いは慣れてるし、頼られるのは嫌いじゃない。嫌いじゃないが、納得いかぬ。

 と、そうだ。

 

「そういやクロは? アイツ確かお菓子コーナーに行ったっきりだけど」

 

 付き添い人はもう一人居る。今回のパーティーの実質的な主役となるクロだ。もう分かれて結構な時間経つが、

 

「お、にー……ちゃんっ!」

 

 噂をすれば、背中に衝撃。思ったより強いそれに踏ん張りが効かず、カートごと前によたよたと倒れそうになる。

 何とか堪えて斜めに視線を下げると、後ろからクロが抱きついていた。

 

「おいクロ、もうちょっと加減してくれ。息が詰まりかけたぞ?」

 

「あはは、そりゃ鍛え方が足りないんじゃなーい? ま、それはそれとして、見てこれ!」

 

 ひょい、と片手に持っていたそれをちらつかせるクロ。持っていたのは……。

 

「……なんだそれ? 化粧水か何かか?」

 

「そう! 夏発売の新商品! いやー、雑誌で見たときから欲しくて! 今日から先行発売なんだって!」

 

 興奮するクロは、手の中で化粧水の容器をぐるんぐるん転がしまくる。食材を買いにきたというのに、女子力溢れる化粧品を持ってくる辺り、この買い物の趣旨を理解していない。だがそんなに欲しいとなると、買わせたくなるのが……ん?

 

「というかクロ。お前、雑誌とかどこで見たんだ? あの布面積を五割増しぐらいしないといけない礼装じゃ、店とか入れないだろ。うちはそういう雑誌とかは、イリヤしか持ってないし」

 

 俺は日中のクロがどんな生活をしていたのか知らない。だがクロは何か思い当たったことがあったらしく、明らかにさっきと比べると笑顔が固い。俺の腰から離れるやいなや、こちらに背を向けるクロ。

 ふーん……?

 

「……もしかして目を強化して、遠視した雑誌コーナーのモノを片っ端から投影したんじゃないだろうな」

 

 肩がぴくんっ、て上がったぞ。絶対心の中でぎく、って言ったぞ。

 

「な、ナンノコトかなー? わたしそんなこと一言も言ってないし? というかこの化粧水、その雑誌の後ろの方に記事があったから、たまたま見えただけだし?」

 

「たまたま見えたモノをそんなに欲しがらないだろ。発売日まで暗記するぐらい読むなら、現物を作るのが一番楽だ。投影したな、そうだろ?」

 

「……」

 

 ついには無言になるクロ。ここで追求しても良いが、今日は特別な日だ。その前に怒っていては後腐れが残る。ここは穏便に。

 

「……まぁなんだ。これからはそういうことしないように。化粧水は買うけど、今度からは自分の小遣いか、必要なときにセラに買ってもらえ。良いな?」

 

「……怒った?」

 

「怒ってない。そうしないといけなくした一端は、俺達にあるんだ。お前一人に全部押し付けるのもどうかと思うしな。だからほら、離れてないでこっちに来い、クロ」

 

 離れていたクロが、てくてくと戻ってくる。隣に来たが、少し距離を置いている辺り、まだ怒ってると勘違いしているのか。全くもう。

 

「ほら」

 

「わっ」

 

 ぎゅっ、とその手を掴み、引っ張る。もたれかかる小さい妹の手を離さず、歩き出す。

 

「罰として、俺と一緒にパーティーのメニューを考えるように。こっちは頭悩ませてるんだ、一緒に悩め。なんでもいいは無しだ」

 

「ちょろ甘」

 

「お前も考えろぐーたら家政婦、お菓子よりまずこっちが先だ。ったく」

 

 じとっと目線攻撃を浴びせるが、リズには生憎効かない。視線を戻すと、クロは困惑していた。

 

「投影魔術はまた今度。今日は記念なんだ、楽しまなきゃ損だろ?」

 

「……うん!」

 

 素直でよろしい。

 そんなこんなで三人並んで、仲良く買い物を続行する。パーティーという記念だけあって、各自のイメージするメニューも違うだろう。それならメニューのディスカッションもそれなりに白熱する……かに思えた。

 

「「料理出来ないんでお任せします」」

 

 これだ。料理を作る人間が一番困る、お任せします。つまるところ丸投げだ。

 

「……あのな、俺言ったよな? それは無しだって。全然聞いてないのちょっと?」

 

「だって士郎が作るなら不安はない、それに早くお菓子コーナー行きたい。あと試食」

 

「リズおねーちゃんの言う通り。お兄ちゃん料理に関しては完璧だもん。口出しするのは頭が高いっていうか……あとわたしもおやつ選びたい、ホットケーキっておやつに含まれる?」

 

「お前達おやつのことで頭一杯なだけだろ! あとホットケーキはおやつに含まれません! 夕飯が入らなくなる、グミとかにしときなさい」

 

 ぶーぶーという抗議を無視し、ショーケースに向き直す。さて、いよいよ何を作るべきか分からなくなってきた。ただ豪華にするなら、自分達で作らなくていい。何かテーマがあれば、とんとん拍子でメニューが出来上がるのだが……。

 

「士郎」

 

「リズ、お菓子選びたいなら行ってて良いぞ」

 

「そうじゃない。そんなに悩む必要はない、って伝えたかっただけ」

 

「え?」

 

 悩む必要はない? どういうことだろう。

 リズは相も変わらずぼー、っとしたまま目の前のショーケースを眺める。中にあるのは、大きなブロック状の肉だ。

 

「セラは特別な日だから、相応のモノを作れって言ってたけど、それは別に肩に力を入れろってことじゃない。美味しいならなんだっていい、それだけ」

 

「そうなのか? 微妙に違うんじゃ……」

 

「ううん、違わない。肩肘張っても、士郎が楽しくないだけ。もっと適当に、アバウトでいい」

 

 うーん……リズの話は抽象的でよく分からない。腕を組んで首を傾げていると、リズは親指を立て、

 

「がんば、応援してる」

 

 そう、気力の無さそうに言って、店の奥へと歩いていった。具体的には二つ先の棚にあるお菓子売り場へと。

……アイツ、なんだかんだ言って、お菓子買いにいきたいだけなんじゃないか?

 

「お兄ちゃんも鈍すぎよねー。あんだけ言われて、リズの優しさに気づかないとか」

 

「……いや、リズの言葉が迂遠すぎると思うんだが」

 

 つまり、あー……どういうことなのだろう。

 クロはさっきの俺のように嘆息し、

 

「だからさ。お兄ちゃん、初めての家族パーティーだからって、そんな気合い入れまくるのは間違ってるよってこと。分かった?」

 

「……」

 

……待て。

 その言い方じゃ、まるで。

 

「……俺が、みんなとパーティーしたことないみたいな言い方だな」

 

「そうでしょ。どこかの世界のお兄ちゃん」

 

 一瞬、言葉が理解出来なかった。

 しかし理解した途端、乾いた笑いが出た。同時になんだ、と思った。

 結局、自分がエミヤシロウを殺したことなんて、全然隠し切れて無いじゃないか、と。

 

「そんなに驚かないのね」

 

「……そりゃあ、お前は別さ。俺を、衛宮士郎のことを知ってないと、不可解な行動が多すぎたしな。何となく、予想はついてた。どっちみちお前には話すべきだったな、悪い」

 

「良いわ。わたしにとって本当に価値があったのは、誰かと共有出来る記憶だもの。それをくれたのはあなた。だから、偽物も本物もない」

 

「……そうか」

 

 だとしても思うところがあったハズだ。クロが望んだ家族の一人を、俺が殺した。それでも関係ないと言ってくれたことを、嬉しいと思う自分が、どうしようもなく醜い。

 それにしても、

 

「知ってたのか……リズは。あの感じだと、セラも知ってるよな」

 

「言われないと気付かない辺り、鈍感ここに極まるって感じ。お兄ちゃんって告白されないと分からないタイプよね、そういうところも大好き」

 

「そうかい。そりゃ嬉しいでござんすよ」

 

 おどけてみたが、今はもうパーティーがどうのこうのの話ではなくなってしまった。自分の卑しさを改めて感じてしまったからだ。

 セラとリズは知っていた。俺が誰なのか。それに気付いたのがいつなのかは知らないが、俺が言うまで見て見ぬフリをしてくれていた。そういうことになる。

 

「……あとでちゃんと話さないとな」

 

 毎度だが、俺の家族は優しすぎる。誰も責めないし、誰も俺を憎まない。よしんば思っても、それを口になんて絶対しない。

 優しすぎる。その優しさが、余計に腫れ物扱いされているような気がして、そんなことを考える自分が小さくて。

 

「ね」

 

 と。クロが繋いだ手を持ち上げて、

 

「聞かせて。お兄ちゃんが、あっちではどんな料理してたのか。そしたら今回の料理で、何を作るか決められるかもしれないし」

 

 そう、純粋な好奇心で問いかけた。

……正直まいった。こっちが悩む暇すら与えず、フォローしてくれるなんて、どれだけ優しいのだ。

 それに答えないのは、カッコ悪いとかそういうものの前に、みっともない。

 カートを押しながら、ぽつぽつと語り出す。

 

「そうだな。和食がメインだったかなぁ、一応」

 

「一応ってことは、なんでも作ってたの?」

 

「まぁな。小さい頃から切嗣と二人だったから。切嗣は家を明けがちだったし、そんな俺を心配して、毎日藤ねえが来てくれたよ」

 

「藤ねえって……ああ、タイガのこと?」

 

「ん、そう。昔から藤ねえの爺さんには世話になりっぱなしだったから、その繋がりでさ。だから俺達は和食だけでも良かったんだけど、その内藤ねえが他にレパートリーないの?って煽ってくるもんだから、ムキになっちゃって」

 

「それで色んなジャンルに手を出しちゃったってわけ? それで上手くいくんだから、お兄ちゃんも中々侮れないというか」

 

「その発言は俺を大分下に見てないか、クロ……」

 

 兄としては少し不安である。

 それにしても、ふと思った。

 三人で食卓を囲んだあの毎日は、自分にとって何だっただろうか、と。

 

「……昔は何作ってたっけ」

 

「? 覚えてないの?」

 

「まぁな。その頃はほら、火災の記憶でちょっとな」

 

 あの頃はよく大火災のことを思い出しては吐き気や頭痛がして、大変だった。夜は眠れなかったし、歩くという行動があのときの再現をしてしまうようで、怖くて一歩も動けない、なんてこともあった気がする。その内そんなことも無くなって、夢で見るくらいにまでなったが。

 そんな中で料理を作るのは……正直なところ、苦痛を忘れる発散法程度だった。皿洗いは面倒だし、食材の管理も同様だ。衛宮士郎にとって料理とは何か、と聞かれれば、それは多分日々のルーチンワークでしかない。

 

「……確か」

 

 肉じゃがとか……煮物とか……あとは佃煮とか。今考えても和食ばっかりだな。そりゃあ藤ねえも怒るか。確か切嗣も、たまには濃い味が食べたいってぼやいてたっけ。そういや切嗣と暮らし始めた最初の頃、毎回ジャンクフードばっかりだったから、

 

「……あ」

 

 そうだ。あるじゃないか。昔からずっと作ってきた、とっておきの奴が。

 

「メニュー決まった?」

 

 上目遣いでそう聞いてくるクロに、笑顔で答える。メニューは決まった、あとは材料を買い足すだけだ。

 

「……ああ、なるほど」

 

 リズの言葉に合点がいった。

 家族だけのパーティー。記念日だから派手にしないといけないと思っていたが、そうではない。確かに派手さも重要だが、それ以上に大事だったのは、家族への想いだ。その家族への想いという意味では、これほどうってつけの料理はない。一旦頭が冷えたから、何とか考え付いた。

 

「で、何作るの?」

 

 クロが急かす。まぁまぁと制して、俺達はとあるコーナーにたどり着くと、お目当てのものを買い物かごに入れた。

 挽き肉。これを使って作る料理は、一つしかない。

 

「俺特製のハンバーグ。昔から作ってきた、思い入れのある料理さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまー……」

 

「たっだいまー!」

 

 ただいま。三者三様の挨拶をして、我が家へと足を踏み入れる。

 買い物を終え、とりあえずメニューも決まった。もう夕方だし、早く作らないと時間が無くなってしまう。

 しかし妙だ。いつもならセラが出迎えに来てくれる。パーティーの準備、というかアイリさんの暴挙を止めるにしても、返事をする余裕くらいはあるハズだ。何かあったのか?

 買い物袋を持ってリビングへ。そこには、

 

「ぬぬぅ……」

 

「あひゃあ……」

 

「うぅっぷ……」

 

「お、お帰りなさい、三人とも……!」

 

 何故か黒焦げになって転がっている、アイリさんとイリヤ、それに親父。そして一人キッチンで事後処理をするセラの姿だった。

……遅かった。この惨状、そしてセラが処理している謎の超物体Z。見る限り、超物体はαやγまである。

 

「あー……一応聞くけど、何がどうしてこうなった?」

 

「お袋の味なるものを模索しようとしたらしく。肉じゃが焼き魚佃煮味噌汁などのモノを全て混ぜて、最後にそれをカレールーと錬成したら……」

 

「もういい。もういいです。闇鍋どころか闇カレーかぁ……」

 

 とにかくインドが闇に変わる現場だったのだ。何か新しい宇宙の法則とか誕生させる儀式の生け贄っぽいような、まぁそれ以上は語らなくて良い。うん。

 

「セラ、てっきり下克上でも起こしたのかと思った。計画的犯行による、衛宮家乗っ取り作戦。やるならわたしも混ぜろよバディ?」

 

「そんなわけないでしょうが!? こんな食材のもったいないこと、私には出来ません! ああいや、決して奥さまが悪いわけではなく!?」

 

「セラ。それ凄い分かりやすく、ママが悪いって言ってるけど?」

 

「クロさんまで!? えぇい、あらぬ誤解は置いておいて、とにかく手伝ってください! パーティーをするにしても、このままではどうにもならないでしょう!」

 

 ごもっとも。というわけで被害のあったキッチンは、俺とセラが片付け。アイリさんとイリヤは一先ずクロとリズが二階に運ぶことにした。いやまぁ隔離というべきか、とりあえず大人しくしててください。

 で、俺達はパパっと後片付けをして、綺麗になったキッチンで買ってきた食品などを一通り出す。

 

「……挽き肉にナツメグ、それに玉ねぎ。なるほど、ハンバーグですか?」

 

「ああ。パーティーって言っても、俺が考えるとこれぐらいしか出来なくてさ。リズも余り気負わなくて良いって言ってくれたし」

 

「あの子は力を抜きすぎなんです。もう少し息を張り詰めて生きてもらわないと、何のための家政婦だか……」

 

 エプロンを腰に巻いて、準備完了。と、その前に一つ、謝っておかないと。

 

「……ごめんな、セラ」

 

「ど、どうしました、士郎? 事情もなしにいきなり謝られては……」

 

「俺がエミヤシロウじゃないってこと。騙してて、ごめん」

 

 途端に、セラの顔から人間らしい表情が消える。それはアインツベルンの城で見た、あの遺体のホムンクルスの表情とそっくりだった。

 凍えるような目は、激しい敵意と共に俺に叩きつけられる。それはまさしく、怨敵と鉢合わせた瞬間だった。

 しかしそれもすぐに消える。セラ自身が我に返ったからだ。

 

「……すみません。あなたに当たっても栓無きこととはいえ、自制が効かず」

 

 す、と深く頭を下げるセラ。それは何処までも他人行儀で、だからこそストレートにこの胸に響いた。

 

「申し訳ありません。あなたが一番苦しいというのに、それを察していながら……」

 

「それは違うだろ」

 

 そう、違う。それは前提が違うのだ。

 

「一番苦しいのは、この世界の人間であるお前達だ。それを棚上げして自分が苦しいって主張するのは違うだろ。それにセラみたいな反応は初めてだから、不謹慎だけど……ホッとした」

 

「?」

 

「だって、セラは俺のために怒ってくれたんだろ?」

 

 セラが目を丸くする。気付いていないならもっと良い。無意識にそこまで怒ってくれたなら、エミヤシロウをそんなに愛してくれていたのだ。感謝してもし足りない。

 

「みんなさ、セラみたいに怒ってはくれなかった。自分も辛いのに、優しく俺に配慮してくれたんだ。それをどうにも出来ずに甘えてばっかりだった。だから自分で自分を責めるしかなかったんだ」

 

 でもセラは違う。セラは感情を制御出来ずに、暴発させた。それだけ、彼女の想いは強く、そして傷付いたのだ。

 

「だから俺は嬉しい。セラはエミヤシロウのことを、本当に大切に思ってくれてたってことだから。そんな優しい人が家族で、俺は本当に幸せ者だよ」

 

「……む、うぐぅ……」

 

「? セラ?」

 

 ぷるぷると震えながら、頭を横に振る家政婦さん。よく考えればこんなこと俺に言われたって仕方がないし、もっと怒らせてしまっただろうか……?

 

「悪い、俺に言われても何も伝わらないよな」

 

「い、いえ……ただ、いきなりフィニッシュブローを叩きつけられたと言いますか……何処の世界もやはり変わらないのだな、と確信しました。ええ」

 

「???」

 

 顔に手をあて、頬を隠すようについ、と逸らすセラ。だが首まで真っ赤では、隠しようもない。

 

「えーと……つまり?」

 

「もう怒っていない、ということですよ、士郎。全く、人の気持ちに鈍いのも変わらないですね」

 

 しかし彼女は笑っていた。頬を赤く染めていても、心の底から。

 

「私にとって、あなたは既に家族同然です。それは家政婦だからでも、旦那様や奥様に言われたからでもない。イリヤさん達を守ろうと奮闘していたあなたの姿を、私は知っています。だから何も変わりません、私は変わらずあなた達の幸せを願い続けましょう」

 

 微笑み、セラは語る。

 

 

「ーーーーいつか、あなた達を看取る。その日までずっと」

 

 

 その顔にはもう、先程の敵意など欠片も無かった。

 ただ願っていた。その先にある結末がどうあろうとも、それを見届けることが出来るようにと。

……これは従者としての献身ではない。

 家族として、当たり前に、ただ大切な人と最期まで一緒にいたい。たったそれだけの話に過ぎない。

 普段はよく見えない優しさ。だからこそこんなときには、強く伝わる。

 

「……ありがとう、セラ。セラは、本当に優しいな。誰よりも」

 

「ぅ、うぐ……だから、そんなことをいきなり言われても困ります! こう、受け止めようにも準備が……」

 

「褒められるのに準備が要るのか? セラ、一応言っとくけど、もう少し素直になった方が良いぞ? せっかくの優しさが分かりにくくなる」

 

「あなたはずばっと何もかも言い過ぎなんですっ! もう、人をからかって……!」

 

 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまうセラ。真実を知られてもそんな姿がまた見られるだけで、心が踊る。

 

「それより士郎、お忘れですか? わたし達は一刻も早く、パーティーの準備をしなければなりません。時間も遅くなってきた今、早くしなければ就寝するまでの時間にまで影響が……」

 

「分かった分かった、じゃあやろう。手早く、美味いモン作ろう」

 

「あ、ちょっと士郎! まだ言いたいことが山程あるんですからね!?」

 

 くどくどとした説教を遮って、俺は挽き肉の包装を破る。セラはまたもや腕を振り上げて怒るが、それが可愛らしくて、何より日常が帰ってきたのだと実感した。

 さぁ作ろう。

 最高のお祝いにするために。

 

「士郎! 笑ってないで早く作らないと、奥様が起きてしまうでしょう! またあの惨状が起こったら、今度は家そのものが吹き飛びかねません!」

 

「さらっと末恐ろしいこと言うなよな、セラ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

「わーっ! すごーい!」

 

 イリヤがテーブルに並んだ料理を見て、手放しで喜ぶ。

 卓上にあったのは、小さめのハンバーグ。それが、まるでチキンのように沢山積まれ、その横にサラダやパン、輪切りにしたポテトフライなどが同じように置かれていた。

 士郎とセラがパーティー用の料理を作り終わったのは、結局一時間後。パーティーなので飾り付けなどをすれば良かったかもしれないが、その間にアイリの暴走を許せば、パーティーどころか最後の晩餐会となってしまうところだ。

 

「うーん美味しそう! ねーねーお兄ちゃん、早く食べよー!」

 

「あ、ちょっとクロ! 自分だけお兄ちゃんの隣に行こうとするなんてズルい! 抜けがけはなし!」

 

「良いじゃない別に、今夜はわたしが主役みたいなもんだしー?」

 

「言わせておけばこの女狐め……!」

 

「はいはいさっさと座れ二人とも。食べる前に料理が冷めたら、作った身としては結構へこむぞ?」

 

「む……」

 

「ぐ……」

 

 睨み合うクロとイリヤの間に入る士郎。しかし二人はなおも視線を激突させ、座った後も熾烈な兄争奪戦を繰り広げている。

 そんな三人の反対では、リズとセラ、そしてルビーが談笑している。クロのことが露見してから、ルビーの存在も衛宮家では周知になっていた。

 

「いやー、お兄さんのフラグ建築っぷりは凄まじいですねぇ。義理とはいえ妹二人をああも手玉に取るとは……」

 

「私としては、あなたのその言動がイリヤさんをああしてしまったのではないかと邪推してしまうのですが……」

 

「アハー☆ このミラクル黄金比で作られた、ファンシーカレイド礼装のルビーちゃんにそんな真似は出来ませんよー。時々現実の怖さを勝手に自覚するぐらいなのです、うんうん。それとイリヤさんを素質がありましたし、契約の時もそれを逆手に」

 

「犯人は、お前だ。ずびし」

 

「ぎゃう!? ちょ、リズさん!? 星の部分にビシビシ指を突っ込まれると、ルビーちゃん的には卑猥な絵になってないか心配なのですが!?」

 

「あなたの存在自体が心配なんです! リーゼリット、その悪鬼をあとで叩き壊してきなさい」

 

「りょーかい。ハルバードなら潰せる」

 

「あれれ? 物凄く嫌な予感するんですが、これ時空間違ってません? リズさんがハルバード持ち出したらそれ違う世界の話じゃあ?」

 

 あの礼装を作った宝石翁は、間違いなく性格が歪んでる。衛宮家の共通する知識がまた一つ増えた。

 そしてーーそんな景色を見て、彼、衛宮切嗣は楽しそうに笑っていた。

 

「はは、なんだかうちも賑やかになったなぁ。娘が一人に、お喋りな礼装が一つ。隣も付き合いが長くなりそうだし、これから騒がしくなりそうだ」

 

「あら、ご不満?」

 

「いいや。そんなことはないさ、アイリ」

 

 真実を知らせても、こうしてみんなまた笑えている。それがどれだけ素晴らしいことか。人の愚かさを知っている切嗣としては、この光景はまさしく奇跡だった。イリヤにはまだ士郎のことを伝えてはいないが、それでも、いつかは伝えなくてはならないときがくるだろう。

 でも、今は喜ぼう。

 隣で同じように笑っていたアイリに答え、ほらほら、と切嗣がパーティーを取り仕切る。

 

「士郎とセラがせっかく腕によりをかけて作ってくれたんだ。話は食べながら出来るし、まずは乾杯しよう」

 

 みんなが頷き、コップを持つ。切嗣はそれを確認すると、自分のコップを掲げた。

 

「それじゃあ……新しい家族に! 乾杯!」

 

 乾杯!

 カァン、とコップをぶつけ合う音。全員とコップをぶつければ、パーティーの始まりだ。

 士郎とセラが率先して、全員にミニサイズのハンバーグを配っていく。

 

「ソースは三つあるから好きな奴かけろよ。パンもあるから、ハンバーガーみたいにするのもアリだ」

 

「さっすがお兄ちゃん! じゃあわたしハンバーガー!」

 

「わたしはまず普通ので良いかなぁ。その後ミートソースでハンバーガーとか」

 

「甘い、最初から倍プッシュ。どっちもプリーズ」

 

「あなたは自重しなさいリズ! どうしてそうあなたは食い意地が張っているのです!?」

 

「発育の違いじゃないですか~?」

 

「お黙りなさい! パンに挟みますよこのボンクラ礼装!」

 

 かしましい声の中、切嗣の皿を受け取った士郎が、ハンバーグを取りながら。

 

「親父、ハンバーグとか好きだろ。だから今回これにしたんだ。みんなに食べてもらいたくて、俺が作ってきた味」

 

「……そうか」

 

 俺が作ってきた味。それはつまり、幼い頃から試行錯誤して、自分ではない衛宮切嗣に出していたモノなのだろう。確かに自分は昔、ジャンクフードをよく食べていた。それを彼は知っていて、作ってくれたのだ。

 ずっと作ってきた彼の味。その始まりが衛宮切嗣へのモノなら、成長した彼へ、自分が出来ることは一つ。

 三つあるソースの内の一つ、ミートソースをかけると、切り分け、口に運ぶ。

 ジューシーな肉汁が広がり、トマトの酸味が続いて口の中を刺激する。肉も焼き加減が絶妙で、ふわっとしていながらこれ以上ないほど食べ応えがあった。

 

「……うん、美味しい」

 

「……ホントか?」

 

「ああ、嘘は言わないよ。人生で最高のハンバーグだ」

 

 その言葉に、士郎は鼻の頭を擦り、ニッと自慢げに笑った。その表情が驚くぐらい、自分の知っている息子の幼年期と似ていて、胸が熱くなる。

 やっぱり彼も息子なのだ。

 そう、衛宮切嗣は今一度確信する。

 

「んー♪ これ、オニオンソース? ちょっと大人向けな味だけど、すっごく美味しいー!」

 

「オーソドックスなソースもあるんだ。小さいからパクパクいけちゃう……」

 

「うむ、美味である。士郎、これ明日も作って」

 

「うんうん、このハンバーグなら毎日でも良いかなー!」

 

「二日連続でハンバーグは流石にバランスが悪すぎます、奥様。でも……うん。シンプルながら美味しい……」

 

 セラのお墨付きも頂いたし、どうやら大好評のようだ。おかわりの声は後を絶たず、士郎は慌てて次のハンバーグをみんなに分けていく。

 そんな忙しくも、楽しそうな息子を見ながら、切嗣はハンバーグをもう一口食べる。続いてもう一口。手が止まらないし、幸せな気分も止まりそうになかった。

 暖かい声は、何処までも何処までも。夜の帳すら吹き飛ばす勢いで、ずっと続いていた。

 

 

「そうそう、ここで真打ちよね。何とか完成していたアイリママ特製、おふくろカレーとかあるわよーー!」

 

「うげっ!?……に、臭いだけで吐きそうだわ……」

 

「ちょ、ちょっとクロ……うぇっぷ……なにこれ、ガスみたいな……ヘドロ的な……」

 

「うぉい!? なんでアレがここにあるんだ、セラ!?」

 

「私が知るわけないでしょう!? お、奥様? それはまだ未完成品ですので、私が味付けして……」

 

「あら? そうやってひっくり返そうとした誰かさんを私数時間前に見たのだけど?」

 

「旦那様、お助けください!!」

 

「えぇ、僕!? ちょ、アイリ? なんで鍋ごと近づいてくるんだい? 待って、口に直接セメントみたいに流し込むのはーー!?」

 

「あ、臭いで墜ちた」

 

「なのに追い討ちに直接イートインとは。イリヤさんのお母さんはナチュラルド畜生ですねぇ」

 

「爺さあああああああああああああああああああああああああああああん!!?!?」

 

 

 



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一日~噛み締める日常、教わったこと~

 目覚まし時計がその役目を果たそうと、けたたましいアラーム音を響かせる。耳を、脳を揺さぶる一定のリズム。ゆっくりと手を伸ばそうとして、目覚まし時計がある方向へ顔を向ける。

 

「ん……っ」

 

 ふわり、と鼻孔をくすぐられる。タオルかと思っていたが違う、それよりも優しい、肌を守る何かだ。伸ばした腕は柔らかい枕のようなモノに挟まれて、目覚まし時計に一向に届かない。

 もどかしく目蓋を開ける。そこにあったのは、真っ白な布のよーな……三角形の、もっと言えば局部を隠すアレのよーな……。

 

「………………………………………」

 

「あ、やっほーお兄ちゃん……んー、朝から良い気持ちぃ……」

 

 さぁ、と顔が青ざめる。白い布から伸びる、浅黒い肌。腕を邪魔していたのはどうやらフトモモだったらしく、隙間から目覚まし時計が騒いでいる。

 素早く上を確認する。そこでは欠伸を噛み殺したクロが。どうやら起きたばかりのようで、薄目でぼーっとこちらを見つめている。それで全てを察した。また、クロが俺の部屋に忍び込んできたのだ。これで連続侵入記録は三週間を更新してしまった。つまり一緒に住むようになってからずっとである。

 しかし三週間も侵入され続けられれば、いかにクロが整った顔立ちで魅力的であろうとも、流石に慣れる。少しドキドキしながら、いつものようにまず距離を取ろうと、

 

「……ん?」

 

 可笑しい。太股に固定された腕がすっぽ抜けない。まるで一部になってしまったかのよつにびくともしないのだ。すべすべした太股の感触を触覚から追い払い、何度も引き抜こうと試行錯誤する。しかし駄目だ、一向に状況は好転しない。

 

「んー、どうしたのぉ? ほら、早く離れなきゃ……それとも、一緒に寝る……?」

 

 猫被りもここまで来ると苛立ってくる。お前が馬鹿力で縫い止めてるから腕が抜けないんだろうが、と目で訴えるが、それでどうにかなるなら苦労しない。魔術で強化して引っこ抜けば、

 

 

「いつも思うけど……朝からなに、してるのかな……?」

 

 

 あっ、終わった。

 後頭部にお馴染みのステッキを添えられた瞬間、俺はその杖から迸る魔力にこの身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

「クロには何かペナルティを与えるべきだと思うの」

 

 部屋を吹っ飛ばしかねない魔力で、フローリングに叩きつけられた後。歯とか折れてない辺り、イリヤも手加減してくれるのかな、なんて思ったりしながら朝食。ただまぁもっぱら、朝食の話題はクロのことなのだが。

 席はイリヤ、クロ、俺。対面にセラとリズだ。

 

「はぁ……ペナルティ、ですか?」

 

「そうだよ! だっていくら家族って言っても、わたし達もう十一歳だよ! 色々オンナノコとして大切な年頃だよ嗜みが増えてきますよ! なのにクロはこんな風に朝からふしだらにも男の人の寝床に! どんな間違いが起こっても可笑しくない、お兄ちゃんならやりかねない!」

 

 セラから受け取ったマヨネーズと醤油を目玉焼きにぶっかけ、そう力説するイリヤ。というか俺への信頼が全くないことに驚きなんだが。いやまぁ確かにクロとは魔力供給ってことで様々な触れ合い(では済まない)があったけど、それにしたってなぁ。セラもそれを知ってかやや困惑しながら、パンを口に運び、

 

「確かに士郎は前科がありますしわたしはついにかと思っていましたが」

 

「なぁ、今俺への信頼ってゼロに近いんじゃないかこれ?」

 

「省みれば当然のこと、何ら驚くことでもない。ロリコンではわたしに勝ち目はないけど頑張らねば……」

 

「なんでそうなる!? つかリズ、勝ち目ってなんだ勝ち目って!?」

 

「士郎、あなたは黙って朝食を食べていてください。あなたは墓穴を掘りやすいんですから、速やかに口を閉じて。それとも食パンを口に突っ込まれたいですか?」

 

 小麦色のトーストを手裏剣のごとく構えるセラに、たまらず降参。むぐぐ、理不尽にも全面的に俺が悪いことになっている。何故だ。被害者なのに。

 

「まぁ士郎本人はさておき、クロさんだってそこは弁えているでしょう。淑女たるもの淫らに殿方へアプローチしては気品を疑われます。でしょう、クロさん?」

 

「ん、まぁねー」

 

 子供っぽさがまだ抜けないくせに、優雅に目玉焼きの白身部分を頬張る褐色少女クロ。彼女はいつもの赤い魔術礼装ではなく、穂群原初等部の制服を着ている。クロも今ではイリヤと同じ初等部で元気に小学生だ。だからこそ今朝のアレがまた胃に痛くなってくるわけだが。

 

「ほら、お兄ちゃんってからかいがいあるじゃない? それにイリヤの悔しそうな顔も見るの悪くないし。そんなトコ?」

 

「でしょうでしょう。ですがクロさん、これからはもう少し控えて……」

 

「え、なんで? わたしお兄ちゃんが好きだからこういうことしてるけど?」

 

「……はい?」

 

「だから好きだからこうしてるわけだし、むしろそういう関係になりたいんだけど」

 

 ピシピシ、と固まっていくセラ。俺はそそくさと朝食を食べて、居心地の悪さを少しでも緩和しようとする。

 が、クロは自ら悪くした空気の中で、平然と俺の手に絡み付いて、

 

「というわけで、わたしはこれからもお兄ちゃんの部屋に忍び込みまーす。ね、あーんとかしてあげよっか? それかわたしにしてー!」

 

 びきん。そこで我慢の限界だったらしい。石になっていたセラは顔を真っ赤にして、再起動する。

 

「士郎! それ以上甘やかすならペナルティを与えます、連帯責任で二人ともっ!!」

 

「……クロ、セラを弄るのはその辺にしろ。アイリさんよりタチ悪いぞお前」

 

「えー!? いいじゃん別にー、セラなんかほっとけばー」

 

「わたしも居るんですけど……? 先に妹やってるわたしも居るんですけど?」

 

「やっほー、修羅場じゃ修羅場じゃー! 転身ですねイリヤさん! さぁ今必殺の、転身魔法三昧でお兄さんを暗☆沈(あんちん)してしまいましょう!」

 

「賑やか。ん、よきかなよきかな」

 

 かしましい?声は朝食中途切れることはなく、いがみ合いながら、時には笑いながら時間は過ぎていく。

 この三週間、とても忙しかった。

 変わったことは沢山ある。騒がしくなったし、小さな問題もあったりしたが、それよりも良いことが沢山あった。ルビーのことが知れ渡ったおかげで、イリヤは魔術について隠し事をしなくて済むようになったし、俺もイリヤ以外に変に気負う必要も無くなった。

 そして最たる例と言えば、クロのことだろう。最初は周囲を牽制していたクロも、俺達みんなが暖かく迎えたことで、何とか元来の素直さを表に出せるようになってきている。まぁ素直すぎるのは少し問題だが、でも輪に入れず、ひとりぼっちで泣いていた時よりずっとずっと良い。笑っている今の方が、ずっと。

 

「いってきまーす!」

 

「ほらほら、お兄ちゃんも早く! 学校遅れちゃうじゃん!」

 

 支度を終わらせ、三人で玄関へ。三週間前には考えられなかったくらい、イリヤとクロは元気だ。クロは特に生き生きとしていて、見ているこっちが嬉しくなる。

 

「分かってる! それじゃあ、いってくるよセラ」

 

「ええ、お気をつけて。二人を頼みますよ士郎」

 

「りょーかい、セラおかーさん」

 

「っ、士郎!」

 

 セラの抗議を尻目に、玄関を出る。家の前の道路には、既に見慣れたリムジンが止まっていた。

 当然リムジンを背に立っているのは、持ち主であるルヴィアである。

 

「おはようございますシェロ! 今日も晴れやかな天気で、さえずる小鳥も我々の門出を祝福するよげぶふっ!?」

 

 と、恒例のミュージカル的な朝の挨拶は、開け放たれたドアの角を脇腹に食らうことで中断される。悶絶するルヴィアを気の毒に思っていたら、車内から悠々と下手人が顔を出してくる。

 無論遠坂である。一応アルバイトの雇い主なのに、それでも解雇されずしかし痛手を与える絶妙な一撃を繰り出すその胆力には、呆れるしかない。

 

「朝からアンタの芝居がかった言葉聞いてたら、二度寝しちゃうわ全く。ほらアンタ達、乗った乗った」

 

「いや乗った乗ったって、リムジンの持ち主のルヴィアさんが倒れてるんだけど……」

 

「良いじゃない別に。覚えておきなさい、イリヤ。今の魔術師ってのは体も鍛えてるから、ドアの角を急所に叩き込まれたぐらいじゃ死なないわ」

 

「ならあなたも、同じものを食らっても文句を言えませんわっ……ね!」

 

 にゅっ、と下から復活したルヴィアの手が、優雅な遠坂の顎を掴む。あ、とイリヤ達とたまらず口に出してしまったときには、遠坂の脳天は車の出っ張りに叩きつけられた。

 

「……フフフ……」

 

「……オホホ……」

 

 笑いだけはお嬢様だが、絵面はあくまVSけもの。二人は取っ組み合うとリムジンの中へもつれ込み、ドタバタと暴れだす。第五十三次異種格闘技マッチ開戦だ。

 

「慣れては来たけど、ホントリンとルヴィアも飽きないわね、毎日毎日……」

 

「二人ともストレスは溜める方だけど、同族嫌悪で我慢出来ないんだろうな、うん」

 

 ルビーがイリヤの髪の間から半分だけボディを見せつつ、

 

「そもそもお二人とも、魔術師としては致命的なぐらい堪え性がありませんしねぇ。それが面白いところなんですけど」

 

「でも魔術を使ってないから、まだマシだと思える自分が居るよ……」

 

 イリヤの言う通り、魔術をぶっぱなさない辺り、理性はあるのだろう。いつものがあくまとけものなら、今はチーターとコヨーテぐらいだ。危険なことには変わらないわけだが。

 

「みんな」

 

 と。リムジンから避難してきた美遊が、そそくさと俺達へと近寄ってきた。俺達は揃って挨拶する。

 

「おはよ、ミユ。大丈夫だった?」

 

「うん、いつものことだから。サファイアの力も借りて何とか。クロもおはよう」

 

「おはよ。ミユも毎日大変よね、あの二人の喧嘩をいつも側で見てるわけでしょ? わたしには耐えらんないなー、うっとおしくて」

 

「そうでもない。色んな悪口があるんだって、凄く勉強になる」

 

……それ、勉強になるのか? 美遊が将来、あの二人みたいに罵詈雑言を撒き散らす姿は見たくないのだが。こう、形だけとはいえ兄貴分な自分としても複雑と言うか。はっ、これが妹を持つ兄もしくは父親特有の悩み……!? 初めて今それっぽい感じになってきたということか!?

 

「沈めぇこの成金ホルスタインーっ!!」

 

「あなたが沈みなさいこのレッドスカンピン!!」

 

 そんなんこんなで四人並んでリムジンを観察している内に、年長二人の喧嘩もクライマックスらしい。寝技からお互い関節をキメているらしく、悲鳴とも雄叫びとも言える声が聞こえてくる。気分は動物園、しかし実態は地獄の谷から聞こえる魔物の遠吠えだ。

 しかしそんな俺達も学生、やるべきことはやらねばなるまい。

 

「おい二人とも、そろそろ行かないと遅刻するぞ?」

 

「一日ぐらいすっぽかしても、成績には何ら響きませんわ!」

 

「そうそう、大師父だって見逃してくれるわ! それよりもこのキンキラ成金を落とすのが先よ……!」

 

「よし、なら二人ともそのままリムジンにカンヅメになって、二人っきりで登校しろ。そんなに喧嘩がしたいなら、な」

 

「「みんなで行きましょう!! 学校へ!!」」

 

 二人っきりでカンヅメ、という状況がよほど嫌だったのか、すっぱり喧嘩を止める二人。更には手招きまでしている、どんだけ嫌なんだお前達は。

 というわけで学校へ行くためリムジンへ搭乗する。美遊が先に乗り、イリヤが乗ろうとする前に、クロが小さく息を吐いた。

 

「全く、朝から騒がしいったらありゃしないわ……」

 

「いやお前もうちだとあんな感じだろ、イリヤとかセラ相手に」

 

「お兄ちゃん、騙されちゃダメだよ! クロは学校とかでもああだもん! わたしと顔が一緒だからってすぐわたしの宿題すり替えて出すし! 暗示かけるからってクラスのみんなから魔力供給しようとするし!」

 

「ちょっとイリヤ、人聞きの悪いこと言い触らすのやめてくれる? わたし、リンやルヴィアよりはおしとやかで通ってるもん。人前で気軽に魔術を使わないし、手も出ないし、出るとしたら言葉だけだもん」

 

 その言葉が、遠坂達より酷いときがあるのだが……言わぬが花か。

 

「何にせよ、クラスメイトから魔力供給するのはやばいだろ。足りないなら俺が」

 

「それはっっ!! ぜったいっっ!! だめっっ!!!!」

 

 がぁーっ、と猛獣さながらの気迫で詰め寄ってくるイリヤ。反応が過敏過ぎると思うのだが、前科(不慮の事故)のせいでどうにも誤解されてしまっているようだ。そのこともあってか、もっぱら魔力供給はイリヤがやっているみたいなのだが……。

 

「だからイリヤ、魔力供給なら血でも良いんだからさ。別にお前が毎回やらなくても」

 

「お兄ちゃん、そんなこと言ってクロに陥落されたらどうするの? 責任取れる?」

 

「そういう想定がまずいけないと思うぞ俺は。兄貴を信じられないのかね君達」

 

「わたしは少なくとも、お兄ちゃんが堕ちる方に信じてるよん。実際オトしたし☆」

 

「クロォ……!!」

 

 てへ、とウィンクまでしてくる十一歳妹その一。その態度が火薬に火をつけるくらい危ないと自覚しているのかおい。がるるるるしゅ、と何やらキメラとかそこら辺の魔獣の唸りを発し始める十一歳妹その二が見えないのか。

 

「むむ……お兄ちゃんは、口の悪い女の子はキライ?」

 

「無条件で嫌いなわけじゃないけどな。ただ仲良くしろとは言わないけど、イリヤにはもう少し優しくしてやってくれ。お前とは仲良くしたいだろうし」

 

「クロォ……!!」

 

「何か黒化英霊みたいになってるけど……てかイリヤイリヤって、わたしの前でまたイリヤの話ばっかりする……」

 

 ぷぅー、と頬を膨らませるクロ。

 でもそこに、殺意はない。そんな可愛い妹達の頭に手を置いて、

 

「言ったろ、俺はみんなが大好きだって。だからイリヤのことも好きだし、クロのことも好きだ。だから二人には仲良くしてほしい、我が儘なことだけどさ。それに」

 

 そっとその前髪を撫でて、

 

「こんな毎日も、悪くないだろ?」

 

 笑いかける。ぷいとイリヤとクロがそっぽを向いた。撫でられた前髪を弄ると、

 

「「……ん、まぁ」」

 

 そう、頬を弛めながら言った。すぐに気づいて、鼻を鳴らしたが。

 こんな前では一欠片も考えられなかった日々も、今では当たり前になって。きっとそんな幸せが当たり前じゃないことを、大半は忘れてしまうだろう。

 だけどその当たり前の幸せが、どんな薄氷の上で成り立っているのか、俺達は知っている。だからきっといつまでも忘れないし、この幸せは続いていく。

 それが、人の営みというモノなのだろう。

 

「……ここに来てからは、教えられてばっかりだな」

 

 俺が知らなかったこと、知ろうともしなかったこと、忘れていたこと。辛いことばかりではない……なんて、甘ったれたことを言うつもりはない。これはあり得てはいけない出会いで、あってはならなかった出来事に違いない。

 けれど、それでも価値ならあった。

 その証が今、俺の目の前に居る。

 

「あーもう! お兄ちゃん、学校いくよ! クロ、さらっとお兄ちゃんの手を引かない!」

 

「減るもんじゃないし良いじゃないー。ほら、早くいこー!」

 

 二人が手を引いて、違う顔を見せる。それが俺が、この世界で初めて守れたモノ。それに答えるように、俺も頷いた。

 遠くないだろう別れからも、目を逸らさずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで。

 初夏も過ぎて、プール開き間近の七月頭の今。もう気温も夏で、夏服のカッターシャツも汗でべたつく。そんな中で主だった行事と言えば、期末テストぐらいだろう。それが過ぎれば特に学校での行事はなく、すんなりと夏休みの始まりだ。その期末テストが心に影を落としていくわけだが、それはさておき。

 昼休み。俺はいつものように弁当を広げる前に、黒板に殴り書きされた日にちを見て、たまらず唸っていた。

 

「……イリヤの誕生日は二週間後か……」

 

 そう。今日は七月七日。そこから二週間も経たない内に、イリヤの誕生日があるのだ。あまり人の誕生日を祝ったことのない自分ではあるが、それでも何をするかは理解している。美味しいモノを食べて、生まれたことに感謝して、プレゼントに喜ぶ。大体そんなもんだ。

 で、問題はその一番最後、何をプレゼントとして送る?になるわけだが……。

 

「……全く、思い付かん……」

 

 ぶっちゃけ、一欠片もアイディアが思い付かなかった。

 考えてもみろ。誰かにプレゼントする、ということすらこの現代社会じゃ珍しい。同年代にプレゼントなんて、貰ったこともなければあげたことだって指で数えた方が早い。あるとするならお歳暮とかそういう行事でだけだ。それも正しく言えばプレゼントではないのである。

 更に今回は女の子、しかも小学生、妹という完全に未知の体験。アイディアが湧かないのも当然と言えよう。

 

「……小学生が興味あるもの……おもちゃ? お菓子? いやでもそんな子供扱いすると、イリヤ怒るしな……かと言って他に候補があるとするなら」

 

……何かどれ送っても、変な意味がつきそうだな。女の子はそういうのが敏感だって、遠坂とか桜、藤ねぇですら言ってたしな。ダメだ、年下の女の子とのふれ合いが少なすぎて趣味嗜好の当たりすら付けられない。

 

「こんなときに、遠坂とルヴィアは呼び出し食らってるし……」

 

 どうやらあの二人、これまでの不祥事のせいで、そろそろ保護者面談すら選択肢に入るぐらいには有名になってしまったらしい。今日も教師との面談らしく、二人揃って生徒指導室に連行されていた。これで少しはマシになると良いのだが。どうせ暗示でもかけてすっぽかしそうな気もするが。

 一成や慎二でも相談する相手が居るのだが、確実性を取るなら女子に質問したいところだ。しかしこの昼休み、気づいたらひとり飯に興じていた教室で、そんな都合の良い相手が。

 

「あれ、士郎くん一人?」

 

「…………」

 

 居た。

 弁当を変な顔でつついていただろう俺に声をかけてきたのは、森山だった。ピンクの弁当袋を持っている彼女は、辺りを見回し、

 

「柳洞くんや遠坂さん達は? 一緒じゃないの?」

 

「遠坂達と食べようと思ってたんだけど、アイツら先生に呼ばれてさ。相談したいこともあったし、終わるの待ちながら飯食ってるんだけど……森山は? いつもグループで食べてなかったっけ?」

 

「うん。いつもはそうなんだけど、今日はちょっと三時間目から保健室に行ってて……頭に何か当たったような気がしたら、昏倒しちゃったみたい……」

 

 何でだろうね?、と難しい顔の森山。

 あー……そういえば三時間目から四時間目まで、ずっと教室が別れてたから、詳しくは知らないけど、多分それは遠坂の仕業だ。何でもいつものようにぶっぱなしたガンドが誰かに当たったけど、何とか誤魔化したって言っていた。しかし被害者がまさか森山だったとは。本人は下手人を知らないようなので、放置だ。下手人には俺からしっかり言ってやらねば。

 

「そりゃ大変だったな。もう大丈夫か?」

 

「う、うん。わたしの家って、体は代々すっごく強いから。うちはちょっとのインフルエンザなら握り潰せるって、お母さんも言ってたし」

 

「インフルエンザって握り潰せるモノなのか……?」

 

 両腕を胸の前で握り、力強く頷く森山。ガンドの直撃を食らってもケロっとしてるとは、何というフィジカルだ。もしや冬木の猛獣シリーズ三人目は森山だったのか? 名付けるなら冬木のグリズリー、もとい冬木の蛇か。

 しかし……森山か。確か森山の妹はイリヤの友達だったと記憶している。ふむ。

 

「あのさ、森山」

 

「なに、士郎くん?」

 

「もし暇なら、一緒に飯食べないか? 森山なら俺の相談に持ってこいだから、ついでにそっちも頼みたいんだけど」

 

「え? ええ!? い、一緒に!?」

 

 ぐわぁ、と大袈裟にのけ反る森山。そんなリアクションされると、自分が何か変なことでも言ったかと首を傾げてしまう。

 しかし森山はみるみる内に目を輝かせ、

 

「い、良いの!? わたしなんかが!?」

 

「いやなんかがって、こっちの台詞なんだが。森山って遠坂達にも劣らないくらい美人だし、アイツらが来るまで学校のマドンナはお前だったんだぞ? そんなお前と飯を食うってのは、それなりに俺も緊張するものなんだけど」

 

「び、美人って……っっ!? は、はふぅ……」

 

 深呼吸しているつもりなんだろうが、鼻息が荒すぎて過呼吸みたいになってるぞ森山。怖いぞちょっと。バーサーカー顔負け。

 

「じゃ、じゃあ……お言葉に、甘えて」

 

「ん、どーぞ。席はルヴィアの……は後が怖いから、遠坂の席で良いか」

 

「勝手に使っちゃって大丈夫かな。遠坂さん、怒ったりは?」

 

「しないよ。怒るとしても俺だけだろ。森山を誘ったのは俺で、この席を使えって言ったのも俺だし」

 

 そっか、と森山は恐る恐る遠坂の席に座り、手拭いの結び目をほどいていく。

 ふむ。中身は野菜多め、ご飯は市販の混ぜ込みで和えたものか。白ご飯党というわけではないものの、おかず多めご飯やや盛りの自分と比べれば繊細な、まさに女の子の弁当である。

……量が俺の倍ぐらいあるのを除けばだが。

 いや分からなかった。確かに結構膨らんでいるなとは思っていたが、重箱一つ分はあるんじゃないかこれ。

 

「……森山、それ全部食べるのか?」

 

「へ? うん、まぁそうだね。別に部活とかしてないけど、何かお腹空いちゃって。いつもおやつのおにぎりが無いと昼まで持たないの」

 

「へぇ……なるほど」

 

 だからそんなに育ってるんだな、納得。揺れる特定の部位から目を外し、早速本題に移る。

 

「で、相談したいことなんだが……今から二週間後、妹の誕生日なんだ。何かプレゼントぐらいやりたいなと思ってるんだけど、全然思い付かなくて。森山、確か妹居たろ?」

 

「ん、ナナキちゃんのこと? 確かにそうだけど……ああ、だから」

 

 合点がいったようで、森山はひじきの和え物を飲みこみ、

 

「そっか、士郎くん偉いね。普通男の子って、高校生くらいになったら妹の誕生日にプレゼントとか送らないモノなのに」

 

「そうかな……家族なんだし、普通だろ。むしろ贈らないのが可笑しい、一年に一回だけの記念は祝わないとかどうかしてる」

 

「ふふ、士郎くんらしいね。じゃあわたしは、そのイリヤちゃんのプレゼントを考えれば良いんだ」

 

 森山はそうだね、と考える素振りをすると、

 

「わたしなら、アクセサリーとか小物をあげるかな。あとハンドクリームとかの化粧品も」

 

「しょ、小学生だぞ? その、するのか? 化粧とか?」

 

 クロはともかく、イリヤについては考えられん。服は確かに着飾っていたけど、それにしたってまだ小学生だ。アクセサリーだの化粧だの、早いような……。

 そんな俺の浅慮さを見越したように、

 

「ふっふっふっ、女の子は日々自分を磨くものなのです」

 

 森山は得意気に語り出す。

 

「女の子はね、子供の時から努力する子が多いよ。うちは姉妹だから、ナナキちゃんもわたしの真似をしてたし……士郎くんの家も、確か住み込みの家政婦さん居たよね?」

 

 首肯する。そう考えてみると、確かに……イリヤとセラ達は姉妹のようなモノだ。同じ女性として、イリヤが憧れていたとしても、何ら可笑しくない美貌をセラ達は持っている。片方は努力しているか疑わしいぐらいナチュラルだが。

 

「でしょ? ちなみに、わたしは小物が良いかなって思うんだけど……」

 

「その心は?」

 

「男の子から化粧品送られると、恋人はともかく家族だとちょっと引いちゃうかなって。自分の領域とか、そういうのが気になり出す頃だし、無難にアクセサリーが良いと思う」

 

 なるほど。俺みたいな男が急に有名ブランドの化粧品をプレゼントしたら、それこそ煙たがられる。そういうのとは無縁な男なのが自分だ。それは困る、化粧品は却下だ。

 しかし、

 

「アクセサリーとかも重くないか? 女の子って、そういう贈り物は中々親しい間柄じゃないとってよく聞くし……」

 

「親しい間柄でしょ、家族なんだし。士郎くんが言ってるのは恋人。家族にそんな勘繰りはしないよ」

 

 そ、そうか。なら贈るのはアクセサリーに決まりだ。

 

「ありがとう森山、ホント助かったよ。森山が居なかったらここまでスムーズに決まらなかった」

 

「別に、わたしはそんな大したことしてないよ。女の子なら誰でも答えられただろうし……遠坂さん達なら」

 

「ああいや、アイツらはいがみ合うから多分昼休み中は本題にもいけない。放課後も使わないと」

 

 ぷっ、と森山が噴き出す。言ってみて、自分でも笑った。あの二人は魔術絡みだと本当に頼りになるのだが、こういった普通の頼みは勝手に脱線し始めるから向かない。それに今更気づいたのが可笑しかった。

 

「そうだね。でも遠坂さん達、本当に凄いんだよ? 何でも出来るし、誰にでもズバッと答えるし」

 

「だろうな。特にあの二人には口で勝てそうにないよ」

 

 うん、そう考えるとあの二人にこのことを相談するのは不安になってきた。どちらかだけに相談することも視野に入れるか……いや、待てよ。

 

「なぁ森山、今度の週末暇だったりするか?」

 

「え? えぇと今週はちょっと用事があるから、来週なら大丈夫だけど…………」

 

 フォークを加えたまま、森山はことんと首をひねる。学園のマドンナの不意討ちに少しドギマギしてしまうが、提案した。

 

「じゃあ来週、イリヤの誕生日プレゼントを一緒に買いにいかないか。自分でチョイスすべきなんだろうけど、的確な助言をしてくれた森山なら間違いはないだろうから」

 

「……」

 

 と、森山が沈黙する。ぼけーっ、とした後、自らを指差して、

 

「来週、買い物? わたしが、衛宮くんと?」

 

「お、おう……もしかして、予定あったか? 無理矢理じゃないし、ダメなら遠坂達に」

 

「行きます行きたいです行かせてください!!!!」

 

 がばっ、と勢いよく俺の手を取る森山。近い、勢いがありすぎて顔の距離がとても近い。間近で見ると、その端正な顔に釘付けになってしまう。

 しかし。

 目だけを周囲に動かすと、男共が嫉妬の視線をこちらへと叩きつけてくる。女子は女子で仇敵のような扱いだ。これは不味い、クラスの中で俺の好感度ランキングが凄まじく落ちている気がする。

 

「森山、その……みんな見てるから」

 

「あ……ご、ごめんね? いきなり」

 

 気付いた森山が手を離し、ばつが悪そうに笑った。未だに高鳴る心臓を静めながら、

 

「とにかく、来てくれるってことで良いんだよな?」

 

「う、うん。士郎くんが良いのなら」

 

「ありがとう、森山が来てくれるなら助かるよ」

 

「わかった、じゃあよろしくお願いします」

 

 ぺこり、と頭を下げる森山。何ともサマになる。ともあれ、これでプレゼントは何とかなりそうだ。もし何も思い付かないなら、いっそのことプレゼントのことをイリヤに話して、好きなものを買うっていう手もあったのだが、それじゃあ面白味がない。どうせならサプライズで贈ればもっと喜んでくれるに違いない。そう思ってきんぴらごぼうをボリボリ食べていると、

 

「そういえば士郎くん、クロちゃんや美遊ちゃんの分は良いの?」

 

「……へ?」

 

 クロと美遊? なんで? 思考が顔に出たか、森山は少し怒ったような表情で、

 

「士郎くん、知らないの? その二人も、イリヤちゃんと同じ誕生日なんだよ?」

 

「……え?」

 

……つまり?

 

「……プレゼント、三つも選ばないといけないのか?」

 

「そうだね。頑張って、出来るよ士郎くんなら!」

 

 森山の応援は嬉しいのだが、のし掛かる重圧は先程の比ではない。

 プレゼントが三つ? しかも妹? 十個近く下の好みに合ったモノを?

……兄貴って大変なんだなぁ。そのとき俺は、エミヤシロウという兄の強さを、改めて知った気がした。

 

「遅くなりましたわシェロ! さぁ共にランチを……ってミス森山!?!?」

 

「そこ、わたしの席なんだけど……そこ、わたしの、席なんだけど。良いご身分ね衛宮くん、女の子を侍らせるのがお上手なことで」

 

 そしてタイミング良く誤解を招きそうな発言をする二人のお帰りだ。オドオドし始めた森山を庇いながら、果たして無傷で昼休みを切り抜けられるか。今はそれだけ考えた方が良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……夜になった。

 日中は活気に満ちている冬木市も、この時間帯だけは静けさが支配している。町全体が眠り、人も夢へと誘われる。

 チクタクと秒針が時間を刻む。今俺の部屋には、その音しかない。それ以外の音はなく、それ以外の音は必要ない。

 カチン、と針が二重に響いた。日が変わった。座禅を組んだまま、精神統一を続ける。

 それはさながら、若葉から池へと落ちる水滴の気分だ。一滴一滴落ちるごとに、神経が鋭敏になり、世界と自分の境界が曖昧になる。

 ゆっくりと染み渡るように。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりーー。

 

「……ねー」

 

 しかし。

 それは呆気なく、お隣さんに邪魔されてしまった。

 

「ねー、まだするのーこれ? わたし、もう眠くて眠くて……このままだと眠っちゃいそうなんだけど……」

 

「集中しろ。投影魔術を使いこなしたいって言ってきたのはお前だろ、ならこれぐらいこなさないと話にならないぞ」

 

 それはそうだけど、とぶーたれるクロ。イリヤのお下がりを改造したパジャマは、肩や太股が出ていて妙に落ち着かない。

 深夜の鍛練。衛宮士郎にとってまず欠かすことはないそれに、クロが加わったのは一週間前ほどだ。

 

ーーほら、このアーチャーのカードってお兄ちゃん自身なんでしょ? ならお兄ちゃんから教われば、これからもっと強くなって、色んな人が守れるかなって。

 

 クロの提案は、俺にとって願ってもみないことだ。これからクラスカードを巡って、また戦いにならないとも限らない。そのとき普通の魔術師が出張ってくることはまずないだろう。確実にサーヴァントクラスの相手が狙ってくるハズだ。このクラスカードを作ったのが誰かは知らないが、備えておくに越したことはない。

 というわけでいつもの鍛練を一先ず一緒にやっているのだが、

 

「……だーっ! 無理! めんどくさい! 地味すぎてやる気出な~い!」

 

 そう言うなり、クロは後ろのベッドに倒れ込む。堪え性が無いとは思っていたが、ここまでだとは。

 

「……あのなぁ、クロ。俺達の剣製ってのは、俺達自身のイメージだけじゃなく、その心から造り出すモノだ。お前は仮定をすっ飛ばす余り、その心まですっ飛ばしてる。だから俺みたいな半端者にすら剣製で劣るんだ」

 

「それはもう何回も叩き壊されてるから、十二分に分かってるけど……それがなんでこんな修行僧みたいなことに繋がるわけ? 実践形式でガンガン斬り合った方が、よっぽど身になるでしょ?」

 

「はあ……」

 

「何よもう!?」

 

 たまらずため息をつく。アーチャーの記憶を垣間見たなら、これぐらいの心得は知っているハズなんだが……まぁ良い。

 

「クロ。お前にとって、アーチャーの剣製はどう見えた?」

 

「へ? どう見えたって……」

 

 背筋を曲げつつも、あぐらをかいて考え込むクロ。両目を瞑ると、その景色を思い出す。原初の景色を。

 

「……虚しかった、かな」

 

 うんうんと、頷いて。

 

「あの人の剣製は完璧だったけど、そこに自分は居なかった。ただ他人の力を、技術を、想いを、完璧に模倣して、完璧に自分の色を排除してた。そこに己は無くて、己なんて不純物だった……そんな、気がする」

 

「そうだ、それがアイツの剣製だ。他者を救うため、自分自身を最初から信じていない……いや信じられない、そんな剣製だ」

 

 それが英霊エミヤの出した、他者を救うための答え。己を擦り切らせて救う、恐らく自分が取るべき答え。

 

「常に思い描くのは、最強の自分自身……」

 

「! それって……」

 

「俺もアイツの記憶を覗いてたからな。アイツは剣製を使う度にそう思ってた。今の自分では勝てない、だから目の前の敵を超える自分を想像する……だけどそれは」

 

 今の自分を、そもそも信じていないのだ。

 信じているのは理想だけ。磨耗しきったとしても、全てを救ったのはエミヤシロウ(正義の味方)だけだ。

 そして事実ーーそれは正しい。

 

「俺達は確かに剣を造り出せる。それを使うことも出来る。だけど、使いこなせない。担い手にはなれない。誰かを真似ないとまともに戦うことも出来ない半端者だ」

 

 そうやって打ちのめされてきた。

 そうやって何度も辛酸を舐めさせられ、結果的に多くのものを取りこぼしてきた。

 でも。

 だから。

 

「ーーそれでも、負けたくないのなら。心だけは、誰にも負けちゃいけないだろ?」

 

 俺達は心が折れたら、本当に何も出来ない。それだけは許されない。この手がまだ動くというのに、心が揺らいでしまったら、あやふやな虚像しか生み出せない。

 それこそ、無駄な足掻きになってしまう。

 理不尽には、不条理には、運命には、どう抗っても流されるしかないのかもしれない。

 でも、それでも立ち上がりたいのなら。

 手を伸ばしたい、確かに実在する今を守りたいのなら。

 

「心を叩き上げろ、心に覚悟を灯せ。まずはそこからだ」

 

 俺の言葉がどれだけ届くかは、クロ本人でもなければ分かるまい。

 でも、心配は要らないだろう。

 何故ならクロも、俺と同じ世界を持っているハズだから。

 そんな思いが伝わったか、クロはやや気まずそうに。

 

「……ん。分かった。やります、やれば良いんでしょ……やるわよもう」

 

「分かればよろしい。じゃあ座禅からな」

 

 未だにぶつくさ言いながらも、クロは精神統一に入る。その姿は、子供の頃に叱られた自分にそっくりで、少し感慨深い。

 日々は過ぎる。

 でも平和は長く続かない。

 それを知っているから、こうして力になろうとしているが。

 危機は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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夕方~遠坂凛という他人~

 ようやく、とりあえずの日常を取り戻せた。凝りはあるが、それでも一段落した。足場は固まった。となれば、後は先を見据えた動きをしなければならない。

 放課後。斜陽が校庭に降り注ぐ中、俺と遠坂の二人は弓道場の裏にある雑木林に居た。聖杯戦争時で魔術関係の話をする定番のスポットだった場所である。本当ならルヴィアの邸宅で話せば良いのだが、何でも今日は屋敷に来てほしくのだとか。そこは人様の事情なので深くは突っ込まないが。

 というわけで、

 

「はぁ? 元の世界に帰る方法?」

 

 それまで背筋を伸ばして構えていた遠坂が、猫背になってこちらを見てくる。その目は何度も見てきた呆れた目だ。

 

「ああ。遠坂、確かゼルレッチって爺さんの弟子になって、第二魔法目指すんだろ? なら助言とか貰えないかなって」

 

「ゼルレッチの爺さんって……まぁ確かに、一癖どころか百ぐらい癖がありそうなクソジジイだけど……またなんで今頃?」

 

「色々一段落したからさ。となれば、次に目指すのは帰る方法だ」

 

「ポジティブなのかお気楽なのか……前向きなのはよろしいことで」

 

 む、さらっと馬鹿にされたようなニュアンス。ただ遠坂はきっちり考えてくれてはいたようで、

 

「んー……正直、衛宮くんの話を聞いてみた限り、何か要領を得ないのよね」

 

「? 何がさ?」

 

「だって、衛宮くんって第二魔法で飛んできたわけでしょ? 宝石剣の設計図に触れて、そこからは意識もなくここに来た」

 

「そうだけど……む? 可笑しいか?」

 

 いつも通りの一日を過ごし、あの洋館で魔術の手解きを受けていた。その途中で俺の世界の遠坂に宝石剣の設計図を渡され、飛ばされた。そのハズだ。間違いない。

 それからは色々なことがあったりしたが、今は省略して。

 

「それなのよ、可笑しいのは」

 

 遠坂はそんな俺の楽観的な思考を、呆気なく切り裂いていく。

 

「そもそも、秘奥の第二魔法に無断で触れたからって、あの爺さんがそこまで躍起になるとは思えないのよね……」

 

「? なんでさ? だって第二魔法だろ? ゼルレッチって爺さんも、それを会得するのに苦労したんじゃ……」

 

「大師父がどういう経緯で第二魔法なんてモノを引っ張ってきたか知らないけど、でもあの人はそんなことに固執する人じゃないわ……第二魔法なんて実験の一つで世界の法則なんて覆す禁忌、それこそ蠱毒とかの類いよ。自らトラップぐらい踏みにいかないと、欠片すら掴めない。その上で会得したなら、笑って色々教えるくらいの甲斐性はあるでしょ。変人ではあるけどね」

 

 遠坂はクラスカードの任務を受けたとき、実際にゼルレッチ卿に会っている。そこでどんなやり取りがあったかは知らないが、それでも遠坂がここまで言うのだから正しいのだろう。

 つまり、

 

「……遠坂からすれば、俺の言ってることは信じられないか?」

 

「信じられないわけじゃないわ。あなたがこの期に及んで、情報を渋るメリットも無いしね。だから可笑しいなら、あなたの記憶の方なんじゃないかしら」

 

 記憶、か。言われてみれば、俺の記憶はこの世界と元の世界の記憶が混濁していて、信憑性は下がる。修正されていくことで、思い出せないことも依然増え続けている。

 だが……。

 

「……あれ?」

 

「どうしたの? もしかして、何か引っ掛かることが?」

 

「ああ、いや……」

 

 そう言えば。記憶を探りながら、ふと、思った。

 

「俺……他の記憶は全部思い出すのに苦労してるのに、元の世界から跳ぶ直前のことは、なんでか鮮明に思い出せるな、って」

 

「跳ぶ直前? それって、宝石剣の設計図に触れたすぐのこと?」

 

 頷く。よく考えれば、何でこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。今だって元の世界の遠坂を思い出そうとすると、顔の輪郭すら危ういイメージしか湧かないのに、最後に意識を失う前の記憶はスッと思い出せる。俺の言葉に遠坂は口をへの字にして、

 

「そういうのは早く言いなさいよ、全く……まぁでも、それが分かったからどうということもないんだけど」

 

 遠坂は、

 

「あなたがどうやってここに来たのか。わたしなりに考えてみたんだけど……どう考えても情報が少なすぎるのよね。だってあなた、何も知らないし」

 

 うっ、確かに。

 

「だから違う視点から考えてみたの。一つは勿論敵方。そしてもう一つは、わたし。わたしなら(・・・・・)、どうやって、何のためにあなたを跳ばすだろうって」

 

「……まさか、遠坂が跳ばしたって言いたいのか!?」

 

 怒りよりも先に困惑した。なんだってそんな無駄な検証をするのか。遠坂が俺を跳ばした? そんな、馬鹿なことがあるわけない。

 

「いや、あり得ないだろ。なんだって遠坂が、ああいや元の世界の遠坂が、この世界へ跳ばすんだ? 大体どうやって? アイツ、第二魔法なんて半分諦めてたぞ」

 

「……それはもしかして左肩のそれに関係あるのかしら?」

 

「へ?」

 

 左肩……あっ。

 今でこそラインは消えているが、俺の肩には遠坂の魔術刻印が移植されている。あくまで一部だが、それでも遠坂家にとってはかなり痛い出費ーーそれも間違いなく俺なんかが身切りしても払えない感じーーなのである。

 

「……い、いつから気づいてた?」

 

「最初は変な共鳴、じゃないけど、違和感が腕にはあったわ。気づいたのはあなたの正体が分かってから。それで? あなたの世界のわたしは、何がどうなったら衛宮くんに魔術刻印を移植するくらいの仲になったのかしら?」

 

 そ、そこまで感づくとは。流石天才。しかし笑顔でそんなずいずい寄られてもこう、困る。一言では言えない仲なので。

 

「……え、えぇと……それなりに仲良くさせてもらって、ます?」

 

「なんで疑問形なのよ? ふんっ、まぁ良いわ。ほぼ初対面のわたしに対しての視線とか、信頼がどうにもチグハグしてたし、というかやけにフォローが手慣れてたし、あーくそっなんだってのよこの敗北感はぁ!!」

 

 何故か地団駄を踏む別カノ(別世界の彼女)。あー、人の事言えないしなぁ……アーチャーの奴への感情だと思えば、分からなくもないし……。

 

「遠坂、話を戻そう。これ以上は俺達にとって何も残さない。多分泥沼だ、果てしなく」

 

「むむぐ……」

 

 ぷひー、と鼻息を一度吹かすなり、ぱっぱっと身なりを整える遠坂。正常とは程遠い表情をしているものの、彼女はこほんと空咳を打って何とか立て直しを図る。

 

「んっ……じゃあ、続けるけど」

 

「おう、どんと来い」

 

「誰のせいだと思ってんじゃこの……ううんっ、続けるけど」

 

 大丈夫かホントに。しかしそんな俺の心配も杞憂で、遠坂はすらすらと、

 

「わたしならどうするか、って考えるとね? まずここへの跳び方に焦点が行きがちだった。でも分からないから、そこはすっぱり切り捨てて考えると、それ以外の要素は全部揃ってるの。不思議なことにね」

 

「例えば?」

 

「例えば、あなたの記憶が残ってること。それをわたしが跳ばしたって視点で見ると、違う意味を持つと思うの」

 

 つまり、

 

「わたしはあなたをここへ逃がした。そのために記憶は残しておいた……としたなら、繋がってくると思えない?」

 

「……逃がした?」

 

「ええ。確か、カレンだったかしら。彼女、あなたの世界出身なんでしょ? アイツの記憶が残ってるとしたら、彼女はわたしが送った派遣、救援ってところね」

 

 確かに。敵からすれば、カレンを送る意味もない。だが、

 

「それなら遠坂自身が来たら良いじゃないか。それにカレンだって、魔術師ですらない、ただのヘンテコ修道女だぞ。戦いには向いてない」

 

「分からない? わたしが、あなたを逃がすために、ここへ跳ばしたのかもしれないってことはね。わたしやサーヴァント一人が居ても、あなたを逃がすくらいしか出来なかった。それだけ状況が切羽詰まってたってことよ?」

 

「……」

 

 思い出す。いつか聞いた、呪いの声を。

 

ーー遠坂凛はそこまで強くないんだ。

 

 手遅れになる前に、どうにかしろと。そう忠告した声を。

 戯言だと思っていた。幻聴か何かかもしれないと。だからルビーは勿論、遠坂や親父達にもこのことは言ってない。

 でも今になって、周りをよく見える位置に立つことで、初めてその感情が芽生えてきた。

 恐怖。元の世界がどうなっているのか。誰の手に落ちているのか。いや、そもそも俺の知る世界のままなのか。自分がいかに未来を見えていなかったか、思い知る。

 

「未熟な弟子一人をこんな風にほっぽってる以上、敵に捕まったか、何らかの妨害をされているのか……推測でしかないけど。でも安心なさい、なんたってわたしよ? 一杯食わされてもただじゃ起きないわ、絶対に」

 

 不器用だ。顔に心配すんな、とぶっきらぼうにも丸々書いてある。笑いがこみ上げてくるのを我慢して、小さく首肯した。

 

「まぁ何にせよ、わたしがあなたをどうやって跳ばしたのかが判明していない以上、どうにもならないのは確かよ。で、今度は逆。敵側に立って考えると、今度は妙に符合しない点が多くなってくる」

 

 さっき言ったカレンのことや、俺の記憶のことが主にそうだろう。敵が何のためにここへ跳ばし、中途半端な処理で放置しているのか。その全てが全くもって不明瞭なのだ。

 

「衛宮くんをここに跳ばした誰かと、クラスカードを製作した魔術師は、間違いなく繋がってる。わざわざこんなところへあなたを転移させたなら、殺す以外に何か目的があるハズなんだけど……」

 

「時間稼ぎとかじゃないのか? 俺の世界の遠坂と結託するのを防いだとか」

 

「なら尚更記憶を処理しないのも不自然だし、そもそもそれなら時間を稼ぐんじゃなくて殺せば良い。あなたの魔術は特異ではあるけど、クラスカードなんて代物作れる相手からしたら、むしろ邪魔なんじゃないかしら」

 

 俺の投影は英霊の宝具すら容易く再現する。武具だけで人は強くなれないが、真名解放だってやれば出来た。英霊をカードにし、それを使役する敵からすれば、確かに魔力だけを対価に作り出す俺の存在は邪魔でしかない。上手く使えば、人間でも英霊を倒し得るだけの武器を魔力の続く限り生み出せるのだから。

 そんな俺を、残す必要が果たしてあるのか?

 

「……それでもお前は、敵方の視点から考察してる。なら、可能性が無いわけじゃないんだろ?」

 

「ええ。何せどうやって跳ばしたか、この一点だけなら相手は明確だから」

 

 そう。

 世界の移動、そんなものは奇跡に近い所業だ。ならば奇跡を行えるモノがあれば、その点が繋がる。

 

「……クラスカードは、サーヴァントの力をカードに閉じ込めた礼装だ。つまり、元となるサーヴァントを呼び出さないとまず話にならない。そしてサーヴァントを呼び出せるほどの大容量の魔力はそう簡単に用意出来ない。それこそ遠坂みたいな魔術の名門でも」

 

 元の世界の遠坂は、俺と協力してセイバーを現界させていたが、それだって相当な無茶をしていたのだ。戦闘なんて持っての他である。あくまで呼び出したのは聖杯であり、マスターなどその楔でしかないのだ。

 逆を言うなら、聖杯さえあれば良いということの証明でもある。

 

「そう、聖杯による召喚……聖杯を使えば、世界の移動は勿論、サーヴァントの召喚だってお手のもの。そうでしょ?」

 

 俺は聖杯を使ったことが無いからどんな願いまで叶うのか、何とも言えないが、その名前の看板はそこまで安くない。あらゆる組織がその価値を認めた奇跡が聖杯だ。少なくとも俺の想像する全てが叶うのだろう。

 となると、

 

「敵はやっぱりクラスカードの製作者……俺の世界の聖杯戦争の関係者か。というか、それ以外に候補が居ないけどな」

 

 クラスカードが冬木市に埋め込まれた同時期に、俺は跳んできた。何をさせたくてここに跳ばしたかは今も不明だが、少なくとも感動の再会などのお涙頂戴のために跳ばしたわけでもない。むしろ俺を追い詰めようとしたのだろう。

 と、

 

「それはどうでしょうね。衛宮くんの世界の住人とは限らないんじゃない?」

 

 遠坂は人差し指を立て、

 

「良い? クラスカードは確かに衛宮くんがここに移動した同時期に出現した。そのカードも衛宮くんが体験した聖杯戦争のサーヴァント達がほとんどだった。間違いない?」

 

「ああ……それが?」

 

「サーヴァントをほとんどあなたは知ってた。でもあなたも知らないサーヴァントが居た。となると、あっちはそれを見ていたってことでしょ?」

 

「……見てた? 誰が?」

 

 バカ、と容赦なく遠坂は罵倒しながら、

 

「言ったでしょ、聖杯よ? もし相手が聖杯を持っているのなら、別にあなたの世界の住人じゃなくても良いじゃない」

 

「……?」

 

「あーもう、本当に察しが悪いわね! 忘れたの? 聖杯なら、あなた達の聖杯戦争を知ることも、あなただけを跳ばすことも可能じゃない!」

 

「あ」

 

 そうだ。……そうだ!

 聖杯は何も一回ぽっきりの使い捨て切符じゃない。贋作であろうと、力があるのなら、願いの限度はあれど回数制限はない。俺達の聖杯戦争を知り、そこからクラスカードを作り、そうして勝者の俺をここに跳ばすことだって、可能なのだ。

 

「ここまで色々仮説を立てたけど、わたしの仮説はこうよ。衛宮くんの記憶はともかく、あなたがここに跳ばされたのは聖杯によるものなんじゃないかってこと」

 

 そうか、なるほど。この可能性は考えもしなかった。少なくともクラスカードの製作者は聖杯を持っていなければ、七枚、いや八枚ものクラスカードを量産出来ない。召喚、という工程がなければ。

 

「そしてもう一つ。あなたを跳ばした主犯は、多分あなたの世界の人間でも、この世界の人間でもないわ。ほぼ間違いなく」

 

「……いくら相手の魔術師に隠蔽技術があっても、魔術協会や聖堂教会が聖杯を感知しないわけがない。何処からか漏れる。でもここではそんな動きは何処にも無かった、そうだろ?」

 

「正解。衛宮くんも頭のギアがようやく上がってきたようね、よろしいよろしい」

 

 冗談めかして遠坂は続ける。

 

「お察しの通り、わたしが探った限りじゃどちらからも目立った動きは無かったわ。聖遺物クラスのモノを回収した、もしくは見つけたなら誰かがそれを嗅ぎ付ける。けどそんな匂いは何処にもない。だから相手はこの世界にも、あなたの世界にも居ない」

 

「だから相手は第二の平行世界から、か。クラスカードを回収しに来ないってことは、まだあっちもこっちのことは認識してないんだろうけど……まいったな。この世界に居ないんじゃ、対処しようがない」

 

 クラスカードを回収して、そろそろ半年近く。音沙汰が無いのは相手も何らかのトラブルがあったからと踏んでいるが、平行世界なら話は別だ。あちらが攻められないように、こちらも攻められないのでは話にならない。

……頭が痛い。どう考えても残り半年かそこらで終わりそうな案件ではない。

 ルビーが言っていた。魔術を全開で使えば、半年しか体が保たないと。転移が第二魔法で無かったとはいえ、起こった現象はそれと同じだ。故にルビーの宣告は覆らない。

 手をこまねいている今、ジリジリとタイムリミットが迫っているのである。

 どちらにしても、ピースが足りない。仮説を立てても、それを埋める欠片が、そこら中に溢れている。

……これ以上は収穫もない、か。

 

「……遠坂はどっちだと思う? 敵か、それとも俺の世界のお前がここに跳ばしたか」

 

「そうね……まぁ信憑性としては、敵が跳ばしてくれたなら万々歳なんだけど。こうして敵の目論見は外れて、衛宮くんは元居た世界へ帰るための道筋を立てている。でも、もしこれがあなたの世界の遠坂凛によるものなら」

 

 苦い顔で、こう続ける。

 

「遠坂凛が追い詰められて、あなたを跳ばしたなら。いや、逃がしたなら。そんな最悪のケースも想定しておいた方が良いのかもしれないわね」

 

 重苦しい空気が、林の中を支配する。それは何より、自分がこの状況の脅威を認知したからこそ、余計に行き詰まった気がしたからだ。

 

「……どうしたもんかな」

 

 ついぼやいて、すぐにそんな弱さを吹き飛ばすように頭を振る。

 クロに言ったじゃないか、心を強く持てと。その俺がこれでは話にならない。

 

「ま、ジッとしてはいられないでしょうけど、一人で突っ走ることだけは止めなさい。イリヤ達を心配させるだけだから」

 

 遠坂の忠告に頷き、心の中で謝る。俺の寿命のことは、ルビーとサファイア以外知らない。クロでさえだ。だから謝っておく。多少無茶しないと、この問題は解決出来そうにないから。

 と、つい話し込んじまってしまった。もう六時前になろうとしている。これ以上は待たせるわけにもいかない。

 

「遠坂。悪いんだけど、今日俺用事があってさ。寄りたいところあるからここからは一人で帰ってくれるか?」

 

「別に良いけど……用事って、新都の方? 何かあるの?」

 

「ああ、ちょっとな。思い出の場所っていうか……」

 

 ふーん、と疑いの視線をぶつけてくる辺り、遠坂の中での俺の評価が伺えるというものだ。しかしそんな疑いの色も、すぱっと放り捨てるのが遠坂だ。

 

「ま、なんでも良いけど。……ああそう、あなた最近美遊と何か話した?」

 

「は? 美遊と?」

 

 また随分と唐突な質問だ。この脈絡の無さ、遠坂にしては珍しい。

 

「なんだよ藪から棒に。美遊に何かあったのか?」

 

「……ううん、別に。あなたが何も無いなら良いの」

 

「? おい遠坂、何か隠してるならはっきりと言ってくれないと」

 

「良いから良いから。ほら、行った行った」

 

 しっしっ、と追い払いながら、遠坂はむすっとしたまま背を向けた。横暴にも程があるが、アレは遠坂なりに配慮してくれた結果、ああなっただけだ。これ以上は何か聞こうとすれば手どころか呪いでも飛んできそうである。

 目的を果たしにいこう。雑木林を抜け、そのまま俺は目的地へと進み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーInterlude1-1ーー

 

 

 本人はそういった言葉を毛嫌いするが、遠坂凛は将来を約束された有望な魔術師だ。

 魔術の名家である遠坂の長女にして、並外れた魔術回路に、五大属性全てを高レベルで扱う五大元素使い(アベレージワン)の才能。若くして時計塔鉱石学科の次期首席も夢ではないと噂されるくらいだ。

 そんな遠坂凛だが、ここ数ヵ月でそんな見識を、悉く叩き壊されていた。

 

「はぁ……」

 

 凝った肩をトントンと拳で労りながら、凛は嘆息する。

 クラスカードをばらまいた元凶。その正体を考えなかったわけではない。ただ、ヒントが全く無いから推理すら出来なかっただけで。

 しかしカードを集める度に、凛は考えを改めていた。

 これは、まともじゃない。

 一つの時代に一人現れるだけで、まるごと塗り替える英傑を、町の至るところに七人仕掛ける。これだけでも相手が相当頭のネジの飛んだ相手だと察せられるのに、それを礼装に仕立てあげた?

 スケールが違いすぎる。あんなモノを作るなんて、戦争でも起こすつもりなのかと。そんな首謀者がどれだけ危険か、分かったモノではない。いや、きっと自分では理解することすら出来ないに違いない。

 そんなときに、イリヤと士郎の事情が分かった。

 聖杯、そして第二魔法。それらの符号を合わせれば、自ずと一本の線が見えてくる。

 

(……仮に第二魔法、いや聖杯によってクラスカードがこの世界に送られてきたとして。本当にこの世界に来たのは、それだけ?)

 

 クラスカードをこの世界にもたらした意味は全く読み取れないが、それにしたってこうも無反応は可笑しい。普通は集めた瞬間や、集める途中でちょっかいをかけても可笑しくないハズだ。つまり相手は今、こちらの世界の内容を知る術が無いということになる。

 そして、それは同時にーーあちらの手元には聖杯がなく、クラスカードと一緒にこの世界に辿り着いた可能性があるのだ。

 ここでポイントとなるのが、聖杯の形だ。聖杯と言えば、イメージするのは黄金の杯のような、いかにもそれっぽいモノである。

 しかし凛は知っている。この世界ではその器を、ホムンクルスにしたことを。もしもその世界でも聖杯がただの器だけでなく、例えば人間を象ったモノだとしたら。そしてそれが、ここにもあるのだとしたら。

 その候補は、たった一人しか居ない。

 

「……わたしにどうこう出来る問題じゃないのは知ってるけど……」

 

 知っていたハズだった。

 空は遠い。(ソラ)は遠い。世界(ソラ)は遠い。

 客観的に見れば、人間の力なんてちっぽけで。だからその世界に近づくために、魔術を磨いてきた。冷酷に。純粋に。ひたすらに。人間性を削ぎ落としてでも。

 でも、そんなことをしても目の前の問題は何一つ解決出来ない。

 自分より年下の子供に頼り、お人好しの少年に頼り、あげくの果てにはそれを良しとしなければならない状況で。

 いや、以前からそうだったのだ。

 クロのときも。クラスカードを回収したときも。結局凛は苦渋の決断と自分を偽って、他人に託すことしか出来なかった。

 魔術師だから。英霊には勝てないから。人様の事情に首を突っ込むわけにはいかないから。

 理由は何通りだって思い付く。思い付くから、そうした自分の醜さがどれだけ周囲を巻き込んでいたか、初めて分かった。

 

「……わたしってば、いつからこんな卑屈になっちゃったんだろ」

 

 出た笑いにも、些か力がない。

 そう言えば、と。凛は夕焼けを仰ぐ。

 あの日もこんな風に、綺麗な夕焼けが差していた。だだっ広いグラウンド。自分の背丈ほどもあるバー。それに向かって走っては飛び、全く越える気配のない高さへ挑む、彼。

 彼の棒高跳びを見て。それまで培ってきた何かが、それに語りかけていた。

 それを見てはいけない。

 それを認めてはいけない。

 けれど目は釘付けになったまま、体は動いてしまった。

 

ーーでも、それが挑戦を止める理由にはならない。

 

 今思えば、あのときから遠坂凛は怖かったのだ。

 少年の異常なまでの頑固さに、ではない。

 無駄を無駄とせず、まるでその無駄こそが何よりも財産であるように語る、その横顔が。

 美しかった。誰よりもそれを見ていたから、その行為に意味があったと認めてしまいそうになったから。

……もしあの時。変に意固地にならずに。

 自分もこの高校の制服を纏って、衛宮士郎と一緒に学校へ行っていたら。

 少なくとも、もう少し自分も誰かの相談に乗ったりして、こんな時に役にたてたのではないか、なんてーー。

 

「……あー。こりゃ馬鹿が移っちゃったかな、わたしにも」

 

 顔を手で隠して、また溜め息。

 帰ろう。こんなのは間が差したのだ。今更どうこう出来る問題じゃない。自分は魔術師、そういったことまでケアする必要はない。それは無駄だ。全くもって、無駄でしかない。

 

ーー仲良くさせてもらって、ます?

 

 そう。全部全部簡単に切り捨てられたら、どれだけ良かっただろう。

 この胸の疼きも。

 溢れそうになる言葉も。

 そして何より、自分はもう負けていることも。

 全部、忘れてしまえたら良いのに。

 背筋を伸ばす。優等生遠坂凛の仮面を被って、雑木林から校庭へと戻る。とにかくこのままじゃいけないと。

 が、そんな仮面はすぐに剥がされてしまう。

 弓道場の真ん前。今しがた来たのだろう、制服姿の美綴綾子が手を振ってきた。

 

「おーおー遠坂じゃん。どうしたそんな恋愛スポットから出てきてさ、まさかついに誰かに告白してきたりしたわけ?」

 

「……あのね綾子。わたし告白されるより前に、ちゃんと告白するタイプだから。そこは譲らないから」

 

「言うじゃん優等生。わたしはどっちかと言うと待つかな、いや自分で行くかな。うーむ」

 

「知らないわよそんなの」

 

 ぴしゃりと吐き捨てるが、綾子は全く気にも止めない。グッバイミス優等生、お帰り数分前のキャット遠坂凛。こやつの相手は優等生スキンではどうにもならぬ。

 美綴綾子という少女は、凛にとって数少ない本性をさらけ出せる相手の一人だ。変に女々しくないし、かと言って馴れ馴れしくもない。サバサバとしている、と言えば男勝りなようにも聞こえるが、彼女は単に姉御肌なのだろう。年相応には恋も青春も謳歌したいんだそうな。

 

「部活は? 主将さんがこんなところで油売ってて良いの?」

 

「ご尤も。でもまぁ、うちはそんな伝統とか規則とか格式とかでがんじがらめってわけでもないし、顧問からしてゆるゆるだしね。勿論、部活そのものに手を抜いてるわけじゃないけどさ」

 

 このくらいが丁度良い塩梅、と勝ち気な笑みを見せる綾子。その姿はまさに日向側の人間で、嫌でも日陰側の人間である凛には、眩しく見えた。

 無い物ねだりもそこまでにしなければ。隣の芝生が青いなんてこと、ずっと前から知っている。

 

「そう。なら弓道が恋人の主将さんには、早く彼氏に会わせてあげないとね」

 

「わたしは仕事が恋人なOLじゃないっての! ていうか遠坂こそ、後追わなくて良いわけ?」

 

「あと? 誰の?」

 

……はて? 自分がそこまで親しい相手なんて居ただろうか。少なくともさっき別れたシスコン馬鹿の他にーー。

 待て。

 今、何を考えた。

 

「だーかーら。あんた、衛宮のこと好きなんでしょ(・・・・・・・)? あんな楽しそうに話してるし、一人でほったらかしにしといて良いの?」

 

「ば、っ、は、あぁッ!?」

 

 勢いで周囲と件の少年の姿の姿がないか確認する。首が取れる勢いで目を走らせ、すぐに凛は綾子と肩を組んでこそこそと話し出す。

 

「な、何がどうなったらそうなるのよ!? え、衛宮くんと? わたしが? ま、まさか、そんなわけ……!」

 

「むしろ隠してたつもり? わたしは大っぴらに公表してんだろうなって認識だったんだけど。分かりやすいし開き直ってるのかと」

 

「そ、そそそそんなわけないでしょ!? だーれがあんなトーヘンボクが、す、す、うがぁーーっ!?」

 

「そのトーヘンボクに、今みたいにヤキモキしてるわけだ。なるほどなるほど」

 

 クク、と実にイイ笑顔の綾子と、ぐぬぬ、と恥ずかしいのやら怒っているのやらはたまた泣きそうなのか、百面相を披露し始める凛。なお百面相中は足の先から脳天まで林檎のように真っ赤である。最早察してくれと言わんばかりだ。

 

「まぁまぁ。最初は刺々しくて、喧嘩売りっぱなしのあんたも、少しはマシになったんじゃない? 牙抜かれた、というか、チーターが猫になったみたいな格下げだけど」

 

「……そりゃ心配してくれてどうも。というかわたし、そんなにモメ事起こすような態度取ってた?」

 

 今思えば、大師父の判断のせいでイラついていたのもある。でも何より、魔術の探求が、こんな島国に居ることで遅れることが一番苛立っていたのだ。今は時間が経ち、そんなことする前に様々な事件があったせいでろくに考える暇も無かったわけだが。

 

「それも自覚無し? 遠坂、あんたも大概疎いというか、衛宮と似た者同士というか……あー、だから惹かれあったのか。納得」

 

「もーその話は良いから!! さっさと部活行け、こんにゃろーめ!!」

 

 うがーっ、と捲し立てるものの、どうにも負け犬の遠吠え感は消えない。流石にこれ以上は遅れることは許されないのだろう、綾子は好好爺みたいな笑い方で弓道場へ足を運んでいく。

 と。弓道場に入る前で、綾子は言った。

 

「ね、遠坂」

 

「なに? 言っとくけどからかうなら」

 

「わたしはさ、アンタがここに来て良かったって思ってる」

 

「は?」

 

 なんだ、いきなり。唐突な告白に凛が眉根を寄せるものの、さして綾子は気にせず、

 

「だってアンタ達が居るだけで、毎日学校が大騒ぎなんだもん。もうちょっと静かにしてって思うときも無くは無いけど、まぁそれも悪くはないじゃん? 楽しいしさ」

 

「……つまり?」

 

「アンタはどう? 楽しい、学校は?」

 

 普通の問いだった。そのハズだった。

 でも何故か、心臓が跳ねた。そんなことは考えもしなかったから。

 

「なんで……」

 

「そんなこと聞くのって? だって遠坂、最初は学校早退してたりしたじゃん。家の都合とかで」

 

 それは……魔術で使う宝石とそれを調達する金が不足していて、ルヴィアの屋敷でバイトしていたから、なんて口が裂けても言えない。情けないし。

 でも。こうしてここでの生活が数ヵ月過ぎた今だから、振り返ってみれば。最初の頃、自分は楽しめていただろうか。

 一年なんてあっという間、なんて無駄が多い一般人の理屈で、魔術師は違う。一日一日が血肉の糧となり、形成される魔術にそれが色濃く現れる。

 だからこそ自分の魔術が使えなくなりそうになったとき、プライドを捨ててまでアルバイトを始めた。それが着実に未来の自分に結び付くと信じていたから。

 でも、本当にそれだけだっただろうか。

 何処かで思っていなかったと、そう心から言えるだろうか。

 こんな砂糖菓子みたいに、甘さで溺れそうな場所から、一刻も早く離れたく無かったかと。

 

「……わたしは」

 

 二の次はない。答えられない。だから続けたのは、日向の側に居る少女だった。

 

「そんなアンタがさ、学校に一日一日来るようになったのって、衛宮のおかげでしょ?」

 

「……ん、まぁ」

 

 綾子の言う通りだ。

 ある日、いつものようにアルバイトに励んでいたとき。あの少年は、こう言ってきたのだ。

 

ーー俺はあんまり遠坂のことを知らないから、ここでの生活をどう思ってるかは分からない。でも。

 

ーーもしも遠坂が、この無駄を許容出来るなら。少しくらいは寄り道したって、良いんじゃないか? だって損じゃないか、せっかくこんなところまで来たのに魔術のことばっかりじゃさ。

 

 無駄と損という言葉にとかく弱い凛だが、それだけじゃあ学校には行かなくなっていっただろう。何せ天秤にかけるならば、魔術の比率が勝つ。

 だからこそ続いた言葉に、心を揺らされたのだ。

 

ーーまぁ、言葉を並べたけどさ……俺は、お前に来て欲しいんだ。無駄かどうか、損だったかどうかじゃなくて。一緒に学校に行きたいんだ、遠坂と。

 

 あの日から数年。世界が変わっても、背丈は伸び、魔術師になっていても、その瞳は、心は欠片も変わっていなかった。

 流れいく時と変わりいく季節。そんな中で、どんなときでも、手を差し伸べてくれたそれは、なんてーーーー。

 

「おーおー浸ってる。そんなに王子様が好きかい?」

 

 あーもう、ぶち壊してくれるんだろう。

 

「……いつか天罰が落ちるわ、あんた」

 

「そう言うなって。衛宮の奴のおかげで、アンタもここに馴染めたんだしさ。わたしも毎日がもっと楽しくなったし!」

 

 良いことづくめっしょ、と気楽に言ってくれるクラスメイト。凛としては頭が痛いことこの上ないが、

 

「で、今は? 学校は楽しい、転校生?」

 

「……まぁ」

 

 すぅ、と息を吐く。背後の黄金色に染まった校舎を一瞥し、

 

 

「ーーうん、楽しいわ」

 

 

 こんな無駄だって、時にはあってもいい。

 魔術の糧になんかならなくても。

 人生を彩る、思い出にはなるのだから。

 だから、今はそれで良い。

 

「ライバル多いから頑張りなよ遠坂ー。胸だとアンタ同学年だと最下位なんだしさ」

 

「そんなことないわ! あるわ! 人並み程度にはあるわ!?」

 

「そうかぁ? 金髪の転校生さんと並ぶと一目瞭然じゃん」

 

「アイツと比べんな!! ちくしょーめ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新都は、帰宅中の人々でごった返していた。バス停や駅、建物から、何度も出入りする様は生き急いでいるようにも見える。一日を終え、これからあるべきところへ帰るのがほとんどだろう。

 そんな人の波に逆らいながら、淡々と歩く。そう、一般人としての時間は一旦終わり。ここからは魔術師として、目的を果たさねばならない。

 一定時間歩いて、目的地が見えてきた。街灯も少ないが、忘れようもない。管理が行き届いた墓地を横切り、着いたのは教会だった。

 そう。元の世界で聖杯戦争の監督役である、あの男が居た、不可侵の教会。周囲が木々に囲まれているからだろう、空と教会の先端は赤く染まっているが、そこから下は全て影が支配している。ここでも同じではあったが、その役目は当に終わり、十年の月日が流れているハズだ。

 なのに、この空気は変わらない。

 寒々とした、物寂しさというよりは色褪せた写真のような外観、空気。足が前に進むことを拒絶する、魔術師の屋敷と似た気配を感じる。

 

ーーもしものときは、全身凶器女か、ドSシスター頼れ。

 

 呪いの男は言った。怨念と狂気の声で。

 信用したわけじゃない。所詮は狂言だ、信ずるに値しない。

 それでも、進まなければならない。

 ここに鍵がある。それだけは確かだから。

 扉の前まで行くと、深呼吸する。扉の取っ手に触れると、たまらず身震いした。鉄独特のざらざらとした感覚だけではなくーーまるで逃さないと、取っ手に掴まれたような気さえした。

 

「……今更何を怯えてるんだか」

 

 ここは衛宮士郎にとって、間違いなく鬼門だ。地下に何があったかは知らなくても、自分は無意識にここへと足を踏み入れることを心から避けていた。

 だから、進まなくては。

 ここにこそ、色んな謎を解く手がかりがあるハズだ。ここだけにしかない、何かが。眠っているハズだ。

 

「……よし」

 

 行こう。自分を奮い立たせ、力強く、取っ手を中へと押した。

 ギィ……と、蝶番が軋む。中は明かりもなく、夕暮れの赤だけが窓から差し込んでいた。しかしそんなこと、すぐに気にならなくなった。

 柔らかなピアノーーいや、オルガンの音色。貞淑で、ただでさえ厳かな教会に、迷い子を包み込む母性すら感じ取れる。そんな旋律がぐるぐると回っている。

 しかしーー神聖な領域である教会の中で反響し続けるそれは、最早音色ではなく叫びだ。訴えにも近いのかもしれない。押し付けの究極形。それはこの世全てを救いたい、そんなマニュアルじみた教えが生み出したのだろう。いっそ乱暴で、耳どころか脳そのものが揺さぶられる。

 

「……、」

 

 気持ち悪い。車酔いになりかけているみたいな、中途半端な吐き気は、平衡感覚すらズタズタに引き裂くようだ。

 教会は俺の知る間取りと似ていた。何列もある長椅子と、正面には縦に長い大きな窓。違うとすればその下にあるオルガンで、ただ一心に弾き続ける影。

 いつもなら待つのだが、そんな悠長にも待っていられない。

 

「なぁ、今良いか?」

 

 その言葉で、一定の旋律を保っていたパイプオルガンが一気に崩れ、不協和音を奏でる。お節介な叫びが不快な音となり、演奏者は少し不機嫌そうに、

 

「……数少ない趣味を邪魔するなんて、小間使いのくせに良いご身分ね。主の教育がなってないわ」

 

「誰が小間使いだ、誰が。どうせ最後まで聴いてたら変なことに付き合わされるんだろ、報酬とか言って」

 

「失礼な。我が父に誓ってそれはないと言えます。もしや信用出来ないというの、この修道女の言葉が?」

 

 可愛らしく首まで傾げやがるが、これほど腹立たしく信頼出来ない相手も居ない。あの神父を除いて。

 彼女ーーカレン・オルテンシアに、吐き捨てるように告げた。

 

「ホント父親そっくりだな、アンタ」

 

「それはお互い様だと思いますが、この駄犬が」

 

 

 

 



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夜~教会、真相究明へ~

 オルガンの演奏が途切れたことで、澄徹していた空気は、既に一変していた。

 ガラスが割れたイメージ。それは俺達が引き起こした、この世界にとっての異端行為。つまり、元の世界についての会話だ。

 カレンが元の世界の住人であることは、この世界で会ったときから分かっていた。それから色々あって聞けずじまいだったがーーもう、後回しにしていられない。

 

「俺の用件は分かってるな?」

 

「ええ、大体は」

 

 カレン・オルテンシアは、相変わらず無愛想……というより、感情が抜け落ちたような不変さで佇んでいる。可愛いげのない、客人には笑顔の一つでも振り撒けば良いものを。

 聞きたいことは沢山ある。だが順を追わねば意味がない。

 

「なら一つずつ行こう。まずはそう、俺のことから。誰がここに跳ばした? 何のために?」

 

 ピリっ、と頭の奥に静電気に近い衝撃が走る。世界の修正力か、はたまた魂の統合のせいか。こんな質問ですら痛みが走るのなら、とにもかくにも早く答えてもらわないとろくな質問すら出来ずにギブアップしてしまう。

 

「その前に一つ、注意してもらいたいことがあります」

 

 が、そんな俺を、カレンは遮る。

 

「なんだ? こっちは頭割れそうなの我慢してるんだ、ちょっとのことなら」

 

「今私には、元の世界の記憶(・・・・・・・)がないとしても、ですか?」

 

「……なに?」

 

……思わず耳を疑った。記憶がない、だって?

 元の世界に帰る。そのための唯一の手がかりが、俺と同じくこの世界に跳ばされたカレンだけだ。なのに、

 

「お前が覚えてないんじゃ、そもそも正確な状況把握さえ無理じゃないか……」

 

 身の毛もよだつ。遠坂との会話で、やっと見えてきた全貌の照らし合わせすら出来ない。これでは本当に、帰る手段への道筋が立たなくなってしまう。

 

「じゃあお前も、知らない内に跳ばされてきたっていうのか? ならなんで俺のことを知ってる?」

 

「勘違いしないでほしくないのですが、あくまで記憶はありません。いえ、これでは語弊がありますね。正しくは知っているのだとは思いますが、それを今は忘れています」

 

「……手短に」

 

「あなたは今、元の世界の記憶の半分以上が思い出せなくなっている、そうですね?」

 

 頷く。自分の記憶こそ曖昧だが、それが証拠だ。思い出せないことが証明など、笑い話にもなりはしないが。

 

「ですが私も、あなたと同じように忘れている。しかしそれはあくまで、思い出だけ。知識までは忘れてはいません」

 

「……つまり?」

 

「現状の正確な把握こそ難しいかもしれませんが、少なくともあなたに有益な情報を提供出来ます。あなたの勘違いを解くくらいには」

 

 つまり記憶はないが、記録はある。そういうことだろうか?

 記憶がないくせに、よくそこまで豪語出来るモノだ。しかし話を聞く価値ならば、十二分にありそうだ。カレンは不確定なぼやし方はしない。するとしても、呼び止めるということは、自分にとってそれは有益になり得る。

 カレンに先を促すと、彼女はすらすらと語り始めた。

 

「まずは私がここに来た経緯を。と言っても、私が話すことは全て推論に過ぎませんが。

 私は遠坂凛によって、この世界へ跳ばされた。目的は衛宮士郎ーーあなたの救出、そして敵への牽制というところでしょうか」

 

「……遠坂が」

 

「……驚かないのね、遠坂凛があなたを跳ばしたっていうのに」

 

「まぁ、その可能性も考えてたっていうか……」

 

 話している内に思ったが、あの業突く張りのことだ。俺がここに跳ばされた時点で、アイツなら黙っちゃいない。俺を一人前にすると、そう彼女は言った。一度請け負ったことは何がなんでも手放さない、それが遠坂凛という少女だ。

 それに俺は、心底遠坂を信じている。彼女ならきっと俺を手助けしてくれると。

 

「でもなんで遠坂なんだ? 敵に跳ばされたって可能性は?」

 

「わざわざあなたと同じ出身の私まで、ここへ跳ばす必要はないでしょう。敵の目的があなたと我々の分断、しいては排除なら、ここまで回りくどい手を使うのは不自然です」

 

……やはりそうか。しかし、

 

「こう言っちゃなんだけどさ、遠坂だって決まったわけじゃないだろ。第三者かもしれない。それに手段は? 聖杯だとしたらこんな中途半端なことにはならないだろ」

 

「信じてるって言っているのに、遠坂凛が第二魔法に辿り着いたという事実には気づかないのね」

 

 遠坂が、第二魔法に……なんだって?

 

「待てカレン。第二魔法? お前、そう言ったのか?」

 

「ええ。遠坂凛は第二魔法を会得した(・・・・・・・・・・・・・)、私はそう記録しています」

 

「じゃあ何か? 聖杯じゃなくて、第二魔法で跳ばしたのか!? 遠坂本人が!?」

 

 もしそれが本当なら、遠坂は最優先に狙われる対象だ。第二魔法があれば、セイバーを全力で使役することだって可能とよく遠坂は言っていた。

 クラスカードの英霊は、サーヴァントより一段とステータスが落ちている。この目ではっきりと見たわけではないが、サーヴァントも持たない俺が死なず、ヘラクレス相手に立ち回れたのが証拠だ。それに第二魔法を活用すれば、遠坂自身がサーヴァント並みの力を発揮することだって考えられる。まさに、今回の首謀者からすれば、天敵に近いのである。

 

「信じられないでしょうが、事実です。遠坂凛は体ではなく、魂だけ(・・・)をここのカレン・オルテンシアの肉体へ跳ばした。私が持っている知識を植え付けて」

 

 魂だけを……人の設計図たる魂、幽体を離脱させ跳ばす。ある意味ではそちらの方が難易度は高そうだが。それに跳ばすだけなら、模した意識を跳ばせば良いのではないだろうか?

 

「まさか。魂だけならば降霊術の類い、それこそ英霊召喚の術式を応用して、後は平行世界への門を開けば良いだけのこと。そんな簡単な方程式でもないでしょうが、少なくとも模した人形では世界の移動に耐えきれない。魂でなければ」

 

 カレンは話を戻す。

 

「私はここへ跳ばされてきた。目的はあなたの保護とサポート。そして正しい情報の伝達です」

 

「記憶が無くて、記録はあるって言ってたけど、それも遠坂がやったのか?」

 

「はい。憑依と似ていますが、どちらかと言えば幽体……例えるならば、この体は動かせる夢、のようなものですか」

 

 なるほど、夢か。

 分かりやすく言うならば、実態はラジコンヘリなんかに近いのかもしれない。魂がコントローラーで、体が機体。あくまで動かしているのは体だが、それを操作するコントローラーは別の世界のカレン……ということか。

 しかし、

 

「それなら俺も同じだと思うんだが。エミヤシロウの魂と体が、俺には融合してる。実体はあるけど、擬態という点で言えば、俺の方が」

 

「問題はそこです、衛宮士郎」

 

 カレンは真っ直ぐな目で、訴える。今の状況の危険性を。

 

「あなたは自身の体の変調が、第二魔法による魂のコンフリクト。そう思っていますね?」

 

「ああ、それが?」

 

「ですが私には、その類いの変調は起きていません」

 

「え?」

 

……なんだって?

 

「おい待て……お前、頭痛とかしないのか? こうやって話してるだけで、鼓膜が引っ掛かれた感じとか、しないのか?」

 

 今もずっとしている。耳鳴りや偏頭痛、吐き気。オルガンのときも酷かったけど、今はまして酷い。

 

「ええ、しません。それは、あなただけに、あなたにしか起きていません」

 

……どういうことだ? 世界からの修正は、俺だけじゃない。カレンにだってそれは振りかかっているハズだ。幽体だから? いいや、そんな曖昧な線引きじゃない。もっと根本的な見落としがある。

 修正力。

 同一人物。

 記憶。

 世界ーー。

 

「……別世界、の、記憶」

 

 そうだ。

 別世界の記憶があるだけで、修正力が起きるのなら。

 アーチャーの記憶。別世界のオレであるアイツの記憶を思い出すだけで、元の世界じゃこれと同じ症状があっても可笑しくなかったハズだ。

 それに修正力だって、よくよく考えたら可笑しい。

 俺とアーチャーが対面し、話したときも、熱にうなされるような不思議で不快な何かがあった。でも、それだけだ。今のように、存在自体を否定されるような痛みも、苦しみもない。

 だとしたら。

 今俺が味わっているこれは、なんだ……?

 

「…………」

 

「さて、ようやく本題ですね」

 

 カレンは告げる。

 

「あなたは世界から修正力を受けていると思っていた。別世界の記憶、肉体、魂が混在する存在を許されないと」

 

 だがそれは間違いだった。

 つまり、本当に許されない存在はーー。

 

この世界そのもの(・・・・・・・・)

 

 辺りの闇が濃くなり、空気が凝結する。まるで見えない手に掴まれたように、その言葉を出させないように。

 

「あなたが否定され続ける理由は、ただ一つ。異変が起きているこの世界の異分子、それがあなただけだからです」

 

「……」

 

 分からない、言っている意味が。

 だって、どうしてそうなる。

 異変? クラスカードが来るまで、何とか平和を保ってきたこの世界が?

 それとも。

 

「……元々(・・)、可笑しかった。もしかしてそう言いたいのか、お前?」

 

「それ以外に答えがあると?」

 

「あり得ないだろ、だって……!!」

 

 クラスカードによって、鏡面界なんてモノが出来た。それによってこの世界にも影響が出たならまだ分かる。サーヴァントの力を閉じ込めたクラスカードならば、八枚もあれば一つの世界に与える影響は計り知れない。

 だが、クラスカードがこの世界に出現するより前……どの程度前かまでは分からないものの、もしも本当に異変が起きているのなら。それならルビーとサファイアが真っ先に気付いたハズだ。

 なのに、あの二人は何も言わない。言っていない。

 

「宝石杖は確かに規格外の礼装です。しかし忘れたのですか? 敵には聖杯に等しい何かがあります。ならばそれを使い、この世界を意のままに変えることも可能でしょう? 意思も、例外ではない」

 

「それは……」

 

「それに並行世界とはいえ、この世界は元の世界とほぼ相違ない。並行世界は枝分かれするとはいえ、ここまで元の世界に近いのは、奇妙だと思いませんか?」

 

「……意図的なモノだって言いたいのか?」

 

 確かに、それは考えられる。基準となる正史世界から枝分かれするのが並行世界とはいえ、だ。類似点の多さは、俺も気になっていた。

 それにこれが聖杯に近しい何かによるものなら、それも不可能ではない。何せ聖杯による影響は絶大だ。七騎以上のサーヴァントを呼び込むということは、恐らく俺の知る聖杯より更に上の何かがこの世界に異変を起こした。そう考えれば、宝石杖のことや意図的にそれらを変えるのは例外ではないのかもしれない。

 でも、本当に?

 本当にこれは、聖杯によるモノなのか……?

 

「……」

 

 何か引っ掛かる。

 例えばこの世界が聖杯による何らかの影響を受けていたとして。

 そのことに、本当に一人も気づかないだろうか?

 絶対はない。気付かないわけがない。

 微かな歪みであっても、

 

ーー……そう。こんなもの、一時の夢ですもの。最後まで何も起こらず、元通りになるだけよ。

 

ーーわたしも、続けられるのならいつまでも続けていたいから。

 

 誰かがきっと気付く。そう、彼女(・・)達のように。

 

「……衛宮士郎?」

 

「あ?」

 

 声をかけられ、ぶるりと体が蠢動する。背筋が張り、目頭に残った倦怠感を振り落とそうと首を横に振る。何かを考えていたような気がしたが、忘れるようなモノならきっと大したことじゃない。

 見れば、驚いた。あのカレンが、少し心配そうにこちらを伺っている。その顔は年相応の、あどけない年下の女の子だ。

 

「少し、疲れましたか? 客人ですし、必要なら何か出しますが」

 

「……客人をついでみたいに言うなよ。それに今更だろ、いつも人を馬車馬みたいに扱っといて」

 

 む、と何故か不満げに睨み付けてくるカレン。ただまぁ、心配してくれたのは嬉しい。ここは厚意に甘えよう。

 

「悪かったよ、心配してくれたのに。じゃあ紅茶とか貰えるか? 喉カラカラだ」

 

「ええ、では」

 

 どうぞ、とカレンが先導する。どうせなら部屋でごゆっくり、ということなのだろう。続く形で、カレンの後ろをついていく。礼拝堂を出て、回廊へと。

 外はもうすっかり夜で、数十分前とはまるで別世界だ。教会に降り注ぐ銀光が屋根に遮られて、虫に食われたように道行く廊下を照らす。六時くらいかと一人考えてみて、はっとなって懐から携帯を取り出した。今の時代これがある。パカッと開いて確認すると、六時三十分を回った辺り。そろそろ夕食の準備も終盤、と言ったところか。

 カレンが、

 

「時間を気にしていますが……何か約束事でも?」

 

「いや、そろそろメシが出来上がる頃だなって。セラ……ああ、家政婦なんだけど、アイツの手伝い今日は出来なかったから」

 

「家政婦と一緒に小間使いですか。相変わらずですね」

 

「……アンタの毒舌もな。相変わらず修道女らしくグサグサ来て、涙が出てきそうだ」

 

 そう、と興味など微塵もない薄情者。少しは話を広げたりしないのか、と一回言いたくなる。

 

「ところで」

 

 歩くリズムは変えず、目線だけをこちらに向け、カレンは言う。

 

「あなたは、恨んでないのですか? あなたがそんな体になった原因である、遠坂凛を」

 

……それは、考えもしなかったことだった。

 ここに俺を送ったのが遠坂なら、遠回しにそれはエミヤシロウを殺した片棒を担いでいることになる。

 無論、遠坂だってわざとじゃないだろう。やむを得なくしたか、それとも完璧に第二魔法を使いこなせなかった故の事故なのか。正確なところなんて、俺には分からない。

 でも、知らずの内にどろりと額から脂汗が流れた。傷口が切り開かれるような、胸の痛みを伴って。

 

「実際のところ、元の世界がどうなっているのか、あなたの周囲の人間がどうなっているのか……私の記録には一切ありませんし、ここで予想を立てたところで無意味に不安を掻き立てるだけです」

 

 だからこそ、事実は徹底的に追求する必要がある。そのことに異論はないし、そうしなければ糸口など見つからない。けれど、

 

「……なんで今それを言ったんだ? 言う必要ないだろ」

 

「自覚が無いようでしたので。私としては、あなたが迷わぬよう、導こうとしたまで。あなたの監視が私のここでの務め、ならばと従ったまでです」

 

 ぐうの音も出ない。だが、その通りだ。

 こんな状況に陥れた魔術師に、思うところが無いわけがない。平穏で、ささやかで、繋がりがあったこの世界をぶち壊した誰かへの怒りは、この世界に来てからずっとあった。口に出したことはないが、憎しみすらあったような気がする。

 もし今回の黒幕が現れたなら、きっと語ることもなく切り捨てようとしたに違いない。ここからは、色んなモノを貰ったから。

 

「……確かに驚いたけど、事情が事情だしな。遠坂は悪くないだろ」

 

「この状況で礼が言えるなら、あなたは腕を切り落とされても、平然と礼をしそうね」

 

「……ずいぶんと辛辣だな」

 

「報われない者は聖職者として見過ごせないので。特にあなたのように、毎日祈ってばかりの人間は」

 

 それは……どういう意味だろう?

 思わず首を傾げていると、カレンは澄ました顔で指摘する。

 

「だって、あなたイリヤスフィールに、自分のことを告げてないでしょう?」

 

「当たり前だろ、簡単には言えるわけが」

 

「衛宮切嗣やアイリスフィールには告げたのに?」

 

 傷口から何かが漏れる。踏み荒らされたくないモノが、この女につまびらかにされていく。

 

「家族と言うならば、暮らした年月、貰った夢、そして何より命の恩人である衛宮切嗣が正真正銘あなたの家族のハズ。なのにその彼には、真実を伝えた。傷つけると知っていて」

 

「……言いたいことがあるならはっきり言えよ」

 

「なら言わせてもらいますが。いい加減、イリヤスフィールに自身のことを話したらどうです?」

 

 イリヤに自分のことを話す。それはつまり、エミヤシロウが既にこの世には居ない、ということを告白することだが。

 

「ダメだ、出来ない」

 

「何故?」

 

「イリヤはまだ幼すぎる。戦いに向いてないあの子に、これを言ったら壊れてしまうかもしれない」

 

「では何故? 何故あなたと同じように、この世界を愛し、家族を愛した衛宮切嗣には真実を告げたのですか? それとイリヤスフィールのことは、本質的には一緒でしょう?」

 

 彼女が本当に指摘したかったのは、遠坂のことではなく、こっちだったらしい。カレンは何処までも平坦に、平等に、心に針を刺すように語る。

 

「あなたはかつて失ったイリヤスフィールのことを、今も悔いている。父親を奪い、子としての立場を奪い、そして家族としての責任も、何一つ果たせなかった。だからあなたは贖罪としてこの世界で過ごしていた」

 

「……」

 

「けれど、それは甘い毒。死者との対面、それだけを目指して禁忌に手を伸ばす魔術師すら居る中で、あなたが体験した日々はまさに燃えるように激しい、甘い猛毒。贖罪なんて上面を溶かし、真実から目を背けるには十分過ぎるほどの」

 

 死者との対面。死霊魔術についてよくは知らないが、実際のところそこまで甘い話でもないのは確かだ。

 だが仮にそれが実現し、思いのままに堪能出来るとしたら……恐らく耽溺し、何処までも堕ちていく。ヒトでなくても、それは命というモノの宿命だ。

 

「見ていられないわ。どんなときも別れを意識しておきながら、家族を深く愛するが故に結局自分(他人)の真似をしている。普通でありたいと願っておきながら、普通じゃない在り方でしかそれを叶えられない」

 

 普通という言葉は難しい。定義をするなら、この場合魔術を扱わず、問題を起こさず、ただ円満に一直線に幸せになる。そういうことになるのだろう。

 しかしそれは普通じゃない異物に壊された。だから異物は普通を演じて、何とか帳尻を合わせようとしている。

 しかしそれは、自己の否定に等しい。

 どんなに帳尻を合わせようとしたって、異物は普通にはなれない。例え家族であっても、記憶を継承しても。培ってきた魂が違うから。

 

「あなたはイリヤスフィールの兄にはなれない。ましてや、弟にも、家族にもなれない。あなたの求めるイリヤスフィールは、もう死んでいるのだから」

 

 イリヤは死んだ。俺の前で。

 過去は変えられない。過去とは記憶よりもはるかに堅く、そして肉体よりはるかに脆い。イリヤを忘れようが、イリヤが死んだことは無くならないし、イリヤを忘れない限り、彼女に対しての罪も背負い続けなくてはいけない。それをも忘れてしまったら、それこそ亡くしたモノへの冒涜に他ならないのだ。 

 

「分かってるつもりだ。そんなこと、ずっと前から」

 

「だとすれば、何を躊躇う必要が? 全てを白日の元へ曝すことこそ、今のあなたの最優先事項だと思うのですが」

 

……カレンがここまで言うのは、何も俺が心配だからでもなく、さっき言った通り、ただ単に見ていられないのだろう。

 例え姿形は同じでも別人だから、家族にはなれないし、共に居るべき人間は俺などではない。それでも俺はあの家に帰らなくては、きっと今の衞宮家は崩壊する。だから嘘をつく、演じる。

 それなら全てを明かしてしまえば、罪悪感に黙殺されることもないが、それだけは出来ないと言い張るモノだから結局は中途半端。どうしたいのか、どうなるのかも分かっておきながら。

 

「今からでも遅くはありません。イリヤスフィールと、この世界の人間と手を切りなさい。衛宮士郎(あなた)正義の味方(あなた)でいたいのなら。イリヤスフィールをこれ以上傷つけたくないのなら、私も協力しましょう。ですが」

 

 傍観者は言う。舞台に足を踏み入れて。

 

「もしもイリヤスフィールを、この世界の住人を巻き込むのであれば、しかるべき対処を取ります。衛宮士郎(あなた)正義(あなた)である内に、この件を終わらせるにはそれしかない」

 

 カレンは本気だった。本気で、俺と敵対してでも止めようとしている。証拠に、彼女の手元では聖骸布が舞い踊っていて、いつでも俺を捕縛出来ると言外に告げていた。

 確かに。

 この世界に来てから、自分が機械のように単調で、愚直な思考を出来なくなっている。それはつまり、今までのように正義の味方としての判断がくだせなくなったということ。

 衛宮士郎は正義の味方でなくてはならない。お前に、それ以外の道は無く。ましてや他者を苦しめると分かっていて、それを行うのであれば、それは断罪すべき悪なのだろう。

 いつか報いを受ける。

 その日は恐らく、そう遠くはない。

 

「なあカレン」

 

 でも。

 

「確かにさ。俺は一生、ここの人達の前では、演じるままなのかもしれない。衞宮士郎っていう平凡を。確かにそれを辛いって思うし、他人からすれば気味が悪くて、見れたもんじゃないかもしれない」

 

 でも。

 

 

「ーーーー俺、好きなんだ。あの家族のことが」

 

 きっと。これは、理屈なんかじゃない。

 

「爺さんも、アイリさんも、セラも、リズも、クロも、そしてイリヤも。みんなのことが、俺は好きだ。あの場所を壊しておいて勝手だけど、好きなんだ。みんなと一緒にいられる、あの家が」

 

 偽物の家族、偽物の繋がり。けど、それが俺に与えてくれたモノは、きっと本物の家族では得られなかったモノ。星よりも儚く、閃光のように煌めいた、人の暮らしというモノ。

 それが無かったら、俺は知らないままだっただろう。

 あの花火のように輝かしい日々が、世界中の誰しも送っている、失うとも思っていない、二度と見ることのない星屑なのだと。

 人を殺すということは、その星屑を消して、輝くことすら出来ない、デブリにしてしまうことなのだと。

……それは、正義の味方の行いじゃない。

 俺を助けてくれた星屑(ヒト)は、そんなことは望んでいなかった。

 俺が憧れた正義(ソラ)は、もっと美しかったのだ。

 

「俺はあの家族が好きだ。だから、どんなことをしてでも、元の世界に帰るそのときまで、俺はそこに居たい」

 

「……既に毒が回っていましたか。そこまで好意を抱いているのなら、今度の別れはそれこそあなたの全てを引き裂き、すり潰し、粉々にして砕くでしょう。名も知らないときとはわけが違う、本物の喪失を。それでも」

 

「ああ。それでも、俺は一緒に居たい」

 

 胸を焦がす罪悪感も、手先を伝わる温かさで平気でいられる。

 脳を蝕む侵食も、共に歩く心地良さで笑っていられる。

 いつか訪れる別れも。

 それまでの輝かしい日々があったなら。

 涙を流したとしても、この体は前を歩いていける。

 

「イリヤには本当のことを話さないし、本当の俺を知らなくて良い。全てが終わったら話すさ。だからそれまではイリヤ達と一緒に居たい」

 

「……イリヤスフィールが子供だと言ったのは誰かしら。あなた、たった十一歳の少女に、命を背負わせるつもり?」

 

「ああ」

 

 カレンが目を見張る。何を驚くというのか。そんなの、当たり前だ。

 

「カレン、イリヤを舐めるなよ。アイツは俺を守るって言ったんだ。そりゃ嫌だって言えば、戦わせない。でもお前が同じ質問をしたところで、イリヤは絶対に頷くぞ。なら止めない。止めたところで、勝手に出てくるだろうしな」

 

 何せ彼女は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。臆病で、足が早くて、妖精のように可憐な魔法少女で。

 そして、俺の妹だ。

 いつの間にか足を止めて、会話していたことに気づく。回廊の先には明かりのついた部屋があり、きっとあそこがカレンの部屋なのだろう。

 踵を返す。元来た道を引き返す。

 

「何処へ?」

 

「帰るんだよ。お茶は、また今度な。そんな雰囲気じゃないし」

 

「そう。なら三つほど、忠告をしておきます」

 

 忠告?

 

「夜道には気を付けなさい。今の話で、私を徹底的にコケ……いや、辱しめられた憂さ晴ら……いえ、報復をするかもしれませんので」

 

「お前の私怨たっぷりだな……」

 

「冗談です。デキル司祭はこういうジョークを言うモノ。ただ気を付けた方が良いのは確かです、最近は何かと物騒ですし」

 

 カレンは続ける。

 

「二つ目。私の目的はあなたを導くこと。あなたが正しい道に進むためにあえて言うわ、衛宮士郎。それは、依存よ。愛は時に底が無い沼のように絡めてヒトを離さず、食らいつくす。愛に食われたくないのなら、精々節制を心がけることね」

 

「ソイツはどうも。でもそれを依存だって言うのなら、俺はずっと夢に依存してきたんだ。その対象が変わるだけだ、何も変わらない」

 

 だが、

 

「結果は変えるぞ。この世界が可笑しいのなら、俺が元に戻す。イリヤに悲しい想いはさせない。世界もイリヤも、俺はどっちも守る」

 

「それはまた大した妄言ね。まるで自らを神か何かと勘違いしているような冗談、修道女の前でやるにはエッジが効いてるわ。点数高めよ」

 

 冗談じゃないっての、ブッ飛ばすぞコイツ。

 次で最後、と。そこで初めて、カレンが言い淀んだ。

 

「……これを伝えるべきか悩みましたが、あなたのその敬虔な姿勢に応じるべきでしょう。敵の名前を」

 

「……敵の名前?」

 

「ええ。私達の敵、その名は」 

 

 瞬間、世界が軋んだ。

 ぎぎぎぎ、と。ガラスの上にある砂を、一斉に傾けたような。そんな、脆くて、しかし何かの流れが変わったような音が、何処からか聞こえてきて。

 

 

「ーーーー彼の名前は、ジュリアン(・・・・・)。ジュリアン・エインズワース。それが、私達の敵です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude1-2ーー

 

 

 振り返りもせず、素っ気ない態度で教会から去っていく客人。その背中へ、カレン・オルテンシアは祈ることで返す。

 少年の体は一年前に若返ったことで、少し背丈が縮み、筋肉など比べるべくもない。はっきり言って、あの体でよくクラスカードの英霊に戦えるモノだと感心してしまう。

 だがその顔付きは、以前と比べても見違えるほど、生気に満ち溢れていた。

 いやそれでは語弊があるか。正しくは、吹けば消えるような、そんな空虚な気配が無くなった……と言うべきだろう。

 たった数ヵ月前まで、脇目も振らず、ただ前にしか足を踏み出せなかった少年。そんな、いっそ生き急いでいると言って良い少年が今隣に居る誰かと歩幅を合わせて、一歩一歩歩いている。

 そうすることが出来るようになったのは、偏にイリヤスフィールなどの存在のおかげだろう。

 笑ってしまうくらいの、感情論。しかし感情論もバカにならない。何せ感情とは心という城を武装する、言わば要塞だ。そしてその感情論が単純であるほど、その心は変わらない。

 カレンは明かりのついた一室で止まると、扉を開け放った。

 簡素な造りの部屋だ。窓は一つだけ、ベッドも壁に添えるようにあり、あとはテーブルと椅子、その上にある古めかしいオイルランプだけだ。おおよそ人の住む環境には見えない。

 だが、それは居た。 

 女。年頃は二十代前半を過ぎたくらいだが、表情が少し固い。その固さと同じように全身をスーツで身を固めた姿は、さながら鎧を着た軍人だ。

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。封印指定の執行者にして、クラスカード回収の任を請け負っていた前任者。そして、カレンと同じ、この世界に迷い込んだ異物。

 

「ノックもしないで入るとは。前々から思っているのですが、その振る舞いは教会で問題視されないのですか?」

 

「私は人を選んで態度を変えますから、ご心配なく。あなたは親しみやすいわバゼット。ええ、ええ、とてもね」

 

「これだけ純粋な悪意を感じるのも、昨今では珍しい。その点あなたはわかりやすく敵だと判断できて、私としてもこれ以上ない喜びです」

 

 バゼットの視線はカレンへ向けられていない。視線の先はテーブル。そこに転がる五個の鉄球だ。布巾で丁寧に拭き取りながら、指でルーンを描き、異常がないか簡易メンテナンスをしているのだ。

 カレンはその様子を眺めつつ、

 

「すみません。連れてきて無理矢理監禁する手筈でしたが、逃げられてしまいました。私の落ち度です」

 

「その割りには狼狽えもしない辺り、最初から連れてくるつもりなど無かったのでは?」

 

 片方の眉をあげ、カレンは首を捻ってみせる。その口元は、少し歪んでいる。

 

「遠坂凛のことで釣れるかと思っていたけれど、違ったみたい。帰り際にそれとなく訂正されたわ」

 

 それは三つの忠告をした後だった。

 やや疲れを見せつつも、衛宮士郎が告げてきたのだ。

 

ーーああ。それと、遠坂が俺を送った、っていうのは嘘だろ。遠坂は確かにうっかりもするし、こんな博打染みたことだってやるけど、そういうときは絶対に成功する。悪運って奴かな、遠坂はそういうのにめっぽう強いんだよ。

 

 だからあり得ない、と断言し、彼は去っていった。

 事実その通りだった。カレンとバゼットは遠坂凛によってここまで来たが、衛宮士郎だけは違う。

 

「分かってはいたけれど、衞宮士郎は変わってしまったわ。悪い方向ではないけれど」

 

「弱点が多くなってしまった、と。確かに、今の彼ならイリヤスフィール以下数名を人質に取られてしまえば、その時点でもう戦えなくなる。それは美点でもありますが、この戦いでは致命的だ。そうなれば私達は負ける」

 

 メンテナンスが終わったのか、バゼットは椅子に立て掛けていた筒状のラックをテーブルへ置く。

 

「それで?」

 

 あくまで事務的に。あくまで形式的に。ラックへ、鉄球を一つずつ戻しながら、カレンへ問いかける。

 

「不安要素は無くしておきたい。美遊とクロ、でしたか。この二人はまだしも、イリヤスフィールはあらゆる意味で未熟。精神も、肉体も。子供の癇癪一つで全てを吹き飛ばされてはたまったものではない」

 

 ガン、ガン、ガン。

 まるで特大の振り子が刻むように。バゼットの目の色も変わっていく。

 

「ええ、そうね」

 

「では?」

 

 執行者はラックを肩に提げ、立ち上がる。オーダーを待つ。

 

「試練を与えましょう。死が全てを別つ前に、あなたの手で粉砕すれば、彼の答えも変わるでしょう」

 

「了解しました。なら、そのように。手筈はこちらで組んでも?」

 

「構いません。私はカナリア、あなたはルークでしょう? 封印指定は専売特許に任せます」

 

 小さく目で返事をし、バゼットは背筋を伸ばして部屋から出ていく。カレンはただ一つ残った、テーブルに鎮座するオイルランプを見つめる。

 最初から説得出来るとは思っていなかった。だからバゼットの居る部屋に連れ込んで無力化した上で、イリヤスフィール達との接触を断ち切ろうとしたが……自身の修道女としての性には抗えなかったらしい。これで、穏便に済ませることも出来なくなった。

 

「まぁ、それはそれで」

 

 衞宮士郎も、理想の限界を思い知らなければ、割り切ることは出来まい。何より今、彼がどう動くのか。それを見極めるためにもこれは必要な試練だ。

 カレンは思い出す。

 あの夜。クロエという少女が生まれた日。帰ろうとしていたカレンに、とある人物達が告げてきたことを。

 

ーー君だね、うちの娘にアサシンなんてモノを送り込んだのは。

 

 一人は、時代遅れ(アンティーク)の銃を突きつけ、かつて誰よりも人を徹底的に殺した殺人鬼。

 

ーー次はない。今度同じことを、頭の隅にでも思い浮かべてみろ。豚の餌にして、魂まで恥辱してやる。

 

 もう一人は、誰よりも真っ直ぐな、ただただ願いの欠片を握りしめて祈る、万華鏡に迷い込んだ少女。

 

ーーイリヤのお兄さんは、何処ですか?

 

 ふっ、と息をオイルランプに吹き掛ける。僅かな明かりさえ失い、部屋を暗闇が支配する。

 未だ闇の中。

 だから無力な修道女は、今も祈り続ける。

 

 

「主よ。どうか我が声を聞き、あなたの耳を我が願いの声に傾けてくださいーーーー」

 

 

 この世で、願いが叶うことは必然でなくとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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午後~???/青の孤独~

ーーinterlude2-1ーー

 

 

 別に、何かが劇的に変わった、というわけではなかった。けれど美遊は、ここのところいつも、息苦しさに似た圧迫感を感じるようになっていた。

 クロという不確定要素すら包み込んで、ますます絆が深まっていくイリヤと士郎。終始殺し合いに発展していた関係は、いつの間にか本当の家族のように穏やかな関係となっていた。

 それから一ヶ月。時にいがみ合い、時に笑い、そして共に歩んでいた彼らは、美遊から見ても幸せそうに見えた。事実そうだっただろう。家族が一人増えるということは、大事ではあるものの、打ち解けてしまえばこれほど嬉しいことはない。煩わしいことはあっても、それは嬉しい悲鳴だ。

 そして美遊も。そんな彼らと過ごすことが出来て、幸せだった。友達が増えた上、その友達がずっと笑っているのだ。得難いモノを噛み締めるかのように、ずっと。幸せなハズだった。

 けれどいつからだっただろう。

 一体、いつから。

 イリヤ達の笑顔を見ることが、こんなにも、苦しくなってしまったのだろう……?

