閃の軌跡 SSオリジナルカップリング集 (雷電丸)
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クロウ×ヴィータ

あらすじにもあります通り、作者が勝手に考えたカップリング集になりますので、苦手なカップリングがありましたら読まないことを強くおすすめします。




 

 

 

「…はぁ」

 

 

 何気なくついた溜め息が、寒さによってあっという間に白く染まった。何気なく空を見上げると、雲の切れ間から青空が顔を覗かせている。それに何を思うでもなく、青年──クロウ・アームブラストは眼下に広がる街並みに視線を戻した。そこは温泉郷と謳われる小さな郷、ユミルだった。過去に1度だけ訪れたことがあるが、喉かで落ち着ける場所と言う印象が1番に浮かんだ。

 

 

(確か、傭兵どもがけしかけたんだったか)

 

 

 少し前、ここに北の猟兵団が襲撃に入ったと聞かされた時は流石に驚いた。一応、仲間が機転を利かせて甚大な被害にまでは至らなかったそうだが、それでも重傷者を出したのは心苦しい。それ以来、郷の周囲は鉄道憲兵隊によってかなり警戒されてしまっているので、遠回りを余儀なくされてしまうが。

 

 クロウは雪がだいぶ積もった道なき道を歩いていく。少し疲れるが、遠回りしないとユミルの周囲に敷かれた警戒網を突破できない。やれやれ──肩を竦めてそう呟こうとした矢先、背後で1羽の鳥が綺麗な声で鳴いた。

 

 

《ふふふっ、カイエン公は相変わらず無茶ばかり仰るわね》

 

「そう思うんだったら、歩きじゃなくてお前さんの魔法で移動させてくれよ、歌姫殿」

 

 

 クロウは振り返ることもなく、件の鳥──グリアノスの背後にうっすらと姿を現した女性の言葉に返事をした。彼女の名はヴィータ・クロチルダ。クロウの仲間の1人で、【蒼の深淵】と言う二つ名を持つ。ここ、エレボニア帝国では有名なオペラ歌手の顔も持つ彼女だが、その実結社【身喰らう蛇】の第二柱をつとめ、さらには魔女として多くの魔法に精通している。そして彼女が連れる瑠璃色の鳥、グリアノスは彼女の眷属として仕えているのだそうだ。

 

 

《あら、別にそれは構わないのだけれど……高くつくわよ?》

 

「だろうな」

 

 

 くすくすと笑う妖艶な声に、クロウは肩を竦めつつ同意する。マイペースな性格にはもう慣れた。今から3年前──16歳の時からの付き合いだ。慣れて当然と言えよう。

 

 

「それにしたって、カイエンのおっさんは本当にあいつを仲間にできると思ってんのかねぇ」

 

 

 エレボニア帝国の西部ラマール州を治める大貴族であるカイエン公爵。彼をおっさん呼ばわりできることから、クロウがどれほどの実力者か窺える。かつて帝国を治めていた鉄血宰相の二つ名を持った男──ギリアス・オズボーンを狙撃、射殺した腕前は伊達ではないし、なにより彼はダブルセイバーも扱える。テロ組織【帝国解放戦線】のリーダーもつとめただけあり、その実力は折り紙つきだ。

 

 

「望み薄だとは思うんだけどな」

 

《もしかして……リィンくんに興味を向けていることに妬いているの》

 

「まさか。何で俺がおっさん相手に妬かなきゃならねぇんだよ」

 

 

 やはりヴィータはペースを崩そうとしない。クロウは溜め息を零すが、やがてひらけた場所まで来ると、双眼鏡を使ってユミルへと視線を向ける。

 

 

「そういえば、ヴィータはこっちを見ている余裕があるのか?」

 

《心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。どうせ私がすることなんて少ないしね》

 

「はっ、それでも大役を任されているのは間違いないだろ」

 

《まぁね》

 

 

 小型の双眼鏡を懐にしまうと、クロウは「さて」と呟いてようやくグリアノスの方を振り返った。未だにその背後にはヴィータの姿がうっすらと映っているが、クロウが頷いたのを見るとにこやかに笑って姿を消した。

 

 

「…来い。蒼の騎神・オルディーネ!」

 

 

 天高く伸ばされた手と、静かだが確かに響きを持った声。それに応えるように、クロウの傍へ鮮やかな蒼に彩られた何かが飛来してくる。やがてそれは雪を巻き上げながらもクロウの前に着地すると、ゆっくりと二足で立ち上がった。

 

 蒼の騎神・オルディーネ──人型の有人兵器で、暗黒時代の初期に造られたと推測される。美しく、洗練されたフォルムは騎士を彷彿とさせるそれに近づくと、クロウの身体が輝きだし、やがてオルディーネの胸あたりへ吸い込まれていった。

 

 そしてすぐさまコックピットと思しき場所に姿を現したクロウは、いつものように感触を確かめながらオルディーネに問うた。

 

 

「さて、ちょいとこれからおっぱじめるわけだが……オルディーネ、行けるか?」

 

《問題ナイ》

 

 

 即座に返る、男女どちらともつかぬ声に安心し、クロウはやがてオルディーネを動かした。空へと飛翔し、進路をユミルへ向ける。既にクロウが所属している貴族連合の艦、パンタグリュエルがユミルの上空へと到達し、ヴィータが愉快に演説を行っているのが見えた。

 

 

(さて……少しは成長したんだろうな、リィン?)

 

 

 オルディーネの中で、クロウはかつての仲間であるリィン・シュバルツァーと再戦できることを秘かに楽しみにしていた。

 

 クロウ・アームブラスト──彼の故郷、ジュライ市国は海上交易で繁栄してきた都市国家は、とても平和な日常が当たり前のように続いていた。だが、20年ほど前に起きた、国土が塩に侵食される異変、通称ノーザンブリア異変以来、交易は乏しくなっていった。

 

 それでも歴史のある街並みや、北海の漁業資源などもあったし、七耀石の鉱山などもあったおかげか、それらを有効活用しながら徐々に交易圏の回復を狙う──そんな考えが、当時市長だった彼の祖父のもと進められていた。祖父は早くに両親を亡くしていたクロウにとって唯一の肉親であり、様々なことを教えてくれた師匠でもあった。そして頑固だが茶目っ気もある優しい老人たる彼は、市長として以前に、人として誰からも愛されていた。

 

 そして、10年前のことだった。エレボニア帝国の政府が、ある提案をしてくる。【帝都からの鉄道網を延長し、ジュライまで直接通す】──と。

 

 もともと海運中心の街だったが、帝都と鉄路が繋がれれば新たな活路を見いだせる。誰もがそう信じ、市議会では賛成多数となり、祖父はそれに押し切られる形で提案を呑むこととなった。その結果は果たして市議会で賛成した者たちが予想した通り、僅か1年ほどで市国はにぎわいを取り戻したのだった。巨大な帝国資本がジュライを呑み込む形となって……。

 

 危機感を覚えた祖父は対策を講じようと色々と模索していたが、そんな折ジュライへ伸ばされていた鉄道路線が何者かによって爆破されてしまう。一刻も早く復旧を──皆がそう叫んだと言うのに、帝国政府がそれに対し“待った”をかけてきた。そしてあろうことか───

 

 

『ジュライはあまりにも安全保障体制が脆弱だ。帝国資本もすべて引き上げる』

 

 

 ───そう告げたのだ。

 

 待っていたのは、関連株の大暴落。そして犯人が分からずに不安と混乱に呑まれていく日々だった。

 

 そして程なくして、彼が──ギリアス・オズボーン宰相がジュライへとやってきては、こう告げた。

 

 

『鉄道復旧と、今後の警備は帝国正規軍が受け持つ。その代わり、ジュライは栄えある帝国の一員となり、経済特区として更なる発展を遂げて欲しい』

 

 

 タイミングが良すぎる提案に、当然ながら祖父は警戒し、対抗策をいくつも打ち出していった。しかし、1度でも味わった贅沢を忘れることができなかった市議会は真っ先にその提案に飛びついた。それは何も市議会だけではない。市民らも、特区としての税制優遇などをちらつかされてはあっさりと呑まれていった。

 

 だが、事態はそれだけでは済まなかった。なんと祖父に、鉄道爆破事件の容疑が掛けられることとなる。ジュライのことを誰よりも愛し、皆から慕われていた老市長──そんな彼が、どうして事件を起こすのか。最初の内こそ、誰もがその容疑を嘘だと声高に叫んでいた。しかし、いつからかそれは謗りへと姿を変えていくことになる。市議会からは球団を受け、踊らされた市民の一部から浴びせられる罵声。やがて祖父は、最早この事態を収束させるには市長を辞するしかないと判断し、そして──彼の辞職と共に、ジュライの帝国への帰属が決定される。

 

 

(祖父さん……)

 

 

 彼が悪くないのは、“誰もが分かっていた”。鉄道爆破を画策したのが、本当は誰だったのかも。それでも、皆が選んだのは見て見ぬふりだった。祖父が市長を辞めてから、爆破事件はうやむやになり、隠居を決め込んでから半年後──彼は、この世を去った。

 

 その時の絶望感は、今でもよく憶えている。何かに促されるようにして、クロウはすべてを捨てて、13歳の時にジュライを出て行った。各地を転々とし、様々なことに手を染めていく中、彼はカイエン公と出会う。それから3年後の16歳の折、同じような理由であぶれた者を拾い集め、彼は帝国解放戦線を組織する。

 

 その後、全ての準備を終えてから経歴を完璧に偽装し、トールズ士官学院に入学した。鉄血の──ギリアス・オズボーンの首を取るために。

 

 リィンとはそこで出会い、特科クラスⅦ組に編入してⅦ組の連中とも行動を共にするようになった。今回、クロウがオルディーネを駆って出向いているユミルも、Ⅶ組に在籍していた際に訪れたことがあった。

 

 

(あれだな)

 

 

 やがてユミルの上空にたどり着き、ヴィータを見上げているかつての仲間──Ⅶ組の連中を前にし、笑った。

 

 

「どいつもこいつも、久しぶりだな。

 ちっと乱暴だが、お前らの言う“話し合い”に乱入させてもらうぜ。この、オルディーネと共にな!」

 

 

 眼下でオルディーネとクロウを前にして驚いている彼らの中で、一番に動き出した少年がいた。彼が、クロウの宿敵たるリィンだ。彼もまた、自分のように騎神を乗りこなしている。リィンの呼び声に応えるべく、次第に騎神が近づいてきた。

 

 

(灰の騎神・ヴァリマール……!)

 

 

 白銀を基調とし、金の装飾が各所に施された騎神、ヴァリマール。リィンを乗せると、オルディーネの方を向き、抜刀した。

 

 

《今度は負けない……必ず乗り越えてみせる!

 俺たちⅦ組が、道を切り開くためにも!》

 

 

 吼えるリィンと、彼が駆るヴァリマールの姿勢を目にしてクロウは少なからず驚いた。短期間でありながらさらに騎神を使いこなしているようだ。

 

 

《流石はリィンくん。私が見込んだ“もう1人”の男の子だわ》

 

「お気に召して良かったな」

 

 

 わざわざクロウに聞こえるように言ってくるあたり、ヴィータはかなり意地の悪い性格のようだ。

 

 

《妬いてくれているの?》

 

「言ってろ」

 

 

 その言い方も意地が悪い。普通に『妬いているの?』と聞けばいいところを、『妬いて【くれているの】?』と聞いてくるとは。クロウが呆れるものの、ヴィータはまったく意に介することもなく、自分と同じように貴族連合に組みする仲間を転移魔法にてパンタグリュエルからユミルの地に呼び出した。

 

 

「そんじゃ、こっちも始めるとするか!」

 

 

 クロウの得物と同様、オルディーネも左手にダブルセイバーを取ると、ヴァリマール目掛けて急降下する。それより速く動いたヴァリマールは、オルディーネに向かって飛翔し、抜刀した大剣を一閃。互いの得物がぶつかり合い、火花を散らす。

 

 そのままやり過ごし、互いの騎神が降り立てる場所へ着地する。武器を構えつつ対峙し、隙を窺う。いつでも斬撃を繰り出せる構えを取るリィンに対し、しかしクロウは直立不動の姿勢を取っていた。まだそれだけの余裕がある──そう思いはするものの、初手を防いだのは評価したい。

 

 

「ははっ、今の一撃を受けきるとはな。少しは起動者として成長したってとこか」

 

《お陰様で、それなりに修羅場を潜ってきたからな……今度こそ、この剣を届かせてみせる!》

 

「まだまだ甘いな。お前が潜ってきた修羅場なんて、俺の足元に及ばねぇ……そいつを改めて思い知らせてやるよ」

 

《クロウ……!》

 

 

 睨みあう2人だったが、ヴァリマールの背後で大きな力を感じ、リィンは慌ててそちらを見やる。貴族連合の協力者に苦戦を強いられる仲間たち。そして、貴族連合で参謀を任されているルーファス・アルバレアの手によって膝を着くⅦ組のメンバー。気を取られてしまったリィンだったが、その隙をオルディーネとクロウは見逃さなかった。

 

 

「人の心配をしている場合か? 肚を括れや、リィンっ!」

 

《くっ……望むところだ!》

 

 

 再び互いの得物をぶつけ合い、火花を散らした。ダブルセイバーの下部を振り上げると、ヴァリマールは素早く後退する。仲間のことが気がかりなのか、簡単には自ら仕掛けることはせず、隙を見出そうとしている。

 

 

「おいおい、そんなんじゃいつまで経っても俺から1本も奪えないぜ?

 さぁ、かかってきな!」

 

《おぉっ!》

 

 

 大剣を上段に振りかぶり、斬りかかってくるヴァリマール。しかしその一閃を容易く躱し、クロウはカウンターを叩き込むべくダブルセイバーを真横に振るう。頑丈な造りだけあって、ヴァリマールにはあまり傷が見受けられないが、起動者たるリィンにはヴァリマールが受けたダメージが直接届いてしまう。それに怯んだ一瞬をつき、クロウは連撃すべく今度は上段からダブルセイバーを振り下ろす。

 

 

「隙ありだぜ!」

 

《甘い!》

 

 

 しかし、ヴァリマールはそれを躱して逆にオルディーネの胴を薙いだ。怯みを見せていたのは、わざとだったのだろう。痛みを堪えつつ、クロウはオルディーネを1度下がらせる。互いに間合いはほぼ同じだ。そう簡単には踏み込んでこないだろう。

 

 

「ぐっ、ちったぁやるようになったじゃねぇか!」

 

《当たり前だ。クロウ……必ずお前にこの剣を届かせると言ったはずだぞ!》

 

「はっ! たかだか1回食らわせた程度で粋がるなよ!」

 

 

 ダブルセイバーに力を籠めると、ヴァリマールに対してではなく傍らにあった雪山に向けて刃を振るう。積もった雪が崩れ落ち、2人の視界を真っ白に染め上げる。クロウはその隙にヴァリマールの背後へとオルディーネを動かし、強襲する。

 

 

「おぉっ!」

 

《まだだ!》

 

 

 クロウが背後から迫っていたことに気付いていたのか、リィンは振り向きざまに大剣を振るい、接近を阻む。しかし空中からスピードをつけて接近していたオルディーネの方が勝っている。

 

 

「その程度で凌げるかよ」

 

 

 次第にヴァリマールが押され始めていく。このまま一気に──そう思った矢先、ヴァリマールが脱力した。

 

 

「へぇ?」

 

 

 力を拮抗させたまま押し合いを続けようとはせずに、多少なりとも危険を伴いながらも脱力してその場から逃れることを選んだリィンに感心させられる。しかしそれで逃れられるほど、クロウの実力は甘くはない。

 

 後退するべく僅かながら宙に浮いたヴァリマール。後ろに下がるためにはあまりスラスターをふかさない方がいい。それはクロウが駆るオルディーネも同じだ。それを知っているから、クロウはヴァリマールに向かってオルディーネをけしかけた。

 

 

《しまった!?》

 

 

 ドンッと強い衝撃と同時に全身を襲う痛み。それに苦悶する暇もなく、ダブルセイバーに再び力が籠められた。

 

 

「喰らいやがれ!」

 

 

 オルディーネがその場で一回転しながらダブルセイバーが振るわれる。クロウが使う技の1つ、クリミナルエッジが騎神でまったく同じように繰り出された。ガードが間に合わず、クリーンヒットしてしまったヴァリマールは大きく吹き飛ばされ、そのまま倒れ込んだ。

 

 

「これで終いだな」

 

 

 剣尖を向け、軽くヴァリマールを小突く。それすらどうすることもできず、リィンは毒づく。

 

 

《ぐぅっ……まさか、あの奥の手すら出さずに……!》

 

 

 騎神に乗ってやり合うのはこれで2度目だ。最初はリィンとヴァリマールがどこまでできるか見極める必要があり、手を抜いていたが、今回はそれも不要だ。圧倒的な力量の差に、リィンはただただ項垂れる。

 

 

「前は全力を出す必要はなかったわけだが……どうだ、リィン。これが現時点での明確な力の差って奴だ。

 “半端な修羅場”をいくら潜ろうが、簡単には埋まらないくらいの、な」

 

《どうやらそちらも片付いたようね》

 

「ヴィータか」

 

 

 眷属のグリアノスを従えて現れたヴィータ。彼女はいつもの妖艶な笑みを浮かべながらも、跪いているヴァリマールを見て肩を落とした。

 

 

《予定通り過ぎてつまらないくらい。

 流石は“私の”自慢の蒼の騎士と言ったところかしら?》

 

「誰がアンタのだ、誰が」

 

 

 可愛らしくウィンクしてくるヴィータに、しかしクロウは呆れ気味に返す。そんな彼の態度に「あら、つれないわね」と言いながらも嫌な顔を見せない。

 

 

「それより、上の方はどうなんだ?」

 

《あちらも時期に決着がつくでしょう。

 だけれども、あまり郷に迷惑をかけたくもないし、これくらいにしておきましょう》

 

 

 言うが早いか、ヴィータは魔法を使役してパンタグリュエルの側面にカイエン公の姿を映しだした。

 

 

《高い所から失礼するよ、“有角の若獅子”諸君》

 

 

 貴族連合のトップたる彼の声色は、実に嬉々としていた。上機嫌に語る姿は、或いは苛立たしげに見えることだろう。クロウはもう慣れたし、なによりおっさん呼ばわりしているだけあって然程の興味もない。

 

 

《リィン・シュバルツァーくん。今回は君に用があってね》

 

《俺に……!?》

 

《直裁に言わせてもらおう。灰の騎士殿、君を我が艦に“招待”したい》

 

《ど、どういうことだ!?》

 

《帝国各地での華々しい活躍は聞いている。それで、1度君とじっくり話をしてみたいと思ったのだよ。これまでのこと、そして……これからのことを、ね》

 

《それは、つまり……》

 

 

 暗にリィンを貴族連合へ引き入れたいと言うことだ。だが、今までが今までだけに、簡単に了承できるはずもない。それでも、自分たちが進むべき道を見極めるために、敢えて話に乗ることだってできるはずだ。

 

 そんなリィンの逡巡を見透かしてか、カイエン公は更に畳み掛ける。

 

 

《もし、君が招待に応じてくれると言うのなら、このままユミルから引き下がろう。

 それどころか、内戦が終わるまで一切の干渉をしないと約束する……これで、どうかな?》

 

《……分かりました。そちらの申し出に、応えさせていただきます》

 

 

 やがてリィンは同乗者のセリーヌをおろし、ヴァリマールをパンタグリュエルへと向かわせる。クロウもヴィータを一瞥してから彼の後に続いた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「はー、やれやれ」

 

 

 夜もすっかり更けてしまい、空はかなり真っ暗だ。クロウはオルディーネの調子を見るべく甲板に出、跪いているヴァリマールを一瞥してからオルディーネの前に立った。

 

 

「よう、オルディーネ。日中は世話になったな」

 

《気ニスルコトハナイ。蒼ノ起動者ヨ、貴殿モ更ニ腕ヲ上ゲテイルヨウダナ》

 

「まぁな。そう簡単にあいつに追いつかれちゃ、堪ったもんじゃないからな」

 

《フム……? 何レニセヨ、貴殿ノ精進ニ期待スル》

 

「あぁ」

 

 

 それきり、オルディーネは返事をしなくなった。このまま部屋にもどって眠ってしまいたいところだが、のんびりと夜空を眺めるのもいいかもしれない。甲板をふらふらと歩き回り、やがて適当な所で壁に背を預けながら夜空を見上げる。

 

 

「今頃、バカ真面目に考えてんだろうな」

 

 

 このパンタグリュエルへ連れてこられ、今後のことを考えるよう釘を刺されたリィン。彼のことだから間違いなくいつまでも真面目に考えていることだろう。それを否定する気はないが、自分みたいにさくっと決めてしまえばいいものを──と、常々思ってしまう。

 

 

「こんなところにいたのね、クロウ」

 

「お? なんだなんだ、歌姫がこんな寒空に来て……」

 

 

 艦内に戻るための扉が開いたかと思うと、ヴィータがいつものにこやかな笑みを浮かべながらやってきた。彼女はクロウの隣に並ぶと、共に空を見上げた。

 

 

「なーんだ、何も見えないじゃない」

 

「残念だったな。今日は生憎曇り空だ」

 

「なら、どうして戻らないの?」

 

「……さぁ、どうしてだろうな」

 

 

 自嘲気味の笑みを見せるクロウに、ヴィータは優しく彼の頬を両手で包む。そして顔を近づけ、彼にだけ聞こえるほど小さな声で呟く。

 

 

「当ててあげましょうか?」

 

「お断りだ。どうせ魔女の力を使って喋らせるつもりだろ」

 

「こんな美人を捕まえておいて魔女だなんて、失礼しちゃうわね」

 

「何が失礼だ。本当のことだってのに。

 それより、そんな寒々しい格好でこんなところに出やがって……風邪ひいても知らねぇからな」

 

「心配してくれるのね、ありがとう」

 

「バカ言え。喉を潰されたら困るからに決まってんだろ」

 

「ふふっ、素直じゃないんだから」

 

「お前にだけは言われたくねぇっての」

 

 

 溜め息を零し、クロウは先に戻るべく踵を返した。だが、ヴィータはまだ戻る気がないのか未だに夜空を見上げている。

 

 

「いくら見ていても、星は一向に見えてこないぞ」

 

「えぇ、分かっているわ」

 

「本当に分かってんのかねぇ……」

 

 

 やがて出入口へ向かい、そのまま甲板から出て行った──かと思いきや、すぐに戻ってきた。

 

 

「何か忘れ物?」

 

「まぁな。ほら、これでも着てろ」

 

「あ……ありがとう、クロウ」

 

 

 ヴィータに自分がいつも着ているコートを羽織らせると、クロウは今度こそ出て行った。そんな彼の背中が出入口の扉によって見えなくなるまでヴィータが視線を外すことはなかった。そして扉が閉まりきってから、静かに口を開く。

 

 

「コートを残すぐらいなら、一緒にいてくれればいいじゃない」

 

 

 先程クロウに素直じゃないと言ったが、どうやらそれは彼の言うように自分の方だったのかもしれない。クロウが貸してくれたコートが風で飛ばされてしまわないよう、再び空へ視線を向ける。

 

 

(そういえば……“あの時”も、こんなに味気ない空だったわね)

 

 

 クロウとヴィータが知り合ったのは、本当にただの偶然だ。カイエン公に拾われたクロウと違い、自分はある目的からカイエンの所に出入りしていた自分。最初は互いに警戒していたが、それでも初めて会った時は何か運命的なものを感じた。

 

 クロウは16歳の時、海都オルディスの地下へ足を運んだ。そこで彼を蒼の騎神・オルディーネに邂逅させたのは、誰であろうヴィータだった。クロウならオルディーネを動かせられる──なんとなくだが、そんな気がした。それから、ヴィータはなるべくクロウと一緒にいることを選んだ。この目で騎神を動かしているところを見たい、その一心で。

 

 騎神の起動者として認められるには、数多くの危険が伴い、手強い魔物と戦うことが必須となる。だが、決して彼を手助けすることはなかった。ただ見守り、見届ける。それだけのつもりだったのに。

 

 

『ど、どうして……!?』

 

 

 いつものように試練に挑んでいたクロウ。そしてそれを見届けるために同行していたヴィータ。しかし相手の魔物はヴィータすらも敵と認識し、襲い掛かった。いつもなら魔法で簡単にいなせたはずだ。なのにその時は、いきなりのこと過ぎて対応が遅れてしまったのだ。そんな窮地を救ってくれたのは、もちろんクロウ。だが、ヴィータはその行動にただただ驚くしかなかった。彼だって、ヴィータが同行するだけしかしないことは分かっていただろうに、どうして助けてくれたのか。疑問を抱かずにはいられなかった。

 

 

『はははっ……祖父さんが言ってたからな。美人には優しくしろって』

 

 

 やがて試練を終えた時、クロウは傷だらけになりながらも懸命に笑って返した。いつもは星空が見えるはずの夜空も、その時に限って曇り空で、ヴィータの不安を駆りたてるばかりだった。さっさと帰ろうとする彼を引き止め、膝枕して傷を癒していく。その間、クロウは終始笑みを浮かべていた。

 

 しかし、クロウは笑う時、いつも自嘲している。本当の笑顔を見せてくれない彼が、どこか危うげで仕方がない。それはヴィータだって同じ。だから、次第に興味を持っていた。ヴィータは気付かぬところで、クロウに惹かれていったのだ。いつか彼が、心の底から笑顔を見せてくれたら──ヴィータはいつしか、別の目的でクロウを見守ることを選んだ。

 

 

「期待しているわよ、クロウ……私“だけ”の、蒼の騎士くん」

 

 

 微笑みを浮かべたヴィータの呟きは、誰に拾われることもなく空に消えた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 翌日───。

 

 クロウは割り当てられた部屋で未だに悩んでいるであろうリィンに差し入れを持っていくべく、厨房に立っていた。彼の出身であるジュライのソウルフード、フィッシュバーガーを作っているのだ。

 

 ジュライを出る前から、家のことはできる限り自分がやっていただけに、料理の腕前は悪くない。得意料理なので、より一層腕が鳴ると言うものだ。

 

 

「どうかな」

 

 

 揚げた白身魚にかけるタルタルソースを味見し、ちょうどよい酸味に頷く。そしてそれをかけていざリィンのところに行こうとした時、厨房の扉が開かれた。

 

 

「あら、美味しそうな匂いね」

 

「残念だがお前にくれてやる飯はないぜ、ヴィータ」

 

「意地悪ね」

 

「つーか、お前はこれからカイエンのおっさんと出かけるんじゃなかったか?」

 

「えぇ。まったく、人使いが粗いったらないわね」

 

「アンタが言うな、アンタが」

 

 

 クロウはヴィータに酷使されているとでも思っているのだろう。やれやれと肩を竦める彼に苦笑いしつつ、出来上がっているフィッシュバーガーをしげしげと眺める。

 

 

「だから、やらねぇって言っているだろ」

 

「あら、残念」

 

 

 すぐにバスケットにしまわれてしまった。本当に残念そうにするヴィータを見て、クロウはいつも無理難題を押し付けてくる彼女にしてやったりと意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 

「……フィッシュバーガー、ちゃんとソースも味見したの?」

 

「あぁ、さっきな」

 

「それじゃあ、私も味見させてもらうわね」

 

「は?」

 

 

 何を言っているのか真意を問おうとするより早く、ヴィータは両手でクロウの頬を優しく包むと、そのまま自分の顔を近づけ、そして───。

 

 

「んっ……ふふっ、ご馳走様でした」

 

 

 妖艶に微笑み、クロウの唇に人差し指を当ててからヴィータは踵を返す。だが、途中で足を止めて振り返ると、「コート、部屋に置いておいたから」と言い残して厨房から出て行った。

 

 残されたクロウはただ茫然とするしかなく、そっと自分の唇に触れた。自分は今、ヴィータに何をされたのか。

 

 

(やべ、こんな顔であいつの前に行けねぇよ)

 

 

 なんとなく視線を落とした先にあった包丁には、顔を真っ赤にしている自分が映っていた。このままリィンのところに行った暁には何を言われるか分かったものではない。まだフライドポテトやオニオンリングを冷ます必要があるので、その間に気を落ち着けた方がいいだろう。

 

 

(とにかく、コートでも取りに行くか)

 

 

 ヴィータに貸したままのコートを取りに行こうと自室へ足を運ぶ。その間、誰にも会わずに済んだのは幸いと言えよう。そそくさと部屋に入ると、丁寧にコートがかけられていた。それに袖を通し、気持ちが落ち着いてきたのを確認していざ行こうと立ち上がると、ポケットに何かが入っているのに気付いた。

 

 

「なんだ?」

 

 

 中に入っていたのは、1枚のカード。それは彼女がラジオのパーソナリティをつとめていた時にプレゼントとして使われたことのあるものだった。裏面と思われるそこには『今夜、一緒に呑みましょう』と書かれてあった。

 

 

「未成年を誘うやつがあるかよ」

 

 

 そして表には『Thank you』と流麗な文字と一緒に、ヴィータが直接して作ったと思われるキスマークが。

 

 

「あのバカ……!」

 

 

 さっきヴィータにされたことを思いだし、クロウは再び顔を赤くするのだった。

 



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クロウ×クレア

今回はクロウとクレア大尉のお話になります。
前話と同様に、閃の軌跡Ⅱ本編をクリアしている方がネタバレにならずに済みますので。

少し戦闘シーンを入れてみましたが、いかんせん軌跡シリーズの小説はこれが初めてとなるので、どこか間違っている点があるかもしれませんが、どうかご容赦ください。


 

 

 

 

 

 

「この辺り、ですね」

 

 

 温泉郷ユミルから程近い場所にある、アイゼンガルド連峰。険しい山道には魔物の姿もあるが、頂まで来るのに苦労した様子を感じさせない涼しい声の主は意に介することもなかった。若くして鉄道憲兵隊を指揮する軍人には似つかわしくない麗しい姿は、服に着られることもなく整然としている。

 

 クレア・リーヴェルト──それが、彼女の名前だ。前述した通り、24歳と言う若さで鉄道憲兵隊の指揮をとる彼女は大尉の階級にありながらも、それらに甘んじることもなく、日夜激務に励んでいる。

 

 

(猟兵がまだいるかと思いましたが、そうでもないようですね)

 

 

 先日、このアイゼンガルド連峰に飛空挺が不時着したらしく、内部は脱走した猟兵らによって占拠されていた。それはトールズ士官学院の面々が早急に鎮圧してくれたそうだが、それからと言うもの、山頂付近で奇妙な魔物が出現したとの連絡を受け、こうして訪れたと言うわけだ。それは猟兵が居座っている故の影響かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 

 本来であればクレアが直接出向くような事案でもないのだが、今は戦時下だけあって疲労困憊している部下を頼りきりにするわけにもいかない。なにより、ユミルにはいくらか滞在していたので地理にも少しは詳しい。慣れない部下を連れることもせず、クレアはこうして1人で調査をしている。

 

 

(いくらか未確認の魔物も発見できましたね)

 

 

 報告にあった通り、この辺りでは珍しい魔物を数体だけだが確認できた。そろそろ帰ろうか──そう考えた矢先、背後で雄叫びが響いた。

 

 

「この魔物は……リィンさん達が仰っていた、幻獣ですか」

 

 

 四足歩行をしながら、ゆっくりとクレアへと近づく幻獣──堕ちたる狂竜と言う二つ名を持つリンドバウムだ。竜を彷彿とさせる巨躯に、鋭い角と爪、そして鉄壁を思わせる体つきは他の追随を赦さないと分からせるだけのプレッシャーを感じる。

 

 

(この幻獣の出現が、魔物の生態系を崩した原因ですね)

 

 

 刺激しないようにゆっくりと後ろに下がるクレアだったがリンドバウムの咆哮とともに身体が輝いたのを見て、慌ててその場を離れる。一拍遅れる形で、先程までクレアが立っていた場所に水が溜まり、渦を巻き出した。

 

 

「駆動すら必要としないとは……強敵のようですね」

 

 

 アーツと呼ばれる魔法を使うには、本来【駆動→詠唱→発動】の手順が必須となる。アーツを駆動させ、詠唱を行ってから発動するのだが、今のリンドバウムはそれらの過程を一切行わずにアーツを使ってきた。難敵と言わざるを得ない。

 

 

「はっ!」

 

 

 自身の得物である軍用拳銃をホルスターから抜き、瞬時に引き鉄を引く。それに合わせて弾丸が発射されるが、やはりリンドバウムにはまったくダメージを与えられない。

 

 

(距離を取れば、アーツを多用するだけになるようですね)

 

 

 だいぶ離れたところから様子を窺うと、アーツを連発してきた。ただし使ってくるアーツは1種類だけなので、特に労することもなくかわし続ける。

 

 

「今度はこちらから参ります。フロストエッジ!」

 

 

 アーツが使われた瞬間を狙い、クレアもアーツで対抗する。リンドバウムの周囲に氷の刃が現れ、回転しながら各方向から切り裂く。

 

 

(少しは利いているようですね)

 

 

 クレアはアーツに長けている上に、クォーツと呼ばれる特殊な宝珠を身につけることで身体能力を向上させている。彼女もまた、アーツの詠唱から駆動に至るまでスムーズに行えるのだ。

 

 

(アーツで傷を癒しつつ、不意打ちを狙えば……!)

 

 

 例え勝てなくとも、この場を逃げ切ることはできるはずだ。そう思って再び様子を窺い、アーツを発動させようと物陰から出た時だった。リンドバウムの一際大きな咆哮を繰り出し、大気が震えたのは。クレアは体勢を維持しようと踏ん張るが、その一瞬の隙をついて、リンドバウムがアーツを発動させる。

 

 

「しまった……!」

 

 

 何もない空間に水が満ち始め、渦となってクレアを襲う。咄嗟に離脱しようとするクレアだったが、リンドバウムが彼女を逃がすまいとその場で何度も足踏みを行う。大きく揺れる大地に足を縺れさせてしまい、アーツを避けきれない。

 

 

「危ねぇ!」

 

 

 だが、そんな彼女を抱えて助けてくれた人物がいた。アーツがクレアを襲うほんの数瞬前、青年が割って入った。クレアを抱えると、彼はすぐさまその場を離れてアーツをやり過ごす

 

 

「あ……!」

 

 

 本来であれば、感謝されて当然の行動だ。しかし、クレアは端正な顔立ちが崩れるのも構わずに、助けに入った青年を睨みつける。

 

 

「クロウ・アームブラスト……!」

 

「久しぶりだな、氷の乙女(アイス・メイデン)殿」

 

 

 クレアに睨まれても、青年──クロウはにっと笑みを返した。その余裕が余計に神経を逆なですると分かっているのかと憤慨したくなる。

 

 

「下ろしてください!」

 

「言われなくてもそうさせてもらうぜ。撃たれるのは勘弁願いたいからな」

 

 

 リンドバウムからある程度離れると、クロウは優しく下ろした。しかしクレアは彼に向かって銃口を突き付ける。そんなクレアの様子にただただ溜め息を零すしかなく、仕方がないと言った様子で両手を挙げるクロウ。しかし、表情は苛立ちや不安に染まることはなく、この状況を楽しんでいるようにも見える。

 

 

「おいおい、そりゃないだろ」

 

「…応戦しようとは思わないのですか?」

 

「ま、アンタとやり合うつもりは毛頭ないからな。

 あの幻獣をどうにかしろって、カイエンのおっさんがうるさいんでね」

 

「……分かりました。抵抗をしないと言うのであれば、この場で逮捕させて頂きます」

 

「はっ、アンタにそれができるのかよ」

 

「くっ……!」

 

 

 クロウは、ついぞ数ヵ月前にクレアが忠義を貫いた相手を射殺したのだ。それも、彼女が止めに入る直前に。ギリアス・オズボーン宰相の射殺──それを行ったのは、誰であろうクロウだった。クレアは彼の出身地である旧ジュライ市国がエレボニア帝国に呑まれた経緯を知っている。どれだけ辛かったか、どれだけ苦しかったか。流石に全部が分かるとは言わないが、それでもあんなやり方を容認できるほど、クレアは情に流されるような人間ではなかった。

 

 

「…っと、その前に……おいでなすったか」

 

「幻獣……!」

 

 

 頂から追いかけてきたリンドバウムに、クロウとクレアはそれぞれの得物を構える。

 

 

「後ろから撃つなよ」

 

 

 クロウはクレアにそれだけ言うと、先行してリンドバウムへと斬りかかった。その背中を見詰め、おもむろに軍用拳銃を構えてクロウの背へと向ける。今ここで引き鉄を引けば、彼を討てるに違いない。この攻撃が致命傷を与えられなかったとしても、幻獣によって殺されてしまうだろう。だが、軍人たる自分が私怨に捕らわれて人を殺めてもいいのか。なによりクロウが死んでしまったら、自分はきっと生きる意味を見失ってしまうだろう。

 

 

(っ!)

 

 

 構えた腕が震え始めていく。やがてはクロウに合わせていた照準もぶれてしまい、クレアは自分を落ち着けるために深呼吸を行った。

 

 

(なんであれ、今はこの状況を打破しなくては……!)

 

 

 クロウが前線に出ているのなら、ここは援護に徹した方がいいだろう。再びアーツの詠唱に入り、速やかに駆動させていく。

 

 

「ハイドロカノン!」

 

 

 巨大な波が一直線にリンドバウムへと迫り、多少なりとも押し返す。水流の勢いは凄まじく、ある程度は怯ませられるようだ。

 

 

「グリムバタフライ!」

 

 

 すかさずクロウもアーツを発動させる。リンドバウムの足元から小さな黒い蝶が姿を現し、惑わすように周囲を飛び回る。それに合わせてゆっくりと強さを増していく本命の攻撃が足元で発動した。

 

 

「…中々、しぶといじゃねぇか」

 

 

 しかし、これでもまだ倒せない。2人は苦々しく幻獣を睨むが、その視線に怒りを覚えたのか、強く咆哮する。また怯んでしまっては相手のペースだ。クレアは銃を構え、リンドバウムへと走り出す。

 

 

「モータルミラージュ!」

 

 

 擦れ違い、そして背後に回り込んだ瞬間、高らかに声を上げて引き鉄を引いた。痛みに苦しむリンドバウムは、標的を彼女に変えてその巨大な尾を振り下ろす。急いで回避しようと思ったクレアだったが、いかんせん場所が悪かった。狭い道の先には崖しかなく、そこから跳び下りるわけにもいかず、ただ尾が振り下ろされるのを見守るしかなかった。

 

 

「ちっ! クロノドライブ!」

 

 

 それを見たクロウはすぐさま自分の身体速度を速めてくれるアーツを発動させ、クレアの元へ急いだ。しかし彼が間に割って入るより早く、クレアが立っていた場所へ尾が振り下ろされる。当人はぎりぎり躱したようだが、崖に近いだけあって岩盤は他より軟だった。砕かれた岩と共に落下していくクレアを、クロウは見送るなんてことをせずに跳び下り、彼女の手を取る。

 

 

「な、何を……!」

 

「うるせぇ! 黙ってろ!」

 

 

 クロウに抱き抱えられたことに抗議の声を上げようとするクレアを先に黙らせ、周囲を見回す。あるのは砕けて一緒に落ちていく岩ばかり。多少の無茶は必要だが、致し方ない。身体強化のアーツを使ったおかげで、件の岩へ着地すると、また別の岩へと飛び移る。それを何度か繰り返していく内に、なんとか地上へ下り立つことができた。

 

 

「やれやれ、危なかったな」

 

「…早くおろしてもらえませんか?」

 

「はいよ」

 

 

 助けられた身でありながら、クレアは苦々しく言った。クロウは別に怒るでもなく、優しく下ろす。すぐさま距離を取られたことには流石に傷ついたが。

 

 

「…登っていくのは流石に厳しそうですね」

 

「だな。仕方ねぇ、どうにか迂回ルートを探すか」

 

 

 幸いにして下り立った場所はちょうど連峰の中腹あたりのようだ。ただ、ここから下りていくにはかなり遠回りになってしまうので、目指すとしたら上方になるだろう。

 

 

「では、私はこれで」

 

「…つれないねぇ」

 

 

 踵を返し、先に歩いていくクレア。歩く姿も中々に美しいが、その実棘だらけのバラに違いない。しかしそれは、クロウに対してだけなのかもしれないと言うのは、もちろん自覚している。仕方なく、少し距離を空けて後ろをついていく。ついて来るなと理不尽なことを言われるかと思ったが、どうやらその心配はなさそうだ。

 

 

「…クロウ・アームブラスト」

 

「なんだ、氷の乙女(アイス・メイデン)殿」

 

「何故……何故、あのような方法を選んだのです?」

 

「鉄血のことか? 何故って言われてもねぇ……」

 

 

 振り返ったクレアの瞳は、かなり揺れ動いていた。本当はこんなこと、聞きたくはないのだろう。それでも問わずにはいられない自分がいることに戸惑っているのが、綺麗な双眸から窺える。その瞳にあるのは、不安ばかり。どんな答えが返ってきても、きっと憎まずにはいられないに違いない。

 

 

「……俺のこと、どこまで知っているんだ?」

 

「旧ジュライ市国の出身で、祖父が市長を務めていたことは知っています」

 

「なら話は速い。祖父さんは市長を辞めてから程なくして死んじまったんだ。

 唯一の肉親を失った俺は、なんの未練もなくジュライをでていって、当てもなくふらふらと彷徨った……生きていくために、色々なことをして、な」

 

「それが、あのようなことに走らせた要因ですか」

 

「全部がそうだとは言わねぇさ。自制することだってできたのに……けど俺は、俺の意思でこの道を選んだんだよ。

 鉄血の首を取る……それだけが、生への執着でもあったからな」

 

「それが成された今、ここで私に討たれても文句はない……とは、言いませんね?」

 

「あぁ。残念だが、俺にはまだ、やらなきゃならねぇことがあるからな」

 

 

 睨む合う2人。互いに譲れない信念を持っているだけに、怯まない。それでもこんなところで殺気立っても不毛なだけだ。クレアは溜め息を零し、先を歩き始めた。

 

 

「別に、鉄血の野郎が絶対悪だとは言わねぇよ。あいつのお陰で救われた奴が、街があることぐらいは分かる。

 けどな……だったら何で、祖父さんの時もそうしてくれなかったんだよ……!」

 

 

 苦々しく呟くクロウに返る声は、1つとしてなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「日が暮れてきましたね……」

 

 

 本来は道となっていない場所を通っているため、どうしても時間がかかってしまう。既に日は傾き始めており、登り続けたせいで体力も限界に近い。

 

 

「そろそろどっかで休憩するか。

 っと、あの洞穴ならちょうどいいんじゃないか?」

 

 

 少し歩いたところに空洞が見えた。中を覗くとそこまで奥まっていないさそうだが、ここアイゼンガルド連峰の冷えを凌ぐことはできそうだ。

 

 

「貴方もここで休むのですか?」

 

「御免だって言うのなら、仕方ないから別の場所を探すさ」

 

「あの蒼の騎神……オルディーネを呼べば済むはずです」

 

「マナが切れちまったからな。しばらく休ませているのさ」

 

「そんな時に幻獣を相手にするとは……無謀ですね」

 

「ほっとけ」

 

「……まぁ、犬死されては逮捕もできないので、特例措置としてここで休むことを許可します」

 

「はいはい、そりゃどーも」

 

 

 なんとも嫌な言い方だ。流石のクロウも少しばかりむっとしたが、それを表情に出すこともなく洞穴の入り口を振り返った。まだ明るい内に薪を集めてきた方がいいかもしれない。それを進言しようとクレアを見ると、左腕をぎゅっと押さえている。最初はクロウと一緒にいるのが嫌で仕方ないのかと思ったが、袖口が赤くにじんでいるのに気がついた。

 

 

「おい、ちょっと見せてみろ」

 

「なっ、離してください!」

 

 

 近づき、左腕を握られて咄嗟に抵抗しようと思ったが、肝心の左腕に痛みが走ってそれどころではなかった。

 

 

「いつ怪我をした?」

 

「……例の幻獣の尾で、地面を叩かれた時です」

 

 

 まっすぐに見詰められながら強く言われ、渋々と言った様子で白状するクレア。彼女は左腕の肘辺りを負傷していた。どうやらリンドバウムの一撃で粉砕された岩が怪我をさせたようだ。

 

 

「傷を癒すアーツは?」

 

「生憎と……」

 

 

 弱々しく首を振るクレアに、クロウは舌打ちする。彼も傷を癒すためのアーツを使えない。このまま放っておくと出血が続く可能性もある。

 

 

「とりあえず、止血するか」

 

 

 いつもしているバンダナを取ると、得物のダブルセイバーで引き裂きタオルのようにする。そしてクレアの腕に巻き付け、止血する。バンダナを結んでいる間、クレアはただ黙ってそれを受け入れていた。

 

 

「…さて、ちょっくら食糧でも調達してくるわ」

 

「それなら私も……」

 

「ま、好きにしてくれて構わねぇけど……俺を逮捕したかったら、養生するこった」

 

「……言ってくれますね」

 

 

 やはり彼は人を怒らせる天才のようだ。いや、それはクレアがそう感じるだけなのだろう。ざわつく胸を落ち着けようと深呼吸をしてから、クレアは大人しくその場に座り込んだ。

 

 

「クロウ・アームブラスト……」

 

 

 深く溜め息をつき、目を閉じる。忠誠を誓った宰相を射殺した彼を赦せるはずがない。だが、今は自分のことがよく分からなくなってしまっている。私怨に走って彼を手にかけてしまいたい気持ちが少なからず残っていることに気づきながら、自分は果たして軍人を続けていていいのか。だが、裏を返せば、軍人を続けることで自分を律することができているのかもしれない。

 

 

(はぁ……身体が、重い)

 

 

 出血を止めずに歩き続けたせいで、かなりの疲労感がたまってしまったようだ。休息を求める身体に応じ、やがてクレアは小さな寝息をたてはじめた。

 

 

「なんだなんだ? 氷の乙女(アイス・メイデン)ともあろうお方が敵の前で居眠りか?」

 

 

 やがて戻ってきたクロウは、リズムよく寝息を立てているクレアを見て頭を掻いた。だが、その時痛みが走る。顔を歪め、そっと額に触れると、そこには一筋の傷があった。クレアを抱えて砕けた岩を避けている際に切ったようだ。彼女の傷よりも浅いため、既に地は止まっているので大したことはないだろう。

 

 

「さて、火をくべるかね」

 

 

 クレアにコートをかけてから、クロウは点火に取り掛かった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「んっ……あっ!」

 

 

 やがてクレアが目を覚ますと、そこには小型の皿に料理が並んでいた。

 

 

「お目覚めか?」

 

「…これは、貴方が?」

 

「あぁ。ま、簡単なものしかないけどな。

 毒は入ってねぇから、安心しな」

 

「敵の言葉を信じろと?」

 

「信じるしかないだろ、今は」

 

「……はぁ」

 

 

 深い溜め息を零し、クロウが作った料理を食する。味は普通と言った感じだ。毒が入っている感じもない。だが、さっきまで寝ていたのならその隙に殺す機会はあった。今更手が汚れるのが嫌だなどとバカげたことを言うはずもない。毒殺なんてことをするような性格とも思えない。やはり、考え過ぎだろう。

 

 

「あんたは非常食とかないのか?」

 

「少量ですが」

 

 

 問われて、クレアはポーチから携帯食をいくつか取り出す。いくつかクロウに向かって放り投げ、自分もそれを口にする。

 

 

「まずっ!?」

 

「軍人用の携帯食など、そんなものです」

 

「うへぇ……こんなのを食うなら、狩りをした方がましだと思うけどな」

 

「それは動ける状況にあればの話だと思いますが」

 

「確かにな」

 

 

 肩を竦め、文句を言いながらもクロウは携帯食を食べていく。意外と律儀なようだ。

 

 

「…風が出てきたな」

 

 

 入口の方を振り返ると、確かに風の音が強くなってきた気がする。連峰だけあって寒さが増していくのは必至だ。ぎゅっと服を掴むと、何かを羽織られているのに気付いた。

 

 

「…いつの間にこんなものを?」

 

「寝ている間に。邪魔なら返してくれるか? 流石にさみぃし」

 

「これを使うなど、こちらから願い下げです」

 

「傷つくねぇ」

 

 

 苦笑いしつつ、突っ返されたコートに袖を通すクロウ。その表情は本当に残念そうだが、それが真意かどうか見抜けるほど、彼のことを知っているわけではない。クレアは膝を抱えてぼんやりと炎を見詰めた。

 

 

「どこか似ていますね、私たちは」

 

「……何か言ったか?」

 

「…いえ、何も」

 

「あっそ。さて、俺は先に寝かせてもらうわ」

 

 

 枯葉を敷き詰めたところに横たわり、クロウはさっさと寝てしまった。どうせ先程の呟きだって聞こえていただろうに聞こえない振りをしたのだろう。

 

 

(私、どうして……!)