 

 

 

「ミユー?」

 

 遠くで、友達の声が聞こえる。

 そう認識して、美遊・エーデルフェルトは、自分が学校の教室に居るという事実を認識した。

 しん……と、静けさが漂う教室は、電気も消され、居るのは美遊だけだった。二時間目が終わった十分間の小休憩に、どうやら寝てしまっていたらしい。次は授業の理科は理科室に移動しないといけないのだが、五年の教室からは少し離れているから急がないと……そんなことを考えながら、寝ぼけ眼で引き出しから教材を漁る。ペンケースと下敷き、教科書にノート、あとは動物がデフォルメされたイラストやシールが貼られた手帳。手帳は勉強するときに必要ないのだが、女の子なんだからあった方がいいと、イリヤから貰ったのだ。それを細い指でなぞると、美遊は教材を抱えて廊下に出る。

 廊下も教室と同じように、生徒の姿はあまりなかった。だが代わりにぽつんと、窓に寄りかかるイリヤとクロの二人を見つける。

 

「遅いよミユ。寝てたみたいだったけど、ルヴィアさんのところのお手伝いもしてるから、もしかして疲れてたりする?」

 

「ううん。日差しが温かかったから、多分気持ち良くなっちゃっただけ。ルヴィアさん、二時間に一回休憩させてくれるし、おやつも付いてるから心配しないで」

 

 美遊は二人に挟まれながら、理科室へと歩き始める。

 

「ホワイトも真っ青な健全さね、ルヴィアのところは……ま、その分リンが給与に対して命の危険が付きまとってるのに、ブラックすぎるくらい働いてるから釣り合いは取れてるわけか。そう考えるとちょっとリンが憐れに見えてくるわ」

 

「リンさんは悪魔に魂を売ってるようなものだから……」

 

「元マスターながら、呆れた生き汚さですねー。世が世ならボロ雑巾にされて捨てられそこからソリッドブックの闇まで転落してるところですよー」

 

「ルビーの言う通りね。午後一時のドラマなら、一挙一動で鞭で叩かれる展開もあったのかも……ママが好きそうなドラマね」

 

「いつの時代なのそれ? そんな息のつまりそうな昼下がり嫌なんだけど……ていうか、ママはそんな鬼畜なドラマが好きなの!?」

 

 イリヤが呆れ気味に突っ込む。確かに美遊からしても、いくら宝石魔術に必要な触媒である宝石を手に入れるためだとしても、何もルヴィアのところで働くこともない……そういえば、前に一度同じような質問をしたが、

 

ーー覚えておきなさい、美遊。世の中ね、金なの。愛だのなんだの言うけれど、一番現実的なマネーパワーが最速で世界を制するの……魂すら売りたくなるくらい鮮やかにね。

 

 死んだ目で言う凛の言葉は、齢十一歳の美遊でもなんとなく理解出来た。ルヴィアから買い物を頼まれたとき、コンビニで出した黒いカード(お金の代わりらしい)を見た店員の目は、まさしく亡者のような感じだった。世の中綺麗なようで、やはり隅々で汚れてはいる。そう感じてしまった、十一歳春の思い出その一である。もっと良いエピソードはないものかと探ったが、あのインパクトに勝てるエピソードが無い辺り、世の中何を中心に回っているか分かってしまうモノである。

 と、

 

「あーそうだ。ねーミユ、今日うち来ない?」

 

 イリヤが、そう提案してきた。

 

「イリヤの家に?」

 

「そ。セラがねー、ケーキ作ってくれるんだって! それでミユもどうかなって。何ケーキが良いか教えてくれれば、あとはルビーに伝言頼めばいいし!」

 

「ルビーちゃん、気分的には、はじめてのおつかいです! ささ、美遊さんはどのようなケーキをご所望で?」

 

 イリヤの家に行く……あの開放的で、誰も拒まず、全てを受け入れる家に。日の当たる場所へ。

 何度も行っていた家だから、どんな営みが育まれているのかを知っている。とても良いところだ。行くだけで自分の胸が高鳴るし、今もほら、ドキドキしている。

 でも、その鼓動は一定のリズムではない。

 不安定に早くなったり、遅くなったり。美遊は知っていた、このリズムは不安なときのモノだと。決して好意的な反応とは言えない。

 最近はずっとこうだ。イリヤの家に行く、そう考えるだけで体が変になる。後ずさりしたくなる。

 

「ご、ごめんなさい。今日は少し用事があって……寄るところがあるから……その」

 

 嘘……ではない。今日は寄るところがある、それは本当で、例えこの不安が無くてもイリヤの家には行かなかっただろう。

 けれど、何故か嘘をついている気分になる。都合良く利用して、逃げている。そんな気がした。

 イリヤが残念そうに、

 

「あ、そうなんだ。じゃあまた今度かぁ……」

 

「ごめんなさい……本当は、行きたい、んだけど」

 

 言葉につまる。口を開けても言葉にすることが出来ても、後に続くモノがない。

 このまま終わらせてはいけない。誘ってくれたイリヤを、傷つけないような言葉を言わないと。

 

「……ちょっとトイレに行くね。授業には、遅れないから」

 

「へ? ミ、ミユ!?」

 

 そう思っていたのに。脱兎のごとく、自分は廊下を走っていた。止めようとしたイリヤ達を振り切り、個室のトイレに駆け込む。何もかもを閉め出したい一心で、鍵までかけて。

 

「はっ、……は、……はぁ……」

 

 気付けば息が切れていた。それほど、走るのに必死だったのだろう。ややふらふらと体を揺らしながら、洋式トイレに背を預ける。深呼吸して動悸を抑えようとしたが、いつまで経っても収まらない。息はもう整っているのに。

 

「……何をしてるんだろう」

 

 自問してみて、答えはすぐに出た。簡単だ。逃げたのだ、自分は。イリヤから、友達から逃げた。一刻も早く彼女達から離れたくて、わざわざドアから一番遠い個室トイレを選んで、閉じ籠るくらい。

 目を閉じる。脳裏に映るのは、幸せそうな友達と、その家族。笑っているあの人。あの人がーー衛宮士郎が家族と笑っている姿を。

 それを思うだけで、可笑しくなりそうだった。胸の奥がちくちくと痛んで、視界が歪んでしまう。

 痛みはずっと前からあった。イリヤに会ってからずっと。でも、最近はその比ではない。今すぐ切り開いて、心臓でもなんでも取り出して、胸を空っぽに出来たなら、こんな痛みをしなくても良いのにと。生きることすら苦しくなるような、そんな激しい痛みが全身を蝕む。

 この気持ちを、自分は知らない。悲しくて、切なくて、だから全てが恋しくなってしまう。心が無意識に求めてしまう。

 

「……美遊様、大丈夫ですか?」

 

「……サファイア……うん」

 

 羽を力なく揺らすサファイアに、美遊は笑顔を浮かべて答えようとしたが、上手く取り繕えない。一人だからか、果たしてサファイアには全て悟られていると考えたからか。もう、仮面を被るのも限界だった。

 

「……ね、サファイア」

 

「はい」

 

「……会いたい人に会えないって、想像してたより、辛いね」

 

「……」

 

「一緒に居たい人が、自分の隣に居ないって」

 

 本当に、辛いんだね。

 少女の瞳から、一筋の何かが溢れる。

 それがどういう思いから流れていったのかも、分からないまま。

 少女は一人、孤独を耐えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界は、何かが可笑しい。

 そんな漠然とした、しかし絶対に見過ごせない問題。返しのついた針のように、それは脳裏に過る。

 半年後、この世界を旅立つときがきて。そのときに自分が去った後、イリヤ達に何かあっては、そのときこそ自分は正しいだけの存在に成り果てる。それは、誰も望んではいない結末だ。

 だったら解決するしかない。何も分からないのは今更だ。だから、調べるのならまず身の回りから。

 

「えぇと……」

 

 なだらかな坂道を自転車で登りながら、左右を注視する。深山町なのは確かだが、いつもの帰路からは外れている。何せこの辺りに来たのは、体感では数ヵ月ぶりだ。すいすいと坂を登り、そのまま真っ直ぐ行けば、見慣れた桜道に囲まれていた。

 そこへは、この世界に来てから一度も来ていない。だからだろう、近付くごとに、胃が絞められるようなプレッシャーが、体を支配しようとしてくる。カレンと話したときと同じだ、世界が、そこへ行こうとすることを忘れさせようとしている。

 見えてきたのは、古風な日本家屋だった。敷地だけなら破格の広さで、塀で一部しか中の様子は見えないが、立派な本邸と、それに付属する別棟が鎮座している。周囲の家が太陽光パネルや、木造のデッキなどを持ち合わせているからだろう、その家だけは、まるでタイムスリップでもしてきたかのように異物な雰囲気を漂わせていた。

 

「着いた……」

 

 我が家である、衛宮の屋敷。この世界に来てから、一度も足を運ぼうとしなかった場所。

 この世界では、衛宮の家が建つまで、切嗣達が住んでいたらしい。この家の大家である藤村組ーー雷画じいさんに確認したのだから、間違いない。

 とはいえかなり前、それも十年程度前のことなのだろう。外観だけでもあちこちガタが来ているように見えなくもない。

……目の前にして、思ったのは疑問だけだった。何故ここに一度も来なかったのか。元の世界に帰りたいと思うなら、恋しくなって一度はここに来るハズだ。だがそれはなかった。一度も、考えたことすらなかった。

 やはり何かある。あるとすればここだ。ここがターニングポイント。それが確信になったときだった。

 

「……あれ?」

 

 門まで来て、異変に気付いた。

 ここは今、誰も住んでいない。今時こんなところに住むのはワケありだけだとあのじいさんが語っていたし、門には無論鍵がかかっている。

 だが……。

 

「……結界の魔術か、これ?」

 

 うっすらと、門の周りに貼られているのは、索敵に特化した結界だった。そう、丁度元の世界で切嗣が貼っていたモノと同様の。

 

「誰がこんなことを? 第一、何のために……?」

 

 そもそも、この冬木に魔術師は存在しない。管理者である遠坂は時計塔で、フリーランスの切嗣やアイリさんも世界中を飛び回っている。一応セラは魔術を使えるらしいが……それにしたって、こんなところに結界を貼る意味は? 工房でもないのに、こんなところに結界を貼るのは無駄だ。

 どちらにせよ、ここから侵入したら、術者に俺の存在が知られるが……分からないことだらけでも、とにかく、敷地内に入らねば何も分からない。

 

「……」

 

 藤村組から借りた鍵を差し込み、解錠。門を潜り、敷地内へ入る。

 からんからん、と鈴の音。やはり索敵用の結界だ。というより切嗣が貼ってくれたモノと、ほぼ同じと見て間違いない。しかしそれならこの家の敷地内に居る人間にしか聞こえないハズ。

 中庭には誰も居ない。となれば、あとは屋敷や土蔵を確認するだけ、そう注意深く周囲を見回したときだった。

 

「……あ、?」

 

 視線が止まる。屋敷の縁側。窓は閉め切られ、その向こうにある襖も同様で、何かを拒むような印象すらあるそこで。

 何かが……座っている。

 

ーー僕は、正しく成ろうとして、間違い続けた。

 

 視界が重なる。万華鏡を傾けるように。景色が、現実と重なる。

 

ーー見えない月を追い掛ける、暗闇の夜のような旅路だった。

 

 かしゃん、かしゃん、かしゃん。耳の奥で潮騒にも似た音が聞こえる。

 知らない。こんな景色、知らない。知るハズがない。俺が知ってて良いわけがない(・・・・・・・・・・)

 だってもしそうなら。

 

ーー……星に願いごと。もしひとつだけ、叶うのなら。

 

 神様ってヤツは、なんて残酷な。 

 

ーー■■さんと、本当の■■になりたい。

 

 なんて残酷な願いを、叶えてしまったのだろうかーーーー。

 

 

 

「……お兄ちゃん?」

 

 その声に引き戻される。

 どうやら、夢を見ていたらしい。いつの間にか、自分は縁側で横になっていた。

 体を起こす。目尻を擦り、夢の残滓を取り除いて。

 

「……って、美遊!?」

 

 首が取れる勢いで、声の主へと振り向いた。

 烏羽のように漆黒の髪に、たおやかな体。少し影のある瞳、間違いなく美遊だった。

 だが、どうして、ここに?

 

「なんで美遊がここに? ここは空き家のハズじゃ……?」

 

「……えっと、その」

 

 どうやら理由を探られたくはないらしい。目線を俺から外すと、美遊は困ったような、罪悪感滲ませる顔を見せた。

……むぅ。そんな顔をされてしまうと、聞きたいことも聞けない。妹の友達とはいえ、美遊は半分妹のようなモノだ。そんな彼女をこれ以上困らせるのは、心苦しいが。

 

「俺はちょっと昔だけど、ここに住んでてさ。どうなってるかなぁと思って、ここに来たんだけど……あー、その。美遊はなんで、ここに?」

 

「……わたしも、似た感じ、かな。少し前まで住んでた家がここによく似てて、時々ここに来てたの」

 

「時々ってことは、何度も来てたのか?」

 

「……二回、くらい」

 

「本当は?」

 

「さ、三回……いや、四回、くらい……」

 

 こくん、と美遊が首肯する。見れば服装は制服のままだ。エーデルフェルト邸にも戻らず、そのまま来たということは、ルヴィア達もこのことは知らないのだろうか。

 

「ていうことは、さっきの結界は美遊が?」

 

「う、うん。誰かに見られたら通報されちゃうから……ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんだけど……」

 

 構わない、と首を振る。びっくりはしたが、それだけだ。それより魔術を使えるなんて知らなかった。

 いや……そもそも俺は、驚くほど美遊のことを知らない。ルヴィアと出会うまでは父は単身赴任をしていたらしく、基本は兄と二人暮らし。それぐらいしか自分の知識としては知らなかった。何処に住んでいて、どんな友達が居たのか。俺は知らない。

 そもそも、美遊がどうして冬木市に来たのか、それすら俺は知らない。ただルヴィアと出会い、イリヤと出会い、俺と出会った。それぐらいの浅い関係。蓋を開ければ、その程度だ。

 

「いくら恋しいからって、ここは私有地だぞ? 流石に不法侵入はなぁ……見つかったら大問題だぞ?」

 

「う……ご、ごめんなさい」

 

……けれど今はもう、俺と美遊は浅い関係じゃない。彼女が慕ってくれたのなら、俺も彼女の力になりたい。

 

「……まぁ今度からは、俺も一緒に行くから。行きたいときは誘ってくれればいい」

 

「え……?」

 

「あ、俺はここで調べ物があるから、安心して良いぞ? 邪魔はしないつもりだし」

 

「いや、そうじゃなくて……」

 

 やや戸惑い混じりに、

 

「その、良いの? わたし、魔術まで使ってここに入り浸ってたのに……」

 

「そりゃあ悪いけど、でもここなら色んなこと、もっと鮮明に思い出せるだろ? 大事な記憶とか、大切な人の記憶とか」

 

 俺も縁側から中庭や、道場を見て、忘れてしまっていた色んなことが、朧気ながら思い出せる。だったら美遊なら、もっと鮮明に思い出せるハズだ。大事なことが。

 

「それは……そう、だけど。でも、ここはお兄ちゃん達の思い出の場所だから……」

 

「まあな。でも、今はただの空き家だ。だったら別に誰が来たっていい。それに、会えない辛さは、分からないわけじゃない」

 

「……それって、本当の両親のこと?」

 

 それもある。それもあるけれど。

……一息ついて、

 

「……姉だよ。会ったのは、二回だけ。一度目は殺されかけて、二度目は彼女を見殺しにした。それだけの関係だった」

 

「え……」

 

 美遊が目を見開く。確かに事実だけを口にすると、薄く、そして忘れてしまえるような関係だった。

 

「その人は、本当の……?」

 

「いいや。でも、切嗣の娘だからな。義理の姉、つまりイリヤ達と何ら変わらないさ」

 

「……お兄ちゃんは、その人と、会いたいの?」

 

「うん、まぁな」

 

「……なんで?」

 

 美遊の声が、落ちる。落ちて、震える。

 両手はスカートを掴んだまま、ぐっと堪えるように俯く美遊。その姿は何かに押し潰されそうな、そんな印象があった。

 

「なんで、会いたいの? 見殺しにしたってことは、その人が死ぬところを、見たかもしれないんでしょ? それなら恨まれてるかもしれない。なんで見殺しにしたの、なんで助けてくれなかったのって。そう、言われるかも、しれない」

 

 前髪で隠れたその顔は、今にも泣き出しそうで。きっと色んな思い出が、美遊を苦しめている。

 そんな中で美遊は、俺を心配しているのだ。自分を差し置いて俺のことを。

 なんて優しく。そして、なんて悲しいことだろう。

 自分より他人を優先させる。それはきっと、自分に優しく出来ないから。

 

「それでも、会いたいの? そのお姉さんが恨んでいて殺されるかもしれないのに。それでも、会いたいの?」

 

 美遊は自分のことを話さない。イリヤ達にだってそうだ。こんなことを話すのは、俺に心を開いてくれたからなのだろう。

 だから、

 

「うん、会いたい。俺は、あの子に会いたい」

 

 包み隠さず、話すと決めた。

 

「……殺されたいの?」

 

「まさか。というか、あの子は多分、そんなことしないよ。最期まで俺のことなんて、一ミリも気付いてなかった。見殺しにしたって考えてるのは、俺が生きてるからだ。だからこうやって見殺しにしたって思ってるのも、自分勝手に思ってるだけなんだ」

 

「じゃあ……会って、どうしたいの?」

 

謝りたい(・・・・)

 

 そう。

 もしもう一度、イリヤ()に会えるのなら。言葉を交わすことが出来るとしたら。

 

「見殺しにしたこと、家族として一緒に居れなかったこと。親父を奪ったこと。全部を、謝りたい。謝って、ちゃんと家族として、お別れしたいんだ」

 

 それは、俺がこの世界で学び、そして得た答えの一つだった。

 別れは必ず来る。それが寿命にしろ、病気にしろ、事故にしろ。どんな死に方であろうとも、別れの際に交わされる僅かな言葉では、きっとそれまでの想いを語り尽くすことは出来ない。それでも大半は、別れを境に前に進むことが出来る。

 でも俺が体験した別れは、その大半に属さないモノばかりだった。その中でも、特にイリヤの件は凄惨で、余りに救われなかったと言えよう。

 生者に死者は救えない。死んだ時点で、どんな手を使ってもそれは変わらない。変えてはならない、決して。

 だからもし会えるのなら、後悔だけは無くしたい。例えその出会いには、何の意味も無いとしても。それでも、笑顔で別れるくらいなら、神様だって許してくれるだろう。

 

「出来るなら、な。でも無理だ。それは、やっちゃいけない。そんな可笑しな望みは持てない」

 

「……可笑しい?」

 

「ああ。死者は生き返らない。例えどんな奇跡であっても。死んだ時点でその人の運命は決まっている。そこから変えることも、変えようだなんて考えも、人が持っちゃいけないんだ」

 

 無論、そう簡単にはいかない。でもいつかは、分かるときが来る。

 別れは悲嘆と涙で溢れてしまいそうなときもあるが、必ずしもそうではないことを。俺は、教えてもらった。この胸に、唯一の光を宿してくれた人に。

 

「本当に、そうかな……」

 

 だが。

 

「……だったら、どれだけ一緒に居たいって思っても、それはいけないことなのかな。それがお兄ちゃんでも、一緒に居たいって思っちゃいけないのかな……」

 

 否定することは、いくらでも出来た。

 自分の体験を交えた理由も、いくつだって並べることが出来ただろう。

 けれど。

 美遊は、泣いていた。

 大粒の涙を流して、目を真っ赤にして、こちらを見ていた。

 恐らく千の言葉を重ねても、この少女の涙の理由を、否定することは出来ない。

 そう思わせるほど、真っ直ぐな願いが、美遊の涙になって伝わってきた。

 

「わたしは……一緒に居たい……どんなことを、しても……」

 

 美遊が手を伸ばしてくる。その手は俺の背中に回され、彼女は懐に入ってきた。もう二度と、と。肩を震わせながら。

 

「……お兄ちゃんは、居なくならない?」

 

「……」

 

「わたしの前から、居なくなったり、しない?」

 

 否定すべきだ。否定しなければ、近い内にまた美遊が悲しむことになる。それでも。

……それでも、この涙を、この願いを否定すれば、あまりにこの少女が救われない。

 父と別れて。兄と別れて。

 それでもすがるべき何かを俺に見出だしてくれた。

 それは逃げなのかもしれない。ただ俺を他の誰かに見立てて、それを良しとしているだけなのかもしれない。

 それでも、全てを救いたい。イリヤも、そして美遊も。そう思ったのなら、やるべきことは分かっていた。

 

「……死なないさ。死んでやるつもりは、一切ない」

 

 今の俺にはこう言うことしか出来ない。こう言って、泣いている女の子を撫でて、落ち着かせることすら億劫だ。

 何が正義の味方。全てを救うと豪語しておきながら、こうやって嘘をつき続ける。そうやって騙し騙しやる、なんて醜悪な偽善。

……だから、まず目の前から助けていくしかない。

 そうしなければどうにもならないと、自分に言い聞かせて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude2-2ーー

 

 

 ああ、何故こうなった。

 彼に抱かれ、彼の手で安らいでいく自分に苛立ちしか覚えない。

 彼は死なないとは言った。でも、一生一緒に居てくれるとは一言も言わなかった。それだけでもう、全身を切り裂かれる想いだった。

 最初は誰にも弱音は吐かないと決めていた。それがここに自分を送り出してくれた彼への、精一杯の誓いだった。それがこうも簡単に崩されては、合わせる顔がない。

 目の前に居る人間は他人。兄などではない。だから心をさらけ出してはならない。そう何度考えても、ここにある温もりは現実で、真実で、いつもそれに触れてきたから抗えない魔力に絡め取られていく。

 いつもそうだった。困ったことがあれば、自分に頼れ。兄がそう言ってくれたから、自分も頼った。当たり前だった。それがスキンシップみたいなモノで、この先それが無くなるだなんて考えたことが無かった。

 虚像の兄が、現実に塗り潰されていく。側に居ない人は記憶の中で言った。幸せになれと。でも、忘れられるわけがない。世界が何度創り直されて、名前を忘れて、顔を忘れて、笑うことすら出来なくなっても、同じ人を愛していたいとこの機体()は願った。

 その願いの末が、これなのか。

 同じ顔。同じ背丈。だけど決定的に違う関係。違う世界。違う家族。

 こんな、こんな残酷なことがあるか。こんなことを望んだのは誰だ? 自分は望んでいない。

 こんな場所に居たくない。全てを憎んでしまいたいほどに焦がれることが出来れば、まだ楽なのに。大切な人達が出来てしまったばかりに、そんなことすら出来ない。

 ああーーやり直せたら。

 全てやり直せたら、それはどんなに。

 どんなに幸せなことだろう。

 

「……落ちついたか?」

 

 彼の言葉に頷く。

 礼を言って、渋々離れる。未練がましく手は彼の手を握っていた。

 彼が、ふと思い立って携帯を取り出す。何やら写真が送られてきたらしい。笑いながら、その写真を見せてきた。

 その写真は、イリヤとクロだった。何やら二人でケーキを持った写真と、完成という本文が打たれていた。そう言えば、セラさんと一緒にケーキを作ると言っていた、ような。

 

「なるほど、ケーキかぁ。でもイリヤとクロのケーキとなると、どんなトンチンカンなモノが入ってるのやら……前にミントのタブレットとか入ってたからなぁ、うん……」

 

 彼、お兄ちゃんは神妙な面持ちで二人の画像を見ているが、口の端はずっと笑っていた。楽しくて楽しくて、仕方がない。そんな、わたしの前では決して見せてくれない、顔だった。

 瞬間、全身に駆け巡ったのは、嬉しさでも、悲しさでも、ましてやもどかしさでもない。

 ただ、燃えるような何か。渦を巻き、胸の中でごうごうと燃え盛るそれの名を、わたしは知らない。だが知らなくても、それが怒りに似た何かであることは、分かった。

 誰に対してかも、何に対してかも分からない。この感情が沸き上がるのは、決まってお兄ちゃんとイリヤ、クロの三人が楽しそうに話しているときだ。

 この感情は何なのだろう。後にそれとなくサファイアに聞いたら、彼女はこう返した。

 他人を妬み、恨むこと。

ーーそれはつまり、嫉妬なのではないかと。

 

「じゃあ、そろそろ帰ろう。美遊もうち来るだろ? みんなでケーキ食べたいしな」

 

 嫉妬、とは何だろう。

 どうしてそんなモノがあるのだろう。

 そんなモノを願ったわけじゃない。

 けれど。

……もしこの感情がそうなら。

 自分はこの、行く先のない感情をどうすることも出来ないのではないか。

 そう思いながらも、彼の後を付いていくことを、止めようとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 



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午前~ネガの世界~

ーーinterlude3-1ーー

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、という魔術師が居る。

 生まれながら持ち合わせた才能は、同じ天才達の中でも更に突出しており、十代で魔術の名門エーデルフェルト家の当主になったことから、その政治的な手腕がいかほどのものか察することも出来る。事実ルヴィアは、エーデルフェルト家の得意とする他者の研究成果の簒奪を既に世界中で行い、名実ともに魔術師として突出していると言うべきだろう。

 そんな、挫折というものをおおよそ味わったことの無い彼女が、何の因果があってか、ここに来て頭を抱えることになろうとは、思いもしなかった。

 

「……」

 

 エーデルフェルト邸。その自室……の外。ベランダにて、ルヴィアは一人夜風に当たっていた。

 普段慢然な態度を取ってばかりな彼女だが、今宵は少し表情に影がある。陰鬱な声色のまま、彼女は息を吐いた。

 

「美遊……」

 

 美遊・エーデルフェルト。ルヴィアにとって、どういう存在か、はっきり定義できない少女。

 そんな美遊が、最近何かに悩んでいることは、傍目から見ても明らかだった。屋敷の仕事はいつもよりもたつき、登下校や普段の屋敷での彼女は、影がより濃く出ている気がする。元々明るい方ではなく、一人で居ればもくもくと隅の方で何かをしているような少女ではあったが、時間を効率的に扱うことには長けていた。それが今では少し、何か別なことに気を取られていることは、ルヴィアにも分かった。聞くところによれば、イリヤやクロもそれを感じていたらしい。何かがあったのは、確かなのだろう。

 だが、それをあえてルヴィアは追及するつもりはなかった。

 数ヵ月前のことだ。ルヴィアが日本に来たばかりの頃、大師父から預かった大事な魔術礼装であるサファイアを探し、暗い夜道を走り回った。ルヴィアが見つけたのが、美遊だった。

 今でも、そのときのことは鮮明に思い出せる。

 春特有の花の香りが残る公園。それとは正反対に、泥だらけで、サイズの合っていない服を無理矢理着た不格好な少女。

 並外れた美貌を備えているのに、感情が抜け落ちたせいか、まるで顔そのものが死化粧に見え、しかし目は眼球から炎が出ているのではと錯覚するほど、苛烈な何かが溢れてしまいそうなところを、卓越した克己心で抑えていた。

 幼さなど欠片も見せない。あくまで、魔術礼装に選ばれたのではなくーー恐らくそれがどういう意味するのかを分かっていながら、彼女はこう言ってきた。

 

ーーカード回収ならわたしがやります。

 その代わり住む場所をください。

 食べ物をください。

 服をください。

 戸籍をください。

……わたしに、居場所をください。

 

 いきなり見ず知らずの人間に、何をとはルヴィアは思わなかった。

 ただ漠然と、美遊の月に照らされても消えない、黒曜石のように輝く瞳を見て、思ったのだ。

 きっとこの少女は今、この世界で一人ぼっちなのだと。

 それからは激闘の日々だった。七枚のクラスカードを集める戦いは、ほぼ毎夜行われ、サファイアという魔術礼装があってもただ偶然ステッキに選ばれた少女が、その身一つで切り抜けられるようなモノではない。だが幸か不幸か、美遊には並外れた魔術回路と、それを有効に扱う才、そしてこの世の頂点とも言える神秘を前にして怖じ気づかない胆力、そのどれもが備わっていた。

 まだ十代前半の、世界がどう回っているかなんて半分も知らない少女が、どうしてここまで都合良く力を持っていたのか。それは分からないし、ルヴィアは聞かないことにしていた。あの春の夜、美遊と出会い、そしてカード回収の任を手伝わせた身で根掘り葉掘り聞くのは、対等ではない。これは契約だ。例え目下の者だとしても、美遊はあくまで協力者なのである。それを盾に美遊の素性を聞くのは、あまりにフェアではないし、知ったところで美遊に対しての評価が変わらないのでは、意味などない。

……けれど。無関心を決めるというのも、それはそれでエーデルフェルトの名折れ。

 だからこそルヴィアは、契約の報酬と称して、美遊に出来る限りの援助をすることにした。正しく言うなら、まぁ、年下の少女が寂しそうな目をしているのが気にくわなかった、というわけだが。

 友達であるイリヤと同じ学校に入学させ、淑女の嗜みを教育するため、自身の給仕をさせたり。あとは娯楽に困らないようちょっとした小遣いを渡したりなど。水面下で色んなことをしていたが、一番の援助は、ルヴィアと共に住むことを許可したことだろう。

 改めて言うが、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは魔術師であり、美遊は進んで協力したとはいえ、一般人である。本来ならば、美遊の身柄はイリヤのような一般人に預けるのが一番正しい。

 無論ルヴィアとて、最初から美遊を預かろうと思ったわけではない。こんな島国の田舎、カード回収を終わらせたら用はない。だから美遊の身柄も、親しい誰かが出来たなら、戸籍や少しの財産と一緒に預けてしまった方が、双方にとって理想の未来だと思っていた。

 だからルヴィア自身、驚いているのだ。

 血の繋がった誰かが居なかったわけではない。ただ魔術の名門としての看板を背負い、それに泥を塗らないよう研鑽、研究を重ねてきた。自身に才能があることは理解していたから、その花をもっと咲かせるために、他人のモノを奪い、品種改良でもするかのように平らげてきた。

 それでいつの間にか、こんなところまで来て。気付いたら、家族なんて当たり前の何かは無く、美遊が隣に居た。

 だからこんな自分の隣に居て、我慢していても何の不満も言わない美遊が悩んでいるのなら、どうにかしてやりたい。理由としてはそれだけ。

 それだけだから、こんなときにどうすれば美遊を楽にしてやれるのか、分からないのだ。

 

(……私が待っていたところで、あの子は悩みを打ち明けてはくれないでしょうし……質問したところで、答えてくれるかも分からない……)

 

 美遊は聡明な子だ。常識に囚われるきらいはあるが、逆に言えば彼女はルールの中であれば並みの大人より頭が回る。だからあらゆる理論で心を武装して、一人で抱え込んで、そうして外部からの声をシャットアウトするくらいわけない。

 そう、契約なんてあやふやな関係のルヴィアの言葉なんて、届きもしないくらいに。

 

(ああ、どうしたことやら……イリヤ達にも話していないようですし、誰の言葉なら届くのでしょうか……)

 

 やる前から嘆くなんてルヴィアらしくないと思われるかもしれない。ルヴィアも自覚しているが、それだけ彼女は美遊との距離がいまいち掴めていなかった。

 士郎を励ましたときは友人としてだった。だが美遊は、友人でも、契約相手でも、戦友でも、ただの年下の子供でもない。それで済ませるには、ルヴィアの中で何か違和感があった。それだけ美遊の存在は、大きく、形容しがたいのだ。

 無責任なことは出来ない。ただそれでも、何かしたい。

 

「……とすれば」

 

 一番親しい人間に、その役を任せるしかない。

……それが正しいと分かっていても。美遊のことを他人に任せようとすると、何か苦いものが胸の中で渦巻いていくのを感じながら、ルヴィアはベランダから自室へ戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界に来てから、週末どんなことをして過ごすか悩むことがある。

 元の世界では屋敷の掃除とか、あとは道場で鍛練とか。学校やバイトの手伝いやら、とにかく予定が埋まっていて、いつの間にか週末が終わっていた、なんてことが通例だった。一度慎二に、

 

ーーお前週末までせかせか働いて、何が楽しくて生きてるわけ?

 

 なんて言われたこともある。そこまで言われることでもない、と思うのだが、うん。今思えば確かに急がしかったかも。

 と、世間一般的にはせかせかしているらしい自分だが、ここではそうでもない。

 まず家事はセラが全部やってしまう。手伝おうとすれば逆に家から追い出されるし、バイトは金に困っているわけでもないのでしていない。あとは学校で頼まれた場合だが、それも毎日やっていれば週末までもつれ込むことも最近は少なくなった。

 となれば、週末どう過ごすか決めなくてはならない。これが無趣味な自分には中々決められなかったりするのだが、幸いなことに今週は土曜だけでも予定が決まっていた。

 

「ふむ」

 

 すっかり緑に生い茂った桜並木を見上げながら、俺は付き添いへと声を掛けた。

 

「俺が言っちゃなんだけど、ほんとに付いてきて良かったのか? 鍵だけ渡すってのも、アリだったと思うけど」

 

「ううん。わたしはあくまで他人だし、それに……お兄ちゃんには、付いてきてほしかったから」

 

 そう言ったのは美遊だ。いつもの制服姿ではない。恐らくルヴィアが見立てたのだろうか、ボトムスに上着を羽織った姿は、大人しい本人にぴったりだ。

 この週末、イリヤ、美遊、クロ、三人の誕生日プレゼントを買う約束を森山としていたのだが、本人は風邪で欠席。インフルエンザをぶっ潰せる森山家でもただの風邪には負けるらしい。どんな三竦みだ。成立してんのかそれ。 

 そうして手ぶらになってしまったわけだが、そこで美遊から今日衛宮の屋敷に行きたいと言ったので、俺に同行を求めたわけだ。俺も衛宮の屋敷については結局調べられなかったので、丁度いいことである。

 

「そういや美遊って、ルヴィアの家のメイドさんなんだろ? もしかしてわざわざ休みを取ったのか?」

 

「使用人の仕事は、別に強制されてるわけじゃないから。用事があれば休んでいいって言われてるし……でも」

 

「? でも?」

 

 なんだろう。美遊が沈んだ表情のまま、

 

「今日から少しの間、使用人の仕事はしなくていいって。ルヴィアさんがそう言ってた」

 

「……ルヴィアが?」

 

 美遊はよく出来た子だ。所作は板についてるし、気品もある。仕事も見た限りそつなくこなすし、何も問題はないハズだが。

 

「一応未成年なんだし、流石に美遊を働かせるのは不味いって気付いたんじゃないか?」

 

「それならルヴィアさんは、わたしを今まで働かせてないと思う。あくまで対等な相手として、わたしを雇ってくれたから」

 

「対等な相手、か……」

 

 何か上司と部下、というか。感情的に見えて、ドライのように見えて、やっぱり人情家というか。

 何にせよ一つ分かったことがある。

 

「やっぱり信頼してるんだな、ルヴィアのこと」

 

 その言葉を、美遊は否定しなかった。指摘されて恥ずかしかったのか、歩きながら少しの間をとって、

 

「……うん。あの人は、良い人だから」

 

 そう、笑って答えた

 衛宮の屋敷が見えてくる。ここに来るのは二度目だが、やはり経年劣化しているのか、薄れた記憶と比べて荒んだ印象を受ける。あのときは夕方だったから細かいところまで見ることが出来なかったが、使い込まれた劣化ではなく、放置された故の劣化が目立つ。何だかそれが知らない場所に放り出されたっきりの今の自分と似ている気がして、少し寂しさを感じた。

 門の錠前を外して、中へ。敷地内も同じく、アインツベルンの城よりはマシ、と言ったところか。ただ草木などは綺麗に刈り取られている。藤村組が手入れを欠かさずしてくれているのだろう、違いはあれど、そこは懐かしい我が家に近かった。

 俺は母屋の玄関の鍵を開けて、

 

「さてと、どうぞ」

 

「あ、うん……ええと、お邪魔します」

 

 軽く会釈して、美遊は玄関の扉を潜る。それに続き、引き戸を閉めると、一気に数ヵ月前の我が家に帰った気分になった。これだけで、真っ暗なハズの今に、光を見つけた気がする。

 それにしても。

 

「お邪魔します、か」

 

 美遊にとってこの家は、自分と同じように思い出深いモノだ。だとすれば、やはり彼女の胸にも寂しさや悲しさ、それ以外のモノをも混ぜた、言葉にしづらい感情が去来しているハズ。それでもぐっと堪えて、こうしてあくまで違うモノだと言い聞かせている。

……俺とて、今でも辛いのだ。元の世界に帰りたいという気持ちは、どんな心境になっても変わることはない。そしてどんなに辛くても、元の世界の面影を追わずにはいられないのだ。

 ましてや美遊は同じ世界なのだ。その辛さ、渇望は恐らく、もっと。

 

「……どうにかしてやりたいけど」

 

 今すぐどうこう出来ることじゃない。それが自分の経験で分かっていて、今こうして思い出に浸らせてあげるしかないのだから。

 母屋の中は比較的手が届いていて、小さな埃こそあるものの、そこまで汚れてはいない。掃除する覚悟で来たが、これなら他の道場や別棟も心配はなさそうだ。

 ガラガラと縁側へと続く扉を開けつつ、

 

「じゃ、俺は色々見て回るけど、美遊はどうする? ついてくるか?」

 

「ううん……わたしは、ここから色々見てる。いつもここと同じ場所から、見てたから」

 

 そう言って、背負っていたリュックと共に縁側に腰を下ろす美遊。リュックから本を出しながら、

 

「サファイアはお兄ちゃんについていってあげて。調べ物なら、あなたの力が助けになるだろうし」

 

「美遊様?」

 

「おう、ありがとな。じゃあ行くかサファイア」

 

「ちょ、ちょっと士郎様!? 美遊様をお一人には……!?」

 

 出来ないだろうが、まぁ美遊は一人の方が何かと都合が良いだろう。それにお前の力も欲しかったところだし。だからこっち来い。

 

「で、ですが……」

 

「ですがもあるか。美遊の邪魔になりたいのか?」

 

「むぐ……」

 

 それを言われては引き下がるしかない、と言った感じか。サファイアは渋々俺の言葉に従ってくれた。

 さて。

 屋敷一体を調べるとはいえ、大体の目星はつけてある。母屋と別棟の一部、道場、そして土蔵。有力なのは土蔵か。

 とにかく、何か手掛かりがここにはあるハズだ。何せ今まで一度も行きたいと思うことが出来なかった場所だ。それが忙しさ故か、それとも何かの意志が介在した結果か。どちらにしろ、得るモノを得なければ前にも進めない。

 

「……同調開始(トレースオン)

 

 撃鉄を下ろし、小声で呟く。解析の魔術が瞬く間に走り、母屋から調べていく。

 居間から廊下、セイバーの部屋、俺の部屋、浴場やキッチン、トイレまで解析。結界の綻び、それに類いする魔術の痕跡無し。争った跡などもない。次。

 別棟の一部、元の世界では遠坂の部屋に当たる部屋。ここならばあるいは。

 しかし僅かな期待は、すぐに砕け散った。

 

「……何もないか」

 

 当たり前と言えば当たり前だった。

 遠坂の部屋だったとはいえ、それも別の世界の話。目の前にあるのは無人の、誰も住むモノが居ないがらんとした空間だけだ。

 

「次へ行きましょう、士郎様。元より簡単に見つかるハズの無いモノです、違いますか?」

 

 サファイアの言う通りだ。手付かずの場所とはいえ、この世界に来てからもう何ヵ月も経っている。そんな状況で元の世界へ繋がる何かがあったとするなら、それは奇跡に近い。

 だが、何だろう。この胸のざわめきは。久しく感じていなかった、ずっと纏わりついている痛みのような何か。

 母屋へ戻り、そのまま外へ出る。次は道場だ。あそこでは主に鍛練の記憶ばかり蘇るが、誰かによく試合も申し込んでいた。試合は体力を使うから、よくやかんに水を入れて水筒代わりにしてたっけ。

 そんな懐かしい、あやふやになってしまった記憶を心に閉じ込め、解析を始める。

 

「……」

 

 解析自体は一瞬で終わる。だからそこに何もないことも、恐らく最後にここを使われたのは十年以上前だということも、分かっていた。

 それでも、解析を続ける。

 胸のざわめきが大きくなる。

……結局、俺はまだここを自分の家と重ねているのだろう。調べれば調べるほど、自分の霞んだ記憶とのすれ違いに、寂しさを感じているのだ。

 何が自分のモノで、何が他人のモノなのか。

……それが、あの少女も同じだと知っていて。

 

「士郎様」

 

「分かってる。……分かってるから」

 

 道場は知っている景色と全く違った。日差しを弾く木の床は、知らない色の褪せ方をしていて、立て掛けてあった竹刀や木刀は主を見つけられないまま、くすんでいる。

……上がり込み、壁の側であぐらをかいてみる。何もかも違う。何もかも。こうやって確かめている座り心地だって。

 それでも、共通した何かを一つでも探そうとすることは、間違いなのだろうか。

 

「ちょっと……確かめてるだけだ」

 

 本音を言えば、イリヤ達と別れたくない気持ちはある。苦しいこと、辛いこと。それすら今の俺にとっては愛しい記憶であり、忘れたくない大切なものだ。

 けれど……やっぱり、俺は帰りたいのだろう。

 イリヤは居ない。クロも居ない。切嗣も、アイリさんも、セラも、リズも。

 それでも帰りたい。

 そう、思ってしまったことに驚いたし、悲しくなったし、寂しかった。強烈なまでに現実を叩きつけられた気がしたのだ。

 お前は、ここの人間ではないのだと。

 帰るべき場所があると。

 

「……」

 

 サファイアも何も言わなかった。ただ、じっと、俺のその無意味な沈黙を破ろうとはしなかった。

 

「……なぁサファイア」

 

「はい」

 

「元の世界に帰ることって、俺の勝手だよな」

 

「はい」

 

「多分、イリヤ達は泣くだろうけど、それでも俺は帰るんだろうな、あの世界に」

 

「あなたはそういう人でしょう。あなた自身も、それはわかっておいででしょうが」

 

 でも。自由気ままな礼装は、続けてこうも告げた。

 

「それは、間違いではありません。元より、不測の事態がたまたま長く続いてしまっただけのこと。間違いというなら、この状態こそが間違いであって、あなたはそれを正常な状態へ戻そうとしているだけ。違いますか?」

 

「かもな」

 

 否定はしない。事実そうだ。

 間違いと言うならば、衛宮士郎に妹など居らず、六年前にもう父は死んでいる。母は存在せず、おっちょこちょいでマイペースな家政婦なんて何処にも居ない。

 だから、これは可笑しいのだ。

 ちょっとした夢の中で、過ごす時間が長くなって、それで目を覚ますのが嫌なだけ。

 なのに。

 

「この記憶が、気持ちが間違いなら……だったらなんでこんなに、胸が苦しいんだろう」

 

 分からない。

 間違いが間違いではなく、正しさが正しいわけではない。

 どちらも正しくて、どちらも間違っているわけでもない。

……きっとこれは、永久に答えなど出ないまま、胸に抱えて生きていくしかないのだろう。問い、悩み、そうやって生きるのが、人間の特権であり。これは、永遠に俺が死ぬまで、胸の中を掻き毟っていく。

 

「……生きるって難しいな」

 

「あなたが言うと、確かに実感がありますね。皮肉ですが」

 

 全くだ。

 立ち上がる。いつまでも浸っている場合なんかじゃないだろう。浸りに来たのは美遊であって、俺はそれを断ち切りに来たのだ。

 

「ありがとうな、サファイア。愚痴に付き合ってくれて」

 

「愚痴のつもりだったのですか? 泣き言にしか聞こえませんでしたが」

 

「……お前のそういう遠慮がないところ、姉貴そっくりだよ」

 

「ありがとうございます。しかし意外でした。あなたはもうとっくにそういった感情の区別がついていたと思っていましたが」

 

 ついていたさ。ただ、変わらないと思っていたモノが変わっていたから、思い出しただけ。俺にとって、それだけ衛宮邸は変わることなどあり得なかった思い出の塊なのだ。

 道場を出る。もう残りは土蔵しかない。

 道すがら母屋を見ると、美遊は縁側でずっと本を読んでいるようだった。俺と近い苦しみを持つ少女は、いつもと変わらず柔らかな表情で、物語を読み込んでいる。まるで何かを忘れようとするかのように。

 と、美遊がこちらに気づいた。ぱぁ、と顔を輝かせて、小さく手を振る。可愛らしいその姿に、曖昧な笑顔と小さく振り返してみるが、胸のざわめきは収まらない。

 

「……ダメだな、どうにも」

 

 やはり、これも人間として成長したからか。魔術師としては決定的な弱さが、更に浮き彫りになっている。

 ともあれ、あとは土蔵だけなのだ。結局収穫はゼロ、残ったのはつまらない感じ慣れた寂寥感だけだ。それだけは避けないと、立っていられなくなる。

 しかし中を覗いて、早々に諦めそうになった。

 他の場所と同じように、土蔵もその中身はほぼ別物だった。土蔵と言えば俺にとって、自分の部屋みたいなもので、何に使うか分からないのに誰かが持ってきたガラクタや、季節によって使わないモノを収納する倉庫みたいな場所だった。

 しかし、この土蔵には何もない。

 藤ねぇが持ってきたガラクタも。

 今まで一緒に過ごしたモノも。

 何も、ない。

 がらんどうな暗闇だけが、あるだけ。

 

「……はぁ」

 

 手掛かりなし。

 解析の魔術は何もヒットしない。

 期待を裏切られ、たまらず肩を下ろす。最も衛宮士郎にとって関わりが深い場所、それが土蔵だ。その土蔵に何も無いのならば、衛宮邸には何も。

 

「士郎様」

 

 と、思っていたときだった。

 

「ここ。何かありませんか?」

 

 サファイアが指したのは、土蔵の入り口のすぐ近くにある床だった。コンクリートの床には、無論何もない。だがサファイアがその周囲をぐるりと一周すると、それが取っ掛かりになって感じ取った。

 何か、ある。魔術の痕跡、それも儀式と言っても良い大がかりな何かが。

 

「これは……認識阻害? いえ、空間そのものを騙しているような……まるでリフォームするように空間を逐次作り直している……?」

 

「この綻び広げられるか、サファイア?」

 

「勿論。こと空間、時間、三次元的な魔術は私達に一日の長がありますので」

 

 サファイアは降り立ち、コンクリートの床を体でなぞっていく。なぞり、見えてきた線は慣れ親しんだ形となって浮かび上がる。

 魔法陣。しかも、ただの魔法陣じゃない。これは……。

 

「霊脈と接続するための術式……? しかし、何のために? 霊脈と接続したならその次があるハズなのに、痕跡が何処にも……」

 

「ある」

 

「、士郎様?」

 

 分かる。誘われるように左手の甲で魔法陣に触れる。

 ぴり、と弾かれるような痛み。水ぶくれが破裂するイメージ。それにあえて逆らって、浮かんだ魔法陣を引きずり出した。

 

「見つけた」

 

 暗かった土蔵を、ぼう、と青白い光が照らす。魔法陣が起動したのだろう、左腕を通して少しずつ魔力が浸透してくる。

 が、それはどうでもいい。

 

「召喚魔術……!? 霊脈との接続はこのため……?」

 

「ああ。そしてこれは、ただの召喚魔術じゃない。サーヴァントを呼び出すための術式に変化させられたモノだ」

 

「十年前の第四次聖杯戦争時の、ですか? しかしそれは事前に止められたハズじゃ……!?」

 

 サファイアも気付いたらしい。

 第四次聖杯戦争は始まる前に終わった。だとすれば、そもそもこの術式があるハズない。

 ないハズの術式。それを隠そうとした世界そのもの。そして何故か反応した、俺の左手にあった令呪の跡。

 つまり、

 

「これは元の世界の魔法陣。俺がセイバーを召喚したときに使った魔法陣、そのものだ」

 

「……!」

 

 間違いない。

 勘でしかないが、分かる。これはサーヴァントを召喚するためのモノだ。見たのは一度きりだが、例え今はぼやけてしまっていても、これは確かにあの夜の証拠。

 

「し、しかし、あり得る……のでしょうか? あり得たとしても、何のためにこの土蔵をこちらの世界に送ってきたのか、その目的が……」

 

「ああ、分からない。サーヴァントを召喚する魔法陣自体は、多分そこまで特殊じゃない。大事なのはサーヴァントを召喚するための聖杯だ」

 

 だから、分かったことは一つだけ。

 

「これを隠してたってことは、知られると何か不味いことが、まだこの世界にあるってことだ」

 

 魔法陣が輝きを失い、みるみる内にコンクリートの床に吸い込まれていく。それはまさに、見えない手のようなモノが覆い被さって、無理矢理カーペットの下に仕舞い込むような不気味さ。

 

「……なぁサファイア。前に言ったよな、この世界は可笑しいって。それでお前はこうも言ったよな、そんなハズはない、自分達が探知出来ないのならと」

 

「……はい」

 

「これを見てまだ言えるか?」

 

 声はなかった。ただ、サファイアは羽を振って答えるだけだった。

 完璧に見えていたような世界。

 その世界で簡単に見つかった綻びは、俺の心に不穏な何かを植え付け、急速に根を張ろうとしていた。

 

 

 

 



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一日~居場所への灯火~

 何にせよ、魔法陣のことを報告しないと。そう思って俺は遠坂の携帯に連絡を入れ、先程のことを要約して説明した。

 

「つまり元の世界に繋がる手掛かりを探していたら、手掛かりどころか元の世界から同じように飛ばされた建物を探し当てたってこと?」

 

「土蔵そのものが元の世界のモノかは分からないけど、でも召喚陣だけが移動してきたってのも考えにくい。召喚陣が消えたことが、世界の修正力って奴かは分からないけど、とにもかくにも元の世界のモノだと俺達が認識したら」

 

「出現したハズのそれが、綺麗サッパリ消えたと。なるほどね……サファイア、まだその召喚陣感知出来る?」

 

 スピーカーモードの携帯をサファイアの方に近づけると、カレイドステッキは答えた。

 

「いえ。我々が思っているよりも、修正の力は強いようです。召喚陣そのものは特別なモノではなく、引き剥がすことも上書きすることだって可能でしょうが、感知となると別です。英霊の召喚陣となれば、残り香とも言うべきマナがこびりつき、感知することはそう難しくはないのですが……」

 

「それまで残っていた、英霊を召喚した形跡すら、修正されてしまったってこと? けど、微かでも匂いが残っているなら、あなたほどの礼装は嗅ぎ付けられるんじゃ……」

 

「修正されたというよりは、空間と空間とでその場所だけ挟んで密閉したという方が近いです。汚いシミを座布団で隠すような雑なモノですが、手を出すには召喚陣ごと壊すのも覚悟しなければなりません」

 

 単純な話、手を出そうと思えば出せる。ただそこは砂の牙城、一歩間違えばその手掛かりごと全てが消え去ってしまう可能性もある。

 

「こっちからは手が出せない、か。ならサファイアの映像記録と、士郎の感覚だけね、頼りは」

 

「……勝手に進めてすまん、遠坂」

 

「なんであなたが謝るのよ。むしろ帰る気はあるんだって、改めてほっとしたところよ」

 

 ふん、と呆れた口調の遠坂。だが実際それを見つけたとき、遠坂やルヴィアに連絡していれば、みすみす手掛かりを取りこぼすことにはならなかったのかもしれないのだ。

 しかし、

 

「それに衛宮くん、忘れたの? この世界が可笑しいっていうことは、その一部であるわたし達に何か影響があるのかもしれない。それこそ、あなたが元の世界の手掛かりを見つけようとしたら、実力行使で取り押さえるよう修正(・・・)されたりとか」

 

「そんな強行手段に出たら、今頃もっと大パニックになってんじゃないのか?」

 

「衛宮くん。今回調べていることって、言わば第二魔法に近い、またはそのものに迫っているのよ? 現にその道のスペシャリストであるカレイドステッキには、感知出来なかった何かがこの世界にはある」

 

 確かに。ルビーやサファイアに、カレンから聞いた情報を伝えたら、あり得ないとすぐ一蹴されたモノだ。

……つまり、おおよそ万能とも言えるカレイドステッキを一時的にも騙せるほど精巧な、神秘。それが、この世界を包み込んでいるということ。

 

「こっちからも一つ分かったことがあるわ。あの性悪シスターがあなたに言った、ジュリアン・エインズワース」

 

「! 何か掴んだのか?」

 

「ええ。それもかなり興味深いこともね」

 

 ジュリアン・エインズワース。第二の平行世界に恐らく存在する、俺が戦うべき敵にして、この異常事態を作り出した張本人。カレンは別に口止めはしなかったし、時計塔などを通じて何か情報を得られればと思ったが、こうも早く収穫があるとは。

 

「ジュリアン・エインズワースって名前を調べる際、修正力って奴を体験したけれど……出来るなら二度とごめんね、あんなの。頭の奥が霞がかるわ、思考が妨げられるわ、うざったいったらありゃしない」

 

「……すまん。でもどうしても必要なときは、またお願いするかもしれない。でも俺には遠坂達しか頼れないんだ、頼む」

 

「意地悪のつもりで言ったわけじゃないから、そこまで頼み込まなくてもやってあげるわよ。報酬はいただくけどね」

 

 恐らくニマニマと今回の儲けを思い浮かべて笑っている遠坂。ちなみに報酬とは、学食の奢り+ルヴィア邸の雑用係である。どちらも期間は一週間。これで済むのだから安いモノである。

 カサカサ、とまとめた資料を手に取り、遠坂は調査結果を発表した。

 

「ジュリアン・エインズワース。エインズワース家長男。千年続く魔術の名家、エインズワース家の嫡男だった」

 

「だった、ていうことは……」

 

「ええ。これは十年前の資料。エインズワース家は十年前にとある魔術の実験によって、一家は死亡、もしくは協会によって回収されているわ」

 

「回収されたのは?」

 

「ジュリアンの父親、ザカリー・エインズワースだけ。残りは実験の過程で死んだとされているけれど、多分死体になった残りの家族は協会に回収されているでしょうね。ジュリアンもその中かも。ジュリアン以外には妹と姉だけ、母親は居ないみたいだけど」

 

「なるほど。それで、実験というのは? 相当の無茶をしたのは察しがつきますが」

 

 サファイアの指摘にその通り、と遠坂は続ける。

 

「衛宮くん。置換魔術って分かる?」

 

「置換魔術?」

 

 それなら俺にだって分かる。

 置換魔術。別名フラッシュ・エア。錬金術の派生から生まれた魔術だが、これと言って何の特徴もない、下位魔術の一つだ。

 

「あるモノを別に置き換えることが出来る魔術、と言えば便利に聞こえますが、その置き換えられる対象は等価交換内のみであり、更に言えば同等かそれ以下の劣化品にしか置き換えられない。低級魔術のそれが何なのですか、凛様?」

 

「アンタ偉い毒づくわね……エインズワースは千年続く魔術の大家、っていうのは話したわよね? そのエインズワースが得意とする魔術こそ、置換魔術ってわけ」

 

「千年続いた割りには、マイナーな魔術使ってるんだな……」

 

 というか、

 

「サファイアはエインズワースのこと知らないのか? 千年って言えば、アインツベルンに匹敵する歴史だろ?」

 

「士郎様の世界ならまだしも、こちらの世界ではアインツベルン自体が知る人ぞ知る、謎に包まれた一族です。エインズワースも同じように外界との接触を拒んだ、木っ端の一族なのでしょう。私の記憶領域には入っていません」

 

「お前やっぱルビーの妹だな……その言語センスは間違いない」

 

 気を取り直して。

 

「ま、あなたと同じよ衛宮くん。他の魔術適性が無い代わりに、エインズワース家の魔術師は置換魔術の適性がずば抜けてた。それこそ、千年続くほどね。列挙してあるだけでも、物質の置換は勿論、空間置換、概念置換、人格の置換すらやってのけたらしいわ。まぁどれも、あくまでこの千年間の中で確認されたってだけで、近頃は魔術回路の本数も、質も、何より魔道の血が薄まっていた。それこそジュリアンか、その次の世代なら魔術回路そのものが消え失せて、魔術師として消えるところだったってくらいにはね」

 

「それをどうにかしようと、置換魔術の実験をしたってことか……」

 

 よくある話だ。滅亡寸前の魔術師一族が、宝くじで一等を狙うように、一発逆転を狙うことなど、それこそ鼻で笑われるくらいには。それでも魔術を手放さず、探求し続けるのが魔術師が魔術師たる由縁であり、性なのだ。

 しかし、

 

「でも一体何を置換したんだ? 置換魔術は等価交換、つまり何を置換したところで、一を一かゼロにしか出来ないよな?」

 

「そこよ、問題は」

 

 ぱんぱんと資料を手で叩き、呆れた声で遠坂は告げた。

 

「魔術回路、もしくは血そのもの、もっと言うなら魂の置換。千年前の初代エインズワース家当主、ダリウス・エインズワースへの置換。それをエインズワース家は実験したのよ」

 

 思わずサファイアと目を見合わせる。そんなことが可能……なのだろうか? 魂の転写ですら、人格の破綻や記憶喪失などが起こると言われている。ましてや置換ともなれば、いくら同じ血筋でも二つの魂が一つの体に同時に存在することになる。

 そう、俺のように。

 

「あなたの懸念は最もよ。そしてあなたの考え付いたことも。その上で言うけれど、あなたのそれは置換じゃないわ」

 

「私もそれには同感です。士郎様、安心してください」

 

「……そうか」

 

 二人が言うなら心配ない。何せ俺より知識も、経験もある。そんな二人が言うのだから間違いなどあるハズもない。

 

「……むぅ。顔が見えないとはいっても、普通そんな簡単に信じる?……向こうのわたしってどんな接し方してるんだか……」

 

「凛様、続きを。電話代がかさみますよ」

 

「え、嘘!? 電話ってそんなにお金かかるの!?」

 

 早く言いなさいよもう!っと、慌ただしいスカンピン魔術師様。ちなみに遠坂は知らないだろうが、電話と言っても通話用のアプリなので、通信料使い放題が基本の料金プランならば実質無料である。それを知らない機械音痴は、先を急ぐ。

 

「話を戻すけど。本来、過去の人物への置換は相当困難なハズよ。まず本人の残滓、残留思念。つまりは魂の痕跡ね。そして何よりその本人と同等の魔術回路や才が無ければ、置換魔術は成立しない。劣化はあり得ず、そこにあるべきなのは同価値の魔術師だけ。つまり寸分違わない本人を置換しようとしたわけだけど」

 

「今のエインズワースは、二流が良いところなんだろ? じゃあ同等の対価は? 千年続く魔術の大家を興した魔術師だから、聖遺物とかか?」

 

「……いいえ、それは無理よ。無機質から有機物への置換は、この場合障害にしかならない。だから置換したのは、人から人。魔術回路には魔術回路。魂には魂。そして質が伴わないなら、あとは数で補うしかない」

 

 質で劣るなら数。それには少なからず共感する。俺の魔術も似たようなモノだ。いや、恐らくどの魔術師も同じように数で問題を解決することがあるだろう。

 つまり、 

 

「一族全ての人間の魂。それを代償に、エインズワース家は次期当主であるジュリアンへダリウスの魂を置換しようとした。それによって、もろとも滅んだとされているわ」

 

……イメージするのは、原始的な生け贄を使った儀式だ。祭壇と魔法陣。同じ血族の人間が周囲を取り囲み、その中央には一人の子供。

 例えるならそれは、一族全ての人間で行う心中と何ら変わらなかっただろう。エインズワースの言う、置換魔術がどのようなモノかまでは、具体的には分かっていない。だから成功する確率は俺が思うより高かったのかもしれない。

 だけど、きっとそれは、とても悲しいことのような気がした。

 魔術師はまともではないろくでなしばかりだが、エインズワース家とてその選択をするまでに研究を止めなかったハズだ。何かないのかと。

 それでも次代に託すことが出来なかったのは、彼らが魔術師の一族だから。

 外の領域に、手を伸ばそうとして滅んだ、愚かな一族。

 滅ぶと分かっていながら、家族を犠牲にしてでも、魔術師として生きねばならなかった、ジュリアン・エインズワース。

……それが間違っているかいないかは別として、同情はする。そして今問題なのは、

 

「……ということは、俺達の敵はこの世界のジュリアンじゃなく」

 

「並行世界のジュリアンね、間違いなく。それも恐らく、千年間研磨され続けた末に生み出された正真正銘の怪物。多分、クラスカードもジュリアンが作り出したモノに間違いないわ」

 

 そう、英霊をどう呼び出したかまでは分かっていなくても、クラスカードの本来の使い方を俺達は実際に見ている。

 

「英霊への置換。恐らくアレは、エインズワース家の秘奥である特殊な術式なのでしょう。我々カレイドステッキを介した現界であったから良かったものの、もしこれが緩衝材なしであったのなら」

 

「英霊に魂を塗り潰されて、物言わぬ人形みたいになってたかもしれない……その、夢幻召喚(インストール)だっけ? これからはなるべくしない方が良さそうね……」

 

 英霊への置換がどれほど危険なのかは完璧に未知数だ。しかし、もし俺が英霊エミヤに置換されてしまったらと考えると、それでも長くは持つまい。同一人物であっても、英霊は英霊。元からエーテル体であり魂の情報量が桁違いな彼らを、人間の手で制御しようとすること自体、禁忌なのだろう。

 とにかく、これからは英霊への置換はなるべく止めた方が良い。それだけは確かだ。

 

「あなたも気を付けてね、衛宮くん。この世界にずっといたいって、そう思う自分を騙して(・・・・)でも、元の世界に帰りたいって思うことは、それだけでこの世界にとっては脅威なのよ」

 

……? それは、どういう意味だろうか?

 元の世界に帰りたいとは思う。その思いこそが一番の危険なのだと言うことも分かる。

 しかし、

 

「いや遠坂、俺は自分を騙してなんかないぞ?」

 

「……は?」

 

「いやだから。俺は心の底から、元の世界に帰りたいって思ってるんだが」

 

 その言葉の、何がそこまで衝撃的だったのか。遠坂は唖然としたまま、

 

「……どうして?」

 

「どうしてって言われてもな。だって、それが正しいだろ? 俺はこの世界の人間じゃない。だから元の世界に戻るのが、一番正しいハズ(・・・・・・・・)だろ?……何か間違ったこと言ったか?」

 

 遠坂の表情は変わらない。あくまでそれは魔術師としてではなく。遠坂凛の人間の部分が、俺の考えを否定する。

 

「あのね……衛宮くん。普通あなたのように、違う人生を強いられる立場の人間はね、元の人生を思い出して、その中で一番大切なモノを浮かべて耐えるモノなの。二つの人生を送るここ数ヵ月の生活は、並大抵の精神じゃ発狂しても可笑しくない。それが、死人との邂逅なら尚更ね」

 

「?……遠坂、言っている意味が」

 

「洞窟の中で出口の先にある明かりを頼りに、歩き続けるようなものかしら。どちらにせよ期限がない苦痛に変わりはないけど」

 

 何か、可笑しい。

 歯車が噛み合わない。何か、遠坂と俺の間で認識が、ずれている。

 

「あなたは死んでいた人間と何人も出会った。それも家族っていう身近な存在と。それでも帰りたいと思える何かが、あなたの世界にあると思った。いや、思ってた」

 

「……」

 

「でも、あなたは元の世界に帰りたいとは言っていても、どうして帰りたいかって理由までは言ってなかった。その理由を尋ねてこなかったけど、よりにもよって、それが正しいから、ですって? そんな理由で、帰りたいってほんとに思ってるあなた?」

 

「凛様」

 

 サファイアの制され、凛が口をつぐむ。だが今の俺には、それに感謝する余裕すらなかった。

 元の世界に帰りたいと思った。どうあれ、それは正しい。だが、どうして? 理由を伴わない行動ほど異常なモノはない。

 ここには、誰よりも側に居てくれる家族が居る。帰ってきて、おかえりなさいと。そう言ってくれる誰かが居る。無条件で俺を守ってくれる誰かが、愛してくれる誰かが、必ず居る。

 それを守りたいと思ったし、一緒に居たいとも思った。

 なら、どうして俺は、元の世界に帰りたいと思ったのだろう?

 正しいとか、それが元の形だからではなく。俺がこの居心地の良い場所を捨ててでもあの世界に帰りたい、何かを覚えているのだろうか?

 この心に。

 あの世界を。

 

「……今の衛宮くんは、常に世界そのものから修正を受けてる。記憶だって朧げ、そうよね?」

 

「……ああ」

 

「なら今の話は忘れてあげる。だから見つけなさい、帰りたい理由を。この世界を否定してでも帰りたい、元の世界への光を。さもないと、あなたはいつか来るイリヤ達との別れを諦めて、ここに骨を埋めるなんてことしでかしそうだし」

 

 返事は頷くことしか出来なかった。ただただ、自分の救いようのない馬鹿さ加減に吐き気がしてたまらない。

……気付かなかった。

 帰りたいという願いは、絶対にイリヤ達を傷つける。そんなことはずっと前から分かってたし、意識はしていたけれど。

 でもその願いには、何一つ理由がない。

 イリヤ達を傷つけてでも成し遂げたい理由が、その願いから見つけ出せない。

……本当に、俺は帰りたいのだろうか?

 この世界を託した誰かを踏みつけたまま、のこのこルール(正しさ)に従って良いのだろうか。

 記憶は最早輪郭すらなく、一緒にあの夜を駆け抜けた剣士ですら、どんな顔だったのやら。地獄に落ちても忘れないと思っていた記憶がそれなのだから、他の記憶など言うべくもない。

 今の俺は帰りたいという気持ちだけが、先走ったまま。そこに中身などない。

 

「……さんきゅ、遠坂。よく考えてみる」

 

「あらそう? あなたがもし帰りたくないって言うのなら、お一つ呪いでもかけた後簀巻きにして川にでも流してやろうかって検討してたとこなんだけど」

 

「この世から追放されるのは、流石にごめん被る。というか、そんなもがき苦しんで死ぬような真似だけは勘弁してほしいです、うん」

 

 ケラケラと笑うあかいあくま。こちらを元気付けようとしたジョークなのかもしれないが、多分俺がいざそうなったらやりかねないのが遠坂の怖いところだ。面倒見が良いとはいえ、谷底に叩き落として人がひーこら言ってる様をニヤニヤする系なのである。

 さて。ここでいつまでもうだうだやっていたところで、状況が好転するわけでもない。そしてめぼしい場所は調べ終わった。そろそろ退却しても良い頃合いだろう。

 と、電話を切ろうとしていたときだった。

 

「シェロ、ちょっとよろしくて?」

 

 急に耳元がやいのやいのと騒がしくなると、遠坂ではなくルヴィアの声が聞こえてきた。携帯を掠め取り、恐らく遠坂を得意のプロレス技で抑え込んでいるのだろう、やや息が切れていた。

 気にせず、

 

「ああ。もしかしてさっきのことで何か気になることがあるのか?」

 

「いえ、そちらではなく……私が申したいのは、美遊のことでして」

 

 ?……咄嗟に土蔵から顔を出して、屋敷の方を伺うが、美遊に変わった様子はない。のんびりと本を読んでいる姿は、むしろ楽しそうですらある。

 

「本を読んでるけど、特に変わったところはないぞ……何かあったのか?」

 

「……問いを返すのは不躾と分かっていますが、シェロは何か感じませんか? 今日だけでなく、今までのことでも構いません。何か可笑しな点は?」

 

「可笑しな点って言われてもな……そもそも美遊には何か事情があるって分かってたから、そういうのは見逃してたし……」

 

 答えると、ルヴィアは押し黙ってしまった。もしかして致命的な何かを見逃してしまったから、呆れているのだろうか。だとしたらまたそろそろ自分に愛想が尽きそうだが、そうではなく。

 

「……実は」

 

 ルヴィアの話というのは、平たく言えば相談だった。

 元々一人で耽ることが多い美遊だが、どうも最近は度が過ぎているらしく、それは屋敷での仕事や、学校、会話の中ですらそうらしい。

……全く気付かない自分はどうなんだ?、と思っていたのだが、どうやら事はそう簡単なことでもないようで、

 

「美遊様は士郎様の前では、至って普段通りですよ。その反動か、我々の前では何処か夢心地のままですが」

 

 らしい。つまり俺に気付かれたくない悩みがある、ということのようだが……。

 

「なら俺に相談するより、直接美遊に話した方が良いんじゃないか? どんな悩みかは分からないけど、俺が下手に聞くのも、あんまり得策とは思えないぞ」

 

「いえ。私も美遊には話したのです。何か悩み事はないのかと。しかし美遊は一切を話してくれませんでした。そしてイリヤやクロにも、話してはいないようなのです。ですからシェロならばと」

 

「……わかった。とりあえず話してみるよ」

 

「ありがとうございます、シェロ! 美遊をどうか、よろしくお願いします」

 

 ルヴィアは声を弾ませているが、果たして俺でどうにかなるのか。こういうことはあまり得意じゃないから、先行き不安だ。

 にしても、

 

「なんだか美遊のお姉ちゃんみたいだな、ルヴィア」

 

「へ? い、いえ、私は美遊とはあくまで契約関係であって……その……」

 

「ギブアンドテイクなら、わざわざ自分の家に住ませたり、学校通わせたり、小遣いあげたりする必要はないだろ。立派なお姉ちゃんじゃんか」

 

 あの、その、としどろもどろになりながら、言い訳を考えているルヴィアに、追い討ちをかける。

 

「手助けはするけど、多分最後はそっちに任せるから。だから頑張れよ、ルヴィアお姉ちゃん」

 

「っ、シェ、シェロは意地悪ですわ!もう!」

 

 ぷんすか言い残して、電話は切られた。サファイアと共に笑いを噛み殺しながら、携帯をポケットに仕舞い込む。

 実際、俺が言ってどうなるのかは、分からない。でも何となく、美遊の悩みはルヴィアが解決してくれるんじゃないか、という不思議な信頼があった。何せあれだけ気にかけて、仕事だって休ませているのだ。それを正直に話せば、美遊だって話してくれるに違いない。

 

「ルヴィア様を弄るのは結構ですが、士郎様も傍から見れば妹のことで奔走するシスコン野郎にしか見えませんよ」

 

「シスコンってお前……そりゃ悩んでたら、色々してあげたいだろ?」

 

「わざわざ保健室まで妹を迎えに行く男を世間一般的にはシスコンかロリコンか変質者と呼称しますが?」

 

 ドッジボールなんかで気絶したなら、心配だってしちゃうだろう。なんだなんだい、人を異常性癖者みたいに。兄として当然だろうそれくらい。

 

「夢うつつなイリヤ様に迫られて赤面したりクロ様に魔力供給して堕ちそうになった男が今更ですね、ええ」

 

「よーしわかったそこに直れ、バラして物置の埃にしてやるこのクサレステッキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調べ物も終わり、お昼時だ。美遊もお腹が空いたということで衛宮邸から移動。そのままバスに乗って新都に来た。

 七月になり、日差しや気温も上がったことで、エアコンか扇風機が無ければ外に出ることも億劫なほど暑いが、休日になればそんなことは関係ない。人の行き交う流れが複数本ある程度に、新都は人に溢れていた。

 

「流石にこっちまで来ると暑いな……さっさと建物に入って涼もう」

 

「それは良いんだけど……食事を取るだけなら、何もわざわざこっちまで来る必要なかったんじゃ……」

 

「まぁな」

 

 深山町にも、ちゃんと飲食店はある。そもそも今日の目的は屋敷の付き添いだけで、正直なところ昼飯を食わずに別れても良かったのである。

 だがまぁそれはそれ。ルヴィアからの頼まれ事をするには、新都の方が都合がいい。

 

「ほら、今日は休みだろ? いつもはイリヤ達と遊んでるけど、せっかくなら俺と一緒に出掛けるのも良いんじゃないかなって。ちなみに予定は?」

 

「……ない、けど」

 

「ならいいじゃないか。たまには二人で、な?」

 

 とかなんとか言いくるめて、まずは昼食を取るためにショッピングモールのヴェルデへ。

 俺の世界のヴェルデは、学生、親子連れなど問わない場所だったが、こちらでも同じような感じらしい。違いと言えば、やはり品揃えか。どれも俺の世界より数段グレードアップしている。特に家電は凄い。なんだこの性能。三十時間保温出来る炊飯器とか何に使うんだ?

 それはさておき。

 美遊と二人で出掛けるのは初めてだったわけだが、果たして物静かな美遊と何をすべきか、そこから考えなくてはならなかった。

 しかし意外というか何というか、最初は乗り気ではなかった美遊も、喫茶店に着いた頃には楽しむ気になったらしい。

 

「ねぇお兄ちゃん、これ食べ終わったら、服を見に行ってもいい?」

 

 ホットサンドを頬張る彼女は、そう朗々と提案してきた。無論美遊側からの提案があれば、それに越したことはない。悲しいかな、洋服の付き添いにはもう慣れてしまった自分がそこには居た。

 というわけで、遠慮なく振り回されてみようか。

……なーんて、余裕ぶるのも昼飯を済ませた辺りまでだった。

 何せそこからはまさに、ジェットコースターのような慌ただしさだったのである。

 元々理詰めな美遊だ。恐らく昼食中にも予定を組み立てていたのだろう。

 喫茶店を出て、まず服選び。ここは女の子らしく、あーでもないこーでもないと鏡や試着室で服を取っ替え引っ替えする美遊を眺めるわけだが、考えてもみてほしい。

 小学生女子が選ぶ服と言えば、それはもうフリフリで、キラキラで、シャララーンなのである。少なくとも高校男子が気楽に立ち入って良い領域ではない。そこはもう死地、まごうことなき死地なのだ。座る場所もなく、両手を後ろに組んでさながら軍人みたいにそれでもぼくはやってないと主張したくなる空間。そんな中で美遊も漏れなく夢中になり、そして一気に疲労が溜まる。

 次はゲームセンター。なんでここか聞いてみると、

 

「みんな楽しいって言うけど、行ったことなくて。一人で行くにはちょっと恥ずかしいから……」

 

 らしい。それなら喜んで先達のゲームの腕を見せてやろうと息込んだが、そうは問屋がおろさない。美遊の桁外れの知識と頭脳を舐めていた。

 例えばUFOキャッチャー。定番としては、五百円くらい注ぎ込んで交代、華麗に景品をゲットして渡す。無論そんな最強の自分をシミュレーションしていた。しかし美遊は、何やら三百円投資した時点でセオリーや技を開発したらしく、計七百円で四つの景品を獲得。その後もレースゲーム、ホッケー、メダルゲーム、そのいずれも大勝し、そして対戦してはボロ負けした。面子丸潰れでハンバーグが作れるレベルである。

 

「士郎様、ゲームあまりやったことないんですか?」

 

 人並みにはやってるわほっとけ。

 次はちょっと疲れたので、フードコートでアイスでも食べながら休むことに。だがここで、予想外のアクシデント。

 

「お? おおっ!? なんだよミユキチじゃねぇかー!」

 

 少し高い、男勝りな声が一つ。それに釣られて声の方を見ると、何やら小学生がぞろぞろと四人程度こちらに歩いてくる。

 その中でも先頭にいるお団子ヘアーの少女は、にんまりとした笑顔で、

 

「居るなら丁度いい! 俺達も今からミユキチ達がここで食べてるアイスを食べようと思ってたとこでさー!」

 

「ね、ねぇ龍子ちゃん……」

 

「あー? なんだよ美々? 俺は今ミユキチとー……」

 

 たしなめられたことで、視野が広くなったのか。お団子少女の視線がこちらへとロックオン。

 

「……み、ミユキチが一足先に、大人の下り坂を駆け上っていた、だと……!?」

 

「待てなんでそうなる」

 

 たまらず突っ込む。なんだ大人の下り坂って。登ってんのか落っこちてるのかどっちだ。

 

「……美遊が大人っぽいのは知ってたけど、なぁ……?」

 

「うん……明らかに高校生か大学生の人と……」

 

「休みに二人で逢い引き……うわぁ……すごい……大人だ……」

 

 凄い、何も言ってないのに俺の価値が急転直下してる。

 だがそれも当たり前か。事情を知らなかったら、そういう関係に見えても仕方ない。というか誰なんだこの子達。美遊の友達か?

 

「うん……一応イリヤとも」

 

 ですよね。

……うん。

 逃げよう。

 

「あ!」

 

 まさに脱兎とはこのこと。素早く荷物を回収、フードコートからの脱出を試みる。

 よりにもよって、イリヤの友達にこの状況を見られるとは。しかもこっちは兄と知られていない。いや知っていようがいまいが見られてしまったことで間違いなく拗れる。だって、

 

「小学生と十代後半男子のイケナイ関係……それをSNSに投稿すれば夏の宣伝になる……話を聞かせてもらわないと……!」

 

「え!? 小学生男子と高校生男子のNL本!?」

 

「亀公! あそこのラーメン美味そうじゃね!? アイスぶちこんだら美味そうじゃね!?」

 

「この状況でアンタ頭の中スープでゆだってんのか! いいからとっとと追うよ!」

 

 イリヤの友達、個性的なの多いし……。

 そんなわけで彼女達の追跡を振り切るにはショッピングモールを抜けなくてはならず、そこからもなんやかんやあったりして。

 夕方。

 海浜公園のベンチで、二人して項垂れていた。

 

「……なんか、疲れたな」

 

「……うん」

 

 なんでこんな疲れたんだろ?と思わずにはいられないほどの疲労感。全てを語るには恐らくまたこれと同じほどの疲労感があるだろう。思い出したくもない。特にあちこちで出没したイリヤの友達+冬木の豹と氷室、そして原付きタイガーから逃げ回ったことは。

 まぁ、でも。

 

「楽しかったな」

 

「うん」

 

 そう言って、二人でくすりと笑ってみる。共有した今日という一日は、なんだかとても疲れて、可笑しくて、楽しかった。

 ひとしきり笑った後、並んで夕日を見る。川面を反射させ、地平線に落ちていきながらも、日はとても眩しく、美しい。

 そして、それを見る美遊も、負けず劣らず輝いている。

 

「悩みがあるんだってな」

 

 切り出して、美遊の反応を待つ。彼女は眦を決したが、すぐに諦めたように口を開いた。

 

「……うん。もしかして、話しやすいように今日は一緒にいてくれたの?」

 

「ま、そんなとこだ。馬鹿正直に聞いたって、絶対話してくれないだろ?」

 

「もう、人が分からず屋みたいに……ううん、そうだね。わたしは、頑固なんだろうな」

 

 表情はあくまで穏やかに。されど少しの郷愁を滲ませる美遊。

 

「……わたしね。ここに来れて、幸せだと思う。友達が出来た、学校に通えた、ルヴィアさんに会えた、イリヤに会えた。色んな出会いがあって、世界はこんなに綺麗なんだって、それを知ることが出来た」

 

 だから、なのだろう。その悩みが生まれたのも。

 

「でも……多分、この出会いはあり得ちゃいけなかったんだと思う。イリヤに会ったことも、お兄ちゃんに会ったことも。会ってしまったから、こんな、嫌な気持ちばかり抱えて。誰かを代役として見て、本物から目を背けてばかりで、それでこんな、嫉妬までして。わたし……!」

 

「美遊」

 

 その肩を掴み、ゆっくりとこちらに引き寄せる。

 

「落ち着け。何に悩んでるのか、何に嫉妬してるのかは分からないけど、でも俺には絶対話したくない。だから明るく振る舞った。そうだろ?」

 

 こくん、と頷いた頭を撫でる。少しでも安らげるように。彼女が立ち上がれるように、手助けする。

 

「だったら俺に話さなくて良い。その代わりに、ルヴィアに話すんだ」

 

「ルヴィアさんに……?」

 

「そもそも、俺がお前の悩みに気づけたのも、ルヴィアのおかげなんだ」

 

 話す。ルヴィアが美遊のことを心配していること。仕事を休ませたのも、その心配からで、わざわざ俺に美遊のことを頼んだこと。そのことを話すと、美遊は目を見開いて、信じられないという顔をしていた。

 

「どうしてそこまで……わたしとルヴィアさんは、ただの契約関係なのに……」

 

「ホントにそうか? お前はどうなんだ、美遊? ルヴィアのこと、どんな風に思ってるんだ?」

 

 それを意識して考えたことがなかったのだろう。

 恐らくこの町で初めて出会った人間が、ルヴィアだ。その彼女との関係が何なのか美遊は即答することが出来なかった。

 そして恐らくそれは、それだけルヴィアの存在が大きいからこその逡巡だった。

 

「美遊は、ルヴィアのこと好きか?」

 

「え?」

 

「ルヴィアと一緒にいたいって、そう思うか?」

 

「……」

 

 答えは最初から出ている。その答えは俺も、美遊も分かっていたけれど、けれど今欲しいのは言葉だ。

 一度も明かしてこなかった言葉。きっとそれを口に出来れば、その関係にも答えが見つかる。

 

「……うん、好き」

 

 はにかみながら。少女はその言葉を初めて口にする。

 

「出来るなら、一生。一生ルヴィアさんと一緒にいたい……そう、今は思ってる。まるで家族みたいに」

 

「じゃあ、そういうことだろ」

 

 立ち上がって、背伸びをする。うんと伸ばすと、胸がすっとした。

 

「ルヴィアと美遊は、姉妹だ。血が繋がってなくても、その在り方が」

 

「わたしと……ルヴィアさんが……?」

 

「ああ。俺が保証する。お前達は姉妹だ。嫌か?」

 

 ぶんぶんと、何度も、大きく顔を振る美遊。その頬が赤く染まっているのは、夕日のせいなどではなく。きっと、温かい絆を見つけたから。

 

「そっか……わたしと、ルヴィアさんは……姉妹……そう、だったんだ……」

 

 大切な贈り物を、胸で抱くように。美遊は両手を胸にあてて、その言葉を反芻する。それが消えて無くならないように、何度も、何度も。

 

「いいのかな……あり得ちゃ、いけない出会いなのに」

 

「だとしても、今更何を悔やんだって仕方ないだろ。俺は美遊と出会えてよかった。イリヤやクロ、お前の友達や、そしてルヴィアだってそうだ。あり得ちゃいけなくても、その出会いが間違いのハズがない。お前が今感じている温かさまで、否定しなくていい」

 

 そしてきっと、それは俺もだ。

 美遊はしばらく下を向いたままだった。動かず、喋らず。ただ、得たものを、噛み締めていた。

 だが、最後には。

 

「……うん、そうだね」

 

 立ち上がり、隣に来て、見上げ。

 

「帰ろう。ルヴィアさんが待ってる、でしょ?」

 

 美遊は吹っ切れた様子で、そう言った。

 

「ああ」

 

 荷物を持つ。今日が詰まった紙袋を。

 結局美遊の悩みは分からない。もしかしたら、俺がその悩みを聞いた方が良かったのかもしれない。

 

「帰ったらルヴィアにちゃんと相談するんだぞ。イリヤ達だって心配してるんだし」

 

「そうだったんだ……うん、分かった。ああでも、そのときはみんな呼んで話したいから……それでいい?」

 

「勿論だ」

 

 だけど、それでも美遊を助けられるのはルヴィアだけだと思った。

 それだけの我が儘がどうなるかは分からないけど。

 だけどきっと、それが良い方向に向かっていることだけは、確信を持って言えた。

 

 ああ、なのにーー。

 

 

「ーーいいえ。その必要はありませんよ」

 

 

 自信に満ちた声に、たまらず振り返る。

 聞き間違えようがない/聞いたことがない声の主は、スーツの麗人だった。臙脂色のそれを四肢に纏い、手には皮のグローブ。笑えば相当な美貌は大理石のように硬く、目は真っ直ぐと敵意を叩きつけていた。

 

 

「あなたが家に帰ることは、もう永劫ないので」

 

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 あり得ぬモノを悉く封印する執行者が、夜と共にやってきた。

 

 

 

 

 

 



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夕方→夜~VSバゼット/抉られる事実~

ーーinterlude5-1ーー

 

 

 さて、時間は昼前、正確に言うとルヴィアが勢いあまって通話を切るところまで戻る。

 ルヴィアは組み技を嗜んではいるが、別にそれ一辺倒ではない。いやそもそも魔術師とは、本質的には研究者、探求者であり、まかり間違っても拳闘士(グラップラー)などではないのだが。

 つまり何が言いたいかと言うと、

 

「ふんぐぬぬぬぬぬぬ……っ!!」

 

「ぶ、ぐんんっ……!!」

 

 こうやってギリギリと歯軋りしながら揉み合いになっている二人は、酷く合理性に欠けていると言わざるを得なかった。

 士郎からの報告を聞き、さてどうするかと凛が携帯の通話を切ろうとしたときのことだ。ルヴィアがその携帯をかすめ取り、あろうことか首を絞めてきたのである。

 携帯をかすめ取るのは、いい。ルヴィアの性格は凛も知っている。それくらいは手遊びのようなもの、カウンターのために拳を握る程度で済む。

 しかし携帯を取るだけでなく、技をかけることはないだろう。いくらなんでも問答無用すぎる。というかムカつく。そんなわけで、こんな不毛としか言いようがない事態に二人は発展しているわけだが。

 

「携帯、借りるのはっ、構わないけど……そのた、めにっ……人の首ぃ……シメる必要、ないでしょうがっ……!」

 

 最もである。

 対し、

 

「お黙り、なさい……っ! なんか、ムカムカしたの、ですから……そこにサンドバッグがあれば、……こう、なるでしょう!?」

 

「なるかぁ!?」

 

 重ねて言うが、最もである。

 初夏も過ぎ、冷房のかかった室内とはいえ、こう全力全開JKプロレスバトルを繰り広げれば、ダラダラとかきたくもない汗をかいてしまうモノ。

 早く決着をつけるべく、ばたばたと力の均衡をずらすためにその場でぐるぐると回ってポジショニングし始めた二人は、なおも不毛すぎるバトルを続ける。

 

「大体サンドバッグってなによサンドバッグって! 馬鹿みたいに肉団子二つぶらさげて! 精肉工場に売り飛ばしてやろうかこのゴールドビーフ!」

 

「オホホ、鶏ガラの負け惜しみが聞こえますわね! ほら、なんですの? あのらぁめんとやらのダシになるしかあなたの需要はなくてよ?」

 

「あるわ!! 少なくとも棒々鶏とか何かゆるふわ女子力に満ちた系の奴が!!」

 

 最早何が理由で怒ってるのかすらよく分からないまま、調度品を巻き込んでぐるぐるとカーペットの埃を取るように回る二人。

 やがて二人は床の上で、ぜぇぜぇと肩で息を切らしていた。麗しき乙女達は、汗を袖で拭い、

 

「……つ、つかれましたわ……」

 

「こっちの台詞よ……ていうか、一発は一発、避けんな……」

 

「避けますわよ……あなたの一発、そこらの呪いよりよっぽど効きますもの……」

 

 シュッシュッ、と凛の肩パンを回避するルヴィア。それを追う凛はまたもやころころと回り、ルヴィアも距離を取ろうところころ。

 埒が明かないと、二人は立ち上がってとりあえず転がっていた椅子を戻して席についた。

 

「……で? 美遊の話してたけど、どうだったの?」

 

 最近美遊の様子が可笑しい。それは凛も感じ取っていた。先もその話題で携帯をかすめ取りやがったのである。

 

「特には。ただ、美遊をよろしくお願いしますと、それだけ」

 

「美遊のことなら私にお任せを、なーんて言ってたアンタがねぇ……」

 

「な、なんですの? 仕方ないでしょう、美遊はシェロと居た方が楽しそうですし……」

 

「ふぅーん……だから悩みがないか聞いてくれって? いつからアンタ、人の事情とか推し量れるようになったの?」

 

 凛が首を傾げると、ルヴィアがすかさず噛みつく。

 

「あ、当たり前でしょう!? あの年齢の少女はこう、抱え込みがちなのです! なら話しやすい相手に……」

 

「衛宮くんに相談なんてするかしら……むしろ一番話したがらないと思うけど……」

 

「……」

 

 少しの沈黙。

 しかしすぐルヴィアは自分のカールした髪を一本ずつ片手に持ち、きーっと怪鳥のような甲高い声をたてた。

 

「このルヴィアゼリッタ、一生の不覚ですわ! これならイリヤやクロに相談した方が良かったのでは……ぐぬぬ……!」

 

「いや自分でやんなさいよ、アンタ」

 

「いえ、私には話してくれなかったので、他の誰かならと」

 

 ルヴィアはきっぱりと言って、あーだこーだとどうしたら美遊が悩みを話してくれるか作戦を練る。

 しかし凛には、少し引っ掛かった。

 

(……こいつ、あんだけ美遊のことを世話してたのに、悩みを打ち明けてもらえないの、悔しくないのかしら)

 

 問い質すことでもない。

 少なくとも、このときはまだ、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が覆い被さる海浜公園は、とても静かだった。昼間なら見える赤と白に着色されたコンクリートは、まとめて闇に塗り潰され、木々もたまに吹く風によってざわざわと音を立てる大きな魔物のように見える。明かりとなる街灯は経年劣化のせいでぷつぷつと途切れながら、訪れる夜へ抗おうとしている。

 そんな原初的な闇を引っくるめても、目の前の彼女には届かない。

 

「久しぶりですね、士郎くん。三ヶ月ぶりくらいでしょうか」

 

 こっ、と軽やかな足取りとは正反対に、街灯に照らされた女の表情は、夜よりも暗い。さながら彫刻のように鋭利で、無機質だ。

 一目見て、思い出した。

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。

 第五次聖杯戦争において、最初のランサーのマスターだった魔術師。

 そして魔術師の中でも屈指の武闘派ーー協会の封印指定を行う、執行者。俺などでは逆立ちしても勝てない本物のバケモノ。

……現在俺は元の世界の記憶のほとんどを忘却していると言ったが、本当は少し違う。

 例えるなら引き出しの本だ。元の世界に関する記憶は、ほぼ全てその引き出しに仕舞い込んでおり、そのせいで思い出せない。

 だが、二つだけ思い出す方法がある。

 一つ目は無理矢理記憶を引き出すこと。そして二つ目が、元の世界の人物と出会うこと。

 バゼットを見た途端、記憶を思い出したということは、すなわち。

 

「……ああ。久々だなバゼット。どうやってこっちに? 気軽に来れる場所(・・・・・)でもないのに」

 

「いえ、そうでもありませんよ。遠坂さんに少し力添え(・・・)をしてもらったので」

 

 力添え、ね……美遊が居る手前、下手に元の世界のことは話せないが、どうやら俺の世界のバゼットで間違いないようだ。

 だとしたらなんたる僥倖か。カレンに続いてバゼットまで来てくれたのは助かる。戦力的にも、手掛かりとしても。もしかしたら元の世界へ戻る方法も知っているかもしれない。

 助かった。そう、頭では考えているのに。

……何故だろう。

 どうして、バゼットを味方として見ることが出来ないのだろうか……?

 

「で、家に帰ることはないってなんだよ? アンタがホテルにでも泊めてくれるのか?」

 

「そんなに警戒せずとも、と言っても警戒を解いてはくれないでしょうね」

 

 知らず知らずの内に。歩み寄ってくるバゼットに対し、逃げ腰になりそうな自分を抑える。

 しかし、それは余りに浅はかで、魔術師としては決定的に違えた選択だった。

 

「では」

 

 あと二、三メートルというところで、バゼットの姿が消える。目ですら追えない。身体など間抜けにもまだ紙袋なんて持っている。

 だから。

 

「少し、眠っていてください」

 

 背後から振るわれた鉄拳が、頬に突き刺さり、そのまま横一直線に川へと叩き落とされた。

 無駄がない、ただ人を壊すことに特化した拳は、サーヴァントにすら匹敵する。大きな水飛沫をあげて、平たい石のように何度か水面を滑り、最後には水底まで叩きつけられた。

 

「ごぼ、っ、ぉぐっ、……!」

 

 背中に走る痛烈な痛みを水と共に吐き出す。意識は何とか飛ばずに済んだ。寸前に剣を投影して威力を分散したつもりだったが……折れた剣の柄を見る限り、それもあんまり意味がなかったらしい。でも大した傷はない、色々追い付かないだけだ。

 どうやってこっちに来たのか? 何故こちらを襲ってきたのか? そもそもなんでこのタイミングなのか?

 疑問は尽きない。ともかく川面に出ないとこのまま窒息死なんてこともーー。

 

「……!」

 

 地上のことは、音がくぐもって何を言っているのか図ることは出来ないが、目で見れば分かる。

 景色が歪んではいるが、あのスーツは間違いない。バゼットが、物凄い勢いでこちらに突貫してくるーー!

 

「っ!」

 

 極大のインパクトが、川を走り抜ける。水がうねり、生まれたハズの泡が弾け、そして川が二つに分かれて盛り上がる。

 自分の目が信じられない。

 刹那のことだが……確かにバゼットは、その拳で川を引き裂いたのだーー!

 

「驚いている場合ですか?」

 

 そしてその刹那、川という障害物が無くなる。とはいえその時間は一秒にも満たない。まばたきすれば二つに分かれた波はまた合わさり、川に戻ろうとするだろう。

 しかし、ここに居るのは封印指定の執行者。神秘をもって神秘を踏みつける者。この数瞬を引き寄せるだけの力を、彼女は所有している。

 バゼットがしたのは簡単なことだ。

 拳で川を割った勢いのまま、泥であるハズの川底を蹴り、俺の手を掴んで投げ飛ばす。

 しかしその力が桁違いだ。

 

「、ぶ、っ」

 

 目眩が衝撃で吹き飛ばされる。

 衝撃が意識を無理矢理、ブラックアウトさせようとする。

 足掻きようもない。

 何かに激突したと思ったときには、既に思考は投げ出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude5-2ーー

 

 

 彼女の実力はよく知っていた(・・・・)

 川を二つに割ったことも、英霊と打ち合えるあの力量があれば、事前に準備していれば不可能ではない。凛やルヴィアだって、宝石を費やせば可能だろう。

 だが驚くべきはその後。バゼットは川が元に戻るその一瞬の間に、兄を対岸まで投げ飛ばし、またこちらへ戻ってきた。しかもスーツに染み一つも無いまま。

 これが執行者。

 数ある魔術師の中でも、虎の子と呼ばれる一人。その片鱗を、美遊は垣間見た。

 

「……流石の伝承保菌者(ゴッズホルダー)……遠く及ばないでしょうが、それでも英霊との戦闘をこなしてきた士郎さんをああもあっさり……」

 

 サファイアの驚きは最もだ。彼はヘラクレスであろうが、クーフーリンの槍だろうが、その死線を潜り抜けて生き残ってきた。その彼を、バゼットは何の抵抗も許さなかった。

 格が違う。

 そう思うだけの実力を、見せつけられた。

 

「どのような魔術師であっても、魔術回路を励起させていなければ意味がない。私に殴られてようやく起動したようですが……咄嗟に脆弱であっても投影魔術を発動出来た辺り、ギリギリ踏み止まっていたようですね」

 

「踏み止まっていた? どういう意味ですか、それは?」

 

「説明する必要はない。最初に忠告したつもりですが、まだ何か?」

 

 答える気はないらしい。どちらにしろ、士郎に攻撃した時点で、無事に帰してくれるとは美遊も考えてはいない。

 バゼットが攻撃した時には、カレイドサファイアへの転身は完了している。ステッキを正眼に構え、慎重に次に備える。

 

「……何が目的なんですか。前にもあなたは、クロを止めようとしたわたしを妨害した。お兄ちゃんのためと嘯いて。でもあのときわたしが動けなかったから、あんなことになった。それを忘れたとは言わせない」

 

「導火線に火がついた爆弾など、いっそ爆発させた方が良いとは?」

 

「ふざけるな」

 

 ぎり、とサファイアを掴む手が震えるほど力一杯握り込む美遊。

 

「結果がどうあれ、みんなが傷ついた。痛みがあったから分かり合えたなんて、そんな理屈はどうだっていい。みんなが傷つかない未来があった。ならそれを目指すのが当然、違いますか?」

 

「確かに。ですが、それは余分だ。そもそも士郎くんがイリヤスフィールやあのクロという少女と関わらなければ、誰も不幸にならずに済んだ。そう考えることも出来る」

 

……バゼットの言う通りかもしれない。

 けれど、それは。

 ここで起きた出来事を、全て否定する言葉だ。

 

「そうは、思わない……!」

 

 面影ばかり探して、重ねては辛くなった。

 それが続いていく世界だった。

 でも、そんな毎日を変えてくれたのも、この世界で出会った人達で。

 それは衛宮士郎も、同じだ。

 

「わたしはもう、何も失いたくないから……!」

 

 どれだけ言葉を重ねても、目の前の女性に届くなんて美遊は期待していない。バゼットによって、既に賽は投げられているのだから。

 なら語ることなどない。

 ここから先は、魔によって己を最強と知らしめるだけ。

 

「そうですか、残念です。子供にこれを振るいたくはないのですが」

 

 守られるだけの子供に用はない。そう言わんばかりの態度に、美遊は別に怒りもしない。事実守られるだけの子供に変わりはないのだから。

 だがステッキを持っている間だけは、英霊にすら愚かにも挑むほどの勇気を、美遊は持つことが出来る。

 拳に視線を落とすバゼットに、美遊が先んじて動いた。

 

「!」

 

 バゼットの四肢、首、肩。その座標を確認。術式は拘束。今から演算したのでは間に合わない、演算をすっ飛ばしながら(・・・・)、勘で魔術を発動させる。

 

「束縛ですか」

 

 バゼットは体中に巻き付いた青い縄のような魔力の塊を、視認すらせずに、強引に引き千切りにかかる。視線は空中を蹴って走る美遊のままだが、そこで動きが止まる。

 縄型の魔力塊から、鋭い刃が飛び出し、バゼットの体に絡み付く。さながら茨のように。

 無理矢理引き千切ろうとしたバゼットのスーツは破け、更にその下の肉体に食らい付いた。血が噴き出し、だがそれでも一寸も躊躇いなく茨の縄を無力化しにかかるバゼット。

 それも、想定内。

 魔法陣を複数展開。三つに重なった砲台を集束、美遊は魔力の塊をバゼット目掛け振り下ろした。

 

極大砲射(フォイア)!!」

 

 夜を内側から裂くような、蒼穹の塊。それは周囲十メートルのコンクリートごとバゼットを呑み込むと、一際光を放ち爆発した。瓦礫の破片が掘り起こされた土と共に、夜の闇へと消えていく。

 

「……」

 

 障壁を足場に、美遊は空中で待機する。アレで倒れたとは思っていない。次の砲撃を準備し、煙で隠れたバゼットの姿を目視しようと目を皿のようにする。

 

「サファイア、あの人は!?」

 

「反応はまだあの煙の中に。ですが美遊様、少し落ち着いてください。ここで焦っては」

 

「勝てない、でしょ? 分かってる。ここでむやみに突っ込んだりしない」

 

 一見冷静な美遊。だがその手は、何か攻撃を受けたわけでもないのに、カタカタと震えている。

 日が完全に稜線に落ち、海浜公園は既に街灯の明かりだけが、視界の範囲を広げてくれる。

 どっ、どっ、どっ。

……うるさい。体の奥から聞こえるリズムが、なけなしの平常心を容赦なく崩していく。さりとて落ち着くために深呼吸などしていれば、バゼットはその隙を逃さず狙ってくるだろう。美遊はそう結論づけ、気丈にも戦いへ全精神を向ける。

 何故彼女がこうも乱暴で拙速とも言える戦法を取るのか、その理由は二つある。

 一つは美遊がこの力をーー凶器を、意志があり、血肉がある人間へ振るうのは……初めてのことだ。

 意識はしていない。すればその時点で美遊は戦いを続けられなくなる。だがそれをいくら押し殺しても、必ず何処かで綻びが出てくる。美遊の場合それが今回戦術だった。

 そして、二つ目は。

 早く決着をつけなければ、兄が起き上がってくるかもしれないからだ。

 

「!」

 

 ボヒュウ、と土煙から飛び出た影。バゼットだ。スーツは血に濡れ、少し破けてはいるが、そこまでダメージを受けた形跡はない。むしろ子供に傷つけられたことが癪だったのか、バゼットの表情は先程よりも固い。

 美遊が遠距離で仕掛けてきたことを鑑み、バゼットはスライディングしながら美遊の真下に滑り込む。射線をずらし、その間にこちらへ跳躍しようという算段か。

 自分が焦っているとわかっていながら、美遊はクラスカードをサファイアに添える。カードはセイバー。意表を突いて英霊へと置換する、それが美遊の作戦。

 だが、バゼットもただ飛び込もうなどと考えるわけがない。

 

「ふっ!」

 

 スライディングしながら、右の拳で地面を叩く。すると殴られた地面がシールを剥がすようにめくれ上がっただけではなく、一回転して宙へ。そして真下に着いた途端にバゼットは勢いのままめくれた地面を蹴り上げた。

 

「! サファイア!」

 

 即席の砲弾。並外れた力技と経験則の融合により生まれたそれを、美遊は障壁を張って凌ぐ。

 難なく防ぎ、そこでしまった、と美遊は臍を噛んだ。またも視界が閉ざされた。相手が真下に居ることは分かっている。問題はその隙を、バゼットが逃すハズがなかった。

 

「強化、相乗」

 

 先程の砕けた砲弾すらも吹き飛ばしながら、バゼットは逆立ちの状態で跳躍。闇の中で四肢に刻まれたルーン文字が発光し、それが極大の凶器となって美遊に襲いかかる。

 

「ぐ、ぅ!?」

 

 障壁に、バゼットの両足が突き刺さる。豪音と刃物が擦れ合うような金切り音は、ただの蹴りで起こされたモノとは考えられない。美遊の体が足場から引き離され、両足が突き刺さった障壁は既に半壊している。

 補強しただけで、耐えられるモノではない。美遊は背後に三枚ほど障壁を新たに作り、少しでも衝撃を和らげようと堪える。

 

「硬化、三乗」

 

「! 美遊様!!」

 

 バゼットが伸ばしていた足を折り畳み、手袋に刻んでおいたルーン文字を起動させる。それに気づいたサファイアが忠告するが、もう遅い。

 本命はこの一撃。バゼットは組み付いた衝撃の先、美遊の肢体へと拳を解き放つ。

 

「あ」

 

 障壁など紙よりも容易く。

 蹴りによる威力など、拳の威力に比べれば些細なモノだった。

 真横に飛んでいた体が、拳によって真下に吹き飛ぶ。景色が止まったと認識したときには、美遊は作られた地面に叩きつけられた。

 久しく味わっていなかった激痛と、それに伴って内側から嫌な音が響いてくる。せりあがる胃液が口の端から溢れる。

 サファイアが身を呈して直撃を防いでも、これだけの威力。

 勝てない。

 負ける。

 

「っ、ぐっ、……!!」

 

 漠然としたイメージを振り払い、それでもと美遊は身を捩って痛みを逃がす。しかしその手にステッキはない。衣服も着飾った私服へと戻ってしまった。今日一日、兄と思い出を刻んだ服が土に汚れてしまう。

 

「美遊さ、っ!?」

 

「これで分かったでしょう。子供の児戯にいつまでも付き合っている暇はない」

 

 サファイアを踏みつけ、バゼットが転がる美遊を見下ろす。私情が全く介在しない瞳が、抵抗する気力を削ぎ落としていく。

 

「遊び、じゃない……!」

 

「遊びですよ。それもタチの悪い、子供が持つには余りに過ぎた力だ」

 

「わたし、だって……この力があれば、誰かを守れるかもしれない……!」

 

「その結果がこれでは、話にならない。私にすら勝てないのでは、この先待ち受ける戦いでは生き残ることすら難しい」

 

 待ち受ける戦い。それが意味する事実を美遊は知っている。

 いや、今はなんだっていい。今は、兄がこちらに来る前に、決着をつける。兄に全てを悟られる(・・・・)前に。

 

「そうやって無駄な思考をしながら戦っている間は、私にすら勝てないと言ったハズですが」

 

「ぐ!?」

 

 美遊の首根っこを掴み、そのままバゼットが持ち上げる。無造作なその動作すら、淀みなく首を絞め上げる行為が付属していた。

 ぱくぱくと苦しみから足掻くも、バゼットの並外れた膂力は一向に緩まない。手に忍ばせていたクラスカードが、はらりと地面に落ちる。

 

「このまま絞め落とせば、どう足掻こうとあなたは抵抗出来ない」

 

「が、ぁ、ぐ……!?」

 

 息が続かない。

 意識が、何処までも落ちそうになる。

 頭の奥がじんじんとしていく感覚を追い出そうと、右の拳で自分の頬を殴ろうとするが、それすらままならない。

 だが、まだ手はある。

 体内の回路を巡回させ、足下に風を起こす。ふわりと舞ったクラスカードを、やっとのことで掴む。

 

「ステッキなしの英霊化ですか。確かにあなたならば可能でしょうが、それはリスクが高すぎる、あなたも知っているでしょう?」

 

 カレイドステッキなしの英霊化。

 それが意味するのは、英霊へのより高度な置換。だが制御するカレイドステッキが無いまま行えば、どうなることか。最悪英霊化したまま人間に戻れなくなるかもしれない。

 それは、今の日常を捨てることと同義だ。

 

「……、」

 

 前の美遊ならば躊躇わなかっただろう。

 けれど。今の美遊には、大事なモノが出来すぎた。兄と同じようにーー守りたい、大切なモノが。

 イリヤもそう。クロもそう。そしてルヴィアだってそう。

 だからここまで来て、自分が崖から落ちるようなことになっても出来ない。

 だから。

 

「あ……」

 

 見慣れた剣の群れが、空からこちらへと落ちてきたとき、美遊は心底ほっとした。

 それは天から流れる星にも似ていた。わずかな煌めきの後、殺到した剣に片手を割かれていたバゼットは美遊を手放して後退する。

 剣の正確な数は分からないが、倒れ込んだ美遊の数センチほどまで迫ってはいても、どれも彼女を傷つけてはいない。むしろ敵から徹底的に守ろうとして放った、そういう剣だ。

 そして、

 

「悪い、ちょっと寝てた。遅くなってごめん」

 

 ああ……来てしまった。

 衛宮士郎。いつの間にか倒れ込んでいた自分を支え、彼はいつものようにただ前だけを見て言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が飛んでいたのは、ほんの数秒だっただろう。しかし意識が飛んで、ようやく魔術師としてのスイッチが入ったとは、以前では考えられないほど切り替えがノロマになってしまった。良くも悪くも、自分が変わったからだろうか?

 

「大丈夫か、美遊?」

 

「……うん」

 

 急を要したので、乱暴な手を取ってしまったが、どうやら美遊は無事のようだ……バゼットから受けた傷を含めなければ、だが。

 

「……一時間は意識を飛ばすつもりで投げたのですが」

 

 訝しげに、バゼットは膝辺りに付いた土を払う。

 

「お前より馬鹿力の奴とは何度かやったことあるからな。それに、頑丈さには自信がある」

 

 まあ、そんなことは、どうだっていい。

 俺が聞きたいのは一つだけだ。

 

「……なんで美遊を襲った? 俺を襲うのも分からないけど、美遊はもっと関係ないだろ」

 

「いいえ。士郎くんと美遊、あなた方にはそれぞれ接点がありますから」

 

「接点?」

 

「それよりも」

 

 バゼットは強引に区切り、

 

「これで分かったでしょう? あなたは、弱くなった。魔術師として、致命的なまでに」

 

 確かに。戦闘になったときのオンオフだけで言えばそうかもしれない。アレでは、寝たまま歩こうとするようなモノだ。

 でも、

 

「言いたいことが分からないぞバゼット。それならそれで鍛えればいいだけの話だろ。確かに最近瞑想しかしてなかったけど、だからって」

 

「弱くなったわけではないと? 英霊よりずっと貧弱な私に対し、一蹴されても?」

 

 そこまで辛辣な物言いになれば、流石に異議を唱えたくなるだろう。

 だが、次いで出た言葉に冷や水をかけられることになる。

 

「家族が出来たから、そうなった。そう考えることはありませんか?」

 

「……何だと?」

 

 知らず知らずの内に、声のトーンが一段と下がる。

 

「守るモノが出来た。確かにそれは美しい響きだ。私とて一人の人間、それがあなたに出来たのは好ましい」

 

 でも、

 

「あなたは家族を得て、魔術師としてではなく人間として彼らを愛してしまった。それが、あなたの弱さだと言っているのです」

 

 つまり、こう言いたいのか?

 俺が弱くなったのは、人を愛したからだと? イリヤ達を愛してしまったから、美遊の兄でいようとしたからーーその想いが魔術師としての己を弱くしてしまったと。

 この女は(・・・)、そう言いたいのか。

 

「……ふざけるなよ。愛がないなら、そんなのただのごっこ遊びだろ。それこそ無意味な関係だ」

 

「ええ。だから愛し方を変えれば良かった。例えば……そう。前のように、正義の味方として行動するのであれば、イリヤスフィールとクロ、どちらかを切り捨てる(・・・・・・・・)と、」

 

 最後まで言わせるつもりは微塵もなかった。

 その前に、ギャリィ!!、と。踏み込み、投影した剣をバゼット目掛けて振り下ろしていた。奴は表情すら変えず、俺の剣を手の甲で受け止めている。全霊の力を込めているにも関わらず。

 

「俺はどっちも見捨てない。もう誰も見捨てない。だから、そんなこと言うなよバゼット。うっかり見捨てたくなるだろ、お前を」

 

「失礼。言葉が過ぎたとは思っていますが、それが魔術師だ。今のあなたは、魔術使いですらない。ただ夢を盲信する弱者だ」

 

「だったらさっさと俺を倒してみろよ、テメェ……!!」

 

 いちいち神経を逆撫でしてくる女だ相変わらず。うっかり、殺したくなる(・・・・)

 怒りの余り思考が纏まらない。人間としての思考が出来なくなる。とにかくここでバゼットを止める。そして問い詰める。思考はここまで、片手間に勝てる相手ではない。

 しかし意識を切り替える直前に、バゼットに先手を取られる。

 

「では」

 

 押し出そうと振るわれた剣を、バゼットは逸らして背後へ。力の行き場を失った俺は、前へとつんのめる。無論バゼットがそれを狙っていた。

 右の手が鈍器へと変わり、高速の銃弾すら凌ぐ勢いで繰り出される。

 

「終わり……!?」

 

 だが、銃弾よりも早い風が、バゼットへと襲いかかった。

 流石のバゼットも、攻撃モーションに入った状態でそれを防ぐ術はなかった。右肩を斬られ、その衝撃を利用して後方に待避する。

 

「大丈夫、お兄ちゃん!?」

 

 美遊だ。セイバーのクラスカードを使って、また夢幻召喚(インストール)したのだろうが、少し様子が可笑しい。

 

「腕は? 足は? 傷はない?」

 

「あ、ああ……」

 

 捲し立てる彼女に面食らう。興奮している? いや、これは怒っている?

 それに何というか……瞳の色が違うような。いつもはブラウンだが、今はどっちかというと青と赤が混じった形になっている。どちらも、見た覚えがある色だ。

 しかも、

 

「美遊様いけません! 私無しで英霊化は!」

 

「……!」

 

 サファイアが美遊の横に並ぶ。つまり今美遊は、単体で英霊への置換を行ったのだ。

 すぐに立ち上がり、止めるよう説得したいが、その前に美遊がバゼットへと吠えた。

 

バゼット(・・・・)!! あなたはどうしてそう……!!」

 

「士郎くんのためを思ってのことです。誰かを守りたいという彼の志そのものを否定するつもりはない。ですが、それを選ばなければならない現実があることを、彼はまた知っている。その現実に直面したとき、今の士郎くんでは選ぶことが出来ない」

 

「だからお兄ちゃんを、みんなから引き離すって言うんですか!? イリヤから、私から!」

 

……なるほど。

 つまり、

 

「……カレンの奴の仕業か。同じこと言ってたし、仕返しするとも言ってたな」

 

「ええ。ですから家族ごっこも終わりです、士郎くん。あなたにはまだ、魔術師でいてもらわないと」

 

 バゼットの言い分は分かった。

 つまるところ、俺のこの醜態が目に余るから、どうにかしようとカレンが考えた結果が……これか。来るべきエインズワースとの決着。そのためにも、固有結界持ちの俺にこんなところで躓かれては困る。そんなところか。

 と、そのとき。

 

 

「ごっこなんかじゃないっ!!!」

 

 

 まさに大喝だった。びりびりと、空気が震えるほどの音で、美遊は言葉を連ねる。

 

「お兄ちゃんとイリヤは、わたしから見ても兄妹そのものだった。クロや、セラさんや、リズさんや、アイリさんや……切嗣(・・・)もそうだ!! 訂正しろ、魔術師(メイガス)!!」

 

「……いいえ。彼は魔術師だ。彼が魔道の道を外れない限り、そのあり方は人とは交わることはない。真似事の範疇から、逃れることはない」

 

「!……っ、だとしたら!!」

 

 美遊の口調が変わっていく。

 知らない誰かへ。毎日聞いていた誰かへ。あるいはそれを置き去りにして、走り去っていった誰かへと。

 

「彼は誰も家族が居なかった!! 親どころか、兄妹さえ!! そんな彼が再び家族を得た!! わたしもそうだ!! わたしも彼と同じように大切なモノを得た!! それを否定はさせない、させるものか……!!」

 

……その丁寧な語り、まるでセイバーそのものだ。サファイアも異変を感じたらしく、

 

「やはり私無しでの夢幻召喚(インストール)は危険でしたか……美遊様の精神が、徐々にセイバーの英霊へと置換されています!」

 

「美遊!! 夢幻召喚(インストール)を解け!! そのままだと人に、お前自身に戻れなくなる!!」

 

「いいえ、シロウ(・・・)。心配には及びません」

 

 鳥肌がたつ。その声は高く、幼いが、紛れもなく俺と遠坂のサーヴァントであるセイバー、アルトリア・ペンドラゴンに違いなかった。

 ようやく分かった。

 彼女の瞳。変化した青い瞳は、セイバーの色だったのだ。

 

「ここで決着をつけます。風よ!!」

 

「ぐっ!?」

 

 美遊が圧縮した竜巻をバゼットへと放つ。吹き上がった風はガードしていた魔術師を空中へ吹き飛ばし、そして幻想が顕現する。

 それは、王が持つにふさわしい黄金の剣だった。人の手ではなし得ない精巧な飾り、作り。美と武を両立させた剣は、主の号令に応え、その光を泡のように漂わせる。

 それは、湖面に映る月にも似ていた。未だ届かない神域の幻想。今宵少女の姿を借り、今蘇った騎士王は迫る闇を黄金をもって切り開くーー!!

 

約束された(エクス)ーーーー!!」

 

 だが。バゼットはそれを待っていた。

 聖剣の光に差し込まれる形で、空中へと走る何か。それは水晶だ。球体型の水晶。それがバゼットの拳に吸い込まれるように待機し、小さく。だがはっきりと大きな流れを断ち切る強さをもって呟いた。

 

 

「ーー後より出て、先に断つ者(アンサラー)

 

 

 水晶が光を帯びる。光は火花を散らし、バリバリと弾け、水晶が形を変える。

 それは、剣だった。水晶の半分が石器染みた剣へと変わり、バゼットがそれを美遊へ向ける。

 アンサラー。それはとある剣を別の言語で訳した言葉であり、バゼットが伝承保菌者(ゴッズホルダー)たる由縁。

 英霊の宝具を封ずるジョーカー。名を斬り抉る戦神の剣(フラガラック)。ケルト神話に伝わる光の神、ルーが持っていたとされる武具。回答者、報復者とも言われる、現存する数少ない宝具だ。

 威力は大したことはない。精々CかDランク程度。脅威なのはその効果。

 その宝具の効果は、相対した敵が切り札を使用するという状況のみに発動する。発動した場合、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)の一撃は時を越え、因果すらも歪ませ、敵の切り札よりも早く発動した現実のみを引っ張ってきて、相手をその切り札ごと殺す。そういうモノだ。

 そして既にーー条件は整っている。

 

「美遊!!」

 

 迸る光に包まれた美遊に、この声が聞こえるハズがない。無理矢理でも止めなければ。

 しかし遅い。光が柱となり、極まり、地に伏せられた剣が天へと昇るように、美遊は聖剣を振り上げる。

 

勝利の(カリ)ーーーー!?」

 

 光が限界まで蓄えられた、そのときだった。

 突然、光が無数に飛散。美遊の夢幻召喚(インストール)が解除された。蓄えられた光は四方へ拡散、俺やサファイアもその光の波に吹き飛ばされる。やがて光は闇へ消え入り、美遊の胸元からカードが排出された。

 止まった……? どうして? 美遊は頭に血が上がっていた、あのままバゼットへ宝具を放つと思っていたが……。

 

「恐らく……セイバーの英霊が、それを止めたのでしょう。確か以前にも、二枚目のアサシンを倒したときにもありました。まるでクラスカード自体に意思があるように」

 

 となると、セイバーが美遊を引き留めてくれた……と考えて良いのだろうか。こんなことで聖剣を、剣を誰かに振るってはいけない。死に向かってはいけない。そう、守ってくれたのだろうか?

 だとしたら、感謝しないと。

 しかし、それも後にしなければならなかった。

 

斬り抉る(フラガ)ーーーー」

 

 その冷えるような声に、たまらず空を見上げる。

 呆然としている美遊の真上。そこに、未だ宝具を起動状態にしたバゼットが落ちてきているーー!

 

「美遊!!」

 

「士郎様!?」

 

 考えている場合じゃない。

 体内の魔術回路、都合五十四本の回路へ一気に魔力を循環させる。久々だったからか、脳が白熱し、血が沸騰したかのように沸き立つ。体が急激な負荷に追い付けず、あちこちで血管が破裂し、目からも涙のように血が溢れた。

 関係ない(・・・)、死んでいないなら。

 熾天覆う七つの円環(ローアイアス)ではダメだ。起動状態に入ったあの宝具に対し、こちらも宝具で対抗すれば、法則を操るあの宝具でキャンセルされるかもしれない。確証があるわけではないが、かと言って迂闊に宝具を使ってはどうなるか。

 なら確実な方法を取る。

 二歩で美遊の背後までたどり着く。あとは簡単だ。

 なるべく優しく、美遊を押し出すだけ。

 そして。

 光が、落ちた。

 

 

「あ…………えっ?」

 

 

 つんのめった美遊が、振り返って呆気に取られている。

 当たり前か、それも。

 何故なら右肩から踵まで。レーザーと化した斬り抉る戦神の剣(フラガラック)が、その名の通りなぞるように抉っていた(・・・・)からだ。

 鮮血が飛び散る。いちかばちか、右肩だけ綺麗に突き抜けてくれればまだ良かった、んだが。よりによって、料理下手みたいに、ぐちゃぐちゃに、斬られている。

 

「ご、」

 

 右半身が、全部痛い。これならまだ、剣で斬られた方がマシだ。

 絶叫すらない。叫んだら美遊が、自分を、責める。だから、唇を噛み切ってでも、こらえる。

 でも、……立てない、

 

「お兄ちゃん……? お兄ちゃん!? お兄ちゃん!? ねぇ、お兄ちゃん!!」

 

 頭がうまく、回らない。

 まるで、うしろから、スナック菓子の袋を開けるように。肩から踵まで、ぱっくりと空いているのだろうか。傷口が見えない、だけ……まだ、いい。

 仰向けなら、美遊が、傷を見ないで済む。でも、痛い。気を抜いてると、何処かに、飛んでいきそうに、なる。

 

「聞こえているかは知りませんが、分かったでしょう。今のあなたでは美遊を守れない。守ろうとしても、そんな捨て身でしか守れない」

 

「ふざ、ける……!?」

 

 ご、と背中から飛びだした骨が、地面に触れて擦れる。想像するだけで恐ろしいのに、今はもうそれにすがってでも意識がもっていかれそうになる。

 だから、

 

「ふざけてなど。もういいでしょう、美遊。平行世界の兄に(・・・・・)甘えるのは」

 

 そのバゼットの一言のおかげで、意識がはっきりしたのは。皮肉としか言いようがなかった。

 

「あ……」

 

「?……まさか、言ってなかったのですか彼に? 自身が、小聖杯であることも(・・・・・)

 

 平行世界の兄。そして小聖杯。それは、つまり、

 

「美遊は……平行世界の、住人なのか……?」

 

「……ええ。彼女はエインズワース家が存在する並行世界から、聖杯の力を使ってここに転移した。あなたと同時期に。この言葉の意味、分かりますね?」

 

 うるさい。黙ってろ、そんなことが聞きたいんじゃない。

 

「……何にせよ、これで身に沁みたでしょう。今のあなたでは守れない。何も」

 

 どうでもいい。そんなことよりも、本当なのか。美遊が、平行世界の住人で。その兄がーー俺ならば。

 美遊は、ずっと。誰かの幻影を重ねて、寂しくて、辛くて、元の世界というフィルター越しでしか生きてこれなかったのか。

 俺と、同じように。

 俺が今なお苦しむ痛みをーーずっと、与え続けてしまったのか。

 

「……美遊……!」

 

 傷を見せられないなんて言ってられる場合じゃない。体勢を変えて、目の前の妹に、苦しみしかあげられなかった少女に、手を伸ばす。

 でも、届かない。右手は動かない。左手も指を動かすだけであちこちから激痛が走り、満足に動くことすらも出来ない。

 美遊が顔を逸らす。ああそうだ。その事実が発覚したとき、俺も騙した人達を見ていられなかった。でも、でも。

 

「美遊、……美遊っ……俺は……!!」

 

「……ごめんなさい……」

 

 どうして謝る。悪かったのは、俺だ。そうやって甘えさせたのは俺だ。その温もりで罪悪感を抱かせたのは、俺なんだ。

 なのに、どうして立ち上がれない。偽善でも、最低でも、なんでもいい。どうして立ち上がって、一言告げようとしない。こんなにも、胸の中は伝えたいことで一杯なのに。美遊が、泣いているのに。

 

「ーーーーでしょうーーーーきますーーーーしたいのならーーーー」

 

 耳鳴りが酷い。だくだくと、血の流れる音だけが鼓膜を響かせている。目が開かない。何度かまばたきすると、バゼットが美遊を連れていくところが見えた。それだけで、心臓が握り潰されたかと思うほどの痛みが、体に浸透する。

 耳鳴りが違うモノに変わる。これは……風を切る、音だ。

 背負われている。誰に? のろのろと眼球を動かすと、銀色の短い髪の彼女は言った。

 

「ーーーーだいじょうぶーーーー士郎はーーーー助けるーーーー」

 

 何を言っているのかは分からない。ただ、また助けられた事実を噛み締め。

 どうしていつも、本当に助けてほしい人達を選ばないのかと……神様を呪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夜~Mirror/姉妹の在り方~

ーーinterlude6-1ーー

 

 

 午後七時を回り、町が徐々に活気を失っていく時間帯。いつもなら家族揃って夕食を囲む衛宮家だが、今日はそんな当たり前を送れないほどの非常事態だった。

 

「セラ!」

 

 二階から降りてきたセラへ、リビングに居たイリヤ、クロが駆け寄る。凛とルヴィアも駆け寄りはしないが、思わず立ち上がって返事を待つ。

 セラは額の汗を拭き取りながら。

 

「大丈夫ですよ、イリヤさん。クロさん。処置が早かったおかげで、命に別状はありません。魔術で治癒力を促進すれば、後遺症も残らない。士郎は無事です」

 

「……よかった……」

 

 はふぅ、とイリヤが張り詰めていた緊張を吐き出し、へたり込んだ。クロもイリヤのようにへたり込んだりはしないが、ほっとしたようで、肩を下げた。

 発端は夕方のことだった。いつものように家事をこなしていたセラに、普段から見張らせている使い魔を通して届いた、士郎の危機。病院に連れていくことも考えたが、それでは間に合わないと判断したセラがリズに連れ帰るよう命じ、処置を施したというわけだ。

 あっという間のことだったのでイリヤとクロも最初は呆気に取られていたが、右半身がまるごと抉れた士郎を目にしたときの顔は、セラとしても忸怩たる思いだった。

 だが峠は越えた。なら次はとセラは続ける。

 

「普通なら、即死もあり得た傷です。今回はたまたま運が良かったに過ぎない。この家を預かる身として監督不行届だったとはいえ、事情をお聞かせ願えますか?」

 

 口調こそ穏やかだが、セラは苛烈な視線を叩きつける。その目は拒否すればこの家から帰さない、そんな殺意すら滲み出る瞳だった。

 

「ちょ、ちょっとセラ! ルヴィアさん達だってお兄ちゃんを守れなかったんだよ!? なのにそんな睨み付けなくても……!」

 

「いえ。イリヤさんの知り合いだからこそ、この程度で済んでいるんですよ。あなた方がこの家の門を潜れているのは美遊さん、そしてあなた方自身が子供達と交流していたから、それをお忘れなきよう。この後の対応次第では、あなた方をこの町から叩き出すのも視野に入れていますので」

 

「叩き出すって……!? そんな、なんでそんなこと言うのセラ! あんまりだよそんなの!」

 

 イリヤが抗議しようとするが、その前にクロに首根っこを掴まれた。

 

「ごめんなさい、コイツが居るといちいちこうなるから話進まないでしょ? わたし達一応話はルビーから聞いたし、ルヴィア達はセラに説明よろしくー」

 

「なぁ!?」

 

 じゃあとでね~、とどたばたフローリングを踏みながらリビングを出ていくクロと猫扱いのイリヤ。音からして外に出ていったらしいことを確認したセラは、ようやく敵意を消した。

 

「……イリヤさんが居ては話し辛いことが多そうですから、少々演技をさせてもらいました。ご無礼をお許しください、お二方」

 

「い、いえ……でも、まだちょっと怖いかなあ、なんてー……」

 

「ええ。演技二割真実八割ですので」

 

 ニッコリと恐ろしいことを口にするセラに、凛は硬い笑顔で対応する。というか真実八割なら大マジじゃない、などと口が裂けても言えないのは、やはり罪悪感があるからだ。

 

「……」

 

 そんなセラのブラックジョークを受け、更に沈んだ顔を見せるルヴィア。あれからずっとうつ向いてばかりで、今回のことで一番傷ついてるのだろう。

 

「……申し訳ありません。シェロのこと、何と詫びればいいか……」

 

「あっ、いえ。こちらも冗談が過ぎました。すみません」

 

 粛々と頭を下げようとするルヴィアに、セラもただ事ではないと感じ、慌てて訂正する。気を使われている事実に気づいていない辺り、今回の件はルヴィアに心底効いたらしい。ほっとけば泣き出しそうな勢いだ。

 

「じゃあ、何が起きたのか説明します。サファイア」

 

「はい」

 

 空気を読んで隠れていたサファイアを呼び、凛は夕方のことを説明する。

 海浜公園で遭遇した、封印指定の執行者。士郎を叩き伏せ、美遊を奪い取った彼女の名はバゼット・フラガ・マクレミッツ。指折りの武闘派の奇襲に、セラも心底驚いた。魔術世界から手を引いて久しいとはいえ、その名はアイリや切嗣を通して知っていたからだ。

 だがそれよりも驚いたのは、その後のことだ。

 

「バゼット・フラガ・マクレミッツが士郎と同じ世界の人間……ですか?」

 

「はい。本人が口にしていましたから、多分そうかと。バゼット本人はこれから迫る敵ーーつまり士郎様がいつか相対しないといけない敵に対し、今のままでは勝てないと言っていた。人間衛宮士郎では勝てないと」

 

「だから士郎を襲い、身の程を思い知らせたと……?」

 

 にわかには信じがたい。相手は魔術師、しかも封印指定の執行者。例え懇意であったとしても、そこに私情が挟まる程度の人間がなれる役割ではない。

 だがバゼットがもし本当に殺す気なら、宝具を使用せずとも、自慢の拳で頭を潰すなりすれば殺せたハズだ。バゼットの宝具、斬り抉る戦神の剣(フラガラック)……だったか。威力はさておき、範囲はそれほどではない。精々直径数センチほどだろう。だというのに右半身を狙ったというのが妙な話だ。外したなら話は別だが、だとしてもそれならそれで傷で動けない士郎の心臓を引き抜くなり殺し方はあったハズなのだ。

……ここで心臓を引き抜くという発想と、士郎が死ぬ姿を思い浮かべて寒気を催してしまう辺り、まだ人間にも魔術師にもなりきれてはいないなとセラは呆れる。

 

「? 何か、気になる点が?」

 

「いえ、ありませんよ凛さん。どうして襲ったかは別として、そういうことがあった。それだけは分かりました」

 

 となれば。

 

「あとは美遊さん、ですか……」

 

 バゼットに連れていかれた美遊が、並行世界の士郎の妹。イリヤやクロも、その事実を知ったときは相当衝撃を受けていた……が、凛が告げる真実はその上を行った。

 

「……バゼットは、美遊は並行世界の小聖杯だと言っていました」

 

「……今、なんと?」

 

 並行世界の……聖杯?

 いや、でも、だとしたら……?