 

 

 抱えている膝に俯き、涙を堪える。何故自分は、こうも敵に弱さを見せてしまったのだろう。こんなこと、あってはならない。鉄道憲兵隊を指揮する大尉であり、氷の乙女(アイス・メイデン)と言う二つ名まで授かったのに──そう思わずにはいられなかった。

 

 クレアは、自分とクロウが似ていると思っている。本音を言えないところ、本心を見せるのが苦手なところ。挙げていけばきりがない。それを受け入れられないと知っていたから、彼は敢えて聞こえなかった振りをしたのだろう。

 

 

(どうしたらいいの……? 分からない……)

 

 

 こんな時、誰かがいてくれたら──そんなクレアの不安を見抜いてか、何か温かいものがかけられた。顔を上げた時、クロウの背中が見えたので視線を落とすと、彼のコートが再びかけられていた。

 

 

「あ……」

 

 

 ありがとう──その一言さえ、今のクレアの口からは出せなかった。だが、礼を言えない理由が今までと少し違う。

 

 

(わ、私……照れて、いるの?)

 

 

 自分でも鼓動が速まっているのが分かる。あっという間に寝息を立て始めたクロウの方へ歩み寄り、その表情を覗きこむが、寝ているので起きる気配が全くない。やがて顔が赤くなっているのは気のせいだと言い聞かせながら、クレアは眠りについた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 翌日───。

 

 クレアは突如起こった地震によって目を覚ました。慌てて周囲を見回すと、何故かクロウの姿がどこにもない。しかも地震が落ち着いてから件の幻獣──リンドバウムの方向が響いた。

 

 

「まさか、1人で……!?」

 

 

 急いで立ち上がり、上方へと続く道を駆け昇っていく。途中で躓きそうにはなるが、ぐっすり寝たお蔭で体力は十分回復している。スピードを緩めることはせず、一気に走って行った。

 

 

「クロウ!」

 

 

 思わず、彼の名前を叫んでいた。一瞬だけこちらを一瞥したが、クロウはすぐにリンドバウムへと向き直る。

 

 

「クロノブレイク!」

 

 

 アーツでリンドバウムの身体に負担をかけていく。クロノドライブとは真逆で、相手の身体に加重をかけるアーツだ。それでも相手が幻獣だけあり、加重も大したことではないようだ。

 

 

「ちっ、図体の割に素早く動きやがって……!」

 

 

 舌打ちして走り回り、狙いを定めないようにする。しかしそうすると尾で攻撃したり咆哮して怯ませたりと多彩な攻撃をしてくる。

 

 

(かと言って後ろに下がりゃあ、広範囲のアーツで一網打尽か)

 

 

 どちらにせよ、逃げ場はない。ならば、少しでも自分が得意とする戦い方で進めた方がいいだろう。

 

 

「クリミナルエッジ!」

 

「フリジットレイン!」

 

 

 使っているクロスセイバーの刀身に力を籠め、薙ぎ払いながら解き放つ。鱗で覆われた足に傷が出来た痛みに怒りを感じ、クロウに狙いを集中しようとするリンドバウム。しかしその直上に巨大な氷が出現し、クレアの一撃によって粉々に砕け散った氷が降り注ぎ、それどころではなくなる。

 

 

「さぁ、一気に攻めましょう!」

 

 

 覇気と共に響く、凛とした麗しい声。クロウはにっと笑い、クレアの声援に応えるべく走り出す。

 

 

「ブレードスロー!」

 

 

 ダブルセイバーを放り投げると、不規則な軌道を描いてリンドバウムの巨躯を2度、3度引き裂く。その一瞬の隙を突き、クレアも再びアーツを起動させる。その魔力はクレアの傍に居なくともひしひしと感じることができる。クロウが巻き込まれないよう離れたのを確認し、アーツを発動させる

 

 

「クリスタルフラッド!」

 

 

 クレアの前方から真っ直ぐ氷が具現化していく。それは一直線にリンドバウムへと走っていき、やがてその巨体すべてを凍りつかせた。じたばたと暴れて氷を砕こうとするが、それよりも早くクレアが次なる一手に入る。

 

 

「目標を制圧します。ミラーデバイス、セットオン」

 

 

 ミラーデバイスと呼ばれる鏡面装置を空中に複数個展開し、銃から発射した光線をミラーデバイスで乱反射をおこなうことでエネルギーが増幅する。そして描かれた軌跡は魔法陣のようになり、そこからエネルギーを放出する。

 

 

「オーバルレイザー照射! カレイドフォース!」

 

 

 頭の中でミラーデバイスや敵の位置などを一瞬で把握した上で行える、正しく一撃必殺と呼ぶに相応しい威力を持った攻撃だ。演算処理に優れたクレアだからこそできる技に、離れていたクロウも流石に驚かされる。

 

 眩いばかりの光がリンドバウムを呑み込む。いくら幻獣と言えど、この攻撃をくらってはただではすまい。やがて光が止み、煙が晴れた瞬間──傷だらけとなったリンドバウムが、クレアへと牙をむいた。

 

 

(しまった……!)

 

 

 完全に油断しきっていたクレアは、咄嗟に避けることも忘れて呆然としてしまう。いくつも並んだ鋭い牙を前に感じた恐怖に縛られ、何もできない。

 

 

「ぼさっとすんな!」

 

 

 そんなクレアを叱責する声。はっと我に返った時、リンドバウムの背後からその巨躯を一閃しながら声の主──クロウが駆け抜けてきた。

 

 

「喰らいやがれ! 終焉の十字……デッドリークロス!」

 

 

 思い切り振るわれた、2度目の一閃。最初の一閃と交差するように放たれた刃はリンドバウムをX字に引き裂く。その一撃により、今度こそリンドバウムは絶命した。

 

 

「…やれやれ。今度こそ片付いたようだな」

 

「そ、そのようですね」

 

 

 安堵の溜め息を同時にもらし、肩を竦める。やがてリンドバウムの巨躯が消え失せ、ころころと何か球体が足元に転がってくる。

 

 

「これは……?」

 

 

 一見してクォーツのようだが、普通のものとは違うように感じられる。しかしそれに気づいたのはクレアだけで、クロウは山頂へ向けて歩き出す。そして程なくして到着すると、蒼穹へと手を掲げた。

 

 

「オルディーネ!」

 

 

 クロウのその呼び声に応えるように、すぐさま彼の傍へと騎神が訪れた。膝を着き、いつでもクロウを乗せる準備ができていると暗に訴える。

 

 

「さて、と……俺はとんずらさせてもらうぜ」

 

「……えぇ。今回ばかりは、見逃すほかないようですね」

 

 

 2人してふっと笑みをこぼし、クロウはオルディーネに乗り込もうとする。しかし、返した踵を止め、振り返ると意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「あ、そうそう。あんたの寝顔、堪能させてもらったぜ。“クレア”」

 

「なっ!?」

 

 

 一瞬で真っ赤に染まるクレアの顔を見られて満足なのか、クロウは彼女が反論するよりも早く騎神に乗り込み、その場を去ることに。ずっと『氷の乙女(アイス・メイデン)殿』と呼ばれていたせいで、かなり恥ずかしい。クレアは飛翔するオルディーネを、片手で髪を押さえながら見送る。

 

 

「……それは、こちらの台詞でもありますよ、“クロウ”」

 

 

 聞こえるかどうか分からない呟きが零れた時、クレアは確かに嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 




クロウとクレア、如何だったでしょうか?

似ているようで似ておらず、近いようで遠い……そんな距離感を少しでも感じてもらえたら光栄です。


ちなみに自分がこの2人の組み合わせを思い立ったのは、実は前作の頃からでした。
前作のラストで、クロウがオルディーネに搭乗して帝都を去る際、クレアを見下ろすと言うことをしなかったので、ちょっと意味があるのかなと曲解してしまったのです(笑)


では、また次回もお楽しみに。


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フィー×エリゼ

「…はぁ、やっぱり厚着してくれば良かったかな」

 

 

 溜め息交じりの呟きを拾う者は誰もおらず、少女は雪の中を慣れた足取りで歩いていく。温泉郷と謳われるここ、ユミルに来るのはもうこれで何度目なのか忘れてしまった。だが、相当な数であることは間違いない。恐らく──いや、絶対に同じクラスの仲間で見れば、ユミルが実家である青年を除いて1番多いだろう。

 

 何気なく空を見上げると、どこまでも澄み切った青空が広がっていた。何気なく息を吐くと寒さを象徴するようにあっという間に白く染まっていく。しかし、少女の格好は明らかにこの寒さに似つかわしくない。短いホットパンツを穿いた下半身は、素足をほとんど露出しており、しかも上半身はお臍を出していると言うありさまだ。動きやすいように──そう思ってこの服にしたのだが、ここに来るならせめてコートでも着てくれば良かったかもしれない。

 

 

「ま、今更だね」

 

 

 もうすぐユミルに到着する。そうすれば温まる機会はいくらでもあるのだからと割り切り、彼女──フィー・クラウゼルは足早に郷へと向かった。

 

 彼女の予想通り途中で魔物に出くわすこともなく、あっという間に郷に到着した。郷の住人に軽く会釈をして、友人の家へ歩いていく。と、そんな彼女を歓迎するように真横から黒い影が飛び出してきた。

 

 

「あぅ……」

 

 

 小柄なフィーはその影を受け止めきることができず、そのまま押し倒されてしまう。彼女を押し倒したのは、友人の飼っている愛犬のパドだった。パドはフィーにかなり懐いており、尻尾を振って喜びを表したかと思えば顔をぺろぺろと舐めてきた。

 

「もう、くすぐったいよ、パド」

 

 

 そう言いつつ、嫌ではないので優しく頭を撫でてやる。何度かフィーの訪問を知らせるように、家へ向かって大きな声で吼えるパド。それに気づいたのか、家の中からぱたぱたと足音が聞こえてきた。

 

 

「パド、どうしたのですか? あ……フィー、さん」

 

「うん、エリゼ」

 

 

 扉を開けたのは、フィーの親友エリゼ・シュバルツァーだった。パドを撫でて落ち着かせ、フィーに手を差し出して立ち上がらせる。

 

 

「すみません、パドが……」

 

「ううん、大丈夫。私も久しぶりに会えて嬉しかったから。

 久しぶりだね、エリゼ」

 

「はい」

 

 

 互いに嬉しそうに微笑し、久しぶりの再会に安堵する。フィーとエリゼは同い年と言うこともあって、かなり親しい。最近ではエリゼの兄であるリィンよりも親しいかもしれないと思うほどだ。

 

 

「ロープウェイではなく、歩いてきたのですか?」

 

「うん。運動にいいかなぁと思って」

 

「冷えたでしょうし、鳳翼館で温まりましょう」

 

「じゃあ、エリゼも一緒に行こうよ」

 

「いいのですか?」

 

「もちろん」

 

「では、準備をするのでちょっと待っていてください」

 

 

 そう言って、エリゼは1度フィーを家に上げる。そしてフィーにタオルを渡して保温されてあるお湯をカップに注いでココアを出す。そうしてから入浴用のタオルなどを取りに部屋へと戻って行った。その間、フィーは暖炉の前に座って冷えてしまった身体を少しずつ温めていく。

 

 

「フィー、来ていたのか」

 

「リィン。さっき来たところ」

 

 

 しばらくそうしていると、玄関の扉が開かれ、外から戻って来たリィンと出くわす。ある程度雪を払ったようだが、まだ頭にいくらか残っている。どうやら外で雪掻きに精を出していたようだ。

 

 

「何か飲むか?」

 

「んー……いいや。エリゼと鳳翼館に行く約束をしているから」

 

 

 既に湧いていたお湯でココアを作ってもらってある。フィーはエリゼが淹れてくれたそれを堪能し、コップを置きに流しに向かう。そこでちょうどエリゼが階段を下りてきた。

 

 

「ココア、どうでしたか?」

 

「美味しかったよ。サンクス」

 

 

 エリゼは荷物を持っているので、彼女に一言断ってから流しに置いてくる。そして彼女と並んで内湯と外湯が併設されている鳳翼館へと足を運ぶ。また玄関でパドが駆け寄ってきたが、頭を撫でると嬉しそうに一鳴きしてから離れた。

 

 

「最近はどうしていたんですか?」

 

「Ⅶ組のみんなのお手伝い、かな。園芸部で育てている花もだいぶ咲いてきたよ」

 

「忙しそうですね……でも、元気そうで良かったです」

 

「私も。エリゼが元気で良かった」

 

 

 たわいない話をしながら歩いていくと、程なくして鳳翼館へ着いた。受付で一礼し、女湯へ向かう。脱衣場も保温されているが、扉の向こうにある温泉の温かさが伝わってくる。

 

 

「それにしても……エリゼ、スタイルいいよね」

 

「な、なんですか、突然?」

 

 

 入浴着に着替える途中、フィーの視線を感じて彼女の方を見ると、羨ましそうな視線を向けてきた。困惑するエリゼを無視し、その綺麗な肌をじっと見詰めるフィー。その視線に耐えられなくなり、エリゼは自分の身体を抱き締めるようにして腕を回す。

 

 

「羨ましいなぁって」

 

「そ、そんな……フィーさんだって肌綺麗ですよ」

 

「そうかな? エリゼほどじゃないと思うけど。

 それに、なんかエリゼの下着、大人っぽいような?」

 

「あ、それは……その、アルフィン殿下が強引に渡してきて……」

 

「そうなんだ。てっきりエリゼの趣味かと思った」

 

「違います!」

 

 

 顔を真っ赤にして反論するエリゼが可愛くて、フィーは笑みを浮かべる。彼女と親友と言う間柄になれたことが、凄く嬉しい。

 

 

「でもそれって……マリアージュ・クロスのやつだよね?

 私の知らないうちにエリゼはどんどん大人になっていくね」

 

「フィーさんまで殿下みたいなこと言わないでください……!」

 

「ふふっ、ごめん。でもエリゼ、本当に綺麗だよ」

 

 

 微笑し、フィーはそれだけ言い残すと先に内湯へ入って行った。残されたエリゼは、自分でも分かるほど顔が赤くなったまましばし拗ねたように唇を尖らせる。

 

 

「もう、意地悪なんですから」

 

 

 だが、別に嫌と言うわけではない。こうしたやり取りも、親友だからこそのものだ。エリゼも入浴着に袖を通してから内湯に向かう。既にフィーがのびのびと湯船につかっており、気持ちよさそうだ。隣に座り、共に溜め息を零す。

 

 

「気持ちいいね」

 

「はい、とても……あら?」

 

「ん、何?」

 

「いえ……もしかして?」

 

「エ、エリゼ?」

 

 

 まじまじとエリゼの視線が太腿あたりに注がれ、今度はフィーの方が戸惑ってしまう。先程仕返しかと思ったが、彼女がそんなことをするような性格ではないことはよく分かっている。つまりそれ以外で何か気になったのだろう。いったい何が──考えを巡らせていると、あることを思いだし、次第に焦りを覚えていく。

 

 

「ど、どうかしたの?」

 

 

 エリゼが視線を向けている場所へ何気なく手を置いて誤魔化そうとするフィーだったが、それを赦すまいとエリゼの手がたおやかに重ねられ、やがてフィーの手をどかしてしまう。

 

 

「やはり……フィーさん、その傷は平気なのですか?」

 

「…うん、もう痛まないよ。これはほんと」

 

「もう……怪我をしていたなんて」

 

 

 フィーが命がけで貴族連合と戦っていたことは知っている。だが命を懸けること自体は彼らと決着がついてからも続いていた。自分が通っている士官学院の教官であるサラや、遊撃士の手伝いが主だが、もちろんその中には危険なものも多数存在する。もしフィーに何かあったら──エリゼはそれが心配で、こうして目ざとく傷を見つけては口を酸っぱくして注意してくるのだ。しかしそれを邪険に思うことはなく、寧ろ心配してくれている人がいるのだと実感できて嬉しかった。

 

 

「ごめん。でも、私はこうしてここにいるよ」

 

 

 そっと頬に触れ、綺麗な髪を撫でる。最初こそ心配そうな顔をしていたエリゼだったが、やがてフィーの言葉を信じ、頬に当てられている彼女の手に自分の手を重ねる。

 

 

「フィーさん……」

 

「うん、エリゼ」

 

 

 温かいお湯に包まれながらも、相手の体温を確かに感じながら2人はのんびりと温泉を堪能するのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 温泉から出た後は再びエリゼの家に戻り、彼女の部屋でたわいない話に花を咲かせる。

 

 

「そういえば……フィーさん、私に戦いを教えてくれませんか?」

 

「いきなりだね」

 

 

 唐突な申し出に、フィーは面食らう。エリゼとてレイピアを使って戦うことができる。しかもアーツを扱うのが得意でもある。前衛も後衛もこなせるだけあって、フィーは何を教えられるか首を傾げてしまう。

 

 

「私、もっと強くなりたいんです」

 

「んー……じゃあ、とりあえず外に行こっか。どこかいい場所、知ってる?」

 

「はい、もちろん」

 

 

 壁に飾られてあるレイピアを手に取り、エリゼと共に部屋を出ていく。途中でリィンに見つかったら何を言われるか分かったものではないので、彼に出くわさないよう足早に家を出た。

 

 おあつらえ向きの場所へ案内してくれるエリゼの後ろ姿を眺めながら、フィーは何故エリゼがあんなことを言い出したのか、その理由を考えていた。なんとなくだが見当はついている。きっと自分だけ戦えていないことに不服なのだろう。同い年のフィーは幼少の頃からずっと戦いに身を投じており、アルフィンは皇女としての責務を果たしている。そんな中で自分は──そんなところだろう。

 

 やがて開けた場所に出ると、エリゼはレイピアを抜いてフィーと対峙した。

 

 

「本当にやるの?」

 

「はい、もちろんです」

 

「…そ。分かった」

 

「お手柔らかにお願いします」

 

「それは私の台詞だよ」

 

 

 双銃剣を構え、エリゼをしっかりと見据える。実力は確かにフィーの方が勝っているが、手を抜くつもりはない。あまり怪我をさせないよう細心の注意を払いながら、2人は互いの得物をぶつけ合った。

 

 独特の金属音と火花を発し、レイピアと双拳銃を拮抗させ合う。膂力はほぼ同じと言ったところか。エリゼの方が身長があるので、フィーに押し切られることもなく刃を拮抗させることもできるようだ。

 

 フィーはエリゼの力を確認すると、次の手に移った。相手が押してくる力を利用しながら後ろへ跳んで離れると、瞬時に双銃剣の銃口が火を噴いた。もちろん無暗に怪我をさせないよう注意しながら。それでも、エリゼは怯むどころかフィーに向かって走ってきた。途中で出鱈目に動いて狙いを定めさせまいとする動きに、思わず目を見張る。

 

 

(まさか、そこまで必死だったなんて……)

 

 

 生半可な気持ちではないと思っていたが、フィーの予想を上回るほどにエリゼの動きは素早く、鋭いものだった。やがて着地したフィーへ、エリゼが足元に雪をすくって寄越してくる。目眩ましのつもりだろうが、フィーは物音に敏感だ。死角を取られたとしても後れることはない。

 

 やがて真横で雪を踏みしめる音がした。迎撃のためにと思って双銃剣を構えるフィーだったが、すぐにエリゼの姿が現れることはなく、なにより真っ白な景色の向こうで何かが光ったように見えた。

 

 

「…ピンチ、かも」

 

 

 そう呟いたフィーの表情は、しかし楽しそうだ。

 

 

「アクアブリード!」

 

 

 フィーの予想した通り、エリゼは突っ込んでくるのではなくアーツを使ってきた。急いでその場を離れると、木陰に身を隠す。そしてエリゼが手応えを感じずにその場で警戒しているのを確認してから手榴弾のピンを外し、怪我をしないであろう位置へ向かって放り投げる。

 

 

「あっ……!」

 

 

 エリゼの視線が、一瞬だけ手榴弾に逸れた。その僅かな隙をついてフィーもアーツを発動させた。

 

 

「やっ!」

 

 

 3つの氷の刃が、エリゼ目掛けてまっすぐに飛来する。その内の2つを避け、残り1つはレイピアを一閃して破壊する。その間にフィーは距離を詰めようと駆け出す。それに気づいてエリゼも駆け出した。だが、足を止めるつもりか、フィーは銃口を向ける。当然、ただの脅しではなく発砲され、エリゼは思わず怯んだ。それを見るや、更にスピードを上げるフィー。また剣戟を行うのか──エリゼのその予想は打ち砕かれる。

 

 

「え……?」

 

 

 なんとフィーは、先程発動させたアーツで作った氷の刃の上を滑り、エリゼの股下を通り抜けたのだ。そして素早く背後に回り込んだ彼女は双銃剣を構えた。

 

 

「チェックメイトだよ、エリゼ」

 

「…残念です」

 

 

 エリゼはレイピアを鞘におさめ、振り返った。その顔には笑みが浮かんでいたが、無理をしているように見える。フィーも双銃剣をしまい、今まで抱いていた疑問をぶつけることに。

 

 

「エリゼ……どうして強くなりたいと思ったの?」

 

「それは、その……」

 

「もしかして、自分が何もできていないからって考えていたりする?」

 

「ど、どうして……!」

 

「…私も、同じことを考えたりしたから」

 

 

 フィーは後ろ手に手を組み、なんとはなしに青空を見上げる。まるでその時のことを鮮明に思い出すかのように。フィーは幼少の頃、猟兵団に拾われてそこで育てられた経緯がある。そこで学んだことは数多く、自分の戦い方もそこで知りえたことだ。

 

 

「私、兄様やフィーさんばかりが前線に出るのが耐えられなくて……私だって、戦えるのに……!」

 

「うん、分かるよ。

 でもね、エリゼにはエリゼにしかできない戦い方があるんだよ」

 

「私にしか、できない……?」

 

「そうだよ。何も前に出るだけが戦いじゃない。

 エリゼは私が帰りたい場所を守ってくれている……それが、エリゼの戦いだよ」

 

「フィー、さん……」

 

「まぁ、すぐには納得できないよね。だからって、私はリィンみたいにエリゼに無理強いさせたりしないよ」

 

「…はい」

 

 

 手を差し出すと、エリゼは嬉しそうにその手を握り返してくれる。2人はそのまま手を繋いで郷への道を歩いていった。

 



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クロウ×ヴィータ

 貴族連合所有の艦、パンタグリュエル。そこには貴族連合に協力している面々が使っている部屋がいくつも存在する。その内の一室。一際広く、豪華な造りをされているその部屋に備えられた質のいいベッドの上で寝転がっている女性が1人。

 

 

「……おかえりなさい、グリアノス」

 

 

 深い溜め息をついて、腕で目を覆い隠していた女性──ヴィータ・クロチルダは、開けっ放しにしていた窓から使い魔として使役している蒼い鳥、グリアノスが戻ってきた音に気がつき、いつもの妖艶な声で出迎えた。グリアノスは一声鳴いてから自ら止まり木に移動する。その体躯はぼろぼろで、自慢の綺麗な羽もいくらか傷ついている。

 

 

(やれやれ……エマもⅦ組で予想以上に成長していたようね)

 

 

 ゼムリアストーンと呼ばれる特殊な鉱石を使って騎神専用の武器を造ろうとしていることを知ったヴィータは、エマや他のⅦ組の連中を倒すためにグリアノスを使役して戦ったのだが、思っていた以上に成長した彼女たちの前に敗北を喫してしまった。

 

 

「妬けちゃうわね……」

 

 

 なんとなく呟いていた言葉に、ヴィータはすぐさま口を閉ざした。今の言葉の真意を知られたくない相手の足音が近づいてきたからだ。

 

 

「おう、ヴィータ。入るぞー」

 

 

 ノックしてきた相手はヴィータの許可を聞くより先に扉を開け、室内に入ってきた。銀髪にトレードマークと言うべきバンダナ、そして赤い瞳をもつ青年──クロウ・アームブラストは、ヴィータがベッドに寝転がっているのを見て首を傾げる。

 

 

「何だ、寝てんのか?」

 

「女性(レディー)の室内にずかずかと入るのは感心しないわね」

 

「お前が時間を指定したんだろうが……ほら、昼メシ持ってきてやったぞ」

 

「ん、ありがとう」

 

 

 少し前にリィンがこのパンタグリュエルにやってきた際、彼にクロウがフィッシュバーガーを振る舞ったのだが、それを食べたいとせがんできたヴィータのために昼食に持ってきたのだ。

 

 

「舌が肥えた歌姫殿には合わないかもしれないけどな」

 

「クロウ」

 

「何だ?」

 

「起こして」

 

「……知るか」

 

 

 クロウの姿を捉え、横向きになったヴィータは抱っこしてほしい子供の様に彼の方へと両手を伸ばした。しかしクロウはつれない態度を取り、勝手にソファーに座ってフィッシュバーガーとフライドポテトが入っているバスケットを開く。

 

 

「意地悪」

 

「何で俺が起こさなきゃ……あぁ、そういうことか」

 

 

 面倒くさそうに頭を掻くクロウだったが、傷ついているグリアノスを見て納得する。溜め息を零し、ヴィータの傍まで行くと彼女の両手が首に回され、ぐっと顔が近づいてきた。女性特有の甘い香りが鼻孔をくすぐるが、クロウはつとめて平静を装う。

 

 

「抱っこ」

 

「誰がするか、阿呆!」

 

 

 そう言って首に回されている腕をほどこうとするクロウだったが、ヴィータはあろうことか彼を自分の方に引き寄せてくる。豊満なバストが目の前に広がり、危うくそこへ顔だけダイブしそうになったが、両手をついてそれ以上倒れないようにして堪える。

 

 

「どこを見ているの、クロウ?」

 

「別に」

 

 

 そういうことを言わせようとするあたり、本当にサドだ。クロウはヴィータの両足と背中に手を通すと、そのまま抱えて立ち上がった。あのままの体勢でいるよりずっとましだ。さっさとソファーに座らせ、その対面にクロウも座る。

 

 

「ふふっ、ありがとう。素直な子は好きよ」

 

「あー、はいはい」

 

 

 素っ気なく返しつつ、バスケットを広げてヴィータの分も用意していくクロウ。自分が作ったものだからなのか、無意識の内に進めてしまうだけで、決してヴィータの言葉を聞いたからこうしているわけではない。

 

 

「ほれ、作ってきてやったぞ」

 

「美味しそうね。それじゃあ、早速」

 

「あぁ」

 

 

 具材を零してしまわないように包装紙を半分だけ捲って一口。ちょうどよい温かさを持った白身魚のフライと、その味を消さずに、しかし味を主張するタルタルソースが美味しい。

 

「どうだ?」

 

「美味しいわ」

 

「なら良かった。これでも緊張していたんだぜ?」

 

「そうなの? 私は辛口評価なんてしないんだから、そんなに心配しなくて良かったと思うけど」

 

「そりゃあ、女に料理振る舞うんだ。誰だって緊張するさ」

 

「あら、黒兎や神速の子には作ってあげないの?」

 

「あいつらはまともな感想もくれなさそうだからな」

 

「ふーん。それじゃあ、クロウの手料理は私が独り占めしているわけね♪」

 

 

 嬉しそうに言うと、ソファーから立ち上がってクロウの口元にそっと指を当てる。そうして、ついていたタルタルソースを指で拭い、妖艶にんだ。

 

 

「喜ぶのはいいが、お前も口についているぞ」

 

 

 クロウがヴィータの口元についているタルタルソースを指ですくうと、彼女はその指を妖艶に舐めた。狙って言っているようには見えないが、どちらなのかはヴィータしか分からない。意識的にしているとしたらとんでもない話だが、無意識だとしたらもっととんでもないものだ。

 

 

「そういえばお前、グリアノスを通して何をしていたんだ?」

 

 

 やがて昼食を終え、バスケットに包装紙などを片づける。ヴィータが紅茶の準備をしてくれている間、クロウは傷ついてじっとしているグリアノスを見ながら問う。

 

 

「ちょっとエマに稽古をつけてあげただけよ」

 

「で、このザマか。妹虐めも程々にしておけよ、サドな歌姫殿」

 

「紫電(エクレール)にもサドって言われたけれど、私はこう見えてマゾなのよ」

 

「それ、誰も信じねぇから。

 あーあー、グリアノスにこんなにも無茶させやがって……酷い主だよな?」

 

 

 そう言って同意を求めようとグリアノスに手を伸ばすと、いきなり鋭い嘴につつかれてしまった。

 

 

「イテッ!? な、何だ?」

 

「貴方が私のことを酷い主とか言うからでしょ。

 グリアノスに振られちゃって、可哀想に。今ならお姉さんが慰めてあげるけど?」

 

「いるかよ、そんなの」

 

「強がっちゃって」

 

 

 つつかれた手の甲をさすりながら、しかしクロウはヴィータに甘えようとはしなかった。それを残念に思うこともなく、ヴィータはベッドに寝転がる。しかし1人で寝るには大きすぎるベッドだ。それを不満に思うことはないが、今はちょうどもう1人いるのだから、一緒に寝るのもまた良いだろう。

 

 

「クロウ、こっちに来て」

 

「何だ?」

 

「いいから」

 

 

 ヴィータが何を望んでいるのか、なんとなくだが分かっている。素直にそれを受け入れるのは気が進まないが、かと言って抵抗するのはもっと面倒なので止めておく。

 

 

「せっかく広いベッドがあるんだもの。一緒に寝ましょう?」

 

「何でそうなる……ガキじゃあるまいし、寝たきゃ1人で寝てろ」

 

「つれないわねぇ……グリアノスに振られてしょぼくれているのを、お姉さんが慰めてあげようと思ったのに」

 

「誰がしょぼくれているだって?」

 

 

 呆れるが、このまま押し問答を繰り返すなんてやっていられない。致し方なく、ヴィータの言う通りにする。彼女が寝転がっているベッドに腰掛けると、素直な態度を嬉しく思ったのか、妖艶に微笑んだ。

 

 普段から露出度の高い服を着ているだけに、少し足をずらしただけで太腿よりも上の部位が見えてしまいそうになる。なのにヴィータは特に気にすることもなく、寧ろクロウを誘うかのように、その美脚を晒している。

 

 

「ちゃんと毛布をかけないと身体を冷やすぞ」

 

「心配してくれてありがとう。流石は私の蒼の騎士ね」

 

「だから、あんたのじゃねぇっての」

 

 

 縁に腰かけただけでは不満なのか、服の端を引っ張るヴィータ。その様子はまるで子供っぽく、魔女と称されているとは思えない。もっとも、クロウは彼女が魔女だからなんだと言った気分だ。彼女の導きでオルディーネと邂逅することができたのだから、寧ろ感謝さえしている。

 

 

「じゃあ、私は誰のかしらね?」

 

「…さぁな」

 

「そこは『俺のだ』って言うべきだと思うのだけれど……蒼の騎士は意外とヘタレなのね」

 

「…うるせぇ」

 

 

 本当は言おうかと思ったのだが、ヴィータの言う通りその勇気がなくてやめてしまったのだ。それを見透かしているかのような言葉に、クロウは子供っぽく口を尖らせる。

 

 

「そこまで言うなら、言ってやってもいいんだぜ?」

 

 

 クロウは意を決してヴィータに覆い被さるような姿勢を取る。今は腕を伸ばし、膝立ちをしているので密着はしていないが、いつ身体を密着してもおかしくはない。

 

 

「その勇気があるのなら……どうぞ」

 

 

 それでもヴィータのペースを乱すことはできなかった。本当に言うかどうか──しばし迷いはしたものの、心のどこかで既に決心はできていたと思う。クロウはヴィータが拒まないと分かると、頬に優しく触れてから彼女の華奢な体躯にそっと自分の身体を重ねた。

 

 

「お前は……俺だけのものだ」

 

 

 耳元で囁かれた言葉に、ヴィータはくすぐったそうに、そして嬉しそうに微笑んだ。そして密着したクロウを逃がすまいと腕を回してくる。

 

 

「…クロウ」

 

「なんだ?」

 

「私を貴方だけのものにしたいのなら……私から離れてはダメよ」

 

「……ったく、お前はまだまだ子供だな」

 

「本当、どうしてなのかしらね」

 

 

 2人はそのまま目を閉じ、やがて静かに寝息を立て始めて眠った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 12月30日、木曜日───。

 

 この日、クロウが通っていたトールズ士官学院が貴族連合の手から解放された。きっと今頃、盛大に盛り上がっていることだろう。そんなめでたい時だが、クロウはもちろん貴族連合に協力する一員としてカレル離宮にある一室でカードを眺めていた。

 

 ブレードⅡと呼ばれるカードゲームだ。先日、リィンがパンタグリュエルに来た際に、彼に渡しておいたのだが、しっかり練習しているか気がかりだった。どうせ変に考え込んで、このカードの存在すら忘れている可能性が高い。箱の中に書き置きをしておいたのだが、もしかしたら回りくどいやり方だなぁと文句を言っているかもしれない。どちらにせよ、いずれまた彼とこのブレードⅡで戦おうと思っているので、練習でもしようと思って持ってきたのだ。

 

 

「で、何でお前までここにいるんだ?」

 

「いいじゃない。私もブレードⅡに興味があるんだし」

 

 

 最初はここには1人で来る予定だったのだが、いつの間にかヴィータについてこられてしまった。別にかまわないのだが、もうすぐリィンとの決着も近いのだから、彼女も相応の準備をしておいた方がいいはずだ。

 

 

(まぁ、それは俺もなんだけど)

 

 

 こんな時にカードゲームで遊んでいるとは誰も思わないだろう。ヴィータを邪険にせず、共にリィンの妹、エリゼ・シュバルツァーが幽閉されている部屋へ向かう。暇を見つけてはこうしてエリゼのところへ行っているのだが、最初の頃はとにかくどうしてこんなことをしているのかと何度も質問されていた。それでもしばらくはぐらかしていると、やがてはどうあっても答えないと分かったのか、その質問はもうされなくなった。

 

 

「と言うか、まさかと思うが嬢ちゃんに会うとか言わねぇよな?」

 

「会えるわけないじゃない。かどわかした張本人なんだから」

 

「ならいい」

 

 

 エリゼの気分を害されては困る。彼女が救出されるまで、どうせ時間の問題だろう。ならば最後まで気を落ち着けていてもらいたい。

 

 

「と言いたいところだけれど、残念ながら私も会おうと思っているの」

 

「いや、流石にそれは……」

 

 

 部屋の前まで来てそんなことを言われるとは思わなんだ。クロウはヴィータを帰らせようかと思ったが、それよりも早く彼女が扉を開けて入室してしまったため、それは叶わなかった。

 

 

「こんにちは、エリゼ嬢」

 

「あ……ヴィータさん」

 

 

 だが、ヴィータの姿を見たエリゼの反応は意外なものだった。怒るどころか、訪ねてきたことにほっとしている様子だ。

 

 

「クロウと一緒に遊びに来たの。いいかしら?」

 

「はい、もちろん」

 

「よう、嬢ちゃん」

 

「ごきげんよう、クロウさん」

 

 

 ヴィータの後ろから慌てて姿を現したクロウを見ると、くすりと笑っていつものように礼儀正しく挨拶をした。だが、クロウは未だにヴィータとエリゼの間に何があったのかが気がかりだった。とは言え、この場で聞くのも憚られるので黙っておくことに。

 

 

「今日は何をしにいらっしゃったのですか?」

 

「あぁ。ブレードⅡってゲームを……と、思ったんだが、ヴィータがはぶられたら怒りそうだし、ポーカーでもするか」

 

「構いませんよ」

 

「クロウ、私がそんなことで怒るとでも?」

 

「今既に怒っているじゃねぇか」

 

 

 睨みつけてくるヴィータにそう返すと、クロウはエリゼにトランプの束を渡してシャッフルしてもらう。自分がやるとイカサマをするのではないかとヴィータが釘を刺してくるに違いないので、こうする他にないのだ。

 

 

「それにしても……嬢ちゃんは肝が据わっているよな」

 

「そうでしょうか?」

 

「あぁ。こうして幽閉されているって言うのに、しっかりして……アルフィン殿下なんて四六時中不安だったしな」

 

「私は殿下と違って、他にも同じ状況の方がいますからね。ヴィータさんから聞きましたが、殿下は御一人で周りは皆貴族連合に協力している方々だったそうですし」

 

「ヴィータ……お前、勝手にあれこれ話すなよ」

 

「いいじゃない。クロウだって、随分と話していたそうだし」

 

「……まぁ、いいか」

 

 

 ヴィータの指摘が図星だったため、クロウはそれ以上言及せずにエリゼがシャッフルしたトランプをそれぞれに配っていく。もちろんイカサマはしない。

 

 

「そういえば……クロウさんとヴィータさんは、お付き合いなさっているのですか?」

 

「はっ!?」

 

 

 思わぬ一言。それも、直球ど真ん中の言葉に、クロウは驚きの声を上げる。ヴィータが声を上げることはなかったが、その視線に動きがあったのは間違いない。どうやら少なからずうろたえたようだ。

 

 

「何でそう思うんだ?」

 

「いえ。お二人とも、だいたい相手のことを話すことが多かったので」

 

 

 そう言われて思い返してみると、確かにクロウはヴィータのことを。そしてヴィータはクロウのことをよく話題にしていた気がする。

 

 

「大した想像力だな」

 

 

 溜め息を零し、呆れた態度を取れるようになったのはつい最近のことだったりする。それまではリィンと同様に気にしすぎる性格もあってか、本気で呆れていると思わせてしまうことが多かったのだ。

 

 配り終えたカードを眺め、これからの役を考える。既にツーペアができているので、ここから狙うとしたら、やはりスリーカードだろう。クロウはヴィータとエリゼを見るが、2人とも特に表情に変化がない。

 

 

(やべぇな……人選ミスったかも)

 

 

 エリゼは何故か強運の持ち主で、ポーカーでの勝率はあまりよくない。そしてヴィータほどポーカーフェイスを得意とする相手はそうはいないだろう。これは、確実に勝てる配役でなければ、自分に勝機はないに等しい。

 

 

「残念だけれど、私とクロウはそういう間柄ではないわ」

 

「そうでしたか。すみません、困らせるようなことを言って」

 

 

 クロウが思案顔になっている間、エリゼとヴィータの会話は続いた。それに耳を傾けるだけと決めていたクロウだったが、続くヴィータの言葉に耳を疑う。

 

 

「大丈夫よ。困っていないし、寧ろそう言う風に見えたのなら嬉しいから」

 

「何でだよ! 嬢ちゃんに勘違いさせるなよ……」

 

「いいじゃない。私とクロウが特別な関係なのは変わりないんだし」

 

「あのなぁ……オルディーネに導いてくれたってだけだろうが」

 

 

 このまま2人のペースに流されるのは癪だが、1度でも流されてしまうと中々抜け出せないので、あまり抵抗せずそれだけ返しておく。そんなことを考えつつ手持ちのカードを1枚交換すると、見事にスリーカードが揃った。賭け事はエリゼから注意を受けるのでチップなどはないので味気ないが、とりあえずこの手で行くことに。

 

 

「嬢ちゃんとヴィータはどうだ? 俺はいい感じだぜ」

 

 

 わざとらしくそう言うが、ヴィータは特に手札を変えることはなかった。そしてエリゼは役が揃っていないようで、手札の5枚全てを交換することに。とりあえず彼女には勝ったに違いない。クロウは早速己の手札から明かした。

 

 

「スリーカードだ」

 

「ごめんなさい、ストレートよ」

 

「いきなり上回るなよ……」

 

 

 笑みを浮かべたクロウだったが、予想通りヴィータによっていきなり玉砕されてしまった。ジト目で睨むものの、いつものように意に介する気配はない。

 

 

「エリゼ嬢は?」

 

「私は……フルハウスです」

 

 

 エリゼの強運は今日も絶好調のようだ。

 

 その後もクロウが2人に勝つことは中々なく、エリゼが持ち前の強運で強い役を完成させたり、或いはヴィータがブラフで役を揃えていると思わせたりと、2人にまったく太刀打ちできなかった。

 

 

「あー……全然勝てやしねぇ」

 

「リィンくんとの勝負に影響が出ないといいわね」

 

「…おい」

 

 

 ゲン担ぎと言うわけではないが、確かに負け続きと言うのも困ったものだ。しかしこんな状況でリィンの名前を出す方が困り者だ。ヴィータに釘を刺すが、もう遅い。

 

 

「どうしても、兄様と戦うのですか?」

 

「……あぁ。お互い、譲れないものがあるからな」

 

 

 それにここまで来て、今更白旗を上げるほどクロウもお人好しではない。残念そうにするエリゼを見、クロウは溜め息を零して優しく彼女の頭を撫でた。

 

 

「あっ……」

 

「けど、あいつは俺を取り戻す気満々だ。

 兄貴を信じているなら、俺が連れ戻されるって信じておいた方がいいぜ」

 

「クロウさん……」

 

「まぁ、もしも連れ戻されたら、その時はまたポーカーでもしようぜ」

 

「…はい、是非」

 

 

 やがてエリゼとは別れ、別の部屋でヴィータと共にのんびり過ごす。しかし失言だったと理解しているのか、ヴィータはあまり口を開こうとはしない。

 

 

「ヴィータ。ちょっとブレードⅡの練習相手になってくれねぇか?」

 

「……いいわよ」

 

 

 乗り気かどうかは分からないが、素直に応じてくれたので早速対面に座ってカードを配る。

 

 ブレードⅡとは、1~7枚の数字のカードと、4種類の特殊なカードを駆使して戦うカードゲームだ。まず、山札からそれぞれ10枚のカードをドローし、その後更に山札から互いの場に1枚ずつカードをセットする。その際、数字が低い方を先攻とし、手札から数字の書かれたカードを後攻と交互に出していき、最終的に合計値の高い方が勝利と言うことだ。

 

 ちなみに特殊なカードは値を1とし、最後まで手札に残ってしまうと負けとなる。

 

 

「そんじゃあ、やっていくか」

 

 

 クロウがカードをシャッフルし、互いの場にカードを配っていく。そして最後に先攻と後攻を決めるためのカードを配する。ヴィータは2、そしてクロウは4だ。手札のカードも中々だ。失敗さえ起こさなければ、なんとか勝てるだろう。

 

 

「いっちょ揉んでやるぜ」

 

「意外と大胆なのね」

 

「変な意味じゃねぇよ」

 

 

 意気込むクロウの気が一気に削がれたが、少しは彼女のペースも戻っているのならなによりだ。

 

 

「それじゃあ……3を」

 

 