 

「士郎の世界とも、わたし達の世界とも違うーー黒幕と仮定しているエインズワース家が存在する、第二の並行世界。美遊はそこから、聖杯の機能を駆使してここに来た。バゼットはそう言っていました」

 

「……確かなのですか? いや、疑うわけではないのですが……」

 

「疑問は最もです。ですが美遊が聖杯なら、辻褄が合う」

 

 凛は指を折って順番に根拠を挙げる。

 

「聖杯であるイリヤと同等の魔術回路を持っていたこと。クラスカードがこの町にばらまかれた時と同じタイミングで、美遊を見つけたこと。英霊への置換術式……夢幻召喚(インストール)を知っていたこと。そして、衛宮くんがどうやってこの世界に来たのか、その説明が出来るようになってしまったこと」

 

 やはり、そうなのか。

 士郎がどうやってこの世界に来たのか。それが結局セラにも分からずじまいだった。士郎の記憶は混濁しており、唯一発端と言えるのは宝石剣の設計図に触れたから……とは言っていたものの、それでは腑に落ちない点が多すぎた。

 だが、一つだけ。確実な方法があることをセラは知っていた。

 つまりーー聖杯による、世界の壁の突破。

 

「敵が衛宮くんをここに転移させたとは考えにくい。とはいえ、あっちの魔術刻印が欠けたわたしが第二魔法に届いたとも考えにくい。とすれば、何らかの理由でーー恐らくクラスカードを媒体に転移してきた美遊に、衛宮くんが巻き込まれてこちらに来た……そう考えるのが、妥当だと思います」

 

「美遊さんをルヴィアさんが見つけたとき、彼女は何処かで拾った古着を見繕っていた状態だった。つまりその日に転移し、そして士郎がここへ転移した日のズレは僅か数日しかない……」

 

 偶然にしたって、それはいくらなんでも出来すぎだ。ここまで証拠が出揃えば嫌でも納得する。士郎をここへ誘ったのは美遊だ。間違いない。

 だとすると、

 

「問題は、並行世界の兄を殺してここに来たことを、美遊が知ったらどうなるか……」

 

 別に誰かのせいではない。委細は本人から聞いていないが、もし全てを知れば、美遊が自分自身を責めることは確実だった。

 そして、恐らくそれに気づかなかった士郎も。

 誰もが自分を責める。誰もがその事情を無理矢理にでも聞いていればと。

 そしてそれは、目の前の少女も同じだった。

 

「私は……」

 

 ルヴィアが沈黙を破る。いつもなら淡い宝石のように眩しい瞳は翳っていた。

 

「私は……!」

 

 その悲しみ、苦しみ、痛み、嘆き。

 セラにもその全てが分かる。分かっているようで、何も分かっていなかった瞬間の滑稽さ。無力さ。既に手遅れだったと気付いたときの絶望は計り知れない。

 セラもそうだった。いいや、セラだけではない。未だ真実を知らないイリヤ以外はみんなそうだった。

 これは、部外者のセラが何を言ったところで変わるモノではない。

 これは、当事者たる彼らが解決すべき問題だ。

 だけどそれでも、何か一言だけ。背中を押せるような何かを言えるとしたら、それは。

 

「ルヴィアさん」

 

「……?」

 

 セラは告げる。

 アインツベルンの叡知によって生み出されたホムンクルスとして、ではなく。

 誰よりも子供達を思うが故に、その絶望と向き合ってきた、家族として。

 

「ーーあなたは、美遊さんが好きですか?」

 

「っ……!」

 

 ルヴィアが顔を伏せて、押し黙る。

……これでいい。

 複雑な問題ばかり見てしまって、誰かの気持ちばかり考えてしまって、肝心なことを忘れてしまって。

 セラが何か出来るわけじゃない。

 出来るのは楔として打った言葉を、彼女が忘れないようにしてあげるだけ。

 立ち上がり、セラは頭を下げた。

 

「では、イリヤさんクロさんをよろしくお願いしますね、お二方」

 

「?……え? いやあの、止めないんですか? 使いっ走りにしてるわたし達が言うのもアレですけど……バゼット相手じゃあの子達でも無事じゃ……」

 

「ええ、分かっています」

 

 セラはこの家をアイリと切嗣から預かる身だ。士郎だけでなく、イリヤとクロまであんな怪我をさせるわけにはいかない。いかないが、それとこれは話が別だ。

 

「友達を助けたいのなら、仕方ありません。あの子達がそれを選ぶのなら、わたしが止める権利もない。ですからどうかあの子達を、無事にこの家にまた帰してください。そのための力添えを、何卒よろしくお願いします」

 

 もう一度頭を下げ、セラはリビングから去る。積もる話もあるだろう。邪魔しないよう音を立てず、そのまま二階へと上がり、士郎の部屋へと入った。

 部屋は明かりが点いていなかった。しかしホムンクルスのセラは夜目が効く。よって何の障害なく部屋の隅々まで見えた。

 雑貨が何もない棚は、隙間を埋めるように参考書が入っており、備え付けの机も同じようなモノだった。埃こそないが、三ヶ月前からそこは最低限しか触ってないだろうことは伺えた。自分の家のように使えばいいのに、未だ自分が殺してしまったと思っているのだろう。

 そしてベッドには、幼少期から寝食を共にしてきた彼ーー衛宮士郎が、ぐっすりと眠っている。

 

「全く……毎度毎度、無茶ばかりするんですから……」

 

 セラは近くまで行くと、膝を曲げ、士郎の額の上のタオルを被せ直す。

 宝具の一撃は手加減されていたとはいえ、軽視は出来ない。魔術で応急処置はしたが、それでも大怪我には変わりないからだ。徐々に回復する術を行使したため、今日は恐らく目を覚まさないだろう。

 士郎の前髪を鋤く。少し前まで背が自分より小さくて、見上げていた少年は大きくなり、こうして誰かを守っている。やり方は……余り褒められたモノではないが、逃げ出すよりはよっぽどいい。

 

「……あなたも、やっぱり士郎なんですね……」

 

 知っている。この彼は、自分が知っている彼ではない。

 彼も同じだ。エミヤシロウを殺して、今ここに居る。それを罪だと言えるのは衛宮士郎本人だけだ。言えるモノか。言えるわけがない。

……時々、セラは思うことがある。

 彼は自分達と居られて、幸せなのだろうか?、と。

 幸せなのかもしれないが……同時に、とてつもない苦痛に苛まれているのではないかと。

 

「……ではないか、ではなく、そうでしょうに……」

 

「ん、ほんとにばか。一人で浸ってるもの」

 

「んひぇ!?」

 

 独り言に返事をされるとは思ってなかった。セラは飛び上がり、背後、扉の真横に居たリズをねめつけた。

 

「り、リズ! 居るなら早く言いなさい! びっくりして大声を出してしまったでしょう!? ああごめんなさい士郎、今はとても疲れているでしょうに……!」

 

「その素直さを普段から出せればロリだって目じゃない。なのにセラはいつも遠慮してる、こんなときくらい士郎に甘えたっていい」

 

「甘えるだなんて人聞きの悪いことを……」

 

「間違えた、デレていい」

 

「リズ!!」

 

 シェア!!と黄金の左回し蹴りをたまらず繰り出すセラ。リズはそれをぬぼー、っとした顔で難なく受け止めながら、セラの横に座り込んだ。

 

「……士郎、大丈夫だよね」

 

「当たり前ですっ。この程度ならなんとでも、」

 

「そっちじゃない、心の問題」

 

 む、とセラが答えに詰まる。リズは相変わらず無表情だが、その赤い瞳は僅かに揺れていた。

 

「……士郎、悩みが多いから。なのにお姉ちゃんに相談してくれない。寂しい。そんなところが好きだけど」

 

「好きとか嫌いとかそんな問題で片付けていいことではないでしょう。ですが……まあ、大丈夫でしょう。誓ったのですから」

 

 大切で、大好きな人達を守る。士郎のそれは、おおよそ全ての人間に当てはまる。普遍であればあるほど、願いは叶わないことが多いこの世界で、その願いは星すらも届かないほど遠いーーまさしく理想郷のようなユメだ。

 それを行うと誓った。悩むだろう。つまづくこともあるだろう。でも、歩くことは止めないのだろうなと、セラは確信していた。誰かと共に歩いていくのなら、きっと。

 と、リズが、

 

「でもセラ、よかったの? あの二人、やれって言うならわたしやったのに」

 

 淀みなく口にしたのは、凛とルヴィアを殺害しなくてよかったのかという確認。一見大抵のことなら怒らないように見えるリズだが、逆だ。無感動に殺すし、悲観もなく処理する。それがリズという戦闘用ホムンクルスの思考パターン。

 

「あの二人、この家に邪魔。士郎がこんなになるの、もう三度目。士郎だけじゃない。イリヤやクロも、これまでもそうだった。今日これからこうなるのかもしれない。そんなのわたし、我慢出来ない」

 

「……」

 

「セラだって同じでしょ。なのに、なんで我慢するの?」

 

 子供達が傷つくのは我慢ならない。それはセラだってリズと同じ気持ちだ。友達を助けたいのなら仕方ないなんて、ただの詭弁だ。本当なら今すぐにでも凛からバゼットの居場所を聞き出して、自分達が行かねばならない。それは義務だとか責任だとか、そういうことの前に、もう家族が傷ついてほしくないのだ。

 けれど。

 

「忘れたのですか、リーゼリット。わたし達はホムンクルス。本来なら五年も生きられない身。その機能を封じ、何とかこの十年を生き延びたのです。機能を解放すれば最後、寿命は加速度的に減る。何よりブランクがある我々が叶う相手などとは、あなたも思っていないでしょう」

 

 リズが目を伏せる。もし彼女が本気なら、セラの言葉に惑わされることなく、士郎を助けに行った時点で、一直線にバゼットを追いかけたハズだ。それをしなかったということは、リズだって本当は分かっていたのだろう。

 まるでお預けを食らった子供のような表情をする彼女に、セラは苦笑する。そんな彼女を抱き寄せ、こつん、と頭をくっつける。

 

「……我々が死んでしまっては、誰がこの家を守るというのです。私とて、気持ちはあなたと同じです。だからこそ耐えるべきなのですよ、リズ」

 

「……」

 

「ほら。そんなにしょげては、床に伏せている士郎にまでその気に影響されてしまうでしょう。あなたはあなたらしく、いつものように振る舞っていればいいんです」

 

「……うん」

 

 二人はそのまま、育てた少年を見やる。

 合わせ鏡のような容姿に、反発するような気質。それでも、誰かを思う気持ちは同じ。

 だからこそ、二人は感じていた。

 きっと、近い内に。

 この命を燃やして戦うときが、そこまで迫っていることを。

 

 

 

 

 

 一方。リビングの凛とルヴィアは。

 

「……で? いつまでそうしてるわけ?」

 

 ルヴィアは応じない。ただ暗澹とした面持ちで、一人で考えては頭を振るばかり。

 凛もその気持ちは分かる……分かるが、今はそうやって悲嘆に暮れている暇などない。

 

「アンタがどう思おうと、美遊は助けないといけない。そのための対策を練らないといけない。アンタだって分かってるんでしょ」

 

 しかし。ルヴィアは言う。

 

「……良い、のでしょうか……」

 

「は? 何が?」

 

「私が……美遊を助けて、いいのでしょうか……」

 

……今、なんと言った? 凛が信じられないモノを見る目で、ルヴィアへ視線を向ける。

 だが、変わらない。

 ルヴィアは本気でそう思っている。

 

「私……あの子のことを、何も分かってあげられていなかった。こんな大事、察することなどいくらでも出来たハズなのに。いいえ……知ろうともせず、遠ざけ、壁を作った。それを詮索することはマナーに反すると、そう言い聞かせて」

 

 拳が、彼女自身の膝を叩く。いつもならもっと鈍い音をたてる拳も、力なく、弱々しいままだ。

 

「なんて愚かで、矮小で、薄汚い。シェロの一件があったならば、その時点で本人に聞くべきだった。何処から来て、どうしてあんなみすぼらしい格好をしていて、どうしてシェロの前ではそんなに笑っているのか。何が好きで、何が嫌いか。そんなことすら聞かずに、使い魔のように顎で使って、私は……!!」

 

「……ルヴィア」

 

「やめてくださいまし!!」

 

 凛が近づけた手を弾くルヴィア。

 宿敵である彼女に、こんなルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトを見られたくない。そんな安っぽいプライドと、何より自分自身が邪魔をして、伸ばされた手を拒む。

 

「私は!!……私は分かっていた。いつかこんな日が来ると。美遊の秘密を知って、後悔する日が来る。それを知っていたのに今日まで、ついに美遊を助けようとはしなかった。そんな私が、美遊を助けられるとは思えない。例え助けようとしても、私が居るせいで失敗したら……私は……っ」

 

「……アンタ、それ本気で言ってるの?」

 

「本気もなにも、事実ですわ。仮に美遊を助けるとしても、バゼットに対してイリヤとクロでなければ歯が立たない。私が出来ることなど、何もない」

 

「……いい加減にしなさいよ、ルヴィアゼリッタ」

 

 凛がその胸ぐらを掴み、引き寄せる。額と額がぶつかり、ルヴィアはようやく凛の顔を見た。

 瞳は激しい炎のように爛々と光り、表情はかつてないほど険しかった。それは今までどんな悪態や悪行を重ねても、ルヴィアの前では一切見せなかった、遠坂凛の本当の怒りだった。

 

「わたし達がぴーちくぱーちくやってる間、美遊は今も一人で、誰かの助けを待ってる。何も知らない世界で、誰よりも助けを求めて、それを押し殺してきた美遊から、あなたが逃げるの? そんなことすれば、美遊は本当に一人ぼっちになってしまうのに?」

 

「……美遊にとって、私はただの雇い主。それ以上でも、それ以下でも」

 

「それ以上もそれ以下もあるわけないでしょ! いい加減逃げるのはやめて、ちゃんと向き合えって言ってるの!!」

 

「でしたら……」

 

 ルヴィアがその続きを言うことはなかった。

 何故なら、その前に凛がその頬を叩いたからだ。

 小気味の良い音とは裏腹に、ルヴィアがあまりの羞恥に咄嗟に赤面する。だがそれすら、凛の怒濤の気迫に呑み込まれた。

 

「……アンタが、あの子の面倒を見るって決めたのはどうして? 身寄りがなくて同情したから? それとも体の良い小間使いが欲しかったかしら?」

 

「それは!!……っ、それは……」

 

「答えられないわよね? 始まりなんてそんなものだから、こんなとき美遊を見捨てられる。違う?」

 

「……っ」

 

 違わない。現にルヴィアはそうしようとした。理由をつけて、逃げたのだ。

 

「思い出して、ルヴィアゼリッタ。あなたが美遊を引き取って、そのまま側に置いている理由を」

 

 卑怯者、臆病者と誹りを受けるだけなら、ルヴィアとて塞ぎ込んだままだったかもしれない。しかし凛は、そんな甘えを与えなかった。あくまで向き合えと、責任を持てと、叱責する。

……どうしてここまでしてくれるのだろう。そう思うと同時に、ルヴィアはそれに応えたいと思った。

 それが仇敵の作った土台であっても。今のルヴィアには、そんなことは関係なかった。

 

「……私は、家族という存在がよく分かりません」

 

 ただもうどうにかなってしまいそうなほど、渦巻く感情を。誰かに打ち明けずにはいられなかったから。

 

「この私を産み落としてくれた母も、生きる術を教えてくれた父も、そして鏡合わせの妹も。それらはこの体を構成する一部ではありますが、しかし私の側には誰も居ない」

 

 魔術師に情など不要。そこにあるべきは、ただ一歩も歩を緩めない頑なさと、這いつくばって泥を飲むほどの忍耐。家族への情など、根源を目指す魔術師にとって、一番不要な要素だ。

 ルヴィアも理屈としては分かっていた。人肌が恋しい年頃などとっくに過ぎたし、成熟しきった精神は既に果てだけを見て進んでいる。

 

「だから私にとって、側に居る美遊が何なのか。分からなくて」

 

 一月もしない内に別れるだろうと、そう踏んでいた。しかし実際にはもう三ヶ月近く同居して、こうして心を掻き乱されるほど大きな存在になっている。

 

「シェロは私と美遊のことを、姉妹のようだと言ってくれました。けれど私からすれば……それこそシェロと美遊が、兄妹なのではないかと。そう、思うのです」

 

「それは衛宮くんが、イリヤのお兄さんをしてるから? でもそれだって……」

 

 血は繋がってない、と言おうとした凛が、口をつぐむ。この際血縁かどうか、元ある形なのかどうかは関係ない。

 自分ががその関係を承認するかしないか、それだけのことなのだ。

 

「利害が一致しただけの関係から始まった私と美遊に比べて、美遊はシェロの前だといつも目を輝かせていました。私の前では見せないような、楽しそうな顔を」

 

「だから、姉なんかじゃないって?」

 

 こくんと凛の言葉に首肯するルヴィア。

 目を瞑れば嫌でも思い出せる。

 士郎と美遊の姿を。

 自分が周囲の人間で一番最初に出会ったと思い込んで、その実誰かの前に横から割って入って、美遊を困らせていたのだと。

 

「私は、醜い」

 

 唇を噛む。あの少年は何も分かってなどいない。

 

ーー立派なお姉ちゃんじゃんか。

 

 立派であるものか。だって、

 

「美遊が幸せならそれで良いハズなのに。私から離れた方が良いハズなのに。なのに私、私という愚者は……シェロに、嫉妬しています」

 

 一度も抱いたことのない感情は、まるでセメントのようだった。どろりと忍び込んできて、時が経てば経つほど固まり、ずっと心に巣食っている。

 

「頼られたい、笑顔にしたい、幸せにしたい……私が、私が、私が。そんな自分勝手に人の行き先を決めたい感情ばかり。あんなに悩んでいる美遊を、線引きして放っておいた。感情だけ先走って何も出来なかった人間が、家族であるハズが、ない」

 

 何もかも決定的に違った。

 士郎のことは好きだ。大好きだ。だから見なくても良い部分も全て見てしまい、気づいたのだ。

 

「だって」

 

 美遊は。

 

 

「私の前でより、シェロの前で笑う方が、多いんですもの」

 

 

 結局それだ。

 ルヴィアと居るより、士郎と居る方が美遊は楽しそうに過ごしている。

 どんなモノを与えても。

 どんな教えを説いても。

 恐らく自分がどんなに考えて、どんなに手を尽くしても。美遊は、士郎と一緒に居る方が楽しいのだろう。

 あの、何もかも満たされた顔は、自分には生み出せない。

 それが、あの笑顔を見てわかってしまったことだ。

 

「私に……あの子の姉を、語る資格など……」

 

 そもそもこうして弱音を吐いていること自体、自身が姉ではない証拠だとルヴィアは思っている。

 悩むくらいなら、まず美遊を助けにいけば良い。全てはそれからだ。なのにこうやってうだうだと、やる前から考え込んでいる。

 らしくない。馬鹿馬鹿しい。弱々しい。

……気の迷いだと思えたら、どんなに良いだろう。でも、これがルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトという魔術師の、人間性(脆さ)だった。

 今更凛に話したところで何かが変わるわけじゃない。気持ちが晴れるわけでもない。

 それでも、付き合ってくれた彼女には礼を。

 

「……聞き流してくれて結構でしてよ、遠坂凛。私がどうかしていましたわ、魔術師の私がそんなことにかまけてる余裕など」

 

「ルヴィア」

 

 が、凛はそれを遮り。

 顔を向けたルヴィアへと、鉄砲のポーズを取る。

 そして。

 

 

「話が長いわ、馬鹿」

 

 

 ぴゅっ、と。

 いきなり指先から、勢いよく魔術で作り出した水を放射した。

 しかも割りと強めで。例えるならホースの先を指でつまんだ感じで。

 

「は……ぁぶっ!? ご、ばぼっ!? べば!?」

 

 ナイーブだったとはいえ、流石のルヴィアも状況を理解するのに一秒ほど時間を要した。そしてそれが天国か地獄かの明暗を分けた。

 水は口、鼻、そして目の順番で放水され、ルヴィアは他人の家だというのに、陸で溺死体験を味わう羽目に。逃げようとするもこれまたいつの間にか手と足をゼリーにも似た何かに絡め取られている。低級呪いの一種だが、水攻めを受けている今では容易に引き剥がすことすら難しい。

 

「うだうだと、アンタの家族事情なんてどうでもいいのよ。というか、要は自分じゃ美遊を幸せに出来てるかわかんない、だから美遊を笑顔にしてる衛宮くんが妬ましい。こんな感じでしょ?」

 

 バッサリである。妖刀もかくやという一撃、そこに古来から伝わる拷問である水責めもプラスして、最早ちょっとした処刑である。魔女狩りとかの。

 ゴボガボボッボボバッ!?なんて酸素を求めるサインをも無視し、凛は告げた。

 

「じゃ、全部衛宮くんやイリヤに放っぽっちゃえば良いじゃない。隣に預けちゃえば、アンタがもう悩まなくても済む。美遊もイリヤと衛宮くんと一緒に住める。お得意のお金を積めば、今と同じ環境で過ごせる。あなたはこの国からわたしと一緒に去ればあとはお幸せに。 どう? お悩み解決したでしょ?」

 

 反応を見るため、魔術を解除する凛。袖で顔の水を払うと、ルヴィアはえずきながら、

 

「そ、そんな簡単な話なわけ……!」

 

「簡単な話じゃない。アンタが関わって、美遊に良いことある? 衛宮くんは家族として、イリヤを守るって誓った。それが偽善でもね。でも、アンタは? アンタと一緒に居なくても美遊は幸せになれる。金銭面、進学、そこを援助するだけでいい。むしろアンタの側に居れば居るほど、魔術師の抗争に巻き込まれたりする可能性も高くなる。ただでさえめんどうなことに絡まれてるのに、更に問題を増やす気? 衛宮くん達と一緒に居る方が幸せなら、それが一番幸せな形じゃない?」

 

 反論しようと口を開けかけて、すぐにルヴィアは閉じた。分かってしまったからだ、自分の浅ましさを。こんなことを怨敵である遠坂の当主に相談し、あまつさえここまで言われてようやく自覚した自分の馬鹿さ加減を。

 

「ほんとは気づいてるんでしょ? アンタは別に美遊が幸せかどうかなんて関係ない。ただ自分より()()()()()()()()()()、衛宮くんに嫉妬してる。そして笑えないくらい弱気になってる、違う?」

 

 違わない。その通りだ。

 けど。

 

「わたしに話したのだって、自信がなくて背中を押してもらいたい、でしょ。子供かアンタ。ま、そんなことだから衛宮くんに嫉妬してるんでしょうけど」

 

「っ……」

 

 かっと、血が顔全体に集まる。こんなに辱しめを受けるのは、一体いつぶりだろうか。

 でも、そんな辱しめも甘んじて受け止めなければならない。

 嫉妬に狂ってまともに子供の悩みすら聞き出すことが出来ない。

 自分はそれだけ卑しい人間なのだから。

 そう、ルヴィアは思っていた。

 なのに。

 

 

「ま、良いんじゃない? 誰かに()()()()()()

 

 

 そんなルヴィアの卑屈な考えを、遠坂凛は粉々にぶち壊す。

 

「……え?」

 

 嫉妬したっていい。その言葉の意図を、魔術師(ルヴィア)は図りかねる。

 だって、

 

「家族にそんな感情を持ち込むのは、気が引ける? 馬鹿ね、そんなプラトニックな関係だったら、もっと世界は円滑に回ってるのよ?」

 

 それは……そうだ。でも、とルヴィアは反論する。

 

「シェロは誰かに嫉妬など……」

 

「あの馬鹿は格別の馬鹿だから。というかアイツを見本にしちゃダメ……あんなの見本にしてたら、誰だって姉失格よ、全く」

 

 姉失格。そう呟いた凛は僅かに唇を噛み、堪えるように切り出した。

 

「ねぇ、ルヴィアゼリッタ。あなたはそうは思わないかもしれないけど、実は今この状況って、凄く恵まれてるのよ?」

 

「……私が?」

 

「ええ。そりゃもうスペシャルに」

 

 どうしてだろう……と考えて、すぐ思い立った。エーデルフェルトの血筋は代々当主が双子だが、普通の魔術師はそうではない。

 

「魔術師は名門であればあるほど、嫡子以外の子供は必要とされなくなる。例え予備とされても、まず家族とは会えなくなる。選ばれた魔術師と選ばれなかった魔術師、それが同時に出てくるのが魔術師の家柄よ」

 

 だから、恵まれていると凛は言ったのだろう。

 ルヴィアにはその羨望が分からない。そのこと自体が幸せなことだったなど、思いもしなかった。

 

「わたしもそうだった」

 

「! あなたも?」

 

「妹がね。ある日突然養子に出されて、そのまま帰ってこなかった」

 

 倒れたままのルヴィアと、それを見下ろす凛。それは乗り越えられない者と、乗り越えた者の差だった。

 

「妹にもわたしと同程度には魔術の才能があった。それを活用しない手はないって、お父様があの子を養子に出したの。今は時々様子を見に行ったりしてるけど、当時はもう会えないと思ってた」

 

「……辛くは、なかったのですか?」

 

「辛かったわよそりゃあ。辛くて、泣いて、でも自然とそんなことも無くなって。もしかしてわたしって、案外冷めたヤツなのかなー、って思ったりもした。案外、中学を卒業してすぐ時計塔に行ったのも、そこが影響しているのかもね」

 

 ま、わたしのことなんてどうでもいいんだけど。凛はあっけらかんとそう言って、続けた。

 

「わたし達はろくでなしの塊よ、ルヴィア。あんな小さい子達を戦いに駆り出して、それを後ろから突っ立って見てるような、ね。そんな奴が、今更他人の幸せをどうのこうのって言える権利、あると思う?」

 

「……」

 

「結局、アンタの悩みなんて今更なのよ。美遊が他人と居る方が幸せ? そんなの当たり前じゃない。わたし達がわたし達である限り、何処までいったって陰気臭いカビみたいなもんなんだから」

 

「……カビは、言い過ぎなのでは……?」

 

「あら、言い返すじゃない。少しは調子戻ってきた?」

 

 茶化しを無視して、ルヴィアは思考する。

 確かに遠坂凛の言う通り、ルヴィアの状況は恵まれているのだろう。

 でも同時に、お前では美遊を幸せに出来ないと暗に言っているではないか。

 そんな疑問を察したか、凛はくすっと小馬鹿にしながら笑ってみせた。

 

「っくく……ほんっと、ここ一番の柔軟性はないわね、あなた。そこまでわたしと似てるなんて」

 

「な、何が可笑しいんですの?」

 

「何が可笑しいって、ほんとらしくないからよ。なんでそんな遠慮する必要があるのよ?」

 

 ルヴィアは面食らう。そりゃ遠慮だってするだろう。その方が幸せなのだから。

 

「それが遠慮だって言うのよ。どっちかというと独りよがりかしら? なんであなたが居なければ、美遊が幸せだって決めつけてるの?」

 

「え?」

 

 それは前提が違う。

 ルヴィアの側に美遊が居れば、彼女は真っ当な人生が送れなくなる。幸せではなくなる。

 なのに、

 

「だったらあなたが幸せにすればいいじゃない、ルヴィア。あなたの手で、美遊を幸せにしてあげればいい。衛宮くんなんか目じゃないくらい」

 

「……そんなことが出来たら、苦労など」

 

「ま、そうね。でもその一部だけでも、貢献してると思うわよ? だってあの子、()()()()()()()()()()()()

 

「あ……」

 

……そう。結局、誰が上で、誰が下かなんて関係なかったのだ。

 確かに美遊は士郎の側に居た方が笑うかもしれない。それは士郎の方が美遊を幸せにしていることなのかもしれない。

 でも、それだけなのだ。

 何故なら。

 

「あの子は隠し事をしても、嘘をつかない」

 

 その笑顔に、嘘など介在しない。

 

「例え衛宮くんの側に居た方が幸せでも、あなたの側でもあの子は笑ってる。それってつまり、あなたの側に居ることが楽しくて、幸せだってことでしょ? なら、あとは簡単じゃない」

 

 簡単なことが見えてなかった。

 一ヶ月前の自分なら、士郎に説教がましいことを言っていた時なら。

 今なら士郎の悩みが痛いほど分かる。その苦しみが。こんなにも周りが見えなくなるのでは、まともに生活することすら難しい。

 

「ルヴィア様」

 

 今まで見守っていたサファイアが、割って入る。ルヴィアと共に、近くで美遊を支えてきた存在として。

 

「状況説明に時間がかかってしまったため、タイミングを逃していましたが……美遊様から、あなたへ伝言があります、ルヴィア様」

 

「……私に……?」

 

「はい。美遊様が拐われた際、私は美遊様の胸元で何があっても良いようにと待機していました。そしてバゼットの拠点にたどり着いた時点で美遊様から離れ、皆さんに助けを求めるつもりでした」

 

「え、ええ。知っていますわサファイア。この事態をしっかり確認出来たのはあなたのおかげですから。じゃあ、そのときに?」

 

「はい。音声だけですが、あなたへと。流しても?」

 

 是非と頷き、ルヴィアは耳をたてる。

 サファイアの上部からスピーカーが飛び出す。少しだけノイズが響き、そして、その声が聞こえた。

 

「……聞こえますか、ルヴィアさん」

 

 声が聞こえただけなのに、耳を通して、それが脳で美遊の声だと分かった途端、痺れるような安堵がルヴィアに走る。

 もう長く聞いていないような気すらする、大切な彼女の声。その声を、一言一句危機逃さぬようにと耳を傾ける。

 

「ごめんなさい、捕まってしまって。これを聞いているときには……多分、わたしの秘密を知ってしまったと思います。今まで騙して、すみませんでした」

 

 どうして謝る。美遊は何も悪くない。ここに来たのだって偶発的なのか、自発的なのかすら分かってはいないけど、それでも美遊がこうやって謝ることはないハズなのに。

 

「サファイアが言った通り、わたしはこことは違う世界で生まれた、人間の形をした聖杯です。自分でも、来る直前の事や誰かに狙われていたとか、そこは()()()()()()。それでも、こんなことになるなら言うべきだったと、思います」

 

 そんなことない。違う世界からこの世界に逃げ込んできたなんて、誰にも言えない。ましてや美遊は、並行世界の兄と会ってしまったのだ。それがバレてしまうことを考えると、余計にその話が出来なくなったに違いないのだ。

 ルヴィアは力の限り、強く手を握り締める。磨かれ、光沢すらあった爪が、手のひらに食い込んで離れない。

 

「ごめんなさい。わたしにとって……ここは、居心地が良すぎたから。だからそれを壊したくなくて、嘘を嘘のまま、貫き通そうとして、きっとバチが当たったんです。嘘つきはダメだって」

 

 違う。ルヴィアは首を振る。

 例えそれが嘘だったとしても、それは、誰かが不幸になるような嘘じゃなかった。

 不幸になるとしたら、それは嘘をついた美遊だけだった。そんなことでバチが当たるなんて、全くもって、ふざけてる。

 そして、そんなことを考えてる中でも、嫉妬は止まろうとはしなかった。

 居心地が良かったのは士郎やイリヤが居たからで、自分のおかげではない。

 壊したくなかったのは、その関係であって、自分との雇用関係ではない。

……美遊の言葉を聞く度に、粗を探しては嫉妬が燃え上がる。

 なのに、

 

「うん……本当に……正直に言わないとダメだって、思いました」

 

 美遊の声に震えが走る。やはり怖いのだろう、とルヴィアが決めつけていると。

 

「ルヴィアさん。今までわたしなんかのために、こんなに良くしてくれて。本当にありがとうございました」

 

 美遊は、話し始める。

 

「本当はね、ルヴィアさん。わたし、最近イリヤやクロに嫉妬してたんです。わたしのお兄ちゃんが、他人に奪われている気がして、わたしの思い出が踏み荒らされてる気がして……とっても、怖くて、気持ち悪くて、そんな自分が情けなかった」

 

 それは正しい感情だろう。自分勝手な感情を押し殺してきた美遊が、何倍も偉い。

 

「だけど、それは違ったんです」

 

 声の震えは未だ止まらない。けど、その震えが恐怖ではないということに、ルヴィアはようやく気付いた。

 それは、歓喜。

 初めて見つけた何かを、大切に手ですくいとるような、それは。

 

「わたしにはもう、居たんです。この世界に、家族が」

 

 きっと。

 

 

「ーーーールヴィアさんが。この世界でたった一人、わたしの家族なんだって。そう気付いたんです」

 

 

 星のように儚い、この世で最初の奇跡だった。

 

「……え?」

 

 意味が。

 分からなかった。

 まず、どうして、と思った。本当の家族が居て、離れ離れで、きっと誰にも引き裂けないような絆がそこにはあって、ルヴィアでは到底それに叶いっこなくて。突き放した自分がその席に選ばれるハズもなくて。

 自信がなかった。

 美遊にとって自分なんて邪魔なだけなのではと、ずっと思っていた。

 だから。

 ルヴィアの目から自然と、涙が溢れ落ちていた。

 

「わたしと最初に出会ったとき、ルヴィアさんは何も言わずに拾って、居場所をくれた。見たことない食べ物をいっぱい食べさせてくれたし、かけがえのない友達にだって会わせてくれた。わたしがこれからどうすべきか、将来のことも考えてくれた。それが、わたしにはたまらなく嬉しくて、初めてのことばかりで」

 

 最初の出会いから打算ばかりだった。

 サファイアがたまたま選んだ相手だったから、目に入るところに居てもらわないと困った。食事はアレが当たり前だったし、人並みの教養くらいはないとエーデルフェルトに寄り添う者としてふさわしくないと思っていた。

 そんな日々を。

 美遊は、こんなに楽しそうに。

 

「お兄ちゃんと離れ離れになって、どうすれば良いのか分からなかった、この世界で。わたしに過去と、今と、未来をくれたのはルヴィアさんです。

ーーーーわたしのお兄ちゃんはここに居なくても。()()()()()()()()()()()なんです、ルヴィアさん」

 

 嗚咽が漏れる。ぐちゃぐちゃになっていた髪やメイクが、素肌のルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの全てが、晒される。

 美遊の声が震えていたのは、怖かったからでも、苦しかったからでもない。

 ただ、恥ずかしくて、嬉しかったから。はにかんだまま、この声をルヴィアに伝えようとしてくれているのだ。

 それこそ、家族に話すかのように。

 こんなにも醜い自分に、美遊は。

 

「だからルヴィアさん、わたしのこと心配しないでください。バゼットさんは、わたしを助けようとしたら、本気で潰してきます。わたしのために誰かが傷つくのは、もう、嫌なんです」

 

 また美遊の声が震え出す。

 ルヴィアにはその震えが何なのかすぐ分かった。今の自分と同じなのだから、看破するのは容易い。

 

「だから」

 

 なのに。

 

「わたしはバゼットさんと一緒に居ます。今まで、ありがとうございました……ルヴィアさん」

 

 最後の最後まで。

 美遊は一度も、助けてとは……口にしなかった。

 

「……これで終わりです、ルヴィア様」

 

「……」

 

 ルヴィアは何も言わなかった。

 ただ、何度も。何度も何度も目元を袖で拭いて、ルヴィアは顔をあげた。

 酷い有り様だった。薄くとはいえ化粧をしていた目や口は頬や鼻まで汚し、天が磨き上げた宝石とまで言われた瞳は赤く腫れ上がっている。

 だからこそ。

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、決意を固めて言った。

 

「……美遊は私を姉と呼んだ。ならば、もう迷いなど何もありません。私の妹をかすめ取った、あの卑しい魔術師をブッ飛ばすだけですわ!」

 

 ぱん、と白手袋の拳を鳴らすルヴィア。

 その姿は、紛うことなくエーデルフェルト現当主、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトだった。

 

「……ったく、調子のいいヤツ」

 

 せっかく慣れないことまでして発破をかけたのに、損だったなと凛が息を吐く。まあ一発殴れたしいいかと思い直し、

 

「遠坂凛」

 

「ん?」

 

 ばごっ、と。

 ルヴィアから凛へ、恩知らずのチョップが首へ炸裂した。

 首が三十度ほど曲がった状態で、凛は受けた箇所を何度も擦る。対してルヴィアはぺかーっと何の罪悪感すら抱いていない顔で、

 

「そういえば一発くれやがったので、ひとまずお返しですわ。安心なさい、峰打ちで許して差し上げます」

 

 へ、と破顔し、凛はわなわなと肩を震わせる。

 

「……上っっ等じゃない!! 今日という今日はっ!! 絶っ対泣かす!! この泣き虫カビゴールドヘタレ魔術師ーーっ!!」

 

「おーっほっほほほほほほ!! よくってよ、遠坂凛!! この田舎暮らしで小銭しかなくてくすんだ宝石しか手に入れられないただのイモ女が、私に勝てると思って!?」

 

 言ったなこの野郎やりましたわねこの野郎、とまあ懲りもせず例のごとく取っ組み合いになる二人。結局何事かと降りてきたセラに二人とも説教され、戻ってきたイリヤとクロには小学生かとぶつくさ言われ、しょんぽりしながら衛宮家の掃除をすることになるのだが……。

 それを側で目撃していたサファイアだけは、

 

「……まあ、ルヴィア様の耳が赤く染まっていたのが喧嘩の発端だとは思いますが……今更恥ずかしくなって暴れるとは、子供じゃあるまいし……」

 

「どうしましたサファイアちゃん? 作戦会議しますよーん」

 

 まあ、丸く収まったからいいか。

 サファイアはそう結論づけた。

 夜は長い。

 それでも僅かな、光明だけは見えてきたと、誰もが感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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深夜、新都~願いを否定した願い~

ーーinterlude7-1ーー

 

 

 この世界に迷い込んだとき、わたしの記憶はあらゆるところが抜け落ちていた。

 覚えていたのは、年の離れた兄が居ること。その兄は優しくて、わたしのために命を懸けて戦ってくれたこと。だからこれからは、何があっても生きなければならないこと。楽しかったこと、苦しかったこと。それら全てを思い出したくても、それ以上のことはそのとき思い出せなかった。

 どうやってここに来たのか。何から逃げればいいかだけは分かっていて。ただ身の内から湧き出る何かに急かされるまま、歩き出した。

 凍えるような夏から抜け出したのに、春の夜は震えるほど寒かった。ゴミ捨て場から拾った衣服は採寸なんて合っているわけもなく、隙間から入ってきた風が、肌を撫でて心身を冷やしていく。

 森を抜けて、町へと足を踏み入れる。夜はまだ始まったばかりで、親子連れも少なくない。失ったばかりの傷を抉られるのは、とても辛かったけれど。それよりも、たった一人で歩き続ける方がよっぽど辛くて。

 こんなにも人は、世界に溢れているのに。

 この世界でわたしは今、誰よりもひとりぼっちで。

 もう止まりたかった。止まって、泣いて、見知らぬ誰かに助けを求めたかった。一人でいることに耐えられなかった。

 でも。

 それは、許されない。

 

ーー美遊がもう、苦しまなくていい世界になりますように。

 

 だって。

 兄は、そう願ってくれた。

 わたしがーー朔月美遊が苦しまなくてもいいようにと、願ってくれた。

 だったら辛くても、それを出しちゃダメだ。

 わたしは弱くて、惨めで、情けなくて、お兄ちゃんの妹にふさわしくないかもしれない。

 それでも、あの願いを聞き届けたなら、わたしは笑っていなきゃ。笑うことが無理なら、せめて辛い気持ちなんか、表に出しちゃいけない。

 だから。

 あの人(衛宮士郎)だけには、知られちゃいけなかったのにーー。

 

 

 

「……、……」

 

 靄がかった景色が、うっすらと晴れていく。頭の奥がガンガンと響き、首元から僅かに痺れが走った。

 どうやらソファーに仰向けに寝かせられていたからか、寝違えてしまったのかと分析したところで、腕と足が動かないことに気づいた。

 鎖だ。何処から持ってきたのか、四肢をぐるぐる巻きにした鎖が、ソファーにくくりつけられて固定されていた。

 

「目が覚めましたか」

 

 声に目だけを動かして探す。

 声の主ーーバゼットは、ソファーの向こう側で、石の球体を前に何か作業をしているようだった。正確に見えないのは部屋が真っ暗で、間にテーブルを挟んでいるからだ。

 地下ではない。月に照らされた内装は一般的な一軒家のそれだ。一つだけ違うことと言えば、割れた姿見があるくらいだろうか。

 ここは何処だろう。美遊が目を走らせていると、

 

「随分冷静ですね。秘密を知られたというのに」

 

「……っ」

 

 冷静でいられるわけがない。だが冷静を装わないと、出し抜ける相手でないことを、美遊は朧気にだが覚えている。その虚勢も手足に巻いた鎖が音を鳴らしてしまうせいで、全てお見通しだろうが。

 

「……目的はなに? わたしを拐って、どうするつもりなんですか?」

 

「どうするもなにもありません。ただこれ以上、現実から目を背けるなと。それだけです」

 

「……どういう意味ですか」

 

「さて。私も記憶が定かではありませんから。元の世界の記憶は、士郎くん同様あまり残っていませんので」

 

……つまり、

 

「……それは向こうの世界の凛さんの言葉、ということですか?」

 

「恐らくは」

 

 美遊も士郎に関するおおよその事情は知っている。

 彼がこの世界の衛宮士郎ではない、エインズワース達の世界でもなく、第二の並行世界からやってきたこと。美遊も含む並行世界からの来訪者は元の世界の記憶が思い出せないこと。

 そして衛宮士郎、バゼット、カレン達は、エインズワースと敵対関係(・・・・・・・・・)にあったこと。

 

「……あなたに助けられたことは、少しですけど覚えてます。そして何より、お兄ちゃんを手助けしてくれたこと。それも感謝はしています。でも、それとこれとは話は別です」

 

「……」

 

「どうして!! どうしてお兄ちゃんにあんなことしたんですか!? あなたにとっても、お兄ちゃんは知らない仲じゃないでしょ!? なのになんで襲って、怪我までさせたんですか……!!」

 

 怪我、なんて言葉では生温い。あの傷は下手すれば即死もあり得た。右半身がまるごと切断されても何ら可笑しくない。

 衛宮士郎の力はこの状況で必要なハズだ。それを自ら捨てるような真似、何故バゼットがとったのか。美遊には理解出来なかった。

 

「……確かに士郎くんの魔術師としての力量はともかく、あの能力。何より英霊との戦闘経験は、彼にしかないモノだ。だからこそ、それをこの世界の記憶で塗り潰すような真似だけは絶対に出来ない」

 

「あの人にイリヤ達との記憶は要らないって言うんですか!?」

 

 そんなの、あんまりだ。彼は兵器じゃない。一緒に笑い、誰かを心配したり、そういう感情を持った人間だ。

 なのに、その人間としての彼を塗り潰そうだなんて。

 例えその関係に何の根拠もない、偽物だったとしても……それを否定させたりしない。

 少なくとも美遊は、そう思っていた。

 だから。

 

「ええ。死んだ人間の記憶(・・・・・・・)など、これ以上作っていたら彼の精神が持たない」

 

 それは。

 美遊にとって、知らなかった真実だった。

 

「……え?」

 

 一気呵成の勢いだった激情が、みるみる内に小さくなっていく。代わりにざわり、とまるで小さな虫が沢山手足を這うような気味の悪い感覚が、徐々に体を支配していく。

 

「……彼は元の世界の聖杯戦争において、イリヤスフィールを失っています。それも目の前で」

 

「……イリヤを……失ってる……」

 

 つまり。

 それなのに彼は、あんなに幸せそうに笑っていたのか?

 家族を失って、知らない世界に連れてこられて。助けられなかったモノが全部ある世界で、彼は。

 自分と同じ想いをしていたとしたら、それは。

……どんなに、残酷なことだろう。

 

「だからこそイリヤスフィールから離れなければならないと言ったのです。遅かれ早かれ、彼はここを発たねばならない。ここまで変わってしまった彼なら、ここに残ると言いかねない」

 

「……」

 

「何よりイリヤスフィールを人質に取られてしまえば、今の彼が敵に回ってしまうかもしれない。我々は彼と繋がりがある人間が多い。不安要素しかない爆弾など、とっとと解除するに越したことはないでしょう?」

 

「、……それは……」

 

 事情は分かった。分かりたくはなかったが……そういうことなら仕方ない。

 でも、それなら。

 

「それなら、入れ替わった(・・・・・)この世界のお兄ちゃんだけでもこの世界に戻せないんですか? 凛さんがどんな方法でお兄ちゃんやバゼットさん達をここに転移させたのか分かりませんけど、それなら」

 

 何かに突き動かされたように。そうすれば、問題ないではないかと美遊は提案して、暗闇の向こうに居るバゼットを見て、気付いた。

 あの鉄仮面を被ったように表情を変えてこなかったバゼットが、初めて。苦悶の表情を浮かべたことを。

 這いずり回っていた悪寒が心臓まで行き渡る。見えない手で撫でられるような感覚に、息が荒くなる。

 

「美遊」

 

 一瞬の葛藤を振り切って。バゼットは真実を口にした。

 

「この世界の衛宮士郎は、もう何処にも居ません。転移した際、士郎くんと融合し……そして肉体、魂の主導権争いの末、消滅したと我々は踏んでいます」

 

 そして。

 

 

「そして士郎くんを転移させたのは、遠坂さんではありません……あなたです、美遊」

 

 

 現実が、津波のように。

 美遊に押し寄せた。

 

 

「…………っ、ぁ」

 

 

 真実が。

 理解を越える。

 夜なのに、目が真実を拒否して熱くなる。脳から後頭部へ、内部からミチミチミチミチミチ、と嫌な音がして、破裂しそうになる。

 殺した? 誰が、だれ、を?

 お兄ちゃんが、衛宮、士郎を?

 幸せなお兄ちゃん(衛宮士郎)を、衛宮士郎(お兄ちゃん)が、殺した。

 誰よりも求めた世界を、誰よりも壊したくない人が、壊した。

 そうさせたのはだれだ?

……誰だ?

 

「嘘……」

 

「……嘘ではありません」

 

「嘘!! 嘘……嘘……そんな……っ」

 

 口が独りでに動く。

 喉はこんなにカラカラで、何を喋っているかも分からない。ただ、ただ耐えきれなくて、言葉が、心が漏れる。

 家族を守れなかった人。

 その人はきっと、自分の本当の兄のように迷って、傷ついて。そうして何かを失って、ここに来た。

 あんなにイリヤや誰かを気にかけて、守ろうとしたのは、それが彼自身かつて守れなかった誰かだから、今度こそはと思ったのだ。

 本物じゃないけれど。

 その代わりになんて絶対に、なれるわけがないけれど。

 それでも守りたいと思うのが彼だから。

 なのに、その彼が得られなかった幸せを壊させていた?

 何もかもが移り行く世界で、不変だったハズのそれを壊させて。

 あんなに苦しんでいた理由は。

 

「……そん、な……わ、たし、が……?」

 

 わたしなのか?

 こんな幸せな世界に連れ込んで。人を殺させ。本物などもう何処にも居ないのに、自分が代わりにならなければと。そう、思わせたのは。

 この、わたしなのか……?

 

 

「ちがう……ちがう、違うっ、違う違う違う違う!! わたしじゃっ、わたしじゃない!! わたしはお兄ちゃんを殺してない!! そんな、そんなつもりでわたしはここに来たわけじゃ……!!」

 

 

ーー美遊がもう苦しまなくていい世界になりますように。

 

 だけど、その世界を壊したのはわたしだ。

 

ーーやさしい人たちに出会って。

 

 だけど、その人達を傷つけたのはわたしだ。

 

ーー笑いあえる友達を作って。

 

 だけど、そんな友達に嫉妬していたのはわたしだ。

 

ーーあたたかで、ささやかな。

 

 だけど。

 だけど。

 

ーー幸せを、掴めますように。

 

……だけど。その幸せを苦しみに変えたのは、わたしだ。

 兄の願ってくれたこと全て、無意味なモノに変えたのは。

 全部、わたしのせいだ。

 

 

「ああっ……あああああああああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!! うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 絶叫が世界を覆う。

 悲しくて、苦しくて、世界が軋んでいるような気がした。

……もう何も変えられないのに。

 それでも叫んで、願って。

 夜はずっと消えてくれなくて。

 それでようやく全部手遅れだったのだと。

 わたしは、やっと、理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude7-2ーー

 

 

 作戦を練り、どうにか勝率を五分五分まで誤魔化したところで、ルヴィア、凛、クロ、イリヤの四人は行動を開始した。

 サファイアが発見したバゼットの拠点は、新都の方にあるらしい。サファイアがマッピングした記録と、実際の地図を照らし合わせ、四人はいつも乗るリムジンでそこへ向かうことに。

 運転をオーギュストに任せ、ルヴィアは、

 

「こうして夜分に全員で行動するのも、随分と久しぶりですわね」

 

 その言葉に、確かにと三人(クロはイリヤの記憶を通して)は頷く。カード回収が終わり、こうして夜の冬木の町を改めて散策するのは、初めてのことだった。

 特にイリヤはプライベートでもこの時間帯に町へ出掛けることがない。代理お母さんセラの教育の賜物と言うべきか。

 だが、イリヤは窓越しに冬木の町並みを見て、違和感を感じていた。

 深夜の冬木市は、不気味なくらい静かだった。元々他の都市に比べ、新都や深山町も夜になればイベントでも無い限り閑散となるのが常だ。しかし、それ以上に何か、異様な雰囲気が町を包んでいた。

 イリヤがぼそりと呟く。

 

「……なんだか、怖い」

 

「あら、イリヤったらまーだそういうトシゴロ? 怖いならほら、お姉ちゃんが手を握ってあげてもいいけど?」

 

 対面に座っていたクロが、片手をぶらぶらと振って茶化す。いかにも奮い立たせようとしてる気満々で分かりやすいが、イリヤには効果覿面だ。むっと口を尖らせ、

 

「そ、そんなんじゃないもん! 夜なんてほら、もうホームグラウンドみたいなもんだし! というか、大体お姉ちゃんはわたしだって言ってるでしょ!?」

 

「はいはい怖いなら手を握ってあげまちゅよー、お姉ちゃーん」

 

「こ、この野郎……!!」

 

 思わず右手のグーが振り下ろされる直前までいきそうになる。複雑な家庭環境だと、どちらが姉でどちらが妹なのか問題は、ヒエラルキー的に大事なのだ。ここで徹底せねば、いつの間にやら姉特権で小間使い妹イリヤが誕生しかねない。ちなみに言うまでもないが、圧倒的戦力差でこの戦争はクロ無双である。

 

「ほら二人とも、喧嘩しないの。アンタ達には今から頑張ってもらわないといけないんだから、こんなところで無駄な体力使ってないで、しっかり休んどきなさいよ?」

 

「そうですわね。特にクロには、キツい仕事をしてもらわねばいけませんし……休めるときに休んでもらわなくては」

 

「はーい」

 

「……はい」

 

 なんやかんや言って、年長者二人には、さしもの姉妹戦争もどんぐりの背比べのようなモノ。百年早いと満足気な表情のクロも、また負けたとしょげているイリヤも、どちらも変わらないのだった。

 しかし、本当にイリヤが気になっていたのはそれではなく、

 

「……でも、本当に冬木市じゃないみたい……これじゃまるで……」

 

 カード回収をしていたときより、空気が重く、澱んでいるではないか。

 イリヤの隣に座っていたルヴィアが、ドアウィンドウから目を離し、

 

「当然ですわ。これは、クラスカードの仕業(・・・・・・・)ですもの」

 

「……えぇ!? でもクラスカードはもう全部回収したんじゃ……」

 

「ま、普通のはね」

 

 普通の? 凛の言葉に首を傾げるイリヤ。

 

「今のところ、わたし達が持ってるクラスカードは八枚。どれも超高密度の魔力を蓄えられるけど、今回のクラスカードは三ヶ月もの間、魔力を蓄えて、霊脈がズレるほどの歪みを発生させている」

 

「えぇと……どのくらい凄いのかさっぱりなんだけど……」

 

 魔力や魔術師は、イリヤがDVDで観ているアニメでそれっぽいのが出てくるが、霊脈などのまじゅつワード(専門用語)はいまいちピンと来ない。こういう教養が物を言うところは、まだ一般人なのである。

 すかさず、仕事じゃ仕事じゃ、マスコットの仕事じゃとルビーが説明。

 

「霊脈っていうのは、言わば魔力が出てくる間欠泉みたいなところですよ。で、その間欠泉は地球っていう莫大な海から魔力を通してるわけで、まあ少なくともクラスカード七枚がぽこじゃか吸い上げ始めた当初は、そこまででも無かったんですが」

 

「ですが?」

 

「三ヶ月も霊脈から吸い上げた影響で、余程歪みが大きくなったんでしょう。向こうの鏡面界が膨張し、現実世界の霊脈にまでそれが伝わっている。ぶっちゃけ七体の黒化英霊をいっぺんに相手するよりキツい戦いになりそうですね、ハイ」

 

「そんなに!?」

 

「そもそも霊脈がズレるほど膨張するなんてことが、規格外なんです。そこまで吸い上げたところで、所詮は英霊の劣化コピー品のクラスカード。普通ならクラスカードそのものが破裂し、鏡界面ごと現実世界へ深刻な歪みを発生させても何ら可笑しくはなかったハズ」

 

「それはそれで大変な気がするけど……そうはならなかったってことは……」

 

「ええ。そのクラスカードそのものが、これまでのモノとランクが違う、ウルトラレアのチート仕様だってことです。全くどんなSSRで☆5な怪物が潜んでるのやら」

 

 やれやれとルビーが意味不明に肩を竦めるような仕草をするが、それはとんでもなくヤバイのでは? イリヤの不安に、クロが補足する。

 

「まあジタバタしたってしょうがないでしょ? まずは美遊を助ける、全部はそれから。あなたはそうやって考えるとウジウジしちゃうんだから。ほら」

 

「……う、うん」

 

 とりあえずは目の前のことから。魔術に明るくないイリヤでも、それだけは分かる。

 その間にも、リムジンは夜の街を走り続ける。景色が流れていくのと同時に、都市部からも段々離れていく。それと同じくして、車内の緊張も高まっていく。

 リムジンが止まったのは、教会の程近くにある森林だった。四人は下りると、そのまま森林へ入っていく。

 鬱蒼とした木々は、夜ということもあってか、まるで手を頭上に上げて驚かそうとしているようにも見えた。夜風に吹かれてかさかさと揺れ、方向感覚を乱そうとしてくる。

 しかし四人は迷うことなく、そこへ辿り着いた。

 

「……まさか、このような真似をするとは。面の皮が厚いとはまさにこのことですわ」

 

 ルヴィアが忌々しいと言わんばかりに、そこを睨み付けた。

 そこだけ木々を伐採したのだろう。お伽噺にでも出てくるような、西洋建築の家が、我が物顔のように建っていた。

 

「まさか、エーデルフェルト家の土地を拠点にしていたとは……盗人猛々しい……」

 

「協会に譲渡されてんだから、今更でしょ」

 

 先々代ーーつまりルヴィアの祖母にあたる姉妹が、冬木に来訪したときに建てたのが、この館だった。まあ凛の言う通り、もうエーデルフェルトの所有物ではないのだが。

 

「それよりここは既に敵地よ、気を引き締めて」

 

「言われずとも、この森に入ったときからそのつもりですわ」

 

 軽口を叩き合い、四人は屋敷へ近づいていく。既にイリヤは転身し、クロも礼装を纏っている。もし奇襲されても対処出来る、そう思っていた。

 そのときだった。

 ルヴィアのドレスから、パリン、と何かが砕けた音が聞こえた。

 

「……!」

 

「ルヴィア?」

 

 顔色を変えて、ドレスをまさぐるルヴィア。彼女は懐から粉々になったアメジストを取り出すと、歯噛みする。

 

「……それ、もしかして」

 

「……これは通信用の術式を組み込んでいますわ。一方が砕けたとき、もう一方も砕け、その危機を知らせる役割が。そしてこの片割れを持っていたのは、森林の入口で待機しているオーギュスト」

 

「ということは……」

 

「オーギュストに何かがあった、ということでしょう。間違えて握り潰したり踏み潰せるモノではありませんから」

 

 じゃあ、とイリヤが、

 

「戻らないと! オーギュストさんが大変なんですよね!? 何より、そのバゼットって人が居るのはあっちです!」

 

「ま、相手が単独犯かは別として、こうしてくっちゃべってるわたし達を狙ってこないんだから、少なくともバゼットはあっちに居る。ならここは作戦通り、別れるのが得策なんじゃない? リン、ルヴィア?」

 

 魔術師二人が首肯する。

 作戦は簡単だ。二人が足止めしている間に、残りの二人が美遊を回収。あとは五人でバゼットを捕縛する、それだけだ。本来ならそう距離が離れないため、足止めの時間もそう長くないのだが。この際だ。先に美遊を救出すれば良い。

 が。

 その異変に気付いたのは、やはり英霊をその身に降ろしたクロだった。

 

「……っ、ルヴィア!!」

 

 声に反応し、咄嗟にルヴィアが伏せる。更にクロがその前を飛び越し、投影した干将莫耶を交差して構えた。

 瞬間。

 ぶわっ、と風が辺りを突き抜け。

 ゴギィンッ!!、とその交差した剣のガードをぶち抜き、クロの横顔へ拳が突き刺さる。そのままクロの体は、屋敷の玄関へと殴り飛ばされた。

 まるで巨岩が山から転がり落ちてきた勢い。それを放った鋼鉄の拳を持つは、

 

「バゼット・フラガ・マクレミッツ……ッ!?」

 

「ええ。そしてさようなら、エーデルフェルト」

 

 伏せていたルヴィアが、ぐるりと転がって退避する。その横を、バゼットの容赦ないストンピングが突き刺さる。めり込んだ足はさながら槌だ。ルヴィアが即座に跳ね起きて距離を取ると、入れ替わりにイリヤが砲撃を、凛が宝石魔術を放つ。

 

砲射(フォイア)!!」

 

「この!!」

 

 一発一発は低くとも、バゼットも面による攻撃には躊躇うらしい。前傾姿勢だった体を起こし、イリヤの砲撃を避け、凛の魔術を拳や足で打ち消していく。

 ざ、と攻撃を潜り抜け、バゼットは一旦足を止めた。

 

「来ないのですか? 仲間を助けにいくのでしょう?」

 

 それは無理だ。バゼットが位置取っているのは、森側。オーギュストが待っている方だ。迂闊に行けば、背中を見せた途端あの打撃に意識を持っていかれるだろう。

 だがその前に、ルヴィアは問い質さねばならないことがあった。

 

「……まさか、あなたに仲間が居たとは。オーギュストを襲ったのは、カレンですか?」

 

 彼女は見たところ、魔術師ですらなさそうだったが、何事にも例外はある。

 だがバゼットは首を横に振った。

 

「いえ、彼女ではありませんよ。流石に彼女を囮に使うなど、そんな危ない橋を渡る気はありません。こと殺し合いで彼女はただ修道女でしかない」

 

「……では、誰が」

 

「一人居るでしょう、イリヤスフィールすら上回る聖杯が」

 

「……まさか」

 

「ええ、美遊です」

 

 バゼットの言葉に、絶句する四人。

 あの美遊が、誰かを傷つけただけじゃなく、裏切った?

 イリヤがたまらずそれを否定する。

 

「そんなわけない! だって、ミユは……!!」

 

「そんなことをするハズがない、と? では問いで返しますが、イリヤスフィール。あなたは彼女が元の世界でどんな風に暮らしていたか知っていますか?」

 

「知らない! でも、分かる! ミユは裏切ったりしない! 例え裏切ってるように見えても、何か事情があってそうしてて、苦しんでるんだって!」

 

 何も知らない。たかが三ヶ月の付き合い。

 だけど、隠し事はしていても、嘘をつかないことは知っている。嘘をついたとして、その嘘が誰かを不幸にしたりはしない。

 そう、何も知らなかった。苦しんでいたことも。無理していることも。何か理由があるんだと分かっていても、話してくれるまで待とうと思っていた。

 だけど、もうやめだ。友達なら遠慮しない。踏み込んで、その上で手を繋ぎたい。

 

「わたしが知ってるミユは、笑ってる顔が可愛くて、ちょっと危ないくらい誰かのために頑張れる子だってこと! それだけ分かれば、何も知らなくたって戦える! わたしにとってミユは、友達だから!」

 

「……無知もここまで来ると、一つの呪いに近いというのは本当のようだ」

 

「あら、じゃあ年増もここまで来ると、自分が正しいと思い込んじゃうっていうのも本当かしら?」

 

「!」

 

 背後からの声に、バゼットが前方へ飛ぶ。そこへ殺到する二翼の剣。迎撃しようと拳を胸の前へ持ってきて、バゼットは目で声の主を探す。

 しかし、遅い。

 

「こっちよ年増さん!」

 

 そのときには瞬間移動していたクロがまた背後を取り、その横顔へ渾身の回し蹴りを撃ち込んでいた。

 いくらステータスが落ちているとはいえ、英霊は英霊。余りの威力に回転しながら吹っ飛ぶバゼット。首が取れても可笑しくないハズだが、吹き飛びながらも地に足を無理矢理つけ、たたらを踏んでバゼットは堪えた。

 クロがくっ、と顔をしかめ。

 

「っつぅ……あのタイミングでクロスカウンター気味に殴ってくるとか……撃ち込んだ足の方が痛いってどういうことよ……」

 

「クロ! 大丈夫!?」

 

 慌てた様子で駆け寄ってくるイリヤに、クロは手を振って答えた。

 

「大丈夫大丈夫。それより、最初の作戦通り、イリヤとリンは早くミユを助けにいってあげて」

 

「でも……」

 

 確かに今なら、バゼットとの距離が開いた。クロが足止めすれば、イリヤと凛もオーギュストの元へいけるハズだ。

 何かあるには違いないが、それでも美遊が裏切ったことには変わりはない。

 それに。

 本当に美遊を助けに行きたいのは、きっと。

 イリヤの視線がルヴィアへ向けられる。それにルヴィアは、一切の逡巡もなく、いつもの自信に満ち溢れた顔で応えた。

 

「お願いしますイリヤスフィール。どうか、美遊の助けになってあげてください」

 

「……はい! いこう、リンさん!」

 

「ええ! ルヴィア、美遊のためだからって馬鹿な真似すんのだけはダメだからね!?」

 

「良いから早くお行きなさい!」

 

 イリヤと凛は森へ走る。それをバゼットが阻止しようとするが、その前にクロの刀剣が足元へ射出し、進路を制限する。

 変則的な形にはなったが、二手に分かれた。当初の作戦の形には何とかなっている。

 

「……分断作戦ですか。なるほど、二人でも私を止められると思ったわけだ」

 

 ぴんっ、と跡がついた頬を弾き、バゼットは手袋をはめ直す。

 

「確かにそちらの少女は中々の脅威だ。型落ちこそしているが、やはり意思があると段違いに難度が上がる。しかし、それだけで勝てるとでも? たかが英霊モドキ風情にやられるほど、私は落ちぶれたつもりはない」

 

「ええ、存じていますわ。ですが、そのモドキが二人(・・・・)なら?」

 

「……なに?」

 

 バゼットが眉を潜める。

 そういえばルヴィアはロングレンジではなく、あくまでクロと同じショートレンジに立っている。流石にルヴィアとて、バゼットの殺人的なあの一撃を食らえばひとたまりもない。

 だとすれば、それに対抗するだけの力があるということ。

 ルヴィアの肩に、サファイアが降りる。ぱたぱたと羽を動かし、悠々と、

 

「ルヴィア様。正直に申し上げて、未だにあなた様に使われるのは抵抗があります」

 

「ええ、当然ですわ。自分で言うのもなんですが、私、随分とエレガンスに欠ける振る舞いをしていましたから」

 

「いえ、そういうわけではなく。お嬢様キャラのあなたより、美遊様のようなちょっと天然の入った少女に使われる方が好みというわけですこの年増」

 

「もっとオブラートに包もうとかそういう考えはなくて!? 歯に衣着せないのにも限度が!! というか私まだ未成年ですのよ!?」

 

「ですが」

 

 この方は美遊のために泣いてくれた。

 助けたいと。幸せにしたいと。それがエゴなのではないかと、悩んで、悩んで、悩んで。

 

「私も同じです、ルヴィア様。美遊様の事情を、最初から私は検討がついていました。それを知らぬ存ぜぬと、気付かぬフリをしていました。いつも側で支えておきながら、いざというとき何も出来ず、側に居ることも出来ない……汗顔の至りです」

 

 イリヤは火力不足。ルビーは凛と契約しないため、アテにはならない。

 ならもう、これしか手がない。

 いやーー例え手があったとしても、サファイアはこれを選んだだろう。

 

「ルヴィア様。あなたは美遊様が好きですか?」

 

「ええ、無論」

 

 その言葉が、契約のサイン。

 ジャコン、とサファイアの下部から柄が飛び出す。ルヴィアがそれを握ると、その出で立ちが青い魔力光に包まれ、変わった。

 青い、露出の多いファンシーな服装はサイズがキツいのか、全体的に縛っているような感じになっている。頭部にある異形の狐耳に、木の葉型の尻尾。

 

「では」

 

「ええ、では今回限りーーあなたの力、美遊のために使わせて頂きますわ、サファイア!」

 

 カレイドサファイアとなったルヴィア。その格好こそコスプレしたレイヤーにしか見えないが、魔力は桁違いだ。ルヴィアの周囲の空間が軋み、その軋みすらステッキを振るって掻き消していく。

 首をコキコキと鳴らしながら、クロが近付く。

 

「全く。最初から転身してれば、わたしが殴られることも無かったんじゃないのかしら?」

 

「うぐっ」

 

「……ちょっと。図星だとホントにやる気無くすんだけど。ねえサファイア、やっぱ美遊の方が良いでしょ? そんなちょっと衣装がギチギチのドリル女より」

 

「うぐぐっ」

 

「はい、勿論です。私はもう美遊様無しでは生きていけませんから」

 

「わーお、大胆。じゃあわたしも負けてられないな、こりゃあ」

 

 ルヴィアとクロが並び立つ。

 対し、バゼットは先と変わらず一人。

 睨み合う両者。

 

「……あなたをぶちのめすことに何の異論もありませんし、口を挟む気もありませんが。戦いの前に一つだけよろしくて、マクレミッツ?」

 

「どうぞ、エーデルフェルト嬢」

 

「では一つだけ……美遊に、シェロのことを伝えましたわね?」

 

 それは、問いではなく確認だった。

 バゼットも否定せず、レザーの手袋を正しながら、先と何も変わらない口調で、

 

「ええ……伝えたところ、少し厄介なこと(・・・・・)になりましたが、まあ伝えないよりは良かったでしょう。ここまでの事態になっては、後はもう早いか遅いかの違いでしかない」

 

「よろしい、実に論理的な答えですわ。それが正しいと私も思いますわ、ええ」

 

 だからこそ、とルヴィアは続けた。

 

「ええーー本当に、気に食わないですわ」

 

 論理的?クソ食らえだ。

 そんなことで美遊が悲しむのならば、そんなクソッタレな法則など何処かに消えてしまえ。

 ルヴィアはそう言いかけそうになったが、口をつぐんで堪える。

 それを口にしたらもう、ルヴィアゼリッタは魔術師でいられなくなるだろうから。

 代わりに、三人の足が同時に動く。

 怪物達の戦いは、静かな怒りから始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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深夜、双子館の森~呪いの繋がり~

ーーinterlude8-1ーー

 

 

 なんで、とイリヤは夜の森を走り抜けながら、頭の中で疑問を繰り返していた。

 美遊が並行世界とかいう別世界の住人で。その世界での家族は自分の兄で。

 それがバレたからオーギュストを傷つけたとは、考えにくい。そんなに浅はかな子ではないし、何よりそれだけなら美遊は何もしていないじゃないか。

 状況はドンドン変わっていく。分かっている、みんな意図的に何か隠し事をしてるくらいは。それに取り残されて、いくら走っても、きっと周回遅れだから美遊の事情だって全部は分からないかもしれない。

 

(……まあ正直、意味わかんないし)

 

 いきなり並行世界とか、美遊は聖杯だとか、よく分からない。

 やっと色んなことが終わって、また日常が帰ってきて、のほほんとしていた。だから美遊のことだって、正直に言えばイリヤはずっと蚊帳の外だった。

 友達なんてそんなモノ。美遊がその秘密を受け止めてくれる相手と認識しなかった時点で、イリヤは舞台に上がることは出来ない。

 だけどこれだけは、ハッキリしている。

 美遊がこの世界に来たから、自分と友達になった。

 それだけでいい。

 その事実があるのならーーイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、喜んでステッキを振ろう。

 

「……先に行きます、リンさん!!」

 

「あ? え、ええ! 気を付けてよイリヤ、何が来るか分からないんだから!」

 

「凛さんこそ、うっかり木の幹に足とかぶつけてあらやだ一回転な感じで転けないでくださいよー?」

 

「誰がそんな古典的な真似するか!?」

 

 でもやりそうだよね……とは声に出さず、凛のツッコミを背中にイリヤはふわりと宙へ浮かんだ。枝葉を突き破り、一気に森の上空へ出る。

 これで余計な障害物は何もない。イリヤがマントをはためかせ、加速。森の切れ目ーー黒煙がもくもくと立ち上る場所へ向かう。

 闇夜にあがる噴煙は赤みを帯びていて、それ自体がまるで巨大な腕のようにも見える。乗って来たリムジンの破片が道路に撒布していて、パチパチと未だに火の粉が落ちていた。

 見つけた。現場から離れた、森の近く。木に背中を預けて、血塗れのオーギュストが倒れている。

 

「オーギュストさん!!」

 

「……イリヤ様、ですか……」

 

 返事がある。モノクルは割れ、礼服はあちこち裂けてしまっているが、大事には至ってないらしかった。

 と。

 ふと、視線を左へーー町の方へと向けた。

 

「……あ」

 

 居た。

 一人。リムジンから少し離れた場所で、平然と空を見上げて、立っている少女が居る。

 車からあがる炎すら、霞んで見えるほどの、圧倒的な存在感。

 美遊・エーデルフェルト。

 

「……」

 

 酷い有り様だった。

 質素でありながら、めいっぱいお洒落しようと選んだ服は煤や泥に汚れ、髪もいつものような清潔感はまるでない。まるで、朽ち果てた日本人形のような、近寄りがたい印象が漂っている。

 何よりその目。

 いつものブラウンではなく、紅い月のような(・・・・・・)不吉な輝きを宿していた。

 

「……」

 

「……ミユ?」

 

 さっきまであんなに大声を出していたのに、反応がない。名前を呼び、ようやくそれで美遊の首がぐるりと、緩慢に動き出した。

 時計の針染みた、アナログのオモチャにも似たその動きは、人のそれではない。ある種それは、人を越えた何かに近かった。

 そうーー例えば、神様がもし居るのなら。こんな感じなのかもしれない。

 不気味な挙動に、人のモノとは思えぬ妖しい輝き。

 

「……あちゃあ。正気を失ってるどころの騒ぎじゃないですねこれは。ぶっちゃけガチの神様に片足突っ込みかけてませんか、美遊さん?」

 

「どういうこと、ルビー?」

 

「イリヤさん、美遊さんがあなたと同じ聖杯だということはさっき知りましたよね?」

 

 うん、と首肯した主に、ルビーは噛み砕いて説明する。

 

「ですがそれは訂正させてください。美遊さんは聖杯としての素質だけなら、イリヤさんより(・・・・・)間違いなく上です。というか単体ですら、願望機そのものとして成立してます。全くこれが調整されたホムンクルスとかじゃないんですからビックリですよ、才能こっわー……正直イリヤさんには勝ち目なさすぎるので、早くスタコラさっさと逃げるのをオススメしたいんですが……」

 

 退きそうになる足を、無理矢理前に出して、イリヤをその提案を踏みつける。

 ここで逃げたら、クラスカードを回収してたときと何も変わらない。今ここで逃げたら一生、イリヤは自分を許せない。

 それでルビーも覚悟が決まったらしい。弱気で悲観的な喋りは止め、いつもの気楽で振り回しがちなステッキを演じることにする。

 そんな主従を、美遊はただ黙っていた。だが話し終えたことを確認すると、口を開いた。

 

「……逃げないんだね、こんなわたしから」

 

「友達から逃げる必要なんて、何処にもないじゃない。ミユが相手なら、尚更」

 

 足を出す。まずは距離を詰める。こんなに遠くでは、喋ることすらままならない。

 

「わたしをまだ友達だって言ってくれるんだ。優しいね、イリヤは。そういうところが本当に……わたしには、真似出来ないところなんだろうね」

 

「それは違うよ、ミユ。わたしなんか自分が幸せならそれで周りが見えなくなって、友達が苦しんでても、その声を聞くことが怖かった。ミユと向き合おうとしなかった、臆病な自分が何処かに居た」

 

「イリヤの臆病は、優しさでしょ。友達でいたいから、あなたはあえてわたしが話すまで待っていた。それに甘えていたのは、他ならないわたし」

 

「だったらミユも同じだよ。友達だと思ってるのは、わたしだけじゃない。違う?」

 

 足は意外なほど、スムーズに動いた。美遊と話せば話すほど歩く速度は速くなり、すぐに目と鼻の先まで詰められる。

 あとは、簡単だ。

 美遊の手を握って、連れ帰るだけーー。

 

「違うよ」

 

「!?」

 

 なのに。

 伸ばされた手を、美遊は一睨みする。それだけでイリヤの肩に見えない空気のようなモノがのしかかり、膝をついた。

 

「あなたはわたしの友達なんかじゃない。もう、そんなんじゃ、ない」

 

 自動車でも落ちてきたかのような、実体のある重力。下半身がコンクリートに数センチ一気にめりこみ、手で地面を支えにしないと、イリヤは体ごとめり込みそうになる。

 

「重力操作……!? いえ、もっと原始的な圧そのもの!? イリヤさん、動けますか!?」

 

「大、丈、夫……!」

 

 いきなりの攻撃に面食らいはしたが、抗えないほどじゃない。イリヤにだって分かる、今の美遊が本気ならこの程度で済まない。同じ聖杯だからかは分からない。それでも手加減されている、そしてその理由はきっと。

 

「ミユ! もうやめよう!? こんな、こんなことしたってみんな、ミユも傷つくだけでしょ!?」

 

「うん、そうだね」

 

「だったら!!」

 

「だからダメなんだよ、イリヤ」

 

 圧が増す。ついに支えていた手が滑り、イリヤは全身コンクリートに叩きつけらる。

 眼球だけで、その顔を見ようと必死に目を凝らすイリヤに対し、美遊はあくまでも無表情なまま。

 

「わたしが居たらみんな傷つく。わたしが生きてるから、みんな争って、あげくの果てに死んでいく。もういい。もう、疲れた」

 

「ミユ!!」

 

「ねえ、イリヤ。友達なら、最後にわたしのお願い聞いてくれる?」

 

 言わせてはダメだ。漠然とそう感じるも、美遊の圧に抗おうとして魔力を放射するが……やはりルビーが言っていた、元のスペックが違うとは本当のことらしい。抗えず、美遊にそれを言わせてしまった。

 

「ーーわたしを、殺して」

 

 瞬間。

 空気が凍りつき、そして。

 爆発した。

 

 

「ふっっっざっけんっ、なあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 

 ゴゥッ!!、と。

 倒れていたイリヤの体から、美遊を越えるほどの莫大な魔力が膨れ上がり、四方に放たれた。

 燃えていたリムジンは勿論、周囲の地面や草木までも魔力が行き渡った瞬間にめくり上がり、弾ける。それはさながら爆発というよりは風の形をした刃だった。

 無論、それを受けた美遊も流石に後退していた。しかし、無傷。傷など一片も見当たらない。

 

「ミユは、いっつもそうだよ……!!」

 

 だけど関係なかった。そんなこと、一ミリたりとも、今関係ない。

 ガラガラと肩に乗った小石を立ち上がることで落としながら、少女は訴える。

 

「自分のこと、何も語らないで。一人で抱え込んで。なのにいつも寂しそうで、哀しそうで、ほっとけなくて。でも、笑ったりして」

 

 その時間は、いつも。

 

「ーー何となく、楽しくて、好きだったんだよ? わたし?」

 

「…………」

 

 ひょんなことから危ない目にあったり、痛い思いだっていっぱいした。それが嫌だったけど、でもだからこそ美遊の存在はイリヤにとって、こんなときに甘えられる唯一の存在だったのだ。

 同じような立場で、同じような力を持っていたから。

 

「怖かった。きっとミユが、何か大きなことに関わってるのは分かってたから。事情を知ったら、クロのときみたいに……ミユとこれまでみたいに、何となくな時間が過ごせなくなると思うと。怖かった」

 

 イリヤがステッキを振る。ボロボロになりかけていた防護の役割を持つ衣装が光に包まれ、一瞬で再構築される。

 

「でも、何となくは、これでおしまい」

 

 きっとこれまでの時間は、美遊にとっても楽しかったハズだ。あんなに笑っていたのだ、それは間違いない。

 だけど、同時に何処かで美遊の瞳に影がついてきたのは、苦しかったからだ。

 美遊と本当に楽しい時間を過ごしたい。嫌なことも、辛いこともある。楽しいだけじゃ生きていけない。だけど、イリヤの前くらいは、その苦しみを忘れるくらい、一緒に笑っていたい。

 それが、本当の友達だと思うから。

 

「何も言わなくてもいい……なんて、もう言わないよ、ミユ。わたしも知りたい。ミユがどんな世界で、どんな風に生きてきて、どんなことを感じていたか、わたしは知りたいから。ミユを悲しませるモノ、全部どうにかしたいから!!」

 

「……何も、話したくない」

 

「だったら!!!」

 

 だん、と大きく右足を踏み込んで、飛び込む。急加速した勢いのまま、ステッキを美遊の頭へ叩きつけた。

 勿論美遊には届かない。何か障壁でも張っているのか、空間を火花が走る。しかし意味ならある。目を見て喋るには遠すぎた、だから近づいたのだ。

 

「初めての喧嘩を、しようよ。ひっぱたいてでも、話してもらうんだから!!」

 

「!!」

 

 交錯するハズのなかった少女達。

 この激突すら、本当はあり得ることもなかった。

 だからこそ真っ正面から、本気で。

 少女達は月の下で、戦い始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude8-2ーー

 

 

 一方、双子館前の森中。

 イリヤと美遊の二人とは違い、こちらはもう既に戦い始めている。それもそのハズ、バゼットはともかく、ルヴィアとクロには明確な戦う理由があるのだ。

 士郎が重症を負い、美遊は自暴自棄になりかけている。例え知人であっても、その道を阻むのであれば、是非もない。

 

「でぇいっ!」

 

 投影した剣をブーメランの要領で、様々な角度からばらまくクロ。それに続いてルヴィアも、取り出した無数の宝石へ散弾を放ち、拡散させて回避する道を限定させる。まるで狩人のやり口だ。普通ならばどちらかに当たり、串刺しにされてそのまま終わりだ。

 しかし当たらない。それに木々を盾にしつつ、疾走しながらバゼットはかわす。しかも時折速度が落ちた刀剣を掴み、ルヴィアの散弾を断ち切っている。走る速度を保って、だ。

 舌打ちしながらクロが投影した剣を指に出現させる。このやり取りも何度目だろうか。行き交う剣で木々は次々と伐採され、木の倒れる重い音が夜中に木霊する。

 ルヴィアが転身し、劣勢を悟ったバゼットは、イリヤを追いかける形で森へと飛び込んだ。当然それを阻止するためにルヴィアとクロも追いかけたが、それこそがバゼットの罠だった。

 クロの戦い方はバゼットも知っている。何せクロが身に宿すクラスカードは、バゼットが回収したのだ。その上で森を盾に戦う戦法が適していると考え、実行に移した。

 

「ああもう! あんなかさかさと、虫みたいに動いちゃって! ルヴィア、アイツ魔術とかで捕まえらんないの!?」

 

「これでもさっきからやってますのよ!? ただ相手もそれを理解していますわ、流石に戦いにおいてはエキスパート。簡単にやらせてはくれませんわね」

 

「だったらもうちょっと自分から突っ込めば良いじゃない!? なんでアンタは空から悠々と浮かんでるワケ!? あとパンツ縞々とかあざといにも程があるわこの年増!!」

 

「誰が年増ですかこの万年発情剣娘!! 私はあなたのようにそこまで接近戦は得意ではないんです、察しなさいなほんとに!!」

 

 空と地の間で、ぎゃーぎゃーとレベルの低い口喧嘩が繰り広げられる。これで真面目なのだから、やる気があるんだかないんだか分からない。

 

「確かに今のルヴィア様では、接近戦を仕掛けようが勝ち目はなく、切り札の限定召喚(インクルード)もあちらの宝具によって完全な餌食となってしまいます。見事なまでに足手まといですね、年増様」

 

「サファイアっ!? あなたまでそんなことを言い出しますの!? 私これでもあなたのことは信頼していましたのに!」

 

「いえ、一度見限った相手を罵倒だけで済んでいる辺り、私も丸くなったと言いますか……」

 

「……美遊が変な影響を受けてないか心配になってきましたわ……」

 

 ともあれ、八方塞がりだ。

 しかしそれは相手も同じこと、とルヴィアは分析する。

 近接戦なら英霊に匹敵し、宝具のみに限らずあらゆる切り札を封じる宝具。しかしそれらはあくまでショートレンジ、ミドルレンジの話だ。

 バゼットに遠距離を攻撃する手段はない。そこを突く作戦は、正解のハズだ。

 

「打つ手が、無いわけではありませんが……」

 

 打破するための手札は、ある。けれど出来るなら、それは使いたくない。リスクがあまりに高すぎる。

 だがいつまでも、時間はかけていられない。

 クロは今、爆弾を抱えているのだから。

 それは作戦会議をしている途中でのことだ。クロは申し訳なさそうに、

 

ーー実はー、痛覚共有の呪いをまだ解いてないから、今滅茶苦茶痛かったりするんだけど……。

 

 クロがイリヤと士郎を狙うため、その対策としてかけた呪い。一月前に和解してからはそれも必要ないと判断し、クロが自分で消しておくと言っていた為、放置していた。

 しかしクロのへその辺りには、普段は見つけられなかった呪いの紋様が浮かび上がっていたのだ。

 

ーーあ、別に今回の戦いに出ないってわけじゃないのよ? ただ、それも込みで作戦練っとかないとって。

 

 まさか、とその場に居る誰もが思った。

 今のクロは士郎が受けた肩から下半身までの裂傷、イリヤがこれから作る傷、そして自身が負う傷とで三重苦ということになる。百パーセントをフィードバックするわけでもないが、怪我が怪我だ。そんな痛み、痛覚をカットした魔術師でも体験した者は稀だろう。

 そんな状態で戦えるハズがない。

 全員で呪いを解けと説得したのだが、クロは頭を縦には振らなかった。

 それどころか、痛みを生み出す原因を、クロは愛おしそうに撫でて言ったのだ。

 

ーーわたしは……多分、そんなに長く生きられない。元々綱渡りの命だったモノを、無理矢理現実に縛り付けてるだけだもの。潔く死んだ方が、思い出としては良いんだろうし、だから本当は、こんなモノにすがりたくはないけれど。

 

 クロは困ったような、泣いてしまいそうな、そんな顔で告げる。

 

ーーこの呪いは、わたしにとって、家族を感じ取れるモノだから。

 

 それは。

 クロエ・フォン・アインツベルンという少女の、歪みだった。

 

ーーあやふやなわたしが、唯一すがり付ける、お兄ちゃんと、イリヤとの繋がり。短い人生の中で、この体が死ぬ最期のときまで、一秒でも長く刻み付けていたくて、残してるモノだから。だからこの呪いだけは、絶対手離したくないの……みっともなさすぎて、笑っちゃうでしょ?

 

 ほんの少しで良い。

 痛みだけで良い。

 何もかも亡くしてしまうときが来ても、その繋がりがあれば、クロエ・フォン・アインツベルンはそれで良いのだと。

 

ーーお願い。バゼットはわたしが抑える。だからルヴィアは、トドメをお願いね。

 

 そんな、余りに必死な願いに、ルヴィアは歯噛みしたモノだ。

……それを否定することも、どうすることも。その場の人間で出来る者は誰一人居なかったから。

 

「……無理を、強いてしまいましたわね」

 

 四人の中で一番白兵戦に特化しているのは、間違いなくクロだ。ルヴィアや凛も近接技を嗜んでいるが、あくまで嗜み程度。英霊に比べるべくもなく、それがバゼット相手なら尚更だ。そのクロですら分が悪いのだから、仕方ないと言えば仕方ない。

 だが仕方ないで済ませられない。ルヴィアだって美遊のためならなんだってやる覚悟だったのだ。クロの無茶は、生死に関わる。それを許せるほど、ルヴィアは人間を辞めていない。

 事実、剣を投げれば投げるほど、クロの動きが悪くなっていくのは明白だった。そしてそれを、見逃すほど甘い敵ではない。

 バゼットが、動いた。

 

「!」

 

 ざ、と地を蹴って跳躍するバゼット。木を足場に更に跳び、猿のように枝を伝って移る。クロはそれを見上げながら剣を放とうと構え、ルヴィアもバゼットが飛び移る枝に罠を仕掛ける。

 だが、バゼットはそれを待っていた。

 

「……ふっ!!」

 

 枝を蹴るまでは、先程と変わらない。

 しかし蹴った先は逆。枝が爆発したかのように弾け、バゼットはクロへ猛然と襲いかかる。

 

「クロ!!」

 

「分かってるってば!!」

 

 さながらパチンコ玉のように一直線の軌道に、ルヴィアが障壁を三枚ほど張る。しかしバゼットの方が速い。一枚目と二枚目を張られる前に通過、三枚目も拳で破り、ほぼ減速することなくクロの懐へ飛び込んだ。

 だが、一瞬あればクロとて防げる。

 夫婦剣を十字にし、英霊の膂力でその拳を受け止める。芝生が舞い、走り抜けた力で地面に亀裂が作られる。

 ざざ、と数歩押されはしたが、抑え込んだ。ここまで全力ならバゼットにも隙が出来る。クロは痺れが残る全身に力を入れ、続くバゼットが担いでいた鉄のラックによる刺突をもかわし。

 視界の隅が、チカチカ、と瞬いたことに気付いた。

 

斬り抉る(フラガ)ーー」

 

「まっ、ずっ……!?」

 

 バゼットが履く、革靴の裏。浮遊する黒曜石のような輝きを宿した、光の剣。頭の中で響く警鐘が余りに遅い。瞬間移動しようとするクロへ、絶光が彼方から貫いた。

 

「ーー戦神の剣(ラック)!!」

 

 真っ暗な森を小さな、月光よりも細い光が差し込む。しかしそれはただの光などではない。時空を斬り、未来を抉り、戦いを過去とする神の剣。

 結果は明らかだった。

 バゼットの背後に転移したクロが、下腹部から血を噴出させ、倒れる。

 

「クロ!!!」

 

 なりふりなど構っていられなかった。クロをも吹き飛ばす出力で、砲撃。位置はバゼットとクロの間。

 青い光が着弾した瞬間にルヴィアはクロをかっさらうと、そのまま上昇しながら傷を確認する。

 

「ぉ、ぶ、……」

 

「喋らなくていいですわ、じっとして」

 

 宝具は貫通しているようだが、褐色の肌は脂汗と出血が酷い。傷口からは血だけでなく魔力も溢れ、意識自体が虚ろだ。ルヴィアはクロの礼装を破り、その切れ端を傷口に宛がった。

 やられた。フラガラックはその特異な性能からして、宝具、またはそれに相当する切り札にだけ使用すると思っていた。しかしランクこそ低いが、その貫通力とスピードは並みの刀剣を遥かに凌ぐ。そのまま使えば、単に攻撃としても優秀なのだ。そこにクロの不調により、転移の魔術が遅れた。決定的だ。

 宝具の一撃とはいえ、クロがここまで憔悴したところなど見たこともない。宝具の一撃だけなら、まだ耐えられた。しかし背中も腹も貫かれたクロは、ある種のショックを起こしかけているようだった。

 

「は、は……ざまあ、ないわね……」

 

「動けますか?」

 

「ごめん、ムリ……やっぱ、足手まといだったわね……」

 

「……ふざけるのも大概にしてくださいまし」

 

 ぎゅっ、とルヴィアがクロの体を深く抱える。自分の温もりが、心音が、伝わるように。

 ちくしょう、と吐き捨てかけたのをクロに知られていないだろうか。

 全くもってふざけている。こんな子供を戦いに巻き込んでしまったことも、呪いを繋がりだなんて言っていることもそうだがーー何よりもふざけていたのは、この期に及んで、まだ自分がリスクを冒すことに躊躇っていたことだ。

 

「……謝るのはこちらの方です、クロ。あなたのその献身を、私には生かすことが出来なかった」

 

「らしくないわねぇ……ルヴィアの、くせに……」

 

「くせに、とは余計ですわ。まあ、否定はしませんが」

 

 憎まれ口を叩く。

 少しだけ、クロの表情が和らいだように見えたのは、ルヴィアの思い違いなのかもしれない。

 だからこそ切り札を切る。

 そんな体で無理を通したクロに、恥じないために。何より美遊の友達を目の前にして、やっぱり自分だけのうのうとはしていられない。

 

「サファイア、やりますわよ」

 

「はい。準備はいつでも出来ています、ルヴィア様」

 

 眼下では、今もバゼットがこちら目掛けて走っている。その顔は無表情そのもので、ただ獲物を処理する豹のようだ。

 ルヴィアは太股に巻き付けてあるカードケースを開け、クラスカードを一枚取り出すと、ステッキに添えた。

 

「告げる。汝の身は我が元に、我が命運は汝の剣に」

 

 詠唱。ただの魔術ではない。その詠唱を口にした途端、バゼットの顔付きが鋭くなり、その動きすらも鋭敏になった。

 そう、これは契約。座との契約。すなわち世界の外の理との契約、英霊召喚の儀に使われる文言だ。

 しかもこれは召喚と同時に、その身に憑依させる術式だ。

 

「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのならーーーー」

 

 ルヴィアはこの術式を知らない。しかし、サファイアが知っていた。何せ美遊が実際に何度かやってみせた。その経験で術式の解析は終えている。それを簡易化すれば、ルヴィアも行使することは可能なハズだ。

 いや、やらなくてはならない。

 妹に出来て、やり方も分かっているのに。姉に出来ないことなど、この世の何処にもないのだからーー!!

 

「ーーーーーー我に従え!! ならばこの命運、汝が剣に預けよう!!」

 

 続く形で、サファイアが詠唱を引き継ぐ。

 バゼットがルヴィアの背後にまで迫ったが、もうそのときには契約は完了していた。

 

 

バーサーカー(・・・・・)に代わり、誓いを受諾する! あなたのその願い、このカレイドステッキが叶えよう!!

 

 

 夢幻召喚(インストール)!!」

 

 

 月光より絢爛な、神代の光が森を照らす。吹き飛ばされたバゼットが軽やかに着地する。

 同じく、後ろ。局地的な地震かと勘違いするほどの地響きを起こしながら、それが降りた。

 肩からきわどいラインで伸びる、亜麻布で織られたキトンに、青い一枚布のワンピースを羽織った姿は、さながら星の海から舞い降りた天女のように美しい。しかし髪は戦士のように荒々しいバサラ髪であり、何よりその右手に携えた巨大な石斧が加わることで、危険な色香を漂わせていた。

 ルヴィアは木を背にするようにクロを置くと、小さな声で語りかけた。

 

「……ここで、吉報を待っていてください。あなたを連れ回るには、少し、危なくなりそうですから」

 

「ええ……任せたわよ」

 

 踵を返し、ルヴィアはバゼットと対峙する。

 バゼットは最早無表情ではない。険しい顔で体に仕込んだルーン魔術を起動させながら、

 

「バーサーカー……ヘラクレスのカードを夢幻召喚(インストール)したのですか。無謀にもほどがある。あなたはもっと、聡明な魔術師だと思っていましたが。エーデルフェルト嬢」

 

「あら、知らなくて? 私の異名? こちらとしては使えるモノは何でも使っていく主義でして。何せ一切合財使おうと、無くなるモノなどありませんから」

 

「……狂戦士のクラスカードは夢幻召喚時に暴走する危険性が一番高い。それが大英雄ヘラクレスを狂わすほどの狂気となれば、強靭な精神でなければ正気を保てないハズだ」

 

 バゼットの言葉は正しい。

 バーサーカー、ヘラクレス。ゼウスの息子にして、ギリシャ神話最強の英雄。その半神を殺戮兵器に仕立てあげるほどの狂気を今、ルヴィアは受けている。

 精神に作用する魔術を幾度も重ね掛けし、その上で一級の宝石で自身の精神を補強、サファイアによるプロテクトを張った上でなお、ルヴィアには想像を絶するほどの負荷がずっとかかっている。

 それはまさしく、神の呪いをその身に受けているにふさわしい拷問。まるで骨という骨が、蛇のようにのたうち回り、皮膚を突き破ろうとしているのではないかとルヴィアは錯覚するほどだ。

 もって五分ーーいや、三分。ダメージがあればその時点で夢幻召喚は解け、気力の欠片すら削ぎ取られて死ぬ。

 でも、それがなくては、取り戻せない人が居る。

 

「構いませんわ。エレガンスには欠ける振る舞いかもしれませんが……」

 

 ニィ、と肉食獣を思わせる、獰猛な笑みを張り付かせて。ギリシャの狂戦士となった少女は叫ぶ。

 

「いい加減、その頬をぶん殴らないと、こっちも気が済みませんのよッ!!」

 

「……いいでしょう。殴り合いを望むのであれば、目の一つか二つくり貫いて大人しくさせますから」

 

 片やハイエナ。片や豹。

 瞬間、同時に飛び出して交錯する……と思いきや、豹ーーバゼットが一目散に逃走を開始する。

 また最初のように逃げながら隙を伺い、確実に倒す算段なのだろう。

 しかしそれは、甘すぎることこの上ない。

 

「言っておきますが」

 

「!?」

 

 自然と右へ視線を外した瞬間。バゼットの目には、回り込んでいたルヴィアが既に拳を握り締めていた。

 

「二度も、同じことを許すとお思いですかッ!?」

 

 雷のような速度で撃ち出された打撃。ルヴィアの拳はバゼットの頬を貫き、揺さぶる。首が千切れても可笑しくないほど折れ曲がると、そのままバゼットの体は面白いくらい真横にあった木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ。

 断続する、木の倒れる音。

 それすら生温く聞こえるどっしりとした踏み込みで、更にルヴィアは追撃すべく疾駆した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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深夜の森~VSバゼット/最初の約束

 ずるずると、深い穴へ落ちていく。

 夜よりも昏い黒。太陽よりも眩しく、目が潰れそうな赤。それを押し固めたような世界は、怨嗟と妄讐と諦念と絶望が乱れ咲く。

 どうしてという問い。

 殺してくれという願い。

 助けてくれという乞い。

 全て、ここでは等価値だ。

 つまるところ、死。

 今の衛宮士郎にとってそれは、どんな十字架よりも重く、千本の杭より突き刺さるモノ。

 

「……、」

 

 全てを守りたい、救いたい。

 その志しを、この世界は否定し、拒絶する。

 お前は忘れたのか。

 お前が見捨ててきたモノを。お前が失ってきたモノを。

 全てをと求めた結果、全てを失わないと誰が決めた。

 十を求めて十を失ってみろ。

 お前の過去はそれを許さない。

 

 それを求める衛宮士郎を、私達は許さないーー。

 

 

 

「まあ、そんな大層なことじゃないだろ。要はほらアレだ。負け犬の遠吠え? いやもっとみっともないよな、うん」

 

 いっそ罵倒するよりも酷かった。

 こんな世界で、出会う相手がまともなハズもないが。

 同じような声を聞き流すわけでもなく、ちゃんと聞いた上で、負け犬と切り捨てたそれ。以前と話しかけてきたときと変わらない軽い調子で、それは不良少年染みた口調で喋りだした。

 

「で。お前はまーだモタモタやってんのか? ちょっと前に先達としてアドバイスしたろ? 自分に負けんなって。なーのにお前って奴は……これなら魔術師やってたときの方がマシなんじゃねぇの?」

 

 これだから正義の味方って奴は、と肩を竦めるそれ。刺青にも似た呪いがそれの体を動き回っているが、気にせず続ける。

 

「ま、なんだって良いや。とりあえずまあ、オレが出張ったところで何にもならねぇし。あの女オレが相手でも遠慮がねぇからなーいやマジで」

 

 言うだけ言って、去ろうとするそれ。ぐちゃぐちゃになりそうな意識を、何とか爪先分だけ維持しながら、口を開いた。

 

「……ま、て……」

 

「あん? んだよ、喋れんの? 今のお前にとってこれはどんな劇薬よりも効くと思ってんだが」

 

 正直、効いている。効いているが、どんなことを言われても逃げないと決めた。これは俺の罪だ。俺が目を背けて、耳を塞いだ声だ。

……何より当たり前だ。俺の理想はつまりそういうこと。甘さを持たなければならないのに、その実何よりも甘さを捨てなければ辿り着くどころか全てを奪われる道。全てを救うことは、妥協を許さないということなのだから。

 

「息が詰まりそうだなあ、その生き方は。オレは精々自分の命と、予約してる女一人くらい? まあ守るっていうよりは守られる方だけども」

 

 卑下しつつも、不思議と前向きなそれに問いかける。

 

「……あんたならどうする?」

 

「は? つまりそれは、オレがここに居る全員を守るならってことか?」

 

 んー、とそれは何もない空間を一瞥した後、

 

「ん、無理だな。んな無駄なことやるよりは好きな奴だけ守ってあとは全部切り捨てるわな、まあ」

 

……滅茶苦茶頑張って質問したのに、こんなごくごく普通の答えを返すか、普通。

 流石にちょっとは思うところがあったのか、それーー俺と同じ顔をした、バンダナを巻いた男は言った。

 

「ま、羨ましいとは思うぜ、アンタ。オレにゃあその答えは出せなかった。世界全部敵に回ってる身だからな、そんだけ余裕かましてる馬鹿見ると無性に八つ裂きにしたくなるね」

 

「……そりゃ、どーも……」

 

「おいおい褒めたわけじゃないんだが。全く呼ばれたわけでもないのに来てみりゃこんなもんか。意味ねーな全く、こんな会話」

 

 散々だと愚痴る野郎。こっちだって同じ気分だ。まだ名前も知らないし誰かも分からないのになんでこんな罵倒されなきゃいけないのか。

 しかしいつの間にか、ドロドロに溶けかけていた意識はスッキリしていた。まただ。コイツと話しているとこうなる。何なのだろう?

 

「……そんなに愚痴るなら、何で出てきたんだ、アンタ? 面白いことがあるまで出てこないんじゃなかったのか?」

 

「お、気になるか? これには長い訳があってだな、それを説明するには千の夜すら足りなくなるほどのこの身の丈の想いを……」

 

「話す気ないならそう言えよ……」

 

 バレた?、とそれは犬歯を見せびらかすような笑い方をしつつ、

 

「ま、みっともない主殿を見に来ただけだよ。今度その無様なツラ見せたらコロコロ殺って、お兄ちゃんに成り代わってやるから安心しろーい」

 

……コイツが何なのかは分からないが、ろくなことにならないことだけは理解した。というか嫌いだ、コイツ。何かいちいちムカつく、鼻につくのだ喋り方とか。

 と、また意識が溶け始めた。しかしそれはずぶずぶと泥の中に沈むようなイメージではなく、背中に羽が生えて空へ浮かぶイメージ。

 目が覚めようとしているのか。結局名前も聞けずじまいだったな、と少しふて腐れていると、

 

「……もう、全部遅いからな」

 

 何もかも薄っぺらかった男が、そのときだけは。俺の目にも、真実を語っているように見えた。

 

 

 

 

 

 目蓋が、重い。

 ごろごろとした目の感触を右の指で拭おうとして、それすら出来ないほど意識が不確かなことに気付く。出来ないなら、まあいい。気だるくて、眠いが、やるべきことは初めから分かっている。

 美遊を、助けにいく。

 それだけはっきりしていれば、何の問題はない。

 ゆっくりと、意識的に精神を覚醒へと近づけていく。暗示は魔術師にとって基本であり、自身の変革を起こすために必要な手順だ。

 幸い、口だけはすらすらと動いた。

 

「体はーー」

 

 いつものように呪文を紡ごうとして、気づく。

 わざわざ部屋まで俺を運び、治療をし、看病をして。そうして疲れ果てて寝てしまったのだろう家族を。

 セラとリズ。顔が同じ姉達が、並んでベッドの横で、寝入っている姿を。

 

「……体は……」

 

 魔術師としてのエンジンをかけようとしても、まるでかからない。視線は吸い寄せられたように、二人から離れようとはしなかった。

……心配、させたのだろうか。いや、したに違いない。セラなんか特にだ。気丈に振る舞うだろうが、いつも俺達のことを気にかけてくれているのはセラだ。リズも、口数こそ少ないが、だからこそ一言一言の重みが段違いで。

 きっと、止める。

 もういい休めとーー家族として。

 ああ、でも。

 

「……I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)

 

 効果は劇的だった。急激に現実へ揺り動かされた脳が、芯から訴えるように頭痛を発する。それを無理矢理振り払うと、動くようになった身体でベッドから抜け出した。

 治療のために上半身だけでなく下半身も脱がされているが、流石にこのまま外に出るにはハードルが高い。とはいえろくに歩くことはおろか、立ち上がることすら難しい状態では、着替えも困難だ。何せ全身包帯でぐるぐる巻きの上、動けないのだから。

 が、それも直接体の表面に投影すれば問題ない。投影したTシャツとジーンズを身に付けると、足を引きずってドアへと向かう。

 が。とても強い力で、ぐっと、腰の辺りを引っ張られた。

 振り返れば、引っ張ったのはリズだった。いつもなら無表情で何処か余裕があるのに……今日に限って、悲しそうに、頬を強張らせていた。

 

「……ダメ」

 

「……でも」

 

「行っちゃ、ダメ。士郎が行く必要、ない」

 

 強い、言葉だった。

 それは強がりや、嘘を引き剥がすように、心に絡まり……離そうとしてくれない。

 

「今の士郎じゃ、行っても足手まといなだけ。イリヤ達に任せれば、大丈夫。何の心配は要らない」

 

「……だとしても、じっとなんかしていられないだろ。バゼットは手強い、不意を突かれればそれで終わる。けど俺が行けば、少なくとも無視は出来ないハズだ」

 

「それは、ただ的になるだけ。自殺するにしたってまだ計画を立てるもの。そんなの許さない」

 

 それに、とリズは悲痛な面持ちのまま、

 

 

「……士郎はもう、無理して(・・・・)魔術師にならなくてもいいから」

 

 

 そう、俺の弱さを指摘した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude9-1ーー

 

 

 ズ……、と。

 深夜の森に断裂的に響く、轟音。それが轟く度に大地が、木が、音を立てて揺れ、ざわめく。

 ミシミシと亀裂が走る世界で、疾駆する二つの影。

 一人はバゼット。しかし普段の彼女からすれば、その速度は全力疾走と言っても過言ではない。全身から汗が噴き出し、片足は宝具開帳によって素足であり、白い踵から先はもう泥まみれだ。パルクールのように次々と障害を走り抜ける彼女についていける人間は、この時代の人間にはほぼ居ない。

 そう。この時代の人間に限った話だ。

 

「っ、ァッ!!」

 

 裂帛の声の後、バゼットが乗り越えた全ての障害をその体で突き破ってきたのは、バーサーカーを夢幻召喚したルヴィア。荒れ狂う暴力と化した少女は、右手の巨大な斧剣で辺りを薙ぎ払い、強引に道を作る。しかしそれすらもどかしいのか、服が乱れるのもお構いなしに猛追する。

 

「チィ、しつこい……!」

 

「それは、こちらの台詞ですの、よッ……!」

 

 ルヴィアはあろうことか、手に持っていた斧剣を振りかぶり、アンダースローの要領で投げた。巨大なブーメランにも似た軌道のそれはバゼットの進行方向にあった木を寸断し、手元に帰る前に執行者へ襲いかかる。

 それをバゼットは膝立ちになって滑り、九十度上半身を逸らして回避。そこを狙って飛び膝蹴りの体勢で牙を剥いたルヴィアの攻撃を近くの木の幹に手をかけ、無理矢理ブレーキをかけることで逃れる。

 数メートル後に落下する、隕石と聞き間違えるほどの超重量。一体あの細い体の何処にあんな化け物染みた力があるのか、バゼットとしても手を出しあぐねるのが現状だ。

 ルヴィアが夢幻召喚した英霊、ヘラクレス。確かに破格の力だが、その分制御は並大抵の術では無理だ。多数の保険をかけたルヴィアですら、まだ一分半程度でマラソンランナーが全力疾走したかのような息の切れっぷりだ。

 しかし、その分のメリットは余りある。

 己が身を英霊に置換する術式。いくらかの犠牲を払っても、そのスペックは聖杯戦争に召喚されたサーヴァントとは一段階ステータスが下がる。英霊には宝具があるため、それに気づかなかったが、バゼットのようにその宝具こそが決定的な隙となる場合、クラスカードではやりようがない。

 そうーーバーサーカーのクラスカードを除いて。

 

「……」

 

 バゼットがボロ切れになった上着を首元から破り捨てる。ブラウスだけとなった彼女は、一度息を吐き、拳を胸の前で構える。

 対して、ルヴィアも必死に息を整え、斧剣となったサファイアを肩に載せる。

 

(ぐっ……)

 

 全身を蝕む激痛を、顔に出さないように、唇を噛んで堪えるルヴィア。

 痛みはあらゆるモノを突き破ってきたから、ではない。夢幻召喚の術式は、あくまで完全な模倣などではなく、再現しきれなかった三分の一はサファイア独自の術式で構成されている。そのせいか、本来ならあるべき自動回復など、カレイドステッキの標準機能の幾つかが作動せず、そしてバーサーカーの桁違いな力の反動に体が悲鳴をあげているのだ。

 

(……ルヴィア様……)

 

(あまり、弱気な声は出すものではなくてよ、サファイア)

 

 悟られないよう、念話でやり取りをする二人。

 夢幻召喚は、残り一分半。激痛は酷くなる一方で、足が止まっているともう二度と動けないように思う。

 そして何より、脳裏を侵食する黒い感情。

 ずぶずぶと、冷たい火という矛盾したモノを思い浮かばせる、おぞましい何か。燃え続けるそれに、脳は蕩け、未知の快感へと引きずり込もうとする。

 すなわち、闘争を是とする獣へと。

 今すぐ術式を解けと、理性が警鐘を鳴らす。確かに今なら引き返せる。残り一分半とはいえ、半分でこれだ。保険としてかけていた術式を破られれば更に負荷は増す。一分も持つかどうか。

 

(けれど、解いたところで状況が良くなるわけでもないですわ……) 

 

 そもそも、解いたところでバゼットに勝てるわけではない。むしろやるなら今しかないのだ。

 前は奈落、後ろは死。

 なら、奈落に突っ込んで、ギリギリのところで踏み止まるしかない。

 何より、

 

(ここで退いたら、美遊の側にいけない……!!)

 

 結局、ルヴィアが今もバーサーカーを夢幻召喚していられるのは、それだ。

 自分がどうなろうと、最後には二人で戻れるならいい。

 最初に、約束した。

 約束したのだ、自分は、美遊と。

 

ーーわたしに、居場所を。

 

 事務的な、一見誰の目にもそれが大切になんて映らない契約。けど、それだけでいい。それしかないけれど、それが理由だ。

 だから振り返らない。

 アクセルだけを踏み続けて、あとは運任せだ。

 どの道、エーデルフェルトがのこのこ戦場から一人逃げ帰ったなどーーそんな間抜けな真似、出来るハズがないのだから!!

 

「!」

 

 先に飛び出したのはルヴィア。一直線に、斧剣は振り下ろされるが、バゼットは怯まず進みながら懐に潜り込む。

 

「加速、風、相乗……!」

 

 素早く手袋に施したルーン文字の幾つかを組み合わせ、魔術を発動。背後からジェット噴射のごとく風が加速を後押し、バゼットの体がぐん、と急に伸びる。

 握られた拳は、貫き手。しかもただの貫き手ではない。腕を回転させたコークスクリューに近い貫き手は、心臓目掛けて振り抜かれる。

 それにルヴィアはーー。

 

(……動かない!?)

 

 斧剣を振り下ろしたまま。まるで食らうことを前提としたように、防御も取らずただ立っている。

 負けを悟り足掻くことを止めたか。抗えぬ死に体がすくんだか。

 しかし、違う。

 むしろ逆だ。

 狂気にその身を投げ出しながらも、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの目は死んでいない。

 これしかないと、耐え忍んでいる。

 なるほど。ヘラクレスの耐久力に賭けて、バゼットの攻撃を受け止め、叩き潰そうとしているのか。

 

(ならば……それごと、砕くまで!!)

 

 バゼットが更に力を込めて、貫き手を突き出す。

 唸る豪腕。

 瞬間、ルヴィアの左胸を抉り取り、バゼットの手は心臓、そして背中まで貫通した。

 滴るなんてものではなかった。

 夥しい量の鮮血が、地面に池を作る。さしものルヴィアも、そこまでの威力とは思ってなかったのだろう。喀血し、がくんと膝が笑いかける。

 狩り取った、とバゼットは確信する。確かにヘラクレスは宝具により、Bランク以下の攻撃を無力化、更には十二度の蘇生機能がある。しかしそれはあくまで英霊のモノ。夢幻召喚では精々が一度の蘇生で魔力切れになり、倒れることになるのが関の山だ。

 だが。

 

「……なんだ、これは」

 

 思わず、バゼットの口から溢れたのは、困惑。

 心臓は貫いた。蘇生が始まるとなればこの手を押し戻されて、ルヴィアは夢幻召喚を解除される。そうなればバゼットの勝ちは揺るがない。

 なのに。

 蘇生は始まらない。そして、バゼットに勝利をもたらしたハズの腕は、ルヴィアの体に固定されてしまったーー!

 

「……予想、通り、ですわ」

 

 己の体に突き刺さった腕を掴み、ルヴィアは壮絶な笑顔を浮かべる。

 

「あなたなら、きっと、私の心臓をもぎ取る。そして、私は死ぬ。けれど、覚えていてくださいましね、マクレミッツ?」

 

 ず、とゆっくりその腕を引き抜き、

 

 

「ーーーー人は。死ぬまで、生きようとするものでしてよ?」

 

 

「……くっ、!?」

 

 

 ぐりん、と視界が急転。不味いと思ったバゼットの意識すらひっこ抜く勢いで、ルヴィアはバゼットを地面に叩き込んだ。

 今日一番の轟音。土煙が吹き荒れ、バゼットを中心に蜘蛛の巣のようにヒビが走り、割れ、粉々になっていく。行き場を失った剛力が広がりながら全てを破壊する。

 

(そう、か……)

 

 地面に埋まりながら、バゼットはルヴィアの真意に気付いた。

 ヘラクレスの宝具、十二の試練(ゴッドハンド)

 その真価である蘇生は、当たり前だが、使用者の死によって起動する。だが逆に言えば、死ぬまで(・・・・)その宝具の蘇生が働くことはないのである。

 バゼットは大英雄であろうと、殺すことの出来る数少ない魔術師だ。

 ルヴィアはそれを逆手に取った。

 殺したと確信したときこそ、一番のチャンス。

 そも、大英雄が、今のルヴィアが、心臓をくり抜かれたところで死ぬわけがない。

 蘇生するまでの僅かな時間ーーそれがどの程度かは分からないが、その短い時間で勝敗を決する、それがルヴィアの作戦だった。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 更にもう一回、背後にそれまでの恨みを晴らすべく叩きつけ、そこから何度も同じように地形が変わるほどの力を使い続ける。

 三、四、五、六、七、……!

 止まらない。咆哮は徐々に獣へと変化し、目も縦に裂けんばかりに見開かれる。

 

「ルヴィア様!!」

 

「■■■■■■■■■■■■■■……!!」

 

 不味い。このままではルヴィアの精神が持たない。まだ完全に蘇生が完了したわけではないものの、自動回復機能をフル動員すれば命は繋げられる。

 

「っ、夢幻召喚(インストール)解除(リリース)!!」

 

 カードを排出し、夢幻召喚を緊急停止。

 途端に、塞ぎかけていた傷が開き、ルヴィアは崩れ落ちた。その拍子にバゼットも取り落とし、森の向こうへと投げ飛ばされる。

 

「が、ごほッ、ぅ、ぐっ……」

 

「息を吐き出してください、ルヴィア様。無理に息を吸おうとすれば、喀血によって溜まった血で窒息でします」

 

 無茶なことをとルヴィアは思うが、その通りだ。体裁など気にせず、胃液をも吐き出す勢いで咳き込む。

 どうにか落ち着くと、改めて周りを見る余裕が出来た。

 もう周囲の草木はおろか、半径十メートル規模のクレーターが見事に出来あがっていた。ルヴィアも準備すれば可能な部類ではあるのだが、たった一分でこれを為し得る英霊の規格外さに舌を巻いてしまう。

 バゼットの姿は見えない。あれだけやって立ち上がってくるなら、手に負えないなんてモノではない。

 落ちていたクラスカードを拾い、ルヴィアは大きく嘆息した。

 

「……やはりこれは、私には扱えませんわね」

 

「はい。術式を完全に自己で構築出来る人間でなければ、英霊の力に呑まれてしまいます。とはいえ、正しい方法で使っていたとしても……」

 

「それが安全とも限らない、と……力があるだけに、厄介な代物を……」

 

 とりあえず太股のケースに回収し、ルヴィアは自身の傷を確認する。

 まだ頭の中は、あのドス黒い狂気に侵されているような感覚がある。隅々まである激痛も酷いし、何より胸の傷は今も開いたままだ。 

 しかし生きている。それなら、まあ、及第点と言ったところだろう。

 

「……バゼットを拘束しなければ」

 

 しかしどうやって拘束したものか。コンクリートに浸からせて固まっても、砕いて抜け出してきそうな女だ。全く士郎もとんだ化け物を呼び寄せたモノだと愚痴の一つでも言いかけて、

 

「、ルヴィア様、回避をッ!!」

 

「えっ?」

 

 何かに、真横から殴り飛ばされた。

 意識が飛ばなかったのは、すぐに第二、第三と無数の打撃が飛んできたからだ。

 訳も分からないまま、防御体勢すら取れず、ただその乱打を受け続ける。すぐにサファイアがバリアを張ったが、意味を為さなかった。それ以上に拳や足が砕けようが構わないほどの全力の殴打が、雨のように続いたからだ。

 一際強く、その腹に拳が突き刺さる。メキメキ、ミチミチと言った何かが折れたり千切れてしまった嫌な音と共に、ルヴィアは吹き飛ぶ。

 

「ば、ぐっ、ぁ……ッ!?」

 

「ルヴィア様!? ルヴィア様、気をしっかり持ってください!!」

 

 サファイアの声すら、今のルヴィアにはまともに聞こえているか怪しかった。それほどまでに、今の剛打は急所を撃ち抜いていた。

 ざ、と革靴が地面を踏む音に、ルヴィアは顔を上げようとするが、その前に更にもう一発、ダメ押しにと腹部へ蹴りが叩き込まれる。

 なけなしの力でステッキを構えていなかったら、冗談なしで内蔵が口に飛び出しかねない威力だった。ごろごろと転がり、木の幹にぶつかってようやく止まる。

 ぼやける視界の中、ルヴィアはやっと、この攻撃の主を探し当てた。

 無論、バゼットだ。しかし先程までと比べると、その様子は一目瞭然。あちこちにある痣などからして、骨も折れているだろうに、その目は据わっており、人間味がまるでない。

 

「……まさか蘇生のルーンまで切らされるとは。臨死など余りやりたくはない体験ないのですが……」

 

「蘇生のルーン……!? まさか、そんなことが……!?」

 

 サファイアがそのデタラメぶりに呻く。

 蘇生と聞くと大仰な話に聞こえるが、魔術世界ではあり得ない話ではない。むしろ有事に備え、変わり身として機能させることは人形を使う魔術師などであれば、よくあることである。

 しかしそれはあくまで、他の器があってこそだ。

 肉体の蘇生となれば、話は違う。バゼットが行ったのは、死んだ肉体の蘇生だ。それをルーン魔術で行ったとすれば、それは宝具と言っても差し支えない。

 

「いや、失敬。ヘラクレスとは前に戦ったことがありますが……蘇生のタイミングをずらすとは。その考えはなかった。確かにあなたは魔術師として優秀だ。何より、私を殺さなかった。美遊が信頼するに値する人物なのでしょう」

 

 だが、とルヴィアの前で続け、

 

「あなたは甘い、エーデルフェルト穣。敵に情けをかけて、人間らしくいようなど、以前のあなたなら思いもしなかったことだろうに。だからこうして」

 

 その足を、ルヴィアの手に置く。

 

「失わなくて良いモノまで、失う」

 

 バゼットがしたのは簡単なことだ。

 置いていた足を、ただ全力で地面まで押し込んだだけ。

 それだけで。

 ルヴィアの腕はあらぬ方向へ、折れ曲がった。

 

「あ、がああああああああああああああああああああああああああああッ!!!??」

 

「これは私なりの試験だった。士郎くんが魔術師でいられないなら、あなた方に殺してもらうしかない。しかしそれも、見込み違いだったらしい」

 

 再度、ルヴィアを蹴り飛ばすバゼット。最早起き上がる気力すら削がれた彼女へ、執行者は無慈悲にも告げた。

 

「あなた方に価値はない。ここで美遊のために、死ぬことしか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude9-2ーー

 

 

 いつからだっただろう。

 美遊は自問する。

 いつから、自分はこんなにも多くのモノを求めるようになってしまったのだろう。

 幸せになってほしいと、送り出されたときは、まだそんなことはなかったハズだ。兄と二人で生きていけたなら、少なくとも美遊はそれで良かったハズだった。

 自分のせいで、沢山の人が死んだ。それより多い人達が傷ついた。本来なら美遊は、使い潰されて当然の道具だった。

 それでも、美遊のために兄は全てを捨てた。だから美遊は、生きること以外求めてはいけないと思った。全てを捨てた兄に対し、自分だけがのうのうと求めてしまったら、それまで捨ててきた全てが、どうでも良いモノと烙印を押されてしまったら、どうしようと。

 

(本当に。いつから、だっただろう)

 

 イリヤと出会い。士郎と出会い。

 確かに自分は、それで大きく変われた。

 けど、それでもそれは、あくまで変わる理由だ。始まりがあったハズなのだ。何か、小さくて、波紋のように体に染み渡った、何か。

 それがずっと、思い出せない。

 

「っ、っあ……!?」

 

 横殴りに弾かれたイリヤは、浮かぶことすらままならず、道路の上で転がる。

 そんな、親友だった女の子の姿を、美遊は表情一つ変えずに見つめる。

 

「無駄。あなたじゃ、わたしに勝てない」

 

「勝とうだなんて……おもって、ない……!」

 

「そう。じゃあ、もう立ち上がらないで。命までは取らないから」

 

「それではいそうですかなんて、誰も言わない、でしょっ!!」

 

 ブーツで地を蹴り、イリヤは美遊へまた接近する。砲撃などの遠距離魔術でも放てば良いものを、イリヤはそれをしない。ただ愚直に、話をするために、近づく。

 

「無駄だって、言ってる」 

 

 それを、美遊は無慈悲に上空から出現させた謎の圧力で叩き落とし、そして引き離す。

 こんなやり取りを、何回繰り返しただろう。もう三十分はやっている気がする。なのにイリヤは方針を変えない。

 

「……ねえ、ミユ……何が、あったの……」

 

「……あなたには関係ない」

 

「関係、なく、ない……わたしは、ミユの、友達……そう、でしょ……?」

 

「……」

 

 もうまともに立ち上がることだって難しいハズだ。回復を待たず矢継ぎ早に話そうと接近したせいで、少しの回復ですぐ向かってくる。

 フリルだらけの衣装はボロボロで、最初のように直すことすら億劫らしく、ステッキを支えに倒れないよう踏ん張るイリヤ。そんな主に痺れを切らしたルビーが忠言する。

 

「イリヤさん、今の美遊さんは正気じゃありません! 今の方法だとイリヤさんの体が……!」

 

「わたし、のことは、どうだって、いいから……ミユとちゃんと、お話、する方法……何か、ない、ルビー……?」

 

「ありませんよそんなの! つか、わたし魔術礼装ですよ!? 美遊さんを洗脳する作戦とか、正気に戻すために一発ドカンとぶちこむとか、そういうのは得意ですけども!」

 

「だよね……」

 

 腫れ上がってしまった顔で、ふふ、と笑うイリヤ。何が可笑しいのだろう。もしかして頭を打ち過ぎてしまったのか。ならもう、立ち上がらないでほしい。

 いっそのこと、意識を断ち切れば良いのだが……そんなことをすれば、意識が戻ったときにはまたイリヤは自分を助けようとするだろう。それはダメだ。誰も自分と関わってはいけない。この世界の人間は、誰も。

 

「……もういいでしょ。わたしは何も話さない。誰とも会わない。会いたくない」

 

「嘘、言わないでよ……」

 

「嘘じゃない……」

 

「だったら!!!」

 

 息を整えもせず、口から血が混じった唾を飛ばしながら、イリヤは言った。

 

「なんで、わたしの前から、居なくならないの!? 友達じゃないなら! 話したくないなら、痛め付けることが理由じゃないなら、わたしなんか放っておいてもいいでしょ!? 友達じゃないんでしょ、わたし達!?」

 

「……ッ……」

 

 初めて、そこで美遊が顔をしかめた。

 自分で言うことと、相手の口から言われるのとでは、こんなに違うとは。美遊は夢にと思わなかった。そしてイリヤはそれを取っ掛かりにし、会話を続ける。

 

「ミユが寂しがり屋なことくらい、わたしにも分かるよ。だからミユがそうやって、自分を傷つけてでも誰かを守ろうとする、優しい子なんだって、わたし達知ってるよ! だから!!」

 

「……さい……」

 

「だから、話してよ!! わたしに話してないこと全部話したら、そしたらまた、クロと一緒に家に帰ろう!? みんなミユと離れたくないのに、こんな拒絶されたって……!!」

 

「うるさいって、言ってるのッ!!!!」

 

「!」

 

 美遊を中心に吹き荒れる暴風。それは容易く立ち上がりかけていたイリヤを弾き飛ばし、意識を狩り取ろうとする。

 しかし倒れない。

 イリヤは、あんなに弱かった少女は、倒れない。

 

「……なんで……」

 

「…………」

 

「どうしてそこまで、助けようとするの……!?」

 

 美遊の問いに、イリヤは答えない。ただ無言で、幽鬼のような足取りで近づいていく。

 その並々ならぬ雰囲気に圧される美遊。ついに壊れてしまったのかと思ったところで、手足が動かないことに気付く。

 魔力で出来た枷。とうとうやる気になったのかと体を強張らせる美遊に、イリヤが取った行動はシンプルだった。

 カレイドステッキを変形させ、それをこちらへ見せる。それだけ。

 それは映写機のように空間へ映像を映す。カレイドステッキが持つ最新の電子機器じみた機能の一つだ。そして映像は、サファイアーーつまりルヴィアだった。

 

「……ルヴィアさん!?」

 

 驚き、そして美遊は言葉を失った。

 酷い有り様だった。

 顔はパンパンに腫れ上がり、目を開けるのも物理的に難しい。足や腕も痣どころか、真横にへし折れられている。あの様子では臓器も無事ではないだろう。徐々に治療が施されているが、治った箇所からバゼットに壊されていく。

 それはもう、一方的な拷問に他ならなかった。その余りの凄惨さに、美遊はルビーにしがみつくように訴える。

 

「止めてイリヤ!! このままじゃ、ルヴィアさんが死んじゃう!! わたしになんか構わないで、早くルヴィアさんを助けて……!!」

 

「ううん、大丈夫」

 

「大丈夫じゃないでしょ!? このままだとルヴィアさんが……!!」

 

 と、美遊がイリヤに気を逸らしていたときだった。

 映像の中で、変化が起きる。

 バゼットの頭が唐突に、揺れたのだ。

 ルヴィアから手を離すと、バゼットはぐるりと首を後ろへ向けた。

 居たのは、魔術刻印を輝かせている凛だった。恐らく美遊のことはイリヤに任せ、ルヴィアへと加勢しに来たのだろう。ぜーぜーといかにも走ってきたと言わんばかりに肩を揺らしている。

 

「……何処に居るのかと思っていましたが」

 

「生憎、と……こちとら、良いとこ今のところ無しだから。ちったあ働かないと、何しに来たって話でしょ!!」

 

 横へステップしつつ、ガンドを乱射。鬱陶しいと腕で弾くバゼットを中心に、凛はひたすらガンドを撃ち続ける。

 その威力が銃弾並みのため忘れがちだが、ガンドはそもそも呪いだ。いくらバゼットが魔術的な防壁や耐性があろうとも、これだけの乱射であれば呪いの効力は馬鹿に出来ない。

 狙い通り追いかけてきたバゼットをかわしながら、凛は叱咤する。

 

「ルヴィア!! アンタいつまで寝てんの!! 美遊を助けたいんでしょ!? だったら最後まで自分でやりなさいってのこのバカ!! 金ピカ泣き虫!!」

 

「……わかって、ますわ……ほんと、カラスみたいに、やかましい女ですこと……」

 

 凛は返答せず、そのまま双子館の方へバゼットを誘導していく。

 ルヴィアは大丈夫だろうか。美遊は虚飾を忘れて、真摯に呼び掛ける。

 

「ルヴィアさん、ルヴィアさん!」

 

「……その声。美遊……?」

 

「はい……よかった、はっきり意識がある……」

 

 ふぅ、と安堵して、美遊はそこで何も言えなくなってしまう。

 何を言えば、良いのか分からない。

 謝りたいのか、怒りたいのか、泣きたいのか。それすら分からなくて。

 ただ、全てがぐちゃぐちゃしていて。

 何もかも忘れてしまいたい欲に塗り潰されそうになる。

 だから、口をついて出た言葉は、きっとその一部だった。

 

「なんで」

 

 ぽつぽつと。小雨が降るように、美遊は俯いたまま、語りだす。

 

「なんで……そんな、ボロボロになってまで……みんな、わたしを助けようとするの……」

 

 分からないわけじゃない。けど納得しろと言われても、美遊には無理な話だ。

 何故なら。

 

「……妹だから、友達だから……そうやって理由をみんな、教えてくれたけど……でも……」

 

 ああ、と二人は、その顔を見て安堵する。

 美遊はその特大の宝石のように綺麗な瞳から、涙をぽろぽろと溢しながら、

 

「……もう……わたし、やだよぉ……」

 

 そう、子供のように漏らした。

 一度も泣かなかった。

 どんなに痛くても。

 どんなに辛くても

 どんなに、苦しくても。

 この世界では泣いたりしないと、美遊は決めていた。例え一人であっても。

 だから、初めてだったのだ。

 こんな風に、みっともなく泣くのは。

 

「……わたしなんかのために……みんな、傷ついて……わたしなんかよりずっと大切なもの、いっぱい捨てて……もう、やだよ、そんなの……」

 

 別に、世界なんてモノが欲しいわけじゃなかった。

 ただ何となく、欲しかったモノが増えていって。それを好きになって。手離したくなくて。

 でもそれを許さない人達が居て。

 そして、守ってくれる人達が居て。

 だからずっと思っていて、この想いを言えなかったのだ。

 

 

「そんなの、要らないから……これっぽっちも、求めてないから、だから……。

 

 

 

 みんな……お願いだから……わたしの側にいてよぉ……一人に、しないでよぉ……」

 

 

 泣きじゃくる美遊から、異常な気配が消え失せていく。人へと、戻っていく。

 それがどういうことを意味するのか、誰にも見当がつかない。

 けれど分かっていることが一つだけある。

 結局美遊は、普通の女の子で。

 ちょっと我慢強いけど、辛いときには泣いてしまう人間なんだと。

 

「……美遊」

 

 涙が止めどなく溢れる美遊に、今度はルヴィアが呼び掛けた。いつ意識が途切れても可笑しくないのに、ルヴィアは微笑んでみせる。

 

「あなたと……最初に交わした約束、今でも、覚えていますか……?」

 

「……っ、はい……」

 

「なら……一つだけ、問いを」

 

 ざ、と映像の視点が上がる。そして、

 

 

「ーーーー私は。あなたの、居場所を作れましたか?」

 

 

 ルヴィアと、美遊の目が、合った。

 

「ーーーー」

 

 それだけだった。

 たった一つの問いだけで。

 美遊の涙は一瞬で、色を変えた。

 

ーーわたしに、居場所をください。

 

 そう言ったのは、単に拠点が欲しかっただけだった。それ以上の意図など、何処にも無かったハズだった。

 だけど、本当は求めていたのだ。

 自分の居場所を。

 元の世界と同じーーあの、温かい家を。

 その約束を、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトはずっと守ろうとしていた。

 守らなくたってよかった。

 突然現れた穀潰し程度なのに、ルヴィアは、あの人は、そんな美遊の居場所を作ろうと必死だったのだ。

 

「、」

 

 何かが割れそうで、胸が苦しい。

 それは美遊の壁だった。

 それが、次々と崩れていき、心を掴まれる。

……聡明なルヴィアなら、心の底で分かっていたことだろう。

 美遊が本当に求めていたモノを、用意なんて出来ないと。

 それでも、居場所になりたかったのだ。ルヴィアは。

 だってーーあんなに、優しかったじゃないか。

 

「ぁ、ぁ……」

 

 自分の居場所は、きっと、この世界の何処にも無い。

 それは美遊が聖杯である限り、永劫続く寂しさだ。忘れてはいけない、贖罪だ。

 それでも。

 許されるのならば。

 たった一度、許してくれるのなら。

 この世界でも、おかえりと。そう言える誰かが欲しかった。

 元の世界と同じなんて、烏滸がましいけれど。代わりになんてなれやしないけれど。

 それでも、そんな場所が、美遊の全てだったから。

 だから、願ったのだ。

 

「あなたを助ける理由……まだ、直接言ってませんでしたわね……」

 

 無理矢理立ち上がったルヴィアが、告げる。

 

「あなたは、私ーールヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの妹、美遊・エーデルフェルトです。助ける理由なんて。それだけで、十分ですのよ」

 

 友達でも、知り合いでも、契約相手でもない。

 この世界には、誰の姿とも重ならない、本当の意味で呼んでくれる誰かが。

 姉が。一番最初から、この世界には居たのだ。

 だから美遊は、凍えることなくーーあの極寒の春を、生きていけたのだ。

 

「、ぁぁ、ぁ、ぁぁぁあああ……っ!!」

 

 頼って良いのだろうか。

 困らせてしまわないだろうか。

 傷ついている。辛くて涙を流したり、事によっては生死の境に落ちてしまうことだってあるのかもしれない。

 これよりもっと酷くなることだってあるのかもれない。

 それでも、頼ってーーーー。

 

「美遊」

 

「……ルヴィアさん」

 

「あなたが何を我慢しているのか、どういう考えでそれを抑えているのか、分かっています。だから、あえて言いましょう」

 

 胸に手をあて、高らかに。それこそ、いつものように、美遊の目の前で、ルヴィアは宣言した。

 

 

お姉ちゃん(・・・・・)に、任せなさい!! このような相手、とっととぶっ飛ばして、二人で帰るのです! 私達の家へ!!」

 

 

 うん、と返す言葉もないまま、ただ美遊は頷く。それだけ見たルヴィアは満足そうに映像を切り、残された美遊はただ、泣いていた。

 

「……」

 

 美遊が治まったことを確認して、イリヤは転身を解除。泣きじゃくる美遊の側まで行くと、邪魔しないように抱き締めた。

 とんとん、と背中を擦りながら、イリヤは口にする。

 

「……泣いてるとこ、初めて見た」

 

「……ごめん、なさい……こんな、わたしばっかり……」

 

「ううん……ずっと、わたしにも、ルヴィアさんにも、言えなかったんだもん。だったら、いいじゃないたまには。わたしなんていっつもそうだもの」

 

 しばらく、涙が止まるまで、二人は離れずにいた。ただこんなときは、離れたくなかった。寂しさで、震えてしまいそうな夜には。

 ふと、美遊は空を見上げる。

 いつもなら広すぎて、恐ろしさすら感じる夜空。しかし今は、あのときーーつい数ヵ月前に見た、元の世界の夜空と同じで、とても、綺麗だった。

 揺れるオーロラのような、星空。

 やがてイリヤがその目尻から最後の一滴を拭き取ると、立ち上がろうとして、膝をついた。

 

「イリヤ!?」

 

「あはは……ごめん、一緒には、無理っぽい」

 

 イリヤはルビーへ命令する。

 

「お願い、ルビー。ミユに力を貸してあげて」

 

「待ってイリヤ。こんな状態のあなたを放っておけるわけ……」

 

「わたしは大丈夫だから。それより、早くルヴィアさんを、お姉ちゃんを助けにいかなきゃ。でしょ?」

 

 一瞬だけ迷い、しかし美遊はすぐにそれを振り切った。

 

「いこう、ルビー。ほんの少しだけ、わたしに力を貸して!」

 

「ええ! 一時的なマスター契約、魔法少女バトルとしての王道! ルビーちゃん張り切っちゃいますよー!」

 

 ルビーから伸びたステッキ部分を握ると、美遊の全身が虹色の光に包まれ、弾ける。

 そこには、淡い桃色の衣装を纏った、いつもと違うカレイドの魔法少女が居た。

 小さく二つに結んだ髪が跳ね、美遊は一言だけイリヤに伝えた。

 

「ありがとう、イリヤ」

 

「ううん……友達だもん、当たり前だよ」

 

 手を取り合って、少女達は立ち上がる。

 残酷で、不条理で、その冷たさに孤独を感じる世界で。それはそんな世界に唯一立ち向かえる、一つの強さの形。

 

「助けようーールヴィアさんを。わたしの、お姉ちゃんを!!」

 

 それを何と呼べばいいか、まだ少女達には分からない。

 けれどきっとそれは、この世界に革命をもたらす、神秘の革命だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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夜明けの森~VS逆光剣/心がありたいと願うこと

ーーinterlude10-1ーー

 

 

 凛は走っていた。少しでも速く走れるよう、自身にかかる重力を軽減、更に心肺機能を宝石魔術でフォローし、今や一流のスポーツマンをこの森の中であっても抜き去るほどの速度で。

 

「……やめてよね、ほんっと」

 

 ベキベキベキベキ。その音に凛が顔を青ざめさせながら、ひくついた笑みを浮かべる。 

 

「ったく……英霊を殺せる人間ですって?」

 

 英霊を殺せる化け物の間違いなんじゃないか?