 まずは単調に数字を増加させていく。それはクロウも同様で、手札から2を出して値を1だけ上回るようにする。それをしばし繰り返し、やがて互いの手札が3枚となる。ここからが勝負だ。クロウの値は22で、手札は相手の一番上のカードを破壊できるボルトと、数字の6と7となっている。対してヴィータは値が19で、ここからの逆転は残っている特殊カードによるだろう。

 

 

「…フォースを使うわ」

 

 

 そしてヴィータが出したのは、やはり特殊なカードだった。フォースが発動され、自分の場にあるカードの合計値が2倍になり、38となる。クロウはすかさずボルトを発動させてそれを破壊する。

 

 

「意地悪ね」

 

「何を今更」

 

 

 むぅと剥れるヴィータは、いつもの大人っぽさよりもあどけなさが出ていて可愛らしい。そんなことを言ったら何をされるか分からないので口を噤んだ。

 

 

「なら、1を使うわ」

 

「そう来たか……」

 

 

 1は全く以て役に立たないかと思いきや、ボルトで破壊された際に使うことで、破壊されたカードを元の状態に戻すことができる。つまりヴィータの値は38に戻ってしまい、クロウに勝ち目はなくなってしまった。

 

 

「あちゃー……俺の負けか」

 

「ふふっ、残念でした」

 

「…リベンジしたいところだが、何もないっていうのも味気ねぇし……そうだな、ここは勝った方が相手に言うことを聞かせられるってのはどうだ?」

 

「いいわよ。変なことをしたら赦さないけど」

 

「しないっての。つーか、すると思ってんのかよ」

 

「もちろん、思っていないわよ」

 

「だろうな」

 

 

 賭けの内容を決めると、今度はヴィータがカードを配っていく。今度こそ──そう思ったクロウの手札は、先程と同じく数字と特殊カードのバランスが整っていた。今回の先攻はクロウがつとめることとなり、早速カードを置いて、数字を上げていく。

 

 やがて残りが3枚となると、クロウはミラーを使ってヴィータと場のカードを入れ替える。しかしすぐに彼女も同じカードを使って元の状態に戻してしまった。互いのカードは差が1しかない。自分が持っているのは6と、相手の手札から1枚選んで破壊するブラストと呼ばれるカードだ。だが、特殊カードを最後まで残していてはルール違反として負けてしまう。

 

 

「ブラストだ」

 

「あっ……!」

 

 

 両方とも数字のカードか、はたまた片方特殊カードか。どちらにせよ、迷ってはいられない。クロウはヴィータの手札から1枚選び、それを破棄させる。クロウが選んだカードは───

 

 

「よっしゃ!」

 

「もう……お姉さん相手に手加減しないなんて、クロウの方がよっぽどサドね」

 

 

 ───描かれていたのは、数字の7だった。そしてヴィータの手元に残ったのは、ボルトのカード。これでカードを出せるのはクロウだけとなり、ヴィータは敗北となった。

 

 

「おーしっ、やったぜ」

 

「もう……少しは手加減するのが紳士でしょ?」

 

「俺にそんなのを求める方が間違っているっての」

 

「まぁ、確かにね」

 

 

 否定してもらえなかった。自分で言ったこととは言え、なんだか物悲しく感じてしまう。咳払いして気持ちを切り替える。そしてヴィータに何を命ずるか腕を組んで考え出す。

 

 

「んー……そういやぁ、ヴィータは料理とかできるのか?」

 

「なぁに、唐突に?」

 

「いや、こないだフィッシュバーガーを作っただろ? だから、ヴィータの料理も食ってみたいなぁと」

 

「…まさかヘタレなクロウからプロポーズしてもらえるなんてね~」

 

「ばっか! ちげぇって」

 

 

 ヴィータの返答に真っ赤になるクロウ。その狼狽ぶりに満足したのか、再びカードを配る。ペースを崩さないヴィータの様子に、クロウも深呼吸をしてやがて気を落ち着ける。

 

 

「今度は私の先攻のようね」

 

 

 最初のゲームと同じように、先攻はヴィータがつとめることに。ヴィータの場にはブラストのカード。つまり、彼女の値は1だ。対するクロウは4で、かなり優位に立っている。

 

 

「ここは、流すわ」

 

「げっ!」

 

 

 だが、この差を打開する方法がある。ヴィータは手札から3をだし、クロウの場にあるカードと値が同じようにする。互いの数字が同じとなった場合、仕切り直しになるのだ。そして山札から場のカードを引くと、今度はヴィータが3、そしてクロウは2となる。今度はクロウが劣勢に立たされる。

 

 

「負けるかよ」

 

 

 これ以上劣勢に立たされるのは御免だ。改めて仕切り直そうかと思ったが、大きな差でもないので2を出し、差を1のまま維持していく。ヴィータも同じ気持ちなのか、2を出して差を変えずに続けていく。一気に攻めようと値の大きい数字を出しては、ミラーかボルトで破壊されるだろう。フォースを持っていないクロウとしては、覆せなくなるので簡単には攻めきれない。

 

 

「ミラーよ」

 

「…なら、ボルトだ」

 

 

 やがて互いの手札の残りが減ってくると、残った特殊カードを使い切ろうとヴィータが動いた。ミラーで互いの場のカードを入れ替えるが、クロウはボルトでそれを破壊する。しかしまだ1を残していたヴィータはボルトで破壊されたカードを復活させる。

 

 

「くっ……」

 

 

 残っているのは6とミラーだけ。当然、ここではミラーを出すしかない。まだ差は1しかないので、もしヴィータがボルトを持っていたら、負けが確定してしまう。意を決し、クロウはミラーを使う。

 

 

「あら、残念ね」

 

 

 しかしヴィータが使ってきたのは、クロウと同じくミラーだった。となると、残っているカードの値が大きい方が勝つことになる。顔を見合わせ、どちらともなく手元に残った最後の1枚を見せる。クロウは6、そしてヴィータは……7だった。

 

 

「ちぇー……俺の2敗、か」

 

「いい勝負だったわね」

 

 

 勝ててご機嫌のヴィータ。その笑みを見て、クロウも頬を緩める。いつもの妖艶な笑みも素敵だが、こういう時に見せてくれる相応な笑みも好きだ。

 

 

「…で? 俺に何を命令するんだ?」

 

「そうね……」

 

 

 しばらく思案した後、ヴィータはおもむろに立ち上がった。そしてクロウの正面まで来ると、ぎゅっと彼を抱き締める。

 

 

「クロウ……」

 

「何だ?」

 

「お願い。無事でいて」

 

 

 その言葉に、ようやくヴィータの真意に気がついた。エリゼがいる場所でリィンのことを口にしたのは、クロウの決意が揺らいでいないか確認したかったからなのだろう。今日はトールズ士官学院解放されたと言うこともあって、余計に気になってしまったようだ。

 

 

「ったく、素直に心配だって言えっての」

 

「いいじゃない。私とクロウの仲なんだから……分かってくれるでしょ?」

 

「まぁな」

 

 

 ヴィータの言う通りだ。うぬぼれかもしれないが、自分以上に彼女を理解している奴はいないと思う。付き合いが長いからと言うのもあるかもしれないが、なにより2人はお互いのことを───。

 

 

「分かったよ。ちゃんと無事でいる。

 その代わり、約束しろ。お前も無事でいるって」

 

「クロウ……」

 

「おっと、結社の一員だからとか、魔女だからとか……下らねぇことを言うなよ。

 ヴィータ・クロチルダ……お前は、俺の女なんだから」

 

 

 鼓動が高鳴っていく。かなり恥ずかしいし、ヴィータははぐらかすかもしれない。それでも、今言わないと後悔しそうな気がした。それにこれ以上先延ばしにするのも、クロウとしては嫌だったから。

 

 

「…それじゃあ、おまじないしないとね」

 

 

 そう言って、ヴィータはいつもの妖艶な笑みを浮かべ、クロウと──唇を、重ねた。

 



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クロウ×アルティナ

 貴族連合が所有する白銀の艦、パンタグリュエル。その甲板で1人、クロウ・アームブラストは何気なく蒼い空を見上げていた。先程まであった喧噪はとっくに失せたと言うのに、未練がましくある一点を見詰めてしまう。

 

 

(…ったく、感傷に浸るような歳でもねぇってのに)

 

 

 かつて潜入したトールズ士官学院で苦楽を共にしたメンバーと思わぬ邂逅をしたせいで、変に気持ちが浮ついてしまった気がする。それでも決意が変わることはなく、例え敵対しようともこの道を選ぶと決めたクロウの決心は揺らぐことすらなかった。

 

 

「戻るか」

 

 

 いつまでもこんなことをしていたって仕方がない。クロウはやがて空から視線を外し、唯一甲板と艦内を繋ぐ出入り口を通って部屋へと戻っていく。だが、その途中で人影を見つけて足を止めた。膝を抱えて縮こまっているので、もしかしたら見逃していたかもしれないその人影は、しかしクロウの存在に気づくこともなくその場でじっとしている。

 

 

「アルティナ……? 何やってんだ、こんなところで?」

 

 

 そこにいたのは、黒の工房から貸与と言う形で貴族連合に組みすることとなった少女──アルティナ・オライオンだった。黒兎(ブラックラビット)のコードネームを持つ彼女は、漆黒で彩られた傀儡のクラウ=ソラスを操作して戦う。その実力は貴族連合の参謀を務めるルーファスの折り紙つきだ。もちろんクロウも彼女の強さは評価している。

 

 

「おーい、起きろ」

 

 

 近くで声を強めに出してみるが、アルティナは起きる気配がない。ついさっきまで脱走者を追いかけ、相手の仲間が合流して一触即発気味だっただけに、緊張がほぐれたことでまた眠気に負けたのかもしれない。

 

 アルティナは小さな寝息を立ててぐっすりと眠ったまま、起きる気配がない。クラウ=ソラスと同じように黒一色で統一された服を着ているが、胸元からお臍にかけてひし形に切れ込みが入っており、太腿が露出されていて寒そうだ。ここに放置していると風邪をひいてしまいそうなのでとりあえず部屋へ連れ帰ることに。

 

 

「…殴られたりは、しないよな」

 

 

 他意はないが、アルティナに触れようとするとクラウ=ソラスがいきなり現れて攻撃される可能性がある。悪意はないと両手を挙げてアピールしつつアルティナに近づき、そっと抱き抱える。特にクラウ=ソラスが現れたりすることはなかったので、どうやら攻撃されずに済みそうだ。彼女を起こさないよう細心の注意を払いながら艦内を歩いていく。

 

 ほどなくしてアルティナに割り当てられた部屋まで到着し、ドアを開けて中へ入る。ここに来るまで誰にも目撃されなかったのはありがたい。そしていざベッドに運ぼうとした時───

 

 

「ぅん……?」

 

 

 ───眠気から解放されたのか、アルティナが目を覚ました。寝ぼけ眼でクロウをしばらく見詰めるアルティナだったが、今の状況に気付いてすっと左手を挙げる。

 

 

「何だ?」

 

「…クラウ=ソラス」

 

 

 アルティナの静かな呼び声に即座に反応したクラウ=ソラスが、その身を具現させる。そして腕と思しき箇所でアルティナをクロウの腕から離させると、反対側の腕を後ろへ振りかぶる。

 

 

「ちょ、ちょっと待て……!」

 

「不埒な輩に聞く耳など持ちません」

 

 

 どうやら話を聞いてはくれなさそうだ。振りかぶった拳は当然の如くクロウへ当たり、彼の身体は部屋の隅っこまで吹っ飛んでしまう。ありがたいことに重厚な造りとなっているこの部屋では、受け身さえきとんと取れば隣接している部屋に迷惑をかけずに済む。

 

 

「ったく……何で仲間に殴られなきゃならねぇんだよ」

 

「…妙ですね。私の記憶が改竄されていなければ、私は部屋に戻る前に眠りについたはずですが」

 

「あぁ。甲板から戻る途中でお前さんを見つけたんだよ。

 あんなところにいたら風邪をひくからここに連れてきたんだ」

 

「……そうですか。クロウ・アームブラスト、貴方もリィン・シュバルツァーと同様に何か不埒な行為に及ぼうとしたのかと思いました」

 

「するわけねぇだろ!」

 

 

 痛みを耐えながら憤慨し、クロウはやれやれと溜め息を零す。しかしここへ連れてきたリィンも彼女が使役するクラウ=ソラスに殴られたかと知ると、寧ろざまぁみろと言った気持ちになる。

 

 

「まぁ、私に害意を持って近づいたのであれば、クラウ=ソラスのメーザーアームが炸裂しているでしょうし、その痕跡がないと言うことは貴方に害意はなかったと言うことですね」

 

「それを分かっておきながら殴ったのかよ……」

 

「…それはさておき」

 

「おい」

 

「クロウ・アームブラスト。紅き翼・カレイジャスの動向を探らなくてよろしいのですか?」

 

 

 完全に無視されてしまった。もう注意しても聞いてくれないだろうと思い、クロウはアルティナに座るよう促してから彼女の問いに答えることにした。

 

 

「探らなくても自然と耳にすることになるさ。無駄に正義感の強い奴らだからな」

 

「なるほど。では、私は今後も雇い主であるクロチルダ様の命を最優先とさせていただきます」

 

「おう、そうしてくれ。

 あんな性悪な魔女に無理難題を押し付けられたら、ちゃんと言えよ。いつも頑張り過ぎって感じだし」

 

 

 労いの意味を込めてアルティナの頭を優しく撫でるクロウ。最初は驚いた表情を見せたが、すぐに戸惑いのものへと変わり、アルティナはそっぽを向いてしまう。

 

 

「まったく……貴方と言いリィン・シュバルツァーと言い、何故そうも頭を撫でたがるのでしょうか?」

 

「撫でたいっつーか……まぁ、いわゆる友好とか労いのためだな」

 

「そうなのですか? クロチルダ様が『クロウはロリコンだから要注意しなさい』と仰っていましたが」

 

「あの性悪め……」

 

 

 いったいどちらが先にこんな不毛な文句を言い始めたか憶えていないが、別に不仲と言うわけではない。互いに信頼出来ているし、なによりそれなりに付き合いもある。これくらいで本当に腹を立てていたらきりがないのだ。

 

 

「ところで……ロリコンとはなんなのですか?」

 

「あー……まぁ簡単に言うと、幼女を好きなやつのこと、だな」

 

「なるほど。正しくクロウ・アームブラストとリィン・シュバルツァーに言えることですね」

 

「だから俺は違うっての……」

 

「しかし……貴方の説明を聞く限り、成熟していないと言うことと同義と推測します。

 それは女性に対して失礼でしかありません……クラウ=ソラス」

 

 

 クロウがまさかと思うより早く、アルティナは再びクラウ=ソラスで思い切りの良い一撃を繰り出そうとしてきた。

 

 

「と、ところで、お前腹へってないか?」

 

「……多少は」

 

 

 クラウ=ソラスがアルティナの指示で攻撃をする前に、クロウは彼女の興味の対象を変えることに。どうやらずっと寝ていただけあって、お腹が空いているようだ。

 

 

「なら、今から作ってやるよ」

 

「これから料理をするのですか?」

 

「あぁ」

 

「…では、私も同行します。予てより料理そのものに興味があったので」

 

 

 失礼だとは思ったが、アルティナは命令を忠実にこなすか、睡眠しているかばかりだと思っていただけに意外な言葉だった。驚いているクロウの表情を見て、アルティナはいつもの変化の少ない表情をむっとしたものへ変える。

 

 

「今、失礼なことを考えていたように思います」

 

「考えてねぇよ」

 

 

 危うく『エスパーかよ』と口走ってしまいそうになったが、なんとか思いとどまることができた。そしてアルティナを伴って厨房へ向かう。一流のコックが一緒にいるだけあって、備え付けられているキッチンや包丁などは上等なものだ。

 

 

「さて……そんじゃあ、キャベツを切ってくれるか?」

 

「任務了解です」

 

 

 得意料理であるフィッシュバーガーを作ることにしたクロウは、アルティナの前に半月に切られたキャベツの塊と包丁を置く。こんなことを任務と称してしまうあたり、世間とずれているのかもしれない。よもや変なことはしないと思うが、一応釘を差しておくことに。

 

 

「まさかとは思うが……クラウ=ソラスで料理しようなんて思っていないよな?」

 

「私がそのような暴挙に出るとでもお思いなのですか? 心外です」

 

「いや、なんと言うか……」

 

 

 士官学院に潜入していた際に出会った、ミリアム・オライオンと言う少女がアルティナの駆るクラウ=ソラスと同型で白く彩られたアガートラムと言う傀儡を持って戦うのだが、彼女は何故か料理の際にそのアガートラムでやろうとしたと聞かされたことがあったのだ。しかし彼女とアルティナの関係性を分かっていないので、思わず閉口してしまう。それに気づいてか、アルティナは溜め息を零した。

 

 

「特段、私に気を遣う必要性はありません」

 

「え?」

 

「ミリアム・オライオンとの関連性を気にしているのではないのですか?」

 

「まぁ……当たりだ」

 

「でしたら、なんら問題はありません。あくまで貸与された身でしかありませんので、機密事項に抵触することに関しては話す気は毛頭ないので」

 

「さいですか」

 

 

 頭を掻き、アルティナの言葉に戸惑いを覚える。関連性と言う言い方では、寧ろ物のような響きを禁じ得ない。しかしクロウは彼女をちゃんとアルティナ・オライオンその人として見ている。そのような言い方は気に入らなかった。

 

 

「まぁ、とりあえず切ってくれ。何か分からなかったら、遠慮なく聞いていいし」

 

「了解」

 

 

 すると何を思ったのか、アルティナは包丁を手に取るとそれを真上まで振り上げた。呆然とするクロウを他所に、包丁はキャベツ目掛けて一気に振り下ろされる。

 

 ヒュンッと風を切る音がしたかと思えば、キャベツはばっさり切られてしまう。それだけならまだ良かったのだが、思いの外アルティナの膂力が強かったのか、まな板にも見事な一文字の傷が出来上がっている。

 

 

「ちょ、ちょっと待て! アルティナ、ストップだ!」

 

「…何でしょうか?」

 

 

 再びキャベツに向かって第二撃を行おうとしたアルティナを既の所で止めるのに成功する。振り返った彼女は、何がいけなかったのか分かっていないようで、どうして止めるのかと不思議そうな顔をしている。

 

 

「そんな力を入れてやるもんじゃねぇんだよ。ほれ、貸してみろ」

 

 

 アルティナから包丁を受け取ると、クロウは慣れた手つきでキャベツを千切りにしていく。役目を奪われたアルティナは不満そうにそれを見届ける。

 

 

「そんじゃあ……魚を切ってくれ。ただ縦にスライスするだけだから楽だし。

 あー、頼むから指を切るなよ」

 

「了解しました。今度こそ任務を遂行します」

 

「いや、そんな意気込まなくていいから。つーか、袖をまくらないと危ないぞ」

 

 

 はっきり言って危なっかしくって目を離すのが怖かった。しかしずっと見ていてはこちらの作業が進まないし、なによりアルティナが不服になるのが目に見えているので結局は自分の作業に集中するしかなかった。

 

 それからしばらくはアルティナも素直に質問をしてきたのでキャベツを切断した時のような問題は起こらずに済んだ。クロウも彼女も、そこで安心してきたのがいけなかったのだろう。

 

 

「あっ……!」

 

 

 アルティナは包丁で指を切ってしまった。彼女の悲鳴を聞いて、すぐにクロウが手を取って傷を確認する。血がうっすらと出ているが、傷はかなり浅いようだ。

 

 

「絆創膏を持っているから、指をちゃんと洗えよ」

 

「…はい」

 

 

 面倒をかけてしまったと思っているのか、いつもより静かな声だった。アルティナが言われた通り傷を洗うと、自ら絆創膏を施してやる。

 

 

「どうした?」

 

「…いえ」

 

 

 その時驚いた表情を見せたアルティナに気付き、首を傾げる。しばらく黙っていたが、やがて口を開いてくれた。

 

 

「このように、絆創膏を貼ってもらったのは、これが初めてだったので」

 

「それはまた……なんと言えばいいのやら」

 

「先程も言いましたが、私に気遣いは無用です。寧ろ……困ります」

 

「何でだ?」

 

「その……どう反応していいのか、分からないので」

 

「へ~」

 

 

 それを聞いたクロウは、意地の悪い笑みを浮かべた。それにアルティナも気付き、むっとした表情となって警戒する。

 

 

「そりゃあ、さぞからかい甲斐があるな~」

 

「…やはり貴方は、相当なロリコンのようですね。クロチルダ様に報告します」

 

「うっ……それは止めてくれ」

 

 

 ヴィータの名前を出され、クロウはすぐさま大人しくなる。どうやら頭が上がらないようだ。これは良い収穫になったと、アルティナは心の中で微笑むのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「おっし、できあがりだな」

 

「…ほとんどやらせてしまいました」

 

「まぁ初めてなんだから仕方ねぇだろ」

 

「ですが……」

 

 

 なんとかフィッシュバーガーを完成させた2人だったが、アルティナは満足できていないようだ。

 

 

「しょうがねぇな……ほれ」

 

「…これ、は?」

 

 

 そんな彼女に、デザート用に作ったプリンを差し出す。しかしアルティナは戸惑ってばかりで素直にそれを受け取ろうとしない。

 

 

「なにに対する報奨なのですか?」

 

「頑張ってくれたお礼と、しょげているお前への励ましだよ」

 

「そのような施しは無用です。気遣われるような結果は残せていません」

 

 

 どうやら何を言っても無駄のようだ。クロウは大仰に溜め息を零し、スプーンで一口分だけすくってから向き直る。

 

 

「アルティナ、命令だ。口を開け」

 

「何故そのような命令をされるのか分かりませんが……了解しました」

 

 

 そしてアルティナが言う通りにしてくれたと見るや、その小さな口へと強引にプリンを食べさせた。

 

 

「あっ、む……ぅん」

 

「美味いか?」

 

「…はい」

 

「なら、それでいいだろ。一々全部を気にしていたら、疲れちまうぞ」

 

「……では、お言葉に甘えていただきます」

 

「おう」

 

「しかし……無理矢理食べさせるのは頂けませんね」

 

 

 素直にクロウの言葉を呑み込んだアルティナだったが、その表情はすぐさま不満なものへと変わっていく。そして片手を挙げると、それに応じるべくすぐさまクラウ=ソラスが姿を現した。

 

 

「やっぱり?」

 

「えぇ。どう考えても、よくない行動だったと」

 

「だ、だよな」

 

「…まぁ、自覚があるのなら構いませんが」

 

 

 そう言って、アルティナはクラウ=ソラスを下がらせる。それに安堵し、クロウは感謝の意を籠めて彼女の頭を優しく撫でた。

 

 

「ありがとな、アルティナ」

 

「……やはりロリコンなのですね」

 

「だから違うっての……」

 



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クロウ×ヴィータ

 かつかつと音を響かせながら廊下を歩いていくヴィータ。自分が所属する貴族連合を統括する役にあるカイエン公の付き添いを終えて、ようやくこのパンタグリュエルに戻ってきた彼女は、疲労した身体を癒そうと、自分の騎士をつとめてくれているクロウがいるであろう部屋へ向かっていた。

 

 

「…あら?」

 

 

 だが、曲がり角の向こうからクロウの声が聞こえてきたので足を止める。それからこっそりと様子を窺う。何故こそこそするのかと言うと、クロウ以外に少女の声があったからだ。

 

 

「アルティナ?」

 

 

 珍しい組み合わせだった。貴族連合に協力している黒の工房から貸与された少女、アルティナ。彼女はクラウ=ソラスと呼ばれる漆黒の傀儡を使って戦うのだが、えらく事務的な喋りをするので少し浮いている節がある。

 

 任務を忠実にこなすため、ヴィータも何度か任せたことがあるのだが、だからこそクロウとアルティナが接する時間は少なかったように思う。なのに今、2人は話し込んでいる。

 

 

(まぁ、クロウは自分以外に甘いものね)

 

 

 まったく妬いていないと言えば嘘になるが、今は寧ろクロウを弄りたい気持ちの方が強かった。しばらく2人を眺めていると、クロウがアルティナの頭を優しく撫で始めた。

 

 

「…ふーん」

 

 

 アルティナは喜ぶどころか「ロリコンですね」と冷たく言い放ち、苦笑いするクロウをジト目で睨んでいた。

 

 

「クロウってば、ロリコンのね」

 

 

 絶対に否定してくるだろうが、ヴィータは自分の出した結論に異論など挟ませない。相手がクロウならなおさらだ。

 

 

「ちょっと、遊んであげようかしら」

 

 

 意地の悪い笑みを浮かべ、ヴィータは1度部屋へ戻った。そして本棚から古びた書物を取り出してぱらぱらと捲っていくと、すぐに目的のページを見つける。

 

 

「さぁ、楽しませてもらうわよ」

 

 

 妖艶な笑みを深めながら、ヴィータは楽しそうに言った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「ったく……アルティナのやつ、手加減なしかよ」

 

 

 ただ頭を撫でただけでクラウ=ソラスを呼び出しては攻撃しようとしてくるアルティナに、クロウは頭を抱えていた。なんだかんだで面倒見のいい彼は、アルティナを妹のように見ているのだ。

 

 

「あー……一眠りするか」

 

 

 部屋に戻り、さっさとベッドで寝ようかと思ったクロウだったが、そのベッドの上にちょこんと座っている人物を見て立ち止まる。

 

 

「……誰だ、お前?」

 

「こんな美人を捕まえておいて、誰だなんて……酷いわね」

 

 

 確かに座している少女の容姿には見覚えがある。だが、どうして小さくなったのかが理解できないのだ。

 

 

「で? 何でお前はそんなにちっこくなったんだ、ヴィータ?」

 

「お気に召さなかったかしら」

 

 

 ベッドの上で足を組みながら笑うヴィータ。その笑みはいつもの妖艶なものだった。

 

 

「ロリコンの貴方なら、泣いて喜ぶと思ったのに」

 

「お前は俺をどんな人間だと思っているんだ」

 

「私だけの騎士でありながら、アルティナに欲情しているロリコンでしょ?」

 

「んな訳あるか!」

 

 

 憤慨するクロウをよそに、ヴィータはぶかぶかの服を着たままベッドから降りて傍まで歩み寄る。見た目は13歳~15歳と言ったところで、いつもの大人びた顔つきは陰を潜めてあどけなさが色濃く見える。だが、ただ1つだけ子供らしくない点があった。

 

 

「…子供の割には、デカくないか?」

 

「……エッチ」

 

「うるせぇ。大きいままのお前が悪いんだろうが」

 

 

 年の割には不相応な程豊かな胸。普段のものより小さくはなっているが、それでもまだ大きいようだ。

 

 

「まさか失敗したとか言わねぇよな?」

 

「私を誰だと思っているの?」

 

 

 失敗ではないかと指摘すると、ヴィータはあからさまにむっとした表情を見せた。どうやら今の大きさで間違いないようだ。

 

 

「…あぁ、いつもより小さいから不服なのね」

 

「違う。自意識過剰もいいところだぜ……」

 

「それこそ、不服なのかしら?」

 

 

 ぎゅっとクロウの腕に抱きつき、上目遣いに見詰める。いつもよりも背丈が低いこともあり、豊かな胸が二の腕に押し付けられた。

 

 

「は・な・せ!」

 

「いけず」

 

「何でだよ!」

 

 

 その柔らかさは確かに心地好いが、それを受け入れるわけにはいかない。そういったものは、ちゃんと然るべき手順を踏むべきだと思っているからだ。古臭い考え方だと言われるかもしれないが、これだけは譲れない。

 

 

「…で、どうやって戻るんだ?」

 

「もう戻っていいの?」

 

「俺はロリコンじゃないからな」

 

「ふーん」

 

「……お前、まさかと思うがアルティナに妬いているとか言わねぇよな?」

 

「言ったら、どうしてくれるのかしら?」

 

 

 妖艶に笑み、ヴィータは再びクロウに抱き着く。その瞳には期待が確かにあり、クロウは少し答えに詰まる。

 

 

「…さぁな」

 

「逃げないでちゃんと言いなさい」

 

「はっ、お前こそはっきりと言えよ」

 

 

 互いに素直に言えず、ただただ睨み合うだけ。不毛なのは分かっているが、言わせておきながら自分は何も言わないつもりだろう。

 

 

「ふーん。オルディーネに導いてあげたのに、そんな偉そうなことを言っていいのかしら?」

 

「それを今、引き合いに出すのかよ……」

 

「なにより……クロウ、貴女は私だけの騎士でしょ」

 

「……やっぱり妬いてんじゃねぇか」

 

「あら、私はそんなこと一言も言っていないわよ」

 

 

 ぷいっと顔をそむけるヴィータ。その仕草が今の子供の姿と妙にマッチしており、どこか可愛らしい。

 

 

(まぁ、それを言ったら主導権握られるからお断りだが)

 

 

 口が裂けても言えはしないが、確かに彼女は可愛いと思う。そんなことを考えながら、なんとなくヴィータのことを見ていると、その視線に気づいてにんまりと笑う。

 

 

「やっぱり、子供の姿の方がそそるみたいね」

 

「だから、違うっての」

 

「どうかしらね~。クロウはただのロリコンなんだし」

 

「あー……ったく、分かったよ」

 

 

 頭を手荒く掻き、クロウはヴィータを後ろから抱き締めた。そしてゆっくりと、静かに言葉を続ける。

 

 

「俺が好きなのは、普段のヴィータだよ」

 

「……ふふっ、素直な子は好きよ」

 

「へいへい」

 

 

 満足げに笑うヴィータに、思わず舌打ちする。やはり彼女に折れるしかないようだ。しかし言わされたのが不服なのか、クロウは剥れた。

 

 

「…どうしたの、そんなに剥れちゃって」

 

「うるせー」

 

 

 分かっているくせに、また言わせようとしてくるヴィータのこの性格だけは、どうしても好きになれなかった。そう、この性格だけ。

 

 

「せっかくのかっこいい顔が台無しよ」

 

 

 子供の姿なのに、笑うと大人の色香が醸し出されてあの妖艶な笑みが思い起こされる。優しくて、温かくて、そしてすべてを包み込んでくれそうな愛らしさがあって───。

 

 ヴィータは座っているクロウの両足の上に跨り、自分の額をそっと当てる。互いに目をつぶり、聞こえるのは間近にある相手の息遣いだけ。それに彩りを添えるように、女性特有の甘い香りが漂ってきた。

 

 

「ちゃんと言ってくれてありがとう、クロウ。

 今はこんな姿だから、お礼はお預けだけど……嬉しかったわよ」

 

 

 その言葉に安心したかのように、ヴィータを優しく抱き締める。彼女を傷めないよう、ゆっくりと身体をベッドに預け、瞼を開く。目の前にはあどけなさよりも、いつもの大人びた顔があり、どこか安心感を与えてくれた。

 

 

「…ヴィータ」

 

「もう、甘えん坊なんだから。私だけの騎士は、随分と手がかかるのね」

 

「…お前だけには言われたくねぇよ。

 だいたい、それなりの付き合いなんだし、少しは素直になれっての」

 

「……考えておくわ」

 

「ほんっとに手のかかるお姫様だよ、お前は」

 

 

 そんな憎まれ口を叩いてはいるが、クロウの顔には嫌気など一切ない。それを分かっているから、ヴィータは目を閉じたまま微笑んだ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 数時間後───。

 

 少し寝ようと提案してから目を覚ました時、隣で寝ていたはずのヴィータの姿がなくなっていた。まだ眠っていたい欲求をなんとか堪えながら身体を起こすと、普段のドレスに着替えようとしていたヴィータがいた。

 

 

「げっ……」

 

「あら」

 

 

 思わず声を上げてしまったせいで、ヴィータもこちらに気が付いた。振り返った彼女はまだブラを身に着けておらず、豊かな乳房が見えそうになる。幸い、長い艶やかな髪によって僅かながら隠れていたので、クロウは慌てて背を向ける。

 

 

「顔、真っ赤よ。そんなに恥ずかしい?」

 

「当たり前だろ! つーか、もうちょい羞恥心持てよ」

 

「いいのよ、別に。貴方にしか見せないもの」

 

「そういう問題かよ……!」

 

 

 溜め息を零し、呆れるクロウ。そんな彼の気持ちなど露知らず、ヴィータはいつものドレスを着ないまま彼に近づき、そして後ろからぎゅっと抱き締めた。

 

 

「お、おい……!?」

 

「なぁに?」

 

「ふざけるのも大概に……!」

 

 

 苦言を呈そうとした首だけ後ろに向けたクロウだったが、その口が急に塞がれる。それも、あろうことかヴィータの唇で。

 

 

「んっ……ふざけているように、思った?」

 

「お、お前なぁ……」

 

 

 服を着ていないせいで、いつもよりもはっきりとヴィータの温もりを感じることができる。そのせいで更に緊張していると言うのに、彼女はお構いなしだ。

 

 

「……で、いつ戻ったんだ?」

 

「今さっきよ。クロウが中々離してくれなかったから」

 

「嘘つけ。単に離したくなかっただけだろ。

 お前は手のかかるお姫様なんだからな」

 

「…よく分かっているじゃない。

 そう。私は面倒なお姫様なのよ。だからちゃんと構ってくれなきゃ嫌よ。私の、クロウ」

 

「へいへい」

 

「あぁ、それと……あまり黒兎にばかり感けていると……後が怖いわよ」

 

 

 その言葉が嘘ではないと証明するかのように、ヴィータはクロウの首筋に噛みついた。

 



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ユーシス×エリゼ

 温泉郷ユミルは寒さが厳しい雪の季節を徐々に迎えており、降り積もった雪を掻くのに忙しさを増していた。エリゼも家に留まったりせずに外へ出て雪掻きの手伝いをしていた。先程までは雪の中を闊歩していた愛犬のパドも、今は飽きたのか大人しくしている。時折エリゼの方を見ては、彼女が懸命に雪掻きをしていると分かると邪魔をしないようにまた伏せるなんてことを繰り返しているが。

 

 

「…ふぅ」

 

 

 きりの良い所で一息つこうと思い、エリゼはスコップを邪魔にならない場所に立てる。すると唐突にパドが立ち上がった。遊んでほしいのかと思いきや、パドは郷の外へと通ずる道を向いていた。エリゼもそちらに視線を向ける。

 

 見えてきたのは、1人の男性。翡翠色の上着を纏い、綺麗にそろえられた髪と凛とした表情から高貴な気配が感じられる彼の姿に、エリゼは見覚えがあった。ユーシス・アルバレア──エレボニア帝国において最も家格の高い貴族の総称、四大名門に連なる公爵家の1つであるアルバレア家の次男にあたる青年だ。何度か交流をしたことがあるので、エリゼは慌てて彼へと駆け寄る。向こうもそれに気づいたのか、1度エリゼに対して深々と頭を下げた。

 

 

「ユーシス様」

 

「あぁ、わざわざ迎えてくれなくて構わなかったのだが」

 

「いえ。これくらい、当然です。貴方が四大名門にあろうとなかろうと、私の行動に変わりはありません」

 

「ふっ、そうだな」

 

 

 彼女の言うように、きっと自分が何者であろうとその態度は変わらないだろう。エリゼとユーシスは然程交流はないが、彼女が初めてトールズ士官学院に来た際、義兄のリィンと離れてしまったせいで迷子になったのだが、懸命に探していたと後に聞かされてきちんと感謝を述べてくれた。それだけでも充分だ。

 

 

「今日は、どのようなご用件で?」

 

「あぁ、いや……近くに来たのでな。そのついでに様子を見ようと」

 

「そうでしたか。兄様、今は郷の外に出払っているんです」

 

「そうか。別に急ぎの用もない。少し、のんびりさせてもらおう」

 

「では、屋敷の方にご案内しますね」

 

 

 そう言って手を屋敷の方へ向けたエリゼだったが、ユーシスは彼女の細い手から視線を外せなかった。先程まで懸命に雪掻きをしており、冷たい風に晒されていたせいで、真っ赤になっている。

 

 

「待て。手がかじかんでいるのなら、足湯の方で少し温まって行った方がいいはずだ」

 

「え? あ、これくらいでしたらすぐに温まりますから、大丈夫です」

 

「そう言った遠慮は不要だ。お前も兄に似て自分を後回しにする癖は直した方がいい」

 

 

 エリゼの手を取ると、ユーシスは彼女の反論が出るより先に足湯へと連れて行く。最初は戸惑っていたエリゼだったが、足湯の傍まで来ると彼に謝辞を述べてから足湯に手を近づける。程よい温かさがじんわりと伝わってきてほっとする。

 

 

「あの、ユーシス様も……」

 

「いや、その前に挨拶を済ませてくる。無理矢理連れてきて悪かった。

 ゆっくり浸かって、温まってくれ」

 

 

 エリゼに一礼すると、ユーシスはシュバルツァーの男爵家へと足を進めた。彼の言葉に甘えることにして、エリゼは郷の中央に設置してある足湯でのんびりする。今はちょうど他の人もいないので、足湯を独り占めできるのはなんとも嬉しいものがあった。

 

 しかし、やはり自分だけがのんびりしてしまうのは申し訳ない気持ちもある。ユーシスに言えば、間違いなくそんなことを考える必要はないと一刀両断されるに違いないが。

 

 ほどなくして戻ってきたユーシスの手には、タオルが握られていた。どうやら持ってこさせてしまったみたいだ。

 

 

「失礼する」

 

「どうぞ」

 

 

 ユーシスも靴を脱いだので、エリゼは彼のためにスペースを空ける。と言っても利用しているのは自分たちだけなのでそこまで気にする必要はないが。

 

 

「あの、タオルありがとうございました」

 

「いや。これぐらいは誰にでもできることだ」

 

「それでも、持ってきてくださったのはユーシス様ですから」

 

 

 柔和な笑みを浮かべ、エリゼはのんびりと足湯につかる。ユーシスも彼女に倣う形で隣に並んで足湯につかった。しばらくそのまま言葉もなくつかっていたが、別に話す話題がないわけではない。ただ、この足湯のちょうどよい温かさが気持ちを落ち着けてくれるから自然と閉口してしまうのだろう。

 

 やがて15分ほどして、ユーシスが唐突に口を開いた。

 

 

「…この後、少し時間を取れるか?」

 

「え? えぇ、大丈夫です」

 

「では、よければビリヤードに付き合ってもらえないだろうか?」

 

 

 いきなりの誘いに戸惑いつつも、エリゼは二つ返事で承諾した。その時、ユーシスが一瞬だけ表情を翳らせたのに気がついたが、あまりにも僅かな間だっただけに、何も言えなかった。

 

 

「先に行っている。準備が出来たら来てくれ」

 

 

 ビリヤード台が置いてあるのは、この郷にある宿泊施設の中だけだ。ユーシスは先に足湯から上がり、ビリヤード台が設置してある鳳翼館へと足を運んでいく。その背を見送るエリゼは、どこか彼らしくない気がしてならなかった。

 

 一方、ユーシスはまさか自分がらしく振る舞えていないことに気付いておらず、鳳翼館に入ってビリヤードをさせてもらう許可を取ると、専用の部屋に入って扉に背を預けながら溜め息を零した。

 

 

「何をやっているか、俺は……」

 

 

 苛立ちが顔に出ないようつとめているが、聡いエリゼのことだ。恐らくもう気付いているだろう。しかしそれに頼り切って自分から何も言わずに済ませる気は毛頭ない。そんな甘えは、自分からすれば恥でしかないのだから。

 

 

「ユーシス様、お待たせいたしました」

 

 

 やがて扉がノックされ、向こう側から聞こえてきた綺麗な声で我に返る。ユーシスは彼女を迎えるべく扉を開いた。

 

 

「ん、あぁ。わざわざすまない」

 

「いえ。ところで、ユーシス様はビリヤードのご経験が?」

 

「あぁ。兄上に少し教えてもらった程度だから、大した実力もないが、な」

 

「でしたら、私にも分があるかもしれませんね。以前兄様に教えて頂いたことがあります」

 

「そうなのか? 奴はこの手の娯楽にあまり興味が向かないと思ったが……」

 

「なんでも、クレアさんに教わったそうですよ」

 

「ほう。ならば、今回ばかりはエリゼ嬢にご教授願おうか」

 

「そんな、教授だなんて……」

 

 

 慌てて両手を振って自分にはそこまでの才がないと示すエリゼ。しかしキューの持ち方や手入れを見る限り相当な腕前だと窺える。恐らく教える立場だったはずの兄の実力をとっくに抜いているに違いない。

 

 

「今は家柄のことは考えてくれなくて構わない。俺たちは今、ただの友人だ」

 

「ユーシス様……分かりました。それでは、自信はないですが少しだけ」

 

「あぁ、頼む」

 

「でしたら、まずは……」

 

 

 エリゼはユーシスに対して臆することもなく丁寧にビリヤードを教えていく。元々少しだけではあるがやっていたことがあるだけに、彼の呑み込みも早い。なにより、エリゼの教え方も中々に良い物だった。

 

 

「ふむ、少しは様になってきたようだな」

 

「流石ですね」

 

「まさか。これもエリゼ嬢が教えてくれた賜物だ」

 

「そんな……ふふっ」

 

「どうした?」

 

「あ、いえ。ただ、互いに相手を立てるばかりだったので、おかしくて。

 兄様もそうですが、Ⅶ組の皆様も同じなのですね」

 

「そう言われると、確かに」

 

「もう少し自信をお持ちになってください、ユーシス様」

 

「その言葉、そっくりそのままお前に返そう」

 

 

 再びお互いに微笑みあい、そしてゲームを開始する。最初こそエリゼが優位に立っていたが、次第にユーシスもその実力を発揮していく。お互いにどんな局面であっても焦りを見せないだけあり、ゲームの勝敗はほとんど交互に入れ替わる形となった。

 

 

「ふむ……このままゲームを薦めるのもなにか味気ないかもしれんな。

 どうだ。ここは1つ、賭けをすると言うのは?」

 

「賭け、ですか?」

 

「あぁ。ゲームの勝者が、敗者に1つだけ願いを聞いてもらう……まぁ、よくある内容だが、拒否権は持たせる」

 

「それでしたら、構いませんよ。それにユーシス様ならば、拒否権を使わせるような願いなど言わないでしょうから」

 

「あまり買い被るな。俺はお前が思っているような人間ではないのだからな」

 

 

 まただ──エリゼはそう思って、まじまじとユーシスを見てしまう。台に身体を預けるユーシスの瞳が、再び翳ったのだ。どうしてそんなにも悲しい瞳をするのか、聞いてみたくて仕方がなかった。それでも聞くのが怖いようにも思う。それでもエリゼにはそれを見過ごすなんてできない。彼が苦しい表情をしていると、自分も苦しくて仕方がないから。

 

 

「では、俺から行かせてもらおうか」

 

「…はい」

 

 

 最初は賭けがあるから多少頑張っていたが、しばらくするとそんなことも忘れてゲームへ熱中していく2人。ユーシスはずっと真剣な眼差しだったが、それは玉を撞く時だけに限られ、エリゼには笑みを見せてくれた。エリゼも会話こそ続かなかったものの、楽しくプレイすることができたようだ。

 

 

「ふむ……俺が2敗か」

 

「ふふっ、勝ち越せました。しかしユーシス様のお願いを1度だけお聞きしますよ。

 何かご所望はありますか?」

 

「そうだな……では、乗馬に付き合ってもらえまいか?」

 

「そんなことでいいのですか?」

 

「そんなことと言うが、馬を歩かせると街道に出なくてはならないだろう。

 狭い雪道だからな。どちらかが馬を先導する必要が出てくる」

 

「確かにそうですね。では、早速準備いたしましょう」

 

「待て。先にお前の望みを聞いておかなくて良いのか?」

 

「はい。すぐには決まりそうもありませんし……さ、参りましょう」

 

 

 エリゼに促され、ビリヤードで使った道具を片づけてから鳳翼館を出ていく。彼女の行動力は本当に羨ましく思うと同時に、兄であるリィンがたじろぐのも頷けた。

 

 

「やはり大型だな」

 

「えぇ。でも、とても落ち着きのある子なんですよ」

 

 

 案内された馬小屋には1頭の大型の馬がいた。漆黒の巨躯で多少なりとも威圧的なようだが、エリゼにかなり懐いているようでとても落ち着いている。

 

 

「怖くないですからね」

 

 

 馬にエリゼが語りかけているのを見ると、自然と頬が緩む。しかしエリゼは見られたのが恥ずかしかったのか、咳払いして誤魔化した。そして鞍などの馬具の準備を終えると、外へと連れ出す。

 

 

「引くのは大変ではないか?」

 

「この子が自然とついてきてくれるので大丈夫です。ユーシス様、どうぞ」

 

「…では、失礼する」

 

 

 エリゼが引く馬に騎乗すると、最初は戸惑いを見せたが優しく接して落ち着かせる。ユーシスも馬が好きなだけあり、嫌がることはせずに済みそうだ。

 

 

「しかし、やはり普通の馬よりも力強さを感じるな」

 

 

 一歩進むたびに伝わってくる振動がいつもと違うこともあり、ユーシスは思わず感心してしまう。雪道にも慣れているようで、エリゼの先導の元力強く進んでいく。

 

 

「ユーシス様は、今も乗馬を?」

 

「あぁ。最近は乗る時間を確保できぬが、接するだけの時間は作っている」

 

「通りで、姿勢も凛々しくありますね」

 

「あまり褒めてくれるな。この程度、誰にだってできることだ」

 

「私は流石にそこまで優雅にはできません」

 

「それはそれで、見てみたい気もするが……」

 

「機会がありましたら、ご覧に入れますよ」

 

「…やめておこう。女性を困らせるものではないからな」

 

 

 それからも少しだけたわいない話を進めていく。しかしユーシスはあることに気が付いて馬の歩みを止めさせた。

 

 