 後方数十メートル。狼のように素早く、熊のような力強さで迫る追跡者。一度死んでルーンによって蘇ったバゼットが、冷徹に邪魔な障害物を粉砕しながら森を走り抜けていた。

 

(とても無茶苦茶な追いかけ方してるけど……理性がないわけじゃない)

 

 ただ本気で、こっちを獲りに来てる。

 凛は手元から宝石を幾つか転がして、走った後に罠を設置する。どうせ物理的なモノは効かないので、ここはスリップさせたりする妨害用だ。あの速度で迫ってくるなら、普通なら回避など不可能。

 だがバゼットはそれにあえて踏み込んで、駆け抜ける。罠が発動する前、あるいは発動しかけた隙に術式を逆に破壊している。

 一手間違えれば死に匹敵する魔術戦で、目の前で発動する魔術に対し、普通無意識にブレーキをかけるモノだ。その無意識を逃さぬために一節(シングルアクション)で仕掛けた罠で仕留めるのだから、凛の底意地の悪さが伺えよう。

 しかしそれすら、関係ない。

 バゼットは飛び越える。上回る。

 

「ちぃッ!」

 

 森を抜けた。目先には最初あった洋館、双子館がある。

 これまでとは純度が違うエメラルドを取り出すと、凛はそれを進行方向へ投げる。ごろん、と地面に跳ねた瞬間、それは風へと変わった。

 風に乗って、一気に洋館のテラスへ飛び乗る。トランポリンの要領だ。

 だがその一つのアクションですら、バゼットにとっては好機でしかない。

 

「逃がすと思うか、私が」

 

 風によって舞った凛へ、バゼットは桁外れの脚力を生かして追随。ついに追い付き、その首根っこを掴む。まるで飼い猫を巣に戻すように、そのままバゼットは縦に一回転、双子館へ凛を投げ込んだ。

 窓どころか、壁ごと凛は館内へ流れ込む。溜まっていた埃があっという間に部屋の中を包み込み、喉に張り付く異物感を取り除こうと凛は咳き込む。

 投げ込まれたのは二階、つまり凛が当初退避しようとした場所だ。予定と大分違ってしまったが。

 舞う埃からして、ろくな管理をしていないらしい。床に敷かれたカーペットや、散らばったガラス片などもくすんで見える。

 と。そんな把握すらさせないと、バゼットが外からよじ登って、部屋へ侵入する。

 

「……ほんと。人間っていうより、ミノタウロスとか、キュクロプスとか、そっち系の血が入ってるんじゃないの、あなた。それかロボか」

 

「まさか。まあ、片腕は義手ですが」

 

 ぐ、と左腕を握る姿に、やせ我慢の笑顔を凛は送る。いついかなるときでも優雅たれ。何もそれは死の直前だろうと変わらない。

 腰を低くして、スカートの縁に忍ばせておいた宝石を床に叩きつける。魔力の塊が起爆し、足元が崩れていく。これで一階へ逃げられるーー。

 

「させるか」

 

 甘かった。

 足元が崩れ始めた直後には、バゼットはもう凛の目と鼻の先にまで接近していたのだ。

 即座に拳を振りかぶるバゼットに、やっと落下に対してモーションを起こす凛では決定的すぎる。

 しかしそこで、更に変化が起きる。

 

「遠坂凛!!」

 

 その声にはっとなり、凛は下がり続ける視線を上にあげる。

 直後、先に凛が入った窓から青い光が殺到し、バゼットを吹き飛ばした。余りの眩しさに凛は目を伏せると、そんな彼女の手を掴み、その誰かに引かれてそのまま屋敷から脱出した。

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 応急処置を済ませた彼女もまた、追い付いた。

 

「時間稼ぎご苦労。まあ、遠坂にしては上出来でしてよ。褒めてさしあげましょう」

 

 お世辞にもエレガンスとは言えない格好なのだが、それでもこのお嬢様オーラは魂レベルで張り付いているらしい。凛はたまらず口をへの字に曲げた。

 

「……人がどんだけしんどい戦いしてたか分かってんのアンタ? 死ぬかと思ったわよほんとに……」

 

「ええ、助かりましたわ。これで貸し二つですわね」

 

「覚えていて結構、後でキッチリ請求してやるんだから……」

 

 そんなやり取りをしながら、二人は双子館の前に降り立つ。

 無論、バゼットもまたーー立ち塞がっている。

 しかし流石の彼女も、一度死に、ここまでルヴィアや凛の魔術を受けてきたからか、かなり堪えているらしい。その顔は憔悴し、熱に浮かされたように芯が定まっていなかった。

 だがそれは、ルヴィアと凛も同じこと。

 応急処置こそ済んだが、体中の骨を無理矢理接合して動いているルヴィアと、極度の疲労と打撲によって、最早案山子同然の凛。

 次で、決まる。

 双方それを理解した上で、口を開く。

 

「……あなたは、美遊の味方なのですか?」

 

 そんなルヴィアの問いに、バゼットは半分自重を加えて言う。

 

「さあ、どうでしょう。ただまあ、あんな子供を苦しめているのは、心苦しくはありますが」

 

「……なら、戦う理由はないと思うけれど。そこはどうなのかしら、ミス・マクレミッツ?」

 

「それを聞きますか、遠坂嬢。そうですね……半分、これは私からの試験という意味合いもありますから。死ななければの話ですがね」

 

 相互理解はしている。

 言い分は分かるし、止めようと思えば手を止められただろう。

 しかし、止まるには余りに遅かった。

 大切な人を傷つけられた。

 これからもそれが続くから、手を引かせようとした。

 冗談じゃない、と思ったのはどちらか。

 少なくとも、ここに向かい合う三人に止まる気など更々ない。

 

「遠坂凛」

 

「ええ」

 

 今更示し合わせる必要などない。ただ名前を呼び、目で会話する。それだけで作戦は決まった。

 ルヴィアがまたケースからカードを取り出し、サファイアにそれを添える。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 二度目ともなれば詠唱は必要ない。

 エーテルの爆発の後、現れたのはボンテージで、両目にはバイザー、そして蛇のように髪を揺らすルヴィアだった。

 短剣と鎖が合体した武器を手に、ルヴィアは凛と並ぶ。

 バゼットも無言で拳を構える。ボクサーのようなスタイルも、今では死神が鎌を取り出したかのようだった。

 それまでの戦いが嘘みたいな沈黙。風が流れ、雲が流れ、それでも明けない夜空の下ーー最後の攻防が始まる。

 

「!」

 

 動いたのは凛と、そしてバゼット。驚くことに、凛とバゼットの速度は同等だった。バゼットも流石に消耗しているのだ。二人はそのまま、コンマの値を振り切って接触する。

 バゼットに対して接近戦など、愚の骨頂。しかし凛も、勝算なく接近したわけじゃない。

 八極拳、中国拳法屈指の破壊力を生み出す武術。それを修めた凛にとって、むしろ接近戦は望むところ。

 そして更にそこへ、ルヴィアの援護が入る。

 

「遠坂凛!!」

 

「チッ!?」

 

 ルヴィアの一声に凛は頭を下げる。すると投擲された二振りの短剣が後ろから伸び、たまらずバゼットは舌打ちして減速、かわす。

 最後の力を振り絞り、バゼットの拳が振るわれる。しかし、力も勢いも削ぎ落とされたとなっては遥かに遅い。これなら、凛でも捉えられる。

 

「!」

 

 バゼットの拳にすら、目をくれず。凛はその拳を掻い潜り、回り込んでから抑える。無論それで拘束出来ると思っていない。

 僅かな足腰の揺れ。まるで陸を突き進む舟のように、その肩をバゼットの首へ叩き込む。

 擠身靠(せいしんこう)

 靠撃の一種。八極において靠撃は様々な用途があるが、その一つとして挙げられるのが防御の崩しだ。

 しかしそこは怪物、バゼット・フラガ・マクレミッツ。いとも容易く受け止め、逆に押し返さんと掴まれた腕を振り回そうとする。

 だが、そうはならない。

 靠撃にはもう一つ、大きな利点がある。

 それは至近距離にまで迫ることで、投げへの移行がスムーズに進むこと。

 

「らああああああああああっ!!」

 

「! しまっ、」

 

 普段のバゼットならば、凛の企みに気づけた。しかし遅い。凛は回り込むために掴んだ腕を使い、バゼットの身体を投げ飛ばす。

 投げ飛ばした先には、既に眼帯を外し、神代の魔法陣を自身の血で描き切ったルヴィアの姿。

 

「これで、終わりです」

 

 四つん這いになり、閉じていた目を開く。夢幻召喚前から、星を宝石に閉じ込めたかのように綺麗な瞳をしていたルヴィアだが、開いた瞳はそれどころの話ではなかった。

 さながら、処女の血を凝固させて作り出したかのように。許されない、されど見ずにはいられない、禁忌を形にした美しさ。

 ライダーの真名は、メドゥーサ。

 ギリシャ神話に登場するゴルゴーン三姉妹の末妹、見たものを石とする蛇の怪物。

 すなわち今ルヴィアの目はその魔眼へと変貌し、バゼットへ襲いかかる。

 赤い火花が散る。するとバゼットの身体は空中であるにも関わらず、その場に拘束された。

 本来、魔力がBランク以下であれば問答無用で視界に入った全てを石にする魔眼だが、夢幻召喚による弱体化補正がかかっている。

 しかし石にならなくとも、時間は稼いだ。

 紅い魔法陣が白熱し、彼方から嘶きが木霊する。

 それは幻想の園に生きる、天馬ペガサスのモノだった。それも竜種に匹敵するほどの高い魔力量と神秘を蓄えた、ギリシャでも名高いメドゥーサの子。

 

騎英の(ベルレ)ーーーー!!」

 

 だん、とルヴィアが地を蹴り、魔法陣へ身を投げ出す。途端に血の魔法陣が白光し、一つの光へと化する。

 それは、天から星へ昇る一対の流星。寸分の狂いもなく、この暗い夜をも置き去りにするほどの刹那の時間でそれは、目の前の障害を天から地へ叩き落とすーー!!

 

「ーーーー手綱(フォーン)ーーーー!!!!」

 

……騎英の手綱(ベルレフォーン)

 その名はルヴィアが駆る天馬ペガサスの乗り手、ベルレフォンことヒッポノオスから来ている。

 本来は黄金の手綱であり、これを使用した際に騎乗している動物のステータスがアップする程度。しかしここにメドゥーサの子であるペガサスに使用すると話は別になってくる。

 セイバークラスを上回る対魔力と、天馬の加護による防御能力の上昇、そして並みの宝具ならば使用者ごと轢き殺す圧倒的な破壊力。攻防一体のこの宝具を防ぐには、サーヴァントですら死を覚悟するだろう。

 だが、それはない。

 バゼットだけは、その死と対面することで勝利を確信することが出来る。

 ぎぎぎ、と。魔眼を振り切り、バゼットは空中にも関わらず指揮者のように右手を肩に、左手を脇の下に待機させる。まるで大きく顎を開けた肉食獣の牙のように。

 

「な、!?」

 

 凛が思わず呻いた。何故なら、森の方からから水晶の球が二つも飛んできて、バゼットの両拳へ吸い込まれていったからだ。

 フラガラック。

 バゼットの持つ切り札殺しの宝具。

 それの入っていたラックは森にあった為、凛はバゼットがフラガラックを使えないと踏んで勝負に出た。

 しかし甘かった。まさか遠隔操作まで出来たとは。しかも二つ。これではもしも防げたとしても二撃目が防げない。

 

「ーーーー後より出でて、先に断つ者(アンサラー)

 

 執行者が審判をくだす。

 水晶が雷の剣へと転じたことで、ペガサスが嘶いた。

 天馬は知っているのだ。

 あれはかつて自身の騎手だった英雄を叩き落とした、ゼウスの裁きに似ていたから。

 極限まで引き伸ばされた時間の中、ルヴィアはペガサスへ告げる。

 

「大丈夫ですわ」

 

 それはどういう意味だったか。

 果たしてーー裁きの雷が振り抜かれる。

 

 

斬り抉る戦神の剣(フラガラック)ーーーー!!」

 

 

 

 

 それを。

 クロエ・フォン・アインツベルンは、木に寄りかかって見ていた。

 

「……くそっ……」

 

 傷は未だ深い。イリヤも無茶をやったらしく、さっきから自分の傷で動けないのか、それとも他人の痛みで動けないのか分かりやしない。中も外も傷だらけで、現実から剥離しそうになる。

 魔力切れは近い。投影はあと一回だけ。今回何も出来なかった自分が、何か出来るとしたら。それは今、あの余裕ぶっこいている執行者サマの邪魔をすることだけだ。

 でも、思考が纏まらない。

 ふわふわと、海を浮かんでいるかのように、意識を手放しそうになる。

 思い出せ、とクロは自身に語る。

 心を静めるにはどうしたらいいか。

 クロは兄に、それを習っていたではないか。

 

体は(I am)剣で出来ている(the born of my sword)

 

 詠唱。

 自己暗示によって精神を安定させ、剣製の精度をあげる。贋作者として、魔術師としての基本だ。

 だが、

 

「う、ぐっ……」

 

 知っている詠唱をしても、自己暗示すら出来ない。永続する痛みが暗示すらもはね除けているのか。こんな基本的なことすら出来ないのでは、この一ヶ月何のために自分は兄と鍛練してきたのか。

 出来ないのか。

 やはり、クラスカードで得た紛い物の力では、何もーーーー。

 

 

ーーそんなわけないだろ? だったら俺が作る剣は、全部本物に敵わないってことになるじゃないか。

 

 

「あ……」

 

 思い出した。

 兄の、言葉を。

 

ーー俺達の剣製は確かに偽物だ。でも、それを良くも悪くも仕上げるのは、俺達なんだよ。作り手が折れたら、剣も折れる。

 

 がらん、と頭の中で何かが下りる。

 手をバゼットへ向ける。

 届くか届かないかなんて、そんなこと関係ない。

 

ーーでも、それを作る理由が正しいのなら。お前が心から(・・・)願ったのなら……きっと、それは良い剣になるさ。

 

 剣を作る上で願うこと。

 今一番願うこと、それは。

 

体は(I am)

 

……美遊を助けたい。

 ルヴィアを助けたい。

 凛を助けたい。

 ついでだからイリヤも助けたい。

 そして士郎を、助けたい。

 

 

心は(・・)ーー」

 

 

 そう、わたしの願いはーー。

 

 

「ーーーー心は(I am )剣でありたいと願っている(the pray of my sword)

 

 

 大好きな人達みんなを、助けることだーー!!

 

 

熾天覆う七つの円環(ロー アイアス)!!」

 

 

 二人の前に展開される、七つの花弁。完成されたそれは雄々しく開き、城壁よりも固くルヴィアを守護する。

 それでも構わぬとバゼットは右手を振り下ろす。瞬間、戦神の剣が伝説通りに時を巻き戻そうとする。

 だが甘く見るな、執行者よ。いくら逆光しようと、それが神の御業だとしても。あくまで、それを行うのは人だ。ならば、同じ人の身で奇跡を起こしたこの少女に防げない道理は何処にもないーー!!

 

「!」

 

 余りにも容易く弾かれる、戦神の剣。破砕音と共に、元よりこの世に神など居なかったと言わんばかりに奇蹟は消え失せる。

 これなら第二撃も、とクロが安心したときだった。

 不意に、視界が歪んだ。

 

(あ、)

 

 声が出ない。あれだけ熱かったハズの傷口が急速に冷えていき、体がぐらりと揺れる。

 魔力切れ。投影に全魔力を持っていかれたせいだ。出し惜しみなしで魔力を叩き込んだこともあって、自身を形成する外殻すら使ってしまったらしい。

 無論、投影した花の盾も同じ道を辿る。

 

(ぁ、ああ、)

 

 消えていく。

 ルヴィアを守る盾が。

 維持しようとしてもどうにもならない。魔力が無いのだから、現世に留めることもままならない。

……結局何も。

 置き去りにされた自分には、何も守ることなど出来ないのかーーーー。

 

 

「いいやーーよくやったな、クロ」

 

 

 そんな声が、耳に入った瞬間。

 クロの盾を守るように。もう一枚の花の盾が、ルヴィアとバゼットの前に出現した。

 なんで、とクロは思った。

 この世でアレを使えるのは二人しか居ない。だけど、彼は今傷つき、ここに来ることなんて出来ないハズだった。

 衛宮士郎。

 傷だらけの体をひきずって、倒れかけながらもーー兄は、そこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何とか間に合った。一時はどうなることかと思ったが、ギリギリのところで手助け出来たらしい。

 傷口が開いたのか、突き出した右腕が折れそうになる。でも折れない。もう、折れたりしないと決めた。

 大好きな人達を守ると、そう決めたのだから。 

 バゼットが二枚目のアイアスを見て、舌打ちする。だが止めるわけにもいかない。一縷の望みを込めて、フラガラックを投擲する。

 だが無駄だ。それはバゼットにも分かっていて、それでも退かずに受け止めることにしたのだろう。

 どんな経緯かは分からない。けれど、確かにバトンは繋がり、そしてルヴィアに繋いだ。

 時間が戻る。

 引き伸ばされた時間が、一秒が一秒へと戻っていく。

 ルヴィアが赤い花弁へ衝突する前に、アイアスを解除。すると形の崩れた魔力が蜘蛛の糸のように絡み付き、紫の流れ星となる。

 さながらそれは、穹から落ちてきた隕石だった。

 

「いっけえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 そう叫んだのは誰か。その場に居た全員が叫び、届かない頂へとルヴィアを押し上げる。

 地を削り、命を減らし、バゼットを飲み込み、そして最後には双子館までその流れ星は貫通した。

 これまでで一番大きな爆発。双子館は木っ端微塵に弾け飛び、土煙と破片が空へ舞い上がり、衝撃と風がそれらを掻き回す。俺も耐えきれず膝をつくほどだ。

 どれだけ続くのか分からない、混沌が過ぎ去った後。

 こちらへと歩いてくる影を見つける。

 いかにも高飛車な、お嬢様オーラ丸出しの彼女が、気を失った執行者を抱き上げて。

 

「……」

 

 やっと終わった。それを確認し、膝をついていた体勢から、うつぶせになって寝転んだ。だくだくと血の流れる感覚が、今だけは誇らしかった。

 同じく脱力したクロが、ぼそりと呟く。

 

「ったく……お兄ちゃんは怪我してるのに……なんで、きちゃうかなあ……」

 

 魔力切れか。顔は蒼白で、前のようにクロの体の輪郭がブレ始めていた。

 まともに動けやしない体を引きずり、その唇に傷口からよそった血を流し入れる。途端に魔力が充填され、輪郭があっという間に不確かな虚像ではなくクロの肉体を取り戻す。

 少量の血ではそれが限度だった。しかし、命の危機はなくなった。彼女の隣に、体を預ける。

 

「……まあ、そりゃお兄ちゃんだからな」

 

「……普通のお兄ちゃんは、妹に自分の血を飲ませる変態じゃないと思うけど」 

 

「加減も分からず魔力切れで消えそうになってた妹を、助けようとしたやむなき行動だよ」

 

 はぁ、と嘆息するクロ。それで納得出来るかばかちん、と言いたそうな顔だった。

 だが、それだけではない。

 

「……また、助けられちゃったなあ……」

 

 悔しさ。

 自分だけではどうにもならなかったという、誰もが感じる悔しさだった。

 

「……こっちが助けるつもりだったのに。逆に助けられるとか、ほんっとどうしようもないっていうか……」

 

「そんなことないさ。と言っても、嫌味にしか聞こえないか」

 

 そうだな。

……じゃあ一つ、お前が変えてくれたことを教えよう。

 

「……家を抜け出すときに、リズに言われたよ。もう魔術師になる必要はないって」

 

「……」

 

「俺もそうだと思う。前と比べて、力がどうかは分からないが、精神は普通の人に近づいていってる。そのせいで、魔術師としての行動が上手く取れなくなってるのも、また事実だからな」

 

 あの時。本当にリズが言いたかったことは、きっとこういうことだろう。

 もう人間にも、魔術師にも戻れないのに。それでも戦う意味があるとしたら、それは自殺以外の何物でもないと。

 その通りだ。

 でも。

 

「けど、良いんだよ別に」

 

 前から魔術師に拘らなかったのは何故か。

 やっとその真の理由が、分かった。

 

「俺が何であっても、守りたいモノは変わらない。弱くなったのなら、誰かの力を借りればいい。足りないところは他から補う、魔術師の基本(・・・・・・)だろ?」

 

「……」

 

 それは、クロにとってどれだけの衝撃だったか。

 無数の剣に体を刻まれ、かつて助けた誰かからも裏切られ、それでも自分しか恨まなかった誰か。その記憶を持つ彼女にとって、俺の言葉が信じられなかったに違いない。

 孤独でいいと、そう言って一人で死んでいった男とは思えない、と。

 

「全部を守るのは難しいなんてこと、前々から分かってた。でも、それは俺一人の場合だ。二人なら、三人なら、四人なら、みんなならーーきっと全部を守り切れるハズなんだ」

 

 今回だってそうだ。

 

「バゼットから美遊を救ったのはイリヤで、撹乱して時間を稼いだのは遠坂。俺とクロはルヴィアを守って、そのルヴィアがバゼットを倒した。本当なら勝てない相手に勝てたのは、誰一人欠けることなく、ここに集まったからだ」

 

 だから魔術師じゃなくなっても、人間じゃなくなっても、弱くなったとしても、俺は構わない。

 それは誰かを守るための強さだ。

 全てを救う正義の味方には、何より必要な力。

 絆の力。それを、俺は得たのだ。これ以上に心強いモノが、他にあるだろうか。

 

ーー本当に正義の味方みたい。カッコイイ。

 

 と、感動してるんだか呆れてるんだかよく分からない、感情の消えた顔でリズに言われた。そしてここまで連れてきてくれた。今頃イリヤの方にたどり着き、介抱しているところだろう。

 

「だから胸を張れよ、クロ」

 

 すり傷だらけでも頑張った妹の頭に、ぽんと手の平を乗せる。

 

「お前はルヴィアを守った。美遊を、みんなを守った。それでもまだ悔しいと思うのなら、一緒に強くなろう。みんなで」

 

「……うん」

 

 遠くでVサインをするルヴィアに、揃って手を振る。

 長い夜が、終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude 10-2ーー

 

 

 そして。

 少女はその光景へと、辿り着いた。

 

「……」

 

 どっ、どっ、と心臓の音が耳音で鳴っていると勘違いするほど、やかましい。

 それは、おおよそあり得ない光景だった。

 少女の中で絶対的だった執行者は敗北し。されど誰かが犠牲になって勝ったわけではなく、辛くも、誰も死なずに生き残った。

 誰かが死ぬと思っていた。

 それを止めるべく、少女はここに来た。走って、走って、間に合わなかったらどうしようと。

 それがどうだ。

 自分の助けが必要だったなんて、烏滸がましい。とても力強く、みんな、いつものように生きていた。

 

「美遊!」

 

 少女ーー美遊が、はっとなって名前を呼んだ主へ顔を向け、体が硬直した。

 それは騙していた、この世界の姉だった。

 その隣には、自分の兄とよく似た、もう一人の兄の姿もあった。

 しかし硬直は一瞬だけ。

 美遊は全力で、声を、想いを届ける。

 

 

「ーーーーごめんなさい」

 

 

 たった一言。

 そこに、あらゆる意味を込めて、頭を下げた。

 

 

「美遊」

 

 

 そして返答も、たった一言だった。

 

 

「ーーーーおかえりなさい」

 

 

 それだけだった。

 それだけの言葉でもう、美遊は、救われた。

 

 

「……うん。ただいま、お姉ちゃん(・・・・・)ーーーー」

 

 

 凍える冬を越えて。

 冷たい春に出会った奇跡。

 少女はやっと、暖かな夏の季節を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 



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エーデルフェルトの家族~変わらないこと、変わっていくこと~

ーーinterlude11-1ーー

 

 

 美遊を無事に保護し、三日が経った。

 幸いバゼットが美遊に暴行などした跡はなく、魔術を使用した形跡こそあれど、一時的な自失状態にさせる暗示程度だった。恐らく聖杯としての機能が暴走しかけた美遊を、押さえ込もうとした結果だろう。

 その美遊本人も、もう暴走の兆候は見られない。隠し事もなくなり、新たに心をさらけ出せる居場所が出来たことで、精神衛生的にもよろしい。今も士郎ーー正確にはイリヤの兄ーーを殺してしまったことには、深く悩み、傷ついているようだが、それでも一人で抱え込むことは止めたようだった。

 

(……まあ、正直あの子のことに関しては、全て事実だしね。故意か過失かなんて、本人からしたら同じことだもの)

 

 凛はエーデルフェルトの屋敷を掃除しながら、改めてこれまでのことを考える。

 比較的傷の浅かった凛は、既に美遊から粗方の事情を聞き終えていた。

 美遊が何者であるか、どういう状況にあったのか。

 神稚児信仰、というものがある。

 いわゆる稚児、つまり子供の死亡率が高かった時代において、稚児は神と人の中間の存在であると考えられることもあった。その稚児を人前に出さず、崇め、祈願することを神稚児信仰と言う。

 美遊もそうした神稚児信仰の生き残りらしい。

 名を朔月(さかづき)美遊。

 それが、神稚児として生きてきた美遊の最初の名前であり。願いを叶える力を持つ、願望機の誕生だった。

 

(にしても、願望機の機能を持つ家の名が、サカヅキとはね……)

 

 もしそれがただの偶然なら、とんだ偶然もあったものだ。

 神と人の中間と崇められるほどの、強大な力。それは稚児の命を削って起こす奇跡だ。これはあくまで凛の見立てだが、最初の神稚児は恐らく五度目の誕生日も迎えることなく死んだだろう。とすれば、美遊とて例外ではない。

 しかしそんな力も、七歳を過ぎれば力そのものは消え去るという。朔月家はそうして、神稚児を七歳になるまで屋敷に閉じ込め、力が消えたことを確認してから普通の子供として育てるのだ。

 優しい、愛の溢れた行為と言えよう。それが数百年一つの例外もなかったのだから、朔月家の真摯な願いが凛にも伝わる。

 ただし美遊の場合、少々事情が異なっていた。

 

ーー……でも七歳を迎える前に、朔月家は崩壊しました。エインズワースの手によって。

 

 エインズワース。置換魔術の使い手であり、千年続く魔術の大家。そのエインズワースがとある目的のために行った実験で、朔月家のみならず平行世界の冬木市は地図の上から消えかけたほどの、大災害が起きたのだとか。

 何の実験かは美遊にも定かではない、問題はそのエインズワースの目的だった。

 人類の救済。

 この世全ての人を救う、それがエインズワースの目的。

 

「……」

 

……美遊の住む冬木市は、人口がとても少ない。エインズワースの実験もそうだが、本当に少ない理由は他にあるのだ。

 本来、この地球にはマナという生命の塊が充満している。これがあるからこそ花は芽吹き、空は澄み渡り、海は青く、そして魔術が使える。生命の息吹、それがマナだ。

 ではそのマナが枯渇し、かつ惑星規模で天変地異クラスの災害が起きてしまったら、どうなるだろうか?

 その答えはただ一つーー地球という星の死であり、生命全ての死と同価である。

 花どころか草木は枯れ落ち、空はくすぶる毒を生み出し、海は泥のようになり、人は死ぬ。

 

(普通ならあり得ない。けど)

 

 それはあくまで凛が住む世界の話。つまりそれがあり得た世界が、美遊の生きていた世界なのだ。

 そしてエインズワースが行うのは、美遊という願望機を使った、人類の救済。

 星を復活させるのは等価交換では不可能。

 人を進化させ、単一で完成した存在へと押し上げる。

 つまりーー人類全てに第三魔法をかけ、地球という惑星の軛から解き放つ、それがエインズワースの目的なのだ。

 

「……極東の島国で礼装を回収するだけだったのに、いつの間にか聖杯だの第三魔法だのに巻き込まれるとはねえ……」

 

 いくら将来魔法に挑むとはいえ、まさかこんなに早くそんな争いに首を突っ込むことになろうとは。凛からすれば望むところだが、既に何百歩も出遅れた状態でレースに放り込まれたところで勝てるとは思い上がってはいない。

 第一星が滅ぶか滅ばないかの戦争なんて、それこそ英雄の領域だ。ましてや美遊がその戦争において、第一に切り捨てられるべき存在。今後敵対したとき、その天秤にかけるのは人類全ての命と、美遊たった一人の命だ。世界そのものを相手取り、生きていられる確率などゼロに等しい。

 何より、出来るのか?

……その世に住む人々を犠牲にし、美遊を選ぶことが。

 

「……はあ」

 

 直面する問題は、まるで銀河のように渦を巻いて、一つ一つ数えればキリがない。それこそ隕石のように、一つの問題が落ちれば大惨事だ。

 一人で考えたところで、どうにかなるわけがない。

 凛はこの三日で何度もそう自問自答した。しかしそれが逃げであることもまた、理解していた。

 

「……一人か、何億人の命かなんて、誰が選べるんでしょうね」

 

 少なくとも凛には選べない。選ぶには、美遊という個人を知りすぎた。だからこそ、相談する相手が必要だ。

 あの戦いで心身ともに傷ついたルヴィアと士郎は、エーデルフェルト邸の一室に治療と称して押し込められている。傷自体は完治しているが、念のためだ。

 まだ二人には美遊のことを全く話していない。掃除も終えたことだし、顔を見せるついでに話してみよう。

 凛は二人の居る部屋へ足を向ける。

 二人が療養している部屋は、屋敷の端にある客間の一つを改造して使っている。それ故、少し特殊な造りになっていた。

 

「シェっ、ローー!!」

 

 中からルヴィア(馬鹿)の声が部屋の外まで聞こえてくる。うんざりしながらも、凛はドアを開け放った。

 そこには、少し、かなり、いや大分可笑しい光景が広がっていた。

 二つあるベッド、ここまではいい。包帯でぐるぐる巻きになった士郎がその一つに寝かせられている。これもまあ、当たり前だ。あんな体で外に出たのだから。

 ただもう片方ーールヴィアの寝床が明らかに可笑しかった。

 ルヴィアが寝てるのはベッドではなく、ハンモックだった。しかも包帯のハンモック。さらに言えばルヴィアを押さえ付けるように包帯を巻き付けて、壁にくくりつけて宙ぶらりんな形になっていた。

 一言で言えば、金色のサナギである。しかもぶんぶん体を振って動かしている。ぶっちゃけ都市伝説にでもなりそうな感じなのであった。

 

「はいルヴィアさん、まだ寝ててくださいね。あなたの精神はズタズタだったんですから。しばらくは激しい運動を控えろと言ったハズですが?」

 

 尺取り虫にも近い、ゴールドワームルヴィアにそうストップをかけたのはセラだ。士郎の世話と称し、ここ三日は家事をリズに任せて一日の大部分をこの一室で消費している。士郎とルヴィアの治療とか何とか言っているが、十中八九ルヴィアのストッパーである。

 

「ええ、ですがそれはシェロも同じハズでして、ならばと私が寄り添って少しでも回復出来ればと……」

 

「ははあ? では何ですか? そうやって包帯の上でも分かる脂肪の塊で寄り添っていくと、そう言いたいわけですか? ははあ?」

 

「あ、いえなんでもないです」

 

 バギボギと笑顔で指の関節から怪音を鳴らすセラに、たまらずいつもの余裕を無くして大人しくなるルヴィア。そんな横で、ぐーすか寝てるもう片方の病人は呑気なモノだ。

 正直入りたくないが、バイトしてる以上身内なので(あくまで形式的に)、凛はミスパーフェクトモードで対応する。

 

「うちのがすみません、セラさん。ただでさえ衛宮くんの看病でお疲れでしょうに」

 

「あ、いえ。今回は士郎がまたお世話になりましたので……そればかりかこんな場所までお借りして、なんと礼を言えばいいか……」

 

 その割りには恩人を容赦なく簀巻きにするんですね、とは言わない。元々士郎が負傷したのも美遊、つまりこちらの不始末であり、こうやって部屋を一つ提供したのもルヴィアからの謝罪も込みなのだ。それにかこつけて既成事実でも作ろうと考える辺りがホントにどうしようもないくらいの最低金メッキ野郎なのだが。

 

「ルヴィアゼリッタも、一日経てば懲りると思っていたんですが。思ったより粘着質で薄汚く、ノブレス・オブリージュの欠片もなかったようです」

 

「それだけのバイタリティーがあれば、うちの子供達の肉壁ぐらいにはなるので頼もしい限りですよ」

 

 さらっと最上級のスマイルで使い捨ての身代わり人形認定されたぞオイ。ぐっと堪えた自分に凛は拍手を送りたくなる。

 とりあえず、

 

「アンタはいい加減諦めて寝ろ」

 

「ウガブッ!?」

 

 いつまでも見苦しい雇い主のどてっ腹に一発かましておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうやって、三人で帰るのは久しぶりな気がする、とイリヤは胸中で考えていた。

 左を見ればクロが居て、右を見れば美遊が居る。この三人での登下校はまだ一ヶ月しかやってなかったし、大抵クロと喧嘩になったり、美遊を襲おうとするクロと喧嘩になったりで騒がしかった。けど、それがいつの間にか当たり前になっていたんだなと、今更ながらイリヤは気づいた。

 けど、一つだけ違うことがあるとすれば、今日は騒ぐこともなく、淡々と口を開かず家へ帰っていることだった。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 二日休んだ美遊が学校へ来た。色んなことを知って、色んなことが分かったけれど、一緒に登校し、授業を受け、ご飯も食べて、昼休みを過ごして、また授業を受けて。そして、下校のときまで三人一緒だった。

 それは一見何も変わらない。

 けれど、そこに以前と同じような会話はなかった。

 たまにかわす言葉も、ギクシャクとした、前とは似ても似つかないモノばかり続いていく。

 

(……話そうとは、してるんだけどなあ)

 

 イリヤはそんな言い訳じみたことを思う。

 登校するときも、学校でも、そして今このときですら、イリヤは何とか会話の糸口を探そうと必死だった。

 美遊と初めて喧嘩したくらいには本気で向き合った。色々偉そうに言ったのだから、自分から美遊に話してみたのだが……。

 

(ぜんっぜん上手くいかない……)

 

 はぁ、とため息をするイリヤ。

 とはいえこのまま家に着いてしまっては、結局これまでと同じだ。美遊はいつまでもひとりぼっちのまま。

 思い出す。三日前の美遊を。

 このままで良いハズがないのだ。

 意を決して、イリヤは口を開いた。

 

「あの、ミユ……」

 

「ね、イリヤ、クロ」

 

 が。それを遮って、美遊はイリヤとクロへ言った。

 

「一緒に来てほしいところがある。いい?」

 

「え? あ、うん……」

 

 不意をつかれて、イリヤは反射的に頷く。美遊はそれを見ると先導してつかつかと歩き始め、慌ててイリヤもそれを追いかける。

 同じく後を追うクロが、肘で小突きながら、

 

「ほんとアンタはトロくさいわよねえ、イリヤ。自分で話すからわたしに待ってなんて言っといて、結局ミユが話すまで待ってたじゃない」

 

「い、一応話そうとはしたもん」

 

「それであの体たらくと。やっぱりお姉ちゃんが居ないとダメねぇイリヤちゃんは?」

 

 む、となんだかカチンときたイリヤ。

 

「誰が誰のお姉ちゃんですってぇ……? 言っとくけど、わたしはクロのことお姉ちゃんなんてこれっぽっちも、ぜっったい、認めてないからね! 大体背伸びしてるようにしか見えないし! むしろわたしがお姉ちゃんだし!」

 

「はいはい。未だに夜トイレに行くのも怖くて少しビビってるイリヤちゃんはお姉ちゃんが手を繋いであげまちょうねえ~」

 

「こ、この野郎……言わせておけばねちねちと……!!」

 

「だったらちょっとはオトナとして頑張ってみることねー、このあんぽんたん」

 

 屈辱だわ、と袖を濡らすイリヤ。同時にあれだけいがみ合っていたクロとはこんなに話せるのに、どうして美遊が相手だとこんな風に話せなくなるのだろうか。イリヤは不思議だった。

 歩く。

 三人で歩いていく。

 家なんてとっくに通り過ぎた。

 住宅街を抜け、長い階段を歩きーーそして辿り着く。

 美遊が連れてきたのは、円蔵山の中腹、柳洞寺の近辺だった。美遊はその柳洞寺……というよりは円蔵山に用があるらしく、ちらりと辺りを見回した後、更に奥へ誘った。

 そこまで来れば、察しが悪いイリヤでも何処へ連れていこうとしているのか、分かった。 

 

「……ここ」

 

 そう、小さい呟きを残して、美遊は口を閉ざした。

 三人の前には今、小川が流れている。しかしその先は柳洞寺の地下へ繋がっており、水流が流れて鍾乳洞となった洞窟を抜けると、とても大きな空間がある。

 大空洞。大聖杯が眠る場所。

 

「……わたしがこの世界に転移したとき、気づいたらこの場所に居た。この世界の大聖杯がある場所に」

 

「……そして、ルヴィアさんと出会って、わたしと出会った」

 

 首を縦に振って、美遊は振り返る。

 そこには、自分を偽ることも、真実を怖がることを止めた少女が居た。

 

「わたしのことを、聞いてほしい。きっと、軽蔑すると思う。こんなことに巻き込まないでほしいって二人は絶対思う」

 

 イリヤは気付く。

 美遊の肩が、体が、小刻みに揺れていることを。

 怖いのだ。

 きっと。

 イリヤには想像もつかないような、理不尽な悪意と、救いようがない真実が待っていて。

 それに、美遊はずっと耐えてきた。

 今みたいに俯いて。

 自分だけが苦しめば良いと、そう呪いをかけるように。

 

「わたしもそう思ってる。二人を、この世界で出会った人達全てをわたしの事情に巻き込みたくない。例えどんなに苦しくても、関係ないあなた達を巻き込んだら、お兄ちゃんが何のためにあんなに頑張ってくれたのか、分からなくなるから。みんなに、泣いてほしくないから」

 

 でも。

 けれど。

 

「言ってくれたよね、イリヤ。話してほしいって」

 

 美遊が顔を上げる。

 その顔には、誰かを巻き込む罪悪感と、一人で戦わなくてもいい安心感が滲み出ていた。

 

「……もう。一人で抱え込むには、辛すぎるから……みんなに、相談、させてほしい……」

 

 その顔を見て。

 答えは一瞬の間も置かずに、出た。

 

「うん、わたし達で良ければ」

 

「今更よねえ、ほんとに。当たり前じゃない」

 

 だって。

 

 

「友達でしょ」

 

 

 息が漏れた。

 それは、声にならないほどの安らぎを、安息を得たことで漏れた息だった。

 たった十一の子供が出すには、余りにも様々な感情がそれには巡っていた。

 

「…………うん……っ」

 

 美遊はイリヤとクロに寄り添うと、自身のことを包み隠さずに話した。

 自分が神稚児であること。

 家族が全て亡くなったときに、たまたま冬木に来ていた衛宮切嗣と兄に拾われたことを。

 それから十年後、神稚児である美遊を狙って魔術師に拐われたこと。

 美遊の兄が美遊を取り返すために聖杯戦争へ参加し、沢山の人が傷ついたこと。

 美遊の世界は今、人類が絶滅する危機に立たされており、美遊はその世界を救うために犠牲にならなければならないこと。

 それでも、美遊のためだけに戦い、守るために死力を尽くした美遊の兄の願いで、ここへ来たこと。

 

「お兄ちゃんはわたしに願ってくれた。幸せでありますようにって。だからわたしは……この世界でサファイアと出会ったとき、やっぱりこうするしかないんだと思った」

 

「……」

 

 美遊の肩がまた、震える。

 

「あなた達と出会って、初めて友達が出来て。居場所が出来て。みんなに、真実を知られるのが怖くなった」

 

「……それは、真実を知ったら。わたし達を巻き込んじゃうから?」

 

「……うん」

 

 そっか、とイリヤは一言だけ返した。

 とてつもない話だと思った。

 美遊は違う世界の人で。

 神稚児で。

 その世界ではみんなが死にそうになっていて。

 そのみんなを救うために美遊は死ななきゃいけなくて。

 それでも美遊の兄は助けてくれて。

 けれど、最後にはそんな人すら置いていくことになって。

 何を言えば良いだろう。

 何か言っても、今はきっと軽い言葉になって美遊に伝わってしまう。

 が、隣でそれを聞いていたハズの真っ黒な奴はそうでもなかったらしく。

 

「……ったく。そういう事情があるなら、さっさと言いなさいよね、ミユ。一人で何とか出来る問題じゃないでしょ?」

 

「ちょ、クロ!? そんな軽く言うけど……!」

 

「軽く言わなきゃやってられないでしょ? 人類絶滅の危機に、友達が巻き込まれてるのよ? 何を言ったところで軽いも重いもナイナイ」

 

 それは……そうかもしれないが。

 イリヤのそんな複雑な感情を読んで、クロが大きく手を広げて、朗らかに笑う。

 その姿はまるで、翼を広げて飛ぶ鳥にも似ていた。

 

「結局どうだっていいのよ。友達が苦しんでる。だから助ける。もしそれが罪だと言われたら言ってやるわ、『女の子の命は世界より重いのよ』、ってね」

 

「……クロが言うとなんかやらしい」

 

「あらやだ、イリヤってばそういう妄想してるの?」

 

「してない!!」

 

「イリヤとならわたし、そうなっても……」

 

「しないっ!!!」

 

 断じてノーと腕でバツを作って意思表示するイリヤ。そこで、美遊がくすりと笑い、それに釣られてクロもけらけらと笑い、そしてイリヤもあははと笑った。

 誰も知りたくない真実を、知ったハズだった。

 それでも、また以前と同じような会話をして、笑えた。それが重要だった。

 

(……クロは凄いな)

 

 嫉妬よりも前に、挫けそうな現実の中でも笑える切っ掛けを作ったクロを、素直にイリヤは凄いと思った。とてもではないが、自分に真似出来るとは思えなかった。

 

「……じゃあ、イリヤはどうなの?」

 

「? なにが、クロ?」

 

「イリヤはミユの話聞いて、どう思ったの?」

 

 突然だった。

 でも当たり前の話だ。

 クロは自分で答えを出したが、イリヤはまだ答えを出していない。

 今の話を聞いて、どうしたいか。

 それを、一度自分だけで考えてみる。

 

「……正直に言って、分からないよ。というか、ぶっちゃけ受け止めきれないというか……話してくれたところ美遊には悪いけど」

 

 異世界人でも身近に居れば(・・・・・・)別だが、やはりイリヤにとって美遊の話は突拍子がなかった。

 けれど一つだけ、はっきりしていることがある。

 

「……お兄ちゃんが言ってた。みんなを助けたいんだって。今ならそれがわたしにも、何となく分かる」

 

 子供の戯言だなんて、初めから分かっている。

 

「そのエインズワースって人達も、美遊も。みんなみんな、戦いたくて戦ってるわけじゃない。誰かのために傷ついて、失って、それが止まらないまま続いて」

 

 それは、口に出したら真っ先に踏み潰される、クレヨンで描いたような拙い道筋なのだろう。

 

「だから」

 

 でも。

 

「わたしはみんなを助けたい。世界も、美遊も。失いたくないモノを捨てたりなんて、絶対しない」

 

 その夢を、誰もが求めていることを。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは知っている。

 

「ーー何かを諦めることに、わたしは慣れたくなんてないよ」

 

 兄のおかげでそれが分かった。

 何かを犠牲にしなければ誰かを救えない。アニメのような奇跡は現実では万に一つも起きないし、犠牲にしたところでそれ以外の全てを救えるわけでもない。

 それでも、目指す。

 その先に誰もが笑える未来があるのなら。

 諦めない先に兄が居るのなら。

 きっと、価値はある。

 

「……そうだよね、お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlud end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その話を聞いた。

 美遊のことも、その世界のことも。

 美遊の兄のことも。

 俺とは違う道を選んだ、衛宮士郎(オレ)のことも。

 

「……このこと、イリヤには?」

 

「話してはいないわ。でもそろそろ、美遊が話す頃よ。遠からず知ることになるでしょうね」

 

……そうか。

 エーデルフェルト邸の一室を改造した部屋には今、同じく療養中のルヴィアと遠坂、そしてセラが居る。

 余りに絶望的な話。

 余りに悲しく、運命なんて言葉では片付けたくはない現実がぶちまけられていた。

 それでも、何故だろう。

 不思議と気分は、落ち着いていた。

 

「うん、そうか。じゃあ何か作戦考えないとな」

 

「……は?」

 

 何故か絶句する遠坂。む、いつも山があれば自分の足で山頂まで行く女の子には珍しいネガティブな顔だ。

 

「いやあの、衛宮くん……人の話聞いてた? もしかして鼓膜割れてて聞こえてなかった? それとも半身が抉られたせいで体が麻痺してた?」

 

「ちゃんと聞いてたぞ? まあ、確かに規模は凄いけどやることは何も変わらないだろ?」

 

「やることって……あなた、何か考えがあるの?」

 

「おう、美遊も人類もどっちも救う」

 

 かくん、と派手にリアクションしてくれるのはありがたいんだが遠坂。せっかくのメイド服なのにそんなポーズで良いのか?

 

「いや良いもくそもないわよ!? あなた、分かってるわけ!? 美遊を選べば確かに人類は滅ぶし、人類を選べば美遊は死ぬ。ならそれを回避するために全部助けようなんて、等価交換の理から外れてる! ううん、そもそもそんなこと出来るわけ……!」

 

「出来る」

 

 迷いはない。

 いや、迷いはあるか。

 本当はこんなことで誰かを救えないことなど分かっている。

 それでも、みんなを救いたい。

 これはあのとき俺が目指した道だ。

 なら、一歩目から躊躇うことなんて絶対にしない。

 だって俺には。

 

「みんなが居る。だから俺は言えるんだ。例え俺が片方しか助けられなくても、遠坂がもう片方を助けてくれるだろ?」

 

 遠坂の動きが止まる。やがてかちこちと電池の切れたオモチャのように、顔を真っ赤にしてそっぽをむいた。

 

「……あ、あなたねえ! 美遊を助ける間にわたし達には人類を救えって、どんだけ厄介なこと押し付けてくるのよ? というか、無理だから! 普通に無理だからね!?」

 

「む、そうか。じゃあ逆にするか?」

 

 正直俺が美遊以外の全ての人間を救えるとは思えないが、遠坂が言うならそうしよう。

 

「そうじゃないっ!! ああもう知らんこのばかっ!!」

 

 何故かどかどか、と大股で立ち去っていくメイドさん。

 やっぱり作戦がいい加減過ぎただろうか? 遠坂は理論立てて考えて動くタイプだからなあ……。

 

「いえ、シェロ。違いますわ」

 

 こちらでは何故か笑っているルヴィア。そんなに可笑しかったか?

 

「恐らく遠坂凛は、私達にこのことを話すまで一人で悩んでいた。自分がちっぽけに思えるほど考え抜いて、いざ相談してみたらあなたは簡単に答えを出した。それが、悔しいのでしょう」

 

……つまり何か?

 ずっと悩んでた自分が馬鹿みたいで、恥ずかしくなって怒ってたのか、あいつ?

 

「やれやれ、魔術師といえどまだまだ子供ですね。士郎があのように答えることなど想定出来たでしょうに」

 

 呆れ顔のセラ。

 と、聞き忘れてた。

 

「ルヴィアは今の方針で良かったのか? 極論で言えば、美遊だけ助ければいいだろ?」

 

「ええ。美遊を捨てた世界に慈悲など毛頭差し上げる気なんてありませんわ。ですが、それでも美遊は、きっとその捨てられた世界を誰かと見たかった。ならばそちらも守らねば、姉失格でしょう? それに美遊は私が助け、残りはシェロに任せるのが効率的ですわ」

 

……それもそうか。

 何はともあれ方針は決まった。

 これからやろうとしていることは、砂漠の砂を一つも風に飛ばされないようにすることと同じ。

 敵も味方もなく、一人でも死ぬならそれは失敗したのと同じこと。

 妥協を一切許さない優しさが必要になる。

 それはまさしく、エミヤ(アーチャー)のように、どんなに剣を刺されても手を伸ばし続けることに他ならない。

 

ーー理想を抱いて溺死しろ。

 

 そう言った男は、一体そうまでして何を守ろうとしたのだろうか。

 ふと、窓から外へ視線を飛ばす。

 見えた景色に、思わず笑みを浮かべた。

 そこには、仲良く手を繋いで、夕暮れの中エーデルフェルト邸へと入る三人の姿があったからだ。

 

「……うん」

 

 何処にでもあるようなその光景は、世界中の何処でも起こっていることだ。

 それを守るためなら、どんなことがあっても、絶対に乗り越えられる。

 それは、あの男も同じだ。

 なら足を踏み出すことに恐れはない。

 その先が地獄だとしても、心が欠けてしまったとしても、そこしかもう走れないと分かってしまったから。

 だから。

 

「……もう少しだけ、頼む」

 

 タイミリミットが近いだろう己自身へ、そう言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 煙が、顔をねちっこく撫でる。

 眠ろうとした意識が、中途半端に起きてしまう。

 寝ぼけ眼ながら辺りをぐるっと見回し、首を傾げた。

……ここは何処だろう?

 外国にあるような立派な城のように見えるが、視線を何処に置いても、瓦礫と土煙が覆い被さるように散布している。それに酷くうるさい。廃墟なのにまるで耳元で、何かと何かが戦っているような轟音が響いてくる。

 頭痛も酷い。何か、訴えてくるような、呼び止めるような。

 

ーーここに居てはいけない/ここにしか真実はない。

 

ーー今すぐ目を覚まさないといけない/目を覚ましても何も変わらない。

 

 誰かの声がする。

 知らない人の声がする。

 堪えきれず、その場で耳を塞いで座り込む。

 うるさい。

 うるさい。

 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……!!

 一人にしてほしい。

 何も知りたくない。

 痛いのも、苦しいのもうんざりだ。

 

 

「へえ? じゃあ、自分が死んだ理由も知りたくないんですか? お姉さん?」

 

 

 振り返る間もなかった。

 胸から、小さな腕が飛び出した。

 

 

「、ぇ?」

 

 

 理解が。

 追い付かない。

 視界がまるで花火みたいに点滅してるのに、胸元から噴き出す鮮血はそのどれよりも鮮烈で、熱を奪っていく。溢れてはいけないモノが体から引き抜かれる。

 ずるるるるるるるる、と濡れた音。座っていた体は横に倒れ、だらしなく口が開いた。

 

「危ない危ない。演目には順番がありますから。次は僕の番ですから、少し待っててくださいね」

 

 視界の端で何とか姿を確認する。

 後ろに居たのは、自分と同いくらいの子供だった。男の子。金髪で、目がまるで毒をもった蛇のように赤い。

 

「またすぐ会えますよ、お姉さん」

 

 その手にあるのは、何かよく分からないモノだった。

 不規則に動いた固形物。

 ピンク色で何か管が繋がっており、まるで何処かから引き千切ったみたいにーー。

 

「、……」

 

……ああ、なるほど。

 どうやら自分はそうやって、■んで、

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、はぁ、っずっ……!?」

 

 イリヤは目蓋が開くと同時に、跳ね起きていた。

 肩で息をしながら、Tシャツの上から胸を何度も触る。穴が無いことは分かっているのに、何度も何度も触って、確かめる。 

 一分は続いたその後、ようやく認識が夢から追い付き、ため息をついた。

 

「……今の、は……?」

 

 夢……で良いのだろうか。

 自分が殺される夢を見るなんて、厄日にもほどがある。おかげで寝汗をかいて全身が蒸れて仕方がない。

 着替えよう、と毛布から抜けて、自室から洗面所へ向かうイリヤ。

 イリヤは知らない。

 その胸元から、小さな羽がひらりと落ちたことを。

 その羽が壁をすり抜けて、地下深くを潜ったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは、地下だった。

 柳洞寺の地下には大空洞と呼ばれる、大聖杯が設置された巨大な空間があるのだが、更にそれより下の、深い場所……でもなく。

 それを、反転させた世界ーーつまり鏡面界が、その場所にふさわしい名前だった。

 

「全く。やっと残すは僕だけになったのに、イリヤさん勘が鋭いんだから。僕が夢として割って入らなきゃ(・・・・・・・・)、今頃エインズワースがこの世界に生じた違和感を観測してそのまま、美遊を取り返しに来てたところだよ」

 

 地面に押し潰されるように挟まれた誰かは、そうひとりごちてみる。結果的に悪夢を見せた形になったわけだが、それについてはどうでも良いらしい。

 

「お、帰ってきた」

 

 誰かは、落ちてきた羽を見てそう呟くと、赤い目を光らせる。するとどうだろうか。目の前の空間がまるで飴細工のようにどろりと溶け、羽は黄金の沼へと落ちていった。

 

過ぎたる恐怖は泡沫の羽(オネイロイ・ポベートール)。他人の夢に入り込む宝具なんて、大人の僕からしたら何も面白くなさそうだけど、きちんと宝物庫に納めてる辺りコレクターの鑑だなあ」

 

 ふふ、と誰かは笑う。

 暗闇の中でなお輝くーー紅の瞳で全てを見通しながら。

 

 

「劇も終盤ーーそろそろ現実に帰らなきゃ、ね?」

 

 

 夢は未だ深く。

 しかし夢にも終わりが来る。

 鏡の夜もこれにて最終章。

 終わらぬ夢へ、始まりの開闢が加速度的に迫っていた。

 

 

 

 



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初夏/アイアンフォール

ーーinterlude12-1ーー

 

 

……ところで。

 皆、誰か一人のことを忘れてはいないだろうか?

 それは衛宮士郎でも、ルヴィアゼリッタでも、美遊・エーデルフェルトでもない。前回までの物語で強い存在感を放っていた人物のことだ。

 勘違いしないでほしいのは、別に彼女のことを忘れていたわけではない。ただあまりに、あまりに、その末路があそこで語るには不適切だっただけだ。もしあそこで語れば、余韻もクソもなかっただろう。

 そして丸く収まった今、ここで語らねばならないだろう。

 では、いかにしてこうなってしまったのか、ご覧あれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツは焦っていた。どれぐらい焦っていたかというと、それはもう例えるなら目の前で財布の中身をひっくり返したら落ちた先が用水路だったレベルである。

 バゼットが居たのは銀行だった。当面の間冬木で生活することになった以上、先立つモノは必要である。開設した口座に何百万もの大金を生活費として入れていた。

 しかし、それはあくまでサブだ。バゼットは神代から魔術特性を受け継ぎ続けた魔術の大家の人間であり、その仕事内容からして、当然金に関しては困っていない。クレジットカードもいくつかあり、現金などただ財布がかさむだけだと思って普段は持ち歩いていなかった。

 だが今日ほど、そんな杜撰な資金管理をしていた自身を殴り飛ばしてやりたいと思ったことはない。

 

「……あのー、お客様」

 

 受付の銀行員がとても言いにくそうに、しかしあくまで笑顔で告げた。

 

「こちらの口座、既に解約されていますが……あの、何か間違えては……?」

 

「……いえ」

 

 憮然とした態度で答える鉄の女ことバゼット。流石封印指定の執行者、オーダーメイドのスーツがさながら重装の鎧に思えるほどの威圧感だ。おかげで銀行員はひぇ……と、蛙のようにビビりまくりである。

 銀行内の空気まで重くなりかけたころ、ふ、と柔和な笑みをバゼットは浮かべた。

 

「手を煩わせてしまい、すみません。どうやら間違えてしまったようです、何分つい最近海外から越してきたモノで」

 

「……ぁあ! そ、そうでしたかっ」

 

 バゼットが一礼し、空気が弛緩する。動物的な本能故に『怒らせたらやべえ』と悟っていた銀行内の人間は、ほっと胸を撫で下ろした。銀行員もたまらず声が大きくなるほどである。

 そうしてアイアンウーマンマクレミッツは堂々と出口から銀行を出ていく。その後ろ姿は、まるで今から世界へ挑戦する起業家のような、そんな自信に溢れていた。

 そして。

 アイアンウーマンは、膝から崩れ落ちた。

 

 

「……………………………………金が、ない」

 

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツ、破産の巻。

 

 

 

 

 

 状況を確認しなければならない、とバゼットは頭の中で整理する。

 切っ掛けは半日前……そう、美遊を賭けての戦いから、丁度四日が過ぎた辺りだったか。

 バゼットの拠点はカレンが管理しているあの教会なのだが、そろそろちゃんとした拠点の一つでもと考えていた。何せあのカレンに居候させてもらうなど正気の沙汰ではない。美遊や士郎がイリヤ達も巻き込むと決めた以上、冬木に留まるのも短期間では済まないだろう。

 というわけで、とりあえず使い切ったフラガラックの作成などの雑事の後、朝食を取ろうと安く量の多い牛肉チェーン店へ駆け込んだわけだが。

 食べ終わり、会計しようとクレジットカードを使ったときのことだ。

 何故か、カードが使えなかったのだ。

 バゼットは常に三枚程度クレジットカードを常備しているが、さりとて全てが全て日本で使えるわけではない。どうせすぐ日本から出ることになるとたかをくくり、冬木で使えるクレジットカードはたった一枚のみだった。

 そしてカード派のバゼットは現金なんて保険はないため、その場を丸く納めるために暗示をかけて逃走したのだった。

 

「……今思うと、誰かに金を貸してもらうという考えもありましたか……」

 

 法を犯している自覚はあるのだが、何せバゼットは魔術師なのである。そりゃ法律くらいぽこぽこ破ってなんぼの存在だしと心の防波堤を設置する鋼鉄の女。

 そこからはもうダッシュでコンビニ、銀行などを這いずり回った。すると活動資金がある口座、カード類のモノは全て凍結、解約されていたことに気づいたのだった。

 誰がやったか、この際それは後回しだ。問題はこれでバゼットは無一文になってしまったということ。

 衣食住が無いのは……まあ、いい。その気になればそこら辺の雑草でも食えば腹の足しになるし、服だって今のスーツが一つあれば困らないし、住むところもベンチで横になればそれで体力は回復する。

 ただ、無一文はヤバイ。何せバゼットはただのサバイバル芸人でも農家でもない。金がかかる割りに生産性がない魔術師なのである。バゼットほどになれば、そのコストも相応にかかる。

 極東の島国にて、封印指定の執行者が破産するなど笑い話にもならない。既に牛丼一杯のために食い逃げという余りに小さい掟破りをしているわけだが、それはそれ、これはこれである。

 

「…………」

 

 バゼットが今歩いているのは、深山町の住宅街。

 七月の始めだというのに、歩く音に合わせるかのようにほのかにセミの鳴き声が聞こえてくる。丈の長いスーツと手袋という男装スタイルも、この時ばかりはまるで何の役にもたたない。魔術を使えば良いかもしれないが、こんな服装で汗もかかないとなれば周辺の住民も不審に思うだろう。とりあえずジャケットを脱いで、ブラウス一枚で道を急ぐバゼット。

 しょわしょわ、というセミのBGMを振り切るように、彼女はまた思考にふける。

 

(とりあえず衣食住はあとでいい。日雇いのバイトを……いや私だけならそれでいいが……)

 

 もしカレンが、このことを知ったら。

 バゼットの背筋に寒気が走る。絶対に悟られてはならない。そしてさっさと金を稼がねばならない。日本のことわざにもある、病は金なりと。

 間違ったことわざを胸に、バゼットはひとまず行動を開始する。

 

「そんなわけなので、仕事を紹介してください」

 

「いやどんなわけ?」

 

 当然の疑問を言ったのは、唯一と言っても良いほど現状頼りになる人間、衛宮士郎その人だった。

 フラガラックの傷も治っているとは言いがたいものの、松葉杖をついてる姿は元気そうである。あと昼食分の金くらいも持ってそうである。

 昼時に一人学校の屋上へと呼び出された士郎。ちなみにバゼットは言うまでもなく不法侵入である。

 これまでのいきさつを話すと、士郎は露骨に顔をへの字に曲げた。

 

「……仮にもあんだけ悪役っぽいことやってたのに、一週間も経たない内にこれか。いや知ってたよ? お前がそういう奴だってことくらい。でも、でもなあ……ここでも破産かあ……」

 

「破産ではありませんあくまで差し押さえです」

 

「それを普通破産って言うんだこの全身凶器女」

 

 これやるよ、と同情気味に渡された菓子パン半分を受け取り、頬張る。味自体には特に何の感慨も抱かないが、このパン一つを自分で買えるか買えないかで人の価値もがらりと変わってしまうのがお金の怖いところだなぁ、と今更思うバゼット。

 二人して屋上のベンチに座っているが、甘酸っぱさなど微塵も感じない。感じるのは懐の寒さと世知辛さだけなのだった。

 

「で、仕事の話です。何かドゴンと、バキバキと稼げる仕事はありませんか。バイトの面接で人を殴ることが特技だと伝えてパイプ椅子を破壊したら通報されたり追い出されてしまいまして」

 

「いやほんとに何やってんの!? ダメにも程があるだろなんなのダメット・フシンシャ・マケイヌだったっけ名前!?」

 

「人の名前に悪意ある改竄をするのは止めて頂けませんか、不愉快右ストレートかましますよ」

 

「死ぬからやめてください」

 

 まるで言い負かしたように見えるが、実際は百に一つもバゼットの勝ちはないのである。なのにそれに気付かないのがバゼットがバゼットたる由縁なのでした。

 仕事なあ、と士郎は頭を捻る。

 

「ネコさんのところとか、あとは工事現場のバイトとかなら紹介出来ると思ってたけど……この世界ではバイトやってないから、もしアンタが問題起こしたときのフォローが出来ないんだよな」

 

「待ってください、何故問題を起こす前提なのです?」

 

「あとはまあ藤ねえのところの仕事か……ある意味うってつけだけど、普通に死人出そう」

 

「士郎くん? あれ、私そんなずぼらに見えますか?」

 

 何言ってんのお前?という顔の士郎と、そんな馬鹿な!?と自身の常識をズバッと切り捨てられたバゼット。見た目はバリバリのキャリアウーマンだが、その中身は世間知らずでがさつな普通の女性なのである。殺人許可証持ちの何処がとか言ってはいけない。

 

「では早くミス藤村に紹介してください。出来れば今すぐ」

 

「嫌です」

 

「何故!? ホワイ!?」

 

「理由は色々あるぞ、教えてやろうか?」

 

 広げた指を折り曲げながら、士郎は指摘する。

 

「一つ、アンタ短気そうだしどんなバイトも向いてなさそう」

 

「うっ」

 

「二つ、そもそも四日前のことがありながらそんな風に頼られるとなんかシャク」

 

「うぐぐ」

 

「三つ、これが一番の理由だな。藤ねえはあくまで一般人だ。あっちじゃ居候してただけだから良かったけど、こっちじゃ場合によっちゃ魔術に巻き込むことになる。それは認められない」

 

……そういえば、元の世界でもそうだった。

 衛宮士郎にとって、藤村大河という存在はかなり大きいらしい。同じような存在の少女の苦悩には全く気付いていない辺り、らしいと言えばらしいが。

 

「大切にしているんですね、彼女を」

 

「……まーな。なんだかんだで一番付き合い長いのは、藤ねえだし」

 

 少し言いにくそうについ、と視線を逸らす士郎に、笑みを溢す。

 しかしどうしたものか。打つ手なしとは全く考えていなかったバゼット。士郎に頼れば何とかなったと思っている辺り、マスター達の駆け込み寺という役割は今も継続しているらしい。

 と、

 

「……あ」

 

「もしや、何か心当たりが見つかりましたか?」

 

「ああいや……」

 

「どんな仕事でも構いません。今の私はただの穀潰し、兼け持ちの仕事に糸目はつけません。どんな仕事だろうとパーフェクトにこなして報酬を頂きます」

 

 さあ!、とバゼットが詰め寄る。金がないとはいえ流石に封印指定の執行者、気迫が違う。金は人を本気にさせるのだ。

 それでも何だか気乗りではない士郎は、困り気味に頬を掻いた。

 

「……分かった。文句いうなよ、絶対?」

 

「ええ。ふふ、やはり士郎くんに頼って正解でした。あなたはいつも的確な答えを出してくれますから」

 

 俗世に身を置きながら、これだけ魔術師らしい人物も珍しい。バゼットとしては、こういう事態に陥ったときの対策として士郎に頼るのは、元の世界ではそれなりにあった。

 だからこそ予想するべきだったのだ。

 その解決策がどれだけのことをしでかすのか、を。

 

「というわけで、奴隷としてこの人雇ってくれないか、ルヴィア?」

 

「えっ」

 

 聞き間違いか。奴隷という部分もそうだが、この場に居ない人物の名が。

 思わず立って、即座に屋上への出入り口へ視線を投げる。しかし、バゼットは咄嗟に目を瞑ってしまった。

 余りに眩しく、そして圧倒的なまでのオーラ(金運)。前までは分からなかったが、今の無一文喪女と化したバゼットになら分かる。持たざる者、持つ者の格の違い、そして何より金の気配が……!!

 

「オ~~ッホッホッホッ!! あらあらまあまあ、つい先日まで敵だった相手に泣き寝入りとは。その名が墜ちましてよ、マクレミッツ!」

 

 バッ、といつの間にか作っていた金の扇子(バブルとかそういうのであったファー付きのアレ)を広げ、扇ぎながら屋上へリングインするルヴィア。後ろには既にもう負け犬というか身投げでもしそうな凛がセコンドのように続く。

 

「え、エーデルフェルト嬢!? 何故ここが!? まさか、士郎くん!?」

 

「まあバゼットから連絡来た時点で話すだろ。敵だったわけだし。まあ事実確認も兼ねて」

 

「事実確認?」

 

「えっ」

 

 まさか、と士郎。

 まさか気付かないでここに居るんじゃないだろうな、と。

 

「……あら。あらあらあらあらあら? もしかし、てぇ?」

 

 ニヤァ。

 きんのけものの したなめずり。

 バゼットは ひるんで うごけない!

 

 

「ーー私が潰した口座やクレジットカードの中に、あなたのモノがあったとみてもよろしくて?」

 

「……あっ」

 

 

 そうか。

 バゼットの中で、歯車がカチリとはまった。

 つまり予備の口座、クレジットカード、その他諸々の金銭ルートを丸ごと潰したのは、目の前のこの、ゴールデンコヨーテであり。

 バゼットはまんまと、この女の手で踊らされていたのだ。

 

「……馬鹿な……っ」

 

 膝をつく。屈辱だった。木霊するルヴィアの甲高い高笑いが、頭上からサイレンのように聞こえる。

 考えるべきだった。エーデルフェルト家といえば、魔術世界でも有数の武闘派。その当主であるルヴィアがあの戦いで終わるわけがない。やるなら完膚なきまでに、尻の毛一つすら残らず。それがエーデルフェルトだった。

 更に我慢ならないのは、今はこのルヴィアの力を借りねば金を一銭も稼げないことだった。あらゆる仕事の面接を落とされた以上、バゼットが頼れるのはルヴィアだけ。そのルヴィアに乞えと言うのだ、奴隷でもいいから金をくれと。これ以上、屈辱的なことがあろうか。いやない。あってはならぬ。金だけでなく尊厳すら奪おうというのかこの魔術師は、何と卑劣な……っ!!

 

「……なんか、流石に可哀想になってきたな」

 

「まあこの人もやり過ぎたってことね。にしたって、魔術協会きっての一流魔術師を奴隷として雇うとか、恐れ知らずも良いところというか……まあそこら辺の木の根食べてでも生きるなら、ストレスじゃ死なないだろうけど」

 

 ひそひそと蚊帳の外の二人。ちなみに凛も昼食がまだだったらしく、クリームパン片手に事の成り行きを見守っている。何ともシュールな光景その二である。

 

「さあ、どういたします? 私に忠誠を誓い、金をたんまり稼ぐか。それともあくせく稼ぎつつ、カレンの追求からも逃げるか……さあ?」

 

「……………………………………………さい」

 

「ん~~~~~~~?」

 

 手で耳にメガホンを作り、答えを聞き出すバゼット。その形相たるや、さながらドリルを回転させながら喉元に突きつけ、はいかイエスを迫るけものだ。端的に言えば大人げないにもほどがある。年の差や立場など関係なく。

 バゼットに俊巡はない。道などなく、それでも進めるよう仕向けられたのだから当然のこと。

 

「……働か、せて、くだ、さい……」

 

 余りに悔しいのか、手をついていたコンクリートに、亀裂が走る。されどルヴィアは、気にせず満面の笑顔で。

 

「ええ、喜んでこき使ってあげましょう。報酬は弾みますわよ、執行者殿?」

 

 ばちこーん、と嫌味たっぷりのウィンクでバゼットは撃沈。側に控えていたらしいオーギュストに取っ捕まえられ、連行されていった。

 そんな転落人生を目の当たりにした士郎は目を細くし。

 

「……お金は大事にしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude out.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また今日も、慌ただしい一日が終わった。いやいつもに増して慌ただしかったがもうアレは放っとこう。終わったことだ。

 とにもかくにも。

 今日は少し、用事がある。

 

「……」

 

 新都。

 何度も歩いてきた遊歩道は、昨日降った雨がまだ僅かに水溜まりとして残っており、夕陽を反射させている。水面に映る夕陽が直に見るより乱暴に感じて、何となく視線を横に移す。 

 とはいえ、今日は歩いているわけではない。流石に松葉杖をついて歩ける距離ではないからだ。

 隣には、同じように黙って座っている美遊が居る。

 今向かっているのは、冬木の協会。そこへ、美遊と二人でオーギュストさんに送ってもらっていた。

 あの辻斬りがまいの執行者が襲ってきた件は、カレンも一枚噛んでいる。というのも、まあ襲ってきた本人が言ってきたからだ。

 

ーーええ、カレンもこの前のことには絡んでいます。そして私を退けたのなら、カレンも知っていることを全て話すでしょう。

 

 そう、クラシカルなメイド服姿でバゼットは断言した。清楚な雰囲気が一切しなかったのは言わぬが華か。

 しかし。

 

「……」

 

「……」

 

 学校からここまで十数分。それなりの時間美遊と一緒に移動している。が、俺達の間に会話は一切なかった。

 それもそのハズ、美遊が並行世界の住人で、俺の妹だと知ってから、面と向かって会話をしていないのだ。

 一応第二の並行世界の住人である美遊の話も聞いておきたかったため、一緒に教会へ向かっているわけだが。

 

「………………」

 

「………………」

 

 気まずい。非常に。

 何を今更と思うかもしれない。今の今まで美遊にお兄ちゃんと呼ばれてこっちも擬似的に妹として接してきたのだ、それがまさか本当に兄妹だったなんてこう、色々と考えてしまう。

 何を考えて兄と呼んでいたのか。

 兄と呼ばせたことで、余計に孤独になってしまったんじゃないか。

……その気持ちが、少しは俺にも分かってしまうからこそ。何から話して良いか、分からなかった。

 とにかく続かなくても良い。会話して唇を動かさないと、乾いて開かなくなってしまいそうだった。

 

「……なあ、美遊」

 

 自分でも驚くほど小さい、頼りない声で呼んだ。

 妹のような少女は、背中を震わせて反応したが、こちらの顔は見なかった。ただそれでも聞こうとしていた。

 なら、ちゃんと話さないと。

 

「……お前の話、聞かせてくれないか?」

 

「……」

 

「覚えていることでいい。分からないならそれでもいい。けどお互い素性を知っちまった。俺のことは……二日前に、話したよな。覚えてるか?」

 

 こくん、と美遊が頷いた。顔を合わせて話すことは出来なかったものの、エーデルフェルトの屋敷で療養していたときに、部屋の掃除をしていた美遊に全て話した。

 そのときの美遊は驚いたりしなかった。あらかじめ知っていたのか、ただ表情を曇らせて、聞き入るだけだった。

 

「……話したくない、って言ったら、怒る?」

 

 恐る恐るというよりは、答えが分かっていての問いかけだ。

 

「怒る、と言いたいけど……俺も一番話さないといけない相手には、何も話してないよ」

 

 これはただ、自分勝手に美遊の話を聞きたいという俺の我が儘だ。

 見過ごすことだって出来る。

 むしろ見過ごした方が、美遊にとっては心地のいい関係なのかもしれない。

 

「けど、俺達は互いの素性を知った。何を失って何を得たのかを。俺はさ、別に美遊のこと何も知らなくたって助けるし、支えてやりたいと思ってる……でも」

 

 それは、今となっては逃げにしかならない。

 美遊も、そんなことはとっくに自覚している。していながらも、それでも、魅力的だったのだ。

 兄と同じ顔をした存在というのは、とても。

 俺も同じだから、その気持ちは共感出来る。

 

「……わかった。話す」

 

 大して躊躇いもなく、美遊は滑らかに語り出す。恐らく最初から話す気ではあったが、切っ掛けが掴めなかっただけなのかもしれない。

 美遊の話は、事前に全て遠坂から聞かされていた。

 けれど美遊の口から聞かされて、改めて、その苛烈な境遇を知ることが出来たような気がする。

 イリヤやクロとも違う、美遊だけが持つ、大人びた憂い。いや諦観か。それは美遊が生きてきた人生に基づくモノだったのだから。

 しかしそれでも、やはり美遊は全てを話したわけではないようだった。

 

「……つまり、美遊が覚えているのはエインズワースっていう魔術師の一族に、神稚児の能力を狙われていて、その時にお前の兄貴が戦ってくれたことだけで。具体的にどんな戦いがあって、どんな会話をしたかは全く覚えてないってことでいいのか?」

 

「うん……覚えてるのは、お兄ちゃんがわたしに願ってくれたことだけ。バゼットさんやカレンさんは、お兄ちゃんと一緒に戦ってくれた事実は覚えてるけど……」

 

 それすらあやふや、か。

 ここに来て美遊が嘘をつくとも思えない。となれば、美遊はやはり覚えていないのだ。まるでストーリーのあらすじ紹介みたいにおおまかのことは分かるが、それ以外は全く覚えていないのだ。

 兄貴がどんな顔で戦ってくれたのか。

 どんな言葉をかけてくれたのか、それすら。

……しかし、少し妙だ。

 俺やバゼット、カレンもそうだが、元の世界の人間と相対すれば、少しは元の世界のことも思い出せる。

 ほぼ同一人物の俺が目の前に居て、それでも思い出せないとすれば、それだけ世界からの修正力が強いのか。

 それとも、元の世界の記憶は余りにショックが強すぎて、わざと忘れている(・・・・・)、のか。

 

「……」

 

 夏特有のねばつくような夕陽が、窓から差し込んでくる。

 神稚児としての力。それが強大だということは、既に知っての通りだ。

 しかし完全に制御しているとも言いがたい。

……とにかく。

 

「ありがとな、話してくれて。それと悪かったな、あんまり思い出したくないこと思い出させちまった」

 

「……ううん。ずっと、向き合わなきゃいけないと思ってた。だからむしろ、感謝してる」

 

「そっか……美遊は強いな。兄貴と離れ離れなのに」

 

「……離れ離れ、だからかな」

 

 俺よりもずっと小柄で、それでも苦しみに耐えてきた少女は、目を瞑る。

 その目蓋の裏には一体何が映っているのか。そんなこと、問うまでもない。

 

「例え同じ空の下じゃなかったとしても。最後、どんな姿形だったかすら覚えていなくても。それでも、あの声だけは、覚えてる」

 

「……あの声?」

 

「うん。わたしが幸せでありますようにって。世界に背を向けて、祈ってくれた声」

 

 世界に、背を向けて……か。

……俺には未来永劫、出来ないことだ。正義の味方という夢をいつまでも捨てられない、衛宮士郎には。

 それを、美遊の兄貴はした。

 羨ましくもあり、そしてその心を想うと、痛ましくもなる。

 世界の敵。

 かつてそれこそ刃を向けるべきと定めた男は一体、何を考えていたのだろうかーー。

 

「……ねえ、お兄ちゃん」

 

「ん?」

 

 思わず押し黙っていたが、まだ話は終わっていなかったらしい。

 

「なんだ?」

 

「その……イリヤのお兄さんのことだけど。お兄ちゃんは自分が殺したって思っているかもしれないけど、それは違う。あれは」

 

「俺だよ」

 

 その先は言わせない。

 この少女には、それだけは決して言わせてはならない。

……誰のせいでもないと言うのは簡単で。罪を押し付けることも、それこそ容易なことだ。

 だから自分が背負わなければならない。

 泣きそうになっている彼女の肩を、抱き寄せて。

 

「あれは俺のせいだ。俺が奪った。だから、お前は何も悪くなんてない」

 

「……そんなこと、ない。あなたが悪いハズがない。あなたは巻き込まれただけで、生きるためにはどうすることだって出来なかった。生きるにはそれしか道がなかった。だけどわたしはそうしなくても生きていられたんだ、きっと」

 

 そうかもしれない。

 でも。

 

「それじゃあ、お前が幸せになれない」

 

「……っ」

 

「兄貴は祈ったんだろ? 何に代えても、美遊には幸せになってほしいって。そして美遊も思ったんだろ、兄貴と一緒にいたいって。だから連れてこようとしたけど、間違えて俺を連れてきたんじゃないのか?」

 

「……だったら、やっぱり、わたしが」

 

「そんなわけあるか。当たり前だろ、家族なんだ。一緒にいたいって思うのが当たり前で、俺がそれに割り込んだのが悪いんだ」

 

 結局何も変わりなどしない。

 

「最後に命を刈り取ったのは俺なんだ。その俺がその罪を放り投げたら、アイツの死が何の意味も無くなっちまう。それは、絶対にしちゃいけないんだ」

 

 十字架は幾つも背負ってきた。

 重くて、どんなに年月を経てもきっとそれが軽くなることはないけれど。

 だからこそ、その重みがどれだけ大切なことなのか、それを思い知った。

 人は痛みを知らなければ学習しない。 

 と、胸の中の美遊が手を伸ばす。そして心臓に手を当てると、囁いた。

 

「……わたしには、何も背負わせてくれないの?」

 

「歩いてるだけで苦しそうな顔してるくせに。十年早いわ、この娘っ子」

 

「人のこと言えないでしょ、もう……」

 

 冗談めかしていると、車が大きく揺れる。外の景色を見るとあの教会の前で止まっていた。目的地へ辿り着いたのだ。

 俺達は車から降りると、オーギュストさんに礼を言って、改めて教会を目の当たりにする。それなりにここへ通っているが、ちっとも慣れない。夕暮れを覆い隠すかのような佇まいは不気味だ。少なくとも、毎日ここでお祈りなんて死んでもごめんである。

 教会の扉を引いて、内部へ。

 

「……オルガンの音?」

 

 やはりというか。身廊の先、祭壇の横ではカレンがパイプオルガンを弾いていた。

 荘厳な音色が、教会に広がっていく。それは海の上を走る波紋のようで、俺達の耳にも染み渡るかのごとく響く。しかしだからこそ、ずぶずぶと入ってくる音はさながら這い寄る虫のように不快で、鼓膜をかき毟りたくなるほど酷い。

 心を覗かれる。そんな感覚。

 

「……綺麗」

 

 何処が、と咄嗟に言わなかったのは、日頃の精神統一の賜物だろう。息を吐いて、近くの長椅子にどかっ、と座った。美遊もそれに続く。

 演奏はそこまで長くはなかった。精々が二、三分程度。しかし演奏が終わる頃には吐き気が喉までせり上がってきていた。

 

「吐くほど苦しみたいなんて、本当にあなたはどうしようもないマゾ豚ね。ほら、神聖な教会で吐いてその背徳に喜びを見出だしなさい」

 

「誰がするか、誰が。つか、小学生の前で汚い言葉を言うんじゃねえ教育に悪い」

 

 頬を上気させたまま、カレンはややつまらなそうに俺達の前の長椅子に座った。美遊は言葉の意味は分かっているようで目があちこち泳いでいた。

 おほん、と空咳をうって場を落ち着かせる。

 気を取り直して。

 

「今日は何のご用で? まさか言葉責めされに来ただけではないんでしょう?」

 

「当たり前だ……この前バゼットが俺達を襲ってきたのに、お前が噛んでるってバゼット本人から聞いてな。で、お前はまだ何か俺に話してないことがあるんじゃないかとと思って」

 

「なるほど」

 

 あの鎧女め、と小さく吐き捨てるカレン。何処までも教育に悪い奴である。

 

「まあ、そうですね。あのバゼットを仮にも退けたのです。私の知ることを話しましょう」

 

 さて、何から問うべきか。

 聞きたいことは数知れないが、まず問うことは決めていた。

 

「お前は覚えているか、元の世界のこと?」

 

「……いいえ。しかし一つだけなら、覚えていることがあります」

 

 修道女はわざとらしく、慈愛に満ちた笑みを浮かべてそう告げた。

 

「夢を。天へと続く階段を、歩き続ける夢なら。今も覚えています」

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ僅かに夕日が残っている、新都の夜。

 カレンとの会合を終え、俺達はリムジンに乗って帰路についていた。

 

「……結局、大した情報は得られず、かあ」

 

「仕方ないよ、カレンさんもわたし達と同じ状況だったんだし」

 

 そう。あれだけもったいぶったカレンとの邂逅では、あまり有力な情報を得られなかった。奴なら何か知っていると思っていたのだが……あてが外れてしまった。

 分かったことは、カレンも元の世界のことは余り覚えていないこと。

 八枚目のクラスカードーーアサシンはカレンがバゼットの時と同様、試験としてけしかけたこと。

 聖堂教会を通じてエインズワースやクラスカードについて調べたが、それほど情報は得られていないこと。

 そして柳洞寺の大空洞にある九枚目のクラスカードが、それまでのクラスカードとは比べ物にならないこと。

 つまるところどん詰まりである。

……いや、最後のクラスカードについては思うところがあるが。何せ俺の予想通りなら、固有結界でも使わないと勝ち目がない。

 

「はぁ……」

 

「ほら、元気出して」

 

 だと言うのに、美遊はむしろ機嫌がいい。どうしてだろうか?

 

「美遊は元気だなあ。俺が元の世界に帰る方法は、ろくに見つかってないんだけど」

 

「え? あ、うん。まあそうなんだけど……」

 

 浮かれてたことに恥ずかしくなったのか。耳たぶまで真っ赤にして、手で前髪をいじる美遊。

 

「……なんていうか。お兄ちゃんにきちんと話せたから、もう自分の事情を誰にも隠してないんだなって。そう思ったら、何だか気分が高揚して」

 

……ああ、そうか。

 美遊にとって俺達は、常に仮面を被って相手をするようなモノだったのだ。それを外して、大手を振って触れ合えるのだ。嬉しくないハズがなかった。

 

「なあ、美遊」

 

「ん、なに?」

 

「美遊は、元の世界に帰りたいか?」

 

 言ってしまった、と思った。

 口から溢れた言葉は取り消せない。

 美遊は、案の定さっきまでの笑顔を消して、考え込んでいた。

 当たり前だろう。

 ここは美遊にとってもう一つの居場所なのだから。

 一度帰れば、もう二度とここに来れるか分からない。

 それを捨てて帰れるか。そう問われて、すぐに答えを出せるわけもなかった。

 

「……どうなんだろう。考えたこともなかった。帰れるなんて」

 

「え?」

 

 帰ることを、考えなかった?

 

「あ、帰れたらいいな、とは思ってたよ? お兄ちゃんが今、どうしているかなんて分からないけど。それでも、やっぱり会いたいし」

 

 けど、と美遊は儚い笑顔で告げる。

 

「帰る方法を探そうとは。わたしは一度も、思わなかったなあ……」

 

……この世界で美遊が得た全てと、元の世界にあった全て。その二つを天秤にかけたところで、どちらが大事かなんて簡単に判断をくだせない。

 だからこそ帰りたいが、同時に帰る方法を探そうとも思わなかったのだ、美遊は。

 帰れば最愛の兄に会える。その代わりにまた血みどろの戦いで奪い合いが発生し、兄が傷つく。

 残れば温かい家族と友達が居る。その代わり最愛の兄は居ない。

 これ以上ないほど残酷な、取捨選択。

 

ーーだから見つけなさい、帰りたい理由を。この世界を否定してでも帰りたい、元の世界の光を。

 

 遠坂は言った。

 正しさだけでこの世界を、人間を切り捨てるな、と。

……その通りだ。

 正しいだけの正義なら俺は要らない。

 でもそれなら、俺はどちらを選べば良いのだろうかーー?

 

「だから、わたしも探そうと思う」

 

「? なにを……?」

 

「帰るだけじゃない。この世界と元の世界を自由に行き来出来る方法を」

 

「……!」

 

 それは。

……ああ、それは。

 俺がずっと、求めていた答えだった。

 なんでこんな簡単なことを、今の今まで思い付かなかったのだろう。

 捨てる必要なんて何処にもなかった。

 会いたいならそれでいい。一緒に居たいなら、それで良かったんだ。

 

「お兄ちゃん言ったでしょ? わたしも、イリヤも、クロも。みんなを守るんだって。だったらその責任取って、みんなと一緒にいなきゃ」

 

 そう。

 別に誰かと一緒にいたいという気持ちのために、誰かと一緒にいられなくなるなんて、そんなことはなかった。

 ただその道が、険しいだけで。

 

「……ああ、そうだな」

 

 無論簡単なことじゃない。

 それはつまり、第二魔法を掌握してみせるという話だ。

 一生かかってもその断片にすらたどり着けるか分からない、神秘の最奥。正義の味方と同じ、夢が夢で消える可能性の高い。

 それでも。それまで鬱積していた感情は、嘘みたいに消え失せていた。

 当たり前すぎて忘れていた。何かを捨てないといけないかもしれないが、何もこの世界を捨てなくてもよかったことを。

 

「ありがとう、美遊。答えを教えてくれて」

 

「元の世界に帰りたいかって聞かれて、それに答えただけだよ。何もお礼なんか……」

 

「いいや、言わせてくれ。ありがとう、すっきりした」

 

 美遊は困ったように頬をかく。そんな彼女が、とても愛しく思える。

 僅かに残った夕陽が、夜に飲み込まれていき、美遊の顔が見えなくなった。

 そのときだった。

 

「そういえばお兄ちゃん。最後、カレンさんと何か話してたけど、何かあった?」

 

 会合が終わった後のことだった。

 美遊を先に車へ帰して、自分にだけカレンは話があると言ってきたのだ。

 まあ、あることはあったが……。

 

「首を洗って待ってろ、だとさ。やられっぱなしは趣味じゃないんだと」

 

「あー……」

 

 カレンらしい、と美遊は微笑む。

 そうだな、と返した。

 ふと。

 自分の腹を、もっと言えば左下腹部を擦った。

……そこにあるモノも。カレンと話した、重要なことも。

 美遊には、話さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind/interlude12-2ーー

 

 

 それは、あくまでカレンと士郎の間だけで交わされた会話だった。

 

「で、話って?」

 

「あなたの身体の事です」

 

 今なお、士郎の身体はこの世界のエミヤシロウの魂と徐々に融合している。カレンが美遊を外させたのは、その症状を悟らせないためだろう。

 と、思っていた。

 

「あなたの身体は今、この世界のあなたと融合していますが……その負荷は尋常ではなかったでしょう」

 

「ああ」

 

 余り大っぴらに言えることではなかったが、だからこそ融合の副作用は士郎とて辛かった。

 それこそ、時には死を覚悟したほどだ。

 

「ええ、でしょうね。緩衝材無し(・・・・)だったら、あなたは死んでいたでしょうから」

 

「……緩衝材?」

 

 一体何のことだ、と目で訴える士郎に、カレンはとある事実を答えた。

 

「あなたの身体には今、一枚のクラスカードが一体化しています。この平和な世界とはかけ離れた英霊を」

 

 カレンは陶磁器のように白い手を伸ばし、士郎の心臓辺りへ添える。

 

「十枚目のクラスカード。アヴェンジャー、アンリマユ。それがあなたの命を繋ぎ止めている英霊の名です」

 

……アンリマユ。

 拝火教、ゾロアスター教の善悪二元論において、絶対悪として伝わる神霊。

 世界の始まりのとき、創造神スプンタマユが出会ったのがこのアンリマユであり、二柱の神はそれぞれ善と悪を選び、この世を作ったという。

 

「……遠坂凛があなたの生命維持のために取り込ませた……と知識にありますが、元々は別の目的があったようですね。それがどういったモノかまでは世界の修正力によって読み取れませんが、しかしそれがあなたをこの世界にに飲み込まれないよう負の側面を見せ続けてきた。いわば気つけ薬に近いでしょうか」

 

「なるほど……つまりあの野郎がアンリマユか」

 

 そういえば、あの入れ墨だらけのバンダナやさぐれ男が士郎の前に現れたとき、いつも地獄のような場所だった。

 あれが何なのか、二度も訪れた今ですら分からないが、例えばそれが絶対悪と呼ばれる神霊の精神なら納得だ。趣味の悪さも神霊級だったというわけだ。

 

「……あの野郎? アンリマユは本来意思を持たぬ存在のハズですが……」

 

「そうなのか? 俺はてっきりあの野郎がそうなんだと思ってた」

 

 一瞬。

 一瞬だけ考える素振りを見せたカレンだが、すぐにさて、と話を戻す。

 

「衛宮士郎。あなたがアンリマユのクラスカードによって生き長らえていた、というのは先に言った通りです。しかし、それも一時的なモノです。私の見立てで言えば、その腹部を庇うような動きから、既に何らかの兆候があったと見ていますが」

 

 つう、と胸に添えていたカレンの指が、士郎の上半身をなぞり、下腹部を小突いた。

 

「……流石怪我の専門家だな。そんなことで気付くのか」

 

 観念して、士郎はワイシャツをまくる。

 健康的な肌をした場所が、左の脇腹辺りから途切れ、黒ずんだ火傷のようになっている。それは度重なる投影による副作用にも似ていた。だが少し違う。投影の副作用は錆びた鉄に近い色だが、これは何か混ざってひたすら黒くなっている。

 

「……いつもなら少しは治るし、ここまで広がらない。教えてくれ、これはなんだ?」

 

「……アンリマユのクラスカードは、聖杯の泥と呼ばれる、聖遺物を侵す呪いの塊を生み出すほどの悪性を内包しています。今まではそのおかげであなたはこの世界の修正力、幸福に打ち負けることは無かった」

 

 しかし、

 

「毒をもって毒を制したところで、結局は毒。恐らく魂の融合が三か月も長引いたのは、クラスカードという不純物があってこそ。そして今、長く聖杯の泥と同質の呪いに侵された身体は、悪と言う一つの属性に染まりかけ、それによって融合も最終段階に入ろうとしている」

 

 つまりカウントダウン。

 衛宮士郎という人間にとっての、導火線。

 

「これからもし大きな戦いがあって、そのとき固有結界を使ったが最後。あなたの魂は完全に融合し、そして泥によって人格が反転します」

 

「反転したら、どうなる?」

 

「言うまでもないでしょう?」

 

 だろうな、と士郎は見当をつけていた。

 全てを守ろうとする正義の味方。

 それが反転すれば、全てを殺戮するまで止まらないというわけだ。

 

 

「リミットは、その黒い火傷。それが全身を埋め尽くしたとき、あなたは人間として、衛宮士郎として死ぬ」

 

 

 なるほど、と士郎は客観的にその事実を受け止めた。

 何せ二か月も前に、ルビーから言われていたことなのだ。

 それが、少しだけ早く、目の前まで迫ってきただけ。

 九枚目のクラスカードーーそれまでの傾向を鑑みるに、真名は最早決まったも同然。

 英雄王ギルガメッシュ。

 一年以上前、衛宮士郎が固有結界を使用しても最後に勝つことが出来なかった、最強のサーヴァント。

 サーヴァントが居ない今、ギルガメッシュに対抗出来るのは衛宮士郎だけ。

 そして固有結界を使ったところで衛宮士郎は死ぬ。

 なら簡単な話だ。

 

 

 

「ーー俺は最期に目を閉じるそのときまで。目に見える全ての人たちを、守り続けるだけだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーRewind interlude end.

 





現在の士郎

・平行世界の自分と融合中。魔術を使用すればするだけ融合は進み、現在既に最終段階。

・平行世界の自分と主導権を取り合った末にその精神を殺害し、時に夢に見るほど後悔している。

・アンリマユのクラスカードでしあわせな世界に押し潰されなかったが、逆に長期間取り込んでいた為、聖杯の泥に内側を犯され、固有結界を使えば反転する可能性がある。

・世界からの修正力で元の世界の記憶を思い出せない。またこの世界の衛宮士郎の回路をも使った魔術行使は記憶そのものを破損させる。



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夏の日常/望んでいた日々

「えー、というわけで皆さんこの一学期本当にお疲れさまでした」

 

 七月二十日。

 月末の入り口となったこの日、冬木の学校は一斉にとある式が開かれていた。

 

「明日からの夏休みですが、中学のときのように遊び惚けてばかりではいけません。卒業後の未来を見据え、各々やるべき課題を設定し、一つ一つクリアすることが大事です」

 

 こんなときほど、教師の話が長いのは最早風物詩と言えるだろう。教室に押し込められた生徒達は皆、太陽に肌を炙られ、今か今かと話の終わりを待っていた。

 そんな様子を見て、やや仕方なさげに白旗をあげるかのように教師は告げた。

 

「ではみなさん、また。それでは夏休みを楽しんでくだ、」

 

「しゃあああああああああああああああああああああああああああああああ夏休みだああああああああああああああああああああああああ!!」

 

「海行くぞおらああああああああああああああああああああああ!! オトナの女とオトナの階段ホップステップジャンプじゃああああああああああああああああああああああああ!!」 

 

「うるせえ!!!!! せっかくの夏休みなんだ、寝させろこの野郎ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「最後まで言わせろ、と言っても聞かないよね……」

 

 すごすごと担任教師は狂喜乱舞する生徒達(主に夏という季節にあてられた男ども)を回避しつつ、教室を後にする。

 遠くで入道雲が、空を泳いでいる。

 

 

 今年も夏が、やってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっき一学期最後のホームルームが終わったばかりだというのに、教室はもう夏休みムード一色だった。

 それもそのハズ、学生の金字塔である夏休みが到来したのだ。しかも高校生ともなれば、やれることも増えてくる。

 そこら中から遠出、旅行の話などが聞こえてくる。夏休みなんてもう体験出来ないことだと思っていたが、こうして雰囲気に囲まれるだけでも不思議と気分が高揚してくるものだ。

 

「おい衛宮」

 

 いつものようにぶっきらぼうな態度で机の前まで来たのは、慎二だった。慎二も夏休みムードの前では受かれているようで、何処と無く虫の居所が良さそうである。

 

「どうした慎二? 何か用か?」

 

「用がなかったらお前のところに来るわけないじゃないか。ほら、八月の初めに新都で夏祭りあるだろ?」

 

 そういえばそんな話をイリヤもしていたな。何でもその時だけ新都の一画を歩行者天国にするくらいには、大規模だとか。

 

「あったな。慎二は行くのか?」

 

「当たり前だろ? つかなに、お前は行かないわけ?」

 

「行かないっていうか、行けないというか……」

 

 煮え切らない返事をすると、予想通り慎二は途端に口を尖らせた。

 

「はぁ? お前さあ、そんなんで高校生活楽しいわけ? 夏休みって言ったらそりゃあ海、お泊まり、夏祭りだろ! それを行かないなんてさあ、夏を楽しむ気持ちが無さすぎだって話さ」

 

「衛宮にも用事があることを知らぬ身で、よくもまあそこまで言えるものだな、間桐」

 

 そう、片合掌で横から割って入ったのは、一成だった。

 慎二はこれまた露骨に鼻を鳴らし、

 

「なんだよ、生徒会長。衛宮に予定なんかあるわけないだろ。こいつ夏休みの予定なんかその場で作るタイプだろうし」

 

「む、失礼だな慎二。俺だって予定くらい立てるからな?」

 

「その通りだ。衛宮は月末から卒業後のため、イギリスへ旅行するのだ。夏祭りなど行けるわけなかろう」

 

「な、なんだとぉ……っ!?!?」

 

 ぐわぁ、と今月、いや今年一番の驚愕に顔を染めつつ後退りする慎二。そんなにか。そんなになのか慎二。

 そも、旅行と言っても元の世界に戻る方法を得るために、宝石翁ゼルレッチと会う約束を遠坂に取り付けてもらった為だ。最初に聞いたときはまさかと思ったが、会えるのならこれ以上ないチャンスだ。バゼットに護衛してもらえるのなら、それほど危険なことにはならない……と思うが、実際のところは分からない。少なくとも道楽気分でいける場所ではないのは確かだ。

 

「この妹の話か雑用か家政婦か使用人の真似事しかやらないような衛宮が、イギリスに旅行、だと……!? 外国に旅行とかお前、夏を楽しむレベルが高すぎるだろ!! 衛宮のくせに!! 衛宮のくせに!!」

 

「二回言わなくても良くないか、慎二……というか羨ましいのか、もしかして」

 

「当たり前だろ!! 僕だってイギリスのクソ不味い飯を食べながらヨーロッパのマダムと話したいわ!! つかやらせろ!!」

 

「ふむ。貴様は知らなかったのか、間桐。あいやスマン。『友達』ならば知っていて当然と思っていたんだが。うん、俺は知っていたからてっきり知っているものかと」  

 

 痛いところを突かれたとのけ反る慎二と、眼鏡を光らせて不敵に笑う一成。何だろうか。何でちょっと熾烈な争いを見ている気分になっているのか。

 とはいえ、

 

「夏祭りか……慎二と一緒にそういう用事に行くのって、最近なかったな……」

 

 考えれば慎二とは、何となく疎遠になってしまい、そして聖杯戦争のときに決定的に対立してしまった。あの後慎二は魔術師への執着などは捨てて、桜とも仲良くなったとは聞いている。

 しかしこれは全部桜や藤ねえから聞いた話だ。聖杯の器にされ、入院した慎二は俺や遠坂とは面会を拒否したし、三年になってからも慎二とはまともに話すことすら出来なかった。

 ここの慎二とはそういう諍いもない。だから夏祭りにも行きたいが……。

 

「ふ、ふん。まあいいさ。衛宮がその気なら僕だって誘わないね。イギリス旅行楽しんできなよ、どうせ衛宮のことだから英語すら喋れないままワタワタしてるだろうけどね!! ハン!!」

 

 これである。

 慎二はとにかく気難しい奴で、時々なんで怒るのか分からなくなる。がしかし、大抵は本気で怒っているわけでもない。要約すれば、

 

「うん。じゃあ何処か出掛けよう。明日空いてるか?」

 

「は? 明日? まあ空いてるけど……」

 

「なら明日、イリヤ達が海水浴に行くんだ。その引率を俺と一成が引き受けたんだけど、どうせなら慎二も行こう」

 

「はぁ!?」

 

「おい!?」

 

 何故か俺の提案に驚く慎二と一成。

 そして二人して言葉を捲し立て始める。

 

「妹と海に行くとかお前むしろ夏エンジョイしてるじゃねーか! つかなんだ、そんなお情けみたいな感じで海いけるか! 柳洞もついてくるんなら尚更ヤダね!」

 

「それはこちらの台詞だ間桐! というか衛宮、こんな奴を妹さんの前に出すな! 教育に悪いわ! この男は不埒で破廉恥極まりない! 特に女に目がないところなどはな!」

 

「ハァ!? 男だったらそりゃ美人の水着くらい見るだろ! ナンパするだろ! それとも何だ、生徒会長は坊主らしくアソコも坊主かい? おい衛宮、そいつ恐らくお前に気があるぜ?」

 

「なっ、何を馬鹿なことを言うか!? 恥を知れ間桐!! そこに直れ、窓から投げ捨ててくれるわこの海草竿師め!!」

 

「誰が海草竿師だゴルァ!?」

 

 何かとんでもなく下品な方向に話がジェット噴射していく。掴み合いになりそうな二人の間に入り、引き離した。

 

「とりあえず! どうせなら一成と二人で行くより、慎二も入れて三人で海に行った方が楽しいだろ? 明日はイリヤの友達も大勢来るし、二人だと話すことも少なくなりそうだからさ」

 

「俺では貴様の無聊を慰めることも出来ないというのか!?」

 

「誰もそんなこと言ってないだろ? なあ慎二、せっかくの夏なんだしお前だって海行きたいだろ?」

 

「そりゃ行きたいさ! けど衛宮はともかく、柳洞と一緒だなんて死んでもごめんだね僕は」

 

「ならば貴様は大人しく弓道部に行けばよかろう。そら、もう今は夏休みだ。存分に弓道着に汗を滲ませておけばいい」

 

「ケッ、なーにが汗を滲ませておけだ。女に興味ない坊主が海行って何すんだっつうの日射病でさっさと極楽でもなんでも行ってろよ」

 

「何か言ったか間桐?」

 

「言ったぜ柳洞聞こえなかったかその耳は飾りかい?」

 

「やめろってばお前達……」

 

 この二人がここまでいがみ合うことは今までなかった気がするのだが、俺の知らない内に何かあったのだろうか?

 

「あ? 別に何もないよ僕らは」

 

「何かあったと言えば、お前のことだろう衛宮。今までこういった用件を俺達に話すことも誘うことも、お前からは無かっただろう?」

 

「……そう、だっけ?」

 

「うむ」

 

 ふむ。

 エミヤシロウもそこは俺と変わらなかったのか。俺と彼は真反対だから、てっきりそういうことも誘ってるもんだと思っていた。記憶は欠落しているから確実ではないのだが、それでも確かに誰かを誘った記憶はない……いや。

 

「それとお前達が喧嘩してるのって何か関連があるのか?」

 

「ハッ、これだから衛宮は。いいか、お前から誘われるなんてこと初めてなんだぜ?」

 

「となれば、学友としてその誘いを拒否する理由などあるまい。が」

 

「「それはそれとしてコイツと海に行くのは真っ平ごめんこうむる」」

 

 お互い相手を指差した二人は、口を揃えてそう言った。

 

「……あー、これを機会に親睦を深める、とか……」

 

「は?」

 

「……」

 

「ダメかそうだなすまん」

 

 二人のそれはねぇだろという視線にあえなく肩をすくめる。

 むぅ。三人で海に行ったら絶対楽しいと思ったんだけれど。残念。

 がしかし、そこで助け舟が一つこちらの港(机)へ着けてきた。

 

「人気者だね、士郎くんは」

 

 穂群原学園の元祖マドンナ、森山である。バチバチと睨み合いになってるクラスメイト二人に怯えつつ、すすす、と森山は耳元で囁いてくる。

 

「さっきから話は聞いてたけど、二人は士郎くんのことほんとに大事にしてるって分かるよ」

 

「大事にしてるというか、大袈裟というか……まあここまで言われるのは少し嬉しいけどさ」

 

 というか、森山に囁かれるのはとても心臓に悪い。声をあげなかった自分の精神力を褒めてやりたい。おっとりとした雰囲気から出る声にフェチを感じる輩も少なからず居るモノなのだ。

 

「ああそうだ。この前はありがとな、森山。三人への誕生日プレゼント選び、参考になったよ」

 

「ううん、わたしは別に特別なことなんか……」

 

「いや、その普通の感性が凄く助けになった」

 

「そう? わたし途中からあまり覚えてなくて……気付いたら家に居たから、多分迷惑かけちゃったなって。せっかく士郎くんとお出掛けだったのに……」

 

 申し訳なさそうな森山だが、まあその余り覚えてない理由は例のごとくだ。誕生日プレゼント選びを手伝いたいとか何とか言っていたが、まあ十中八九デバガメだろう。あの二人のところ構わず喧嘩して魔術をぶっぱなす性格はいつか大きな間違いを起こしそうで怖い。

 

「で、どうするの、海? 二人は士郎くんと行きたいみたいだけど」

 

「俺だって、こんな機会滅多にないんだから二人と行きたいさ。でもまあ強制するのは違う気がするし……」

 

「……わたしに任せて」

 

 へ? どういうことかと尋ねる前に、森山は今もいがみ合っている二人へ問いを投げた。

 

「間桐くん」

 

「ん?」

 

「柳洞くん」

 

「む?」

 

「二人は、士郎くんの友達でしょ? だったら、今回は士郎くんのお願いを聞いてあげても良いんじゃないかな? じゃないと、このままだと二人とも海には連れていけないって士郎くんが」

 

「……え!?」

 

 そんなこと一言も言ってないんだが!?

 

「……それは……」

 

「……困るな、うむ」

 

 そしてそんなに海に行きたいのか、君達。

 意外や意外、二人のいがみ合いはそこで終わりを迎えた。うぅむ、まさかこんな簡単に幕切れになるとは……。

 

「……まあ、いいか」

 

 話がまとまったんならそれでいい。

 むしろ森山のおかげでやっと明日のことを三人で話すことが出来るのだ。感謝しないと。

 

「森山、ありがとな。助かったよ」

 

「言ったでしょ、任せてって。二人とも友達なんだから、士郎くんに誘われたら一緒に行ってくれるよ。例えそれがカエルみたいな相手と一緒でも」

 

「か、カエルかあ……」

 

 いやどっちかというと……。

 

「言われてるぜ柳洞」

 

「言われてるな、間桐」

 

「おいおい、カエル面のくせによく言えるぜ」

 

「貴様こそ泥まみれの川を泳ぐカエルか海草だろうによく口が回る」

 

 アレはもう包丁を互いに握って立ち会ってるのに近いのでは。

 今更そんなことを思いつつ、明日の予定を二人と打ち合わせることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude13-1ーー

 

 

 一方その頃。

 新都、ショッピングモールでは。

 

「夏休みは海なんだよ、結局!」

 

 そんな嶽間沢龍子の第一声に、遺憾ながらイリヤ達一同は頷いた。

 明日からは夏休み。夏休み=毎日遊び放題。無論担任があの冬木の虎こと藤村大河なのでキツくなさそうでキツい宿題が与えられていたり与えられていなかったりするが、まあそれは省略。要はちょっと頭の悪いお友達には藤村先生から有り難い補習代わりの宿題倍額キャンペーンというわけだ。

 さて、そんなわけで明日はイリヤ、クロ、美遊の誕生日会。粗方の準備は済ませているが、まあなんだか夏休み前となると落ち着かないし今日は遊ぼうとなったわけだ。

 

「と言っても、明日の準備なんか終わってるわけだし、こんな場所でタッツンを放し飼いするのもどうかと思うけど」

 

「放し飼いって那奈亀ちゃん……龍子ちゃんはああ見えて分別あるよ?」

 

「ほんとかぁ? あたしが見た感じ、龍子はそこら辺のエスカレーターの上で横滑りしながらキングコングの真似しだすくらいには幼稚だと、」

 

「うらーーっ!! 明日から夏休みだーーっ!! もう今日からハジケちまおうぜッフゥーーワフゥワッ!!」

 

「ほんとにキングコングになってる!? おい、誰かあのバカをクロロホルムで眠らせろ!?」

 

 わちゃわちゃとなる龍子、那奈亀、雀花、美々の四人の横で、イリヤ達三人はその様子を苦笑いと呆れ混じりに眺める。

 

「五年生にもなって、あんなに夏休みではしゃげる女の子はこの冬木でもあの子達ぐらいでしょうねえ」

 

「まあ主にタツコに釣られて騒いでる感じだけどね……というか、クロは楽しみじゃないの、夏休み?」

 

「そりゃわたしだって楽しみよ? 何せ初めてなんだし。ミユもそうでしょ?」

 

「うん。わたしも今回が初めて。それにみんなとっていうのがとても楽しみ」

 

 クロはイリヤの中で、美遊は屋敷から出ることがなかった。だから夏休みなんてものとは無縁な生活だった彼女達と、こうしてイベントを楽しめるなんて、イリヤにとっても嬉しいし、楽しみなのだ。

 苦しいことがあった後には、必ず何か楽しいことがある。

 ありきたりではあるが、それを今ほど感じたことはない。

 

「おいお前ら、何してんだーーっ!? ナイショ話か、あたしに隠れてナイショ話か、ちっとは聞かせろバーローめぇい!」

 

「最早意味分かんないテンションになってきたわね、この子」

 

「……」

 

「ミユ、無言で下がらないであげて。タツコが物凄い悲しそうな顔してるから。しわしわのピーマンみたいな顔になっちゃうから」

 

 露骨に避けられ、ちょっとうざかったかなー、あたしうざかったのかなぁ!?と更に(声の大きさ的な意味で)うざくなってきた龍子を宥めつつ、雀花が切り出した。

 

「そうだ、明日海に行くけどお菓子とかみんな買ってないだろ? 丁度いいし今買おうぜ」

 

 というわけで。

 七人はショッピングモールでも食品コーナーへ移動し、各々持っていくお菓子を選別。

 海まではバスで行く予定なので、道中何か食べるとするならやっぱり飴とかになるかな、とお菓子コーナーを漁るイリヤ。とはいえ飴も飴で色んな種類があるため中々に決めづらい。

 

「うーん……多分海じゃ何か食べるだろうし、スナック菓子とかそういうのは食べられないよね……」

 

「なに、イリヤはスナック菓子にしたいこか?」

 

「したくてもお腹いっぱいになっちゃうかなって。スズカはどうするの?」

 

「あたしもグミとかそういうのにするかな。ほら、海と言えば海の家の焼きそばとかじゃん? その分のお腹空けとこっかなって」

 

 焦げるソースに絡めた中華麺、シャキシャキの甘い野菜……少し想像するだけでお腹が減ってきそうだ。

 

「うぅむ、悩ましいトコロね……!」

 

「ま、あんまり食っても誕生会で何も食えなくなったら元も子もないけど。美々はどうするんだ?」

 

「わ、私? 私は別に……お菓子よりはジュースを買おうかなって」

 

「ジュースかあ。そっちもいいよね……うーん、飴か、グミか、ジュースか……!」

 

「馬鹿ねイリヤ、そんなに悩む必要なんてないじゃない」

 

 ふふん、とクロは笑って告げた。

 

「全部欲しいならほら、シェアすれば良いじゃない? そしたらみんなが幸せハッピー、でしょ?」

 

「そうだけど、こういうのは悩むのも楽しいんだから」

 

「む、イリヤにしては正論。じゃ、わたしが新たな道を教えてあげる。ジュースにするならコーラとサイダーどっち買う?」

 

「くぅぅーーっ!?」

 

 究極の二択を迫るクロ。ここで更に選択肢を増やすとは。小麦色のこの女は、今日も今日とて悪魔だったとイリヤは思い知った。

 すると美遊が買い物かご片手に、いつもより頬を弛ませると、

 

「じゃあどっちも買えばいい。ちょっとくらい多めにストックしておけば、後々楽しめるでしょ?」

 

「……それもそだね。今月ピンチなんだけど、まあセラに言ってちょこっとお小遣い前借りすればいっか」

 

「イリヤってば、ほんとミユの意見はすぐ取り入れるわよねぇ。お姉ちゃんの意見はすぐ否定するのに」

 

「だからクロはお姉ちゃんでもなんでも」

 

「はいはい分かってるわよ、そっちがお姉ちゃんだものねー」

 

「むぅ……」

 

 と、

 

「っておい待て、龍子は? あの馬鹿何処行った!?」

 

「ああ、タッツンならそこで簀巻きにしてるから安心しといて」

 

「ナイス那奈亀!! これであたし達の名誉は守られた、長い戦いだった……」

 

「いやナイスじゃないよね!? 息出来てないよね、殺人未遂だよねこれぇ!?」

 

 買い物かごの取手で何か上手いことがんじがらめになった龍子を、爆弾解除よろしく救助するイリヤ。

 喉元過ぎればなんとやら。魔術だの、平行世界だの、色んな非日常的な現実が立ちはだかってきたものの、気付けばこうやって夏休みの準備などをやっている。

 そう、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンはまだ十一歳の小学生。例え聖杯の器だろうと、規格外の魔術礼装に選ばれようと、こうして自分の人生がある。それを満喫出来ることは、イリヤにとって意味があるのだ。

 勿論これからまた、激しい戦いになることは間違いない。むしろここからが本番だと言っても過言ではなく、それを忘れたつもりは更々ない。

 しかし、イリヤだって遊べるなら遊んでいたい。

 せっかくみんなで夏休みを満喫出来るのだ、それを楽しまない理由が何処に、

 

 

ーーじゃあ、自分が死んだ理由も知りたくないんですか?

 

 

 ふと。

 嫌な夢を、思い出した。

 

「……ごめん。ちょっとトイレ行くね」

 

 誰かが反応する前に、イリヤは走り出していた。

 女子でも足だけは速いイリヤにかかれば、トイレまで数十秒もかからなかった。洗面台まで走ると、そのままなだれ込んだ。

 動悸がおさまらない。心臓が鞭のごとく肺や骨を打っているように暴れ、イリヤは胸をかき毟る。流血したように全身から発汗し、夏の熱気が急激に冷めていく。

……嫌な夢を。

 最近、毎日見る。

 一回だけ見るのなら、まだ良い。自分が死ぬ夢なんて夢見が悪いにもほどがあるが、それでも一回だけなら、胸を撫で下ろしてこんなこともあったなと流せる。

 ただ、同じような夢がずっと毎晩続くのは奇妙だ。

 それが自分が死ぬ夢なら尚更である。

 

(……死んだことなんて、ないのに)

 

 毎晩毎晩死ぬこともそうだが、殺され方も毎回変わらない。心臓を引き抜かれて、胸から噴水のように散った自分の血を浴びて、床に倒れて死ぬ。そしてそれを行った相手も、同じだ。

 小さい子供。年は恐らくイリヤよりも年下、ブロンド髪の男の子だ。だが、その気配や存在感は並外れており、イリヤの直感ではサーヴァントに近い。

 何よりイリヤの心臓を何の躊躇いなく引き抜き、返り血なんてシャワーを浴びたように気にしないのだ。怖くないわけがない。

 

(……)

 

 そう、怖い。

 ただ怖い。

 どうしてこんな夢を見るようになったかは分からない。

 ただ夢と言い切るには、余りにリアリティーがあり、そして何度も見るのではアレは夢というより……。

 

(……わたしの、記憶。なのかな……)

 

 勿論イリヤには見覚えがない。

 斬られたり、爆発に巻き込まれたり、打ちのめされたりしたが、でもそんな怪我とは別次元の話だ。

 もしあれが本当のことなら、自分は当に死んでいると確信出来るくらいには、

 

「……違う」

 

 自分は死んでなどいない。

 だって、恐怖のせいではあるが、こんなにも心臓が鳴っている。怯え、震えている。

 なら大丈夫だ。

 自分は生きている、だから何も怖がる必要もない。

 

「……ふぅ……」

 

 やっと治まった悪夢の反芻。イリヤはのろのろと蛇口を捻り、流れ出る水で顔を洗う。

 鏡を見ると、青くなった顔が映っていた。こんなことでは心配される、頬でも叩こうかと思ったときだった。

 

「なーにやってんのよ」

 

「ぷぇっ!?」

 

 それはまさに頬を叩くかのような声だった。鏡に映っている自分の背後に、白い目のクロと、不安げな表情を浮かべた美遊の二人が居たのだ。

 恐らく中々戻ってこないから見かねて来たのだろう。クロは目をつり上げて、

 

「全く。最近なんかまた悩んでると思ってたら……今度はどうしたの?」

 

「……」

 

「あら、わたしには教えられないわけ? じゃあ美遊には?」

 

 ふるふる、と首を動かすイリヤ。またかとクロは少し青筋を立て、

 

「ほーん? で、だーれにも話さないで、また爆発するつもり?」

 

「クロ、イリヤにそんなに意地悪しちゃ可哀想」

 

「やーねミユ。コイツはほら、アレよ。自分に構ってほしいけど、小学生にもなってそれじゃ恥ずかしいからうじうじしてるだけよ。そんなやっすいプライドなんかとっとと捨てちゃえば楽になるのに」

 

 えい、とイリヤの頬を指で摘まむクロ。そのままぐにぐにと縦に横に動かす。

 

「ほら、おねーさんに話しなさい。今ならこのほっぺたつねりの刑で許しておじゃろう」

 

「は、はなしゃないもん……というかなんでおじゃる?」

 

「ほほう、まだそんな口が聞けるのかしら? じゃあミユ、やーっておしまい!」

 

「らじゃー」

 

「はへ?」

 

 何を?と思ったときには、美遊がすす、とイリヤの真後ろへ移動。そのまま脇をくすぐり始める。

 

「いひぁ!?」

 

 喘ぎかけ、途端に身を捩るイリヤだったが、それを見越したクロによって頬をホールドされて動けない。筋力Dランク()は伊達ではなかった。

 

「ほらほら、話さないとトイレの中でずーっとくんずほぐれつなことになっちゃうわよーん?」

 

「は、はなさない、も、はぁっ、もん……」 

 

「ミユー、耳に息吹きかけるのも許可☆」

 

「イリヤ……」

 

「はびゃぁ!??」

 

 何だか筆舌に尽くしがたい状況から経過すること五分。

 気づけば洗面台の真ん前で、顔を上気させた上に衣服が乱れた外国人ハーフの小学生が荒い息をしているというとんでもない現場の誕生である。

 これには流石に二人も素直に手を合わせた。

 

「うん、やり過ぎた」

 

「ごめん、やり過ぎた」

 

「やり過ぎにもほどがあるでしょぉ!?」

 

 クロと美遊の平謝りにがーっ、と腕を振って文句をつけるイリヤ。とりあえず乱れた衣服を整え、あれ?と一つ疑問が湧いた。

 

「……結局何がしたかったの?」

 

「イリヤで遊ぶ?」

 

「なんで疑問系? いやほら、クロ言ってたでしょ。何で悩んでるのか話せって……」

 

「ああそれ? 別にいいわよもう」

 

「はぁ?」

 

 いつもなら絶対に『良いから話せ』と言ってきそうなのに、とイリヤが不審がっていると、

 

「一応わたしはあんたと違って、それなりの魔術が使えたりするの。痛覚共有の応用で、あなたの悩みをころっと共有させてもらったわ。美遊にもね」

 

「……それ、わたしのプライベートとか筒抜けなんじゃあ……」

 

「気にするトコそこ? つか四六時中一緒なんだし今更じゃない?」

 

「今さらで済ませるのがほんとにないんだけど」

 

 それはそれとして。

 

「……で? じゃあわざわざこんなことしたのはどうして?」

 

「面白いから」

 

「こ、この小麦肌野郎……!!」

 

「い、イリヤ。まだ話は終わってないから……」

 

 いよいよこの拳を振るうときがきたかと握り拳を作っていると、クロはしれっとこう言った。

 

「だってイリヤ、怖かったでしょ」

 

「……は?」

 

 つい、とクロがそっぽを向いて、

 

「だから。あなた、怖かったでしょ。あんな夢ずっと見てたんだし。それを思い出させるのは気が引けるから誤魔化せばいいや、って」

 

「……クロ」

 

 さっきの頓珍漢な騒ぎは、クロなりの優しさだったのか。そのことにようやく気付いたイリヤは、

 

「……何かしおらしくてキモい、クロ」

 

 滅茶苦茶バッサリその優しさをぽい、と切り捨てた。

 

「はぁ!?」

 

「いやだって、いつも人にちょっかいかけるのにこういうときだけ優しくなるの、何からしくない。気持ち悪い」

 

「あ、あんたねぇ!? 人が一生に一度くらい優しくしてやってるのにその態度はなんだってのよ!? あんたなんかそこら辺のトイレに吸い込まれて溺死でもすればいいのよバーカ!!」

 

「クロのは優しいんじゃなくてただ身勝手なだけですー! というかあなたがわたしを思って優しくするときは大抵その後デザートとか夕飯とか宿題とかぶんどったときの理由でしょ!? 人が死ぬ夢見てトラウマになってるのによく言えるのよねそんなことさ!?」

 

「なぁによ?」

 

「なによぉ!?」

 

 額が触れ合わんばかりにまで肉薄するイリヤとクロ。後ろでそれを見ていた美遊が、半ばやれやれと顔に書いた表情で止めに入る。

 

「ほら二人とも、お互い迷惑かけたんだから、そんな風に突っぱねちゃダメ。特にイリヤはわたしも心配したんだからね?」

 

「……む」

 

 そう美遊に言われてしまっては、イリヤも罪悪感が出てくる。

 

「……ごめん、ありがとうクロ」

 

「ほんと素直じゃないわよね、イリヤは」

 

「いやクロもそうだからね? ほらイリヤに謝って」

 

「……ごめんなさい」

 

 今のやり取りで三人の力関係が何となく伺えるのは、まあ気のせいではないだろう。

 さて、と美遊がイリヤとクロの二人と手を繋ぐと、出口へと引いていく。

 

「じゃあみんなところに戻ろ? 多分みんな探してるだろうから」

 

「あー、そうよね。なんやかんやで時間食っちゃったし」

 

「わ、わたしのせいじゃないもん……」

 

「あーはいはい分かったから。また嫌な気分になったらこちょこちょしてあげるから」

 

「こちょこちょはしないでいいから!」

 

「わたしは楽しかったけど……」

 

「してる美遊はね!?……ってクロ、美遊にこちょこちょしたことある?」

 

「ないけど……ははーん? なるほどねえ……?」

 

「え、ちょ、二人とも? なんでそんな握った手がわさわさしてるの? ねえ? 怖いよ……?」

 

「かかれーーっ!!」

 

「ちぇいやーーっ!!」

 

「ひああああああああーーっ!?」

 

 またまたくんずほぐれつなことになる三人。

 けれど、誰一人未来に怯えることも、現実に退くこともなく、笑っていて。

 そして何より、イリヤの心からはもう、不安など欠片も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方になった。

 イリヤ達の誕生日は明日のため、切嗣とアイリさんも今は帰国していた。

 明日は海水浴に行った後、そのままイリヤ達はクラスメイトと誕生パーティーの予定なので、家族内で催す誕生パーティーは今夜開かれることになっている。

 

「よい、しょ」

 

 持ってきた長椅子を平行するように、芝生の上に並べる。中央には炭をくべたコンロがあり、丁度火を起こしたところだった。

 夏はやはりバーベキューだろう、ということで。今回の誕生パーティーはバーベキュー。今回は人数も多いし、それに今日は絵に描いたような快晴だ。こんな夜は星もよく見えるだろうし、バーベキュー日和になりそうだ。

 とはいえ……。

 

「……流石に他人の家でバーベキューはちょっと図々しかったかなあ……」

 

 そう。本来ならうちの庭でやるハズの誕生パーティーだが、今回は美遊も参加する為、そうなればと保護者代わりのルヴィアや絶賛バイト中の遠坂やバゼットも加わることになる。そうなると、うちの庭は少し狭い。

 ならばとルヴィアは快くエーデルフェルト邸の庭を提供してくれたので、その厚意にありがたく甘えさせてもらったというわけだ。

 

「確かに、少し広くて落ち着かない、かな」

 

 そんな呑気な声で、コンロの火加減を窺う切嗣。仮にもバーベキューなのだが、何故か和服で煙の前に立っている辺り、不精なのはこっちでも全く変わってないらしい。

 キャンプ用の折り畳み椅子に腰掛けるやいなや、

 

「うーん……やっぱりこういうところは落ち着かないな……」

 

「そわそわするなよ、親父。一応こっちが客で親父は大黒柱なんだから、どんと構えてなきゃダメだろ」

 

「一応って……いやまあ家を空けてるし、確かにセラの方がしっかりしてるけど……父親としては、自分の家よりより大きな一軒家を見ると嫌でも縮こまるというか」

 

 ふむ、そういうものなのだろうか。

 いやまあ今も横で照明器具の設置をしてると思ったらいつの間にか皿を取り出してるオーギュストさんとかも居るし、落ち着かない理由はそれだけじゃないかもだけど。

 例えばそう、

 

「士郎くん、本日はご同伴に預かることになったわけですが……あの、私などが本当にこの場にいて良いのでしょうか」

 

 この真横でメイドさんやってる封印指定の執行者とかなんかは、特に。

 いつものぱりっとしたOLチックな装いから一転、ヨーロッパの使用人っぽくなったバゼットは困り顔でそんなことを言ってくる。切嗣の顔がちょっと青い。なんかやましい魔術品でもあるのだろうか……。

 

「……お前の心遣い、でいいのかは分からないけど。ともかく今は仲間だろ?」

 

「はい」

 

「なら一緒に三人の誕生日を祝ってくれ。人は多い方が楽しくていいだろ?」

 

「……ならお言葉に甘えて」

 

 失礼、と仕事モードになったのかそのまま屋敷へ戻っていくバゼット。途端に、切嗣は大きく息を吐き出した。

 

「……話には聞いていたけれど、まさか士郎と知り合いだったとは……何処で知り合ったんだい?」

 

「聖杯戦争の後でさ。ちょっとうちで暮らしてたこともあるからそれなりに気心は知れてる」

 

「一緒に!? 暮らしてた!? 封印指定の執行者であるあの女性と!?」

 

「? 何か不味いことなのか、それ?」

 

「そりゃあ士郎、君は一応高校生の男だろう? それを一つ屋根の下だなんて、お父さん的にはまだそういう交際は早いんじゃないかと思うんだが!?」

 

……なんかとんでもなく話が拗れている気がする。誤解を解かなければ。

 

「いや同棲って言っても、他に遠坂とか、セイバーも暮らしてたから二人っきりってわけじゃ」

 

「複数の女性と関係を持っていた、だって……!? 士郎!! 君って奴はなんで僕と似なくていいところが似てしまったんだ!?」

 

「誤解だ!! 言葉を間違えた!! 間違えたんだよ親父!? というか切嗣後半ちょっと聞きたいことがあ、」

 

「そのお話、私めにも詳しくお聞かせ願えますかな?」

 

 ゴギィ!!、と肩がひしゃげるような音と共にオーギュストさんも参戦。

 片眼鏡をぎらつかせた執事さんは指の間にナイフを数本握ると、

 

「いえ、士郎様が何処の誰と関係を持とうと自由ですので、それには、ええ。干渉しませんが。しかしお嬢様のご友人がそれでは、お嬢様の品格が疑われるというもの……」

 

「あっ、あの、一応やましいことはなにもー……」

 

「それはナイフ千本飲める嘘でございますか?」

 

「すいません遠坂と付き合ってますのでそれ相応のことはしてますだから許してください」

 

「ちょっと士郎? 凛ちゃんとよろしくしてるのかい!? それは不味いよただでさえほら複雑な立場なのに……いや士郎の世界の凛ちゃんだから関係はないのか……?」

 

「親父ちょっと黙っててくれる!?」

 

 初めて切嗣のあの髭を引き抜いてやりたいと思った夕方六時前のことである。

 ちなみに洗いざらい話したもののオーギュストさんの殺気とデバガメしまくる切嗣のうっとおしさで色々こう疲れたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude13-2ーー

 

 

 一方、衛宮家のキッチンは戦場のごとくめぐるましい状況になっていた。

 衛宮家の料理担当は、言うまでもなくセラだ。ヘルプに士郎が入るくらいで、その定位置が変わることはまずない。そこには決まったルーチンがあり、何よりそのルーチンが間違ったことはない。セラより料理が出来る人間が衛宮家に居ないのだから当たり前だ。

 ただしそれも一家のママーーアイリスフィールが不在のときのみに限る。

 最初に言っておくが、アイリスフィールは料理が出来ない。

 そう、出来ないのだ。

 それも料理は錬金術と同じとか何とか言って色んな食材をアルケミーしては真っ黒な超物体ニューZαを作るのだ。

 無論それを誰も好ましく思ってなどいない。

 だが誰もそれを指摘したくともその天衣無縫さ、何より衛宮家ヒエラルキー的に『ママのメシが不味い』などと言える人間は存在しなかった。リズは口を滑らせる前に毎回セラかイリヤがストップをかけるが。

 ともかく。

 誕生パーティー、しかもご近所さんも一緒となればアイリが『ついに私のお母さん力をお隣さんに見せるときが来たのね……!』と、肩に力を入れて料理をしようとするのは自明の理なわけで。

 

「いいですかみなさん。これは時間との勝負です」

 

 セラはボウルに入った大量の鶏肉をにんにくや胡椒で味付けしながら、イリヤ、クロ、美遊の三人に指示する。

 

「凛さん、ルヴィアさんの二人が奥様を引き止めてくれています。私が野菜や肉などを仕上げますから、あなた達には今の内におにぎりを作ってほしいのです。美遊さん」 

 

「は、はい」

 

「士郎からあなたのことは聞いています。イリヤさんとクロさんにご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 

「は、はぁ……」

 

「今回の主役であるあなた達にこのような雑事はさせたくなかったのですが、緊急事態です。みんなでこの危機を乗り越えましょう!」

 

「「おー!」」

 

「お、おー……?」

 

 もう二度とあの悲劇は、と意気込む衛宮家と、何が何だか分からないままおにぎり作り指導員になってしまった美遊。その温度差たるやまあ見ればお分かりだろう。

 

「じゃあミユ、こっちでやろ?」

 

「あ、うん……」

 

 イリヤに言われるがまま、美遊は新聞紙が敷かれたテーブルまで器具を運ぶ。

 

「ねぇイリヤ。その、せっかくアイリさんが帰ってきてるわけだし、料理ぐらいさせてあげても……」

 

「ミユ。世の中にはね、例えどれだけ克服しようとしても出来ないことがあるんだよ……」

 

「そうね……実際に目の当たりにしてわたしも悟ったわ。ありゃ料理というより魔術の薬品作りよ。不味くても効能があればそれでいい精神なのよ。隠し味なんて聞こうモノなら得体の知れない魔獣のレバーとか出してきそうなのよ……」

 

「そんなに……?」

 

 美遊からすれば料理は正しい知識と味覚があれば容易に成立する技術だと認識していたが、それは共通の認識などではなかったらしい。

 ともあれ美遊も一応(あくまで美遊の基準)料理を嗜んだものとして、パーティーの一品を任されるのは嬉しいことだ。大役を仰せつかったからには、美遊とて全力で挑む。

 

「じゃあとりあえずやろう。二人ともおにぎり握ったことは?」

 

「ちょっと前に無理いってやったことあるけど、熱くてすぐ投げ出しまして……」

 

「わたしはないわ。ま、イリヤみたいに音をあげたりしないからよろしくね、ミユセンセ」

 

 任された、と美遊は首を縦に振る。

 おにぎりの作り方……というか握り方だが、手順はいたってシンプルだ。わざわざ説明するまでもないが、美遊はゆっくり、しかし淀みない動きで作業に取り掛かる。

 

「まず手を水で濡らしたら、塩を少々手の平に付ける」

 

「「ふむふむ」」

 

「少し冷めた白米をその手の平に載せて、もう片方の手と手を合わせて、優しく握る」

 

「「ほうほう」」

 

「あんまり力を加えると、米が潰れてあとで固くなっちゃうから、気をつけて。で、あとは見映えが良いように形を整えたら」

 

 完成。大皿に置いた美遊のおにぎりは、まずまず(あくまで美遊の基準)の出来だ。我ながら完璧な説明だったと美遊は確信していたのだが……。

 

「ねぇミユ。ご飯が手に引っ付いて形が整わないんだけど……」

 

「え? あ、手が十分に濡れてなかったのかな……イリヤ、とりあえず水でまた手を湿らせて」

 

「はーい」

 

「ねーミユー、何かあなたとのとわたしの、大きさ違くない?」

 

「……クロは力み過ぎだと思う。だってもうご飯がかぴかぴというか水分抜けて……」

 

「む、シツレイね。これでもそれなりに配慮してたんだけど」

 

「いや配慮出来てないから」

 

「ミユー! 今度はべちゃべちゃになっちゃったぁ……!」

 

「……」

 

 調理実習のときも思っていたのだが。

 この二人、もしやおにぎりも握れないお嬢様なのでは……?