「奥まで来すぎたかもしれん。そろそろ戻った方がいいだろう」

 

「そうですね」

 

「帰りは俺が先導をつとめよう」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

 そしてユーシスが馬から下りた時、エリゼは彼の瞳をじっと見詰めた。ずっと堪えていたことをどう話せばいいのか──そんな迷いに満ちた瞳だと気付き、口を開く。

 

 

「ユーシス様。そろそろ、本題に入っていただいてもよろしいでしょうか?」

 

 

 擦れ違いざまに言った呟きを耳にして、ユーシスは息をのむ。やはり気づかれていたようだ。もちろん気付かれる可能性を考えていなかったわけではないが、こうして気を遣わせてしまったことは反省するほかあるまい。

 

 

「私の希望を聞いてくださるのですよね。でしたらどうか、郷に来た理由を……いえ、私に会いに来た理由を教えてください」

 

「…すまぬ。言わせてしまったな」

 

「いえ。こちらこそ、出過ぎたことを申しました」

 

「寧ろ俺に口を開かせる機会をくれたのだから、お前が謝る必要はない。

 それに、謝らなくてはいけないのは俺の方だ」

 

「え?」

 

「この郷、そしてお前の父君が襲撃されたこと……まだ、面と向かって謝罪していなかっただろう」

 

「あ……!」

 

 

 ユーシスが言わんとしていることを察し、エリゼは沈痛な面持ちを見せる。以前、ユミルは貴族連合に組みしていたユーシスの父、アルバレア公爵の命によって襲撃されたのだ。その際にエリゼの父親が重傷を負った上、リィンは1度自分の中に眠る鬼の力を御せずに錯乱してしまった。そしてあろうことかエリゼは、その混乱に乗じて誘拐されてしまったのだ。

 

 その後、人伝に家族と郷のことを聞かされたが、心中穏やかではなかったのは間違いない。ユーシスはそれを謝罪したいと言っているのだ。

 

 

「本来であれば父に直接謝らせるのが筋だ。だが、それだけでは俺の気が収まらん」

 

「でも、兄や父は貴方を責めなかったはずです」

 

「あぁ。例えそれでもお前への謝罪をしなくてもいいと言う理由にはならないが、な」

 

「ユーシス様……」

 

「別に謝ってすべて終わったと実感したいわけでもない。

 いや、もしかしたら心の底ではそう思っているのかもしれんな」

 

「……それは、絶対にありえません」

 

「…何?」

 

「ユーシス様は、決して自らの罪から逃れるような人ではありません」

 

 

 エリゼは毅然とした態度でそう言うと、馬から下りてユーシスを正面から見つめた。その視線に耐えきれないのか、ユーシスは思わず顔を俯かせてしまう。

 

 

「何故、そう言える? 俺だって逃げたいと思うことぐらい……」

 

「もちろん、逃げたいと思うのはおかしなことではありません。ですが今の貴方は、本当に逃げてしまうほど弱くはない……私はそう思います。

 兄と再会してからだって苦しいことがありましたよね。ですがその時、逃げることを実行しましたか? それにそもそも、本当に逃げたかったらユミルまで来ませんよ」

 

「それは……」

 

「いつだってⅦ組の皆様が貴方を支え、力となってくれていたはずです。

 そしてその力は、1人でいる時だって確かに存在するものですよ」

 

 

 エリゼの言うように、1度はⅦ組の面々と別行動を取ろうとしたことがある。その時止めてくれたからこそ、自分は自分でいられたと思うし、逃げずに立ち向かうだけの勇気を得たとも思う。

 

 正面に立つエリゼが、ふっと微笑して歩んでくる。自分が謝ることでまたその笑顔を奪ってしまうのではないか──ほんの少し前までそんなことを考えていたから、彼女の笑みが怖かった。だが今のエリゼは、無理に笑顔を作ることもなく、ユーシスに接してくれている。

 

 

「ユーシス様」

 

 

 両手にはめてある手袋を取り去ると、ユーシスの頬を優しく包み込んだ。

 

 

「貴方は強くあろうと努力するあまり、弱さを恥だと思っているのかもしれませんが……それは、間違いです。

 誰だって弱くて当たり前なのですよ。その弱さを認め、誰かに打ち明ける強さを、どうか見出してください」

 

「エリゼ……」

 

「もし……そう、もし見出せない時は、私が貴方を支えますから。兄様を支えたように、ユーシス様のことも、支えて見せます」

 

 

 ぐっと背伸びして、エリゼはユーシスの額に自分の額をそっとあてる。彼女の艶やかな髪から香るシャンプーの香りが、さらに気持ちを落ち着けてくれた。

 

 

「その言葉、感謝する。

 だが俺だけ支えてもらうと言うのは不本意だ。だから……俺にもお前のことを支えさせてほしい。アルバレアの人間としてではなく、ユーシス・アルバレアと言う1人の人間として」

 

「そ、それは……その、勘違いしてしまいます」

 

 

 頬を紅潮させ、視線を泳がせるエリゼ。その姿が愛らしく、ユーシスは己の理性が崩れ去ることを認識する前に次なる行動に出ていた。

 

 

「あっ……」

 

「どう勘違いするかは知らぬが……俺は、別に勘違いしてくれても一向にかまわん」

 

 

 愛おしい──その気持ちだけで、ユーシスはエリゼを抱き締めていた。こんなにも簡単に自分の理性が保てなくなると思ってもいなかっただけに、抱き締めてからどうすればいいか分からず、しばし2人とも硬直してしまった。

 

 

「…そろそろ夕暮れになる。冷え込みが強まる前に、戻ろう」

 

「そ、そうですね」

 

 

 やがてユーシスが離すと、エリゼも赤くなった顔を見られまいと明後日の方向へ視線を向ける。しかしあることに気付いたのか、再びユーシスに向き直ると、こう切り出した。

 

 

「まだ、私の望みを聞いてもらう権利が1つだけ残っていますね。

 これからはどうか【エリゼ】と、呼んでくださいませ、“ユーシスさん”」

 

 

 小雪舞う中、可憐に微笑むエリゼの姿に、ユーシスはただただ頷くのだった。

 



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クロウ×ヴィータ

 4月1日、トールズ士官学院生徒会長室───。

 

 温かな日差しが、真新しい窓から入り込む中、白銀の髪を掻きながらクロウ・アームブラストはまだ荷物の整理が終わっていない室内で、手を動かすこともせずにソファーに寝そべっていた。それも、新聞をしかめっ面で眺めている。

 

 

「あれ~、クロウくん?」

 

「おぉ、おかえり、生徒会長殿」

 

 

 しばらくして新たな段ボールを抱えながら入ってきた小柄な少女は、クロウの姿を見て僅かながら驚いていた。

 

 

「新聞を読むなんて珍しいね」

 

「お前は俺がギャンブル誌しか読まないと思ってんのか?」

 

「え、違うの?」

 

 

 そんな珍しいことじゃないとしかめっ面を余計に不機嫌なものへ変えるクロウに対し、少女は円らな瞳をさらに丸くして意外そうに言った。

 

 

「……帰る」

 

「あーっ、待って! お願いだから荷物の片付けを手伝って!」

 

 

 踵を返そうとするクロウを既の所でなんとか引き止めた少女の顔は、本当に帰らないで欲しいと訴えていた。

 

 

「ったく……冗談も大概にしておけよ、トワ」

 

「……えっと、一応言っておくと冗談のつもりじゃなかったんだよね」

 

「…んー、生意気言うのはこの口か?」

 

「ひにゃあっ!?」

 

 

 友人に隠し事をしてはいけないと言う気持ちから素直に話したトワだったが、クロウに頬を引っ張られてしまう。小柄な身体のせいで怒ろうと手を上下に振っていても可愛く思えてしまうのは仕方がないことだ。

 

 彼女はトワ・ハーシェル。クロウとは1年生の時からの仲で、気心知れた大事な友人だ。ちなみに彼女の身長は平均以下で、その可愛さからマスコット扱いもしばしば。しかも前年度の文化祭で披露したライブによってファンが爆発的に増えたとか。

 

 

「つーか、また新しい荷物持ってきたのかよ。せめていくらか片付けてからにしろっての」

 

「だって、いつまでも通路の脇に置いておいたら他の人の邪魔になっちゃうもん。

 と言うか、私が荷物を取りに行っている間に少し片付けておくって言ったのはクロウくんだよね?」

 

「……そだっけ?」

 

「もーっ!」

 

 

 すっとぼけるクロウに憤慨するトワだが、いくら怒っていてもまったく怖くなかった。

 

 

「アンちゃんもジョルジュくんもいないんだから、しっかりやってよね」

 

「だったら自分の人脈活かして他の生徒会メンバーを呼べよ」

 

 

 今年度から生徒会長として邁進するであろうトワが率先して生徒会室を片付けるのは構わないが、何故かその手伝いに駆り出されたクロウは仏頂面をした。せっかくの春休みぐらい、自堕落に過ごさせて欲しいものである。

 

 

「だってみんな忙しいし……クロウくんだったらなんだかんだで手伝ってくれるかなぁって」

 

「……はいはい、どうせ俺は体よく使われる駒ですよ」

 

「そんなこと言っていないよ。手伝ってくれるのは、クロウくんが優しいからで……!」

 

「分かったって言ってんだろ」

 

 

 トワの言葉を聞いていると恥ずかしくて仕方ないため、クロウは強引に会話を止めさせて手を動かし始めた。

 

 

「ところで、クロウくんさっきはなんの記事を見ていたの?」

 

「別に。しょーもないデタラメだよ」

 

「デタラメ?」

 

「ほら、今日は4月1日だろ。エープリルフールだからってことで、嘘っぱちの記事載せてんだよ」

 

「そうだったんだ。

 私も気を付けないと、クロウくんに騙されちゃいそう」

 

「……いや、お前の場合俺以外にも騙されるだろ」

 

「そ、そんなことないもん!」

 

「どうだかな。それに、エープリルフールでも嘘つけないしな、お前は」

 

「……クロウくん、片付けが終わったら私がなんでも奢ってあげるよ」

 

 

 いきなりの発言に、しかしクロウが食いつくことはなかった。最初は信じそうになったが、トワが自信満々でドヤ顔していたのですぐに嘘だと気づけた。

 

 

「なら、他の生徒会連中にも伝えておかないとな」

 

「……え?」

 

 

 思わぬ返答に間の抜けた声を出してしまった。だが、それを気にする余裕すらなく、トワは冷や汗を掻いていく。

 

 

「い、今のはエープリルフールの嘘だからね?」

 

「分かっているよ。相変わらず嘘が下手だよな」

 

「うーっ!」

 

「拗ねんなって。別に悪いことじゃねぇんだからよ」

 

「…嘘じゃないよね?」

 

「当たり前だろ? 俺様はこの世に生を受けてから、1度たりとも嘘なんてついたことがないんだからよ」

 

「いや、それは絶対に嘘でしょ」

 

「……ばれたか」

 

「当たり前だよ……ふふっ、でもありがとう。クロウくんのお陰で元気出たよ♪」

 

「そんじゃあ、残りもちゃっちゃっとやるか」

 

「おーっ♪」

 

 

 トワの笑顔を見ていると、こっちも元気になれる。てきぱきと片付けを始めた彼女を一瞥し、クロウも手を進めた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 数時間後───。

 

 

「ふぃー……こんなもんかね」

 

「だね」

 

 

 空が夕焼けになり始めた頃、ようやく片付けが済んだ。今日中に残っているものを整理することもできるだろうが、それはまた明日にうつした方がいいだろう。

 

 

「ありがとうね、クロウくん」

 

「おう、一生感謝しとけよ」

 

「一生は無理だけど、ちゃんと覚えておくよ」

 

「本当に真面目だな、お前」

 

 

 冗談のつもりだったが、どうやらしっかりと覚えておくつもりのようだ。

 

 

「あ……見て」

 

 

 ふとトワが何かに気がついた。彼女の指差す方を見ると、蒼く麗しい鳥が窓辺に立っている。

 

 

(グリアノス!?)

 

 

 思わず声を出しそうになるが、なんとか思い止まることができた。あの鳥はクロウと縁があるのだが、どうしてここにいるのか皆目見当もつかない。程なくしてグリアノスは羽ばたいていく。しかしまた近くに止まると2人を──いや、クロウのことをじっと見ていた。

 

 

「……トワ、俺はもう帰るわ」

 

「そう? あ、ジュースぐらいなら奢ろうか?」

 

「いや、いい。なんかお礼する気があるなら、今日はとっとと帰って休めよ。

 生徒会が始まる前に倒れてちゃ、世話ねーからな」

 

「もう、そんなに柔じゃないから大丈夫だよ」

 

「バーカ。心配させんなって言ってんだよ」

 

 

 トワの頭を軽く叩き、クロウはそそくさと部屋を出ていった。

 

 

「心配させるな、かぁ……そうだよね。ちゃんと体調管理しておかないと」

 

 

 ぎゅっと拳を握り締めて、トワはクロウの言うことを聞こうと決意する。そして何気なく窓の外へ視線を移すと、ちょうどクロウの姿が見えた。

 

「クロウくーん、ありがとー!」

 

「おうっ!」

 

 

 クロウの方はいきなり声をかけられて驚いたものの、窓から身を乗り出して大きく手を振るトワに笑って返した。

 

 

「さて……いったい何の用なんだか」

 

 

 改めて周囲を見回し、グリアノスの行方を探す。あの鳥が来ているとなれば、間違いなく主たる“彼女”も近くにいるはずだ。そう思うと、少しげんなりしてしまう。

 

 

「いた」

 

 

 やがて見つけたと思いきや、グリアノスが羽を休めている場所を見て頭を抱える。自分に割り当てられている学生寮の屋根だった。しかもそこから動かないようなので、ここが密会の場所に選ばれたらしい。

 

 

「マジかよ……」

 

 

 相手が何を考えているのかまったく分からなかった。こんな人の多い場所だ。【密会】と評するにはまったく向いていない。しかし、待たせても仕方ないのでさっさと会いにいくことに。玄関を通り、階段を上がって端の方にある部屋へ向かう。ここが自分に割り当てられた部屋だ。ゆっくりと扉を開けて、そそくさと室内に入る。そして、ベッドに寝転がっている人物を見て溜め息を零した。

 

 

「こんな美人が出迎えているのに、感謝もせずに溜め息をつく……男として失格ね」

 

「知るか。だいたい、いきなり来たお前が悪いんだよ」

 

 

 のそのそと身体を起こし、女性──ヴィータ・クロチルダは妖艶に微笑んだ。ぶつくさ文句を言うクロウの言葉など、まったく気に留めていないようだ。彼女は今、帝都で歌姫ミスティとして活躍しているのだが、そんな彼女が一学生であるクロウと知り合いなのはある理由があった。

 

 クロウが産まれ育った故郷、ジュライは彼が幼い頃に宰相をつとめていたギリアス・オズボーンの画策によって強引に帝都の一部に加えさせられた。よく言えば編入、悪く言えば強奪されたのだ。それも、正式な方法ではない。誰もがそれを知りながらも、結局目先の利益に飛びついてしまった。そしてクロウは、唯一の肉親であり、ジュライの市長だった祖父が市長から下ろされてから程なくして亡くなり、故郷を出て行ったのだ。

 

 その後、クロウはカイエン公と知り合い、彼を通じてヴィータとも知り合った。彼女に導きによって、騎神と呼ばれる強大な力を手にするのだが、ヴィータとはそれ以来の付き合いで本当の自分を一番知っている。

 

 

「それで、何でここにいるんだ?」

 

「別に理由なんてないわ。ただ、貴方に会いたいと思っただけよ」

 

「はいはい、そういうことにしておきますよ」

 

 

 何を言っても無駄だ──そう判断すると、クロウもヴィータが座っているベッドに腰掛けた。するとヴィータはゆっくりとクロウに近づき、彼と背中合わせに座り直した。長くて艶やかな髪から甘いシャンプーの香りが漂ってくる。

 

 

「ところで、随分と楽しそうだったわね」

 

「何が?」

 

「……気付いていないの?」

 

 

 ヴィータの言っていることが分からず聞き返すと、彼女は大仰に溜め息を零した。

 

 

「だから、何がだよ?」

 

「本当に気付いていないのね。見た目は育っても、鈍い中身は変わらないみたいね」

 

 

 酷い言われようだ。だが、実際に彼女の言わんとしていることが分かっていないのだから、その指摘は正しい。故に何も言い返せなかった。

 

 

「あの小さな子と、随分親しげだったわね」

 

「あぁ、トワのことか」

 

 

 魔女の血を引くヴィータは、使役している鳥、グリアノスを介して遠くの景色を見ることができる。先程のトワとのやり取りもこの方法で見ていたのだろう。

 

 

「ふふっ、クロウがロリコンだったと思いもしなかったわ」

 

「違うっての。あいつはただのダチだ」

 

「ダチ、ね……そんなことして大丈夫なの?」

 

 

 ヴィータの問いはもっともだ。いずれはここを出ていかねばならない。士官学院の身分もどうせいつか捨て去る必要があるのだ。思い出なんて──ましてや友達なんて、作るべきではない。

 

 

「バーカ。お前、俺を何様だと思ってんだよ」

 

 

 言い返し、クロウはヴィータの背から離れて寝転がった。つとめて気楽に、平静を装って言ったはずなのに、ヴィータはまるで本心を見透かしたかのようにふっと微笑む。

 

 

「そうね。クロウは極度の寂しがりだものね」

 

 

 そして少しクロウの頭を上げさせると、改めて自分の膝に乗せた。

 

「うるせぇ」

 

 苦し紛れにそれしか返せなかったが、ヴィータは笑うこともせず優しく頭を撫でてくれた。

 

 それから10分程そうしていると、おもむろに頬が左右から引っ張られた。

 

 

「何だよ?」

 

「ロリコンのクロウに聞いておきたいのだけれど、結局さっきのトワと言う子とは、どういう関係なのかしら?」

 

「だからロリコンじゃないって。つーか、何でそんなこと聞くんだよ」

 

「気になるからに決まっているでしょ。親しい間柄だって言うなら、嫉妬で彼女に全部話してしまいそうだわ」

 

「おい……」

 

「冗談よ。今日はエープリルフールでしょ」

 

「…さいですか」

 

 

 ヴィータが言うと冗談に聞こえないので止めてもらいたい。

 

 

「あぁ、でも……」

 

「ん?」

 

「嫉妬と言うのは、嘘じゃないわよ」

 

 

 寝転がっているクロウへの膝枕を止めて、彼の上に覆い被さる。豊かな胸の谷間が目の毒なので、慌てて視線を逸らす。

 

 

「私、貴方に夢中なんだから」

 

 

 その言葉に、しかしクロウは溜め息をつく。

 

 

「笑えない冗談は止めろって。いくらエープリルフールでもその嘘はよくねぇよ」

 

 

 また冗談だと判断し、突っぱねる。ヴィータは一瞬だけ目を見開き、そして笑った。だが、いつも見せる妖艶な笑みどこか違うように感じる。

 

 

「そう……貴方がそう思うのなら、それでいいわ」

 

 

 急に冷ややかな態度になったことに驚き、何も言えない。ヴィータはさっさとクロウから離れると、部屋を出ていこうとする。

 

 

「お、おい、どこ行くんだよ?」

 

「仕事よ」

 

 

 慌てて呼び止めるが、間髪入れず返され、また声をかけるより早く出ていかれてしまう。残されたクロウは呆然とするしかできなかった。

 

 一方のヴィータはと言うと、閉めた扉に背中を預けて小さく溜め息を零す。

 

 

「……バカ」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 夜───。

 

 クロウは寮ではなく外で夕食を取ろうと思って適当な店にいた。注文したパスタを前にしながら、しかし中々手をつけようとしない。

 

 

(なんだよ……ヴィータの奴、いきなり態度を変えやがって)

 

 

 そう思いはするものの、不思議と怒りはない。なんとなくだが、非は自分にあるように思えるから。

 

 

(まさか……マジで嫉妬していたのか?

 いやいや、それはないだろ。あいつからすれば俺は、単に利用価値のある駒に過ぎねぇんだから)

 

「随分と不機嫌ね、クロウ」

 

「え? あぁ、サラ教官」

 

 

 肩を叩かれたので振り返ると、そこには士官学院の教官であるサラ・バレスタインがいた。

 

 

「相席していい?」

 

「どうぞ。美人教官と夕飯をご一緒できるなんて、光栄ですよ」

 

「あはは、あんたの担当だったら今ので単位をあげたんだけどね」

 

「なら教官からうちの担任に口添えしといてくださいよ」

 

「嫌よ、面倒だし」

 

「チェ……」

 

 

 残念そうにするクロウを見て、サラは運ばれてきたビールを一気に飲んでから口を開く。

 

 

「でもあんたが無事に進級できたって聞いた時は驚いたわ」

 

「失敬な。俺だってやる時はやるんですよ」

 

「そのやる時って言うのをもう少し増やしなさい」

 

「まぁ、気が向いたら」

 

「ったく、そんなんじゃ2年生の間に単位が危ういわよ」

 

「ちゃんと計算してやっているんで大丈夫っすよ」

 

「ふーん……それにしては、なんか悩んでいたみたいだったけど?」

 

 

 流石に教官は目ざとい。クロウは冷めたパスタをフォークに巻き付けながら頷く。

 

 

「若者には色々あるんですよ」

 

「まぁ、それもそうね。せいぜい悩みなさい、若人よ」

 

「それ、なんか爺臭いですよ」

 

「なんか言った?」

 

「…いえ、なんでもないっす」

 

 

 ジト目が怖かったので、クロウはすかさず口をつぐんだ。

 

 それからはアルコールの回ったサラに店じまいになるまで相手をさせられてしまい、とんだ夕食になってしまった。ようやく解放された時には街頭以外に生活を感じさせる灯りがなくなっていた。

 

 

(こりゃあ寮も閉まっているかもな)

 

 

 とりあえず窓から出入りすれば大丈夫なのは今までの経験から分かっているので、学院関係者に会わないことを祈るばかりだ。

 

 

(少しぶらぶらするか)

 

 

 それでもすぐに帰ろうとは思わず、適当に散策することに。やがてラジオ局の前に来ると、ちょうど1人の女性が出てきた。メガネに帽子を被っている彼女に、何故か既視感を覚える。

 

 

「あ……ヴィータ?」

 

「…あら、よく分かったわね、ロリコンクロウくん」

 

 

 第一線がこれでは、まだ根にもたれているようだ。クロウは頭を掻きながら最適な言葉を考える。

 

 

「えっと……何でここにいるんだ?」

 

 

 自分で言っておいてなんだが、聞きたいのはこんなことではない。今すぐに自分をぶん殴りたい気分だ。

 

 

「言ったでしょ、仕事よ」

 

「あ、あぁ、そっか……仕事、か」

 

 

 ヴィータもヘタレな発言だと思ったのか、じろりと睨んできた。流石に睨まないでくれとは言えず、苦笑いしてしまう。

 

 

「えっと……お疲れ様」

 

「えぇ」

 

 

 また一言返されただけで会話が終わってしまう。クロウは頭を振ってへたれている自分を切り替えることに。

 

 

「ヴィータ。さっきは、悪かったよ……冗談じゃないかって突っぱねたりして」

 

「……はぁ」

 

 

 予想していたより早く謝られてしまった。これでまだつんけんしていては、自分の方が子供になってしまう。

 

 

「私の方こそ、ごめんなさいね」

 

「いや……って、謝るってことはやっぱりマジなのか?」

 

「何が?」

 

 

 不満の残る自分を折って謝ったが、せっかくだ。弄らせてもらおう──ヴィータはクロウの問いかけに気付かない振りをした。

 

 

「いや、だから……嫉妬するとか、俺に夢中だって言っただろ?」

 

「そういえば言ったわね」

 

「それは冗談じゃないのか、教えてくれよ」

 

「あら、自分の気持ちを言わないで私にだけ話させるなんて……フェアじゃないと思うけど?」

 

「そりゃあそうだけどな」

 

「だったらまずは……」

 

 

 主導権は握ったも同然だ。ヴィータは妖艶な笑みを浮かべて近づき、クロウの首に手を回して彼の顔を間近で見詰める。

 

 

「自分で考えなさい、坊や」

 

 

 甘い囁きの後、唇の柔らかな感触が頬に押し付けられた。

 



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アッシュ×ミュゼ

「ったく、ついてねぇ……」

 

 

 ポタポタと髪を伝って落ちていく滴。大した数でなければ気にすることのないそれは、残念ながら全身から溢れるようにして落ちているため、強制的に意識せざるを得ない。

 

 短く切り揃えられた髪を掻き揚げ、アッシュ・カーバイドは舌打ちする。学院からの帰り道、通り雨に降られた彼はずぶ濡れだった。幸い、学院から寮までの距離は然程遠くはなかったから走ってきたのだが、雨脚が強かったせいでびしょ濡れだ。

 

 寮の扉を開けると、他にも雨に降られた生徒がいたのか、出入口にタオルがかけられている。それを1枚拝借し、適当に髪や顔、手足を拭う。さっさと風呂に入って暖まろう──そう思ったアッシュだったが、脱衣場の扉を開けて先客の数を見て舌打ちした。

 

 

(チッ、流石に埋まってやがる)

 

 

 脱衣場に置かれた、衣服を入れておく籠はどれも使われており、混雑していることが分かった。浴場に続く扉の向こうからは話し声が聞こえてくる。まだ空くには時間がかかりそうだ。アッシュは潔く諦めて、自室に足を向けた。暖房器具を使っても暑いと文句を言われる季節でもない。キッチンでセレスタンからホットコーヒーをもらって自室へ。

 

 

「降るなんて聞いてねぇぞ」

 

 

 返る言葉などないと分かっているからこその苛立ちを籠めた独り言。しかし、アッシュの予想に反して返事があった。それも、柔らかな声色で。

 

 

「まったくですね。お陰で私もずぶ濡れになっちゃいました♪」

 

 

 その言葉を耳にした瞬間、アッシュは驚くどころかげんなりした。ずぶ濡れになったと、普通ならば気落ちするはずの出来事をあっけらかんと、それも明るく言い切る少女が目の前に──と言うより自分のベッドの上に座っていた。

 

 

「……何でここにいやがる、イーグレット」

 

「あら。それはもちろん、愛しのアッシュさんに会うため、ですわ」

 

「いけしゃあしゃあと……」

 

 

 睨むアッシュに臆することなく微笑むのは、ミュゼ・イーグレット。アッシュとは恋人同士だが、周囲からは「そうは見えない」と言う評価だった。2人とも、恋仲になる前とあまり接し方が変わらないことが主な要因だろう。

 

 

「俺につまみ出されるか、自分で出ていくか選べ」

 

 

 とにかく早く出ていって欲しいアッシュは苛立たしげに頭を掻きながら言い放つ。しかしミュゼは指を顎にあてて「うーん」と呑気に熟考する。

 

 

「服も乾いたことですし、行きますね」

 

 

 意外なことに、ミュゼは素直に部屋を出ることを選んだ。立ち上がり、乾かしていた制服を手に取るとそのまま扉へ向かう。

 

 

「待て」

 

「はい?」

 

 

 しかし咄嗟にアッシュが制止の声をかけ、腕を掴んだ。

 

 

「やっぱり、私に居て欲しいんですね♪」

 

「んな訳あるか!」

 

 

 嬉しそうに顔を綻ばせるミュゼに、アッシュは溜め息ばかり出てしまう。

 

 

「テメェ、誰のシャツを着てやがる」

 

 

 アッシュが問うたのは、ミュゼが着ているワイシャツについてだった。彼女の手には綺麗に畳まれた制服と、彼女自身のものと思しきワイシャツがある。ならば今、袖を通しているそれはいったい誰のものなのか。女性ものだとしたら、いくらか肩幅が広い。細身のミュゼには不釣り合いだった。しかも袖も長く、指先がかろうじて姿を覗かせているくらいだ。

 

 

「あら、アッシュさん以外のワイシャツを着るとでも?」

 

「やっぱりか」

 

 

 悪びれる様子もなく、ミュゼはアッシュのワイシャツだと言い切る。しかしここまで自由気ままに動かれると、怒りを通り越して呆れてしまう。そんなアッシュの気持ちを知ってか知らずか、ミュゼは嫣然と微笑む。

 

 

「アッシュさんのワイシャツを着て、更にアッシュさんの部屋から出て行ったら……皆さんはどう思うでしょうね」

 

「脅してんのか?」

 

「まさか」

 

 

 楽しそうに笑むミュゼは、やんわりとアッシュの手から逃れると、くるっと一回転して見せた。そして思わせ振りにピラッとワイシャツの裾を僅かにたくし上げる。

 

 

「アッシュさんが可愛いから、楽しんでいるだけですよ」

 

「相変わらず最悪な趣味だな」

 

 

 蠱惑的な太股と視線を釘付けにしようとする絶対領域。アッシュは頭を掻く素振りをしながら視線を外した。

 

 

「お冠のようですね?」

 

「当たり前だろ……お前、まさか外でもそんなことしてねぇだろうな?」

 

 

 それまで以上に眼光を鋭くするアッシュ。それが“ミュゼの色気を他の男に見せたくない”ために表れた態度だと言うことはミュゼにもすぐに分かった。その独占欲がアッシュを愛らしく見せるし、なによりも自分を見てくれて──愛してくれている証にもなる。ミュゼはからかうのを止めて、アッシュに改めて微笑む。

 

 

「もちろん、見せたりしていませんよ。

 これでも私は、貴方にだけ総てを捧ぐと誓ったんですから」

 

 

 本当なら、言葉だけでなく態度でも示したかった。しかしいざ行動に移そうとすると、途端に足が動かなくなる。柄にもないと一蹴されそうだが、恥ずかしいのだ。それでもアッシュは信じてくれた。そしてこれからも信じてくれると確信している。

 

 

「……騙したら、承知しねぇからな」

 

 

 不意に目の前が陰ったかと思うと、いつの間にかアッシュが立っていた。静かに、そっと耳にかかった髪に触れ、耳打ちしてくる。あまりに突然のことに、ミュゼは心構えもできず、ビクッと身体を震わせてしまった。

 

 

「ククッ、いい反応だな。食われるとでも思ったのか?」

 

 

 形勢逆転したこの状況が面白いのか、アッシュはミュゼの顎に触れると自分の方へ向かせる。吐息が聞こえるほどの至近距離。楽しんでいるアッシュに、今度はミュゼが仕掛ける。

 

 

「あら、食べてくださらないんですか?」

 

 

 首に手を回し、抱き締めるように胸元に顔を埋める。余裕振ってはみるものの、アッシュには虚勢だと見破られている可能性が高い。対してアッシュは臆することなく彼女を抱き抱えると、ベッドに座らせた。押し倒されると直感したミュゼは起死回生の一手を口にする。

 

 

「ところで……これ、なんだと思います?」

 

「あ?」

 

 

 ミュゼが枕元から引っ張り出した、黒い布。それがミュゼの下着だと理解した瞬間、押し倒そうとしていた手を引っ込める。その様子に笑みを浮かべてひらひらと布を揺らすミュゼ。

 

 

「ふふっ、お気に入りなんですよ、これ」

 

「知るか」

 

 

 それだけ返し、アッシュは顔を背ける。そんな反応をされてはもっと困らせたくなってしまうことに彼は気付いていないだろう。

 

 

「もっと直視していいんですよ?」

 

 

 耳元で囁き、アッシュの気持ちを揺さぶっていく。アッシュの体躯にからみつくように腕を回し、息遣いをわざとらしく耳打ちする。

 

 

「冗談です」

 

 

 充分楽しんだところでミュゼはからかうのを諦めて、着替え始める。それでも1度芽生えた嗜虐心は簡単に抑えられそうになかった。最後に1回だけ──そう思ってミュゼは口を開く。

 

 

「見ないでくださいね?」

 

「ハッ、頼まれたって誰が見るかっての」

 

 

 その返答に、ミュゼはムッと唇を尖らせる。確かに好き好んで見られるよりはいいかもしれないが、まるで興味を示さない反応は却って腹立たしかった。あり得ないとは思うが、アッシュの気が変わるより先に着替えると、彼の後頭部目掛けてシャツを投げつける。

 

 

「なんだ、いきなり?」

 

 

 振り返る彼に向かってあっかんべーと子供みたいに舌を出し、ミュゼは黙って部屋を出ていった。取り残されたアッシュはただただ呆然とし、訳が分からないと苛立たしげに舌打ちするのだった。

 



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クロウ×ヴィータ

 貴族連合が所有する純白の艦、パンタグリュエル。その一室で静かな寝息を立てるクロウは、突如として増した重みによってゆっくりと覚醒していく。寝返りを打つことすら叶わない彼は、寝ぼけ眼で状況を確認する。

 

 

「おはよう、クロウ」

 

「……おう」

 

 

 麗しい声。美しい容姿。誰が見ても美人だと評するに違いない女性が──ヴィータ・クロチルダが、クロウの足に腰かけていた。にこやかな笑みの奥に何かを企んでいる色を見出したクロウは、適当な返事をしたところで目を瞑る。

 

 

「起きなさい」

 

「あー……分かったから、とっととそこ退け」

 

 

 ひらひらと手を振ると、ヴィータは溜め息を零しながらもやっと退いてくれた。

 

 退いてくれたのだから二度寝しようと思いたいところだが、相手は魔女だ。怒らせたら怖いので渋々身体を起こす。

 

 

「で、用件は?」

 

 

 欠伸を噛み殺しながら問うと、ヴィータは妖艶に微笑む。その笑みを目にした瞬間、クロウは悟った。これは面倒な奴だ──と。

 

 

「今日1日、私に付き合いなさい」

 

 

 こんな美人からの誘いだ。誰もが即座に受け入れるだろうが、クロウの頭に真っ先に浮かんだ感情は「嫌だ」だった。貴重な時間を少しだけ割くならともかく、1日ともなれば面倒なことになるに違いない。しかし断ればそれはそれで大変な目にあうだろう。

 

 

「…分かったよ」

 

 

 仕方なくと言った様子を隠さず了承すると、案の定ヴィータは唇を尖らせて頬を引っ張ってきた。

 

 

「そこは嘘でも喜んで受けなさい」

 

「嘘でいいのかよ」

 

「それもそうね」

 

「それで、どこ行くんだ?」

 

「帝都よ」

 

「……はい?」

 

 

 帝都ヘイムダル。数ヵ月前に、クロウがギリアス・オズボーン宰相を射殺した地。まさかここに戻ることになるとは思わず、クロウは頭を掻いた。街は相変わらず喧騒に包まれているものの、誰も宰相が殺された事件を忘れている訳ではないだろう。いわゆる空元気と言うものだが、そうでもなければやっていけまい。

 

 ひとまず邪魔にならない場所に立ち、ヴィータを待つ。適当な私服を見繕い、サングラスをかけてなるべく目立たないようにする。

 

 

「お待たせ」

 

「あぁ──って、それは……」

 

 

 声のした方を振り返ると、そこにはラジオパーソナリティー、ミスティとしての服装に包まれたヴィータが。流石にドレスを着てくるとは思っていなかったが、久しぶりにカジュアルな彼女を見たので新鮮な気持ちだ。

 

 

「けど、まさか帝都とはね……ばれないか?」

 

「大丈夫よ。魔法で認識に齟齬を生じさせるから」

 

 

 曰く、ヴィータから離れなければクロウの姿もはっきりとは認識されないらしい。最早なんでもありだが、今はその恩恵に預からせてもらうことに。だが───

 

 

「いやいやいや……これはおかしいだろ」

 

 

 ───何故かヴィータはクロウの腕に抱きついてきた。あまりにあり得ない出来事に、クロウは喜ぶはずもなく必死に腕を離そうとする。

 

 

「あら、ちっともおかしくはないと思うけど?」

 

「嘘つけ!」

 

 

 しれっとするヴィータに声を荒らげるが、彼女がその程度で怯むはずもなく、なんとか離れようと躍起になる。

 

 

「そんなに激しく動かれると、困るわ」

 

「だったら離せよ」

 

 

 豊かな胸が僅かに触れる。服の上からでも分かるぐらいの柔らかさと温もりが心地好い──などと口が裂けても言えない。

 

 

「近すぎるだろ」

 

「仕方ない子ね」

 

「俺が悪いのか?」

 

 

 溜め息交じりに呆れられてしまった。寧ろそれは自分の持つべき感情のはずなのだが、やはり彼女といるとペースを崩されてしまう。もっとも、それを嫌に感じたことは1度としてない。

 

 やっと離れてくれたところで、気を取り直してヘイムダルへと入っていく。ヴィータの言う通り、周囲は2人のことなどまったく気にする様子もなく、あっという間に喧騒へ呑み込まれていった。

 

 

「さて、それじゃあ行きましょうか」

 

「どこに?」

 

「競馬場よ」

 

 

 帝都にある競馬場は、未成年が賭けることはもちろん、入るのにも厳しい場所だ。しかしヴィータからそんな行き先を聞くとは思わず、いざ競馬場に着くと首を傾げてしまう。

 

 

「どうやって賭けるの?」

 

「知らなかったのかよ」

 

 

 全部教えても1度に覚えるのは大変だろうと、必要最低限のことを伝えていく。そして適当な場所で各馬の出走を見守った。

 

 固唾を呑んで眺める者、馬券を握り締めて吠える者、ただ馬が走る様を楽しむ者、立場は様々だが、抱える情熱は同じだ。ヴィータもその熱気を感じているのか、茶化したりせずに静かに眺めている。やがて、その時が来た。スタートと共に響く足音。それを掻き消す程に広がっていく声。応援こそしないが、ヴィータの横顔からは確かに楽しんでいる色が窺えた。

 

 

「まぁ、いいか」

 

 

 何か企んでいるのではないかと考えた自分が恥ずかしい。クロウはその横顔を目にできただけで満足し、レースに向き直った。

 

 

「いやぁ……惨敗だったぜ」

 

 

 賭けた額はさほど高くないが、やはり外れると堪えるものがある。ちなみにヴィータは何故か三連単を的中させていた。昼食を奢ると言われたのだが、あくまで彼女のお金なのでそれは丁重にお断りして、今はバーガーショップにいる。少々値は張るが、ヴィータに美味しいものを食べて欲しかったからこの店を選んだ訳だが、もちろん本人には内緒だ。

 

 

「ん?」

 

 

 トイレから戻ると、ヴィータを囲むように数人の男が立っていた。いわゆるナンパだろうが、ヴィータはのらりくらりとかわしている。命知らずもいたものだと呑気に考えていたクロウだったが、自分でも気付かない内に、1人の腕を掴んでいた。

 

 

「俺の連れになんか用か?」

 

 

 つとめて冷静に言ったはずなのに、言葉の端々に冷徹で、鋭利な怒りがこもる。幸い男達はそれを感じてくれたようで、そそくさとその場を後にした。

 

 

「遅かったわね」

 

「へいへい、悪かったよ」

 

 

 いきなり苦言を口にされるとは思わず、ついぶっきらぼうに返してしまった。その子供っぽい一面に気付いたヴィータがくすくすと笑う。

 

 

「助けてくれてありがとう。白馬の王子様には程遠かったけど」

 

「ほっとけ」

 

「まぁ、私には王子様なんて不釣り合いね」

 

「そうか?」

 

「そうよ。だって、魔女だもの」

 

 

 魔女──確かにヴィータの二つ名もそうだし、結社の連中からも名前ではなく魔女と呼称されることが多いように思う。

 

 

「ははっ、ならその魔女に見初められた俺は、魔王だな」

 

「魔王……ふふっ、王子様よりよっぽど素敵だわ」

 

 

 機嫌をよくしてくれたのか、ヴィータは鼻歌交じりに笑みを浮かべる。簡単に周囲の雑音に呑まれそうなほど小さな旋律。クロウはそれを聞き逃すまいと耳を傾けた。

 

 昼食を終えて店を出ると、次はアクセサリーショップへ足を運ぶ。安価ものから高級なものまで、ありとあらゆるものが取り揃えられているそこは、ゆったりとした音楽が流れており、自然と足を止めては商品を眺めてしまう。

 

 

「イヤリングとかしないの?」

 

「似合うと思うか?」

 

「…確かにね」

 

 

 あっさりと同意されてしまった。もとより世辞など期待していなかったが、こうも簡単に同意されると却って面白くない。

 

 

「これなんてどうかしら?」

 

 

 試しにイヤリングを施したヴィータが振り返る。普段は艶やかな髪に隠れて見えない耳が露になる。女性らしいちょっと小さな耳は、白磁を思わせるように綺麗な肌をしていた。一点の曇りもないそこに追加された蒼いアクセサリーが、より強くクロウの目を引き付けた。

 

 

「あー、うん。いいんじゃねぇの」

 

 

 見惚れてしまったせいで、そんな気の抜けた返事しかできなかった。それが不満なのか、ヴィータは膨れっ面になる。

 

 

「なんでもいいみたいな言い方ね」

 

「違うって」

 

 

 素直に見惚れたなどと言えば、またからかわれるだけだと思い、苦しい弁明でなんとかその場を取り繕った。それでも中々機嫌のよくならないヴィータに、別の話題を出す。

 

 

「ちなみに、俺には何が合うと思う?」

 

「そうね……ペンダントとかどうかしら? それなら、変に飾っているとは思われないし」

 

 

 言いながら、小さなペンダントを指差す。目立たず、それでいて消え入ることのない存在感を醸すそれを手に取り、試しに首からさげてみる。

 

 

「意外と様になっているわよ」

 

「ははっ、俺でも意外だと思う」

 

「せっかくだし、買ってあげる」

 

「いや、流石にそれは……」

 

「あら、私の優しさを無下にするなんて、いい度胸ね」

 

 

 珍しく頑なな態度を見せるヴィータ。そこまで言われては自分が折れるしかないだろう。

 

 

「分かったよ。けど、買ってくれるんなら、そっちの蒼い奴にしてくれ」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……そりゃあ、蒼はお前の色だからだろ」

 

 

 その一言にヴィータはぽかんと呆けるが、それも一瞬だけ。くるっと背を向けてしまった彼女は小さく「バカ」と返すのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「よう」

 

「おう、マクバーン」

 

 

 パンタグリュエルに戻ると、早々にマクバーンから声がかかる。彼とはあまり言葉を交わす機会はないが、関係は悪くない──はずだ。

 

 

「兎から聞いたぜ」

 

「アルティナから?」

 

 

 黒兎(ブラックラビット)の二つ名をもつアルティナは、小柄ながらも黒い戦術殻を使役して戦う頼もしい少女だ。

 

 

「魔女とデートだったんだってな」

 

「ぶふっ!」

 

 

 喉を通るはずだった飲料が口から吹き出す。マクバーンは興味がないのか、その様子になんの反応も見せず、ただ笑っていた。

 

 

「デートじゃねぇよ。ただ一緒に出掛けただけだ」

 

「へー」

 

 

 クロウの弁明に対しても気の抜けた返事をするだけ。まったく信じていないようだ。

 

 

「まぁ、せいぜい魔女に手綱握られないようにな……って、もう手遅れか」

 

「うるせぇ」

 

 

 否定できないのがなんとも悲しい。マクバーンは言うだけ言うと満足したのか、自分の部屋へ戻っていった。相変わらず好き放題しているが、クロウはもう慣れてしまった。

 

 

「行くか」

 

 

 ヴィータに呼ばれていたのだが、マクバーンのせいで行く前に疲れてしまった。それでも待たせて怒らせるのは嫌なので、さっさと歩き出した。

 

 

「おーい、来たぞ──って、なんだこりゃ?」

 

 

 自由に入っていいと言われているので、いつもみたいにノックもなしに入ると、まず最初に目に入ったのは、机には綺麗に並べられた白磁のお皿と、そこに盛り付けられた料理だった。

 

 

「あなたにしてはいいタイミングね」

 

 

 言いながら、奥から姿を現したヴィータが持っていたのはケーキだった。訳が分からないと言った様子のクロウを見て、ヴィータはくすくすと微笑んだ。

 

 

「忘れたの? 今日はあなたの誕生日でしょ」

 

「……あぁ、そうだった」

 

 

 自分のことには無頓着なクロウは、その言葉でようやく誕生日であることを思い出す。ヴィータに促されて椅子に腰かけると、彼女はいつもの妖艶な表情から一転、鋭い顔つきになった。自然と空気が張り詰め、クロウも少し姿勢を正す。

 

 

「クロウ、あなたはまだ20歳にもなっていない。私からすれば子供も同然。それなのに、こんな危ない橋を渡って、戦禍に身を投じて……平穏に暮らせば、まだまだ長生きできるわ」

 

「だろうな」

 

「けど、あなたは歩みを止めないでしょうね。ずっとずっと、前へ進んでいく」

 

「……あぁ」

 

 

 オズボーン宰相を討ったとは言え、それですべてが終わる訳ではない。クロウにもヴィータにも、まだまだやるべきことがたくさん残っている。

 

 

「あなたのその覚悟や思想は立派だと思う。

 でも、だからこそ、お願い……生きて。私の騎士(クロウ)」

 

 

 ごくごく普通の、誰もが思う、ありふれた願い。しかし、ヴィータからすれば切なる願いに違いない。からかうつもりも翻弄つもりもない、心からの言葉。クロウも茶化したりせず、まっすぐに見詰め返す。

 

 

「約束する。何があっても、生きるさ」

 

「本当に?」

 

「あぁ。なんなら契約でもするか?

 お前は魔女で、俺は魔王だ。約束なんて生ぬるいもんじゃなく、契約を交わそうぜ」

 

「ふふっ、いいわね」

 

 

 言いながら、ヴィータはクロウに向かって左手を差し出す。それが何を求めているのか察すると、クロウは膝をつき、手を取る。

 

 そしてヴィータの薬指へ静かに口付けをするのだった。彼女への、愛を籠めて───。

 



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