……ちなみに美遊は自身の料理スキルの高さのおかげで、実家のおかんレベルのおにぎり作りを会得しているが、そんな小学生の方が稀なのだと指摘する人間はここには居なかったりする。二階で談笑するアイリママとのデッドヒートはそれほどまでに苛烈なのだった。

 そんな疑念は横に置くとしても、こうやって逐一教えているのでは時間がいくつあっても足りない。何せ十人分のおにぎりを、アイリの横槍が入る前に作らなければならないのだ。

……あんまり利用するみたいで気が引けるのだが、仕方ない、と美遊は燃料を投下することにした。

 

「ねぇ二人とも」

 

 揃って手についた米を舐めとっているお嬢様二人に、美遊は告げた。

 

「わたし達の作ったおにぎり、お兄ちゃんも食べるんだから。それを考えれば自然と良いおにぎりを作れるよ」

 

「「……!?!?」」

 

 お嬢様二人に、稲妻走る。

 おやおや?と首を傾げる美遊からは聞こえない位置で、イリヤとクロはこそこそと話す。

 

「わたし達の作ったおにぎりを……お兄ちゃんが食べる……」

 

「つまりそれって、実質HANAYOME体験ということなのでは……!? というかおにぎりってわたしの手をお兄ちゃんに合法的に味見させられるステキ健全料理だったのね!?」

 

「クロのその感想にちょっとでも頷きかけた自分を塩で浄化したくなってきたけど、でもつまりそういうことだよね……!!」

 

 と、ここでイリヤ何かに気付く。

 

「……あれ? じゃあミユは、料理するときはいつもそんな風に考えて作ってるの?」

 

「うん。だってそうした方が美味しく料理を食べてもらえるかなって」

 

「へぇ……」

 

 イリヤの目が大皿へ投げられる。

 そこにはイリヤとクロがこそこそしていた間に、美遊の握ったおにぎりが既に一列出来ていた。

……必然ではあるが、十人がおにぎりを取り合えば、それだけ自分の作ったおにぎりが士郎の口に入る機会は減る。となれば、そこは数で補うしかない。この大皿にどれだけ自身が握ったおにぎりをエントリーさせられるか、それが勝負となる。

 つまるところ、もう一つのデッドヒート開幕であった。

 

「……話している時間はなさそうね」

 

「ええ、最速でマスターしてやるわ、おにぎり作り……!」

 

「?」

 

 何も分からないまま、また一つと美遊はおにぎりを握っていく。

 なおその後結局イリヤとクロが三つ作る間に、美遊が五つ作るサイクルが完成したので結果は言うまでもない。

 邪念など料理に持ち込むべからず、料理の基本で既に負けていたイリヤとクロなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、夜六時半。

 誕生パーティーがついに始まった。

 パーティーと銘打ったが、ただのバーベキューのハズだった。それもお隣さんとやる手軽なモノ。だがそれもこの豪邸でやるとなれば、自然とファビュラスになってしまう。最新モデルのコンロ、ちょっと明るすぎるくらいの照明、そしてルヴィアから提供された新鮮な食材の数々。手軽さからはかけ離れているような気もするが、これははこれで特別感があっていい。

 こんなときは毎回真っ先にコンロの前で肉を焼く係を申し出る立場なのだが、今回に限ってはその立場を陣取る人間が二人居た。

 

「ではオーギュストさんはそちらで海鮮をお任せしても?」

 

「ええ」

 

 両家の誇る料理のスペシャリスト二人ーーセラとオーギュストさんが、見事な手際でコンロを仕切っている。素人なりに料理をかじった人間だからこそ、この二人のチームをわざわざ崩す意味はない。

 というわけで焼きあがった肉や野菜を食べながら、周囲を見回してみる。

 まずは目の前。イリヤ、リズ、遠坂。

 

「あー! ちょっとリズお姉ちゃん! それわたしの! わたしのお肉でしょぉ!?」

 

「ふっ、ふっ、ふっ。バーベキューとはすなわち焼肉定食。弱きものから搾取するのは当然の事」

 

「それ言うなら弱肉強食ね。あーもうほらイリヤ。わたしの鶏肉分けてあげるから。まだまだあるんだし、あなたも少し待ってたら、家政婦さん? 大人げないにもほどが」

 

「鶏肉ばかり食べても胸はおっきくならないぞ、トリガラ」

 

「誰がトリガラじゃゴラァ!!!」

 

「リンさん落ちついて!! わたしの牛肉あげるから!!」

 

「いらんわ!!!!」

 

 斜め前に、美遊とルヴィア、アイリさん。

 

「あのっ、シェロのお母さま! こちらを!」

 

「あら良いの? じゃあ頂くけれど、あなたもしっかり食べてね? 今日はミユちゃんのお祝いでもあるんだから」

 

「何とお優しい……! 流石シェロのお母さま、その優しさでシェロも曲がることなく育ったのですね……!」

 

「そんな大袈裟よ。ほら、ミユちゃんも食べてね。もりもり食べないとルヴィアちゃんみたいになれないわよー?」

 

「あ、ありがとうございます……でも、わたしはみんなと話しながら食べたいから……」

 

「あーもう可愛いわぁ……うちのイリヤちゃんやクロちゃんに負けず劣らず……もしよかったら、わたしのことおかーさんって呼んでもいいのよ?」

 

「えぇ!? か、考えておきます……」

 

 左前、クロとバゼット、カレイド礼装二つ。

 

「いやー、皆さん美味しそうに食べてますねぇ。こういうの見るとわたし達にも味覚の機能を付けやがれって、思いますよ」

 

「カレイドステッキには味覚がないのですか? てっきりあの翁の作った礼装ですから、無駄にあるオプション機能の一つにあるのかと」

 

「いやあるわけないでしょ。確かにルビーとサファイアは多機能だけど、あくまで道具の範疇だし」

 

「む、そう言われると何か馬鹿にされた気分。サファイアちゃん、クロさんをぎゃふんと言わせる方法とかあります?」

 

「味の再現なら成分を解析して、データとして疑似的に摂取することは可能だと思いますよ姉さん」

 

「何か急に道具故の悲哀的な発言止めてもらえる?」

 

 そして、隣でそんな光景を一緒に眺める切嗣。

 

「賑やかだねえ……」

 

「だな。まさか今年の誕生会がこんな大所帯になっちまうとは思わなかったけど」

 

「確かに。準備は結構大変だったかな。でもーー」

 

 全員の様子を一瞥する切嗣。

 かつて死んだように笑っていた誰かと違い、その横顔はとても生気に溢れ、目の前に広がる光景の一部として口を開いた。

 

「ーーーーうん。やっぱり、賑やかな方がいいよ」

 

 そうだな、と返そうとして、声にならない言葉を少し返す。

 目頭が熱い。多分、煙か何かのせいだろう。なのに、こことは違う何処かの世界のことばかり思い出す。

……初めは一人だった。何もかも失って、何もかもから逃げて。そして、誰かに助けられて、一人じゃなくなった。

 その人はよく笑う人だった。けど、その微笑みは楽しいから笑っていたのではなかった。こんな簡単なことに気付かなかった自分への滑稽さもあったのだと、今思い知った。

 結局、その人が心の底から安心して笑ったのは、死ぬ直前だった。何処かへ行ってしまうあの人が、あまりに可哀想だったから。笑えず、泣くこともなく、腐れ落ちていくように死ぬあの人に笑ってほしくて、意地になってあんな約束をした。守れるハズもない約束をして。

 そして月日は経ち、後から家族だと分かった誰かへの後悔が付きまとってくる。

 時に否定され、時に嫌われ、時に失い、時に奪われ。けれど今、ここにあるモノが、その約束の答えなのだとしたら。

 嬉しくもあり、悲しくもある。

 だって、こんなにも楽しく、みんなが揃っているのに。

 この光景を誰よりも見せたい相手が、俺の左隣には、居ない。

 

「……賑やかな方が、いいよな」

 

 言い聞かせる。こんなにも満たされる空間は、きっと世界の何処を探してもない。

 前にクロの歓迎会をしたときは、分かっていなかった。まだ、罪悪感の方が強かった。

 だけど今はもうこの光景が愛しくて、この光景を守れたことが嬉しくて。

 だから、悲しい。

 帰りたいと、そう強く思ってしまったことに。

 ここに居るべきではないと、そう強く感じてしまうことに。

 俺はきっとあの人達と、こんな光景を作れたハズだった。

 イリヤと、爺さんと。こんな風になれたら、それはどんなに幸せで満ち足りたことか。

 何よりエミヤシロウが、俺の場所に居たなら……それこそ、本当の理想の世界だったのに。

 

「士郎」

 

 とん、と切嗣が背中に手を添え、さする。子供のように扱われるのは嫌だけど。今だけは、その手の感触を感じていたかった。

 

「……いつか言ったか、はたまた言ってないかもしれないけど」

 

 切嗣は空へと視線を上げる。

 そこにはあの静かな冬の日とは似ても似つかない、騒がしい夏の空があった。

 

「人が誰かを救うには、限度がある。だから全てを救うことなんて出来ない」

 

「……それが?」

 

「うん……それは、きっと正しいと思うんだけど。君は、それでも全てを救いたいと言って、ここまで来た。それだけで僕は……嬉しいんだ。報われた気がして」

 

「……」

 

 他人だ。

 この男は切嗣ではあっても、爺さんじゃない。

 けれどその言葉は、涙が出るほど求めていた言葉だった。

 

「……さんきゅ、爺さん(・・・)

 

「やっと笑ったね。うん、安心した」

 

 袖で涙を拭くと鶏肉にかぶりつく。にんにくと塩胡椒で味付けされたそれはしょっぱかったけれど、とても美味しくて、自然と笑みが溢れる。

 と、背後からどん、と衝撃がきた。

 

「お、兄、ちゃーん! ほら、これわたしが握ったおにぎり! ねー、食べてくれるでしょー?」

 

 そう言ったクロが差し出したのは、少し小さめの俵の形をしたおにぎりだった。それはありがたいが、

 

「クロ……お前な、人が食べてるときに後ろから抱きついてくるんじゃない。危ないだろ」

 

「むー、またお説教? せっかくおにぎり持ってきたのに」 

 

「ちょっとクロ! 抜け駆けは無しだって言ったでしょー!?」

 

 たたたーっ、と持ち前の俊足で走ってきたイリヤ。これまた少し歪な三角形のおにぎりが入った皿を手にしている。

 

「お、お兄ちゃんは、男の人だから、大きいのがいいよね! はいこれ! クロのよりお腹一杯になれるよ、絶対!」

 

「止めた方が良いわよお兄ちゃん。ほら、イリヤの形が悪いじゃない。見映えが良くない料理なんて料理って言えるかしら?」

 

「く、クロのだって乾燥してるじゃない!」

 

「おいおいお前達な……」

 

 どっちも食べるからそれくらいにしろと言いかけたところで、くい、と袖が引っ張られる。

 引っ張ってきたのは、美遊だった。

 

「あの……わたしのも食べてくれる、かな?」

 

 出されたおにぎりは、さっきの二人とは雲泥の差がある。というかおにぎりに関しては俺と比べても美遊の方が握り方上手いんじゃないかと思うくらいだ。

 

「さあ!」

 

「どれに!」

 

「する?」

 

 三者三様のおにぎり。

 どれも美味しそうなのだが、どれかひとつ決めれば、とんでもないところから飛び火して大変なことになるのは、目に見えていた。

 

「……とりあえず、全部頂きま、」

 

「「「甲斐性なし!!!」」」

 

「なんでさ!?」

 

 訂正、どう答えても詰みだった。

 

「お兄ちゃんね、そういうとこよそういうとこ! そうやってリンやルヴィアも毒牙にかけたんでしょそうなんでしょ!」

 

「そうだよ! あの二人のチョロさはともかくさ!!」

 

「……」

 

 美遊の無言の視線が一番刺さる。おにぎりくらい、三個も四個も食べるのだから順番なんて関係ないような……いやあるのか? あと遠坂、ルヴィア。そんな怒るな。子供の戯言だろ。

 ともかくこのままでは三人の怒りが収まりそうにない。とすれば、ここは切り札を出すしかない……!

 

「あのさ、ちょっといいか三人とも」

 

「「「……なに?」」」

 

 ぐ。三人のこのあからさまにこの人を疑うような視線。痛い。斬られるより痛い。とりあえず椅子の下に隠しておいた紙袋を取り出すと、中にある包装された三つの箱を差し出した。

 

「後で渡そうとは思ってたんだが……はいこれ。おにぎりのことはこれで勘弁してくれ」

 

 と、受け取った三人の反応は、

 

「ほほぉ……?」

 

「?」

 

「? なにこれ、お兄ちゃん?」

 

 全くなんのことだか分かっていないご様子。ははぁん、さては人望ないな俺は?

 

「イリヤ、なにこれはないだろ……誕生日プレゼントだよ誕生日プレゼント。明日は渡す暇なさそうだし、今日渡そうと思ってたんだが……あー、前日に渡すのはダメか?」

 

 三人はようやくそれで箱の中身が何なのか、得心がいったらしい。途端に、ぱぁ、と顔を輝かせた。

 特にクロと美遊は余程、嬉しかったのだろう。片や誰にもその誕生を祝ってもらえず、片や歳を重ねることを祝ってもらえなかったのだ。これまでで一番と言っても良いくらいの笑顔で、

 

「え、ほんとにプレゼント? わたしに? わたしだけに……?」

 

「そうだぞクロ。お前だけのプレゼントだ」

 

「あの……いいの? わたし、ほんとの家族じゃないのに……」

 

「今更気にするなって。美遊だってここに居る以上、主役なんだ。気にせず貰っとけ貰っとけ」

 

「ね、開けていいの!?」

 

 いいぞ、と言う前に、もう三人は封を開けていた。どうやら待ちきれなかったみたいで、慌ただしく中身を確認する。

 

「これ……アクセサリー?」

 

 そう言ったイリヤの手に乗っているのは、紐のブレスレットだった。クロと美遊も同じブレスレットだが、三人とも紐の先に結ばれたチャームはそれぞれ形が違う。イリヤは五芒星、クロはハート、そして美遊は六芒星だった。

 

「へえ……お兄ちゃんにしてはセンスいいじゃない! こういうときに外さないのがズルいわー、流石」

 

「うん。お兄ちゃんに女の子の好みが分かるなんて驚き」

 

「ほんとだよね……うわあ、ありがとう! 大事にするね!」

 

「いや大事にしてほしいけどお前達酷いな!? そりゃあ俺一人じゃこんなの思い付かなかったけど!」

 

 全く。一応これでも、悩みに悩んだ結果だったのだ。こんなにも言われると少し凹むというか、拗ねたくもなる。

 

「あはは、ごめんごめん。でも嬉しいのはほんとだから。ね、クロ、ミユ?」

 

「モッチロン。形が残る物をプレゼントしてくれたなら、この先ずっと忘れないし」

 

「そうだね。わたしも、忘れない。この世界のお兄ちゃんがくれたもの、絶対無くしたりしない」

 

 三人は手首にブレスレットを巻き付けると、声を揃え、はにかみながらこう言った。

 

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 

……ああ。

 何よりも先にその言葉を聞いて、脳に浮かんだのは、たった一つの言葉だけだった。

 

 

「ーーーー誕生日おめでとう。イリヤ、クロ、美遊」

 

 

 

 

 

 

 夜は過ぎていく。

 幸せは広がっていく。

 こんな日がずっと続いたなら、どんなに良かっただろう。

 こんなに楽しかったのは、楽しいと感じたのは、十年ぶりだったかもしれない。

 だからそれは、ほんの口約束に過ぎなかったのだ。

 

「ねえお兄ちゃん。また来年も、こうやってみんなで集まれるよね?」

 

 イリヤのそんなふとした問いに、俺は自信を持って答える。

 

「ああ、当たり前だろ? 夏だけじゃない。秋も、冬も、春も。そして一年後の夏だって、こんな風に過ごせるさ。ずっと、ずっとな」

 

 約束だと言って、小指と小指を絡ませたのは、本当にそう出来ると思っていたからだ。

 困難な道であっても。

 この景色のためならなんだって、出来る気がしていた。

 けれど。

 この日を最後に。

 そんな幸せが訪れることは、もう二度となく。

 残酷な真実だけが、数時間後に待っていた。

 

 

 

 



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深夜~二度目の地獄、二度目の喪失~

古戦場あるので早めに更新します(お空の上から




 

 大空洞地下、鏡面界。

 本来なら土で埋まっているハズのそこは今、黒い泥で満たされていた。粘着質な、それでいて光すら飲み込む漆黒の泥の中心で、体の半分を浸からせた少年は呟く。

 

「さて、夢は終わりだよ」

 

 鏡の世界に亀裂が走り、甲高い音を立ててひしゃげる。

 現実に、悪夢が侵食し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude14-1ーー

 

 

 その異変に一番最初に気づいたのは、美遊だった。

 誕生日の前祝いをした後、美遊はそのまま衛宮家に泊まっていた。アイリの寝室で何故かイリヤ、クロの二人と同じベッドに寝ることになってしまったのだが、それはそれでいい。暑苦しい気持ちはあるけれど、心までぽかぽかしていたから。

 だがそれも、深夜一時を回った今終わりを迎える。

 

「ん……?」

 

 チリ、と頭の奥に焼けるような痛み。

 眠りを邪魔された美遊は顔をしかめて、寝返りを打とうとする。

 しかし。

 ぞぶ、と心臓を炙られたような圧迫感の後、それが全身に広がった。

 

「か、は、っ……!?」

 

 美遊が一番外側に寝ていたのが幸いした。ベッドから転がり落ちて、犬みたいに舌を出す。ぜひゅ、と耳に届いた呼吸が余りに遠い。

 炙られるような感覚は続いている。全身を苛むそれは、皮を剥がされる痛みにも似ていた。

 

「ミユ……? ミユ!?」

 

 異変に気づいたイリヤが慌ててベッドから降りて、美遊の手を掴む。しかし美遊は返事をする余裕すら無いらしく、唾液を垂らして喘いでいた。

 

「クロ、クロってば、起きて!!」

 

「ん……? 何よもう……トイレに行きたきゃ一人で行けば……」

 

「ふざけてる場合じゃないから! もう!!」

 

 クロが頼りにならないなら、とすかさずイリヤは相棒を呼んだ。

 

「ルビー! ねえルビー居るんでしょ!」

 

「はいはい呼ばれてきましたルビーちゃんですよーっと……ややっ? これは……?」

 

 何故かベッドの下からするりと出てきたルビーは、羽をボディにあてて、

 

「魔術回路が無理矢理開かれている……いやこれは、もっと奥のモノ……?」

 

「イリヤ様、ミユ様に私を握らせてください。外部からの干渉であれば、カレイドステッキで防げます」

 

 指示に従って、イリヤは美遊にサファイアを握らせる。途端に美遊は表情を幾分か柔らかくし、徐々に呼吸も整っていく。

 とりあえずの処置だが、上手くいったようだ。

 

「ミユ? 聞こえる?」

 

「……」

 

「眠ってしまったようですねえ。どうやら聖杯……いや、神稚児ですか。その機能を外部から無理矢理こじ開けられたようでしたし、相当な負荷がかかったようです」

 

「それって大丈夫なの?」

 

「今のところは。サファイアちゃんがそれをシャットアウトしましたから」

 

 よかった、とイリヤが一息。

 そうこうしている間にも惰眠を貪っていたクロは、やっと目が覚めたようで、ベッドの上からイリヤ達を眺め、

 

「あん……? これどういう状況?」

 

「クロってほんと間が悪いよね……知ってたけど」

 

「はぁ? 間の悪さならあなただって同じくらいでしょ?」

 

「クロにだけは言われたくないよ全く」

 

「あーハイハイ喧嘩しないでくださいよお二人とも。まずは美遊さんにこんなことをした下手人を、」

 

 探さないと。そうルビーが続けようとしたときにはもう、遅かった。

 花火にも近い爆発音。続いて空震。びりびりという窓の揺れ、程なくして聞こえてくるのは……。

 

「……悲鳴?」

 

 何か。

 とても嫌な、ぬるりとした汗が、イリヤとクロの内から湧いてくる。

 何かが起こっている。

 取り返しのつかないほど大きな何かが。

 イリヤとクロは転身すると、窓を開けて屋根へと登る。

 そこには。

 あちこちから黒煙が上がり、真っ赤に燃え上がる新都があった。

 

「……なに、あれ」

 

 イリヤは呆然と立ち尽くす。

 ただの火事ならば、イリヤとて何か他の反応が出来た。しかし明らかに、普通の火事とは様子が違っていた。

 異常なのだ、火の手が移る速度が。まるで枯れ木が巻き込まれるかのように火が加速度的に広がっていく。コンクリートも、石も、材質など関係ない。まるで炎自体が新都という町を食らっているようにも見える。

 それでも、英霊やそれに類するモノと戦ってきたイリヤにとって、そこまでの衝撃はない。確かに異様で、呆気に取られはしたが、それだけ。

 

「と、とりあえず、リンさん達にこのこと知らせないと……!」

 

「そんなこと言ってる場合じゃなさそうよ。イリヤ、視覚強化して町の方よく見てみなさい」

 

「視覚強化……ってどうやるの?」

 

「私の方でやりますので、ピントはイリヤさんの方で合わせてくださいな」

 

 ルビーはそう言うやいなや、勝手に魔術を発動させる。

 急に視界が広くなったことでイリヤは少したじろいだが、すぐに目を凝らしてぼやけた視界のピントを合わせる。

 と、景色が見えてきた。

 

「……?」

 

 飴細工のように溶ける建物。竜のように暴れる炎。だがその中心にあるのは……。

 

「黒い、泥……?」

 

 波のように押し寄せる、赤黒く濁った泥のような液体。

 それが通った跡は、何も残らない。煙を発生させて、とっぷり飲み込まれた物は姿形が消えていた。

 それを直視したためか。吐き気や、目眩と言った症状がイリヤを襲う。唾を何とか喉の奥に戻し、

 

「……ルビー、あれは?」

 

「とても濃度が高い呪いのようですね。それも魔力を持つ人間だろうが無機物だろうが関係なく……融かし、侵す。言わば呪いの形をした溶解液に近いかと。それの何倍も凶悪ですが」

 

「ここからでもあれの純度の高い魔力を感じられる。多分、わたしみたいな魔力で体を構成してる奴が捕まったら、食われてポイって感じね」

 

「どうしてそんなのが冬木に? 九枚目のクラスカードの仕業?」

 

「その可能性もありますが……」

 

 と、ルビーが考察を続けようとしたとき。

 その泥の近くで、親子連れが走っているところを、イリヤは目にした。

 

「……!!」

 

「あ、ちょっとイリヤ!?」

 

 屋根を蹴って、可能な限り全力でイリヤは新都へ飛行を開始する。慌ててクロも屋根から屋根へ飛び移りながら後を追いかける。

……このとき知るはずもなかった。

 この行動が、後にイリヤを生涯で一番後悔させることだったとは。

 このときは誰も、思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude end.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景に、見覚えがある。

 真っ暗な空を塗り潰す、灰と煙。変幻自在に伸びる魔手にも似た業火。それを直視しないように目を逸らし、結局逸らしきれなかった自分。

 十一年前に見た、あの地獄。

 黒い太陽が浮かんだ、この世の地獄の溜まり場。

 

「……」

 

 とくん、と心臓がはね上がる。

 当たり前だ。これは、俺が俺になる切っ掛けになった……あの時と同じなのだ。今まさに、新都はそうなっている。

 そして全てを救うのならーーいちいちトラウマ程度で立ち止まってはいられない。

 そう考えて、自分の部屋のドアを蹴破って、一階へ飛び降りる。そのまま玄関を開けると、外には今しがた状況を確認した切嗣とアイリさん、遠坂やルヴィア、それにバゼットまで勢揃いしていた。

 家の前の道では、近所の住民が徐々にその異界じみた新都に気づいて野次馬のように外に出てきている。

 イリヤやクロ、美遊はまだ寝ているのだろう。ひとまず切嗣へ問いを投げた。

 

「何が起きてるんだ、切嗣? 新都の火災、あれはただの火災なんかじゃ……」

 

「それは、私から説明するわ」

 

 平時と違い、憮然とした態度のアイリさんが胸に手を添えた。

 

「今さっきだけど、大空洞の大聖杯が何者かに奪われた」

 

「!?」

 

 大聖杯が……奪われた?

 遠坂がそれに頷いて、

 

「本当よ。こっちでも今ルヴィアが確認した。大空洞に近づけさせないよう貼っていた結界が破られたのよ」

 

「万一のため、私は大聖杯とラインを繋いでいてね。そのラインを通して、現在位置を確認出来るんだけど……そのラインが今、とても薄くなってしまっているの。恐らくその奪った誰かが、大聖杯を取り込もうとしているとしか考えられない」

 

「大聖杯を取り込むって……」

 

 そんなことが可能なのか、と言おうとして、それが出来る存在が円蔵山の真下に居ることを思い出した。

 

「そう。九枚目のクラスカードがあるのは円蔵円の大空洞よりもっと下。その鏡の世界に、三ヶ月近く龍脈を吸い続けた英霊が居る。普通ならそこに大聖杯なんてモノをプラスすれば霊基が崩壊しかねないけれど」

 

 それを可能とする英霊、ということか。

 ならやはり、九枚目のクラスカードは英雄王ギルガメッシュに間違いない。

 しかし、

 

「じゃあどうして新都で火災が起きてるんだ……? ただ燃やすのなら、深山町の方が近いし、わざわざ新都まで行く必要なんてないのに……」

 

「それは私も思いましたわ。されどどんな英霊といえど、所詮は黒化英霊。意思など持ち得ていないのでしょう」

 

 なら、とルヴィアに疑問をぶつける。

 

「じゃああの火災は、クラスカードの英霊が起こしてるのか?」

 

「と、私達は見ていますが……あなたの予想は違うんですの、シェロ?」

 

「ああ。今回の火災を、前に見たことがある。元の世界だと十一年前、第四次聖杯戦争の最後に起こった大火災によく似てる」

 

「……大火災……それは、確か」

 

 親父が勝者となったにも関わらず、聖杯を破壊したことで噴き出した、聖杯の泥。それによって、冬木市は未曾有の大災害に見舞われた。

 

「今回はそれと状況がよく似てる。違う点があるとするなら、聖杯がまだ英霊の中にあるってこと。そして今なら、まだその被害を減らせる」

 

「……行くんだね?」

 

 重苦しく、切嗣はそう確認した。

 切嗣とて何となく、分かっているのだろう。アレが最低最悪の呪いであることを。そこへ望んで飛び込むことが、何を意味するのかも。

 

「ああ、俺は行く。あそこにはまだ大勢の人が残ってる。早く助けにいかないと」

 

「……そうか」

 

「……止めないのか? 言っとくけど、帰ってこれる保証なんて何処にも」

 

 首を横に振り、親父は続けて言った。

 

「僕も同じようなことを考えていたところだからね。本当なら家族だけを助けてきた僕が、こんな選択をして良いハズがないだろうけど……士郎を助けられるのなら、僕は喜んであの地獄に行こう」

 

 そこに居たのは、父親でも、魔術師でもない。それは何処からどう見ても、俺が夢見た正義の味方、衛宮切嗣に相違なかった。

 

「そうと決まれば急ぎましょう。ここから新都までは遠い。急がなくては」

 

 バゼットの言う通りだ。深山町から新都まで、生半の距離ではない。急がなくては、と思った矢先だった。

 

「大変です、旦那様!」

 

 慌てた様子で、家の玄関から転がり出たセラはこう告げた。

 

「イリヤさんとクロさんが、部屋に居ません! 魔力の痕跡からすると……恐らく新都に向かったかと!」

 

「な、……!?」

 

 全員で絶句する。ただでさえ、魔術的な防壁が通ずるかも分からぬあの場所へ、イリヤとクロが向かった?

 そして。

 それでようやく、俺は新都で火災が起きた理由に気がついた。

 

「……そうか、そういうことか……!!」

 

「士郎?」

 

「大聖杯が完璧に起動するには、小聖杯という炉心が必要になる。だから……!」

 

「新都を燃やすことで、誘き寄せる必要があった……? アイリ、大聖杯の場所は!?」

 

 アイリさんは険しい顔で、新都の上を指差す。

 

「……新都の上空。恐らく、あの黒点の頂きに」

 

……まるでそれはデジャブだった。

 空から垂れる、黒い糸。それが下へ流れ落ち、溶岩のように大地を溶かしていく。

 人とて例外ではないだろう。

 そんなところに、あの二人が。

 最悪の結末を考えるよりも前に、脳の中にある引き金を引き、撃鉄を叩き落とした。

 

同調、開始(トレース、オン)……!」

 

 五十四本の魔術回路を最初からフル稼働し、全身に強化の魔術をかける。骨が折れようが知ったことではない。出し惜しみなんてしていれば、イリヤ達がまた死ぬ。それだけは絶対に避けなければならない。

 

「士郎、……!?」

 

 切嗣の制止すら聞かず、普段とは比べ物にならない剛力をもって踏み込む。途端に、後方で起きた爆音が瞬時に遠ざかり、疾走を開始する。

 まるで獣のような前傾姿勢。一度転べば悪魔的な速度で床に叩きつけられ、チェーンソーで斬られたように肉片に変わるだろう。だが新都に着くまでに転けなければ何ら問題はない。

 頼む、間に合えーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude14-2ーー

 

 

 流れていく景色を追い抜き、イリヤは冬木の空を駆ける。カレイドステッキの力とはいえ、ここまで全力で空を飛んだのは、初めてかもしれない。

 しかしそれでも、イリヤには遅く感じた。目的地に近づいているハズなのに、息苦しさだけが込み上げる。

 

「……お願い……!」

 

 さっきの親子連れは大丈夫だろうか。

 あんな人達が大勢居るとして、どれだけ生き残っているだろう。

 もしかしたら、もう手遅れなのかもしれないと、燃え上がる町を見ると思ってしまう。

 

「イリヤさん、もうすぐ橋を抜けます! 一応我々は隠れて戦う的な、そういうファンタジーのお約束があるんですけどー!」

 

「人の命と変えられないでしょ!!」

 

「委細承知の助でっす! さあバレイベントですね、盛大にやってやりましょう!」

 

 いつも通り振る舞ってくれるルビーに、イリヤは内心ほっとする。ルビーまで真面目になってしまったら、きっとイリヤは逃げ出したくなってしまうから。

 橋を抜けた瞬間、それまでとは段違いの熱気がイリヤを包み込む。魔法少女状態でも貫通するほどの熱……生身の人間がそれに晒されたらどうなるか、考えたくもない。

 そして、イリヤは知る。

 この世の地獄を。

 

「…………、」

 

 まず目に飛び込んだのは、炎だった。

 荒れ狂う炎。昔、災害はその脅威から神の化身と呼ばれていたと聞くが、まさにこのことを言うのだろう。彼岸花のように、紅蓮の炎が生まれた新都は、焼け落ちていない箇所を探すのが困難だった。

 あらゆるものが焼けた臭いは、劇薬に近い。腐っているようで、焦げたようで、しかしどれでもない。一体何が焼けたらこんな臭いが充満するのか。

 そして何より、町に溢れかえる黒い泥。どぼどぼ、と血よりも濃厚な危険な気配を漂わせるそれは、地獄の釜から溢れたモノに違いなかった。

 これは、死んでいた。

 町として。集落として。決定的に死んでいた。

 

「……ぅ、」

 

 胃を撹拌されたような吐き気と、脳が痺れる光景に、イリヤはたまらず口を押さえ、近くのビルの屋上に着地する。

 

「……酷い状況ね」

 

 遅れて到着したクロも、流石にこの光景にはグロッキーになっていた。一言で状況を表し、口を閉ざす。

 

「……探さないと……誰か、生きてるかもしれない……」

 

「無理よ。見つけたところで、生きてるとは限らない。それより探すべきなのは、これを起こした奴」

 

「……」

 

 そんなもの、それこそ火を見るより明らかだ。

 町の中心。その上空に黒い穴が穿たれており、そこから泥が流れ出している。

 不思議なことに。それは、イリヤにとって見覚えがあるモノの気がした。

 

「……何なのかな、あれ」

 

「さあ、とにかくアレを止めないと。こんなことずっと続かせるわけにはいかないでしょ」

 

「止めるって……どうやって?」

 

「そりゃあもう」

 

 鉄をハンマーで打ったような音が響き、クロの手に洋弓と約束された勝利の剣(エクスカリバー)が出現する。

 

「これで、まるごとぶっ飛ばす」

 

「まあそれしかないでしょう。イリヤさん、サファイアちゃんから美遊さんのクラスカードを預かってますよね?」

 

「うん……じゃあ行くよ、限定展開(インクルード)!」

 

 セイバーのクラスカードにより、ステッキがクロと同じ聖剣へと変化する。しかしこちらは紛い物とはいえ、真名解放が出来る正真正銘の宝具。クロは真名解放こそ出来ないが、これを射って爆散させれば穴を破壊出来るだろう。

 二つとない聖剣は死んだ街だからこそ、より輝いて見えるのは、なんて皮肉なのだろうか。

 イリヤは光り輝く聖剣を上段に、クロは魔力で悲鳴をあげる黒弓を限界まで引き絞り、

 

「行くわよ……一、二の!!」

 

「三、約束された勝利の剣(エクスカリバー)!」

 

 地獄の惨状から泥の穴まで、極光が席巻した。

 立ち込める死の気配すら吹き飛ばすそれは、イリヤ達が居るビルすら軋ませ、光の速さで穴へ到達する。

 光の暴雨に巻き込まれた穴は、ひと溜まりもない。泥は洗い流されるように吹き飛び、続いて穴の中にクロの聖剣が飛び込んだ。

 

「弾けろ!!」

 

 轟、とこれまで起きた爆発より一回り大きな爆発が、新都に木霊する。衝撃は地上に近いイリヤ達まで及び、熱気すら掻き消していく。

 穴の向こう側は恐らくこの何倍もの爆音と、衝撃があったことだろう。今は巻き上がった煙で何も見えないが、流石にこれだけ食らって何もないということは、

 

「……なに、……あれ……」

 

「え?」

 

 クロが何か呟いたときにはもう、それが起こった。

 まず土煙が、濁流のような勢いの泥によって消える。さながら壊れた蛇口のごとく、ダバダバと際限なく穴から泥が落ちていく。

 しかもただ落ちるのではない。

 落ちた泥は、ひとりでに何かの形を作ろうとしていた。液体から固形へ、確かな一つの形へ集約していく。

 それは、大きな人の形をしていた。

 高さはビルの屋上を越えて、イリヤとクロが見上げるほど。二十五メートルはくだらないか。最後の泥を吐き出すと、穴が泥の巨人へと降りていく。

 異様だった。

 あれだけ望んでいた生存者の悲鳴すら、今のイリヤの耳には届かない。

 

「まさか……!? イリヤさん、クロさん、あの穴は恐らく大聖杯です!」

 

「大聖杯って……あの大聖杯!? あれって大空洞にあるんでしょ!? なのになんでそれが新都まで? それにあんなの聖杯っていうより、丸っきりパンドラの箱じゃない!?」

 

「恐らくは取り込んだのでしょう、九枚目のクラスカードの英霊が。龍脈によって急速的に霊基が回帰したことによって、鏡面界からでも干渉が可能となった……そして大聖杯を取り込み、不完全ながら起動した……!」

 

「さっきの宝具の一撃と爆発、何らかの宝具でその二つの魔力を食ってそれで起動したのね……今は完全じゃない。ってことは、狙いは最初から小聖杯であるわたし達だったってこと!?」

 

 全てを察したクロはイリヤの肩を掴むと、

 

「ずらかるわよ、イリヤ! ここに居たら、逆に住民を巻き込む!!」

 

「え、あ……?」

 

「しっかりなさい!! 死にたいの、このバカ!!」

 

 罵倒されて、ようやくイリヤの目に光が戻る。

 だがそのときにはもう、背後で泥の巨人が右腕を振りかぶっていた。

 

「クロ!!」

 

「え、ちょ、……!?」

 

 横っ飛びから急加速して、ビルから飛び降りる。

 次の瞬間、真上から雷のように落ちてきた巨人の右腕が、ビルを真っ二つに叩き割った。砂を相手にしたように、そのまま巨人の右腕は下の地面へ深々と突き刺さる。

 

「あっぶなぁ、……っ!?」

 

「ごめん、ちょっとびびった!」

 

「でしょうね全く世話が焼ける!!」

 

 背後を見やると、さっきまで建っていたビルは瓦礫すら少なくなっている。泥自体は固まったことによって、さっきのような溶解する力は無くしたようだが、純粋な腕力で砂利にまで潰したのだろう。何より魔力が段違いだ。少なくとも、先の二倍以上と見積もっても比べ物にならない。

 ルビーが言っていた、クラスカードの英霊七騎を同時に相手取ると言ったことも、あながち嘘ではないだろう。

 

「どうするの!?」

 

「とにかく新都を出る、そのためにも注意をこっちに向かせる……!!」

 

 イリヤに担がれながらも、クロは空中に剣を幾数か投影し、放つ。真っ直ぐ向かった剣達は巨人の肩に刺さるが、いつもなら一つでも人体に当たれば致命傷になりかねないそれも、まさに蚊に刺されたような一撃にしかならない。

 それでもいい。蚊に刺されたようなモノなら、意識は絶対に無視出来ない。

 

「とにかく人気の少ないところにおびき寄せて……それで」

 

「それでどうするの!? 宝具だって効いたわけじゃないんだよ!?」

 

「……分かってるわよ。でも見過ごせるレベルなんてとっくの昔に越えてるじゃない、こんなの……!!」

 

 現状最大火力である、約束された勝利の剣(エクスカリバー)ですら、巨人を作り出す餌にしかならなかった。あれ以上の火力となると、クロは思い付かない。

……いや思い付くが、やり方が分からない。結局自分は入口に立っていたとしても、極致には到達していないのだろうと、クロは再度認識する。

 

「ねえルビー! どうすればいいの!? どうすれば……!?」

 

「落ち着いてくださいイリヤさん! 確かに相手は大聖杯すら取り込んでいますが、それならばわざわざあんな巨大な体を構築する必要はないハズです!」

 

「つまり、完全には取り込んでいないってこと……?」

 

「ええ。今ならクラスカードの英霊を倒すだけであの巨人もろとも……」

 

「……ちょっと待ってイリヤ、後ろ見て」

 

「え?」

 

 クロに言われ、イリヤは振り返り、驚いた。

 あの巨人が何故か、こちらを追いかけて来ないのだ。ただじっと、イリヤ達を眺めている。

 

「……止まってる?」

 

「ええ。なんで止まってなんか……、イリヤっ!!」

 

 まさに刹那のことだった。

 クロが並外れた膂力でイリヤを突き飛ばし、そして。

 彼女の体に三本、剣が刺さった。

 

「、クロっ!!」

 

 宙返りして体勢を変えると、イリヤはすぐにクロを助けにいく。だが遅い。その手を掴めず、脱力したクロは落下していく。

 

「くっ……!!」

 

 太股のホルダーから引き抜いたのはキャスターのクラスカード。魔女メディアの霊基をイリヤはその体に置換し、クロを守りながら戦おうと思ったのだろう。

 しかしそれこそ、クロを襲った下手人の狙い目だった。

 

「イリヤさん前です、避けてください!!」

 

「え、ぁぅっ……!?」

 

 ジャラララ……という鉄の擦れる音がしたかと思うと、イリヤの手に金色の鎖が巻き付いた。次に足、そして胴体。全身の自由を奪われたイリヤは、あの巨人がしたのか、と巨人の方へ目を凝らす。

……肩に誰かが、乗っている。

 

「っあぐっ、……!?」

 

 勢いよく鎖で引っ張られ、空中でもみくちゃにされるイリヤ。鎖が独りでに外れ、今度は巨人の左腕がイリヤの全身を鷲掴みにした。優に五十メートルは距離が離れていたのだが、それは一瞬で無になっている。

 身動きは取れない。動かせるのは首だけ。もし顔までこの手の平に埋まっていたら窒息しているところだった。

 それよりもクロが、と首を回したところで、偶然巨人の右肩に視線が届き。

 イリヤの心臓が、止まりかけた。

 

「さて、これでチェックメイト」

 

 それは子供だった。

 毎晩イリヤが見るーー自分が死ぬ夢で、心臓を抉ってくる金髪の少年。

 

(……夢じゃ、ない……ッ!?!?)

 

「そんな風に固まってて良いんですか? ほらあっちの子、落ちますよ」

 

「っ、クロ!!!」

 

 そうだった。クロは今も落下している。このままだと地面に叩きつけられて死んでしまう。

 だがそうはならなかった。

 その前に、クロを寸でで受け止めた人が一人居たのだ。

 衛宮士郎。

 息を切らして今にも膝をつきそうな彼は、力強くクロの手を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 士郎を追いかけて、ルヴィア、凛、そして切嗣の三人はリムジンに乗って冬木大橋を通過していた。後ろではバゼットがバイクに乗って追走している。

 アイリは自宅で美遊の看病、待機。英霊の目的が小聖杯ならば、アイリや美遊だって例外ではない。

 

「……」

 

 車内の空気は重い。

 普通、こんな大災害が起これば、新都から逃げ延びようとする市民がこぞってこの橋を通るハズだ。しかしその姿はこの大橋には見当たらない。時折反対車線から逃げてきた車が走っているだけで、新都がどうなってしまったのか悟ってしまう。

 しかし今は、そんなことよりも論じるべき事柄があった。

 

「少し気になることがあるんです、切嗣さん」

 

「気になること?」

 

 ええ、と凛は背中から一枚の羊皮紙を取り出して広げた。

 羊皮紙には簡略化された地図と、所々に黒い斑点がある。切嗣にはその羊皮紙に書かれた絵に見覚えがあった。これは、

 

「冬木の見取り図……かい?」

 

「はい。これは冬木市の龍脈の様子をリアルタイムで確認出来るものです。この黒い斑点が龍脈なんですが……ここを見てください」

 

 凛が指差したのは円蔵山だった。英霊が鏡面界からこちら側へ来た場所。そして大聖杯があった場所だ。

 だがそこは、他の地域と比べると何か違和感がある。

 

「……円蔵山が二つ……?」

 

 そう。ルヴィアの指摘通り、円蔵山が二つあるように見える。それも重なって、例えるなら小さい円蔵山の上に大きな円蔵山が覆い被さっているような絵だ。しかも絵が一部潰れてしまっている。

 まるでこれは、

 

「……同じ絵を二枚重ねようとして、失敗したように見えるけど」

 

「そうなんです。最初、これは美遊が転移したことで、円蔵山の一部が向こう側ーー美遊の世界と入れ替わったんだと思っていました」

 

「今は違うと?」

 

「はい」

 

 確かに、大聖杯が転移したのなら、アイリや協会が気がつかないハズがない。

 つまり大聖杯が一つしかないのなら、何か別の要因がある。凛はそう言いたいのかと切嗣は思っていた。

 が、

 

「でも仮に、()()()()()()()()のだとしたら。全く違う可能性が出てきます」

 

「……? 大聖杯ほどの聖遺物、そう隠しきれるものじゃないと思うけれど……」

 

「ええ。ですから隠したんです、大聖杯を」

 

 大聖杯を……隠した?

 凛は指を円蔵山からとある場所へなぞるように変える。そこは、以前切嗣が今の家を建てる前に使用していた、あの日本屋敷だった。

 

「前にここで、衛宮くんの世界から転移されたと見られる土蔵を見つけました。でも、それは何らかの力ーー恐らく世界の修正力によって、まるで封をするように隠されたんです」

 

「……」

 

 ごくん、と切嗣は生唾を飲む。

 いつの間にか生じていた胸の圧迫感。それは喉でつまり、飲み下そうとしても確かな違和感として残り続ける。

 

「もし。もしも、その土蔵と同じようなことが、この冬木でそこら中に起こっているとするのなら。例えば、その下にあるモノが全く別の何かだったとしたら。

 

 起動している大聖杯が、どちらもこの世界のモノじゃないとしたのなら、それはーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何とか間に合った……とは口が裂けても言えない状況だ。クロは重症、イリヤは見覚えのある奴に捕まっている。

 

「大丈夫か、クロ」

 

「あはは……だいじょぶ、お姫様気分味わえたし……あーやばい、惚れ直しちゃったかも……」

 

「それだけ喋れるなら元気だな、下ろすぞ」

 

 優しく、クロをその場に横たわらせる。下手に距離を開ければ、逆に奴の宝具の餌食になることは目に見えている。

 

「やっ、お兄さん。久しぶり、元気してた?」

 

 白々しく、泥の巨人の肩から笑顔で手を振る少年。小さくなっても、高いところから人を見下ろす生態は変わっていないらしい。

 

「……そういうアンタこそ、聖杯の穴に吸い込まれたのに、ぴんぴんしてるな。また穴に叩き込まれたくなかったら、イリヤから手を離せ、英雄王」

 

 少年ーー英雄王ギルガメッシュは、青年時代を彷彿とさせる冷酷な笑みを浮かべる。

 

「安心しなよ。この子は殺しはしない。ただ器になってもらうだけさ」

 

「お前……まだ人類の剪定とかふざけたこと考えてるのか」

 

 一年前。聖杯戦争終盤において、聖杯を降誕させたギルガメッシュの願いは『増えすぎた人類の間引き』。今回もその願いを達成させるためにこんなことを引き起こしたのかと思うと、ハラワタが煮えくり返って破裂しそうだ。

……あの男の横にイリヤが居る。それだけで、こっちは耐えきれないっていうのに。またこんな地獄を引き起こすなんて。

 魔術回路が呼応して、生命を燃料に変える。

 しかしギルガメッシュは、唇に指を添えて憎たらしく、

 

「いいや。正直どうだっていいよ、もう。僕は負けたわけだしね。だからどっちかというと、僕がやりたいのはこの薄っぺらい世界を壊すことさ」

 

「……結局それか。アンタも懲りないな、この業突く野郎」

 

「確かに僕は強欲だけど、いいのお兄さん? 君にとって、僕がやろうとしていることは()()()()()()()()()()()()なのに」

 

「……なんだと?」

 

 付き合ってられないと、頭の中で設計図を思い浮かべていたが、ギルガメッシュの言葉に思考が遮られる。

 元の世界に帰る方法がこの世界を壊すこと……?

 

「……どういうことだ」

 

「君はこの世界が元の世界と平行世界だと信じているようだけど、だとしたら、出来すぎているとは一度も思わなかったのかな?」

 

……ギルガメッシュの言うことは的を得ている。

 確かに妙ではあった。

 たまたま俺が転移した世界が、元の世界とは真逆の幸せな世界だった。

 俺が切嗣と出会う前から、もっと言えば生まれる前から手を加えなければ、こんな理想の世界などあり得なかった。

 そう、ここは理想だ。

 だがーー理想過ぎると、そう一度も思わなかったか?

 

「当たり前だよ。だってここは、()()()()()()()()()()()()なんだから」

 

「……は?」

 

 今、なん、て?

 

 

「ここはね、お兄さん。君が生まれ、育ち、そして第五次聖杯戦争の勝者となった……君の世界の、()()()()()さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーinterlude denial.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、理想は地に墜ちた。

 ここから先は、紛うことなき現実。

 現実故に隠せるわけもなく。

 鏡の理想は砕け散る。

 割れた鏡の破片に映るは。

 真っ暗な夜と、凍える人々だけだ。

 さあ、では続けよう。

 

ーー理想の夜(kaleid night)を、心ゆくまで。

 

 

 



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理想世界/不完全平和

古戦場お疲れさまでした(一週間遅れ
英語はとても苦手な中、色々調べて頑張ったので、多目に見ていただければなと思います……




 世界が、悲鳴をあげる。

 それは何に対しての悲鳴だろうか。

 炎に燃やされるから? 親しい人を亡くしたから? 自分では想像もつかない何かを前にして?

 それとも。

 暴かれたくない真実を、白日の元に晒されて、か。

 だけど、確実に言えることがある。

……その全てが、ここで同価値だということ。

 

「この世界が……お兄ちゃんの世界、ですって?」

 

 は、と嘲笑するクロ。

 それはそうだろう。笑いたくもなる。もしそれが本当なら、俺はクロ達を殺さなくちゃいけない。

 

「とある昔話をしよう。と言っても、むかしむかしなんてもんじゃない。そうだね、大体四ヶ月ほど前のことさ」

 

 まるでマジシャンがマジックの種明かしをするように。軽薄に、何処までも喜悦を交じらせてギルガメッシュは話す。

 

「美遊を巡って、とある世界で戦争が起きた。そりゃそうさ、何せ美遊は小聖杯……いや、瞬間的には大聖杯にも劣らないとびっきりのレア物。それを欲しがらない魔術師なんて何処にも居ない。当然、人類の救済を掲げるエインズワースと、妹を守るため、君とは違う衛宮士郎ーー美遊の兄、そしてこの世界を滅茶苦茶にしたエインズワースの企みを阻止するため、この世界の遠坂凛が参戦した」

 

「……遠坂が?」

 

「ああ。この冬木でもちょっといざこざ、というより姉妹喧嘩があったりしたんだけど、まあその話は後に任せるとしてだ」

 

 足を組み、肘を膝に置いた黄金の少年は、

 

「聖杯戦争は混乱を極めた。エインズワースだけでなく、聖杯戦争の勝利者であるマスターまで参加すれば、拗れもする。更には美遊のお兄さんが最短距離で美遊を狙うんだ、主催者兼監督役のエインズワースとしてはこれ以上面白くない筋書きはないだろう?」

 

 さながら俯瞰して劇を見る観客のように。

 

「見物だったよ。片や世界の救済を語り、片やただ一人だけを守ると誓い。どちらも間違いであり、正しくあり、止まることはなかった。鮮烈な死闘、熾烈な舌戦、平和と理想のぶつかり合い。僕はただの観客だけど、正直驚いたよ。現代の人間がそこまでやるとはね」

 

「……で? 誰が勝ったんだ、その戦争は?」

 

「そんなの、優勝商品がここにある時点で知れたことさ」

 

 美遊に幸せになってほしいと、美遊の兄は願った。つまりその男は勝ったのだ。美遊を闘争のない世界へと送って。

 だが、それは間違いだった。

 奴は言った。エインズワースがこの世界を滅茶苦茶にしたと。なら奴らこそこの世界をこんな風にいじくり回し、そして美遊を閉じ込めたのだ。甘い夢を見せて。そう考えれば辻褄が、

 

「ああ、この世界をこんな風にしたのはエインズワースじゃないよ?」

 

「……なに?」

 

「考えてもごらんよ。それならエインズワースがすぐに美遊を回収するハズさ、だって自身で起こしたことだからね。制御が効いてないなんて三流の真似はしない。なのに四ヶ月も放っておくなんて、小心者でも気取らなきゃ無理な話だろ?」

 

「……なら、誰が」

 

「居るじゃないか、たった一人。この世界を誰よりも望んだ人間が」

 

 ねえ、とギルガメッシュは指を鳴らす。するとギルガメッシュが乗っていた巨人の胸がぶくぶくと泡立ち、とある人間を溺れさせるようにして、浮かび上がらせた。

 

「美遊。君だろう? 君がこの世界を作った、張本人だ。違うかい?」

 

 絶望に表情を凍りつかせ、心が砕けてしまった。美遊・エーデルフェルトが、そこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この世界が、元は士郎達の世界、だって?」

 

 凛の推測は、余りに突飛なモノだった。

 確かに以前からこの世界は何かが可笑しいと、切嗣も聞いていた。士郎や美遊のように平行世界からの来訪者まで存在する以上、世界そのものに干渉することだって机上の空論ではない。

 しかし、だとしてもこの世界が士郎が生きていた世界だなんて、そんなこと。

 頬はひくつかせたまま、切嗣は否定しようとして、

 

「本当にあり得ないと思いますか? 他ならぬ、あなたが?」

 

 だが凛は、その言い訳を許さない。

 あくまで冷静に、だが忌憚ない口振りで、

 

「この世界は確かに、衛宮くんの世界と差異がありすぎます。けれど、逆に言えばそれを反転させれば全て衛宮くんの世界と同じ要素でしかない」

 

「……確かに。シェロにとって、この世界は全てが揃っている。聖杯戦争が途中で破綻していれば、似たような結末になるかもしれませんが……」

 

「それが可笑しいのよ」

 

 いい?、と更に弁舌を続ける。

 

「普通平行世界っていうのは、余りかけ離れた世界は生まれない。例えあったとしても、そんな世界は剪定されてしまう。それこそ大木から葉枝を切り落とすみたいにね」

 

「剪定事象のことですわね? しかし、それは別に何ら可笑しいことでも……」

 

「いいえ、可笑しいわ。だって、衛宮くんの世界とはかけ離れてる(・・・・)じゃない、ここ」

 

 ルヴィアが目を見張る。それは事実を知ったことへの驚き、ではない。そんな簡単なことすら気づけない、気づかされないようにされた自身への驚きだ。

 そう。

 平行世界とは、あくまで些細な選択肢で枝分かれするモノだ。それこそ鏡にあるヒビや、シミ、または手垢のように、選択したことで色は違えど、そこまで結末に変化はない。

……だがこの世界はどうだ?

 全てが生き残った世界。結構、それは素晴らしいことだ。しかしそれでは鏡にならない。

 

「でもそれを言うのでしたら、美遊の世界だって同じですわ。それだけで決めつけるのは……」

 

「ええ。だからわたしも最後まで断定しなかった。でも、大聖杯が起動したことであることに気が付いたの」

 

 凛は指をピストルのようにして突きつける。

 世界の真理を、暴く。

 

「一つだけ教えてほしいんです、切嗣さん。どうして、この十年で大聖杯を破壊しなかった(・・・・・・・)んですか?」

 

 それは。

……それは、衛宮切嗣には答えられない問いだった。

 理由なんていくらでもでまかせを言える。

 全てを救う夢を諦めきれなかったから。破壊するには全財産を擲つ必要があり、子供達の未来のためには出来ないから。破壊した後、聖杯関係者などに追われる可能性を排除したいから。

 けれど、衛宮切嗣は分かってしまった。

 きっと本当に自分が、全てを救えたのなら。

 そんな不確定要素は残さない。大聖杯を破壊して、どんな障害でも更地に変えて。

 それが出来なかった時点で、それはまやかしでしかなかったのだ。

 大聖杯に作られた、偽物の平穏だった。

 

「……最近、夢を見るんだ」

 

 切嗣はか細い声で、されど凛の推測などよりはっきりと、

 

「冬のことだ。満月の夜で、僕は縁側に座っていた。静かでね、でも寒かった。温かくなりたくて、楽になりたくて、だから眠くなったんだと思う」

 

 五年も聞いていた呪いの声が、一体となって久しい。耳を叩くその声こそ衛宮切嗣の罪過であり、往くべき場所だった。

 

「とても、とてもとても眠くてね。きっと、一度目を閉じたらもう起きられないと思って。だから、こんなことを話したんだっけ」

 

ーー子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた。

 

 なんてことはない。ただの遺言だ。

 最初に何をしたかったのか、それを思い出したかっただけ。後悔しか残ってなかったけれど、何か他に話すことがあったのかもしれないけれど。

 ただ、言って聞かせたかったのだ。

 いつか誰かに言えなかったから。

 最後に救われた(助けた)、自分の子供に。

 

「ヒーローは期間限定でね。大人になると、名乗るのが難しくなるんだ」

 

 そっか。それじゃあ、しょうがないな。

 あの子は、そんなことを言ってくれたか。

 だってしょうがない。

 理想のために、全てを失った。愛も、対価も、罪も。誰かのためにと行ったことの代償として失った。それは自業自得で、当たり前で、だからこそこんな結末になった。

 こんな地獄(理想)に、この子を向かわせてはいけない。

……言えることは、言った。だから眠ろうとして、

 

ーーうん。しょうがないから、俺が代わりになってやるよ。

 

 少年は、自分が口に出来なかったことを、容易く宣言した。

 

「……自分が正義の味方になってやるんだって。そう、言って、くれたんだ」

 

 顔を両手で覆う。濁流のように押し寄せる感情が、雫となって瞳から滴る。

 

「僕は……僕、は。全部、守れていたと、思い込んでいた。やり遂げたんだと。救えたのだと。温かい世界を守り抜けたと。けど、違ったんだ……」

 

ーー爺さんの夢は、俺が。

 

 寒い夜だった。静寂は体の隅々を麻痺させるようで、たった二人の夜が温かいだなんてとても言えなかった。

 理想と現実なら、きっと理想の方が良い。

 でも、

 

「僕はその夢を見て……この十年間で過ごした幸せよりも。心が、満たされてしまったんだ……」

 

 どんなに悲惨な現実であっても。

 どんなに求めた理想でも。

 心を何よりも満たしてくれたのは、現実から受け取った言葉だった。

 それだけで、衛宮切嗣は救われたのだ。

 本当の意味で。

 熱い涙が、止めどなく溢れ落ちてしまうほどに。

……そしてそれは、同時に。

 理想は理想のままだったのだと、認めざるを得ない瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨人に取り込まれた美遊は、答えない。いや答えられない。あの顔は全てを知ったが故の、顔だった。

 

「美遊!? どうしてここに!? さっきまで家で安静でしてたハズじゃ……!?」

 

「そりゃあ君、この泥が深山町まで届いた(・・・・・)からに決まってるだろ?」

 

 クロが瞠目する。

 それも当たり前か。ギルガメッシュの言うことが正しければ……今、冬木市全域であの泥の猛威が奮っていることになるのだから。

 でも奴にとって、そんなことは些事らしい。

 

「さて、美遊のことだけど。この子だよ、この世界をこんな風に作り変えたのは」

 

 あっけらかんと、これまでのことを全てひっくり返してくる事実。

 思考がぐちゃぐちゃに引き裂かれそうになるが、深呼吸する。深呼吸して、それでも落ち着けないほど魔術師として劣化した己に失望しかけるが、努めて冷静に、

 

「……美遊に神稚児としての力はもうない。あるのは小聖杯程度の力だろ、そんなこと出来るわけが」

 

「確かに今の美遊には出来ないね。けど、四ヶ月前の彼女なら、話は変わってくる」

 

 さながら出来の悪い教え子に丁寧に解説する教師のように、ギルガメッシュは告げる。

 

「美遊はね。朔月家、いやこの世に生まれた全ての神稚児でも類を見ない、七歳を越えても(・・・・・)力を持ったまま生きている神稚児……そうだね、正しく言えば神様なのさ、この子は」

 

「……美遊が、神様だって……?」

 

 そんなハズはない。

 だって美遊は、何処からどう見てもただの女の子にしか見えない。

 

「今の彼女はね。だがそれは、今も無意識にこの世界を修正し続けて弱体化しているからさ」

 

 順を追おうか、なんて楽しそうにギルガメッシュは、

 

「美遊を巡った聖杯戦争は、美遊の兄が確かに勝者となった。そして願いを美遊に叶えさせ、それで幸せとは行かずとも、少なくともマシな結末にはなった……ハズだった」

 

 本当ならそれで終わるかもしれない。

 だがそうはならなかった。

 そうはならなかったとしたら、それはきっと。

 

 

「願いを叶えた直後、美遊のお兄さんは殺されたのさ。エインズワースに、それこそ美遊の目の前でね」

 

 

 最悪の結末が待ち受けていることに、他ならない。

 

「……美遊のお兄ちゃんが、死んだ?」

 

 クロが呆然とする。それも当たり前か。

 いつかもう一度会えると、美遊は信じていた。だが、それはあり得ないことで、事態は更に悪化していたのだから。

 なんとなく、それで話の結末は分かったが、それを止める術は俺に持ち得ない。

 傷を回復させながら、クロはかぶりを振った。

 

「嘘よ……嘘、嘘でしょ? だって、ミユはそんなこと知らないじゃない。なら生きてるに決まって、」

 

「確かに美遊は覚えちゃいない。けどそれも当たり前さ。だって、必要ないからね、そんな記憶は」

 

「……必要、ない?」

 

 それでクロも、美遊が犯した禁忌に思い当たったらしい。

 

「……ミユ。あなた、まさか……」

 

「そうさ」

 

 とん、とギルガメッシュは肩から降りて、取り込まれた美遊の近くの窪みに体重を預けた。

 

「美遊のお兄さんは死んだ。だがその現実を美遊は認められなかったのさ。否定しなければ、心が壊れてしまう。だから、作った(・・・)

 

 ここは理想の世界だと、俺は思っていた。

 だが違った。それが一番誰にとっての理想だったかと言えば、それはきっとーー。

 

「一度受諾した願いは変えられない。朔月美遊が幸せになる世界という願いはね。だから方向性を変えたのさ。朔月美遊が幸せな世界、つまりそれは美遊の兄が生きている(・・・・・・)世界……とね」

 

……。

 

「位相……ああいや、現代だとテクスチャと呼ばれていたっけ? ともかくそれをお兄さんの世界に貼り付け、その上で美遊の兄と朔月美遊が幸せな世界が作られたんだが……そこで、美遊にとって予想外なことが起きた」

 

 ギルガメッシュが俺を指す。

 

「そう、君さ。本来死んだ美遊の兄を美遊は作ろうとした。だがそれよりも手っ取り早い相手が居た。それが君さ。そうして君をこの世界に呼び、元々生み出していたこの世界のエミヤシロウと融合させた。君を魔術師から遠ざけるために、ね」

 

 理解しがたいことだが、それはつまり、

 

「……つまり、イリヤやクロ、切嗣やアイリさん、セラやリズは」

 

「無論、美遊と君にとって都合の良いテクスチャを貼るためのピースさ。この世界は代わりとなる君、衛宮士郎が幸せな世界なんだ。君の記憶から作られたんだから当たり前だけどね」

 

 何処までも癇に障る言い方だった。

 つまり、こういうことか?

 美遊が兄を失った悲しみを忘れるために、俺の世界はこんな世界になってしまったのか?

 俺の記憶から死んだ人間すらも別人に作り変えられて、それでごっこ遊びのようにこの四ヶ月が行われていたと?

 あんなに楽しかった日々がーー全て、一つのボードゲームのように、幻でしかなかったと?

 

「……そうか。殺されてぇのか、テメェ……!!」

 

「熱くなられても困るなあ。それをぶつける相手は僕じゃない。この子だろ?」

 

 そう言って、ギルガメッシュは美遊の髪を乱雑に掴んで持ち上げた。

 すかさず、クロは眉を吊り上げて怒鳴る。

 

「ミユ!! アンタも何とか言いなさいよ!! 言われっぱなしで良いの!? これは理想なんかじゃなく、現実なんだって、そう、言ってよ……お願いだから……!!」

 

 励ますつもりだったろうに、クロはいつの間にか懇願していた。

 もしそれが本当ならば、イリヤやクロは、友達どころか美遊の作り出した人形でしかない。美遊の意思でどうにでも操れる、その気になればきっと、命とて例外じゃないのだから。

 

「……、……」

 

 それは恐らく、意識して出た言葉ではなかっただろう。

 だから、それは美遊が心から思っていることだった。

 

 

「……ごめんなさい、……ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 

 

……恐らくクロの話を聞く限り、思い出したのはついさっきなのだろう。

 絶望して、でもこれまで築いたことが過って、だから受け止めきれなくて、パーツが取れた機械みたいに、本音だけは口にしている。

 クロがハッとなり、そして悔しくなったのか、涙を溢した。

 どうしようもなかった。

 どんな言葉も、クロでは美遊にもう届かない。

 

「……さて、ここからが本題だけど」

 

 そして。

 英雄王は、最も避けていた問いを投げてきた。

 

「君はどうする、衛宮士郎? 元の世界を諦める(・・・・・・)か、この世界を破壊する(・・・・・・)か。どちらかがある限り、どちらかはあり得ないんだけど」

 

 さあ、と。

 世界の命運を無理矢理握らせて。

 奴は、手を広げて挑戦を待つ。

 

 

「現実か、理想か。正義の味方はどちらを選ぶんだい?」

 

 

……そんなこと、答えられる人間が存在するのか。

 悩むところがスタートラインだとして、その選択にゴールなんてない。選ぼうが選ばまいが、どちらかを選べば後悔しか残らない。

 生きている理想か。

 死んだ現実か。

 更に、俺は失念していた。

 今この場に、彼女が居たことを。

 

「わたしが、死んで、る?」

 

 何も知らなかったハズの、イリヤが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かの間違いだと思った。

 でも何処までも現実は非情で。

 理想は砂糖のように溶けていく。

……その全てを、聞いていた。

 分からないことなど一つもなかった。ただ何となく、ああ、そういうことだったのか、と頭で納得している。してしまっている。

 だから、心が壊れそうになる。

 現実の重みに、魂が折れる。

 

「……、」

 

 イリヤスフィール・アインツベルンは、全てを聞いていた。

 蚊帳の外で、でも身動きなんて出来ないまま、事実だけをねじ込まれた。

 だから、

 

「……わたしが、死んで、る?」

 

 巨人の手の中で、そう呟いてしまった。

 

「……ああ、君も居たね。忘れかけてたよ、ごめんごめん」

 

 金髪の少年は眼中になかったのか、向き直る。そこで、いつの間にか居た兄が声を張り上げた。

 

「やめろ、ギルガメッシュ!!」

 

「おおっとこりゃ失礼。君の相手もしなきゃ、ね?」

 

 少年ーーギルガメッシュが目配せし、巨人が左腕を振り上げる。士郎は後ろで倒れていたクロを抱え、転がるように飛んだ。

 遅れて、振り下ろされる左腕。轟音と共に有り余る破壊力は地面だけでなく、周囲の建物まで落盤。イリヤも目を開けていられないほどだ。

 そんな中。

 

「そうだよ、君は死んでる。君も毎日見てただろう? 殺される夢?」 

 

 それがこの世界の常識とでも言うかのように、

 

()に殺された過去をさ」

 

 何度も味わったあの悪夢を、現実だと言った。

 

「……は、」

 

 笑った。それは普段と比べても歪で、いっそ滑稽だった。

 許容量なんかとっくに越えていて、瞬間的に漏れたモノだった。

 イリヤスフィール・アインツベルンは死んでいた。

 しかも今の自分は偽物で、友達だと思っていた子に画用紙を糊で貼り付けたようなまやかしとして作られた。

 無邪気に疑えたなら、どんなに良かっただろう。

 これまで感じてきた日々を思い出して、これが本当の自分だと、そう思えたら、どんなに良かっただろう。

 けどこの胸を穿った痛みが、ずっと消えてくれなくて。

 痛くて、涙が出て。

 じくじくと、これまで自分を構成してきた人生全てに風穴を開けていく。

 イリヤ(わたし)が、わたし(イリヤ)でなくなっていく。

 

「……そ、っか」

 

 全て理解した。

 だから、その結論に達するのも当然だった。

 イリヤは投影魔術を使おうとした士郎へ、告げた。

 

「じゃああなた(・・・)は。

 

 

ーーーーわたしの、本当のお兄ちゃんじゃないんだね」

 

 正義の味方は、凍り付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで、それを」

 

 投影がキャンセルされる。

 今……イリヤが、言ったのか。イリヤが、俺のことを、本当の兄じゃないって。

 妖精じみた顔は、もう疲れきっていた。放っておけば飛び降り自殺でもしそうなほどに。

 

「……だって、ここはお兄ちゃんの世界なんでしょ。なのに、わたしは偽物で。死んでて。……だったらもう、わたしにだって分かるよ」

 

 イリヤの言葉は最もだった。

 もう隠し通せるハズがなかったのに、まだ隠せると浅はかにも思った自分が、酷く醜い。

 

「……イリヤ。俺、は」

 

「前に言ってたもんね。隠してることがあるって。うん、その時はね。最後まで言ってはくれないんだろうなって思ってた。そうまで言いたくないんだもん、きっとわたしを心配してくれてたからだよね」

 

「……それは」

 

「だから墓場まで持っていって、わたしを傷つけないようにしてくれる。それを知らないことは、信じてくれないようで悲しかったけど、でも無理に聞き出したいとは思わなかった。今日まで」

 

 何か言わないと。矢継ぎ早に口を動かすイリヤの間に割って入ろうとして。

 妹が、音もなく泣いていることに、ようやく気づいた。

 

「……どうして?」

 

 答えられるわけがなかった。

 口を開けるハズがなかった。

……ここまで来て、何も言えない男に。兄を語る資格なんてなかった。

 

「なんで、言ってくれなかったの?」

 

 散発する問いが、心を抉る。

 

「俺はお前の兄貴じゃないんだって。なんで、一言でも、言ってくれなかったの?」

 

 抉られた穴から、ずっと底にあった後悔が流れる。

 

「言ってくれたら、何か事情があったんだろうなって、そう思えたのに。受け止めてくれるって信じてくれれば、それだけで良かったのに」

 

 ねえ、なんで?と。

……燃える新都に、嗚咽が響き渡る。

 

「もう、何もかも知った後じゃ、あなたのこと信じられないよ……!!」

 

 血を吐くようなそれは、怨嗟の声であり、信頼の声であり、そして決別の声だった。

……例えどんな橋でも作らせない、そんな、拒絶だった。

 

「……ねえ、本当のお兄ちゃんはどこ?」

 

 肩を震わせる。

 そんなものなかったと、そう言うことは許されない。偽物であったとしても、それはイリヤにとって、何よりも代えがたい家族だったのだから。

 

「イリヤ……お兄ちゃんは……」

 

「いい、クロ。俺が言う」

 

 クロを遮ると、俺はそのまま、この世界で最初に犯した罪を告白した。

 

 

「ーーーー俺が、お前の兄貴を殺した。そして、兄貴に成り代わった」

 

 

「…………………………」

 

 

 イリヤは一瞬だけ、顔をひくつかせ。

 

 

「ーーーー辛そうな顔して。また、わたしにそうやって嘘つくんだね」

 

 

 そう、くしゃ、っと苦く笑った。

 

 

「……感動のご対面のところ、悪いんだけどね」

 

 ギルガメッシュはそう断りを入れて、イリヤを捕まえている右腕を動かす。美遊が取り込まれた胸元まで。

 

「言ったろ、壊すって」

 

「、させるか……!!」

 

「良いのかい、動いて? 後ろのそれ、守れるの?」

 

 それとはクロのことだろうか。人をそれ呼ばわりすると良い、本当に神経を逆撫でするのが得意な英霊だ。

 ならば動かなければ問題はない。

 

投影(トレース)開始(オン)!!」

 

 投影するのは五十四の大剣。クレイモア、バスタードソード、グレートソード、野太刀、ありとあらゆる刀剣を空中に出現させて弓矢のごとく射出する。

 弾丸よりも早く、鋭く。

 しかし、

 

「なーんだ。それっぽっちか、贋作者(フェイカー)

 

 巨人の背後から、その倍の剣が殺到する。

 

「っ!?、まず、……!?」

 

 剣を目視した瞬間、寒気が走った。

 全てがBランク、ないしCランクの宝具が百本以上。

 投影した剣が壊されるだけではない。降ってきた剣は致死の雫となって、襲いかかってくる……!

 目視した剣を馬鹿の一つ覚えのように投影したのでは遅い。先のように大剣を複数本投影してバリケードにし、あぶれた宝具を即時投影して迎撃。

 そこまでして、なおまだ届かない。

 体を掠める死の雨に、背筋が震える。

 

「ふぅん、少しはマシになったね。前よりは乱造が上手くなったじゃないか。ま、数だけか」

 

 姿は少年だが、その実、これだけの武器の射出は前の奴より数段速さも威力も高かった。対抗出来たのは、一重にこの世界のーー理想の世界のエミヤシロウのおかげだ。

 雨が止む。 

 回路が全開の魔術行使に焼き付かないのが不思議だった。手の痺れを払い落としながら、巨人へ視線を向ける。

 

「イリヤ、美遊!!!!」

 

「………………、」

 

 美遊は何も言わなかった。

 そしてイリヤも。

 何かを言いかけて、そのまま巨人の体内に取り込まれた。

 

「……くそっ……!!」

 

 何も出来なかった。

 何もしてやれなかった。

 また俺は目の前で……!!

 

「さて。じゃあ始めようか」

 

 そんな煩悶を知らず、ぱちん、とギルガメッシュが指を鳴らして。

 目の前で、魔力が爆発した。

 

「なん、!?」

 

 それは魔力の氾濫だった。瀑布のごとく波を作った魔力は実体を伴って、俺とクロを押し流す。新都を燃やしていた炎すら消す勢いだ。

 急ぎクロを抱き寄せたが、足が地面についていない。奇妙な浮遊感に巻き込まれ、ずるずると道路を転がっていく。と、クロが、

 

「……嘘、なんで……」

 

「どうした!?」

 

「……大聖杯が、あの巨人の中に、二つ(・・・)ある……」

 

「な、!?」

 

……そうか。

 俺の世界の大聖杯。そして美遊の世界の大聖杯。その二つがこの世界に転移されたのか。それを起動する小聖杯も、奴はもう二つ確保している。

 つまり、盤面は既に埋まっていた。

 

「ははははははははははははははははははははははははははははははッ!!!!」

 

 奴の高笑いと共に、撒き散らされていた魔力が集束する。恐らく掛け値なしに、世界一つを創造するほどの莫大な魔力は凝縮されたことで、巨人の輪郭が崩れ始める。

 そして、ギルガメッシュは自身の身体すらも巨人に呑み込ませ。

 それが、生まれた。

 

「、な、んだ……!?」

 

 魔力の放出が止まった瞬間。数百メートルは奴との距離が離れたハズなのに、只でさえ煙で曇天だった空が更に暗くなっていく。

 いや違う。これは空が可笑しいんじゃない。これはーー影か?

 空を仰ぐ。

 そこに居たのは、

 

「……なんだ、あれは……!?!?」

 

 推定五百メートルにまで達した、神話の巨人だった。

 外観は泥人形に近い。だがとんでもなく形が歪んでいる。まるで達磨だ。頭と足がないくせに、上半身だけの姿で雲を突き抜けている。

 全身を構成する泥はぶくぶくと泡立つほど高熱を発しているようで、空から落ちてきた泥の一部は地面を溶かし、腐敗し、痕跡すら残さないと燃え上がる。しかし泥人形と言っても質量、硬度は桁違いであり、触れたビルや道路がーー新都が、瓦礫と化していく。

 歩いてすらいない。

 ただ顕現しただけで、この被害。

 

「……こんなのが、英霊……?」

 

 愕然としたクロに頷く。

 禍々しく、そして何と異様なことか。それは最早存在するだけで災害だった。それこそ世界すら容易に壊してしまうほどに、圧倒的な力。力の化身とでも言うべき、原初の大地にかつて立っていた巨人ーー神話の再現そのものだった。

 

「醜いね、確かに。こんな不出来なことになるとは流石に思わなかったけど」

 

 何処からか聞こえてくる、ギルガメッシュの声。奴の宝具か。

 目を魔術で強化すると、奴の胸部ーーイリヤと美遊が取り込まれた場所が見える。

 例えるなら、それは壁画だった。美遊と同じように、彫刻に似た見た目になった奴は、上半身を浮き上がらせて、

 

「けどま、脚本の都合って奴さ。クラスカードの劣化品なんかじゃ、いくら僕とはいえ聖杯二つを抱え込めばこうもなる。更にほら、美遊も居る。実質大聖杯三個となれば許容量も越えるさ」

 

 そんなことはどうだっていい。

 本当に、どうだっていい。

 会話が通じるなら聞きたいことは一つだけ。

 

「……イリヤと美遊は何処だ」

 

「な、……!?」

 

「……へえ?」

 

 クロは目を見開き、ギルガメッシュは感心する。対称的だが二人ともこう言いたいのだろう。

 まだやるのかと。

 この巨人を相手にまだ、お前は戦うのかと。

 

「何言ってるの……? もしかして、戦う気? 無茶よこんなの、英霊とかクラスカードとか、そんな馬鹿げた領域からも突出してるじゃない!?」

 

「そうだな」

 

「そうだなって……!? なんでそう、あなたは、いつも他人事なの!? お兄ちゃんのことなんだよ!? なのに!!」

 

「でも、勝たなきゃイリヤと美遊が死ぬ」

 

 その言葉に、クロは虚を衝かれた。

 正直に言うと、予感はしていたのだ。

……結局こうなってしまうんじゃないかって。どんなに手を尽くしても、あの時、この世界でエミヤシロウを殺した瞬間、俺は矛盾を抱えた。

 九を守るために一を殺す、正義の味方としての理想(現実)と。

 十を守り、一の犠牲すら許さない、正義の味方としての現実(理想)を。

 どちらも正しくて、どちらも間違っていて。

 お前が理想を裏切る限り。

 お前が現実を裏切る限り。

 その裏切ったツケは、全てお前と世界が支払うことになると。

 

「ごめんな、クロ」

 

 少女の髪を撫でる。

 告げる。

 

 

「泣いてる奴が、あそこに居る。だから、助けないと。だって俺は。

 

 

ーーみんなを守る、正義の味方だから」

 

 

……それをクロはどう思っただろう。

 一つの感情なんかでとてもでは言い表せない。悲しみ、怒り、同情、呆れ、そのどれでもあって。どれでもない気がした。

 しかし、最後に出てきたのは。

 仕方ないという、泣き笑いだった。

 

「……ずるいなあ……っ」

 

 クロだって、分かっていたのだ。

 俺に死んでほしくない。けどイリヤにだって、美遊にだって、死んでほしくないのだ。

 だから、止められるハズがなかった。

 

「全部理想でしかなかったのに……まだ、全部守ろうとするなんてさ……ほんと、馬鹿っていうか、お人好しっていうかさあ……」

 

「だな。自分でも、ちょっと驚いてる」

 

「加えて止まる気なんて全然なさそうだし……うん、じゃあ、仕方ない」 

 

 懐に居たクロを力一杯、抱き締める。

 この熱を心から忘れないように。

 この呼吸を耳から忘れないように。

……この少女と同じ二人が、待っていることを、魂から忘れないように。

 

「勝っても、何か得られるわけじゃないよ」

 

「分かってる」

 

「この世界がある限り、元の世界にはどうあっても帰れないんだよ?」

 

「それでも」

 

 自分に、クロに言い聞かせるように、

 

「俺は、もう二度と。目の前で誰かを失いたくない」

 

「……分かった」

 

 たん、とクロが小さく背中を叩く。

 それで離れた。

 

「いってらっしゃい、お兄ちゃん」

 

「おう。そこから一歩も動くなよ。ここから、ちょっと激しくなるからな」

 

 最後に手を振り、それで優しい兄はおしまい。

 翻す。

 敵を目視する。

 それだけで、衛宮士郎は正義の味方になっていた。

 

「……流石にでかいな」

 

 雲を突き抜けるほどの巨重、何よりイリヤと美遊が取り込まれた箇所を目標と定めると、胸部まで三、いいや四百メートルはあるか。

 更にこの泥。掛け上がるにしても、ギルガメッシュの宝具ーー王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)の妨害が来る可能性や、泥自体の侵食もある。矢筒から出すように投影したところで、土台ここまでウェイトに差があるとまず目標までたどり着くことすら難しい。

 で、あれば。

 こちらも全てを費やして、道を作らなければいけない。

 

 

I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)

 

 

 俺が出来る魔術なんて、元よりこれだけ。

 なら他の魔術など何も要らない。

 魔力ならある。この世界の遠坂ともいざというときに備えて、ラインを繋いでおいた。

 だから怖いのは、もう戻れないということ。

 

ーーその黒い火傷。それが全身を埋め尽くしたとき、あなたは人間として、衛宮士郎として死ぬ。

 

 体は剣で出来ている。

 それ以上の言葉を重ねた瞬間もう、後戻りは出来ない。

 地獄の業火がお前を蝕むだろう。

 そう修道女は忠告した。

 その言葉は真実だ。

……今の俺はアンリマユの呪い、同じく固有結界持ちだったエミヤシロウの魂との融合、それらの極めて不安定なバランスの上で成り立っている。

 そんな中で心象をこの現世で塗り替えるという行為は、博打が過ぎる。

 何より忘れたか。

 そんな危険を冒したところで勝てるかも分からず、全てを守れるハズがないというのに、それでもお前は。

 

 

Steel is my body,(血潮は鉄で)and fire is my blood(心は硝子)

 

 

 勝手に言っていろ、と理性に唾を吐いた。

 そんなこと知ったことじゃない。

 お前こそ忘れたか。

 あの日。

 姉だと知った誰かの墓で、一日中泣いたことをーー!

 

 

I have created over a thousand blade(幾度の戦場を越えて不敗)

 

 

 守れなかった。

 また家族を、守れなかった。

 その無念でお前は学んだハズだ。

 全てを守るのなら、命くらい懸けろ。

 魂くらい燃やし尽くせ。

 それも出来ない正義の味方は、さっさと死んでしまえばいい。

 

 

Unaware of Death.(ただの一度も息が出来ず)Not aware of life(ただの一度も感じ取れない)

 

 

 導火線に火が点く。

 腹の火傷が惨めに警鐘を鳴らす。

 その冷や汗が出る事柄を、思考の外へ蹴り出した。

 

 

Stood pain with counterfeit weapons(遺子はいつも独り)

 

 

 目を凝らせ。

 回路を限界まで回転させろ。

 限界のその先を越えて、無限の理を掴め。

 

 

My hands will never unreachable anything(凍海に呑まれて溺れ逝く)

 

 

 脳が魔術行使に悲鳴をあげる。

 代償だと、脳を舐め回る賤しい呪い。

 いいだろう、脳みそでも目玉でも鼓膜でも鼻でも、みんなを助けられるなら喜んでくれてやる。

 だが、忘れるな。

 

 

If(それでも)

 

 

 記憶は誰にも渡さない。

 例え誰かの代わりだとしても。

 例えそれが罪の証だとしても。

 それは俺のモノだ。

 みんなが俺にくれたモノだ。

 だから、呪いなんぞに一片たりともくれてやるつもりはないーー!!

 

 

My flame someday ends(この生に意味があるのなら)

 

 

 そのとき、世界に異変が起きた。

 聖杯の魔力で満たされた新都に、不純物が混じる。その変化に気づいた巨人が何事かと、首をもたげた。

 

 

My whole life was(偽りの体は)

 

 

 地に、世界に、ガラスのように亀裂が走る。

 それはある種の革命だった。

 王様気取りのクソガキへ、またはこんな筋書きを用意した魔術師への。

 予定調和のバッドエンドなどクソ食らえ。

 俺がここに居る限り、そんな結末には絶対させない。

 

 

somebody(誰かのように)

 

 

 そして、世界が塗り替えられる。

 

 

 

unlimited blade works(きっと、剣で出来ていた)ーーーー!!」

 

 

 

 走る炎は夕焼けのような赤。

 天と地、正義と悪。その全てを心の境界へと連れていく。

 固有結界。

 心象で世界をひっくり返し、塗り替える大魔術。最も魔法に近いとされる魔術の最奥。

 そうして見えた世界は、赤銅色の荒野……ではなかった。

 まず、世界全てにノイズが走っていた。さながらブラウン管の砂嵐で、ざざ、と世界そのものが揺れている。

 そして世界も、その姿を一秒にも満たない速度で次々と変えていた。見覚えのある夕焼けの荒地、灰と火の粉を散らす歯車、凍りついた海……そしてそれらが混じってあべこべになった状態。

 まともではない。

 無論、俺自身の体もそうだ。

 

「づ、……ッ!!」

 

 腹が熱い。いや、全身そうか。立つことすらやっとだ。シャツを捲ってみると、腹は勿論、指先まで黒ずんでいた。

 固有結界を発動するだけで、呪いがここまで。

 しかし、休む暇などない。

 ず……という轟音の後、目の前に聖杯の巨人が着地した。

 

「……こりゃ驚いた。前とは随分様変わりして、相応になったじゃないか。特にツギハギなところが」

 

「言ってろ、英雄王。忘れたか、アンタご自慢の財宝は俺が全部叩き伏せたことを」

 

「ああ。ま、確かに認めるよ。この世界は僕と相性がいい。が、相性くらいで相手を選り好みする者を英雄だなんて呼ばないさ。それにね、一つ教えてあげないと」

 

 パキキ、と奴の口にあたる部分が三日月の形に裂かれる。

 

 

「ーーーー贋作者(フェイカー)風情が、蝿のように(オレ)の前を飛ぶな。不敬にもほどがあるだろう」

 

 

 それは、かつての奴を彷彿とさせる、絶対零度の殺気だった。

……今固有結界がどうなっていようと、それでも変わらないモノがある。

 大地に刺さる、無限の剣達。

 数多の剣はこの世界全てを埋め尽くし、俺という創造主を迎えてくれている。

 この固有結界の名は、無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)

 俺がこれまで見たありとあらゆる剣は勿論、剣に限らず武具をこの丘に登録し、蒐集した世界。

 例えどんな姿になろうとも関係ない。

 近くにあった長剣を抜き取る。

 この重み、そして刀身。それだけあれば、この世界が剣の世界であることは何も変わらない。

 

 

「いくぞ、英雄王」

 

 

 だから今一度、問い掛けよう。

 あのときなし崩しに終わってしまった、戦争の続きを。

 世界の命運を分ける、本当の戦争を。

 

 

「武器の貯蔵は充分か?」

 

 

「ーーーーは」

 

 

 英雄王は嗤笑した。

 そして、背後に自身と同じ高さまで、数百メートルも王の財宝を展開した。

 

 

「思い上がったな、雑種ーーーー!!」

 

 

 巨人の咆哮が世界に響いた。

 それが合図。

 絶望的な戦力差の中、俺は手にある剣を振るった。

 

 

 

 

 

 








※注意※ ここから先はへんてこ振り返りコーナー、タイガー道場です。 本編のキャラやイメージを大切にしたい方、茶番などが嫌いな方は、ブラウザバックを推奨します。 しかし『SSFの意味は、そこまでにしておけよ藤村の意味でもう固定だからァ!』な方は、そのままゴー。



→1.はい

 2.いいえ



タ イ ガ ー 道 場 二 之 巻


タイガ「はーいみんな、おはこんばんちゃ!いつまでも心は18歳のボーイズ&ガールズ達に送る振り返りコーナー!タイガー道場、始めるわよ!今回も師しょーと!」

ミミ「弟子二号です、よろしくお願いします!」

タイガ「つーわけで本編、色々謎が明らかになったりならなかったりするわけだけど、弟子二号は分かる?」

ミミ「まあ何となくは。ただ分かりにくいですよね」

タイガ「つーわけで今回はみんなのために分かりやすく解説よ!」

Q.つまりどういうことだってばよ?

タイガ「はーい師しょー答えちゃうわよー。つまるところ、時系列的にはこうなるわけね」 

1.美遊、七歳を過ぎても神稚児としての力は所持、それが現在まで続く。

2.士郎達の世界でなんやかんやあーだこーだある(ここは今後のお話)

3.エインズワース、美遊兄、遠坂凛withバゼットとカレンで第六次聖杯戦争。

4.美遊兄、勝利して美遊に願いを叶えさせる。美遊、世界の移動開始。

5.直後、美遊兄がエインズワースの手により死亡。美遊はそのことを受け入れられず、美遊兄の願いの方向性を変更。

6.SNの世界に美遊転移。同時に美遊が幸せな世界=衛宮士郎が幸せな世界となり、士郎の記憶を基に真逆であるこの作品のプリヤ世界に改変。士郎を自分の作った理想の士郎と融合させる。

7.本編開始

ミミ「や、ややこしい……!」

タイガ「うん、大変ややこしい。つまりプリヤなどなかった、これに尽きるわね!」

ミミ「二次創作なので許してください……」

Q.あらすじと一話はなんだったの?

タイガ「美遊ちゃんの改変力のおかげよ☆」

ミミ「つまり詐欺です。ミスリードです。あ、完全な詐欺じゃなかったりするので、そこは一つ」

タイガ「あと宝石剣なぞなかったのだ!魔法などそう簡単にあるわけあるめぇよ!」

Q.そこが詐欺なら士郎の融合って第二魔法のトラップでもなんでもなくない?

タイガ「そうね。士郎は結局、美遊ちゃんが作った理想の世界の士郎、つまり家族と共に居る士郎と融合した結果、自己が崩壊しかけてて、更にそれを無意識に美遊ちゃんが理想の士郎へと徐々に改変していってたっていうのが大体のあらましかしら」

ミミ「師しょー。じゃあ凛さんやルヴィアさんはどうなるんですか? あの二人は?」

タイガ「お、いい質問ね、流石我が弟子。そこはまあ今後のお話で明らかになるわ! そう遠くない内に分かるからちょっと待っててね!」

ミミ「大体解説し終わったかな……? あ、あと英語のところは細かいこときにしないでください。ニュアンスが伝わればもうそれでいいってことで……」

タイガ「次回は皆さんおまちかねのバトル!まあそう簡単に勝てる相手じゃなかろうよ!」


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無限の剣製~Do you believe a world of happy endings?~

古戦場中なので更新します、30000位行きたいけど無理っぽいです。


 

「……」

 

 冬木大橋を渡り、何とか新都へ辿り着いた切嗣達だが、状況は最悪だった。

 一夜にして火の海となった新都。更には泥によって大地は埋め尽くされ、救助どころか歩くことすらままならない。

 こんな状況で生存者など居るわけがない。無論、そんな可能性を信じる切嗣達ではないが……この火と泥の前では、三十秒もしない内に灰になるかあの泥の養分になるのがオチだ。

 これでもマシにはなったのだ、状況は。

 美遊が奪われたとアイリから連絡が入った直後、二つの大聖杯が確認され、台形型の山のような化け物が現れ……そして、忽然と姿を消した。

 バゼットによれば、それは士郎の固有結界によるものらしい。魔力を提供している凛もそれは把握していたようだが、

 

ーー今の衛宮くんで、固有結界をどれだけ保てるか分からない……発動するだけでも、衛宮くんにとって命懸けなのに、それを維持すればそれは衛宮くんにとって致命的になる。

 

 固有結界。

 それは術者の心象世界によって現実世界を上書きし、塗り替える大魔術。

 それは言わば、自分に有利な環境へ強制的に連れ込む、世界の形をした処刑場のようなものだ。

 逆説的に言えば、敵味方関係なく、その世界そのものに干渉することは術者以外極めて難しい。

 

「ふぅ……」

 

 ルヴィアから渡された宝石を飲み込み、魔力を補給するクロ。巨人を士郎が固有結界に引きずり込んだ後、クロはバゼットの手で町から救い出されていた。彼女はリムジンの席に座って休息を取りつつ、他の四人に自身が知った話を伝えていた。

 この世界の真実を。

 

「……つまり、この世界で生まれた人間は衛宮くんの記憶を基に作られた、ってことでいいのかしら、クロ」

 

 凜が感情を押し殺して問うと、クロは頷いた。

 

「ええ。あの金ぴかの言葉を信じるなら、だけど。少なくとも嘘を言っている感じじゃなかったわ」

 

 クロは切嗣を一瞬見て、そして目を伏せた。

 当然だ。凛やルヴィアは分からないものの、切嗣だけは死人だと判明している。士郎がもし、元の世界に戻したいと願った場合、切嗣はもう一度、死ぬ。

 それは凛やルヴィア、バゼットも想像がついていた。勿論切嗣本人も。しかし、

 

「……そうか」

 

 それだけだった。

 切嗣は自身の死を……十年の努力が水泡に帰すことを、あっさりと受け入れた。

 

「……つらくないの、おとーさん?」

 

「辛いさ」

 

 間髪いれず正直に話す。

 切嗣だって、クロと同じだ。

 本当はどうしてだと叫びたい。何故こんな残酷なことをと、神様を呪い殺してやりたい。

 けれど、全ては終わってから。

 まだ何も終わっていない。

 

「まだ子供が生きている。なら僕は親として、君達と別れるその日まで守る義務があるからね。なら、みっともなく泣いているなんて馬鹿な真似は出来ない」

 

「……おとーさん」

 

 クロは目頭をぐっと押さえて、平常まで保たせる。

 こういう人だから、きっと幻でも、世界を救う夢を諦められた。温かで、ささやかな家庭を築けた。

 泣いていたって、もうしょうがない。ここまで来た以上、そんな暇はクロにだって何処にもないのだから。

 ただ、クロには誰にも話してないことが一つだけあった。

 

(……痛覚共有の呪いが途切れてること、話した方が良いかしら)

 

 いつもリンクしていた痛み。それが固有結界に入ってから、共有されていない。

 世界が異なるのだから当たり前かもしれない。ただ、クロはこうも思っていた。

 それはつまり、痛覚共有の呪いが解けるほどの呪いか、はたまた共有の許容を越えるほどの痛みを抱えているのではないか。

 と、

 

「しかしどうしますか? 我々は現状、どう動けばいいのか皆目検討がつかない」

 

 バゼットがせめてもの抵抗にと町へ目を向ける。その意見には切嗣も同じだ。

 これは固有結界に入れないから、なんて話ではない。

 根本的な話だ。

 この場に居る人間が協力し、あの巨人と相対して勝てるか。

 答えはノーだ。

 あれは最早英霊の域を超えている。

 英霊と真っ向から当たって勝てる確率が低いバゼットでは、まず勝てない。他も同様。カレイドステッキがない以上切嗣達の魔術は全て対魔力によって無効化される。

 そういう意味では、士郎の剣製は無銘の剣すらも魔力で編まれた特注品だ。唯一勝ちの目がコンマ程度とはいえある……のだろうか?

 

「……、」

 

 魔術師殺し、衛宮切嗣。その実態はこと戦闘においても時に非情な手に染めなければいけないほど、魔術師としての才は凡庸だ。戦闘だけに特化した結果、索敵などは機械と使い魔の複合で行っていたわけだが、今回はそんなモノは使い物にならない。

 何もなかった。

 偽りの平和など簡単に崩れるのだと。からっぽの平穏など、脆く、砂のように流れ落ちるのだと言われてる気がした。

 世界から、或いは運命に。

 

「……無事でいてくれ、みんな……」

 

 神頼みを叩き壊した自分が、今度は神にすがるしかない。

 その事実に、切嗣は忸怩たる思いで、それでも祈らずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交差する、剣と剣。槍と槍。斧と斧。矢と矢。鏡合わせのごとく激突する殺意の波と波は、一秒もなく片方が砕けて世界から消え去っていく。

 そんな欠片の中を、縫って走る。足場は奴の体、ではない。それでは泥によって足が腐り落ちる。ならばどうするか。簡単だ。

 この世界は無限の剣で構成された世界。無銘の剣であっても、一つの例外はない……だったらその少しを動く足場にすればいい。

 

「……!」

 

 足場の剣波を操作。奴の胸部へ最短距離で道を作り上げるべく、数多の剣を向かわせる。ギチギチ、と軍隊蟻のごとく殺到する剣は、しかし奴の後方から射出された宝物によって半数が弾かれる。

 だが関係ない。

 どんなに細くたって道はある。なら、あとは壊れる前に走り抜けるだけーー!!

 

「全く」

 

 対するは、雲にすら届く泥の巨人となった英雄王。奴は剣の激流を心底鬱陶しそうに、

 

「君って奴は、這いずる虫みたいな奴だな、本当ーー!」

 

 巨大な手で、その激流を跡形もなく叩き落とした。

 絨毯爆撃なんてものじゃない。さながら衛星でも降ってきたみたいに、目の前の道が圧殺される。

 直撃しなかったのは奇跡に近かった。目の前が真っ暗になりかけたときに、足場から飛んでいたのが幸いだった。しかし奴の手の風圧だけで雑草のように軽く吹き飛び、地面に叩き落とされる。

 

「そら、転がってる暇なんかないよ?」

 

 風を斬る音と共に、二百の宝具が射出される。だがそれに恐れることはない。ここは俺の世界。つまりこの世界は俺の目でもある。直接見なくとも、世界に現れた時点で、宝具の解析は完了していた。

 奴の二百の宝具を確認するやいなや、それと同じ数の贋作が迎撃に向かう。その間に体勢を立て直さなければ。

……状況は、最悪に近い。

 英雄王ギルガメッシュ。太古の昔、後にメソポタミアと呼ばれるシュメールの都市国家ウルクを治めていた、人類最古の王。

 かつて世界の全てを手中に収めたとされる王、それがギルガメッシュだ。

 奴はサーヴァントとしての桁違いの力を有しているが、その理由はただ半神というだけではない。世界の全てを手中に収めたという逸話が昇華された宝具、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)によるモノだ。

 本来、サーヴァントのシンボルたる宝具は、一騎につき一つ。多くて三つが普通の英霊だ。しかし、奴の宝具は、そんな宝具の原典を全て集めた、言うなれば宝具の宝物庫だ。

 つまりそれは、宝具という核兵器にも劣らない代物を数百、いや数千持ち合わせていることになる。

 魔剣、聖剣、妖刀、神剣。ポピュラーな剣ですら、そういったカテゴリーで枝分かれするほど様々な種類がある宝具だ。それらを全て手中に収めたとなれば、それは最早弾切れしないミサイルのスイッチを手に入れるより余程凶悪なのは明白だ。

 そしてそれは、相性が良いと言われる無限の剣製であっても例外ではない。

 

「ぐ、……!?」

 

 柄だけとなった直剣を投げ捨て、飛んできた剣を受け取り返す刀で迎え撃つ。だが奴の宝具の方が速い。撃ち漏らした幾数の宝具が脇腹を掠めていく。

……以前戦ったとき、無限の剣製によって奴の王の財宝を射出前に全て潰すことで動揺させ、その勢いのまま押し通せた。

 だがそのときの奴は、現代風の私服を纏っていた。戦闘用の衣装ですらなかったのだ。それに、あの高慢ちきが、俺などに本気を出していたとはとても思えない。

 

「せっかくお好みの展覧会を開いたってのに、いざ開いてみればこれかい? 贋作を披露する場を与えてやったっていうのに、蛮勇を見せるどころか物怖じするのはどういう了見かな、これは?」

 

 二本の腕を広げてはいるが、その背後、そして俺の目の前には絶えず黄金のゆらぎが発生し、命を狙いにその矛先を叩きつけてくる。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)。以前であれば、相殺出来たハズの宝具は既に俺の捕捉可能域を越えている。更にその速度は、無限の剣製が捉えた時にはもう弾丸となって喉笛を裂こうとしてくる。

 防戦するだけでも手一杯。一度手を緩めれば、恐らく三回は首を飛ばされていたであろう凶器の乱舞。

 しかも今回の奴はあの巨体だ。当然、一度は敗北を喫した相手に宝具だけで何もしないわけがない。

 

「しょうがない。来ないなら、引き出す(・・・・)か」

 

 ぐぐ、と奴の巨体が重い音を立てる。片腕が、弓なりに振りかぶられ、そのまま極大の槌となって振り下ろされる。

 鼓膜が潰れたかと間違えてしまいそうな轟音の連鎖。地割れが荒野に走り、隆起した瓦礫が地底へと流れ落ちていく。強烈な光の点滅は、山そのものと同じ質量が落ちたことで無限の剣製内に走るノイズが更に激しくなったからだろう。つまり奴の巨体は、無限の剣製そのものにすら影響を与えるほどの威力を持っている。

 俺にそれを防ぐ術はない。

 衛宮士郎は、いとも容易くその命を散らしてーー。

 

「、……ふ、ざけ、やがって……!!」

 

 地割れが起きたことで発生した、崖。その中程で剣を突き刺して、俺はぶらさがっていた。事なきを得たが悪態でもついてないとやってられない。

 寸前でありったけの剣製を横から奴の腕に突き刺したかいがあった。ほんのちょっぴりではあるが、拳の軌道が変わってくれた。

 無論無傷ではない。飛び散った瓦礫は英霊の一撃さながら全身を殴打し、額からは血が溢れている。

 

「……地形そのものを変えるなんて、スケールが違いすぎるだろ……!!」

 

 いくら無限の剣製が相討ちに巻き込めるほどのポテンシャルがあろうと、俺とギルガメッシュでは根本的にスペックが違う。当たり前だが、それを再認識せざるを得ない。

 それに、敵は外だけじゃない。

 

「ぐ、あぐ……っ!!」

 

 腐臭をたてて、脇腹と左手から煙が噴き出す。アンリマユの泥の侵食。鉄板を押し当てられたような火傷は、眼下に見える奈落よりも更に暗い。

 同時に、頭の奥でもカリカリとナイフで切りつけられるような痛みが走る。

 

「、あ、」

 

 ぶつ、っぶつ、と。

 ここで過ごした四ヶ月の記憶の幾つかが、呪いに塗り潰される。黒いクレヨンでぐちゃぐちゃに書き足される悪意は、白いキャンパスみたいな過去を地獄へと変える。

 

ーー殺す。

 

 脳にその囁きが聞こえてくる。

 

ーー殺す。

 

 分かる。

 この声はかつて聞いた、地獄の爪痕などではない。

 

ーー殺す殺す殺す殺す。

 

 今なお続く、悪性の祈り。全てを救うなどとのたまった男に呪いあれと、この世の歯車を回すための最適解へ誘導する邪悪な声だ。

 

ーー殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 

 俺の行為は彼らにとって裏切りに過ぎない。

 既に死に、虚像でしかないモノを救おうとするのなら。

 過去に死んだ我らをまず救え。

 それが出来ないのなら捨てろ。

 お前のそれは、死者を救おうとすることとなにも変わりはしない。

 だから殺す。

 オマエの願いも。

 オマエの意思も。

 オマエの正義など。

 殺して殺して、殺し尽くした先にしかないのだからーーーー!!

 

「う、る、せえ……!!」

 

 声は振り下ろされる剣にも似ていた。

 一を助ければ、瞬く間に千の呪いがこの体を侵す。

 十の願いを叶えようとすれば、瞬く間に万の死がこの体を溶かす。

 百の声を無視すれば、瞬く間に無間地獄に居た。

 結局お前は何も変わらないと。

 十一年前。耳を塞いで、ひたすら歩き続けたときから何も変わっていないのだと。

 千の声が告げる。

 お前に人は救えない。

 お前はかつて、あの地獄で死んだのだから。

……敵は本気のギルガメッシュ。

 そしてアンリマユの呪いと融合による記憶の塗り替え、もしくは破壊。

 短期決戦など持ち込めず。

 長期戦になれば、全ての記憶を失うどころ、魂は呪いに食い潰されるだろう。

 どうする。

 こんな状況で、一体どうやってーー!

 

「一休みしてるところ悪いけど、そんな暇与えると?」

 

「!?」

 

 奴の声。何処だ、なんて考える理由もない。

 頭上。ノイズだらけの橙色の夕焼けを覆うように、またあの巨大な手が今度は拳の状態で落ちてくるーー!!

 

「くそ!!」

 

 咄嗟に出来たのは、握っていた剣を放すことだけだった。自由落下を開始した直後、またもやあの衝撃が世界に襲いかかる。

 二度目は轟音などなかった。

 ただ、つんざくような、ガラスの割れる音が木霊して。

 世界は夕焼けの荒野ではなく、氷の海へと変貌していた。

 

「な、ん……!?」

 

 驚く間もなく、氷の上に落下。肌を刺す冷たさに飛び上がりそうになるものの、遅れて目の前にギルガメッシュが降り立った。

 氷の海は地平線まで続いてるだけあって、海水全てが氷と化しているらしい。氷の中に登録した剣が埋まっており、これもまた固有結界だから為せる世界なのだろう。

 

「またこれは……みすぼらしい世界に変わったものだね。これ、君のじゃない(・・・・・)だろ?」

 

「誰だろうが、なんだっていいだろ……」

 

「ま、それもそうか」

 

 派手な号令などない。

 同時に、お互いの武具がノーモーションで撃ち出された。

 氷の海を割って、氷柱のごとく飛んでいく無限の剣。対するは暗雲の隙間から金色の霰かと錯覚するほど絢爛な宝物の数々。

 

「なるほど、墓場なことには変わらないらしいね」

 

「抜かせ!!」

 

 剣片のダイヤモンドダストと金色の霰を掻い潜る。胸部に直接剣の道を作っても、あの腕に壊されるだけだ。なら。

 五十四の魔術回路が焼け付くほどの魔力を叩き込み、身体強化。ジェット噴射した体は剣を足場に奴の右腕へ飛び乗った。

 これなら、奴も迂闊にはこの巨体に干渉出来ない。直に触れないよう剣を突き刺し、それを足場に駆け上がる。

 

「ははあ、考えたね。僕は確かにこの体の都合上、そこまで腕を伸ばせない。急がば回れなんて古典的なことも、こうすれば効果的なわけだ」

 

「、何が言いたいんだ、テメェ……!!」

 

「いや。乗ってあげようと思ってね。ほら、早くしないとイリヤや美遊が完全な魔力タンクになっちゃうだろうし、ね?」

 

 コイツ、言わせておけば……!

 舌打ちして、迫ってきた大剣を同じ大剣で弾く。

 確かにイリヤと美遊は今、小聖杯として奴の体のパーツになっている。そんな状況が続けば、どんな影響が生じるか分からない。下手をすれば、そのまま無機物になる可能性だってある。

 逸る気持ちはあるが、気を抜けば死神の鎌はいつだって首元を狙っているのだ。ここは慎重に、

 

「それに」

 

 と、呼び寄せた槍でまとめて宝具を打ち返したときだった。

 

「僕の財宝がこんな世界に劣ることなんて、有り得ないだろう?」

 

 背後にゆらぎが出現する。

 前しか注意を割いていなかった。

 故に、感知が遅れた。

 

「ぃ、ぎ!?」

 

 音速を越えて放たれた槍の宝具は、無限の剣の防衛ラインを易々と抜け、左肩を貫いた。何らかの細工があったのだろうか。貫いた瞬間槍の穂先が銛のようにかえしがあったようで、さながら肉食獣に噛みつかれたかのごとく前に突き飛ばされた。

 鮮血が長い線を描いて飛び散る。ただ前に移動しただけなのに、三秒も地に足がつかない。そして、恥も外聞も捨て去れと言わんばかりに転がされる。

 

「ぁ、がぐ……!! これ、は……!! ゲイボルクか……!?」

 

「その原典だね。海獣クリードの頭蓋を削って作られたモノさ。君、あの野良犬と因縁があるんだろう?」

 

 この際当て付けなんて気にしている場合じゃない。ゲイボルクを抜けるか試すが、ダメだ。かえしが茨のように体に食い込んでいて抜こうにも抜けない。もしこのまま抜けば、左腕は皮一枚繋がっただけの肉片になってしまう。

……抜かなければ何ら問題はない。だったら、まだ、やれる。

 

「う、おおおおおお……ッ!!」

 

 吠えて、一歩。力強く踏み出して、あとはもう左肩に突き刺さった槍など意識から追い出す。少し剣は振りにくいし、走りにくいが関係ない。それより、今はイリヤ達を助けないと全て手遅れになる。

 

「ぁああああああああああああッ!!」

 

 体裁なんて知ったことじゃない。叫んで痛みを紛らわす。腐りかけて悪意に塗り潰されかけた脳への信号を誤認させる。

 止まるな。

 止まったところで何になる。

 手元には、無限の剣があって。

 足はまだ動いている。

 だったらいつもと何も変わらない。

 前へ、前へ、ただ前へ。

 この絶望を打倒せずして、何が正義の味方かーー!!

 

「馬鹿だとは思っていたけれど、救いようがない阿呆でもあったね、君は。こんな世界のために命を賭すなんて」

 

「うる、せえ……! てめえなんかに分かってもらおうなんざ、思ってないんだよ!!」

 

「だろうね。僕には理解出来ないよ。こんな脆い世界を守る意味がね」

 

 王の財宝は更に激しさを増している。

 背後だけじゃない。上、下、横、斜め。三次元的な配置で放たれる王の財宝は脅威だ。それが無限の剣製より質、速度が上なら尚更だ。

 三百六十度全方位から首を狙われる。

 無限の剣製でもカバーしきれないほどの財宝の数々。

 

「……くそっ……!!」

 

 追い付かない。

 前に進みたいのに、後ろへ下がらされる。

 同じ剣を合わせることすら億劫。がむしゃらに突き出した剣は簡単に砕かれ、あるいは弾かれ、痺れた手の平が空を掻く。

 走るどころか歩けない。

 無限の剣は夢の破片へと還される。

 そして同時に、一つ、また一つと脳が撫でられる。

 思い出が業火に燃える。

 

ーー、ーー、……、ーーーー。

 

 指標が消える。

 俺を作り上げてくれたモノが、人に戻してくれた記憶が、全部。

 人としての強さも、魔術師としての弱さも。

 人としての弱さも、魔術師としての強さも。

 一つの例外なく、消えていく。

 振り返ることを止めても、もう遅い。

 後退を余儀なくされ。

 いつしか足は、奴の体どころか、凍った海にまで戻されていた。

 

「は、ぐ、……が、……っ、ぁ……!!」

 

 ぽた、と汗が混じった血が四肢から滴り落ちる。

 酷いモノだった。

 左肩のゲイボルクは既に骨にすら根を張り、動かせばそれだけで肉は裂かれ、左腕は千切れるだろう。

 全身の王の財宝による切り傷は、全て五センチ以上も深く刻まれており、さながら穴の開いたビニールホースみたい。

 そして、そんな傷すら黒く染める呪いの痣と、記憶の焼失。既に手足は鉛よりも鈍重になり、思い出そうとする脳の動きは亀の歩みよりも遅くなりかけていた。

 剣を支えにしていてなお、膝をついてしまう。

 死を感じさせ、諦めへ落ちるには余りに簡単な状況だった。

 

「ふむ。戦い始めてから五分も経ってないんだけど……まぁ、こんなものか」

 

 ギルガメッシュが巨体を悠々と動かす。雑音と空間があべこべになった墓場のような世界だからこそ、奴の強大さ、強靭さが滲み出ている。

 届かない。

 イリヤと美遊までたった数百メートル。

 もう何も変えられない過去より、よっぽど近い距離。

 だがこれは近くても、その距離は実に数千年前の怪物によってそれ以上に開いていた。

 

「君と僕では、生命として絶対的なまでの性能差がある。だからこんな世界を作ったところで、僕の財宝に対しカウンターになり得たとしても。十全に発揮出来ないのであれば、怖くなんてないのさ」

 

 簡単な話だ。

 俺では、この世界の全てを扱い切れるが、それはあくまで中途半端、魔術師の範疇でしかない。

 そしてギルガメッシュは、財宝全てを扱いきることは出来なかったとしても、自分なりに有効活用し、戦争にまで昇華させた。

 端から勝負になんてならない。

 元よりこれは、人と人の戦いなどではない。お互い兵器を指示一つで無尽蔵に撃ち続ける戦争だ。

 それに長けていたのが、ギルガメッシュであり、奴の財宝だっただけのこと。

 

ーー諦めろ。

 

 呪いの声は耳陀をしきりに叩いていた。

 最初から、戦う必要もなかったと。

 わざわざ負けて、死ぬのであればそれは無駄でしかない。

 それでも。

 くるくると手元に回ってきた、夫婦剣。それを受けとると、よろつきながら構える。

 

「……しぶといね、相変わらず。まあだろうなとは思ってたよ。でもさ」

 

 奴は双眸を妖しく光らせると、

 

 

「ーー君はこの戦いで勝ったとして、それでどうするんだい?」

 

 

 俺の心を、折りにきた。

 

 

「……なに?」

 

「まさか。君は真っ正面から説得でもしようって言うんじゃないだろうね? だとしたら傑作だ、君は喜劇の主役になれるよ」

 

 英雄王は攻撃してこない。ただ話をするだけだ。

 なんだっていい。

 今なら前に進める。前に進んで、それで全部終わりだ。

 なのに、

 

「そうやって君はイリヤスフィールや美遊を、助けたとしよう。それで? 君はその後元の世界と今の世界、どちらかを選ばなくっちゃならないことを忘れてないかな?」

 

 奴は、見たくもない現実を理解させようとする。

 

「元の世界を選んだとしよう。君はあの乱雑でありふれた悲劇の現実に戻れるが、しかしイリヤスフィールをまた切り捨てなければならないし、美遊は兄が死んだ記憶を受け入れなければならない」

 

 奴の腕の上。妨害は言葉だけ。先より移動は驚くほど楽だし、歩いていても数分で辿り着ける。

 

「今の幸せな理想のままであれば、イリヤスフィールと一緒に生きていけるし、美遊は自分の運命によって兄を殺した記憶を思い出さなくて済む。ほら、クロだっけ? あの子も真っ暗な場所で寂しく一人にならなくていい」

 

 なのに、どうしてだろう。

 体は動くのに。

 脳が走れと命じているのに。

 心が、止まりかけている。

 

「その代わり、君が今まで守ってきた人達全てに偽りの役を押し付けて、千秋楽のない演劇の始まりだ。ほら、選びなよ。君はどっちがいいのかな?」

 

「……」

 

「ああ、君は明白にしておいた方が答えやすいタイプか。他人に叶えてもらった理想(・・・・・・・・・)か、自分では決して届かない現実(・・・・・・・・)か、君はどっちがいい?」

 

 止まりかける足に夫婦剣の柄をぶつけ、馬車馬のように走らせる。

 止まらない。

 酸素なんて要らない。

 無呼吸で奴の喉元を食い千切ってやらないと、もう、走れなくなる。

 知らない間に、額の汗は冷や汗に変わっていた。

 そんな俺を見て楽しそうに、

 

「おいおい、そんなに悩むことかい? 君は正義の味方なんだろう? だったらほら、誰かを悲しませちゃいけないだろう? イリヤと美遊も、共に家族を失っている。その傷を受け止められるほど、彼女達は大人かな?」

 

「……受け止められる……二人は、お前が思っているほど、弱くなんて……!!」

 

弱いさ(・・・)。じゃなきゃ、二人はどうして僕の中に居るのかな?」

 

 足を剣の道から滑らせる。泥の上に倒れ、内側からの呪いが呼応してその声を荒げた。

 独り善がりな偽善者め、と。

 

「イリヤスフィールは衛宮士郎という家族が居たから、魔術に関わっても最後まで折れることはなかった。美遊に至ってはほら、自身の罪から逃れるためにこの世界を作った。君を愛しのお兄ちゃんと呼んでね」

 

 起き上がろうとして、力が抜ける。

 左手の感覚がない。痛覚どころか暑い、冷たいといった五感すらない。

 目をやって、心臓を鷲掴みにされた。

 そこにあったのは、赤黒く染まった肌。蠢く泥に堕ちてしまった、もう俺のモノではないナニかだった。

 

「それを、君は壊した。彼女達だけじゃない。君という存在がこの世界の理を壊したのさ」

 

 動かない左手を構ってられない。

 幸い、右手がある。右手の代わりは操作した剣で補えば何ら問題は、

 

 

「まあ、この世界はあと二ヶ月もしない内に消える(・・・・・・)けれど」

 

「……、」

 

 

 今度の今度こそ。

 そこで、ぴたりと足が止まった。

 

 

「おや? 止まったね。そんなに気になる話題かな?」

 

「……どういう、意味だ」

 

「どういう意味? はて、どれのことか……僕は色々話したからちゃんと質問してほしいんだけど」

 

「この世界が消えるって、どういうことだ!! 答えろ、ギルガメッシュ!!!」

 

「……等価交換くらいは、君も知ってるだろう?」

 

 英雄達の王は、それこそ憎たらしいほど明確に事実だけを伝える。

 

「美遊は瞬間的な力だけなら、大聖杯に匹敵する、とはさっき言ったけれど、じゃあどうしてそんな機能を持っておきながら、人としての人格を保っていられる? 小聖杯ですらサーヴァントの魂を数騎蓄えれば人としての機能は失われるのに」

 

 美遊は神稚児だ。

 なら、その力の源は……。

 

「……美遊の命」

 

「正解。美遊は類い希なる神稚児としての才を持ってはいるが、所詮は人の器。神様の役割を果たすにはちょっと消耗品が過ぎる。そして今の美遊は、その神稚児としての力を使って何をしていたかな?」

 

 思い当たった。

 思い、当たってしまった。

 最悪の結末に。

 

「……世界の、改変」

 

「そう、世界の改変さ。四ヶ月。それを虚構の世界ではなく、抑止力が働く現実世界で行えば、命なんていくつあっても足りない。君の幸せな理想のために、美遊はその命が尽きようとしている」

 

 そう。

 ここは美遊が望んだ、衛宮士郎ーーつまり俺の理想の世界でもある。

 そのために美遊はその命を費やした。

 ただ、兄の幸せを願って。

 その願いが、彼女にとって幸せでありながら、その身を蝕む猛毒だったなど、なんて皮肉だろう。

 

「でもそれも、二ヶ月すれば神稚児としての機能に命を吸い取られて終わり。そうなれば嫌でもこの世界は終わる。

 ね? だから言ったろ? 君が勝ったところで、負けたところで、選ばなきゃいけないって」

 

「……、」

 

 じゃあなんだ?

 俺が守ろうとしているのは、なんだ?

 

ーー■■■■う、■兄■■ん!

 

 記憶が、喰われる。

 これは何の記憶だっただろうか。

 何か手に持っていて、三人の女の子が、お礼を言っているように見える。

 つい最近だったことは覚えているけれど、何の記憶かまではもう、覚えていない。

……そうか、今分かった。

 これも美遊による世界改変の産物。俺は衛宮士郎であり、美遊の知る衛宮士郎ではない。違う情報があるバグだ。世界からの修正力だと思っていたこれは……美遊から受けていた改変だったのだ。

 それが今、アンリマユの呪いと合わさり、記憶を数倍の速度で奪っているのか。 

 

「……ぁ、」

 

 時間が経てば経つほど、自己を保てなくなっていく。

 衛宮士郎というパーソナルが、びりびりに破かれていく。

 すがるものを忘れ、目指す道は閉ざされ、守る対象は全てどうすることも出来ない。

 どうすればいい?

 どうすれば、何をすれば、俺は、みんなを、助けられる?

 地獄だった。

 考えれば考えるほど何かを忘れる今、生きていれば生きているほど後悔し続ける今、何も聞きたくないと耳を塞いでも苛烈な被害者達は囁き続ける。

 十一年前の地獄よりも更に上の、地獄。

 あらゆる責め苦を同時に味わう最悪の地獄だった。

 

「さて。じゃあそんな君に提案しようか。一つ、簡単なことを」

 

「提案、だと?」

 

 いっそ口が思わず滑ったとでも言うように、

 

 

「簡単さ。こんな世界、諦めてしまえばいい(・・・・・・・)

 

 

 奴は、悪魔のごとくそう持ちかけた。

 

「ここに居るのは死人の情報を元にした偽物か、生者を上書きした偽物だけさ。君がそれらの上書きから外れた生者で、この世界の理をイリヤ達が知った以上、もう元の関係になんて戻れるわけがない……だとすれば、今ここで戦うことそのものが無意味だ。だってほら、守ったところですぐ死ぬだろう、みんな? そんなの守ったところで無駄でしかない」

 

「無駄なんかじゃ……!!」

 

「じゃあ君に、死者が救える(・・・・・)のかい?」

 

……それは。

 それは。

 右手を強く握る。爪が皮膚を食い破り、骨まで削った。

 衛宮士郎は世界の改変なんて出来ない。

 衛宮士郎に世界は救えない。

……今も泣いてる死人を、本質的に救うことは、決して、出来ない。

 その記憶を燃やしても。

 命を使い切ろうと、絶対に。

 その結果。

 顔も分からなくなってしまうであろう誰かなど、救えはしない。

 

「何も恥じることなんてない。人の子どころか、神ですら、この楽園を永久に維持することは不可能だ」

 

 奴はそう話しながら、王の財宝を俺の周囲に展開する。

 連なるそれは、まさしく処刑台だった。

 何かしなければ死ぬ。

 衛宮士郎は死ぬ。

 けど、何をすれば?

 何をしたら、俺はみんなを救える……?

 

 

「諦めろーーーー死者は、誰にも救えない」

 

 

 瞬間。

 英霊すら屠る、極死のギロチンが数十本単位で襲い掛かってきた。

 

「ーーーー、ぁ、」

 

 死んだ、と思った。

 これまで死を感じたことは何度かあるが、これは決定的と言ってもいい。

 だから、走馬灯だって流れ始めていた。

 

ーー■■■■■。

 

 時間の感覚が引き伸ばされる。

 脳裏を流れていく景色は、どれも曖昧で。

 どの記憶も鮮やかだったのに、真実を知った後では、それは結局死人の再現でしかない。

 色褪せていく。

 あんなに楽しかったのに、きっと得難いモノだったのに。

 枯れてしまった花のように、地に墜ちて、風化していく。

……これは罰なのか。

 理想を求め、叶わなくてもいいからと、手を伸ばそうとした愚者へ与えられた、末路なのか。

 理想で成り立った世界。

 それは虚像と我が儘で構成された、幼稚なモノだと。

 諦めろ、と奴は当然のことを告げた。

 死者は誰にも救えない。

 そんなこと、ずっと、ずっと前から知っている。

 だから救えなくなってしまう前に、守ろうとした。

 全てが終わってしまった後では遅いから、そうならないようにと。

 でも間違いだった。

 何もかも遅かった。

 

ーー……だったら、どれだけ一緒に居たいって思っても、それはいけないことなのかな。それがお兄ちゃんでも、一緒に居たいって思っちゃいけないのかな……。

 

 美遊の言う通りだ。

 悔しくて、涙が零れそうになる。

 分かっていた。

 ギルガメッシュの言葉が真実だということも。

 それを認められず、否定するために戦っていただけであって、もうどうしようもなく事は進んでしまっていることも。

 全部、分かっていたのに。

……分かって、いたのに。

 

 

 

 

 

ーーお■ちゃ■。

 

 

 

 

 ああ。

 それでも。 

 今も、思い出せることが幾つもある。

 

 

 

 

 

ーーお兄ちゃん。

 

 はっきりしなくて、色褪せていて。

 だから、一番思い出せたのは名前を呼ばれていたときのことだった。

 枯れた花のように散ってしまった、もう戻れない時間だけど。

 それは、とても心地よかったのだ。

 その響きは、その記憶は。

 いつも、一人じゃなかったんだ。

 

ーー士郎。

 

 誰かが俺を、呼んでくれる。

 笑って、なんてことないように。

 血の通った顔で、みんな俺の側にいてくれて。

 それは奇跡だった。

 もう二度と聞けないと思っていた。

 

ーー辛そうな顔して。また、わたしにそうやって嘘つくんだね。

 

 だから。

 お前が泣いている顔だけは。

 もう二度と、見たくなかったんだ。

 

 

「ーーーーああ」

 

 

 まさに一瞬のことだった。

 走馬灯から現実に帰った瞬間。

 ギルガメッシュの脳天を、三本のロングソードが串刺しにした。

 

「……貴様」

 

 奴の殺気が倍にまで膨れ上がる。

 三本のロングソードはたちまち弾かれ、地面へ落ちていく。傷など無かったかのように復元する。

 それを気にする余裕はない。

 何せ、野郎の攻撃を防ぐ分の剣すら、脳天にお見舞いした。

 反撃の代償は、実に三分の一の肉を削がれた右太股。

 だがそれをおくびにも出さない。

 

「なぁ。知ってるか、ギルガメッシュ?」

 

 笑って、言ってやる。

 

「イリヤってさ。俺の前で、楽しそうに笑うんだよ」

 

「……なに?」

 

 予想通り、困惑している奴に続けて、

 

「イリヤだけじゃない。爺さんも、アイリさんも、セラも、リズも、クロも、美遊も。みんな、笑ってるんだよ。時には泣いたり、怒ったりするけど。でも、なんでもないときが楽しくて、だから、笑ってる」

 

「……身体どころか、頭まで壊れたか?」 

 

「かもな」

 

 皮肉を否定しない。

 だって、気づいてしまったのだ。

 

「俺、知らなかったんだよ。イリヤがあんな風に笑えること。あんなに綺麗で、幸せそうで。なのに儚くて」

 

 覚えている。

 まだ、覚えている。

 その最後の顔を。

 鮮烈な傷痕のように。

 

「聞こえるんだ、泣いてる声が。イリヤが、美遊が。ずっと笑っていてほしいと、そう思っていた子が、今、泣いてるんだよ」

 

 死人なのかもしれない。

 あと数か月もすれば消えるだけの、ただの願望器なのだろう。

 でも。

 どうすればいいか分からなくなって。

 泣くことでしか感情を表現出来なくて。

 だから。

 

「俺はイリヤも美遊も、どっちも助ける」

 

 だからきっと。

 こんな地獄から、救いだしてほしかったんだ。

 

「……そのために、元の世界を捨てるか?」

 

「捨てない」

 

「あと二か月で美遊の命が消え、この世界も消えるのに、それはどうする?」

 

「そんなことはさせない」

 

「元の世界も捨てず、かといって今の世界も見捨てられないだと? 事情を知ってなお、君はそんな馬鹿げたことを言うつもりか?」

 

「ああそうだ、ギルガメッシュ。事情は分かった。だからとりあえず(・・・・・)全員助ける。でもこれは、誰だって無意識に考えることだ」

 

 そうだ。

 状況が余りに複雑だから、大事なことが何も見えていなかった。

 

「元の世界か、今の世界か。どちらかしか選べないなんて、そんなこと知ったことか」

 

 十一年前。

 あの地獄から逃げながら、沢山の断末魔を聞きながら。だからこそ願ったのだ。

 どうか、覆してほしいと。こんな地獄から、一人の例外なくみんな助けてほしいと。

 

「忘れてたよ。そんな選択肢で、俺はずっと後悔してたこと。みんな助けたかったのに、何も出来ずに蓋をして、悟ったように走り続けて」

 

 そうして今、また地獄がある。

 なら、今がそのときだ。

 その全てを背負って俺は進む。

 

「方法も、手段も。何も思いついてなんかいない。だけど、誰だって全てが救われてほしいと願うだろう。どうか頼むって、そう訴えるだろう。どんなに夢物語だったとしても、一度は、第一希望にするだろう!

 ならそれが一番正しいことだ。それが俺の目指す道だ。それ以外の道なんて、もう俺は要らない」

 

 その道は困難を極めるだろう。

 一人で走ればたちまち、死んでしまうだろう。

 それでも、もう絶対に逃げない。報いを受けながらでも、走り続けないと誰も救えないなら、俺はその茨を断ち切ってやる。

 

「分かっているのか……?」

 

 ギルガメッシュは心底理解出来ないと、

 

「貴様の言っていることは、結局誰かを助けるのではなく、全てを助けようと全てを零す(・・・・・・)最も愚鈍なやり方だ。それでも貴様は、」

 

「それ、泣いてる誰かを見捨てる理由になるのか?」

 

「、……」

 

 ほんの一瞬。

 一瞬だけだが、あのギルガメッシュが、言葉を失った。

 それも当たり前か。

 奴からすれば、絵空事。それを叶える方法はなく。そんなモノのために死にかけている。

 なのに俺はそれのために、謳う。

 

「善悪で言えば、きっと俺のやろうとしていることは、悪なんだろう」

 

 がくがくと、しきりに笑う右膝に一発拳を入れ、立ち上がる。

 

「けど。泣いてる誰かを見捨てる正しさなら、俺はそんなもの微塵も要らない」

 

 相手は未だ無傷。

 固有結界を維持出来る時間は、もう二分とないだろう。

 アンリマユの呪いは既に左上半身を覆い、首が内側から腐り始め、記憶は思い出すという行為が億劫なほどだ。

 だが、そんなことは関係ない。

 肩のゲイボルクを引き抜く。本当に骨すら引き剥がされる痛み、掻き出される血液。

 

「そこに助けを求める人が居る限り。俺は命を懸けて、その誰かのためにこの無限の剣を振るい続ける」

 

 しかしまだ立っている。

 何故なら俺は全てを助け、救い、守る者。

 無辜の民の盾であり、剣であり……そして鞘である存在。

 

「お前がここの全てを破壊するのなら。俺は、全ての人々をこの世界で守ってみせよう」

 

 故に呼び名は正義の味方。

 いかなる時代、いかなる悲劇にも直面するが故に、永久に人々の内で渇望される都合のいい神様(デウス・エクス・マキナ)

 

「この地獄を終わらせる。いくぞ英雄王」

 

「……その先は地獄ですら生温いぞ、贋作者」

 

「それはお前が出来なかったからだろう。最初から守れないと考える馬鹿になった覚えは一ミリもない」

 

 一蹴する。

 無手だった右手に、剣が収まる。

 その切っ先は、奴の脳天。

 倒すべき敵へと突きつけられる。

 

「……君は馬鹿でも阿呆でもないな。愚か者、でもない。本当にそう信じきっているか」

 

 く、とギルガメッシュが口を歪めた。

 それ以上何も言わなかった。

 目の前の小さな塵芥のような存在だろう俺には、どんな言葉も通じないと呆れたか。

 だからそこから、言葉なんて無粋極まるモノは捨てた。

 ドッ!!、と。

 瞬時に撃ち出される王の財宝と、無限の剣製。

 さながらそれは獣の大きな群れが互いを食い合うような、そんな一つの意思のぶつかり合いだった。

 

「……馬鹿の一つ覚えか」

 

 ギルガメッシュが吐き捨てる。

 先と何も変わらない。俺は奴の財宝をひたすら捌き、徐々に押し返される。

 それも当たり前。

 いかに俺が意志を持とうとも、それで無限の剣製に分かりやすい変化があるわけじゃない。

 更に片腕が動かないという、最大級のデメリットすらあるなら、むしろ精彩さが欠けていた。

 無限の剣は壊され、至高の財宝達は変わらず輝きを放ち続ける。

 それも一つの縮図。

 本物だけが暴虐を許され、偽物はそれだけで砕かれる。

 けど。

 その偽物が無限であるのなら、続けていけば届くことだってある。

 

「……!」

 

 魔術回路が異常なまでに唸りをあげる。

 アクセルを踏み砕く勢いで、魔力を左手を重点的に、全身に送り込む。

 途端に、それまで動かなかった左手が、踊るように剣を取った。

 

「……なに?」

 

 奴の顔を見る暇すらない。

 だが怪訝な顔をしていることだろう。

 呪いに支配されたハズの左腕は今、確かに、脳からの信号を受信しているのだから。

……簡単な話だ。

 回路すら溶けるほどの呪い。だがそれを外と内から受け続ければ、いかに魂すら溶けようと、慣れる(・・・)

 後は腕に魔術回路を即席で作り、それを神経に繋げてやればいい。

 命がけの作業ではあるものの、なに、今に始まったことじゃない。五年以上習慣である自殺行為なら、どうやったところで出来る。

 無論、両腕が使えるようになったところで奴には勝てない。

 だから。

 

「ーーッ!」

 

 足りない力は、()で補った。

 処理限界を突破した脳。熱を発し、全身の魔術回路が断裂しながらも、なお体は動く。

 細い糸を束ねるように、剣の世界そのものを奴に叩きつける。

 まるで俺だけ加速したようだった。

 ざ、と世界に走るノイズが更に大きくなる。それを薙ぎ払うように剣を振り続け。

 そして。

 奴の財宝その全てを、俺の剣製は弾き返した。

 

「……馬鹿な」

 

 まぐれなどではない。

 間違いなく、俺よりも奴が全てにおいて上だ。

 だが。

 この世界では上回る。

 叶えられた理想を守るため。

 英雄の領域に押し入り、玉座に傷をつける。

 

「どうした、展覧会やってるんだろ? なら一回だけでも本物が偽物に負けてどうすんだ、コレクター? アンタの宝はそんなもんだと思っていいのか?」

 

「……クッ」

 

 奴が小さく、俺の言葉に口の端が裂けた。

 ただそれまでの傲慢さが消え、代わりに今まで感じたことがないほどの怒濤の意志が発露した。

 怒気。

 己の財が一部でもある奴にとって、余程効いたのか。

 混じり気が一切ない、世界すら軋ませる殺気が俺一人にのみ向けられる。

 

「……教えてやろう、贋作者(フェイカー)。本物が持つ価値を。偽物の無価値さを。貴様の贋作なぞ、所詮(オレ)の財の錆にすらならないと」

 

「そうか。言ってろ、金ぴか」

 

 英霊すら震え上がるほどの殺意。

 だが、そんなものはこけおどしだ。

 何も怖がることなく、敵を見据えるだけでいい。

 

「返してもらうぞ、あの子達を」

 

 刻限はもうすぐ。

 されど魂は未だ死せず。

 剣の世界は、まだ一本たりとも錆びてなどいない。

 ならばこそ謳おう、夢の物語を。

 幸せな世界を。

 この世が果てるその日まで。

 

 

 

 

 



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スプリンター~叶わぬ夢の果て~


今回でついに50話です。
そんなときにこんな話でええのか?と思わなくもないですが、どうぞ。



 

 まるで、そこは深夜の海中のようだった。

 冷たい何かで満たされた空間。それは芯から体を包み込み、輪郭を溶かしていく。外の灼熱の地獄から一転、突き刺すような冷気によりここは極寒の地獄になっていた。

 凍死してしまいそうなほど寒いけれど、それはそれで悪くないな、と思っている自分が居る。

……生きている価値もないのに。

 ふと。

 右手が熱を帯びた。

 

「……リヤさん、イリヤさん!」

 

 パートナーのそんな呼び掛けで、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは目を開ける。

 

「ル、ビー……?」

 

 しがわれた声は、自分のモノとは到底思えなかったが、気にせず耳を傾ける。

 

「はい、あなたの生命線ことルビーちゃんですよ! しっかり意識を保ってくださいね、マジでやべー状況なんで!」

 

 右手に収まったルビーに、イリヤは首肯した。

……イリヤは世界の真実を知った。

 美遊による世界の改変。それにより作られた、死んだ自分を元に作られた今の自分(わたし)と、家族。兄を殺してなり代わった、兄に似た誰か。

 そしてその人が最後に見せた、辛そうな顔。

 例え一度意識を失っても、忘れるわけがない。

 忘れられない。

 それは心臓を失って死ぬことと同じくらい、イリヤにとって衝撃的な事柄だった。

 けれど、

 

「……」

 

 手持ち無沙汰のまま、視線を周囲へ向ける。

 そこは、不思議な空間だった。

 気絶していたときと同じ、一寸先すら見通せない、息が詰まる圧迫感。さながら冷水に浸かっているようで、手足はかじかんできている。ただルビーがこの空間から守ってくれているようで、体はそこまで動けないというわけでもなかった。

 

「……ここ、何処?」

 

「あの巨人の体内のようですねえ。冬木市を覆ったあの聖杯の泥で満たされてますから、何の準備もなくこの空間に立ち入れば溶かされる……いや、消化されると言った方が良いですかね?」

 

「……なんで死んでないの、わたし?」

 

「そりゃあこのルビーちゃんが、奉仕力全開でイリヤさんの肉体を保護してるからですよー。普通なら十秒で骨までしゃぶられてますからね、やっぱ私って健気ですよ本当に」

 

 ふりふりと左右に体を振るステッキ。

 ただ、イリヤとしては聞きたいことが一つだけあった。

 

「……なんで?」

 

「? はい?」

 

「なんで、助けたの?」

 

 口をついて出たのは、お礼の言葉ではなかった。

 ただ聞きたかった。ルビーなら、今の自分の価値だって分かっていただろうに、どうして?、と。

 

「私がイリヤさんを見捨てるわけないじゃないですか~。言ったでしょう、私とイリヤさんは一蓮托生だって」

 

「……そう」

 

 普通なら、イリヤの中で何らかの感情が起こるハズだった。嬉しかったり、嘆いたり、大なり小なり何かが。

 けれどもう、今のイリヤにはそんな感情すら出てこない。いつもなら、泣いて、喚いていたことだろう。ヒステリックになりながらも、迷っていたハズだ。

 しかし晒された真実は、イリヤの人間性をいとも容易く剥ぎ取った。

 残ったのは、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという器を改造した人形だけ。

 どうして?、と思うことはあっても。

 どんな答えが返ってこようと、琴線に触れない。

 

「……ルビーはさ、知ってたの? わたしやこの世界が、偽物だって」

 

「まさか! ルビーちゃんにだって色々事情があるんですよ~。しかしなるほど、なーんか釈然としないとは思ってはいましたが……私の記憶をロックしやがったなあのクソマスターめ……」

 

 興味なさげに、イリヤは視線を外す。

 助けられたところで何かが変わるわけじゃない。ルビーが何か知っていようがいまいが、どうだっていい。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは死んでいる。

 その事実が変わらない以上、もう、どうにもならない。

 これからどうしようか、なんて他人事のように考え始めたときだった。

 

「……?」

 

 何処かで、小さな震動が。

 死後の世界に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一体、幾度剣が砕け散っただろうか。

 今も十本以上の剣が欠片となって、空気に溶け込んでいく様を見ながら、当然の結果を英雄王は見届ける。

 そう、当然の結果。

 英雄王ギルガメッシュ。

 かつて神話の時代の再現とも言われた、聖杯戦争においても、その圧倒的な力と彼の王の財はまさしく桁違いだった。大英雄が集い、恐らく聖杯戦争というくくりであれば過剰な武力が集まった第五次聖杯戦争であっても、その強さはまさに他を寄せ付けない。ギルガメッシュの武勇は、数多のサーヴァントを軽く凌駕していた。

 そんな英雄王に唾をつけたのが、贋作者ーーそう、衛宮士郎である。

 正義の味方を志し、誰もが幸せであってほしいと今も願う愚か者。

 大した力も無ければ、その志すらも借り物であった少年に、ギルガメッシュは敗れた。

 本来、人間がサーヴァントに敵うわけがない。

 しかし英雄王の眼前に広がるこのみすぼらしい固有結界の存在と、自身の王としての矜持という運が大なり小なり複雑に絡み、結果ギルガメッシュは敗北を喫した。

……英雄王ギルガメッシュにとって、それがどれだけ屈辱的なことだったか。

 故に少年期となり、精神性がやや英雄や王から遠ざかったギルガメッシュは、今度こそあの贋作者に完膚なきまでに勝つために戦略を練った。

 美遊の世界、そしてこの世界にあった大聖杯を確保。燃料として美遊とイリヤを装填、体格的にも魔力的にも青年時に迫る、まさに英雄王としてふさわしい力を手にした。霊基が少し歪んだが、これもそれも二度の敗北だけは阻止するため。

 自身が認めた英雄ならば、ギルガメッシュも大人しく負けを認められたかもしれない。

 たった一度ではあるものの、その武に見合う英雄、王、その役割を理解し、なお手を伸ばして届く。そんな一線を越えた相手なら、むしろギルガメッシュは褒め称えたところだ。

 だがあの男は違う。

 叶わぬと知って。それでも無駄な足掻きをし続けて、結局何も残せないまま死んでいく。英雄など烏滸がましい。子供のように詭弁を弄する弱者。それが衛宮士郎だ。

 しかも愚かさには拍車がかかっている。

 全てを救うため、全てが零れ落ちようと選ばない。他者を切り捨てられないから全て巻き添えを食らわせる。そんなことを平気で宣う狂人を、英雄王が認められるハズもない。

 それはただ選べない自身の甘さを正当化しているだけ。

 意志も弱く、迷いだってある。

 それが今の衛宮士郎だ。

 その、ハズだった。

 

「くっ、!?」

 

 苦悶の声をあげる。それもそうか、今顔面に実に百本の剣が殺到した。剣山の一部となった巨人は左手を振りかぶり。

 

「ーー調子に」

 

 それを破城槌のごとく振り抜き、更にその腕から機銃のように財宝を乱射する。

 

「乗るなというんだ、小僧ーー!!」

 

 スナップを効かせた左腕は、凍海をスクーパーみたいに抉り、逃げ道を王の財宝が塞いでいく。

 この二段構えに、豆粒のように矮小な贋作者が出来たことは一つだけ。

 

「お、おおおおおおお……!!」

 

 この世の全てで外敵を叩き落とす。

 王の財宝が機銃なら、無限の剣は猛禽類だ。

 王の財宝、巨人の左腕。それらを啄むようにルートを作る。逃げるためではない。構築した進軍ルートは本来必殺の左腕。翼を広げた鷲のイメージで、勢いよく蹴って巨人の左腕へ飛び乗った。

 さながら橋から遊覧船の上へ落ちたような無茶苦茶な回避。

 王の財宝はその体を貫通し、血肉を削り、衝撃は骨をも砕いた。

 骨身を削る、無限の()を踏み台にするような攻防。

 だが、それでもあの男は、生きている。

 

「づ、ァッ!!」

 

 獣の威嚇に近い唸り。

 衛宮士郎の外見はすでに、もう人のそれではない。

 全身が聖杯の泥に染まり、髪どころか眼球に至るまで赤錆のよう。

 衣服など下半身が少し残っているだけ。

 四肢がまだ付いていることに違和感すらギルガメッシュは覚える。

 それでも。

 ぎぎ、と動く。

 あらぬ方向に曲がった左手が地面を殴り、その反動で立ち上がる。

 走る。

 

「、しつこ、……!」

 

壊れた幻想(弾けろ)ッ!!」

 

 爆破。顔もろとも、体のあらゆる箇所が断続的に吹っ飛ぶ。

 その間にも王の財宝は飛び交うが、不届き者は頭部までの距離を縮めていく。

……どれだけの時間が過ぎただろうか。

 あと二分で固有結界が切れるだろうな、と見立ててから、少なくとも二十分以上は経過している。ギルガメッシュは体内時計でそれを確認する。

 衛宮士郎の魔力量は精々が普通の魔術師より多め程度だ。バックドアはあるかもしれないが、それにしたって二十分も固有結界が持続しているのは可笑しい。生命力を魔力に変えてるとしたら、それこそ死ななければ可笑しい。今の奴は既に脳までアンリマユの泥で侵され、とっくに反転していなければいけないのだから。そもそもあんな身体で生きていることがまずあり得ないのだが……。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 雄叫びをあげ、泥の巨人を駆け上がる。

 ピラニアのように襲いかかる宝具の射出は、既に音速を超えていた。ギルガメッシュも本気、一切の手加減無し。少なくともこの霊基での全力を、英霊でも神代の人間でもないただの少年は掻い潜る。

 世界からの後押しか、それとも少年の命を魔力に変えているからか。

 何度も掠めておきながら、あんな小さな体では到底凌げない戦争の只中を、徒競走でもしているように衛宮士郎は走る。

 

「贋作者が……!!」

 

 認めない。

 ず、と。

 英雄王の足元が大きく、脈動した。

 

「来い、イガリマ!!」

 

 王の号令が響いた瞬間、目の前の景色が一変する。

 さながら引き出しを開けるみたいに、ドパァ!!、と途方もなく巨大な大剣が膿じみた泥を突き破り、人間目掛けて出現したのだ。

 前傾姿勢だったこともあり、回避行動など取れるハズもない。しかもこれはただの宝具ではない。これはアーサー王が所持していた聖剣と同じ、神造兵装。咄嗟に投影しかけた不届き者の眼球が破裂寸前まで膨張する。

 多量の剣で盾を作ったものの、山を削って作った斬山剣相手に、そんな即席が通ずるわけもない。

 

「ぐ、ぉ、ぅ、がっ、……!?」

 

 めきめきめきめき、と全身の骨と肉が粉々になる音がした。

……イガリマ。またの名を千山斬り拓く翠の地平。メソポタミア神話において戦いの神であるザババが持つ、翠の刃、それがこの宝具の正体だ。真名解放すれば、地平線の概念を引き出して文字通り千の峰を切り刻むことすら可能となる。

 ギルガメッシュは持ち主であるため、真の力を発揮していないが、それでもあの矮小で愚鈍な人間には効果覿面だった。 

 なす術なく打ち据えられたまま数百メートルほど吹き飛び、荒野を引き摺るように跳ねる人間。

 まさしく蟻のように、無力な結果だ。

 

「ば、ぐ、ごぉ……ッ!?」

 

 衛宮士郎が口から砕けた歯と血を涎のように垂れ流す。左手で口の中に溜まったそれらを掻き出して、気道を確保しようとする。

 ぜひゅ……と呼吸に違和感。どうやら呼吸すら満足に出来ない体になってきたようだ。胃液なのか血なのか最早分からない何かが逆流し、砕けた肋骨の破片と一緒に吐き出す。

 死に体だ。

 今度こそ終わった。

 終わらなければ、いけないのに。

 

「ぇ、ぜ……、ぐ……」

 

 なのに。

 まだ、この男は生きている。

 

「……しぶといなんて領域じゃないな。死霊魔術、宝具の域すら越えている。肉体も、魂も。当に死んでいなければ可笑しい。なのに君は何故、まだ生きている……?」

 

 肉体から溢れる血液など、人間の致死量どころか血液量そのものが枯渇していても何ら不思議ではない。

 骨など砂糖菓子のようにバラバラになり、身体のあらゆる器官に突き刺さっているだろう。

 魂は己の後悔そのものである呪いに塗り潰され、記憶は漂白されて自分の名前すら欠片も覚えていないからか、奴の目は何処も映していなかった。

 生きていられる要素が何一つない。

 そこまで捨ててなお、戦うという行動が理解出来ない。

 何もないのに。

 得られるのは破滅する未来だけなのに。

 それでも。

 もう幾度となく続けたそんな英雄王の疑問に、衛宮士郎がまた応える。

 

「……ぶ、」

 

 呼吸の真似事をして、生きていることを脳に叩き込んでいるのか。

 生きているなら何をするべきか?

 何のために立ち上がったのか?

……それを魂で判断しているのか。

 

「あ、あああああ、ああ」

 

 無限の剣製はノイズまみれ。

 うすら寒い氷の海も、赤銅の荒野も、まるで引き千切られて何もかも落ちてしまったよう。

 あるのはただ、白と黒の乱舞。

 そして、剣。

……彼にとって一番大事なモノは、まだ何も錆び落ちてはいない。

 

「……何故だ」

 

 ただ、理解出来ない。

 ギルガメッシュが問い質す。

 

「記憶だって曖昧だろうに、何が君をそこまで突き動かす……? 得るモノなどないだろう。君にとって、得られるのはただ結末を先延ばしにした過程だけだろう。たかが二か月の命だろう。下手に希望を持って、残念だったと絶望するだけの未来だろう!? 死なないのは何か他の要因だろうが……だとしても、何故まだ戦おうとする!? 何故まだ立ち上がる、何故剣を握れる!?」

 

「う、る、せ、え、ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 再びの疾走。

 答えなど期待していなかった。

……英雄王の中で、沸々と湧きあがる好奇心。

 以前の衛宮士郎であれば、英雄王はただ認められなかっただろう。

 偽者で良いと叫んでいた一年前の衛宮士郎なら。

 しかし、どういう巡り合わせか、そんな人間が変わった。

 妙なところで渇いていた人間がどうしようもない強欲をさらけ出し、全てを救いたいと宣った。

 よりにもよってこの英雄王の前で。

 目の前の誰かのために、夢のために、ここまで惨めに足掻いた人間をギルガメッシュは生前通して見たことが無かった。それがまさか平和などという幻想のためとなれば、英霊ですら数少ないだろう。

 認めざるを得ない。

 今目の前で、奈落の一歩手前で縛られたまま、死者を助けようとする人間を。

 衛宮士郎という正義の味方の存在を。

……偽者であっても、その意志の強さは本物だということを。

 

「……良いよ」

 

 巨人の頂点。

 丸々と太った東洋に伝わる人形のような、その頂で。

 玉座に埋まった小さき英雄王は、本来の右手を宝物庫の池にとぷん、と入れ、目的のモノを取り出す。

 

「これを使う気は無かった。何故なら君の剣は未だ僕の玉座に傷を付けた程度だ。勝敗は見えている。だが君はここまで一切その意志を衰えさせることなく食らいつき、己が正義を(オレ)に見せつけた」

 

 手に握られたのは、この剣の世界にすらない、まさに贋作を許さぬ至高の宝物。

 それは儀礼の剣に近かった。刃はなく、棍棒のように丸い刀身はどんな黄昏よりも深く、どんな明星よりも明るい輝きを放っている。一目見れば誰もがそれに内包された魔力と神々しさに、膝を折って乞うだろう。

 どうか命だけは、と。

 故に英雄王はそんな誇りなき者にこの宝具を抜かない。

 彼がこの宝具を抜いた。それはつまり、英雄王が全力を向けるにたる相手として認めたということ。それだけで、英雄王から衛宮士郎への最大の賛辞となる。

 

「現実を知りながら、なおも闘志を燃やし。限界を知りながらも、なおその手を伸ばす。その愚かさこそ貴様が英雄として名を刻んだ由縁ならば」

 

 それに名はない。

 ギルガメッシュが名付けた名は、エア。

 かつて世界を天と地に分け、文字通り世界を切り裂いたとされる、乖離剣。

 

「褒美だ、正義の味方。最大の褒美として、最期にその命ごと消して、この世の天地も分けてやろうーーーー!!」

 

 瞬間。

 世界が、哭いた。

 エアの刀身が三つに分かれ、回転。紋様が熱を発するように輝きを放つ。

 すると剣から風が吹き出し、やがてそれは三つ合わさると英雄王、巨人の体そのものを巻き込み、乱気流と化す。

 終わりの嵐が、世界に吹き荒ぶ。

 さあ、ここまで粘った。

 僅かな可能性を、人の善性を見せた。

 故に。

 英雄王は最大の障害となって、正義の在処を裁定しよう。

 

 この世に正義はあるや、否や?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ず、……と連続で震動が伝わってくる。

 外から、なのだろうか?

 

「……なにこれ……地震?」

 

「ただの地震でここまで揺れませんよ。こりゃ多分、誰かがこの巨人と戦ってるとしか思えませんねハイ」

 

 イリヤは考える。

 今の状況で、こんなにも終わってしまっている状況でまだ、戦っている人が居るのなら。

 そんなの、一人しか思い浮かばない。

 

「士郎様、でしょうね」

 

「、サファイア?」

 

 少女の推測を口に出したのは、サファイアだった。彼女は海を泳ぐ魚のように泥を掻き分けてくる。

 

「士郎様はこの状況を危惧していました。英雄王ギルガメッシュ。我々が今囚われているこの肉体の英霊は類を見ない英傑であり、恐らく戦えば、自分が負けるだろうと」

 

「……あの人は、この英霊と戦ったことがあるの?」

 

「ええ、どうやらそのようです。しかしここまで強化された英霊が相手ではなかったハズです。なのにここに影響が出るほど、ただの人間が切迫している時点で、彼は何らかの一線を越えてしまっている」

 

「……まあどう考えても普通の人間が生き残れるわけありませんからね。真っ向からぶつかれば、クロさんが居ても五分でノックアウトが関の山。それでもこんな長い時間、英雄王に食らいついていられる理由は……恐らく」

 

「命を、捨ててるから?」

 

 ルビーとサファイアが口をつぐむ。

 そしてイリヤも、それ以上何も言わなかった。

 分かっていた。

 あの人がいつから入れ替わったかは、正確なところまでは知らない。けれど、彼は今まで自分をずっと守ってくれていた。

 どこの誰であろうと、イリヤが勘違いする程度には、彼もまた衛宮士郎だった。

 だからそんな行動も予想していて。

 それではもう、彼を信じることがイリヤには出来なかった。

 そうやって、勝手に守って、勝手に命を捨てるような真似をして。そんなの、自分の知る兄ではない。

 そんなことしなくたっていい。

 そんなこと、しなくても。

……イリヤにとって兄は、ただ側に居てくれる存在で。そんな行動を取らない人だったのに。

 

「……ミユは?」

 

 イリヤの問いにサファイアは、

 

「美遊様ならば、こちらに」

 

 と、白いフリルをばたつかせて返答した。

 サファイアがの頭上へルビーを動かすと、そこには目を開けたまま死んだように身を投げた美遊が居た。

 いや、死んだようにというのは間違いか。美遊の口は今も、慚愧の言葉をずっと連ねている。

 

「ミユ」

 

「……、イリ、ヤ? イリ、!?」

 

「あ、待って!」

 

 何処も見ていなかった瞳に、光が戻る。

 が、美遊はすぐに逃げようと踵を返した。当たり前だ。真実が明るみに出た今となっては、イリヤは美遊にとって、消そうとした罪そのものでしかない。

 だが、イリヤは美遊の手を掴んで、

 

「一つだけ。一つだけ、ミユに教えてほしいことがあるの」

 

「、……わたしに?」

 

 イリヤは頷く。

 美遊もまさかこんなことになって、まず質問されるとは思ってなかったのだろう。

 瞼を腫らしたまま、美遊は逆に問いを投げる。

 

「……わたしを、嫌いにならないの? わたしは、イリヤをそんな風にした張本人なのに。わたしが弱かったから、この世界を都合の良いように塗り替えて……自分の罪を忘れようとしてただけなのに。お兄ちゃんの願いを利用して、わたしには不相応な幸せにしがみつこうとしてたのに、それでもイリヤは、何も、言わないの……?」

 

 それは返答など微塵も求めていない、感情の爆発だった。

 美遊のその感情は、美遊自身が忘れていたモノ。それを誰かに吐き出すこともなく、沈殿していた、美遊の本音だ。

……そして少なくとも。イリヤにとって、それはそんなに悪いことじゃない。

 こんな、小さな体で。世界の運命なんてモノを作ってしまい、その重みに耐えかねているのだ。イリヤからすれば、それはむしろ求めていた謝罪だった。

 だから。

 

「そうだよ」

 

 イリヤは否定しなかった。

 否定したところで、美遊の気持ちが晴れるわけじゃない。美遊はイリヤよりずっと、頭が良い。慰めなんて言ったところで美遊を傷つけるだけだ。何よりイリヤ自身、美遊への感情はとても複雑になってきているのも確かだ。

 それは否定しない。

 けど、

 

「だけど……この三ヶ月、ミユと一緒にいた時のことは、今でも思い出せる。それだって、全部ごっこ遊びだったって言われればそうなんだけど……わたしにとって、それは楽しかった」

 

「……イリヤ……」

 

「死んだ人間が何言ってるんだって話かも。でも楽しかったよ、本当に。もう前みたいに話せることは、無いんだろうけど」

 

 人形と創造主。

 指一つ、願い一つで壊れる関係。

 それが今のイリヤと美遊の関係だ。

 それは友達と呼べるだろうか?

 前みたいに屈託のない笑顔で、自分達はこれからを続けられるだろうか?

……消えるかもしれない恐怖に、自分は耐えられるか。

 

「だからね。これが、最後のお話」

 

 聞きたいことは山程あって。

 でも時間もないから、これだけを、とイリヤは話し出した。

 

「聞いたよ、この世界はお兄ちゃん(あの人)の記憶から作ったって。ミユが、ミユのお兄さんが生きている世界を作ろうとしたって」

 

「……うん」

 

 美遊の兄は聖杯戦争の末、死んだ。

 それを自身の罪だと思い込んだ美遊が、衛宮士郎の世界を上書きし、今までその記憶を消して生きてきた。

 

「でもね、不思議だなって思って。ならどうして、ミユはわたしを作ったんだろうって、そう思ったの」

 

「……え?」

 

 美遊が目を瞬かせる。

 意味が分からないのだろう。

 ここが美遊・エーデルフェルトの幸せな世界なら、決定的に可笑しいのに。

 

「ここはミユが幸せな世界なんだよね? 例えお兄ちゃんが、あの人が幸せになってほしいと願っても、前提はそう。なのに、ミユはお兄ちゃんまで作っておきながら……妹の席に自分じゃなく、わたしを入れた」

 

 簡単な話だ。

 いくら方向性を変えても、最初に入力された設定を守らなければ願いは叶えられない。とすれば、美遊も幸せにならなければ可笑しい。

 だが美遊は妹としてではなく、あくまでただの外野でしかなかった。

 

「美遊は家族なのに、そこから外れてた。それじゃあお兄さんの願いが叶わないのに」

 

「……」

 

 ああ。

 こんなことも、美遊は忘れてしまったのか。

 イリヤはそれが少し、寂しい。

 だってきっと、ここにあったのは。

 

「ミユはさ、ルヴィアさんに言ったんだよね。居場所がほしいって。それがこの世界なんだとしたら、それはさ」

 

 誰よりも愛した家族との、忘れられない思い出だっただろうから。

 

 

「自分が幸せになるんじゃなくてーーお兄さんが幸せになる世界を、居場所を、ミユは作ったんだね」

 

「ーーーー、ぁ」

 

 

 イリヤの声が、美遊に届いた瞬間。

 蒼い少女の瞳から、ほろり、と涙が伝った。

 それは受け止めきれない罪の重さからではない。そんな、冷たくて、どうしようもないほど胸に突き刺さる現実なんかじゃない。

 夢でも、ただの逃げであっても。

 そうあってほしかったという、幼い少女の理想。 

 

ーーあたたかでささやかな、幸せをつかめますようにーー。

 

 かつて一人、愛しい人の骸の前で。

 ただ幸せになれという願いを叶えるために、その死を悼むことすら許されなかった少女の、慟哭。

 誰かに伝えられることもなく、忘れて世界にしまい込んだ、都合のいいお話。

 ただそれだけを叶えた、願いの残骸が、この世界だった。 

 

「ーーーーミユは。ただ、お兄さんに幸せになってほしかったんだよね」

 

 それが真実だった。

 美遊がただの外野で、イリヤをわざわざ作ったのは、衛宮士郎のために作ったこの世界を、自分の存在で壊したくなかったから。

 衛宮士郎の幸せ。それを作ろうとした結果、美遊がその隣から外れただけのこと。

……その結論に至ったときの美遊は、どれだけの葛藤があっただろう。

 それとも迷いなく、自分の存在を消したのだろうか。

 どちらにせよ。

 これ以上なく優しく、そしてこれ以上ないくらい救いがない。そんな、夢の話だった。

 

「そのために、お兄さんの願いを、自分が幸せになる世界を、ミユは否定した。そうでしょ?」

 

 美遊は頷くことすら出来なかった。

 それを認めるしまうことが、怖かった。

 もしも認めてしまったら。

 きっとイリヤは、

 

「……うん。それならね。わたし、いいかなって」

 

 こうやって、納得してしまうだろうから。

 

「わたしが生まれた意味がもしもそれならね。なんだか、もういいやって。当て馬みたいな役だけど、予定調和みたいに消えるんだろうけど……でも、このままだったら、ミユが一番辛いよ」

 

「……違う、違うよ……それは、違う……!!」

 

 確かに辛かったと美遊は思う。

 でもそれは、生きていたから感じられたことで。生きていれば、その辛さがいつか幸せに変わっていくことだってあるかもしれない。

 いや事実変わった。

 違う人だけど、別人だけど、家族を見つけられた。友達だって出来た。

 でもイリヤは違う。

 何故なら、

 

「イリヤには先がない……わたしみたいに、今は辛くても、いつか報われることなんてあり得ない……だって、だって死んでるんだよ? 幸せだった今までを壊されて、思い出まで嘘になって。そのままなんだよ? ずっと、あなた達は騙されてたことしか残されなくて、もう消えるしかない!! それで終わりなんだよ!? そんなの、そんなのイリヤ達の方がずっと、ずっと救われないじゃない……!!」

 

 最早言葉にすることすら難しくなった美遊は、顔をぐちゃぐちゃにして。

 

「わた、わたしはっ……あなた、に、酷い夢を、押し付けた、のに……なんで……っ……?」

 

「だよね」

 

 なんでかなあ。

 イリヤは考えてみる。目の前で泣きじゃくる女の子の姿を見てみて、それで出した答えは、いたってシンプルだった。

 

「だってわたしは、美遊の親友でしょ」

 

「……ぇ?」

 

 美遊が目を見開いたときには、イリヤは美遊を抱き締めていた。

 微笑みすら浮かべ、人形として生まれた少女は安らかに告げる。

 

「ミユのご機嫌一つで、消えてしまう命だとしても。わたしね、ミユのことが大事なんだ。それがあなたから与えられた役割だったとしても、それだけは、本当なんだよ」

 

「……ぁ、ああ、あああ……っ!!」

 

「だからありがとう、ミユ。この世界を作ってくれて。みんなが幸せな世界を、作ってくれて」

 

 ありがとう。

……その言葉を聞いて、背中に手を回されて。

 美遊は、放心していた。憎まれはすれ、まさか感謝されるだなんて思いもしなかった。

 そんな資格はないのに。

 だから零れたのは、単なる言い訳だった。

 

「……一度も笑った顔を見たことがなかった」

 

 美遊はイリヤの温もりを感じながら、

 

「わたしとどんな話をしても、どんなことがあっても、あの人が笑うことはなかった……ううん。笑ってはいたけど、それは見せかけだけだった。わたしと居ることが辛かったわけじゃないと思う。むしろ楽しかったハズで、ただ、感情を表現する機能が欠落してた」

 

 イリヤには美遊がどんな顔をしているか、物理的に見えないから分からない。

 でも何となく、その顔はずっと、泣いているのだと分かっていた。

 

「……今でも思い出せる。酷い結末だった。悲しいお話だった。わたし達みんな、歯車が壊れてた」

 

 この世界と同じ。

 何か、ネジが外れて。回っていた歯車が転がり落ちていった。それだけで、ささやかな幸せも、大きな世界というシステムそのものも、壊れていった。

 まるでゼンマイで動くオモチャみたいに、直ることもなく。

 

「みんな一人で、みんな死なないでほしかった。単純な善悪なんかじゃ推し量れなくて、だから止められるハズもなくて。わたしにそれを全て解決する力があっても、それが本当に正しいことか分からなくて……そうやって、迷っている内にみんな死んでいって」

 

 そうして、ここが出来た。

 墓場を埋め立てた、人形の楽園。

 それがこの世界の名前。

 

「……ただ、生きていてほしかった。笑って、側にいてほしかっただけなのに……なんで……なんで、こうなっちゃったの……?」

 

「……なんで、だろうね……」

 

 叶わない夢を現実にしたかったのか。

 忘れたい現実を夢にしたかったのか。

 その問いに答えはない。

 

「だから、だからね。ミユだけでも、生きててほしい(・・・・・・)の」

 

 イリヤはそんなことを提案した。

 美遊から目から涙が途切れる。

 脳が、理解を拒む。

 

「え……?」

 

「美遊はまだ生きてる。お兄ちゃん(あの人)が居る。だったらまだ終わってない。ミユのお兄さんのためにも、わたし達のためにも、ミユには絶対に生きててほしいの」

 

「ま、待ってよ……」

 

 美遊がイリヤの顔が見えるまで距離を取る。

 目と鼻の先にある少女の表情は、決意に満ちていた。ただそれは希望へ続いてはいない。それはまるで美遊とイリヤの周囲を取り囲む、この泥のような煉獄へ続く、終わりだった。

 

「そんな……やだ、やだよ、イリヤ。わたし、まだイリヤと離れたくない。だってイリヤ達がくれたもの、イリヤ達に教えてもらったこと、わたしはまだ何も返せてない……!」

 

「いいよ、そんなの。もう十分、十分だから」

 

「十分なんかじゃないよ!!」

 

 美遊が手首にはめたブレスレットを見せる。共に思い出すのは昨日の前祝い。最後に約束したこと。

 

「ずっと一緒にいようって、そう約束したでしょ?……ううん、ずっとじゃなくてもいい。来年、いや今年の夏が終わるまでで構わない。それまでで良い、それまでは、みんな一緒に……!!」

 

「じゃあ」

 

 けれど。

 イリヤは自分のブレスレットに触れてから、苦笑した。

 

 

「ミユは、わたし達みんなを助けてくれる(・・・・・・・・・・)?」

 

 

……決定的な一言だった。

 それは、甘い幻想に幕を下ろす、被害者(キャスト)の懇願だった。

 

「お父さんも、ママも。セラも、リズも。みんな、助けられる? わたし達が生まれた世界を、衛宮士郎(あの人)の世界を残したまま。あなたも死なずに、みんなを助けられる? 昨日まで一緒だった人達が、誰一人欠けない結末を、ミユは作れる?」

 

 そうであってほしかった。と呟いたのは、果たしてどちらだったか。少なくとも、今このときすらイリヤから目を背けている美遊には、それを叶える術は持っていない。

 

「……っ、……でも!!」

 

「でもじゃない!!!」

 

 イリヤの怒号に、びく、と美遊は飛び上がりそうになる。

 けれど、そんなことよりも、美遊はイリヤの沈痛な面持ちに、後悔した。

 今誰が一番辛いのか。分かっていたハズなのに。

 

「でもじゃ、ない……っ」

 

 恨み言を言わないよう必死に唇を噛み、細い指が赤くなるほど握り締め、それでも出てしまった涙。それはただ、こうやって生きてることそのものが辛すぎたから。

 

「……わたしね、思い出したんだ。生きてたときのこと」

 

「……!」

 

「わたしじゃないわたしのこと。思い出したんだ。だから分かる。ミユにはこの世界を続けることが、精一杯なんだってことも」

 

 そして、

 

「お兄ちゃんが……シロウ(・・・)が、わたしにとってどんな存在だったのか。キリツグや、お母様、セラ、リズ。本当はどんな関係だったのか。今でも少しだけだけど、思い出せる。思い出せるから、もういい」

 

 冬の少女は血を吐くように言った。

 

「変に希望なんか持たせないでよ……もう死んでるんだから。もう二度と会えないハズだったんだから。もうただの思い出なんだから。だから……」

 

 

 

 

「もう、わたし達のことは、ほっといてよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが剣であることと、この世界そのものを消し去れる代物だと一瞬で分かった。

 だから、足は独りでに動いた。

 一歩。

 爪先が地面を捉え、目の前に刺さった剣を引き抜き、そして。

 袈裟斬り。

 

「!」

 

 一呼吸で二十の財宝を叩き落とす。

 走る速度は衰えないまま、トップスピードで肉薄する。

 眼前の巨人は、あの剣が巻き起こす極死の嵐で自身をも削られているようだった。それは一見自殺覚悟の捨て身に見えるが、大聖杯二つによって生み出される泥の量は消費より生産が勝っているようで、その体長に変化はない。

 吹き荒れる赫の風は、世界そのものに偏在するかのように勢いを増していく。数百メートル離れてこれだ。最早この世を横断する台風とも言えよう。乱気流は物理的な限界を超えて空の一面を真っ赤に染め上げ、周囲に小型の竜巻が発生して大地を抉り取る。

 天と地が、裂ける。

 この世の終わり。一つの世界の終焉。

 新たな時代の到来。

 それを予感させるのがあの男が持つ最強最大の宝具。

 天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)

 恐らく■■■■の聖剣であっても、真正面からぶつかればまず勝てない。

 滅びは必至。

 だが、

 

「望むところだ」

 

 こちとらとっくに、生きてることが不思議なくらいだ。

 覚えてることは、精々しないといけないことだけ。

 思い出せたとしても、それはまるで蝋燭みたいに朧げな光みたいな、炎のような、眩しい映像。

 そう、それだけ。

 自分の名前だって忘れた。

 一秒前の記憶が昨日の事のようで、忘れながら生きる。

 息なんてしていない。

 何もかもいっぱいいっぱいで、死なないことに絶望するし、虫に死体を貪られるかのような責め苦が永遠に続いている感覚。

 けど、身体は動いた。

 心は燃えていた。

 なら、まだ走れる。

 目の前の結末に立ち向かえる。

 

「!」

 

 奴の腕を伝って回り道したのでは恐らくアレを放たれてしまう。それはダメだ。でも最短で行こうとすれば、即座に奴はあの腕で迎撃してくる。

 なら、話は簡単だ。

 

「……なに?」

 

 奴が目尻を吊り上げる。

 何故なら、地平線の向こうから。

 あるいは裂けた空から、あるいは割れた大地から。

 世界そのもの(・・・・・・)が無限の剣へと変換されていき、蟻のように押し寄せてきたからだ。

 世界が暗闇に墜ちる。

 だがそれは終わりではない。

 最期まで戦うという意志表示。

……巨人の身体は大きい。普通ならまず、ウェイトに差がありすぎて勝負にならない。王の財宝だけでも厄介なのに、そこにサーヴァントすら死に至らしめる呪いと願いが叶う大聖杯が二つも内蔵されているとなれば、勝ち筋なんて一ミリも見えてこない。

 だが。

 もしも。

 一瞬でいい。

 一瞬だけでもその巨体を無いことに出来るなら、話は違う。

 

「世界そのものを剣に変えた……!? ここまでの量を操作すれば、普通なら負荷で脳に致命的な傷を負うけど……!」

 

 今更脳の一つや二つ、弾けようが潰れようが構わない。

 理由は分からないものの、どうやら今の俺は死ねない呪いにでもかかってしまったらしい。

 なら血の一滴に至るまで使い潰し、目の前の結末を打倒する。

 開闢の風に対して、剣の蟻地獄。

 それが用意できるのは捨て身の今だけ。

 

「行けえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!」

 

 右手を振り下ろす。

 連動して、世界そのものとも言うべき量の剣が巨人に殺到した。

 音の連続性など掻き消えた。

 余りに多くの激突音が重なったせいか、一つの金属音だけに聞こえるほどの音圧が世界に木霊する。

 陸海空。まさに掛け値なしの、世界全て。

 巨人は身動きが取れない。当たり前だ。逃げようもなく、最早巨体など意味がない。奴は今初めて、自分より大きな捕食者に食われているようなモノだ。破滅の嵐も流石に勢いを削がれ、光も弱まっていく。

 しかし、やはりそれだけじゃどうしても足りない。

 

「ーー舐めるなよ、正義の味方」

 

 奴の胸部。本体があるそこには、まだ爛々とエアの風が渦巻き、世界に牙を剥いている。むしろあの円筒が激しく回り始めたことで、再びあの嵐が世界を席巻する。

 特異点(ブラックホール)にも匹敵する渦は、無限の剣を逆に食らおうと飲み込んでいく。

 

(オレ)を数で押し通せると思うなよ……! 星を眺めるだけの貴様と、星をも手にする(オレ)とでは、格が違って当然よ!!」

 

 無限の剣で足りぬのは先刻承知。

 ブラックホールの中心。無限の剣を押し返す魔の空間。

 そこへ。

 最後の一振りとして。

 上下すらない、絶対零度の死の世界へ俺は飛び込む。

 

投影(トレース)開始(オン)!」

 

 何もかも忘れても染みついた自己暗示。

 耳鳴りと、光の乱舞で視界がチカチカする。それはもう忘れてしまった記憶。欠けた月のように、大事な記憶は全て谷底へ落ちていった。

 打倒するは一秒前の誰か。

 忘れた誰かのために、戦い続けるオレ(誰か)は死の次元へと踏み入る。

 走るというより、落下に近い。逆さになって中心に近づけば、待っているのは世界を裂く嵐。

 故に。

 この身を守るは我が最大の信頼を寄せる盾。

 

熾天(ロー)覆う七つの円環(アイアス)ッ!!」

 

 咲き誇る花の城塞。

 しかし、嵐の前ではいかに丈夫な花も散る運命にある。

 アイアスも例に違わず、一瞬で五枚の花弁が砕け散った。

 そして一拍置いて盾そのものが砕け、身体が半回転し。

 あらかじめもう片方の手に投影していたアイアスが極死の風を阻む。

 胸部まであと百メートル弱。

 しかし一拍置けばまたアイアスは砕け、俺は風に揉まれて距離を離される。そうなれば勝機を逃す。

 ならばこそ、空いた片手で逆転の一手を生み出す。

 この百メートルを埋める、最後の一手。

 それは、まさに神頼み。

 

投影(トリガー)装填(オフ)

 

 投影するのはこれまでで最大の重量と体躯を誇る大剣。

 扱うには筋力も、生物としての器も、勇猛なる魂も何もかも足りていない。それはまさに、星に鍛えられた聖剣を投影することと同等の無謀。

 無論、代償は速やかに襲いかかる。

 

「ぎ、      !?」

 

 ばつん、と。

 五十四の魔術回路が一瞬で焦げ落ち、断線する。痙攣し、泡を噴いて無様に失神した。

 再び光の点滅が残り火のように視界を占領する。

 忘れないで、という声がした。

 忘れてしまった、と自分に絶望した。

 こんなことになってまで止まらないのだから、それはよっぽど大事なことなのだろう。

 けれど。

 もう何もかも、真っ白に上書きされてしまった。

 

「        ぁ」

 

 膨張していた右目が、ぱしゃ、と湿った音を立てて今度こそ弾けた。落ちていくゼリー状の丸い骨は、頬を撫でるかのよう。

 保てない。

 自分を保てない。

 眩しすぎる光に目を焼かれ、鋼じみた風に意識は砕かれる。

 小さくなる意識と、削がれる体。

 俺がこんなモノに耐えられるわけがない。

 何の標もなく、何の結末も見えず、ただ突き動かされる衝動のままに、戦い続ける俺にどうしてこんな地獄を生きられよう。

 退けば奈落へ、進めば死へ。停滞すればその両方。

 でも。

 そんな分からないモノしかなくても。

 その真っ白な光を思うと、涙が出た。

 

「、」

 

 ああ、本当に。

 何も分からないのに。

 あるのは、漂白された真っ白な更地だけなのに。

 俺はこんなモノ、知らなかったのに。

 今の俺でも、それを覚えている。

 絶望の風の中で。

 希望の光は閉ざされようと。

 それは、俺にとって大事なことだったんだと。

 心が知っている。

 魂が覚えている。

 どれだけ汚されても、どれだけ奪われても、幸せだったという感情は未だ覚えている。

 だから。

 その地獄を越える。

 

「!!」

 

 神よ、この武器の担い手よ。

 俺はここに問い質したい。

 お前がまた英雄であるのなら。

 こんなときくらい、馬鹿みたいな夢物語の立役者になりやがれーーーー!!!!

 

「なんだと……!?」

 

 奴が瞠目する。

 俺の片手に握られた、というより、触れていたのは、水晶じみた柄と、伸びた剣の先端が大きく開いた大質量の巨剣。

 その名はイガリマ。

 戦の神ザババが持つ、斬山剣。

 地平線の概念を持つその大剣にて放つは、無論神話の一幕。 

 

「、……!」

 

 呼吸を整える。

 アイアスが壊れるコンマ一秒前。

 その空白に、我が魂の全てを込める。

 どうして死なないのかは分からない。

 けれど。

 振るうことは出来ずとも。この巨剣を持ち、吼えれば、それで攻撃は完了する。

 

投影(トレース)……!」

 

 五十四の魔術回路を分解。

 千に分けて再配置。薄い針のように伸ばされた一閃一閃を束ね、重ね、線とする。

 折り重なった一閃にて構築されるは地平線。

 なれば、それを今こそ我が振るおう。

 地平線の向こう、目に見える外敵を伐り伏せんと、

 

 

全工程投影完了(セット)ーーーー。

 

 

 是、千山斬り拓く翠の地平(イガリマブレイドワークス)

 

 

 血の洪水を、千の絶刀が斬り拓くーーーー!

 

 

「ぐ、うおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお…………ッ!?!?!?」

 

 

 悶絶の声。エアの風ごと、巨人の体をイガリマは文字通り千切りにした。

 奴の本体も、流石にその連撃には堪えた。エアを持つ手ごと切り裂かれ、大きく後方へ退いていく。手足を無くし胴体だけとなったそれは巨人とは呼べない。肉達磨だ。

 そして、それを見逃さない。

 巨人の肩に食い込んだ斬山剣を惜しげもなく、

 

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)ッ!!」

 

 爆破。

 核爆発に匹敵する破壊の瀑布は、巨人から世界へ瞬く間に埋め尽くす。

 爆風だけであらゆる英霊を座へ還すほどの威力。無限の剣製が一時的に剥げ、現実の冬木が垣間見えた。伝播した衝撃が体を肉叩きのように滅多打ちにする。

 今しかない。

 漆黒の世界の中。恐らく最後となる投影を始めた。

 

投、影(ト、レース)開、始(オ、ン)……!」

 

 喉が焼け爛れたからか。それとも舌が中ほどから千切れたからか、上手く言葉を紡げない。

 投影したのは、今の俺が出せる最大火力。

 勝利すべき黄金の剣(カリバ―ン)

 これで奴の胸部を吹き飛ばし、助ける。

 ……誰を、なんて考えるな。

 音速で落ちていけば、奴の身体はもう目の前だ。

 華美な装飾の入った聖剣を掲げ、そして。

 

 

 

 

「ーーーーーー原初を語る」

 

 

 

 いとも簡単に、巻き起こった斬撃によって全てが崩壊した。

 

「な、んだ……!?」

 

 それは今までのどんな財宝、どんな宝具の一撃をも凌駕していた。

 風に煽られてようやくその惨状を目撃した。

 それはまさに、天変地異に匹敵する圧倒的な破壊。

 そして創造されるのは、一つの銀河。

 空なんてモノが無くなった世界であっても、それを仰がされる。

 凡庸な人間だと思い知らされる。

 細胞の一つ一つが、その星の渦に恐怖した。

 流転する運命のようなそれは、まさにこの世にあり得る最上級の地獄に他ならないーー!

 

「世界を裂くは、我が乖離剣ーーーー」

 

 銀河の中心にて、あの英霊は地獄を生み出していた。

 無傷ではない。その体の実に七割ほどを失いながら、以前奴の闘気は些かも衰えない。むしろ真名解放により、その気勢は既に少年のそれではなくなっていた。

 調和と混沌入り乱れた、銀河の星々。

 最早物理法則どころか魔術の域すら超え、世界の理すら一変させかねない。

 創製の光。

 そして英雄王は渾身の号令をもって、

 

 

「さあ、夢から疾く醒めよ。天地乖離す(エヌマ)ーーーー」

 

 

 その星を、世界へ振り下ろす。

 

 

「ーーーー開闢の星(エリシュ)!!!!」

 

 

 なす術はなかった。

 抵抗する気力すら与えられなかった。

 ただ、圧倒され。

 世界は原初の地獄に戻された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その影響は現実世界にまで届いた。

 

「……待ってください」

 

 冬木市の郊外で、顔を付き合わせて作戦会議をしていたクロ達だったが、そこでバゼットが町の異変に気付いた。

 都心の空間が、歪む。雷雲が立ち込め、燃え広がる炎が恐怖を覚えたかのように震える。

 

「……風?」

 

 何処からか吹いた風が、肌を撫でた。

 夏場と言えど、風なんていくらでも吹く。だが、これは不自然だ。一秒経るごとに風速が加速度的に上がっていくなんて、普通ならあり得ない。

 

「……やば」

 

 ごくん、とクロが喉を鳴らした。

 新都の歪んだ空間。

 そこから破滅の嵐が、この冬木へ流れ込んでくるーー!!

 

「皆さん、早く車へ!!」

 

 ルヴィアがリムジンのドアを開け放った。返事すらも時間の無駄だと、全員で車へ乗り込む。

 背後は紅蓮に染まり、都市が滅びの波に飲み込まれる。

 しかしクロは、目を魔術で強化していた。

 だから見えた。

 破滅の嵐に揉みくちゃにされて、紙屑のように吹き飛ぶ人影を。

 

「クロっ!?」

 

 父の声を振り切り、クロは新都へ跳んだ。

 空間移動。クロだけが持つ魔法のような魔術。次元と次元を跳躍し、距離を0にする規格外の秘蹟。

 跳んだ先は嵐の直上。眼下を突き抜ける破壊の嵐に背中をじりじりと焼かれながら、クロはその人影を目視した。

 

「……うそ」

 

 最早標本に近いほど肉を失っていたが、確かに人だった。それだけの傷を負っておきながら四肢が存在することも、血がまだ入っていることも、信じられない。

 何より、それの正体にはクロも見覚えがあった。

 顔立ちや背丈からして恐らく……。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 考えている暇はなかった。

 クロはその手を掴むと、まだ比較的被害が少ない新都の端に移動する。

 僅かな浮遊感の後、地面に降りてその誰かを投影したシーツの上に横たわらせる。純白のシーツは一瞬で血で真っ赤になったが、それはいい。

 

「お兄ちゃん……? 本当に、お兄ちゃんなの? なんで、なんでこんな……!!」

 

 改めて容体を見ても、酷いモノだった。

 片目はくり貫かれたように空洞になっていて、口の隙間から見える舌はほぼ全て切られていた。全身の血管や骨が直に見えるほど肉が削がれており、その血管や骨、臓器でさえもぐちゃぐちゃだ。更にそんな欠陥を埋めるかのように呪詛が内側から蠢いていた。

 生きているなんて到底言えない。

 猟奇殺人の被害者どころの騒ぎではない、これでもまだ、肺と心臓は動いているのだから。

 分かっていた。

 只では済まないことくらい。

 だが、ここまで傷ついてなお、彼は死んでいないのだ。恐らく人間ならとっくに事切れている状態でもなお、三途の川を渡らずにこの世界にしがみついている。

 一重に、みんなを救うために。

 

「……酷い……こんなの、酷すぎる……!!」

 

 衛宮士郎は確かに罪を犯した。

 それは人間として、許されることではないのかもしれない。

 断罪されるべきなのかもしれない。

 だけど、ここまでか?

 クロは士郎と痛覚共有をしている。

 本来ならクロだって同じ痛みをシンクロして、発狂していなければ可笑しい。だがそれがない。痛みはない。

……つまり衛宮士郎の痛みはそれほどだったのだ。

 痛覚共有の呪いが解けるほどの疼痛。それが衛宮士郎に与えられた罰だった。

 

「……、……」

 

 吐き気を必死に抑え込む。

 何も出来ない。

 何もしてやれない。

 外側だけでこれなのだ。

 内側は、彼の精神が壊れていない保証なんて何処にもない。

……このまま眠らせてあげるのが、一番の治療法だと、クロはそう思っていたが、

 

「と、べ」

 

 彼の口が。

 動いた。

 

「……え?」

 

「あ、い、ず、す、る」

 

 合図する……?

 クロは意図を図りかねた。こんな状況で、こんな状態で一体何をするというのか。

 

「本当だよ。悪足掻きはよくない」

 

「!」

 

 この声は……!

 クロが振り返るよりも前に、背後で地響きがした。あの巨人だ。しかし大分手傷を負わされたのか、二十分前と比べてその体長は三分の一にまで減っていた。

 たった一人で、この怪物をここまで。

 クロの想像を絶する戦いがそこで行われていたのだと、再確認する。

 

「うん、手強かったよ。流石にここまで粘られるとは思わなかった。しかもエアの一撃を食らってまだ生きているなんて、また厄介な呪いを受けてるもんだ。正直同情する。神ってのは往々にして運命の悪戯を仕掛けるが、これは飛びっきりだ」

 

「いけしゃあしゃあと……!! アンタがやったことでしょ!? こんな、拷問まがいのことしといて、それでも英霊なの!?」

 

「心外だなあ。こっちだってそれなりに手痛い傷を負ったんだけど? まあ、やっぱり人間かな。こっちのスペックを把握していない」

 

 話していく毎に、ギルガメッシュの胸部から泥が溢れて体が修繕されていく。このままでは、彼がここまで傷ついた意味が全て無くなってしまう。

 悔しいが、クロにそれを止める術はない。

 だが。

 衛宮士郎は緩慢な動きで、右腕を巨人へ向けて。

 

 

 

「こ、わ、れ、た、げん、そう」

 

 

 

 ギルガメッシュの胸部が、派手な爆炎と共に、中から吹き飛んだ。

 

「が、ぐっ、……!?!?」

 

 さしものギルガメッシュも、まさか攻撃されるなんて思いもしなかったのだろう。クロに至ってはどうやって攻撃に転じたのか理解出来ていなかった。

 クロは知らない。

 無限の剣製によって、巨人の体には腐るほど爆薬となる剣が埋まっていたことを。

 ギルガメッシュは知らない。

 イガリマによる一撃と同時に、数多の剣がその胸部を通じて体内に入り込んでいたことを。

 故に衛宮士郎は言ったのだ。

 合図するから、飛べ、と。

 今ぽっかりと胸部に空いている、あの穴へ。

 

「と、べ」

 

「……お兄ちゃん」

 

 元々勝つつもりなんて微塵もなかったのか。

 最初から、目標は助けることだった。

 こんなにボロボロになって。

 最後の最後まで、彼は間違えなかった。

 ただ誰かを助けるために、犠牲になった。

 

「とべ……、……、……」

 

 力なく手が地に落ちた。

 確かに聞いた。

 最後に、唇だけで音は発さなかったが。

 クロ、と名前を呼んだ。

 だったらもう、泣いてる場合なんかじゃない。

 

「ーーええ、こっから先は任せて」

 

 目標はあの大穴。

 囚われのお姫様達を、今こそ助けにいく!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 イリヤと美遊も、その異変に気付いた。

 

「な、なに!?」

 

 あちこちから巻き起こる爆音。ここ数分で何度も耳にしたそれは、ここに来て佳境に入ったらしい。粘着質だった空間は水槽がひび割れたように渇いていき、爆発は真上まできていた。

 さっきまであんなに生への執着が無かったのに、身近に起こるとやはり咄嗟に身を庇う。イリヤはそんな自分に心底嫌になったものの、美遊の手を握って。

 

「ミユ、転身して! 早く!」

 

「う、うん!」

 

 直後に、頭上で特大の爆発。

 連鎖した衝撃は凄まじく、上から下へ、ダイレクトに二人へとなだれ込んだ。

 イリヤ一人では恐らく防ぎ切れなかっただろう。

 だが美遊が加わったことで、何とか事なきを得た。暗闇にずっと閉じ込められていたからか爆発の光で目が慣れない。

 が。

 そこで二人は、唖然となった。

 

「……外まで、穴が、空いてる?」

 

 二人の頭上。

 五十メートルほどの空洞の後、即席の出口が出来上がっていたからだ。

 

「イリヤ、ミユ!!」

 

「クロ!?」

 

 更に驚くべきことに、その穴を通ってか、クロが二人の背後に跳んできた。

 余程無茶な跳び方をしたのだろうか。クロは息を切らして、

 

「良かった、二人とも無事で……じゃあここを出るわよ!」

 

「く、クロ、どうやってこの巨人に穴を……?」

 

「そんなのいいから、ほら急ぐ! さっさと出ないとまたこんなところに缶詰めなんて嫌でしょ!?」

 

 クロの剣幕に、美遊はすごすごと頷いた。どっちにしろここを出ないと話すどころではないのは確かだ。

 イリヤも賛同しようとして。

 

「、イリヤ、後ろ!!」

 

「え?」

 

 背後から伸びた泥の触手を、美遊が庇った。

 恐らく魔力砲を放つ暇すらなかったのだろう。美遊はイリヤを押して、触手に捕まった。

 触手は一本ではない。それはまるで電子ケーブルのように幾本も束ねたモノで、気づけば一瞬で三人は包囲されていた。

 

「ミユ!!」

 

 それでも。

 助けないと。美遊はまだ生きている、自分なら煮ても焼いても構わない。だけど美遊は、美遊だけには生きていてもらわないと、自分が存在している意味がない。

 その一心でイリヤはステッキを振るおうとするが。

 その前にクロに蹴り飛ばされた。

 

「が、っ、……!?」

 

 何が?と考えるより前に、奇妙な感覚がイリヤを襲った。例えるなら密室からいきなり外へ放り出されたような、そんな解放感。

……外?

 

「まさ、か、」

 

 イリヤが目を開ける。

 そこには。

 変わり果てた冬木市の姿が、真下にあった。

 

「……、ぁ」

 

 建物など一つもない。

 あるのは瓦礫の山と炎。そして泥。

 それすら、大部分は消しゴムで消したように、圧倒的な何かで押し潰されていた。

 問題はそんなことじゃない。

 ここは、外だ。

 蹴り飛ばされた際に、クロがそこを接点にして転移の術式を発動させたのだろう。だからあの巨人の外に居る。

 だけど、側にはイリヤ一人だけ。

……振り向くという動作が、遅く感じた。だが時間にして、それは一秒もなかっただろう。

 振り向いた先には。

 あんなに開いていたのに、もう閉じようとしていた穴と。

 その奈落の底で、泥の触手に捕らえられた美遊、クロの二人だった。

 

「ぁ、」

 

 本能が、理性を突き破る。

 願望が、死への恐怖すら爆散させる。

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 助ける(届かない)

 助けたい(それしか価値がない)

 助けられた(生きてすらいないのに)

 

「イリヤさん、ダメです!! イリヤさん!!!!」

 

 ルビーの制止など聞けるわけがなかった。

 ここで助けられたって、何の意味もない。自分だけ助かったところで、何の、何の意味もない。

 だから。

 だから。

 だから……!!

 

 

「こんなところに、わたしをひとりにしないで……!!」

 

 

 涙が出た。

 それは、どうしようもなく愚かな行為だった。

 いくら記憶を持とうと、基本のフォーマットは小学生のイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだ。魔術の魔も知らず、命のやり取りなど知らない女の子。

 だから、一人にしないでほしかったのだろう。一人で放り出されるより、イリヤは三人で奈落に落ちることを本能で選んだ。

 だがそれは、命を捨てる行動でしかない。

 それでもイリヤは、もう、限界だったのだ。全てを、押し付けられたような気がしたのだ。

 

「生き長らえる道を捨てる、か。ま、それも一つの選択さ。否定はしないが」

 

 うるさい。

 お前に何が分かる。

 そう叫びたい気持ちを堪える。

 絶望的なまでに開いた距離を駆けながら、イリヤは気付いた。

 二本の、処刑鎌のごとく飛来する、宝剣を。

 

 

「君を助けようとした努力、全部無駄になるなんて、本当に憐れだよ」

 

 

 回避は不可。

 恐らく頭蓋を貫くため、ぴったりと軌道はイリヤの頭部で交差していた。

 死ぬ。

 一人で。

 何の意味もなく。

 助けられた事実も無に還る。

 死んだっていい。

 だから、我慢ならないのはたった一つだけ。

 あんなに泣いていた少女の、夢を壊してしまうことだった。

 そして。

 当たり前のように。

 血飛沫が、空に真紅を描いた。

 

 

「……ぇ、?」

 

 

 まず感じたのは、違和感だった。

 血が噴水のように飛んだ。

 ここまではいい。

 だがイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの頭蓋は砕かれていない。

 それどころか、イリヤは傷一つ付いていない。

 じゃあなんで血を浴びているのだろう?

 

 これは、誰の、血なんだろう?

 

 

「ーーーーぁ、」

 

 

 鮮血が飛び交う冬木の空。

 血のシャワーは、イリヤの目の前で為されていた。

 衛宮士郎。

 彼の両肩から(・・・・・・)、夥しいほどの血が尾を引いていた。

 

 

「ああ、ぁっ、あああああ、」

 

 

 庇ったのだ。

 あの人が。

 死に向かっていたイリヤの目の前に駆けつけて、そして。

 自分のために両腕を失った(・・・・・・)

 

 

「ぁ、あああああああ、ああああああああああああああ、」

 

 

 落ちていく。

 翼を失った鳥のように。

 羽を千切られて、丸裸になるように。

 肉の切り身となった兄は、最後に一瞥した。

 片目のない、青白い顔で。

 

 

「ああああああああああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、ああああああああああああああ!!!! 

 うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 

 

 少女の絶叫が、理想の世界に響き渡る。

 長い、長い長い号哭は、少女の喉が裂けるまで続くかのよう。

 流れ落ちる涙と血は、理想の代償。

 この世に正義などなく。

 都合のいい理想はない。

 

 

 それが、現実の果てだった。

 

 

 

 

 

 

 



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傷つくのが運命だとしても、未だ願いは途絶えず

 あれはいつのことだっただろう?

 いつも言ってくれていたことだったから、いつからだったかなんて、今では意識して思い出すこともなかった気がする。

 それでも、はっきりと思い出せるのは、それだけその言葉が嬉しかったから。

 そう、確かあれは冬の日。

 まだわたし達が、ずっとずっと子供の頃。

 夢はいつか叶うと信じ、絵本のように世界は回っていると思っていた、そんな寒空の下の思い出。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!??」

 

 落ちていく。

 自分なんかのために、全てを失って、廃墟となった町へあの人が落ちていく。

 方向性を失った思考が、内側からイリヤの頭蓋骨を打ち据える。まるで巨大な竜巻に襲われたような新都とか、その真っ只中に居た父や凛達は大丈夫なんだろうかとか、あの巨人に今も取り込まれたままである美遊やクロは無事なのかとか、直前まで考えていた。

 だけどもう、何も見えない。

 視野が狭窄する。

 あの人が落ちていく姿を見るだけで、胸が張り裂けそうになる。あの人の肩から絵の具のように噴き出す血を目の当たりにして、頭が割れそうになる。

 耐えられない。

 受け止めきれない。

 あの人を失う。たったそれだけで、イリヤは全てのことを忘れて狂いそうになる。

 

「ルビー……!!」

 

「はい!!」

 

 ルビーのアシストにより、一気にトップギアまで速度を上げる。自由落下しているあの人の体へ追い付くのはそう難しいことではない。追い付いて、何処を触れば良いか分からなくなったけれど、その骨が飛び出した腹を基点に持ち上げると、速度を低下させる。

 だがそれはつまり、彼の血を浴びるということ。

 

「……ぅ、ぶ、」

 

 慌てていたが、血が口や鼻に入った瞬間、異常なまでの吐き気が少女の喉まで湧き上がってきた。目蓋を閉じても一度入ってしまった血液は目を痺れさせるかのように染み渡り、涙と一緒に排出される。

 と、

 

「イリヤ様!」

 

「、サファイア!?」

 

 美遊を転身させていたハズのサファイアか、何故か真上から追い付いてきた。

 

「なんで!? ミユと一緒にあの中に居たんじゃ……!」

 

「ええ。ですが直前になって、美遊様がクロ様の転移を模倣して私を外へ跳ばしたのです。詳しいことは後程、今は士郎様を!」

 

 そうだ。

 一刻も早く手当てしないと。

 だがイリヤの目から見ても士郎の傷はどうにもならないとしか思えなかった。しかしサファイアはそのボディを青く光らせ、士郎の無くした片目へと吸い込まれていく。転身の要領で無くした器官を肩代わりしようというのか。

 

「応急処置をしますので、この体をどうかお願いします! イリヤ様!」

 

「う、うん!」

 

 一瞬で地面まで降りて、最後にふわっとクッションの上に着地したかのように魔力を操作する。

 イリヤ達が降りたのは巨人から少し離れた、瓦礫の上。薙ぎ払われた新都より少し離れたそこで、コンクリートの山に彼を横たわらせる。

 

「……酷いですね、これは」

 

 流石に口が軽いルビーも、その容態を直視して絶句した。

 五臓六腑など体をなしていない。

 体が妙に軽かったのは両腕を切り落とされたこともそうだが、そもそも今の士郎の体に肉が少ないからだろう。横たわらせた際、ぞっとするほど重さを感じなかった。

 サファイアによって徐々に治療されているが、これほどの重症を治せるほどカレイドステッキも万能ではない。

 

「心臓はまだ動いてますか……血管なんて機能していないでしょうに、どんな理屈で生き長らえているのやら……」

 

 ルビーの声が遠くに聞こえる。

 イリヤは動けなかった。

 ただ、目の前の現実から逃げようとしていた。

 目の前の誰かがずっと自分を騙し続けてきたとしても、そんなこともう関係ない。

 衛宮士郎はイリヤスフィールを守ろうとして、これだけの傷を負った。

 死ぬことすら許されず、生きるための体すら奪われ、戦うための剣すら握れない。

 不安なときにいつも抱き締めようとしてくれたことも、今ではもう不可能なことだ。

 誰のせいで、こうなった?

 誰が存在したせいで、こうなった?

 誰が我儘なせいで、衛宮士郎は人としての尊厳を汚された?

 

「……わたしの、せいだ……」

 

 顔を手で覆って、目蓋を閉じる。

 嫌に滑らかな前髪が苛立たしくなって、八つ当たりに千切る。

 

「わたしが、ここに居るから……幸せなんて押しつけちゃったから、まだこの人は諦められないんだ……!!」

 

 あの時。

 エーデルフェルト邸でイリヤは士郎にこう言った。

 人を助けたいのに、死んでいく人ばかり見て、あなたは辛くないの?、と。

……辛くないわけがない。どれだけ失っても、痛みなんてずっと消えない。それが心の傷なら尚更。

 だから彼はこう思ったのだ。

 最小限の犠牲で、最大限の救いを、と。

 痛みに耐えて、それでも人を救いたくて。

 だけど、やっぱり我慢出来なかったのだろう。

 この世界は彼にとって、理想の世界だ。

 だとすれば、その真逆が衛宮士郎の世界ということになる。

……こんな、普通の人間なら当たり前の世界を夢見るなんて、どれだけ過酷な世界に身を置いていたのか。イリヤでも想像は容易い。

 だから余計に、イリヤの言葉は響いたに違いない。

 幸せな世界からの言葉。

 それは彼にとって、どれだけ分かり切っていたことだったのか。

 それが通用しない世界の方が、ずっと多いのに。

 そしてどれだけ、この世界を愛していたか。

……ぼろ雑巾のようになってまで生きているのだから、答えは明白だった。

 

「……ごめん……ごめんな、さい……ごめんなさい、ごめんなさい、……!」

 

 何も知らなかったで許されない。

 彼に、みんなを救えと約束させたのは、イリヤだ。その約束を果たそうとして、こうなった。

 死んだ人間なんかのために。

 まだ生きているならやり直せる、大切な人が。

 これ以上に罪深いことが、果たしてあるのか?

 

「安心しなよ、イリヤスフィール。君は何も悪くない。悪いとしたらほら、それは君と同じような立場の誰かさ」

 

 声に、はっとなるイリヤ。

 次の瞬間、背後から突き上げるような振動が一帯を襲った。

 巻き上がった土にイリヤは溺れかける。じゃりじゃりとした口から唾を吐きながら衛宮士郎の無事を確認する。

 だが、そこまで。

 イリヤの目の前には雲にも届く巨人が、ほぼ修復された状態で、冬木に鎮座していた。

 まだこちらを見つけていないようだが、それでもあれだけ消耗させたのに、こんな短時間で回復したのか。

 

「……そん、な……」

 

「まあ君が罪悪感を感じるのも分かる」

 

 何らかの宝具で少年は声を届かせる。

 

「だがそれは君よりも美遊が感じているハズだ。むしろ誇るといい。衛宮士郎は本物の正義の味方になったんだ。君のおかげでね」

 

「っ、何が本物よ!! こんな、こんなボロボロになって、死んだわたししか守れてない結末で良いわけないでしょ!?」

 

 少なくとも、これから衛宮士郎に明るい未来なんてやってこない。これだけの傷を抱えて生きていられるハズがない。

 そう思っていたが、

 

「いやいや。彼がまるで死ぬような言い方だけど、そんな安らぎが許される(・・・・・・・・)わけないだろう?」

 

「……え?」

 

 それは、どういう。

 イリヤの誤解を解いたのは、ルビーだった。

 

「……イリヤさん、覚えていますか? ここがどんな世界か」

 

「え、それは……」

 

 ギルガメッシュの言葉を忘れられるわけがない。

 ここは美遊が幸せになれる世界。

 そして美遊の幸せは、衛宮士郎が生きている(・・・・・)こと。

 

「この人が、生きてる、世界……?」

 

 復唱して気づいた。

 ぞく、と背に恐気が走る。

 もしも。

 それが比喩でもなんでもなく、文字通り生きている世界なら。

 それは、つまり。

 

「そう。彼は、死ねない(・・・・)のさ。美遊が願いを叶え続ける限り、衛宮士郎に生きていてほしいと願い続ける限り。神様にその命を握られているってわけだ」

 

……なんだ、それは。

 なんだそれは。

 美遊が願ったのは、衛宮士郎が幸せな世界なんじゃないのか。

 そんな、そんなの本当に美遊の人形ではないか。

 生きているのに。

 生きていたのに。

 そんな、誰も得しない願いなんてあるのか?

 

「君はそんなわけない、とは思うかもしれないけどね? だけど考えてもみなよ、たかが人間が魂を燃やしてもここまでしぶといわけがない。エアの一撃をまともに食らっといて、意志の力なんて都合のいい理由は通用しない。それこそ、エアの一撃を受け止められるのは神くらいのものさ」

 

「……この世界の神のような存在となれば、それは美遊さんただ一人。神稚児の力と大聖杯、それによる世界の改変がここまでとは……!」

 

「そこのステッキの言う通り、大聖杯はその気になれば命を作り出せる。やってやれないことはないさ。それに気づけなかったのは迂闊だったなあ、我ながら」

 

……なんで。

 なんでこの世界は、そうなってしまう。

 幸せになってほしいという願いが、どうして、こんな、悲しい世界を作り出してしまうのか。

 間違いなハズがないのに。

 幸せになりますようになんて、誰だって願うことが、なんでこんなにも報われない結末を生み出すのか?

 イリヤはただ、悲しくて、やりきれなかった。

 たった一度の願いが全てを狂わせた。

 でもそこに悪意はなく。

 後悔しかない。

 なのに、そんな事実を常識みたいに誰かが言ってくる。

 可笑しいのに。

 こんな悲劇、絶対に可笑しいのに。

 

「……なんで……?」

 

「ん?」

 

「なんで、あなたはそんな風に平然としていられるの……?」

 

 キッ、とイリヤは巨人に憎しみの込もった眼差しを向ける。

 

「あなた、分かってたんでしょう!? わたし達がヘラヘラしてたときも、あなたにはいずれこうなるって分かってた! 違う!?」

 

「僕は英霊だが、善人じゃない。死者の声を聞きはしても、その要求の全てを叶えようとは思わないよ。特にこんな行き止まりの世界、破壊するに限る」

 

「こ、の……!」

 

「安い激情に身を任せるのは勝手だけど、一つ教えてあげようか」

 

 怒りで自身の罪から逃げようとするイリヤに、英雄王は告げた。

 

「前の衛宮士郎なら、ここまで酷いことにはならなかった。死んで、終わり。夢に敗れる凡庸な人生を終えて、掃除屋にでもなっているところさ。だがそれを君は悪化させた」

 

「……そんなの、分かってる……!」

 

「いいや分かっていない。良いかい、イリヤスフィール。そこに居る男は誰もが幸福であってほしいと願いながら、犠牲を出すことも厭わず、むしろそれで良いと(・・・・・・)、永遠に世界の掃除をし続ける男だった」

 

 イリヤも、それは知っていた。

 恐らくまだ生きていたときのイリヤスフィールの知識だろうか。何となくだが、この衛宮士郎が破滅することを知っていた。

 

「それはこの世界と君によって阻止されたが、さて。しかしそれは衛宮士郎から、諦めるという選択肢を消した(・・・・・・・・・・・・・)わけだけど」

 

 イリヤにはギルガメッシュの話の意味が理解出来なかった。

 ただ、喉が張り付いた。

 急速に渇いて、舌で喘ぎそうになる。

 

「全てを救う。実に聞こえは良い。だがそれを、完璧な意味で実行出来た人間は余りに少ない。それが回数を重ねれば尚更ね。だが君は諦めるなと教えた。それが一番正しいことなんだから、とね」

 

「……それ、は」

 

「いや、なに。責めてはいない。確かに正しい。だが正しいからこそ、それは断崖絶壁から突き落とすことに変わりないと気づかなかったのかな?」

 

 悔しいが、声の主の言う通りだ、とイリヤは思った。

 もうイリヤには信じられない。

 目に見える人全てを救うにはもう、何もかも遅すぎる。どんなに考えても、昨日までのような満たされた時間はやって来ない。

 それでも彼は、諦めなかった。

 人としての形を失っても。

 理想のために。

……そうか。

 イリヤもようやく悟った。

 つまり、そういうことなのだ。

 

「衛宮士郎に全ての人間を救う力がない。だが彼は諦めるなことを許されない。もし諦めることが出来るとしたら、それは」

 

「……この人が、死ぬときだけ……でも……」

 

 衛宮士郎は死ねない。

 死ねないのであれば諦められない。

 今も後ろで、マリオネットのように生き長らえて、誰かを救おうとする。

 

「ぁ、あああ、ああああ……!!」

 

 わたしは、何をした?

 無責任に正論ばかり並べて、彼を何処に追い込んだ?

 滅茶苦茶に壊れるまで、この人が諦めないようにと仕立てあげたのは一体誰だ?

 自分だ。

 かつて衛宮士郎が助けられなかった。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンが、その道に誘ったーー!

 

「いやぁ、確かにここは衛宮士郎にとって理想の世界だ。

 なにせずっと、誰かが死のうと彼が生きているならーー他人のために都合のいい味方でいられるんだからね」

 

 それを聞いた瞬間。

 イリヤは、声にならない声で絶叫した。

 筆舌しがたいほどの金切り声は、まるで首を絞められているかのようだった。

 叫び過ぎて、喉が流血する。そうでもしないと、自分の侵した罪に押し潰されてしまいそうになりそうだった。

 涙が止まらない。

 なんて、皮肉。

 理想の世界とは彼が幸せになるという意味だけではない。

 衛宮士郎が、永遠に正義の味方でいられる世界でもあったのだ。

 死ねないなら関係ない。

 彼はどんな結果をも越えられる世界で、永遠に正義の味方を張り続けられる。

 届かなくてもいい。

 走り続けられるならそれでいいと願った彼の、要望通り。

 イリヤを失い、そのイリヤの言葉によって空虚な理想を見出した。

 そして、命令を受諾した機械のように、衛宮士郎は遂行し続ける。

……こんな、綺麗な地獄を守るためだけに。

 

「……なんで……わたし、そんな、そんなつもりじゃ……!!」

 

「かもしれない。だけどそこの彼だって、止まろうと思えば止まれたハズさ。それでも止まらなかったのは、君と約束したから。全く、これじゃあ約束が呪いになった(・・・・・・・・・)みたいじゃないか?」

 

「……、……ッ!!」

 

 衛宮士郎がずっと笑えるようにと願った約束だった。でもギルガメッシュの言うように、それは彼を最も傷つける呪いになっていた。

……いや、初めからそうだった。

 衛宮士郎にとって、イリヤスフィールの存在は自身の後悔そのものだ。

 だからこそここまで変わってしまった。

 約束を果たそうとした。

 

ーーお兄ちゃんが一番最初に、正義の味方になりたいと思う前。一体誰を助けたかったの?

 

 そんなことを前に、言ったことがある。

 なんて愚かで、身勝手で、白々しい問いなのだろう。

 こんなに誰かのために一生懸命になれる人を、変えてしまったのは……他ならぬ自分だったのだから。

 

「ぁ……ぁ、…………」

 

 だから。

 膝を折って、イリヤは頭を垂れた。

 

「……なるほど。確かに、今の衛宮士郎にとって君が死ぬことは相当なショックだ。それこそ、二度と正義の味方には戻れなくなるほどに」

 

「っ、イリヤさん、いけません! あなたの首を差し出したところで、状況は何も変わらないんですよ!? お兄さんがこれほど命を懸けたのに、それでは……!」

 

「……わかってるよ……」

 

 でも。 

 だけど、

 

 

「もう、どうしたらいいか……わたし、わかんないよ……」

 

 

……もしも。

 もしもこの世界に、衛宮士郎という異分子が居なかったならば。

 きっとイリヤスフィールは精神的に成長を遂げ、兄に寄り添うという答えを出せたのかもしれない。

 だが、それも全てあり得ない話。

 

「わたしが居るせいで、約束のせいで、あの人が救われないなら」

 

 イリヤにはこれしか思い付かなかった。

 例え誰かを不幸にしても。

 望まれなくても。

 それで安らぎを与えられるなら、それが死と引き換えなら。

 喜んで、イリヤスフィールは首を差し出せる。

 

「お願い……もう、終わりにしてください……」

 

 誰もこの世界で、幸せになんてなれないから。

 まず自分から終わろう。

 それで衛宮士郎(この人)が、何かに縛られることなく眠れるなら。

 もう、そのくらいの道しか残されてないんだから。

……お願いだから。

 

「いいよ、終わろう」

 

 巨人がイリヤ達を捕捉する。

 あの大質量の巨拳が、ボウガンのように引き絞られ、天空高くで町一つ分を破壊し得る爆撃兵器へと変わる。

 

「残念だ。久々に心が踊ったのに、これで幕引きなんて。決して諦めないという精神こそ嫌いではないけど、やはり力が足りないのが欠点、かな?」

 

 どうでもいいか、と英雄王は吐き捨て、拳が超電磁砲のように加速し、そしてーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで声が聞こえる。

 これは……誰かが泣いている、のだろうか?

 

「………………ぁ、」

 

 頭が霞がかっていて、ぼうっと空を見つめることで精一杯だった。腕や足に全く力が入らず、微動だにしないまま時間だけが過ぎていく。

 ここは……公園だ。深山町の商店街近くにある、何の変哲もない公園。時間帯は夕方か。稜線が遠くで夜の帳を下ろそうとしているのが見えた。

……なんでこんなところで、大の字になって俺は横たわっているんだろう。

 疑問は尽きない。

 でも、それ以上の答えを探そうとはしない。出来ない。

 そこから先に思考が進まない。

 微睡んでいるのとも少し違う気がする。ただ、生きるための機能が幾つも不足していた。

……今まで何をしていたのか、よく、思い出せない。

 記憶がない。

 責務もない。

 何かをしてからここに来たことは、分かる。でも何をして、何を失って、何を得たのか、それが欠如している。

 欠片すら残らない。

 拾い集めようとしても、石灰のように塗り潰された何かしか集まらない。

 何を。

 俺は何をしたかったのだろう。

 ただ認められなかったから、戦っただけなのか。

 守れなかったとしても、頑張ったという記憶だけでも欲しかったのか。

 後悔したくないから、守った気でいたかったのか。

 シャボン玉のように問いが浮かんでは、消える。

 自分がどんな形をしていたのかすらも忘れて。

 分からないまま、何かをしようとした結果がこれだ。

 だからもう、いい。

 このまま眠れるなら、それで。

 そう思ったときだった。

 近くで、ギィ、と軋む音が耳に入ってきた。

 

「……?」

 

 今のはブランコの音、か?

 その音が脳にまで届いた瞬間、さっきまであんなに生きることを拒否していた体は、反射的に立ち上がっていた。

 脳は未だに覚醒しきっていない。

 けれど、目が原因を探す。

 

「……ひ、ひぐっ……う、うぇぇ……っ」

 

 見つけた。やはりブランコだ。

 誰も居ない公園のブランコ。そこにまだ、五歳にも満たない少女が、一人泣きじゃくって座っていた。

 日本人ではない。多分移住してきたのだろう。まるで兎のように白い髪、子供特有の玉のような肌は涙に濡れてしまっていて、充血した赤い瞳は泣き腫らしていた。

 なんで一人で、こんなところで。

 脳に、ずき、と閃光が弾ける。

 この少女を見ていると、頭の奥から何かが訴えてくる。

 

「……どうしたんだ?」

 

 気づけば。

 自分は、その少女に声をかけていた。

 女の子はいきなりの来訪者にびっくりしたが、それでもやはり寂しかったらしく、

 

「……おとうさんと……おかあさま……かえってこないの……かならず、かえってくるって、そう、いったのに……」

 

……それは、悲しいな。

 他に家族は、いないのか?

 

「……いないの……」

 

 そっか。

 じゃあ君は、今一人?

 

「うん……でもいいこにして、まってたら……そしたら、きっとはやくかえってくるって、そうおもったから……」

 

 だから帰りを、待っていた。

 また会えると信じて。

 それでも、やっぱりこの女の子は寂しかったのだろう。

 帰ってこない(帰るハズもない)両親を、一人で待ち続けるなんてこと、子供には中々出来ない。

 ましてやそれがこんなにも小さい子なら、当然だ。この子は、その両親のことが本当に好きだったのだから。

……ああ。

 ああ、ちくしょう、そうか。

 ずっとお前は、こんな風に泣いてたんだな。

 誰にも迎えに来てもらえないまま。

 一人で、孤独と向き合い続けてきたんだな。

 

「……ごめんな」

 

「え……?」

 

 ブランコの少女を、抱き締める。

 少女の体は冷えきっていた。

 今の季節は冬だ。きっと一人だったから、寒くて、吐く息も白くて、だから泣いていた。

 心が凍ってしまいそうだったのだ。

 いつの間にか。

 俺の体も、七歳くらいにまで縮んでいた。

 本来ならどう間違えても、あり得ない出会い。けれど、それでも、言わずにはいられなかった。

 

「大丈夫」

 

 かつて言った(言えなかった)、その言葉を。

 

「一人じゃない。イリヤは、一人なんかじゃないぞ」

 

「……え?」

 

「俺が居る。切嗣やアイリさんは居なくても、俺が居る。イリヤのことは、俺が絶対に守るから」

 

 だから、ほら。

 イリヤの手を握る。

 夜から逃げるように差した、茜色の陽光が、俺達を照らす。

 

「帰ろう、家に」

 

 イリヤは落ち着かない様子で、しかし目を輝かせた。

 

「……うん」

 

 と、安心したように、笑った。

 その笑顔を守らないと、と強く思ったのは、そのときからだった。

 そうして、十年間衛宮士郎は妹を守ってきた。

 特別な力なんてなくても。

 明確な目標なんてなくても。

 ただ守りたいと、共にありたいと、そう願った相手のために。

 少年は、誰かの味方になれたのだ。

 別に称賛されるほどのことではないのかもしれない。

 世界中の何処でもありふれていて、きっと特別なことでもなんでもなくて。

 だけど、そんな当たり前が、何より一番輝いているのだ。

 

「……」

 

 歩いていく。

 無人となった冬木を、二人で歩いていく。

 ひょんなことで永遠に離れてしまうだろう二人を繋ぐのは、小さな手のみ。

 会話もなく、その心中はお互い分からずじまい。

 だけど、固く繋がれた手だけあれば、全て分かり合える気がした。

 分かり合えたなら、顔を見合わせただけで笑い合える。

 きっと幸せなんてモノは、こんな簡単に感じられることだった。

 歩き続けて、ふと、握っていた手の感覚が無くなっていることに気づいた。

 目の前には、歩いていく二人の子供。

 

「どうして、いっしょにいてくれるの?」

 

「俺は正義の味方だからな」

 

「?……せいぎの、みかた?」

 

「あ、分かんないのか、正義の味方。正義の味方っていうのは、泣いてる子を見捨てたりなんかしない……つまりイリヤの側にずっといる奴のことだ」

 

「……それって、おにいちゃんのこと?」

 

「そういうこと。だから泣くな、みんなが待ってる」

 

「……うん!」

 

 和気藹々と、繋いだ手を振って帰る二人。

 兄と妹。人種が違っても、血は繋がらなくたって関係ない。ただ共に寄り添い、生きていく。それだけで家族になれる。

 俺の足は止まって、目線も元の高さまで戻っていた。遠くなっていく兄妹は、夕焼けを先導するように、家に帰っていく。

 どうして戦うのか。

 どうしてここまで失っても、諦めなかったのか。

 小さな奇跡は、理想のカタチ。

 あれは俺であり、俺じゃない。

 だから俺とあの子供は別れて当然だった。何せこれは、俺の記憶じゃないのだから。

……ああ、思い出した。

 全部、思い出した。

 俺が今まで出会ってきた人達のこと。

 俺が守ろうとしてきた全て。

 何より大切で、何より手離したくなかった、大切な誰か。

 だから。

 それに背を向ける。

 二人の子供とは、逆の方向に歩く。

 

「……戻るこたぁないだろ」

 

 そう釘を刺したのは、呪いの男。

 アンリマユ。

 奴は二人の子供が去っていった方角に立っている。

 

「ここから先、ずっとアンタはそのままだ。その人生はろくな結末を迎えない。今回のように追い剥ぎされて、捨てられんのがオチさ。誰もアンタに感謝なんかしない。アンタが満足することもない。それでも」

 

 それでも、守るのか。

……この男の正体については、何となく分かっている。

 見覚えのない氷の海の固有結界。毎回妹絡みのときでしか出てこない。

 更にこの世界が衛宮士郎ーー美遊の兄が生きている世界という仮定で成り立ったのであれば、きっと死の直前にその魂の欠片くらいは、俺と一緒に跳んできただろう。

 美遊の兄貴が反転した存在。

 それがアンリマユの正体だとしたら、この問いにも納得出来る。

 お前はそれでもなお戦うのか、と。

 全てを救えるほど、お前は強くもなければ。

 一人も救えない結末が、待っているかもしれないのに。

 ああ、それでも。

 

 

「それでも。きっと忘れられないんだ」

 

 

 胸に手を置く。心音が掌まで届く。

 

 

「覚えてるんだ、握った手の温もりも。覚えてるんだよ、眩しいくらいの笑顔も」

 

 全部、覚えていて。

 だから守りたかった。目に見える人だけで良いから、みんなにそうなってほしかった。

 

「分かってる。救えないモノは救えない。この世の全てなんて手が届かない」

 

 随分遠回りしてきた。

 切り捨てたモノは多すぎて、報われるにはきっと何百年以上もかかったとしても徒労に終わるだろう。

 だけど。

 それはいつかのーー。

 

「ーーお前が、そうあってほしいと願ったことなんだろう?」

 

 誰も助けられないから、助けたかった。

 一度だって助けてもらえなかったから、そんな人達こそ助けたかった。

 そしてそれは、この男も同じ。

 背後のアンリマユから、反応はない。

 ただ、聞き入っているのか。

 歩き始める。

 幸せから目を背けるためじゃない。

 守るための一歩を。

 

 

「ーーーーその先は地獄だぞ」

 

 

 声は一つではなかった。

 気付けば、周囲は夕焼けの冬木などではなく、あの大火災にすり変わっていた。

 浮かび上がった火影は、かつて泥に呑まれた誰か。複数の声はまるで、俺の行き先を案じるよう。

 それに、笑って答える。

 

「地獄でいい」

 

 足は止まらない。

 巻き上がる火によって、両腕は溶け落ち、片眼は蒸発する。現実世界の自分と同じ傷を負う。

 それでもなお、足は一定の速度を保ち続ける。

 そして、

 

 

「例えその人生が、永遠に閉ざされてもーー俺は、誰かを助けるために歩き続ける」

 

 

 それが答えだった。

 誰もそれに異を唱える者はおらず。

 正義の味方は、現実へと戻る。

 世界が光に包まれる。

 と、引き剥がされていく意識が見つけた。

 何処でもない場所で。

 顔も見えなくなった誰かが、手を振って、俺を見送るところを。

 

 

「がんばって! 『せいぎのみかた』さん!」

 

 

 ふっ、と。

 目頭が熱くなって、一筋の線が頬を伝う。

 それは誰でもなかった。

 きっと、俺には永遠に助けられない人で。

 どんなに謝りたくても、謝れない人なんだろう。

 同時に、思ってしまった。

 今更こんな誓いをしたところで、遅すぎたのではないかと。

 でも。

 

「任せろ」

 

 ここには、助けられなかった人達と。

 この先に生きていてほしい人達が残っている。

 だから忘れない。

 後悔も、感慨も、哀愁も、全て。

 さようなら、救われなかった過去(あなた)

 これから何度地獄を訪れても。

 その救いが、貴方に良き眠りを与えられることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 振り下ろされたハズのギルガメッシュの拳が、イリヤの眼前で止まった。

 

「……?」

 

……何故止める?

 戯れで他人の命を奪うような英霊だ、同じように戯れでそれを執り止めることもあるかもしれないが……。

 

「……驚いた。まだ、やるのかい?」

 

 ギルガメッシュの声は、歓喜に震えていた。それは新しい玩具を手に入れた子供のそれだった。

 まさか。

 ざっ、ざっ……と不規則なリズムで、何かがイリヤの横を通りすぎる。そしてそれは、イリヤの前に、立った。

 衛宮士郎。

 正義の味方が、意識を取り戻して、イリヤを守ろうとしていた。

 

「……なんで?」

 

 衛宮士郎の傷はいつの間にか、重症程度にまで戻っていた。一番変化していたのは、肉体の切り傷だろう。骨が肉で見えなくなるくらいには、回復しているようだった。

 しかしそれでも到底立ち上がれるハズがない。片目が青く光っているのはサファイアが眼球の代わりをしているからだが、それでも両腕の欠損は酷く、今も増水したときの排水溝のように血が流れ落ちている。

 イリヤには全く分からない。

 もう終わればいいのに。

 そうしないと、ずっと苦しむのに。

 なのに、なんで。

 

「なんで……諦めないの?」

 

 せっかく死ぬ覚悟が出来た。

 本当は怖い。怖くないわけがない。自分がとても臆病な人間なことは、イリヤが一番よく分かっている。

 希望なんて持たせないでほしかった。

 だから、

 

「もういい」

 

 彼の背中にしがみつく。

 血にまみれて、まだ約束なんかに囚われている人を、助ける。

 

「もういいの……もう、いいんだよ……」

 

 イリヤは士郎の顔を見れなかった。

 だって、怖かった。

 肌まで赤黒く染まったあの人の顔を見てしまったら、きっとこれ以上ないほどの罪悪感に苛まれる。そんなの、イリヤはもう背負いきれない。

 

「わたし達が死んでることくらい、一番よく知ってるでしょ? あなたがどれだけ助けたくても、わたし達のために元の世界の人達を犠牲になんか絶対させられない」

 

 でも、今は逆に顔を伏せていられて良かったとイリヤは思った。

 何故なら、

 

「だから、消えるしかないの。元々死んでたから、また消えることなんて、何も、何も怖くなんて、ない、んだから」

 

 こんな風に泣いてたら、きっと心配させてしまうから。

 

「だから、あなたはミユを助けることだけ、考えて。わたし達のことはいい、だけどミユだけは、助けてあげて。お願い、お兄ちゃん(・・・・・)

 

 真実を知ってから一度も言えなかった、お兄ちゃんという呼び名。それをこんなときに使った、汚い自分を許してくれとはイリヤは言わない。

 ただ、こうでもしないと、この人はイリヤ達を助けようとするだろう。

 だから、

 

「お願い……消えるわたし達のため(・・・・・・・・・・)に、ミユだけは、絶対助けてよ……お願いだから……!!」

 

 彼の良心に訴える。

 また、逃げ道を無くしていく。

 自分達を切り捨てる道以外を閉ざす。

……これでいい。

 助けてなんて誰が言えるだろう。

 こんなにも頑張った人に、更に苦行を課すわけにはいかない。

 元々道なんて一本しかない。

 理想を捨てて、向かい風の現実に相対する。

 それでよかった。

 最悪の結末になったけれど。

 そこから少しだけマシな世界を選べるなら。

 それだけで、イリヤはよかった。

 そう、思っていたのに。

 

「……イリヤ」

 

 今にも倒れそうな、弱々しい声。

 それだけでイリヤは涙が止まらない。

 どれだけ痛め付けられても、この人はそんな親愛の念を込めて、自分の名前を呼んでくれた、と。

 そして衛宮士郎は、言った。

 

 

「ーーごめんな、騙して(・・・・)

 

 

 一瞬。

 意味が、分からなかった。

 

「……ぇ?」

 

 士郎が崩れ落ちる。しかしそれは、別に足の力が抜けたわけではない。

 まるで、いつもみたいに、手で撫でるように。衛宮士郎は、その額をイリヤの額に突き合わせた。

 

「俺はお前の兄貴の命を奪った。そのことを黙って、お前達と笑ってた。ずっと、お前の兄貴に与えられるハズだった幸せを、俺が、奪ってたんだ」

 

……どうして。

 どうして今、そんな話になる。

 イリヤには分からない。

 確かに許されないことなのかもしれない。

 ともすれば、イリヤに怒る権利は十二分にあったハズだった。

 それでも怒りが湧かないのは、

 

「……ごめんな、イリヤ……ごめん、黙ってて……」

 

 きっとその人が、ずっと後悔していたことだと知ったからだ。

 唇と唇が触れ合いかねない距離。士郎はそのまま自分のこめかみでイリヤの涙を拭い取る。

 不器用なそれは、まるで親鳥が雛に世話を焼くような光景だった。

 

「……いいよ」

 

 情けなかった。謝るべきなのはイリヤの方だったのに、先に謝られては、そう言うしかなかった。

 

「もう、そんなの、どうだっていいんだよ……」

 

 この人が生きていてくれるなら、それでもうイリヤは構わない。それだけでもう、ここにイリヤが存在していたこと全てが報われる。

 そう思っていた。

 だから、

 

 

「ああーーだから俺は守るよ、イリヤを」

 

 

 そう言った衛宮士郎の言葉が、信じられなかった。

 

「まって……」

 

「? どうした?」

 

「守るって、誰を?」

 

 それこそ、鳩が豆鉄砲でも食らったかのように、士郎はきょとんとした。

 

「……イリヤのことに決まってるだろ?」

 

「嘘言わないでよ、お兄ちゃん」

 

 ああ。やめてほしい。

 そんな真っ直ぐに、そんな言葉を言わないでほしい。

 沸々と沸き上がる感情は二つ。怒りと、そして少しの期待。

 

「わたし達は死んでるの。この二ヶ月も保てない世界が、崩壊すれば。一緒に消えるだけの死んだ人の再現みたいなものなんだよ? そんなの、生きてるなんて言えないでしょ?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「そんなわけあるの!!」

 

 怒鳴ることすら、億劫になる。怒りが何か違う感情になりかけている。

 このまま、兄の胸に飛び込んで、すべて任せることが出来たなら、どれだけ良かっただろう。

 だけどこれだけは任せられない。

 

「あなたに何が出来るの? そうやって、ボロボロになって、心配するこっちの身にもなってよ!? いつも、いつもいつもいつもいつもいつも、いっつもそう!! 本当のお兄ちゃんでもないのにそうやって命張って助けようとするなんて、ほんと、どうかしてるよ!! 可笑しいよ!!」

 

 どうやってもこの世界は、最終的に衛宮士郎に不幸な傷跡しか残さない。

 そんな悲しい痛みは、絶対に与えられない。

 

「正義の味方なんて、ほんとバッカみたい!! 高校生にもなって、現実も分かってるくせに、そんな夢だけ追いかけて、命落としそうになることばっかりして!!」

 

 何を言いたいのか、整理がつかない。

 ぐちゃぐちゃになった気持ちだけが胸から込み上げて、直接喉から吐き出される。 

 

「そのくせ痛い目見てるのに、何食わぬ顔してまた首突っ込んで!! 全員助けるなんて無理に決まってるじゃない!! 一人を助けるのだってこんな手間取ってるくせして、そんなの、出来っこないんだから……だから!!」

 

 イリヤが士郎の顔を見て、秘めた想いを口にする。

 

 

「だから……もう見捨ててよ、わたし達のこと……っ」

 

 

 しん、と。

 辺りが、静まり返る。痛いほどの静寂は、冬木という町そのものが死んでいることを教えていた。

 は、とイリヤは息を切らして、面を下げる。言いたいことだけは、言ったような気がした。

 これで分かっただろう。

 分かってほしかった。

 夢なんて見せないでほしかった。

 これ以上の悪夢はもう。

 なのに。

 だから。

 

「じゃあなんで、お前は泣いてるんだ?」

 

 それを指摘されたとき。

 イリヤは、自然と、体中の力が抜けてしまった。

 

「死んだ人間は涙なんて流さない。何も言わない。だけどイリヤ、お前は違うんだろ?」

 

 違う。

 そんなんじゃない。

 この涙はわたしの元となった人が流してるだけで、わたしが流してるわけじゃない。

 そんな詭弁を言えたら、それこそイリヤスフィールはただの死人だった。

 けれど違った。

 涙の意味を問われた。

 それだけで、言葉が詰まった。

……つまりその言葉は、何よりイリヤの心に突き刺さったのだ。 

 ずっと、理不尽な現実ばかり叩きつけられて。

 心を押し潰されて。

 だから心の底でずっと想っていたことを全て隠そうとした。それはきっと間違っていて、どうしようもない悪で、恐らく誰にとっても都合の悪いことだから。

 だけど、分かってもらえた。

 だから泣いたのだ。

 この涙は決して、仕方ないなんて言葉で、片付けてはいけないものなんだと。

 

「お前は泣いて、笑って、俺を思いやれる心があるんだろ? だったら、俺と何も変わらないじゃないか」

 

 わたしも、この世界も。

 ここに、生きているのだと。

 それが認められて、嬉しかったのだ。

 

「……でも」

 

「なあ知ってるか、イリヤ?」

 

 士郎は、それこそいつもと変わらない調子で、

 

 

「泣いてる子をーーーー正義の味方は、絶対見捨てたりしないんだよ」

 

 

 そう、年相応に笑いかけた。

 

 

「……う、ぅ、ぅうう、うううううううううううううう……ッ!!」

 

 

 堪えきれなかった。

 押し潰していたハズの本音が、無様に顔を出す。誰にも見せてはいけない本音が感情を侵食する。 

 歯を食い縛って。

 この世の絶望に何度も叩き伏せられながら。

 それでも衛宮士郎が語ったのは、極々普通に蔓延る当たり前のことだった。

 泣いている誰かを見捨てられない。

 誰かを救いたいという正しさからじゃない。

 みんなを救わなきゃいけないという呪いなんかじゃない。

 機械的な、ただ誰かを助けるだけの人形でもない。

 ただ泣いている誰かが居たら。

 たまたま通りすがった彼が、手を差し伸べただけのこと。

 それは血の通った人間の願いだった。

 だって今の言葉は。

 ずっと彼が、言ってきたことだったから。

 あれはまだ小学校にも入る前だったか。

 よく家を空けがちだった両親が帰ってきたと思ったら、すぐまた次の日には出ていってしまったのだ。

 

ーーなんで、すぐ行っちゃうの?

 

 仕事だということは分かっている。

 別に幸せじゃなかったわけじゃない。

 でもセラやリズの愛情を受けていたものの、やはり肉親からの愛情だけはどうにもならなかった。

 だから不貞腐れて、家を飛び出したのだ。

 しかしイリヤにとって、外の世界は未知数だった。何よりイリヤは丁重に育てられた為、一人で外に出たことがなかったのだ。

 暗くなっていく空と、しがみつくように落ちていく太陽のコントラストも、イリヤにとっては恐怖でしかない。

 まるで一人、世界に取り残されたかのようだった。

 気づけば公園のブランコで、泣きじゃくっていた。誰も居ない。寒くて、孤独だけが積み重なっていく。

 そんなとき、衛宮士郎が駆けつけて言ったのだ。

 一人じゃない。

 泣いている子を見捨てたりなんかしない、と。

 同じだった。

 衛宮士郎は初めからずっと、泣いてる人間に手を差し伸べる、そんな人だったことを、今になって思い出した。

 

「だからな、イリヤ。本当のことを言えばいい」

 

 イリヤを抱き締めてくれていた手も、武器を握るための手もない。それでも、衛宮士郎は何処までも、正義のヒーローのようにイリヤの心を解きほぐす。

 

「お前は、どうしたい?」

 

……なんて意地悪なんだろう。

 ここまで言っておいて、ここまで人の心を引っ掻き回しておいて。

 そんなの、答えは一つしかないではないか。

 

「……て」

 

 言って良いのだろうか、本当に任せて良いのだろうか。そんな不安がないわけではない。

 でも。

 もう嘘なんてつけない。

 自分(わたし)を無視することなんて出来ない。

 

「……たすけて……」

 

 いつまでも一緒にいたい。

 これまでのような日々をずっと、ずっと続けていたい。

 これからもみんなと、この世界で生きていたい。

 だから。

 だから!

 

 

「ーー助けて、お兄ちゃん……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いた。

 確かにその声を、衛宮士郎は聞いた。

 助けて、と。

 ならやることはたった一つだけ。

 

「ああ、助けるよ」

 

 立ち上がって、向き直す。

 敵は最強の英雄王。

 人間であれば勝てるハズもない、一時代を築いた王。

 だが恐れることなかれ。

 

「そして帰ろう、俺達の家に」

 

 泣いている人を助ける。

 たったそれだけのことが、どうして間違っていよう。為すべきことを為せるのならば、衛宮士郎にとってそれは最大の追い風。

 今ここに、絶対遵守の誓いが立てられたなら。

 それを全力で実行するのが、衛宮士郎の生きる道に他ならないーー!

 

「く、くくく……!!」

 

 対して。

 そんな青臭さ溢れる宣言にギルガメッシュは、笑いを隠し切れない。だがそれは嘲りではない。ただ、余りに状況とは似つかわしくないほど真っ直ぐな言葉に、思わず笑ってしまったのか。

 

「この期に及んでまだ、正義の味方か。いやあ、君は筋金入りだね。それでこそ僕も悪役を全う出来るってものさ」

 

 けど、とギルガメッシュは声のトーンを低くする。

 

「その状態で僕に勝てると思っているなら、その認識を改めさせなきゃいけないね」

 

 確かにギルガメッシュの言う通りだ、と士郎は言わずとも思う。

 今の両腕を失った衛宮士郎では、普通の魔術師にすら勝てない。失った片目こそサファイアで補われているが、それもあくまで視覚の補助と治療で手一杯。

 なら、

 

「ルビー」

 

「ハイ?」

 

「お前、俺に魔力を貸してくれないか」

 

「……えぇと、つまり?」

 

「俺と契約してくれ、仮でいい」

 

「ハイ!?」

 

 すっとんきょうな声を挙げるルビー。だが士郎としては至って真面目だ。

 

「サファイアは俺の体の回復と右目のフォローで手一杯だ。手はまだしも、俺には魔力がどうしても足りない。それを頼む」

 

「いやいやいや!? ルビーちゃんは可愛いロリ少女としか契約しませんよ!? 嫌ですよ血みどろリョナ展開なんてぇ!?」

 

「ルビー、お願い。お兄ちゃんに力を貸してあげて。言うこと聞いたら、何でも一つお願い聞くから」

 

「マジすか!!?!?!?」

 

 どひゃあ!、とはね上がって士郎の横までスネークインしてくるマジカルなステッキ。こういうときだけは話が早い奴である。

 

「な、ななななっ、なんでも良いんすか!? あんなこともそんなこともうほほでもぬほほでもむほほでも構わないと!!?!?」

 

「姉さん、公序良俗を弁えてください。あとTPOも」

 

「いいから早く手伝ってあげて!!ほら!!」

 

 わっかりましたー!、と軽く主人から離れるステッキにやはり不安はあるが、ルビーはそのまま少年の肩に降りると。

 

「ではでは、ルビーちゃんチェンジ!」

 

 赤い光が明滅し、両肩を始め首元から背中まで赤い布に覆われる。

 それはアーチャー、エミヤがいつも羽織っていた、あの外套に酷似していた。

 

「今回は特別出血サービスなので、まずは服装からと!」

 

 イリヤのようにステッキを持ってないと、魔力供給を受けられないなら少し厳しかったが、これなら今の士郎でも魔力を受け取りつつ、戦いの邪魔にもならない。

 

「ルビーちゃんちょっとグロ耐性とかはないんで、ハイ。魔力は送るんで、あとはお兄さん死なない程度に頑張ってくださいな」

 

「ああ、わかった」

 

 外套をはためかせ、今度こそこれで準備は整った。

 ギルガメッシュは未だ動かない。奴も分かっている。衛宮士郎に出来ることなどアレしかない。それが出てくるまでは待つというところか。

 だったら見せてやろう。

 士郎は跪き、目を閉じる。

 ただし、それが同じモノ(・・・・)とは限らない。

 

I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)

 

 予備動作は何もなかった。

 一節。 

 ただそれだけで。

 固有結界が発動する(・・・・・・・・)

 

「なに!?」

 

 世界は、数分前と同じノイズまみれで、複数の世界が折り重なったモノだ。

 だがそれは、正しい形ではない。

 複数の世界が折り重なったのはその詠唱が少年の本当の心象を表してはいないから。

 他人の心をさらけ出そうとしていたから、こんな中途半端な世界になった。 

 ならばこそ、今このときに本当の世界を見せる。

 

Steel is my body(血潮は鉄で),and fire is my blood(心は硝子)

 

 詠唱は続く。 

 あり得ざる続き。

 衛宮士郎には無限の剣製しかなく、それ以上のことは何も出来ない。

 だが、それがもう一つあるなら(・・・・・・・・)、話は別。

 

I have created over a thousand blade(幾度の戦場を越えて、不退)

 

 紡ぐ言葉は我が人生。

 これより迎えるであろう、永劫に続く戦いの生涯。

 

Nor aware of bury(今なお続く敗北にうちひしがれ)

 

 それは、敗北の歴史。

 

No one knows the gain(ただ一度の勝利は誰も知らない)

 

 それは、報われることのない勝利への旅。

 

I have regrets.(罪人は一人)

 

 後悔は数えきれず。

 

Withstand pain to wield weapons(連なる墓標に頭を垂れる)

 

 戦い続けるならば。

 剣の世界に、墓は増え続けるだろう。

 無限に広がる剣は、犠牲になった人々を埋葬する墓標そのものであり。

 その墓標は同時に、後悔という剣にもなって、衛宮士郎を刺し貫くのだから。

 

 

「ーーーーNever(それでも)

 

 

……それでも。

 

 

It will never ends as last stardust(未だ、願いは途絶えず)

 

 

 それでも、願い続ける。

 この世界に生きる人々全てが、笑って過ごせますように、と。

 誰もが、根底で願うそんな当たり前な願望を。

 正義の味方は、未来永劫それを為すために奮闘する。

 例え、傷つくのが運命だとしても。

 その願いが、人々から消えないのなら。

 

 

 

My flame life was(燃え上がる魂は)

 

 

 今こそ、その責務を俺は果たそう。

 

 

 

unlimited blade works(無限の剣で出来ていた)

 

 

 

 瞬間。

 雑音が消えた。

 ホワイトアウトした後、世界は一変する。

 暑苦しい煙も、凍えるような冷気も、突き刺すような斜陽も消えている。

 そこにあったのは、夜の草原だった。

 満月と、月と、そして墓標のように……あるいは木々のように佇む、無限の剣。

 穏やかな、ただ死者を悼むためだけに時を徘徊する世界。

 だがこれで終わりじゃない。

 

投影、同調(トレース、トレース)

 

 一瞬だけ、また世界にノイズが走る。

 異変を感じ取った世界が、風を吹かせる。

 そして。

 

 

同調完了(セット)創製/無還収斂(アンリミテッドオーバー)

 

 

 ごぅん……と。

 頭上から、重苦しい音が響き渡った。

 

「……これは……!?」

 

 ルビーが驚きを隠せず、狼狽える。

 だがそれも、無理もない。

 何故なら頭上。星や月よりももっと上、(ソラ)を越えた先に、あの海が凍った無限の剣製が、真っ逆さまの状態で展開されていたからだ。

……無限の剣製の二重展開(・・・・)

 それが、今の彼に、二人の衛宮士郎の協力によって出来た、最大の切り札だった。

 

「固有結界の同時発動、だと……!? たかが人間に、そんな芸当が出来るわけが……!?」

 

 さしものギルガメッシュも、ここまで大それたことが可能だと思わなかったか。

 それも当たり前か。

 固有結界とは本来心の有り様を現した、言わば魂の発露だ。一人に一つが限度であり、一人の人間に二つの固有結界などありえない。

 例え出来たとしても、それはつまり術者の心が二つあるということ。そんな状況になれば、さっきまでの衛宮士郎と同じように魂の所有権を取り合って自滅するのがオチだ。

 

ーーだが。

 

 ここにただ一つ、例外が存在する。

 

ーーあなたの固有結界はその起源に起因してるみたいだけど。あなたの起源ってなんかパッとしないのよね。成長期っていうか。

 

 あれはこの世界に来る前。

 凛が魔術の師匠を本格的に務めるに辺り、その起源を調べたときのこと。

 士郎は自分の起源が剣であることは最初から分かっていた。何せ無限の剣を内包する世界を作るのだから。しかしそれが、外的要因によって書き換えられたモノだと誰が分かろう。

 十一年前、セイバーの鞘を埋め込まれたことにより瀕死の衛宮士郎は助かった。

 だが、同時にその起源も侵食されたのだ。

 剣という、一つの属性に。

 ならば。

 一体最初はどんな起源だったのか?

 それがこの答えだ。

 唯一、起源を剣としなかった男。

 この世界のエミヤシロウの起源によって、固有結界の同時展開を可能とした。

 その起源は、鞘。

 誰かを切り結ぶための刃ではなく。

 誰かを守るために、その剣を受け入れ、守る、外壁。

 その起源によって固有結界という武器を、世界という鞘に内包させた。

 収斂は理想の証なれば。

 この世界こそ、衛宮士郎の目指した力だ。

 

「……綺麗」

 

 背後に座り込んでいたイリヤが、ほう、と息を吐く。

 確かにこの光景は、幻想的とも言えた。降り注ぐ寒波は小さな雪の欠片となり、月の光を反射させて草原に落ちていく。降り積もることもなく、かといって空中には確かにその雪は存在している。

 世界の広大さに、圧倒される。

 本来なら固有結界内に連れてくるべきではないのだろうが、それでも士郎はほっとけなかったし、何よりもう離れたくなんてなかった。

 なに、心配はない。

 例え誰が相手であっても、衛宮士郎は負ける気がしない。

 後ろには守るべき女の子がいて。

 前には倒すべき相手がいる。

 なんていう幸運。これ以上ないまでにはっきりと、誰かの味方になれるのだから。

 

「はっ……はははは!! いいぞ正義の味方! これほどか、君達(・・)の執念とやらは!!」

 

 そして英雄王も、自身の役割をきちんと把握しているようだった。

 

「いいよ? 裁定するさ。今一度ここに問おう、君の正義が正しいのか。この英雄王が!!」

 

「正しいかどうかは知ったことじゃない。ただ、アンタは倒させてもらう。この世界を守るために」

 

 片や、全てを手に入れたが故に正義などないと豪語する英雄王。

 片や、正義の味方を自称して、今際の際すら他人のためにあり続ける少年。

 

「この戦いを制した者が、この世界の在り方を決める、か。さあ、それじゃあ最後の審判をいざ始めようじゃないか!!」

 

 衛宮士郎の体が、舞い落ちた雪によって溶かされるように、その髪と肌が変わっていく。いや、戻ると言った方が正しいか。呪いに覆われた赤黒い体ではなく、いつもの赤銅色の少年だ。

 それも一つの幻想。

 現実ではない隔世だからこそ、心の世界であるここでは少年もあるべき姿へ戻っているのだ。

 

 

「ああ、始めよう。これが、最後だ」

 

 

 例えその先に何が待とうと。

 抱き締める手は既に切り落とされていようと。

 ここに、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夢の片隅で、キミと泣いた最後の日

 めぎめぎめぎめぎ!!、と。

 恐ろしいまで骨格に負荷をかけるような音は、衛宮士郎にはサイレンのように聞こえた。

 頭上。完璧に復元された巨人は、高層ビルよりも太く長い腕を、歓喜に震わせる。

 そう、歓喜だ。

 かつて数多の強者を屠り、その栄光を当然としてきた英雄王ギルガメッシュ。そのギルガメッシュがこれほど力を出した上で、なお生き残った相手は数えるほどしかないだろう。それはギルガメッシュが大英雄を凌ぐ力を有したことの結果だ。

 だが、エアを持ち出して生き残った。

 千年に一度、あるかないかの死力を尽くした戦。

 いくら今は子供と言えど、男である以上ここまで戦えるならばギルガメッシュが昂るのも無理はなかった。

 熱を帯びる体、心臓はようやく高鳴り、沸騰する血が泥に包まれた肉体を駆け回る。

 故に。

 ギルガメッシュは初手から、全力を尽くす。

 財宝ではなく、己の体を使ってその洗礼を受けさせる。

 

「なるほどな」

 

 呟いて、衛宮士郎はそれを見据える。

 袖の通らない外套を、気ままに羽ばたかせて。背後にはギルガメッシュの巨腕に怯えているのか、イリヤがその威容な光景にへたり込んでいた。

 

「最初から手加減とかなさそうだな。流石に慢心とかは期待出来ない、か」

 

「ね、ねえ! 大丈夫なのお兄ちゃん!? あんなスタジアムみたいな腕、落っこちてきたら……!!」

 

「心配するな」

 

「心配するなって言われても……!」

 

「ま、普通なら風圧だけで人間なんて巻き上がって、そのまま天国まで真っ逆さまでしょうねえ。今のイリヤさんならその風圧だけで大気圏までぶっ飛びそうなのがまた」

 

「あれ!? 今すっごい不吉なこと言わなかったねえちょっと!?」

 

 いやあ、とルビーは外套に変化したまま、

 

「今のルビーちゃんは士郎さんの魔力電池みたいなものなんで、ハイ。イリヤさんのフォローは全く出来ないというか。でも大丈夫ですよイリヤさん、何とかなりますって! ほら、こう、魔法少女はそんな惨たらしくは死にゃあしませんってば!」

 

「最近の魔法少女は惨たらしく死ぬからね!? むしろ率先してそんな風にされてるからね!?」

 

 そういやちょっと前にリズが徹夜して観てたアニメがそんな感じだった、とイリヤは思い出す。何か下手なアニメより殺伐としていて、共に観ていたイリヤはびくついたものだ。

 とにかく、確かにイリヤの言う通り、この状況はかなり拙い。

 まず単純に、あの腕を防ぐ方法が衛宮士郎にはない。どれだけ固有結界や投影を使おうと、衛宮士郎の肉体は人間のまま。今は常人より遥かに頑強で回復力も桁外れだが、それでもあの巨人には一歩及ばない。よってアレを受け止めることも、避けることもままならない。

 そして何より衛宮士郎がやり過ごしたとしても、イリヤまで守る術がない。仮にやり過ごせても、そこから先イリヤを守りながら衛宮士郎は戦えるか。

 相手はあのギルガメッシュ。その気になれば再度イリヤを奪い、取り込むことだって出来る。

……無論、当の本人だってそんなこと最初から分かりきっていた。

 

「ああ。このままなら死ぬだろうな、みんなまとめて」

 

 だが。

 それはあくまで、彼が一人のときのみの話。

 今の衛宮士郎にそんな前時代的な理屈は通用しない。

 

 

「来いよ王様、先手は譲ってやる(・・・・・・・・。)

 

 

 故に。

 挑発する。

 首を後ろに振ったその仕草はまるで、ドライブに友人を誘うような気軽さだった。

 イリヤは表情を凍りつかせ、そして状況は決定的に動いた。

 

「……なら、遠慮なく」

 

 躊躇う素振りすらなかった。

 ギルガメッシュは片腕を草原について体を固定。そして、振りかぶった拳を虫のような不届き者向け、全力の一撃が落雷のように空を駆けて地に席巻する。

 瞬間。

 ビッシャアッ!!!!、と鼓膜が潰れかねないほどの大音響。遅れて、暴風。衝撃という名の暴風は草原を揺れさせるどころか、地盤ごと沈下させ、半径百メートルに亀裂が走り、夜空をぶるりと震わせると、雲が真っ二つに割れた。

 ともすれば世界そのものが耐えきれない一撃。

 しかし、

 

「……へえ」

 

 拮抗していた、何かが。

 にわかには信じがたい光景。

 受け止めていたのだ、あの一撃を。

 人でも、ましてや英霊であっても絶命するであろう一撃。

 しかし防いでいた。

 何重にも連なるのは鞘走りにも似た音ーー否、あの巨大な腕を、銀に光る剣の群れが真っ向から押し留めている音だった。

 ギルガメッシュの腕が泥の腕だとするなら、それは剣の腕だった。太さ、長さ、どれを取っても同一。指の感覚まで瓜二つだ。草原に墓標のように刺さっていた剣が重なり、相殺する。

 言葉にすれば簡単だ。

 しかしその数、尋常ではない。千、いや万か? あのスタジアム何個分もの質量がある超巨大な腕と同じ質量をコピーするなんて、普通の人間なら操り切れない。それこそまた脳の一つや二つ、潰れでもしないと。

 が、今の衛宮士郎は少し事情が違う。

 無限の剣製の二重展開。

 それは単純に二倍になるなんて安直なメリットではない。

 それはつまりもう一つ、新たな世界を携えることと同義なのだから。

 

「……凄い」

 

「だから言ったろ、心配するなって」

 

 まるでそよ風を身に受けているように、士郎は答える。

 

「なら、これでどう、かな?」

 

 勿論ギルガメッシュとて、今のは挨拶代わり。それを凌いだところで何ら動じない。

 ここからが本番だ。

 姿勢を固定していたもう片方の腕も加え、巨人は前のめりになって両腕を上から下に炸裂させる。

 最早海すら別つだろう二振りの腕は、単発では済まない。バランスを取るように両拳を何度も振り下ろす。機関銃じみた乱打は、都市一つを容易く破壊するほどの苛烈な戦争兵器だ。

 死者を悼む草原などひとたまりもない。草根を掘り起こして埋めるかのような攻撃。

 しかし。

 

「……、ははッ……!! ここまでとは……!!」

 

 ギルガメッシュが喉を震わせる。

 そう。

 草は舞えど、草原は形を残している。

 それもそのハズ。衛宮士郎が同じように、作り出した一対の剣腕で、巨人の拳を捌いていたからだ。

 やってることは最初から変わらない。

 相手の攻撃に使われる武具を先読みして、世界にあらかじて投影されていたそれを叩きつけ、押し返す。

 今回も同じ。

 だが、その規模が今回は余りに規格外だ。

 単純な物量の押し付け合い。

 なのにその様は、怪獣映画に出てくるような怪獣同士の共食いに近かった。

 剣は砕けている。秒間で失せる数は千を上回るかもしれない。

 しかしこの世にある剣は無限。ならば千などはした数であり、この結果は必然だった。

 

「……本当に。君って奴は、何処までも腹立たしい存在だ、全く!!」

 

「だろうな。俺もいい加減、アンタのそんな言動は聞き飽きたよ。こっちは最初(ハナ)っからアンタの裁定なんてクソ食らえだってんだ」

 

「言ってくれるね」

 

「上から目線で言っといて、何を今更」

 

 ギャリィ!!!、と大きく両者の腕が弾かれる。剣の破片は雪と溶けて、世界に降り注いでいく。

 一拍。

 その間に衛宮士郎は、背後の家族へ告げた。

 

「そこから一歩も動かないでくれ、イリヤ。動けば命の保証が出来ない。だから」

 

「うん、わかってる……気を付けてね、お兄ちゃん」

 

「おう」

 

 それが、最後のボーダーラインだった。

 士郎が一度だけ、軽く微笑む。

 瞬間、衛宮士郎の全方位の空間が揺らいだ。

 王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)

 英雄王が持つ財の全てを、この現世に顕現させる宝具。

 それだけならまだ、悠々と切り抜けられただろう。

 しかしそれに先と同じようにあの巨人の腕と、プラスして別に王の財宝が酸性雨のように襲い掛かってくる。

 ただでさえ士郎には今腕がないのだ。そこにこの逃げ場を無くすどころか同士討ちすら構わぬ怒濤の連撃。いくら今の士郎でも、限度がある。少なくともこの周囲の王の財宝にまで無限の剣製で迎撃するにはどうしても間に合わない。

 

「また力押しか。アンタも馬鹿の一つ覚えだな」

 

 間に合わない、なら?

 

 

「まあーー人のこと、言えないけどさ」

 

 

 (からだ)で、対抗するしかない。

 王の財宝が衛宮士郎の全身を貫く刹那。

 二本の剣が、宙を切り裂いた。

 弾かれ、草原に落ちていく財の数々。その凶刃から衛宮士郎を守ったのは、彼がよく使う夫婦剣こと干将莫耶、そのオーバーエッジ形態だった。

 しかし、可笑しい点が一つだけある。

 それは干将莫耶が外套の下ーーつまり衛宮士郎の肩辺りから、突き破って飛び出していて。

 刀身が返り血に染まっていた(・・・・・・・・)ことだ。

 

「……無茶をする」

 

 巨人が動きを止める。

 

「肩から剣を生やして(・・・・)、どうにかなるレベルじゃないんだけどなあ」

 

「えっ……!?」

 

 ギルガメッシュの考察に、イリヤが驚きの声を上げる。

 無限の剣製は間に合わない。しかし腕がない以上、剣は握れない。ならば、剣を肩に直接刺して振れば(・・・・・・)いい。

 衛宮士郎の考えはつまりこういうことだ。

 傷口と剣を同化させて剣を突き立てれば腕が無かろうと、とりあえず剣は握られる。

 

「ったく……いくら回復出来るとはいえ、痛覚は残ってますし、何より内側から突き破る異物感とか、色々障害はあるもんですが……気合いで全部乗り越えるとか、お兄さんも大概ですよ全く」

 

 うるさいな、とルビーの小言にぼやく士郎。だがやはりその顔は少し引きつり、脂汗にも似た汗が噴き出していた。

 とはいえ、流石に無傷で捌き切ったわけじゃない。無数の切り傷はある。つまりそれだけしたって、一度のミスで死ぬ可能性は十分ある。

 だが、

 

「少なくとも押し通せる……!」

 

 再び起こる財宝の乱舞。しかし衛宮士郎は対応する。一つ一つ、馬鹿正直に、何度も肩の剣が生え変わっていく。それはさながら、鮫の歯のようだった。

 やることはいつ、何時も変わらない。

 この英雄王が相手であれば、衛宮士郎の戦法はひたすら変わらない。

 そして、今それを押し返せるなら。

 攻勢に出るのも簡単だ。

 

「ッ……!」

 

 ばさ、と外套が音を立て、衛宮士郎は駆ける。一対の翼を広げた烏のように、草原を疾駆する。

 

「痴れ者が!!」

 

 対し、ギルガメッシュは怒声を放った。

 すると、ぐばぁ!!、と周囲の空間が裂ける。草原に敷き詰められた砲門の総数、何と三千。まるで一ミリも隙間のない矢衾の矢が、全てミサイルにでもなったかのような、黄金の悪夢。

 

「その程度で我の財を御せたなどと、思い上がりも甚だしいぞ、正義の味方!!」

 

 発射なんて上品なモノではなかった。

 ただすり潰すことだけしか考えていない、無差別爆撃。しかも三千の砲門は一回だけに止まらず続いて第二、第三と財宝を惜しみ無く投入する。

 今度こそ、草原は形を無くした。

 根ごと引き剥がされ、土塊が盛り上がって地鳴りが断続する。その間も上空では巨人の腕による制圧は欠かさない。ギルガメッシュに一切の手加減はない。

 だが。

 

「、らぁッ!!」

 

 抜ける。

 立て続けに起こる死の境界線を、衛宮士郎は乗り越える。

 それはあり得ない光景だった。

 いくら剣があっても、これだけの財宝を衛宮士郎一人では全て捌けない。一番薄い層でも人の肉体を針山と化すだろう。

 しかし、何も全て捌く必要なんてない。

 例えば三千の財宝による一斉放射……と言えば、さぞ死を覚悟してしまいそうだが、その実たった二百メートル四方にそれだけの数が殺到すれば、満員電車のように押しくらまんじゅうになるだろう。

 衛宮士郎に必要なのは、人一人が通り抜けられる安全地帯だ。

 とすれば、一ヶ所を爆発させて、財宝同士の軌道を少しでもずらせば、あとは自動的に一人分の安全地帯を確立出来る。

 しかし、問題があるとすれば、それでもなお、致命傷は避けられない(・・・・・・・・・・)ということ。

 

「ハッ……、!?」

 

 剣を振った衛宮士郎の体が、ぐらりと傾いた。芯が通っていなかったのだろう。音速直前にまで加速していた体は、二回三回地を転がり、そして立て直す。

 

「ルビー!」

 

「わぁってますよ! サファイアちゃん! リジェネばんばんかけちゃってください! この人そうしないとまーたあのサイコホラーみたいな体になっちゃいますよこれ!」

 

「はい、姉さん! 士郎様! 我々が全力でサポートします、だから!!」

 

「ああ! 絶対助け出す、みんなを!!」

 

 砕けた刃が肩からずり落ちて、新しい剣が生える。湿った音は傷口を抉る音か。額に見える僅かな傷すら、煙を浮かばせて治り、代わりに魔術回路が励起する。

 血潮を蒸発させるかのような、魔力の乱回転。サーキットは既に臨界を超え、その先の領域を目指さんと洗練されていく。

 

「うおおおおおおおおおおお!!」

 

「な、に……!?」

 

 止まることなどなかった。

 あれだけ遠かった巨人の胸部へ、衛宮士郎は一息で辿り着く。

 驚愕する英雄王。がそれも一瞬。猛り、巨人の腕で自身が潰れるのも厭わず、その巨腕で振るい落とす。

 しかし遅い。

 たちまち、大蛇のごとく絡まった無数の剣が、巨人そのものを拘束した。ガチガチガチガチィ!!、とまるでトラバサミのようなそれに乗じて、衛宮士郎はギルガメッシュの目前まで迫る。

 届く。

 そう思ったときだった。

 

「よかろう……なら、(オレ)自ら手を下すまで!!」

 

 それはまさに、青天の霹靂とも言うべきか。

 泥の玉座に埋まっていたギルガメッシュが、そこから飛んだのだ(・・・・・)

 剣を振るおうと跳躍していた衛宮士郎に、避ける術はない。

 ぶつかり、二人は全長五百メートルものフリーフォールを開始した。

 

「、ちくしょう!!」

 

「ハハハ、残念だったな正義の味方!! 貴様にくれてやるものは敗北のみに決まっておろうが!!」 

 

 悪態をつく衛宮士郎の眼前には、あの子供だったギルガメッシュは居ない。

 居たのは、士郎と同程度まで成長したギルガメッシュ。ただし黄金の鎧はなく、自身の鍛え抜かれた上半身をさらけ出していた。つまり、先より苛烈で、それでいて慢心などしない本物の英雄王である。

 その成長は宝具によるものか、それとも泥に蓄えた吐き気がするほどの魔力によるものか、それは分からない。しかし分かるのは、目の前に居る英雄はまさしく聖杯戦争に召喚されていたサーヴァントと同一のスペックを持っているということ。

 落下するのも惜しいと、宝物庫から、あるいは肩口から剣を取り出して、

 

「そら!!」

 

「、おぉっ!!」

 

 両者、渾身の一閃。

 鍔迫り合いにすらならなかった。

 ただ筋力によって、剣を折られた衛宮士郎へ、がら空きになった腹に回し蹴りが突き刺さった。

 

「が、ぁ、!?」

 

 くの字に折れた体は、真下に飛び、草原へと叩きつけられる。直前、無意識に投影していたマットに落下した。

 

「えぉ、げ、ぼぉ、……!?」

 

「そう喚くな、見苦しいぞ衛宮士郎」

 

 いかなる宝具を使ったのか、ギルガメッシュはふわりと地に足をつける。

 軽口を言いたくても、呼吸をするだけで肋骨辺りが軋んだ。ヒビが入ったどころじゃない、また折れたか粉々になったか。今はカレイドステッキによって回復するが、たった一度の蹴りでここまで。

 まさしく、一級のサーヴァントだった。士郎自身も忘れていた。かの英雄王は宝具だけではない。そのステータスすら、セイバーに匹敵するかもしれないのだとーー!

 

「斬り合いなど、王のすることではないがな」

 

 そう語るギルガメッシュは、全身から魔力とはまた違った、しかし他者をひれ伏せさせるようなオーラを纏っていた。

 

「ましてやこの我がお前のような雑種と、同じように汗水垂らして剣を振るうなど、馬鹿馬鹿しくてやってられん。が、全力をもってと言った以上、(オレ)が玉座に座ったままでは全力とは言えまい?」

 

……相変わらず傲慢の権化のような物言いに、流石の士郎も白目になりかける。

 

「……つまり、王様もこの野蛮な斬り合いとやらに興味がおありで?」

 

「ふん、たまの気紛れだ。好きに取ればいい。なに、こんな気まぐれは今生では一度だろうよ。喜べ、雑種。この(オレ)手ずから首を落とす名誉をやろう」

 

 ず、とギルガメッシュが財宝から取り出したのは斧だった。黄金で出来た、片刃の大斧。

 

「ごめん被るな、そんなもんは」

 

 咳き込みながら、士郎も構えた。

 巨人同士の戦いを背後に、戦いは単なる剣戟へと移行する。

 無論、彼ら流のやり方で。

 構えた切っ先は優に千を越えた。

 それはまるで、砲弾飛び交う戦場であって、斬り合いをすることと同じ。

 矛盾した光景の中、

 

「さあ。死に物狂いで来るがいい、正義の味方!!」

 

「そっちこそ。慢心なんて捨ててこいよ、英雄王!!」

 

 二人を中心に展開される真作と贋作。

 獰猛な笑みと共に、両雄は誇りと矜持をかけて、再度激突する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、現実世界。

 

「……ぅ、……ぐ」

 

 深山町の一角。

 半壊した家屋から、アイリスフィールが命からがら這い出ようともがいていた。

 半壊した家屋の名は、衛宮。つまり愛する我が家である。

 下半身が何か大きなものに挟まっているのか、身動きが取れない。今のアイリでは、それを確認する気力も、体力も、残っていなかった。

 たった数時間前まで、愛する家族と思い出を沢山刻んできた場所。それが今では、アイリスフィールの命すら脅かす瓦礫へと化している。

 ことは美遊が居なくなったことに気付き、探そうと外に出たときだった。

 アイリスフィールを待ち受けていたのは、聖杯の泥に飲み込まれた深山町だった。

 冥土とは、まさにこのことか。

 神をも殺しかねない呪いに、人の歴史は抗えない。衛宮家も泥にずぶずぶと溶かされ、内部から燃えていく。このままでは美遊を探すどころの騒ぎではなかった。

 そうしてセラやリズを伴い、今後どうするか相談しようとしたときだった。

 新都が赤く光り、その光は一直線に冬木市をぐるりと横断した。

 さながら、巨大な鳥が、地滑りしたかのような光景だった。優に一キロは超える光の横断は、深山町に届いてなお荒れ狂い、後方の円蔵山までも抉る。

 アイリスフィールは知らない。

 それが宝具ーー英霊のシンボルたる概念の昇華であり、人知を超えた力の発現。歴史を変える楔だった。

 そして、全てが別たれた。

 

「……ぅ、……!?」

 

 アイリスフィールの目に入ってきたのは、戦場の跡だった。

 深山町はまるごと宝具に飲み込まれ、軒並み建物や電柱、街路樹など、とにかく立っていたモノ全てが薙ぎ倒されていた。辺りに飛び散っていた聖杯の泥も、息絶える間際の虫のように砕片に染み込んでいく。

 終わっていた、どうしようもなく。

 あれだけ目の前に転がっていた幸せが、こんなにも容易く、砕かれた。

 悔しくて、涙が出る。

 

「ぅ、あ、あああ……ッ!!」

 

 髪の毛を振り乱す。

 どれだけ、どれだけあの人がーー衛宮切嗣が、苦しんで、この場所を選んだと思っている。

 平凡な暮らし、平凡な家族。それを守りたいと願っていても、結局血みどろの手段に頼るしかなく、世界を飛び回り続けた男が、ようやく掴んだ幸せを。

 毎晩毎晩、子供のように過去の犠牲に怯えて、間違ってなんかいないと、幸せになっていいのだと、子守唄のように言い聞かせて眠る彼が築いたこの光景を。

 

「守れ、なかった……!!」

 

 こんな、こんな一瞬で壊されてしまった。

 跡形もなく。

 意味もなく。

 それが、アイリには耐えられない。

 耐えられなくて、不甲斐ない。

 新都からあの嵐が来たなら、そこに向かっていた切嗣は無事なのか? 子供達は? 無機物だけではなく、人だって大勢死んだだろう。だとしたらもう既に、本当の意味で、アイリが守らなければならなかったモノは全て死んでいるのかもしれない。

 けど。

 だけど。

 

「……負ける、もんですか……」

 

 発起する。

 こんなモノで勝手に決めつけて、現実に負けるなと、自分を鼓舞する。

 まだ何も分かってなどいない。

 誰かの死体を見たわけでも、誰かがもう事切れてしまったわけではない。

 

「諦めて、たまるもんですか……!」

 

 見た景色が全てだとしても。

……アイリスフィール・フォン・アインツベルンが、とっくに死んでいたとしても。

 それでも、まだ手を伸ばせる。

 まやかしなどではない。

 箱庭の世界であっても、確かにこの世界でアイリスフィールは勝ち取ったのだ。

 選んで、選ばなかった結末が、この世界なのだ。

 ならアイリに諦めるなんて選択肢はない。

 何故なら。

 

「守るって、誓ったんだから……!!」

 

「ならさっさと、そんなところ出たら良いのでは?」

 

 呆れ半分、見下し半分の声は斜め前。新都方面から聞こえてきた。声の主は手に持っていたマフラーに近い赤い織物で、アイリスフィールを押し潰そうとしていた家屋の成れの果てを撤去していく。さながら器械体操のリボンのように、弧を描いたそれは、実に鮮やかにアイリスフィールを解放した。

 下半身に異常はない。不幸中の幸いか、挟まっていたおかげで、擦り剥き程度で済んだようだ。

 それは修道女だった。ただ、いささか修道女にしては、こう、色々扇情的過ぎた。腰にあるべきスカートがひっぺがされ、丸見えなのである。なのに堂々としている辺り、それが正しい正装なのだろう。

 アイリは一応(かなり嫌々ながら)、礼を述べる。

 

「……ありがとう、助かったわ。まさかあなたに助けられるなんてね」

 

 修道女ーーカレン・オルテンシアは、聖骸布を側に待機させ、

 

「困ったときはお互い様でしょう。隣人の善意を疑うモノではありませんよ、アイリスフィール」

 

「……隣人どころか、ここからあなたの教会まで町一個分離れてなかった?」

 

 いえ、と相変わらず無表情なまま、カレンは答えた。

 

「精神的な話ですよ。私は修道女。祈りを捧げる敬虔な信者の危機とあっては、ええ。カナリアを気取っているつもりはありませんから」

 

……その割には、来るのが遅かったと思うが。そもそも信者じゃないし。アイリはそれを口にせず、

 

「で、どうしてあなたが? 傍観者であることを辞めると言っても、あなた、戦いは不得手なんじゃ?」

 

「ええ、まあ。しかし先も言った通り、私は修道女ですので。手助けくらいは出来るでしょう。町がこうなった今、あなたがやるべきことは一つでは?」

 

 言われなくても。

 遠方。向かうは今も稲光に似た光が迸る、新都。

 間に合うかどうか。

 それはまさに、神のみぞ知ることなのだろうか。

 

「では使用人の二人も助けましょう。あんなところにあなたと二人で行ったところで死ぬだけですし。肉壁は多ければ多いほどいいですからね」

 

 助けてもらった手前、なんだが。

 とりあえず衛宮さん流針金拳骨を二回くらい落とす、アイリママなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斜め前。左下。下部に僅かな安全地帯。滑り込んで前宙して回避、返し刀で迫る弾頭を弾く。

 失敗。五メートル先で英雄王の凶刃。肩口に原罪(メロダック)を装備。接触までの二秒で四十パーセントの憑依経験を済ませ、衝突。

 防御に成功。

 

「ちィっ!!」

 

「、はっ!!」

 

 つばぜり合いになどならない。

 そんなことは分かっている。

 折れてもいい。振り抜く。真っ正面から刃を交えるしかない。超至近距離で剣が飛び交う戦場が展開されてる以上、道は一つしかない。

 一刀を振り下ろす度、折れて、肩から激痛が走る。痛みなんて慣れなかった。理性なんてとっくにはち切れて、ハイになった脳は異常なほど熱を帯びていた。

 来る。三百六十度に配置された王の財宝。

 

「チッ、小細工などしおって!!」

 

「フェイント織り交ぜといてよく言いやがる……!!」

 

 血を痰と共に吐き捨て、接近。英雄王の黄金の門の幾つかはフェイクだが、かと言って無視するわけにもいかない。都合五百。同時に伸びる魔の手を、残らず倉庫へ叩き返す。

 が。

 ビギィッ!!!!!、と奥の奥から凄まじい頭痛が迸る。

 

「ず、……ッ!?!?」

 

「士郎さん!?」

 

 歯車が噛み合わない。

 脳から送られた信号が途切れて、一瞬命そのもののブレーカーが落ちる。だがそのために、ルビーとサファイアが居た。

 復旧は一秒にも満たなかっただろう。

 だが、それだけで衛宮士郎の体には八本の剣が突き刺さる。

 

「ぐ、ぅ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!」

 

「ぬ!?」

 

 堪える。

 勢いも痛みも、両足に剣を刺せばそれで殺せる。足の痛みを差し込んで、全身に刺さった剣の存在を脳から弾き出す。

 足の剣を両肩で抜き取る(・・・・)と、銀十字に閃いた。

 鮮血は、英雄王の脇腹から。

 薄皮一枚ではない。さらけ出した腹部には、十字に斬られた痕がありありと残っており、血が垂れていた。

 何か異変を感じ取ったか。ギルガメッシュは即座に距離を離す。

 

「づ、……はっ、はぁ……」

 

 口で体に刺さった剣を噛み、無理矢理引き抜いた。鉄の味が果たして財宝か、それとも血の味なのか、今の俺には分からない。

……ここに来て。俺とギルガメッシュの力は奇しくも拮抗していた。

 勘違いしないでほしいのは、大前提として、俺なんかが英霊、ましてや半神であるギルガメッシュにステータス、宝具において勝てるわけがない。恐らく無限の剣製を展開したところで、その固有結界ごと押し返されるだろう。

 ただギルガメッシュの王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)は、無限の剣製の二重展開によって完璧にアドバンテージを無くした。

 そしてギルガメッシュから分離した泥の巨人も、同時に無限の剣製で押さえ込んでいる。

 そうなれば、あとは個人の話になってくる。しかしその点で言っても、ギルガメッシュは衛宮士郎を優に上回ることはまず間違いない。だからこそ奴自ら剣を取り、斬り合っているのだ。

 だが、そこが唯一ギルガメッシュの計算外になる。

 

「……何故だ……!!」

 

 呻く。

 王としての余裕など欠片もない。贋作を次々と塵芥へと変えながらも、その顔は強張る一方だ。

 

「何故、押し通せん!? 何故打ち勝てん!? 雑種の何処に、こんな力があるというのだ……!?」

 

……それが奴の予想外の出来事だった。

 単純な剣戟。恐らく十合と持たずこの身を八つ裂きに出来たハズの戦い。

 ただ、ギルガメッシュは時間を掛けすぎた。

 無限の剣製が云々の話ではない。

 奴は気づいていない。俺の剣製がこの戦いで飛躍的に精度が上がったことに。その中で、俺の経験値も膨れ上がっていたことに。

 砕ける音で自覚する。

 完璧ではない。

 まだ足りないと。

 一刀一刀が破砕する度、一刀一刀が洗練されていく。

 鑑定、想定、複製、模倣、共感、再現。

 それを繰り返す度に、足りないモノは補強されていく。剣戟が続けば続くほど差が縮まるのは、奇跡でもなんでもない。ただ衛宮士郎という人間が、加速度的に成長しているだけのこと。

 それを起こしたのはあり得ざる二つの固有結界。

 誰かを守ろうとした二人の男の忘れ形見。

 それが今、やっと、花開いた。

 大切な人達を、一人残らず守り切る。

 誰もが願った奇跡を叶えるために、俺は俺自身と力を合わせて、最強の敵を打倒するーー!!

 

「お、のれェ……!!」

 

「どうした、英雄王? 玉座から降りてもこれか?」

 

 奴の手から処刑鎌を弾くと、内側から更に新しい剣を生み出して肉薄する。

 

「だとしたらーー拍子抜けも良いとこだよ、アンタ!!」

 

「……言ってくれるわ、贋作者(フェイカー)が!!」

 

 チリ、と後頭部に火花が散るような感覚。

 気配は真上。即座に大きく飛び退くと、俺の身の丈ほどある大剣が地面を抉り、烈風が吹き荒ぶ。

 ギルガメッシュも接近戦では不利と悟り、後方に下がっていた。

 

「逃がすか!!」

 

 距離は、二百五十メートル。

 今の俺なら、一息で辿り着ける距離。

 だん、と踏み込む。

 目の前に展開される財宝は把握している。奴の癖、好む宝具の種類、弾の軌道。その全てが今嵌まった。

 故に。

 全力で、その全てを走り抜ける。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

 あるときは弾き、あるときは回避し、あるときは隙間を抜け、あるときは飛び越える。最短、最小の消耗で、英雄王の包囲網を潜り抜けていく。

 贋作は砕けず、真作も砕けない。

 本物と偽物の差は単に、どちらが早く生まれ、どちらが真似たかというだけ。

 ともすれば、完璧な贋作に至るなら、ゼロへは還らない。

 無意味になどなりはしない。

 真名解放がないのなら。

 今この世界においてのみ、ついに真贋の差は無くなったのだーー!!

 

「こうも容易く抜けるか……! ならば!!」

 

 だが、流石と言うべきか。

 それ(・・)は、予想出来なかった。

 

 

「満たせ、ニヌルタ(・・・・)!!」

 

 

 開かれた黄金の門は、これまでで一番巨大であり、何より広かった。

 大体百メートルほど。横に展開されたそれを、ギルガメッシュが追い抜いた瞬間に、それは中から出てきた。

 ザバァ!!!!、と門から噴出したのは、海水(・・)だった。いやこの場合海水というより、洪水だろうか。固有結界そのものを満たさんと、大波が壁となって迫ってくる。

 剣などの人為的な恐怖とは別種の、もっと純粋な恐怖。それは生物として刷り込まれた、根源的な自然への恐怖そのもの。生物では抗えぬ、まさに神話の文明を洗い流す大洪水伝説(ウトナピシュティム)の顕現。

 

「ノアの方舟、その原典となり得るエンリルの洪水よ! 貴様にこれを超えられるか、衛宮士郎!!!」

 

「士郎さんこれ不味いですって!? あの金ぴか、普通に神霊どころか最高神クラスの宝具出してきやがりましたよ!?」

 

 ルビーの言う通り。

 エンリルと言えば古き神の時代、神々の王がマルドゥークではない頃の神々の王であり、シュメールとアッカドにおける最高権力者である。

 しかし、流石の金ぴかもそこまでデタラメではないだろう。ニヌルタ、いやニンギルス辺りだろうか。確か洪水のように都市を破壊する戦の神で、その武器が洪水……だった、ような。

 問題はそんなことではなく、

 

「イリヤを巻き込む……!!」

 

 この洪水を消し飛ばさなければ、背後で礼装どころか魔術の心得すらないイリヤまで押し流される。この海流に呑まれれば、成人した男でも一分と持たず溺死するだろう。何せ真エーテルが大量に含まれているのだ、古代ですら人間には猛毒であるとそれは現代の人間にとって、毒沼と何ら変わらない。

 

「一発の火力でアレは対処出来ません! 蒸発させるにしても、士郎さんの型落ちした投影では限度があります! 一番確実なのは剣で防波堤を作ることですが……!!」

 

「こちとら真横で巨人も相手取ってるんだ、定員オーバーだよとっくに!!」

 

 考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ!!

 無限の剣製内からランクの高い宝具を選別、検索する。

 約束された勝利の剣、千山斬り拓く翠の地平、疑似再現(シミュレート)ーー失敗。神装兵器を完璧に投影しても、劣化は免れず洪水は吹き飛ばせない。例え一メートルでも残り、イリヤに接触すれば死は免れず。

 無限の剣製内でこの洪水を突破する宝具は登録されていない、ならば別の方法を探す。

 威力に頼らない、しかし完全無欠に洪水を消し飛ばす方法ーーーー。

 

「……!」

 

 見つけた。

 

投影(トレース)重奏(フラクタル)……!!」

 

 右肩を洪水へ差し出す。形成される刃は全てで九つ。百八十度、等間隔で扇を開くように配置されたのは八つの水晶と、肩から伸びる九つ目の刃。

 

「ーーーー後より出て先に断つ者(アンサラー)

 

 祝詞により、全ての水晶に稲妻が走る。転じ、姿を現したのは逆光剣。

 この世界を満たそうとするのは神威そのものだ。とすれば、それを攻略出来得るのは同じく神業であり、世の理を飛び越えて因果を正すしか道はない。

 弾丸は九発。時空を駆ける九つの剣は、時計の針を九度戻し、その因果を絶対不変の未来(ルート)へと書き換える。

 

 

「ーーーー是、斬り抉る戦神の剣(フラガラックブレイドワークス)!!」

 

 

 拡散した逆光剣が、光を越え、時を越える。因果を辿り、神そのものを刺し穿つ。

 結果は速やかに出た。

 エンリルの洪水が、消える。

 九つの逆光剣は全て、因果の果てへと消えた。一振りだけで消えるか不安だったので九つも放ったが、まさか全て使わされるとは。劣化した投影とはいえ、やはりあの洪水は驚異的な因果強度を誇っていたらしい。

 だが、それで終わりではない。

 九回心臓を穿たれたハズの英雄王が、あのエア(・・)を握り締め、こちらへ接近してくるーー!!

 

「見事だ、正義の味方。あの洪水すら乗り越えるとは大したモノよーーだが!!」

 

 血を吐き、心臓をくまなく絶たれながら。しかし奴は苦悶の声すらあげない。むしろ笑い、歓び、何処までも尊大に英雄王は至宝の財を投じる。

 

「ーー原初の地獄は斬り伏せられるか、雑種!!」

 

 ギュワァ!!!!、と奴の手元が赤く逆巻いた。

 エアの風。十分前に俺の固有結界を跡形もなく切り裂き、冬木市をも壊滅させた絶死の嵐。

 エンリルの洪水とも違う、始まりの終わりにして終わりの始まり。

……が。

 それも、読んでいた(・・・・・)

 

「停止解凍ーー」

 

 あの英雄王ならば、必ず。逆光剣の九連射を受けて、なお生き残ることは分かっていた。

 理屈などではない。剣を合わせ、真贋を競い合った仲だ。人間性だけで言えばまず間違いなくドブ水みたいな男だが、それでも実力だけは本物で、その意志の強さも認めざるを得ない。

 だから、信じた(・・・)

 故に俺は逆光剣を投影した時、こう唱えたのだ。

 投影、重奏と。

 左肩にはもうとっくに、設計図と基本骨子は構築されていたのだ。

 あとは、それを引っ張り出すだけでいい。

 

「全投影ーー待機」

 

 左肩を中心に、円になるように展開されたのは、豪奢な装飾を施された勝利の剣。

 勝利すべき黄金の剣(カリバーン)、それが十三本。

 さながら円卓を取り囲む騎士達のように、砲門と化す十三本の選定の剣。それはまさしく、円卓の騎士(ナイツ・オブ・ラウンズ)そのもの。

 ギルガメッシュもそれにはたまらず笑みを隠し切れない。ここに来て、そんな紛いモノしか出せない男に、ここまで食い下がられているのか、と。

 今更その是非は問わない。

 だからこそ、英雄王も全力で宝具を開帳する。

 

 

「ーーーー死して拝せよ」

 

「ーーーー全投影連結(クリアランス)、疑似真名登録、解放!!」

 

 

 騎士王を守護するは円卓の騎士。

 今宵に蘇るは夢一時の幻なれど、確かな軌跡がここに降り立つ。

 星は眠り、星にて穿つ。

 十三の剣を持って、破壊の嵐を今こそ断たんーー!!

 

 

「ーーーー天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)!!!!」

 

「ーーーー勝利を願う黄金の剣(エクスカリバーン)!!!!」

 

 

 降り注ぐ極死の暴風雨の名は、乖離剣。次元を裂き、世界を裂く。命にとっては死そのものとも言うべきそれへ、十三の極光流星が真っ向から衝突するーー!!

 衝突、などと言う言葉が生温いほどの、食い合いだった。

 片や原初の地獄の再現。片や、贋作と言えど人々の祈りを束ねた聖剣、それを十三本。

 暴れ、弾け、固有結界が捻れる。

 爆発どころの騒ぎではなかった。

 縮む。互いの存在を許さぬと、極死と極光が混ざり、一つの大きな渦へと変わり果てる。

 ともすれば俺と奴すら、その渦に飲み込まれかねない。

 しかし、

 

「しゃら!!!」

 

「くせえ!!!」

 

 そんなこと知ったことか。

 押し込む。奴は上から、俺は下から。まるで吸い寄せられるように二つの宝具の一撃は、ゴリゴリと削られ、そしてついに剣と剣の距離がゼロになり。

 爆縮。

 

「ヌゥ……ッ!?」

 

「ぐ、がぁ、ああああああああああああああああああああ……!!!??」

 

 音を立てて砕け、弾かれたのは俺の方だ。左肩が鎖骨辺りまで、反動で食い破られる。全身の骨という骨の関節がずれ、刹那の間失神しかけた。

 それでも、比較的重症レベルにまで回復したのはルビーとサファイアが居てくれたおかげだ。じゃなければきっと、俺は一生立つことすら出来ない体になっていただろう。

 

「ぐ、ぅ、……!?」

 

 全身を苛む鈍痛で目が覚める。気を失っていたのは五秒も満たない時間だったかもしれない。見れば、ギルガメッシュから大分距離が離れていた。

 起き上がるにはまだ時間がかかる。

 それは、膝をついてはいないものの、英雄王も同じようだった。

 

「ふ、……本当に、気に食わん男よ。エアを二度も食らってなお、平然と生き永らえているとは。貴様以上に生き汚い人間など、この世界ならば何処を探してもおるまい……」

 

 そう口を尖らせる奴も、相当消耗していた。全身に塗りたくられた赤い液体は、体の入れ墨などではなく、奴自身の出血だろう。見れば先程エアを放った左手が、何度も折れ曲がって、雑巾のように血が搾り出されていた。反動は俺だけではなかったらしい。息も荒く、ともすれば立つことすら難しいハズだ。

……そうさせないのは。プライド、誇り、いや奴自身の鉄をも砕く誓いか。ゴミ箱よりも悪趣味な金ぴかだが、どれだけの傷を負おうと、膝をつかず王として振る舞うその度量だけは敬服せざるを得ない。

 

「インチキばっか、してる……つもりなんだけどな……これでも勝てないか、お前の、それには」

 

 目は俺でも複製出来ない、剣のようなナニかをとらえる。あれがある限り、俺がどんな宝具を投影しようとも勝利はないだろう。

 暗に褒めていることに、ギルガメッシュは鼻で笑った。

 

「たわけ。エアは(オレ)にとって財の一つだが、同時に(オレ)が貴様ら勇者に与えられる最大最後の褒美よ。貴様のように贋作に頼る男に負けるほど、安い宝物ではないわ。それはフェイカーである貴様が一番よく分かってるだろうに」

 

 仰る通りで。

 にしても、膝が笑っちまって仕方がない。一度目ですら、魂ごと押し潰されたかと思ったのだ。二度目も勝利を願う黄金の剣で大部分を削がれていたとは言っても、体には染み付いていた。

 原初の地獄が。

 二度も味わえば分かる。

 勝てない。

 衛宮士郎では、無限の剣製では、あのエアに逆立ちしたって勝てない。

 

「だよな……いや、正直勝てる気がしない」

 

「ハッ、そんな嘘でこの(オレ)の目を騙せると? ぎらつかせた獣のようにエアを値踏みしておいて、な。大方、奥の手(・・・)でもあるのだろう?」

 

……そんなことまで分かるのか、この金ぴか。

 確かに、ある。

 俺が考える限り、もう手はそれしか残されていない。だがそれは、恐らく神装兵器を投影し、真名解放するよりも重い代償を払う羽目になるだろう。

 それこそーールビーやサファイア、俺の記憶を取り戻させてくれた、あのアンリマユですら治癒出来ないほどの損傷を。

 正真正銘、死よりも辛い代償を。

 

「貴様に勝利を譲る気はない。が、先のような半端な幕切れなど(オレ)も興醒めよ。我が死力を尽くして戦いに興じた以上、相応の幕引きがあってこそだ。故に、許そう」

 

 英雄王が、エアを左手から右手に持ち変え、地に突き立てる。

 瞬間。

 世界が、割れた(・・・)

 それを表現するのに、どう言えば良いのか、俺の創造力が足りないだけか、それとも人の言語で表すには余りに規模が違いすぎたのか。

 とにかくエアを突き立てた瞬間。

 固有結界が弾け飛んだ(・・・・・)のだ。

 瞬時に貼り直されたものの、戦慄した。俺が消耗していたとしても、仮にも世界を二つ重ねているのだ。それを、まるでガラスのようにあの風が吹いただけで割れた。

……恐らくこれが、本気。英雄王ギルガメッシュの本気なのだ。

 余波でギルガメッシュの体が浮かぶと、側に待機していた巨人の胸部へ、足をつける。

 ドクン、という脈動。

 それは巨人ではなくギルガメッシュから。

 信じられるものか。

 ギルガメッシュは今、あの巨人から莫大な魔力を吸い上げ、その魔力をそのままエアに送り込んでいる。

 星そのものがエネルギーを与えているような、そんな錯覚に陥る。

 

 

「ーーーーどのような手段、どのような贋作でもよい。全てを救うにたる一撃があるならば、この原初の星々(・・・・・)を乗り越えてみせよ!!」

 

 

 破壊の嵐が形を変えて成したのは、銀河だった。

 それもただの銀河ではない。

 三つ。遥か遠くにある氷海の世界すら見えなくなるほど広大な銀河が、三つも現出し、世界を血の色に染め上げる。

 間違いなく、固有結界だけでは済まない。

 理想の世界ごと、奴は塵一つ残さず消し飛ばすつもりなのだ。

 

「……………………」

 

 切るしかない。切り札を。

 勝てる勝てないなんて簡単な話じゃない。冗談抜きにこれを打倒しなければ、イリヤ達の世界が終わる。

 喉が干上がった。

 やれるか。

 魔術世界において、今から俺がやろうとしていることは、今までの投影なんかとは訳が違う。人間では為し得ないレベルならまだいい。これは、恐らくあの英霊エミヤですら(・・・・・・・・)成し遂げられなかった技だ。

 だが、それを成し遂げてもこれを超えられるかは完全に未知数。

 みんなを救う道はたった一つ。

 道を踏み外すのは簡単だ。そのための方法も分かっている。だけどそれでは、足りない。足りない気がしてならない。

 こんなときに限って、人間としての弱さが邪魔をする。魔術師としての俺なら、何の躊躇いなく対抗出来ただろうに。

 自分の身を犠牲にして、結果何も守れないことが、何より怖い。

 イリヤ達をまた失うかもしれないとーー置いていくかもしれないと思うと、それが怖くて、たまらない。

……どの道、退路はない。

 なら、行くしかない。

 だから。

 なのに。

 

 

 

「ーーううん。それは違うよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 後ろから。

 守るべき少女が、俺を抱き締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抱き締める。その背中を、広そうに見えても、きっと世界なんて大きなモノは決して背負いきれない人を。

 衛宮士郎とギルガメッシュの、人智を越えた戦争。それはイリヤが見てきた中で、一番苛烈で、一番血が飛び散って、だが一番兄が人間らしく戦っていた。

 みんなを守りたい。

 誰も死なないでほしい。

 根底にあった願いはイリヤだって願い続けることだった。だから、休むことなく、衛宮士郎は戦い続けたのだろう。

 胸は痛む。

 だって、あんなに苦しそうなのだ。もう傷ついてほしくないと何度、見ていて思ったことか。

 けれど助けて、と言ってしまった。

 全てを委ね、戦う力すら彼に預けた。

 なら今のイリヤに出来るのは、見届けることだけだった。

 幸いというべきか、兄が剣で余波から守ってくれたし、あの金色の王もイリヤを直接狙おうとはしなかった。

 戦いは拮抗……とは言わないが、食らいついてはいた。だからイリヤも希望をもって、見届けることが出来たのだ。

 だからあの、赤黒く光る銀河を見たとき。

 イリヤは死んだと、そう思った。

 わたし達みんな、ここで死ぬのだと。

 泣きたかった。やっぱりダメだったと。

 込み上げる涙に身を任せたかった。

 だけど、それ以上に。

 それでもなお、立ち上がる衛宮士郎の姿が、イリヤを奮い起たせた。

 

(……わたしは)

 

 決して、勇敢な姿などではなかった。

 二度も同じ宝具を受けて、その威力を体が覚えているのか。全身は目の前の絶望に震えていて、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

 

(わたしは……!!)

 

 あまりにもちっぽけな、あまりにもこの状況に不相応な役者だ。

 それでも、そんな彼を支えているのは、きっとイリヤが放った四文字の言葉だ。

 

ーー助けて。

 

 それだけの言葉だった。

 浅ましい、誰かの都合や事情などお構い無しに、ただ助かりたいと漏らしただけ。

 見捨てたって良かった。

 やっぱり無理だったと諦めても、イリヤは何ら文句は言わない。

 だって、無理だ。あんな、銀河がドミノみたいに並んだモノ、誰だって諦める。

 だけど、約束した。

 してしまった、助けてくれると。

 だから衛宮士郎は立ち上がった。

 しかしそれは、きっと、よくない何かがまた顔を出しかけている。

 背中しか見えないけれど、きっとそうだ。そうやって、衛宮士郎は両腕を切断された。

 

(わたしは、あなたをそんな道に追い込むために、あんなことを言ったんじゃない!!)

 

 だから、走って、引き止めた。

 同じ過ちを繰り返さないために。

 もう彼を、一人でそんな道に行かせないために。

 

「……イリ、ヤ?」

 

 なんでここに、とでも言いたげな士郎を、イリヤは抱き止める。

 

「ダメだよ、お兄ちゃん。その先はダメ。そんな風に怖いまま、とりあえずなんて絶対に」

 

「……怖くなんてないさ。だから下がってろ、このままじゃお前も……」

 

「じゃあ、なんで震えてるの?」

 

 士郎の歯の根は合っていない。それだけ怖いのだろう。そしてそれはきっと、目の前のあの宝具だけじゃない。

 

「……そんなに。みんなを守れないかもしれないと思うと、怖い?」

 

「…………、」

 

 怖くなんかない。

 そう強がろうともしなかった。

 ただ、衛宮士郎は取り繕うのを止めた。

 

「……うん。そうだ、そうだな。怖いんだよ、俺」

 

 項垂れた彼は、ちっぽけだった。どれだけ人に余る奇跡を起こしても、その姿は信じられないほど矮小で。

 

「イリヤ達を守れないことも、イリヤ達を置いていくことも、全部怖い。本当は最初から、ひたすら怖くてたまらなかった。お前と別れるかもしれないと思うと、それが怖くて、嫌だったから、剣を握ってきた」

 

 背中を抱き締めているから、その顔は分からない。でも飾らない本音だけは、痛いくらい伝わった。

 こんなときなのに。そのことが、イリヤにはとても好ましく思えた。

 だって、怖いことを押し隠せる人間が居たなら、きっとその人は人間じゃないから。

 人間じゃない人に、本当の意味で、誰かを救うことなんてきっと出来ないから。

 みっともなくても、情けなくても、迷ったとしても。

 イリヤにはそんな一生懸命な、正義の味方の方が、よっぽどいい。

 辛くても泣かない人よりよっぽど、そっちの方がいい。

 

「ごめんね」

 

 だから。

 自分は最低だ、とイリヤは改めて思う。

 こんなにも怖がっている彼に、自分はまだ戦ってくれと、そう願っているのだから。

 

「怖いよね、辛いよね……何も出来ないけど。何もしてあげられないけど。でも、側に居るよ。一人じゃないよ、お兄ちゃん」

 

「……イリヤ」

 

「振り返ったらわたしが居る。わたしだけじゃない。お兄ちゃんと同じような願いを、みんなが持ってる。だから、きっと、それは怖くても、一人なんかじゃない」

 

 きっと。

 今逃げるようにあの英霊に挑んだら、絶対に勝てない。そうやって諦めるのはダメだ。

 例えどんな茨の道を進んだとしても。

 イリヤは後悔なんてしてほしくない。

 やっぱりダメだったなんて、そんな模範解答は必要ない。

 欲しいのは、みんなが切り捨てる綺麗事だけ。

 これは、ただそれだけの我が儘。 

 

 

「だからあともうちょっとだけ。最後まで頑張って、お兄ちゃん……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話した。

 短い会話だったけど、誤魔化さないで、話した。

 情けなくて涙が出そうだ。

 守るべき女の子に応援されるなんて、ほんと、涙が出るくらい情けない。

 だけど、それで震えなんか吹き飛んだ。

 恐怖なんか無くなった。

 

「イリヤ」

 

「ん?」

 

「うん、サンキュな。気合い入った」

 

 二本の足で、大地を踏みしめる。

 脳天から踵まで、一本の芯が入る。

 もうブレない。

 もう、臆病風なんかになびかない。

 

「……呆れて物も言えんな。その人形に慰められなければ、死を覚悟して戦うことすら出来ないか、貴様は?」

 

「否定はしないよ、ギルガメッシュ。俺は、弱くなった。精神的にも、魔術師としても。でも」

 

 ああ。

 きっと、俺はそれでいい。

 

「俺は人間だ。人間だから怖いし、情けなくなる。でもだからこそきっと、一人になんてなりたくないから、誰かを助けたいって心の底から思えるんだ」

 

「言葉では何だって言えよう。いざ示すがいい、貴様の正義を」

 

 言われずとも。

 深く、深く息を吸って、吐く。精神を統一する中で。

 ふと、初めてそこで背中へと振り返った。

 そこには、いつものように、泣きべそをかいたイリヤが。 

……ああ、なんだ。

 何も変わりなんてしない。

 イリヤが泣いていて、それを助ける。

 この三ヶ月あまり、ずっとそうしてきた。その輪が広がっていって、色んな人を助けたいと思った。

 間違っていなかった。

 誰もがそこでは笑っていたと、再確認した。

 だから。

 世界へと、告げた。

 

 

剣製(トレース)融解(トレース)

 

 

 瞬間。

 固有結界が、ほどけた。

 それはさながら絵の具を水で洗い流されたかのような、不思議な光景だった。無限の剣製が、崩れ、現実世界の冬木へと戻る。

 固有結界自体が解除された……わけではない(・・・・・・)

 

 

停止解凍(フリーズアウト)

 

 

 変化は左肩から。

 ズバァ!!、と特大の炎が二本、伸びた。それはまるで東方の龍のように空へと伸びると、とぐろを巻いた。

 そう。今まさに肩から飛び出しているのは、溶けて混ざった二つの固有結界そのもの(・・・・・・・・・・・)

 下準備は、していた。

 さっきまで身を置いていた、固有結界の二重展開。その真の役割は二つの世界の境界を(・・・)無くすこと。そう、つまりはこの時のため。二つの固有結界を溶かし、錬成するための下準備に過ぎない。

 俺の根源は確かに鞘なのかもしれない。

 しかしそれはあくまで理想の世界のエミヤシロウのモノ。それに俺と、美遊の兄が加われば、変化が起きるのも当然。

 

 

固有結界(ソードバレル)是正完了(フルセット)

 

 

 二首の炎の龍は絡み、まるで口付けるように融けていく。

 変化が起きたのは俺の体も同様だった。

 臨界を越え、限界を超えた五十四の魔術回路が、熔けて、混ざっていく。一つの魔術回路へとーー否、鉱炉のように、血管などの器官に至るまでが全て自動的に一つの大海原へと変換されていく。

 それはまるで、魔術回路全てから、溶けた鉄が全身へ雪崩れ込み、同化していく感覚。

 そして。

 ついに、真理へ辿り着いた。

 

 

 

 

「ーーーー是正鍛冶場(リミテッド)/魂源無還衆錬(ゼロオーバー)

 

 

 

 それは、左腕の形をした、炎だった。

 世界を塗り替えるほどの超高密度の魔力を、二個。それをたった数十センチの腕の形にまで凝縮したそれは、超々弩級の魔術炉心。

……その名も、是正鍛治場(リミテッド)/魂源無還衆錬(ゼロオーバー)

 衛宮士郎という人間がその魂の全てを投じることで完成する、無限の剣を素材に溶かした、唯一無二の鍛冶場(・・・)である。

 

 

「……ククっ、ク、クハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!! なるほどそうか!!! それが貴様の答えか、衛宮士郎!!!!」

 

 

 天に君臨する英雄王が、原初の星々を従えて高笑いする。しかしそこに奴特有の嫌味や、他人を見下す悪辣さは欠片もない。

 称賛。ただそれだけを口にしながら、ギルガメッシュは何処までも王として右腕のエアを振りかぶる。

 

 

「よいーー極め、至った技。その粋を、この(オレ)に見せるがいい」

 

 

 すぅ、と浅く呼吸。

 左腕を中段に。

 心は火にくべて。

 誰もが笑っている記憶を反芻する。

 八節の段階をもって。

 ここに、新たな幻想を叩き上げる。

 

 

「ーー是正(トレース)錬鉄開始(オーバーロード)

 

 

 通る一本の線。すぐさまその線ははね躍り、一つの設計図を描き終える。

 組み上がった設計図は荒唐無稽。しかしそれを作ってこその刀匠。

 剣の丘に登録された、全ての武具。それが鉄の海となるほど混ざったことで、一つの刀へと収斂されていく。

 願いはたった一つ。

 この世に断てぬモノなどない、最強の自分(つるぎ)

 守る? 救う? そんなことは担い手たる俺に求められること。

 剣に込める願いなどそれだけでいい。 

 人でもなく、正義でもなく、悪でもない。

 この世を斬る。

 宿命を断ち斬る刃。それだけを求める。

 心の奥底から、一定の間隔を保って響き渡るのは、鉄の音。

 かぁん……かぁん……かぁん……と。

 火花を散らし、赤熱し、無窮の果てにて木霊するのは鉄の息吹。

 一気呵成に、幻想は紡がれる。

 刀身を研ぐように、重い音を立て、それは炎の中から産まれた。

 

 

「ーーーーーー、」

 

 

 言葉はない。音も、あの赤い風すらも、その一瞬だけはぱたりと止んだ。

 それは、一本の刀だった。

 鞘も鍔も柄もハバキすらない、刀身しかない、武骨な刀。斬ることにのみ特化したが故に装飾は一切なく、あるのはただ一人の男の熱意。それが刃紋となり、刀の血となって刃に隅々まで広がっていた。

 紅蓮に燃える炎から産まれたそれに、あの英雄王すら言葉を失っている。

 炎と化した左手で、その一刀を握る。

 そこでギルガメッシュは、目を爛々と輝かせ。

 

 銀河が、回転する。

 

 

「原初を語る。地は仰ぎ、天にて開闢は黎明を織り成す。世界を拓くは我が乖離剣ーーーー」

 

 

 三つ並んだ銀河が、英雄王にかしずいた。それすら英雄王にとっては些末なことなのかーー奴は万感の意を込めて、剣を振り下ろす。

 

 

「さあ、夢の果てをさ迷うがいい。

 

ーーーー天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)!!!!」

 

 

 (ソラ)が、迫る。

 そう形容するしかないほどの桁外れのスケール。縮尺が狂い、視界は既に銀河で何も見えない。

……いや、何ら問題ないか。

 目標が見えずとも関係ない。

 この刀が斬るのは、人にあらず。

 仮初めの左腕を右腰へ。居合いの構え。殺意が剥き出しになった刀を担ぎ、丹田を意識する。

 

 

「一に剣。十に(けん)。百に(けん)。千を越えて、無限の(けん)ーーーー」

 

 

 イメージするのは自身の心象世界。

 人の影すらない、静かな時が流れる剣の草原。無限の剣しかない、侘しい世界。

 

 

「ーーーー燃えゆる鉄世(ヒト)から生まれるは、究極(ソラ)へと至るこの一刀」

 

 

 それは、かつて生きていた人々の願いを集めた世界。

 ならばそれを基にこの世に生まれたこの刀は、今を生きる人々の願いをも束ね、作られた、祈りの一振り。

 

 

「理を断ち、善を絶ち、悪を裁つ。即ち、我は常世総てに仇なす者ーーーー」

 

 

 死者達の願いが、この世に生きるあまねく人々の祈りが、刀へと収斂される。

 故に斬るのは人ではなく、悪でもなく、世界そのもの。

 渺渺たる流れーー運命(Fate)を、断つための宝具。

 其の名はーーーー。

 

 

 

 

「ーーーー無銘、七士(ナナシ)

 

 

 

 

 

 渾身の、一閃。

 左腰から逆袈裟。

 技術も何もないーーただ下から上へ動いただけの上下運動。

 創世神話の具現化たるこの銀河に対し、その一刀の何と頼りないことか。銀光はさながら朧月を反射させたように儚く、薄い可能性そのもの。

 されど、それは願いの具現化。

 人々の祈りのカタチであり。

 この世界は神の支配から抜け出した、人の世である。

 無力を嘆き、亡くしたモノへの後悔で尽きぬ、絶望と不安入り乱れた世界。

 神という名の隷属から独り立ちし、立ち向かうことを選んだ世界。

 故に、収斂される想いは無限。

 無限にて鍛えた、鉄の希望。

 無限の極致ーーそれがこの一刀。

 故に。

 覆る。

 最古の神話に、最も新しいお伽噺が書き足される。

 

 

「な、に?」

 

 

 まさに一瞬。

 斜めに引かれた一文字は、余りに滑らかに頭上へと振り抜かれ。

 そして。

 銀河ごと(・・・・)、常世が、綺麗に斬り捨てられた。

 

 

「…………………………は、」

 

 

 あれだけ難攻不落だった、天地乖離す(エヌマ)開闢の星(エリシュ)

 三度目の正直と、音もせず、真っ二つに裂かれ、落ちていく。それはまるで空そのものが裂けているような、異常な光景だった。魔力へと消えていくのはそれだけではない。

 ギルガメッシュの体。その背後に鎮座していた巨人。それすらも、俺の作り出した刀は斬っていた。

 しかも、それだけのモノを斬りながら、理想の世界の空間は裂傷ひとつない。見事と自賛していい、完璧な斬撃だ。

 残心を、解く。

 と、刀は役目を終えたと言わんばかりに、砕けた。刃先からぼろぼろと崩れ、砂へと帰る様は、まるで時の流れに抗えず風化する場面を早送りするようだ。

 仮初の炎腕も燃え尽き、後に残ったのは勝者と敗者だけ。

 

「……なる、ほど……」

 

 驚くべきことに。ギルガメッシュはまだ、生きていた。背後の巨人と共に、崩れ去りそうになりながらも、奴は自身を打ち破った者の正体を語る。

 

「これは、……そうか。運命……因果、そのもの、を、断ち、斬る……」

 

「……ああ。これは、そういう刀だ。この地獄を覆してほしい(・・・・・・)、そんな願いが込められた、魔剣……いや、妖刀だよ」

 

 宝具『無銘、七士(ナナシ)』。

 この宝具はありとあらゆる人間の、この地獄を覆してほしいという願いの末に作られた宝具だ。

 その斬撃は真名解放すれば、因果を、運命を断ち、覆すほどの切れ味を持つとされる……そんな逸話が今、出来上がった(・・・・・・)

 バセットのフラガラックと似ているが、その本質は全くの逆。あちらは先に因果へ割り込むが、この宝具はその斬撃がエアを、奴自身すらも斬り、そして因果すらも変えた。つまり、単純な(・・・)切れ味だけ(・・・・・)で、あの原初の地獄を斬り伏せ、運命へと届いたのだ。

 それもむべなるかな。

 これは一つの世界だけの力ではない。無限に溜まっていた、人々の想い。それを束ねた故の一撃だ。

……勿論、代償は大きい。

 だがそれでも、勝つことが出来た。

 

「……いや……それだけでは、ない、か……」

 

 と。

 ギルガメッシュは何かを感じたのか。目を瞑り、満足そうに、

 

「……天の理を、否定するか……人よ、世界よ……ならば、よい……特に、ゆるす……」

 

 視線が交錯する。

 死に際だというのに、その視線は些かも衰えがなかった。これが世界最古の英雄、その本領か。

 そしてその視線から目を逸らさない。

 受け止め、

 

「……此度は、認めよう……ふん、貴様の国の言葉では……こう、言うのだったか……まっこと、あっぱれであったわ……」

 

 英雄王は消えた。

 最期の最期まで奴は、奴の矜持に従い、消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに、雌雄は決せられた。

 

「……は、ぁ、ぐっ……ぁ……」

 

 終わった。そう考えただけで衛宮士郎の膝は折れて、そして倒れた。

 もう動けない。

 細胞の一つ、そのマイクロに渡るまで、全ての力を出し切った。もう魔力なんてすっからかんで、感じ取ることすら、出来ない。

 と。

 びし、ぴしぴしぴし……と何か決定的なモノが破綻していくのが分かった。

 

「士郎さん、動かないでください。呼吸も最低限に。少しでも生きていたいなら言うことを聞いてくださいね?」

 

「……ルビー」

 

 いつになく真剣なルビー。それだけで衛宮士郎の状況が分かるというもの。

……それが、代償だった。

 存在の一ミクロンに至るまで、完全な消滅。

 あの宝具ーー無銘、七士は自身の運命(・・・・・)をも斬ることで、真名解放出来る。だから、これは絶対に覆らない。

 運命とは繊維のように細く、だからこそ決して切れてはいけないモノ。ルビーやサファイア、衛宮士郎を無理矢理にでも生かしていた美遊の力ですら、止められないほどの損傷だった。

 体が急激に凍り付いていくような感覚。触れれば、それだけで、全て瓦解するほど体が、魂が脆くなっていく。

 液体窒素で凍らされた消しゴムを思い出した。あれと同じだ。今の士郎は、恐らく僅かな衝撃でも砕け、消え去る。

 消えることに後悔がない、とは言わない。

 だけどこうするしかないのなら、何度でも士郎はこうするだろう。

 

「サファイアちゃん、目の機能はオフっといてください。それよりも全力で我々が補強してあげないと、この人このままだと……!」

 

「……いいんだ、ルビー」

 

「お兄さん?」

 

 鼓動が小さくなっていくのが、士郎自身分かる。その鼓動が無くなるのが一秒後か、それとも一分後か。時間の感覚すらあやふやな今でも、衛宮士郎は自分の未来がないことは自覚した。

 

「いいさ……もう十分だ、本当に……」

 

「何が十分ですか、馬鹿らしい。いいですか? 我々があなたと仮にでも契約したのは、イリヤさんや美遊さんのためです。あのお二方を悲しませないため。そのためにはあなたに死なれては困るんです。決してあなたのためなんかではないんですからね!?」

 

「姉さん、それは士郎様のためと言っているのと同じです」

 

 ふ、と士郎が笑う。

 未来がないことは自覚した。

 ルビーとサファイアが尽力しているが、恐らく無理だろう。

……そこまで考えたとき。

 そう言えば……と、思い出した。

 あとちょっと、頑張らないといけないな、と。

 

「ふ、ぅ、ぐ、ん……ん、ん、っ!!」

 

「お兄さん!? ちょ、なにしやがってんですかあぁた!?」

 

 ざり、と額を、衛宮士郎が地面に擦りつけた。それだけで額の皮が剥がれ、士郎の輪郭が崩れ落ちていく。

 なおも続け、やがて彼は立ち上がる。

 それだけでも奇跡だった。

 ルビーとサファイアの回復力があったとはいえ、体にかかる反動を考えれば、立っただけで体はバラバラになっていても可笑しくはなかった。

 だが、

 

「お兄さん、人の話聞いてました!? そんな動かれるとですねぇ!?」

 

「ああ、分かってる……けど、まだ、やらなきゃいけないこと……がある……」

 

「はい!?」

 

 歩く。

 酷く遅く、この上なく頼りなく。

 たった一歩で衛宮士郎は、息も絶え絶えだった。二歩目が中々出ないどころか、バランスも取れていない。あわや転倒ーーと言うところで、助けが入った。

 イリヤだった。

 イリヤは士郎を担ぐように懐で、彼の首が自身の肩に来るように背負う。

 

「……大丈夫、お兄ちゃん?」

 

「はは……大丈夫、と言いたいところだけど……ちょっと、ヤバそうだ……」

 

「……そっか」

 

 イリヤも何となく、それは認識していた。

 本来イリヤの力で衛宮士郎の肉体を支えることなんて出来ない。それが出来たのは、それだけ衛宮士郎の肉体が損傷し、体重が軽くなったからだろう。

 それだけで、イリヤはもう手遅れなのだと、悟ってしまった。

 これは、もうダメだった。

 それが分かっていながらも背中を貸したのは、兄の最期の願いを叶えるため。

 

「じゃあ、行こう」

 

「……ああ」

 

 兄妹が力を合わせて、また歩き出す。

 ざっ、ざっ、と。

 砂を踏む度に、衛宮士郎の体が崩れていく。それは僅かではあるものの、確かに衛宮士郎の魂の残り滓だった。

 

「……ダメだなあ……最期まで、ダメな兄貴だ……ほんとに……」

 

「そんなことないよ。お兄ちゃん、頑張ったよ。頑張りすぎたよ。だから、そうなっちゃったんでしょ?」

 

「それは……そうだけど……最期くらいは、お前に頼りっぱなしで……いたくなかったな、って……」

 

「ううん、かっこよかったよ。本当に、かっこよかったんだから。だから、それでいいよ」

 

 そして、たどり着いた。

 実に歩いた距離は、五十メートルもなかっただろう。ただそれでも、二人にとっては時間がかかってしまう距離だった。

 そこに居たのは、美遊と、クロの二人だった。二人とも無事だったようで、若干憔悴しているようにも見えるが、目立った後遺症なども無さそうだ。

 むしろ、士郎の致命傷を見て、二人とも絶句していた。聡い二人だ、間に合わないことも無意識に分かり、それを受け止めきれないのだろう。

 バキン、という音は衛宮士郎の足。ついに音を立てて足首から先が割れて無くなり、美遊とクロの前で倒れかかる。

 

「お兄ちゃん!?」

 

 その言葉は、イリヤも含めた三人とも同じタイミングだった。三人は士郎の体を受け止め、そして改めて悟った。

……お別れのときだ、と。

 

「ーーーーーー」

 

 言葉にしないといけないことは、沢山あるハズだった。どうしてそんなことになるまで戦ったのかとか、いっつもそうやって人の気も知らないでとか、わたし達を置いていかないでとか。

 だけど、言えなかった。

 言ったらその瞬間、衛宮士郎が風に崩れて、消えてしまうかもしれないから。

 だから。

 だから。

 口を開いたのは、衛宮士郎本人だった。

 

「……、とう」

 

「……え?」

 

「ありが、とう」

 

 異変に気付いたのは、士郎の顔の真下で俯いていた、イリヤだった。

 ぽつ、ぽつ、と空から雨が降ってきたのだ。何もこんなときに、とイリヤが顔を上げて。

 そこで気付いた。

 雨ではなかった。

……満足そうに。兄が、静かに泣いていたのだ。

 

 

「ーーーー生きててくれて、ありがとう」

 

 

 一体。

 一体その言葉には、どんな意味が込められていたのだろう。そう、イリヤは考えざるを得なかった。

 全員助けられたという安堵か。

 それとも、この世界で生きていてくれたこと、そのものへの感謝だったのか。

 どちらにせよ、耐えられなかった。

 もう何度涙を溢しただろう。

 何度、悲嘆に暮れただろう。

 それでも、泣くしかなかった。

 こんな、残酷な運命を。

 

「お兄ちゃん……」

 

「……ん、なん、だ?」

 

「あ……う、その……」

 

 名前を呼んだけれど、イリヤには何も言えない。それは先程確認したことだった。

 だけど言わずにはいられなかった。本当に消えてしまったら、この渦巻く感情が何も言えなくなってしまう。そう考えたらもう、何も言わないなんて選択肢は思い付かなかった。

 何を言えば良いだろう?

 とにかく、口に出しながら、考えて。

 そう思った、ときだった。

 頭上。

 不自然なほど近くで、雷鳴の音が、した。

 

 

「、っ、あ、……?」

 

 

 何も出来なかった。

 何か行動を起こす暇すらなかった。

 ただ、目の前が紫に光った瞬間、全身が四方八方に弾け飛ぶような衝撃がイリヤの全身を貫いていた。

 それが頭上の雷雲から落ちた、無数の雷によるショックだと気付いたのは、もう決定的に後のことだった。

 視界がおぼつかない。

 這いつくばり、照明弾が直撃したように目を開けられないイリヤでも、その声は聞こえた。

 

 

「ーーーー夢幻召喚(インストール)

 

 

 どうして、それを。そんなことを言う前に、誰かと誰かが戦い始めた。

 そこからはもう、イリヤには何がなんだか分からなかった。ただ雷のせいで、まともに喋ることすら不可能で、体なんて痺れてしまって痙攣を起こしていた。

 恐らく戦いは一分も満たなかっただろう。

 側に、誰かが転がってくる。

 転がってきたのは、クロだった。しかも傷が酷い。端正な顔は左半分が腫れ上がり、腹は無数の風穴が空いていた。

 視界もはっきりとはしないが、それでも状況程度なら分かる。

 イリヤとクロから離れて、約十メートル。襲撃者は二人。

 

「なんだァ? 夢幻召喚した割りには、コイツ随分弱っちくねェ?」

 

 片方は赤毛の、恐らく凛やルヴィアと同年代の少女だった。しかし目はサディステイックな暴力的なモノで、服装も山賊のように毛皮を羽織っておきなから露出度が高い。何より、腕が可笑しい。毛むくじゃらで少女の胴体ほどもある両腕(・・)は、明らかに人の範疇を越えていた。

 

「所詮はクズカードから派生した英霊だ。こんなモノに遅れを取ったなど、信じたくはないがな」

 

 もう片方は、バゼットのような成人した女性だ。しかし声色にはぞっとするような冷たさしかない。金色に光る深緑の髪(・・・)にはやや下品にも見える黄金の鎧を腰に巻き、全身に刻まれた入れ墨がその肉感的な肢体を浮き立たせる。それでいて、上から透明な羽衣を羽織っており、上品さも漂わせていた。

 夢幻召喚を使う、魔術師。

 まさか、

 

「エインズ、ワース……?」

 

「およ? およよよよ? もしかしてェ、アタシらのこと知っちゃッてるカンジ?」

 

 口の中だけで呟いたハズなのに、赤毛の少女にはイリヤの言葉が聞こえていた。やや不機嫌だった少女は、嬉々として片腕を天に掲げる。

 

「よーッし! ぶッ潰してもいいよなァ? 最近生の人間を潰した覚えがなくてよォ、なァいいだろォ?」

 

「後にしろ。それよりも今は最優先で回収するべき対象が居るだろう」

 

 女性魔術師が視線を真横に投げる。そこには美遊と、倒れたまま動かない兄が居た。

 美遊は二人の存在に気付き、怯えるように表情を変えた。やはり、知っているのだ。だとすればこの二人がエインズワースで間違いない。

 女性魔術師がヒールを鳴らしながら、美遊の側で跪いた。

 

「お迎えに上がりました、美遊様」

 

「……い、や……かえり、たく、ない……!!」

 

兄上のこと(・・・・・)は残念です。ですが、我々の神話に賛同してくだされば、あなたも救われる。ご安心を、我々はあなたも救ってみせましょう」

 

「いや、イリ、……!!」

 

「はいゴッコ遊びはしゅーりょー!」

 

 首を振る美遊にの上に、ゴッ、とのし掛かったのは、赤毛の少女だった。腕の分もあって体重が増しているのか、美遊はそのまま気を失った。

 

「ミ、ユ……ミユ、……ミユ……!!」

 

「少しは丁重に扱え。貴様はいつも手荒すぎる。神稚児であられる美遊様に万が一があれば、どう責任を取るつもりだ?」

 

「へいへい分かッてますよー。ッたく、小姑みてェにうるせェんだから……あン?」

 

 と、赤毛の少女の歩みが止まった。

 主に止まっていたのは踵。本来なら腕も、足すらなかった衛宮士郎が、首と肩を使って、赤毛の少女を引き留めているのだ。

 美遊を助けるために。

 

「ア゛ーーーーーー…………」

 

 しかし。

 それは悪手だった。

 

「なァ。オマエ、アタシらの邪魔を何回すれば気が済むワケ?」

 

「おいベアトリス」

 

「止めンなよアンジェリカさんよォ。これも回収対象だッつんだろォ? だ・け・ど」

 

 ベアトリス、と呼ばれた赤毛の少女が、士郎をあの獣のような腕で掴んだ。

 不味い。そう思っていても、イリヤには体を動かす力すらない。

 

「こんだけ反抗してくるならーーシツケが必要だよなァ!?」

 

 それは、まるでフィギュアを握って、そのまま机に叩きつけるかのような、余りに人道を無視した動きだった。

 握られていた士郎がどうなったかなど考えたくもない。士郎が潰れなかったのはひとえに、ルビーとサファイアのおかげだろう。だがあのルビーとサファイアが、何も喋らない。つまりそれだけ、士郎の治療にかかりきりで機能を割く余裕がないのか。

 

「……ミ、ユ……お兄、ちゃん……お兄ちゃん……!!」

 

 届かない。

 どうしたって届かない。

 体が、言うことを聞いてくれない。

 

「おいアンジェリカァ~。これ、どうすんの? 潰す?」

 

 ベアトリスの視線がイリヤを捉える。

 まるで蛇に睨まれた蛙のように、イリヤはひっ、と喉を鳴らす。

 

「……捨て置け」

 

 対し、アンジェリカと呼ばれた女性は踵を返すと、続いてこう言った。

 

 

「ーー揺り戻し(・・・・)だ」

 

 

 瞬間。

 グワァッ!!、と夜が裂かれた。

 一瞬で深夜が真っ昼間へと変わったのは、空のせいだった。そこから目を焼くほどの眩しい光が降り注ぎ、視界が白熱する。

 何も見えない。

 何も聞こえない。

 

「ミユ……ミユ、ミユ!! お兄ちゃん、ねえお兄ちゃん!! クロ、大丈夫なの!? ねえ誰か、誰か返事してよ!!!!」

 

 光は止まらない。

 やがてその光はドーム状に新都を覆い、それが臨界まで達するとーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感がしていた。

 それは新都に近づけば近づくほど、アイリの中で膨らんでいく。

 誰かが既に死んでいるとか、そういう類いのモノではない。そんなことは荒れ果てた深山町を見たときからはっきりと分かっていた。

 だからそれは、ただの勘でしかなかった。それとも虫の報せとも言うべきか。どちらにしろ、アイリのその予想は、当たった。

 

「、あれは……!?」

 

 フロントガラスの向こうで、アイリの目を白い閃光が襲う。思わず目を覆いたくなるが、逆にアイリはアクセルを限界まで踏み倒した。車が急な加速で揺れ始める。

 アレは……良くないモノだ。

 しかし遅かった。

 光はアイリの目の前まで広がったものの、その光のドームに入る前に目映く輝くと。

 光が、消えた。

 

「……そんな」

 

 ドリフトして、アイリは車を急停止させると、外へ飛び出した。

 景色は何も変わらない。廃墟となった新都は人の気配などあるわけがない。

 しかし、それだけではない。

 聖杯の反応(・・・・・)が消えた。

 それが意味することは、つまり。

 何者かが、聖杯を違う場所へ転移させたということ。

 

「……イリヤ達を、探さないと」

 

 不安を押し潰すように、アイリは自身の目標をそう決める。

 しかし無情にもーーアイリにはイリヤどころか、美遊も、クロも、士郎の姿すら見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてさて。

 ここより皆々様がご覧になられますは、一人の男の浅ましき願い。

 全てを救いたいと豪語するのは、一度は全てを失った男。

 無論男の目の前に立ち塞がるは、かつて過去の英雄達を苦しめてきた試練の数々。

 

ーーああ、全てを救いたい!私は君達も救いたいのだ!

 

 されど、男の声は誰の耳にも届かない。

 何故なら、その体は剣で出来ていた。

 体が剣でできた男を、一体誰が信じられようか。

 そうして死ぬまで、男は自分の願いを叶えられず。

 死後もそんな願いを持ち続けた、自分自身を恨むのでした。

……本来なら、それが大体の筋書き。無難な終わり方だね。うん。

 しかし何の因果か。男の体は、いつしか剣だけではなくなっていた。

 誰かを助けたい。そんな願いの本質を、男はついに理解し始めた。

 しかしそれは今まで以上に辛く、遠く、何より険しい。でもーーだからこそ、それは間違いなく希望に満ちた終わりへと続いている。

 

 

「ま、読者の私がこんなこと言うのもなんだけど。神話だなんだと言っても、結局は物語。むしろ神話の方がつまらないもんさ。何せ後味の良い大団円が一つもない! そういう意味で、期待してたりするのさ」

 

 

 ね、アルトリアのマスターくん。

 君は非常に興味深い。

 相反する理想と現実の中で、君は未だに諦めずに、足掻いている。

 だから是非とも、私にも見せてくれ。

 君の英雄譚を。

 君が紡ぐ大団円(ハッピーエンド)を。

 

「じゃあ。私はのんびりと、君の行く末を見させてもらうとしようーー」

 

 花の相談役、マーリンお兄さんからの言葉はたった一つだけ。

 大団円(ハッピーエンド)の条件は忘れないように。

 え、忘れてない? 

 ならそれでよし、あとは君の頑張り次第さ!

 

 

「さあ、それじゃあ始めてくれたまえ、少年」

 

 

 結末はまだ分からない。

 だがあえて、名付けるのならーー。

 

 

 

「これは、どんな絶望に砕かれてもーーかつて夢見た未来を、掴み取る物語、かな」

 

 

 

 

 

 






是正鍛冶場/魂源無還衆錬(リミテッド・ゼロオーバー)

みんな大好き、FGOのアレ。kaleid nightだと、二つの固有結界を左腕に凝縮、それを規格外の魔術炉心にすることで宝具を作る秘奥中の秘奥。膨大な剣の世界を融合させるには、一度固有結界の二重展開で固有結界同士の境界を融かす段階を踏む必要がある。
要は宝具を作るための鍛冶場なのだが、これを行うには固有結界の二重展開という普通にやれば確実に死ぬ状況に陥るので、現状死なないという前提ありきで理想の世界のみと運用が限られる。あと単純にカレイドステッキのように無制限に魔力を供給するバックドアでもないと、魔力が足りない。


無銘、七士(ナナシ)

ランク:EX
種別:対運命宝具
レンジ:???
最大捕捉:???

固有結界『無限の剣製』二つを混ぜ、炉心と化する秘術、是正鍛冶場/魂源無還衆錬によって生み出された、衛宮士郎だけの自爆宝具。
その創造理念は、この地獄を覆してほしいという願い。『無限の剣製』内の全ての武具の制作者や担い手、つまり死者達の願いの結晶であり、同時に衛宮士郎という生者の祈りが込められた一刀である。
この宝具の能力は、生者の祈りを刀身に集め、力にすることである。死者の願いによって鍛えられた一刀に、生者の祈りによって研がれ、その本領を発揮する。
その本質から、生者の祈りが強ければ強いほど切れ味が増す。人数も関係あるが、ただその祈りが純粋であればあるほど、この地獄を覆してほしいという願いに近ければ近いほど、威力がはね上がる。
故に斬るのは人にあらず、悪にあらず。
斬るはこの世の全て。
つまり、運命である。
最大ではあの天地乖離す開闢の星ごと、ギルガメッシュの因果を断ち切った。
しかしその人の領域を越えた力の代償として、まず自身の運命を切り捨てなければならない。ある意味では、名前のない民衆の願いを叶えるために祭り上げられる生け贄の一種という側面もある。

名前の由来は正義の味方という大衆の代表に名前はないことから。この地獄を覆してほしいという願いを士郎が持ったのが作中だと十一年前=七歳の士郎なので、七士という名前になった。未だに衛宮士郎の前の名前が分かっていないと考えると、結構皮肉だったりする。



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プリズマ☆イリヤ 3rei!!
プロローグ/ラスト・サマーバケーション


今日はイリヤ、クロ、美遊のプリヤヒロイン三人の誕生日。なんで丁度いいしドライ編開始ィ!
なおストックがないので続きはちょいお待ちを。


 

 遠くから、セミの声が聞こえる。

 それは、夏を知らせる音。それが耳に入る限り、夏は永遠に続いていく。何匹ものセミの鳴き声達は、生きようとする意志そのものだ。一週間という儚い命でも、自分は確かにここに居るという、魂の咆哮だった。

 空からはうだるような日差しが肌を焼き、地面からは光をたっぷりと溜め込んだ砂が素足を焦がす。

 そんな中を走り回る。それはもう全力疾走だ。セミの声なんてもう聞こえない。わーわー、と叫んでるのは誰だったか。わたしかもしれないし、他の誰かのようだったし、他人のようにも思えた。代わりに聞こえるのは潮騒。それ目掛けて、わたしは飛んだ。

 ふわっ、と浮遊は一秒も満たず。

 ばしゃん、と目の前の世界が弾ける。

 そこにあったのは、蒼玉の世界。

 全てネイビーブルーに統一された世界は冷たくて、心地よくて、何より綺麗だった。

 まるで自然が遊び回っているかのような、不思議な光景。

 浮上して、息を吐いた。酸素を取り込んで、張り付いた前髪を横に流す。反射した日光が眩しくて、視線を逸らした。

 みんな、思い思いのまま、楽しんでいる。同じように海に飛び込んだり、恐る恐るさざ波に触れたり、砂浜で見守ったり。

 夏だ。

 夏が、きた。

 またわたしの、わたし達の誕生日が来たのだ。

 十一回目だというのに、どうしてこんなにはしゃげるのだろう。一年に一回しかないとはいえ、十回を越えれば人は慣れる。なのに飽きないのは、どうしてか。

 それは、きっとわたしが生きているからだ。

 一年成長し、心も体も少しずつ大人になり、見える景色が広がっていくから。

 その景色で、沢山の出会いがあって、この日をみんなで迎えられたから。

 だから楽しくて、自分を祝ってくれる誕生日はどうしようもなく心が踊ってしまうのだろう。誕生日は、そんな繋がりや過去を強く実感する日なのかもしれない。

……まあ、そんなことより、今は遊ぼう。せっかく海に来たのに、すぐ終わってしまってはもったいない。遊び疲れたら、ケーキやごちそうにかぶりついて、そしてプレゼントをもらう。

 これからを考えるだけで幸せになれる。

 ずっと、続いていくんだろうなあ。

 これからも。

 ずっと。

 ずっと。

……なのになんでだろう。

 心が、ざわつく。

 不安になる。

 一度芽生えてしまえばそれは急速に広がった。さながら亀裂が走るように。

 波に揺られることに、恐怖すら覚えた。

 手足をばたつかせた姿は、まるで溺れているようにも見えただろう。

 揺れが大きくなる。

 波が段々荒くなっていることに気づく。不味い。このままでは、浜に戻れなくなる。みんなはどうしているのか、わたしは周囲を見渡し、愕然とした。

 居ない。

 海には誰も居ない。いつの間にか、みんな砂浜に居た。

 クロも、ミユも、お兄ちゃんも。みんなみんなわたしのことなんて忘れてしまったかのように、遠くで立っていた。

 声も出せない。波は既に息継ぎすら困難なほど荒れ、わたしを沖へ沈めようとする。

 届かない。

 耳や口から入ってくる海水が、生きる機能を削ぎ落としてくる。

 そして、意識は世界に沈んでーーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚める。

 何か、よくない夢を見た。

 

「……ぁ、あ?」

 

 長い時間眠っていたのか、頭が割れるように痛い。それでも睡眠を欲するのは、寝過ぎたが故か。それとも全身が羽毛のようなクッションに埋まっているためか。さながら肌とクッションの境界が溶けて、凍っていくような感覚。

 目を瞬かせる。太陽の光みたいな眩しさはない。むしろこう、肌寒さすらあるような……?

 

「んん……? ん?」

 

 視界がはっきりしてくる。ぽつぽつと、顔に落ちてくるのは雨か? それにしては白いような。そう思っていたら、脳が急速に体の異常を感知した。

 寒い。

 寒い。

……んん? 寒い?

 

 

「さっっっっっっっっぶ!!!????」

 

 

 眠気なんて一瞬で吹っ飛んだ。

 歯の根が合わなくなり、カチカチと鳴らしながら、肩を抱いて飛び起きた。

 広がっていたのは、辺り一面余すことない銀世界。葉の落ちた木々が、死んだように立っており、湿った枝にすら積もって白い。

 雪。

 夏には絶対あり得ない天候。

 そんな摩訶不思議な光景にわたしーーイリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、

 

 

「……旅行してたっけ、わたし?」

 

 

 まだ、寝惚けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず、状況を一回整理しよう。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、死者である。

 死者ではないとみんなが言うかもしれないけれど、厳密には死者なのでそう仮定しよう。

 七月二十日。その日はわたしの誕生日であり、生者と偽ってきた自分へ罰が下りた日でもあった。

 九枚目のクラスカードの英霊、ギルガメッシュによって暴かれた真実。

 わたし達が暮らしていた世界は、とある世界の人間によって構築されたまやかし(理想)であり、わたしは既にその世界では死んでいるということ。今ここに生きているわたしは、死者の記憶を基にした模造品でしかないこと。

 そして本当の兄はもう、居ないこと。

 絶望しなかったといえば嘘になる。何も信じられなくなったし、生きることを諦めそうにだってなった。

 それでも、生きているからと、守ろうとしてくれた()が、居たのだ。

 衛宮士郎。

 わたし(・・・)を失い、わたしの兄を殺した張本人。未だその事実に対しては、本当かどうかの実感は湧かない。ただ分かるのは、あの人はその魂まで懸けて、わたしや、あの理想の世界を守り切った。

 全てを守りたいと思う人が、全てを守れたのだ。それを一人で行ったことは、少し悲しいけれど、後悔するよりはよっぽどいい。そうわたしは思っていた。

 だが、その結末に泥を塗った相手が居る。

 エインズワースの魔術師。

 ギルガメッシュとの激戦の余波で、ミユの世界を渡ってミユを拐い、あとは死ぬのみだった兄を地に叩きつけたあの二人。

 意味も分からぬまま、光に包まれたわたしは、いつの間にか気を失い、ここに居る。

 

「……うーん、さっぱりわからない……」

 

 ざく、ざく、とスニーカーで雪を踏みながら、山道を歩いていく。夏真っ盛りの冬木市から一転、気が付いたらしんしんと雪降る山地である。当然衣服は夏仕様。太股丸出し、肩から先も素肌丸見えなので、このままだと凍死しちゃうのでは?なーんて思ったりしなくもない。

 

「……エインズワースの人達が出してた光のせいで、わたしもここに飛ばされたんだから……」

 

 だとしたら行き先は同じだ。

 つまり、平行世界。

 ミユが元々暮らしていた、世界だ。

 

「……ということは、ここ異世界なんだよね。そりゃ夏じゃないよね、異世界なんだし」

 

 とはいえ、ミユが住んでいた場所も日本のようだったし、となると単に季節が違うだけなのかもしれない。何せ異世界、月日のズレだってあるだろう。

 さて、となると次にここが何処かという話になるわけだが……。

 

「何処なんだろう、ここ」

 

 日本だとして、ここまで寒いと東北辺りになるのか。冬木市でも雪は見られたが、ここまで積もるのは稀だ。冬という名前こそ付くが、意外と暖かい都市なのだ。

 と、一人ああでもないこうでもないと頭を捻っていると、見えてきた。

 町だ。

 

「!」

 

 雪に足を取られながら、走る。息を切らすほど動いてるのに汗は全然出ない。それどころか、体は冷えるばかりだ。それでも、わたしは走らずにはいられない。

 安心が欲しい。とにもかくにも下地を固めなければいけない。そのためにも現在地を知らなければ。

 そう、町を見るまでは思っていた。

 

「……え?」

 

 北風が吹く。不安な心が、寒さに震えるようになびいた。

 丁度木々を抜けて、下が急斜面になっている場所で、それを一望する。

 その都市は二つの町が隣り合うことで、成り立っていた。古き良き町並みと、発展し続ける地方都市。正反対の性質を抱え込んだその町を、わたしは知っていた。

 

「……冬木、市?」

 

 あり得ない。しかし、この町は間違いなく冬木だ。見覚えのある建物や、学校なんかもよく見える。

 だが深山町と新都を繋ぐ冬木大橋や、未遠川はなく、代わりに巨大な西洋造りの城(・・・・・・)が建っていた。

 異物。明らかに、その城は冬木市に似つかわしくない。だが粉雪が舞い散る町で、その存在はこれ以上ないくらい存在感を放っている。

 城もそうだが、いくら冬とはいえここまで冬木市が寒くなることなんてない。これも異世界だからなのか? 

 

ーーわたし達の世界は、滅びようとしている。

 

 思い出す。

 ミユは言った。

 この世界は滅びようとしていて、そのためにミユという神稚児に、すがろうとした人々が居たと。

 目に見える町は、天候とあの城以外、わたしの世界の冬木市と何も変わらない。だが、それでもやはり違和感はある。それは異常気象やあの異彩を放つ城など、表面上の話だけじゃない。

 この町が纏う空気そのものが、『死んでいる』。

 まともじゃない。それを、肌感覚でわたしは分かった。

 

「…………」

 

 唾を飲む。

 さっきまであんなに走っても出なかった汗が、嘘みたいに噴き出してくる。まるで不可視の手が絡め取るような冷や汗は、降り注ぐ雪と同じように冷たい。

 いつも守ってくれていた兄は、側にいない。いつも共に歩いていた友達も、家族だっていない。いつも面白可笑しくわたしの力になってくれたステッキも、この手から滑り落ちた。

 正真正銘たった一人。

 この死の気配が濃すぎる空間で、何の力もないわたしは、一人だった。

 足元が崩れるような、ふわふわとした奇妙な感覚は、不安から来るモノか。

 と、そのときだった。

 背後で、複数の足音が聞こえた。

 

「ん?」

 

 それに気づけたのは、まだわたしに僅かでも余裕があったからだろうか?

 だとしたら、その僅かな余裕すらそれは丸ごと吹き飛ばした。

 背後に居たのは、狼だった。

 しかも二、三匹などという単位ではない。

 目視するだけでも八匹はいるか。銀色の毛並みは雪に濡れているが、さながら鋭利な刃物のように光り、唸り声は吹雪じみた低音を響かせる。

 狼の群れを前にわたしは、口をへの字に曲げる。

 

「……あー……」

 

 これ、やばくない?

 そんな危機を判別する時間すら、狼の群れはくれなかった。

 先頭の一匹が遠吠えを放った瞬間、雪崩のように狼の群れが猛然と襲いかかってくるーー!

 

「うひゃあ!?」

 

 逃げる間もなかった。反射的なリアクションを取ろうとして、足が絡まり、そのまま後ろに倒れてしまった。

 その、さっきまで立っていた場所に噛みつく……どころか、倒れていくわたしの身体に追尾して首をもたげる狼達には、恐怖しかない。

 しかしさっきも言った通り、わたしの後ろは下り坂。しかもそれなりに勾配もある。そこに勢いよく倒れ込めば、おむすびころころ形式で一回転。あとは真っ逆さま。

 

「うわぁお、おおう、ううがぁおぅぅ……!?」

 

 些か乙女らしさに欠ける悲鳴に、とても恥ずかしくなる。ひたすらタイヤのように転がる勢いが全く止まらないからだが、それにしたってこれは酷い。

 転がる度に視界が反転し、雪が舞い上がり、肌に纏わりつく。霜焼けしないか不安なほど冷たいが、そんな思考すら撹拌されてそれどころじゃない。

 そんな中でも、狼達の存在は常に視界に入っていた。坂道などお構い無し、八匹の群れは均整の取れた動きで取り囲み、涎を垂らして牙を光らせる。

 噛みつかれなかったのは一重に、転がっているわたしが、がむしゃらに軌道を悪化させて、狩りのコースから外れていたからだ。しかし、そんな幸運も長くは続かない。

 

「が、ぁ!?」

 

 体勢が横になったかと思えば、次の瞬間には低木の幹に背中から叩きつけられた。さながらボーリングの玉が特大のピンに弾かれるような、そんなイメージ。

 強引なブレーキに狼達も戸惑いながら、遅れは取らない。前方に八匹配置されていく狼に、わたしは咳き込みながら幹を背にして立ち上がる。

 ルビーは今手元にない。わたしからルビーの現在位置を知る方法も無い以上、カレイドの魔法少女になんかなれっこない。

 聖杯戦争のマスターだったイリヤスフィールの魔術も、クロが抜け出している今のわたしでは、記憶はあっても使えないだろう。そもそも魔術師ではないのだし。

 

「……ぅ、」

 

 じりじりと、狼の群れがその輪を狭めてくる。

 フラッシュバックする光景は、わたしではない(イリヤ)の過去。初めて感じた絆と、久しく感じていなかった父にも似た愛情の記憶。

 それらを切り裂くような、捕食者の殺意がわたしを打擲する。

 今は、隣にも後ろにも誰もいない。

 わたしを守ってくれる家族も。

 (わたし)を守ってくれる従者も。

 誰もいない。

 けれど。

 思ったのだ、わたしは。

 

ーー泣いてる子を、正義の味方は絶対見捨てたりしないんだよ。

 

 あのとき。

 お兄ちゃんがボロボロになりながら、戦い続けていたとき。彼はそう言って、泣きじゃくるわたしを助けてくれた。

 その言葉にどれだけ救われたか。

 だからこそ、その間何も出来なかったのが悔しくて、不甲斐なくて。

 

ーー生きててくれて、ありがとう。

 

 崩れいく身体で、そう最後に告げた彼は、泣いていた。それだけで救われたのだと満足して、嬉しくて、泣いた。

 ああ。今考えると、本当にふざけている。

 泣いてる人を見捨てられないのはわたしだって一緒だ。

 泣いてほしくないと、そう思ったのはわたしだって一緒だったのだ。

 たった一人だとしても、関係ない。

 ただ、守られる存在でいるのはもう嫌だ。

 ただ背中を見ているだけでは、何も変わらないと知った。

 だから、

 

「こんなところで、死ねない……」

 

 足は震えている。

 心は今も押し潰されそうだ。

 だけど、その殺意から目を背けない。

 誰かの後ろになんか、隠れてやらない。

 

「もう一度会って。今度こそ、あの約束を守るって、決めたんだ」

 

 あなたはわたしが守る。

 まだ何も知らなくて、白々しいくらいの綺麗事を並べた約束。だからこそ、あの真っ直ぐに、不器用に生き続ける兄に追随を許す行動はそれだけだ。

 

「だから、死んでなんかやらない!!」

 

 雪の中から、一本の枝を見つける。

 細く、湿った枝は、今にも腐り落ちてしまいそうだ。だけどこんなものでも、ないよりはマシなくらい、自分が無力なことは知っていた。

 中空で構えた枝。それに、狼達は野卑た笑いを浮かべ、同時に狩りの体勢に入る。獣に手を抜くなどという発想はない。

 何処から来る。

 一挙一動を見逃さないと、目を凝らす。

 緊張感で節々の関節から火が出ているように、熱い。

 そして、

 

 

「あら。随分と庶民的なことを口にするようになったのね。しかしアインツベルンの貴女らしくはないのではなくて、ミスアインツベルン?」

 

 

 聞き覚えのある、傲慢な、それでいて目が覚めるような清涼感のある声が、響いた。

 

 

「ーーーーCall(目覚めよ)

 

 

 音などなかった。

 一工程(シングルアクション)で為されたのは、北欧に伝わる呪い、ガンド。相手を指差すことで体調を悪くして、病気に追いやるという呪術だが、これはその呪いが物理的な破壊力をもったフィンの一撃だ。

……つらつらと脳の奥から出る知識は、イリヤスフィールのモノなのだろう。

 ガンドはたちまち狼達に直撃し、足や手を吹き飛ばす。飛び散った血が雪を彩り、まだ頭が寝ぼけているのか、イチゴ味のかき氷に見えたのはわたしの頭が可笑しくなっているのか。

 

「ふん。狩人(ハンター)としては二流もいいところですわね。獲物を狩るときに背後を注意しない狩人など、それこそ獲物ですわ」

 

 きゃいん、と情けない声で狼達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それをさして面白くもなさそうに、少女は歩いてきた。

 青空を思わせる青いドレス。同じく蒼いリボンは、縦ロールに纏めたブロンドの髪をまとめていて、勝ち気ーーというよりは誇りを持った面持ち。

 所作にまで貴族の遺伝子が染み付いているような、その人物の名は、

 

「る、ルヴィアさん!」

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、その人だった。

 驚いた。まさかこんなにも早く、知り合いに会えるなんて。しかもこんなに早い段階でルヴィアさんに会えたのは、僥倖だった。何せ彼女はミユの義理のお姉さんであり、魔術師としても超一流である。ここまで心強い味方はいない。

 

「よかった、ルヴィアさんもここにいたんだ! ミユは拐われるし、お兄ちゃんやクロも、ルビーだって側にいないし、これからどうしようか手詰まりだったから本当によかっ」

 

「戯れもそこまででよくてよ、ミスアインツベルン」

 

「……え?」

 

 何か。

 決定的に歯車が噛み合ってないことに気づいたときには、足元が弾けた。

 柏手じみた乾いた音は、ルヴィアさんがわたしの足元にガンドを放った音だった。

 そしてルヴィアさんは、その白い指先を、銃口をこちらへと向けながらーー惚れ惚れするようなお辞儀(カーテシー)を行うと。

 

 

「ごきげんよう、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。あなたにこうして会うのは一年ぶり、ですわね。息災で何より。ではーー」

 

 

 冷酷に、告げた。

 

 

「約定に従って、あなたを殺しますわ」

 

 

 

 

 

 

 



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円蔵山/タイムトラベラー

 改めて言うが、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは魔術師……ではない。厳密には魔力回路などの魔力量は桁外れだが、その本質はエーテル体であるサーヴァントの魂を集めることに特化した、器そのものである。

 聖杯戦争に運命を左右される少女。初めから人間としての機能は付属品でしかないわけだが、そこはさておき、である。

 そんなイリヤだが、上記の通り魔術師としての技量はさほど高くない。聖杯戦争のマスターとして教育された影響か、知識が少し偏り気味なのだ。故に、会得した魔術は錬金術が主で、暗示や念話など、あとは簡易的なトラップなど、魔術戦は不得手だったりするのだ。

 前のイリヤですらこんな調子であれば、今のパンピーお嬢様のイリヤに魔術など寝耳に水なのも、仕方がないと言えば仕方ないかもしれない。が、残念ながらそんなことは言ってられない状況だった。

 

「え、えっと……? ルヴィア、さん?」

 

「毎度言うのも飽き飽きしていますが、貴女にそんな風に名前を呼ばれるほど、親しい間柄ではないですわ、ミスアインツベルン。魔術師のように残酷でありながら、少女のように純真さを残す貴女らしくはありますが」

 

 ルヴィアーーいや、魔術師・ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトはイリヤを指しながら、

 

「約束覚えてますわね? 次会ったときは、自身を殺すようにと貴女は私と約束した」

 

「え……ええっ!?」

 

 そんな約束、イリヤは無論していない。そもそも、イリヤは死ぬつもりなど微塵もない。まだ花の十代前半、自殺願望どころかむしろこれからイケてる女になりたいというのに。

 とはいえ、ルヴィアが嘘をついているようにも全く見えない。

 

「……あの、ほんとにルヴィアさん、ですか……?」

 

「? なんですの? 急に改まって? まさか、今頃命が惜しいなどと言うわけでは……」

 

 イリヤ、必死の首振り運動。その必死さたるや、まさしく生き汚いと言われても仕方ないレベルであった。

 

「ひ、必死すぎません貴女? 本当にあの千年続く魔術の大家、アインツベルンですの? 余り名を出したくはありませんが、ガリアスタやアーチボルトの方がまだ引き際を見極めていてよ?」

 

 そんなこと言われても、イリヤとしては知ったことではない。ガリアスタだのアーチボルトだのよくは知らないが(知ってるような気もするけど)、そんな魔術師と一緒にしないでほしいのが本音である。

 が、そこでイリヤは気付いた。

 

「あの、ルヴィアさん。それわたし達の世界のアインツベルンじゃなくて、お兄ちゃんの世界のアインツベルンの話でしょ? わたしの世界のアインツベルンはほら、引きこもりみたいなもんだってリンさんが」

 

「は? 何をおっしゃいますの、ミスアインツベルン? 一年前(・・・)に挨拶に伺ったでしょう、貴女の居城に」

 

「……え?」

 

 ルヴィアの言葉を反芻して。イリヤはたまらず、突きつけられるガンドの銃口すら頭からすっぽ抜けた。

……一年前に、挨拶にきた?

 そんなことは物理的に無理だ。何せイリヤとルヴィアが初めて会ったのはたった三ヶ月前。アインツベルンの名すら知らなかったルヴィアが、そんなことを言うのは、あり得ない。

 何か。嫌なモノが、背中に垂れる。それはこの世界に来る前に嫌と言うほど味わった、見たくもない真実の味だ。

 イリヤの世界のアインツベルン家は、知る人ぞ知る、秘境の一族らしい。ドイツの何処かに居を構え、外界と袂を分かって久しいとか。

 とすれば、ルヴィアの話してるアインツベルンは何処のアインツベルンだ?

 この(・・)ルヴィアは、どの(・・)イリヤのことを話している?

……答えなど、分かりきっている。だからこれは、確認だ。

 

「ルヴィアさん、幾つか質問していいですか(・・・)?」

 

「は?」

 

……もしも。

 イリヤの知るルヴィアなら、この時点で違和感に気付いたのかもしれない。敬語を使ってくるなど、それこそルヴィアからすれば他人行儀だからだ。

 しかし気付かない。

 確認作業が行われる。

 

「今、何月ですか? 昨日まで何してました?」

 

「何を聞くかと思えば、今は四月でしょう(・・・・・・・)? 昨日はそう、時計塔の現代魔術科(ノーリッジ)に行って、ロードの話を……って、どうしましたの? 顔色が優れませんが……」

 

 殺す相手を心配する辺り、ルヴィアの世話焼きな一面は変わらないようだ。イリヤはそこに安心して、だからこそ、状況の深刻さに呑まれそうになる。

 息を吐く。溢れそうになる結論を押し留め、ゆっくりと推測を連ねる。

 

「よく聞いて、ルヴィアさん。これは嘘でも、ましてやわたしが魔術をかけられていたわけでもない。いや、ある意味魔術にかけられているんだけど」

 

「?……貴女、何を……?」

 

「今は七月下旬の夏、ここは日本の地方都市冬木」

 

「……は?」

 

 ルヴィアからすれば受け止めきれないのも無理はない。

 だから、イリヤは結論を先に告げた。

 

 

「ーーーーあなたは、三ヶ月眠っていたんです、ルヴィアさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疑問には、思っていた。

 美遊の作り出した世界は死者を蘇らせた、理想の世界だ。しかし、ならば元々そこに暮らしていた生者は? 衛宮士郎、遠坂凛、バゼットやカレンを除く、生きていた人々はどうなったのか?

 これが恐らく答えだ。

 生者一人一人の記憶を、理想の世界に違和感がないよう書き換える(・・・・・)

 恐らく、ルヴィアも同じようにこちらの平行世界へ飛ばされたのだろう。

 しかしどういうわけか、神稚児による記憶の改竄がここに跳ばされたことで解けてしまったのだ。

 そうしてルヴィアは、元の世界ーー七月二十日の理想の世界ではなく、四月某日の衛宮士郎の世界から、この世界にやってきた、ということになるのだ。

 

「……む、ぐ、ぬぅ……」

 

 眉間に皺を何重にも刻んだルヴィアは、唸りまくっていた。それも当たり前だ。ルヴィアには包み隠さず、イリヤの事情を話したのだから。

 美遊という少女に起こった悲劇、その関係。イリヤ達死者のことと、その世界で行われた三ヶ月の日々。

 楽しかったこと、戦ったこと、どうしようもないこと、それでも、生きたいと思ったこと。

 全てをぶつけるべき相手は、このルヴィアではない。それでも、ぶつけずにはいられなかった。もしかしたら、思い出してくれるかもしれない。あれだけ美遊を大事に思っていて、兄のことを好きでいてくれた人なら、きっと。そう、思ってしまった。

 だけど一つ話す度に、疑いの目を向けられた。それは警察や探偵の上品な推理などではない。細胞の一つ一つを剥き出しにして、解剖していくかのような冷徹な瞳だった。

 世界は違えどルヴィアも魔術師、かなり無理のある話だということは重々承知だ。しかも気づけば時計塔ーー霧と歴史あるロンドン、つまりはイギリスから、遠路遙々極東の日本をすっ飛ばして平行世界である。信じる信じないの前に、常人ならまずこっちの頬でも捻られる話だ。

 

「……あの」

 

 少し場所を移動して、イリヤとルヴィアの二人は山道を歩きながら話していた。流石に狼の死体が転がっているような場所には長居したくない。どちらにせよ、冬木市には向かわなければいけないのだから、時間が惜しい。まあルヴィアからすれば、少しでも足を動かすことで事実を飲み込もうとしているのかもしれないが。

 既に、イリヤはもうルヴィアに都合のいい夢を押し付けようとはしていなかった。イリヤの知るルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、恐らく、もう何処にもいない。

 兄と同じだ。勝手に割り振られた役を、意味も分からぬまま期待される。明確に違うことがあるとすれば、ルヴィアからすれば余計な重荷でしかないということ。

 しかし、目の前にいる彼女も、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトには変わりない。

 

「……全く。十を越えたばかりの少女が、そんな顔をするものではなくてよ、ミス?」

 

「……え?」

 

 俯いていたイリヤの肩へ、ルヴィアが手を伸ばす。すると服についていた雪を払いつつ、後ろに回る。そして、乱れていた髪を梳かし始めた。一連の行動は、ルヴィアがお嬢様だということを忘れるほど流麗だ。

 

「こんなに素材が良いのに、手入れを怠っては宝石もくすんでしまいますわ。次からは、これくらい自分でも出来ますわね?」

 

「あ……は、はあ」

 

 目をぱちくりさせてるイリヤに、くすりとルヴィアは唇に微笑を乗せる。それは同姓のイリヤですら、魅力を感じるほど美しい。

 

「……本当に、貴女はただの子供ですのね」

 

 それは、降り積もる雪よりもなお深い、諦念だった。

 

「女の魔術師にとって、髪は重要な意味を持ちます。例えば髪の長さ、つや、色。髪そのものを魔術的な記号にして行使する魔術も少なくない。かつての貴女も、そうだったことでしょう」

 

 イリヤも、知っている。それこそ生前のイリヤは、髪を針金へと変換、そこから錬金術によって様々な魔術を行うことが出来た。決して殺し合いが得意ではなかったイリヤでも、髪にまつわる魔術は手段として持っていた。

 

「前の貴女なら、きっと体に触れることすら許さなかったでしょうに。今はこんな簡単に、触れられる。触れられてしまう……これもまた巡り合わせだとしたら、奇妙な縁があったものですわ」

 

「……ルヴィアさん」

 

 信じたくはなかった。そんなことを、暗にルヴィアは言っていた。

 今のは最後の確認だったのだろう。本当にイリヤが、ただの小学生だということの。

 僅かな静寂が、山地を再び包む。それはまるで眼前の冬木市のように、死んだーーあるいは拒絶しかけていた事実に、浸かるかのよう。

 そんな泥沼から、ものの数分で抜け出したルヴィアが、口を開いた。

 

「信じましょう、ミス。貴女のおっしゃったことを。一から十までとは行きませんが、少なくとも貴女が私の知るミスアインツベルンとは別の存在であり、そして悪意をもった相手ではないということ。それは、信じましょう」

 

「……」

 

 分かってはいた。

 例え同じ人間だとしても、ゼロから信頼を得るのは難しい。ましてや魔術師が相手なら尚更。むしろ生前のイリヤを知るルヴィアだからこそ、その差で真実味を帯びたなら、僥倖だった。

 

「……じゃあ、あの。協力してくれるってことで、良いんですか?」

 

「貴女は貴重な情報源ですもの、組まない手はありません。正直、世界が滅ぶと言われましても、それを阻止する義理など私には無いもので。それはあなたが為すべきことですから。

 が、まあ……幼子に振りかかる火の粉くらいは払わねば、エーデルフェルトの沽券に関わりますわ」

 

 つまるところ、『世界がどうこうは一先ず置くとして、イリヤみたいな子供をこんなところで見捨てられないから知り合いまで送る』……こんなところだろうか。迂遠な物言いはらしくないが、見捨てるとは言わないのが、何ともルヴィアらしい。

 

「じゃあ……それまではよろしくお願いします、ルヴィアさん」

 

「ええ。よろしくお願いしますわ、ミスアインツベルン」

 

……む、と。イリヤは気に食わない素振りを見せる。

 

「イリヤで良いですよ、ルヴィアさん。わたし十一歳だし、ミスなんて呼ばれるほど立派な人でもないし……何より、慇懃無礼さがないルヴィアさんって凄く違和感あって、むず痒いというか……」

 

「さらっと私のこと猛烈に貶してることお分かり??? 一度死んでも、若返っても、貴女のその毒は一ミリも抜けてませんのね、全く……」

 

 いいでしょう、とルヴィアは自身の豊満な胸に手を当てる。

 

「その代わり、貴女も敬語なんて使わず、自然体で構いませんわ」

 

「……え、いいんですか? 一応目上だし、初対面なわけだし、敬語使わないとって……」

 

「一応は余計でしょうこの天然毒娘。私を見つけたとき、貴女は友のように接してきたでしょう? なら、あなたが私へと求めるモノはそれ。でしょう?」

 

「……そう、なんですけど」

 

 それは兄と同じ苦しみを、ルヴィアに与えることになるのではないか? イリヤの中に宿る不安を見透かし、ルヴィアは自信の限り答える。

 

「勘違いなさらぬよう。私と貴女は、対等の関係ですのよ? これから先、子供と侮ることもありません。故に、あなたが行動で示すなら、私もそれ相応の対価で返さねば。

 そういうことで……イリヤスフィール(・・・・・・・・)。これでよろしくて?」

 

 それは、凍えるような冷気が一瞬で吹き飛ぶ、熱を持っていた。イリヤを、この状況へ立ち向かわせる強さを。

 

「!……うん! 改めて、これからよろしくね、ルヴィアさん!」

 

 ああ。イリヤは、胸の奥から久しぶりに感じた温かさに、笑みを浮かべる。

 この世界に来て初めてだったかもしれない。ぬか喜びでもなく、正しく、良かったと心の底から思えたのは。

 分かっている。こんなことは長く続かない。

 それでも、向かう先が終わりであったとしてもーーイリヤにとって、これは大きな一歩だった。

 

「さて、ではまず衣服を買うことにしましょう。何時までも夏の装いでは、こんな矢先で凍死しかねませんし」

 

「え? でもルヴィアさん、お金あるの? 財布入れるスペースなんてドレスの何処にも無さそうだけど」

 

「ああ、ご心配せずとも。現金でしたら従者に持たせていま」

 

「その従者さん、今いないけど」

 

「………………………………………」

 

「ちょっ!? ルヴィアさん!? 萎んでる!! こう、貴族的なオーラが秒速何百って勢いでくすんでるよいいのそれ!?」

 

「……お仕舞いですわ……ティータイムすらまともに……くまちゃんを抱いて寝ることすら……」

 

「そんなに知りたくもない可愛い一面が明らかになったけど狙ってるのか狙ってないのかどっちなの!?!??」

 

……大丈夫、なのかなあ。

 衣服すらまともに調達出来ない仲間を得て、少女は歩き出す。

 平行世界で起きてから僅か三十分の出来事なのだが、これからやっていけるのか。イリヤとしては切に心配なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで、かれこれ四十分後。

 イリヤとルヴィアの二人は山を下り、県道まで歩を進めていた。

 昔は港町として栄えたらしい冬木市だが、海とは反対の円蔵山近辺は緑が深い。こうして降りてみても、深山町まではまだ少し遠そうだ。魔術を使えば町の端くらいまで一息かもしれない。イリヤを放っておけば、の話だが。

 相変わらず雪は降っているが、ルヴィアの魔術により保温されているため、イリヤも比較的消耗はしていない。

 ただ凍結した路面に対し、片やサンダル、片やヒール(取り外し可)と迂闊に進めば頭をコンクリで叩き割る未来が待ってるので、進みは遅くなってしまうが。

 そんな二人だが、この間に情報交換を行っていた。お互い相手の差異などを無くすためなのだが……。

 

「え、ルヴィアさんって日本嫌いなんですか!?」

 

「ええ。こーんな田舎の極東など、世界で一番縁がない国だと思ってましたもの。聖杯戦争などという馬鹿げた儀式のせいで、当時は本当に大変でしたし、何よりあのナンチャッテチャイナ拳女の住む国に足を踏み入れてはほら、貧乏菌が移りますでしょう?」

 

「ナンチャッテチャイナ拳女……? ああ、リンさんか。うーん、じゃあミユのことも最初はよく思ってなかったのかなあ、ルヴィアさん……?」

 

「ああ、勘違いなさらぬよう。私個人、というより家そのものが日本嫌いなだけですわ。あとトオサカも。そもそもそちらの世界の私は、聖杯戦争を知らなかったのでしょう? 例え私と同じ状況だったとしても、私は人種で人の価値を決めたりはしませんわ。トオサカは別ですが」

 

 とか。

 

「そういえば、その美遊とは、どのような人物なんですの?」

 

「ミユ? ミユは……うーん、そうだなあ。ミユはね、凄く真面目で、融通が効かなくて、でも誰より他人のことを気にしてて、優しい子……かなあ?」

 

「かなあ、って。友達なのでしょう? でしてたら良いところくらいはバシッと口にすればよろしいのに」

 

「う、まあそうなんだけど。最初はミユのことちょっと怖い人だなあって思ったし、怒られたこともあったし……でも、良いところも悪いところもあるから、わたしはミユをほっとけなくて、友達になったのかなあって」

 

「……なるほど。良いも悪いも兼ね合わせての人だからこそ、共にいたいと。魔術師には中々ない価値観ですわ。ふふ、素晴らしい友がいるのですね、イリヤスフィール」

 

「ありがとうございます……なんか、こう話すと照れるなあ。あ、じゃあルヴィアさんはどんな友達がいるの?」

 

「私?……私は……ふむ……」

 

「あ、あれ? スッと出ないんですか? 自分はあれだけ言ってたのに?」

 

「いえ。イリヤスフィールのような価値観で言うのならば、私には友がいないということになりますから……」

 

 とか。

 

「はぁ……ルビーがいてくれたら、わたしも戦えるのになあ……」

 

「カレイドステッキがそこまで協力的だなんて、私的には驚天動地なのですが……一体どんな手を? 宝石? 宝石ですの?」

 

「いやそんな賄賂とかないし……ってあれ、ルヴィアさんは会ったことがあるんですか? ルビーとサファイアに?」

 

「というより、元々アレはエーデルフェルトとトオサカが大師父より賜った、一級の礼装ですわ。エーデルフェルトにはサファイアが与えられ、代々封印しているのですが……」

 

「ですが?」

 

「……一度使ったことがありまして。そのときの記憶がすっぽり抜け落ちてしまったのです。その後、周辺住民に温かい目を向けられたときは二度と使ってたまるかコンチクショウと」

 

「ああー……」

 

 とか。

 些細なことばかりで、一見そんな会話に意味はなかったかもしれない。しかし、イリヤは魔術師ではない。ルヴィアも魔術師ではあるが、同時に堂々と清廉潔白過ぎて、その在り方は魔術師というには些か真っ直ぐすぎる。

 そんな二人だからこそ、相手を信頼するのに必要な要素は、その人生。本音を吐露し合う、とまでは行かずとも、どういう人生を送ってきたかを知ればそれで信頼するという二人なのだ。

 目の前の人物が狂人でないなら、こんな経験をしたならああする、という予測とて立てられる。最も、そこまで計算しているのはルヴィアだけなのだが。

 

「……それにしても」

 

 視線だけ投げながらルヴィアは、

 

「やはり異常ですわね。電車どころかバス一つ通りませんわ。いくら極東の田舎といえ、ここまで人と出会わないのも可笑しい」

 

 ここまで二人は、バスはおろか道路を走る車、自転車、歩行者すら目撃していない。

 先程より暗くなってきて、時間も夜に差し迫ってきているかもしれないが、それにしてもこの人通りの悪さは正常ではない。

 

「……何があったんだろう?」

 

「世界滅亡の危機でしたら、それこそなんでもありでしょう。大源(マナ)が尽きかけているなど、人類史、いえこの地球の歴史始まって以来の不祥事。我々の世界ではずっと先に起こるかもしれませんが、経験が無い以上は推測の域を出ませんもの」

 

 ともあれ、やるべきことは一つだ。

 

「まずは町へ。この世界の情報を集め、そして」

 

「クロやリンさん達と合流する、だよね?」

 

「ええ」

 

 冬木市がどうなっているか分からない以上、足を踏み入れるのは愚策かもしれないが、情報源は今そこにしかない。

 全ては歩かなければ始まらない、ということだ。

 

「イリヤスフィール。ここからその深山町、という場所までどれくらいかかりますの?」

 

「うーん、あと二十分くらいかなあ……いやもう少し早いのかな? こんなに歩くこと中々ないから、ちょっと分からないかも」

 

「そうですか……うう、こんなに徒歩で移動することになるとは……リムジンが恋しいですわ……」

 

 確か士郎の友人に、毎日お寺から学校まで二時間歩いて登校する人がいたな、とイリヤは思い出す。このままではとっぷり夜も更けた辺りで冬木市に着くだろう。流石に野宿するわけにも行かないし、方針を変えた方が良いかもしれない……とイリヤが考え始めたときだった。

 

「……?」

 

 さ、とイリヤをたおやかな腕が制止させた。ルヴィアが何かを感じ取ったようで、遠くの冬木市をねめつけている。

 

「……ルヴィアさん? どうかしたんですか?」

 

結界(・・)です、イリヤスフィール。今しがた冬木市全域を、結界のようなもの(・・・・・・・・)が覆い尽くしました」

 

「い、今!?」

 

 イリヤの目には、冬木市そのものに異変はない。しかしルヴィアは感じていた。

 二つの町の接点、あの西洋造りの城を頂点に、冬木市を余すことなく結界のようなものが囲んでいる。

 ようなもの、とルヴィアが言ったのには理由がある。

 結界にも種類がある。ポピュラーな外敵から身を守るモノ、はたまた一般人を巻き込まないための人払い。

 ルヴィアは世界中の魔術的な抗争から、成果だけをかっさらい、自らの神秘を次の段階へ推し進めてきたエーデルフェルト家の当主だ。

 だからこそ、その結界の異常さに気付いた。

 広すぎるのだ。結界そのものが。

 例えばこれが常駐する、龍脈などのバックドアがある結界ならばまだ分かる。

 しかし、十キロを越える広範囲に渡って貼った結界を自由にオンオフするなど、聞いたことがない。そして何より、結界の向こうーー冬木市そのものが、物理的な距離より遠く感じる。

 まるで、そこには何もないと暗示をかけられているような。

 

「、イリヤスフィール!!」

 

「えっ、わっ!?」

 

 ルヴィアはすぐにイリヤを抱えると、そのまま走り始める。傍目からすれば、急に抱え上げたルヴィアの行動は首を傾げても仕方がない。

 だが、魔術師として、エーデルフェルトとしての血が騒いでいた。

 

「あの結界が貼られた理由が、時間に則ったものでないのなら……!!」

 

 結論を口にする暇すらない。

 後方、円蔵山の直上。

 その空が、裂けた(・・・・・)

 さながらカッターナイフで切ったかのように、世界という壁を容易く別つそれから、ずるりと何か落ちてくる。

 それは、人だった。ただの人ではない。誰も彼も武装しており、その割りには銃などの近代的な装備はかなり少ない。国籍も様々で、イリヤのような子供から枯れくさってしまいそうな老人まで、層はバラバラだった。

 一つ共通する点があるとするなら、それはひりつくような殺意。距離にして大体二、三キロだろうか。それだけ離れているというのに、濃密な殺意の波は距離など感じさせなかった。

 

「な、ん……!?」

 

 イリヤも世界が裂ける、という現象は何度か見たことがある。しかし、そのどれともアレは似通っていなかった。人が降りてくるにしても、エインズワースのそれとは違う。

 そう、慣れている(・・・・・)。突発的な行動ではない。これは、恐らくこの世界では何度も行われていること。

 ならば、まだ先があるのも当然だ。

 

「!?」

 

 今度は前方だった。

 冬木市、結界内。視力を強化したルヴィアどころかイリヤですら、その姿は目に飛び込んできた。

 西洋の城、その頂点。そこで、黒く巨大な立方体が顕現していた。

 ルービックキューブにも似たそれは、西洋の城と同等にまで膨らむと、脈打ちながら回転し始める。

 ルヴィアが足を止める。

 先述したが、彼女は魔術世界でも珍しい、武闘派である。当然、それにちなんだ礼装や魔術、場合によっては宝具などを目にしたこともある。

 しかし、それらが塵芥に見えるほど、その黒い立方体は異様だった。漆黒を塗り固め、雨風という自然の彫刻刀で削られたと言われても納得してしまうほど、精巧で、見る者の心をざわつかせるほどの何かを秘めていた。

 そしてそのざわつきは、立方体から滲み出した液体で、確信へと変わった。

 

「……う、そ」

 

 イリヤはそれに見覚えがあった。

 空気が救いを求めるように水面を弾けて、それは圧倒的な重量で冬木市を溶かす。

 

「聖杯の泥……!?」

 

 なんでそんなものがここに? アレはギルガメッシュが吸収してそのままだったのではないのか? そんなイリヤの疑問に答える者はおらず、更に状況はめぐるましく変わる。

 泥が地表へと落ちたかと思えば、それは人型へと形を変えたのだ。

 そう、丁度後方で今冬木市へ全速力で駆けてくる彼らのような、悽愴な何かが。

 

「黒化英霊まで……!?」

 

 イリヤは絶句する。たった一体の黒化英霊に負けることすらあったのに、それが何十と泥を破って浮き出てきたのだ。空いた口が塞がらない。

 ルヴィアも黒化英霊の話は聞いていた。しかし、だからこそ、それを何十体も出現させなければならない後方の集団は、なんだ?

 結界まではあと二十分。

 つまり走れば、それ以下。

 

Call(目覚めよ). Conect with purple8 for green9(菫の八番は翠の九番と接続),Lead your queen(汝が女王を導け)!!」

 

 キィィン、という風切り音は、ルヴィアのドレス内部から。発光する箇所は太股の辺り。弾帯を巻いて、弾丸の代わりに宝石を装備していたのだ。

 

「口を閉じて、舌を噛みますわよ!」

 

 即座に宝石に蓄えられていた魔力がルヴィアの全身へと行き渡る。イリヤがしがみついたのを確認し、薄い翡翠の幕で覆われたルヴィアは、それこそ弾丸のように道路を爆走し始めた。

 重力操作と身体強化の併用。

 その速度足るや、先の狼にすら勝るだろう。

 しかし、

 

「っ、こっちだって出し惜しみしてるわけじゃありませんのに……!」

 

 背後。一足早く開いたあの穴からこちらの世界へ来た者達が、音速の壁を越えてこちらへ接近してくる。いや、それだけじゃない。強化したルヴィアの眼球は、それを捉えて体を横へ流した。

 

「うわっ!? な、なに!?」

 

 至近で小さな爆発。危なげなくルヴィアは回避したが、イリヤからすれば意味の分からぬままの狙撃だ。動揺するのも無理はない。

 

「……狙撃に弓を使うとは、なんて時代錯誤でふざけた真似を……!!」

 

「ル、ルヴィアさん。これってまさか……!」

 

「ええ、考えることは同じでしょう。全く勘弁してほしいものですわ、考えたくもなかったというのに……!」

 

 ルヴィアは感知用の簡易ダウンジングと、防護結界を貼りながら、

 

「いきなり英霊同士の戦争(・・・・・・・)だなんて、そんな馬鹿げた開幕があってたまるものですか……!!」

 

 普通ならまず否定する思考。しかしルヴィアが言ったのだ、ここでは何があっても可笑しくないと。

 世界なんてものが終わるとして、それはどんなときなのだろう。

 そんな詩的な問いに、現実的な回答をするなら、今や世界など救うも壊すも容易いモノでしかないと魔術師は答えるだろう。

 ボタン一つで都市を破壊するミサイルが空を泳ぐ世界で、そんな問いに意味などない。世界の価値などそんなもので、だからこそ、目の前に広がる光景も一つの終わりに違いない。

 一人一人が戦術兵器に匹敵する英霊の戦争。それは最早戦争の肩書きを越えて、大戦に発展する。

 巻き込まれたらまず死ぬ。

 それは魔術師だとしても関係ない。

 一般的な戦争の知識など、何の意味も持たない破滅の空間ーー!

 

「遮蔽物どころか、隠れる隙間すら貫通してくる可能性があるとしたら、逃げ場なんて何処にもない……!!」

 

「とにかく走るしかないよ! 担がれてる分際で言いたかないけど早く走って!」

 

「ほんとですわよ!? 軽すぎて逆に怒りたいくらいですけども! あなた肉を食べてますの!? だからぺったんこなのではなくて!?」

 

「最近の女の子は細身志向なの!!」

 

 たたん、とステップを踏んで、攻撃の範囲から外れようとルヴィアは踊る。前から狙撃はなく、幸運なことに円蔵山からの狙撃も、威力と精度はそれほどではない。

 しかし、

 

「ルヴィアさん前!!」

 

「え?……、っ!?」

 

 注意が後ろに逸らされていたから、イリヤに忠告されても気づくのが遅れた。

 真横の田んぼ。狙撃から逃れようとして誘導された先に居たのは、赤いフードを被った襲撃者。サバイバルナイフを構えていた襲撃者は、音もなく二人の背後を取り、そのナイフで首を断つべく振り回すーー!

 その、直後だった。

 つんざくような破砕音が、響いた。

 

「……え?」

 

 一瞬のことすぎて、二人には田んぼに居た襲撃者が勝手に反対の家屋まで吹き飛んだように見えただろう。

 だが、それを実力者が見れば、一連の動作に気づいたハズだ。

 襲撃者のサバイバルナイフを砕いた一射と、続く二射目で襲撃者の腹を貫通した矢の存在を。

 

「……!?」

 

 二人が目を見張る。

 何故なら、聖杯の泥で作られた黒化英霊達が、いつの間にか二人の側に現れていたかと思うと、まるで守るように取り囲んだからだ。

 目を白黒させるイリヤとルヴィア。まさか、エインズワースに関係ありそうな彼らが自分達を守ってくれるなど、予期していなかった状況だ。

 

「……なに、これ?」

 

「助かった……と考えても、よろしいのでしょうか?」

 

 黒化英霊達は何も言わない。ただ、目の前の敵を駆逐することだけを命じられているのだろう。

 そうしている間にも、頻繁に攻撃は防がれ、穴から落ちてきた集団に対し、黒化英霊達は牙を剥いている。水田が吹き飛び、木が薙ぎ倒され、アスファルトが割れて粉々になりながら、英霊達は一歩も引かない。

 二つの勢力は互角だった。様式美、という単語がまさにこの戦争には似合う。こんな辺鄙な場所であっても、見える景色はかつて世界の各地で行われた英雄譚と何ら変わらない。

 全くもって、予想外のことが起きすぎている。こうも振り回されていると、立ち上がる気力すら削がれてしまいそうだ。

 誰か状況を教えてほしい、そう二人が心の底から考えたとき。

 

 

「ーーいやあ、運がいいですね、お姉さん達。たかが三十秒とはいえ、抑止の守護者(カウンターガーディアン)に付け狙われて生きてるなんて」

 

 

 それは、秘境にだけ成る至高の果実のように、蕩けてしまうほど甘美な声だった。危険が付きまとうハズなのに、口にせずはいられない、そんな誘惑の権化だった。

 ざ、と砂利を踏みしめる音は軽い。それもそのハズ、そこに居たのはイリヤよりも年下と見られる、金髪の子供だったからだ。

 しかし、声が出なかった。イリヤには、その声に身覚えがあったからだ。生前も、死後も。密接に関わる死神のごとく。

 

「……あなたは?」

 

「僕? ああ、そうか。イリヤさんは知ってるけど、そっちのルヴィアさんは知らないんだっけ?」

 

 ルヴィアの明確な敵意を込めた誰何にすら、笑顔のまま、彼は一切動じなかった。

 金髪の少年は数多の黒化英霊が散っていく戦場の最中、柔らかな口調で告げる。

 

 

「僕はギルガメッシュ。この戦争ーー第六次聖杯戦争に呼ばれた、はぐれサーヴァントさ」

 

 

 

 

 

 



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深山町~ゴールデントレイントレイン~

祝!FGO美遊実装!なので更新です。なお美遊は出ない


 

「ギルガメッシュ……!!」

 

「や、イリヤさん。一日ぶりかな、君の体感だと?」

 

 まるで再会が嬉しくて仕方ないとでも言いたげに、にこやかに笑ってみせる黄金の少年、ギルガメッシュ。それに、イリヤは最大限の警戒で応じるが、暖簾に腕押しと言う他ない。巻き起こる英霊同士の戦禍すら、この英霊の前では背景にまで霞んでしまう。

 英雄王、ギルガメッシュ。

 イリヤにとって、そして兄である衛宮士郎にとって、仇敵とも呼べるサーヴァント。その容姿は子供であっても、人をいたぶる悪辣さは既に持ち得ている。

 しかし、ギルガメッシュはあのとき確かに衛宮士郎に倒された。霊核すら両断されて、魔力へと還ったハズなのだ。

 なのに、

 

「ああ、再召喚された別個体とかじゃないよ? 確かに僕は君に真実を伝え、衛宮士郎に二度も負けたサーヴァントさ」

 

 体格こそ子供にまで戻っているが、こうして生きている。イリヤには、それが不思議でたまらない。

 

「……じゃあ、どうして? 確か、聖杯の巨人と一緒に消えて……」

 

「ああ、あれ? 確かにあのままなら死んでたね。何せこっちは運命を斬られたんだ。因果を逆転させたところで、普通ならまず死んでる」

 

 けど、とギルガメッシュは肩を竦める。

 

「僕はクラスカードを核としている黒化英霊じゃなく、クラスカードから受肉した存在だったからね。あの瞬間、どうしても消えるわけにはいかなかったから、残った魔力で受肉し直した(・・・・・・)のさ」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいまし……」

 

 蚊帳の外になりかけていたルヴィアが、目を回しながら、

 

「えぇと、あなたがあの希代の暴君であるギルガメッシュ王……?」

 

「ん、そうだね」

 

「それを、イリヤスフィールの兄が倒した……? 人の身で?」

 

「そうさ。完敗だね、やられたよ。奥の手があることくらいは分かってたけど、まさかあんな奥の手があったとは。素直に負けを認めるしかない」

 

「……有り得ないですわ……受肉し直すということもですが、イリヤスフィールの兄はどんな魔法(・・)を使ったんですの……?」

 

「ははは、全くだね! いやあほんと憎たらしいったらこの上ないよあのお兄さん!」

 

 その割には満面の笑顔な辺り、イリヤには底が知れない。

 ともあれ、聞きたいことが山程ある。この訳知り顔ならば、知ってることも多いだろう。話してくれれば、の話だが。

 

「おっと」

 

 するり、と左に体を半回転させるギルガメッシュ。

 次の瞬間、前方、イリヤとルヴィアの背後から、音のない投擲が跡を追うように雪面を穿った。弾丸というよりは、銛に近いそれは、人体を貫通すれば容易く食い千切るであろう。

 暗殺紛いの攻撃に、ギルガメッシュは分かりやすく眉をしかめる。

 

「全く、守護者ってのは獲物を前にお上品に待ってすらくれないのか。これじゃあおちおち説明も出来なさそうだ」

 

「……では、本当に、あの山付近に降りてきたあの軍勢は……」

 

「ん、そうだよ。抑止の守護者、霊長類の代表とか言われてるけど、要は顔を剥ぎ取られた掃除屋さ」

 

 ギルガメッシュの唇に、少しの哀れみが込められる。

 抑止力、というモノがある。

 世界が滅亡するという未来が確定したとき、安全装置として世界にはいくつかの機能が設けられている。その一つが抑止の守護者、世界そのものと契約することで、死後も人類の継続を是とした者である。

 それが、あんなにも。

 数えるだけでも百はいるかもしれない。本来抑止の守護者は、人が無意識に考える集合的無意識の具現化であるため、意識して見ることが叶わない。無意識がカタチになるということは、意識あるイリヤやルヴィアの目に止まらないハズなのだ。

 しかし、どういうわけかこうしてその姿は二人にも見えている。

 

「……どういうことですの? 私達二人にすら、守護者が見えるだなんて……」

 

「それは簡単さ。あれには、意識がある(・・・・・)。だから君達にも見えるのさ」

 

「……無意識のカタチをした抑止力に、意識が、ある……?」

 

 どういうことか質問を追加しようとするルヴィアに、ギルガメッシュは人差し指を口にあててジェスチャーする。

 

「まずは落ち着いた場所に、ね。ついてきなよ、案内してあげるから」

 

 手招きする先は、町へ続く畦道。

 後ろは戦場で、前は正体不明の町。

……イリヤとルヴィアが取るべき選択など、最初から一つしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……終わったか」

 

 そこは数十分前、イリヤがルヴィアと出会った円蔵山の勾配がある部分だった。見晴らし自体はとてもよく、針葉樹の枝を気にしなければ狙撃ポイントとしては上出来だ。無意識だったなら、の話だが。

 そこに居たのは、三十に差し掛かるか差し掛からない程度の若い男だった。色の抜けた白髪を後ろに撫で付け、浅黒い肌にはプロテクターのような防護服を身に付け、上から口まですっぽり隠れるくらい大きい、煮しめた色の外套を羽織っている。

 男の視線は、遥か先の県道だった。一般的な日本の山岳部ならよくある光景に、まるで似合わない英霊達と守護者達の戦争が、今終わりを迎えていた。

 結果は、こちらの惨敗。昨日ぶりに行われた掃除の続きは、たった十分にも満たない時間で唐突に終わりを迎えた。

 

「……抑止力の干渉を、毎度毎度こうも容易にはね除けるとは。やはり神稚児とあの力がある限り、外からの介入は難しい、か」

 

 持っていた洋弓が、男の手から弾けて消える。鷹のように鋭い眼は、黒化英霊に残らず処理される同類の姿を確認していた。

 同時に、エインズワースの城に展開されていた漆黒の箱が凄まじい勢いで回転、ばちん、と渇いた音を立てて消え、黒化英霊も夜の深い闇に溶けていった。

 このような光景は、今日に始まったことではない。三ヶ月前から、この世界はとっくに抑止力の対象として認定されている。つまり三ヶ月間、この町は抑止力に耐え続けてきた(・・・・・・・)のである。

 本来なら、こんなことはまずあり得ない。あり得てしまうからこそ、抑止力が働いている、とも言えた。

 

「僕はそうは思わない」

 

 びゅう、と風が外套の男に吹き付ける。すると、いつの間にか別の男が外套の男の横に立っていた。

 それは、イリヤ達を一番最初に襲った、フードの守護者だった。顔は依然として見えないものの、その振る舞いから傷を負った様子はない。

 

「最初に女子供を殺そうとしたとき、アンタ、邪魔しただろう? 矢の角度で騙されると思ったか? おかげでナイフの一つが破壊された上、一人も殺せなかった」

 

 フードの守護者が、イリヤ達を襲ったときのことだ。黒化英霊が阻止したように、外套の男がわざわざ矢の弾道を変えてまで偽装したのだ。

 無論、外套の男とて誤魔化しは効かないと分かっている。フードの守護者は暗殺者と呼ばれるほど対人戦闘に長けているからだ。

 しかし、外套の男はニヒルに笑う。

 

「こちらとしても、無為な殺生は遠慮したくてね。そら、掃除のときに飼い犬を殺しては目覚めが悪いだろう?」

 

「アンタの方針なんて知ったことじゃない。世界を救うなら、どんな要因だろうと見逃さずに抹消するのが守護者の仕事だ。今更シミの一つや二つ増やすのを躊躇ってどうする? 善人ぶってる暇があるなら黙って見ててくれ」

 

「手厳しいな」

 

「当たり前だ。世界のため(・・・・・)だからな」

 

 踵を返すフードの守護者に、外套の男は尋ねた。

 

「何処へ?」

 

「アンタは信用ならない」

 

「個々での行動は慎むべきだと思うが? 今の我々は平時のように不死身ではない、霊核を砕かれれば同類(彼ら)のように座に帰ってしまうだろう」

 

「後ろから射たれちゃたまったもんじゃないんでね。勝手にやらせてもらう」

 

 言葉を区切り、音もなくフードの守護者は雪に消えていった。外套の男ーー英霊エミヤは、小さく自嘲を口にした。

 

「……全く、運命という奴も意地が悪い」

 

 錬鉄の英雄が鷹の目を向けたのは一点。

 最も守護者を殺した、黒化英霊ですらない人形。

 その人形に、手足はなく。

 四肢には剣が(・・)、伸びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハデスの隠れ兜、という宝具がある。

 ギリシャ神話において、ゼウスの弟(より正確に言うなら兄だが)であり、冥界の主とされる神ハデスが使っていた宝具である。神話の中でも最もポピュラーなギリシャ神話、その最高神の親族ともなれば、いかにハデスという名がビッグネームか分かるだろう。

 

「それをこんな間抜けな格好で使うことになるとは、我ながら特異な状況に巻き込まれてしまいましたわね……」

 

 げんなりと、ルヴィアが肩を落として愚痴る。

 イリヤもそれには大いに同意したい。

 何故ならギルガメッシュを含めたイリヤ達三人は、深山町を、仲良く電車ごっこのように密着して歩いていたからだ。

 ギルガメッシュに先導され、冬木市までたどり着いたイリヤとルヴィアだったが、出発する直前に布のようなモノを渡されたのである。

 ようなもの、と言ったのは、それがギルガメッシュの頭にあった三角帽子がひとりでに分解し、マフラーのようになったからだ。

 これこそがハデスの隠れ兜。キュクロプスによって作られ、かのティタノマキアで結果的にティターン神族を打ち破ったとも言われる一級の宝具である。

 

ーーここから先は、エインズワースの監視があるからね。これで姿を隠して町に入ろう、っていうわけさ。

 

 なるほど道理だ、と二人が頷いたのも束の間。織物になった隠れ兜を何故か両手に持たされ、以下略という形である。

 

「だから何回も言ってるでしょ? この隠れ兜の効力は絶大だけど、身に纏っていないと意味がない。だからこうやってロープのように伸ばして、三人をまとめて囲まないといけないのさ」

 

 ギルガメッシュに買い与えられた冬物の服に身を包んだ二人は、そう簡単に割り切れるわけもなく。

 

「見られてないから良いとしても、やっぱりなんだか恥ずかしい……」 

 

「イリヤスフィールの言う通りですわ……というか、この遊び本当に日本でやってますの? もしや低年齢も低年齢の頃にやってそれっきりみたいな遊びに思えるのですけれど……」

 

「そうかい? 僕は結構楽しいよ、何せほら、男だしね!」

 

 人の心が分かってない王様である。多分大人になったらモテないな、とイリヤとルヴィアが心の中でシンクロした。

 

「で、そろそろ説明してもらっても? 第六次聖杯戦争とは? あの英霊達や守護者達との関係を教えてくださる、ギルガメッシュ王?」

 

「ギルでいいよ、お姉さん。今の僕はただの王子、王なんて程遠いもんさ。それで第六次聖杯戦争のことだけど……まあ、君達も予想はついてるだろう?」

 

「……クラスカードを使った、殺し合い?」

 

 正解、とイリヤの解答を採点するギルガメッシュ。

 

「ま、正しくは君達が持っているクラスカードを使った、と言った方がいいかな。エインズワースが主催した聖杯戦争は、平行世界の聖杯戦争とは些か形式が違う。それは景品が神稚児である美遊のこともそうだけど、その最たる例がクラスカードさ」

 

 平行世界の、とはつまり、ルヴィアの世界の聖杯戦争だ。七騎のサーヴァントに七人のマスターによる、現代に甦った神秘による原始的な生存競争。

 こちらでは虎の子であるサーヴァントの強さが鍵となるが、この世界の聖杯戦争は違う。

 

「クラスカードによって、魔術師自体を英霊に置換する……こんな馬鹿げた話、中々他の世界じゃお目にかかれない」

 

「でも、ミユのお兄さんが勝ったんでしょ? ならその聖杯戦争も終わったんじゃ……」

 

「何言ってるのさ、終わってないよ。だってそのお兄さん、死んじゃったでしょ?」

 

 死んだ。その言葉が飛び出したとき、イリヤが咄嗟に思い出したのは、自身の兄のことだった。

 

「願いは叶えたけど、優勝者は既に死んでしまった。そしてまだ景品は残ってる……となれば、まだ聖杯戦争は続行される。そして美遊が帰ってきたことによって、三ヶ月間休止されていた第六次聖杯戦争も再開された、というわけさ」

 

「マスターはやはり七人なのですか?」

 

「ま、実質エインズワース陣営の一強だけどね。あそこだけでエインズワース含んで五人のマスターがいるからねえ」

 

「五、五人!?」

 

 そんなの、反則的ではないか? イリヤはたまらず悲鳴を出しかけるが、ギルガメッシュがしーっ、と唇に人差し指をあてた。

 

「この宝具は声までは隠せないから気を付けてくださいね、イリヤさん」

 

「う、はい……む、でもずるくない? それじゃあ勝てっこないんじゃ……」

 

「その上黒化英霊もいるしねえ。簡単に勝てる相手じゃないのは確かさ」

 

 ところで、とギルガメッシュが視線を周囲に投げた。

 

「意外とバレないものですね、これでも。まあ僕の宝物庫に入ってるモノだから当たり前だけど」

 

「ちっこいときでも自信はたっぷり……」

 

 確かに、とイリヤは街灯が点きだした周囲を見回す。

 この世界の深山町も、元の世界の深山町と余り変わらなかった。変わった点と言えば、人通りの少なさと廃墟が多いことか。道中ちょこちょこ人に出会ったが、町としての機能は何とか働いているようで、暗くなった今も町は電気で明るい。が、隠れ兜の効力はかなりのモノだったらしく、話しかけられはしなかった。

 

「……町の中は、比較的人がいるんだね。わたしと同い年くらいの子供もいたし」

 

「ここはむしろ栄えてる方さ。エインズワースが居なければ、とっくにゴーストタウンになってたろうね。丁度良いし、順を追ってこの世界について説明しよっか」

 

 ばっちり冬着な黄金(こがね)持ちは、この世界について解説を始める。

 

「まずこの世界が滅びそうになってる、というのは知ってると思うけど、その理由は知ってるかい?」

 

「まあ、一応。マナが枯渇して星が死んでいってるとかなんとか……」

 

「そうそう。それでエインズワースは世界を救う手立てとして、自分達で何とかしてやろうとしたわけだ。美遊を使ってね。だがそれは、手段はともかく不可能なのさ」

 

「?……どうして?」

 

「抑止力が出てきたから、ですわね?」

 

 正解、とギルガメッシュは肯定する。

 

「抑止力は基本的に人類が継続するためにしか動かない。だからこそカウンターという名前がついてる。つまりエインズワースのやる救済なんてモノは、人類が滅ぶことと同義ってこと」

 

「……でも、エインズワースの人達はそれが分かっててやってるんだよね……?」

 

「ま、魔術師だからそれくらいはね。ロマンを求めてるにしたって、限度があるけど」

 

 というか。

 イリヤは疑問の声をぶつける。

 

「あなたはエインズワースの人達が何を企んでるのか知らないの? どうやって救うのか、とか」

 

「さぁね? 今の僕には千里眼を発揮するほどの霊基はないし。ま、推論がなくはないけど、あんまり混乱させるのもね」

 

 話を戻そう、と前置いて、

 

「さっき、抑止の守護者とエインズワース側が呼び出した黒化英霊が戦ってたでしょ?」

 

 間一髪、命の危機を救ってくれたあの英霊達。やはりアレは、黒化英霊で間違いなかったようだ。イリヤは身震いする。あんな数の黒化英霊を呼び出せるエインズワースは、やはり計り知れない。

 

「あれね、もうずっとそうなんだ。大体三ヶ月前だったかな。毎日夜の六時になると、冬木市の外に守護者が召喚されて、冬木市ごと(・・・・・)エインズワースを抹殺しようとしてるのさ」

 

「……な、!?」

 

 イリヤとルヴィアは絶句する。

 確かに手慣れていると、そう思っていた。しかし、

 

「三ヶ月……? 三ヶ月もの間、ずっと抑止力をはね除けていますの!?」

 

「完璧ではないけどね。ほらイリヤさん、君には分かってるハズだ。何せ君の存在自体が抑止力の対象になってたわけだからね」

 

「……ミユが、二つの世界の(・・・・・・)抑止力を弾いてたってこと?」

 

 今度の絶句はルヴィアだけだった。いや、ルヴィアだったからこそ、絶句したのかもしれない。それが魔術世界でどれだけの意味を持つのか、イリヤには正確に分かっていないから。

 

「そう。美遊はお兄さんの世界を、そして自分の世界を抑止力から守ってた。とはいえさっきも言った通り、完璧じゃない。今じゃもう守護者から不死性を奪うくらいで、抑止力そのものを弾けるほどの力は美遊にはない」

 

「……神稚児としての力が尽きかけてるから、なのかな」

 

「だろうね。まあでも、だからと言ってすぐにどうこうはなさそうだけど、ね?」

 

 だとすれば、イリヤとルヴィアが黒化英霊に守られたのも納得がいく。

 つまるところエインズワースも、住民そのものを失いたくはないのだ。例えそれがイリヤやルヴィアのように部外者であっても、守るように命令はセッティングされているのだろう。

 

「そんなわけで、町の人達には話を聞かない方がいいよ。ほら、エインズワースによってこの町は成り立ってるわけだからね。そのエインズワースを敵対視する行いは避けた方がいい」

 

「一般市民に魔術の存在が知られているのですか? それは……」

 

「神秘の秘匿がどうとかそんな段階じゃないよ。何せ、抑止力が意識下(・・・)で動いているような世界さ。そんなことになりふり構ってられる状況じゃないよ。まあ、それだけじゃないけどさ」

 

「……じゃあ、逆にわたしのやろうとしてることって」

 

 冬木市の住民を危険に曝す、もしくは敵に回す行為なのか。そう考えると、歩みも重くなっていく。

 

「驚きって言ったら、君もそうさ。まさか何も影響がないなんて」

 

 なんて、ギルガメッシュが切り出した。

 

「? 何が?」

 

「ほら、君はあの理想の世界の産物だろう? 本来なら、あの世界を離れた時点で死んでいても可笑しくないんだけど……美遊がまだ、君を守ってるのかな?」

 

 はっとなって、イリヤは胸の奥が急に熱くなったのを感じた。

 そう、本当ならイリヤはとっくに死んでいるのだ。その命は、良くも悪くも美遊の手の平に転がされている。美遊の一存で、生かすも殺すもイリヤは自由なのだ。

 誰がどう言ったって、それは正しい関係ではない。生殺与奪権を持った飼い主と、都合のいい人形。端から見れば、そんな薄情で何の温かみもない、歪な関係でしかない。

 けれどこうなって、イリヤは思うのだ。

 きっと自分達は、決して正しくはなかったけれど。

 だからこそ、相手に優しくなれた。

 時にぶつかって、間違えたとしても。

 頭ごなしに否定するのではなく、互いに理解しようとした。

 だから真実を知った今も、美遊はイリヤに生きていてほしいと願っているのだ。

 例えそれが、本質的にはただのごっこ遊びにしか見えなくても。

 それが偽物であっても、その熱だけは誰にだって否定など出来たりしない。

 だから踏ん切りがついた。

 あえて、これまで言わなかった質問を、説明に差し込むことに。

 

「ねえ、ギルガメッシュ」

 

「ん?」

 

ミユとお兄ちゃん(・・・・・・・・)は、どこにいるの?」

 

「……へえ?」

 

 ようやくか、とでも言いたげなギルガメッシュ。それもそうだ。本来ならイリヤにとってまず、いの一番にでも聞かなきゃいけないことだった。

 それを後回しにしていたのは、イリヤが受け身だったから。立ち向かうと決めても、状況に振り回されていたから。

 しかし今からは違う。

 ここからは、受けに回るのではなく、攻める。だからこそ聞いた。取り戻すという意志を見せるために。

 ギルガメッシュもその意図くらいは察し、

 

「君も分かっているんだろう? 美遊とお兄さんは、生きてるならあそこーーエインズワースの本拠地である、あの城の何処かに幽閉されてる」

 

 だが、と現実を見せる。

 

「行くのはおすすめしないな。何せ魔術師の工房は虎の縄張りみたいなものだ。それも今のエインズワースともなれば、サーヴァントですら並大抵に突破は出来ない。無数の黒化英霊を城中に配備してるかもしれないし、その上ほら、ドールズまでいる」

 

「……ドールズ?」

 

「ほら、美遊とお兄さんを拐ったあの二人さ。言っておくけど、あの二人は強いよ。それこそトップクラスのサーヴァントと拮抗するくらいにはね」

 

 ギルガメッシュが忠告するほどの力を持つ二人に、未だ謎に包まれたジュリアン。そして無数の黒化英霊に、まだ見ぬ二人のマスター。敵はこの上なく強大だ。例えステッキがあっても、イリヤでは弾除けにしかならない。

 

「なのに君達ときたら、片や他人の財産を食い漁ってぶくぶく太った年増に、片や聖杯の器として最高クラスの性能を持っておきながら、その全てをぶん投げた普通の少女ときた。仮に僕を入れたところで、まあ、接触したら十秒持たずに皆殺しルートだね」

 

 だが、それでも。

 

「ーーそれでも、君は二人を助けに行くのかい?」

 

 催眠どころか強制ですらない、ただの事実確認。

 大切な誰かのために、死ねるか?

 ただそれだけだ。

 イリヤにのし掛かる声は一つではない。内外から押し寄せるそれは、不安と自信がない交ぜになった、血迷っているとしか言いようがない心理状況だった。

 まともな判断など出せるハズがない。

 どう考えたって、何の作戦もなしに敵の本拠地に突っ込むよりは、この町を散策して仲間を見つける方がよっぽど利口だ。

 しかし。

 

「うん。助けに行く。ミユも、お兄ちゃんも。今から(・・・)乗り込んで助けにいく」

 

 イリヤは、そんな論理をすっ飛ばした。

 

「っ、イリヤスフィール!? 敵の根城に真っ正面から挑むなんて正気ですの!? こちらは戦える人間など実質私一人しか……!!」

 

「ごめんルヴィアさん、勝手に決めて。でもね、思い出したんだ」

 

 ああそうだ。

 イリヤは美遊の友達で、イリヤは衛宮士郎の妹だ。

 だったら何も迷う必要なんか無い。

 手首に巻いたアクセサリーが、きらりと光った。夏の思い出。同じモノを持っている女の子。

 

「目と鼻の先に、二人がいるとして。今行かなきゃ、ミユの友達にも、お兄ちゃんの妹も名乗る資格なんてわたしにはない。助けられてばかりだったのに、こんなときまで逃げたら笑われちゃう。

……うん。これは、わたしの我が儘。だからルヴィアさんが付き合う必要なんてないよ」

 

「そういえば、ルヴィアさんはイリヤさんを知り合いに送り届ける役なんだっけ? ならほら、もう叶ってるし、ここでお別れでもいいんじゃない?」

 

「な、ななな……!!」

 

 みるみるうちに顔を紅潮させるルヴィア。それは羞恥ではなく、無論怒りだった。

 

「あなた方、私を馬鹿にしてますの!? してますわね!? うら若き少女が自殺紛いの特攻をしようとしていますのに、それを放って逃げるなど、誰がそんな誇りも愛嬌もない行為が出来ましょう!?」

 

 ふんっ!、と鼻息荒く、

 

「知り合いの方に送り届けるというならば、丁度いいですわ。美遊という少女にも会っておきたいですし、ついでにあなたを預けて、エインズワースに手袋でも叩きつけてあげましょう……!!」

 

 と、ルヴィアは闘争心を滾らせる。しまいには手持ちの宝石の残弾を確認するなど、どうするかは一目瞭然だった。

 焚き付けたギルガメッシュは、これ幸いといった風に、

 

「いやあこんな簡単に首を縦に振ってくれるなんて、これだから人間っていうのは面白い。普通は二の足くらい踏むものだけど」

 

「……扇動したあなたが言う、それ?」

 

「そして口も減らないと。いいね、実に僕好みの展開だ」

 

 小さき王は口笛でも吹きそうなほど機嫌がいい。その様子はいささか、いやかなり違和感があった。この英霊がこんなにも舞い踊っているのは初めてだ。

 城までもう僅かしかない。さっきも言った通り、生きて帰れるかは分からない。まさか敵陣に踏み込んでから敵でした、ではそれこそ全滅になる。だからこそ、イリヤは気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「……ねえ、どうして?」 

 

「? 何が?」

 

「どうして、わたし達を助けてくれるの? だって、あなたはお兄ちゃんに……その……」

 

「負けたって? んー、勝った側に蒸し返されるのはまあ気に食わないけど、君にはまだ理解出来なさそうだし、話しておくだけ話しておこうか」

 

 ギルガメッシュはやや不貞腐れ気味に、

 

「まあ、そうだね。正直僕個人としては、人類の救済だなんだはどうだっていい。そして負けたことだってそうさ。それに執着するつもりはなかった……んだけどね。相手が相手だ」

 

 にわかに、若き英雄王の目に殺意が宿る。それは衛宮士郎という男を計り間違えたことか。

 

「同じ相手に二度も負けることなんて、大人の僕にとってあり得ないことだ。子供の僕からしても、あの衛宮士郎という男は時に説明しづらい力を出してくるからね。正直、三度目があっても遠慮したいくらいさ」

 

「……は、はあ……それで?」

 

「うん、まあだから……褒美(・・)くらいないと、こう、示しがつかないでしょ?」

 

「……んん???」

 

 今、なんつった? 

 イリヤがジト目で視線をやるが、英雄王は当たり前と言わんばかりに、

 

「この僕に二度も勝ったっていうのに、褒美すら無しじゃ労いもないでしょ? というかそれくらいしないと、英雄王の名前が安く思われそうでね。だから肉体労働をしてるってわけ」

 

「……つまり、負けたから助けてくれるの?」

 

「言葉を選びなよ、前金さ。正式な褒美は本人に聞くとしても、まずは世界でも救ってやらなきゃ、せっかくの褒美が無意味になっちゃうからね。それはほら、英雄王的に困るし」

 

……自己中もここまでくると、最早立派な理論にでも聞こえてくるのがこの英霊なのだった。イリヤはため息をつくと、

 

「じゃあ敵対する意思はないってことでいいの?」

 

「さあ? それはほら、僕基本的に人間嫌いだから。僕が助ける価値のある人間だと判断させるくらい、カッコいい生き様、期待してますよ!」

 

 にぱー、って暴君ムーヴをかます辺り、何度しっぺ返しを食らおうと変わりそうもない王様なのだった。

 さて。

 そんな話をしている時間も、ついに無くなった。

 

「着いたよ」

 

 三人が縦に並んだ先にあったのは、城だった。冬木市の中心に屹立する、町と町の間に流れる川の上に、さながら橋のように建設されたそれは、エインズワースの居城。

 つまり、敵の本丸である。

 

「……なんか、普通に着いてしまいましたわね」

 

「うん、もっとなんか妨害とかあるのかと思ってた……」

 

「まさか。いくら君らが弱っちいとはいえ、町中で戦闘を開始したら意味がない。そもそも殺すのが理由なら、二人とも守護者に殺されてたしね。何か意味があって、見逃してるんだろうさ」

 

 エインズワースの居城は、一般的な西洋のそれと相違ない。石造りで横に長く、また高さもある。さながら王冠のように凹凸の装飾を施された外観は中々に壮観で、噴水や花壇などで自然の彩りも加えられている。黒化英霊を吐き出していた、あの巨大で真っ黒な箱もなくなっているため、見ようによってはロマンチックにも見える。

 だがそれも、全て雪で真っ白に塗り替えられていた。おかげで寒々としていて、尖塔からずり落ちた雪が屋根を滑り、庭の花壇にべしゃっ、と落ちる姿は、人が住んでいるとは思えない。

 凍結した大理石をえっちらおっちら歩きながら、三人は城までほんの一メートルにも満たない地点で止まった。これより先は置換魔術が付与された結界がある。つまりここから一歩先は、全くの別世界。

 一切ノープランなままここに来たわけだが、流石にここでは作戦会議を開くことに。

 

「さて、じゃあどうしよっか」

 

「真っ正面から行ったら、流石にバレるよね……やっぱり裏側から?」

 

「しかないですわね。探索しつつ、適時という形でしょうか。とりあえずこちらの勝利条件だけでも決めておきましょう」

 

「勝利条件?」

 

 首を傾げるイリヤに、ルヴィアが一本指を立てた。

 

「一度のトライで、全てが上手くいくとは限りません。ですから何か最低限一つ、これだけは成し遂げるべきというタスクを考えておきましょう」

 

「成し遂げるべきこと……」

 

「我々は今、非常に危うい綱を渡っています。本当なら縛って引きずってでもこんなところからは離れたいのですが」

 

「僕はイリヤさんの意志を尊重するよー」

 

「……言っても聞かないでしょうし。これを成し遂げたら、すぐ撤退する、そんな目標を作っておきましょう」

 

 イリヤも、今回の侵入で美遊も兄も助けられるとは微塵も思ってはいない。出来て、精々二人に自身が生きていること、そして助け出すという意志を伝えること……最終的には、助けたい。

 イリヤがルヴィアにそれを伝えると、狩人は反映した勝利条件を提示した。

 

「では、今回は美遊、もしくは衛宮し、しろ、……ああ、言いにくい! シェロでよろしくてイリヤスフィール!?」

 

「あ、うん。こっちのルヴィアさんもそう呼んでたからそれでいいと思う」

 

「では美遊、衛宮シェロ、どちらかの接触を条件と致しましょう。敵との接触はなるべく起こさず……というのは無茶でしょうが。まあそこは何とかするしかありません」

 

「役者にアドリブは付き物だからね、良い奴期待してるよ?」

 

「黙らっしゃいこの放蕩王子」

 

 配列は変わらず、ギルガメッシュ、イリヤ、ルヴィアの順番だ。いざというときはギルガメッシュをパージして即逃げる、という手段も辞さない布陣である。

 

「じゃあ……いくよ」

 

 少し緊張した声色で、ギルガメッシュが告げる。イリヤとルヴィアも、程度はあれ張り詰めた様子で目の前に集中する。

 とん、ギルガメッシュが一歩進めば、もう止まらない。三人は結界内に、エインズワースの工房へ入った。

 ぶわっ、と三人に走り抜けるのは、風とは違う何か。それは魔力だ。やはり置換魔術らしく何処かへ繋がっていたらしい。一瞬の浮遊感に目を閉じて、そして。

 そこへ、入った。

 

「……ん……?」

 

 目を開く。目映い光源は、太陽ではない。人工的な明かりだ。

 三人が結界を潜り抜けた先は、広間だった。いきなり外から中へ、空間の繋がりが滅茶苦茶になったとしか言いようがない跳び方に、狼狽えそうになる。

 広さからして、正面玄関口だろうか。真っ直ぐいけば階段があり、左右には迷路のように幾つも出入り口がある。豪奢なシャンデリアと、レッドカーペットがずらりと並ぶが、何処かそういう屋敷を演じているようにも見える。

 

「まさかほんとに正面玄関から入ることになっちゃうなんて……どうしよう……」

 

「なるほど、これが置換魔術か。いや驚いた、中々の魔術だね。いきなり敵の胃袋に放り込まれるなんて滅多に味わえる経験じゃない」

 

「冷静に分析するのもいいですが、今は先に……」

 

 

 

「ーーーーめんどくせえ」

 

 

 

 突然響いた第三者の声に、三人は固まった。さながら、だるまさんが転んだと言われてしまったかのように。

 こっ、こっ、と響く革靴の音は、正面階段から。ややしがわれた声は生気がなく、元々高い声を潰したように枯れていた。

 

「めんどくせえよ、本当に。ああ、ああ。どんなに脚本を理不尽(アドリブ)に対応させても、本当の理不尽って奴には押し潰される。知ってたつもりだったんだがな」

 

 そして、三人は同時に気づいた。

 ハデスの隠れ兜が、手元から消えていることに。

 

「あの姿を隠す宝具なら、こちらで置換して、宝物庫に叩き込んでおいた。透明になってうろちょろされて、ジャイアントキリングでもするつもりなら生憎だ。そんな古典的な手が俺に通じると思ってんのか、侵入者ども」

 

 ばっ、とイリヤが正面階段を見据える。

 そこに立っていたのは、まだ高校生くらいの男子学生だった。背は低く、体つきも英霊のように筋肉質でもない。眼鏡の奥の目付きは、悪人と言われても仕方がないくらい悪い上、もうずっと寝てないのか隈が深い。

 しかし、だからこそ、言葉に出来ない何かが少年にはあった。

 そう、まるで、

 

「……魔術師が劇作家気取りかい? 娯楽なんて、今の君には最も遠いモノだと思っていたけれど」

 

「何とでも言え、英雄王。こっちだって、お前のような負け犬(・・・)にかかずらってる暇はない」

 

「……口の聞き方に気を付けなよ、舌を千切りたくなるだろう?」

 

 少年の視線が、ギルガメッシュ、ルヴィア、そしてイリヤへと移る。

 それが、イリヤには酷く怖かった。ただの視線なのに、まるで直接肌を触ってくるかのような、不躾な目。それはルヴィアの時とはまるで違う。本物の魔術師の目だ。

 しかしイリヤも怯まない。

 

「あなたは……だれ?」

 

 問いに、少年が睨み付ける。いっそ殺意ならまだいいと、そう思えるほど苛烈なプレッシャー。せり上がる吐き気を堪え、耐える姿はいつ折れても可笑しくなかっただろう。

 そんなイリヤの姿に、少年は何か感じることがあったらしい。

 

「……受け答えする程度には、覚悟があるか。ただの夢見がちな間抜けじゃなさそうだな」

 

 いいだろう、と少年は名を名乗った。

 

 

「俺は、ジュリアン。ジュリアン・エインズワースーーエインズワース家の当主、世界を救う者だ」

 

 

 



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エインズワース城~トライエンカウント~

 

 

「ジュリアン、エインズワース……!?」

 

 確かそれは敵の首領ーーゲームで言うならばラスボスだと、イリヤは頭の片隅で記憶していた。

 千年続く魔術の名門、エインズワース家の当主であり、美遊という願望機を使って人類を救済せんとする、破綻者。

 イリヤのイメージだと、それはまさしく政治家に近かった。犠牲を厭わず、世界のためならなんだってやってのけてしまうような、中年に差し掛かるだろう男。

 しかし目の前のジュリアンは、そんなイメージからは遠く離れていた。

 

「笑えねえな、おい」

 

 背丈はその年齢からすると、やや平均から低い。服装も穂群原学園の高等部の制服に似ている……いや、あれはそのものか。顔も眉間に皺や隈があるが、童顔でそこまで年頃の少年と離れてはいない。

 ただ、その少年が放っている静かな熱は、明らかに普通のそれとはかけ離れていた。凍てつくほど底冷えした視線を放っているのに、その燃え上がる炎のような怒気は、現実すら消し炭にしそうなほどの熱量がある。

 アンバランスさが融合した元凶は、喋ることすら億劫そうに、

 

「なあ、どうしてだ。どうして、俺の前に立ち塞がる? 状況が分からないほど愚図ならまだいいが、お前はそうじゃないだろう?」

 

「……この世界は滅びようとしてて、それをあなたが救おうとしてる」

 

「そうだ、イリヤスフィール」

 

 か、と革靴が階段を蹴る。その音に合わせるように、ジュリアンの言葉数も増える。

 

「天変地異により、地球と言う星の限界がすぐそこまで来ている。美遊を使い、世界を救う。計画に間違いはない。あのままだったらその時点で全ての人間が救えた。そう、救えた。救えたハズだった。あの忌々しい男の邪魔がなければな」

 

「本当に?」

 

 イリヤが億さず、割り込む。

 無知とでも言いたげに睨みを利かせるジュリアンに、イリヤは逃げ出したくなりそうになりながら、

 

「た、確かに。ミユの力を使えば、みんなが幸せになったかもしれない。でも、そんなの間違ってる。そのせいでミユが死ぬのなら、それはみんなでたった一人の女の子を殺すのと一緒じゃ、」

 

そうだ(・・・)

 

「っ、!?」

 

 取り繕うことすらしなかった。

 そんな疑問など、ジュリアンは当に何度も踏みつけ、その上で覚悟しているのだろう。

 

「世界を救う……たったそれだけのことだ。なのに、その鍵となる美遊を取り戻すまで、三ヶ月かかった。分かるか? 本来なら果たされていた救済が、三ヶ月も先送りにされた。星の歴史を考えれば、たった三ヶ月かもしれない。だが三ヶ月も待たされた間に死んだ人間の数を考えると、気が狂いそうになると思わないのか?」

 

 三ヶ月前。本当なら美遊を犠牲にすることで、世界は救われるハズだった。

 それを止めたのが美遊の兄ーーつまり、この世界の衛宮士郎である。世界全てを敵に回し、妹を守り切った美遊の味方。

 しかしそれは、人類という種全体を考えれば、悪として断罪されるべき行為。

 

「なあ。教えてくれよ、死人(・・)

 

 さながら、剥き出しのナイフで刺されるような、躊躇いのない言葉だった。

 

「三ヶ月も抑止力を抑えていたとはいえ、美遊だけの力で本当に全てを守れたと思うか? かろうじて町の体裁を保てる程度にしかもう、住民が少なくなってる。この意味が分からないほど、間抜けじゃねぇだろ?」

 

「……」

 

「だから聞こう、イリヤスフィール」

 

 

「何の力も持たず、大した計画もない。一発逆転のジョーカーどころか自決用のナイフすら持ってなさそうなガキが、ここへ何しに来た?」

 

 

 敵の親玉たるジュリアンがわざわざ出向いてきたのは、つまるところそういうことなのだろう。

 盤面はもう覆らない。人の時代は終わり、この星は滅びる。世界と言う盤面ごと引っくり返す方法は美遊だけ。なのに、まだ抗う者がいる。

 ジュリアンからすれば、理解出来ないのも仕方がない。

 だけど、それはイリヤも同じだ。 

 

「……ミユを助けるために」

 

「それはこの世界の人々全てを篩にかけられる選択か?」

 

 突きつけられる現実が、鉛より重い。

 この世界にきてから、それをより重くイリヤは感じていた。

 

「……ミユのために、みんなを犠牲にするのは絶対に間違いだと思う」

 

 だから少女が胸を張って言えたのは、それだけは間違っていないと、そう心の底から信じたこと。

 

「なら」

 

「だから、わたしはあなたを含めたみんな(・・・・・・・・・・)を助ける」

 

 石の床まであと一段というところで、ジュリアンの足が止まった。

 

「……」

 

 例え彼がどれだけの絶望にぶつかったとしても、この世界でどれだけの人が死んだとしても。

 イリヤはそれでも、知っている。

 何かを犠牲にすることが、本当の意味で正しくはないのだと。

 世界が滅ぶその間際であっても、諦める理由になんかなりはしないと。

 

「わたしには、誰にとって何が大事かなんて、そんなことまでは分からない。きっとあなたのやろうとしてることは、みんなを助けようとしてやってることなんだと思う。でも、わたしは、だからこそ、みんな助けたい。一人残らず、みんなとまた、笑えるように!」

 

「……言いたいことはそれだけか?」

 

 ミシリ、とジュリアンの手が手摺を掴み、潰した。殺意の顕れは、今まで以上に物理的な破壊を伴っていた。

 

「……話にならねぇな。言うに事欠いて、それか。青臭い感情論どころか、小学生でも分かるような引き算すら、テメェは理解してねぇのか?」

 

「理解はしてるよ。引き算されるとしたら、わたしみたいな存在は真っ先にマイナスされて、置き去りにされる。でも、そんなわたしを救ってくれた人ならーーお兄ちゃんなら。きっと、まだ諦めたりなんかしない」

 

「……またか」

 

 ジュリアンが歯軋りする。双眸が、ドス黒い光を帯びた。

 

「またお前が邪魔をするか……衛宮士郎……!」

 

 狂い、滾る熱に、ジュリアンは浮かされたかのように呟く。

 しかしイリヤは引かない。

 

「ねえ、ジュリアン。ミユとお兄ちゃんは、どこ?」

 

「教えると思ってんのか?」

 

「知らないならいいよ。でも、ここに居るのなら、二人のことは勝手に探す。そうしてほしくないなら教えて。二人は何処?」

 

「礼儀がなっていないな。人の城に忍び込んだあげく、盗人紛いの物色か? 秘密の金庫に厳重に保管してあると思ってるのか?」

 

「ミユとお兄ちゃんはモノじゃない!!」

 

 言葉に噛みつくイリヤを、ルヴィアが前に出て制する。

 

「落ち着きなさい、イリヤスフィール。我々の目的はあくまで二人との接触。敵から情報を得るならまだしも、自ら獅子の尾を踏みにいくことなんてありませんわ」

 

「利口だな。ここがエインズワースの工房だということは、忘れてはいないらしい」

 

 イリヤは失念していたが、ここはもう既に敵地のど真ん中。それも魔術師の場合、相手の工房に何の対策もなく足を踏み入れるなど、死を覚悟しても可笑しくない状況だ。

 しかしそれでもなお、ルヴィアの相貌には一切迷いが見えない。彼女ほどの魔術師ならば、この城に張り巡らされた魔術の数々を感知し、その脅威を正確に感じ取っていたというのに。

 

「勘違いしてもらっては困るので、一つ訂正を。わたくしは騒ぐイリヤスフィールを諌めただけであって、その言葉自体は否定しませんわ」

 

「……なに?」

 

「道を開けなさい、エインズワースの当主」

 

 バッ、とルヴィアがいつものように、自信たっぷりに左腕を水平に突き出した。

 

「私には、会わなくてはならない少女がいます。例え求められているのは、違う私であっても。私を姉と呼んだ少女を前に、みすみす見逃すなんてこと、あり得ませんでしょう?」

 

 可憐に、しかし鮮烈に。誰よりも気高く。イリヤより一回り以上大きくても、同じ女性のハズなのに、その姿はとても頼もしい。

 

「私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。エーデルフェルトの当主にして、一度食らいついた獲物は逃がさないハンター。さあ、それでは押し通させてもらいましょうか」

 

 両肩の部分を脱ぐと、そこらに投げ捨ててルヴィアは肩に巻いた宝石に指先を触れさせる。速やかに解放された魔力が、ルヴィアの周囲をたゆたう。

 

「……どいつもこいつも、楽観的な馬鹿ばかりで、気が狂いそうになるな」

 

 ジュリアンがポケットに入れていた手を引き抜くと、指をパチン、と鳴らした。

 

「来い、アンジェリカ」

 

 少年の真横。誰もいない虚空。そこの空間が、まるで幾重もの鏡が現れるような、不思議な現象が起こった後、鏡の中から一人の女性が出現した。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 魔力の爆発。それは爆風となって玄関を走り抜け、煙幕のように辺りが見えなくなる。

 と、そのときだった。

 煙の向こうで、チカッ、と稲光のように何かが迸った。

 

「おっと危ない」

 

 ルヴィアの襟を引っ張り、代わりにギルガメッシュが前に出る。爆風を突き破ってきたそれーー王の財宝は、三人の前に展開した黄金の水面に吸い込まれ、元から狙いが逸れていた宝物が乱雑に大理石の床をめくり上がらせる。

 

「全く、爆風に紛れて攻撃とは。あまり僕の品格を落とさないでほしいな、アンジェリカ?」

 

「……元よりあってないようなものだろう」

 

 見覚えがある姿だった。金の鎧を纏い、赤い腰布を巻いている女性ーーアンジェリカ。それは、自分達を守っているギルガメッシュと似通っている。

 ジュリアンは踵を返すと、

 

「殺すな。だが痛め付けた後、イリヤスフィールは回収しろ。それは、補助として使えるかもしれん」

 

「了解しました、ジュリアン様」

 

「、まっ、」

 

 イリヤの言葉に聞く耳すらもたず、ジュリアンは鏡の空間へと消えていく。置換魔術で何処かへ消えたのだ。

 

「……ジュリアン様からの命令だ。殺しはしない。が、手足を削ぎ落とす(・・・・・)くらいは許されているようだ」

 

「!」

 

 アンジェリカはそう言うやいなや、宝具、王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)を展開。城という屋内だからこそ、その脅威から逃げる術はないようにも思えるほど、黄金の砲門は広く出現している。

 だがギルガメッシュは慌てず、やや早口で。

 

「行って。美遊やお兄さんと会うんでしょ?」

 

「、でも!」

 

「僕の心配かい? それとも子供の僕じゃ頼りないかな? どちらにせよ、その心配は僕には不要だよ、イリヤスフィール。よりによって僕を心配するなんて、君もお人好しだね」

 

 アンジェリカが肩まで手を上げ、下げる。それだけで、王の財宝が一気に放たれた。

 ギルガメッシュは慌てず、同じように王の財宝を展開。しかし門としての機能だけを使い、財宝の所有権を逆に奪う。

 

「……厄介だな」

 

「ほらね? 僕なら心配ない、だから行って」

 

「行きましょう、イリヤスフィール。目的が何か、二度も言わせないでくださいまし」

 

 ルヴィアが背後のドアを開ける。すると、中は先程と同じように鏡の空間になっていた。置換魔術だ。これなら、アンジェリカも容易には追えないだろう。

 イリヤは最後まで迷っていたが、最後にはルヴィアへと駆け寄った。

 

「おっとそうだ、忘れ物」

 

 忘れ物? イリヤが疑問符を浮かべると、後ろからイリヤの手元に一枚のクラスカードが飛んできた。

 アーチャーのクラスカード。

 本当なら、こんなカードはあり得ない。何故ならこのカードはクロの核となっているハズのカード。クロが生きている限り、二度と使用することは出来ないーーハズだった。 

 

「……これ、あなたの?」

 

「保険さ。僕はこのままでもある程度は戦える。だが君は違う。まあ、君がそれを扱えるかはさておき……そのカードをどう使うか、それは君が決めなよ」

 

「……」

 

 どうやら本当に、イリヤのことを考えてこのカードを渡したようだ。ギルガメッシュにとって、ある意味で現代への楔のような役割を持つカードを、他人に託すとは。

 一度自分達の世界を壊そうとしたとは思えない。けれど、だからって目の前の彼を許したわけでもない。

 

「……多分、あなたのことはこれでも信用できない。あなたはわたしの大切なものを、沢山傷つけた」

 

「うん、だろうね。自分で言っちゃなんだけど、それだけのことはしたし」

 

「それでも、これだけは言わせて……ありがとう。あとで絶対、迎えにいくから!」

 

 それだけ言い、イリヤはルヴィアと共に背後のドアを開けて入った。それを確認すると、ギルガメッシュは財宝の展開を止めて柱の後ろへステップする。

 

「……全く。お人好しにも程がある。これから先、一回くらいは潰れそうだね、あれは」

 

 くくく、と想像して笑うギルガメッシュ。

 流石に敷地内を壊すのには抵抗があるのか、アンジェリカは王の財宝による射撃を止めた。

 

「……まさか、お前があの二人を逃がすとはな。状況的にはそれが最適だが、何故?」

 

「何故って、決まってるだろ? 約定(・・)だからさ」

 

「……約定だと?」

 

「ああ。あるいはけじめかな? ま、どっちだっていいか。あとは僕も逃げればそれで事は終わりだもの」

 

 英霊ギルガメッシュ。その主な攻撃方法は、宝具による爆撃じみた投擲だ。それだけで数多の英霊を屠るほどの攻撃方法だが、ミラーマッチとなると事情が変わってくる。

 何せ、撃ち出す財宝を、門によって回収してしまえるのである。わざわざ叩き落とす必要もないどころかダメージソースにならない。これほど不毛で成立しない撃ち合いもないだろう。

 

「さて、どうするアンジェリカ? 新しく作った僕のカードを使うのはいいけど、(それ)じゃあ僕には勝てないよ?」

 

 ギルガメッシュは防戦に徹するだけで、あとは逃げるタイミングを計るだけでいい。対しアンジェリカは、最大の強みを奪われながら、それでもギルガメッシュ相手に肉薄しなければいけない。

 と。

 

「……なるほどな。確かに、貴様にこれでは分が悪いようだ」

 

 アンジェリカが腰の辺りからカードを取り出す。描かれたクラスは槍兵。なるほど、クラスカードを変えるか、と警戒を強めたときだった。

 どくん、とギルガメッシュの中で何かが、アンジェリカが握るカードと共鳴した。

 

「……おい」

 

 絶世の美少年の声が、一段階低くなる。それは、贋作者に負けたときよりも、なお度しがたいと、そう訴えるかのごとく業火の怒りに震えた声だった。

 

「何故、貴様がそれを持っている? いいや、そもそもどうやって作った?」

 

「何を今さら。貴様のような英霊ですら抗えぬ降霊の儀式だ。エインズワースを舐めるなよ、英雄王」

 

「答えよ、人形。誰の許しを得て、(オレ)の友の贋作など作った!?」

 

夢幻召喚(オーバーライド)

 

 紫電が走る。英霊の上書きという過負荷のせいか、アンジェリカの表情にも苦悶が見える。そうはさせまいとギルガメッシュが取り返した財宝で阻止にかかるが、

 

「縛れ、天の鎖よ」

 

「な、っ!? 貴様……ッ!!」

 

 ジャラララ、と縛り付けるのは天の鎖。神に対して特効を持つそれは、無論ギルガメッシュとて例外ではない。真紅の目が血走るが、ギルガメッシュは石床にあえなく倒れる。アンジェリカはその間に、上書きを終えていた。

 さながら天女のようだ。黄金から緑がかった二つにまとめた髪が後ろに流れ、麻の羽衣がふわりと浮いている。ローブというよりは襤褸にも似た衣装は肩や足が出ていて、女の起伏のある体を更に浮き立たせていた。

 

 

「ーー夢幻召喚(インストール)、ランサー。エルキドゥ(・・・・・)

 

 

 ジャラララ、と再度鎖の音が鳴る。今度はギルガメッシュが鎖の所有権を奪い取り、物にした音だ。

 しかし、少年の怒気はこれまでとは様子が違った。

 濃い神代の魔力を体から放出し、更に犬歯すら見せるほど野性的な敵意を剥き出しにして。

 

 

「……我の友を真似るなど。その愚行、万死に値する。覚悟は出来ていような、贋作屋(カウンターフェイター)!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、イリヤとルヴィアが置換魔術の先でたどり着いたのは。

 

「……ここ、廊下……?」

 

「みたいですわね。ふむ、これは……」

 

 目の前にあったのは、廊下だった。正面玄関と比べ、空間自体がとてつもなく広い。明かりは天井だけではなく、壁にも蝋燭がついている。窓の外の景色は高く、二階だということは伺えた。

 同じ建物どころか、外観からしてここだけで城の半分以上を使っているようにも見える。

 ルヴィアが出てきた扉と廊下とを交互に見て、

 

「……別の空間を、無理矢理外からこの空間に置換している……? 城という建物に、幾つもの異なる空間を押し込んでいるとでも……?」

 

「ルヴィアさん?」

 

「ああ、すみませんイリヤスフィール。少し考え事を……」

 

 と、そのときだった。

 二人の前に、とぷん、と天井から粘液のようなモノが降り注いできた。

 それはまるで、天井に刻まれた黒いシミが、重さに耐えきれず落ちたかのような光景だった。グツグツと沸騰した黒い液体は、その量が増していき、天井だけでなく左右の壁はおろか床そのものから湧き出してくる。

 聖杯の泥。そしてそれで出来上がるのは勿論ーー黒化英霊。

 

「……ま、ずいっ……!?」

 

「走りますわよ!! 早く!!」

 

 イリヤとルヴィアが蹴立てるように走り出す。黒いシミを避けるため、軽く走り幅跳び染みた動きで、廊下から逃げ出す。

 前も後ろも雨漏りでもしたかのような有り様だが、実態はそれの万倍酷い。

 ずるるるるる……と、出来上がった黒化英霊達は、まだ固体にすらなってない足で床を蹴り上げ、二人を追走する。

 

「な、なんで黒化英霊が!? ここには聖杯もクラスカードも無いハズでしょ!?」

 

「あの黒い箱を、何処かで保管し、自由に操っているのでしょう。侵入者を感知すれば、あとは置換した泥を城内に垂れ流して黒化英霊で排除。実に合理的でスマートな警備システムですわ!」

 

「スマートかなぁこれ!? 過剰じゃないねえこれ!?」

 

 徒競走ならクラスメイトに負けないとイリヤは豪語するが、あくまでそれは小学生の話だ。しかも広さからして、この廊下は百メートルはあるだろう。

 

Call(目覚めよ)!!」

 

 ルヴィアがダイヤモンドを数個転がすと、それが突き刺すような閃光を撒き散らす。即席の閃光弾である。意思のない黒化英霊ならば、防ぐ手立てはない。

 

「やった! これならすぐには追い付け、っわぁ!?」

 

 しかし仮にも英霊、目が見えないなりに、やれることは体が覚えていたらしい。ほっとしたイリヤの足元を、二メートルほどの槍が突き刺さり、思わずぴょん、と飛び上がった。

 足がもつれそうになりながら、イリヤは完全に泣きべそをかいて、

 

「ルヴィアさん早く何とかしてお願いだからぁーーっ!!」

 

「あなたほんっっとお荷物ですわね!? 少しはそういう自覚くらいして黙って走れませんの!?」

 

 ルヴィアが怒鳴り付け、太股の弾帯から宝石を幾つか引き抜く。

 まともに走れば追い付かれる。なら、

 

「イリヤスフィール、二つ先の窓に近寄りなさい!」

 

「え、なんで!?」

 

「口答えしないでそのまま突っ込みなさい、いいから早く!」

 

 えぇいままよ、とイリヤは力を振り絞って、言われた通り窓へ飛ぶ。

 このままではぶつかる。その前に、ルヴィアが魔術を放った。

 

Call(目覚めよ). Expansion red10,12,23(赤の十番、十二番、二十三番は膨張せよ) !!」

 

「う、わっ!?」

 

 目映い閃光が三つ。そして三度の爆発。窓枠どころか壁ごと爆散させかねない魔術は、つんざくような音と共に窓ガラスだけを破壊した。

 流石はエインズワースの工房、城の壁までは破壊出来なかった。しかしガラスさえ破壊出来たなら十分。

 

「お、わっ、ぁ!?」

 

「止まるなと言ったでしょうに! Call grace(恩恵よ、目覚めよ)!!」

 

 ルヴィアは立ち止まりかけたイリヤを突き落とす勢いで抱え、ジャンプと同時に時間差で重力軽減の魔術が発動。あとは二階から約十メートルほどの落下に気をつければ凌げる……と、ガラスに足をかけたルヴィアは思っていた。

 しかし、そう甘くはない。

 窓枠を蹴り上げて外気へ触れた瞬間、景色が一変したからだ。

 

「、ッ!? まさか窓にも魔術がかかってたの!?」

 

 てっきり魔術がかけられているのは、出入り口だけだとイリヤはたかを括っていた。いや、ルヴィアもそうだっただろう。徹底的に逃亡者に不利な作りである。

 置換された先は、地下のようだった。先の巨大な廊下と同程度の大きさだが、窓が無いためか全体的に暗い。

 何よりフロアを埋め尽くす、物の数々。建物の柱、屋根から、果ては腕輪や黄金の食器まで。ありとあらゆる雑貨がそこにはあった。

 

「ってあれ? ルヴィアさ、んんっ!?」

 

 いつの間にか。自分を抱えていたルヴィアが、居ない。イリヤがそれに気付いて周囲を見渡そうとした瞬間、落下が始まった。

 ルヴィアが居なくなったことで、魔術の効果範囲からイリヤが外れたからか。無論どうにも出来ず、イリヤは頭から雑貨の山に転がり落ちた。

 

「い……たた、たぁ……っ」

 

 幸い、尖っているようなモノには触らなかったらしい。全身をぶつけたものの、軽い擦り傷程度しかなかった。かぶりを振って、イリヤは起き上がる。

 

「……真っ暗だ。何処から落ちてきたんだろ」

 

 置換魔術というからには、廊下の窓と繋がる入り口があるハズである。見れば、五メートルほど斜め上の位置に木製の扉があった。恐らくあそこから落ちてきたのだ。

 ともかく、今はルヴィアだ。

 

「ルヴィアさん? ルヴィアさーん!」

 

 大きな声で呼んでみるが、反響するのは自分の声だけ。一先ず歩いてみることにするイリヤ。

 ルヴィア自身も心配だが、何より不味いのはここから抜け出す方法が今のイリヤには無いことだ。そして抜け出せたとして、今のイリヤが闇雲に動いても、黒化英霊に捕まるだけだ。

 まあ美遊、もしくは士郎と接触するなら、ルヴィア単体で動いた方がやりやすいのは確かなのだが……。

 

「……うーん」

 

 それはそれで、モヤモヤした気分になるのは、イリヤが子供だからなのだろう。何の力もない子供が、夢ばかり語って騒動を呼び込む。ルヴィアからすれば、疫病神に近いのかもしれない。

 

ーー自決用のナイフすら持ってなさそうなガキが、ここへ何しに来た?

 

 ジュリアンの言う通りだ。

 イリヤは結局、気持ちだけ先走ってここまで来た。

 何も出来なかった自分が嫌で、何かしないといけないと焦った。

 その結果がこれだ。

 どうしようもなく愚かで、どうしようもなく青い。

 

「……やめやめ。うじうじするのも、とりあえずここを抜けてから」

 

 ぱんぱん、と頬を両手で叩き、改めて現状と向き合う。

 

「うーん……流石にあの高さは何か足場がないと届かないかなあ」

 

 足場となるモノなら、ここにいくらでもある。それを使えばあのドアに届くだろう。イリヤは人が乗っても壊れなさそうな雑貨を選別していく。

 それにしても、こうやって一つ一つ見ていってようやく理解したが、本当に物が多い。しかもどれも新品というわけではない。そう、まるで、

 

 

「ーー廃棄場みたい、ッてかァ? ま、ここは失敗作のゴミばっかだし、間違ってねーけど?」

 

 

 回答は、雑貨の山の爆発と共に返ってきた。

 それはさっきルヴィアが起こしたような爆発ではない。どっちかと言えば、破裂に近かった。散弾のように飛び交う破片を伴って、衝撃波がイリヤの体を吹き飛ばす。

 

「う……、ぁ!?」

 

 声を出す暇すらなかった。

 タンスに背中を叩きつけられ、ずるずると落ちるイリヤ。敵が来たと言うことは分かってるのに、絶望的なまでに体の反応が遅い。

 そうこうしている内に、ハイヒールの音が近づいてきて、彼女は現れた。

 赤毛にゴシックロリータの衣装と、ボーダーのソックス。しかしその瞳と唇の端にあるのは、人をなぶるサディスティックの発露。

 美遊と士郎を誘拐した二人組の一人。

 確かそう、名前は。

 

「ベア、トリス……!」

 

 少女ーーベアトリスは、ウィンクすらして。

 

「お、アタシの名前知ってンだ? そ、アタシの名前はベアトリス・フラワーチャイルド。ジュリアン様の命令で、アンタを取っ捕まえにきたってトコよん☆ そして~~?」

 

 暗闇で見えなかった異形の片腕を、握り締める。

 

「今からバッキバッキに痛め付けてやッけどさァ、泣いてもやめないンで。頑張って耐えてねェン?」

 

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、非常に困っていた。

 今日もエーデルフェルトとして役目を果たせたと寝て起きたら、何故か時間は三ヶ月も過ぎているわ、平行世界にインカミンしているわ、死んだハズのイリヤスフィールが正真正銘の幼女になって生きてるわ、妹が出来てたわと只でさえてんてこ舞いなのに、子供に流されて魔術師の工房に潜入など明らかに度を越えている。

 気の迷いと言われたら、確かにそうなのだろう。

 明らかに自分は動転していて、きっとこれもまた、気の迷いなのだ。

 

「……いやいやいやいや。これは気の迷いなどではないでしょう、全く」

 

 そういうことにしておきたいくらいには、今のルヴィアは現実逃避したかった。

 ルヴィアが今居るのは、渡り廊下。城の中心にある尖塔へ続く道である。

 イリヤとはぐれ、多分大丈夫ではないから探しにいかないと、いやでも対等なら探しに行くことないのでは?と途方に暮れていたところで、ルヴィアはこの道にたどり着いた。

 

「……イリヤスフィールを探しに行くとしても、恐らくこのドアではまた何処かへ置換されてしまう……」

 

 ただ戻ったところで、それこそ無駄足になる可能性がある。ならばここは、あえて進むことで道を開くしかない。

 そう、例えば目の前の尖塔など。セオリー通りなら、あの頂点に美遊か、イリヤの兄が捕まっている。人質は逃げられない場所に隠す。そう考えるのは当然だ。

 どちらかと接触さえすれば、撤退したってイリヤも文句は言わないだろう、とルヴィアは結論づける。そうでもしないと今すぐにでも、ルヴィアはイリヤを助けにいこうとしてしまうから。

 対等に扱うとか言っておきながら、何処かで年端もいかない子供としてイリヤを見ている。そのことに、ルヴィアは少しだけ自己嫌悪していた。

 どれだけ心を偽ったところで、やはりルヴィアはイリヤに流されてしまったことを後悔しているのだろう。

 あんな子供を連れてくるべきではなかったと。

 それでも。

 

ーールヴィアさん!

 

 今のイリヤのことは、嫌いではなかった。

 記憶が無くても、魂は覚えているのだ。

 あの少女が、どれだけ頼もしい存在だったかを。例えその三ヶ月が引き剥がされても、そうやって名前を呼ばれることを、許してしまうくらい、ルヴィアは何処かでイリヤに気を許してしまっている。

 何よりお手上げなのは、そんな感覚もルヴィアにとって『悪くはない』と思ってしまっていることだった。

 

(……確かに魔術師らしくないとは言われますが、ここまでくると筋金入りになってしまいましたわね……)

 

 自分は変わってしまった。魔術がどうでもよくなったわけでは断じてない。

 だからこそ、進む。

 この先に鍵があるのは確かなのだから。

 

「……あの泥がここまで及ばないということは、やはりここは何か特別なのでしょうか……」

 

 どうでもいい場所なら、ダミーとしておびき寄せて、黒化英霊を配置するだろうが……あの泥は世界にとって害がありすぎる。何か大事なモノがあれば、その横には落としたくない。

 ならば、やはり。

 確信をもって渡り廊下の半分まで歩いていた、そのときだった。

 カリカリ、と。何かが削れる音が、木霊した。

 

「……?」

 

 なんだ?という疑問が湧いた途端。

 真横から、誰かが渡り廊下に滑り込んできた。

 

「、!?」

 

 反射的に大きく下がり、距離を取る。

 その誰かは、襤褸布で全身をすっぽり覆っており、腕や足どころか、顔すら見えなかった。

 女かも、男かも分からない誰か。ここは地上二十メートルくらいだが、まさか登ってきたのか? だとしたら、どうやって?

 

「あなた、何者ですの? エインズワース家の人間……ということで、よろしいですわね?」

 

「……」

 

 返答は声ではなく、鉄の音だった。

 しゃるるぃん!、という鞘走りにも似た音がすると、襤褸布の下から一本の剣が飛び出した。位置からして、あれは肩だが……仕込みの義手でもしているのか?

 

「なるほど、そちらをお好みと。分かりやすくて結構。どちらにせよ、そろそろ一人くらいはぶっ飛ばしたくなってきた頃でしたし」

 

 両腕をぐるんと回し、ルヴィアは魔術刻印の回転数を上げる。

 黒化英霊が相手でないのなら、少しは気が楽だ。魔術師同士の闘争ならば、ルヴィアに負ける理由などない。

 そう、思っていた。

 だからだろう。

 ひゅるる、という音がした瞬間、ルヴィアは自分がどれだけ堕落していたか悟った。

 

「、っ、つぁ!?」

 

 さながら虫が通る道を見て驚くような、そんな不格好な回避だった。しかし、そんな無様な回避だったからこそ、真上からの落下物は避けられた。

 それは、剣だった。

 しかもあの襤褸布から飛び出している剣と、寸分違わず一緒のモノ。まるで、デッドコピーだ。

 

「……、」

 

 脳に鈍痛が走る。

 それは脳の皺を舐め取るような、そんな冒涜的な痛みだった。甘く、ねばついた激痛は、単なる偏頭痛などではない。

 その痛みを忘れるな、と脳が訴えるかのように。

 思い出せ。

 お前はこれを、知っている、と。

 

「……どんな手品かは知りませんが、いいでしょう」

 

 じゃらら、と手の中で宝石を転がし、各指に魔力を込める。手持ちの宝石は少ないが、四の五の言ってられるほどの相手でもなさそうだ。

 

「来なさいな、みすぼらしい格好のお人。エーデルフェルトのもてなし、とくと味わわせてあげましょう!」

 

 

 

 



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VSエインズワース~現実と幻想~

2話連続お更新です。これは後編なので、お気をつけください


 交通事故に遭ったら、人はどうなるだろう。

 イリヤはそんなことを、漠然と考えたことがある。交通指導員が人形を使って実演したりするのを見たことがあるが、イリヤにとってそれは単なる見せ物に近かった。リアリティがどうこうのの話ではなく、自分がそんな目に合うなど全く思えなかったのである。

 人はあんな簡単に飛んだりしないし、逆もまた然り。

 だからこそ。

 体が宙を舞うほどの力で跳ね飛ばされるという感覚を、今になって味わうなど、イリヤは思いもしなかった。

 

「かっ、……!?」

 

 喉の奥まで胃液が逆流する。衝撃を受けた胸がべこりと凹んでしまうんじゃないかと思うほど。

 浮かんでいた時間は一秒もなかった。

 それは別に手加減されていたからではなく、衝撃が強すぎて浮遊すらせず、本棚に叩きつけられたからだ。

 床にゆっくりと落ちかけていた体を掴む、太い腕。それはイリヤの体よりもなお巨大で、けむくじゃらの手。

 ベアトリス・フラワーチャイルドはその巨腕でイリヤの全身を絞め付けると、ギザギザの歯が見えるほど笑った。

 

「おーおー、耐えるねェ? でーもォ?」

 

「、っぁ、!?」

 

 ベアトリスからすれば、軽く絞めたつもりだったのだろう。

 しかし、その異形の腕から繰り出される膂力は、明らかに人の領域から外れている。

 全身の骨から、嫌な音が響いた。

 イリヤは息をすることすら億劫になりながらも、気丈に言葉を絞り出す。

 

「どう……して……」

 

「あァ?」

 

「どう、して、こんなこと、するの……? 捕まえる、だけなら、こんな……痛め、つけるような真似、しなく、ても……」

 

「わかってねェなァ、ガキンチョ」

 

 ぐっと顔を近づけると、ベアトリスは満面の笑みで告げる。

 

「お前を、グッチャグチャにしたいからに決まってんだろうが」

 

「っ、……!」

 

 ベアトリスの顔に、複雑な事情とか、理性が無いまま暴走していたりとか、そんな見慣れた表情はなかった。

 読み取れたのは、悦楽。人をいたぶり、そこに快楽を得るためだけに暴力を振るう、紛れもない悪。

 これまで遭遇したことのない敵に、思わずイリヤは悲鳴を上げそうになった。

 

「……それ、だけ?」

 

 たったそれだけで、こんなことが本当に出来てしまうのか。

 イリヤもよく分かっている。世の中には悪い人間がいて、イリヤ自身過去にカレイドステッキの力で人を殺そうとしたこともあった。

 しかし目の前のベアトリスは、違う。

 

「ん、それだけだよん? 大体さ、ムカつくんだよオマエ。ネチネチクッセエ言葉をジュリアン様に吐きやがってさァ。テメェは何様だってんだ、あァ? プリンセスかってーの」

 

 今こうして、イリヤを絞め殺そうとしているにも関わらず、その頬は何処か熱を帯びていた。苦悶の声をあげる度、ベアトリスの吐く息は熱く、顔は悦びに震えていく。

 

「全てを救う? また誰かと笑っていたい? くだらねェくだらねェ妄想だよねェ!? それでアンタの兄貴はああなっちまったんじゃん? なァ?」

 

「お、兄、ちゃんは……関係、ないでしょ……!」

 

「いいやあるね。アンタ達は守れても、それ以外の人間を愛しのお兄ちゃんは守れたのーん?」

 

 イリヤが言葉に詰まる。

……そうだ。

 ギルガメッシュとの戦いで、結局衛宮士郎が守れたのは、イリヤ、美遊、クロの三人だけだ。それ以外の三人がどうなったのか、安否の確認は最早叶わない。

 

「例えばほら……一緒にいた、あの魔術師の女」

 

「、ルヴィアさん……?」

 

「どうして、あの女だけ美遊様の改変が剥がれちゃったのかねェ? 美遊様の力が弱ってるから? それともあの世界から離れたから? いいや、もっと簡単な理由があるっしょ」

 

「なに、を……!!」

 

死んだんだよ(・・・・・・)、無惨に。ね、簡単」

 

「っ……!!」

 

 イリヤが目を見張る。

 本当に。

 どうしてその可能性に、思い当たらなかったのか。

 

「キャハハハ!! なんだ、気づいてなかったカンジ!? こいつは傑作だ、ホントに何のために来たんだオマエ!?」

 

 ベアトリスが膝を叩いて笑う。

 そう、あの時。ギルガメッシュの宝具は、冬木市を端から端まで横断した。大地は削れ、川を割った。その中にルヴィアがいたとしたら……果たして、生き残れただろうか?

 何より、美遊にとってルヴィアは大事な存在だ。その彼女が姉としての記憶を失った時点で、考えるべきことだったのに。

 

「なァガキンチョ。アンタの兄貴は、何人守れた? あの英雄王から、何人守れたよ?」

 

「……っ」

 

「あーそっかァ。そうだよなァ……三人しか守れてねェよなァ? しかも、内二人は死人ときたもんだ。笑えるったらありゃしない」

 

 何も言い返せない。

 結局、兄が守れたと言い切れるのは、イリヤ達三人だけ。町も、その住人も、粉々に砕かれたままだ。

 全てを守りたいという願いは、きっと間違いじゃない。

 だけど、現実はこんなに悲惨だ。

 どんなに守りたいと思っても、その手からはいとも簡単に溢れ落ちていく。まるで流れる砂を掴むように、余りにも多くの命が潰えていく。

 

「ジュリアン様はね、違うよ」

 

 ベアトリスはうっとりした表情で、

 

「あれでも正義の味方だかんね。町の人も、アタシ達も守ろうとしてきた。どうにもならないこともあった。でも、まだ町として体裁を保てるくらいには守ってきた」

 

 ストレートに、

 

「なァ。なんで死人なのに、今更生きたいとか思ったんだ?」

 

「……そ、れは……!」

 

「アー答えなくてもいいよ。どうせ受け答えなんて期待してないしィ」

 

 ベアトリスはそう言うやいなや、イリヤを放り投げた。今度の浮遊は長い。自由落下した体はガラクタの山へと飛来する。

 

「く、ぅ、……!?」

 

 まるで着衣水泳をしたときのようだった。痛みが肉体に吸い付いて、離れてくれない。たった一人、孤独と痛みを抱えることが苦しい。

 だけど。

 それは。

 士郎と美遊が、いつも抱えていた、苦難だった。

 

「……ぐ、ぅうう……!」

 

「へえ? まだ立つんだ?」

 

 瞳をベアトリスに向ける。意志だけは譲らないと。そう目で叫ぶ。

 だがベアトリスはそれを嘲笑う。

 

「なんだ、それ? ガン飛ばしてる? だったらムカつくなオイ。ぶち殺して人形にしてやろうか?」

 

「あなたの、思い通りになんか、絶対ならない……!」

 

「言うねぇ……じゃあ、勝負しよっか」

 

 勝負?、とイリヤが問う前に、ベアトリスが何かを投げた。

 それは、エインズワースによって何処かへ置換された、ハデスの隠れ兜だった。そういえば、ジュリアンは宝物庫に置換したと言っていたが……まさかここがそうなのだろうか?

 

「これ使わせてあげっから、逃げなよ。ここから逃げ切ったらアンタの勝ち。どう?」

 

「……、でも、それでも、わたしはあなたからは逃げられない」

 

「あーん、腕のこと気にしてんの? そりゃそっかァ、限定展開してるしね。なら、ハイ」

 

 パキン、と。あれだけ猛威を振るっていた熊のような右腕が、元の小柄な少女のそれへと戻っていた。

 ベアトリスは何処からともなく日傘を取り出すと、室内にも関わらず差した。

 くるりと回転しながら、

 

「ほれ、この通り。アタシは人間のまま。アンタと同じ、ネ。もっちろん、カードは使わないし」

 

「……、」

 

「カーーっ、ホント用心深いこと。じゃあほら、十秒数えてあげるから。その間に逃げればいいじゃん?」

 

 ひらひらとベアトリスは手を振る。どうやら、本当に勝負をするつもりらしい。

 イリヤとしては願ってもない。

 

「んじゃ。いーち、にぃー、さーん……」

 

 カウントダウン開始と同時に、帽子に戻ったハデスの隠れ兜を被る。

 目指すは五メートル上の出口……ではない。イリヤは手に持てる軽いガラクタをいくつか見繕うと、側面へと走りながらそれを逆へ投げる。

 視覚が使い物にならないとき、頼りになるのはやはり音だ。投げたガラクタがあちこちに落ちて、散発的に音を出してくれる以上、一般的な五感ではまずイリヤの姿を捉えることは出来ないハズ。

 

「はちー、きゅー、じゅー……っと」

 

 ベアトリスが数え終わる頃には、イリヤはよく分からない石柱に身を隠して様子を伺っていた。

 彼女がどれだけ約束を守るかは分からない。むしろ、積極的に破りに来るだろう。だから、ひとまず居場所だけは悟られないようにする。

 

「うーん、どォこ行ったかにゃーん?」

 

 ベアトリスが動く。彼女が出口から反対へと行くのなら……そのときが好機だ。慌てず、ガラクタを足場にここを抜け出す。

 が、イリヤは忘れていた。

 自分の戦っている相手はまさしく、世界(・・)を相手取ってきたことを。

 

「よーいっしょ、っと」

 

 閉じた日傘をベアトリスが両手で振るう。

 それだけで。

 ガラクタの一山が、まとめて巻き上がった。

 

「!?」

 

 さながら、竜巻のようだった。

 巻き上がったガラクタは雨のように、こちらへ次々と落ちていく。慌てて前へ飛んで回避したが、それでも風に簡単に吹き飛ばされた。

 

「ふんふふーん☆」

 

「うそ、でしょ……!」

 

 止まらない。

 ベアトリスはまるで箒でゴミを集めるかのように、日傘を振って、ガラクタを吹き飛ばす。冗談みたいなガラクタの洪水が、宝物庫を蹂躙する。

 音なんて関係なかった。

 炙り出しにしたって、ここまで行けば立派な攻撃だ。そしてそれをイリヤが避けられるわけがない。

 分かっていなかった。

 ベアトリス達もまた、世界を守るために戦ってきた、言わば正義の味方だ。そんな彼らが、クラスカードが無いから戦えないだなんて決めつけたのは、余りに愚かだった。

 

「ぐ、ぅ……く、……っ」

 

 生きていたのは、本当に運が良かったのだろう。あちこち擦りむき、額からは血も出ていたものの、破片が刺さったりはしていない。

 しかしイリヤは気づいていない。

 ハデスの隠れ兜が頭から外れていることに。

 

「見ーっけ☆」

 

「しまっ……!?」

 

 衝撃は背中に叩き込まれた。

 石ころみたいに、イリヤは蹴り飛ばされる。尖った破片の上を何度も転がり、撹拌された意識が現実から逃げそうになっていた。

 

「あらら、もう終わり? ほんっと口だけだなァ、テメェ」

 

 何度目かの鷲掴みは、素手だった。なのに、そこから生み出される力は限定展開状態を上回っている。

 首を絞めながらベアトリスは、思い出したように、

 

「あァ、言い忘れてたけど。アタシ、カードの使い過ぎで体が英霊に変わってきててさァ……生身でも、車の一つや二つぶん投げられるんだよ」

 

「……あ、が……っ!?」

 

「良い顔で悶えるじゃん。そういう顔がお似合いだよ、なァ?」

 

 ベアトリスの細腕をイリヤは叩くが、小学生が苦し紛れに出した拳なんかで剥がせるわけもない。

 と、ベアトリスは意気消沈する。

 

「ホント……つまんねぇな、お前。隠れた力があるわけでもないし、結局あの可笑しなステッキ頼り。なのにステッキ無しに突っ込んでくるとかお前馬鹿ですかァ?」

 

「かん、けい……ない……!」

 

「あ?」

 

 無駄だと分かっていても、イリヤはベアトリスの腕を殴り付ける。ぺちぺちと、弱々しくても、続ける。

 

「ミユも、お兄ちゃんも……! 助けたい、だけ……!」

 

「ふぅん。そんだけで首突っ込んできたってワケ? 筋金入りのお花畑か、ヘドが出る」

 

 ベアトリスの言う通り。

 イリヤは血迷っていたのだろう。

 今まで誰かに守られていたから、ギルガメッシュがついてきてくれた時点で何とかなると思い込んでいたのかもしれない。

 それでこの体たらく、度しがたいにもほどがある。

 それでも引けない。

 今ここで引いたって、美遊を誰かが助けてくれはしないから。

 だから。

 

 

「ーー美遊様は、あと三か月の間に死ぬよ。それでも、アンタは助けんの?」

 

 

 そんな、前提条件を聞かされたとき。

 一瞬、イリヤの思考は空白へと墜ちた。

 

「……ぇ」

 

 思わず、首を絞められている痛みすら、意識から抜けた。

 

「なんだ? それも知らなかったのかァ?……全く、マジの温室育ちのガキンチョじゃんか。萎えるわー」

 

「……ミユが、死ぬ……?」

 

「そうだよー?」

 

 こともなげに、ベアトリスは口を動かす。

 

「理想の世界を作るだけでも、美遊様の体には相当の負担がかかってたろ。それを無視して、三ヶ月近く抑止力を止めてきた。普通なら死んでて当たり前。むしろ、三ヶ月も命が残ってることがアタシとしては驚きだね」

 

 で、と。

 改めて前提条件を確認した上で、ベアトリスは問う。

 

 

「残り三ヶ月でお前は、何もかも救えんのか、コラ?」

 

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、戦いにおいて優れた魔術師である。

 他の分野でも勿論ずば抜けてはいるが、やはりエーデルフェルトの一族であるルヴィアは、闘争してこそという人生を送ってきた。

 だからこそ、目の前にいるそれの戦い方に、吐き気を覚えていた。

 

(なんですの、これは……)

 

 ルヴィアは既に渡り廊下を駆け抜け、あの巨大な塔の内部に入り込んでいた。

 ここだけは置換魔術もなかったらしく、普通に出入りが可能だったが……誘い込まれたのだろう、恐らく。

 中は、上と下へ続く巨大な螺旋階段だけ。しかも吹き抜けになっており、真上はプラネタリウムのように擬似的な星空が浮かび上がり、真下は真っ暗で何があるのか暗くてよく見えない。

 松明が壁にあるものの、広大な中でそれは余りに頼りない明かりだ。宝石の補充が出来ない以上、明かりにも限度がある。

 その、暗闇で。

 動く影が、一つ。

 

「……くっ!?」

 

 襤褸きれに身をすっぽり包んだ、あの襲撃者。両肩から飛び出した剣はいかなる魔術かは知る由もないが、その切れ味は、周囲に点在する破壊痕が物語っている。斬るというよりは押し潰す使い方で、荒々しいが、人を殺すという一点では確かに有用だ。

 まるで暗殺者のような影の紛れ方だが、逆だ。この襲撃者は、ずっと正面から襲いかかってくる。だがその挙動が、余りに理性ある獣からかけ離れていた。

 カカンッ!、と火花。石床の階段を削ったのは、襲撃者の太股から伸びた、突起ーー否、剣。一般的なロングソードであるそれを足代わりにしているのだ。

 剣脚、とも言うべきそれが動く度、肉の裂ける嫌な音がルヴィアの耳に届く。しかもそれだけではない。

 

「づ、あ……!!」

 

 ルヴィアがこめかみを押さえる。

 何か違うモノが、自分の中で蠢いている。それはまるで風へと消えた遺灰がひとりでに戻って、元の形に戻ろうとしているようにも思える。

 この襲撃者と相対し戦い始めてから、ルヴィアはこの症状に襲われていた。何らかの呪いを疑ったが、そうではない。

 そう、これは恐らく……共鳴だ。

 ルヴィアの知らない自分が、イリヤの知る、美遊が作り出したルヴィアが、何かに呼応して呼び覚まそうとしている。

 そしてその鍵を握るのは、目の前の襲撃者だろう。

 

「!」

 

 ルヴィアは身を屈めて回避しながら、ガンドを乱射する。マシンガンのように放たれた黒色の弾は全て襲撃者の脇腹に刺さり、病魔を患わせる。

 なのに、自身の攻撃が外れたと分かった途端、とんぼ返りに腕の剣を振り下ろしてくる。ただの剣に見えたそれは階段の一部を破壊し、ぽっきりと折れた。

 しかし得物が折れても構わない。同じ剣がいつの間にか襲撃者の手に握られているから。

 さっきからこうだ。

 まるでルヴィアの魔術など、取るに足らないと言わんばかりに、反撃をしてくる。

 

(……いえ、呪いそのものを解呪(レジスト)しているようには見えない。そして衝撃自体も、たたらを踏んでいる時点で与えられている……としたら)

 

 ダメージはある。

 けれど、それを感じるほどの理性がないのか。それとも、

 

(単にもっと大きな病、傷を負っているのか……どちらにせよ、手持ちの宝石が十分でない今、さっさと捕まえたいところですが)

 

 あれだけカッコよく言ってはみたが、この襲撃者は一度捕らえる必要がある。もしも美遊の姉である自分を、思い出せたのなら、それは美遊の幸福にも繋がる。

……知らない相手の幸福を祈るというのも魔術師的には可笑しいハズだが、ルヴィアには関係なかった。

 

(美遊という少女が求めているのは、私ではない)

 

 なら、その足掛かりが得られるのなら、やはりこの襲撃者は放っておけない。

……全くもって自分でも理解不能な方針だが、それだけ輝いていた日々だったのだ。

 例えその記憶を亡くしても。

 心の何処かで、それを求めてしまうくらいには。

 ルヴィアはそう決めると、行動に移す。

 

「……そこ!!」

 

 剣を足にすれば、立つことすら非常に危ういバランスを保たなければならない。今のように、狂獣の動きとなればその繊細な作業は想像に難くない。

 そこをルヴィアは突く。

 一直線に向かってきた襲撃者の足へ、人差し指を向け、ガンドを叩きつける。

 ダメージを知覚出来なくても、衝撃が通るのなら、足のバランスは崩せる。

 目論み通り、襲撃者はスリップした。あとは階段から落ちるか、踏み留まるために剣脚を止めるか。

 無防備になったところを宝石魔術で捕まえる。術式を起動した今、あとはそれを投げるだけ。

 だが、それが魔術師として甘かった。

 襲撃者がスリップした瞬間、その襲撃者の腹から(・・・)剣が飛び出した。

 

「嘘……!?」

 

 呆気にとられる。一見第三者にでも刺されたのかと、そう勘違いしかけるところだった。

 そう、あれは単なるスパイクだ。転ばないための使い捨てのスパイク。傷に対して落ちた血の量がまるで比例していないが、そんなことはどうでもいい。

 襲撃者はジャキン!、と蜘蛛のように剣の四肢を伸ばすやいなや、至近距離からの突撃を敢行。そのままルヴィアの肩に剣を貫通させ、壁まで押し出した。

 

「ぁ、ぅ……っ!?」

 

 息が上手く出来ない。

 まさに一瞬のことだった。ルヴィアでは反応すら出来ず、精々歯を食い縛ることだけが許された。

 蒼いドレスが血で黒く染まっていく。襲撃者は舌なめずりも、慢心も一切何もない。ただ淡々と、ルヴィアのもう片方の腕の付け根に剣を突き刺した。

 

「はり、つけ……とは……悪趣味にも、ほどがなくて……!?」

 

 ルヴィアのそんな皮肉にすら答えない。襲撃者は黙りこくったまま、剣を携える。

 そう、慢心していたと言うのなら、それはルヴィアの方だった。何処かでまだ、今回の事件は人間の領域だと勘違いしていた。

 でも違う。こんな、自分の体を何とも思わない頭の可笑しい魔術師がうろついているような、そんな場所で。ルヴィアはただ子供の駄々に付き合ってしまった。

 敵がどのような存在かもいまいち分かってない今、敵陣に突っ込むなんてどれだけ危険な行為か理解していたのに。

 それでも情に流された。それは魔術師の行動ではない、ただの愚者だ。思考を放棄した豚だ。

 らしくないと言われるだろう。流されるとしても、ルヴィアゼリッタはそもそも魔術師である。他の魔術師よりは確かに、義理人情を重んじるところがあるだろうが……でもそれは、ここまで無軌道で、責任も捨て去るようなやり方じゃない。

 ならばどうして、こんなことになったのか。

 

(……ああ……こんな簡単に……)

 

 命が終わるときは、本当に一瞬だ。

 そして当たり前のように、襲撃者は刀を振りかぶる。

 

 

 

「勝負あったな」

 

 そう吐き捨てたのは、アンジェリカだった。主たるジュリアンと同じく、底冷えするような視線の先、ギルガメッシュが全身から血を流して倒れ込んでいた。

 そうなるのも当然か。

 アンジェリカが夢幻召喚したのは、ランサー、エルキドゥ。英雄王ギルガメッシュが唯一友として認めた、神々の人形。その力はまさしく生前のギルガメッシュにすら引き分けに持ち込んだほどの神造兵器。

 

「宝物庫の所有権は私の方が上である以上、貴様にはどうしたって手数が足りん。頼みの天の鎖も、このカードを夢幻召喚してる今、たかが頑丈な鎖に成り下がった。貴様ほどの英霊なら、まず逃げの一手を打つと思っていたが」

 

「まさ、か」

 

 ギルガメッシュが笑う。

 

「僕は、これでも義理堅い人間でね。せめてイリヤさん達が頑張ってる間は、手伝うつもりだよ」

 

「それだ。貴様、何故そんな無意味な真似をする?」

 

「無意味? どうして無意味だと?」

 

 しれたこと、とアンジェリカは答える。

 

「貴様は力を失ったイリヤスフィールを伴い、ここへ来た。何故だ? 貴様とて分かっていただろう? こうなることは目に見えていた。にも関わらずここまで来たのは、愚鈍という他ない」

 

「言ってくれるねえ……」

 

「だが、貴様自身はそこまで愚鈍ではない。なら何か他の目的があった、違うか」

 

「……半分は当たり、かなあ」

 

 切り裂かれてバラバラになったコートの破片を払い除け、ギルガメッシュは半笑いで続ける。

 

「ま、イリヤさんにはちょっと現実を見てほしくてね。その課外学習には、丁度良い相手がここくらいしか居なかったのさ」

 

「……丁度良い、だと?」

 

「ほら、君らって容赦ないだろ? だから適任じゃないか、色々と……まあ、ちょっと力の差が笑ってられないほどあるけど」

 

 事実、ギルガメッシュが白旗を上げたくなるくらいには、最悪の一途を辿っているのが現状だ。

 

「多分、イリヤさん辺りはもう捕まって、そろそろ美遊のことで悩む頃かなあ。あの子は知らないからね、美遊の命が尽きかけてること」

 

「……随分と楽しそうだな。イリヤスフィールも、我々の神話に必要な要素(キャスト)の一人だ。それを我々に奪われるのは、貴様にとって都合の悪いことだろう。何故笑っている?」

 

「笑うさ。ああ、笑うとも」

 

 自棄になったわけではない。

 本当に、ギルガメッシュは楽しそうに、笑っていたのだ。

 

「いや、あの衛宮士郎という男も、こんな逆境に立たされていたなと思ってね。助けはなく、頼れるのは己の体だけ。僕が大嫌いな奴と同じ立場になるだなんて、人生分からないモノだなって思っただけさ」

 

「……気でも狂ったか。この期に及んで、そんな慢心が通用すると?」

 

「慢心じゃないさ。だって、信じてる(・・・・)からね」

 

 そのとき。

 確かに悪辣で、非道をも時には厭わない暴君は、こう言ったのだ。

 

 

「あの二人は、こんなことで折れたりしないよ」

 

 

 そのとき。

 ルヴィアは振り下ろされる刃を仰ぎながら、とある過去を思い出していた。

 

(ああ……もう……なんで、こんなときに……)

 

 それは、一年前のことだったか。

 ルヴィアが、生前のイリヤと関わりを持ったときのことだ。

 たまたま挨拶する機会があったからと、ルヴィアはアインツベルンの城を訪ねた。元々、ルヴィア本人としてはいかにこの挨拶を騒動なく切り抜けられるか、それだけを考えていたことを覚えている。

 だから、あのアインツベルンの当主があんなに小さな女の子だと分かったとき、ルヴィアは酷く驚いた。同時に、毒舌もかまされてちょっぴり傷ついたが。

 

ーーあら、エーデルフェルトってあの追い剥ぎの? 前から思ってたけど、あれ貴族的にどうなの? 卑しいとか思ったりしないの?

 

 言葉自体は言われ慣れていたが、イリヤのような少女に言われるのは流石にちょっとアレだった。

 その後、せっかくだからと晩餐に同伴して、なんやかんやでワインをそれなりに飲んでたまに舌戦を交わし、少し打ち解けたかな、というときだった。

 

ーーわたしね、明日から日本に行くの。

 

 なんでも日本の冬木市で、第五次聖杯戦争が行われるのだという。アインツベルンのマスターとして、イリヤはその戦争に参加するのだとか。

 ルヴィアも聖杯戦争は知っていたし、そろそろだとは噂も耳にしていたし、そんな時に訪問したのは悪いことをしたなと思ったが、イリヤとしてはそれよりも大事なことがあったらしかった。

 

ーーね、エーデルフェルト。もし、もしね。わたしがこの戦争を生き残って、またあなたと会うことになったら……その時は、わたしを殺してくださる?

 

 何を突拍子もない。

 などと、ルヴィアは言えなかった。

 何故ならイリヤから、その時だけは取り繕った幼さなど消え失せて……ありのままを、さらけ出していたから。 

 

ーー殺したい相手がいるの。アインツベルンの悲願と同じくらい、優先すべき相手が。わたしはね、それを成し遂げたらきっと、空っぽになっちゃうから。きっと、心は死んじゃうわ。そして、悲願を叶えれば体もね。

 

 だから、殺せと?

 

ーーうん。まあ、どちらにせよわたしはこの聖杯戦争で死ぬんだけど……もし生き延びたなら、あなたに殺されるのも悪くないなって、そう思った。それだけよ。

 

 正直な話。

 身の上話をするほど仲を深めたわけでもないため、ルヴィアとしては首を傾げていた。そんな義理を果たす理由もルヴィアには見つけられない。

 だけど。

 ふと、気付いたのだ。

 きっと、ルヴィアだから話したのではなく。

 赤の他人であるルヴィアだから、話したのではないか、と。

 

ーーま、冗談よ。わたしのバーサーカーが負けることなんて、万一にもないしね。

 

 魔術師だから、きっとこの幼い見た目にも意味があると思っていた。実際あるのだろうし、ルヴィアが思うような機能など付随していないのかもしれない。

 けれど。

 それならどうして、殺してくれなどと、そう言ったのだろう?

 自分の末路を笑って語り、それでも自身の殺害を赤の他人に頼んだのは、イリヤなりの抵抗だったのでは、なんて考えてしまうのは。

 だから、ぽろっと言ってしまった。

 いいでしょう、と。

 そのときはアインツベルンが誇るホムンクルスの技術、存分に堪能させてもらいますわ、と。

 

ーー……あらあら。冗談だって言ったのに。早とちりが過ぎるわ、エーデルフェルト。

 

 くすくす、と微笑みを浮かべていたものの、ルヴィアは忘れていない。

 微笑みの前の、僅かな間。その短い間に、イリヤが哀しそうに頷いたことを。

 そんなことを、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは思い出した。

 

「……ああ、そういうことでしたの」

 

 ぐっ、とルヴィアは右手で左肩に刺さった剣の刀身を握る。そのまま勢いよく引き抜き、振り下ろされる刃に柄の部分をぶち当てる。

 甲高い金属音と共に、剣は弾かれ、ルヴィアはお返しにと開放された左腕で襲撃者の腹を殴打した。

 憎き遠坂凛の技。

 ルヴィアは更にもう片方の肩に刺さった剣も抜くと、襲撃者を見据える。

 

「……そうでした。私は、あのとき。約束した。必ずあなたを殺すと」

 

 最初に訃報を聞いたとき、ルヴィアの心にはそこまで感情が湧き上がったりはしなかった。結局は一夜、食事を共にしただけの相手だ。記憶には残っても、感情は揺さぶれはしない。

 だが……死後のイリヤに会ったとき。

 ルヴィアの中で、一つの感情が湧き上がった。

 それは、後悔だった。

 

「本当はきっと。あなたも、ああだったのですね。醜いことも、美しいことも、何もかも知っていたのに……それでも、あなたは美しいことを信じられた。なのに何かの歯車が食い違って、あなたはあんな風に歪んでしまった」

 

 妖精のような出で立ちと、残虐な精神。それを作り上げたのは、アインツベルンであり、そして魔術というひとでなしの奇跡だ。

 それを否定する気も、どうにかすることが出来たかは、魔術師であるルヴィアには何も言えない。

 でも。

 だけど。

 

「今度は……まだ、間に合うのでしょう」

 

 左腕を握る。血が滴り、手の甲がしきりに痛んだ。感情の高揚が魔術回路を回転させる。

 

「美遊もイリヤスフィールも。まだ、間に合うのなら……!! 私は、助けたい!! あの子達が守りたいモノを、守ってあげたい!! だから……!!」

 

 そして。

 

 

 

 そのとき。

 イリヤはベアトリスに首を絞められながら、呟いた。

 

「どう、して……?」

 

「あ?」

 

 か細く、命が途絶える前の断末魔。

 だからこそベアトリスには、その言葉がよく聞こえた。

 

「どうして、死ぬと分かって。あなたは、ミユを助けようとしないの?」

 

「……は?」

 

 それは。

 それは余りに、当たり前の言葉だった。

 

「どうして、世界中の人を助けようとするのに。ミユのことは、あなた達の誰も助けようとしないの……?」

 

「決まってんだろ、アレは人間じゃ、」

 

「人間だよ、ミユだって」

 

 少なくともイリヤは、それを知っている。

 たった三ヶ月、されど三ヶ月。親友と思い合った日々は決して、誰かに蔑まされるようなモノじゃない。

 

「ミユは、泣くよ。痛いって、苦しいって、泣くんだよ? 町の人達と何も変わらない。変わったりなんてしない。そう決めつけたのは、あなた達でしょ?」

 

「けっ、神様と人間だぞ。そんなラブストーリーが好きなら、勝手にやってろよガキンチョが。それとも何か、テメェには美遊様も世界も救える方法があるってのか!?」

 

「……そんなの、ない、よ」

 

「だったら!!」

 

「だから」

 

 きっ、とベアトリスをイリヤは真っ直ぐ見つめる。伝わってほしいと、そう訴える。

 

「だから、みんなでーーみんなを、守らなきゃ、いけないんでしょ」

 

「…………」

 

 今度はベアトリスが、絶句する番だった。

 その間にイリヤは告げる。

 

「一人じゃ、無理だから。二人なら、守れるかもしれないから。三人なら、届くかもしれないから。だから、みんなで頑張れば、世界だってきっと救えるかもしれないから」

 

 だから、

 

「絶対にわたしは、諦めない……!」

 

「……ふざけてんのか……」

 

 ぎり、とベアトリスが歯を軋ませる。イリヤの首を絞める力が更に強くなる。

 ベアトリスは烈火のごとく赤毛を振り乱し、

 

「テメェは何か、仲良しこよしで世界が救えると思ってんのか!? 甘ちゃんだなんてレベルじゃねェ、現実逃避も大概にしろよガキが!! テメェの言ってることは、手を繋いでいけば地球を一周出来るって妄言と一緒だ!! そんな単純な作りだったらな、世界なんて簡単に滅びたりしねぇんだよ!!!」

 

「……だから」

 

「あァ!?」

 

「だから、諦める(・・・)の?」

 

……別に、イリヤは見下したわけでも、罵ったわけでもない。しかし、それが彼女の心を逆撫でした。

 ベアトリスの堪忍袋の緒が千切れ、ポップコーンのように四方八方に飛んでいく。

 

「、ォッらァ!!!」

 

 まるでぬいぐるみをベッドに投げつけるかのように、ベアトリスはイリヤを宝物庫の壁へと激突させた。

 そしてすぐさま懐からカードを引き抜くと、殺意を垂れ流して叫ぶ。

 

「クラスカードバーサーカー、夢幻召喚(インストール)ッ!!!」

 

 瞬間。

 宝物庫内を、雷が迸った。

 青白い閃光が少し暗い室内を明かし、天井近くから落雷が床を焦がし続ける。その中心から、山賊のように露出した衣装の少女が一人、悠々と歩いてくる。

 ベアトリスだ。彼女は異形の右腕に石板のようなハンマーを持っており、歩くだけで雷が後を追うように落ちていく。

 

「決めた。テメェは、アタシが潰す。ジュリアン様がどうとか関係ねェ。お前は一度、脳味噌ぶちまけてかき混ぜねえとわかんねぇタイプの馬鹿だからな」

 

「げ、ほ、ぅ……!?」

 

 イリヤはまださっきの激突のダメージが抜けていない。それどころか、赤黒い血を吐き出していた。

 

「折れた骨が肺にでも刺さったかァ? はん、いいね。テメェは苦しんで苦しんで、苦しみ抜いた後、蛙みてぇに潰れて死ぬのがお似合いだ」

 

「か、く……っ」

 

 立ち上がろうとしても、立ち上がれない。足腰に力が全然入ってくれない。

 終わりなのか。

 こんなところで、早とちりしたばかりに、自分は。

 

「んじゃ、この世とバーイ☆」

 

 ベアトリスがハンマーを振りかぶる。

 身構えることすら出来ない。

 イリヤスフィールはいとも簡単に、肉片へとーー。

 

 

 

 光だ。

 単なる光ではない。これは……真エーテルか?

 ルヴィアの目の前で突然光り出したそれは、魔法陣。しかもただの魔法陣ではない。恐らく召喚するため。

 しかし……何を? その疑問は、すぐに答えが出た。

 光から何かが、襲撃者へと飛び出していったからだ。

 

「オラッ!!」

 

 床を盛り上げるほどの踏み込みに、ルヴィアのとは比べ物にならないほどの魔力放出。それらが加わったことで、召喚された誰かは襲撃者を蹴り飛ばしたのだ。

 まるでスーパーボールのように跳ね飛んだ襲撃者は、そのまま壁にめり込んだ。

 

「チッ、防いだか。いや、鎧か何か着込んでやがんのか? 顔も見せねえ臆病者だと思ったが、存外頑丈だな」

 

 それは一言で言えば……騎士らしくない、騎士だった。

 業物であろう剣を肩に担ぎ、兜はねじれた角のようにいかつい。鎧も銀ではあるが赤い装飾が隅々にまで入っており、何だかルヴィアとしてはあかい女を思い出して複雑である。

 

「とりあえず、敵がいるが……挨拶だけでも済ませとくか」

 

 と、騎士は振り返る。

 そして、兜が変形した。

 見事な細工だった。恐らく現代の技術でもここまで精巧に、速く変形する一品は無いだろう。

 そしてルヴィアは、その晒された素顔に驚いた。

 少女だったのだ。しかも恐らくルヴィアより年下だろう。勝ち気、というよりは食い破る気迫の少女は、

 

「サーヴァントセイバー、モードレッド。召喚に応じ参上した」

 

 ルヴィアの左手に刻まれた令呪を確認して、

 

 

「問おうーーお前が、オレのマスターか?」

 

 

 

 そして。

 同じように、イリヤにも声が届く相手がいた。

 

「バーカ。おさらばなんてさせるわけないだろ、このパイナップル頭」

 

 本当に、ベアトリスの槌が届く寸前のことだった。

 それよりも早く、少年の言葉が宝物庫に届き、一陣の風がベアトリスを吹き飛ばした。

 それは、ベアトリスが起こした暴風とは違う、清廉な風だった。それでいて劣っているわけではなく、むしろ雷すら刻む勢いで吹き荒れる。

 と、不意に誰かに抱えられた。恐らくイリヤが吹き飛ぶといけないと、支えてくれているのだろう。

 誰だ、とイリヤが首を動かし。

 そして。

 心臓が止まった。

 

「ああ、良かった。怪我をしていますが、治せる範囲です。あなたが無事で何よりだ、イリヤスフィール」

 

 砂金のように細やかな金髪に、碧眼、動きを阻害せずかつ風格を表す青いドレス。そしてこちらを心配する表情など、何もかもが違う。

 だが、イリヤの記憶が正しければ、その顔はセイバーのクラスカードーーかのアーサー王と瓜二つだった。

 いや違う、知っている。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンならば、このサーヴァントを知っている。

 第四次、第五次聖杯戦争と呼ばれ、最後まで残った最優のサーヴァント、セイバー。

 アルトリア・ペンドラゴン。

 

「ったく、僕らにガキのお守りを任せるとか、どうかしてるよ、遠坂も」

 

 そしてもう一人。サーヴァントであるなら、マスターがいなくては現界出来ない。

 

「……うそ」

 

 だが。

 宝物庫に入ってきたのは……本来ならあり得ない存在だった。

 その少年は、イリヤを一瞥して、露骨に顔を歪ませた。まるで嫌悪しているかのように。

 

「嘘、ね。なーんだ、こっちの記憶もあるのか。なら自己紹介は軽くでいいな、そりゃ助かる。僕も、魔術師とは余り話したくはないし」

 

 この少年は、イリヤも知っていた。

 衛宮士郎の友人にして、第五次聖杯戦争のマスターで、そしてイリヤの命を奪ったも同然の男。

 

「じゃあ手早く済ませましょう、シンジ(・・・)

 

「ああ、やれセイバー(・・・)。僕らの命のために」

 

 そして、マキリの後継者になれなかった男ーー間桐慎二は、あくまで苦々しい表情で呟いた。

 

 

「魔術なんて、僕は嫌いだからね」

 

 

 



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VSエインズワース~合流、サーヴァントの力

 エインズワース城、ホール。アンジェリカはギルガメッシュを追い詰め、確かにその首に刃を添えたはずだった。奴の頼みの綱である宝物は、上位の制御権がこちらにあり、例え絡め手を使ったところで憑依させた神の楔のおかげで、負けるはずがない。

 どう考えたって、詰み。だというのにギルガメッシュは、笑ってこう言った。

 

「あの二人は、こんなことで折れたりしないよ……ね、真っ黒肌のおねーさん?」

 

「!」

 

 それはアンジェリカの背後に、音もなく唐突に現れた。

 空気に染み込むように現れたのは、赤い外套にハートをあしらったプロテクターを身に付けた少女。

 クロエ・フォン・アインツベルン。

 エインズワースへ愚かにも牙を向く、巨悪の一人。

 

「せぁッ!!」

 

「、ちっ……!?」

 

 クロの縦に振り下ろした蹴撃に、遅れてアンジェリカは片腕で弾く。その身に宿したカードのスペック差もあって、攻撃自体はアンジェリカも押し返すが。

 

「全く遅いよ、おかげで服が細切れだ」

 

「面白半分に突っ込むからでしょう、自業自得です」

 

 その間に何処に潜んでいたのか、オーダーメイドスーツの麗人ーーバゼット・フラガ・マクレミッツが、ギルガメッシュを抱えて扉まで走っていた。

 

「逃がすか……!」

 

 それは読んでいる。彼らが走り出したときには、アンジェリカが天の鎖を束にして飛ばしていた。しかし、

 

「ちょっと! 小娘一人の相手くらいはしてよね! せっかく、なんだからっ!」

 

 クロが投影しておいた宝具を投擲し、鎖の軌道を逸らしながら、アンジェリカの追撃を許さない。その迎撃に追われている間に、ギルガメッシュとバゼットは扉を開けると、足留めしていたクロも空間移動。そして。

 

「それじゃ、まったね? おばさん?」

 

 ウィンクして、置換魔術が施された扉へ入った。

 それは下策だ。エインズワースの工房であるこの城において、扉という境界線を使った置換魔術は、逃亡者にとっては袋の鼠に近い。何処へ逃げても、アンジェリカなら置換魔術で逃走ルートを絞り込める。

 だが、

 

(……置換魔術の領域に魔力を感じない……チッ、またあの魔術か)

 

 既にもうギルガメッシュ達は、エインズワースの術中から抜け出していた。

 

 

 

「あいたたたた……全くあの人形、手加減なしだもんなあ。ま、あのカード使ってるんだから当然か」

 

 ギルガメッシュは唇についた血を指先で拭いながら、辟易する。

 彼らが通っているのは、エインズワース城の地下水路だ。普通ならこのまま進めば外に出られるのだが……置換魔術で境界をあべこべにされている以上、ここも安全ではない。

 服の破片をつまんでは捨てるギルガメッシュに、背中越しのバゼットは白い目を向けた。

 

「全く、こちらの合図を待てとあれほど言ったでしょう。なのによりにもよってここへ、何も知らないイリヤスフィールを連れてくるなんて、正気ですか?」

 

「そうよ。あの甘ちゃん、どうせ何も知らないんでしょ?」

 

 クロは背後を警戒しながら、

 

「余計なことしてくれちゃって。おかげでこっちは大損よ。今頃リンが怒り狂ってるでしょうねー」

 

「あはは、まあ課外授業ということで。遅かれ早かれ知ることだし、知識だけじゃなく、ちゃんと実感を伴って覚えるのは大事でしょ?」

 

「そんなんで済むかアホ」

 

 ぺしん、とクロにギルガメッシュは小突かれる。実際その通りなのだ。ここは余りにエインズワースに有利すぎる。クロとバゼットが加わっても、エインズワースの工房で戦う限り、まず勝てない。それはギルガメッシュも例外ではないのだから。

 だが。

 

「それでも、見せる必要はあるでしょ?」

 

 敵がどれだけ強大で、そして何処まで状況が絶望的なのか。

 それをイリヤが確認するために、必要だったのだ。この潜入とも言えない突撃は。

 

「……それ、わたし達が助けると分かってるからやってるでしょ? アンタだけなら絶対助けなかったわよ、言っておくけど」

 

「ははは、またまたぁ。僕の力は喉から手が出るほど欲しいでしょ?」

 

「力だけはね。でもアンタ自体は要らないから。どんだけ金積まれてもね」

 

 延べ棒でも出して頬をぶっ叩いたら少しは心変わりするかなあ、と思いつつ、ギルガメッシュは先を見据えて含み笑いをする。

 

「……面白くなりそうだねえ」

 

「だから! ちっとも!! 面白くなんかないっての!!!」 

 

 

 

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、これほどの真エーテルを今まで目の当たりにしたことはなかった。いや、恐らくどのような儀式でも、凡人では命を懸けても目の前のそれには及ばないだろう。

 神秘が失われて久しい現代。最早奇跡は奇跡として認められない時代において、風を巻き起こすほど実体化した真エーテルは、驚異的という他ない。そしてそれを纏う存在も。 

 

「って、なんだこりゃあ? 城ん中か? また変な場所に召喚されたもんだなオイ」

 

 訝しげに辺りを見回すのは、ルヴィアよりも年齢が低いと思われる少女だ。しかし銀の重鎧を身に纏いつつ、軽く歩き回る姿は、まるでライオンのそれだ。

 

「ええっと……その、モードレッド、でよろしいので……?」

 

「あん? そうだって言ったろ、マスター。まさかオレを知らねえだなんて言わねぇだろうな?」

 

 モードレッドと名乗った少女は、眉根を寄せ、チンピラのようにルヴィアに詰め寄る。

 モードレッドという名は勿論知っている。円卓の騎士の一人にして、アーサー王の息子であり、かのブリテンを終わらせた張本人。反逆の騎士という騎士としては汚名にも近い名を受け、歴史に刻まれた英雄。

 しかし元々男のはずのモードレッドがこんな、

 

「……女、とか言ったら、お前を殺すからな。だから絶対に言うなよ? 間違って、首ごとそのぶら下げた脂肪をぶった斬りかねん」

 

 モードレッドはあくまで淡白な口調だったが、そこには確かな矜持と、少しの怒りが滲んでいた。

 ルヴィアもその類いの嘲りには覚えがある。古臭い習慣を第一とする魔術師においては、男尊女卑といった差別は無論ある。しかし話はそうではなく、

 

「その……本当に、あなたがあのモードレッド? マスターとはその……」

 

「ああ? おいおい、その左手は飾りじゃねぇだろ?」

 

 左手、と言われてルヴィアは初めて左手に意識を向けた。

 そこには、赤い痣にも似た魔力の塊があった。ルヴィアの所有する宝石ですら比べることも馬鹿らしい魔力量に、どうして今まで気づけなかったのか不思議だった。

 令呪。モードレッドのような英雄、英霊を従えるマスターにのみ与えられる絶対命令権。

 そしてそれは、とある儀式の参加権であり、聖遺物から与えられる聖痕(スティグマ)

 その儀式の名は、

 

(……聖杯戦争? まさか、それに私が参加してしまったとでも……?)

 

 あり得ない話ではない。実際この冬木市では、第六次聖杯戦争が再開されたとギルガメッシュは言っていたし、優秀な魔術師であるルヴィアが参加者として登録されるのも不思議ではないが……。

 

(そもそも、この世界の聖杯戦争はクラスカードによるものだったはず。私のように、サーヴァントを召喚して使役しているのでは、まるで冬木の聖杯戦争がまだ()()()()()()()()……)

 

「ボケッと突っ立ってるのはいいけどよ、マスター」

 

 モードレッドは正面を睨み付け、

 

「下がってろ、来るぞ」

 

 何が、という暇すらなかった。

 直後に特大の大剣が、空間を裂いてルヴィア達に襲いかかったからだ。

 ガギョォンッ!!!、と甲高くも重厚な激突音は、巨木を引っこ抜いたような巨大な剣を、モードレッドが細腕で弾いた音だ。更に二本目、三本目と増えるが、モードレッドは一歩も動かずにそれを弾き、粉砕する。

 一歩も動かずに制するその姿、まさに一騎当千の英雄そのものだが……モードレッドの顔は不機嫌そうに歪む。

 

「……でけぇだけのナマクラ投げて、目眩ましのつもりか? こんなもん、百でも千でも砕いて、……っ、退けっ!! マスター!!」

 

「ちょ、なぁ……!?」

 

 ぐいっ、とモードレッドが掴んだのは、ルヴィアの髪だ。丁寧に編まれた自慢の金髪を無理矢理引っ張られ、ルヴィアは地面に伏せる。

 瞬間、ルヴィアのドレスを何かが掠め、切れ端が舞った。

 

「チッ!!」

 

 モードレッドが剣ではなく、足を前に突き出し、それを蹴り飛ばす。背面に迫っていたフードを被った襲撃者は吹き飛ぶが、外套の中から飛び出した剣で無理矢理勢いを殺す。

 

「……ありゃなんだ、マスター。人にしちゃ硬すぎる。鎧、っつうよりは針山でも殴ってるみたいな感覚だが?」

 

「分かりません。ですが、あれも敵の一人。ここで逃す手はありませんわ」

 

 状況は曖昧模糊としていようが、ここでいちいち全てを理解しようなどとルヴィアは拘泥しない。

 

「セイバー、初めてあなたに出す指示です。あれを生け捕りに出来ますか?」

 

「あん? 殺すんじゃなくてか? あれが言葉を解すような頭には見えねえぞ、マスター」

 

「我々は敵を知らなすぎる。相手が何であれ、殺す前にまず得られるものを得る。それが狩りの鉄則ですわ」

 

 狩りねえ、とモードレッドは何か言いたげだったものの、彼女はすぐに獰猛な笑みを浮かべた。

 

「……了解したぜ、マスター。せっかくの初陣だ。言う通り生け捕りにして、テメェのサーヴァントがどれだけ優秀か見せてやるよ!」

 

 舐めるな、と言わんばかりに襲撃者が駆ける。一直線に突進。いかなる魔術か、その周囲には剣が出現し、我先にとモードレッドへ飛びかかる。その数、七。いずれも宝具まで行かずとも名刀名剣に近い業物ばかり。

 しかし、

 

「しゃらくせェッ!!」

 

 モードレッドの体から、赤い火花が散る。それは雷だ。放出された魔力そのものが赤い雷となって、モードレッドの肉体を飛躍的に強化し、そのまま銀色の剣を振り下ろす。

 ただの一振。しかしその一振は、最早それ自体が砲弾となって、刀剣だけではなく階段までも破壊し、赤雷が炸裂する。火花が塔内を席巻、そのでたらめな破壊力にたたらを踏んだ襲撃者に、モードレッドは更にもう一振。

 しかし避ける。上体を九十度ほど逸らす離れ業の後、飛び退こうとして。

 投擲された剣が、その腹部に突き刺さる。

 

「ほぅら、おかわりだ!!」

 

 投げた自身の剣に、モードレッドはすかさず足の裏で深く押し込む。襲撃者は壁に激突し、余りの威力に塔の壁が崩れ、瓦礫に沈んだ。モードレッドは蹴った際に引き抜いた愛剣を担ぐ。

 

「……凄い」

 

 これがサーヴァント。蛮族のような戦い方はともかく、一挙一動がまるで追いきれない。今の一撃を耐えられる生物など、それこそ同じ土台のサーヴァントくらいだろう。

 が。モードレッドは一向に剣を握る手を弛めない。

 

「……本当に硬ェな。おいマスター」

 

「え?」

 

 ガララ、と瓦礫が動く。そこでは、モードレッドに貫かれたはずの奴が、漫然とした動きで起き上がる。

 効いている……はずである。しかしどうしてか、そこに苦痛は見えない。ただ起き上がるのに時間がかかっただけにしか。

 それを見て、今度はモードレッドが先手を取った。白銀の大剣は恐ろしいほど魔力が蓄えられ、振るうだけで空気が轟音で裂け、一般的な体格程度の襲撃者など寸断するだろう。

 が、

 

「なに……!?」

 

 襲撃者はそれを、避けなかった。

 自らの体で受け止める。いや、受け止めるなんてお行儀のいいものではなかった。白銀の剣は襲撃者の肩から肺まで切断したにも関わらず、奴はそのまま懐に飛び込み、肩口から生やした剣を振るう。

 モードレッドは一瞬驚いたが、篭手で剣を防ぐどころか叩き折り、ヘッドバッドで距離を離す。

 ごぃん、とまたもや金属音。額に残る感触に、モードレッドは苦虫を噛んだ。

 

「……チッ。貴様、人間じゃねえとは思ってたが、そこまでか」

 

 その視線の先は、白銀の剣が切り裂いた肩から胸部にかけての傷だ。しかしその傷口から何かが飛び出し、縫合するように傷を修復していた。

 ぎち、ぎち、と軋む音。それが人体から発せられる音だと誰が思うだろう。まるで鉄と鉄が擦れ合うような音に、ルヴィアはぞっとする。

 

「……どうするよ、マスター。これでもまだ、あれを捕まえるのか?」 

 

 

 

 風が、吹き込む。

 その風はまるで疲労や不快感、不安すら吹き飛ばすようで、気持ちが軽くなっていく。

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンを包むもの全てを、まるで肩代わりしてくれるような、そんな錯覚すらあった。

 

「ここで二人とも、待っていてください。私が時間を稼ぎますので」

 

 セイバー、アルトリア・ペンドラゴンは、無手にも関わらずそう言い切る。

 いや無手ではない。確かにその手には何か、不可視の武器が握られていた。風で編まれた鞘にも似たそれは、ただそこにあるだけで微弱な風を起こしていた。

 

「あ、ぃや、でも……」

 

「良いから大人しくしてろ。何も出来ない奴がでしゃばるな、邪魔なんだよ」

 

 イリヤの側で少年、間桐慎二は悪態をつく。これ以上余計な真似はしてくれるな、という祈るようなそれに、イリヤはただ見守るしかない。

 

「は、はっはァ……そうか……」

 

 対し、風で吹き飛ばされたベアトリスは、怒髪天を衝くといった感じだった。赤髪が燃えるように怒り狂う姿は、触れれば痺れるだけでは済まないだろう。現にその体からは、雷が常に漏れ出していた。

 そんな相手の懐へ、アルトリアは躊躇いなく踏み込む。

 

「……テメェか、クソセイバー……ッ!!」

 

「!」

 

 一歩でその距離をゼロにしたアルトリアへ、ベアトリスは巨腕を繰り出す。上から下。空き缶を潰すような挙動。アルトリアの華奢な体であれば、それこそ同じ末路を辿る。

 しかし。

 剣を名乗る英霊に、そんな力技だけの攻撃は通用しない。

 潜り抜ける。翡翠の瞳は、すぐ側を走り抜ける巨腕には目もくれず、不可視の剣を突き出した。

 瞬間、無手だったアルトリアの剣が露になる。隠れていた黄金の聖剣は、まるで見る者を拒むように、竜巻を巻き起こす。その勢いたるや、さながら竜が空を泳ぐよう。

 

「はン! その程度の風が、この雷神に効くと思ってンのかァ!?」

 

 笑う。ベアトリスは嵐に身を曝しながら、それがどうしたと耐える。竜巻に食らいつかれながら、巨腕で押し潰そうと手にかけ、

 

「なら、斬ればいい(・・・・・)

 

 その刹那。

 黄金の髪が、ベアトリスの眼前で、凪いだ。

 竜巻の中を潜り抜け、それによって加速したアルトリアが、聖剣を振り下ろす。

 

「そこを退け、雷神の子。お前の嵐は、幼子が通るには激しすぎる」

 

 凄まじい衝撃が部屋を走り、炸裂する。内側から走ったインパクトは外まで及び、部屋の一部が弾けた。

 気づけば、ベアトリスの姿は無かった。眼前にあった宝物庫の壁は勿論、その向こうのエインズワース城にすら穴を穿つほど、アルトリアの一撃は凄まじかった。

 あのベアトリスですら。これがサーヴァント、これが本物の英霊。記録こそ頭にあったとしても、イリヤは信じられない。

 

「……すっご」

 

 セイバー、アルトリア・ペンドラゴンの聖剣は、余りに有名であるが故に、真名を隠さねばならない聖杯戦争では一目で看破される可能性がある。それを防ぐための不可視の風だが、それでこの威力だ。

 

「これなら、ベアトリスにだって……」

 

「馬鹿、勝てるわけないだろ」

 

 慎二はすぐに、ベアトリスが吹き飛んだ方向とは反対側へと走り込む。外へ。

 

「逃げるぞ! 死にたくなきゃつべこべ言わずに走れ!!」

 

「、あ、ちょっと……!?」

 

 逃げ足早っ!?、と思いながらも、イリヤもその後を追う。

 外は普通の庭園だった。噴水まであるそこを横切って、イリヤはひたすら慎二の後ろについていく。

 

「あのっ、セイバーさんは!?」

 

「足留めしてるだろ! いざというときは令呪使えば呼び戻せる!!」

 

「じゃあ今は何処に向かってるんですか!? 出口とか!?」

 

「オマエほんと何も知らないのな!? いいか、ここはエインズワースの魔術で出入口が完全に奴らの手の内だ。下手にドアでも開けてみろ、あの赤髪馬鹿力女の腕が吹っ飛んでくるぞ!」

 

「じゃ、じゃあ! どうやってここまで来たんですか!?」

 

「これだよ!」

 

 忌々しいと言いたげに、慎二は慎重にかつ大胆に逃走ルートを選びながら、それを取り出した。

 プラスチックで作られたようなそれは、女児向け玩具のように見えるが違う。それは一級の魔術礼装にして、イリヤの相棒。

 

「ルビー!?」

 

「わーんイリヤさーん!! マイマスター、よくぞご無事で……!! 私、本当に心配で夜も六時間くらいしか寝れませんでしたとも!! ええ、ええ!!」

 

「割りと寝てるよね!? 快眠だよね!?」

 

 カレイドステッキの一振り、ルビーだ。彼女は慎二の手から抜け出したかと思えば、その頬に羽を擦り付ける。

 

「いやぁやはりワカメみたいな手汗ベタベタ男より女子小学生ですねー! いやっふう! モチモチィ!」

 

「ちょ、うわっ!? 何か海の匂い!? 海の匂いする!? なんで!?」

 

「ふざけてる場合かお前ら!? あと勝手に僕の匂いと言って自分で精製したフレーバーと他人を勝手に結びつけるのやめろって言ってんだろこのプラスチックステッキ!?」

 

 一回本気でぶっ叩いて、慎二は、

 

「この変なステッキが、ここの魔術を一時的に無効化してくれてる。元々置換魔術は空間を操る魔術。つまり第二魔法の領分……らしい。そのおかげで、お前達を助けるのに何とか間に合ったってわけだ。お前達と合流出来たのもそのおかげさ」

 

「達って……ルヴィアさん達の方にも?」

 

「ルヴィアって奴は知らないけど、ギルガメッシュならバゼットとお前に似た黒いガキが合流してるはずだ。そのルヴィアとかいう奴も、すぐに合流するさ」

 

 黒いガキとは、クロのことか。つまり彼女達も無事だったのか。それだけで、イリヤの心の中はぐっと楽になる。

 分断されたときはどうしようかと思ったが、それなら話は早い。

 

「じゃあ早く合流しよう! また分断されたらたまったもんじゃないでしょ!」

 

「いいや、合流はしない」

 

「なんで!?」

 

「僕達がゾロゾロ行ったところで、何の助けにもならない。それに僕は遠坂に言われてるんだよ。お前と合流したら、さっさとここを出ろってね」

 

 でも。まだ兄も、美遊だって見つけていない。このままでは本当に骨折り損だ。

 しかしエインズワースは考える暇すら与えない。

 

「う、お!?」

 

 突如、清らかな水が流れていた噴水から、濁って腐りきった泥が噴出する。聖杯の泥だ。それは無数の黒化英霊へと転じていき、進行方向を阻んだ。

 

「くそっ、こんなときに……!」

 

 顔を引きつらせた慎二の前に出て、イリヤは未だに頬ずりするルビーを胸に抱えた。

 

「ルビー!」

 

「はい! 久々のコンパクトフルオープン、転身いきますよー!」

 

 ルビーの玩具染みた星型の体から、ガシャン!、と柄が飛び出す。それを掴めば、イリヤの服装は様変わりしていた。

 ピンクを基調とした、フリルのついた可愛らしい衣装に、マントを羽織ったそれは、カレイドルビー。イリヤにとって、この三ヶ月を戦い抜いてきた力である。

 

「……なんじゃそりゃ」

 

「そこはノーコメントでお願いします……」

 

 慎二は余りの急展開ぶりに言葉を失っていたが、そっちの方が都合がいい。イリヤは空中に飛んで、

 

「ええっと、シンジさんはついてきてください! わたしがこれを吹き飛ばします!」

 

「ほんとに大丈夫なんだろうな!? 不安しかないんだけど!?」

 

「だ、大丈夫です! 行くよ、ルビー!!」

 

 手加減無しだ。イリヤはありったけの魔力を集めると、ステッキを振りかぶる。

 

砲撃(フォイア)!!」

 

 撃ち出される桃色の魔力の奔流は、勢いよく黒化英霊達へと向かい、そして。

 パチィン、と黒化英霊の振り払い一発で、霧散した。

 

「……あれぇ?」

 

「あはー、何か見覚えのある光景ですねえ。この実家のようなよわよわ砲撃ぃ」

 

「あはーじゃないだろぉ!? おいオマエ、ぜんっぜんダメじゃないか!! 馬鹿か? オマエ馬鹿なんだろ!? なぁにが大丈夫だ、下っ端にすら普通に負けてんじゃないかよ!?」

 

 実際そうなので、それ以上は何も言えないイリヤ。しかし打ち消したとはいえ、黒化英霊達も黙ってはいない。

 アーチャークラスの英霊がイリヤを落とさんと、無数に矢を放つ。それを危なっかしくかわしながら、イリヤは散弾や斬撃などで黒化英霊達を足留めする。

 しかし、空を自在に飛べるイリヤと黒化英霊達では、互いに決定打がなかった。

 

「くっ、……! この人達、ほんと厄介……! もー、クロが抜けてなかったらこんなことには……!!」

 

「いやぁ、どうでしょうねえ。流石にクラスカードも使わずに切り抜けるのは無理っぽいですけども」

 

 経験から、打ち落とされることこそないが、手持ちの限定展開はアサシン、キャスター、バーサーカーと、どれも火力に重きを置いていない。いやもう一枚あるが、安易に理由して良いものでもないだろう。

 切り抜けることも、されど落とされることなく、必死に避けながら反撃を繰り返す。

 と、そのときだった。

 

「! イリヤさん、後ろ!!」

 

「へ?」

 

 呆けた声を出すと、ルビーが勝手に動いて、体勢が崩れた。それが功を奏した。

 ブォンッ!!!!、と凄まじい風切り音と共に、イリヤの背中を何かが通り抜けた。

 

「な、っ?」

 

 それはまるで、台形の墓石のようだった。目標を外れたそれは、そのまま落下して黒化英霊達を一発で擂り潰す。虫が潰れるように泥が辺りを飛散し、イリヤは体を強張らせる。

 じゃらららら、と鎖で引き戻された先には、狂暴な笑みを張り付けたベアトリス。

 次はお前だ、と彼女の巨腕が筋肉で膨らみ、

 

「イリヤスフィール!!」

 

 清廉な声に、はっとなるイリヤ。すると眼下で、追い付いたアルトリアがベアトリスと激突していた。

 イリヤを狙おうとするベアトリス、そうはさせないアルトリア。一進一退の攻防は、互角にも見えるのだが、アルトリアがやや戦いにくそうに顔をしかめていた。

 

「くそ、やっぱり今のセイバーじゃドールズ相手じゃ分が悪いか……!?」

 

「わたしがやります……! ルビー!」

 

 ふくらはぎに着けてあるホルダーからクラスカードを引き抜く。クラスはバーサーカー。イリヤはそれをステッキに添え、ベアトリスへ飛翔する。

 

「クラスカードバーサーカー、限定展開(インクルード)!」

 

 すると、ステッキが変化。そこには、イリヤの背丈以上の長さ、太さの斧剣が出現する。

 バーサーカー、ヘラクレスの使う鉱石で作られた斧剣。これならば。イリヤはほとんど落下するように、ベアトリスに突き立てる。

 

「そんなヒョロヒョロな持ち方で、あたしに届くかってェの!!」

 

 アルトリアを引き剥がし、ベアトリスはイリヤと向き合う。ぶつかる視線。しかし少女は退かず、更に落下速度を速め、それを見たベアトリスは全力で巨腕を振り上げる。

 明らかに、ベアトリスの方が勢い、力、速度が上回っていた。しかしイリヤは止まらない。止まらず、そして。

 二枚目(・・・)のクラスカードを、斧剣に添えた。

 

「クラスカードアサシン、限定展開(インクルード)!!」

 

「なっ、!?」

 

 ぽん、とそれはまるで、小さなクラッカーが破裂したみたいな音だった。ベアトリスの腕と斧剣が接触する寸前に差し込まれたクラスカードにより、イリヤはルビーを身代わりにして巨腕の一撃を回避。地べたに尻餅をつきながら、叫んだ。

 

「行って、セイバーさん!!」

 

「はぁぁぁぁああああああッ!!」

 

「しまっ、!?」

 

 ベアトリスが気づいて、ガードしようとしたが遅い。魔力放出により、最大まで加速したアルトリア渾身の一閃が、ベアトリスの体に叩き込まれた。

 ゴォゥッ!!!、と渦を巻くような風。噴水を巻き込みながらも、エインズワース城まで叩き返されたベアトリス。イリヤはほう、と息をつきながら、降りてきたルビーを手に取って再度転身した。

 

「お見事でした、イリヤスフィール」

 

 尻餅をついままのイリヤに、アルトリアは手を差し伸べる。彼女こそヘトヘトだろうに、微塵もそんな素振りを見せない姿は、騎士王の名は伊達ではないとイリヤでも感じさせられた。

 

「ど、どうも。セイバーさんこそ、守ってくれてありがとうございます」

 

「貴女を守れと厳命を授かっていますので、お気遣いなく。しかし先程の攻防はやや肝が冷えましたが、その年齢で大した胆力です……シンジもこれくらいの気概があってほしいのですが」

 

「僕に期待するのは魔力電池くらいだと思っとけよ、セイバー。それ以外で役に立てることなんてないからな」

 

「見てください、この清々しいまでの宣言。全く、リンとは大違いです」

 

 ともかく、と慎二は再三告げる。

 

「さっさとここから逃げるぞ。今ならベアトリスもいない、黒化英霊もセイバーがいる今なら突破出来る。チャンスだ」

 

 言うまでもないとイリヤとアルトリアは頷く。三人はそのまま庭園を通り抜けようとして。

 上の方で、何かが崩落した。

 

「……?」

 

 思わず足を止めて、振り返る。それは丁度真後ろに位置している、巨大な塔だった。その半分より少し上で、ぽっかりと穴が空いている。今しがた空いたのだろう、破片が地上に落ちてきていて。

 イリヤの目の前に、誰かが落ちてきた。

 

「……え?」

 

 何故か、胸が途方もなくざわめいた。

 その誰かは、全身ボロボロだった。身に纏っている襤褸切れは最早ただ細切れになった布で、フードだって半分隠れていない。おかげで真っ白になりかけた赤銅の髪がよく見えた。

 四肢は欠損していて、無理矢理剣を傷口に刺し、それで身体機能を補っている。おかげで彼が降り立った場所は、既に血溜まりが出来かけていた。

 彼が、ゆっくりと振り返る。

 そこには、見慣れた顔の誰かが、立っていた。

 

 

()()ちゃん(・・・)……?」

 

 

 衛宮士郎。

 最愛の人が、最悪の場所で、最悪の立ち位置で、イリヤの前に立っていた。

 

 

 

 



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VSエインズワース~奪われた家族~

水着イリヤ実装ッ!!!!!!!
なので更新です


「ありゃりゃ、吹っ飛んじまったか」

 

 モードレッドは手を望遠鏡でも作るように丸め、眼下を見渡す。

 彼女の放った渾身の一閃は凄まじく、城壁ごと襲撃者を吹き飛ばしたのだ。無論マスターの生け捕りにしろという命令の都合上、殺す気はないが、ここまでせねば止まる様子もなく、やむを得ずと言ったところである。

 これで死ぬ、もとい止まれば楽なのだが。

 

「……バケモンか、ありゃ? 少なくとも、四肢を切り落としても止まんねえな」

 

 落下する襲撃者は何度か痙攣した後に、その身を隠していた襤褸切れが空を舞う。

 それには、そもそも手足が無かった。

 四肢の全てを切断され、達磨のようになったそれは、モードレッドの見間違いでなければ、確かに少年の形をしている。だが少年は四肢があった断面から、刀剣を生やして、それを代替にしているのだ。

 

「……斬る手も、足もねぇんだ。止まるわきゃないわな」

 

 ブリテンにいた魔獣の類いであっても、ここまで奇っ怪な生物はいない。

 痛覚がないのか、あっても構わないのか。

 

「あれは諦めろ、マスター。取っ捕まえたところで、刺されんのがオチだ。首を切り落とさないなら、ここは撤退するのが一番賢い」

 

 魔術を余り心得ていないモードレッドでも分かる。周囲に張り巡らされた魔術の数々は、彼女の母親のモノと少し似ている。

 悪意、敵意、殺意。一人たりとも逃さないという、執念。

 

「おい聞いてんのか、マスター。オレが守るのにも限度が、」

 

「……そんな、はずが」

 

 そこで、モードレッドはようやく気付いた。

 背後で控えていたルヴィアの顔が、青白くなっていることに。まるで死人の顔でも見たように。

 

「……シェロ……?」

 

「……、」

 

 そしてモードレッドも、気付く。

 このねばついた陽気を駆け抜ける、清廉な風を。

 

「……まさか」

 

 視線は眼下、襲撃者の側。

 この訳も分からぬ状況で唯一、それだけはモードレッドにも理解が及んだ。

 砂金のような金髪、青く、それでいて華美になり過ぎない騎士甲冑。そして何より、その手に持つ透明な何かと。

 モードレッドと類似した、その顔は。

 

「……アーサー王」

 

 

 

 

 それを見たのは理科の教科書だったか、それとも昆虫図鑑だったか。

 イメージは野菜につまようじを数本刺したようなもの。伸びたつまようじが、人の手足のようだと思って、少し不気味だと思ったのは、イリヤの考え過ぎか。

 つまるところそれは、人のイメージからそれほどかけ離れてはいない。

 

「……、」

 

 ギシ、とバネが伸縮するような音が、肉体から発せられる。機械化なんて生易しいモノではない。その内側からせり出す無数の刃が、筋肉のように伸縮する度、擦れているのだ。

 一見、死神のような人形。

 なのにそれは、見覚えのある顔をしていた。

 

「……おにい、ちゃん……?」

 

 喉が乾いていく。カレイドの魔法少女になっているというのに、どうしようもなく背筋が震える。

 赤銅色の髪は、ほぼ色が抜け落ち、何らかの呪いで変質していた赤黒い肌は、今や火傷の痕みたいに爛れている。吐息は荒く、空洞の眼窩から漏れ出るような幻覚すら見えた。

 衛宮士郎。

 イリヤの兄であり、イリヤ(彼女)の弟。

……なのか?

 分からない。だからこそ、結論は周囲の行動で決定した。

 

「下がって、イリヤスフィール!!」

 

 ドゥッ!!、と青い騎士が、イリヤを追い越し、突貫する。

 セイバー、アルトリア・ペンドラゴン。確かそう……第五次聖杯戦争では元々、衛宮士郎のサーヴァント。

 

「セイバーさん、まっ、……!」

 

 彼女がどういうつもりかは知らないが、この突貫はそれこそ、サーヴァントに対して行うそれと同等のモノだ。転身したイリヤでも反応が難しいほどの。

 だが遅い。制止は間に合わず、そして。

 ()()()()()()()、剣群が出現した。

 

「、イリヤさんっ!!」

 

 ぐい、とルビーがステッキ状態のまま、イリヤを引っ張る。後ろに引き摺られたところで、石畳に剣群が突き刺さる。

 意表を突くという意味では、これ以上ない奇襲。明確な殺意の発露が、イリヤの心臓を鷲掴みする。

 

「おい大丈夫か!? チッ、衛宮の奴、仮にも妹にマジになりやがって……!!」

 

 慎二が助け起こすが、彼が何を言っているのか、イリヤの耳にはよく聞こえない。兄に殺されそうになったという事実がイリヤにとって、余りに大きい。

 その間にも、状況は動く。

 

「シロウ!!」

 

 激昂と共に放たれる一閃。逆巻く台風を思わせる剣を、衛宮士郎はいとも簡単に回避、更には手元に投影した剣を投擲する。

 その数、都合二十五本。竜属性を持つアルトリアに対して、効果を発揮するものばかり。かすればそれだけで、アルトリアの肉体は血を噴き出すだろう。

 

「言葉が通じないのは分かっている。ですがイリヤスフィールは、イリヤスフィールはあなたの姉でしょう!? それに手をかけようなど、本当にもう以前の貴方は死んでしまったのか!? 答えろっ、シロウ!!」

 

 アルトリアの問いに、衛宮士郎は剣で答えるのみ。それも腹立たしいのだろうが、アルトリアは剣群の勢いに縫い止められている。

 

「オイオイ騎士王サマよォ……アタシを忘れてチャンバラ始めてんじゃねェよ、なァ!?」

 

「、しまっ、……!?」

 

 最後の一本を何とか弾き、今度こそ追撃しようと前傾姿勢になったアルトリアの、真後ろ。

 飛びかかったベアトリスが、その鉄の巨腕を振り下ろす。

 受け止めきれるわけがなかった。小柄な体は宙を回りながら、アルトリアの唇から血が垂れる。

 

「セイバー……! くそっ、くそくそくそっ、最悪だ……よりにもよって、ここで衛宮とかち合うのかよ……!!」

 

「……シンジ、さん……」

 

「なんだよ!? 立ち上がれるなら早く立ち上がれ、お前にも戦ってもらわないとこのままじゃ共倒れだ!!」

 

「あの人、ほんとにお兄ちゃんなんですか……?」

 

 イリヤの投げ掛けた言葉に、慎二は言葉を詰まらせた。

 つまり、そうなのか。

 あれが本当に。

 

「ったく、お前さァ」

 

 ベアトリスが石版のようなハンマーを担ぎ、衛宮士郎を一瞥する。

 

「あんだけ言ったろ。アレは捕縛対象だって。美遊サマのスペア?にしようかってハ・ナ・シ。なのにそれを殺しかねるとか、これだからお人形は」

 

 あくまで、会話はベアトリスの一方的なモノだった。応答もなく、壁に話す方がマシと言われても可笑しくない。

 だが、衛宮士郎はそこから離れない。攻撃もしない。それこそ忠実な僕のように、控えている。

 そちら側の人間だと、思い知らされる。

 

「……なんで? なんでお兄ちゃんが、エインズワースの仲間に……」

 

「仲間ァ? はン、なわけねーだろ」

 

 めんどくさそうに頭を掻くベアトリスを、チャンスだと思ったか。吹き飛ばされたアルトリアは、今度こそ一閃を叩き込もうと、真横から一直線に向かう。

 気付いた衛宮士郎が剣群を放つものの、そう易々と騎士王が怯むわけがない。それらを逸らし、弾くと、彼女は風を纏った聖剣を振りかぶる。

 直後だった。

 

「これはエインズワースの下僕に決まってんだろ」

 

 ベアトリスが、無造作に。衛宮士郎の体を、アルトリアの前に差し出した。

 肉の盾。余りに自然な動作で行われたそれに反応したアルトリアは、流石サーヴァントと言うべきか。ギリギリのところで聖剣は踏み止まり。

 ベアトリスが相好を崩し、石槌を振るう。

 

「隙だらけだなァ、アーサー王ォ!!」

 

「貴、様……!!」

 

 直前で石床を砕くほど踏み込んだのが幸いしたか。アルトリアは不格好ながら防御に成功すると、イリヤ達の前まで下がる。

 しかし無茶な防御は決して少なくないダメージを与えたらしく、顔を歪め、聖剣を持つ手が不自然に揺れた。

 

「騎士ってのも大変だよなァ。それが王となればがんじがらめになるのも仕方ねェ。例え守るもんが敵に味方していても、だ」

 

 ククク、とギザ歯を見せるように笑う、ベアトリス。

 それで、なるほど、とイリヤは納得した。

 士郎がどうしてエインズワースの仲間になったかは、よく分からない。ただ、あの女の隣に衛宮士郎がいれば、あんな風に好き勝手に使われてしまうだろうということだけは、理解した。

 故に。

 イリヤは太股のホルダーから、一枚のクラスカードを引き抜いた。

 

「……セイバーさん。お兄ちゃんのこと、お願い出来ますか」

 

「? イリヤスフィール?」

 

「あん……?」

 

 怪訝な顔をするアルトリアとベアトリスだが、その意味は二人とも違った。

 アルトリアはそのまま、何をする気だという問い。そしてベアトリスの疑問は、イリヤが()()()()のクラスカードを持ったことについて、だろう。

 

「おいおい……ハサン・サッバーハのカードなんて見せびらかして、暗殺しか出来ねえ雑魚サーヴァントでなにすんだ? こちとら仮にも神霊降ろしてるっていうのに」

 

「どうだっていいよ」

 

「……はァ?」

 

 ベアトリスが苛立った様子で睨んでくるが、イリヤも睨み返す。そう、腸が煮えくり返っているのは、そっちだけではない。

 

「家族をこんな風にされて、それでも怒らないと思ってるなら、大間違いだよ」

 

「……おー、コワ。んじゃやってみなよ、お嬢ちゃん」

 

 カードをステッキに添え、そして。

 

夢幻召喚(インストール)

 

 魔力の爆発。しかしやはり、ベアトリスと比べると、その規模は小さい。さながら渓流のような風が、エインズワースの庭に吹いていく。

 それで、ベアトリスは異変に気付いた。

 

「……あん? なんだ、そりゃ?」

 

 しゃらん、という鈴の音と共に、風が両断される。

 まず目を引いたのは、大きな太刀だった。風を斬り裂いたその長さたるや、身の丈にも迫るほどであり、刀というよりは棒だ。

 それを握るイリヤの姿もまた、変化している。暗殺者らしからぬ、桜色の和装。はだけた胸元を隠すように巻かれたサラシに、星型の簪が長髪を纏めていた。

 そう、これはハサン・サッバーハではない。

 

「アサシン、佐々木小次郎」

 

 二枚目のアサシンのカード。それこそは、日本に二人といない大剣豪の一人、佐々木小次郎。

 イリヤの知る限り、最強の剣技を持つサーヴァントである。

 

「……兄妹揃ってクズカード使いかよ。ったく、ムカつくなァオイ!!」

 

 ベアトリスが四つん這いになったかと思えば、跳ねる。獅子が飛びかかるような挙動に加え、その背後で衛宮士郎が投影を開始していた。

 

「下がりなさいイリヤスフィール、ここは大人しく撤退を……!!」

 

「セイバーさん、もう一度言うね。お兄ちゃんのこと、お願いします」

 

 す、と。流れるように前に出るイリヤ。そこに先程までの、状況に振り回される彼女はいない。

 そして、巨大な石槌がイリヤの頭蓋を砕かんと迫り。

 太刀が、閃いた。

 

「なに……?」

 

 その現象に、さしものベアトリスも眉を潜めた。

 確かにハンマーは寸分違わず、イリヤに振るったはず。しかし実際は僅かに逸れ、イリヤの真横の地面を木っ端微塵に砕いた。

 さながら舞い散る木の葉が、風によって流されるような軌道。

 

「チッ……!!」

 

 ベアトリスは地面を砕いた槌を、そのまま薙ぎ払う格好で振り回す。これなら、アサシンのイリヤでは受け止められないと踏んだか。

 しかし、イリヤはそもそも受け止めなかった。

 とん、と蹴るのは、ベアトリスの巨腕。イリヤは片足で乗り上げると、そのまま回転しながら斬りかかる。

 

「く、そっタレがァ!!!!」

 

 ベアトリスが衛宮士郎の方を見るが、そこにはイリヤのお願いに従ったアルトリアが士郎を押し留めていた。

 太刀、備中青江のリーチは長い。ベアトリスは瞠目しながら、何と変化していないもう片方の腕で、太刀の一閃を弾き返す。

 

「っ、固い……!!」

 

「たりめェだ、クズカードごときで血を流すと思うなよゴラァ!!」

 

 弾かれながらもイリヤは再度、攻勢に出る。狙うは袈裟。当然ベアトリスはそのひ弱な攻めごと押し潰そうと、ハンマーで迎え撃つ。

 しかし、ベアトリスの攻撃は当たらない。まともに合わせれば、砕かれるのはイリヤの武器だというのに、いかなる技術かその苛烈な攻めを刀一本で押さえ込んでいた。

 

「コイツ……!!」

 

「、フッ……!!」

 

 柳のように柔軟に、枯れ葉のように躍るような剣技。

 ほんの僅かな、恐らく逸らされている側は意識すら出来ない、一閃。それが攻撃の軌道を変えているのか。

 しかし、これが攻撃となると、秋霜三尺とはいかない。

 ベアトリスの皮膚が、固すぎるのだ。佐々木小次郎は剣技にこそ優れているが、剣自体はただの刀剣。ベアトリスの体ーー本人曰く神霊を斬るには、流石に届かない。

 

「くぅ~~!! 固すぎですってイリヤさんこれ!! がむしゃらに攻めても意味ないですよ多分!!」

 

「分かってるってば!!」

 

「ガチャガチャうるせェなァ!!」

 

 ルビーの忠告は最もだが、攻撃を逸らされるベアトリスはよっぽどフラストレーションが溜まっているのか、力任せでより暴力的な攻撃が増えている。佐々木小次郎の神業とも呼ぶべき剣技であっても、完全に押さえ込むのは難しくなってきていた。

 カレイドステッキの頑強さなら、備中青江の刀身が歪むことはないが……。

 

(決定打がない……っ!!)

 

「どうしたどうしたァ!! さっきより随分と苦しそうじゃんか、なァ!?」

 

 漏れでる雷と共に、ベアトリスの一撃は更に重くなっていく。槌を振るうだけで庭の花は舞い上がり、砂が空へ吹き上がる。このままではもう押さえ切れない。

 ならば。

 イリヤは大きくバックステップし、備中青江を構える。

 上段、霞の構え。隙が多く、刀の挙動が制限されてしまうそれは、今の状況では致命的と言って良い。

 

「カッコつけてんじゃねえぞ、クソガキィ!!!」

 

 狂化しかけているベアトリスは、犬歯を剥き出しにしながらイリヤに突進する。

 そう、傷つけられないと侮ったからこその、直線的な動きを。

 

「秘剣ーーーー」

 

 思い描くは、翼持つ獣。

 翼を斬ったところで、獣は死なない。

 首を斬ろうとしたところで、翼があっては獣は斬れない。

 これは、その獣を一太刀で斬るためだけの魔剣。

 それに生涯を懸け、成し遂げた、何者も知らぬ秘剣。

 故に必殺、故に必中。

 その名も。

 

「ーーーー燕返し」

 

 物干し竿が光る。

 上段からの縦一文字。首を狙ったそれは、暴れ狂う獣からすればしゃらくさいだけのモノ。

 しかし。

 それが三本あれば、獣の首など地に墜ちる。

 

「!?」

 

 ベアトリスが視認したのは、一文字ではない。

 上段、中段、下段。刹那の時間、あり得ざる三本の一閃が出現し、獣の首を落とさんと唸る。

 虚をついた完璧な一撃。神にすら届く一閃。だからこそ、か。

 神は非情な手を取った。

 三本の剣を、ベアトリスは歯で噛み、受け止めた。

 

「な、……!?」

 

 獣の本能か、それとも彼女が宿した神霊によるものか。

 彼女は同時に首に迫っていた三本の剣を、全て、歯で受け止めたのだ。

 燕返しは、あくまで同時に首だけを狙う宝具でしかない。最終的に全ての一閃は首に到達するため、分かっていれば受け止められるが……事はそう簡単ではない。神の肉体があっても、通用するデタラメではない。

 

「よォ……よくも散々やってくれたな、オイ」

 

 不味い。引き抜けない。ベアトリスは備中青江を咥えたまま、ぐい、とイリヤを引き込み。

 神が、ほくそ笑む。

 

「今度はこっちの番にゃーん☆」

 

 刀を手放す暇もなかった。

 ドゴォッ!!!、と。ベアトリスの膝が、イリヤの鳩尾に突き刺さった。

 

「か、っ、……!?」

 

 ブレる。意識というより、魂そのものが。芯からブレて、崩れ落ちる。

 くの字に折れたイリヤを、ベアトリスは鷲掴みにする。あえて変化していない腕を使ったのは更なる追撃のため。

 小さな神霊が、槌を振りかぶる。すると濃厚な魔力が雷となって迸り、それはやがて天の色すら塗り潰す。

 

「ーー召雷」

 

 局所的な黒雲。今度は逆に黒雲から、ベアトリスへ稲妻が落下する。

 人が当たれば、まず感電死するほどの電圧。それを受けて、神はニヤリと笑みを溢した。

 

「ぶっ潰れろ、元素の源まで!!」

 

 蓄えられた雷によって、石槌が回転し始める。

 それは神の権能の具現化。かつて崇め、畏れられ、一つの例外もなく……あらゆる神話において神と定められた、絶対的な自然の頂点。

 

万象打ち焦く雷神の竜巻(ミョルニル)ッ!!!」

 

 そして。

 暴風雨が、イリヤを呑み込んだ。

 まさしくそれは、嵐を打ち込むような苛烈な宝具だった。削岩機のように繰り出されたハンマーは、イリヤの肢体を容易く粉砕しながらも回転し、捻れる。その威力たるや、エインズワースの庭が荒れ果てるほど。

 まるでミキサーで潰れる果物みたいに、少女の体からは鮮血が噴き出し、そして噴水に激突した。

 辺りに撒き散らされる、水と血、そして瓦礫。パリ、と電気がそこかしこで弾け、その中心でイリヤは倒れていた。

 

「づ、つ、……は……、……」

 

 夢幻召喚は解除されたものの、かろうじて転身だけは維持している。しかし体に刻まれた傷は大きい。

 全身を苛む痺れと火傷、上半身は内側から砕かれたように激痛が走り、足に脳からの信号が行き渡らない。

 立てない。戦えない。

 

(……ま、ず、い……)

 

「ありゃりゃ、もうギブアップか。んまァ、頑張った方じゃね? アタシ相手にさ」

 

「イリヤスフィールッ!! くっ、このっ……そこを退け!!」

 

 ベアトリスの声に反応出来ない。アルトリアは……士郎と、そして黒化英霊達に囲まれて、思うように動けていない。見ればアルトリアの動き自体も、心なしか悪くなっているようにも見える。何らかの制限があるのか。

 アルトリアの言う通り、逃げるべきだった。私情に駆られてこの様。情けないにも程がある。

 声が遠くなっていく。ステッキを握る力も、何もかも虚空へ消えていく。

 

「……うんともすんとも言わなくなっちゃったねェ。ま、知らないのもカワイソだし? クソガキのだーいすきなお兄ちゃんのこと、教えてあげよっか」

 

 そう言って、膝を抱えたベアトリスは、憐れんだ目でイリヤを見つめる。

 

()()()()()()()()()()

 

……。

 

「アンタら守るために自分の運命斬ったんだ。そりゃあ、死ぬでしょ。生者は運命に繋がれてこそ生者たり得る、だっけ? だからアタシらがその死体をドールズに再利用してるってワケ」

 

「ドール、ズ……?」

 

「こんなの」

 

 ベアトリスが、生身の手を振る。すると先程まで確かに人の手だったはずなのに、瞬きの間にそれは球体関節のあるマネキンの手へと変化していた。

 いや、ドールズというからには戻る、と言った方が正しいのか。

 

「アタシらの意識を人形に置換して行う、擬似的な死者蘇生。それがドールズ。アンタのお兄ちゃんも同じよん」

 

「……じゃあ、お兄ちゃんの体は……?」

 

「あー、あれねえ。置換した瞬間灰になっちゃってた! ま、意識だけで運命に抗ってたんだから、大したもんショ。死んだけどな!」

 

 ベアトリスは笑う。嘲笑う。ここまで来たけど御愁傷様、そんな風に。

 今にも倒れそうなのに、イリヤは意識を手放せない。血で変色した手袋を握り締め、

 

「……そんな、の……人の、やることじゃ、ない……!!」

 

「当たり前じゃん、アタシだって死人だもん」

 

 まるでそれはこの世界で当然のことみたいに、ベアトリスは語る。

 

「ジュリアン様は使えるものは何だって使う。例えそれが死人だろうが、利用価値があるのなら構わない。むしろ死人だからこそ、救うべき価値(・・)がある」

 

「だからって、……!!」

 

「分かんないかなァ」

 

 ベアトリスがイリヤの頭を踏みつける。革靴がゴリ、と脳天を削る。

 

「黙って拝めてりゃ、アンタらのこともジュリアン様は救ってくれんだよ。それとも何? アタシ達は死人だから元ある状態に戻してみんな死ぬんですゥ~~、ってかァ? は、馬鹿馬鹿しい。大量自殺がやりてぇなら勝手にやって野垂れ死ね」

 

 ここで否定するのは簡単だ。子供のように駄々を捏ねて、こんなことを止めろと言うのも。

 だけど。

 

「言い返せねぇよなァ、自分もお兄ちゃんも助けられないんだから」

 

 その言葉が、重く突き刺さる。

 

「みんなでみんなを助ければいい? ご立派だよねェ、その考え。で? アンタは何が出来んの? 痛いコスプレしてるだけの頭お花畑が、世界の命運背負えんの?」

 

 言い返したい。出来ると、そう言い返したい。

 でも現実の自分はこんなに弱くて、何も良い考えが思い浮かばない。世界なんてもの、背負う方法だって知らない。

 

「だから大人しくしとけよ。しゃしゃり出ないでさァ!!」

 

 イリヤには分からない。

 アルトリアとて、その答えは分からないと答えるしかないだろう。

 この場で何か答えられる人間は、一人もいない。

 その、はずだった。

 

 

「あーーあ、重いし長いわ、話がさ」

 

 

 心底鬱陶しそうな声の後だった。

 こん、と。ベアトリスの後頭部に、石ころがぶつかった。

 

「あァ……?」

 

 ベアトリスが額に青筋を立てながら、投げてきた方向を見やる。

 そこに居たのは、この場で最も力のない人間。

 間桐慎二。

 

「世界の命運だ、死人だ、僕には関係ないよ。衛宮だってそうさ。死ぬなら勝手にすれば良い」

 

「ちょ、……!?」

 

 なんだその言い方は。手の中で石を転がす慎二は、この状況に不釣り合いな軽薄さで、

 

「アンタらもさ、エインズワース。別に何しようが知ったこっちゃないけど、生き汚いにもほどがある。ぶっちゃけ見苦しいよ、おたくら。引き際くらい弁えろよな、全く」

 

「……テメェ、死にてぇのか?」

 

「気に食わないんだよね、アンタらのやり方は」

 

 慎二は続ける。石を転がす手は震えていて、足も今に崩れそうなほど。

 なのに慎二は、退かない。恐らくこの中で誰より、死に近いというのに。

 

「救ってやるから黙って従え? 死んだとしても生き返るからそれでいい? ハッ、なんだそりゃ。自分が神様のつもりかよ、ダサすぎ。そんな押し付けてくる救いなら、僕はいらないね」

 

「テメェは死んでねぇだろ、ワカメ。だからそんなことが言えんだよ。テメェの勝手な尺度で語ってんじゃ……!!」

 

「お前達こそ、僕を勝手な尺度で計るなよ、クソ野郎ども」

 

 イリヤは勝手に、間桐慎二という人間は度しがたい性格の人間だと思っていた。

 友人への嫉妬、殺意、それらが全て混ざって叩き上げられた人間だと。

 しかし。

 そこにいる彼は、確かにこう言ったのだ。

 

「大切なモノを奪ってきた奴らに、はいそうですかって従えるほど、僕は安いプライドなんて持ち合わせてないんだよ」

 

 ともすれば、イリヤ以上の我が儘。

 気に入らないから従わないし、抗う。

 世界の命運など知ったことかと鼻で笑い、それでも求める。

 自分自身の未来を。

 

「お前もだ、ガキンチョ」

 

「……へ?」

 

 まさか飛び火するとは思わなかったのか、イリヤは面食らう。

 

「言われっぱなしとかダサすぎて笑うわ。こんなとこで躓いて救えるんですかねえ、世界? あんだけ啖呵切っといて、たった一回の問答であーだこーだ考えてるんじゃないよ。世界救うとかのたまうバカが一人で思い付くわけないだろバカ」

 

「ひ、ヒドイ……」

 

「いやぁシンジさんの罵倒、心に来ますよねえ。ヒエラルキーワーストの人間に言われると普段耐えられる言葉も耐えられないと言いますか」

 

 ともかく、と慎二は言う。

 

「ガキなんだからもっとゴネればいいんだよ。そういう年頃だろ、お前。衛宮がなんだ、死人がなんだ。そんなの、()()()()()()で十分な理由だろ」

 

「……あ」

 

 その言葉は、本当にスッ、とイリヤの心に染み込んだ。

 そうだ。元々世界を救うことを邪魔するつもりで、このエインズワース城に来たのだ。その時点で自分が悪だってことぐらい分かり切っていたはずだった。

 こんなことは認めない。それが全ての始まりだった。

 

「……そうだ」

 

 諦めきれない。

 失いたくない。

 手離したくない。

 たったそれだけで世界に歯向かうと、そう口にしたのなら。

 今だって、それで立ち上がってもいいハズだ。

 

「……ったくよォ……」

 

 しかし。ベアトリスの足は、イリヤから離れない。

 

「我が儘したがりがゾロゾロと……ほんと、ウザくて嫌んなるよなァ」

 

「ぁ、……」

 

「イリヤさん!!」

 

 脳天から異音が響く。ルビーが全力でイリヤの体を回復させているが、未だに起き上がれるほどの力はない。

 慎二の言葉で自分を取り戻しはしたが、以前として状況が最悪なことには変わらない。

 アルトリアの救援は望めず、慎二は戦力外。自身で打開しようにも手持ちのカードでは一手しか防ぎようがない。

 どうしたって、詰み。

 

「……それ、でも……!」

 

 我が儘でいようと、そう決めた。

 誰もが切り捨てるモノを、切り捨てないと決めた。

 だから。

 

「それでも、わたし、は……!!」

 

 

「ーーよく言った。そういう馬鹿は嫌いじゃないぜ、ピンク髪」

 

 

 その声はまさに、意識外からのモノであり。

 刹那、ベアトリスを()()が呑み込んだ。

 

 

 

 

 ここにたどり着くまで、随分とかかった。セイバーが壁を壊して進んだところで、エインズワースの魔術はその壁自体に術が発動している。故に、ここまで遅れてしまった。

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは左手の令呪を掲げる。

 

「『凪ぎ払いなさい、セイバー!!』」

 

 令呪が一際強く光を放つ。同時に、モードレッドの霊基が大幅に強化。叛逆の騎士は楽しそうに笑う。

 

「へっ、気前がいいなマスター!! ならばオレも応えよう、我が全霊を懸けて!!」

 

 モードレッドが銀の剣を腰に構える。すると鍔が開閉し、そこから赤黒い光が漏れ出す。

 これなるはかのブリテンを滅ぼし、そして騎士王伝説を終わらせた一振り。栄光の明星ではなく、失墜の黄昏をもたらす破滅の極光ーー!!

 

「これこそは、我が父を滅ぼし邪剣!! 我が麗しき(クラレント)父への(ブラッド)叛逆(アーサー)!!!」

 

 令呪を伴った一撃は、凄まじかった。

 ベアトリスだけでなく、黒化英霊や衛宮士郎すら巻き込むほどの範囲と、庭を丸ごと消滅させかねない大火力。余りの威力にルヴィアは顔を覆ってもなお目を開くことが出来ず、立ち止まってしまうほどだった。

 赤雷が、止む。赤熱した石床の上には、ほぼ何も残ってなかった。

 ルヴィアの知る彼女達以外は。

 

「大丈夫ですか、皆さん!?」

 

「僕達ごと殺す気かオマエッ!!?!」

 

 走り込んできたルヴィアに対し、体育座りの体勢で慎二が非難する。

 

「誰だか知らないけど、こんな大雑把なやり方で大丈夫だとぅ!? こちとら自慢の癖毛が跳ね回って海から浮上したみたいになっただろうが!! あと死にかけた!!」

 

「髪を気にする暇があるなら元気そうですわね。えぇと……ミスター……シーウィード?」

 

「見た目でその二つ名つけられても意味分かってんだからなこの金ドリル……」

 

 ルヴィアは慎二から目を離し、腰を下ろす。

 そこには、傷つき、精魂尽き果てたイリヤが倒れていた。

 酷いものだ。確かカレイドの魔法少女は、使用者の保護を最優先するため、可愛らしい見た目とは裏腹に防御は鉄壁だ。

 その魔法少女状態ですら、イリヤは全身傷だらけであり、ルヴィアの見立てでは骨が幾つも折れていることが伺えた。

 だというのに、イリヤは力なく笑う。

 

「……ありがとう、ルヴィアさん……おかげで、助かった……」

 

「……いえ、こちらこそ。遅くなってすみませんイリヤスフィール。本来なら私が、そのステッキを持って戦うべきだというのに……」

 

「はは、大丈夫……たぶんルビーもサファイアも、ルヴィアさんを拒否るだろうし」

 

「そ、そういう問題ではないでしょう? ただこれは大人の責任として……」

 

 と、そこで。ルヴィアはハッとなった。

 イリヤの唇が、震えていることに。

 

「……何も、出来なかった」

 

 回復した右手で、少女は目元を隠す。

 つう、と垂れる雫。

 

「わたし、お兄ちゃんを助けたかったのに……そのためにっ、来たのに。何も、何も出来なかった……!! 何も、言えなかった……!!」

 

「……イリヤスフィール」

 

 やはり。あれは衛宮士郎だったのか、とルヴィアは確認する。

 であれば、最早手遅れなのか。そう口から出そうになるを何とか押さえ、ルヴィアは気持ちを切り替える。

 自分がしっかりしなければ、と。

 

「衛宮シェロの安否は確認しました。今回はこれで引き上げましょう。ルビー、あなたなら逃走経路を知っているのでしょう? 案内、お願いしても?」

 

「もっちろんですよー! こんなところにいつまでもいたくはないですしネ! ああでも、出来ればイリヤさんを抱えてくださると助かるんですが、この通りまだ動けないので」

 

「私にお任せください」

 

 そう言って、ルヴィアの隣に現れたのは、青い騎士だった。モードレッドとは対照的な、清廉潔白な騎士。そう、間違いでなければ。

 

「……あなたが、あのアーサー王」

 

「ええ。イリヤスフィールのことならお任せください。必ず守り抜いてみせましょう」

 

 それは助かる。かのアーサー王なら、不足はない……が。

 ルヴィアは目だけで背後を注視する。そこには居心地悪そうに佇むモードレッドの姿があった。

 今すぐいがみ合うこともなさそうだが、何が火種になるやら。とにかく優先すべきことを。

 

「では撤退を」

 

 ルヴィアのその言葉に全員頷くと、速やかにその場を去っていく。

 そうして。

 波乱のエインズワース城攻略は、終わりを迎えた。

 

 

 



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